1 :
名無しさん@社会人:
だから社会学がファンタジーになるのだ。
客観的な理論を説かない限り社会学は永遠に人文科学だ。
2 :
名無しさん@社会人:2005/08/28(日) 22:37:06
人文は科学じゃないのよ
3 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 01:01:05
社会学は社会科学だよ
でも思想を持ち込まないと始まらないよ
4 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 01:31:28
だが空想の理論が多すぎる。
自然科学のような明確な証拠に基づく理論は出ないものか。
5 :
神田さん。:2005/08/29(月) 07:19:53
現実の社会を扱う社会科学全般は、自然科学の様に
客観的な実験で事足りるものではない。
我々一人一人は日々社会生活を営んでいるわけであり、
その社会生活が客観的なもので貫徹できるというならば何もいうまい。
しかし、何らかのイデオロギーを有している、ということから
我々は逃げることは出来ない、という前提に立てば、
おのずから社会科学の学究はイデオロギー的になり、
逆にそうでなければウソである。
自らの生活と切り離された国際社会や社会学理論に対しては
胡散臭さを嗅ぎ取ることのできる社会科学者を目指したいものである。
6 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 09:24:50
思想というか、こいつら自分の都合の良い社会を作りたいだけなんじゃないの?としか思えん。
中にはほとんど力ずくで無理を押し通そうという学派もあるようだし。
7 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 09:31:47
華々しく同意。
もはや社会学と哲学の見分けがつかない。
8 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 12:37:45
学派?
例えば?
流体力学の研究に数学を持ち込むな
草野球の審判は弁当を持ち込むな
12 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 13:19:49
社会理論が思想的な問題から切り離せないのは
しょうがないとしても、このことを、思想に居直っていいという
ことだと勘違いしているやつが居るのは確かだな。
社会学の書籍を一覧すると
「本当に○○は正しいのか」
「なぜ○○をしてはいけないのか」
という本が実に多い。
これらの著者たちは社会学と社会問題の違いを解っているんだろうか。
14 :
名無しさん@社会人:2005/08/29(月) 13:58:44
そもそも社会学なんていう井戸端会議以下の屁理屈が学問として通っている事が
社会問題なわけで・・・w
>>14 それを言ったら始まらない。
なんとか立派な学問に変貌するよう努力しようお。
「徹底的に客観的であるべき」というのも一つの思想に見えるけどね。
>>13 啓蒙書や教養書なら別に構わんでしょ。
専門書でならそんなタイトルの本見たことないんだが。
>>16 その理論は「絶対は存在しない、という原理も絶対ではない」と同じレベル。
>>18 「価値相対主義を徹底すると、価値相対主義が相対化されてしまう」ってか。
20 :
神田さん。:2005/08/29(月) 22:50:17
6
自分に都合の悪い社会を望むバカがいるとでも言うのでしょうか。
「だけ」かどうかはわかりませんが、これがかなり高い優先順位であるはずです。
社会主義には社会主義の、資本主義には資本主義の論理も損得もあるでしょう。
これを話し合いで解決しよう、などということは土台無理です。
だから、マルクスも暴力革命を認めているわけであり、その際に自由主義陣営のイヌとなろう
日本軍の存在は我々の許容範囲をはるかに超えているわけです。
>>神田さん。
どこを縦読みするの?
22 :
名無しさん@社会人:2005/08/31(水) 17:31:39
>>9 フェミニズム、特にジェンダー系はもはや単なる「思想」などではない。
かつては自然科学(的思考)が世界の根幹を解明するように思われた時期もあったようだけど
その限界も指摘されている。
旧パラダイムにかわって登場したのがジェンダー論だ。ジェンダー論は宇宙のすべてを解明するよ。
そのような主張を行う論者もすでに大勢いるだろう?
