>>692 >今のままならマスメディアや言論人の自己責任論のえじきでしょ。結局、赤木は適当に持ち上げられ、
>死刑台へ上らされてるだけなのに、赤木はそれを自分の文章が評価されてると勘違いしている。
そういうことを考えられれば、そもそもこんなことにはなってないんでしょうけどね。
赤木のライブドアの文章は「いびつさも含めて商品としての価値がある文章」「キャラが立つこと、印象に残ること、
つまり個性とかユニークさ」というんじゃなくて、事実に就く必要のあるジャーナリストとしての責任を放棄しているわけでさ。
そんな「無責任さ」を「キャラ」「印象」「個性、ユニークさ」として表現されても、記事の当事者も読者も困る。
まあ、そのうち各メディアも困るでしょう。
>>688のレスが精神分析的に興味深いのは、
>大きい間違いはなくても
ってとこね。誰の文章に「大きな間違いがある」のか
>>688は誰よりもよく知ってるみたいだ。
ジャーナリストが事実をめぐる現象および理論的分析の記述において「大きな間違い」を
無責任、無反省に繰り返すのは、致命的だと思うけれどさてどういう展開になるのか。
何が起こっても自業自得で、その場合はそれが「最後」になる可能性は高い。
今のところ、社会全体で「長期に渡って自殺幇助している」印象かな。