浅田彰『構造と力』を読もうと思うのですが、 いきなり読んだのでは理解できそうもありません。 どういうことを言っているのですか? ボクに予備知識をください。
なんでそんなもんを読もうとするのか。 まずそこを聞きたい。
それは逆に、ボクが読んだ人に訊きたいです。 なぜ読んだのか。。。
それはなんかおされでかっこよさそうだし 難解なものを知ってるという優越感に浸れるから
ボクも優越感に浸ってみたいです。
>>3 俺は似非インテリに勧められて学部時代に読んだ。
クソだったよ。
というより、昔のスノッブのファッションか。
>6 どういうふうにクソだったんでしょうか?
>>7 覚えてない。
なんつーか、中身がスカスカだったという感覚しか残ってない。
>8 覚えてる方がいるといいんですけど。。。 ボクが読んでも、中身がスカスカなのかどうか 判断できそうにありません。
キャフェバーで、つまり物自体がさあとか デリダ的に言うと郵便の誤配がとかゲーデル問題だねとか いうとかっこいいんだよ。
浅田彰は現象学の系統なのですか? それともポスト構造主義なのですか? 郵便の誤配とゲーデルの関係がわかりません。
>>9 >ボクが読んでも、中身がスカスカなのかどうか
>判断できそうにありません。
前提となる知識を要求するような本ではないよ。
あくまでも「振り」だから。ファッション。分かる?
そこに載ってるような知識があるなら読む必要は無いし、
無いんなら別の真っ当な入門書か原典でも読めってこと。
似非インテリとかスノッブ気取りたいなら、ご自由に。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/12 16:04
皮膚感覚の大切さをうたった本
読んで理解する知識があるなら、 読む必要があるようなことは 何も書かれていないということですか? では、彼は何が言いたかったのでしょう。 真っ当な入門書はどれがいいですか? 『構造と力』を読むのは、似非インテリとかスノッブ だけということですか?
>13 皮膚感覚の大切さとは具体的には?
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :02/03/12 16:14
>15 皮膚感覚の大切さ=自分の感性を信じること
>>14 >読んで理解する知識があるなら、
>読む必要があるようなことは
>何も書かれていないということですか?
だからね、ソシュールとかデリダ(このへんだっけ?)とかが
分かってるなら読む必要がないってこと。
んで、そういう人達が言ってる概念とかが知りたいなら、
もっと別の真っ当な(説明が構造化されてる)本を読めってこと。
要は紹介されてる概念や理論に積み上げる独自のものが全然無いってこと。
>では、彼は何が言いたかったのでしょう。
「俺ってカシコイだろ?!」かな。
あと、お金が欲しかったんでしょう。
>『構造と力』を読むのは、似非インテリとかスノッブだけということですか?
読んでもいいけど、ファッション以外に使いようがないからね。
金と時間の無駄だよ。
まぁ、図書館とかでパラパラっとめくって、
俺が言ってることを確かめてみてはどう?
>真っ当な入門書はどれがいいですか?
だから、君は何が知りたいのさ?
この本ははっきりいって 予備知識がないと絶対理解できない 今の大学生の何割ぐらいが読んで理解できるだろう
おれは10代の頃3ページくらい読んでわからずあまりにつまらなくて やめた でいまは多少わかるようになったがあまりにつまらないので五パージくらいしか読めん
>17 > だからね、ソシュールとかデリダ(このへんだっけ?)とかが > 分かってるなら読む必要がないってこと。 あ、そういうことだったんですか。 > 要は紹介されてる概念や理論に積み上げる独自のものが全然無いってこと。 それでは読んでも意味がなさそうですね。 > だから、君は何が知りたいのさ? 『構造と力』を読むより良いものってなんだろうって。 今のボクのスキルでは原書を読むのは無理なので。。。
>18 「理解する必要がない」のはいいんですけど、 「理解できない」のはいやだなって思います。
>>21 >『構造と力』を読むより良いものってなんだろうって。
>今のボクのスキルでは原書を読むのは無理なので。。。
原書読んでから言ってる?
敬遠したくなる気持ちはわからんでもないが、
案外「古典」と言われてるものはポイントを抑えてて読みやすいもんだぞ。
…ちゅーか、関心の対象は?
社会構造とか、コミュニケーションとか、あるいは認識についてとか、
知りたいことはいろいろあると思うんだけど。
もしかして動機は『幸三と知殻』を読んでカシコクなりたいってこういうこと?
知識のベクトルはひとつじゃないんだよ。
ある程度は関心を明確にして本を読まなくちゃ。
時間は有意義に使えよ。
>23 > 原書読んでから言ってる? > > 敬遠したくなる気持ちはわからんでもないが、 > 案外「古典」と言われてるものはポイントを抑えてて読みやすいもんだぞ。 っていうか、語学力がまったくついていきません。 翻訳ならなんとか。。。 > …ちゅーか、関心の対象は? > 社会構造とか、コミュニケーションとか、あるいは認識についてとか、 > 知りたいことはいろいろあると思うんだけど。 ビンゴです!! 上記のいずれにも関心があります。 それらのものが相互にどのように関係しているのか、 社会学、経済学、哲学、心理学、生理学など、いろんな方向から 自分なりに考えていくことが目標です。 さしあたっては、認識と社会構造について参考になるようなものを と思ってます。
>25 > 認識と社会構造ねぇ…… > 『クロニクル社会学』でもざっと読んでおいたら? 一応社会学ってことで。 おおーー! ありがとうございます。 すごく面白そうです。 早速購入します! ただ、だんだんスレタイトルと違う内容になってきました。 すいません。(^_^;) でも、非常に参考になります。 マジ感謝ッス。
>27 サイトの紹介、ありがとうございます。 逝ってきました。 なるほど。。。 浅田彰という人は、インテリの代名詞化してるわけですね。 そのインテリの代表の間違いを指摘したり、批判したりすることで、 暗に、自分も浅田に劣らないインテリであるということを 言いたいわけですね。 >12 さんが、ファッションだと言っていたのが 分かるような気がします。 ポスト・モダン = ニュー・アカ = ファッション ですものね。 参考になりました。
そうじゃないぞー。 クライン話しはさておき、27の「構造と力」のまとめはよくできているということ。理解したいんなら、あそこに書いてあることくらいは理解しと けっつーの。 ファッションだからダメとかいいとか、そんなレベルの話しかできない ようじゃお先真っ暗ダゾ。
>>29 目指すベクトルが違うって言う結論でもいいじゃん。別に。
「あれくらい」とか、別にどうでもいいと思うけど。何の役に立つわけでもなし。
初学者煽ってどうすんの?
構造と か
あれだけ余技(現代思想ごっこ)で有名なのに本業(経済学)では無名、つーか無能。
そういや今何やってんのかなと思って見たら、数量産業分析研究部門にいるらしい。 「お、数理できんのか」と思ってよく見たら「経済哲学」だって。プ。 行く所なくて佐和先生に引き取ってもらったのね。
>32 なぜ有名になったのでしょう?
>35 五十のおっさんが書いても 誰も注目しないってことですね。
>>33 確か経済研究所が便覧を発行してて、その中に浅田君の
研究計画書があってみてみると、環境経済学だとか散逸
構造論とか好き勝手書いてた。ありゃハナから研究する
気ないなw
取りあえず、浅田くらい無能なやつはいないってこと。 浅田が廣松渉氏の『世界の共同主観的存在構造』について やけに単純なことを嵩上げして書いているとかって言って るけど、『構造と力』も同じね。
一回本気になってほんかいてほしいが どうせろくなもんかけないだろう オリジナルのアイディアがそもそも無い
とりあえずおめーらもそんだけ本売ってみな
浅田彰ゼミに入れる条件 1.英語・フラ語・ドイ語が完璧にできる 2.哲学ができる(現代思想に影響ある人の本は読んでる、知ってる) 3.経済で論文書ける 今まで一人もいないそうな・・・・ 当たり前だけど。
>>41 だって、浅田もその条件3を満たさないしねw
>社会学、経済学、哲学、心理学、生理学など、いろんな方向から >自分なりに考えていくことが目標です。 別にいますぐ直接なんかの役に立てたいってわけじゃないんでしょう? なら『構造と力』読んでみれば? あれは、歴史的、事実的データを扱ってるわけじゃなくて、 理念型を提出してしんぜよう、っていうのだから。 あと、読んでスノッブになるかどうかは、基本的に自己責任でやった ほうがいいです。それは初学者、否、は関係なくね。 一応そんなの(スノッブ、ファッション)に対する警戒心はあるわけでしょう? 批判的に読みたいってのもあるわけだよね? そういう人こそ何か得るモノがあるかもよー(どうかな・・・
44 :
タンク・タンクロー :02/03/15 22:28
浅田彰の『構造と力』の凄い所: あの時期(初版1983年だが、初出は1981-1983年)に、 あの歳(1957年生まれの浅田は1981-1983年当時24-26歳)で、 専門の経済学とは直接関係ない、 骨のある(ポスト)構造主義系著作を英独仏の原書で大量に読み、 しかもそれら知の潮流を明快に整理した、という所。 今見たらアラも瑕疵もあるし、新鮮さもあまりないが、それは今 見るから。オリジナリティ?それをあの本に期待するのは筋違い。
45 :
タンク・タンクロー :02/03/15 22:31
浅田の京大生の頃の逸話は多いが、図書館の中で大量に英独仏の思想書や専門書を 床に積み上げて、そのなかに埋もれるようにしてひとり本を読んでいた、というのを 同時期京大にいた知人から聞いた事がある。 近所の書店で立ち読みしてるときは、決まって少女漫画だったとも(藁)。
>>1 >覚えてる方がいるといいんですけど。。。
>ボクが読んでも、中身がスカスカなのかどうか
>判断できそうにありません。
いま『構造と力』もってないんだけどね、一応覚えてる部分を要約すると
最初は、有機体と環境についての超簡単なサーヴェイ。
それから、動物と人間を比較した、これまた超簡単なサーヴェイ。
動物が生まれながら、一定のシグナルに従って、一定方向の欲求を示す(本能を
持つ)のに対して、人間はそれが著しく欠ける。そのためヒトは、シンボルないし
シーニュを交換する、と・・・。
47 :
46のつづき :02/03/15 23:16
そのとき、コミュニケーションや価値の相対化を可能にする絶対的原点(ゼロ 記号)がいかにして形成されるかを論じてた(ハズ・・・)。 後半は(こっからさらに記憶があいまいになるけど)流通論と歴史の話。 ん?管理システムだっけ?たしか近代化におけるイデオロギー装置や、その ゼロ記号が貨幣として流通するのでさまざまなシステムを飲み込むと・・・。 終わりのほうは砂漠がどうのとか軽やかに生きよとか・・・ いずれにしろ挑発的なパッセージは脇へ置いといて、注釈にある本を整理する と勉強に役立つかもよ。例えばヴァイツゼッカーってヒトがでてきたら認知 心理学の講座のシリーズを読んでみるとか。
それにしても君(=1)はマジレスすんのが怖いくらい丁寧だな。実は 『構造と力』とかとっくに理解していて、このスレで見切ったこと言うヤツ とか、適当な浅田バッシングしてるヤツをあとで叩くつもりじゃないだろうな(ワラ)
本当に厳密な説明が欲しければまず大澤真幸、 そこから先は哲学と生理学を対比させつつ考えていくのをおすすめします。
耳はこのスレに乱入できるだけの力はあるかな?
>骨のある(ポスト)構造主義系著作を英独仏の原書で大量に読み、 >しかもそれら知の潮流を明快に整理した、という所。 それが何なの?藁
52 :
タンク・タンクロー :02/03/16 00:35
>>51 年齢的に修士課程そこそこで、専門以外にそこまでできる人は非常
に稀だと言う事です。藁と書いているところを見ると、貴方はその
程度のことはとっくに御出来になるのでしょうが。
>>51 浅田彰がいなければ失業していたような学生・院生であっても、とりあえず
食い扶持に困らないような況がうまれた、ってことだよ。
>>52 でも浅田君は専門である筈の経済学をちゃんとやってなかったからなぁ(藁
それなら専門の経済学のほうで然るべき貢献をする方が偉いとは思わないかね?
オレはそっちの方が偉いと思うぞ。
55 :
タンク・タンクロー :02/03/16 00:43
>>54 専門が手抜きでもDに進学するくらいのことはできていますよね。
それ以上に、例え専門まったく放棄したとしても、24やそこらで
あそこまでできる人がかつていたでしょうか?
>>55 でも、あれってサーベイだよ。人文系ってあれくらいやらないの?
オレは工学だが、当然先人の研究のサーベイはもちろんオリジナルな
貢献が必要だし、それは社会科学系でも同じでしょ。確かに大した
ことのない奴がDに進学するケースはママあるが、彼は放棄したはずの
専門で「研究者」と自称して研究所に居座ってるからね。嘲笑したく
なるね。
若いころを比べるんだったら、浅田より佐和隆光の方がすごいよ。
>>56 そう、やらない。整理がうまければいいの。
日本の社会科学なんてそんなものです。
>>5 へぇ。でも彼の専門って数理経済学とゲーム理論でしょ?
このあたりの分野は数学者も参入してるし、オリジナルな
成果が求められるぞ。彼は若いころゲーム理論が専門だと
嘯いてたけど、彼の若いころが同じくらいのころの東大の
ゲーム理論家の神取氏や同僚のゲーム理論家の岡田氏より
すごいとは露ほど思わないけどね。
61 :
タンク・タンクロー :02/03/16 00:59
>>56 浅田の専門についてはスレ違いなので触れませんが(まあでも仰る通りかも)、
社会科学系でも先行研究のレビューは当然しないと相手にされません。
ただ、浅田がレビューした文献と言うのは、当時は哲学や精神医学等の専門家
でも手に余るような晦渋なシロモノで、当時の日本国内においては、レビュー
や紹介すらまともになされていませんでした(『エクリ』の邦訳とか最悪)。
しかも(ポスト)構造主義の論客と目された人々の専門はバラバラで、特定の
専門しか詳しくない一個人がレビューして見取り図を付けると言うのは至難の業
だったのです。今見ればいろいろ問題もあるでしょうが、修士課程そこそこの
浅田が、当時それを曲がりなりにもやったというのはやはりすごいことだと
思います。
あとオレから見て、『構造と力』なんていう変哲のない単なるサーベイ が凄い功績なんだとしたら、(日本の)人文系は学問でないと断定せざる を得ないね(ま、それでいいんだろうけど)。
63 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:04
>>62 まあそう言わずに、貴方が納得するような他の(人文/社会科学系の)研究者の
業績が他にあるかも知れませんし、人文/社会科学の専門家の中には浅田に批判
的な人も少なくないので、「浅田だめ=日本の人文系だめ」という短絡は留保し
ておいたほうがいいでしょう、
>62 「変哲のない単なるサーベイ」 というからには、原典ちゃんと読んでるんだろうな?(w 眼が高くて手が低いというのの典型だな(w
>>63 でも学問というのは小さくても何らかの知見を与すべきであって、人の
生産した知識を整理しただけのが凄いと持て囃すのは(それが幾ら一介の
修士の学生がやったとはいえ)学問として存立していないという直観が
働くのですが。よろしゅうおまっか?
>>64 専門とするんだったらあれぐらいは読むんでしょ?
サーベイがこんなに高く評価される分野があるなんて
目から鱗だよ。要は外国語能力と文献渉猟能力だけじゃんw
必要なのはw
67 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:11
>>65 当時誰もやらなかった/できなかった(ポスト)構造主義の見取り図を
簡単であれ示した、というのは「新しい知見」だと思います。
整理しただけ、といいますが、それがあの本までほとんど誰もできなか
ったのですから、そういう作業自体意義があると思いますよ。
あと、見取り図というのは一意的に決まるものではありませ
んから、彼なりの解釈がそこに入っているともいえる訳です。
68 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:13
>>66 横レス失礼します。
>要は外国語能力と文献渉猟能力だけじゃんw
>必要なのはw
引用元著作の理解力も必要です。残念ながら研究者であれば誰でも
あの手の本を読んで理解できると言うわけではありませんし。
>>67 でも浅田君自身はチャート式参考書だなんていってるよ。
つまりは、単なる参考書に過ぎないと。オレはあなたが
浅田君を買い被りすぎてるとしか思えないけど。そんな
に浅田君に凄い人であってほしいという貴方の動機のほ
うに興味があるなぁ
70 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:20
>>69 チャート式参考書、というのは皮肉じゃないですか(笑)。
あと、私自身は『構造と力』の内容それ自体には興味ありません。
「以後」の彼についてもまったく興味ありません。
ただ、あの若さでああいう事をやった、その力量は見上げたものだと
思っています。私が『構造と力』を評価するのは、そういう外在的
なものです。
すいません。あと少し質問いいですか?何か信じがたい発言ばかり続くので(w >引用元著作の理解力も必要です。残念ながら研究者であれば誰でも >あの手の本を読んで理解できると言うわけではありませんし。 そうそう。人の研究を理解する能力は必要だ。しかし、それは研究者の 必要条件でしかないと思うけど。(日本の)人文系はそうした必要条件 すら満たしていない人が「研究者」として飯を食えていけてるのですか?
72 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:24
単なる参考書でも、いろいろあるのです。
あの時点では皆無に等しかった「単なる参考書」をあの若さで作ったこと、
それは評価できることだと思います。
>>69 さんは、『構造〜』の引用元本を原書で見てみたらいいですよ。
修士の院生であの本書けたというのはやはり驚きです。
引用元の著作の分量と言い、内容理解と言い。
>>70 >チャート式参考書、というのは皮肉じゃないですか(笑)。
うーむ、ますますもって浅田君を持ち上げたい貴方の動機を伺いたい。
別に浅田君が研究能力が無いからって、貴方が困るわけではないでしょーに(w
74 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:29
>>71 見取り図の構築自体が困難な場合、見取り図の構築はそれ自体、くだんの
分野において説明能力の増大をもたらすと思います。
また、浅田にしても他の人文/社会科学の研究者にしても、単なるレビュー
のみで業績を作っている訳ではないでしょう。そういった人々もいるには
いますが、当然のこととして、研究者としては相手にはされません。
また、人文/社会科学系の学問には文献学的な分野も必要である訳です。
例えばマルクス資本論の解釈なんて、いまだに続いているではないですか。
>>72 >引用元の著作の分量と言い、内容理解と言い。
内容の理解についてそこまで判定できるのなら、貴方は既に(少なくとも)
浅田君の能力と同等のものをもっていると素人なら考えるけど、違う?
76 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:33
>>73 >うーむ、ますますもって浅田君を持ち上げたい貴方の動機を伺いたい。
「持ち上げる」というのが適切な言い方かどうかはおきますが、
1)それまで見られなかった分野横断的な思潮の整理を独力で行った
2)その道の専門家でも理解が困難な諸著作の、原書での大量な読解
3)修士課程そこそこの年齢で1と2とを行った
以上です。また、これだけです。
77 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:36
>>75 『構造〜』が書かれた当時と現在では20年ほどの時間の隔たりがあります。
『構造〜』以後、各専門分野において、『構造〜』のフォローや批判が
行われたと記憶しています。その上での私の発言です。
あなたこそ、「単なるサーベイ」と仰るからには、原典の理解が必要ですよね?
>また、人文/社会科学系の学問には文献学的な分野も必要である訳です。 >例えばマルクス資本論の解釈なんて、いまだに続いているではないですか。 訓子学ってやつ?あれなら、まだ森嶋通夫の方法論の方が理に適ってるよ。 そう思わない?
79 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:38
80 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:41
文献学にも是非はありますが、現状では人文/社会科学系で広く 行われていることだと認識しています。マルクスに至っては、 哲学、経済学、社会学等々から横断的に攻めてゆく必要があるとも 思うので、経済学的には森嶋で良くとも、ということだと思います。
>あなたこそ、「単なるサーベイ」と仰るからには、原典の理解が必要ですよね? じゃあ、「優秀なサーベイ」とでも言い直したらいいかい?まぁ、そういう瑣末 な問題はおいといて、サーベイは何を言おうとサーベイであるってことね。やっぱ オリジナルな研究には適わない。400本の論文や著作を読んで良質にサーベイを 生産するよりは数本の論文で新たな知識を生産したほうが学問的見地から「偉い」 とは思わない?そりゃ、サーベイは他人には喜ばれるものだけど、それだけだと 言う感じ。
82 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:43
ちょっとスレの趣旨からずれてきたようですね。 『構造〜』の内在的評価などが後に続くといいですね。
>>80 なるほど、多角な方法論から接近するということね。そこは納得しました。
文献学的な方法が無用かどうかは到底判断できないけど(しかし、効率的
とはいえない気がする)。
84 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:46
>>81 同意します。ただ、サーベイすら困難なケースが人文/社会科学系
にはあったりするということです。加えて、「サーベイ」と「オリ
ジナル」の峻別自体も再帰的に問題にしないといけないでしょう。
そういう峻別がどこまで意義があり、可能なのかも含めて。
とまれ、心情的には
>>81 に賛成します。
ちょっとずれて来たので、確認しておくと、『構造と力』というのは 「一介の修士学生」が判読不能な文献を含む欧米の先端研究を独力で 整理し、見通しを与えたところに価値があるってことですか? ふ−む、これってサーベイを修士の学生がやったかどうかに決定的に 依存している気がするけど。。。まぁ、いいや。人文系はサーベイか いてれば研究者として(日本では)巣立っていけるってことだね。 なんか、楽そうでいいなぁ、というのが率直な感想でーす。
86 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:54
>>85 >ふ−む、これってサーベイを修士の学生がやったかどうかに決定的に
>依存している気がするけど。。。
当時、日本の研究者に『構造〜』のようなレビューを書く力はなかった
と思います。世界的に見てもそうだと思います。そういう至難の業を
するだけでも見上げたものであるのに、「やった」のが院生であった、
ということで更に驚かされた、ということだと思います。
87 :
タンク・タンクロー :02/03/16 01:57
>>85 >なんか、楽そうでいいなぁ、というのが率直な感想でーす。
貴方がそう仰るのですから、貴方にとっては確かにそうなのでしょう。
>>84 ええっと「オリジナル」な研究っていうのは、まぁ色々あるとは思うけど、
まぁ「脱構築」や「シニフィアン」なんかの新たな概念を提示することや
レヴィ=ストロースみたくフィールドワークをやったりすることかな。
『悲しき熱帯』なんて滅茶苦茶オリジナルな研究だと断言できるけど。
しばらく寝てたら、浅田は偉いかどうかみたいなの話にまたなってる・・・。 『構造と力』の話って内容の議論よりも、必ずそういう方向にいくな・・・。
中身ないんだからしょうがない。
>>46 >>47 上記の補足。なんかちょっと思い出してきた。中盤のほうでは、構造化されえぬ
残余の噴出が、システムの改変を要求したり歴史を動かすって考えはちょっと
アブナイのでやめましょう、って話があった。いずれヘーゲルになるし、ヒトラー
の本が商品として流通する社会でそんなコト言ってもさぁ、みたいな。
あと、貨幣がバンバン流通するようになると人間の欲動(決まった方向を持った
「欲求」と区別するためにこう呼ばれる)は息せき切って貨幣の蓄積という方向
に向かう(岩井の不均衡累積過程だっけ?)と。
>>43 すいません。初心者なので質問です。論理が飛躍していると思われるので。
貨幣の流通速度が上昇すると、主体が守銭奴のごとく蓄積の方へ向かうと
いう説明をなさっていますが、なぜそれが即座に不均衡累積過程へとつな
がるのでしょう?それは財を売るために各生産主体が価格を一斉に下降せ
しめたが故に相対価格が一定となるため、人々の需要行動は変化せず、市
場は不均衡を孕んだまま推移していくということでしょうか?