>>10 流体力学なんてジェンダーの観点からのみ説明可能だ。イリガライでもヨメ。
23 :
名無しさん@社会人:2005/08/31(水) 17:35:11
はいはいわろすわろす
24 :
狭霧 ◆RURUUhzYPk :2005/09/05(月) 21:57:06
研究のために思想を用いるなら,それは哲学。
思想のために研究を用いるなら,輿論誘導。
25 :
名無しさん@社会人:2005/09/05(月) 22:12:50
イリガライの流体力学は男性的とかって議論みて社会学はゴミだと思ったな。
26 :
名無しさん@社会人:2005/09/05(月) 22:19:51
オレは哲学っぽい社会学があっても別にかまわん。
折原さんのような訓詁学だって、基礎科学としてはあってもかまわないし、あるべきだ。
問題なのは、訓詁学を方法的に徹底してやるだけの、技法も、語学力も、ねばり強さもないやつが多いことだ。
最近は、理論系の論文でも、翻訳書のある文献しか引用していないのがやたらと目立つ。それでは訓詁学にはならない。
翻訳だけで議論しても許されるのは、吉本ばななの父ちゃんのように、そこから一定のオリジナリティを持った理論を引き出せるだけの構想力のある人だけだよ。
社会秩序と思想(価値観)とは切りはなせない。
>>26 英語偏差値40がトラウマになってるようだなw
勃起性の器官が√-1と等価なんて普通思いつかないよなw
何が言いたかったのかは知らんが、あの発想力だけは凄いと思う。
初めから「思想」なんてカッコつけるんじゃなくて「芸術」だと開き直っておけばよかったのに。
ヘーゲルとかも。
30 :
名無しさん@社会人:2005/09/07(水) 16:33:15
31 :
名無しさん@社会人:2005/09/12(月) 04:48:22
訓詁学って実際何を目指しているのかわからないけど、テクストを「厳密に」読むのが訓詁学の仕事でしょ。
Aという論者がこっちの本ではこう言ってるけど、あっちの本ではあー言ってる、これって整合性あるの? みたいな。
そもそも、厳密にウラを取りながら読んでいけば知の欺瞞なんて起こるはずもない。
たとえ、あれ?と思ったとしても、「有名な人が言ってるんだからきっと正しいんだろ」で終わったら単なる権威主義。
やっぱり俺には訓詁学ってよーわからん。。。
例えば俺がやってる領域では最近制度学派とか
新制度学派といったものが流行っている。
ところが、その論理にはなるほど汲むべきものが
あるとしても、どうも何か個人的には素直に受け入れられない
ものを感じている。何か引っかかる部分がある。
というわけで、最近デビッド・ヒュームのコンベンションとか
そのあたりの議論にまで遡って、そのロジックをもっと
明確に取り出すと共に、その前提とか、あるいは
あるスタンスを取るとどういう帰結になるのかとか、
どういう問題があるのかとか、つぶさに吟味する必要を感じている。
このような場合に、ヒュームやらロックやホッブズやらの
厳密な検討をしてくれる人が既にいるとかなり助かる。
さらにそこから、デュルケムやウェーバーを踏まえつつ、
この「新制度学派」なるもののスタンスを吟味する必要もあるから、
その点でも既存のウェーバー、デュルケム研究も押さえたい。
というわけで、学問が蓄積されるにつれて、どうしても後続の世代は、
研究対象と同時に、それに関する従来の学問的蓄積も合わせて吟味せざるをえない。
これはひとりで全部やるには大変やっかいな作業なので、
どうしても分業ということになってしまうだろう。
そこで、ウェーバーの言葉を借りれば
「この文献のこの箇所をどう解釈するか、これこそが
積年の問題なのだ!」と感じるような人が
居てくれた方がいいだろう、と。
言う感じじゃないかな?
