1 :
名無しさんの主張:
大切なものは善である、という主張を
証明せんとする、孤高の論客ラック氏と
主張の疑問点、善の定義に立ち向かう475氏
現在、発言の趣旨の整合性作業が続いております。
議論が進みスレタイの趣旨より以上の内容になっているので
別スレで再開していただくため、スレッドを立てさせていただきました。
定義そのものの証明のための議論なので
質問→解答形式が続く場合がございます
上げ足取りや、脊髄反射のレスは見事なまでに放置されます。
もとスレ
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/soc/1016557433 【正論】学歴,出身地、収入より、大切なのは人格!
2 :
名無しさんの主張:02/04/28 07:10
3 :
名無しさんの主張:02/04/28 07:25
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おまえらも |
∩_∩ | |
(´ー`) < 暇な奴ら |
( ) | |
| | | | だなぁ |
(___)__) \_____/
>>ラック
移動しました。
>>673 うーん・・。理解できない。
まっ留保ということで。
>>675 「負の感覚」の定義を明確にすることで回答とさせていただきます。
負の感覚とは、「いわれ(われわれの同意)もなく、人に死の怖れまたはそれに準ずるものを与える行為をなされたくないという意識」ということです。
>>676 ・上の定義をみてください。それでも不明でしたら再質問をどうぞ。
・あなたが同意を覆した根拠とした「わたしの発言」、それをわたし自ら撤回したのですから、よって同意は覆される根拠を失ったということです。
>>681 留保。次に話を進めましょう。
>>ラック
>>620でのあなたの同意はそれまでの議論の過程を経てえられたものです。
その後の議論内容によって覆されることはないのです。
あなたがその同意を尊重されないのなら、議論をやめさせてもらいます。
「善」の定義について話を進めましょう。ただし上を条件として。
あら?
元スレなんてもう使用価値なくなってるんだから、
そこで続けてもかまわなかったと思うが、
このスレでも議論を二人で続けるならsage進行でいってくれ。
相手に誤りを認めさせ主張を撤回させるのが目的なのに、
議論の段階で同意したことがらに関しては誤りであったと撤回することは
双方許さない奇妙な議論を続けたいなら。
>>ラック
スレ移動まずいですか?
あっそうか!前スレのレス番号のリンクはれないや。
みんな、よそでやれって言うから・・
私はどっちでもいいです。
まぁまぁ……我々も大した身分になってしまったものですねぇ
だってこれまでと来たら、我々はただ道ばたで立って話し合っていたような有様でした。
ところが今となってはいつの間にやら端から見ていた人々の世話でこうして足下には椅子が用意され、頭の上には屋根がかけられているといった具合ですから大した出世です。
世話をしていただいた方々への感謝は当然としても、とにかく肝要なのは、どこで話しているかではなく、何を話しているかです。
では、新しい場所で議論を始める前に、スレッドが移って過去の発言の参照が面倒になったことでもありますから、
我々は何について答えを求めているのか
何について同意を見たのか
何について同意を得ていないのか
について、互いに明らかにすることから始めましょう。
それぞれは双方申し分ないものでなくてはならず、条件をつけることは禁じましょう。
>>5>>6などについてはその後にしていただくと言うことでよろしいですね?
提案に同意しますか?
>>9 >提案に同意しますか?
わかりました。
はじめから確認していきます。
>我々は何について答えを求めているのか
「人間とって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
に何か根本的な謝りがあるかどうかでしたね。
そして巡り巡って今は善とは何かについて議論しているところです。
11 :
名無しさんの主張:02/04/28 22:29
本当に大切なのは頭の良さ。
これで決まり。
12 :
名無しさんの主張:02/04/28 22:30
ウルセーバカ
13 :
名無しさんの主張:02/04/28 22:34
頭も良さなんてなんのことを言っているのかわからない上に
役にもたたないかもしれない。
14 :
名無しさんの主張:02/04/28 22:38
>>13 ウンウン,「かもしれない」って逃げるのも手だね。
世の中な役に立つものなんてないかもしれない,
だから大切なものなんてないんだ,
だから何の取り柄のない僕だって価値はかわらないんだ,
ってね。
愛があれば安らかでーす。
別に頭良くなくたって大丈夫だよ。
こういううさんくさい奴らを避ける
感覚があれば大丈夫。
馬鹿になれば安らかでーす
だからアタマはいりませーん
何も気にならないから幸せでーす
借金ばかりだけどフリーターだけど毎日毎日ハッピーです(代筆)
18 :
名無しさんの主張:02/04/28 23:05
>>16 ・発想力
・理解力
・論理力
・分析力
など。
>>10 同意を与えます。
それでは今度はあなたが、
我々は何について何について答えを求めているか
と言えば、
「人間とって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
という仮定が正しいか否かである。
以上の私の発言が、
>>10の発言の趣旨と同じであって、何も違わないことに同意を与えて下さい。
>>19 それには同意できません。
議論を始めたきっかけはあなたが
「人間にとって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
ということには欠陥があると言ってきたことですよね。
医者や警官を否定することになるとか、ひきこもりを認めることになるとか。
今まで議論してきたことはそのような欠陥があるかどうか
でしょう。
21 :
名無しさんの主張:02/04/28 23:40
間違ってはいないけど
絶対的に正しくもない
>>20 いや、それならばそれでもいいのですよ。仮定に対する同意を拒否するためには、なんであれ仮定の欠陥を証明しなればならないのです。
主張に欠陥があるとすれば、その主張が仮定として掲げられた時には直ちにその欠陥の提示もって仮定が偽であることが暴露されることになるでしょうからね。
ラックは、
この議論で求めるべき答えとは、
「人間にとって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
に対する欠陥の有無
であると確認する。
あなたも確認して、同意を与えて下さい。
幸せは自分のココロの中にのみあるのです。
他人が判断することではない。
>>22 いいえ、それには同意しかねます。
何しろあなたときたら人の言葉尻をとらえることに意義を見いだし、
まともな議論を望みもせず、
ひたすら私を論理でうち負かそうとしてますからね。
この議論、すなわちあなたのやりとりで私が求めるべき答えとは、
「ラックにとって議論とは他人をへこますための道具である」
です。
25 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/04/29 00:36
>>22 24はニセモノです。
無視してください。
今後はキャップをつけて書き込みます。
>あなたも確認して、同意を与えて下さい。
同意します。
26 :
名無しさんの主張 :02/04/29 00:46
20=25ですか?
27 :
名無しさんの主張:02/04/29 00:57
それでは私もキャップを用いることとしましょう。
さて、確認の作業に戻る前に、これまでのどれがあなたの発言か、認証を与えていただけますか?
私としては、これまでの「ラック」発言は、全て私から発した真正のものであると認めて差し支えありません。
29 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/04/29 01:05
>>28 私も24以外の発言はすべて私のもので間違いありません。
30 :
名無しさんの主張:02/04/29 01:32
>ラック氏
>475氏
スレを立てさせていただいたものです。スレ移動感謝するとともに。
1の現状分析に多少の表現違いがありましたことを
陳謝いたします。
一点だけご提案してよろしいでしょうか?
議論の性質上、発言が後になって撤回されるということが
あり得るのですが、これに対し何らかのルールを事前に決めていただけないでしょうか?
どの発言も撤回が可能であれば、結論を導くにあたり大きな障害となると思うのです。
本当に大切なものなんて無いよ。
大切なものだと思っているものは、
その人がそう思い込んでいるだけのこと。
宇宙だって無数にあるんだし、いくらでも変わりはある。
訂正:変わり→代わり
34 :
名無しさんの主張:02/04/29 09:42
孔子も
心の欲する所に従ひて、矩を踰えず
と言ってますから
35 :
名無しさんの主張:02/04/29 11:36
>>32
ないんじゃない。人にとって、この宇宙のかわりは
>>35 それは『人類にとって』ということにこだわって考えた場合であって、
『本当に(=本質的に)大切なもの』というわけではなかろう。
自分たちを勘定に入れてる時点で意識が限定されるのだ。
って、これじゃぁ哲学板になっちゃうね(w。
37 :
名無しさんの主張:02/04/29 14:04
>>36 本質的に大切なものなら、いくら数があろうとかわらんよ。
>>37 いくら数があろうと代わりにはならないよ、と言いたいのでしょうか?
ちょっと理解に苦しみましたw。
>>36の文意も理解できていらっしゃるのかどうか・・・
とにかく、
>>37の1行レスはよーわからんわw
39 :
名無しさんの主張:02/04/29 14:20
>宇宙だって無数にあるんだし、いくらでも変わりはある。
無数にあろうが価値は減らんだろ
40 :
名無しさんの主張:02/04/29 14:21
もし32=36でないなら勘違い。スマソ
>>39 いくら数があろうと価値は変わらん、ということだったんですね。
それには同意します。
私が『無数』とか『代わり』とか言っちゃったからいけなかったんですね。
すいません。それは無視してください。
我にこだわれば、「大切なものはある」ということになります。
我にこだわらなければ、「大切なものは無い」となります。
「大切なものは無い」ということにこだわってもいけないし、
こだわらないことにこだわってもいけない。
てことは、「人それぞれ」と言う陳腐な結論になってしまいます。
でも、それこそが現実であり、真相ではないですか?
「人それぞれ」となるということは、
絶対の真実も無いという事になりえます。
(蚊と格闘中なので少し思考が乱れてますが・・・須磨祖)
42 :
名無しさんの主張:02/04/29 14:49
>>41 >「人それぞれ」と言う陳腐な結論になってしまいます。
ああ、俺も内心もっとも信じてるのはそれだ。
ただ人それぞれでないとしたらどんなものが価値あるんだろうな、
と思いを巡らすときはある。
無難に価値がある考え方だったら、
「自分の人生を経験するために生きている」
ということになると思う。
そこから各自発展させればいいことだから。
でもこれは建前だよw。
ホンとは、人はただ生まれてきちゃったから生きてるだけ。
45 :
名無しさんの主張:02/04/29 21:21
今日は二人とも行楽ですか?
>>31 進行中の確認作業の中で、その点についても同意を得たいと考えています。
48 :
名無しさんの主張:02/04/30 02:23
>>29 確認しました
それでは、以後はキャップの正しくない発言は無効であることにお互い同意を与えることにしましょう。これについて異論があるとは思えないので、沈黙をもって同意と見なします。
確認の作業を続けましょう。
私として把握している同意を古い順から並べてゆくと
>>544の1 「あなたが以前のレスで、引きこもって生きることは迷惑をかけていないと言ったという事実を認めますか? 」
>>544の2 「「人に迷惑をかけない」ことと、あなたの言う「善く生きる」こととは違うのですか? 」
>>545「一方は質問する側に、一方は答える側に回って簡潔な言葉で同意を与えるか拒むかして、結局の所拒み得ない真実に至る道筋をつけてゆく」やり方を我々はとる。
>>545「質問に対して仮定を提示し得ない場合には、同意ではなく、説明を回答として求めてもよい。
ただし、上記条件につき説明を求める質問者は、回答者が説明に必要として求める場合には、回答者が質問者を質問することを認める。 」
>>563「肉体は、人間の一部である」
>>568「「医療行為」や「職務の遂行」でもないのにそんなことをすれば迷惑に他ならないような行為も、それが「医療行為」や「職務の遂行」とあらばなんら迷惑ではない行為に変えてしまう。そういう力が「医療行為」や「職務の遂行」にはある」
>>578 ・「患者を切ったりすること」は単なる行為の視覚的事実であること。
・「患者を煩わす」のは「医者が」でなく「痛みが」であること。
・「医者が切ったりして、患者を煩わせること」は迷惑をかけていないということ。
>>580「その力によって迷惑でなくされる行為とは限定された特定の行為ではなく、あらゆる行為である」
以上、その力を身につけた者は自らの行為が迷惑なものか、そうでないかを区別することに何の意味もない。
なぜと言えば、その力の元にはすべての行為が迷惑ではないから。
続きます
>>587 1 A「迷惑に思う」
B「迷惑がかけられていることがなされている」
A=Bは成立しない。
>>592 >>558で言う「医療行為」や「職務の遂行」とは、当然に正当なそれらを指すものである。
>>601 ・ 引きこもりは「例えば勤労をしないことをする」から社会・扶養者に迷惑をかける。
>>632 1.「そうであると思われている」ことと、「そうである」こととは同じではない。
以上に提示漏れや誤認があったり、意図が重複しているために一つにまとめた方が適当であるものがあれば指摘して下さい。
51 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/04/30 03:51
>>31 撤回のルールは難しいですね。
ディベートではないのですし、
もう正しいと思えなくなったことに無理矢理同意させて議論を進めても
仕方ない気がします。
>>49 一部訂正します。すいません。
また俺の意図と違う風にとられるおそれがある部分を言い直します。
>>568 >「「医療行為」や「職務の遂行」でもないのにそんなことをすれば迷惑に他ならないような行為も、
>それが「医療行為」や「職務の遂行」とあらばなんら迷惑ではない行為に変えてしまう。
>そういう力が「医療行為」や「職務の遂行」にはある」
そういう要素が「医療行為」や「職務の遂行」にはある場合もある。
>>580 上の訂正を読んでもらえばわかると思いますが、
「その力」とは人間の持つ何らかの能力であるというような同意を与えてしましました。
撤回させてください。
あとは確認した限りではよいと思います。
俺にも見落としがあるかも知れませんが。
52 :
( ○ ´ ー ` ○ ) はスバラシイ:02/04/30 03:58
( ● ´ ー ` ● )←通常の三倍大切なもの
53 :
名無しさんの主張:02/04/30 04:03
54 :
名無しさんの主張:02/04/30 07:25
シャア専用ザク
55 :
名無しさんの主張:02/04/30 09:09
ちんちんかゆい
56 :
名無しさんの主張:02/04/30 11:47
>475
負けたらぼろくそに言われるだろうし、
勝ったら悔しくないフリしてさっと撤退されるだろうし、
なんもいいことないよ。
57 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/04/30 20:00
>>56 >なんもいいことないよ。
ずっと続けるうちに考えも変わったよ。
続けるうちに感情的にならずに自分と違った論理を知り、
また議論そのものを楽しむ。それでいんじゃないかな。
>勝ったら悔しくないフリしてさっと撤退される
自分の論理が通ったときにも勝ち誇ったりしない。
反対に論理が通らなかったときにどういう感情を持ってもストレートに出さず、
気持ちよく終了させる。そういうふうにできていいと思う。
>負けたらぼろくそに言われるだろうし
俺だって彼だって・・・というとまずいかもしんないから言わないけど、
少なくとも俺は表面の文章以外に何か内心に不愉快な感情を持つこともあると思うよ。
相手の文章に対して。
でも、それは仕方のないことだし、
そうなってもあえて口に出さなくてもいいことじゃないかな。
58 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/04/30 20:02
>反対に論理が通らなかったときにどういう感情を持ってもストレートに出さず、
>気持ちよく終了させる。
その感情が悔しさであってもむかつきであってもね。
もちろんほかの感情であっても。
大切なことは「知る」ことです。
と、書き入れてみた。
61 :
名無しさんの主張:02/05/01 16:37
1.俺の命
2.俺の妻の命
3.俺の同僚の命
62 :
名無しさんの主張:02/05/01 17:00
日本という恵まれた国に生まれたことに感謝することだ。
人間関係かな…交流によってつくられた絆。
全てを失ってもこれは簡単にはなくならない。
また立ち上がる為の勇気もくれる。
64 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/03 20:18
遅くなってすいません。
これからもGW中は忙しいのでこういうこともあるかもしれません。
>
>>631の1は
>>587の1を内包することに同意を得たいと思います。
632の1ですね。同意します。
>>64 参照元の指示に誤りがありましたね、訂正します。
>>60の
>>631は
>>632の誤りです。
それでは、以下がその全てではなかったととしても、
1 ラックは以前のレスで、引きこもって生きることは迷惑をかけていないと言った。
2 人に迷惑をかけないことと、ラックの言う「善く生きる」こととは違う
3 我々は、一方は質問する側に、一方は答える側に回って簡潔な言葉で同意を与えるか拒むかして、結局の所拒み得ない真実に至る道筋をつけてゆくやり方で議論する
4 我々は質問に対して仮定を提示し得ない場合には、互いに同意ではなく、説明を回答として求めてもよい
5 ただし、上記条件につき説明を求める質問者は、回答者が説明に必要として求める場合には、回答者が質問者を質問することを認める。
6 肉体は、人間の一部である
7 「患者を切ったりすること」は単なる行為の視覚的事実である
8 「患者を煩わす」のは「医者が」でなく「痛みが」である
9 「医者が切ったりして、患者を煩わせること」は迷惑をかけていないということ
10
>>558で言う「医療行為」や「職務の遂行」とは、当然に正当なそれらを指すものである
11 引きこもりは「例えば勤労をしないことをする」から社会・扶養者に迷惑をかける
12 「そうであると思われている」ことと、「そうである」こととは同じではない
これらは、我々が既に同意に至った用件であり、また、既に同意に至ったことが互いに確認された用件である。
従って、以後、上の同意を参照する際には、この発言を指定すればいいことに、同意していただけますね?
さらに、今後ここでは提示されなかった過去の同意を参照する必要がでできた場合も、このようにして互いの同意の下に、このスレッド内に参照元をもうけることにも同意を頂きましょう。
とりあえず以上について、お願いします。
66 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/06 19:41
>>67 同意に感謝します。
それでは次に。何が同意されていないのか……
といって、既に同意を得てないあらゆる仮説について同意されていないわけです。
「鯛焼きは頭から食べた方がうまい」
と言う仮説にも、
「カレーライスよりも、ライスカレーの方が保守的である」
といった仮説にも、私たちはまだ同意を与え合ってはいません。
しかし、我々がこれから
「何について同意していないのか」
を調べるという場合に、そういうそもそも提示もされていないような仮定に対する同意をも調査対象に含むものでないことは言うまでもないでしょう。
私たちがここに取り上げ、確認するべきなのは
その真偽が
過去に争いがあり、
かつ
現に争いがある
仮定
であるはずです。
異論なければ、そういう条件に当てはまる仮定、つまり、我々がまだ同意していない用件について、一つ今度はあなたが並べ上げてみて下さらないでしょうか?
お願いします。
68 :
名無しさんの主張:02/05/08 13:53
今回は鯛焼き屋もカレー屋も要らないよんだよ!
69 :
475 ◆CBneTWqs :02/05/08 23:16
>私たちがここに取り上げ、確認するべきなのはその真偽が
>過去に争いがありかつ現に争いがある仮定であるはずです。
その確認の必要性は感じませんが、何のために必要なのでしょうか?
まあやってはみます。
しかし同意または同意の拒否によって議論が進んでない部分は
まとめるのは容易でなく、まとめた内容がずれているおそれや
そもそも何について争っていたのか互いの理解がずれている
可能性があるため除外します。
また同意を得られていないものであっても、
不同意と言われる前に別の議論に移ったり再質問されてものは
反論のための再質問なのか、訂正または意味の明確化のための再質問なのかわからないため、
またはそのようなものも含めると量が膨大になってしまうために
除外します。
・539「善」を語って悦に入っているあなたの行為は「悪」とは言えないんですか?
・551私の大切の定義を不適切だと言ったことを同意しません。
・585それ(その力)が「正当であること」が「本質的(=それが本当に正当であること)」
・であるかを裏付けるものはなにもない。
・593(1)その力は、われわれの合意(医療行為・職務行為の正当性を認めること)によってしかもたらされない。
それ以外でしかその力はなにによっても保証されない。
・593(2)「迷惑がかけられているという事実の発生」の有無を決定するのはわれわれの同意(法・道徳など)である。
同意しますか。しませんか。
70 :
475 ◆CBneTWqs :02/05/08 23:17
続き。
・601(1)人間が正当性・目的・大義名分を話し合って決める。
(2)正当性・目的・大義名分がそれ自体で存在するわけではない。
(3)つまり、人間が「それが正当な医療行為である」と判断する根拠を持ってないということ。
唯一の根拠は「みんなでそう決めた」ってことだけである。
(4)「迷惑をかけられた事実の発生が認められない」=正当性。
・632(1)
>>587の同意に従い、それが何であるかについて、それがどう感覚されたかを問題にすることは無意味である。
(2).
>>619の4における提示は、当然に
>>587における同意を否定し、患者が「迷惑に思う」ことは即ち「迷惑がかけられていることがなされている」ことと認め、
>>602「あらゆる意味においても医師・警察官は迷惑をかけていない」ことを否定するものである。
・641人は皆「負の感覚」を無前提に持っている。だから他者(他なるもの)の行為によってそれを与えられたくないと思う。
それが、人が「善という概念」を生み出す源泉になる
漏れもあるかもしれませんが、
とりあえずこんなかんじかな。
よく確認する意義がわかんないけど。
71 :
名無しさんの主張:02/05/09 00:23
アメリカ的に、もっと色んな現場の人を講師に呼んで公演させたり
体験学習、経験学習を充実させるべき。
教師も色んな職場を回ったり
色んな職業の人が教師になってもいいと思う。
日本は教育現場に限らず、どの業界、職種も
他業種と交流しようとしないし、勝手にランク付けまでする。
だから転職も難しいし、官民の隔てがはっきり分かれすぎてる。
1つの仕事についたら一生勤め上げるのもつまらんでしょはっきり言って。
色んな業界を渡り歩かせれば閉塞感もなくなるんじゃないか?
