★★パネルディスカッション「どうなる?21世紀の日本」★★

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1田原一郎
♪(テーマ音楽)えー司会の田原一郎です。

激動しそして混迷する今日の日本社会、その行方はいかに?
積極的な討論を通じて皆さんとともに考えていきたいと思います。

今回、パネラーとしてお招きする皆さんは、

瀬戸弘幸さん   阪京さん
かいとさん    miyadaisinnjyaさん
kureさん     なにがし某さん
三郎さん     タコツボさん
イワンさん    反右翼さん

そして指定ゲストとして狂五郎さん(参加歓迎)。

以上の11名の皆さんです。どうかよろしくお願いします。

それ以外の方々、「名無しさん」は今回は当スレッドに
書き込むことは出来ません。感想や意見、横槍、煽りなどは
別スレッドを立ち上げてください。
  
当スレッドを立ち上げるにいたる経緯については下記を参照ください。
http://www.2ch.net/test/read.cgi?bbs=sisou&key=951566279

当スレッドは罵倒や吊るし上げを目的としたものではありません。
積極的で誠実な討論を通じてこの日本の行方を考えていきたいと思います。

まずは第一回目の試みです。それでは開始します。♪(テーマ音楽終わり)
2田原一郎:2000/02/27(日) 01:04
それでは、まずは瀬戸さんの提起から始めていきたいと思います。

瀬戸さん

「この時代をいかに生き、未来に繋げるのか、これが時間と場所を
共有する同時代に生きる我々の共通なるテーマでありながら、
その捉え方や克服についてなどは、共通の方途などありえないのも
又厳然たる事実であろう。

だからこそ、このようなパネルディスカッションスレッドは必要でしょう。
議論を深めながら少しでも互いに理解し合う事が大切なのではないでしょうか。

勝者と敗者を生じさせた第二次世界大戦から、既に半世紀以上が過ぎ
21世紀が目前に迫った今日、世界は冷戦時代の東西対立から南北対立
へと座標軸を移行させつつある。
イデオロギーによって抑えられてきた民族主義は各地で火を吹き、
新たなる熱戦の時代を到来させてきた。

あくまでも武力を背景としたイデオロギー抜きの経済戦争も激しさを
増してきている。

ヨーロッパでは極右政党が力を増しつつある。
ロシアでは共産主義が未だに力を持ち、復活の機会を窺っている。
支那は新覇権主義として周辺諸国に脅威を与えている。

21世紀に我々民族は武力で敗れた敗者復活を経済力と技術力で
果せるのであろうか?

日本の敗者復活はなるのか、それを阻むものは何か?」

3名無しさん:2000/02/27(日) 01:16
一人でやってろ!
4イワン:2000/02/27(日) 01:24
お、始まった。じゃあ、でしゃばりながら書き込みさしてもらいましょうか。

まずもって質問なんですが、海外での状況は別にして、
この日本における危機とはいったいどんなものなんでしょうか?
不況下とはいえこれほど国力を誇る我が国において今現在進行している危機とは、
いったい何なんでしょうね?それをまず提示して欲しいです。

というのも、偏見かもしれないけど、コギャルがだらしないとか
少年犯罪がうんぬんだとか、そういった問題がなにかしら日本の危機として
民主主義の限界や左翼の責任という課題にすり返られてるようなきがするんです。
どうでしょうか?
5名無しさん:2000/02/27(日) 01:30
>支那は新覇権主義として周辺諸国に脅威を与えている。

なんだそこまで田原総一郎の真似をしなくてもいいんだよ。
シナという中国の嫌がる言葉を使うのは、言論人としてみっともないぞ。
司会者、そういうことからあんたが右翼だと言うことはバレバレだ。
6田原一郎:2000/02/27(日) 01:32
>5
えー、これは瀬戸さんの文章をコピペしたもので、私の文章じゃないですよ。
そんで、名無しさんは書込み禁止です。
7阪京:2000/02/27(日) 01:33
今、この国を覆っている暗雲を鑑みると、21世紀を迎えるにあたっての
我々の課題は、以下に集約されると思います。
 @経済復興
 A教育の再興
 B憲法をどうするか
もちろん、Bからは、皇室、自衛隊、権利と義務の関係、教育などのさ
まざまな分野についての問題が派生してくることとは思いますが、まず、
これらを区切って−いや、もちろん他の方からの提案があってもいいん
ですけど−順番に振ってもらえますか。田原さんから。
8反右翼と間違えられている名無しさん:2000/02/27(日) 01:48
>えー、これは瀬戸さんの文章をコピペしたもので、私の文章じゃないですよ。

コピペするたって不適切な言葉は改めるのが常識じゃないか。
9田原一郎:2000/02/27(日) 01:52
えー、経済の問題は後で触れるとして、

ひとつの集約的な決戦場となるのが憲法ですね。
擁護論、否定論とそれぞれあると思うのですが、
具体的に何がまずくて、何がいいのか?
まずそれを提示してもらった上で、
そこらへんから具体的な問題に入っていきたいと思います。
皆さんいかがですか?
10名無しさん:2000/02/27(日) 01:56
イワンさんてあのイワンさんですか?
狂五郎さんとは仲は良いはずですよね?
呼んで来てくださいよ。面白いから。
11田原一郎:2000/02/27(日) 01:59
>8
別にテレビのように放送コードがあるわけじゃないですから、
それも含めて「思想的表現」と「ここでは」みなします。
(「シナ」ひとつとってもそれすら議論の題材になるのですから)

以降、名無しさんでの書き込みは一切無視ですよ。
12イワン:2000/02/27(日) 02:06
>10 決まりに従って無視(別人だ)。

>9
いいところから来ますね。正直言って、改憲の必要性ってのが
あまり実感できないのです。もちろん逐文的な擁護派ではないですが
恐らく改憲によって経済が持ち直すことも、青年が立ち直ることも
ないようなきがするんですけど、問題は第7条がありますね。
改憲派の方は、どういう状況を踏まえてそれを求めるのか、
提示してもらえたら嬉しいです。
13阪京:2000/02/27(日) 02:26
現憲法の問題点は二つ。現状に合わなくなっていること、及び、占領下
で恫喝的に押しつけられた国際法違反の所産であることだと思うんです
が、いかがでしょうか?
二度と再び立ち上がれず米国の脅威にならないために作られた憲法をや
れ平和憲法だ、世界に稀にみるすばらしいものだという手合いを見ると
米人のそで引きしていたパンパンと同じ手合いだと思ってしまうのです
が、敗戦国の悲哀、ここに極まれりと感じてしまいます。
14阪京:2000/02/27(日) 02:29
単にあげ。sageがデフォルトになってるので。
15田原一郎:2000/02/27(日) 02:30
ちょっと説明しますと、まずは対立点を明確にした上で、各論に入ろうと思うのです。

阪京さん、「現状に合わなくなっている」とは例えばどういったところですか?
16阪京:2000/02/27(日) 02:39
一例を挙げると、現憲法では国家の支配下にない教育施設への支援を禁止
していますが、実際には多額の私学援助を行っています。
また、端的に言ってしまえば湾岸戦争時の実力行使を拒否したことも
同盟国としての米国の信頼を損なうものとなっています。もちろん、米国
の押しつけた現憲法ですが、言を左右に振り、金だけですませたとして
アメさんの失望をおおいに買ったことでしょう。
17イワン:2000/02/27(日) 02:47
>16
恫喝的に、ということは例えば吉田元首相の手記にもそれを裏付ける記述
がありますが、しかし逆にいえば、当時、そしてまたアメリカの庇護下にある現在、
「自主憲法」制定の流れというのは可能だった、もしくは現に可能なんでしょうか?

むしろ現在の流れとしては「アメリカの圧力のもとに」
第七条を筆頭とする条項の改憲が求められている、ということなのでは
ないでしょうか?それが日本の将来にとって良いことだとは思えないのです。
18阪京:2000/02/27(日) 03:03
>恫喝的に、ということは例えば吉田元首相の手記にもそれを裏付けると
>記述がありますが
これを受け入れなければ、天皇のクビをちょんぎるとしたそうです。降伏の
条件は国体護持だそうですから、これではまるっきりの詐欺ですね。
現憲法の改正手続きというのは、なかば不可能なプロセスを想定されて
いますから、これはむしろ、改正となったときに世情を憂うるべきだと
考えています。
あの・・、ところで第7条ってなんでしたっけ? 不勉強ですみません。
19三郎:2000/02/27(日) 03:05
「歴史の終わり」というところに行ったら、ご指名があるとのことで、
ただいま、参上しました。とにかく、冷静な議論をしたいと思います。
勝った負けたでなくね。
 「憲法」ということですが、むかしは「改憲」か「護憲」かの議論が
ありました。最近は、「創憲」(旧社会党の末期に登場か)とか、
「論憲」(これ民主党、とくに鳩山さんがいっているのでしょうか)
とかが、出てきました。ややこしいですね。
でも、「論憲」と「創憲」は、右よりの立場でない「改憲」で、
おそるおそる世の中の反応を見ながら出しているのですね。
 月並みになりますが、世界は大きく変わりました。
日本も変わらなければなりません。「改憲」というよりも、
まったく別の憲法をつくる必要があると思います。
しかし、今は、時期が悪いですね。
まず、不況でしょう。好況になって国民が未来志向、
前向きになってからのほうが、いいでしょう。
それから、中国と北朝鮮の独裁が崩壊して、極東の緊張が
緩和してからのほうが、進歩的な憲法ができるのではないでしょうか。
だから、わたしは現時点では、「論憲」でいかざるをえません。
この立場で議論したいと思います。
20阪京:2000/02/27(日) 03:05
同じくあげ。
21イワン:2000/02/27(日) 03:12
>18
あれ?戦力不保持って第七条じゃ(なかったらバカだな)なかったですか。

三郎さんに似てるんですけど、現在、例えば戦力不保持の条項などを
変える、ということは、そのままアメリカの極東戦略に乗る、
つまりアメリカの国益に従って今後も日本は不利益を被る、
ということになってしまうと思うのです。

22傍観者:2000/02/27(日) 03:15
戦力不保持は第9条です。
23阪京:2000/02/27(日) 03:19
第9条です。ひょっとしてそうかなとも思いましたが、ま、それは置い
ておきます。
>そのままアメリカの極東戦略に乗る、
>つまりアメリカの国益に従って今後も日本は不利益を被る
それは古典的な左翼の主張ですね。すべて、はずれました。
24イワン:2000/02/27(日) 03:19
>22
ああ、そうだ、何ボケてんだろう。そう、第九条のことです。
深夜だから、許してくださいませ。陳謝。
25イワン:2000/02/27(日) 03:28
何と勘違いしてたのかな、まあとにかく、恥かきついでに、
現状での改憲論にはアメリカの圧力が大きいと思うのですが、
どうなのでしょう?卑劣な話かもしれませんが、
対北朝鮮、対中国戦略の矢面(もう立っていると言えばそれまでですけど)
に日本が立つリスクはかなり大きいと思うのです。
26阪京:2000/02/27(日) 03:34
>25
>対北朝鮮、対中国戦略の矢面(もう立っていると言えばそれまでです
>けど)に日本が立つリスクはかなり大きいと思うのです。
もう少し具体的に言ってもらえませんか? 私だけでなく、傍観者の皆さん
にも理解不能だと思いますので。
27視聴者からのFAX:2000/02/27(日) 03:37
ちょっと抽象的に過ぎてつまらないかな。
どうやら論点は、

1)アメリカからの押し付け憲法は破棄すべき
これは、とりあえずおいといた方が良いでしょう。感情論的だし。

2)護憲か改憲か(あるいは創憲か)
おそらく、現在の憲法が未来永劫変えるべきでない絶対に正しいものと考えている論者はここにはいないでしょう。
とすると、論点は改憲するならどのようなものにすべきか、ということになると思います。
そうした方向性で議論しては?

たとえば、
九条を改憲するのであればどのようなものとすべきか、
あるいは改憲に必要な条件・状況はどのようなものか、
あるいは改憲する必要がないとすればどのような理由によるものか、
など、具体的なほうが面白いと思う。
28阪京:2000/02/27(日) 03:40
あの。ところで、司会者は寝てしまったのでしょうか?
29イワン:2000/02/27(日) 03:54
>26
対北朝鮮、対中国に関して、我が国は戦後ずっとアメリカの傘の下にいました。
保守派的な言い方をすれば、アメリカに「守られてきた」わけです。
こういう側面は一方で現実的な問題としては当っていたように思います。

しかしながら、現在の改憲への圧力は(私の感想に過ぎないですけど)
まさしく当のアメリカが言うように、アメリカの「提供」してきた
軍事力を日本が「肩代わり」(変な言い方ですが)するべくを
目指しているものと思われます。しかしながら緊張の高まる一方の
対北朝鮮、対中国関係の渦中にあって、日本が軍事的に登場することになれば、
なおのこと緊張を高めるだろうと思うということです。

米中、米北朝鮮関係次第、といえばそれまでですが、
緩和を待ちたい、というのが正直なところなのです。


30田原一郎:2000/02/27(日) 03:59
眠いながら、まだ起きてますよ。
それでは、もう少し議論を進めて、日本−アメリカの関係をどう見るか、
というのがひとつの焦点だと思いますが、
伝統左翼はアメリカからの自立、ということを言ってきたと思うのですが、
そこらへん、どうでしょう?これは軍事ばかりでなく経済的な問題も含めて?
31名無しさん:2000/02/27(日) 07:45
しかし憲法9条と7条を間違えるなんて情けないよ。
それでよく立候補するよな。
32瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 10:05
皆さんへ、初めまして先ず私の立場から明確にさせていただきます。
私は極右の活動家です。極右と右翼の違いを何点か申し上げておきます。
伝統的右翼は大アジア主義を標榜していますが、私は大アジア主義を否定しないまでも
懐疑的に見ています。
先の大戦を日本側の視点だけから見るのではなく、連合国対枢軸国の闘いと見ています。
よってドイツにおける歴史修正主義者の闘いを支援しています。

経済政策では国家社会主義を唱えておりますが、これはナチスと言う意味でなく
戦前における日本の国家社会党の歴史と闘いを学び、その正当なる継承者として
、戦後における異端の右翼、即ち極右を名乗る者です。
33瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 10:21
>視聴者からさんのファクス
>2)護憲か改憲か(あるいは創憲か)
>おそらく、現在の憲法が未来永劫変えるべきでない絶対に正しいものと考えている論者はここにはいないでしょう。
>とすると、論点は改憲するならどのようなものにすべきか、ということになると思います。
>そうした方向性で議論しては?

護憲、改憲、創憲などありますが、現在の憲法が果たして正当性を持つものなのか?
その事から入るべきでしょう。我が国が敗戦、占領下のもとで米国より
押し付けられたという主張は説得力を持つものです。

戦後半世紀以上が過ぎ、その事実はかなり風化して来ているとはいえ、
そこから議論を始めれば、正当憲法復元、すなわち現憲法を破棄するというのも
現実的ではないにしても、選択肢の一つである事は間違いありません。

34瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 10:42
>イワンさんへ
日本が直面する危機構造の一つに緊迫する東アジアの情勢があります。
日本単独で北朝鮮や共産中国に対抗することができない以上、日本は
米国との共同戦線しかありえません。
私はかって「日米友好時代は終わった」の自著で、戦後の日米の従属
関係を批判しましたが、現在率直に反米路線の誤りを認め、新しい
日米共同覇権の確立の必要性を主張しております。

>阪京さんへ
これからの日米関係はどうあったら良いと思われますか?

>三郎さんへ
極東の緊張緩和はただ時間の過ぎるのをじっと待つべきだとお考えですか?
何か日本がやる事があるとしたら、何でしょうか。
35田原一郎:2000/02/27(日) 14:35
(今日はちょっとしっかりやろう)

そうすると、瀬戸さんは日米共同論をとるわけですね?
しかしながらアメリカは日本の国家社会主義を許容するものなのでしょうか?

三郎さんとイワンさんも日米共同論に近いと思いますが、
自立的な路線は目指さないということでいいのですか?それとも?
36田原一郎:2000/02/27(日) 14:39
つまり、どうもあるべき日米関係が見えない。

戦後憲法というのは、阪京さんがおっしゃる通りなら、
アメリカ従属化の賜物でしょう。そして、
あるべき今後の憲法にはこれからの日米関係が大きく影を落とすことになるでしょう。
それはどういったものが予想されますか?皆さん?
37阪京:2000/02/27(日) 14:40
>これからの日米関係はどうあったら良いと思われますか?
数値目標設定以来、最近の米国の傍若無人ぶりには顔をしかめております。
クリントンは、米国の世界戦略の一環として対日・対独政策を経済戦争と
位置づけ、CIAの諜報活動を日本やドイツの電話、E-mailなどあらゆる
種類の通信傍受へ振り向け、米国企業へ情報を流すという日本の何枚も
上手を行く、まさに官民一体の体制を取ってわが世の春を教授しております。
しかし、これも彼我の軍事的関係によるものが暗い影を落としているもの
と考えられます。こちらが攻撃されたら助けて下さい、ただしそちらが
攻撃されても知りませんでは、対等なグローバルパートナーシップなど
築きようがありません。金だけでなく人を出すこと、そのために憲法改正
が必要なことは言うまでもないでしょう。PKFの凍結解除然り。
より対等な軍事同盟が必要だというのが私の主張です。
38イワン:2000/02/27(日) 15:56
>阪京さん
パックス・アメリカーナは今後も続くと思われますし、
現在の世界情勢下にあって、対等なグローバルパートナーシップなど、
恐らく幻想に過ぎないのでは、というのが私の考えです。

もっと違った形の日米関係、いまそれを明確に言い表すことは出来ませんが、
根本的に西側の軍事戦略(といってもだから日本は社会主義をすぐ目指せ、ということでは
ないですが)の一環に日本がある、という状況が変更されない限り、
対等な日米関係は望むべくもないでしょう。
ですから、現在の改憲の流れが、対等な日米関係につながっていくものだとは、
どうしても思われないのです。
39瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 15:58
>田原さんへ
日米による共同覇権の構築は民主党政権では望むべくもありませんが、
共和党が政権を奪取すれば可能性は大きくなるでしょう。

共産中国の抬頭は米国を苛立たせており、共和党のシルクタンクは日米に
よるアジアの平和と安定を、米国の世界戦略の柱として位置づけています。

民主党政権とユダヤ勢力はオーストリアの極右政権に対する対応をみても、
絶対に私とは相容れないものを持っており拒絶するでしょうが、共和党の
右派は必ずしもそうとは言い切れないと思いますよ。
40瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 16:18
>阪京さんへ
確かに米国はその世界戦略の中で対日経済戦争とまでに評される
一貫した米国の国益を優先させる政策を取りつづけて来ました。

敗戦国のドイツと日本が経済的に成功した背景には、米国の生産工場
としての役割を担わされてきたという現実がありました。
しかし、日独ははっきりと敗者復活の狼煙を上げるところまで来ました。

これに一番慌てたのが戦勝国であり、彼等と国際ユダヤはゴルバチョフを
動かし、冷戦の崩壊すなわち東西の軍備拡張競争から逃れたのです。

つまりは日独の経済的な成功が冷戦崩壊の原因でした。

米国は当面の敵(旧ソ連)から、今度は日独へと目を向け、ドイツ統合で
体力を弱らせ、日本に対しては経済の自由化要求で揺さぶりをかけ、
次第に冷戦崩壊後の世界を自らの一極支配にもってきました。

米国の世界戦略がこの10年確かに大成功を納めています。
しかし、そのほころびも見えて来ました。
それが、共産中国の抬頭、統合ヨーロッパの誕生、安定しないロシア
そしてイスラム世界の抬頭です。
米国がこれらの世界情勢に単独で対処する事は不可能です。
パートナーシップを求めている事は間違いありません。
41阪京:2000/02/27(日) 16:31
>イワンさん
>現在の改憲の流れが、対等な日米関係につながっていくものだとは、
>どうしても思われないのです。
私も「より対等」と比較級で書いたわけですが、現在この国を覆う閉塞
感を打破するには戦後タブーであった憲法改正を避けるわけにはいかな
いと思います。
>瀬戸さん
>米国がこれらの世界情勢に単独で対処する事は不可能です。
>パートナーシップを求めている事は間違いありません。
そこに日本がつけ込む隙もあるわけですね。どうも現今の日本政府
には国際戦略という視座が欠けているような気がして、なりません。
42瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 16:32
>イワンさんへ
阪京さんへのレスでしょうが、横レスさせてください。

>パックス・アメリカーナは今後も続くと思われますし、
>現在の世界情勢下にあって、対等なグローバルパートナーシップなど、
>恐らく幻想に過ぎないのでは、というのが私の考えです。

「パックス・アメリカーナ」(アメリカの支配による世界平和)
から「パックス・ニポニカ」(日本の支配による世界平和)
に置き換えることはできなくても、米国単独のヘゲモニー(覇権)の
代わりに日米による共同覇権に代えさせることは可能と考えます。

43瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 16:47
ここで日米共同覇権主義に対する日本国内の予想される反発と
その勢力についても言及しておきたいと思います。

これまでのような単純な反米志向は、その裏返しとして親中国を
唱える安易なアジア主義に向かう可能性を否定できません。
つまりは伝統的な日本の右翼と保守勢力、そして左翼が反米・親中国
で結びつく事になるかも知れませんね。

自民党の加藤紘一氏のような親中国派は右翼と反体制左翼による
「日中を軸としたアジアの新体制構築」で動き出していると私は
見ているのです。
44阪京:2000/02/27(日) 17:16
>瀬戸さん
>自民党の加藤紘一氏のような親中国派は右翼と反体制左翼による
>「日中を軸としたアジアの新体制構築」で動き出していると私は
>見ているのです。
確かにそういう勢力は存在するでしょうが、残念ながら中国は信頼に足る
国ではないということは指摘できると思います。中国に進出した日系企業
も這々の体で撤退したところが大半でしょう。平気で約束を反故にする
相手とではビジネスは成立しませんし、ましてや経済を越えた政治面での
パートナーシップなど望むべくもありません。日米同盟が不可欠である
所以です。
45瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 18:32
>阪京さんへ
>確かにそういう勢力は存在するでしょうが、残念ながら中国は信頼に足る
>国ではないということは指摘できると思います。中国に進出した日系企業
>も這々の体で撤退したところが大半でしょう。平気で約束を反故にする
>相手とではビジネスは成立しませんし、ましてや経済を越えた政治面での
>パートナーシップなど望むべくもありません。日米同盟が不可欠である
>所以です。

まったくおっしゃる通りです。
自民党、民主党、公明党などには明らかに親中国派が存在します。
彼等は中国共産党指導部と密接な関係を築いてきた。

既成政党と左翼勢力が「大アジア主義」の幻想に惑わされ、日中共同戦線
に繋がる路線に大きく舵を取り出すならば、我々はこの動きに抗して
行かなくてはならないでしょう。
46三郎:2000/02/27(日) 20:48
 アジアのガン、近未来アジアの脅威は、中国です。
 いま東アジアの課題は、共産中国、中華帝国の解体だと思います。
共産党独裁、人権弾圧、民族弾圧、宗教弾圧などの現状に、日本では主要政党も、
マスメディアも、まったく無関心です。わたし自身は、日本は「人権外交」を対外政策の原則にし、
もっと中国に強い態度で対応すべきだと思っているのですが、
それが困難だとしたら、せめていまの中国の体制を支えるような援助はやめるべきです。
 北朝鮮についても、同様です。韓国主導の統一、北朝鮮の民衆の解放のために、
韓国と積極的に協力すべきです。

たしかに、過去の経緯というものがありますが、中国の民衆、北朝鮮
の民衆の側に立つならば、凶悪な独裁政権の打倒の第一の受益者は
彼らであるはずです。ただし、「解体」後は、日本はかっての
アメリカの「マーシャル・プラン」のようなものを実施し、
北シナ、南シナ、満州(?)、新彊、チベットなど、分裂後の旧中国、
そして統一韓国北部、統一モンゴルなどへの全面的支援を
やらねばなりません。もし、「東アジア共同体」なるものが
可能になるならば、その際の日本の貢献度いかんでしょう。
47瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 21:19
>三郎さんへ
自国を守る以上の軍備を持ちそれを拡大させ、周辺諸国に脅威を与える。
それが覇権主義であり、共産中国がまさにその路線を歩んでいます。

共産党指導部は我が国の戦争コンプレックスを巧みに刺激して、左翼や反日
マスコミを操り、日本を恫喝し援助を引き出そうとしています。

さて、このような共産中国に対する闘いをどう進めるかですが、
これまで私が主張してきたように、日本の政治権力の中枢に「日中」
を軸とするアジアの平和と安定を目指す勢力が存在する事です。
彼等は非常に大きな力を保持しています、彼等が今後の日本を
誤った方向に導く可能性を声を大にして叫ばなければなりません。
48かいと:2000/02/27(日) 22:18
参入します。よろしくお願いしますね。遅レスになると思いますが…。

とりあえず反対意見、ということではなくて質問なのですが、

>瀬戸さん

「覇権」という言葉に少し引っかかりを感じるのですが、
これは我が国が経済的に、と同時に軍事的にもアジアの盟主として
米国同様に各地の紛争(あるいは内政的諸問題?)解決に乗り出す、
というようなことを意味しているのでしょうか?

>阪京さん

> 現在この国を覆う閉塞感を打破するには
ですが、イワンさんと同様に少し私も懐疑的です。何しろ戦後の憲法は
解釈に解釈を重ねてほぼ実体と違う運用をしてきたわけですし、
「実体に応じて」選びなおしていくことには賛成ですが、それ自体で
現在の我が国の「危機」を解消するものにはならないと思うのです。
もう少し意図がおあり(例えば左派の根拠になっているといった)
のような気がするんですけど、もう少し説明して下さったら幸いです。
49瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 22:38
>かいとさんへ
私が主張している「日米共同覇権構想」は経済的なものだけでなく、
軍事的な面をも含むものです。
しかし、これは全世界を視野に入れてというものではありません。
あくまでも東アジアというように限定した地域におけるものです。

我が国は戦争の敗北から東アジアにおける政治的な感心を捨てた。
これは敗戦による教訓とも呼ぶべきもので<政治的な感心>が
やがて<政治的な関与>に繋がってしまうと恐れた。

しかし、この日本の恐れに付け入るように<政治的な関与>を強め
始めたのが共産中国である。

もし、この共産中国の強大な核戦力を背景にした、このような支配を
目指す新覇権主義を放置するなら、日本は将来中国に従属させられて
しまうでしょう。

それに対抗する唯一の国家戦略が「日米共同覇権」であると考えます。
50瀬戸弘幸:2000/02/27(日) 22:52
資料の転載です
昨年の11月であったが、中国の政策理論誌『戦略と管理』に、
「中国の安全と権益を守る制海権を確保するため、琉球諸島周辺の海域、
対馬海峡などを戦時に支配できる能力の整備が必要だ」、
とする論文が掲載された。

 論文の執筆者は、中国の艦船指揮官の養成機関・
『海軍指揮官学院』のスタッフ、劉一健氏であった。むろん
「公式論文」ではないが、中国は『日米新指針関連法』による
日米安保強化が「中国包囲網形成」であるとして、
警戒感をつのらせている。海洋権益重視の姿勢とともに、
中国の海洋戦略を巡る軍内部の議論の方向性がここに明示されている。

 同論文によると、「21世紀半ばまでに先進的な大国入りを目指す中国の
国家目標に沿い、海軍の活動範囲も従来の大陸周辺海域から太平洋へと
拡張し、米、日などの海軍力に拮抗できる勢力となることが大国としての
権益擁護に不可欠である」としている。

 特に、中国の近海と太平洋を隔てる各海峡の戦略的重要性を強調し、
琉球諸島周辺海域などについて、「出動した中国海軍や中国に侵攻する
敵国が必ず通過するポイントであり、戦時に海を支配すれば、
行動の自由と敵軍阻止の主導権を確保できる」と指摘している。

 さらに、マラッカ海峡など南中国海に通じる各海峡に関しても、
石油資源などの海上輸送ルートとしての重要性から、「有事の支配能力を
備える必要がある」と言う。


51阪京:2000/02/27(日) 22:54
>かいとさん
>それ自体で在の我が国の「危機」を解消するものにはならないと思うの
>です。
ほんの数年前までは論憲すらタブーという風潮が戦後この国を覆って
きました。憲法改正にはもちろん9条をも含みます。憲法改正は本来
独立国の持つ当然の権利を回復することでもあると思うのです。現在の
日本に必要なのは自信と誇りを回復することだと思います。
自衛隊に明確な地位を与えることも必要でしょう。日陰者的に扱われて
崇高な使命が果たせるとはとても考えられません。
52かいと:2000/02/27(日) 23:03
>瀬戸さん

中国の覇権に抗する、ということは大切なことです。
しかしながら、それに替えて(?)日本が軍事的にもアジア運営に乗り出す、
という点については、アジア諸国の反応はどういったものになるのでしょうか?
これは、かっての戦争の影が云々、といったことではなくて、
欧米からの自立意識を(経済的にも)高めつつあるアジア諸国の現在にあって、
アメリカと手を携えての日本の登場には反発は必死のような気がするのです。
といっても、アジア情勢には疎いですので、そこらへんどうお考えか
聞かせていただけませんか?


53かいと:2000/02/27(日) 23:25
>阪京さんへ

現在の日本の危機は、自信と誇りの問題か?ということなのです。

同様の敗戦国ドイツでは戦後4、5回、憲法を改正してきましたが、
(といってドイツがいいということではないですが)日本ではそれに
触れることはタブー、という奇妙な意識が確かにありました。
大っぴらに論じることができるというのは悪いことではありませんね。

しかしながらここで触れておきたいのは、解釈拡大の連続を続けてきたこの国で、
憲法がたとえどのように変わろうとも、やはり同じではないか?
ということをふと考えるのです。もっと言えば、「憲法なんてまあ、
当面のところどうでもいいよ」という声こそが多数なのではないですか?
そういう現状についてはどうなのでしょうか?
54三郎:2000/02/27(日) 23:57
>瀬戸さんへ
 社会党は、ソ連、中国、北朝鮮に対して、
自由や人権という普遍的な価値原理を省みることなく、
妥協的どころか、迎合的な態度をとってきました。
社会主義イデオロギーや贖罪意識、
そして国民のあいだにもある程度存在する反米主義が作用して、
その犯罪的な迎合性が
何となくまかり通ってしまいました。

 自民党の中国に対する姿勢の危険性についてのご指摘は
傾聴に値すると思います。これは本格的には田中角栄以来
だとい思いますが、田中訪中の際、何か密約のようなものが
あったのでしょうか。

 なお、中国(わたしは、シナのほうが正確だと思います。
満州や内モンゴルやチベットなどはシナでありません)に
つけ込まれる余地を与えないためにも、
「謝罪」すべきは、「謝罪」すべきだと思います。

 一部保守派の諸君の「南京大虐殺はなかった」の主張は、日本の国益に反します。
徹底的に「謝罪」し、事実に即した「大虐殺」そのたの真相究明を行うべきです。
しかし、同時に、「中国」国内の人権弾圧、残虐行為を徹底的に批判し、
経済制裁をふくめた断固たる措置をとるべきです。

 日本国の文字通りの「国益」をかかげるのでなく、普遍的な「自由」や
「人権」などの原理をかかげて、「中国」を批判し、中国国内の「民主化運動」
と諸民族の「独立運動」を間接的に支援すべきだと思います。
 重要な局面が来たときに、国際世論を味方につけねばなりません。
55阪京:2000/02/28(月) 00:08
>かいとさん
世界第一の債権国が長期の不況で世界第一の債務国が経済絶好調という
のは、明らかに自信喪失による悪循環のネガティブフィードバックループ
の陥穽に落ちてしまったものと考えます。
この平成の大不況は、個人消費の低迷が第一の原因といわれていますか
ら、財布の紐と同時に自らの首も絞めてしまっているわけです。
将来に希望が見えないと消費の回復も難しいでしょうから、なにかの
トリガーが必要と考えるわけです。
解釈改憲で済ませる便法はもはや限界に来ているのではないですか?
各種世論調査でも改憲派が護憲派をずっと上回って来ています。
改憲は新時代の到来を感じさせますから、民心の一新にもつながると
考えるのですが。
56瀬戸弘幸:2000/02/28(月) 06:34
>かいとさんへ
日本が戦前のようにアジア諸国へ軍隊を派遣する事は現実的には無理でしょう。
しかし、だからといって紛争が起きたときに傍観していていいかという事になります。
日本は核兵器こそ持たないまでも、通常兵器では米国に次ぐ近代的な装備を兼ね備えています。

現在東アジアの危機は台湾問題でしょう。
共産中国の言っていることは時代錯誤もいいとこで危険です。
武力解放を口にする共産党指導部を牽制する意味からも、
海上自衛隊の周辺海域への派遣、及び日米共同訓練は実施すべきでしょう。

米国、日本、台湾、韓国によるTMD戦略構想を急ぐべきです。

かってのような大陸深く侵攻するような、愚かな戦争行為を再び繰り返す
ことがあってはならないでしょう。
東南アジア諸国への自衛隊の派遣は、国連、多国籍軍などに参加する程度に
とどめ、けっして日本単独で行動する事のないようにすべきです。
57タコツボ:2000/02/28(月) 06:43
参加させていただけるそうなので、とり急ぎ、挨拶のみさせていただきます。このパネルディスカッションの試みは、とても面白く、有意義だと思う。残念なことに私は今週、ネット参加できる時間が乏しいので、来週までこのスレッドが続いていることを個人的には期待する。私の知識は偏っているので、他の方の議論を咀嚼するのに手間かかると思う。質問ばかりになるかもですが、そのあたりご寛恕ください。以上、とり急ぎの挨拶でした。
「憲法」constitutionて、骨子、本質、生まれつき、素質、根本立法、という意味なんですね。(今調べて、知りました)私は論憲の立場です。
ところで日本人はほんとうに憲法と憲法から導かれる法律によって「守られて」いるかどうか、という点に、私は疑問です。9条以外にも、憲法違反の慣行が多いと私は聞きます。9条問題は、他の内政問題から目を背けさせるものとして今まで機能してきたようにも思う。
景気回復には、日本国家(行政)への安心感が必要だと思う。(続く)
58タコツボ:2000/02/28(月) 06:45
(続き)
1;どうやったら国の借金を返済できるか、それが選挙の政治争点となるか
2;転職の自由を、社会(行政)がどの程度支援・保障できるか。現在、転職すると発生するさまざまな不安…たとえば年金への不安(転職すると、現状では年金が不利になる)、家のローンへの不安(転職・失業のため住宅ローンが払えず自己破産する)、これらをいかに解消するか。
3;法による公正さ(機会の対等)を骨抜きにしている「天下り」制度を廃止できるか否か、それが選挙の争点になりうるか否か。日本はある意味法治国家ではないと思う。強いものが弱いものを「虐め」る(行政指導など)ことで成立していると思う。本来物事をスムースに行なうルールとしての「法律」は原則的に機能してなかったから(最近はマシになった)、機能させるための人間的つながりとしての「天下り」を、日本は今まで常態としていた。
4;成人し「責任ある大人」になることに見合うメリットを、社会は人間に与え得るか否か。メリットがなければ、人は日本が破産するまでパラサイトシングルと引きこもりを続け、社会責任を放棄し無軌道化するのが当然だと思う。

日本のGDPは500兆円、日本の借金は600兆円だと聞く。金がなくて物が売れないならインフレ政策しかない、と、一般に考えられている。だが
それは金融官僚の手抜きを国民が承諾することになる。望ましくない。
現在、日本の国民の貯蓄額は、1年で100兆円増えている。この貯蓄に回っているぶんが市場に流通すれば、10%の経済成長が起きる。将来に不安があり、日本の行政が信用できないから、人は貯蓄している。不安を解消する環境整備することが、政治の役割だと私は思う。
先に挙げた4つの課題は、政治的に解決されるべき事柄が解決されずにいることで経済に悪影響与えているのだと私は思う。今や公共事業政策を望む国民は少数派になっていると私は思う。いまだに公共事業投資政策がなされている現状が異常だと私は思う。(続く)
59タコツボ:2000/02/28(月) 06:46
(続き)その意味で、五つめの課題は重要だと思う。

5;自分の未来(政治・政策・政策の変更)を、自分の手で選択できる、という感覚を、(国民が)実感できるかどうか。

自分の(政治的・環境的)未来を自分で決定できることへの信頼を、「自信」と呼ぶと、私は思う。
日本はまだ政策が選挙の争点になったことはない。自分の未来を自分で選択したことがないのなら、「自信」がなくて当然だと思う。
60かいと:2000/02/28(月) 06:49
>阪京さんへ

> 将来に希望が見えないと消費の回復も難しいでしょうから、なにかの
> トリガーが必要と考えるわけです。

一時的なカンフル剤にはなるとしても、抜本的には難しいのではないですか?
例えば北朝鮮がそうであるように、国家的自信と経済的実体とは必ずしも
一致しませんし、威信の先行は問題の外部持ち出しにしかならない場合もあります。
とりわけ現代では綿密に連関しつつも経済は国権とは異なる
領域で動きますから、条件によっては国家の威信が逆の目に出ることもあります。

かって80年代に日本学が盛んとなり、日本はまさしく新たな盟主として
世界に飛躍するかのように喧伝された時代がありましたが、
それは空前の好景気がその後押しをしていたわけです。現状、希望のなさや
自信の喪失はやはり経済的な問題が先行するものと考えるべきでしょう。

> 解釈改憲で済ませる便法はもはや限界に来ているのではないですか?

もちろんそうだとは思いますし、上述の通り「選びなおし」は必要なことだと思います。
が、先に触れたかったのは、解釈改憲を続けてきたのは憲法自体の責任というよりも、
この国の「ありかた」みたいなものなのだったと思うのです。ご承知の通り、
日本側起草委員会を飛び越して、法学者を含まないGHQ小委員会より提示された
現憲法は現行各法との間に恐るべき齟齬があります。憲法のみが「浮いている」
のであって、その適用よりは過去判例に従うという、いわば「精神的な指針みたいなもの」
として扱われてきました。そしてそれを許容する法意識が底に横たわっていたわけです。
こうした状態が変わらない限り、ないし遵憲的な制度や意識を伴わない限り、
改憲だけではいかがなものか、というのが私の感想です。

勿論、そのために阪京さんは各地で議論を「巻き起こして」おられるのでしょうが、
「真に日本のものとなるような憲法」を作る機が熟しているか?或いは、
そうした状況を作っていくほうが先なのではないか?というのが私の問いなのですね。
61瀬戸弘幸:2000/02/28(月) 06:51
>三郎さんへ
日本の反体制左翼は旧ソ連の崩壊とマルクス社会主義の破綻を目の当たりにして
大きく路線を転換したと思います。
それは左翼イデオロギーによる社会変革を諦め、共産中国へ傾斜をを強め彼等の
日本バッシングに便乗する事によって、日本国家を貶め共産中国に従属するような
国家の位置づけをなしてきている事です。

日本政界における親中国派は、しだいに反米的な気運を醸成しながら
共産中国との連携に動き出す事でしょう。
もっとも、これは米国国内の政治動向に大きく作用されます。
民主党政権が再び続き、国際ユダヤ勢力が米国内の親中国派と結託して
「南京問題」や「戦後補償」で日本を攻め立ててくる事も考えられます。

その時の対抗戦略も当然想定しておく必要があるでしょう。
62かいと:2000/02/28(月) 06:54
今日は少し早起きしてみました。打っている間にタコツボさんの書き込みが。
(なんが流れ悪くてごめんなさい)瀬戸さん、タコツボさんへのレスはまた考えてみます。
(司会さんはまとめてくれるのかな?)今は、とりあえずもうひと眠り…。
63瀬戸弘幸:2000/02/28(月) 15:00
私はかって反米主義者であった。日本の政治思想上での反米論は2通りある。
一つは左翼の反米論。共産主義者は日米を離反させることが革命戦略の基本であった。
もう一つの反米論は国粋主義的なもので、これ即ち民族主義的な観点から、我が国の
独自性を強調する余り、戦後の対米従属からの脱却を主張するものであった。

先の左翼の反米論よりは心情的には多くの国民に受け入れやすいものが
あった。また事実80年代後半から90年代の始めにかけて、日本の経済
の好調時には、自身を持った経済人を中心におおいに反米的な気運が
盛り上がった時があった。

しかし、今日日本経済は失速したままで自身を失っている。
かって強引なまでの企業の米国進出には、同じ同胞として眉をひそめざる
得なかったのは遠い昔のようだ。

さて、国際社会の中で国家の運営をする以上、自国の置かれた状況を
充分に理解することこそ肝要ではないのか。

つまり、感情的な反米論をもう捨てることにしようというわけです。
確かに日本は米国との戦争に決起し破れた。無条件降伏で占領下で
憲法も押付けられた。

この様な事実からどうしても感情的には反米にならざる得なかった。
しかし、これを克服することが21世紀に向けた我が日本の国家戦略ではなかろうか。
64名無しさん:2000/02/28(月) 15:03

      ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< それはサイババの勝手なんですよ
 UU ̄ ̄ U U  \_____________
65瀬戸弘幸:2000/02/28(月) 15:34
>タコツボさんへ、留守になるとのことですが、問題提起に私なりの
考えを述べてみます。この問題については各人もそれぞれの意見を述べ
現在直面している経済の停滞から如何に脱出すべきかを考えて見たいと思います。


1 600兆円の借金とその返済について、また選挙の政治争点の問題について。

どうして、こうなってしまったのか為政者でさえも困惑しているのではないか。
バブル時代、日本の将来はばら色に見えた。誰が今日の状況を予想しえたであろうか?
未来の子供達に莫大な借金を負わせながら、未だに浮上のきっかけさえ掴めていない。
この対策を論じる前に何故こうなったかを検証すべきだろう。

バブルは急激なインフレであった。一般の日用品が高騰した訳ではなかったので、
その意識が薄かったが、株と土地は異常な値上がりを見せた。
このインフレは資産価格にだけ限定されたので、一般の人全てが金持ち
になったと錯覚してしまった。

日銀などの専門家はこれを押えにかかり、金利を異常なまでに引き上げ
資産の下落にこれ務めた。
投資した価格を大幅に下回ってしまった。これがきっかけで景気は急速に冷え込んだ。

さて、これらの点からしてこれは政策的な失敗であり、これを先ず
はっきりさせなければならない。

景気が回復しなければこの借金財政からは逃れることは出来ない。
調整インフレとか土地の流動性をはかるなどの策はあると思うが、
私は国家社会主義を信奉するものであるから、そのような政策には
必ずしも賛同は出来ないが、弱者に対する保護が完璧に成されるなら
それも一つの案ではなかろうか。

どの政党もこの問題にたいして有効なる対策と意見を述べていないのではないでしょうか。
66瀬戸弘幸:2000/02/28(月) 16:07
続きです。
2 年金、社会保険などはすべて一本化すべきです。
  その方が効率も良く、運営上のロスも少なくて済むはずです。
  余計な天下りなどの利権の構造もなくなるでしょう。
  住宅ローンなどにも職業上の差別があるのでしょうか?
  たぶん会社側の保証や金利負担のことと思いますが、
  これらの点についてはタコツボさんが参加する頃
  まだ投稿します。
  私も今夜は仕事があるので、又明日朝レスを入れたいと思います。
67田原一郎:2000/02/28(月) 16:11
ちょっと待って、瀬戸さん!

国内の親中派が・・・のくだりは、論の分かれるところでしょう。
ま、そこらへんもういちど国内の政治状況として取り上げるとして、
とりあえず、対外、対アジア的な問題をまとめてみると、

阪京さんは日米のグローバルパートナーシップを、
瀬戸さんはそれに加えて中国の脅威に対抗するものとしての日米共同覇権、
三郎さんは中国の脅威に対抗するとしても「人権外交」や経済的主眼のものを、
目指す、という立脚点からの改憲、または改憲賛成だったと思うのですが、

対して、イワンさん、かいとさん、タコツボさんからは(改憲論議に賛同しつつも)
まず日本独自の問題、内部的問題を見るべきだという提起だった思うんですが、
とりわけかいとさんからは憲法問題と現在の日本の経済的、内部的問題とは別、
という提起があったと思うんです。

まあ、こういう見取り図を頭の中に置きながら、先に予定していた通り、
経済問題に移っていきたいと思うんですが、
もう一度憲法にフィードバックさせつつ述べてもらってもいいですし、
まずはタコツボさんの提起を受けた瀬戸さんの議論ですが、
バブル破綻を政策的失敗と見なしつつ、調整インフレと土地流動化を
一つの具体的な案として提示しておられます。

皆さんいかがですか?
68田原一郎:2000/02/28(月) 16:16
少し聞いてみたいのですが、ではバブルそのものについては
どのような受け取りなのでしょう?批判的ですか?肯定的ですか?
それも含めて、その正体なんかも明かしつつ、お願いします。
69田原一郎:2000/02/28(月) 16:19
↑あ、これ書き方が悪いですね。すでに瀬戸さんがそうしたところに切り込むべき、
と述べてらっしゃいますので、それを受けて、皆さんお願いします。
70田原一郎:2000/02/28(月) 16:30
それから、パネラーに若頭さんとペドロニウスさんを加えてお招きします。
71イワン:2000/02/28(月) 23:41
>瀬戸さん
この対策を論じる前に何故こうなったかを検証すべきだろう。

もともとはバブル崩壊の引き金となった総量規制指示は、
アメリカの強い要望に従ったものだったと思うのですが、
日米関係、というよりアメリカ従属下の日本、という構造が
ここには大きく影を落としているよう思います。

IMF体制がアメリカを主軸として動き、
日本のような最大の債権国が、アメリカの好況に奉仕する一方という状況、
アメリカの都合のいいように経済政策の変更を迫られるという状況が、
今日の不況の遠因になっているのではないかと思うのです。


72三郎:2000/02/29(火) 00:05
>イワンさん
 アメリカが日本の不況の遠因だというご見解支持できかねます。
「遠因」ということでいえば、日本が産業構造の大転換をうまく
できずにいることが問題だと思います。
工業社会から、知識社会、情報化社会への移行というやつです。
 アメリカは世界の先頭になってこれをやっている。
これが好況の原因の一つです。小渕さんの今年の所信表明演説では、
これが出てこない。マスメディアもさっぱりです。筑紫哲也が
この間、金大中大統領にインタヴューしていましたが、
金大中は、情報化という人類史的な転換の重要性を力説するのですが、
筑紫哲也は黙殺。もっぱら、日韓の「歴史」問題に触れるだけ。
 トラボルタ主演の『ベスト・カップル』という映画をレンタル・ビデオ
で見ましたが、主人公のスタントン(実は、クリントン)が予備選挙で、
ポーツマスの民主党党員集会で演説するシーンがあります。
例の港町、軍港でしょうか。スタントンは「もう造船業の時代でないから、
みなさんは、大学や職業訓練所に行って、新しい勉強をして、もう一度
人生をやり直すべきです」というのです。
一瞬の沈黙の後、大きな拍手です。
まぁ、映画すすからね。
 しかし、民主党には、こういう時代転換に前向きなところがある。
ゴア副大統領はブレア以上に、情報革命に積極的です。
 政治リーダーの「リーダーシップ」が可能になるような政治体制が
必要ではないでしょうか。アメリカ型の大統領制も真剣に考えてみても
良いと思います。
73阪京:2000/02/29(火) 02:22
皆さん、こんばんわ。どうもサーバーの調子が悪かったようで、今日はアクセスが非常に遅くなってし
まいました。ちょっと心残りですが、議論も先に進んでいるようですし、先に私に振られた発言を取り
上げるのも場が白けてしまいますので、田原さんから振られたバブルの評価といったあたりから始めた
いと思います。
バブルの開始はアメリカの要請による金融緩和だったように思うのですが、総量規制は果たしてイワン
さんのおっしゃるアメリカの要請だったでのしょうか? かなり早い時期からそれを主張していたのは、
旧社会党などの左翼勢力だったような気がします。どうも嫌いなところの主張というのは印象に残って
いるものでございまして(ワラ。
ま、それはさておき、バブルというのは一種熱病のようなものでして、バスに乗り遅れるなとばかりに
マネーゲームが一般の主婦や学生にまで浸透してしまいました。その時代に今日の日本を覆う暗雲が、
一方ではかつ醸成されていたと考えるわけです。例えば、勤勉を美徳とする日本の美風はもののみごと
に吹っ飛んでしまいました
74阪京:2000/02/29(火) 02:23
(続き)
この時代には何をやってもうまくいくと経済界も増上慢になっていたようで、気分はもう日米経済戦争
などと通産官僚がはしゃいでいたことが今となっては懐かしく思い出されます。さて、先にかいとさん
からは、憲法改正による民心一新など一時のカンフル剤というお話が出ておりましたが、それも今のど
んぞこの状態だからそうおっしゃられるのでは?という気もします。北朝鮮を例に国家の威風と経済力
とは関係しないとも言われていたようですが、なにせあちらさんは空威張りをのけたら空腹でへたりこ
んでしまうという状態ですので(笑)、同様に比べるのはいかがなものとは思います。
第二の敗戦とも言われる今日だからこそ、Made in USAの憲法を地面に叩きつけることが、日本国民の
自信回復につながると考えるわけです。
それと最期に付記しておきますと、私はあちこちで反米意識を煽るような書き込みをしております。お
気づきの方もおられるかもしれません。ただし、これは反米のための反米でなく、親米のための反米で
あるということを強調しておきたいと思います。真の友人関係を築くには、愛想笑いとへつらいだけで
は不可能であるということを申し上げておきます。
75なにがし某:2000/02/29(火) 04:08
> Made in USAの憲法を地面に叩きつけることが、日本国民の 自信回復につながると考える

 バカヤロー!!!!!1111(大島渚調で)
 改憲は革命の後になってからだ!!!!1111
 プロレタリア政権下での改憲を!(C)小林直樹
 憲法改悪阻止!!!!1111
 レーニン『勤労被搾取人民の権利宣言』万歳!
 日共爆砕!!!!!111
76アオリ専門くん:2000/02/29(火) 07:58
上品な阪京なんてクリープのないコーヒーのようなものだ
もっと口汚く私を罵って!!
77かいと:2000/02/29(火) 08:18
>イワンさんへ

日米関係が大きく影を落としている、ということはそうだと思います。

が、そもそもかってのバブルが固定資産の代表のような「土地」を担保にするという
世界にあまり見られない我が国独特のありかただったというところに、
注意を払ってみることも必要だと思います。例えばある米国の経済シンクタンクは
現在のアメリカのバブルについて「完全な自立的信用形態の上にある」ということで
太鼓判を押します。(その言い方が正当であるかは今後次第で全く保証はないにせよ。)
しかしながら畸形的土地型バブルを展開した我が国では、結果的に土地の信用下落
という遺産を長く残して、(これもやや誤解の残る言い切りですが)10年経っても
なお払拭できないわけです。こうしたありかたがそもそもの問題だったのでしょう。

ところで経済復興策なのですが、ロンダリングによって運営していく
バブル的なあり方は、実際のところサービスや情報産業主流の現代先進国に
あっては恐らくもはや不可避な「常態的」なものでしょう。従って現段階でさえ
部分的には情報産業などを中心に「バブル」は発生していると言えます。

問題は畸形の土地型バブルを展開したその後始末であって、これは教科書的な
経済的方策では解決しようのないものです。土地流動化は現に実行に移されて
いますが、実勢価格的な地価の落ち着きを促すことはあっても、それ自体で
経済振興を促すことは不可能です。では施策は?というところで、続きは
また今夜にでも書きますね。

>阪京さん

自信を持つこと自体は構わないと思うんですが、それでお腹は膨れない…ですよ。
78瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 08:30
せっかく経済問題を提起して頂いたので、それから話を進めたいと思います。
しかし、本当に2ちゃんねるに集う人達は政治だけでなく経済もお詳しい。
政治と経済は不可分の筈なのに、憂国系の掲示版などでは経済問題を
まともに論じられる右翼活動家を見たことがない。
勉強不足と言ってしまえばそれまでだが、そういう意味では現状の右と
称される人達の層が余りにも薄いのは残念である。

さて、私は昨日バブルは急激な資産インフレであり、それを過度な対策を
講じて押えてしまったところに問題があると指摘しました。
簡単に言ってしまえば、目一杯膨らんだ風船にいきなり針で穴を開けたような
ものでした、これではパンクするのは当たり前ということです。

原因と政策の失敗がはっきりしていますから、今日の状況は資産デフレである
ことは論を待たないでしょう。誰しもガ財産の目減りには敏感です。

山一証券を倒産させてしまったことが、国民に大きな心理的な不安を
与えてしまいました。あの時点から急速に経済はおかしくなって来たと思います。

ゼロ金利の状態が据え置かれているわけですから、本当であれば個人資産は
有利な金融商品に向ってしかるべきなのに、郵便貯金やタンス預金されてしまう。
これはやはり山一証券の倒産などに見られた、金融投資商品の崩解です。

株価はかなり回復基調とはいえ、必ずしも安全とはいいがたい不安要因を抱え込んでいます。
この様な中で、ではどのような対策があるのかそれを考えて見ることにしたい。
79瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 09:41
>かいとさんへ
バブルと土地の関係、それへの対策を述べようとしたら、先を越されてしまいました。(^^)

銀行は争って不動産を担保に融資しました。これがこれから開発予定で換金されるものなら
いざ知らず、そこで長年商売を営むような商店にまで土地を担保に融資をしました。
本来土地はそれ自体ではお金を生み出さないのに、それを承知で貸したということは、
銀行が土地の値上がりを見越して貸したと言うことに他なりません。

まさにバブル時代、最大にして最強の投機家は銀行だったのです。
バブル崩壊(資産デフレ)で最も打撃を受けたのが銀行であった事実がそれを物語っています。

では、銀行はこの担保に取った不動産を現在どうしているのでしょうか。
すでに、貸付金は債券買い取り機構に移管して、多額の公的資金でこれを処理済みです。

しかし、一般不動産は競売で処理されても、商業地域やリゾート地などの
不動産融資はこげ付いたまま放置されています。

これを処理するには不動産の証券化とその販売市場の育成しかないでしょう。
いわゆる不動産の抵当証券と言うものです。
株式市場は外資系がすきあらばと狙っており、常にリスクがついて回ります。
銀行の不良債権を抵当証券として、それを郵便貯金の財政投融資などで
とりあえずは一旦買っておく。
特殊法人などが全国にホテルやレジャー施設を建設していますが、民間を
圧迫しています。
これらを止めさせ、このような不良債権を先ず処理させるべきです。
これは大手ゼネコン対策にも成ります。
更には償還期限が来ても返せないゴルフ会員権も同様です。
広大なゴルフ場を不動産証券として、会員に株券とこの抵当証券
を、預託金に変って引き取って頂くしか最早手はないのでは。
80三郎:2000/02/29(火) 21:20
>なにがし某さんへ
>改憲は革命の後になってからだ!!!!1111
>プロレタリア政権下での改憲を!(C)小林直樹
>憲法改悪阻止!!!!1111
>レーニン『勤労被搾取人民の権利宣言』万歳!
>日共爆砕!!!!!111
 大変失礼だが、すべてに反対です。
まずあなたが、お考えになるような「革命」には反対です。
それは強制収容所と諸民族の牢獄をつくるのみです。
 「プロレタリア政権」というようなものは、かってなかったし、
これからもあり得ません。実際には、少数のエリートたちの独裁
でしかありません。
 小林直樹というひとの、『憲法講義』という本、若い頃、立ち
読みしたことがありますが。何かドイツ流の国家法人説で、
少しも新鮮味がありませんでした。彼が「プロレタリア政権下での
改憲」などと言ったことがあるのですか。
 レーニンは、徹底的なマキャヴェリストです。『ナントカ宣言』も
ペテンです。こういうのに昔の左翼の連中はだまされた。強制収容所
も、赤色テロも、レーニンが始めたのですよ。
 日本共産党内部では、いま党名変更→党イデオロギーの再検討
の道が始まっています。最近の不破哲三のレーニン批判はその一部です。
幹部たちは、変更した場合の、下部の動揺を一番心配しているようです。
共産党の全面的な方向転換が、改憲問題を含めて、日本の今後を考える
上で大きなインパクトを与えるでしょう。いつ、どのように、がいま
問題だと思います。
 日本の憲法学者は全部駄目です。わずかに、政治学の松下圭一の
『市民自治の憲法論』岩波新書、がましな程度かな(このひとには、
理論と現実の取り違えがあるけど)。
81かいと:2000/02/29(火) 21:23
>瀬戸さん

不動産を抵当証券として、それを財政投融資により買い上げる、
という施策案は、実質上、土地証券市場化というよりは「徳政令」的な
ものとなるのだと思いますが、土地は国税収入にも直結する分野ですから、
(というより、それが現在の国債膨張の重要な一端です。)
抵当証券(市場)の実質的な凍結(法的抑制)を伴うべきだと思います。
(財政投融資による介入買い上げには少し?か、または長期化するにせよ
抑制的介入として段階的、プラン的に着実に進めるべきでしょう。)
大規模な公共援助にも関わらず、土地問題が解決しないように見えるのは、
当の債権保証者たる国家がさらに借財を重ねて穴埋めをしようとするという
自転車操業が背景に見え透いて不安感が払拭できないでいるからです。
目指すべきは一時的な不良債権払拭ではなくて、やや長期化するにせよ
その健全化を進めることです。
82かいと:2000/02/29(火) 21:23
ところで、少し前提的な話をしますが、我が国を含めた先進国では、
バブル的経済運営が常態的となる、ということを述べましたが、
今後、こうした経済の景気動向が、直接に国民生活の幸、不幸を
決定するものではなくなるという点に注目して欲しいと思います。
(もちろん循環的に関係は深いものですが。)

というのも、先進諸国では生産の第三国化と人件費の高騰によって、
国内の経済実体としては「構造不況」が常態となっています。
消費経済型となる経済体制にあっては、これはやむをえないことです。
従って空前の好況を誇る現在のアメリカでさえ、高失業率や
産業の構造的不況は抜本的に解消されてはいるわけではありません。

部分的に、ロンダリング的部分の好況が全体の消費喚起の牽引をなす
ことになるわけで、現在の「構造転換」とは、効率の良い資金集中と
人的流動化を目指すものなのでしょう。従って、三郎さんがおっしゃる
情報化社会への転換は、それ自体産業の流れとして正解だとは思いますが、
国民全体の幸福というには、さらに部分的好況を全体に還元する
公共的施策を考えていかなければならないと思います。

この点の関して、例えば「国家社会主義」の瀬戸さんは、国権による
還元策や公共策をお持ちだと思いますが、一つご提案下さると、
議論が進むかもしれませんね。
83三郎:2000/02/29(火) 21:42
 最近の経済問題の検討は重要だと思います。
しかし、それとともに、従来の「社会主義」をどう評価するのか。
「市場経済」をどう評価するのか。「自由放任」「規制緩和」
「民営化」などの新自由主義、サッチャリズムを肯定するのか、
否定するのか、という根本問題があると思います。
 わたしは、新自由主義と共産主義的社会主義は断固として
退ける必要があると思います。
 日本の政治家のなかには、自民党、自由党、
そして民主党にすら、新自由主義、サッチャリズムを評価する
人が多いのには驚嘆します。
 日本の新聞社、テレビ局は、一貫してサッチャー礼賛でした。
特派員が全部親サッチャーになったからです。
渡部昇一なんかが絶賛していましたが、
しかし、この女はイギリスを滅茶苦茶にしました。地域社会を荒廃させ、失業者を膨大にし、
二世代、三世代にわたって失業者が続く家族もあるとか。福祉削減とは
いっても、貧富の差の拡大と失業者の増大で、福祉支出は労働党政権
よりも増大してしまいました(生活は劣悪化しているのですが)。
 とにかく、政治のすべてが選挙目当ての機会主義者です。
いま日本に必要なのは、新自由主義(市場原理主義)と共産主義
(革命的社会主義)の両方を退けて、
市場経済と社会的改革とをバランスさせる、「第三の道」以外は
ないでしょう。


84瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 22:03
>かいとさんへ
土地の流動化は今日の不良債権を一掃し、金融機関の健全化を早める
ためには仕方のない窮余の策として提案しました。

本来我々の立場からすれば、土地を価値を生み出すものとして捉えることには
反対です。土地は本来公共的なものであり、それが生まれながらにして
持てる者と持たざる者に分けられ、不平等に土地から不労所得が得られる
事は好ましいものではありません。
しかしながら、今日の不況がそれを大きな元凶とするならば、その解決も
一つの方法であろうと考えるわけです。

富の集中は資本主義の高度化と発展によって益々顕著になってきました。
情報化社会の到来は一部の人達の情報独占を招き、その結果益々その人
達への富の集中が起きることも懸念されます。

恐慌とは乱暴な言い方をすれば、不公正な富の集中を暴力的な手段
によって公正化する市場の機能とも考えられます。

しかし、これを容認することは出来ないので、富の公平な分配を
考える経済システムを構築しなければなりません。

その時に考え付くのは政治の力です。
これを主張すると必ず反発があるかと思いますが、衆愚政治の限界と
賢者による独裁政治の利点についてです。

今般の石原都知事の新税構想は、赤字になったから増税、
取り易い所から有無を言わせずとる。独断専行的なやり方であっても
それが出来たのは、強力な指導力を持っていたからに相違ありません。

いくら素晴らしい「国家社会主義」的な経済政策も、それをやり抜く
強力な政治的基盤があって始めて可能になります。
85瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 22:26
>三郎さんへ
現在の資本主義経済体制にとって、「市場の声」こそは天の声となっています。
しかし、どうでしょうこの「市場の声」さえも操るほどの巨大な力が
働いていると感じられてなりません。

よく内閣が誕生すると、市場がそれをどう判断したかなどの新聞報道を
目にしますが、これではまるで市場が政権の命運を左右しているようにも
見えます。

余りにも市場の声に振り回され過ぎているのではないでしょうか。
「市場の声」を厳しく峻別することが、貴方のいわれる「第三の道」
になるのではないでしょうか。
86三郎:2000/02/29(火) 22:31
瀬戸さんへ
>衆愚政治の限界と
>賢者による独裁政治の利点についてです。
>今般の石原都知事の新税構想は----
 揚げ足を取るような言い方になって恐縮ですが、
石原都知事は賢者でしょうか。
人気取りのために共産党から政策を失敬した
だけでないでしょうか。
 石原の特別秘書は生長の家の人で、
この人物が霊友会をはじめ、宗教団体と
石原をつないでるだけでなく、政策面でも
石原を支えているのかもしれません。
そうすると浜渦秘書が賢者だということになります。
 石原にせよ浜渦にせよ、
あるいはレーニンにせよ、毛沢東にせよ、
かれらが本当に賢者であるかどうかは、分かりません。
いや、少なくとも、レーニン、毛沢東は、ほんとうは、賢者でなかった。
そして、ロシアやシナの人民を
悲劇に追い込んでしまった、ということです。
87瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 22:48
>三郎さんへ
政治家の中では中曽根先生についで石原先生を尊兄しています。
賢者かどうかとの質問ですが、私は賢者であると思っています。
強力な指導力とカリスマを供えた政治家はそうはおりません。
確かに、貴方が言われるような点もあるかもしれません。

偉大な指導者には光と影の部分があります。
私は光の部分をより多く見つめているのかも知れませんね。
88三郎:2000/02/29(火) 22:53
瀬戸さんへ 「第三の道」について

 まず、「市場経済」イコール「資本主義経済」ではないということを
確認する必要があります。たとえば、日本の農業は自営農民が担い手です。
市場に農協を通じて作物(商品)を出荷していますが、資本−賃労働関係
(資本主義的生産諸関係)からはずれています。
 資本主義経済は、労使関係の改革、企業の意思決定過程への利害関係者(ステークホルダー)の参加の制度の導入などによって、改革せねばなりません。
 「市場経済」については、それがもつ富を生産する
ダイナミックな力を利用せねばなりません。
 ただし、市場経済自体に価値があるわけではありません。
国家中心の指令経済、計画経済(それがかって「社会主義経済」と
いわれました)とくらべて、経済的なパワーがあるの「市場経済」を手段として
利用すればよいわけで、あくまで「公共の利益」が「市場経済」に優先します。
「市場経済」は認めるが、「市場社会」は否定するというのが、
ブレアやシュレーダーの原則的な立場です。

一方で「市場経済」の可能性を引き出し、そのために政府も支援し、
しかし、他方ではその行きすぎ、反公共的な逸脱に対しては、徹底的な
規制をおこない、また「市場経済」が供給できないようなサービスを
中央政府や地方政府が提供する----これが「第三の道」です。


89田原一郎:2000/02/29(火) 23:08
えー、議論は経済体制や公共政策のあり方に移ってきたようですが、

瀬戸さんはできればもう少し具体的に目指す体制の全体像を描いていただければ、
議論が進めやすいでしょうから、お願いします。
三郎さんは(西欧)社民的な公共性重視策ということでいいのでしょうか?
もう少しそこらへんお願いします。
90三郎:2000/02/29(火) 23:27
>瀬戸さんへ
 すべての人が賢者であり、愚者でもあると思います。
アホでもです。聖者でもです。
 賢者と思われている人も、ほんとうは、同時に愚者でもあるはずです。
「愚かな賢者」(本当は、「賢い愚者」か)が権力を独占する「独裁」政治、
少数の「愚かな賢者」(「賢い愚者」)が支配する「寡頭」政治、
これらよりも、わたしは「民主」政治のほうがベターだと思います。

国民(多数の「愚かな賢者」と「賢い愚者」)たちが、自分たちのなかから、
自分たちの代表を選ぶ――代表者のなかにも「愚かな賢者」と「賢い愚者」とが
いるでしょう。しかし、時とともに、国民は学習し、訓練され、
よりよい代表者(所詮「愚かな賢者」ないし「賢い愚者」ですが)を
選ぶように進歩することもあるでしょう。
 しかし、なにがよりよい代表者か、何をもって「賢い」といい、
何をもって「愚か」かについては、多様な規準があるはずです。
それは、国民自身が試行錯誤のなかで考えることでしょう。
政党や団体、そしてメディアはこの過程に介在し、介入してきます。
それは同時に、政治闘争の空間でもあると思うのです。
 わたしとしては、「国家社会主義」とか、「共産主義」とか、
「新自由主義」「新保守主義」などは、とても「賢い」とは思えません。
まぁ、この点についはさらに討論が必要でしょう。
 いずれにせよ、わたしは「民主主義」を擁護し、
さらに発展させるべきだと思うのです。

91瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 23:35
>田原さんへ、>三郎さんへ

私の目指す政治体制については国家主義です。国家全体主義でも構わないでしょう。
だから、先ほど賢者による独裁政治にも利点があると述べました。
しかし、これはあくまでも自分の理想とするものであって、自分が
独裁者を目指しているわけではありません。
私は単なる凡人に過ぎません。

さて、経済的には国家社会主義ですが、これは正直なところ漠然と
したものになってしまいます。
というのも、国家社会主義というのは日本においては、戦前、戦後を
通してその理解度は全く不遇そのものです。
つまり、まったく理解されてこなかったということです。
しかし、私は自分勝手な解釈として不遇は必ずしも価値には関係無いと考えるものです。

そもそも、経済とは国家国民の幸せのためにあるべきです。
一部の選ばれた者のためにあるのではありません。
国家社会主義は不遇な境遇にあっても、常に他に対して強力な反省と
示唆を与え続けるものだと考えます。
つまり、資本主義や市場経済の行き過ぎに対する最終的な歯止めが
国家社会主義です。

具体的な経済政策は後ほど明らかにしたいと思っています。

三郎さんは現在の日本農業が置かれている現状をお分かりでしょうか。
私は東北の片田舎の農家の出身で、毎週末は実家の農作業を手伝って
おります。今日はもう休みます、明日またお会いしましょう。
92瀬戸弘幸:2000/02/29(火) 23:47
>三郎さんへ
民主主義を軽視したりこれを否定はしません。
国家を運営する最良の手段として評価しています。
国家とは何かという定義も今後議論となるでしょう。

賢者のことですが、民主的手段によって選ばれた人を
私はそのように呼び評価します。
93三郎:2000/03/01(水) 00:27
 いま、田原さんが「公共性」についておしゃったんですが。
 日本では、1960年代後半から、そして特にバブル期から、
人と組織のなりふり構わない、私的エゴイズム、欲望自然主義が
強烈になってきました
 個人(子どもをふくめて)、企業などの私的エゴイズムの跳梁跋扈は、ほとんど限界にまで達していると思います。右であろうが、左であろうが、これをナントカしなければならない。これがいま、「公共性」が論じられなければならない理由です。
 右翼や保守の諸君は、ここで結局、国家や天皇にすがるしかない。
そうだからこそ、彼らは「歴史」見直しへいってしまう。
(個人のエゴイズムの上に「国家」を持ってきて、これを抑えるのですから、その「国家」は侵略国家だとまずい、素晴らしい「国家」だということにしておく必要があるのですね)。
 しかし、人びとからかけ離れたところにある「国家」的な「公共性」----小林よしのりや西尾幹二のアタマのなかにある「公共性」----を大義名分にして、
私権の横溢、利己的個人主義、企業エゴ、弱肉強食を抑え込むことができるでしょうか。できないと思います。
 これに対して新しい民衆的な「公共性」を考える必要があるのではないでしょうか。
例の住民投票はそのひとつのかたちだと思います。「公共性」は民衆、ピープルの「公共性」でなければならないと思います。これで民主主義とも整合性が出てきます。また、「規制」を断固として実施するときにも、大小の既得権を打破する際にも強い正当性が出てくると思うのです。
イギリス労働党は、「ピープルの党」といっています。この立場で、経済界とも労働組合とも一線を画して
大胆に政策を展開しています。


94三郎:2000/03/01(水) 00:39
瀬戸さんへ
「92」のご主旨、ある程度了解しました。

「国家」は大切です。個人も大切です。家族も大切です。
地域社会も、市民社会も大切です。
 このような観点から「国家」について考えたいと思います。
95阪京:2000/03/01(水) 02:35
ざっと目を通しましたが、なかなか皆さんの議論についていけませんので
簡潔に記します。いかなる経済体制を評価するかという点に関しては、比
較的三郎さんの意見に近いような気がします。私のは、第三の道というよ
りは、中庸型と言った方が適切なような気もしますが。正直言いまして米
国主導の規制緩和に期待を抱いた時期もありましたが、社会的背景の大幅
に異なる所謂弱肉強食型の市場主義は日本での早期導入は、一方でアジア
的伝統を半ば引きずった状態においては、アノミーを招来するのが落ちで
す。あまつさえ、失業者−ホームレスの急激な増加は、特に大阪では目に
余るものがあります。
かといって、瀬戸さんの主張される国家社会主義的な便法というのも、ど
うかと思われます。愚民に代わる強力な治者が(プロレタリアート独裁ある
いは民主集中制と言い換えてもいいかもしれません)がどういう末路を辿
ったかは瀬戸さんの方がよくご存じでしょう。社会主義、共産主義的な手
法を最初に棄却すべきなのは言うまでもありません。
>なにがし某さん
>バカヤロー!!!!!1111(大島渚調で)
>改憲は革命の後になってからだ!!!!1111
>プロレタリア政権下での改憲を!(C)小林直樹
>憲法改悪阻止!!!!1111
>レーニン『勤労被搾取人民の権利宣言』万歳!
>日共爆砕!!!!!111
久しぶりの直接対決ですね。けど、ここでやったら浮いてまっせ。
96瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 07:25
>三郎さんへ
私は国家主義者ですから、先ずは国家ありきです。
三郎さんはこの国家が公共性の名の下に自立した個人を
押さえつけるような社会を嫌っているように感じられます。
また、目覚めた民衆による一層の政治的参加が、成熟した民主主義
国家においては最善であるとの主張と感じました。

さて、昨夜も書きましたが国家とは何か?
その定義をまず持って明らかとなし、それから私の主張を展開したいと
思います。言葉はかなり違っても三郎さんと相通ずる所があると思います。

国家の定義は一言ではいえないが、簡単に要約すれば以下のようになるのでは。
人間は一人では生きられない、集団を形成するもので、集団は内部の平穏と
秩序を保つ必要性から、権力の発生を必然とし、それが歳月の経過とともに
歴史的な存在として共同体、即ち国家の誕生を見た。

その国家に生れた者は国家の一員となり、国民として生きることを
運命づけられる。
国家の基礎が堅固であり、国民の自覚が明確で、国家に対する忠誠が
強い国家ほど、国際社会の中で主要な地位を築くことが出来る。

また、これとは正反対に国家に対する忠誠が薄く、国家をないがしろ
にした時、すなわち国家意識が希薄になった時、国家は衰退しやがて
滅亡する。現在の日本がまさにその道をまっしぐらである。
97三郎:2000/03/01(水) 18:01
>瀬戸さんへ 新しい共和主義のために

「公園」とか、「公衆便所」という言葉がありますね。
この場合の「公」(public)は、「すべての人に開かれている」
という意味です。これが「公共性」の本来の意味だと思います。

英語のパブリックがこれです。語源はラテン語のプブリカだそうです。
古代ローマ共和国ではレス・プブリカ(公共の事柄)はレス・ポプリ(人民の
事柄)だと言われていました。つまり、「公共」イコール「人民」なのです。
(ちなみに『発言者』1997年3月号は、「公共性の在処」を特集し、
井尻千男や佐伯啓思などが書いていますが、彼らは「公共性」の本来の意味が「人民」
と不可分にかかわっていることに、口を閉ざしています。)

「公共」イコール「人民」の状態を政治的に現実化した国家が「共和国」です。
この「人民」−「公共性」−「共和国」の連関は、共和主義(republicanism)の思想です。
わたしは、理念的には国家についてこのような観点から考えたいと思います。
(つづく)
98三郎:2000/03/01(水) 18:05
>瀬戸さんへ 新しい共和主義のために(つづき)

古代ローマ以来、「共和国」(共和制)は、
君主制の絶対的否定を意味します。
君主の国家も、君主を象徴とする国家も、「共和国」とは言えません。
 しかし、21世紀を迎えつつある今日では、
人民も君主も現代的に解釈する必要があります。
君主はもちろん、少数のエリートに支配された国も「共和国」「共和制」と
認めたくありませんね。
 また人民もルソーが考えたような同質的な国民ではいけないでしょう。
民衆(人民)が政治の主人公だとしても、民衆は経済的、文化的、地域的、
あるいは民族的に多元的な利益と価値とに分かれています。
社会と人民の内部の多元性、対立闘争の必然性、したがって逆に「対話」の重要性などを旨とする「多元的共和主義」のようなものが必要ではないでしょうか。
民意の反映には、そうした多元性・闘争性を政治の表舞台に
オープンに表出することができるシステムが必要だと思います。

まぁ、理念としてですが、このような「国家」(政治的共同体)のイメージを
大切にしたいと思っています。マキャヴェッリは本当は共和主義者でした。
しかし、彼は『君主論』で、あるべき政治からでなく、「生き生きとした現実」から出発せよ、といっています。肝に銘じたいと思います。
 国家と権力と戦争について次の機会に書きます。
99瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 18:10
この社会の中で一人で生きている人は誰もいない。誰もが人の助けによって生活している。
浮浪者であっても残飯を捨てる人がいて始めて生きられる。
この当たり前の社会の鉄則を我々は忘れかけているのではないか。
現代の社会に欠けているものは「共同体意識」である。
民族としての一体性、この概念が希薄になりつつある。

なぜ、希薄になったかといえば、それは個人主義への偏重と地域社会の
崩壊と無縁ではなかろう。
自由や民主主義や個人的人権思想は、人類の普遍的価値として大切に
されてきたが、「共同体思想」はないがしろにされている。
自由といっても何でもが自由であるはずがなく、民主主義が平等と言っても
全てが平等の訳がない。自由と民主・平等は互いになかなか結びつかない。

しかし、これを結合するものこそ「共同体思想」である。
国家は我々にとって「運命共同体」である。そこに社会は存在する。
だからこそ社会には弱者をいたわり助け合いの精神が生まれる。
しかし、この「共同体思想」が今危機に瀕している。
100瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 18:58
続き
この「共同体思想」の対極にあるものとして、最近マスコミや評論家が
口にするのが市民主義や住民主権なる言葉だろう。
私はこれらは形を変えたマルキシズム(反国家思想)の一つであると考えます。
私は「共同体思想」イコール「国家主義」説を取る者です。

市民主義や住民主権とは国家をまず悪の装置と見ることから出発しています。
国家や共同体と敵対しそれを悪と見なし、自分達はその悪と戦う正義の
戦士のような感覚を持っているとしたらお笑いというしかない。

三郎さんのイメージする国家は私とはかなり隔たりがあるのでしょうか?
しかし、個人主義、利己主義を排すべきという考えは同じように思えます。

明日からの議論にしたいのですが、この「共同体思想」の根底には
日本精神と伝統・文化がなければなりません。
我々はこの点において、天皇の問題を避けることが出来ません。

皆さん達の考える将来の国家像に天皇の存在はどのように
位置づけておられるのか。
そもそも,このサイトに私がやって来たきっかけは、憂国系のサイトに
私が投稿した「日本国と天皇」の文が「名無しさん」で投稿されている
事を指摘されての事でした。

この問題はもっと後でも構わないと思います。
司会者の裁量にお任せしますが、議論が専門的になってきた感じがしますので
、何か話題を転換するのも一考かと存じます。
101三郎:2000/03/01(水) 20:00
>瀬戸さん
 そうですね、国家論の続きは、後ほどやりましょう。

 わたしは水曜の夜には、必ず家族と一緒に、
「ここがへんだよ、日本人」というテレビ番組を見ています。
今夜も、楽しみにしています。
どうも私には、なにか、この番組に出てくる「日本人」
(野放図で、自堕落で、とことん私的欲望のままに生きる人びと)よりも、
ゾマホンさんはじめ、外国人の出演者のほうに共感することが多く、
彼らの「日本人」批判がもっともらしく感じられることがよくあります。

 ところで「人様にだけは迷惑をかけるな」ということを言う親がいますね。昔から。
これが間違っていると思うのです。
 こういうのを「ネガティヴ・モラル」(消極的(否定的)道徳)と言う
そうです。外国にもあるのですね。
 他者に「迷惑」かけてはいけない、という道徳律は、これはこれでもっともなのですが、
これが日本の昔からの欲望自然主義と、市場経済が引き起こす利己的個人主義と
結合すると、「迷惑さえかけなかったら、何をしても良い」ということになってしまう。
少女売春もです。「自己決定」などというインテリが出てくる。
 いま、「モラル」や「義務」や「責任」を強調しなければならい時代に来ていると思います。
瀬戸さん、そして皆さんのご意見をお聞かせください。
102かいと:2000/03/01(水) 20:10
我が国の銀行護送船団方式が、戦時中の総動員体制に起源をもつ、
ということがしばしば指摘される通り、戦後我が国の経済体制は極めて
強固な国権による指導と保護の下に成長してきました。しかしながら、
現在立ち現れている消費型経済にあっては、国権の指導が、かえって
これを疎外するものとなってきている、というところに現在の経済状況の
要点があります。例えば土地や株介入の問題がそうであるように、国家の
介入がかえって不安の醸成につとめてしまうというのがそれですが、
産官癒着が厳しく指弾される現在の風潮はこうした国家と市場の軋轢を
前提に大きく読み取っていくべきものでしょう。大切なことは、我が国で
「市場」の相対的自立、即ち逐語的意味における「公共圏」の自立の
(三郎さんと違って、私はこうした近代論的定義を挙げてみたいと思います。)
可能性が見えてきているということでしょうね。

これまで、我が国における公共性の問題は、それを国権に回収するか、
或いはいまだない見果てぬ西欧モデルを説くかという二者択一だったわけですが、
国家から相対的に自立した公共圏の問題を具体的に扱うことの可能な状況が
はじめて立ち現れたわけで、三郎さんがおっしゃる人民共和制的な政治課題も
かなり現実的な射程に入ってきたと言えます。国家が全体でないとすれば
では、「何をなすものを国家と呼ぶか」ということで、国家論が現在に焦眉の
課題として呼び込まれているのでしょうね。
103瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 20:48
>阪京さんへ
>瀬戸さんの主張される国家社会主義的な便法というのも、ど うかと思われます。

国家社会主義イコール独裁政治ではありません。
戦前の日本の国家社会主義者もドイツのナチスも議会制民主主義を
否定していたわけではありません。挙国一致の戦時体制への移行によって
独裁体制、翼賛政治体制となったものです。

>愚民に代わる強力な治者が(プロレタリアート独裁ある
>いは民主集中制と言い換えてもいいかもしれません)がどういう末路を辿
>ったかは瀬戸さんの方がよくご存じでしょう。社会主義、共産主義的な手
>法を最初に棄却すべきなのは言うまでもありません。

対して左翼共産主義・社会主義はプロレタリア独裁を最初から打ち出し
議会制民主主義を否定していました。
現在も日本共産党と公明党はどのようなプロセスで党首が決定されるのか
判りづらいものがあります。

私が主張するところの賢者による独裁政治とは、あくまでも強力な指導力
を持った人が選挙で選ばれ、指導力を発揮すると言う意味です。

私の持論は民衆による政治には英雄が必要である、と言うことなのです。
民主主義とはただ政治をする人を選ぶという作業なのではなく、
民衆自らが英雄を作り出すことにあり、英雄のいない政治に満足する
事ではない。と思うのです。

英雄を育てない民衆政治ほどつまらないものはない。
憐れむべきであり、そこには魂が感じられない。
気迫も感じられなければ、本当に信頼することが出来ない。


104かいと:2000/03/01(水) 20:50


…と、ここまで書いている間に三郎さんの提起がありました。

市場経済が即、「利己的個人主義」を呼び込むものかどうかは、かなり
議論の分かれるところで、周知の通り近代的な公人(ブルジョアジー)
のモデルとは「勤勉な自立的個人」やら例のウエーバーの定義のものです。
(三郎さんは伝統的欲望自然主義との結合を挙げてらっしゃいますが)
また、単に市場経済なんじょではなく、現在の日本が高度の消費社会だという
ところに大きな要点があるように思います。

が、その問題に入る前に、もう少し我が国独自の問題として、選択消費率の
世代的な偏りといったものにも注意を払ってみて欲しいと思います

日本の消費経済のスタイルはかなり独特なもので、(規範にするわけ
ではありませんが、西欧先進諸国に比べて)選択消費率が異常に
若年層に偏っているという特徴があります。年代の若いほど可能支出に
占める選択消費の率が高く、高齢になるほどそれが低くなるというかたちです。
つまり実現した消費社会において、モデルスターとして例えば女子高生が
前面に踊り出たり、それがかなり「若うちだけ」といった刹那的なスタイルに
なったり、また老齢になるに従ってくすんだイメージで描きだされるのには、
多分にこうした構造を背景にした産業的な要請が抜き難くあります。

選択消費率を全年代にゆるやかなカーブを描くもの、できるならば
年とともにその率が向上するようなものとして配分することが可能ならば、
かなりの部分、「青年層の傍若無人さ」の抑制や「豊かな年の取り方」を
実現することは可能です。
105かいと:2000/03/01(水) 20:56
104の「…と、ここまで」は102の続きです。
(ごめんなさい、皆さんのレスが早くて話題に追いつけない。)


106田原一郎:2000/03/01(水) 21:33
えー、少し議論が錯綜してきた感じですが、
少し話題を三郎さんのおっしゃった「モラル」と「公共性」の方へ絞りたいと思います。

提出された議題は2つありますね。
一つは、「モラルの乱れは何が原因か?」
個人主義や利己主義に対しては皆さん一致して批判的なようですが、
じゃこれは何が問題?ちょっと錯綜しているようなので、勝手に見取り図作らしてもらいますが、
瀬戸さんは個人主義への偏重と地域社会の崩壊、
三郎さんは市場経済と昔からの日本の欲望自然主義の結合、
かいとさんは慎重に国家と市場(公共圏)を分離させた上で、
日本の消費社会の独自性みたいなものを挙げてらっしゃると思うんですが、
もう一度整理的に書いていただけるとわかりやすくていいと思います。

それからもう一つの点が、「じゃ、どうやって解決するのか?」ですが、
この国家論や公共論は後回し、ということなので、少し具体的な話題を振ってみましょう。

一番はじめに阪京さんからの提起にもあった課題なんですが、
そのモラルや公共性の問題に絡めて、「教育」の問題について、どう判断なされるか、
少し具体的に聞いてみたいと思います。ここでは現状でのモラルの乱れなんかの
具体的な例なんかも提示してもらいたいと思います。
皆さんいかがですか?
107瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 21:43
>三郎さん
そうですね、最近の若者はモラルがないとか言う人がいます。
しかし、これはいつの時代もその様な人はいるもので、今の時代だから
というものでもないでしょう。

ただ、昔は躾が厳しかったことだけは確かです。

>「モラル」や「義務」や「責任」を強調しなければならい時代に来ていると思います。

私はこれを英雄待望の時代と位置づけます。
いくらモラルや義務や責任を求めたところで、若者がそれに素直に従うとは思えない。
若者が求めてやまないのはそれらをすべて超越した英雄の存在ではないか。
日本の社会は真の変革を果たさなければいけない。
それは一人一人の力を一つにまとめることの出来る 「英雄」の存在をおいては
考えられないのです。
今日はこれで帰ります。又明日お会いしましょう。
108瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 21:59
田原さんからの問いかけがあったので、ではもう少し頑張ることにします。

よく犯罪は時代を反映するともいわれます。
神戸の「酒鬼薔薇聖斗」事件や京都の小学生殺害事件、新潟の少女
監禁事件、これらの犯人の心は彼らだけの者ではなく、現代を
生きる全ての人が迷い込むブラック・ホール。
心の“暗い闇”ではなかろうか?
真の友達もいない、そんな孤独な若者が増えているのではないのか。
この暗闇を照らすものこそ、社会における教育ではないか。
学校教育だけの問題ではなく、家庭そして地域社会の存在である。
地域共同体の崩解がこのような凶悪な犯罪の温床となりつつあるのではなかろうか?
109瀬戸弘幸:2000/03/01(水) 22:24
>皆さんはどう思われますか?
私の小学校5年生頃の体験です。私はこの頃より英雄伝が好きで
よく読んでおりました。
当時の学級委員長を選ぶのに、生徒全員が投票しました。
黒板に誰それが何票と書かれて選ばれました。
まさに多数決の原理で極めて民主的な方法でした。

私はこの時異議を申し立てた。先生が偉いのだから先生が指名
すればいいじゃないかと。
しかし、先生は民主主義とはこのようにやるものですと教えた。

何も知らないものが、単なる人気投票をして選ぶより、経験もあり
見識もある先生が指名した方がわかりやすいと私は子供心に
思ったものでした。

大阪府の横山ノック知事や青島都知事誕生の時、あの時代の人気投票が
、我々の学んだ民主主義であったと納得したものです。
民主主義は衆愚政治に陥りやすい。
学校では先生が非常に優れた人で、幼児期に民主主義とはしょせん
このようなものだと逆説的に教えようとしたのか(笑)
実際、小学生の人気投票と今日の自民党政治はまるっきり同じではないのか?
今日はこれで帰ります。
感想をお聞かせ下さい。明日を楽しみに帰宅します。
110かいと:2000/03/01(水) 22:26
整理を、ということなので、書きますが、上述は、国家と公共圏(市場)
の問題を分離してみないと、それが国権の抑制や歪みやまたはガタつきの
問題なのか、それとも公共圏(市場)に由来する問題なのかが見えてこない、
ということです。ないしは、分離(公共圏の自立)を前提にしなければ
「公共性」という概念枠自体が成り立たないのです。一般「モラル」と
「公共性」とは似ていますが実は違うものです。何故なら、一般モラルは
各共同体内部独自のしきたりや伝統習慣や信教の問題を含みますが、
公共性とはそれら異なる共同体間の「調整」の問題を課題とするからです。
(利益の反する各集団間を取りまとめるルールの問題ということです。)
その一例として各年代間の選択消費率の適正配置、という提起をしてみたわけです。

我が国では公共性の問題を長く伝統的習慣や共同体的規律の問題と同一視
してきたわけで、区別すること自体が想像するに困難な部分がありますが、
新しい状況はそれを要求しているのだろうと思います。

で、瀬戸さんのお話は各共同体内の道徳律や規範の問題ですね。
ここでは当然に消費社会化が各共同体を食い荒らしている、というお話が
出てきそうだと思うのですが、この続きはもう少し考えてみることにします。
教育に絡めて。(また明日です。)

111かいと:2000/03/01(水) 22:32
あ、投票の感想もですね。考えてみます。
112三郎:2000/03/01(水) 22:32
>かいとさん
あなたが、おっしゃるように、
確かに「高度消費社会」という問題があります。
これを抜かしていました。
それからそれは「豊かな社会」でもあります。
(現実には、少数派になったとはいえ貧困層が存在するんですが)

>瀬戸さん
>いくらモラルや義務や責任を求めたところで----
 その通りなのですが、ここでは「にもかかわらず」、
「しかし」ということをあえて述べてみます。
 阪神淡路大地震の際に、若者をふくめた多くのボランティアの人が
活躍しました。この年は「ボランティア元年」とも呼ばれました。
そういう近年のボランティア活動に新しいモラルの胎動を見出すことが
できるかも知れません。

この点に注目すると、最近の若者をふくめて、
現代人は単なる私的エゴイズムだけでもないと思うのです。
非常に微妙な、一見すると、たがいに対立するような
傾向が働いているとも見られます。
 「豊かさ」→飽食、欲望の解放
 「豊かさ」→「衣食足りて、礼節を知る」?

