長谷川如是閑

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1名無しさん@社会人
長谷川如是閑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%A6%82%E6%98%AF%E9%96%91
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0819.html
http://www.geocities.jp/humon007/NIHON/TAMAKAHIIROSI.htm
長谷川如是閑は丸山真男に思想的影響を与え師と仰ぐ人物で
国家主義、軍国主義と戦った人で時代が違えど今の右傾化してる
日本を考えるのに、長谷川如是閑の書いた物を研究することに
意味はあるのではないでしょうか。
2名無しさん@社会人:2007/05/24(木) 16:44:28
age
3名無しさん@社会人:2007/05/27(日) 16:08:34
長谷川如是閑は外国の思想家とも十分に渡り合える
近代日本における第一級の大思想家・ジャーナリスト
だったそうです。
4名無しさん@社会人:2007/05/28(月) 01:14:02
何が面白い?
5名無しさん@社会人:2007/05/30(水) 16:17:18
戦前は危険な自由主義者と言われてたらしい
今で言うと宮台のような存在だったのかもしれない
6名無しさん@社会人:2007/06/05(火) 14:32:23
如是閑は、「国家の商人化と政治否定」(1921年)において
こんにちの政治的潮流は、個人や階級利益を中心とする勢力移動
によって保持され、多数決制は、多数者独裁となり、政党は
専制化の機関として民衆的政治を少数者専制へと移行させる
鋳直しの手法にすぎない、いまや政治家は商人となり、裁判は
商人国家の意志の履行者となっている、として資本主義と政治
支配者との癒着をあばいてみせる。続いて、かれは、資本主義
の「行きづまり」が「政治の否定」の気運を生み出しているという

これを見て日本は今も似たようなものだと感じた
7名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 13:33:49
如是閑は明治末期は国家主義的には、国力強化に励み、資本主義的には、自由経済
よりは国家経済に進み、日本は、「国民と共に」ではなく、「国民を引き摺って」、
変態的帝国主義に押し進んでいる時といい、昭和に入って、いよいよ時代錯誤の
帝国主義の段階に進むとともに、自然淘汰と人為淘汰の共同作用で、右も左も、
天国の十字軍でなしに、地獄への十字軍に動員されてしまった、とのことです。
8名無しさん@社会人:2007/06/17(日) 16:03:55
長谷川如是閑は、1925年の「行動の体系としての国家」において
国家は政党や組合と同じく「部分社会」ホブハウス、ラスキの多元的国家論であり、
国家イコール「全体社会」とする概念ヘーゲル、ボーズンキットらの国家観を否定
している。また「国家の四形態」では日本という国家は国家行動の体系[国家運営を
機能的にみたばあいには]としては部分社会であり「国家は決して道徳ではない」、
「国家を[儒教イデオロギーやドイツ国家思想によって]道徳化せねばならないという
意識の起ったことは、国家が道徳的でない証拠である」と批判した。
9名無しさん@社会人:2007/06/19(火) 15:44:46
長谷川如是閑は日本人の性格は、本来、自由で寛容であり、現実の生活から
遊離しない道徳的態度である、またそれは、自然的、現実的、実際的、
リアリスティック、中間的、節制、謙仰、平凡、常識的で、そのため日本の歴史
はおおむね外国の思想・制度・文化を平和的にかつ協力的に受容し、決して偏狭な
態度をとらなかったといい、明治20年代以来、人為的に構成されてきた支配層の
思想と、日本古来の生活を重視する一般庶民の感覚や思想とのズレを明確にし、当時
の官僚・軍部による日本主義や皇道精神と日本人本来的な精神構造との差異を掲示
した。また古代人は、第二次世界大戦のような残虐性とは無縁な平和的、楽天的な性格
の持主であったと述べている。かれは、本居宣長が「直毘霊」のなかで、日本には昔は
国家哲学などはなかった。このような「こちなる道理を述べる国家哲学」は「人の国を盗む
こと」、「人に国を盗まれじ」とたくらむ国家から生じたものである、という言葉を引用
しつつ、「ドイツ哲学は、そのような国家概念である」と述べ、またイギリス人が大陸型の
国家イデオロギーにかぶれなかったのは生活事実に基礎をおく産業国家になったからだと
した。そして戦後、講和の時点に立って、いまだにドイツ的思考を払拭していないことを
憂え[ドイツ学からイギリス学へ]国際平和の確立のために日本がアングロサクソン系
の思考態度に再び立ち返ることによって、個人自由と生活事実を重視する民主国家を建設
することを主張し(明治を思う)、再軍備をめざす当時の国家主義傾向の出現に反対の意志
を表明している。
10名無しさん@社会人:2007/06/20(水) 14:46:34
戦後、如是閑は敗戦後の日本人にとっての急務は、まずは、西洋民主主義の成立
と発展の事情について学ぶことだ、当面の政策を考えることも重要かつ緊急である、
しかし迂遠の道のようだが「根本の問題だけを」を考えよ、と繰り返し述べている。
戦後の日本人をみると敗けに乗じて、商人をはじめあらゆる人々が利己主義に走っている。
ここで、如是閑は、言論人も含めて、知識人はどうあるべきかに苦言を呈している。
戦後の精神文化面の解放は、文化人が身を捨てて贖ったのではなく、勝利者の意図で
天降り式に与えられたのであるから、まず、自由主義、民主主義についての正しい認識
を科学的、実証的に学ぶべきで社会主義、共産主義についてもしかりであると。
そして、第一次世界大戦敗北直後のトレルチと同じく、戦後ドイツにおける政治上の
民主主義は、欧米の市民革命にみられる心の革命を前提とした運動であるべきだと捉えて
いたから、民主主義の確立には生活一般とくに文化的性格の民主化が必至である、この点
を無視すると、明治二十年代以降の日本の二の舞になると指摘している。
さらに、当時、政府、自治体、官僚、産業界、教育界などが一から十までマッカーサー司令部
の指示を待ち、その自主性を喪失している状態を嘆き、現在は進駐軍が民主化を進めているから
よいが、撤退したあとに、旧軍人などが新しい反動勢力を形成するのを防止するためにも
早急に国民の政治意識を高める必要があることを提案している。

