最近民度があがってないよ。
172 :
原住民の王:02/12/05 14:15
日 本 列 島 の 土 人 の 皆 さ ん 、 こ ん に ち は 。
173 :
袴業績です:02/12/05 14:39
>>172 まだ朝鮮民族を殲滅してないのでご挨拶はその後がよろしいかと
174 :
原住民の王:02/12/05 15:13
自動販売機にコインを入れるのは覚えたかね?
175 :
原住民の王:02/12/05 20:17
暇だのおう、つまらないジャンルではないのだが、中途半端かもな。
176 :
原住民の王:02/12/05 20:20
民主政治論
「ポピュリズム」とは、リーダー・シップに欠けた政治家が人民の
人気取りをすることである。人民の支持のないところでリーダー・シップが
成立するはずはないが、しかし「人気取りはよろしくない」という理由で、
人民を説得するための手間まで省いてはならない。人民に対して「愛らしい」、
「赤ん坊だ」、「泣いた」、「安寧にひたってよい」と言うのは、専制政治に
おける善良な統治者のすることである。専制政治でも、運が良ければそういう
ことになるであろう。しかし必ずしも善良ではない統治者であっても、ある
いは無能な統治者であっても同じ様に「安寧にひたってよい」と言うことも
あろう。民主制とは、人民が安寧に浸ることをせず統治者に責任を負う代償
として善良でなかったり無能であったりする統治者をその権力の座から引き
ずり降ろす権利を握り、逆に統治者は失政に対する責任よって吊し首にされ
たり個人的な賠償責任を負って破産したりという心配がない代わりに人民に
よる罷免要求を無視してはならないというという政治制度である。安寧に
浸りながら、同時に腐敗や圧政からも自由でありたいというのは我々人民の
夢である。しかしそれは非常に残念ながら、この現実世界においては不可能
な夢なのである。「人民を安寧に浸らせるのが政治家の義務であり、理想で
ある」という無意識の誤解が、この国においては人民の意識と政治の世界の
感覚に埋めがたい溝を作っている。「政治家は人民を不安にさせてはならな
い」、我々の政治についてのそのような意識が、政治家の我々人民に対する
安易な秘密主義の正当化を許し、同時に我々人民から政治に対する当事者性
を奪う。…我々人民は、政治的な現実における諸判断が我々の個人的な日常
に必要とされるそれら程には単純ではないことについて多少の理解を持つべ
きであるし、いかなる政治家も自らの下す日々の政治的判断においては、そ
れを人民に語って恥じないような動機に基づく義務からは逃れ得ないのであ
る。人生は徒労への情熱である(サルトル)。
177 :
原住民の王:02/12/05 23:10
スコラ主義
ある命題が真であることの根拠を、論理自身から導くことは不可能である。
純粋論理学は、論理的に真であるということは、それが当然のことであるか
らという回答しかもたらさない(ヴィトゲンシュタイン)。ある人にとって、
あることが当然であることの根拠は、その人の経験に左右される。このこと
は集団についても当てはまる。このようにして、イスラムを介して中世キリ
スト教世界に持ち込まれた古代ギリシャの理性への盲信は(それは、多分に
通俗的なギリシャ理解に過ぎないのだが)、経験主義の方向に向けて解体さ
れる。
ヨーロッパのはずれの島国に生まれ育った経験主義の祖、ロックはピュー
リタンの敬虔主義的な精神構造の持ち主であり、大陸の思想家のような理性
信仰には毒されていない。穏健な自由主義者ロックは普遍的な価値に支えら
れた市民社会の確立のために理性を擁護するが、彼の実践的な判断力はむし
ろ彼の宗教的情操によるところが大きい。ロックに端を発し、ヒュームにお
いて徹底されたイギリス経験論に衝撃を受けたカントもまた、ルター派の敬
虔主義の影響下に育った。カントの理性に対する執着はロックよりも一層、
強調されてはいるが、しかし彼の後に続く観念論者たちには、カントの内に
潜む敬虔主義的精神はなかった。フィヒテに象徴されるような主観的観念論、
ないし独断論は、経験に左右されるものである理性的な判断力に普遍妥当性
の幻想を付与することによって生じる。いわゆるドイツ観念論とは、プロテ
スタントによるスコラ主義である。
178 :
原住民の王:02/12/06 02:32
定期age
179 :
原住民の王:02/12/06 02:40
政治学板が無いからのう、政治板だと床屋政談になってしまうからな・・・
180 :
原住民の王 :02/12/06 15:00
日はまた上るか?