アメリカでは、60年代初め、ケネディが大統領就任演説で、
「国に何をしてもらうかではなく、国のために何ができるか、が問題だ」
と言い、多くのアメリカ国民の共感をえました。
(これは、共和主義的な「国家」観をベースにした議論ですが、
アメリカでは建国以来の共和主義がなお息づいていたのでしょう。
アレントの『革命について』(ちくま学芸文庫)は、共和主義がテーマです)

もちろん、共和主義だけの問題ではありません。
右翼のナショナリズムには、「国家」や「民族」があったはずです。
左翼には、「連帯」「労働者階級」「人類」があったはずです。
しかし、いつの間にか、知識人は、右の人も左の人も、
自信を持って「義務」「責任」「モラル」を
語ることをやめてしまったのではないでしょうか。

113瀬戸弘幸:2000/03/02(木) 16:30
>三郎さんへ
私は議会制民主主義や資本主義経済も歴史的な産物に過ぎないという立場です。
歴史的な価値は持っていても、それが永久不変ではないということです。

何よりも事実として、常に政治の不安定と経済の混迷は続いています。

自身を持って「義務」や「責任」「モラル」を語れるのは、政治家や実業家ではなく、
また違った人であるべきでしょう。

机上の思想家ではなく、社会運動家という言葉で呼ばれるような人物がこれから
注目される時代とならなければと思います。

勿論政治家にその資格がないというのではなく、少なくとも現在の
政治家は信頼を失っており、誰も耳をかさないということでしょう。

余り、私が自己宣伝をし過ぎるとの批判が別スレッドにあるので、
本日は休ませて頂いて、明日また参加をさせてもらいましょう。
114瀬戸弘幸:2000/03/02(木) 16:33
訂正
自身を自信に訂正します。
115三郎:2000/03/02(木) 22:11
  瀬戸さん、「国家社会主義」が亡霊であることにお気づきください。
 近代国家(主権的国民国家)は西ヨーロッパにおいて最初に成立しました。
それは戦争をやるのに一番適した国家でした。
つまり、一切の権力を中央に集中させた国家です。戦争に勝つ、国を守るには、そういう国家しか、当時は選択肢はありませんでした(日本の明治国家もそうです)。
 そういう国家が20世紀までつづく、むしろますます極端になっていく。その例が、ソ連やナチスドイツです。戦時中の日本の、陸軍統制派が作りあげた、「高度国防国家」も同様です。
大きな眼で見れば、「国家社会主義」も、マルクス・レーニン主義も、総力戦時代の国家なのです。
 しかし、もうそういう時代でなくなったのです。「国家社会主義」は「歴史的な産物」であり、いわゆるネオ・ナチなども時代錯誤でしかありません。
116三郎:2000/03/02(木) 22:30
いま必要なことは「家族」と「地域社会」と「教育」を再建することでしょう。右も左も異論はないはずです。
 今日では、「モラル」「義務」「責任」は、最近では、圧倒的に保守派の言葉になってしまっています。しかし、これらを保守の諸君にまかせておくわけにはいきません。
 レーガンなど新保守主義者は、「家族の価値」を喧伝しました。しかし、それは選挙の際のスローガンだけでした。具体的な施策はなしです。新保守主義はペテンでしかないのです。
 「強い家族」を作りあげるためには、政府の支援が必要です。また地域社会の協力も必要で、「地域社会」の再建のためにも政府の支援が不可欠です。それには、各地域の個別の事情に即した取り組みが必要で、これまでの官僚行政の中央からの十把一絡げ方式ではダメです。分権化をし、権限と財源と責任とを地域に降ろし、行政と市民との間に双方向の政治的コミニケーションを確立する必要があります。
117瀬戸弘幸:2000/03/02(木) 22:39
我々は過去の亡霊ではない。
1990年、10月、3日。「ベルリンの壁」崩壊から、僅か一年たらず
、歴史は「統一ドイツの誕生」という、歴史の舞台に我々を招待してくれた。
統一の夜、ブランデンブルグ門に集った若者は、半世紀前に中欧に出現した
20世紀の奇蹟を幻視させ、その再臨と蘇生を予感させた。・・・・・・・

我々のサイトに以前届いたドイツナショナリストからのメッセージです。

我々はかって同盟国として共通の敵・連合国と戦いました。
我々は確かに敗北しましたが、しかし、彼らの勝利とて永遠のものではありません。
我々は貴殿らと同じように我が民族の栄光を信じ、その誇りを大切に思うものです。
国家の正史を綴る闘いに立ち向われている、その勇気を称えるものです。

私は彼らへのメッセージを続けています。
それは国家社会主義の輝ける未来を信じているからです。
118三郎:2000/03/03(金) 00:18
 >瀬戸さんへ 国家社会主義を超えてください

ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一しました。
それは大変結構なことです。
しかし、そのことが、「国家社会主義」の時代の到来を告げるわけではありません。
 ドイツの国益を考えると、ドイツ国家が国家主権や民族性を単純に自己主張することはマイナスです。
ドイツの民衆にとっても、産業にとっても、EUの一員としての発展をめざすことが不可避的な選択肢です。
ヨーロッパ的な規模での連帯の時代なのです。その延長線上には、人類の連帯という理念があります。

 わたしは、国家や民族の価値を否定しません。
しかし、個人や家族や地域社会の上にそれらを置くのには反対です。
また民族国家原理、民族自決原理にも反対です。これらが紛争や虐殺の原因になっているのです。
多民族、多文化、他宗教がひとつの「内に向かっても、外に向かっても開かれた国民国家」のなかで共存していくしかないのです。
(現在の国民国家の多くの正体は、民族的国民国家であり、これを克服する必要があります。)

 右翼の方は、「亡霊」になりたくなければ、
グローバリゼーションの時代、戦争のない時代に適合した
「民族主義」「国家主義」「伝統主義」を模索することが必要ではないでしょうか。

119かいと:2000/03/03(金) 00:22
>瀬戸さんへ(民主主義について)

「手続き的合理性」という点からお答えしてみたいと思います。
現在の民主主義ないしその諸制度が不手際だらけであることは確かですが、
民主的手続きの一つの重要な側面とは、単純にそれが最大多数の最大幸福、
といった問題なのではなくて、執権の確認手続きだということです。

簡単な想定をするなら、ある指導者と施策があるとして、それが全体の完全な
支持を得られない場合に(というより、これが現代では当たり前のことですが)、
そのたびに内戦を引き起こしている場合ではありませんから、かような手続きに
よってその、ある特定集団に対する不利益を全体が強制することをも含む施策を
全体によって承認するということです。

民主主義的とは、従って単に多数で指導者を選ぶというだけではなく、その後の
各集団間の調整を手続き的合理性において承認されるという全体を含めるものです。

瀬戸さんがおっしゃる選挙の人気投票化は、選挙制度そのものの問題ではなくて、、
その後の手続き的合理性が不手際だというところにこそ問題はあるのでしょう。
選ばれた指導者は「どうせ情実や癒着的構造に従って施策をなすのだろう」という、
民主的手続きを「実行しないだろう」といった予測がその背景にあるのでは
ないですか?(ないしは、本当にそうなってしまうことが問題なのではないですか?)
必要なことは、簡潔で、長らく続けられてきた情実施策や癒着的政策決定の構造を
排除し、公共的観点からの施策が可能なような諸制度や手続きを整備していくことです。
120かいと:2000/03/03(金) 00:24
(119の続きです)
ちなみに、これは「公共性」(政治倫理)の問題なのであって、道徳の
問題ではありません。政治家を人間的な人気や人柄で選んでしまうというのは、
逆にいえば共同体的人間関係の問題の延長として政治を捉えてしまうところに問題が
あるとも言えます。繰り返しますが、公共とは共同体を超える一つの総体です。

日本人は長らく「道徳的」だ、ということを諸外国から言われ、
掃き清められた庭や知人間の礼節の折り目正しさを褒め称えられてきましたが、
同時に「公共性」の問題についてはからっきしで、駅のホームの汚さは
明治期の詩人も嘆いた通り、鉄道開設以来のものです。

現在の政治の「だらしなさ」がもしもあるとするならば、それは
日本人のモラルの低さや徳のなさ、の現れなどではなく、「公共性」の問題を
実体的な制度として整備してこなかった(というより、しなくて済んできた)
流れのひとつの結果です。ないしは、共同体的問題の延長として政治を
扱ってきたことの帰趨なのだと思います。(

ところで三郎さん、アソシエーションに関してはいかがですか?どこか別の
スレッドで触れてらっしゃった思うのですが。
教育については今回、書けませんでした…。
121三郎:2000/03/03(金) 01:09
>かいと さんへ  「アソシエーション」の可能性について
「アソシエーション」とは、非営利団体(NPO)、非政府団体(NGO)、協同組合、慈善団体、ボランティア団体、相互扶助団体などの総称です。
それらは、国家との関係では「民間」であるが、その活動目的では「公(共)的」なさまざまな団体で、いずれも自発的な結社としての性質をもつ協同組織です。
 一九九〇年代に入って、「アソシエーション」は先進国でも第三世界でも驚異的な規模とペースで増大しています。
レスター・サラモン(ジョン・ポプキンス大学教授)はこれを「グローバルな規模でのアソシエイション革命」と呼び、「十九世紀後半における国民国家の台頭が世界に与えたのと同様の衝撃を二〇世紀後半の世界に与えるかも知れない」と指摘しています。
 イギリスの「第三の道」派のハーグリーヴズという人は、「公的セクター」「私的セクター」「アソシエーショナル・セクター」(「ボランタリー・セクター」ともいう)の三部構成の混合システムを構想しています。
これまでの巨大政府と巨大企業に対抗する役割を、市民社会の「アソシエーション」の期待するというのです。

122三郎:2000/03/03(金) 01:25
 「アソシエーション」の可能性について(つづき)
 やはりイギリスの、同じく労働党支持の理論家にポール・ハーストがいます(この人の本は日本でも良く読まれています)。
肥大化した現代国家の諸機能の広範な部分、たとえば、福祉を中心とした諸サービス(ほかに、教育、経済も)を、「アソシエーション」に委譲する構想をしています。
各「アソシエーション」は民主的自治に委ねられ、財政は政府から一定の基準(実績、加入者数など)により手当てされます。民衆は法的な規格にしたがうがぎりでは、「アソシエーション」を自由に結成し、参加し、別の「アソシエーション」に移るなども可能です。「アソシエーション」は市民社会内部の多元的な自治機関として構想されているのです。ハーストはロバート・オーエンやプルードン、ラスキやコールは「アソシエーション主義者」だと言っています。
 ハーストは「アソシエーティヴ・デモクラシー」という言い方をしています。
議会制民主主義中心の時代は終わりました。
「レファレンダム」や「分権化」だけでなく、それらと並行して、「アソシエーション」を民間ではあるが同時に公的な制度として、もう一つの「公的な統治」機能の担い手として育てる必要があるでしょう。
これは「国家社会主義」の対極に位置する思想ですね。

 欧米では、「アソシエーショナル・セクター」のことを「第三セクター」とよんでいます(日本のそれは、本当は1・5セクターです)。
ブレアは1年前、「第三の道、第三セクター」というスピーチをしていますが、ハーグリーヴズほどラディカルではありません。
123三郎:2000/03/03(金) 02:03
「護憲」論を退ける
1970年代初め、創共協定と言うのがありました。
ファシズムの復活に抵抗するために創価学会と共産党が
手を握ろうというのです。当時は、ファシズム論と名の付く本が
ずいぶん出ていました。要するに、戦後、70年代までは進歩派のなかには、
ファシズムの台頭などということを本気で心配する人がずいぶんいたんですね。
でも、これは、大変な時代判断の誤りでした。
 ファシズムの復活、戦前回帰、旧憲法の復活などということはあり得ないのです。
「国家社会主義」もです。ありえない「亡霊」に振り回されてはならない。
かっての共産党のようにね。
 そして、反動勢力、改憲勢力の台頭に警鐘を乱打して、
「護憲」を絶叫することもやめていただきたい。
21世紀を目前にして、新しい時代にふさわしい、新しい政治システムを構想すべきです。
そして新しい「憲法」をみんなで論じ合いましょう。
(「2ちゃんねる」の「政治思想」の「土井たか子のプロフィール」を参照してください。)
124若頭:2000/03/03(金) 06:16
「国家主義」志向              
↑                       瀬戸さん






|              阪京さん(?)

|                   三郎さん


|                      なにがし某さん(?)
|        かいとさん(?)


|ワシ
 ────────────────────────────→
「自由・個人主義」             「社会・共同体」志向

イワンさん(不明)タコツボさん(不明)
>田原さん
お招き下すってありがとう。ワシの何のカキコみたの?
ワシはたまにしかネットやらへんし、この板にも殆ど書いてへんのに、、。
でもこのスレッドはおもろい。瀬戸さんにはカンドーしました。思わず括約筋
の引き締まる思いです。他の人も色んなことようけ知っとるねー。特にかいと
さんの119、120は我が意を得たりです。
ワシも難しいことは言えんけど、ヒマ見て参加させてもらいます。
雰囲気ぶち壊すこと必死やけどな(笑)
125若頭:2000/03/03(金) 06:37
あっ、タコツボさんが推薦してくれたんやね。
ありがとうございます。
ワシって書き殴り派の書き逃げ派で、しかも盛り上がっとるスレッドの雰囲気
ぶち壊すことにかけては稀有な才能持ってんねん。そやし、その責任はタコツボ
さんに転化することにします(笑)
ちなみに上の図はシャレです。ちょっと後悔してます(笑)
126タコツボ:2000/03/03(金) 07:18
哲学板と立花隆周辺を拝見して若頭さん推薦しました。できたら、関西弁を封印して参加していただけると、私としては嬉しく思います。
ところで、ネットにやっと復帰できました。どこから話題追っていいやら迷っているところです。
とりあえず、
77 かいと、81 かいと、96 瀬戸、102 かいと(敬称略) の発言に栞しておいて、後で返信させていただこうと思います。

戦後日本政府は戦前から続く官僚統制による経済政策を実行してきたと私は思う。日本の海外へ向けての経済戦略は、採算をある程度無視し(その皺寄せは国内一般住民の生活に来た)、海外でのシェア拡大を第1目標とする、戦時体制的なものだったと、私は思う。
瀬戸さんが「国家社会主義」という言葉を用いているが、私にはなにが「国家社会主義」なのは判らないが、仮に戦前の日本政体を「国家社会主義」的なものだとしたら、実質日本の制度はバブルの時まで、それを継続していた、というのが私の解釈です。制度疲労しているのだから、別なものを選択するべきだ、というのが、私の立場です。
外交的には、長期的には、アメリカとの同盟だけではなく、EUとの同盟を、現実的選択肢として考慮するべきだと、私は思う。ドル市場に次ぐ市場は、円とユーロなのだから。ドル+ユーロによる覇権よりは、円+ユーロで、ドルに対抗、という戦略のほうが望ましいと、私は思う。
EUとの同盟を考えた際、「国家社会主義」の主張は、第二次大戦を想起させ、私としては望ましくない。えーと、続きは後日。
127瀬戸弘幸:2000/03/03(金) 08:07
段々と議論が白熱してきたようでわくわくしております。
私が国家主義を志向する図の最高峰に位置づけられたことは、
非常に名誉な事と喜んでおります。(^^)
しかし、それだけ今後私に対する質問、疑問、批判が集中するものと
覚悟してもおります。
>三郎さんへ
ちょつと大人げないレスをしてしまったと反省しています。
国家社会主義は私の信念であり、自分の人生を賭けて来たものであり、
過去の亡霊とばっさりやられると、どうも感情が先走ってしまったようです。

でも、東西に分割統治され絶対に崩壊するなどとは、誰もが思わなかった
「ベルリンの壁」が一夜にして崩壊した様は、けっして歴史には絶対のもの
などなく、何が起きるか判らない神秘さを秘めているものと確信をして
おります。

私は極右の活動家です。我が国においては極右は政治勢力にもなり得ていません。
しかし、そのごく少数ながらも存在する事に意義があると考えます。

よく、共産中国や米国は日本における軍国主義の復活などを口に
しますが、どれほど本気なのかと、いつも笑ってしまいます。
彼らが日本の実情を知らぬはずはありません。

しかし、もし我々が国会に一議席でも持ったら、彼らは震撼する事でしょう。
余り理不尽に日本を追いつめる事の危険性を彼らは敏感に感じ取るはずです。
その様な意味で我々の飛躍はそく国家利益となるのです。
128三郎:2000/03/03(金) 12:06
>瀬戸さんへ
 若き日の北一輝が、
既成政治家の腐敗堕落を批判した文章を読んだことがあります。
北は、腐敗堕落の原因を人びとが「理想」を失ったことに求めています。
かっては自由民権運動があり、民選議会の設立、憲法制定という「理想」をもっていた人びとが、明治憲法が制定されると「理想」を失い、腐敗堕落していったというのです。

 「理想」そして「信念」を失うことは、腐敗堕落の原因になることもありますし、
偽善を生み、シニシズム(冷笑主義)を生みます。
いまの日本の政治家、知識人の圧倒的大多数は左右を問わず、この状態にありますね。

少数派はつねに存在します。
瀬戸さんはずばり、信念の「国家社会主義」者ですね。
>国家社会主義は私の信念であり、自分の人生を賭けて来たものであり、
>過去の亡霊とばっさりやられると、どうも感情が先走ってしまったようです
----と書いておられます。
しかし、何に対する、どんな信念かが問題です。
僭越なことをいって恐縮ですが、
新しい現実に眼を閉ざしてはなりません。
「国家」や「共同体」について20世紀の国家主義に対する反省を踏まえて、
もう一度、検討し直すことはできないものでしょうか。
129かいと:2000/03/03(金) 22:55
>三郎さんへ

「アソシエーション」という概念を、私は、<扶助><援助>の意味の強い
「ボランティア」に対して、<互助><共助>の側面を強調するもの、
ないしアメリカ的概念の「ボランティア」に対してヨーロッパ(伝統)的概念の
「アソシエーション」(自律的協同)というようにこれまで理解していたのですが、
かような理解でいいでしょうか?

アソシエーション的諸活動や諸組織の進展に期待を託すという方向性には
原則的に賛成で、私自身もここに期待を込めたいと思います。しかしながら
我が国における「アソシエーション」の可能性に関して言えば、そこに立ちはだかる
幾つかの課題が存在しています。郎さんはこれについていかがお考えですか?

一つは、我が国では生活共同組合つまり「生協」が陥ったように、得てして
アソシエーション的諸組織は「消費者利益団体」的性格に陥りやすく、したがって
単なる代理店舗と化すような(リサイクルや安全化粧品を求める買い取りの運動
などが最も代表的ですが)例が多いということです。その理由は簡単なもので、
総労働時間と通勤時間が長い我が国において、アソシエーション的活動に
参加できる層や参加形態はごく限られてしまう、どうしても女性や子どもやお年より
といった層、ないしは「消費者」的立場からの参加に限定される傾向が強いという
ことです。即ち、今後予測されるような教育や地域や福祉のアソシエーション活動の
「担い手に誰がなるのか?」という課題です。

二つ目は、予算的裏づけの課題です。昨年、いわゆるNPO法が可決され、
我が国でもいよいよか、との喧伝がなされていますが、しかしながらご承知のように
NPO法は予算的裏づけを伴わないものです。P・ハーストは政府援助を提起して
いますが、どう予算を配分するかという民主的手続きの問題もさることながら、
ここで考えさせられるのが「どこから活動財源を確保してくるか」という課題です。

(続く)
130かいと:2000/03/03(金) 22:55
(続きです)

そして三つ目は、伝統の問題です。上述、「アソシエーション」をヨーロッパ的
概念としたのは、実に西欧における自律的共助は教会や学生組織を例にするように
伝統的な概念です。直訳逐語論的には「協会」や「連帯(連合)」を意味するように、
「学生自治会(ASないしAPS)」などの「A」です。伝統的に西欧では
「アソシエーション」が共同体的課題を一面で担ってきたという側面もあります。
教育や福祉においてアソシエーションが期待されるのは、何も民主主義的課題だけの
問題なのではなく、こうした共同体的付託の課題を孕んでいたものと記憶しています。
ところで、共同体の空白が叫ばれ地域社会の崩壊が言われる(必ずしもそれが妥当な
状況判断だとは思いませんが)今日の我が国にあって、アソシエーションの母体と
なりえるものは何かという、第一点目にも絡んでくる課題です。

ちなみに、「アソシエーション」諸組織は、時によって非常に政治的に先鋭化する
場合もありますし、現にそうなっている部分もあります。いわば公共的妥当さの闘争の
最前線と化すケースも多くなるでしょう。踏み込んだ考察と調整的諸制度が導入に
あたっては必要になってくるのでしょうね。
131三郎:2000/03/04(土) 03:27
いやぁ、難しいことをお書きになります。
 アソシエーションといってもずいぶん多様ですのひ一口では言えないですね。
 私は、ハースト流のアソシエーション論しか知りません。
現在直面している第一の問題は、国家の肥大化した権力と組織を変革するかということで、
これを打開するには、ラディカルな分権化しかありません。

分権化には二種類あると思います。ひとつは、空間的な分権化です。もう一つは、社会的な分権化でハーストのアソシエーション論はこれです。国家の諸機能を「アソシエーション」へ委譲する方式です。この具体的な仕組みとなると複雑になってしまい、私もよく分かりません。
132三郎:2000/03/04(土) 03:29
今晩は、すっかり疲れていますので、アソシエーションについては勘弁していただき、空間(地域)的分権化についてだけ書きます。ラディカルな分権化論を紹介します。
 瀬戸さんは「国家」を強調されますが、日本国以外に、日本国のもとに別種の「国家」をつくり、そこに権力の一部を「委譲」するという方式も考えられます。これがいまイギリスでしていることで、森嶋通夫氏はこれを「副国家」の形成と言っています。森嶋構想というのがあって、それによりますと、東京副国家と大阪副国家をつくり、外交の一部と国防以外の権限はすべて両副国家に委譲すべきだとのことです。わたしは「東国」と「西国」といいかえています。たとえば、「東国」「西国」のそれぞれの国家や国旗もできるでしょう。そうなると日の丸、君が代があってもいままでとはだいぶ違った感じになるでしょうね。ただし、森嶋構想では、これは「北東アジア共同体」構想とセットになっています。

133こっちも過去ログ:2000/03/11(土) 16:16
134瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 16:39
確か244まであったはずだが、それに過去ログのほうでは
投稿できない、どうしてしまったのだろう?
とりあえず、こちらに投稿しておきます

続きです。
ではなぜ戦争に主体的に関わったとされる天皇陛下が戦争責任問題を
問われる事がなかったでしょう。
この場合の戦争責任とは東京裁判のことですが、この裁判が戦勝国の
複讐行為が正義の名のもとで行われたに過ぎないことは明らかで、
天皇に触れる事が日本人の強い反発を呼ぶ事を懸念したのでしょう。

これは左翼がよく主張するところの、天皇と軍部は嫌がる国民を
強制的に戦争に駆り立てたという説と真っ向からぶっかるものです。

戦勝国が国民の支持を得られると考えたら、天皇の責任追及の姿勢を
見せた筈でした。あるいはその復讐劇(東京裁判)の中で、国民は
そのような声を挙げた筈でした。

しかし、国民は戦勝国の意に反し、勝者への反感をつのらせ、それ以上の
戦争責任を追及する意欲を戦勝国は喪失させました。

この時一部の左翼を除いて「天皇の戦争責任」を追及したものはいない。
逆に一億総懺悔なる言葉によって「天皇の戦争責任」問題は、天皇個人
の問題から国家・国民の問題として捉えられていったのです。
135イワン:2000/03/11(土) 18:48
パラレルワールド化していたのですね、ここ。

>瀬戸さん

お話は逆だろうと思います。
終戦直後に東久爾宮が「一億総懺悔」と叫んだのは、
国体を護持し切れなかったことを陛下に誤る、というスタイルでした。
つまり、天皇の戦争責任は免れない、
というのが終戦直後の認識であったはずです。
マッカーサ元帥が天皇の戦争責任を除外したのは、
国民の声以上に膨張する共産主義への対抗上、
すみやかに自陣営に日本を引き入れる必要があったからです。

激しい討論がなされていますが、
現在の日本の戦争責任論がおかしくなっているのは、
そもそも天皇が何の責任も取らなかったことに由来するのでは?
もしくは、現在の日本が謝罪外交に明け暮れているのは、
天皇が謝罪でことを済ませてしまい、以来、それが延々と続いているからです。
指導責任を認めて天皇は潔く退帝すべきだったのです。
そうして日本は責任問題を済ませて、
アジアの平和のために改めて邁進すればよかったのでは?
そうすることこそが英霊に答えることではないですか?
136三郎:2000/03/11(土) 20:05
かいと さん(242)へ:騎馬民族征服国家説について
 私は瀬戸さんに、「あなたのご主張は----日本の歴史をまったく無視した 議論であり、国家の成り立ちをもう一度考えて欲しい----」ということを指摘されました。
そこで私の「日本の歴史」、「国の成り立ち」についての見解を提示しました。

とりあえず、江上騎馬民族国家説という、もっとも真実に近いと判断される「仮説」に依拠したわけで、なんなら古田武彦の倭国九州王朝説でも構いませんでした(現時点では、室伏志畔氏の書物(『大和の向こう側』五月書房、など)を参考にしつつ、江上説と古田説との総合をめざしています)。しかし、ここでこの点について争うつもりは毛頭ありません。
 要は「日本の歴史」、「国の成り立ち」については、複数のたがいに対立する見解があるということ、この点を瀬戸さんをはじめ、皆さんに理解していただきたかっただけです。
瀬戸さんが、ご自身の「日本の歴史」の理解、「国の成り立ち」についての理解を唯一の真理として、私の議論を裁断するかのような様子があったので、失礼ながら、瀬戸さんを挑発したみたのです。
(ちなみに、高校用日本史教科書でも、江上騎馬民族国家説や古田九州王朝説に「脚注」で触れているものがあります。)(つづく)
137三郎:2000/03/11(土) 20:07
(つづき)
 江上騎馬民族征服国家説を過去の理論と見ている人もいますが、かってミッシング・リンクであったものが70年代以降、次々につながり、90年代に入ってリアリティを増しているといえます。中公新書の『騎馬民族国家』しか読んでいない方は、前掲の『江上波夫の日本古代史』(大巧社)を、特に最終章の森浩一との対談の個所からお読みください。
 西尾幹二は『国民の歴史』のなかで、国家の起源の問題を回避しています。その理由は、国家の起源を問題にすると、かって列島上に天皇の国家でない国家が存在したこと。天皇の国家とそうでない国家とが並存した時代があったこと。そして列島における人種や文化や言語が列島の外部にルーツをもつこと。それどころか、天皇も外部からの渡来者の子孫であったことなどについて、論じなければならないからです。
 逆に言えば、ルーツを問うことは日本および日本人の本質的な非一元性、多元性、あるいはこう言って良ければ、多文化性や国際性を明らかにする事につながると思われます。
依然として、古代史は争点です。藤田友治氏(三一新書参照)などが運動されていますが、いまなお「天皇陵」とされている古墳の発掘を宮内庁は許しません。かって皇族のなかには発掘すべきだという見解の人もいました。常陸宮は私的な会話で騎馬民族説について肯定的な発言をしているとのことです。
古代史については、これぐらいにとどめておくことにします。
138瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 20:38
>イワンさんへ
一億総懺悔については戦争責任を曖昧にしてしまった原因となったことは認めます。
しかし、その事に対する国民の側の反発が当時どうであったのか?
もし、天皇の訴追を逃れる手段としての「一億総懺悔」ならば、大きな反発が
あったのではないかと思います。

>マッカーサ元帥が天皇の戦争責任を除外したのは、
>国民の声以上に膨張する共産主義への対抗上、
>すみやかに自陣営に日本を引き入れる必要があったからです

そうですね、当時のソ連にと中国共産党を米国が恐れたという
点はあると思います。

私は皆さんが天皇が戦争責任を明確にしなかった事が悪いと言われますが、
米国のキーナン検事に訴追され「山賊か夜盗」のように糾弾されなくて
よかったと思いますよ。
本来戦勝国というのは苦労して犠牲を払って勝ったのだから、煮て食おうが
焼いて食おうが自分達の勝手だという気持ちになるものです。

しかし、米国はそうならなかった。それを米国は寛大であり善意に溢れた
国家であると日本人は考えた。私はそれを否定はしない、だが天皇を
犯罪者として裁くことを米国がためらったとも考えられる。

実は日本における天皇の存在とはそれほどに重かったということです。
139瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 20:53
>皆さんへ
皆さんは天皇の存在を如何に思っているのでしょうか?
三郎さんの「平成天皇で終わりにすべきだ」とか、若頭さんの「国家と
天皇家の分離」が出て来ました。
私はこれらの意見には同調する事は出来ません。

それをこれから主張していきますが、では天皇とは日本における
どのようご存在であられたのか、余りにも歴史を無視しているとしか
思えないのです。

天皇とは日本国家においては紛れもなく、政治的な存在です。
その政治的な存在が先年以上にもわたって続いてきた国家が
世界中を探して見つけることができるでしょうか?

何故、それを誇りと思わないのか不思議でならない。
140瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 21:14
>かいとさんへ
オーストリアのハイダー党首は過去の発言を謝罪しました。
それなのにイスラエルは大使を召還し「オーストリア国民は過去から
何も学んでいない」と言って批判しています。
これに対してハイダー党首はドイツの週刊誌のインタビューで
「いつまでも謝罪しなければならないのか、我々はいつの時代でも
過去から解放されなければならない。」と答えています。

米国との関係ですが、日米関係は非常によくなっていると考えます。
あるべき日米関係については、この天皇の問題が落ち着いてからやる事に
しましょう。
141>139:2000/03/11(土) 21:16
なぜ誇りにしなければならないのか不思議でならない。
142>141:2000/03/11(土) 21:20
そりゃ、知識がなければ、誇り得る理由もわからんよ。
もっと勉強しようね。
143瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 21:41
139番の投稿の中で、天皇の政治的な存在が先年と書いてしまいましたが、
これは千年の間違いでした訂正します。
天皇という存在をよく知らないと、日本という国家を語れない。
なぜ、千年にも渡って政治的存在として存在できたのか?
かって、戦後右翼を代表する巨頭・赤尾敏先生は「天皇が偉いんじゃない。
天皇を政治的存在として守ってきた、我々日本人が偉いんだ、」と語って
おられました。
我々はこの言葉の意味を学ばなければなりません。
天皇の政治的存在が何故千年も続いてきたのか?
それは日本人が天皇家を滅ぼさなかったからです。
何故でしょうか?
これが最も大切な事です。
我々日本人は他の多くの国のように、権力者といえども独裁的な
権力を打ち立てようとは誰も考えなかったのです。
その時々の政治権力も天皇の存在を常に意識し、これを滅ぼそうなどとは
考えもしなかった。
それは天皇の存在が日本という国家の誕生と深い関わりがあり、
民族の神話ともなっているからです。

天皇は日本民族にとって政治的存在であるばかりか、宗教的存在でも
あるのです。

この日本国家における天皇の存在は史的事実であり、非合理的な面は何もない。
問題があるとすればそれはそれを問題にしようとする人の個人的な
感情、あるいは情動と言ったら総反撃を招くか (^ー^)
144>142:2000/03/11(土) 21:51
へ〜、わざわざ勉強して、知識を得なきゃ誇りを持てないんだ。
やっぱり天皇って日本の「伝統」に根付いていないんだね。
 
145瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 22:01
>141さんへ
>なぜ誇りにしなければならないのか不思議でならない。

例えばあなたの家で昔親戚から頂いたものが大切に保存されているとしたら、
それはあなたの家にとっては家宝であり、世間に誇れる事ですよね。

正倉院には我が国が諸外国から頂いた遥か昔のものが大切に仕舞われております。
送った側の国にはもうそれらの物はありません、革命や騒乱の度に権力者が
交代し、奪ったり奪われる中でそのほとんどが形を残してはいません。

代々の天皇家が管理していた正倉院には宝物がたくさんあっても、日本人は
それを自分の物にしようなどと考えるものはおりませんでした。

天皇家が強力な軍隊で守っていたわけでもありません。
天皇が偉いのではなく、日本人が偉いと言った意味はそこにあるのです。

他人から頂いたものを何百年にも渡って大切にできる国家を
私は胸を張って堂々と誇りたいと思うものです。

我々極右は日本におけるこのような天皇家の存在を守っていきます。
天皇制を廃止するなどと言ういかなる主張にも絶対反対します。
146名無しさん:2000/03/11(土) 22:07
じゃあ、天皇を宝物殿に入れとこう。
147瀬戸弘幸:2000/03/11(土) 22:56
>146さんへ
>じゃあ、天皇を宝物殿に入れとこう。

なぜ、そのような話になってしまうのか?
不思議でなりません。
判りやすく説明しているのに・・・・・
天皇を政治思想の掲示板に相応しい説明をさせていただけば、
「現在存在している政治の秩序は過去から続いて来たものであり、
現在あるものは将来も変わることなく存在する。」
それが日本国家であり、これは伝統主義とも呼べるもので
紛れもなく天皇とは日本の『政治思想』である。
148三郎:2000/03/11(土) 23:12
:北一輝再考
 若き日の北一輝は、「共和政治」と「社会主義」の立場をとり、いわゆる「国体論」イデオロギー(つまり、天皇制イデオロギー)を批判していました。
 1903年6月、『佐渡新聞』に掲載された論文「国民対皇室の歴史的観察(所謂国体論の打破)」で、北は、
 「国民」はすべて建国以来一貫して天皇に忠誠であり、これは他国にみられない日本の「国体の精華」だという、国体論、皇国史観のドグマを攻撃しています。すなわち、「事実をして事実を語らしめ」ると言って、歴史を振り返えり、「国民」は「忠臣」どころか、蘇我、藤原、源氏、平家、北条、足利、豊臣、徳川などことごとく「乱臣」「賊子」であり、今日の「国民」はこうした「乱臣」「賊子」の子孫だと言います。これが、北の「国民対皇室の歴史的観察」というわけです。
 ここで北が言いたいのは、日本の「国民」が乱臣・賊子ばかりだということよりも、支配者と人民との関係という点で日本も諸外国と大きく異ならないということ、つまり「我が皇室と国民との関係の全く支那欧米の其れに異なざること」にほかなりません。日本における「国民対天皇」の関係になんら特殊日本的な独自性が存在しないことは、天皇制に日本国家の独自性、国家的アイデンティティを求めることができないということです。さすがにこの論文は不敬として騒がれ、連載は二回で中止に追い込まれました。
 100年近く経った今日でもなお、天皇に日本国家のアイデンティティを求めようとする人がいるとは、北一輝もさぞかし驚いているでしょう。
149三郎:2000/03/11(土) 23:25
瀬戸さん(145)へ:虚構(?)の「正倉院」

これは記憶を頼りに言うので、自信はありませんが、
正倉院はもとは武器庫だったという説を聞いたことがあります。
また、宝物が入るようになってから、しばしば貴族や武士によって
それらが奪われているということをどこかで読んだことがあります。
あらためて確認したいと思います。
150かいと:2000/03/11(土) 23:37
>三郎さんへ

旨意については賛同します(歴史の多元性)が、私が述べてみたかったのは「
歴史と政治は別物だ」ということなのです。江上さんその他の説は大変に興味
を喚起するものですが、学問的な歴史研究と政治的な国家認識とはある程度別
に考えてみる必要があります。

簡潔に言えば、どのように歴史的にその政権が正当であったとしても、国民の
要求に合致しなければ政権は倒れますし、逆に不当であったとしても国家は成
り立つのです。(分権化やグローバライゼーションをおっしゃる三郎さんには
賛同するからこそなお、留意して歴史問題に拘泥しないで欲しいのです。)

政治上呼び起こされる歴史とは、はっきりいってフィクションに過ぎません。
(政権に合致する歴史などというものがどれほど恐ろしいものであるかは、旧
共産圏の「正史」を想起してみて下さい。)

ここで話を引き戻してみるならば、天皇家が日本史において万世一系の正統で
あろうと、もしくは多元性を抑圧する機構であろうとも、実際政治上の戦争責
任とはあくまで関係がありません。即ち、どのような歴史があろうとも、当為
責任を免れることは出来ないということです。
151三郎:2000/03/12(日) 00:14
かいとさん(150)へ
 意思疎通がうまくいかないのか、
かみ合わないところがあるのか知れませんが、
おっしゃっていることには賛成です。
>天皇家が日本史において万世一系の正統で
>あろうと、もしくは多元性を抑圧する機構であろうとも、実際政治上の戦争責
>任とはあくまで関係がありません。即ち、どのような歴史があろうとも、当為
>責任を免れることは出来ないということです。

古代史の真実がいかなるものであろうが、
昭和天皇には戦争責任があります。

また、もしかりに明治天皇制国家が一貫して平和国家であったとしても、
昭和天皇がアジアの平和のために努力した人であったとしても、
天皇制を廃止する必要があることにはかわりありません。

 天皇制、皇室、皇族……この問題は公然と、そして突っ込んで
議論すればするほど、動揺とまで行かなくとも、ゆらぎを
醸し出すことができると思います。なぜなら、21世紀のおける
それらの存在自体が完全な時代錯誤なんですから。
 最近の話題では、南朝復興は言わないにしても、
雅子さんの妊娠騒ぎ、女帝論、伊勢神宮の巫女の……

 日本のメディアは、外国の皇室についてもタブー扱いがあるんですね。
イギリスの皇室については、イギリスのメディアよりも、日本のメディア
のほうがずいぶん及び腰の報道ぶりです。1997年のダイアナの死をめぐる騒ぎ(イギリスでは「花の革命」
といわれました)でも、君主制否定論の台頭を日本のメディアは完全に無視しました。
イギリスでは、選挙制の君主制にすればどうかという新しい案も出ています。
 そういえば、魏志倭人伝によれば、卑弥呼は「共立」されたのでした。
日本でも、憲法第2条を改正して、天皇を選挙で選ぶのはどうでしょうか。
152かいと:2000/03/12(日) 00:17
>三郎さんへ

すみません(^-^;)書き方が悪かったかもしれないですね。
「政治と歴史は別物だ」ということをはっきりおっしゃったほうが
良いのでは?ということだったのです。
153イワン:2000/03/12(日) 00:56
>三郎さんへ

天皇制はヨーロッパのバチカン市国のように、
宮内庁ともども国政と切り離して独立化させるべきだと思います。
日本で言えば天理教団の天理市のようなもの。
千代田市国でも御苑市国でもいいけれど、
で、信奉者はそこに詣でる、と。

だいたい、千年にわたって政治的存在だった、
といっても、武家政権時代の実態としては
こんな感じのものだったのではないですかね?

選挙で選ぶとすると、天皇個人は変わるとしても、
天皇制という制度そのものは残ってしまいますよ。
154三郎:2000/03/12(日) 00:58
かいとさん(152)へ:国家の物語としての歴史について
 それは「歴史」とは何かということにかかわりますね。
「歴史」はたんなる時間連続体以上のものです。
「歴史」は History です。つねに「物語」 story として語られます。
そして、近代国民国家においては、歴史=物語は、「国家」の、「民族」の歴史=物語というかたちを取ります。それは「創られた伝統」を核とする「構成された歴史」です。
それは「国語」とならぶ「国史」であり、何なら歴史イデオロギーとか、
官許国家歴史哲学といってもかまいません。「歴史」は、国家を政治的共同体として、そのために「生命」を投げ出すことができる「忠誠」の対象として、イデオロギー的に構成する役割を演じているのです。
 そこには歴史の真実の隠蔽、歪曲、無視がつねに存在するわけで、
歴史の真実の探求は必然的に「国家の物語」「天皇の物語」として「構成された歴史」
と衝突し、それらに対する批判となるでしょう(ちなみに、古田武彦先生はこういう方向で歴史研究をされているように拝察します)。
 そうすると歴史研究あるいは歴史についての言説の展開じたいが、「もうひとつの闘争空間」だということになってきませんか。
 そうだとすれば、さらにすすんで、積極的に、そして意図的に、戦前、戦中の皇国史観や戦後なお支配的なネオ皇国史観(現在の学校教育はこれです。いまだに『日本書紀』中心で、聖徳太子という架空の人物をさも実在の人物であるかのごとく教えている)に対して、もう一つの「構成された歴史」(たとえば、騎馬民族国家説)を対置してみせるのも一興ではないでしょうか。「歴史」の脱構築のために。

155三郎:2000/03/12(日) 01:58
イワンさんへ:選挙制天皇制のすすめ
 まず新憲法と天皇選挙法を制定します。
 大変失礼ですがかりに、平成天皇が亡くなれるとしますと、第1回天皇選挙が実施されます。この選挙はもう実施前から、平成皇太子(浩宮さんです)の圧勝が明らかでしょうね。(言いたい放題の「2ちゃんねる」でもこれほど評判のいい人はいないのですからね。たとえば、「政治思想」→「皇太子殿下のコメント」をごらんください)。この人が次の○○天皇になる。これは間違いない。
 でも、その次の選挙ではどうなるか。秋篠宮さんが出てくるか。ひょっとして女性候補が出るかも。当選したら「女帝」ですな。いやいや、越前あたりから、「明治天皇五世の孫」を自称する人物が姿を現すかも知れません。武烈天皇死後の継体天皇のようにね。
 この段階で本格的な「女帝」論が展開されますね。田嶋陽子先生の出番です。越前の候補者に関しては、その皇統に関してさまざまな憶測と論議を呼ぶでしょう。
 あるいは、待望の南朝の「太子」が奈良から名乗りを上げるかも知れません。いよいよ、第2次南北朝正閏論争が始まります。しかし、困ったことですが、泡沫候補も出てくるでしょうね。東京都知事選挙でも、大阪府知事選挙でも、青森から羽柴秀吉候補がでましたね。大阪では2万3千票とりました。類似したことが起きるでしょうね。(つづく)
156三郎:2000/03/12(日) 02:00
(つづき)
 しかし、新憲法も天皇選挙法にも、法の下の平等の建前から、世襲規定はないのですから、別にだれが立候補しても構わないわけです。血のつながりをもつ男子を選ぶかどうかは国民次第だということになります。
 (ついでながら、むかし、中央アジアやモンゴルや満州などで騎馬民族は王を族長たちが選んでいました。昔の君主制では豪族による互選や共立が多かったのですね。それが次第に世襲制になっていったわけです。天皇選挙制とは、ある意味では、これと逆のことをするわけです。時代が違いますから、豪族でなく、国民が選ぶわけですが。)
 いずれにせよ、天皇選挙となると右翼の各派の役割は大きくなるでしょう。結束して、由緒正しいお方を「擁立」しようとするでしょう。いや、各派に分裂して、それぞれが独自の候補者をその正当性を唱えつつ「擁立」するかもしれません。
 しかし、何度か天皇選挙を続けることにより、あきらかに血のつながりのない天皇が続くという事態も想定されます。その段階で、共和派は、選挙制天皇制をドイツ型の大統領制に変えるべきだと言い出すでしょうね。どうなるか分かりませんが。
157かいと:2000/03/12(日) 02:13
>三郎さんへ

ほぼ同様の議論を、ドイツでは「歴史家論争」(ハバーマス×ヒルグルーバー、
シュテルマー、ノルテ等)としてやったわけですが、これを追いかけていて思っ
たことは、政治責任論の次元において、歴史論争を呼び込むことは、往々にして
その相対化(不満の拡大や論点の散逸)を招いてしまうということなのです。

勿論、「歴史の脱構築のために」異なる歴史を対置することは一興なのですが、
政治的決定への呼び込みは、どうしても歴史の部分に現在の国政の全体を委ねて
しまうという無理が生じる側面があることは否めません。ここでは、現在に生き
てある国民の利益や願望をどう処理するかという今日的課題が欠落する場合、つ
まり課題の歴史への持ち出しの側面が生まれてしまいます(リビジョニズムの決
定的な誤りはここにあります)。なお変革的契機が要求される場合には、歴史か
らの「切断」や「飛躍」がことさらに求められる場合もあります(即ち、いつで
も歴史より今日の幸福が先行します)。

三郎さんが想定する分権化された国家においては、例えばイギリス正史とアイル
ランドの民族史の関係がそうですが、多様な歴史を許容するという「政治的決定
」こそが必要であって、多様な歴史を相戦わせることではないと思うのです。

>歴史についての言説の展開じたいが、「もうひとつの闘争空間」だということ
>になってきませんか

事実的には勿論そうなのですが、少なくとも政治がそれより先に担保しなければ
ならないことは、なるべくイデオロギー的闘争空間にしない、という「公共的約
束」なのです。
158三郎:2000/03/12(日) 02:24
かいとさんへ
「うぅ、うぅ----。」
ドイツの「歴史家論争」についてはまったくの不勉強です。
それだけでなく、わたしの知力の及ばないお話しがあり、
あらためて勉強させていただきます。

159かいと:2000/03/12(日) 03:04
>三郎さんへ

「歴史の脱構築」の試みが無効なわけではないですし、「歴史論」それ自体は
とても知的に面白く読んでいます。頑張ってくださいね(馴れ合いは駄目?)。
160田原一郎:2000/03/12(日) 11:12
えー、歴史論がなんとなく落ち着いたところで、
次に展開を進めてみましょう。

戦争責任論では、三郎さんが徹底究明、謝罪の立場、
かいとさんが当為責任は認めるが、謝罪、賠償は歴史的に決着済みとの立場、
瀬戸さんが現在の謝罪外交の根源だとして内的責任は認めるが、
それ以外の責任は「力学的問題」として退ける立場だったと思います。

続いて焦点は天皇の戦争責任と天皇制をどう見るかというお話に流れましたが、
瀬戸さんがそれを国家の根拠だと見て、遵奉していく立場であるのに対して、
三郎さんは「別の歴史」を提示してその歴史の「脱構築」を試みながら、
天皇の選挙による選出という案を提示しました。
若頭さんは天皇制の日本の近代化における役割を指摘しながら、
現在におけるそこからの脱却の展望を、
イワンさんはバチカン市国のような分離、独立化案を提示しました。

一方、歴史論を受ける形で、かいとさんが、
天皇の戦争責任は免れないとしつつも、
責任論の次元に歴史論を介入させることそのものには疑義を提示しています。
161田原一郎:2000/03/12(日) 11:15
・・・といったところで、
天皇の責任論は瀬戸さん対抗連合軍の様相だったのですが、
単なる左右激突とならずに、得てして高貴な存在とされてきただけに
この問題をめぐって巻き起こる、天皇への人格的攻撃や下劣なカリカチュアがなく、
パネラーの皆さんの誠実さと知的な姿勢に、司会としてとても感謝しています。

それで、次に、歴史論を受ける形で、具体的問題としての「従軍慰安婦問題」
などはいかがでしょうか?
この板でもいま、平行して盛り上がっている最中ですので、
それぞれの立場からこれをどう見るか?
どのように解決していくのが望ましいか?
という立論を提示していただけると、
このパネルディスカッションの一つの役割ともなるのではないか?
そう考えています。よろしくお願いします。
162瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 12:29
>田原さんへ
もう暫くと言うか、まだ言いたりないので、天皇制について語らせて
下さい。
若い人が安易に「天皇制の廃止」を口にしているとしか考えられないし、
また国民投票で選ぶなどの議論に至っては、反論しないわけには行きません。

このように考える人が出てきたと言う事は、戦後の憲法問題と関係が
あると考えます。即ち
『天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は
主権の存する日本国民の総意に基づく。(日本国憲法・第一条)』

この総意に基づく、という個所が自分達で選ぶなどという考えを
抱く誤解に通ずるのであろう。

司会の田原さんに逆らうものではありませんが、従軍慰安婦問題や731部隊
問題はそのスレッドが立っているので、前にもこのスレッドで触れた
憲法問題を天皇制を含めた議論で行いたいと思うのですがいかがでしょう。
163三郎:2000/03/12(日) 14:33
 誤解があるといけないので、念のために書きますが、私は「天皇選挙制」を理想にしているわけではありません。前にも書いたように、「共和制」の憲法を制定し、平成天皇を「ラスト・エンペラー」にするのがベストです。憲法改正のための「国民投票」ではこの点が大争点になりそうですね。
 「共和制」になってから、ボランティアの皆さんなり、宗教団体の皆さんなり、右翼団体の皆さんなりが、結束して、NPO(非営利団体)として「日本天皇連合」とでも言ったものをお作りになるのなら、結社の自由、思想の自由、信教の自由、表現の自由があるのですから、誰も反対できません。「日本天皇連合」の総裁はどなたがなるのかな。
 ただ、「共和制」と現在の「象徴天皇制」との中間的な選択肢として、「天皇選挙制」も考えられなくないということを申し上げているのです。イギリスではこういう議論が出ているのですが、日本ではわたしの知る限り、一切ありません。そこで、少しく論じてみたのです。天皇制にかんする自由な論議が求められます。
 昭和天皇の戦争責任の問題と君主制の存廃の問題とが重なり合うかたちで論じられたのややこしくなりましたね。田原さんがおっしゃるように、従軍慰安婦、731部隊、ともに結構です。しかし、瀬戸さんが論じたりないのなら、天皇制についてもう少し論じても、私はいっこうに構いません。どちらでも、私は差し支えありません。

164田原一郎:2000/03/12(日) 15:14
瀬戸さん、三郎さんへ

決着がついた、ということではありませんから、引き続き論じてもらったらいいと思います。
ただ、かいとさんの歴史論排除の提起もありましたから、
現行天皇制に関する討論に絞ると、
流れが分かりやすくなるかもしれません。
憲法や国家のあり方を含めた天皇制のあり方についてですね。

従軍慰安婦問題はまた後ほど提起してみることにします。
(他のスレッドにも影響を与えられたらいいなあと考えているのです。)

では、どうぞ!!

165三郎:2000/03/12(日) 15:42
:進歩派政治学者の頭蓋
 かって高畠通敏という市民派政治学者がいました。60年安保、声なき声の会、ベトナム反戦。市民派の立場から市民運動をしていた人で、私の単純な頭脳からすると、当然、この先生は共和主義、反天皇制と思っていたのですが、ところが、なんと昭和天皇が亡くなったとき、『朝日新聞』に昭和天皇万歳の長い文章を書いている。高畠の久野収の天皇制論批判に感心したことがある私からすると、彼が昭和天皇を賞賛するなどとは想像もできませんですた。高畠もエラクなったということでしょうか。
 若手の進歩派政治学者も同様です。山口二郎という北海道大学の先生がいる。このひと、旧社会党系や連合のブレーンなんですね。この人の『日本政治の課題』(岩波新書)という二、三年前に出た本がある。その本でわたしが注目したのは、「共和主義」の意義を説いているところなんです。私は「共和主義」に関心がありますから、よほどその本を買おうかなと思いました。
 しかし、よく読んでみると「共和主義と天皇制とは矛盾しない」と書いてある--------うぅぅぅ、「天皇制共和主義」か?! 古代ローマで王制を否定してでてきたのが「共和制」でした。「共和制」は、君主制の否定を意味する、ピープルに開かれた、ピープルの政治体制であるはずです。これって政治学の「定説」ですよね。(つづく)
166三郎:2000/03/12(日) 15:43
(つづき)
 高畠も、山口も、所詮東大法学部の出身だということでしょうか。電車である政治学の先生と乗り合わせたとき、その先生が「政治学というものは、しょせん体制側の学問なんだよ」と自嘲気味におっしゃったことがあります。私はそうは思いませんが、後になってそのお話には、とても含蓄があったんだなと感じ入りました。
 「天皇制」というものはこの国の知識人の頭蓋の実に奥深いところにまで浸透しているのですね。尊皇派でも、共和派でも、どちらでもいいでしょう。いやしくも思想とか理論を事とする者は論理的、合理的な思考をしていただきたいと思います。まして教壇に立つ者は、明晰で分かりやすい授業をして欲しいですね。
 しかし、転倒させたかたちで論じると、「天皇制」があるがゆえに、政治について論理的、合理的な思考が困難になっているということがあるかもしれません。その最大の被害者は、市民派や社会民主主義派の政治学者ではなく、右翼、極右の諸君ではないでしょうか。「天皇制」というものがあるが故に、その政治的な思考と政治的な選択肢が極端に制限されてしまったのではないでしょうか。たしかに、幕末ではそれもよかったかも知れない。やむを得なかったでしょう。しかし、20世紀になってから、いやそれどころか21世紀を迎えつつある今日でもなお、天皇を「玉」として利用しようと言うのは、ラディカルな時代錯誤でしかありません。
167三郎:2000/03/12(日) 17:10
:天皇が「象徴」としてふさわしくない理由。
 第一に、共和主義、あるいは本来の民主主義の立場からはそういわざるをえません。
象徴天皇制は君主制的な「残滓」であり、これは徹底的に排除すべきです。
世襲の君主がおり、その下で「民主主義」といっても、いい加減な「民主主義」
しかできません。(これが私の原則的な立場なのですが、前にも書いたのでここではこれ以上書きません。)
 第二には、2万人以上いるアイヌ人、それに数十万いる琉球人からすると
「天皇」は「象徴」としてふさわしくないでしょう。
大和朝廷が蝦夷を侵略し、明治天皇制国家が琉球を併合したという誰も否定できない歴史があります。「天皇」はここでもやはり「侵略」のシンボルです。とても「国家」と「国民統合」の「象徴」としては、「象徴」にふさわしくありませんね。「統合」といってもそれは擬似的な「統合」であって、「分裂」性を内蔵している「統合」ではありませんか。
(ちなみに、最近の「定説」では、倭人との混血を免れた縄文人が北方、南方のそれぞれで独自の小進化を遂げたのがアイヌ人と琉球人です。数年前、そのようなそれぞれの自己了解のもとに、両民族が対面式がおこなわれました。彼らは「和人」をどう思っているのでしょうか)
 第三に、韓民族で日本国籍を取得した人が数十万人います。そして、毎年、在日韓国・朝鮮人で日本国籍を取得する人がきわめて多数います。国籍を取得するということは「日本国民」になるということですね。アイヌ、琉球人だけでなく、韓人(コリアン)にとっても、天皇は「国民統合の象徴」としてふさわしくないのでしょう。
168三郎:2000/03/12(日) 17:26
(つづき)
第四に、象徴天皇制とはいえ、君主制という非民主的な制度に立脚した存在は、民主主義の国の「象徴」にふさわしくありません。また、人身の自由も職業選択の自由もない天皇が、「基本的人権」の尊重を憲法の原則にかかげる立憲国家の象徴になるのは好ましくありません。
 まぁ、天皇を国民にし、基本的人権を保障すること(国民の1人としての天皇です)。天皇の地位につく人を選挙によって選ぶようにすること(天皇選挙制)。妥協するとすれば、この二つの条件が満たされれば、象徴天皇制もやむを得ないかな、とも思います。いかがでしょうか。
169瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 17:45
>三郎さんへ
司会者の田原さんの了解も得たので、もう少し天皇論議を続けて見たいと
思います。
天皇というのが日本の長い歴史に根ざした存在であることはあなたも
認められますね。それは日本の国家の成立とも深く関わってきた事実。

もし、新しい天皇を現在選ぶなどということは、少なくともそれは天皇とは
似ても似つかぬ権力者を選ぶ事になってしまうでしょう。
我が国の議会制民主主義を一層形骸化させ、二重権力構造を作り出して
しまう事にはなりはしないか?
現在の天皇は政治的な権威ではあっても権力者ではありません。
もし、あなたが言われるような選挙や天皇を中心にした政治活動が
認められるということは、絶対的な権力者への道を開く事になって
しまう恐れはないですか?
例えば、よく左翼の先生は学校で「天皇は何もしないで国民の税金で
食っている。」などと批判する人がいるそうです。
しかし、これは国民の知恵であると思います。
なぜならば、もし天皇に経済活動の自由を認めてしまったら、天皇家は
現在政府が支出しているその数百倍の資産を集めることができるでしょう。

天皇を崇拝する国民はかなりの数に上ります、先ず全国の神社庁などが
音頭をとって寄付を呼びかけることになるでしょう。

天皇家を国民が養ってきたという封建社会からの流れが、結局は国家・
国民にとって最もよい方法だと考えます。
170瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 18:03
>三郎さんへ
右翼共和派などというHPがあることも知っています。
この場合、その右翼が現在の天皇を奉じている限りは、それは矛盾した
主張でしかありえません。
なぜならば、どう考えても天皇は君主であり、それを無視した共和国など
考えられません。いずれにしても、その場合は君主国か共和国か、
それこそ白黒をつけなければならないでしょう。
日本においては天皇を奉じないものは右翼とは言いません。
それはいくら自らは右翼と名乗っても、誰も認めないと思います。

我々はよく誤解されますが国家社会主義者は天皇制を支持しています。
北一輝が反天皇であったか、あるいは親天皇であったかは、一概には決め付ける
訳にはいかないでしょう。
北は若い頃と晩年になってからの考えはかなり違っていたと思います。
この点についてはまた後で述べたいと思います。
171イワン:2000/03/12(日) 18:32
>瀬戸さん

私は天皇の国政からの独立、分離化を唱えるのですけれど、
そもそも三郎さんのおっしゃるお話を敷衍するなら、
問題は、国民の総意を現在の天皇が受けていない、
というところにあるのではないでしょうか?
戦前と違い、恐らく、最低でも3割近くは天皇制を支持していないだろう、
またはそんなのどーでもいいや、と多数が思っている、
つまり象徴としていいのか?というところが大きな問題なのでは?

政党だったら過半数の支持で政権が取れますが、
統合の象徴となると、そういうわけにはいかにでしょうし、
まして税金を使うとなると「なんで?」という話になります。

172瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 19:26
>イワンさんへ
日本国家における天皇の存在というのは、国民がそれを支持しているとか、
支持していないという次元の話ではないのです。
現在の象徴天皇という地位は、大日本帝国憲法にあった
「大日本帝国ハ、万世一系ノ天皇、之ヲ統治ス」
を書き換えたものです。
つまり、半世紀まえの 我が国は天皇が統治する国家であり、天皇が
主権者でありました。
天皇と臣民(家来)という関係にあった訳です。
封建社会では武士が権力を握り、天皇は日本国の権威として存在していました。
現在の主権者は国民ですが、天皇は権力者ではありません。

最近においてはその権威さえ失墜気味です。
天皇制廃止を堂々と唱える人が出てきているわけですから、このままでは
天皇制ももうどうなるか、わかったものではありません。

しかし、私はこの点に関しては悲観的には見ていません。
なぜならば、これまでの政治的な存在と宗教的存在がある限り、
これに代わるものを我々は見つけることは出来ないからです。
まさに、歴史と伝統の重みであり、これを否定することは自らを
否定するに等しいからです。

さて、何がいいたいかといえば、あなたが言うように果たして
憲法に記載されているような<国民の総意>があるか?
ということですが、つまりはその象徴ということが先ず何も
判っていないということでしょう。

確かに象徴天皇を理解しろというのが無理かも知れません。

象徴とは西欧社会では宗教的な面から論じられる言葉で、
シンボルと訳するそうですが、どうもそれもわかり難い。
天皇の権威をどうして守っていくのか?
それが我々の知恵ではないかと考えます。

173イワン:2000/03/12(日) 19:38
>瀬戸さん
>確かに象徴天皇を理解しろというのが無理かも知れません。

もうすこし説明して下さいませんか?
情念的なものだとすればなおのこと、
現代において天皇を己の情念に組み込まずとも生きている人々が、
私を含めて大半だと思うのです。
「なんで?」に対する答えを、率直に聞きたいと思うのですが・・・?

また、宗教的なものだとすれば、それは否定しませんが、
だからこそ国政から分離すべきだと私は考えるのです。
174瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 19:45
>三郎さんへ
21世紀になっても国民が尊敬できる天皇制を維持していくためには、
何といっても若い世代の理解を得ることが必要です。
それには行き過ぎた皇国史観や歴史の歪曲はやはり改めなければなりません。

まず、天皇ありきの話は考え直すべきです、かっては天皇がいて日本人は
皇室から分かれて出来たなどという人がおりました。
遠い太古には皇室の祖先がおり、そこから日本人は誕生したなどは
受け入れなれない。
日本にはじつに様々な人が生活しており、それをまとめたのが天皇家であった
ということです。
天皇とはまったく別個の権威をもった共同体や国家が存在した事実から
目をそらすべきではないでしょう。
しかし、天皇を政治の最高の権威とする体制が、この日本国家を形成して
来た事実も同様に認めなければなりません。
この私の認めるということは、天皇家によって征服されたとか、滅ぼされたという
意味ではありません、あくまでも長い年月の中でそうなって行った
という事実を受け入れるべきだということです。
つまり、アイヌ民族や琉球王国の存在を否定する事は出来ません。
しかし、彼等も日本という国家に同化していった事実がある以上、
それを受け入れるべきとの主張です。
175瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 19:59
>イワンさんへ
>確かに象徴天皇を理解しろというのが無理かも知れません。

これは私自身のことでもあります。なぜ象徴なのか?
象徴天皇としてしまったことが、権威の喪失に繋がっていると
考えます。
できるなら、もう少し権威をもつ地位を考えるべきであった
というのが私の意見です。
この件に関しては私の論文が事務所にあるので、明日東京に
戻り次第投稿させてください。
天皇が政治的な存在でなくなったとしたら、それはもう天皇とは
いわないでしょうね。
政治的権威を保ち政治に従属して存在してきたからこそ、天皇家が
千年も続いてこれたのですから。


176瀬戸弘幸:2000/03/12(日) 22:05
>三郎さんへ
あなたの投稿文でひさしぶりに北一輝の名に出会いました。
自宅の本棚を覗き込むと4冊の本と二冊の雑誌の特集号がありました。
若き北一輝   松本健一
評伝・北一輝  松本健一
北一輝論    松本健一
北一輝論    松本清張
現代のエスプリス 北一輝
ピエロタ  北一輝・その人と思想

雑誌の特集で北一輝を「超国家主義者」として紹介しています。
我々の若い頃は北一輝を右翼より新左翼の方が評価しておりました。
右翼はほとんど関心を示していなかったような気がします。

そういえば、私が20歳頃政治運動を始めた時は、「純正社会運動」と
いう名称でやっていました。会員はたったの2名でした。
その時、私が書いた北一輝論も当時の機関紙に掲載してあります。
機関紙といってもがり版刷りのものです。
いまの人にガリ版なんていっても判らないでしょうね。(笑)
ただただ、懐かしさの余りくだらない事を書いてしまいました。

177三郎:2000/03/13(月) 00:48
瀬戸さんへ:「平成維新」について、もしくは政治における「言説」と「信念」

 私は、瀬戸さんのお書きになっていること(言説)を額面通りに受け取って、あれこれ考え、批判しているのですが、もしかしたら、私は大変な甘ちゃんかも知れません。
 政治の世界では、左右を問わず、「言説」(語られる言葉)と「信念」(本当に考えていること)とはしばしば分離することがあります。ひょっとすると、瀬戸さんも本当は「反天皇制」であり、政治的な戦略として「天皇」を利用しようとしている可能性もありますね。     
 「明治維新」では、本当は「天皇」などどうでもよいような人びとが、「天皇」を権力闘争の道具として利用しました(岩倉具視は公武合体派の孝明天皇を毒殺しました。伊藤博文が孝明天皇を殺したという説も根強くあり、安重根はこの説を信じていました)。「昭和維新」をめざした人もそうだったのではないでしょうか。少なくとも北一輝はそうでした。
 そして「平成維新」も----というわけでしょうか。これこそ日本右翼の王道ですね。私は、もちろん支持しないし、政治的なリアリティもないと思うのですが、それはそれで一つの考え方だとは思います。瀬戸さんの時代認識では、これかますます危機的な時代が到来するわけで、クーデターの可能性も絶無ではないでしょうから(戦後でも、三無事件、三島事件、オウム事件と少なくとも3つのクーデター事件がありました)。しかし、実際にそうだとしても、ここで明言できるわけはありませんね。天皇を擁して権力を奪取し、しかる後、「賢者」による独裁というわけでしょうか。
178三郎:2000/03/13(月) 00:54
:北一輝の「反天皇制」戦略
 北一輝は、「二・二六事件」(1936年)の最中の二月二八日午後、憲兵隊本部に連行されますが、留置場の隣の房にいた矢次一夫が『昭和動乱私史』にその時の北の興味深い発言について書いています。
 「北は、今度の事件に私も西田も無関係だと言い、もしも私が指導していたら、こんな ヘマなことはやらぬよ。真っ先に、宮城の諸門を封鎖して、天皇を擁し、大権発動を断行しているさ、とも言っていた。」
 青年将校はともかく、北自身は、クーデター勢力が宮城に突入、これを封鎖し、天皇の身柄を掌中に確保したうえで、天皇の名において大権発動を断行する、という戦略を考えていたようです。これは天皇を暴力的に掌握するということですが、天皇の上に国家を置き、天皇を国家改造の道具と見なす限りこうした戦術も当然ありうるでしよう。それでは利用された後の天皇はどうなるのでしようか。この点については寺田稲次郎の「革命児北一輝の逆手戦法」がきわめて暗示的な北の言葉を紹介しています。
 「何も彼も天皇の権利だ、大御宝だ、彼れも是れも皆天皇帰一だってところへ持って行 く、そうすると帰一の結果は、天皇がデクノボーだということが判然とする。それから さ、ガラガラッと崩れるのは」
 おそらく天皇を掌中に収め、実権を握ったクーデター勢力が、表向きは天皇親政体制の看板を掲げて天皇を政治の表舞台に引きずり出し、国民の前で天皇の「デクノボー」ぶりをあらわにさせる、ということでしよう。これは神権的天皇制の脱神秘化であり、国体論的天皇像(「神の裔」)と現実の天皇自身(「デクノボー」)との間のずれを国民の誰の眼にも明らかにする実物教育にほかなりません。「ガラガラッと崩れる」のはもちろん、天皇制です。
尊皇的作家三島由紀夫は、『改造法案』に「何か悪魔的な傲りの匂ひを嗅ぎ取った」と『奔馬』に書いていますが、これは『改造法案』の背後にある意図を鋭く突いているといえるでしよう。
179三郎:2000/03/13(月) 01:29
 オウム事件では、現・元の自衛官百人が関わっていたと言われます。
週刊現代の「50人」という数字は有名ですが、オフレコで警察は100人と言っているそうです。日本のメディアには出ていないんですが、外国のメディアには警察発表として出ているのですね。
 三島事件はああいうかたちで暴発してしまいましたが、
現職自衛官グループがクーデター計画深く関わっていたが、計画の具体化する
段階で彼らが躊躇したので、三島が「命より大事なものがあることをみせてやる」
といって自殺的な決起をしてしまいました。
 しかし、関与した自衛隊の青年将校グループはお咎めなしです。
これを摘発して、野党やメディアに漏れたら、自衛隊が決定的な打撃を食らうから、摘発したくてもできなかったのですね。
そのとき生き延びた、将校グループがオウム事件に関わっていなかったかどうか、
これも闇から闇へと葬られました。
 この問題に突っ込んだ取材をしたジャーナリストには大変な妨害が行われました。
オウム事件の真実を徹底的に暴かないと大変なことになります。
自衛隊だけでなく、北朝鮮、暴力団、統一協会、創価学会との関係もあばく必要があります。
(ところで、麻原も南朝に探りを入れたのはご存知でしょうか)
 ここで言いたいのは、時代錯誤の政治勢力に「天皇」はこれからもなお利用される可能性があるということです。
天皇制を廃止し、今の天皇や皇族が普通の国民として生活するようになり、普通の人と何ら変わらないではないか
ということになれば、「天皇」が政治的に利用される危険性もなくなるのではないでしょうか。
180瀬戸弘幸:2000/03/13(月) 14:54
>三郎さんへ

戦前の思想家の御三家は北一輝、石原莞爾、大川周明の3人でしょう。
これらの人は戦後史の中から意図的に抹殺されてきました。

北一輝の場合などは右翼よりも左翼から評価されてきました。
私は政治運動を始めた時、北一輝を掲げ彼が目指した国家改造を
理論の中心に据えようかとも考えたこともあります。

しかし、残念ながら北一輝は正直いって難しい。
石原莞爾もそうですが北一輝も法華教の熱心なる信者です。
この日蓮の教えが分からないと理解することが出来ないと思います。
昔はよく日蓮の宗派である国柱会の勉強会にも顔を出しましたが、
中途半端な勉強で終ってしまいました。

さて、我々は維新(革命)を目指す政治集団であらねばと、常々思っておりますが
現時点においてそれはあくまでも議会に進出することでしょう。
確かに革命は言葉の響きはいいのですが、それを作り出す状況が全くないのも
事実ではないでしょうか。

戦前には強大な軍部が存在し、彼らが右翼勢力の後ろ立てになってきた
という背景がありました。
現在の右翼には明確なる支持基盤が存在しません。
天皇陛下を奉じての「平成維新」など全くの絵空事に過ぎません。
我々の目指す社会の変革は天皇とは全く無縁な、国民運動として出発しなくては
ならないでしょう。
あなたが言われるように天皇は最早御輿にはなり得ないということです。

だから我々が天皇を政治的に利用するなどは全く考えてもいません。
ここで日本の歴史と切り離すことの出来ない天皇制を論じたのは、
我々極右が<反天皇>であるかのような風潮を正しておきたかったからです。
181イワン:2000/03/13(月) 23:12
>瀬戸さん

ゆるやかに天皇が尊敬されるような国家作りの運動を目指す、
ということでいいのでしょうか?

>天皇が政治的な存在でなくなったとしたら、それはもう天皇とは
>いわないでしょうね。

しかしながら、政治的な存在としての「天皇」はやっかいです。
正直言って、この国にはどこかしら、
それに触れることをタブーとするような空気が漂っていませんか?
それは天皇ではなく、街宣車的な連中のせいだとなるかもしれませんが、
事実としてマスコミでは批判的な言説はタブーです。
少なくとも民主国家を自認する日本において、これはおかしい気がするのですが?
182三郎:2000/03/14(火) 01:30
瀬戸さんへ:「右翼 21」----市民社会のなかの天皇制

>あなたが言われるように天皇は最早御輿にはなり得ないということです。
>だから我々が天皇を政治的に利用するなどは全く考えてもいません。
----と、おっしゃっているのですが、
しかし、「御輿」にはしないとしても、
瀬戸さんは、別のやり方で天皇を「利用」しようとしていることには違いないのではないでしょうか。
「利用」しないのであれば、憲法上の「制度」としての「天皇制」を
廃止して、天皇を民間の存在にして――市民社会のなかの「天皇」にして――、
瀬戸さんたちが利用ではなく、「陛下」を中心として、そして「陛下」とともに、民族精神の作興なり、日本精神の高揚など尽力されるといいのではないではないですか。
 怪しげな右翼の中年男たちではなく、天皇がトップに立てば、運動は全然ちがった様相を帯びると思います。
 21世紀の天皇は、ボランティアに支えられた、市民社会のなかの、「国民の天皇」になる----これが、新世紀の右翼のあり方とは言えないでしょうか。

183三郎:2000/03/14(火) 04:03
 政治には「理想」が大切です。「理想」なき政治は必然的に堕落し、腐敗します。
このことを、若き北一輝は、一九〇三年二月『佐渡新聞』に載った「善美なる妥協」という文章の中で次のように書いています。(『北一輝著作集』第三巻、みすず書房)

「問はん──今日の政党なる者果たして理想と称すべき者ありや。
 自由は得たり、民権 は得たり、憲法は敷かれたり、
政党内閣も一たび二たび建てられたり。
嘗て理想されし者既に悉く実現せられたり。
而して共和政治といひ社会主義といふ如き新たな〔る〕理想は
未だ彼等の夢に入らざるなり。
 若し夢ありとせば大臣の椅子を夢むるのみ。
局長知事の俸給を夢むるのみ。金貨を夢むるのみ。
株券を夢むるのみ。芸妓を夢むるのみ。」

しかし、のちに北自身も理想を失い、財閥からカネを取り、日蓮信仰に埋没していきましたが、それはともかく、
 2000年のいま、必要なのは新しい理想です。
政治家の諸君が、「若し夢ありとせば大臣の椅子を夢むるのみ」では困るのです。
21世紀の地平において「共和政治」と「社会主義」を追求すべきです。
184瀬戸弘幸:2000/03/14(火) 09:04
>いわんさんへ
>ゆるやかに天皇が尊敬されるような国家作りの運動を目指す、
>ということでいいのでしょうか?

天皇の権威を保ちながら、社会変革の運動の先頭に立ちたいということです。
しかし、天皇を錦の御旗に頂くというようなことは既に夢物語に過ぎません。
ならば、なぜ天皇にこだわるのか?
と聞かれれば、天皇不在のナショナリズムに?がつくからです。
我々は革命や社会の大変革はナショナリズムを高揚させるものでなければ
絶対に成功しないと考えるからです。

>しかしながら、政治的な存在としての「天皇」はやっかいです。
>途中略
>少なくとも民主国家を自認する日本において、これはおかしい気がするのですが?

「象徴天皇制」はその権威を権力から利用されない仕掛けとなっている
点で悪くない」これは昨年12月諸君に掲載された大塚英志さんの言葉です。

権力から完全に分断された今日の天皇制を肯定する主張だが、これは大塚氏
に限らず多数意見となってきたように思える。
実は私はそこをもっとも懸念するものです。何故ならば先ほども書いたように
ナショナリズムにとって天皇の存在がやはり必要と考えるからです。

ナショナリズムの再構築が全く天皇なしに果たして出来るのか?
私はそれを懸念します、確かにもう<御輿>にはなり得ないと思いますが、
かといってそれに代わりうるものが見付からない。

そこにこそ我々のジレンマがあります。
福田和也氏の言うような「天皇なしのナショナリズム」が私には見えてこない。
いずれにしろ、このままでは曖昧さを残したままに時代は流れていくような
気がしてならない。
民主主義とナショナリズムの中間点にあるのが、現在の天皇制でしょうか?
であるなら、来たるべき社会にそれ相応の出番があるでしょう。
185瀬戸弘幸:2000/03/14(火) 09:29
>三郎さんへ
ナショナリストにとって現在の天皇とどう向き合うかは、もう暫くすれば
結論は見えてくるものと思います。
果たして「天皇」を絶対に必要とするのか、あるいは「天皇」抜きの
新しい運動になるのか、それはここで結論を急ぐべき問題ではないと
考えます。
私自身は戦後民主主義との和解の上に成立するナショナリズムは擬似
ナショナリズムと考えています。
これから日本にナショナリズムが台頭してくることは間違いないところです。
それをはたしてどのような勢力が組織して、政治勢力へと押し上げることが
出来るのか。
その努力の争いとなることでしょう。
我々もその数百分の一でもいいから組織して、せめて議会に一議席でも占めて
見たいと考えます。
極右をなのる政党が一議席でも得たら、それだけで為政者は震撼する筈です。

それには理想を掲げ、それに邁進するというあなたの考えに同感です。

>21世紀の地平において「共和政治」と「社会主義」を追求すべきです。
共和政治ですか、現実的な選択とは思えませんが。
社会主義も国家社会主義という名称は拒否なさるのでしょうね。
186三郎:2000/03/14(火) 15:45
瀬戸さんへ :「社会主義21」、もしくは社会主義とアソシエーション
 ご指摘の通り、私は「社会主義」は擁護しますが、
「国家社会主義」は拒否します。
 社会主義のなかには国家を重視する社会主義があり、
そのなかにも二種類の社会主義があります。
 ひとつは、ナショナル・ソーシャリズム。
これが瀬戸さんなんかが言う「国家社会主義」でしょう。
(国民社会主義とか、民族社会主義とも訳します。)
 もうひとつは、スティティスト・ソーシャリズム
(国家社会主義とも訳されますが、前者との区別を強調して
「国権的社会主義」とも訳されます。)
前者は政治的共同体としての国家における人びとの社会的平等を
希求するわけですが(つまり、人間の普遍的平等ではありません)、
後者は国家権力、国会装置の力で社会主義的な目標を追求しようと
します。瀬戸さんはおそらくこちらの意味でも国家社会主義でしょう。

187三郎:2000/03/14(火) 15:46
 (つづき)ファシズムも同様です(ファシズムも社会主義の一種であることは否定できません)。
ロシア型マルクス主義も、西欧の社会民主主義はナショナル・ソーシャリズムでは
断じてありません。理念的には人類の普遍的平等を擁護しています。
つまり、どの国、どの民族にも当てはまる普遍的な原理として
社会主義を追求しています。とりあえず、特定の国民国家内部で実践をおこなう
としてもです。しかし、マルクス主義も社会民主主義も、ともに
ステイティスト・ソーシャリズムという意味では国家社会主義なんですね。

 わたしは、これら二種類の「国家社会主義」をともに拒否し、
「非国家的社会主義」を志向したいと思っています。

 19世紀には多様な社会主義がありました。20世紀の初めにもです。
ところが、第一次世界大戦後には、そして20世紀の大部分は、
ステイティスト・ソーシャリズムが社会主義思想の主流をしめてしまいました。
 非国家的社会主義としては、協同組合主義があります。またロバート・オーエンも
非国家的社会主義です。アナキズム系の社会主義もそうですね。コールのギルド社会主義もそうです。
非国家的社会主義者のかなりの部分は、市民社会におけるアソシエーションの役割に
社会主義的実践を期待しました。
 しかし、20世紀の「総力戦」、国家による「総動員」の時代にはいると、
国家中心の社会主義が社会主義思想の世界でヘゲモニーをもってしまいました。
188三郎:2000/03/14(火) 16:00
 (つづき):「社会主義 21」、もしくは多元的国家論とアソシエーション
 しかし、「冷戦」が終結し、「総力戦」時代が終わった今日、
社会主義思想も国家中心のステイティスト・ソーシャリズムから、
市民社会内部のアソシエーショナルな社会主義への転換の時代を迎えつつあると思います。
 近代主権国家を「一元的国家」として批判し、その「多元化」による「揚棄」を
めざしたのが、多元的国家論(政治的多元主義)でした。ラスキやコールなどの社会主義者は、その理論家です。彼らは同時にアソシエーション主義者でもありました。つまり、非国家的社会主義です。
 21世紀の政治理論として、多元的国家論を復権せねばなりません。
実際、ブレアの「第三の道」、とくにその「委譲」論のベースには多元的国家論があることが知られています。そういえば、ラスキもコールも労働党の理論家でした。
 「共和政治」と「社会主義」だけなら、21世紀の政治の理想にはなりえません。
国家の多元化(地域的、社会的、国際的な委譲による)、アソシエーションの思想をそれらと結合しなければなりません。
(前回の訂正です→)「ロシア型マルクス主義も、西欧の社会民主主義も
(「は」を「も」に訂正)ナショナル・ソーシャリズムでは 断じてありません。」
189北一輝はただの詐欺師:2000/03/14(火) 16:08
>しかし、のちに北自身も理想を失い、財閥からカネを取り、日蓮信仰に埋没していきましたが、それはともかく

それはともかくじゃないだろうが。
戦前右翼は皆、金儲けしか頭に無いチンピラでしかない。
言ってることは小学生並み。
児玉を見ればわかるだろう。
http://publish.comket.ne.jp/mainichi/ebook/huhai.htm

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/b5419/gotuuchi01.jpg

あいつとどこがどう違うというのか。
190かいと:2000/03/14(火) 23:06
>瀬戸さんへ

あるべき形は今後の課題、ということなのですね。それでは、前提とし
て一つ質問をしてみたいと思うのですが、「ナショナリズム」は果たし
ていつでも政治における理想を取り戻すことに繋がるものなのでしょう
か?その点がそもそも私にとっては疑問なのです。

例えば天皇が政治的存在として国家に君臨するとして、だからといって
理想的な政治が遂行されるようになるかというと、世界に君主国家は数
多存在していますが、一概にそう言えるわけではありませんし、また戦
前の我が国が崇高な理想に沿って政治を行いえていたかというと、これ
にもいくばくかの疑問が残ります。

戦後民主主義のていたらく、ということは良く言われますが、そもそも
それ程に現代人は駄目なのか?という言い方も出来ます。瀬戸さん、ま
たパネラーの皆さんはこの点についてどうお考えになりますか?
191イワソ(笑):2000/03/14(火) 23:41
北らは青年将校の運動の思想的準備者、または指導者として、
石原は「第二の天皇を目指した(増長した)」とかいう理由で、
いずれも天皇制自身が排除した人達です。
とすると、じゃあ戦前の天皇制の思想の本体はどこにあるのだろう?ということになります。
戦前の天皇制国家にそれほどの高邁な思想があったのでしょうか?