要するに2ちゃんねるで曰う"まとめサイト"を作るようなものだな。
やっぱ人間は向き不向きがあるからねえ。
抽象的な概念や論理を駆使しつつ、膨大な領域に渡る諸研究をサーベイし、
論文の趣旨を的確に把握し、ポイントをついて整理し、前提とされている問題の構図をつかみ出し、
一見流してしまうような基礎概念についても、それをあらゆる可能性から
しつこく吟味できる資質と能力を持っている人は、ぜひ理論やってください。
ただしやるなら、それこそもう、本気でやって欲しい。
俺には絶対できんけど、やっぱね、研究やってて、なにか自分では
言葉にできないんだけど、何かこの前提おかしくね?みたいなところで
引っかかってるときには、そういう人いてくれるのはホント助かる。
社会秩序は思想あるいは宗教みたいなもので成り立っているんじゃないかな?
そしてその社会秩序を客観的に評価しているつもりになっている社会学ももまた・・・
統計厨は自分が使っている基礎概念を全部統計から引き出すのかな?
38 :
名無しさん@社会人:2005/09/16(金) 16:02:04
39 :
名無しさん@社会人:2005/09/16(金) 16:22:24
仕方無いだろ
社会学なんだから
40 :
名無しさん@社会人:2005/09/16(金) 23:13:25
社会学はブルジョワ科学にすぎない。
41 :
名無しさん@社会人:2005/09/17(土) 00:09:11
普通、自然科学とか、スポーツとかは、勉強や練習をすればするほど上達していくと思います。
でも社会科学全般では、勉強をすればするほど現実から離れてズレまくっていく人たちがいると思います。自分の信じてるイデオロギーの勉強ばかりする人によくあることかも。
要するに、「こう勉強すればより社会とか経済とかの現実をよく理解できるようになる」
という方法論が、まだ社会学にはない、ということですね?
たぶん、そういう方法論を確立するためには、イデオロギーと共存することが大事じゃないでしょうか?
@ここまではあなたのイデオロギー。Aでもそれでは説明のつかない現実がたしかにありますね。
ってな感じで。@A両方の存在に社会学が市民権を与えること。
社会的現実は、人為的現実であって、その構成員によってつくられたイデオロギー的現実でもある。
その人為性を無視して社会について客観化することはできない。
そもそも社会秩序をつかさどる「法」や「慣習」そのものが観念のシステムであって、
イデオロギーにすぎないわけだから。
しかしそのイデオロギーが社会の中で一定の力をもって人間関係に作用する。
「社会人はこうあるべきだ」というのはイデオロギーにすぎないが、その「あるべきだ」
という理念=法によって社会秩序が人為的に構成されている点を無視できない。
そういう意味では社会それ自体がイデオロギーそのものだとも言える。
44 :
大学生:2005/09/17(土) 02:42:00
誰か社会学の卒論なんだけど助けてくれない?
>>43 観念論的な変な説明だな。イデオロギーの外部的要因で起きた結果的な現実や偶然で起きた事実は
イデオロギーとは違うだろ。そこを分けないで一緒にしてたらそれは科学じゃないよ。
社会それ自体がイデオロギーだなんて言い出したら社会科学は成立しないだろう。
法が物質的に取り出せるものだというなら、それを見せてもらいたいものだな。
47 :
大学生:2005/09/17(土) 03:07:45
↑
社会科学は成立しないと思うしないと思う。(賛成)
48 :
大学生:2005/09/17(土) 03:11:02
物質的には無理だが自然法ってのはどういうあつかいになるの?
49 :
大学生:2005/09/17(土) 03:16:12
社会学もさらにいろんな分野があるんだよ。産業、教育、心理、農業、コミュニケーションな
どなどなど、データに基づいたものがたーーーーくさんある、思想的なのは古典に多いのさ。
50 :
名無しさん@社会人:2005/09/17(土) 03:30:19
社会が法制度どおりに動くと思ったら大間違い。
51 :
神田さん。:2005/09/17(土) 04:34:43
49
そのデータに基づいた分野は、はっきり言って社会学では「簡単な分野」として
扱われ、本学の鈴木幸壽教授(当時)は独学で十分と考えていた。
やはり、社会学の真骨頂は、権力、階級、社会意識、イデオロギー、などであろう。
52 :
大学生:2005/09/17(土) 04:55:37
そりゃ鈴木なんちゃらさん個人レベルの意見じゃん
データに基づいた新しい大発見もあるじゃん。その道の専門の先生だった
だけでしょ。社会学は人と人との関係性の学問だよ、おっきくはね。
53 :
名無しさん@社会人:2005/09/17(土) 14:26:48
萱野稔彦センセの『国家とはなにか』はどうよ?
