真正保守の松原正

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804右や左の名無し様:02/05/27 00:27 ID:L1iecn3G
ところで、西部邁って福田に弟子入りしてたのかな?
805右や左の名無し様:02/05/27 00:36 ID:???
>>804
福田恆存論書いた後、会って付き合いは会ったそうだよ。
佐高信との対談で言ってた。
弟子入りしたかどうかは知らないが。
806松原不正(ただしからず):02/05/27 01:00 ID:L1iecn3G
ホントの所、松原正がメジャア論壇誌から閉め出しくったのって何でなんだろ?
807マサカド:02/05/27 04:24 ID:X2TjZjqk
はいはい、ご無沙汰してますね。一ヶ月以上、放置してからのレスは、礼儀知らずと
罵られるのもやむ得ないですが、百科事典の帰納の定義でも覗けば、誰にでも突っ込める
ところがポイントなので、誰かが突っ込んでくれるかと期待してたんですが。

>>648 魚歌さんへ

>>俺も、現実さんも(おそらく)「伝統が定義できないから存在しない」などとは
>>考えていないですよ

>>532で魚歌さんは「国体や伝統をマジックワードとして利用するのではなく、
はっきりと定義したほうが良いでしょうね。」と書いているし、>>482で現実さんも
「俺はここで「伝統」を,仮に定義しました.定義しないと理屈で論じることが
できないからです.」と書いているから、ごく一般的な解釈の手続きに従い
お二方とも「伝統は定義できる。」という前提をとっていると忖度したんですよ。

>>653 現実さんへ

>>ということは,帰納法の前提として「特殊個別的な諸事実」が余すところ無く
>>集められていなくてはなりません.

その前提自体に異議があるんですけどもね。
まずは、百科事典から帰納法についての抜書きを読んでもらいましょ。

>>帰納法は、あらゆる事例を列挙してその結果をまとめるだけの完全帰納法と
>>若干の事例により一般的命題を立てる不完全帰納法とに分けられるが
>>真に帰納法と呼ばれるものは後者である。前者は論理的には正当であると
>>考えられるが、それは既知の事実のたんなる表示にとどまり、新しい知識を
>>確立するものでない。ゆえに、J.S.ミルはこれをしりぞけ、不完全帰納法こそ
>>真の帰納法と考えた。現実の事例においては、あらゆる事例の完全な列挙は
>>困難というよりはむしろ不可能であるが、若干の事例に関する主張を未知の
>>事例を含む同種の事例全体にまで拡張して、全体的判断をくだすことは
>>論理的には正当でない。

私も、百科事典の筆者と同じく「特殊個別的な諸事実を余すところ無く集める」ことが
できると考えるのは非現実的だろうと思いますね。
808右や左の名無し様:02/05/27 04:25 ID:X2TjZjqk
具体例で論じますと

こないだ読んだ「伊藤博文と朝鮮」高大勝著、社会評論社刊にこういう文章がある。
(今、教科書問題に対応して、日韓共同で歴史を研究しようという動きがある
らしいが、韓国がこの本あたりの歴史認識に沿って、日韓の歴史認識の隔たりを
狭めようというのなら、日本としてもなんとか妥協できるのではないかとも
個人的に思考していますが。)

>>「日本に追いつけ、追い越せ」をスローガンに揚げた韓国は、伝統的東洋思想を
>>基礎にして、近代化を成し遂げた。アメリカ、ヨーロッパ、日本から近代科学
>>技術と文化を取り入れたが、社会生活における儒教の主導的地位は変わらず、
>>国民の行動に大きな影響を及ぼしている。

以上の文章をさらに要約して、「儒教は朝鮮の伝統(的価値観)である。」という
命題を抽出できるでしょう。私自身は、朝鮮については数冊の本を読んだことがある
だけで、韓半島にいったことないし、ハングルもわからんのですが、この命題は
おそらく正しいと判断してるんですよ。今まで読んだ朝鮮関係の文章や論説で、
この命題を否定する文章は読んだことがないから。きわめて個人的な範囲での
帰納法の適用例ですね。

逆に「朝鮮の伝統は儒教である。」 これは多分、成り立たない。
(なぜなら儒教以外にも朝鮮の伝統とみなせるものは存在することが予想されるから。)

809マサカド:02/05/27 04:26 ID:X2TjZjqk
伝統と名のつくものは、すべて特殊で個別的であり、代替の不可能なものである
という意味合いがあると私は考える。したがって特殊個別的な事実を「余すことなく」
集めるという方法論が非現実的であるとすれば、伝統は定義し難いということに
なるだろう。(ベルグソン、ユング、フッサールなどによる一連の近代科学批判の
哲学の流れを汲む考え方でもある。現実とは、すべて特殊な個別的な代替不可能な
事例からばかり成り立っているという考え方。)

以上の仮説から導かれる暫定的結論によれば、伝統は定義できない、ということになる。
810マサカド:02/05/27 04:28 ID:X2TjZjqk
>>648
>>「同等の権利」とはどの権利と同等と主張されているのですか?

流石に、いい加減に書いたとこには、すぐに突っ込んできますね。
いいたいことは、「想像力の優位」に尽きるので、そんなに鋭く突っ込まんでください。
だいたい、あしわけ小船も、古事記伝も、源氏物語も、まともによんどらん私が
「もののあはれ」の説を講釈するのはその辺に転がってる政治パンフを読んで
日本国憲法について猫さんに論戦を挑もうとするのと同じくらいか、それ以上に
無謀でしょうがね。「もののあはれ」の説は、もちろんご存知ですよね? 魚歌さん。

小林秀雄による解釈だと、人間の認識においては、「理性」よりも「感情」が
根底的であるという説です。そして想像力とは、理性の能力というよりは、
感情の能力というべきでしょう。無論、知性が不要などとは、一言も主張した
覚えはないですよ。

「もののあはれ」の説は情緒至上主義ではない、と小林も繰り返し書いておりますしね。
「もののあはれ」の説の小林秀雄による解釈を、また私なりに敷衍すると、あらゆる
社会規範、道徳規範を括弧にいれないと、想像力の可能な限りの自由な行使は不可能だ
ということになるわけです。