アメリカじゃ牧師や大学教授が大統領になるし
イギリスでも大学教授も首相になれる、靴屋の息子も首相になれる。
フランスにいたってはジャーナリスト、小説家が大統領になれる。
都知事なんてその典型例だけどね。
スポーツ、芸能、マスコミ、教育、金融、政治、法曹、流通、建設、保険、製造・・・
色んな分野からいろんな人を交流させるなり転職させるなりさせて
新しいことにどんどんチャレンジさせるのも重要ですよ。
72 :
フェミニスト影樹:02/05/09 00:26
気持ちよければすべていい。
73 :
名無しさんの主張:02/05/09 00:27
私とは感性が違うようですね。
植物だって、その違いを聞き分けると言われてますけど・・・
宗教性?私にとって西洋の芸術を解釈する時の基本です。
レスするたびに言うつもりはありませんが。
作品を鑑賞する時には、考えないで感じるだけだけど、
演奏するときや、理解したいときにはね。
必要性?人間の精神状態や、置かれた環境によると思います。
ベトナム戦争の時、「花は何処へ行った」というフォークソングが
兵士たちの間で歌われたそうです。それは、その時の兵士が共感できる
歌だったからだと思います。そういう意味で、人間が生きて行くうえで、
必要な時に必要な音楽があると思うのです。
75 :
名無しさんの主張:02/05/09 11:37
しねや引き篭もりども。
ず〜っと彼女いなくて
今日も一人で自慰してるんだろ(w
76 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/09 12:18
test
77 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/09 12:19
パスワードを間違って打ち込んでしまったようです。
>私たちがここに取り上げ、確認するべきなのはその真偽が
>過去に争いがありかつ現に争いがある仮定であるはずです。
その確認の必要性は感じませんが、何のために必要なのでしょうか?
まあやってはみます。
しかし同意または同意の拒否によって議論が進んでない部分は
まとめるのは容易でなく、まとめた内容がずれているおそれや
そもそも何について争っていたのか互いの理解がずれている
可能性があるため除外します。
また同意を得られていないものであっても、
不同意と言われる前に別の議論に移ったり再質問されてものは
反論のための再質問なのか、訂正または意味の明確化のための再質問なのかわからないため、
またはそのようなものも含めると量が膨大になってしまうために
除外します。
・539「善」を語って悦に入っているあなたの行為は「悪」とは言えないんですか?
・551私の大切の定義を不適切だと言ったことを同意しません。
・585それ(その力)が「正当であること」が「本質的(=それが本当に正当であること)」
・であるかを裏付けるものはなにもない。
・593(1)その力は、われわれの合意(医療行為・職務行為の正当性を認めること)によってしかもたらされない。
それ以外でしかその力はなにによっても保証されない。
・593(2)「迷惑がかけられているという事実の発生」の有無を決定するのはわれわれの同意(法・道徳など)である。
78 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/09 12:20
続き。
・601(1)人間が正当性・目的・大義名分を話し合って決める。
(2)正当性・目的・大義名分がそれ自体で存在するわけではない。
(3)つまり、人間が「それが正当な医療行為である」と判断する根拠を持ってないということ。
唯一の根拠は「みんなでそう決めた」ってことだけである。
(4)「迷惑をかけられた事実の発生が認められない」=正当性。
・632(1)
>>587の同意に従い、それが何であるかについて、それがどう感覚されたかを問題にすることは無意味である。
(2).
>>619の4における提示は、当然に
>>587における同意を否定し、患者が「迷惑に思う」ことは即ち「迷惑がかけられていることがなされている」ことと認め、
>>602「あらゆる意味においても医師・警察官は迷惑をかけていない」ことを否定するものである。
・641人は皆「負の感覚」を無前提に持っている。だから他者(他なるもの)の行為によってそれを与えられたくないと思う。
それが、人が「善という概念」を生み出す源泉になる
漏れもあるかもしれませんが、
とりあえずこんなかんじかな。
よく確認する意義がわかんないけど。
再投稿申し訳ない。
79 :
名無しさんの主張:02/05/09 12:53
難易度3倍といいますが、それは意思伝達という点から考えると
マイナスでしかありえません。賢明な成功者はできるだけ平素な言葉を
選び、多くの人に理解できるように努めています。
ラックのような文章を打ち込む事で自己満足している人間は決して否定しません。
でも、あなたの内容は多くの人に理解できないのは明らかです。
また、このスレに参加している人に対して放置し、無視を続けています。
匿名の掲示板である限り、誰が参加しても良いはずです。
ある数人だけのものじゃありません。勘違いしないでください。
何度も何度も議論を繰り返したとしても、最終的には各人の生き方、考え方
価値観が違うので結論はでない。という事に気が付くでしょう。
特定の人間と限定して議論するのであれば、
あなたがた個人のホームページなり、掲示板でやってください。
お願いします。
コミュニケーション能力が不足している人間が
80 :
名無しさんの主張:02/05/09 12:56
>>79 475が満足してるんだからいいだろ。
彼もまた2ちゃんに望まれるキャラだ。
81 :
名無しさんの主張:02/05/09 13:01
82 :
名無しさんの主張:02/05/09 13:30
>>79 >何度も何度も議論を繰り返したとしても、最終的には各人の生き方、考え方
価値観が違うので結論はでない
悪しき相対主義・懐疑論からは何も生まれない。
83 :
名無しさんの主張:02/05/09 13:33
このスレッドは、ラック対475の
対決のために用意されてるんだから
君の意見のほうが的外れだよ。
彼らの対決を傍観して楽しんでる人だっているんだし(例えばこのスレの1)
そもそも難易度3倍って皮肉だろ?
85 :
名無しさんの主張:02/05/10 09:50
475とラックてどうして改行のしかたが、あんなに似てるんだろう。
まさか、ジサクジエンのはずないよな。
どっちかがHNエコノミストのような気がするなあ。。。
86 :
名無しさんの主張:02/05/10 14:58
ラックの文体は独特だね。
あの外国文を直訳したようなの。
思想本を読み漁ってる口だな。
「簡潔」ではないが「(自己)完結」してるよ。
座布団1枚!って自分で言っとこ・・。
>>77>>78同意します
「その確認の必要性は感じませんが、何のために必要なのでしょうか?」
あなたには必要の無いことかも知れませんね?
しかし、私としては、まだ解決されていないのに、既に解決された気分で議論を進めてしまうことがないよう、
何が既に提出されながら、未だ同意が得られていない仮定であるか
と言うことについても、できるだけ確認して、担保を取っておきたいわけです。
さて、議論の下準備はこれで大方整ったかと思います。
が、
>>31のような提案もあることですし、私としてもその提案はもっともだと思えるので、今少しばかりこの退屈な準備運動におつきあい頂いて、しかる後議論に入ることにいたしましょう。
1 我々は仮定に誤りを指摘できる限り、その仮定に対して一度与えた同意を互いに撤回しうる。
2 1について、撤回する側は、その指摘が適切であるというという同意を必ず相手側から得なければならない。同意を得るに当たって、求められるならば撤回する側は明白な証拠を提示しなければならない。
3 撤回が同意されたならば、我々は直ちにこの誤った仮定に代替する正しい仮定を提示して、これに同意を与え合わねばならない。
上記1、2、3を必要とする事態を避けるべく
4 我々は同意を与えるに際してはその仮定の意味を慎重に吟味し、曖昧な点は確認を求め、かつ仮定を提示した側が自ら誤りや曖昧な点を認めたならばそれを率直に申告して、誤った仮定が同意されることの無いよう努力する義務を互いに負う。
以上について同意をお願いします。
88 :
名無しさんの主張:02/05/11 00:41
ん?閑古鳥鳴いてるなあ・・
じゃあもういっちょ。
議論の完成とは
「論敵を落とし穴(陥穽)にはめて叫び声(喚声)を聞きたい」
である。
とネタレスしてみる。
89 :
名無しさんの主張:02/05/11 14:54
90 :
名無しさんの主張:02/05/12 14:58
>>79 「何度も何度も議論を繰り返したとしても、最終的には各人の生き方、考え方、価値観が違うので結論はでない」
何を語るであれ(勿論上のようにでもあれ)、それが「ある立場」にたつことを逃れえないという罠。
91 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/13 17:32
>>87 >我々は仮定に誤りを指摘できる限り
この必要性は感じませんが。
互いがある仮定を誤りと思う、
それだけで十分でしょ。
論理を進める上では仮定がなりたたないことが重要であって、
何故成り立たないかを論じ始めたら不必要な
議論に多大な時間をさかなければならなくなるかもしれません。
>>91 ところが、そう易々とはいかないのですよ。
なぜといって、一方が
「その仮定がもう正しいとは思えなくなった」
と言い、「思う」ことを唯一の根拠に同意の撤回を求めたとすれば、もう一方は
「こちらはまだその仮定が正しいと思えている」
と言い、この「思う」ことを拠り所に撤回を拒んで譲らないでしょうからね。
そもそも、既に同意を与えられた仮定には誤りがあるはずはないのです。誤りに気が付いていたなら、我々は同意を与えるということをしなかったでしょう。
我々が議論に対して誠実に取り組んでおり、誤りがあると知りながら同意を与えるなどという不真面目な真似をしていないならば、同意を撤回する唯一の理由は
仮定に対する吟味が不足で、そこに含まれる誤りを同意を与えた時には発見できなかったが、今は発見できたから
であるはずです。
そして、「発見」できたなら「指摘」する事ができ、「指摘」された側でも同じ「発見」ができます。
仮定の誤りは双方の同意するところとなり、果たして我々は
過去の同意の撤回に同意し、これを受け入れる
ことができるでしょう。
以上を吟味の上、今一度
>>87への同意をお願いするものであります。
93 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/14 13:10
あ。
>>31の「発言の撤回」は
「片方が同意してない仮定だが、一方が正しいといってる状況での
正しいという意思の撤回」
と勘違いしてました。
>>87には「同意の撤回」とありますね。
すいません。
それで
>>87ですが、
撤回を持ちかけられた側が必要と思えば
その根拠を聞きその議論を行なえばいいし、
必要ないと思ったらその議論を行うのは時間の無駄ですし、
現状のままで十分でわざわざ議論をしばるような規定は
必要ないのではないですか。
>>93で述べられていることの趣旨は、
あなたは現状として既に
同意を撤回する側は、求められればその根拠を明らかにしなければならない。
ということは、我々の間でことさら言葉をあげて同意を宣言していなかったけれども、それには及ばないほど当然のこととしていわば暗黙のうちに同意されていたのだと、
こういうことでしょうか?それとも違いますか?
95 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/15 12:27
>>94 >その指摘が適切であるというという同意を必ず相手側から得なければならない」、
というような規定も必要なく、
「明白な証拠」などというものがもし通常の議論で証拠を求められた際の
証拠以上のものならばそういう規定も必要ない。
片方が撤回を求めてきた同意は、
その他のいまだ同意が得られず、
しかし一方が議論して同意を求めている仮定と
まったく同じく扱って差し支えないだろうから
余計な規定はいらないだろうということ
ですよ。
ところであなたは必要と思うかもしれませんが、
私の希望としては、このような取り決めに時間をとられるのは馬鹿らしく、
本題に進むか少なくとも本題と平行して議論したいと思います。
間が空いてしまいました。
>>95 まぁ、我々がラピュタ王国の住人ならば、そうしたこともできるのでしょうがね?
ガリバー旅行記によれば、あすこでは建物を建てるに当たり、まず屋根をかけることから始まって、土台を据えることで作業がおわるそうですから。
ところが我々は地上国の住人だ。おとなしく、土台をしっかり据えることから初めて、最後に屋根をかけようではありませんか。
さて、我々は互いに仮定に対して同意を与えあって、その同意に基づいて議論を進めてゆくのでしたね?
そして、その同意を尊重しなければならない。
同意の内容を勝手に付け足したり削ったり、同意を無視して同意に矛盾する発言をしてはならないのですね?
さて、そうした尊重されなければならないところの同意を撤回するには、特別な手順が必要なのでは無いでしょうか?
だってそうでなければ、片方が撤回を求めればそれでいいのであれば、我々はいつだって好きなときに
同意の内容を勝手に付け足したり削ったり、同意を無視して同意に矛盾する発言
をする事ができるし、それでは同意を尊重したことにはならないと思うのですがね?
でも、まぁ「時は失いやすく、酔いは醒めやすい」わけですから、とりあえず
>>87をそのままにしておいて本題に入りたいというならば、それもよろしいでしょう。
誠実かつ、慎重に
同意を重ねていく限り、同意を撤回する必要は無いですからね。
なんか難しいです。
ここに載ってる以上、議論するのです。
何故に初めから諭すような口調なのですか。
そして私も人のことは言えませんがなるべく熱くならないように話しましょう。
最後に誰にでもわかるように意志を伝えるのが本当の賢者という物です。
98 :
名無しさんの主張:02/05/17 15:58
>>96 @592での同意すなわち
>A「迷惑に思う」
B「迷惑がかけられていることがなされている」
A=Bは成立しない。
A620での同意すなわち
>「迷惑をかけない程度に・・・生きていく」という定義が「医師・警察官がつまらないことをやっているという結論が謝りであることをうまく説明できない」という結論は誤りである
B629 4の仮定すなわち
>「負の感覚(命を絶たれたくないなど)」をあたえる行為は、「悪(善でない)」とルールとして「定めた」のである。
Bは「同意(@A)を無視して同意に矛盾する発言」である。
475氏はBを撤回した(@Aを尊重した)。
ラック氏は@Aを尊重しなければならない。
@Aを尊重すればBは撤回されなばならない。
Bは両者によって撤回される。
@Aは尊重される。
以上を同意しますか?
99 :
名無しさんの主張:02/05/17 19:42
>>98の訂正
Bは「同意(@A)を無視して同意に矛盾する発言」である。
を
Bは「同意(@A)を無視して同意に矛盾する発言」であるとラック氏によって指摘された。
に訂正
100 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/18 12:32
同意を重ねていく上で議論するやり方をする以上、
「互いに同意のある内容を勝手に付け足したり削ったり、
互いに同意のある内容を無視して同意に矛盾する発言をしてはならない」。
というのもそんなことされたらその議論の進め方が
無意味になってしまうからでしょう。
そしてまたその意味で同意は尊重される。
しかし、それ以上の尊重がなぜ必要でしょうか?
例えば、「過去互いに同意があったが、今片方が撤回されたい仮定」への尊重などが。
同意への尊重は議論を進める必要上のことであるならば、
同意への尊重を円滑な議論より優先しては本末転倒というものです。
>同意の内容を勝手に付け足したり削ったり、同意を無視して同意に矛盾する発言
>をする事ができるし、それでは同意を尊重したことにはならないと思うのですがね?
その「同意」とは「過去同意し、今も同意が続いている同意」なのか、
「過去同意したが、一方が撤回の意思を表明した同意」なのか分けて
考えるべきでしょう。
さて、
>とりあえず
>>87をそのままにしておいて本題に入りたいというならば、
>それもよろしいでしょう。
ということ、ありがとうございます。
しかし私一人では先に進めることはできません。
今まで通りあなたがわたしの矛盾を指摘し、
私がそれに答えるという形式をとっている限り。
では次のレスでは議論を先に進めるために、
大切なものに関する私の意見への反論を望みます。
>>100 それでは、私から始めさせていただくことにいたしましょうか。
何事につけても一番は名誉なことであるわけですし、それを譲られるのはなおのこと名誉なことですからね?
では、どこから始めようかと言って、それはやはり
>>22「人間にとって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
と言う言葉についてまだ突き詰められていない不明瞭な部分を明瞭にすることからであると考えます。
1.
>>22の意味する所は、「人に迷惑をかけずに自分のやりたいこと」をやり、かつ「楽しく生きていくこと」が「人間にとって大切な」ことであり、それぞれの単独は「人間にとって大切な」ことではないということである。
同意されますか?
次にこれまで後回しにしてきた
>>5について、
>>5「負の感覚とは、「いわれ(われわれの同意)もなく、人に死の怖れまたはそれに準ずるものを与える行為をなされたくないという意識」ということです。」
仮定するので、同意か、同意の拒否を与えて下さい。
2. 我々は、同意された事柄については「負の感覚」を覚えることがない。
>>6についてはまた次回
複雑怪奇、奇奇怪怪、隔靴掻痒、疑心暗鬼、支離滅裂、五里霧中、暗中模索。
文字と言う名の魔界に、迷路に迷っていらっしゃる。記号を通して、
心を、贈る。とある、感情のボウルのキャッチボウル。旨く受け止めれば、拍手御娯喝采!
同意と、共感と、理解と、認知、承知、察知、色色十色。
観てると、ソクラテス、シェークスピア、たちの言葉が浮かぶ。大切なものは、心の友と、約束。
105 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/21 16:36
>>101 1に関して。
これは基本的に大切なことのうちのひとつに
「自分のやりたいことをやり楽しく生きていくこと」
があるという意味です。
そして、
「ただしそういう生き方をしていく上で他人に多くの迷惑をかけちゃいけないよ」
ということです。
単独では価値がない、という言い方は解釈次第で論理的には同じことかもしれませんが、
他の意にとられる可能性があります。
「人に迷惑をかけず」に、かつ「自分のやりたいことをやり楽しく生きていくこと」
は双方満たされてはじめて価値をもつものであって、
片方のみしか満たされない場合は価値がない、
1をこれと同意に解釈することが許されるのであれば、1には同意します。
2には同意します
>>59 凡てを知っている事に、気付く事。 貴方がたは、知らない振りをしている事に、気付いていない。
汝自身を知れ、そうすれば凡て解かるであろう。 by庵考
議論を進めましょう
まず、残されていた
>>6について、
既に同意されている仮定、つまり
>>602であなたが提示し、
>>620で私が同意を与えた事柄の同意内容について、あらためてここに参照元をもうけます。
「「人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくことが大切である」と言う定義は、医者や警察官はとるに足らないつまらないことをやっているのではないということを説明しうる」
この同意を上記の内容で参照元を再設定する事に同意されますか?おそらく同意していただけることでしょうね。
>>100 さて、我々は
>>22について結論を導くべく同意を重ね、今は
「そもそも善とは何であるか?」(
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/soc/1016557433 の
>>636以降から)
という問題に取りかかっているわけです。
異論があれば受け付けます。このレスポンスは上の見解に従って書き進めます。
あなたは、
>>641 ・人は皆「負の感覚」を無前提に持っている。だから他者(他なるもの)の行為によってそれを与えられたくないと思う。それが、人が「善という概念」を生み出す源泉になる。
と仮定しています。
この仮定に同意を与える前に確認しておきたいことがあるので、お答え下さい。
悪くなってしまったものを元通りに戻すこと、つまり医者が患者を治療するようなことは、善の概念にかなうように
>>636、健康な人を鍛錬によってより頑強な肉体を持つ者にすることは善の概念に適うのですか?適わないのですか?
仮定を提示するやり方で質問します。
「回復も、改良も、ともに善の概念に適うことである」
同意されますか?
ワ、ワショーイ?
111 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/23 17:26
>>108 >>602はそういう意味になりますか。
すると変ですね。
同意できません。
「人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくことが大切である」と言う定義は、
「医者や警察官は常にとるに足らないつまらないことをやっているわけではない」
と矛盾しない。
こういう言い方が正しいですね。
医者や警察官は果たしてやりたいことをやっているのか、
そしてそれが楽しいのかはわかりませんからね。
112 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/23 17:29
>人は皆「負の感覚」を無前提に持っている。だから他者(他なるもの)の行為によってそれを与えられたくないと思う。
>それが、人が「善という概念」を生み出す源泉になる。
これは悪の概念の源泉ですね。すいません。
「正の感覚によって〜を与えられたいと思う」これが善の源泉です。
>回復も、改良も、ともに善の概念に適うことである
「与えられたいこと」だから表現を変えられるなら同意します。
「回復してもらうことも、改良してもらうことも、ともに善の概念に適うことである」
これになら同意します。
しかし「殺人は悪」という命題と同様いかなる場合も妥当なわけでなく、
状況次第で変わりますが。
本来「与えられたくないこと」を給与その他の対価と引き換えに与えられても、
負の感覚・概念にあたらず(いわれなくそれを与えられているのでもないし、当然ですね)
悪ではない。
同様に「回復してもらうこと」を料金の対価という当然の権利としてやってもらう
場合などは正の概念にあたるとはいえませんからね。
113 :
名無しさんの主張:02/05/23 17:35
/⌒\
/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|/ \ < 今、ムック殺してきた。リアルで。
/ ∠,,_ノ ソ _ ,,.. _) \__________________
/| '',,((ノ ) ノ (\) |
| |  ̄'  ̄ イ ハァ ハァ
\| υ 、_/ロロロ)_ ノ
/  ̄ ̄ \
/| υ \
( .| / ノ ̄ ̄ ̄) ノ \
ヽ.|◯ | ノ ̄ ̄ ̄) /\ ○\
/.| o .| ノ ̄ ̄ ̄) / \ o゚ \
>>111「医者や警察官は果たしてやりたいことをやっているのか、そしてそれが楽しいのかはわかりませんからね。」
とすると、
>>602「あらゆる意味においても医師・警察官は迷惑をかけていない」
が、その「正当な行為」が「医師・警察官」が「やりたいこと」であり、かつ「医師・警察官」にとって楽しいことでない限り、「人間にとって大切な」ことをしているのではないということでしょうか?
仮定して、確認します。
「医師・警察官の正当な行為であろうとも、それが医師・警察官のやりたいことであり、かつ楽しいことでないならば、その正当な行為は人間にとって大切なことではない」
同意か、同意の拒否を与えて下さい。
115 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/25 16:46
以下のことに同意を与えます。
「人間にとって大切なものが唯一『人に迷惑をかけない程度に自分がやり
たいことをやって楽しく生きていくこと』である限り、
医師・警察官の正当な行為であろうとも、それが医師・警察官のやりたいことであり、
かつ楽しいことでないならば、その正当な行為は人間にとって大切なことではない」
また
>>114に同意は与えられません。
というのも以下を私は支持するからです。
「大切なこととは、何もひとつの事柄に限ったことではない」
そして「『人に迷惑を〜』は大切なことの必要条件ではなく、十分条件である」
もしくは
「大切なことは一つの基準に言い表せるとしても、その基準以外に、
その基準の必要条件ではないが十分条件を示す不十分な基準が複数存在す
る。」
このどれかにあなたは反対ですか?または同意を与えますか?
