1 :
塩タン ◆TABETEaTT. :
これは回答に困る、正しい解答があったとして果たして納得させられるだろうか
2 :
名無しさん@社会人:2006/12/15(金) 00:53:18
坊やだからさ
3 :
名無しさん@社会人:2006/12/15(金) 00:58:33
秘密だよ☆
4 :
名無しさん@社会人:2006/12/15(金) 18:22:26
自分が殺されたくないから。
5 :
名無しさん@社会人:2006/12/15(金) 18:43:40
厳密に言えば、刑法は「人を殺してはいけない」と国民に命令しているわけではない。
ただ、「殺人を犯した者には、懲役○○年以上の刑を科せ」と裁判官に命令しているだけ。
6 :
軽殺観:2006/12/15(金) 18:49:36
刺激的だから、歯止めが利かなく、キリが無くなるからさ
全ての犯罪が・・・
7 :
名無しさん@社会人:2006/12/16(土) 00:20:08
別に殺しちゃいけないことは無い。
好きで殺すやつはいないだろ。
「…しちゃいけない」って理屈だからおかしなことになる。
8 :
名無しさん@社会人:2006/12/16(土) 01:08:41
>>5 一般予防の見地から国民に行為規範を示す意味もあると思うが。
9 :
名無しさん@社会人:2006/12/16(土) 02:33:59
イインダヨー
10 :
名無しさん@社会人:2006/12/16(土) 03:14:19
フツーにだめー☆
11 :
名無しさん@社会人:2006/12/16(土) 03:25:27
だめってこたない
グリ
13 :
名無しさん@社会人:2006/12/17(日) 04:46:27
人間は偉いから
14 :
名無しさん@社会人:2006/12/17(日) 05:44:45
なぜ生命は美しいんですか
15 :
名無しさん@社会人:2006/12/17(日) 08:22:03
仏教だからだろ。
16 :
名無しさん@社会人:2006/12/17(日) 10:30:41
分からない奴が牢屋にぶちこまれる仕掛けになってるんだから、知ろうが知らまいがどのみち関係ねぇってww
17 :
名無しさん@社会人:2006/12/17(日) 12:07:26
そんなくだらんこと質問する奴はボコボコにタコ殴した後、
「なんで人を殴ったらいけないの?」
と逆にきいてやりゃいいんだよ。
19 :
↑:2006/12/17(日) 14:46:32
正しいw
20 :
名無しさん@社会人:2006/12/17(日) 17:35:52
↑それでも解らないって言われたらどうしよう?
>>20 「私もあなたの痛みはわかりませんが?」
とか言って指の2,3本も折ってやれ。
22 :
名無しさん@社会人:2006/12/18(月) 02:46:37
人を死刑にするための説得的な口実が欲しいから。
23 :
名無しさん@社会人:2007/03/01(木) 16:49:24
人を殺したら殺人です。
いけませんよ。
24 :
名無しさん@社会人:2007/03/01(木) 22:34:47
25 :
名無しさん@社会人:2007/04/23(月) 00:37:07
あ
>>18 他の条件が全て等しいとしたら、
殺人肯定論者の方が喧嘩には強いと思われ。
残虐性のトリガーがゆるいため。
宮台真司は殺しても超OK!!!
28 :
◆KQ/2H5PTKA :2007/06/04(月) 17:06:43
>>1 なぜひとをころしちゃイケナイかは、
くちにしてはならないことなんだよ。
もじにかいてもならないことだ。
つまり、ことばにしてはイケナイ。
なぜことばにしてはイケナイかってゆーと、
それをことばにすると、ひとをころしてもいいって、
はんたいにみとめることになっちゃうからだよ。
ことばってゆーのは、そーゆーものなんだよ。
29 :
名無しさん@社会人:2007/06/04(月) 23:06:35
ダメなものはダメだから。
30 :
◆KQ/2H5PTKA :2007/06/05(火) 11:45:31
「ダメなものはダメ」なんてのは、
思考停止を子どもに積極的にすすめてる以外のなにものでもない。w
「他者とのかみあう対話」というようなことから一番ほど遠いことだ。
人生をはじめたばかりの人に、そんな貧困で反人間的な態度をオトナがとるってのか?w
ま、だけど、そうおもうオトナは、その態度をとればいいと思うよ。w
なぜなら、そんな態度こそが、
おまえらのような種類の精神構造のもち主にはちょうどピッタリなんだろーからな。w
「オトナが子どもに思考停止をすすめる」……w
31 :
名無しさん@社会人:2007/06/05(火) 14:24:50
物事には何でも理由があると教える方が怖いな。
相対化と否定を混同しないよう教えるとよさげ
33 :
◆KQ/2H5PTKA :2007/06/05(火) 15:13:41
一体どこの誰が「何でも」の話をしてるんだ?w
ここは「何でも」の話をする場じゃないんだがな。
それに、最初から誰もそんな「何でも」の話なんかしてないけどな。
それ自体もわからんのだろうな。w
しかし、ますます面白い。つまり、そのように「かみあう対話」ができないヤツだからこそ、
「ダメなものはダメ」という思考停止を積極的に子にたたきこむってわけだ。