すべての歴史は想像力の産物です。(クローチェのテーゼだそうで。)よって現在の
社会規範(ある時代、ある社会において「正しい」と思われていること。)を括弧に
いれない限り、想像力による歴史認識は不十分なものとならざるえません。

一応、証明終わり。
811現実:02/05/28 18:48 ID:qHFZEAkT
>>807
百科辞典の引用部分と,貴方の
>私も、百科事典の筆者と同じく「特殊個別的な諸事実を余すところ無く集める」
>ことができると考えるのは非現実的だろうと思いますね。
という主張の繋がりがイマイチよく分かりません.
あまり関係ないような気がしますが…
812右や左の名無し様:02/06/01 00:10 ID:6ZWgc9L6
のぢたんを罵倒している輩は
自分の非論理的で感情的な罵倒を正当化したい
だけなのではないかと推測.
813右や左の名無し様:02/06/01 00:18 ID:6ZWgc9L6
ところで
どれみって美少女アニメなの?
814age:02/06/01 18:55 ID:6ZWgc9L6
t/o
815マサカド:02/06/02 02:41 ID:ANijbkZS
>>811 まあ、もし現実さんが>>653で、「帰納法の前提として「特殊個別的な諸事実」を
『できるだけ多く』集めなくてはいけません.」と書いていれば、かなり紛れたというか
違う書き方をしなきゃならなかったというか、証明自体がなりたたなかったかもしれない
というか。帰納法の正当性についての議論に深入りしなきゃならなくなると、こっちも
苦しくなりますんで。

でも、「個別的な事例を余すところなく集める」というのと、「個別的な事例を
完全に集める」というのは、日本語では同じ意味になると思う。(語感の問題ですね、
これは。)そこで、>>653で現実さんが帰納法の解説をしたとき、現実さんの念頭に
あったのは、完全帰納法についてのみであり、真の帰納法と呼びうる「不完全帰納法」
については念頭になかったんではないか、という当て推量だけを頼りに、>>807以下の
証明を試みてみたわけです。確かに、たかが副詞の用法の違いひとつだけをとっかかり
にして証明をでっちあげる事に躊躇いは感じましたよ。けれども「伝統は定義できる」
という命題の成否を吟味することが主と考えれば、なんとかなるだろうと見切りを
つけたのです。
816マサカド:02/06/02 02:47 ID:ANijbkZS
>>535
>>今ごろ気づいたけど,国学,宣長は出てきても,まだ「宣長問題」に
>>言及したレスがないような….

以下は単なる妄論ですが、ないよりはマシでしょう。
子安氏の「本居宣長」を読んだけど、あんまり面白くなかった。
「自己栄光化の言説」という、初級レベルの呪文をひたすら唱えてるだけのように
みえた。ラスボス級の相手をするには、それにふさわしい呪文が必要じゃないかな。

まだ、吉本隆明の解釈の方が、宣長の言説への「鎖国」の影響を、重要なファクター
として捉えている分、優れていると判定せざる得ない。
半島や大陸の学者との交流があれば、さしもの宣長も、あれほど好き勝手に
言いたい放題いえなかったんじゃないか。
817マサカド:02/06/02 02:49 ID:ANijbkZS
>>813

おじゃ魔女どれみは、幼女の活躍する魔女っこアニメだよ。前番組の「夢クレ」は
井上ひさしが言及してるから、自ら知識人をもって任ずる人間が「どれみ」を論じた
としても、現代日本では、知識人たる資格に別に差し障りはないんでないかい?
宣長も、浮世絵の様式には、だいぶ不満をもってたみたいだし、そのうえ小児科医が
職業だったときてるから、現代に生きていれば、美幼女アニメに嵌って、ハァハァしていた
としても不思議はないw(ごめんなさい、逝ってきます・・)
818現実:02/06/02 03:15 ID:m5XW3841
>>815
俺は,マサカドさんは>>807 の引用部分の意味を誤解しているように思います.

> でも、「個別的な事例を余すところなく集める」というのと、「個別的な事例を
>完全に集める」というのは、日本語では同じ意味になると思う。

>>653 で「個別的な事例を余すところなく集める」と俺が書いたのは,
「集める主体のAさんにとって,既知の事例を全て集める
(そして,論理一貫して説明する)」という意味です.

要するに,事実に反しているところが明らかにあるならば,それは論として成り立たない,
という意味です.

>>807 の引用も含めて,もう少し詳しいレスは後日しましょう.
(明日の日曜日…というか今日か…か,もしかしたら来週の土日になってしまう
かもしれませんが,その点はご了承を願います)
819右や左の名無し様 :02/06/02 06:43 ID:???
>>816
子安ってやつぁ、支那へ公演に行くと、日本の悪口のリップサービスする
馬鹿なんだよ。「事件としての徂徠学」を読んでみな。
ついでだがな、「自己栄光化の言説」じゃねぇ、「自己同一性の言説」だ。
820マサカド:02/06/02 13:27 ID:ANijbkZS
俺の持ってる岩波新書 「本居宣長」第5章「神をめぐる言説」では

p.177 それはもう堪えがたい臭気を放つ「自己」栄光化の言説以外のものではない。
p.181 六合に照臨する天照大神=日の神の言説であり、まさしく「皇国の自己栄光化
の言説であった。

あとは、自己神聖化の言語とか、専断的解釈とか、自己言及的な言説が持つ
自己循環的な解釈なんてのもあったが、解釈の手つきとしてはどれも一緒。
「自己同一性の言説」というのは、まだみつからんかったが何p.?
821「名無し問題」とは何か:02/06/02 14:26 ID:???
>>820
「『宣長問題』とは何か」(ちくま学芸文庫)の方だね。岩波の方は知らんぜ。
なにせ、岩波新書ではめずらしく永久絶版確実の本だからな。
「韓国からの通信」みたいだな(w
822右や左の名無し様:02/06/02 17:01 ID:dJhctNpO
幼女と美少女は同じなのか?
823右や左の名無し様:02/06/02 20:28 ID:???
>822
ノズラーの話題はこちらでお願いします。
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1022372599/l50
824現実:02/06/02 22:42 ID:/AHWNe97
おお,活気が出てきたね.(他のスレッドに長文書いているせいもあるが)
やっぱり時間が無いんで,返答は最悪一週間待ってもらいましょう(笑)

>>821
>岩波新書ではめずらしく永久絶版確実の本
文庫で復刊(?)しているよ.
825現実:02/06/08 02:22 ID:R5OEbsPH
それでは改めて.クソ長いですが,
・帰納法の話 と ・子安さんの『本居宣長』の話です.
初めに逃げを打っておきますが,ヒマを見て書き溜めたので,
矛盾があるやもしれません(笑).