54 :
名無しさん@社会人:2005/09/17(土) 14:27:33
違う稔人だったーよ。
法の問題が抜けすぎだと思ったよ
左翼は法哲学に弱いからな
56 :
神田さん。:2005/09/17(土) 22:23:53
鈴木幸壽教授は、学文社の辞典を著した偉大な社会学者であり、
権力論を中心に日本の政治社会学の第一人者である。
社会学は確かに人と人との関係の学問ではあるが、
そこには必ず権力が介在する。
最近の軟弱な社会学はこの点を無視してあたかも皆仲良くなれるような
錯覚を起こさせるような機雷がある。
だってアメリカ仕込みだもん
デモクラシーを脅かす研究は無理だよ
>>53 暴力独占を中心にする理解は、マン、ティリー、スコチポルや
ノルベルト・エリアスやらギデンズやらが繰り返し繰り返し
くどくどと既に指摘していることで
社会学的には別に新しい論点は無かったな。
つかティリーそのまんまじゃん。資源抽出と暴力独占の理解は。
ティリーはさらに、歴史的にヨーロッパ国家形成を丹念に
実証的に追っているがな。
いずれにせよ、先行研究を少しは押さえて欲しい。
つか、これで本が出せるのか、と驚いたよ。
自分がいかに既存の研究の蓄積を踏まえていないかを
告白するような本だし。
理論やるなら理論やるにしても、まず、テーマに関する
先行研究の文献リストを作成する、という基本的な
手順すら教わってないのだろうか。
まあいいのかな・・・そもそも学術書じゃないしね・・・
役に立たない社会学
61 :
名無しさん@社会人:2005/12/30(金) 13:20:47
科学としては、われわれが科学という言葉を聞いてすぐに思い浮かべることのできるような物理学などと比べては
厳密さは格段に落ちます
「思想」を排した客観的な理論が存在しうる、という立場そのものが、一つのイデオロギーであり、思想なんだけどねえ、
>>1さん
63 :
名無しさん@社会人:2005/12/30(金) 15:02:01
という考え方こそがイデオロギーなのだよ?
64 :
↑:2005/12/30(金) 15:41:40
βακαですか?
その命題自体既に62に内包されているだろう
65 :
名無しさん@社会人:2005/12/30(金) 16:00:29
「『思想』を排した客観的な理論が存在しうる、という立場そのもの」が、一つのイデオロギーであり、思想だとしたら従わなくてもいいの?
だとしたら、{「『思想』を排した客観的な理論が存在しうる、という立場そのもの」が、一つのイデオロギーであり、思想だ}というイデオロギーにも従わなくてもよいのでは?
