夫婦別姓は本当に社会を幸せにするんでしょうか。どう思い
ますか?
韓国なんて前から別姓だけど、どうなんですかね〜。
「別姓にすれば諸問題が解決する」っていうことだけが
一人歩きしてるような気がします。
「別姓」と「幸せな社会」は根本的に別問題なんじゃないでしょうか。
子供がどちらの名前を名乗るかなどで問題が増えるかもしれないですしね。
別姓推進派の究極の姿は、国民全員番号で呼びあるような社会かもしれないですね。
>別姓推進派の究極の姿は、国民全員番号で呼びあるような社会かもしれないですね。
飛躍しすぎでは?
「同姓の諸問題が多すぎる」っちゅうことが問題何ですよ。
男の人も、一度、全部の書類を書き換えて貰いたーい。
まあ、別姓にすれば企業内や友人間でのコミュニケーションの形態が少なからず変化
を受けるだろうから、結果幸せな社会なるにせよ不幸な社会になるにせよ、ある程度
社会変動に影響を与えるのは間違いないでしょう。すでに壊れてしまって久しいイエ
制度にとどめを刺すことになるかもしれないし、その意味では期待できる。
というか、どんな論者も「別姓にすれば社会は幸せになる」なんて適当な主張はしてい
ない気がするが。
北条雅子を例にとるまでも無く中世封建時代や
血縁社会である儒教的社会の中韓のような恐ろしい
家制度が復活するのかもしれません
北条雅子?
戸籍上の別姓を実現させることは、戸籍制度の温存に繋がらないかな。
夫婦別姓がイエ制度のアンチテーゼにはなり得ないと思うのだが。
むしろやるべきことは戸籍制度の相対化ではないだろうか。
つまり通称名使用を一般に広めることや、改名権を認めること等をだ。
>>7 うん。
最終的には戸籍制度の問題になるよね。
男女別姓も「改名権」へ至るための一つのステップとして考えればよいと思うけど。
よくある反応だけど、問題は夫婦別姓より、
婚外子差別。
同じ母親から生まれていても、ひとりが婚内子で、もうひとりが婚外子だったら、
婚外子の相続分は2分の1だって知ってた?
どう考えてもおかしいよ。
>>2の意見はあえて極端に言ってみたって感じなんですが。
それから戸籍制度の問題だけですかね??そうした制度論じゃなくアイデンティティー
の問題に関わってくるんじゃないですか?
それに別姓が良くて同姓が悪いっていう単一的な見方もどうかと思うのですけど。
便利だからとかいった機能論だけっていうのもね〜。
この辺りの研究は誰がしてますか?家族社会学の論文はながらく読んでない。
まあ自分も実感としては特に7,8さんの意見に異論はないのですけどもね。
姓なんて単なる記号に過ぎず
姓が変わったからってその人のアイデンティティが
揺るぐはずがない
>>11 んなことはないんじゃない?
石川准風に言えばファミリーネームは所属のアイデンティティを表すわけで、
自分が所属していると思っていた集団から、慣習によって別の集団へと変更さ
せられてしまう、という側面も改姓という問題には伴っていると思う。
結婚して改姓したら、その改姓先の家のルールに従わなくちゃならないだとか、
嫁姑問題だとか、それらは基本的に所属を巡る問題であると思うけど。そこで
家風やらしきたりやら新しい親族関係やらでアイデンティティ・クライシスに
陥ることは十分想定可能でしょう。
家庭板の「旦那の名字気にいってる?」スレを覗いたんだけど、名字が気に入るor気
に入らない、姓名判断の結果が良いor悪い、で別姓を望む人もいるんだね。
別姓を名乗りたいなら内縁婚で良いじゃないか!
>>12 11の言わんとしていることは、
戸籍制度に記述された姓は機能的な記号に過ぎず、アイデンティティとは関係ないという事では。
そもそも戸籍謄本上に記述された名が自分の「名」だという必然性はない。
戸籍名というのは身分認証システムの中で割り当てられたコードに過ぎない。
つまり端的な数列でも代替可能である非人間的、非日常的なモノである。
自分のアイデンティティを置く場所はシステムではなく、日常そのものではないか。
つまり戸籍云々ではなく、日常生活上で使用される名が自分の「名」であるという事。
戸籍名と日常名が同一である必然性はない。戸籍と別個の通称名を使う人だっているわけだから。
現代の女性は「あなたの姓になる喜び」ってのを感じないのかな〜。
まあ男の俺からしても古くさいきがするけど。
それから離婚後、前の姓に戻す割合ってどんなもんなんでしょう?
おそらく結婚していた年月と比例するかと予測出来るのですが。
>>18 端的な身分認証コードに対して思い入れが強すぎるんじゃない?