■帰納法?
以下の発言の要旨は>>818 に既にカキコ済みなので,そちらを読んで理解可能
な人は,以下を読む必要がありません.

例により,問題だと思われるマサカドさんのカキコ>>807 を引用.
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
>>653 現実さんへ

>>ということは,帰納法の前提として「特殊個別的な諸事実」が余すところ無く
>>集められていなくてはなりません.

その前提自体に異議があるんですけどもね。
まずは、百科事典から帰納法についての抜書きを読んでもらいましょ。

>>帰納法は、あらゆる事例を列挙してその結果をまとめるだけの完全帰納法と
>>若干の事例により一般的命題を立てる不完全帰納法とに分けられるが
>>真に帰納法と呼ばれるものは後者である。前者は論理的には正当であると
>>考えられるが、それは既知の事実のたんなる表示にとどまり、新しい知識を
>>確立するものでない。ゆえに、J.S.ミルはこれをしりぞけ、不完全帰納法こそ
>>真の帰納法と考えた。現実の事例においては、あらゆる事例の完全な列挙は
>>困難というよりはむしろ不可能であるが、若干の事例に関する主張を未知の
>>事例を含む同種の事例全体にまで拡張して、全体的判断をくだすことは
>>論理的には正当でない。

私も、百科事典の筆者と同じく「特殊個別的な諸事実を余すところ無く集める」ことが
できると考えるのは非現実的だろうと思いますね。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////
826現実:02/06/08 02:23 ID:R5OEbsPH
端的に言って,俺は,マサカドさんは百科辞典の引用部分を誤解していると思います.
「不完全帰納法」によっても,マサカドさんの>>647 は批判できます.むしろ,
俺は>>653 において「不完全帰納法」的な観点から>>647を批判しているのです.

そこでとりあえず,公平さに欠けることがないよう,百科辞典の引用部分を分かり易く
再構成した上で,具体的に内在的批判を試みることにします.

上記引用によれば,帰納法は二分できる.すなわち,一方は,
1「あらゆる事例を列挙してその結果をまとめる」「完全帰納法」である.
これは既知の事実のたんなる表示にとどまり、新しい知識を確立するものでない.
もっとも,論理的には正当である.
他方は,
2「若干の事例により一般的命題を立てる」「不完全帰納法」である.
これは「既知の事実のたんなる表示」にはとどまらない.もっとも,
若干の事例に関する主張を未知の事例を含む同種の事例全体にまで拡張して、
全体的判断をくだすことは論理的には正当でない。

これらは何を言わんとしているのだろうか.例を用いて説明するとこういうことだ.
827現実:02/06/08 02:24 ID:R5OEbsPH
続き.
【例1】世界にカラスが十羽しか存在しなかったとする.俺はその十羽を全て見た.
どのカラスも黒かった.俺は,実際に全てのカラスを見,それらのカラス
全てに共通する性質から,一般的命題(すべてのカラスが黒い)を引き出すことができる.
すなわち,「全てのカラスは黒い」という命題である.

【例2】家の周りに黒いカラスがいる.近くの駅に黒いカラスがいる.
大学の周りに黒いカラスがいる.俺は黒いカラスしか見たことがない.
もっとも,地球上に存在する全てのカラスを見たわけではない.しかし,
今までに見たカラスに共通した性質(すべてのカラスが黒い)から,
「黒くないカラスは存在しないのではないか?」と推測できる.
この推測は一般的命題の形で表すことができる.「全てのカラスは黒い」と.

…ここで再度,帰納法の意味を明らかにする.広辞苑に依れば,帰納法とは
「個々の具体的事実から一般的な命題ないし法則を導き出すこと」.
同趣旨の定義が>>653 にあります.要するに,誤解を恐れず言えば,
「個別の事象や存在から,共通の性質をぬきだして,その性質について,
簡潔な言い方をすること」.これを帰納法という.

そして,上記の【例1】【例2】を見ると,どちらも帰納法の考え方に従っている
ことが分かるはずです.しかし,よく見ると【例1】【例2】には,微妙に違いがある.
828マサカド:02/06/08 10:32 ID:JcBJBcae
割り込みして悪いっスけど、ちょっと>>816を書き直しますね。

吉本の「本居宣長」評をあらためて読み直したが、よく読むと別に
「鎖国」について云々してないですね。宣長の言説における「交通」の
欠如をはっきり指摘しているのは、むしろ柄谷の方か。というわけで
>>816の「吉本隆明」を「柄谷行人」に書き直します。
柄谷と子安の言説の比較となると、「批評空間」内部での話にしか
ならなそうなので、あんまり比較する意味がなくなるけども。

>>821

「事件としての徂徠学」は、大昔に読んだけど、内容忘れちゃったよ。子安を
読む暇があれば、金谷治や、西郷信綱や、村岡典嗣を読んだ方がよさげかも。
読む暇が在ればね。

それでは続きをどうぞ。
829現実:02/06/09 00:20 ID:bJkLrxUr
昨日,途中から書き込めなくなった...なもんで,とりあえず>>827 の続きから.

【例1】は,物理的に全てのカラスを見た上で「全てのカラスは黒い」と判断しています.
対して【例2】では,ある程度の数のカラスの例を見ただけながら,
それらの例に反しない形で「全てのカラスは黒い」と断言してしまっています.
そうです.同じ「全てのカラスは黒い」という主張ながら,両者では性質が違います.