今の日本の状況も同じで、国民の政治意識を高めないと、明治二十年代以降の二の舞で、
軍国主義とまでいかなくても、貧富の差が激しい国家主義的な日本になる気がします。
11名無しさん@社会人:2007/06/21(木) 11:41:34
長谷川如是閑は戦後、日本の進むべき道は、福沢諭吉がかつて唐人往来の中で
述べていたように、産業主義に立つ中立国家、つまりポルトガル、オランダ、
デンマークのような小国主義でいくべきこと、武力の強い国が世界一という考え
は過去のものであることを自覚せよ、また日本民族の目標は、世界に雄飛する
強大国となることをやめ、ベルギー、スイスのような弱小者が人間の性能において
最高の文明人の水準となってることに学び、軍部がなければ国家の存在に確信が
もてないような考え方を捨てよと述べて、いわゆる「中型国家論」を展開している。
そのため(戦前のような)愛国心を過去のものにせよと述べた。
国連に関しては、国民の生活を第一義的なものとして、国家形態を社会化し構成せよ。
と提言、それは主権国家連合としてではなく諸国民の連合にせよということである。
12名無しさん@社会人:2007/07/03(火) 11:45:22
憲法9条を改正するなら
戦争絶滅受合法案
http://www.komakino.jp/no-war.html
http://www.ranjo.jp/zenbun/2dome/hougakubutokubetu.htm
この法案によると総理大臣、戦争に賛成した国会議員(男子)
などが戦場の最前線に一兵卒として戦うことになります。

