4: 【教えて】皇室の存在意義【下さい】part8
前スレ
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1040553142/ part6は
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1037773964/ >>1 は誤り(ゴメン)
最後の書き込みは「保守考氏」
---------------------
642 :保守を考える :03/01/24 12:32 ID:LWNkokzy
>>638 >天皇のご聖断を待つという振舞い方をしたのかを考察すれば
事件を起こした、皇道派も、陸軍上層部にしても
天皇の御聖断を待っていません。
当時の国情において、各種産業界の景気は世界水準を満たしていましたが
殊農村において、その実情は悲惨極まりないものでした。
このことを鑑みれば、青年将校(皇道派)の起こしたクウデターを
「天皇が反対するはずがない」と下層部が独善的見解を持っていたとしても
事件後、死刑に処せられる指導部達は
天皇の意思など無視し、既成事実による革命のみを目指していたと見受けられます。
その観点でいきますと
>議会より天皇に決定権があったと
この場合、決定権の所在よりも、「革命」の正当性を得るには
国体の中心である天皇を擁して、「官軍」となり、
憲法を無効たらしめ、新政府を樹立する事がその目的でしょう。(昭和維新)
また、事件は叛乱であり革命ですから、立法府・行政府・司法府という
既存する政体など関係ありません。
繰り返しますが、天皇は国体そのものであり
革命の本義が「日本」の転覆であるのなら、天皇も暗殺されていたことでしょう。
だからといって軍部が天皇=絶対と言うのなら違います。
例えば3年前に起きた「熱河作戦」に際し、天皇は反対しましたが
関東軍は、それでは治安が保てぬという切実な事情でこれを遂行しています。
つまり天皇(大元帥)の意思に反しているのです。
ということで>保守考氏
>天皇は国体そのものであり
は、天皇は絶対的であるということではないのですか?
そのところが、全く理解できないのです。存在は絶対だが、意思は絶対で
はないということですか?少し解説を願えませんか?
4 :
保守を考える:03/01/24 14:04 ID:LWNkokzy
>れ氏
>>3 >存在は絶対だが、意思は絶対ではないということですか?
有史以来続いている「天皇制」を存在の絶対性と解釈するのは、現時点における
思想・哲学的考察の範囲において可能であると考えています。
で、あるからこそ、その絶対性(合理的に説明しようのない概念)を考えているのが
今までの基本的な私の立場です。
勿論、過去や未来に責任を有する保守の立場として、この絶対性を否定することは出来ませんが。
さて、天皇の意思が絶対であったかどうかの話においてなのですが
ご指摘の通り、歴史的事実においても、今日においても「絶対ではありません」
(前スレにおいて、天皇と西欧の絶対王政を混同している愚にもつかない議論があり
笑ってしまいましたが・・・。)
例えば、美智子皇后が固辞された正田邸問題にもそれは現れています。
この問題をあなたの思考において理解(賛意ではない)出来るとするならば
私の意図も理解して頂けると考えます。
また、ころ氏が論述していた中に「権威」と「権力」の弁別がありました。
援用させていただきますと、権威は絶対であり、権力はそうではない。
という結論です。
5 :
保守を考える:03/01/24 14:17 ID:LWNkokzy
追伸
新スレの立ち上げ、お疲れ様でした。
実りある議論にしたいと心がけていきますので
今後とも、宜しくお願いします。
>>5 存在は絶対であるが、その意思は絶対的ではないとのお答えのようです。
意思が絶対的ではなかったということは、理解できているのですが、それ
は、西洋の絶対的君主であっても、臣下や国民の意向というものに影響を
受けざるを得ないということからすれば、同等ではないのでしょうか。
絶対的君主はすべて、存在が絶対的であると主張し、臣下や国民のために
国を運営していると表明し、事実ある程度、臣下や国民を慮らないと、国
家運営ができないということであり、天皇と、どこが違うのかという、疑
問がわきますが。
7 :
保守を考える:03/01/24 14:48 ID:LWNkokzy
641 :・・・ :03/01/24 11:59 ID:???
>れ氏、保守考氏
>226に関してですが、私は彼らの行動に大正デモクラシーの影も
>見えるのですが。
>皇室は別格(対象外)として、
>議会等を支配層(力で壊しても良い立場)という見方もあったのでは。
>515と混同しているかもしれませんが。
大正デモクラシイーについて質問があれば承りますが、
515や226がどの視点や考察に則して天皇制との関係性を示すのかが
議論の焦点と考えます。
私は当事者なり為政者(軍上層部を含む)が天皇=絶対という観点で
事態を起こし、処理したわけではないと考えています。
8 :
保守を考える:03/01/24 15:14 ID:LWNkokzy
>>6 そもそも西欧でいうところの「絶対主義」とは
支配者(国王)が何らの制約もうけずに全権力を行使しうる政治形態をさし
そのような国を絶対主義国家といいます。
明治憲法によって、日本の政体は「立憲君主国家」です。
>臣下や国民を慮らないと、国家運営ができないということであり、
このような統治理念はどの政体においても当たり前の話ですし
ここでは、天皇親政時代のことではなく、明治以降の議論だったと思いますが。
>絶対的君主はすべて、存在が絶対的であると主張し
歴代天皇においてそのような主張があったとは知りませんが
>天皇と、どこが違うのかという、疑問がわきますが
明治以降、天皇が法を作り、裁判を行い、軍を率いて戦争をしたことはなく
また、枢密院においても終戦の御聖断以外に政策を決定しうる発言もありませんし
大正天皇が1913年に西園寺に出した内閣不信任案撤回の勅語(法的効力はない)も
当の西園寺に無視されてます。(大正政変より)
私としては絶対王政と、どこが「同じ」なのか考えるに及ばないのですが。
>8
貴殿のおっしゃる「立憲君主制」は、「国の行方を最終的に決定する機能
(権利)・・・主権」が、国民の存しているという理解でしょうか。
質問高理で申し訳ないが、一定の理解をしたうえでないと、議論が展開で
きないので、お願いする。
10 :
保守を考える:03/01/24 21:43 ID:ml+GK88P
>>9 一般には、憲法に則って行う政治体制を「立憲制」と呼び
憲法によって君主の機能を定めることを「立憲君主制」と呼びます。
国の行方を最終的に決定する機能についてなのですが
現憲法においても形式上「最終的」に裁可・公布するのは天皇です。
明治憲法に於いても同義であると考えています。
つまり実質的な決定は国民(議会民主主義)に委ねられていますが、
最終的な証拠、正当性の根拠として天皇の裁可・公布という機能を無視することはできません。
今月20日に召集された開会式において、皇太子が代読した詔(お言葉)を紹介しておきます。
「本日、第156回国会の開会式にあたり、この席に親しく臨めないことを、誠に残念に思います。
国会が永年にわたり、国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄のため、たゆみない努力を続けている
ことを、うれしく思います。
国会が国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし
国民の信託にこたえることを切に希望します。」
この議論をする上で非常に暗示に富んだ詔だと考えますが、いかがでしょうか?
前に申し上げた日本における
「国民主権と天皇との関係」が解り易く表れていると感じますが。
余談ですが、皇太子が摂政ではなく天皇の臨時代理として行う権限は「皇室典範」にはありません。
マスコミが全く騒がないのが不思議なのですが
今上陛下の勅令により現職務を代行されております。(何かご存知ですか?)
11 :
右や左の名無し様:03/01/24 21:50 ID:YYPRWcuV
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12 :
右や左の名無し様:03/01/24 23:50 ID:u1XWUwIY
このスレの存在を知ってから皇室のありがたさがわかりました
右翼が「天皇マンセー」ってことは知ってます。
そこで質問です。右翼は、封建的な階級社会もマンセーなんですか?
ついでに、右翼は学歴社会についてどう考えているのでしょう?
知っている方がおりましたら、教えていただけませんか?
>>14 いいから教えろや、糞が。
それとも、したり顔でサヨとか何とか言っておきながらわかんねーのか。
16 :
傍観者:03/01/25 05:44 ID:???
>>15 なぜ「右翼は○○」と定義付けたがる?
巨人ファンにも様々な香具師がいるだろ?コアなマニアからミーハーまで。一括りにすること自体がムリ。右翼も一緒だ
それとも貴殿の言う「右翼」に適合する答を教えてやろか?それが「ウヨ」でも構わんが
それを元に荒らすんなら、ここでは邪魔。貴殿は厨房すぎて相手にされんぞ。
そこに気がつかないから、バカに付ける薬はないってことばがあるんでちゅよ、別のスレに逝ってくれ。
17 :
右や左の名無し様:03/01/25 09:52 ID:ElgOfvxQ
俺もそうだけど天皇についてみんな知らな過ぎなくないか?
18 :
・・・:03/01/25 10:06 ID:???
「トンデモ氏」云々
前スレ
>>522での呼称なのですが、それは兎も角、
西洋史における、「神聖不可侵≒君主無答責」、「王権神授説」等と
皇室との対比の議論も期待しております、ということです。
西欧に比した憲法で、その程度や本質的な異質性を見出せればと思います。
19 :
パンドラ:03/01/25 10:35 ID:LPakkSiL
前スレの最後には、リベラル風の名無し氏の参加があって興味深い議論になりかけたが…
こういっては申し訳ないが、またマニアックな議論になってしまったような…
あまりにマニアックな議論はどうも…
で、返答遅れ容赦。
>>627,629,640 p-8
>>18 >私には、どうしても西欧(諸国の事情も)の王室と日本の皇室の在り方は違うような気がするのです。
基本的には、おっしゃるとおりだと思う。しかし…
>これも、保守考氏待ちですね。
というより、神聖不可侵と君主無答責については、すでに
>>225,
>>496でトンデモ氏のトンデモたるところは指摘している。
これ以外にも、トンデモな部分はあったが、「その指摘はトンデモ氏が戻られてから」という意味である。
で、これについては、これから話題で気がついたところを提示しようと思う。
>ただ、革命が起こらなかったからダメとこれを否定的にとらえるのは、どうも理解し難いのですが。
革命と革命で人類が得た権利を、国あるいは地域として体験していなくとも、人類共通の遺産として受けとめるべき、と申し上げている。
20 :
右や左の名無し様:03/01/25 10:36 ID:LPakkSiL
>行き着く所、あなたの理想とする国をお聞きしたくなるのです。
ところで、
>>582でのあなたのご指摘だが、
>>544は「理想」ではなく「現状認識」とご理解いただきたい。
で、「理想」というより、自然に収斂するであろう方向だが、経済社会的、宗教的、思想的、職能的、学術…etc、
もろもろにおいて、互いに重なり合い、地域的にも民族的にも一つのラインでくくられない、いわば「複合的かつ重層的」な社会構成となる、
要するに旧来の国家の枠組みは徐々に有名無実化してゆく、と思う。
そこで最初の質問にもどる形となるが…
すべての要素を国境でくくるやりかたは、人・領土・統治権を占有する専制君主制以外の「国家形態」では有形無形の矛盾を生ずる。
その意味では、君主的存在の無意味さは洋の東西を問わず、その意義はますます希薄化する、と思う。
21 :
右や左の名無し様:03/01/25 10:41 ID:1/k6jsNK
>1
宮内庁の予算に群がる人には存在の意義は大でしょう。
目先に実利が無いにもかかわらず将来美味しい目が出来ると考えて
群がっている人も居ますから、←サヨの事では無いですよ
22 :
・・・:03/01/25 10:55 ID:???
>>6 前スレ
>>508に一応、226について愚説的イメージはかきこみました。
ただ、その前に革命的思想(
>>641)、又、日蓮系の強信的思想(表現の荒さはお許しを)、
もちろん当時於かれていた日本の現実的状況も含めなければならないと思います。
その上で、戦意高揚への前段階として、デモクラシーを経た昭和初期における
国民の皇室観は様々な要因からの特異性が見られるのかどうか?
戦意高揚における「現人神」等の強制化(教科書へ導入)への、その
素地(時代背景も含め)がどのように生じていったのか等に興味があります。
両氏の絶対云々とは違う意味合いかもしれませんが。
23 :
横レスだけど:03/01/25 11:02 ID:GanthC6Q
>>20 そうは思わないな
今後、世界の潮流は反グローバリズム、反ナショナリズム→
「多文化共存の時代」になっていく、というのが現代思想
(構造主義、ポスト構造主義)も示唆している
そんな中で、日本独自の皇室が「無意味」になることはないと思う
実際、最近の世論調査では皇室制度の支持率が過去最高を更新(約
9割)したし
24 :
・・・:03/01/25 11:30 ID:???
パンドラ氏
>人類共通の遺産として受けとめるべき
そこに得られるものは、明治期も導入しておりますし、
問題は日本の遺産(ではなく、続いているので歴史を含めた価値観)?
とのバランスは無理なのでしょうか?
増して、憲法下も未熟とすると、具現化している国・体制は?と言うこと
なのです。
>>20 国家(国境)の希薄化からの君主の存在意義ですね。
世界的に現実にそう(希薄化)ならないと、また成り得る過程も想像に委ねるしか
なく、やはり理想的観念論では?
非政府組織も反政府理念で無い限り、国の政府・国民を無視しては不可能な
活動であるし、ましてや、支援している地域にはその国の文化性・独立性を
押し進めている段階でもありますし。
25 :
・・・:03/01/25 11:36 ID:???
26 :
PURE-GOLD:03/01/25 11:59 ID:ZNepxePx
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>保守考氏
たびたびの質問への回答を感謝します。
再度、明治憲法期においての天皇の神聖化・神格化・絶対化の議論に戻ります。
226事件当時、議会及び明治憲法を破壊しなければならないとした、青年将校
たちが、北一輝に影響されていた事は知っています。明治憲法を停止し、戒厳令
を引く、私有財産の上限を定め、それ以上を国有とするなどの案が支持されてい
たということでしょう。
この事件の6日前、議会の選挙が行われ70%以上の投票率で、軍部よりの政党
が極端に議席を減らしています。貴殿も指摘の通り、戦前の最高レベルのGNP
を示し、また、求人倍率も130%近いという状況でした。農業の凶作も前年は
なく、一定の安定期でした。この時期に226事件は起きています。統帥権侵害
事件の元となった、海軍の戦艦の割り当てに対する不満(軍人でない者が軍事に
介入した不満)、国民の選挙における選択への不満、資本主義に対する不満など
が原因となって、クーデターが発生したようです。
陸軍大臣は、事件発生の日の午前9時30分には天皇に拝謁し、青年将校側の主
張に沿った意見を述べ、天皇に一喝されているようです。
(ソースは、田原総一郎・日本の戦争)
つづき
明治憲法は、立憲君主ですが日本国の主権は、最終的に天皇にあったとみ
なすことが出来ます。226事件を起こした青年将校たちも、それを指示
した軍部のものも、天皇が昭和維新を求めており、自分達の行動は「天皇
の御心に沿うもの」との認識が有った事は、言うまでもありません。
問題は、天皇の御心に沿うものであれば、正常に機能していた議会を無視
する、武力による維新が、正当なものであると考えていた状況が、明治憲
法で天皇を神聖な主権者とした・・・天皇のご聖断は絶対であるという認
識に立っていたからであるというところです。
天皇の意思が、「本来の意思とは思えず、お傍の逆臣によるものである」
と判断され無視されうる事は、貴殿の指摘にもありましたが、明治憲法の
趣旨は、「天皇が主権者である」という前提での立憲君主制なのではない
のでしょうか。
存在が絶対的で、憲法上主権者であるなら、神聖で神のようであり、その
意思は、最終的には絶対であるという制度であったという判断が、妥当で
はありませんか?
論旨には無関係ですが
昭和維新なる言葉も、昭和天皇が使ったという意見があるが、私は明治の
維新をさらに発展させようという趣旨ではないのかなぁと、思っている。
貴殿のご意見はどうであろうか。
29 :
保守を考える:03/01/25 14:10 ID:of3J+H9w
>>27 >>28 >議会及び明治憲法を破壊しなければならないとした
>天皇のご聖断は絶対であるという認識に立っていたからであるというところです
であるのなら、何も明治憲法を「破壊」する必要性がわかりません。
この当時における憲法解釈はまだ「天皇機関説」が生きていましたし、あなたが云うところの
>明治憲法の趣旨は、「天皇が主権者である」という前提での立憲君主制
は、憲法のどの条文を指して仰っているのでしょうか?
1条及び3条については前スレで散々やった気がしていますが・・・。
>海軍の戦艦の割り当てに対する不満
これは、515と混同していますね。
クーデターの原因については、青年将校においては軍の内部抗争(皇道派対統制派)
その他の下層部については、農村の惨状による(出身者が多数)現状打破(資本主義の矛盾の是正)
また、当時の思想界に蔓延しはじめたマルクス及びギルド社会主義の考察も必要です。
30 :
右や左の名無し様:03/01/25 14:38 ID:J+t772RD
現在における天皇制の役割について
皇室外交、国体や植樹祭の地方の行政主催の式典・行事の出席等などであるが、いずれも行政改革で縮小・廃止が求められているものばかりですね。
天皇のために、こうしたムダの多い事業に莫大な国家予算や地方予算を蝕み圧迫している。保守政治の理論で言っても天皇制が行政改革・財政改革を妨げている。
31 :
右や左の名無し様:03/01/25 14:39 ID:J+t772RD
現在の天皇制の意味とは何であろうか?一般国民にとっては、テレビの皇室番組くらいしか触れる機会がないのであるが…。
多くの国民に支持されているとはいえ、格段に昔にくらべたらその存在感は薄れつつある。といっても天皇の権限強化についても国民の大多数は「反対」しているし、このままではテレビという媒体を通してのパンダみたいな存在で終わってしまう。
32 :
右や左の名無し様:03/01/25 14:39 ID:J+t772RD
天皇が臨席する「全国植樹祭」がムダであることが明らかになった。天皇陛下がじきじきに植樹をするところは、もともと森林であったところを、わざわざ伐採しているのだ。環境保全のためというのを装って、実は環境破壊を全国で展開しているのだ!
まさにムダの極致である。こんな無駄な行事が、なぜ存続しているのかというと、天皇が全国に顔を見せることが出来る非常に少ない機会の一つであるからである。
天皇が全国に回るたびに、その地方の森林は伐採され、環境を破壊される。しかも莫大な国家予算と地方予算を浪費するのだ!
33 :
保守を考える:03/01/25 14:50 ID:of3J+H9w
>>27 >陸軍大臣は、事件発生の日の午前9時30分には天皇に拝謁し
少し補足しておきますが
26日未明より占拠された陸相官邸内において、陸相川島義之は、
青年将校竹中孝次、磯部浅一らと会見し、「決起趣意書」を聞かされます。
元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等を国体破壊の元凶とし、
「奸賊をチュウ滅して、大義を正し、国体の擁護開顕に奸脳をけっし、以て神州赤子の微衷を献ぜんとす。」
このような抽象的な文言では川島も困り、これではテロルによって国体破壊の元凶を除くとしか理解できず
軍事参議官の荒木貞夫や真崎甚三郎に相談し、(彼らは皇道派の黒幕とされている)
いわゆる、陸軍大臣告示を出します。曰く、
「決起の趣旨については天聴に達せられあり。諸子の行動は国体顕現の至情に基づくものと認む。」
そして、これと平行して、川島、荒木、真崎、加藤寛治らによって暫定内閣成立の工作を行い、この革命を既成事実化しようとします。
また、青年将校が陸相に対して具体的に要望したのは下記の通りです。
「南次郎、宇垣一成、小磯国昭、建川美次ら将軍の保護検束、林せん十郎、橋本虎之助近衛師団長の罷免
本庄繁、荒木、真崎、各大将など皇道派の招致、根本博大佐、武藤章中佐、片倉衷少佐ら統制派青年将校の
排除を要求する。」
>>30-32 皇室外交や植樹祭は、国民が政府を通して、いくらでも削減できます。
どうぞ、不要な予算の削除にがんばってください。協力しますよ、正当
な削減なら。国会や地方議会で、議決された予算であることを、忘れず
に、書き込んでください。そのことと、皇室の存在意義は、全く別次元
の話ですよ。国民や地方自治体の住民の代表が予算を組み、参加につい
て、内閣が天皇・皇族に依頼したものに関し、天皇・皇族が批判される
のは、本末転倒でしょう。
天皇の権限強化など、現在の憲法で出来ないことは明白ですよ。強化す
るにも、権限権力は、全く存しない、国民統合の象徴です。
35 :
保守を考える:03/01/25 15:05 ID:of3J+H9w
>>28 昭和維新とは、1930年代に軍部の急進派や民間右翼が国家改革の標語として
用いたものと認識していますが。明治維新になぞえて、「天皇親政」の実現を目指しました。
昭和天皇は自らを国家の機関であると仰っていますし、
この維新の概念は、極まるところ、立憲制の根拠である明治憲法の撤廃ですから
その意味においても、明治憲法が天皇=絶対ではないことを示しています。
昭和天皇がこの言葉を使用したというのは、何かの間違い若しくは、戦後左翼の陰謀ではと
首を傾げてしまいました。
36 :
右や左の名無し様:03/01/25 15:28 ID:4UIhYPhQ
37 :
ころ:03/01/25 15:41 ID:???
遅まきながら、新スレお疲れ様です。おニューのパソコンより初レスです。金欠です- -;。
保守考サン復活してますね、活発な議論を期待します!
前レス
>>631 >統帥権
>天皇大権と軍部の責任
→第3条で決着してる
どうも神聖不可侵が明治憲法70年間同一範囲内の解釈にあったと考えるのは、無理があるように思うのですが。
(当スレ>>4及び>>7を拝見し、改めてそう思います)
>軍事機密
戦前の軍事裁判所という独立した機関の存在が問題であって、軍事機密を保てる司法権内に設置すればよかった、というたられば論です。スレ違いなので・・・
前レス
>>633 >「天皇」と「民主主義」の対立
軍部の暴走が天皇大権に拠るもので天皇の権威を背景としていた以上、それに迎合した議会は天皇の存在により民主主義を放棄したと見ています。
民主主義の放棄とは言論の自由の放棄です。議会で軍部の傀儡になったことではありません。
非常事態とか戦時体制下における言論統制も、私見では民主主義の放棄です(非常事態や戦時体制下は単なる言い訳)。
尤も結果論であって、あの時代に民主主義の継続を議会ができたかというと不可能だったと思います。
戦前の民主主義は天皇の存在があっての民主主義(民本主義)でした。天皇という存在(大義名分)には誰も逆らえなかったとみています。それが軍部による曲解であるのが公然であっても・・。それが明治憲法の、また戦前の民主主義の限界だったと思ってます。
今のレスの中心でもあるのですが、大戦直前の天皇の存在に対する認識が、保守考サンと異なるように思われますので、そちらに合流ということで了承願います。
38 :
ころ:03/01/25 15:47 ID:???
新スレに関して
私見は、れサンに近いように思います。(れサンに確認は取れてないのですが)
>>8 >明治憲法によって、日本の政体は「立憲君主国家」です。
これには同意します。(>>10もその部分では概ね同様)しかし
>私としては絶対王政と、どこが「同じ」なのか考えるに及ばないのですが。
これには同意できないのですが。
つまり、明治憲法では天皇は憲法により規定されていたので、この部分では立憲君主国家でしょう。しかし、一方で天皇大権も規定されており、明治憲法では(西洋における)絶対王政的権能の抑制が規定されてたと見るのは極論だと思います。
軍部の暴走は天皇大権(統帥権)によるものです。天皇の存在ではなく、天皇制(明治憲法第1章)に絶対王政的権能があったということが重要だと思うのです。
明治憲法では天皇の存在と天皇制の乖離があり、それが結果として軍部の暴走の端緒になり、破滅しました。現行憲法ではその部分の乖離は現在小さいと思いますし、両憲法下でそもそもの天皇の存在は変わってないと思います。
>>10 >国会が国権の最高機関として、
皇太子の発言の「国会」も「国権の最高機関」も現行憲法のみで、そこには明治憲法はないと思います。
>臨時代理
詳細は分かりませんが、国事行為の臨時代行に関する法律(昭39.520施行)によるものだと思われます。
39 :
保守を考える:03/01/25 15:53 ID:of3J+H9w
>>18 >西洋史における、「神聖不可侵≒君主無答責」、「王権神授説」等と
>皇室との対比の議論も期待しております
まずお断りですが、彼とは、パート6で私とは議論したくないと断られていますので・・・
思想板なのですから突き詰めた議論になるのは必然なのに
>あまりにマニアックな議論はどうも
では、言わずもがなですが、私とは噛み合うことは出来ません。
あなたが、この話について、私に質問があれば承りますが、
天皇制と西欧史である、マキャヴェリ、ボーダン、ボシュエの流れと
ホッブス、ジョン・ロック、ヒュームの流れまたは、トーマス・モア、
グロディウス、モンテスキュー、そしてルソーといった思想史の流れ。
そして、歴代天皇とエリザベス1世、ジェームズ1世、ルイ14世らとの対比。
なんか意味がありそうで面白そうですが、スレの趣旨から大きく逸脱すると考えます。
はっきり申し上げれば、日本の天皇制と西欧の王制はその歴史も、基盤となる文化及び
宗教の概念が全くことなります。強いて類似点をあげることは出来ますが、
それは、それぞれの本質ではありません。
(こんなの当たり前だと思っていますが。間違っていたらご指摘下されば幸いです。)
>>29 まぁ、226事件について、時系列を丁重に追わない書き込みは、事実認
識を誤らせますので、ゆっくり書き込みますよ。
まず、
>>明治憲法の趣旨は、「天皇が主権者である」という前提での立憲君主制
>は、憲法のどの条文を指して仰っているのでしょうか?
>1条及び3条については前スレで散々やった気がしていますが・・・。
私は「明治憲法における主権者は天皇である」と意見表明しているのですが
貴殿は「天皇である」とも「国民である」とも「貴族である」とも、表明さ
れておられません。まずここから始めましょう。
明治憲法下における主権者は、誰ですか?
41 :
保守を考える:03/01/25 16:19 ID:of3J+H9w
>>22 この議題の発端は、れ氏が述べた「先の大戦に於ける、天皇=絶対が政府中枢に蔓延していた」
であり、その過程で明治憲法が天皇=絶対と規定しているという判断に対する反論でした。
今、226について議論していますが、この革命は失敗に終わっていますから、議題の発端から
だいぶづれているような気がしますが、天皇と為政者との関係が重要な論旨であるならば
あなたの云う、国民と天皇の関係を考察するには議題とは必ずしも一致しないと考えています。
また、井上日照や石原莞爾と日蓮宗の相関性もスレが違うと(天皇とは関係無い)判断しています。
42 :
パンドラ:03/01/25 16:32 ID:p+lUkYY3
>>23 現在の反グローバリズムは、経済的な意味合いでの大国中心主義批判。
構造主義、ポスト構造主義もすでに過去の権威になりつつある、脱構築が訴えられて久しいw
無意味になるのは、国家制度としての皇室である。
国家という枠組みで知の多様性を認めないことは、それこそ「多文化共存」に反する。
民間機関として知の多様性の一翼とならんことを…w
天皇制の支持の高さは、九条がらみの護憲派の消極的指示による部分が大きいことは前スレ末に指摘している。
43 :
右や左の名無し様:03/01/25 16:34 ID:p+lUkYY3
>>24 >憲法下も未熟とすると、具現化している国・体制は?と言うことなのです。
未熟というより、反民主的と申し上げている。
具現化するというより、方向性の問題、より多様性を認めるということ…
国家制度として維持することは、多様性を認めず、一種の身分制であることも含めて非民主的と評価している。
もちろん、あなたがたが神聖不可侵として称えることは、多様性のひとつとして何ら批判するつもりはない。
>世界的に現実にそう(希薄化)ならないと、また成り得る過程も想像に委ねるしかなく、やはり理想的観念論では?
現実に欧州共通の家構想や現在の米国の対イラク戦に対する反戦行動など国家の枠を越えている。
蓋然性が高いことを「理想」と表現するなら、推論を「観念」と表現するなら、そのとおりである。
>非政府組織も反政府理念で無い限り、国の政府・国民を無視しては不可能な
>活動であるし、ましてや、支援している地域にはその国の文化性・独立性を
>押し進めている段階でもありますし。
現状ではそのとおりである、ただ、方向性を論じている。
44 :
ころ:03/01/25 16:38 ID:???
パンドラさん
>>19 >リベラル風の名無し氏
前スレ
>>621>>622のことでしょうか?
実際に現状の天皇制を廃止・変更するとなれば、憲法改正という手続きを経なければならないと思います。
しかし、国会(各議院)の総議員の3分の2以上の賛成→国民投票の過半数と、ハードルは他の法律(国会での過半数承認のみ)と比べて高いのです。だから今まで憲法改正がなされなかった訳であり、今後も発議される可能性は高いとは言えないと思います。
(以前に比べて高まっているようですが)
多数派工作で法案は可決できても、国民投票は操作できません。そんな危険を冒すことはできないのです。逆に言えば、天皇制は現実にそこまで矛盾した制度ではない(理論的な問題とは別次元)のです。
俎上に上がってもどう改正するかは国民投票を踏まえるとなると9条以上に難しいと思います。
仮に、国会で発議され国民投票となったら、どうなるのでしょうか?世論調査は憲法改正を踏まえてのものではないし、いざ投票となったらどちらになるかは本当に分からないと思います。
ここで、憲法改正を前提とした存続派廃止派の多少を論じてもたられば論になってしまうと思います。
45 :
お教えください。:03/01/25 17:12 ID:LTBt/OmU
社会主義協会=向坂派がこの世に残した害毒と汚染についてお教えください。
46 :
ころ:03/01/25 17:52 ID:???
>>40 主権を「国家の意思を最終的に決定する権能」と定義します。
私見の権能の権力と権威の乖離という二律背反が当然主権にもあったと仮定します。
すると、明治憲法下において天皇は主権の権威という部分で最終決定者であり、権力の部分での最終的決定者は初期には維新政府(藩閥)、中期には政党政府(民衆)、
末期には軍部(私見ですがここでも民衆の賛同があったと思ってます)ということが言えると思います。
権威と権力という二律背反する概念が蓋然的に存在している以上、主権という一つの概念にまとめて強固にしたいのは支配者としては当然の帰結に思います。
226事件が議論の中心ですが、私見では、軍部は226クーデターにより権力の完全掌握(政府の破壊・否定)に成功し、権威の掌握をも目指したが、天皇が権威によりクーデターの権力を否定した(ご聖断)とみています。
軍部は天皇の権威を否定できないのは、軍部の存在がそもそも天皇直属(統帥権)であり、天皇忠誠である(軍人勅諭)であり、軍部による主権の掌握は天皇親政という大義名分がないと存在し得ないものだからです。
つまり幹部連はともかく軍隊内における統制上の問題があったと思います。勿論民衆の支持・賛同も対外的(諸外国)な問題もあったでしょう。
因みに明治憲法下における天皇親政は、天皇による(西洋でいう)絶対君主化でなく、政治的権力は終始一貫別の所にあって天皇は権威による親政(得てして権力に否定される)のみであったと思います。
主権の重心を権力に置くか権威に置くかは見方の違いであって、その見方も時代背景を無視して(明治憲法は70年弱と長い)一概にどちらだとはいえないと思います。つまり、主権者は、天皇と別の権力の二つ存在していたと見ています。
47 :
保守を考える:03/01/25 18:02 ID:eul9jtUP
>ころ氏
>>37 新型PCですか。羨ましい限りです。(私の愛用は4年前のなので・・・)
さて本題ですが
3条若しくは第1章に則して、どのような具体的な軍の暴走があったのでしょうか?
この辺が判然としないので解説をお願いします。
また11条の統帥権の解釈として当時元海軍軍人の水野広徳は
「憲法第十一条は天皇は陸海軍を統帥す、とあるが、第十五条に天皇は爵位・勲章その他の
栄典を授与す、とありだからと言って、恩賞権は独立して総理大臣が関与出来ないことは
ない。それと同じ事だ。」という解釈があったことを考慮しておいて下さい。
>民主主義の放棄とは言論の自由の放棄です
どうやら民主主義の根本から私との認識が違うので・・・・どうしたらよいのか・・・
「民主主義=言論の自由」ではなく、民主主義に則って「言論の自由」を選択出来ると考えますが
また、専制国家であろうと、専制者が言論の自由を認めればそれは確保されますし
現在、日本はいわゆる民主主義国家ですが、差別用語の自粛及び名誉毀損罪などなど
無制限にその自由は認められていません。それも民主主義が選択した結果です。
で、天皇との話になりますが
>天皇という存在(大義名分)には誰も逆らえなかったとみています。
これは憲法が要請しているわけではなく、「治安維持法」の撤廃で事がすむ気がしますが。
また不敬罪も現在名誉毀損罪がありますので、その理念は残っているような気がしますが。
>そちらに合流ということで了承願います
それはお任せしますが、具体的に天皇との関係を解釈よりも、歴史的事実によって
示していった方が、観念論に陥らないような思いもありますが、思想板ですから無理ですね。
48 :
保守を考える:03/01/25 18:17 ID:eul9jtUP
>>38 レスの内容にたいする異論は
>>47とほぼ同じですので省略させていただきます。
>そこには明治憲法はないと思います
そうではなく、天皇と国会とのあり方、または国民とのあり方を慣習法的要素に沿って
暗示に富んでいると申しあげました。
国権の最高機関である国会にたいして、陛下は最後に
「希望します」と結んでいます。この部分に何か感慨を抱きませんか?という事です。
>国事行為の臨時代行に関する法律(昭39.520施行)
有難うございました。
>>46 それは実態でしょう。どのような専制君主の国であっても、民意や臣下を
無視して、国は運営できない。明治憲法下も実態として、議会を無視しな
かったであろうし、絶対的な権力行使がなされなかったであろうが、制度
としての主権者は誰であったかといえば、天皇であると言うほかはないの
では・・・。
特に昭和天皇は立憲君主の姿を追及し、そう自己を律せられていたと思い
ますが、律する必要があったということは、逆に、天皇が主権者であっ
たという見方も十分に可能です。制度としては、天皇主権であったが、天
皇の立憲君主制への強い思いが、事実上の主権の発揮を抑えていた。した
がって、権力行使(ご聖断)がなかったからと言って、明治憲法が天皇主
権でなかったという事にはならない。
>>46 それから、軍人の捕らえ方と、天皇親政の部分についてですが、確か
軍人勅諭では、軍人が政治にかかわることを、戒めていたという記憶があ
りますが・・・。
確か、軍人はその理由で選挙権も内容に、記憶している(違うかも)
クーデターを立憲君主国の君主が「否定」するのに、ご聖断が必要とした
ら、それは、立憲君主国ではなくなる。当時の法律(軍法を含む)に明ら
かに違反しているのに、軍部が制圧しないから、天皇自らが制圧するとま
で言った。
これは、天皇陛下の、立憲君主制の%9
>>46 それから、軍人の捕らえ方と、天皇親政の部分についてですが、確か
軍人勅諭では、軍人が政治にかかわることを、戒めていたという記憶があ
りますが・・・。
確か、軍人はその理由で選挙権も内容に、記憶している(違うかも)
クーデターを立憲君主国の君主が「否定」するのに、ご聖断が必要とした
ら、それは、立憲君主国ではなくなる。当時の法律(軍法を含む)に明ら
かに違反しているのに、軍部が制圧しないから、天皇自らが制圧するとま
で言った。
これは、天皇陛下の、立憲君主制の理解と比較して、軍部の理解が、全く
論理性に欠如していたかといえば、誤りである。
天皇の立憲君主制の理解は、理念として正しいのであり、軍部の理解は、
憲法解釈として、正しいのである。ただ、大御心に叶っていなかったから
、通常の法で制圧すべきであり、少なくとも、政府・軍部の責任として、
そうすべきである。
クーデター肯定というご聖断はありうるが、天皇がそう望まなかった事件
と見ている。
52 :
保守を考える:03/01/25 18:41 ID:eul9jtUP
>れ氏
>>40 >明治憲法下における主権者は、誰ですか?
主権者が誰と言うより、主権を有する機関は、国会であり、内閣であり、司法であり
陸軍であり、海軍であり、枢密院であり、そして国民です。
天皇はこれら権利の総攬者であり、その権利の拠り所であると解釈しています。
で、憲法に規定されていない機関が存在しました。
それが「元勲・元老」です。
この議論はころ氏も参加されていますので、そちらにもレスしますが
そもそも、「国民主権」とはいかなる概念なのかも併せてしたいと思います。
>各位
>>50 >>51 連続投稿となってしまい、陳謝
>>520 保守考氏
ころサンの
>主権を「国家の意思を 最終的に 決定する権能」と定義します。
この定義で、統一していいのではないかと思います。
国民主権とは、国民が上記主権を有するということで、いいのではない
でしょうか。
また、実態的な問題ではなく、明治憲法の制度ということです。
元勲・元老院の存在についても、いつかは触れる必要があるのですが、
憲法における(制度としての)主権者は、誰ということは、明確にしな
ければ、このスレの意味がない。幸い(というと失礼だが)海外との比
較一辺倒の方ばかりではない状況なので、有効に議論できる。
54 :
保守を考える:03/01/25 19:44 ID:eul9jtUP
>>46 >主権者は、天皇と別の権力の二つ存在していたと
日本国憲法前文と第一条に国民主権という文言がみられますが
だからと言って、内閣、国会、司法にまたは、全権委任された外交官に
国の行方を決定出来ないとは限りません。どうもこの「国民主権」という
金言的用語は一体何者なのか、不思議に感じます。
なるほど、20歳以上の国民の選挙によって選ばれた議会制民主主義により
国民主権は満たされているとするならば、20歳未満は国民では無いという
事なのだろうか?という疑問から、住民投票の投票権を中学生にもという議論
は理解できます。しかしこれは憲法の規定にはありません。憲法に従って法律
を施行することが可能ということです。
で、明治憲法による第2章 臣民権利義務において
第28条 日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たる義務に背かざる限りにおいて
信教の自由を有す
第31条 本章に掲げたる条規は戦時又は国家事変の場合に於いて天皇大権の施行を
妨げることなし
これ以外の条文は全て、「法律の定める所に従い」と国会による法整備に委ねています。
また第31条の天皇大権とは
第 8条 @ 天皇は公共の安全を保持し又はその災厄を避ける為、緊急の必要により
帝国議会閉会の場合に於いて法律に代わるべき勅令を発す
A この勅令は次の会期に於いて帝国議会に提出すべし
もし議会に於いて承諾せざる時は政府は将来に向けてその効力を失うことを
公布すべし
第 9条 天皇は法律を執行する為に又は公共の安寧秩序を保持し、臣民の幸福を増進する
為に必要なる命令を発し又発せしむ。但し命令をもって法律を変更することを得ず
一体、この憲法において天皇が国民の権利を侵すことが、何処に明記されているのでしょうか?
55 :
・・・:03/01/25 22:20 ID:???
>保守考氏
>>39 了解致しました。パンドラ氏も西欧の王制と皇室は違うと述べられましたので。
>>41 まず、
>>22の
>>6は、
>>7の誤りであり、保守考氏への返答(前段)と
後段は226に限らず、当時の特異性のあるなし、またその素地が知り得たら、という希望です。
>国民と天皇の関係を考察するには議題とは必ずしも一致しない
お気遣いはいりません。
国民と天皇の間に為政者の政策があるわけですから、今まで通り疑問の無い限り
両氏(私も妬みたくなる、ころ氏も参加で3氏かな)、の議論から私自身でくみ取ります。
>日蓮宗の相関性
もちろんです。226(前段)当時の思想の一つとして浮かびましたので。
56 :
保守を考える:03/01/25 22:41 ID:eul9jtUP
>れ氏
>>53 主権の定義について異存はありませんが
>憲法における(制度としての)主権者は、誰ということは、明確にしなければ、このスレの意味がない
これはそう一概には弁別出来ないと考えます。これは
>>10でも述べました。
また、戦後教育の影響もあり一般には、明治憲法には天皇の権力集中が喧伝されていますが
例えば、本文まえの「憲法発布の勅語」には君民同治的な考えが強く表れています。
勅語には皇室と臣民(国民)は肇国の昔から日本の為に一致協力してきたと示し、
ともに和衷共同して帝国の栄光と祖宗の偉業を保つ為にこの負担を分かつと謳っています。
また、憲法発布の上諭には
「其の臣民の翼賛により与(トモ)に共に国家の進運を扶持せむことを望む」
とあります。これが日本古来の国の形、つまり国体であると考えます。
57 :
ころ:03/01/25 22:44 ID:???
>>47 >具体的な軍部の暴走
「統帥権の干犯!」が法理上天皇でなく軍部より生じることに違和感はありません。水野氏の引用はそのことを意図したものと察します。
軍部の暴走は、この「統帥権干犯!」に始まる政治干渉を総じて指し、515・226事件などの非合法的な活動は勿論、天皇機関説問題(35年)や軍部大臣現役武官制の復活(36年)などの議会に対する圧力という比較的合法的な活動も含めています。
統帥権がなぜ問題になるかと言えば、軍部に政治干渉や天皇主権を標榜する口実になってしまったことです。尤も、天皇に実質的に権力があり、軍部を統帥していたら(プロイセンと日本の相違点)軍部の一連の暴走は幾分か牽制され大義名分性も希薄だったように思ってます。
>民主主義の根本
どうも認識が違うみたいですね。^^;もともと斎藤演説に関する認識の相違も大きいと思うのですが。
言論の自由は、一定の制限下にあるのは当然だと思います。しかし、斎藤演説のどこにその自由を制限する謂れがあるのか私には理解しかねます。謂れのない自由の放棄だから言論の自由の放棄という結論に至ったのです。
保守考サンのいう戦前における民主主義の定義をこの言論の自由に即して(なぜ制限されるのか)お聞きしたくなりました。スレ違いなのは承知ですがここまで来たらはっきりさせたくもなりました。立憲君主と少なからずリンクすることだと思います。是非お願いします。
>治安維持法
明治憲法76条では現行憲法と同様、憲法の最高法規性が謳われてますが、治安維持法は、「此ノ憲法ニ矛盾セサル法令」ということでしょうか?
>合流
私も戦前軍部と同様暴走する嫌いがありますので、バランスを考えていきたいのです。臨機応変に対応したいと思ってます。
58 :
右や左の名無し様:03/01/25 22:56 ID:zMqnTQsb
馬鹿な奴ほど、議論を好む。「保守を考える 、れ、・・・、ころ」
おまえらのアフォ議論のおかげで、すぐ容量オーバーになるんじゃ〜。
日本の癌、天皇はいらない!!! 簡潔は知恵の精髄。
59 :
右や左の名無し様:03/01/25 23:03 ID:cExC6aC6
>>58 はげ胴衣
ひまな奴、整理能力のない奴、実行力のない奴も同様。
日本の癌、天皇はいらない!!! 簡潔は知恵の精髄。
60 :
保守を考える:03/01/25 23:30 ID:eul9jtUP
>>55 仰ることは解りました。
出来れば的を絞った質問をお願いしたいのですが。
私の知りうる範囲でお答えしますし、間違いがあれば反論もお願いします。
61 :
右や左の名無し様:03/01/25 23:59 ID:GanthC6Q
このスレは勉強になります。皇室のありがたさがわかりました
62 :
ころ:03/01/26 00:02 ID:???
れサン
>>49 >それは実態でしょう
実態がそうならば、制度上どうあれそれは形骸化してると思います。
制度は実態が伴わくては機能を果たせず、存在意義が喪失してると思います。制度より実態を把握するのに吝かでないと思います。(制度に固執しがちな自分に自戒を込めて)
>>50 >軍人勅諭では、軍人が政治に関わることを、戒めていたという記憶
軍人勅諭を全体として把握している訳ではないので、このような指摘には真っ向から反対できないのですが、
歴史的事実として軍部内閣は陸軍の創始者山県から桂、山本、寺内、田中義一、その後の軍部政権…と全体を通して政治に関わってきたこと、また軍部大臣現役武官制に見られるように本質的に軍部と政治は関係深いものであることからも、
勅諭の原文ままに解釈するのはどうも意図する所が違ってくるように思います。(こちらでも調べてみます)
>>51 >ご聖断が必要としたら、それは、立憲君主国家ではなくなる…以下
イマイチ理解しかねるので、詳細を述べてくれたら嬉しいのですが。
ご聖断とは立憲君主制から逸脱した行為なのでしょうか?
>>49では権力行使をご聖断としてますが、天皇大権に基く権力行使は立憲君主だと思います。
ご聖断に関して、全くの私見ですが明治憲法9条の「命令」との兼ね合いから曲解も可能かなと・・・
誰かご聖断の法的根拠について意見がお持ちでしたらレス下さいな
63 :
保守を考える:03/01/26 00:03 ID:oEmuHSKx
>ころ氏
>>57 >「統帥権の干犯!」が法理上天皇でなく軍部より生じることに違和感はありません
天皇制とは関係が無いという結論で宜しいのでしょうか。
>もともと斎藤演説に関する認識の相違も大きいと思うのですが
斎藤演説の翌日の議会に於いて、陸相の畑俊六は
「今次事変の目的は、容共抗日政権を撲滅して東洋平和を回復し、日満支三国が善隣友好、
共同防共、経済提携を具現し以て、東洋の新秩序を確立して肇国以来の国是たる八紘一宇の
大理想を顕現するにあります。これ蓋し聖戦と称する所以でありまして、斎藤氏の述べたる
弱肉強食を本旨とする、いわゆる侵略戦争と根本的に其の類を異にするものであるのであります」
斎藤隆夫の言論は議会で行うのであればその責任を問われません(憲法第52条)が
除名という議決は国民が選挙で選んだ国会で行われていますので、民主主義に則していないという判断は
おかしいと云わざるをえません。(多数決の原理)
>言論の自由は、一定の制限下にあるのは当然だと思います
であるのならその線引きがどこになるのかが、あなたの価値判断ではなく当時の議会の判断に委ねても
間違いではないと判断出来ますし、そもそもこの議論は「天皇と民主主義が対立しない」が発端です。
>治安維持法は、「此ノ憲法ニ矛盾セサル法令」ということでしょうか?
いえ、そうは判断していません。
64 :
保守を考える:03/01/26 00:22 ID:oEmuHSKx
>>57 >保守考サンのいう戦前における民主主義の定義をこの言論の自由に即して(なぜ制限されるのか)お聞きしたくなりました
戦前の民主主義については、あなたが前に引き合いに出された
吉野作造の「民本主義」に傾いていますが・・・・。
戦争、若しくは国家の非常事態に於いて、言論の自由が利敵行為や、戦意喪失に傾くとするならば
公共の福祉に反するとの判断からです。もし現在、北朝鮮なり中共がわが国を不当に侵略し始め、
自衛隊の出動を、憲法9条の非交戦権に反する、若しくは戦争そのものを反対といった言論が
まかり通り、国防を維持できなくなるとするならば、あなたはそれでも言論の自由を擁護し
国会の議決により、わが国が無抵抗に侵略されることを認めるということを、望むと云うのですか?
私は、日本の不羈独立を希求し、悠久の歴史に支えられたる日本を愛するが故に、そのような
自由に対して反対する立場です。
>>62 >ころサン
軍人勅諭の抜粋参照ください
「・・・世論に惑はす、政治に拘らす、只々一途に己か本分の忠節を守り」
立憲君主制と主権については、
立憲君主制と言う言葉に、主権の帰属の定義はありません。
主権が、国民にある場合もあれば、君主にある場合もあります。
「最終的な決定」とは、議会の意思・国民の意思・天皇の意思・内閣の意
思・貴族元老などの意思など、いずれかが対立したとき「最終的」に決定
できる機能は、何処にあるのかという問題ですから、天皇でしょう。
実態を無視するということではなく、実態を把握する(正当であるかない
か判断するなど)ためには、制度について(主権者は誰か)明確になって
いるほうが良い。というより、天皇になく国民ともいえないとしたら、誰
が主権者?最終的に意思が対立したときの決定権者を定めていない憲法な
ど、存在するの?そう思ってしまいます。
66 :
パンドラ:03/01/26 06:46 ID:750+I7TW
>>39 >>55 議論を突き詰めるのと、マニアックな議論とは少々違うような…w
「天皇制存続の意義」というより、「存続」をすでに前提としてその細部を論じているのが現状。
「存続か否か」という緊迫した議論でなく、『皇室支持派同士のサロン』と化している。
それを称して「マニアック」と申し上げた。
まぁ、同じジムの選手同士のスパーリングを見るようでつまらない、というのが皇室懐疑論者の偽らざる心境である。
67 :
右や左の名無し様:03/01/26 06:47 ID:750+I7TW
>>44 ころサン
>たられば論になってしまうと思います。
そもそも、「天皇制支持は90%にも上るから廃止はありえない」という内容にコメントしたものである。
あなたの指摘がそのとおりだとすれば、ここのカキコのほとんどに当てはまる。
ほとんどが、ほとんどがたられば論ということになる、と思うw
68 :
ころ:03/01/26 08:21 ID:???
保守考サン
>>48 >慣習法的要素
個人的な捉え方の違いですが、やはり現行憲法に主眼があるように感じます。
明治憲法下の帝国議会も継続性という上では入ってるのでしょうが、それよりも現在の逼迫した国際情勢や政局について国会の本義に則って使命を果たすことを述べられたものに思います。
この話題は余談なので・・・
>>54 >国民主権って不思議
単純に「国民が国家の意思を最終的に決定する」ことを規定したものだと思ってます。
明治憲法ではこの主権という概念が引用されていないので、天皇主権説と君民同治的(私見ではこちらですが)と様々な解釈が成り立ってると思います。
国民主権は民主主義に通じるものだと思います。国民主権が不思議ならば、民主主義をどのように捉えてるのか聞きたくなってきました。^^:
>20歳未満は国民では無い
公職選挙法のみではそのような解釈も可能だと思います(公選9条)。が、民法では同様に20歳未満を未成年として扱ってます。
これに準じれば、選挙権を持たないものは未成年者であり(民3条)、制限能力者(保護者などの後見人を必要とし、権利が制限されている)であるという類推が成立します。
未成年者の選挙権はこれにより制限されてると見てもいいのではないでしょうか。
一方で、未成年者でも特定の権利行使は認められていて(民5・6条)、この中に選挙権を含めるかは議論の余地は充分にあると思います。
>この憲法において天皇が国民の権利を侵すことが、どこに明記されてるのでしょうか?
明治憲法では、国民の権利は天皇に抵触しないことが前提で、抵触したらの仮定が規定されてません。もし明記されていたら天皇主権の色彩が濃くなってたでしょうし、例の斎藤演説もこの点において明確に断罪されてたと思います。
69 :
ころ:03/01/26 08:34 ID:???
パンドラサン
いずれサシで議論したかったのですが・・・お暇なようで^^;
年末にレスした「2002年のおしまいに」(特に
>>231)に関してご意見をお聞かせ下さい。
廃止派からの意見が見当たらなかったんで・・・。
70 :
ころ:03/01/26 08:37 ID:???
税金の無駄だから早く無くせ。
アメリカの作戦で利用しただけなんだから、もう必要なし。
72 :
ころ:03/01/26 09:11 ID:???
あっ、また「レス」と「スレ」間違ってます(
>>70)。訂正します^^;
保守考サン
>>63 >天皇制とは関係ない。
どうも平行線を辿ってるように思います^^;。
統帥権が天皇大権である以上、天皇制と関係がないと言いきれるでしょうか?
尤も、天皇の存在意義から見たら、統帥権自体が意義の範疇に入らないと思いますし、統帥権と天皇とは元来関係がない(これが私見の言う制度上の欠陥・矛盾)と思います。
>除名という議決
除名という懲罰の事由(理由)が問題なのであって手続上の問題ではないのです。
>当時の議会の判断
これが問題なのです。何の、どういった判断で議会は除名したのでしょうか?