その構造が実によくあらわれてる。そしてまた、その、
そういう構造があらわれちゃってる返事を自分がしていること自体の自覚もやっぱりできていないってことも、
あらわになっちゃってる。もはや悲惨。w
だけど、くりかえしになるが、そんな程度のヤツラには、そうした態度と思考こそがふさわしいと思う。w
その程度こそがもともとピッタリなのだ。だから、思うとおりにやればいいんだよ。w
「物事には何でも理由があると教える方が怖い」などといいながら(その実は自分自身にいいきかせながら)w、
「ダメなものはダメ」と、子どもたちに思考停止のすすめを積極的にいいつづければいい。w
>>33 これがwww噛み合うwww対話wwwwwww
思考停止とかwwwwwwっうぇwwwwうぇwwwwwwww
思考停止ってレッテル貼ると楽なんだよな
36 :
名無しさん@社会人:2007/06/07(木) 15:00:52
>>5 > 厳密に言えば、刑法は「人を殺してはいけない」と国民に命令しているわけではない。
> ただ、「殺人を犯した者には、懲役○○年以上の刑を科せ」と裁判官に命令しているだけ。
厳密にいえば、違法な手段によって人を殺すことを殺人と定義しているわけで、
人殺しそのものは罰していないよね。でないと死刑制度も殺人罪に問われちゃうわけで。
37 :
名無しさん@社会人:2007/06/07(木) 15:02:29
要するに人を殺しても全然かわまないが、ただし合法的に殺しなさいということ。
これが正しい解釈。
ひところしを許可したら社会がまわらなくなるべ
39 :
◆KQ/2H5PTKA :2007/06/07(木) 17:44:23
>>34-35 よほど悔しかったんだな。w そんなにいいかえたかったってことはな。
だけどな、本当に効果的にいいかえしたいんなら、
そんな寝言を恥しらずにも大いばりでwほざいてないで、
「 ダメなものはダメ 」 が 「 『 思考停止のすすめ 』 ではないこと 」 を論証・説明することだな。w
ま、おまえらにムリなのは承知の上でいうんだけどな。
40 :
名無しさん@社会人:2007/06/07(木) 19:37:21
個人で選択することになるのだろう。
ちなみに自分は人を殺すことは悪いこと(罪)だと本気で思っているが、自殺は悪いこと(罪)だとは思わない。
今は、人を殺すことを本気で悪いと思っている人が多分、圧倒的に多いだろう。
だから悪いことなのだ。
いずれけれんみでなく、ほんとに人を殺すことが悪いと思わない人が圧倒的多数になったとき、悪いことではなくなるのであろう。
どういう社会かは想像つかないが。
デストピアもので誰か書いてみてよ。
41 :
名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 00:14:36
刑法そのものは殺人を断罪していなくて、断罪しているのは違法な
理由や手段です。むしろ死刑制度によって殺人を奨励する場合もある。
ですから殺人は法的にはいけないことではありません。
42 :
名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 00:17:40
法的ばかりか人道的にも同じことが言えるかもしれません。
人道的にも必ずしも人殺し「それじたい」が断罪され非道とされる
わけではないように思われます。非道とされているのは人を殺す行為
それ自体ではないのです。それ以前の問題なんだよ。
>>39 うはwwwwwテラエスパ厨wwwwwキメェwwwwwwwwwww
低脳はwwwwww回線で首吊ってwwwwww氏ねよwwwwっうぇwwwつうぇwwwwwwwww
44 :
名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 18:22:47
45 :
名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 18:41:46
昔、オナニーすると罪意識感じたけど今は全然ないだろう。
昔、堕胎は罪で後ろめたかったけどけど今では後ろめたいだけであろう。
昔、自殺は罪に勘定されていたけど今じゃそうじゃない。
いったい何が変わったんだ!
46 :
名無しさん@社会人:2007/06/08(金) 18:48:22
昔、オナニーすると罪意識あったけど今じゃ全然ない。
昔、堕胎は罪だったけど今じゃ罪に問われない。
昔、自殺は罪だろう。今じゃ罪じゃないだろう。
いったい何が変わったんだよ!
人を殺すというのに善悪はない。人間が勝手に決めつけているだけ。というのが俺の考え。
ダメなものはダメというのは、究極の理由になると思う。だいたい理由なんてのは、言い訳のカッコイイ言い方に過ぎないかと。
48 :
◆tCLOjAywPc :2007/06/09(土) 02:01:13
その質問が出来るのも、生きているからだ。
49 :
名無しさん@社会人:2007/06/09(土) 04:35:41
>39
なんだこっちに逃げ込んでたのか
あっちのスレでボコボコにされてたよなw
51 :
名無しさん@社会人:2007/06/10(日) 11:29:27
何でクソスレ立てる>1を殺しちゃいけないんでつか?