今日という日に至るまで朝になると必ず太陽が上ったので明日も同じよう
に朝には太陽が上るだろうということは、永遠の相においては憶断に過ぎな
いが、経験自我にとっては第一原理のようなものではある。
181 :
原住民の王:02/12/06 15:02
預言者の墓
水平化された世俗社会には体制順応主義はあっても、真の体制は存在し
ない(キルケゴール/『現代の批判』)。圧制への反抗者は英雄であるが、
順応主義への反抗者は「嫌なヤツ」で片付けられる。彼等が世の中に好意
的に評価されるのは、必ず死後のことと決っている。
週間金曜日のおかげで民度が189%アップしました。
183 :
原住民の王:02/12/06 15:51
『食べてはいけない』は素晴らしい本であったな。
政治思想板というのはあったようだな。共産党板とコヴァ板に挟まれて(藁
超ヒモ理論
わが国において「ヒモ」とは、「オンナの腕にブラ下がっていないと
やっていけないオトコ」の謂いである。
186 :
原住民の王:02/12/07 06:38
サガッテルサガッテル
187 :
佐々木健介:02/12/07 07:08
>>1 ______
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188 :
原住民の王:02/12/07 14:53
定期age
189 :
原住民の王:02/12/07 16:51
大衆と知識人
ある国の知識人の知的水準と、その国の人民一人あたりの年間エネルギー
消費量とは関係がない。因みに、ある国の一般大衆の知的水準が、その国の
人民一人あたりの年間エネルギー消費量と関係があるとしても、その知性は
エネルギー消費に依存しなければ維持し得ない程度のものに過ぎない。
大衆化されるや否や低俗化してしまうものと、大衆化されてこそ輝きを
増すものがある。大衆的であることと低俗であることは、全く別のことであ
る。大衆化と低俗化を混同してはいけない。
大衆とは「名も無き者ら」の謂いである。人は、そのような立場に立たさ
れると、得てして自らを軽蔑的に扱ってしまいがちになる。少なくとも、俺
はそうだった。
別の場所で言ったが、謙虚であることと劣等感を抱くことは別のことだ。
尊厳のないところに謙虚さはない。しかし劣等感とは尊厳の剥奪された意識
である。優越感は生に偽りの確信を与えるが故に、人は自らを誇るのを好む。
人が謙虚であるべきなのも、同じ理由による。
宮台真司のおかげで民度が117%アップしました。
191 :
原住民の王:02/12/07 17:02
ご飯食べてこなくちゃ
192 :
原住民の王:02/12/07 17:19
あー、食った食った。えーと、宮台だっけ? いいんじゃねーの、やらしとけば?
