1 :
オールドスキーヤー:
1966年9月号が創刊号の月刊・スキージャーナル。
文芸出版社の冬樹社(とうじゅしゃ)が発行。
「スキーで月刊誌!」と驚きをもって迎えられた。
創刊号の表紙は、スラロームのコースを滑る複数のスキーヤーを
真上から撮影するという斬新なものでした。
当時の誌面、当時のスキーの話題を語りたいと思います。
おはよう。
3 :
ジョルジュ・ジュベール:01/12/08 09:40
1966年と言えば、チリ・ポルティーヨの世界選手権。
ジャン・クロード・キリーとカール・シュランツの
1986年グルノーブル・オリンピックに向けた
フランスとオーストリアの争いがアルペンの話題でした。
今時「文学青年」なんて死語だろうけど、
冬樹社には、「坂口安吾全集」や「椎名麟三全集」でお世話になった。
今でもあるの?
5 :
当時中学生今は子持ち:01/12/08 09:52
キリーとシュランツは現役時代から大スターでした。
脇役もよかった。
ギイ・ペリア、イヴォ・マルクネヒト、ハイニー・メスナー、
ベンクト・エリック・グラン、ハコン・ミエン、
ゴワシェル姉妹、アニー・ファモーズ、オルガ・パール、
イザベル・ミール、ゲルトナード・ガブル、ナンシー・グリーン
6 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 10:01
文芸出版社だけあって、小説の連載がありましたね。
それも五木寛之のスキー小説。題名を忘れてしまった。
それと加藤薫の「雪煙」これは毎月楽しみに読んだので、
よく覚えていますよ。
ヘリコプターからスキーヤーが雪面にダイビング。
ロープウェーからスキーをつけて飛び降りる冒険映画見たよ。
主役のキリーって、スキーの有名人なんだ。
「外人部隊」という翻訳小説も出版していませんでしたか。
冬樹社。
懐かしい。
10 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 10:24
9月号で創刊、一年経ったところで、編集後記のような欄で、
「無事に夏を越せた」といった趣旨のコメントがあったような。
12 :
昭和30年生まれ:01/12/08 10:31
表紙は全面スキー写真。
グラビアに、フランスやオーストリアの選手の
滑走写真が紹介されていた。
フランス、オーストリアなんて、憧れの向こう側だった。
何せ、スキーなんて、土曜の午後から出かけて、
日曜の午前滑って帰る行程だったもんな。
金井英一郎の世界だねこれは。
13 :
白い恋人たち:01/12/08 10:37
「白い恋人たち」
グルノーブル・オリンピック、クロード・ルルーシェ監督。
女子滑降の本レースで、優勝したオルガ・パールの後ろを、
映画カメラで撮影しながら滑る映像は迫力ありましたね。
あのカメラを持って滑ったのが、ウィリー・ボグナー?
よく置いていかれなかったものですね。
スキー映画と言えば、
東京福原フィルムス
笛田プロダクション
そう言えば、シーズン前の
「スキー映画の夕べ」企画もすっかり
なくなってしまいましたなあ。
15 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 10:45
誌面で「スキー傷害」特集というすごい企画があった。
カラーグラビアに、これでもかこれでもかと
医師が撮影したと思われる血まみれのスキー傷害写真
や骨折のレントゲン写真ばかり。
あの号を見ると、スキーする気分は減退しました。
読者の反応もあのグラビアページをホチキスでとじてしまった等々。
今から考えると、スキー雑誌がスキー傷害を特集するとは
大英断だった。
16 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 10:58
アニー・ファモーズ
http://www.ski-and-ski.com/work/Bio-W_Famose.htm 滑っている時の表情がよかったなあ。憧れたなあ。
もうおばあさんだろうから、この写真で十分。
ゴワシェル姉妹の影で金メダルには縁がなっかたけど。
日本語表記は長らく「アニー・ファーモス」だったけれど
札幌のプレ・オリンピックに来日した時「ファモーズ」と言っていた。
外国人の名前の表記は、本人に名前を言わせて、
それに一番近い日本語表記をするとよい。
米大統領のレーガンは無名の当初リーガンと表記されていたが、
ある日マスコミが一斉に表記を変えた。
本人の発音はむしろ「レガン」だったけどね。
17 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 12:50
18 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 12:55
19 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 14:08
インカレ特集がありました。
巻頭カラーグラビアで、
当時現役スキー部員だった
大杖正彦さん、森下勝さんを見ました。
21 :
オピニオン記事:01/12/08 14:16
インスブルック、グルノーブルと
冬季オリンピックは惨敗続きの
日本スキーだったので、
選手強化方針等で、意見記事が
多かった印象をもっています。
22 :
思い出した2:01/12/08 14:18
そうそう、「八方リーゼン事件」で
干されていた大杖選手を海外遠征に行かせてやれ
といった趣旨の記事があったような…。
23 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 14:32
このスレ何人でやってるんでしょうか?