【例1】の「全てのカラスは黒い」は,明らかに真理です.あらかじめ全てのカラスを
見てそう言っているのですから,間違いようがありません.
対して【例2】の「全てのカラスは黒い」は「真理」ではありません.あらかじめ全ての
カラスを見て確かめてから,そう言っているわけではありませんから.もしかしたら,
白いカラスや茶色のカラスもいるかもしれない.
【例2】の「全てのカラスは黒い」は,白いカラスの実物を提示すれば,
反駁することができる.
対して【例2】はできません.そもそも,全てのカラスを見てから
「全てのカラスは黒い」と言っているのですから.

【例1】の「全てのカラスは黒い」は,論理的に言って正当です.真理ですから.
あらかじめカラスは十羽しかいない.そしてそのカラスを全て見た上で判断しているのだから.
しかし,【例2】の「全てのカラスは黒い」は,必ずしも論理的に正当ではありません.
なぜなら,もしかしたら茶色のカラスがいるかもしれないから.
必ずしも論理的に「正」ではない(実際どうなのかは分からないはずだ)のに,
「全ての〜」と言いきってしまっています.この場合の「全ての〜」は,真理ではなく,
あくまでも「仮説」に過ぎません.

ここまでで,お分かりかもしれませんが,【例1】が「完全帰納法」の例で,
【例2】が「不完全帰納法」の例です(上手く説明できているだろうか.謎だ).

830現実:02/06/09 00:21 ID:bJkLrxUr
【例1】―「完全帰納法」は「既知の事実のたんなる表示」でしょう?
(「全てのカラスは黒い」なんて,その場で見れば誰でも分かる)
対して【例2】―「不完全帰納法」は,限られた例から,新しい「仮説」を確立している.
【例2】―「不完全帰納法」は,人間が想像力を働かせて立てた命題という意味で,
創造性・生産性があります.

(文系理系を問わず)科学は,このようにして立てられた命題―仮説ーを,
実験等によって検証することにより発展しました.その意味では,
人間の知性を示すものとして「不完全帰納法」の方が価値があるでしょう.

このように,不完全帰納法とは,要するに仮説形成の思考上のプロセスを指すものです.
ミルが「不完全帰納法こそ真の帰納法と考え」るのは,人間の知性における,
仮説形成プロセスの重要性を言わんとせんがためでしょう.
人間は若干のデータから仮説を形成し,検証テストを繰り返すことで,
科学を発展させてきた.人間社会の膨大な「科学法則」は,
過去,検証テストに耐えてきた仮説…不完全帰納法により立てられた命題,として
見ることができます.

しかし「不完全帰納法が重要」とは言っても,これは,明らかに事実に反する
命題の存在を許すわけではありません.

再度【例2】を引けば「不完全帰納法によれば,白いカラスが見つかった場合でもなお,
『全てのカラスは黒い』と言い続けることが許される」という意味ではないのです.
事実をもって反駁された仮説 ―不完全帰納法により立てられた命題― は,
間違った命題です.白いカラスがいれば,どんな帰納法によっても
「全てのカラスは黒い」という命題は間違いです.
831現実:02/06/09 00:23 ID:bJkLrxUr
ここで再度>>653 と >>807 に戻りましょう.もはや,どんな帰納法によっても
>>653
>「特殊個別的な諸事実」が余すところ無く集められていなくてはなりません.
ということは明らかです.完全帰納法の場合は,文字通り,世界に存在する
全ての事例を集める必要がある.カラスが十羽しかいなければ,十羽全て.
一万羽いれば,一万羽すべて.

不完全帰納法の場合は,「世界に存在する全ての事例」を集めてくるとは言わないまでも,
それでも,最低限,知っている事例全てには,あてはまらなければならない.
だから,知っている事例・知らなければならない例を全て集める必要がある.
その事例に反していたら,そもそも,命題として成り立たない.

俺は>>653 で「余すところ無く集められねばならない」例として,
「個別の歴史的事実」を挙げています.地球上のカラスを全て
集めてくることが物理的にほぼ不可能なのとはちがい,歴史的事実は
容易に集め得ることができます.少なくとも,簡単に「白いカラス」を出されて
反駁されているようでは,「できる限り歴史的事実を集め仮説を形成した」とは
言えないでしょう.恣意的に都合のいい事実だけ持ってきて,勝手なこと言うな,
と批判されても仕方ありません.これは帰納法でも何でもない.
なぜなら,誰でもすぐに挙げられるような歴史的事実に反しているから.
つまり,「>>653 彼等の言う「伝統」は,帰納推理のレベルで明かに破綻している」.

ちなみに,>>808 >>809 は(不完全)帰納法の話とはあまり関係がないと思います.
言い換えると>>808 と >>809 は,>>807 の「具体例」になっていないと思います.

以上.帰納法の話終わり.あんまり推敲していないので,ツッコミどころがあったら誰か
ツッコんで下さい.説明します.
832現実:02/06/09 00:26 ID:bJkLrxUr
■『本居宣長』について
関係ないが,今後,絶版になった岩波新書は,復刊する場合は岩波現代文庫に
移すそうだ(一般書籍板の岩波文庫・新書スレッドのカキコより).
新書を絶版にしておいて,値段を上げて文庫で出すってのは,やり口が汚いよな.
そのまま新書で復刊させろ,と思わないでもない....

ちなみに『本居宣長』は,テクスト論をはじめとする現代思想の知識が
ある程度ないと,理解するのは厳しいんじゃないかと思う.

以下の文章で,不都合があれば「吉本隆明」を「柄谷行人」に読み替えて下さい>>828 より
>>816
>「自己栄光化の言説」という、初級レベルの呪文をひたすら唱えてるだけのように
>みえた。ラスボス級の相手をするには、それにふさわしい呪文が必要じゃないかな。

何の比喩なのか意味が良く分かりません(ラスボスって誰?).

>まだ、吉本隆明の解釈の方が、宣長の言説への「鎖国」の影響を、重要なファクター
>として捉えている分、優れていると判定せざる得ない。

「宣長問題」「宣長的言説」への鎖国の影響が重要なファクターであるとする
主張の根拠は何ですか?