少なくとも私は今、価値は所詮相対的なものであるという見解にたたず、
何らかの絶対的なとでもいうべきの価値が存在するという
前提にたってます。
「人に迷惑をかけずに楽しくいきること。」
これは人生に「とって」大切なものであろう。
また本人が楽しくなかろうとも、警官・医者の行為は社会に有益である限り、
社会に「とって」大切です。
絶対的な価値を持つものがあるとすれば、
このような「〜にとって」にすぎない相対的な価値のあるものが、
何らかの理由で絶対的な価値を獲得するんだと思っています。
それが他の見解に結びつきます。
もっともこれは余談であって、
別にあなたに同じ立場に立つことを期待しませんし、
あなたが積極的に望まない限りこの件で争おうとは思いません。
>>115「人間にとって大切なものが唯一『人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと』
である限り、医師・警察官の正当な行為であろうとも、それが医師・警察官のやりたいことであり、かつ楽しいことでないならば、その正当な行為は人間にとって大切なことではない」
以上に私も同意を与えます。
続けます。
>>115「大切なこととは、何もひとつの事柄に限ったことではない」
そして「『人に迷惑を〜』は大切なことの必要条件ではなく、十分条件である」
もしくは
「大切なことは一つの基準に言い表せるとしても、その基準以外に、その基準の必要条件ではないが十分条件を示す不十分な基準が複数存在する。」
以上がどうも私には不明瞭に思えるので、例を用いて(この方法はあまり賢くないのですが)確認させていただきます。
「形、とは何であるか」
と問われた者がが、
>>115の真意に沿ってこれに答えようとするならば、
「形には色々なものがあって、特定の図形をあげてこれが形である。と言うことはできない。
たとえば形には三角形のように直線だけで構成されるものもあれば、円のように全く直線を含まないものもあるし、円錐のようにそのどちらをも含むものもある。
しかし、これら三者は、「形」と言うことであれば、いずれも同じ程度申し分なく十分に「形」である」
と答えることになるであろう。
このような理解でよろしいでしょうか?
仮定を提示するやり方に沿わず、申し訳ありませんが。
119 :
名無しさんの主張:02/05/25 21:06
頭悪うー
120 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/27 14:31
>>118 わかりました。
112のとおり解釈してよいという限りにおいて、
同意します。
>>117 私は大切なものの条件は「AまたはBまたはC・・・」のようにいくつかある
と思います。
しかしそれは「AまたはBまたはC・・・」
を一言で表す言葉、概念、理論または方法を私が知らないだけで、
実は一言で「大切なものとはαであること」と言い表せるかもしれません。
ということです。
あまりいいたとえではないですが、例えば
今私は大切なことの条件を「X=3またはX=5またはX=・・」
という風に想像しています。
しかしひょっとしたらその条件は「X>2」のように
一言であらわせるものである可能性も否定できないということです。
これから少し返信が遅くなることがあるかもしれません。
>>117「……いずれも同じ程度申し分なく十分に「形」である」
すると、おそらく質問した一方は
「なんだって?一体、君は何を言っているのかね?君はそれで何を答えたつもりでいるというのかね?」
とあきれた後、こう言って再び解答を促すことになるでしょうね。
「私が尋ねているのは、
直線だけで構成されるものもあれば、円のように全く直線を含まないものもあるし、円錐のようにそのどちらをも含むものも
あると言うそれらが、
いずれも同じ程度申し分なく十分に「形」である
と言いうる根拠についてなのだよ」
私には、この解答を促す彼の言い分はもっともであると思えるのです。
そしておそらく、
>>120 「私は大切なものの条件は「AまたはBまたはC・・・」のようにいくつかあると思います。
しかしそれは「AまたはBまたはC・・・」
を一言で表す言葉、概念、理論または方法を私が知らないだけで、実は一言で「大切なものとはαであること」と言い表せるかもしれません。」
と、言うことからして、あなたも私と同じく「もっともだ」と、うなずいていただけることと思います。
私はあなたの見解に同調いたします。しかし、僭越かも知れませんが、私は
>>120「大切なものとはαであること」と言い表せる
ことを確信しています。そう、
「形」とは何であるか
と言う問いに対して、
「形」とは、領域の限界である
と、正確な答えが出せるようにね。(領域の限界は必ず「形」をなし、かつ、その占める領域に限界を持たない「形」はあり得ない)
122 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/28 21:10
>>121 それで次に私は何を書き込めばよいのでしょう?
>言いうる根拠
でしょうか?
>この解答を促す彼の言い分はもっともであると思えるのです。
文脈次第ではもっともでしょう。
しかしあの質問に対する質問にそう答えたのであれば、
文脈次第では以下のように返されるでしょうね。
「なんだって?君は私の思うところを聞きたかっただけじゃないのかい?
だから私の思うところを答えたまでなのだよ。根拠など知らないよ。
ただ、私はこう思う。それだけだ」
特にこの返答する側が一度、
「これは私ほどの者では答えようがありません。」
「私もそんな風にしかイメージがつかめません。」
と話している場合はね。
123 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/28 21:11
>しかしあの質問に対する質問
質問に対する返答に訂正します
あなたがたは結局何が言いたいのですか? 人間にとって大切なものなんて人が100人いれば100の大切なものがあるんですよ こんなことに無駄な体力使うくらいなら外に出て運動でもしたらどうですか? 大切なものに定義なんて存在しません
>>122 それで次に私は何を書き込めばよいのでしょう?
全くですね!
少し怠け心をのぞかせて、仮定を提示するやり方を忘れてみた途端、たちまち我々は
感想や例示を並べながら、同じ事についてああも言い、こうも言い
するばかりで、とうとう一体何について議論しているのかわからなくなってしまいしたよ!
と言うわけで、
>>115「大切なこととは、何もひとつの事柄に限ったことではない」
そして「『人に迷惑を〜』は大切なことの必要条件ではなく、十分条件である」
もしくは
「大切なことは一つの基準に言い表せるとしても、その基準以外に、その基準の必要条件ではないが十分条件を示す不十分な基準が複数存在する。」
このどれかにあなたは反対ですか?または同意を与えますか?
については、これまでにとどめさせて頂くとしましょう。
上の仮定に対する私としての解答は、後にあなたが議論に必要を認めた時点で、あらためて私に求めて下さい。
議論を進めましょう。
さて、まずは予備的な質問をさせていただきます。
ある物が、何かにとって大切である場合、その「ある物」は「何か」にとって当然必要であり、従って求めるべき物でもあると思うのですが?
そうでないとすると、何か非常におかしなことになりませんか?
仮定を提示します。
「人間にとって大切な物とは、人間にとって必要な物であり、かつ人間が追求すべきものである」
今まで通り、同意と同意の拒否での回答をお願いします。
>>124「人間にとって大切なものなんて人が100人いれば100の大切なものがある」
「大切なものに定義なんて存在しません 」
はて?それでは、大切なものがどんな物かがわからないのに、どうしてその百人の人達はそれら百の物が大切な物であるとわかったのでしょうかね?
大切なものって、究極的には「命」に決まってるやん。
自分の大切なモノが見えていない人は可愛そうです。 そういう人はきっと悪徳宗教に勧誘されて人生めちゃくちゃにされて終わりですよ。 命とか空気とかそういうこと言う馬鹿もいるし、くだらないね
130 :
名無しさんの主張:02/05/29 15:47
>>127 大切=非常に重要なこと
これが定義
では、非常に重要なこととは何ぞや?
それが人それぞれ十人十色
そう彼は言いたいんじゃないのかな。
>>130 いえ、私としても、
「大切と思われていること」
や、
「非常に重要であると思われていること」
であれば、
>>124「100人いれば100の」
そうしたものがあることを、否定するつもりはないのですよ。
132 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/05/30 14:11
>については、これまでにとどめさせて頂くとしましょう。
了解しました。
>人間にとって大切な物とは、人間にとって必要な物であり、かつ人間が追求すべきものである
>>115に書いたことですが、
少なくとも私は今、価値は所詮相対的なものであるという見解にたたず、
何らかの絶対的なとでもいうべきの価値が存在するという
前提にたってます。
この「必要」もなんらかの絶対的(あるいは普遍的とか客観的とか)の意味で
用いているということでよろしいでしょうか?
ある人間が自分の欲望や目的のためにある物を欲す、
あるいはそのためにある物がなければならないという意味で
「必要」という言葉を使っているのではなく。
私が「必要」という単語を絶対的とでもいうべき意味に用いるときは、
大切と同義に用いています。
そしてこの意味にとらえてよい限り、
「人間にとって大切な物とは、人間にとって必要な物である」
に(あたりまえでしょうが)同意します。
もし「必要」をこの他の意味に捉えているのであれば、
その意味を解説願います。
「人間にとって大切な物とは、人間が追求すべきものである」
これは同意を拒否します。
人間は倫理的に価値ある人間になるよう要請されていると
までは言えないと思うので。
>>132 人間は倫理的に価値ある人間になるよう要請されているとまでは言えないと思うので。
ああなるほど、あなたは
「それが必要である」
ことと、
「それを追求すべきこと」
とは、関わりがないと考えているのですね?
まぁ、私の推論はそれとしても、
>>132 「人間にとって大切な物とは、人間にとって必要な物である」
に、私も同意するとしましょう。
議論を進めましょう
これまで得られた同意(
>>116>>133)から、
「人間にとって大切なものが唯一
『人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと』
である限り、医師・警察官の正当な行為であろうとも、それが医師・警察官のやりたいことであり、かつ楽しいことでないならば、その正当な行為は人間にとって
「必要」
なことではない」
という事がわかったわけです。
さて、そうすると、医者や警察官が、自らの職における正当な行為を執行する事は、人間にとって不必要な事をしている事になるわけです。
もちろん、彼らがそれを行う事を望んでいないか、あるいは望んでいてもそれを楽しんでいない場合には、ですが。
それを臆病から望まないのか、それとも怠惰から楽しまないのか、それともそれ以外の理由によるかはその時々でしょうけれどもね。
そして、ましてやそれを望まない理由が、正当な行為よりはむしろ、
*『人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと』
を選ぶためにあったとするならば、
(*に適うことには漫画を読んだり、将棋を指したりということも含まれるだろうし、その他にもいろいろとあるでしょうが)
彼は人間にとって不必要なものを避けて、必要なものを選んだということになるわけです。
人間とって不必要な物よりは、必要な物を取るというのは当然のことです。
ですから彼は何も恥ずかしいことをしていないということになるでしょう。
もちろん、法律には触れることがあるかも知れません。
ただそれは法律が「人間」を無視していたと言うだけで、少なくとも
「道義的には」
彼に何の責任もないのです。
長文恐縮ですが、以上に同意されますか?
135 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/01 14:52
>>101に述べた通り、
基本的に大切なものとは「自分のやりたいことをやり楽しく生きていくこと」
なのです。
しかし何故迷惑をかけずにという条件がつくのか。
それは道義的に問題のある仕方によってならば、
いくらやりたいことをやって楽しく生きていても
価値はないからです。
>「道義的には」彼に何の責任もないのです。
従って私の基準に照らして大切な行為を選んでいるのであれば、
それはその行為が迷惑でない(道義的に問題ない)
という場合です。
その大切な行為を選んでいる場合に道義的に問題がないというのは、
論理によって導かれる内容でなく条件です。
このことに関して、
>>134には同意できません。
他の
>>134に述べられていることで、
同意が欲しい仮定があるようでしたら
あらためて提示してください。
136 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/01 19:36
>>135 このことに関して、
>>134には同意できません
いえいえ、「このこと」などと断りをおかず、
>>134の一切を拒否されればよろしいと思いますよ。
なにしろ当の私としても、
>>134について、同意を得られる物とは思っていないのですからね。
とはいえ、
>>134の中には、一つとしてこれまでの同意に反した事は含まれていないと考えられますが。
138 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/04 14:20
>
>>134の一切を拒否されればよろしいと思いますよ。
例えばはじめの「これまで得られた同意から」の推論など、
部分的には同意できるのでこう書いたのですが・・・
>とはいえ、
>>134の中には、一つとしてこれまでの同意に反した事は含まれていないと考えられますが。
今回はこれに返答差し上げればよいのでしょうか?
同意します。
>>137に対する補追のレスポンスに間が空いてしまったことをお詫びいたします。
そのせいで、
>>138「今回はこれに返答差し上げればよいのでしょうか?」
というようなことになってしまいましたね。
議論を進めましょう
私が、
>>137「なにしろ当の私としても、
>>134について、同意を得られる物とは思っていないのですからね。。」
とするのは、
>>134が導いている結論、
>>134 「道義的には」彼に何の責任もないのです。
が、偽であるからです。もっとも、既に同意を頂いている通り、
>>138「
>>134の中には、一つとしてこれまでの同意に反した事は含まれてない」
わけではありますが、しかし、この結論は疑いなく明らかな誤りであると、私は信じます。
仮定を提示して、確認を求めます。
「
>>134で結論されていることは誤りである」
同意されますか?
横レスすいません。
>ラック、475両氏
「人間」って単数ですか?それとも複数ですか?
「私」と「公」でも良いですし、「個人」と「社会」でも良いんですけど。
>>141 私であれ公であれ、特定の個人であれ、広く社会全般についてであれ、
およそ人間の一切において
ということでしょうね。
それは三角形について成り立つことだ、
といいながら、直角三角形には成り立たない、などと断りをおくのは、ひどくおかしな事だと思いますから。
こういう説明でご理解いただけたででしょうか?
>>142 理解しました。
一応私見を述べさせていただきます。
何故「人間」の定義についてお伺いしたのかも含めて。
私は「人間」をおよそ人間の一切においてと規定した時点で
*『人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと』
というテーゼは成立しないと考えます。
先ず「人間」には未来の人間も含まれるのではないかと考えます。
「人間」を種と捉えれば存続という視点はそこに内包されるものと考えられるからです。
「人間」は生きていく上で資源を使わざるを得ず、またその資源は有限です。
その事から資源の使用は環境の劣化であり、「人間」がその環境によって生きるしかない以上
「人間」が生きるという行為は未来の人間及び現在の人間へと「迷惑をかける」行為です。
生きるという行為が「迷惑をかける」ものである以上
死に拠る事以外には上記のテーゼは成り立たない。
よって人間にとって「大切」なものとしてのこのテーゼは
「人間」として生きている以上不可能なものとなります。
およそ生物にとって生きることが大切である事は言わずもがなだろうと考えます。
このように考えたので「人間」の定義が気になりました。
個人であるならば関係性を一切絶ち、生きることが可能かな
とは思いますが楽しくないような・・・
スレ汚し&長文スマソ
144 :
名無しさんの主張:02/06/06 14:04
私も口をはさんですみませんが・・
>>143 >「人間」は生きていく上で資源を使わざるを得ず、またその資源は有限です。その事から資源の使用は環境の劣化であり、「人間」がその環境によって生きるしかない以上「人間」が生きるという行為は未来の人間及び現在の人間へと「迷惑をかける」行為です。
上記のように、
・人間が生きるという行為が「迷惑をかけている」と現在の人間は同意したのでしょうか?
・現在の人間が生きるという行為に、未来の人間は「迷惑をかけられた」と同意するであろうと予測されるのですね?
>>144 「迷惑」と認識する時点と「迷惑」をかけられている状況の生じる時点は
必ずしも一致するわけではありません。
認識はある時点において成立するものであり、
状況が顕在化した時点で認識に至るということは珍しいことではありません。
認識を遡りどの時点の状況以降を「迷惑」とするかは定義によるものとなります。
上記より
>>143は同意如何によるものではなく「迷惑をかける」という言葉の定義により
導出される結論だと考えています。
たとえば自動車の排気ガスは迷惑という言葉の範疇に入るのではないかと考えます。
同様に水質の悪化、大気の汚染も「人間」がもたらす「人間」を含む生物に対する
迷惑ではないでしょうか?
これらは「人間」の生活にリスクを与えているものです。
そしてこのリスクは所謂「文明的な」生活を続ける以上拒みようの無いものです。
同時代人、未来の人間ともに生きることで生活に対するリスクを生み出し
そのリスクによって生活を脅かされるという構図から逃れる事は出来ません。
(未来に関しては現状のパラダイムが継続していると仮定して)
私はこの状況を指して安寧な生活を脅かすという点で
「迷惑をかける」という言葉の定義の範疇に属していると考えています。
ただ生きる上での他者の生活圏への侵犯は「迷惑をかける」という
行為にはあたらないという定義を可能のものとするならば
>>143の限りとはなりません。
475、ラック両氏またこのスレを読まれている皆様、
度々のスレ汚し失礼いたしました。
>>143 「影響」という言葉を「迷惑」にすり替えてねーか?
過去の者から我々が引き継いでいるものの中には良いものもあるだろうし悪いものもあるだろう。
そして、今後の我々の振る舞い方次第で子孫に良いものも悪いものも与えうる。
つまり、我々が過去から引継いだものも、将来へ渡すものも、
それ自体良くも悪くもあり、又ありえる以上は
「迷惑」という一方の悪いイメージのみを与える言葉をここで用いるのは極めて不適当だ。
「影響」という価値を含まない中立的な言葉ならいいのだがな。
147 :
名無しさんの主張:02/06/07 01:28
>>145 >ただ生きる上での他者の生活圏への侵犯は「迷惑をかける」という行為にはあたらないという定義を可能のものとするならば
>>143の限りとはなりません
生活への侵害があるとしたらその行為は「迷惑をかける」という行為にあたるでしょうね。
但し、ある者の生活に対して他者が為す行為について「生活への侵害」があったかどうかはやはり同意で決めるしかないのではないでしょうか。
自動車の排気ガス等は「生活への何らかの好ましくない影響」は与えるでしょうが、それぞれの個別のケースについてそれが「生活の侵害」であるかを判断していく。
そういうことではないでしょうか。
148 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/07 12:16
>「
>>134で結論されていることは誤りである」
>同意されますか?
>>134の結論というのは
>「道義的には」彼に何の責任もないのです。
ですね。
これは
「人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
を選んだ場合に責任がないとおっしゃられているのか、
「人間とって不必要な物よりは、必要な物」を選んだ場合に
責任はないとおっしゃられているのか、
あるいはその他か、説明いただけませんか?
149 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/07 12:40
今は絶対的な価値について論じているわけですから、
「人間にとって大切」という場合、
人間が追求できる価値あるものという意味になるでしょうね。
彼には価値があるがまた別の彼には価値がないなんていう
相対的なものに過ぎない価値を論じているわけじゃないので、
そういう誤解を生む「とって」という表現は避けたほうが
賢明かもしれません。
人に迷惑をかけずに、という場合の人間ですが、
これは前スレで詳しく述べてくださった方のレスを紹介しましょう。
>「人に迷惑をかけない程度に自分のやりたいことをやって楽しく生きていく」
>というのは「道徳、倫理や社会のルールに反する仕方で他人に害を与えない程度に自分のやりたいことをやって楽しく生きていく」
>ってことだよね。
>ま、もう一歩進んで「道徳、倫理や社会のルールに反しない程度に自分のやりたいことをやって楽しく生きていく」
>でもいいけど。問題ある行為がすべからく他人に害を与えているとは限らないから。
ここで言われているとおり「人」の定義がなんであれ、「人」に対する影響が皆無ならば、
どのような問題行為であれ価値があるなんていうことはないでしょう。
「人に迷惑を」なんて言い方はここに述べられているとおり厳密には不完全です。
だいたい言いたいことは伝わっているようなので放置してきましたが、
誤解されたようでしたらお詫びします。
150 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/07 12:43
以下おまけ。
人から自分にとって不快になる等マイナスである行為を
されたとき、迷惑と呼びます。
しかしマイナスである行為をされたからといって常に迷惑と呼ぶわけではありません。
人によって迷惑という言葉の定義は違うでしょう。
しかし私は「迷惑」という言葉によってもっとも表現したい
ことが「その行為をやめるべき」であり、
そのやめるべき根拠は「倫理に反するから」です。
したがって私は迷惑という単語の用件に他の方が指摘して
くださった「道徳、倫理や社会のルールに反する仕方で他人に害を」
与えることをおいています。
>>147 「迷惑をかける」とは他人を厄介な目にあわせ困らせる事。およそこのような意味であろうと考えます。
議論である以上そこで為される定義が辞書的な意味とずれる可能性は否定しませんが、
そのずれはわずかなものであるでしょう。(そうでなければその言葉を使用する事自体が不適切)
このような視座に立ち
>>145に挙げた >たとえば 以下の例示をもって、
「迷惑をかける」という言葉の上記した意味に適うものとしました。
また定義如何によってはそうとも限らないと留意した事もおわかりいただけるかと思います。
>ある者の生活に対して他者が為す行為について「生活への侵害」があったかどうかは
>やはり同意で決めるしかないのではないでしょうか。
私はこの文での「同意」を任意の言葉(迷惑をかける)の意味を共有し、その上での議論(定義の確定)の結果と捉えているという事です。
単に同意によって「迷惑をかける」行為を定めるのであるならば、
同意がなされなければいかなる事も「迷惑」の範疇から洩れ落ちるのではないでしょうか?
いかなる議論上の定義であっても意味は所与として存在すると考えます。
>自動車の排気ガス等は「生活への何らかの好ましくない影響」は与えるでしょうが、
>それぞれの個別のケースについてそれが「生活の侵害」であるかを判断していく。
「生活への何らかの好ましくない影響」を辞書的な意味において「迷惑」に
当てはまると考えているのです。定義如何によっては議論の余地があると考えますが。
「生活への侵害」の定義を明らかにしなければこの判断は可能なものとなりません。
例えば裁判所ではこれが明らかなものとされているから判決という結果をもたらす事が出来るのです。
因みに
>>145を読んでいただければわかるとは思いますが、
私は「生活への侵害」は「迷惑をかける」ことの十分条件とみなしています。
>>148 「人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと」を選んだ場合
「「人間とって不必要な物よりは、必要な物」を選んだ場合
この二つは同じ事なのではないでしょうかね?
「人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
は人間にとって大切なことであると
>>22で定義がされており、また
>>132の同意に従って、
>>132「人間にとって大切な物とは、人間にとって必要な物である」
わけですからね?