これを参考に戦場への海外派兵に賛成した国会議員は戦場で働く事
を入れた条文にしてもらいたい。もちろん単純作業、肉体労働です。
憲法は国家権力を縛るための最高法規なので、他人の命が
犠牲になるかもしれない命令をするわけだから、このぐらい
は当然でしょう。ただし相手国が宣戦布告した場合の日本の領土内の自衛は対象外
とにかく9条改正をしたかったら国会議員も痛みをともなう
ような案にしないと駄目です。

http://www.9joren.net/publication/9jou-news/kantougen/9jou-news-kantougen115.htm
戦争をしたい支配者層はいつも安全な場所にいます。

長谷川如是閑が、雑誌『我等』の巻頭言(1929年1月号)で
紹介した法案だそうです。これは、デンマーク陸軍大将だった
フリッツ・ホルムが起草し制定を促すべく各国へ配布した
「戦争を絶滅させること受合ひの法律案」 だそうで、
軍人さんが考えたってところに説得力ありますね。

ただ本当は如是閑が考えたと言う話もあります。

デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、
それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく
検閲をパスした。

この法案は戦争する国家の本質を突いたものといわれてます。
13名無しさん@社会人:2007/07/03(火) 20:08:00
>>12
おい。
丸山は「与太話」と断った上で、と書いてあるんだが。
14名無しさん@社会人:2007/07/04(水) 14:21:33
与太話なのは、わかります。でも、戦争をしたい人が
自分が戦うつもりがある人はあまりいないと思う。
今、憲法9条を改正したいと思ってる人も賛成した人は
戦場に即刻いってもらいます、となったら果たして、
どれだけの人がそれでも賛成するのか?
15名無しさん@社会人:2007/07/07(土) 18:19:54
そんな馬鹿げた仮定自体が無意味。
9条を改正することと戦争することと何の関係があるんだか。
いかにも頭の悪い煽情左翼が考えそうな仮定だな。
16名無しさん@社会人:2007/07/07(土) 22:30:28
そうだな。そして、論理的な関係があるかのようにいう
馬鹿or確信犯の左翼がいる一方、事実上の影響を
検証するつもりが毛頭なかったり、15みたいなことを
言うときには、戦争の意味を軍事行動と捉えずに
持論であるはずの軍事行動と9条との関連性を
無視するかのように語ることは、戦場に扇情する
頭の悪いネットウヨが考えそうな「現実」認識だよな。
17名無しさん@社会人:2007/08/17(金) 16:07:06
 デンマーク陸軍大将フリッツ・ホルムが起草した「戦争を絶滅させること受合ひの法律案」
(「戦争絶滅受合法案」)。
 日本では大正デモクラシーきっての評論家・長谷川如是閑が紹介した。
 
 戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後、十時間以内に次の処置をとるべきこと。
 即ち下の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし。
 
一、国家の元首。但し君主たると大統領たるとを問わず、尤も男子たること。
二、国家の元首の男性の親族にして十六歳に達せる者。
三、総理大臣、及び各国務大臣、並びに次官。
四、国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五、キリスト教又は他の寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
 
 上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として召集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
 以上に加えて、上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。
<<
http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/hasegawa_nyozekan.html より転載。但し、適時改行・行頭一字空けしている。
  
 また、(六、軍需産業、戦争関連事業で儲ける者)
は、「資料によって書かれていたり、いなかったりするそうです。」
ということです。
 http://saya.lomo.jp/gisei.html
 
  
戦争においては戦争を決定する人と戦争に行く人が違うのが不合理なところ。その不合理をついた皮肉。
この法案が世界各国で採用されると間違いなく戦争はこの世からなくなるだろう。

