< 2005 >
●全日本の演技後バックヤードのモニターでライバル選手の点数確認時には、
バーケルが穏やかに順位を見守る横で一つしかない椅子で腕を組みふんぞり返り、
ライバルの順位が自分の下と確かめると立ち上がり鼻で笑う。
採点ミス発覚で順位が入れ替わると子供じみた号泣。後に「納得してない」とコメント。
※採点ミスは重大な落ち度であるが、修正内容は織田自身のザヤックによるもの。
< 2006 >
●司会者の「ほんとは織田君が五輪に行く筈だったんだよね」に対し、
否定しないどころか不思議な笑みをたたえていた。(TV/快傑えみちゃんねる!)
※この年の五輪選考は全日本での一発勝負でなくポイント制。
順位入れ替えがなかったとしても高橋2位では織田のポイントは下となり五輪出場は不可能。
●4CCで演技を中断し(ジャンプで転倒しフェンスに激突した為)怪我か?と
人々を心配させるも後に当時を振り返り「ダラダラと〜、しんどい“ふり”してえ〜」の発言。
気持ちが切れただけだったと判明。(TV/BRAVO)
●TV出演時に、ある芸人が天狗状態だったと裏の顔を嬉々として暴露。
その芸人の後輩にあたる進行役の遠藤がリアクションに困り慌ててフォローするも、
「そーなんですけどぉ」と更に続けるKY具合。(TV/BRAVO)
●GPF後のコメント⇒「フリーの得点だけでは高橋選手に勝った」(スポニチAnnex)
※この時の高橋は体調不良でフリー途中から顔面蒼白フラフラ状態。
●全日本で完敗しグズグズと泣き面を晒す。その試合前後のコメントは…
⇒試合前「100%の力を出せば勝てる」
⇒試合後「GPF後あまり練習する気になれなくて」「自分に甘く練習不足で」
< 2007 >
●成人を迎えるにあたってのコメント⇒「これからは悪いことをしたら逃げられないので…」
●アドバイスをくれていた当時兄弟子のバトルついて、「自分のこと頑張れや〜って(笑)」と軽口。
※シニア移行ギリギリまでろくに跳べなかった3Aにアドバイスをくれたのもバトル。
●バーケルが指導している途中で勝手に練習を切り上げてしまう。(TV/フィギュアの極み)
●モチベーションについての問いには…
「スケート靴を隠すとかしてください。そうしたら見返してやる!って思うから」
●肌荒れしている女子に面と向かい、TVカメラの前で馴れ合いを超えたデリカシーを欠く発言。
女性選手がもう一人の女性選手に「スピンが(上手くて)羨ましい」
⇒織田「すっぴんが羨ましい?」(TV/Jスポ&2時ッチャオ)
●7月27日、酒気帯び運転で大阪府警高槻署に摘発される。
大学側の用意した酒席で単位取得の相談(実質上、大学側の接待)を行った帰りに酒気帯び運転。
※当時は飲酒運転・危険運転に対する関心が世間では高まっていた。そんな最中での愚な過ち。
※日本スケート連盟より1シーズン出場停止案も検討されたが温情により緩和され、
国際大会5ヶ月と国内大会3ヶ月の出場停止、特別強化指定5ヶ月間解除の処分が下される。
※関西大学より1週間の謹慎と1ヶ月の停学処分が下されるが、夏休み期間で実質お咎めなし。
●摘発を受けての会見では入場時点ですでに涙ぐみ、謝罪コメントの際には号泣。
< 2008 >
●関西ローカルTVでの復活特集で、
「スケートを辞めるべきでは?という声もあるが」の質問に、涙を堪えられず退室してしまう。
※収録は復帰直前の3月。OAは年末頃。
●4月、連盟役員を同席させての仰々しい復帰会見でモロゾフへのコーチ変更を表明。
⇒変更の決断は4月のトライアウト(!)とコメント。(9月/WFS)
※この時の練習では手回し良くGPS放送権を持つテレビ朝日による取材付き。
※3月上旬、バーケルが明かした復帰プランに「事情が変わった」と織田公認サイト。
●TVインタビューで“不祥事”から謹慎及び“サボり”期間を振り返り…
「僕も“みんなも”学ぶことがあった」「辛い時期はみんなある、僕だけが特別ではないので」
●お披露目に相当する新拠点でのMoran Memorialのエキシでは皺くちゃの衣装で登場。
●NHK杯では無事ショートを滑り終えると、先に演技を終えていた南里を相手に「やるよね〜」と、