取りあえず害にはならぬからな(藁
193 :
原住民の王:02/12/07 17:45
こら朝日、アフガニスタンのイスラム化って何だよ。原理主義化と言え。
やっぱ、ちょっと違うんだよな、おまいらは。
194 :
原住民の王 :02/12/08 05:38
ヨッコラショット
195 :
原住民の王:02/12/08 22:01
自由と民主主義
モラルを欠いた自由は、結局のところ、人を不幸にするのではないか? 民主
主義は自由主義によって、自由主義はモラルによって、モラルは信仰によって支
えられるべきである、‥か? 何事かを「信じる」と言う行為は、人間に許され
た自由における、最も基本的で根源的な働きである。
「民主化とは、人民の支持する理性的な政府の樹立によって、人民の尊厳ある
生活が確保されることである」(俺)。
196 :
原住民の王:02/12/09 06:59
「結果を気にせず戦えと言われれば、最初の半年や一年は存分に暴れて
ご覧に入れます。しかしその先の2〜3年のことはまったく自信があり
ません。アメリカとの対戦を避けるよう努力されることを期待します」。
と、連合艦隊指令長官山本五十六元帥は昭和15年、時の首相に言っ
たもんだが、保守系の知識人てなぁ駄目だなぁ・・・。
日本民度化計画
民度三郎
198 :
ボコノン教徒:02/12/09 19:51
思想統制
全体主義とは思想統制をしなけれは維持できない体制であるとすれば、
現実的なあらゆる社会集団の枠組みは多かれ少なかれ全体主義的であら
ざるを得ないということになろう。結局は程度問題と言うことになって
しまうのだが、これを理念なき閉鎖性のための居直りの口実にしてはな
ない。…片寄った理念に支配された社会の支配層は、異質の理念の外部
からの流入によって民心が惑乱されるのを未然に防ぐ必要がある。逆に
言えば、「正しい」理念に基づく社会は外部からの思想の流入に対して
揺るがないということになろう。社会理念におけるダーウィニズム。
199 :
ボコノン教徒:02/12/09 19:53
中庸
中庸の徳は、自主独立の精神の賜である。「両頭を截断して一剣天に
って寒し」。過度は依存から生じる。
モラルとルール
「道徳(モラル)」と「掟(ルール)」の関係は、「生」と「生存」のそれに
対応させて考えると分かりやすい。「掟(ルール)」は集団を、「道徳(モラル)」
は個人を目的とする。「道徳は和解しない」(ロートレアモン/『ポエジィ』)。
…全体主義を特色付けるのは、そこでは道徳が集団全体を目的としている点である。
う゛
202 :
原住民の王:02/12/10 06:20
自治age
203 :
名無し仔猫@1周年:02/12/10 17:19
存在と所有
共産主義の理想は、私有財産の放棄であった。私有財産とは何か?
「私の財産」と、「財産ではない本当の私」との境界は、それほど
明確に立てられるものなのか? 極端な話、身体がその人の私有財産
であるとするならば、私有財産を否定することは人から自由を剥奪す
ることを意味しないか?
204 :
名無し仔猫@1周年:02/12/10 17:20
私有財産権
乃至、全体主義とはある社会集団の成員個々人がその集団にとって財産の
ようなものであるような状態だとすれば、私有財産とは分有された共有財産
のことを意味する。私有財産権を神聖なるものと見なすことの愚劣と誠実。
つまり主体の根拠の問題。「これらは私のものである。さて私は誰のものか?」。
…「人が自らの自由において自らを創造主の手に返すことが可能であるために、
人から自由を奪ってはならない」(S.ヴェーユ)。
205 :
aa2002020261003.userreverse.dion.ne.jp:02/12/10 17:21
聖と俗
聖と俗における最大の違いは、俗に於いて不幸は悪であり、それ故に不幸
である人は悪人に似た物であるのに対し、聖においてはそうでないことであ
る。
つまり、「こころの貧しい人たちは、幸いである。天国は彼らのものであ
る。悲しんでいる人達は幸いである。彼らは慰められるだろう。柔和な人達
は幸いである。彼らは、‥」(マタイ伝、第五章)。
208 :
原住民の王:02/12/11 04:23
繰り返し原住民のコンプレックスを抉ってみるテスト
209 :
原住民の王:02/12/11 06:38
攻撃は最大の防御であると煽って見るテスト
ヨッコラショット
ドッコイショット
212 :
方法論的名無し仔猫:03/01/03 14:29
あげ
(^^)
agesage
みんどが 1 あがった
みんどが 1 さがった
218 :
邯鄲 ◆.EDMOUBKE2 :03/02/27 10:49
2ちゃんねるてのは、良くも悪くも、日本社会の縮図みたいなもんだな・・・。
219 :
簡単WEBアルバイト募集:03/02/27 11:46