戦争が始まれば、戦争を決定した政治家やそれらを支持した人が
戦争に行くべきだと思いますか。
18名無しさん@社会人:2007/08/18(土) 01:38:35
今後こうゆうスレは法学板にたてなさい
19名無しさん@社会人:2007/08/19(日) 17:52:58
難しすぎるから
20名無しさん@社会人:2007/08/20(月) 14:42:30
如是閑は、マルクス主義者、あるいは多元主義者?あるいは、そうした分類を超越してた?
21名無しさん@社会人:2007/08/22(水) 07:31:54
>>20
そうゆうのは法学板の政治学者スレか政治思想史スレで聞きなさい。
22名無しさん@社会人:2007/10/02(火) 15:53:42
長谷川如是閑は国家の理念など語ろうとしない。いかに国家が巨大な現実として
眼前に立ちはだかっていようとも、それは本来の人間の生活と社会のあり方からの
疎外感でしかないのであり、それにたいして何らかの理念や理想を托そうとする
発想自体、ひとつの観念的倒錯なのである。彼の努めたことは、逆に、その観念化
された国家の現実暴露であって、国家なる存在を、人類文明史が生み出したグロテスク
でおぞましい、一個のモンスターの如きものとして描き切ってみせることであった。
国家はもとより自明の存在でなく、むしろ本来的に国家悪を運命づけられた存在に
ほかならない。
近代資本主義国家では、征服本能が所有本能と一体となって自由な闘争を展開する
結果、国家悪が産業悪と相乗する国家の商人化が進む。
如是閑は日本人の愛国的精神は実は最近の産物で、一、二代前の私たちの祖先には
決して自明的に解っていた精神でもなければ、忠実に守られた精神でもなく
国家は個人の集団的生活に必要な機関に過ぎないという。
23名無しさん@社会人:2007/10/03(水) 14:03:23
長谷川如是閑はコントのいう、思想の歴史の三段階の初めの二つのフェティシズム
やティズムに不得意で、最後のポジティヴィズムに得意という。
近代以前の日本の文明は、全くそのポシティヴィズム的の、行動的の、形のある文化財
―形のない思想でなしに― の生産によって向上発展して来たのである。
明治人が近代化を企てた場合、アングロ・サクソン文明を選んだのもそのせいだった。
日本は近代の科学時代の、即ち実証主義時代の世界の波に乗って、その点だけでは
東洋の後進国としては、最高位をもちつづけることができたのである。
その方面の性能が、日本人のあらゆる性能のうちでもっとも高いものだということ
は疑われない。
三段階の法則 神学(想像的)−形而上学/哲学(理性的・論理的)−科学(観察、実証的)」
         フェティシズム      ティズム               ポジティヴィズム
コントによって唱えられた仮説で、それによれば、人間の精神は、神学的
形而上学的、実証的という三段階を通って進歩する
神学的段階:自然現象を霊魂や神などにより説明する段階(空想が優位をしめる)
形而上学的段階:中間的段階で、「実体」や「究極因」などの観念により現象を説明
実証的段階:現象間にみられる規則性を用いて現象を説明しようとする科学的段階(観察が優位をしめる)
    「予見せんがために見る」
@神学的段階
  フェテシスム あらゆる現象の背後に神的なものが宿っているとする考え