タレント・はるな愛の物まねをして自画自賛。(スポーツナビ)
※この時の南里は急遽出場決定と連戦もあってか満足な演技が出来なかった状態。
●全日本開幕会見の写真撮影では、なかなか輪に加わらなかった小塚に対して、
不敵な笑みを浮かべながら「小塚くん待ちなんですけどぉ〜」(スポニチAnnex)
●全日本優勝後のコメント⇒「幸せなので、幸せを分け与える力が欲しいです。」
< 2009 >
●不正経理問題で理事を引責辞任していた城田の連盟スタッフ入り決定。
背景のひとつに織田(&他)の直訴もありと新聞報道。
この数日前には織田復帰への城田の尽力と、織田母のお礼談話についてのコラム記事あり。
※シーズン当初から各会場にて織田母と城田の2ショットも目撃されている。
●4CCではショート6位となった当日午前中にリンクで販売の特大ピザを食べ便秘。
演技への影響はないがもうちょっとスッキリしたかったと下品な笑い話で余裕を見せるも…
⇒フリー3位で総合4位の表彰台落ち。4回転もDGで転倒。
●今年はジャンプを確実に飛ぶプロにしたからPCSが出ないのはわかってた
(フィギュアスケートDays No.9)
●Pちゃんが4回転を必ずしも必要としていないとコメントしている件についての質問で
「そういう意見が出るのは、今は4回転も入れて他の要素も高い質でこなせる選手がいないから」
(ワールドフィギュアスケート38号)
★GPシリーズで出場する中国杯について
「中国はあまり環境が良くないらしい。アウェーで戦うことで精神を鍛えたい」
< 2010 >
取材で記者が好意で行った差し入れに
●「差し入れ、いちご大福ですか?(略)あ、でも食べて何かあったら記者さんのせいにすればいいや。
失敗したら『記者の方がいちご大福食えって言うんで、食べたらおなかが痛くなっちゃってえ』って。
え、今日は記者会ないの?くそう、じゃあブログで言い訳してやろ!」(1月/最強男子 朝日新聞出版)
●バンクーバー五輪では
・我慢出来ずに急遽開会式へ参加(フィギュア勢で唯一)、親子揃って浮かれる様を晒す。
・FSにて滑り出し前からガチガチのお通夜チャップリン、Loの着氷が乱れ靴紐トラブル発生で演技中断。
「演技の前から切れていた。感覚狂うのが、いやだったから変えたくなかったので
切れたところをくくってやっていました。フリップ終わったら全部ほどけちゃって…」
何度も「自分の責任」という言葉を繰り返すも、またもや泣きっ面。
●トリノワールドでFS進出できず
SPすべてのジャンプがシングル(1A, 1Lz, 1F 合計基礎点:1.9点)に…
SP28位 TSS50.25 TES16.90 PCS33.35
TESは出場した46選手中45位 PCSで救済されるがあえなくSP落ち
●ワールド終了後の3月末、モロゾフと契約終了の報道
・モロゾフ曰く
「私が信頼している日本人選手は彼女(安藤美姫)だけ。他の日本人選手には教えない」
「コミュニケーション面での問題があった」
・織田曰く(4/2関大にて)
「モロゾフ先生からは、1月の五輪前に拠点を移すかもしれない、という話があった。
ロシアという話は全然聞いていなかった。コーチがやりやすい環境で、
ぼくたちはそれに帯同していく形になる。
そのあたりは何もわかりません。まだ何も話し合っていないので…」
とまたも矛盾した発言が双方から出される
●4/14。2008年春から競技優先で大学を休学していたにも関わらず、
今春復学したばかりで学生結婚。お相手の一般女性は妊娠4カ月との情報もあり。
●4/22入籍。それまで結婚については他スケーターに取材が押し寄せるも
本人は沈黙を守り、10日以上経ってから関大イベントや五輪慰労会でニヤニヤ披露。
●4/25。新コーチとしてバーケルと交渉中であることを明かす。
織田側記事いわく「バーケルは永遠の師匠」モロゾフと契約中もバーケルに相談していたという。
★2007全日本(≒2008ワールド)の出場放棄理由集
・2007年12月欠場発表時(icenetwork)
「精神的ダメージがあり試合に出られる状態にない」(各種報道)
「フェアでありたい」