ところで、
*
>>135「 それは道義的に問題のある仕方によってならば、いくらやりたいことをやって楽しく生きていても価値はないからです。」
人間にとって大切なことを選ぶのが、実際には生き方として価値がないとしたら、直ちにその「大切なこと」は、その大切さを否定されてしまうのではないでしょうかねぇ?
153 :
名無しさんの主張:02/06/08 01:51
>>151 >「生活への何らかの好ましくない影響」を辞書的な意味において「迷惑」に当てはまると考えているのです
「生活への何らかの好ましくない影響」=「迷惑」とは考えていません。
「生活の侵害」=「迷惑」と考えております。
ですからあなたが言うように「生活の侵害」であると公に判断されなくては、
「迷惑でない」ということになります。
ところであなたは、「迷惑と宣言しただけ」で迷惑が成立すると考えますか?
>同意がなされなければいかなる事も「迷惑」の範疇から洩れ落ちるのではないでしょうか
そのとおりだと思いますよ。
どうも皆さん、
「迷惑とは、そもそも何であるか?」
と言う問題によってたかっているご様子ですね。
>>143,144,145,146,147,151
そして、おそらくあなたもね?
>>149 「ここで言われているとおり「人」の定義がなんであれ、「人」に対する影響が皆無ならば、
どのような問題行為であれ価値があるなんていうことはないでしょう。
「人に迷惑を」なんて言い方はここに述べられているとおり厳密には不完全です。」
>>150 (全文)
この問題に答えを出すというのもそれはそれでおもしろいし、意義があると私も思うのですが、
しかし、たとえ迷惑というものが
>>150「その行為をやめるべき」
ものであり、
>>150「道徳、倫理や社会のルールに反する仕方で他人に害を」
与える事であると定義され、そのために、
>>134ようなやり方で義務を果たすべき者が義務を果たさないことが「迷惑」であることがわかったにせよ、
また、
>>143,144,145,146,147,151で述べられているところに従うにせよ、
>>116「人間にとって大切なものが唯一『人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていくこと』
である限り、医師・警察官の正当な行為であろうとも、それが医師・警察官のやりたいことであり、かつ楽しいことでないならば、その正当な行為は人間にとって大切なことではない」
の同意に従って、義務のためにやりたいことができなかったり、楽しくない思いをするならば価値がないということに、変わりはないのではないでしょうかねぇ?
そして、医師や警察官という身分は、義務のために人間に必要なものから遠ざけられている分哀れですらあり、
自分の近くにそのような人々がいるならば、
「そんな下らないことはやめろ」
と、私たちはできる限りの説得を試みるのが友情というものであり、
引きこもり青年のように誰からも何も期待されずに好きなことをやっている人間の方が、義務から逃れられている分称賛に値する。
と、このようになるのは避けられないのではないでしょうかね?
といって、私は上のようなことを、正しいことだと勧めるために述べているのではないのです。
むしろその意図は、
>>22で求めに対して私が
「欠陥がある」
という答えるにあたっての証拠を提出することにあるのです。
長くなりましたが、仮定して、同意を求めます。
1.「何かにとって大切なもの」とは、当然に゜何かにとって価値あるもの」でもある。
2.「人間にとって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」 という定義は誤りである
さて、2が同意されたとすると、
「ではそれなら人間にとって大切なのは一体何であるか?」
というところに、議論は戻されてしまう事になるでしょうね、
私としてはこれを、
人間にとって大切なのは、望みのものを手に入れることである
と、再定義して、議論を続けてゆきたいと考えています。
もっとも、この定義も十分ではないのですが、それでも敢えてこう定義するのは、私が眼目である
人間にとって大切なのは、善くなることである
と定義できるようにするためには、まだ準備が足らないと考えるからなのです。
156 :
カピのすけ2#:02/06/08 03:28
一般に、
「なるべく人に迷惑をかけない事」
「生甲斐を見出す事」
は、人生において大切なことではありますな。
「やりたいことやって楽しく」
だと、「楽しいんだろーけど、お前今そんなことやってる
場合じゃねえだろ」的な状況の人に対してはあまりオススメ
できないかと。
そんな気がした。
横槍失礼。
157 :
名無しさんの主張:02/06/08 14:29
>>154 >人間にとって大切なものが唯一「人に迷惑をかけない程度に自分がやりたいことをやって楽しく生きていく」である限り、
「人に迷惑にかけない」
「やりたいことをやる」
人生を楽しむことが大切である。それには上記で記した条件が満たされなければならない。
そう解釈するのが正解だし、素直というものでしょう。
>医師・警察官の正当な行為であろうとも、それが医師・警察官のやりたいことであり、かつ楽しいことでないならば、その正当な行為は人間にとって大切なことではない
「医師・警察官のやりたいこと」の部分を「その者にとって医師・警察官がやりたいことでないならば」に
「人間にとって」の部分を「その人間の生き方として」に
以上のように言い換えれば、そのように結論されることになりますね。
158 :
名無しさんの主張:02/06/08 14:48
>>154 >>157について訂正
「医師・警察官のやりたいこと」の部分を「その者にとって医師・警察官がやりたいことでないならば」に「人間にとって」の部分を「その人間の生き方として」に
以上のように言い換えれば、そのように結論されることになりますね
この部分を
「医師・警察官という職業は社会的に有用であるが、それがある者のやりたいことでないならば、医師・警察官という職業をある者自らが選ぶことは大切なことではない」
このように言い直されるべきですね
に訂正します
159 :
名無しさんの主張:02/06/08 16:23
>>154 >医師や警察官という身分は、義務のために人間に必要なものから遠ざけられている
ある者がそのように思うのならばそういった職業をある者自ら選ぶのは大切でないわけだし、すでにそういった職業に就いている者でその職業がやりたいことでなくなっている者に対して、友人であるならば相談に乗ってあげてもいいでしょうね。
さて本論
「人間にとって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」
上記の定義について
・迷惑をかけないことがすべからくルールに反しないことなのか
・人生を楽しむことが大切なこととして尊重されるべきか
この点を議論しなくてはならないのではありませんか?
人生においてどのように生きることが大切なのかがこの議論のテーマなのでしょう?
この点の認識に相違があるなら議論がくいちがうのも当然のことなのだから、もう一度確認された方がよいと思いますが。
とはいっても「大切=よくなること」であるなら、当然に「大切な生き方=よくなるように生きる」なのですから、はたしてそれはどのようなものなのか是非とも拝聴したいと思います。
160 :
名無しさんの主張:02/06/08 20:32
ふ〜ん
つまりここでかきこしてる人は幸せみたいですね
161 :
475 ◆bJMIMr2Y :02/06/10 16:05
>>152 >この二つは同じ事なのではないでしょうかね?
すると
>>134は「大切なものの基準が唯一迷惑をかけずに好きなことをやり楽しく生きること」が前提だったのですね。
「大切なものの基準が唯一迷惑をかけずに好きなことをやり楽しく生きることのみであるならば、その大切なものを選択できた人は、道義的になんの問題もない」
以上のことであれば同意しないということはありません。
同意します。
理由は
>>135にあります通り、道義的に問題がないことはその大切なものの条件だからです。
「道義的に問題がないことを選択できた人間は道義的に問題ない」は正しいですね。
>たとえ法に反していても
ということですが、
「道義的に問題がないならば、違法だろうと、殺人だろうと、
虐殺だろうと、道義的に問題ない」は正しいでしょう。
そのような虐殺が存在するかはわかりませんが。
>人間にとって大切なことを選ぶのが、
>実際には生き方として価値がないとしたら、
>直ちにその「大切なこと」は、
>その大切さを否定されてしまうのではないでしょうかねぇ?
そうでしょう。
だから
>>101の1の同意があるわけです。
返答が遅くなってしまいました。
深夜などに私の使っているプロバイダはプロクシ規制にひっかかるときが多かったのですが、
日曜の昼もひっかかってしまいした。
ここしばらくの返答の遅れは多忙が原因だったのですが、
今後平日の昼間にひっかかった場合はさらに遅れてしまうと思います。
申し訳ありません。
>>161「道義的に問題がないことはその大切なものの条件だからです。」
いえ、とはいってもですね、「人間にとって大切なのは人に迷惑をかけずに自分のやりたいことをやって楽しく生きていくこと」であるという同意が、
>>22において我々の中でなされているのですよ。
しかし、ここになにか付け加える必要をあなたがお認めになるというのなら、私としては別にかまうところはないのです。
これに何を付け加えるか、それを提示して下さい。
私は、私たちのこれまで通りのやり方に従って、それに同意を与えるか、拒むかいたします。
>>159「「大切=よくなること」であるなら、当然に「大切な生き方=よくなるように生きる」なのですから、はたしてそれはどのようなものなのか是非とも拝聴したいと思います。 」
さて、これは困りましたねぇ
なぜといって、私はこの議論の冒頭、いずこの「名無し」さんに指弾された通り
「小学生ほどの知恵もない」
人間であって、私自身、それは認める所なのです。
ですから、ご所望のような事柄は「知恵の教師」にこそ教えうるものであって、それを私にそれを期待するのは「木によりて魚を求むるがごとし」というものだし、そもそも私は議論に当たって「私は善くなれるような生き方を教える」と、約束してもいないからです。
私が約束したところはかえって……いや、約束というよりは、この議論の義務として負うところは
「大切な生き方=よくなるように生きる」
であることを、証明することであったのではないですかねぇ?
164 :
名無しさんの主張:02/06/11 11:17
>この議論の義務として負うところは「大切な生き方=よくなるように生きる」であることを、証明することであったのではないですかねぇ
>>159についてあなたが述べたいことはそれだけと考えてよろしいですね?
165 :
名無しさんの主張:02/06/11 11:19
W杯で賑わいを見せる「夢かもめ」(「ゆりかもめ」のパクリですね。まあ「ルミナリエ」を東京にぱくられた報復ですが)こ
と地下鉄海岸線ですが、必要だったのか。取り分けW杯後も健全経営を続けていけるのか?はだはな疑問です。
まず「三宮・花時計前」は、西神線・阪神・JR・阪急・ポートライナーと離れ、と分け大阪から利用し辛い点にあります(まあ辛うじ
て阪神からですと乗換はスムーズですが)。又名前が「花時計前」という何処にあるのか一目で分からない名前であります。
(花時計なんぞは日本中どこにでもあります)市役所に比較的近い事を考えると「市役所前」にすべきでした。いや今か
らでも名前を変えるべきです。
「旧居留地・大丸前」「みなと元町」は阪神・神速・JRで対処し得る区間で、更なる駅の設置は不要。又ハーバーランドは読んで字
の如く神戸ハーバーランドに近いですが、せっかくのロケーションの良さも初乗りが200円とバカ高い事を考えると本来お得意に
なる筈であるハーバーランド利用者もJRに流れているでしょう。今後はW杯輸送も和田岬線の電化・複線、両駅の拡張工事だけ
で対処出来た筈です。しかし電化だけでそれ以外は手をつけなかった為、肝心要のこの時期に運休という不細工な状況
になりました。この状況を塚口の某芸人が聞いたら必ず「ちゅーとはんぱやなあ!」とぼやく事でしょう。電化もしたな
ら複線にして両駅も大幅拡張すべきでしょう。そう、W杯の為に地下鉄を造る程では無かったのです。
「中央市場前」、「刈藻」、「駒が林」は?傍目「地下鉄が出来て良かった」で済まされるではありません。というのも海岸線
が出来て付近を走る市バス路線が海岸線と関係の無い市北西部も含め大改悪されました。神戸市は赤字を理由にして
いますが、公益事業の市バスをそのような簡単な理由で廃止すべきではありません。
地元では「神戸死営空港とならぶ赤字の海岸線をつくるぐらいなら、毎日使うバスを残すべきだ」と怒声が噴出してお
ります。バス路線の廃止は被災者の生活復興を蔑ろにし、神戸市のみならず関西全体を破滅に追い込む神戸死営空港建
設へ暴走する神戸市を悪態と全く同じであります。
166 :
名無しさんの主張:02/06/11 11:21
167 :
名無しさんの主張:02/06/11 11:37
>>163 >医者が「人を切ったり灼いたり」するのは、その「切ったり灼いたり」される人から病を取り除いて、その肉体を劣悪な状態から善いものにするためであり
>警察官が容疑者を「捕らえたりする事」があるのは、彼が罪を犯したか否かを取り調べ、犯しているなら法廷に引き渡し罰を定め、罰によって罪を償って彼が魂の劣悪さから救われて善くなるためである
「善くなれるような生き方」について言及してるじゃん。
>>163 かまいませんよ。
そうでないとすると、私はまた
「同じ事についてああも言い、こうも言い」
しなくてはならなくなりますからね。
>>167 これはもうけものですね!
ついうっかりと私は自分に不相応なほど立派なものを、知らずに見つけだしてしまったらしいですよ。
>>532 なにしろ私としては、
「何のためにそうするのか」
ということだけを述べたつもりでいたものでして。
170 :
名無しさんの主張:02/06/17 13:52
>>169 >なにしろ私としては、「何のためにそうするのか」ということだけを述べたつもりでいたものでして
「人から病を取り除いて、その肉体を劣悪な状態から善いものにする」
「罰によって罪を償って彼が魂の劣悪さから救われて善くなる」
以上の記述から、
「医療行為や処罰を受けること=善くなれる生き方」と解釈してよい。
同意しますか?
>医師や警察官という身分は、義務のために人間に必要なものから遠ざけられている分哀れですらあり
以上の記述から、
「医師や警察官がとりわけ何らかの義務を負っていて、その分善く生きている」と解釈してよい。
同意しますか?
171 :
名無しさんの主張:02/06/21 00:25
>>169 >インドのガンディーがマハトマ(偉大な魂)と呼ばれるのは、彼が人々の魂が「善くなること」にかけては、一命も惜しまなかったからではなかったか
>ナチスのアイヒマンが悪魔のごとく蔑まれるのは、己の一命を惜しむあまり自分の魂が劣悪なものになる顧みず、その人として生きるに値しない人生を甘受したからではなかったか
以上の記述でも、
「善くなる」、そしてその反対に「劣悪なもの」の中身について言及されていますね。
そしてそれは「善くなれる生きる」について言及していると解釈してよい。
これも同意されるかされないか確認を求めたいのですが。
172 :
名無しさんの主張:02/06/21 01:28
>>169 「善くなる」の定義の提示がないのに先を急いで申し訳ありませんが、
・正当な医療行為、(警察権力の)職務行為は「善くなる」のみを要件とする
同意されますかされませんか?
まずは以上の点について確認させてください。
173 :
名無しさんの主張:02/06/21 01:34
書き込みの遅れにお詫びいたします。
この議論は私ラックと、475さんを唯一の対話者として始められたものでした。
しかし、この「善くなれる生き方」の件もまた、当初の主題とかけ離れたものではなありません。
むしろその重要な一部分をなしているからであって、決して私が待ちあぐねた末に対話者以外の人々と無駄話を始めたワケではないのだ……
ということを、まずは475さんにお断りしておくとしましょう。
さて、私としては、
>>170>>171の提案については了解に苦しむところなのです。
なぜといって、
「そうあるべき状態」
を提示するだけでは、
「そうあるようにする方法」
を述べたことにはならないからです。
「善くなれる生きるとはどのようなものか?」
という問いに対して、
「ガンジーは善くあるが故に命をも惜しまなかった」
と述べることで答えになるとしたら、これは全くおかしな事でしょう。 そんな答えを返したとしたら、質問者はたちどころに、このように再質問する事でしょう。
「いや、私は善き人ガンジーが何をしたかを問うているではないのだ。私の質問の趣旨は、どのように生きることが、ガンジーをして善き人ととしたのかということなのだ」
そして、この質問者に正しく答えるためには、
「善く生きるとは、そもそもなんであるか」
ということについて明らかにしておかなければならないでしょう。
>>172 ・正当な医療行為、(警察権力の)職務行為は「善くなる」のみを要件とする
同意を与えてもよいかと思います。ただ、その前に確認をさせて下さい。
上記の文章を、
そのことによって対象が善くされるならば正当な医療行為、(警察権力の)職務行為である。そうでなければ正当でないか、そもそも医療行為、(警察権力の)職務行為ではない。
と、言い換えてよいならば、私は
>>172に同意します。
176 :
名無しさんの主張:02/06/21 16:03
>>174 >「善く生きるとは、そもそもなんであるか」ということについて明らかにしておかなければならないでしょう
「善くなる=大切」なのだとして、
「善くなるように生きるはどのようなものか」との質問と、「善く生きるとは、そもそもなんであるか」との質問に大きなへだたりがあるでしょうか?
まあ、明らかにされるようなので伺います。
177 :
名無しさんの主張:02/06/22 02:14
>>174 >>167>>171においては、
「病気を肉体の劣悪な状態とし、犯罪・暴力・虐殺をおこなうことを劣悪な魂のしわざとし、これらの劣悪なものを取り払うことが善くなることである。」
というような内容が過去にあなたによって述べられていると指摘したまでなのですが。
もっとも、あなたがなにを善くなることとして考えているかを知りたかったわけではないのです。
上記のような例示は、「善くなる」を伝えるのに一般的な見解と矛盾しない分かりやすいものとは思われますが。
178 :
名無しさんの主張:02/06/23 15:26
>>175 条件を受け入れることによって同意されたと理解します。
では、例えば次のような疑問は馬鹿げたものでしょうか。
妊娠中絶(ここでは医学的理由によらない)は、「病を取り除いて、肉体を劣悪な状態から善いものにする」わけではないのに正当な医療行為とみなされるし、
死刑制度は、「罪を償って彼が魂の劣悪さから救われて善くなるため」の機会を奪うにもかかわらず、正当な職務行為とみなされるのではないか。
以上の点について、どのようにご理解なさるかお尋ねしてよろしいでしょうか。
>>176 たしかに、
「ラックとはそもそも誰であるか」
ということを全然知らないのに、
「ラックとはどういう人物か」
ということを十分に知っているとすれば、それは実にすばらしいことです。
実際我々は彼を
「腕の良い占い師」
と呼んで差し支えないと思います。
そしてあなたがその「腕の良い占い師」であるならば、確かに
「それが何であるか」
と、
「それがどのようなものか」
ということを区別する必要は、全然ないでしょう。
しかし、もしあなたが占い術を身につけていないとすれば、
「そもそもラックとは誰であるのか」
人混みの中にも指をさせるようになり、しかる後、
ラックは怒りっぽいとか、涙もろいとか、演劇よりも映画が好きだとか、
言えるというのは当然です。
そして、それでこそ説得力もあるし、正答も期待し得るというものではないでしょうか。
>>178 さぁ……
そもそも
「妊娠中絶(ここでは医学的理由によらない)」
や、
「死刑制度」 とは、一体何でしょう?
まずはそれを教えていただきたいのです。
もちろん、それは一般的のものでなく、当面の問題についてあなたが意図するところのものであってもかまいません。
181 :
名無しさんの主張:02/06/24 15:39
>>179 >「ラックとはそもそも誰であるか」ということを全然知らないのに、「ラックとはどういう人物か」ということを十分に知っているとすれば、それは実にすばらしいことです
・・・。
わたしは「善(ラック)」について何も知らないのですよ。
あなたでしたら「善(ラック)がなんであるか」も「善(ラック)がどのようなものであるか」も知っているはずだと、あなたにお尋ねしたまでなのですが。
知らないのだとしたら「自我崩壊」しているのでは?おっと失言。
182 :
名無しさんの主張:02/06/24 16:24
>>180 「妊娠中絶」や「死刑制度」ぐらいのことは自身でお調べになってください。
それともなにか、わたしがあなたに断りなく造語をしてしまったのでしょうか?
と、ついつられて悪ふざけをしてしまいましが、やめにしておきましょう。
そんなことはいちいち確認をとらなくてもいいのでは?
あなたの所有していらっしゃる「善」が指し示すまでのことでしょう。
>>182 私としては、悪ふざけなどをしているつもりはこればかりもなく、至ってまじめなつもりなのですがねぇ
まぁ、お教えいただけないのと言うのならば、仕方ありません。
難しい仕事ではありますが、
「妊娠中絶(ここでは医学的理由によらない)」
や、
「死刑制度」 とは、一体何か?
ということを、ここではともかくとしながらも、
「妊娠中絶(ここでは医学的理由によらない)」
や、
「死刑制度」 とは正当なものであるか?
ということについて答えを探してみるとしましょうか。
あなたはこの答えを私に期待しておられるようですし、期待されているということは、やりがいのある仕事なわけですから。
まず、一つ仮定させていただきましょう。
「行為の正当は、行為の対象を善くするが否かをただ一つの要件とする」
同意か拒否を願います。
仮定の趣旨を量りかねると言うならば、もちろん説明を求めてもよいのですよ。
>>183 >「妊娠中絶(ここでは医学的理由によらない)」や「死刑制度」とは正当なものであるか
「正当なものであるか」ではなく「正当なものとされるのはなぜか」との質問に回答が欲しいのですが。
そしてもうすでにあなたはそれについてお答えをだされています。
ですから、次にわたしが望むのは、
「善くする」についてより詳しい説明がなされることです。
「善くする」についてのより詳しい説明を求めます。
185 :
名無しさんの主張:02/06/26 05:30
妊娠中絶と死刑制度って政党だともいます。
だって、いらない子を産む方が悪。被害者遺族がその罪人に死刑を
望むのなら、いたしかたないと。
>>184 まず確認しておきましょう、あなたの見解において、
「妊娠中絶や、死刑制度は正当なものである」
同意されますか?
>>186 「善くする」についてのより詳しい説明をあなたが行う上で、「妊娠中絶や、死刑制度は正当なものである」かについてわたしの見解を述べる必要はないでしょう。
よって、回答を拒否させてください。
不満がおありでしたらその旨を述べてください。
どうもあなたは「善」の正体を明かすのついてずいぶんと慎重でおられるようにお見受けしますが。
>>186 前後しますが、
>>180「妊娠中絶(ここでは医学的理由によらない)」や「死刑制度」とは、一体何でしょう
回答を拒否しましたが、ここであらためて上記の質問についての疑問を述べます。
国語辞典で示されているような内容それ以上の何かについて述べることをわたしに要求されているということでしょうか?