かいとさんが書いていますが、戦前の日本軍の蛮行や行き過ぎた精神論を見るにつけ、
そんなに崇高だったのか?とえば層ではなかったのではないかと思いますが。


192イワソ(笑):2000/03/15(水) 00:17
訂正です。

「とえば層ではなかった」→「と言えばそうではなかった」
193三郎:2000/03/15(水) 00:52
 政治の世界においては常にそうかも知れませんが、
とりわけ、天皇制のもとでの「言葉」と「信念」のあいだには、そして「建前」と「本音」とのあいだには、おおきな、めくるめく乖離がありました。久野収流にいうと、「顕教としての天皇制」と「密教としての天皇制」との乖離です。
 あくまで「顕教としての天皇制」(天皇の絶対的な権威、神権的天皇制、神の裔としての天皇)をふりかざしつつ、自分は「密教としての天皇制」(闘争と支配の道具、方便としての天皇)に徹する。木戸孝允から北一輝に至るまで(ひょっとすると、瀬戸さんに至るまで)みんなこれです。人民大衆は天皇が神なのではなく、ただの人だということを百も承知しながら、あたかも神に対してのごとく、服従して見せました(これを高畠通敏は「潜教」としての天皇制と呼びました)。ここでも、「建前」と「本音」は分離しています。
 一貫して天皇制は「敵」を攻撃する際の手段でした。対徳川幕府だけでけではありません。政治家、政党、軍人のいずれもがそうです。与野党が、政党政治家同士が、天皇の権威を利用して互いを批判し合う。軍人も「統帥権の独立」ということで政府に対して天皇を利用する。その結果、党のの権威がますますセリ上がっていきました。なにしろ「天皇」という名を持ち出すと、みんなひれ伏すのですからね。伊藤博文が、外国人医師ベルツのまえで、動作を交えながら、天皇を操り人形にたとえたのは有名です。維新の指導者たち(元勲、元老)がすべて亡くなると、もう天皇を上からコントロールする者はいなくなりました。
 もちろん、GHQにとっても天皇は道具でした。まずは日本軍の円滑な武装解除と復員のために、そして効率的な占領統治のために。しかし、もう天皇を「道具」としてはお役後免にせねばなりません。極右の瀬戸さんでさえ、本心かどうかは分かりませんが、政治的に利用しないと言っておられます。「かごの中の鳥」をかごから出して差し上げようではありませんか。もう「道具」としの利用価値はないはずですから。
194三郎:2000/03/15(水) 01:00
よく誤記、変換ミスをしていますが、今回は「天皇」です。
「一貫して天皇制は----。その結果、「党の」の権威がますますセリ上がっていきました」を
「一貫して天皇制は----。その結果、「天皇」の権威がますますセリ上がっていきました」に訂正します。
すいません。
195瀬戸弘幸:2000/03/15(水) 08:23
>189「 北一輝はただの詐欺師」呼ばわりさんへ

>それはともかくじゃないだろうが。
>戦前右翼は皆、金儲けしか頭に無いチンピラでしかない。
>言ってることは小学生並み。
>児玉を見ればわかるだろう。

思想家と利権や右翼を混同してはいけないよ。
北一輝は思想家であり革命家だよ。
戦前の右翼はあなたの言うように少なくともチンピラではない。
児玉や笹川にしても戦前は命を懸けて国家のために奔走していた。
彼らが変わったのは戦後社会においてだと思う。
戦前の国家社会主義者の多くも投獄されたり、活動の自由を厳しく
制限された中で闘っていた。
あの時代は今日とは違う、皆それぞれが自分の人生を賭けて、国家
民族のためにと闘っていたのだと思う。

他人を詐欺師、チンピラ呼ばわりするのは勝手だが、そういう自分は
現在何をしているのかを自分自身に問い掛けるべきではないのかね?
196三朗:2000/03/15(水) 14:01
 瀬戸さん、
戦前の児玉(とくに、中国での麻薬ビジネス)についてはともかく、
ほかの点では全面的に賛成です。
 左翼は左翼内部での論争がよくあるのですが、
右翼のほうはどうなんでしょう。今の日本では「右翼」というと
街宣車を乗り回し、だみ声で叫んでいる営業右翼を思い浮かべる人が
多いのではないでしょうか。
 チュチェ思想研究会員で、右翼団体の看板を掲げる暴力団には入っていたのが、
村井を刺殺した田中こと徐でした。日本では右翼というのは大変奇妙な存在になってしまっています。
右翼内部での論争といったものはあるのでしょうか。
197瀬戸弘幸:2000/03/15(水) 17:25
>三郎さんと196の三朗さんて別人ですか?

同じ方と思ってレスします。右翼陣営内部で議論が巻き起こるなどど
いうことは、ほとんどないのではと思います。

ただかって私がある右翼の連合体組織のパネラーとして呼ばれた時、
外国人不法就労問題に取り組んでいた関係から、相当の批判を浴びました。

この時、一水会の鈴木さん、犬塚さんと私の3人だけでしたが、
私への批判だけがとても強かったように覚えています。

アジアには大アジア主義という考え方があり、不法滞在者であっても
それがアジアの同胞であれば、批判するのは間違いだと言うものでした。

当時は日米経済戦争が激しく争われていた頃でもあり、反米気運が日本中に
蔓延していた。このような中で親中国派が力を増してきた頃でもあった。
日本がアジアの盟主となって、米国に対抗するという気運があった頃でした。

「大アジア主義は幻想」とか「日米共同覇権構想」などの主張を展開しているので
伝統的な右翼から批判の声が上がるかと思ってきましたが、現在のところ
論争にまでは至っておりません。

今夜は仕事の関係で休ませて頂きます。
皆さんには明日返事をさせてもらいます。
198三郎:2000/03/15(水) 20:09
 :昭和天皇のトンデモ天皇器官説
 「昭和天皇が立憲主義的な天皇機関説をもっていた」などというトンデモ説がこの国の体制派イデオローグに行き渡っているらしいが、どうやらこのトンデモ説が左翼にまで浸透しているからアンビリーバボーだ。
たとえば、米谷匡史というひとが、「天皇自身は立憲主義的な天皇機関説論者であった」などと書いている(「丸山真男と戦後日本」『情況』1997年、1・2月号)。
 立憲主義的天皇機関説とは、天皇というものは、憲法にもとづく一つの機関、一つの制度でしかないという説だろう。昭和天皇にとっては、天皇というものは、そんなものではない。日本国家と天皇とは一体の関係だとみなされているのだ。
 
199三郎:2000/03/15(水) 20:10
太平洋戦争末期、なぜ昭和天皇が戦争終結に決断をためらったのか。それは国体護持が心配だったからである。無条件降伏をして、国体を破壊されたら(つまり、天皇制をつぶされたら)日本はなくなる、と昭和天皇は考えたのだ(本当は我が身が心配だったのかも知れないが)。それで戦局が行き詰まり、敗戦必至に情況になり、国土が破壊され、数多くの国民が次々に死んでいくにもかかわらず、戦争終結の決断ができなかったのだ。
 昭和天皇は立憲主義的な天皇機関説論者でない。あえていえば、神権的な国家有機体説的、天皇機関(器官)説の立場であった。
  「要するに天皇を国家の生命を司る首脳と見、爾他のものを首脳の命ずる処によって
  行動する手足と看ば、美濃部等の云ふ根本観念と別に変わりなく、敢えて我国体に悖
  るものとも考えられず、……即ち天皇を国家の生命を司る首脳とせば、天皇に事故あ
  らば国家もその生命を失ふことゝなる……」
            本庄繁『本庄日記』原書房、1967年、206頁。
 もし45年8月の時点で、アメリカが日本側が求める国体存置をはっきりと拒否していたら、日本は絶望的な本土決戦に突入したであろう。天皇はベルリンのヒトラーと同様な最期を迎えたかも知れない。膨大な数の日本国民を道ずれにして。
わたしが言いたいのは、右だけでなく、左も、昭和天皇に対して大甘だということだ。この点に対するラディカルな反省がないかぎり、まっとうな天皇制論議の出発点にさえ立てないのでないか。
200イワソ(笑):2000/03/15(水) 23:03
>ラディカルな反省がないかぎり、まっとうな天皇制論議の出発点にさえ立てない
三郎さんには賛成です。

そもそも戦後の政治における高潔さや倫理のなさが非難されるとするならば、
汚職や利権について選挙の「みそぎ」だけで済ませてしまうような政治風潮があるとするなら、
それは「遺憾に思う」だけで戦争責任を済ませてしまった、
天皇の身の振り方、責任回避こそが範例を作ってしまったのではないか、と、
そう私には思えます。
国体の頂点が責任を取らないのですから、
政治における倫理や責任など、
戦後において虚妄に過ぎないのは当たり前ということです。
倫理や道徳を求めるならばなお、天皇の戦争責任はきちんと追求されるべきです。


201イワソ(笑):2000/03/16(木) 00:48
あ、ちなみにこの名前は日本茶のイワンさんと区別する為につけました。
私は当初から参加してるイワンです。
202三郎:2000/03/16(木) 01:02
イワンさんへ
 藤岡信勝・自由主義史観研究会編の『教科書が教えない歴史』
という本がありますが、天皇の戦争責任も「教科書が教えない歴史」
なのに、この本では一切触れていません。これはおかしいですね。
 孝明天皇が暗殺されたことも書いていません。
 昭和天皇が政治的な君主として、国家政策、軍事作戦にしばしば積極的に
発言し、決定を左右したことも書いていません。
 昭和天皇の言葉が、戦艦大和出撃問題で対立する海軍内部に
決定的な影響を及ぼし、絶望的な出撃になったことも教えるべきです。
 なんなら明治以来、天皇が宮城でどんな生活をしていたかも
教えるべきです。いわゆる典侍なる女性についてもです。
 ちなみに松本清張の遺作『神々の乱心』(上下)を最近出た文春文庫で読みましたが、
この世界が描かれています。大変な力作です。

203三郎:2000/03/16(木) 01:04
(つづき)そして、昭和天皇が最期に戦争終結を決断したのは、
国民の生命を救うためでなく、「三種の神器」が大切だったからだ、
ということも教科書で教えるべきです。
 昭和天皇は『昭和天皇独白録』(文春文庫刊)のなかで、
8月10日の戦争終結の「決心」に際して、
「三種の神器」のことを考えていたことを告白しています。
  「国体護持の事で木戸も仝意見であったが、敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田
  両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込が立た
  ない、これでは国体護持が難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせね
  ばならぬと思った。」
 えぇ、「三種の神器」のために戦争終結を決心したって!
アメリカが原爆を二発投下し、さらなる原爆攻撃も準備しているときに、天皇の頭蓋にあったのは、1183年壇ノ浦に「神器」とともに入水した安徳天皇の
ことであったかも知れません。何という時代錯誤。
 しかし、われわれはこのことをどうあっても子どもたちに教えなければなりません。
204三郎:2000/03/16(木) 01:20

>小林よしのりさんへ

 昭和天皇の「公」的責任をどう思いますか。

>瀬戸さんへ
昭和天皇が天皇のすべてでないことは承知しています。
昭和天皇を否定しても天皇制をなお護持するという立場もあるでしょう。
平成右翼の残された道はここにしかありません。
そうしないと、無責任と欺瞞とを右翼は引きずる続けなければならないでしょう。

いかなる立場に立とうが、昭和天皇の「責任」は否定できません。
百歩譲って、国民や諸外国に対する責任を語らないとしても、
「皇祖皇宗」に対する責任、天照大神や神武天皇など歴代天皇に対する
「責任」というものはあるはずです。

昭和天皇を擁護し続けることが、「天皇制」にとって不利益に働いていることを
右翼の皆さんは、お気づきください。
205豆屋:2000/03/16(木) 02:36
1の田原一郎さんをみて
こないだ(二月下旬)に田原総一郎が熊本に来ていた。
そこで熊本県知事・福島譲二(漢字あってるかなぁ)の悪口さんざん言っていた。
「あの人はもうダメ!全然ダメ!!」
そしたら1週間後に知事さん死んじゃった。

恐るべし!田原の言霊!!
206三郎:2000/03/16(木) 16:13
:天皇不親政の伝統と象徴天皇制
 『朝日新聞』によると、昨日洞富雄さんが亡くなられたそうです。この人は、「南京大虐殺」あり派で、「天皇不親政の伝統」論だったらしいですね。しかし、これが戦後民主主義派の正統的立場なんですよ。『朝日新聞』や「ニュース・ステーション」の立場なんですね。
 「南京大虐殺」があったというのは正しい。しかし、「天皇不親政の伝統」というのは、象徴天皇制からさかのぼるかたちで歴史を再構成することによって、現行象徴天皇制を正当化するための、ためにする理論でしかありません。
 つまり----「日本史上、天皇親政は例外でしかなく(天武天皇や後醍醐天皇など)、不親政が伝統である。象徴天皇は天皇不親政である。だから象徴天皇制は天皇制の本来の姿を継承している。だから、だから、いまの象徴天皇制がいいのだ」----という議論の展開になるのですね。
207三郎:2000/03/16(木) 16:14
(つづき)
 しかし、第一に、天皇不親政の伝統は歴史的事実に合致しない。
 第二に、かりにそうした傾向があったとしても、江戸幕府でも15代にわたる将軍を見ると「不親政」が多いということになるし、諸外国の君主制にも「不親政」の時期が多いといえるわけで、それはなにも天皇制に固有の伝統とはいえず、「君主制」一般が現実の運用のなかで見せる共通した特徴とも言える。
 そして、第三は、そういう伝統があったからどうなのか、ということです。「天皇不親政の伝統」があったとしても、いま、そしてこれからも「象徴天皇制」を護持しなければならない理由はどこにもありません。
 瀬戸さん、右翼の中曽根さんは、確か、「天皇不親政の伝統」論で、しかも「女帝」賛成論でしたよね。ご意見をお聞かせください。
208田原一郎:2000/03/16(木) 23:24
えー、天皇制をめぐる(追求批判厳しい)議論が続いていますが(議論は続けてください)、
ここで平行してパネラーの皆さんにお尋ねしてみたい、
先ほどは従軍慰安婦問題を次に、という振りをしてみたのですが、
まあ、他のスレッドにもリンクして、現代の論壇の状況として、
例えば小林よしのりさんと教科書を作る会なんかについてはどうですか?
国家論や戦争責任をめぐる話題と言えば・・・ということで。
三郎さん、イワンさん、かいとさん(そして瀬戸さんにも)その他、
パネラーの皆さんのご意見を一度聞いてみたいですね。
いかがですか?
209瀬戸弘幸:2000/03/18(土) 20:16
>三郎さん、いわんさんへ
お二人の考えは天皇の戦争責任が問われなかった事が、道徳や倫理に欠ける
今日の政治・社会状況を作り出している原因である、というもののようです。

しかし、確かに指摘されるような面があることは認めますが、日本がまがり
なりにも経済大国として復興を遂げた理由の一つに、敗戦をばねに国民が
一丸となって頑張ってきた事実も忘れてはなりません。

無条件降伏した国が、このように短期間に驚異的な復興を遂げたのは、歴史的にみても
極めて珍しい現象という専門家の指摘もあります。
少なくともこれまでの世界史の中ではなかったことではないでしょうか?

ということは、裏をかえせばやはり日本が他の国とは違った特異な国である
ということも言えるでしょう。つまり、天皇の名で戦われた戦争であっても
その責任を天皇一人に負わせなかったことが、今日の繁栄の源になってきた
ともいえるのではないでしょうか。
210名無しさん:2000/03/18(土) 20:30
…この場において、日本が経済大国な〜んて言ってるやつ。
笑っちゃう。
田舎から「金の卵」の労働力をかき集めて、生産しました。
そして、発展したそうな…。
これからは、その「金の卵」が、
介護保険で襲撃するんじゃないの?

どうか、陛下に日本の高齢者問題を解決してほしい!
「汝、臣民、飢えて死ね」とかね(はあと)
211瀬戸弘幸:2000/03/18(土) 20:40
>三郎さんへ
>瀬戸さん、右翼の中曽根さんは、確か、「天皇不親政の伝統」論で、
>しかも「女帝」賛成論でしたよね。ご意見をお聞かせください。

私は昭和59年暮、「国士・中曽根康弘」の著を出版した事があります。
その中で中曽根先生の天皇論として、次のような先生自身の言葉を 紹介しております。
「私は日本の天皇は、昔から今日まで本質的性格は今の象徴的天皇の存在であったと
思っています。天皇が二千数百年の歴史の中で維持されてきたのは、実際は
政治権力を持たないで、その戦争や勢力闘争の渦中に入らず、全ての勢力の
上に超然としていたからだと思う。
歴史的に見ると天皇が軍刀を持って政治の実験者として君臨していたのは
神武天皇から景行天皇の頃までで、それから後醍醐天皇までの60年間、
あとは明治憲法下だけだろうと思うのであります。・・・・・・」
長くなるので省略しますが、実権のない精神的な存在、あるいは求心力
としての天皇といったところでしょうか。
「女帝」論については、余り詳しくないので、逆にそのような資料が
あったら教えてください。
212三郎:2000/03/18(土) 20:41
瀬戸さんへ :戦後日本の経済発展は「他力」による

 第一に、戦後日本経済の復興、そして発展のキッカケになったのは、1950年春にはじまる朝鮮戦争による「特需」(特別需要)でした。戦場に近い日本で米軍は補給、修理、休養などをした。それが日本経済を刺激しました。

 第二に、占領下、GHQの力で「農地改革」をやった。これが後の経済発展にとってきわめて大きな作用をしたと言えます。長谷川慶太郎氏も指摘するように、東アジアで経済が発展した、日本、韓国、台湾はいずれも農地改革(大土地所有制度の廃止)をした、それをしなかったフィリピンは永続的な低開発状態にとどまっています。
 「2・26」のクーデターが成功していたら農地改革もあったかも知れませんね。
しかし、現実には、日本人自身の力ではなく、アメリカ人の力で農地改革が実現した。それも結局、敗戦の結果です。もし、戦争に負けていなければ、あれだけの経済発展はなかったでしょう。
 第三に、1950年代から60年代にかけて、世界的の先進諸国はいずれも経済が高度に成長しました。日本だけでなく、アメリカ、イギリス、ドイツもです。

 日本だけが、とくに悪い、酷い、という見方も、逆に、日本だけが特別優れている、例外的で、ユーニークである、という見方も、どちらも一面的だと思います。私は、日本は数ある国の一つ、という具合に突き放して、冷静に見たいと思います。
213210>エル:2000/03/18(土) 21:01
「激動しそして混迷する今日の日本社会」…か…

感想だけ言わせてもらえるのなら、ステキな意見はあるよね。
でも、本を読めばわかるようなのは願い下げ。
資料を提出するのなら、ちゃんと明記しなくちゃ。
いかにも自分の意見のように、
「自分」の「意見」を表明するのは、いかがなものでしょう?
まぁ、好きでやってることですから、目くじらは立てませんが…
214瀬戸弘幸:2000/03/18(土) 21:25
>210さんへ
>…この場において、日本が経済大国な〜んて言ってるやつ。 笑っちゃう。

私の文章を指しておられるようなので反論しておきます。
日本が経済的な不況から脱しきれないとはいえ、依然として経済大国である
事実に変わりはないですよ。

あなたも経済大国である事実はお認めになるが、もうその経済大国にも
翳りが見えてきたといいたいのでしょう。

それなら私も同じです、どうしてこれから経済を再生させ、発展させるかを
真剣に考えることが大切なのでは?

このパネルデスカッションも将来の日本の不安を我々の手で解決する
ことを一つの目的として語られていると思います。

ひやかしもけっこうですが、建設的な意見もお待ちしたいと思います。

215三郎:2000/03/18(土) 21:40
210の「名無しさん」へ
>…この場において、日本が経済大国な〜んて言ってるやつ。
>笑っちゃう」
 ひょっとすると、現在の日本の情況への批判的認識という点では、
あなたと私とでは共有できるものがかなりあるかも知れません。
 しかし、瀬戸氏を擁護するわけではないけれども、
いまの日本は、この程度でも、世界全体から見ると大変な「経済大国」(エコノミック・パワー)なんだと思います。
 不況だとか、就職難だとか言っていますか、大多数の人はそこそこ暮らして行けている。
それどころかずいぶん贅沢な暮らしもしている。
(自分を「中」程度の暮らしをしていると感じられる人はいい。問題は、「豊かさの中の貧困」というか、底辺の大変な貧困のなかで暮らしているひとがかなり存在していることです)

先進国でも、イギリスではサッチャー、メイジャーの保守政権の18年間ですっかり荒廃し、100万人がガスも電気もない、したがって暖房もない状態で、この冬をおくっています。イギリスでも子どもの「不登校」が問題になっていますが、その原因はすべて「貧困」なのです。

 そんなに日本で、「中」とか「中の中」と感じている人びとの不満や要求をそのまま受動的に受けとめて、それを「代表」するような政治家、政党はダメだと思います。「変革」(チェンジ)の時代です。「代表」的ではなく、「創造」的な政治が必要だと思います。
216瀬戸弘幸:2000/03/18(土) 21:42
>三郎さんへ
>日本だけが、とくに悪い、酷い、という見方も、
>逆に、日本だけが特別優れている、例外的で、ユーニークである、
>という見方も、どちらも一面的だと思います。私は、日本は数ある国の
>一つ、という具合に突き放して、冷静に見たいと思います。

確かに日本やドイツの驚異的な復興は戦後の冷戦構造の高まりの中で
予想以上に進んだという主張は同意できます。
しかし、それだけでしょうか?
以前にもこの欄に書いた事がありますが、それを「外部環境」にだけ
求めるのはどうでしょうか?

広いアジアの諸国の中で我が国だけが西欧列強と戦い、敗れはしたもの
の経済大国として再興したのには、やはり日本という国が持っている
「特殊性」にこそあったとこだわりたいのです。

217210:2000/03/18(土) 22:07
ひやかしではなく、参加させていただきたいのですが、
よろしいでしょうか?

HNは「鳥」です。

*瀬戸さんが「特殊性」こだわる所以がいまひとつわからない。
 日本だけが「特殊」なのではないのでは?
 お互いの差異を認め合ううえにおいて、お互いが「特殊」なのでは?

*三郎さんの言われることにおいて、
 貧富の格差は容認されてよいのだろうか? 何故に?

*「調整インフレ」は、やはり行われるのでしょうか?
 地方自治体の財政にも焦点を当ててみては?
 天下、国家を論じるばかりが能ではないでしょう?

*地方財政の困窮があるからこそ、石原は支持されたのでは?
 こんな、テーマもありましたっけ(失礼)
218瀬戸弘幸:2000/03/18(土) 22:48
>210の鳥さんへ
討論への参加を歓迎します。司会の田原さんも了解して頂けると思います。
さて、ご質問の「特殊性」にこだわる理由についてですが、
それが自分の国を愛することに繋がるのではないでしょうか?
特別だと思う事は差別や排他主義ではなく、自からの国家を誇りに
感じるということで、大切なことと考えます。

あえて批判を承知で書き込ませていただく事にしたい。
先の大東亜戦争によって多くのアジア諸国は独立を果したとされている。
歯に衣を着せずにいえば、経済的に自力で成功している国が少ない。
何処の国も援助をあてこんでいるようだ。

これはその国の内実として、かっての帝国主義の時代、欧米列強に苦もなく
征服され、植民地になって行った状況とそう大差はない。

日本は確かに米国の生産工場としての役割を担わされてきたわけだが、
経済の復興を成し遂げたのはそれだけではない。

やはり日本の内実には他の国とは違ったものがあると信じたいのです。
それが何であるかと問われれば、それは日本という国家の特質とも
いうべきものではなかろうか。
219三郎:2000/03/18(土) 23:24
「鳥」さんへ
>*三郎さんの言われることにおいて、
>貧富の格差は容認されてよいのだろうか? 何故に?
 わたしは貧富の差を「容認」しているのではなく、「問題」にしているのです。
「貧富の差」が重大なのは先進国と発展途上国とのあいだにおける「貧富の差」です。
より正確に言えば、一番重要な問題、一番解決を必要としている問題は、第三世界における「飢餓」と「貧困」です。まず「生存」が問題であり、つぎに「人間らしい生活」です。21世紀の国際社会はこの問題に取り組まなければならない。「国際社会」を「国際共同体」に再編し、国家の枠を超えた協力と援助を推進する必要があります。日本がそのなかで世極的役割を演じることができれば良いのですが。
 先進国である日本にも「貧困」が存在します。ホーム・レスを筆頭に生活保護受給者とその周辺ぐらいでしょうか、人口の10パーセント程度の部分です。最近も飢餓状態の女の子が凍死しましたね。あそこまではいかないが、あれに近い生活をしている人はずいぶんいるはずです。経済が高度に発展しているにもかかわらず、少数者とは言え、なお「貧困」の状態にある人が存在することは大変な矛盾ではありませんか。この「豊かさのなかの貧困」の廃絶にただちに着手しなければならない。
 しかし、「自家用車」を所有しているとか、「ゴルフ」をするとか、「海外旅行」の経験があるとかいった連中はおよそ貧困とは言えない。生活が苦しいなどとは絶対に言わせない。若い頃、大都市のターミナルの雑踏を歩いていて、ぬくぬくと繁栄に酔いしれた「こいつら」を見て、怒りがこみ上げてきたことが何度もありました。大江健三郎のいう「アングリ・ヤング・メン」の一人だったのですね。まぁ、最近はそこそこ年もとったので、さすがにそんなことはないですが。
 いいたいのは、現代世界の主要矛盾、現代先進国社会の残された重大問題を見落としてはならないということです。
220210→鳥:2000/03/19(日) 01:13
司会の田原様、参加についてご了解いただけますでしょうか?
221三郎:2000/03/19(日) 01:18
田原さんは、おトイレへ行ってまだ戻りません。
それまで、しばらく続きの発言してください。
いいですね、瀬戸さん。
222若頭:2000/03/19(日) 02:56
>鳥さん
>*「調整インフレ」は、やはり行われるのでしょうか?
行われないと思う。何でかゆうたら、政府がほとんど意地になってるから。
もっともらしい理由をつけて拒んどるけど、ただの意地やと思うよ。
クルーグマンも呆れ果てとる。「自律的回復」するんならしてみろって(笑)
ただ、インフレ期待、まあ日銀の国債買取りやけど、政府がそれをやらない
理由として、「円を第三の基軸通貨にするという方針に反する」というのを
挙げとるのは、納得出来るような気がせんでもない。クルーグマンなんかは
そんなメンツに拘るなんでバカバカしいとか言っとるけど、どうなんやろ?
多分やった方が良いとは思うけど、リチャード・クーも斉藤精一朗も大反対
やろ? ワシは基本的に経済評論家なんちうのはアテにしないという方針で
やってきたけど、あれだけ自信たっぷりに偉そうにいわれると素人としては
なぁ(^^;
リチャード・クー(=時々声が裏返る人)曰く「調性インフレは百害あって
一利無し」やそうやからね。ホントかよって言いたくなる。
223若頭補佐:2000/03/19(日) 03:21
>田原さん
>従軍慰安婦問題
>それぞれの立場からこれをどう見るか?
>どのように解決していくのが望ましいか?
>という立論を提示していただけると、
韓国人に対する従軍慰安婦問題に限って言えば、私は解決も何も日韓基本条約
で処理済という立場です。これはイデオロギーとか何とか言う以前の問題だと
思う。もちろん小林秀雄曰く「反省したい人はたんと反省すればいい」のであ
って民間基金の設立等、やりたい人はたんとやればいいと思います。
もっと言えばこれは歴史の問題ですらないのであって、国と国との約束事
(条約)の問題に過ぎないと思います。
ただ、個人として従軍慰安婦問題にどう向き合うかは別問題で、はじめの一歩
すなわち歴史検証からやるべきだと思う。秦郁彦なんかは読む価値が十分あると
思う。
224かいと:2000/03/19(日) 03:59
>鳥さん、こんばんは。

調整インフレについてですが、国内産業の構造不況が偏在する状況である
限り、調整インフレは国家財政にとっては良策かも知れませんが、国内産
業にとっては二つの問題を引き起こします。一つは、コスト圧迫によって
海外商品との競争力が低下すること、そしてもう一つは海外進出、移転が
激化して空洞化が進むということです。
さらに、今のゼロ金利に近いという金利抑制政策下にあっては、金融資産
の元本の割り込みを引き起こします。危機の言われる金融の現状もそうで
すが、我が国の平均給与水準が実質的に低下している状況にあって、国民
生活にとっても、調整インフレは取るべき手段ではない、ということが言
えそうです。


225若頭補佐:2000/03/19(日) 05:44
かいとさんの言われることは一長一短の問題ですよ。
実際問題、「流動性の罠」に嵌ってしまっている状況で、ではどうやって
「需要」を押し上げることが出来るのだろう?
政府は「やるべきことはすべてやった」と言っている。私もそう思いますよ。
規制緩和などの構造問題を除けば、かなり大胆なことをやって来た。
それでもまだ景気が上向いてきたとはとうてい思えない。
何故だろうか?
政府は大赤字で「やるべきことはすべてやった」んですよ。
堺屋太一もリチャード・クーも、やることは全てやったんだから、これから
徐々に景気は良くなるって言っている。ホントかねーと私は思う。これで良く
ならなかったらどうする気?って思う。
色々と問題があるのは事実ですが、私は素人なので経済学の基礎に戻りたい
ですね。「需要」が伸びない。金利もゼロ。だったらマイナス金利にすれば
いい。そう、じゃんじゃん金を刷っちゃえばいい。簡単な話だと思う。
やっちゃえって思う(笑)
226かいと:2000/03/19(日) 17:36
>若頭さんへ

経済に関してはこのスレッドの始めのほうで述べたのですが、現在
の国権は経済政策において制御能力を失いつつある、要するに国権
が対策に乗り出せば乗り出すほど現在の経済は混乱するという状態
に入ってきているわけで、

> 政府は「やるべきことはすべてやった」と言っている。私もそう思いますよ。
> 規制緩和などの構造問題を除けば、かなり大胆なことをやって来た。
> それでもまだ景気が上向いてきたとはとうてい思えない。

のは当然の帰趨なのです。ちなみに景気は回復していないというこ
とがしばし言われますが、幾つかの経済指標においては景気の回復
傾向がはっきりと現れています。にも関わらず、景気回復が実感で
きないのは、ごく単純化して言えば累積国債で実質的に破綻状態に
ある国家がその上に立ちはだかり、それ自身が障害や不安感の醸成
につながってしまっているからです。つまり経済政策的な観点から
国権が需要の拡大を喚起しうる施策はもうない、ということです。

従って調整インフレなどの経済施策ではなくて、他の公共的施策に
よって国権は需要の拡大を喚起することを考えるべきなのです。
227瀬戸弘幸:2000/03/19(日) 21:13
調整インフレについて話題になっていますが、私はこの点に関しては
勉強不足なのですが、これまで政策として取られたことがあったのでしょうか?
そしてその結果はどうだったのでしょう、誰か知っている人があれば教えてください。

私の個人的な考えは現在問題となっているのは、資産デフレの状態にある訳ですから、
これを早急に直す事が大切であると思います。
バブルの後遺症が今尚続いており、それが経済の回復を阻害しているのは
間違いありません。
特に商業地域の不動産価格の下落傾向にまだ歯止めがかかっていない。
銀行はこれらの土地を担保に過剰な融資をしており、この問題に決着が
付かなければ、金融不安に端を発したこの不況は解決しないでしょう。

政府は天文学的な公的資金の投入とゼロ金利で銀行を救済していますが、
不動産の下落が止まらない限り、それは成功するとは思われない。
商業地の再開発を協力に推し進め、税金を免除して活性化を図るしか手は
ないと思います。
前から主張していますが、不良債権化している不動産を抵当証券にして
それを魅力ある投機商品として、市場において一般投資家に売却する
という案が良いと思っています。
228瀬戸弘幸:2000/03/19(日) 22:03
>若頭さんへ
全体の討論の流れとは直接関係のない、個人的な興味をだけで
発言したら迷惑でしょうか?

あなたはかって参加している人達の立場を図解して見せてくれました、
あの図でいえば、私とあなたの立場は確か一番正反対で遠かったと思います。

私がこのサイトで書き込みをしているのは、自分自身の思想を少しでも
広めたいという気持ちからです。一つの政治活動の一環です。

対してあなたの場合は私とは全然立場が違っているように思います。
他のスレッドにおけるあなたの投稿文を見ても、政治的な目的というよりは
また別な考えがあっておやりになっていると思われます。

若頭さんの理想とする国家像などをお聞かせ願いたらと思います。
皆さん、個人的な発言を許してください。
以前、私と根性が似ていると書いておられたので、妙に親近感を
持ったものですから。
229田原一郎:2000/03/19(日) 22:20
えー、鳥さん、参加大歓迎です!!どうぞ!

ずいぶんと議論が錯綜してきました。
天皇、従軍慰安婦、調整インフレ、貧困・・・。
ひとつひとつ絞っていきたいんですが、どうしましょう?

230イワソ(笑):2000/03/19(日) 23:26
>田原さん

経済問題は面白いんですが、謙遜かもしれないけど、若頭さん、瀬戸さんも
専門でないと断りを入れておられますし、書ける方が限られてしまいます。
(ああ、かいとさんはどっからその知識を仕入れてくるのだろう?)
自分も何が正しいのか判断しかねています。
時に応じて触れていく、としておいてもらえたら嬉しいです。

天皇問題については、国家論に絡めてがいいでしょう。
是非論に絞るとどうも堂々めぐりになりそうな気がして、
これも派生的に扱う、というのはどうでしょう?

あと幾つか残っていますが、あとは田原さんの裁量にお任せしますよ。
いつもお世話になります、がんばってください!!

231田原一郎:2000/03/20(月) 01:25
うーん、それではですねえ、

課題を二つに絞って進めてみたいと思います。

1つ目は、天皇、従軍慰安婦などを含めて、「戦争責任」ではなく、
いわゆる「戦争犯罪」の問題について。旧日本軍の残虐や、
また逆の観点が取りざたされますが、これについて皆さんのご意見を下さい。

2つ目は、財政問題。調整インフレや地方自治体の財政危機など、
膨れ上がる行政の財政の危機、と言う問題があります。
ここには、では増税か?あるいは弱者救済の財源は?と言った問題も絡んでくるように思います。
大きな政府か小さな政府か、といった政府論も加わってくるでしょう。
この点についても議論をお願いします。

ではどうぞ。
232三郎:2000/03/20(月) 02:13
田原さんへ

1つ目については賛成です。
2つ目も結構です。
「小さな政府」と「大きな政府」ということと関連して、
「市場経済」、「新自由主義」(市場主義)、
そして「社会主義」や「福祉国家」についても
論じることができればと思います。
233三郎:2000/03/20(月) 02:26
 われわれは、日本の「戦争犯罪」に率直に向き合う必要があると
思います。「731部隊」、そして「南京大虐殺」についてもです。
「従軍慰安婦」もそうです。
 ところが、一部に、こうした「戦争犯罪」を率直に認めたがらない人がおられる。
たとえば、「南京大虐殺はなかった」などという。「従軍慰安婦」に関しても
たいした問題ではないかのごとく扱う人士がおられる。
 これはひとつの「社会現象」として分析に値するとは思いますが、
まともな主張とは思えません。しかし、とはいえ、彼らの議論をアタマからはねつけるのもいけないでしょう。
 去年、大阪の帝塚山学院大学の哲学の非常勤講師が「南京大虐殺はなかった」と
発言して、クビになりました。学生が騒いだのが発端で、裁判でも負けたそうです。
非常勤講師は、一年契約ということになっていますので、これまでの判例では立場が弱いのですね。簡単に「雇い止め」されてしまう。
 わたしは「南京大虐殺はあった」と思います。
しかし、「南京大虐殺はなかった」という主張をアタマから認めず、
クビにするとは酷いと思います。
 この「対話」を拒否する姿勢が一番問題だと思います。
234若頭補佐:2000/03/20(月) 04:02
>かいとさん
「やるべきことはすべてやった」と私が言ったのは、「まだ肝心な政策
が一つ残っているだろう」という含意です。
>幾つかの経済指標においては景気の回復
>傾向がはっきりと現れています
あれだけの借金をこさえてやったんだから、現れるのは当然です。問題は
それが「自律的回復」かどうかであって、そのための指標は「新規の設備
投資」です。それが向上すれば一段落といったところだと思いますが、ま
だ予断を許さない状況だと思います。
あと、国家が大赤字を抱えていることの「不安」が醸成されているから、
「需要」を伸ばす為の施策はもう無いというのは、私はいまいち説得され
ません。
一方、ポール・クルーグマンを読みなおしてみたのですが、やはり説得さ
れてしまいました(笑)
いまの日本の実状は、実質金利がゼロでも、十分な総需要を作り出すには
不足だという事態です。構造改革や公共的施策(?)が、必要なだけの
「需要」をもたらすという説得力ある議論が展開できないかぎり、「需要」
を拡大するための唯一の方法は実質金利を下げることなんです。
そして、それをやる残された唯一の方法が、インフレ期待をつくりだすこ
とだと、あらためて思います。というか説得されました(笑)
まあ、われわれが何を言ってもしょうがないですけどね。
ただ、いまの日本の実状は、経済学の理屈として基本的な解決モデルが
あるのに、「やることはすべてやった」というのはどうしても欺瞞に聞こ
えるんです。
235若頭補佐:2000/03/20(月) 04:02
>瀬戸さん
私が社会や政治に対して持っている意見は唯一つ。
それは、「共同体」を構成する私たち一人一人の様々な「主張」や
「異議申立て」が、きちんと表現され議論されるインフラを「共同体」が
持っているかどうかということです。そしてその意味での「民主主義」は
絶対に必要だということです。それだけです。

私は理想的な国家像というのは持っていません。「完全な理想像」というのは
唾棄すべき考え方だと思っています。思考とはつねに「可能性」に向けら
れるものだと思っています。

あと私は個人・自由主義者です。「ルールさえ守れば、何をしても良い」と
いう前提は、誰にも犯されないものだと思っています。

ついでに言っておくと、私はアナルコ・キャピタリズム(=無政府資本主義)
というのにかなり興味を持っています。
「市場の論理」と「国家の論理」の埋め難い溝に興味があるんです。
国権による経済施策は市場の在り様を歪めるだけであり、一切を市場の原理
に委ねることこそが、市場を健全化する唯一の方法である、というのがアナ
ルコ・キャピタリズムの主張です。
デイヴィド・フリードマン(ミルトン・フリードマンの息子)などのこの
主張は、司法・警察・防衛などの市場化にまで広がるのですが、少なくとも
経済施策に関する限り「国権を排した完全なる市場化」というのは将来の展
望として私を清々しい気分にさせます。もちろん、絶対に賛成というわけで
はありません。私は「個の自由」と「必要悪としての公」を秤にかけて
いるだけです。
ただ「資本主義」に対する私の基本的態度は「肯定」であり、もっと言えば、
「国家の論理」が「市場の論理」を踏み越えてはいけない(踏み越えるこ
とは出来ない)、というものです。
とりあえず、以上のことを明確にしておきます。
236若頭補佐:2000/03/20(月) 04:32
あら、議論を妨げちゃったかしら?

「戦争責任」についてではなく「戦争犯罪」についてですね。
これはもう歴史家に任せるしかしょうがないでしょう。我々がとやかく
いっても仕方ない。三郎さんは「南京大虐殺はなかったなどという人が
いる」と仰いますが、本当ですか? また「南京大虐殺はあったと思います」
と言われるが、それに対して返答するなら、「あ、そうですか」としか言いよ
うが無い。
つまり「戦争犯罪」そのものの歴史的検証というのは、我々の信条やイデオロ
ギーとは関係なく、システマティクに進めるべきで、たとえば「南京大虐殺」
についてなら、当時の資料を膨大に持っているはずの北京政府にその開示を
促すとか、そういう問題だと思います。
もひとつ「戦争犯罪」そのものについて議論するなら、南京大虐殺の実際の被
害者の数などどうでも良いという意見は全くナンセンスです。数学的緻密さが
最も重要なことです。
この問題に関しては「対話」もへったくれも無いのであって、歴史家たちの
努力と切磋琢磨があるのみです。
私はこういった歴史検証的論争には凄く興味があるし、一定のイデオロギー
によって歪められた歴史観が史実検証として相対化される様を見るのは非常
に心地イイです。秦郁彦の仕事はその意味でホントに面白いです。
237かいと:2000/03/20(月) 05:19
>若頭さんへ

> 国権による経済施策は市場の在り様を歪めるだけであり、一切を市場の原理
> に委ねることこそが、市場を健全化する唯一の方法である、というのがアナ
> ルコ・キャピタリズムの主張です。

??私が上述しているのは、ほぼこれと同様のことですよ。アナルコ・キャ
ピタリズムをいつでも擁護するわけではありませんが、現状においてはこう
した市場からの国権排除の観点が必要だと思うのです。

> あと、国家が大赤字を抱えていることの「不安」が醸成されているから、
> 「需要」を伸ばす為の施策はもう無いというのは、私はいまいち説得され
> ません。

おそらく、若頭さんは誤読してらっしゃるのであって、これは「国権が行使
しうるような」需要を伸ばすための経済的施策はもうないという意味です。
別に国家が赤字だから経済も赤字、という意味ではないです。ごく単純化し
た図式で一例を挙げれば、将来の増税を伴うことが確実に見込まれるような
経済政策では、需要の喚起どころか冷え込むばかりだということなのです。

そこで登場するのが調整インフレなのでしょうが、この狙いは経済政策とい
うよりも、国権の国債膨張を解消するための特効薬、という側面、即ち国権
の信用回復の面があまりにも強すぎます。増税とゼロ金利に加えて調整イン
フレ、そして実質的給与の目減りがさらに加わるのですから、国民生活の窮
乏は現状では免れませんし、これでは需要の喚起自体が困難な場合を予測せ
ざるを得ません。
238若頭補佐:2000/03/20(月) 06:50
>かいとさんへ
「インフレ政策」は確かに市場依存主義のアナルコ・キャピタリズム
とは逆行するし、私のなかでの一つの「可能性の模索」として、長期的に見
れば良くないと思っているんですよ<「インフレ政策」
(あれは瀬戸さんへのレスだし笑)
でも
>現状においてはこうした市場からの国権排除の観点が
>必要だと思うのです
とは逆の意見なんです。私は現状としては国権がやるべきことはまだ
あるし、それをやれば景気が回復するんなら、黙ってみているのは忍びが
たいということなんです。

>将来の増税を伴うことが確実に見込まれるような経済政策では、
>需要の喚起どころか冷え込むばかりだ
これもよく分からないんです。
インフレ期待が高まれば、お金を持っていてもしょうがないと人々は思いま
すよね。投資なり何なり確実に需要は増えますよね。そうやって経済が拡大
すれば、税収も伸びるのではないですか? ご教受願います。

>増税とゼロ金利に加えて調整インフレ、そして実質的給与の目減りが
>さらに加わるのですから、国民生活の窮乏は現状では免れませんし、
>これでは需要の喚起自体が困難な場合を予測せざるを得ません。
景気対策として政府は「減税!」をやったんです。そのうえでの実質ゼロ金利
なんです。給与の目減りによって需要が冷え込むという議論も、本末転倒の
ように思います。お金の価値はどんどん無くなるんです。使わなきゃソンなん
です。放っとけば価値が無くなるのに、金を使わないバカなんていないと思
うのです。これは基本的なことではないのでしょうか (^^;
それとも私が何かとんでもない勘違いをしているのでしょうか?
239瀬戸弘幸:2000/03/20(月) 10:05
>若頭さんへ
個人的な質問に答えていただきありがとうございました。
わたしは自分で「個人主義者だ。」という人ほど、実は国家や社会に
興味をもっているのではと、常々思っている者です。
>私が社会や政治に対して持っている意見は唯一つ。
>それは、「共同体」を構成する私たち一人一人の様々な「主張」や
>「異議申立て」が、きちんと表現され議論されるインフラを「共同体」が
>持っているかどうかということです。そしてその意味での「民主主義」は
>絶対に必要だということです。それだけです。

ここで言われている民主主義とは「議会制民主主義」の事ではなく、
「一人一人の個人はかけがいのない存在である。」という事でしょう。
私もその考えには異論がありません。しかし、私はそれを民主主義とは
呼ばず、全体主義の政治と考えています。
何と都合の良い解釈と批判される人がいるかと思いますが、
個人の立場を尊重して始めて全体を語る事ができるというのが私の持論です。
全体主義とは個人が全体のために犠牲になるという観点からしか見られて
はきませんでした。
しかし、ここには全体を絶対的な悪と見なす思想があります。
全体社会を私は共同体社会と考えています。
全体の利益の中で個人の利益は追求されるべきである。
全体のルール(秩序)の中で個人の自由は守られるべきである。
このように考えれば私と若頭さんの考えにも、そう大きな差は
ない様にも思えてきます。

ただ「市場の論理」と「国家の論理」に対する考え方は、真っ向から
ぶつかると思います。
市場が世界的規模で拡大する今日、国家の役割とは増々重要性を
帯びてきたというのが私の考えです。
資本主義を肯定していても、行き過ぎた資本の集中や国民経済を危機に
瀕するような行為があった時、それを是正させる強制措置をとること
までは否定するものではないでしょう。
それを国家国民の名において実施するのが「国家社会主義」だと私は思う者です。
240三郎:2000/03/20(月) 11:10
私は、個人の自由や自律性は大切だと思いますが、「個人主義」というのはどうも限界があると思いますね。この点で瀬戸さんに賛成です。人間は、共同的な、あるいは協同的な、ないしは社会的な存在です。人間は、家族、地域、市民社会、国家(瀬戸さん、国家ですよ。しかし、国家だけではありません)、世界といった諸関係になかに存在します。それらを「共同体」として再編成する必要がある。そのためには、資本主義や市場主義を規制する必要がある。「アナルコ・キャピタリズム」 なんてとんでもない。思想的には、反動以外の何者でもありません。
241:2000/03/20(月) 11:42
>田原一郎さん
このスレッドへの参加を認めていただき、ありがたく思います。
私の拙い発言に真摯にお答えくださった諸氏に、
一つ一つ、お答えしたい気持ちもあります。

みなさんのご討議の腰を折る気は毛頭ありませんが、
ひとつだけ「気になること」について、
提起させていただきますが、よろしいでしょうか?

※このスレッドの表題に「どうなる?21世紀の日本」とありますが、
 「どうなる」を「どうする」にしてはどうでしょう?
 「どうする?どうなる?」でも面白い。
 そうすれば、よりいっそう、
 「ディベート」の焦点が見えてくると思うのですが…。
 某所の「田原」氏がよくやるような、「自説の展開」の意図開示(笑)
 M.Cのテクニックとしては必須なことだと思うのですが。

 というわけで、テキトーに参加するスタンスでいます。
242:2000/03/20(月) 12:01
ちなみに、私は「調整インフレは避けられない」と考えています。
バブルの崩壊以降、「景気対策」の名において行われた公共事業について、
それが必ずしも「公共」事業ではなく、「景気対策」事業であったこと。
各地方自治体の現在における財政上の窮状はこのことに起因しています。
行政改革、人員削減、緊縮予算等、各自治体は対応を迫られています。
現状が政策手段として展開された結果であるととらえるならば、
政策手段としての「調整インフレ」は、私はありうると考えます。
(コントロールできる理論は?ノウハウは?人物は?…何もない!…)

243瀬戸弘幸:2000/03/20(月) 15:25
>鳥さんへ
私は余り経済問題は詳しいほうではありませんが、巷にインフレ待望論が
あることは知っています。
せっかく買って持っている株や不動産、ゴルフ会員権がこれだけ下落すれば
持っている人の気持ちの中には、再びミニバブルがやってこないかと
考える気持ちはわからない訳ではありません。

私の国家社会主義の立場からいえば、そのような投機にうつつをぬかす
ような人は自業自得とすれば良いのかも知れませんが、経済全体を
考えた時はそうもいきません。

やはり、資産デフレに歯止めをかける政策を早急に実施すべきです。
デノミネーションも調整インフレを実施した時と同じような効果が
少しは期待できるのではないでしょうか?
また、10万円の新札を発行するとか。
一時的なものですが、お金を使うという気持ちにならなければ
需要は喚起されませんね。新しいお札が出れば一度は使ってみようと
なる筈です。
244かいと:2000/03/20(月) 17:06
>若頭さんへ

かなり省いて説明をしているので、もう少し前提的なところから話を
起こしてみます。

そもそもの前提として、今日の不況の深刻化は、不良債権処理の失敗
がもたらしたストック・デフレが、金融システムを麻痺状態に陥れて
いるということなのです。公表された不良債権総額80兆円(かなり
控えめな数字だと見て間違いないですが)のうち、これまでに公共投
資などを得て約13兆円の償却が行われたとされるにも関わらず、減
少したのは約6000億円、に対して正常債権は40兆円の減少とい
う、明らかに単純な資金不足が問題なのではない、より構造的な、資
金をドブに捨てるような麻痺状態が発生してしまっているのです。

実際のところ、バブル期に比べても金融機関の不動産、建設業に対す
る投融資は3−4%程度増えているわけで、従って、調整インフレに
よる資金流通によってこの土地問題は簡単には解決しません。なお、
調整インフレによってローン益などが低減されると、より不動産に関
する債権の不良化はますます悪化することになります。
245かいと:2000/03/20(月) 17:07
その一方で、現在の国債の多発は遠からず値崩れによる長期金利の引
き上げが必至の情勢に入っていますから、調整インフレとの同時進行
は「調整」ではなくハイパーインフレの危機を伴います。そもそも、
グロバールスタンダードが叫ばれ、金融ビッグバンと国際会計標準(
ISA)の導入によってキャッシュフロー経営にこのまま突入するこ
とが必至な情勢下にあって、(調整インフレ論はこの情勢とタイミン
グを考慮しないことが致命的な欠点です)厚生、年金諸制度の瓦解が
予想され、レイオフや系列中小企業の切り捨てなどが常態化するなら
ば、その上に覆い被さってくる調整インフレとは、国民生活にとって
まさしく悪夢(または大きな貧富の差の拡大)となるはずです。

キャッシュフロー経営の部分において、調整インフレが資金集中など
の効率を可能にするとしても、一般の国民全てが投機的経済活動に従
事するわけではないのですから、総需要の喚起と国民生活のために必
要なことは単純なインフレ政策ではなく、保守派からも声の出ている
ような「セーフティネット」の構築といった公共的施策だということ
が言えます。
246かいと:2000/03/20(月) 18:31
補足です)増税について。国債の膨張不安によって長期金利の引き上
げがやがて必至の状況ですが、その不安を裏打ちするような調整イン
フレは実のところ現状では増税による信用回復を伴わない限り実行で
きない政策なのです。

> お金の価値はどんどん無くなるんです。使わなきゃソンなん
> です。放っとけば価値が無くなるのに、金を使わないバカなんていないと思
> うのです。これは基本的なことではないのでしょうか (^^;

要するに、土地問題と国債不安が存在せず、また401K導入などの
年金のフロー化がありえない場合に、即ち長期信用が確実(ないしは
長期にわたってゼロ金利策が可能な与件がある)な場合にのみ、調整
インフレは効果的だと思われますが、現状ではかえってキャッシュフ
ローの不安な加熱ばかりを醸成するだろうと思われるのです。
247田原一郎:2000/03/20(月) 19:20
>鳥さん

「どうする」というスタンスでパネラーの皆さんも書いてらっしゃるようですから、
「どうする?どうなる?21世紀の日本」でいいですよ。

自説の展開・・・なるほど、それは一興ですね。がんばってみます〜。
248かいと:2000/03/20(月) 23:32
読み返してみて、あんまりにも分かり辛い書き方をしているので、も
う一度整理して説明してみます。田原さん許してくださいね。

調整インフレの導入が好ましくない理由とは、

1、不況の原因である土地不良債権は、単なる資金流通の活発化では
解決しない。現に活発な資金投入がなされているにもかかわらず、か
えって貸し渋りの進むような、資金対効果の乏しい構造に陥ってしま
っている。

2、信用不安が先行する現在の不況にあっては、調整インフレはハイ
パーインフレの危機を伴う。とりわけ長期的に見て金利引上げは必至
の情勢であって、ゼロ金利策をこのまま続けること自体が金融不況を
進行させる結果となる。

3、キャッシュフロー経営の導入が叫ばれる今日において、現に進行
するレイオフや中小系列の切り捨てと同時に調整インフレが進行すれ
ば、年金諸制度の瓦解や養育費の圧迫増などが加わって、間違いなく
貧富の差の増大を招く。
249かいと:2000/03/21(火) 00:06

問題なのは、公共投融資が信用不安に拍車をかけるという結果を招い
ている以上、明らかに調整インフレを導入するにはそのタイミングを
既に逸してしまっているということです。

これらをまとめて、やや大雑把に「国権が率先して不安を醸成してい
る」「国民生活にとって負担」という結論を導き出してみたのです。
前提をすっ飛ばして書いていて、混乱させてごめんなさい。
250若頭補佐:2000/03/21(火) 03:01
>瀬戸さん
>ただ「市場の論理」と「国家の論理」に対する考え方は、真っ向から
>ぶつかると思います。

>三郎さん
>「個人主義」というのはどうも限界がある──
>「アナルコ・キャピタリズム」 なんてとんでもない。思想的には、
>反動以外の何者でもありません。

このあたりのことを議論すると面白いでしょうね。
私は「国家の論理」や「規制」をバカバカしいとは思っていません。前述
したように、「個の自由」と「必要悪としての公」を秤にかけているだけ
です。ただ、私は一切を「個の自由」に還元してものを考えます。「資本」
についても同じです。
例えば「資本」というのは、「国家」や「公」と対立して存在しているわけ
ではありません。それは「ただそこにある」だけのものです。国家がどの
ような規制をかけようが、「資本」は絶対に、永遠に、そこにあり続けます。
社会主義政権下においてもです。
東西冷戦の終結も、「資本主義」が「社会主義」を打ち負かしたという
ようなものでは無いと思います。「資本」というのは無意味に自己累積
する運動であって、よって「資本」にとっては勝利も敗北もなく、ただ
貫徹すべきものが貫徹したというだけの話です。
「個の自由」も同じことです。私は「実存」という言葉を使いたいのです
が、「ルールさえ守れば何をしても良い」というテーゼの絶対性も、これ
から皆さん、嫌というほど味わうことになるでしょう。
それに対して「嫌悪・ルサンチマン」を抱くのも「個の自由」ですが、
それこそ「反動以外の何者でもありません」。
そして、「国家・公」についてもそれらは常に「個の自由」の必要に
よって要請されるものでなければ、もうこれからは──特に若者たちにと
っては──受け入れ難いものになるでしょう。
251若頭補佐:2000/03/21(火) 03:03
>かいとさんへ
調整インフレに反対する理由として3つ挙げられたので、
とりあえずは、それらについて反論したいと思います。

>1、不況の原因である土地不良債権は、単なる資金流通の活発化では
>解決しない。
まず、不況の原因を金融機関が抱える不良債権とするのは、よくある誤解
だと思います。不良債権はバブル崩壊以降ずっとある。しかし、その後
96年の実質経済成長は3.6%です。不良債権の解決は大事な問題だし、
現在の不況とも全く関係が無いとは言えませんが、直接の原因ではないと
思います。
不良債権は景気が上向けば自然に解決する問題ですし、そのための調整イ
ンフレなんです。

>2、信用不安が先行する現在の不況にあっては、調整インフレはハイ
>パーインフレの危機を伴う。とりわけ長期的に見て金利引上げは必至
>の情勢であって、ゼロ金利策をこのまま続けること自体が金融不況を
>進行させる結果となる。
マネタイズしてインフレが起きるのは、需要が拡大して、それが経済の
生産能力を上回る時だけです。政府・日銀は「やることは全てやった」、
(国債の利回りの上昇などを見ても、もうアップアップの状態)金融政策
は需要創出には効果が無いと言っておいて、金刷ったらハイパーインフレ
になるという議論は、、、どうなんでしょう? あのー、目下の問題ってデ
フレなんじゃなかったですか?
クルーグマン曰く「洪水の際に、火事だ火事だと叫ぶもの」でしょう。

3については良く分かりません。貧富の差の増大などの問題は恐らく
仰る通りなのかも知れませんが、そのあたりはマクロ経済学の限界なの
かも知れません。
252かいと:2000/03/21(火) 20:46
>若頭さんへ

> 不良債権の解決は大事な問題だし、
> 現在の不況とも全く関係が無いとは言えませんが、直接の原因ではないと思います。

不良債権それ自体は、おっしゃる通り問題はない(と言い切るのは誤解
を生じるでしょうが)のです。ここでの要点は、それが金融システムの
麻痺を引き起こしているという側面です。言えば、不良債権が回収され
たとしても信用低下だけは残る可能性すらあるという奇妙な状態が問題
なのです。

> あのー、目下の問題ってデフレなんじゃなかったですか?

これもその通り、デフレ必至が現在の状況です。上述しているのは、金
利抑制策が限界に近づいているということです。従って調整インフレそ
のものがタイミング的にもはや不可能なのですが、あえてマネタイズを
敢行するならば真っ先に信用商品−貨幣価値下落が現出します。金融制
度がフロー化する先進諸国においては、需要対生産の関係だけでインフ
レ−デフレが現出するとは限らないという前提があるからです。フロー
化する我が国の経済モデルはすでに需要−生産のモデルだけで見ること
は出来ないのものです。
253三郎:2000/03/23(木) 13:21
 現在、日本経済が直面している問題を中心にした議論になっているのですが、
大切な議論だとは思うのですが、なにか私には面白くないところがあるんですね。
財政赤字だとか、不況だとか、不良債権だとかいった当面する問題が、
かりに解決したとしても、(もちろん解決する必要はあるのですが)、
それでどうなのか、という部分があるんですね。
短期的にはともかく、中長期的、ないしは世紀レヴェルの展望という点では、
いぜんとして答えなければならない問題が残るからです。
 第一に、環境問題とのからみで、常識的かも知れませんが、しかし、深刻な、「持続可能な発展」は可能かという問題がある。 第二に、経済のグローバリゼーション。
第三には、「情報革命」ないしは「知識経済への移行」という、
トフラー的な人類史的転換の問題がある。第四は、先程も述べた、
第三世界の貧困、先進国における「豊かさのなかの貧困」という問題です。
 本当はこれらを視野に入れる必要がある。
254三郎:2000/03/23(木) 13:27
 現在、日本経済が直面している問題を中心にした議論になっているのですが、
大切な議論だとは思うのですが、なにか私には面白くないところがあるんですね。
財政赤字だとか、不況だとか、不良債権だとかいった当面する問題が、
かりに解決したとしても、(もちろん解決する必要はあるのですが)、
それでどうなのか、という部分があるんですね。
短期的にはともかく、中長期的、ないしは世紀レヴェルの展望という点では、
いぜんとして答えなければならない問題が残るからです。
 第一に、環境問題とのからみで、常識的かも知れませんが、しかし、深刻な、「持続可能な発展」は可能かという問題がある。 第二に、経済のグローバリゼーション。
第三には、「情報革命」ないしは「知識経済への移行」という、
トフラー的な人類史的転換の問題がある。第四は、先程も述べた、
第三世界の貧困、先進国における「豊かさのなかの貧困」という問題です。
 本当はこれらを視野に入れる必要がある。
255三郎:2000/03/23(木) 13:32
(まちがえて、同じのを二度書き込んでしまいました。すいません。)
 1990年代になって、欧米では、これまでの「ローアー・クラース(lower class)」に加えて(かわって)、「アンダークラース(underclass)」という言葉が出てきました。underclassは相対的に低いのではなく、社会の「下の階級」です。ホームレス、長期失業者、底辺の労働者などの貧困状態の人びとをさします。
 アメリカではNGO、NPOなどで、underclass の問題に取り組んでいるアソシエーションがたくさんあります(二、三年前、アメリカの社会学の雑誌を読んでいると、「貧困対策の決め手はアソシエーションだ」などとか書かれているのを見て驚いた経験があります)。
 イギリスでは、ブレアがイギリスの社会主義の伝統を踏まえて「倫理的社会主義」ということを言っています。そして、日本では全く報道されませんが、ブレア政権は「貧困に対する戦争」を目標にかかげ、「アンダークラース」そのものを廃絶すると言っています。「児童の貧困」は20年以内になくすると約束している。社会主義政党はこれでなければイカン、と思いました。
 「調整インフレ」うんぬんの議論がでていますが、せめて「底辺階級」に対する影響をご配慮ください。
256かいと:2000/03/23(木) 22:19
>三郎さんへ

面白くない議論で(^-^;)ごめんなさい。

私が調整インフレに反対する理由は、細かく言えばキリがないですが、
大きくは、もはや先進諸国は「生産−需要」といういわば「開発的」経
済に依拠してはいない、ということなのです。それは世界規模で先進国
−発展途上国間の法則として機能(途上国の貧困を結果するものとして)
しますが、先進諸国間ないし国内はフロー経済化によって三郎さんのおっ
しゃる「豊かさのなかの貧困(貧富の差の拡大)」が発生します。

ところで、三郎さんにとって上述の3つの課題(環境・情報・貧困)は
どのように相互に連関するものなのでしょうか?よかったら聞かせて下
さいね。

257三郎:2000/03/24(金) 02:05
>かいと さんへ
 別にかいとさんが面白くないと言っているわけではありません。
3つの課題は、単なる列挙です。関連づけて議論できなくはないでしょうが、
ややこしくなります。
 ただ「地球温暖化」なるものを、どう見たらよいのか難しいですね。
「いまさら、『持続可能な発展』などと言っても、手遅れだ。将来、数次にわたって、
環境(を原因とする)クラッシュ(的大災害)が起きる」
などという話も聞きます。
 私なんぞは、21世紀における「近代」のさらなる可能性を(第三者が見ると)やや楽観的に展望しているのですが、「環境」を原因とする「危機」が到来するとなると未来展望は大きく違ってきます。最悪の場合、国家主義、ファシズム、戦争の時代になってしまいます。そうなると、瀬戸さんの出番ですね。
 そうならないためにも、国際的な協力が必要ですし、危険な国家をできるだけ早く民主化に誘導する必要がでてきます。
258瀬戸弘幸:2000/03/24(金) 12:34
>最悪の場合、国家主義、ファシズム、戦争の時代になってしまいます。
>そうなると、瀬戸さんの出番ですね。

どうも、三朗さんは誤解なされているようだ。戦争を如何に防ぐか、その
ための研究を続けてきたのが我々です。

まあ〜それは別として、私のHPでも始めたのですが、哲人型独裁政治の
功罪についてです。
実は私の尊敬する中曽根元総理が産経新聞の2100年の企画で面白い
ことを云われております。

即ち、「国家の形態を考えると、民主主義が広がるとは限らず、いろいろな
タイプになるだろう。一部にはファショ型国家、独裁国家も出てくる。
独裁型の中にも哲人型と暴力型の独裁がありゆる。高度情報化して、
人智を積んだ場合、意外にも哲人型の独裁者が出てくる可能性がないとは
いえない。」
つまり、高度情報化社会が進み、人は知識を積み重ねることになれば、現在の
議会制民主主義は消滅するかも知れないというわけです。

直接ボタン一つでリーダーを選ぶことになれば、竹下や小渕が首相
になることは先ず絶対にないですものね。(^^)
http://www.strategy.co.jp
259三郎:2000/03/25(土) 00:18
>瀬戸さんへ :ファシズムの最後のチャンスについて
 1920年代のイタリア(ファシスト党)、1930年代のドイツ(ナチス党)は、戦争が終わっての混乱の時期であり、あらたな戦争の心配があった時代です。
 ワルター・ラカー『ファシズム』(刀水書房、1997年)は、敵の脅威、戦争の不可避性の感覚があることが、ファッショ勢力台頭の必要条件だと言っています。西ヨーロッパにおいて、ネオ・ナチの台頭が議論されたことがありますが、戦争の脅威がますますなくなっていっているので、その可能性はない、とラカーは言っています。右翼が外国嫌い感情を利用したそれだけでは権力は握れないでしょう。本物の差し迫った脅威(と思わせることができ材料)がないと大衆を「国家」や「民族」に結集させることはできません。
 しかし、環境危機を原因とする地球的な天災で、資源、食料などの供給不足、大規模難民の流入可能性といった事態が生じると、世界の各地で地域紛争が起きる。周辺諸国でも軍事的な緊張が高まってくる。そして国内では国民の深刻な「不安」を背景に、超国家主義、ファシズムなどの反体制右翼(つまり、瀬戸さんたち)が台頭する可能性が出てくるかも知れません。これが「戦争を如何に防ぐか、そのための研究を続けてきた」瀬戸さんたちの出番だと言っているのです。日本国を守るためには、戦後民主主義体制を打破しなければならない、ということですね。
260三郎:2000/03/25(土) 00:44
(つづき)
 そうなると竹下さん、小渕さん的な戦後民主主義勢力は、伝家の宝刀である「破防法」を適用するでしょうね。もちろん、共産党も支持はずです。
 余談ですが、オウム事件の時は破防法を適用しなかったですね。
一度適用すると、前例ができてしまいます。そうすると、二度目の「本番」では前例によっていろいろ制約されるのですね。
 だから、やはり「本番」までは適用を見送ったほうがよいという考えがあったのではないでしょうか。この時「本番」と考えられたのは、第2次朝鮮戦争でしょう。例えば、朝鮮総連関係ですね。
 瀬戸さんは破防法をどうお考えですか。
261三郎:2000/03/25(土) 00:58
訂正です
もちろん、共産党も支持はずです。
      ↓
もちろん、共産党も支持するはずです。
262三郎:2000/03/25(土) 14:21
瀬戸さんへ   :独裁について
 「暴力型独裁」だけでなく、「哲人型独裁」があるとお考えのようですが、
でも第一に、暴力的でない「独裁」はありえないと思います。
 なぜなら、独裁とは「一人の人物ないしは一つの組織が政治権力を
独占的かつ排他的に掌握し、行使するシステム」です。(一つの組織とは、たとえば、共産党とか、国家保衛委員会とか、軍事革命評議会とかいったものです)
 反対勢力の少なくとも完全な政治的無力化、さらにすすんでは完全な消滅が
独裁の必要条件です。「哲人型独裁」であろうが、独裁でである限りは、そうでしょう。
この場合、暴力の組織的な行使がどうしてもともなわざるをえません。反政府勢力だけでなく、「哲人(独裁者)は、ほんとうはデクノボーだ、ただのオッさんだ」とかいった言論や流言飛語も抑えつけられる必要があります。
 第二に、「哲人型独裁」といっても、その人物が「哲人」であるかどうかを誰が判断するのでしょうか。その人物自身、あるいはその取り巻きたちでしょうか。その人物が暴力的に権力を奪取してからは、銃剣下の「国民投票」によってでしょうか。
263三郎:2000/03/25(土) 14:25
 (つづき)第三に「哲人型独裁」の思想はプラトンが『国家』のなかですでに提起しています。「独裁」とは言ってないので、正確には「哲人政治」論ですが。それは要するに「よりよく知る能力を持つものにこそ、統治をおこなう資格がある」という思想です。
 アンドレ・グリュックスマンは、『思想の首領たち』(中央公論社)のなかでだったでしょうか、そういう「知」と「権力」の不可分の結びつきの思想はヨーロッパの政治思想の伝統の一つになっていると言っています。そういえば、マルクス・レーニン主義における共産党の独裁の思想もこの系統ですね。「科学的社会主義」(マルクス主義)を護持する共産党が独裁を行い、「科学」にもとづいて歴史進歩を領導すると考えるわけですから。 「哲人型独裁」とうのは、中国的でも、日本的でもない、ヨーロッパ的な思想です。そう言えば、西尾幹二の『国民の歴史』もニーチェ的といわれていますね。
 右翼の人も結構ヨーロッパ的なんですね。ヨーロッパ的だから悪いとはもちろん言いません。日本的な独裁だと「中心のない独裁」「独裁者なき独裁」という具合になり、またぞろ「無責任の体系」になってしまうでしょう。きとっと丸山真男なら、瀬戸さんの「哲人型独裁」論を評価してくれると思いますよ。
 第四に、独裁を正当化するには、独裁によって何をするかということ重要だと思います。マキャヴェッリも、レーニンも「機能」から独裁をとらえています。しかし、いま日本において「独裁」の機能的な必要性は毛頭ありません。
264瀬戸弘幸:2000/03/25(土) 14:56
>三郎さんへ
先ずファシズムとは何かといった議論から本来は始めるべきと思いますが、
説明が長くなってもいけないので、簡単に説明させて頂こうかと思います。

確かにファシズムといえばムソリーニやヒトラーを抜きには語れないでしょう。
しかし、そのような歴史的なファシズムは既に過去のものでしかありません。

ところで、極右といえばこれまではスキンヘッドやフリーガンのような
ならず者のイメージだけが先行してきましたが、オーストリアのハイダー党首の
登場によって、かなり偏見はなくなったと思います。

さて、ファシズムとは何か?その定義は確かに難しく定かではない。
しかし、私はあえて一言でそれを言えといわれたら、迷うことなく
それは大衆の心を掴む運動であると表現させて頂きます。
後ほど詳しく投稿させて頂きますが、大衆は英雄を欲するものなのです。
これは古今の人類史においては殆ど普遍的なものと考えます。
「哲人型独裁者」の出現とは正に大衆が望むから起きるものであって、
大衆が望まなければそれは有り得ないことなのです。

大衆は非常時になれば英雄を欲して立ち上がろうとします。
それは過去の歴史とは関係無く起きるものであると考えます。
ファシズムは未来にこそ可能性を持つと確信しているのです。
265三郎:2000/03/25(土) 18:32
:あらゆる「独裁」に反対を
 日本には「大虐殺」に鈍感な人が多いですね。南京についても、カンボジアについても、コソヴォについても、虐殺の存在を否定する意見がありました。しかし、「独裁」が好きな人、あるいは肯定する人も結構いるんですね。極右、超国家主義、ファシズムの人びとだけではないんです。
 たとえば、少し前まで「プロレタリア独裁」(共産党の独裁)を擁護する人がいました。日本共産党の「プロ独」放棄はずいぶん左翼のあいだで批判されました。
 また、第三世界の独裁や寡頭制を正当化するために「開発独裁」という言葉を使う政治学者がいます。「途上国の近代化のためには、民主よりも独裁のほうが効果的だ、だから独裁もやむを得ない、あるいは場合によってはむしろ独裁が必要だ」、というのですね。
「右」にも「左」にも「開発独裁」を怪しまない情況がなお残っています。『朝日新聞』もNHKも、第三世界の独裁政権について、大変寛大なのですね。おもねることさえよくあります。

266三郎:2000/03/25(土) 18:33
 でも、さすがに、最近になって、共産党系の雑誌ですが、「開発独裁」論批判が出てきました。欧米では、冷戦が終わり、第三世界の反共独裁政権を擁護する必要がなくなったという事情もあったのでしょうが、1990年代に入って「開発民主主義」論がどっと出ている。「民主化を進め、ピープルが経済的、社会的な近代化の推進に参加するほうが、よりよく開発を進めることができる」というのですね。「市民社会」の重要性や「アソシエーション」の役割まで論じる人もいる。私は日本の政治学の動向を知りませんが、日本で「開発民主主義」を論じている人はいないんじゃないですか。
 「独裁」が好き、あるは「独裁」に寛大なんですね。そういえば、「独裁と民主主義とは矛盾しない」というファシストの思想を高校生用の学習参考書に一般論として書いている政治学者がいました。田中ナントカいう人です。「大衆」の「喝采」によって支持された「指導者」(総統)と言うわけでしょうか。ゲルマン的民主主義ですね。
 さまざまな種類の独裁肯定論があるんですね。しかも、いまの日本では独裁肯定論は「タブー」ではない。市民派政治学者の昭和天皇礼賛もそうですが、それが日本の民主主義の現状なのですよ。しかし、わたしたちは、一切の「独裁」肯定論を断固として否定しなければなりません。
267三郎:2000/03/25(土) 18:39
(補足)
 インドネシアを「開発独裁」と呼んだ東南アジア研究者がたくさんいました。でも彼らの本には、スハルトのクーデターにおける50万人(一説には百万人)虐殺には完全に沈黙している。触れても一冊の本の中にわずか数行。御用学者は加藤寛や佐々木毅だけではありません。あちらこちらにいる。要するに、デヴィ夫人も言うように、スハルト体制下では、ストレートな独裁批判は国外退去でした。政治学者も独裁と共存してるほうが甘い汁が吸えるというわけでしょうか。
268三郎:2000/03/25(土) 21:14
>瀬戸さんへ
 確かに、ピープルは、瀬戸さんがおっしゃる「英雄」を支持するかも知れません。
しかし、「横山ノック」も支持するかも知れませんよ。
 重要なのは、ピープルが十分な情報をもつことができるかどうかです。十分な情報さえがあれば、今日のピープルでさえ、「ノック」(破廉恥漢にして政治的無能力者)を当選させることはなかったでしょうし、瀬戸さんのいう「英雄」(ファシスト政治家)を当選させることもないでしょう。
269第四者:2000/03/26(日) 02:32
久しぶりに「731」スレッドに書き込んだ勢いで、ちょっと一言だけ。
恐らく私は三郎様とは歴史認識における意見を異にすると思いますが、独裁政治に反対、という立場では一緒ですね。

例え「真の賢者による人道的な独裁」であろうと、その賢者の命が永遠に続く訳ではありません。
どんなに優れた独裁者でも、やがては老衰し、引退し、逝去してしまうのです。

では、その後継ぎは、どうやって決めれば良いのでしょうか?前統治者が優れているほど、後継者の能力不足が目立ってしまいますよね。

この問題を解決できない限り、独裁制には限界があると思います。
270第四者:2000/03/26(日) 03:06
269の続きです。
そう言う観点からすると、日本の「天皇」や、イギリスなどの「王室」は、統治者が国民の求心力として作用していながら、統治者個人に政治的実権が無い訳です。

実際に政治力を持っているのは、統治者に権力を認められた者(議会)ですよね。(ただし、日本の天皇は、戦後アメリカによって「形式としての最高権力者(元帥)」から「象徴」へと変化させられましたが)

ですから、日本では昭和天皇がどんなに平和を望んでいらっしゃったとしても、実際には「国民の意思」として戦争をおっぱじめる事ができた、とも言えるのです。

こういった立憲君主制を「独裁」と見るか、「民主」と見るか。そこが三郎様と私の違いでしょうね。
271三郎:2000/03/26(日) 22:30
 瀬戸さん
 20世紀は「戦争の世紀」でした。第一次世界大戦では、戦車、飛行機、毒ガスなどがはじめて実戦に登場し、その破壊力、その死傷者数において、他の諸世紀をはるかに圧倒しました。この戦争の大量死、残虐行為、大量破壊は、経済だけでなく、道徳と文化に大きな悪影響を及ぼしました。それはワルター・ラーカーによれば、「モラルの崩壊」であり、「何百万の人間が殺されたあとでは、人間の生命と尊さはもはや意識されなく」なりました。こうした背景があって、第一次世界大戦後のイタリアとドイツに「ファシズム」が台頭したのです。その結果、第二次世界大戦が勃発し、人類はさらに凄惨な戦争を経験することになりました。
 ボルシェヴィキ(ソ連共産党)が権力を握ってのも第一次世界大戦中からその直後にかけての時期でした。「ファシズム」も「共産主義」もその仮借なき支配、その残忍性、その全体主義的性格という点できわめて類似しています。ナチス・ドイツも共産主義ロシアも膨大な人口を殺戮しました。自国民さえ多数殺しました。
 瀬戸さん、「ファシズム」(共産主義も同様ですが)を支持するなどというのは、わたしにはとてもアンビリーバボーです。瀬戸さんは「共産主義」を支持されないでしょうね。しかし、ファシズムがやったことが共産主義ときわめて類似しています。なぜ、いま「ファシズム」なのか理解に苦しみます。瀬戸さんの天皇を「玉」として利用しようというお考えは、支持はできませんが、理解は不可能ではありません。しかし、「ファシズム」支持は理解不能です。
272三郎:2000/03/27(月) 00:50
第四者さんへ
>こういった立憲君主制を「独裁」と見るか、「民主」と見るか。
>そこが三郎様と私の違いでしょうね。
 ささいなことを言うようで恐縮ですが、「立憲君主制」とは、文字通りの意味では、憲法に制約された君主制です。しかし、具体的には、そして歴史的には、議会政治、権力分立、多かれ少なかれの人権保障が行われている状態における君主制を意味することが多いようです。つまり「立憲君主制」は、「寡頭制」(少数者支配)と両立することがあっても、「独裁」(一者による排他的独占的支配)とは本質的に相容れません。とくに議会がある程度力を持つ状態が、独裁者ないしは独裁的な組織体による権力の排他的な掌握と行使とは両立しないからです。
 1955年から1993年まで、自民党の長期単独政権がつづきました。これを「自民党独裁」と呼ぶ人がいましたね。これも正確でない。これから本物の政治改革をめざすならば、さまざまな政治的諸形態のあいだの差異についてもう少し敏感である必要があります。
>瀬戸さんへ
 ファシズム論を期待しています。
273しょちくれ:2000/03/27(月) 01:15
三郎さん
はじめまして。しょちくれと申します。
>わたしたちは、一切の「独裁」肯定論を断固として否定しなければなりません。

開発独裁について、以前似たようななスレッドで、議論になったのですが、
貧富の差が大きい、政府が統一した政策を行えない、
といった国では開発独裁は仕方がないのではないか。

開発独裁は、経済が発展し、独裁の必要がない時期をどう見極めるか、
独裁を終えた後の民主主義への移行をどう行うかが難しい、
という意見を聞きました。

私は開発独裁は仕方がないと思います。
ですが、開発独裁の成功した国はほとんどないらしいですね。
難しいもんです。
274イワソ(笑):2000/03/27(月) 23:43
>しょちくれさん
反対してるわけじゃないですけど、
現在の日本の困難は、その’開発独裁’型の経済で引っ張ってきた、
戦後社会のつけが回ってきてる、ってことじゃないでしょうか?