>>43 あと、ゼロ記号としての貨幣が流通する際の理論的根拠として、ヴィクセルの
言うところの欲求の二重の一致の解消手段として「貨幣の交換価値」つまりは
「一般的受容性」があります。それを岩井さんを嚆矢として清滝信宏やランダ
ール・ライトによるサーチ理論アプローチがとみに世界的に有名です。そうした
理論的接近と浅田氏との見解にどのような一致があり、また差異乃至は矛盾が
あると考えるのか忌憚の無いご意見お願いします。
>>92 >>93 WOWOW!!だからそういうのを僕も聞きたいんですよ、浅田氏に。
(浅田に聞いても「それは死んだG・Dに聞け!」と言われる?)
ちなみに『構造と力』を読んだのは、だいぶ前なので「こんな
ことを書いてたかなー」って程度です。1が覚えてる人いますか?
と言うので
>>9 あなたは経済学の学徒さん?サーチ理論って何ですか?
そーゆー話がしたかったんですよ!
>>92 >>93 えーとバイト中ですがマジレスします。当時は記号論を、マルクスの
価値形態論を参照しながらアナロジカルに読む、ということが浅田氏
の大きな関心のひとつだったハズです。が、浅田氏は92、93の
ような話は精密にはしてくれてなかったハズです。どちらかというと
人間の欲動が、近代においてどのように整流されていくかを、G・Dたち
のフロイト批判をふまえながら論じるという格好。それで「近代資本主義
はパラノ・ドライヴ(不均衡累積過程)であり・・・」みたいなことが
いきなりでてきたと思うんですよ、突如として・・・。だから貨幣の流通
速度があがるとってゆうより、近代資本主義の一般的傾向として浅田氏が
用語をひっぱって来ただけかもしれませんねー。前の表現がおかしかった
のでごめん。
あと岩井と柄谷との「マルクス・貨幣・言語」とゆーう共同討議のなかで、
浅田氏が簡単なレポートをだしてたと思うんですけど、その討議も煮え切ら
ない感じでした。
なんかイチイチあいまいな記憶でごめんなさいねー。
あと93のような話は、概観としてどのような本を参照すればいいです?
もちろん入手できるモノで。1も知りたいと思います。
>>92 >>93 とゆーか、『構造と力』は経済学の本じゃないですし。43さんの言ってるように
価値形態論と記号論をアナロジカルに読むのなら、他にも論理の飛躍はいろいろ
あるはずですよ。それにしても初心者って何の初心者さん?
>すいません。初心者なので質問です。論理が飛躍していると思われるので。 >貨幣の流通速度が上昇すると、主体が守銭奴のごとく蓄積の方へ向かうと >いう説明をなさっていますが、なぜそれが即座に不均衡累積過程へとつな >がるのでしょう?それは財を売るために各生産主体が価格を一斉に下降せ >しめたが故に相対価格が一定となるため、人々の需要行動は変化せず、市 >場は不均衡を孕んだまま推移していくということでしょうか? 多分そうだよ。。。フフフ。
すいません、いきなりたくさんのレスがついたので 亀レスになってしまいました。(^_^;) >43 > 一応そんなの(スノッブ、ファッション)に対する警戒心はあるわけでしょう? 警戒心というか、それが目的ではないということは言えます。 > そういう人こそ何か得るモノがあるかもよー(どうかな・・・ 内容が理解できさえすれば、それに対する自分の考えも明確になるので、 なにかしら得るものはあると思います。 >46,>47 > いま『構造と力』もってないんだけどね、一応覚えてる部分を要約すると 参考になりました! ありがとうございます! >48 > それにしても君(=1)はマジレスすんのが怖いくらい丁寧だな。実は > 『構造と力』とかとっくに理解していて、このスレで見切ったこと言うヤツ > とか、適当な浅田バッシングしてるヤツをあとで叩くつもりじゃないだろうな(ワラ) はは、まさか。(^_^;) およそそういう能力は持ち合わせておりませんが、 >48 さんがそのような考えに至る想像力を どのようにして培っておられるのですか?
>44 > 骨のある(ポスト)構造主義系著作を英独仏の原書で大量に読み、 > しかもそれら知の潮流を明快に整理した、という所。 西欧と日本では、基本的に概念や考え方が違うために、 原書で読まないと真に理解することは難しいという話は よく聞きます。 ボクなんかは、日本人が書いた「解説書」を読むぐらいが せいいっぱいなので。。。(^_^;) でも、翻訳ぐらいには挑戦してみようと思います。
>49 > そこから先は哲学と生理学を対比させつつ考えていくのをおすすめします。 これから勉強していきたいと思います。
>94 > ちなみに『構造と力』を読んだのは、だいぶ前なので「こんな > ことを書いてたかなー」って程度です。1が覚えてる人いますか? > と言うので ボクにはじゅうぶん参考になりました。 いろんなテーマが出てくると、より参考になります。 >95 > あと93のような話は、概観としてどのような本を参照すればいいです? > もちろん入手できるモノで。1も知りたいと思います。 はい、知りたいです。 ただ、ボクにはサーチ理論なんて全然分かりませんし、 そもそも、それが説明する市場モデルを イメージすることすらできませんので、 できれば初学者向きのやつを。。。(^_^;)
>25 そうそう、 『クロニクル社会学』 届きました。 これから読みます。(^o^)
サーベイ云々の話でいえば、理工系に比べて人文系のサーベイは格段に難しい。 まず、対象を設定するところから自力で行わなければならない。同じ○○学、 ○○論を標榜していても全く違ったフィールドで研究が進んでいる場合もある。 人文系には当然、最低限の「必要」文献はあるけどここまで見ておけば大丈夫 という「十分」な範囲というのは実際上規定できない。 また、書誌情報の整備も遅れていて、どこにどんな文献があるのか、それを見つ けるだけでも一苦労なんだよ。JOISの人文版なんかできるとありがたいけど、 まあ無理だわね。
とりあえず大学に関する議論は中々オモシロイ。
私の専門は数理生物学ですが、個人的関心から経済学にも触手を伸ばしてきました。
それで、浅田氏が『構造と力』で展開したような社会学(?)的アプローチに関して
初心者なので色々と教えを請いたいと思ったわけです。
サーチ理論ですが貨幣経済の文脈で言うと、ルベーグ測度0の個人が多様に存在し
てそこにおいては多様の嗜好を持っているとして、また財の数も多様にあるとしま
す。そこで各期においてお互いの主体がランダムマッチングで出会い財の交換をす
るかどうかを決定します(つまり非ワルラス経済で、相手に出会う確率はポアソン
到着率に従います)。その際、貨幣が存在しないと財の交換が行われることは欲求
の二重の一致が解消されたとみなします。あと、色々貨幣の保有コストだとか、取
引費用だとか存在しますが、まぁエッセンスは上記のとおりです。それで、貨幣が
流通するという均衡が存在するための必要十分条件を求めたりするのが一つの研究
目的でしょうか。ちょっとスペースの都合上端折りすぎて誤解を与える部分もある
かと思いますが、詳しくは清滝=ライト(1989、1991、1993)を見て
ください。あと教科書としてサージェントというマクロ経済学者の書いた2000
年の本の22章か23章(どちらか今は記憶が定かではありませんが)をご参照く
ださい。
サーチ理論を使った貨幣論における岩井さんの論文は以下から入手できます。
ttp://www.e.u-tokyo.ac.jp/cirje/research/dp/97/f37/dp.pdf
私の専門は数理生物学ですが、個人的関心から経済学にも触手を伸ばしてきました。
それで、浅田氏が『構造と力』で展開したような社会学(?)的アプローチに関して
初心者なので色々と教えを請いたいと思ったわけです。
サーチ理論ですが貨幣経済の文脈で言うと、ルベーグ測度0の個人が多様に存在し
てそこにおいては多様の嗜好を持っているとして、また財の数も多様にあるとしま
す。そこで各期においてお互いの主体がランダムマッチングで出会い財の交換をす
るかどうかを決定します(つまり非ワルラス経済で、相手に出会う確率はポアソン
到着率に従います)。その際、貨幣が存在しないと財の交換が行われることは欲求
の二重の一致が解消されたとみなします。あと、色々貨幣の保有コストだとか、取
引費用だとか存在しますが、まぁエッセンスは上記のとおりです。それで、貨幣が
流通するという均衡が存在するための必要十分条件を求めたりするのが一つの研究
目的でしょうか。ちょっとスペースの都合上端折りすぎて誤解を与える部分もある
かと思いますが、詳しくは清滝=ライト(1989、1991、1993)を見て
ください。あと教科書としてサージェントというマクロ経済学者の書いた2000
年の本の22章か23章(どちらか今は記憶が定かではありませんが)をご参照く
ださい。
サーチ理論を使った貨幣論における岩井さんの論文は以下から入手できます。
ttp://www.e.u-tokyo.ac.jp/cirje/research/dp/97/f37/dp.pdf
浅田彰って難解すぎるんだけど。 せめて東くらい平易に記述してほしいんだが。
「構造」と「力」の話って重要なの?
構造がドクサやパラダイムと同じなのはどうして?
>>111 ドクサって具体的になんなんですか?
色眼鏡って言わずに誰か教えてくれ
>>111 ちなみに何が「構造」で、何が「パラダイム」だと思ってます?
誰か教えてー!
教えろ、コラ
>>113 パラダイム=ドクサ=おくけん=色眼鏡
という感じはわかるんだけど、
構造って差異の体系(象徴秩序)のことじゃないのかな。
社会構造を、 「社会の差異の体系(象徴秩序)」っていうと、 意味が伝わりにくくなるよ。
社会構造を、 「社会における差異の体系(象徴秩序)」っといっても、 意味が伝わりにくいよ。
age
>>12 ドクサ=教義ですね。
ちなみに、パラダイムはクーンに沿った正しい意味で用いれば研究指針のこと。
つまり、構造というものは人々の認識枠組みも規定するから、その枠組みのうちに
留まっている限りは、枠組みは「正しい」ものだと見做されるけれども、一度その枠
組みから外れてみると、あたかも何の根拠もなくただ儀礼であるからといった理由
によってのみ儀礼を継続して行う宗教と、その社会の認識枠組みは変わらないよう
に見える。したがって、構造とはドクサとも言えるのだ、ということになる。
121 :
エピステーメーって恥ずかしい :02/03/22 20:07
>>120 構造=認識系ってつながりもない?
フーコー路線でいくと。だからパラダイム=構造といえなくもない?
結論 パラダイムは構造の一種です。
パラダイムがシフトするのはどうして?
シラケつつノリ、ノリつつシラケることの正当性が 序文に書かれてると思うんだけど、なんでそれがいいの?
125 :
utssti :02/03/24 15:03
>シラケつつノリ、ノリつつシラケることの正当性が 序文に書かれてると思うんだけど、なんでそれがいいの? 既成の価値なんていうものはこの日本などのような国では、 全てお金なる第三項により、価値設定されてしまい、 お金狂い(マネーの虎のように)になるしかないので、 そこまでお金お金と言いたくも無い、という価値規範を持つに至った 人間には、まぁ 多少はお金で価値設定される事もやってお金を稼ぐか、と シラケつつ、仕事し(ノリ)、もらったお金を見て、別にお金が全てじゃあ ないと思うんだけどねといいながら空を見上げる(シラケる)というカンジで しょう。多分。
来年大学に入学するにあたって、それなりの知識を補填するため に『構造と力』を解読する作業に勤しんでいます。物凄く基本的 な事柄について、1章に散見される「EXCE^{'}S」とは何でしょう か?皆目検討もつかずほとほと困り果てています。これまで小生 の読んだ哲学書といえばショーペンハウアーの『意思と表象とし ての世界』のみで基礎知識不足なのは十全に承知の上での愚問 だと心得ておりますが、どなたか明解な回答を宜しくお願い申し 上げます。
127 :
通りすがり :02/03/24 21:06
>>126 「過剰」じゃないですか?
ホントに入学生?
>>126 著者がどういう意味で使ってるのか知りたいの?
たんに語の意味なら126じゃない?
回答ありがとうございます。が、私の設問が悪かったため 求めていた回答を得ることが出来ませんでしたので、再度 厳密に問い直します。1章に散見される「EXCE^{'}S」とは 何でしょうか?つまり、著者はなぜそのような単語を摂取 し、説明の迂回路をとったのか、またその究極的な動機を しりたいと思い質問しました。単なる着想の解説であるな らば「過剰」ないしは「ズレ」とすればよいものの、わざ わざ「EXCE^{'}S」と措定したからには某かの意図を推察せ ずにはいられません。それは審美的な側面からなのか?もし くは衒学的な側面からなのか?以上です。宜しくお願いも申 し上げます。
132 :
utssti :02/03/24 23:46
>>131 著者にとってみればどんな言葉を使っても全く大差ない
(むしろ、そういうところにこだわる事こそ回路付けられている)
ものでしょう。多分。審美的と言われればそうなのかもしれません。
僕もまだまだですのであの本の真の意図並びに
わかってくれる奴だけ解ればいいというスタイルで書かれたあの本に
いかなる真意があるのかはいまだつかめていないのですが。
ただ、アンチオイディプスの冒頭が「Ca〜」とかで始まっているから
それにシラケながら似せたんじゃないですか?
大変示唆に富む有益な御意見有り難うございます。確かに 浅田氏はあの本については、もはや老害としか形容しよう のない筑紫哲也との対談において、マニュアルとしての出 来はよくないとブルジョア的自信に満ちた謙遜を示してい るところからも意図の幾許かを汲み取ることができると思 いました。単なる審美的(またそれはペダントリーと裏表 を成すものかもしれませんが)レトリックと解せばすべて 合点がいきますし、またそのような解釈しか許さないテキ スト性に満ちたものとなっていると思いました。
慧眼なるスレッド住人の皆様へまた質問致します。今度の質問は 一見すると極めて外在的・非本質的な質問かもしれませんが、案 外こうした基点から読解への足掛かりを掴めるものと思いお尋ね 致します。浅田氏は「構造と力」に所収されてある論考を準備し ている途上に「アルチュセール派イデオロギー論の再検討」と題 する刺戟的な論文を発表しております。それは、簡潔にはアルチュ セールの「イデオロギーと国歌のイデオロギー装置」を叩き台に、 アルチュセール派の転回に対する高次の検討(つまり従来の科学 認識論的位相から政治哲学的位相への転回という認識に鉄鎚を喰 らわせるもの)、テクストの分析と批判に充てられている当時と しては興味深い稿です。それで問題として、このような目を見張 る論考がなぜ『構造と力』という人類の叡智の結集ともいうべき 書の中に収められていないのか。この点が大変気になっております。 それは単純な理由では済まされない深遠な理由があるとしか思えま せん。個人的にはこの論考を廣松的なマルクス史観との座標軸で捕 らえ直すと新たな着想を与すことが可能なのではないかと目論んで おります。
どうでもいいけど、改行しろや、ボク。 それと、自己満足のカキコは早いところやめるようにしろ。
>>135 大変貴重な御見解有り難うございます。しかしながら、一言忌憚なく
反論させていただきます。自己満足ということですが、私自身極めて
自己不満足な状況です。なぜなら、『構造と力』を読むにつけ判然と
しない箇所があまりにも多くあるからで、先に読んだショーペンハウ
アーとの違いに唖然とさせられました。しかし、自分が分からないの
は修行の乏しさに起因していると判断し、皆様の助けを自己不満を孕
みつつ願い出ている次第です。
>浅田氏は「構造と力」に所収されてある論考を準備し >ている途上に「アルチュセール派イデオロギー論の再検討」と題 >する刺戟的な論文を発表しております。 どこで読めるの?
>『構造と力』という人類の叡智の結集 何いってんの? あれは若き秀才asadaくんの高踏的な趣味・道楽・ファッションだよ。 しかも、もう流行遅れ。。。
>>137 「アルチュセール派イデオロギー論の再検討」は「思想」(岩波書店)707号、1983年
に所収されております。恐らく少しばかり蔵書の豊かな図書館か人文系
の研究機関を備える大学の図書館で容易に見つけだすことができる雑誌
だと思います。
>>138 ありがとうございます。浅田氏は『批評空間』という雑誌の編集主幹を
務めていますが、あそこに出ている論文の現在の評価はどのようなもの
でしょうか?それも単なる流行遅れの高踏的趣味の産物に過ぎないので
しょうか?
140 :
utssti :02/03/25 01:47
>単なる審美的(またそれはペダントリーと裏表 を成すものかもしれませんが)レトリックと解せばすべて 合点がいきますし、またそのような解釈しか許さないテキ スト性に満ちたものとなっている 少なくとも1980年代に生まれた人間にとっては あの本に書かれている記号論的二元論から、皆の一致の元にある一つの モノを排除する第三項的考え、そしてそれまでもが解体され後戻りが 出来ないという整理付けは見事だったと思うのですが。 色々軽薄だとかも昔から言われてきたようですが、いいと思います(笑) >アルチュセール派イデオロギー論の再検討」と題 する刺戟的な論文を発表しております。 アルチュセールなら今村仁司さんがいらっしゃるので、そちらの本を 参考にされてもいいのではないでしょうか。 (暴力のオントロギーは良いと思います) 今村氏と浅田氏は逃走論でも対談してます。
>浅田氏は『批評空間』という雑誌の編集主幹を 務めていますが、あそこ >に出ている論文の現在の評価はどのようなもの でしょうか?それも単なる >流行遅れの高踏的趣味の産物に過ぎないので しょうか? 浅田氏は、哲学・思想に関しては、たんなる整理屋に過ぎないと思います。 優秀な整理屋だと思いますが。そのへんは本人が一番自覚してるんじゃない んですかねぇ。 氏がやっている現代アートやハイカルチャーに対する言及は、何の足しにも なってないって人が圧倒的ではないかと思います。ただ興味のある人が知見 を増やす為の手引きのように用いるのではないですか?つまり生産的(足し になる)ではないと。
>個人的にはこの論考を廣松的なマルクス史観との座標軸で捕 >らえ直すと新たな着想を与すことが可能なのではないかと目論んで >おります。 これで哲学書はしょうぺんはうあーしか読んだことないだぁ〜?
143 :
考える名無し :02/03/25 07:00
彼にとって、哲学書と言えるのは ショーペンハウアーだけだということでしょう。 文章の書き方から、インテリぶりたいのが見え見え。(笑) まわりくどいことするなって感じ。
>>あそこに出ている論文の現在の評価はどのようなもの でしょうか? 論文の価値は柄谷が「保証できない」って言ってなかったっけ? 対談は仲間内の雑談に後から手を入れているだけでしょう。 あくまでも娯楽雑誌です。
ドグマだよなぁ。 たぶんエンドクサエンドクサ (一定の時代的通念において一般的に妥当する意見) と勘違いしてると思われ
ドクサは憶見でしょ。 パラドクサはなに? パラドックス?
しまった、カキコが変になっとる。 >エンドクサエンドクサ は エンドクサね。 なにブツブツいっとるんやって感じだな(藁
>>145 訂正さんくす。勘違いしてました。
>>124 浅田なんかの世代が当時「シラケ世代」と呼ばれていて、全共闘世代から白眼視
されていた時期だったから、それを肯定してみせた、というだけだよ。
1970年代の大学生の思想状況というのはマルクス主義一辺倒だったわけだけど、
なんだかんだ時が過ぎていくにつれて、全共闘運動は瓦解して過去の遺物になっ
てしまった。そして、全共闘後に残された学生の「シラケ」に代表される「気分」を
哲学解説書の体裁をとって代弁してみせた。それが、浅田彰の最大の功績だと思う。
シンジ うん、ま、だからそれはね、浅田彰氏が今から10年……あれは83年だから…… 16年前に言ったことですけどね。あのー、つまり彼は「実は自分はモダニストだ」と。 「9割はモダニストである」と。で、実はモダンの先のことを言っただけなんであって、 日本に必要なのはね、ポストモダンじゃなくてまずはモダニズムの徹底だと。 あるいは「モダニズム的なものをなんらかの形で持ち込む以外に手はない」っていうのを 繰り返し言ってますよね。
構造と力の解説書がないのはなんでだろうね。
あれが解説書だからだろ?