もしそうでしたら、やはりその必要をみとめないので回答を再度拒否せねばなりませんが。
諸般の事情により、レスポンスが遅れて恐縮です。
>>187 どうもあなたは「善」の正体を明かすのついてずいぶんと慎重でおられるようにお見受けしますが。
そのようにお見受けいただけたのならば幸いです。もしわたしが「善」について軽々しく述べようとしていたとすれば、不遜であるという非難を免れない所だったでしょう。
私はできるだけ多くの証拠に同意を得、できるだけ慎重に「善」へと接近したいと考えているのですけれども、それがあなたの許さない所だとするならば、致し方ありませんね。
乱暴なやり方ではありますが、土台を後回しにして、屋根から架けてみましょう。
「善とは、幸福の徴証である」
従って、「善くする」とは何であるかといえば「幸福にさせる」ことに他ならないでしょう。
以上のように、私は「善」について、ひいては「善くする」ことについて述べました。
今後、議論は
「善は幸福の徴証であるか」
につき、議論の土台へと向かって展開されるべきでしょう。
>>189 「妊娠中絶や、死刑制度は正当なものであるか」についての回答は、後ほど必要と認めたときに説明を加えたうえで行いますので了承願います。
>「善くする」とは何であるかといえば「幸福にさせる」ことに他ならないでしょう
「妊娠中絶や、死刑制度は正当なものである」のは対象を幸福にさせるからである。
以上の仮定にラック氏は同意していると考えていいということですか。
>>189 >今後、議論は「善は幸福の徴証であるか」につき、議論の土台へと向かって展開されるべきでしょう
あなた側から話されるのを待てばいいのでしょうか?
>>190 「妊娠中絶や、死刑制度は正当なものである」のは対象を幸福にさせるからである。
以上の仮定にラック氏は同意していると考えていいということですか。
それはせっかちというものでしょうね。
なぜといえば、まだそれら妊娠中絶や、死刑制度が正当なものかについて、我々はまだ証拠を持っていないし、そもそも
「妊娠中絶や、死刑制度とは何であるか?」
ということについて、私はまだ十分な確認を取ることができないでいるからです。
>>191 あなた側から話されるのを待てばいいのでしょうか?
おや?あなたからの反駁をいただけないとするならば、どうして
「善は幸福の徴証であるか」
ということを確かめることができるでしょうか?
それともこの命題には、もはや反駁の余地がないと認めるのですか?
>>192 >妊娠中絶や、死刑制度が正当なものかについて、我々はまだ証拠を持っていないし
>>178で触れているように、
「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である」
以上がわたしの見解です。
一方、
「善くするあるいは幸福にする限りにおいて正当である」
以上があなたの見解であろうと理解しています。
正当なものとされている合意がある事実は確認されるので、それが証拠です。
では、「善くする、幸福にする」についてはなにか証拠があるのでしょうか?
説明を要求します。
>そもそも「妊娠中絶や、死刑制度とは何であるか?」ということについて、私はまだ十分な確認を取ることができないでいるからです
>>188がわたしの理解です。ご返事ください。
>>192 >あなたからの反駁をいただけないとするならば、どうして「善は幸福の徴証であるか」ということを確かめることができるでしょうか
ではこちらから話を進めましょう。
「善は幸福の徴証である」
以上の命題の提示だけであなたの考えを理解しろとおっしゃるのですか?
それに命題についてもさっぱり理解できないのですが。
「幸福」についてもやはり説明が足らないのではないのでしょうか。
>>194 おっしゃるとおりだと思いますよ。
何しろこの建物には柱も壁もなく、ただ屋根があるばかりで手がかりが無いと言うところではね。
>>195 ほう、わたしには完成された建物がしっかりと確認できるのです。
そして外見上とても立派で感心すらしていさえするのです。
それはどんな構造で、どんなふうに建てたんだろうとおもわず尋ねてみたのですが。
差し障りないのでしたらどうぞ設計図や工程表を示し、説明ください。
197 :
名無しさんの主張:02/07/07 04:18
まどろっこしいやりとりだな。
このスレで論戦しているヤツがどんな目論見でこういう語り口していて
そして話をどこへ持っていこうとしているのかが丸見え。
早い話が、今後の展開が見えている。
>>193 「善くする、幸福にする」についてはなにか証拠があるのでしょうか?説明を要求します。
それでは説明してゆくとしましょうかね。
>>193 「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である」
この上の「限り」というのは、「当の事柄について同意した人々の間においては」という事でしょうか?それとも違いますか?
答えて下さい
>>198 説明しましょうって言ってる尻から答えてくださいか・・
議論の遅滞は望まないので答えましょうか。
「同意とはその集団に所属する成員すべてにおいてである」以上です。
200 :
名無しさんの主張:02/07/07 07:09
ζ
,,.-‐''""""'''ー-.、
,ィ" \ やったオレ様が200ゲットだ!
/ `、 ボケ共がオレ様にひれ伏せ!!
,illlllllllllll i
r'-=ニ;'_ー-、___,,.ィ‐‐-,,_ _|
>>201遅いんだよ、チンカス
| r,i ~`'ー-l;l : : : `l-r'"メ、
>>202アホすぎる、言葉もない。
ヾ、 `ー‐'": i!_,l_ノ`
>>203人間辞めろ。
| ,:(,..、 ;:|/
>>204なにやってんだよ、この包茎ちんちん
| ,,,..lllllll,/
>>205あらら、ご愁傷さま。死ね
/ `::;;. '"`ニ二ソ
>>206うっさいハゲ。
/7 ゙゙:`-、;:;:;;;:;:;:;;/
>>207ビルから飛び降りて死ね
,,.ィ"`:、 "/;:`ー-:、.._
>>208ネットワークすんなゴミが!。
‐'":;:;:;:;:;:;:;:\ . : :;: . ;/;:;:;:;:;:;:;:;:;:~`'''ー--:、,,_
>>209お前はクビを吊れ
201 :
名無しさんの主張:02/07/07 07:14
チンカスの201です。このスレタイの【難易度通常の3倍】
が、いつも笑っちゃう。
202 :
kouei35@非戦主義 ◆n8aPRTS. :02/07/07 07:18
今現在でもっとも大切なものは全世界から軍隊とそれを成り立たせる伝統・思想・
常識・歴史観を否定してなくす努力だ。ok
以上
>>199 「同意とはその集団に所属する成員すべてにおいてである」
ここにある特定の集団があるとする。
そしてその集団のある特定の数の構成員が、あることの正当性について同意したとする。
そうするとその「あること」は、その集団において正当なものとなり、構成員は、その集団に属する限り、誰であれ、「あること」を正当のものとして認め、尊重しなければならない。
こういうことでよいでしょうか?
>>204 うん、それでは
「正当性とは何か」
といえば、
「特定の集団の構成員に、できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえる器量の事である」
と答える事ができそうですね。
なにしろ、同意を取り付けないことには、それは正当なものではないのですから。
どうでしょうか?
>>206 感謝します。では続けさせていただきます。
ところで、この
「特定の集団の構成員に、できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえる器量」
というものは、物であれ、事柄であれ、とにかくその当の対象にもとから備わっていたり、いなかったりするものなのでしょうか?
それとも、それは本来的には決して備わり得るものではなく、後から付け足されなければならないものなのでしょうか?
それはこういうことです。
鉄という物質には「可視性」が本来的に備わっているけれども、「可聴性」は備わっていないということを認めるでしょう。そしてまた、それらの性質を付け加えたり、あるいは取り去ったりする事はできないということも認めるでしょう。
他方、「鋭利性」というものは、本来鉄には備わっていないけれども、我々が「研ぐ」ということでそれを付け加えて「鋭利な鉄」とすることもできるし、さらにそれを取り去ることもできるというわけです。
このように、性質というものには、備わっているものと、付け加えられたものとの二種類があって、
「特定の集団の構成員に、できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえる器量」
というものは、いったいそのどちらの種類に属する性質であるかを答えて欲しい
というわけなのです。
>>207 物質あるいは「事(現象)」には性質が本来備わっているものと、とりあえず考えておくことにしておきます。
では、「事(人為)」についてはどうでしょうか。
「事(人為)」には、人と人とのかかわりの中ではじめて社会的性質が発生してくる。
そして集団が形成されるところにこそ、「事(人為)の正当性」=「社会的性質の意味」が発生してくる。
以上のような見解ですが、回答になっているでしょうか。
>>207 >>206の訂正
>そして集団が形成されるところにこそ、「事(人為)の正当性」=「社会的性質の意味」が発生してくる。
この部分を、
そして集団が形成されるところにこそ、「事(人為)の正当性」=「社会的性質の意味」を発生させる必要がでてくる。
に訂正。
>>207 改めて
>>207について明確に答えておきます。
>>208については取り扱ってもらっても、もらわなくても構いません。
>このように、性質というものには、備わっているものと、付け加えられたものとの二種類があって、「特定の集団の構成員に、できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえる器量」というものは、いったいそのどちらの種類に属する性質であるか
後者であると思います。
>>211 わかりました。
それでは、
「特定の集団の構成員に、できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえる器量」というものは、対象の物や事柄に本来的に備わっているのではなく、何者かによって付け足されないでは持ち得ない性質である。
としましょう。
さて、とすれば、それを付け足す何者かとは、一体なんでしょう?
投票でしょうか?
しかし、あなたはこういうことを認めませんか?
優れた弁論家が説得には、たとえ一次の投票で絶対多数の賛成票を得た案件であれ、説得後の投票では反対票を絶対多数としたり、あるいはその逆の事をする力があるということを。
どうですか?こういうことを、あなたは認めませんか?
>>212 そういうことがあることを十分想像できると思いますよ。
>>213 認めていただいたとしましょう
それでは、
「特定の集団の構成員に、できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえる器量」
とは、説得によってあらゆる物や事柄に付け加えられるものであって、それを付け加えるのは説得者であるということになりますね。
なぜなら、彼らが説得によってそれを当の物や事柄に加えたり、取り除いたりしなかったとすれば、同じ物や事柄についての投票を覆す事はできなかったはずですから。
そうことになりませんか?
>>214 全然そんなことにはならないと思いますよ。
なぜなら、
器量は、「できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえることによって」しか与えられないわけですから。
>>214 訂正
なぜなら、器量は、「できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらえることによって」しか与えられないわけですから
の部分を
なぜなら、 器量は、「できるだけ数多くそれが正当であると同意してもらうことによって」しか与えられないわけですから
に訂正
>>215 なるほど、
>>193 「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である」 というのが、あなたの主張なわけですからね。
説得が行われたとしても、その説得を受け入れるか受け入れないかは議員の判断に委ねられているのだし、第一「合意」を決定づけるところの投票は、説得者ではなく議員によって行われるというのは確かなことです。
しかし、「何事かをなし得る力がありながら、何事をもなそうと思わない者」
と、「何事かをなす力は無いが、他人に何事かをなす動機を与えるだけの器量に長けた者」
の二名が組んであることをしたとすれば、それはどちらによってなされた事だと解するべきでしょうか?
それはこういうことです。
ここにある金庫の鍵偶然に手に入れた者が居るとします。
彼はその鍵が一体どの錠前の合い鍵であるかを知らないために、従ってそれを使って何をするつもりもないのです。
そして、ここにもう一人、先の彼が鍵を手に入れたことを知っており、さらにそれがどこの金庫の鍵であって、そこに何が入っているかを知っている「他人に何事かをなす動機を与えるだけの器量に長けた者」がいるとしましょう。
この後者の彼が前者の彼を、その持ち前の器量でもってまるでアシカに玉乗りを仕込むように手なずけそそのかし、あるいは適当に納得できるような理由を付けて金庫から金品を持ち出させ、後者の彼の足下まで持ってこさせたとする。
そしてこれが窃盗に値する事であれば、その窃盗犯は前後どちらの彼であるだろうか?
どちらでしょう
>>217 ルールに則って権利を与えられた者の自由意思による権利の行使によって物事が決定されるということが肝腎だと考えるわけです。
そもそもが投票者とはわれわれの代表者(反映された者)なわけだし、器量に長けた者に限らず有権者の誰であっても、意見を彼に直接訴える事もわれわれには許されていて、それが投票者の投票行動に仮に反映されたとしてもまったく不当なことではないわけでしょう。
もちろんその訴え方はルールに則ったものでなくてはならないのですが。
諸般の事情により、レスポンスが遅れてしまったとをまずお詫びいたします。
>>218 まずは私の質問に答えて頂きたいのですがね。
しかしそれはそれとして、これは良いことを述べて下さいましたね。
質問を換えましょう
「自由意思による権利の行使によって」
ということですけれども、これは
投票の権利に与る各人が、それぞれの所信であれ、合法な手段の説得者による説得の結果であれ、とにかく各人の正しいの思えるところに従って、その通りに投票すること、と解してよいのでしょうね?
そして同時に、その各人の正しいと思えるところに反して、賄賂によってであれ、脅迫によってであれ、正しいと思えない方に投票するならば、そのような投票は不正であり、無効なのだと思われるのですが。
それとも、あなたには何かこれとは違ったことが考えられますか?
>>219 わたしの言うことをとても正確に説明されていると思います。
>>220 ありがたいことです。
ではそうすると、声明であれ、また投票であれ、
各人が、当の各人の正しいと思えるところに反して合意した議員の数が、正しいと思える方へ、思えるままに合意した各人の数を上回ったとしても、もはやそのことで当の案件がその集団において正当であると認めるわけにはいかないのでしょうね。
「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である」
というのがあなたの主張であったわけなのですが。
どうでしょうか?
>>221 遅れました。申し訳ありません。
その通りだと思います。
>>222 うん、それでは、あなたの主張に対して、このような但し書きをつけることにしましょう。
「但しそれは、自らの正しいと思えるところに従う人々の間における合意に限るのであって、そうでない人々の合意を問題としない」
どうでしょうか?同意していただけますか?
>>224 レスポンスが遅れました
「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である。但しそれは、自らの正しいと思えるところに従う人々の間における合意に限るのであって、そうでない人々の合意を問題としない」
ということが同意されたわけですが、ところで、同じ「正しいと思えるところに従う人々の間」においてもしばしば意見が分かれることがあるというのはご承知の通りだと思います。
その場合、ある人はあることを正しいと思っており、また別のものを正しいと思っているのではないでしょうか?
そうではないですか?
226 :
名無しさんの主張:02/08/02 21:03
レスポンスって言うな
>>225 「そうでない人々の合意を問題としない」
とは、
「例えば賄賂、脅迫を受けることによって行使された一票によって、賛成多数を得たある事柄については正当性を与えられない」
と理解してよろしいですね?
次に、
「ある人はあることを正しいと思っており、また別のものを正しいと思っているのではないでしょうか?」
について、
なにか問題があるでしょうか?
全会一致での合意でなくては正当性を与えられない。
あるいは、反対票を投じた者の間には合意は正当性を持たない。
そう規定されているのでないならば、困ったことになりますが。
>>225 すいません訂正です。
>そう規定されているのでないならば、困ったことになりますが
この部分を、
>そう規定されているのならば、困ったことになりますが
に訂正します。
>>277「なにか問題があるでしょうか?」
さぁ……何の問題もないかもしれせんよ
でもまぁとにかく、自分の正しいと思えるところに従う人たちの間で意見が分かれるとき、その人たちのある者はあるものを正しいと思い、また別の者は、また別の物を正しいと思っているということは、認めていただけたとしましょう。
そして、こうした場合にはそれを正しいと思っている人が一番多い案件を以て正当とするというのが、おそらくはあなたの主張でしょう。
よろしい、では質問しましょう。
そう言った場合、つまりそれぞれの人が、それぞれに別々の何かを正しいと思っている場合、それらの人々は何が正しいのかを知っているのですか?それとも知らないのですか?
>>229 >それぞれの人が、それぞれに別々の何かを正しいと思っている場合、それらの人々は何が正しいのかを知っているのですか?それとも知らないのですか?
正しいと思っていることと、正しいことを知っているは違いますからね。
従来どおり、「正しいは、合意によって決まるほかない」ということになります。
>>231 いやいや、私は
「正しいとは、どういうことによって決定されるか」
ということを尋ねているのではないのですよ。
くれぐれも質問には正確に、また明瞭に答えて下さい。
「正しいと思えるところ」について対立する人々は、何が正しいかを知っているのですか?それとも知らないのですか?
232 :
名無しさんの主張:02/08/05 03:25
うんこしろよ
>>231 悪うございました。
「知らない」。
これでいいですか?
>>234 もちろんそれで結構だとも。
そして今後私があなたと同じ誤りをしでかした場合には、そのときには丁度私がしたようなやり方であなたが私に忠告してくれるべきだと思うよ。
>>199のようなことは、あれきりで仕舞いにしてね。
あのときあなたは全く幸いにも私のしたことを見逃してくれたけれども、これからもあなたは私のすり替えに目をつぶり、私の方ではあなたのそれを許さないというのでは不公平だし、それ以前に私に対して不親切なことだと思われる。
さて、
>>231「「正しいと思えるところ」について対立する人々は、何が正しいかを」
知らない。ということになったわけですが、ならばこれらの人たちは、
何が正しいか
について無知な人々ということになるのではないですか?なにしろ彼らは何が正しいかを知らないわけですから。 違うでしょうか?
うん、それでは、決定することについてそれがなんであれ、その事について無知な人と、その事について知っている人とでは、一体どちらの言うところに従うべきでしょうか?
例えば、治療の事に関して、患者に何を食べさせるべきか、あるいは食べさせてはいけないか決定しなければならない時、従うべきは医者の言うところであって、治療について無知な人のそれではないのではないですか?
違いますか?
>>237 補足。
違わないというのは、後段の例についてのことです。
前段についてですが、
その事について、知っている人、無知な人とは、
その事について事情に詳しい人、そうでない人
その事について正しいと知っていた人、知っていない人
どちらのことを言っているのですか?
>>239 それに答えるのは容易なことではないですね。
なぜといって、
「その事について事情に詳しい人、そうでない人」
と、
「その事について正しいと知っていた人、知っていない人」
とが互いにどのように異なっているかが、いまの段階ではよくわからないからです。
それですから、まずはその事についてあなたから教えて頂かなければなりません。
>>237の質問における場合、
「その事情に詳しい人」とは、それが正しいのか、それともそうではないのかという事情について詳しく知っている人のことであり、
他方また、「その事について正しいと知っていた人」とは、かつて知っていたけれども、現在は知っているとは言えない状態にある人をさすのではないと私は考えているのですが、
どうでしょうか?
>>240 「その事について事情に詳しい人」とは、決定される事についていくらかでも知識が豊富な人、例えば専門家のような人と理解してください。
一方、
「その事について正しいと知っていた人」とは、決定される前にその事についてそれが正しいともうすでに知っていた人と理解してください。
そして、後者はわたしの正当性の定義上その定義に矛盾するので、ありえない人ということです。
前者についても同様で、決定される事に関わりがあるその分野における知識(これは過去に合意されてきた事項ということです)が豊富だからといって、それ自体によっては、決定される事についてのその人の主張することが正しいんだという事が、保証されないということです。
つまり、正しさの決まり方は、われわれが判断できるための知識を詳しい人に提供してもらい、その上でわれわれのそれぞれが判断により意思表明し、多数決(条件はいろいろある)によって表決するという手続きを踏むということになります。
>>241 なるほど、そういうことであるのなら、私が指しているのは、その「あり得ない人」の方になるでしょうね。
あなたのいう専門家というのが、かつてどれだけのものが、どれだけの人々の間で同意されたかということを知っているだけで、結局何が正しいのかということを何も知らないのだとすれば、結局その人はその事について無知な者であるのだから。
さて、あなたの質問に対して私は答えたのだから、次は私が質問する番というわけですね。
それでは質問しますけれども、例えば今海の真ん中に一隻の船と、たくさんのその乗員があるとしよう。
ところがその乗員達は皆航海の素人で、その中には誰一人航海士や、その他船舶航行の専門家はいないのだ。
目的地に向かうために船を進ませようにも、どちらに舳先を向けてよいかも分からないから、その為に一体どちらに向かって進むべきか、一人は「こちらに」と言い、今一人は「いいや、こちらに」と、乗員達の間で意見が分かれたとする。
そこで、乗員各名の意見をとりまとめ、最も数多くの乗員が進むべきと思っている方向に船を進めたとして、そのことが、何か少しでも彼らが目的地にたどり着くことを約束してくれるだろうか?
どうでしょうね?
>>242 まず、航海に際してどの乗員に船舶航行において実権を行使できる資格が与えられているかどうかが問題になりますね。
与えられていない乗員が意見を差し挟めないのは当然として、資格が与えられている者同士で意見に対立がある場合、どのような措置を取るべきかについて取り決められていなくてはなりませんね。
合議によるだとか、最高責任者を設け彼の判断を優先しなければならないだとか、
そしてまた、特別な事態が生じた時には例外を設けたりだとかなどをですね。
後者を問題とすれば、彼は彼の判断をとりあえずその場では正当なものとして同意を得ないで実権を行使することが許されるというか、航行に重大な責任(義務)をもたされていることになるでしょうね。
がしかし、彼も人の子ですからミスジャッジもありえるでしょうから、後に航行に資格をもつ乗員からの彼の判断への異議申し立てや、彼の判断によって生じたトラブルや事故に関して、
彼の判断や実行が適切のものであり過失がなかったなどについて審査されたりすることもあるでしょうね。
なんにせよ、唯一の責任者だったり最高責任者だったりする彼には、航行に際して上記のような権利及び義務が持たされることが合意によって取り決められているということです。
彼が特権的にふるまったりしているように見えることは、ほんの上辺のことに過ぎないというわけです。
こんなところです。どうでしょうか?
