無限後退については私見だが、言語が有限である以上、無限には行為
しないはずだ。
言語の果てまで後退する。
もしその先があるとしてもわからないはずだ
「未規定は未規定性であり、言語では表現できないが、
それが無限かどうかはわからない」
861 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/09(土) 21:19:37
>>854 「神を信じる」とかいったら頭おかしいという一面とともに、
人は「神」を信じずには、いられないということです。
これを「神」と呼ぶと、宗教的な「神」を連想するので、
宮台は「端的なもの」とか、「名状しがたい、すごいもの」への感染と呼ぶわけです。
ボクは、「ある女性を死ぬほど好きになってしまった。
そのときに湧き上がる奇跡であり、運命であり、 彼女は地上に舞い降りたボクの天使」
と言いましたが、ここではある女性に神性を感じているのです。
たとえば、あゆをカリスマと呼ぶときも、そこに神性=「サイファ」を見ているのです。
それがオウムのような悪質な「サイファ」に騙されないように、
「サイファ」を疑ってみて、なにが良質な「サイファ」か、見極める目をもとうということでしょう。
なにかに熱中したときに、はまったときにそこに必ず「サイファ」が捏造されている。
そのときに「サイファ」を疑うことから始めようということです。
862 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/09(土) 22:19:48
宮台が「サイファ」を逆変換するといっていますが、速水は、「サイファ」は良質な神性として、
サイファ教を作ろう、それが科学哲学に求められるという、少しトンチンカンなことを
言っていますね。
まず「サイファ」とは、、「名状しがたい、すごいもの」への感染であり、コントロールできるものでは
ないのです。誰を好きになるか、決めるようなものです。誰を好きになるかは、それが決まっていない、
感染であるから、好きになるのです。特に、現代の多様化した社会でコントロールするのは不可能です。
第二に、「社会の底が抜けてきている」ことの要因は、科学の発展にあるわけです。
かつて多くの人が宗教的な「神」を信じていたときには、宮台がいうように宗教は
「世界の未規定性」を隠してくれた。しかし現代、科学によって宗教的な「神」は死に、
「世界の未規定性」が露出してきた。「社会の底が抜けてきた」わけです。
科学に哲学を付加しようが、科学の発展そのものの帰結は、
「この世界には、意味はない」ということであり、それは「世界の未規定性」が
露出する方向にしか向かわないと思います。
だから、宮台がいうように「サイファ」そのものをコントロールするのではなく、
感染したときに、逆変換できることを、知ることが大切なのでしょう。
サイファの逆変換って具体的に何をするのでしょうか?
864 :
ヴィマラ2世:2005/04/10(日) 00:45:01
>>855 > 森羅万象が究極的には納得不可能である、ということは納得可能か?
勿論不可能。
でも、「納得不可能だ」と言う納得がその刹那そこにはある(言葉によるコミュニケーションとはそう言うものだろう)。
でも、納得があってしまっては、「森羅万象が究極的には納得不可能である」に無矛盾する。
とすると、その納得も納得不可能・・と言う納得があり・・以下略。
>『未規定性という未規定性という未規定性という・・・』
そうだよ、これはその通りだけど、皮肉が出てない。
だから、未規定性って言う言葉の皮肉、全体が部分に対応してしまう皮肉、外部と言う内部、
を言いたかったわけでしょう。何かを指すには、書かれざる囲いがあるって話。
未規定性という言葉は、取り合えず規定された物だけど、究極的には未規定で・・って話。
誤解ないように、しつこく書いたのが、お宅の誤解を呼んだのか?
それに、
>いや、「意味」という概念は究極的には不可能だ、という意味wなんだけど本当は
ご丁寧にも、ご自身で無限後退されておりますが・・・。
ちなみに、
>>780もあんたか?