今の飛び系スキー(ニューフリースキー)とか、
エクトリームカービング(体を思いっきり倒すやつ)とか
どう思っているのでしょうか?
はたまた、スノボとかモーグルとか基礎スキーとか
どう写ってるんでしょうか? 興味がありますです。
24 :
年長者には正しい敬語を:01/12/08 15:28
このスレッドは何人でやっていらっしゃるのでしょうか?
今の飛び系スキー(ニューフリースキー)や
エクストリームカービング(体を思いっきり倒すもの)を
どのようにお考えでいらっしゃいましょうか?
はたまた、スノーボードやモーグルや基礎スキーは
どのように目に映っていらっしゃいますか?
興味をもっております。
「興味がありますです」にはワラタ。
25 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 17:05
冬樹社時代の月刊・スキージャーナル 見せて!
何処で見られる、訂正↓
見せてください、どこで見ることが出来ますか?
26 :
ポルティーヨ:01/12/08 17:50
1966年、南米チリで開催された世界選手権。
男子・回転で優勝したのが、イタリアのカルーノ・セノーナ。
コンテの白のハンチングをかぶって、けっこう太ったおっさんに
見えた。今の自分は多分当時のセノーナより年だけど(笑)。
フランス、オーストリア全盛期に、両国以外の選手が優勝というのは、
けっこう驚きだった。セノーナはその前後では全く聞いたことのない
選手だった。
モノクロの分解写真が「スラロームの旗」に掲載されていた。
27 :
思い出した3:01/12/08 17:54
スキージャーナルの通巻15号・16号が、グルノーブルの
オリンピック直前特集で、スラロームの有力選手の
カラーの分解写真を折込で掲載していましたね。
当時分解写真解説なんて珍しかったから、随分とって
おきました。それが、モノクロームで、
「スラロームの旗」に転載されたのではないでしょうか。
28 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 18:49
長野スキー界の重鎮、あの片桐匡さんが、競技スキーの連載を
執筆されていました。スラロームが中心でしたが、
旗門を覚えること、
前の選手のシュプールがあるからと考えてはいけない
というのは今も印象的です。
29 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 19:11
冬樹社から出版されていたのは、3年間くらいではなかったでしょうか。
創刊号以来バックナンバーを保管していたら、
1980年には、6畳間の板の間を往復する量になった。
冬樹社だったのは、そのうち1メートル分くらいだったような(笑)。
「趣味の敵」は女。
スキージャーナルコレクションはお袋にちり紙交換に出されてしまった(泣)。
30 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 19:24
1968年のグルノーブルオリンピックのキリー三冠王を頂点に、
1966年のポルティーヨ世界選手権から、1973年12月の
劇的なジュベール粛清事件までが、フランススキーの全盛期
だったのではないでしょうか。
ジャン・ノエル・オジェール、パトリック・リュッセル、アンリ・デュビラール、
イングリット・ラフォルグ、ブリット・ラフォルグ。
「蛇のテクニック」「アバルマン・テクニック」…。
31 :
フランス三羽烏:01/12/08 19:33
32 :
フランス三銃士:01/12/08 19:39
スポーツの世界で「フランス三銃士」と言えば、