53 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/06/12(火) 17:42:04
「 なぜひとを殺してはイケナイのですか? 」
この問いかけにたいするかみあう答えはふたつしかない。
ひとつは 「 ひとを殺してもいけなくはない 」、つまり、 「 ひとを殺してもよい 」 である。
もうひとつは、「 殺してならぬワケはある。しかし、それを言葉にしてはならない 」 である。
このふたつのほかに、この問いへの “ かみあう ” 答えはない。
このふたつのちがいは、答える者の立場のちがいによっている。
前者はひとを殺してもよいとの立場である。後者はひとを殺してはならないとの立場である。
*
「 なぜひとを殺してはイケナイのですか? 」 と悪魔が天使にたずねた。
「 ○○○○だからイケナイのです 」 と天使はむじゃきにこたえた。
すると、この問答をハタできいていた人間はかんがえる――
「 なるほど。では○○○○でなければ殺してもよいのだナ 」
そして人ごろしがはじまった。
*
( つづく )
54 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/06/12(火) 17:43:02
( 53>> からのつづき )
どんな意見・かんがえ・ことばにも、まぜっかえしたり、
云い返したりすることができる。批判や反論というものもそれらのうちだろう。
そう。この 「 いいかえせる 」 とゆうこと。
これは 「 ことば 」 というものにおける 「 ひかりと影 」 である。
これがこの問題をとくカギである。
光があればかならず影ができる。影をつくりださないためには、
ひかりをなくさなければならない。光をなくせば影はおのずときえる。
天使は、ひとを殺してはならないと考えておりながら、
ひとを殺してよいワケをつくりだしてしまった。
そうであれば、ひとを殺してはならないと本当におもっているのなら、
「 わけはある。しかし、それをことばにしてはならない 」 とこたえるほかにはなくなる。
( つづく )
55 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/06/12(火) 17:43:49
(
>>54 からのつづき )
考えのちがう人どうしのあいだで 「 かみあう 」 話合いがあたりまえにできていれば、
この 「 ことばをめぐる光と影の関係 」 のことを多くのひとたちがおのずとわきまえているハズだ。
したがって、「 なぜ人を殺してはイケナイのか? 」 とだれかに問われたとき、
うえのように答えるほかはないことを知っている人もそこらじゅうにいるハズだし、
うえの説明もスンナリ受けいれられるだろう。
しかし、この問いかけをめぐるありさまは、
ニッポン社会に 「 かみあう対話 」 がちッともないことを、
2ちゃんねるにこれまでたてられてきたいくつもの関連スレッドにかぎらず、
あらゆる場でのやりとりがしめしつづけている。
こどもっぽくもあり、単純でもあり、根源的でもあるこの問いかけを、
問うひとに問題があるのではない。逆だ。感受性のするどい年ごろなら、
この程度のことをおもいつかないほうがむしろヘンである。
この問いかけは、いつでも、どこでも、だれからでも発せられてよいし、
むしろ発せられつづけなくてはならない種類のものである。
「 そんなことはきくな 」 だの 「 じゃあオマエ殺されたいのか 」 などといいながら、
内心でうろたえまくるだけで、こんなカンタンきわまる正解をおもいつきもしないことのほうにこそ、
現代ニッポン人のオトナどものココロとオコナイの闇がよりよくあらわれている。
( おわり )
鳥変えたのかw テープレコーダーじゃねんだから
オウムみたくくっちゃべってないで質問に答えなよ
57 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/06/12(火) 19:23:00
>>56 シカトされるとさびしくてならんのだな。w
58 :
名無しさん@社会人:2007/06/12(火) 20:06:48
59 :
名無しさん@社会人:2007/06/12(火) 21:37:34
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
なぜ人を殺してはいけないのか
いや、別に逃げ続けたければ逃げ続ければいいと思うよw
それでも類似スレに帰ってきてしまうお前もまた寂しがりやなのさw
61 :
名無しさん@社会人:2007/06/13(水) 01:20:41
宮台の「人生の教科書」にも、同様の内容があったような。
あれは社会板住人的にはどうなの?
人を殺さない人間を育てよう
>>61 社会学板的には宮台真司は殺しても超OK!!!
寂しがり屋だから相手を寂しがり屋だと罵れば相手は傷つくだろうと予期するんだよな
悪口は全部自分に帰って来るんだよ
ところで宮台の同様の内容ってどんなの?
◆JLQ.DLLMQgが馬鹿だから教えてやろう。
「どうして人を殺してはいけないのか」と問う事は相対的に悪とされている。
相対的に悪とされることを意図的にやって「見せる」ことは相対的ではない悪なんだ。
悪を指向する意図が即ち悪だからだ。
問いを発する者が相対的に認められた意味を相対的に運用している限りでその意図は正確に限定できる。
ここでは問いの内容は問題にならない。もし、常識的に認められた言葉の意味を踏まえた上で
学生が「どうして宮台を殺しちゃいけないんですか?」と聞いたなら
教師は「人を殺しちゃいけないからだよ」と答えるだろう。
訊ねる側に幼稚な露悪趣味が無ければこそ常識の吟味、批判ができるものだし、
常識に反抗することしか考えない者が何を疑って見せても相手にされないだろう。
純粋に「どうして人を殺してはいけないんだろう」と考えるなら、
「相対的にダメ」で良い。「絶対にダメではないんだ。じゃあ。。。」という脊髄反射はいけない。
本人乙
67 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/06/13(水) 19:13:11
>>66 そんなゴミ白痴といっしょにしてくれるなってw
68 :
名無しさん@社会人:2007/06/13(水) 21:13:21
ゴミ度合いの区別がつかん
69 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/06/14(木) 20:55:28
>>68 ああ、それはそうかもしれんな。
ものごとを細やかに見分け、考え分け、書き分ける──この種の知的な営為は、
頭が一定の水準に到達していない人には絶対にムリなわけだからな。
70 :
名無しさん@社会人:2007/06/15(金) 00:19:02
詰まるところは、大方の人間にとっては、お前はアホに見えてるってことさ。
極々一部の「一定の水準(低い方かw)に到達した人間」に理解して貰え。
71 :
名無しさん@社会人:2007/06/15(金) 00:53:12
自殺、正当防衛、堕胎、過失致死、医療ミス、安楽死も駄目ですか?
>◆JLQ.DLLMQg
> 「 ひとを殺してもよい 」
> 「 殺してならぬワケはある云々 」
考え方が極端。
「誰を殺してもよい」に納得する香具師は居ないだろうが、
「誰をも殺してはならない」に納得する香具師も少ないだろ。
一般常識的に考えれば、
「人を殺してもいい場合もある」、
「殺してはならない場合もある」でFA。
お前の意味不明の理屈よりもよっぽど
「スンナリ受けいれられる」と思うが。
それはそれとして、これからちょっとみなさんに殺し合ってもらいます。
ホッブズみたいな展開?