斎藤演説の内容が問題であれば無責任(明治憲法52条)であり、かといって他に明確な事由が見つからないのです。除名という懲罰の最高処罰です。相当の事由があってしかるべきだと思います。
以下私見です。斎藤演説が軍部の反発を生み(聖戦への侮辱)、軍部を統帥している天皇制において軍部の遂行する聖戦への侮辱は天皇制への侮辱と拡大解釈されたのではないかと思います。
つまり議員の発言の無責任(52条)よりも天皇神聖不可侵(3条:原義だけではなく、軍部による曲解・拡大解釈の要素含む)が優先されたと見ています。
ゆえに、天皇制と民主主義は対立したと思ってます。
>>62 クーデターと御聖断について
そんなに難しく考える事はない。
クーデターを否定する事は法によって出来るのだから、御聖断の必要性が
ない。肯定する事は、法の否定だから、御聖断によるしかない。
軍部や青年将校は、御聖断によるクーデターの肯定を望んでいたのだから
憲法解釈として、適合している。天皇は明治憲法の解釈としてどう考えて
いたかは、クーデターを肯定しなかったのだから、不明だが、立憲君主の
理念からすれば、違法な行為による政権奪取は不当だから、天皇の行為は
その理念に適合しているということである。
74 :
ころ:03/01/26 09:32 ID:???
保守考サン
>>64 >民本主義
民本主義は「天皇制のもとの民主主義」と解釈しています。
その民本主義が台頭し(君主と対立する)民主主義になった時、天皇制(中でも絶対君主制的権能である天皇大権)と対立することも可能性としてはゼロではないと思います。
で、実際に、例の斎藤演説の時に対立したと見ています。
>9条…望むと云うのですか?
望む望まないに関わらず、憲法に規定されてる以上、それに従うのが立憲制だと思います。これが憲法の存在意義です。憲法は最高法規です。
憲法に従えなかったら従えるように改正すればいいのです。以前確か現代人サンが創憲派と仰ってましたが、私は改憲派です。護憲派は憲法が何たるかわかってないと思ってます。
また、議会内における発言は、絶対保障されるべきです。議院内における一部の言論で利敵行為に及ぶ民意、また戦意喪失してしまうくらいの民意ならば、議会内の発言をいくら制限しても民意は早晩利敵行為に走り、また戦意を維持し得ないでしょう。
逆に自由に議論することにより、反対意見があるからこそ比較され民意が形成されやすくなるのです。言論の自由は議会制民主主義の生命線と言われるゆえんです。
これ以上言うと収拾が付かなくなるので、割愛します。要望があれば持論があるので、容量オーバーを承知で展開しますが。(得意分野です^^;)
一つだけお答えして頂ければ。保守考サンの思う憲法とは何でしょうか?
質問ばかりで申し訳ないデス^^;
75 :
ころ:03/01/26 09:40 ID:???
れサン
>>65 >軍人勅諭
自分でも詳細に調べてみます(保留)
>立憲君主制と主権
仰りたいことは理解できました。立憲君主に関する解釈は同意します。
>制度について(主権者は誰か)明確になっているほうが良い
この理論に則って台頭してきたのが軍部だと思います。台頭の根拠は天皇大権(天皇主権)です。そして天皇機関説による政党政治を駆逐しました。
で、実態に即してないから機能不全で日本は破滅したと言えるのかもしれません。
>最終的決定権者を定めてない憲法
8条(勅令は議会の承認なくして撤回される)9条(天皇の命令で法律を変更できない)49条(両議院は上奏<天皇に報告>のみ)に関して、どうしても議会の意思が天皇の意思より上位にあるように思うのですが。
6条(法律の天皇の裁可、公布)が最終決定権とするのも無理があると思います。
天皇大権以外に天皇主権が謳われてる条文が見当たらないのですが。
明治憲法に関しては原文しかないので、読み込みが甘いのが前提でお聞きします。
以下横スレ違いですが^^:
○国民という言葉について○
「国民」とは近代民主制から発生した概念であり、西洋の絶対君主制ではまだ存在しない概念であるように思います。
絶対君主制では民衆は、国王により権利を制限されていました。というより民衆に権利という概念がありませんでした。フランス革命後民衆に権利が保障され(人権宣言)、国民となりました。国民は君主の対義だと思います。
つまり、絶対君主制に国民を併用するのは・・・と思います。
私は明治憲法下では「国民」に違和感があり、かといって「臣民」もなんだし、暫定的に「民衆」で落ち着いてます。蛇足ですね^^;ただ気になってたので・・
少し、明治憲法下における主権の話をしていると、私が左翼にでもなった
ような感じがするので、少し書いておく。
明治維新は、権力集中の必要性があり、それを、天皇に集中させたことに
、当時の国の状況として、また国際環境として、妥当な選択である。そこ
に、天壌無窮の神託を権威の根拠としたことも、歴史的に必然性があり、
それを抜きにしては、天皇への権力の集中の論理が出来ないことを考える
とき、当然といえる。また一方、忘れてはならないことは、災害や病気の
科学的解明は、明治憲法制定より、後のことになる。脚気はいまだ解明さ
れていない病気であり、病原菌によるものと考えられていた記録がある。
(実際はビタミンの不足)宗教はいまだ有効な時代であった。
また、天皇の存在が、制度として絶対性を持っていたとしても、明治天皇
昭和天皇の、立憲君主の理念の推進や、国民を隷属させようとの意思を、
そもそももち得ない存在であることに担保され、自由民権運動・大正デモ
クラシー・議会制民主主義と政党政治の発展をみた。
しかし、制度的な問題、統治権・統帥権等と、国家神道による天皇の神格
化絶対化とあいまって、軍事による国の支配が226事件以降進展した。
統帥権に関して言えば、内閣において、他国との交渉や、軍備を行い、現
実の作戦的な軍事は、統帥権を持つものが、内閣や議会の影響を受けず、
遂行できるという論理である。しかし現実には、対外的な交渉も軍事の一
部であり、これを分別する事は、現実的ではない状況であった。
制度の問題として、もう一点は、内閣の輔弼ではなく大臣の輔弼であった
ということである。大臣が並列に天皇を輔弼する制度であったことも、軍
属の独走を許す原因となったのではないだろうか。
制度の問題として捉えることの重要性は、現代にいかに歴史を生かすかと
いうことにおいて、重要である。
77 :
保守を考える:03/01/26 11:28 ID:KxIyPhNy
>ころ氏
話題がスレの趣旨から大きく反れてしまうかもしれませんが、私の見解を述べておきます。
民主主義については前スレで述べてあるので繰り返しませんが
(国民主権について)
>単純に「国民が国家の意思を最終的に決定する」ことを規定したものだと思ってます
であれば、単純に直接民主制が望ましいし、政治がそれに向けた制度の改正に傾くのも其の通りです。
しかしこれはあまりにも不可能な現象です。殊日本に関して、我々、国民は政治のみに関心を持ち、
まして生活を捨ててまでも、政治活動をすることは出来ない。そこで、間接民主主義なる議会制が
存在します。これは、ある地域、ないし日本全土から選ばれた代表者が、その主権を代わりに行使します。
問題は、この代表者と民意は必ずしも一致しない、寧ろ現在、国民の政党離れ、政治不信は
国民の意思と大きくかけ離れていると解釈できます。ためしに、あなた自身、国民の一人として
為政者の誰があなたの意志を代弁しているというのでしょうかと考えてみて下さい。
代表者がロボットでもない限り、国民に対して信を約したいわゆる、公約がどこまで守られているのでしょうか。
またこの「国民主権」とは、しばしば、人類普遍の人権と解釈されますが、
私はこの解釈にも異を唱えるものです。
78 :
保守を考える:03/01/26 12:00 ID:KxIyPhNy
>ころ氏
(憲法について)
「憲」とは明らかであること、「法」とは平らであること、がそもそもの語義ですが
この2つを併せて「憲法」とは
「物事を明確にする為の基準」と解釈しています。
そうすると、この「物事を明確にする為の基準」は何によって示されるのか
それは、歴史であり、そこから生まれた慣習もしくは道徳しかありません。
私は「創憲派」ですが、あなたが「改憲」を論じる際においても
日本に於ける法制史、「十七条憲法」や「御成敗式目」、「禁中並公家諸法度」等
それらの理念を考察しなければ、新しい「明文憲法」はまた、論議を呼ぶ発端でしかない
と判断しています。
私としては日本国憲法の根本的欠点は、国民主権の実態を明確にしないまま、無条件に
国民は主権者なりと明記してあるところだと考えます。
現在の日本を思うに、この国民主権を掲げた、国民の欲望は是が非でも実現されるべし
といった類のヒューマニズムが野放図に拡大されていて違和感を覚えるのです。
79 :
保守を考える:03/01/26 12:48 ID:KxIyPhNy
>ころ氏
(国民について)
伊藤博文は明治32年(1899年)、三田尻・萩での公演で、
「維新前の日本人は単なる統治の対象、即ち人民でしかなかったが、憲法の政治が布かれて
日本国民は始めて、正確なる国民の位置を得た。」と規定しました。
また、
「人々を国民たらしめる為には、成るべく教育を普及せしめて、一国の利害損失に
関係することを理解させなければならない。人々は参政権を得た結果、
国是を了解しなければならない義務を負ったのであり、
国家を己のものと考えねばならぬようになったのである。」
つまり、立憲政治の導入は、西欧標準の法体系を採用し、価値観を共有するとともに
人民を「国民」化し国家の繁栄と不羈独立を導きました。
あとは、教育の普及によって、高い知識と主体性をもった国民が増え、
国政への参加意欲と国家への帰属意識言い換えれば、国民としてのアイデンティティを
持った人々が国家の骨格に肉付けして行くという理念だと考えます。
これが、いわゆる国民国家の形成であり、
歴史的に明治時代はこの国民国家の形成・発展期であったと考えます。
80 :
保守を考え:03/01/26 14:04 ID:YjTYdv4C
>ころ氏
>>62 >誰かご聖断の法的根拠について意見がお持ちでしたらレス下さいな
まず、前スレにも議論になったのですが、神聖不可侵と君主無答責の関係を
井上毅は無用の贅語として反対しましたが、それでは列強諸国に誤解を招くとして
第3条の挿入に踏み切ったいきさつががあります。
では、なぜ「神聖不可侵」ではなく、英国風に「君臨すれども統治せず」としなかったのか
という疑問がでてきますので、まずはそこからお答えしておきます。
まず、明治維新の原則とは「王政復古」であり、「大政奉還」により、政権が天皇に返還されました。
もし、明確に「新幕府」なるものの体裁を明記するとなると、これは維新の精神に反することになり
議論の末、却下されています。
次に、本家英国の「君臨すれども統治せず」は、国王と貴族・人民が闘争を繰り返してきた歴史的結果の
産物であり、天皇と臣民の対立のない日本にはあまりにも不適切です。寧ろここから絶対王政が始まると
いった史的唯物論の見事裏をかいた、歴史になっています。
また、天皇の「権力不行使」は日本における不文法であり慣習法でした。そもそも、本家の英国自体が不文法です。
かといって成文憲法において、国体・政体の別、天皇の権力不行使を条文に盛り込むとなると
列強諸国に異質しされ、憲法として認められない事にされてしまうのではないかという恐れがありました。
例えば、幕末期に江戸幕府と朝廷の関係が列強諸国に容易に理解されなっかった歴史を踏まえてのことだと
考えます。現にハリスは日本に駐在してしばらくの間、「天皇」の存在を知らなかったのですから。
(・・・・つづく)
81 :
保守を考える:03/01/26 14:29 ID:YjTYdv4C
(
>>80の続き)
では、「御聖断」とはいかなるものであったか、昭和天皇の証言から引用させていただきます。
「戦争に関して、この頃一般で申すそうだが、その戦争は私が止めさせたので終わった。
それが出来たくらいなら、何故開戦前に戦争を阻止出来なかったのかという議論であるが
なるほど、この疑問には一応の筋は立っているように見える。如何にも尤もと聞こえる。
しかし、それはそうは出来なかった。申すまでも無いが、我が国には厳として憲法があって
天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上
ちゃんと権限を委ねられ、責任を負わされた国務大臣がある。この憲法上、明記してある
国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し、これを掣肘する
ことは許されない。だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議を尽くして
ある方策を立て、これを規定に従って提出して、裁可を請われた場合には、
私はそれが、意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に
執るべき道はない。もしそうせずに、私が其の時の心持次第で、ある時は裁可し、ある時は
却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持によって何んとなるか
分からないことになり、責任者として、国政につき責任をとることが出来なくなる。
これは「明白に天皇が憲法を破壊する」ものである。
専制政治国ならばいざしらず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない。」
(・・・つづく)
82 :
保守を考える:03/01/26 14:54 ID:YjTYdv4C
(
>>81の続き)
「だが戦争を止めた時のことは、開戦の時と事情が異なっている。あの時には終戦か、
戦争継続か、両論に分かれて対立し、議論が果てしもないので、鈴木が最高戦争会議で
両論をお聞きになり、どちらに決すべきかと私に聞いた。ここに私は、誰の責任にも触れず
権限をも侵さないで、自由に私の意見を述べる機会を、始めて与えられたのだ。
だから私はかねて考えていた所信を述べて、戦争を止めさせたのである。
ポツダム宣言の諾否について、両論対立して、いくら議論しても終に一本に纏まる見込みはない。
しかも、熾烈な爆撃、あまつさえ原子爆弾をうけて、惨禍は急激に増える。
この場合に私が裁決しなければ、事の結末はつかない。
それで私は、この上戦争を継続する事の無理と、無理な戦争を強行することは
皇国の滅亡を招くとの見地から、胸の張り裂ける思いをしつつも裁断を下した。
これで戦争は終わった。このことは、私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ
出来たのだと思っている。」
つまり昭和天皇は、この御聖断を、憲法上の立憲君主としての役割を逸脱した
裁断であったと述べています。
またこの御聖断をもって、天皇の意志が絶対であったというのなら間違いです。
現に玉音放送のテープを巡って、軍部の将校達がクーデターを起こしています。
つまり、天皇の御聖断を認めないという行動をおこしました。(8月革命未遂事件)
>保守考氏
貴殿の意見表明は参考にさせていただくが
「統治する、神聖にして侵すべからず」が絶対性を表現しないとの論理を
有効とするには、あまりに無理がある。統治という言葉や、神聖・不可侵
の、貴殿独特の定義は、説得力がない。「シラス」は「知らす」であり、
絶対的価値観の強制的表現に他ならない。(思い知らすの例で十分であろ
う)
議会制民主主義は、国民主権の中で、取られる一つの形態であり、国民主
権ではないという理由付けとして、議会制民主主義を取り上げるのは、独
特すぎて、理解に苦しむ。
御聖断が有効であるということは、明治憲法下において天皇に最終的な決
定権があったことの証明であるから、憲法上は天皇主権の国家であったこ
とは、貴殿の書き込みからも、明らかではないだろうか。
実態として天皇が極力立憲君主の理念を尊重しようとしていたことを、い
くら説明しても(十分理解できるし、天皇の対外責任などを及ぼす議論に
は反対であるが)だからといって、天皇が主権者でなかったことの証明に
はならない。
(
>>76参照下さい)
>>75 ころサン
統治する・神聖にして侵すべからず・軍を統帥す・皇室典範の改正は議会
によらない、等を指して、天皇が議会より上位であるという理解が得られ
ないなら、議会が存在し、君主に、「一定の制限」があれば、君主主権の
国家は存在しない?そう考えるしかないが・・・。
先に申し上げた、大臣の輔弼ということを見ても、憲法に内閣の規定はな
く、総理大臣はどうやって決められるのかも、書いていない。
政府という言葉はあるが、政府の内容には言及していない。
この意味合いで、大日本帝国の行政府の長は、誰といえるのだろう。
統治するものであり、国家元首である天皇ではないのだろうか。
神聖で不可侵の君主が行政府の長で、国会から一定の制限を受けるだけの
憲法であり、一定の制限の明確な提示もない。
(法案を作るのは、政府である・・・議員立法はない)
主権の存在はこの辺にするが、天皇主権について、法的にそうであり、明
治天皇・昭和天皇の立憲君主制の理念の尊重があった限りにおいて、議会
が機能したとしか、いえない。
85 :
・・・:03/01/26 16:41 ID:???
誠に僭越ながら
統治には、決定権を含むが平時には議会の承認型
ただし、基本は(天皇は個人の意向を述べらる事があっても)反対はされない。
226も終戦も議会での決定に反対された訳でもなくこれに反しない。
ただ、平時でない時の決定権は持ち得ているのだから、主権なのかもしれない。
では、何故反対されなかったのかは、権限はないとする神聖不可侵である。
所謂、「君臨すれども統治せず」理念である。
神聖の意味は前スレでも書き込んだが、「清らかで尊く、犯しがたいこと」であり、
神政でも親政でもない。
絶対性云々・・・私は個人的に絶対という概念は観念的だとみているので、
今までもこの表現からの参加は見合わせていた。
戦争責任の有る無しに似た問題であるような気もする。
現人神は本来尊称的であったのが、強制化された訳で、それを絶対化という
表現になるのならそうかもしれない。
今日の皆さんの書き込みを読み得ていないので、ずれているかもしれないし、
袋だたきにあいそうな仮説かも。
86 :
・・・:03/01/26 17:05 ID:???
>保守考氏
>>81,
>>82の出典をお願いできませんか?
ここまで、はっきりおっしゃられているのは、初見ですので。
87 :
・・・:03/01/26 17:18 ID:???
>れ氏>保守考氏
その問題、国体の教義?(私は具体的に何を指すのか知り得てませんが)
から具体的に見出せませんか。
左系が悪とみなす国体にあまり誰も触れていないので。
>>87 保守考氏は、「国体は絶対である。天皇の意思は絶対的ではない。明治憲
法は、天皇絶対の制度ではない。」との主張でしょう。
国体その定義によると思うので、保留している。
天皇の意思が、絶対的に働くかというと、そうではないといえる。
明治憲法は、制度として最終的には天皇主権であり、その意味では絶対的
であると表明した。
国体の定義としてはいくつかあるようですが、私もどう捉えればいいか、
理解していない、というより必要性が分からない。
89 :
ころ:03/01/26 18:22 ID:???
れサン・保守考サン
明治憲法で主権がどこにあったかという一連のレスを拝見し、私見を形成してる段階なのですが、れサンの言う主権=天皇、にも保守考サンの言う主権≠天皇にもどうも当てはまらないのです。
そもそも明治憲法に主権という言葉がありません。だから主権という視点には理念の尊重からも無理があるように思ってます。
制定時にない理念で分析すると理念に立って(理念の尊重)の検証がなされないと思うのです。
制度に固執して各条文を見たとき、統治権(1条・4条)は天皇に主権があると思いますし(主権は国家の統治権のことという辞書的意味もありますが)、
神聖不可侵(3条)、統帥権(11条)なども天皇に主権があると解するのが素直だと思います。
しかし、天皇と議会、天皇と政府・各大臣、天皇と臣民との優劣を明確に規定した条文が見当たりません。上奏(49条)や輔弼(55条)などがある一方、
対する勅令(8条)や天皇の命令(9条)詔勅(55条)などには一定の制約(8条:勅令の限界、9条:天皇の命令による法律の変更不能、55条:詔勅には各大臣の副署が必要)がありますし、
ここからは天皇に全て主権があったとは言い切れないと思うのです。
現時点では、明治憲法下での主権は、ある所では天皇にあり、別の所では政府・各大臣にありまた議会にあり、場合によっては臣民にもあった、つまり主権は分裂していたと見ています。
尚、蓋然的に天皇に主権があったというのに異論もないです。ただし、最終決定権ではなく統治権から見たときです。
>>89 ころサンも不思議な人ですね。自由主義的発想があるかと思えば、主権の
存在が不明な国家が存在するかのような、書き込みをなさる。
国内で、何らかの対立があったとき(私的・公的に係らず)、何がしかの
決定が、法によって可能な状況を、法治国家というのではありませんか。
主権が分裂しているような状況において、決断を下さなければならない時
、法はどうするべきとしているのかというと、統治者の判断によるとして
いる、そうみなさない限り、国の決定が出来ない。暴力による解決しかな
い。これは、法治国家ではない。
天皇が主権者だったとみなしたからといって、天皇が万能の絶対者であっ
たとの認定をするのではありません。現憲法において、国民が基本的人権
の完全放棄を決定できるかというと、議論があるということと同様です。
主権者であるということと、万能の絶対的統治者であるということは、別
次元でしょう。
私の主張したい事は、制度として主権者であったということから、徐々に
絶対化される余地があったということです。
91 :
・・・:03/01/26 23:15 ID:???
少し酔った上での、書き込みお許しを。
れ氏の主張、保存考氏の主張、私は両方理解できております。
やはり、概念の違いでは?
たぶん、他者からすればほぼ同じ>パンドラ氏
細部の明治憲法下における天皇制の概念の違い(とらえ方の方向性)>ころ氏を含めた3者
だからこそ、天皇制という表現は私には合わない。
しかし、パンドラ氏には申し訳ないが、どの立場から捉えるのか、
それにより見解の相違を議論できる事こそ2chならでは?では。
パンドラ氏の観点から入り得る議論だと思うのだが(例の如くは、疲れるが)。
92 :
・・・:03/01/26 23:22 ID:???
>>88>れ氏
私は主権は天皇だと思う。
ただ、絶対という表現が適切なのかどうか、程度の気持ちである。
絶対には変更も例外はあり得ないし、二面性をもっての絶対も>ころ氏、も。
極論、絶対と言う表現を使う側はお気の毒程度の気持ちかも。
私が国体の教義らしきもの(教育も含めになるが)に、こだわいたいのは、
時代を経て維新当時の価値観(天皇観)が薄れ、共産価値まで生まれ
ながら、その思想においても天皇は何故別格(妄想・純化)なのか。
思想的にはここは、影響として避けて通れないのでは?
国体云々自体はよく分からないのだが、れ氏・ころ氏とも国家神道として
引用はしているのだが。
純粋に「天皇陛下、万歳」として命を捧げられた方々の気持ちを
考えると、私の「現人神」解釈とは少し方向性が違うのであり、そうなり得た
とするならば、絶対性(命と差し違えるぐらいの価値)という表現も解らなくもない。
もちろん、戦意高揚>保守考氏、のあくまでも政策・状況であることは当然である。
私が知りたいのはその素地であり、憲法上はそうでもない>保守考氏、
本質とも関係ない>3者ならば、影響を考えれば知り得ていない、ここに行き着いたのだが。
>>92 その辺の感覚は、その通りです。
先のレスでの「国体」の概念を確認したところ、
1、天皇が統治すると言う意味での国体の維持
2、天皇が統治権を総攬するという意味での、国体の維持
3、天皇が国民の憧れの存在として存在するという意味での、国体の維持
終戦時に議論された、国体の維持はこの三点であるとの事です。
どうも、国体という表現に、天皇の絶対性(国そのものである)を見る思いが、
あります。私には、絶対性を持つものの存在を肯定しなくとも、天皇制・皇室な
どの存在意義を肯定することは、近代・民主主義・国民主権において、問題ないと
思っています。
そこを論議しないと、天皇の現代における存在意義は理解を得られない、そう思
っています。
94 :
パンドラ:03/01/27 10:03 ID:GCrmdiay
>>69 ころ サン
>お暇なようで^^;
あまり、ヒマでは…^^;
過去レスを拝見して、お応えしたい、しばらくご容赦いただきたい。
95 :
・・・:03/01/27 10:52 ID:???
>>93 私も国体のイメージとしては「日本は天皇を頂く国柄」程度しか認識しておりませんし、
この程度の認識は個人的には今でも生きています。>パンドラ氏に怒られそうだが。
>近代・民主主義・国民主権において、問題ないと思っています。
>そこを論議しないと、天皇の現代における存在意義は理解を得られない、そう思
>っています。
同意致します。
国体(国柄)とパンドラ氏の多様性で思い出したのだが、フランスの共和制という
国体は、憲法上確か否定できなかったのではないだろうか(今は違うのかな)?
又、日本の戦争等行為を民主への冒涜的行為(イタリア・ドイツと同列にされていた面)として
裁き、民主国家を高々と謳うアメリカが作成した現憲法も反民主・非民主とするならば、
現日本は、民主国家として国際的に認識されていないのか?また、民主という名を国名にしている国に
民主を求めている現状から、ますます民主主義という概念が不透明になってきた。
96 :
ころ:03/01/27 18:52 ID:???
れサン・・・サン(>>92より同意見なので)
>>90 >自由主義的発想
私が自由主義者かどうかは別として、その自由主義者にも色々いるということです。尚「不思議な人」は認めます^^;。
>(以下…)
私としては、「主権」という語が明治憲法にない以上確定的に主権者は誰とは言い切れない、という見地からアプローチしてます。
れサンの解釈(明治憲法は天皇主権)は概ね同意します。
でも、それは主権=統治権と限定的に見たときであって、主権=最終的決定権と見たときではないのです。
参考程度に。
しゅけん 【主権】
(1)国家の統治権。他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利。領土・国民とともに国家の三要素をなす。
(2)国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利。
とうち 【統治】
(1)すべおさめること。
(2)主権者が国土・人民を支配し、治めること。
で、明治憲法下における主権の所在各説を一度整理します。
・天皇主権…れサン・・・サン
・立憲君主(天皇は権利の拠り所、天皇に主権は無い?)…保守考サン
・主権分散…愚説(ころ)
97 :
ころ:03/01/27 19:38 ID:???
私的に主権を明治憲法を原義解釈してみます。実態は極力度外視します。尚、主権は最終的な決定権と解して下さいね
>天皇の主権
いわゆる天皇大権は、天皇の主権に当ります。逆に言えば、これのみです。
但し、軍部は統帥権で天皇の主権の下にありますが、14条(戒厳令)が成立すると軍部は天皇の代理になれます。
>臣民
そもそも主権は殆ど無いと解します。法律により主権が寄与される存在です(公選も法律による)。
尚、31条では非常時には天皇大権に従うとあります。
>議会の主権
法律議決・予算決定などに関して主権は議会にありました。8条9条の勅令・命令は議会の制約があるから、法律>勅令・命令と解します。
また、憲法改正に関しては議会が主権です。
尚、6条(天皇の法律の裁可)は正邪(正当不当)の判断であって、天皇の主権は反映されません。
又、政府は明確な規定がないので、政府の存在も行政権の所在も不明瞭です。旧内閣法制に拠ったのでしょうか?(憲法の欠陥と言えばそれまでですが。)
ただ、「政府」の存在は憲法上に明記されていること、そしてその政府には法案提出の主権があります。
>国務大臣・枢密顧問
国務大臣(輔弼=助言、副署の要)枢密顧問(諮詢に応え審議)ともに各国務大臣・枢密院の主権=天皇の主権の該当部分が前提だったと解します。(実態は度外視です)
>司法
裁判所は天皇の名の元にありますが形式的であり、司法権は天皇の主権と別に(主権が)あったと解します
>天皇大権との他の主権との優劣
個別に明確に規定してない以上、蓋然的に統治権=主権で天皇主権と言うことはできても、必然的には天皇主権言い切れないとも思います。私は後者です。
> 最終的決定権の「最終」の認識の違いもあるように思います。
(
>>85は、平時と平時でないときで区別してますが、この場合私は前者で平時における最終決定権は天皇以外にあったと解してます)
>ご聖断
平時でないときの天皇のご聖断は主権による最終決定権という議論は、
>>81>>82の保守考サンに同意です。
98 :
ころ:03/01/27 19:58 ID:???
パンドラさん
>>94 過去スレがフリーズしてしまわない内に・・・
端的に言えば、天皇制は、(真の民主主義において)不必要善だから廃止ではなくて、必要悪だから存続すべきだということです。
99 :
右や左の名無し様:03/01/27 20:07 ID:74u+jyFd
何この板?まよい込んじまったw
皇室なんてないほうがいいと思う。税金の無駄
100 :
右や左の名無し様:03/01/27 20:17 ID:ip0938jU
>>99 低脳サヨはとっとと反天皇制糞スレに帰れ!
101 :
パンドラ:03/01/28 07:27 ID:FfGN/x/z
>ころサン じつは、今回、初めて読ませていただいた…それにしても、支持者には饒舌な方が多い、内容はどうか知らんが…
>いわゆるロイヤルファミリーのある国家では、その絶対性が顕在化しています。顕在化しているから存在
>意義から危険性まで議論されまた法によって規定され、国民はそこから存在意義も危険性も認識できます。
あなたの指摘する「危険性」は、ナチス的危険性と天皇制的危険性を混同している。
ナチスは、国民の95%の支持を背景にしたいわゆるプレビシット的絶対権力、いわば民主的危険性であり、
天皇制の危険性は「王権神授説」に近い「神聖な絶対性」であり、反民主的危険性であった。
で、天皇制の存続は、おっしゃるような意義は持たない、と思う。
要するに、前者の危険性には天皇制は無効だし、後者の危険性には「弱毒化」した「類似機関」を残すよりも、
「負の歴史」として「記録」を残し、民主教育における教材として生かすことこそ、効率的かつ有効であろう。
>国民の戦争責任です。先の戦争に対して国民の責任は全くなかったのでしょうか?
前述したように、ナチスは95%という国民の支持を背景としており、国民の責任は明瞭であった。
一方、わが国では天皇は輔弼責任で免責され、国民は「神聖不可侵」たる天皇による強制として免責を訴えがちだ。
責任の所在は、中に浮くことになる。
「全く」とはいえないまでも、責任を問われる国民の側には釈然としないものが残ることは当然といえよう。
少なくとも、無責任体質の「責任」は、旧天皇制の構造にあることには異論がなかろう。
>天皇制のない国家は文字どおりゼロからの新国家の構築ということになりますが、…
そうともいえない、市民革命で得た人類共通の遺産がある。
そもそも、象徴天皇制自体、名称が共通し、担当者が同一人物であっただけで全く別物…、
すなわちゼロからの構築に他ならない、という意見もある。
102 :
右や左の名無し様:03/01/28 07:27 ID:FfGN/x/z
>民主主義を絶対視すればよいと思ってるでしょう。しかし、これは、歴史の検証がなされてないように思われます。
人類としての検証は済んでいるのでは? で、われわれもまた人類の一員である。
>仮に天皇制を否定・廃止して新国家を構築しても、いずれ天皇という絶対性は台頭してきます。
これこそ、検証されないであろう。あなたのよく批判される典型的「たられば」論でもあるし…w
>戦後50年が何より物語ってると思います。
そもそも、戦後の経済成長と天皇制の相関はどのように示されるか ?
で、ご希望の
>>231だが、
>天皇の戦争責任が天皇制の廃止の理由とする…
どこのどのような団体の訴えであろうか…?????
>国民の戦争責任は問われずに戦争は過去のものとして、処理されてしまうでしょう。
戦争への社会的ダイナミクスは、米国とはもちろん、独と日本でも異なる。
戦争責任と一言で表現しても、ダイナミクスを構成する諸要因の中で国民の責任を同定することは困難だが、
象徴天皇制の維持が、それを容易にするとも思えない。
逆に、前述したように責任を中に浮かせる構造を背景とする天皇制は、むしろ責任意識をspoilするともいえる。
>天皇制は廃止されても、天皇の絶対性は消滅しないことです。
おそらく、あなた方の中では消滅しないのであろうw
多くの人々の中では、有名無実化するだろうし、現在、そうなりつつあるように思う。
だからこそ、国家機関を離れて、あなたがたに支持されて永らえては…と心から思うw
103 :
右や左の名無し様:03/01/28 08:34 ID:aFjs/OAE
>ころサン
貴殿の主権に関する書き込みは「最終的」という言葉に沿っていません。
例えば、
司法判断と、政府の行為が対立したとき、法によって決着するなら、法を
制定する権利を有するものが特定できれば、そこに主権者があり、例えば
議員であれば、議員を選択する権利を有しているものが、主権者である。
105 :
・・・:03/01/28 13:00 ID:???
>ころ氏
まず、>「主権」という語が明治憲法にない、という事すら気がつきませんでした。
ただ、
>>96の主権の定義における、
(1)国家の統治権と、平時でないときの(2)最終的に決定する権利
が、見出せる=天皇主権としたのだが。
それと、
>>97における個々の(統帥権・司法権等)決定権?をも
主権という表現使用はどうなのだろうか?
個々の決定権(が分散している事)と、国家における主権とは意味が違うのでは?
>平時における最終決定権は天皇以外にあったと解してます
私も言葉が見あたらず、承認型としましたが、現憲法下でも同じ感覚の
ものかもしれません。
結果として、平時でない2件(226も入れて良いのか迷うが)について、
裁決(裁断)を下されたわけであり(議会の決定に反対した事ではない
=親政・神政ではない)、その決定権を有していた=主権と致しましたが。
>>96の主権の所在各説もどうかと思う。
私も第3条は、保守考氏に近い解釈もしているのだから。
106 :
右や左の名無し様:03/01/28 14:26 ID:CspkfqST
下衆サヨに足りないのは、”ノブリス・オブリゲーション”の精神だ!!
これを読んで足洗い、そろそろ国際人になれ!!
■ 若者が国歌を歌わないことの意味 ■
中谷巌(UFJ総合研究所 理事長)
国歌が演奏される場合には、それに敬意を払うというのは、アメリカ人をはじめ、ほとんどの国の人たちにとっては常識なのだが、日本人にはこの意識がないのだ。
ワールドカップなどの国際試合開始時に国歌が演奏され、ほとんどの国の選手は最敬礼をして国歌を一緒に歌い、思い思いの形で敬意を表す。また、それが選手たちにとっての誇りであり、心のよりどころでもある。
しかし、日本の選手だけは、とまどったような表情でどうしてよいのかわからない。君が代を歌う選手はほとんどいない。
この光景は、少なくとも世界の常識からいうとなかなか説明できない光景であろう。
なぜこんなことになってしまったのか。この問題こそ、日本という国が、経済的な問題も含めて、閉塞感に悩まされている根本的な原因の一つだと私は思う。
戦後、日本に進駐してきたマッカーサーにとって、最大の課題の一つは日本人の国家主義的思想を解消させることにあったといわれる。
そのため、昭和23年には、教育勅語が廃止された。それに先だって「教育基本法」が定められたのだが、その前提は、徳育教育については教育勅語が存在するので、それに委ねるという点にあった。
教育基本法と教育勅語(あるいはそれを修正したもの)が日本の教育を支える両輪となるべきものであった。
しかし、教育勅語が教育基本法が成立したあとに、GHQの意向で廃止されてしまったため、日本の教育から徳育教育という両輪の一つがすっぽりと抜け落ちてしまったのである。
前文参照:
http://www.financialone.co.jp/nasapp/foc/ColumnServlet?CLM_NM=21&CLM_PG=1
107 :
・・・:03/01/28 21:57 ID:???
>>101,
>>102 >パンドラ氏
氏の意見が、違う観点からの意見として問題提起も含めまとめられ、主旨は理解出来そうです。
噛み合わないのを承知で私も疑問等を示します。
>絶対性が顕在化・・・やはり「絶対性」という表現になるのですね (^o^)それはそれとして、
そう言う意味での絶対性は、ロイヤルファミリーの存在のあるなしに関わらす存在するのでは?
文化・伝統・宗教等 、(またそこから生じる)各国に於ける国体性も?
氏が愛国心云々と批判的なのに対して、共和制・共産制(民主は日本も含まれるので入れないが)
に於ける愛国心の強さ・自国の絶対性を垣間見る時、そこに氏の理想が体現されるのでしょうか>ナチス的危険性?
西洋における共同体的作用は、その歴史・宗教の影響が多大とは言えませんか(国家概念の新しさも)。
>民主的危険性/「負の歴史」・・戦前におけるこの危険性と歴史を、何故か擁護派が検証中です。
だからこそ、氏の参加も求めました。ただし、単なるイメージ的見解は他氏も許して頂けませんが。
>無責任体質・・・明治憲法下はこれも検証中なのだが、ころ氏の制度的意見が私は大いに参考になっている。
ただ敗戦時の状況を考えると、敗戦責任に限れば内的敗戦責任以上の責任を負わされた反動の心理的作用もみられる。
現憲法下の無責任体質は別作用(役員までが労働者意識等)だと思えるし、戦後の価値観として別スレ
なら興味はある。
108 :
・・・:03/01/28 21:58 ID:???
>人類共通の遺産・・・日本は市民革命を経験せずとも、日本(中国・朝鮮半島の影響を含む)遺産との
調和を希求しつつも明治憲法下も現在も導入している。観念論からの行き過ぎが少ない長所もみられる。
>ゼロからの構築に他ならない・・・天皇の本質は、変わらない>少なくとも私を含めた4者
>民主主義を絶対視・・・民主主義概念(
>>95)、またその在り方に私は頭打ちである。民主主義の裏に、
享楽を餌に大きな力が働く危険性を含め。
>戦後50年・・・平和であったことは、天皇の存在に無関係であることは証明されたのでは?
>象徴天皇制の維持・・・現憲法では、主権は国民であり、具現化するのは施政者である。
軍(自衛隊も)の位置付けの問題提起は、>れ氏もされていた。
>国家機関を離れて・・・離すよりも日本にとって必要効果(上記参照)を採りたい。
私は、氏の問題提起は擁護派が軽視していけない点を多く含んでいるとも思う。
109 :
保守を考える:03/01/28 22:02 ID:PztieJL+
みなさんへ
ただいま、私の使用しているプロバが、書き込み規制を受けています。
詳しくは難民板で
今、携帯からですが、ピコピコと打つのが面倒なので規制解除まで、しばらく休憩します
いろいろ反論があって心苦しいですが…
…氏宛
昭和天皇のそれは中公文庫
藤田尚徳著
侍従長の回想
から引用です。
110 :
ころ:03/01/28 23:41 ID:???
主権について混乱しています。それが前提で・・・
司法に最終決定権があるというのは少し違うような気もしています。そもそも国家機関(議会や司法など)にあるというのも現行憲法を考慮すると自己否定に陥ってます。
>>104 >司法判断と、政府の行為が対立したとき、法によって決着するなら、法を制定するのものが主権者
法の制定は、提出と議決の両方を指すと思います。
憲法の改正も法の制定であるならば、天皇に議案の提出権(勅命)があり、それを議会で議決する(73条)とあります。
確かに勅命は天皇の特権です。しかし、9条から命令(勅命)をもって主権=最終的決定権とするのはやはり疑問なのです。
法律に抵触する勅命も法律に効果を発せないからです。勅命も議決によって成立したときのみ効果を発すると思います。つまり議決の可否には逆らえないのです。
>議員を制定するものが主権者
貴族院は貴族院令によって組織する(34条)とあり、衆議院は選挙法で公選される(35条)とあります。
貴族院令は天皇の命令なので天皇の主権=最終的決定権と見れると思いますが、衆院の選挙法は天皇の主権では対抗できないと思います。
また、現行憲法は衆院の優越(59〜61条)がありますが、明治憲法には貴族院と衆議院の優劣は見られません(あったらご指摘を)
天皇は議会に対して完全に権利を行使でき、主権者たりえないと思います。
111 :
いちげんさん:03/01/29 00:43 ID:lh5VaYub
(戦後の)皇室の存在意義
1 天智天皇の頃から中華秩序と距離を取り、外敵に征服されずに継続性を守
ってやってきた日本及び日本民族の歴史性を体現している(特に「中華秩序の
優等生」朝鮮半島と差別化を図る上で「名前」と共に重要な存在−−だから
チョン達は必死で皇室を無くしたがる)
2 皇室があることで日本人が歴史や民族を意識する
3 共和制よりも安定性がある
「大日本帝国」における皇室(天皇)は単なる「みこし」
112 :
ころ:03/01/29 00:44 ID:???
>>105 >まず、>「主権」という語が明治憲法にない、という事すら気がつきませんでした。
前提として、実態を排除して、明治憲法という制度を純粋に見た時のれサンとのやりとりということをご了承下さい。
>>49以降、例えば
>>97に見られるように、主権に関しては、実態ではなく制度(明治憲法のみ)で論じてます。
>ただ、
>>96の主権の定義における、
(1)国家の統治権と、平時でないときの(2)最終的に決定する権利
が、見出せる=天皇主権としたのだが。
しゅけん 【主権】
(1)国家の統治権。他国の意思に左右されず、自らの意思で国民および領土を統治する権利。領土・国民とともに国家の三要素をなす。
(2)国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利。
(1)においては主権を天皇にするのに異論はありません。1条3条で統治権は天皇にあることが明記されてるからです。
しかし、(2)に関しては、明治憲法からは主権が天皇のみにあるというのは、断定できないと私は思うのです。
>それと、
>>97における個々の(統帥権・司法権等)決定権?をも
主権という表現使用はどうなのだろうか?
個々の決定権(が分散している事)と、国家における主権とは意味が違うのでは?
>
>>96の主権の所在各説もどうかと思う。
私も第3条は、保守考氏に近い解釈もしているのだから。
ご指摘の通りです。混乱していますた。訂正します。私論は、少々お待ち下さい。混乱中なので・・・
パンドラサンにも返事したかったのですが、今夜はもう限界です
113 :
右や左の名無し様:03/01/29 01:21 ID:FygCq6rq
つか、存在意義を考える必要はないよ。
我々は臣民なんだから、疑問とか持っちゃいけないな。
>>110 司法についての記述(
>>104)は、一例です。
立法府と、行政府の対立でもいいですし、国民の総意(この場合衆議院の議決)
と、行政府、あるいは天皇の命令との対立Dふぇも結構ですが、すべて、一対一
で対立させてみて、いずれか一方に、必ず軍配をあげるトーナメントを行い、最
終的に、対立するものがいなくなったとき、残っているのが主権者とお考えいた
だくのが、妥当です。
それが、【最終的】ということでしょう。
以下のようなご批判もある様です。
------某スレより
12 :右や左の名無し様 :03/01/26 17:07 ID:EecxI7a6
皇室の存在意義スレがコテハンの占有スレになっちまったから、
移住しようと思ったのに、ネタスレかよ。
13 :右や左の名無し様 :03/01/26 17:31 ID:???
↑ネタじゃなくまじめにいってんだが。
あっちのスレは常連コテがどんどん議論入り組ませて
途中からじゃ話がわからんもんな。どうせたいした議論じゃないだろうけど。
-------------
116 :
・・・:03/01/29 10:27 ID:???
>>109 >保守考氏
>中公文庫
>藤田尚徳著
>侍従長の回想
昨日中に返信しようと思いましたが、私も書き込み不能でした。有り難うございます。私の仮説(実は他氏の影響大なのだが)に
大きな裏付けができました。正直、感動ものです。
>>112 >ころ氏
>(2)に関しては・・・平時における議会に決定権がある(実質)ことは当然として、
2件を例として議会では決定しかねた?時の国としての最終決定がなされた=主権と
致しました。結果的に生じたとも見れますが、その体制(平時は形式)が整って
いたわけですし。
>>115 >れ氏
まず、私は過去スレが拝見できませんし、ここに参加するのには勇気がいりますよね。
未だに私も恐る、恐るです。保守考氏・れ氏・ころ氏・パンドラ氏が揃わないと、
活発化せず、不安になる今日この頃です。
その反面、その内容、疑問にお答え頂ける点においては、群を抜いておりますし。
で、私は別に皇室の擁護の宣伝目的(あし挙げ取り・中傷も)でもありませんので、
私のように素直な疑問点を廃止派も含め書き込んで頂ければ良いのにな〜とも
思ってもおります。
117 :
右や左の名無し様:03/01/29 18:18 ID:hKOiLTFA
test
118 :
ころ:03/01/29 18:53 ID:???
パンドラサン(饒舌なので申し訳ないです。)
>>101 >ナチス的危険性と天皇制的危険性を混同している。
どちらにしても危険であるという点では一緒だということです。現行憲法で国民主権(つまりは民主主義)を掲げている以上、少しでも対立する危険性のあるものはナチス的天皇制的に限らず曖昧にせず明確に規定した方が良いと思います。
民営化などはその危険性を却って曖昧にするものだと思います。保守考サンは天皇制は民主主義と対立するものではないとしてますが、私としては歴史的に結果として対立したと思ってます。
>「負の歴史」として「記録」を残し、民主教育における教材として生かす
確かに、天皇制がなくなれば、民主教育は天皇制の対極として明確に理解されると思われがちです。しかし、天皇制と民主主義は本質的に対立するものではないと思います。
いわゆる憲政の常道は民主主義の一つだと思います。つまり悪しき天皇制の下でも民主主義は存在していたのです。それを天皇制が曲解され民主主義で対立した先の大戦の一点で天皇制全てを民主主義の敵とする教育が真の民主主義の育成に繋がると思いますか?
今の天皇制の状態からみても民主主義にはなんら影響はないは明白です。今の民主主義制度の行き詰まりを天皇制の責任にして廃止しても民主主義の発展、民意の向上には何の効果も発しないと思います。
>責任を問われる国民の側には釈然としないものが残る
で、わかりにくいのですが、国民に戦争責任はあったと理解してよろしいのですか?
法治国家としては法的に遡及して責任は問えないのです。明治憲法にも現行憲法にも天皇が無責任なのは法によるものだし、天皇が戦争責任を取ることは法治国家としての否定になります。悪法も法なりです。
釈然としない=感情論は法理論とは別問題です。仮に現行憲法を改正しても釈然としないは解消されません。
だから、そもそも責任を取れ(退位や制度の廃止)という理論がおかしいのです。しかし、責任の存在を明確にすることは違うと思います。
つまり、天皇にも国民にも戦争責任があったと認識してこそ、先の教育の教材の価値があると思うのです。戦後の民主教育には国民の戦争責任の追及がないように思います。真の民主教育においてこれこそ大事だと思うのですが
119 :
保守を考える:03/01/29 19:00 ID:hKOiLTFA
>れ氏
>>76 >大臣が並列に天皇を輔弼する制度であったことも
確か前スレで、明治憲法唯一の欠点として私は挙げていますが。(其の点は同意です)
>>83 >>80から
>>82を読んでどうして
>御聖断が有効であるということは、明治憲法下において天皇に最終的な決
>定権があったことの証明であるから
となるのでしょうか?
昭和天皇は明らかに超法規的(違憲)行為であったと述べているのですが。
また会議に先立って、鈴木貫太郎は各位に、この議題は多数決による決着ではなく
陛下の御前で、各々意見を述べてもらい、陛下にご判断頂くのはいかがであろうか
と、発議し、全会一致で了承されたことです。(つまり民主的手続きを経ています。)
120 :
ころ:03/01/29 19:01 ID:???
>そうともいえない、市民革命で得た人類共通の遺産がある
その遺産の中に天皇制は潜在化するのです。危険性が消えるわけではありません。また反動ということを理解しての発言とは思えません。
>象徴天皇制自体、名称が共通し、担当者が同一人物であっただけで全く別物…、
別物とは、明治憲法と現行憲法のことでしょうか?だとしたら憲法というものが理解できていないとしか言いようがありません。
>人類としての検証
で、どのように結論づいてるのですか?饒舌にお願いしますw
>いずれ天皇という絶対性は台頭
たられば論がトラウマになってしまいそうです。過去レスでたられば論で一蹴したのは反省中です。こだわってるならその議論を再開しても受けて立ちます!
終戦後の天皇の否定は、他者(GHQ)によるもので国民自らがしたものではないと思います。他者がいなくなったら、国民が否定をやめてしまう可能性はないとは言えないということです。で、天皇制が優位に存在した過去の事実から、再台頭し再強化されやすいと考えます。
>そもそも、戦後の経済成長と天皇制の相関はどのように示されるか
相関、ですか・・・
戦後の高度経済成長は、政治的に安定政権が構築された(55年体制)が大きいと思います。その重鎮は戦前、天皇制国家に少なからず加担した人もいたのです。
つまり、天皇制問題を不問にすることで、国家的に安定した(正しいかどうかは別問題ですが)ことです。
朝鮮の(質は違いますが)イデオロギーの分裂対立が経済発展にいかに支障を来したかは比較すると分かりやすいと思います。
>どこのどのような団体の訴え
パンドラサンではありませんね。でも、天皇制を特別扱いする理由は戦争問題にもあるのだということです。
121 :
ころ:03/01/29 19:04 ID:???
>おそらく、あなた方の中では消滅しないのであろうw
>多くの人々の中では、有名無実化するだろうし、現在、そうなりつつあるように思う。
その現在は天皇制があるから有名無実化も絶対性も抑制されてると思います。
で、廃止後、依然有名無実化していたら問題ないでしょう。でも、何らかの作用で台頭してきたらどうするのですか?洋の東西を問わずそのような事例を挙げるに枚挙はありません。
天皇制は特権階級であることは事実です。でも、特権階級だから民主主義の平等に反する、という一点で廃止とするには大局的に見ての判断ではないし、存続論もまた全てにおいて合理的とは思ってません。
どちらに立っての意見も論拠はあり、完全否定することはできないとお思います。だから、このスレでのパンドラサンの存在は大きいと思います。
不必要善、必要悪でみると、私見では天皇制は必要悪だと思ってます。これについてどう思われますか?
122 :
保守を考える:03/01/29 19:08 ID:hKOiLTFA
>(思い知らすの例で十分であろう)
これもなんで強制的表現なのか理解できないところです。
一般的に「思い知らす」とは、相手に対して、なるほどと思わす。身にしみて感じさせる。
といった悟らせるという意味であり、いくら強制してどうのこうのという意味ではありません。
で、「治す」(シラス)について細かく説明して見ましょう。
例えば、中国では「国を有(タモ)つ」・「天下を庵有す」・「民を御す」・「民を牧す」といいますが
これは君主が国を我が物にして、その領分を手に入れ、国土国民をモノ同様に一つの私産としました。
西欧においても「国を占領す」、人民に対しては「船の舵を取る」(govern)といい
これは、国土を縄張りとして己の領分にするということを目的に、人民を一つのモノとみて
手綱をつけ舵をとりて乗り治むと解釈できます。
このような国家を一般的に「家産国家」と呼びます。
翻って、日本はどうでしょうか、そもそも、「治す」の根拠は「古事記」ですが
これを、憲法起草者の一人である井上毅は
「御国にては公法私法などの学理論の有無に拘わらず、神髄(カムナガラ)の自ずからの道において
天日嗣の一筋なることは、自然に定まりておりて、二千五百年前よりこの大義をあやまりしことなし」
「支那、欧羅巴にては一人の豪傑ありて起こり、多くの土地を占領し、一つの政府を立てて支配したる
征服の結果というをもって国家の釈義となるべきも、御国の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡もて
天が下の民草を「しろしめす」という意義より成立たるものなり。かかれば御国の国家成立の原理は
君民の約束にあらずして一の君徳なり。国家の始は君徳に基づくという一句は日本国家学の開巻第一に
説くべき定論にこそあるなれ。」(言霊より)
123 :
ころ:03/01/29 19:30 ID:???
・・・さん
>>107 >絶対性
そういえば、最近「絶対性」って使ってないです^^;。
でも、絶対性って国家・権利・宗教ナドの本質だと思うのです。普段の日常生活では絶対性というと違和感を覚えますが、それは私自身国家・権利・宗教ナドに縁遠い所にいるからだと思います。
>何故か擁護派が検証中
私は、擁護派というより存続派です。そして、誤解を受けがちですが、天皇には一定の敬意をもってることも追記しておきます。
ただし、過度の感情的陶酔ではないと思ってます。国家を考えたときに当然あるべき敬意が天皇にもあるべきだと思うのです。
天皇を肯定しないで日本の歴史に誇りを持てますかということです。
>無責任体質
参考にされてるのには嬉しいの一言です。感謝。
私も極論を言うときもあるので、そのときはご指摘を
124 :
保守を考える:03/01/29 20:22 ID:hKOiLTFA
>れ氏
あとは細かい私の言い分ですが
>>83 >貴殿独特の定義は、説得力がない
私は、憲法義解や伊藤博文・井上毅・金子堅太郎・伊藤巳代治・ロスエル等の見解に
則して述べているのであって、私個人の思想ではありません。
>議会制民主主義は、国民主権の中で、取られる一つの形態であり
あなたが了解しているはずの、ころ氏の定義に従ってこの文を考えると、
国民主権がこの形態を選択したという明確な根拠はありません。
一つの形態という仰り方ですと、他に選択肢が国民主権側にあった、若しくはあるというのでしょうか?