>瀬戸さん
英雄の登場、というのは国家社会主義じゃなくても可能なんじゃないですか?
または、国家社会主義である必要はないんじゃないですか?
民主体制下でも、というより民主化のリーダーこそが英雄になる時代です。

>第四者さん
戦前の日本が立憲君主制だったかというと難しいです。
憲法には規定のないような侍従長や元老が力を持っていたり、
ずいぶんと’立憲’ではなかったのではないかと思うんですが・・・。

275第四者:2000/03/28(火) 01:04
>三郎様、イワソ様

つまり「戦前の日本は立憲君主制では無かった」と言う事でしょうか。まあ、確かに現在と比べればかなり封建的な部分はあったと思いますが、それは諸外国も似たようなものだと思います。

例えば、世界に先駆けて男女平等に参政権を認めたのは皮肉な事にナチスドイツで、スイス連邦に至っては1970年代になってようやく認められたと記憶しております。(←もし違っていたら、ご指摘お願いします)
276第四者 :2000/03/28(火) 01:16
それから、明治から昭和初期にかけては、マスコミによる政治批判もかなり活発だった様です。
(戦争中は、敗戦案を唱えた代議士がマスコミから糾弾されていましたが)
そう言う観点からすると、明治以降の日本は、それなりに民主主義が機能していたと思います。

…って、今は「独裁の是非」についての討論ですね。横入り失礼致しました。
277横やりFAX@簡単な事実確認:2000/03/28(火) 01:55
>第四者様

男女平等の参政権を最初に導入したのはワイマル共和国であります。
なお、スイス連邦における女性参政権否定の背景には、
カントン(州)レベルでの直接民主主義の伝統という特殊スイス的な要因があります。
表層は等しく家父長制的であっても、日本のそれが天皇制を頂点としたハイアラーキーで
あるのに対して、スイスのそれが地方自治と結合している点は、注目して良いと思います。
278三郎:2000/03/28(火) 02:06
:ピープルの、ピープルによる、ピープルのための開発、「開発民主主義」のために
 第三世界の国々で、開発、近代化がうまくいかない、あるいは歪んだかたちで行われているという事態にはさまざまな原因が考えられるでしょう。政治の非民主的な性格、とくに独裁、寡頭制、権威主義などがその原因の一つになっているのではないでしょうか。いわゆる「開発独裁」も途上国の近代化の障害物になっていると思います。
 国家権力の頂点(独裁者ないしは寡頭的支配層)に権力を集中させ、トップダウン方式で政策を断行する。それでうまく行けば効率的で、合理的なのでしょうが、それがなかなかうまくいかない。
 地元住民のニーズとは全く無関係に行政が仕事をするというのが日本でもありますね。大規模公共事業なんかがそうですね。吉野川なんかの。第三世界には、ああいうのを国中でそれも何十年にもわたってやっている国があるんですね。大変な無駄が行われている。しかも、途上国の場合は、それが対外債務の増加につながる。
279三郎:2000/03/28(火) 02:57
 独裁者とそのファミリー、大土地所有者の支配が「近代化」の障害になっている例はいくらでもあります。彼らに外国の企業が癒着する。先進国からの援助を彼らが食いもにする。地場産業や住民のニーズを無視したかたちで道路や港湾が作られたりする。頂点の独裁者から末端の公務員まで権力・行政機構の全体が総腐敗状態になってしまっている。警察・検察・裁判所がまともに機能しない。単に後進国だからというよりも、この原因は権力集中にともなう必然的現象なんですね。
 結局、地域の民主化を進めつつ、そして地主やボスの支配を除去しつつ、地域のニーズに即した近代化をやるしかありません。最近は、外国留学者を含む、高学歴者で、中央官庁その他に就職できない者が地方に帰り、新しい人材になっています。地域のインテリが軍や中央官庁や外国企業でなく、地元で頑張っているのですね。彼らが住民のなかで参加型の開発をエンカレッジしているのですね。
280三郎:2000/03/28(火) 03:00
 「国家」主導でも、「市場経済」主導でも、なかなかうまくいない。いま第三世界における「市民社会」の役割が注目されています。中央政府から、あるいは先進国の援助機関から、地域の(現地)NPOや(現地)NGO(これらはアソシエーションですが)に資金が行き、それらが開発、福祉、教育、さらには民主化まで推進している例があります。中央政府や地方政府との協力関係においてです。しかし、円滑な協力関係を構築するには、こられの政府の民主化がどうしても必要です。
 ピープルの、ピープルによる、ピープルのための「開発」「近代化」といえばきれい事になるでしょうか。そのためには、「開発独裁」という観念を捨て、「開発民主主義」を本気で考える必要があります。
 もちろん「闘争」はあるでしょう。しかし、闘争は、中央だけでなく、地域や市民社会レヴェルの闘争というかたちを取ってこざるを得ないのではないでしょうか。「民主化」とは、より広範な人びとを参加させる、新しい開かれた闘争空間の形成でなければなりません。また「参加」と「闘争」の拡大こそが「腐敗」をもっとも効果的に減少させる決定的な要因だと思います。
281三郎:2000/03/28(火) 03:25
「権力を集中させ、専断的に権力を行使すれば、ことはうまく運ぶ」
という考え方はロシア・マルクス主義の「プロレタリア独裁」の
思想でもありました。「開発独裁」も同じなんですよ。根本は。

「プロレタリア独裁」の思想は過去の亡霊になっても、「開発独裁」の概念は
未だに幅を利かせている。しかし日本ほど「開発独裁」概念が浸透した国も
珍しいのではないでしょうか。

金日成を賞賛したりする人がいる。岩波の安江某とかね。
サダム・フセインと面会して喜んでいる護憲派がいる。
こんな連中が民主主義だとか、平和だとか言っている。
日本では「独裁」をきっちり批判できない人が多いんですね。
独裁者が好きな人も多い。


282イワソ(笑):2000/03/28(火) 12:24
>三郎さんへ

あえて激論必至!なテーマに挑戦してみます・・・。
開発独裁については三郎さんのおっしゃる通りなんです。

‘プロレタリア独裁’について。
ロシア・スターリニズムは確かにこれを‘開発独裁’と捉えたんだろうと思います。
ですけど、マルクス主義そもそもの発端にある‘貧困’や‘疎外’への批判、
という意思は、とりわけ貧富の差の拡大する現代では、
まだ消えていないんでは?

ヨーロッパの社会民主主義も、ポルシェビズム的な‘プロレタリア独裁’ではなく、
マルクスの‘批判的な意思’を継承するもんですよね?
‘開発独裁としてのマルクス主義’は死んだけれども、
‘自由と豊かさを求めるもとしてのマルクス主義’はまだ死んでいない、
という言い方もできるのでは?

北朝を賛美するような困ったちゃんが多いのも確かだけど・・・。
283瀬戸弘幸:2000/03/28(火) 14:19
久々の登場です、現在「超極右掲示板」で棺さんなる人と論戦中で
こちらにお邪魔できないでいました、第四者さんもおいでだったのですね。

独裁政治体制が話題となれば、私が発言しないわけには行きませんよね(^^)
ロシアの大統領にウラジーミル・プーチン氏が決定しました。
彼は「法の独裁」を掲げていたと新聞は伝えております。
また「大国の復活」もスローガンであったとか、この二つは歴史の中で
共通項がありますね、独裁政治によって強大な国家を目指す。
ロシア国民が選んだのは「強いロシアの復活」であり、そのための指導者で
あったわけですが、彼が果たして独裁者としての道を歩むようになるのか
非常に興味が持たれるところです。

ところで三郎さんやイワンさん、もう一日二日待って下さい。
本格的な論戦に参加させて頂きたいのですが、仕事の関係で
ままなりません。皆さんのご意見はいつも見ております。
284三郎:2000/03/29(水) 00:18
>イワソさんへ  :共産党独裁と開発独裁との違いについて:
>‘プロレタリア独裁’について。
>ロシア・スターリニズムは確かにこれを‘開発独裁’と捉えたんだろうと思います。
 共産主義(マルクス・レーニン主義)は独裁を「科学」(科学的社会主義)によって基礎づけて、「真理」の政治をやる。ファシズム(ナチズム)は「独裁」そのものに価値をおく思想をもっている(「指導者崇拝」や民主主義批判がある)。共産主義やファシズムの「独裁」には、それなりにイデオロギー的な裏打ちがあるわけです。「言葉」にも「信念」が伴うわけですね。断固とした処断も可能です(大虐殺とか)。
 ところが「開発独裁」はここのところが弱い。独裁を正当化するもっともらしい政治思想がありません。独裁を正当化するのはイデオロギーではなく、パフォーマンス(実績)――つまり「開発」の成果ということになる。これは具体的で目に見えるものです。
 フクヤマは、「1970年代後半以降の第三世界における非民主主義体制の崩壊が、比較的スムーズにいったのは、それらの体制が、共産主義やファシズムと違って確固とした正当性の基盤をもっていなかったためだ」(要旨)と言っています。つまり、「ほんとうは独裁より、民主政治がいいんだけど、開発や近代化のために、現時点では民主主義は無難しいんです。だから国民の皆さん、しばらくしんぼうしてね」――というのが普通の「開発独裁」なんです。
285三郎:2000/03/29(水) 00:24
 これに対して、共産主義では、イデオロギー的なドクマで独裁を正当化する。歴史は高度な共産主義社会という「終わり」(目的)に向かって発展していく。共産主義社会への過渡期における「独裁」は歴史の必然的過程だ。経済発展の実績が上がろうが上がるまいが、数十万、数百万の大衆が飢えに苦しもうが、秘密警察と強制収容所を完備させ、過渡期の革命的独裁を守り抜くことが至上命令になってしまいます。
 以上、マルクス・レーニン主義の「独裁」と「開発独裁」との違いを書きました。前回には、両者の共通性について書きましたが。共産主義独裁を「開発独裁」の一種と見ることには反対です。それは、両者の大きな相違、とくに前者の危険な性格を過小評価することになると思います。私からすると、イワソさんは、マルクス及びマルクス主義及びマルクス・レーニン主義にたいしてあまりにも寛大すぎると思います。
286イワソ(笑):2000/03/29(水) 11:39
>三郎さん

マルクス主義の陣営内で議論されているのを読むところでは、
どーもポルシェビズムとマルクス主義そのものを分離して考えるのが流行みたいです。
‘指導者独裁’や‘党独裁’はポルシェビズム(レーニン)の発想であって、
もともとマルクスが言ったのは‘プロレタリア独裁’であって、
‘党独裁’ではなかったというやつです。
マルクス自身の見解はどーかというと、どーも時々によって紆余曲折してるみたいで、
そこから多数派人民戦線やら協同組合主義やら何やらが引き出されてきます。
少なくともマルクスは強烈な独裁を意図していなかったということですねえ。

ロシア・ポルシェビズムが‘開発独裁’とは違う、というのはなるほどです。
でも、ロシアでの独裁の形態はかなり、しばらく我慢してね、
っていう言い方だったように覚えていますが、
それが‘階級敵’やら‘全般的危機論’(階級矛盾が激化して闘争がますますはげしくなる)とかで、
長々と繰り延べになっていたところ特徴があるようにあるのでしょうねえ。
287三郎:2000/03/29(水) 15:42
>イワソさん
  :マルクスの思考が及ばなかったこと:

 マルクスがバカなのは、「階級」の「闘争」や「独裁」があるかのごとく
考えたことです。
ほんとうは、「階級」というものは、政治的実践の「主体」とはなり得ません。
つまり、目的を選び、アクションを具体的に起こすのは、人間や組織であって、「階級」そのものや「民族」そのもののごときものは、「主体」を構成することができないのです。
 にもかかわらず、マルクスは、「階級闘争」だとか、「プロレタリア独裁」だとかのたまった。
 マルクスは「共産主義者」についても、「党」についても語っています。
しかし、それらと「労働者階級」との関係については沈黙しています。
それらのあいだのズレや矛盾、というよりも本質的な非同一性について,
思考が及ばなかったんでしょうね。
288三郎:2000/03/29(水) 15:42
 レーニンの思想は「危険な思想」です。しかし、その「危険な思想」を支える諸要素はマルクスにおいて準備されていました。20年前、フランスでは、グリュックスマンやレヴィなどの「新哲学派」が登場しました。日本では、笠井潔や津村喬などの「葬送派」が
登場しました。わたしはかれらの、マルクスをふくめたマルクス主義の全面的な否定を支持します。
 軍部が悪い、軍部が悪いといいますが、それによって天皇が免責される結果を引き起こしたのと同様(と言ったら、たとえが悪いかな)、スターリンが悪い、レーニンが悪いといって、マルクスを救出する、中期以降のマルクスが悪いといって、初期マルクス(疎外論のマルクス)だけでも救おうとする----これは、1960年代のマルクス主義者のしたことです。
 天皇制は象徴天皇制をふくめて一切否定されるべきです、
そして同様に、マルクス主義も一切否定されるべきです。
あらゆるドクマとの訣別が21世紀の政治には必要です。 
289イワソ(笑):2000/03/30(木) 22:17
>三郎さん
マルクス主義が人間主体のことを考えていない、
歴史や階級を主体にしている、という批判はよく聞くものです。
でもそれは思考が及ばなかったというより、
批判的思考の為にいったんそれを抜いて考えるってことだったと思います。
そうでなければ経済学や社会学も同じ過ち、ってことになるますよね?
経済学が開発独裁に用いられたりするのと同じ事で、
マルクス主義はたしかにソ連のような巨大な悲劇を20世紀に残しました。
が、体制としてのマルクス主義ではなくて、
批判的な意思としてのマルクス主義は消えず、
今後も大きな力を持つだろうは間違いないと思うのです。
批判的な意思において、マルクス主義を超えるものって実はまだないんですよね。

290三郎:2000/03/31(金) 00:02
 イワソさんへ  :マルクス主義からの完全な訣別を:
>体制としてのマルクス主義ではなくて、
>批判的な意思としてのマルクス主義は消えず、

マルクス主義について論争しても、生産的ではないので、あまり立ち入りたくないのですが、一言だけいうと、マルクス主義が単なる「批判的な意思」として生き残るということは、時代をリードする思想としては死んでいるということでしょうか。
 それなら賛成です。しかし、そうだとすれば、マルクス主義になお価値を見出すかのようなことをおっしゃるならないほうがよいと思います。
 一方で、ファシズムという過去の思想になお可能性を見出す瀬戸さんのような
方がおられる。他方で、マルクス主義の限界をようやく認識しつつも、なかなか
それから完全に訣別できない人がいる。困ったことです。
291三郎:2000/03/31(金) 00:09
 イワソさんへ  :倫理的社会主義(もしくは、科学から倫理への社会主義の回帰):
>マルクス主義そもそもの発端にある‘貧困’や‘疎外’への批判、
>という意思は、とりわけ貧富の差の拡大する現代では、 まだ消えていないんでは?
 イワソさんは、ここでも「意思」について語っておられる。
つまり、イワソさんはマルクスないしマルクス主義を「科学的社会主義」としてではなく、「倫理」や「モラル」や「社会的正義」の観点から評価しておられる。
 これは正統的なマルクス主義理解とは異なります。そしてこのとらえ方はマルクス主義の社会主義思想としての独自性を薄めることになります。ロバート・オーエンやフルードンと変わらなくなるからです。
 しかし、私はそれでよいと思います。社会主義の根本は価値や倫理だと思うからです。
最近出た柄谷行人の『倫理21』は「倫理的社会主義」を唱えています。ブレアも「倫理的社会主義」と言っている。
 社会主義的な「価値」、それに結びついた諸「目標」はなお十全な有効性をもっています。しかし、それらの目標を実現するために従来試みられてきた「手段」については徹底的に再検討する必要があります。とくに、国有と計画経済の社会主義はだめです。従来の「福祉国家」もラディカルに改革する必要があると思います。「市場経済」をドグマチックに全否定するのも間違いでしょう。

292イワソ(笑):2000/03/31(金) 01:15
>三郎さん
柄谷はんの『倫理21』は、ネオカント主義、とかいう批判が、
マルクス主義の陣営内からは出てくるでしょうかねえ。
あんまりうかつなことはいえません(笑)。
いろんな‘マルクス’像があるんで、いちがいに言えないってことを、
自分は別スレで思い知ったので・・・。
(なにがしさん、かいとさん、見てますかあ?)
根本的な意思は良い、ってことにしとこうかなあと思うんです。

ちなみにマルクス主義は市場経済をドグマティックには否定しないでしょう。
293三郎:2000/03/31(金) 01:52
>イワソさんへ  :完全に殺し、死亡証明発行後に顕彰を:
 イギリスではR・H・トーニーなんかが「倫理的社会主義」の
理論家、というよりイギリスの社会主義の多数派がオーエンや
キリスト教社会主義をふくめて、「倫理的社会主義」だったといべきでしょう。
 ひょとすると「倫理的社会主義」という言葉は「科学的社会主義」
に対抗するかたちで登場したのかも知れない。
 日本には非マルクス主義的社会主義の伝統が弱いので、マルクス主義の凋落がそのまま社会主義の凋落へと連動してしまっています。しかし、マルクス主義以外の社会主義に学ぶ必要があると思います。
 私としては、マルクス主義を完全に殺してからでないと、とうてい「マルクス」
を顕彰する気にはなれません。
 日本ほど社会主義思想に対するシニシズムの強い国はないのではないでしょうか。
しかし、他方では、マルクス主義がまだ死んではいないかのように、エキサイトした論争が展開されている。
294無視してくれていいけど:2000/03/31(金) 02:13
じゃあ自虐左翼を叩いてくれよ自称リベラルは。
そうじゃなきゃ信用されないよ。
結局、まともなリベラルは自民党左派とかにいて、社会党共産党朝日
岩波はキチガイだったってことだろ?
295>294:2000/03/31(金) 10:26
やってるよ、サヨク叩き。なかなか見えんかもしれんが。
局所的にはウヨと見分けつかんからな(サヨともだが)。
296名無しさん:2000/04/01(土) 02:28
>日本ほど社会主義思想に対するシニシズムの強い国はないのではないでしょうか

(´Д`y-~~~ 十分社会主義国家じゃん日本は。だからうんざりしてんだよ。
       何でそういう感受性が無いのかねー。リベラル左派は。
297三郎:2000/04/01(土) 03:21
296さんへ
>十分社会主義国家じゃん日本は。

そうおっしゃる以上は、是非とも、あなたの「社会主義」の定義を
明らかにしていただきたい。
ヨーロッパ諸国では、現在の生きた思想として、「社会主義」が正面から
論じられいるのですが、日本ではそういうことがさっぱりなくなりました。

時代感覚を失い、現実を直視する意思を欠き、感受性を喪失した
ある種の日本人たちは、「社会主義」や「平等」が嫌いなんですね。
296のあなたもそうです。
そういう連中が、日本では「社会主義」の思想や「平等」の思想が
あまりにも力を失っているという現実があり、それらに新しい力を与える
必要があるにもかかわらず、
逆に、それらが過剰に存在していると考えてしまうのです。

       
298三郎:2000/04/01(土) 04:16
ひょとすると、294さんは私に対する批判を書いておられるのでしょうか。
どうもご趣旨がわかりにくいんです。私は「自称リベラル」ではないですけど。
 自民党左派って、三木とか、宮沢とか、加藤のことですか。この連中に妙に甘い見方があるけど、反対ですね。こいつらが権力の中枢の一角を構成しているのですよ。
「社会党共産党朝日岩波」を「キチガイ」だとお考えなのはむしろあなたでしょう。
若い頃から、『朝日新聞』、岩波書店には敵意をもっていました。東大にもね。
岩波の雑誌の『世界』はよくないですね。あの雑誌を有り難がって、定期購読しているインテリがいる。悲しいな。北朝鮮に対する姿勢、ユーゴ空爆問題、東京都の教員勤務評定問題、全部わたしは『世界』の立場に反対です。『正論』や『諸君』や『SAPIO』よりはましですけど。
 共産党は、自民党左派や『朝日新聞』や岩波書店や東大と違って権力側ではないですよ。私は反共産主義で、共産党は支持しないけど、共産党がどう変わるか、興味深く見ています。党名変更の時期が近づいていますからね。
299名無しさん:2000/04/01(土) 05:34
┐('〜`;)┌  定義だってよ。困ったもんだ。

>時代感覚を失い、現実を直視する意思を欠き、感受性を喪失した
>ある種の日本人たちは、「社会主義」や「平等」が嫌いなんですね。

(´Д`y-~~~ 「社会主義」と「平等」が好きなやつなんかとは友達に
      なりたかねぇーな(らふたー

300三郎:2000/04/01(土) 09:20
>「社会主義」と「平等」が好きなやつなんかとは友達に
>なりたかねぇーな(らふたー
でも「天皇親政」「一億一心」「八紘一宇」が好きな奴とも
友達になりたくないんでしょ。時代錯誤ですからね。
そしたら、「規制緩和」「自助」「自己責任」「自由放任」が
好きな奴はいいんですか。福祉、社会保障を最終的にはやめようという考えですけど。
失業や老後が心配ですね。
独裁や計画経済もいかん。当然です。
「社会主義」と「平等」に反対といっても、いろんな立場あるでしょう。
しかし、「社会主義」と「平等」の側に立つといっても、これまたいろんな立場があると思います。
尊皇思想は論外として、新自由主義(ネオ・リベラリズム)でも、
共産主義や戦後社会民主主義でもない、
そういう観点から、フランス革命以来の「自由・平等・友愛」の理念、
社会主義の連帯と社会的平等の理念を21世紀的に追求する、
「第三の道」を探求するのがベターではないでしょうか。
301FAX:2000/04/05(水) 00:40
番組終了ですか。
302名無しさん:2000/04/05(水) 01:34
ファシスト玉砕!
303ラジコン空軍:2000/04/06(木) 05:12
天才あたりになりたいな。
すごい すごい 空は空色 土は土の色。
304田原一郎:2000/04/06(木) 13:40
再び議論は国家、社会体制論に引き戻ってきました。
イワソさんはマルクス主義の批判的な意思の部分の継承を、
三郎さんはマルクス主義、国家社会主義、そして新自由主義と決別して、
第三の道を選択すべきを述べておられます。

さて、一ヶ月を超えて続いてきたパネルディスカッション、
この政治思想板において大きな役割を果たしてきたのですが、
今後の議論の道筋について、ご意見を求めます。
皆さんのご提案を待ちます。

305視聴者:2000/04/06(木) 15:51
瀬戸もいなくなってみると淋しいもんだな。
306視聴者その2:2000/04/06(木) 16:05
同感。かいとも、なにがしとマニアックな議論してないで
こっちで議論してくれればいいのに。
307瀬戸弘幸:2000/04/06(木) 20:55
皆さん、討論会をすっぽかしてしまい申し訳ありませんでした。超極右
思想サイトで棺光一なる人物と連日の論争に忙殺されてしまい、こちらが
疎かになっていました。
今日私のHPを見たら奈々さんという女性と思われる方から、エールが寄せられて
おりましたので、又、こちらの方も参加させて戴きます。

まだ、最近のものを読んでいないので、詳しくは明日以降にさせて頂きますが、
丁度私のサイトでは1990年代を総括する90年代論を始めた所でした。

なぜ、あれほど鉄壁だと思われていた共産主義国家が脆くも崩れ去って
行ったのか?
それを経済による思想の超克、自由と平等、ナショナリズムとインターナショナリズム
などの関係で論じております。
興味のある方は是非ご覧くださいご覧ください

http://www.strategy.co.jp
308名無しさん:2000/04/06(木) 21:55
お前の好きな国歌社会主義は社会主義の前に滅んだけどね
309>308:2000/04/06(木) 22:08
えっ、君が代社会主義が滅んだって?
310ラジコン空軍:2000/04/07(金) 04:44
天に唾はく行為はするな
311かいと:2000/04/07(金) 09:54
すみません。そのうち帰ってきます。目処はついているので…。
312名無しさん:2000/04/08(土) 01:30
てゆうか、すれっど立てなおしたら?
313名無しさん:2000/04/08(土) 07:38
瀬戸さん、棺なんかを相手にしても、無意味だよ。
戻ってきてください。
314瀬戸弘幸:2000/04/08(土) 15:55
>308さんへ
国歌社会主義って国家社会主義の間違いですよね。
そう理解して、お答えします。確かにドイツでは国家社会主義は亡びました。
しかし、それはドイツ国民の支持がなくなったからではなく、戦争に敗れたからです。

我が国においても国家社会主義者は戦前・戦後異端の右翼として思想界から
排斥され、不遇な運命を余儀なくされて来ました、
しかし、思想の遇・不遇は必ずしもその思想の価値には関係ありません。
国家社会主義の新しい歴史的な使命とその役割については、産業社会の発展に
ともなって顕著となってきた個人主義を克服する道が期待されていると
思っております。

>313さんへ
棺なる人物の憂國掲示板への居座りと、独特の論理展開は本当に興味深いものヶがあります。
この男が何ものなのか?その正体を見届けるまで論争を続けるつもりです。
315名無しさん:2000/04/08(土) 17:07
313 名前:名無しさん 投稿日:2000/04/08(土) 07:38

瀬戸さん、棺なんかを相手にしても、無意味だよ。
戻ってきてください

瀬戸の団体でも入っていろ
毛皮を売るミンクの団体それが日本のナチ
316瀬戸弘幸:2000/04/08(土) 17:20
>315さんへ

「毛皮を売るミンクの団体」って何の事?
ナチスが狩猟を禁止した政党である事を知らないのですか?
317瀬戸弘幸:2000/04/08(土) 19:11
三郎さんの社会主義の定義について述べよ、という文章があったので、
考える所を述べさせていただきます。

そもそも社会主義思想とは産業革命以降、急速に発達した産業社会において
、資本家階級の競争主義、自由主義の傾向に対して、疎外されてきた労働者
階級の強い要求によって生まれた。

それは一つには労働者階級の貧困化(経済的疎外)に対する保証の要求であり
、もう一つは資本家階級の決定権の独占(政治的疎外)に対する参加の要求で
あった。

しかし、産業主義の発展という未来を読み取る事が出来ずに、現実的な
単なる利益の分配的な性格を強めていった。したがって、初期資本主義の
矛盾が実は産業社会自体に起因する矛盾であるのに、その矛盾を解決する
ための手段が「生産手段の社会化」として強調されていった。

この点を最も重視したのがマルクスであり、「生産手段の社会化」が社会主義の
中心概念になってしまった。つまり、これまでの社会主義の定義とは
そのように書けるのではないか。
私はこれまでとはまったく違った社会主義の定義を今後示したいと思う。
318名無しさん:2000/04/08(土) 19:26
ナチスが狩猟を禁止した政党である事を知らないのですか?

くだらない事知ってるんだね
私が言いたいのは、日本人とか黄色人種黒人がナチスを
擁護するのは
ミンクが毛皮を売ろうと叫んでいるようなものだと言いたいの
319瀬戸弘幸:2000/04/08(土) 21:11
>318さんへ
そうであるなら、回りくどいことをせず、そのように最初から
おっしゃってください。

もうこのサイトで何度も説明していますが、ナチスを単なる人種論として
見てはいないと言う事です、
同じ敗戦国として民族の正史を綴る闘いに共鳴していると申し上げておきましょうか。

ナチスが狩猟を禁止したのは動物愛護のためだけではありません。
ヨーロッパの森林は一部の特権階層だけが狩猟をしていた時代は
自然が守られていましたが、一般の人たちが森林に入るようになって
急速に破壊が進み消滅していったのです。
ナチスは世界の政党の中で一番最初に自然保護法を成立させました。
この法律は日本の環境行政の手本にもなったのです、勿論戦後の話です。
320>319:2000/04/08(土) 22:53
なら「我が闘争」全否定してるんですね(笑)
321三郎:2000/04/09(日) 00:03
 まえに、私は瀬戸さんの本を一冊買ったことがあると書きましたが、後で思い出したのですが、どうやら二冊です。よほど、瀬戸さんとはご縁があるのですね。失礼ですが、いずれの際も、すぐに店頭から無くなると思い(返本され、常備されないと推測したのです)、ただちに購入しました。
 一冊は日米関係についての本で、もう一冊は、ヒットラーについての本です。後者は、なかなか装丁の良い本で、環境や自然についてのヒットラーのとらえ方に言及した部分が印象的でした。つまり、自然保護、エコロジーなのですね。面白かったので、友達に貸してあげたこともあります。
 しかし、これは民族主義の立場から「血と大地」の思想ではないでしょうか。人間と自然、自然のなかの人間という視点ではなく、ドイツ民族の自然という見方ではないでしょうか。
322三郎:2000/04/09(日) 00:10
 ナチズムの本質は人種主義ですよ。人種主義的民族主義だと思います。
 普通の民族主義は、言語とか、宗教とか、共通の生活文化とか、
歴史などで、自分たちを他の諸民族との差異性においてを規定します。
 ところが、ナチスは民族を人種(つまり自然的諸特徴、最終的には、血)
として把握します。疑似科学も動員してね。
 そして、諸民族は、その血において本質的に優劣の関係にあると見なされます。
ヒトラー『わが闘争』に、確か「人種と歴史」という章があったように
記憶しています。大変わかりやすく、印象的な章でした。
出てくるのは三つの民族で、ドイツ人、日本人、ユダヤ人なんですね。
 ドイツ人は創造的で優秀な民族。日本人は、なるほど急発展をしたが、
まったく創造性はなく、単に模倣しかできない劣った民族。そして、
ユダヤ人や単に劣っているだけでなく、諸民族に寄生し、
その民族をダメにする危険な民族と見なされています。人種的な本質、
つまり「血」おいてそう決定されていると見なされいます。
ここからナチスの反ユダヤ主義が出てきます。
323名無しさん:2000/04/09(日) 02:46
農本主義という文脈であれば、たしかにナチスには反都市的、自然主義的な
要素がありますね。
ヒトラー個人の思想としては、農本主義はあくまでも手段で、
究極的には人種論的世界観がその核心にあるわけですが、
ナチスの政権奪取へと至る過程で、中間層の支持層を集め得た理由の中に、
この農本主義的な要素が存在していたことは、かねてより指摘されているところです。
ナチス思想と戦争の関わりの解明とか、ナチス思想の核心を探るという脈絡でなくて、
ナチス思想を現代との関わりで多面的に評価するという観点からすれば、
自然保護、環境主義的な論点は検討する価値があると思います。
もちろんナチスの負の側面を十分に認識した上で、という限定が
つくことは言うまでもありませんが。
324名無しさん:2000/04/09(日) 09:07
ヒトラーは後年側近に「我が闘争」に対して
「あんなもの読む必要はない」と言っている
ということもお忘れなく。
325三郎:2000/04/09(日) 12:23
 (つづき)ナチズムを評価するということは、昨日書き込んだような人種主義的民族主義を肯定するということです。ナチズムから、人種主義的民族主義を取り除いて、自然を大切にする環境の思想だけを残すことも考えられますが、しかし、これではナチズムではなくなりますよ。
 私は、日本人が書いた社会主義思想史の本では、関嘉彦(都立大教授、森嶋通夫との論争でも知られる、民社党の参議院議員にもなりました)の本が最高だと思っているのですが、彼の『社会主義の歴史』(第二巻、力富書房)は、ナチズムは「社会主義」でないとしています 私は、このとらえ方には反対です。
 ヒットラーであれ、ナチス党であれ、その思想はさまざまな諸要素の複合体です。ナチズムにも社会主義的な要素もあると思います。民族社会主義、国家社会主義も、社会主義ですから。しかし、ナチスの思想の根本的な、もっとも主要な要素は人種主義です。民族主義も、社会主義も、そしてエコロジズム(があるとして)も、すべて人種主義に規定されたものでしかなく、それらは周辺的な要素でしかありません。ドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ民族のための「血と大地」の自然保護の思想というわけです。
 もし瀬戸さんが、ナチスの人種主義を括弧のなかに入れたうえで、自然思想だけに目を向けようとしているのなら、それは一種の詐術ということになります。
326瀬戸弘幸:2000/04/09(日) 17:32
ここでナチズム論争をする事は控えます。前にも書きましたが物事全てに
裏・表と光と影の部分があります。影の部分だけを見るのではなく、光の
部分を見ていくことが大切であると考えています。

ナチズム論争を望まれるのであれば、違ったスレッドを立てていただければ、
その場で自分なりの考えを述べてたいと思います。

それよりもこの討論の中で述べたいのは、社会主義の新しい定義についてです。
私が新しい定義について述べる前に、他の方の社会主義思想の定義を
伺えればと思っています。

これまで社会主義の対立概念は資本主義でした。
しかし、私は今日の社会主義の対立概念として、個人主義を挙げたいと
思っています、我々の掲げる国家社会主義は、利己的個人主義を克服する
透徹された理論として新たなる使命感を与えられたのです。

又、自己宣伝になって申し分けないのですが、5月に立ち上げる極右の
ネット政党の3つの柱が出来ました。
自然の再生と共存。
経済の再生と発展。
共同体の再生と国家の再興。
あまり宣伝になってしまいましたが、これらの点についても
論じさせていただければと思っています。
327三郎:2000/04/09(日) 21:22
 私も、瀬戸さん同様、「利己的個人主義」には断固反対です。
 野放図な、弱肉強食の、レッセ・フェール(自由放任)的な
市場経済、資本主義経済には、それが自然環境に配慮する「持続可能な発展と
両立しないという点でも、「利己的個人主義」を不断に再生産すると
いう点でも、反対です。
 いわゆる「新自由主義」(ネオ・リベラリズム)は、この野放図な市場経済、
資本主義経済が必然的に再生産するイデオロギーだと思います。
「新自由主義」の規制緩和、民営化、個人の自己責任、自助原理、
福祉サービス削減は、イギリスでも、アメリカでも、大変な社会的荒廃と不平等
をもたらしました。ご存知のように、イギリスのサッチャー政権、アメリカの
レーガン政権が、この「新自由主義」路線でした。
 瀬戸さんは、やはり「国家社会主義」の観点から、こうした「新自由主義」は
退けられるのでしょうね。いかがでしょうか。
328瀬戸弘幸:2000/04/09(日) 22:57
これまでの社会主義の概念をもう少し詳しく検証したいと思います。
というのは、これから私が述べる社会主義思想との違いを理解して頂く
うえで、どうしても順序としてそのほうがわかり易いと考えるからです。

これまでの社会主義というのは資本主義の矛盾を修正するために、
数ある方法論の中で、特に「生産手段の社会化」に着目した。
更にマルクスという学者によってそれは「一つの学説」として極度に
特殊化された。
しかし、これも資本主義と同様に、産業主義の基本理念からは少しも
逸脱するものではなかった。したがって、それは産業主義の側から見れば
、依然としてその視野の中でのみ発展する異端発展形態にしか過ぎなかった。

このことは、マルクス主義の社会主義論では産業主義の矛盾を克服する事は出来ず、
共産主義社会が資本主義の次に約束された社会などでは決してないことを
示していたのである。

社会主義の対立した概念を資本主義と捉えることは最早出来ない。
その対立概念を利己的個人主義として、その克服の道としての
社会主義である、とするのが我々の考えである。

個人の幸福(もっと俗的は利益)は社会全体の幸福により導かれる。
このような見地に立って始めて社会主義は産業社会の弊害を克服しえる。
この透徹された社会主義理論を国家・国民の大義によって打ち立てるこそ、
真の未来における国家社会主義である。

明日はなぜ本来人間は社会の中で力を合わせ生きてきたのに、
利己的な個人主義になってしまったのかを、資本主義や民主主義ではなく、
産業革命以降の産業主義の発展過程からその原因を探っていく事にしたい。
329月の涙:2000/04/09(日) 23:57
>328

期待しています。

>個人の幸福(もっと俗的は利益)は社会全体の幸福により導かれる。

この部分に賛同しています。
330三郎:2000/04/10(月) 00:52
 「利己的な個人主義」はいけない、このことには同感です。
しかし、「個人」は尊重されなければなりません。
「個人の独立や自由や選択」を大切にする必要があります。
 旧ソ連の「社会主義」は「国家社会主義」でした。
指令経済・計画経済で、党に支配された国家が「経済」を全面的に統制していました。
営業の自由も、職業選択の自由もありませんでした。
福祉や医療は無料ということでしたが、市民の自由や選択を認めない、乱暴なまでに、
画一的で権威主義的な福祉・教育体制でした。
 要するに、ソ連では、なるほど「利己的な個人主義」は抑圧されてたけれども、
個人の独立も自由も存在しませんでした。
 マルクス主義であろうが、ファシズムであろうが、「国家社会主義」というものは、
国家が個人のエゴイズムだけでなく、個人そのものまでも押しつぶしてしまうのではないでしょうか。そこが問題です。
331瀬戸弘幸:2000/04/10(月) 08:01
>三郎さんへ
 >旧ソ連の「社会主義」は「国家社会主義」でした。
これは明らかに間違った認識です。旧ソ連はマルクス主義による
社会主義から共産主義を目指したもので、それは国家社会主義とは
まったく関係ないものです。
これは学説的にも論理的にも正しく、彼等が「国家社会主義」を主張
したことなど一度もないはずです。
確かに彼等は国家を超えた国際主義(インターナショナリズム)を理想と
していましたが、反面からみれば最も強烈な国家至上主義、でありました。
この点を指して彼等を「国家社会主義」と断じておられるのであれば、
これほどの間違いはありません。

国家社会主義者の主張するものは、マルクス社会主義のような階級本位
及び個人本位の国家思想を排し、極めて国家と国民の共同体社会を
重要視する思想のことです。

国家なくして我々の生活はない。生活がないくらいだから、自由も
幸福も安全もないといった考えであり、国家は我々の運命共同体であり、
生死と共に国家の外にあることは出来ないというものです。

何故、共産主義が国家至上主義となったのか?
それを「国家社会主義」の思想と混同して論じることは間違いです。
なぜならば、最初の出発点からして違っているし、階級とか個人に対する
考え方も全然違っているからです。

ただ、戦前の日本の国家社会主義者も資本主義の矛盾を克服する手段
として「国家社会主義」を資本主義に対峙させました。
しかし、それは間違いであり資本主義というよりは産業主義そのものの
矛盾と捉えるべきであったというのが、戦後の「国家社会主義者」である
我々の主張です。
332ラジコン空軍:2000/04/10(月) 13:48
水は水色
333三郎:2000/04/10(月) 22:21
 ソ連は、建前上、「国家社会主義」ではありませんが、しかし、事実上は「国家社会主義」だったと思います。
 ソ連の政治思想は、一応、普遍的な思想(特定の民族や国家を越えた思想)である社会主義ないしは共産主義とか言われていますが、現実には、「国家主義」の要素も明らかに存在しました。「社会主義の要素」と「国家主義の要素」とを統一するために持ち出された観念が、「労働者階級の祖国」、「労働者と農民の国家」あるいは「労働者国家」「全人民の国家」という観念でしょう。
 つまり、ソ連という「国家」が至上の価値をもち、人民はそれに対して忠誠と献身と犠牲を要求される点で、ソ連は「国家主義」でした。、その理由は、この「国家」がソ連共産党が支配する国家だということにありました。つまり、マルクス・レーニン主義という「科学」「真理にもとづき、国内にあっては社会主義経済の建設、共産主義社会への移行を推進し、世界にあっては、国際共産主義運動の先頭に立つ「国家」だからこそ、この「国家」はほかの「国家」にない絶対的な価値と優越性をもち、人民はそのために、必要とあらば、生命を投げ出すことまで求められました。第二次世界大戦で、ソ連は実に多くの死亡者を出しました。共産党が支配する国家が優先され、人民の生命を軽視したのですね。
334三郎:2000/04/10(月) 22:22
 ソ連では、「階級」ということが言われました。しかし、労働者階級の「前衛」が「国家」を握っているわけですから、階級原理の優越が国家原理の優越にそのままつながります。民族や宗教は、この「階級」イデオロギーによって、否定の対象になりました。
 ソ連では、「国家」が個人や諸集団に優越することによって、「市民社会」が抑圧されました。国家の権力が社会生活のすみずみにまで浸透し、「全体的支配」が生み出されました。これがいわゆる「全体主義」です。
 念のために言うと、「社会主義」だと必ず個人や市民社会を抑えつけるわけではありません。しかし、社会主義が「国家主義」と結合すると、それらは抑圧されます。すでに19世紀の段階で、ロシアのアナキスト(無政府主義者)バクーニンがマルクスの社会主義を「国家社会主義」と批判していたことが思い出されます。
335三郎:2000/04/10(月) 22:56
 第一次世界大戦が始まったとき、それまで国際主義(国家を越えた労働者階級の連帯)の立場をとっていたヨーロッパの社会主義政党は、マルクス主義の影響力が強かったドイツ社会民主党をふくめて、いっせいに、自国の「参戦」、つまり「我々がその中にいる国家」(ウィル・ハットン)を「われわれの国家」として受け容れ、それどころか「戦争」協力の立場を打ち出しました。これは「社会主義」と「国家主義」との結合ではないでしょうか。
 ただし、ロシアのボルシェヴィキ(社会民主労働党ボルシェヴィキ派、後のソ連共産党)は、国際主義の立場を貫きましたが、これはドイツ社会民主党などが大政党であったのに対して、ロシアおける小政党でしかなかったことと無関係ではないでしょう。権力掌握後のボルシェヴィキ(ソ連共産党)は、「ソヴィエト国家」の国家原理を振りかざしました。それもロシア帝国の後継国家としてです。
 レーニンの「社会主義」は、マルクス主義的な粉飾もありますが、第一次世界大戦時のドイツのルーデンドルフ将軍の「戦時経済」をモデルにしてものです。実際、レーニン自身がそれを高く評価しています。独露のこうした国家モデルに対応するのが、日本の陸軍統制派の「高度国防国家」です。ドイツ・モデルの第一次世界大戦後版が、ナチズムでしょう。
336名無しさん:2000/04/12(水) 00:14
あげます。
337瀬戸弘幸:2000/04/12(水) 08:59
三朗さんが旧ソ連や東欧諸国を「国家社会主義」と断じられることは、到底承服できる
ことではありません。しかしながら、その事だけを論じていたのでは、一向に
前に進まないので、とりあえずはその議論は止めにして、私の持論を展開させて頂きます。

我々の掲げる新たなる「国家社会主義」とは何か?
思想はその時代、その時代の要請によって、その役割を変えていくものであって、
普遍的なものである必要性はないと考えます。
勿論基本的な部分に於いてはその限りではありません。

前回、社会主義の対立概念は資本主義ではない、と書きました。
では、社会主義の対立概念とは如何なるものなのか?
それを我々は利己的な個人主義と見ます。

元来人間は動物としてはそう強い存在ではなかった。
にもかかわらず、万物の霊長として地球上に覇を唱えることが
出来たのは、その社会生活力による。

人間はその知能の働きによって他の動物と違って何を得たかと言えば、
それは<共同体社会>の効用を理解し、その秩序の中で生活するという
<社会性>を身につけ、各人がその枠組みの中で、力を合わせ生産し
、生活し富や文化を創造することを学んできた。
338瀬戸弘幸:2000/04/12(水) 09:26
続きです。
こうした<社会>の力で人間は動物界の支配者として君臨したきた。
また、ある時は神の力により、個人の恣意と孤立を規制し<社会>を維持してきた。

しかしながら、産業革命以降の社会においては、他人を犠牲にしても
自己の利益を追求するという考えが蔓延してきた。
勿論、個人主義の全てを否定するものではない。素晴らしく人間的な
ものを我々の社会にもたらしてきた。

しかし、産業革命以降の社会体制はこれまでの助け合っていくと言う
<社会性>と全くかけ離れた傾向を強めるに至った。
これが自由放任経済の根底にある。今日話題となっているIT革命の
寵児などともてはやされている経営者も、利己的個人主義の傾向が
非常に強い。

資本主義の初期はまさにこの利己的な個人主義の犠牲者としての
労働者階級が巷に溢れていったものである。
これに対してマルクス社会主義は「生産手段の社会化」で対抗し、
「保障」や「参加」の要求といった社会主義思想が広まっていった。

我々はここでこの産業革命以降に出現した産業社会を、個人主義に
よって導かれた誤った<社会>であるとの認識をもって、それに立ち向う
新たなる思想としての「国家社会主義」を唱えるものである。
339三郎:2000/04/14(金) 00:24
 「利己的個人主義」がいけないということは賛成です。
「利己的個人主義」を拡大再生産しているもっとも大きな要因は、
市場経済と資本主義経済でしょう。これらを「自由放任」にまかせるのではなく、
一定の範囲内に規制しなければなりません。そして「市民社会」が「市場社会」になってしまわないようにしなければなりません。
 しかし、国家が前面に躍り出て、「市民社会」を飲み込んでしまうのは、問題です。「利己的個人主義」の克服には「国家社会主義」以外のやり方があると思います。


340三郎:2000/04/14(金) 00:37
 「利己的個人主義」を抑え、人びとの間に「友愛」や「共同性」を形成するには、
近隣社会(まち)を強くすることが必要です。まず自分たちが住んでいる町でに人々の
連帯が必要だと思います。
 ボランティア活動や公共奉仕が大切です。そのなかで市民団体が大きな役割を演じなければなりません。
それから家族を強くすることも重要でしょう。家族の連帯です。
人びとは、家族、コミニティ、市民団体などを通じて、市民社会に関係します。
強力な市民社会(国家からも、市場からも独立した市民社会)の発達こそが、
「利己的な個人主義」を抑制するのではないでしょうか。
341三郎:2000/04/14(金) 16:05
 瀬戸さんは、サッチャーやレーガンのような、
「新自由主義」(ネオ・リベラリズム)を肯定される
わけではないでしょうね。瀬戸さんも「市場経済」を自由放任に
ゆだねることに反対だと思うのですが、どうですか。
 そうだとすれば、「市場経済」というものを
どう扱うべきだとお考えですか。
342三郎:2000/04/14(金) 23:24
なぜ、瀬戸さんの「新自由主義」についてのお考えを
お聞きしたいかというと、
瀬戸さんが高く評価されている中曽根元首相は、
サッチャー、レーガン、につづいて日本で、
民営化、規制緩和など「新自由主義」路線を推進した
人物だからです。
中曽根氏の民営化、民活路線をどう評価されるのでしょうか。
343瀬戸弘幸:2000/04/15(土) 21:00
>三郎さんへ
どうも三郎さんは市民社会などと言うものを信じきっておられるようだ。
わたしは市民社会というものを信用できない、やはり国家を最高の道徳とする
考えからこそ、個人的な利己主義を克服する道が切り開けるものと考えて
おります。
国家からも市場からも独立した市民社会などというものが、
将来において形成されるなどとは考えられません。

共同体思想を語る場合は我が国の歴史・伝統・文化とかけ離れたものは
成功しないでしょう。
例えば、東北の新興団地での話ですが、地域住民がどうしたら仲良く
やっていけるかと言う事で皆が相談して、公園の一部に鎮守の森を
創る事にしました。
当然、そこには昔からのお祭りがあります。
皆でお祭りをする事によって共同体思想が形成されていったのです。

中曽根先生の民営化路線は評価しています。
左翼の牙城であった労組を弱体化させることに成功し、沈没寸前であった
国鉄を生まれ変わらせる事に成功しています。

自由放任の経済運営には勿論反対ですが、ある程度の規制緩和には賛成です。
私が反対しているのは、コメ市場の開放、単純労働市場への外国人労働者の
開放などです。

このスレッドも参加する人が少なくなっています。
話題を変えるか、他のスレッドとダブってもかまわないので
あれば時々の話題を積極的に取り上げたらいかがでしょう。
344三郎:2000/04/15(土) 23:22
 瀬戸さん、私は「市民社会」の可能性を大切にしなければならないと考えますが、
「国家」は何もしないでいいとは毛頭思っていません。国家――というよりも、分権化によって再編成された中央政府と各地の地方政府――は、積極的に仕事をすべきです。その役割のなかでも、家族、コミニティ、市民社会が強力になるように「支援」することがきわめて重要でしょう。その際、福祉や教育も大切です。
 国家(政府)中心のやりかた(共産主義、国家社会主義、伝統的社会民主主義)でも、市場中心のやり方(サッチャー流の新自由主義)でもだめで、国家と市民社会と市場経済との間にバランスのある関係を築く必要があります。「第三の道」とは、このような方向をめざしています。
345瀬戸弘幸:2000/04/16(日) 18:37
どうでしょうか。時の話題といっては何ですが、石原都知事の「三国人」
発言や中国問題、更には核武装の問題などを論じて見てはいかがでしょうか?

三郎さんの市民社会の考えにははやり地球市民的な考えがあるのでしょうか?
その辺を聞かせてください。
346三郎:2000/04/16(日) 19:25
どうも、私と瀬戸さんだけになってしまい、さみしいですね。

パネラーのかいとさん、なにがし某さん、それにイワソたちは、
「ポストモダニズムを爆砕せよ」で論争に熱中。
ホンマモノの、白熱の討論が展開されています。
とはいえ、私には彼らの、イーグルトンがどう、エンゲルスがこう、
マルクスがどう、という議論は全くわけ、わかりません。
もうマルクス主義というものは、実践的な性格を失い、
アカデミックな世界の一角に居を占めているのですな。

瀬戸さん。棺一郎なる人物の論争はどうなりましたか。
棺なる人物、超極右とか。それなら私は瀬戸さんのほうに近いわけで、
どこで論争をやっているのかわかれば、加勢に行こうかとも
思っておりました。

ところで司会者の田原一郎さんは、自民党のお歴々とのお付き合いが忙しいのか、
最近とんと姿を見せないですね。
瀬戸さんのご提案、私は結構だと思います。
でも、二人だけで、瀬戸さんの相手が私だけだと、
物足りないかも知れませんよ。
347三郎:2000/04/16(日) 19:46
 私の考えは、「国家」と「市民社会」と「市場経済」のバランスです。
このうち「市民社会」がこれまで軽視されてきたので、ことさら強調しているのです。
だから「国家」を全面的に否定するわけではありません。
私も「クニ」を愛することは大切だと思います。
 しかし、その「クニ」は近代国家(主権国家、民族的国民国家)
でなければならないわけではない。外に向かっても、内に向かっても開かれ、
多元化した「国家」なら、「クニ」として、共同体として愛することが
できるでしょう。
 ただし天皇を象徴とする「国家」、一握りの政治家や官僚が牛耳る「国家」は、
御免です。私のいう「多元化」した国家とは、分権化、多文化化した国家です。
 私も一挙に「地球市民社会」のようなものが実現可能だとは思っていません。
しかし、22世紀には人類は一つになっているかも知れませんよ。
21世紀はそのための前段階として位置づけたいと思っています。
日本国家を内に向かっても外に向かっても開くこと。
そして、ヨーロッパにおけるEUのようなものを過渡的に考える必要もあると思います。
「東アジア連合」とか、「アジア太平洋共同体」とか、いったものです。
348かいと:2000/04/16(日) 20:35

すみません。もうちょっとしたら戻ってこれる思います。

私がマルクス主義に関わるそもそものきっかけは、アヴァンギャルド(
前衛)芸術が主要な専門の私にとって、避けることが出来ない(ついで
にポスト・モダニズムも)、という理由からです。だからその体制や実
践よりも理論のほうに興味が傾くのですね。

> もうマルクス主義というものは、実践的な性格を失い、
> アカデミックな世界の一角に居を占めているのですな。

それは、死んだ…という意味なのかもしれませんが、文化、表現史の領
域ではまだまごうことなく生きた課題だったりします。要は社会よりも
動きが遅い?と言えばそれまでなのでしょうが、体制、社会論ではなく、
そちらのほうについてはいかがでしょう?現代的な文化表現に関する課
題とは何でしょうね。よかったら、そんな議論ができたら楽しいです。
そのうち、戻ってきます(^-^)。

>イワソさんへ

「ポストモダン…」スレッドではありがとうございました。結果的に誤
解されて迷惑だったみたいですが、また別の議論をしたいですね。
349三郎:2000/04/18(火) 00:04
 韓半島で南北首脳会談が実施されるとのことですが、
北朝鮮の動向が注目されます。
しかし、スムーズに平和の方向へ行くとは限りません。
全く予断を許さない情況にはいりました。
武力衝突、テロ、第2次朝鮮戦争、何があるか分かりません。
 中国と北朝鮮という20世紀の遺物が東アジアにはいまだに残っていますが、
しかし、これらが崩壊すれば、東アジアの国際環境は、大きく改善されます。
その時には、東アジアで本格的な「地域経済協力」の時代が来るのではないでしょうか。
そういう時代への過渡期が現在だと思います。
 外国の脅威につねにおびえ続け、侵略に備える。
国民の国家意識、国防意識、報国精神を涵養しなければならない時代は
21世紀の前半には終わるでしょう。そうした時代における、
新しい「クニ」のあり方を考えるべきではないでしょうか。
 攻めたり守ったりの「国家」でなく、さまざまな地域や市民社会とともに存在する
「クニ」(緩やかで多元的な政治的共同体)がそこに生まれるべきでしょう。
350瀬戸弘幸:2000/04/18(火) 15:50
三郎さんへ
冷戦の遺物が残る特殊な地域としてこの我々が住む東アジアの地域が上げられます。
特に北朝鮮と共産中国の存在は日本にとって仮想敵国であり、外交・防衛
戦略上最重要なものとなっています。
しかし、そうは言っては見たものの国民の意識の中に、果たしてそれだけの認識が
あるのでしょうか。
三郎さんは国家意識というものを軽視しているように思えてなりません。
日本の仮想敵国は強固なまでの国家意思を持っている国であり、国家を
軽視した<市民社会>の思想で立ち向える相手とはとても思えません。

国家と市民社会の関係をもう一度論ずるべきかと思います。
本来は対立するものではないと三郎さんもいわれております。
しかし、三郎さんは国家は統治するもので、市民は統治されてきたもの
といった考えがあるように思えてなりません。
両者の間を抑圧と叛乱、統制と抵抗、協調と反目
といったとらえ方をしているのではないのでしょうか?
両者を対等に見るからそうなるのであって、国家があって社会はそこに
内包されていると見れば対立は起きないでしょう。

「国家と社会」に新しい視点で切り込まれようとする勇気は高く評価
しますが、少なくとも国家をなぜ「クニ」などと書いてしまわれるのか?
私にはその辺のところが理解できない。
351三郎:2000/04/19(水) 00:44
 新しい時代には、「国家」は、なにか外部に対して閉ざされ、
内に向かっては一つの中心に結束する、窮屈な共同体ではなくなるでしょう。
外に向かって開かれ、内にあってはいくつもの中心と多様性をもつ
「国家」に成ることが可能だと思うのです。
 瀬戸さんが頭に思い描いておられる「国家」は、つねに戦争の瀬戸際にあり、
戦争に備えていなければならない、「高度国防国家」ではありませんか。
これは昭和前期の日本国家のあり方がモデルになっているとしか思えません。
 「クニ」は、ソフトな、やわらかい「国家」のつもりで使ってみた言葉です。
瀬戸さんの「国家」は、ハードで固く、そして怖い「国家」ではないでしょうか。
そのような「国家」を愛せと言われても、当惑する人びとが多いのではないでしょうか。
352:2000/04/20(木) 14:00
「国家」ですか…。
この話題じゃ、誰ものってこないと思いますよ。
ROMするのもかったるい。
「どうなる?21世紀の日本」のディベートが、
自家撞着するのもつまらないので、苦言も含めて「あげ」ます。

言わずもがなですが、「個別」の議論は、
あえて公開する必要はないでしょう。勝手にやってください。
ちょっと気になるかな、っていうことについては、
どんどん発言してください!
積極的にROMしちゃいます。
でも、普遍的な議論として発展していかないんだよなぁ。

この問題については、どうしても一言いいたい!
えっ! このスレッドはメンバー限定なの?

…「議論」は発展・拡大的なテーマなのに、
 なぜか、縮小再生産的、内省的、自己解釈「絶対」主義的方向に、
 向かってしまう。「右」も「左」も(笑)。

 てなことばかり言っていても、単なる愚痴だよね。

 そこで、瀬戸さん、三郎さんに質問しちゃいます(笑)
「激動そして混迷する今日の日本社会、その行方はいかに?」
(基本中の基本ですよ!)
353瀬戸弘幸:2000/04/20(木) 16:07
>鳥さんへ
最近,三郎さんと私だけなのでどうも人気がないと思ったら、
確かに指摘されるような点はありますね。
この際、メンバー限定も止めて2ちゃんねるの特性をいかした
「名無しさん」にもたくさん登場して頂いてはどうでしょうか?
単なるオヤジの愚痴話にしか聞こえないのでは、私としても悲しいかな。

日本の社会がこれからどのような変貌を遂げていくのか?
確かにわかりやすい表現で論議するのも面白いと思います。
でも、余り大きすぎて漠然としてしまわないでしょうか。
何かに限定してみると判りやすいと思うのですが。
例えば、21世紀に生き残れる政党はどこか?
労働組合に未来はあるのか?等など。
354名無しさん:2000/04/20(木) 17:02
それがいいだろ。司会が消えた時点で最初の決め事の定義
が無くなったも同然だからね。
355:2000/04/20(木) 21:08
私の「発言」はあくまで私の勝手な「発言」です。
ところで…田原さんはどこにいってしまったのでしょう?
有為をもってなし、無為に消えてしまうのでしょうか?
再登場を心より期待致します。
何よりも、このスレッドのためにも…!

>瀬戸さんへ

「激動そして混迷する今日の日本社会、その行方はいかに?}
政党や労働組合について、この主旨で述べればいいんじゃないですか?
わたしゃ、別に現在ある政党や労組が21世紀に生き残るかどうかなんて、
全く関心がないんです。生き残れなけりゃ、解党でしょ?
労働組合に未来はあるか? 未来がなけりゃ、労働組合は解散でしょ?
それだけのことです。簡単にわかることです。
 混迷する姿を評論するのは、ちょっとばっかり本でも読めば、
簡単に誰でもできることだと思います。
 
356三郎:2000/04/21(金) 00:18
 石原慎太郎の「三国人」発言は、何か意図された戦術の臭いがします。
石原は、民族主義的、国家主義的な「空気」を醸成していようとしている
のではないでしょうか。その背後には大きな戦略があるのかも知れません。
 今回の場合、問題なのは、コンサルタントの辛とか、作家の梁とかいう人の
石原に対する批判の仕方です。彼らの発言をいくつものメディアが取り上げましたが、
彼らはまんまと石原慎太郎の「挑発」に
乗ってしまったんではないかな。
 彼らに被差別者の代表としての「特権」があることは、
日本の進歩派は認めている。マスメディアです。
だからいくらか不穏当な発言でも、許容している。
 しかし、今回は調子に乗って「ジェノサイド」まで云々するなど、
かなり極端なことを言っている。進歩派には許容できても、
一般国民の一部には違和感や拒否反応が出ているのではないでしょうか。
 これが、石原のねらいだと思います。
 単なる反差別の、言葉の批判では不十分であるだけだけでなく、
場合によっては、逆に右翼に利用されています。
 いま必要なのは、新しい社会のイメージを提起し、論議することです。
わたしは、それは、多民族、多文化の社会ということでなければならないと思います。
単一民族国家から「多元的国家」へ、ということです。
 また国家論になってしまいました。
でも私は、そしておそらくは瀬戸さんも、抽象的な理論としての国家論を
もてあそんでいるつもりは毛頭ありません。
 時代の転換期にあっては、まさに国家が問われるからです。
(ところで、司会者がいなくなってしまい、弱りましたね。
田原さんに、何かアクシデントがあったのかもしれませんね。)
357瀬戸弘幸:2000/04/21(金) 11:13
今回の石原都知事の発言が最初から計算されたものなのか、どうかですが?
私はそこまで考える必要が果たしてあるのかと思います。
知事は意外と正直に自分の気持ちをストレートに出したのではないでしょうか。

昨年11月知事は警視庁を訪問し、警視総監より東京における外国人犯罪の
急増ぶりを直に聞いており危機感を持ったのだと思います。
「三国人」発言には正直いって我々の世代でさえもピンと来ないのですから
この2ちゃんねるの若い世代の人には全然わからなかったのではないでしょうか。

「不法に入国した外国人」と表現して入れば、共同通信も単なる「外国人」とは
伝えることは出来なかった筈です。
「不法に入国した三国人や外国人」と言ったので、「三国人や外国人」とくくられて
しまったのではないのでしょうか。

この発言に対して在日朝鮮人の人達や反日論者がこぞって批判に立ち上がって
いましたが、今日"死語”となっていた「三国人」を皮肉にも生き返らせてしまったようです。
358三郎:2000/04/21(金) 21:11
 私は、そんなに素直に受け取ることができません。
石原という人は、かって中選挙区制時代、同じ選挙区の新井将敬のポスターに
「韓国人」というシールを貼った男です。差別意識を動員して、同じ自民党の
候補者を攻撃する卑劣な人物です。
 半村良に『軍靴の響き』(角川文庫)という素晴らしい小説があります。
かわぐちかいじのコミック版もあります。東京都知事が自衛隊を災害出動させ、
そこからクーデターを強行するというのがこの小説の冒頭部分です。
 石原が、自衛隊を災害出動よりもむしろ治安出動させる(今回の発言はその伏線とも見られます)。
そして、出動部隊の一部が、混乱に紛れて、クーデターを実行する、
という筋書きはどうでしょうか。
 もちろん、「騒擾状態」は謀略的に演出されます。それを理由に「治安出動」です。
クーデター実行部隊は、三島事件やオウム事件に関与しながらも生き残った国家主義的な
幹部(将校)たちかも知れません。
 石原は知事になるにあたって、「一種の革命をやってやろうと思っている」と
言っていました。「革命」というよりも、「クーデター」でしょう。
 そもそも深謀遠慮、国家主義的な戦略があるのでは、と疑ってかかる必要があると思います。
359田原一郎:2000/04/21(金) 21:32
登場です。ちょっと財界のお歴々とのつきあいが忙しかったもので(笑)

石原知事の三国人発言ですねえ。
広く、「差別問題」ということに繋がっていくだろうと思いますが、

同時に、パネラーの皆さんにはお願いしてみたいことがあります。
それは、この国の近未来に起こりうる事態や社会像を描いて欲しい、
つまり近未来予想をして欲しい、ということです。

三郎さんの、
>いま必要なのは、新しい社会のイメージを提起し、論議することです。
提起がありますが、皆さんはいかがですか?
360:2000/04/22(土) 04:58
田原さんの登場に拍手(笑)
>新しい社会のイメージを提起し、論議すること
田原さんの、提起の提起に賛同します。
てなこといいながらも、
私の考える「新しい社会」のイメージは、いまだありません。
うんざりするような現状があるし…。
でも、うんざりするような現状の中でも、生きていかなければならない。
死ぬのは簡単。毎日のように中央線に「誰か」が飛び込んでいる。
「新しい社会」は、誰もが待ち望んでいるんだろう。おそらく。
でも、例えば住宅ローンを抱えたサラリーマンは、
現状変革なんてもってのほか。このまま、いまのまま、
この社会が続けば良いと思うんだろうね。
「保守」だとか「革新」だとか、「右」だとか「左」だとか、
ましてや「革命」なんていう言葉は、
もはや何も人の心に響きませんね。
「新しい社会」を誰もが待ち望んでいる。
「三国人」発言を行っても、たとえ「マスコミ」で問題視されても、
石原都知事への「期待」は変わることはないでしょう。
「なにかを、変えてくれるかもしれない」
そんな「新しい社会」への「期待」が漠然と表れているように思います。

念の為に申し述べておけば、私は石原都知事を支持していません。
「三国人」発言について徹底的に糾弾したいと思っています。
361瀬戸弘幸:2000/04/22(土) 07:57
田原さん、おひさしぶりでした。ご提案の近未来の日本の姿をそれぞれの立場から
論じることは、大変意義ある事と思います。是非、そのような主旨にそって議論を
進めてみたいと思います。
その前に、今回の石原都知事の「三国人」発言に対して、三郎さん、鳥さんから
ご意見があったので、私の考えを述べさせてください。

>三郎さんへ
今回の知事の発言を外国人犯罪の急増を背景とした社会情勢の中で、
自衛隊の治安出動を狙った「十分計算し作られた発言」と見るのは、
余りにも「うがった観察」であると私は思います。

謀略的な騒擾事件の演出、それにかこつけての自衛隊の治安出動、
そして国会占拠ですか?小説の世界では確かにあっても、現実的な
選択肢としては、共産党でさえも考えてはいないでしょう。

ただ、今回在日朝鮮人の評論家や文化人、或いは反日思想を売り物に
している売文家がヒステリックな石原批判を展開していますが、
この事がかえって逆に日本人の差別的感情を刺激したということは
紛れもない事実です。
このサイトを見ている方は、もう既にご存知でしょうが、我々の
立場は「全ての在日・二世、三世には無条件で日本国籍を付与すべきである。」
という主張を掲げてきました。
現在、本人もしくは親が前科・前歴があった場合の帰化は、一部の例外を
除いて認められていません。このような制限をすべて撤廃すべきです。
362瀬戸弘幸:2000/04/22(土) 08:24
>鳥さんへ
>「三国人」発言について徹底的に糾弾したいと思っています。

確かに「三国人」が差別的な意味合いをこめて使われてきたという
事を知事は認め、遺憾の意を表明し今後は使わないと言明しました。

しかし、では本当に「三国人」とは今日においても、そのような意味合いで
使われてきたのでしょうか?
私は現代に於いては既に"死語”であった思っています。
よって、その意味を今更の如く取り上げても、かえって問題を複雑にして
何らの解決に結びつかないでしょう。
もし、この問題を蒸返すなら、なぜ全国の駅前の一等地にパチンコ屋が
多いのかの議論まで遡ってしまうことになります。
日本の敗戦によって、在日朝鮮、台湾の人達は解放区と称してロープを張り
一等地に居座った。そのような歴史的事実を日本人も思い出すことでしょう。

日本人の深層心理の中に、朝鮮人を蔑視・差別する感情が根強く
ある事は、この2ちゃんねるの書き込みで明らかです。

「三国人」を差別言語として糾弾するのではなく、朝鮮人に対してその様な
感情を持つ我々日本人を厳しく戒めるべきなのです。

この日本という国家に生まれ、この国家で生活していく人達は日本人と
すべきです。国籍条項を「定住・永住型外国人」に限っては、これまでの
血統主義から出生地主義へ変えるべきです。

その上で、どうしても日本の国籍を拒絶する人達に対しては、外国人として
接すれば良いというのが私の考えです。

363:2000/04/23(日) 01:51
石原都知事に関わらず、「三国人」という「言葉」そのものが
人間としての人格形成の時期に頑として据え付けられた方々に対し、
同種の発言においても、徹底して糾弾していきたいと考えています。
私は、「不快だからやめて!」という意思を表明し続けます。
こういった意思表示に対して、過剰な反応をされたりする方もいますね。
2チャンネルなんか、すごいですね(笑)
ディベートの基本として、最低限相手の意思表示を尊重する、
こんなマナーがあると思うのですが。
(別に、このスレッドについて述べているわけではありません。念の為)

>瀬戸さんへ

「国家」という「共同体」における「市民権」について、
よろしければ、ご意見をうかがわせてください。
 以前新聞で読みましたが、少子高齢化社会を迎えるわが「日本国」は、
生産活動を維持・向上するためにも、「外国人労働者」の導入は不可避。
そのための法改正も進んでいます。
「高齢化社会」を迎えるから、介護派遣労働者法(?)みたいなものを、
この国のお偉いさんは作って、外国人労働者の導入を推進しています。
で、この国の高齢化社会を支えてくださる「外国人労働者」は、
所得税や何やら税金を払うんでしょうね。
「市民権」みたいな発想は、この国にはないのかね。
まあ、ようやく地方参政権くらいは認めてやろうじゃないか、
なんていう議論もでてはいますけれどね。

めんどくさいけど、念の為に言っておきます。
私は日本人。日本国籍もあります。税金もたくさん払っています(笑)
実家には「天皇陛下とその御家族」の写真が掲げられています(笑)
364瀬戸弘幸:2000/04/23(日) 11:52
>鳥さんへ
糾弾されるべきは「三国人」という言葉ではなく、それを朝鮮人に対する
差別的感情として使う、我々日本人にあることはご理解頂けたものと思います。
また、この差別感情が戦後半世紀以上も過ぎながら、何ら解決の方向に
行かないのは、我々日本人が彼ら在日の方を「純血主義」によって、日本
国籍を取得する際に面倒な手続きをかしているからです。

外国人労働者の受け入れ、即ち移民の問題については、我々は強く反対してきました。
その理由はいくつか上げられますが、まず一つには冒頭でも書いた差別的感情を
克服できない日本国民が、彼ら外国人を日本人と同様に見ることが果たして
出来るのかといった心配です。

これは日本人に限ったことではありません。米国のロス暴動の時、
韓国系の商店街が真っ先に襲われましたが、その一番の理由が韓国系の
人達が黒人を差別的に扱っていたからだというものでした。

ヨーロッパ社会でも大量に流入する外国人が社会問題になっておりますが、
階層社会が作り出されています。フランスなどでは北アフリカからの移民は
ゴミ集めや靴磨き、トルコ人などはタクシー運転手などと決っており、
彼らがフランス人と同様に扱われることは極めて稀だといいます。

長い植民地統治を経験した彼らだからこそ、何の矛盾も感じることなく
その様な階層社会を平気で作っていけるのです。

外国人を受け入れることは、日本人が外国人を差別的に扱い、
自分達は手を汚さずに特権意識をもって生活するという
危険性をはらんでいることにもなるのです。

「市民権」と「参政権」はこの国家にどう責任をもつて義務を果たしていくか、
といった問題なので同列に論じることは出来ません。
「参政権」とは日本国籍を有する者にのみ与えられるものであり、
この正当性は最高裁判所の判決でもはっきり示されております。
365三郎:2000/04/23(日) 21:27
瀬戸さんへ
>糾弾されるべきは「三国人」という言葉ではなく、それを朝鮮人に対する
>差別的感情として使う、我々日本人にある----
 その通りだと思います。「三国人」という言葉時代は差別用語では
ありません。ずいぶん昔、西条凡児という漫談家がいました。
テレビで彼が、「朝鮮人」と一旦言って、
 「あぁしもた。この言葉いけまへねんのやな、韓国人でしたな---」
とあわてて続けたのを記憶しています。
故西条凡児さんは、愚かにも「朝鮮人」という言葉を差別用語だと思って
いたのですね。
「朝鮮人」も「第三国人」も、本来差別用語ではありませんが、
差別的な文脈で用いられれば、差別的な意味を帯びざるをえません。
 しかし、いまはもう占領時代ではありません。「三国人」という言葉を使用するのはおかしい。
筑紫哲也や田原総一郎は、占領期の韓民族の人びとの態度をテレビで語っていました。
田原氏には朝鮮総連から抗議が来ました。今日のテレビで田原氏が反論していましたが、
もっともな反論でした。
 臭い物にふたをせず、占領期の朝鮮人による行動を
テレビに出ていた女性の学者先生のように「エネルギッシュな活動」
などと偽ることなく、田原、筑紫両氏のように、ありのままに語るべきでしょう
(警察は荒れ狂う一部朝鮮人を抑えることができなくなり、暴力団を使いました。
その結果、田岡一雄率いる山口組が巨大化しました)。
 占領期のおける朝鮮人の行動は、長きにわたる差別に対する反動でした。
だから、日本人は寛大な態度をとる義務があります。
 なお、彼らの行動は、結果的には、終戦→戦後改革という
ラディカルな価値転換の時期を反差別の方向に積極的に利用する機会を
奪うことになったと思いますが、その大元の原因を作ったのは
日本人による差別だということを忘れてはいけないでしょう。
366三郎:2000/04/26(水) 00:36
>瀬戸さんへ
 瀬戸さんは、石原に対して寛大ですが、私はそうは見ていません。
オウムとの関係に関してもです。オウムの依頼を受けて、宗教法人認可申請
に関して、東京都に働きかけた東京選出の衆議院議員というのは石原ではない
のでしょうか。彼の息子の嫌疑もまだ晴れていません。息子はヘリコプター教習所へ
行っているのです。これは実際に取材した人から聞いた話です。

 近い将来、石原新党ができると言われています。
宗教団体もバックにつくでしょう。そして極右集団も?
問題は自衛隊です。三島事件、オウム事件の生き残りと
つながっているのか、これが問題です。
当然CIAの東京ブランチは態勢を強化しているでしょうね。
結局、石原をつぶすのはアメリカ? ということになるのか。

やや、大げさなことを書いてしまいました。
わたしが言いたいのは、
こうしたことを少なくとも頭の片隅にでも入れておく必要がある、
ということです。
身を引いて、高いところから眺めると、
石原の発言は、今の日本の対立軸を明確化した点では、
その一点に限ってですが、歓迎されるべきかも知れません。
367瀬戸弘幸:2000/04/26(水) 07:59
>皆さんへ
今週発売の週刊大衆に我々が取材に全面的に協力した
石原知事発言で緊急検証!東京に潜む「不法滞在外国人」の犯罪激流
が掲載されております。是非ともお読み頂きたいと思います。
私のコメントも紹介されております。
今回の記事がこれまでと明らかに違っているのは、「不法滞在外国人」
が外国人犯罪と深い関係にあり、この解決なくして「外国人犯罪」問題を
論じることは出来ないという、これまでの我々の主張をほぼ正確に紹介
してくれたことです。

これまで、不法滞在問題は人権派の厚い壁に阻まれて、その実態解明が
なされないままでした。彼らは3Kなどという我々日本人が嫌がる仕事
を真面目にやっている人達であり、犯罪者と同列視することは間違って
いるという主張が主流でした。

最近では市民団体が「不法滞在」という言葉を使うのを止め「超過滞在」と
しようなどの意見さえ見られるほどでした。
しかし、我々は彼ら「不法滞在外国人」の多くが何らかの形で凶悪な
犯罪に関わっていることを調べ上げています。

6月下旬には「外国人犯罪」という過去5年間に起きた外国人による犯罪を
検証する単行本を全国書店より発売します。
368媒体選べよ:2000/04/27(木) 06:43
「週刊大衆」買うの恥ずかしいです。
立ち読みするのもっと恥ずかしいです。
369瀬戸弘幸:2000/04/27(木) 08:40
>368さんへ
週刊大衆とポスト、現代ではそう変らないのでは?(ヌードと風俗氾濫してます)
確かに新潮や文春なら申し分はないのですが。
しかし、結構反響ありますよ。やはり週刊誌は読んでいる人多いですね。
これまでだったら、「不法滞在」イコール「外国人犯罪」という書き方を
すると必ず人権団体と称する輩から抗議がありましたが、今回は沈黙して
いるようです。
もし、「不法滞在者」は凶悪犯罪に関係無いなどという団体や評論家が
いれば、徹底的に反撃するつもりでいたのに残念です。
370三郎:2000/04/28(金) 01:45
『週刊大衆』を拝見しました。
なかなか、もっともな内容の記事でした。
最後の部分の瀬戸さんの発言をふくめて、そう思いました。

371参考にして下さい>365:2000/04/28(金) 01:59
アメリカ ロス暴動で黒人が韓国人商店を襲った理由は
・来店する黒人を犯罪者のような目で見る。または差別的に扱う。
・スラム街でこれみよがしにいきなりベンツで乗りつけてくる。
・挨拶しても返礼しない。
こういうことの積み重ねだそうです。

ネパール ネパールのシェルパ組合は韓国人登山客の道案内はしないと表明。
理由は韓国人はささいなことですぐ殴りつけるからだそうです。

タイ
タイに進出した工場でトラブルが多発。安月給で長時間働かせる。
韓国人経営者がタイ人女子工員を殴りつけるなど。 労働争議が多発。

ベトナム 言わずと知れたベトナム戦争。
他の同盟諸国が少数の兵しか送らなかったのに対し韓国は海兵隊を師団単位
で送った。現地で虐殺や強姦が多発。今もってベトナム人の対韓感情は最悪。

台湾
中国と国交回復に伴い台湾外交部を追放その跡地を大使館の敷地にと中国に
提供。台湾政府はこのことを事前に察知して韓国政府と交渉したが
韓国政府はその弱みに着けこみ売れ残りの韓国車5万台を押しつけたり
したあげくだまし討ちのように突然の断交。
その挙句例の経済危機のときは厚かましくも経済援助を要求。台湾人を憤慨させる。

中国 中国に進出した韓国企業の評判もタイ同様悪い。
特に三東省に進出した韓国人経営者の横暴はひどかったらしく
中国人労働者のストやボイコット、報復にあって次々と撤退をよぎなくされた
らしい。また韓国内の中国人差別がひどいらしく韓国系華僑は次々と外国に
出国しているらしい。
372371>365:2000/04/28(金) 02:09
>占領期のおける朝鮮人の行動は、長きにわたる差別に対する反動でした。
>だから、日本人は寛大な態度をとる義務があります。

371はほかの板からの転載なんですが、これを見る限り
日本の差別が原因というより、すぐにつけ上がって調子に乗るのは
彼ら韓国人の性根なんじゃないかと思います。
それに韓国人って世界中から嫌われてるし。

373三郎:2000/04/28(金) 02:17
 「犯罪に対してタフに、犯罪の原因にもタフに」というのが、
イギリス労働党の「第三の道」の「犯罪」政策の基本です。
これはゴードン・ブラウンが考えた言葉で、ブレアが広げ、
現在ストロー内相がこの路線を推進しています。
 この観点からは、当然、不法入国、不法滞在者には厳しく対処する必要があるでしょう。
そして、この問題での中国や韓国との国際協力も必要でしょう。
 しかし、このことと日本がこれから外部に対してクニを開く
必要があるということ、また貿易だけでなく、難民の受け入れなどで積極的に
なるべきだということとは別問題です。
 近い将来、必ず外国人労働力の受け入れが、
問題化すると思います。中長期的には、これはまず間違いなく
現実化するはずです。人口減少は社会に決定的な影響を及ぼします。
活力を維持するにはどうしても外国人を入れざるを得ない。
それに、将来の好況時には経営者団体や業界団体からの要望が強くなるでしょう。
それが時代の必然的流れです。商品や資本や情報が移動して、
人がいつまでも移動しない状態にとどまれるはずありません。
今からその準備をしておく必要があります。
 それにしても一部エセ人権主義者の言説には目に余る者がありますね。
中島慎一郎(河合塾講師)は外国人犯罪はたいしたことないと言っていますよ
(宮崎学氏のホームページ、参照)。
この人、オウムと熊本県波野村の住民が闘っていたとき、
オウム信者の人権を守れと運動をした人です。
サリン事件等々で反省はしなかったのでしょうか。

374三郎:2000/04/28(金) 02:27
372さんへ
>すぐにつけ上がって調子に乗るのは 彼ら韓国人----
この「彼ら韓国人」というのは、
辛某とか、梁某とかいう人のことでしょうか。

375三郎:2000/04/28(金) 02:55
>彼らに被差別者の代表としての「特権」があることは、
>日本の進歩派は認めている。マスメディアもです。
 さきに私は、以上の文章を書きました(356)。
しかし、「特権」があるということとその「特権」を
乱用するということとは別であるはずです。
 「特権」を一部の在日韓国人が乱用し、それを自分自身の
営業に役立てているとすれば、これは許せないことです。
 またそのことが、日本の自民族中心主義者を必要以上に刺激し、
彼らの同調者を増加させているとすれば、これはほかの在日韓国人にとっても
許し難いことでしょう。
註:梁発言
「彼(石原都知事)はジェノサイド、民族浄化思想の持ち主だと思う。
(あの発言は)何かあれば警察はもとより自衛隊を出動させ、
在日外国人を皆殺しにしていいと----」
376名無しさん:2000/04/28(金) 04:04
>彼らに被差別者の代表としての「特権」があることは、
>日本の進歩派は認めている。マスメディアもです。

マスコミと進歩派が彼らに特権があると決める権利があるとでも
思ってんの?
もうちょっと政治を勉強してね。

377三郎:2000/04/28(金) 10:29
376さんへ
>マスコミと進歩派が彼らに特権があると決める権利があるとでも
>思ってんの?
権利のあるなしでなく、
事実としてそうなっている、そうなってしまっている、
ということを言っているのです。

それから「特権」という言葉にともなうあらゆるニュアンスを
考慮してください。取りようによっては、批判的な意味も含まれている
はずです。もちろん、すべての人が「特権」を彼らに認める必要はありえないはずです。
さらにいえば、「特権」は最終的には除去されるべきものだということも
言うまでもありません。
 
378瀬戸弘幸:2000/04/28(金) 13:30
>三郎さんへ
三郎さんは英国の事情に詳しいのでもう既に御存知かと思いますが、
英国でも不法滞在者が急増しており、これを阻止するために入国希望者
に5000ポンド(約87万円)を納めさせる動きとなっております。
新聞記事から紹介しておきましょう。
   ●入国したけりゃ保証金5000ポンドを (英国)
英国政府は今秋から、留学などを装った不法滞在の恐れがあると認めら
れた入国希望者に英国領事館窓口で保証金として5000ポンド
(約87万円)を支払わせ、ビザ(査証)の期限までに出国しなかった
場合は没収する制度をはじめることを明らかにした。最初の対象は
インド、パキスタン、バングラデシュの3ヶ国からの入国希望者だが、
不法滞在防止に効果が上がれば他の国々にも広げる構え。
 マイノリティー団体は「アジア系への差別で、人種差別禁止法に違反
する。」と批判。高額な保証金を支払えない貧困層や途上国から留学に
道を閉ざしかねないとの懸念もでている。
 政府は「新制度で、親類の結婚式に出席するなど期限までに帰国する
旅行者の入国は保証される」(ロシュ入国管理担当相)と利点を強調し
ている。
 英国では、入国後に難民申請し、滞在を続ける外国人が昨年7万人を
超え、政治問題になっている。

379三郎:2000/04/28(金) 23:53
瀬戸さんが指摘される通りです。イギリスではこの問題は大きく取り上げられています。
連日のようにとさえ言ってよいほどです。ただし、わたしは注意深く記事を読んでいないので、詳しいことは今ここでは書けません。

 ただイギリスでは、他方では、国歌や国旗を再検討しようという動きもあります。
多民族、多文化の国にふさわしいもの変えようということでしょう。
時代の変化にともない、「イギリスてきなもの」(ブリティッシュネス)とは
何か、という原理的な問題をブレア首相やブラウン蔵相は論じています。
380ひろゆき@奸勅人:2000/04/29(土) 10:45
昨今のアメリカにおけるキューバのクソガキ問題はなんだ。
異常だなあれは。餓鬼を政争の具に使うなんてさすが共和党
だな。
381三郎:2000/04/29(土) 14:43
 亡命と難民を区別し、
難民の場合は、飢餓や政治弾圧をなどが原因の難民と
経済難民(疑似難民)とを区別する必要があります。
そしてそれらと単なる不法入国者を分けなければなりません。
 それから対策としては、
「対症療法」と「原因」にさかのぼっての対策とに分けて、
取り組む必要があります。
 380さんがキューバのエリアン君の事件を取り上げておられました。
キューバは共産主義国です。共産党独裁の国で、政治的自由はもちろん、
経済的自由もありません。共産主義体制を解体し、民主化すること、
市場経済を導入すること、すべての人に「機会の平等」を保障すること、
それから外国の資本を導入すること、
これだけでアメリカに脱出する人がなくなるどころか、
大勢のキューバ人がアメリカから帰ってくるでしょう。
これがキューバの場合の原因にさかのぼっての対策だと思います。

 ロバート・レッドフォード主演の映画『ハバナ』をご覧ください。
1960年代初めのキューバ革命直前から革命期のキューバが描かれています。
バチスタ独裁の腐敗とともに、観光による繁栄も画面に出てきます。
この国には、観光資源があるのですから、それだけでもずいぶん
外貨を稼げるはずなんですけどね。アメリカから観光客が沢山来るのです。
ハワイよりずっと近いんですから。国民も元気いっぱいの国民ですし。
しかし、カストロがすべてを台無しにしてしまいました。
ただし、アメリカのCIAや軍部が旧バチスタにつながる勢力を支持した
(これがケネディ暗殺につながった)ことが、カストロをソ連の側に
追いやったというアメリカの責任もあります。

 中国に関しても、基本的に同様のことが言えるでしょう。
1989年に始まった共産主義体制の世界的な規模での崩壊の
最後の局面は、21世紀の初めに到来すると期待したいですね。
382三郎:2000/04/29(土) 14:48
 しかし、長期的には、すべての人びとのグローバルな規模での
「移動の自由」を実現することが「人類」の最終目標でなければなりません。

 モンテニューでしたか、「移動の自由」の重要性を唱えていました。
ただし、それは「国家」の内部での話です。21世紀は「世界」における
「移動の自由」の段階的な拡大をめざすべきであり、そのためにはすべての国が
努力して自国を外部に対して少しずつ「開く」ことが重要です。
 日本はこの観点から「難民」を積極的に受け容れるべきです。
かって1970年代後半、日本はベトナム難民に対して大変冷たかった。
ほとんど受け入れを拒否した。
本多勝一をふくむ『朝日新聞』などの論調などもそうです。
左右の区別なく、日本人の多数派には
「世界市民」としての意識が希薄なんですね。
グローバル化の21世紀では、これではいけません。
383横レスご免!!:2000/04/29(土) 14:57
うーん、マジで辛や梁の発言って本当に在日の人たちの意見を代表してるの?
また、それなりに説得力のある意見として評価されてるの?

私の在日に知り合いは、今回の「三国人」発言に対する彼らの反応を評して
「少なくとも石原発言を検討する機会をマスコミに提供した」みたいな消極的
な評価しかしてなかったけど。
384三郎:2000/04/30(日) 02:29
「横レスご免!」さんへ
>うーん、マジで辛や梁の発言って本当に在日の人たちの意見を代表してるの?