>>1 2002年にもなってなんで読む必要があるの?
おれは1985年に読んだけど、
別に読まなくてよかったと思うが。
>>155 必要って・・・(w
「戦後の思想空間」ってよろしいんじゃない? ニューアカがなにを問題にしてて、どう誤解されてるかが分かりやすい。
確かに今読む必要はないよな。 中沢新一は今読んでも面白いのは何故w 文才の違いかな。 その頃の雰囲気を把握したかったら逃走論とかヘルメスの音楽 とか読めばいいじゃん。 他にも幾らでもあるよ。 つか、浅田彰は最近の対談集とかのほうがタメになるよ。
アホばかり、ということですか。哲板のほうがマシ
哲板も馬鹿っぽいよ。 2chって実は馬鹿しか居ないし 居ても馬鹿なことしかかかないだろ。
必要かどうかで話してもしょうがないべ。
「いろんな角度から自分なりに考えていくことが目標です。」なんて言われたら
どうにもこうにも・・・。
>>24 問題は発展性があるかどうかだと思うんだけども、確かにあれをフランス現代思想
の手引きとして読むのは、今はほとんどの人が薦めないよな。
個人的経験からは、サイバネティクス、システム理論、経済人類学と対比させながら
読むといいかな。
>その頃の雰囲気を把握したかったら逃走論とかヘルメスの音楽
>とか読めばいいじゃん。
『逃走論』に、知の最前線にいく為のブックガイドみたいなので30冊くらい
挙げられてるけど、結構読んでたのもあったけど、その30冊のうち半分くらい
は手応え無い本だったんじゃねー?
>中沢新一は今読んでも面白いのは何故w
>文才の違いかな。
マジ?
「構造と力」って文体に独特のリズムがあって、ついでにレトリックが 巧みだよね。 でも、言ってる内容はたいしたことじゃないんだよな。 暇つぶし以上にはなり得ないだろうに。
>>161 >個人的経験からは、サイバネティクス、システム理論、経済人類学と対比させながら
>読むといいかな。
とゆーか、そっちの方向からが『構造と力』は分かりやすいんじゃ?
ウィーナーの『サイバネティックスー動物と機械における制御と通信ー』が
絶版になってるのはなぜ?
>>164 饗宴ってなんですか?ぷらとんの(だったか)?
「構造と力」を理解できなかったやつがいいわけするスレ発見。
構造と力を理解したかったら逃走論を読むといいよん。
168 :
うざいなまえ :02/04/10 04:26
彰はしゃべらすと凄い。 しかしあの早口でさえ彼の思考のスピードについていってない様だった。15年前は。
深夜の特番でかなり深いこと語ってたな。
嫉妬というのはみっともないものだね(プ
クラインの壷のモデルがなんで必要なの?
>>172 近代において、貨幣と商品
メタレベルなものとオブジェクトレベルなものが
際限なく入れ替わりつつ循環していくさま
を表現するため。
>>1 『構造と力』の価値は、『アンチ・オイディプス』の副読本としての価値しかないと
思います。
逆にいうと、副読本としては最強かと。
最初は全然分からなかったけど、『構造と力』を読んでから読むと、すらすら分
かった経験があるので。
ただ、分かりやすさのために、犠牲にした部分も沢山あるので、読んでおけば
『アンチ・オイディプス』を読む必要がないというわけではありません。
先に読んでおくべき本としては、講談社現代新書の『はじめての構造主義』、
ニーチェの道徳の系譜あたり。このあたりを読んでおけば、分かり易いと思います。
このあたりを読んでおけば、高校生レベルでも問題ないんじゃないかなあ。
あれって元々、分かりにくいものを分かり易く書いた本だと思うし。
>>173 循環だけではなく、メタが入れ替わることによっておこる、体系の組み替えを
表現してみたかったのでは。
循環することによって、次元が変わるみたいな事を言ってたように思うし。
音声中心主義と自意識はなんで関係あるんですか?
>>175 自分の言葉を自分で聞くのが意識だから・・・じゃダメ?
意識=自分の反応を自分で確認するもの
無意識=自分の反応を確認できないもの・・・じゃダメ?
>>175 精神分析では、過剰なものを狂気として排除することによって、自意識が成り立つと
考えているからでは。
デリダの批判する音声中心主義とは、早い話、音声と意味が一対一対応的であると
いうことですから。
ネグりの翻訳も進んでるから 「構造と力」を読む環境はだいぶかわってきてんじゃない?
逃走論のP170によると、 そもそも、この要素の同一性や内在的価値といったもの自体がゼロ記号の媒介によって 生み出されるんですね。。貨幣の効果として個々の商品の内在的価値が生ずるのであって それは表音文字の効果として内面が生ずるのと同じことだ。
モダンに投資と回収をやってれば飯が食えるでしょうが、 ポストモダン式に遊戯してて飯が食えるんですか?
『構造と力』ってめちゃ読みやすい 浅田って頭いいのね
砂漠ってなんのメタファーなの?
>>182 砂漠とは、グニャグニャの多数の矢印が錯綜するリゾームモデル
すなわちポストモダンの構造の詩的メタファーです。
プラス、不毛な現実(界)というメタファーもあると思われ。 ジジェクがマトリックスの「現実という砂漠へようこそ」という言葉を引用していたし。 まあ、リゾームとラカンの現実界は厳密には違うんだろうけど。 「千プラ」では、海がリゾームのモデルで、砂漠は地上における海とされていたよね。
湿っぽいルサンチマンがないってだけのことじゃないの?
今の若い人達(俺も十代だけど)は「構造と力」なんて読まなくっても 浅田の言いたいことをしっかり実践している
浅田って何を言いたいの?
189 :
考える名無しさん :02/05/13 11:12
>>188 必死こいて勉強して必死こいて就職して必死こいて金溜める…
って感じのパラノイア型の競争から離脱して、
自分の好きな道は自分で見つけて好きに飛び散れ、これがスキゾキッズだってこと。
今は古めかしい精神訓話にしか聞こえないけどね。
ドゥルーズのいう諸機械って近代のモデルなんだろうけど、 クラインの壷とぜんぜん違うんじゃないですか?
ただスキゾ的にすきなことをやるには 下部構造をかためるために 相当やらなくちゃいけなくてかえってかなりきついっていってた。 必死こいてごますって終身雇用で世界で一番規制緩和の遅れた 大学の経済学の助教授という公務員のポストを得て しかし論文がいままで0。当然経済学的業績も0で 仕事がまったくできない窓際族で、陰口を言われつつ相当にいづらくてもなおも 下部構造のために居座るという努力があって初めてスキゾ生活ができるのである。
これ予備校のテキストに載ってたな 俺の使ってる問題集にも載ってる
>>191 テレビに出て金もうけしちゃったほうが簡単じゃないかって気がするんだけどなあ。
>>190 クラインの壺とは、パラノ的な近代のモデルですよ。
フロイトの、オイディプス・コンプレックスと、
マルクスの資本のモデルに代表されるやつ。
父−母−僕の三すくみが最初にあって、そこから抜け出したあと、
母子相姦に対する罪悪感から(ガタリによれば、これ自体が資本主義社会による、
捏造なわけですが)、自分のリビドーを他の人間よりも、金を稼ぎ社会的地位を
上げるという方向に持っていく。こうした自分のライバルが、そのうちに内面化されていき、
超自我となって、自分自身を監視する不幸な精神ができあがると。
ドゥルーズとガタリの欲望する諸機械とは、壺や否定神学的な構造によって、
見えなくなってしまう諸力のせめぎ合いのことです。
それはレヴィスト的な原始社会にもあったし、ラカン的な前近代にもあったし、
現代にもあるわけですが、スキゾ的な欲望を抑圧しなくては、社会の秩序が
維持出来ないので、こういった構造によって、抑圧されていたのです。
前近代までは、資本主義そのものがコードや超コードによって抑圧され、
近代では、本来カオス的なリビドーを、より稼ぐという一方向に水路づけることで、
何とか社会の秩序が保たれているわけです。
否定神学ってなんですか?
>>195 不在の0を中心に置いた体系。
実は壺も否定神学もあんまかわんないんだよね。
千プラによると、近代(クラインの壺)っていうのは、
結局のところ超自我によって二重化された主体と、シニフィアン(否定神学)の混
合的体制だから。
時間の経過によるズレを、一つの図形で表現すると、クラインの壺になる。
>>196 ここのシニフィアンって、記号表現とは意味が違いますか?
スキゾとかリゾームっていうのは、多角経営すればいいってことなのか?
?
岸田秀の「ものぐさ精神分析」の影響を受けてるのかな。
岸田の影響なんてうけてるわけねーだろ フロイト派でなくても「人間は本能がくるった動物」ってのは 常識なんだよ。構造主義では象徴秩序が出来上がったのは ピュシスのなかにカオスがなだれ込んである動物が狂ったってのは 前提ですよって始めに書いてあったじゃん
202 :
浅田ファソ :02/06/27 23:38
>201 浅田自身が明言したかどうかは知らんが、 初期の浅田に岸田秀や木村敏の影響がみられるというのは、 よく言われる話だけど。
浅田が編集した森毅の「数学〜」のなかで浅田が岸田秀のファンだと書かれてる。
204 :
浅田ファソ :02/06/28 14:55
>203 そうでしたか。さすが2ちゃんねら。
岸タ秀って浅田より知識あるってことでいの?
岸だのファンてのは業界にうってでるための処世術にきまってんじゃん 岸だはラカンについてわかってないし(自分でいってる) 浅田は10代のころから原書でラカン理解してた。
>>201 ここがわかりにくい。
「ピュシスのなかにカオスがなだれ込んである動物が狂ったってのは」
恋愛の指南書として使えないかな。
210 :
わからない :02/07/02 10:51
この本は、黎明気とぴゅーか発芽の時期の本だから読みづらいよね。
211 :
sどこがっ :02/07/02 16:00
どこがよみにくいんだよ
佐々木孝次ってどうよ?
少し御幣があるが「ある動物」=「ホモサピエンス」だ。 幼児が全く何も出来ない未熟な状態で生まれてくる時 すでにピュシスの連関から大きく外れている。自然適応できない 幼児は世界と自分を区別しないまま外の世界と接することになる。 動物は生まれてからすぐピュシスの一員として生きていくために 生への本能(?)のみをもって生きていくことになる。 人間はそれが出来ない状態で育っていく「死への本能」と「生への本能」 の両方をもってカオスを受け入れるはめになるので過剰なカオスの 流出を防ぐため(?)それを防ぐためエディプス期での禁止 とそれ以後社会で学んだ象徴秩序を堅い殻で覆ってカオスを食い止める。 そして、ここで得た象徴秩序とそれに相反する「個の欲動」が 無意識に押し込められて意識とは別に貯蔵される。人間はこの時点で 意識をもち無意識をもち、ピュシスから外れたつまり本能が壊れた 動物として、サンスを獲得することになる。 って感じだと思うが。正直まとまらん。
過剰なカオスが流出すると死んじゃうの?
過剰なカオスが流出したら社会はアノミー状態で無秩序の殺し合いの社会 個人はサンスを失って頭がおかしくなると思われ。
つーか人間みんな頭おかしいんだけどね。それを象徴秩序でもって みんなで正常をつくりだしてるにすぎない。
「人間は本能がくるった動物」っていうことと構造主義がどうやって 結びつくんだろうか。
ユーモアは象徴秩序の無根拠性を示すことなにょ?
をまえら質問ばっかしてないで読め
220 :
haruka :02/07/05 21:12
221 :
カオスモス :02/07/09 10:37
カオスはコスモスからさかのぼって見出されるらしいけど、 どうしてなの?
>>221 そのまんまカオスをとらえようとしても、意識とは言語によって
構成されたスクリーンだから、ねじ曲げられちゃうってことじゃない。
だから、ダイレクトにとらえるのではなく、そのねじ曲げられる様子から
遡ってとらえる必要があると。フロイトの無意識についての考えとかも、
そうだと思うけど。それは、結果として事後的に見いだされるしかない。
後は、ドゥルーズの「ニーチェと哲学」の現象から力へ、そこから力(へ)
の意志へと遡るやり方にも近いですね。
スピノザなんかも、太陽が我々の感覚からすると、数フィート上空に
ある、小さな火の玉に見えるけど、それと科学的な見方とのズレから
現実へと遡行するみたいなことをいってたと思ったけど。
宮台語でいう「底が抜けてる」ってことと同じか。
抜きんでてやろうとか前近代の人は考えなかったのかなあ?
相対矛盾と絶対矛盾はどう違うの?
そういえば、最近出た竹田せいじの本の中で、 「浅田は構造の前に力が先にあるというけど、それは事後的に見いだされるしかない」 見たいな事書いて浅田を批判してたけど、ドゥルーズどころか「構造と力」さえ、ちゃん と読んでないなと思った。そんなこと、とっくに書いてるっつーの。
力ってなんのこと? 難しいでしょ。
ポストモダニズムへの経過で重要なのは、 ふわふわした低エネルギー状態で相対矛盾的にやり過ごすことじゃなくて、 インテンシティの高まりきった状態で絶対矛盾的にワープする事が 重要なんだよ。わかるか、馬鹿ども。 わかりません。
言い方を変えて、モラトリアム期間のガキではだめだとかってのもあるけど、 わかんないよなあ。
しかし、脱構築がただの屁理屈よりも値打ちがあるのはどういうところなの?
ディスコンストラクションに価値はなし。 社会学のシステム論ともども政策とも結びつかないし そうかもねくらいの水物だな
笑いはワープなの?
大体ぼくは、システムとか主体が存立し得ないような、 まして「ひよわなボクちゃん」なんて吹き飛んでしまうような、 非常に激しいエクスターナルな力の場を問題にしているのであって、 そこで可能なのはいわばヤケクソのオプティミズムだけなんですよね。 ブラックユーモアの極限で、叫んでいるのか笑っているのか わかんないようなところを出したいと思っているわけ。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ミ / ,――――-ミ / / -‐ '''ー| | / ‐ー くー | (6 ´゚ ,r "_,,>、 | | ト‐=‐ァ' | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ` `二´'/ < およよ!! /| /\ \__________
構造と力って革命の書なんでしょ?
いや、ビニ本だよ。
239 :
未来の読者 :02/09/29 04:23
はじめて社会学版きて、このスレ読んだけれど、 『構造と力』が、おおむね「優れたサーヴェイ」扱いの評価に 終始していて、まったく驚いた。 サーヴェイっつても英独仏、経済、思想、哲学、文学、芸術、精神分析 etc.、領域横断的で 背景には何百冊もある専門書を想定して、 しかも矛盾を来すことなく、 一貫した資本主義社会に対する原理的な説明と展望を一挙に与えてみせた 本なわけ。サーヴェイはサーヴェイだけど(しかしどんな独創的な書物もサーヴェイ的な 要素なくしては書かれえない)それではあまりの過小評価でしょう? もちろんいまや古典化しているところもあるとはいえ、 あの本に匹敵する仕方でダイナミックに何事かを分析・説明しようとした本て いまだに書かれていないとさえいえる(日本語圏内で)。 単純に内在的に理論的継承と批判を試みた企てもいまだ現れていないと思う。 あの本の潜在的可能性は、まだ少なくとも十年以上は読まれるに足る ものがある。実際、哲学や思想を研究している専門家でも いまだにメルロ=ポンティやレヴィナスだからな……。 あの本の不幸は「知のファッション化」によるラベル貼りで、 書物として単純にきちんと読まれる文脈を持たなかったことだ。 そしてそういう文脈が日本に生まれるのはまだ当分先のことだろう。
『浅田は実は、恥ずかしいくらい単純なことを言っている。
そしてそれは、『構造と力』なんかよりはるかに簡単に書いてしまえることだ。
要するに、むかしはプレモダン社会だったのが、いまはモダン社会になっていて、
そのうちポストモダン社会になるといいな、というだけのことだ。』
※引用:
http://www.post1.com/home/hiyori13/other/asada.html まぁ、そりゃそうゆう事でしょう。
クラインの壷のたとえ話がどうこうはともかく、こうゆう指摘はうざいけどね。
浅田は、
『この本は啓蒙的に過ぎるとか西洋思想の輸入に過ぎないとか批判されるんだけど、
僕としては意図してそういうことをしたかったわけ、しかも徹底して汎庸かつ効率的に。
…中略…
最もインパクトのある形で技術導入をやるほうがいいんじゃないか。
今までの技術導入というのは、出来の悪いマニュアルがくっついてて、
どうやって使っていいのか分かんないという感じだったのに対し、
とにかくできる限り明快なマニュアルを作って有効に技術を導入するべきなんじゃないか。』
って言ってるね。
ってことは、浅田はポストモダンへのマニュアルとしてこの本を作ったのか?w
>>231 >>232 脱構築は、政治的な運動のためのものです。
それは、いわば「まったき他者」に対する応答責任に基づくものなのです。
デリダ的に言えば。
ローティは「脱構築は実際の政治にまったく関係ないものだ」と言ってたな
そういえば、ADATってなんて読むの?
アダット AsaDA Tecnology
>>239 そこまでの価値はないと思うなあ。
あれって結局、「アンチ・オイディプス」のサブテキストにして、
第三章の焼き直しだから。
そんでもって、原始土地機械と、専制君主機械を、それぞれ、
レヴィ・スト、ラカン・バタイユで説明したという。
D-Gは、例えば原始土地機械における親族構造を、
労働力の分配と、
それが機能しないことによって、女性の交換が滞り、
それを祝祭や割礼によって返済するって形で、
祝祭や割礼によって、言語を身体に焼き付けるために存在している、
って考えているわけだけど、そういったところは殆ど抜け落ちてるよね。
もちろん、「アンチ・オイディプス」は、レヴィ・ストやラカンを読んでいることが
前提なのだから、これらの議論を手際よくまとめた「構造と力」は、
サブテキストとしては最高の物だと思うけど。
>>241 結局、マニュアル化しにくい、D-Gの哲学(実際の所はその前提の知識)を、
強引にマニュアル化したことが、「構造と力」の凄いところで、これが出来る浅田の
実力はやっぱり相当な物だと思うよ。
>>243 > ローティは「脱構築は実際の政治にまったく関係ないものだ」と言ってたな
ローティなんかどうでもいい。
俺は君自身がどう思うか知りたい。
他人の考えではなく、君の意見を言ってくれ。
しかし前提知識なしに「構造と力」を読むのはつらいよ。
>248 前提知識なしに「逃走論」読むよりはマシ
250 :
世界@名無史さん :03/01/07 13:53
「構造と力」を読むと感心する。 浅田彰はほんとに賢い。 センター試験で「フランス現代思想」という科目があったら、 絶対満点という意味で賢い。 難しい思想をちゃんとまとめて解説して並べている。 あの手際のよさは山川の「詳説世界史」を思わせる。 しかし、一つ足りないものがある。 それは、なぜこういう思想を、思想家たちは考えたのか?ということが 完全に落ちている。 あくまでも受験の知識みたいに「思想」を扱っている。 だから、感心はするが感動はしない。
251 :
世界@名無史さん :03/01/07 13:56
背景になる68年パリ五月革命とかヨーロッパにおけるユダヤ人問題などが 全部落ちていて、ただ言葉と定義だけを追いかけている。そして、結論として は、少し昔の安物左翼の政治論。
>251 「構造と力」は現実の歴史的・政治的状況にコミットしないものを 作ろうとしてああなったんじゃないの?
>>250 それは哲学じゃないんじゃんw強いて言うなら木田元だけがやっている反哲学
だろ。なんか近頃学問の定義を勝手に変えたり、定義を創出する(だけ)の
香具師が多くて困るな・・
255 :
世界@名無史さん :03/01/09 11:52
>>252 貴方は鋭い。そのとおりです。
ただし「現実」にコミットしない代りに出てきたのが、受験参考書。
チャート式・・・・
浅田彰や東浩紀を読むと、 廣松渉や吉本隆明は偉大だったと感じずにはいられない。 オリジナリティがあるから。
皮膚感覚を大切に by浅田・田中
暮れにこの本読み返したが確かにすごい。あんなに簡単に構造主義 を図式化して知ってしまっていいのかと思うが。でもコスモスの部分は そう簡単に定義づけできるもんじゃないし、ラカンをあれだけ簡単 に扱っちゃいかんのでない?あとカオスから ノモス―コスモス構造になるとノモスはいわゆる社会学の分野だという 簡単な言い方で社会学者は異論なし?
259 :
世界@名無史さん :03/01/10 21:09
浅田が東浩紀の「存在論的、郵便的」について「『構造と力』を過去のものにした」って評してたけど、 これはどういう意味なの?もう今は浅田より東を読めっていうこと?それともただのお世辞?
「存在論的〜」の頃は、浅田はマヂで東を評価してた。 だけど、東が浅田を裏切った(ワラ ので浅田はアンチ東になった。 今、浅田は東に対して思想的な批判をしているけど、どうしても↑こういう見方してしまう。
思うに現代思想とやらはおれは文芸的思想であって 厳密な学問的なものではない。 必読書150とかいう本を読んだら 人文社会科学というジャンルわけがされていた。 これをみた時誤植かと思った。 人文と社会科学がなぜに一緒くたにされているのかしらん? 人文自然科学はありえないがそれと似たような話である。 それで座談の内容もいい加減で論理の厳密性や用語の定義といったものが出鱈目 いい加減である。
で、構造と力は文芸的思想だと?