戸籍上の名前なんて単なるコードだよ。
そこにアイデンティティを置くのは根本的に勘違いしてると思う。
>>17
名前が記号にすぎない、ってのはその通りだけど、とくに年齢層が高めの人たちに
とってはいまだに「氏姓」が「日常」である人たちも多いわけで。それに、「日常」とは
言っても馴れ親しみの少ない組織などへ入る場合などには、基本的にファーストネ
ームではなくファミリーネームを告げるのがマナーとなっているのは洋の東西を問
わないし、氏姓はその意味でもフォーマルな関係性とインフォーマルな関係性の維
持にとっても重要な位置を占めているんじゃないのかな。逆に言えば、ファミリーネ
ームとファーストネームの区別が、フォーマル/インフォーマルの境界の確定にも機
能的に働いている。
戸籍上の名前は単なる記号にすぎない、とは言っても、今でも、そしてこれからもおそ
らくは氏姓という制度そのものなくならないでしょう。以上のような社会的機能を氏
姓という制度は持っているし、社会空間の維持と編成に関して意味を持っているがゆ
えに。
で、アイデンティティに関して言えば、嫁姑問題だとか家風の違いだとかいった問題に
ぶち当たったときに、リフレクシブに見出されていくんじゃないのかな。だから、それま
では自分の名字なんてどうでもいい、と思っていた人が、問題にぶつかったとき初めて
その名字を共有する家族共同体の一員としての自覚を持つ、ということがあり得るでし
ょう。
望まない人々にも国家が強制している現実が問題なんだよ
人によっては経済的にも不利益をこうむっている
韓国はどうよ?別姓だけど男女平等で幸せ?そう考えると単に同姓、別姓ってことだけが
問題じゃないんじゃない。そりゃ今、別姓にしたら上手くいくことって多々あるだろうけども。
そんな単純な問題か?
>>20 いや私は、
名前が記号に過ぎないから、名前に固執するのは御門違いと言ったんじゃないよ。
戸籍制度という身分認証システムの中で記載されたコード(戸籍名)に固執するのが間違いと言ってるわけ。
身分認証コードなんて数列でも代替可能なものだし、日常で使用される名前とは関係ないのだから。
つまり、自分の名前が戸籍上の氏名と同一である必要性はないと言っているわけ。
>これからもおそらくは氏姓という制度そのものなくならないでしょう。
私は氏姓という名前の構造を否定してるわけじゃないんだよね。
人間の名称=氏姓+名前という構造は、これからも存続すると思うよ。
しかしそれと制度論とは何の関係もないでしょう。
>苗字を共有する家族共同体の一員としての自覚を持つ、ということがあり得る
それは端的に個人の自由だと思う。
姓を家族名称として捉え、それを採用するかどうかは個人が決めること。
夫婦同姓制度下でさえ、通称使用で別姓を採用している人だっているでしょう。
そもそも、家族名称の同一性でさえ戸籍制度とは何ら関係がない。
何で戸籍上に同一性が記載されていないと家族名称が成り立たないのかね。
結局別姓派は、現在の戸籍制度や家制度の否定を声高々謳っているんではない
かな。それから生じる一部の女性達が感じる不都合を考えて。
≫23
>姓を家族名称として捉え、それを採用するかどうかは個人が決めること。
いま自分の姓を自分のものだと感じられるのは親の世代がその姓を家族名称として
採用したからだと思う。名前が記号に過ぎないのは形而上学的な問題であって、
ロンパールームで子どもたちがテレビで自分の名前を呼ばれるのを楽しみにしていたのは
その子どものアイデンティティ形成の課程の一つではなかっただろうか。
したがって数列で身分認証するのは人格の否定につながるのでは。
戸籍制度や家制度の問題はもう少し掘り下げてみないといけないと思う。
>>23 親から受け継いだ「戸籍上の姓」を「自分の姓」と認識する必然性はないでしょう。
戸籍上の姓と別個の姓を「自分の姓」と認識しても良いわけです。
それと、私は名前が記号に過ぎないから数列で代替して良いと言ってるわけではありません。
戸籍名は身分保障コードに過ぎないから数列で代替して良いと言ってるのです。
もちろん日常名を数列で代替することは人格を否定する可能性もあるでしょう。
>したがって数列で身分認証するのは人格の否定につながるのでは
身分認証システム上のコード(戸籍名,数列etc)を日常で使用する必然性もないでしょう。
戸籍上の名前と別個の名前を日常で使用しても良いわけです。
そもそも戸籍名と日常名は同一である必然性はありません。
普通、戸籍名と日常名が同じだから、それが必然的だと固定観念を抱くだけの話です。
つまり、身分保障コードを数列で代替しても人格の否定になり得ません。
つまり、戸籍制度とアイデンティティ云々の問題は関係ないのです。
>>23 だとすると、夫婦別姓問題に関しては「戸籍名はあくまでも身分保障コードに過ぎない
のだから、戸籍名レベルでの別姓を望むことに意味はなく、日常名での別姓だけで十分
だ」という結論も導き出すこともできるが?