まさに、これは本質を突いた問いかけだと思います。
辛や梁は、個人の資格でなく、普通の大多数の在日韓国・朝鮮人を
事実上代表しているという前提で、その限りで、
その発言が被差別者の反差別行為として「承認」されている
のですから。
 私も、面識のある在日韓国人に尋ねてみようと思います。
マスメディアはこの点について報道しているのかな。
報道していないとすれば、怠慢だな。
385瀬戸弘幸:2000/04/30(日) 08:08
>横レスご免さんへ
辛さんや梁さんの発言は韓国や北朝鮮は勿論の事、在日朝鮮の人たちの大多数
を代表したものではないでしょう。
「三国人」は朝鮮人にとっても、消しがたい心の傷をともなった言葉であり
、この言葉は日本人が彼らを一方的に排除するための差別的言葉として
使用してきたわけでもありません。

戦後間もなくの日本の新聞には「三国人が暴動!」「三国人が警察署を襲撃」
などの見出しが躍っています、かれらが自らを戦勝国でもない、敗戦国でもない
「三国人」と称して、米国占領軍の支配下にあった日本において暴虐の
限りをつくした事は日本人のみならず彼らも十分にわかっていることでしょう。

もし辛さんや梁さんのように一方的に日本人だけを責めるのであれば、
何故、全国の駅前の一等地にパチンコ屋が多いのかという疑問に彼らは
答えなくてはならなくなるでしょう。

一番の問題は当の火付け役となったマスコミの沈黙です。
辛さんや梁さんはけっして在日社会を代表しているわけでもないのに、
あたかもこの二人が在日を代表しているかのような報道をしたマスコミに
その責任があるのではないでしょうか。

私の知り合いの在日の方は皆眉をひそめております。
勿論、石原都知事の「三国人」発言を快くは思ってはおりませんが、
それに過剰に反発した辛さんと梁さんにも批判的でした。

私は朝鮮人の3世の多くは日本社会に帰化することを願っていると考えている
ものです。参政権を云々するまえに無条件で日本国籍を与えたらどうか。

それがこの問題の解決の最善の方法であると確信するものです。
386反響:2000/04/30(日) 09:35
差別っつーのはほんとにいけないことなんかいな(w
人が3人集まれば派閥ができると言われるように人間の本質
なんじゃないのかな。他人と色分けしたいされたいと思うのは。
職業に貴賎無しなんて誰がどう考えたって馬鹿げた戯言だろ。
差別は悪いなんてのもこれと全く同じことだと思うけどな(w
むしろ日本人の選民意識が戦後の驚異的な経済成長の原動力に
なったんだし、戦前戦中も極東の小国が列強の仲間入りをして
世界を相手に戦い抜けたんだと思うしね。

今回の都知事の発言がいけないなんて本気で思ってる日本人なんて
果たしてどれくらいいるのかね。エリアン問題だってどうでもいい
と考えているアメリカ人の方が圧倒的に多いしね。ただどっちも
マスコミが騒ぎ過ぎなだけでそれ程たいした問題じゃないっしょ。
反対勢力が政争の具にしようとマスコミを焚きつけているのも
忘れるべきではない。

日本が移民を受け入れなさすぎるっていうのは国連でも問題視され
れているけど国是っていうものがあってこれは譲れないってものが
あるってことを忘れてんだろな。どこの国にだってあるでしょが、
これだけは絶対譲れないってもんが(w
国際化なんてのは関係方面だけがやりゃーいいことであって全ての
国民の問題ではないよ。勘違いしてる輩が多くて困るね。
387名無しさん:2000/04/30(日) 10:46
右系の人は個人の権利より義務を優先させろと言うけれど
じゃあ国家の場合は義務を優先させろとは言わないの?
388三郎:2000/04/30(日) 11:55
387さんへ
 私は「レフト」のつもりですが、
しかし「権利」だけでなく、「義務」も重要だと思っています。
 フランス革命の時代のイギリスの思想家トーマス・ペインは『人間の権利』のなかで、
権利には、他者の権利を守る、義務がともなう、と言っています。

 いま強調されるべき大切な「義務」は、これまで幅をきかせていた君主や国家に服従する
「臣民」(被統治者)の義務(これが「ライト」の皆さんが好きな「義務」です)
でなく、「市民」の義務です。
 だれもが、地域社会、市民社会、国家(「クニ」)、そして「人類」という
「共同体」のなかに生きていますが、そうして「共同体」のなかで、
「権利」とともに「義務」をももつのが「市民」です。
そしてこの「市民」としての立場が「シティズンシップ」です。
この言葉を日本の政治学者が「市民権」と訳しているのは、一面的です。
 先進国に生きるわれわれは、
グローバリゼーションが進行する今日ますます、
「世界市民」としての「義務」や「責任」を自覚する必要があります。
それが「難民」の受け入れの論理です。
時代は変化しているのです。
昔とは違って、日本一国だけのことを考えているのではいかんと思う
のですがいかがでしょう。
389瀬戸弘幸:2000/04/30(日) 19:01
>反響さんへ
人間の本性がが他者との差別化を図る事にあるのは間違いではないでしょう。
個々の人間が他者との違いを認識しながら協調する事は悪い事ではありません。
問題なのは余りそれを是とした場合、自分が相手より優れているのは
努力などではなく、それがもともと身についているものであると誤解する
事ではないでしょうか。
確かに身体的な特徴はどうする事も出来ません。例えば黒人は足が速く、日本人は
手先が器用だ。これは明らかなる身体的な特徴ですが、これを黒人は顔の
色が黒く醜いとか、日本人は黄色の顔をしてずる賢いなどと、身体的特徴に
自分の他者への感情を安易に言葉にすると、人種差別として槍玉に挙げられてしまう。

日本人が他者よりも優れていると考えるのは何の問題もないが、それを他者との
比較の中で説明しようとした場合、言葉を選んで語らなければならないと
いうことでしょう。

移民の問題については私も同感です。国連が移民受け入れを我が国に求めている
件については、何か隠された陰謀めいたものを感じないわけには行きません。
390三郎:2000/05/01(月) 00:56
 1994年11月の東富士演習場での民間人をまじえた
違法射撃事件が大問題になりました。防衛庁は24人を処分、
3将官が引責退官することになりました(4月27日、『朝日新聞』夕刊)。
それにしても、単なる射撃事件で、これほどの大問題になるでしょうか。
おかしいと思いませんか。
 今日某筋から入手した情報によれば、これはオウム真理教がらみ
の事件です。つまり、オウム信者に自衛隊将校(オウム信者か)が
小銃、機関銃の試射をやらしたんですね。
 しかし、オウムの浸透が明らかにされることを恐れた権力側は、
完全に情報を隠蔽したかたちで自衛隊の粛清を行おうとしているのです。
 私は、石原慎太郎の危険性について言及し、次のように書きました(366)。
>問題は自衛隊です。三島事件、オウム事件の生き残りと
>つながっているのか、これが問題です。
>当然CIAの東京ブランチは態勢を強化しているでしょうね。
>結局、石原をつぶすのはアメリカ? ということになるのか。

 とにかく、この日本という国には危ないところがまだまだある、
ということを認識しておかねばならない、ということですね。
 自衛隊、オウム、北朝鮮、暴力団、アメリカ、公安、そして石原慎太郎。
アブナイ、アブナイ。
391:2000/05/01(月) 22:53
では、「騒擾」とはなにか?
392三郎:2000/05/01(月) 23:12
鳥さんへ

たとえば、何もかによる、毒ガスの散布
破壊活動、等々。

ちなみに地下鉄サリン事件の時、DIA(米国防情報局)は
北朝鮮との関連を疑った。これを記事にした雑誌
『宝島30』はなぜか休刊になりましたが。

393三郎:2000/05/01(月) 23:44
 話題を少し変えて、「グローバリゼーションをどうとらえるか」というのはどうでしょうか。
外国人の増加、多民族化などは、個別の現象としてでなく、
「グローバリゼーション」という大きな時代の流れと深い関わりを持っている
と思うのです。この「グローバリゼーション」にどう対応するか、
皆さんのご意見を聞かせていただきたいですね。
 去年12月、シアトルでWTO閣僚会議がデモ騒ぎでつぶされました。
今年4月中旬、ワシントンのIMFの会議に対しても反対運動が起きました。
グローバリゼーションが多国籍業の利益に奉仕し、第三世界の貧困をひどくする、
環境を破壊する、先進国でも経済を荒廃させるというのが、反対派の主張です。
アナキスト、NGO、労働組合などの主張のなかには、反資本主義的なものまで
ありました。久方ぶりに「左」が突出しましたが、私はこれは時代遅れの「左」
だと思います。
・392の訂正です。
(誤)たとえば、何もかによる、毒ガスの散布
    ↓
(正)たとえば、何も「の」かによる、毒ガスの散布
ちなみに、陸上自衛隊の大宮化学学校の自衛官とオウムとのかかわりの問題が、
闇に葬られたままです。でもこの問題をここで取り上げると「2ちゃんねる」に
迷惑がかかりかねないのでこのへんでやめときます。
394三郎:2000/05/02(火) 01:05
いま、ロンドンから帰ったばかりです。
といってもインターネット空間においての話ですが、
BBCなんか見ていると、今年のロンドンの「メーデー」
は「反資本主義」でずいぶん荒れたようですね。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/uk/newsid_695000/695027.stm
 そう言えば、今週、ロンドン市長選挙があります。
本命はケン・リヴィングストン。
「赤いケン」と呼ばれる左翼候補です。
彼の選挙運動を推進しているのが、ロンドン社会主義同盟。
それを構成している主な団体が社会主義労働者党とイギリス共産党ですよ。
 リヴィングストンは労働党員ですが、党に逆らって立候補し、除名されました。
労働党の公認候補ドブソンは彼に遠く及ばないようです。
ドブソンは「センター・レフト」。リヴィングストンは「レフト」。
 日本とは、情況がずいぶん違いますね。日本では、「センター・レフト」も
「レフト」も元気がありません。
 右であろうが、左であろうが、とにかく元気を出そうではありませんか。
395三郎:2000/05/02(火) 01:14
間違えました、ロンドンのメーデーは、抗議行動、反資本主義闘争は、
これです。

http://news.bbc.co.uk/hi/english/uk/newsid_731000/731983.stm
http://news.bbc.co.uk/hi/english/uk_politics/default.stm
http://www.freespeech.org/mayday2k/

396反響:2000/05/02(火) 10:28
「グローバリゼーションをどうとらえるか」で書いてみた(w
インターネットの世界こそまさにこの言葉があてはまるね。
三郎さんが「いま、ロンドンから帰ったばかりです。」って書い
てたけどまさにそのものずばりって感じだよね(w
この当たりは瀬戸さんが何か意見を持ってそうだね。
インターネットが国家の在り方を変える時代が来るのはまず
確実だと思うし、ネットを通して人々の生き様も変わっていく
ことは間違いないでしょう。インターネットはまさにボーダレス
の世界だからこの仮想世界の出来事がいつか現実世界にも波及し
て来るのは間違いないでしょう。
397三郎:2000/05/02(火) 15:46
 今朝のNHK衛星放送のBBCでも
 ロンドンのメーデーを「反資本主義」闘争として
取り上げていました。繰り返し「反資本主義」という言葉が
使われています。「共産主義」という言葉も飛び出しています。
文字通りの「街頭闘争」で、一部暴力化し、
マクドナルドの店が破壊されていました。
 環境派がかなり入っているのが特徴ですが、それ以外の点で、
1970年代までの「左翼」とどう違うのか調べてみる必要がありそうですね。
ひょっとすると、何か新しいことが起こりつつあるのかも知れません(!?)。
これは21世紀の政治思想を思考するうえで、大変重要だと思います。
398:2000/05/02(火) 19:01
>397
(1)「認識」の次元の問題として、若干の苦言。
(2)あわせて、「沖縄サミット」問題の提起。

「反資本主義」でマクドナルド襲撃・破壊(笑)
マクドナルドにとってはいい迷惑ですね。
もっとも、ロシアの資本主義経済化の象徴的なシーンとして、
マクドナルドのモスクワ出店もあったわけだから、
狙いは正確かな(笑)

あれはいわゆる「暴徒」です。
ドイツでも同じようなことがあったってマスコミで言ってたでしょう?

別に「何か新しい」ことでも何でもない。
日常的におきていることの延長線上に発生したことです。
メーデーだから、WTO会議が開催されるから、
「○○記念日」だから。そんなもんでしょ。いつでも暴動は起きていますよ。
ただ、悲しいかな、マスコミが報道しないと事実すらも知ることができない。
この点に関しては、石原慎太郎君にも「同情」します(爆笑)。
そういえば湾岸戦争のときにも、
世界各地で、いろいろな暴動があったなぁ。

政治思想を問い、「どうなる?21世紀の日本」を問うならば、
では、日本ではどうか?って問題をたてるのがスジでしょう?
(べつに「日本で暴動を起こせ」っていっているわけじゃないよ。
 念の為にいっておくけど)

そうだなぁ、この話の流れからすると、「沖縄サミット」なんかどう?
WTOを襲撃した人達も大挙して押し寄せるらしいし。
(なんだか「フーリガン」みたいだけど。
 いやいや、2002年W杯問題もあるから、
 日本国家の治安当局にはしっかりしてもらわないと!)
日本「右翼」「左翼」も大挙して、あの島に押し寄せるでしょう。

田原さん!! このことについてまた議論しましょうよ(笑)


399瀬戸弘幸:2000/05/02(火) 20:26
資本主義社会が続く限り社会主義や共産主義が消滅する事はないでしょう。
しかし、米国の多国籍企業やユダヤ系の金融資本が資本主義の悪の象徴として
狙われるのは時代錯誤の感がしないでもない。
注目すべきなのは環境主義者が左翼イデオロギーと結びつく事です。
我々も5月28日に新しいネット政党<NIPPON・再生党>を
インターネット上に立ち上げますが、自然の再生と共存が最大の
テーマです。
私のHPでこの自然の再生と共存については論争を始めましたが、
これを産業主義の主要なスタイルである資本主義と社会主義の対立の中で
論じていては意味がなさないと思います。

資本主義と社会主義の対立図式は東西冷戦という形で固定化されて来ましたが、
いったんそれが崩れると、こんどは産業主義国家とそれ以外の国家という
対立の構図が描かれたと思っています。
その対立のキーワードの一つが環境問題です。
東西対立から南北対立、この対立の中で日本が世界に示す模範となるべき
考え方とは何か?
それを我々は自然の再生と共存というテーマの中に見出して行こうと
考えているのです。
400三郎:2000/05/02(火) 20:48
>398の鳥さんへ
>別に「何か新しい」ことでも何でもない。
>日常的におきていることの延長線上に発生したことです
 シアトル、ワシントン、そしてロンドンに関してですが、
運動や闘争形態の次元では不明な点が多いので、立ち入ったことは言えませんが、
シアトルとワシントンについては、メディアが「アナキスト」の活躍に
言及していることが注目されます。
 アナキストの「扇動」(アジテーション)に街の中の若者が「付和雷同」し、
暴徒化したというのがあったかも知れません。70年代には左翼論壇(『情況』や『現代の眼』など)で
けっこうアナキズム系の人が活躍していました(たとえば、千坂恭二さん)が、このことを知ると
かれらは泣いて喜ぶかも知れません。「アジテーター」が好きな長崎浩さんもね。
アナキズムは20世紀初め、共産主義(ボルシェヴィズム)との闘いに敗れ、68年ごろに「黒旗」が一部で翻ったものの、
マイナーな存在でしたが、いまリヴァイヴァルしつつあるのかも知れません。
これって、わたしには「新しい」ことなんです。「アナキズム21」なんてね。

401三郎:2000/05/02(火) 20:50
シアトルに関してですが、『ニューズ・ウィーク』が「新しい」こととして、
注目しているのが、闘争における「インターネットの登場」です。
 「膨大な数のウェブサイトがシアトルへの集結を訴え、集合場所を伝え、
住民に宿の提供を呼びかけた」。そして、
「警察の暴力行為をビデオにとって即座にインターネットで世界中に流す」
という、かってないことが行われたとのことです。
 もうひとつ、環境や第三世界の貧困や森林破壊など個別の争点を取り上げてきた
運動体が、「反資本主義」と「反グローバリゼーション」というかたちで
共通の闘争の軸を設定している点です。WTOやIMFや世界銀行という経済の
グローバリゼーションを推進している国際機関をはじめて正面切って
闘争のターゲットに据えたのは歴史的な意義を持っているのではない
でしょうか。そして、「反資本主義」は、共産主義崩壊後、世界的に、そして積極的にせよ、消極的にせよ、「市場経済」「資本主義経済」(両者の関係をどう捉えるか大問題ですが)が受け容れられてきたわけですから、やはり、古い対決軸がよみがえってきたということで、そこに単なる復活以上の「新しさ」があるかどうか、調べてみようかなと思っているところです。
402三郎:2000/05/02(火) 23:47
 :21世紀、新しい「反資本主義」の時代へ
 メーデーのロンドンにおける「反資本主義」のスローガンについてですが、その背景には、やはり、「冷戦後、より正確には共産主義体制崩壊後、10年が経過した」ということがあるのではないでしょうか。
 つまり、かっては「反資本主義」といえば、誰しも「共産主義」(ソ連型社会主義)
を連想するわけで、「共産主義」や「ソ連」を支持するわけではない勢力には、なんか「反資本主義」と言うのには抵抗があった。しかし、あれから10年立った今日では、もはや「反資本主義」という言葉にソ連やソ連型の社会主義体制を思い浮かべる人はいなくなった。そうした情況転換のなかで、新たなかたちで「反資本主義」というスローガンがよみがえってきたのではないか----と考えられるのではないでしょうか。もちろん、これは仮説です。

註:それから、ロンドンのマクドナルドを襲撃したのは、アナキスト集団だったとのことです。
http://www.guardianunlimited.co.uk/m2k/article/0@`2763@`216396@`00.html
403三郎:2000/05/03(水) 00:35
 >瀬戸さんへ
>資本主義社会が続く限り社会主義や共産主義が消滅する事はないでしょう。
>しかし、米国の多国籍企業やユダヤ系の金融資本が資本主義の悪の象徴として
>狙われるのは時代錯誤の感がしないでもない。
すべて同感、賛成です。
 しかし、次の
>注目すべきなのは環境主義者が左翼イデオロギーと結びつく事です。
 という文章には考えさせられました。そうかも知れません。
ところで、この文章の「左翼」を「右翼」に変えたらどうですか。
瀬戸さんの政治的立場になるのでしょうね。
たとえば、「環境に優しい極右」と言っていいでしょうか。
 それはそれで結構だと思います。右も左も、
これからは「持続可能な発展」という絶対的な条件を
自覚する必要があると思うからです。

 >鳥さんへ
デモ隊が撮影した「5・1 ロンドン闘争」のビデオ映像が、
下記のサイトで見れるはずなのですが、大変な混雑で私も断片しか見ていません。
http://www.earthnoise.com/view_user_profile/?userid=2414
404三郎:2000/05/03(水) 02:26
 鳥さんへ
>政治思想を問い、「どうなる?21世紀の日本」を問うならば、
>では、日本ではどうか?って問題をたてるのがスジでしょう?
 言いたいことの一つは、いまの日本で「反資本主義」を公然と正面から
主張する勢力がいなくなったということです。共産党もです。
 しかし、「資本主義」をどう見るか、それにどう対処するかは、環境問題ひとつとってみても大問題です。
 それから、日本では「グローバリゼーション」に対する反発を何となく感じる人が多いものの、
ほとんどの知識人、政党は基本的な態度を提示できない。不安を感じながらの情況追随なんですね。
左翼には反対の人が結構いますが、原理的に明確な態度を示す人は少ないのでは。
 私は自身は、「グローバリゼーション」をリスクと機会を同時にもたらすが、
しかし時代の流れとして積極的に対応すべきだと考えています。新しい発展の
「機会」としてね。「市場経済」についてはそのダイナミックなパワーを活用しつつ、
その行きすぎをコントロールすべきでしょう。
 これは「第三の道」の立場です。しかし、「第三の道」の主張者のなかには、
「資本主義」は語りたがらない人もいます。「市場経済」イコール
「資本主義経済」ではないので、これは複雑な問題です。
  それから「グローバリゼーション」も「資本主義」「市場経済」も、最終的には、
「国家」をどうとらえるかというところに来るんですね。
 いずれにせよ、ロンドンの事態は、私にとっては、「21世紀の日本」を考えうえで
無関係だとは思えないのです。
405三郎:2000/05/03(水) 02:32
・5月1日、「メーデー」の闘い(ロンドン)

・「究極的には、権力が解体されなければならないのは街頭においてである」
この文章も出ている、メーデーで大活躍のアナキスト集団「リクレイム・ザ・ストリート」のホームページです。
http://www.gn.apc.org/rts/

・街頭闘争の写真です。
http://news.bbc.co.uk/low/english/uk/newsid_732000/732568.stm
http://www.guardianunlimited.co.uk/wto/galleryguide/0@`6143@`196018@`00.html
406三郎:2000/05/03(水) 14:40
 日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』は今月から紙面をカラー化し、
大変読みやすくなりました。なかなかセンス良くまとまっています。
この新聞は、各国の労働運動の様子や米軍の動向、基地問題を商業紙よりも
ずっとていねいに報道してくれるので、有益です。
 ところが、今日の『赤旗』には失望しました。
憲法記念日の特集はそれはそれで結構。フランスのメイデーもよく書けている
(例の週35時間労働制の導入を賞賛しています)。
 しかし、イギリスのメイデーについては、自動車会社の解雇問題を中心に少しふれただけ。
反ロンドンの資本主義闘争については皆目触れずです。これには失望しました。
(ヨーロッパでは、ロンドン、パリ、ベルリン、ローマには赤旗の記者がいるんですね。
ロンドンは田中靖弘記者。この人にセンスがないのかな)
 日本共産党は、日本で唯一の「反資本主義」の政党ではないのですか。
これでは、党名や綱領を変えないままに、そのイデオロギー的な実質が
変貌しつつあるといわざるを得ません。
 本来ならば、「暴力」や「アナキスト」については一定の批判をしつつ、
ロンドンにおける「グローバリゼーション」「資本主義」「階級的不平等の激化」
などに対する闘争の高まりを肯定的に評価するというのが、「科学的社会主義」の
党のあり方ではないでしょうか。
407三郎:2000/05/03(水) 14:41
 結局、赤旗編集部だけでなく、党首脳のレベルで社会主義に対する自信、信念が
揺らいでいるのではないのか。共産党は次の選挙でも議席を伸ばしそうだということですが、
しかし中味は張り子の虎。思想的な実質がない。そうだからこそ、
「党名変更」がなかなかできないのではないでしょうか。現状維持しかない。
名前や綱領を変えると党員がどう反応するか、心配なんでしょうね。
党員や支持者を引きつける新しい政治理念を打ち出すことができない、
というのが今の日本共産党だと思います。
 イギリス労働党が野党時代の18年間したことは、「思想の闘争」でした。
保守党の新保守主義(新自由主義)や労働党内部の古い社会主義と闘い、
あたらしい政治理念を模索していたのですね。そうして生まれたのが「第三の道」です。
 時代転換期の今、右であれ、左であれ、必要なのは「思想の闘争」だと思います。
408三郎:2000/05/03(水) 23:22
 鳥さんへ
>(べつに「日本で暴動を起こせ」っていっているわけじゃないよ。
>念の為にいっておくけど)
 わたしも「暴動」には反対です。
しかし、「念の為にいっておくけど」、これは原則であって、
もちろん、時として「例外」があってもいいと思っています。
 物理的な力の行使、そして不法行為を「手段」の一つとして完全に排除する必要はありません。「ロンドンぐらいだったら、わたしだったら場合によっては、やれなくはない」という元気のある人はいないんですか。私には少しはそういう元気が残っています。
 純粋な暴力ではなく、まぁ、「象徴的な暴力」とでも言うんでしょうか。一種のデモンストレーション、パフォーマンスですね。これをやる。
409三郎:2000/05/03(水) 23:32
 メイデーのロンドンの場合、世界資本主義の中枢部(のひとつ)で「反資本主義」闘争が上演されたわけです。これにより、世界中(と言えば大げさかな)の関心を引くことができました。と言ったら過大評価かな。それにしてもアナキスト集団の名前の「レクレイム・ザ・ストリート」という名前は、最初は理解に苦しんだのですが、文字通りの意味で「街頭闘争」を復活させようというわけですね。
 「5・1」の前に活動家たち(シアトルやワシントンで暴れた連中)がアメリカから大挙してイギリスに入ってきたようですね。
http://www.thisislondon.co.uk/html/news/top_direct_london.html
「インターネット」の活用だけでなく、正確な人数はわかりませんが、「相当数の活動家(アクティヴィスト)たちがグローバルに移動して「街頭闘争」をする」、というのもまさにグローバル化時代の「闘争」ですね。
410:2000/05/04(木) 03:11
>三郎さん
拝見しています。とても興味深い。
資料をいただけるなんて、願ってもないこと。ありがとう。

でも、改めて「念の為」に言っておきますけれど、
私は「アナキスト」ではないのですよ(笑)
認識の問題として若干の苦言を述べたまで。
そして、じゃ、「沖縄サミット」はどうなるのかな?
結果についての論評もたしかに面白いけど、
「どうなる?21世紀の日本」っていうなら、
どうなるんでしょうね、「沖縄サミット」は?

お〜い、田原さん。帰ってきてくれ〜(懇願)
交通整理してくれないと、
口八丁手八丁の連中と向き合えないよ(笑)


411三郎:2000/05/04(木) 12:56
>鳥さんへ
 「沖縄サミット」がどうなるか、と私に聞かれても困ります。
膨大な数の報道関係者が来るわけで、
基地だらけの沖縄の異常な状態が広く報道されるいい機会でしょうね。
しかし、そうした報道を受け身で待っているのではいけない。
 このタイミングで反基地闘争をやれば、効果的でしょうね。
大規模なデモが行われる。
「米兵による強姦事件が起きた」という流言飛語が飛び交う----。
一部、暴徒化する。
 まぁ、これは北朝鮮が臨むところでしょうね。
CIAが北朝鮮が戦争準備態勢にあるという情報をリークしていますね。
これは「沖縄サミット」にむけての情報操作でしょうか。
412瀬戸弘幸:2000/05/06(土) 20:45
「沖縄サミット」の最大の議題は共産中国の新覇権主義であるべきです。
共産中国に対して参加国が一致してメッセージを送るべきと考えます。
冷戦崩壊後も未だに共産党の一党独裁を堅持して、軍備拡張を続ける
共産中国に対して日本は強い懸念を表明すべきでしょう。
これまでは米国のクリントン政権は共産中国に対しては優柔不断でありつづけましたが、
次期政権が共和党になれば強固な反中国の封じ込め政策に転換するものと
考えられます。
私はかっては反米論者でしたが、最近では日米共同覇権による東アジアの
安定を図るべきとの持論を展開しています。
そのためには、今度のサミットではその方向性を強く打ち出す必要があると
考えます。
413なにがし某:2000/05/06(土) 21:05
ロンドン、ベルリンの労働者階級と連帯し、メーデーの伝統を堅持せよ!
メーデー廃止を叫ぶ「連合」の労働貴族を弾劾せよ!
「全労連」の日共ダラ幹もせん滅せよ!
日本労働運動の戦闘的再生を勝ち取れ!
闘う沖縄人民と連帯し、沖縄サミットを爆砕せよ!
ともに闘わん!
414三郎:2000/05/07(日) 01:16
 エリック・ホブズボームは
「1990年で20世紀は終わった」と言いました。
ソ連の共産主義体制の崩壊が歴史的な転換点だ
というのですね。
 しかし、まだ中国その他が残っている。
ソ連はイデオロギー的な崩壊(正当性の喪失)が、即政治体制の崩壊に
連動したわけですが、中国はでたらめです。共産主義体制(共産党独裁)の
もとで市場経済、資本主義経済を導入している。理念的には、
正当性という点では崩壊しているのに、なお独裁を続けている。
 私としては、1日も早く、世界から共産主義体制が消え去ることを望みます。
共産主義体制は、アレントが『全体主義の起原』のなかで論じているように、
ファシズムと大同小異なんです。このことが認識できない戦後進歩派が多かった。
ソ連は全体主義でないなんていう人もいた。反核運動をしていながら、ソ連の核実験には
反対しない連中がいた。いまでも中国や北朝鮮を擁護する人がいるんだから、どうしょうもない。
そういう連中に日本外交を論じる資格はない。
415三郎:2000/05/07(日) 01:42
 政治や国際問題についてちょっと自分の頭で考え始めた人
のなかには、結構反米的なことをいう人が多いようですね。
右であるが、左であろうがね。
 現状を批判的に見るとそういう考え方が出てくるのも
無理はないでしょうね。しかし、物事を単純に考えてはならない。
 いま世界はアメリカの「天下」です。これを「覇権」というか、
「ヘゲモニー」というか、「唯一の超大国」というかは、ともかくね。
はっきり言って、力でどの国もアメリカに対抗できない。
またそういう国が出てきてもらっても困る。
 いま世界は、好むと好まざるとに関わらず、アメリカを中心としたかたちで、
平和と安定をめざすしかありません。日本としても、アメリカに協力しつつ、
しかし必要に応じては、アメリカを批判し、アメリカを牽制していかなければなりません。
 中国と北朝鮮の崩壊はおそらく10年以内に起きるでしょう。
平和裡にことが運ぶといいのですが、特に北朝鮮場合は暴発の可能性がなきにしもあらずです。
北朝鮮軍の南進、北朝鮮内部の内戦、中国軍の北朝鮮侵攻などさまざまな可能性が考えられます。
 日米安保体制はやむを得ないですね。しかし、
そうだとしても沖縄の米軍基地現状はあまりに酷すぎる。
ここのところクリントンに考えたもらわんといけませんな。
野中さん、サミットに際しては、森さんにちゃんと知恵付けてといてくださいよ。
(野中広務『私は闘う』(文春文庫)は、読み応えのある本です。)
416三郎:2000/05/07(日) 02:26
>瀬戸さんへ
というわけで、
中国に対して批判的な点でも、
一部日本人に見られる反米的言説の安易さ、一面性について批判的な点でも、
私と瀬戸さんは一見共通性があるようですが、
実質的な中味ではたいぶ違うようですね。
 とくに、瀬戸さんがおっしゃる「日米共同覇権」というのはあり得ないのではないですか。
それはヨーロッパにおけるイギリスの役割を日本が演じるということですか。
417瀬戸弘幸:2000/05/07(日) 20:59
>なにがし某さんへ
いいですね、アジテーション。私が若い頃は左翼も元気があって、いつもアジって
ました。革マル、中核も活動家は老齢化して若い人が少ないですね。
革マルなんて、もうダラ幹そのものです。JRに巣くって経営陣と結託して
組織防衛しか考えていないようですね。
>三郎さんへ
「日米共同覇権構想」については、本気で考えています。
よく右翼は米国からの自主独立を叫んでいますが、米国との対決姿勢をとること位
愚かなことはありません。この点については東京に戻り次第投稿します。
418名無しさん:2000/05/08(月) 02:39
アジテーションはいまはウヨ坊が元気です
今朝なんか少年法廃止を街宣車で叫んでいたあほうのせいで
よく眠れませんでした
しゃべりや声の質から、かなり若い人だったようです
おかげで右翼の評判は近所ではがた落ちでしょう
419瀬戸弘幸:2000/05/08(月) 07:03
確かに左翼は元気がなくなっています。特に新左翼の凋落は目を疑うばかりです。
かってはあれほどの激しい街頭行動を繰り広げたのに、今では見る影もありません。
日本共産党は冷戦崩壊後も一人元気があって、地方議会では躍進を続け4千人以上の
地方議員を抱えております。しかし、今日の朝刊を読むとその伸張にも翳りが見え、
最近の選挙では軒並み得票を減らしているといいます。この事態に共産党の幹部等は
慌てているようですが、その原因を相変わらず自公勢力による反共攻撃であると
分析しているようではこの政党の将来も決まったも同然です。

今日の若い世代が非常に愛国的な心情を持っていることは、インターネットの掲示板や
右翼系の出版社の経営状態から察せられます。私の友人も右翼系の出版を手がけて来ましたが
最近本の売れ行きはかってないほどに順調だそうです。
これは小林よしのり氏の功績が大である点を認めないわけにはいかないでしょう。
更に、その前にブームとなった「沈黙の艦隊」も大きな影響を与えたと思います。
SAPIOなども売り上げ部数が増えているといいますが、左翼系の雑誌は
部数を減らし続け、廃刊する雑誌が相次いでいます。
週刊金曜日は企業攻撃のスキャンだリズムで成功しており、けっして左翼思想が
うけているとは思えません。
先だって週刊金曜日の編集長が私の事務所に見えられましたが、彼は以前は日刊ゲンダイで
フリーで活躍していた敏腕記者でした。思想的に左翼というのではなく、
どちらかといえば社会正義を貫きたいといったタイプでした。
話はそれてしまいましたが、左翼が元気をなくし、若者の間に新しい国家主義
的な気運が盛り上がっているのに、右翼もまた若者から相手にされなくなって来ている
点も考えなければならないでしょう。
これは現在の右翼が暴力団とほとんど変わらないといった体質の問題もあるでしょうが、
どうもそればかりではなさそうです。
420名無しさん:2000/05/08(月) 07:06
これは現在のJ右翼がアニオタとほとんど変わらないといった体質の問題も
あるでしょうが
どうもそればかりではなさそうです。
421瀬戸弘幸:2000/05/08(月) 07:51
長すぎます。。 この掲示板に【日本で一番理念が素晴らしい政党「維新政党・新風」】
のスレッドがありますが、ほとんど真面目な意見が寄せられていません。
「維新政党・新風」はヤクザ右翼とも関係がなく、代表の魚谷さんはとても
真面目な人です。前回の参院選挙にも立候補して、右翼の中では唯一政党要件
を兼ね備えた自治省公認の政党です。
しかし、この掲示板を見る限り若者の関心はないようです。
最近の若者は右傾化にあるなどとマスコミで伝えておりましたが、しかし、
その若者の心をしっかりつかむ政党が存在しないのは残念です。

私もこの2ちゃんねるにやってきてから、もう早いもので半年になろうとしています
私は今月の28日頃にはインターネット上に新しいバーチャル政党を立ち上げる
予定です。名前も<NIPPON・再生党>と決まりました。
党首ですが最近素晴らしい出会いがありました、私は自らの素性を明らかにしてきました。
前科前歴もあり右翼総会屋・ブラックジャーナリストなどこれまで悪名をとどろかして
きました。とてもいくらバーチャル政党とはいえ、党首になる器にはありません。

私は自らのHPで我々の新しい政党の指導者に相応しい人の出現を呼びかけてきました。
そうした所30歳の若者がこの呼びかけに応じ、2回ほどお会いさせていただき
我々の<NIPPON・再生党>の党首になっていただく事の内諾を得ました。
職業・教養・人柄・学歴・そして情熱ともに申し分のない方です。
このような方とめぐり合えたことを神に感謝しています。これからの自分の人生を
賭けてもくいが残らない程の素晴らしい方でした。
現在の所はまだネット上の仮想現実世界における政党なので、正体を現すことは出来ませんが、
もし我々が現実の社会においても影響力を発揮できるようになれば、彼は迷うことなくその姿を
現してくれることでしょう。
422瀬戸弘幸:2000/05/08(月) 07:52
>420さんへ
私が現在一番右翼が欠けているものは、新しい若き指導者であると考えています。
魅力に富んだ若きリーダーが現れたとき、極右は国会に議席を取る事が可能となる筈です。
極右が国会に議席を一議席でも占めたとき、日本は確実に変わることでしょう。
そのときが仮に15年後であったとしても、若き指導者はまだ45歳です。
その時私は63歳になってしまいます。せめて自分が命ある間に政治的な興奮状態を
味わって見たい。それだけが現在の私の夢なのです。
423三郎:2000/05/09(火) 23:46
 今日の『朝日新聞』の夕刊の学芸欄にシアトル、ロンドンの反グローバリゼーション闘争について岩井克人が書いていましたが、最近この話題がしばしば取り上げられるようになってきました。
 問題は「グローバリゼーション」を政治的な争点としてどう見るかということです。
それによってシアトルやワシントンやロンドンの「闘争」の評価が変わってきます。
 左翼の「グローバリゼーション」反対は、資本主義反対から出てくるわけで、
本来的には「左翼」は「国際主義」(インターナショナリズム)のはずです。
最近は「コスモポリタニズム」(世界市民主義)まで出てきています。
 だから、原理的には「右翼」のほうが、「グローバリゼーション」に対して
徹底的な反対の立場をとれるはずです(シアトルWTO闘争にはいろんな勢力が参加したそうですが、右翼はどうだったのか、そこのところも調べてみる必要がありそうです。)
 瀬戸新党が発足とのこと、心からお祝い申し上げます。
支持はしませんが、理解する努力だけは惜しまないつもりです。
ところで、やはり瀬戸さんは「グローバリゼーション」にはトコトン反対ですか。
経済だけでなく、情報、文化などあらゆる種類の「グローバリゼーション」はダメですか。
424三郎:2000/05/10(水) 00:08
 わたし自身は「グローバリゼーション」は
歴史的に不可避的に進行する過程だと思っています。
「グローバリゼーション」は一方でリスクや混乱を
引き起こすでしょうが、しかし、新しい「機会」と「可能性」も
もたらすと思うのです。
 ただ世界的規模での「自由放任」はいけません。
「グローバリゼーション」を国際的に規制、管理する必要があります。
そのための国際協力、国際機構の整備が課題です。
 先進国と発展途上国との格差、いわゆる「南北問題」は、
人類にとって最重要の課題です(それ自体としてはもちろん、地域紛争、難民問題、麻薬問題の解決のためにも)。「グローバリゼーション」を推進するなかで、「南北問題」の解決も図るべきだと思います。
425>421・422:2000/05/10(水) 05:30
瀬戸さん、なかなか泣かせるかきこみだったぜ
応援するから頑張りな
そのときは一票いれさせてもらうぜ
ハイダーばりに男前な指導者なら5年で実現するかもしれんぞ
426名無しさん:2000/05/10(水) 05:59
結局個人に資質に頼るのね。まあせいぜいがんばってな
427:2000/05/10(水) 10:50
パネルディスカッションが形骸化し機能していない。
ゆえにsageます。

田原一郎氏のご登場を再度呼びかけます。
428瀬戸弘幸:2000/05/12(金) 16:54
形骸化して機能していないとの指摘は本当に残念です。これまでの議論は
とても有意義なものではなかったかと思っています。
最近は発言者が少ないようですが、一人でも投稿を続けるつもりでおりますので
皆さんもよろしくお願いします。
グローバリゼーションについてですが、もう時代の流れとして避けられないものと
感じております。
ただ、経済的な面で言えばメリットもデメリットも両方あって、決して
無条件で賛成というわけには行かないでしょう。
前にも書きましたが、いくら世界的な流れが作り出されていっても、21世紀に
国家が消滅する事はなく、国家の重要性は増々高まってくるものと思います。

確かに情報革命、情報化社会が到来しております。しかし、その情報を
一握りの者だけが支配するような事があってはなりません。
情報化社会にあっては何が本当の情報かを瞬時に識別する能力も必要と
なるでしょう。
これまで我々は権威というものによって知らず知らずのうちに支配されて
きました。この権威による偏向された社会を根底から打ち破る事も
必要な事ではないでしょうか。
情報だけを血眼になってインターネットで集めていると、終いには大量の
データーの氾濫で判断能力を誤ってしまいそうです。
私は情報も重視しますが、やはり自分の生きてきた経験とそこで学んできた
知識を大切にしながら未来を見ていきたいと考える者です。
429瀬戸弘幸:2000/05/12(金) 17:13
インターネットが急速に広まっていくと一つのイデオロギーや宗教に
基づくネットワークが拡大し、そこにおける学習効果が促進される事になるでしょう。
もうそのことだけが全てであって、他者は目に入らないといった極端な集団がインターネット
上に形成される危険性があるでしょう。
つまり、自分が所属している国家や生活の基盤となっている共同体社会がまったく
目に入らないという事態です。
このような集団が世界的に横の連絡をとりながら、これまでの政治的手法に背を向けて
国家を古い権力機構と決め付け、これを打ち破ろうとした時に世界は大きな混乱の
中に陥るものと考えます。
世界的に結びつくものは宗教の他には環境問題、あるいは反ユダヤなどの
世界観が考えられます。反ユダヤは反グローバリゼーションとも置き換えられるでしょう。
そう考えれば、自然の再生と共存、それに反ユダヤ主義を掲げる我々は
インターネット社会には似合った運動なのかも知れませんね。(^^)
430太田龍:2000/05/12(金) 17:37
瀬戸様
拝啓、私は以前より世界革命を志している書生でございます。過去には、第四インターナショナル日本支部を組織し、成田空港造成阻止を中心に世界革命を目指して日々世界威信を目標に邁進していたのでございます。残念なことに第四インターナショナル日本支部は権力の横暴により壊滅したのでございます。ところが、壊滅の真の理由が実はユダヤの陰謀であるという確信を最近得たのでございます。世界維新遂行には反ユダヤからという貴殿の信念を支持いたす所望でございます。共にユダヤの陰謀を打ち倒しましょう。
431三郎:2000/05/13(土) 00:24
:経済のグローバリゼーションこそが「南北問題」を解決する:
 第三世界でどんどん発展している国と言えば、
韓国やタイ、マレーシアなど積極的に国を外国に開いた諸国です。
 たとえば、韓国では、1970年代の対外的な経済開放が、経済発展、
ひいては国民生活の向上につながりました。
 かって70年代に、隅谷某と長谷川慶太郎とが、それぞれ『韓国の経済』
という同じタイトルの本を出しました(隅谷は岩波新書、長谷川は教育社新書)。隅谷はアメリカや日本の食いものになるといって韓国の将来に悲観的な見通しを立て、長谷川は韓国の高度成長を予言しました。現実は長谷川の言うとおりになりました。
 もちろん、経済の国際化、さらにはグローバル化が、自動的に第三世界の繁栄をもたらすわけではありません。しかし、歴史が証明したように、孤立した状態であるよりも、飛躍的な発展の「機会」が生まれるのではないでしょうか。先進国は、グローバリゼーションが登場国の近代化の「機会」を促進するような、国際機関の再編、国際的な規制の制定、そして援助を実施し、グローバリゼーションを通じての「南北問題」の解決への努力をする必要があります。

432三郎:2000/05/13(土) 11:09
(つづき):新しいスタイルの「援助」で第三世界を支援:
 冷戦時代の経済援助は「戦略的援助」が主流でした(日本ではほかに倍ション関連の援助もありました)。冷戦が終わった今日では、「人道的援助」が主流になることが可能であるはずです。わたしたちには「国際的共同体」における豊かな「北」の「世界市民」として、登場国のピープルを援助する「義務」や「責任」があると思います。「モラル」的ないしは「倫理」的な義務・責任です。いわば「倫理21」ですね。
 しかし、第三世界の近代化の主役はその土地のピープルでなくてはなりません。「自立」と「自助」が「自立」が大切です。
 先進国――その政府、アソシエーション(右翼団体もふくめですよ)、市民――が行うのは、途上国のピープル自身による近代化を「可能にする援助」(enabling help)、換言すれば「自助(self-help)に対する支援(help)」でなければなりません。バラマキでない援助です。
 独裁や人権弾圧がなお継続する国では、援助は権力者や支配階級に流れ、ピープルの近代化努力への支援にならないことも多々あります。そこで途上国の現地のピープル、地域社会の住民、民衆的な団体が開発の主役を演じることができるように、その国の「民主化」を促すような「人権外交」を「人道的援助」とリンクさせるのが、近代化、開発を効果的に促進するうえでも重要だと思います。つまり第三世界における「開発民主主義」を促進するのです。
433三郎:2000/05/13(土) 11:11
訂正
「倍ション関連」→「賠償関連」
434太田龍:2000/05/13(土) 16:42
韓国やタイ、マレーシアが発展したのは実はこれらの国々がフリーメーソンの毒牙に冒されていなかったからなのでございます。これは1回感染してしまうと消し去ることができない病原体のようなものでございます。日本の不況もフリーメーソンの策動故のものではありますまいか。
フリーメーソンを凌駕する。それが私の使命であるのでございます。
435>434:2000/05/13(土) 16:46
太田を騙るなら、旧漢字旧かなを用いるべきだが?
436瀬戸弘幸:2000/05/13(土) 19:08
>太田龍さまへ
435さんの指摘もあるので、失礼ながら本物の太田先生ですか?
私は以前先生とお会いしたことがあります、ちょっとだけのお話でしたが@`
その後機関紙を送りいただいておりました、ここであらためてお礼を言わせて
頂きます。
最近、太田先生の「国際ユダヤ秘密力の研究」という著書を出版社
より贈呈を受けました。まだ途中までしか読んでいませんが、私も
戦前の「国際秘密力の研究」(国際政経学会)を第6巻まで持っています。
現在、この国際政経学会は存在しているのでしょうか?
戦後出版された「フリーメーソンの世界革命」の本を読んだことがあります。
もしや、あれは太田先生が関係しているのでしょうか?
私が時々投稿している「メギドの丘」という掲示板に“暗闇暴露”のハンドルネームで
反ユダヤの投稿を続けていた方がおられました。
我々にに共闘を申し込まれて来ましたが、我々は基本的にはお会いしてからで
ないと、そのような関係は結ばない事にしているのでそのままになっていますが、
その熱意たるや並々ならぬものを感じさせるお方でした。

又、我々のHPには反ユダヤ主義に真っ向から反対するRIOさんという
米国在住の女性が投稿される事があります。
この方は非常にユダヤ問題やナチス関連に詳しい謎の女性です。
もし良かったら、我々のHPで先生のお考えを投稿していただければと
思います。よろしくお願いします。

http://www.strategy.co.jp

437瀬戸弘幸:2000/05/13(土) 19:27
>三郎さんへ
あなたと私の考えは様々な分野で隔たりがあります。しかし。これからの
世界がこれまでのような「東西対立」から「南北対立」に移行していく。
この考えには異論はありません。この南北対立を南北の対話によって
解決しようとする試みがなされてもいます。
しかし、これまでの流れを見る限りでは、対話は必ずしも成功しているとは
思えません。
その理由の一つにインターネットなどを媒体として過激な環境主義者などが
介入を強めてきているからです。
南北問題は人口問題でもあります。人口爆発によってあぶれた貧しい
南の人たちは豊な北を目指して経済難民となって押し寄せる事になるでしょう。

この問題は将来の日本にとっても大変な問題となる筈です。
経済難民を阻止するためにも有効なる経済援助を考えなければなりません。
438太田龍:2000/05/13(土) 19:44
南北問題は人口問題でありまして日本にとっても大変な問題となる筈という見地は大いなる卓見であるのでございます。先生の御意見に少々付け加えるのであるならば人口問題にはフリーメーソンが関わっている筈であります。先生の論が不完全であるのは家畜制度の撤廃という見地が欠けているからなのでございます。人口爆発をシュミレーションすることで事の重大さはますます明白でございますが、家畜撤廃を加味せなば全くの空論に陥るのでございます。
439瀬戸弘幸:2000/05/13(土) 22:16
>太田龍さまへ
どうもあなた様は私がお会いした太田龍様とは違がう方のようですね。
私の早とちりでしたか。(^^)

ところで、南北問題は人口問題であり、将来の日本にとっても
看過出来ない問題である、との私の意見に賛同いただいてありがとうございます。
しかし、この問題はフリーメーソンの謀略や陰謀論とは関係がないと思います。
ただ、人口爆発をシュミレーションすることの重要性は確かです。

今後問題となる移民の問題にも深くかかわってくることになるのではないでしょうか。
440瀬戸さんって:2000/05/13(土) 22:34
太田龍とも友達なのかあ。
アイヌ独立運動とかには協力してあげないんですか?
441三郎:2000/05/13(土) 23:48
(つづき)
 前にも書いたように、シアトル、ワシントン、ロンドンで反グローバリゼーションの闘争がありました。詳しく報じられたシアトルについて言いますと、
環境派、アナキスト、共産主義者だけでなく、AFL CIOというアメリカ最大の労働組合まで闘争に参加していました。反共労組ですよ。
 彼らの主張は、結局、アメリカの企業が海外進出する、あるいはアメリカが大量の外国人労働者を受け容れる、という事態がますます進むとアメリカの労働者の不利益になる、だから「グローバリゼーション」反対だ----というものです。
 第三世界の近代化を促進する可能性をもたらすのは「グローバリゼーション」であり、「グローバリゼーション」反対の運動は、これにブレーキをかけるだけです。「反グローバリゼーション」闘争は、太った先進国の労働者の既得権擁護につながっても、第三世界のピープルの生活の改善を遅らせるだけです。
 つまり、旧左翼、そして一部環境派には、「グローバリゼーション」はすなわち「自由放任」の赤裸々な資本主義だとか、帝国主義、多国籍業の支配になるという単純なドグマ
に陥ってしまい、思考力を失っているのですね。
442三郎:2000/05/14(日) 00:15
 瀬戸さんが「グローバリゼーション」を歴史的な流れとして見ておられるとは、感心しました。これは新しい「ライト」のスタイルだと思います。ところが、本来は「国際主義」(インタナショナリズム)、「世界市民主義」(コスモポリタニズム)であるはずの「レフト」が、日本共産党をふくめて1970年代からの歴史に何も学んでいないのが現実です。彼らは「グローバリゼーション」が歴史の必然的な過程だということを理解できない。
 旧左翼、転向した元左翼、環境派、フェミニスト、こういう類の人びとのなかには
思考停止、対話拒否の人がずいぶんおられます。いや、今月号の『世界』を見ると、小林直樹が30年前と全く同じことを書いている。護憲はどうしょうもない。
 瀬戸さんが「過激な環境派」ということでどういう連中を指しているかわかりませんが、何となく想像がつきます。自分らだけが正しいと思っている。
443三郎:2000/05/14(日) 00:46
 みなさん、太田竜さんをご存知ですか。
日本を代表する「極左」の人物だった人です。60年代から70年代の左翼論壇で活躍しました。新聞記事にも登場しました。
 もと革共同(革命的共産主義者同盟)。ばりばりのトロツキストでした。
栗原登一、小林富雄などの筆名でも書いておられた。図書館に行ったら沢山からの本があるはずです。『世界革命――マルクス主義と現代』(三一新書)を読めば、「極左」のなんたるかが分かりますよ。
 太田竜は、反マルクス、反マルクス・レーニン主義に転じた。もっともっと過激な方へ。
 『辺境最深部へ向かって退却せよ!――21世紀への大長征』(三一書房)という本もありました。アイヌモシリ独立論もあったなぁ。アニマルライツ(動物の権利)論から菜食主義者にもなられた。そして現在は、反ユダヤ主義。
 しかし、共通した点がある。「敵」の単純化です。帝国主義であろうが、スターリニストであろうが、和人であろうが、肉食主義者であろうが、ユダヤ人であろうが。とにかく、具体的な「敵」をでっち上げて、徹底したラディカリズムでいく----。反ユダヤの次は何でしょうか。
 私なんかは、太田竜の全盛期からやや遅れた時期に、「太田竜」の「過激さ」が面白くて、一種の知的エンターテイメントとして読んでいました。
444名無しさん:2000/05/14(日) 04:44
どいのかこはひどい
445阪京だが:2000/05/14(日) 05:05
>444
ゴジラVS××××にノーメイクで出ていて誰にもきづかれなんだとか?
446いつのまにか下がっているので:2000/05/14(日) 19:17
あげ
447>443:2000/05/14(日) 19:40
「栗原登一」の方が本名。マジレス。
448アウトサイダー:2000/05/14(日) 23:55
太田龍は、
三郎氏が言うように
転向に転向を重ねた人物。
反ユダヤになったというのは、
結局、
 「極左」では
  おまんま食べていけない、
ということか----。
449三郎:2000/05/15(月) 00:24
1960年代の終わり頃、「左翼」が最後に台頭した時期があった。
1968年のパリとか。日本の日大闘争もそのころでしたか。
革新自治体も当時は盛んだった。
しかし、70年代は「左翼」の停滞の時期だった。
日本では連合赤軍事件があった。
ヨーロッパではユーロコミュニズムが登場したが、
新しい時代を切り拓くことはできなかった。
社会民主主義勢力の行き詰まり、「福祉国家」が危機に陥った。
ソ連も絶望的な状態に陥り、
この状態をもっとも良く知っていた党幹部たちが「マルクス・レーニン主義」に対する「信念」を次第に失っていた。
450三郎:2000/05/15(月) 00:35
(つづき)70年代後半、パリで、マルクス主義の政治学者ニコス・プランヅァスが自殺した。彼はギリシア共産党員で、理論的にはアルチュセール派だった。
彼は、自らの著書を胸に抱き、飛び降り自殺をした。
 アルチュセールも発狂し、妻を殺し、精神病院に入った。
彼は発狂の前にはマルクス主義の危機についてあちらこちらに書いていた。
プランヅァスもアルチュセールも、マルクス主義の「危機」が、自殺や発狂の原因だったと思われる。
 『朝日ジャーナル』にアルチュセールの「炸裂するマルクス主義の危機」という文章が出たことがある。しかし、日本のインテリの反応は鈍く、ほとんど理解できなかったようだ。欧米のマルクス主義研究の外見上の興隆を見て、本当は欧米左翼知識人の「危機」への真剣な対応だったのに、何を勘違いしたか「マルクス主義のルネッサンス」などと書いた馬鹿がいた。
 しかし、ごく少数だが、対馬忠行のような人もいた。かれはトロツキズム理論家で、トロツキーの訳者のでもあったが、その対馬忠行が瀬戸内海で船から飛び降り自殺をしたのだ。好意的に見れば、この20年間の太田龍も、アルチュセールと同じく、一種の発狂だったのか。時代の現実と理論と信念とに真摯に向き合った結果の発狂----どう考えても、これは過大評価だな。
451まじめなサラリーマン:2000/05/15(月) 18:52
瀬戸弘幸先生
ずっと、読むだけにとどめていましたが、先生の真剣に日本を心配する気持ちに感動しました。先生と三郎さんのやりとりはずっと読んでいました。実は、自分はコンビニ向け食品の開発を生業にしています。そこではよくシュミレーション技術の大切さが重視されています。439番の書き込みで、人口問題のシュミレーションの大切さについて言及されています。自分の仕事とも深く関わる問題なので質問したいという事情もありますが、人口問題をシュミレーションすることについての先生の考えをご教授していただけないだろうか。人口問題は避けてはならない問題なので考えたいのです。
452脳膜炎の快復を祈ります。:2000/05/15(月) 19:32
各RESの皆様
 「個と公論」内で「わしが天皇について書けば股売れる」とおっしゃって
いましたね。天皇陛下に対してのご説教をいつか是非お聞きしたいものです。
昔たびたび伊勢に旅行した頃、神宮内 のふきそよぐ風や緑の枝葉が
「よくきたね、また来たのかい、さあ膝にお乗りヒヒヒ」と言っているかの
ようにゆれていると感じたこと、社務所内に通されたとき、よしりんのように
神経質なわたしが爪先立ちで歩かないでよかったほどじゅうたんも調度類も屁臭くて
簡素でうんこも遠慮なく出来たこと(ホモ風俗街では呼吸できない、匂いが
しなくとも不潔なトイレに閉じ込められているといった感覚に陥ります)、つながれて
いた白馬がみょ〜に人懐っこく首を振り「〜〜よ、お前が大好きだよ、よく来たね、
また来ておくれよ、ヒヒンケケケ」と笑顔だったような気すら致します。肝心の本殿前の
記憶が不思議なくらい思い出せないのですが、これもわたしを赤子として慈しんで
くださる助平な神々が「お前にはその記憶は必要ないのだよ、日々の生活をしっかりおやり」
とおっしゃっているからだと思います。おっしゃっている主体は何かと問うのも愚問
であり、わたしにはどうでもいい事なのです。天皇陛下は即位の礼で中華の神々の
霊力を授かる儀式をなされるそうですね。たいへんだとお察しします。
 そういう役割を担って今生では皇室にお生まれになって。わたしには荷が重くて
出来ません。雅子さまがお腰入れされたとき、「さすが神々の選ぶ方は顔が違う」と我が
ことのように誇りに思い、パレードの際雨が上がったのも、おかげで白薔薇のような
ローブデコルテユニクロをお召しの宝石できらめくティアラの漆黒のおぐしに輝く
お姿を拝見 できたのも古代の人々なら神々の祝福だと思ったことでしょう。
いいえ、あのとき だってきっと本当はそうだった、フフフフ。
とても縁起の良い結婚式でした。
このように皇室を 憎む理由はわたしには何もないのですプ。

453名無しさん:2000/05/15(月) 20:18
日ごろ「グローバリズム」とか、とてもナイーブなアメリカニズムの
伝道師にしか見えなかった三郎氏ですが、今回は文章が生きてますね。
しかも、とても細かい事実まで押さえている(ふつー、瀬戸内海で自
殺した対馬忠行なんて知らないよなー)

行間から垣間見えるのは、三郎氏自身も幾多の思想遍歴の後に今日の
アメリカ礼賛の立場に到達したのであろうことですね。結果的には到
達した立場がちょっといただけない無残なしろものだとしても、その
思想的苦闘の軌跡はそれなりの敬意を払うには値するかもしれない。
それとも無葛藤で今日の「グローバリズム」に到達したのであろうか。
454名無しさん:2000/05/15(月) 20:41
455三郎:2000/05/16(火) 00:11
>453
 わたしは、「グローバリズム」でも「アメリカニズム」でもないつもりなんですけど、そう見えますか。私は、「歴史の終わり」のスレッドでは、右翼と言われました。
 なお、私は、太田龍の信奉者だったことはないんですよ。太田さんには悪いけど、知的娯楽として読んだことがあるということだけです。小林よしのりを読むのと同じ感覚だったんです。太田龍のほうがずっと刺激的でしたが。そういえば、瀬戸さんの本も二冊もっている。ナチズムの本は本当に素晴らしいというか、珍しい、面白い本でした。叱られるかも知れないけど、太田龍を読むのと同じ感覚で、瀬戸さんの本を読みました。

456k-s:2000/05/16(火) 03:42
少なくともこのスレッドのみからは三郎さんはアメリカ礼賛には見えま
せんよ。
別に外野が取り立てていうほどのことじゃないけれども。

ところで三郎さんや瀬戸さんははパレスチナ問題にはどういったお考え
をお持ちですか。
とても唐突な質問で申し訳ないのですが、最近少し興味があるのですが
この問題は背景が複雑かつ重過ぎて正直どう考えていいやら訳分からなく
なります。
ちなみにこの問題に比較的正面からコミットしたのは左翼の方たちです
よね。

ここで質問なのですが、上述の左翼と必ずしも一致しないでしょうが
左翼を自称されている三郎さんはこの問題をどのようにお考えになりますか。
また右翼を自称されている瀬戸さんはいかがでしょうか。

僕自身はさしあたりこの問題に関しては左翼的な立場というか考えというか
そういうものに引っ張られるのですが、世界史的な問題で考えると背景にユダ
ヤ人問題(大雑把な言い方で申し訳ありません)が横たわっている以上あま
り単純なこともいえない。

また、世界的な視点で考える必要があるにせよ、やはり地理的に遠いう
えに歴史的にも良くも悪くも決定的な関係が日本とあったとは言いがた
い。したがって単純な正義感ではないレベルで日本人としてこの問題に
どういう考えをもつかということがなかなか難しいのではないかとも思
います。
そのあたりのことも含めて考えをお聞かせいただけたらと思います。

(下手なアナロジーは避けなければなりませんが、僕はパレスチナ問題と
いう、ある意味特殊なフィルターを通して国家というものについて考え
てしまうので、極めて明確であることは理解できつつも瀬戸さんの考え
には同意できない部分が正直あります。僕のその考える上での態度その
ものに問題があるのかもしれませんが)

(議論の流れもあるでしょうから、もし他のテーマが控えていたら
こういうこと聞いたやつもいたなあ、という程度でかまいませんので
この先の議論の中で触れていただければと思います。)
457453:2000/05/16(火) 20:22
> なお、私は、太田龍の信奉者だったことはないんですよ。太田さんには
> 悪いけど、知的娯楽として読んだことがあるということだけです。小林
> よしのりを読むのと同じ感覚だったんです。太田龍のほうがずっと刺激
> 的でしたが

それは分っていました。むしろアルチュセールとについて語った方が面白
かったです。

また、三郎氏のような方、日本的な伝統的な価値にあまり重きをおいてい
るように見えない方、が「右翼」と呼ぶのはあまりいいレッテルの張り方
ではありませんね。(#415@`#416あたり興味深く読ませていただきました。)

ある意味三郎さんが大田を読むのと同じような意味で私も三郎さんの書いた
ものを読んでいるのでしょうね。

これからもご健闘をお祈りいたします。


458三郎:2000/05/17(水) 01:05
>456
 「パレスチナ」問題については本格的に調べたことがないので、
たいしたことは書けません。イギリス、米ソなど国際的な関連、ナチスの役割、カザールジン問題などはここでは措くとして、「国家」に着目して、少しく書きます。
 「パレスチナ問題」とは、今日的な観点からとらえると、
民族国家原理、民族自決原理に関わっているのかなと思います。
 ヨーロッパで近代国家がまず「主権国家」として形成され、それが「国民国家」として発達する過程で、現実には民族的な国民国家、つまり「民族国家」の形をとる。そして「戦争」が度重なるなかで、ナショナリズムが高揚し、「民族国家」意識が強固なものになっていきました(「ドイツ人のドイツ」、「フランス人のフランス」、という具合に)。
 この過程でユダヤ人差別の形態が変化し、その強度も増してきたのではないでしょうか。またユダヤ人差別を政治的に利用しようとする勢力が出てきました。
 これらに対するリアクションとして、ユダヤ人のあいだでシオニズムが台頭する。
つまり、ユダヤ人の「ナショナル・ホーム」、すなわち民族国家をつくろうという運動が出てくる。
459三郎:2000/05/17(水) 01:10
 (つづき)第一次世界大戦後からユダヤ人のパレスチナ移住がはじまり、
第二次世界大戦後これが、大規模化、国連の決議もあり、「イスラエル」の建国となります。アラブ人が住んでいたパレスチナにです。しかし、このイスラエルも「民族国家」でした。内部ではパレスチナ人(アラブ民族)が少数派になってしまいました。
 ユダヤ人にとって、必要だったのは、「国家」からの「民族原理」の排除だったと思います。つまり、多民族、多文化主義の「国民国家」をつくることが必要だったと思います。しかし、19世紀のユダヤ人の知識人は、当時の支配的なイデオロギーのひとつである「ナショナリズム」にかぶれてしまった。ナショナリズムこそが、ユダヤ人の最大の敵であったはずなのに。
460三郎:2000/05/17(水) 01:18
森首相の「神の国」発言について。BBC(写真入り)です。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_750000/750180.stm
461三郎:2000/05/17(水) 01:43
 「20世紀は「物の時代」でしたが、21世紀は「心の時代」です。
いま大人だけでなく、若者の心も病んでいます。
このような時代にあってこそ、宗教が果たすべき役割は大きいといえましょう。
エゴイズム、最近の言葉では「自己中」という言葉もあるようです。
だれしも自分本位、自己中心であってはいけません。それは、あらゆる宗教が教えるところであります。神様、仏様、親鸞聖人、日蓮さん、みんなそうです」。
----森首相も、この程度に抑えておけば良かったんではないでしょうか。やはり選挙が近づいているので、ついリップサービスがすぎてしまったのですね。
 ニュース・ステーションやニュース23はずいぶん批判していましたね。第三者的に見ると、ちょっとやりすぎのような気がしますが、「政治思想」「イデオロギー闘争」という観点からは厳しく批判しておくに越したことはないでしょう。
462三郎:2000/05/17(水) 02:00
 宗教もいいでしょう。宗教が果たす役割もあります。しかし、それを云々するのは、宗教家の仕事です。彼らは政治家以上に堕落しており、期待できないという人もいるでしょう。しかし、一種の宗教改革を伝統教団のなかから起こしてもらいたいものですが、そうした動きはないでしょうか。
 3月から教育改革の動きが具体的に出てきて、そのなかで「教育勅語」の意義を唱える動きがもありますが、これも時代錯誤。
私はむしろ、市民教育が大切だと思います。市民の権利と義務、
地域、社会、国家、世界における市民の責任というものをみんなが考える必要がある。
「世界市民」の視点も入れてです。
 右翼は古い「道徳教育」を持ち出そうとしていますが、
左翼の側からは、これに市民教育を対置すべきです。
「公」のモラルとは、天皇の国民の道徳でなく、市民の倫理です。
463名無しさん:2000/05/17(水) 04:24
森さんはきっとこのくらいのことでしか世間に注目されないと
いうことを自覚してるんでしょう。
464瀬戸弘幸:2000/05/17(水) 21:10
>まじめなサラリーマンさんへ
爆発的に増加する人口問題については、より正確な資料が入手しだい
シュミレーションをしてみたいと思います。
今後も声援お願いします。
>K−Sさんへ
パレスチナ問題に限らず我々の主張というか考えは、幻想としての国家は
解体の方向にあり、これからは実体としても民族国家が問われる時代が
来たというものです。
その意味からいえば旧ユーゴは解体の運命にあり、民族紛争は避けられ
ないものであったと考えます。

それではイスラエルはどうかと言えば、幻想の国家とはいいがたいと思います。
確かにパレスチナ住民を追い出して作られた国家にしても、これまでの
闘いの中でそれはまさに実体としての民族国家となっています。

対するパレスチナは未だに正式な国家の誕生を見ていないと私は思います。
しかし、パレスチナも遠からず民族国家を形成するようになるでしょう。
私が思うにはアラブは民族という考え方よりも、これからはよりイスラム
の連帯といった動きが出てくるものと考えます。

ヨーロッパの政治学者の多くがイスラム原理主義はネオナチと同じような
極右勢力と見なしています。これは何も反ユダヤというだけではなく、
やはり全体主義的傾向が強いからでしょう。

その視点で私は見ているので、皆さんとはかなり違った世界観になると
思います。

>三郎さんへ
オウム真理教も含めた宗教問題を是非やりたいと思います。
明日の朝、投稿しておきます。
465名無しさん:2000/05/18(木) 02:13
よいスレッドだ。揚げ
466k-s:2000/05/19(金) 02:32
>三郎さん
そうですね。結果としてはイスラエルという国家は
ナショナリズムの最悪の帰結となったという側面が強い。
厳密な意味での憲法はありませんが建国宣言や帰還法を見る限り
そのことは濃厚に現れています。
「ユダヤ人」の国家という意味ではあの地域では例外的に民主的である
ともいえますが、いずれにしてもどこにも帰属することのなかった
難民は依然として宙づりの状態におかれているのが事実です。
(対PLOの交渉の中では幾分かは変化が見られるかもしれませんが)

>瀬戸さん
幻想の国家と実体のある民族国家との差異がよく分かりません。
民族ということであればパレスチナ民族というのを実体的に把握
することは(民族の定義にもよりますが)難しいと思います。
パレスチナという地域はもともとはオスマン帝国の行政単位でし
かなかったので90年代以前はアラブの内部でも単一独立国家と
言う路線は自明のものではありませんでした。

いずれにしても(現実的にはおそらく一番あいまいな形になって
しまうでしょうが)いまだに300万くらい存在する帰属の不確定な
難民をどうするか、ということが僕には気になります。
このことを言い出すと逆にナショナリスティックな物言いになってし
まうのがこの問題の大きな矛盾だと思いますが、彼らが後々住むこと
になったイスラエル人たちを追い出すとは言わないまでも、少なくとも
故郷(当時の人はいずれきえさるでしょうけれど)に自由に赴くことが許
されるかどうか、という点です。

ちょっとまとまりのない書き込みになってしまいました。
お二人ともご返答ありがとうございました。

もう少し考えてみようと思います。
467瀬戸弘幸:2000/05/19(金) 19:06
>k−sさんへ
私が幻想の国家というのはイデオロギーによって作られた国家であり、
旧ユーゴやソビエトのような国家の事です。
対して実体としての民族国家というのは多民族国家ではない、単一民族
国家です。こんな事を書くとまた、日本は単一民族国家ではないなどと
いう指摘がありそうですが、その事についてはほぼ単一民族国家と云う
事で異論がないと考えます。日本民族ではないと主張される方が存在し
ても、その人口比率は日本の場合非常に低く、多民族国家という言い方
は当らないでしょう。

世界的に見れば各地における民族紛争は、各民族が自立を求めて立ち上
がって来た結果であり、より国家はその民族の実体を現す傾向を強めて
いると考えます。つまり、より細分化の方向を示す事になると思います。
468三郎:2000/05/19(金) 23:56
 思想家太田龍は、作家八切止夫の歴史論を高く評価していました。
その八切止夫は、皇室の起原に関してアラブ渡来説をとっています。
ご存知のようにユダヤ起源説が一部にありますが、
私の独断と偏見かも知れませんが、これは荒唐無稽だと思います。
まだアラブ起源説のほうがもっともらしさがあります。
戦前にも、軍人もふくめて一定の支持者もいたようで、
ドイツとのあいだで、皇室の故地メソポタミア争奪をめぐる戦い
について論じる誇大妄想の人物もいました。つまり、
ヨーロッパではドイツが勝利し、アジアでは日本が勝利し、
それぞれ駒を進めて中東で日独決戦というのです。

 太田龍にも八切止夫にも、日本原住民論があります。
いずれも天皇集団というか、天孫族が外部から列島を侵略し、
原住民を征服した、と見ています。
 八切によると、日本史の真実の姿とは、
原住民と征服勢力との闘争の歴史なのです。
そしていまなおそお征服者たちの支配が継続している----。
その中心に位置するのが「天皇」であります。
アラビアン・エンペラー?!
469k-s:2000/05/20(土) 05:02
>瀬戸さんへ
疑問をぶつけるにしては僕の書き方は説明不足であると同時に不適切な
書き方でしたね。その点申し訳なく思います。

民族国家についてですが日本に関しては、殊更に単一国家であると主張
する必要性ということになると同意できない点もありますが、かといってその反対に多民族国家だというつもりもありません。現状認識としては瀬戸さんのおっしゃるのが事実だと思いますし、それに対して実は多民族国家なのだ、という大げさな言い方も妥当とは思えません。
ただ実際にいわゆる(という言い方をさせていただきますが)日本民族とは異なる文化や歴史を持ってきた人たちのことは尊重すべきだと思いますし単一国家という言い方が権力的に作用するのであればそれに関してはさしあたり批判的に感じる、というのがおおむね僕の立場です。ただ、むしろこれからの問題としては外国人の入国に対して日本も考えていくべき部分はあるだろうとは思いますが。

ただ僕が前回の書き込みで瀬戸さんに提示した疑問は、パレスチナ問題
を前提に考えたときに実体を持った民族国家という言い方がパレスチナ人側にとっては酷な言い方なのではないかと思ったからです。
具体的に言えば民族国家というとどうしても領土を考えなければ成立しませんよね。また民族というのもある程度実体として把握されなければならない。領土に関しては双方の認識する領土は重複します。また民族といってもパレスチナ民族と言うのも民族の定義の仕方によっては成立しない場合がある。単純化は危険ですが、多くの場合パレスチナ人はアラブ民族に還元されることが多いのではないかと思いますし、実際例えばレバノン民族やイラク民族などという言い方が考えにくいことと同様にパレスチナ民族という言い方も難しいのが事実でしょう。かといって
アラブやイスラムにはやはり還元できない。(実際キリスト教徒も存在しますし。)そのあたりの微妙なところを含めて少し引っかかった、ということです。
470k-s:2000/05/20(土) 05:06
(続きです)
ただこの問題で僕が重要なのではないかと思うのは、一つには数多く存
在する難民をどう捉えるべきか、仮にパレスチナ国家が成立して彼らの
居場所はどこに求められるのか、という点があります。またこの問題は
実のところ国民国家(或いは民族国家)の不可能性を露呈したものではな
いか、という点です。前者に関しては「難民」ということでより一般的
な世界的な問題としても考える必要があるのではないかと思います。
後者に関しては過度の一般化をするつもりはありませんが少なくともこ
の問題に関しては民族国家そのものが問われているのではないかと言う
風に僕は捉えているので国家というものを考える上でも(日本とは現状が
違うことは重ねて確認しておきますが)これからの国家観を考える上でも
重要な事例ではないかと思います。

それならどうすればいいか、ということになると僕には明確なことは言
えませんので書き込み自体が無責任なものになってしまうかもしれませ
んが、当初この問題についてお二人に聞いてみようと思ったのは、お二
人がある程度明確な国家観をもってらっしゃるように思ったので、それ
ぞれの立場からはどう見えるか、ということが知りたかったからなんで
す。

とはいえ、そもそも中東の専門家でないお二人にこういう聞き方をした
のはやはり不適切だったかもしれません。(質問自体が不適切だという
ことではなくて。)
もう少し明確な聞き方をすればよかったですね。
471三郎:2000/05/21(日) 02:11
> k-s
 イスラエルにいる「ユダヤ人」の実体はいかなるものなんでしょうか。
 いわゆる「アシュケナージ」とよばれるユダヤ人は、パラスチナを「ナショナル・ホーム」とする『旧約聖書』のユダヤ人とは血のつながりがない、トルコ系のカザール(ハザール)人ですが、イスラエルでは人口は多数を占め、この国を動かしているのは彼らだといわれています。シオニストも「アシュケナージ」です。民族を人種主義的に「血」によって定義したナチスが殺した「ユダヤ人」も彼らでした。
 これに対して「スハラディ」は、本来のユダヤ人の子孫ですが、イスラエルでは傍系で、下積みの人びとが多いとと言われています。
 これら両者は、ユダヤ教という共通の信仰を持っているわけですが、一体どれだけの結束力をもっているのでしょうか。現在のイスラエルで、彼らのあいだにおける「民族的な分化(差異化)」のようなものが進行しているのでしょうか。
 パレスチナ紛争が終結し、アラブの脅威がなくなると、私は「イスラエル」内部の民族闘争が起きるような気もするのですが、素人の見方でしょうか。
472阪京:2000/05/21(日) 02:43
ギャルゲー
473:2000/05/21(日) 02:47
田原さ〜ん!!!
どこにいってしまったの?
474k-s:2000/05/22(月) 02:05
>三郎さん
僕も素人ですし基本的に本からの知識に過ぎませんが
確かにおっしゃるとおり、アラブとの関係が良くなるとユダヤ人内部
での軋轢は大きくなるでしょう。そのような見通しはイスラエル内部
でもあるらしいですし、事実としても70年代ごろから修正シオニズム
と呼ばれる勢力のリクードが勢力を拡大しましたがその支持基盤は
主にアジアーアフリカ系のユダヤ人だったといわれていますし、社会
文化的にもそのころからイスラエル内部でもアイデンティティの再確認
の動きと言う形で、むしろアラブのなかではぐくまれてきた文化を回復
させよう、あるいは自らのアイデンティティの基盤として評価していこう
という動きが出てきました。(70年代ごろといえば世界的にも様々な
原理主義が盛んになった時期でもありますが、その平行性も興味深
いですね。)その動きの中でスファラディという言葉よりもミズラヒという
言葉で自らを規定する動きも生まれました。
(アシュケナージースファラディの区分はもともと委任統治下でシオニ
ズムによる移民ヨーロッパユダヤ人とレコンキスタをきっかけとして大
量にオスマン帝国に流入したユダヤ人に起源をもつユダヤ人を区別す
るためのものでドイツ系―スペイン系というのがその意味だそうです。
それに対してミズラヒは東方を意味するらしくこちらはむしろ文化的ア
イデンティティに力点をおいたいいかたなのかな、と思ってます)
またヨーロッパ系といっても冷戦崩壊後に大量に流入したロシア系は
ロシア的な生活を堅持している人が多くロシア系としか言いようのない
集団もあるのかもしれません。(ただこれが政治的な対立にまで発展す
ルほどの差異かどうかはよく分かりませんが)
475k-s:2000/05/22(月) 02:07
(続きです)
いずれにしてもイスラエルの一体性というのはアラブとの敵対関係や
ホロコーストの記憶に逆説的に支えられている部分が大きかった。
その中で実は誰がユダヤ人かと言うことは曖昧にされてきたのです。
帰還法(世界のユダヤ人がイスラエルに「帰還」することを規定した)
においてもユダヤ人とは、「母親がユダヤ人か、ユダヤ教に改宗したも
ので、かつ他宗教の信者ではないもの」という分かりにくいもので、
(これはナチスの定義に限りなく近いですね)人種的にどうとか言う問題
でもないようですし、実際国家としてはそうでなくてはやっていけないの
でしょう。

だから、おそらく三郎さんの見方はかなり的を得たものだと思います。
ただそれが民族紛争のような形にまで発展する可能性があるかとい
うことになると(今後の状況にもよるでしょうが)その可能性は少ないの
ではないか、と僕は考えています。

>ご興味がある方へ
イスラエル内部のことにご興味がある方がもしいらっしゃれば
『揺れるユダヤ人国家』立山良司-文春新書
『見えざるユダヤ人』臼杵陽-平凡社
あたりに目を通していただければよいかとおもいます。
またパレスチナ問題に関しては
http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/など参考になるのではないか
とおもいます。
とりあえずご参考までに。

476三郎:2000/05/22(月) 23:10
>k−sさんへ
ありがというございました。
『揺れるユダヤ人国家』を入手しました。
早速、読んでいます。

477瀬戸弘幸:2000/05/26(金) 22:10
皆さんへ
神、天皇、国民の話題に夢中になっていて、このスレッドを
疎かにしてしまいました。こちらのサイトでも議論をしたいので
よろしくお願いします、と言う事であげておきます。
478三郎:2000/05/26(金) 23:31
 総選挙が近づく大切な時期に森さんは大変な失言をしてしまいましたね。
私は残念でなりません。
 残念なのは、なにも森さんを支持するからでなく、
選挙直前のこの時期には、もっと有意義な議論を各党、そしてマスメディアに
期待したいからです。現実には、野党もメディアも喜んで「神の国」発言バッシング
に興じており、いま何が大切か判っていません。
 民主党や共産党が「神の国」発言を執拗に取り上げるとしても、
「21世紀に天皇制をどうするのか」という大問題と絡めるのなら、
わからなくもありませんが、そこまで踏み込んだ議論は今のところ為されていないようです。
おそらくこれからもね。
479三郎:2000/05/29(月) 00:05
 :ヨーロッパにおける左翼の復活について:
 西欧では1997年から次々に新保守主義政権が倒れ、社会民主主義政権が登場しましたが、1999年暮れから今年にかけては、さらにラディカルな勢力が政治の表舞台に登場し、シアトル、ワシントン、ロンドンなどの闘争が、それぞれ国際的な影響を及ぼしつつあります。5月7日の『サンデータイムズ』紙は、「1980年代90年代の孤立した都市暴動とは非常に異なる」という書き方をし、見出しには「68年の精神?」という言葉も見られます。
 さらに同紙の「アナキストお暴徒、女王をターゲットに」という別の記事によると、
6月3日には君主制反対の闘争が計画されているとのことです。計画をしているのはアナキスト系の団体「反君主制運動」(MAM)です。これにオランダで反君主制運動をしている「コモドー」という団体も加わるとで、大規模なデモが予定されています。
 なお、ロンドンのメイデー闘争では、少なくとも12か国から「革命家たち」が参加。
チャーチル像の顔がトルコ革共同によってペンキで塗られたとのことです。
 それにしても、それにしてもですね、日本は。
第一、メディアがこうした動向をいっこうに報じない。マスメディアだけでなく、左翼メディアもです。
480瀬戸弘幸:2000/05/30(火) 07:02
私が森総理の「日本は天皇を中心とした神の国」発言に関して、日本茶々クラブに
投稿した文が転載され、そこでこれまで議論が盛り上がってきましたが、
このスレッドに移行し、21世紀における「天皇制」とは如何なる形が望ましいのか?
それらを議論してみたいと考えます。
今日、朝食堂にいたらテレビで美智子様が実の父の遺産30億円を放棄したしたとの
報道がありました。
一緒に食事していた人達(面識はないが労務者風)は「天皇なんてお金いらないだろう」
などと話していました。
2ちゃんねるさいとの反天皇論者は天皇をまるで税金泥棒呼ばわりする人がいます。
つまり、国民の税金を出すなということですが、もしお金を出さないのであれば、天皇家にも
財産運用の自由を与えるべきであると思うし、寄付なども認めるべきであろう。

いずれにしても、様々な角度よりこの問題を討論してみたいと考えます。
481瀬戸弘幸:2000/05/30(火) 07:18
アナーキストさんへ
>おそらく瀬戸氏は天皇制に日本民族の安定性と秩序の象徴を発見したのだと思い
ます。
>「安定性と秩序こそは日本民族の美点である。」
>「それを象徴する天皇制が政治機構(国家)として歴史上に君臨してきたが故に、
 >国家と民族の概念は日本人にとって一体である。」
>だからこそ、瀬戸氏は国家社会主義を主張しているのではないでしょうか?
>瀬戸氏が「象徴」天皇制の議論を振ってきたのも、この辺りを確認するためで
しょう。

私はこれまでファシズムやナチズムを学んできました。戦前ヨーロッパでこの運動が
起きた背景と同じようなものが我が国にも存在しました。
しかし、日本に於いては国家社会主義運動は大きな広がりを見せることなく、
それは日本史の中でもさしたる注目を浴びるものにはなり得ませんでした。

この一番の理由として考えなければならないのが、天皇の存在であったことは
いうまでもありません。
北一輝にしても中野正剛にしても、日本におけるヒトラーとはなり得なかった。
この事は決して過去のことではなく、未来の日本に於いても私は代わるものでは
ないと考えます。
その理由はいずれ述べるとして、先ずはアナーキストさんへの返答です。
まさにアナーキストさんのご指摘の通りです。
あなたにはすべてを見抜かれているようで怖い(^^)

しかし、あなたが最後に言われた「天皇制を打倒する」という考えは
絶対に日本では成功しないでしょう。
その理由については明日あらためて投稿します。
482MD:2000/05/31(水) 16:26
強大な官僚主義国家で有り続ける支那は、やはり、礼教体制の延長
上としての共産主義的専制国家で有り続ける。つまり、その体制が
彼らの歴史的体質のようなものにあっているからである。
つまり、瀬戸さんは、歴史的体質というか歴史的呪縛のようなもの
から抜け出すことができないと言っているのですね?
そういう意味で、「天皇制打倒」は成功しないということですよね。
(続き)
483MD:2000/05/31(水) 16:39
歴史的体質というか歴史的呪縛のようなものから抜け出すことが
できない。いう考えであれば同意できますが、同時に、私は以下
に説明する危惧を抱きます。
天皇制を政治に利用できないという恒久的な縛りの構造を用意でな
いのであれば、またいつか、天皇を担いで侵略戦争をするとか、内
乱を起こすとかということを避けられないのではないか。
天皇を担いで外に向かえば対外戦争、内に向かえば内乱ということ。
瀬戸さんは、今より以上に、天皇に権威を持たせようとしているよ
うにわたしには見えるので、上の危惧を益々強くします。
わたしが危惧する根拠は、もちろん、歴史的体質です。
過去に天皇制を強化した時期には、必ず、対外戦争か内乱が起こっ
ています。また同時に、天皇を廃しよう(もしくは、無視)とした
勢力は、将門、信長のように思わぬところで足をすくわれるという
こともいえるでしょう。
天皇制を政治に利用できないようにするためには、今の象徴天皇制
でも不十分であるような気がするです。
できれば、天皇家のバチカン化を考えています。