>天皇が主権者でなかったことの証明にはならない。
私は必ずしもそのようなことは云っていません。一概に主権の存在を弁別するのは
明治憲法の精神に反しているのであり、そういった主権という名の権力を分散している
と解釈しています。この点はころ氏と同じ愚説派です。
125 :
保守を考える:03/01/29 20:58 ID:hKOiLTFA
>>87 >・・・氏
国体について私の見解を述べておきます。
日本の歴史的伝統では、歴史上、親政以外のあらゆる政治的権力と権威は、常に天皇を
その発生源にしてきました。その連続制と、それを裏付ける万世一系の天皇の存在を指して
「国体」と呼びます。三浦朱門の言うところの「国のかたち」です。
この国体が不変不動であるのに対して、統治形態は歴史上様々な形態に変遷します。
これを「政体」と呼びますと、天皇親政という政体は、歴史上、相対的に照らし合わせると
結構、例外であることを認識できます。勿論、明治以降も親政ではありません。
126 :
ころ:03/01/29 21:33 ID:???
かなり遅レスですが、
>>78の関連で憲法とは何かについて私見を述べます。
大日本帝国憲法や日本国憲法の「憲法」とは、constitutionの訳語だと思ってます。十七条の憲法の憲法とは意味合いが異なると思います。
constitutionには憲法の意味以外にも体質とか制度、体系という意味があります。つまり、constitution=憲法とはそもそも、国家というものを体系化したものであり、また条文は国家の体質そのものということです。
憲法=国家、全く同一でなければならないのです。そして、憲法>国家ではなく、国家>憲法です。
どういうことかというと、憲法と国家が対立(ズレ)が生じたときにどちらが優先されるかは、憲法でなく国家だということです。
理念と実態ということでは、憲法が理念、実態が憲政(憲法下での実際の政治状態)ということになりますが、理念ではなく実態が重要だということです。
例えばフランスではどうでしょうか?王政、共和制と繰り返す中で絶えず憲法が改正され、また同じ共和制の中でも憲法が改正され、第4共和制と第5共和制の区分は憲法改正です。
アメリカでも修正○条に見られるようにズレが生じたときには憲法を改正しています。イギリスは憲法がありませんが、いわゆる慣習法は新法によって容易に規制でき、軟性憲法的だと言われています。
日本ではどうでしょう?改正は1回(明治憲法を改正して現行憲法になった)だけです。しかも外圧によるものです。日本の政府や国民から進んで憲法改正されたことが一度もないのです。世界中の立憲国家で、こんなに長い間改正されない国家はないといわれます。
逆に言えば、憲法は国家と乖離するものであり、それを修正するのが憲法改正ということになります。で、日本の憲法改正に替わる対処法は、というと解釈論です。
明治憲法においても有名な天皇機関説主権説論争や、このスレでも保守考説れ説論争・・・説、愚説が私的公的に色々なされています。
解釈論自体は必要なことです。条文は具体的だと内容に限界があり、抽象的であるのはどこの国でも同じことです。解釈論はどこにでもあります。
ただし、他の立憲国家ではここまで対立する解釈論争が起きたら、憲法改正します。そして改正の基準(改正案)は、その時のconstitution(国家の体質)に即したものです。そうしないと憲法がconstitutionたりえないのです
127 :
ころ:03/01/29 22:06 ID:???
つづき
現行憲法でも明治憲法と同じ愚を繰り返してます。第9条です。天皇不可侵を時代時代で解釈したように、第9条も曲解して自衛隊をインド洋まで派遣しました。
何度でも言います。憲法と国家の実態は乖離するものであり、第9条問題まで曲解するような事態になれば、他国では憲法改正しています。
改正しないと憲法の存在意義は希薄化し、曲解は憲法の形骸化=死を意味するからです。だから、護憲派は憲法が何たるか分かってないというのです。
で、保守考サンは創憲派と仰ってました。私は改正派です。この違いはどこにあるのでしょうか?私としては、憲法をconstitutionと捉えたときに、日本の歴史をどこまで入れるか(どこに重きを置くか)ということで分かれると思ってます。
constitutionは国家そのものです。で、国家においてはそれまでの歴史を無視して成立できません。
天皇制の存在意義が歴史的価値観というのと似てますが、少なからず日本の歴史に立脚したものでなければ、憲法はconstitutionたりえないのです。
しかし、一方で近代以降日本の文化・価値観ナドにおいて西洋のそれを無視できません。そして、現行憲法憲法における国民主権(民主主義)、基本的人権という主柱は西洋のものです。
だから憲法改正における重点は日本の歴史よりも西洋の価値観においてしまうのです。近世よりも近代のほうに重きを置いてしまうのです。(究極的な意味での対立であって、基本的に創憲派も改正派も変わらない=和洋折衷?、和魂洋才??と思いますが)
また、憲法とはそれだけで完全無欠のものではありません。その下に多くの法律や司法判例、場合によっては道徳などの不文律なども憲法を支えて国家というものは成立しています。
よく私は、明治憲法は矛盾・欠陥といってますが、明治憲法はそれだけで完全ではないのは当然のことであって、立憲制度が未成熟であったということではありません。あくまで内容の、概念の曖昧さであって、憲法の在り方の問題です。ハードでなくソフトの問題です。
<了>
128 :
保守を考える:03/01/29 22:33 ID:hKOiLTFA
>ころ氏
>>118 あなたの明治憲法における主権の解釈は多々首肯するところがあるのですが
>それを天皇制が曲解され民主主義で対立した先の大戦の一点で
この具体例が、斎藤隆夫の件であるのなら、どうしても納得できません。
彼の演説はいわゆる反軍演説であって、「反戦演説」ではありません。
逆に、積極的に侵略戦争を主張した演説です。しかも彼を除名したのは議会の議決であり
天皇の命令ではありません。何故、天皇制と対立したと解釈できるのでしょうか?
>つまり、天皇にも国民にも戦争責任があったと認識してこそ
彼の言葉を拝借しますが、先の世界大戦は、世界人類が責任を負うものであるとするのなら
理性的にも感情的にも理解できると思いますが。
>>128「先の世界大戦は、世界人類が責任を負うものであるとする」
こういうのを詭弁という。ポーランド人に向かってそんなこと言えるか?
130 :
保守を考える:03/01/29 23:35 ID:hKOiLTFA
>ころ氏
何故、「憲法」の意味を英語でいうところのコンスティテューションに求めるのでしょうか?
独語では「フェルファスング」であり「書き記す」という意味です。
私が云いっているのは「憲法」は日本語であり、そのまま日本語として意味を捉えるべきだと考えます
>十七条の憲法の憲法とは意味合いが異なると思います。
英語で訳すからそうなるのです。
>憲法と国家が対立(ズレ)が生じたときにどちらが優先されるかは、憲法でなく国家だということです。
其の通りです。私は今まで散々そう主張してきました。
>天皇不可侵を時代時代で解釈したように、第9条も曲解して自衛隊をインド洋まで派遣しました。
云ってる意味は判るのですが、3条の解釈がどのように変わり、自衛隊の例のように、
具体的な行為があったというにでしょうか?
>だから憲法改正における重点は日本の歴史よりも西洋の価値観においてしまうのです
明治から現在に到る、約120年の歴史があるのですから、洋の東西に拘る必要はありません。
>場合によっては道徳などの不文律など
と、いうよりこれは「法」の根本です。
これ以上はスレ違いになっていくので創憲派の主張を簡潔に述べておきます。
現憲法との矛盾点を改善するには、部分的変更ではなく、前文から百三条までを
もう一度、日本人の手で作り直すことです。当然、現憲法の良質なところを踏襲するのは
当然なことと考えますし、創憲することにより、国民が憲法について考察し選択する事は
「国民主権」の行使であり、新憲法の大前提であると判断しています。
>>129 言えんわな。
ま、彼が逝ってるのは天皇の戦争責任の有無に関するロジックなんだろうが、
不味いロジックだな。
132 :
保守を考える:03/01/29 23:52 ID:hKOiLTFA
>れ氏
>>115 どのスレでの批判なのか教えて欲しいです。
このスレのタイトルは「教えて下さい。皇室の存在意義」であり、
存続か廃止かの議論をする場ではないと判断しています。
スレタイの沿って、皇室の存在意義を知りたい人が、質問をし、
それに対して有識者が答えるスレだと判断しています。
知らない人は、どしどしと禅問答のように質問すれば宜しいのではないのでしょうか
それが「思想板」の趣旨だと考えます。
私も当初、そういった立場でデビューしましたが、悪源太氏とのやりとりで
あなたに、「彼は質問と批判ばかり繰り返して、自論を述べない」と批判されました
だから、突き詰めた議論を展開しているのですが、それが間違いだとも思いませんし・・・。
このスレにこられるみなさんはどうお考えなのでしょうか?
133 :
保守を考える:03/01/30 00:00 ID:w5fBLxzB
>>129 >>131 云えますよ。
例えば、ケーニヒスベルク問題に対して、ポーランド側は無視しました。
この話は、スレ違いなのであまり広げたくはありませんが。
135 :
保守を考える:03/01/30 00:39 ID:w5fBLxzB
>>134 何が云いたいのかさっぱり分からんのですが?
「煽り」ですか?
今夜は寝ますんで・・・・
簡潔にどう詭弁なのか「教えて下さい。」
(そういえば、哲学板の詭弁スレでの議論が懐かしくなりました。)
詭弁だし、傲慢だと思うな。そもそもこの人の、「万世一系の天皇」に基づく
「国体」というのは、とんだアナクロニズムに見えるし、今日の社会や国際的
な相互理解の根底にある「人権」という思想と本質的に相容れないと僕は思うな。
137 :
広瀬武夫:03/01/30 01:40 ID:cQ1HGzLR
皇室の存在意義考
1:この完全平等社会である日本で『尊貴』とは何か?経済的に成功したものであるか、
社会的もしくは文化的に成功したものであるか。否。日本において尊貴な存在とはいかに『皇室』に血統が近いかによって決定される。
これは、弱肉強食勝てば官軍であった戦国の世でも大名達が『源平藤橘』にはこだわったように、日本人の血統信仰の根元をなすものである。
いわば日本人の血統のスタンダードなのだ。
2:そもそも日本人の定義とはなにか?日本列島に起居し、日本語を話し、日本国籍をもっていれば日本人なのか?
否、先述の『血統』こそ日本人が日本人たる所以なのである。皇室の血統をわずかなりとも継いでいる者こそ日本人である。
3:日本での権威の根拠は?叙勲の順列は?これもすべて皇室の長である天皇陛下に起因しよう。
平民の出である総理大臣には『権威』の醸成などできるわけもない。
4:文化の根元たるものは『言葉』であろう。日本語には敬語という文法がある。
この敬語の対象の頂上は、やはり天皇陛下である。
続く
138 :
右や左の名無し様:03/01/30 03:07 ID:YbXaAX/V
>>137 じゃあ、天皇陛下が御認めになった、天皇家は朝鮮からの血をひいている、という言葉を加味すれば、
朝鮮系の人々は、最強に天皇家の血統に近くなりますが、よろしいでつよね?
139 :
右や左の名無し様:03/01/30 07:56 ID:2ApLemIE
釣られてんなよ プッ
140 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/01/30 09:12 ID:Gul4DZFe
>>132 >スレタイの沿って、皇室の存在意義を知りたい人が、質問をし、
>それに対して有識者が答えるスレだと判断しています。
相互が自己の見識に基づいて、意見を述べる場であると思います。
「教えて・ください」と、お願いしているのは、part1の元祖1氏(このスレでも
最初のほうに登場した)であって、
参加者が教える側と教えられる側・有識者とそれ以外等の分別される必要はあり
ません。私はそう考えております。
141 :
横やり:03/01/30 10:03 ID:z9MljS90
>>138 「血統」なんて意味が無いんだよ。大抵の日本人だって半島から来てる
んだから。
重要なのは「名前」「言語」「歴史」「文化」などで規定される「民族という枠組み」。
それにそもそも皇室を「朝鮮系」と言うこと自体間違ってんの。
日本民族とチョン民族が明確に分かれるのは「白村江の戦い」以降。
その後、チョン半島は統一新羅が半島を統一して唐に服属し、「漢民族化政策」でもって
名前を中国名にしたりして、そこから今の朝鮮民族が始まっている。
それに対して日本は天智、天武一族の頃から「天皇」という呼称を使用して
中華秩序と距離を置くようになる。そこから今の日本民族が始まっている。
両者は「漢民族」に対して対極の道を歩むようになり、それが今の日本民族とチョン民族
の違いになっている。
したがってもちろん「右寄り」の人達が唱える「縄文人=日本人」というのも誤り。
142 :
良識的転載:03/01/30 10:54 ID:xQfMQUzJ
あのね、日本に皇室が必要な最大の理由は朝鮮バカチョン達と差別化をはかる
ためなのよ。
漢民族の下僕民族である劣等チョン民族はその服属の歴史、「中国名」、韓国
の太極旗などに顕著な「漢民族ありき」の自分達にものすごく劣等感を持って
いるワケ。一方で「小中華思想(これも結局は漢民族ありき)」でもって中途
半端に誇りを持っちゃってるからその狭間で身悶えてるのよ。
自言語をガタガタにしてまで漢字を排除したところからも「なんとしても漢民
族臭を排除したい」っていうチョン達の異常な強迫観念が見て取れるでしょ。
だけどさずがに「名前」まで変えるわけにはいかない。所詮は「漢民族ありき」
の民族が「漢民族臭を排除」するのには限界があるわけよ。
それじゃ次にチョン達は何をするかというと、「日本を下に持ってくる」こと
によって「中→チョン→日」の流れで劣等感を少しでも和らげようとするわけ。
このチョン達の行動原理は日本人なら押さえておかないといけないよ。だから
何でもかんでも「朝鮮半島がルーツニダ」ってマヌケなこと言いたがるのよ。
143 :
良識的転載2:03/01/30 10:55 ID:xQfMQUzJ
つづき
常識的な日本人はこのチョン達の異常性を認識しているから、なるべく連中と
差別化をはかれるものを確保しておきたいわけよ。そうじゃないとホントに
「日本は半島の子分だった」なんてことにされかねないんだから。そしてその
ひとつが皇室ってワケ。チョン半島のような中国の属国では「皇帝」に並ぶ
「天皇」なんて名称は成立しないし、周辺民族に何度も荒らされているチョン
半島では古代から続く皇室のような存在は無い。
つまり皇室は日本とチョン半島を差別化して「漢民族の奴隷はお前らチョン
だけだよ バーカ」と言うために必要な存在なのよ。
もちろんチョン達もそれが分かっているから、皇室は民主主義に合わないと言
ってみたり、日帝と絡めて攻撃したり、「皇室半島起源説」でもって本質とは
ズレた話に持っていこうとするわけ。
ちなみに皇室のルーツが半島にあってもたいした問題ではないのよ。大抵の
日本人もそうなんだから。重要なのは日本が天智天皇の頃から中華秩序と距離
を置いて継続性を守ってきたということであり、それがチョン半島とは全く
異なるということ。
PS ちなみに「名前」「国旗」もチョンと差別化をはかるのには重要です。
おわかり?
>>141 天皇号は、天武のころというのが学説の中心では有るが、それ以前からあ
るという意見も捨てがたいようです。
それは別として、貴殿の言うとおり、血統の継承には大きな意味はありま
せん。日本民族というとき、当然半島出身者の血統も含まれていることは
日本史を見るとき当然であり、天皇家であってもそれは同等です。
私は、五穀豊穣と慰霊鎮魂を祈り、日本国と日本人の【平安】を祈り続け
た存在であり、1000年以上継承してきた事実が、皇族の存在意義の、
根拠であると考えています。
縄文と弥生に関しても、歴史学者の研究は進んでおり、急進的に稲作を始
めとする弥生文化が波及したのではなく、徐々に浸透していたようです。
東日本と西日本のタブーなどに関する慣習も異なっているところから、民
族が駆逐されたとも思えず、弥生と縄文をあえて分別する必要性にも疑問
です。
>>119 >昭和天皇は明らかに超法規的(違憲)行為であったと述べているのですが。
>また会議に先立って、鈴木貫太郎は各位に、この議題は多数決による決着ではなく
>陛下の御前で、各々意見を述べてもらい、陛下にご判断頂くのはいかがであろうか
>と、発議し、全会一致で了承されたことです。(つまり民主的手続きを経ています。)
貴殿のこの感覚が理解できないでいる。
まず、天皇は、超法規的(違憲)行為として、御聖断を捉えていたということですが、
すでに私が書き込んだ通り、立憲君主制の理念から外れている旨を述べられているに
過ぎず、違憲であるかどうかまで、明確ではない。
また、民主的手続きであることを述べられていますが、民主的な憲法に適法だったとい
う意味ではないようですが???
陛下の御聖断は、立憲君主の理念に反しているが、明治憲法上有効であった。
このように、私は捉えておりますが・・・。
146 :
右や左の名無し様:03/01/30 12:02 ID:JLPhTUHu
昔は大陸右倣えだったから、支配者層は民から搾取する為の大義名分を必要としたってだけでしょ?
>>146 搾取者と非策取捨の対比でしか歴史を見れないということは不幸だよね。
すでに、崩壊した歴史観だよ。
宗教について、少し考えていただきたいのだが、
神道における、ケガレに思想も、元々は衛生観念的な要素であったと思わ
れる。回教における食物の戒律も同等であろう。衛生観念や、農業におけ
る、より安定した収穫のために有効な、慣習化された作業工程も、「暦」
との関係も、すべて宗教的なものによって、広められたのである。
日本において、民衆が王権に隷属させられたという歴史的な状況は、皆無
ではないだろうが、平安以降、原則的には武力を所持しない皇室において
暴力(武力)を背景とした隷属はありえないことも、事実である。
148 :
・・・:03/01/30 12:26 ID:???
>保守考氏
私も現時点では、れ氏(
>>145)に近い解釈です。
まず、御前会議自体が法規的にどうなのか?という点を考慮する必要性もあるかと
思いますが、このシステムが実質有効であるとするならば違憲行為とするのにも
疑問が残ります。
>>82からも「意見を述べる機会を、始めて与えられた」行為が、違憲であるのか、
有してしたが始めて機会を与えられたのか等で、意見がわかれるのでしょうが。
それと、屁理屈かもしれませんが、超法規は反法規ではなく、この点でも違憲とする
のかどうかとういう点も疑問も生じます。
>135
じゃ、【教えて】やろう。天皇の戦争責任を回避するロジックとして、
世界人類の罪というように戦争責任を分散することなんかできっこない。
例えば当時のアフリカ大陸の住民については?南米の原住民については?
彼らが天皇や日本国民と等しく第二次大戦の責任を負わなくちゃならんのか?
ポーランドの人民と天皇の責任が=かね?
名前が世界戦争だからといって、全人類に等しく責任を負わせるのは詭弁でしかない。
意思においても、置かれた環境と行動においても、戦争に関与しようのない人間だって大勢いたわけだ。
主たる交戦国とそうでない国家、或いは被征服国を比べても、責任の軽重は明らかだな。
天皇の戦争責任について回避したいなら、もう少し精密な論理を組み立てた方が良いぞ。
戦争責任って何?
151 :
・・・:03/01/30 14:42 ID:???
>>148における、>御前会議自体が法規的云々、ですが、
明治憲法下に於ける法的位置付けは、もちろん、
この会議内に於ける規則等(最終決定権のあるなし)は、どうなのでしょうか?
時間が無く、とびとびで申し訳ございません。
>>149 横から失礼する。
「天皇の戦争責任」に関する議論は、別スレでやっていますが・・・。
戦争責任が有るから、天皇制は廃止すべきだという意見なら、ここの話題でも
ありますが
1、誰に対する責任を主張されるのか。
2、責任がある場合に、なぜそれが、制度廃止に繋がるか。
を述べていただきませんと、他スレと重複してしまいます。
153 :
右や左の名無し様:03/01/30 15:11 ID:FU4uGiTn
おまいら、先祖数代の間にまったく朝鮮系の血が入ってない可能性あるんでつか?
完全な純潔人種でつか?
>>141 血によって民族が規定されないのは解りますた。
で、日本の文化にどっぷり浸かってる人は、例え血が純潔じゃなくても、日本民族、ってことでいいんでつよね?
154 :
右や左の名無し様:03/01/30 15:26 ID:T8UUMPc6
155 :
横やり:03/01/30 15:39 ID:Qkt1E5k3
156 :
・・・:03/01/30 17:46 ID:???
>>123,>ころ氏
>絶対性って国家・権利・宗教ナドの本質
良く分かりませんが、絶対(概念)とするほど矛盾が生じる(観念化)のでは、という程度です。
逆に、絶対でないから未熟とするのもいかがなものかと。(以上スレ違いかも)
絶対性は、大らかにも見ています。誰も絶対王制という主張でもありませんので。
ただ、戦前における国体の教義と言われるものの実体は、どうなのだろうか?と言う所に行き着きました。
>擁護派・・・深い意味はありません。ころ氏に対してでなく、もしかしたら違う次元でパンドラ氏も擁護派かも?という、今回のみ(これからも?)の表現です。
>無責任体質・・・教えて頂いた様に主権という規定が無く、逆に言えば時代的にその発想も無かったのか、
必要性の有無、また敢えて規定しなかったのか不明ですが、主権一つとっても議論になる憲法ではあるようです。ころ氏の制度の問題提起やれ氏・保守考氏における、「大臣が並列に天皇を輔弼する制度」等も含め。
>>125、>保守考氏
ありがとうございます。その上で、戦前の所謂「国体の教義」なる氏の見解がありましたら、
急いでおりませんので、また、お願い致します。
157 :
保守を考える:03/01/30 17:48 ID:a+G3xNYQ
>>149 >名前が世界戦争だからといって、全人類に等しく責任を負わせるのは詭弁でしかない
よく見抜いて下さいましたね。其の通りこの話は
>>102氏への反語的用法であったということです。
つまり、世界人類が等しくその遺産を継承するという論理は一見、すじが通っていそうですが
各国における歴史・文化・言語等はそれぞれであり、その遺産の解釈のしかたも様々であるという事を
見逃している点を示してみました。
>天皇の戦争責任について回避したいなら、もう少し精密な論理を組み立てた方が良いぞ
この話は、皇室の存在意義に則して、前スレで散々したので、そちらを参照してね。(まだ見れると思うよ)
158 :
・・・:03/01/30 18:10 ID:???
>>145,>れ氏
わたしの現段階での
>>85の仮説を主張するとなると、
議会の決定に反対されないと同様に、この会議でも
決定に反対された訳でもなく(求められた訳で、権限=他の職権の範囲、を犯していない)
、第3条(立憲君主)理念にも反している訳でもない、ともなるのだが。
平時ではない超法規的面も被るのだが、少し頭を休めます。
159 :
ころ:03/01/30 18:15 ID:???
>保守考サン、れサン、・・・サン
私は現時点では、保守考サン(
>>81>>82)に近い解釈です。
どうしても、立憲君主の理念に反していて明治憲法上有効(つまり違憲ではない)なのか(
>>145)理解できません。
明治憲法76条は「法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラスコノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」
逆解釈すれば、憲法に矛盾した法律・規則・命令・現行の法令は総て無効であるということです。明治憲法はこの条文からも現行憲法と同じ最高法規性が謳われてると思います。
最高法規とは、例外(反法規、超法規)は一切認めないということだと思います。(
>>148・・・さん)
立憲制とは、立憲君主にしても立憲制下の君主親政にしても憲法に従うことだと思います。
尤も、憲法とはそれだけで完全なものではなく、法律やその他不文律をもってconstitutionたり得ています。明治憲法に政府の定義がなくても政府が法律(内閣法?)によって成立していたことからも、推察できると思います。
でも、ご聖断は法的根拠が見当たりません。不文律(慣習、伝統…)でもありません。
そもそもあの時、降伏か徹底抗戦かは政府内の閣議で最終決定されるべきだと思います。それが立憲制の本義であって現に開戦は天皇の意思(ご聖断)抜きに閣議決定され、それが最終決定でした。
御前会議が民主的手続きであったかではなく、御前会議で天皇に最終的決定権を移譲した行為自体が立憲制の否定であって(政府が機能を果たしていない)違憲だと思いますし、まして天皇のご聖断は立憲制の外の行為であって違憲でないはずはないと思います。
>>159 明治憲法において、宣戦布告し、又は終戦を受け入れる権限は、国会にあ
ったのですか?(明治憲法33〜54条は立法府としての定めですが、開
戦や条約締結の権限はありません。)
当時の国会は【国権の最高機関】ではありません。
日朝ピョンヤン宣言でも理解いただけますが、外国との条約締結などは、
政府の判断で行います。明治憲法での行政府の長は天皇です。
天皇が行い、大臣が輔弼するのではないのでしょうか。(同13条)
「ご自由に陛下の意志で決めてください」との輔弼的行為があったという
理解ですが、おかしいでしょうか。
そのような輔弼は、立憲君主制の理念には反していますが、明治憲法で否
定されていない、御前会議でそのような輔弼を行う事が決定した、正当な
行為で、合憲でしょう。
保守考氏のその回顧録を読んでも、違憲行為であったとは一切書かれてい
ないし、違憲行為に基づくポツダム宣言受諾が存在するなら、そのポツダ
ム宣言から繋がる、明治憲法改定としての現憲法が、根底から適法ではな
いという結果になります。そのようなことを、陛下が述べられ、また認識
されていたとは、私には到底思えません。
161 :
ころ:03/01/30 19:05 ID:???
広瀬サン
>>137 貴殿の仰ることは一理あると思います。
でも、多くが近世以前の視点で、近代以降、とりわけ近代民主主義の概念の影響が少なからず日本にあった(民衆はもとより、国家制度、天皇に至るまで)という視点があまり無いように思います。
現在の日本は、その近代民主主義に立脚して成立しています。そこから見ると天皇の存在のうち近世以前が強調されがちですが、天皇制は近代以降も存在した訳であり、
現在までの日本における民主主義の発展に少なからず影響を与えてると思うのです(その影響の善悪は別問題です)。
今日、皇室・天皇制の存在意義を考えたとき、広瀬サンの仰る通り日本の歴史的価値観は看過できません。しかし、そればかりだと究極的に現在日本の民主主義の否定にも繋がりかねません。
天皇と民主主義は起源が同じではないから西洋に比べ単純ではなく、特異である(難しい)と思うのです。
現在の皇室の存在意義は、歴史的価値観と近代以降の新しい価値観(民主主義など)のバランスをとれたものだと思ってます。
で、このスレのコテハン諸氏は、そのバランスにおいて、不要論から存続・擁護論まで自由に持論を展開しています。興味があったらどんどんレス下さい。
このスレは知識の有無や自慢ではなく、互いの価値観に触れ自己の見識を高めるためのスレだと思います。
162 :
ころ:03/01/30 20:09 ID:???
保守考サン
>>128 >斎藤隆夫氏の件
仮に斎藤氏が積極的な好戦論者としてなぜ軍部の反発を招いたのでしょうか?
軍部の暴走の法的根拠は天皇大権(特に統帥権)です。そして当時軍部が「聖戦」と称して戦線拡大できたのも、政府・議会に圧力をかけられたのも、
曲解された天皇大権にもはや政府・議会が反抗できなかったからではないかと思います。
当時の国家体制が軍部主導であり、軍部が天皇の名で戦争や政治を牛耳っていた以上、軍部への批判は蓋然的に天皇制の批判に繋がり、議会はその恐れから斎藤氏を除名という極刑に処したと思ってます。
つまり、議会が民主主義(議会内の言論の自由)と天皇制を天秤にかけ、天皇制を採ったと思っています。
本来天皇制と民主主義は対立するものではないと思います。でも、天皇制が天皇大権の曲解で対立してしまったと思っています。
つまり、斎藤演説が反軍、反戦、好戦かは関係ないということです。軍部からすればどれでも天皇制の対立になるのですから。
天皇の命令がなかったから天皇制と対立しないというのも視点が違うと思います。52条は議会の特権であり、軍部はもとより天皇でも除名できないのです。それが立憲制です。
議会制民主主義は議会内における言論の自由が生命線だと確か以前申しましたが(そのレスが見つからず)、その言論の自由に天皇制の批判を許容できなかったら(斎藤演説自体は天皇制の批判はしていませんが)
民主主義の自殺であり、斎藤氏の除名は議会による民主主義の放棄だと思うのです。
以上私見ですが、平行線を辿ってるように思います。
「なぜ斎藤氏は除名されたかその理由」を述べてくれないとこちらも保守考サンのこだわりが理解できません。
163 :
ころ:03/01/30 21:10 ID:???
>>160 れサンのいう実態と理念の区別が私には、つかなくなってきました。
ご聖断は当時の実態に即した手続き判断がなされ発せられたものです。つまりご聖断は理念ではなく、実態だと思います。理念ならば、ご聖断に法的根拠があるはずです。
実態をもって理念とする(ご聖断から明治憲法の主権は天皇とする)のでは、実態と理念がごちゃごちゃになってしまいます。
ご聖断に関しては、実体的な要素から有効なのであって、憲法の理念からいえば違憲でないはずはないのです。
私も、なるべく理念にそった形で主権を論じてるつもりだったのですが、その点で
>>159には実態的な書き込みであったように思います。訂正します。
で、実態と理念の定義付けをお願いしたいのですが
>そのような輔弼は、立憲君主の理念には反する
輔弼があったら立憲君主制ではないと仰ってるように思います。明治憲法≠立憲君主制なのでしょうか?れサンの言う立憲君主とは何なのか(明治憲法と別にあるように思います)あわせてお教え願えますか?
>>160の具体的質問はこの次にレスします。
164 :
ころ:03/01/30 23:00 ID:???
れサン
>>160 >明治憲法において、宣戦布告し、又は終戦を受け入れる権限は、国会にあったのですか?(※私見では、国会(議会)でなく閣議(政府)です。)
>明治憲法での行政府の長は天皇です。
天皇が行い、大臣が輔弼するのではないのでしょうか。(同13条)
「ご自由に陛下の意志で決めてください」との輔弼的行為があったという理解ですが、おかしいでしょうか。
理念上:
政府にはありません。天皇にあります(13条)
但し、いくら天皇が宣戦布告したくても、55条で国務大臣<この場合、外相と軍相>の輔弼(天皇の権能行使への助言)と責任がないと効力を発せないと思います。
つまり、天皇と国務大臣が同意見でなければならないのです。同意見であるから「ご自由に…」が成立するのです。
天皇と国務大臣の意思が異なった場合、その最終的決定権はどちらにあるとは言えないと思います。そのような明確な規定がないのです。
55条を無視して天皇が宣戦布告をすれば明らかな憲法違反です。また、天皇以外が宣戦布告しても同様に憲法違反です。
165 :
・・・:03/01/30 23:29 ID:???
>>159>ころ氏
>>148の下段の超法規云々は、私は超法規と反法規とは、別だとも思っておりますし、
現憲法下でも超法規手段は、人命に関わる緊急事態の時は可能性はあるかもしれません
(それを避ける為に、実態に合わせた法改正も必要なのは、理屈上当然だと思うのですが・・
それこそ実態は?)。
ただし、これは別議論だとも思います。
その上で、このご聖断が合憲であるのか超法規・反法規なのかは
>>151の疑問解明も必要でしょう。
>ご聖断は理念ではなく、実態だと思います・・・ご聖断のみを取り上げるとその通りです。
ご聖断は、あくまでも平時ではありませんから(超法規とも、この場合は違う)。
現議論の「主権」というのは、ころ氏が示された定義の(1)は満たしておりますし、
(2)の決断をされたのは226(ただし、同質なのかは不明)も含め、やはり主権者としての立場
であれば保持し違憲ではないという結果となり、逆に天皇主権じゃないと定義=(1)を否定されて
始めて、超法規または違憲となる主張ではないでしょうか?
私の(1)は成立、結果として決断された(2)=主権、しかし、この決断は
立憲君主理念にも反しない、とする主張はおかしいのかな?
166 :
・・・:03/01/30 23:43 ID:???
>>164 >天皇と国務大臣の意思が異なった場合、
>その最終的決定権はどちらにあるとは言えないと思います。
平時のその場合、国務大臣に決定権がある、とするのが立憲君主の理念なのでは(
>>158)?
兎に角、だれでも良いので、明確に私の
>>85を否定・又は同意して頂かないと、
私だけトンチンカンな議論をしているような気がしてきました。
167 :
ころ:03/01/30 23:50 ID:???
>>160 >>164の追加
>55条を無視して天皇が宣戦布告を「発するか否かを決定」すれば明らかな憲法違反
(つづき)
実態:
規定がない以上、最初にその行為がなされた時にどうであったかによって、つまり最初の実態が慣例となって憲法解釈となるのです。
理念だけで総ての事象を網羅することは不可能です。実態に即した解釈で補完することで憲法は存在しえるのです。
で、最初の宣戦布告という行為は、日清戦争です。
日清戦争では、明治天皇は当初反対だったのは有名な話です。開戦に際して、孝明上皇への勅使派遣を「朕の戦争に非ず」と拒否しています。
しかし、政府の閣議で交戦が決定し、天皇もそれを裁可されたのです。そして、開戦、宣戦布告と至りました。
この際、天皇が裁可・宣戦布告を拒否したら、れサンのいう解釈が実態として慣例となります。以降、天皇の意思に反する輔弼は憲法違反です。
でも、実際はそうではなかったのです。天皇の意思よりも政府の意思が優先されました。ここに、政府>天皇という立憲制が確立します。これが明治憲法の立憲君主制です。
それまでは天皇か政府か最終決定権はどちらにあるとは言えませんでした。規定がないからです。それが日清戦争以降実態として規定されたと思います。
個人的には、れサン的に解釈したほうが理念の本質に近いように思います。が、逆の解釈も成立し、それも100%違憲とは言い切れないと思うのです。
だから、天皇に最終的決定権としての主権はなかったと思うのです。
168 :
保守を考える:03/01/30 23:56 ID:a+G3xNYQ
>れ氏
>>145 >陛下の御聖断は、立憲君主の理念に反しているが、明治憲法上有効であった
憲法の理念に照らし合わせて、「無効」です。
>>160 >明治憲法での行政府の長は天皇です
そんなことは、どの条文にも書いてありません
>「ご自由に陛下の意志で決めてください」との輔弼的行為があったという
>理解ですが、おかしいでしょうか。
憲法義解はその第五十五条を説明するにあたり、大臣の副署の効果を
「法律勅令及びその他国事に係わる詔勅は大臣の副署によりて始めて実施の力を得る。
大臣の副署なきものは、従って詔命効なく、外に付して宣下するも所司の官使これを
奉公することを得ざるなり」
と記しています。つまり、天皇の大権行使は国務大臣の副署がない場合は無効とされ
天皇の恣意的、個人的意思が排除されるというのが、伊藤の趣旨です。
>明治憲法改定としての現憲法が、根底から適法ではないという結果になります
憲法議論であれば、この議論もあり得ますが、昭和天皇はあの御聖断を、それ以外に
方法が無かったと、仰っているのであり、新憲法については、自ら裁可・公布している
のですから、私は問題ないと考えています。
169 :
ころ:03/01/31 00:14 ID:???
>>166 >わたしだけトンチンカン
私自身、・・・サンに答えられるまで私見がまとまってないのです。
>>85 >ただ、平時でない時の決定権は持ち得ているのだから、主権なのかもしれない。
平時でないときに最終決定などの行為が憲法の理念から確定的に導きだせるものなのでしょうか?
平時は規定できても、そうでないときは状況もそれぞれであり、あらかじめ規定しようがないともいます。ご聖断が主権を持ち得たのは、そのときそう判断されたからだと思います。
ご聖断は、あらかじめ規定されてないし、そうだとしたら、法的根拠(理念)があると思うのです。
とりあえず、れサンと意見が対立している以上、この点(主権云々)では、・・・サンにも否定的だと思って下さいな。
私自身、自分をスッキリさせたいのです。そのためにはれサン、・・・サン、保守考サンなどの意見は重要なのです。^^;
170 :
保守を考える:03/01/31 00:26 ID:5LcYJD3I
>>85 そもそも、主権がどこに存在するか、それは一つの機関なり、個人にあるべきだ
とする、いわゆる「権力主義」はどうも違和感を覚えるものです。
其の点、明治憲法は明らかに、権力機構の分散であり、今の日本国よりも
その機能は分担されています。これを実態として行政面で支えていたのが
憲法の規定にない、元勲・元老でした。この元老の力が弱体化した時、日本は
その分散した権力をどう相互補完していくのかを試されたと考えますが
時局悪く、戦争とういう非常事態でした。
そこで、相互補完というよりも一元化を目指そうとした、極めて違憲的な
「国家総動員法」が成立します。全体戦争という新しい戦争の形態や、資本主義経済の
行き詰まり、資源の効率運用とう諸々の要因がありますので、この法律も
御聖断と同じく、違憲であるから悪いというわけではなく、当時取り得る、最善策であった
と判断するものであります。
171 :
広瀬武夫:03/01/31 01:12 ID:iTuG72yb
ころ様
あなたの仰る『バランスの良さ』はわかる気がします。
このバランスはどこから来たものか?これは皇室の『私心』の無さから来ているものでは
ないでしょうか。極めてニュートラルな存在であればこそ、このバランスが取れてきたのでしょう。
172 :
パンドラ:03/01/31 09:06 ID:Q8O95Z1e
>>107 >やはり「絶対性」という表現になるのですね…ロイヤルファミリーの存在のあるなしに関わらす存在するのでは?
「絶対性」というのは、いわゆるカルト教祖の例をひくまでもなく、麻薬のような魅力がある。哲学も長い間、その呪縛から逃れられなかった。
>ナチス的危険性?
拍手喝采の民主主義といわれ、民主主義万能でないことの証左としてしばしば挙げられる。これも、「民主主義の負の遺産」として教育に利用すべきだが…
>民主的危険性/「負の歴史」・・戦前におけるこの危険性と歴史を、何故か擁護派が検証中です。
>だからこそ、氏の参加も求めました。ただし、単なるイメージ的見解は他氏も許して頂けませんが。
「単なるイメージ」というのは、かなーり失礼な”おことば”では?…w サロンのお許し?…ごじょーだんをwww
前述したが、マニアックな「擁護派のサロン」には興味がもてないのと、饒舌な方々のカキコを読み込む意欲とヒマがないw
>無責任体質・・・明治憲法下はこれも検証中なのだが、ころ氏の制度的意見が私は大いに参考になっている。
検証するのはけっこうだがw現に「反省の姿勢」は日本のどこにもみられない。ドイツが、現在にいたってもナチス追求の矛先を緩めないのと大違いである。
173 :
右や左の名無し様:03/01/31 09:07 ID:Q8O95Z1e
>>108 >人類共通の遺産・・・日本は市民革命を経験せずとも、日本(中国・朝鮮半島の影響を含む)遺産との
>調和を希求しつつも明治憲法下も現在も導入している。
その”調和”とやらが、まさに議論になっているのではないかなw
>観念論からの行き過ぎが少ない長所もみられる。
失礼だが具体性に欠ける、何が観念論でどこが長所なのか?
>ゼロからの構築に他ならない・・・天皇の本質は、変わらない>少なくとも私を含めた4者
そう、考え方はさまざまだということを申し上げた。かく例示した小生も、連続制は否定できず、だからこその問題もはらんでいる、としている。
>民主主義を絶対視・・・民主主義概念(
>>95)、またその在り方に私は頭打ちである。民主主義の裏に、
>享楽を餌に大きな力が働く危険性を含め。
あなたがどのpartからごらんになっているか不明だが、民主主義であれ基本的人権であれ、なんであれ、
絶対性を認めないという点では、当時の52氏もれ氏も、はたまたダ氏も、そして小生も確認している。
>戦後50年・・・平和であったことは、天皇の存在に無関係であることは証明されたのでは?
いや、そうはならないだろう。影響の大きいその他の因子(国際関係etc)をどう評価するか、そして、
戦前・戦後でその性格がまるで違っている天皇制をいかに比較すべきか、などなどムリな要素は星の数ほどある。
>象徴天皇制の維持・・・現憲法では、主権は国民であり、具現化するのは施政者である。
>軍(自衛隊も)の位置付けの問題提起は、>れ氏もされていた。
失礼だが、的が外れでは? 象徴天皇制の維持が戦争責任に明確化にはつながらない、むしろ逆というログだったはずだが…
>国家機関を離れて・・・離すよりも日本にとって必要効果(上記参照)を採りたい。
それが議論になればと思うのだが、天皇マニアのサロンと化している中では、いかんとも…w
174 :
右や左の名無し様:03/01/31 09:10 ID:Q8O95Z1e
>>120 >その遺産の中に天皇制は潜在化するのです。危険性が消えるわけではありません。
であれば、民間機関に移行して後は、”アレフ”同様、要監視団体に指定しては…冗談であるw
国家制度から離れることで潜在化するぐらいであれば危険とはいえない。潜在化してしまっては、政治利用は不可能である。
>別物とは、明治憲法と現行憲法のことでしょうか?だとしたら憲法というものが理解できていないとしか言いようがありません。
憲法を理解している…などと大それたことを申し上げることができないのが残念であるw
上記したように、必ずしもその意見に同意しているわけではないが、革命的に体制が変わったわけだから、
「別物」とする意見を、そう簡単に否定することもできない…ということである。
>で、どのように結論づいてるのですか?饒舌にお願いしますw
これは、「民主主義の絶対性…日本の歴史における検証がなされていない…」というあなたの発言に対して、
ぎゃくに、「人類史としてはなされているのでは…」というわたしからの問いかけである。
前述したように、「絶対性」は否定する立場だが…折角のご質問なので…市民革命、社会主義革命、
そして社会主義国の民主化という歴史が、民主制の「確固たる位置」を検証している…といえようか…
175 :
右や左の名無し様:03/01/31 09:11 ID:Q8O95Z1e
>こだわってるならその議論を再開しても受けて立ちます!
個人的には「たられば論」を否定しない。こだわっておられるのは、あなたのほうではw
>他者がいなくなったら、国民が否定をやめてしまう可能性はないとは言えないということです。
「…ないとは言えない」とも、「いえない」かもしれないw
>天皇制が優位に存在した過去の事実から、再台頭し再強化されやすいと考えます。
マッカーサーの言葉をかりれば、「政治的には中学生」であったころの天皇制の存在は参考にならない。
国民のペットと化した現状から判断して、再台頭の蓋然制はきわめて低い、と思う。
>戦後の高度経済成長は、政治的に安定政権が構築された(55年体制)が大きいと思います。
政治は二流、経済は一流…とひところまで言われたが、その経済すら二流以下であることがバブル以降明らかになった。
要因としてはきわめて弱い。ほとんど、「風…桶屋…」に近い理由付けでもあるしw
勤勉な国民性と技術力をもってすれば、いかなる体制でも同程度の成長は得られた、と思う。
176 :
右や左の名無し様:03/01/31 09:17 ID:4AdFhZ5B
177 :
パンドラ:03/01/31 09:26 ID:MRh7JVlX
>>175 の続き…連続投稿でstopがかかった。
>>121 >その現在は天皇制があるから有名無実化も絶対性も抑制されてると思います。
ペット化されているとは、すでに述べたが、有名無実化へのstep…と考える。
>でも、何らかの作用で台頭してきたらどうするのですか?
そのような事態があったら、それはそれで国民の選択である。民主主義の自由とは相応の危険を覚悟するものでもある。
それにしても、現代で、国王を中心とした全体主義に走る国家像はあまりに空想的すぎるような…w
>天皇制は特権階級であることは事実です。でも、特権階級だから民主主義の平等に反する、という一点で廃止…
どなたの意見であろうか? 一点をもって廃止…????
>このスレでのパンドラサンの存在は大きいと思います。
いやいや、天皇マニアのサロンでは、大きいというより、『場違い』であろうw むしろ場違いを誇るがw
>不必要善、必要悪でみると、私見では天皇制は必要悪だと思ってます。これについてどう思われますか?
不必要悪、と思うw
主権に関して
保守考氏及びころサンの書き込みには非常に違和感がある。
以下をきちんと分別すべきである。
1、憲法条文かっら導き出される結論。
2、立憲君主制の理念や、天皇が考えていた憲法理念から導き出される結論。
3、実態的に行われたこと。
>パンドラ氏
サロン化しているとのご批判もあるようなので、一点パンドラ氏と議論し
たい部分がある。
私が、最も理解できない、皇室存続否定論の内容は、歴史や宗教による存
在であるから、国の制度の一部に取り込んではならない、という意見であ
る。貴殿もどうやら、そのような意見をお持ちのようであるが、これは民
主主義が、そのような共同体的要素からの離脱というか解放を持って発展
してきた歴史的理念によるものと、推察しておる。
しかし、現代を見るとき、あまりにも、共同体(例えば家族や国)からの
個人の独立を主張しすぎ、共同体の利益が減少し、結果として、個人の利
益も実態として減少しているという問題が存在する。
このあたりの見解をまずご披露願いたい。
180 :
右や左の名無し様:03/01/31 12:27 ID:wZXoz4u7
大学は大学令,大学設置基準で無学年制である.
留年制は,自活成人等の
個性的学習を妨げ,単位制による厳格な成績評価
に比し学力低下を招き経済的弱者の国民,国家に
弊害があり法的には廃止された.留年学年制大学違憲訴訟は
3月7日・宮崎で公判.ぼったくり同様法的には完全勝訴見込み
181 :
・・・:03/01/31 12:53 ID:???
>>169、>ころ氏
>れサンと意見が対立している以上
私とれ氏ともとらえ方が違うようですので(
>>158)、別議論かもしれません。
>最終決定などの行為が憲法の理念から確定的に導きだせるものなのでしょうか?
この憲法下における主権者としてのお立場を自他共に認められていたのでは。
そうでなければ、この決断を陛下に求める必要性がない。
>>170,>保守考氏
>いわゆる「権力主義」はどうも違和感を覚えるものです
それはそれで、私も
>>156において感じておりますし、>権力機構の分散も
理解できていますし、規定にも無い以上主権という発想が明治憲法にはない、
という答えも理解できる範疇には入ります。しかし、統治権を保持している立場と
何故陛下に最終決断を仰ぐのか等 、定義的に主権でないとする事には疑問が残ります。
また細部における統治制における各制度の決定権の並立制が見られるのですが、
第3条の立憲君主制の立場(外国の方のほうが理解して頂けるそうです)も犯す事無く
機能していたとすれば、主権は絶対性やもちろん全権でもなく、逆に第1条と第3条を
並立ならしめていたとしか、私にはどうしても思えないのですが。
182 :
・・・:03/01/31 13:50 ID:???
>>172,
>>173,>パンドラ氏
>>関わらす存在するのでは? ・・>麻薬のような魅力、として他国も存在するのですね。
>かなーり失礼な”おことば”では?・・自分に言い聞かせる面も含んでいたのだが、そう受け取られたのなら、ほんとーに失礼。ただ、私が参加したきっかけも似たようなものだったが(氏が突っ込まれた)。
>「反省の姿勢」は日本のどこにもみられない・・現代の無責任体質は別議論であろう。
>議論になっているのではないかな・・だから議論中。
>何が観念論でどこが長所なのか?・・具現化の欠如論を手放しで受け入れない。
>絶対性を認めない・・私は絶対性という表現すら懐疑的である。
>ムリな要素は星の数ほどある。・・それこそ具体的にお願いしたい。
>失礼だが、的が外れでは?・・そうだったかな?>れ氏にお聞き願いたいが。
>天皇マニアのサロン・・具体的反論がないので、結果としてだろうが。
サロンつうより、コテハン占有で連続投稿・長文投稿OKの馴れ合いスレだね。
自分達はスレの空気が悪いとは思ってないだろうが。
184 :
右や左の名無し様:03/01/31 18:00 ID:ktp7FyAa
馬鹿な奴ほど、議論を好む。「保守を考える 、れ、・・・、ころ」
おまえらのアフォ議論のおかげで、すぐ容量オーバーになるんじゃ〜。
日本の癌、天皇はいらない!!! 簡潔は知恵の精髄。
>>183 2ch参新者には違和感があるだろうが、お馬鹿が増える前の雰囲気はこんなんだった。
アホ、バカ、あおりのカキコが楽しみなら他もあるだろ?
186 :
ころ:03/01/31 19:04 ID:???
広瀬サン
>>171 >『私心』のなさ、ニュートラルな存在
所謂西洋の君主権能の抑制手段である立憲君主制と、元来の天皇の存在は類似点が多く見られると思います。あくまで立憲君主的であってイコールではないと思いうのです。
歴史的背景も異なり、基本的な概念も本質では異なるのですが、この類似点の偶然性は驚異という他ありません。
終戦直後、マッカーサーが昭和天皇と会談したとき、この天皇の『私心』のなさに驚嘆したという逸話があります。
立憲君主国家ならば、君主は権能を憲法によって制限された存在であり、また制限されてるから自らの責任については他人に責任転嫁し、こと敗戦の責任とならば命乞いをも辞さないのが西洋の立憲君主像だというのです。
マッカーサーも当初、天皇を西洋の立憲君主と同じと見ていました。命乞いをすると軽蔑していたのです。しかし、昭和天皇は
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任は全て私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任はない。
私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の配慮をお願いしたい」(「侍従長の回想」藤田尚徳)
と仰ったというのです。悪く言う人は、これは周囲の重臣が言わせた(演技)となるのですが、ご聖断に至るまでの経緯や昭和天皇の以前以後の行為を見ても、決して言わされたものではなく、本心であったように思います。
マッカーサーもそれを本心と判断しました。これはその後の政治的判断による戦後処理でも推察できるでしょう。
演技だったとしても、大義名分だったとしても、自身の命よりも国民を選択されたという天皇の発言は、天皇の存在の一端を示してるように思います。
ここまで君主に思われ、大事にされた国民はいないと思います。これが日本という国です。天皇を頂きとする国家です。
(過度の陶酔はしたくないのですが、このソースを読んでジーンときちゃいました)
187 :
ころ:03/01/31 19:09 ID:???
広瀬サン
>>171 ちょっと補足です。
>バランスについて
民主主義の理念から、君主制不要論も出てくるのは当然のことだと思います。でも民主主義は所詮は西洋の思想です。本当に日本に根ざしたものなりえるかは分からないのです。
しかし、一方で、民主主義は日本の価値観にない人権や自由などの概念も含み、現在の日本では場合によっては天皇という概念よりも浸透していると思います。
どちらを区別し、対立させる訳は毛頭ありません。日本には古来から中国から影響を受け、近代ではそれが西洋になっただけです。和洋折衷、和魂洋才、色々表現はありますが、天皇も民主主義も両立できるというのが私見です。
長くて申し訳ないです。
あー、みなさん。自由主義と民主主義の区別はしましょう。
議論を見てると、しばしばその二つが混同されている。
>>185 >2ch参新者には違和感があるだろうが、お馬鹿が増える前の雰囲気はこんなんだった。
>アホ、バカ、あおりのカキコが楽しみなら他もあるだろ?
文意がわからん。つうか、1999-2000年の2chはこんなよどんだ空気だったのか?
コテハンだらけで排他的な。
>>189 おまいみたいのが消えれば問題は解決するんだyo
どこか逝ってくれ
191 :
ころ:03/01/31 21:42 ID:???