博識なら、酒止める方法も教えろや。さ、買ってこよ。
865 :
名無しさん@社会人:2005/04/10(日) 01:37:53
酒止める方法?これが答えだに書いてあったぜ。
866 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/10(日) 02:12:44
>>865 徹底的に疑うことだと思います。
疑うとは論理的に分析するということです。
この部分だけ
>まず「サイファ」とは、、「名状しがたい、すごいもの」への感染で
>あり、コントロールできるものではないのです。誰を好きになるか、
>決めるようなものです。誰を好きになるかは、それが決まっていない、
>感染であるから、好きになるのです。特に、現代の多様化した社会で
>コントロールするのは不可能です。
現代心理学・社会学・医学を見ると俺は宮台より、ぴか〜 に一票入れ
たい。ただ、「世界の規定性のサイファ」にかることでもメンヘル一
人ろくに治せない医者も多いし、「世界の未規定性のサイファ」では
規定ではものをどうするのか? と言う点が抜けけている。
ちなみにサイファは「名状しがたい凄いこと」だから規定なんて出来
ないと言う連中は伝達時点で点で「規定してしまっている」
ただ成熟社会はあくまでモノが溢れた社会であり、その上部構造
としては「成熟」していない。ぴかあ〜の分析は甘いと思う。
宮台のやろうとしていることはその上部構造をどう成熟させるか
と言う点にあると思う。
また、モノが溢れる現象自体が資源枯渇で危機にさらされている。
「大きな一発」もあるかもしれない。
869 :
名無しさん@社会人:2005/04/10(日) 12:29:10
>>867 抗癌剤にカゼの効能を求める馬鹿。
カゼに効かないことをもって抗癌剤の有用性を否定する馬鹿。
こういう馬鹿は死んだほうがいい。ときに下手な考えは何も考えないより悪い。
870 :
名無しさん@社会人:2005/04/10(日) 12:33:05
何度人が「未規定性とは規定されていないさまのことにあらず」
と示唆してやっても少しも悟らないし。
アノミーとはこうも人を無分別にするのか。
871 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/10(日) 14:49:18
>宮台のやろうとしていることはその上部構造をどう成熟させるか
>と言う点にあると思う。
「サイファ」を逆変換することは、「サイファ」を「疑う」と言いましたが、
この表現は哲学的だったかもしれません。わかりやすくは「理解しようとする」
ということですね。
宮台の言葉では「「世界の根元的な未規定性」に関わる長きにわたる人類の営みが
含意している問題設定を理解すること」であり、それが、「「世界の根元的な未規定性」
すなわち「名状しがたい、すごいもの」へと開いてくれ、「世界」を豊かに体験させてくれる。」
ということです。
872 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/10(日) 14:55:24
たとえば、ぼくの上げたある女性を好きになった場合なら、
ある女性が女神に見えたときに、ある女性は「名状しがたいもの」であり、
女性に神のように「サイファ」を見ている、ということですが、
そして、「サイファ」を逆変換することは、なぜその女性なのかと問うことによって、
理由などないということとともに、人類が延々を恋をしてきて、この世界がある
というようなことを感じ、感動する。みたいなことでしょうか。
楽観的ですが、ある意味でここまで現象は危機的状況にある。
オウムや、脱社会的な存在の増加では、
「欲望することを忘れるな」というメッセージも有用ということでしょうか。
873 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/10(日) 15:08:45
再度、サイファを覚醒するとは、
たとえば「なんのために生きているのだろ」と問うときに、
現代の一般的な解答は「生きていることに意味などない」と言うモノです。
この先には、なにかに熱中することは、恋をすることは無駄だと、
「生きること」を放棄する脱社会的な存在になるか、
それにつかれてエセ宗教の安易な生きる意味へはまるかです。
そうではなくて、自分の感性によって、「熱中する」。
恋をして、興味のあるもにはまって、楽しむ。
それによって、なぜいまボクははまっているのかを考える。
そうすると、ボクらの世界には、「生きている意味」以外に、
「理解することができない未規定な世界」があり、
それによって、はまっていることがわかる。
世界とはそのような豊かなものだとわかる。
だから「欲望することからはじめよう」みたいなことですね。
874 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/10(日) 15:23:13
この後半の、「ボクらの世界には、「生きている意味」以外に、
「理解することができない未規定な世界」があり、
それによって、はまっていることがわかる。
世界とはそのような豊かなものだとわかる。」
とはまったく楽観的なものですね。
現代、むしろ多くの人が「熱中」することに「熱中」している面が
大きいと思います。
たとえばこれは北田の「ロマン主義的シニシズム」などみられるように、
2ちゃんねるの祭りなどの熱狂は、みんなが熱狂しているから、熱狂している。
あびる優の倫理観を真面目に批判したい人などいない、
みんなとの熱中が目的化している、ということです。
この本は2000年の本なので、時代が流れているのかもしれませんが。
>>814 >もちろん、ゲーデルに理解した上で、社会学には応用できないといっているのです。
ずっと気になっているんだが、ゲーデルが社会学に「応用」できないという例を挙げてくれませんか?
そして、「応用」できない理由を聞かせてくれませんか?