>>243 物事を雄弁に語ることについては、実際よくできていると思う。
もっとも、私の質問に答えることの方はすっかり忘れてしまっているようだけれども。
私は、船舶航行の意志決定のためにどのような制度を整備すべきかということをたずねているのではないのですよ。
航海について全く無知な人々の最も数多くが進むべきと思っている方向に船を進めたとして、そのことが、何か少しでも彼らが目的地にたどり着くことを約束してくれるだろうか?
それともそれは、風任せにでたらめな進路を取っていることと何ら変わらないのであって、到着は、もしそれができたならば自分の強運に感謝するべきであるというような、期待すべくもないことであるのだろうか?
どちらなのですか?
>>244 またやってしまいましたか。お詫びします。
>>243で述べたことは、後に必要な時が来るならば、わたしの意見として参照してください。
では質問にお答えします。
前段について、
成功を約束はしてくれないと思います。自明なことです。
後段について、
無知といっても程度問題ですから、到着できたとしてそれが全くの「風任せ」と呼んでいいものなのかは、少し待ってみてもいいんではないでしょうか。
なにせ、少しでも話し合ったのなら、ジャンケンや立てた棒の倒れた方向で決める(もちろんこれが成功を導く可能性を否定しません)のと何ら変わらないと言い切ってしまうには、よくよく見当してみないことには分からないことですからね。
正直に言うとそんなことはわたしには関心ないんですよ。
わたしが論じたい「正当性」とは倫理の問題なんですよ。
だから、ある状況において人が為すべき判断、行為とは何であるかということです。
例えば、そのような遭難した状況では、とても興味深い話題になりますね。
同乗者は、航行もそうでしょうし、食料に関してもどうすればよいのかとかね。
>>245 まぁ、とにかく「約束しない」という事は分かったわけですね。
もっとも、約束しないどのようなものであるかということは、まだわからないのではあるが。
季節はまだ夏の事でもあるし、もう少しばかり海のお話をさせていただきましょう。
ところで、そのような中に、今たった一人だけ、船舶航海術についてよく知っている人、つまり遠洋の船乗りだとか、航海士だとかいう人を加えたらどうでしょうね?
そのよく知っている人は、その船を進めるべき方向について、自分よりも遙かに数多くの航海について全く知らない人々と意見が食い違うときはやはり、その他の数少ない素人達と同様にその口をつぐんでいなければならないのだろうか?
それとも、口をつぐむべきなのは数多くの素人の方なのでしょうか? 彼らはどうしても目的地に辿り着かなくてはならないのであり、そうでなければそもそも船に乗ろうなどとは露ほども考える人々ではなかったとすればだよ?
どちらでしょうか?
>>246 では、ここはあなたを信頼してもう少し我慢しましょう。
じゃあ聞きますが、その彼が、自らが船乗りだとか航海士だとかの身分証明書を携帯していない場合、何が、彼が船乗りや航海士であると人々に分からせてくれるのでしょうか?
口をつぐんでいるどころか、彼は全身全霊をこめて、知識や経験あるいは人間性をも含めて、彼が信頼に足る正真正銘の船乗りあるいは航海士であることを人々に説明し、彼を信用し指示に従ってもらうように努力することが必要となるのではないでしょうか。
そしてその努力が成功した暁には、人々は彼の言うことを信用し、彼に従おうと「合意」することになるでしょうね。
そして、一度合意した以上は彼に身を任せるのは道義なのではないかと思いますね。もっとも任せてみたはいいが、その後の彼の行動が実際あまりにも人々をして疑わしめるようなものであれば、その合意は取り消されたりしたって一向に構わないわけですが。
長くなりました。また叱られそうなので明確に答えておきます。
彼を信用しようと合意されなければ、少なくとも当面は、彼は口をつぐんでいなくてはならない。
これでいいでしょうか?
>>247 もちろん、そのような答えでいいですとも。またそれはあなたの主張に矛盾しない答えだとおもわれる。
それでは、「彼を信用しようと合意されなければ、少なくとも当面は、彼は口をつぐんでいなくてはならない。」とすれば、大多数の素人が進めるべきだと思っている、しかも船舶航海術に知っている人の意見とは異なる方向に
(なぜなら、その方向が船舶航海術について知ってる人が進めるべきであると思っている方向と同じであれば、それは彼の意見を容れたのと何ら変わらないのであるから)
進路をとることが正当である、ということになるのでしょうね。あなたの主張に、つまり
>>225「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である。但しそれは、自らの正しいと思えるところに従う人々の間における合意に限るのであって、そうでない人々の合意を問題としない」
に、従うとすればだよ?
そうであれば、この船のあらゆる乗組員は、この大多数が進めるべき思っている方向に船を進むよう努力するのが正しいのであり、
その反対に、どうにかして船舶航海の専門家が指す方向に船を進めようと画策する者があれば、彼は相互の同意に反しするが故に不正を働くのであり、従って船に誤った進路を取らそうとする者、ということになるのではないでしょうか?
違いますか?
>>249 まずお断りをしなければなりません。
「彼を信用しようと合意されなければ、少なくとも当面は、彼は口をつぐんでいなくてはならない」とは、あくまであなたの提示する状況設定を鑑みて、わたしが妥当であろうと判断したものです。
わたしが決めることではないのに、うっかり踏み込んでしまいました。
彼らが所属する集団(国家)がどう判断するかが全てであるんだということを改めて述べておきます。
これでも、
>>249の質問は有効でしょうか?それが分からないので一応答えておきます。
「船舶航海の専門家が指す方向が目的地を向いているのなら、船に誤った進路を取らそうとする者ではない」
答えられるのはこれだけです。
都合により間が空いてしまいました。
>>250 なるほど、これまでただ「集団」とだけ呼ばれていたそのものが、実際ところ何を指すかと言えば、それは国家の事であって、他のなにものでもないということなのですね?
もっとも、その国家は各人の自由に表明する意志によって運営される議会国家でなくてはならないのではあるが。
ところで、この船の乗り組み員全員の国籍が果たして同じものかどうかは全く分からないのだけれど、とにかく今彼らの国籍は同一であると決めつけるとしましょう。
そうすると、あなたの説に従って、彼らの国法が
「目下のような状態にある場合には、船舶航海について知っている者へ、直ちに一切を任せなければならない」
と定めているのならば、何も知らない素人達は一切口をつぐんみ、議論を交わすに換えて、知っているその者の指示に逐一従うべきなのでしょうね。
では今度は、彼らの国法が
「目下のような状態にある場合には、その乗り組み人の最も多くが合意するところに従わなくてはならない」
と定めてあるとして、その場合に、最も多くが合意するところに反して船舶航海の専門家が指す方向に船を進めようと画策する者があるとしたらどうでしょうか?
その場合でもあなたはやはり、その「画策する者」について、
「船舶航海の専門家が指す方向が目的地を向いているのなら、船に誤った進路を取らそうとする者ではない」
ということでしょうね。
しかし例えそうであっても、その「画策する者」は、なお罰を受ける余地を残す者ではあるのでしょうね?なにしろ彼は国法に背く者であるのだから。
違いますか?
>>251 まずお断わりを。
集団を端的に、「国家」としましたが、そうではないかもしれません。いわゆる国家と呼べるようなものに属さない人(々)も存在するかもしれませんし。
あるいは、「彼らが所属する集団(国家)」としましたが、彼らが外国にいる場合もあるでしょうから、そうではないことがあるでしょう。
さて本論。
画策する者は罰を受ける余地を残す者であるのか?について、
方法は法に背くのだけれども、結果として人々の目的を果たさせた。そんな彼に罰を受けさせるべきか否か?種種の事情を鑑みて、最終決定権者はなんと判断を下すでしょうね。
罰を受ける余地はあるか?
あるんじゃないでしょうか。
>>252 うん、そうすると私は「集団」ということについて早合点をしていたようですね。
それではそもそも、この船の乗組員たちはあなたの言うところの「集団」とみなしてよいものなのですか?それともいけないものなのですか?
いけないのだとすれば、あるいはこれまで提示された条件では判断しかねると言うのであれば、どのような条件のもとであれば「集団」してよいのでしょうか?
まずはこの点について答えていただき、しかる後、質問をすすめることにしたいとおもいます。
>>253 はい、答えます。
「集団」とは、ある目的のために集まった、社会性(集団の中で生活を営むこと)を有する集まり。
国家は、その中でも他のものに優越する集団であると認識しております。(これについては自信はありません)
以上のように定義します。
>それでは、この船の乗組員たちはあなたの言うところの「集団」とみなしてよいものなのですか?それともいけないものなのですか?
判断しかねますね。判断する条件は定義に従います。ですから、同じ船に乗り合わせているということは、条件ではありません。
255 :
名無しさんの主張:02/08/27 00:29
人間にとって、最も価値ある概念は、”快”である。
”善”ではない。
”善”は、5番目。
>>254「判断しかねますね。判断する条件は定義に従います。ですから、同じ船に乗り合わせているということは、条件ではありません。」
質問に答えていないと、私は思うのですけれどもね。
今のところ、それはとにかくとさせていただいて、約束通り質問を進めさせて頂きましょう。
>>252 「罰を受ける余地はあるか?あるんじゃないでしょうか。」
という事であるならば、同様の状況に置いて、最も多くが合意するところがたまたま船舶航海について知っている人が指す方向と同じであるか、あるいは船舶航海について知っている人の提案に合意する者の数が最も多くを占めているかしている場合には、
当然にこの「画策する者」は、罰を受ける余地無き者であるのでしょうね?
違いますか?おそらく違いないと思うのですが?
言葉遊び好きですか?
>>256 わたしの方に見落としがありました。
「乗組員」なのですから、定義に従うと集団とみなしてよいですね。
>当然にこの「画策する者」は、罰を受ける余地無き者であるのでしょうね
違わないですね。
>>258 なるほど、彼はやはり罰を受ける余地無き者なのだ。
すると、こういうことが言えないでしょうか?つまり「集団における大多数の合意」なるものが何の決定について権威を持っているかといえば、それは正しい針路についてではなくて
「どういう者を罰し、どういう者を罰しないか」
ということについてであるということが。
だけれども、そうだとすれば、これはどうにもおかしなことではないでしょうか?
彼らが航海について知っている人に耳も貸さず、ひたすら 「どういう者を罰し、どういう者を罰しないか」
ということを決めることにこだわっているとすれだよ?
一体彼らは、自分たちがどこを航海しているかも分からなくなって、そのうちに飲み水も食料も無くなり、ついには仲間の血をすすり肉を喰らわ無くてはならなくなることよりも、
そうしてあさましく生き残った者たちも、とうとう大波に船を砕かれて海に投げ出され、結局鮫の腹の中に葬られる事よりも、もっと恐ろしい罰があるとでも信じていたのだろうか?
だがまぁ、そんなことはどうでもいいでことなのでしょうね。我々は今船に乗っているわけでもないし、その予定があるわけでもないのだから。
さて、時は夏の終わる頃でもあるし、そろそろ我々も陸に上がって、あなたの問題とする我らの議会国家に帰ってくることにしましょう。
さぁそれでは、そこにおける、つまりその集団の議会における大多数の合意によって何が決定されるかといえば、ここでも
「どういうものを罰し、どういうものを罰しないか」
ということだけであって、他にないのではないでしょうか?
それとも、なにかあの船とは別の帰結が考えられるのでしょうか?
この点について、答えて下さい。
>>259 「あの船の帰結」というものが、よく分からないのですが。
再度簡単に申し上げますと、
船上が、どういう者を罰しどういう者を罰しないかを話し合う場などでなく、罰しない者が権利(というか義務)を実行する場であると説明したつもりですが。
>その集団の議会における大多数の合意によって何が決定されるかといえば、「どういうものを罰し、どういうものを罰しないか」ということだけであって
この点については同意します。
間が空いてしまいました。
>>260 なるほど。ところで、
>>225「正当なものとされている合意があるならばその限りにおいて正当である。」
のでしたね。そして、しかもその合意というものが、「どういうものを罰し、どういう者を罰しないか」という事についての同意だけである。ということが、今し方明らかになったわけです。
してみると、「正当」とは何に関係があるかと言えば、ただ唯一「罰っせられることと、罰せられない事」とに関係するということが、必然的に言えるのではないでしょうか?
どうおもわれますか?
>>261 今のところそう考えていいんではないでしょうか。
>>262 なるほど、そしてそのうちの「罰せられない事」方が「正当なこと」であると、あなたはさらに言うのでしょうね?
ちがいますか?
>>264 しかし、「正当なこと」と「正しいこと」とは同じであるかといえば、あなたはそれは違うと、こう答えるのでしょうね?
>>267 別に私はなにもしかめつらしい事を尋ねているのではありませんよ。
私があなたに尋ねていることは、ただ単に
「正当な事」と、「正しい事」とは同じものであるのか……
つまり、「正当なこと」と「正しいこと」とは、一つのものの別の呼び方に過ぎないか、あるいは「正しいこと」とは、「正当なこと」に包含される一部分であるのかのいずれかであるか、それともそのいずれでもないのか。
ということなのです。そして私は、おそらくあなたは
「正当な事と正しい事は同じでない」
と、こう答えるであろうと予測していると言うことなのです。
>>277 わたしは「正しさ」には直接言及はしてこなかったつもりですが、多分あなたが考えていらっしゃる「正しさ」とは科学的知識のことなんでしょう。
そして、それが「正当」と違うものなのかと尋ねたいのでしょう。
それについて答えると、知識はそれぞれの人間が判断するために欠かせない材料ではあるが、それ自体が正当を決定するのでなく、あくまでそれをするのは集団の同意だということです。
ですから「正しさ」をそういうように考えれば、「正当」とは同じでないと答えていいと思います。
結論として、あなたは正当なものと正しいものとは別であると主張してくれたわけなのだ。
さあところで、「正しいもの」とは別の何かであるとすれば、それは必然的に「正しくないもの」なのでしょうね?
このように考えてくれればいいのですよ。
あるものが「赤いもの」ではないとすれば、それは当然「赤くないもの」であるのであって、それをまさしく赤いと主張すると同時に、それは絶対に赤くないと主張する事は不可能なのではないですか?
>>270 結論をそちらで出す前に、確認したいですね。
「正しさ」の意味するところは前述のようで構わないのですね?
そして、それが正当の意味することのすべてであり、つまり同義であると。
この点について答えてもらいましょうか。
前述というのは、
>>268「「正しさ」とは科学的知識のことなんでしょう。」を指しているのでしょうね。そしてそれであるならば、私としては少しもかまわないのですよ。
私は、「正しさ」とは、知識であることを認めます。
>>272 では、それは自然的世界(人体も含む)に関するものに限られないものですか?
限られないものとしたら、あなたはそれは客観的にあるものとして捉えますか?
以上についてお答え願います。
>>273 無論、それでかまいまわないとも。私が言うのは、客観的で、自然的なそれのことなのだ。
>>274 分かりました。
では、それが客観的であると証明するものはなんですか?
答えてください。
>>275 うん、しかしね、君の方では一体いつになったら私の質問に答えてくれるのかね?
と私が問うとすれば、私は全く愚かな考え違いをしているということになるのだろうね?
まぁそれはともかくとしよう。
それではまず、君
何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」のだろうね?
それとも、君にはなにかこれとは別のことが考えられるだろうか?
277 :
yahooo!!アダルト:02/09/25 05:45
>>276 はあ?意味わからねえ。文句があるならばはっきり頼んます。
いつのまにか上にたって、「君」呼ばわりだし。
それから、直答頼んます。よって「それではまず〜」以下は回答拒否。いちいち下らない確認するな。
うん、それではね、君も私を指すに当たって「君」と呼んでくれればいいのだよ。
私の方ではそれを拒まないし、拒むとすれば、それは私が議論に答えを見つけるよりも、なにか人の上に立とうと言うことを大事のもののように考えているということであるし、一方それは君の側にしても同じ事だ。
さぁ、議論に関係のないことについてはこのくらいにしておくとしよう。
ところで、君は私に直答を求めているけれども、一方の君の方でも、
>>270に対して私に「直答」を与えてはくれていないのだがね?
それではというので、私の方でも
>>270に立ち戻って「直答」を求め、現今の君の質問に対して「回答を拒否」する事がどうして許されないことであろうか?
しかし、それは果たして許されない事であると思う。
なぜなら、君は私の質問からどうにか逃れるために質問を質問で覆い隠しているのではなくではなく、私の質問に可能な限り正確に答えるために私に質問しているのであって、それを拒否するのは右手で答えを促しながら、左手で相手の口に詰め物をするようなものだからだ。
私の方としては、まず君が「客観的」というものを、私と同じように、つまり
>>276でのべたもののように知っているのか、それともそれとは違うように知っているのかを知りたいのだよ。
もし君がそれを私の述べたところとは別のもののように知っているとすれば、真っ先に私はそれを君から教えてもらわなければならないだろう。
また、君がこれに答えられないとすれば、君の質問は全く意味のないものということになる。なぜなら、それは君が「どうしてそれが客観的か」と私に質問していながら、そもそも「客観的」とは何かを知らないでいるということだからだ。
だから、そう短気にならずに答えくれるといい。
何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」のだろうね?
それとも、君にはなにかこれとは別のことが考えられるだろうか?
>>279 その調子で今後も長文頼んます。
>私が議論に答えを見つけるよりも、なにか人の上に立とうと言うことを大事のもののように考えているということであるし
てっきりそう思ってたよ。
>何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」のだろうね?
どうぞそのまま議論を進めて下さい。
うん、それでは君もやはり、答えを見つけることにこそこの議論の価値があるということに賛成してくれているようだね。
そうであれば、なおさらこの議論は価値の高いものになったというわけだ。
なぜなら、この議論は言論の友たちのそれであって、言論の敵たちがしばしばやっているつまらない言い争いではないということがはっきりしたのだから。
ところで、私の方では君が
>何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」のだ
ということを認めてくれたと考えてよかろうね?
さて、そうであるならば、私としては
>>275「それが客観的であると証明するものはなんですか?」
に答えるに当たって、「正しさは主観的なものではない」ということを証明すればよいわけだ。
さて、ところで、「主観的」というものを構成するのは、ただその実の当事者一人の「思いなし」で十分であるのであって、その他の何者も必要としていないのではないだろうか?
それはこういうことだ。
ある商品の価格に対して「主観的」に高価であるという判断を下すためには、その商品の値札を見ているところの当人が、この価格は高価であると「思いなし」すればよいのではないだろうか?
それとも、その人は他の人々の懐具合をも察した上でなければ、そうした判断を「主観的」意見として持ってはいけないのだろうか?
>>281 >「それが客観的であると証明するものはなんですか?」に答えるに当たって、「正しさは主観的なものではない」ということを証明すればよいわけだ
「正しさは主観的なものではある」と主張したいわけではないので、そうではなく「当事者一人の「思いなし」」では成り立っていない何で成り立っているのかということです。
赤が赤であることを証明するのに青や黄やその他を持ってくるのではないズバリ「これが赤だ!」というやり方でそれができないでしょうか?あなたならそれができると思うのですけれど。
>>282 うん、しかしね、
>「正しさは主観的なものではある」と主張したいわけではない
とは言ってもだよ、君が
>>275 「客観的であると証明するものはなんですか?」
と質問し、それに応じて私が何かを客観的なものであると説明を試みるとすれば、それが同時に何かは主観的なものではないという説明になってしまうというのは、どうしたって仕方のないことなのではないだろうかね?
君が、
>何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」のだ
ということを認めてくれているとすればだよ?
しかし、君の方として、正しさとは何であるかの前に、正しさがどのようなものであるか、(客観的か主観的か)を問題にするのは無意味だと考えるというのなら、それはそれでもっともなことだと思う。だから、
>>282「当事者一人の「思いなし」」では成り立っていない何で成り立っているのか
問われれば、私は
>>272「正しさ」とは、知識である
と、答えようと思う。
なぜといえば、「正しくない知識」というものは、そもそも知識ではないし、従って、「正しくない知識」というものは、本来的に存在し得ないからだ。
もし、これで君が私から回答に当たって必要な答えを十分に引き出せたというなら、
>>277に答えてくれるといいだろう。そして、僕の側でも君から十分に答えを引き出せさえすれば、
>>193の義務をもっと短い言葉を使って果たすつもりだ。
>>283 当事者一人の「思いなし」では成り立っていない何で成り立っているのかとの問いに、私は「正しさ」とは知識であると答えたのでは、わたしの要求に応えたことになりません。
正しさ=知識なのですから。では、正しい知識とか正しくない知識(つまり知識ではない)と言えるのは、何がそれを可能にするのかということを答えてほしいわけです。
よって、わたしが回答するに当たって必要な答えを十分に引き出せてはまだいません。
最度の回答を期待します。
誤字訂正
「最度」でなく「再度」ね。
>>284 うん、それではね、
我々が平素「正しさ」と呼んでいるところのものは、実は「真実そうあること」の事であり。
知識であるとか、知識ではないとかいうことは、そう思われているように、果たして真実そうあるか否かが可能にするのだ
と答えようと思う。
どうだろうか?私は今度こそ多少は適当にこたえられたろうかね?
>>286 はい。十分です。
つまりあなたは正しさの真相を「真実であること」と明かしてくれたわけですね。
そしてわたしはそれを「同意されること」と主張したわけです。
ここでわれわれ2人は正しさについて解釈を異にしていることが分かったわけです。
よって、
>>270での
>結論として、あなたは正当なものと正しいものとは別であると主張してくれたわけなのだ
については、上記の意味においてそのとおりだと答えたいと思います。
なお、正当と正しさの表現上の違いについては今のところ触れなくて結構だと思います。
>>276については、そうとは限らないと答えておきます。
288 :
名無しさんの主張:02/10/04 13:22
大切なのはゴムをすること
うん、それでは君の方では僕から回答に必要なものは十分に引き出せたようだね。
それでは、今度は君が僕の回答に必要なものを提供してくれる番だというわけだ。
さて、
>>276 何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」
かといえば、
>>286 そうとは限らない
と、するのであれば、何かが「主観的」ではなく、しかも「客観的」ではない場合には、そのなにかは、一体何であるのだろうか?