66 :
名無しさん@社会人:2005/12/30(金) 16:38:56
思想(笑)
67 :
名無しさん@社会人:2005/12/30(金) 18:38:49
人間がやる以上1の願いは今後も永久にかなうことはありませんが、
良心とデータにできるだけ忠実に研究を
することは必要でしょう。
68 :
名無しさん@社会人:2005/12/30(金) 19:05:15
69 :
名無しさん@社会人:2005/12/31(土) 00:25:23
たしかにイデオロギーではない
ドグマだ
70 :
名無しさん@社会人:2005/12/31(土) 03:27:13
>>67 というか、
>>1が言いたいのが、
「良心と、データにできるだけ忠実に研究をすること」
を放棄しちゃう人がいるのが問題
ということだろうからね。
71 :
名無しさん@社会人:2005/12/31(土) 09:00:22
>>70 同意! 厳密さを求める何の努力もしないで
>>62>>64みたいな安きに流れるバカを大量生産した
現状には問題がありすぎる。甘やかされて何の努力もしていないもんだから
>>65程度の煽りにも沈黙せざるをえない(爆笑)
厳密さを求める努力として
>>62のような認識が必要なんだよ。
それを無視していかにも純粋無垢な客観学問のごとく振舞うから
社会学が不誠実でイデオロギー的な学問だと非難されることになる。
イデオロギー性を否認すればするほどイデオロギー的になっていく。
その意味では、『反社会講座』のほうがよっぽど知的に誠実だよ。
イデオロギー性を否認すればするほどイデオロギー的になっていく。
その意味からすれば『反社会学講座』のほうがよっぽど知的に誠実だよ。
75 :
名無しさん@社会人:2005/12/31(土) 20:51:07
イデオロギー論って何でも説明できちゃう究極の真理なんだねw
じゃあなぜあんまり世の中に広まらないのだろう?
「イデオロギー性を否認すればするほどイデオロギー的になっていく」って何を言っても
自分に都合の良いことしか言わないカルトをまともに相手にするヤツがいると思うか?
76 :
名無しさん@社会人:2005/12/31(土) 20:54:46
まあ、おまいら取りあえずはいなば厨先生の玉稿「しぶとく生き延びるゴキブリとマルクス きんもーっ☆」を
正月休みの間に繰り返し読めってこったな。
>>75 そのお前のその物言いがいみじくも「イデオロギー性を否認すればするほどイデオロギー的に
なっていく」という主張と同じことを言っていることにいいかげん気づけよ。w
> じゃあなぜあんまり世の中に広まらないのだろう?
お前のいう真理とやらの基準は社会的に広まるかどうかなのか?w
それじゃまるで社会構築主義者と同じだな。w
78 :
名無しさん@社会人:2005/12/31(土) 22:33:16
つまりイデオロギー論者は社会構築主義を認めないという結論でよろしいわけですね?
79 :
名無しさん@社会人:2006/01/01(日) 15:57:24
私、部外者の職工なんだけどさ、
はたから見て疑問に思ったのは、
思想無しにこの学問て成り立つのかな?。
社会学自体が社会的構築物ってことは主観と客観が
円環運動しているようなもんで・・・・
社会を純粋な客観物として実験対象にすることは無理
83 :
名無しさん@社会人:2006/07/07(金) 14:12:25
無理ね
84 :
名無しさん@社会人:2006/08/08(火) 02:17:46
最近の公募で実証系社会学者しか募集してなくて、ヘンな思想にかぶれた理論系社会学者の就職が困難な状況も、
イデオロギー批判の観点から現状を変えてくれることに期待。
85 :
名無しさん@社会人:2006/08/09(水) 14:42:45
86 :
名無しさん@社会人:2006/08/09(水) 21:25:29
↑
例えば東京大学や京都大学、早稲田大学、慶應義塾大学などの
伝統ある社会学研究部門では、理論研究者は多いが調査経験は
少ない教員が多く、専任教員だけでは社会調査教育や社会調査
士資格に対応できない現実もある。それらの大学では、教員の
多くが理論の輸入や解釈を主目的としているため、新しい知見
の発見は困難である。(略)
東北大学や関西学院大学、大阪大学などは社会調査に関する研
究教育が評価され文部科学省のCOEに採用されたほか、国際学
会での発表実績もある。
87 :
名無しさん@社会人:2006/08/13(日) 08:59:44
社会学が大理論の構築をあきらめてしまった、ということかな。
たしかに、日本の理論研究家は新しい知見を発見することより、
海外の学者の解釈に没頭するやからが多いよね。
しかも、日本人の学者の目新しい理論には評価を下さず、
海外偏重が目立ちすぎるよね。
これとは別に、社会調査等の個別事例研究で新しい知見が見出せるかは疑問。
数理に偏りすぎた社会心理学は、
海外事例が日本に当てはまるかを研究する学問に成り下がっている。
まあ、思想をどのように評価するかだが、
一つのテクニカルタームからの視点を強調することを明確にするなら、
社会学に援用しても良いかと思う。
そもそも、こういう議論が成り立つこと事体、
社会学的方法論が揺らいでいる事を示唆しているのではないかな?