あのクラインの壷ってイカサマなんだよね。
でも人文科学と社会科学一緒くたにすることは重要なことでもあるんでない?
(^^)
(^^)v
>>262 人文社会科学って、紀伊国屋当たりのコーナーにもあるけど。
哲学と社学が一緒になって。
とにかく人文電波はなんとかならんのか。
^^;
>>250 のいうように
「浅田は哲学者としては3流だが知識人としては1流」by福田和也
だと思う。
構造と力が構造主義・ポスト構造主義に関する
1流の教科書だとすると
「歴史の終わりを越えて」はポスト冷戦時代における
政治哲学の教科書だし
「20世紀文化の臨界」は20世紀の文学における
教科書だね。
「歴史の終わりを越えて」に関して 福田和也がリオタールやボードリヤールに こんな本を書けといってもできないといっていたように おそらく教科書を書くことに関しては 浅田は世界トップクラスの実力を持っているだろう。 「構造と力」はもう古いっていっている人がいるようだが 構造主義・ポスト構造主義を「構造と力」以上に クリアに解説した本があるなら教えてほしいね。
解説読むのが好きなんだね。
>>273 大体ポスト構造主義の思想家、
ラカンやドゥルーズ(遡ればニーチェもそうだが)
は曖昧なことしか言わなかった。
(だから「知の欺瞞」なんかが出てくるのだが)
なので「解説」によって彼らの著作に含まれている
さまざまな可能性のひとつを抽出するのも
大事な作業の1つだろ?
マニュアル人間なんだね。
>>275 っていうか日本にはマニュアルがなさ過ぎるのが現状だと思う。
例えば経済学だとアメリカの大学生で
アダム・スミスやケインズを読んでいる学生はほとんどいない。
代わりに読んでいるのがスティグリッツに代表される
経済学の教科書だ。
こうした教科書重視の教育によってアメリカは世界1の
ノーベル賞受賞者数を輩出することになった。
かたや日本ではいまだに「マルクス」や「ラカン」といった
固有名詞が尊重される現状であり、こういった状況が
日本の人文社会科学の停滞をもたらしてるんじゃないのか?
日本だって経済学部の大学生はアダム・スミスやケインズ読まないで、 スティグリッツ読んでいるよ。同じだよ。 固有名詞を崇拝しているのは、文学部生くらいだろ。
>>277 確かに現状は「構造と力」が
出版されたころに比べてよくなっていると思う。
ただ日本の経済学部生は
「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」
は読んでるかもしれないが教科書は読んでないぞ。
読んでるのはDQN中谷巌の教科書(w
DQN中谷巌の教科書はマンキューのぱくりだから問題なし
>>279 俺が言いたいのは
スティグリッツやクルーグマンみたいな
ノーベル賞級の経済学者が経済入門の本を書く国と
DQN経済学者や予備校講師が経済入門の本を書く国とは
学問の社会的影響力がぜんぜん違うだろってこと。
281 :
waiwai :03/03/07 21:41
・・・で経済学者の彰が啓蒙書書けよというオチ?
「構造と力」なんて何年前の本だよ。最近読んだのか?
>>283 今年で20周年、って俺とおんなじか。
読んだのは高校2年のとき。
過去の遺物やん
そういえば中国ではマンキューマクロの翻訳者が サイン会を開いているらしいな。 マルクスよりマンキューか。 中国も。インタゲも導入するようだし。
287 :
(´-ω-`) :03/03/08 07:04
288 :
思想家(・∀・)イイ!!知識人(・A ・)イクナイ! :03/03/09 01:57
構造と力はそこそこにわかりやすいと思うけど、予備知識がないと読ません。 それとカタカナ表記(英語とか)ばっか多くてすごく不親切だと思いました。 なぜわざわざ「静的」というのを「スタティック」といわねばならんのだと。小一時間問い詰.... 僕は、浅田彰氏は皆さんが言っているほどの人物ではないと思います。 彼の書いた本は面白いかもしれませんが一流だとはとても・・解説しただけなのに・・ 真に知識人とはサルトルだと思います。彼の思想は力強く人生を励ましてくれます。 まぁ比較すること自体おかしいかもしれませんが。 一私見ですた。
あの年齢で書いたのが凄いってことだろ。
>>288 しかし知識人浅田彰以上の
思想家が何人いることか
山形浩生>浅田彰?
浅田は頭がいい、若いころに構造と力を書いたりして凄い人だ、 ということを話しあって、それが何になるというのだろう。
理解できた?
295 :
ピエール栗原 :03/03/10 08:22
プ〜(^ε^)
おフランス個人てきには好きだが、現代思想はダメ。 極度に観念的でそんなこといってなんになるのさと思わずにいられない。 そして衒学趣味的。曖昧模糊としているし。 その点英米系の政治思想はスパスパ切れてわかりやすく実際的。合理的、現実的。
>>296 アメリカのサイードやローティは
デリダみたいなフランスの哲学者から
影響を受けているが?
298 :
bloom :03/03/10 13:52
サイードあれはダメ 気取ってるし、詐欺的な所がいかにも現代思想に似ている
知識人というのは、浅田のような評論家だけではない。 大学教授でも頭のいい人はいる。 かれらは必ずしも哲学者や社会学者や言語学者ではない。 浅田を誉めそやす人は、世間が狭いのだろう。
301 :
出会い系ビジネス他所とは違います :03/03/10 14:35
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理解できない。
カクニンできない。
>>305 東浩紀2002.3.3近況
あらゆる言葉は曖昧である。
その事実から出発した20世紀の人文科学は、
自らをシニフィアンの学として規定した。
シニフィアンとは、
現実との対応関係が固定していない記号のことである。
シニフィアンは現実から浮遊している。
その浮遊から意味と主体が生まれる。
精神分析とハイデガーと構造主義以降、
20世紀の人文科学は、
そんな浮遊した記号の特性をさまざまな方法で分析し続けてきた(
カルスタ、ポスコロと言われている
1990年代の学問もその点は変わらない)。
対談でも述べているように、
ぼくは個人的にはその規定の絶対性と普遍性を疑っている。
しかし、 前世紀の学者たちが試行錯誤のうえで到達したその結論の深さを、 ぼくは十分に尊重している。
それに対して、用語の厳密さを性急に求める人々は、 要は、人文科学でも現実と一対一対応した記号を使えと要求している。 つまりシニフィアンについて考えるなと要求している。 それは常識的には正しそうに見える。 しかしその主張は原理的には、 20世紀の人文科学の達成全体の拒否を意味している。
むろん、 フロイトもハイデガーもソシュールもラカンもデリダもフーコーも、 みんな一緒くたにあくまでも否定だと言い張る覚悟なのであれば、 それはそれでも構わない。 しかし、ソーカル/ブリクモンの尻馬に乗って この国でポストモダニズム批判を書き記した論者の、 果たしてどれだけがその喪失の大きさについて 真剣に考えていただろうか。 ぼくはそういう論者に対しては、 あくまでもポストモダニズムの側に立つ。
ヽ ヘ ノレ,
∧_∧ ヽ(。、::。.::・'゜・' )〆
(´Д`*.) / ̄ ̄ヽ::。 ).。:: θ) >>
http://bakushomondai.netfirms.com/ i i⌒\__ノ ノ::・'゜。'゜ )ゝ
ヽヽ ヽ / /。、 ::。 )ヽ
)) )-─/ /’ /Υ/ γ\ヾ
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>フロイトもハイデガーもソシュールもラカンもデリダもフーコーも、 >みんな一緒くたにあくまでも否定だと言い張る覚悟 そんなこと誰か言ってるの?(w
(^^)
山形浩生の『山形道場』(イースト・プレス)が送られてきた。 世間で横行している、まわりくどく、しばしば間違った説明に対し、 「要するにこういうことだろう」とズバリ突っ込む。その姿勢自体は 共感できるし、情報技術時代の経済・社会・文化を横断して提示され るさまざまな論点もだいたい正論だと思う。ただ、どうしてもっとク ールな書き方ができないのだろう。「オレは権威なんか無視してやる ぜ」という自意識は「私は権威だ」という自意識と背中合わせであり、 どちらにしても書かれたものを暑苦しくするだけだ。また、論点の中 には間違ったものもある。私が『構造と力』(剄草書房)で使ったク ラインの壺のモデルが間違っているという指摘はその一例だ。『構造 と力』では、チューブの両端を普通にくっつけるとトーラスができ、 ひねってくっつけるとクラインの壺ができるが、後者の操作は3次元 空間の中では不可能だというところから説明してあって、誤解の余地 はない。むしろ、山形浩生の方が、クラインの壺を3次元立体として 近似的に示したモデルにとらわれて、初歩的な誤解に陥っているので はないか。実は、インターネット上ではすでにそのような指摘を読む ことができる。他人の議論を誤りと決め付ける前に、そのくらいはチ ェックして自分の足場を固めておくべきだろう。山形浩生という道場 破りは、自分で道場を開くには、もっと他流試合を重ねて腕を磨く必 要があるようだ。
山形浩生のその後の言動を見ていると、これでもまだ誤解が解けて いないようなので、あらためて確認しておこう。幾何学的にチューブ の断面を考えるというとき、一般には仮想的な面を考えるわけで、そ こに実体的な膜が張られている(それによってチューブの中の流体を せき止めている)などと考えることはない(そのように特定されてい る場合を除いて)。クラインの壺の底面というのも、チューブの断面 とまったく同じことなのだから、クラインの壺の底面を考えるといっ ても、まさかそこに実体的な膜が張ってあり、その上に実体としての 商品が置いてあるなどと考える(そして、実体的な底をつけたことで クラインの壺をクラインの壺でなくしてしまったと批判する)ナイー ヴな読者がいるとは、私には思いも寄らなかったのだ。そういう初歩 的な誤解さえ解ければ(上述の如くチューブの段階から説明している のでそういう誤解の余地はないはずなのだが)、クラインの壺のモデ ルに問題はない。
なお、東浩紀は、私のクラインの壺のモデルを踏まえ、(1) その底 面を「マジック・メモ」化する、(2) 彼が「クラインの管」と呼ぶ部 分をリゾーム化する、というヴァリエーションを提案し、私は、その ようなモデル化はむしろ彼の批判する単数システムの複数化という論 理(岩井克人型の)に適合してしまうのではないかと述べたことがあ る(「トランスクリティークとしての脱構築」『批評空間』II−18号) が、そこで問題になっているのはあくまでも東浩紀によるクラインの 壺の解釈であって、私による解釈ではない。
山形浩生は、ソーカルとブリックモンの『知の欺瞞』(邦訳・岩波 書店)を評価し、それと同じような批判を私の『構造と力』に対して 行なったつもりであるらしい。実のところ、私はソーカルとブリック モンの本が最初にフランスで出た直後に(どうでもいいことだがおそ らく日本で初めて)『批評空間』II−16号の編集後記(1997年11月12 日)でそれに触れ、「今度の本は、それぞれの相手を本質的な点で批 判しているとは言えないし、その批判の根拠となる科学主義も絶対と は言えない」と述べつつも、むしろ「ソーカル事件」の教訓の方を強 調して、いたずらに難解ぶったポストモダンな「知の意匠」で読者を 幻惑するのではなく、明晰にできることはできるだけ明晰に書くべき であるという当たり前の原則をあらためて確認している。(翻訳によ るタイム・ラグのため、それからずいぶん経ってこの本をきっかけと する「サイエンス・ウォーズ」が日本でも話題になったようだが、私 はこのとき述べておいたことをあえて繰り返す必要を認めなかった。) その意味でも、先に述べた通り、ざっくばらんに言えることはざっく ばらんに言うという山形浩生の姿勢に、私はむしろ共感を覚えること が多い。ただし、他人の議論を前にして、本質的な点を批判するより 先に、表面的な早飲み込みによる誤解からそれを一蹴したつもりにな るというていたらくでは、「道場主」の名が泣くのではないか。
そもそもこれのソースがどこなんだ
ソースだしてちょ
スキゾとパラノって何?
↑↑ 氏ね(`Д´) (`Д´)
323 :
bloom :03/04/08 17:40
ソースはiクリティークだろ?
なんだかなー
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
馬鹿馬鹿しい似非学問には手を焼きますな
330 :
bloom :03/05/16 04:21
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
ん。
>>1 浅田は、その内容を理解することより、
その本を読むことに意義があると思う
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
力ってなんなの? 構造主義に対抗して力主義ってあったりして。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
浅田彰本スレはどこですか? リンクをたのんます。
この人ほど過大評価されてる人も珍しくないか。 小室直樹だったか、宗教社会学的に、人は具体性のない「福音」についてこそ、 むしろ過剰に美化する傾向があるそうだけど、この人の「ファン」(そう、大半は 思想的に感化されたというより、ファンなのだ)はまさにそういう口のような 気がする。 ところで、この人と田中康夫の接点って何?
> 思想的に感化されたというより、ファン どっちかというと、柄谷の読者の方がそうだと思うけど。 浅田の読者って、彼の持っている情報と編集能力にしか期待してない。
構造と力を理解する必要があるかが問題。 学問的に意義があれば後続・発展がある 筈だ。修士で書こうが博士で書こうが そんなことは関係ない。今の浅田を見れば どの程度であるか分かる。浅田は世界に通用 する経済学研究者か?それとも単なる悪文の翻訳家か? 経済学でどんな業績を出してるか・出し続けている かを考えてみればいいでしょ。
あの人は趣味人。
浅田は自分が大学教員を続ける理由を何て言ってるの?
>>346 お金のためじゃない?
昔、蓮實と柄谷は「スピノザがレンズを磨くような物」
といってたけど、浅田の場合もっと極端。
上の二人は曲がりなりにも本を書いてるし。
彼はニヒリストだからさ
とにかく現実を見ることが重要。 今の浅田にどのような学問的意義が あるのかな?そのことについて 確信が持てれば読めばいい。 浅田は経済学の第一線なの? それとも評論家?あなたの判断は?
何故とにかく現実を見ることが重要なの?
とりあえず、映画評論家としては蓮實よりも好き。 音楽評論家としては、入れ込みすぎてちょっとキモイといった感じ。
で経済学研究者として第一線の人 ですか。それとも大学教授兼評論家?
>>55 でも、あれってサーベイだよ。人文系ってあれくらいやらないの?
オレは工学だが、当然先人の研究のサーベイはもちろんオリジナルな
貢献が必要だし、それは社会科学系でも同じでしょ。確かに大した
ことのない奴がDに進学するケースはママあるが、彼は放棄したはずの
専門で「研究者」と自称して研究所に居座ってるからね。嘲笑したく
なるね。
357 :
考える名無しさん :03/09/17 19:55
昔、埼玉県の自衛隊朝霞基地で自衛隊員殺人事件が起こった。 その犯人である赤軍の逃走を、京大の学生会館地下室にデスクを構えて 支援していたのが浅田彰。当時の京都では有名な存在だったな。 構造と力は、どこかで出し惜しみしてる趣もあり、何か気になる書だ。
彰かっけー。
彰脚気ー。
>>357 何で人殺しを支援すると誉められるの?
自衛隊員はドキュンだから・憲法違反
だから殺した方がかっこいいの?
理解できません。
浅田って、ヅラなの?
EXC-ESってなんですか?
↑なんか「潜在意識の誘惑」の著者に勘ぐられそうな名前。。
>>357 のどこが人殺しを誉めてる?
誉め言葉があるか?
皆が知らない事実が書いてあるだけだろ?
理解できません。
っつーか、事実かどうかわからん
あの事実は当時を知ってる人間には常識だが。。。 当時はそれが英雄的だったし、東大の安田講堂攻防戦にしろ何にしろ、 学生運動や左翼運動は大衆の支持を得ていたからな。 それも昔話になったということだろ。 内ゲバの死者が数千名といっても、今や誰も信じないだろな。 事実を認知できない状況に希望はないし、革命なんて無理だしな。
,‐ '´ ヽ-, i レノノ))) \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 人il.゚ ヮ゚ノ人目 < she's made of hatr and bone andlittle teeth ⊂)Yiつ ┃ | and things i gannot speak ⊂ヽノ! ┃ | she comes on like a crippled plaything し' ┃ \_______________ ┻
何でしょう。
マコン
贈与という語のニュアンスも分かりません。
贈与はそのまんまで良いんじゃない。贈り物を受けた方は、それとともに負い目も受け取ると。
交換は「相互関係行為一般」なんですよね。 「贈与」は、このような行為の一方的なものなのですかね。
一応マジでこの本読もうかなっと思ってるんだけど、 東浩紀の著書の帯にこの本はもう時代遅れみたいに本人が書いてるでしょ。 実際、今読む価値はどの辺にあるのかな? 碩学の方おしえてYO!
「アンチ・オイディプス」を読みたいのなら、予備知識として読んでおいた方が良い。 参考書としてはこの上なく優秀、でもそれ以上ではない。 東の郵便本は「構造と力」で殆ど扱わなかったデリダをあつかったので、 浅田は帯にそう書いたらしい。まあ、ドゥルーズもガタリも死に、デリダは 存命だったわけだし。
本気で思想をやりたい奴が原著者の言葉と格闘しないで、歪な網の目で濾過 された翻訳で事を済まそうっていう態度が信じがたい。なんか「構造と力」 を評価する言説の一つとして、「あの頃は翻訳がなかった、そういう時代に 一介の院生がこれだけ纏めてみせた、だから凄い」って。アホか。まず、思 想云々する前に、英語なりフランス語といった語学を勉強しろ。
ドゥルーズはドイツ語を読めなかったと思うが。 フランスでは、クロソウスキーとかがニーチェ全集の翻訳をはじめて、 ようやく纏まったニーチェ論が出る環境が整ったとか。
>>376 このスレのどこに本気で思想やりたいと思ってる奴がいるんじゃボケ
10代なら『構造と力』を有り難がるのはわかるし、学部生の子でも 面白おかしく読むってのは理解できる。しかし、大学院生くらいが 本気で付き合う本じゃないね。もしそうなら、研究する能力なんてな いから、さっさと就職の準備した方がいい。今からでも遅くない。
>>374 ここはちゃんと読みもしないくせに偉そうな口を叩く見栄っ張り
ばっかりなので、ご自分で実際に読んで判断するのがよろしいかと。
>>379 うーん……。他板住人なんですが、この本をきちんと理解するためには、
学部生でもよっぽどの読書好きでないとダメなんじゃないですか?
イメージはつかめるかもしれませんけど、膨大な引用とか、正直
分からないところがあって当然のような……。
まあ、専門の院生なら問題にしないレベルなのかもしれませんが。
>>381 だいたい読書なんてもんはだいたい分かってればいいんじゃない?
で、「力」って何か分かった人いる?
>>383 「逃走論」ではっきりとした解説が出てる。
だから実効すること。 実行じゃなくて実効な。
386 :
考える名無しさん :03/10/21 19:34
2ちゃんねるの特徴は正解が出ると静かになることレス。
構造と力って副題にある記号論のことなんてなんにも書いてないんだけど、 いったいどこが記号論を超えてるの?
389 :
考える名無しさん :03/10/25 13:00
記号論ってスタティックじゃん。
bakame
記号論そのものじゃないけど、ラカンやバタイユはそれの応用だってことでは。 そこに割かれているページの方が、それ以降よりも多いわけだし。
それそのものがわからないとヤバイ。
近代のドクサに対してパラドクサを突きつけるのとどうなるの? なにかいいことがあるの?
ないよ。
395 :
考える名無しさん :03/10/28 22:37
ドクサがいっぱい、そいうことだ。
>>393 / ̄ ̄ ̄ ̄\
│ヽ ヽ
|| \,,,,,,,,, │
ヽ|_ _ \ ミ| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
[ - ]-[ - ]一 6) < ないよ。
. l ・・ / \______
ヽ二 /
398 :
考える名無しさん :03/10/30 13:07
クリソ
DCPRGの新譜を聴け。
逃走線ってなんですか?
なんでブラックユーモアがいいの?
ブラックユーモアで物自体が立ち現れるんだっけ?
いまだに記号論的な分析をする文化人が多いんだけど とっくに超えられたんじゃないのかね?