>>178 実は、こちらも、れサンの返事待ちなのですが(
>>163)
私も、れサンの意向に沿えるよう頑張ってるつもりなんですが…。
>1、憲法条文から導き出される結論
私見では憲法理念上の解釈ということになりますが、この点において、条文同士の優劣は、つけられないという結論です。
天皇の裁可(6条)と国務大臣の輔弼責任(55条)に優劣はつけられないのです。
>>160のれサンの解釈も成立すると思いますし、逆も成立するということです。
>2、立憲君主制の理念や天皇が考えていた憲法理念から導き出される結論
りっけん-せい 【立憲制】
憲法に基づいて政治を行う制度。権力の専制的・恣意(しい)的行使を制限し、国民の権利と自由を守ることを目的とし、権力分立・基本的人権の保障・法治主義などを原理とする。
りっけん-くんしゅせい 【立憲君主制】
憲法に従って君主が政治を行う制度。君主の権力が憲法によって制限されている君主制。近代市民階級の擡頭により絶対君主制が崩壊し、君主権が議会などの制限をうけることにより成立した。制限君主制。
(大辞林第2版)
私は少し誤解していたのですが、立憲制と立憲君主制の違いは基本的にないと思ってました。
憲法(らしきもの含む)があれば立憲制ですし、たまたまそこに君主が存在すれば立憲君主制だと思ってました。実際に、そう解しないと都合が悪くなることも多々あったので…。いい訳ですね。
立憲君主の重心は君主制であって立憲制ではないのです。
だとすると、明治憲法下における日本はあくまで立憲制であって、立憲君主制ではないと思います。
明治憲法では政府の明確な定義はありませんが、天皇(君主)以外に政府という文言(38条など)があり、又、天皇親政とするにも国務大臣の輔弼と責任(55条)が必要な以上、天皇が政治を行なう制度という解釈は成立しないと思うからです。
>>190 なるほど、2000年以前の2chでは名無しはそういう扱いを受けてたわけね。
どうりで名無しでここに書き込むと無視されるわけだ。
193 :
ころ:03/01/31 21:47 ID:???
<つづき>
で、立憲君主制の理念ではなくて、立憲制の理念ならば…以下私見です
立憲制とは憲法(関連法律含む)の下で、国家、天皇、機関、民衆(国民)その他の一切が規定され又逆らえず、国家運営は全て憲法に拠るというものであり、
その理念としては、憲法は原義的理念解釈と実態から成立する慣例から成立し、前者よりも後者を優先させることということだと思います。
>>167 天皇が考えていた憲法理念:イマイチ把握しかねますが、天皇は告文で憲法の遵守を皇祖・皇宗・皇考に対して宣言してますので、天皇は立憲制(天皇も憲法に従う)
に基づいて行動することが義務付けられてると思います。
>3、実態的に行われたこと
しつこいようですが、ご聖断は、実態的に行われた行為だと思います。
>憲法は原義的理念解釈と実態から成立する慣例から成立し、前者よりも後者を優先
いや、逆だと思う・・・。
195 :
ころ:03/01/31 22:38 ID:???
私見:ご聖断の違憲性
前レスとは矛盾する所も多々あります。その点は訂正します。とりあえず私見としてまとめてみました。混乱している部分もあり、その点はツッコミ期待しています
?@立憲制の理念から
憲法の条文解釈には文面の抽象的なことから、しばしば複数の解釈が成り立ち、解釈が対立することも少なくありません。
そのような場合、解決法は二つあります。一つは解釈論争で白黒つけること。もう一つは実態から類推し、慣例を解釈とすることです。
>>167 但し、解釈論争はそれまで慣例のないことが前提です。そうしないと慣例と決着した解釈にズレが生じた場合、同一憲法で二つの解釈が成り立つことになります。
そうなったら、憲法の解釈はそのときの情勢で容易に変化し、都合のいいように解釈されてしまいます。それでは憲法の存在意義の喪失=死というものです。
立憲制下では一つの解釈しか存在してはならないのです。これが立憲制の理念でもあると思います。
憲法とは、原義的理念解釈だけで完全であるのではなく、その矛盾・欠陥を実態的慣習からの解釈で補完して成立していると思います。そして理念解釈より実態からの解釈が優先されるのです。
尤も、理念も実態も憲法に則ってということです。実態が違憲行為ならば、その実態は無効です。
ご聖断に関しては、まずご聖断が成立した御前会議自体が異例の(慣例にはない)ものでした。
重臣が政策決定する閣議に、天皇が列席するということは前例のないことだったのです。慣例に従えば、重臣が天皇抜きで閣議決定し、その閣議決定を天皇が裁可することで最終決定としていたのです。
天皇列席は立憲制(憲法解釈は慣例に従う)からすると違憲というかあり得ない訳です。
御前会議で決定したご聖断という決定方法も、慣例から外れたものです。慣例なら天皇は輔弼され、裁可する存在です。けっして自らの意思を発して最終決定をしてはならないのです。それを破れば立憲制の理念に背くことです。
実態的な慣例の点(立憲制の理念)からは違憲的行為であると思います。
それを認めたら、明治憲法に矛盾があったことを自ら認めることになるのです。
196 :
ころ:03/01/31 22:39 ID:???
?A憲法の理念から
確かに、客観的に見て、実態を度外視すれば、手続上では理念的に違憲性はないように思います。
天皇が終戦を最終決定することは13条より類推できますし、6条によって裁可し55条によって国務大臣によって輔弼・責任された、と解することができると思います。
>>160的解釈ですが、
この逆の解釈も成り立つということも(しつこい?)追記しておきます。
しかし、問題はもう一つあります。終戦決定の内容=ポツダム宣言の受諾の可否です。
以下米国務長官バーンズの回答文書(抜粋)
「一、降伏ノ時ヨリ、天皇及日本国ノ国家統治ノ権限ハ、降伏条項ノ実施ノ為、其ノ必要ト認ムス措置ヲ執ル連合軍最高司令 官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス。
…(略)
四、日本国政府ノ確定的形態ハ「ポツダム」宣言ニ遵ヒ、日本国国民ノ自由ニ表明スル意志ニ依リ決定セラルベキモノトス。」
一、は1条4条における統治権などに、四、も3条神聖不可侵などに抵触する恐れがあるものです。
結局、閣議では、受諾の可否で結論が出ませんでした。それで天皇列席の御前会議が開かれ、ご聖断となる訳ですが、
ここに、憲法に抵触する内容の条約締結・文書受諾できるかという、手続き上でなく、内容的な問題での合違憲の判断が出てくると思います。
ポツダム宣言受諾という行為が天皇の裁可、国務大臣の輔弼責任という点で明治憲法において正当なる行為(合憲)だったのかということです。この点で76条憲法の最高法規性、73条の憲法改正などに則ってのものではないと思います。違憲でないはずはないと思います。
又、細かく見れば、ご聖断自体の「しかし自分は如何にならうとも万民の命を助けたい。」という昭和天皇の発言内容も3条神聖不可侵、天皇不答責の理念から違憲的発言と思います。
そもそも、終戦という究極的な状況で、立憲制などにはこだわってられなかったと思います。冷静に合憲、違憲の判断ができると思う方がおかしいと思います。
>>81の「立憲国の君主として…」は天皇が立憲制を遵守できなかったということであり、それだけで異常事態であったのは明白だと思います。
実質的にはポツダム宣言が受諾された時点で、明治憲法の有効性は消滅したと思います。形骸化した形で存続はしてますが…。
197 :
ころ:03/01/31 22:47 ID:???
むっちょサン
>>188 自由主義と民主主義の区別を分かりやすくて意義付けして下さいな。
違いが分かるように…
>>194 勿論、実態にも合憲性が認められてる場合の話です。
>>167がその例なのでご参照下さい。
>>192 えっ!?
相手にされたいと思ってるの?
れか、保守考に直接レスつければ、カマってくれるかもよ。見ものだけどね(w
>>197 >自由主義と民主主義の区別を分かりやすくて意義付けして下さいな。
うーん。個人的には、自分で調べてほしいんですよ。
その調べる過程そのものが、おそらく天皇制について考えるうえで
大きなプラスになると思っているので。
少し述べておくと、「民主主義」というと、たとえばギリシアやローマ型の民主主義も
含まれてしまいます。よく、日本の今の民主主義をギリシア的な民主主義と
比較して考えられる方がいますが、(文脈にもよりますが)これは大きな間違いです。
今の日本の民主主義は、「自由主義」の理念に基づく「リベラルな民主主義」です。
どこが違うのかといえば、ギリシア型民主主義は「最高善(テオリア)」への接近を目標にしますが、
リベラルな民主主義はこれを退ける。現代の自由主義は、@「善の構想」の多様性と、
A「善よりも正の優越」を基本的な理念としています。要するに、現代のリベラルな民主主義は
「みんなで共通の理想のためにがんばるにはどうすんべ」という制度ではなく、
「それぞれ違う理想を持つ人々が共存していくのはどうすんべ」という制度なわけです。
もっと言えば、この自由主義の理念を実践的に制度化したものが「憲法」。
だから、憲法はなるべく価値中立的であることが望ましいわけで、
憲法にその国家固有の文化や価値観を盛り込むべきだという人は憲法の意義を
あまり理解していないと思う。まあ、消極的な意味で盛り込まざるを得ないことは
あるかもしれないけれど、少なくとも積極的に盛り込むべきとはならない。
201 :
・・・:03/02/01 09:02 ID:???
>>196 どうも、ころ氏も保守考氏もこの、
>>81,
>>82を読み違えておられるような気がするのですが
(未だ、この書籍を拝見していないので前後文脈から誤爆かもしれませんが)。
まず、
>>81は開戦を拒否できないのか?と問いに対する、
>これは「明白に天皇が憲法を破壊する」ものである。
>専制政治国ならばいざしらず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない。」
であり、
終戦の裁可
>>82においては、
>ここに私は、誰の責任にも触れず権限をも侵さないで、
>自由に私の意見を述べる機会を、始めて与えられたのだ。
とあるのであり、その違いを述べられている。
>憲法上の責任者が慎重に審議を尽くしてある方策を立て、これを規定に従って提出して、裁可を請われた場合には、
>私はそれが、意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。
は開戦時であり、終戦の裁可はこれに反しないと読みとった結果、私は
>>85の仮説に至ったのだが。
>>199,
>>200,>むっちょ@かわうそ氏
成る程。>価値中立的の主張される方の根拠も理解できました。
この辺り、存続派の方の意見も賜りたくなる(私はいきなり誤爆の予感)。
>>199 むっちょ氏
>>179の民主主義を自由主義に書き換えて、貴殿にも同様のご質問をしたいのだ
が、良かったらレスを願う。
203 :
パンドラ:03/02/01 10:15 ID:TNdYUbYO
>>179 >私が、最も理解できない、皇室存続否定論の内容は、歴史や宗教による存在であるから、
>国の制度の一部に取り込んではならない、という意見である。
特定の宗教色が強いものが国家制度として存在することは憲法に抵触する、あるいは
歴史的見解が分かれる事実を根拠に制度化されているとすれば、それもふさわしくない、と考える。
その他にも、身分制を国家が制度化すること、その身分制自体に人権の侵害の疑いがあること、
国政機能として特に必要とされず、むしろその経費がムダであるばかりでなく、植樹祭など、
彼らの行動自体に弊害が大きいこと…etcを根拠としている。
いずれもすでに議論されているが、否定されえなかった事項ばかりである。
>…これは民主主義が、そのような共同体的要素からの離脱というか解放を持って発展してきた
>歴史的理念によるものと、推察しておる。
民主主義の発展というより、近代国家のあり方としての天皇制の矛盾をむっちょ氏が突いたものではないか?
Part7のむっちょ氏のログ(
>>248)の一部を、同氏に無断だが、提示させていただく。
(以下、引用)
近代国家における「国民の歴史」とは、ウソかよく言っても恣意的に抽出された、バランスを欠いたものに他ならない。
それぞれの「クニ」共同体の民衆が持っていた固有の価値、近代化によって、それが破壊されることで生じた
アノミーを、「遡及的に作られた伝統」によって補完することで成立した「想像の共同体」、これが、日本やドイツなど、
後進的な近代国家を考えるときの、一般的なモデルです。しかし、本来的には近代国家のシステムとは
「経済社会(ゲゼルシャフト)」の論理であって、「共同体(ゲマインシャフト)」的なものではない。
憲法に、日本国民たる用件として、価値観の同質性は基準にならないでしょ?
ここに、近代国民国家(それは、先進的なイギリスやフランスにも少なからず存在する)のジレンマが存在します。
(カンサンジュンが言う、ナショナリズムは近代国家の病であるという主張を僕なりに解釈するとこうなる)
204 :
右や左の名無し様:03/02/01 10:17 ID:TNdYUbYO
>>182 >麻薬のような魅力、として他国も存在するのですね。
国に存在するというより、人々の意識あるいは無意識に麻薬のように入り込む。
>(氏が突っ込まれた)。
覚えていないが、その節はしつれいw
>現代の無責任体質は別議論であろう。
あなたらしくもないw、戦争責任に対する無責任体質だから、とうぜん現代につながる体質だが???
>議論になっているのではないかな・・だから議論中。
こういうのこそ、ループというのだろうwww
>具現化の欠如論を手放しで受け入れない。
>絶対性を認めない・・私は絶対性という表現すら懐疑的である。
やはり、何のことか分からない、申し訳ないが、具体性にかける…と申し上げるほかない。
>それこそ具体的にお願いしたい。
例をいくつかあげた、かなーり具体的だと、思うのだが…ねぇ
>天皇マニアのサロン・・具体的反論がないので、結果としてだろうが。
これも意味不明だが…存続を前提とした細部の議論をマニアックと称し、そのマニアックなサークルをサロンと申し上げている。
反論しようにも、存続が前提だから、トンデモな事実誤認を指摘する以外に介入の要を感じない。
>>203 パンドラ氏
ご回答アリガトね
>特定の宗教色が強いものが国家制度として存在することは憲法に抵触す
>る、あるいは歴史的見解が分かれる事実を根拠に制度化されているとす
>れば、それもふさわしくない、と考える。
この部分以外は、貴殿のいうとおり議論され、否定し続け、それを了解い
ただけなかった部分である。再度の議論は、非常に疲れるし、モウイイデ
ショウ と感じるが、上記については、なぜ、天皇制においてそのような
ことがいえるのか、全く理解不能である。
「宗教色の強いものが権力を行使する」なら憲法に抵触するかもしれない
が、そうではない。日本国の範囲・国民の範囲などが、天皇の存在によっ
て決定付けられたことも、認識を別にする人はいないだろう。
全く不思議なことを言う、としか思えないなぁ。
206 :
保守を考える:03/02/01 11:40 ID:PooiC2Ws
>・・・氏 >148
>まず、御前会議自体が法規的にどうなのか?
御前会議というのは、天皇臨席の会議を一般的にそう呼ぶものであり、
そういった会議において、天皇はただ、お聞きになるだけで、自らの意見を
述べないというのは、明治天皇からの慣習法です。
で、最高戦争指導会議は、小磯内閣の時に、首相の戦争指導力を強化する目的から
大本営政府連絡会議を改善したものです。この構成員に天皇は含まれてはいません。
昭和20年(1945年)4月、連合軍は沖縄に上陸します。(戦艦大和の最後もこの頃)
そして小磯国昭に対して、この戦争を決定づけたのは、5日のソ連モロトフ外相からの
「日ソ中立条約を1946年4月をもって終了する」という条約延長の拒否通告でした。
この通告を受けた小磯国昭は、戦争継続の限界を悟り総辞職します。
後継首相を決める重臣会議の席上で、東条英機は
「最後まで戦い抜くのか、早期和平を行うのかを先決すべきだ。その方針に沿う首相を推したい。」
と発言しましたが、岡田啓介の決定先延ばし論が支持されて、鈴木貫太郎が指名されます。
こういった歴史経過を踏まえて、次に御前会議について述べたいと思います。
207 :
保守を考える:03/02/01 12:27 ID:PooiC2Ws
(206の続き)
鈴木貫太郎は、重臣会議に於ける戦争の継続という課題を引き受けて総理になりますが
その胸中は、日本とカルタゴの滅亡を対比させて、一刻も早く戦争を止めねばならないでした
そこで、開戦当初よりこの戦争に反対であった東郷茂徳を外相に推します。
東郷は「戦争はあと一年続けることも不可能と判断するが、其の点総理が同認識でないようなので
協力出来ない」と固辞しますが、鈴木は「その考え方でよい」と任命します。
そういった鈴木の和平工作を実現させるには、最高戦争指導会議でそれを了承させなければなりません。
そこで木戸幸一の協力を経て、6月8日の会議に昭和天皇を臨席させることを
各員に了承させました。そして同月の22日、昭和天皇は
「戦争の終結について、この際、従来の観念に囚われることなく研究するように」
と仰り、そして、対ソ工作が決定されます。
既に2月のヤルタ協定(密約)で対日参戦は決まっており、千島列島のソ連領有も
その中にふくまれていました。天皇の親書による特使(近衛文麿)派遣を伝えられた
ソ連側は、回答が遅れるとして保留しました。(7月13日)そしてスターリン一行は
ポツダムに向かうことになるのです。そして7月26日にポツダム宣言が発表されます。
ソ連の回答待ちだった鈴木はこれを黙殺しますが、原爆の投下と8日にソ連はその回答を
対日戦線布告として回答したのです。
>>206 恐れ入りますが、貴殿のなかで、「慣習」と「慣習法」の分別するとき
どのようになさっているかも、書き込んでください。
すべての慣習が、慣習法となるわけではないと思いますので・・・。
209 :
保守を考える:03/02/01 12:59 ID:PooiC2Ws
(207の続き)
8月9日の最高戦争指導会議は、ポツダム宣言の受諾では大筋の合意がありましたが
天皇制の存続、自発的な武装解除、連合軍の本土上陸の回避、戦犯の自主的処罰という
4条件を主張する問題で紛糾します。
東郷外相は、国体の護持のみを条件に受諾を主張しますが、阿南惟幾らは、
他の条件を主張せずして、どうやって国体を守れるというのか、と反対し
4条件は譲れないと会議はまとまりません。
鈴木貫太郎は、多数決による受諾条件の決定は、必ずや禍根を残すとして
昭和天皇のご臨席を仰ぎます。そして其の日の深夜から再び会議を開催しました。
冒頭、昭和天皇のご臨席と、最後は御聖断を仰ぐ事を了承した各員は、天皇を会議の
席に迎えいれます。これがいわゆる終戦における御前会議の一回目です。
そして、東条外相案に同意見を述べたものは、米内光正海相、平沼騏一郎枢密院議長、
4条件に固執したのは、阿南陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田貞次郎軍令部総長と
3対3に分かれました。規定ではここで議長である総理が多数決をとり、同数であれば
議長がどちらかに一票を投じるのですが、先に述べた鈴木の政治判断で、御聖断を仰ぎます
210 :
・・・:03/02/01 13:04 ID:???
>>204,>パンドラ氏
>人々の意識あるいは無意識に麻薬のように入り込む
ので、他国も国や共同体や組織に内在しているのですね。
では、何故ロイヤルファミリーの存在以外にも内在し得るのでしょうか?
>現代につながる体質
一応、
>>107で私見は述べましたが。旧天皇制と現代の体質との因果関係がわからない。
>ループというのだろうwww
そのまま、素直な気持ちなのだが。
>具体性
それが困難だから観念論?
>絶対性を認めない
あれ、ロイヤルファミリーの存在でも認めていたのでは?
>かなーり具体的
>その他の因子(国際関係etc)をどう評価するか
存続派も書き込みが少ない(スレ違いだからだろうが)、戦争が行われた戦前におけるこの因子をお伺いしたい。
それがなければ、戦後因子の幅も読み切れない。
>細部の議論をマニアックと称し、そのマニアックなサークルをサロンと申し上げている。
個々にしか対応困難な議論法も十分マニアックであり、サークル化すらなし得てないのは、
チャット化?
>存続が前提
パンドラ氏との議論では、その本質はそれに関係なき方向へ流れ易いのだが
(この点でご教授願いたい点もあるように感得しているのだが)、お互いが戻しているだけかも。
ただ、両方ともそこからの参加も可能(私は氏ところ氏の横やりから参加)。
211 :
保守を考える:03/02/01 13:17 ID:PooiC2Ws
>>208 この場合、歴史的に天皇と政治の関わり方は、慣習によって遠ざけられていました。
明治憲法第3条はその慣習を踏襲して、周知における事実として補足されたものです。
よって、これを「慣習法」と呼びます。また元老の存在、職責も「慣習法」によって
認知されています。
>>211 慣習が、慣習「法」として認知されるのは、どのような事象があったときですか?
誰かが、この慣習は「法」であると、認定するのではないでしょう。
慣習を、勝手に法と呼んでいては、収拾がつかなくなりますが、その慣習を「法」
とした理由を教えていただきたいのですが。
213 :
・・・:03/02/01 13:29 ID:???
>保守考氏
この会議の規定は存在したのですね。
>議長がどちらかに一票を投じるのですが、
先に述べた鈴木の政治判断で、御聖断を仰ぎます
議長一任事項はなかったのでしょうか?
214 :
ころ:03/02/01 13:30 ID:???
>>174 >民間に移行して後は、要監視団体に…
憲法でするのと、法律でするとの違いだけでは?どちらにしても特別視することには変わりはないと思いますよ。
天皇というのは、過去の歴史からみても、アレフみたいに影響が小さくないし、憲法で規定して相当に思います。それだけ危険だし、価値もあるということです。
>潜在化
どうも潜在化の意味を取り違えておられるようです。国家制度から離れる=潜在化であって、制度に組み込まれる=顕在化です。
政治的利用は、潜在化の方が規定がないから却って可能に思います。
例えば、公明党と創価学会の関係ははっきりしているよう(顕在化)で、していないと思います(潜在化)。(私見の例えであって、創価問題は変な煽りも生むので、この場に止めたいのですが)
はっきりしていたら危険性はある程度予見できるし、また抑制もできます。はっきりしてないから危険であるということです。
もっとも、顕在化していても100%危険がないというのも間違いです。しかし、潜在化するよりも危険性は少ないことには異論はないと思います。
>憲法…
外面(憲法)が革命的に変わろうが別物になろうが、中身(国家性、国民性)は変わってないということです。
憲法が変わって、国家も国民も変われるほど単純なものではないのです。
憲法論議は饒舌になるので…
>人類史として…
世界を見渡しても、まかりなりにも近代民主主義が実現しているのは欧米くらいのものです。人類史という視点は欧米のことですか?
21世紀型イデオロギーの対立といわれる一方のイスラム圏は?また中国もソ連型共産圏とは異なる独自路線です。人類史は一概にどことは言えないと思います。
テレビのコメンテーターみたいな発言がパンドラサンから出るとは…。
日本は欧米ではないというのは、単に地理的なことではなく、歴史・価値観・国民性など全てにおいて違うということです。人類史…と相対化し特異性を度外視するから、逆に日本は民主主義が根付かない、民度が低いのだと思ってます。
215 :
ころ:03/02/01 13:40 ID:???
>たられば論
了解です。おたがいこだわりはないようです。
>「…ないとは言えない」とも、「いえない」かもしれないw
早速たられば論ですか?^^;
私は、当時の日本では、天皇が憲法で規定されなかったら戦前のような天皇中心主義とまでは行かなくても、現在の日本よりも天皇の地位は強まってたと思います。
国民は過去に天皇中心主義的な教育を受けているのです。まかりなりにも規定されてたから、現在のように象徴にとどまったと思っています。
パンドラサンがそうは思わないというのなら、根拠らしいものを挙げて下さい。じゃないと所詮はたられば論、になってしまいます。
>政治は二流、経済は一流
政治が二流でも政治的に安定していたから、ハリボテでも経済は一流になったと思います。
後進国の経済麻痺の原因は政治の不安定さが大きいと思います。つまり「風…桶」ではないと思います。
経済がハリボテだったのは、政治による所も大きく、政治をほったらかしにした国民にも当然あるでしょう。民度が低い所以です。
今さらナドと思わずに政治について考え政治的に一流にならないと、経済も一流になりえないと思います。勿論、政治には、憲法(天皇制や国防問題含む)や民主主義などは当然入ってくると思います。
何か捉え所が広くなってきました。このへんで・・・
>有名無実化へのstep…
>ペット(パンドラさん前述の)
この理論だと、現在の皇室はペットであり、有名無実化へのstepとして天皇制は必要である、存在意義がある、と理解するしかないのですが。
皇室がペットだとして、現在の天皇制はその鎖である、といいたいのですか?(だとしたらどう意見なのですが)
その鎖を外しても問題ないと思うのがパンドラサン、まだ外すべきではないとするが私、という理解でよろしいですか?
で、マッカーサーの言う「政治的には中学生」が現在どこまで進学してると思いますか?
私は、大して変わってないと思います。言葉を借りれば、中学は卒業しても高校で留年中だと思いますよ。
だから鎖は外せないと思います。せめて成人にならないと…
216 :
保守を考える:03/02/01 13:41 ID:PooiC2Ws
>>212 これ以上は哲学的になるので、板違いになってしましますが
天皇の無答責については、憲法第3条であり
元老のそれは、明治維新の功績が周知の事実として、大多数の国民に認められ、
特にその存在について反対運動が起きなかったこと
よって、慣習が慣習法となる事象は幾ばくかの期間により既成事実としてそれが
機能することです。
国旗や国歌は数年前までは、慣習法でした。
217 :
ころ:03/02/01 13:43 ID:???
>空想的
民主主義は絶対視してるだけで、絶対性がない以上、民主主義が行き詰まり、方向性が見えなくなったときに急進的ナショナリズムが台頭する可能性は、現在は空想的でも将来の可能性はゼロではないということです。
そのときに憲法の規定と衝突するでしょう。その時国民が最終決定するのです。
規定がないとそれが国民には明確に分からないと思います。
歴史は繰り返すのです。
>特権階級だから民主主義の平等に反するの一点
申し訳ないです。すっかりパンドラサンのことだと勘違いしてました。パンドラサンの、他に天皇制を廃止する理由が把握できてません。お教え下さい。宗教性やナショナリズム…ということですか?
>>203 で、特権階級だから民主主義に反するに関しては、概ね私見で否定したつもりです。必要悪なのです。
悪というと天皇制が一方的に悪いみたいなイメージがありますが、これは一面的な見方であって、皇室外交や日本の象徴(権威)として見たときには善(機能してる)となります。
世の中はキレイゴトだけでは成り立たないのです。確かに、悪を一方的に排除したら善だけになると思います。しかし、善だけでは却って機能が硬直しうまく機能しないこともあるのです。
制度や思想も二面性(裏表)があると思います。問題は、その二面性を如何に把握し、有効に活用していくかだと思います。
>天皇マ二アのサロン
サロンかどうかは別として(そういわれたら返す言葉はない)、パンドラさんの存在は私には大きいのです。
大きいから、パンドラサンとも今後も活発にやっていきたいと思います。
誇りに思ってるなら、どっか行かないで下さいね。
>不必要悪
ペットの段からパンドラサンも天皇制の必要性は認めてらっしゃると思いますよ。
鎖を外すかどうかは、個人の判断であり、自由だと思います。
それがたとえ杞憂でも、鎖が必要だと思う人もいるということ理解して下さい。
あと、先の大戦において国民に戦争責任があったか否かYesNoだけで簡潔に答えてくれたらと思います。
>>213 ・・・氏
検索により取得した某HPより
----------
近衛内閣時代の昭和15年11月28日から 大本営政府連絡懇談会 と
いう名称になり、小磯内閣時代の昭和19年8月4日には 最高戦争指導
会議 と改称した。しかし、改称しても大本営と政府の連携は緊密さを欠
き、本来は『統帥機関』であった大本営が、『政治(戦争指導)』まで介
入するようになり国家意思の統一を妨げたという観は否定できない。
会議の構成は、参謀総長・軍令部総長・陸海軍大臣・首相・外相・企画院
総裁(国務大臣)などであり、蔵相ほか所要の閣僚や参謀次長・軍令部次
長などが列席するようになった。
「なお上記会議は権威はあっても法制的根拠はなく」、必要な場合は閣議
決定の手続きを必要とした。
-----------------「」は引用者がつけた
です。
219 :
保守を考える:03/02/01 13:50 ID:PooiC2Ws
>>213 >議長一任事項はなかったのでしょうか?
そのような規定はありません。
>>216 保守考氏
天皇が、御前会議で、ご自分の意思を発言しなかったのは、慣習であり、
天皇の、立憲君主制尊重の意思の現れであるとは思いますが、
「慣習法」ではないでしょう。元々、法制的根拠のない会議なのだから。
221 :
ころ:03/02/01 14:50 ID:???
むっちょサン・パンドラサン
>>200 お返事ありがとうございます。
>だから、憲法はなるべく価値中立的であることが望ましいわけで、
基本的に「憲法」というものの捉え方が違うように思います。
憲法は、民主主義やナショナリズムといった思想のためにあるのではないと思います。憲法は、国家の政治や国民の生活を規定し実現するためにあると思います。
その国が、リベラルな民主主義だけを基本に置いたものならば、その憲法の下にリベラルな民主主義的な国家の政治や国民の生活などの実現が約束されます。
しかし、ナショナリズムだけに置いたものならば憲法の下にナショナリズム的な国家の政治や国民の生活の実現が約束されます。
どちらか一方が憲法で、それ以外が憲法でないとは思えません。
むっちょサンは、憲法はリベラルな民主主義だけを理想としたものだけが憲法であり、ナショナリズムを理想としたものは憲法ではないと仰られてるように思います。
だとしたら、その国家固有の文化や価値観(ナショナリズム的な要素)は排除されるべきというのも理解できますし、価値中立的(リベラルな民主主義)が望ましいという結論に至るのも理解できます。
重要なのはそういった思想ではないと思います。
国家の政治や国民の生活を規定し実現するために憲法はあるのです。逆にいうと、憲法で規定できることは実現可能なものでなければならないと思います。
もっというと、憲法は理想ではなく現実に即したものでなくてはなりません。憲法は理想ではなく現実を規定しないと、憲法として機能せず乖離していくのです。
憲法は、理念よりも実態が優先されるというのはそういうことです。
ワイマール憲法がどのように破綻したか、また戦後独立した植民地の多くがなぜ民主主義的憲法とは違う独裁国家を生んだか、ご意見をお聞かせ下さいな。
平行してイギリス、フランス、アメリカがなぜ立憲国家としてうまく機能しているか、また現在の日本ではどうなのかを比較してくれたらうれしいです。
222 :
ころ:03/02/01 16:31 ID:???
横レスです。
>>220 >元々、法制的根拠のない会議なのだから。
その会議でご聖断の可否が決定、その内容を最終決定としたのですから、ご聖断には法的根拠はないと思います。
つまり、ご聖断があったから明治憲法では天皇に主権があったというれサンの考えには疑問なのです。
>>222 ???御前会議の決定を、最終決定としたのですか???
終戦を国として決断したのは、天皇のご聖断であって、ご聖断を元にした
「最高戦争指導会議(御前会議)の決定」ではないでしょう。
>>222 ころサン
よろしかったら、内閣と天皇の関係が下記HPで出ていますので、ご参照
ください。
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/1-1.html 明治憲法では
行政は天皇が行い、総理大臣も輔弼するのみということがご理解いただけ
ると思います。立法府は、立法のみの機関で、国権の最高機関ではなく、
司法は、法により、また法で解決できない場合慣習で、それもない場合は
条理で裁くのみで、主権たる地位は全くありません。
戦争を布告し、または終戦を決定するのは、大臣の輔弼のもと、天皇にし
か、その権限はないので、主権は天皇であることは、疑いありません。
226 :
ころ:03/02/01 18:37 ID:???
227 :
保守を考える:03/02/01 20:00 ID:GXiQ4tcl
>れ氏
>>220 まず法的根拠があるかないかなどは問題ではなく、そこでの決定事項は
内閣、枢密院、陸軍、海軍としての決定事項であり
事実上、国家の決定事項です。
で、慣習であろうが慣習法であろうが、天皇が政治的行為やそれに影響を及ぼすような
発言は憲法違反です。
>>223 事実上、最高戦争指導会議の決定です。
その証拠に、受諾の詔勅には会議の参加者及び閣僚の副署がされています。
>>224 >行政権は、国務大臣の輔弼によって天皇が自ら行うという原則に立ち
輔弼とは天皇の名において全責任を負うということであり、大臣の権限の根拠です
それ故に、天皇に主権があるとするならば、何も御前会議など開かずとも
天皇の意思で勝手に天皇が降伏の詔を出すことが出来たことになります。
>戦争を布告し、または終戦を決定するのは大臣の輔弼のもと、天皇にしか、その権限はないので
天皇は裁可・公布する権利があるのであり、これをもって主権といわれるのであれば
現在の法律・条約は全て天皇の御璽がなければ無効であるといって
今も天皇に主権があるという話になってしまいます。
228 :
保守を考える:03/02/01 21:47 ID:GXiQ4tcl
>れ氏
>>225 私が散々述べてきた明治憲法の解釈を八木先生も国会の場で仰っているのは
大変参考になりました。
しかし、国会の先生方の見識の間違いの多さに多少面食らいました。
特に、この前、勲一等を授章した中山正輝の認識の間違いの多さに失笑する
しかありませんでした。
229 :
ころ:03/02/01 22:00 ID:???
れサン
>>223 ご聖断は二度なされました。又、いずれのご聖断も、昭和天皇列席の最高戦争指導会議(天皇が列席したからこれを特に御前会議と呼びます)でなされています。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/Syouwa-kyukenpou/43-Suzuki.htm <最近見つけて非常に役に立っています>
ご聖断の内容が最終決定だったことに異論はないと思います。
最終決定権の解釈問題は、ご聖断という行為と輔弼という行為のどちらに主眼を置くかということだと思います。
ご聖断に主眼をおき、ご聖断を単に重臣が輔弼したとみれば、天皇が最終決定権者と見て取れます。
一方、輔弼に主眼をおき、重臣が輔弼したからご聖断が最終決定となったと見れば輔弼した重臣(=閣議決定)が最終決定権者と見て取れると思います。
ご聖断が2度あったことを考慮すると、私見では後者です。
>>224 >>225のソースによると私見は「国家主権」という説に近いと思います。
主権云々では八木説からの影響ではなく、自分で考えてました。混乱していたのもそのせいです。醜態を晒して申し訳ないです。
>>225、全部読ませてもらいました。大変参考になりました。改めて感謝です
230 :
・・・:03/02/01 22:24 ID:???
>>225>れ氏、
>>226>ころ氏、
>>227>保守考氏
八木氏の見解、拝見致しました。ありがとうございます。
これによると、天皇主権の概念は明治憲法下においても薄く、
御前会議の天皇の決定は、立憲君主の理念を逸脱となるのですね。
他の権限を侵さなかった=理念に反しないとするのは
八木氏的には無理なようですね。とりあえず、トンデモ仮説から離れます。
?@逆に天皇主権(の様に認識)であれば、最終決定のみその権利を
有していたという事で良いのでしょうか(特に天皇主権とする>れ氏の見解はどうでしょう)?
?A君権主義〜立憲君主への解釈の移行も言及されておられるのですが、
あくまでも立憲君主というのは、理念であり解釈ともとれるのですが、
どうなのでしょうか(理念の場合の違憲性)?
?B次の別疑問として超法規と言うのは、憲法違反になるのでしょうか?
八木氏も逸脱とはあるが、違憲とはなかったような気がします。
?Cそれと、226における御聖断の場合、どうだったのでしょうか?
なんとなく別議論な様な気がしますが。
以上4点、疑問が生じましたが。
231 :
・・・:03/02/01 22:56 ID:???
>>229の>ころ氏に繋がる事なのですが、
この会議後における、手続き等はどうなのでしょうか?
この御聖断後、別会において審議・承認(形式的にも)が有りましたのでしょうか?
少し、気になりますので。
>>179 まあ、パンドラ氏が引用してくれたので、それで。
>>221 >国家の政治や国民の生活を規定し実現するために憲法はあるのです。逆にいうと、
憲法で規定できることは実現可能なものでなければならないと思います。
まず、確認しておかなければならないのは、憲法は基本的に国家が守る法律であって、
国民が守る法律ではない。したがって、一般の法律とは一線を画します。
国家の政治や国民の生活を規定し実現するだけなら、別に憲法はいりません。
憲法は何よりも自由の基礎法であって、まあそうじゃない何か基礎的な法典を憲法
と呼ぶのはまあ別にかまいませんが、ただその国を近代国家とは呼べないでしょうね。
>ワイマール憲法がどのように破綻したか、また戦後独立した植民地の多くが
なぜ民主主義的憲法とは違う独裁国家を生んだか、ご意見をお聞かせ下さいな。
平行してイギリス、フランス、アメリカがなぜ立憲国家として
うまく機能しているか、また現在の日本ではどうなのかを比較してくれたらうれしいです。
端的にいえば民度の問題でしょう。欧米諸国だって、立憲制がうまく機能しだしたのは
ここ数十年のことです。それまでには、長い歴史があった。また、経済的な条件というのも
欠かせないファクターではある。日本の場合は、まあ機能してるといえばしてるし、
してないといえばしてないのではないでしょうかw。見方によるな。
>日本国の範囲・国民の範囲などが、天皇の存在によっ
て決定付けられたことも、認識を別にする人はいないだろう。
これはちょっと・・・。どの範囲に国境を引くかは政治問題でしかない。
234 :
ころ:03/02/02 01:24 ID:???
・・・サン
>>230 全体的にちょっと誤解されてるように思います。
明治憲法は、解釈によっては天皇主権にも立憲君主制にもなるということです。でも、慣例として立憲君主制的解釈で運用されてたということです。
昭和天皇の「立憲国の君主として…」発言は、立憲制の理念ということになりますが、これは「一度憲法で解釈され実行されたことは、以後は慣例として従う」ということだと思います。
つまり、「明治憲法は立憲君主(天皇は政治的に不干渉)」と解釈したのだから、天皇の政治的な干渉(発言、裁可の拒否など)は慣例に逆らう=立憲制の理念に反することになります。
ご聖断は慣例ではありません。この点で昭和天皇の「立憲国の君主として…」があったと思います。
慣例に従えば、政府や元老が最終決定権を有し、天皇は形式的に裁可していたのですから、ポツダム宣言の受諾も最高戦争指導会議で最終決定→天皇が裁可(天皇は不干渉)すべきでした。
逆に「明治憲法は天皇主権」という慣例であれば、ご聖断といった最終決定のみではなく、天皇の自由意思で宣戦布告も法律の裁可(承認拒否の決定)もできたと思います。
ご聖断は、解釈的には可能(合憲)ですが、立憲制の理念から言えば慣例に従うので違憲でないはずはありません(これを「立憲制から逸脱」としてますが)。
合憲か違憲かは司法でしか決定できませんから、色々表現が出てくると思います。
>226事件(私見)
終戦直前のご聖断と違う意味で国家的危機だったと思います。
陸軍若手将校によって政府機能が麻痺させられ、そもそも憲法に則って国家運営ができなかったと思います。
つまり、輔弼という行為が不可能な状態だったと解すれば、天皇が暫定的に政治的行為をしたことはやむを得なかったと思います。
実際に、政府が機能を回復させたら再び立憲君主に戻ったのですから、まさに例外的行為だと思います。
政府による最終決定(慣例)が機能的に不可能な状態(226)と機能的には可能な状態(終戦直前)の差というのでしょうか。
仮に天皇が急に崩御され、皇位の継承もできず摂政も置けない場合(まずあり得ない仮定ですが)政府はどうしたのかを考えると、
輔弼・裁可などができないわけですから、226の逆で、政府も暫定的に輔弼・裁可を経ず政治をしたと思います。
235 :
ぽっくん:03/02/02 05:22 ID:3OcOXMrm
今日、はじめてみなさまの熱い議論を拝見いたしました。
私は、日本国憲法(占領管理法)無効論者ですがこれからもロムさせていた
だいて、勉強させていただきらーーすれす。
236 :
右や左の名無し様:03/02/02 06:08 ID:xfnQccW6
「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べると
はなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを
告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を
与えられた民族はないと思う。」
「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマ
よりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりも
あきらかに劣っている。」
16世紀 イエズス会本部への報告書より
宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ
これこそ「正しい歴史認識」!!
http://academy.2ch.net/korea/kako/1014/10141/1014110105.html パァッ・・・ ∧_∧*
* (@∀@-)←輝いている
φ 朝⊂) *
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
| 良 識 派 |/
237 :
パンドラ:03/02/02 09:05 ID:55wf1Lqj
>>205 >>特定の宗教色が強いもの…あるいは歴史的見解が分かれる…
>この部分以外は、…モウイイデショウ と感じるが、上記については、…全く理解不能である。
失礼、前者で、「抵触する」は誤り、「憲法内矛盾」が正しい。これは、確かPart1-2あたりで猫氏と52氏らが議論され、小生も多少介入した。
後者は、part5-6あたりで、小生からマニアのどなたかにご説明申し上げた記憶がある。
いずれにしても、前者については神道色が極めて強く政教分離原則に矛盾する、後者については、
歴史的裏づけは、少なくとも憲法条文上では存在しない。したがって、上述のような申し様となる。
>>210 >人々の意識あるいは無意識に麻薬のように入り込むので、他国も国や共同体や組織に内在しているのですね。
いや、エンドルフィンではないから、内在はしていないw
>現代につながる体質
もう一度読み直して欲しい、一行だから別に再掲してもよいが…
>>101:一方、わが国では天皇は輔弼責任で免責され、国民は「神聖不可侵」たる天皇による強制として免責を訴えがちだ。(わが過去ログでも探すのは大変である、なるべくループは避けたいw)
>それが困難だから観念論? >あれ、ロイヤルファミリーの存在でも認めていたのでは?
意味不明???
>戦争が行われた戦前におけるこの因子をお伺いしたい。それがなければ、戦後因子の幅も読み切れない。
そもそも、小生の方が国際関係の因子も一様でなく評価しがたいと申し上げている。
評価がムリとしている小生が、何故、評価しなければならないか? www
あなた自身が、現代の因子は○○と評価され、そして戦前の因子は○○と評価される、よって
「…平和であったことは天皇の存在に無関係であることが証明された」という反論になるべきだろう。
>個々にしか対応困難な議論法も十分マニアックであり、サークル化すらなし得てないのは、チャット化?
そもそも、その「サークル化」を参加に興味を失わせる要因としているのだがw
>そこからの参加も可能(私は氏ところ氏の横やりから参加)。
可能でも魅力がない。同じジムのボクサー同士のスパーリングの様でつまらん…とはすでに申し上げた。
238 :
右や左の名無し様:03/02/02 09:06 ID:55wf1Lqj
>>214 >>民間に移行して後は、要監視団体に…>それだけ危険だし、価値もあるということです。
この部分、冗談なのだが…w あなたの人柄を考慮しなかったわたしが悪いw
>公明党と創価学会の関係ははっきりしているよう(顕在化)で、していないと思います(潜在化)。
両団体の関係は、すこしも潜在化していない、平均的知性の人なら誰でも知っている。
平均的な人も知らないような機関が、政治利用などされるわけがない。
>外面(憲法)が革命的に変わろうが別物になろうが、中身(国家性、国民性)は変わってないということです。
それは根拠がない、いずれにしても憲法制定の主体が変わるというのは大変な変化である。
>人類史という視点は欧米のことですか?
西洋史中心が大きな部分を占めるのは事実だろうw
ただ、西欧の人以外でも、そこから民主主義やら自由やらを学び取ることを否定されない、ということである。
しかし、学び取るか拒絶するかは、強制されるものではなく、当然あなたがたが天皇制を選択するのは「多様性」として否定しない。
国家制度として固定化(絶対化)し、「多様性」「特異性」を国民に容認しないあり方が問題なのである。
民間機関として多様性、特異性の一翼を担われんことを!…www
239 :
右や左の名無し様:03/02/02 09:07 ID:55wf1Lqj
>>215 >パンドラサンがそうは思わないというのなら、根拠らしいものを挙げて下さい。
一応確認するが、「天皇を中心とした全体主義に走る」可能性が低いことの根拠となろうか。
現代で、全体主義で暴走する国家といえば、イラクと北朝鮮を思い浮かべる、かれらは王族ではなく、大統領と総書記を「中心」としている。
王族が、全体主義の中心に座る例は近代以降極めて少ない。
>政治が二流でも政治的に安定していたから、ハリボテでも経済は一流になったと思います。
下部構造(経済)が上部構造(思想・政治)を決定するなら、政治の安定は経済の安定によってもたらされたと考えるのが自然である。
いずれにしても、政治→経済の一方向で捉えるのはムリがある、少なくとも相互作用として捉えるべきだろう。
>皇室がペットだとして、現在の天皇制はその鎖である…
野良猫、野良犬でもいい、(あるいは野良虎w) 鎖をはずして自由にしてあげたいw
>言葉を借りれば、中学は卒業しても高校で留年中だと思いますよ。
では、その根拠を示していただきたい、そうでなければたられば論に…w
>>217 >急進的ナショナリズムが台頭する可能性は、現在は空想的でも将来の可能性はゼロではない…
ゼロではなく、蓋然性が低いとしている。蓋然性を考慮しない制度化は組織の肥大化を招く。
で、そのような事態があっても、それはそれで国民の選択である。民主主義の自由とは相応の危険を覚悟するものである。
>特権階級だから民主主義に反するに関しては、概ね私見で否定したつもりです。
で、そのときのお相手は納得されたのだろうか? そうではなかったのでは?
>パンドラさんの存在は私には大きいのです。…活発にやっていきたいと思います。
基本的には光栄なのだが…あまり、手間がかかると、どうも…
>先の大戦において国民に戦争責任があったか否かYesNoだけで簡潔に答えてくれたらと思います。
だから、手間がかかる…w すでに、一度ならず「責任は否定できない」とカキコしている。
明治憲法における主権の存するところについての私の見解
体は天皇にあり、用は臣民にありという先般の議事録の発言に、非常に良
い言い方だと、思いました。
憲法上の文言や権威の存するところという意味では天皇であり、理念や、
それに基づく実態や慣習は、天皇主権ではなかった。
このように理解しております。
>むっちょ氏 >パンドラ氏
自由主義が共同体(宗教や習慣その他の価値観で結ばれたもの)からの離脱という
か開放を目指しているということでの憲法内矛盾が、宗教的存在でもある天皇、お
よび、歴史的習慣である男子の直径による継承に現れているという認識でよろしい
のでしょうか。
別スレと同じ事になろうかと思いますが、家族という共同体や国という共同体から
、離脱する方向での法整備が正しいかというと、それは実態を無視した実験でしか
ないと、私は思います。
242 :
ころ:03/02/02 11:52 ID:???
むっしゅサン
>>232 私の解釈の甘さは自認しています。そのへんは斟酌願います。
どうやら私より見識が高そうなので細かい質問をご容赦願います。
(他意はなく、自己の見識のレベルアップにつなげたいのです)
>まず、確認しておかなければならないのは、憲法は基本的に国家が守る法律であって、国民が守る法律ではない。
そもそも誰が守るとは言っていないのですが…。国家が守るにしても、近代国家の三要素は国民・領土・主権ですから、国民が守ると言ってもさし支えないと思います。
「国民が守る法律ではない」では、憲法は国民が守らなくてもよい法律となります。これでは本末転倒だと思います。
>したがって、一般の法律とは一線を画します。
法の分類法は多々ありますが、どのような分類でしょう。
>国家の政治や国民の生活を規定し実現するだけなら、別に憲法はいりません。
確かに、「生活」まで具体的?なものは憲法に必要ないですね。
そこで、
「憲法とは、国家や国民、その他その国に属する一切を規定し、その関係を規定する最も基本となるもの」
(少しはもっともらしくなったかな)と訂正します。申し訳ないです。
>憲法は何よりも自由の基礎法であって
「自由の基本法」をもっと詳しくお願いします。
>端的にいえば民度の問題でしょう。
で、その日本の民度はどうなのでしょう?
>日本の場合は、まあ機能してるといえばしてるし、してないといえばしてないのではないでしょうかw。見方によるな。
むっちょサンの見方は?はっきりしてもらわないと反論しようがないのですが…。
<一見関係ないようですが、憲法に天皇・皇室の規定が必要か否かという議論に繋がるように思います。有意義な議論にしていきたいです。むっちょサン(どっか行かないでくださいね)>
243 :
ころ:03/02/02 12:25 ID:???
Part7のむっちょ氏のログ(
>>248)の一部より(反則的遅レスで申し訳ないです。)
>近代国家における「国民の歴史」とは、ウソかよく言っても恣意的に抽出された、バランスを欠いたものに他ならない。
ではそのバランスを欠いたものがなぜ(バランスを欠いてまでも)必要だったかを考えたら、いわゆるナショナリズムの存在意義が分かると思います。
>それぞれの「クニ」共同体の民衆が持っていた固有の価値、近代化によって、それが破壊されることで生じたアノミーを、「遡及的に作られた伝統」によって
補完することで成立した「想像の共同体」、これが、日本やドイツなど、後進的な近代国家を考えるときの、一般的なモデルです。
この見解には異論はないです。やや感情的には煽ってくるものは感じますが。
>しかし、本来的には近代国家のシステムとは「経済社会(ゲゼルシャフト)」の論理であって、「共同体(ゲマインシャフト)」的なものではない。
これも分からなくはないのですが、「ゲゼルシャフト」だけで近代国家が成立し得るかは疑問です。「ゲマインシャフト」は少なからず必要だと思います。どちらを取るかではなく、要はバランスだと思います。
近代国家は「ゲゼルシャフト」たれは、悪く言えば西洋(英仏)コンプレックス、国家が全て英国や仏国になれるハズはないと思います。
>憲法に、日本国民たる用件として、価値観の同質性は基準にならないでしょ?
私見でもそう思います。しかし、この事実がよくも悪くも今の日本に影響を与えてるということをよく考える必要があると思います。
>近代国民国家のジレンマ
>ナショナリズムは近代国家の病
ジレンマや病を排除するのでなく、共棲していくことも選択肢としてあると思います
244 :
ころ:03/02/02 13:23 ID:???
パンドラサン(遅レスですが)
>>203
>特定の宗教色が強いものが国家制度として存在することは憲法に抵触する、あるいは歴史的見解が分かれる事実を根拠に制度化されているとすれば、それもふさわしくない、と考える。
このへんの私見を先延ばしにしてますが(申し訳ないです)、天皇制と宗教性は隔離した方がよいと思います。どうやらここは、保守考サンやれサンとも意見が分かれそうです^^;。
そのためには政祭分離というか明確に憲法等で規定する必要があると思いますが…。
「歴史的見解が分かれる事実」
天皇という存在がいたという点で歴史的見解に分かれ派ないと思います。
ま、この話題はおいおい…ということで!
>その他にも、身分制を国家が制度化すること、その身分制自体に人権の侵害の疑いがあること
必要悪ということ(
>>214−217)で反論してみました。
>国政機能として特に必要とされず、
以前反論した記憶もありますが、皇室外交や政治的機能(日本の象徴)としては必要だと思います。
>むしろその経費がムダであるばかりでなく、植樹祭など、彼らの行動自体に弊害が大きいこと
確かに、経費のムダという以外にも他者による政治的利用という面からも弊害がないとは言えないと思います。その行為の必要性はもっと議論されてもいいと思います。
ただ、不要な行為はやめればいいだけで、存在意義の有無とは直接関係ないと思います。
>ころサン
パンドラ氏やむっちょ氏との議論の中には、参加したい部分もあるのです
が、話が多岐にわたり、参加しにくい感じです。
よろしかったら、ひとつに絞って、議論を深めるという形式を取っていた
だけませんか?
246 :
保守を考える:03/02/02 13:59 ID:5GerP54E
>ころ氏
>>162 >仮に斎藤氏が積極的な好戦論者としてなぜ軍部の反発を招いたのでしょうか?
