民主主義の現在・過去・未来を考えるpart2
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1093497950/l50 でも、多少触れているけれども、そもそもおかしいのは
「家族の一員としての自分」「国家の一員としての自分」「公務員としての自分」
「たった一人でウンコしているときの自分」は、内部で対立はするかもしれないが
其の内部対立において、どっちを優先すべきかなんてことは、意味のない議論だろ
う。この「自分(自己)」というのは「公私」の「私」とは違うわけだ。
「個としての決定」と「集としての決定」が有るにしても「集(家族の一員である
とこでの家族そして)」の決定を「自分(自己)」が行うことも有りうるわけで、
「公としての自分」や「集としての自分」も含めた「自分(自己)」がなにごとか
を決定するのは当然なわけである。
問題は「集(団)」の行方が、「集としての自分の自己決定」と対立したときに
どうするのかという意味で、自己決定優先というような表現になるのだとは思うが
其れは全く認識が誤っているのであって、其の対立は「能力・環境というファクター」
と「自己決定」の対立である。
個の問題にしても「私は宇宙飛行士になる」と決めたとしても「能力・環境というフ
ァクター」において実行可能でないことはあるわけで、ただそれだけの話である。