それについて私に教えてはくれないだろうかね?
おっと今日はナイスタイミング。
>>289 その前に真実が主観的でないと言える理由について説明してくださいな。
話はそれからですよ。なぜならそうなされた時にそれが問題となってくるから。
>>290まずは書き込みが遅れたことにお詫びを
もちろん、私としてはその説明をしてもいいのだよ。しかし、たった今、私がそれを始めるとすれば、私はなにかとても滑稽な事をやっていることになるのではないだろうか?
「真実とは主観的なものではない」ということを説明する当の私が、そもそも「主観的とはなんであるか」ということを知らないで居るとすればだよ。
もっとも、私の方としても、「主観的とはなんであるか」ということについてある「思いなし」をもってはいたのだ。
>>276何かが「主観的ではない」とすれば、それは当然に「客観的である」
というのがそれだ。
ところが、君が
>>287そうとはかぎらない
とする以上、もはやそれは疑わしいというわけだ。
だから、私としては、説明の前に「主観的とは、そもそもなんであるか」という問題をなんとしても片づけておけなければならないし、そのためには君に
>>289何かが「主観的」ではなく、しかも「客観的」ではない場合には、そのなにかは、一体何であるのだろうか?
ということを答えてもらわなければならない。
>>291 んーだから、わたしもあなたも日本人なのですから、言葉の定義をそんなに違わなく共有しているものと信頼して、話を進めてはくれないもですかね。
そのあなたの、主観的とはなんであるかということについてのある思いなしに従って、「真実が主観でないあるいは客観である」と言える理由について説明してくださればいいのだと思うのですが。
そうしましたらそれを受けて疑義を呈す形で、「真実は主観でも客観でもない何かである」と考えられる言い分について、わたしが述べていくというのが順序というものではないのでしょうか?
追加しとく。一続きのレスとして扱って。
>何かが「主観的」ではなく、しかも「客観的」ではない場合には、そのなにかは、一体何であるのだろうか?
それじゃ答えておくよ。
それは「同意」です。
>>292 私の思いなしを今明かすとすれば、それはこうだ。
「客観的」とは、客観性の具有であって、他方「主観的」とは主観性の具有ではなく、実は「客観性」の欠如のことなのだ。
具有していないということは、つまり欠如しているということだ。
したがって、具有しているが、しかし欠如しているなどということはあり得ないのというのは、すこぶる当然だ。だから、何かが客観的ではないとすれば、それが主観的ではないとということも当然だと考えた次第なのだ。
まぁ、いずれにしても、これが疑わしいことに変わりはない。何しろ現に君がこれに異論をとなえているわけなのだから。
>>293 それでは私は「真実」は、主観的でも、また同意でもないということを君に説明できれば、私としては義務を果たしたこと、つまり「真実は主観的である」と説明したことになるのだろうね?それとも、それ以外の何かがあるだろうか?
>何かが客観的ではないとすれば、それが主観的ではないということも当然だと考えた次第なのだ。
>「真実」は、主観的でも、また同意でもないということを説明できれば、「真実は主観的である」と説明したことになるのだろうね?
「客観的でないとすれば、主観的ではない」
「主観的でないと説明できれば、主観的であると説明したことになる」
これらはどうしたって私には理解が難しいのですが。それでいいのですか?
>>295 (笑い)これはこれは!
いやいや、もちろん書き間違いだよ。正しくは
>「真実」は、主観的でも、また同意でもないということを説明できれば、「真実は客観的である」と説明したことになるのだろうね?
ということになる。ではさて、このような訂正された上で、君はどのように答えるかね?
>>297 そうだと思いましたよ。
>「真実」は、主観的でも、また同意でもないということを説明できれば、「真実は客観的である」と説明したことになるのだろうね?
そうですね。
>>298また間があいてしまった。
さて、誰かが何かについて真実を得て、その真実に沿って何かに作用していながら、その結果をおもいのままにできないというのは、あり得ないことのはずだ。
そうではないだろうかね?
>>299 しかし、知識は同意だと考えれば、その同意がわれわれからずれてくるようになり、もはや思うところの結果を得られなくなることは、めずらしくないのではないでしょうか。
このような返答では、質問の理解が不十分でしょうか?
度々返答が遅れて申し訳ない。
実際、不十分だと思う。それに、
>>300「知識は同意だと考えれば」
と、君は言うのだけれども、私はすでに
>>286「知識であるとか、知識ではないとかいうことは、そう思われているように、果たして真実そうあるか否かが可能にするのだ」
と述べていて、しかも君もまたこの答えが十分なものであると認めてくれているのだからね
>>287 だから、もう一度、よく考えてみて欲しい
何かを取り除くことは益であるという真実を得たとすれば、それを取り除くことは益なのであって、取り除いたためにかえって害を被るということはあり得ないのではないだろうか?なにしろ、その何かを取り除くことは益であるということは真実であったのだから。
>>301 前段について、
十分である言ったことは、そういう意味ではありません。
後段について、
>その何かを取り除くことは益であるということは真実であったのだから
真実とは、現象の認識であり、益であるとか害であるとかは、この領域に属するものでなく、属するのは価値判断の世界なのだと考えたいわけです。
そして価値判断とは「認識」されるものでなく、「同意」されるものなのだということです。
だからわたしが主張するとなると、
「何かを取り除くことは益であるという「同意」を得たとすれば、それを取り除くことは益なのであって、取り除いたためにかえって害を被るということはあり得ないのではないだろうか?なにしろ、その何かを取り除くことは益であるということは「同意」であったのだから。」
ということになります。
>>302 さぁごらん、我々は巡り巡ってとうとうあの場所に戻ってきてしまったというわけだね。
あの場所というのは、つまり私が度々述べてきた
「それが何であるか(定義)がわからなければ、それがどんなものか(評価)はわからない」
という例のアレのことだ。
さぁ、それは一応ここではともかくとしておこう。
さて、
>「何かを取り除くことは益であるという「同意」を得たとすれば、それを取り除くことは益なのであって、取り除いたためにかえって害を被るということはあり得ない」
と、君が読み替えて見せてくれたこれだけれども、さてどうだろうか、このようなことは本当に「あり得ない」のだろうか?それとも、しばしば起こることなのだろうか?どちらだろうね。
>>301 >さてどうだろうか、このようなことは本当に「あり得ない」のだろうか?それとも、しばしば起こることなのだろうか?どちらだろうね
同意を得たとすれば、あり得ないと思います。なぜならば、益だと保証するものは同意だけだからです。
ちなみに「何かを取り除くこと」とは、何かを取り除きたいという「目的(意志)」を意味し、何かを取り除く「方法」を意味しているのではないと解釈した場合です。
>>304同意を得たとすれば、あり得ないと思います。なぜならば、益だと保証するものは同意だけだからです。
私はいま、ひどく了解に苦しんでいるところだ。
君は私の持っていない、いわば「了解の秘術」のようなものをもっているのだろうね?
そうであればこそ、この私にとっては了解に苦しむようなことを、自信をもって広く述べることができるのだと、私は考える。
さて、それでは、私はこれから私が了解に苦しんでいるそのところのものを、君の目前に並べてみせるから、一つ、その上に君の秘術を披露してはいただけないだろうか?
そうしてくれれば私は君の秘術のおかげをもって私はこの了解の苦しみから救われ、果たして自らの愚鈍を深く恥じ入るというものだ。
例えば、我々に捕られられている男が一人あったとする。
そして、その男の処分について互いに協議した結果
「今日のところは、この男を放免してやろうと思う。そうすれば、この男はその放免されたことを恩義に感じて、我々に害を与えまいから」
ということで、同意をみたとしよう。
しかし逃してみると、かえって男は我々に捕らえられたことを恨みに思い、武器を手に引き返してきて我々を襲い、我々の財産を奪ってどこかに逃げ去ってしまったとしよう。
さて、君の述べるところによれば、男は我々に害を与えなかったということになるのではないだろうか?
あるいは、我々の同意が保証しているのは、我々が「男を放免しようとする意志を持つ」ことによっては男は我々に害を与えないということだけであって、
我々が男から害を受けたのは、我々が「意志を持つ」ところから不敵にも一歩進みでて、男の縄を解くという「方法」に着手したからだとでも言うのだろうか?
まぁ、もったいぶらずに答えてくれるがいいよ。
>>305 私が言う「われわれ」の意味は、「当の本人たち」でなく、その背後にある「国家」であることは、前にも述べたのだからもちろん了解されているでしょうね?
そのような不法行為を働く者を、法(同意)は処罰を与えることと約束しているにもかかわらず、それに従わず身勝手に当事者同士で話し合って放免しておいて、その結果災厄を招いたと不平を言うのは不合理なことなんじゃないんですか?
この場合、法という正当な同意はちっともあなたたちに害を与えていないと思うのですが。
自信をもって述べているわけではありませんが、了解に苦しむと言うならば、304を敷衍しておきます。
何か(305の場合生命財産の暴力による奪取)、を罪悪(害)であるいう意志に同意しているかぎりはその何かはそのようなんだし、国家が当事者に代行して、身柄を捕獲、しかるべき刑罰を与えるという法治の意志も同じことが言えると思います。
>>306 まぁ、君の繰り返し述べている何かは、彼らが国家を獲得するまでは何の意味も持たないものであるということは、よくわかったよ。
もっとも、
>>305「益だと保証するものは同意だけだから」
ということそれそのものに対しては、何ら新しい証拠を提示してくれたわけでもないのだが。
とはいえ、そのようにぼくが言えば、君としては
「そもそもあなたの設問が正確さを欠いているからだ」
と、言い分があることだろうし、私としてもそれは認める。
だから、君が繰り返し求めている「国家」なるものをそこに補った上で、君の前に私の了解しかねているそれを、改めて別の形に並べ直して見ようと思う。
すべての国民に対して移動の自由を保証しているある国家が、
ある特定の病気の患者を特定の場所に永久に監禁する事は、我が国が国民に対して移動の自由を認めている国であるといえども、正しいことである。
と定めたことがある。そうする理由というのは、
「そのある特定の病気を社会から隔離するのは国民にとって益であるから」
ということであった。
しばらく時代が下って、その病気は大した伝染力も、遺伝性もなく、治療によって完治可能であるから、この病気を社会から隔離する理由はないということを医学が知らせた。
ところが、その国家はその医学の知らせを耳にしてもなお、その病気の患者を監禁することをやめなかった。
患者自身と、かの患者達に同情する、患者以外の人々は、
国家がかつて行ったかかる定めには今や理由がなく、患者の監禁をやめるべきである。
と訴えた。
国家はなお、患者を監禁し続けた。
更に時代が下ること半世紀して、国家はついにかかる定めに理由がないことを認め、患者の自由を回復し、その非行を彼らに謝罪し、その嘗めた苦痛を償うをことを約束した。
これらと同じことは、私たちが非常によく知るアジア小さな島国で、近年実際に起こったことがある。
私はそれを非常な美事だと思っていたが、それはとんでもない勘違いであって、実際は国民の国家に対する蛮行であり、国家の国民に対する愚行であったというわけだ。
>>305「益だと保証するものは同意だけだから」
ということを、私が信ずる限りは。
つづく
そして、その信ずるところによれば、国家は訴える彼らに対してこう言わねばならなかったということになる。
「我が国の国民達よ、おまえ達は 益だと保証するものは同意だけだということを知らないのか。
そしてこの病の患者を社会から隔離することが益であるということは、いやしくも国家の名において同意されたことであるということを知らないのか。
おまえ達がその益であることを同意されたなにかの反対を唱えるならば、おまえ達はすべて国民が害を受けることを望んでいる者と見なされねばならないのだ。」
と。
また、患者達が、我々はかかることを益だとすることに、もはや同意してはいないのだと言うならば、更に国家はこのように言うべきであった。
「口を慎むがいい。すべての同意は、各人がその同意されるべき事柄から生ずる利害関係の当事者でないときに与えた同意のみが有効とされるのだ。
なぜならば、同意された事柄によって自らが何らかの不利益を被るその時に、なおその事柄に対して同意する者など一人もいないからである。お前達はそんなこともわからないのか」
と。
しかし、我々は当事者ではない。と、患者に同情する患者以外の国民が言うのなら、国家はこう言って、訴えの一部を断固拒まなければならない。
つづく
「よかろう。今、国民の多数をもって、かかることは無益である事を同意するならば、国家は患者に自由を与え、かつ今後同様の患者の自由を奪わないこととしよう。
益だと保証するものは同意だけであるのだから。
ただし、それ以前に監禁された患者に対しては、彼らがいかに苦しみ、他の国民に比して不当な扱いを受けたと主張しようとも、国家はこれに償いを支払わないし、謝罪もしない。
なぜなら、謝罪や償いというものは、なにか理由のない苦痛を誰かに強いた者がすべきものだからである。
益だと保証するものは同意だけである。
かかることをする理由がないとすれば、かかることが無益であることを国家の名において同意されたその時点から後にするかかることに理由がないのである。
それ以前には、かかることは国民にとって益だからという理由があった。
彼らは、国家が医学の知らせを耳にしたその時から、かかることが無益である事を同意した50年間の間も、かかることをする理由は消滅していたと主張するが、そのようなことはあり得ない。
なぜなら、国家がかかることが無益であるとを同意したのはつい先ほどのことなのであるから。
重ねて言うが、益だと保証するものは同意だけである。
彼らの主張が謝罪と補償を求める根拠になるとするならば、益であるとか、ないとか、いうことを保証するものが同意以外に、たとえば医学的知識がそれにあたるものとして存在するということになる。
しかし、そのような考えは全く馬鹿げたものであり、益だと保証するものは同意だけなのだ。
従って、無益である事が同意される以前に、かかることが益であるとされていた全期間のどの時点においても、国家は彼らに理由のない苦痛を与えていたはずがないのだ」
つづく
以上のように国家が国民へ言うことは、あの島国で実際に起こったことよりも、なるほど遙かに美事だ。
それは、「益だと保証するものは同意だけである。」ということの前により整っているいるが、あちらは整っていないからである。
しかし、私のように愚かな者にとっては、このようなことは到底了解しえない。
そこで私としては君の秘術に期待している次第だが、他方、当の君は
>>306「自信をもって述べているわけではありません」
と、心細いことを言う。
私は冗談でそう言っているのだと思っているけれど、もしそうでないなら、早めに忠告してくれるとありがたい。
そうしないと、私はそのような疑わしいことをいつまでも愚直に信じ続けて、お互いにとっての貴重な紙面をどこまでも無意味に食いつぶしてゆくことになりかねないからね。
おわり
>>307〜310
>繰り返し述べている何かは、彼らが国家を獲得するまでは何の意味も持たないものである
「すべての集団の上位に立つことを許された集団」、現在的にそれを「国家」と提示したのはまずかったですか?以前にもお断わりしたはずですが、どうやらお許し願えてなかったようでしたね。
さて、本論ですが、
>「益だと保証するものは同意だけだから」ということに対しては、新しい証拠を提示してくれたわけでもない
>>306の後段で述べたことを別の形で述べ直せばいいわけですね。
では、述べます。
何か(307の場合、ある感染病患者の隔離)を益であるという意志に同意しているかぎり、その何かはそのようなのです。
そして隔離の不必要性について報告を医者が提出できることになった。なのに国家は隔離を止めようとはしなかった。なぜでしょう?
同意の中にそれでもなお隔離すべき理由をほかにも持っていたということになりますね。ここでは明らかではありませんが。
いや、そうではなく同意が、隔離すべきはただ感染力や治療の困難さのみに理由を置いているのだとしたら、国家はよくも国民の同意を無視して、それこそ「蛮行」をなしたものだと患者たち、国民は怒らねばならないのは当然のことですね。
彼らが何かを謝罪と補償を求められる根拠にするとするならば、それは同意を無視した国家の不法行為ということになるんではないでしょうか?
この話が近年実際に起こった事実なのだとしたら、それにしても困ったものですね。
>私のように愚かな者
では、これは額面どおりに受け取ってよろしいのですか?私も愚か者だと分かっている人と無駄な時間を費やしたくありませんが。
>>311「そうではなく同意が、隔離すべきはただ感染力や治療の困難さのみに理由を置いているのだとしたら、国家はよくも国民の同意を無視して、それこそ「蛮行」をなしたものだと患者たち、国民は怒らねばならないのは当然のことですね。」
そうだね、そういうことが同意の理由におかれていたとしたらね。
しかし、私としては、もしそういうことが本当に同意の上におかれていたとすれば、
「同意だけが益であるということを保証するのに、どうしてその同意に理由をおいておくなんて何の意味もないことが、そもそもされていたのだろうか?」
ということが、これまた了解に苦しむのだがね。
だって、同意された理由が
「占いにそう出た」
とか、
「クジでそう決まった」
とかいうことであったとしても、益であるということが同意されたものは結局益であることに変わりないわけだ。
そんな占いやクジでも十分役に立つようなものを、あとからそれが何であったかを問題にされた時のためにあらかじめ用意しておく必要はないし、そもそも、そんなことを後から問題にする方がおかしい
【クジにたずねたってなにも答えてはくれない】
からだ。
さて、話はそれるけれども……
>>311 私も愚か者だと分かっている人と無駄な時間を費やしたくありませんが。
もちろんもちろん、知恵者の時間は知恵者のものだ、好きに使いたまえ。
ただ、財産の富豪がそうであるように、知恵の富豪もまた鷹揚に構えてしかるべきなのだ。
時間がどうとか、紙面がどうとかとういう貧乏人の了見は、私のように愚鈍なものたちにまかせておくがいいね。
>>312 >どうして同意に理由をおいておくなんてことが、そもそもされていたのだろうか
そりゃ、「同意には理由がなければならない」ということが、同意されていたからでしょう。
せっかくあなたが長々と話された話題でもありますし、私たちが非常によく知るアジア小さな島国ではどうだったのか見てみましょうか?
とはいっても、私はよくは知らないし。
あなたは知っているそうなので、同意の実際を教えてくださいませんか?
まずは、法の名前とその条文について。
作り話でなく現実に起こったことらしいので、正確に詳細にお願いしますね。
追加
教えてほしいというのは、患者から移動の自由を奪っていた法律というあれね。
>>315 私の方から教えをたれさせていただけるとは恐縮だね。
では、教えるとしようか、それが願われているのだから。
私が
「私たちが非常によく知るアジアの小さな島国」
と述べたのは、他ならぬこの日本国のことだよ、そして、かかる定めの名前は、
「らい予防法」
というのだ。
とまぁ、ここまで述べればよもや大した不足はあるまいと思うから、これ以上は言葉を費やさない。
それでもなお必要があれば、君自身調べてみるといい。この問題は広く人々の間で論争されてきたことでもあるし、またそうした方が、私から引き出すそれよりも、より広く正確なそれを得ることができるはずだ。
さて、授業はこれくらいにして、今度は私が生徒になる番だ。
「「同意には理由がなければならない」ということが、同意されていたから」
なるほど、美しい答えだね。
ただ、そうすると、必然的に次のような疑問が生じてくる。
「では、その【同意には理由がなければならない】ということに同意する理由はなんであるか?」
さて、一体それはなんなのだね?
>>315 >それでもなお必要があれば、君自身調べてみるといい
とは、どういうことだ。話を持ち出したのはそっちじゃないのかい?
ま、それはさておき、
>その【同意には理由がなければならない】ということに同意する理由はなんであるか
これに答えることにする。
「賛成多数を得たから」。不足はある?
それと、レス番間違えてるよ。
>>316 議論を先に進めてくれて感謝するよ。
さて、
【「賛成多数を得たから」。不足はある?】
無論、不足はないとも。
しかしね、「賛成多数を得たから」ということがあげるべき理由として不足ないものであるなら、
>>311「隔離すべきはただ感染力や治療の困難さのみに理由を置いている」
のかどうかということをたずねることに、どれほどの意味があるのだろうかね?
なにしろ、「同意を得た」といえるのは、当然「賛成多数を得たから」であるはずだ。
そしてその当然をあげることが理由として不足がないならば、
「それはこれこれこういう次第であるから同意する」
とかいった付け足しがあったかなかったか、どのような付け足しであったかは大したことではなくて、問題なのは
「隔離することが同意されたか、されなかったか」
ということだけになるのではないだろうか?
そして、例の事件の上ではとにかくそれが同意されている事は確かなのだから、
「益だと保証するものは同意だけ」
ということに従って、それが益であることも、とにかく確かなのだ。
それが確かであるならば、かかる法が施行以来、その廃止に至るまで、だれも害した事がないばかりか、大いに益してきたことはまったく確固たる事実である。
かかる法があるのは無益ではないことが事実ならば、かかる法が廃止されたのは、大きな誤りであったということになる。
そのはずだね?
>>317 すまんけど分かりにくいね。それもそのはずだ、
ここまで「理由」という言い方にしがみつかれるとは思いもよらなんだよ。
なぜというなら、同意と理由なんて分けた覚えもないし、そもそも分け方そのものが間違いだよ。
「らい予防法」なんでしょうその例の法というのは。その法は、「予防」とはっきり謳っているではないか。それが同意の実際であって、何が付け足されているというのですか?
「「隔離することが同意された」ということだけになるのではないだろうか」とは、どういうことなんでしょうか?説明してもらいたい。
何か私はこの事件を誤って知っているのだろうか?
この事件の話題を続けるとなるならば必要だから、以下の説明を要求したい。
例の事件、かかる法の施行からその廃止に至るまでの経緯について。
・「医学の知らせを耳にしてもなお、患者を監禁することをやめなかった」、国家の言い分は何だったんですか?
・「ついに患者の自由を回復し、その非行を彼らに謝罪し、その嘗めた苦痛を償うことを約束した」、国家の言い分は何だったんですか?
特にこの2点については欠かさずにね。
>>318 おや?いつの間にか君の方では、「らい予防法」の再審判をここではじめるつもりでいるようだね?