来年あたり「構造と力ver2」を出してほしいのだが。
406 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/03 05:12
内容に関する言及が無いので 一つの視点から『構造と力』の 読解を記述しようと思います。
407 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/03 05:13
構造・記号論・象徴秩序 構造主義は文化の秩序を恣意的・差異的・共時的な構造(象徴秩序)と捉えます。 「恣意的」とは何か。例えば日本ではおじぎで挨拶し家の中では靴を脱ぎますが外国はそうでない。 ある文化の秩序はその内部からは必然で外部からは偶然に見える。これが恣意性です。 恣意性から差異性が帰結します。恣意的な秩序の要素は他の諸要素の否定でしかありません。 どういうことか。「兄」の言葉の意味は「弟」や「妹 」や「姉」や…その他の言葉全ての 否定としてのみ存在します。外国では兄と弟を一緒くたにして兄弟と呼ぶ所もあるでしょう。 これは要するに箱に風船を詰める様なものです。もし日本語から「妹」という言葉が消えれば 「妹」は「弟」と呼ばれるかもしれません。それは私たちには奇妙に見えますが不可能ではない。 このようにある一語の意味を決めるのにその他の言葉全体が必要とされるので言語は共時性を持ちます。 記号論は言語を文化のモデルにします。すなわち社会・文化の慣習の中に言語的構造を見出します。 例えば服装にも文法と辞書があります。「決して」の後に「ない」が来るようにシャツとズボンの 特定の組み合わせがあります。そして礼服などが典型的ですが全体としてある社会的意味を表します。 婚姻や貿易や祝祭など単なる無意味な慣習に見えるものの深層に構造を見出し分析する事が出来ます。 未開人の慣習は彼らが無知だからそうしていると捉えられていました。しかし文化人類学はそこに 明確な構造を見出します。(文化)記号論はこの様な分析によって社会・文化を認識する訳です。
408 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/03 05:13
力・貨幣・脱構築 ではなぜポスト構造主義が必要なのか。簡潔に言うと近代の社会は脱コード化の運動を しており記号論的なコード(象徴秩序)の分析が適用できないからです。 例えば流行は近代的なものです。ある対象の意味が時間によって変化してしまう。 「形」(象徴秩序)が運動し変化する時の生成の原因が「力」です。 その力・運動を可視化する一つのモデルが有名なクラインの壺です。 それが表す累積的差異化運動の典型が貨幣による資本主義です。 『構造と力』から引用すると前近代(コード)が「質的な位置の体系(象徴秩序)」 ならば近代(公理系)は「量的な流れの運動」です。「マルクスの言う通り、 貨幣とは急進的な平等主義者であって、すべてを量的な大小関係に還元してしまうのである。」 『構造と力』の読解からやや離れますが最後に「脱構築」について少し考察します。脱構築とは 言葉遊びなどでは無い事に注意しましょう。むしろ脱構築は近代の原理と言っても過言ではない。 二元論を超える近代の原理一般を脱構築で説明する事ができると私は思います。 脱構築とは何か。それはある体系の内部と外部の差異を利用する方法です。 簡潔に言うと「言っている事とやっている事の違い」から何かを生産するのです。 貨幣がなぜ利潤や資本主義という力を生み出すのか。それは価格と価値が違うからです。
以上です。
乙カレー
『構造と力』は、当時、コアな構造主義論者や記号論者から批判されていたよね?
クラインの壺は動的だから「構造」といわないのか?
413 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/04 19:46
>>410 どうも。
>>411 20年前なんで当時の状況は知らないです。
>>412 『構造と力』では構造を共時的(一瞬)と規定しているので言わないです。
クラインの壺は構造の運動(通時的変化)モデルですね。
エディプス・コンプレックスの力で構造を変えてるんだっけ?
416 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/05 06:48
>>414 自由な主体はレヴィ=ストロースが批判してます。
柄谷を経由した他者概念も考慮する必要があります。
>>415 近代的主体がエディプス装置によって競争する結果
大体そんな感じになります。構造の変化といっても動的安定ですけどね。
序の、ドクサを強引に横へズラせる運動、あのバラドクサの運動というのはどういう意味なんですか?
418 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/05 20:50
>>417 「始原なし目的なしの過程の一契機としての切断」という意味です。
もっと簡単に言うと「ドクサであると意識しながら知と戯れること」。
「絶対的な基準と同化し、そこから批判を行うという手も、
すべてを異化し、一般的な相対化に訴えるという手も先が見えている」ので
「ひとまず近代を常ならぬ恐るべきものとして引き受けた上で、
その内部で局所的な批判の運動を続けるという困難な戦略」が必要です。
認識論的切断ってどういうこと?
420 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/06 02:06
認識論的切断とは問題機制の「構造」から離れる事です。 主体があれこれ考えてもある問いの構造の中で変奏した答えを 反復しているに過ぎない場合が多々あります。 言い換えるとパラダイムを変える事かな。 バシュラールやアルチュセールあたりが使うでしょう。
質問なんですが しろうとさん職業は先生?
二者択一の問題そのものをズラせてしまうことというのは例えばどういうようなことなんでしょうか?
しろうと ◆AUSirOutoE さん、良いねー。 他板住民にとっては、まさに神だ。
424 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/06 22:35
>>421-422 「職業は先生?」とか「浅田氏を支持するか」とかが二者択一の問題ですね。
はい・いいえどちらで答えても質問者が無意識に想定する構造は変わらない。
(教師は教科書的な理解をする・著書を熱心に読む人は著者を支持する…)
そこで「趣味で先生をやってます」「良い参考書を書く人だと思います」などと
二項対立を外してしまいます。これも一種の認識論的切断です。
もし単なる冗談に見える人は「年収は?」の様な抑圧的な問いを想像しましょう。
そして近代は貨幣システムだからこの切断は意外と重要な問題なのです。
>>423 どうも。実は自分は哲学板の住民です。社会学は人文系で勢いがある学問だし
宮台氏と東氏などの関係も面白そうなのでこの板を見てますね。
>>しろうとさん このような状況では非常に言い難いのだが・・・ 「認識論的切断」とはそのような意味ではありません。 この言葉は,ある思考を成り立たせている前提の一つ(または幾つか)が 決定的に変わったために,以前のような思考が成り立たなることを説明した ものです。恐らく浅田さんの著作を読まれて,構造に対してかなり操作的手法が 可能であるかのような発言をなされていますが,浅田以後の文脈では,そのような 思考すらも「制度的」であるのです。
よって「認識論的切断」とはそのような操作的手法なのではなく(これは おそらくもっとも安易なデリダ読解からきたものでしょう)決定的な切断で あるのです。
>>425 >成り立たなることを
成り立たなくなること
428 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/07 00:13
>>425 間違いだと言われればそうですね。まあ「一種」ですから。
条件の変化で操作的なものでないのも分かります。
不可視の構造は存在自体が遡及的なものなので
気軽に構造改革できるようなものでもないです。
>>426 しかし、デリダは言語の物質的な条件としてエクリチュールを考えます。
それはミクロな認識論的切断ではないか。マクロと決定的に線引きできるのか。
またポストモダニストの手法は定義上表層に表れないはずの構造を
可視化すると定式化したいですね。とすると意外と冗談でもない…
とはいえ、そういう言い訳も安易な読解なのでしょうね。
「これも一種の認識論的切断です。」は余計な文でした。
>これはおそらくもっとも安易なデリダ読解からきたものでしょう これはしろんとさんに向けた言葉ではないですよ。浅田さんやその他 ポストモダン的な一時の流行にのっていた人達のデリダ読解のことです。 浅田さんも直接はデリダに言及はしていませんが。混乱した書き方をして すみません。
「力」って結局何のことを指してるの?
婚姻と言語がどうして関係あるんですか?
433 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/08 18:51
>>431 形が変化する原因が力です。
例えば貨幣が機能している事態は「力」によって可能です。
構造主義と異なりポスト構造主義では「力」を扱います。
『構造と力』の題にある通り重要な概念です。
>>432 (・_・)(._. )(・_・)(._. ) ウンウン …首を縦に振る事は肯定を意味しますよね。
音声か文字か肉体かに関係なく意味が伝達される。だから身振りも言語です。
構造主義(記号論)では更に拡張して社会を言葉・物・人…の交換体系と捉えます。
例えば昔の見合い結婚や戦国大名の政略結婚は政治的「意味」を持ってますね。
差異の束は交換体系でしょうか?
わかりましたあ。 その「力」の元って何? 「力」はどうして、どこから生まれるの? しろうとさんが例にした「貨幣が機能している事態」でいうと、 貨幣を機能させてるものは何?
436 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/10 06:53
>>434 序文で言ってるのは交換体系ですね。
「…過剰なる方向=意味(サンス)を象徴秩序に取り込み、
【差異の束】としての高次元の象徴的意味(サンス)の
うちに結晶させようとする「冷たい社会」…」
437 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/10 06:54
力は体系間の差異から生まれます。 複数体系でないと剰余価値もない。 貨幣を機能させるのは貨幣と商品の非対称性です。 直接商品で商品は買えず売る方が買うより難しい。 『構造と力』に近い形で言うと貨幣は 商品間の矛盾を累積的差異過程へと誘導する吸入口です。 自分の言葉で簡単に言うと価格と価値の落差が力です。
言語もクラインの壷のようにして変化しているのですか?
>>439 もちろん,変化するね。ソシュールはそれを共時態に対しての
通時態として捉えようとしたよ。言語の変化も「力」の概念で捉えることが
できる。
王や神が同時にスケープゴートでもあるというのがよく分からないんですが、 これは日本にたとえれば、天皇はなにかのスケープゴートであるわけですか?
俺もそれは不思議に思っていた。 何故、全員一致で殺され全体の下方に投げ出された者が 上昇し全員を統括し、個人間での直接的なコミュニケーションを 禁止するのか。 どうなんですか?
>>442 >>443 これは自分の解釈になるけど,よかったら読んでみて。
まず,スケープゴートというのは象徴と言い換える事ができる。
この象徴は,そのシステムの中にいる人々から様々に意味付けされるが,
自分からその人々を意味付けることはない。このことを他の言葉で表現
するなら「零記号」と言える。(だから人々にとって良い意味でも悪い意味でも
存在する事が出来る)
>何故、全員一致で殺され全体の下方に投げ出された者が
>上昇し全員を統括
ここは同じ人が繰り返し,また上昇(象徴化)されるわけではなくて
ほかの象徴に交換されるんだね。「統括」というのは,その象徴を置く
ことによって,システムのバランス(秩序)が保てるということ。
>天皇はなにかのスケープゴートであるわけですか? ここはなんかの本で読んだけど,天皇が今の象徴としての位置に置かれたのは, 大日本帝国憲法を作った時らしい。そうすると,この憲法の秩序を保つために 何かの象徴が必要で,それを天皇が(そのシステムによって)担わされたといえる。 読んだ本の話では,だからこの憲法のシステムはなかなかのものだったという話しだった。 >個人間での直接的なコミュニケーションを禁止するのか。 これは普通の話ではなくて,システムの維持(=秩序)に必要な話のこと。 個々人がその話をしだしたら,そのシステムにいくつものルールが作られる 事につながってシステムを崩壊させることになるかもしれないから禁止される。
>王や神が同時にスケープゴートでもあるというのがよく分からないんですが、 「良い意味でも悪い意味でも存在することが出来る」ということは重要で,良い意味の時は システムがうまく維持されている。悪い意味になる時はシステムが上手く行かなくなった時で その時は,象徴はいけにえとして殺されたりする事によって責任をとらされ,また 平和に戻る事になる。そうしたらまたあたらしい象徴が必要になるけど。 歴史的に見れば,ナポレオンなんかが,まさにそれにあたる。
ここからは自分の意見になるけど, 今のシステム(資本主義)は一応システムとしてはこれ以上変わる事がないと 言われている。しかし,システムの中の人々はイライラもするし,不満もある。 象徴としての天皇もあまり意味を持たなくなってきた。 そうすると,システムは変われないから象徴が交換される事になる。(天皇のことではない) この機能を果たしてるのがマスコミで例えば「ベッカム」は良い意味での象徴。 「サッチー」は悪い意味での象徴。この様にして次々とマスコミよって(小さな)象徴がつくられ 次々と消費されることによって,いまのシステムが維持してると言えるかも。
169、173ページあたりが関係ありそうだが
王は責任を取るために存在するってのもあるけど、メタレベルにある=生きてないってのもあるでしょ。 否定されてるからこそ、鏡になれる。
たしか「アンチ・オイディプス」では、婚姻による生産力の再分配から切り離されているからこそ、 みたいな記述があった。
451 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/14 02:11
>>442 キリストを考えれば分かるでしょう。
預言者は神とは別だが罪を引き受けて犠牲になった事で同一視されました。
天皇にもスケープゴート的起源があるのではないか。
(注意すると歴史的事実だという主張ではなく単なる解釈です)
古代の天皇は太陽に仕える/支配するシャーマン(日和見人)だった。
天候不順の時に責任を取らされて王殺しになる事があるかもしれない。
なぜそう言えるか。卑弥呼が死んだ時期に皆既日食がどうもあったらしいんです。
そもそも卑弥呼とは日巫女・日神言・日御子ではないか(姫命など他の説もある)。
天照など神話にも太陽が出てきますね。だいたい国旗が日の丸ですから。
, '´  ̄ ̄ ` 、 i r-ー-┬-‐、i しとうとキュン | |,,_ _,{| N| "゚'` {"゚`lリ や ら な い か ? ト.i ,__''_ ! /i/ l\ ー .イ|、 ,.、-  ̄/ | l  ̄ / | |` ┬-、 / ヽ. / ト-` 、ノ- | l l ヽ. / ∨ l |! | `> | i / |`二^> l. | | <__,| | _| |.|-< \ i / ,イ____!/ \ .| {.| ` - 、 ,.---ァ^! | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l __{ ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________| }/ -= ヽ__ - 'ヽ -‐ ,r'゙ l | __f゙// ̄ ̄ _ -' |_____ ,. -  ̄ \____| | | -  ̄ / | _ | ̄ ̄ ̄ ̄ / \  ̄| ___`\ __ / _l - ̄ l___ / , / ヽi___.|  ̄ ̄ ̄ | _ 二 =〒  ̄ } ̄ / l | ! ̄ ̄| _______l -ヾ ̄ l/ l| |___|
453 :
日章丸之助 :03/12/14 21:31
>>437 >『構造と力』に近い形で言うと貨幣は
>商品間の矛盾を累積的差異過程へと誘導する吸入口です。
逆に貨幣(資本)は商品間の矛盾と塁積的差異過程を吸収する場にならないの?
つーか、その双方向性(可逆可換性)のアナロジーがクラインのツボ?
クラインの壷のイメージは、今あるシステムがそのシステムの個々の要素を
かえても、システムとしては繰り返し反復していくこと。だから可逆可能性っていうよりは、
反復可能性かな。
>逆に貨幣(資本)は商品間の矛盾と塁積的差異過程を吸収する場にならないの?
この指摘は鋭いと思う。一応今までの議論を整理すると、「力」というのは、ある物と
ある物(商品と商品でもいい)のが差異を持つことによって生じる関係の変化(ダイナミズム)
のことであり、この「力」(ダイナミズム)が構造(システム)を動かす契機となっている。
上の引用部の話に戻ると、ダイナミズムをもたらすはずの差異が、あまりに「塁積的」に
蓄積されているために、新しい差異が持ちこまれる以前のシステムが持っていた個々の物たち
(例えば商品たち)の関係性になんら影響を与えられないことになってきている=以前のシステムの
持っている物(人も含む)たちの関係性に吸収されている、と考えるならこの現象は現代社会の
特徴であり、『構造と力』での分析以後の現象である。だから、
>>454 の指摘は
『構造と力』では答えられない新しい現象であると言えるかもしれないね。
累積的差異過程ってなんですか?
質問、早っ
458 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/22 20:31
>>454 >逆に〜吸収
累積的差異過程が消失するという意味ならば否ですね。
貨幣は商品間の矛盾を無限の未来へ先送りします。
>双方向性
これも否ですね。買いと売りが非対称なので単方向です。
買い手は何でも自由に買えるけれど売り手はそうはいかない。
>>455 貨幣が自己矛盾的な契機を孕むというイメージは思い浮かびます。
しかし具体的にはどういう事でしょうか?いまだ我々は壺の中にいます。
>>456 乱暴に言うと拡大再生産ですね。資本の自己増殖です。
ただしそれは本質的に不均衡累積過程でもあります。
>>458 しろうとさんおひさしぶり。
>いまだ我々は壺の中にいます。
もちろん私もそう考えるし、容易にこの壷から抜けられないことを前提に以下の主張を
展開してみます。
@差異化の過剰累積による商品の均質化。
Aその結果として差異(新しい商品)がシステムにもたらすダイナミズムの減退。
例えば、しろうとさんは哲学系に詳しいから、それ系の雑誌(現代思想、思想、哲学、
エピステ―メー、微妙だけどユリイカ等など)で説明すると、『構造と力』が書かれた
70年代〜80年代(以下A時代)だと『現代思想』がそれであるための差異(価値)が明確にあり、
『ユリイカ』がそれであるための差異(価値)があったと思います。このことはその時代の
経済の急速な発展からも説明できます。なぜならA時代において、新しい商品が市場に
供給され、かつそれが売れるということは、その商品が持つ明確な差異(価値)の魅力のためであり
その反復によって著しい経済の発展が行われたといえます(これは経済発展要因および商品が売れる
ことの一つの側面の説明であり、ほかの側面からの説明もできます)。
ここで@を考えると現代においてはA時代における差異化の過剰累積のために、商品が持つ 差異(価値)の魅力は薄められています。上に挙げた例でいえば『現代思想』と『ユリイカ』の 差異がなくなってお互いがお互いを模倣するような形態が生まれています。そして この現象はこの二者の間だけでなくほかの雑誌等についても起っています(例えば『現代思想』と 政治プロパーの雑誌など)。 つぎにAを考えるとA時代のそれが過剰であったような差異化の累積群は、現代ではすでにシステム的 な関係性を構築しており、システムにダイナミズムをもたらすはずの新たな商品がそのインパクトを なくしており、このことは新たな商品の持つ差異がA時代に構築された関係性に「吸収された」と 表現することができます。 以上のことは商品の質的な側面からの考察ですが、これと同じことは商品の量的(貨幣)な側面からも いうことができます。 こう考えると永久機関であるはずのクラインの壷の動力(「力」=ダイナミズム)は、管をつたって 壷の頂点へ行くための上昇の力を失ってきているだけでなく、壷の底にすでに出来上がっている関係性の 強力な磁場(共時態の構造)に「吸収されて」いるという新しい現象が、現代の特徴であると考えることが 出来ると思いますがどうでしょうか?
>>460 >壷の頂点へ行くための上昇の力を失ってきているだけでなく、壷の底にすでに出来上がっている関係性の
>強力な磁場(共時態の構造)に「吸収されて」いるという新しい現象が、現代の特徴であると考えることが
>出来ると思いますがどうでしょうか?
それはどういう事態ですか?
そんなことが起こったらそれこそ革命じゃないでしょうか?
462 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/23 13:03
>>459-460 どうも。資本が加速していくとある極限で反転して内破するという
ビジョンは大変魅力的ですが浅田の盟友の柄谷が否定してますね。
「差異化の過剰累積による商品の均質化」がまだ呑み込めません。
昔の大量生産=画一的商品より現在の方が遥かに多種多様です。
クラインの壺が高速回転した結果消費者の方が均質化したため
より細分化された差異を企業は生み出そうとしていると思います。
もう少し別の視点で補足すると市場の外部性は確かにあると思います。
例えばPS2よりXBOXの方が高性能で安くても売れません。
関係性の強力な磁場(共時態の構造)をこの外部のデータベースと
捉えれば均質化と多様性は矛盾しません。むしろ相互還流的です。
しかしいくら外部化しても情報化しても結局は資本に回収される訳で
それは資本主義の複雑化にはなっても資本の楊棄にはなりません。
壷というのは分かりやすく言えば、変動相場制というポスト・モダニズム的 状況のことじゃないの?
>>461 ある意味では革命的かも。なぜなら宮台の「まったり革命」という主張と
認識論的には問題を共有してると思うからです。
>>462 これ以上書いてもうまく説明することが出来そうにないので
>>462 の書き
こみと私の立場の違いを明確にしてみます。
>クラインの壺が高速回転した結果消費者の方が均質化したため
これは私の考えでは大まかに言うとA時代の特徴。
>昔の大量生産=画一的商品より現在の方が遥かに多種多様です。
しかし、単一商品の大量生産が通用するような時代だからこそ、構造に大きな力を
もたらす事が出来る。たとえば三種の神器の大量生産がもたらすライフスタイルの
変化。
>より細分化された差異を企業は生み出そうとしていると思います。 ここは全面的に同意なんだけど、まさにこれこそがダイナミズムの減退につながる 要因だと思う。「差異化の過剰累積による商品の均質化」というのは、いくら今の 企業が商品に差異を持たせようとしても、類似の戦略が形式的にはすでに以前に行われている (よってシステムにすでに組みこまれている)ので、これが反復されるほど商品は均質化する (いい方をかえると共時態のさらなる分節)。バタイユの用語を使えば、A時代の差異化の「消尽」。 ここで注意が必要なのはA時代とは明確な時代区分を説明するものでなく、A時代的な特徴を示す。
こう考えると例えば東が「動物化」と言ってるけど、私にはそれが具体的にどういう概念であるかわから
ないが理解できる気がする。「キャラ萌え」されるキャラがその文脈を「データベース」から説明
できる(構造に組みこまれる)にもかかわらず、「萌え」られるのは差異を生み出す戦略からの
逸脱で現代的な特徴だと思う。「資本主義の複雑化」を逆手にとった戦略だといえないでしょうか。
>>463 『構造と力』の理解ではその解釈は正しいと思う。けどここではそれをもうちょっと
拡張して考えています。
わお、こんなにススンデルのお
>>460 ほぼ全面同意です。
『構造と力』はサブタイトルのとおり、ラカンをモチーフに構造主義のリミットを
描いた本なので、ボクはそこで示唆されてる構造主義を超える「力」の思考に興味があります。
具体的にはニーチェ、マルクス、フロイトの名があげられているんで、それと東さんらの
主張との関係に興味があるんで。宮台さんや斎藤さんの主張も。
>「萌え」られるのは差異を生み出す戦略からの
>逸脱で現代的な特徴だと思う。「資本主義の複雑化」を逆手にとった戦略だといえないでしょうか。
資本主義は資本主義の矛盾そのものを動因にするから資本主義を揚棄することは出来ないだろけど、
個人の側が最終的に価値判断する以上は<萌える−萌えない><買う−買わない>といった戦略的対応が
可能だし、それが自然史的過程で生成するとこが歴史のダイナミズムだと思います。
>>458 「買いと売りが非対称なので単方向」だというのは現況認識としては半分アタリで半分ハズレかも。
リアルなポストモダン現象そのものである株式取引市場だと「買い」がないと何も始まらない。
でも剰余価値は「売り」を前提としてしか生成しない。この矛盾は複数体系の有無に関係ないかもしれない。
剰余価値を商品の存在論へ還元すると複数体系を前提にした発想は無化できるかも。
理論上どうであれソ連崩壊後のロシアでは物々交換が70%を占めた時期があったり、
「貨幣」や「買い」の「単方向」といった理論に無関係な現実があります。
そもそも「買い手は何でも自由に買える」ための資源は剰余価値としてしか入手できないし。
またあとでカキコします。
↑
間違えた・・・
>>467 書きこみ待ってるよ〜ん。
強度があるという言葉は差異が大きいという意味ですか?
