【中央】東京一極集中は賛成?反対?【地方】

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91堺屋太一『新都建設』
東京一極集中は、東京圏の高地価や長時間通勤距離を招いているだけではない。
地方の人々にも不安と苛立ちを与え、日本全体を非能率にしている。
その上、日本の国際的孤立化と長期的安全性をも脅かしている。
 最近は東京の貸しビルや住宅の家賃の高さに耐えかねて、
大使館の主要機能を韓国に移す国も現れた。
外国企業の中にも極東の本部をシンガポールに移した所もある。
その一方で国賓などが来日する度に東京中の交通が渋滞、
何十万人もの人々が路上の鉄の箱に閉鎖されてしまう。
「日本はアジアの国際外交舞台を目指せ」という声もあるが、
こんな不便で市民の負担が大きな東京ではそんな事ができるはずがない。
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s11104/capital/data-113.htm
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1121531799/812-814
92名無しさんの主張:2006/02/11(土) 15:42:07
>>79
東京オリンピック招致に反対してね。
93名無しさんの主張:2006/02/16(木) 04:49:57
大阪が首都になっても同じこと
大阪人は恨むなら山口と九州の田舎侍を恨め
94名無しさんの主張:2006/02/16(木) 12:04:16
大手マスコミのキー局が首都圏西南部中華思想を延々垂れ流し続けている
ってのもあるよな。
表参道ヒルズの話なんてローカルでやってくれればよし。
95名無しさんの主張:2006/02/18(土) 13:42:46
その通り。
最近はメディアリテラシが進んでいるとはいえ、
情報があまりに偏っていると取捨選択も難しい。
96名無しさんの主張:2006/03/19(日) 14:54:22

      破 綻 し ま く り        東 京 臨海副都心3セク事業

最近では臨海副都心開発における、東京テレポートセンター、東京臨海副都心建設、竹芝地域開発
東京ファッションタウン、タイム二十四の臨海関連第三セクター5社が相次いで経営破綻するなどの
いわゆる5T問題(三セク5社の頭文字から)があり、他にも国際貿易センター、東京臨海高速鉄道
東京都地下鉄建設、多摩ニュータウン開発センターなどの三セクも相次いで破綻するなど問題となっているが
メディアでは大阪の三セク問題ばかり取り上げ、東京の三セク問題は一切取り上げないため
一般にはあまり認知されていない。

財政状況もまた深刻で、東京都の借金は13兆円を超えており、都民一人あたりの借金額は約107万円と
共に全国最悪である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD
97名無しさんの主張:2006/03/19(日) 14:56:14
首都移転・道州制はいつの事やら。
98堺屋太一『新都建設』:2006/03/20(月) 10:29:17
減少する「過去からの補助金」
最初にも述べたように今日すでに日本は効率の良い社会ではなくなっている。
それでもまだそのことが目立たない理由の一つは、東京の企業と住民に
膨大な「過去からの補助金」が提供されているからである。
 例えば今日、東京の水道料金は全国でも最も安い部類に入る。
近年、東京の水不足は深刻で、毎年のように「水ガメ」が心配されているが、
これを解消するためには福島県や新潟県まで水源を求めなければならず、猛烈な費用がかかる。
そんな東京が水源に近い市町村よりも水道料金が安いのは、
明治、大正時代から造って来た簿価の安い施設や水利権があるからだ。
いわばインフレ利得が、施設整備の早かった東京に集中的に与えられているのである。
 こうした現象を財政学では「過去からの補助金」と呼ぶ。
同じような現象は鉄道にも高速道路にも電話や電力にもある。
例えば現在価格で土地買収を行って新橋から虎ノ門まで高速道路を建設すれば、
たった1.2キロで1台二千円の料金を取らなければ引き合わないと言う。
それなのに首都高速全線が六百円で利用出来るのはもっとも費用のかかる都心部分が
昭和三十九年に(今から見れば)「タダ同然」の土地代で造られているからだ。