まぁ、それはそれでおもしろい試みだとは思うし、私自身興味有るところだ。
ただ、思い出して欲しいのだけれども、私が君に今までお願いしているのは、
>>304同意を得たとすれば、あり得ないと思います。なぜならば、益だと保証するものは同意だけだからです。
ということを、私に了解させて欲しいということだったはずだ。
そこで私は君の言葉を現状で一体どのように理解しているかを二つの形で示させてもらったわけだが、
先の一つは
>>311 「すべての集団の上位に立つことを許された集団」
というのが、この例えの上では話し合っている二人の男に該当するということが明瞭でないために退けられてしまった。
そして後の一つは、前例の轍を踏まないために「国家」という名詞を用い、かつ実際の事件になぞらえると、今度はその事件の再審判を提議するものとうけとられてしまったわけだ。
続く
>319 こうした不成功の責めは、私にあると思っている。
知恵を絞って、はじめからもっと短い言葉で述べればよかったのだ。愚鈍な人間は、いつもこのように損をする。
さぁ、
>>304同意を得たとすれば、あり得ないと思います。なぜならば、益だと保証するものは同意だけだから
ということを愚直に信じれば、
>>311 「すべての集団の上位に立つことを許された集団」
によって同意されさえすれば、戦争を始めることも益であるし、和平を結ぶことも、タバコを吸うことも、みな益であるということになる。
しかし、思考の上でも実際の上でも、後に
「あの戦争は誤りであった」
とか、
「あの和平に同意したことは国益を損ねた」
「喫煙は国家の大損失である」
とか、およそ正反対のことが、同じ集団によって同意されることがありうる。……もっとも、タバコはそもそも益であることという同意を取り付けてはいなかったろうが
とにかく、私はこんな事はあり得ないはずだと思うのだ。
益だと保証するものは同意だけ
であるならば、その同意を取り付けた事柄はその瞬間からまぎれもなく確かに益であるはずなのに、それについてどうして益ではないかもしれないという疑いが浮かんでくるのか?
なにしろ、その事が本当に益であるかについては、益だと同意されたという確固たる裏付けがなされていて、他のどんな証拠も同意には匹敵しないはずであるのだから。
それがまぎれもなく益ある事、物をであることを信じつつ、それが益のない事、物であるかもしれないと疑うなどとということが、どうして可能だろうか?
>>320 >後に、およそ正反対のことが、同じ集団によって同意されることがありうる
>とにかく、私はこんな事はあり得ないはずだと思うのだ
どうして?ふつうにあり得ると思うが。
>同意を取り付けた瞬間からまぎれもなく確かに益であるはずなのに
>本当に益であるかについては、益だと同意されたという確固たる裏付けがなされていて
そうですよ。
しかし同意を失いさえすれば、
「瞬間からまぎれもなく確かに益で無くなり、益である確固たる裏付けがなされなくなる」
ことになるのですよ。
なぜなら、
「他のどんな証拠も同意には匹敵しないはずであるのだから。」
>まぎれもなく益ある事、物をであることを信じつつ、それが益のない事、物であるかもしれないと疑うなどとということが、どうして可能だろうか
可能ではない。同意しつつ、同意しないなんてことは。
322 :
名無しさんの主張:02/11/27 02:48
公団家賃高すぎ! 月々2万円で3LDKが買える。ああ若ければなぁ……
物価下がった。給料も下がった。家賃だって下げろ!
公団家賃 高過ぎる!
>>321 そうですよ。
しかし同意を失いさえすれば、
「瞬間からまぎれもなく確かに益で無くなり、益である確固たる裏付けがなされなくなる」
ことになるのですよ。
無論、そういう事になるだろう。そのように、「同意を失いさえすれば」ね。
しかし私は、その「同意を失う」などということは、あり得ないと思うのだ。
たとえば、あることが
>>311 「すべての集団の上位に立つことを許された集団」によって益であると同意されているとしよう。
その上で、そのあることについて
「本当は益ではないのではないだろうか?」
と、疑う者が現れたとしよう。
その場合、その者は、必然的に、それがすでに益であると同意されているということを、まだ知らない者でなければならない。
もしそのことを知っているならば、その「あること」が疑う余地もなく益であることも知っているのであるから、彼は
「まぎれもなく益ある事、物をであることを信じつつ、それが益のない事、物であるかもしれないと」疑っているということになり、それはあり得ないことだ。
その、同意されたことをまだ知らない彼が、
「あることは益ではない」
事について新たに同意を取り付けようと、集団に対して提議したとする。
そのとき、人々の多くは、そのあることが益であると信じているのであるから、
「そのあることは、すでに益であるという同意がこの集団においてなされている」
と、教えるだろう。
すると、彼はたちどころにそのあることが益であることを信じる者となって、その提議を取り下げることになる。
かくて、「同意を失う」などということはあり得ないというわけだ。
>>323 >疑う者は、まだ知らない者でなければならない
>もし知っているならば、信じつつ、疑っているということになり
なぜ、知っていることと、信じることとが同じになるんでしょう?
それに、
同意に従わう、また従わせるのに、知っていることは必要でも、信じることは必要ではない。
なぜなら、
疑う者は同意に従わなくてよいとなれば、それは人はそれぞれの信ずるところによって行動してよいということになり、これでは、われわれが同意をもつ意味が失われてしまうからだ。
>そのとき、人々の多くは、教えるだろう
>すると、彼はたちどころに信じる者となって、その提議を取り下げることになる
上に同じ。
325 :
通りすがりですが:02/11/30 03:46
ラックさん。まだやってたんですね。
継続は力なりですね。
元スレはパート3に突入しました。
また遊びに来てください。
P.S. ホームページを拝見いたしました。がんばってください。
>>324 ある者が、
益だと保証するものは同意だけである。
ということを知っていて、
ある事は益だという同意がなされた
ことをも知っているすれば、その彼は
そのあることは益である。
ということを知っているということになるだろうね?
さぁ、誰であれ、自分の知っているなにかについて疑う事が可能だろうか?仮にそれが可能であるとして、一体彼はなにを動機としてこれを疑うことができるのだろうか?
同意というのは、益であることの保証の究極であって、他のなにものもこれに匹敵しない
ならば、知識や前例、その他の何かが、同意されたこととは反対の答えを出しているとしても、それらは彼の中に疑う心を作り出すことはできないはずだ。
なぜなら、それらは同意に比べて遙かに取るに足らないものであり、無意味なのだから。
327 :
名無しさんの主張:02/12/02 19:17
「正しさをふりかざす奴は…
それはただおどれの都合を声高に主張しとるだけや」
銀と金より
>知識が、同意されたこととは反対の答えを出しているとしても
知識が答えを出すことはできない。
益だと保証するのものは同意だと言っているのだから。
>>328 知識が答えを出すことはできない。
それはそうだ、それであればこそ、何者も同意の出した答えを疑い得ないのだ。
そして疑い得ないなら、同意が同意を失うことなどあり得ないのではないだろうかね?
「益ではないのではないだろうか?」と疑う心がなくて、どうして同意する事をやめることができるのだろうかね?
>>329 >それであればこそ、何者も同意の出した答えを疑い得ないのだ。
逆だと思う。
知識が答えを出すことはできないから、人々は疑うんではないのか。
知識が答えをくれ、疑う余地がないなら、議会なんていらないのでは。
いや、そもそも同意することも必要でなくなる。
>>330 知識が答えをくれ、疑う余地がないなら、議会なんていらないのでは。
いや、そもそも同意することも必要でなくなる。
一応確認しておくけれども、それならば、同意というものが必要である以上、同意は我々に答えを与え、しかもその答えは疑う余地のないものなのだろうね?
>>331 >同意は我々に答えを与え、その答えは疑う余地のないものなのだろうね
同意は我々に答えを与える。
答えは同意に唯一、正当性の根拠をもたされているから、同意が取り消されることによって、答えは答えでなくなる。
少なくともそれまでは、答えは疑われるものとして扱われることはない。
もっとも同意を取り消し、答えを答えでなくするものは、やはり、そうする旨の同意だけれども。
>>332 なるほど、すると、同意を取り消すに当たって、「疑う」ということは、少しも必要でないのだね。
「同意されたそれは、益ではないのではなかろうか?」
とね。
>>333 >疑うということは、少しも必要でないのだね
必要とも不必要とも言ってません。必要ですけどね。
同意が取り消されるまでは、われわれ全体が、それを疑っていることが明らかにならないから、疑われるものとして扱われることができないということです。
334>>
なんだかよくわからないのだけれどね。
私たちが何かを「見ている」ならば、当然その何かは「見られている」ことになる。
ところが、こと同意にまつわることについては、我々が「疑っている」その時にはまだ、「疑われているけれども疑われていない」のであって、「疑われて、疑われている」と言いうるには同意を待たなければならないとしたらね。
まぁ、それはそれとして、確認させてもらいたいのだけれど、
益である事を同意が保証したとして、しかし、その保証は将来に向かって永続的にこれを保証するという意味のものでもないし、またそれはできないことだ。
と言うことに、君の方としても異論はなかろうね?なにしろ、そうでなかったら、同意の取り消しなどは全く不可能だと言うことになってしまう。
>>335 >保証は将来に向かって永続的にこれを保証するという意味のものでもない
>君の方としても異論はなかろうね?
同意が取り消されるまでは保証されるというに過ぎない。
結果、同意が短命に終わるか、永続するかは分からないが。
>>337 お忙しいんでしょうね。
終わりにするならその旨を。
(^^)
応答なし?
>>335後段については、「異論がない」と答える。
>>341 都合あって大幅に間が空いてしまったことを、まずお詫びしておこうと思う。
ついで、本題についてだけれども、
>>335について我々の間には異論がないということ明らかになったわけだ。
続いて質問するけれど、我々がしばしばここに取り上げて、問題にしているところの
「保証」
とは、そもそも何だったろう?
君の覚えているところを答えてくれたまえ。
>>342 「正当であると、当面の間(取り消されるまで)そのように取り扱うことを約束するということ」ではないでしょうか。
こんなところかな。それが何か?
また間があいてしまった。
>>343 なるほどね。さて、「取り消されるまで」と言うことだけれども、その取り消しというものがいつ行われるかは全くわからないものだし、従って、いつ行ってもよいものなのだろうね?それとも、違うだろうか?
345 :
◆YUI.xwuGiY :03/01/17 00:39
討論をしてる2人ってどうしてこう改行が似てるの?
最初の方に、こんなレスがあったけど、私もめちゃくちゃ不思議。
346 :
名無しさんの主張:03/01/17 17:57
age
(^^)
ということであるならば、結局のところ、ある行為は、それについて同意を取り付けていようといまいと、そのことに関係なく、
正当であると判断される時には正当であり、正当でないと判断されるときには正当でない。よって、行為が正当であるかどうかを知る手段は存在しない。
ということになるのではないだろうか?ある行為それそのものは全く同一であったとしても、それが正当であるとかないとかいう同意の方は、いつ煙
のように消えてなくなるかわかったものではないのだから。
違うだろうか?
350 :
名無しさんの主張:03/01/26 22:14
小さい花や大きな花
ひとつとして同じ物はないから
ナンバーワンにならなくてもいい
もともと特別なオンリーワン
>>349 >同意を取り付けていようといまいと、そのことに関係なく、正当であると判断される時には正当であり、正当でないと判断されるときには正当でない
どういうことでしょうか?
正当であるとかないとか判断されたものを同意と呼んでいるのだけれども。
>ある行為それそのものは全く同一であったとしても、それが正当であるとかないとかいう同意の方は、いつ煙のように消えてなくなるかわかったものではないのだから
その点はそうと言えるでしょうね。
352 :
名無しさんの主張:03/01/26 23:46
人それぞれ。
終了
>>351 こちらの都合でだいぶ書き込みが遅れていることをお詫びしたい。
>>349については、特にとまどう必要はないよ。要するに、君の主張を繰り返しているだけだから。
さて、私の方としては、もはや君に質問したいことは質問しつくしたように思う。そこで、質問した方の義務として、また、こちらが了解したと思っていることを、果たして実際に了解できているかを確かめるためにも、今度は君が私に質問する番だと思う。
そういうわけだから、次から君が完全な質問者として、こちらに質問してほしい。
ただし、完全な質問者としてね。
;;連絡先メールアドレスを変えました;;
>>353 >
>>349については、君の主張を繰り返しているだけだから
それは、あなたが誤解している。
というのも、ある行為が、同意に関係なく、正当であったり正当でなかったりすることはできないと私は言っているのだから。
>今度は君が私に質問する番だと思う
そうですか。
でもすっかり忘れてしまいました。あなたの主張するものが何だったのかを。
ここで改めて簡潔にご提示してくださいませんか?
>ただし、完全な質問者としてね。
何ですか?この但し書きの「完全な質問者」とは。
>>355 何ですか?この但し書きの「完全な質問者」とは。
なんだろうといって、その字句以上の意味はなにもないよ。私はただ単に君は私を質問する側であって、質問される側ではないのだということを肝に銘じておいてもらいたいだけだよ。
これまでしばしば見られてきたような、質問に対して質問が必要であるような曖昧な質問や、
これは果たして質問なのだろうか?それとも君が君自身の意見を述べているのだろうか?
と、とまどってしまうような質問は、慎重に避けるべきだと言うのだ。
なぜといって、こちらとしては、ようやく質問すべきものは全て片づけ終えたと言ってしまったばかりなわけだからね。
さぁそれでは、いよいよ私の意見を述べてみることにしようかね。しかも、舵機限り簡潔に
「正当か、不正かについて、同意をもって判断のただ一つのよりどころとするというのは、ある種の怠慢にすぎない」
>>357 「
>>349については、君の主張を繰り返しているだけだから」について、私は否定しているのになぜそれについて触れない?
「君の主張」と言われても、
>>349で言われているようなことを私はどこで言った?
358 :
名無しさんの主張:03/02/22 14:56
age
>>357 なるほど、
しかし私としては犬に誓ってわからないのだけれど、君はそんな風に言うことで私に「君の主張」の箇所を尋ねているののだろうか?
それとも「私はどこで言ったろうか?(いや、言ってはいない)」と反語の形で自分の意見を述べているのだろうか?
果たして一体そのどちらなのだろう?
一つ、はっきりさせてもらえないだろうか。もちろん、私は君に尋ねているのだよ。
>>359 「君の主張」と言われても、
>>349で言われているようなことを私はどこで言った?
については、問題なく回答できたはずだけどね。
それに、おかしくはないですか?
「果たして一体そのどちらなのだろう?一つ、はっきりさせてもらえないだろうか。」との質問が、それが質問であることが明確であるのならば、「もちろん、私は君に尋ねているのだよ。」などという断りをなぜ必要としたのでしょうね。
そのような断りが必要とされるのならば、あなたの過去にしてきた質問には、それが毎度記されていたというわけだ。
ああそうだった、忘れていました。沈黙は同意とみなしてよかったのでしたね。
先に進みましょうか?どうしますか?
不毛なことは止めにしたい。
>>360は無視してくれていいよ。先に進むよ。
>正当か、不正かについて、同意をもって判断のただ一つのよりどころとするというのは、ある種の怠慢にすぎない
なぜ?
いまだ返事をもらえないようですね。一言あってもよいと思うのですが。
ならば先回りするけれども、怠慢だと指摘するのは、有権者が知識を得ることや議論を重ねることを、同意が排除していると考えるからだろうと思う。
しかし、同意が慎重なものか怠慢なものかどうかは有権者にかかっているのであって、同意そのものがそのいずれかというわけでない。
そう考えたいんだけど、どうでしょう。
返事をほどほどに期待してます。
アタマが痛くなるスレですね・・
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
大切なものは心
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
朝鮮人による日本人陵辱が続いている
いつまで黙っているのか?
日本はかつて朝鮮を併合したが双方合意の上の事だ、脅しなどしていない
インフラ整備、教育など全て日本が負担し、朝鮮は発展したんだ
打から感謝される事はあっても、憎まれる筋合いではない
なのに朝鮮人は恩をあだで返し続けている
強制連行などなかったし、在日朝鮮人は全て自分の意思で来日したのに被害者面している
*朝鮮人を抹殺せよ!!
*朝鮮総連を破壊せよ!!
*朝鮮人の財産を没収せよ!!
*害産業のパチンコ屋を破壊せよ!!
ついでに中国人も死ね!!
(^^)
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
このスレ途中まで読んでいたけど、
論点がなんなのか分かんなくなって途中で読むのやめちゃったな。
恐らく、「同意」を巡る議論の途上でラック氏の戦略に変更を迫られ
その変更が上手く処理されてない結果
議論が読みにくいものになったのではないかと私は思っている。
>>376 ラック氏と議論していた者です。
レスありがとうございます。
ラック氏の議論の進め方は、せっかちの私はいらいらしました。
氏は、質問に回答させることでひとつひとつの仮定に同意を取っていき、最終の仮定に結論づける。つまり私がその都度はい、いいえの選択を(論理的に)正しくしていけば、最終的には氏の主張に同意することになることを証明したかったのだと思います。
もっともそれは、そういう方法を取らないと、私が不適当な回答とは呼べないレスばかり繰り返し、議論が進展しないだろうからです。ですから私に責任があるのでしょうが。
それよりも議論の遅滞、脱線を招いた重大な理由は、やはり私の方の質問が不適格なものばかりで、氏に再質問を必要とさせる労を負わせたからでしょう。
確かに、氏のような方法を取ることをしません(できません)でしたが、私としてはいたってまじめにやってきたつもりなんですが、到らなかったようです。
議論が読みにくいものになったのは多分私の責任です。ラック氏も私に呆れて相手にしなくなったようですし。
376さんのご意見はどうでしょう。
しまった・・
上げてしまった。
379 :
木瓜@日の当たる場所で( ゚-゚)y-~~ ◆BOKE/2QAEY :03/09/07 00:58
>>377 これはどうも。相当骨の折れる議論をよくここまでできたものだと、
あなたとラック氏に感心しています。
> 氏は、質問に回答させることでひとつひとつの仮定に同意を取っていき、最終の仮定に結論づける。
> つまり私がその都度はい、いいえの選択を(論理的に)正しくしていけば、
> 最終的には氏の主張に同意することになることを証明したかったのだと思います。
そうですね。
ラック氏の論法はプラトン−ソクラテスの「産婆術」を模倣したものですね。
この論法の利点は相手の持っている思想の中に実は矛盾のあることを自覚させ
そこから自分の思想へとその思想を吹聴することなく導くことができることにあります。
もしこの論法に依らずに互いに自らの思想を出し合う議論の仕方だと、
両者の持っている思想が共に首尾一貫することになりがちであり、
その結果両論ともに成立してしまうということ、
つまり真理は一つではないことになると言う結果を容易に導く可能性があります。
そこで、真理が一つであるからには、真理を含まない思想には
必ず真理に反する側面、つまり矛盾がなければならないわけですから、
自ら真理を有すると確信する者はまず相手の主張に則ってみて、
矛盾を逐一指摘するという方法が有効となるわけです。
この論法を駆使すること自体、
真理は一つであり且つその真理は万人に理解されるものであるという
プラトン−ソクラテスの信念があります。
380 :
木瓜@日の当たる場所で( ゚-゚)y-~~ ◆BOKE/2QAEY :03/09/07 01:15
>>377 > 議論の遅滞、脱線を招いた重大な理由は、やはり私の方の質問が不適格なものばかりで、
> 氏に再質問を必要とさせる労を負わせたからでしょう。
> 確かに、氏のような方法を取ることをしません(できません)でしたが、
> 私としてはいたってまじめにやってきたつもりなんですが、到らなかったようです。
> 議論が読みにくいものになったのは多分私の責任です。
> ラック氏も私に呆れて相手にしなくなったようですし。
> 376さんのご意見はどうでしょう。
先にも申しましたように、 産婆術は真理を有している者が
迷妄に惑わされて真理を見るのに曇らされている者を 真理を見るようにするために導く論法ですから
問われた者がいくら的外れの答えをしても、
真理を有すると自負する側である問う方が相手の理性を頼りに修正する義務があります。
従って、もし議論が真理へと帰結しなかった場合には、
その責任は問う方に帰せらて然るべきものでしょう。
しかしまあ、ソクラテスがプラトンの筆によって見せた産婆術はあくまでも戯曲であって、
つまりあくまでも理想的な会話モデルに過ぎないものなのですね。
現実には問う者(ソクラテス)の思惑通りに問われる方が返答することは稀有だったと思われます。
それを戯曲の世界ではなく、しかもネット上でラック氏が行おうとしたことは
一つの冒険として素晴らしい試みだったと思います。
>>379>>380 私は哲学の知識などいっさい持っていませんが、それでも氏が十分な知識の持ち主で、その何らかの方法に依拠しているのは十分に伝わりました。
それでも、私はラック氏の主張と何ら矛盾していることを主張しているつもりはないので、もし矛盾だと指摘されることがあれば、それはラック氏の主張することにも同じことがあてはまることになるはずなんですが。
大切なものは「欲望をルールに則して実現すること」だという私の主張は、ラック氏の主張する、「よくなること」を説明したにすぎないと思ってるんですよ。
だって「よくなった」ということを、欲望を満たされた満足感、それ以外の何によって保証されるというんですか?
例えば人の命を救うことだって、それがよいことだと言えることは、多くの人たちが生きたいと欲望しているという合意がなければ、そもそも成り立たないだろうからです。
ですから、ラック氏の主張に張り合っていたわけではないのです。もともと私が先に定義を持ち出したわけで、そしてその際、「迷惑」という誤解を受けやすい日常的な言葉を用いたことでいらぬ議論を生んだわけです。(もっともこの点については後に納得されましたが。)
私としても「よくなること」と言った方が抽象的な反面、端的だとも言えますし、異議を唱えるつもりはありません。しかしそれは、ラック氏が「善」というものをどう定義しているかあるいはイメージしているかを知らなくてはなりません。
私の望みはそれで、私の主張について質問されることではありません。
でもラック氏が要求する方法に仕方なく応じてきたんですけど、こんな形で終わりになるのは残念ですよホント。