仮にではなく、斎藤は当時の世界的な戦争観(常識)を述べたのですが・・・。
また私は、この当時の為政者を文人・軍人と弁別していません(現在の価値観は、弁別したがりますが)
時の為政者の戦争の目的は、近衛声明に見られるように、欧米型の植民地主義ではありません。
もし、斎藤の云う様に(時の国民は支持していた)植民地主義を強行するのならば、
それは、支那を欧米列強諸国から開放するという聖戦の目的とは異なってしまい、聖戦の名称の意味が無くなるからです。
>曲解された天皇大権にもはや政府・議会が反抗できなかったからではないかと思います
これは、後代の「曲解」です。
聖戦という名称の由来が軍部だけというのも間違いです。
例えば、左翼政党である社会大衆党の麻生久は、党の機関紙で「聖戦」の意味を国民に訴えています。
第一 欧米の資本主義から東洋民族を解放せんとする文化的意義を有する戦争である
第二 日本民族発展のための民族的意義を有する戦争である
第三 国体の本義に基づく日本内部の資本主義制度を改革して全体主義の制度を建設する為の
国家革新的意義を有する戦争である。
>「なぜ斎藤氏は除名されたかその理由」
政友会・民政党・昭和会等の保守勢力の見解は先に畑陸相の演説、近衛声明をあげて述べました。
今、左翼革新勢力の見解も述べましたが補足しておきます。
左翼側に云わせれば、「聖戦」とは日本の労働者・農民のみならず、アジアの被圧迫民族をも
開放する戦争であり、旧来の帝国主義戦争ではなく、開放戦争であるという立場が、国内の革新
すなわち、資本主義を打倒してプロレタリアートの生活を改善する変革であったのです。
斎藤の演説は当時の国民の戦争観に合致し、それゆえ、戦争目的が侵略戦争に変わってしまうという
危険性から、議会が判断せざるをえなかった、という思想的緊急事態だと考えます。
私がこの件について拘っているのは、民主主義と天皇制は対立しないであり、その点について
あなたが納得しているようなので、私の中では解消されていますが。
247 :
・・・:03/02/02 14:01 ID:???
>>237,パンドラ氏
>戦前の因子も一様でなく評価しがたく、>現代につながる体質も>訴えがち、程度であるなら
私とさほど変わらないかもしれませんね。
>スパーリングの様
ボクサーがサッカー選手と試合をするより、私にとっては有意義です。
行き着くところ、>人々の意識あるいは無意識に麻薬のように入り込む、云々でしょうが、
この辺りは、れ氏(
>>241)にも関わるでしょうから、どうぞ。
透明性を訴えるのは気持ちは良いのだが、自分が透明に成ることは困難であろうし、
複数的や対峙が存在する場合(兆民の苦悩)はましてであろうが、訴える人がいなくなる
のも私は恐れる。(意味不明なら、流して下さい)
248 :
保守を考える:03/02/02 14:18 ID:5GerP54E
>ころ氏 >れ氏
私も参加したいのですが、(もともとこれは私とむっちょ氏とのやりとり)
むっちょ氏の自説が固まっているのであれば、有意義な議論になると予言していたような。
>>246 保守考氏
大日本帝国憲法第52条との関係は、問題ではないのですか?
250 :
保守を考える:03/02/02 14:53 ID:5GerP54E
>>249 院外において責任を追及されていません。
251 :
・・・:03/02/02 15:13 ID:???
>>234,ころ氏
>全体的にちょっと誤解
私は八木氏的解釈は、皆さんの議論で大体把握していたのですが、
その上での確認・疑問なのです(屁理屈なのは承知の上です)。
主権の問題は、私は結果的に捉えての可能性としての主張でしたが、
慣例に従うのが法とするのなら、主権者(体はあっても用)機能はない、
とする結論も納得はできます。
用としての主権者として認めていないし、機能的には可能な状態であったし
違憲性も生じるが、決定をされたという事ですよね。
>(226)最終決定(慣例)が機能的に不可能な状態
の場合、違憲性はないのでしょうか?
>やむを得なかったと思います。
は、私的には終戦時においても同様に感じているのですが(最終決定機能の放棄)。
その上でのトンデモ説だったのですが「権限はない」という定義では成り立ちませんので、
主権における見解が絞られた今(これで良いですよね、>れ氏)、両方違憲性か超法規(合・違憲は?)
手段と思われるのですが?
>>250 明治憲法52条の「理念」及び議会制民主主義の「理念」は、この際問題
ではないと?
253 :
保守を考える:03/02/02 15:40 ID:5GerP54E
>>252 なんだか、裁判の尋問形式のような気がしますが・・・。
この際も何も、どう問題があるというのですか?
またそれは、天皇制とどう関係しているのですか?
ついでに云っておきますが
個人的には斎藤隆夫の「社会改造論批判」を支持しています。
>保守考氏
私がこだわった理由は
政府の意思に反し、又は議会に意思に反する発言が、議員を辞めさせる理
由となる状況は、保守考氏が言われている明治憲法の正当性を揺るがす事
実でしょうから、大臣の輔弼で内閣の輔弼でないということが「唯一の欠
点」ではなく、このことも、欠点であったろう、ということです。
>>242 ひー。私は実は法学は専門ではないのでつよ。猫さん助けてw。
>国家が守るにしても、近代国家の三要素は国民・領土・主権ですから、
国民が守ると言ってもさし支えないと思います。
>法の分類法は多々ありますが、どのような分類でしょう。
だから、憲法は単純にいえば国家が守る法律。この場合の国家とはいわゆる
「国家の三要素」で区分されるような社会学的国家ではなく、
国家権力ないしは権力の組織体のことをさします。
>憲法とは、国家や国民、その他その国に属する一切を規定し
>「自由の基本法」をもっと詳しくお願いします。
もちろん、国家権力を規定することは憲法の重要な役割です。
しかし、それはより基本的な規範である人権規範に従う必要がある。
自由の規範である人権規範こそが近代憲法のもっとも中核であるといえる。
日本は戦後約60年にわたって一応政権交代の可能性がある(実際した)
立憲制に基づく政治がおこなわれてきており、その点では評価できるでしょう。
ただ、自民党の動員選挙に基づく利権政治の横行や、しばしば法と倫理の
混同が見られるなど、その意味では民度が高いとはいえないと思います。
256 :
ころ:03/02/02 16:33 ID:???
>>238 >要監視団体
冗談なのは分かってましたが、反論のしようもないし、他に具体的な指摘もないし…
>平均的な人も知らないような機関
これが天皇ならば、日本では日本史が教えられないことになります。知らないようにすることは不可能だと思います。
民間機関にするにしても、天皇という存在を国家が廃止しても、天皇が存在したという事実は変えられない訳で、そこから来る価値観が消える(知らないようになる)ことは不可能だと思います。
>政治利用などされるわけがない
政治的利用に顕「在」潜「在」は無関係だと思います。存「在」すれば(存在した事実も含めて)利用されるものだと思います。
だから、政治的利用がされるという前提に立たないと論議が平行線を辿ることになります。パンドラさんによる顕在潜在の意味が、前レスと同様理解されてないように思います。
申し訳ないですが、パンドラさんが私見の健在潜在を理解して頂くか、少なくともパンドラさんの言うところの顕在潜在の定義をはっきりして明記してくれないとこの議論は解決しないと思います。
>それは根拠がない、いずれにしても憲法制定の主体が変わるというのは大変な変化である。
こういう展開になるのも、憲法というものの認識が違うからだと思います。この憲法論議はむっちょサンともやってるので参照下さい
257 :
ころ:03/02/02 16:37 ID:???
>西洋史中心が大きな部分を占めるのは事実だろうw
悪く言えば西洋コンプレックスということになるのですが、西洋が一方的に悪いというのではなく、日本は西洋ではないということです。
(悪いというより、むしろ民主主義や自由、人権などの概念は日本の歴史からは発生・存在しえないものであるし、西洋から学び取ろうとしてきた、又してゆくことはよいことだと思ってます)
欧米化社会という言葉がありますが、とどのつまり日本は欧米と化すことはできても、欧米になることはできないということだと思います。
そこで、パンドラさんは化せない要素を排除しようと考え、私は排除できないと思うから共存させようと考えているのだと思います。
なお、人類史に立憲君主国(英国)があるということもお忘れなく!
>国家制度として固定化(絶対化)し、「多様性」「特異性」を国民に容認しないあり方が問題なのである。
これも憲法という認識の違いからくるものだと思います。
憲法に規定される=絶対化という固定観念が、憲法を理解していないというのです。
この観念は日本国憲法第96条と矛盾すると思いますね。
>可能性が低い、例は近代以降極めて少ない
いずれも「ある」ということで見解は一致しています。
人類史でも、フランスを見ると「ある」と思いますし。
>政治→経済の一方向で捉えるのはムリがある、少なくとも相互作用として捉えるべきだろう。
逆方向がもっとムリがあると思います。相互作用は納得ですが、相互作用とするにもどちらかの作用から始まる訳であって、同時に相思相愛的に相互作用するという考えには納得できません。
これも認識の違いになるし、他との兼ね合いもあります。したいのは山々ですが、割愛した方がよいかと…。
258 :
ころ:03/02/02 16:38 ID:???
>野良猫、野良犬でもいい、(あるいは野良虎w) 鎖をはずして自由にしてあげたいw
感情論で解決するなら、話は簡単なのですが
>>言葉を借りれば、中学は卒業しても高校で留年中だと思いますよ。
>では、その根拠を示していただきたい、そうでなければたられば論に…w
そもそも「政治的に中学生」ということだったのですが、政治に限らず、
民意とは一線を画した政治、護送船団方式に代表される国家主導の経済、この状態を民主主義だと誤認識している国民…
どれをとっても、民主主義的には未熟だと思うのですが。
>蓋然性を考慮しない制度化は組織の肥大化を招く。
この点では一理あると思います。が、結局天皇制を入れるか否かで意見が対立すると思います。憲法論に割愛します。
>で、そのような事態があっても、それはそれで国民の選択である。民主主義の自由とは相応の危険を覚悟するものである。
考えには同意します。でも、国民にその覚悟ができているか?つまり民主主義をそこまで認識してるかといえば、してないと思います。中学生論に割愛。
>特権階級だから民主主義に反するに関しては、概ね私見で否定したつもりです。
で、そのときのお相手は納得されたのだろうか? そうではなかったのでは?
今回のレスでも、納得はされてないと分かりました。
>手間がかかる
パンドラさんの事情もありますし、保守考サンの意向(
>>245)もあります。
とりあえず停戦協定を結びましょう。議論も拡大して収拾が付かなくなってますし
停戦して、論点を絞りましょう。その内容の回答レスは今夜中に…。
>>243 政治は人間が行うものであるから、国家が完全にゲゼルシャフトのみに
立脚したシステムであることは難しいでしょう。ただし、それはゲマインシャフト
とゲゼルシャフトのバランスをとるべきだという結論を意味しないのであって、
それはI・バーリンがいうところの「政治の技術」の問題です。
>近代国家は「ゲゼルシャフト」たれは、悪く言えば西洋(英仏)コンプレックス
いや、そう思うのだったら、別に近代国家じゃなくていいんではないでしょうかw。
ナショナリズムは、それまで国家がなかったところに、
手っ取り早く「国民」を作れるという点では
意味があるのではないでしょうかw。
逆にいえば、それ以上のメリットはないと思いますけどね。
まあ、戦争するのに非常に都合がいいのは自明ですけど。
>>247 政府が国民の「善の構想」に不干渉であることはあくまでも原則であります。
某スレでまたもや・・・。
----------------
【正直言って天皇制も宮内庁もいらない】より
12 名前:右や左の名無し様 :03/02/02 17:14 ID:QmLK8lJV
>>1 俺の個人的意見だが、
>>11の紹介しているスレはやめとけ。
もはやコテハンの馴れ合いスレだし、今や同じテーマで延々と自説の展開を垂れ流しているだけだ。
ただ初期のスレなら、賛成反対両論見られるので良いかも知れん。
参考になるのはpart1〜3ぐらいかな。
-----------------
議論の的を絞ろうよ。
262 :
・・・:03/02/02 18:13 ID:???
れ氏は、違憲、主権云々は納得されたのですか?
私は未だ、くすぶっているのですが。
もちろん、パンドラ氏やむっちょ@かわうそ氏や他氏との議論も大事に
していただきたいし、
>>261の気持ちは、同意見なのですが。
保守考氏も違憲という結論で良いのでしょうか?
>>262 明治憲法時の主権は、憲法上は天皇。(体)
天皇の、立憲君主制の理念尊重などに担保され、用としては、そのような
絶対性を発揮しなかった。
しかし、元老などの存在という、もうひとつの担保が失われ、軍部の暴走
を招いた。
このような二つの担保の存在なくして、立憲君主制は可能でなかった。
明文化しないと、このような事態になるという反省が必要である。
このように結論付けております。ご聖断は、憲法上は合憲。違憲判断に基
づくポツダム宣言受諾はありえない。御前会議の後、署名捺印されている
のであれば、輔弼の追認とみなすべきが、法判断。
このように考えております。
264 :
保守を考える:03/02/02 18:37 ID:laugbnk5
>れ氏
>>254 旧憲法の52条と現憲法の51条の何処に相違点があるというにでしょうか?
何をもって欠点としているのか了解出来ないのですが・・・・。
>・・・氏
>>262 終戦の御聖断は違憲という認識です。が、それは正しかったという判断です。
265 :
保守を考える:03/02/02 19:16 ID:laugbnk5
>>263 憲法義解で伊藤博文は
「けだし統治権を総攬するは主権の体なり。憲法の条規によりこれを行うは主権の用なり。
体ありて用なければこれを専制に失う。用ありて体なければこれを散漫に失う。」
とあり、明治憲法は必ずしも「体」のみではありません。
私が前に申し上げた、「憲法発布の勅語」にこの理念は明確に盛り込まれています。
曰く、「皇室と臣民は肇国の昔から一致協力してきたのである。これからもそれは同じである。」
>元老などの存在という、もうひとつの担保が失われ、軍部の暴走を招いた
結局、この軍部の暴走となるのですが、具体的に何をもって暴走と呼ぶのか、
天皇制や明治憲法との因果関係は何なのかという疑問に戻ってしまいますが・・・。
>憲判断に基づくポツダム宣言受諾はありえない
感情論的で具体的根拠を欠くのですが・・・・。
>輔弼の追認とみなすべきが、法判断。
私は55条に対してではなく、3条に対して違反だとしています。
>>264 保守考氏
現憲法下でも、国の政策や国会の決議を批判すると、議員をやめさせる決
議ができるということですか?
議員辞職勧告さえも、政策批判に対しては勧告されないと思いますし、議
員の身分は、明治憲法より、はるかに保護されていると思います。
その程度の事は、ご理解されているはずですが・・・。
>>265 ですから、貴殿のその独特の解釈(いろんな人の発言をつなげて)は、参
考にさせていただきます。しかし、神聖不可侵の条文が、ご聖断を違憲と
する根拠というのは、私の理解の範囲外ですので、強弁されても、合意に
は至らないと思います。
貴殿がそう思われていることは、理解いたしております。
268 :
保守を考える:03/02/02 20:00 ID:laugbnk5
>むっちょ氏
>>259 結局、テンニスは、「ゲゼルシャフトの中では、人間は普遍的な競争状態におかれ
孤独にならざるをえない。換言すればそれは、偽装と欺瞞がはびこる世界」
だとその問題点を指摘し、ゆえに、ゲノッセンシャフト(同士社会)という概念が生まれたのでしょう
だとすれば、天皇制が国民個人の自由意志に反しているのならば、その個人は何も
日本人に拘る必要性はないのでは。現憲法にも国籍や居住の選択の自由を認めていることだし。
>それはI・バーリンがいうところの「政治の技術」の問題です
私は彼の「自由論」を正確に読んでいないので、彼の説と日本の天皇制について
ご教授していただけないでしょうか。
ナショナリズムは、自国民の立脚点を相互に理解する為に必要な要素です。
あなたも、日本語を使用していますが、そういった日本の文化まで否定できないでしょう。
何も、戦争の為だけではないし、戦争自体、国家の占有物でもありません。
ビンラディンやアルカイーダーは国家ではありません。
パトリオティズムでも戦意発揚は可能だということです。
269 :
・・・:03/02/02 20:18 ID:???
>>263,れ氏、
>>264保守考氏
ありがとうございます。正直申し上げますと、結論はでないかとも
思っております。
で、敢えて>パンドラ氏も(
>>204,>あなたらしくもない、への返答かな?)
2,3日書き込めないので、急いでのウラ無しの見解ですが(トンデモ2号かも)。
結論を述べますと、私はこの2つの御聖断は超法規に当たる可能性が高いと思います。
超法規が違憲なのかどうか知り得ていませんが、どうせ違憲説があるのならこちらを
とります。
226は、決断機関不能状態(>ころ氏)であり、終戦は、決断機関放棄状態
(ウラの意志作用はおいておきます)です。国家を揺がす又は、存続の危機でのご決断です。
終戦時は、強行反対者もあり、これも国を2分する可能性や無駄な血を流す可能性も考えられ
ますし、もちろん米からの攻撃もされていたでしょう。逆に言えば、これ以上の状況は、
有史以来ないのですから、違反もクソもない状況なのですから、超法規の決断だと思います。
(続きます)
270 :
保守を考える:03/02/02 20:24 ID:laugbnk5
>>266 現憲法55条にそれについて触れているので参考にして下さい。
明治憲法には、議席を失わせる条項はありませんので、関連法によってでしょう。
>>267 あなたが掲載してくれたリンク先から引用させていただきます。
「憲法第三条、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という、今日では、
これは学校教育あたりでも天皇の神格性をあらわす表現という
記述が見受けられますけれども、そういうものではなくして、
これは立憲君主制の国家においてはごくありがちな規定でありまして、
立憲君主としての天皇の無答責条項をいうものであります」
決して、私個人の独特な解釈ではないことも了解しておいて下さい。
271 :
ころ:03/02/02 20:28 ID:???
各位(提案です)
私も議論の的を絞ろうという意見に賛成です。
できればサロン派だけではなく、パンドラさん、むっちょさんも参加できるテーマがよいと思います。
そこで
「憲法に天皇の規定は必要か不要か」
という共通テーマがよいと思います。
で、議論の的はできるだけ絞りたいので、サロン派が饒舌に主張するより、パンドラさん、むっちょさんの意見を中心に議論されたいです。
で、申し訳ないが、パンドラさん、むっちょさんの各氏、今一度「○○だから反対」と簡潔に述べていただきたいのですが…。
尚、理由は複数あると思いますが、一つずつ白黒つけてから、次の理由に進むことにします。
白黒の基準は一回やってみてそれを慣例としましょう!
又、その他サロン内のサシのやり取りも並行しててもいいと思います。
>>270 現憲法55条は、議員が、政府や国や天皇を批判すると、議員の資格を問
われるということではない。55条の資格とは、44条の定めにおける資
格という意味でしょうから、全く参考にはなりません。
無答責=ご聖断違憲 ? やっぱり理解不能というか無理です。そのよう
な意見もあるということで、もういいですか?
>>271 私が議論したいのは、なぜ天皇制と政教分離が関係するか、です。
宗教的存在が、完全なる(必要以上の)政教分離を行っていて尚、宗教に
関係する天皇が象徴であるなどと批判がある。これが納得できない。
宗教的価値観に全く無関係に、人は生きていけない。
なぜ、天皇及び皇室のみ、差別するのか、この辺をお願いしたい。
>>268 その是非はともかくとして、
ゲノッセンシャフト(協同社会)の理解はそれでいいのか。
少なくとも、ゲノッセンシャフトは価値共同体ではない・・・。
>ナショナリズムは、自国民の立脚点を相互に理解する為に必要な要素です。
あなたも、日本語を使用していますが、そういった日本の文化まで否定できないでしょう。
私にはこの論理展開がまったく理解できない。
まあ、「公用語」とかは多分に政治的な側面もあるけどね。
>>271 あー、敢えて反対の理由をつけるとするならば、
「天皇制の存在は日本国民に対して価値・宗教的な結合を求めるものであり、
そこに国家機能としての必然性はなく、(同じことは象徴大統領でも可能だから)
さらに機会の不平等であるから」ですが、別に積極的に廃止するもんでもない。
アンケートなどから、間接的に国民の投票を経た象徴であるといえないこともない。
ただ、廃止すべきかどうかと聞かれれば、廃止すべきであると答えます。
275 :
・・・:03/02/02 20:55 ID:???
>>269の続き
その上で、敢えて何故、陛下の御聖断なのでしょうか?
私はやはり主権者として認められていたからだと思います。もちろん、
体の立場は慣例でありましたし、そのお立場も守られていたと思います。
ただ、体・用はあくまでも、慣例であり少なくとも体は保持されていたわけですから。
結論ですがこの超法規自体に、その決断を求めているのは主権者でしかあり得ないと
思います。
>パンドラ氏への、>現代につながる体質、への具体的反例なのですが、
具体的な違いは、確かこの超法規の決断(自衛隊員の個々は別)は、
現憲法下では国民主権の代表者たる首相にあるのではないでしょうか。
現在では主権たる我々に大きな責任が生じるのですから、
現在は>訴えがち(
>>247)は、無理なのではないでしょうか?
一応、サロンから知り得た内容を>れ氏の返答とさせて頂きます。
ただ、内容の正誤は覆されているかもしれませんが、2・3日後の
事ですので、ショックは少ないかも。
276 :
保守を考える:03/02/02 21:12 ID:laugbnk5
>>272 では結論、明治憲法においては、現憲法に於ける、55条はないので
憲法問題にはなりません。
違憲議論はあなたがそう思うのならそれで構いませんが。終了ということで。
277 :
右や左の名無し様:03/02/02 21:14 ID:2dEYNHdv
278 :
保守を考える:03/02/02 21:28 ID:laugbnk5
>>274 >ゲノッセンシャフト(協同社会)の理解はそれでいいのか。
>少なくとも、ゲノッセンシャフトは価値共同体ではない・・・。
そんなことは一言も云っていませんが・・・・。
直訳して同士社会としました。例えば政党や各種組合がそれにあたります。
>私にはこの論理展開がまったく理解できない
あなたが「ナショナリズム」についてどう捉えているのかを述べると解決しそうですが。
>まあ、「公用語」とかは多分に政治的な側面もあるけどね
あなたが使用する日本語は政治的要請からではないでしょうに・・・。
>そこに国家機能としての必然性はなく
必然性を否定するのであれば、何故、天皇が有史以来、存在するのかその理由を明示しなければ
否定することは出来ません。国家機能は歴史的必然なのですから。
>(同じことは象徴大統領でも可能だから)
はっきり云って、不可能。天皇の役割を現在、誰が代行可能なのか、提示して頂きたい。
>例えば政党や各種組合がそれにあたります。
政党はどうかなあ。少なくとも、その延長線上に国家を置くとしても、
天皇を指示しないやつは日本から出て行けという発想にはならないような。
>あなたが使用する日本語は政治的要請からではないでしょうに・・・。
そりゃそうだ。漏れは日本語が一番使いやすいから使ってるだけで、
お望みならば別に英語で書いてもいいですが?
ナショナリズムとは、本来国民というドライな関係で結びついた
集団を、ウェットな関係として擬制的に結合させるような思想。多重的・多元的な
人間関係に対して、ナショナリズムは盲目です。
>国家機能は歴史的必然なのですから。
違う。近代国家における国家機能は第一に自由主義や人権思想によって決定される。
歴史性は政治性という二次的なファクターでしか介在する余地はない。
>天皇の役割を現在、誰が代行可能なのか、提示して頂きたい。
誰でもいいじゃん。国事行為で天皇にしかできないことは思いつかない。
280 :
保守を考える:03/02/02 23:26 ID:laugbnk5
>>279 >天皇を指示しないやつは日本から出て行けという発想にはならないような
だから、これもそんなことは一言も云っていない。
天皇を支持しようが支持しないであろうが、国籍離脱の権利(選択の自由)は保障されている。
>漏れは日本語が一番使いやすいから使ってるだけで
日本語に限らずそういった日本固有の言語・文化を否定できないでしょうに
>多重的・多元的な人間関係に対して、ナショナリズムは盲目です
日本人として根底にある歴史・伝統・文化・道徳等を認識することが、盲目になるとは
考えられませんし、寧ろ、実生活において、有効な要素なのですが。
>近代国家における国家機能は第一に自由主義や人権思想によって決定される
まず、自由主義も人権思想もそれを担保しているのは日本という国家であり、中国や北朝鮮という
国家ではない。まして、現在は「近代」ではない。
だいいち、「決定される」とは、いかなる価値観の強制なのか、自由主義に対する矛盾でしょうに
で、「人権思想」って何でしょう?日本人の権利なら解りますが・・・・。
>歴史性は政治性という二次的なファクターでしか介在する余地はない
歴史学という学問の自由をご存知でしょうに、
二次的ならば、あなたが仰る西欧の近代史も二次的、いや、外国史だから3、4次的要因でしかないですね。
>誰でもいいじゃん
じゃあ、天皇でいいじゃん。
>>280 ちゃんと、私のレス頭から読んでます?
あなたの自由主義とか、近代国家に対する理解って、はっきりいってコヴァ並みの、
典型的な無知によるものとしか思えないんだけど。
一度、憲法の教科書もしくはロックでもミルでもバーリンでもロールズでもいいので、
原典あるいは解説本を読んでみることを強く勧める。
ナショナリズムというのは、
>歴史・伝統・文化・道徳等を認識すること
ではありません。まさに、
>日本人として根底にある歴史・伝統・文化・道徳等を認識することが、盲目になるとは
考えられませんし、寧ろ、実生活において、有効な要素なのですが。
ということを認識することもしくは国民全体に認識させることなわけです。
なんで日本国民というだけで、日本の歴史・伝統・文化・道徳を学ばなければいけないのかな?
という疑問。(そもそも、日本人全体に共通する歴史・伝統・文化・道徳なんてあんのかという疑問)
それをすっ飛ばして、
>日本人として根底にある歴史・伝統・文化・道徳等を認識すること
が直結してしまうこと。それがナショナリズムなわけ。
ところで、沖縄人や大阪人や東京人(江戸っ子w)が認識している
「固有の言語」って同じですかねえ。
282 :
ころ:03/02/03 00:02 ID:???
>>273 >>274 できれば、明確に1点に定義付けして論点を絞りたかったのですが
「天皇制と宗教性、国家と宗教」この2点にします。
私見では天皇制に宗教性は排除すべきだと思います。
というのは、憲法という一つの制度の中で二つの宗教の共存は不可能だと思うからです。民主主義も宗教だと思うのです。
天皇制と民主主義は本来対立するものではないと思ってます。天皇の存在意義は抽象的概念的です。一方民主主義は具体的実体的です。また対立しないようにするのが憲法だと思うのですが、共存補完は可能だと思っています。
しかし、ともに本質的に宗教性を持つものですからその点で対立する可能性がゼロではないとも思うのです。
その時には、概念的な天皇制よりも実体的な民主主義をとるのは仕方のないことのように思います。
対立を避けるためにも、天皇制には宗教性は排除すべきだと思います。
かなり抽象的ですね。具体的補足はしていくのでそれ以外なら質問OKです。
・民主主義は宗教である
・天皇制から宗教性を排除したらどういう存在になるか
>むっちょさん
ゲマインシャフト、ゲゼルシャフト、ゲノッセンシャフト…。社会学の分野ですか?それとも経済学?(前者っぽいが)
どちらにしても門外漢なので、武装解除無しで撤退(条件降伏)します^^;
法学はむっちょさんは苦手というし、これからはお互いそのへんは考慮しないといけませんね
283 :
保守を考える:03/02/03 00:17 ID:A/zxUrwQ
>>281 >ちゃんと、私のレス頭から読んでます?
頭ってどこまで遡るの? 提示してね。
>はっきりいってコヴァ並みの、典型的な無知によるものとしか思えないんだけど。
どういう料簡のレッテル貼りなのか対処に困ってしまいますが
あなたが存じる、自由主義なり人権思想を天皇制にそって開示すれば良いでしょうに・・・
前スレからのお願いなのですが・・・。
>なんで日本国民というだけで、
じゃあなんで学問をするわけ? 日本人を認識しなくて、他国を理解できるという考えが、
海外に出ていかに通用しないか知らないというなら、一度、日本を離れて体感して欲しいとしか
いいようがありませんな・・・。
>日本人全体に共通する歴史・伝統・文化・道徳なんてあんのかという疑問
あなたが知らないだけで存在するのは周知の事実なのですが・・・。
>が直結してしまうこと。それがナショナリズムなわけ
そうだとしても、一体何の問題があるの? 寧ろ実生活に於いて有効(2回目)
>「固有の言語」って同じですかねえ
口語体は違いますが、文法は同じですね。(国語の基礎でしょうに・・・)
そもそも天皇制がない近代国家にもナショナリズムは存在するわけだが
285 :
保守を考える:03/02/03 00:28 ID:A/zxUrwQ
>>281 それと、沖縄人やアイヌ人が民俗学的に異質であることは否定しません。
彼らが、日本固有の歴史財産を継承するかどうかは、その判断に委ねますし
それをもって、日本固有の天皇制を否定する理由は見当たらない。
それと、「古典的自由」(前スレ)とか云って誤魔化さないで、ちゃんと答えてね
人に対して、「コヴァ並みの、典型的な無知」とかって謳っちゃたんだから・・・。
とりあえず今日はおやすみ
>>283 ねえ、なんであらゆる専門書といわれる書物があんなに分厚いと思ってんのさ。
たかだかこんな、2ちゃんねるのスレで、一から手取り足取り勉強できるわけはないし、
説明する気力もない。(それ専門のスレでも、見ればわかるとおりある程度の知識を
前提としているわけで。)ここで私がいくらたとえば自由主義と天皇制のかかわりに
ついて論じたとしても、まず土台となる共通理解が欠けている状態では議論が進むわけがない。
>あなたが知らないだけで存在するのは周知の事実なのですが・・・。
>口語体は違いますが、文法は同じですね。(国語の基礎でしょうに・・・)
って何の臆面もなく言えるのはやっぱりどうかなあ。やっぱり、国民国家論
の基礎がわかっていないと思う。(後者は違う意味で)
>>282 便宜上、民主主義と民主制をわけてみてはどうでしょうか。
民主制は単純に制度(手段)としての民主主義で、たとえば自由主義や
人権思想からも論理的帰結として民主制が望ましい体制であると
考えることは可能である。
一方、民主主義はとにかく人民に主権があることそれ自体を目的とする。
(だから宗教的にならざるを得ない)
あー、ついでに言うと、私は社会学も専門ではないです。実は西洋史学専攻w。
>じゃあなんで学問をするわけ? 日本人を認識しなくて、他国を理解できるという考えが、
海外に出ていかに通用しないか知らないというなら、一度、日本を離れて体感して欲しいとしか
いいようがありませんな・・・。
多分、私の問題意識の原体験は、三年間の外国暮らしがベースになっていると思いますが、何か。
>>282 天皇制に宗教性は排除すべきということを言っているが、意味がわからない。
言葉が曖昧すぎる。
天皇は、終戦前は宗教的存在で、その歴史は1000年以上です。特定の宗教
を優遇したり弾圧しなければ、問題ないのではないですか?
すべての価値観に、宗教性はついて回りますし、すべての儀式は宗教性が皆無
ではない。人が国の機関として行動するにしても、宗教性が全く排除された存
在など、ありえないでしょう。誰かに、お辞儀することさえ、宗教性はありま
すね。
貴殿のいいようでは、回教国に民主主義は存在しないということになる。
宗教的共同体を基本とした国には、民主主義になれない、ということですか?
289 :
パンドラ:03/02/03 16:22 ID:jyruZp0v
>>244 >>特定の宗教色が強いものが国家制度として存在することは憲法に抵触する、
これは、コトが天皇制だけに、「抵触する」でなく「憲法内矛盾」となる…
>天皇という存在がいたという点で歴史的見解に分かれ派ないと思います。
冗談? もちろん、象徴たる意義を歴史的に裏付けるか否か…とか、であるW
>必要悪ということ(
>>214−217)で反論してみました。
必要とは認めていない。
>以前反論した記憶もありますが、皇室外交や政治的機能(日本の象徴)としては必要だと思います。
小生じしんが、皇室外交とやらの意義をかなり徹底して否定したし、
「象徴」としては、アシモくんでもできる、というこで落ち着いたと理解している。
>>247 >ボクサーがサッカー選手と試合をするより、私にとっては有意義です。
K-1ならともかく、soccerでは…? もっとも、K-1も興味ないが…w、K-1は元ボクサーからいわせると下品であるw
290 :
右や左の名無し様:03/02/03 16:28 ID:nwpN1GCW
>> 256
>冗談なのは分かってましたが、反論のしようもないし、他に具体的な指摘もないし…
冗談と分かっていて、具体的な指摘とは? きまじめなお人柄を感じるが…どうも…
>政治的利用がされるという前提に立たないと論議が平行線を辿ることになります。
潜在、顕在は文字通りの意義で使用している、文字通りに理解して、潜在していてどうして大衆にappealするか?
もっと端的に言って、選挙で勝てるわけがない。
おっしゃらんとすることはなんとなく分かるような気はするが、適切な語彙を利用されたい。
>こういう展開になるのも、憲法というものの認識が違うからだと思います。…参照下さい。
認識の違い、というより制定の主体が違っているのだがねぇ…それほどに微妙な問題ではなさそうな…
で、長文読解は遠慮したいw
291 :
右や左の名無し様:03/02/03 16:29 ID:nwpN1GCW
>>257 >悪く言えば西洋コンプレックスということになるのですが…
どこがどうコンプレクスなのか? それとも、本来の意味で複合観念?
>欧米化社会という言葉がありますが、とどのつまり日本は欧米と化すことはできても、欧米になることはできないということだと思います。
「化す」ことでも、「なる」ことでもなく、人類として「利用する」ことである。
>なお、人類史に立憲君主国(英国)があるということもお忘れなく!
それこそ、「化す」「なる」でもない、それを「利用しない」であるw
>憲法に規定される=絶対化という固定観念が、憲法を理解していないというのです。
96条をもって、具体的に「理解していない部分」を説明していただきたい。
>いずれも「ある」ということで見解は一致しています。
蓋然性、要するにcost-performanceの問題であることは指摘した、
そして、どのような事態になろうと国民の選択である、ことも同様である。
>逆方向がもっとムリがあると思います。
それはちがう、すでに古典的な社会経済の法則であるw
>>258 >感情論で解決するなら、話は簡単なのですが
用語は冗談だが、感情は込めていないw
>民意とは一線を画した政治、護送船団方式に代表される国家主導の経済、この状態を民主主義だと誤認識している国民…
これは、いわゆる国家社会主義と揶揄される経済問題である。
民主主義の達成度は、国によって様々であり、それらの国々に比して極端に未熟ということはなかろう。
ところで、社会経済政策は、社会主義経済、自由主義経済と分類されようが、民主主義は必ずしもこれらの分類に一致しない。
292 :
保守を考える:03/02/03 18:27 ID:+x4SCICz
>>286 >なんであらゆる専門書といわれる書物があんなに分厚いと思ってんのさ
思想とは簡明に云うと
1 実情の認識・・・・常識・生活上の経験・科学等により得られる
2 理想像の形成・・・その現実を変容すべき目標を画く。ここに価値判断が働く
3 手段の認識・・・・1と2の間をいかに繋ぐか。あらゆる経験、科学理論等の知識の動員
よって、その著者の識能をいかんなく発揮する為、説明が長くなるのは必然。
>説明する気力もない
あなたの説明能力の低さを証明しているにしか過ぎない。
>土台となる共通理解が欠けている状態では議論が進むわけがない
だからその土台を尋ねているのであって、私個人に向けた言説でなくても構いませんが。
>何の臆面もなく言えるのはやっぱりどうかなあ。やっぱり、国民国家論の基礎がわかっていないと思う。
そんな気分的レスでは議論にならないのは当たり前。
>>287 >民主主義はとにかく人民に主権があることそれ自体を目的とする
確かに土台の認識が違うね。私は民主主義を「国」民朱主義ととらえており
あなたは「人」民主主義と認識している。まあ確かに人民主主義では、
国家も天皇もいりませんな。
>実は西洋史学専攻w
得意分野なら素人にもわかり易く説明出来るでしょうに。
>私の問題意識の原体験は、三年間の外国暮らしがベースになっていると思いますが、何か
だからその原体験とやらに則して述べて欲しいのですが・・・
また、なぜその国に永住を決めるでもなく、現在、「日本」に帰国したのですか?
と、まあ、これだけ私は真摯に答えているわけなのだが、あなたは人を「無知」だと
レッテルを貼るだけで、何も説明しないのね。これじゃあ、建設的な議論は出来ませんなあ
あなたに説明能力があるというのであれば、スレタイに則してお願いしたいのですが。
勿論、無理は言いませんので、終了したいならそう仰ってくださいな。
>保守考氏 >パンドラ氏
何に絞って論議されているのか、どの話題に横レスしたらいいのか
ご説明ください。
(双方にお願いします。)
294 :
ころ:03/02/03 19:09 ID:???
むっちょさん
>>287 >民主制
ご厚意には感謝です。
民主制=制度、民主主義=宗教とするならば、天皇制=制度、天皇の存在=宗教ということになります。このへんの使い分けは意識してません。
というより、制度も宗教性はゼロではないと思います。区別してもその意味で変わらないと思います。
>三年間の海外暮らし
いいですね。羨ましい。そんなむっちょさんから見た日本は特殊な国に思えるのも思わず納得です。
因みにどこですか?むっちょさんのベースを把握したいです。
私は、海外に行ったことはないんです。ハワイは外国ではないし…w。旅行ではあっても長期滞在なんてないです。
れサン
>>288 >意味が分からない。言葉が曖昧すぎる
抽象的なのは認めてますが^^;。
ていうかなぜ、私がこの話題(天皇制と宗教性、国家と宗教:政教分離)について避けてたかといえば、結論がまだ見い出せてないからです。
逆に言えば、現在日本でも結論が出てないと思います。靖国参拝、政教分離…、法的な判断は一応出てます。でもそれでいいのかと思うと、そもそも法で宗教は規定できるのかという哲学?的疑問も出てきます。
だから、これから言う私見も突っ込みドコロ満載だと思います。焦らずに…。
>民主主義
現時点ではもっともな指摘だと思います。このへんの誤解は解いていきますので…。焦らずに…。
例によって長くなるかも。あしからず…
295 :
保守を考える:03/02/03 19:11 ID:+x4SCICz
>れ氏
>>293 >>292の趣旨は、むっちょ氏が、私を、「コヴァ並みの、典型的な無知」と誹謗したので
「そういうあなたは、何も論じてませんね。コヴァ以下ですか?」です。
まあ、彼がどうレスしてくるかによっては「煽り」と判断して無視しますが・・・。
あなた(れ氏)や他の諸兄の不興を買っているのならあやまります。
次はころ氏(本題)に対してレスしますので、お待ち下さい。
296 :
右や左の名無し様:03/02/03 19:28 ID:YvDBJXc0
大学は生涯学習機関なり.省令により大学は留年のない無学年単位制.留年のある
学年制は違法.単位制による厳格透明な成績評価の方が働きながらマイペースで学
ぶ生涯学習者の学力があがる.親がリストラになった貧乏学生も親のすねかじりと
同様に機会均等に最高学府で学べる.3・6宮崎・学年制違憲訴訟.違法な大学は
全国の留年体験者に不法利得の学費・慰謝料100万円以上を返還し謝罪せよ
>>292 じゃ、説明してやる。授業料よこせとは言わんから、感謝しろ。
第一章「近代社会の歴史」
第一節「前近代社会」
ヨーロッパは初めから近代社会であったわけではありませんでした。
日本と同じように、そこには「封建社会」とよばれる時代がありました。
この時代、多くの民衆は、日本においてもヨーロッパにおいても、
同胞意識を自分の村の外、大きくても殿様の領地の外まで広げて考えることは
ほとんどありませんでした。彼らはめったに移動せず(例外としては「巡礼」
が存在しますが)その土地土地の固有の習慣に従って生きていました。
もう少し広い範囲のことを考えていた人として「商人」があげられますが、
彼らは自分たちの政府が影響を及ぼす範囲だけでなく、広い経済圏と呼ばれるもの
に対して大きな関心を払っていました。この時代の社会史・経済史として現在の国民国家
のような単位を基準にスポットを当てることは重要でないとはいいませんが、
それでは不十分でしょう。山の歴史、海の歴史、地域を結ぶ商業的なネットワークや、
もっとミクロなレベルでの地域史等等広い視点から見ていかないと、
社会の実像は理解できないものになります。(つづく)
つー、スレと直接関係ないことを長々と書く羽目になるわけだが。
>ハワイは外国ではないし…w
関係ないけど、いい言葉ですねw。
>民主制=制度、民主主義=宗教とするならば、
天皇制=制度、天皇の存在=宗教ということになります。
この区別をしたのは、私のためでもあるのです。私は別に民主主義者ではないが、
国家の政体としては民主制を採用するべきだと思っているので。
逆に、天皇信者じゃない天皇制支持者がいてもいいと思うけど。
あと、民主主義と天皇を対立概念としてとらえるのならば、ここはれ氏の言うとおり、
民主主義は別に天皇制(象徴天皇制)と対立しなかったりするので、
民主主義ではなく、共和主義という言葉を採用したほうがいいかと。
>>294 私が住んでいた場所はドイツですが、海外に出て行ってわかったのは、
国家と自分の関係なんて、所詮ゲゼルシャフトの関係だったりすると思った。
もちろん、自分は日本人学校へ通っていたし、日本人同士の互助組織みたいなものも
あるんだけれど、一方でその地域社会の中で我々は生活していたわけで、
その人間たちとのコミュニケーションの中では別に日本人であることはあまり関係が
ないですね。日本の話をしたりすることはもちろんあるんだけど、それってただの
会話のネタだし、友人の中にはサッカーの話しかしなかったり、アニメの話しかしなかったり
する奴もいるしね。まあ、それは漏れが豊かな日本人だったからで、もしトルコ人とかだったら
また違うこと思ったりするかもしれんけどね。ただ、トルコ人問題も結局ドイツ社会の
内在的な問題だしなあ。ちなみに、W杯では日本以上にドイツを応援してましたw。
>>294 意味がわからないということ、曖昧だということと、抽象的であることは
違うと思う。
現在の日本で、国の制度の中に、宗教が介在しない理由は、日本の戦前の
歴史の中にあるのではないか、そう私は理解しています。
現代の日本のような政教分離が、民主性でも民主主義でも、国民主権でも
なんでもいいが、そのようなものに、不可欠なことだとは、思えない。
先ほど提示した、宗教をもって国の基礎としている、例えば回教国は永遠
に、国民主権も民主主義も、民主的な国づくりも、国際社会との協調も、
出来ないのだろうか。
301 :
ころ:03/02/03 20:52 ID:???
パンドラサン
>>289 そっちの質問に答えたいのだが、長文読解はお互いに疲れますね。
こっちに専念もしたいし、割愛という方向で…。
申し訳ないです。でも少なからずこっちで補完できると思います。
論点を絞るために短く区切っていきます。それに対して質疑応答が済んだら次に進みたいと思います。
<民主主義は宗教である>
民主主義は、一つの宗教・価値観が前提に成立していると思います。
西洋ならその前提がキリスト教であり、回教国ならイスラム教です。
民主主義はその前提があって発生したものであり、逆に言えばその前提抜きで存在できないと思います。
だから民主主義は宗教なのです。宗教性から逃れらないのです。
で、近代民主主義とはキリスト教から発生した民主主義を特に指します。つまりキリスト教圏以外では発生しない民主主義なのです。
だから日本は明治期に輸入しました。これは近代民主主義が少なくとも日本では発生していない証左だと思います。
イスラムの民主主義も近代民主主義とは違うと思います。前提が違うからです。
だから、近代国家は欧米諸国になってしまうのです。イスラム、日本はいつまでも近代国家になれないのはここにあると思います。
どうも、天皇制に否定的な人はこの前提の認識と必要性、また前提が国それぞれ異なることが理解されてないと思います。
以下は後述していきたいと思ってます。それ以外なら質問を受けます。
前提とは何か、その必要性
西洋の前提と近代国家の成立
日本の前提は何なのか
302 :
ころ:03/02/03 21:43 ID:???
むっちょさん
>>298 >共和主義
どんどん拡大していきますね。できれば区別したいけど、能力的に無理なような…。違和感があったらご指摘下さいとしか…。
>対立
このへんの違いは後述したいと思います。
>>299 ドイツですか。本当に羨ましいです。本当にむっちょさんにとって誇れるべき貴重な体験だと思いますよ。本当に羨ましい。
実際に体験したことって、書物や自分で想像したことよりも説得力がありますしね。会社辞めたくなってきた…。
尚、予想は当ってました。英仏独…、いずれにしても西洋圏(東欧、露、米は切ってた)だと読んでました。大穴で香港かなw(これはないですかね)。
いずれにしても、むっちょさんのベースが分かりました。ありがとうゴザイマス。私見でうまく組み込めたらと思います。
れサン
>>300 >意味が分からない…
「「天皇制」から宗教性を排除したらどうなるのか」に行き着くと思います。そこまで待って下さい。必ずレスしますので
>回教国
回教国のことは、イスラムの神(アラー)に聞くしかないです。
ちょっと冗談入ってますが、キリスト教から近代民主主義が発生ました。ということは、キリスト教の神がこれを認めたからに他なりません。
イスラムまで考慮すると収拾つかなくなるので、割愛したいのですが…。
直で質問に答えられなくても、なるべく意向に沿えるように後述していきますので…
303 :
ころ:03/02/03 22:22 ID:???
<前提とは何か、その必要性>
八木説によると「におい」ということになるのですが、これを私見で述べていきます。
前提とは、国家、社会、国民、概念、価値観、その他社会科学的に存在するもの全てが、発生する源になるものです。「社会契約説」のロックで言う「自然人」「自然状態」は、この前提が「ない」と仮定したものだと思います。
これ以上は説明しにくいのですが、このロックの仮定は空想のものであって実際に存在するものではありません。社会科学的に存在するもの全てには必ず何らかの前提があるからです。
必要性について。このスレでのテーマである存在意義を語る時に、前提というものを無視すると議論が成り立ちません。
前提を認識せずに無視するのと、前提を認識した上で必要性を肯定・否定するのは違います。
ぱんどらさん、むっちょさんは前者です。だから、まず前提を認識してくれたら議論の争点もはっきりしてくるように思います。
勿論、これも私見です。別に他意があってのものではなくて、そう思うのです。
っていうか、サロン派も後者とは一概には言えず、蓋然的に肯定していると思います。
これ以上語ると全員を敵にまわすことになりますのでこのへんで…。
次の具体例でご理解できたらなと思います。
304 :
保守を考える:03/02/03 22:23 ID:+x4SCICz
>ころ氏
>>282 私にはあなたがどういった概念で民主主義を宗教と呼ぶのかがよく判らないのですが
特に
>天皇の存在意義は抽象的概念的です
>一方民主主義は具体的実体的です
ある意味ではこれはそのまま解釈できますが、その逆も成立しているのですが。
今まで、散々天皇の存在意義を具体的・実態的に議論してきたはずです。
であるから
>概念的な天皇制よりも実体的な民主主義をとるのは仕方のないことのように思います。
>対立を避けるためにも、天皇制には宗教性は排除すべきだと思います
これは論理的に成り立ちません。
>>301 >つまりキリスト教圏以外では発生しない民主主義なのです。
前提に立つ各宗教的認識が曖昧すぎませんか?
基督教も回教も共に古代ユダヤ教から派生したものであり、ユダヤ教も含めてその崇める神は
同じです。
>イスラム、日本はいつまでも近代国家になれないのはここにあると思います。
基督教ではないから永遠に近代国家になれないということですか?
近代国家の性質の是非はともかく、日本は現在、脱近代の真っ最中だと認識しているのですが。
よーしパパ続き書いちゃうぞー。
第二節「近代国家の誕生」
ヨーロッパの社会変遷と日本のそれとの間には、まあ500年ほどのずれがあるわけで、
ヨーロッパは封建社会から近代社会へと移行するわけですね。英仏100年戦争は実質的には
フランス貴族の内乱であったわけですが、この戦争は両国に大きな影響を与えました。
具体的にはシャルル七世の改革(官僚制と常備軍)と、ばら戦争→テューダー朝の成立ですね。
これ以降ヨーロッパは絶対主義の時代へと移行していくことになります。
さて、こうした絶対主義国家の成立の中から、国家とは何であり、何をなすべきかという
思想が形成されていくわけですね。その思想はやがて社会契約説の思想へと発展するわけですが、
その背景には何があったのか。ひとつは近代合理主義の成立です。ルネサンスと宗教改革によって、
宗教的呪縛から分離することで成立した近代合理主義思想の影響。宗教改革はまた国家の世俗化と、
信仰の内面化(近代的自我の土壌のひとつ)をもたらしました。
といっても、まだこのころは多くの民衆の生活や習慣が劇的に変化するというところまでは
いたっていませんでした。(つづく)
迷惑だったらやめるけど・・・。
306 :
右や左の名無し様:03/02/03 22:31 ID:LD4cA6nE
307 :
保守を考える:03/02/03 22:35 ID:+x4SCICz
>>297 あのぉ〜。誰が、プレモダンの時代認識を、どこぞの中学生用の教科書を写し書きして
欲しいと頼んだの?
感謝どころか、ありがた迷惑でしかなく、しかも突っ込みどころ満載なんですけれども・・・
私は、あなたの理解する、自由主義・近代国家、もしくは人権思想に則して、天皇制廃止の
理論を展開して欲しいとお頼みしているのですが・・・・。
とりあえず、国民国家論(日本)における、歴史・文化の同一性が何故、虚構なのかお願いしたいのですが。
308 :
保守を考える:03/02/03 22:44 ID:+x4SCICz
>>307 あれ?お気に召さなかった?「コヴァにもわかる世界史講座」。
ちなみに何も見ないで書いてます。
じゃあ、率直にいきましょう。
1自由主義とは「価値観」のひとつではなく、
多元的な価値観が許容されるべきだとする「メタ価値観」である。
その理念は@「善の構想(つまり、それぞれの人が自分はこう生きるべきだと思っている在り方)」
は多様である。そして、A「善よりも正の優越」つまり、社会は特定の善の構想を持つべきではなく、
(つまり、「日本人は日本的に生きるべきみたいな」)各人は公正な社会の中で自分の人生を決められる
べきであるとする考え方に基づくものである。この前提は、「危害防止原理」つまり、
他社の権利を侵害しないという限りにおいて最大限認められる。まずここまでいい?
310 :
保守を考える:03/02/03 23:04 ID:+x4SCICz
>>305 出来れば、マキャベリ、ルターの辺りも解説して頂きたいのですが。
311 :
保守を考える:03/02/03 23:22 ID:+x4SCICz
>>309 その価値観をメタとする根拠は?(つまりそれは誰に対しても無批判に受け入れられるか)
他者とは過去の先人、未来の子孫も含めて指しているのでしたら、異存はありませんが。
あとはあなたの理論に反天皇制が表れるまで続けて下さい。
>>310 申し訳ないんですが、ルターはよくわからないです。
宗教学はあまり知らないので。
マキャヴェリに関しても、教科書以上に述べることはあまりない。
つまり、強力な国家の建設のためには、ローマのような
異教的美徳(ヴィルトゥ)を持つべきであるととき、パワー・ポリティクス
の先駆者となった人間。国家の世俗化には彼の影響も強い。
ただ、イギリスの思想家バーリンは、マキャヴェリに対してまた別の見方を提供する。
すなわち、彼はキリスト教的道徳よりも異教的道徳が優越すると説いたのではなく、
むしろそうした道徳のどちらが正しいか決める基準は存在しないと言っている。
つまり、彼はキリスト教的一元主義のもとにあったヨーロッパに、ヴィルトゥという
対立する価値を持ち込んだのであって、価値多元主義の先駆者とも言えるのではないか、と。
313 :
ころ:03/02/03 23:54 ID:???