※連盟復帰案は自己中理由で拒否して、特別強化指定やDOI出場の特例は辞退せず。
・2008年4月復帰会見後(プレミアA、とくだね、他)
「技術的にも体力的にも出られる状態であったが、シーズンが中途半端になるので」
・2008年5月(関大ブログ)
「自粛の念から全日本辞退し、〜以下略〜」
・2008年6月(DOI放送、すぽると)
「精神的ダメージがあり試合に出られる状態ではなかった」
・2008年7月(47News)
「復帰することもできたが、謹慎処分期間で受けた精神的なダメージが影響し
ぶっつけ本番で出場するほどの“練習も積めなかった”」
・2008年9月(WFS・34号)
「直前まで出るつもりで準備していたが、気持ちの整理がつかないので、
気持ちの整理がついてから改めて出直したいと思った」
・2008年9月(DaysPlus)
試合に出たかったか?の質問に…
「羨ましかった」「“出られなかった”ことで試合の大切さを学んだ」
・2008年10月(Cutting Edge 2009)
「『試合、出たい!』って思ったこともなかったです。
今、自分は出ちゃいけないんだってことが、わかってたから…。」
・2008年10月(パーフェクトガイド)
「試合をシミュレーションしても気持ちでどこかひっかかるところがあった」
・2008年12月(Number・719号の別冊付録より要約)
「出場停止処分前から、練習しても空回り楽しくない結果がついてこない悪循環に嵌っていた。
謹慎中に周囲に打ち明け相談して、シーズン丸ごと“休んだほうがいい”と結論を出した」
【その他エピソード】
★誇らしげに語っていたボランティア“ペナルティ” の実態
関大スケート部員を引き連れての河川敷の掃除が1回と、関大の行事手伝い1回のみ。
謹慎中の立場でありながらペナルティ活動時の浮かれた写真が表に出るおまけ付。
★4回転ジャンプに関して
・4回転は跳べるかの質問に対し、「はい(笑)。アクセルよりも4回転が好き、同じ位の難しさ。
半分位の確率で降りている。」(OCNスポーツESPA) ⇒1度も挑戦せずに次のシーズンを終了。
・2006年GPF前の会見ではフリップに堂々と「4回転」。⇒勿論挑戦せず。
・4回転ジャンプが2種類安定すればライバル達のプレッシャーになる。(2008年6月/地方紙)
※この時点でシニア大会での4T挑戦歴なし。
・4-3-3を跳んで世界のライバル達へプレッシャーを与えたい。(2009年2月/Days)
※この時点で単独4T成功はなく、このシーズンの3A×2本の成功は全日本のみ。
・ワールドSP後、国別五輪出場枠がかかった試合で出場枠は気にせず「自分は自分」。
※ワールド後のWFSインタでは、一変して枠取りに関して
「SP終わった時点で小塚くんと合わせて ギリギリの順位だったからフリーで4回転やるか
すごく悩んだんですよ」と発言
・国別SP後「明日のフリーで4回転を入れるかどうかも、けがをしたくないので、〜」
※小塚に怪我との報道があった中での発言
・09-10シーズンは初戦のGPSTEB杯で4-3-3への挑戦を言及しスポーツ紙で盛大に煽ってもらうも
SP2位につけると優勝を優先してあっさり回避。中国杯も同様に回避。
全日本SPで3Fで転倒しSP1位と10点差がついてようやくFSで挑戦するが転倒。
五輪は「今までで一番調子が良い」と公式練習で大口叩くも本番では
「(4回転を)挑戦できる状態ではなかった」と回避。
ワールドは挑戦する前にSP落ち。一度も成功しないままにシーズンを終える。
★約3年間お世話になったカナダについての織田評
「カナダ人はうわべだけというか、気軽にOKというけど頼まれたことを忘れることが多い」
(2008年9月/ WFS・34号)
⇒村主による織田のエピソード
「アメリカから日本に帰国する時に新しいスケート靴と大事な書類を持ってくるようにと
三度も念を押し頼むが、織田は忘れて来た」(2008年12月/女子ファンブックより要約)
★モロゾフのインタビューより「All day he was mad and would not talk to me.」
(わざと怒らせてみた時の織田の反応について)