コシェ、ラコステ、ブルニオン。
ラコステはあのワニのマークで有名になりました。
アンリ・コシェは、加茂公成選手の命名の元になったんですよね。
「公成」を音読みにすると「コシェ」。
しもうた、これはテニスの話題だった。
テニス・ジャーナルも出版しているのに免じて許して。
33 :
スキー遭難記事:01/12/08 19:42
山岳スキーも盛んで、北海道の旭岳(?)の夏山雪渓滑りで
滑落した砂川氏の最後の写真を掲載した遭難記事も
印象に残っています。
あの写真のシャッターを切った方はどんな心境で
写真を撮影を撮影されたのか…。
34 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 19:44
スキーはレジャーというより、山岳登山の延長で、
ゲレンデスキーヤーより、山岳スキーヤーの方が
上と言った名残があったように思う。
セーターで滑るのが憧れでしたね。
フランス三羽烏の全盛期のウェアは、皆セーターでしたね。
ころぶようなスキーヤーはセーターでは滑れなかった。
スキー教程も、関健太郎さんがセーター姿で滑っているのが
かっこよかった。
36 :
忘れていないか:01/12/08 19:58
37 :
忘れていないか2:01/12/08 20:02
38 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 20:10
グルノーブルオリンピックの日本代表を覚えていますか?
39 :
忘れていないか3:01/12/08 20:11
40 :
フランス復活:01/12/08 20:20
福原義春さん、野戸恒男さんは確かに覚えているが、
気田義也さんと猪又栄一さんは違ったかな?
スキーにも着れそうな普通のセーターはもっていたから、
滑りが上手ければ、スキーウェアは買わなくて済むのにと思い、悔しかった。
見栄を張ってセーターで滑った時は悲惨だった。
転ぶと付いた雪が凍りつき、払っても取れず、
屋内に入ると今度は雪が融けてびしょぬれになり、
いやな臭いがした。トホホ。
43 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 22:21
スキージャーナルはもっと分厚かった。
とにかく広告が多くて重い雑誌だった(笑)。
1970年代後半が分厚さのピークかな。
300ページくらいあったんじゃないかなあ(笑)。
44 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 22:24
雑誌によっては「創刊何周年記念」とか銘打って、
全号の表紙を掲載したりするけど、SJではそのようなものを
見た記憶がないねえ。
46 :
ブルーインパルス:01/12/08 22:49
美津濃・ブルーインパルスの時代でしょうか。
見谷スキースクールが一般向きのポールレッスンのある
唯一のスクールでした。
矢口富士郎先生はどうしていらっしゃるでしょうか。
48 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/08 22:57
49 :
思い出した4:01/12/08 23:01
1967年からワールドカップが始まっていたのに、
その記事は掲載されていなかった。
グルノーブル・オリンピックは特派員を送ったようだったが…。
50 :
社会人レーサー:01/12/08 23:04
「スラロームの旗」を図書館で探していた時、
「類書かもしれない」とのことで、
「ポーツマスの旗」を紹介されたことがある(笑)。
しかし、この司書のセンスには感動した。
皆さんお分かりか?