<西洋の前提と近代国家の成立>
西洋の前提は、前述のようにキリスト教です。
で、ドイツを例に述べていきます。
むっちょさんの過去ログで、当時の日本とドイツを単に後進国と同一視していました(
>>203後段)が、この定義付けは正確には間違ってると思います。
確かに当時の日本とドイツの近代国家形成に類似点が多々あったことは認めます。
?@日本の江戸時代の幕藩体制→明治初期の天皇中心国家の樹立と、ドイツの神聖ローマ帝国以来の聖職者や諸侯の乱立→プロシアによる統一国家体制、つまり地方分権→中央集権の構図
?Aその後の立憲体制、軍制など(日本がプロシアを模倣したのだから当然ですが)
?B君主大権が原因で国家として破滅した点(第一次・第二次大戦の違いはありますが)
しかし、日本とドイツは見方によってたまたま類似してただけだと思います。本質が同じならば必然として同じ結果が得られなければなりません。
で、実際どうでしょうか。日本とドイツは全く異質の歴史を歩んでいます。
確かに、国家制度の変遷(君主の有無など)、民度の違い、地理的環境、その他色々と違いの理由は説明できると思います。
でも、国家としての根本的な何かが違うと思うのです。その根本的な違いは前提=キリスト教の有無にあると思うのです。
日本とドイツが近代民主主義という見地にたってどちらが近代国家に近いかといえばドイツになるでしょう。
ドイツは、皇帝、国民、国家、社会、憲法、その他全ての概念、価値観、またその存在がキリスト教という前提にたっています。
だから皇帝が廃され、国民主権になっても国家、憲法とはキリスト教という前提においては変わらず、この前提が変わらない限りどんな劇的変化(革命や歴史的事件)でも遅からず対応できると思うのです。
<つづく>
314 :
ころ:03/02/03 23:57 ID:???
イギリス、フランスでも同様です。というか国王の存在の有無は、キリスト教という前提の肯定・否定には無関係のことです。だから革命で首を刎ねても、立憲君主に追いやっても、キリスト教を否定することにはなりません。
この「前提」って我々が考えてる以上に大きなことだと思うのです。
ドイツが後進国だったのは、神聖ローマ帝国時代の地方分権的体制から統一が遅れただけ(イギリス・フランスの統一は近代化の前です)で、統一後は近代国家として急速的に地位を上げていくのです。そうなれたのは、前提にキリスト教があったからです。
明日はレスできないので、切りがいいところまであげました。
ここまで、質問受けます。これがお互いの認識にないと日本の天皇の存在の特殊性、日本的近代民主主義が理解されないと思いますので。
日本の前提は天皇だということだけ、明記しておきます。
>>313 それは違うと思うなあ。少なくとも、日本とドイツの近代化が
ぜんぜん異なるとはいえないと思う。
日本とドイツ、どこが違うかといえば、ドイツは鎖国していなかったということでしょう。
ドイツは社会思想や近代科学の面では大きな貢献をしているわけで、
その社会自体は立ち遅れていたといっても、やはりその学問レベルは欧州のトップを
走っている国のひとつでした。だからこそ、不十分な立憲体制のもと、なんとか
議会の力を強めようとした成果としての法学、憲法学、また戦後のワイマール憲法
などがあるわけで。
「リベラルな民主主義」がキリスト教的価値観に基づいているというのは、
やはり間違いでしょう。ロックなど、初期の社会契約説の思想には、確かに神を
前提にしたものがあります。しかし、王権神授説のように、絶対主義を正当化する思想も
またキリスト教を前提にしたものだったわけです。要するに、こうした思想はキリスト教から
導き出されたものというよりは、自説を根拠付けるためにキリスト教を利用したと考えたほうが
より適切でしょう。それをもっと露骨にやったのがカントw。
そもそも、宗教的なゲマインシャフトから世俗的なゲゼルシャフトへという流れだし。
もっと簡単な反証としては、スペインやポルトガル、ギリシア、そして東欧諸国などにリベラルな
民主主義がなかなか根付かない(もしくは根付かなかった)のはなぜかということかな。
>その価値観をメタとする根拠は?
これは、積極的な理由からは導き出せないでしょう。
「どんな価値観も、必ず対立せざるを得ないし、どちらが正しいと言うこともいえない。
結局、すべての理想が統合された完全な状態はありえない」から、必然的に
あらゆる価値観と共存していけるような方法を考えるしかないという、
消極的な理由としての自由主義ということでしょう。
キリスト教でも仏教でもいいけど、世界宗教の本質は権力者とか
世俗から距離を置いたところに、世界観を担保しているところだろ。
物事の価値観を判断する上で、特定のテキストを根拠とし、
それを特定の知識階級が解釈して、民衆に指針を示す。このような世界観の
世俗からの切り離しが、巨大社会を成り立たせるためには必要なんだろうな。
キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でもいけど、世界宗教を諸民族が
受け入れた理由は、そのあたりにあるんだろうな。つまり、民族レベルの
宗教運動の本質とは、世界観や倫理観を社会に設定する上で、その普遍性を担保し、
それを基礎に社会を安定的に運営するために存在すると。そして、その方が
そうでない社会システムより、優れていると(藁
しかし、ヨーロッパで生まれた近代主義は、脱世俗化を目指した世界宗教を基礎
とした政治システムを、さらに推し進めて生まれた社会システムだろ。この政治
システムにおいては、もはや民衆が単一の政治単位を形づくる上で、基礎となる
単一の宗教運動すら必要としないシステム。
人権思想、民主主義、政教分離と言った個々の政治技術は、より効率的な
政治単位をつくるために、単一の世界宗教を基礎とする社会から生まれた
政治システム。近代的政治システムにおいては、社会統合の条件として
超自然的存在を基礎とする宗教に依存しない点において、より合理的だし、
多様な思想に対する寛容さも示せる優れた制度だ罠。
近代天皇制のまずさは、江戸時代やそれ以前の時代に比べても、この政治技術的に
見て退歩した点。総体としての日本社会においても、テキストや世俗から一定の距離を
置く、仏教・儒教を社会の基礎理念として受け入れてきた。しかし、薩長簒奪者
どもは、こともあろうか世俗から社会的価値を分離すると言う政治技術を放逐し、
仏法や儒学に変えて、テキストも解釈者もいない「テンコロ」を持ち出してきた。
これは、総体として日本社会の政治システムの歴史的発展法則から言っても退歩だ罠。
総体としての日本は、歴史的に見て、脱世俗的な世界宗教を政治システムに
取り入れ、社会運営の理念としてきたのだから、政治効率をさらにあげる近代主義的
システムを受け入れたとしても、それは歴史的発展法則に沿っている罠。
明治から敗戦までの近代天皇制は、日本の歴史から見ても極めて異常だし、
あきらかなアナクロニズムだな(藁
320 :
パンドラ:03/02/04 06:58 ID:SY+n4QRb
>>301 そもそも神道が、西欧文化におけるキリスト教のように、わが国の思想・文化に影響を与えているかといえばそうでもない。
日本の文化を評価するなら、神道の影響はごく限られ、むしろ仏教文化の影響が大きく、ギリシャ・ローマの文化さえ垣間見られる。
神道が国家的宗教となったのはいうまでもなく、明治以降であり、かなり恣意的でもあった。
もともと、仏教文化にせよ、なんにせよ、柔軟に受け入れるのが日本の文化的特性である。
民主主義が、仮にキリスト教的基礎を伴うにせよ、仏教同様に柔軟に吸収されよう。
一方、マホメッドがイスラム教を開いたのは7Cであり、ユダヤ教とともにキリスト教とoriginを共有する。
むしろ、宗教的には共通部分が多い。
また、哲学こそ民主主義の裏づけを与えたが、近代以降、デカルト以来の哲学はアリストテレス的宗教哲学の否定から始まっている。
民主主義の定着と宗教性は、別の問題だろう。
ただし、天皇制がわが国の民主主義の定着を阻害しているという事実には同意する、というか、その事実の提示に感謝する。
だからこそ、国家制度としての天皇制の廃止を求める…とできるわけだからw
321 :
右や左の名無し様:03/02/04 06:59 ID:SY+n4QRb
で、統一テーマといっても、ざっとスレを流し見て、これだけトンデモ論があるw
制定法主義の日本で、慣習法云々が議論される滑稽さ…
国家と国民の権利(裏返せば義務)の対立構造を無視して、国家を権利と思想の一方的保護者と考えるのん気さ・幼稚さ…
複合的・重層的市民交流を無視して、国家単位の利害・権利関係を訴える大時代的国家観…
歴史や伝統を含む文化に対する国民各層のスタンスの違いを無視して、天皇制の意義に結びつける強引さ…
さらにはそれを国家意識に結びつける時代錯誤…
強い神道色を有しながら国家制度たる天皇制が、当該宗教の優遇、他宗教の冷遇に他ならない事実への開き直り…
なかなか…まとまらない…のでは?
>アズマ氏 ご無沙汰。少し遊んでくれ。
私としては、ぁゃιぃアズマ人氏と保守考氏との議論を楽しみにするが。
>>319 の
>総体としての日本社会においても、テキストや世俗から一定の距離を
>置く、仏教・儒教を社会の基礎理念として受け入れてきた。
この認識は、不思議だね。仏教の基本に、霊は存在しないし、儒教といっても、
忠孝一致という概念は、日本独特だろう。天命思想による政治改革(称徳天皇
のような事例)もあるが、天壌無窮の神託が否定された歴史はない。
一方庶民においても、幽霊をお経で退治するとか、太平記における怨霊の活躍
、将門信仰、山の神から、かまどの神まで拝む、、、どう考えても、神道的な
「社会の基礎理念」が有ったとみなすべきじゃないの?
イデオロギー的な神道と、歴史的な神道は分別しなければならないし。
>>320 >そもそも神道が、西欧文化におけるキリスト教のように、わが国の思想・文化に
>影響を与えているかといえばそうでもない。
>日本の文化を評価するなら、神道の影響はごく限られ、むしろ仏教文化の影響が
>大きく
このあたりの認識が非常に不可思議というか、おかしなことをいうなぁと思う。
仏教でさえ、日本仏教が大乗の二乗といわれるように、神道の影響を非常に多く
受けている。それは、国民の歴史(例の分厚いやつ)の仏教関係の像の写真を見
れば明らかだろう。全ての煩悩を消すべきであるとの仏教の思想が、表情湯かた
な像を作るという部分にも、多大な神道の影響がある。
これを仏教文化の影響と見るとしたら、日本の宗教の捉え方がおかしい。
また、話し合い重視・和の精神は、神道の基本理念に基づくのであり、日本の政
治が歴史的に合議制を取っていた(明治憲法気も含めて)影響なくして、議会制
の受け入れも、スムースではなかっただろう。
キリスト教の、神から作られた人間であるから、その意味で平等であるというこ
とによる思想への影響を理解できて、八百万の神が存在し、人も神も同一線上に
あるという浸透の基本からくる、日本の公平の概念が、平等思想と結びつかない
と思うのは、偏っていないか?
324 :
右や左の名無し様:03/02/04 12:17 ID:DZf2ux7+
権力が正統性を持たないから。
325 :
保守を考える:03/02/04 23:21 ID:a+gVjLjb
>>312 このあたりの時代認識(ルネッサンス)を確認し合うには、ルターやカルヴァンは
外せないと判断しますが、とり合えず省略して
>異教的美徳(ヴィルトゥ)
そういう曖昧な提示の仕方が、どうも私は誤解してしまうのですが
彼の政治学でいう「ウィルトゥ」とは
集中された意志の力や洞察力(精神力)を指し
政治的技術の具現化は、単なる手段や知識ではなく、そのウィルトゥが必要であること
またその対義語の「フォルトゥーナ」とは
運命を意味し、政治の決定は精神力だけでなく、そこに自然の力(運命)の流れからは
逃れられない。と、いった意味です。
また、彼は始めて政治に科学的根拠を求め、政治を技術化したことで有名です。
(蛇足:通俗的なマキャベリズムは「君主論」のみだけの誤った解釈)
>>316 あなたの云いたい事は良く解るのですが(同意するという意味で)
しかし、あなたの考える自由主義の中に
>>311「他者とは過去の先人、未来の子孫」が含まれるのか否かが、問題なのですが。
326 :
保守を考える:03/02/04 23:34 ID:a+gVjLjb
>>315 一点だけ、ドイツと日本、他の列強諸国との違いは
「30年戦争」に於けるような惨禍を蒙っていない。
これが、決定的な違いだと考えられるのですが。
>他者とは過去の先人、未来の子孫が含まれるのか否かが、問題なのですが。
まず、「過去の先人」、「未来の子孫」という総体は人権享受の主体ではないわけで、
ここはあくまでも過去の一人一人の先人、一人一人の子孫というように考えなければならない。
過去の先人に関しては、遺言や著作権など、部分的に認められる権利もあるでしょう。
未来の子孫に関しては、認めるにしてもそれを実現する手段がない。
中絶問題で胎児の人権が議論の対象にはなることはありますが、
それ以上の範囲まで拡大することは難しいでしょう。
まあ、自由主義は原則として現在生きている人間のみを対象にしているべきでしょう。
それはそうとして、倫理学の面では世代間倫理は結構アクチュアルなテーマだよね。
特に、資源や環境の問題に関しては。
328 :
保守を考える:03/02/05 00:01 ID:K9+lKaE8
>れ氏
>>322 >>323 あなたの論旨には全く異存はないのですが
私は、藁とかwとかを使用する御仁とはちょっと冷静に話し合えないので・・・
勘弁して欲しいのですが・・・。
で、もう一人の
>パ氏
>>320 >もともと、仏教文化にせよ、なんにせよ、柔軟に受け入れるのが日本の文化的特性である。
>民主主義が、仮にキリスト教的基礎を伴うにせよ、仏教同様に柔軟に吸収されよう。
>一方、マホメッドがイスラム教を開いたのは7Cであり、ユダヤ教とともにキリスト教とoriginを共有する。
>むしろ、宗教的には共通部分が多い
始めて私と一致する意見を見ました。
しかしながら、あなたの固陋なところは
>デカルト以来の哲学はアリストテレス的宗教哲学の否定
なんで否定になるの? 云うならば、補足・修正であって、アリストテレスは現在でも有効
>天皇制がわが国の民主主義の定着を阻害しているという事実
ころ氏は、その可能性を問題提起しているだけであって、断定はしていない。
>制定法主義の日本で、慣習法云々が議論される滑稽さ…
日本の法曹界は判例を無視しない。また、どの国家、地域においても、自然法が存在する。
>国家を権利と思想の一方的保護者と考えるのん気さ・幼稚さ…
このスレにくる誰もが、「一方的」などと考えていない。そう考えていたら思想板で議論する意味がない。
>国民各層のスタンスの違いを無視して、天皇制の意義に結びつける強引さ
あなたが、天皇について無知なだけ、私は散々、説明している。
>国家意識に結びつける時代錯誤
錯誤なのか、事実なのか、そういった現象に対して思想を試みるスレである。
答えが出ているなら、別スレを立ち上げることを勧める。
>当該宗教の優遇、他宗教の冷遇に他ならない事実への開き直り
そのような事実は無い。
>>323 >話し合い重視・和の精神は、神道の基本理念に基づく
これは嘘。
「和を持って尊しとなす」は仏教徒である聖徳太子の言葉。
当時は天皇・宮家、摂政家が互いに違う神を祀って相手を呪詛していた時代。
神事は内部抗争や官位獲得のための道具。
それに絶望した太子は、仏教に惹かれる。
哲学、理論、世界観を備え、混乱した現実に対峙するだけの
「教義」を持つ仏教は、当時としては当然ながら先進的だった。
やがて律令制の研究研鑽を重ね「憲法」という明示的なルール、
枠組みの中での合議制を追究する。
だから「和をもって」というのは「仲良く」「穏やかに」「波風を立てない」と
いうような田舎の宴会みたいな意味でじゃない。
紛争当事者や行政担当者に知性、理性、冷静さなどを要求するためのもので、
その目的として「和の実現」を示した。
>>328 「藁」が気に食わんと言われても、2chに来て逝く星霜・・・すっかり
朱に染まってしまったからな(藁
部族や地方の集合体である政治単位(民族)が、中央権力を浸透させる過程で
宗教を利用するのは、世界の諸民族・諸地域でみられる普遍的な現象だろう。
中央権力による宗教運動が成立する以前の社会は、土俗的な倫理観・信仰が
地域・部族間で人々の生活を律しているんだろ。しかし、そのような倫理観・
信仰体系では、せいぜい地域社会を維持する規範機能しかなく、国家レベルの
広域で統一された倫理観を形成することはできない。
だからこそ世界の中央権力は、国家を形成する核として、厳密なテキスト、
統一された教義、、脱世俗的価値観、専門の宗教者etcをセットで提供する
世界宗教を国家として受け入れ、自分の支配圏に浸透させていった。これが、
世界宗教がなぜ普遍的に諸族に受け入れらた社会的必然性だろう。
日本の例で見ても、国分寺とか各地に派遣される仏教者を核として中央権力を
地方に浸透させていくわけだし、ドイツやフランスの例を見ても、カソリックや
修道院の国家形成に果たした役割と言うのは虫できん罠(藁
このように世界宗教とは、厳密なテキスト、脱世俗的価値観、中央主権的で
統一された教義体系と専門宗教者などを核として、広域な社会連帯を形成する
上での社会技術体系と俺は考える(藁
その点から近代天皇制を中央権力を維持する政治技術として見る時、あきらかに
世界宗教を基礎にしたシステムより劣っていると言える。中央集権化の道具でる
天皇教には、厳密なテキストもなければ、教義・専門の解釈者もいない。天皇の意思
とか、国家の目標と言うものは、権力の恣意にまかされ、民衆の勝手な解釈を
許している。この点において、あきらかに広域な社会を支える政治技術として
失当だろう(藁
(中央集権化・国家形成技術である)天皇制の利点は、どの宗教・宗派にも属しない
と言う点。つまり、自分の支持する宗教・宗派を選ばず天皇制を受け入れることが
できること。しかし、いくら宗教臭を除いて見ても、人々の精神面・倫理面に働き
かける点において、それを強化すれば既存の宗教・宗派と衝突することにならざるを
得ないのは、戦前の大本教などとの関係を見ても明らか。また、倫理性・世界観的
要素を薄めていけばそれだけ、中央集権化・国家形成力としての力が衰えることに
なる。
結局のところ近代天皇制国家とは、世界宗教を基礎とした祭政一致国家と脱宗教化
した近代国家とのできの悪いアマルガムだろ。脱世俗化を徹底できない以上、
「天皇」を用いて国民の精神面に訴えかけることは、常に権力者や民衆の暴発を
招きかねない点、宗教的・思想的寛容が完全には担保しえない点において、近代国家
システムにおける盲腸的制度にすぎんだろ(藁
333 :
保守を考える:03/02/05 01:01 ID:K9+lKaE8
>>327 >倫理学の面では世代間倫理は結構アクチュアルなテーマだよね。
それはそうなんですが、倫理学は、思想・哲学の範疇の一つであるので、当然、自由主義に
関係してくるものです。
>自由主義は原則として現在生きている人間のみを対象にしているべきでしょう
これ(土台)が私には承服出来ない点です。
あなたのお爺さん、お婆さん、曾爺さん・・・・、孫、ひ孫・・・・に対して
関係ないとは言い切れないでしょう。(一般的、規範価値では)
それはそうとして、せっかっく西欧史の話題になってきたので、個人的には講義を
続けて欲しいのですが。
とり合えず、今夜はおやすみなさい。
>>333 >これ(土台)が私には承服出来ない点です。
>あなたのお爺さん、お婆さん、曾爺さん・・・・、孫、ひ孫・・・・に対して
>関係ないとは言い切れないでしょう。(一般的、規範価値では)
バカだな。結局解釈者の問題でつまづかざるをえないからだろ(藁
仮に、現在の人間以外の過去・未来の人間の権利とか意思を
政治システムに反映するとしても、それを解釈するのは現在の人間でしかない。
それに政治とは、究極的に力関係が支配する分野だから、語る口を持たない
過去・未来の人間の権利・意志を尊重することは、制度に関わらず困難だ罠(藁
> バカだな。結局解釈者の問題でつまづかざるをえないからだろ(藁
まあ、そういうことですな。
未来の人間が、どのような「善の構想」を持つかどうか我々には
わからないわけで、政治システムとしては除外するしかない。
逆に、それを反映させてしまうと恣意的な判断によって政治が動かされてしまう。
>>329 和が、仏教的思想であるということは、確実に誤りです。
>>328 保守考氏
私も、W、藁は嫌いだが、2ch方言とでもお思いになったらいかがですか?
「お前は津軽弁を話すから、議論できない」では、通用しないでしょ。
337 :
ころ:03/02/05 19:15 ID:???
むっちょさん
色々質問を受けてます(感謝)が、この認識が共有されないと平行線だと思います。論点を絞りますね。
>>305 >近代合理主義
まず、近代合理主義がどういうものか分かってないと思うんです。そのへんを合理的に述べてみますね^^;。つまり、キリスト教の民主主義がなぜ近代民主主義になったか?
キリスト教という前提では、そもそも権限は神のみが持っていたと考えます。
王権神授説では神が君主のみに権限を授けたと考え、民主主義の発想では神が国民に権限を授けたと解釈します。(因みに立憲君主制では、君主と国民それぞれに権限を分けて授けたということになる訳ですが)
君主は神ではありません(「朕は国家」であっても神ではない)。神がすること(授ける方法)には逆らえない、つまり従うしかありません。国民も同様、神に従うしかないのです。
逆に言えば、神から見たら君主も国民も一緒だ、つまり「神の下での平等」がキリスト教の民主主義です。
で、近代合理主義、というか合理的発想が出て来ます。神という非合理を合理にしようという発想です。
近代合理主義ではキリスト教の神という前提を法に置き換えるという画期的方法を発見します。この大発見は、法治主義(立憲制)という概念に発展します。「神の下の平等」ではなく「法の下の平等」という概念です。
近代合理主義が他の合理主義と決定的に違う点は、非合理(前提)を合理にすることができたからです。キリスト教の民主主義が近代民主主義に発展できた理由はここにあるのです。
でも、よ〜く考えてみて下さい。神が法になっただけで、キリスト教の民主主義と近代民主主義は考え方(思考回路)が同じなんです。
前提(キリスト教)を否定も無視もしてません。不合理な方法(否定や無視)ではなかったから、キリスト教圏では合理的に近代民主主義が発展したのです。
合理主義は非合理を否定したものではなく、非合理を合理に置き換えることです。むっちょさんは前者だと思ってませんか?だとしたら、不合理です^^;。
哲学的で難しくなってます。長期戦覚悟です。お返事待ってます。
338 :
ころ:03/02/05 20:35 ID:???
むっちょさん
実は、いくらでも反論できてしまうんです。例えば
>>335 >未来の人間が、どのような「善の構想」を持つかどうか我々には
わからないわけで、政治システムとしては除外するしかない。
「善の構想」が近代民主主義なら分かるのですか?
もしわからないなら、天皇と同様政治システムとして排除するしかなくなってしまいますが。
ってゆうか、そういう非合理は、近代民主主義にも解決できてる訳ではないのです。
だったらそういう非合理が解決できるものは何か?前提(キリスト教)です。
近代民主主義が一見キリスト教の呪縛から解放されてるように見えて、実はキリスト教という前提で成り立ってる(否定していない)というのはここなんです。
近代合理主義は素晴らしい発見です。これまでの宗教単位から制度単位で輸出することを可能にしたのですから。宗教戦争ということは理論的にはないはずです。
でも、輸出先にもまた違った前提があるんです。日本では天皇だった訳ですが、ではどのように根付かせるかという問題が出てきます。ここでまた合理的発想が必要になってくるんです。
これをしなかったのが、戦後の植民地独立国家(多くが近代民主主義に基づいてます)であり、戦後の日本です。
戦前の日本(明治憲法)は、非合理性はありましたがこの点では合理的でした。尤も、その非合理性が破滅を招くのですが…。
私としては戦後の方が不合理で、ましてこのまま天皇制の廃止なんてしたら日本は崩壊してしまうと思うのです。
このへんは理性的な私見をいずれ述べますので、とりあえず、
近代民主主義はキリスト教を否定したものなのか?(
>>337で一番聞きたい部分です)
これへのお返事待ってます。
339 :
右や左の名無し様:03/02/05 20:39 ID:239PD/l+
>>337 えーと、キリスト教が近代的な民主主義を生み出した。ということを
合理的に説明するためには、キリスト教という思想を論理的に展開していったら、
必然的に民主主義に結びつかざるを得ないということが証明されなければいけません。
私が王権神授説を上げたのは、それに対する反証のためですね。
キリスト教のロジックをもって社会契約論を説明することは可能です。
ですが、そのその時代、キリスト教の精神世界の中から社会契約論が生まれたのだという
こととはまったく別問題です。やはり、近代民主主義はイデオロギー的な帰結であるというよりは、
社会的な要請によるものだと考えたほうが自然でしょう。
当時のヨーロッパ自体が、近代民主主義のような一種のイデオロギー的土壌を持っていたのだ
という考えには承服しかねるところがあるし、正直、ここで扱うのは手に余る。
キリスト教といっても、当時のヨーロッパでの受容のされかたは多様であったし、
ギンスブルグを引くまでもなく、民衆の中にはキリスト教によらない、土俗的な異教的世界観が
根強く残っていたということは抑えておく必要があります。文化人類学レベルでの
民衆の複雑な精神世界にある種の統一的な方向性を読み取るのは難しいと思う。
(だからこそ、社会史、経済史的要因に私はこだわっているわけですが。)
>>337 合理主義については、たとえばキリスト教以前の哲学(たとえばプラトン)
にも超越論的な発想もあるわけで、(あまり詳しくないが)そこから考えることもできる。
いずれにしろ、ある文化的土壌がなければ理解できないというものでもない。
> 「善の構想」が近代民主主義なら分かるのですか?
だから、自由主義は「善の構想」がわからないということを
前提としたシステムなんですってば。
343 :
ころ:03/02/05 21:09 ID:???
れサン(前にしたのですが補足です。私見の真意です。ご参考までに)
>>300 >政教分離
仰りたいことは分かります。私も制度や民主主義といった思想に宗教性は完全に排除できないと思ってます。
政教分離という概念も戦後の歴史観(戦前の否定、反動論理、大局的多角的でない偏った価値観)の弊害という面もあると思います。
でも、一方で日常生活において宗教性はどんどん消えているのです。かなり以前に誰かが、近代科学は宗教を凌駕した(つまりは宗教的な神秘性を解明した)というレスがあったのですが、
宗教性を前提とした国家制度、機能では国民はついてこないと思うのです。
しかも、天皇は人間宣言で、宗教性を蓋然的に否定してしまったのですから、国民意識としてもう一度宗教性を持たせるのは困難(拒絶反応が強すぎる)だと思うのです。
それでなくても宗教性は近代科学発展の世の中で否定されつつあるのに国家制度、機能だけ宗教性が伴うものはどうかなと思うのです。
因みに私はまだ結論は出ていません。だから皆さんのご意見を伺いたいのです。
ご意見はすぐにでも伺いたいのですが、皆と足並みをそろえたいし、むっちょサンやパンドラさんなど、宗教性を否定する(ゲゼルシャフト?)のご意見も把握しきれていません。
あと日本の特異性を両氏が理解されてないと、議論が成り立ちません。個人的なやり取りでなく、皆でやりたいなと。
だから、これに対するご意見だけはもう少しお待ちいただけませんか。無理を承知でお願いします。
345 :
ころ:03/02/05 21:22 ID:???
むっちょさん
実は、いくらでも反論できてしまうんです。例えば
>>342 >分からないことを前提
分からないことを哲学上非合理といいます。
つまり、
「自由主義は、分からないこと(非合理=キリスト教の神)を前提としたシステムなんですってば
ということになります。
>>345 そのレス、萎えるなあ。いくらなんでも。
合理主義的には、神の存在に関しては不可知であるというのが多分一般的でしょう。
ただし、信仰において神は存在するということはできる。ただし、一方では
信仰によって、たとえば「キリスト教なんてウソだ!イスラム教こそが正しい!」
ということも可能でしょう。論理的に、どちらが正しいか証明するのは不可能。
だから、どちらが正しいかわからないことを前提にしましょうねというお話。
347 :
保守を考える:03/02/05 21:44 ID:VAynff2b
>>331 >「藁」が気に食わんと言われても、2chに来て逝く星霜・・・すっかり
>朱に染まってしまったからな(藁
頑迷固陋、硬直化、厚顔無恥の典型例。まあ、「方言」として黙認してあげましょう。
はっきり云って、私とあなたとの間には認識の相違点が多すぎて、以下に纏めて見る。
1 国家権力は宗教を利用してその枠組みを浸透させてきた事は、歴史的普遍である。
利用して浸透させるも何も、宗教とは人智を超えた存在(神や自然)に対する畏敬等であり、権力者が
利用するとう宗教を超越した存在になれるはずがない。利用、出来るのであれば、バチカンの名のもとに
国家が統一されたということになる。
2 古代日本に於いては、国分寺等を利用して、中央権力を浸透させた。
仏教を国家が保護し統制したのであり、権力の浸透の為ではない。これは僧尼令でも明らか。
3 世界宗教とは、広域な社会連帯を導く社会技術体系である。
前提が間違っているので、反論するのも馬鹿バカしいが、宗教や思想で国家は定まらないし
それだけで連帯社会が担保出来るわけではない。
他の論旨については、意味不明の形容詞等が多すぎて、判読するのが馬鹿らしいので
やめておく。(例えば、脱世俗的価値観は一般民衆には関係ない。
例えば、既存の宗教として大本教を挙げているが、その発生は明治25年である。
例えば、アマルガムを悪く使っているが、元の意味は「軟質性の物体」である。そして金を抽出する
混汞法というのもある。)
348 :
保守を考える:03/02/05 22:06 ID:VAynff2b
>>334 >>335 >バカだな。結局解釈者の問題でつまづかざるをえないからだろ
そんなのはあらゆる思想において、当たり前の話。だから、議論があり、多数決があるのだが・・・
つまり、政治という概念が存在する。
>政治システムに反映するとしても、それを解釈するのは現在の人間でしかない
>それに政治とは、究極的に力関係が支配する分野だから
まず、「政治」とか「システム」の意味を履き違えている。
過去の良質な遺産を継承し、発展させて、未来に対して紡いでいくのが現在の役割。
でなければ、歴史など必要ないということか?
また、過去・未来の人を断続的に捉える視点が、アホらしい。人の関係に於いては、
複合的でしょうに・・・。現に、今この瞬間、人の誕生があり、その役目を終える人がいる。
>未来の人間が、どのような「善の構想」を持つかどうか我々には
>わからないわけで、政治システムとしては除外するしかない
そんな回答を求めるようなことは云っていない。
だいたい、「善」という概念自体、先人達からの継承である。
つまり、「盗まない」・「嘘をつかない」・「殺さない」という現在確立している
その構想を、子孫が破棄する事を、私は望まない。
>それを反映させてしまうと恣意的な判断によって政治が動かされてしまう
独裁国家で無い限り、恣意的な政治判断は起き得ない。
349 :
ころ:03/02/05 22:15 ID:???
西洋史専攻のむっちょさん(まけないぞ)
>>340 >キリスト教という思想を論理的に展開していったら、
必然的に民主主義に結びつかざるを得ないということが証明されなければいけません。
>>337で蓋然的に説明したつもりです。これ以上(必然)は…。
もっとも必然でないから、古くは皇帝ナポレオン、最近では全体主義、共産主義とアンチテーゼが成立した訳で…。
>社会的な要請
勿論その他複合的要素もあると思います。でも、やっぱり一番大きな変化はキリスト教のイデオロギーが大きいと思う訳で…。
社会的な要請って具体的には?
>経済史的要因
近代資本主義ってことですか?そちらは苦手分野なのですが^^;
とりあえず、ストレートに
「近代民主主義がキリスト教を否定した、関係がない」
という反論をお願いします。
>>348 落ち着いて、よーく考えてみ。
あなたの言っていることは、倫理的なレベルでは納得できるかもしれない。
でも、あなたはそこで、先人たちの意思というものを自分流に解釈しているかもしれない。
あなたが考える先人たちの意志と、私が考えるそれとでは隔たりがあるかもしれない。
先人だっていろいろな人がいたと思う。天皇を支持した人間、していない人間、両方われわれの先人です。
さらに、自由主義自体が対立する価値のヘゲモニー争いを避け、なんとか共存させる方法を
模索した先人の知恵でもある。自由主義は、あなたが先人の意志を尊重し、継承しようとすることは
否定していません。しかし、先人たちの意思は必ず継承しなければいけないというのは、
先人たちからの現代人への「善の構想」の侵害にほかなりません。これは、現代に生きている私たちが
歴史的に価値を継承していること、連続的な関係性があることとはまったく無関係です。
>とりあえず、ストレートに
「近代民主主義がキリスト教を否定した、関係がない」
という反論をお願いします。
キリスト教が否定されたというのではなく、キリスト教は近代民主主義
に利用されたと考えるべきでしょう。
>近代民主主義がキリスト教を否定した
ジャコバン左派の「理性崇拝」とかW。
352 :
・・・:03/02/05 22:36 ID:???
この2,3日で存続派サロン化から脱出できたようですね。
>>275における>れ氏は、>パンドラ氏への誤りでしたね。
>パンドラ氏
とりあえず、>パンドラ氏の現代につながる無責任体質の答えを
サロンから導きだそうとした(勝手な責任感)程度の内容ですが。
まあ、集約すれば統帥権のあるなしが模範回答だとも思います(逆行しそうなので、
突っ込み不要)。
で、絞られた中で食いつかれた話が>K-1話で、でもこのシャレっけは、サッカーと
書いた甲斐もあった。
皆さんの近代国家、民主主義、宗教云々も浦島状態の私としては、今の段階では
解ったような、解らないような、頭打ち段階です。概念化を楽しみにしております。
ただ、もの凄く気になったのは、
>>327(資源・環境だけではないであろう),
>>334,
>>335かな。権利・意志・制度化云々からこう(個人の子孫のみ)ならざる
を得ないと言う根本が本末転倒的に感じるし(反論は保守考氏が頼もしい)、
皇室問題以前にも感じる。まだ、パンドラ氏の哲学の方が理解し易かった。
現代国家の在り方に近代国家の反省も有り得るし、民主主義・自由主義・
宗教(国体の教義の議論後でないと誤解の上の議論だとは思うのだが)の
在り方も真っ白な状態から見つめさせて頂きます。
353 :
ころ:03/02/05 22:50 ID:???
むっちょさん
>>346 >萎えるなあ
ゴメンナサイ。他意は特になかったんですが、ちょっとやり過ぎたかも知れません。
>だから、どちらが正しいかわからないことを前提にしましょうねというお話。
そうなんです。ここが自由主義(近代民主主義)→リベラルな民主主義の合理性の高さであって、逆に何で日本にリベラルな民主主義が根付かないの?という疑問にもなる訳です。
で、むっちょさんやパンドラさん?は、その疑問の行き着く先が天皇制になってしまうんですよね?
私は、
>>338でも言ったのですが、単なる根付かせ方(合理・不合理)の問題だと思うのです。
>>344でも名無し氏が言ってるように、このへんは、マックス・ウェーバーが散々研究してる訳で、私は散々大学(キリスト教系)時代やらされた訳です。
>>344は自作自演ではないけど、概ね私見に近いです。
もうこの議論の結論は出たと思います。むっちょさんも「前提にしましょうね」って言ってる訳ですし、つまりは前提があってのリベラルな民主主義ということを理解されてるようなので…。
>>351は見なかったことにします(却って混乱されるだけのように思います)
354 :
・・・:03/02/05 23:03 ID:???
>ころ氏、お久しぶりです。
この議題?での活躍を楽しみにしております。
で、早速質問なのですが、リベラルってどういう意味なのでしょう?
日本の現実を見つめると、いい加減さの象徴表現に感じてしまっている
私にその真意をお願い致します。
今日は無理なので、明日、拝見致します。
355 :
保守を考える:03/02/05 23:49 ID:VAynff2b
>>350 だから何度も申し上げているように、倫理学は哲学・思想の範疇でしょ。
当然、宗教や道徳も同じです。
それらは、突然、我々の前に現れるモノではなく、長い歴史の中で紡がれて現在に到っているのです。
あなたの考える、「自由主義」があなたのオリジナルという訳ではないということであり
(私は自由主義を否定していませんが)あらゆる価値判断が無批判に共存することは出来ません。
だから、「政治」があるのです。
>でも、あなたはそこで、先人たちの意思というものを自分流に解釈しているかもしれない。
>あなたが考える先人たちの意志と、私が考えるそれとでは隔たりがあるかもしれない。
>先人だっていろいろな人がいたと思う。天皇を支持した人間、していない人間、両方われわれの先人です
それらを忌憚なく述べ、議論していくことが重要な事だから、あなたの考え(思想)をお聞きしているのですが。
特に
>先人たちからの現代人への「善の構想」の侵害にほかなりません。これは、現代に生きている私たちが
>歴史的に価値を継承していること、連続的な関係性があることとはまったく無関係です
この論理がよく解らない。
先人達が努力して編み上げた構想を継承し発展させる事が何故、侵害につながるのでしょうか?
また、流行不易という言葉があるように、歴史的に取捨選択されてきたモノで選択された不易なモノ、
つまり、天皇制の継承という不易の否定になるのかに則して解説をお願いしたい。
>倫理学は哲学・思想の範疇でしょ
違う。倫理学は倫理を研究する学問。倫理を創造する学問ではない。
それに、私は「倫理」といった。学をつけていない。
>この論理がよく解らない。
あなたは、自由主義の原則が過去の先人にも適用されるべきであると主張した。
適用してみましょう。たとえば「A(先人)が、B、C(現代人)も神道を信仰するべきだ」といった。
この主張はB、Cの善の構想を侵害するから認めることはできませんね。単純ですね。
では、Bさんが個人的に「私はAさんの言うとおり、神道を信じます」ということは?
当然、認められますね。単純ですね。
>それらを忌憚なく述べ、議論していくことが重要な事だから、あなたの考え(思想)を
お聞きしているのですが。
正直、政治システムの話をしてるときに、そんなに重要だと思わん。
たとえば、あなたが天皇を日本の歴史においていかに重要視しているかなんて、
とりあえず漏れにはぜんぜん興味はない。漏れはそうではないですよって、それだけのこと。
357 :
右や左の名無し様:03/02/06 01:48 ID:Y0JgNErV
東むっちょが与太飛ばしても反皇室論にはならないわ。
殺人者も人間です、天皇も人間です仲良くしましょう、てな子供の論理。
358 :
パンドラ:03/02/06 07:06 ID:hfYL3cdC
>>323 神道の影響はないとはいえないが、表面的で限られている。
例えば、西欧では(人類共通…?)ギリシャ神話に由来するとされるエディブスコンプレクスが深層意識に内在するといわれ、
一方、古沢平作によれば、日本人の深層意識には、仏教由来のアジャセコンブレクスが内在するという。
このように日本人の心の深層にまで影響を与えるものとして、神道由来の複合観念はない。
で、統一テーマとのご提案だが、↓のように基本的見解が分かれている以上、結局は派生・分化してしまうのでは?
359 :
右や左の名無し様:03/02/06 07:07 ID:hfYL3cdC
>>328 >アリストテレス的宗教哲学の否定…補足・修正であって、アリストテレスは現在でも有効
釈迦に説法だがw、「我思うゆえに、我あり」は創造者たる「神の否定」を含抱している。
アリストテレスがどのような意味で「有効」かは不明だが、古典的意義はもちろん否定しない。
そういえば、ここでもヘーゲルの信奉者が、ときどき出没するw
言い換えれば、あなたの好きなローマ法大全が現代法に影響を与えている、のと同様。
いずれにしても、ほとんど実体的意義はない、ということである。
>ころ氏は、その可能性を問題提起しているだけであって、断定はしていない。
そのように理解している、一方こちらも断定はしていないw
>日本の法曹界は判例を無視しない。また、どの国家、地域においても、自然法が存在する。
わが国は判例法主義ではないということだが、いずれにしても判例を無視することはない。
で、自然法は概念が異なる。
制定法主義では、慣習法の存在は認められない。だからこそ、おおかたの反対を押し切ってまで、日の丸・君が代を法制化した。
>このスレにくる誰もが、「一方的」などと考えていない。
であればけっこうなことである。天皇制が民主主義を担保するなどというトンデモも主張されないだろうしw
360 :
右や左の名無し様:03/02/06 07:07 ID:hfYL3cdC
>あなたが、天皇について無知なだけ、私は散々、説明している。
あなたのトンデモな理屈に同意しないことを「無知」とされるのであれば、そのとおりであるw
いくらご説明いただいても、トンデモはトンデモである。
>答えが出ているなら、別スレを立ち上げることを勧める。
答えが出ているなら、スレをたてる要もあるまいw
>そのような事実は無い。
神道色の強い天皇を国家制度として象徴とすること自体が優遇であり、そうはされない他宗教は冷遇といえる。
ありのままの事実である。
>>360 パンドラ氏
>神道色の強い天皇を国家制度として象徴とすること自体が優遇であり、そうはさ
>れない他宗教は冷遇といえる。
この認識で言えば、議会制民主主義において、公明党は池田大作氏を、総理大臣
に指名できない。(けして私はそのようなことを望まないが・・・。)
それとも、総理大臣ならOKで、国民統合の象徴の場合NGというなら、その論
理を、説明する必要がある。
国民の総意に基づく天皇が、国の制度内で一切の宗教色を出さずにいる現状でも
神道に限り、その色が強いから国の制度に入ることが許されないとすれば、その
ことこそ、政教分離・信仰の自由に反する。
>>358 アジャせコンプレックスの内容は知らない。教えてくれると助かる。
アジャセが、この世に生を受けたときから、父である王を怨んでいたとい
う部分に焦点を当てたものか、因果応報というような部分に焦点を当てた
ものかは不明だが、怨念、因果応報、共に仏教の趣旨と、日本における神
道影響下の趣旨では相当違うものになる。
363 :
お知らせ:03/02/06 12:05 ID:zzF0A6Rw
●「戦争する国」づくりに反対し憲法が生きる日本に−
「建国記念の日」反対2・11集会 PM1:30労働スクエア東京
講演:小森陽一 ・連絡会03-3261-4985
●戦争の時代と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動
PM1:30渋谷区勤労福祉会館 集会後デモ
講演:黒田伊彦 ・実行委員会090-8042-5023
364 :
・・・:03/02/06 12:25 ID:???
>>358 >アジャセコンブレクス
>日本人の心の深層にまで影響を与えるものとして、
>神道由来の複合観念はない。
あくまでも、コンブレクスの一つの型の表現であり、仏典から求めただけの事では?
で、それを克服するのには日本(神道含む)型の心理も無視できないのでは?
>>358 アジャセコンプレックス・・・調べたよ。
ぜんぜん、仏教思想と無関係じゃん。まったく。
母が、父の愛情を求めて、母から女へと変身することを嫌う心情、あるい
は、母の性的な振る舞いを見たくないと思う心情 のことらしい。
仏典のアジャセにちなんだだけという、・・・氏に一票。
366 :
ころ:03/02/06 19:58 ID:???
>>354 >リベラルってどういう意味
実は、こういった単純な質問が一番難しいんです^^;。自分への確認も込めてレスしていきますね。
しかも、日本語では説明するのが難しい概念なんです。というのは、リベラルに該当する日本語が正確にはないんです。
リベラルはリバティの派生語(形容詞形)ですから「自由の」転じて「自由主義」「自由主義者」ということになるのですが、この日本語でいう「自由」には西洋では二つの言葉の言葉があるのをご存じですか?(勿論英語でも二つあります。)
一言では説明できないんで、気長にいきたいです。
367 :
保守を考える:03/02/06 22:42 ID:4bJW912t
>>356 >倫理学は倫理を研究する学問。倫理を創造する学問ではない。
>それに、私は「倫理」といった。学をつけていない。
なんでこういうレスになるのか、頭をかかえてしまうのですが・・・・。
思想については
>>292で簡単に明示しましたが、それを「創造する」と捉えたの?
で、あなたは「倫理と言った」と云うけれど、
>>350の「倫理的レベル」と云ったのは別人?
>あなたは、自由主義の原則が過去の先人にも適用されるべきであると主張した
そんなこと主張したっけ?(身の覚えがないので、レス番の提示をお願いします。)
私は
>>309であなたが、自由主義の「前提」として
>この前提は、「危害防止原理」つまり、
>他社の権利を侵害しないという限りにおいて最大限認められる
それに対して「他者とは過去の先人、未来の子孫も含めて指しているのでしたら、異存はありませんが。」
と云いました。であなたは
>>327で
>まあ、自由主義は原則として現在生きている人間のみを対象にしているべきでしょう。
>それはそうとして、倫理学の面では世代間倫理は結構アクチュアルなテーマだよね。
>特に、資源や環境の問題に関しては
と倫理学の話題になったのですが・・・。
私としては、倫理的な面を乗り越えた議論の先に、認識論的、権利問題に発展するとふんで、
つまり、有史以来の皇室の存在意義を先人達がどう
発展的継承をしてきたかの議論になると感じたから、基本認識として拘っているのですが。
あと、たとえ話は適切にね、それともツッコミを期待しているのかなあ?
で、
>とりあえず漏れにはぜんぜん興味はない。漏れはそうではないですよって、それだけのこと
終了宣言にも聞こえるが、それで宜しいですか?
368 :
ころ:03/02/06 22:45 ID:???
<日本の前提は何なのか>
近世以前は別にして、まず近代以降に焦点を絞ります。
明治維新で異形なゲマインシャフト(
>>203のむっちょさんのログは納得です)にしろ、日本は天皇の下で再統一されました。
で、近代国家を目指して国家整備をしていく訳ですが、かつて中国のように西洋を手本にしようとしました。
で、そのためには法治国家(立憲制)であることは避けて通れないものと考えました。このへんは伊藤博文が国憲の必要性を散々説いてます。
でも、法治国家は前提がないと成立できません。
>>337の逆パターンです。ただ導入しても前提を無視・否定しては根付かないのです。導入元の前提と合理的に結合させなければ根付かないのです。
(以下は前にしたこともあるのですが)
日本的合理主義(感情ではなく理性的論理的に見て下さいね)
西洋では「キリスト教の神」=「法」と解することで法治国家になったのですが、日本ではこの「キリスト教の神」に当るものを「天皇」と解する(これが遡及的に作られたということになるのでしょうが)ことで、法治国家になりました。
つまり、「神の下の平等」=「法の下の平等」=「天皇の下の平等」です。
だから、天皇が前提なのです。西洋ではキリスト教でした。実在する(合理)ものを非合理の結晶とも言えるキリスト教の神に当てはめたのです。で、天皇の前提を国家神道(国体)で補完しました。国家=現人神はここから生じる理論だと思います。
そして、明治憲法では天皇は二面性が生じることになります。現人神(前提)としての天皇と君主的存在の天皇です。
これは明治天皇の成立過程で分かります。
天皇は告文で「皇祖 皇宗及 皇考ノ神祐ニ祷リ朕カ…此ノ憲章ヲ履行シ愆ラサムコトヲ誓」ってます。で、明治憲法で「天皇」「臣民…」…を規定しました。
つまり、天皇(現人神)が「この憲法を守らせる」ことで、明治憲法が成立、で「天皇」「臣民…」…を規定したということになります。
自分が自分を規定する、世界でも類を見ない特殊な憲法だと思います。
<知ってる人は知ってると思いますが、ある本にも同じようなことがかいてありマス。でもこの論を自分なりに検証して否定できないのです。>
>>367 >私は
>>309であなたが、自由主義の「前提」として
>>この前提は、「危害防止原理」つまり、
>>他社の権利を侵害しないという限りにおいて最大限認められる
>それに対して「他者とは過去の先人、未来の子孫も含めて指しているのでしたら、異存はありませんが。」
>と云いました。
確かにそうでしたね。でも、結局同じことでしょう。自由主義の原則を適用しない限り、
「危害防止原理」の原則も結局認められないわけで。
>倫理について
いいですか?私はあなたの「過去の先人たちの意志も大切にしましょうね」
という「倫理レベルの」考えは、まあ半分共感できる。しかし、「過去の先人たちの意志を、
国家の基本制度(たとえば憲法)に『過去の先人たちの意志は大切に
しなければいけないからという理由で』盛り込むべきだ」という考えには
100%同意できない。
「いかなる倫理も、倫理であることそのものをもって積極的に憲法などに
盛り込むことはできない。」これをただ繰り返しているだけなんですけどね。
これから、私にレスするときは、
「善よりも正の優越」「善の構想の多様性」この言葉を十回繰り返してからにしてください。
>>353 あんまり納得はしていないんだけど・・・。
リベラルな民主主義がキリスト教からの論理的帰結ではない以上、
リベラルな民主主義はキリスト教という土台がなければ成立しないという議論にはならない。
言い換えれば、リベラルな民主主義には前提があるかもしれないが、その前提はキリスト教
でなくてもよいし、その前提を見出すことはあまり意味があるとは思えない。
なぜならば、宗教にかかわりなく、それぞれの人間が持つ世界観は多様です。
「これがキリスト教を信じているものの世界観です」なんて、一言で言い表せない。
特に、このようなメタのメタのさらに奥底の精神世界の構造まで考えると、
(つまり、近代民主主義は「一見」キリスト教を相対化しているように見えるが実は・・・」という)
社会学的にもモデル化は難しいでしょう。超越性はそれぞれの人がそれぞれ抱いているものだと
思いますけどね。表層的にはわからないだろうけど。
>ウェーバー
は、いささか時代遅れになりつつありますよ〜w。
資本主義の成立については、たとえばフランスのアナール学派なんかが批判的に
研究を進めているところですね。私もまだ勉強中ではありますが。
>これから、私にレスするときは、
>「善よりも正の優越」「善の構想の多様性」この言葉を十回繰り返してからにしてください。
特定の価値観の押しつけになっとる罠
>西洋ではキリスト教でした
だから、そうじゃない(と思う)んですよ。
人権とは与えられるものではなく、自然に備わっているものなわけで、
では、その自然に備わっている人権が人間に備わっている理由という、
形而上学的な超越性を、たとえば神に付託しているのであって、
それ以上の意味を神という言葉に与えているわけではないわけ。
だから、明治憲法の「臣民の権利」は人権思想とは単に「前提」の
問題ではなく、質的にまったく違うものになっている。
373 :
保守を考える:03/02/07 00:08 ID:LrE6ioPD
>パ氏
>>359 >「我思うゆえに、我あり」は創造者たる「神の否定」を含抱している
なんでこういう見解になるのかなあ?
デカルトはその「方法序説」で、コギト論を述べていますが
それは、神の否定ではなく、神は物心の中心であると明確に述べている。
それをスピノザが発展させたのですが、その物(唯物論)を拡大解釈して合理的にしたのが
ライプニッツというのなら判りますが、彼の論理は既に崩壊している。
それで、なんでアリストテレスの否定になるの?