  多神教 古代社会の思想
  一神教 中世社会のキリスト教
A形而上学的段階 ルネサンスや宗教改革にはじまりフランス革命で絶頂に達する時期
B実証的段階 科学の精神によって支配される新しい時代
24名無しさん@社会人:2007/10/03(水) 14:37:15
如是閑は
戦後のアメリカ化に、対して、色々な不満の声があり教育では、それを
デューイ式の経験主義教育の責任だというものもある。
結局、ドイツ哲学流の、絶対的実在の理念に立って、経験を超えた客観精神
への何とやらが若い教育学者に多いようである。
戦後の子供たちにもし何かの欠陥が現れたとしても、それをいきなりデューイ
の誤りだときめてしまう前に、急に違った道具を与えられた日本の教育者たちが
果してその新しい道具をうまく使いこなせたかどうかを検討するのが順序では
あるまいか。
昭和の始めに、日本の教育哲学者の入沢宗寿博士は、ヘーゲルの止揚の哲学に立って
ドイツ的観念主義も英仏的実証主義も、いわゆるクソも味噌も一緒にした全体主義
教育哲学と称するものを説いたが、今の中堅どころは、まだそのヘーゲル―入沢式
全体主義に停頓してるらしい。あえて教育界だけの話ではないなどといわれると
寒気がする。一刻も早く、もう一つうしろの明治に還れである。
それは逆転でも後退でもない。昭和時代の、近代的の同時の神代的のフェティシズム
時代を抹消して、明治の実践的ポジティヴィズムに立った発展時代に直接つながる
のである。という
日本は明治以降途中まではアングロサクソン系の教育であり、以外と自由であった
みたいだ。明治末期から日本人の教育教養が一切ドイツ系に変わっていったらしい。
25名無しさん@社会人:2007/10/10(水) 13:51:07
如是閑は日本の近代文明建設の青写真がだんだん英米型から離れて、
ドイツ型を追いかけて、哲学でも社会学でも国家学でも、ドイツ学一点張りに
なって、いわゆる「コケ(バカ?)の一つ覚え」で人間の内的・外的の問題も、
国家の内的・外的の問題も、すべてドイツ的イデオロギーで片づけようとし出した
のを、私の明治時代の英米型の教養の頭で、困ったことになったと思っていた。
第1次大戦後、デモクラシーの空気が吹き込んで、相当メートルをあげたが、
これも観念的の、ドイツ的デモクラシーで、へーゲルの「精神」に「物」を置きかえた
マルクス主義も同じ型の絶対主義哲学で、いずれも頭でうけとって頭の中で空転して
いるだけのもので、時代の日本人の五体から湧き出た力ではなかったので、
いつの間にかうやむやに消えてしまった。と言う
26名無しさん@社会人:2007/10/16(火) 15:02:01
丸山真男が長谷川如是閑について語ったこと

考えてみると、ぼくなんかは幸福だったのかもしれないな。如是閑という人物
が傍にいて、物心ついたばかりのころから「東大というところはバカばっかりだ」
なんて聞かされたのは、悪いことではなかった。
そのなかで、いいこと言っていましたよ。
「学者というのは、頭の悪いヤツが多いけれど、しんねりむっつり一つのことを
 やっている。あれはぼくらには真似できない」と
27名無しさん@社会人:2007/12/06(木) 15:08:42
長谷川如是閑、ラッセルについて語る
ラッセルの世界政府という思想は、日本人の肌に合うものだ。日本人はがんらい
複合民族で、民族意識の少ないのが特徴だ。神道なぞいうのも、うっかりすると
日本ナショナリズムのシンボルみたいに考えられがちだが、それは見当違いで、
祖先自慢式の他愛もないものである。日本仏教も概して排他的なものではない。
つまりナショナルなものより国際性のまさっているのが日本的性格で、そこに
日本人の世界平和へ向っての進歩的意義や使命みたいなものもあるのだが、
それに対して、この頃、日本人としての自覚が足りないとか、国民的誇りを
もてとか、妙にナショナルな精神を強調する説が出てきたのは奇怪千万で、
こうした愚論に教育者までが戸惑しているのだから情無い。
子供の頭を非ナショナルなものに作りあげることが、これからの教育の課題だ。
28名無しさん@社会人:2007/12/24(月) 06:20:59
如是閑は93歳まで犬と猫と珈琲と本だけを愛して死んだ
29名無しさん@社会人:2007/12/24(月) 06:32:53
30名無しさん@社会人:2008/01/04(金) 15:19:33
かのゲ−テも絶えずイギリスのことを気にかけていたことをエッカ−マンの
「ゲ−テとの対話」で読んだことがある。ゲ−テは観念論や事大主義的なドイツ
社会の精神的基盤を危惧していたのだ。日本でも長谷川如是閑は大正期の日本が
ドイツの学問に傾倒したことが日本の進路を間違えさせたといって厳しく批判された。
哲学に罪があるわけではないと思うが、形而上学の充分にこなれていない難解な用語
を使って議論をすればどうしても空理空論となのではなかろうか。アングロサクソン
流のコモンセンスに裏打ちされた学問をした長谷川如是閑などはどうにも我慢ならな
かったようだ。とにかく心しなければならないのは充分に理解できていない用語を
使って現実から離れた空理空論をしてはならないことだと思う。限られた世界で衒学的
な用語を使って議論している限りは他愛もないこと笑って済まされようが、政治家の
漠然とした充分に理解できていない言葉を使っての演説を聞く時などは決して安易に
鵜呑みにしないことだと思う。ドイツのヒトラ−の第三帝国に刺激されて、日本でも
「大東亜の新秩序の建設」等のスロ−ガンのもとに戦争への道を突き進んだ。目の前に
ある地道な改革に取り組むことなく起死回生の妙策とばかりに口当たりの良い、しかも、
内容がはっきりとしないスロ−ガンに追従することぐらい危険なことはない。昭和15年
の帝国議会で斎藤隆夫が「徒に聖戦の美名にかくれて、国民的犠牲を閑却し、曰く道義外交
曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくの如き雲を掴むような文字を並べ・・・」と糾弾して
議会から除名されたことは決して忘れてはならないことだと思う。
31名無しさん@社会人:2008/01/08(火) 14:03:09
>>29
大宅が右翼だったのか?
32名無しさん@社会人:2008/01/26(土) 11:44:25
こいつって、デマ記事飛ばして、暴動煽った奴だろ?
33名無しさん@社会人:2008/01/28(月) 11:10:52
>>32
でたらめ書くな
白虹事件か何かのことを誤理解してんのか?
勉強して出直して恋
34名無しさん@社会人:2008/01/28(月) 14:53:03
>>33
鈴木商店焼き討ち事件。
米が高騰したのは、鈴木が買い占めしているとデマ記事飛ばした。
で、それを信じた民衆が暴動を起こして、鈴木本社が全焼。
35名無しさん@社会人:2008/01/29(火) 02:02:42
こいつって、城山三郎の取材に『どうだったか』『覚えていない』とか、とぼけているよな。
36名無しさん@社会人:2008/02/01(金) 17:10:45
>>34
いい加減なこと書くな。誰と勘違いしてんだ?