もちろん戸籍名には身分保障コード以外の意義は無いが、それ以外の身分保障コード(と
いうか本人の同一性保障システム)がまだ存在していない以上、戸籍名レベルでの夫婦別姓
は次善策として有効だと思う。戸籍制度が制度として機能している以上、とりあえず制度内
での改革を望む姿勢は間違ったことではないでしょう。
>>21の言うような背景も確かにある
わけで、公的な文書に記載する上で、基本的に戸籍名を書くように強制されている現実は存
在しているわけで。
国民総背番号制=国民全員に対するID番号付与システムが良い感じで成立し、戸籍制度が
廃止されるのなら、それがベストだけれどね。
>>27 その通りであって、社会は戸籍名と別個の通称名の使用を保障すればokなわけです。
今のところ通称名の使用が限定されているので、それは広げる必要があります。
>戸籍名レベルでの夫婦別姓は次善策として有効だと思う。
戸籍名レベルでの夫婦別姓を容認することの利益が不明確なんですけど。
制度を改正するなら、改正する根拠が必要です。
>公的な文書に記載する上で、基本的に戸籍名を書くように強制されている
それは当たり前でしょう。
身分証明が必要な公的文書(パスポート,保険証etc)においては、
公的な身分保障コード(戸籍名)が記載されるに決まっています。
>ID番号付与システムが良い感じで成立し戸籍制度が廃止されるのならベスト
ID制がベストだとは思いませんが。
はっきり言って、ID制の利益より不利益の方が大きいと思います。
≫26
身分認証システム上のコードというのがどの程度、日常生活に顔を出すのか、にもよると思うが。
単に戸籍上のことであれば、人格否定につながらないかもしれないが、
住民票などは住宅ローンの申し込みなど、結構提出を求められる機会が多い。
この方向へ進むと、すべてがコードに置き換えられる可能性もあると思う。
アイデンティティの問題についていえば
「あなたの認証番号は○○○○番です。日常名は何を自由に使っても結構です。」
「あなたの日常名は△△です。認証名(=記号)としてそれを登録します。」
のどちらが、国家がとるべき制度として妥当かを考えるべき。
前者はどこまで行っても、「あなたは○○○○番です」にしかならない・
30 :
( ´,_ゝ`)プッ :02/03/31 18:43
( ´,_ゝ`)プッ
31 :
チリから来ました〜:02/03/31 20:11
夫婦別姓は、当事者の選択に任せればいいの。他人が口出しする問題じゃないね。
私は、別姓に賛成。
後は、子供の姓だが、それも当人たちで決めればよい。
>>29 >住民票などは住宅ローンの申し込みなど、結構提出を求められる機会が多い。
日常名と身分認証コードを使い分けるは当然だと思うですが。
そもそも日常名と身分認証コードは別個のモノなのですから。
それが同一だという必然性は全くないのです。
つまり、戸籍名と日常名の使い分けは至極当然ということです。
それと、日常名の自由化と国民総背番号制は別々に実現可能ですよ。
例えば、戸籍制度を温存しつつ、社会においての通称名の使用を可能にすることもできます。
そして、戸籍制度を温存しつつ、国民総背番号制を実現する事も可能です。
国民総背番号制には不利益の方が大きいと思われますので、実現するべきではないと思いますが。
そして、国民総背番号制や通称名の自由化と、夫婦別姓の実現も関係ありません。
夫婦別姓を実現するには、別個にその利益を示さなければなりません。
今のところ、夫婦別姓を実現することの利益が不明確です。
>>31 今、議論していることは、
夫婦別姓を容認するシステムに改正することの利益についてだと思いますが。
現制度下で夫婦別姓が容認されていない以上、他人の口出しに意味はないでしょう。
しかし制度を改正するなら、改正する根拠が必要ですよ。
一般論ですが、
賛成派は、同姓を名乗る他人に干渉しない。
しかし反対派は、別姓を名乗る他人を干渉する。
どう考えても、反対派の言ってる事は余計なお世話なんだよね。
反対派、ウザイ。
ほんと余計なお世話。
結婚したら「子どもはまだか」
別姓だとわかると「信じられない」「ままごとみたい」
「郵便屋さんが困るんじゃない?」
(あんたが配るわけじゃないでしょ!)
自分の考えの及ばないことに嫌悪感を持つ人、多いんだよね。
ほんと疲れるわ。
現行法の問題だから勝手にして良いと言う訳にはいかない。
勝手にしたい人は同棲という選択肢がある。
だから勝手に事実婚してるっつーの。
法律ができようができまいが関係ないっつーの。
もちろん別姓で結婚できる法律ができたらしますが。
そういう夫婦がすべてフェミみたいに
法律作れ作れって言うてるわけやおまへんがな。
スレタイと逆なのでsage
社会学板らしいレスがひとつもないな。
ーーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーーー
(・∀・)スンスンスーン♪ ( ゚д゚)ハッ! (・∀・)スンスンスーン♪ (´Д` )イェァ
国家が管理する形の結婚制度&戸籍制度そのものが要らないよね。
同姓推進派って保守派のあがきっぽい。
海外じゃ同性のパートナーに結婚と同じ法的権利を与え始めて
いるけど、あれも結婚制度を維持したい保守派のあがきだね。
>>39 随分偏った考えだな。同姓に多くの国民が満足してるということを
忘れてないか。だいたい、同姓は推進するものではなく現行制度だよ。
42 :
名無しさん@3周年:02/07/11 01:55
40もずいぶん偏った考えだよね。
同姓に多くの国民が果たして満足しているのか、
考えたこともないんだろうね。
現行制度の枠の中で、ほとんどの女性が男性の姓にして結婚している。
さらに数少ない男性の改姓も、ほとんどが婿養子。
どちらかの「家」に取り込む、というのが現行制度だから。
「当然」「法律で決まっているから」っていう思考停止はやめようね。
同姓にしたい人はもちろん、そうしてください。
ただ別姓のまま結婚したい人も認めてください。
ささやかな願いなのに、どうしてそんなに反対されるのか・・・
>>42 現行制度は「家」に取り込むわけじゃないよ。
それぞれの実家の戸籍から抜けて新しくその夫婦の戸籍をつくるだけ。
国民感情に合致しているからこそ数世代に渡って伝達されたと考える
のが自然でしょう。そうでなければとっくに改変せれてるよ。
現行制度を改変するにはそれ相応の理由が必要。
>>43 そうでなければとっくに改変?