>6 スキー小説連載
>15 スキー傷害特集
>33 山岳スキー遭難記事
冬樹社時代のSJは、とにかく一年間スキーの話題を途切れさせないよう、
あらゆる試みをしていたように思う。
今では想像もつかないけれど、きっと編集部では、
これ以上にいろいろな企画案が出たと思う。
その点では、他に例を見ない、斬新で大胆な企画ばかりだった。
一年目の夏の号には、「水上スキー」の特集があって、その号は
表紙も水上スキーだった(笑)。
水上スキーをされた方はご存知の通り、雪上スキーとは全く異なるスポーツだが、
こんなところにも、目新しい試みが見られた。
技術選の解説を夏まで引っ張る近年のSJよりも好感がもてた。
>50
「スラロームの旗」には、1956年コルチナ・ダンペッツォ五輪の
猪谷千春さんの銀メダル取得前後のエピソードが書かれていますが、
この時のもう一人の日本代表選手が、杉山進さん。
スクールで、この時のことを話された時、杉山先生は、
「私は参加することに意義があった方で」と謙遜されていました。
53 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 00:33
>43
1970年代後半頃まで、神田のブックブラザー・源正堂
(ミナミ本館の並び)や渋谷の宮益坂上・志賀昆虫並びの古書店には
冬樹社時代のSJバックナンバーが売られていました。
1冊100円程度で、創刊号から十数冊あって、
全部買いたかったけれど、とても重くて、
土曜の学校帰りに買って運ぶのは、5冊が限界だった(笑)。
翌週、また行くと、1冊150円になって、冊数が増えている(笑)。
また5冊買って、翌週は大量に入荷してあって、1冊200円(笑)。
当時の古書店は、客の売れ筋を良く見ていた(笑)。
確か創刊号は、3冊揃えたような…。
54 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 00:37
>50
「ポーツマスの旗」吉村昭、新潮社、
外相・小村寿太郎の伝記的小説。
55 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 00:38
>53
ブックオフで発見することはないでしょうか?
>55
ブックオフ!!(笑、失礼)
売り場には雑誌も並んでいるので、雑誌の買取もするのか思い、
山と渓谷社・Skierを大量にもっていったら、
店員が「値段がつきません」。
値段がつかないほど貴重なのかと思ったら、「価値がない」という
意味だった(笑)。
重いのを持って帰るのは憂鬱と思っていると、
すかざず「当方で処分しましょうか」。
なるほどそうやって、ただで仕入れた雑誌が並んでいる訳ね(笑)。
57 :
当時からレーサー:01/12/09 00:54
冬樹社の出版で、
「アルペン競技選手養成の手引き」といった題名の単行本があった。
長野県のアルペン競技スキーのコーチが執筆したと思われる、
手作り風の本だったが、類書のない時代の貴重な情報が詰まっていた。
希望者が一定数に達したら増刷するという、「オン・デマンド方式」で
販売されていた(笑)。
はがきで申し込んで、半年後に入手したが、この本にはお世話になった。
グルノーブル五輪回転の旗門セットなども掲載されていた。
その後、この本をもとに、現在スキージャーナル社から出版されている
「競技スキー入門」に改訂されたが、前身の内容の方が、有益だった。
ブックオフで売られるとしたら1冊100円だろうね。
運搬が大変そうだね(笑)。
しかし、売られるためには、売る人間がいないと駄目だが、
スキー雑誌コレクターなんているものなのか?
59 :
思い出した5:01/12/09 01:08
>49
当時のSJには、ワールドカップ特集はなかった。
朝日グラフや、毎日グラフといった新聞社系のグラフ雑誌に、
志賀仁郎さんや、薬師洋行さんが、ワールドカップの世界を
紹介していた記憶がある。印刷もきれいだった。
60 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 01:11
ワールドカップのゼッケンのエビアンのロゴがまぶしかった。
ミネラル・ウォーターなんて、周囲で買う人もいなかった(笑)。
売っているのも見たことなかった(笑)。
六本木の明治屋か、青山の紀ノ国屋でエビアンを見た時は、
感激した。これが「エビアン」か!(笑)。
61 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 01:16
>60 同感。
エビアン、今ではカルピスと同じ自販機に入ってますね(笑)。
ワールドカップ・ファンとしては、
欧州の「高値の花」のままであって欲しかった(笑)。
計測スポンサーの「ロンジン」も当時日本では見かけなかった。
銀座の和光で発見した時は、ああこれがと感動した(大笑)。
日本とフランスほど、当方と先方の思いの差がある国は珍しい。
日本人にとっては、フランス料理、フランス語、ロシニョール、
バルディゼール、アルベールヴィル、エルメス等のブランドには、
憧れや尊敬があるけれど、フランス人は日本人のことなんか、
何とも思っていない。むしろブランド漁りを軽蔑している。
大学で第二外国語にフランス語を選び、今残っているのはこの印象。
裏表紙の広告は創刊号から一貫してヤマハだった。
「パラマウント」という最高モデルで滑ってみたかった。
64 :
わかぞう33才:01/12/09 01:33
すごい面白いスレだ。勉強になる。
2チャンの年齢層は以外と広いんだな。
65 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 01:34
あの裏表紙の広告は、毎号変化があって、結構手間をかけていたのでは。
「パラマウント」「ハイフレックス」「オールラウンド」
もうヤマハがスキーをやめて随分経つんですね。
何書き込んでんだ?