だいたい、デカルトの考える神とアリストテレスの考える神が同じと言う前提が
「トンデモ」過ぎて話にならない。しかも時代錯誤。
まあ、このように私は論理的裏付けをもって、あなたを「トンデモ」と批判しているわけですが
あなたは、自説の論理すら曖昧であり底の浅い間違いが多いのにもかかわらず、
人の論をトンデモと非難する。どちらがトンデモであろうか。一目瞭然である。
今後、こういった「トンデモ説」にレスするのは馬鹿馬鹿しいので、今回で最後にしたいが
また気が向いたらレスするかも(笑うところね)
あとは、れ氏や・・・氏に同意であるので、観察させてもらいます。
>>347 1 中央集権化・社会の広域化と宗教の関係
まずはじめに、個人的な信仰の問題と宗教運動の持つ社会的側面を区別して考える
必要がある。俺が問題にしているのは、宗教運動の持つ社会的側面(藁
宗教は、超自然的存在に対する個人的な信仰を基礎にしている。しかし、
宗教を社会的に見ると、倫理観・世界観を定め、民衆の生活規範を統一する
社会的機能を持つ。アミニズム・原始的宗教は、教義も一定せず、口コミ的な方法で
民衆に浸透しているため、倫理観・生活規範の統一に欠けるきらいがある。
つまり、固定した教義・脱世俗性を持たない宗教・信仰を基礎とする社会は、
広域な社会形成力が弱く、地方によって倫理観・生活規範がバラバラになってしまう。
数百万単位の広域な社会で、単一の倫理観・生活規範を共有しようとすれば、
厳密な教義、テキスト、意思統一された聖職者などを持つ世界宗教を受け入れ浸透
させることが必要になってくる。以上が世界宗教が土俗的な信仰を駆逐した理由だろ。
世界宗教と国家の結びつきの意義は、民衆の価値観・倫理観の統一にあるから、
それが実現できれば、別にどの宗教でもかまわないことになる。キリスト教
でもイスラームでも仏教、儒教でも。あくまで力点は、民衆の価値観・倫理観の
共有にあるわけだから、それを効果的に行いうるシステムがそろってさえいれば
どれでもよい。システムとは、テキスト、専門の聖職者、宗教組織による教義の
統一など。これらが完備された宗教であればあるほど、見ず知らずの広域な人々の
間で、共通の倫理観を社会に醸成する規範力が強いことになる(藁
2 中央権力が宗教を用いて権力を浸透
古代日本に限らず、新来の宗教・宗教組織を持って国家統一の基礎としたのは、
世界各地でみられる普遍的な現象。日本は、国分寺などを設置し、あるいは
地方豪族に仏教信仰を奨励し、地方に寺院を建立させた。西洋やイスラムでは、
やはり宗教組織をそれを信仰する地域に張り巡らせた。これが社会的にいかなる
意味を持つか?意味するところは、一つだろ(藁
仏教やキリスト教など世界宗教は、土俗的自然崇拝と異なり、固定された教義・
世界観を持つわけで、移入元の中央が地方へとそれを浸透させることになる。
つまり、中央の宗教センターから、地方組織へと教義が伝えられていく。
さらにそれに付随して、中央から地方へと文化・人の流れが生じる。
古代・中世においては、人・物の移動は限られていたから、宗教組織・宗教運動
の持つ中央文化の浸透力は、あなどれん罠。
つまり中央権力は、自らの権力基盤を強化するために、世界宗教を奨励し、
自らの支配圏に倫理的・文化的統一性を与えようとした。地方間の文化・価値観の
隔たりが大きいほど、政治単位としての統一性は弱くなるからな。また、中央から
地方へと言う文化的・倫理的ヒエラルキー構造と言うものも醸成できるわけだし。
まさに中央権力にとっては一挙両得(藁
3 世界宗教とは、広域な社会連帯を導く社会技術体系
以上のように世界宗教は、広域な社会において統一された倫理観・文化を生み出し
社会を一体化するための、社会工学上欠くことのできない技術体系である(藁
部族社会や地域社会が、それを越えたより広域な社会的連帯を持ちうるためには、
部族・地域を越えた倫理観なり文化を共有する必要がある。旧来の土俗的な
アミニズム信仰では、広域な社会において倫理的・文化的統一性を維持することが
困難であった。そこで、社会工学に長けた教祖と呼ばれる人たちが世界宗教を
創始し、さらに社会工学に通じた時の中央権力がそれを受け入れていった(藁
仏教やキリスト教、イスラーム教を創始した教祖、それを移入した政治家は、
それまで地域・部族どまりであった倫理的・文化的統一を打破した点において、
希代の実践的な政治学者・社会学者と言うべきだろうな(藁
社会・政治の持ってきた地域的限界を打破し、地域権力・地域文化を凋落させた
点において、郷土主義的アズマ人の俺にとっては敵であるがな(藁
377 :
ころ:03/02/07 00:50 ID:???
むっちょさん
>>340(見落としてました、あまり今のむっちょさんが要求してるのとは関連性はないと思いますが、補足しときます)
>キリスト教によらない、土俗的な異形的世界観
宗教改革以前はキリスト教は国王貴族など一部のみしか信仰していない、という学説もあります、確か。ギンスブルグかは知りませんが。
でも、宗教改革以後新教と旧教の宗教戦争まで起きたということはそれだけ(又その中で)キリスト教が急速に広まったともいえるのでは?
宗教改革から市民革命まで200年近くあります。宗教が民衆まで根付くのに充分では?
このへんはむっちょさんの専門です。根拠も薄いし、はっきり否定もできません。
で、本題です
>>370 >リベラルな民主主義がキリスト教からの論理的帰結ではない以上、
だんだん哲学的になってますね。突き詰めると歴史は必然か偶然かという議論にもなっちゃいます。(どっちだと思います?)
これはスレ違いなのでどっちとだけ答えてくれれば嬉しいです…
>その前提を見出すことはあまり意味があるとは思えない。
この考えにも一理ある、というかその考えで実行されたのが日本であり、戦後の植民地独立国家だった訳です。
で、視点を変えてみますね。
日本では、近代民主主義が根付いてると思いますか?
>ウェーバー
そうなんですか?私の大学ではバリバリでした。プロテスタント系の悲劇?^^;
尤も、学説も色々あると思うんです。
私は、ウェーバーに遊ばれてました。で、大学そっちのけで遊んでましたw。多分学問に対する姿勢が違うんだろうなぁ。いいことです。
ウェーバーを否定してください。勉強頑張ってください(マジで)
こうしてみると民族固有・文化圏固有とされる宗教文化・信仰体系も
人間が広域な社会を形成する発展段階で見られる、普遍的現象である
ことが理解できるだろ。
キリスト教的素地以前の問題として、脱世俗的価値設定、意思統一された
聖職者といった宗教システムが、広域な社会を維持する機軸になる。
このように社会の発展段階の一つとして、世界宗教と国家権力の結びつきが
生じるわけだが、宗教による広域な社会形成にも限界がある。異端や異教徒に対する
社会的包容力に限度があるし、また教義に対する偏狭さが思想的自由を抑圧する
ことにもなる。世界宗教を利用した国家形成は、以上の点で問題があった。前者は、
宗教戦争や魔女狩りの温床になって社会を混乱させかねないし、後者は自由な
精神生活を拘束し社会発展の可能性の芽を摘み取る方向で機能しかねない。
そこで、世界宗教を利用した社会システムの代わりとして、脱宗教化した国家統一
システムが西洋で登場してきたんだろ。そう言う風に考えれば、近代主義的国家
システムは、西洋起源ではあっても人類に普遍的な広域な社会形成のための
政治技術体系と言ってもかまわん罠(藁
以上を踏まえて近代天皇制の問題点をあげつらうと・・・・(藁
国家統一の政治システムである天皇制には、キリスト教など世界宗教みられる
脱世俗性というものが十分に担保されていない。よって、権力者の恣意・民衆の暴走
をチェックする点において、世界宗教による国家統一システムに比べ劣っている。
つまり、社会発展の段階論的に言えば逆コースになる(藁
近代天皇制は、ナショナリズム運動の一環として、明治以降に登場した社会技術。
天皇制になんらかの倫理的・宗教的意味を見出し、それを持って社会形成に利用しよう
と考えるのは安易な発想だ罠。
もし「テンコロ」を使って民衆の倫理的・文化的統一をと考えるなら、それは
メルトダウンの危険と常に隣あわせってこった(藁
380 :
ころ:03/02/07 01:34 ID:???
むっちょさん
>>372 なんとなく近代民主主義の捉え方自体違ってるような気がしてきました。
ここが解決しないと、まだ平行線が続きそうです・・・。
とりあえず、
>>377 >日本では、近代民主主義が根付いてると思いますか?
このお返事待ってます。
これ、真意です。
別にむっちょさんを論破したくてやりとりしてるんじゃなくて、こうやりあってるうちに共通の認識ができると思うんです。
で、共通の認識ができれば天皇制についてもお互い分かりあえると思うんです。
今は、平行線ばっかりです。ベースも共通の認識も違い過ぎます。
保守考さん、れさん、・・・さん、アズマさん、パンドラさん、そしてむっちょさん…
この人たちは少なくともマジメに持論を述べてます。煽りや荒らし、一見さんには棲みづらいでしょうけど、【教えて】皇室の存在意義【下さい】に存在意義があるって思ってます。
だから、もっと有意義なものにしたいんです。
381 :
パンドラ:03/02/07 09:47 ID:TQreoN/q
>>361,362,364,365
れ氏ならびに…氏、申し訳ございません(常体でなく敬体で…)
本来、私から説明すべきを、お調べいただき m(__)m
カキコみっぱなしで、しばらく私用でパソをいじる間がありませんでした…言い訳…
で、…氏のexplanationの範囲で誤りはないが、一点、かかるcomplexは解決されることもあれば、
内在して活動化されない場合がある、とされている。
で、解決には文化的要因はほとんど関係ないが、逆にいえば、お二人の言われるように
心理の原型が仏典に現れたにすぎないということになろう。
ただし、心理の原型が表れたこと自体に深い心理的影響を見出す、ということ。
心理の原型が表出する神道伝説はみあたらない、で、さほど日本人心性に影響を与えていないと申し上げたかった。
382 :
パンドラ:03/02/07 10:09 ID:dtO/hGly
>>373 近代哲学が、デカルトをもって嚆矢とされることはご存知であろう。
で、デカルトが否定したのは、アリストテレスそのものでなく、アリストテレス的宗教哲学である。
いわゆるスコラ哲学であるが、ギリシャ哲学の復活のみならずイスラム思想の影響もあるとされる。
デカルト自体は、たしかに神の存在を「証明した」としているが、存在自体を人に求めたことが、
創造主たる神の否定を含胞している。
一般に、デカルトをもってスコラ哲学の終焉とされる。
一般論だから、トンデモでもないと思われ…w
>>381 ご丁寧なる書き込みイタミイリマス。
日本人と諸外国の人たちとの大きな心理的な違い、それは
「争いを避ける」という事であろう。イスラエル紛争において、双方話し
合えば理解できるはずだなどというのは、「無原則話し合い決定」という
日本独特の心理である。日本人は、争わないことで、怨念の発生を避ける
、これが非常に強い心理である。
オオクニヌシとアマテラスさえ、国譲りで、若干の争いはあったものの、
最後は話し合いによる解決を、神話としている。(現実には抗争があった
のだろうが・・・。)考えてみれば、どこの国でも、旧為政者・権力者、
そして反逆者は徹底して非難される。
それは現権力者の正当性確保のためには当然であろう。
旧権力者や反逆者の象徴的な遺跡を保存するという考えは、日本以外には
ない。日本には、旧権力者を讃える出雲大社をはじめ、様々な神社仏閣寺
院に、旧権力者反逆者が祀られている。怨念防止・怨霊防止である。
心理の原型が表出する神道伝説は山ほどあるよ。
つづき
つづきて、言霊信仰である。
日本では、縁起の悪いととは言えない。言わないのではなく言えないので
ある。日本はこのままだと負ける恐れがある、そういえなかった戦時中の
軍人・政治家は多数いたようだ。多数の人質を取った立てこもり事件で、
海外では、人質の何パーセントの犠牲を覚悟して、突入する議論ができる
が、日本では、そのような意見をテレビでいっただけで、大変な非難が巻
き起こる。
縁起の悪い事は言えない。これも、日本人独特の心理である。
言霊信仰、コトアゲも神道伝説に基づいた心理であろう。
385 :
パンドラ:03/02/07 10:30 ID:w+4RifwK
>>361 >総理大臣ならOKで、国民統合の象徴の場合NGというなら、その論理を、説明する必要がある。
簡単な理屈だが…、象徴が公選されるのであれば、あるいは議会で指名されるのであれば、
それが大作氏でも、松本チズオ氏でも、歓迎はしないがしかたがなかろうねw
>>385 公選も、憲法における国民の総意も、同等なんじゃないの?
国の象徴を公選する必要性があるというなら別だが、公選していないこと
が、国民の総意でないということにはならんでしょう。
憲法は、国民の総意で改正できるのだから。
387 :
万年救護大本尊の朴蓮:03/02/07 12:10 ID:bN3x5Drb
1他に神があっては
ならない。
2像を造ってはならない。
3主の名をみだりに
唱えてはならない。
4安息日を聖別せよ。5父母を敬え。
6殺すな。
7姦淫するな。
8盗むな。
9隣人に関して偽証するな。
10隣人の家を欲するな。
って、こんな事書かれたモーセの石版が
世界から消えていて、それが日本の皇室と
関わっているなら
国民の総意よりも
世界の総意も念頭に
入れた方がいいのではないか?
世界の「神さま」って結局このモーセの石板が原点でしょ?
388 :
・・・:03/02/07 12:13 ID:???
>>366>ころ氏
何か日本においてはイメージ先行で、それが転じて、余り良いイメージ
を持ち得なくなってしまいましたので。
>パンドラ氏
>>381も少し苦しいのでは?
私はてっきり、>神道由来の複合観念・>表出する神道伝説、という表現から、
ご存じの上で、書き込まれているのかと思っておりましたが。
私の記憶では、神話における複合的(一見非合理)な絡みに、
大局的にはバランスがとれており、これを認める?事が精神上、
有効である、というNHKの番組を思い出したのだが。
又、他例の方法論としても見出せると思うのですが。
(専門でないので、有効かどうかは知り得ませんが)
>>385 私はまず、一方的な政教分離論から論じる事自体疑問であるし、
宗教性を体している象徴を前提とした総意でなければ、つじつまも合わないような
感じもします。その上で、現状憲法上どうであるのか?は、私も知りたい所です。
>>387 相当違うよね、日本の神様と。特に、1、2、4、・・・。
イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の原点でしょ?
石版は二つあるんだよね。最初の石版は、子牛の偶像を神とあがめたユダ
ヤの民を数千人、モーゼが殺したときに使われたと記憶している。
390 :
万年救護大本尊の朴蓮:03/02/07 13:32 ID:tk9cTnaq
小牛の偶像を拝んだ
ユダヤの民は行方不明で叩き壊したのは最初の石版のほう。
で二つ目の石版(十戒)も行方不明。
多宗教の日本人と、
偶像拝んでモーセに
怒られたユダヤ人(十支族)は気質が似ているから日ユ同祖論が
生まれたのだろう。
>>390 >ユダヤの民は行方不明
殺されたんだよ。ちゃんと旧約聖書に載ってるでしょう。異説があるなら
、それはそれで良いけど。旧約聖書では、神は日本人の感覚では相当むご
いことを命じるよね。エリコの町では、何の罪とがもない無垢の民衆を、
女子供から家畜まで皆殺しにさせ、のろいまでかけているね。
そして、その行為を行ったユダヤ人は、仲間から讃えられたんだが、どこ
が日本人に似ているか、全く違うように、私には思えるよ。
>>377 キリスト教自体は早い段階で民衆にも広まっていたでしょう。
ローマ帝国崩壊後、混乱の中にあったヨーロッパで、唯一の「社会機能」を
維持していたのが教会組織であったという見方もあります。
ただし、キリスト教を受容することと、それをそのような世界観のもと
理解するかはまた別の問題なわけですよ。
(これに関しては、私はアズマさんのレスに全面的に同意)
コンスタンティヌスはキリスト教徒であったか否か?という論争もあるわけでして。
日本は近代民主主義が根付いているかどうか。
まあ、基本的には根付いているのではないでしょうか。別に欧米だって問題なく
近代民主主義やってるわけじゃないですよ。どこの国も問題を多く抱えている。
アメリカだって、あの不透明極まりない大統領選挙見てりゃわかるようにw。
(ああ、フロリダの票が、ちゃんと開票されていたらw)
あれだって、国全体で民主主義盛り上がっているように見えて、実は投票率6割なわけで。
>>392 キリスト教的価値観と私が言うとき、キリスト教徒などの基本に、
「人は神から創られたから平等である」との基本認識がプロテスタントを通して
広まったということ以上の意味はないと思うよ。
日本との比較で言うと、これは大きいんだが、日本では、神と人間さえも、同一
線上という意味で、公平であるとの基本認識は、明治以前まではあったんじゃな
いのかと思う。特定の(例えば朱子学など)の影響があったもの以外はね。
394 :
ころ:03/02/07 19:15 ID:???
むっちょさん
細かく突っ込みますね。貴殿に理解してほしいから…
>>372 >人権とは与えられるものではなく、自然に備わっているものなわけで、
ということは、現在も何も法(憲法)で規定することはないということになります。
法で規定しなくても自然に備わってる訳ですから。
>では、その自然に備わっている人権が人間に備わっている理由という、
>形而上学的な超越性を、たとえば神に付託しているのであって、
>それ以上の意味を神という言葉に与えているわけではないわけ。
この文を神→法(憲法)に置き換えて下さい。
分かりますか?現在も神から法に変わっただけで人権や自由、平等などは担保なくして成立してない訳です。
哲学的です。難解です。でも、これを納得されないと共有できないんです。
>>374 アズマ氏
保守考氏との議論を期待するが、(まだ言ってる。)
宗教の捉えかたが、現代に偏りすぎていないか?
本気で信じられていたという側面を無視して、権力者の都合を強調しても、ぜん
ぜんリアリティがないね。
>>394 >現在も何も法(憲法)で規定することはないということになります。
憲法とは、自由や人権の概念を「実定化」したものであって、
「規定」したものではないですよ。
その実定化された憲法に従って法はつくられるので、法によって
人権が担保されているという言い方は定義上は好ましくない。
>>393 >「人は神から創られたから平等である」との基本認識がプロテスタントを通して
広まったということ以上の意味はないと思うよ。
だから、この解釈自体が杜撰といわざるを得ないわけでして・・・。
あなたが、たとえば仏教そのものと、日本で受け入れられた仏教を
区別するという論点が提出可能なのと同様に、ヨーロッパにおいても
キリスト教そのものと、土俗的な受容のされ方は異なるという論点は
十分見出せるわけで。
397 :
ころ:03/02/07 20:42 ID:???
むっちょさん(後はあなた次第です)
>>396 >憲法とは、自由や人権の概念を「実定化」したものであって、
「規定」したものではないですよ。
きてい 【規定】
(名)スル
(1)物事のありさまややり方をある形に定めること。また、その定め。「―に従う」「概念を―する」
(「大辞林大二版」より)
規定と実定化も一緒でしょう。「概念を規定する」ってズバリ書いてありますた。
>法によって人権が担保されているという言い方は定義上は好ましくない。
担保=保証ということですが、だったら人権は、どこで保証されるのですか?
398 :
ころ:03/02/07 20:45 ID:???
>>397 ちょっとピントがずれてますね。これから訂正します
399 :
ころ:03/02/07 21:10 ID:???
むっちょさん(哲学的なんで、どこで納得されてないのか私にも分からないんですが、質問はいくらでも受けますんで)
>>396 >憲法とは、自由や人権の概念を「実定化」したものであって、
「規定」したものではないですよ。
「実定化」が辞書に載ってないんです。
どう違うのでしょうか?やはり、一緒のような
>法によって人権が担保されているという言い方は定義上は好ましくない。
担保=保証ということですが、だったら人権は、どこで保証されるのですか?
→そのままです。色々考えたが、全て的外れになってしまうようでそうじゃないようで…。とりあえずこれにお答え下さいね。
>>399 「規定」だと、人権というものを法によって決めようというニュアンスですが、
人権というものは、保証なんてせずとも、存在することはもう自明である
(とみなされる)ものであって、それを具体的に社会の中に取り入れるための
道具が法であるわけです。もし、人権が法によって保障されているのならば、
じゃあ、その法は何によって保証されているのか?ということになる。
言い換えれば、人権が法を保障しているということです。
少なくとも理念的には。
402 :
保守を考える:03/02/07 21:50 ID:td8jPgMX
>>369 >でも、結局同じことでしょう。自由主義の原則を適用しない限り、
>「危害防止原理」の原則も結局認められないわけで
自由主義(リベラリズム)の原則については前スレで述べたような気がしますが、今一度、
「個人の欲望の充足に対するあらゆる障害を排除し、人間は本来、自由であるという観念を
資本主義の個人主義的な生活原理に援用して、言論の自由や経済競争の自由等を云う。」
これら原則を、無批判に認めることになると、社会は混乱し無秩序状態になり、大混乱になってしまいます。
そうした、混乱を防ぐ為、つまり、安全や秩序をどう決定し、維持するかとして
「政治」があるのです。
であるから、自由主義の無制限さを抑制する「危害防止原理」(安全・秩序)は
自由主義とは対立する概念です。
私はこの対立概念(政治による決定)をどう求めていくのかを議論しているのであって
自由主義そのものを否定している訳ではありません。
>「いかなる倫理も、倫理であることそのものをもって積極的に憲法などに
>盛り込むことはできない。」
私もそう云っているのですが・・・
ただし、過去の良質な倫理なり道徳なり伝統は、成分・不文にかかわらず、
憲法制定の最低限の基礎であると主張しているのですが。
>「善よりも正の優越」「善の構想の多様性」この言葉を十回繰り返してからにしてください
確認しておきたいのですが
「正」って哲学でいうところの「定立」を指しているのかなあ?
それとも、単純に「邪」の対義語で使っているのですか?
善の構想の多様性とは、あなたにとっての「善」は認められるということですか?
>>402 うーん、あなたはどうやら基礎的な自由主義に関する知識が不足してると思われ。
ちょっと、教科書読むか、「ミル 自由 危害防止原理」かなんかで検索かけて、
それでわからないことがあれば質問を。多分、話はそれから。
>ただし、過去の良質な倫理なり道徳なり伝統は、成分・不文にかかわらず、
憲法制定の最低限の基礎であると主張しているのですが。
そのような説を唱えている憲法学者はちょっと聞かないけど・・・。
別に、あなたが言ってる憲法は近代憲法のことじゃないかもしれないんだけどさ。
まあ、日本は近代国家じゃなくていいならば、それでいいんじゃない。漏れはやだけど。
404 :
保守を考える:03/02/07 22:18 ID:td8jPgMX
>>382 >近代哲学が、デカルトをもって嚆矢とされることはご存知であろう
なるほど、大陸型のはそうかもしれませんが
それより古い、F・ベーコンはどうなるの。嚆矢だと、こっちかな。
>いわゆるスコラ哲学であるが、ギリシャ哲学の復活のみならずイスラム思想の影響もあるとされる
なんとなく、正しいのだが、厳密にいうと、アリストテレスがアクィナスに援用されたのは
スコラ哲学の末期の話であり、それまでは、イスラム思想において主流でした。
新プラトン主義とアリストテレスを混同しているように見受けられますが。
で、アリストテレス的宗教哲学ですが、
彼は、物事には全てそれを動かす原因があり、それをあらゆるカテゴリーに分けて
遡っていくと、その一番上(ヒエラルキーの頂点)にある最初の原因は、
一番はじめにモノを動かすモノであるから、それ自体は何ものにも動かされない。
これを「神」としたのです。
この論理は現在に於いても、その否定を科学的に証明する事が出来ない。
つまり、依然、有効と云えます。この論理を科学的に否定できるのであれば、
世界から宗教は一切なくなる可能性はありますが・・・・。
まあ、このように、あなたの説は中途半端と断定せざるをえない、(トンデモという理由)
そんな私の心証をお察し下さい。
405 :
・・・:03/02/07 22:27 ID:???
>むっちょ@かわうそ氏
もの凄く、幼稚な質問なのですが、
あなたの言う、実定化(法)と保守考氏の
>過去の良質な倫理なり道徳なり伝統、云々とは違うのですか?
又、自由と人権には実定法は成り立ち、日本の価値観は成り立たないのでしょうか?
何か、交差して思わず存続派の意見かと思ってしまいましたので。
自由=素直(心に正直)、人権=優しさ、思いやりなら、理解しえますし。
話の流れを読んでいませんので、そんなことを議論しておられないかもしれませんが。
>>399>ころ氏
実定法で載っていませんでしたか?
406 :
保守を考える:03/02/07 22:38 ID:td8jPgMX
>>403 だから、それが反論になってないんだって
つまり、コヴァ以下の概念操作能力を自分から宣言しているという事。
ミルだって、個性や教養のない大衆の権利を否定しているでしょうに・・・
>あやしい東氏
あなたに対するレスは明日以降しますのでお待ち下さい。
なにやら、期待している「れ氏」も待ってね。
>>405 違います。というしかないですね。
理由は、まあその実定法の由来が違うからといっておきましょうか。
408 :
ころ:03/02/07 22:42 ID:???
むっちょさん
>>400−401
だいたい分かってきました。あなたと私では認識が全て微妙に?ずれてるんです。^^;私もパニクリそうです。細かく検証しますね。
>「規定」だと、人権というものを法によって決めようというニュアンスですが、
そうです。これが法治主義であって、近代合理主義の申し子なんです。
>人権というものは、保証なんてせずとも、存在することはもう自明である
(とみなされる)ものであって、
…という保証はありますか?
>それを具体的に社会の中に取り入れるための
道具が法であるわけです。
昔は宗教(西洋ならキリスト教)だったわけです。
>もし、人権が法によって保障されているのならば、
じゃあ、その法は何によって保証されているのか?ということになる。
近代合理主義のレスを逆に辿っていけばいい訳です。法=キリスト教の神だから、つまりキリスト教によって保証されてるということになります。
>言い換えれば、人権が法を保障しているということです。
少なくとも理念的には。
じゃあ、その人権は何によって保証されてるのか?ということになります。
聞きたいのは一つだけです。
「人権は何よって保証されてるのか?」
私見では、人権の概念はキリスト教から発生したと見ています。
つまり、昔は人間の権利はキリスト教に担保され、近代合理主義で人権となっても法に担保されてると思います。
>>406 反論になってるよ。
足し算が理解できてない人間に、掛け算とは何かという議論ができるわけがない。
別に漏れはミルの意見に全面的に同意しているわけではないが、彼は「足し算」を
発見した人ですから、まずは彼の自由主義を知ってもらうことが(わかりやすいあし)
必要だと思ったんですがねー。
あと、なんでちょっと検索かけたり、調べたりすればわかることを、わざわざ漏れが
説明してやんなきゃいけないわけ?漏れってあなたの家庭教師だったっけ?違うでしょ?
「知らないことがあれば、まず自分で調べる」っていうのが普通の態度だと思うけど。
410 :
・・・:03/02/07 22:55 ID:???
>>407 >自由と人権には実定法は成り立ち、日本の価値観は成り立たない
その理由の由来を教えて頂ければ助かります。
411 :
・・・:03/02/07 23:07 ID:???
>>407 一応、前後の文を読み、自分自身でも調べてみます。
私の勘違いの可能性が高そう。
もし、教示いただけるのでしたら、それはそれで有り難いですが。
412 :
ころ:03/02/07 23:08 ID:???
・・・さん・(むっちょさんも是非見て下さい。参考になるかも)
>>388 >余り良いイメージを持ち得なくなってしまいましたので。
「民主政治は衆愚政治である」とは古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉ですが、リベラルと民主政治の違いがあるとは言え、似てる(悪いイメージ)と思いませんか?そして今の日本に当ってると思いませんか?
>>392 私見では、日本で根付いてるのは単なる民主主義であって、決して近代民主主義(リベラルな民主主義)ではないと思います。
>>405
>自由=素直(心に正直)、
これを見て、申し訳ないけど、「自由」が理解されてないなぁと思ってしまいました。
日本のリベラルは西洋のリベラルとはまったく違うのです。西洋のリベラルには日本のような悪いイメージはありません。
古代ギリシャの民主主義と近代民主主義(リベラルな民主主義)の決定的な違いは何でしょう?
よく、古代ギリシャでは奴隷制があったから奴隷に人権がないからと言われますが、これは正しいです。
が、決定的な違いではないのです。近代民主主義といっても本当に全ての人間に人権を持つようになったのはごく最近で、それまでの近代民主主義も近代民主主義であって、古代ギリシャの民主主義とは違うのです。
私は「自由」の違いにあると思います。
西洋では自由は二つあると言いましたが、それはフリーダムとリバティです。
フリーダムとは、関係やしがらみからの解放された状態
リバティは、関係やしがらみのなかで自由であること
<つづく>
>>408 こっちはぜんぜんわからないんですがw。
>人権の概念はキリスト教から発生したと見ています。
まずこれが理解できん。人権の概念がどこから発生したかは「わからない」。
(というか、複雑すぎて整理がつかない)
人権は、別に保証されなくていいんですよ。地球が太陽の周りをまわっている
のと同様に、人権というものは存在している。(とみなされている)
で、あえて「なぜ地球が太陽の周りを回っているのか」ということを考えたとき、
(物理学的な理由はなしなw)それは、その人のプリミティヴな世界観によるでしょう。
たとえば、「神が地球をまわしているのだ」という言い方もできるかもしれないし、
それは一番みんなが納得しやすい理由かもしれませんね。だからといって、
「地球が太陽の周りをまわっていることは神によって保障されている」と言う必要はないし、
別にそんなことを考える意味だってないでしょう。これで少しは理解していただけたか・・・。
414 :
ころ:03/02/07 23:36 ID:???
フリーダムとは、関係やしがらみからの解放された状態
リバティは、関係やしがらみのなかで自由であること
フリーダムは、フール(fool=愚か者)に繋がる言葉で一切の関係やしがらみ、つまりは社会からも解放されてることになります。究極的自由ですが、人は社会から解放されたらどうなるのか?西洋ではフールとしました。
リバティは、その点社会を無視しません。人が社会の中でどうあるべきか、その中で自由ということです。リベラルもリバティの派生語ですから同じ意味だと思います。
西洋で言う自由とはリバティです。「自由の女神」はスタチューオブリバティであってスタチューオブフリーダムではないからです。
リバティをもう少し検証します。
社会を無視しないということは、社会の中で自由が認められなくてはなりません。自由という「権利」の発生です。一方社会を無視しないということは、社会に対して何らかの「義務」も発生することになります。
ここで重要なのは、権利と義務が、認める(権利)替わりに何かしろ(義務)という対立概念ではないということです。あくまで相関関係であって、権利は社会なくしては担保できないから権利を担保するために社会的義務が当然起こるのです。
分かりますでしょうか?うまく説明できてないような^^;。
ここで質問を受けてもいいのですが、もう少し引っ張ります。
「権利は社会なくして担保できない、社会を担保する」というのが分かりにくいと思いますから…
<つづく>
415 :
ころ:03/02/07 23:44 ID:???
「権利は社会なくして担保できない、社会を担保する」というのが分かりにくいと思います。
逆説として、自由という権利は人間なら生来持ち合わせてるものだから担保する必要性はないと思うかもしれません。
ここで、古代ギリシャの民主主義を私的に検証します。
私は、古代ギリシャの方が近代民主主義よりはるかに自由で民主的国家だったと思います。
その一つに直接民主制が挙げられると思うのですが、制限なく自由であれば民主政治は維持できると言えばそうではないのです。自由というのは自由を制限なく求めます。制限のないことが自由なのですから。
で、古代ギリシャではこの自由を市民に制限なく許容したと思うんです。
>>413 >人権は、別に保証されなくていいんですよ。
これをまさに実行した訳です。(むっちょさんご参考に)
その結果、衆愚政治に陥り、無秩序・無節操な国家になりました。自由が自由を求めたからです。全てから解放された自由はフリーダム、つまり社会からすら解放されて(つまり社会としては崩壊、無秩序・無節操)しまいます。
何も、直接民主制を否定してるのではなく、現在もスイスでは一部採用されてる訳であって、民主制として成立できると思います
しかし、間接民主制よりもフリーダムな制度なのです。国民には必然的によりリバティさが求められる訳で維持が難しい制度だと思います。それを証拠に採用してる国家は非常に少ないです。
416 :
ころ:03/02/07 23:48 ID:???
社会を無視しないということは、社会から解放されてない(究極的自由ではない)ということになり、その意味では自由が制限されてると見ることができると思います。
でもフリーダム(制限のない自由)では社会は維持できないのは歴史が物語ってると思います。だからリバティ(制限のある自由)が今の民主主義には求められるのです。
プラトンはフリーダムな民主政治を衆愚政治と言った訳であって、リバティな(リベラルな)民主主義は否定してないと思います。
現在がリバティ(リベラル)である一例として、市場経済を挙げます。(畑が違うので激しいツッコミは容赦^^;)
現在の市場経済は自由市場と言われていますが、完全に自由であるわけではありません。国や公的機関(日銀、公取委など)が一定の制限をしているのです。
なぜか、制限がないと自由でなくなってしまうからです。市場には資本に差があります(自由だからです)。そのまま自由だと強大資本が弱小資本を駆逐して寡占、独占市場になってしまいます。
自由市場であることを担保するには一定の制限が必要なのです。
リベラルそのものだと思います。
因みに資本の差をなくそうとしたのが共産主義です。
翻って、今の日本は、リバティ(リベラル)ですか?フリーダムですか?
経済的にはリベラル(近代資本主義)でしょう。でも、政治は、民主主義は…?
上司が「選挙権を行使しないのも自由だろ」と言ってました。
上司はフリーダムとリバティの区別が付いてないのです。悲しい。
>>415 いや、ギリシア・ローマこそ、権利と義務が対立概念にあった社会ですよw。
古代ギリシア・ローマでは、兵役や納税など、市民の義務を果たして初めて
市民的権利が与えられたわけです。
基本的人権は、やはり近代的な概念なんですよ。たとえばオストラキスモス
(陶片追放)なんて、現代の自由主義ではまったくありえない制度です。
それが、古代ギリシアでは「民意である」という理由で正当化される。
古代ギリシアは確かに民主主義社会であっあかもしれませんが、自由主義社会では
なかったということはおさえておく必要があります。
ただ、どちらかといえば、日本がギリシア型の民主主義社会を志向している
というのは、実は正しいかもしれないw。
>上司が「選挙権を行使しないのも自由だろ」と言ってました。
あなたの上司は、自由主義が何であるかよくわかっていらっしゃるw。
民主的決定に参加する人間が多いことと、民度が高いということは、
端的に無関係です。(日本の田舎の動員型選挙を考えてみてください。
投票率90%で、自民党的土建屋候補が当選するw。)自由主義社会は
民衆の決定に、まったく信頼をおいていないのですよ。実は。
いや、日本では、「民主主義的な決定ならば、どんな決定でも許される」
と思っている人が結構多いじゃないですか。別に誰とはいわないけどさw。
419 :
ころ:03/02/08 00:57 ID:???
むっちょさん(どこかで掛け違えてらっしゃると思われ)
>>415 >いや、ギリシア・ローマこそ、権利と義務が対立概念にあった社会ですよw。
私見でもそうです。引用するとリベラル=権利義務が相関関係、
(
>>414)古代ギリシャをフリーダム(
>>415)といってるんだからフリーダム=権利義務が対立概念、ということになります。
もっとも私的検証ですから相関の対義語が対立なのかは知りません。
重要なのは、この認識は共有できてるってことです。
>それが、古代ギリシアでは「民意である」という理由で正当化される。
>古代ギリシアは確かに民主主義社会であっあかもしれませんが、自由主義社会では
>なかったということはおさえておく必要があります。
私見でも古代ギリシャはフリーダムだと言ってるんですから、リベラル(自由主義)ではなかったと言ってるんです。同意見なんです。
>ただ、どちらかといえば、日本がギリシア型の民主主義社会を志向している
>というのは、実は正しいかもしれないw。
西洋史学専攻のむっちょさんから言われると自信になります。
たいした史料もなくここまで構成できたのは、リベラルが分かってるという証左ですもんね。長レス見てくれて感謝です。
>あなたの上司は、自由主義が何であるかよくわかっていらっしゃるw。
>民主的決定に参加する人間が多いことと、民度が高いということは、
>端的に無関係です。(日本の田舎の動員型選挙を考えてみてください。
>投票率90%で、自民党的土建屋候補が当選するw。)自由主義社会は
>民衆の決定に、まったく信頼をおいていないのですよ。実は。
面白い見方です。否定はしないし、むしろ現状の真理を絶妙に付いてると思いますよ。思わず納得。
でも、それって民主主義を否定してない?って単純に思ってしまいます。(この話題は脱線しすぎですな)
>自由主義社会は民衆の決定に、まったく信頼をおいていないのですよ。実は。
ということは、首相公選制にも反対ですか?だとしたらここでも認識が共有されるんですが^^;(多分、この共有は議論と直接関係ないです)
むっちょさんとのやり取りは楽しいのですが、スレ違いもいいところですね。(本当は「民主主義と天皇制は≠対立関係」だったんですが、先は長そうです^^;)
人権は、何によって正当化されるか?あるいは、人権はいかななる
法・存在によって成立するのか?そんなの答えることはできん罠(藁
人には生まれながらに一定の権利がある。その権利の中には、
自由主義を含み、政治的権利から民主主義が派生する、と言うのは
政治神学だな。
神学の本質は信仰であって、信仰とは本来非合理なものだから、
その起源を証明することはできない(藁
しかし、人権やそこから派生する諸原理(自由主義・民主主義)の
果たす社会的機能に関しては、説明することは可能。なぜ、人権と
そこから派生するシステムを、我々は採用しなければならないのか?
他の政治神話・政治システムではダメなのか?
それが、人権とか近代主義的政治手法を正当化する答えだろさ(藁
自由主義とか、民主主義、更に人権思想も、人が生きる上で
作り出した政治技術だから、自然科学的真理として、その正しさを
証明したり、根拠づけることはできん罠。
だからこれらの社会制度の優劣について考えるときは、制度の持つ
社会的機能を見なければダメだろ。これらに絡めて、天皇制とか
別の政治政治制度を論じるのであれば、社会的機能の優劣をこそ
論じるべきだろ(藁
422 :
ころ:03/02/08 01:22 ID:???
むっちょさん(畳み掛けますので、…)
>>408
>近代合理主義で人権となっても法に担保されてると思います。
人権も制限なく自由であっては成り立ちないんです。
その実例が日本国憲法です。第3章は人権(自由、平等)について書いてあるのですが、第12条です。いわゆる「公共の福祉」で、これによって人権が制限され、リベラルということが言えます。
人権が憲法によって担保されてるっていえませんか?
>>401 >人権が法を保障しているということです。
これはどう捉えたらいいのか…??
実例を示して下さいませんか?
423 :
ころ:03/02/08 01:27 ID:???
・・・さん
>>405 >実定法
ありがとうございます。
>>過去レスより
>で、早速質問なのですが、リベラルってどういう意味なのでしょう?
>日本の現実を見つめると、いい加減さの象徴表現に感じてしまっている
>何か日本においてはイメージ先行で、それが転じて、余り良いイメージ
を持ち得なくなってしまいましたので。
これに、直でお答えすると、リベラルが制限ない自由だと皆が思ってるからです。本来リベラルは制限ある自由なんです。
制限がないからいい加減でもいい訳です。制限があるといい加減ではいられません。というか、この「いい加減」も曖昧な(それこそいい加減な)表現なんですけど。
最後にリベラル=制限ない自由になっちゃう実例を
じゆう ―いう 【自由】
(名・形動)[文]ナリ
(1)〔freedom; liberty〕<略>
(2)物事が自分の思うままになるさま。「三か国語を―にあやつる」「―がきく」「―になる時間」「船の進退―ならねば/近世紀聞(延房)」
(3)わがまま。気まま。「よろづ―にして、大方、人に従ふといふ事なし/徒然 60」
日本語の「自由」には本質的に「制限ない自由」しかないんです。リベラル=自由と訳してはリベラルが把握できる訳ないのです。
424 :
ころ:03/02/08 01:30 ID:???
ぁゃιぃアズマ人サン
>>420 多分、初めてレスする(よろしゅう)のですが、貴殿の仰ることは合理的で納得するところも多々あったのですが、
>政治神学
なんですか?これ??
制度の持つ社会的機能を考えていけば、社会制度の持つ社会的意味
がわかってくる罠。少なくとも、陶片追放とか自由主義を抑圧する
民主的決定の正当性については答えがでる(藁
民主主義とは十分な議論の末の多数決がなされる方が、そうでない
より有効に機能する。そこで陶片追放を見ると、陶片追放とは
民主的決定によって、政治的権利を奪う制度。議決権剥奪が認められ
てしまう制度は、少数派の組織的圧迫に転化しかねないわけで、
そのような政治的土壌に十分な話し合いの場が生じるとは言えん罠。
言論の自由とか、内心の自由、信教の自由、と言った諸権利も
自由な精神活動や言論行動を制度的に保障し、それによって
十分な話し合いの場を担保していると言う点で、民主主義と密接に
関係している。だから、そのような制度は、民主的決定の埒外に
置かれなければならないってこったな(藁
>>424 自然科学的に証明することあたわざるものを、絶対的真理として
議論の前提に置き、それを基礎に壮大な思想的・制度的伽藍を
つくるのを「政治神学」と言わずしてなんと言いましょうや(藁
>>422 公共の福祉は、人権という概念に内在しているという説が有力です。
これを、「一元的内在制約説」といいます。詳しくは調べてみてください。
> 実例を示して下さいませんか?
別に実例なんてないですよ。法の正当性は憲法によって保障され、
その憲法は人権思想によって作られているのですから、
論理必然的にそうなるわけです。
また、わかってたらごめんなんだけど、古代ギリシアは自由ではないですよ。
「民意の認める言論の自由」「民意の認める結社の自由」「民意の認める学問の自由」
はありましたがw。逆にいえば「民意の認める殺人の自由」もあったと言えるわけで、
まあ、自由という概念が質的に違うといったほうが適切かも。
それが、フリーダムとリバティの違いかはまあ置いておくとして。
>>426 あーあー、モダニストがなんか言ってるよw。
>>428 俺は、モダニストではないぞ(藁
フューダリストの目から、現代の政治制度・政治思想を
見ているから、冷静に制度・思想の得失を論じることが
できるってこった。
俺にとっては、近代主義的政治手法も、近代天皇制的政治手法も
等しく「政治神学」なわけで(藁
まあ、かくいう漏れもここではモダニストなんだけどな。
>>429 近代主義的政治手法のほうが、その他の政治手法より
メタ的に上位にあるとは言えない?
昔、同じことを聞いたような気もするけど・・・。
>>430 >メタ的に上位にあるとは言えない?
政治制度として、一定の指標のもとに優劣を判断することは
できようが、どちらが価値的に正しいとか優れているとは
言えんだろ。
もちろん、近代主義的政治手法で社会形成をはかるのであれば、
それらの事項は、相対的に他の価値と比べて上位に置かなければ、
社会統合が図れず、効果的な制度運用ができん罠。だから、
社会の構成員は、政治神学としてそれを受け入れる必要がある(藁
しかしあくまでそれは、社会構成員上の約束事であって、
本質的意味において、「メタ的に上位」とかは言えんだろさ。
432 :
パンドラ:03/02/08 09:04 ID:5BTTGanQ
>>383 あなたのおっしゃるようにヒトの心理が表れるような媒体ということなら、ありとあらゆる物語や言い伝えがそうなってしまう。
ここで、心理の原型と申し上げたのは、人間存在と関係を深層意識の上で形作る、
当然ながら無意識化されながら非常に影響の大きい「限られた心象」である。
親殺しの願望、近親相姦の願望、異性化願望、去勢不安…etcなどである。
ようするに、あなたのおっしゃる「心理的影響」とは、
たんなる「心の風物詩」であり、無意識下に前提として置かれるものでなく、意識された共通の思い出に過ぎない。
すなわち、神道の影響が奥深くおよんでいるものはない…ということである。
>>386 そもそも、憲法の「国民の総意」は、国民投票などの検証を受けているわけではなく、
就任も世襲となっており、公選あるいは議会の推薦と基本的に異なる。
ぎゃくに、行政府の長が「国民の総意」として憲法で規定され、それが世襲されれるような事態を想定すれば自明だろう。
世襲をやめて、定期的に「国民の総意」の検証がなされるべく改憲されるなら、もちろん異論はないw
>憲法は、国民の総意で改正できるのだから。
改憲は、国民の総意というより、規定数の国民の意思という表現が適切であり、天皇の地位に対する、
きわめてあいまいな「国民の総意」とは全く異なる。
意識的にか、無意識的にか…しつれいながら粗雑な理屈である…w
433 :
右や左の名無し様:03/02/08 09:04 ID:5BTTGanQ
>>388 >私の記憶では、神話における複合的(一見非合理)な絡みに、大局的にはバランスがとれており、これを認める?
>事が精神上、有効である、というNHKの番組を思い出したのだが。
意味がよく分からないのだが、私なりに解釈してお応えすると…
深層意識に存在するcomplexは、不安定でそれを解決してゆくことが成長の大きな要素となる。
未解決におかれると、後になって、様々な精神障害の原因となる場合がある、といわれる。
その際には、文化的な意味合いというより、母子関係から始まる、個個の対人関係の進展においてなされるものである。
>皆様へ
なるべくスレタイを意識して、流すところは流しましょう。
基本的人権が憲法で規定されていようと、神から与えられたのであろうと、基本
的人権のどれと、天皇制が関係するかを絞ったらいかがですか?
>432 >パンドラ氏
深層に迫れということなので、改めて。(実はあるが、表現を検討中)
行政府の長は、国民に権力行使するから世襲制では困るだけでしょう。
国の象徴、国民統合の象徴は、国民に何の権力行使もしない。だから、硬性憲法
において、国民の総意として規定しても、何の問題もない。
失礼ながら、国の象徴、あるいは国民統合の象徴を、無条件に必要ないと思い込
むから、そのような粗雑な批判が出来るのだろうと、申し上げておく。
くる
435 :
パンドラ:03/02/08 09:47 ID:X90PefYt
>>404 大陸型というより、その後イギリス経験論の系譜にもつながるのだが…
ベーコンはほぼ同時代だが、スコラ哲学の「徒に」精緻な構造について、虚栄への執着、実利への追及を批判したといわれる。
古典的な定立講釈はけっこうだが、存在を神に依拠するのではなく、認識論的に把握するという点で「神」の否定となる。
いずれにしても、「存在」の認識論は、近代心身二元論から現代哲学の系譜につながる事実をもってデカルトを嚆矢とする。
これは、ごく一般的な考え方で、これがトンデモであれば、現在知られている哲学史がトンデモということになってしまうw
436 :
右や左の名無し様:03/02/08 10:03 ID:GPH5bjeD
>>434 権力行使の可能性は直接関係がない、むしかえしの予感wがするが、その他もろもろの要因で国家制度としての天皇制に懐疑論を投げかけている。
問題は、国民の総意の意義の違いである。
国の象徴に対するスタンスに議論を広げるとまたも、散文的になろうw
「国民の総意の検証」のありかたを問うのが、「粗雑」ともおもえないが…w
437 :
・・・:03/02/08 10:45 ID:???
>むっちょ@かわうそ氏
だんだん、自然法と実定法の違いが頭打ち。
人権・自由は自然に備わっているので、規定で決められた訳でなく、
実定化ということなのでしょうか?
で、実定法には慣習は含まれるが、その慣習に歴史・文化等は含まないと言うこと
なのでしょうか?
>>423>ころ氏
ありがとうございます。
>日本語の「自由」には本質的に「制限ない自由」、しかない日本において、
制限を前提としているリベラルに、自由として開放的に受け取っているイメージ
が問題なのかもしれませんね。
>>434>れ氏
そうですね。近代化・民主主義・自由主義等に
統一見解がみられるのなら、気長に待っても良いのですが。
歴史背景が違う価値観で、そのまま、日本に当てはめようとする
矛盾も拭えていませんし(明治憲法下の並立観念と似てきたような)。
>>433>パンドラ氏
complexの起こる要因として、父子や母子を含む(特に幼児期の)人間関係や
文化や慣習も含まれ、その解決法として深層心理に注目すると、日本型文化等を
取り入れる方法も存在するという、単なる一例なのですが(これこそスレ違いに)。
>>436 国家権力を不当に個人に及ぼさないということが、近代民主主義であろう
し、個人に対して共同体(国も含めて)の関与を排除するのが自由主義で
あろうと思う。
権力をもたない存在は、近代民主主義において、国の制度に含まれていて
問題がない。
天皇制は、国民に「日本という国は統合していなければならない。」とい
う価値観しか提示していない。この価値観さえ、否定されるなら、、国家
の対外的な主権は主張できない。国家否定である。
「国民の総意の検証」は、憲法改正論議の中で、常に検証されていると思
うが、天皇制は全く話題にならない。成立から、はや50年以上。所有権
の悪意取得の時効でさえ20年の日本で、もう過ぎその3倍の期間が流れ
る。
自由主義者でも、国の存在まで否定は出来ないだろうし、民主主義にかな
っており、国民の総意も検証され、問題とされておらず、現状で具体的問
題もない。どうして問題とするのか、不思議である。
440 :
ころ:03/02/08 14:40 ID:???
むっちょさん
過去レスをざっと読んで、引っ掛かりました。
保守考さんのレスですが、
>>292 >>民主主義はとにかく人民に主権があることそれ自体を目的とする
>確かに土台の認識が違うね。私は民主主義を「国」民主主義ととらえており
>あなたは「人」民主主義と認識している。まあ確かに人民主主義では、
>国家も天皇もいりませんな。
(>以下がむっちょさんであり、2行目からが保守考さんとなる)
これでは、むっちょさんのまだ疑問は解けないと思います。
で、視点を変えます。
むっちょさんは、人権を宗教などとは関係ない、人類が誕生したと同時に当然発生する何にも侵されることのない概念みたいに思ってる節があります。
私も、どちらが先と言われたら、宗教よりも人権という概念は先に発生してると思います。
ということは、人権は宗教が発生する前に存在してるんだから、保証も何も宗教がない状態でも存在していたことになります。保証もされなくていいことだということにもなります。
でも、宗教ということを考えた時、宗教は人為的に作られてるんです。人間の理性では把握できない非合理なものを人が寄せ集めたものが宗教だと思います。
例えば、死とか、未来とか…でもそこに人権的要素が入らないハズはないと思いますよ。だって人為的に作られたものなのですから。人が関係してる以上自分を無視することはない、人権も当然入ってくると思います。
「人権の概念はキリスト教から<初めて>発生した」
何て思ってませんか?
そんなことは言ってません。人権はキリスト教よりも先に発生してると思います。でも、近代の西洋人はキリスト教から人権を再発見したと見れるのではないでしょうか?
「人」から「国」からとか人権の発生もとにこだわりすぎてませんか?
私は、こだわってないというより宗教も神もそして国も人が作ったものだから、区分けすること自体本末転倒だと思います。
もっとも私見ですので…。参考程度に
因みに保守考さんによると私は「国」民主主義ということになると思います。でも「国」も「人」が作ってるんだからつまり一緒だと思ってます。
441 :
ころ:03/02/08 15:07 ID:???
れさん
>>434 >基本的人権のどれと、天皇制が関係するかを絞ったらいかがですか?
もう少し待ってくませんか?