ほんとにそう思うならあなたヘンですね。
国民感情の代表者のつもりなら仕方ないですが。
現行制度の字面を見れば、まさしくあなたのおっしゃる通りです。
しかし、それぞれの実家の戸籍から抜けて新しく夫婦の戸籍を作る時、
女性の姓に変える男性は、なぜわざわざ女性の親の養子になると思われます?
>>44 >女性の姓に変える男性は、なぜわざわざ女性の親の養子になると思われます?
さあね。婿養子なんて興味ありません。
同姓制という現行法の枠内でやってるのだから、まわりがとやかくいう事ではない。
一つはっきり言える事は、婿養子がこの世の中に存在している事によって今まで
一度も害を受けたことは無いということ。
あなたは婿養子に何か恨みでもあるんですか?
>45
おお、害がないね。うん、これ重要。
結婚制度&戸籍制度なんてなくても誰もなーんにも困りません。
結婚制度があると困ることは個人的にはたくさんあるけど
そんなことはどーでもよく、皆にとって困ることはそんな意味の
ない制度を税金使って維持してることだね。
害がないということと制度を廃止することがどうつながるんだ?
48 :
名無しさん@3周年:02/07/11 23:44
>>45 つまりあなたにとって害があるから別姓を認めないということ?
婿養子があなたにとって害がないのと同様、知らない夫婦が
同姓だろうが別姓だろうがあなたに害はないと思いますが。
婿養子に恨みがあるように読める文章でしたか?
現行制度はまったく平等で、男女どちらの姓で結婚してもよい、
となっているのに夫婦の戸籍の筆頭者にこだわるのはなぜかなと
疑問に思ったから聞いてみました(遺産相続とも絡む問題でしょうけどね)。
>>48 婿養子は既に存在しているものなのです。
それによって害を受けたことがないというのは経験則なのです。
しかし害の有無はそれほど重要ではありません。
現行法を変更する理由の問題が重要。
51 :
あほそら ひどし:02/07/14 13:36
http://board.asahi.com/nat/board/index.php?qid=627&cn=55 >「家内」って変ですか? 人から「奥様はお元気ですか?」ときかれたら
>「ええ、家内は元気です」と応えますが。 「奥様」=家の奥にいる人?
私は結婚していた頃,電話で「奥様はいらっしゃいますか」と聞かれたら
「いいえ,うちは『奥(という姓)』ではありません」と答えていました。
同様に,「ご主人様(旦那様)はいらっしゃいますか」と聞かれたら「うち
には『ゴシュジンサマ(ダンナサマ)』という者はいません」と答えていました。
これ,変ですか?
→変であることがわからないあなたはものすごく変です。
別姓反対派の自民党議員のリストが欲しいね。
「夫婦別姓が法制化されたら家族制度が破綻する」、こんな馬鹿なことを
平気で言える奴が国会議員やってるなんて信じられない。
社会学者がこんなこと言ったら、即失脚だ。
社会学はフェミが多いからね。
トマス(『ポーランド農民』の人ね)の「四つの願望説」(by『不適応少女』1923)は役立つのではないか?
人間は誰しも・・・
1)愛し愛される
2)評価される
3)新鮮さ
4)安全
を求める、とのこと。
>46
自分が結婚制度がいやだからって、なんで結婚制度がなくなっても
困らないと言い切れる?
そして意味がない制度と言い切れる?
結婚しろしろ言われてイライラしてるのかい?
したくなければしなければいい。それを勝手に結婚制度のせいにすんな。
つーか、マジでフェミ多いな。市ね
林道義は社会学者なのですか?
あげてみる
苗字なくせばいいじゃん。
別姓にするなら苗字の意味ない。
単に名前の一部ってわけ?
そうそう、苗字なんてなくしたほうがいい。
(^^)
>>61 それはそれで、制度を変えるのが大変だぞ。
^ ^;
(^^)
61の指摘にあるように、婚姻制度の改変は、
市民法体系全般、ひいては経済システムまで換えることになる。
あんまり安易にできないよ。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
71 :
おさかなくわえた名無しさん:03/06/30 10:18
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
夫婦別姓というのは、結婚後も血縁の親と同じ姓を名乗るということにすぎません。
いいかえれば、夫婦の結びつきよりも、親子の血縁を重視するという意味であり、
結婚しても親離れできない現代のパラサイトな若者を象徴する社会現象です。
これが、ホントの社会学的分析です。
するどい。禿同。
こんな最低A♂を己の私利私欲のために利用するO♀は害虫。
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちの古いシキタリを押し付け、そこから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされるとカッと怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けていることが多い)
●権力・強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる(人が見ていない場合特に))
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているので性格が鬱陶しい(根暗・陰気)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質・異文化を理解しようとせず、あるいは理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量、視野が狭い、多数派=正しい と信じて疑わない)
●集団によるいじめのリーダーとなり皆を先導する(陰湿かつ陰険で狡猾)
●他人の悪口・陰口を好むと同時に、自分は他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(自分がそうだから容易に他人を信用できない、またポーズだけで中身を伴っていない、「世間体命」)
●たとえ友達が多くいても、たいていは浅い付き合いでしかなく、心の友はおらず孤独(心の感度が低く、包容力がなく、冷酷だから)
●頭が硬く融通が利かないためストレスを溜め込みやすく、また短気で、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ後で自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通そうとし、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかないだろう!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでやねん!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
社会学的にいって、夫婦別姓が家族解体を招くとはいえないが、
少なくとも現代における家族の解体現象が夫婦別姓を要請しているとは言える。
いわゆる核家族の核分裂が夫婦別姓の根拠にあるのは確かだ。
そのような個人単位のシングル社会を容認するかどうかの
イデオロギー論争はさけられない。
ベセーしたい女はケコーンするな。ボケ。
81 :
近代核家族なんて(>_<):03/08/19 16:59
夫婦別姓にするからって女性の労働条件や給与がよくなるのか?