>>470 強度って説明が難しいんだよね。しっかりした価値みたいな感じとか、
ゆるぎのない意味があるような感じ。もうちょっと考えて又書きこむよ。
472 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 00:09
>>463 金がプレ・モダンだから変動相場制でもまだモダンじゃないですか。
>>464-466 資本主義の浸透の時代があってその時は変化が激しかったということと
クラインの壺が逆回転・無効化するのとは別な気がします。
クラインの壺にすべてが呑み込まれてしまったので「成長」を感じないという事では。
ちなみに東の動物化論だと逸脱しないし逆手にも取らないですよ。
資本主義の消費社会という環境に調和し適応している訳だから。
473 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 00:19
>>467 >個人の側が最終的に価値判断する以上は
><萌える−萌えない><買う−買わない>
>といった戦略的対応が可能
東の論では主体性はデータベースにスポイルされているんで
自由とか戦略とか判断の次元は出てこないですね。
萌え要素に条件反射するだけだから意図的に萌えないというのは出来ない。
>リアルなポストモダン現象そのものである株式取引市場
東インド会社の頃から株式はあるけれどポストモダン現象なんですか。
>「買い」がないと何も始まらない。でも剰余価値は「売り」を前提としてしか生成しない
市場一般がそうなんじゃないですか。
>剰余価値を商品の存在論へ還元
これはどういう事かまだよく分からないです。
>ソ連崩壊後のロシアでは物々交換が…
例外的な事例で説得するのは無理でしょう。日本の現実とも関係ないし。
先進国が物々交換に移行するとはとても思えない。
>「買い手は何でも自由に買える」ための資源は剰余価値としてしか入手できない
そうなんですか。微妙な表現だけど労働力を売ったから全部剰余価値になる訳ではないでしょう。
474 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 00:24
>>470 この板で人気の宮台真司によると意味と強度という対になっていて
強度は意味に還元できない概念らしいです。
例えば映画を見てストーリーに納得するのが意味だとすると
CGに驚くのが強度でしょうか。
なるべく『構造と力』に沿って行こうとしたら
何か新しい解釈に抑圧的になってしまってますけれど
最終的には訓詁学じゃなくて創造的に読むのが
著者の意図だとも思いますね。
自分も『構造と力』の新しい読みを考えてみます。
ドゥルーズと宮台真司では強度の意味が違うんですか?
>>470 ちょっと考えてみたけど、私の理解はこう。
論理や意味(価値)で対象を説明できないにも関わらず、その対象がリアルに
自分にとってあること。
ああ、一文アプし忘れたので。とりあえずコレをん。 強度? 認識以前の生きていこうとする力ってな気がしまーす。 「データベースにスポイルされ」てもなお残る「主体性」のリソースみたいな。 「強度は意味に還元できない概念」「論理や意味(価値)で対象を説明できないにも 関わらず、その対象がリアルに自分にとってあること。」ですよね。 だから「その対象」が「論理や意味(価値)」を媒介にしないでも 「リアル」である度合いが動物化の度合いかも。
>>473 >東の論では主体性はデータベースにスポイルされているんで
>自由とか戦略とか判断の次元は出てこないですね。
>萌え要素に条件反射するだけだから意図的に萌えないというのは出来ない。
「論」のレベルではそうかも。問題は「論」ではなく現実的に有効かどうかなら?
少なくとも『構造と力』の「力」を実効性を示唆してるものだから。
東さんが例にだした「マクドナルドの椅子」は、その居心地の悪さで無意識かつリアルに
客を離席させるけど、そうやってお店の顧客回転率を上げるのはマーケティングの初歩。
つまり「居心地の悪さ」は「戦略的」に「判断」された「次元」のことなんで、それへの
カウンターも戦略的に判断されるべき面があると思うよん。
>東インド会社の頃から株式はあるけれどポストモダン現象なんですか。
ケインズが例にしたポストモダンの典型的な現実例は株式市場や美人投票。美人投票は
柄谷さんなんかも取り上げていた気がします。「誰が美人か?」じゃなくて「誰が誰を美人だと思うか?」。
柄谷、浅田、岩井さんの対談で知ったんだけど、400年前の大阪の米相場なんかもそう。そのシステムは
今のグローバルな金融市場や株式そのもの。
ポストモダンは時系列的に生じるものじゃなく、時系列的展開を揚棄できるのがポストモダンだから。
>>ソ連崩壊後のロシアでは物々交換が…
>例外的な事例で説得するのは無理でしょう。日本の現実とも関係ないし。
>先進国が物々交換に移行するとはとても思えない。
超大国(だった)の現象は例外じゃないかも。それに国家が発行する貨幣に対して
電子マネーや地域通貨やクーポンが登場することそのものがポストモダン化でもあるよ。
「物々交換に移行」するということより単一の貨幣が相対化されてきているこがポイントかな。
貨幣レベルでの複数体系化は間違いなく究極のポストモダンだし。
479 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 18:26
>>475 宮台さんは知らないけどフロイトが強度という言葉を使っていて
何か関係あるかもしれない。心をネットワークと捉えていた頃の話です。
>>477 動物化路線は訓練による条件反射の形成だから
いくら強度を享受してもそれは神経的なものです。
>>478 現実的に没主体性のメカニズムに対して有効に説明できています。
特にセキュリティ方面でのデータベース型=環境管理型権力ですね。
480 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 18:36
>>478 >マーケティング
アマゾンの推薦の例だとマーケティングする主体が無くて統計があるだけです。
>美人投票
そうですね。『構造と力』で言うと想像界を鏡像界と訳せっていう主張があって
その相互予期のメカニズムはポストモダン的なところは確かにあると思います。
>時系列的
投機市場では実体経済より遥かに大きい資本がリアルタイムに変動してるけれど
時系列的展開を楊棄できるとは?デリバティブみたいな話ですか。
>貨幣レベルでの複数体系化
LETSやNAMがそれが目標ですね。電子マネーやクーポンは貨幣を相対化しないで
むしろ補完しているふしもあるような気がします。
岩井克人がハイパーインフレが貨幣の弱点だという話をしているんですが
ハイパーインフレ時の地域通貨は有効で(アルゼンチン)そこに可能性はあるかもしれません。
先にアプし忘れた一文がこれえ。
>>458 ウン、累積的差異過程が消失することはないよね。
貨幣に象徴される資本は蓄積される一方だから。
だから、この本源的蓄積という不可逆性が歴史を形成するんだろけど。
あるいは不可逆性の空間的表出が本源的蓄積かな。
以上は浅田さんが愛してやまないマルクスの主張のとおりだし、唯物論でしょー。
そして累積的差異過程そのものを吸収つーか集約して蓄積できるからこそ貨幣の価値が
あり、国家が貨幣を発行する権利を持つ(と主張する、または思われている)のはそのためでしょ。
「貨幣は商品間の矛盾を無限の未来へ先送」るからこそ国家は永遠だと思われる。
まあホントは順番が逆で、権力(者)がいちばん普遍的な力の象徴として貨幣を独占してみせるだけじゃないかな?
そして権力は国家を自称する。。。だけど国家の無い時代や無い場所もあるから。。。
これがマルクスが気がついた最大最高の共同の幻想性でしょね。
市場というものもある種の幻想に基づいてる。
それが「双方向性」てゆっか「双方向性であるかのような幻想性」が
市場や取り引き、剰余価値までも可能にしてる。。。とボクは考えてます。
たとえば浅田柄谷的には「複数体系でないと剰余価値もない」んでしょけど、
ボクは剰余価値は商品の存在論に還元できるかも、と考えちゃう。
つまり「売り」を前提とした生産者の剰余価値を保証するものは何か?
浅田柄谷的な商品Aの価値は商品Bの使用(交換だっけ?)価値で表現されるという
論理?では市場以前の状態は説明できず、また「買う」単方向であるなら市場の説明も
できない。。。。
かといって浅田岩井的に資本主義が不均衡累積過程であるのは理解できるけど、
それは市場は均衡に向かうという前提のもとではじめて有意味ですね。
もちろん均衡というゴールは永遠に来ない。。。。
482 :
でえ 続き :03/12/27 19:40
問題は「買い手は何でも自由に買えるけれど売り手はそうはいかない」かもしれないのに、 現実には市場は成り立ってること。それどころかソ連崩壊後のロシアでは経済活動の 70%が物々交換になった時期があるほど。貨幣がなくてもモノが売れるほどに 現実の経済は非論理的で「力」に満ちている。。。。論理は現実認識の後づけでしかないから当然だけど。 だから常に認識論的切断が必要なわけでしょ。 そういう事実に浅田さんは「力」を見い出したんだと考えます。 「マルクス、ニーチェ、フロイト」が「《力》の思考を展開した」「あるいは可能性と して内包している」「それを唯物論と呼び」という『構造と力』P160の記述が自ら浅田以降への道を示してるよーな。 知りたいのは、それなんだよね。 そこで浅田さんが共産主義者でもあるドルーズとガタリに期待する理由はわかります。 唯物論にもとづく実効性こそが「力」だから。 ただその詳細を浅田さんは語っていない。 構造主義の限界をラカンをモチーフに説明して終わってるだけ。 「マルクス、ニーチェ、フロイト」が「内包」してる「《力》の思考」とは?
483 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 20:18
>>481 貨幣−ネーション−ステートのシステムは強力なんですね。
それは確かに幻想だけど必然性のある超越論的仮象だから容易には無くならない。
>剰余価値は商品の存在論に還元できる
このテーゼがいまだよく理解できないけれど
(浅田と柄谷を適当にミックスした)自分の考える
剰余価値の簡単な説明は次のようなものです。
剰余価値は価値と価格の差異から出てきます。
価値が違うから複数体系です。
つまり同じ価格の商品でも人によって価値が違う。
商人資本はその差異を空間に、産業資本は時間に求めます。
これはコンスタティブとパフォーマティブの対立と同じ構図です。
内部と外部の差異を利用する脱構築(アイロニー)とも。
484 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/27 20:31
>>482 スキゾキッズになれば簡単にポストモダンが来るような印象が流布したけれど
ポストモダンは「理想的極限としての」ものなんですね。
それで物々交換などは(ハイパーインフレで)貨幣が没落した場所に
出現する可能性は高いけれど現状で交代するのはやはり難しい。
買い手の売り手の非対称性がパノプティコンとしての権力
(欲望の整流装置)を支えてると思います。
とはいえ例えば東も山形との対談でハッカー文化とオープンソースの話を
オタク文化まで絡めて贈与経済の可能性へ繋げています。
>>買い手の売り手の非対称性がパノプティコンとしての権力 (欲望の整流装置)を支えてると思います。 って、ちょっと飛躍しすぎじゃない?
486 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/29 08:59
>>485 ごく単純に考えます。われわれがなしうる行為の総体をAn個とします。
(社会)システムとはこの複雑性を縮減する選択主体です。
まず司法・警察権力によって犯罪行為がAnからa個引かれます。
残ったAn-aから売り手として売れなさそうな行為b個を引きます。
このAn-a-bがパノプティコンの権力による秩序ですね。
共同体の規範cに変わって買い手の非人称の視点が制約になります。
つまり茶髪をとがめる道徳は衰退したけど就職の面接では効いてくるだろうと。
まあこれはあまりに単純すぎる話なんですけどね。
「売り手として売れなそうな行為」 「茶髪をとがめる道徳は衰退したけど就職の面接では効いてくるだろうと」 をもうちょっと分かりやすく。
488 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/29 09:35
>>487 行動を規制する権力は前近代では共同体の掟(父なる神の禁止)でした。
近代ではパノプティコン的な自己に内在化された監視の視線(予期)が権力になります。
就職の面接は自分の労働力を売るための契約の場ですよね。
その時茶髪がだめと明言してなくても染める強制力があってそれは自己の予期じゃないか。
売り手というのは例えば選挙の立候補者とかでもいいんですよ。
そして前近代と違って茶髪の候補者が当選すれば状況が変わるから
これはクラインの壺のイメージに沿ってると思います。深く考えてない雑な話ですけど。
ちなみに補足しておくと営業で他社の人と会うのとかも面接みたいなものですね。
それから家族については浮島のように残された共同体じゃないでしょうか。
よく分かりました。 しかし「売り手」と「買い手」の非対称性は、 結局は「偶然性」の問題だと思うんですが、 それとパノプティコンがどう関連するのか、 具体的なイメージをつかみにくいのですが。
490 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/29 10:17
>>489 >「売り手」と「買い手」の非対称性は、結局は「偶然性」の問題
どういう問題でしょう。一応自分の考えを述べときます。
私が欲望する商品の所有者が私の所有する商品を欲望する
という欲望の二重の偶然性が物々交換の条件です。
貨幣というメディアはこれをもっとスムーズにします(買い手の自由)。
買い手は匿名的なのでパノプティコンの透明な監視者と同じなんです。
前近代・神学・ツリー的システムでは実体ある監視者なんです。
そこでは父なる神の禁止の言葉を発する具体的な王なり神父なりがいる。
近代・否定進学・クラインの壺的システムでは抽象的監視者です。
それは非人称的で統計的な匿名の買い手の集合です。
後者のパノプティコンで監視するのは「平均的」な透明な存在です。
>>490 「偶然性」は、不透過性のことで、他者の問題に行き着きます。
それを誤配可能性と言ってもいいのでしょう。それは「予期」を超えます。
>買い手は匿名的なのでパノプティコンの透明な監視者と同じなんです。
ここがいまいちピンと来ません。
芸術作品でも客の目を意識して抑圧されちゃうのかな?
493 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/29 10:48
>>491 柄谷の「売る−買う」関係は「話す−聞く」と対比された「教える−学ぶ」関係なんです。
だから予期と言っても共有された規則を前提に出来ない暗闇の跳躍なんです。
予期の内に既に偶然性や不完全性や誤配や他者の問題が含まれています。
とはいえ柄谷はシステム論を否定するし東も自己の欠如の投影を否定してますね。
ここら辺は自分でもまだ整理出来てないアイディアの段階ですね。
>買い手は匿名的なのでパノプティコンの透明な監視者と同じ
『構造と力』では「顔を欠く視線」と「主体に内面化された非人称の視線」が対応しています。
買い手というのは貨幣を持つ全ての人間です。だから匿名的で集合的で顔は見えない。
先の例の面接的な場で主体が予期する買い手は
平均化された面接官でそれは具体的には誰でも同じです。
しろうとさんはパノプティコンの理解が適当だと思う。 ドゥルーズやあずまんのコントロール論に引きずられている気が。
超越論的統覚としての予期という話ですね。 >主体が予期する買い手は平均化された面接官 それでよく分かりました。
496 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/29 10:56
>>492 ポストモダニズム的な芸術作品は逆にその抑圧・疎外を前提にしますね。
具体的には現代美術でインスタレーションと称する変なオブジェやパフォーマンスです。
あれはデリダの「テクストの外はない」を実践しているのでしょう。
つまり「客の目」を自己言及的・脱構築的に作品に畳み込もうとしている。
これは、すが秀実辺りの受け売りなんですが
近代的な文学なり芸術が現前的なのに対して現代の文学は再現的だといいます。
テクストとコンテクスト、更にはノイズがどう関係するのかは関心があります。
497 :
しろうと ◆AUSirOutoE :03/12/29 11:07
>>494 全くそうですねえ。告白しますと例えば現代思想系の本とか読む時も
記号論理とか翻訳とか注釈とか細かい部分は面倒臭くなってきて
好みの論者だけ拾い読みして自己流の解釈で済まして正確な理解より
2ちゃんで議論する方が楽しくなってきてこりゃ動物化じゃないかとも思いますけどね…
ただ自分は比喩で考えるのが好みなんですね。
ウィトゲンシュタインの比喩は奇想天外で好き。
>>495 >超越論的統覚としての予期
そうですね。しかしやはり東の誤配とは違う気もしてきますね。
もうすこし芸術とからめて話しをしてほしいのだ。
>でえさん 「動物化」の理解の仕方、まったくわたしと同じです。理知的判断の放棄みたいなものが A時代の差異化の過剰現象によって起ったとしたら、それにも関わらずある商品なんなり に「萌え」られる(世界とつながっている)という現象に対して説明したものが、「動物化」 であると考えてます。 >マルクス、ニーチェ、フロイト」が「《力》の思考を展開した ニーチェについて言えば「超人」思想(『ツァラツストラ』)がそれにあたると思います。 超人思想とは絶えず自己差異化を伴ってあろうとする人間の態度みたいなものであると 考えてます。ソシュール的に表現したら「共時態」を絶えず壊してしまうような契機を 人間が持っている。(しかしニーチェの著作には『力への意志』というのがあってまさに 「力」が題名に入っていて、これはまだ読んだことがありません)。ニーチェの「力」の概念は 意識的なものです。 フロイトについていえば「無意識の欲動」がそれに当ると思います。意識がいかに合理的・判断的 その他のような特徴を持っていても、それにとらえられない「無意識」というものの 存在をフロイトは認めたのだと思います。これもまたソシュール敵に言えば、意識という 共時態を壊そうとする契機が無意識であると言えます。 マルクスについてはわかりません。
ソシュールの共時態とは記号論的に、静的な(動かない)システム(関係性)を とらえたものですね。
502 :
秋葉系お宅の心理学者,エリート教育は? ◆K8EfEbyWG6 :03/12/31 14:05
なんばりょうすけ=(ナツ)のオナニーすれ. キモィ
言葉にするともっともな感じだが、アマチュアであれ音楽を日常的に作っている 私に言わせればどれも当たり前のことばかりだな。
>>502 お前哲板のコテハンだろ?名前までは言わないがわかり易いってほどそいつと
同じ特徴持ってるんだよ。この板の他のスレでも書いてたよな。
新年アケメン。こんなにススンデル!!! >460 そうですね! 浅田さんの「力」の概念の導入とは、 自己差異化や静態的なシステムの動態化といった、 「時間化」だと思います。 「神の手」と言われるほどの自動調節機構である市場の 「売り」と「買い」の動的均衡をもたらすものは何か? マルクスの興味の一点はここにあったと思います。 市場そのものの中には「価格」化したシグナルしかないですが、 市場外では、その「価格」を可能たらしめる何かがあります。 まずそれは「商品」が産出されることであり、商品の産出を自己発現 としている人間=労働者がいること。 経済学は後期マルクスであり市場以降の論ですが、 初期マルクスの哲学がなくなっている感じがします。 初期と後期の間に認識論的切断があったというのは間違いで、 複雑な現実の市場に即した理論化に手間がかかっているだけで、 マルクスの問題意識は変わってない気がします。 「市場」がなくても「社会」はあるので、 市場メカニズムや価格の分析より、 市場や価格よって隠蔽されているものへの考察の方が ラジカルですね、たぶん。 その社会も個人の行為が基本なんで フロイトの分析はアナロジカル以上に重要だと思います。 市場=意識、価格=言葉、価値=意味、市場外=無意識 神の手=?
順番がはちゃめちゃになりますが、今年もよろしく! >近代ではパノプティコン的な自己に内在化された監視の視線(予期)が権力になります。 「近代」ではそうですね。ポストモダンではどーか? 『自由を考える』の大澤さんと東さんの対談で <パノプティコンは、「自分が見られてるかもしれないという不安」>だとして、 <「見られていないかもしれない」というのが現代の不安になっているわけですね。> と結論してて、これはOKだけど、よーやくインターネットの常識?に到達しのたか? という感じがする人もいるはず。 カンタンにいえば モダンな権力の受け止められ方である「見られてる」という、権力からの監視でさえ、 「見られてないかもしれない」という、つまり<見られたい>願望に相対化されちゃう。 少なくとも<見られたい>願望がカンタンに充足できる(気がする) ネット社会への洞察は、鈴木謙介さんの『暴走するインターネット』やいくつかのWEBで 示されてるとおりだから。 ではナゼ<見られたい>か? というのが最もラジカルなテーマだと思います。 つまり心理学や精神分析の領域かもしれないけど。
>>503 内面のものが、外へ出せた時の感覚でしょ?