東京の地下鉄が京都や名古屋より割安なのも戦前の銀座線や終戦直後に出来た
丸の内線の資本費が極めて低いおかげである。
99堺屋太一 『新都建設』:2006/03/20(月) 10:39:10
ある経済学者試算ではこうした「過去からの補助金」が東京では年間七兆円にもなると言う。
東京のマスコミは「東京の鉄道や高速道路の収益で地方路線の赤字が埋められている」と言うが
東京の鉄道や高速道路を黒字にしているのは「過去からの補助金」なのだ。
それだけ東京人は都市費用を免れているわけで、東京に事業所が集まる原因にもなり、
土地価格の高騰を促す原因にもなっている。
 この事の善悪はともかく東京の規模が拡大し活動が盛んになれば、
こうした「過去からの補助金」の比重が低下することは避けられない。
水道も地下鉄も高速道路も新線ができるごとに料金があがる。
施設を更新するだけでも過去の安価なものにくらべて資本費は上昇する。
 東京は膨張するたびにますます費用のかかる都市になってゆく。
そしてこのことからも東京一極集中の続く限り、
日本全体をますます非効率な国になったしまう。
通信情報社会を急ごう          東京では分からぬ地方の惨状
 しかし日本経済の実情は、経済統計では分かりかねる。現実には、この二年間、
日本経済に対する不安と不信は急速に深まっている。経済再生政策の中断、改革の先送り、官僚主導の復活、
緊縮財政と税収現象のデフレスパイラルなど、
現実の不況と将来の不安をかき立てる事ことがあまりにも多い。2001年5月以来の株価低迷は、その表れであろう。
 日本経済への不振と不安は、農業と製造業からはじまった。米価の下落と人口の現象で農村には希望も期待も乏しい。
繊維や木工の伝統的な伝統的な産地は、中国やアジア諸国からの輸入で壊滅的な打撃を受けた。
零細工場と家内労働に頼っていた雑貨製造も大幅に減った。
電機工業や機械部品でも人員削減と実質的な給与引き下げが進んでいる。全国の工場群がどんどん縮小している。
 不況の寒風は、建設業と流通業も及んでいる。建設需要はここ数年減少しているが、公共事業の非効率に助けられて
業者の数と従業員は保たれていた。だがそれもここにきて変わり出した。公共事業は減少したし
民間の設備投資や住宅建設は単価下落も著しい。
 流通業も悲惨だ。そごうやマイカルは破綻し、ダイエー、西武百貨店が経営危機に陥っただけでない。
他にも大型店鋪の閉鎖は多くあり、地方都市には閉鎖したまま放置されている幽霊店鋪は珍しくない。
それ以上に痛ましいのは商店街、閉店した老舗の並ぶシャッター通りが激増している。
人口の現象と高齢化で需要が減り、物価の下落で在庫が不良化し、利益率も低下した。
加えて商圏も移動し、国道端の量販店や都会の大型店に客が流れている。
 
不況は、地方の経済ばかりか社会と文化も破壊している。2002年は、秋の祭りも商店街のイベントもできない街が続出した。
日本の地方は悲惨だ。不動産価格の下落で資産家はいなくなった。
経営不振で高所得者も少ない。商店は閉鎖され、田畑は無耕化し、町村合併で役場も減りそうだ。
拙書『平成三十年』で描いた超過疎化が早々と現実になろうとしている。
 世界に珍しい首都集中
 こうし地方の惨状は、東京には伝わらない。東京は今、巨大ビルの建設と高級ブランドの出店で盛り上がっている。
2002年から03年にかけて完成した東京の大型ビルの延べ床面積はバブル景気真っ最中をはるかに上回る。
全国の建設用大型クレーンの七割以上が東京に集中している、という。
 高級ブランドの出店も多い。銀座や表参道には外国高級ブランドの大型店鋪が次々とできる。
それがまた、地方の若者を呼び集める。それというのも、にほんは世界でも珍しい情報発信一源国家だ。
昭和16年体制による官僚主導で、出版もテレビも全国への情報発信は東京だけがするようになっている。
 出版物も小売りの書店に取次ぐ日販やトーハン等の取次店を東京に集中させたので、
地方の出版物も全部東京に運ばなければならない仕掛けになっている。
テレビは世界に珍しいキー局システムで、全国番組編成権が東京のキー局に握られている。
このため、全国放送番組はほとんど東京で製作されるし、
地方製作番組も東京キー局の好みに合わせてつくらなければならない。
くわえて近年は地方新聞も共同通信など東京発信の記事が増えた。戦前には地方紙のキャンペーンが
全国を揺るがした例が多いが、最近は地方紙が独自の論調を展開する事もほとんど無い。