>>62 > 大学で第二外国語にフランス語を選び
プ
>17
SJに読者質問欄があって、ナンシー・グリーンの自伝が紹介されていた。
英語の勉強になるかと思って、丸善で探したけれども、取り寄せでしか
入手できなかった。
68 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 01:52
「全日本登山とスキー用品専門店協会」が毎年秋にスキーカタログを
発行しているが、現在より当時の方が掲載メーカーが多かった。
50音順だったので、トップは「アジアスキー」。
北海道では、有名メーカーだった。札幌五輪に出場した
岡崎恵美子選手の所属はアジアスキーだった。
井村、カザマ、高田、西沢、ブルーモリス(青森スキー)、ヤマハ、…。
国産メーカーで残ったのは、美津濃と小賀坂だけですか…。
69 :
スキーカタログ:01/12/09 02:03
シーズン前、銀座「好日山荘」で海野店長からもらうのが楽しみだった。
71 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 02:10
>>70
これは大阪の好日山荘のホームページ。
銀座の好日山荘の近況キボーン。
72 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 02:13
登山とスキー2002年カタログ末尾の加盟店リストには見当たりません。
昔のカタログには、数ページ使って、加盟店の店主の写真が出ていましたね。
メーカー別の参加者写真もあったりしました。
73 :
思い出した6:01/12/09 02:21
札幌オリンピック(1972)の後、スキーブームが起きて、SJから「分家」して
「スキー研究」という雑誌が発行されました。
札幌で回転・金メダルのフランシスコ・フェルナンデス・オチョア(スペイン)の
後傾・シットバックスタイルの滑りの分析をしていました。
何号続いたのか…。
74 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 02:23
>73
「悪雪のパンチョ」こと佐藤勝俊さんのターン分析もありましたね。
今はどうなさっていらっしゃるでしょう。
どういういきさつで、冬樹社→スキージャーナル社
となったのですか?
76 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 02:36
77 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 02:46
>75
スキーブーム到来とともに、文芸路線の冬樹社からスキー部門が円満独立し、
スキージャーナル社を創立したと理解しております。
78 :
出版社と読者:01/12/09 02:54
79 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 03:02
私はスキーヤーであると同時に、鉄道ファンでもあるので、
老婆心(老爺心?)ながら解説を加えると、「鉄道模型趣味」
(「TMS」)は戦後すぐの創刊の月刊誌で、創刊以来、
山崎喜陽編集長が中心になって発行してきた雑誌で、
山崎氏の病気による後継者問題、ホームページなし等々、
今日的な問題に直面しています。
80 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 03:14
アルペンスキー雑誌というと、
月刊誌は、スキージャーナル、スキーグラフィック、スキーコンプの3誌。
シーズンのみの発行が、Skier、ブルーガイドSKI、といったところでしょうか。
ブラボースキーは、モーグル、エアリアル、フリースキー等の専門誌になって
いますね。
コンプがレース路線、グラフィックが基礎スキー路線、SJは総合誌、
Skier、ブルーガイドSKIは大衆路線という印象ですがいかがでしょうか。
81 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 08:31
老舗、ベースボールマガジン社のSKIING休刊は残念だった。
高校のスキー部まで取材していた。インターハイ情報は随一だった。
学研からボブ・スキーという雑誌も出ていたが、内容は、
ブラボー・スキーに似ていた。
月刊誌
スキージャーナル :スキージャーナル社
スキーグラフィック:ノースランド出版
スキーコンプ :スキーコンプ社
(SKIING) :ベースボールマガジン社(休刊中)
シーズン月刊誌
Skier :山と渓谷社
ブルーガイドSKI:実業之日本社
ブラボースキー :双葉社
ボブスキー :学習研究社
83 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 09:16
えー、スキー界の重鎮の皆さまはこれらの雑誌のどれくらいに
目を通されていらっしゃるのでしょうか(緊張)。
84 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 09:19
私はレース志向なので、スキーコンプを定期購読。
スキージャーナルは区立図書館。
大抵の図書館は、スキー雑誌をどれか一誌となると、
スキージャーナルを選定するようで(笑)。
Skierは年一回レース特集号があったが。
それと、スキーグラフィックのシニアレーサーの
ページは気になるので、毎月10日に立ち読み(笑)。
86 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 09:21
スキー雑誌編集部対抗のスキーレースがありませんでしたか?