75 :
名無しさん@社会人:2007/06/21(木) 00:33:29
906 :YOSHI:2007/05/08(火) 02:32:49 ID:t/dz955b0
だから爆音マフラーなんて自分を表現する手段、自分を
高めていく手段、おいらにとっちゃ1つの手段に過ぎないんだよ。
「爆音うるせー」そんな一言で片付けたら何もリスペクトなんて
生まれないって。情熱や生き様や拘り、そういうの持っていれば
誰もが心を動かされると思う、だからこそおいらは勝ち続けたい。
↓ ↓ ↓
【大迷惑】マフラー騒音15【恥ずかしいDQN車】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/car/1182351460/l50
近代までは殺し合いの社会だったんだから。
77 :
名無しさん@社会人:2007/06/22(金) 03:49:37
宮台信者は殺しあっても超OK!!!
宮台は負け組。
宮崎は勝ち組。
↑正解!!!
宮台真司を殺しても超OK!!!
81 :
名無しさん@社会人:2007/06/27(水) 23:06:08
山口の母子殺人事件の犯人、殺意否認してるね。
やっぱ、生きたいんだね。
殺して後悔してるだろうね。
殺したことがばれて後悔してる
83 :
名無しさん@社会人:2007/06/28(木) 16:21:22
>>81 今度はドラえもんだって。
そうとう生きたいだね、この子。
だったら殺すなよ。
冬山遭難したくなければ冬山に登るなよ、って理屈だな
冬山に登ってても冬山遭難しない奴はいっぱい居る
人をぶち殺してても死刑にならない奴もいっぱい居る
統一協会員とかな
86 :
名無しさん@社会人:2007/06/30(土) 08:37:55
そもそも「せんせ〜、何で・・」の問いが発せられた背景には、こういうわけわからん殺人事件があった。
宗教集団による殺人は確信犯だし、金、怨恨が原因の殺人、過失致死である事故、お仕事殺人の戦場の兵士や死刑執行人、堕胎などは理解できる殺人だ。
こういったわけがわからない殺人に後押しされて、人を殺そうと思ったこともない人が「念で人を殺しちゃいけないんですか」問うた。殺人犯が命乞いしている今、この問はかけられたはしごをはずされ宙に浮いている。
>そもそも「せんせ〜、何で・・」の問いが発せられた背景には、こういうわけわからん殺人事件があった。
社会学ってこんな乱暴な引用するのか?
>>1を3回読んでみたがその解釈はちょっと無理だろ。
88 :
名無しさん@社会人:2007/06/30(土) 15:10:50
「何で人を殺してはいけないのか」はだれに対して答えるのかというと、
人を殺そうと思ったことのないほとんど全員の普通の人にではなく(その人たちは答えがなくても人を殺さない)、
サカキバラとか、宅間とか、山口母子殺人の犯人とか、
わけわからん殺人する人たちに対してではないのかい。
89 :
名無しさん@社会人:2007/06/30(土) 18:39:52
「なんで人を殺してはいけないの」の始まりをネットでさがすといろいろあった。
1)「神戸連続殺人事件」のテレビ討論会中、会場にいた中学生が発してその場にいた専門家が、
誰も明快に答えられなかったという。このこと得られなかった専門家たちはあとでそれぞれの答えを書いた本をだしたらしい。そのご雑誌「文藝」でも特集組んだらしい。
2)日教組の集会ででて、その場にいた先生で明快に答えられた人がいなかった。
3)永六輔がラジオ番組で子供から質問されたらしい。
ナンカ、本もいっぱいあった。
90 :
名無しさん@社会人:2007/06/30(土) 21:26:50
>>88 その人たちは答えがなくても人を殺さない
普通の人にはこの問の答えは必要ない。答える切迫した緊急さがない。
答えがあろうがなかろうが人を殺さないから。
この人たち(ほとんど全員)にとってこの問を考えることは「頭の体操」でしかない。
91 :
名無しさん@社会人:2007/06/30(土) 22:57:08
ネットでもいっぱいあるな、流行だな。
93 :
名無しさん@社会人:2007/07/01(日) 08:52:46
問に対して答えが必要なのは答えによって影響がでる場合。
答えが出ても言動に影響がでないならば答える意味がない。
この問の答えは意味なき殺人の実行犯に殺人をおもい留まらせるため、実行後は自分の犯行を後悔させる目的ために作るべき。
残念ながらまだ提出されていないが、少なくとも山口母子殺人犯は命乞いをしているので自分の頭で「人を殺してはいけないんだ」とわかったらしい。
一般人には答えは必要なし。
なんて四角四面なやつだ
手前勝手の必要性の有無によって問いを限定するなよ、って言わないとダメか?
そしたら今度は「緊急」でも「必要」でもない別の言葉をもってくるんだろうなw
95 :
◆JLQ.DLLMQg :2007/07/01(日) 20:07:38
だから前からいってるだろ。
内心がおびえてるんだよ。おびえてる。
原因は「おびえ」にある。
それが、この問いと真正面から向き合うことをひたすら避け、
その問い自体をどこまでも、いつまでも否定・拒絶・無化・無効化しようとする原因だ。
だから、そいつらには、どんな言葉もだからムダにおわる。
逆にいうと、その「おびえ」さえなくなれば、いかに言葉や思想がカケラもなくても、
そのかたくなな拒否姿勢はキレイにきえさるだろう。
問題はその「おびえ」なんだよ。必要なのは言葉じゃない。
江戸時代の武家のように、仇討ち制度を復活させてみればどうかな?