「(国学あるいは『わが道』においては)『自己』を概念化し,分節化する
言語の欠如の上に,自己象が新たに形づくられることが求められているのである」
現代文庫版『本居宣長』p52,二章末.
要するに,自己…日本…「わが道」…を相対化し,他と比較し,対象化する視点を
排除して,(自己による自己言及を特権化することにより)自己象を形成することが
求められている,と.
こういう「宣長問題」…「自己象の形成の仕方」が批判されているのであって,
歴史的事実としての鎖国は問題にならないのでは?
続く.
833現実:02/06/09 00:39 ID:bJkLrxUr
第一それに,歴史的事実として,江戸時代が本当に「鎖国」と呼ぶに足る状態だったか,
それ自体,議論の余地があるのでは,という気もします.
『海国兵談』のような主張は,ある程度,諸外国についての情報が入手できないと
成立しなかっただろうし.もっとも,一般に入手できる情報が,書面や伝聞など,
間接的なものにとどまっていたからこそ,本居宣長のような主張が成立したとも
考え得るでしょうが.

しかし,著者は,鎖国無き現代においても本居宣長的な言説が徘徊している
と述べているわけで,もしこの観点が妥当だとしたら,
宣長への鎖国の影響はとるに足らぬもの(宣長問題と,歴史的事実としての
「鎖国」は無関係)でしょう.

要するに子安さんの観点は「主張への鎖国の影響」という問題設定自体に,
疑問を投げ掛け得ることを帰結する以上,
鎖国を論じていないから云々というのは,本質的な批判とはならんでしょう.

もっともマサカドさんは「『鎖国』」とカッコつきで述べているので,
この「『鎖国』」は歴史的事実としてのそれではなく,「宣長問題」のことを
指す比喩とも考えられます.が,そうだとすると,上記引用部分のマサカドさんの
主張は「子安の宣長問題の主張よりも,吉本隆明の解釈の方が,宣長の言説の
『宣長問題』を重要なファクターとして捉えている分,優れている」と述べている
ことになってしまい,意味不明の気がします.
834マサカド:02/06/17 05:07 ID:2XhtFUn4
>>827
【例1】は「世界にカラスが十羽しか存在しなかったとする.」という仮定抜きでは
成り立たない帰納的推理であるのに対し、【例2】は通常の帰納的推理ですね。
仮定抜きでは成り立たない推論を完全帰納法の例として持ち出すのは、ちょっと
不適当な気がする。完全帰納法というのは、現在では一般的に数学的帰納法のことを
さすそうですが、数学的帰納法は、実は演繹的推理の一種であるという説もあり
概念の規定が混乱気味。ご推薦の『論理トレーニング』や『ロジカルシンキング』には
完全帰納法と不完全帰納法についてなんかいい記述なかったですか?
こちらはこちらでGoogleで検索かけた結果をまとめてみます。

帰納法について思想史上常に問題になってきたのは以下の論点:

>有限の経験事例から一般的・普遍的なことがらを導くのは、常に誤る可能性が
>あることをわれわれは知っている。それゆえ思想史上問題にされたのは、
>帰納推論を信頼するだけの根拠はあるのかということであった。

帰納推論自体が習慣にもとづいているから、科学的な原因追及において帰納推論を
正当化する根拠はないとしたヒュームの批判以降、帰納推論をどのように科学的な
因果追求の中に位置づけるか、という問題をめぐっていくつかの立場があります。
835マサカド:02/06/17 05:08 ID:2XhtFUn4
@ 帰納には演繹的な根拠があると主張する方向。ミルのように自然の斉一性を
  説いて根拠づけたり、あるいは肯定的な事例の増加とともに仮説の確率が高まる
  ことを証明しようとしたりする(帰納論理)。
  砕いていえば「二度あることは三度ある」ということでしょう。
  
A 帰納は学問的に信頼できないとして捨てる方向。ポパーがこの立場の代表。
  帰納による仮説の検証は論理的に無根拠であるから、科学にとって必要
  なのは、むしろ反証であるという主張。現代科学の基本ですね。

B 帰納に確実な根拠はないが有効な使用法があると主張する方向。

ところで、現代科学における帰納推論の位置づけについての、以上の三つの立場は
いずれも、以下のテーゼを前提にしていることがわかる。

>有限の経験事例から一般的・普遍的なことがらを導くのは,常に誤る可能性が
>あることをわれわれは知っている。

つまり、われわれは想像された完全性を所与の概念としなければ、現実の帰納推理が
不完全なものと認識できないわけである。完全帰納法とは、想像的な完全性を所与と
した推論である。・・うーん、現実さんの説明とあんまり差異がないか?
836マサカド:02/06/17 05:09 ID:2XhtFUn4
>>831
>「個別の歴史的事実」を挙げています.地球上のカラスを全て
>集めてくることが物理的にほぼ不可能なのとはちがい,歴史的事実は
>容易に集め得ることができます.

前段は完全帰納法による推論の例ですが、後段は不完全帰納法による推論の例。
それに、歴史的事実の確定とは、ごく詰まらぬ事についても、驚くほど困難な物
であるという、常識的な見地からしても、「カラスは黒い」と判定するのと
ある「歴史的事実」の確定と、どちらが困難かはいうまでもないでしょう。

>>653
>「伝統」を主張する人たちの「伝統」は,前提となる個別の歴史的事実に反している.
>そのことは,彼等の「伝統」を正当化することにはなりません.

そおですかね? 歴史仮名遣いを巡る論争を、途中の経過を全部端折って
思い切り単純化してみれば

a.「歴史仮名遣いは正しい表記法である。」   (正しい表記法は存在する。)
b.「歴史仮名遣いは正しい表記法とはいえない。」(正しい表記法は存在しない。)
  表記法は恣意的なものである以外ありえない。

こういうことになると思うが、ここで現実さんの発言>>453から一部引用します。

>何をもって「美しい」とするかは個人の主観の問題です.
>したがって「美しさ」の「正しさ」などというものは決められません.

ここから、「何が正しいかは主観の問題である。」という命題を演繹できるなら
a.とb.は両立する、という話にしかならないでしょう。つまらん結論だから
どうでもいいですけど。
837マサカド:02/06/17 05:10 ID:2XhtFUn4
>>831
>ちなみに,>>808 >>809 は(不完全)帰納法の話とはあまり関係がないと思います.
>言い換えると>>808 と >>809 は,>>807 の「具体例」になっていないと思います.