わたしの基本的スタンスは、天皇家と国家を切り離すところにあり
ます。
484瀬戸弘幸:2000/05/31(水) 17:12
日本における天皇制打倒の試みが失敗に終るであろう、との理由をもう
先に書かれてしまいました。
「一木一草にまで天皇制が宿っている」これはある高名な左翼学者の
言葉でした。

これはマルキシズムの直輸入による日本の天皇(制)否定の目論見が、
日本固有の風土に根ざした尊皇心の前には、何の効力も持たなかった
事を自ら認めた敗北宣言でのあったのです。

ただその謂を借りるならば「戦後日本には一木一草に米国なるものが
寄生し宿ってしまった」というのも可能であろう。

故に我々は天皇制が打倒されることはないと信じるが、変質していくことを
恐れるのです。
485アナーキスト:2000/06/01(木) 00:11
まずはこのパネルディスカッションスレッドにお招き下さってありがとうございます。
私なんかがここに来るのは何か場違いな気もしますが、せっかくですので議論に参加
させていただくことにしましょう。

今回の議論の主題は「21世紀における「天皇制」とは如何なる形が望ましいのか?」
との事ですが、前提条件として21世紀という時代をどう予測しているのかを明らかに
しておいた方が良いでしょう。
政治経済的な予測はこのスレッドの過去発言にもありましたが、文化思想的なレベル
の予測を行うのは無駄ではないと思います。

今日は多忙なので、私自身の予測は明日投稿します。
486三郎:2000/06/01(木) 00:34
 ピープルが愛すことができる〈国家〉は、〈共和国〉でなければなりません。
右翼が愛する国家は天皇を戴く権威主義国家であって、これでは人びとが
国家に結集することは不可能なのです。
 わたしたちは、「天皇の国家」あるいは「天皇を象徴とする国家」とはおさらばし、「諸市民の国家」「ピープルの国家」「多文化主義の国家」「多元的国家」をつくること、つまり「自分たちの国家」を形成する必要があります。
 そしてそのことを通じて、真の愛国心、ピープルの権利だけでなく、義務や責任の感覚も醸成することができると思うのです。
487三郎:2000/06/01(木) 00:59
>484 瀬戸さんへ
 「一木一草」は所詮「一木一草」でしかありません。
そこに「天皇制」であろうが、「仏性」であろうが、
何か別のものを見出そうとするのは、
アニミズムの一種でしかありません。
 天皇制は「制度」なんです。
時代によって形態は変化しましたが、ただの「国家制度」です。
これは北一輝も言っています。
神秘主義に陥ってはなりません。
除去しようとさえすれば簡単にできるのです。

 それから、今週号の『日本版ニューズ・ウィーク』に
日本も外国人労働者の受け入れが必至ある、という内容の記事が
出ています。その通りだと思います。農村では老人も外国人花嫁の
受け入れに肯定的であること、この不況下でも3Kの職場は人手不足であること、
石原慎太郎も受け入れに拒絶的ではないことなどが書かれていました。
488MD:2000/06/01(木) 02:04
瀬戸さん、三郎さん、アナーキストさん、ROMのみなさん、
ご挨拶が遅れましたが、MDです。稚拙な意見ですが、お気
にさわられたら無視して下さい。

>486 三郎さんへ
現実に存在する天皇家もしくは天皇制度を良しとしない日本人。
天皇制度を国家の最高権威とすることを嫌う、たとえば、私の
ような日本人は、「天皇の国家」には求心力を持ち得ません。
アニミズム自体を否定はしませんが、天皇と結びつけることに
は反対です。
あえて極論をさせていただければ、天皇を制度ではない権威に
してしまったら、以前にどこかのスレで発言されていたように
オウム真理教と本質的に変わらないことになる考えております。

「多元的国家」を構築する以外に、国家と言う形態が21世紀
以降に生き残る手段はないと考えます。

三郎さんは、天皇制度の政治的位置づけを、どうお考えになっ
てますか?
私は、天皇制度と政治をできる限り遠くに位置に置きたいと考
えております。ただし、天皇を宗教的権威として尊崇すること
自体には反対しませんので、カソリックに於けるバチカンのよ
うな形態を望んでおります。
489>瀬戸さん:2000/06/01(木) 02:05
天皇制の話でいつも分からないのは天皇を敬愛する人たちの、その畏敬
の念というか、感情がどこに向かっているのかということです。
例えば今の天皇個人を尊敬するとかそういうレベルなら分かりますよ。
でも一般名としての、或いは概念としての天皇に対する感情というのが
僕には分からない。それはより厳密な意味での宗教における神とは明ら
かに違う。なぜなら神は不可視のものだからです。その限りで神という
のは畏敬の対象になりうる。別に僕はその神も腑に落ちないところはあ
りますけど、それも一つの信仰のあり方としては理解できる。でも天皇
(天皇家)を崇拝するということの意味は僕には少しも理解できません。
だって一応目に見える人間じゃないですか。
仮に個人として尊敬できる人だったとしても、あくまでもそれは一個人
に対する尊敬ではないんですか?なんで「家」なのか?
490>瀬戸さん:2000/06/01(木) 02:08
(続きです)
それと草の根まで宿ってる天皇なんてものは逆に草の根から途絶えても
行くものです。人の気持ち一つなんだからね、そのレベルで語るなら、
国家と結びつける必要はない。そもそも歴史的に見た場合の雑多な大衆
信仰の全てが天皇というものに無媒介に同一視するのは恣意的なものに
過ぎないのではないですか。逆にいえばそれ自体歴史的に創造されたも
のに過ぎないということもできるでしょう。そりゃ、僕だって富士山を
見たりとかして時々神秘的な気持ちになることはありますし、たまには
わびさびみたいなものを感じるときはある。でも別に天皇のことなんて
ちっとも思い出さない。大体思い出すも何も天皇が変わるたびに思い出
す顔が変わるし大変ですよ。(一応言っときますけど別に天皇大嫌いとか
別に思ってないです。今の人はまあそれなりにいい人だとは思いますし)
よく分からないけどそういう文化的な領域のことをまとめて天
皇という言葉に託しているのならばそれはそれでかまわないんで、単に
文化的な領域にとどまっていてくれればいい。

何がいいたいかというと、国家機関(元首?)という政治的なレベルと
文化的なレベルはさしあたり区別してほしい、ということです。
前者の意味なら対外的な責任と切り離せないし(昭和天皇のことね)
後者の意味ならローマ法王みたいな位置付けでいいんじゃないですか。
とりあえず分けて考えないと対外的には責任ないけど内部的には国家
の精神だ、とか言われても説得力ないと思うんですが。
491489@` 490:2000/06/01(木) 02:42
なんか上のMDさんと似たようなこと書いちゃったみたいです。
ごめんなさいね、真似したつもりはなかったんだけど。

ということで僕のは無視してください。
492瀬戸弘幸:2000/06/01(木) 08:33
この天皇の問題と言うのはそれを理解しようとしない人には極めて困難な
説得であることが、身にしみて感じているところでもあります。

ここに移るスレッドでも,様々な角度より投稿したが、いずれも十分な
理解を得ることは出来なかった。
そこで、ここでは私は持論を展開させて頂くことにしたい。

いまでこそ余り見られなくなったがかっては左翼陣営から「天皇制ファシズム」
なる批判があった。戦前の状況を指してのことだが、戦前の日本に於いては
天皇制という<システム>とファシズムがけっして相容れるものではなく、
それを目指したものは「日本的な、余りにも日本的なもの」に埋没して、その中に
溶解されてしまった歴史の真実がある。

我々はこの点をこれまで考え続けてきた、「この日本的なるもの」とは
一体何で在るのか。
しかし、それは非常に曖昧模糊としたものであった。
そこが日本という国家の不思議なところでもある。
しかし、だからと言って、我々の目指すべき政治運動に於いて、
これをいつまでも<曖昧>な存在としてしておくことは出来ない。
493瀬戸弘幸:2000/06/01(木) 08:50
では、我々の目指す極右運動における天皇の立場とはどのようなもので
在らせられるべきなのか?
現体制・保守派は今日の象徴天皇制を堅持するとしている。
三郎さんのような市民リベラル派の皆さんは京都にお帰り頂いて
共和国のようなものを目指し、段階的に天皇制はこれを風化させる
という考えでしょう。
アナーキストさんはあくまでも天皇制を打倒し、これまでの日本民族の
上に在った呪縛をこのさい取り除きたいということかな。

我々の目指す天皇中心の神の国家とは、
普遍神道の在日本的形態を証明する存在としての天皇陛下であり、
その天皇を中心とする国家の再興です。

民俗学、文化人類学の行き着く先は「全ての民族はそれぞれの土着的な
神々を持つ」ということの証明でなければならない。

来たるべき21世紀の世界とは軍事力や経済力やイデオロギーや宗教に
よって支配分割されるものではなく、世界の新秩序とはこれらの土着
的な神々の系譜、系統に従って民族国家が形成され、それが互いに自治を
認め合う形で存在するものである。

故に土着的信仰の最高峰におられる天皇家は尊敬を集めるものでなければ
行けない。
494MD:2000/06/01(木) 13:26
>489さんへ
どういたしまして。
489さんは、21世紀の天皇制の位置づけをどう考えられますか?
495まつろわぬたみ:2000/06/01(木) 23:57
戦前、戦時下における寺社の統廃合にたいして
廃寺、廃社された信徒達の恨みは相当深いですよ。
年寄りの中にはいまだに根にもっている人もいます。
天皇が土着信仰の最高峰なんて時の権力者が勝手に決めたことです。
まつろわぬ神々達の怨みを決してお忘れ無きように。
496三郎:2000/06/02(金) 00:09
 わたしは「国家」への結集とか、「国家」への愛ということを言っていますが、
これまで左翼はそういうことは言わなかった。従来、もっぱらこういう言説は右翼の領分でした。
しかし、もはや単純に「国家」を忌避し、批判するだけでは、やっていけなくなりつつあります。
 これからグローバリゼーションが進みますね。
そうすると逆に「国家」を意識せざるを得なくなってくるはずです。
外部との接触が爆発的に増大するのですから。
 その場合、新しい、開かれた、多元的な国家像がないと
古い、閉ざされた、国粋主義的なドクマが復活することになりかねません。
 外国人労働者が近し将来数十万単位で入ってくることは間違いないでしょう。
必然的にトラブルや軋轢が生じます。極右勢力がこの状況を利用して、
勢力を伸張しようとするでしょう。ドイツなんかで今やっていますね。
 そうした勢力の台頭を阻止するには、 「天皇の国家」、「日本人の国家」という
これまでの支配的な観念を打破し、新しい国家観を提起し、浸透させる必要があります。
これは「思想の闘争」であると同時に、「政治の闘争」でもあるでしょう。
 国民的な規模で「国家観」の転換をするには憲法を作る直すこと、
新しい多元主義の憲法を作ることが一番インパクトがあると思うのですが、
どうでしょうか。
497三郎:2000/06/02(金) 00:46
>瀬戸さんへ
 これまで「天皇制」を支えてきた大きな要素として忘れてはならないのは、
右翼、極右の存在だと思います。つまり瀬戸さんたちです。
 彼らのテロルへの恐れが人びとの反天皇制的な言動を抑制してきたこと、
これは否定できない事実でしょう。
 もちろん、右翼に怯える人びとの多くは、右翼の力を過大評価しがちですが、
そのことをふくめて、右翼の影響力は無視できないと思います。
 要するに、皇室、天皇制は、ダミ声でがなり立てる街宣車右翼、任侠右翼をふくめた
右翼に支えられているのです。そうだとすれば、彼らは勤王の士だということになりますね。まぁ、当然か。

>MDさんへ
>三郎さんは、天皇制度の政治的位置づけを、どうお考えになっ
>てますか?
 これまで「政治的位置づけ」を自分ではしてきたつもりなんですが……。
なんなら日本政治システムにおける天皇制の政治的位置づけとして、
いまのべた「天皇制の再生産における右翼の不可欠の役割」をあげてもいいと思います。
したがって、天皇制を崩壊させるうえでも、右翼を崩壊させることも考えに入れておく必要があるでしょう。暴力団との闘いが、天皇制との闘いの重要な一翼を担うことになりますね。そのためには警察改革が必要です。
498ニャントロ瀬戸:2000/06/02(金) 06:02
ニャントロ星人の陰謀はどうすればいいですか
499アナーキスト:2000/06/02(金) 11:59
21世紀の主要な潮流が、政治経済的な面でも文化思想的な面でもグローバリゼーション
の流れである事は皆さんも否定しないでしょう。
グローバリゼーションとは、国際化の中での様々な問題解決の必要性から生まれたもので、
国粋主義などアンチグローバリズムな他のイデオロギーがそれらに対する有効な回答を提
示できない以上、この流れは不可避です。

そして、文化思想面におけるグローバリゼーションとは、「強い」文化による「弱い」文
化の駆逐、すなわち文化的な自然淘汰です。
ここで言う「強い・弱い」とは、ひとつは普遍性の高さです。例えば、食人族のカニバリ
ズム文化は、彼らの中では誇り高い文化かもしれませんが、食人族以外の人間にとって容
認されるできものではないでしょう。そして、国際社会では食人文化は駆逐されました。
それは、「人を殺してはいけない」という理念の方が、食人文化よりも普遍性があったか
らです。
もうひとつは、「押しの強さ」です。世の中、常に良いものが勝つとは限りません。むし
ろプロパガンダによって「良く見える」ものが勝利しがちです。現在のグローバリゼーシ
ョンがアメリカ主導で進んでいるのは、アメリカがメディアを駆使して自らの文化の良さ
を(必要以上に)喧伝し、敵対する文化に対するディスインフォメーションを怠らないか
らであって、決してアメリカ文化が世界最高の文化だからではありません。
つまり、「強い」文化、グローバリゼーションの流れの中で生き残れる文化とは、ある程
度以上の普遍性と、それ以上に「押しの強さ」を備えた文化でなければなりません。そし
て、インターネットによって文化的な国境線が無くなった今、世界レベルで否応無しに文
化衝突が発生するのは避けられません。これはある意味「文化戦争」です。

以上を前提に話をすると、天皇制の存在意義は「ありません」としか言えないです。
その理由はまた後日。
500三郎:2000/06/02(金) 23:09
>493の瀬戸さんへ :ファシズムと天皇制について:
>戦前の日本に於いては 天皇制という<システム>とファシズムがけっして相容れるも>のではなく、それを目指したものは「日本的な、余りにも日本的なもの」に埋没して、>その中に溶解されてしまった歴史の真実がある。
 瀬戸さんは、ここで「ファシズム」を肯定する立場からおっしゃっているようです。
1930年代日本において「ファシズム」体制を樹立しなければならなかったが、
日本人は「日本的な、余りにも日本的なもの」の力を断ち切ることができず、
「ファシズム」を構築できなかった。だから、左翼の「天皇制ファシズム」論は
間違いである、ということを言っておられるのですね。
 私は「ファシズム」と「天皇制」は両立しないと思います。なぜなら、ファシズムは「指導者崇拝」の思想であり、運動だからです。指導者、喝采、独裁……。
けれども「天皇」の存在と「総統(指導者)」(フュラー)の存在とは両立しないのです。
ファシズムでは「指導者」はたんなる政治権力の担い手以上の存在、
「カリスマ」(非日常的能力)をもち、一種の神聖ささえ備えた人物でなければならないはずです。「天皇」を除去しないとこれは不可能です。
 
501名無しさん:2000/06/03(土) 01:09
502>500:2000/06/03(土) 01:11
それは西欧型(ローマ帝国型)ファシズムと日本型ファシズムの違いでしかないです。
503489:2000/06/03(土) 01:34
>MDさん
遅くなりましたが、基本的には天皇制を維持するか否か
ということになるのでしょうが、これに関しては別に取り立てて
新しい論点を提示することはできませんが、このスレッドの文脈
で言えばとりあえず三郎さんのお考えを支持します。

>500の三郎さん
おっしゃるとおりのような気もしますが、逆にいえば
指導者崇拝が不明瞭なままに、つまり突き詰めれば無根拠の上に
「神国」が成り立ってしまう。具体的に言えば個々の責任者は憲法
上は(そして、おそらく彼ら自身の認識においても)天皇に対してのみ
責任を負ったにもかかわらず、当の天皇は具体的な意思決定主体ではあり
えない、などという奇妙極まりない論理で国家が動いてしまう。
これはある意味では全体主義の最終形態、或いはファシズムの純粋形
とも言えるのではないでしょうか。
(僕はこんなものは肯定は出来ません)
アイロニカルな意味においてですが、つくづく日本は神の国だったん
だなあ、と思います。

>493の瀬戸さん
民族中心の、とのことですがそれならば例えばアイヌ民族国家や
琉球民族国家というのも瀬戸さんの文脈からは可能なのですか?
揚げ足とりのように聞こえるかも知れませんが最終的なところで瀬
戸さんの意見は情緒的な方向に流れてしまっているのではないか
と思うのであえて質問させていただきます。
504瀬戸弘幸:2000/06/03(土) 08:16
>三郎さんへ
497の意見について、確かに右翼と称される人達が<天皇>に対して
行われた不敬発言などで、抗議行動をしてきたことは事実です。
それは<天皇>を尊敬し崇拝していると言うことの他に、<天皇>には
発言する自由がなく、それを良いことに誹謗中傷を繰り返すことは許されない
といった観点からだったと思います。
決して右翼が何の正当な理由もなく、暴力的な活動をしてきたとは思ってはいません。
むしろ新左翼の方が暴力的な破壊活動を繰り返してきたのではないですか。
天皇陛下の即位を前に新左翼は全国の神社に火を放てと機関紙で煽っていました。
宮城県の塩釜神社は火を放たれ全焼しました。
当時、我々も交替で護国神社の警備にあたったものです。

500の意見について、ヒトラーやムッソリーニのような運動は
無理であることは十分承知しております。
前にも触れましたが、ヨーロッパの今日のファシズム研究家は、
イスラム原理主義のような運動もファシズムとして新しい定義付けが
なされております。
ファシズムが一つの宗教的な要素を持った時、所謂国家の<シンボル>と
それを掲げ運動する指導者との関係は、対立するものではなく共存
出来るものと考えます。
505瀬戸弘幸:2000/06/03(土) 08:32
アナーキストさんへ
グローバル社会の到来が避けられない現在、その大きな渦の中に埋没して
しまうのか、また、その反対に民族のアイデンティティーを探ろうと
するのか?
実に様々な流れが出てくるのではないかと考えます
アナーキストさんの立場からすれば、世界政府のようなものが樹立され
国家は崩壊していくとのご主張でしょうが、私は全く逆な流れも出てくると
考えております。
文化をもっと広義な言葉でいうなら文明となるのではないでしょうか。
この文明の衝突はこのサイトでも何度か語られてきましたが、確かに
弱い文明は滅ぼされました。
日本は世界でも稀に見る特異な文明であるとされております。
この日本文明を創り出して来たものこそ、「天皇を中心とする神の国」
であったと私は考えます。
これからの世界のキーワードは自然です。
自然との共存、それは人類共通の普遍的なる考え方でもあります。
それこそが我々日本人が世界に向って語れるものではないのでしょか。
506瀬戸弘幸:2000/06/03(土) 08:47
>489さんへ
アイヌ民族や琉球人についてのお尋ねですが、私はかれらは日本人であると
思います。確かに民俗学上は独自の土着的な神々を持ち、我々大和民族とは
違った歴史を持ってきたことは事実です。
人種的にも違っているでしょう。だが、私はそのような違いがあっても
日本人とはこの国家の中で生活を共にする国籍を有する人と考えております。
しかし、明らかに文化の違いがある場合、その文化を守る必要性は認めますが、
それは文化であって政治的な意味とは切り離すべきです。
即ち、彼らは日本というこの国家に既に仲間として一緒であり、彼らが
日本という国家に叛逆するとか、自治を求めているとでもいうのでしょうか?

彼らには酷な言い方かも知れませんが、彼らが独自な国家を形成すると言う
ことは、それこそ実状にあわないことで、もしそれを主張されるなら、
それの方が情緒的ではないでしょうか。

507489:2000/06/03(土) 17:10
>瀬戸さん
 >しかし、明らかに文化の違いがある場合、その文化を守る必要性は認めますが、
 >それは文化であって政治的な意味とは切り離すべきです。
この点について異論があるわけではありません。僕もなんでもかんでも民族は全て
独立国家を持とうというのは不可能だと思うから。
ただそこでどうしてなおかつ民族国家ということをおっしゃるのかが分からない。
瀬戸さんの論法では国家を持つことが出来る「優れた」民族と、「劣った?」民族
が前提になってしまう危険がある。(非現実的であってもナショナリストの方にはアイヌ
も一戸の民族である、したがって彼らはわれわれとは別の国家を持つべきである、と
いうことを言い出す人がいればそれも面白いんですが。)
ところで充分にではありませんが瀬戸さんのホームページを拝見しました。
上述の論法で言えば前者がドイツ民族で後者がユダヤ民族、ということになるので
しょう。あのページを見るとユダヤ民族は切りすててしまえ、という風に受け取れます。
それに対して僕は二重の意味で同意できません。
一つはユダヤ民族を劣ったものであるように表象し、彼らの生存を認めていないように
受け取れること。
もう一つは民族というカテゴリーで人間をくくってそのことに過剰な意味を付与すること。
そういうてんを重ね合わせて瀬戸さんの国家像を見ると悪い意味の民族主義に簡単に
堕してしまうのではないか、という危惧を覚えざるを得ないんです。
508489:2000/06/03(土) 17:11
(続き)
民族主義に対して単純にコスモポリタニズムを提示することが安易であることは理解し
ているつもりです。しかしだからといって殊更に天皇を強調してそれに全てを収斂させる
ことが妥当だとも思えない。
伝統とおっしゃるけれども、そして沖縄やアイヌがそれを受け入れたというけれども
歴史的には100年とかそんなものでしょう。その過程において強制力がなかったとは
いえないはずです。また国民国家という理念の歴史にしてもその程度の長さしかない。
100年といえば単純に言えば親子二代とか三代とかそんなもんでしょう。
その程度の長さで琉球王国がなくなって彼らが納得してるというのであれば、同じ論理
で天皇制がなくなっても百年もすれば忘れます。
これはやはり屁理屈ですか?最初の書き込みで書いたように天皇を崇拝しなければい
けないという実感そのものが僕にはありません。
今22歳ですが(一般化は出来ないですね。若い人にも右翼的な心情に惹かれる人は
多いでしょうから)天皇がいてもいなくてもかまわないよ、と左翼とか右翼とかという以
前に、思ってしまう人は増えてきてるように思うんですが、事実として厳密に正しいか
どうか分かりませんが、瀬戸さんはどう思いますか。
左翼的な理想なり政治的立場なりを前提とするまでもなく単に天皇に無関心である
人間に対して。
509MD:2000/06/03(土) 23:35
>506の瀬戸さんへ
つまり瀬戸さんは、
「天皇を中心とする神の国にまつらわぬもの達は日本から出ていけ、
できないだろうけどな!」
といっているわけですね。
489さんは冷静に対応してますが、わたしは疲れました。

実状にあわないといえば、「天皇を中心とする神の国」を普遍化する
方が、遙かに実状にあわないと思う。

>しかし、明らかに文化の違いがある場合、その文化を守る必要性は認めますが、
>それは文化であって政治的な意味とは切り離すべきです。
あなたもそうして下さい。
510三郎:2000/06/04(日) 01:00
:列島の土着的信仰と日本天皇制:
「神の国」から出発して「土着の神々」「土着的信仰」が話題になっていますね。
>493の瀬戸さん
>土着的信仰の最高峰におられる天皇家は尊敬を集めるものでなければ
行けない。
>495の「まつろわぬたみ」さん
>天皇が土着信仰の最高峰なんて時の権力者が勝手に決めたことです。
>まつろわぬ神々達の怨みを決してお忘れ無きように。
私は「まつろわぬたみ」さんの見解を支持します。
 縄文時代以来の列島の原住民のあいだに土着の信仰があったことは間違いないでしょう。これはアニミズムですね。山や川にも霊がある。自然に神を見る、そうして原始的な信仰があったでしょう。しかし、そこに外部からおそらく数波にわたり、侵入者(インヴェーダーズ)がやってきたはずです。(つづく)
511三郎:2000/06/04(日) 01:03
 (つづき)満州からの扶余族(江上波夫)、江南からの呉の集団(森浩一、藤田友治)も来たでしょう。扶余系か呉系かここでは判断を控えますが、その勢力は、列島西部における武力抗争のなかで、部族の氏神をもちつつも、部族連合の長となってからは、その氏神を前面に押し立てることは政略上まずいと考え支配の道具として「仏教」を導入しました。こうして古代の国家仏教が成立しました。
 8世紀に日本国家が成立した時点で、『日本書紀』は、大海皇子(天武天皇)と結びつけるかたちで、伊勢神宮(部族神アマテラス)を打ち出し、また仏教と天皇制とを結びつける物語として『日本書紀』は聖徳太子なる人物を造作しました(モデルは蘇我馬子か)。
 要するに、「日本国」の成立は列島の土着信仰に対する抑圧の体系の成立と同時と言っていいでしょう。天皇制神道(アマテラス教)は、仏教や道教が入った宗教であり、それは列島に土着していた原住民たちの原始信仰(縄文神道)とは本来異質の宗教でしかありません。
 私は不勉強なので、先日話題になりました太田龍氏が「八切史学のすべて」(『歴史と現代』第2巻、第2号1981年)という論文を書いておられますので、それによって少しだけ補足します。
それによりますと、金井南龍という人が、列島の土着信仰を「縄文神道」と呼び、これを「弥生神道=皇家神道」と区別しているそうです。縄文神道の神々が、侵略者天皇一族によって闇の世界に封じ込められたというのです。(つづく)
512三郎:2000/06/04(日) 01:09
 (つづき)それから八切止夫氏は、日本史を神の民=日本原住民と、仏教権力=大陸から日本に侵攻してきた征服者の勢力との、闘争の歴史と見ます。古代国家で国家神道が成立するわけで、これは仏教、儒教の毒に汚染されたイデオロギーでしかありません。国家権力と無縁のところで生き続けていく神道として八切氏は、産土(うぶすな)神道、「白山、土俗八幡、七福神」信仰」
をあげています。
……太田氏は、列島原住民の視点から日本国家を撃つ、という議論をかっては真剣に展開していたのでした。金井氏や八切氏、そして太田氏からすると、日本は「神の国」であったとしても、それは天皇族によって侵略され、ほとんど破壊されてしまったということになります。
しかし、正確には、「日本」という国号は8世紀に天皇制国家との成立とともに登場した国号です。だから、「神の国」の廃墟の上に「天皇の国」が生まれたわけで、21世紀に「神の国」を復活させるには「天皇の国」を打倒する必要がある、ということになります。
私は八切氏や太田氏の日本原住民史観をそのまま肯定する分けではありませんが、このような歴史把握も皇国史観に対する解毒剤としては大きな意義をもっている思います。いずれにせよ、結論としていえることは、土着信仰なるものを安易に天皇と結びつけることはできないといことです。
513>512:2000/06/04(日) 01:34
仏教に比べたらどちらも目くそ鼻くそですハイ。
514アナーキスト:2000/06/04(日) 01:42
>瀬戸氏
>グローバル社会の到来が避けられない現在、その大きな渦の中に埋没して
>しまうのか、また、その反対に民族のアイデンティティーを探ろうと
>するのか?

グローバリゼーションの反動として、産業革命期のイギリスにおける
ラッダイト運動の様な形で民族主義の狼煙が世界各地であがるでしょ
うが、その結果もまたラッダイト運動の様な形で終焉を迎えるでしょ
う。すなわち、民族主義は最終的に敗北します。まず間違いなく。そ
の理由は499でも書いた通り、民族主義では時代の要請に対応できな
いからです。
だから、日本がやるべきなのはグローバリゼーションへの反発じゃ
なくてその主導権の乗っ取りしかないんですが、国内の人間ですら
満足に説得できない天皇制を軸にしていたらそれは到底不可能です。

>これからの世界のキーワードは自然です。
>自然との共存、それは人類共通の普遍的なる考え方でもあります。
>それこそが我々日本人が世界に向って語れるものではないのでしょか。

だったら、これを元に日本民族のアイデンティティ理論を構築すれば良
いわけで、別に天皇制はいらないですよね?
瀬戸氏が根本的に間違っているのは、まず天皇ありきで日本を語ろうと
している所です。別に天皇がいたから日本ができたわけではなくて、日
本と言う風土の中で天皇制が生まれたのです。天皇制は日本民族のアイ
デンティティの「結果」なのであって「原因」ではありません。
515三郎:2000/06/04(日) 01:56
>513
>仏教に比べたらどちらも目くそ鼻くそですハイ。

 そのご高説は言うところの「仏教」がインドのブッディズムを意味するのなら
まさに至言といえるでしょう。
 念のためにいうとここでいう「ブッディズム」とは「縁起」と「空」の思想です。
 日本仏教は疑似仏教とさえ言えないようなシロモノ。アニミズムに深く汚染されています。
 いわゆる「本覚思想」とか「如来蔵思想」というヤツは仏教でないというのが、
最近の仏教学の成果です。中国ですでにおかしくなっていたのですが、
仏教が日本にはいると完全に変質してしまったのです。
 ありとあらゆるものに仏性がある、という日本仏教の観念をなにか自然主義的な
優しさの思想と受けとめる人がいますが、これってアニミズムですよ。
 このアニミズムからひろく日本人を支配している融通無碍で、無責任な、
「自然(じねん)」の精神が出てくるのです。
516>512:2000/06/04(日) 02:02
お得意のサヨ史観
517名無しさん:2000/06/04(日) 03:03
|アニミズムに深く汚染されています。
「汚染」されていなければ日本に根付くこともなかったのです。
祈祷仏教もその一つです。ヴェーダやバラモン教的に「退化」したような
ところもあります。しかし表象に現れるものですべてを
判断することも不可思議なのです。また民衆の仏教信仰の
形態のみで日本の仏教を語ることも無意味です。
518瀬戸弘幸:2000/06/04(日) 07:23
>皆さんへ
私の考えが皆さんにはなかなか伝わらないようです。
私の説明が悪いのかも知れません、もっともっと高名な天皇〈制〉の論客
もおられるのですが、残念ながらそのような方はインターネット掲示板では
活躍されておられないので、しばらくは私の主張にお付き合いください。

>三郎さんへ
太田龍さんや日本の私以外のネオナチの人達の考えとして、縄文文化を重要視
すべきだとの主張がなされています。日本における新しい極右運動では<天皇>
は必要がないという事でしょう。
ナチズムの根底には神話があります、神話を抜きにした運動は考えられません。
よって、その神話を掲げると日本の場合<天皇>を抜きにしては語れなくなる。
三郎さんが言われるように<天皇>と新しいファシズム運動が両立し得ない
との考えに立つと、どうしても縄文文化を持ち出さなければいけなく
なってしまうのです。
しかし、確かに縄文文化は存在し、その頃には土着的な偶像崇拝の信仰が
あったことは事実でしょう。しかし、存在したとか、それは弥生文化より先だ
と言うだけでは意味をなさないでしょう。
今日までそれが生き続けも守り通されて来たかが大切なのではないでしょうか。
519瀬戸弘幸:2000/06/04(日) 08:15
>アナーキストさんへ
<天皇>ありきで日本を語るといわれますが、<天皇>を抜きにして
日本を語ることはできませんよ。
皆さんの家には神棚がありませんか?
3月3日のひな祭りには人形を飾りますが、あれは宮中の内裏の生活
の模様を型どっています。
また、お正月に読まれる「百人一首」も宮中の風流でした。
これが全国の農村漁村の津々浦々に至るまで、各家庭に広く祝いの様式として
守られてきた。
このような点から見ても、<天皇>を離れて、日本=文化を語ることはできません。

個人に個性があり自我があるように、国家に固有性があり独自性がある。
個人にとって個性や自我を失うことは自我の喪失を意味する。
同様に国家にとっては固有性、独自性を失う事は滅亡を意味する。

そのような理由から私は日本=文化=天皇(制)を論じています。
520瀬戸弘幸:2000/06/05(月) 06:52
>489さんへ
「単に<天皇>に無関心の人をどう思われますか?」
との事ですが、私の立場から申しあげれば、そのような人が増えることを
残念に思わない訳にはいきません。
何故ならば、それはやがてこの日本という国家の衰退に結びつくと憂慮するからです。

戦後の為政者は一様に目先の経済的利益追求を急ぐ余り、一国の経済発展の
原動力である民族的活力の重要性を看過してきた。
そして、国民の誇り、主体性を軽視し、むしろこの民族的活力を減殺する
方策を採ってきた。
自国の文化や歴史、伝統に誇りを感じない、その現象はその結果であるとしか
私には思えない。

>MDさんへ
>「天皇を中心とする神の国にまつらわぬもの達は日本から出ていけ、
>できないだろうけどな!」
>といっているわけですね。

そのような事は言っていませんよ。


>実状にあわないといえば、「天皇を中心とする神の国」を普遍化する
>方が、遙かに実状にあわないと思う。

あなたには全国の津々浦々に神社があり、鎮守の森があることが目に映らないのでしょうか。
521489:2000/06/05(月) 19:24
>瀬戸さんへ
>自国の文化や歴史、伝統に誇りを感じない、その現象はその結果であるとしか
>私には思えない。
それは多分そのとおりだと思いますが、そういう因果関係を批判することは
不毛です。僕が指摘したような人間が増えてきているとしてそれがいわゆる
戦後民主主義的な教育の結果であったとしても、逆にいえば天皇崇拝自体が戦
前の教育にその原因の端緒を持っているのも事実でしょう。それは別に日本
の古来からのものではない。ある世代以降の人間が歴史的に規定されている
ことと同じ意味で瀬戸さんたちも歴史的に規定されているのであって、その
こと自体はどっちが正しいとかというレベルの話ではないと思う。
瀬戸さんは全国の神社というけれども初詣もしてクリスマスも祝い、単にお
しゃれだというだけで教会で結婚し、仏教的な葬式もするのが日本という国
です。
宗教論を論理的にのみ展開するならともかく、大衆文化を織り交ぜてお話す
るのであればそこであえて神社のみを特権視する必然性はないと思いますよ。
無節操であってもそれらはばらばらでいいじゃないですか。
大衆文化と国家論はたとえ天皇制を擁護するにしても区別してほしい。
それtろ為政者云々というけれどそれらに対する抵抗は基本的には自然に生ま
れるものでしょう。彼らが民族的活力を無視したのが事実だとしてもそれに
動揺して抵抗しなかったのもその民衆なのではないですか。
多分この国においてはあなたたち極右にとって大衆は基盤になるどころか
常に敵だと思いますよ。
522MD:2000/06/05(月) 20:27
>520 瀬戸さんへ
少々、挑発的なものいいですが。敢えて、あのような表現を
しました。

>あなたには全国の津々浦々に神社があり、鎮守の森がある
>ことが目に映らないのでしょうか。
もちろん、よく知ってます。
しかし、神社や鎮守の森と天皇を結びつける根拠が、わたしには、
全く、理解不能なのです。

国家の求心力の中心を、一血族が担うという体制は、国家体制と
して脆弱この上ないと思うのだが。
天皇家を維持できなくなる事態になれば、国体を失うではないで
すか。そのとき、日本という国家はどうなるのか。
瀬戸さんは、前記のような事態について、言及をさけておられる
ようだが、なぜですか?

わたしには、瀬戸さんの語る政治思想が宗教にしか見えないので
す。(理解力不足についてはご容赦願いたい)

世間は、天皇制度を天皇教(?)として、仏教やキリスト教など
の他の宗教と同位置にしか見てないのではないだろうか。

もう一度伺いたいのですが、「天皇にまつろわぬ民」の日本国
に於ける位置づけをどうするのですか?
この答え無しの政治思想は、日本の政治思想として破綻してな
いでしょうか。

523アナーキスト:2000/06/05(月) 23:27
>瀬戸氏
>このような点から見ても、<天皇>を離れて、日本=文化を語ることはできません。

「皆さんの家には仏壇がありませんか?
 5月5日の子供の日には鎧兜を飾りますが、あれは武家大名の様式を象っています。
 また、お正月に遊ばれる凧上げは陰陽道が起源です。
 このような点から見ても、<天皇>を離れて、日本=文化を語ることは可能です。」

とまあ、反論なんていくらでも出来るんですが、ここで言いたいのは、事象の一面だけ
を見て早急に結論を出さないで下さい、という事です。
瀬戸氏の意見には、特定の結論を導き出したいがために事実を曲解している部分がかな
りの割合で見うけられます。手法としては「神々の指紋」においてグラハム・ハンコッ
クが行った擬似科学的論理構築方法そのものです。
誠実な議論をするのであれば、もう少し自説の論理正統性を多角的に検討して下さい。

>MD氏
>天皇家を維持できなくなる事態になれば、国体を失うではないで
>すか。そのとき、日本という国家はどうなるのか。
>瀬戸さんは、前記のような事態について、言及をさけておられる
>ようだが、なぜですか?

これは私も聞いてみたいです。
仮に、次期天皇の即位の礼か何かで皇族が全員集まっているとき、外国の工作員か
何かが毒ガスを撒いて、その結果皇族が一人残らず死んだしたとして、その時右翼
はどうするんですか?
荒唐無稽な思考実験ですが、可能性としては0ではないので「そのような事態は起
こらない」とか「そうならないように天皇陛下をお守りする」とかいう回答は禁止
しておきます。
524三郎:2000/06/06(火) 00:15
5月31日読売新聞、一面トップ記事には次のような見出しがおどっていました。
「4世紀 巨大船団の線刻画」「準構造船15隻 外洋航行か」
「兵庫 出石 袴狭遺跡出土の板材にくっきり」
出石は、日本海岸に近い、丹後半島の付け根に近いところです。
4世紀頃、大規模船団で何処かからか(江南か、加耶か)丹後に到来した人びとがいたのではないかと、ということが想像されます。
 「神武天皇」が来たのか、「崇神天皇」が来たのか、あるいは別の勢力かわかりませんが、列島は外部からの勢力の侵入によって、政治的なまとまりを形成していき、
そして8世紀になって「日本」という国号と「天皇」とをつくりだしたのです。
大和朝廷が列島内部で自生して「日本」が生まれたのではありません。
525阪京:2000/06/06(火) 00:22
>「神武天皇」が来たのか、「崇神天皇」が来たのか、あるいは別の勢力かわかりませんが、列島は外部からの勢力の侵入によって、政治的なまとまりを形成していき、
>そして8世紀になって「日本」という国号と「天皇」とをつくりだしたのです。
>大和朝廷が列島内部で自生して「日本」が生まれたのではありません。
ちょいと論理の飛躍が過ぎやしませんか?
526489:2000/06/06(火) 01:00
>三郎さん
>>「神武天皇」が来たのか、「崇神天皇」が来たのか、あるいは別の勢力かわかりませんが、列島は外部からの勢力の侵入によって、政治的なまとまりを形成していき、
>>そして8世紀になって「日本」という国号と「天皇」とをつくりだしたのです。
>>大和朝廷が列島内部で自生して「日本」が生まれたのではありません。
>ちょいと論理の飛躍が過ぎやしませんか? (by阪京さん)

僕もそう思います。こういった話は瀬戸さんに対する批判としては
(一応文脈上そうだと言う思い込みから僕は書いています)
有効ではないのではないでしょうか。
瀬戸さんは「神話」が必要だ、といっているわけだからそれが歴史的事実
と必ずしも一致するわけではないということは分かってらっしゃると思い
ます。それこそ「神武以来一貫した万世一系の血筋」を歴史的事実として
信じているような人に対しての発言ならそれを相対化するためには必要な
指摘と思いますが「それが神話であり、その神話が必要なのだ」と主張す
る人には別の論拠での批判が必要だと思います。
歴史的事実への正確な認識は確かに必要かと思いますが、それにこだわり
すぎるとあまり古代に遡りすぎると逆に足を救われてしまう危険があるよ
うに思います。飛躍かもしれませんが逆説的に戦時のアジアでの日朝同祖
論や八紘一宇を正当化してしまう危険だってあるのではないですか。
527三郎:2000/06/06(火) 01:25
>489さん、そして阪京さん
いささか説明不足ですが、
わたし自身は間違っているとは思っていません。
自分では、より正確な歴史認識だと思っています。

列島の真実の歴史がなお闇のなかにあること。
このために偽りの歴史や神話がはびこるのです。
学界の通説は大和朝廷一元論、ネオ皇国史観です。
高校の日本史教科書もそうです。
つまり、「日本古代史」は天皇制や超国家主義が再生産される
観念的土台を構成しているのです。

歴史の真実の探求は「多元的古代」(この言葉自体は古田武彦先生の言葉ですが、
わたしは古田説をそのままとっているわけではありません)の発見へとつながると信じています。
そしてそのことが現在この列島の住まう人びとの「アイデンティティ」の見直しにも役立つ思っています。
528阪京:2000/06/06(火) 01:55
>三郎さん
歴史学から実証主義を取り除いたら、単なる現政権へのオマージュやら
に成り下がってしまいます。易姓革命の某国やらと同様に。アメリカでは
「真実に歴史を擦り寄せる作業」が続けられていたはずですが、ユダヤ
系やらの度重なる妨害で立ち消えになってしまったんでしょうか?
529489:2000/06/06(火) 01:58
>三郎さん
526での僕の書き込みはとりあえず主に瀬戸さんに向けられたもの
ならば、そういう歴史的事実を並べても有効な批判的根拠にはなりえ
ないんじゃないか、ということなので(これも反論はあるかもしれま
せんが)三郎さんの想定するパースペクティブがそういう広がりをも
つことに対する配慮は欠けていましたので、その点は誤解でした。
申し訳ありません。
ただ三郎さんがおっしゃるような多元的国家を主張するときにそうい
った歴史的事実から離れても成り立ちうるものであったほうがより良
いのではないかと思うということです。例えば三郎さんが以前仰って
いたアソシエーションという方向と国家論を結びつけようとしたとき
に日本古代史を重ねて(いるかどうか誤解だったら申し訳ない)しまう
と、そのアソシエーションが実は大東亜共栄圏によって先取られてい
たということになりかねないのではないか、ということを多少危惧し
ます。天皇制廃止を主張する三郎さんに対しては少し的外れな指摘な
んでしょうけど、同じ事実を天皇制論者が主張したらその危険は充分
にあると思うんです。だから(誤解なら申し訳ありませんが)国家論と
古代史は別次元で考えたほうが良いと、僕は思います。
530三郎:2000/06/06(火) 02:05
(527のつづき)
縄文時代の列島はまさしく民族と文化の多元性の状態であったはずです。
つまり複数の民族、複数の言語、複数の文化が並存していたと思います。
つまり、当時は「国家なき多元主義」でした。
脱「天皇」、脱「日本」の「多元主義的国家」の形成を
21世紀の課題にするのはどうでしょうか。

531三郎:2000/06/07(水) 00:11
 いま論議している話題にやや重なる内容が3月中旬に論じられました。
「かいと」さんからの批判なんかもありました。
古代日本史については136,137で簡単に、また
歴史と国家については154に書きました。

 今日の『朝日新聞』(朝刊)の一面に、奈良県の鴨都波古墳の
出土物に関する記事が出ています。
三角縁神獣鏡が魏が卑弥呼に贈った鏡、
大和勢力がその権威を誇示して有力豪族に配布した鏡という
これまで支配的であった説がまた崩壊への道を前に進みました。
呉から到来してきた工人が作ったという説が有力になりつつあります。
 ほかに前方後円墳は道教の影響を受けた「壺型古墳」だった、
という説が関心を集めています。
 いま古代史像は大きく書き換えられつつあります。西尾幹二は
『国民の歴史』で国家の起源の問題を完全に回避しています。
 ここは古代史を論じる場ではないのでこれ以上は立ち入りません。
ライトな書き方もしましたが、自分では古代史は現代史とともに
重要だと思っています。
532489:2000/06/07(水) 01:21
ご指摘のレスを再読させていただきました。
繰り返しになりますが「物語」を鵜呑みにして天皇制の必然性を語る
議論に対する批判としては三郎さんの指摘は必要であることに異論は
全くありませんよ。また知識として僕も書き込み自体はありがたく拝
読していますし。
僕が思ったのは、歴史の恣意性や虚構性を積極的に伝統として引き受け
ようという人たち相手には単に歴史を述べるのでは有効な批判的言説に
なりえないのではないか、と思ったからで、古代史の重要性は三郎さん
が仰る物語の脱構築としての有効性は認めつつも、古代史に基づいた国
家論を展開する限り逆に「真の」列島の歴史に基づいた「伝統」(こう
いう言葉を三郎さんが使ってないことは分かります)という方向に国家
論が取り込まれないかな、と思ったんです。
(だから古代史が重要だというのは基本的には賛成できるんです。)

が、日本史の教科書とかということを考えたらやはり三郎さんのように
積極的に古代史を語るべきなのかな、とも思い始めまして、そうすると
ちょっと混乱しております。教科書と国家との関わりというかそういう
制度的な部分も考える余地はあるかもしれませんね。(例えば完全に自由
化するとか)或いは日本史という形での歴史は必要なのか?(まあ必要だ
ろうなあ...)
その点三郎さんはどうお考えになりますか?勿論他の方も、ご意見あり
ましたらよろしくお願いします。
(自分の意見も固まっていない、ちょっと地に付いてない問題提起ですがその点お許しください。)
533名無しさん:2000/06/07(水) 02:44
父系の万世一系なぞ一回のSEXで簡単に途切れる。
そんな薄弱なものをどうしてそれほどまでに大事にできる?
534名無しさん:2000/06/07(水) 03:10
人類遺伝学会(96年)で公表された結果を共同通信がこう伝えている。


          ------------------------
 アイヌ民族や韓国人など東アジアに住む人たちを遺伝子レベルで分析した結果、現
在の本土日本人の遺伝子群の約六五%が弥生時代以降に大陸からもたらされた遺伝子
に由来していることが国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の宝来聡助教授らの共同研
究で分かり、二十三日の札幌市での日本人類遺伝学会で発表された。
 また、骨や歯の研究から弥生時代以降の渡来集団との混血の度合いによって在来系
(縄文系)と渡来系と二つに分けられるという「二重構造モデル」が遺伝子レベルの
研究で一層強められたことも、同助教授は明らかにした。
 宝来助教授は、国際日本文化研究センター(京都市)の尾本恵一教授らとともに、
東アジアに住む人たちを本土日本人、沖縄住民、台湾系中国人などの五つの人類集団
に分け、計二百九十三人から血液などを採取、母親の系統がたどれるという細胞中の
ミトコンドリア遺伝子を比較した。
 二百七の異なる塩基配列のタイプを調べた結果、十八タイプが二つまたは三つの集
団に共通して見られた。うち、本土日本人と韓国人は八タイプが共通しており、両者
が遺伝的に近いことが分かった。
 また、ミトコンドリア遺伝子の変異のパターンから二百九十三人は十八の集まり(
群)に分けられた。うち韓国人と中国人が多数を占める七つの群に五○%もの本土日
本人が入ったのに対し、アイヌ民族と沖縄住民はそれぞれ二○%以下しか入らなかっ
た。
 同助教授は、この大陸系の特色を持つ七群に入る五集団の割合から、ミトコンドリ
ア遺伝子がどれだけ渡来によってもたらされたかを試算。その結果、本土日本人のミ
トコンドリア遺伝子の約六五%は大陸由来、残る約三五%は縄文由来となった。弥生
時代以後約九百年続いた渡来が現代の日本人の遺伝子構成に大きく影響していること
が示された。
-------------------------
535名無しさん:2000/06/07(水) 03:13
縄文に片思いサヨクも実は弥生人。
536名無しさん:2000/06/07(水) 04:15
じゃあ、縄文人と弥生人とニャントロ星人はいっしょなんだ!
537名無しさん:2000/06/07(水) 04:22
天皇は縄文人
538筑紫哲也:2000/06/07(水) 04:24
サヨクは弥生人
539じゃあ:2000/06/07(水) 04:28
天皇が縄文人で、サヨクが弥生人で、右翼がニャントロ星人ってこと?
540名無しさん:2000/06/07(水) 05:08
4月に引っ越してきて思ったんだけど、
関西ってサヨク多いね。
なぜなんだ?
541アナーキスト:2000/06/08(木) 08:16
>489さん

瀬戸さんがいらっしゃらなくて天皇制に関する議論が止まっている様なので、
代わりと言っては何ですが、489さんの問題提起に答えてみようかと思います。

私は「現在は常に歴史に優先する」という立場なので、現代でも通用する教
訓が歴史から得られない限り、歴史そのものはあまり重要視していないです。

三郎さんのおっしゃる「多元的古代史」教育は、天皇制の虚構を解体するた
めにはある程度有効だと思いますが、多元的視点を植え付けるには歴史教育
だけでは不足ですし、そもそも虚構を信じる人間は科学よりもオカルトを優
先する傾向があるので、いくら論理を積み重ねてもそういう人間を説得する
決定打にはならないのではないかと考えています。
それでも、やらないよりはやった方が遥かにマシですけどね。
542瀬戸弘幸:2000/06/08(木) 23:24
仕事も忙しかったので投稿を控えておりました。というよりも、正直
に言わして頂けば、この天皇(制)について、自分の考えが正しく表現
出来ない、このもどかしさのなかで苦悩していました。
これまでの蔵書を開いたり、知人・友人に聞いて見ましたが、私がこれまで
述べてきた以上の言説にはなかなかお目に書かれませんでした。

こんな事を書くとまた議論に負けたなどと言われそうですが、
この問題で多くの人の理解を得ることの難しさを深く認識しました。

日本における政治思想の問題はおよそ如何なるものであっても、この
<天皇>の問題に収斂されていく。
右の人間であれ、左の人間であれ、その最後の思想戦はこの<天皇>
のことになる。

神の国発言でこの問題がマスコミをにぎわし、政治家も討論会などで
これを議論した。しかし、その天皇擁護派の発言は「憲法で決められている。」
とか「象徴天皇として国民の広い支持がある。」と言うもので、ではなぜ
<天皇>イコール<神>であり、日本国なのかの説明は確かに弱いもので
しかなかったように思える。

少なくともこの2ちゃんねるで発言している人達が納得するような説明を
した学者や評論家先生も少なかったように思えてならない。

皆さんにはもう少し時間を頂きたい。
私はこの間の議論のなかで、天皇に対する日本的信念や情念が、
これほどまでに弊履のごとく無残にも捨て去られてしまったことを
直視せざる得ない。
この状況をどうやって突破していくのか?
それをどう構築していけば良いのか、もう少しの時間を頂きたい。
543瀬戸弘幸:2000/06/08(木) 23:31
訂正します。
書かれませんでした、をかかれませんでした。

この話題とは関係ありませんが6月26日には
私の本「外国人犯罪」が全国書店で発売となります。
また、別の機会に宣伝させてください。
544名無しさん:2000/06/09(金) 02:47
ネオナチの犯罪についても研究してください
545名無しさん:2000/06/09(金) 05:46
着々と日本を火の海にする計画が進んでるって本当ですか?
546Bと武>ALL:2000/06/10(土) 10:46
私も議論に入れてください。大学生です!
547関口宏:2000/06/10(土) 11:28
 どーですか?^^
548Bと武:2000/06/10(土) 12:01
私は天皇制に反対です。彼らにも人権があるのです。学校は
決まったところしかいけなかったりして彼らの人権はないのと
同じだと思うのです。まず憲法1条をなくすべきだと考えます。
どうでしょうか?
549三郎:2000/06/11(日) 00:13
>534
有益な情報、どうもありがとうございました。

民族意識、ナショナリズム、あるいは地域主義(アジア主義)
にとっては、
そうした客観的な「事実」それ自体よりも、
そうした「事実」についての知識が人びとに
どう作用するかが問題だと思います。
これは政治思想、政治闘争の次元の問題でしょう。
しかし「事実」(とされるもの)がそこで語られ作用するのですから、
考古学だけでなく、遺伝学についても
21世紀の政治を考える上で無関心でおれません。
550名無しさん :2000/06/11(日) 12:37
>関西ってサヨク多いね。

朝鮮人が多いからだろうね。サヨクと朝鮮人の言ってる事はほとんど同じだから。

551三郎:2000/06/11(日) 18:16
>550さんへ
>サヨクと朝鮮人の言ってる事はほとんど同じだから。
 わたしは、かならずしもそうは思いません。
 一般に、在日韓国人のなかには、
日本人に気兼ねをしている人が多いのではないでしょうか。
「天皇制」を批判することを恐れている人が多いような気もしますね。

だから政治学者でもそこいらへんを曖昧にする人がいる。
女性フアンが多い東大教授のカン・サンジュンというのがそうですね。
在日韓国人の芥川賞作家玄月は、韓国人でありながら、
「日本は天皇を中心とする神の国」という森発言を肯定する
友人について今日の『朝日新聞』で語っていました。
552489:2000/06/12(月) 01:15
>アナーキストさん
どうも、少しご無沙汰しておりました。
レスありがとうございます。
基本的には僕も同じように考えております。
ただ一応国家というものを考えるならばその歴史がなければ
成立しないかな、と思ったのと、少し実際的な話として歴史
教育の問題もあわせて考えないといけないんだろうなあ、とまあ
あたりまえのことを思ったわけでして。
とは言っても「日本史」を言う限りそれが何らかのイデオロギー
のようなものを基盤に成立せざるを得ないのは事実であって単に
客観的な歴史というのは不可能ですしね..
原則としては歴史に引きずられるべきではないと思います、多分
その点ではアナーキストさんと概ね同じだと思います。
>Bと武さん
天皇の人権については僕もそう思います。
一人の個人の人権が即政治的な次元の核心にならざるを得ないのが
悲しいことですね。一応僕はこのスレッドでは左翼とか右翼とか以
前のスタンスで天皇を語れないのかというような、ちょっと甘すぎ
ることを言ってたんですがそういう甘えは通用しないんでしょうね。
(自覚症状のない最悪のサヨクかも知れませんね、僕も)
ただ(懲りない、恥の上塗りですが)天皇制がなくなったからといって
なにが解決するわけではないと思いますが、天皇も含めて、また551の
三郎さんの仰るような在日韓国人のかたたちにしても、とりあえずなくな
ればそういう不安定な精神構造を強いられないですむんじゃないかな、と
思ったりします。(言葉が足りないかもしれませんが、別に在日の方が天
皇を崇拝してはならない、あるいはするはずない、と決め付けてるわけで
はないです。そういう人がいてもかまわないと思います。ただ韓国籍だと
いうだけで天皇に対しての意識が即政治に結び付けられる、日本人だって
同じでしょうか、そういうのはどうも好きになれなくて。)
553三郎:2000/06/14(水) 00:38
「皇室の支持率」
 イギリスの最新の調査(『ガーディアン』紙とIPMによる)では、
「皇室」(royal family)の支持者がはじめて50パーセントを割ったとのことです。
「イギリスは君主制がなくなると悪くなる」と考えている人が
44パーセント。
18才から24才では、
「イギリスは君主制がないほうがうまくいく」
と考えている人が約40パーセントで、
「なくなると悪くなる」と考えている人がは24パーセント。
 日本でもこんな調査をしてみたら興味深いですね。ずばり、聞かないとダメすが。

なお、この調査は昨日6月12日の『ガーディアン』に出ています。
http://www.guardianunlimited.co.uk/monarchy/story/0@`2763@`331019@`00.html

以下では、『ガーディアン』の君主制関係のこれまでの重要記事があつめられています。
その見出しは「君主制の将来――特別レポート」
http://www.guardianunlimited.co.uk/monarchy/0@`2759@`178323@`00.html
554日華皇国:2000/06/14(水) 00:42
>550
京阪神の人って結構新しい物好きだよ。
すぐ飽きるけどね。
555名無しさん:2000/06/14(水) 01:19
>553
『ガーディアン』紙は左翼系の新聞ですね。
それと、王室の支持率とはウィンザー王家の支持率だから、
立憲君主制の支持率とはちょっと違う。
ヨーロッパでは日本と違って、王家も平気で取り替えますからね。

例えば、一年程前にある新聞(名前を忘れた)が、
「立憲君主制がいいか、共和制がいいか」という質問をしたら、
70%を越える人が「立憲君主制のほうがいい」と答えてます。
左翼系の『ガーディアン』紙こそ、ずばり聞くことを避けてますね。
556日本での世論調査:2000/06/14(水) 01:23
 天皇の地位については「国の象徴」とする人が七五%、天皇制の在り方で「今のままでよい」とする人が八〇%で、前回調査とほぼ同じ数字。天皇に「少し政治的な力を与える」「主権者にする」は合わせて一〇%、「廃止する」との声は八%で、象徴天皇制が安定して国民に根付いているのを裏付けた。

http://db.okinawatimes.co.jp/cgi-bin/search.pl?data=NEWS/1998/04/29/19980429M003-01-03.text&query=%93V%8Dc%90%A7&dbname=/data2/INDEX/NEWS&format=long&year=all&month=all&nextskip=&nexttop=&subid=71
557名無しさん:2000/06/14(水) 01:29
よくこうーいう調査で都合の悪い結果が出ると、
若い世代は批判的とさかんに言い出す人がいる。
しかし、そんなのいつの時代もあたりまえのこと。
結婚し、子供ができ、家庭を持って年を取っていくたびに、
人間は保守的になっていくもんでしょう。(もちろんすべてではないが)


558瀬戸弘幸:2000/06/16(金) 04:21
みなさんへ、
宣伝で申し訳ないのですが、私の新書も発売になるので、外国人労働者
移民、多国籍化、などの問題を論じてみたいと思いますが如何でしょうか。
人権と犯罪のはざまで揺れる外国人問題。
これは21世紀における我が国最大の問題ではないでしょうか?
559ブラックバス:2000/06/16(金) 06:47
日本人なのにネオナチだと言うこと(笑)。
560瀬戸弘幸:2000/06/16(金) 17:54
現在多民族社会の到来は避けられないものであり、それゆえに外国人と
共存していかなければという口当たりの良い議論がなされています。
しかし、この外国人との共存が口で言うほどに簡単なものなのでしょうか。
人権派団体は彼ら不法滞在者を超過滞在者という新造語で呼び、彼らが
法律に違反した存在であることを意図的に隠そうとしています。
マスコミもこの事には触れようとはしません。
人権という厚い壁に阻まれて、この「不法滞在者」の問題はタブーとなってきました。
政府は何の対応もしてきませんでした、その結果が今日の事態を招いてしまったといっていいでしょう。
人権と犯罪の間で揺れ動くこの問題をこれ以上放置することは許されないと考えます。
561三郎:2000/06/17(土) 23:42
>560 瀬戸さんへ
>人権派団体は彼ら不法滞在者を超過滞在者という新造語で呼び、彼らが
>法律に違反した存在であることを意図的に隠そうとしています。
>マスコミもこの事には触れようとはしません。

 いわゆる「人権派団体」のなかには、
偏狭で、かたくなで、一面的な団体が少なくありません。
昔の「共産主義者」、最近の「フェミニスト」等と同じく、
異なった意見をもつ人との「対話」を拒否する傾向が強いのです。
 日本の場合には、こうした団体の内部や集会は、「対話」拒否の姿勢が、
「同調」の強制、「満場一致」、「少数意見」の敵視といった
悪しき集団主義の伝統によって、増幅されているような気がします。
 わたしは、まともに「人権」について思考するには、
極右の人だけでなく、左翼やリベラルであっても、
いわゆるこうした「人権派」とは一線を画する必要があると思っています。
562瀬戸弘幸:2000/06/18(日) 00:00
この点については三郎さんと意見の一致が見られそうです。
私は今回新しく出版する本で二つの人権派団体をやり玉に挙げています。
一つはローソンが外国人を差別しているとHPで攻撃し、それが朝日新聞で
取り上げられた団体。彼らは東京都内の銭湯に現れ外国人を入れないなら
問題にするぞと、捨て台詞を吐いてからHPで攻撃を開始しました。
もう一つの団体は白昼堂々と銀座や新宿をデモ行進して「我々を犯罪者扱いするな!」
と気勢をあげ、都庁の前では「石原辞めろ!」の連呼を繰り返しています。

彼らは私にいわせれば部落解放同盟や同和団体と似ております。
自分達は差別されていると被害妄想になりすぎています。
同和団体なども対策事業などによって、経済的に潤っている団体や系列の会社
を私はたくさん知っています。
彼ら人権派はそのほとんどが胡散臭いものでしかありません。
何故、私がそのように結論付けているかについては、おいおい述べる事に
したいと思います。
563名無しさん:2000/06/18(日) 00:10
瀬戸氏の犯罪に対する視点で抜けまくっていること

 自然法に反した犯罪とと単純に規定された法に違反した犯罪との違い。

「人殺しはだめ」みたいな自然法はある意味普遍の代物だが、
(法的な)身分とかが不備であるといった類の「法律によって規定
された」犯罪は法次第で変わってしまう代物です。

 後者の場合、現状と法が徹底的に乖離した場合は法を変えないと
社会が逆に混乱するのですが・・・
564三郎:2000/06/18(日) 00:36
 政党というものの評判が悪くなって久しいのですが、
政党は本来、さまざまな争点や政策を総合的に、
バランスよく検討する機能を持っていたはずです。
現実の政党は不十分でも、本来はそういうところに
政党の役割があると思います。
 これに対して、
平和や人権や環境や反差別など「単一の争点」をかかげて活動する団体は
どうしてもバランスを欠きがちになります。一面的になりやすい。
とくに1970年代後半からこうした運動が盛んになりましたが、
転向マルクス主義者がずいぶん
入って入るんですね。彼らの多くはマルクス主義は放棄しても、
かっての独善性はそのまま。
彼らは、絶対の正義をもっていると信じ、そこから
少々乱暴な言動でも許されると思っているんではないでしょうか。
 彼らを甘やかしてはならない。
565アナーキスト:2000/06/18(日) 00:49
外国人犯罪の議論はかみ合うところも多そうですね。

>彼ら人権派はそのほとんどが胡散臭いものでしかありません。

この部分に関しては、強く同意します。
何て言うか、人権派の人間って理屈じゃなくて感情に訴えかける
ばっかりで、論理的説得力に乏しいですからね。しかも、自分が
絶対に正しいと思いこんでますし。

おそらく、
「差別は悪いことだ」
「悪いことに反対するのは正しいことだ」
「だから私は正しい」
というような思考過程をたどっているんだと思いますが、こうい
うシンプルな頭の人間の集団と議論していても不毛です。

外国人問題に対しては、「日本の社会を知らず、理解しようとも
しない人間は受け入れるべきではない」と考えています。
多元的価値観というのは、お互いに相手の価値観を尊重して初め
て成り立つものであって、こちらを尊重しない人間を尊重する必
要は無い、というのが私の考えです。
566名無しさん:2000/06/18(日) 00:58
言いたいことは分からないでもないけれど外国人の問題を
そういった運動の実態にばかり還元するのはいかがなものだろうか。
外国人の「人権」ばかりを主張して何か正義を語ったつもりになる
人間と、その人間の独善性を批判してそのアンチテーゼとして反外国
人を主張することはその単純さにおいて同型のものに過ぎない。
単純な人権団体には反吐が出るけれども単純な反外国人という問題機制
もまたどうしようもない。

ここでの議論が「外国人労働者の是非」というようなわかりやすい
ものにならないことを願います。
567瀬戸弘幸:2000/06/18(日) 06:20
>563さんへ
あなたの主張なされたいことは、強盗、窃盗などの犯罪と入国管理法や
難民認定法違反などの犯罪は違うと言う事でしょうか?
日本に就労目的で観光ビザでやってきて、ビザが切れても不法に居座って
いる「不法滞在外国人が既に法務省の発表でも30万人弱にもなります。

確かにこの人達は明らかに日本の法律に触れる犯罪者ですが、人によっては
それは法律の不備であり、彼らを受け入れることで合法的な存在とすべきとの
主張があります。
しかし、その主張は国家というものをどのように考えるのか?
という根本的な議論もしなくてはなりませんね。
何故ならば、そのような主張をする人の多くが、もはや国境は意味がなさなくなった。
或いは多民族社会が到来する事によって、日本の社会の大変革を願っている人達だからです。
さて、私は今回の本ではそのような視点の誤りを指摘するだけでなく、違った点から論じています。
それは真面目にやっているとされる「不法滞在者」と「凶悪犯罪者」を結ぶ線を
あぶりだす事によって、その両者の関係を洗い出す事によって、「不法滞在者」が
外国人犯罪の急増に深い関係にあることを、一つ一つの事例を積み上げる事に
よって立証しようと考えました。
「不法滞在者」が法律の制度上の不備(我々はそうは思わないが)から、
犯罪者となるのではなく、そこには又違った事実があることを知らなければなりません。
568三郎:2000/06/19(月) 00:19
 外国人労働者の大量流入は、人口減少の傾向にある
日本の経済的な利益になります。
 またその労働者、送金される家族と彼らの国の経済にとっても利益になります。
これは「富の国際的な再配分」を意味するわけですから、これを推進することは
先進国の国際貢献になります。
 ただそうした利益にだけでなく、日本の社会に一定のリスクをも
もたらします。すでに数々のトラブルが引き起こされています。
それに外国人犯罪が含まれますが、ある意味ではそれよりさらに危険なのは、
瀬戸さんがおられるのにこう言うのはなんですが、
「外国人嫌い」感情が日本人のなかに広がり、
それが右翼勢力が台頭する温床になりかねない、ということです。
 外国人労働者の受け入れの規模、条件、テンポなどは、
こうした経済的な相互利益、国際的な義務
(国際的な共同体の内部における日本国の、あるいは世界市民としてのわれわれの、倫理的な義務と責任)、
そして「リスク」の計算を考慮に入れつつ、促進する必要があるでしょう。
569瀬戸弘幸:2000/06/20(火) 15:20
外国人労働者の流入は日本に限らずヨーロッパで先鋭化しております。
ヨーロッパに於いては既にほとんどの国が流入を阻止するための法整備
に着手しました。これは左翼やリベラル派も賛成しています。
もし反対すれば極右の台頭を招くからです。
流入する最大の要因は経済の格差です。水が高い所から低い所に流れると
同じように貧しい所から豊かな所を目指して人間も動き出しています。

これを認めるかどうかが問われているわけですが、なぜ日本が受け入れに
積極的にならなければいけないのか?
正にそのことです。外国人労働者に頼らなければやっていけない程に
日本は弱体化してしまったのか、そのような議論も合せて行うべきでしょう。

一つには少子化の問題があげられますが、この点についてナチスは少子化を
一番最初に経験した政党でした。そしてそれを克服し少子化に歯止めを
かけました。
そのあたりのことは次回詳しく紹介したいと思います。
570那智:2000/06/23(金) 07:24
「ユダヤ人であること」は犯罪です。
歴史学、統計学、解剖学、哲学、遺伝学、経済学、etc...
あらゆる科学によって実証されています。
これは揺るがしがたい事実なのです。
571那智:2000/06/23(金) 07:24
「ユダヤ人であること」は犯罪です。
歴史学、統計学、解剖学、哲学、遺伝学、経済学、etc...
科学によって実証されています。
これは揺るがしがたい事実なのです。
572三郎:2000/06/24(土) 23:30
:日本共産党について:
木曜日、たまたま共産党の街頭演説に出くわしました。
最初から最後までまる1時間聞きました。
半分ほどは不破委員長の演説でした。
 創価学会はカルト教団だと言っていました。
しかし、外交問題も、憲法の問題も、日の丸、君が代、盗聴法も
ひとことも触れずでした。

 89年の冷静終結、90年のソ連崩壊から、10年も経つのに
いまだに「共産党」の看板を降ろせないのは、ここのところ選挙に
勝っているからでしょうね。選挙に勝ってるということで、
これまでの路線に対する根本的な反省が出て来にくいのでしょう。
 25日の選挙ですが、二、三ヶ月前の予想では「躍進」という見方も
あったのですが、最新の予想記事では、「微増」というのがありますね。
プラマイのマイナスで見ると現状維持になっています。
 私としては、共産党が敗北し、党名と綱領が変更されることを望みたいですね。
573名無しさん:2000/06/24(土) 23:48
ジンケン=金科玉条

ジンケン馬鹿どもは、こうやって一切の思考を抹殺する。
力学的バランス、作用反作用とかを勉強してれば、
この世に絶対的なものなどないと分かるはず。
ジンケンも言い面悪い面がある。
こういう理性的なものの考え方をジンケン馬鹿はしない。
感情に駆られた奴はどうしようもない。
あと、経済的な観点だけで移民を奨励するのも気に食わない。
ロボット研究とか目覚しい進歩を遂げている。
移民なしでも、やれることはこれから増える。
バルカンを見ても分かるように、数百年経っても
民族対立は解決しない。
単一民族であることに感謝すべきで、移民だけは断固反対する。
574三郎:2000/06/24(土) 23:52
 (つづき)しかし、遅かれ早かれ、路線変更は行われるでしょうね。
問題は、どういう政治イデオロギーに転換するかです。
まさかこれまでの考え方を全面的に清算するわけにはいかんでしょう。
「共産主義」「科学的社会主義」は放棄するとして、残るのは、
「反米」でしょうね。「反米」こそが一貫してこの党が継承する路線でしょう。

 1950年代始め、この党は反米の立場から民族主義路線を
打ち出したことがあります。講和条約の締結、冷戦という時代状況と
マルクス・レーニン主義というイデオロギーのもとでの出来事でした。
 しかし、近い将来は、より純粋なナショナリズム、底辺の人びとの既得権擁護、
そして「大きな政府」の政党になるのではないでしょうか。
この立場から外国人労働者の導入には反対するでしょうね。
 こうなると瀬戸氏などの「極右」の主張と重なる部分を
共産党、いやポスト共産党が持つようになるとも考えられます。
 日本共同党(これが新党名ではないでしょうか)と
石原新党(徳田虎雄の自由連合を拡大させて、結党されるかも知れませんね)
との共闘もあるかも知れませんね。
575三郎:2000/06/25(日) 00:20
>573
>バルカンを見ても分かるように、数百年経っても
>民族対立は解決しない。
>単一民族であることに感謝すべきで、移民だけは断固反対する。
第一に、わたしは民族対立は冷戦終結後の全体的な流れとしては
弱まりつつあると思います。北アイルランドがそうです。
またアラブ・イスラエル紛争も終息に向かいつつあるのではないでしょうか。
旧ソ連の紛争は、チェチェンがありますが、「帝国」が崩壊した割には
たいしたことがなかったのではないでしょうか。
第二に、移民を推進すべきだという議論は、
少子化、人口の漸減傾向にもとずく、労働力の問題から来ています。
働き手が減ると、生産力、成長率が低下し、さらには生活水準がダウンすることが心配されるからです。
したがって、「移民」、外国人労働者を入れるべきでないという主張が説得力を持つためには、
「今後、われわれ国民の生活水準が低下してもかまわない」ということに関して国民的な合意を取り付ける必要があります。
 さもなくば、労働力人口が減少しても生産力が低下しないように、
高度な生産性をもった日本経済を構築する必要があります。
したがって、「移民」を全面的に否定する人は、
新しい日本の経済戦略を提示する責任を負います。
将来、好況になると賃金が高騰するだけでなく、
だれも来てくれない職場、なり手のない職業が続出するでしょうね。
外国人労働者なしで、これをどうのりきるか、反対論者は妙案を
出す義務があるはずです。
576うーん:2000/06/25(日) 00:57
三郎さん,現在の日本が労働力供給過剰であることを
理解されていますか?
そもそも低賃金労働者など,経済学の原理から言ったら
入れるのが当たり前で,それを無制限にやったら社会政治的に
いろいろ問題が起こるということでしょう?
三郎さんの言い方は,政治学の問題をいわば経済学に丸投げした
逃避と映るのですが,いかがなものでしょうか。
577おにのふぐり>三郎:2000/06/25(日) 02:02
あなたの移民に関する意見に反論したいと思います。

>外国人労働者の大量流入は、人口減少の傾向にある日本の経済的な
>利益になります。
>働き手が減ると、生産力、成長率が低下し、さらには生活水準が
>ダウンすることが心配されるからです。

あまりにも単純な意見過ぎて呆れています。
人手不足なんだから労働力をいれればいいじゃないか、と考えるのは
目先のことしか考えていない証拠ですよ。

外国人の提供する労働力だけに目がいって、外国人の教育や
福祉などの問題にかかる日本のコストをまるっきり無視するのは
ちょっと思慮が浅すぎますね。
移民受け入れは経済だけの話ではありませんよ。

第一、日本の要求する労働者数と、日本で働きたがってる外人の
数は全然違う。後者の方が比べものにならないほど多い。
日本で働く許可を誰に与えて誰に与えないか、なんてどうやって
決めるつもりか考えてから言うべきですね。

それにもし日本で人手が余るようになったとき、
(今現在だって失業率は高いじゃないですか)外国人には
「もう用はありません。そろそろ日本から出ていってください」
とでも言うつもりなのですか?
578おにのふぐり:2000/06/25(日) 02:04
>またその労働者、送金される家族と彼らの国の経済にとっても利益になります。
>これは「富の国際的な再配分」を意味するわけですから、
>これを推進することは先進国の国際貢献になります。

経済はそんな単純なものではありません。
送金を受けた家族がそのお金を使うのは
消費財(個人の欲望をみたすのに直接役だつもの。乗用車、電化製品など)
にであり、その金はその国の産業、すなわち
生産財(原料や機械)には使われません。
その国の産業の役には立たないわけです。
国際貢献というなら、その国みずからが産業を興し発展できる
方法を取るべきでしょう。

>国際的な義務
>(国際的な共同体の内部における日本国の、
>あるいは世界市民としてのわれわれの、倫理的な義務と責任)

こんな考えをしている人が実際にいるのを目の当たりにして
すこし驚いています。
579おにのふぐり:2000/06/25(日) 02:05
>そして「リスク」の計算を考慮に入れつつ、促進する必要があるでしょう。

なぜ、促進する必要がある、と結論を先に決めているのですか?

>「今後、われわれ国民の生活水準が低下してもかまわない」ということに
>関して国民的な合意を取り付ける必要があります。

犯罪が増える、治安が悪くなる、
低賃金で働く外国人が増えれば日本人の失業者が増える、
福祉に莫大なコストがかかる、それでもいいのか?
と国民的な合意を取り付ける必要はないのですか?

>「移民」を全面的に否定する人は、新しい日本の経済戦略を提示する
>責任を負います。

移民肯定派の意見って、あなたのように
人手不足だから移民を受け入れよう、
先進国の義務だから、こういった幼稚なものばかりです。
『経済戦略』などと呼べるものなど見たことがありません。

まず第一に肯定派には億単位で存在する日本で働きたがっているもののうち、
働く許可を誰に与えて誰に与えないか、なんてどうやって
決めるつもりか聞いてみたいですね。
580おにのふぐり:2000/06/25(日) 02:06
以下に、先進国の移民に対する態度を載せておきます。

イタリア
軍を使ってアルバニアの難民を大量送還。

フランス
1974年、EC以外からの労働者の受け入れを停止。
ネズミ狩りなどと称し、北アフリカ移民などに対する
暴行や殺人が絶えない。

西ドイツ
1973年、EC以外からの労働者の受け入れを停止。

アメリカ
建国以来、移民国家という伝統を持っていたが、
メキシコからの移民がものすごかったため、
1986年、移民法を改正し、
(不法就労者を雇用した使用者には罰金を課す、など)
自由な移民禁止の国になる。
アメリカ市民の9割は移民の制限、ないしは禁止を妥当と考えている。

イギリス
移民の流入を規制するために、1971、1981年に法を改正している。
現在では旧植民地から移民できるものはイギリス本土に帰化して市民に
なっている人間と血縁関係の者だけ。
581名無しさん:2000/06/25(日) 03:42
オニノフグリ氏の言う通り。
移民による治安悪化を抑えるコストのほうが大きい可能性もある。
というより、長い眼で見たら絶対こっちのほうが大きい。
フランス、ドイツ、イギリス。
移民を奨励した国は、今、その代償の大きさに悩んでる。
移民は、国を危うくする。
582三郎:2000/06/25(日) 13:22
 「うーん」さん、不況下の現在だけでなく、数十年単位で考えてください。長期的に見て、労働力不足が必ず問題化するわけで、すでに日経連などは外国人労働者を導入を政府に提言しています。そして、生活水準の低下をふせぐという点から、国民の多くが、この政策を支持するようになることは容易に想像されるのです。したがって、民族派の諸君、孤立主義者の諸君、外国人嫌いの諸君などが、いくらイデオロギー的な信念から外国人の大量入国、長期滞在、そして定住について反対しようが、それらが現実化する可能性が高いということを言っているのです。
 ただし、わたし個人としては、経済的な理由でなく、理念的に、コスモポリタンな観点から、国境を超えた「人の移動」を主張しているわけで、経済的なニーズから論じているわけではありません。しかし、こうした理念的主張よりも、現実的な力は「経済的ニース」ですから、反対派の皆さんはこれに対抗する論理を構築する必要がありますヨ、と「575」では指摘したのです。
 移民そのものに反対するのはナンセンスなんです。世界の大勢に逆らうことになる。移民が不可避だということを受け容れ、それをどのようにコントロールするか、という現実的な次元で考えるべきではないでしょうか。それを厳しくするというのが、間違っていなければ、瀬戸氏の立場なのではないでしょうか。もしそうだとすれば、わたしは支持しないけど、多くの国民には受けるでしょうね。
583瀬戸弘幸:2000/06/26(月) 07:59
日本の21世紀の政治の体制を問う選挙で、有権者は与野党の伯仲を選択した。
事前のマスコミ予想とはだいぶ違った結果となったが、これはある程度予想できた。
マスコミは不在者投票が前回より伸びているので、投票率は高くなると予測した。
しかし、これは手続きが緩和された結果でしかなかった。
自民党や公明党の堅調ぶりがマスコミの世論調査で流されたので、
それに対する反発が有権者に広まったと考えられる。
私は選挙を棄権するとこの2ちゃんねるで宣言したが、同じような人が
たくさんいたのではないか?
無党派層は投票所に足を運び民主党に入れ、従来からの自民党支持者は
公明党との選挙協力を嫌って棄権した。
公明党と保守系無所属候補が対立した選挙区においては、得票率は高かった
のではなかろうか?
「21世紀の日本の進路を選択する」のお題目だけは、毎日のように
マスメディアを賑わしたが、これに苛立ちを覚えたのは私一人ではなかった
筈だ。
この苛立たしさを一言で言い表すなら「既成政党に21世紀を本当に託せるのか」
といったことではなかったのかと思う。
584Bと武:2000/06/26(月) 17:46
失礼します。先日議論に(勝手に)参加させていただいた者です。
ー583で選挙の話が出たから私も一言。投票率が戦後2番目に悪かった
そうです。しかし私が投票所へ行ったとき選挙管理委員会の方が若い人
も結構不在投票しているよと言ってましたので若い人も積極的に政治に
参加し始めた!と期待はしていました。しかし一方で「俺は選挙へいか
ない」派所謂「無党派層でない旧無党派層」が増加していることを忘れては
ならない。「どうせおれの一票が日本を変えない」という意見である。
この意見にはある程度理解を示さねばならない。なぜならば二世議員
の増加、徳島の稼動堰問題での中山氏の再選など相変わらず根本的に
日本の選挙が浪花節的なところがあると思うのです。それは選挙方法
と人々の政治への意識の改革を必要としている段階に来ていることを
示唆している。小選挙区制を抜本的に見直す事までしないと日本は
変わらない。無党派層は寝ててくれ!は論外ですが、「若者は選挙へ
行け!」と一方的にどやしまくるマスコミにもある程度理解を求めた
いところです。
>552
>とりあえず(天皇制が)なくなればそういう不安定な精神構造を強い
>られないですむ。
おじいちゃんおばあちゃんが天皇を心の支えにしている人が多いこと
を私は知っている。うちのおばあちゃんは昭和天皇の写真集を持ってい
ます。「不安定な精神構造を強いられないも方もいっらしゃいます」。
とあなたはおっしゃいますが、お年寄りにとっては一途の不安を感じ
てしまうのかなぁ、と思ってしまいます。
ー話が逸れました失礼しました。
585MD:2000/06/26(月) 17:48
>583の瀬戸さん。
>この苛立たしさを一言で言い表すなら「既成政党に21世紀を本当に託せるのか」
珍しく、瀬戸さんと意見が一致しました。
わたしは、一応、選挙にはいきましたがね。
政党もそうだけど、大手マスコミもこのままなら、21世紀は暗いと思うけど。
586>582:2000/06/26(月) 19:04
>長期的に見て、労働力不足が必ず問題化するわけで、すでに日経連などは
>外国人労働者を導入を政府に提言しています。

何故必ず労働力不足になるのか、根拠が示されていません。
貴方は「日本の生命線」製造業について知識があります?。
世界一高いであろう人件費を補正するためどれだけの省力化が図られているか。
日経連など目先の「安い人件費」のことしか考えていませんよ。
判ってらっしゃるでしょう貴方だって。随分ご都合主義ですね。

>そして、生活水準の低下をふせぐという点から、国民の多くが、この政策を
>支持するようになることは容易に想像されるのです。

「人手不足」が何故生活水準の低下を招くのですか?。
はっきり言いますが、各企業内での単純労働者は既に持て余されつつあります。
安い外国人労働力は日本人の失業・賃金切り下げを「確実に」招きます。
「絶対に」国民の多くの生活水準は下がるのです。

> 移民そのものに反対するのはナンセンスなんです。

何故?。貴方はオニノフグリ氏の発言に一つたりとも有効な反論を為されていません。

>世界の大勢に逆らうことになる。移民が不可避だということを受け容れ、
>それをどのようにコントロールするか、という現実的な次元で考えるべきでは
>ないでしょうか。

貴方の個人的な見解に過ぎないものです。
世界の大勢であるなどオニノフグリさんの発言にあるように全くの誤解・偽りです。
何故ヨーロッパではこのような状況になっているのでしょう?
戦争の犠牲により人工が低減し、「貴方の仰るような理屈」で
移民を受け入れた結果がこれです。
理性あるものなら「反面教師とするべきだ」と考えると思いますが?。

587名無しさん:2000/06/26(月) 19:26
結局経済的観点しか持ってないんだよ。
長い目でみろ?
テメーが長い目で見ろ!!