97 :
名無しさん@社会人:2007/07/01(日) 21:21:00
円光逮捕者による宮台真司仇討ちはまだ〜?
98 :
名無しさん@社会人:2007/07/01(日) 21:27:13
お前はお前に提示された疑義を咀嚼してろ 糞コテ
99 :
名無しさん@社会人:2007/07/02(月) 08:34:20
答えなくていい問いがあって、例えば幼いときに悩んだ問いで、
「お父さんとお母さんどっちが好き?」という問いで、「どっちも」で終わった。今は、
「仕事と家庭どっちが大事?」相変わらず「どっちも」で答えている。
でも日本沈没して、妻と子供どちらを助けるかになるとつらい選択だ。日本は沈没しないからその選択は答えなくていいと思っているが、
かつてその選択を迫られた一般人がいた。
沖縄戦で壕の中で泣く赤ちゃんを殺すか、泣き声で敵にみつかり皆殺されるか、
選択を迫られたお母さんは子供を殺したあと、壕をでてどこかへ行ってしまったという。
この話が戦争話にありがちな作り話かそうでないかはどっちでもいい。
大切なのは、正しい答えを見つけることでなく、こんな無茶な問にすぐ答えなくてはいけない状況を作らないことだ。
「なぜ人を殺してはいけないか」の答えを、答えがでても何も変わらない一般人が考えることは、
「頭の体操」「君にもできる右脳・左脳運動」遊びでしかない。
遊ぶのが人間。それもよし。
問に答えられないからといって、「世も末だ」と泣き言いうのはよせ、
たかが遊びだみっともない。
100 :
名無しさん@社会人:2007/07/02(月) 09:25:25
>>95おびえ?
この問題に対峙することが勇気あることとは思えない。
だから何度も言ってるけどな、勝手に状況を限定して「無茶な問い」という価値づけをするなよ。
中絶、安楽死、死刑、戦争etc、俺たちの周りにはありとあらゆる他殺が転がってて、
それを正当な社会的機能だと判断しながら、どこかで「やってはならない」気もしている。
だからそれぞれを裏付ける法制度などを積極的に保護しようとする奴もいれば
消極的に、沈黙によって継続させる奴もいれば、反対運動に身を投ずる奴もいるわけだ。
一方で、法制度的に、あるいは道徳的に、殺してはならないとされる相手に対して
どうしようもないほどの殺意(合理的であれ、感情的であれ)を持つことがしばしばある。
しかし法制度のためか道徳のためか、それを実行するものは極めて稀である。
「今ここに、心底殺したい相手が縛られていて、自分の手元には銃がある」
なんていう状況は、極めて限定されているし、実際に体験する人はめったにいない。
しかし上記のような法制度や道徳の中で我々が採るべき態度はいつでも日々問われている。
この目の前の人物は今私に殺されるべきか?あるいは今日の法制度や道徳は守られるべきか?
我々は、「いくつかのケースにおいては人を殺してもよい」と思いながらも、
一方でかなりの人数が「普遍的に、人は人を殺してはならない」というような思いを抱いている。
それはなぜか、殺すべき対象は殺すべきではないのか、そうだとしたらそれはどこまでか、
普遍的に殺してはならないというethosには何らかの合理性があるのか、合理性がないとしたら、
なぜ我々はそんなethosを持つに至ったのだろうか云々。果てしなく広がる問いでもあり、
また法制度と道徳と我々の生き方そのものを検討するという点で、普遍的かつ緊急の課題だよ。
今ここでこの人を殺すべきか否か、という問いに矮小化した上で、
そんな事態は滅多に生じないだろうという勝手な理屈を並べて、
「たかが遊び」と繰り返し断ずるのはいかがなものか。
イスラエルやレバノンの人たちにも聞いてみたい。
103 :
名無しさん@社会人:2007/07/02(月) 15:24:56
ごもっとも、
問の答えが出ても状況が変わらないなら答えを出す意味がないと、プラグマティックに割り切ってみましたが、
もちろんそれだけじゃ納得できないこともありますね、私だって。
かつて「何で自殺を止めようとするのか?」「自殺が悪いことだからか?」の問を考えたときは、
自殺する人の「自分がどうしようと勝手だろう?」の言葉と、
「もし自殺を止めることを皆が止めたら?」をヒントに考えました。
「自分の体は自分のものである」「自分のものは自由に処理することができる」という考えに誰も異論がない今、
自殺は社会の中では罪ではない。実際、法律で裁かれない。
ではなぜ止めるかというと、忠告を聞いて自殺を思いとどまった人の中には、
後で「思いとどまって本当に良かった」と考える人が多いからだといえる。
止めなければ、死ななくていい人まで死んでしまうから。
覚悟の強い人は1回止めても最終的には死んでしまうだろう、そういう人を助けようとしているのではない。
自殺を止める行為は自殺者の罪を糾弾しているのではなく、どっちつかずの中間層をぐっと「生きる」の方に持ってくるプラグマティックな意味があると思う。
哲学的な結論でない。
だから、問の結論は「自殺は今や罪ではないが、見かけたら止めます。思いとどまってよかったと思う人がいるから。」
自殺しようとするのを止めるのは勝手だが、
生きている限り、解決し得ない深刻な問題を抱えてる人の場合はどうなのか。
例えば、重度の障害で生きてることが苦痛の連続でしかないとか、難治性の重い病気
他にも色々なトラブルもあるだろう。
>>103 ちょっとそれは論点がずれている。
第一にこのスレの問題関心は他殺。
第二に、既に議論の中心に、
人を「生きる」方へ引き寄せることが善、
という道徳が当為として固定されている。
このスレで要求されているのは、
その道徳がなぜ当為として固定されるのか、
という問いを含んでいる。
>>105 道徳ってのは、所詮教育による刷り込みじゃないのか?