ボクも調子がいいと20分くらいアドリブ(ソロのパートを)演奏するんで
外化できる瞬間というはよくわかるよん。
練習すると練習のとおりにしか演奏できなくなるんで、
練習しないプロもいるよね。
>>498 >もうすこし芸術とからめて話しをしてほしいのだ。
浅田さんも審美眼的価値の審級を最上級?においてると思いますが、
ボクもちょっと違った意味で審美的価値が最もラジカルだと思います。
ラカン派で「黄金数」を取り上げてる人がいて興味があるんですが、
全然「解」を出せる論ではなくて残念だったりします。
<アバタもエクボ>という言葉がありますが、
美醜の判断がコロコロと変わる例として、何か材料になると思ってます。
まず審美的判断は最も移ろいやすい、いい加減なものだと定義できるかも、とか。
509 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/02 16:50
>>498 資本主義と消費文化に関係あるのは広告でしょうね。
『構造と力』では広告はクラインの壺モデルです。(p223の注)
ボードリヤールは広告の特徴を同語反復形式に見る訳ですが
確かに散文とは違った原理が出てきているように思えます。
つまりコマーシャルはパフォーマティブなんですね。
最終的に売れなければ意味がないから。
断片的なので番組の内部にも容易に寄生するし
参照と引用と圧縮のこの上ない生きた見本です。
510 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/02 17:02
>>505 市場の均衡の話は確かに謎ですね。
ケインズが大嫌いな古典経済学のセーの法則があります。
これはリカードの説らしいんだけど、何か倒錯的で自分も嫌いです。
ジジェクが精神分析による「市場の見えざる神の手」の説明をしています。
ヘーゲル流の「理性の狡知」やラカンの「大他者」は神の手の言い換えだと。
それは遡及的に見出されるのであって歴史の主体としては存在しない。
511 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/02 17:06
>>506 >『自由を考える』
そうですね。現在ではパノプティコンが反転している。
なぜ見られても平気なのかを簡単に説明します。
パノプティコンの監視者は統計的な多数者の視線なんです。
ところが価値が多様化するポストモダンでは視線は少数者のものです。
『動物化』で投影モデルから読み込みモデルという変化が示されましたが
ポストモダンでの視線は読み込もうとする主体の解釈に過ぎないのです。
>でえさん
>>506 >カンタンにいえば
>モダンな権力の受け止められ方である「見られてる」という、権力からの監視でさえ、
>「見られてないかもしれない」という、つまり<見られたい>願望に相対化されちゃう。
>少なくとも<見られたい>願望がカンタンに充足できる(気がする)
>ネット社会への洞察は、鈴木謙介さんの『暴走するインターネット』やいくつかのWEBで
>示されてるとおりだから。
>ではナゼ<見られたい>か?
>というのが最もラジカルなテーマだと思います。
ここの部分しろうとさんが哲板で議論してるよ。しろうとさんと私(ななし)で
ちょっとこの部分に触れたし。しろうとさんの議論はめちゃめちゃ面白いから
読んでみて!(たぶんしろうとさんが来てリンク張ってくれると思う。私はやり方
わからないんです・・・)
>ラカン派で「黄金数」を取り上げてる人
新宮一成かな?(『ラカンの精神分析』講談社現代新書)
今日たまたま『ブッダの夢』河合隼雄と中沢新一の対談読んでたんだけど、この
本でも黄金数に触れてたな(p18〜)。ちょっとしか触れてないけど。黄金数と
仏教の「中観」(ちゅうがん)という言葉と湯川秀樹の「中性子理論」が似てるらしい。
513 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/02 17:15
>>513 このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
残念ですね。議論を適度にコピペしてもいいかもしれません。
ほんとだ読めないよ。 しろうとさんて本書いてんの? 460さん、中沢さんていい? 以前は読んだんだけど。 新宮さんは斉藤さんがどっかでほめてた気が。 最近の斉藤さんのルーマン批判がスリリングだね。 立脚点が『構造と力』に近いところからルーマン(システム論)批判をしてる。
>ポストモダンでの視線は読み込もうとする主体の解釈に過ぎないのです。 象徴界が機能してないとする東さんたちの観点のこと?
517 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/03 22:49
とりあえず、価格による市場均衡ってのは理想論で、 市場の取引者が匿名多数であり、参入・退出が自由、 取引コストが無く、市場に関する情報が完全であるという 状況のもとでの話だけどね、
古本屋で「構造と力」がワゴンセールで出されていたので買ってみました。 これから読みます。正直、読めるのか不安です。。 なるべく低レベルな質問はしないようにしますので、よろしくです。。
>>515 でえさん
>中沢さんていい?
正直びみょうですね。読む価値はもちろんありますが保留しておかなければ
ならないことが幾つかありますね。一応、一つの規準を言いますが
1年に読む本が50冊以下であれば読まなくてもいいと思います。100冊以上読むのであれば
その中の1冊として読む価値はあると思います(又は読んでもいい)。
>ルーマン批判
私もルーマンは読んでみたいのですが、なかなかルーマンの著作には
お目にかかりませんね。似た名前のマートンから読んでみようかな?
>>517 しろうとさん
議論がどうなるか楽しみですね。今度はレスしないで、どうなるか見守ろうと
思ってます。前の議論でしろうとさんの主張を理解してる人は少なかったので
今度はどうなるか見てみたいと思うんです。
>>519 頑張って読んでみてください。あの本はある程度理解するととてもおもしろくなってきますよ。
『逃走論』や『ヘルメスの音楽』なんかも100円でたまに売ってるので買ってみるといいですよ。
答えられる質問であればいくらでも答えますよ。
>>しろうとさん
出来ればでいいですが、しろうとさんのWEBに掲示版を設置してもらえませんか?
あの短文の評論が載ってるとこあたりに。出来ればいい本の情報交換とかがいたいの
ですが。
>今年もよろしく!
私こそ、今年もよろしくです。身の回りにこういう話ができる人がいないので
とてもありがたいです。
>>518 そうですね。価格硬直があります。
>>519 素朴な質問していいですよ。
>>521 見学どうもです。何かスレタイから脱線してます。
>>522 掲示板を設置すると管理の手間が掛かるので
まだ考えてないですね。でもなんか考えときます。
盛り上がってきましたね。
東浩紀「存在論的、郵便的」と一緒に読み始めました。 「構造と力」のほうは浅田彰よりは親切に書いてあるような? 固有名とか起源への遡行可能性とか転倒とか言葉が「移動」するとか、いままで考えも しなかった切り口なのでとても面白く読んでます。しかし、今読んでる段階では屁理屈こねてる だけのようにも思えてしまうのでもう少し読みすすめてみます。
浅田彰は自著について 大体ぼくは、システムとか主体が存立し得ないような、 まして「ひよわなボクちゃん」なんて吹き飛んでしまうような、 非常に激しいエクスターナルな力の場を問題にしているのであって、 そこで可能なのはいわばヤケクソのオプティミズムだけなんですよね。 ブラックユーモアの極限で、叫んでいるのか笑っているのかわかんない ようなところを出したいと思っているわけ。 と語っていますが、非常に激しいエクスターナルな力の場というのはなんでしょうか? またそこでブラックユーモアが大切なのはなぜでしょうか?
彰は自分の見た目が「ひよわなボクちゃん」だと知っているから。 ブラックユーモアが大事だというのも、 実際の彰が得意とするのがアイロニーであることを気にしているから。 ようするに努力目標。
学者としては猿だがな.森博嗣=犀川創平を目指したほうがいい.
529 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/08 21:43
>>524 そうですね。
>>525 透明で論理的な文体なので読み易いですね。
「何かの役に立つ」事を性急に求めると失望するでしょうね。
しかし抽象的な話だけに応用可能性が極めて高いと思います。
>>526 筑紫哲也ですか?
>エクスターナルな力の場
既存のシステムに回収されないような出来事の事でしょう。
>ブラックユーモアが大切
『構造と力』でも アイロニー→モダン ユーモア→ポストモダン
という図式がありました。差異をそのまま享受する事と関係あるでしょう。
>>528 森博嗣って小説は人気ですけど学者としてはどうなんですか。
頭わるくてすみません。。教えてー 「第二章-二つの手紙、二つの脱構築」で展開されている「郵便」という概念についてなんですが これは結局、絶対的な単独性は無いということになるのですか?「固有名と単独性」というのは言い換えれば 「ベートーベンのオリジナリティ」ということですよね?単独性というものが過去からの伝達経路を消去した上で 仮構される、錯覚としての剰余であるとするならばそうなると思うのですが。 じゃあ、ベートーベンのオリジナリティとは具体的に何かと言われると言葉につまりますが、ベートーベンには オリジナリティがあるような気がするんだけど。。 例えば、 ある人の音楽作品に単独性を感じる部分があった、きっとこれは過去の作品からの引用だろうとふんで遡行しても 該当するような参照元が見つからない場合はどうなんでしょ?これも伝達経路は脆弱なんだからぼくの調べ方が まずいだけで、元ネタはどこかに必ず存在するという話になるのですか?
風呂はいって考えてたらわかったようなきがする!(笑) 実はベートーベンは100人いたんだけど、そのなかから確率論的に一人の ベートベンが歴史の忘却からまぬがれたって考えるのかな。 でも、これって精子の着床競争なみに現実感ないよね。。
532 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/01/09 18:25
>>530 単独性は特殊性ではありません。
単独性は端的には固有名で名指される事によって生じます。
そこら辺の人や犬や木やコップでも名前を付ければ単独性が生じます。
確定記述(特殊性)がどんな平凡な性質でも固有名があれば単独的です。
だからオリジナルかどうかの話とは別ですね。
それで確定記述に還元されない固有名の剰余の生じる原因について
ゲーデル的脱構築では主体の欠如の投影を
デリダ的脱構築ではコミュニケーションの不完全性から説明します。
どうもありがとうございます。 単独性と特殊性がごっちゃになってましたか。。 もういっかい整理して読みなおしてみます。
古代ギリシャは近代ですか?
>>534 横レスですが、質問が漠然としすぎてませんか?
もう少し、自分の考えてることが、相手にわかるような
書き方をしないと、返事のしようもないと思いますが。
脱構築とかで、「ズラす」という言い方がされますが、これはどういうことですか?
保守
>>534 古代ギリシャは歴史学なんかの定義だと近代ではないけど、いくつかの
特徴から近代的であると言うことは出来るよ。
>>536 例えばいくつかの用語(概念)からなる理論があったとすると、その用語の一部の
意味を読み替えて、理論全体を替えてしまう事が「脱構築」。理論が建物だと
して柱が用語だとすると、柱を換えて建物を替えてしまうこと。
今までは理論に対抗するには、それと違った理論を作って対抗してきたけど
それとは違った戦略的なものだね。
だから脱構築ってのはなにも新しい用語なんかを作らなくても出来るし(考え方として の話で実際簡単じゃないけど)、デリダは西洋形而上学について言ってるわけだけど、 この西洋形而上学の考え方が簡単に乗り越えられるものじゃないって考えがデリダなんか にはあるわけ。
一方向の生成が反動的なのはなぜですか?
>>540 別の方向の動きに「反」している動きだから、反動。
リアクションはしょせん後追いということです。
>>460 上の方に書いてあったことに質問なんですけど
哲学思想関係の本を一年間にどれ位読みますか?
例えば構造と力程度のレベルの本を
一年間に100冊もよめますか?
>>542 1年に100冊も濫読してどうすんだ?
知識獲得として読む分にはそれでいいかもしれんけど。
思想それ自体を自己目的化して学ぶのには反対。
1・あれは、理解できないようにかかれているので、理解できるほうがおかしい。
私は京大に通ったが、浅田彰の、大学院修士課程の{社会経済論}のゼミは、履修者が0{ゼロ}らしい{浅田先生の講義を院生が理解できないため}。
{なんで厨括弧使うんだよ}
強調するため。英語でいうDO・DIDの用法と同じ。
>>547 藻前学部はどこよ?
どうせ院に進んでないだろ?
噂で悪印象持って叩いているだけなのが見え見えだ。
547*京大の事務員に聞いたんですよ。教務部の。
>>552 だからそういう香具師が噂を増幅しているんだっつうの
院試について問い合わせただけの学外者だろ?
しかし、京大の職員が、まったくのウソを言うとは思えない。
ここではなく浅田スレでやった方が良いと思います >お二方
『構造と力』を読む暇あったら、フランス語勉強して 原典にあたった方がいいよ。デリダやドゥルーズなん て日本語で読んでもしょうがない。ジョイスの『フィ ネガンズ・ウェイク』を日本語で読む様なもん。 雰囲気だけ味わいたい方は日本語でどうぞって感じ。
大体その人物がどの程度の学力を持っているかは、ある著作に対するその 人の対応あるいは評価で知ることができる。 >フランス語勉強して 原典にあたった方がいいよ。 のように言うことがどれほど、楽観的な主張であるかということだけは 俺にもわかる。
構造と力は構造主義を内部から辿ってその極限で唯物論を展開したわけでしょ。 そういう理論を踏まえたレスがないのがなんとも貧相な感じがする。
それ君がやればいいじゃないか。ちょこっとでてきて「唯物論」なんて言ってみても なんの説得力もないことくらいは考えないと。その程度のことを言うのは簡単なことさ。 ただ「辿って」って表現は明らかに違うけどね。
ちなみに 「構造主義を内部から辿ってその極限で唯物論を展開した」ってのも違うよ。 ポスト構造主義の構造主義批判に「唯物論」が出てくるとは驚いた。マルクスと ごっちゃになっていませんか? 議論にはいくらでも受けてたつからまずこのテーゼが何を意味するのか説明 してみて。
561 :
SIROYAGI ◆K8EfEbyWG6 :04/02/03 21:38
>大体その人物がどの程度の学力を持っているかは、ある著作に対するその >人の対応あるいは評価で知ることができる。 漏れもそれで評価して欲しい・・・・(別スレからすまそ) 『構造と力』は買ったけど読んでないな,というか漏れには難しい.
562 :
SIROYAGI ◆K8EfEbyWG6 :04/02/03 21:41
ネゲントロピーの小島とか動的開放形とかね.もっとシンプルな言葉で書いてもらえると うれしいね.(山形浩生談→だそうだ前田記)
563 :
SIROYAGI ◆K8EfEbyWG6 :04/02/03 21:42
そういや山形浩生スレ訴訟以来立てられてないね.
>>560 いや、そうでもないと思うな。
構造主義以降のマルクスやニーチェやフロイトを力の思考、つまり唯物論という
観点から捉え直すということは彰自身言ってる。
その辺を押さえておかなければ、流行ものとしてのポスト・モダンと見られても
しかたないと思うが。
とりあえずマルクスを前提としないことには始まらない。
やっときたか。「力の思考」は認めるが、それが「唯物論という観点捉え直すということ」 ってのはちょっと違うんじゃないか、君のレスでの言い分と。 というよりもその批判自体がたんなる流行した言われ方でもあるし。
そもそも「構造と力は構造主義を内部から辿ってその極限で唯物論を展開した わけ」ではまったくないよ。構造主義では捉える事の出来ない性質を強調した だけで。「力の思考」がどう「唯物論」と関わるのかよくわからないな。 そもそも構造主義自体が、唯物論的な意味での「もの」に対してそれをXとした 独立変項とみなし、関係性を見る立場だし。
>「力の思考」がどう「唯物論」と関わるのかよくわからないな 浅田自身よくわかってないw
「ニューアカ」 懐かしいね〜
とりあえず、経済的なものによる最終審級における決定まではOKなわけだが。
つーか、唯物論がどうのとかよくわからんで使うなっての。 ハズイ。
572 :
ニューアカ :04/02/04 02:35
話は違うかもしれないけど、上野千鶴子はアルチュセールを踏まえない 香具師を猿扱いしてました。
ここのヤシは唯物論といっただけで冷静さを失って文章が読めなくなるようだw
確かに、マルクスがいう唯物論だけでも半端じゃなく複雑だからね。
「人間たちの社会的生産関係や、これらの関係に包摂された際に物件Sache が受け取る諸規定を、諸物の自然的諸性質として考察する、経済学者たちの 粗雑な唯物論は同じく粗雑な観念論であり、社会的諸関係を諸物に内在する 諸規定として諸物に帰属させ、こうして諸物を神秘化するフェティシズム である」 とマルクスは言った。 こういところは押さえておきたいよね。
誰が誰だかよくわからんけど、大きなことを言う割には言ってることが たいしたことないよ。ただ今までの唯物論云々って正直言って間が抜けて いるというか、それで『構造と力』くらいは読んだの?って言いたくなる ようなレベル。質の高いレス待ってますよ。
まずは、なぜ『構造と力』を読むためにマルクスの唯物論を押さえておかなければ ならないのか?って感じでお願いしますよ。浅田は一応経済学者とも 名乗っているけど、この本は基本的にドゥールジアンよって書かれた本だと言っていい。 マルクスとドゥールーズでもいいですよ。
579 :
素人からみても :04/02/05 00:16
理解するような本じゃなかったなぁ 疾走感を味わうような類の書だ 追いつくこと一本槍だった時代から さて俺たちってどうなん?という時代への 転換を感じさせるものが色々流行ったけど その一つってかんじ 例えば音楽業界におけるYMOのインパクトとシンクロしていると思う 西洋人ってこんな結論に至るのに 結構無理して苦心して御苦労だねぇ そんな不便なものにはとらわれずにさぁ さっさと先に進もうぜ という 追い越し車線の心理に よくマッチしていたと思う 平成しか知らない人には 想像が難しいかもしれないけどね
弁証法が反動的(リアクティブ)ならどうして脱構築も反動的じゃないんですか?
>>581 弁証法が反動的というのは、どういう意味で言ってるのか?
それと、脱構築と弁証法は別物だろ?
ガイシュツかもしれない素朴な疑問だが、 なぜこの本は青土社でなく勁草書房から出たの? 売り上げ数考えると、青土社は結果的に大損こいたことになるが。
より学術度が高いからです
>>583 今村ひとしのこね
富岡勝の慧眼
だろ。
586 :
考える名無しさん :04/02/22 23:19
今村の功績ってあるの? 思想とか哲学とかそういう研究面でさ。
功績はわからん。
おそらく、 1日本へのアルチュセール導入 2本格的アルチュセリアン市田を育てた 以上。
589 :
考える名無しさん :04/02/28 14:44
今村? 大学で「実存主義の構造主義的解釈」とかいう講義やってたよ。
近代資本主義制下における祝祭にはバタイユ的な蕩尽の可能性はまったくない、 と断言されておられるのですか?
おまえら中沢を読めって言ってもいまさらあんな詐欺師の でたらめな本を読む気にならないでしょ でこれも同じだって野 20年前のブームを追いかけてどうすんのさ 20年遅いよ
592 :
◎ ○ ◎ :04/02/29 04:29
593 :
考える名無しさん :04/03/01 12:39
蕩尽..... 往年の栗本を思い出すなあ
いまさら繰り真のパンツをはいた去るとか歩欄にーとか読もうとしないだろ
595 :
考える名無しさん :04/03/02 10:53
くりしん、生きてんのかあ?
あの頃有名だった学者はほとんど三流大学のセンセイになってるね。 蓮実は出世したけど。浅田はあんまり変わってないな。
パンツ猿とポランニーを一緒にするなよ
599 :
考える名無しさん :04/03/03 17:11
ポラニアンは迷惑しただろーにい 自己中のハゲのおかげでえ
通俗化したポモイメージは、 このハゲが一身に背負っているな。
「命がけの飛躍は、価値は交換前には存在せず、交換後に見い出されるっていう ことみたいだけど、ようは労働者が消費することではじめて商品の価値が生まれる、つまり 消費とは価値創造行為であるっていう風につながる」 という解釈で正しいですか?
>>601 そんな感じだけど、商品はあらかじめ売れるとは決まっていない
というニュアンスが強い。
604 :
鳥インフルエンザ :04/03/08 13:34
会長夫妻自殺だな
ドゥルーズ=ガタリだって内実はお寒いYo
あらゆる質的差異を貨幣という量的差異に差異に還元することで、 構造の外部を内部にエクスプロイット(開発=利用=搾取)してゆく資本主義は、 構造を解体すること自体を構造化した制限された脱コード化社会であり、 外部からの侵犯をなしくずしにしてしまうというのである。
脱構築の意義はなんですか?
>>607 浅田は脱構築を嫌いなはずだよ。
別スレで聞くべし。
こんなもの読んでもなんらかの進歩があるわけでもないし頭も良くならんよ せいぜいきょーじゅに頭なでなでしてもらえるぐらいのもんだろうな
611 :
考える名無しさん :04/04/14 08:48
>>601 >価値は交換前には存在せず、交換後に見い出される
価値以前に「交換」が成立しちゃう理由を考えてみな。
価値観などなくても、アブラムシと蟻は蜜と安全を交換したりしてる。
事後に価値や意味を見出してる人間の学問なんてその程度だろ。
>>611 >価値観などなくても、アブラムシと蟻は蜜と安全を交換したりしてる。
ププププププププププwwww
>>611 それは違う。ここで重要なのは商品が売れることにより商品となる
ということだから。
スタイル感覚が大切というのはどうしてなんですか?
自滅しないための歯止めでしょう。 この辺りのことは、フーコーが書いてたんじゃなかったっけ。
616 :
考える名無しさん :04/04/20 19:52
>>614 審美眼は時代の制約を受けないからとゆーことではないかな?
619 :
考える名無しさん :04/04/21 18:04
>>617 自分があたかも政府高官かなんかになったかのような誇大妄想に駆られて、
やたらと「国益」なんかを論じたがるやつが多い。
当たってるじゃねーか。W
なぜこういうバカが多いのか浅田に論じてもらいたい。
究極のスキゾなんだろうさ。
622 :
名無しさん@社会人 :04/04/22 01:24
>>619 そんなもん、一般市民の評論家はほとんどそれじゃないの。
623 :
名無しさん@社会人 :04/04/22 08:55
>617 その浅田の気迫にゃ、2ちゃねらー程度じゃ、勝てねーな。 アタマも無くて、気迫も無けりゃ、オワリだろ。 別に浅田の味方はしねーが、浅田よりへタレが多すぎだよ。
624 :
>>623 :04/04/22 17:59
吉本を観よ! 自閉症でもがんっばってんるぞ
>>617 浅田、かなり細かいところまで見ているな。
>>625 情報収集する助手が何人もいるのかもしれない。
浅田ってなんで討論番組にでないの? ただでさえ机上の空論とか言われてるんだから ここは一発、他のパネリストと一戦交えて そのイメージを払拭させようとは思わないのだろうか? このまえの朝生なんかピッタリのテーマだったのに。 視聴者には難しくて、番組から呼ばれないだけなのかな?
