1 :
右や左の名無し様:
さしでがましくも新スレ建立 !
前スレの主な論点は、「衆議」と「理」の優位性について…であった。
情念=天皇信奉者
国のありかたなり行政方針は、「理」によらず、「衆議」によって決まる。
もっぱら、「理」は、「衆議」によって決定された事項に、根拠を「後付け」するだけである。
したがって、後付けされた「理」に矛盾があろうと、問題とならない。
理性=天皇制懐疑派
「衆議」そのものが、すでに「理」をもってなされる議論が前提であり、「理」に対して矛盾のない結論を求めるのが「衆議」たる議会の仕事。
とりあえず現状では、理性、情念両者とも天皇制が「理」において憲法に矛盾することでは一致しているようだ。
憲法制定過程には、「国民主権」なり「基本的人権の尊重」などの「理」の前提があった。
しかし、制度上、「理」に矛盾があっても、「衆議」の結果であれば「良し」とし、天皇制存続とするのが、情念の見解。
一方、法案の矛盾を追求するのが議会の議論であり、天皇制の矛盾について異論がなければ廃止へ…というのが理性の見解。
はたして、結論はいかに???
過去ログの総合検索は、こちら
http://www1.odn.ne.jp/mimizun/
2 :
情念=天皇信奉者VS理性=天皇制懐疑派 を読み解く…その41:04/04/29 08:03 ID:uMylI4no
引責論について…
情念=天皇信者
関係者全員がその衆議に参加しての国政の決断は、結果失敗したとしても特定の個人が責任をとらない。
理性=天皇制懐疑派
そもそも責任を取るような決定を、国民一個人が成し得ないのであるから、責任を取れようはずがない。
国政の失敗は、選挙に影響を与えるわけだから、それなりの引責構造は確保しているように見える。
「特定の個人」という部分がミソらしいが、だとしても、あまり「衆議」とやらの優位性の根拠とはなるまい。
また、理性からの指摘があったが、
「内閣は、議会に対して引責するが、国民に対しては引責しない」
「議会は、全員参加の『衆議』である」
は矛盾する、内閣が全員参加の衆議に対して引責するのであれば、全員=国民に対しての引責に他ならない。
「理」において矛盾する議論を強弁するのが情念の手法? それとも「ラ行の情念」だけの論法 ?
フツーは矛盾を指摘され、それを払拭できなければ「敗北」ということになるのだが、
天皇制は「理」において矛盾することを認めながら、敗北を認めないのが情念 ?
以上、パンチドランカー…
今日は先帝陛下(昭和大帝)のお誕生日です。
國民こぞつて、奉祝しませう。
5 :
右や左の名無し様:
S-RAMが出てこない事を心から祈る。