男性の異常な残業がなくなるのか?
子どもが学校共同体のドレイから脱出できるのか?
東京の上流上層の人たちのシンボリックな社会改良は
一般庶民の日常生活と関係がうすく、多くの人の無関心と反発を
生むだろう。
82 :
もうすぐ30台:03/08/20 15:17
>>76 1 別姓希望者が同姓希望者に比べて明らかに血縁重視・家族軽視の精神的傾向といえるのか。姓をシンボリックに捉え、親のそれを継ぎたいと思うケースもあると思うが、それが直ちに夫婦関係の軽視を意味するとはいえない。
2 実家を重視し家族を顧みないという傾向は、根本的には婚姻継続の意思にかかわる問題。婚姻に前向きである別姓希望者にそれを当てはめるのはお門違い。
3 改姓した側にだけ親家族とのつながりを希薄にさせることを奨励する意味で同姓を強制するとすれば、親家族とのつながりをどう考えるかという点において思想信条の自由と抵触するし、夫婦の平等を侵すのもので認められない。
4 今でだって結婚しても片方は親と同じ姓を名乗っている。実家を重視し家族を顧みない理由で自分は姓を変えたくない、相手の姓は変えさせたいと考える奴がいても放置するのなら、別姓のそれだけを批判するのは不適当。
こんな感じでどうスか?
別姓とか同性とかを国家が全体主義的に強制すべきじゃないよ。
国家権力は家族に安易に介入すべきじゃない。
いずれの選択も夫婦間の合意にもとづいて可能にすればいいだけの話。
>>82 思想信条の自由とか夫婦の平等なんて、法イデオロギー・フェチの
法学論議。少なくとも社会学の議論じゃないね。
次にもう少し社会学・人類学てきに敷衍しておこう。
君の議論には、そもそもまず「姓」とは何かという定義が欠如している。
「姓」とは何かについて、三つの立場が考えられる。
第一。同一血縁関係、すなわち共通の祖先の存在を前提とする氏族の呼称説。
第二。夫婦と未婚の子を単位とする生活共同体の呼称説。
第三。個人のアイデンティティを示す人格の呼称説。
これ以外に理論上ありえない。
第一のばあい、夫婦はインセストを回避する氏族外婚を原則とするため
夫婦は異なった氏族に属すことを証明する「別姓」が原則となる。
中国・韓国など東アジアの夫婦別姓がこれにあたる。ただしこれは
選択的別姓でなく、同姓どうしの婚姻は氏族内婚として禁止される。
第二のばあい、姓は居住の共同性にもとづき、自然発生的に生じる・
江戸時代の農民は姓がないといわれるが、居住地の特徴を示すものはあった。
たとえば、木下、川上、西山などは、これを意味する。
第三のばあい、そもそも個人に姓と名がある意味を説明できない。
姓が純粋に個人の人格権なら、夫婦どころか子も親とまったく異なる姓で
よいことになる。夫婦別姓議論は無意味となり、姓は名の一部として
姓の廃止を議論すべきであろう。以上とりあえず76を敷衍しておく。
>>85 市民生活の実情に相対するよう要請されている民法に
絡む話題であるから、姓の定義をするための議論だけでは間違うのではないか。
夫婦別姓論の登場したこと、およびその主張をみると、戦後の法制が目指した
核家族の一体の表象としての夫婦同姓は長らく安定したかのように見えて
実は「家制度」の観念の支えがなくなれば流動せざるをえないように思えてくる。
流れとしては、姓の存在意義の流動化、すなわち「第三のばあい」に社会は否応なく付き合わざるを得ないと思う。
やれやれ近代法フェチの戦後民主主義派は、アトム的個人フェチの
伊田広行的シングル社会論にまでいたるか。
法は決して社会契約の所産ではない。かならずその社会固有の伝統文化を
背景にもつ。民法重視のキミが、姓そのものの流動化(つまり否定)にまで
話がスットンジャうのは、ちょっとまずいんじゃないの?
要するに現在の選択的別姓は、実家の姓をなのるか、夫婦の姓をなのるか
という問題なんだから、第一説にならざるをえないということ。
もし選択論にこだわるなら、私としては第二説の徹底として、
婚姻時における夫婦の新姓創設を選択肢とすべきだと思うのだが
どうだろう。
別姓はむしろ「戸籍制度」の維持にはたらく、という議論はまだ生きてる?
おれは保守の立場から別姓賛成派だ。
一人っ子同士が家名を残すために結婚後も別姓を通し、複数の子を設けて
それぞれの家を継がせることができるのなら、この少子化の時代、イエ制度
にとってこんなに便利な事はない。
>>88 その想定において夫婦別姓にする意味はありません。
現在(同姓)において
A夫婦(A家)の一人っ子男子a、B夫婦(B家)の一人っ子女子b。
aとbが結婚しA姓(A家)を継ぎ、「孫」を2人作ったとする。
この「孫」2人のうち1人がA家を継ぎ、もう1人がB家の養子になる。
さて、aとbが別姓にしても、「孫」が上記の養子縁組をしないと、B家を継げません。
したがって、現在と同じです。
age
別姓にしようがしまいが、そんな大事な事か?