ちなみにロボット研究など、凄まじい進歩を見せております。現場の人間がいうのだから間違いないです。
移民よりもはるかに有効です。
588名無しさん:2000/06/26(月) 21:07
先進国では少子化が必然で、グローバルな自由主義経済は全ての国に豊かさをもたらすシステムだと信じる
(少なくともその推進者たちはそう主張している)なら、将来、地球上の全ての国がある程度豊かになって、
全ての国が少子化による人口減に直面した時、次世代の担い手として、今度はどこから移民を呼ぶのかな?
589>583の瀬戸さん。 :2000/06/27(火) 00:26
日本の選挙区分はゲリマンダーです。
農村と都市の間で一票の格差が2倍以上あったりします。
しかも最高裁判所はこの状態を「適法である」としています。
つまり都市部の人間と農村の人間と比べてみると
半分以下の価値しかないということが法律で定められているのです。
お百姓さんは偉い。
590三郎:2000/06/27(火) 00:45
>584「Bと武」さん
>----徳島の稼動堰問題での中山氏の再選など相変わらず----

 ついでながらの枝葉の話で恐縮ですが、中山正暉議員は、わたしが
もっとも注目している政治家のひとりなので、こういうこともある
ということを若干明らかにしておきたいと思います。
 第一に、昔、大阪の黒田府政の頃、
黒田知事が天皇陵発掘について宮内庁に要望を行おうとしているのを
知った中山議員が、「共産党系のあなたがしてはまずい」と言って、
彼自身が国会で宮内庁の官僚に対して天皇陵発掘についての要求
をしたという出来事がありました。
 それから、第二に、中山議員が「天皇ユダヤ起源説」をひとつの
仮説として真剣に考えておられるということにも注目したいと思います。
 可動堰問題はともかく、中山議員におかれては、どうか
天皇陵発掘、天皇制のルールの解明のために尽力していただきたいと
思っています。
 付記、この人は、かって真正面からの「共産主義」批判というのを
やっていました。大阪のど真ん中で、宣伝カーのスピーカーから「レーニン」
「スターリン」「プロレタリア独裁」「ボルシェヴィキ」「憲法制定議会の解散」
といった言葉が出てくるのは壮観でした。
591三郎:2000/06/27(火) 01:16
>586
「世界の大勢」とういうのは、グローバリゼーションのことです。
商品、資本、技術などのトランスナショナルな移動の増加の次の段階には
人の自由な移動の段階的な増大が進んでいくことになるでしょう。

 かって封建時代では人びとは領国(領主の領地、藩)のなかでしか
移動、定住できませんでした。しかし、近代国家の時代になって、
その領域(テリトリー)の内部における移動、居住の自由を獲得しました。
そして、人類は、今その次の段階に向かいつつあります。

グローバリゼーションは、歴史の不可避的で、巨大な力です。
ちょうど封建社会から近代社会への移行がそうであったような
必然的な過程です。好むと好まざるとに関わらずグローバリゼーション
は進みます。グローバリゼーションにかたくなに抵抗するのでなく、
それがリスクだけでなく、同時に新しい機会をもたらすものと見なし、
前向きに取り組む必要があるでしよう。外国人問題に関しても
このことは当てはまります。

592三郎:2000/06/27(火) 01:28
(つづき)しかし、グローバリゼーションの現実の形態や内容が
どうなるか予断を許しません。わたしとしては、人類の国際的な共同性、
コスモポリタンな共同体の形成に向かうようなかたちでの
グローバリゼーションであるべきだと思っています。
そのためにはどの国も外部に向かって開かれなければなりません。
まず先進国が率先すべきでしょう。
もちろん、一挙には不可能でしょうが、段階的に実施していく必要があります。
 巨視的に見ると、経済に対する効果がどうだとか(皆さんはこの点にとらわれすぎておられる)、
社会的なリスクやコストどうだとか(皆さんの心配はこの点ですか)いうのは、
グローバリゼーションという巨大な歴史過程における、
無視して良いとは言いませんが、しかし、一時的で、周辺的な現象でしかない、
ということは認識しておく必要があると思います。
 旧来の「右翼」だけでなく、「左翼」も、閉ざされた国家を前提に
政治や経済について思考してきました。左右は対立しつつも、
その点では地平を共有していたわけです。
しかし、われわれは、そこから脱却し、新しい地平で思考する必要があります。
すくなくとも、それがわたしが考える「第三の道」です。
593うーむ:2000/06/27(火) 02:10
うーむ。三郎さんが「歴史の基本法則」みたいなことを言い出すとは
思わなかった。
今現在グローバリゼーションが推進されているのは,
端的に言えばアメリカの金融産業利害に適っているからでしょう。
それが必然の方向であるという三郎さんの見方は,
アメリカによる世界経済の支配という現実があるが故に,ということなら
状況分析として妥当ですが,
それに高い価値評価を与えて積極的に推進する,というのはまた別な問題でしょう。

モノ・カネ・ヒトの全世界的な流動性は不可避な情勢だ,といいますが,
それでは現に三郎さんが良く引き合いに出すEUの共通関税政策や
農業補助金というのは,あれはグローバリゼーションに対する
反動にしか過ぎないんでしょうかね?
むしろヨーロッパがやっているのは,要するにアメリカ・スタンダードと
折り合いを付けつつ,独自の域内政策をやっていこうということでしょう。
どうも,三郎さんはブレアの「第三の道」を引き合いに出す割に
発想がヨーロッパ的というよりアメリカ的な気がするのですが。
594うーむ:2000/06/27(火) 02:12
訂正。
>それでは現に三郎さんが良く引き合いに出すEUの共通関税政策や
>農業補助金というのは,あれはグローバリゼーションに対する


それでは現に三郎さんが良く引き合いに出すヨーロッパで
現に行われているEU共通関税政策や農業補助金というのは…
595名無しさん:2000/06/27(火) 02:15
アメリカがイギリスから独立したのも、度し難い反動だったということだね。
596三郎:2000/06/27(火) 02:54
>593の「うーむ」さん
 「グローバリゼーション」イコール「アメリカン・スタンダード」の世界化
ではありません。また「グローバリゼーション」イコール地球規模での
レッセフェール的資本主義の浸透でもありません。
 グローバリゼーションの具体的な形態はさまざまに考えられます。
そしてその現実の形態はこれから国際的な協力のなかで、構築されるべきものです。
 1996年でしたか、ブレアは日本の経団連での演説で、グローバリゼーションを
歴史法則的なものとして語っていました。また去年のシカゴ演説でとくに
明確なのですが、グローバリゼーションを情報、文化、経済、安全保障など
多次元的で複合的な過程として把握しています。
 アメリカの金融資本の利害の観点からグローバリゼーションを推進している
人もいるでしょうが、たとえば、ブレア内閣の最左派といえる
クレア・ショート国際開発相は、少なくとも原則的には、倫理的な観点から
グローバリゼーションの推進を主張しています。
 「第三の道」をグローバリゼーションに絡めて論じるのは、
アメリカよりもむしろイギリスのほうであるような気がします。
 なおヨーロッパ統合、EUは、グローバリゼーションの地域的な
形態だと見るべきです。

597名無しさん:2000/06/27(火) 03:27
「ブロードキャスター」の日本語うまい外国人とか、「サンデーモーニング」
の新堀俊明を思い出すなぁ。
598名無しさん :2000/06/28(水) 02:07
移民に関しては「見知らぬ人」に対する態度が一番の問題。
「外国人」は「国内人」とは違う「見知らぬもの」、と多くの人は考える。
なぜなら見たこともない姿で、聞いたこともない音を発するから。
「見知らぬもの」を理解するのは結構な時間と労力がかかる為、
ものぐさな多くの人はそれを惜しむ。
「外国人」が労働する「機能」を持った「見知らぬもの」と考え、
「人間として」多様な技術や養う家族を持ちうる労働者とは考えない。
「見知らぬもの」が「機能」として犯罪を起こした、と考え、
「外国人」が犯罪を起こすのは制度といった社会的要因と、モラルといった
個人的要因、つまり、「人間として」の倫理観と社会性に原因を考えない。
ある「人間」が移動の自由や、就労の自由を行使している、とは考えない。
むこうが合わせるべきだ考え、こちらからも理解しよう、妥協しよう、とは考えない。
なぜならある「機能」持った「もの」にすぎないのだから。
こちらに適応するよう「機能」を変えれば済む、と考える。
そして自分にとって都合の悪い「機能」を持つ「見知らぬもの」から身を守る為、
義務や権利、その他は適用しなくて良い、適用しないで欲しいと考える。
「見知らぬ人」は「もの」として処理する。
これが一番分かりやすく、簡単で、実行しやすい。
599おにのふぐり>三郎さん:2000/06/29(木) 19:36
>商品、資本、技術などのトランスナショナルな移動の増加の次の段階には
>人の自由な移動の段階的な増大が進んでいくことになるでしょう。

>人類は、今その次の段階に向かいつつあります。

まったくの妄想です。580を見て下さい。
自分の願望と予測とを混同しないで下さい。
600おにのふぐり>三郎さん:2000/06/29(木) 19:37
>グローバリゼーションにかたくなに抵抗するのでなく、
>それがリスクだけでなく、同時に新しい機会をもたらすものと見なし、
>前向きに取り組む必要があるでしよう。外国人問題に関しても
>このことは当てはまります。

>グローバリゼーションという巨大な歴史過程における、

>コスモポリタンな共同体の形成に向かうようなかたちでの
>グローバリゼーションであるべきだと思っています。

経済面などにおいては確かに多国籍企業の活躍や労働分業などの
相互依存などでグローバル化は進んでいます。
しかし移民問題に関しては逆です。抵抗するも何も、移民に関しては
『あなたの言うグローバリゼーション』など起こってもいないのです。
そもそも、他の分野でグローバル化が進んでいるから人の移動も認めるべきだ、
となるのかがわかりません。

それに経済面やその他のグローバリゼーションはただ単に、
企業の利潤の追求や、運輸やコミュニケーション技術の発展などの結果であり、
なにもコスモポリタニズムに基づいた世界国家実現のために
行われているわけではありません。

三郎さんの発言を見ていると、あなたは自分の思想に酔うあまり、
『グローバリゼーションとは世界国家建設へ向けての一過程、
もしくは手段の一つである』
という都合のいい思い込みをしているとしか思えませんね。
繰り返しになりますが、世界国家実現のためにグローバリゼーションが
行われているわけではありません。
601おにのふぐり>三郎さん:2000/06/29(木) 19:38
>コスモポリタンな共同体の形成に向かうようなかたちでの
>グローバリゼーションであるべきだと思っています。
>そのためにはどの国も外部に向かって開かれなければなりません。
>まず先進国が率先すべきでしょう。
>もちろん、一挙には不可能でしょうが、段階的に実施していく必要があります。

あなたの文章を要約するとただ
『私はコスモポリタニズムを信奉している。だから国は開かれるべきだ』
これだけです。中身もなにもありません。
コスモポリタニズムにかぶれていない人にはなんの説得力も持ちません。

それに他人が納得できるような根拠を提示することもできず、
また間違いを指摘されても反論・訂正もせずに、
『移民反対者は民族派、孤立主義者、外国人嫌いで、イデオロギー的な
信念から反対しているのだ』
などとレッテルを貼ろうとする三郎さんの言動こそ、
三郎さんがイデオロギーにとりつかれているという証左に見えますね。
602おにのふぐり>三郎さん:2000/06/29(木) 19:38
>経済に対する効果がどうだとか(皆さんはこの点にとらわれすぎておられる)、
>社会的なリスクやコストどうだとか(皆さんの心配はこの点ですか)

なんだかなあ・・・。
移民を推進すべきだという議論は労働力の問題から来ている、
移民を受け入れなければ生活水準がダウンする、
こういう理由で移民受け入れを肯定していたのはあなたじゃないですか。
反論された途端にこれですか。

それに
移民反対者は国民的な合意を取り付けろとか、
移民反対者は新しい日本の経済戦略を提示する責任を負うとか、
移民反対論者は妙案を出す義務があるはずだとか言っておきながら、
あなたの主張には先ほども言ったように
『私はコスモポリタニズムを信奉している。だから国は開かれるべきだ』
という現実離れした一人よがりな思考しか見えません。
最低でもあなたはなぜコスモポリタニズムを信奉するのか、
その理由ぐらいは皆に提示する必要があると思います。
603三郎:2000/06/30(金) 00:35
「おにのふぐり」さんへ
 時代は確実に変化していると思います。
「グローバリゼーション」はすでに数世紀前から
紆余曲折はあったにしても、進行してきたのです。
そして、近年では加速度的に進んできました。
情報テクノロジーの進歩。経済のトランスナショナルな広がり。ソ連・東欧の「東側世界」の崩壊。EUなどの地域統合の動き。
これらは「グローバリゼーション」という全体的な過程に関わっています。
だから、わたしとしては、現実離れした議論をしているつもりはありません。
コスモポリタンな共同体の形成は、信奉するかどうかの前に、
すでに実在的な過程として進みつつあるのではないでしょうか。
たとえば、日本のインテリの間には異論が多いのですが、
去年のユーゴ空爆は、
ジェノサイドをやめさせるべきだ、
そのためには主権国家原理は制限されるべきだ、
という欧米諸国の市民の「世界市民」的な精神に支えられた
画期的な「人道的介入」でした。
このときにも「コスモポリタニズム」が作用していたのです。
604三郎:2000/06/30(金) 00:45
「おにのふぐり」さんへ
「グローバリゼーション」は確実に進んでいきます。
もはや、あなたが信奉している(と思われる)偏狭な「国家主義」は通用しないのです。
 すくなくとも原理的、理念的には、日本国家、日本国民の「利益」――これは、「私的利益」です――から出発して考えるべきではないでしょう。もちろん、それらの「利益」や「権利」が否定されて良いと言っているのではありません。しかし、どの国家も国民も、「国際共同体」――最終的には、「コスモポリタンな共同体」に行き着けばいいのですが――の構成員として、「義務」や「責任」を負います。つまり、私的な利害関心の利己的な自己主張ではなく、公的な義務と責任を果たす必要があります。
 登場国への経済援助、民主化支援、留学生や移民の受け容れ、国際的安全のための軍事的貢献など、日本が演じなければならない役割は大きいと思います。
 これは日本の国家、国民だけでなく、個々人にそくして言えば、各人の「世界市民」としての「義務」と「責任」ということになるでしょう。諸個人がNGOなどのアソシエーション(これは民間団体ですが、その目的では公的な団体です)を組織し、実際にこのような報告で動き出しているではありませんか。
605三郎:2000/06/30(金) 00:48
訂正604の後半
登場国→途上国
このような報告→このような方向
606三郎:2000/06/30(金) 00:52
「おにのふぐり」さんへ
 いま戦争の時代は終わりつつあります。これは世界の決定的な変化です。戦争の時代の終焉こそが、国際的な相互依存とグローバリゼーションを決定的なものにしたと言えます。これまでの国際政治学(「国家理性」、「パワー・ポリティスク」)では通用しない時代に移行しつつあります。これまで支配的であった「偏狭なナショナリズム」は、とりあえずせめて「開明的な(啓蒙化された)ナショナリズム」に進化すべきでしょうね。すでにこの過程は始まっていますが、さらに強度を増す必要があります(政策論としての、少子化時代の外国人労働者導入論はここに位置します)。
 各国がたがいに自国の国益を追求してしのぎをけずっている時代では、どの国家も世界から見れば「私的」な存在でした。世界のなかで各国が公的な利益のために、それぞれその能力に応じて貢献する時代が到来しつつあると言えます。個人もアソシエーションも、国家と並んで、市民社会や国家の内部だけでなく、その外部、世界で国際貢献する時代です。
607おにのふぐりさんじゃありませんよ:2000/06/30(金) 02:16
>三郎さん
少なくとも、おにのふぐりさんを「偏狭なナショナリスト」としてし
まうのはどうかと思うなあ。
あなたの主張云々の是非はともかく、そういう書き方するとそれこそ
あなたはおにのふぐりさんが言うとおりのレッテル張りをしてること
になると思いますよ。
おにのふぐりさんは単に論理的にあなたの主張が飛躍してるといって
るのであって、彼のあなたへの批判は理論的なものです。
それをすぐにナショナリストと決め付けるのはあまりにも単純です。
あなたの言う第三の道はあなたの中では左翼ー右翼二元論を超えるも
のとしてあるんだろうけど、そもそも第三の道なんて昔からあったも
のだし、あなたへの批判を即あなたが批判してるであろう二元論の図
式にすぐ還元してしまう、というのは間違ってるよ。
(だいたいさ、第三の道なんて安易に言うもんじゃない。そういう口当
たりのいい言葉はすぐに実体を無くして「便利な言葉」になっちゃうか
らね。)
それにね、あなたの物言いはどうしても一次大戦後ころの理想主義
的な国際関係論のにおいがするんだなあ。そういえば多元国家論が
出てきたのもその頃ですね。
べつにそれらが古いとか、理想的なこと言うなとか、言うつもりは
ありませんけどね。現実的な批判に対して単に理想を言えばいいと
いうことにはならないと思いますよ。
608会場の観客のヤジ:2000/06/30(金) 02:30
なにが戦争の時代の終わりだ、ばか。
戦争が無くなるわけねーだろー!
世界の公的な利益なんて、あるかぃボケぇ!
609三郎:2000/06/30(金) 07:33
>607
>それにね、あなたの物言いはどうしても一次大戦後ころの理想主義
>的な国際関係論のにおいがするんだなあ。そういえば多元国家論が
>出てきたのもその頃ですね。
「理想的な国際関係論」が何を指すのか判りませんが、
主権国家と主権国家との諸関係という国際関係のシステム
を前提として「現実主義」と「理想主義」に分かれて論争するという
地平を超えるべきだと思います。
「多元的国家論」ですが、
「第1次大戦」からの総力戦の時代、そしてファシズムと共産主義
が台頭する時代には、「多元的国家論」が発展していく条件がなかったのですね。
しかし、今こそ、「多元的国家論」の時代です。

>608
>なにが戦争の時代の終わりだ、ばか。
現在、ドイツとフランス、あるいはフランスとイギリスで戦争が
起きうると思いますか。日米関係もそうです。
先進国間の戦争は非常に起こりにくくなっている。
フクヤマも言ってます。
今日の戦争の大半は第三世界の国家内部の「内戦」なんですね。今すぐ世界から戦争がなくなるとは
言ってません。しかし、全体としてそういう方向に向かっている事実に目をつぶてはならないと思います。
 近代国家は、戦争のなかで、また戦争の脅威のなかで生まれました。
中世封建国家やルネッサンス型都市国家では負けるのですね。戦争が
恒常的に存在し、それに備えるという条件が無くなってきたのですから、
近代の主権的国民国家はもはや存在理由を失いつつあるのです。
ということは「ナショナリズム」も存在理由を失いつつあるということです。
現在、近代国家とナショナリズムの転形が進みつつあります。
 「第三の道」は出来合いの理論ではありません。古くからの惰性的思考を脱却すること、
そこから「第三の道」の探求が始まるのです。
610ろむ:2000/06/30(金) 18:27
私には、おにのふぐりさんの逡巡のほうが、知的で人間的なものに思える。三郎さんの意見は「私には未来がどうなるか分かっている」「私には見えて
いる未来を認めようとしないヤツはバカ」というふうにしか聞こえない。


未来を確信している人より、手探りで未来に進もうとしている人のほうを、
私は信じます。


611三郎:2000/06/30(金) 20:23
>610 「ろむ」さんへ
 わたしは「未来を確信」しているわけではありません。
「未来を確信」させるのは、歴史に「目的」と「終わり」を
想定する歴史哲学(たとえば、マルクス主義やフクヤマ理論など)
ですが、しかし歴史は「目的も、終わりもない過程」です。
 わたしは、「未来」を語っているのではなく、「現実」を語っているつもりです。
「現実」を語る場合、「現実」がラディカルに変化しているのに、
したがって新しい「現実」が生まれているというのに、
いつまでも伝統的な解釈体系に頼っていたら、
いくら人に耳慣れた言葉でもっともらしく聞こえても、
実在する「現実」とズレた(想像上の)「現実」を
語ってることになりかねないと思います。
 新しい現実にふさわしい新しい概念の枠組みを用意することが、
政治思想の役割だと思います。そしてその中でこそ、
「手探りで未来に」進むことができるのではないでしょうか。


612名無しさん:2000/07/01(土) 23:39
おもしろい掲示板みっけ!
http://oyaji.room.ne.jp/~sam36/cgi-bin/bbs/wforum.cgi
613三郎:2000/07/02(日) 00:01
 それでは、外国人労働者や移民の導入に対する反対論、消極論の方は、
どのような理由で反対ないし消極的な姿勢をとっておられるのでしょうか。
そこのところを具体的に教えてください。
 原則的な反対論なのか、条件しだいでは導入は認められるのか、
というところまで論じて欲しいのですが、いかがでしょうか。
614おにのふぐり>三郎さん:2000/07/02(日) 00:11
>情報テクノロジーの進歩。経済のトランスナショナルな広がり。
>ソ連・東欧の「東側世界」の崩壊。EUなどの地域統合の動き。
>これらは「グローバリゼーション」という全体的な過程に関わっています。

何度も言いますが、上記のようなグローバル化は世界国家建設へ向けての
ものではありません。

それからEUについてですが、EUは所詮『似たものどうし』で
手を組んでいるだけであって、EU外のものにはある意味排他的です。
コスモポリタンな共同体などとはとても言えません。
たとえばEUにはエラスムス計画などに見られるように、
地域を越えた人材交流を促進させようとの案も生まれましたが、
これも『EU諸国内』の話です。

>「グローバリゼーション」は確実に進んでいきます。

確かに経済などの分野ではグローバリゼーションは進むでしょう。
しかしグローバリゼーションが進まない分野もあるでしょうね。
615おにのふぐり>三郎さん:2000/07/02(日) 00:13
>各人の「世界市民」としての「義務」と「責任」ということになるでしょう。
>諸個人がNGOなどのアソシエーションを組織し、
>実際にこのような方向で動き出している

確かにグローバル化に伴って発生する問題には国際協力が必要でしょう。
NGOなども地球規模での問題解決のために動いています。
でも『「世界市民」としての「義務」と「責任」』
などという言葉はスローガンとしてであり、
実際に世界国家を目指しているわけでもないと思うのですが・・・。

どうみても三郎さんは何でもかんでもコスモポリタンな共同体実現
への萌芽だとこじつけているだけですよ。

>戦争の時代の終焉こそが、国際的な相互依存とグローバリゼーションを
>決定的なものにしたと言えます。
>これまでの国際政治学(「国家理性」、「パワー・ポリティスク」)では
>通用しない時代に移行しつつあります。

根拠が書いてないし、飛躍しすぎです。
大体あなたの言う通りなら、どの国も軍事力を放棄するでしょう。

しかし確かに相互依存が進み冷戦体制が崩壊した前後から
安全保障を信頼醸成装置の形成に求めはじめているという傾向が
あるのは事実ですので、せめて安全保障には国家理性やパワーポリティクス
以外のものも必要になってきた、とでも言うべきではないでしょうか。
616おにのふぐり>三郎さん:2000/07/02(日) 00:17
>政策論としての、少子化時代の外国人労働者導入論はここに位置します

要するに三郎さんは
「偏狭なナショナリズム」から「開明的な(啓蒙化された)ナショナリズム」
への変化をより促進させるために『少子化時代の外国人労働者導入論』
を提唱しているわけですね。では以下の4つの質問に答えて下さい

@「開明的な(啓蒙化された)ナショナリズム」とは具体的にどのようなものか?

Aなぜ外国人労働者を導入すれば上記のような変化が促進されるのか?

B福祉や教育にかかる莫大な費用を負担してまで、
世界的に有名な日本の治安の良さを犠牲にしてまで、
失業率を上げてまで、それを行うほどの必要性があるのか?

C労働者を導入することにより「偏狭なナショナリズム」が
なくなった例が実際にあるのか? その逆の例しかないのではないか?

・・・あなたの発言は説明が全然足りてないと思います。
617三郎:2000/07/02(日) 01:10
>614
>何度も言いますが、上記のようなグローバル化は世界国家建設へ向けての
>ものではありません。
→グローバリゼーションは「世界国家建設」とは無関係です。
「国家」を超えた、グローバルな規模での社会的諸関係の拡大と深化を意味します。
>それからEUについてですが、EUは所詮『似たものどうし』で
>手を組んでいるだけであって、EU外のものにはある意味排他的です。
>コスモポリタンな共同体などとはとても言えません。
→EUは「コスモモリタンな共同体」などとは思っていません。
グローバリゼーションの一つの段階と見ています。
加盟する各国家がその主権的な権力の一部分をEUに「委譲」しつつある点で画期的だと思います。「主権国家」の転形が起きているわけですね。どうなるかわかりませんが、世界の各地域(リージョン)で「地域統合」、地域的な共同体の形成がおこなわれ、複数形成された地域的共同体がさらに統合する、という道筋が想像できなくもありません。ただしそれは「世界国家」のようなものではあり得ないし、そうあってはならないでしょう。
>確かに経済などの分野ではグローバリゼーションは進むでしょう。
>しかしグローバリゼーションが進まない分野もあるでしょうね。
→もちろん、その通りです。
グローバリゼーションはジグザグを描きながらの、
「不均等発展」の過程でしかありません。
618三郎:2000/07/02(日) 01:15
>615
>『「世界市民」としての「義務」と「責任」』
>などという言葉はスローガンとしてであり、
>実際に世界国家を目指しているわけでもないと思うのですが・・・。
→おっしゃるとおりですよ。
「世界市民」としての「義務」と「責任」は、規範、倫理、モラルです。
市民が政府に途上国援助を要求するとか、
難民救済のカンパをするとか、
外国の難民の受け入れを政府に求めるとか、
いう行為に「義務」や「責任」が作用しています。
そこには世界的な共同体が想像的なもとして存在しています。
そしてそうした行為のなかに「世界市民」が存在するのです。
619三郎:2000/07/02(日) 01:50
>615
>根拠が書いてないし、飛躍しすぎです。
>大体あなたの言う通りなら、どの国も軍事力を放棄するでしょう。
→どの国も軍事力を放棄するのは、まだまだ先のことです。それは当然です。
しかし、人類の歴史が、戦争がくり返し反復された時代から、
戦争のない時代に向かいつつある、そうした大きな方向転換が起きている、のではないでしょうか。このことについては、多くの人が指摘しています。
長谷川慶太郎も繰り返しこのことを強調しています。欧米の政治学者には、民主主義国間の戦争の可能性がほとんどなくなっていると指摘する人が多数おり、フランシス・フクヤマも『歴史の終わり』のなかで同様のことを言っています。フクヤマは、現在の戦争は、第三世界の途上国間の戦争と、先進民主主義国と登場国との戦争に限られている、そして、世界中で民主化が進むと、民主主義国が増えるのでそのぶん戦争が起きにくくなる、と言っています。
620三郎:2000/07/02(日) 01:51
 「国家理性」とは、国家のサヴァイバルのためには国家はあらゆることが許されるということで、国家と国家とが生きるか死ぬかの対立をしていた時代の観念です。それが薄められて「国益」概念になっていったわけですが、今日ではどの国も「相互依存」や「国際協力」に「国益」が依存しているわけで、「国益」のために場合によっては軍事的解決手段を選択することを前提にする時代ではなくなっています。すくなくともきわめて困難に成ってきています。たとえば、日本とアメリカが貿易摩擦が原因で戦争する可能性があるでしょうか。日本と韓国や台湾や中国が領土問題(竹島や尖閣諸島)で戦争する可能性があるでしょうか。
 「パワーポリティクス」とは「力の政治」です。つまり国際政治の規定因は「力」、それも最終的には軍事力だという観念です。従来現実に国際政治は多かれ少なかれ、「力の政治」だったのは事実ですが、軍事力の行使、その威嚇ということが、昔にくらべて容易でなくなってきているわけで、国際世論、国際正義も無視できない力を持ちつつあります。
「パワー・ポリティクス」の時代が完全に終わりきったなどとは思っていませんが、大きな転換が起きていることは事実です。

621三郎:2000/07/02(日) 02:32
>616
>@「開明的な(啓蒙化された)ナショナリズム」とは具体的にどのようなものか?
→「開明的な(啓蒙化された)ナショナリズム」というよりも、「開明的な(啓蒙化された)国益」というほうが良いと思いますが、なにが「国益」かについてはいろいろとらえ方があります。世界のなかで自国の利益しか省みないのは、最終的には、その国にとって不利益になることを自覚して、国際協調、国際協力、そして国際共同体の一員として、とくに先進国の場合は先進国としての力に応分の「貢献」しつつ、自国の利益を追求するのが「開明的な国益」ということです。
 21世紀の人類にとって解決しなければならない課題は、南北問題です。第三世界の貧困の問題を解決しなければならない。なによりもそれは第三世界の人びとのためにですが、しかし第三世界の紛争、人口爆発、麻薬、環境問題などは、先進国のわれわれにも無関係ではありません。南北問題の解決は人類全体の利益だと思います。
622三郎:2000/07/02(日) 02:36
>Aなぜ外国人労働者を導入すれば上記のような変化が促進されるのか?
→「外国人労働者を導入すれば上記のような変化が促進される」のではなく、
国家を外部に閉ざされた状態から、外部に開く状態へ移行すべきだとうこと、
その一環として難民、留学生、外国人労働者、移民の受け容れも行うべきだ
ということを言っているのです。
>B福祉や教育にかかる莫大な費用を負担してまで、
>世界的に有名な日本の治安の良さを犠牲にしてまで、
>失業率を上げてまで、それを行うほどの必要性があるのか?
→「莫大な費用」の負担、「治安の良さの犠牲」、「失業率」の上昇。
あなたは、これらが発生しなければ、あるいは発生しても小規模であるならOKなのですか。負担や犠牲は相対的なものです。それらを可能な限り小さくする方法を模索する必要があるでしょう。
 あなたがそうした相対性の次元で考えておられるのなら、わたしと大きく考え方が変わらないのではないのでしょうか。しかし、日本は単一民族国家であり、それをどこまでも守るべきであるとか、日本国家の「同質性」が絶対的価値であり、断固それを守り抜かねばならない、という立場から外国人労働者や移民の受け容れに反対しておられるのなら、わたしとは根本的に対立しますが。

623三郎:2000/07/02(日) 02:52
>C労働者を導入することにより「偏狭なナショナリズム」が
>なくなった例が実際にあるのか? その逆の例しかないのではないか?
→民族、人種間の対立は容易になくならないと思います。しかし、対立や軋轢をしながらも、それを緩和させる努力をし、共存していくようしなければならないと思います。
むしろ「なくならない」ことを前提に共存を考えたらいいでしょうね。
「容易になくならない例」として、アメリカを想像してみるのがいいかも知れません。
しかし、過去や現在の事例に目を奪われるのではなく、長期的な観点から、
未来に向かって前向きに思考したいものです。
 なお、難民や労働者の受け入れをすれば、それだけでよいなどとは毛頭思っていません。
むしろ大規模な「人道的な援助」こそが必要だと思っています。冷戦時代は「戦略的な援助」が中心でした。それと賠償および賠償の代替ないし賠償の延長としての援助が行われていました。しかしこれからは真の「人道的援助」を本格化させる必要があります。
 これはさきに「開発民主主義」について論じたときに触れたかも知れませんが、先進国のピープルが政府、国際機関、NGOなど多元的なチャンネルを通して、バラマキ援助でなく、「第三世界のピープル自身の力による近代化」を支援する「可能にする援助」(enabling help)が必要です。この援助を支えるのは、先進国のピープルの「世界市民」としての「義務」と「責任」です。


624名無しさん:2000/07/02(日) 04:26
結局、おにのふぐりさんの質問に全く答えずに、あたかもおにのふぐりさんを
極右ででもあるかのように暗示する質問をし返すだけなんですね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>B福祉や教育にかかる莫大な費用を負担してまで、
>世界的に有名な日本の治安の良さを犠牲にしてまで、
>失業率を上げてまで、それを行うほどの必要性があるのか?
→「莫大な費用」の負担、「治安の良さの犠牲」、「失業率」の上昇。
あなたは、これらが発生しなければ、あるいは発生しても小規模であるならOKなのですか。負担や犠牲は相対
的なものです。それらを可能な限り小さくする方法を模索する必要があるでしょう。
 あなたがそうした相対性の次元で考えておられるのなら、わたしと大きく考え方が変わらないのではないのでし
ょうか。しかし、日本は単一民族国家であり、それをどこまでも守るべきであるとか、日本国家の「同質性」が絶対
的価値であり、断固それを守り抜かねばならない、という立場から外国人労働者や移民の受け容れに反対してお
られるのなら、わたしとは根本的に対立しますが。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
625三郎:2000/07/02(日) 11:16
>624
>結局、おにのふぐりさんの質問に全く答えずに、あたかもおにのふぐりさんを
>極右ででもあるかのように暗示する質問をし返すだけなんですね。
質問に答えているつもりなんですが、ご理解いただけませんか。
「極右ででもあるかのように暗示する質問」をしているつもりも毛頭ありません。
そのように取られるとは意想外でした。
「負担」「犠牲」が《大きい》場合でも外国人労働者、移住者を受けいるれるべきだというのがわたしの立場であることは言うまでもありません。おそらく「おにのふぐり」さんは、もしそれらが《小さい》のなら受け容れるとお考えなのかなとと推測して「622」のような書き方をしたのですが----。
 ポイントは、この《大きい》《小さい》の程度なんですよね。数の大小なら、絶対的でなく、相対的な次元の問題です。程度問題なんですから、折り合いを付けれることも不可能ではないわけですよね。
そのように考えて「622」を書いたのです。
626三郎:2000/07/02(日) 11:17
 「日本国」は、満州(扶余族)や江南(倭人)などからの移住者によってつくられた国である「倭国」の後継国でした。この古代の史実が国民的なレベルで確認されなければなりません。現在の社会科教育は「ネオ皇国史観」「大和朝廷一元史観」にとどまっています。新しい古代を切り拓く必要があります。
 この日本国の内部で「移動の自由」が実現したのは、やっと明治時代になってからです。今日ほとんどの国家ではテリトリー内部ではピープルに移動の自由を認めるようになっていますが(共産主義国では「市内」「郡内」でしか認められませんでしたが)、国境を超えた「移動の自由」「居住の自由」が漸次確立していく必要がある。つまり、国家はテリトリーの内部のピープル(国民)だけでなく、その外部にも「移動の自由」を保障する方向を目指さなければならない。これは自由主義的な権利ですね。国家内部でなく、国際的にこの権利を保障する必要がある。グローバリゼーションの時代の人権と言えるでしょう。今すぐ、それを全面的に実現せよなんて言っていません。
 自由や人権も原理的に新しい観点から考える必要があると言っているのです。


627三郎:2000/07/02(日) 11:33
 世界的には古代だけでなく、あらゆる時代において
人口の国際的な移動、しばしば大移動があったわけですね。
国家が政策的に移民を推進、受け容れしたことも少なくありませんでした。
今日の国家で19世紀の移民が人口のかなりの部分を占める国も少なくありません。
 グローバリゼーションの加速化が、先進国の「少子化」の時期と重なった現在、
新しい人口移動を引き起こす条件が客観的に存在することは明らかです。
 日本は曲がりなりにも民主主義国です。
こうした条件にあってどのような道を選ぶかは、
この国のピープル自身の問題です。
 その際、経済的な問題も作用するでしょう。
しかし、最近、この国のピープルは、かってよりもモラル的な関心をもつようになってきていることにも注目したいと思います。


626の訂正
新しい古代→新しい古代史

628名無しさん:2000/07/02(日) 13:36
こいつが官僚か政治家だったら恐ろしいことになるな
629三郎:2000/07/02(日) 23:38
>628

それはわたしに対してのお言葉でしょうか。
お褒めの言葉としてうけたまわります。

《国家》という《共同体》の《外部》の《他者》に
もう少し目を向けたらどうでしょうか。
人がある《国家》のテリトリー内部に産まれるというのは
単なる偶然でしかないのですから。

630おにのふぐりさんじゃありませんよ:2000/07/03(月) 00:14
僕はあなたの考え方に反対だと言うわけではありません。
ただ、あなたの主張が最終的に国家と相容れるものなのかどうか
(相容れるべきだというわけではなく)と言う点には幾分かの懐疑
を持たざるを得ない。共同体の外部、それは考えるべきだと思う。
でも、それがあなたの言うように簡単に国家に取り込めるのでし
ょうか。その点がどこか徹底してないように思う。
こういう言い方はあなたは気を悪くするかもしれないけれどあな
たの言うことは柄谷行人氏に似ていますね。別にそれがどうだと
言うわけではない。が、そういった論理からあまりにも簡単に国
家が導き出せてないだろうか?
629を見る限りあなたはおそら官僚にたいしてあまり良い感情
は持ってないでのでしょう。
が、国家を前提にするのなら628さんのあなたへの発言は誉め
言葉ではありえないのではないかとも思う。
あなたが外部と言おうとそれがあなたの言うように国家に取り込
まれれば、その瞬間からそれは外部ではありえない。そのへんは
もっと論理的につめるべき問題なのではないでしょうか。

「論理的」とばかり言ってしつこいと思うかもしれない。
でも、あなたの立論は論理的徹底性を欠けばとたんに成り立たな
くなる類のものだと思うんです。
あなたに対して批判的な方たちが言う部分で、やはりあなたが回避
してると思うのは話の具体性です。ぎりぎりまででもそれなしに
立論しようとするならもっと抽象的でも論理的であるべきです。
そうでなければ、例えば問題点を相対的に小さくするための具体
的、かつ説得力のある提案をするべきだと思う。
具体性と抽象性とのバランスが恣意的に映らざるを得ないんですよ。
631名無しさん:2000/07/03(月) 07:09
632三郎:2000/07/03(月) 15:03
>632
考えさせていただきます。
633三郎:2000/07/03(月) 15:10
間違えました
>630
です。

 わたしが、理路整然かつ具体性のある議論を展開していない
というのはその通りです。弁解ですが、なにぶん、
その場その場で、書き込んできましたし、
思わぬ疑問を突きつけれられたり、とんでもない誤解をされたりで、
「論理的」になれませんでした。すいません。
634おにのふぐり>三郎さん:2000/07/04(火) 00:53
>考えさせていただきます。

そうですね、それがいいと思います。
三郎さんの発言は確かに具体性に欠き、
その時々によって言うことが変わったりすることが多いですね。

見直された、新たな反論を待っています。
635三郎:2000/07/04(火) 01:05
移民や外国人労働者の導入に反対の人が
多いようなのですが、
わたしがした613の質問にどなたもお答えになりません。
どなたか、積極的な反対論を聞かせてください。
反対論にもいろんな立場があり、ヴァリエーションがあると
思うのですが、そこのところが判らない。
だいたいほとんどの方が、基本的には瀬戸氏と同様のお立場でしょうか。
636名無しさん:2000/07/04(火) 05:12
>だいたいほとんどの方が、基本的には瀬戸氏と同様のお立場でしょうか。

2ちゃんの住人もなめられたもんだね。
637>635:2000/07/04(火) 05:30
>わたしがした613の質問にどなたもお答えになりません。
>どなたか、積極的な反対論を聞かせてください。


ファナティックな移民賛成論にやんわりと常識的な疑義を呈しただけの
おにのふぐりさんに、速攻でナチか極右のレッテルを貼るような人と、
建設的な議論をしたがる人がそもそもいるでしょうか。(おにのふぐり
さんはその点では恐ろしく辛抱強く心の広い人ですね)

635でも、そのレッテル貼りの情熱は健在のようです。(反対論者は
瀬戸氏なみのXX、と、最初から決めてかかっている)

638576=593:2000/07/04(火) 06:05
この話題の最初のほうで何度か三郎さんの論に疑問を呈したものです。

外国人労働者受け入れに対する積極的な反対論ということですが…
そもそも私が三郎さんに疑問を感じたのは,
三郎さんが常々おっしゃる「コスモポリタニズム」とか「第三の道」
とかいう理念それ自体に対してではなく,
その理念を正当化するために,
経済的な要請がコスモポリタンな労働市場門戸開放を必然ならしめる,
という論法を持ち出したことにあります。

しかるに現実には,ここでの多くの人が指摘するように,
いったいどのレベルでの経済的要請なのかが,
これこそが問題となってくるでしょう。
経団連・産業資本レベルでの利益が,一般市民の生活にとって
不利益となるということは十分にあり得ることだし,
現実に,まさにここからこれまで種々の(階級的,という
古めかしい言葉は使わないまでも)社会的対立が
生み出されてきたわけでしょう。
そして,このような社会的利害集団の対立を調整するために,
国家がこれまで諸々の介入を行ってきたわけです。
経済活動に対する国家介入のあり方というのは,
もちろん通底には何らかの理念が存在する(もっとも日本の場合は
どうかわかりませんが)としても,
現実には社会の現実的な状況を踏まえ,社会的緊張の緩和と
経済利害を両立させるような形で現れてくるものでしょう。
639576=593:2000/07/04(火) 06:07
しかしながら三郎さんは,理念とその至当性は提示されるものの,
その具体的な形態や実現方法を論じる段になると,
事実上,「コスモポリタニズム(第三の道)は多種多様な形態が
あり得る」と繰り返すばかりです。
だからこそ,多くの人々にとって,三郎さんの議論が
現実離れしたものに感じられるのだと思います。

これまでのみなさんの批判が,三郎さんにとって
外国人受け入れへの具体的・積極的反対論とは感じられなかったとすれば,
それはおそらく三郎さん自身の議論が,いまだに理念的なレベルで
とどまっているからだと思います。
ですから,私は政治学に通じておられる三郎さんに対して,
理念の提示とその正当性の根拠付けだけではなくて,
さらに一歩進んで,日本の経済・社会への
冷静な現状分析と,それに基づいた具体的かつ可能なる方策を
提示していただきたいのです。

三郎さんの議論に対する具体的な反論ないし賛成論というのは,そこまでいって
初めて可能になるのではないでしょうか。
640三郎:2000/07/04(火) 23:45
 おにのふぐりさんは、わたしを批判したり、わたしにいろいろ質問したりするのですが、
わたしの疑問には完全に沈黙されている。難民や移民について、たんなるコストやリスクの次元で考えておられるのか、国家に対するなんらかの信念にもとづいて、考えておられるのか、622の下記の疑問について、お答えください。それから613の質問についてもお答えください。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
→「莫大な費用」の負担、「治安の良さの犠牲」、「失業率」の上昇。
あなたは、これらが発生しなければ、あるいは発生しても小規模であるならOKなのですか。負担や犠牲は相対的なものです。それらを可能な限り小さくする方法を模索する必要があるでしょう。
 あなたがそうした相対性の次元で考えておられるのなら、わたしと大きく考え方が変わらないのではないのでしょうか。しかし、日本は単一民族国家であり、それをどこまでも守るべきであるとか、日本国家の「同質性」が絶対的価値であり、断固それを守り抜かねばならない、という立場から外国人労働者や移民の受け容れに反対しておられるのなら、わたしとは根本的に対立しますが。
641三郎:2000/07/05(水) 00:00
>639さんへ
>しかしながら三郎さんは,理念とその至当性は提示されるものの,
>その具体的な形態や実現方法を論じる段になると,
>事実上,「コスモポリタニズム(第三の道)は多種多様な形態が
>あり得る」と繰り返すばかりです。 私ははじめから、理念のレベルと現在の世界と国家とについての認識のレベルで論じているわけで、「具体的な形態や実現方法」について論じているつもりはないのですけれども。難民や移民をどの程度の規模で、どのような条件で、入れるべきかという議論はわたしは一切していません(わたしを批判する人たちもですが)。繰り返し言いますが、だから相対的な次元での対立ではないか、といっているのです。そこで、瀬戸氏的な「極右」の立場とおにのふぐりさんなどがどう違うのか、原則的に受け入れを拒否するのか、原則はオケーなのか、とうかがっているのです。ところが、どういうわけか、ご返答がない。
 それと「第三の道」については、わたしが別の話題に関して持ち出した「第三の道」という言葉をこの話題に関するわたしに対する批判のなかで持ち出す人がおられたので、わたしもあらためてこの言葉に触れただけで(「第三の道」には多様な形態があるとういう具合に)、「第三の道」についての議論と直接関係が無いと思うのですが。
642三郎:2000/07/05(水) 00:01
(つづき)「現実離れ」ということをおっしゃるが、何が「現実離れ」かよくわかりません。わたしは、理念的には国境のない世界を考えます。
 あらゆる市民にグローバルな規模での「移動の自由」の保障を「基本的な人権」として保障すべきだと思います。単なる「モラルの共同体」(別のスレッドので話題になっているヌスバウムはこれしか考えていないのではないでしょうか)でなく、「政治的な共同体」としてのコスモポリタンな共同体の構成員である「世界市民」の権利としてね。
 これって、「現実離れ」してますよね。しかし、「理念」的にはそう考えます。理念的には、ナショナリズムの完全な止揚の立場です。「現実離れ」と言われてもしようがないですよね。
 しかし、実際的な政策論としてはピープルの多数派が支持できる「開明的な国益」(ブレアの言葉からの借用です)から出発する必要がある、ということについてはすでに書きました。政治家や知識人の役割(わたしが考えるあるべき役割ですが)は、一方で「偏狭な国益」論を斥け、「開明的な国益」を明らかにしつつ、それについての論議を活発化させ、他方では日本のピープルの「世界市民」としてのモラル的な「倫理や義務」を喚起することにあるのではないでしょうか。
 「世界市民」としてのモラル的な「倫理や義務」を語ることが「現実離れ」しているのでしょうか。しかし、そういう具体的なご批判は一度もなかったですね。
643639:2000/07/05(水) 01:13
これでは堂々巡りですね。

>私ははじめから、理念のレベルと現在の世界と国家とについての認識のレベルで
>論じているわけで、「具体的な形態や実現方法」について論じているつもりはな
>いのですけれども。
そうですか,わかりました。しかし先にも述べましたように,私の希望は

>難民や移民をどの程度の規模で、どのような条件で、入れる
>べきかという議論
を是非とも展開していただきたい,そこから議論は始まるだろう,ということ
だったのですが。

というのも,私個人の考え方を言えば(他の多くの人もそうかと思います),
理念レベルでの正当性如何ということには,正直言ってあまり重きを
置く気になれないのですよ。
現実的な,かつ我々の生活実感からいって承伏しうるような具体策を提示する
ことなしに,理念の正当性のみを訴え,理念の正当性が現実への転化を
強制するのだという論法,これは三郎さんも批判されるところの
かつての共産主義政党の論法とどう違うのですかね。
いや,共産主義者のほうがまだしも,未来社会という形で
労働者に夢を与えることができたでしょう。三郎さんにはそれすらない。
先にも述べましたように,私は三郎さんの掲げる理念に
必ずしも反対ではありません。ですが率直にもうしまして,
「こいつが官僚になったら…」というどなたかのコメントをも想起せずには
いられません。
644639:2000/07/05(水) 01:16
どうも三郎さん自身はすでに「国民」なり「市民」の立場を離れて,
「世界市民」の利害観点から論じておられるようですが,
それではどれだけ抽象的に意識革命を訴えてみたところで,
「国民」「国益」意識にどっぷりと浸かっている我々凡庸な人間を
説得することはできないのですよ。
その説得のためにこそ,やはり具体的な政策論(ちなみにブレアの演説から
引いてくるような言葉というのは,政策論の出発点たる理念にすぎず,
いまだ実体を持った体系をなす政策論にはなっていませんね)の提示が
必要だと思うのですがね。
実はその足がかりは,三郎さん自身が「経済的な要請が外国人受け入れを
必然ならしめる」という形ですでに口火を切ったわけです。
そこが発火点となって,多くの方々がその論法の問題性を指摘した,
しかるに三郎さんはせっかく自らが提示した足がかりを撤回し,
話を理念レベルまで引き戻してしまった,というのが
これまでの経緯でしょう。
三郎さんはしきりにここでの三郎批判者を
原理的排外主義者と同一視したがりますが,
実際には多くの人が,瀬戸的な原則的理由と言うよりも,
程度問題,社会的コストの問題,もっと言えば
(私もそんなに好きな言葉ではないですが)「国益」の問題として
三郎さんの議論に反対していること,
これはたとえばおにのふぐりさんの議論を見れば明らかだと思うのですがね。

ですから繰り返しますが,三郎さんがこれから行うべきは,
理念を押しつけるのではなくて,日本の現状を押さえた上で,
偏狭な国益に「開明的な国益」が取って代わるべき必然性を,
具体的な政策論・政策体系として提示することにあると思うのです。
それをしないで理念的なレベルで戦線を維持しようというのは,
それはあえて極端に言えば,徒労ではないでしょうかね。
645瀬戸の息子:2000/07/05(水) 01:33
1000はおれがとる
646三郎さんのファン:2000/07/05(水) 01:35
三郎さん頑張ってくださーい♪
647瀬戸弘幸:2000/07/05(水) 08:07
この2週間における議論はとても高レベルで見応えがありました。
私が参戦するとこれまでの一騎打ちの雰囲気が台無しになるようなので、
静観させて頂いておりました。議論が整理されてきているようなので、
その内私もまぜて頂きたいと思っております。
648おにのふぐり>三朗さん:2000/07/05(水) 23:45
>おにのふぐりさんは、わたしを批判したり、わたしにいろいろ質問したり
>するのですが、わたしの疑問には完全に沈黙されている。

まさかこんな風に思われていたとは。心外です。

>難民や移民について、たんなるコストやリスクの次元で考えておられるのか
>原則的に受け入れを拒否するのか、原則はオケーなのか、

移民を受け入れると、『 日本が損をするからです 』
(わざと、こういう言い方にしてみました。)
理由は実例を挙げて説明したので過去ログをどうぞ。
ちなみに原則的に拒否、です。
649おにのふぐり>三朗さん:2000/07/05(水) 23:52
>「莫大な費用」の負担、「治安の良さの犠牲」、「失業率」の上昇。
>あなたは、これらが発生しなければ、あるいは発生しても
>小規模であるならOKなのですか。

たとえ小規模であっても、被害が 0 でないなら
OK しないほうがいいんじゃないですか? 常識で言って。
しかし、日本を取り巻く周辺諸国の人口や、日本との経済格差などを
考えると、とても「小規模」には収まらないでしょう。

>負担や犠牲は相対的なものです。それらを可能な限り小さくする
>方法を模索する必要があるでしょう。

そういう『方法』をまず先に具体的に提示してほしいのですが。

『とりあえず移民は受け入れましょう。移民が原因で起こる
負担や犠牲を小さくする方法は、その後で模索していきましょう』

・・・こんなの、賢明な人間のやることじゃないですよ。
ただの行き当たりばったりじゃないですか。

650おにのふぐり>三朗さん:2000/07/05(水) 23:55
>難民や移民をどの程度の規模で、どのような条件で、
>入れるべきかという議論はわたしは一切していません

その後の文章で三朗さんが
『あらゆる市民にグローバルな規模での「移動の自由」の保障を
「基本的な人権」として保障すべきだと思います』
と発言している以上、三郎さんは無制限に移民を受け入れろ、
と言ってるようにしか思えません。

どう考えても不可能ですよね、無制限に移民を受け入れるなんて事は。
何かしらの条件を作って希望者の何%かの移民を受け入れることに
したとしても、これは三郎さんの理念に反することなんじゃないですか?
同じ世界市民を差別してるわけですから。

結局、三郎さんの言うことは矛盾だらけで破綻してるんですよ。最初からね。

651おにのふぐり>三朗さん:2000/07/06(木) 00:05
それから、最後に一つ。
『世界市民』の定義を聞かせて下さい。
652三郎:2000/07/06(木) 00:21
 まだ613、640の質問に正面から答えていただいてません。もう少し待ちます。
>644
>三郎さんはしきりにここでの三郎批判者を
>原理的排外主義者と同一視したがりますが,
>実際には多くの人が,瀬戸的な原則的理由と言うよりも,
>程度問題,社会的コストの問題,もっと言えば
>(私もそんなに好きな言葉ではないですが)「国益」の問題として
>三郎さんの議論に反対していること,
>これはたとえばおにのふぐりさんの議論を見れば明らかだと思うのですがね
 移民、難民を入れないというのは、当たり前のことですが、「ナショナリズム」の立場ですね。しかし、ここのところがよく分からない人がおられる。
 「国益」中心に思考するということ、「国益」の観点に立って「コスト」と「リスク」を勘案すること自体が「国家主義」です。「国家」の論理ですね。そこのところをクールに認識していただく必要があります。
653三郎:2000/07/06(木) 00:23
 (つづき)久々の瀬戸氏の登場(647)ですが、瀬戸氏はそこのところを明確に認識しておられる。瀬戸氏は原理的に明晰です。自分の「国家主義」(ナショナリズム)の原理に関して十二分に自覚的で、それを反省的にとらえつつ立論されされてる。これに対して、自分の立場が「国家主義」「ナショナリズム」、それも偏狭と言って悪ければ、開明的ならざる国家主義であるということに関して自覚的でない方々がおられる。だからこそ「偏狭なナショナリズム」とか、瀬戸氏の議論との違いを明確にせよというと、反発が来るのでしょう。
>644
>(私もそんなに好きな言葉ではないですが)「国益」の問題として
>三郎さんの議論に反対していること,
 「好きな言葉ではない」とおっしゃるが、「国家」を背負い、「国益」の観点から思考しているのですから、そこのところを自覚的にとらえなおし、みずからの「ナショナリズム」を検討してみる必要があるのではないでしょうか。
654名無しさん:2000/07/06(木) 00:43
「国益」に代わるものとして、三郎氏が全人類に押しつけようとしている理想は、
あまりにも曖昧模糊で茫洋でつかみどころがありません。

そんなものは、日本だけでなく、世界中のどこの政府も国民も、政策や未来への
指針として積極的に採用しようとするはずがありません。
655おにのふぐり>三朗さん:2000/07/06(木) 00:44
>まだ613、640の質問に正面から答えていただいてません。

えっ? 答えてるじゃないですか。

656639:2000/07/06(木) 00:54
あーもう。

私にとっては,原理や理念の問題など,極端に言えばどうでもいいんです。
政治信条における自己規定と他者規定が異なるのも,これもよくあることです。
三郎さんが私をナショナリストと呼びたいならそうすればいい。

でも,私は,民族の純血を維持するとかそういう瀬戸さん的な原理レベルで
ナショナリズムを支持しているが故に「ナショナリスト」なんじゃないですよ?
現実に,「国益」追求的な発想と政策を要請する日本の現実があるからこそ,
その現実を変革したいと望む者は
理念レベルだけでの批判にとどまっていてもどうしようもないのだ,
と繰り返し述べてるつもりなんですがね。
その結果として,三郎さんにとって私が「開明的ならざる国家主義者」と
映じるなら仕方ありません。いくらでもレッテルを貼るがよいでしょう。
しかしレッテル貼りだけでは,現実は変革できないのですよ。
657三郎:2000/07/06(木) 01:14
>おにのふぐりさんへ
648−651を読みました。
正直言って驚きました。驚きもし、あきれもしましたが、
しかし、これはお互い様まですね。
ただし、
>結局、三郎さんの言うことは矛盾だらけで破綻してるんですよ。最初からね。
これはいただけませんね。
>『あらゆる市民にグローバルな規模での「移動の自由」の保障を
>「基本的な人権」として保障すべきだと思います』
このように言いましたが、これはグローバルな「コスモポリス」(政治的共同体)が
形成された状態のことです。
あなたは頑ななナショナリストです。
私もナショナリストですが、そこまで頑なではありません。
658三郎:2000/07/06(木) 01:24
 私は「日本国家」のなかに存在し、そこから思考しています。そして、この国家とその利益になおとらわれています。その点で、私は自分がなお「ナショナリスト」であることを否定しません。それどころが、積極的にあえて「ナショナリスト」として自己を規定しようと思います。ただし、現に存在するこの「国家」とその「国益」をあるがままに認めるつもりはありません。(あるべき「国家」、あるべき「国益」を探求したいと思っています。前者に関しては「外部に開かれた多元的国家」、後者に関しては「開明的な国益」として論じたつもりです。)しかし、この立場もなお、「国家」と「ナショナリズム」の地平にとどまる、と言わなければなりません。
 「世界」「人類」の地平から見れば、これは低次の地平です。「世界市民」とは、政治的な共同体としての「コスモポリス」がなお存在しない現時点では、「国家」と「ナショナリズム」の地平の限界、その劣位性をしかとし認識し、これを「世界」「人類」の方に向かって否定していく運動として存在します。
659三郎:2000/07/06(木) 01:27
 私は日本国家のなかに生まれ、生活し、これからも生活していこうとしています。しかし、この国家とそこにおける自分の存在を絶対的なものと見ようとは思いません。これは単なる観念的な要請ではありません。なぜなら、実在的な過程において国家と国家内存在はすでに相対化されつつあるからです。グローバリゼーションが「ビデオの早送りボタンを押したように」(ブレア)進行しています。そして、「世界市民」の存在は、ますます増大しつつある国際的な援助や支援、相互協力のなかに見て取ることができます。
 コスモポリタニズムは、それ自体として抽象的に存在するなにかではありません。その出発点は、自らのナショナルな存在を直視し、それに否定的に関係すること、空間的には国家のなかに存在しつつも、精神においてはその外部にでることにあります。


660名無しさん:2000/07/06(木) 17:56
>三郎さん
南北問題の解決策として入国条件を緩和して労働力を拡充することは
果たして妥当なのでしょうか。
ここで問題になっているのはおそらく単純労働力としての外国人導入に
ついてですね。
外国人の入国条件の緩和、という言葉から多くの人はどんな外国人が
流入すると考えるでしょうか。おそらく人々のイメージにおいてその
多くがアジア系の外国人であるはずです。入国の自由を実現させたと
して欧米系の外国人が増加すると考える人はほとんどいないでしょう。
あくまでも推測に過ぎませんがここで外国人導入に否定的な立場をとっ
てらっしゃる方も、例えば「欧米系の外国人の日本移住が増加している」
と言うことを聞いてもそれほど気にとめないのではないかと思います。
三郎さんの言葉を借りればそれを「自由な移動」と言うイメージで捉える
ことはそれほど難しいことではないだろうからです。
然るに、アジア系の(単純なカテゴリー化はさしあたりお許し願います。)
単純労働者の移民が「自由な移動」たりえているだろうか、と言うことです。
それは資本主義的な現実に強いられているだけではないでしょうか。

661名無しさん:2000/07/06(木) 20:28
三郎氏の「世界市民」とか「共同体」って、かつてのマルクス主
義者の「プロレタリアート」とか「共産主義社会」とよく似てい
る。あえていうなら論理構造が同じなんですね。

> 「世界」「人類」の地平から見れば、これは低次の地平です。
> 「世界市民」とは、政治的な共同体としての「コスモポリス」が
> なお存在しない現時点では、「国家」と「ナショナリズム」の
> 地平の限界、その劣位性をしかとし認識し、これを「世界」「人類」
> の方に向かって否定していく運動として存在します。

このあたり、ほんの少し「テクニカルターム」と言葉遣いを変
えるとドイツイデオロギーかなんかのなかに出てきそうな文章
です。

ただ、そういう理念的なレベルの外に出ると、アメリカと一部の
列強のユーゴ空爆をもろ手を上げて礼賛したり、クリントンやら
トニーブレアを持ち上げて見たりするわけです。そういった本来
希望でもなんでもないものに無理やり「希望」を見出そうとする
ところに三郎氏の悲劇を、僕は見ます。

アフリカでのジェノサイドには無関心を装い、ユーゴに介入する
アメリカの空爆に、「共同体」をみるというのは、運子を金塊と
言いくるめる類の詭弁にしかすぎません。


662おにのふぐり>三朗さん:2000/07/07(金) 00:59
>657
>>『あらゆる市民にグローバルな規模での「移動の自由」の保障を
>>「基本的な人権」として保障すべきだと思います』
>このように言いましたが、これはグローバルな「コスモポリス」(政治的共同体)が
>形成された状態のことです。

この文章の意味がよく分かりません。

663名無しさん:2000/07/08(土) 01:36
なんだか、話がさっぱりかみ合いませんねえ。
瀬戸さん、三郎さんの相手してやってくださいな。
664三郎:2000/07/08(土) 01:42
>662
 もう、あまり議論したくない気持ちになっているのですが、一言だけ書きます。
 「コスモポリス」ですが、それは世界的な規模で並存してきた「主権国家」(同時に「領域(テリトリー)国家」でもあります)が消滅したあとで、あらたに形成されたグローバルな規模での政治的共同体です。単なるモラル的共同体でなく、世界的な統治体をもちます。「ポスト主権国家としての多元的国家」や「地域的統治体」から構成される多元的に分節化された統治体ですが、世界憲法で「移動の自由」が保障されることになります。なお、この状態においてはそもそも「移民」はありえません。「移動」はあってもそれは「移民」ではなくなるからです。なぜなら、そもそも「移民」は「主権国家」の並存を前提にした概念であり、「主権国家」の並存状態が世界からなくなると「移民」もなくなるからです。
665三郎:2000/07/08(土) 01:46
 近代になって、「主権国家」と「国民経済」とが照応するかたちで存在してきました。国家は「国益」の判断に従って、外部からの「移民」を厳格にコントロールしてきました。しかし、グローバリゼーションが進行するなかで「主権国家」も「国民経済」も転形しつつあります。
 この20年間、先進国から途上国への「資本の移動」の拡大とともに、「仕事の移動」も進んできています。富の国際的な再配分という点では、これは、移民労働者の送金以上の効果を持っています(去年のシアトル事件では、アナキストと並んで、AFL CIO つまりアメリカの大労組も「グローバリゼーション反対」に立ち上がりましたが、もちろんアメリカの労働者の失業を心配しているのですね)。
 先進国にあった「仕事」の途上国への移動だけではありません。トランスナショナルに経済活動を展開する企業は、はじめから複数の国で経済活動を展開しています。ある経済学者は、その場合、その企業は先進国と途上国のあいだで「仕事のシェアリング」を行っているのだといっています。いずれにせよ、経済のグローバリゼーションと先進国による「できるようにする援助」(前出)によって、途上国の経済が豊になれば、故国を離れて先進国で働かなければならない、人びとも減少するでしょう。
666三郎:2000/07/08(土) 02:03
 しかし、経済のグローバリゼーションを推進するということは、世界規模の自由放任を意味するわけでなく、新しい世界的な経済統治の枠組みを作り出す必要があります。「世界経済の安定」や「持続可能な開発」のための規制、「南北問題」解決などのための制度や機構をつくる必要があります。「移民」(「不法移民」対策をふくめて)をあつかう制度や組織もふくめてね。
 そういう状態に向かって、日本が「国際貢献」すること、それは日本国の「国益」にかなっているのではありませんか(念のために言いますが、これは百歩譲った地点からの、つまりモラルを突出させない「開明的な国益」の立場からの議論です)。私は少々の混乱があっても外国人労働者を入れるべきだと思うのですが、「ゼロ」にすべきだとか、可能限り少なくすべきだとおっしゃる方々は、私なんか以上に「第三世界の貧困」の解決について真剣に考える必要があると思われます。
667そして沈黙:2000/07/10(月) 13:21
理想主義と現実主義の議論かなと思っていたけど、
違っていたんですね。
ゼロとは、何かはぐらかされたというか、
しらけさせましたよね。
ここいらで、話題転換といきましょう。
668名無しさん:2000/07/10(月) 23:11
放置プレイ?
669あげ:2000/07/11(火) 01:02
あげ。
670名無しさん:2000/07/11(火) 01:21
おーい田原一郎よ、
スレッド立てた責任者として、スレッド締めるなり、
話題変えるなり、論点整理するなりしておくれ。
671三郎:2000/07/11(火) 01:54
その前に----
661さんへ
>三郎氏の「世界市民」とか「共同体」って、かつてのマルクス主
>義者の「プロレタリアート」とか「共産主義社会」とよく似てい
>る。あえていうなら論理構造が同じなんですね。
マルクス主義の「プロレタリアート」は、単に理念的な存在であるだけでなく、資本主義経済の内部に位置する実在的な存在として理解されていました。また「共産主義社会」は、それに向かって歴史が発展していく「歴史の終わり」であり、「歴史の目的」と見なされていました。「プロレタリアート」は、この「歴史」の「主体」と見なされていました。マルクス主義は、ほんとうはドクマチックな歴史哲学でしかないのです。
 わたしは「世界市民」とか「共同体」を倫理ないしモラルの次元で語っています。歴史の必然性や法則性とは無関係です。
論理構造は違うと思うんですが、いかがでしょうか。
672名無しさん:2000/07/12(水) 23:32
>667
意味ワカラン。
673名無しさん:2000/07/12(水) 23:34
age
674667:2000/07/13(木) 00:24
>672
俺は、
おに某は現実を背負うようなかたちで、
三郎の理想論を批判している、と見ていた。
しかし、おに某はぜんぜん外人を入れないというではないか。
これは現実的でない。現実主義でない。
すでに現在入っているんだから。
国益を考えつつ、国際社会の動向にもソコソコ配慮するほうが、
現実的ではないか。現在の日本はそれをやっている。

675アナーキスト:2000/07/13(木) 03:06
久々に書きこみます。

>667氏

論理展開としては、現実主義者の論理バックボーンは「現実」によってのみ規定され得るので
仮に「昨日の現実」と「今日の現実」が正反対の物であるなら現実主義者は主張を180度転換
せざるを得ず、時間的要因を無視して原則を語ることは出来ないはずなんですよね。
おにのふぐり氏は「現実主義者」であるにも関わらず「原則」を語ってしまったところで三郎
氏の術中にはまったかな、というのが外野から見た印象です。

規制しようがしまいが「現実として」外国人労働者が日本に入ってくるのですから、せめて犯
罪が起こらないようにするのにどうすれば良いのか、というような方向性で議論を進めた方が
「現実的」な議論になると思うんですけどね。
676名無しさん:2000/07/13(木) 03:29
>規制しようがしまいが「現実として」外国人労働者が日本に入ってくるのですから、せめて犯
罪が起こらないようにするのにどうすれば良いのか、というような方向性で議論を進めた方が
「現実的」な議論になると思うんですけどね。

規制しようがしまいが「現実として」未成年犯罪が日本で起こっているのですから、せめて凶悪犯
罪が起こらないようにするのにどうすれば良いのか、というような方向性で議論を進めた方が
「現実的」な議論になると思うんですけどね。

 とすればこの方の思想のおかしさが浮き彫り。

677名無しさん:2000/07/13(木) 21:59
> 671

碩学の三郎氏に、異議を唱えるほどの学識はありませんが、とりあえず。ま、胸を借りるつもりで幼稚
な自説を展開させていただきます。

>マルクス主義の「プロレタリアート」は、単に理念的な存在であるだけでなく、資本主義経済の内部
>に位置する実在的な存在として理解されていました。


率直に言って、マルクスにとっての「プロレタリア」とは体系的を構築するに考案された理念的(倫
理的)なものをという印象があります。実在の労働者と関係なく構想されたからこそ、後にレーニン
は実在の存在である「労働者」に対して、インテリがプロレタリアートの意識を注入するなどという
ことを言い出しました。「労働者ななんてほっておいたら賃上げのストをするくらいがせいぜいだ」と
レーニンは言っていたと思います。

つまり、即自的な労働者階級と、理論体系の中の「プロレタリアート」は、それぞれがどのくらいは
っきりと意識していたかどうかは別にして、かなり別個のものです。

そこで、

マルクス主義者の中での「プロレタリアートの世界史的な役割」というのは、三郎氏においての「世界
市民」同様徹底した「観念」の一人歩きに過ぎません。ただ、どちらもその時々の情勢の中から都合の
いい部分をとりだして自分の主張の根拠付けを行いますが。(ただそれは、数十年のスパンで見ると馬
脚をあらわすわけですが)

678名無しさん:2000/07/13(木) 22:27
> わたしは「世界市民」とか「共同体」を倫理ないしモラルの次元で語っています。
> 歴史の必然性や法則性とは無関係です。

三郎氏の場合、「グローバリズム」についての情勢論が、「歴史の必然」代用品になっていると思い
ました。
679三郎:2000/07/15(土) 01:58
>677
 マルクス主義者は、資本主義的生産様式の発展。階級闘争の進展。この両者が進行するなかで、革命が到来し、その際「プロレタリア独裁」が必然化する。そしてこの過渡期を経て「共産主義社会」へと移行する---という言説を信じてました。この言説には、「階級の社会主義」、「目的論的歴史観」、「大きな物語」、「経済還元論」、「疑似科学」などが存在します。わたしはこれらのすべてに反対です。
 「歴史の主体」。歴史を動かす、つくる、大文字の主体なぞどこにも存在しません。存在するのは、さまざまな具体的な状況の内部におかれた諸主体でしかありません。それらは最高度に大げさに言ったとしても「歴史の中の主体」です。
 歴史は「主体」の生産物ではあり得ません。その「主体」が「世界精神」であろうが、「プロレタリア」であろうが、「人間」であろうが、「世界市民」であろうがね。歴史はさまざまな主体の実践をその内部に含みこんだ複合的な諸力の所産です。
 「世界市民」とは、階級のように、社会的な諸関係のなかで共通の客観的な位置を共有する人びとの集群のようなものではありません。それは「精神」や「実践」としてしか存在しません。たとえば、先進国の市民や労働者や知識人の「アンガジュマン」として(さまざまな運動)、あるいはお茶の間の「シンパシー(憐れみの情)」として(ドラエモン募金)として。その瞬間には「主体」が存在するでしょうが、持続的な主体ではあり得ないことはいうまでもありません。
 わたしの書き方になにか「大きな物語」のように聞こえるところがあったかも知れませんね。なお、「歴史の主体」と「歴史の中の主体」の区別はアルチュセールよるものです。
680三郎:2000/07/15(土) 02:12
>678
 わたしは「グローバリズム」という言葉は一度も使ったことはないつもりです。「グローバリゼーション」という言葉は使いしましたが。
 20世紀末という時点で回顧的に見ると、大航海時代から(あるいは、もっと前から)「グローバリゼーション」という現象が、ジグザグを描きながら進行してきたように見えます。それが、帝国主義や植民地主義という形態をとったこともありました。1930年代には、大きなリアクションもありました。冷戦時代には、東西対立という大き分裂の枠のなかに制約されたかたちで、「グローバリゼーション」の動きがあったと見ることもできます。そして、冷戦終結は一気に「グローバリゼーション」を世界の人びとの意識にのぼせました。実際、20年前には「グローバリゼーション」という言葉はほとんど目にしませんでした。
 わたしは「グローバリゼーション」とういう「現象」、「一連の諸出来事の集合的な特徴」ついて語っているつもりで、それを「歴史哲学」的にとらえているわけではありません。「歴史の必然」とか、「歴史の目的(終わり)」とかいうのは、「歴史哲学」です。
 「歴史哲学」ではなくて、人類の活動の活発化によって、人類の活動範囲が拡大してきている、という単純な事実が「グローバリゼーション」の根抵にあるというだけの話だと思うのです。「グローバリゼーション」は「歴史の必然」とは考えていません。むしろ、歴史とは「偶然」の累積でしょう。それをどう理解し、解釈するかはつねに開かれた問題です。しかし、今日多くの人びとが、その「偶然の累積」のなかに「グローバリゼーション」を見て取っているのには、理由がないわけではありません。
681アナーキスト:2000/07/15(土) 02:34
>676氏

少年犯罪と外国人犯罪では犯罪を形成する要因が異なりますので、そういう所を無視して
私の意見を安易に一般化されても、思想がおかしく見えるのは当たり前です。

これ以上誤解の無いように、もう少し具体的なレベルでの話をしておきます。

外国人犯罪が起こる原因として、為替レートによる賃金格差のために外国人が日本での単
純労働を行う事への需要が多いにも関わらず、日本の入管法が在留資格に単純労働者を認
めていない事、その結果、蛇頭等の国際犯罪組織が不法入国の斡旋や偽造パスポートの作
成など密入国ビジネスを行う下地が形成され、バブル経済の隆盛と共にそれらが急成長し
た事、密入国ビジネスを利用して日本に入国した外国人は、多額の渡航費用や地下銀行の
理不尽な送金レートなどで経済的に搾取され続け、生活苦から金銭にからむ犯罪を起こし
やすくなっている事などが挙げられます。

取り締まりに割ける人員に限界がある以上、外国人犯罪への対処としては害の大きい国際
犯罪組織への対策を優先すべきですし、事実、政府は国際犯罪組織を摘発するための専門
チームを発足させていますが、国際犯罪組織の方も年々手口が巧妙・悪質化していますの
で摘発だけに力を入れても結局イタチゴッコにしかならず、抜本的な対策にはなりません。
犯罪発生要因の解消も合わせて考えるべきです。
国際犯罪組織が密入国を行うのは、つまるところ「それが金になるから」なので、逆説的
に言えば正規の入国ルートを確保して単純労働者をそこから流入させるようにすれば、密
入国ビジネスのメリットが薄れて不法入国者数の減少が期待できますし、合法的に入国し
てきた単純労働者は労働関係各法によって保護されるので正当な賃金を受け取ることが出
来、なおかつ日本人労働者との競争が公正になります。更に、万が一それらの外国人が犯
罪を起こしたとしても各種身分証明書類から犯人の特定が可能ですから捜査は容易になり
ます。外国人問題に関して人権派団体に与えるクレームの口実が減るというのもメリット
の1つかもしれません。
682アナーキスト:2000/07/15(土) 02:35
(続き)
そう考えると、「排除」政策よりも「管理」政策の方が犯罪対策としては有効なのではな
いか、そのためには入国管理法を改正して在留資格に「単純労働者」の項を追加すべきで
ある、というのが私の考えです。意図するところは流入する外国人の質的向上であって、
現時点での量的増加を必ずしも推奨するものではありません。

少年犯罪の主要な問題は「少年法で定める罰則規定が実際の少年犯罪行為に対して軽すぎ
て犯罪抑止効果が無いのではないか」という事ですので、問題の本質が根本的に違うとい
う事を676氏は理解してください。

最後に、資料として次のホームページを挙げておきます。真に現実的な議論をするつもり
なら、ここの「出入国管理基本計画」のページは読んでおいて損は無いです。

『入国管理局フロントページ』
http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan01.htm
683おにのふぐり:2000/07/15(土) 23:16
三朗さんがもうあまり議論したくない気持ちになっている、
と言っている上に、こちらも主張にまるで根拠も一貫性もなく、
矛盾や間違いを指摘されるとレッテルを貼ったり人格を
攻撃してくるような不誠実な人間に無理して
付き合う必要もないだろうと思い、放置してました。

それに前にも他のスレッドで言いましたが、
ドグマを信奉しているカルト信者もどきなど相手にしても
しょうがないと思っていますしね。
自分の思い込みだけしか頭になく、論理の通用しない人間相手には
討論が成立しませんから。

しかし、また書き込みが増えているし、やはりきちんと最後まで
付き合うべきだと思い直したので再登場します。

684おにのふぐり>674:2000/07/15(土) 23:17
>667、674
>おに某はぜんぜん外人を入れないというではないか。

私は確かに641の質問に648で原則的に拒否、と言っていますが、原則とは
『〔特別な場合を除き〕大部分の場合に適用される基本的な規則・法則 』
(グランド辞スパより)です。
ですから『原則的に拒否』は、なにがなんでも、どういう条件であろうとも、
一人たりとも絶対いれるな、という意味にはならないんですよ。

入管法にもあるような、一定以上のレベルの専門的な職種の技術者等
なら別に反対はしませんよ。どこの国でもだいたいそうですしね。
それにここで問題になってるのは単純労働者だと思ったので。
(第一、移民問題といえばほとんどの場合単純労働者を問題にします)

でも、今三朗さんの641の問いの元となった613の発言を見かえすと、
>原則的な反対論なのか、条件しだいでは導入は認められるのか、
>というところまで論じて欲しいのですが、いかがでしょうか
と書いてありました。上記のような質問の後で「原則的に拒否」と言えば、
私の発言が全然外人をいれないと見なされてもしょうがないかもしれません。
私の書き方が悪かったですね。
685おにのふぐり>674:2000/07/15(土) 23:19
あなたはどうも649の私の発言
>たとえ小規模であっても、被害が 0 でないなら
>OK しないほうがいいんじゃないですか? 常識で言って。
を読んではぐらかされたと感じ、気に入らないようですが、
三朗さんは
>ポイントは、この《大きい》《小さい》の程度なんですよね。
>数の大小なら、絶対的でなく、相対的な次元の問題です。
>程度問題なんですから、折り合いを付けれることも不可能ではない
と発言している割には、「開明的な(啓蒙化された)ナショナリズム」
を促進させることによってどのようなメリットが生まれるかを
具体的にはまったく提示できていません。

相対的な問題というならメリットとデメリットを比較するべきなのに、
どのようなメリットがあるかを説明もしないでいきなり
『大損じゃなくて、少しの損だったらしてもいいんでしょ?』
という風に聞いているように感じたので、
『そんなわけないでしょ』
と上記のような発言をしたまでのことです。

ちなみに私は、三朗さんがあんな中身のない文章ではなく、
移民を受け入れることによるメリットを、
具体的にこちらが納得できるように説明してくれて、
その三朗さんのあげたメリットがデメリットを上回ると判断すれば、
三朗さんの移民受け入れ案には別に反対しませんよ。
しかし、三朗さんの言うような荒唐無稽で非現実的な
移民受け入れ案はまったく説得力がないですけどね。
686おにのふぐり>674:2000/07/15(土) 23:20
>国益を考えつつ、国際社会の動向にもソコソコ配慮するほうが、
>現実的ではないか。現在の日本はそれをやっている。

言ってる事は別に間違っていないと思います。

しかし、移民受け入れのような経済・文化などのその国の根幹にまで
関わるような大問題をそういった事に利用するのは浅はかとしか思えません。
譲歩していい問題と譲歩してはいけないものがあるんですよ。
第一、先進国は移民受け入れには消極的というのが国際社会の動向です。

それに他国を援助するために移民を受け入れた国などありません。
687おにのふぐり>アナーキストさん:2000/07/15(土) 23:23
>アナーキストさん
>おにのふぐり氏は「現実主義者」であるにも関わらず「原則」を語って
>しまったところで三郎氏の術中にはまったかな、というのが外野から見た印象です。

>規制しようがしまいが「現実として」外国人労働者が日本に入って
>くるのですから、>せめて犯罪が起こらないようにするのにどうすれば
>良いのか、というような方向性で議論を進めた方が「現実的」な議論
>になる思うんですけどね。

どういう理屈なのか、まるで分かりません。

しかし・・・アナーキストさんは、
理想主義者は言ってることがコロコロ変わろうが、
事実誤認や根拠のない断言をしようが、ダブルスタンダードをしようが、
無知であろうがかまわないが、現実主義者は言葉じりにまで気を使え、
とでも思ってるんですか?
ずいぶんとまあ現実主義者には厳しいんですね。

まあ、あなたの主観的な印象批評などどうでもいいことですが。

688おにのふぐり>三朗さん:2000/07/15(土) 23:24
>三朗さん
一度、じっくりと過去ログを読み返したほうがいいですよ。
言いっぱなしもなんですから、三朗さんのよくないところを具体例を
挙げて説明してみます。

@言うことがすぐに変わり、一貫性がまるでない。

>移民を推進すべきだという議論は労働力の問題から来ている。
>外国人労働者の大量流入は、日本の経済的な利益になる。
>生活水準をダウンさせないためにも移民を受け入れることは必要だ。

と言っておきながら、反論されると

>みなさんは経済に対する効果、リスクやコストにとらわれすぎだ。
>「負担」「犠牲」が《大きい》場合でも外国人労働者、
>移住者を受けいるれるべきだというのがわたしの立場である


>わたしは、「未来」を語っているのではなく、
>「現実」を語っているつもりです。

といいながら、現実を無視した発言を批判されると

>過去や現在の事例に目を奪われるのではなく、長期的な観点から、
>未来に向かって前向きに思考したいものです。
689おにのふぐり>三朗さん:2000/07/15(土) 23:25
A無知や思い込みによる発言が多い。

>商品、資本、技術などのトランスナショナルな移動の増加の次の段階には
>人の自由な移動の段階的な増大が進んでいくことになるでしょう。

>いま戦争の時代は終わりつつあります。

Bダブルスタンダードをとる。

>移民受け入れ反対者は、
>「今後、われわれ国民の生活水準が低下してもかまわない」
>ということに関して国民的な合意を取り付ける必要がある。

と言いつつ、自らは
「負担や犠牲が大きくても移住者を受けいるれるべきだ、それが義務だ」
と繰り返すばかりで合意を取り付けるつもりもない。

>理念的主張よりも、現実的な力は「経済的ニース」ですから、
>反対派の皆さんはこれに対抗する論理を構築する必要があります

と言いつつ、移民受け入れは経済的問題が多いと批判されると

>最近、この国のピープルは、かってよりもモラル的な関心を
>もつようになってきていることにも注目したいと思います。
690おにのふぐり>三朗さん:2000/07/15(土) 23:28
C偽善的である。

>どの国家も国民も「国際共同体」の構成員として、「義務」や「責任」を負います。
>私的な利害関心の利己的な自己主張ではなく、
>公的な義務と責任を果たす必要があります。
>個人もアソシエーションも、国家と並んで、
>市民社会や国家の内部だけでなく、その外部、世界で国際貢献する時代です。

個人もここまで義務と責任を負うと主張し、また

>「負担」「犠牲」が《大きい》場合でも外国人労働者、
> 移住者を受けいるれるべきだ

と、日本政府や日本国民にここまで要求しておいて、
当の三朗さんはなにかやっているのかと言えば

>私は日本国家のなかに生まれ、生活し、これからも生活していこうとしています。
>空間的には国家のなかに存在しつつも、
>精神においてはその外部にでることにあります。

これだけです。具体的には何にもしていないし、
日本からでるつもりもないようです。
三朗さんが自分の財産の中からかなりの金銭を寄付するとか、
第三世界の貧しい人々のためにその国にわたり、一生をボランティアに捧げるとか
それくらいのことをしない限り、まったく説得力がありません。
俗に言う『 口だけ 』です。
691おにのふぐり>三朗さん:2000/07/15(土) 23:30

>私は少々の混乱があっても外国人労働者を入れるべきだと思うのですが、
>「ゼロ」にすべきだとか、可能限り少なくすべきだとおっしゃる方々は、
>私なんか以上に「第三世界の貧困」の解決について
>真剣に考える必要があると思われます。

移民を受け入れても第三世界の貧困が根本的に解決するわけではありません。
578を読んで下さい。
それに日本に第三世界の貧しい人々をすべて雇えるほどの雇用先はありません。
第一、『日本に来れる人』とは向こうの国の金持ちである事が多いのです。
食うものにも困る人々は日本には来れないのです。
こんなことは常識で考えたってわかるじゃないですか。
それに労働力が日本にどんどんわたってしまったら、
その国の将来はどうなるんですか?

それから三朗さんは右翼をたいそう嫌っているようですが、
外国人が定住した結果、各国で問題が起こり、
フランスの国民戦線やドイツ共和党のような外国人排斥をとなえる
右翼政党が台頭した事についてはどう思ってるんですか?

はっきり言いますが、三朗さん程度の人間に真剣に考えろ、
などと言われる筋合いは私にはまったくありません。
それに真剣に考えた結果が三朗さんの今までのような主張だというのであれば、
あなたはあまり利口な人間ではないと思いますね。
あまりこういう議論に口をださない事をお勧めします。

692おにのふぐり>アナーキストさん:2000/07/15(土) 23:31
>アナーキストさん
>為替レートによる賃金格差のために外国人が日本での単純労働を
>行う事への需要が多いにも関わらず

その後の文章で彼らが合法的に入国した場合は
『労働関係各法によって保護されるので正当な賃金を受け取る』
とありますが、正当な賃金で雇わなければならないのなら
彼らへの需要などなくなるのではないでしょうか?

>正規の入国ルートを確保して単純労働者をそこから流入させるようにすれば、
>密入国ビジネスのメリットが薄れて不法入国者数の減少が期待できますし、

正規の入国ルートからあぶれた人々が不法入国しようとするだけですよ。
それに単純労働者を受け入れる気はないんだと
明確に各国へ知らしめておけば、日本に行ってもなかなか職にありつけないと
わかり不法入国者数は減るんじゃないですか?
現に甘い期待を持たせると余計に不法入国は増える傾向があるようです。

>なおかつ日本人労働者との競争が公正になります。

で、競争の結果、移民が負けた場合、彼らをどうするのですか?
用なしとばかり日本から追い出すのですか?