88 :
名無しさん@社会人:2006/08/26(土) 19:32:45
宮台真司の文章は全てファンタジーw
89 :
名無しさん@社会人:2006/08/26(土) 19:53:49
ここまでで何回か出てくる「思想を排した客観的な理論が存在する
という立場そのものが一つの思想である」という考え方についてだが。
、
そういう意見があることを知りつつ、だから社会学の研究に思想は
盛り込んで良い(or盛り込まざるをえない)と考えるのと、
そういう意見があることを知りつつ、だから社会学の研究に思想は
できるだけ盛り込まないようにするのでは、おそらく後者の方が
社会学の発展のためには建設的だと思う。前者では、いつまで経っても
ブログ社会学の域を脱せず、挙げ句、ブログ社会学者どうし誹謗中傷
しあうだけだ。
90 :
名無しさん@社会人:2006/08/26(土) 20:47:35
スレタイには同意したが1の文には、はぁ?って感じ
91 :
堤のいぬ:2006/08/27(日) 08:49:42
89
確かに客観的事実を得ようとする姿勢は大切です.
しかし、それでも譲ることのできないものを「思想」というのです。
社会学は声なき民衆の理論的支柱として存在するわけで、
はじめから権力層とは敵対するのです.
このことから考えても客観的であるはずがない
92 :
名無しさん@社会人:2006/09/08(金) 21:02:08
>>89 というか、その考え方を持ち出す者の言いたいことは、
「自分だけは思想的偏りと無縁に、客観的考察を行うことができるという
思い上がりは捨てたほうがいい」というようなことなんじゃないのかな。
93 :
名無しさん@社会人:2006/09/10(日) 06:09:33
結局、間をとるようなことを言えば、
客観的な事実に基づいて、主観的でしかありえないと自覚しつつ
自らの見解を示すということか。
何だか普通のこと言ってるような気がして、急速につまらなくなってきたw
いや、そもそも客観的な事実云々のあたりからおかしいぞ
95 :
名無しさん@社会人:2006/09/10(日) 15:56:59
>社会学は声なき民衆の理論的支柱として存在するわけで、
>はじめから権力層とは敵対するのです
これって社会学の目的なのか?
96 :
名無しさん@社会人:2006/09/11(月) 00:11:41
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
97 :
名無しさん@社会人:2006/09/11(月) 02:59:09
個人的な願望を無理矢理理論化(破綻)して「学問」化したものが「社会学」です。
98 :
名無しさん@社会人:2006/09/11(月) 11:13:02
どの学問だっていい加減な奴はそうだよ
職場の生態学屋が「生物多様性」って
単語を振り回して困ってる
要はナウシカ気取りたいだけちゃうか、
と小一時間
99 :
名無しさん@社会人:2006/09/11(月) 12:55:02
門下省やその他いろいろ金を取ってくるときはそれでいい。
100 :
名無しさん@社会人:2006/09/12(火) 22:49:18
社会学 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6 日本では長年、海外の理論を輸入することが社会学の目的とされて
きたため、現実の社会現象の解明には、必ずしも積極的でない研究
者も多い。むしろ哲学的議論や、理論のみの研究、歴史や学説史の
みを重視する研究も、いまだに多数存在するのが事実である。例え
ば東京大学や京都大学、早稲田大学、慶應義塾大学などの伝統ある
社会学研究部門では、理論研究者は多いが調査経験は少ない教員が
多く、専任教員だけでは社会調査教育や社会調査士資格に対応でき
ない現実もある。それらの大学では、教員の多くが理論の輸入や解