ザウスのレースでしたっけ。
88 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 09:30
>87
ちょっと見てきたが、途中からスノーボード(?)の話題が中心になったらしく、
理解不能になった。
「どんな雑誌を読んでいるか」という題名の欄をも見かけたが、
その時見ておかないと、どこかへ行ってしまう(笑)。
目が悪くなって、目次の羅列を見るだけで頭が痛くなる(藁)。
「藁」というのは「笑」の誤植かと思ったが、ここの世界では、
どうも「藁」を使うようだ(笑)。
89 :
昭和30年代生まれ:01/12/09 09:38
88>
「思い出した」さんに教えられて見に来たけれど、スキー関連の
掲示板は、「玉石混交」というより「岩石混交」。
題名で惹かれても、中身が伴わず、目が疲れたよー(笑)。
インカレやインターハイの実情を知りたくても、そんな話題は皆無。
「埼玉大スキー部」とあるので、最近の学生スキー界の
話題かと思えば…。
学友がこういう話題を提供しているのかねー。
91 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 09:49
92 :
2や100の書き込み:01/12/09 09:58
多くのスレッドで、「2」番目や「100」番目に
「2ゲット」とか単に「100達成」等、
意味のない書き込みが目立つ。このスレッドでも「2」に
「おはよう」とだけの書き込みが見られる。
子供じみて、まさに「厨房」(笑)。
93 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 10:00
目次で( )内に発言件数が乗るからそれを見て書き込むのでしょう。
94 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 10:01
このスレッドにも100でどんな「的外れ人」が来るか待ち受けることと
しましょう。
95 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 10:05
そのためには意見数を99にしなければ…。
96 :
昭和30年台生まれ:01/12/09 10:07
ageとかsageとか書くのが、意見数を稼ぐ手段のようですね。
age
sage
99 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 10:08
いらっしゃいませ
100
101 :
昭和30年台生まれ:01/12/09 10:54
来た来た「厨房!」。
102 :
思い出した6:01/12/09 10:58
1968年のグルノーブル五輪終了後、
メダリストのゴワシェル姉妹とファモーズが来日しました。
SJではなく、ブルーガイドの実業之日本社の招待だったらしく、
ブルーガイドに来日特集グラビアが掲載されました。
驚きなのは、当時すでに狭山スキー場が営業中で、彼等も
狭山を訪れています。あとデパートの真珠の売り場で、
指輪を見ている写真が印象的でした。
水増しもあったけれど(笑)、発言数が100を超えたので、一度中締めを。
昭和30年代(台?)生まれのレース志向の社会人スキーヤーが、
パソコンの練習も兼ねて、学生時代の196年代後半から1970年代の
スキーを語り合おうという趣旨で始めました。
拠って立つ共通地盤は、本来、スキー場や学校のスキー部を想定していましたが、
皆バラバラなので、当時のSJを核に話題を展開してみました。
ちょっと、マイナーすぎたかなというのが、第一印象。
この本題は、51で見事に総括されていて、これには「激しく同意」(笑)。
草創期の新刊雑誌の様々な企画は今でも激しく驚き、感動。
17、18、19等、当時の選手の写真・成績が入手できたのは、大成果。
長いホームページのアドレスを丹念に入力された方に感謝していたが、
「コピー」を使えば簡単なのでした(笑)。
若者の評価はよく分からないままだったというより、中年レーサー以外は
寄り付かなかった(笑)。
23、25、55、64、83等は、この内容に触発された書き込みと思われる。
64はお世辞でも「勉強になる」と書いてくださった。ありがとうございます。
「荒らし」や「意味なし書き込み」は2、66、84、100等にとどまり、
他のスレに比べれば、ましな方か。
一人当たりの発言内容が長くなりがちなのが中年の話の「くどさ」か(笑)。