伝統の実在性が帰納法によって証明できるか、という話をしてるんだから
伝統についての命題を例示しなきゃしょうがないっしょ。

「儒教は朝鮮の伝統(的価値観)である。」
これは伝統についての命題ですよね? 現実さん。

「儒教」が関係ないというんなら

「キムチは朝鮮の伝統(的漬物)である。」
「チマチョゴリは朝鮮の伝統(的衣服)である。」

「朝鮮」が関係ないということなのかな? それなら

「熊祭りはアイヌの伝統(的祭儀)である。」
「琉球唐手は沖縄の伝統(的武術)である。」

どれでもいいし、全部についてならなおいいです。真偽を判定してみてくださいな。
子安氏の「本居宣長」については、内容に立ち入って分析しなくてはならないので
来週まで待ってくださいね(はぁと
838現実:02/06/18 00:49 ID:QGhm/bWp
おお,久々に書きこみが増えているね.
ヨソで忙しいのでちょっとまた待ってもらうよ(笑).

ところで,百科辞典からの引用でもgoogle検索の結果でもそうだけれど,
ネタがあるものはきちっとソースも引用してくれるとうれしいです.

839現実:02/06/18 01:11 ID:QGhm/bWp
>>834
> 【例1】は「世界にカラスが十羽しか存在しなかったとする.」という仮定抜きでは
>成り立たない帰納的推理であるのに対し、【例2】は通常の帰納的推理ですね。


何か,マサカドさんは根本的に論理学を誤解しているような気がする.

推論は,要するに思考なり議論なりの手順に過ぎないのだから,
仮定の議論においても成り立つと思うのだけれど.

例えば,経済学のテキスト記載のケースは,ほとんどが
「ここに〜という条件で〜があったとする〜」式の仮定の議論だが,
推論は成り立つよ.当たり前だけれど.
「実在」の概念や事象であろうとなかろうと,関係ありません.
というか,単なる論理の連なりなのだから,実在か否かで
区別するのはおかしいと思うのですが.

だから,言語を使用した議論ならば,仮定であろうとそうでなかろうと
あてはまって当然で,通常もクソもないと思うのだけれど.
(なんか,ソレ専門の人が見たら怒られそうないい加減な書き方だけれど,許してちょ)

詳しくは近いうちにレスします.まだ全部読んでないので.


あと,関係ないけど,
マサカドさんの元ネタって『数学嫌いな人のための数学』じゃないよね?(笑)
840右や左の名無し様:02/06/19 17:06 ID:o7SbdLn6
文学板にも松原スレ立てたのでよろしく。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1024457338/l50
841現実:02/06/23 23:58 ID:FJZ2q+S1
>>834
>仮定抜きでは成り立たない推論を完全帰納法の例として持ち出すのは、
>ちょっと不適当な気がする。

>>839でもちょっと書きましたが,例が仮定か否かは論理・推論の正しさには
関係がないと思いますが.個々の命題をA1,A2,A3,A4,A5,A6…Anとし,
そこから導き出される結論をCとすると.帰納法(推論)とは,要するに

[1]
推論式 A1,A2,A3,A4,A5,A6…An→C
論理式 (A1∧A2∧A3∧A4∧A5∧A6…∧An)⊃C
つまり「A1かつA2かつA3かつA4かつA5かつA6…かつAnならばC」

…という推論のことで,加えて完全帰納法は,[1]と同時に

[2]
C⊃(A1∧A2∧A3∧A4∧A5∧A6…∧An)
つまり「CならばA1かつA2かつA3かつA4かつA5かつA6…かつAn」

が成り立つ(まてよ,「逆」ではなくて
 「対偶」¬C⊃¬(A1∧A2∧A3∧A4∧A5∧A6…∧An) か?)が,
不完全帰納法にはこれが成り立たない,というだけの話で,式を満たす命題が
仮定の話か否かは関係がないでしょう.論理的な命題は,
言葉の定義という条件のみを前提として,主張の真偽をチェックできるようなものに
他ならない(野矢茂樹『論理学』p6).
842現実:02/06/23 23:59 ID:FJZ2q+S1
論理でチェックできるのは「『命題の連なり』が論理的であるかどうか」
ということだけで,純論理的に言えば,その命題や連なりが「常識的」であるかどうか,
とか「正しい前提であるかどうか」などは,チェックできないのでは.

1女性には出産能力がない.
2「現実」は女性である.
3それゆえ「現実」には現実には出産能力がない.

この推論において,1・2は「誤った前提」です(女性には出産能力があるし,
俺は男だ)が,推論自体は論理的に正しい.

もともとこの議論の発端になったのは,俺の>>653
>「彼等の前提に反する事実が存在する以上,
>彼等は間違った帰納推理を行っている」と主張しているのです.
だと思いますが,もう少し正確に書けば,
「彼らの前提に反する事実が存在する以上,彼らは間違っている.
誤った前提から帰納推理を行っているから,間違った帰結を導いている」と.


>完全帰納法というのは、現在では一般的に数学的帰納法のことを
>さすそうですが、数学的帰納法は、実は演繹的推理の一種であるという説もあり
>概念の規定が混乱気味

そういう雑学はどっから拾ってきたんでしょうか.
どういう文脈でそういう発言がなされていたのか分からないと,「〜という説もあり」
と言われても返答に困ります.何を指して言っているのかよく分からない.
ネタ元を挙げて下さい.

>ヒュームの批判以降、帰納推論をどのように科学的な
>因果追求の中に位置づけるか、という問題をめぐっていくつかの立場があります。

数理系の学問は,学説の歴史的な歩みを挙げても,
資するところは少ないんじゃないかと思わないでもないです.
843現実:02/06/24 00:00 ID:U1mQtiG2
>前段は完全帰納法による推論の例ですが、後段は不完全帰納法による推論の例。
>それに、歴史的事実の確定とは、ごく詰まらぬ事についても、驚くほど困難な物
>であるという、常識的な見地からしても、「カラスは黒い」と判定するのと
>ある「歴史的事実」の確定と、どちらが困難かはいうまでもないでしょう。

大上段の一般論を敷衍してはなりません.
1徳川家康は存在しなかった
2歴代徳川将軍は家康の子孫である
3もし家康が存在しないならば徳川幕府は存在しない
この論法に「論理的な」誤りはないはずです.しかし3の結論が歴史に照らして
誤りであることは,小学生でも分かるでしょう.1が間違いであることは疑い得ません.
もっとも,タイムマシンもない以上,現実に見ていない徳川家康という人物が
存在したのかは,厳密に考えれば断定できないはずですが,資料や史書の存在から,
家康の存在を疑うことはほぼできません.そして,「ほぼできない」ことをもって
「歴史的事実」としているのです.家康の存在を否定するのは簡単です.
家康の存在を否定する,「信憑性の高い」資料なり史書なりといった,「白いカラス」を
持ち出せばいいのです.反証の作法は論理的に,カラスの例と同じなのです.