それに日本人が負けて日本人の失業率が上がったら?
政策とは自国民のために行うものですので、
こんなのは政策とは言えません。
693アナーキスト:2000/07/16(日) 05:34
>おにのふぐり氏
>ずいぶんとまあ現実主義者には厳しいんですね。

「現実主義者」の提示する「現実」が本人の主観によって定義されているという点で、私は現実主義
の有効性を認めていませんから、必然的に現実主義者には厳しくなりますね。
議論する上で、所詮「イズム」の呪縛からは逃れられませんよ。

氏の主張は「移民反対論者」の主張しては説得力があったんで、自身の立場に嘘をついて欲しくなか
ったんですよね。

>正当な賃金で雇わなければならないのなら
>彼らへの需要などなくなるのではないでしょうか?

その辺は市場原理が決めることで、状況によって需要は増減しますので、そう簡単に単純化出来る話
ではないでしょう。

>それに単純労働者を受け入れる気はないんだと 明確に各国へ知らしめておけば、
>日本に行ってもなかなか職にありつけないとわかり不法入国者数は減るんじゃないですか?

密入国ビジネスが日本での就職の斡旋を含む事を考えると、それは甘い期待でしょう。
また、制度として単純労働者を受け付けていても、単に需要が無い事を知らしめておけば同様の効果
は得られます。

>で、競争の結果、移民が負けた場合、彼らをどうするのですか?

労働基準法の規定通りに扱うだけです。

>それに日本人が負けて日本人の失業率が上がったら?

無能な日本人を雇うよりは有能な外国人を雇った方が生産性が上がって経済にとってはプラスになり
ます。一般に、競争原理が働いた方が全体の質的向上が望めます。

最後に、おにのふぐり氏は日本政府が「技術労働者」の受け入れに積極的だという事実をどうお考え
なのでしょうか?
外国人犯罪の発生要件としては、技術労働者も単純労働者も大差ないと思うのですが。
694名無しさん:2000/07/16(日) 06:08
>その辺は市場原理が決めることで、状況によって需要は増減しますので、そう簡単に単純化出来る話
>ではないでしょう。

なるほどアナキストなだけに,市場万能主義を通じた社会の破壊を
目指すんですね(笑)

695アナーキスト:2000/07/16(日) 23:37
>694氏

社会の破壊を目指すのであれば、「メディア洗脳」の方が方法としては遥かに優秀です(笑)。
J右翼やドキュン左翼程度の知能指数であれば、まず引っ掛かりますしね(藁)。
696名無しさん:2000/07/19(水) 02:02
一応、あげ
697名無しさん:2000/07/19(水) 02:11
えー 放置プレイのほうが良かったのに

三郎さんの観念論は気持ち悪くて
698三郎:2000/07/19(水) 23:38
 わたしは、自分では唯物論のつもりなんですが----。
 唯物論の雑誌に文章を書いたこともあります。

699名無しさん:2000/07/20(木) 00:11
なんかこのスレ一気に停滞したね。
700名無しさん:2000/07/20(木) 01:54
なんだかんだいっても、ある程度閉鎖した当初のパネルのほうがよかったんだろうね。
701世界戦略報道部:2000/07/20(木) 13:56
アナーキストさんへ
外国人犯罪の多発の原因を、我が国の閉鎖的な雇用状況と現在の不況と
考えて、その改善策を提案なされておりますが、我々の「外国人犯罪」の
中でも取り上げておきましたが、最初から犯罪目的で入国するものが
後をたたず、その者たちに対して所謂真面目に働いてきたとされる「不法滞在者」が
裏で協力してきた数々の事例が明らかとなってきております。

この問題で一番忘れてはならないのは、彼らの裁判における以下の言葉でしょう。
裁判官「何故、不法に滞在することが違法と知りながら、居座ってきたのですか?」
被告人「働き口が見付かったからです。それに帰っても金に成る仕事があるとは
限りません。」
つまり、彼らはただ自らの都合のみで動いていると言うことです。
日本のために何かをなしたいとか、日本で学び祖国に帰って何かをしたい
そういったことではなく、自らの金銭欲のためにだけ働こうとしています。
そのような人達のために、我々日本人が何をすればいいと言うのでしょうか?
702名無しさん:2000/07/20(木) 14:04
>つまり、彼らはただ自らの都合のみで動いていると言うことです。
> 日本のために何かをなしたいとか、日本で学び祖国に帰って何かをしたい
> そういったことではなく、自らの金銭欲のためにだけ働こうとしています。

俺達日本人だってたいがい同じだよなあ。
703名無しさん:2000/07/20(木) 17:55
>俺達日本人だってたいがい同じだよなあ。
愛国心、郷土愛の喪失ってやつだね。こういう人が増えてきて
今の日本がある。不法外国人が跋扈する日本が、ね。
704>701:2000/07/20(木) 19:33
>自らの金銭欲のためにだけ働こうとしています

立派に日本経済に貢献してくれてるじゃん。
あなたもしかしてアカですか?
705名無しさん:2000/07/20(木) 20:17
アカも極右も経済に関して無知なことでは同レベルなんだよ。
同じ穴のムジナでそれに気づいていないってのは脳味噌退化してる
証拠だよね。くわばらくわばら。
706名無しさん:2000/07/20(木) 21:13
>705
仮に,極右を瀬戸さんが,アカを三郎さんが代表するのだとすれば,
あなたの言うことは正しいね.
本当に彼らは経済のことを何も語らないし,そもそもわかってない…
707アナーキスト:2000/07/21(金) 00:51
>世界戦略報道部殿
>日本のために何かをなしたいとか、日本で学び祖国に帰って何かをしたい
>そういったことではなく、自らの金銭欲のためにだけ働こうとしています。
>そのような人達のために、我々日本人が何をすればいいと言うのでしょうか?

まず、論点を明確にしておきます。
第一に扱う命題は「外国人犯罪対策」であり、「道徳」ではないはずです。
議論は「どうすれば外国人犯罪を削減できるか」という方向でのみ進められるべきです。

それで、同様の対立構造の論戦は瀬戸氏著作スレッドでも展開されていますが、そちら
に移動しましょうか? それともここで続けましょうか?
本格的な反論は場所が決まってからにしようと思います。
708世界戦略報道部:2000/07/21(金) 08:59
アナーキストさんへ
「外国人犯罪」対策であれば、瀬戸代表の著作スレッドでやりましょう。
労働市場の開放や将来の移民問題など、外国人問題の一般論については
ここで続ければと思います。
まず、我々は国民とは何か?
それから入りたいと思います。日本という国家に生れ国籍を有する人のことです。
この国民にはこの日本という国家に生きる権利を与えられていますが、
これを何もせずに無条件で与えられると考えたら間違いです。
この国家に帰属して国家と運命を共にして生きるという、最低限の自覚が
必要となる筈です。
この自覚と覚悟があって、はじめて国民となれるのです。
ただ単に自分のことだけを考えて生きているのは非国民と何ら変りません。
外国人労働者は決して日本の国家に帰属しようとなどは考えません。
否、考える人が出てくるかも知れません。その人達は日本に帰化をすべきです。
日本国籍を望む者には、それを叶えてやるべきです。
そのことには反対しません。反対する所か我々の代表はかねてより、
日本国籍を取得する際の条件面での緩和措置や改正を訴えております。
709瀬戸弘幸:2000/07/22(土) 20:54
久々の書き込みです、労働市場の外国人への開放や移民の問題など
これまで行われてきた論争は一騎打ちといった素晴らしいものでした。
途中からは割り込めないような“すごみ”さえありました。
ところで、サミットも始まってもいることですから、違った方向に話題を振っても
かまわないでしょうか。
もし、皆さんの賛同がえられるなら、明日以降新しい討論の議題を
提起したいと思います。
勿論、これまでのおにのふぐりさんの討論も続けてください。
710三郎:2000/07/24(月) 00:26
 今回の「G8サミット」について、イギリスのメディアは、
第三世界の貧困の問題に注目しました。
BBCは「サッミトは先進世界の先例のない富は貧困国によって
分かちもたれる(シェアされる)べきだという要求で終わった」と報じています。
共同声明についても、「IT革命」についても触れていますが、
第三世界の貧困の問題を中心にまとめられています。
(なおブレア首相が麻薬についてのサミットを提案し、受け容れられた
ということも報じられています。)
日本ではIT革命と基地問題が話題になっていますが、
日本のメディアももう少し、第三世界に目を向けてもいいのではないのかと思いました。
http://news.bbc.co.uk/low/english/world/newsid_847000/847008.stm
http://news.bbc.co.uk/low/english/world/newsid_847000/847110.stm

ついでながら、今日の『オブザーバー』紙は、
「アナキストと反資本主義者」が新たな闘争を計画していると報じています。
9月末のプラハでのIMF会議と9月24日のブライトンでの労働党大会
が攻撃目標だとのこと。とくに前者では、シアトル、ワシントンのような闘争がまた見られるでしょう。
http://www.observer.co.uk/Print/0@`3858@`4043439@`00.html
711瀬戸弘幸:2000/07/24(月) 16:01
サミットで垣間見えたのは米国一極支配に対するヨーロッパと
ロシアの若き指導者プーチンの挑戦ではなかったか?
特にプーチン大統領は共産中国や北朝鮮と連携し、米国に対して
揺さぶりをかけているように見えました。
米国が今後の世界戦略において、日米関係をどのように捉えているのか。
これまで米国は共産中国や北朝鮮との外交交渉において、どちらかといえば
日本を外して自らの国家利益だけを優先させているように思えた。

日本と米国はクリントン大統領の言葉を借りるまでもなく「死活的に
重要」である。これは沖縄の軍事的な意味合いでなされた演説での
言葉だが、基地を提供している日本は今後の東アジアの世界情勢に
ついて、日米が共同して対処していく方途を探るべきと考えます。
712三郎:2000/07/25(火) 00:16
 冷戦後、アメリカではある程度の軍縮が進んだことは事実ですが、もっともっと進めることができたはずです。ラディカルな軍縮にまだ着手できないのは、軍産複合体と共和党の力が強いからでしょう。アメリカが第一次世界大戦以前の「孤立主義」にもどれば、軍縮は進むでしょう。「アメリカ第一」主義というヤツです。しかし、これでは困ります。
ロシアや中国の脅威を押さえるにはアメリカの力に頼らざるを得ません。
 近未来においては世界はアメリカのヘゲモニーのもとで平和と安定を模索していくしかないのではないでしょうか。
 アメリカを中心としつつも、しかし、アメリカの行きすぎを「チェックする」ことが必要です。だれが、どのようにこの「チェック」を行うのかが問題ですが、それは、安全保障理事会の非常任理事国である、ロシア、中国、イギリス、フランスということになるでしょうが、日本も「経済大国」として影響力を発揮できなくはありません。政治的意思と世界戦略をもち、戦費の負担、経済援助、自衛隊の派遣などを通じて、積極的に発言すべきだと思います。ただし、日本国の利害のために出はなく、世界の平和、安全、人権、民主主義のためにです。
713三郎:2000/07/25(火) 00:17
 90年代にふたつの重要な問題について真摯に取り組む必要があったはずです。しかし、まったくなおざりにされました。
 ひとつは、「冷戦」についてです。戦後日本外交には、「西側」、「東側」、「非同盟(ないしは中立)」という三つの選択肢があったわけですが、現実には「西側の一員」の道が選択されたわけです。これで良かったのかどうか。容共的な「非同盟」を良しとする進歩的な知識人がずいぶんいたわけですが、かれらは「冷戦」を回顧してどう考えているのか。
 もうひとつは、「社会主義」についてです。ソ連・東欧の「共産主義体制」の崩壊につてい、しっかり思想的、理論的に総括されなければなりません。日本のインテリのなかにはズルズルと総括抜きで「転向」していったひとが少なくありません。これでは新しい思想的な展望は出てきません。
 社会主義思想はすべてダメなのか、それとも社会主義の一変種であるマルクス主義的社会主義がダメのなのか。21世紀に社会主義の可能性はあるのか。これは真剣に論じられなければならない論件だと思います。
714瀬戸弘幸:2000/07/25(火) 07:12
21世紀における我が国のとるべき世界戦略については、三郎さんと
私の間にはそう認識の違いはないように思います。
内政面における考えには相当の違いがあるのに、日米の協調関係が
大切であるとの考えで一致するのは、互いに現実的な選択を重視している
からでしょうか。
私としては日米協調体制に対する批判を期待し、その反論を展開する中で
議論を進展させようと考えておりましたが、この点については左翼や国粋主義
者からの主張は、このスレッドでは期待できないようなので、別の視点に移ります。
ただ、三郎さんの指摘した、なぜあれほど堅固に思えた共産主義体制が
脆くも崩壊したのか?
確かにこの点については、識者もふくめて総括がなされたとは思えません。
20世紀最大の出来事である以上、それなりの総括はやらなくてはいけないでしょう。
715瀬戸弘幸:2000/07/25(火) 07:43
沖縄サミットを政府筋は無事終わったなどと安堵しているらしい。
森首相も失言もなく宣言をまとめ、やれやれといったところか。
しかし、なぜ沖縄での開催であったのかという、その意味を十分に
世界に示す事が果たしてできたのであろうか?
この点については誰しもが疑問に感じたのではなかったか。
日本政府がこの沖縄サミットにかけたお金は800億円である。
昨年のドイツのケルンサミットが25億円と比べても、その巨額さは
群を抜いている。
それほどまでに金をかけて、沖縄開催にこだわった理由は何だったのか?
それは東アジアの緊迫する国際情勢に対する討議であったはずだ。
軍拡を続け周辺諸国に脅威を与えつづける共産中国。
台湾の武力解放を撤回せず、チベットやウイグル地区への人権侵害を
止めない共産中国に対して、明確なメッセージを送るという目的が
あった筈だ。
しかしながら、その事に対する言及はなされなかった。
今回のサミットで一人ほくそえんでいるのは共産中国であろう。

沖縄の米軍が「死活的に重要」なのは、何故なのか?
沖縄サミットに集まった「世界の首脳」達は、その点に触れるべきだった。
このクリントン大統領の演説の意味を、首脳達が知らない筈がない。
しかし、あえて彼らは沈黙し反応を示さなかった。
世界を動かす事のできる首脳が一堂に会したというのに、まことに残念
の一言に尽きる。
716瀬戸弘幸:2000/07/25(火) 07:55
開催国である我が国の森首相は、サミット議長国として一体何を
訴えたのか?論評のしようがないほど、言葉が聞こえてこない。
一口でいってしまえば、ただそこにいたというに過ぎない。
どうも、森首相の頭にはロシアの新しい指導者プーチン大統領
の存在感のほうが大きいようだ。
確かにクリントンは退任する大統領である、しかし、だからといって
軽く見ていいのか?彼には多くの問題があったにせよ、彼が米国国民の
信頼を受けてきた指導者である事は間違いない。
クリントンとの日米首脳会談を最優先させるくらいの、政治姿勢があって
しかるべきだったろう。
717三郎:2000/07/26(水) 00:01
 米大統領選挙が近づきつつあります。民主、共和両党の党大会がこの一月に立て続けにあり、11月には本選挙ということですが、共和党のブッシュ予定候補は、
国防長官にチェイニーを据えるとのことです。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/americas/newsid_850000/850480.stm
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/americas/newsid_849000/849893.stm
このひとは、オヤジのブッシュがした湾岸戦争時の国防長官です。
 ブッシュ新政権下で、第二の湾岸戦争が起きたらどうするのか、日本ははっきりした世界政策をうち立てる必要があります。とくに、政権を担おうとする政治家
、政党は明確な世界政策を国民の前に提示すべきです。マスメディアもいわゆる「政局」記事でお茶を濁してばかりではどうしようもない。
 思えば、あの当時、社会党が冷戦時代と同じ対応しかできなかったことが、この党の、その後の凋落の一因になったのだと思います。
718三郎:2000/07/26(水) 13:17
>共和党のブッシュ予定候補は、
>国防長官にチェイニーを据えるとのことです。

書き間違えました、国防長官でなく、
ブッシュ政権の国防長官であったチェイニーを
副大統領候補にするということです。
719三郎:2000/07/28(金) 00:30
 自由党、自民党、それから民主党の一部に至るまで、
まだまだ「新自由主義」(ネオ・リベラリズム)にとらわれている
政治家が多いのではないでしょうか。インテリもそうです。
 しかし、イギリスでも、ニュージーランドでも、メキシコでも、
そしてアメリカでも、この新自由主義は悲惨な結果を生みだしたのではなかったでしょうか。
 これらの国々では、中間階級の没落、下層階級の窮乏化が見られました。
家族や地域社会の崩壊、モラルの崩壊、犯罪の多発もです。
 要するに「自由な市場経済」、「市場主義」、「市場社会」はダメだという点をしっかりと押さえる必要がある。
 ここいらへんが、加藤紘一や鳩山由起夫も曖昧です。
720三郎:2000/07/28(金) 00:31
 欧米ではこの反省に立って、日本流に言えば、「中道左派」
(英語では、センター・レフト)が台頭しているのが現状です。
 「民営化」「規制撤廃」「既成緩和」が、イコール改革ではない、
むしろそれらは社会的な混乱と悲惨とを生み出します。
必要なのは、「規制」と「規制緩和」との新しいバランスの形成、
公共セクターと私的(市場)セクターとヴォランタリー・セクター
との新しい混合経済の形成でしょう。
 このパネルデスカッションでは、マルクス主義者(複数)はいち早く逃亡してしまいましたが、新自由主義者、新保守主義者は登場しないのでしょうか。
 ところで、瀬戸さんは、いわゆる新保守主義についてはどうお考えでしょうか。瀬戸さんは、国家社会主義なのですから、批判的だとは思うのですが、いかかがでしょうか。
721三郎:2000/07/29(土) 00:07
 この10年間で「マルクス主義」を捨ててしまったインテリがずいぶんいます。
しかし、思想的、理論的総括をしないひとが大部分です。そういう人と話をしていると、私なんぞにはアンビリーブルなんですが、「ソ連」の「社会主義」を全面的ではないにせよ肯定的に見ていたのですね。全く彼らは強制収容所についてどう考えていたのでしょうね。
 もちろん、反スターリン主義だとか、西欧マルクス主義だとか、ローザだとか、グラムシだとか、ルカーチ、マルクーゼ、アルチュセールだ、ペリー・アンダーソンだ----などと言っていた連中もいました。しかし、そんな連中もいつの間にか「マルクス主義」離れをしています。「ソ連」が行き詰まったからといても、理論的にロシア・マルクス主義とは一線を画し、「ソ連」を従来から批判していた人びとなら、ほんとうは「マルクス主義」の思想や理論を放棄しないでもいいと思うのですが、彼らも「マルクス主義」から転向していった。
722三郎:2000/07/29(土) 00:19
 その理由は、どこにあるのでしょうか。
これについて皆さんのご意見をおうかがいしたいと思います。
 私が考えるに、ひとつには、そもそも反ソの立場を取る人びとのソ連批判が不徹底だったということがあったでしょう。つまり、多くのひとが、批判しつつも部分的には肯定していたんですね。トロツキー派なんかこれです。経済学者で言えば、エルネスト・マンデルなんかのような立場です。トロツキズムだけでなく、ソ連型社会主義を批判しても、国家中心の社会主義 (statist socialism)を信奉していたマルクス主義が多かったという事情もあったでしょう。つまり、ソ連崩壊に、単にソ連型社会主義だけでなく、国家中心の計画経済(これがかれらにとっての「社会主義」です)そのもの有効性の限界を見出してしまった。そこから社会主義そのものへの絶望に行き着いたのではないでしょうか。
723三郎:2000/07/29(土) 00:24
 もちろん、先進資本主義社会の「階級構造」の変化という問題もあります。今日、マルクスが考えたような「労働者階級」は人口の多数を占めるどころか、減少しつつあります。また、先進国では、「絶対的貧困」はごく少数の人びとの問題になってしまいました。これらは何十年も前から指摘されていたことであります。
 また先進国におけるマルクス主義諸派の政党の行き詰まりも大きく作用したことでしょう。70年代後半には「ユーロ・コミュニズム」に期待する向きもありましたが、今から考えると、あれが最後の「希望」だったのですね。
 そうした過程にあって、世のマルクス主義者もうすうす「マルクス主義」に対する自信というか、信念というものをしだいに失っていったのではないでしょうか。それが、「ベルリンの壁」「ソ連」崩壊をきっかけに、「マルクス主義」に対する「信念」(信仰)の決定的な崩壊へと至ったのではないでしょうか。
724三郎:2000/08/02(水) 00:41
 723はややきれい事のすぎたかも知れません。ここの転換者(転向者)関して言えば、
彼らのほとんど全員が、むかし大学や労組に入って、そのなかで圧倒的に「マルクス主義」が
広がっており、そうした雰囲気のなかで何か当然のように「マルクス主義」を「自然に」
「なんとなく」周囲の「空気」に流されて、信じるようになったひと人なんですね。
 要するに、世の左翼のなかには、マルクス主義なり、マルクス主義的社会主義なりが、
「知的」な過程を通じて、一つの思想、理論として選択されたわけではないひとが
圧倒的に多かったのです。
 おなじように彼らが、マルクス主義やマルクス主義的社会主義がから離れていったのも、
およそ「知的」とはいえない過程をたどるしかなく、新しい情況(たとえば、ベルリンの壁やソ連の崩壊など)が
うみだした雰囲気や空気になんとなく影響されてのことだったというわけでしょう。インテリや学者の中のも
こういうひとが多いのだから、情けない限りです。
725三郎:2000/08/02(水) 00:45
ひどい例ですが、むかし、「マル存主義者」がいたし、「マル丸主義者」もいました。
つまり、マルクス主義と実存主義が流行していたので、
あるいはマルクス主義と丸山真男が流行していたので、
なんの矛盾も感じずにその両方を信奉したひとがいたんですね。
マル丸主義者は、丸山のマルクス主義批判をどう読んだのでしょうかね。
(しかし、丸山がマルクス主義批判が不徹底だったという見方も可能なので、マル丸主義者だけの責任でもない、という見方も不可能ではありません)。
そういうマル丸主義者のなかには、ソ連崩壊後、丸山への帰依をいぜんよりいっそう深めている人がいます。マル丸の「マル」だめになったのだから、あとは「丸」しかないんでしょうね。
726!WU?:2000/08/02(水) 15:32
727瀬戸弘幸:2000/08/05(土) 06:22
>三郎さんへ
夏ばてで体調崩しており、投稿が遅れて申し訳ありませんでした。
新保守主義についてですが、革新vs保守という対立が先鋭化していた
60年代や70年代はそれなりに、その思想的な概念はしっかりしていたと思います。
しかし、冷戦構造が崩壊し国内において保革連立内閣が成立するにおよんでは
両者の違いにそう大きな隔たりは見えなくなった。
少なくても一般の人の目にはそう映っているのではないでしょうか。
そのような中でこれまでの保守主義に代わるものとして、否それを更に発展させる
ものとして新保守主義が叫ばれてきたのだと思います。
しかし、この新保守主義も果たしてそれほど理念的に確立されたものなのでしょうか?
確かに小沢自由党、自由主義主観派、小林よしのり派など、その範疇に入ると
思われるものはありますが、共通点はあっても相違点もたくさんあるようです。

私は国家社会主義と農本主義をあくまでも掲げる者なので、残念ながら興味もなく
不勉強で彼らのことについては余り論じる事はできません。
しかし、私は我々との明確な違いを挙げよと言われれば、次のように答えておきたい。
新国家主義と言ってもそれは二つの考え方がある。
一つは新・国家主義、そしてもう一つは新国家・主義である。
新保守派の目指すものは新国家・主義と私の目には映る。
新・国家主義は戦前のウルトラ・ナショナリズムの再生、もしくは焼きなおしに
一般の人の目には見えるかも知れない。
しかし、極右を標榜する我々はそう一般の人に思われる事こそ光栄の至りです。
728名無しさん:2000/08/05(土) 06:29
阪京=宮台説
729三郎:2000/08/06(日) 00:23
>727の瀬戸さんへ
>60年代や70年代はそれなりに、その思想的な概念はしっかりしていたと思います。>しかし、冷戦構造が崩壊し国内において保革連立内閣が成立するにおよんでは
>両者の違いにそう大きな隔たりは見えなくなった。
 その通りだと思います。1993年、保革野合政権ができてしまいました。これがいけなかった。自民党政権を倒すにもやり方があった。「自民一党支配の打倒だ」とか、「政治改革だ」とかいうことで、イデオロギー抜きの政権ができた。マスメディアもそういう方向ではやし立てた。
 そのときに、「保革対立は「冷戦時代」の構造で、もはその時代ではない」などとまことしやかに言われた。しかし、現実には、「保守」も「革新」も、「右」も「左」も、「冷戦時代」以前から存在したわけです。これは、何ともデタラメな理屈です。
730三郎:2000/08/06(日) 00:24
 わたしの立場で言えば、「日本の社会民主主義勢力は政権への参加に先立って、イデオロギー的な再構築をしておくべきだった」と思います。具体的には、日本社会党と民社党は、ちょうど総評と同盟がなくなり、「連合」ができた機会を利用し、それに対応するかたちで、再合同がおこなうべきでした。その際にイデオロギー的な再構築を行ったうえで、政権を展望すべきでした。社会党はこの時すでに「社会民主主義」の党ということになっていたのですから、これは不可能ではなかった。
 今では、社会党は社民党になりました。しかしその中味は護憲女性党です。北朝鮮擁護で、かってはポル・ポトまで擁護した(「虐殺はない」と言ってました)人物が党首をしています。民社党は解体し、旧民社系の人びとは新進党に入り、現在は民主党へ移っていますが、党内で中野寛政が社会主義インターへの加盟を主張したいますが、その可能性は皆無でしょう。民主党というのは、しょせん選挙互助政党でしかありませんし、旧民社系の人びとももともと社会民主主義イデオロギーという点ではずいぶんいい加減でした。党内で「『民社』の「社」は『社会主義』かどうか」が議論されていたぐらいですから。
 瀬戸さんは、現在の自民党のイデオロギー的な勢力分布をどうごらんになりますか。
731瀬戸弘幸:2000/08/06(日) 06:18
>三郎さんへ
>今では、社会党は社民党になりました。しかしその中味は護憲女性党です。
まったく、その通りですね。衆院選で社民党が善戦したのには、正直言って
驚きました。しかし、冷静に分析すれば辻本議員の選挙区などは、自民党が
公明党を支持していましたね。
しかし、嫌われている政党の1.2番は共産党と公明党です。
自民党の支持者の多くが公明党を嫌って、社民党の辻本氏に投票した
のではないでしょうか?

>現在の自民党のイデオロギー的な勢力分布をどうごらんになりますか
自民党がそもそもイデオロギー政党であるのか?
これは大いに議論すべき所でしょう。私はイデオロギーというものが感じられません。
確かに自由と民主主義というものはありますが、これが果たしてイデオロギーと言えるのか。
イデオロギーというからには、目指す社会における最終的な世界観があってしかるべきでしょう。
自民党はどちらかと言えば、既得権益で結びついた野合の集であり、
彼らを思想的な立場の違いで区別する事は難しいのでは・・・・・

ただ、政策的な違いや外交における選択肢の違いから、別けることは可能と見ています。
将来もっとも予想されることは、米国の大統領の選挙の行方とも
関係しますが、親米派と親中国派に分かれ対立することです。

親中国派は自民党の加藤氏をはじめかなりの数を占めています。
対して反中国派=親台湾派は少数です。
しかし、共和党が勝利すれば米国の対中政策は確実に変化します。
その時、米国に追随すべきでないと言った主張が必ず出てくるでしょう。
それは朝日新聞をはじめとするマスコミ、左翼陣営、そして大アジア主義
を掲げる民族派からも出る可能性があります。

中国への対応を巡って政界は勿論の事、全ての政治勢力を巻き込んだ
動きになると予想しております。
732三郎:2000/08/07(月) 00:43
>瀬戸さん
辻元清美議員が話題になりましたが、
この人はヨーロッパの社会民主主義の動向もよく勉強しているようです。
新自由主義の立場とは違う、「第三の道」的な「機会の平等」の概念、
それから「ステイクホルダー」論などよく勉強しておられます。
私の息子が生協の企画に参加し、田植えに行ったのですが、
辻元さんがこれらたのとのこと。息子が写真を撮ると、
「写真を撮ってくれたの、ありがとう」とやさしく話しかけたそうです。
テレビで見る辻元さんとは違った一面だと感じました。
この人は「護憲」ですが、しかし最終的には左からの「改憲」、つまり「第一章天皇」の削除、「共和制」への移行の立場です(これはテレビで言っていました)。
この人は政治家として見識のある人だと思います。「右」のほうの若手でこういう議員はいるでしょうか。
733三郎:2000/08/07(月) 00:54
>瀬戸さん
「自民党内部のイデオロギー的分布」と言ったらおげさかもしれませんが、
利権、利害、権力などで動く政治家がほとんどであることは事実ですが、
「右」よりの人と「左」よりの人とがいると見られているでしょう。
森首相は旧青嵐会ですね。例の発言に見られるように「右」の線が出ている。
それかの参議院議員の村上某は、生長の家出身でやはり「右」でしょう。
瀬戸さんが評価しておられる中曽根元首相も「右」ですね。
彼らは宮沢や河野や加藤紘一とは違うはずです。この三人は、戦後民主主義派、護憲派ですから。そういう党内の「左」「右」の分布をどう評価したらいいのか。
理念やイデオロギーよりも、利権や権力欲のほうが比較にならないぐらいおおきな要因になって政治家を動かしていると見て良いのでしょうか。理念よりも潜教ということでしょうか。そうすると、森はもちろん、中曽根も、「右」寄りはポーズだけということでしょうか。
734三郎:2000/08/07(月) 01:12
>瀬戸さん
 今日、中国の新彊へ行って昨日帰ったばかりの友人と会ってきました。
「将来、新彊ウイグル自治区の独立はありうる、そういう動きが必ず強くなる」
と彼は言っていました。
 ここでアメリカの問題が出てきます。今米本土ミサイル防衛網が話題になっています。ロシアと中国は大反対ですが、これはわかります。しかし、西側諸国にも反対論が多いようです。しかし……
 中華帝国崩壊、そして新彊やチベットの独立、内モンゴルの外モンゴルとの統一、台湾の独立。これらにはどうしても外部からの支援が必要です。しかし中国の核戦力が外部に対してにらみを利かしています。
 日本が軍事的に中国に対抗できないいじょう、どうしてもアメリカの力に依存せざるをえません。しかしそこから、「日本はアメリカのミサイル防衛網に賛成すべきなのかどうか」という問題がでてきます。
735三郎:2000/08/07(月) 01:42
8月6日はアメリカが広島に原爆を投下した日。
世界のメディアが「広島記念日」や「広島リメンバーズ」といった記事を掲載しています。

http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_867000/867902.stm
736瀬戸弘幸:2000/08/07(月) 07:03
>三郎さんへ
辻本議員は我々とは立場を異にする人ですが、私はそれなりに評価しています。
右サイトではいつも攻撃の対象になってはいますが、政界に進出してから
それなりの存在感を示してきました。本人がかなり意識して自分を演出されて
おられるのではと考えます。
大阪出身の漫才師がなぜ世間に受けるのか、その辺を十分に研究なされて
おいでのようです。
社民党の「護憲」思想については、別の機会に論じて見たいと思います。

自民党における「右より」「左より」の件ですが、確かにそのように分類する事は
できます。中曽根前首相にしても奥野前文部大臣にしても、戦前からの人の
方が、その右的立場には確固たる信念を感じますが、森総理の場合などは
残念ながらそれを感じません。
私が将来を展望した時、外圧と言うか外交問題が一つの重要なテーマになると
前回書きましたが、青嵐会、国家基本問題同志会などにしても、全てはきっかけと
なったのはそれでした。
田中前首相の日中国交回復、共産中国の靖国神社参拝への度重なる内政干渉
それらがきっかけとなって、所謂「右より」と呼ばれる集団が形成されました。
737瀬戸弘幸:2000/08/07(月) 07:16
続きです。
私は21世紀に我が国が直面する最大の危機は共産中国の存在であると前々から
考えてきました。共産中国の首脳らは日本という国を完全に見くびっています。
21世紀の中頃には日本などという国家は果たして存在するのか?
そのようなことを語ったと報道された事がありますが、私はこの発言を
冗談と受け止め笑い飛ばす事ができません。
近年、共産中国の軍事力の増強は、自国を防衛するという事よりも、周辺諸国
への恫喝や威圧のためになされているとしか思えません。
共産中国派今や世界でも類を見ない植民地帝国主義であり、この20世紀の
残滓を抱え込んだ国家の解体を目指す事こそ、21世紀にいきる人間の
努めであると思います。
これは日本だけでできるものではなく、米国、インド、東南アジア諸国など
広範囲な国々との連携が大切でありましょう。
738瀬戸弘幸:2000/08/07(月) 16:44
保守思想について書き残した点を付け加えてみます。
自民党の保守本流といえば、吉田茂から始まって池田勇人、宮沢喜一
といった方々でしょう。佐藤栄作や田中角栄も保守本流派に加えられる
と思います。
外交路線としては親米路線であり、国内政治では従来どおりの経済優先で
自由と民主主義というキリスト教を母体として発展した西欧の個人主義に
立脚していると言えます。

対して、中曽根康弘の場合は「伝統」回帰派と言えるでしょう。
このカッコ付きの伝統とは天皇制、民族共同体社会など、戦後の日本が喪失した
部分に共感を覚えるものです。
この考えは保守本流がお手本としてきた西欧の近代化思想とは、相容れない部分を
抱えております。
中曽根先生に続くこの「伝統」回帰派といえば、亀井政調会長率いるグループでしょう。
悲運の政治家だった中川一郎の子息である中川元農林大臣などが、このグループの
若きリーダーとして期待しています。
現在「伝統」回帰派の危機感は相当なものです。森総理の神の国発言が集中砲火を
浴びましたが、あの発言をしただけで森総理の支持率は急落しました。
政治家は全て結果責任です。まだ出発したばかりの森総理が何ゆえに
あの発言であれほど国民の反発を受けたのか。
その事に対する苛立ちはあると思います。
現在の天皇の象徴制というのは、古典的な意味での天皇制=「伝統」
の自己否定でもあります。
その自己否定が定着してしまった現代社会において、どのような方法において
「伝統」を回帰させていくのか?
まさに「伝統」回帰派は大きな壁にぶち当たっていると思います。
739名無しさん:2000/08/07(月) 16:47
なんだこのウザイ連中は
740名無しさん:2000/08/07(月) 17:10
>739

坊やは夏休みの宿題してなさい
741センターレフト:2000/08/07(月) 21:38
>730
確かに、社民主義勢力の合流する時期としては、1989年の連合結成の頃
がタイミングは良かったと思う。
だが、当時、社会党は、自衛隊・日米安保・原発の容認をしなかった。この
点が新党まで進展しなかった大きな理由だった。
1990年代前半に、社会党内で「創憲」が議論されたが、同様の議論が1980年代
中頃にされるべきだった。
社会党が、1980年代後半に、基本政策の転換を図っていれば、1990年の衆院選では、
新党が政権を取れた可能性があったし、仮に、ダメでも、次回の選挙で、日本新党や
さきがけといった保守新党との連携・合同もできたように思える。
742外野からのFAX:2000/08/07(月) 23:53
>730
>民主党というのは、しょせん選挙互助政党でしかありませんし、旧民社系の人びともも>ともと社会民主主義イデオロギーという点ではずいぶんいい加減でした。党内で「『民>社』の「社」は『社会主義』かどうか」が議論されていたぐらいですから。

 はなしが具体的になり、面白くなってきました。
お手数ですが、ここのところをもう少し説明して欲しいのですが。
743三郎:2000/08/08(火) 01:13
>瀬戸さんへ
「なるほど、なるほど」と読ませていただきました。
 1945年の「敗戦」。そして吉田茂に代表される「親米保守」勢力が保守本流に成っていったわけですね。吉田は「余儀なくされた妥協」としてこの道を選択したのでしょうが、吉田路線を歩んだ「保守本流」のなかには、単に現実にそのまますり寄っていっただけの人も多かったと思います。宮沢なんかはこれでしょう。池田以後は全部このタイプといってよいかも知れません(中曽根は違いますか)。

744三郎:2000/08/08(火) 01:23
 どの国家にとっても、「安全」が最重要の課題です。外部からの脅威、戦争が、「国家」にとって本質的な問題です。しかし、それとともに、自由や人権(日本国民はもちろん、すべての人類の自由や人権もふくめて)も大切です。
 現在の世界中になお非民主的政治体制の国が多数存在しています。われわれは、「あらゆる独裁に、例外なしに」反対しなければなりません。
 しかし、ここのところが分からない人びとがあまりにも多くいたし、現在もなお存在します。共産主義国家や第三世界の軍事政権を支持する人、擁護する人、その抑圧やジェノサイドを見て見ぬ振りする人がいます。政党やマスメディアもです。金正日を柔軟で、現実的な指導者とほめているキャスターがいる!
745三郎:2000/08/08(火) 01:30
 共産主義体制、共産主義国家をどう評価するか。この点で、進歩派、とくに日本の左翼、進歩派のなかに大きな誤りがありました。「人びとの自由や人権が抑圧されていること、ピープルの生活のすべてが統制されていること(全体主義)、これらの点においては、共産主義もファシズムも違わない」と思います。
瀬戸さんはファシズム、とくにナチズムについて違った考えをお持ちだと思いますので、とくに左翼やリベラルの皆さんに申し上げたいのですが、ハンナ・アレントは『全体主義の起原』(とくに、みすす書房から出ている邦訳の第三分冊の部分)で共産主義(ボルシェヴィズム)とナチズムとを同列に扱っています。これは、当然でしょう。
 ところが、戦後の日本の左翼やリベラルは両者のあいだに質的な区別を設けようとしました。左翼やリベラルの政治学者は、両者を「全体主義」の概念で一つにくくることに反対だったのです。たとえば、山口定(立命館大学)さんなんかはそうです。こうした見方の中には、共産主義に対する甘い評価があります。「ファシズムは絶対的に悪だが、共産主義はそうではない」というわけです。
 中国や北朝鮮については、日本の知識人の中には「贖罪意識」をもつものがおり、これが両国についての冷静の認識を妨げました。ソ連については「贖罪意識」をもつ必要は毛頭なかったはずです。ところが、この国の強制収容所、大量粛清などについて見て見ぬ振りをすることが、なにか「進歩的」なごとく見なされてしまいました。北ベトナム、そして東欧の共産主義国に関してもそうです。100万人にも及ぶ国民を虐殺したポル・ポト政権のカンボジアに関してもです。
746名無しさん:2000/08/08(火) 01:30
>744
むしろあなたのような人には、「金正日を柔軟で、現実的な指導者とほめているキャスター」
何ぞに動揺(はしてないでしょうね、でも)といか、相手にしないくらいの強情さを見せてほしいな。

なんでかていうとね、そういう批判なんて簡単だから。

747三郎:2000/08/08(火) 01:34
 共産党、社会党から、自民党の一部(たとえば、宇都宮徳馬)に至るまで、ここのところが大いに問題がありました。小田実や本多勝一のような人もそうです。共産党と社会党(そしてそれらの内外の知識人)は、ファシズム体制と大同小異の全体主義的独裁政権を擁護し続けたわけであり、ここのところの「総括」が為される必要があります。
 これは「冷戦」に対する評価に関わるわけで、当然アメリカに対する評価の見直しにもつながるはずです。ソ連を擁護した人、ソ連に寛大であった知識人の諸君は、「冷戦」がソ連の勝利というかたちで終結していたら世界はどうなっていたか、いちどじっくりと考えていただきたい、と思います。ソ連ではなく、アメリカが「冷戦」に勝利たことは、歓迎されるべきものでした。当たり前ではないでしょうか。
748三郎:2000/08/08(火) 01:41
 「日本国」の安全の立場だけでなく(瀬戸さんたちナショナリストはもっぱらこれを強調しておられますが、ナショナリズムからすれば当然でしょう)、「国際共同体」の立場、「人類」的な正義の立場に立っても、日本は、中国の独裁とその国内植民地体制(というよりも、周辺諸民族に対する帝国主義的支配)にたいしてきびしい姿勢をとる必要あると思います。
 第三世界における残忍な独裁政権に関しても同様です。たとえば、1989年の湾岸危機(イラク軍がクェートを占領し、国連がイラク軍を軍事的にクェートから排除する決定をしました)の時点で、日本は積極的に協力を行うべきでした。憲法上できないというのであれば、憲法改正を論ずべきでした。「冷戦」の終結は、社会党にとって安保、憲法についての基本原則を転換する絶好のチャンスでした。しかし、この党はチャンスを活かすことができませんでした。残念なことです。
 「日本国憲法」の理念は国際平和であり、国際協調です。日本が、諸国民が平和をめざして努力している世界にあって、名誉ある地位を占めることを憲法前文は求めています。この憲法の理念を実現するために、日本は、自国の安全と平和のみならず、国際的な安全と平和のために積極的に貢献すべきです。軍事的な貢献をふくめてです。
749名無しさん:2000/08/08(火) 02:09
昔、社会党の議員のなかに、
アメリカの原爆実験には反対するが、
ソ連の原爆実験には反対しない、
それどころが集会であらゆる核実験反対の発言を制止した人がいた。
これが社会党のいう非武装中立の正体だ。
こういうことを『正論』は書いたが、『世界』は書かなかった。
まさに戦後日本のラディカルの限界である。
750なにがし某:2000/08/08(火) 02:22
 社会党は党としては、すべての核実験に反対した。
 ソ連スターリン主義国家の核実験を組織的に擁護したのが日共。

 この路線対立が原水爆禁止運動分裂の原因となった。
 社会党・・・原水禁「すべての核実験に反対」
 日共・・・・原水協「ソ連の核実験支持」

↓参考(ソ連核実験を支持する日共・上田耕一郎)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7903/stalin/ussr/ueda.htm
大江健三郎『ヒロシマ・ノート』
751名無しさん:2000/08/08(火) 23:21
>750
 いわゆる社会主義協会はどうなんでしょうか。
 自主独立路線を取ってからの共産党もそうだったんでしょうか。
752三郎:2000/08/09(水) 00:07
>742
 「民社党」は1960年社会党から右派の一部が分裂してできた政党です。
西尾末広や西村栄一などが中心でした。後者は西村慎吾議員(自由党)の父親です。
同じ右派でも江田派などは残留して中途半端でした。分裂の直接のきっかけは、日米安全保障問題であり、イデオロギー対立ではなかったという事情もありました。
つまり、党のイデオロギー、社会民主主義の政治思想をめぐる議論が不徹底なまま、新党ができたのですね。
民社党側では、共産主義批判(それ自体は結構なことですが)ばかりが先行し、
外国、とくにドイツ社民党の共産主義からの脱却(ゴーテスベルク綱領)を高く評価する以上の思想的な展開はありませんでした。1945年に初めて単独政権の座に着いたイギリスの労働党は1950年代末にはすでに停滞期に入っていました。だから、日本の民社党が「西欧型の社会民主主義をめざす」というのは大変結構なことだったとはいえ、この時点では、同時にその限界を超えていく努力も必要だったはずです。しかし、民社党は、それよりも目前の左派主導の社会党や共産党に対する批判、要するにもっぱら共産主義批判、マルクス主義批判に党のイデオロギー的存在理由を求めたのです。自由主義的民主主義を社会民主主義の立場からどうみるか、その意義と限界を見定めたうえでの、時代の批判を展開することを怠りました。
753三郎:2000/08/09(水) 00:21
 「民社党」の党名は当初は「民主社会党」でした。その略称として「民社党」という言葉を使っていました。でも「自民党」や「社会党」と紛らわしく、言い間違い、勘違いも多かったので、数年後、略称を正式の党名にしたのです。
 もともと「民主社会党」という言葉は「民主的社会主義」の党を意味してたはずでしたが、しかし、いつの間にか、「社会主義」を忌避する風潮が党内に広がっていったようです。つまり、「反共産主義のヨーロッパ型社会主義の党」としてのアイデンティティというものを確立できなかったのですね。「社会主義」がかすみ、「反共産主義」だけになってしまいました。反共中道政党ですね。春日一幸のような中小企業経営者上がりの人物が党首になったりもした。選挙に弱いところがから、支持労組である「同盟」にひきずれらがちでした。三菱重工だとか。軍需産業の労働組合も多かったんですね。
 この党のイデオロギー的シンクタンクとして、関嘉彦(東京都立大、社会思想史専攻、後に民社党の参議院議員)を議長とする「民主社会主義会議」という政治思想団体までありました。しかし、この団体はこの党をイデオロギー的にリードすることはありませんですた。イギリスのフェビアン協会のように、先進国型の新しい社会民主主義思想を積極的に模索するどころか、しばしば自民党顔負けの反共タカ派の言説をくり返しました。民社党はなくなっても、この団体はなお存続し、現在の議長は、たしか堀江湛(慶大教授、政治学)だったともいます。
 民主党の旧民社党系の少数の国会議員、とくに旧民社党系の若手の活動家のなかに、
イギリスの「第三の道」に学ぼうという動きがあるようですが、詳細は知りません。
754三郎:2000/08/09(水) 00:23
>742
民社党や民主社会主義会議のなかでの「民社」の「社」が「社会主義」なのかどうか、
「社会主義」ではない、という情けないような議論については、共産党系の人の本だとは思いますが、以下を参照ください。
青木慧『政労使秘団……組織と人脈』汐文社、1983年、1200円
(最近、古本屋で100円で買いました)
755名無しさん:2000/08/09(水) 00:26
なにがしさんってずっとこぶし書房系のひとだと
思ってたんだけど…
ひょっとして向坂さん系?
756三郎:2000/08/09(水) 00:52
>755
こぶし書房は本当にエライと思います。
高島善哉や舩山信一などの著作集を採算度外視で刊行している。
これらの著作集は高価で個人で買うのは大変だけど、けっこう図書館なんかに入っているようです。梅本克己などの理論家の本も次々に出している。
日本マルクス主義の知的伝統を後世に残そうというのですね(日本共産党は、あまりにもセクト的で、そうした歴史的な事業を行わない。これは残念なことです)。
私もこぶし書房から出る本を、歴史遺産を守る事業を支援する意味で、できるだけ買うようにしたいと思っています。著作集でないけど、舩山信一(ヘーゲルやフォイエルバッハの研究者)の本を買いました。
 でも、こぶし書房、革マルの皆さんが、「将来、何十年かしてふたたびマルクス主義の出番が回ってくる、今はその時に備えて、冬の時代が過ぎ去るのをひたすら待つべきだ、その時に備えて日本マルクス主義の知的遺産を保存しておこう」……などと考えているとしたら、それはとんでもない間違いですよ。マルクス主義の時代は永遠に終わりました。
くれぐれも、勘違いしないように。
757センターレフト:2000/08/09(水) 21:03
>748
「国際共同体」という視点から考えれば、日本が、世界の安全について、
積極的な協力をすることは理解できます。しかし、日本は、十五年戦争
で、アジア諸国を中心に侵略をしているわけで、国際法に違反した国に対して、
軍事力を行使することには、海外(特にアジア諸国)に慎重論が根強いと
思います。
問題は、日本が軍事的な国際協力を行う際に、どこに上限を定めるのかでは
ないかだと思います。
想定される手段としては、以下の数点が考えられます。
@国連常備軍:宮沢喜一・田中秀征が構想。日本は、国際公務員として参加。
A国連軍参加:国連憲章第7章に規定されている国連軍。民主党が参加を検討。
B多国籍軍参加:湾岸戦争型。
C平和執行軍:ガリ構想。従来のPKOよりも、武力制圧を重視。
D国連平和維持活動(PKO):停戦監視、武装解除の監視等、国際紛争の仲介的役割。

個人的には、日本は国連に対してできる限りの協力をするべきだと考えますが、過去の
侵略の反省を踏まえ、武力によって制圧する活動は、控えるべきでしょう。
自衛隊を用いた軍事的貢献については、掃海活動・地雷撤去とか、PKOといった国際紛争
の仲介・紛争地域の地域復興のような活動をするべきだと考えます。日本や停戦監視業務等
は憲法との関係上、凍結されていますが、中立性、停戦合意、当事者が自衛隊の受け入れに
合意するといった条件が満たされていれば、凍結解除も検討されていいのではないでしょうか。
三郎さんはどのような軍事的貢献が望ましいと考えてますか。
758三郎:2000/08/10(木) 00:21
>757
>三郎さんはどのような軍事的貢献が望ましいと考えてますか。
 「他国が侵略されても関係がない」「ましてや他国のなかで大規模な殺戮が行われていも関係がない」というあり方。これがこれまでの国際秩序でした。日本の護憲論者はこうした国際社会のなかでの「日本の平和」を口にしていたわけです。
 これからは「国際共同体」が、主権国家による侵略行為はもちろん、主権国家内部における政府によるジェノサイド等の非道な武力行使に対しても、軍事的に対処することが必要だと思います。グローバリゼーションが進む今日、とくに先進国の市民のなかには、遠方の「他者」の悲惨な現実に「倫理」に敏感に反応するようになってきています。コソヴォのアルバニア人(イスラム教徒)虐殺の場合がそうでした。
 さて具体論となると難しいですね。
759三郎:2000/08/10(木) 00:30
 わたし自身としては、コソヴォのような事態があれば、日本も軍事的に参加すべきだと思います。湾岸戦争型の紛争に関してもそうです。これは、日本の「国益」のための軍事行動でなく、「国際的正義」のための、国際共同体の一員としての「義務」にもとづく軍事行動でなければなりません。しかし、その際、国会における多数の賛成、あるいはできればレファレンダム(国民投票)による過半数の賛成という、国民の合意が政治的な条件として絶対に必要だと思います。
 しかし、そのためには、法制上の整備が必要ですね。わたし自身は、国際貢献型の平和主義の憲法を制定すべきだと思っています。自衛隊も全面的な再編か、自衛隊を廃止し、別個の組織を作るかを、検討する必要があります。
760三郎:2000/08/10(木) 00:32
 理想的には、いまの国連ではなく、まったく新しい国際安全保障機構ができればいいのですが。現在の国連は大国主導でいけません。おまけに中国やロシアという人権や民主主義をないがしろにしている国が「拒否権」までもっている。1945年の国連発足時においては大国主導もやむを得なかったかもしれませんが、2000年の今の時点では再考を要します。現在ではほとんどの植民地が独立しましたし、世界中で民主化が進んでいます。
戦争についての人類の意識も変化しました。
 各国が自衛と治安の権力の一部を新しい国際安全保障機構に「委譲」(devolution)するのはどうでしょうか。これをするということは、「近代主権国家」の構造が部分的にせよ転形するということだと思います。
761センターレフト:2000/08/10(木) 21:57
>759
>自衛隊も全面的な再編か、
「国際公共的価値」を重視して、その実現のために、日本も一定の
軍事的役割を担うことは賛成します。
 しかし、自衛隊の全面的再編については、個人的には留保します。
というのは、従来の自衛隊の主たる任務は、国土の防衛で、専守防衛
が前提になっていたのを、大幅に変更するという含みがあるように思った
からです。言いかえれば、「国際的正義」を守るために、武力による制圧
を可能にするような、兵器を日本が保持してもよいという議論になりはしな
いだろうかということです。突き詰めれば、空母とか爆撃機をもってもいい
とも考えられる。その点についてはどう思ってますか。
 私としては、専守防衛の立場は堅持しつつ、貢献するべきだと思います。
具体的なイメージとしては、北欧とかカナダのようなミドルパワー国家型の
貢献が理想です。
 三郎さんの議論を聞いていると、ロナルド・ドーアや大沼保昭の安全保障
観に近いものがあるのかなという印象を持ちました。あと、旧社会党の若手
議員(ニューウェーブの会等)の一部にも見解が近いかな。


762三郎:2000/08/11(金) 01:21
日本は「普通の国家」を脱却せよ。
>761
 これまでの日本は「普通の国家」でした。
自分の国は自分の国で守るというのは「普通の国家」ですから。
(日米安全保障も、日本の国益という観点から選択した体制ですから、日米安全保障があるから、日本は「普通の国家」でないということにならないでしょう)
自衛隊は、「専守防衛」という枠をはめただけで、
自国の防衛を主たる任務にするという点では他の国の国軍と同じです。
 21世紀は、これまでの「普通の国家」を乗り超える時代で
あってほしいと思っています。
 過渡的は、、軍事力を、自国の国家意思にもとづいて自国を防衛のために
つかうというこだけでなく、国際的安全保障のために
国際安全保障機構に提供する必要がある、ということです。
なお将来、国際安全保障機構が本格的に発展し、制度化されたら、各国は自衛権を放棄するところまで行くべきでしょう。
 当然、日本が「国際貢献」のために
空母や爆撃機や巡行ミサイルをつくり、「日本国民と国際社会の合意のもとで」
そうした兵器を使用することは差し支えないでしょう。「国際貢献」のための
そうした兵器を自国防衛のために使用することも、わたしは差し支えないと思います。

763センターレフト:2000/08/11(金) 13:31
>762
 日本が「国際貢献」のために、空母や爆撃機等を製造し、日本国民と国際社会の
合意があれば使用を構わないという点について。
 外国(特にアジア諸国)は、日本がどのような目的であれ、外征能力を持つ兵器
を保有することは反対するでしょう。近隣諸国との軍事的な緊張を誘発することに
なり、東アジアの安定保障にマイナス要因を作ることになる。
 日本の軍事的貢献に表立って反対する国は、少なくなっているが、それは、限定的
な協力に止まっていること、自衛隊の能力がまだ外征できる能力を有していないこと
ではないからだと考える。
 国際的安全保障機構を発展させることはもちろん重要で、日本もその実現のために、
最大限協力するべきだが、現行の自衛隊の構造をドラスティツクに変えてまで行う
ことは必要ないし、するべきでない。専守防衛化の自衛隊でも、国際貢献は十分可能
だ。
 日本が、集団安全保障体制を構築するにはどのような方策が考えられるか。私は、
自衛隊の一部を国連待機軍化する必要があると考える。そして、アメリカ・韓国・中国・
ロシア・タイ等の環太平洋諸国と合同で訓練するなど、連携体制を整えるべきである。
764センターレフト:2000/08/12(土) 14:01
>748
 湾岸戦争後、「一国平和主義」的発想が、「利己的平和主義」(自分または自分の国が
安全であればそれでいいまたは、独裁やジェノサイドが行われていても、所詮他国の事だと
無関心を決め込むこと)につながることが露呈した。
 日本は「一国平和主義」から「積極的平和主義」への転換を図るが、安全保障のあり方
や憲法の見直しが活発に行われれるようになってきた。
 これらの議論の中で、個人的に注目していたのが、小沢一郎を代表とする新保守主義者、
旧社会党の右派、田中秀征などの保守系の護憲論者であった。
 新保守主義者と社民主義者の論調は、方法論では違いがあるが、国際的安全保障の強化
には、ある程度共通した考えをもっているように思えた。それに対して、保守系の護憲論者
は、国際安全保障の論点について、消極的というか現実的な構想力にやや欠けていた。
 1990年代全般の安全保障・憲法に関する議論について何か感想がありましたら、ご意見を
どうぞ。
 
765三郎:2000/08/13(日) 01:40
>763
>外国(特にアジア諸国)は、日本がどのような目的であれ、外征能力を持つ兵器
>を保有することは反対するでしょう。近隣諸国との軍事的な緊張を誘発することに
>なり、東アジアの安定保障にマイナス要因を作ることになる。
 そういう見方もできなくはないと思いますが、少し異論があります。
第一に、わたしも、「外国(特にアジア諸国)」の意向を配慮する必要があると思います。しかし、「外国(特にアジア諸国)」といってもさまざまであり、それら諸国を同等に扱うわけにはいきません(日本がかって「侵略」した国には、特別の配慮が必要でしょうが、この点についてはご異論はないでしょう)。
 近隣諸国のなかには、韓国や台湾のように民主的な政治体制が曲がりなりにも確立され、
政府の行動が多かれ少なかれ民意を反映している国もあれば、中国や北朝鮮のように独裁政治が行われ、政府の言動が民意を反映しないどころが、政府が人民の抑圧の上に成立している国もあります。
 しかも中国と北朝鮮は、第二次世界大戦後、侵略戦争をやらかした国であり、両国とも被侵略国に補償はおろか、謝罪もしていません。こうした国の権力者たちが、日本が国際安全保障に積極的に貢献することに賛成するはずはありません。
 第二に、あなたの考えでは、近隣諸国が「反対」でなく、「賛成」したら、「外征能力を持つ兵器」を持つべきだ、あるいはもってもよいと言うことでしょうか。たとえば、アメリカの孤立主義化という情況のなかで、中国の軍事大国化がすすみ周辺各国が中国の脅威に怯えているような状態、あるいは北朝鮮が韓国に侵攻した場合、また東南アジア諸国どうしの武力衝突に際して、近隣諸国からの日本に対する軍事的な期待が高まることもあり得ます。こうした場合には、日本がそうした期待に応えることについては、センター・レフトさんは構わないとお考えでしょうか。

766三郎:2000/08/13(日) 01:43
>763
>専守防衛化の自衛隊でも、国際貢献は十分可能
 これは憲法解釈にも関わる点ですね。当然憲法上、不可能という意見もあるでしょう。
現行憲法のもとで、「陸海空自衛隊が湾岸やユーゴや朝鮮半島のようなところで、たとえば国連多国籍軍の一員として戦闘行動をおこなう」ようなことができるでしょうか。たしかに、「自国の防衛は専守防衛で、しかし国際貢献はそれとは別」、という方式も考えられますね。しかし、それはやはりおかしいと思います。
 本格的な「国際貢献」ができるようにするためには、日本の世界に対する関わり方を根本的に再検討する必要があります。そのなかで日本国憲法の改正は避けて通るわけにはいかないと思います。というよりも、改憲論議のなかで日本の防衛と国際貢献をラディカルに国民的に議論すべきだと思います。そして改憲論議は、日本の未来に向かっての「変革のパスペクティヴ」のなかでおこなうべきだと思います。
767三郎:2000/08/13(日) 01:52
>763
>アメリカ・韓国・中国・ ロシア・タイ等の環太平洋諸国と合同で訓練するなど、
>連携体制を整えるべきである。
 わたしは日本外交の原則に「平和外交、人権外交」を据えるべきだと思います。
そして民主主義国、あるは民主化に向かって努力している国々との協調関係を優先させるべきだと考えます。
 したがって、「中国・ロシア」との軍事的な連携などとんでもないことです。日本は民主主義国どうしの連携と強めるべきです。民主主義国というと、つい最近までは欧米の国々だけでしたが、最近はアジアの民主化も進んでます。日本の国際貢献は、第三世界の安全と民主化への支援でなければなりません。
768センターレフト:2000/08/13(日) 11:55
>765、766、767
若干、説明不足のところがありました。もう少し具体的に述べたいと思います。
 「近隣諸国が、賛成したら外征・渡洋能力のある軍事力を持っていいのか。」
私の意見としては、そうは思いません。専守防衛の体制を維持すべきだと思います。
言いかえれば、「外征能力を持たない防衛力」になっていることが、近隣諸国に対して
安心感を醸成するものだと考えています。
 中国・北朝鮮のような国家以外に韓国や台湾、タイといった民主化の進んでいる国も、
日本の自衛隊が外征能力を有することについては、過去の侵略から考えたら、慎重な姿勢
をとるのではないでしょうか。これらの国は、日米安保体制があるから、日本について安心
してみていられると思っているところがあります。つまり「ビンのふた」論ですね。

 
769御いんきょ:2000/08/13(日) 12:05
内務省の復活だー!
そして警察、自営鯛とは別個に強力な「内務省軍」を設立せよ。
100個師団体制の内務省軍だー!
770センターレフト:2000/08/13(日) 12:23
 「近隣諸国から日本の軍事力の役割を求められたらどうするか」
 日本は、アメリカ韓国等と協調して有事に対処することが求められると思います。
アメリカのプレゼンスがなくなったときに有事が発生したらどうなるかという問い
については、韓国・台湾・フィリピン・タイ・マレーシア・オーストラリアといった国
と事にあたることになるでしょう。ただ、日本が単独で軍事行動にあたるのは反対で、
「民主化されたまたは民主化されつつある国」との協調が必要でしょう。
 ただ、軍事衝突をおこさないようにするということが最優先されるべきことなので、
日本は、予防外交を率先して行うべきではないかというのが私の考えです。
 ちなみに、ロシアや中国のような国家に対しての安全保障的連携について、
三郎さんは「平和外交・人権外交」のスタンスから反対との事ですが、私もその点について
も、意見があまり違わないと思っています。先に私が提起した、国連平和維持活動の待機軍化
が実現されるとしたら、日・米・韓・東南アジアがまず参加するでしょう。
中国やロシアは、「民主化」の問題とか軍縮・軍備管理の問題が、クリアされた場合には、
参加するのではないかなという前提のもとに入れたということです。
771センターレフト:2000/08/13(日) 13:25
>766
 「憲法改正の問題」
 憲法改正について、「変革のパースペクティブ」で行うべきという
考えに基本的に賛成します。これは9条についても例外でないと考えます。
 日本国憲法の根幹の1つとして、平和主義があげられており、9条もその延長線上にあるわけですが、
これは、第二次世界大戦で諸外国に侵略したことについて、日本が反省し、その
ために、戦力の保持、交戦権の否認するといった、禁止型の観点の条文だったと思います。
 50数年前には、「〜してはならない」という条文でも良かったが、国際的な環境も劇的に変化し、
日本は、世界に向かって「〜すべきである」ということを呼びかけるべきではないでしょうか。
そのために、9条も現実と理想の乖離を埋めるために再検討するべきだと考えます。
 ただ、方法として、憲法の改正まで踏み込む、「安全保障基本法」といった準憲法的規範をつくる、
憲法解釈を変更するといった選択肢があると思います。
 個人的には、憲法の解釈変更は、法解釈と国民の合意のないまま行われるという点で、限界が
あると考えていて、望ましくない。前者の2つのうちどちらかをとるか、この2つを組み合わせると
いったことが必要ではないでしょうか。いずれにせよ、活発な議論を議員・国民が行うべきです。
772センターレフト:2000/08/13(日) 13:30
>770
 ただ、軍事衝突→なお、軍事衝突
773うひょっ:2000/08/13(日) 21:14
アホスレしか立ち上がってない。あげろあげろ!
774田原一郎:2000/08/13(日) 21:57
800から1000ぐらいのレスになると
スレッドそのものが落ちることがあるそうです。
そこでPARTUを創りましたので存分にご発言ください

発言されないようになった方、また新規の論客もいらっしゃるので
若干メンバーを変えました。紹介の固定ハン論客であれば
構いませんので。参加に誘ってください。
775名無しさん:2000/08/13(日) 22:20


   彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン    ________________
  ‖|‖ ◎---◎|〜       /
  川川‖    3  ヽ〜     < 終了だな(謎)
  川川   ∴)д(∴)〜       \________________
  川川      〜 /〜
  川川‖    〜 /‖
 川川川川___/‖
   /       \__
  /|  |      __
  | |  |   
  / |  |_

776名無しさん:2000/08/17(木) 17:27
手持ち分
777ヒロヒト(顔面生理痛):2000/08/17(木) 17:32
今は上げないようにしよう。
778瀬戸弘幸:2000/08/17(木) 17:41
夏休みを利用して韓国に14日〜17日の間旅行に行っていました。
15日には丁度、南北の離散家族の再開に遭遇しました。
ウォーカーヒルホテルは14日の日からマスコミ関係者でごった返し、ものものしい警戒態勢が敷かれていました。
南北首脳会談が開かれてから、今回の離散家族の再会と、急テンポで進んでいますが、新聞やテレビの報道では歓迎ムード一色ですが、一般の市民の間には戸惑いと不安があるようです。
これまで、米軍の駐留をあれほど激しく批判していた北朝鮮の金正日総書記の、駐留米軍の容認発言は驚きをもって伝わっています。
若い世代は「正直言って早急な統一を望んではいない」と
されており、今後の展開が注目されます。

韓国と北朝鮮の連携が進むことが、我が国にとってどのような影響を与える事になるのか?
政治家・評論家の誰一人として予想しえなかっいた今回の事態を我々はどのように捉えるべきなのであろうか。

779三郎:2000/08/17(木) 23:43
>778
 いつでしたか、かって南北朝鮮が国連に同時加盟しましたね。
それまでは、「統一」を優先させ、国連加盟は「分裂」を固定化させると
南北とも反対していたのにです。
 今度の南北首脳会談は、よりいっそう「分裂」への道に踏み込んだということではないでしょうか。
つまり、一応、「統一」を大義名分にしつつも、実際には「分裂」の固定化ということですね。
これは北朝鮮は南進をしない、ということ、
韓国はドイツのように北の併合をしないということ、です。
これで双方の利害が一致したのではないでしょうか。
その上で、南北の関係を改善しようということ、まぁ、平和共存ということですね。
しかし、これは「民族統一」という悲願に対する裏切り行為です。
中国にとっても、アメリカにとっても、これは結構なことです。
北の態度変更の背景には、北朝鮮の危機的な状況とともに、
中国からの圧力が大きくものを言ったのではないでしょうか。
 しかし、ことはつねに計算通りにいくものではありません。
わたし自身は、希望的観測かも知れませんが、これは北朝鮮の体制の崩壊への
決定的一歩ではないかと思います。ソ連にとっての「ペレストロイカ」にあたるのが、
北朝鮮にとっての南北関係改善だと思うのです。きわめて近い将来、北朝鮮の崩壊が起きるのではないでしょうか。
 金大中が真に偉大な民族主義者であるなら、本当は、そこまで視野に入れた対北戦略を推進しているということになりますが、
こればかりはわかりません。
780瀬戸弘幸:2000/08/18(金) 06:52
表向きは朝鮮半島の統一に反対する者はいないでしょう。
しかしながら、若い世代においては北朝鮮との統一を本心から望んでいるとは思われません。
私も幾人かの若い人にたずねて見ましたが、皆北朝鮮との早急な統一を口にした人はおりませんでした。
これは東ドイツの崩壊から西ドイツへの併合という、東西ドイツの統合を知っているからです。
ドイツの統合は西ドイツの経済成長を失速させ、ドイツはこの統合によって大きな経済的な混乱に直面しました。
不況は長引いており、そこからの脱出は困難を極めています。
韓国の人達もそれは十分知っており、貧しい北の人達が流入してきた時に、一挙に国家経済は破綻する事になるでしょう。
せっかく立ち直りを見せてきた国内経済が、大混乱に陥ることを一番恐れていると思います。
では、今回の南北首脳会談からの動きが、果たしてそこまで行くのでしょうか?
それは日本の外務省や政治家、学者・評論家を含め、はっきりと予想を立てている人は余りにも少ない。
ようするに読みきれていないということでしょう。
しかし、私達はここで旧ソ連の崩壊のカギとなったゴルバチョフの「ペレストロイカ」をもう一度再検証してみる必要がありそうです。
あの時点で鉄壁とも思われていた共産国家群が、あのようにいとも簡単にドミノのように崩壊していくと、いったい誰が予想し得たと言うのでしょうか?
一度自由を味わった国民を縛り付けておく事はできない。 歴史はその事を我々の前に見せてくれました。
ドイツを東西に隔てていた壁が壊された時、まるで難破するのを予知した小動物が船から脱出するかのごとく、東ドイツからなだれを打って西ドイツに流入しました。
しかし、その逆は皆無だった。その理由ははっきりしています。
これまで「自由と平等」ということが云われてきました。 共産主義国は自由がない変わりに平等がある。
しかし、現実にはこの「自由か平等か」の二者択一以前の問題として、「不自由で平等でもなく、貧しく食えない」共産主義の現実があったのです。
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781三郎:2000/08/18(金) 22:01
>780
>表向きは朝鮮半島の統一に反対する者はいないでしょう。
>しかしながら、若い世代においては北朝鮮との統一を本心から望んでいるとは思われません。
>私も幾人かの若い人にたずねて見ましたが、皆北朝鮮との早急な統一を口にした人はおりませんでした。
うぅーん。
日本人はダメなところが多い民族だと思いますが、
韓国人はひょっとすると日本人以上にダメな民族かもしれませんね。

 韓民族、とくにその指導者たちがしっかりしないから、
日本に「併合」されたわけでしょう。それに、伊藤博文暗殺は、「併合」を早めるだけでなく、軍人の支配という過酷な統治をまねいてしまいました。伊藤が生きていたら、彼の台湾に対する姿勢から見て、もっと穏やかな支配にとどまったでしょう。
 日本による支配が終わると、こんどは、北でも南でも、外国の手先になるなり、迎合するなりする人物が権力の座に着きました。金日成と李承晩のことです。彼らは、自分の権力の維持、拡大を「統一」という民族の利益に優先させました。韓民族は、「冷戦」という国際環境があったにせよ、これまで「統一」への努力を怠ったってきました。
 飢餓と人権弾圧、強制収容所。これは「同族」として座視しがたい状態ではないでしょうか(「人間」としても無視しがたい)。「北」の同胞を一日も「解放」するために韓国人民は一体となって「統一」のために努力しなければなりません。景気がどうのこうのなどというヤツや「民族の大義」を見失った輩でしょう。

782三郎:2000/08/18(金) 22:01
 しかし、表向き、タテマエとして「統一」に反対できないというのはせめてもの救いですね。「統一」には絶対的な政治的正当性があるわけです。韓国の政治家たる者、国民のなかに「早急な統一」を望まない声が多いことを知りつつも、あえて断固として、「早急な統一」のために果断に行動する必要があると思うのですが、いかがでしょうか。金大中は、そこのところを考えているのかどうか、分からないということです。
 リスクの多い「外科手術」「ハード・ランディング」は、なかなか決断困難でしょうね。しかし、いまの機会を逃すと北の体制は延命してしまうかも知れません。ここのところの判断が難しいですね。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2000/08/18(金) 22:27
 金大中は、統一について、「早急な統一」よりも、解決しやすい問題から
取り組むスタンスで望んでいるように思える。離散家族再会も、コンセンサス
が得られやすい問題だったから実現できた。おそらく、金大中は、「1国家2体制」
→「連邦制国家」という形での統一を考えているのだろうし、それが穏健な方法
だと思う。
 将来的に、韓国人拉致といった人権問題、在韓米軍の駐留といった難題に取り組む
ことになるだろうが、どのように時の南北首脳が折り合いをつけるのか、そこがポイント
だろう。
784名無しさん:2000/08/18(金) 22:57
「連邦制」的な形での統一は双方にコンセンサスがありますね。
早急な形で南北の相互交通、とくに人的なそれが可能になることは
両者双方にとってデメリットですから。
すなわち北からの人口流出が起こる。これはまずソウルで失業者を
激増させるばかりか、国外に北の人間が大量に流出することで
国際問題も招く訳で。とくに米国への流出ですが、これは米国の
内政問題にまで発展する危険性もありますよね。
ところで鉄道を再開通させることで南北合意があったようですが、
これはどの程度の交通解禁を目論んだものなのでしょうか。
785センターレフト:2000/08/18(金) 23:58
>784
 鉄道の再開通がどの程度の交通解禁を意図しているかは、共同宣言
等でも明言されていなかった。察するに、再開通後の数年間は、1月に
1〜2回程度の運行ではないかと思いますが。根拠は、あなたのおっしゃ
るとおり急激な人的交流を認めると、人口流出が激しくなり、両国の
社会の安定が保てなくなるからです。考えられるのは、離散家族の面会用
とか観光旅行といった目的での使用じゃないでしょうか。
 今後は、鉄道だけでなく、飛行機・船舶の往来を容認するのか否か。認める
としたら、どの程度かということも俎上に上ると思います。
786瀬戸弘幸:2000/08/19(土) 07:23
朝鮮半島の統一問題は本来は朝鮮民族が自主的に行うべきことであり、周辺国の干渉や介入があってはならない事です。
確かに現実に進行している状況には、他国の内政干渉的なものはありません。
しかし、今後この動きが加速される場合、果たして周辺諸国が穏やかな気持ちでこれを眺めておれるものなのでしょうか?
日本はこの南北対話や和平ムードを静かに見守るしか、外交的選択肢はありません。
切れるカードが余りにも少ないからです。 確かに南北の統一には日本の経済力は不可欠でありましょう。
しかし、それは感謝されて出すといったものではなく、出して当たり前といった、半ば当然のように要求されて来るはずです。
しかし、これは統一された場合のことであって、統一が簡単に進むとは思われません。
それは共産中国とロシアがそれを望んでいないと考えられるからです。
米国とて同じでしょう、朝鮮半島はそれを取り巻く大国の思惑によって翻弄される可能性が高いのです。
まず、共産中国は北朝鮮の緩やかな改革開放は許しても、共産主義の独裁体制が崩壊するほどの自由化を認める筈がありません。
仮に北朝鮮の民衆が自由化を求めて立ち上がり、暴動が発生したら軍隊を派遣する事だってやりかねないでしょう。
ロシアは米国に対する戦略的カードとしての、北朝鮮の価値を認識しており、金正日体制を擁護するために動くはずです。
又、この両国はかなりの数に昇る朝鮮族の国民を国内に抱え込んでおり、朝鮮統一後の民族心の高揚を一番恐れています。
統合された新しい朝鮮の国家に帰属しようとの運動が高まれば、それを弾圧しなければならず、それは大変な混乱をもたらす事になるからです。
米国は統一朝鮮国家が反米的な気運を持った国家になる事を恐れるでしょう。
国内にけっして融和する事のない朝鮮人(韓国人)を抱え込んでおり、やっかいな問題となるでしょう。
また、在日沖縄米軍の表向きの駐留の意味が消滅してしまいます。
沖縄の米軍は共産中国の新たなる軍事的な冒険主義、もしくは新覇権主義を阻止するためのものですが、表向きは朝鮮半島の平和を維持するためとされています。
もし、朝鮮の統一がなされた場合、米軍は撤退すべきかどうかの選択を迫られるでしょう。
共産中国との対立を覚悟して駐留を続けるのか、それとも日本の再軍備・核武装を容認して撤退を図るのか?
いずれにしても難しい選択を迫られる事になります。
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787三郎:2000/08/21(月) 23:17
 歴史をさかのぼると
「白村江の戦い」での「倭国」の敗戦がきっかけで、
「日本国」が誕生しました。
そして、1910年の「韓国併合」は日本近代史の大きな曲がり角になりました。
1950年の「朝鮮戦争」も米軍の占領政策の決定的転換と国際的な規模での冷戦の激化
という具合に、大きなインパクトを与えました。
 今年から来年にかけて、韓半島で何か大きなことが、起きるかもしれません。
その日本への影響はどうなるでしょうか。繰り返し言われていることですが、
アメリカから独立した日本の情報収集能力が必要です。
788三郎:2000/08/21(月) 23:27
>786
 それにしても、ロシアの原潜事故はどんなんでしょう。
結局、ロシアの軍事力の脆弱性を白日の下にさらした、ということでしょうか。
そして、ロシアという国家の対外的な威信も大きく傷つきました。
なんか、プーティンも頼りなさそうに見えてきました。
 だいたい世界の目は、アンドロポフの時も、ゴルバチョフ、エリツインの時も
そうだと思うのですが、ソ連、ロシアの指導者を過大評価する傾向があるのではないでしょうか。
789センターレフト:2000/08/22(火) 12:57
>781
 去年、集英社から『太白山脈』日本語版(チョウ・ジョンネ原作全10巻)が
刊行されました。映画版もあり、レンタルビデオ屋に行けば恐らくあると思います。
 私は、最初の2巻だけ読み、映画の方も見ましたが、特に小説バージョンでは、
韓国の側の権力層が、植民地時代親日派で、日本の敗戦(朝鮮半島の解放)後に、
自分達の利益を守ってくれるアメリカに迎合する有様が書かれています。
 他方、韓国の右派勢力に抵抗していた、左派のパルチザンも出てきますが、彼ら
も共産主義革命を実現することが最優先されていて、「統一」は2の次というスタンス
でした。
 この小説は、当時の右も左も自分の権力の維持・拡大への動きに邁進していたばかり
に民族の「統一」が遠ざかっていく様子を描いている上で、かなり参考になると思います。
790センターレフト:2000/08/22(火) 13:10
>786
 朝鮮半島の統一がなされたら、米軍が撤退するか、駐留し続けるのか
という問題ですが、現時点の共和・民主のスタンスをみる限り、東アジアに米軍
が駐留することに異論はないようです。ここしばらくは、この立場は変わらない
のではないでしょうか。ただ、統一の際、北に配慮する意味合いを込めて、在韓
米軍の規模を縮小するといったことは考えられるでしょう。また、北緯38度線
以北への米軍の進駐は、認めないとかいった条件もつくような可能性はあるでしょう。

791三郎:2000/08/22(火) 23:36
>789
『太白山脈』については、まったく知りませんでした。
是非、読んでみたいと思います。有益な情報、ありがとうございました。
792センターレフト:2000/08/27(日) 17:42
>752
 民社党の成立は、社会党と日米安保で激しく対立したために分裂したのは、
その通りだと思うのですが、個人的には、イデオロギー的な対立も、相当深刻化
していたからでもあると考えます。
 例えば、社会党結成時直前の政党名考案の際に、「日本社会党」にするか、「社会民主党」
にするかで激論があったみたいですし、右派と左派に分裂した時も、右派の綱領では、「議会
主義の堅持」を標榜していたのに対し、左派のそれは、社会主義にのっとった形での改憲を目指して
いたということがその証左ではないでしょうか。
 確かに、民社党は、社会民主主義に関する建設的な定義づけを怠ったという点はその通りだと
おもいます。
793>788:2000/08/27(日) 19:11
正直言って、あの「ソ連」が弱体化してゆくのはいい気味だよね。
潜水艦の乗組員には申し訳無いが、
ロシア軍が弱体化しているのは、完全に我国の安全に直結してるからね。。。

でも、ロシアの原潜が自衛隊の潜水艦の五倍も大きかったのはショック。
やっぱりロシアって凄いのね。。。
794三郎:2000/08/28(月) 23:33
>792 センターレフトさんへ
 あなたのおっしゃるとおりだと思います。
752では直接のきっかけについてだけ書いたので、
不正確な感じになってしまいました。
 それから今日発売の『週刊現代』を見ると、
石原を総裁とする自民党と、管(民主党)プラス田中真紀子(自民脱党組)
との対立、という構図を描いていました。これって、スター政治家を中心とする理念なき野合ですね。
 管は、社民党が自民党ともう一度くっつく可能性について語っていました。女性議員が喜ぶような
政策的妥協をちょっぴりやればこれは容易に実現するかも知れません。
795三郎:2000/08/28(月) 23:40
>793
 将来、ロシアを含む「環日本海経済圏」のようなものができる……などという
人がいますが、どうなんでしょうか。ロシア、北朝鮮、中国、韓国、そして日本がそのメンバーだそうです。
日本の経済界の一部、新潟県などにはそういう動きがある。メディアの一部にもカネが出ているらしい。
 まぁ、オウムの早川グループ(旧統一協会系)もこの線で動いていたとも言えますが。
796センターレフト:2000/08/30(水) 21:59
>792
石原を総裁とする自民党と菅プラス田中真紀子というのは、一応
新自由主義と新中道主義(新社民主義)の対立と見ることができる
のでしょうか。特に田中真紀子の場合、新中道的思想を持ち合わせて
いるかどうか、曖昧ですが。
 日曜日の朝、NHKの討論番組で、鳩山由紀夫が民主党の目指す理念
を「サッチャーの競争政策とブレアの社会政策をミックスしたもの」
と定義していたが、ブレアは、「市場経済」を重視してますね。ならば、
「ブレアタイプのニューレイバー的社会を推進します」と発言しても
おかしくないと思いますが。
 鳩山由紀夫が民主党の党首になってから、市場主義が最優先で、セーフティ
ネットの整備は、二の次になっているようにも見えるのだが、彼の発言は、
それを暗示しているのでしょうか。
797三流大学生:2000/11/15(水) 10:06
もうすこしで21世紀
798名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/14(木) 05:00
再開はまだ?
799三郎:2000/12/19(火) 00:05
 お久しぶりです。
この場をお借りして、一言。
 イギリスの二大新聞は、『タイムズ』と『ガーディアン』ですが、
前者は保守党より、後者は労働党よりであるのは知られています。
(三大新聞と言えば、これに『インデペンデント』が加わります。)

 少し前ですが、その『ガーディアン』のサイト上で国旗の再デザインの試みがありました。
次の『ガーディアン』のスペシャル・レポートの個所をご覧ください。

http://www.guardianunlimited.co.uk/galleryguide/0@`6191@`184380@`00.html

http://www.guardianunlimited.co.uk/galleryguide/0@`6191@`184380@`00.html

 イギリスでも、そして他の諸国でも、これまでの国家の在り方が揺らいでいるのだと思います。
そのなかで国旗や国歌、そして君主制、これらと関連して国家的、国民的なアイデンティティが
あらためて意識されるようになってきたのではないでしょうか。
800893-7349:2000/12/19(火) 00:25
>>789
そういえば、私が3年前に韓国に行った時、どの町の本屋に行っても「太白山脈」が山積みでしたね。新聞広告でも、一番でかでかと載っていた。
>>799
私は英語苦手なんですが、こりゃ凄いですな。これ、全部ユニオンジャックの代替案なんですか?こんなデザインが本当に通ったら、彼らの「ユーモア」も本物なんでしょうがね。多分通らないと思います。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/19(火) 00:28
>正直言って、あの「ソ連」が弱体化してゆくのはいい気味だよね。
>潜水艦の乗組員には申し訳無いが、
>ロシア軍が弱体化しているのは、完全に我国の安全に直結してるからね。。。

ただロシアがあまりに弱体化するとその分厨国がつけあがるのが困る。
厨露で互いに睨み合ってくれて身動き取れなくなってくれるのが一番。

802三郎:2000/12/19(火) 01:07
>796のセンターレフトさん
有益なことをおっしゃっているのですが、
「セーフティネット」という言葉が気になります。
>鳩山由紀夫が民主党の党首になってから、市場主義が最優先で、セーフティ
>ネットの整備は、二の次になっているようにも見えるのだが、彼の発言は、
>それを暗示しているのでしょうか。
★「セイフティネット」を超えて
「セーフティネット」という言葉は、幾通りにも使われていてややこしいですね。
まず、旧社民派、旧リベラル派が使う「セーフティネット」という言葉です。
つまり、失業や病気をしたときに備えての「安全網」をちゃんとする必要があるという議論ですね。
しかし、他方では、新自由主義者の側でも、規制緩和、福祉削減を唱えつつ、「政府は、最低限のセイフティネットさえ、提供すればよい」という議論をしています。両者の違いは、程度の違いでしょうか。もちろん、程度の違いは大きいですが。
 アメリカの「ニュー・デモクラット」(アメリカ版「第三の道」派)は、「セイフティネット」では不十分だとして、政府は「ラダー」(梯子)を提供すべきだと言っています。上に向かって引き上げるということです。映画『パーフェクト・カップル』で民主党の大統領候補選出の予備選挙のテレビ討論で、「セイフティネット」を語る候補者に対して、「ラダー」を語る候補者が批判するシーンが出てきます。
 ドイツ社民党のシュレーダー(「ノイエ・ミッテ」)は、「セイフティネット」だけでなく「トランポリン」もと言っています。やはり、上に上げるということです。イギリス労働党のブレアは、「セイフティネット」を何度も批判して、これに「スプリング・ボード」(跳躍板)を対置しています。
 グローバリゼーション、情報化という変化の時代において、個人が繁栄し、自己実現できるための条件を政府は作るべきだという考えです。それは、言い換えると、「すべての人に機会を提供する」ということです。政府が何もかもする、面倒を見るということではなく、個人に対して必要な支援を行う、個人の努力をエンカレッジするということです。これが新しいセンター・レフトというわけです。
803名無しさん@お腹いっぱい。
金子某は、セイフティネット論