何で人の顔にウンコ塗りつけちゃいけないんですか?
これは回答に困る、
正しい解答があったとして果たして納得させられるだろうか
世の大人は、子供(小中高生)に対して
>>1の質問をされたら、どう答えるんだろう。
>>106 ところが、現実の制度下においては、他殺は一定程度認められている。
そうであるならば、そうした、容認された他殺ですら罪悪とみなすような
社会教育は過剰教育であり、社会制度の保守という点から見れば
そのような道徳観はむしろ邪魔ということになる。
では、誰の、どのような意図による教育によって、我々は
「普遍的に、人は人を殺してはならない」という道徳を刷り込まれているのか?
110 :
名無しさん@社会人:2007/07/03(火) 07:56:18
>>105 自殺の問題を出したのは、参考になると思ったから。
当為のだすのであれば、自殺と他殺を最初から区別することも当為ではないか。
確かに「生きる=善」の道徳の成立を考察するのは、この問を考える一つのアプローチではある。
自然淘汰でむやみに殺さない、あるいは生きることを善と考える種が生き残った、
これらの性質は現在地球に住む(生き残った)生物の属性となった。
これは道徳となり、法に吸い上げられた。
単純だけど充分考えられるとおもうけど。
>>110 しばしば社会学者は生物学的な特性を持ち出そうとするけど、それは誤り。
同種殺しはさまざまな生物に見られる営み。同種ということは、同じ資源を
摂取するにあたって自分と同等の能力を持つという点では最大の敵。
>>111 そのとおり、子殺し、同種で他の個体群間(内)同士の争い、
結果的に死に至らしめる争いは、昆虫から哺乳類まであらゆる系統で報告されている。
人間(ヒト)だけが例外ではない。
生物が進化の歴史上で戦略的に行ってきたもので、ヒトもそれを受け継いできたもの。
社会が発展成熟していくにつれて秩序が生まれ、道徳や倫理のようなものが考え出されたと思う。
113 :
名無しさん@社会人:2007/07/03(火) 15:04:40
自然淘汰では競争相手と直接戦うわけではなく、
どっちも自然と闘って自然が選んだ方が生き残るわけなので、
強く競争相手を殺そうと思っているものが生き残るわけではない。
動物界で本気で相手を殺す時は、身を守る時でしかない(飢えから身を守るえさ取りの時、危険から身を守る時)。
ジャレていて誤って相手が死んでしまうこともあろうが、
この結果は当事者としては想定外であろう。
動物に相手を殺す傾向はない。
人間も生物である以上、生存に有利な生物学的属性(とにかく生きる指向、群れる志向=社会をつくる)が、
「当為としての道徳」に反映されていると考えるのは不自然でない。
>>113 基本的にはそのとおりだが、
この場合、特に動物の殺しの行動について考察してみただけ。
殺し合うばかりじゃ、結果的に自分側も致命的な損傷を負うリスクがあるから、
いつも殺しあうばかりじゃないということも理解しているつもり。
じゃなぜ制度とは乖離しているのだ?
生存に有利な生物学的属性=群れる志向だとしたら
社会が他殺を一部容認している理由が見つからない。
116 :
名無しさん@社会人:2007/07/03(火) 18:48:17
生き残った生き物の生物学的な属性(生きようとする指向、社会をつくる指向、身を守るためにしか他者を殺さない指向、などなど)が道徳の根拠になった。
地球ではそういった属性を持っていた生物が生き延びることができたわけだ。
いわば個人と地球との契約だ。これを守る限り繁栄は保障された。
これが個人と神との契約になり、道徳になって個人の行動に制限をかけた。
道徳は法の根拠となるが、法は個人と国家の契約であり、道徳のすべては盛り込まれ得ない。
国家をデザインする人たちは道徳を刈り込んで法を作った。
だから法はある意味恣意的でありと道徳とはいつも齟齬がアル。
上で誰かが言った現制度内で認められる殺人を、
「自分の身を守るためなら他者を殺してよい」という生物学的に許される殺人と比べ何処が違うのかを考えてみてはどうか?
国家間の戦争についても考えてみるのはどうだろう。
国家に限らず民族間、地域社会間、宗教間でもいい。
何か一行一行がすごく実証性に欠ける議論だな
自分で社会学の雑誌に論文投稿できると思う?
それともルーマンとかつなぎあわせると
そういう議論が成り立つっていう話?
120 :
名無しさん@社会人:2007/07/04(水) 07:28:06
>>119自分で社会学の雑誌に論文投稿できると思う?
おもわない。
自分のおつむの思いこみで考えているだけ。
まずは自分のおつむがたよりだから。
121 :
名無しさん@社会人:2007/07/04(水) 07:54:51
人間の道徳の源泉を生物の持つ行動パターンに求めることはそんなに荒唐無稽ではないと思う。
ローレンツの動物行動学が、京大の霊長類研究が、文化人類学が、
注目されるのはまさにわれわれ現代人の思考・行動の源泉のたどる旅であるから。
動物が、猿が、未開人がどうしようとそれ自体はどうでもよい。
「われわれの行動と関係あるかも」という一点で興味が喚起される。
「なぜ人を殺してはいけないか」を考えるときやっぱここは無視できない。
>>121 よく言ってることがわからんな。
他の生物が同種殺しをするかどうかは問題ではないが、
しかし我々が同種殺しをしないのは生物学的特性の故である、
という議論が成り立つためには、文化的側面を取り去った
ナマの人間を観察可能にする方法論がなければ成立しまい。
123 :
名無しさん@社会人:2007/07/05(木) 16:00:25
なぜかって?