別姓すると結婚するときに色々変えなくてよいから手続きが楽になるくらいか?
―――――コラム:源頼朝と北条政子は別姓だったの?―――――――
よくフェミニストが「日本は元々、夫婦別姓だ!」という例として持ち出すのが、源頼朝と北条政子の夫婦。
しかし、我々が今使っている「田中」「鈴木」という「名字」と、源氏、平氏、藤原氏、橘氏・・・即ち「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」の「本姓」とは全く異なる。
「源平藤橘」とは天皇から公卿に与えられた「本姓」(四姓)である。
「名字」は自分で勝手に創作した名前だから、自分で勝手に家族に配分する事が出来る。
しかし「本姓」(四姓)は天皇から下賜された名前だから、勝手に家族に配分する事は出来ない。
源頼朝と北条政子が別姓だった理由はここにある。
「本姓」は「男系男子」にのみ継承が許される言わば「氏族名」であり、家族で共有できる「名字」・・・言わば「家族名」とは元々ハッキリ別のものなのだ。
つまり、源頼朝と北条政子の別姓は「男女平等の結果」ではなく、「男尊女卑の結果」なのである。
例えば織田信長の本姓は平氏、徳川家康は源氏を自称していた。
しかし、羽柴秀吉は百姓の出身だから、本姓が無い。
その結果、「源平藤橘」の「四姓」が成立して数百年後、第五の本姓として「豊臣」が朝廷から下賜されたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E6%B0%8F 中国や朝鮮の姓は根源に「中華皇帝の下賜」という事があるから、日本の「本姓」に類似しており、その結果「夫婦別姓」なのである。
「名字(家族名)」を「本姓(氏族名)」のように扱う事は根源を忘れた愚行なのだ。
また、例えば「山田花子」の場合、
山田・・・家族名
花子・・・個人名
なのだ。
それを忘れて「家族名」に「個人」を憑依させるのは間違っている。
「ヤンキースの松井」が未だに「ジャイアンツの松井」と名乗るようなものだ。
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足利義政と日野富子は?
98 :
名無しさん@社会人:04/06/22 19:11
夫婦別姓の選択は当事者の夫婦が決めるもので他人に
とやかく言われる筋合いはない。別姓を選択するも
同姓を選択するも当事者の夫婦の自由裁量の範疇である。
問題は生まれてくる子供の姓とその夫婦の死後の墓所の
選定問題である。
99 :
名無しさん@社会人:04/07/05 10:07
夫婦加算姓でもいいじゃんねえ。
ブラジルみたいに、ヤマダ・タナカ・イノウエ・リマ・マルケス・ロナウド・ヨシオ・フィーリョとか
さあ。
100 :
名無しさん@社会人:04/07/07 01:24
よくねえよ!100!
結婚後も旧姓のまま通そうとしたけど
いろいろ手続きとかしてるとイヤでも慣れてきてしまう
>>100 規制で取れなかった…
102 :
名無しさん@社会人:04/09/07 22:25
103 :
名無しさん@社会人:04/09/07 22:43
104 :
名無しさん@社会人:04/10/09 19:10:01
俺は女性の社会進出とか、役割分担の平等化とか、別姓とか、全然反対しない。
どんどん進めるべきだと思うし、事あるごとにそういう発言を身近な人にしている。
ただ、「奥様」「主人」「旦那」等の「言葉」にばかり目くじらを立てる言葉狩りフェミは容認できない。
「妻さん」「夫さん」なんていう珍妙にして怪奇なる言葉を発明してそれを押し付ける。
言語感覚の鈍感さに鳥肌が立つ。文化大革命の紅衛兵みたいだ。
言葉尻だけ捕まえて鬼の首を取ったようにはしゃぐ。おのれの思想に根幹がない空疎さを
枝葉に拘ることでごまかそうとしているだけ。痛々しいったらない。
中国でさえ文革への反省から家内という意味の「内人」などの単語がどんどん復活してる
っていうのにな。いつまでゼンキョートーの論理を引きずるつもりだよ。
制度を変えられない自分の能力不足からくる悔しさを、文化を破壊することで紛らしている
情けないやつら。個人の生活に土足で踏み込んで泥を撒き散らすな。
人間として全く評価できない。正々堂々と地位向上に向けて努力すればいいのに。
こういうのを「女々しい」って言うんだよw
こないだテレビを観ていたら、学校の先生が男子生徒のことを
「○○さん」と呼んでいて、ものすごく違和感を感じた。
いわゆるジェンダーフリー教育とやらでそうなってるんだろうけど。
>>106 先生が女性だとしたらそれで正しい。ジェンダーフリーでもなんでもない。男性だとしたらGFの弊害。
もともと「○○さん」は女が使う。「××君」は男が対等以下の相手に使い、親しくなれば呼び捨てだった。
いずれの場合も相手の性別は問わなかった。
いつからか、女「を」さん付け、男「を」君付けするようになった。話し手ではなく指示対象によって
使い分けるようになったわけだ。その起源は古い。映画『青い山脈』の女生徒とか。ただ、最初のうちは
今の僕女・俺女(一人称にボク・俺を使う)みたいな珍しさがあったのではないかと思う。
土井たか子が衆議院議長になったとき、議員をさん付けで指名した。それ以前は君付けだった。
それまで議長に女性が就任したことがなかったから前例がなかった。議会は一瞬ざわついた。
彼女は革新陣営だが言語感覚は戦前派なのだ。はっきり言って嫌いな女なのだがこの件だけは評価している。
「君」と「さん」を話し手ではなく指示対象によって使い分けるのは、話し手である自分が男であるか女であるかを
会話に織り込む事を放棄しているわけで、これも言語使用における性差の消滅過程の一段階と言える。
ちなみに俺は男の教師だが、教え子を男女を問わず君付けしている。アナクロニズムと
言われるかもしれないが、平気だ。ジェンダーフリーに批判的な諸君にはぜひ実行してもらいたい。
…実は最初にそうした理由は、名簿が男女混合で、男女を名前で区別して呼ぶのが
面倒だったからにすぎないのだが(笑)。
性別どころかなんて読むのかも分からない変わった名前も多いし、性別が別の欄に書いてあってもいちいち見ていられない。
俺の場合、ジェンダーフリーの名簿が「マッチョ」で「アナクロ」な習慣を復活させる契機になったのだから皮肉な話だ。
「一律さん付け」の先生がもし男だったとしても、単に名簿が混合で区別が面倒だからそうしているのかもね。
108 :
名無しさん@社会人:05/03/03 17:19:35
男は女より体力に的に勝る。
これって事実だと思うけどジェンダ−フリ−に反すること?