これでは東京に住み、東京の新聞とテレビを見ている官僚たちに、地方の実情が通じないのも無理はない。
その上、国の出先機関や自治体に出向する高級官僚はほとんど単身赴任、
地方における生活実感も隣近所の付き合いもない。
地方選出の国会議員までもが東京生まれ東京育ちの二世が多く、生活基盤を東京に置いての
「出張選挙」だ。だから、地方の実情を見るよりも、東京の官僚の説明を信じてしまう。
 交通通信が便利になれば、地方の経済も文化も栄える。日本ではそう言われて来た。
外国では確かにそのようになった。戦後、欧米諸国ではみな首都圏の経済文化の比重は低下した。
特に知価革命の進行した80年代は著しい。
 ところが、日本だけは、新幹線や高速道路網ができても、電話やファクスが便利になっても、
必ず東京一極集中が進んだ。特に最近はインターネットの普及が東京集中のてこになっている。
 IT関係の若い事業家や技術者がどっと東京に移住してきた。
作家や評論家の類は東京圏の中でも港区を中心にした半径10キロに集中している。
「IT時代には鎌倉や湘南どころか世田谷でも遠すぎる」というのだ。
対面情報の不透明を解消しよう。
 どうして日本だけは逆なのか。その根底は対面情報の慣習だ。
「とにかく会って面突き合わせて語らなければ本当の事が分からない」という社会だから、
この国の真の実力者、官僚機構にすりよらざるを得ない。
民間同士の事業でも、互いに食事やゴルフに誘いあい、酒肴を交えた社交を積みあげなければ本音には至らない。
こんな世の中では、誰も彼もが東京一極に集中するようになる。
だが、スピードが求められるグローバル時代には、これではやっていけない。
情報の収集と意志の決定に時間と費用がかかるばかりか、情報事体が不正確で不公正になりやすい。
 日本が世界の変化に遅れた原因の一つは、東京一極集中による対面情報慣習にある。
これを改善する為には、欧米並みの通信情報社会にならねばならない。
ブロードバンドや第三世代携帯電話が普及しても、「本音のところはお会いして」では役に立たない。
 これは仕事の仕方だけの問題ではない。
各省に政策の規格審査機能から基礎調査や統計記録の機能までを
縦割りに収めた官僚組織からして対面情報を前提にしたものだ。
 官庁の組織も通信で情報を交換する形に改め、企画審議と調査統計を分離した物にすべきだ。
それが確実かつ安価にできるのはやっぱり首都機能の移転、
それも企画審議機能と調査統計機能を分離して別の場所に移す形の移転だろう。
東京都心だけに収縮
二十一世紀に入ってこの方、東京は建設ラッシュだ。品川から汐留、六本木と超高層ビルの建設が忙しい。
2003年完成の超高層ビルは延べ218万平方メートル、
バブル景気に煽られて着工してビルの完成が集中した
94年8月の183万平方メートルを上回る史上最高記録である。東京湾上の「夢の大橋」あたりから見た風景は
一種壮観、高さ百メートル以上の新築ビルがいくつも並び、大型クレーンが林立している。
 しかしそれは東京の都心部だけに限られた現象で、それ以外は不況が深刻だ。工場の縮小、産地の消滅、
米価の下落などが重なる地方はもちろん、大阪や名古屋でも高層ビルの建築は最低水準に陥っている。
2002年の全国生コンクリート出荷量は前年比五%減だったが、東京を中心とする南関東だけは前年を上回った。
とくに東京都における民需は前年比一四%の大幅増だった。
 日本経済が高度経済成長を続けていた1960年代には、全国各地で開発が進み、どこにも未来への夢と開発の期待があった。
それを反映してか、70年代前半の「日本列島改造ブーム」の際には全国的に土地が値上がりした。
北海道や沖縄の原野が「別荘地」として高値で分譲された。米作用の農地も杉檜を育てる山林も値上がりした。
善し悪しはともかく、そのころ日本には開発の夢を描くフロンティアスピリット(開拓精神)が全国にみなぎっていた。
 このブームは石油ショック等で崩壊したが、15年後にははるかに大規模なブームがやってきた。
言わずとしれたバブル景気である。このときの地価高騰は総額では「列島改造ブーム」の何倍にもなったが、
その範囲は限られていた。大幅に値上がりしたのは東京や大阪の商業地と周辺の住宅地、それにゴルフ場や
リゾートホテルのできそうな場所だけだ。
平成最初の三年あまりつづいたこのブームで暴騰した土地の面積は、
日本国土37万平方キロメートル余の中の3%、12000平方キロメートルにすぎない。