>>35
ハイハイ。
城山の本も、老大家への敬意で結ばれとるわ
37名無しさん@社会人:2008/02/09(土) 00:25:56
93年間道程だったという一点で尊敬に値する。
38a:2008/02/13(水) 02:23:36
yes, it is.
39名無しさん@社会人:2008/04/18(金) 14:38:05
長谷川如是閑著『日本的性格』
長谷川によると、日本人の国民的性格は、「中正(穏健)」「簡素」「謙抑」の
3語に要約される。こうした国民的性格をもつ日本人の生み出した芸術の基本は、
何よりも「生活の用具」であった。生活そのものの中に日本文化があるのである。

日本人の多角的な性格、対立や矛盾を併存させる感性、生活にこそ本能的な美を
求めようとする習慣の文化、異質な外来文化を異化するより親和することが
好きな国民気質、いつ役にたつかわからないような修養をきわめて大事にして
用意する傾向、自然の全体よりも部分に自然の変化を読む季節感などといった
特徴をいろいろ検討している。
40名無しさん@社会人:2008/04/19(土) 18:34:57
中島岳志が西部邁との対談本で、長谷川如是閑についてあれこれ言及してたな
41名無しさん@社会人:2008/08/24(日) 15:27:09
中島岳志・芹沢一也・セミナー参加者
「保守・右翼・ナショナリズム」
http://kazuyaserizawa.com/synodos/mm/discussions/00/24.html

ここに長谷川如是閑について書いてあります
42名無しさん@社会人:2008/10/18(土) 16:42:17
憲法9条改正なら 国会議員が痛みを伴う条文に
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/iraq/1200646761/

憲法9条を改正するなら
戦争絶滅受合法案
http://www.komakino.jp/no-war.html
http://www.ranjo.jp/zenbun/2dome/hougakubutokubetu.htm
この法案によると総理大臣、戦争に賛成した国会議員(男子)
などが戦場の最前線に一兵卒として戦うことになります。