SJの編集部員に登場して総括していただければ、最高。
宿題は、グルノーブル五輪の日本チームメンバー。
それと、冬樹社時代のSJの入手。
メンバーの蔵書が頼りだったが、
老母に捨てられてしまっていることが判明(笑)。
SJ編集部に表敬訪問希望(笑)。
105 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 16:30
106 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/09 16:32
107 :
忘れてないか:01/12/09 17:09
108 :
忘れてないか:01/12/09 19:32
109 :
忘れてないか:01/12/09 19:50
110 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/10 12:20
元スキージャーナル社員です。
退職した身ですが、自分の関わった仕事が概ね好感をもって見ていただけているのは
非常にありがたいです。
特に2ちゃんねるという場で(w)。
他の退職組にも知らせておきました。もしかしたら編集部出身の人間からも
レスがあるかも知れません。今後ともSJをよろしくお願いします。
あ、でも冬樹社の人間ではないです。スキージャーナル社の人間ですから
昔の話はわかりません。すみません。
書き込みありがとうございました。
読者から見た誌面、編集者から見た誌面には
どういった違いがあるか等を語り合えれば、
幸いです。
ところで、SJ編集部には、冬樹社時代の
バックナンバーも保管されているのでしょうか?
一般読者がそれを見せていただくことは可能でしょうか?
SJ12月号にJTBのNYに勤務する、スピードスキーの久住さんの記事が
掲載されました。スキー雑誌がこの世界的事件をどう扱うか、関心がありました。
好感の持てる良い記事になっていたと思います。
しかし、今後毎号こういう記事を期待するかというと、スキー雑誌本来の役割に
注力していただきたいです。
114 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/11 09:33
亀レス失礼。
>>25 SJ誌は、野沢のスキー博物館で創刊号からすべて見ることが出来たと思います。
115 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/11 13:26
114さま
115さま
大変貴重な情報をありがとうございました。
懐かしい誌面を再見したいです。
月刊「スキージャーナル」創刊の歴史的意義は、
@1966年当時、「山と渓谷」の臨時増刊という地位だったスキー雑誌を
「月刊」という「夏でもスキー」という地位に高めたこと。
A夏でもスキーの話題を途切れさせないため、水上スキー、傷害、小説等々
あらゆる「スキー」の話題を集約しようという企画をしたこと。
この2点に集約できると思う。
118 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/12 22:39
2chには特異なスレになっていますね。
119 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/12 23:23
今のSJはスキー界の「文芸春秋」化していないか
120 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/12 23:39
121 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/13 00:23
老舗の総合雑誌という意味だろうね
122 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/13 00:28
SAJの会報誌じゃないの?
>122
SAJの腰巾着はグラフィックの方だろう。
SJの編集はコア過ぎて、イントラでもやってないと分からんなぁ・・・
というような内容が多くて、これでは売れんわなぁと思っていた。
かつて各社満載だった広告のページもマッコさんとこと、
MOとサロモンだけになって、経営的に苦しいかと思うが。
どうなんでしょうか。
124 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/13 09:09
SJの編集はコア過ぎて がうけて、会報誌に!