法で律しないと、いくらでも際限なく殺したくなるからだよ
そうすると、国にとって利益がなくなるから
これで満足?
いくらでも際限なく殺す理由は、同性相手なら説明できる
多数の異性を独り占めにして、多くの子孫を残すため
って言いたいわけなんだが、異性を殺したり子殺しは本当に理解できないな
折角100まで進んでもふり出し
>>1に戻る、みたいなレスする奴居るんだよな・・・
>>122 現在、化石人類学がそれを検証しようと試みてるんじゃないの?
検証されてないことを根拠にされてもなあ
ところで、生物学的、人類学的考察も結構だが、
今現在未成年に殺しをしちゃいけないという、納得いく根拠はどう示せばいいんだ?
128 :
名無しさん@社会人:2007/07/07(土) 09:22:18
だから、国の利益のためだろ…
後、下らない宗教に従ってるとかすりゃ楽だし、言ってる本人が殺されずに済むからだろ
まともな神経してる奴は、誰だって死にたくはないんだよ
わざわざ殺されるリスクを上げるような話は、余程のことが無い限りしないだろ
でもそれだと法律で決まっているから、ってことになるし
法律の範囲内でなら殺してもよい、っていう理屈になるな
別に国の利益にならない奴は殺していい
って考えるわけだ
法で決まっているから、それに従っていればいい
それでいいじゃないか
どんなときでも殺してはいけないなんて、思っちゃいないわ
たとえばベックは、農薬残留にかかわる法律とは即ち、
「人は人に対してどれだけなら毒を盛ってよいか」を
定めた法律だ、といっているわけ。
企業が儲けてたくさん納税されるなら消費者は殺してもいい、
っていう理屈がそのまま現行の法律に反映されているわけ。
それから多くの国家は交戦権を容認しているから、
国家の利益にならない人間を戦争で殺すのを認めている。
そんなこんなも含めて、ほんとに「それでいいじゃないか」と
言い切れるのか? 何だかスゴイ国家至上主義に聞こえるが?
言い切るも何も、それが利益になるんだから仕方ない
人あっての国家なんだが、国家あっての人に今はなっている
一体国家主義で何が悪いっていうんだ?
欧米式の個人主義に中途半端に浸かった、似非個人主義よりはいいだろ
それに、企業が儲けるためにあらゆるものを犠牲にするのは当然じゃないか
度を越えると、中国のようになってしまうわけだが
日本に害があることは確かだが、中国にとっては最も利益がでる方法じゃないか
個人的な利己主義は許されるものではないが、国家や企業のための利己主義なら許されるってこと
組織に不利益をもたらすから、殺してはいけないといっても間違ってはいないだろ
個人的な感情では、正しいとはいえないんだけどさ
しかし個人的な感情というのは、組織の前じゃ無視しないといけないときがある
子供に「組織の不利益になるから殺してはいけない」なんて、言えるものなのか
あまりにも厳しすぎる言葉だ
スレ違いになるが少し言っておくか
国がなけりゃ、まともに信用されるか?
本当か知らんが、イランに行ったときに日本人といえば歓迎されるが、
それ以外の黄色人種ならあまりいい扱いではないんだとか
>>132 では逆に尋ねるが、明らかに国家の負担にしかなっていない人間が、
法律上「殺されてはならない」ことになっているのはどうしてなんだ?
更に、国家の利益になるかもしれない人間の一部が、
「殺しても構わない」ことになっているのはなぜなんだ?
「それはきっと(俺にはわからないかたちで)国家は国家なりの都合が
あるんだろ。俺はただそのブラックボックスに従うだけだし、未成年に
聞かれても、そのブラックボックスにただ従えとしかいいようがない」
っていうんだったら、ぶっちゃけ社会学なんかやめちまえよと言いたい。
134 :
名無しさん@社会人:2007/07/07(土) 18:36:27
>>116 俺の話を聞いてくれ!
ここで身を守るためにしか他者を殺さない指向が生物の属性にあると考えたわけだ、
それが人間の「人を殺してはいけない」という道徳の根拠になった。
動物界では「自分の命を守るためには、相手を殺す」という掟がある。
これを現在、人間界で人殺しが認められるケース、
正当防衛、堕胎、死刑執行、過失致死、
金や怨恨が原因の殺人(情状酌量になるということはその分許容できる殺人なのだろう)、
テロとか政治犯による殺人(通常の殺人と違い扱いだ)、戦争
に一つ一つあてはてみようじゃないか?
正当防衛:「自分の命を守るためには、相手を殺す」動物界の掟そのもの、問題なし。
堕胎:これを言い換えると「母親の命・・」でなく
「母親の将来を守るために、母親が医者(あるいは産婆)に頼んで胎児を殺させる」となる。
母親は直接手を下していないのと、社会に認められている殺す専門家がいることが掟と異なっている。
母親は殺人を殺し屋に依頼し、殺し屋は依頼されたから殺す。
この関係は胎児殺し罪意識をやわらげる(人間ならでは)システムなのかもしれない。
「堕胎が自分の手で行うもの(技術的に可能で安全としてとして)」だったら、堕胎の罪意識もアップし普通の人殺しと同格になるかも。
でもそうなると堕胎は人類の半分(女)だけの経験でしかなくなってしまうか。
また他に異なっているのは守るべきもの。
ここでは「母親の命」=「母親の将来」となっていること。
レイプ妊娠後の堕胎も同じ。はたしてこの(人間ならではの)等式は認められるのか?