これを参考に戦場への海外派兵に賛成した国会議員は戦場で働く事
を入れた条文にしてもらいたい。もちろん単純作業、肉体労働です。
憲法は主権者である国民が国家権力を縛るための最高法規なので、
他人の命が犠牲になるかもしれない命令をするわけだから、このぐらい
は当然でしょう。ただし相手国が宣戦布告した場合の日本の領土内の自衛
は対象外とにかく9条改正をしたかったら国会議員も痛みをともなう
ような案にしないと駄目です。もちろん年齢、性別関係なしです。
http://www.9joren.net/publication/9jou-news/kantougen/9jou-news-kantougen115.htm
戦争をしたい支配者層はいつも安全な場所にいます。

長谷川如是閑が、雑誌『我等』の巻頭言(1929年1月号)で
紹介した法案だそうです。これは、デンマーク陸軍大将だった
フリッツ・ホルムが起草し制定を促すべく各国へ配布した
「戦争を絶滅させること受合ひの法律案」 だそうで、
軍人さんが考えたってところに説得力ありますね。

ただ本当は如是閑が考えたと言う話もあります。
デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、
それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく
検閲をパスした。
この法案は戦争する国家の本質を突いたものといわれてます。
43名無しさん@社会人:2009/01/09(金) 16:17:22
長谷川如是閑」名言集・格言集
http://www.oyobi.com/maxim01/01_360.html
44名無しさん@社会人:2009/03/21(土) 19:09:51
『長谷川如是閑評論集』(岩波文庫)を読む。誠に印象的な記述が続く。
抜き出してみる。
「国家は人民をして、国家自体の偏見に盲目的に服従せしむる策を取るよりも、
自由に独立の批判を国家に加えることの出来るような人民を有つことが自家の安全
のために必要なことなのである。合理的の批判によって国家組織の進化を促すこと
は、不合理な理想によって国家組織を硬化せしめるよりも、国家を強固にし、安全
にする途であって、そうすることが遙か愛国的なのである」
45名無しさん@社会人:2009/06/15(月) 19:56:49
戦前の日本やドイツが権力についての警戒心が弱かった理由は
イギリスのように国家を必要悪とみるのではなく、国家は善なるもの
権力は善を実現するものとして権力観の甘さがあったからという。
日本に関して言えば今もある気がします。
大日本帝国憲法は薩長藩閥が民権派を押さえ、権力保持を第一次的に
おき、天皇を最大限に利用した明治国家体制の思想的、制度的確立を
目指したもので教育勅語とともに国家に対する絶対的服従を国民に要求
する支配イデオロギーで封建的な儒教イデオロギーであった。
当事、日本の民主主義の発展を妨げている最大の敵は、国家主義であり
国家を最高のものとして、国家の絶対的優位の思想で、こうした国家思想
のもとでは、個人の自由や個人の生命を尊重する民主政治は確立されないと
言われた。そして今、同じ過ちをしない為には、民主主義に対して短絡的発想
ではなく、その原理や歴史を研究しなければならない。
これらの考えからいくと、日本に今多くいる国家主義的な政治家がいかに危険
か、そして彼らの思想の多くは明治以降の国家主義思想であり、日本の伝統、
文化といいながら、儒教思想、アメリカの新自由主義と、強い国家に都合の
よい思想であり、愛国心教育、皇国史観もそうで、国民より国家を優先する
国家主義でありそれは多くの国民を不幸にするだろう。
ですので、国家主義的な政治家が多いうちは憲法改正は絶対阻止させ、当面
の目標は自民党と官僚支配の政治を終わらせることを考えなくてはいけない
と思う。
      「過去を知らぬものは、それを繰り返す運命にある」
46名無しさん@社会人:2009/06/20(土) 23:48:35
>>42
有名な箴言だね。