すなわち,伝統論者が伝統とみなす「伝統」についても,彼らの前提とする
「歴史的事実」について,その見識の狭さ,認識不足などを指摘すれば,
彼らの「伝統」が「誤り」であると指摘することができます.

>ここから、「何が正しいかは主観の問題である。」という命題を演繹できるなら
>a.とb.は両立する、という話にしかならないでしょう。

ちゃんとレスの流れを見ていますか.「何が正しいかは主観の問題である。」だからこそ
俺は,歴史的仮名遣い論者が,どういう定義で「正しい」を使っているか,執拗に聞いて
いたんですよ.
844現実:02/06/24 00:03 ID:ei9pYZxe
しかも貴方は俺の推論を難ずるわりには,
>b「歴史仮名遣いは正しい表記法とはいえない。」

>(正しい表記法は存在しない。)
をイコールで考えるという論理的な間違いを犯しています.
前者の主張は「正しい表記法は存在しない」という主張を必ずしも含みません.
前者の主張によれば,「歴史的仮名遣い以外の正しい表記法」が存在する可能性が
あるでしょう.A→B は必ずしもB→Aではありません.
要するに「逆は必ずしも真ならず」です.
ちなみに俺がしていた主張は「表記法は恣意的なものである以外ありえない。」
イコール「正しい表記法は存在しない」ということです.
帰納推理にツッコンでくるのに,どうして高校生レベルの論理的ミスを犯すのか
理解ができません.高校数学の証明や集合の部分をもう一度読んでみて下さい.
ストレートの投げ方をきちんと覚えていないのに,カーブばかり投げていると
ヒジを壊しますよ.

>つまらん結論だからどうでもいいですけど。

つまらん主張をせんで下さい.
845現実:02/06/24 00:05 ID:ei9pYZxe
>>837
>伝統の実在性が帰納法によって証明できるか、という話をしてるんだから
>伝統についての命題を例示しなきゃしょうがないっしょ。

「証明」できますよ.で?

>「儒教は朝鮮の伝統(的価値観)である。」
(略)
>どれでもいいし、全部についてならなおいいです。真偽を判定してみてくださいな。

妥当な定義を与えていれば論理的な真偽は判定可能だし,容易ですよ.
「儒教」「朝鮮」「伝統」を定義して下さい.論理的な真偽の判定に
5秒もかかりません.キムチだのチョゴリだのの例も同じです.


もう一度述べますが,
「伝統論者が提示している前提が歴史的事実に照らして妥当ではない,整合していない」
と言っているのです.

>>844
>ストレートの投げ方をきちんと覚えていないのに,
>カーブばかり投げているとヒジを壊しますよ.

まあ,人のことは言えませんが…
846マサカド:02/06/24 05:05 ID:Mnfoj5TZ
>>838
完全帰納法の解説については、以下のリンク先にほぼ依拠してます。
ttp://www.yokkaichi-u.ac.jp/~ushijima/pc_info/thema/hyperdic/data/0000-1770.html
>>841
なるほど、それなりに明快に違いが把握できそうですね。

>>844
細かいとこにまで、突っ込みがはいりますねw ただ並べて書いてみただけで
「」内と()内は等しいなんて、一言もかいてないですよ。「」と()の関係に
ついても何も定義してないし、この表記からだけでは、私が「」内と()内を
等しいと考えているという結論はだせないはずだろうと私は思ったが、現実さんは
そうは思わなかったらしい。表記法の恣意性なるものが露わになりましたね。
誤解を与える表現であることは確かだから()内以下は切り捨ててもいいです。
揚げ足取りじみた突っ込みはこれで終わりにしときますわ。
847マサカド:02/06/24 05:06 ID:Mnfoj5TZ
>>845

定義の循環による無限後退か・・?(しかし「妥当な定義」って誰が妥当かを
判断するんだろ・・) だが現実さんは>>653

>マサカドさんの「定義できないからといって存在しないわけではない」
>という主張それ自体は正しいかもしれません

と言明してるんですよ。現実さんは「かもしれない。」と書いているが
「定義できないから存在しないわけではない。」これの真偽の判定を要求
したら解答いただけるのかな?

もし、「正しい」と判定してもらえるなら、「妥当な定義」が与えられなくても
存在の判定はできないわけじゃないですよね。したがって、「妥当な定義」を
与えなくても「儒教」「朝鮮」「キムチ」「アイヌ」「沖縄」「伝統」は存在するか
否か、判定することはできないわけじゃないですね。

じゃ、以上にあげた諸要素についての存在の判定をおながいします。
848マサカド:02/06/24 05:07 ID:Mnfoj5TZ
>>839
えー、仮説たてた事それ自体が問題といってるわけじゃないので誤解なきよう。
私も子安氏の「本居宣長」の読解にあたって、色々仮説をたてて解釈をおこない
ましたから。

>>832
>ちなみに『本居宣長』は,テクスト論をはじめとする現代思想の知識が
>ある程度ないと,理解するのは厳しいんじゃないかと思う.