>>828では説明にはなっていないような気がするんだよね。
というか、ほんとに理解しているのか、確かめたいんですよね。
>>869 >抗癌剤にカゼの効能を求める馬鹿。
俺のいい太鼓とはそういうことじゃなくて。
癌に抗がん剤を使っても効かない。
鬱に功鬱材を使っても効かない。
そういうことがあると言うことなのだが。w
878 :
トリッキー ◆479cPhsKp6 :2005/04/11(月) 18:38:02
病気についてはいろいろ「規定」されているけど、全部が治るわけでもない。
まして未規定をや。そういう面でサイファのコントロールが出来るのか?
といいたい。
879 :
トリッキー ◆479cPhsKp6 :2005/04/11(月) 18:38:38
病気についてはいろいろ「規定」されているけど、全部が治るわけでもない。
まして未規定をや。そういう面でサイファのコントロールが出来るのか?
といいたい。
880 :
トリッキー ◆479cPhsKp6 :2005/04/11(月) 18:39:53
病気についてはいろいろ「規定」されているけど、全部が治るわけでもない。
まして未規定をや。そういう面でサイファのコントロールが出来るのか?
といいたい。
m9(^Д^)
882 :
ヴィマラ2世:2005/04/12(火) 22:58:37
>>870 見逃してたよ(笑)。
>何度人が「未規定性とは規定されていないさまのことにあらず」
>と示唆してやっても少しも悟らないし。
だから、分かってると言っているだろう・・・何が不満なの。
俺が、「未規定性」を「規定されていない様」として使っている部分を挙げてみてくれ。
それから、無限後退に関しても、『サイファ』のP220〜221に記述がある。
世界の未規定性は、規定が無限後退する事から見つけられた物だし。
俺の誤解を指摘し何か新しい事を教えてくれるのかな?と期待したけどね。
単なる言葉遊びだ。中世の神学論争と同じ。
884 :
名無しさん@社会人:2005/04/13(水) 05:17:06
個人的事情により転向した言論人は、言論人としては信用できません。
言論人としては信用できないというだけで、彼の行為は人倫には全く
反しない
885 :
トリッキー ◆479cPhsKp6 :2005/04/14(木) 19:56:56
何によって後退するわけ? 言葉が無限なわけないじゃん。いずれ生き
づまる
886 :
トリッキー ◆479cPhsKp6 :2005/04/14(木) 20:00:57
だからはっきり行って世界の未規定性が無限後退から産まれる
と言う発想がおかしい。と言うより無限後退は存在しない。
未規定なモノ(規定してしまったが)
は端的に未規定なのだ。
887 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/15(金) 14:39:51
サイファから数年たちましたが宮台主張の根底はかわらないようですね
ブログに告知された宮台思想塾なるものもこの流れの追求のようです
未規定なものとは近づくと人間が解体される危険なものであり、
だからこそ快楽な幻想をみさせる魔力(サイファ)があります
ミイラとりがミイラにならなければよいのですが
888 :
名無しさん@社会人:2005/04/15(金) 14:46:57
思想塾行かないの?
というか、実際の研究で、ゲーデル的な特異点(サイファ?)が出てくるまで詰める方が
大変だと思うんだけど。
大して厳密にやらないで、なんでもかんでも「サイファ」にしちゃって収拾つかなくなって放棄、
というのが、一番安易に陥りやすい過ちのパターンだと思う。
>>未規定なものとは近づくと人間が解体される危険なもの
そんなもの一杯ある。
いちいち解体されてたら、人間は居なくなっている。
そういうものを扱う方法があるんだよ。
ミイラ取りがミイラになるのは、方法や技能が未熟だからに過ぎない。
数えたけど6つぐらいしかないよ
892 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/15(金) 19:41:15
斎藤環は、未規定なもの=現実界に近づいた状態が
精神分裂病だといっていましたね
言語認識の彼方ですから、あぼーんしちゃうんですね
だから宮台がいうように宗教的表象がなくなることはない
宗教は未規定なものが直接触れないように包んでくれるわけです
>6つ
この個数はあなたのセンサーの感度やダイナミックレンジに比例してるんじゃないのかな。
宗教というシステムがプロテクタ(オブラート?)になっているというのは納得できるけど
宗教的方法のみに頼るのは限界がありますよね。
やはりある程度科学的な方法論で扱わないと、とっちらかってしまうのじゃないかな、
と思うのです。
895 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/15(金) 20:49:34
そこには微妙な問題があります
端的にいえば、科学も一つの神学ということです
だから宗教と科学は神性の強度が違うということなのです
宮台は当然わかっていますが、どうもこれをあえて?ボカしている節があります
896 :
トリッキー ◆479cPhsKp6 :2005/04/16(土) 15:03:50
俺の考えに穴があることに気づいた。