2ちゃんの自称愛国者がいざ戦争となったらものの役に立たないってのは
ずいぶん前から言われてるけど、80年前から皮肉を込めて指摘されてたんだね。
47長谷川如是閑:2009/07/31(金) 21:24:27
外交官と幽霊は微笑をもつて敵を威嚇す。

捨てられたる政治家の壮語すると、破れたる靴の鳴るとは悲し。
囚人は前科を誇り、宗教家は懺悔を誇る。

女の子は売品なり、男の児は非売品なり、前者の売れざると、後者の買はれたるとは嘆きなり。
女子の涙は勝利の涙なり、男子の涙は降伏の涙なり。

女子は月経に支配せられ、男子は月給に支配せられる。

女性が英雄を好むのは、英雄に征服されようとしているのではない、英雄を征服しようとしているのだ。

少女の恋は詩なり。年増の恋は哲学なり。

生命は刹那の事実なり、死は永劫の事実なり。

聖人の死は自己の復活なり。豪傑の死は他人の復活なり。

戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり。

善き事を思へるは善き事を思へるに過ぎず、悪しき事を思へるは悪しき事を為したるなり。

男子は、一個の女性を礼賛するのにその全生命を以てするが、全体の女性を礼賛するには舌のみを以てする。

男子は結婚によつて女子の賢を知り、女子は結婚によつて男子の愚を知る。

己れを喪へる生は死よりも意義なし、己れを喪はざる死は生よりも意義あり。

初恋は麻疹の如し。何人も一度は免れずして経験し難し。
48名無しさん@社会人:2009/10/30(金) 02:03:35
長谷川如是閑
近代日本の封建的な国家主義と闘ったジャーナリスト

今の日本の民主主義は少なからず如是閑達の撒いた種
そして努力の結晶である
49名無しさん@社会人:2009/11/12(木) 21:03:40
世界レベルらしい
50名無しさん@社会人:2010/01/28(木) 23:10:07
朝日新聞の御大か
51名無しさん@社会人:2010/04/23(金) 02:29:40
経験主義と現実主義で

四方を海に囲まれた日本は過去何度も時代の大波に洗われてきました。
近代で言うなら黒船来航の明治維新、米国に負けた昭和の戦争の二つです。
この難局をどうにか克服できたのは、日本人が古来培ってきた経験主義や
現実主義という特質のお陰(かげ)だと思います。
学者ではないが鋭い文明批評家だった長谷川如是閑は、明治維新の欧化は
日本人にはごく自然なことだった、と述べています。
彼自身、英米デモクラシーの支持者でフランスやドイツの急進的また思弁的な
思想よりも英米の経験や現実重視の方が日本に適合すると考えていました。
もう少し如是閑の話をすると、彼は明治八年、東京・深川の生まれ。
祖父は大工の親方、父は木材問屋。自ら職人気質の江戸っ子と誇り、
そのことを愛していた。
著書の「私の常識哲学」では、ある友人は建築場で冬でもないのに、どてらに
昔風の固いカンカン帽だ、なんて書いていました。建築場ではいつ上から物が
降ってくるかもしれないから、というのです。
冗談のようですが、そういう経験的で現実的な行動は、日本人ならだれでも、
ああそうだね、と思い当たるところなのではありませんか。
そういう日本人論が彼の本意であり、彼は英国の哲学者バートランド・ラッセルの、
英国の哲学は哲学否定の哲学である、という言葉が大好きでした。

弱肉強食をこえた生存
政権交代がありました。国民は政治の行き詰まりを実感していました。
しかしそのずっと前、地方自治は変わり始めていました。役所仕事、
税の無駄遣いに対する不満が元気な知事や市長を当選させた。日本人の
現実主義は身近なところから現実を変えたのです。
52名無しさん@社会人
東京大学と長谷川如是閑の「弟子」

東京大学法学部・・・・・丸山真男
東京大学経済学部・・・・・大内兵衛
東京大学文学部・・・・・辰野隆

※「弟子」をつくることを嫌った如是閑は、彼らを「若い友人」と呼ぶ