125 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/13 16:07
>SAJの腰巾着はグラフィックの方だろう。
それは違うだろう。SJの役員はみな、SAJの人間。
ちなみに教程、教本が何冊も出たのはSJの金がなくなり
なんとか金を捻出するために増やしたのだから。
教程などからSJへの流用は多いし、SAJが行くところには
他誌はなくてもSJの人間が必ずいるっていうし。
関係ないが、SGは以前の編集長がSAJ批判の記事を書いて
いたなぁ。あのコーナーの復活を希望!
126 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/13 16:33
>125 やっぱりそんなとこか!!
SJの内容が理解できなくて右往左往してる指導員クラスがタクーサン!!
127 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/14 01:54
教程がドル箱なのね。
128 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/14 22:30
12月10日を過ぎたのに、本屋にSGが見当たらない。
どーなってるの?
129 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/14 23:41
それよか、SkierのNo.3でしょう。
今シーズンは3でおしまい。
130 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/15 10:34
131 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/15 11:47
>>128 売ってるよ。中綴じじゃなくなってるYO!
132 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/15 17:20
スキーグラフィック、二つ折・中綴じから
背表紙付き雑誌に復活。
133 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/15 22:49
スキーモニター当選者も発表
134 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/15 23:57
Skier No.3にキロメータランセの大会の模様が紹介されていた。
昨年2月18日猪苗代、優勝者は時速120キロ台。
135 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/16 00:22
男子DH第二戦は、イタリアのクリスチャン・ゲディーナ優勝。
136 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/16 02:59
二位にラッセ・チュース。
137 :
話題変える:01/12/16 09:06
SJの発売日は毎月25日だが、翌々月号が出る。
つまり、2002年1月号はすでに11月25日に発行済。
今度の12月25日には、何と2002年2月号が出る。
このズレは多かれ少なかれ、どの雑誌にもあるが、
大変におかしなことではないか。
138 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/16 11:00
東京スポーツや夕刊フジ、日刊ゲンダイは翌日日付で発行されるが、
テレビ欄は当日付けの内容で、わざわざ当日日付が入れてあり笑える。
139 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/16 11:38
日本人は季節先取りが好きだから変わらないだろう。
何せ11月からクリスマスツリー。
プ
140 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/16 19:12
ソルトーレークの速報は5月号。
オリンピック特集記事は6月号。
夏まで引っ張り、8月号で総集編。
141 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/17 21:15
9月号に記録総覧。
142 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/18 20:38
何月号に何と年間サイクル決定。
143 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/19 22:25
それじゃつまらん!!
144 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/20 20:18
だからこんなスレッドが立った。
145 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/20 22:35
昔話には限界がある。
146 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/20 23:02
ゆーか 一方的
147 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/24 11:45
未来の予想も限界がある。
限界もなく、一方的でもない未来予想ができるなら
読ませてもらおうじゃないか。
148 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/26 23:25
過去の思い出を語るのが一方的なら、
自分の予想を語るのも一方的。
149 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/27 21:34
本来の話題からずれてきた
150 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/28 22:31
ミズノを美津濃と書くのがオールドタイマー
151 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/28 22:52
ミナミえお南と書くのは厨房。
152 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/30 18:37
当時冬樹社は九段にあった。
153 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/31 12:06
スキーと言えば「国鉄」で行くのがあたりまえで、
車で行くなんて手段は考えたこともなかった。
154 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:01/12/31 16:59
急行アルプス、急行志賀、急行八甲田、急行十和田、急行石打
155 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/01/01 08:44
スキーケースには、網棚に架ける吊り手がついていた。
156 :
8さいのおんなのこです:02/01/01 10:29
157 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/01/04 21:44
ご紹介ありがとうございます
158 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/01/06 10:54
2チャンネルで展開することに意義があるのですね。
159 :
名無しさん@ゲレンデいっぱい。:02/01/17 21:32
age
>>158やふうのひとたちはつまらないひとばかりじゃないよね