釈を主目的としているため、新しい知見の発見は困難である。その
ため国際学会での発表経験が乏しいか、発表能力がほとんどない教
員も多い。このような深刻な事態の背景には、かつて日本の大学に
予算や調査能力がなかった時代には、理論研究のみしかできなくて
も、やむをえなかったという事情もある。しかし今日では、現実社
会と距離のある抽象的な理論社会学研究に対しては、かなりの社会
的批判が存在するのも事実である。本稿の記述も以下を見ると歴史
的な内容が多く、大規模な社会調査の内容には対応できていないの
である。残念ながら日本の社会学は政策への影響力は少なく、多く
の社会学者には政策形成や提言能力はない。しかし近年では、社会
調査の実施能力や、現実のデータを分析する研究も重視されつつあ
る、と言えなくもない。以下のように、日本の社会調査の中には、
国際的に高く評価されているものもある(社会学の方法の項を参照)。
最近では社会調査士資格など、社会調査法への対応の努力もあり、
大学によっては充実した教育を行っている。東北大学や関西学院大学、
大阪大学などは社会調査に関する研究教育が評価され文部科学省の
COEに採用されたほか、国際学会での発表実績もある。
101 :
名無しさん@社会人:2006/09/13(水) 09:06:16
偏ってるなw
>>89 > ここまでで何回か出てくる「思想を排した客観的な理論が存在する
> という立場そのものが一つの思想である」という考え方についてだが。
それは考え方ではなく事実。なんでも考え方にするなよ。それが思想家の悪い癖だ。
だから「事実」って何だよw
104 :
堤のいぬ:2006/09/14(木) 18:35:20
思想を排した客観的な理論が存在する という 事実
があれば、事実なのだが、
それが事実かどうかがまさに問われているわけですよ.
105 :
名無しさん@社会人:2006/09/14(木) 22:13:27
つか単なる訓詁学だから馬鹿にされるだけだろ。
日本の理論社会学は。
>>103 事実は事実だ。素朴実在論だと言われようがなんだろうが事実は事実だ。
いや、素朴実在論ですらない。
それはトートロジーという。
わざとであれば詭弁だ。
そもそも素朴実在論がトートーロジー以上のなにものでもないだろ
そうか。でも漏れは素朴実在論、結構好きだ。
鴨居に頭ぶつけて痛いのはそこに鴨居があるからだ。
原爆が怖いのは、イメージが構築されているから
ばかりじゃなくて、実際に原爆はヤベエからだ。
だけど、手前の言い分通すために、どんな事例にも
好き勝手に振り回す香具師はどうかと思う。
実在論であれ、何であれ。
それを事実と感じるのはそこに事実があるからだ。
犯罪が怖いのは実際に犯罪がヤベエからだ。
なるほど。
うん。
理性なんていらないなww
そこにでっかいタンコブができて痛いとか
大火傷を負って10日後には死ぬとか
別に理性なんか関係ないだろ
ただ、それを「犯罪」とか「理論」にまで
適用するのは暴論
そこには当然思想とか価値とかが紛れ込む
俺が救済したかったのは素朴実在論であり
>>106なんかじゃないんだが
まあ余計なこと逝ってすまなんだ
ROMに戻り松
114 :
名無しさん@社会人:2006/09/16(土) 16:25:07
素朴実在論は、分かって言っているのか、
分かってないで言っているのかで、その主張の意味は大きく違ってくるが、
しかし、結果的にはどちらも同じような主張だと受け取られる点が難点の
1つだ。
みたいな言い回しが、きっとバカ理系は苦手なんだろうと思う。ww
115 :
名無しさん@社会人:2006/09/16(土) 17:04:09
116 :
名無しさん@社会人:2007/02/08(木) 17:15:42
t54
117 :
名無しさん@社会人:2007/03/01(木) 15:35:45
思想もちこんで何が悪い?