(島部をのぞく東京都や大阪府の約6倍)
日本人が夢と期待を持てたのは、ごく限られた地区だけだった。
 平成初期のバブル景気では大都市の拡大を期待して周辺部の住宅地も大いに値上がりした。
特に東京近辺には、業務地区の拡大を予想した業務副都心が造られた。横浜のみなとみらい地区、
千葉の幕張、埼玉県の大宮などがそれである。
 ところが2003年では、これらの業務副都心のビルは空室が目立つようになり
開発予定地は半分以下に縮小された。これからも、東京都心の高層ビルの完成に伴い
東京周辺には空室が増えそうだ。今の日本には、土地を拓き事業を興すフロンティア精神が消えたばかりか
新しい土地と新規事業を捨てて既成の組織と
東京都心の100平方キロメートル程の地区に群がる逆フロンティア現象が起こっているのだ。
        形の収縮は心の収縮
日本の形は、猛烈な勢いで収縮しつつある。500年も前に人が住んでいた山間部や
島嶼が無人と化した。多くの農村は流通機能と情報文化機能を失った。商店の無い村、
映画館も旅館もない町が急増している。緊急病院や弁護士空白地も広がっている。
 地域の中核になる都市でも、情報発信機能を持たないところが多い。
全国47都道府県の中で39の県が県外に情報を流すメディアを持っていない。
その県で発行された新聞や雑誌、そこで製作されたテレビ番組が県外で販売、放送されることがないのである。
 そればかりか地方中核都市でも情報発信力と文化創造機能が乏しくなった。
昭和末期までは関西にも歌舞伎役者やオペラ歌手も映画監督も少なからず住んでいた。
全国各地に著明な音楽家やファッションデザイナーがいた。ところが今は、ほとんどが東京に集中、
都心のごく狭い地域に閉じ込められてしまった。
 15年前には、鎌倉や湘南に文筆家が多かった。ところがファクシミリが普及すると
「鎌倉や湘南は遠すぎる」というので世田谷あたりに移住した。
ところが最近、インターネットが使われると「世田谷では遠い」といわれ、
港区、渋谷区など都心の7区に集まり出している。
 テレビの民間キー局5局は東京都港区に集中する。
全国紙5社は千代田区と中央区の5キロの間に集まっている。
そのうえ、地方紙も共同通信など東京発信情報への依存を強めている。
今では、情報発信の重要な役割を果たす広告の出稿や企画も、ほとんどが同じ地域で行われている。
 世界では政治機能と文化経済機能の分離が決定的になった。首都機能と経済文化機能は分離し、
情報発信源の「多源化」が進み、そのことが、新しい知価を生み、経済を発展させている。
そのなかで、日本だけが逆行、多様な知識の時代にどんどん立ち遅れてしまった。
 形の収縮は気持ちの萎縮を生む。動物は同じ環境の小空間に閉じ込め同じ情報を与えると、
個性と活力を失い、いら立ちが生じると言う。
 今の日本がまさにそれ、
情報発信や文化創造活動が東京都心の超高層ビルという同じ空間に閉じ込められた。
その結果、日本の発想は統一され、文化は多様性を失った。
学会でも芸術界でも既存の人脈に埋没する者が増え、新説異能は出にくくなった。
新聞記事も、雑誌の編集も、テレビ番組も、類似品と繰り返しが多い。
狭い空間に閉じこもっていると、人間は怠惰になり臆病になる。声高に改革を唱えるが
実行は既成の枠を超えない。そうなるとすぐ、それを肯定する理屈を考える。
みんなのすることを肯定するするのは人間の知恵でもあり、ずるさでもある。
 今の日本は不決断を熟慮と言い換え、臆病を慎重と呼ぶ世の中である。
しかしその結果はてきめんに表れる。どんなに言い訳を巧みにしても、強弁を押し通しても、
怠惰の結果は量的現象と質的低下として表れる。日本の経済は規模の縮小と品質の低級志向に走っている。
これこそ不況の遠因、危機の本質である。
 高度経済期にはだれもがあたらしい辺境を拓くフロンティア精神に溢れていた。地域開発にも熱心だったし、
新業態新製品の創造にも励んだ。全国各地からアイデアが生まれ、情報が発信された。
だが今は東京都心の100平方キロメートルに群れあって人脈と規制の枠を超えないのが利口な生き方になった。
地域でも業態にも規制の中に潜り込む「逆フロンティアの発想」が一般化してしまった。
本当の改革のためには今こそ大胆に形も気持ちも解き放たなければならない。
東京集中の是正、地方分散と分権はこの国の形と気持ちを変える上でも大切だ。
首都機能の問題もそんな観点から真剣に考えてほしい。