>>105 言いたいことはわかるが、レッテル貼りのやりすぎで醜い。
それでは相手はますます意固地になり、説得を聞かなくなる。
相手に問題点を自覚して欲しいなら、もっと冷静に説得的に書かないと。
>>108 「ジェンダーとは何か」からまず勉強してこい。
110 :
名無しさん@社会人:05/03/06 02:13:04
>「ジェンダーとは何か」からまず勉強してこい。
お前に命令される覚えない。何様のつもりだ。
111 :
名無しさん@社会人:05/03/06 03:16:14
知ってる人が夫婦別姓やってます。
この前、その人と話していたところ、
「母子家庭扱いだから、お金がもらえてうれしい」とのこと。
行政の方はこういった実情をご存じなのだろうか?
>>110 インターネットにつながる環境なら、「ジェンダー」で検索をかけるとか
オンライン上の国語辞典、カタカナ語辞典、百科事典などにアクセスして
「ジェンダー」を調べれば、
>>108が見当外れもはなはだしいことはすぐにわかる。
そんな程度の努力もせずに放言をするような奴には、命令もしたくなるさ。
>>110 「ジェンダー」ってのは後天的、社会的に与えられる男女の区別だよ。
体力差は先天的だからジェンダーには含まれない。
114 :
名無しさん@社会人:05/03/09 20:34:43
夫婦別姓でもいいだろ。
個人の自由。俺は、結婚するなら、夫婦別姓希望。
子供の苗字は夫婦の苗字の一部を組み合わせてもいい。
墓の問題は難しいが、夫婦別々でいいだろ。
俺は子供は母親の墓でいいと思う。
115 :
真ちゃん:05/03/09 21:04:31
夫婦別姓で、名前すらかえれない人たちが何故結婚するんでしょうか?
それだけ自分の意地を通すなら、結婚生活は厳しいですぞ。
赤の他人が生活してゆくのに、そんなことさえ我慢できないなら無理でしょう。
まして子供ができたら、子供を育てていけるんですかな?
子供は両親のくだらん悩みなんぞ、考えてくれませんよ。
離婚して国から金を貰うんですかい?だだの悪党ですな。
孤児院や母子家庭で育つと、人間的に大きな欠陥になりますよ。
あたりまえですな、友達に両親がいればひがむわな。
116 :
名無しさん@社会人:05/03/09 21:19:55
>夫婦別姓で、名前すらかえれない人たちが何故結婚するんでしょうか?
まず現行法では夫婦別姓では結婚できません。
これが第一の間違い。
>孤児院や母子家庭で育つと、人間的に大きな欠陥になりますよ。
そういうのを偏見と言って、これが第二の間違いです。
人間的に大きな欠陥があるのはあなたです。
>>115 夫婦別姓は主に社会に対しての我慢の問題。
家庭内の我慢とは性質が違う。
そもそも、なんで、「夫婦同姓」が、我慢の対象なの?
あと、
>>115の人が言っていることは、
「夫婦別姓で〜なんで結婚しようとするの?」だよね。
なんで?
>>118 自らの存在の看板である名前を強制的に(形式的には違っても実質的になら)
変えさせられるのを苦痛に思うのがそんなに不思議か?
社会的にも様々な不便がつきまとう。
>>115や
>>118が考えてるより、名字の変更とは苦痛が大きいということ。
名字の統一と結婚はなぜ分離してはならないのか?
それを考えもせずに論点をすりかえてレッテル貼りで人格攻撃をしているようじゃ
いつまでたっても別姓派の反対を抑えることはできないよ。
結婚したいand名字を変えたくない
この二つの価値を同時に持っている人間は、
結婚しないor名字を変える
とどちらにしても苦痛な選択をしなければならなくなる。
夫婦同姓によって守られる価値の正当性がそれに勝てなければ、
非合理な慣習であり変えるべきだというのはそんなに不自然な結論か?
>>119 >名字の統一と結婚はなぜ分離してはならないのか?