まず言葉の限界までいって、そこからは自分で言葉を無限に作って
行けばいいわけだから、理論的には無限の存在するところには
無限退行は存在する。
だが宮台の第三の道はテクノロジーを開示していないし、
どの辺の宗教まで使うのかを明らかにしてないから駄目。
結局、ダメなのか。ただの言葉あそびだな。
>>895 科学は神学の一種かどうかの件は理解できないけど
実証性については天と地ですよ。
一部のDQN研究者を除いては、科学の方法論で扱えるモノとそうでないものの
区別もはっきりとしているし。
神学「なんか」と同列に論じて欲しくないと言う感じがします。
899 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/18(月) 23:10:22
>>898 科学が絶対的な価値でないことは、哲学では常識ですが、
「科学も一つの神学、宗教と科学は神性の強度が違う」が意味するのは、
近代以降の科学技術の発展が、すなわち科学の神性の強度の低さが、
逆説的に、規定の限界を明確にして、「未規定」を露呈させ、
「社会の底が抜けている」ということです。
900 :
898:2005/04/21(木) 17:18:19
>>899 で違和感感じていて何かなと思ったんですが。
きっと、社会の中で科学がどう扱われているか、という見方が「神学の一種」という
前提なんでしょうね。それは社会学的にみた科学のとらえ方のように思えるのです。
そういうのは、いわば観客から見た「科学」であって、科学的方法論を使って研究を
行う立場からみた「科学」とは違う感じがするんですよね。
>>894 で何を言いたいかというと、「サイファ」の件に関しては、神学ではなく
科学的方法論で扱う余地があるのではないかということです。
宮台氏が、科学の方法をアナロジーにして社会学研究の手法に取り入れている、
ともどこかで書かれていましたね。
901 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/21(木) 18:23:40
>>900 神学の一種という意味は、科学の正しさは、絶対的なものではなく、
最終的には人の信頼(信仰)に基づいている、と言う意味です。
だからといって、科学が適当なものということではなく、
その一番の貢献は、利便性にあることです。
科学は、確実にボクたちの生活を物質的に豊かにしました。
>>899 で何を言いたいかというと、「サイファ」を科学方法論で
扱うことには、問題が残るということです。
たとえば世界の未規定として、誰もが一度は思う
「なぜ私は存在するのか」という問いがあります。
かつて「神が生きていた」ときは、「神の意思による」という
「サイファ」に回収することによって「社会」の底は抜けないように
ふたをされたいたわけです。
しかし科学の場合、「宇宙の始まりビックバンから、地球での
生命の誕生、そして進化としての人類の誕生」と説明しても、
逆に未規定が増えるんです。
「なぜビックバンが起こったのか」
「なぜ生命は生まれたのか」
そして「私がたまたまの生命なら、この私はなに?」
このような近代以降、科学の発達が、未規定を増やし、
社会の底が抜けたのです。
902 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/21(木) 18:31:00
しかし再度「科学の神学の一種である」にもどると、
神が神だいまでは、いまさら「神の意志」などでは、
人々は納得しません。すなわち「リアリティが持てない」のです。
だから問題はいかに「リアリティを持たせるか」が問題になり、
そのためには、科学を使うしかないし、科学も神学の一種であるが故に、
リアリティのある神話へ展開できる可能性はあるかもしれません。
たとえば「光の速度は一定速である。」という結果を科学は提出できますが、
ではなぜか?ということには答えられません。本来の科学は、なぜには答えないのです。
「サイファ」で速水氏は、この何故を哲学などを使って、科学者自ら語れば、
と言う提案です。
903 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/21(木) 18:36:14
しかし速水氏のように、科学、哲学で、世界に未規定性を
回収するのは無理があると思います。
宮台は、最近のブログで、右翼/左翼=主意主義と主知主義との対比で、
未規定性が、左翼的な知識で説明できるということは、限界がある。
だから右翼的な感受性をもとに未規定性を受け入れることが良いと
言っています。
904 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/04/21(木) 18:38:25
簡単にいえば、たとえばなにかに打ち込み達成したときに
感じるときに、生きていることの充実感。
それが「なぜ私は存在するのか」の答えであるというようなことです。
まあ、世界を見たことのあるぼくには書く責任や、必要性があったんでしょ
うね。来年の冬頃結果が出ますし、春には本になるのかな。
価値観の多様性をわきまえてることを期待する(同じさを期待する)
共同体的感受性
という書き込みが「みんな」の賛同を得るだろうと期待する共同体的
感受性
それがサイファ