まず、現代批評理論を援用して分析した結論が、「宣長の言説は自己言及的
自己栄光的である。」これに尽きるって事なら、わざわざ現代思想の
用語を用いて分析する必然性はないです。現代のテクスト理論などまるで
知らなかった上田秋成の宣長に対する論難の内容も、ほぼこの結論と同様と
いっていいでしょう。

とりあえずここでは、岩波新書の「宣長」について、現代批評理論を宣長の
テキストに対して適用した実践の一例として読解します。
849マサカド:02/06/24 05:08 ID:Mnfoj5TZ
とりあえずは、『漢字三音考』を巡る子安氏の分析を取り上げましょう。
(三音考読まずに、ほんとにこんな事かいていいんか?、という疑念は消えないが
ま、いっか、2chだし。)子安氏は、宣長の古事記読解における基礎的作業である
『漢字三音考』のテキストに、漢字文化の導入過程に対する宣長の認識の転倒を
みいだします。

>皇国は万国にすぐれた国であるゆえ、この国の音声言語は正しいのだと
>宣長はいうのである。 (岩波新書「本居宣長」p.62)

この認識が転倒しており、自己正当化的な同義反復であると子安はいいます。
漢字到来後の、古代日本の音声と漢字音の間の相互作用をまるで考慮にいれない
非常識な論であると。ひとまずは同意しますが、宣長がこの謬れる前提から
いかなる謬れる結論をひきだしたか、すなわち漢字三音考の内容と、この謬れる
前提との間の具体的な関係はどうなのか、何も示されてないんですよ。
一例でも具体的な分析が示されていれば、認識の転倒を指摘する試みも、読者に
とって意味をもったと思いますが、これじゃ、一読者として、子安氏が宣長の認識の
転倒を闡明したと判定することは、とてもできないですね。(以下来週)
850現実:02/06/26 00:39 ID:???
では,続きをマサカドさんが書き終わったら
具体的なレスをつけることにしましょう.

あ,あらかじめ明言しますが,
どういう流れに転んだとしても,俺のレスはこのスレでおしまいにします.
1000止まり.もしパート2が立っても関知しません.

キリがなさそうだから(笑)
851マサカド:02/07/02 12:18 ID:TedBINCj
返事が遅れてスマソです。
>>832
ラスボスというのは、ドレミねたで一文奏したいという誘惑に抗し得ず
どれみ → 魔女 → 呪文 → RPG → Last Boss という
連想経路によって、>>816>>817に繋がりをつけるために持ち出した
単語です。気にしないでください。

吉本隆明の宣長評価を以下に抜粋します。
(現代企画社 小林秀雄を<読む> 中の 『本居宣長』を読む、より引用)

>「宣長の『古事記』理解とそこからみちびいた「漢意」を排する論や
>怪し気な「まことの道」論の方は駄目だが『源氏』の核心に物語
>「物のあはれ」説を抽き出した文芸批評家宣長の方はほとんど無条件に
>素晴らしいのだ、といいかったのではないのか。

私からみると、子安氏の分析は、現代批評理論の応用例としては水準のものではあるが

「宣長の再生とは、近代における「日本とは」「日本人とは」と求めるような
自己言及的な言説の再生なのである。」(岩波新書「本居宣長」p.4)

かかる自己言及的な言説を紡ぎ出すものとしての宣長に対してのみ着目し
文芸批評家、物語の理論家としての宣長を閑却することで、かえって
「本居宣長はたえず再生する。」(同書p.1)その理由をとらえそこなっていると
しか思えない。この点に関する限り、吉本隆明の解釈のほうが優れていると
判定したわけです。宣長が、仮に単なる皇国主義のイデオローグでしかなかったら
日本の言説空間の中でたえず再生しつづけることはできなかったでしょう。
852マサカド:02/07/02 12:19 ID:TedBINCj
天地創造の神話については、物語の構造分析の方法が使用されているみたいだし
篤胤国学の分析については、無学なのでほとんど理解できなかったので
この程度では、子安の分析に対する内在的批判とはまだいえんでしょうが。

>>832
>「宣長問題」「宣長的言説」への鎖国の影響が重要なファクターであるとする
>主張の根拠は何ですか?

外国の学者が目の前にいれば、皇国がどうこうとはなかなかいえないだろう
という単なる常識に基づいた主張です。

ちくま学芸文庫の「宣長問題」とは何か、も手に入れたので、関連する事項を
整理しておきます。

「宣長問題」とは、加藤周一氏が「ハイデガー問題」との関連の中で
「ハイデガー問題」をモデルにして提出された問題であるということです。
「そのナチズム支持が『存在と時間』のハイデッガと、どう関係していたのか
 という問いは、まさに『馭戎慨言』が『古事記伝』の宣長と、どう関係して
 いたのか、という問いに似ている」(「宣長問題」とは何か p.21)

いわば、ハイデガー問題からアナロジーによって立てられた問題なのですが
宣長とハイデガーでは生きた時代が全く異なるし、こういう超歴史的な問題
設定が許されるなら、私としては、ポパーが「開かれた社会とその敵」で
提出した「プラトン問題」との類似性に着目するほうが、有効だろうと
おもうんですよ、私はね。
853マサカド
>しかし,著者は,鎖国無き現代においても本居宣長的な言説が徘徊している
>と述べているわけで・・

「宣長的言説」とは何か、についてある程度定式化しておいてほうがいいでしょう
から、本居宣長的言説の本質と私が考えるところのものを、呵刈葭から抜粋して
以下に現代語に訳して定式化しておきます。

「皇国は日の神である天照大御神のうまれた本国であるから、世界でもっとも
 優れている。ゆえに世界の国々はすべて我が国に朝貢すべきである。」
 
手始めに、森前首相の「日本は天皇中心の神の国」発言が、宣長的言説とみなしうる
かについて、考察してみます。前首相の発言と上記の定式化された言説を比較すると
森発言は「日本は神の国」としかいっておらず、「神の国であるがゆえに尊い」とは
いっとらんし、「国民によく承知していただく」という一節も宣長の説く神道の本質の
説明 「神道は異国の道と違って、教えというものがない。」に照らし合わせると
およそ非神道的な非宣長的な発言としか思えない。現代の国粋主義的団体のHPを
いくつかみてみたが、上記の定式を綱領として正式採用している団体はみたことが
ない。あらゆる電波がとびかう2chでも、上記の定式と意味が一致する言説は
めったに採取できんでしょう。したがって、「宣長的言説」とは、上記に定式化された
ものであるという仮説を採る限り、現代日本において「宣長的言説」は流通していない
と結論します。上記定式に類似した言説がまともに流通していたのは、私の知る限り
アクタ共和国ぐらいですよ。