628 :
名無しさん@社会人 :04/04/25 06:34
強いだろ。宮台と一度一緒になる機会があったらしいけど、宮台は逃げたらしいから。
強いんならなんででないの? 力を誇示するのはマッチョ主義だからか? 他の論客を圧倒して 自らの説得力をアピールしなけりゃ 世の中変わらないと思うが。 でないとただの言いっぱなしになる。
あ、別にアンチじゃないですよ。 純粋な疑問。
朝生ってキャラ立ちがすべてじゃん 彰はそういうの嫌いなんだよ 自分も十分キャラだけど。
633 :
・・・・・・ :04/04/25 13:54
いくら、明晰に説得力のある話をしても、 田原「そんな難しい話してちゃだめだよ。AかBか、どっちなの?」 なんてことになることが確実な番組に出るだけ無駄。
635 :
名無しさん@社会人 :04/04/25 18:51
共産党に招かれて対談だかインタビューに応じた時は素直だったぞ。 経済分析に関しては共産党と同意してたな。 むしろ意見に相違が無かったというべきかな。 意外でもないけどね。
636 :
名無しさん@社会人 :04/04/25 20:24
>>630 >でないとただの言いっぱなしになる。
まあ、あくまで理想を追求しつづける思想だからな。
637 :
名無しさん@社会人 :04/04/27 23:03
>>636 じゃあ、現実とのすりあわせはどうやるの?
>>357 超遅レスなんだけど
それって1971年に起きた事件だよね?
浅田は1957年生まれだから当時14歳。
14歳で京大学生会館で赤軍の逃走支援はありえんと思うが。
ひょっとして年鯖読んでるのか。
639 :
名無しさん@社会人 :04/04/30 21:40
>>638 朝霞自衛隊員殺人事件は71年だが、
浅田が関わったのは、その後の闘争支援だろう。
犯人の「逃走」支援ではなくて、その後の
法廷などの「闘争」支援だろう。
浅田をTVに初出演させたディレクターに直接話しを聞いたことがあるよ。
浅田は当時の京都では有名な左翼活動家だったらしい。
>>639 レスどうもです。
その辺の経緯を全然知らなかったのでちょっとぐぐってみた。
朝霞自衛官殺人事件が起きたのが1971年で
当時京大経済学部の助手だった竹本信弘がその事件の黒幕として指名手配された。
彼は滝田修というペンネームで大学解体などの論文を書くなどして
全共闘運動の教祖的存在だったらしい。
で、その竹本は10年間に渡る逃走の末に逮捕され懲役5年の判決を受けるのだが、
その逃走を浅田が支援したということなら、時間的な筋は合う。
さらに竹本はシャバに出た今もその事件とは無関係だったと主張しているらしい。
それを信じるならば、もし浅田が彼の逃走を支援したとしても、
>>360 が言うように
人殺しの支援にはならないだろう。
そうすると、同じ京都大学助手で左翼の活動家(?)だった浅田が
「逃走論」で逃げることを肯定したのも事件と無関係ではないような・・・
・・・などと想像力をたくましくしてしまった。
長文&思いっきりスレ違いスマソ
前衛がウェットと言われるのはどうして?
>>その竹本は10年間に渡る逃走の末に逮捕され その記述が正しいとすると、1981年に浅田は左翼運動家として 裁判闘争にかかわったことになる。 構造と力に収録されている論文の半数がこの時期までにかかれ、 すでにドゥルーズ=ガタリの著作も読んで、 既存の左翼からは一線を画す思想を身に付けたはずでは無かったのだろうか。
ここには研究者いないってことねw
644 :
名無しさん@社会人 :04/05/15 01:41
645 :
名無しさん@社会人 :04/05/16 09:16
やめたほうがいい。
646 :
プププ :04/05/25 11:14
ここには役立たずはいないってことねw
647 :
名無しさん@社会人 :04/05/29 15:58
「垂直の力」ってなんのことですか?
648 :
名無しさん@社会人 :04/06/02 15:07
クラインの壷で「力」を図式化してるわけですか?
>>647 象徴界への移行のことじゃない?
>>648 そうそう。それで永久機関と外部が存在しないことを表してる。
650 :
名無しさん@社会人 :04/06/08 19:54
浅田って?
まだあったのかこのスレ…
652 :
名無しさん@社会人 :04/07/28 12:34
自由になるためには、ディシプリンがいる。 単に自由に踊ってみろといったら、人間は大体 似たような動きしかできない。すごいディシプリンで ぎりぎりまで追い詰められたときに、そこから どう逃れるかというので自由が発生する。」
653 :
名無しさん@社会人 :04/07/28 19:17
社会学ではないだろ
654 :
名無しさん@社会人 :04/07/28 19:26
社会思想史だな
「構造と力」 という構造がかつては力があったといいうことで・・・ 現在はもっと、プラグマティックにっという社会に移ってきて・・・ 「構造と力」という構造がすたれた。 ぼくの理解はおかしい?
1からスレ読み返してて気付いた。
>>63 の、
「浅田だめ=日本の人文系だめ」っておかしいよな。
>>62 が言いたかったのは、「浅田凄い=日本の人文系だめ」だもんな。
くだらん亀ですんまそん。
引き続き過去ログを世の出るんだが、2年半ほど前に出現してる「入学生」って奴、
なかなか面白いね。
>>134 >>138 >>139 の流れは不覚ながらワロタよ(藁
658 :
名無しさん@社会人 :04/09/06 22:38
浅田の事はもういいかい?
659 :
名無しさん@社会人 :04/09/09 18:24
なんか、坂本隆一と村上龍との対談で「構造と力」は体系だてた思想の紹介に過ぎない といってたよ。 そうよね。
660 :
名無しさん@社会人 :04/09/09 20:17
でさあ、「構造と力」は「構造主義のリミットとしてのラカン」紹介本でしょ? いまさらラカン云々も芸が無いけど、結局ラカン以後は何が、誰が登場したの? そろそろそこまでいってよ。 本あまり読まないから教えてよ。
661 :
名無しさん@社会人 :04/09/10 20:26:28
>>659 っていうか、今更「構造と力」も糞も無いと思うが。
662 :
名無しさん@社会人 :04/09/12 00:17:19
そのあとに新しいものが何も出てこないから
っていうか、まともに構造と力を読めたやつってなかなかいないと思うけど。
>>663 人間は才能などの諸条件によって偏在傾向が見られるということです。
そんなに難しい本でもないよね。 大学入ったばかりの学生が読んだらワケわかんないかもしんないけど。
>>665 確かに。杉浦光夫の解析入門の方が遥かに難易度が高いよな。
いやいや。原典に当って読んでたら半端じゃないことがわかる
浮遊するシニフィアンというのはどういう意味なんですか?
みんなは彰タンからのメッセージは受け取ったの?
僕は、「テクストとしてのマルクス」だけを救うといった小心な小細工には反対であって、 マルクス主義の最良の部分は、むしろレーニンなり毛沢東なりによって引き継がれてきた 伝統のなかにあると思ってるんですね。 そこからすると、マルクス主義が「南」なり「緑」なり「女」なりと接近して多様化していくのは 悪いことではないと思うけれども、それがややもすると観念論的な予定調和のビジョンのなかに ひきさらわれていこうとするときに、そうした伝統の中にある暴力的な解放性・前進性を、 もういっぺん思い出すべきだと思う。 あるいは、テクスト左翼と称する人たちが、すべてを差異の戯れの中に回収しようとしているときには、 そこにはとにかく外部があり<物>があるではないかと、レーニンのようにいってやるべきだと思う。 そういう意味でまっとうなマルクス主義のすごさは絶対にバカにできないと思ってるんです。
たとえば僕は浅田彰の売り出しに一役買ったわけだけれど、浅田彰現象というのはたしかにあった。 それが具体的にはどういうメディアでどれくらい売れたのかというと、構造と力が十万部ぐらい売れて いろいろなメディアのインタヴューがあって朝日ジャーナルに載ったということでしょう。 ところがその程度のことは、山口組のような力をもってすれば、簡単なことなんですよ。 浅田彰現象くらいはね、三つも四つもつくれる。そのことのおそろしさですよね。
ツリーからリゾームへ だけ覚えとけばいいんじゃあないの? ドゥールーズ/ガタリの言葉だけど 当時リゾームの意味がぜんぜんわかんなかった インターネットのことだったんだね WEB なんていわないで、リゾームって呼べばいいのにね フランス人はそう呼んでたりして?
ラディセルとリゾームってどうちがうの?
文体の華麗さが今となってはじゃまですけど、内容は悪くないでしょう。
675 :
社会的位置空間・生活様式空間―その1〜3 :04/12/14 02:30:04
貴族系←――――――――――→権力への意思←――――――――――→ユダヤ系 ↑能、皇居、ピラミッド、ヴェルサイユ宮、クラインの壷、FRB、ウォール街 (=都会的) |フーガの技法、大英博物館、ENA、ルーヴル、オルセー、モナコ、シティ、ソロス ↑ |クラレンドンプレス、Oxford、ソルボンヌ、Princeton、ノイマン、Cambridge、MIT | |アリストテレス、Harvard、オペラ、J・ラカン、ビル・ゲイツ、Stanford、相続遺産 | |プラトン、文T=旧大蔵=日銀総裁、Yale、L・サマーズ、AER、HBR、NASA | |クリントン、ボストン、JFK、浅田彰、M・シュネデール、一橋=旧通産、先物取引 | |シャンゼリゼ、チェス、シュレシンジャー、絵画収集、ダ・ヴィンチ、自家用旅客機 | |マルクス、T・S・エリオット、外交官、フランス大使館、BMW、商人資本、ヨット | |ブリューゲル、グロティウス、『批評空間』、文U、ラファエロ、理V研究医>臨床医| |ウォーホール、スピノザ、ルイ・ヴィトン、シャネル、クレディ・スイス、大前研一 | |M・フーコー、カラヤン、スウェーデン、ノーベル賞、The Economist、ポルシェ、F1 | |コクトー、 (=柄谷行人?)、京都大、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、BMW| |ハリー・ポッター、ヴァイオリン、ピアノ、ビリヤード、ル・フィガロ、F1、投機、乗馬 | |古典、超自我、『構造と力』、『逃走論』、『マリ・クレール』、ゴルゴ13、イチロー | ↓フロイト、ライプニッツ、慶応大、三田会、テニス、受験技術研究家、応用数理科学↓ 学術系←―――――――――――→ブランド系←――――――――――→ブルジョワ系
676 :
>674 :04/12/15 05:17:50
え?どうして?その根拠は何ですか?あなたはどんな分析や実例に基づいて そう言うのかな?どうしてその結論になるの?具体的にはどういうこと? 明晰かつ論理的な日本語で書き込みできます?
677 :
名無しさん@社会人 :04/12/17 13:20:14
そんなことより 糸コンニャクを噛まずにいっぱい食べた翌日 ケツの穴から、糸コンニャクを引っ張り出すと 気持ち 工エエェェ(゚∀゚)ェェエエ工
678 :
名無しさん@社会人 :04/12/22 05:10:11
嫌い
日本の社会学はレベルが低く、東アジア最低の低水準だよ。ップ。 欧米の研究者からすれば、「日本でも社会学ってあるの?」ってくらいどうでもいい存在だし。 左翼でもイデオロギー批判でもいいけどさあ〜。レベル低すぎ。世界でもっとも遅れてるぞ。 日本の大学には馬鹿しかいません。土人もいるよ^^ 理論を次々に泥棒して国内だけで威張ってます。世界の笑い者にして、田舎者。 東アジア最低の低水準。日本の社会学は死んでるんです。 東アジア最低の低水準。世界で相手にされないんです。 東アジア最低の低水準。国内では威張ります。 馬鹿すぎる〜^^;ゴミだよ〜。 アホは隅っこでオナニーでもしてなさい。 早く、日本の社会学はアフリカの国々に追いつかないとねー^^; 井の中の蛙どもがんばれー。 世界でアホ扱いされてるけどがんばれー。 無駄な知識を溜め込んで、アジアで笑い者になってるけどがんばれー。 アフリカに追い着け、追い越せだぞー^^;
680 :
名無しさん@社会人 :04/12/24 14:56:28
「構造と力」はラカン本だったんだ!
藻前、こんな日に何してるんだ?
682 :
名無しさん@社会人 :04/12/24 15:20:43
ケエキを買って、彼女を待ってんだよお!
ま、ま、負けた。 嘘だとは思うが。
684 :
名無しさん@社会人 :04/12/24 18:41:55
685 :
名無しさん@社会人 :04/12/24 19:10:26
無理に読まなくてももっと面白い本いくらでもあるだろ
686 :
名無しさん@社会人 :04/12/24 23:08:23
>>682 だから何年待ってんだよお!
嘘じゃねーよ、たぶん。
687 :
名無しさん@社会人 :04/12/25 07:47:31
噴飯物ですね
688 :
山形浩生 :04/12/27 21:25:42
黒木掲示板でこんなの見つけました。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/e0018.html#e20041227183419 --------------------------------------------------------------------------------
Id: #e20041227183419 (reply, thread)
Date: Mon Dec 27 18:34:19 2004
Name: 匿名
Subject: 日本の科学者は報われない
匿名で失礼いたします。「日本では科学者の処遇が能力、業績以外の
要因で決まる」と主張している本があるようなのでご紹介いたします。
サミュエル・コールマン著(岩館葉子訳)
『検証 なぜ日本の科学者は報われないのか』
文一総合出版、2002年、384頁+参考文献。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/Coleman.html 以下、雑感です。
本当にこんな事があるのでしょうか?
研究者の世界は、純粋に研究内容の科学的な正さで決まるものです。
それとも、数学のような客観的な証明のようなものがない分野では
例えば経済学、現代思想のような…、まるで研究内容が正しいかの
ように人を騙すことができて、能力や業績以外で出世していく人も
いるのでしょうか?
689 :
名無しさん@社会人 :04/12/28 20:54:23
>>688 >本当にこんな事があるのでしょうか?
あんた学部生?
690 :
名無しさん@社会人 :04/12/30 00:43:01
オレたちはまだまだ「第二の教室」にいて十分に外へ出ていなくて 真に遊戯するためには外へ出なければならないのかな?
ディシプリンなんかなくなればいいわけだな?
692 :
名無しさん@社会人 :04/12/31 00:45:31
>>690 そのまえにチンポの皮の外に出たほうがいいよ
693 :
名無しさん@社会人 :04/12/31 01:05:02
クリッチリーは、まず現代哲学の地勢図を「知識」対「知恵」という古典的な対立軸を設定することによって描き始める。
分析哲学が目指すのは「知識」の探求であり、その場合の知識とは何よりも自然科学的知識を意味する。
哲学的問題はすべて科学的方法に基づく経験的・因果的探求によって解答が与えられるのであり、哲学者の役割は「科学という水晶宮の用務員」にとどまる。
現代分析哲学の主流は、濃淡の差はあれ、このような「自然主義」への傾向性を分け持っている。
それに対して、大陸哲学は「知恵」の探求を第一義的なものと考える。
哲学がそもそもの初めから取り組んできた「人生の意味」や「よく生きる」といった問題圏へのこだわりである。
しかし、このこだわりが度を越して「科学の拒絶」にまで行き着き、「経典の釈義」に明け暮れるようになると、哲学は学問性を失い、哲学者はこけおどしの秘教的ジャーゴンを振り回す「尊師」とその口真似をする忠実な「弟子」とになりさがる。
野家啓一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000268724/qid%3D1104359929/249-1006186-7285906
>>688 この書き込み、消されてますね。
どうしてなのかなー?黒木くん。
内容に問題があるようには見え
ないんだけどね(w
695 :
名無しさん@社会人 :05/01/12 04:44:55
モダンとポストモダンとの違いがいまいちわからなかった。 その契機も。 おそらくはITなんだろうけど。 モダンは対等な人民の契約だったのが、ポストモダンは状況により 同じ人間が上に立ったり、下になったりする契約体系ということ? そうすると、ポストモダンって、たんにいなかの社会に戻るということ?
696 :
名無しさん@社会人 :05/01/13 20:25:12
この本はクラインの壷を買えば理解しやすいよ
697 :
山形浩生 :05/01/16 17:22:28
僕がクラインの壺についての記述を完璧に論破・粉砕してから この本の人気も下がりましたね。
たしかに今更読むのは恥ずかしいな
そうでもない
こともない
701 :
考える名無しさん :05/01/18 15:12:14
>山形 お前さあ、位相幾何学の基本理解できてんのかよ?
702 :
算数わっかりましぇ〜ん :05/01/18 15:39:56
704 :
名無しさん@社会人 :05/01/19 00:45:45
>695 モダンでは人というのは抽象的観念的な存在であったけど、 ポストモダンではより具体的実在的な存在として捉えられた上で 論じられるということ?あらゆるフィールドで。 その結果議論の深みがまし、学者、評論家等の説明責任はより 深いものが要求されるようになる?
706 :
名無しさん@社会人 :05/02/10 10:14:49
今村だよ。
707 :
名無しさん@社会人 :05/02/16 02:39:06
この本の撒いた種は意外に根深い。日本のカルスタが明らかにこの 延長上で輸入されて、初めから終わりまで大失敗だったのは好例。 東○紀とかの「情報学系」にも(たぶん当人たちもそれほど意識化 されていない)影響がかなりあると思うし、宮台とかの議論にも (本人は明確に否定しつつ)すべり込んでる観点がかなりある。 70年代末以後の日本が「なぜこうならざるを得なかったか」という 観点で言えば、かなり重要な文献でしょう。漠然と「今さら恥ずか しい」とか言ってる奴は、同じ論理の罠にはまりがち。食いついて くれる人がいたら追い追い説明しようと思うが、今はもう寝る。
構造と力の話なら今、哲学板の浅田彰スレッドで結構盛り上がってるぞ
709 :
名無しさん@社会人 :2005/05/03(火) 23:16:43
アイロニーってだめなの?
710 :
名無しさん@社会人 :2005/05/04(水) 09:40:49
>>705 なら誰?
671の発言って誰なのさ
蓮実がいいそうなことだと思うけど
711 :
名無しさん@社会人 :2005/06/26(日) 20:40:36
712 :
名無しさん@社会人 :2005/06/28(火) 21:45:52
a
713 :
名無しさん@社会人 :2005/07/08(金) 23:30:11
力能ってどういう意味ですか?
714 :
名無しさん@社会人 :2005/08/29(月) 10:33:31
すごい流行ったらしいね。
716 :
名無しさん@社会人 :2005/11/27(日) 12:31:09
エロスとタナトスについては?
717 :
名無しさん@社会人 :2005/12/14(水) 06:58:32
大体、本書のテキストは理解できたから、 俺は英訳仏訳して楽しむ。
718 :
名無しさん@社会人 :2005/12/14(水) 07:18:14
栗本慎一郎 『パンツをはいたサル』(新版) 現代書館 を読むと良い。昔のライバル本。 『鉄の処女』光文社の比較解説が解りやすかった。
権威主義。つまんね。
720 :
名無しさん@社会人 :2005/12/14(水) 09:30:36
アホか つまんないな
721 :
名無しさん@社会人 :2006/03/11(土) 13:09:53
『構造と力』を読んで楽しめる人は減少してる。絶滅しかけてる。 まず、京大東大院生でも浅田の名前を知らなかったりする (単に教養不足のバカで学力低下してるだけだが)。
スキゾキッズとは万年助教授のことです
723 :
名無しさん@社会人 :2006/03/14(火) 05:34:17
深い教養を要するためか、難解すぎて、一流大学の院生でも いまだに読めないのが多い。学力教養読書不足だね。
724 :
名無しさん@社会人 :2006/03/15(水) 07:32:28
「存在論的、郵便的」より読みやすかったな。
しかし、今ではすっかり呆談家になってしまったなぁ。 現代思想の本も、たまには出してもらいたいものだが。
726 :
名無しさん@社会人 :2006/03/17(金) 03:14:36
上手くまとめているように見えるけど 原典にあたればやはり浅田色が強いことがわかるよ
スキゾを勧めておきながら、本人の生き方はちっともスキゾじゃないって話も あるが。
亀レスだが、
>>671 は栗本慎一郎氏の発言。
中上健次(著)『オン・ザ・ボーダー』(1986年)の172ページ、あるいは
「現代思想」1984年11月号に載っている。
栗本氏によると、浅田氏がまだ世間にあまり知られてなかったころに、出版社に
売り込みに行ったりしたらしい(どこかに書いてあったんですが、出典は忘れた)。
729 :
名無しさん@社会人 :2006/03/22(水) 01:52:18
表現も面白い。
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731 :
名無しさん@社会人 :2006/07/07(金) 11:50:51
ojouzu
732 :
名無しさん@社会人 :2006/09/25(月) 21:28:56
孝三
あげるな
734 :
名無しさん@社会人 :2007/01/13(土) 09:46:17
『構造と力』は06年中に50刷になりました。
今読むと笑えるね 「だからなんだよ」という感じw
736 :
名無しさん@社会人 :2007/07/04(水) 16:21:51
哲学学から抜け出せない人
構造と力、カイときながら、逃走論・・・ なに?この辞書変換ソフト。
739 :
名無しさん@社会人 :2008/06/13(金) 00:00:20
msm
740 :
名無しさん@社会人 :2008/08/29(金) 02:24:27
sms
741 :
名無しさん@社会人 :2008/08/29(金) 15:01:10
なんで社会学のお前らに「構造と力」が関係 あんの?
742 :
名無しさん@社会人 :2009/11/29(日) 00:22:14
構造と力はいつの時代にとっても新しい原典であり続ける
743 :
名無しさん@社会人 :
2010/01/27(水) 01:05:02 哲学だよねえ。読んだことないけど。