118 :
名無しさん@社会人:2007/03/05(月) 03:37:09
まあ、人文デムパも必死なんだよ
この先就職なんてないってわかりきってるんだしw
おまいら、許してやれよwww
119 :
名無しさん@社会人:2007/03/06(火) 00:55:14
120 :
論理的虚構 ◆vWilh8Qklc :2007/10/30(火) 21:28:50
数学は、公理という独断を採用しているために絶対確実に正しいかどうか分からない。
自然科学は、それに加えて実験による証明という、何らかの枠組みを独断的に前提しているために絶対確実性からさらに遠ざかった。
科学哲学は、科学を擁護したいがために、形而上学的実在論、科学的実在論、道具主義、操作主義、実証主義、奇跡論法、構成主義的経験論、介入、構造的実在論、内在的実在論などの独断に陥っている。
俗流心理学に至っては、ただ1つの演繹すらない。
しかし、演繹という語にまつわる問題もある。それは……。
どちらの陣営にも個人的な、あるいは自らが属する集団に共有されている感覚や感情を不当に〔論証なしに〕正当化するという事態が蔓延しているが、実際にはいずれも同一の誤謬に陥っているという点を以って同一項で括ることができる。
わたしは、それが暫定的なものであれ不確実なものを魔術的な仕方で確実なものに変換してしまう独断バカを一般人(これには一般的な多数派と一般的な少数派の双方が含まれる)と呼んでいる。
わたしは、こうした頭の弱い存在者群に対して啓蒙を実践しているところである……。
この問題に絶対確実な回答を与えるには、まず絶対主義対相対主義、超越論対非超越論に決着をつけねばなるまい。
「そして、指示の理論について考えねば……!」
# 記述説、因果説、記述の束説
それは、すべての独断バカを消去=救済する計画――。(隘路であることが判明したが、それでも……!)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22%E6%B0%B8%E5%8A%AB%E6%87%90%E7%96%91%22&lr=lang_ja
121 :
名無しさん@社会人:2008/03/09(日) 16:16:00
なぜ社会学に思想を持ち込むとファンタジーになるのですか?
122 :
名無しさん@社会人:2008/03/09(日) 19:36:27
思想そのものがファンタジーだろうが、馬鹿。
123 :
堤のいぬ:2008/03/19(水) 23:41:43
イデオロギーだと習いました
八巻正治。八巻正治。八巻正治。八巻正治。八巻正治。八巻正治。八巻正治。
氏の学歴は以下の通りです。
【学習歴の記録】
美幌幼稚園 卒園 美幌小学校 卒業 美幌中学校 卒業 美幌高校 卒業 ※高校は途中転入で、しかも不登校でした!
順天堂大学 体育学部 健康教育学専攻 卒 業 ※ガンガン勉強しました!
青山学院大学 第U文学部 教育学科 卒 業 ※幼稚園での教育実習も行いました!
東洋大学 第U文学部 教育学科 卒 業 ※養護学校の教員免許を取得しました!
立教大学・大学院 文学研究科:博士課程(前期) 教育学専攻 修 了 ※良き学師たちに巡り合えました!
カリフォルニア神学大学院日本校 博士課程 キリスト教神学 修 了 ※神様の深き愛の素晴らしさを学びました!
米ニューポート大学大学院 博士課程 教育学専攻 修 了 ※論文執筆に燃えました!--------------------------------------------------------------------------------
資 格
1973年03月19日 中学校教諭1級(千葉県教委 昭47中1普 第501号),高等学校教諭2級(昭47高2普 第427号) 教員免許状(保健体育)取得
1973年04月26日 衛生管理者免許状(第61号) 取得
1978年03月31日 養護学校教諭1級(東京都教育委員会 昭53養学1普 第132号) 教員免許状取得
1994年02月26日 『米セント・チャールズ大学(カリフォルニア神学大学院日本校:提携校)』より 『博士(宗教学)(Ph.D.)』 の学位を取得
125 :
名無しさん@社会人:
思想の無い学問なんて無いだろ