名字の統一と結婚は、なぜ分離しなければならないの?
>結婚したいand名字を変えたくない
>この二つの価値を同時に持っている人間は、
>結婚しないor名字を変える
>とどちらにしても苦痛な選択をしなければならなくなる。
あなたが苦痛だと思ったら、国の法律を変えないといけないんですか?
法改正の要求に必要な
「国のシステムを変更するだけの労力を割いてでも、そうしなければならない理由」
は、どこに示されていますか?
>夫婦同姓によって守られる価値の正当性がそれに勝てなければ、
>非合理な慣習であり変えるべきだというのはそんなに不自然な結論か?
短絡的な結論ですね。
どうしても法を変えたいなら、「私が嫌だから」以上の、法改正しなければならない根拠
を出さないといけませんよ。
「私が嫌なものはやめたい」と言えば、それが認められるものだとでも
思っているんですか?
では、「私は、姓そのものが不要だと思いますから、なくしましょう」という人が
いたら、どうしますか?
当然、認めるわけですよね。「名字の変更が不都合である」という、あなたの論法で
いったら。
>>120 >名字の統一と結婚は、なぜ分離しなければならないの?
>「国のシステムを変更するだけの労力を割いてでも、そうしなければならない理由」
そう望む人が少なくなく、その主張に正当性が認められるから。
さらにその方向性は「強制の排除」であり、同性にしたい人間が被害を受けることはないから。
現在の状況からみれば、別姓派の主張は「俺達にも選ぶ権利が欲しい」という
「自分の権利を主張し相手の権利を認める」立場であり、同性派の主張は
「俺達が正しいんだから無理してでも俺達に従え」という「自分の権利は主張するが
相手の権利は認めない」立場となる。これを正当化するには、同性派に相当の優位が必要になる。
これまではその優位を慣習だの有形無形の圧力(一種の権力だね)が保障してきたが、
そういったものは段々通じなくなってきている。
だから、同性派は強力な根拠をもって同性の有用性を立証しないと、
制度の維持の正当性はいずれ認められなくなるだろう、ということ。
同性を維持することがどうしても必要だというならば、それなりの根拠を
示さないといけない。レッテル貼りや人格攻撃、揚げ足取りなんかじゃなく
第三者を説得できるような論理的なものをね。
俺は別に天涯孤独に日本でただ一人夫婦別姓を主張しているわけじゃないんだけどね。
夫婦別姓支持派はそんなに少数なのか?統計は知らないので正確なことは言えないが
そう少なくもないんじゃないかな。
個人的には男だから被害を受ける可能性は少ないと思うし、今の名字にも執着がないので
将来の妻の姓に合わせてみるのも悪くないと思ってるので、自分の利益はほとんどないよ。
>では、「私は、姓そのものが不要だと思いますから、なくしましょう」という人がいたら、どうしますか?
>当然、認めるわけですよね。「名字の変更が不都合である」という、あなたの論法でいったら。
その思想がある程度の広がりを持ち、主張に正当性が認められればそうなる可能性もあるだろう。
こちらも人格攻撃をさせてもらえば、あなたは「これまでの、今の常識」に縛られすぎてて、
「変える」ことに対しての拒否反応が強すぎるように見える。せっかく社会学板にいるんだから、
もっと常識に囚われない、価値相対的な思考をしてみてはどうですかね。
>>121 >別姓派の主張は
>「自分の権利を主張し相手の権利を認める」立場であり、
誤り。
あなたは、「俺が正しいんだから無理してでも俺達に従え(別姓採用が正しいのだから、
それに従え)」という主張をしている。
>だから、同性派は強力な根拠をもって同性の有用性を立証しないと、
>制度の維持の正当性はいずれ認められなくなるだろう、ということ。
>同性を維持することがどうしても必要だというならば、それなりの根拠を
>示さないといけない。レッテル貼りや人格攻撃、揚げ足取りなんかじゃなく
>第三者を説得できるような論理的なものをね。
論法として誤り(完全にあべこべ)。
法律を変更したいというほうが、「システムを変えるために、その労力を割いてでも
どうしても変えなけばならない」という、「第三者を説得できるような論理的なもの」
を示さなければならない。
>>122 > >では、「私は、姓そのものが不要だと思いますから、なくしましょう」という人がいたら、どうしますか?
> >当然、認めるわけですよね。「名字の変更が不都合である」という、あなたの論法でいったら。
>その思想がある程度の広がりを持ち、主張に正当性が認められればそうなる可能性もあるだろう。
なぜ、「そうなる可能性もあるだろう」としか言わないのですか?
あなたの論法でいくと、認めなければならないはずですが。
>こちらも人格攻撃をさせてもらえば、あなたは「これまでの、今の常識」に縛られすぎてて、
>「変える」ことに対しての拒否反応が強すぎるように見える。せっかく社会学板にいるんだから、
>もっと常識に囚われない、価値相対的な思考をしてみてはどうですかね。
いったい、どこに「人格攻撃」があったのだろうか。
それはともかく、あなたは、基本的なことが全くなっていない。
(1)法律を変えるのに、価値相対というものを持ち出しても何の意味もない(何の根拠にも
ならない)。法改正は、必要な根拠が示されなければできない。
(2)法律を変えるには、変えたいという側が、「法改正に労力を割いてでも、どうしても
変えなけばならない」という、「第三者を説得できるような論理的なもの」を示す必要がある。