135 :
名無しさん@社会人:2007/07/07(土) 19:29:04
死刑:国の制度なので国とは不可分だろう。
死刑を言い換えると「(犯罪者が生きていると殺されるかもしれない)人たちの命を守るため、
国民が国に頼んで犯罪者を殺させる」となる。
ここで(人間ならではの)確率問題が入ってくる。
犯罪者が生きていると誰かを殺す確率が限りなく100%に近ければ(どのようにきめるのか)
「命を守るため」という条件の項は掟に沿う。
また誰かに殺人を依頼するという(人間ならではの)罪意識軽減システムがここでも登場している。
それから国に殺人(死刑)を依頼する人(国民)と、犯罪者によって殺される人は微妙に違う。
「Aの命を守るため、BはCに依頼してXを殺させる」の構造になっている。
Bはなんでそんなおせっかいを焼くのか?
それは、BはAにいつでもなりうるからで説明がつこう。
「・・・、AになりうるBはCに頼んで・・」でいける。
Cである国は堕胎の場合の医者や産婆を同じくらい殺人の専門家として社会に認められているのか?という問題もある。
国の仕事に殺人を数えない人はいる。
でも医者や産婆に許しているのだから、いつか国の正式な仕事の一つになるかもしれない。
そしたら、100%に近い確率で殺人を犯す可能性のある犯罪者は、
うまく罪意識軽減システムを使って死刑にすれば、
堕胎のように誰も道徳問題として考えない時代が来る。
ここで堕胎のときのように、罪意識軽減システムを使わずに直接対峙の正当防衛を考えたが、
犯罪者に殺されそうになる人は未来人、仮定人なので考えることすらできない。
死刑問題で罪意識は上ってきにくい。最初に100%殺人すると決め付けるところか?
>>133 そこでやめるわ とは言わないw
ブラックボックスを可能な限り説明してやるのも、社会学ってもんだろ
現在利益がなくても殺されないのは、
未来があるモノと過去に功績を残しているモノだ
それと、国家ではなく一部の腐りきった偉い奴の独断ってのもあるだろ
ブラックボックスってのを、腐りきったえらい奴の独断っていうのに置き換えても、
なんら不思議はない
しかし、それじゃ不十分だよな
要約すると、「社会学とは、国家の合理性を説明し、反国家的な思考の萌芽を摘み取る目的のためにある」ってことか
そうなのか?
社会学ってのは、社会のためになることを学ぶもんだと思っていたが…
社会のためってのは、国家を始めとする組織の利益追求か、
市民のためのどちらかを重視するかは、人それぞれだと思う
で、殺しちゃいけないってのは、組織と個人のどちらにも不利益を被るからだろ
殺すことで利益になるのなら、法的に殺すことだってある
殺しちゃいけないっていうのは、飽くまで個人的な独断での話さ
>>137 反国家的であることが、社会のためではないと思った摘み取らないと不味いだろう
自分達が正しいと思っているテロ屋なんかは、とっつかまえてその行為を防がないとな
日本ではなく、北朝鮮のような市民を苦しめる独裁者がいるようなところじゃ、
テロ屋ってのは必要悪なんじゃないかと思う
人を殺すこととテロ屋になるってことは同一ではないが、似たようなもんだろ
>社会のためではないと思った(ら?)
おや? 違うだろ?
「法がどのようであるかという分析には惜しみない努力が必要だが、
理解不能な部分、共感不能な部分が現れたとしても、
ブラックボックスとして受け入れさせることが重要だ。」
というのが君の主旨だったのではないか?
>法で決まっているから、それに従っていればいい
>それでいいじゃないか
実際のところは、「長いものに巻かれろ」っていう単純なもんだ
でもな、何でもかんでもイエスマンでは自分の中で納得できないだろ
確かに、これ以上とない適切な言葉だよ
社会学は長いものに巻かれるためのもんじゃない
最大限の努力は必要だが、上からの指示なら従わないとならないのが社会の常
個人的な思い込みかもしれないが、社会学ってのはそういう努力の仕方を学ぶって所でもあるんじゃないか
と、少しスレ違い気味になってきたな
「社会」というものを、「個人の選択を縮減する全体性」と考えるなら、
(ちなみに俺はそうは考えていないが)人はその作用によって
幸にも不幸にもさせられてきた。
その作用のありさまを捉えるのが社会学なんじゃないのか。
そういう意味では国家は社会の一つの形相ではあるが全てではない。
だからこそ国家は国家ではないものによって日々更新されてきた訳で。
その中で、人に対する生殺与奪の概念も変化してきたのではないか?
「国家はブラックボックスであり、分析は許されるが批判は許されない」
なんていうのは「長いもの=国家」という激しい誤謬にもとづくもの。
142 :
名無しさん@社会人:2008/06/04(水) 22:39:52
殺されたくないから
>>137-138 ちがうだろ。社会学の目的は「ある共同体(くくりは文化やらムラやら言語やら様々)を分析
すること」までだろ。特定の共同体のためのものになってはいけないんじゃないか。
タブーや慣習が生まれる背景やら共同体の中でどう扱われているかやら
徹底的に相対化して「説明」するのが社会学だろう。
国家でも町内会でもいいけど、構成員としての自分と観察者としての自分はわけるべきだ。
144 :
名無しさん@社会人:
そうだったんですか〜