逆に、人権と天皇制はそもそも関係ないというところまで行きそうなんです。
そのために脱線覚悟でやってた訳です。
>>437 ごめんなさい。ちといってる意味がよくわからん。
>>439 権力をもたない存在は、近代民主主義において、国の制度に含まれていて
問題がない。
厳密にいえば問題があるんですよ。
>天皇制は、国民に「日本という国は統合していなければならない。」とい
>う価値観しか提示していない。
そんなことないでしょ。「じゃあ、なんで天皇じゃなきゃいけないの?」といった時に、
「歴史が、伝統が、、、」ってなるでしょ。
日本国は、理屈としては「憲法制定権力を有した国民」という、(実態としては非常に
政治的なものにならざるを得ない)概念のもとで区切られているわけで、けして歴史性や
民族性のもとで作られているわけではないんですよ。
ただ、現在の天皇制は支持率は高いので、実質「日本という国は統合していなければならない。」
という価値(まーとりあえず正当な価値としておく。)しか提示していないとは言える。
ただ、正当な手続き(すなわち、選挙)を経ていないという理由で私は天皇制に消極的に反対。
>>440 前にも書いたとおり、人権思想はあくまで近代的なものですよ。
人間が社会を作っていく過程で自然発生的にルールが生まれるのは当然。
ただし、それは「人権思想に基づく」といえるほど体系的な人権概念のもとに
あったわけではない。人権概念は「自明だとみなされる」ものであって、
誰も本当に人間はその発生から人権という意識をもっていたと思っているわけではない。
あくまでも、社会システムのための知恵ですから。
>「国」民主主義
前提がまずおかしい。だって、自由・人権の敵は何よりもまず国家ですから。
独裁国家であろうが、民主主義国家であろうが変わりませんよ。
444 :
ころ:03/02/08 16:37 ID:???
ぱんどらさん(相手して下さいね)
>哲学
私は、パンドラさんと違って哲学には何の博識もないんで、「トンデモ」だったらスマソということになりますが、
哲学は非合理を否定したらオシマイ
だと思ってます。神を否定しても、非合理を否定してないと思います。ま、スレ違いなんで…。
>>436 >「国民の総意の検証」のありかたを問うのが、「粗雑」ともおもえないが…w
「国民の総意」私は、個人的に要らないと思います。
でもわざわざ何で規定してあるのでしょうか?
素直に解すると
>>438 >そんなものいらねえ。
という意見もあるし、総意ではないだろうということにもなります。
でも、総意でなくてはならないんですよ。なぜか?
第3条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴…
だからです。「象徴」とは概念・意味・価値観などを具体的に間接的に表現することです。憲法では国家・日本国民の統合を天皇という形で表現した訳です。
本来関係なくても(関係があるから象徴になれるのですが)象徴することで「=」としてるんです。つまり、
天皇=日本国であり日本国民の統合
ということになります。ということは、天皇制及び天皇を否定することは、日本国、日本国民の統合を否定することになります。分かりますか?
国民の統合されてない国家って「国家」ですか?国家って国民を統合したものでしょう?統合を否定して「国家」として成立できますか?
だから、天皇制を否定したら国家として「日本国」じゃなくなってしまうことになる訳です。
いくら国民に主権があり、自由という人権が認められても、国家や統合を否定する自由は認められてないと思います。
そこまで自由であるなら、その自由はリベラルでなく、フリーダムです。(むっちょさんの言う「一元的内在制約説」、つまり制限されるべき自由だと思います)
だから「総意」でなくてはならないのです。当然であることをわざわざ強調してる訳です。
私が、「国民の総意」が要らないというのは、当然過ぎて要らないと思うのです。だって、総意じゃないと国家が維持できないんですから。
わざわざ規定する必要もないのに…って思ってます。(規定があるから「総意」を検証する、またできるって思ってしまうんです。)
>>442 >「じゃあ、なんで天皇じゃなきゃいけないの?」といった時に、
>「歴史が、伝統が、、、」ってなるでしょ。
国民の総意の理由なんか問題じゃないでしょう。小泉首相が、服のセンス
が良いとか、森より信用できるとか、カクエイの娘が支持しているからと
か、どんな理由であっても、国民の総意が天皇を象徴として、硬性憲法に
定めようと決まれば、それで良いんじゃないのかと思う。
どうぞ、自信を持って、積極的にご支持ください。
私が伝統とか歴史を持ち出すとき、そのことによる国民の支持ということを
必ず付け加えているのは(気づかれていないかもしれないが)そういうこと
である。
446 :
・・・:03/02/08 16:55 ID:???
>>442 まず、私にはキリスト教云々は今の段階、関係有りません。
単に実定化の確認です(自然法と実定法は対峙するものだと思っておりましたので)。
人権・自由は自然に備わっている(私はこれを自然法と思っていましたが、違います?)
もので、憲法の規定で生じたものでなく、実定化より逆に盛り込まれた?ものである、
ということなのでしょうか?
逆に言えば、本来キリスト倫理とは本来別の自然法的観念であり、近代思想に至っては
実定化概念として成立したもので、キリスト倫理とは別という事なのかな〜と解釈した
のですが。
で、(あくまでも)別件として、実定法には過去の判例とは別に慣習も含まれると
思うのですが、その慣習に歴史・文化(習俗)等は含まないと言うことなのでしょうか?
という素人的な単純な疑問です。
>>444 すごい番号だね。>ころサン
>天皇=日本国であり日本国民の統合
>ということになります。ということは、天皇制及び天皇を否定すること
>は、日本国、日本国民の統合を否定することになります。
これは、私はなえるというか、違う。
日本国は統合していなければならないということと、その象徴が、天皇で
あることは、国民の支持によって結びつくのではないのかなぁ。
わが国は、我が国であって、天皇の国ではない。
>>437 >だんだん、自然法と実定法の違いが頭打ち。
>人権・自由は自然に備わっているので、規定で決められた訳でなく、
>実定化ということなのでしょうか?
>で、実定法には慣習は含まれるが、その慣習に歴史・文化等は含まないと言うこと
>なのでしょうか?
自然法思想を法学の基礎とする考え方は、現代風の法学だ罠。法学では、
それと対置する概念に、民主的に決定された実定法のみを根拠とする
近代風の法実証主義的な立場がある罠。
自然法思想を現代法学が採用する理由は、民主的決定事項からあらかじめ
除外したい事項を担保したいからなんだよ。すべてを民主的に定めうる、
根拠付けられると言う立場は、一見正しいようにも見える。しかし、民主的な
決定を担保する個人の権利と言った概念までも、民主的決定で剥奪・制限
できるとすると、民主的決定と言う前提自体を掘り崩すことにもなりかねない。
そこで、その部分を民主的決定事項から除外する必要がでてくる。
しかし、これを制度の「正統性」と言う見地から見ると弱いわけだな。民主的
決定が、多数意見の支持と言う正統性を持つのに対して、それを否定するためには
なんらかの別の権威づけが必要なわけ。そこで、「人間が生まれながらに持つ権利」
とか、「自然法」と言う政治神話を持ち出して、正統性を調達しようとしている
わけだ罠(藁
だから実定法とか自然法と言う概念自体に本質的な意味はないわけ。自然法を
持ち出す意味は、民主的決定によらない正統性調達のための政治神学なわけで、
この神学を受け入れるのでなければ、民主的決定から除外すべき「人権」のごとき
領域を担保する別の方法論を示さざるをえなくなる罠。人権のごとき、民主的
決定の埒外にある領域を設定しない立場なら別に問題ないかもしれんが(藁
450 :
ころ:03/02/08 17:24 ID:???
>>447 もっともですね。以下言い訳・・・
天皇を象徴とするのはどうかという視点ならまだ分かるということです。「国民の総意」を検証するって発想がよく分からないんです。
硬性憲法であっても、全会一致ではないんです。憲法を改正しても「総意」であるという保証にはならないんです。
そこから
>>444が出てきた訳であって、「総意」に抵触するから天皇制がよくないって論法(だと一方的に看做した→ちょっと誤爆気味?)が??だったわけでして…。
>日本国は統合していなければならないということと、その象徴が、天皇であることは、国民の支持によって結びつくのではないのかなぁ。
これには、同意です。
ちょっと冷却離間を下さい。・・・
自然法が文化固有の慣習・歴史・文化等を含むかと言えば、
それを安易に肯定する態度は一般的な立場ではない罠(藁
なぜ、慣習・歴史・文化等を実定法の授権規範に含めては
ならないかと言えば、それだけ自然法の持つ正統性の根拠が弱く
なってしまうからだろう。
自然法思想の持つ社会的機能とは、前にも述べたとおり民主的
決定に相応しくない留保領域に正統性を与えるためのもので、
普遍的な概念が要求される。社会の多数意見に対して、社会を
成り立たせる為の最低限度の留保領域を確保するのが自然法思想の
社会的な役割だから、それは必然的に特定のメジャーグループの
文化・慣習にひよっているのでは存在意義がない罠。
自然法とは、特定の文化・慣習に偏っているよりは、どのような
社会でもあてはまるような、普遍性が信じられる形にならないと
ならない理由はこの辺りにあるわけだ罠(藁
>>445 選挙によって天皇が選ばれたならば別にそれでもいいけど、
憲法に盛り込むには、厳密にはそれではだめなんですよ。
たとえば、ある料理教室があったとして、形式的な代表を
決めなければいけないとする。さて、ここで2つ選択肢があります。
「今決めた人(たとえばAさん)を今後ともずっと代表にする」
「毎回、その場で集まった人の互選で選ぶ」
これは、実質的には同じかもしれません。Aさんが代表でいやだなと思ったら、
先の決定をみんなで話し合って撤回してしまえばいいのですから。
でも、毎回毎回決めるほうがよりオープンだよね。
たとえばニューカマーがAさんのことが嫌いだったとしたら、やっぱりそのグループに
入りにくいわけで。
まして、憲法の理念、近代国家のシステムに即して考えれば、象徴大統領のほうが
仮に天皇が選ばれたとしてもよりベターだと思う。
>>437つけくわえれば、
憲法には憲法慣習というものがありますが、これは憲法を運用する過程で
できた慣習であってその効力は弱いし、歴史とか伝統とかに由来するものという
わけではありません。
>>448-449 このあたりの書き込みには、非常に同意できるのだが、ここから先が怖い
んだな、この人は。
>>450 国民の総意というのは、国会の議決も国民の総意と、私は考えてるが、べ
つに、全会一致でなければならないということでは、ないでしょう。
むっちょ氏が言っているのは、憲法制定時以降そのような国民の総意を、
一度も投票とか行っていないし、民主的な場での議論も行われていないと
いうことを言ってるんじゃないかと思うんだが・・・。
>>452 君主が必要か必要でないかは、趣味の問題だ罠。もちろんアズマ
の俺にとっては、君主とは公方様を意味するから、テンコロは
君主としていらんがな。アズマは先祖代々、将軍様マンセーだからな(藁
君主制とくに天皇制の問題は、単なる趣味の問題ではなく、天皇を
用いて、なんらかの心的影響を国民に及ぼそうとしている点で、
国家神道との結びつきや、倫理的な意味合いで天皇を持ち出す人間が
いるところが看過できない部分だ罠。
前にも指摘しているが、天皇制や神道には、キリスト教やイスラム教
と違って厳密な教義がないわけで、脱世俗性と言う点から見て、
社会的な弊害が大きい罠。天皇制や神道が、脱世俗化して時の権力者
や民衆の多数派とは、まったくことなった基準で安定した倫理的
立場を取りうるのであれば、天皇制を支持するかしないか、趣味の
問題だ。しかし、天皇制には世界宗教に見るような、脱世俗性と言う
属性が弱いわけで、この点で俺は近代天皇制は弊害の多い社会制度
だと思うな(藁
>>454 >このあたりの書き込みには、非常に同意できるのだが、
>ここから先が怖いんだな、この人は。
それは、支持する価値観が根本的に違うからだろ。社会を分析する俺の
立場は中立的だが、俺の主張自体はネオフューダリズムだからな(藁
>天皇制には世界宗教に見るような、脱世俗性と言う
属性が弱いわけで、この点で俺は近代天皇制は弊害の多い社会制度
だと思うな(藁
それには同意するよ。というか、世界のほとんどの立憲君主は
生き残りのためにはそうならざるを得なかったりする。
(だから消極的反対って言ってるでしょw。)
まあだからといって、
>国家神道との結びつきや、倫理的な意味合いで天皇を持ち出す人間が
いるところが看過できない部分だ罠。
の部分も見過ごしておくわけにはいけないしねえ。
>>455 >脱世俗性と言う点から見て、 社会的な弊害が大きい罠。
厳密な教義がある、なしで、脱世俗性は確保できまい。仏教は脱世俗性は
高いが、めっちゃ曖昧な教義だよね。
>>457 間違えた。近代天皇制は、確かに脱世俗性が弱いけれど、
実質的にはほかの立憲君主と同等のレヴェルだと思うな。
>>458 それでもテキストはあるだろ。インドから中国に伝播し、
それを聖職者が解釈する形をとっている。テキストがあり、
専門機関の聖職者がテキストの解釈を行うと言う点が重要
なのであって、そこに世俗からの影響力の排除と言う社会機能が
生まれてくる。
明治の国家神道の創造過程を見ても、いままで地域ばらばらだった
民間信仰を廃し、全国組織を作ったりと世界宗教に似せた宗教改革を
行っているわけで。しかし国家神道と言う属性から、脱世俗性
と言う発想は生まれてこなかった。ここにこそ天皇制や神道の欠陥は
存在するわけで。
現代ある神道とは、明治以降に国家を精神的に束ねる目的で
世界宗教のシステムを真似て作られた人工物なんだから、脱世俗性
と言う点でも、世界宗教を真似ればいいじゃないのか?(藁
ちなみに、国の象徴が必要であるということ自体、
ちょっとモダニストぶってる妥協案。
本当は漏れは「国の象徴?ハァ?」なので。
>>460 テキストが多すぎる仏教は、テキストが存在しないも同然の状況だが、そ
んな事は知ってるだろう。
国家神道の弱点というなら、私は同意するよ。
前にもいったが、国家神道あるいはイデオロギー的な神道と、歴史的な神
道を分別しなければならないのは、キリスト教でも、イスラム教でも同じ
だろうと、思っているが、、、。
現代ある神道(例えば結婚式や上棟式・地鎮祭における神社の役割)が、
国家を束ねるシステムであるとは、到底思えない。
アズマを侵略した神道だからといって、現実を中立的に分析する貴殿とは
思えない書き込みだね。
>>462 >現代ある神道(例えば結婚式や上棟式・地鎮祭における神社の役割)が、
>国家を束ねるシステムであるとは、到底思えない。
それは国家神道がGHQによって解体され、政治権力との露骨な
一体化が断たれ、上意下達的な倫理観強制がなくなったからだろ(藁
いまでも神社本庁として、神道の全国が組織が残っていたり
靖国神社法案に見るような国家との結びつきはないとは言い切れないが
地鎮祭や地域の信仰センターとしての神道こそが、本来の神道の
あり方とは言えるだろう。しかし、それは自然とそうなったのではなく
外部からの力で、解体されたことを忘れてはならないな。
宗教は、国家統一のための有効な政治技術であり、神道や天皇と
民間の倫理観・規範意識を結びつけることが、再度行われないとの
保障はないからな。神道は、現状のような土俗的・地域的な信仰対象
宗教運動にとどまるべき性格のものであって、国家単位で行うには
欠陥の多い宗教運動だろ(藁
>>463 もう少しの間、このまま、まともに議論してくれ。突然アズマ史観を出さないよ
うにお願いしておく。
GHQのよって、国家神道が解体され、本来の神道に戻ったと私は思っている。
少し、天皇と宗教の関係が厳しすぎるが。外部から解体されたのは、神道を元に
した国家管理イデオロギーであるから、象徴天皇制を堅持すれば問題はないよ。
国家単位で、数百年あるいは1000年以上の実績があり、問題だったのは明治
憲法期以外には長期的にはないのだから、安心していいんだよ。
権力行使と直接かかわらない神道は、政教分離の意味でも優れているし、キリス
ト教徒が堕胎などで論議する様や、ES細胞について歯止めをかけようとするさ
まを見ると、神道の良さは十分理解できると思うがね。
イスラエル紛争や、戦国期の僧兵を見ると、神道がいかに平和的か、理解できる
はずだが、何で解体された神道を憎むあまり、歴史的にはぐくんだ神道まで、、
【不当に】非難するんだ?優遇などしなくて良いから、普通に評価できるだろう
、貴殿の中立的な理性からすれば。
465 :
ころ:03/02/08 20:00 ID:???
>>450 冷却期間は終了です。言ってることは合ってます。質問等があったらよろしゅう
むっちょさん
機能の議論の続きはどうします?
とりあえず、人権概念って具体的に何を指すのですか?
アズマサン
未だに政治神学というのが引っ掛かるのですが、
>>455 > 君主制とくに天皇制の問題は、単なる趣味の問題ではなく、天皇を
>用いて、なんらかの心的影響を国民に及ぼそうとしている点で、
>国家神道との結びつきや、倫理的な意味合いで天皇を持ち出す人間が
>いるところが看過できない部分だ罠。
では、どうしたらいいのですか?廃止しても存在自体は変わらないでしょう。
上からか下からかの違いだけであって…。
466 :
保守を考える:03/02/08 20:24 ID:4i7AMk+w
>あやしい氏
>>374 1 世界宗教といっても、その各種、宗教には様々な宗派があり、それぞれ、あなたの云う所の、
システムが存在しています。また、いかに、高尚なシステムがあろうとも、一般信者が、各種
経典なり、教義等をまっとうしているかと言うと、そうではないですね。
そうなると、世界宗教が広域範囲に及んだかの理由をあなたの論説だけでは、成り立ちません。
世界宗教が、何故、広域範囲に及んでいったのか、当初、その地理における気象や文化等に則して、
教義を編んだ結果、そこに住む人間の精神に大きな説得力を与えたからです。
また、世界宗教といっても聖俗分離型のカトリックと聖俗一致の回教、あいまいな顕教的仏教と
分別して考えないといけませんね。
2 結果的側面から偽悪的に論じているのでしょうか?
人間が精神を持ち、思索し、言語能力等を有する動物であるのですから、自然法的規範価値が
表れたのは、人間にとって幸いであった事象です。でなければ、とっくに人類は滅んでいますね
人間が今現在まで、存在している理由は、一つに秩序や安全を求めたからです。
権力者もどうであれ、民政の安定という至上命題があったことは当然です。つまり法を作りました。
この字は日本語で「のり」と呼びます。つまり「標準」という意味です。しかしこの標準化する
根拠をあれやこれやと思い悩んで、いつまでも法がないのは困ります。でしたら、当然、自らが
信じる所の宗教を教範とし、それが既存の文化・伝統の継承に合致したというだけの事でしょう。
ですから、基督教は日本には受け入れられませんでした。
3 根本的に認識がおかしい。どんな世界宗教であれ、その発生は所定の地域です。
また、世界を一つの規範価値で征服しようと試みて創始したわけではありません。
受け入れたのは民衆の意思であり、そこにいかなる強制があったとしたら、現存してないでしょう。
>>464 >もう少しの間、このまま、まともに議論してくれ。突然アズマ史観を出さないよ
>うにお願いしておく。
失礼な。それでは、アズマ史観だけがまるでデムパの扱いではないか!(藁
すべての政治思想は、自然科学的根拠を持たないと言う意味で、等しくデムパであり、
アズマ史観を持ってことさらデムパ扱いするのはいただけないな。
政治思想は、社会的機能面から見れば政治技術だが、思想面から見れば
すべて無根拠性に根拠を置く、いかがわしい「政治神学」即ち「デムパ」だろ?(藁
僧兵を持ち出すなら「神人」がいたわけで、実際に神道勢力も中世においては、
組織的な軍事力だろ(藁
ともあれ明治以前の神道は、地方ごとの宗教センターが口コミ的手法を基盤として
きたわけで、明治以降の統一された神道とはことなるだろう。実際に地方には
諏訪大社に見るがごとく、小天皇のごとき現人神の一族がいたわけだし。
しかし明治以降の国家神道は、これらの地方宗教センターが分立した構造を
破壊し、天皇・国家と結び付けられた全国一律の宗教運動を作り出したわけで、
その影響は神社本庁を中心とした宗教組織にいまだ如実に表れている罠(藁
地方宗教センターを基盤にした伝統的アミニズム神道は、明治簒奪政権に
よる宗教改革によって、中央宗教センターを基幹とした世界宗教まがいの宗教システム
に改変され殺されたんだろ。ここを無視して、昔の神道と明治以降の神道を
論じても意味ないじゃん。本来神道とは、自然崇拝的な地域と結びついたアミニズム
信仰であり、広域な社会形成と結びつく性質のものではなかった。神道の持つ
社会的性格は、国家形成には不適格であり、よって国家的宗教は仏教・儒学に
とってかわられていった。
神道は、国家の信仰と言うより地域社会としての信仰だろ。信仰の意味まで
地域民から簒奪するなよ(藁
469 :
保守を考える:03/02/08 20:43 ID:4i7AMk+w
>>409 はぁ? 誰が知らないから教えて下さいなんて頼んでいるのかね
反論とは反対の意見を正確な筋道に沿って述べることでしょうに・・・(論理学の基礎ね)
まあ、あなたが答えられないということは良く理解できました。
>>468 >アズマ氏(あやしい氏は気の毒だね。プ。)
>国家形成には不適格であり、よって国家的宗教は仏教・儒学に
>とってかわられていった。
この辺が、歴史を知らないというか、なんと言うか。
すでに書いたが、根付き、国の支配に利用されたのは、仏教も神道的日本
仏教、儒教も神道的日本儒教でしかない。そこを理解して欲しいな。
(二回目だよのことを言うのは。)
ためしに、仏教でも儒教でも、国家的宗教に利用された事例を述べてみん
しゃい。明らかに神道の考えがメインであることが分かる。(はず・多分
・キット・・・違ったらご免)
教はアリガトね。後は保守考氏との議論、明朝楽しみに見るよ。
Z>保守考氏、まぁそう頑なにならずとも議論の対象を絞って、むっちょ
氏をやり込めてくださいな。喧嘩別れはお互いにみっともない。
>>466 世界宗教が、地域信仰や民族宗教にとってかわったのは、なんらかの社会的な
意味があると考えるのが妥当だろう。世界宗教にある程度の差はあれ、それらに
共通する属性は、政治権力から一定の距離を置いたところを権威と倫理観を求める
点で、この部分は共通していると言えるだろ。なぜ政治権力から、一定の距離を
置く必要があるかは、前に書いたからこれ以上説明せんでもいい罠(藁
聖俗一致のイスラームについてみても、政治権力と宗教的権威は良く見ると
別なところにあるわけで、宗教的権威がすべての政治権力を握り、民衆を政治的に
指導していると考えるのはあやまりだ。
世界宗教と呼ばれるものが、土着の信仰を駆逐して世界に広まったのは、社会的
見てそれが有効だったと考えるのが自然な発想だろう(藁
ともかく、教義がどうであれ、教祖がどのように考えていたのであれ、世界宗教は
従来の土着的宗教では持ち得なかった社会統合力をもち、より広域で多数の人々を
共通の倫理観で結びつける社会機能を持った。倫理観・世界観が統一していた方が、
まったくバラバラよりは、相互の意思疎通が容易であり、共通した政治単位を
形成するには優れているだろう。これが宗教運動の持つ世俗的な意味だろ。(藁
>>470 国家史観・民族主義史観のれ氏は、まず国家ありきだからな(藁
しかし、統一された国家とか民族的単位、宗教と言った概念自体が、近代以降と
近代以前はことなっていたわけで。
神道一つとっても、神道と言う単一の信仰が日本にかつて存在したと言うのは
実はあやまりで、地方単位の自然崇拝の総称が昔の神道だろう。
れ氏の言うところの神道とは、そのような地方宗教センターごとの自然崇拝を
強引に天皇や捏造日本神話と結びつけて、あたかも古代から一つの神道が
存在するかのごとく考えているのであって、おかしな発想だ罠(藁
あやまりを恐れずに言えば、明治以前に日本に神道などは存在せず、
地域ことに神社崇拝・自然崇拝など複数の民間信仰が存在しただけだと言える罠(藁
473 :
ころ:03/02/08 22:08 ID:???
>>472 横レスなんですが、このアズマさんの仮説?には同意です。
アズマさんは、国家神道に否定的ですが、だったら国家神道成立以前の本来の天皇のあるべき状態に戻せばいいわけだと思います。
国家神道の前から天皇は天皇だったわけで、ここが宗教性を排除できる私見の根拠なわけで…
474 :
・・・:03/02/08 23:23 ID:???
>>448,
>>449,
>>451,>ぁゃιぃアズマ人氏
私のイメージ以上の書き込みありがとうございます。
自然法も重ねりゃ、実定法で、分類の一つである再確認ができました。
>>453>むっちょ@かわうそ
>歴史とか伝統とかに由来するものというわけではありません。
了解しました。判例も無いと言い切れない事も、想像しますが。
実定化なんて表現使用されるから、素人が悩みます。
で、いつの間にか宗教話ですか。忙しいな皆さん。
やっぱり、国体の教義(国家神道の核心)を飛ばして、GHQ定義の
国家神道論なのですね。こんなんことなら、ころ氏に教えて頂いた
ページの書籍を読んでおくべきだったかな、反省。
475 :
保守を考える:03/02/08 23:23 ID:4i7AMk+w
>>471 非常に逆説的で、なかなか面白い話なのですが・・・。
あなたの理屈では、ユダヤ教は当てはまりませんし、
>政治権力と宗教的権威は良く見ると別なところにあるわけで
シーア派(イランの国教)のことだと見受けますが、少数派ですね。
>それが有効だったと考えるのが自然な発想だろう
それは、その各宗派の教義が、非合理的な現象等において、信じるに足りると
人々が信じた結果でして、国家権力による統一の利用だとするのは一方的に偏っています。
あなたの仮説が正しければ、世界史上最大の版図を築いた「元」はどうなるのでしょうか?
その勢力圏内の民衆はラマ教に帰依したと言うのですか?
>これが宗教運動の持つ世俗的な意味だろ
云ってる意味は判るのですが、でしたら何故、言語が統一されなかったの?
という素朴な疑問を排除できない以上、運動後の結果論にしか過ぎないと結論づけます。
476 :
・・・:03/02/08 23:42 ID:???
まず身近なレスから。
>>471,
>>472 >世界宗教と呼ばれるものが、土着の信仰を駆逐して世界に広まったのは、社会的
>見てそれが有効だったと考えるのが自然な発想だろう
近代以前、仏教って世界的にセンター化しえていたのだろうか?
どうも、キリスト教と並列されると困惑してしまう。
また、キリスト教の広がりは、改宗が国王への貢ぎ物としての役割もあったであろうし。
鎖国って教義を恐れたというより、そのバックを恐れたとしか思えないんだけど。
キリスト教の国々が当時、封建制であるのだから平等思想を恐れたとする解釈に釈然
としない。
それと、近代以前の日本が>相互の意思疎通が容易であり、共通した政治単位を
形成、していない風な書き込みや、>地方単位の自然崇拝の総称が昔の神道、
とする書き込みが日光の神様である将軍様支持者とは思えないのだが。
かつて日本人は西洋諸国に無表情な黄色いお猿さんと馬鹿にされましたね。
日本が国家として存在するためにはアイヌ、琉球、台湾、民族は違えど
解りやすいステレオタイプの日本人像が必要だったのでは?
そして基本的に黄色人種のみで形成され日本語教育で言語の統一を図った
日本にはさほど強い宗教色は必要なく、それどころかかえって邪魔になった
のではないだろうか。
ガイシュツだったらスマン。
ばかじゃねーの、おめーら。
クソみたいなことばっかり書きやがって・。おれみてーに
ネットでひっかけた馬鹿な人妻相手にSMやってたら
たのしーぜ0.おおばかだぬき。なんなら電話してくれていいよーーーー
090-2324-4313
479 :
かずや:03/02/09 00:01 ID:???
478のアドレスはこっちが正しいぜい
お電話おまちんこしてまんこ
480 :
・・・:03/02/09 00:10 ID:???
>ぁゃιぃアズマ人
神道(たぶん神社の事だろう)の中央集権化は、
何も近代に初体験と言うわけではないであろう。
もちろん、神社神道が宗教に非ず、として
国家に組み込まれたことは大きな違いではあるが。
また、仏教の国分寺化も現存する全ての寺に当てはまるものでなく、
その程度もその意義も、違う目的と見る方が妥当だと思うのだが。
前にも、確か>ころ氏にも述べたのだが、
国家神道の枠に、教派神道系・仏教・キリスト教を含めた
宗教全般が入れ込まれた記憶(この辺りが不確かなのだが)、
当時も教義どころか宗教扱いでない神社のみの焦点では、
逆に本質がぼやけそうなのだが。
もちろんそう言った意味を含めてなら、国家神道を擁護する気
もないのであるが。
>>471 >土着の信仰を駆逐して
というのが、本当に駆逐されたのかどうかということだね。
社会システムのレベルでは確かにそうだろう。しかし、文化人類学レベルの、
地域固有の世界観というものは残存していたといえる。
世界宗教の倫理や規範が社会システムレベルで社会統合力を持つことと、民衆が世界宗教に対して
完全なるコミットメントを要求されるかどうかということは端的に別の問題なわけで。
482 :
・・・:03/02/09 00:21 ID:???
>>477 それは言えるであろう。
本来、バラバラであったというよりも、
権力者(深く突っ込まないで)の変更程度の中央集権化
に、当時はこの制度はプラスアルファ程度だったとも言える。
今日は限界です。
>人権概念
実は一番難しい問いかもしれない。
まあ、出発点はフランスの人権宣言においておきましょう。
そこからさまざまな批判にさらされつつ洗練され現代にいたる「人権概念」
漠然としてるなあ。なにせ、現在進行形で発展しているものなので。
484 :
右や左の名無し様:03/02/09 01:36 ID:9jttZ8Bs
馬鹿どもがなんか言ってらあ〜〜w
勉強不足でスマンが、
日本もしくは日ノ本の概念が出来上がったのは実質いつ頃?
2600年うんたらは半島5000年並のデムパだと思うが。
486 :
パンドラ:03/02/09 07:49 ID:wkPiNokS
>>437 ここでいうのは、いわゆるcomplexでなく、oedipus complexのことだが、この解決には固有の文化の反映はない…とされる。
しかし、少々ズレだしたようなw
>>439,
>>444 さすがはれ氏というかころサンというべきか、小気味よいばかりの開き直りであるw
「総意」の検証として、即位の再に国民投票をすることは理論上可能としている学者もいる。
憲法論議の中で、けして議論されていないわけではない。
50年押し通せば、反対者がいようと懐疑論者がいようと、国民の「総意」になってしまう?
それにしても、悪意の取得の時効を比較に持ってくる、というのが…!!!意外に深いところで共感していたりしてw
>天皇制及び天皇を否定することは、日本国、日本国民の統合を否定することになります。分かりますか?
いまだに、むっちょ氏が提示した「経済社会(ゲゼルシャフト)」の論理と「共同体(ゲマインシャフト)」的なものを、混同されている。
国境があり、経済水域があり、領空があり、徴税圏があって福祉サービスの領域も規定されている。
天皇を否定したら、上記の圏域は消失する?…w
その他の思想・宗教などの文化圏は必ずしも国境で区切られず、経済的にも多国籍企業や経済機構、
場合によっては消費者の利益でさえ、国境を凌駕している。
かかる国際ダイナミズムを窒息させる…は大げさとして、息苦しくさせ、アナクロ回帰させるのが天皇制である、と思う。
>>444 >哲学
>哲学は非合理を否定したらオシマイだと思ってます。神を否定しても、非合理を否定してないと思います。
哲学は必ずしも神を否定しない。
例えば、「世界は無の連続・集合であって、無こそ創造主であり、神である」とは、ある実存哲学の主張である。
哲学の古典的意義の一つは、絶対者の追求である。神=絶対者とすれば、あながち無縁でもない。
天皇が日本国の圏域と無関係なら、その存在が国際ダイナミズムとやらを息苦しくさせるっつー論理は筋が通らない罠
どっちの理屈を優先させるのかはっきりした方がよいと思われ
>>477 その一面もあるね。ただ、最終的に、天皇に権力と崇拝を集約しようとする憲法
のもとで、理念が宗教と無関係に出来てきたというのは、無理があるかも。
>>485 >日本もしくは日ノ本の概念が出来上がったのは実質いつ頃?
>2600年うんたらは半島5000年並のデムパだと思うが。
「日出ずる処の天子」(日の本の天子)は聖徳太子だったと思う。
国の概念は、海外を意識して初めて発生するものだろうから、その前からじゃな
いかと思う。ただ、そのころは、ハヤト・エミシは国外の認識があったから、本
州・九州・四国及び周辺諸島という範囲であるという認識は、約1000年前と
私はしている。北海道が日本の一部と認識されたのは相当後のことだと思うが。
>>れ氏
丁重なレスサンクスです。
経済学部出身(当時はただのアフォ学生でしたが・・)の私としては資本主義
の呪縛からはどうしても逃げられないところがあります。
歴史学、宗教学の観点からの意見を解りやすく説明していただけると助かります。
>>489 私には、過度の期待はかけないでくれ。不得意分野がほとんどで、得意分野なし
かつ手元に資料もおかずレスしておりますので・・・。
おそらく、
>>477について、もう少し説明して欲しいとの意向であるので、もう
少し書き込む事にする。
欧米人が、戦前、黄色人種を、知能が劣る存在と信じていた事は、人類学者がそ
のような学説を出したことでも明らかである。灰色のブレインは優秀で、白いブ
レインは優秀でないというような学説だったと思う。論理的思考が困難な脳みそ
と、本気で思っていたらしい。人種差別は当然のことだった時代であろう。
日清日露戦争における勝利は、黄色人種の中で、日本人の優位性が証明されたと
、当時の国民が考えたのは無理からぬことである。欧米人と対等であり黄色人種
の国の中で優位であるとの認識が、天皇が統治する国(天壌無窮の神託による)
であるというところに、その根拠を求めたのは、国民であるか、為政者であるか
、私にはわからない。神国日本が証明されたと感じたのだろう。
(人種による優位性と考えていなかったし、民族の優位性でもなく、神様がつ
いているし、日本の神様は他国に民も公平に扱うのだから、人種差別より相当良
い考え方では、ある。
日本には、他国を支配するという政治形態はない。他国は臣下の国として貢物を
提供させる(独立は維持させている)か、または、日本の一部として吸収合併す
るかどちらかである。(ハヤト・エミシ・大韓帝国・琉球・台湾など)
収奪のみを行えば怨念が発生する。怨霊は、絶対に発生させたくないのである。
吸収合併した時点で、全く日本人と同一にするのが、差別のない公平な手法であ
ると、考えていた。民族のアイデンティティなどという概念はないし、日本は、
すばらしい国と考えていたのだろうから・・・。
491 :
・・・:03/02/09 13:50 ID:???
>>477 >それどころかかえって邪魔になった
私は西欧における、政教分離の発生はここにあるような気がしています。
王権神授説も、宗教から国王の権威を守るために生じた側面もあるようです。
>>486,>パンドラ氏
>国際ダイナミズム、に関して、
>>487に同意する(因果関係がもう一つわからないし)。
私は逆に、根が安定している方が外に目を向けられる性格でもある。
>>473,>ころ氏
>国家神道の前から天皇は天皇だったわけで、ここが宗教性を排除できる私見
これは、>ぁゃιぃアズマ人氏的にはどうであろう。
国家神道以前から天皇の宗教性(行為)は含まれるのであり、
>アズマ人氏的には、この土俗的行為まで否定されているかどうかは疑問である。
492 :
右や左の名無し様:03/02/09 16:33 ID:7x/UOob2
493 :
右や左の名無し様:03/02/09 16:35 ID:U/4jyRkD
っつーか、こことかゴー宣板で、ナショナリズムにかぶれてる香具師は、
なぜナショナリズムが必要なのか分かってるんだろうか?
俺には単に、朝鮮嫌い=ナショナリズム、になってるようにしか見えないけど
>>493 ナショナリズムって、必要とか不必要を議論するものなのですか?
万一、国が攻撃され、又は分断され、あるいは他国に吸収合併されようと
するとき、それを拒否する心情を指すとするなら、必要とか不必要の議論
にはならない。
>>494 それなら別に人権をテコに語っても良いわけ。
別にナショナリズムを持ち出してくる必要、ないよね。
>>495 私は、このスレで、ナショナリズムとやらを持ち出した事は、ないように
記憶している。誰かが、ナショナリズムが必要だとか、言っている人はい
るのかな?
貴殿が
>>493なら(又は同じように思うなら)持ち出している人と、その
レスを示してくれるか?
人権では、私はその内容を語れないが。
497 :
493:03/02/09 17:22 ID:U/4jyRkD
>>494 俺は、ナショナリズムは必要だと思ってるよ。
ところで、西部すすむや佐伯啓思等、現在のナショナリズムの議論を盛り上げた
論客の論点は、494の言ったようなことではないと思うけど・・・。
ちなみに、俺は、小林よしのりは読んだことはない。
498 :
右や左の名無し様:03/02/09 17:25 ID:JLzZkFnW
>>497 あれは、私の捉え方ですが、それではナショナリズムの意味からお願いし
ます。
人によって定義に揺らぎがあることを、定義もせず議論するのは生に会い
ません。
500 :
右や左の名無し様:03/02/09 18:03 ID:U/4jyRkD
>>499 西部や佐伯、あと、ブルームなんかがナショナリズムを持ち出してきたのは、
「公共圏の構築」のためじゃないの?
だから、俺は、ナショナリズム=個人に「公」的関心を植えつけるためのもの、と
理解してる。
>>500 ----------------
ナショナリズムとは、あるネーションの統一、独立、発展をめざす成員の
意識と運動である。その訳語が国家主義、国民主義、民族主義、ときに国
粋主義と多様なことはナショナリズムの複雑な諸相を示している。
構造的にも、ナショナリズムは、一方でネーションの成員一人一人の感情
や生活感覚に根ざしているとともに、他方では具体的な政策として表現さ
れ、世界政治を左右するファクターとなる。
このような多様性を統合するナショナリズムの核心は、人が自らをネーシ
ョンの一員(国民)として自覚する民族意識にある。
人は単なる人種や国籍によってナショナリズムの担い手となるのではなく
、国民的伝統、国民的利益、国民的安全、国民的使命などの諸契機を意識
し、自覚することにおいてネーションの一員となる。
(『新社会学辞典』、有斐閣、p1121より)
--------------
502 :
右や左の名無し様:03/02/09 18:23 ID:U/4jyRkD
>>501 500で書いた「公共圏」という話と違うかな?
俺にはほとんど変わらんと思うけど。
ただ、「自然に国家の成員に共有されてる感情や生活感覚」をあてにする
だけではなく、「意図的に」なにか公共的空間を形成する必要性が、
「構築」という言葉に含意されてる。
この含みは、俺の関心から来るんだけどね。
>>502 意識であるということで語ってるのか、運動ということで語っているのか
よく分かりません。
意識ということでは、北朝鮮への批判を契機としようが、天皇を契機とし
ようが、国の一員であると自覚することが望ましいと思いますが。
そのように運動する必要性があるかと聞かれれば、道徳教育や宗教教育、
現実社会の中での教育という意味では、必要ではありますが、あえて、政
治運動などのようなことであれば、必要性を感じません。
少なくとも、天皇を表に出して、運動することには、危惧を覚えます。
(皇室スレですので)
504 :
ころ:03/02/09 18:55 ID:???
パンドラさん
>>486 >理論上可能
つまり合理的見地ですね。つまり非合理からは見ていないのです。
>いまだに、むっちょ氏が提示した「経済社会(ゲゼルシャフト)」の論理と「共同体(ゲマインシャフト)」的なものを、混同されている。
というより、むっちょさん・ぱんどらさんがゲゼルシャフトを誤解されてると思います。
>国境があり、経済水域があり、領空があり、徴税圏があって福祉サービスの領域も規定されている。
>天皇を否定したら、上記の圏域は消失する?…w
しないでしょう。でも、天皇は、そういう要素(国家)の象徴なんです。象徴を否定したら、国家を否定することになる、と言いたいのです。
なぜ天皇が象徴でいられると思いますか?
>その他の思想・宗教などの文化圏は必ずしも国境で区切られず、経済的にも多国籍企業や経済機構、
>場合によっては消費者の利益でさえ、国境を凌駕している。
国境は、国家は必要ないと言いたいのですか?
>かかる国際ダイナミズムを窒息させる…は大げさとして、息苦しくさせ、アナクロ回帰させるのが天皇制である、と思う。
アセアンや欧州連合は、国際ダイナミズムとは逆行する発想でしょう。
アナクロ回帰というが、アナクロ=国家神道とすぐに帰結したがるのはどうかと思います。
改革は、的確な現状認識と、的確な原点回帰にあると思いますよ。
>哲学
私は、パンドラさんとはやり合うほど哲学に精通していません。
デカルト、スコラ哲学…。さっぱり分かりません。
だから
>>444は私見です。
論点を絞りますね。
「ゲゼルシャフトとは、何だと思ってらっしゃいますか?(経済、宗教との関係を対比させてお願いします)」
ループになると逃げないで下さいね。あなたの矛盾を突いてみせますから
505 :
ころ:03/02/09 19:14 ID:???
むっちょさん
>>483 >フランス人権宣言
人権思想がキリスト教から発展したという私見に賛同されないのは分かりました。というよりこのスレではどうでもいいことですね。
そこで、人権思想がどういうものかをフランス人権宣言で検証してみます。
「人間は生まれながらにして自由、平等である」
というのはありますが、自由、平等であるためには必ず前提として必要なものがあります。それはなんでしょうか?
507 :
ころ:03/02/09 19:23 ID:???
れさん(レスするのは久しぶりのような気もします)
>>488 >ただ、最終的に、天皇に権力と崇拝を集約しようとする憲法
ではないと思います。天皇に権力と崇拝を集約しようとしたのは「憲法」ではなく、「国家神道」だと思います。
>>486 これにも答えニャならんかのう姉妹。
>「総意」の検証として、即位の再に国民投票をすることは理論上可能と
>している学者もいる。
>憲法論議の中で、けして議論されていないわけではない。
>50年押し通せば、反対者がいようと懐疑論者がいようと、国民の「総意
>」になってしまう?
>それにしても、悪意の取得の時効を比較に持ってくる、というのが…!!
>!意外に深いところで共感していたりしてw
総意の検証を、即位の時期というのは、否定的な貴殿らにとって好ましい
ものではあるまい。皇太子に信任という形のほうが、冷静になれる。
やっても良いが、国政選挙のときで良いんじゃないの?10年ぐらいのス
パンで・・・。
50年押し通せばって、その間、常に改定の機会はあったわけでしょう。
ところで、事項というのは権利の上で眠っている、あるいはあぐらをかい
ているものの権利は、保護されないという論理で決まっているんだが、そ
の意味では、憲法改定の機会が、50年以上有ったのだから、とりあえず
(ビールじゃないけど)総意とみなすのに、問題はない。
今後議論を広げられるよう、がんばってください。なお、悪意という部分
を変に考えて、共感していないか?
悪意とは、そのこと(所有権なら、他人のものであること)を知っていた
という民法の用語だからね。貴殿はこのことに悪意だろうけど・・・。
>>507 憲法という認識ですよ。実態は別として。憲法は天皇主権であったという
ことの流れです。
この部分は、モウイイデショウ。新たな話題となったとき、別の方を交え
てなら、何度でも。
510 :
右や左の名無し様:03/02/09 19:46 ID:U/4jyRkD
>>503 俺も天皇をナショナリズムと結びつけるのはどうかと思う。
っていうか、そのそも天皇は、もはや日本のナショナリズムの具現には
なり得ないと思う。
日本は、新しいナショナリズムを探すべきだと思うね。
511 :
保守を考える:03/02/09 19:54 ID:m1HQ3uOW
>ころ氏
>>505 いわゆるフランスの「人権宣言」(人及び市民の権利宣言)は、アメリカ独立宣言の
影響を強く受けたといわれています。
「我々は、自明の真理として、全ての人は平等に造られ、造物主によって一定の譲ることができない
権利を与えられ、その中に生命・自由・及び幸福の追求の権利が含まれていることを信ずる。また、
これらの権利を獲得する為、人類の間に政府が組織されたこと、そして政府はその正当な根拠を
被治者の合意から得られている事を信ずる。」
と、人権や国家の正当性を、非合理的に「信ずる」として述べているだけです。
512 :
ころ:03/02/09 20:00 ID:???
>>505 マジメに考えてます?
答えは、「社会」です。視野を広げれば「国家」ということです。
自由は「社会を無視しない」と以前リバティのところでいいましたね。
平等も同じことです。「法の下の平等」は、社会が法という道具を使って平等を実現させてるのです。
ここで鷄卵論(人権思想と社会のどちらが先か)を展開したのではループになっちゃいますんで、とにかく、人権概念と社会がある、という共通認識は大丈夫ですか?
513 :
ころ:03/02/09 20:08 ID:???
>>511 失礼しました。むっちょさんも真面目でしたね。
>>512は訂正です。
>アメリカ独立宣言
むっちょさん、それでは自爆してますよ。
創造主とは何ですか?私はキリスト教の神だと思いますよ。
つまり、人権思想はキリスト教から発生したというのはここなんです。
むっちょさんがこの説を否定するんですから、違うアプローチを試みてます。
あまり深入りすると、むっちょさん自身が混乱してしまうと思われます。
>>512 だからね、人間の自由を一番侵害するのは国家なわけ。
自由権の中で、一番重要視されているのが「国家からの自由」であって、
人権概念はその理念のレベルではけっして国家や社会を前提と
したものではないんですよ。
>>513 だから、なんでもいいんだって。人権概念がまずヨーロッパで発生した以上、
ヨーロッパの「社会システムのレベルで」支配的であったキリスト教が人権概念の
正当付けに使われたのは当然といえば当然。その意味において、私は
「キリスト教から人権思想が発生した」という説を肯定します。
しかし、それが「人権思想はキリスト教を前提としなければ成り立たない」
という意味を含んでいるとしたら私はそれを否定します。
それはまったく根拠に乏しい、あまりにもずさんな説であるといわざるを得ないからです。
515 :
保守を考える:03/02/09 20:28 ID:m1HQ3uOW
>>510 >そのそも天皇は、もはや日本のナショナリズムの具現にはなり得ないと思う
どうも「〜主義」の定義とは人それぞれの価値判断ですから、なかなか統一的見解を
見出すのは難しいモノと感じますが、
日本というナショナルの固有の存在である「天皇」をナショナリズムから除外するのは
不可能と判断します。日本人として、日本に於けるなんらかの事象を考察する時、
それが、政治であれ、歴史であれ、文化であれ、「天皇とは何か」を避けては通る事が
出来ない問題だからです。
日本語を話し、日本社会の中で生きるモノは、それが望む、望まないに関わらず
必ず、「天皇」という存在に出会います。そこから日本というナショナルなるモノを
探し具現化することは、理にかなっている。というより自然ではないでしょうか。
>日本は、新しいナショナリズムを探すべきだと思うね
一度、「日本」を辞めて、新国家を作れということなら理解出来ますが。
516 :
ころ:03/02/09 20:30 ID:???
れさん
>>509 私もお腹いっぱいです^^;
れさんとやりあってたら元のサロンになっちゃいますもんね。
いずれその話題は…ということで。
517 :
7:03/02/09 20:39 ID:2pmWHQvm
ドラマで有名な某俳優の家が丸見えになっています。
本人はセキュリティ対策は万全だと自負していますが・・・。
● 防犯対策で「防犯フィルム」を張っているらしい
厚さ375ミクロンという防弾機能を備えた
フィルムでガードしているそうです。
詳細は
http://www.sepro-wv.co.jp/
公共圏と言うものを考えるについても、果たして人々にとって
好ましい公共圏がいかなるものなのかと言う議論がある罠。果たして、
公共圏=国家と考えるべきと言い切れるのかね?
中世における民衆の公共圏は、民族共同体でも国家ではなくもっと
狭いものだったんだろ。国家と言う枠組みは為政者のためのもので、
民衆にとっての公共圏とは、村落共同体や都市共同体だった。
近代社会は、これらの民衆にとって公共圏を中央権力・国家組織に
吸い上げ、上意下達型の中央集権的社会に組みかえ、地域社会の
自律性を剥奪した結果成立したものだろ。その意味で言えば、現代日本とは
伝統的社会秩序や文化・習俗を破壊して成立したもので、伝統破壊の元凶
こそは、ナショナリズム思想であり、近代天皇制だろ。
つまり、近代天皇やナショナリズムは、伝統社会の憎むべき破壊者なわけだ(藁
民衆が、公共圏を形成する範囲はおのずと限られており、
社会が広域化すれば、必然的に官僚機構や政治神話が登場し、
民衆の「自律的な公共」と言う意味での公共圏は成立しずらくなる。
民衆の主体的な公共圏は、まず第一に地方社会にこそあるので
あり、本来的意味での民衆自治や民衆文化・習俗と言うのは
地方文化をおいて他には存在しない罠(藁
それに対して、国家等の広域な社会のそれは常に知的エリートが
民衆を教化し、洗脳する作為的な構造にならざるをえないな。
言語を見ても、現在使われている日本語とは、中央の知的エリートが
作為的・人工的に民衆に押し付けたものであり、それを民衆の文化と
呼ぶには、俺は抵抗があるな。
ナショナリズム運動の本質は、地域ごとにバラバラで言語や習俗を
作為的に中央集権化し、あたかも昔から単一の文化構造を存在して
いたかのように思わせる運動だろ。天皇制もその意味で言えば、
民衆の自然発生的な文化・習俗ではなく、中央の知的エリートが
捏造し、民衆に押し付けたものにすぎん罠。
日本における伝統・習俗と言うものがかつて存在したとするなら
それは天皇や中央の文化ではなく、民衆の生活の中に存在した
すべての地方文化こそが真の意味の伝統だろ(藁
520 :
・・・:03/02/09 20:57 ID:???
>ころ氏
私は、
>>444的な解釈もあっても良いと思っております。
「象徴」に重きを置いたとき、象徴の変更は、今までの日本とは異質になる事
(可能性大)だと思いますので。ただ、パンドラ氏的にこの国が無くならない事とは、
別次元だとも思いますが。
また、「総意」においては、>れ氏にほぼ同意(としか言えないかも)なのですが、
私は当時、また歴史的な先人の思いも含んで欲しいとも思っております。
521 :
・・・:03/02/09 21:08 ID:???
>れ氏、保守考氏、アズマ人氏
天皇、ナショナリズムに関してですが、
結局、捉え方の方向性だと思います。
現代の利用(特に政治)は、どちらかというと
反対者が利用している面も見逃せませんし。
そもそも、現代的な意味での日本国や日本人なんてものは、明治以前には
存在しなったわけで(藁
民衆の生活にとって重要だったのは、国家ではなく、身近な地域社会
であり、村落共同体にすぎなかった。民衆の使う言語や文法も、地方や
階級でバラバラだったし、近代的な意味での日本人意識と言うものは
成立していなかったわけだな(藁
つまり、現代的日本と中世日本には、社会的な断絶があるわけで、
もしタイムマシーンか何かで、中世の日本人を連れてきてコミュニケーション
を取ろうとしたら、外人とかわらん罠(藁
現代的意味での天皇制が、昔から存在したとか、過去から現代まで
日本が存在すると考える発想自体が、一種の宗教なんだよな(藁
523 :
ころ:03/02/09 21:16 ID:???
むっちょさん
>>514 >人間の自由を一番侵害するのは国家なわけ。
私見のリベラルが共有の認識であれば、そういう見解にはならないのですが。
人権と国家は、対立概念ではないのです。むしろ相関関係なのです。
自由は制限ない自由だと自由ではなくなってしまうのです。だから国家が一定の制限を加えているのです。そのことで自由は自由であることができるのです。
「国家からの自由」はフリーダムです。そこを履き違えてると国家が崩壊(無秩序)になってしまいます。
言い換えれると、人間の自由を一番侵害(制限)するのは国家です。一方、人間の自由を一番保証するのも国家なわけです。
この二つはワンセットであって対立するものでも無関係のものでもない、つまり相関関係なわけです。
相関関係を理解しないから、>一番重要視されるのが「国家からの自由」という考えに行き着いちゃうんです。
>>427でむっちょさんは公共の福祉を「一元的内在制約説」と仰りました。人権の理念のレベルで制約できるほど人間は優秀ではありません。
制約できれば法というものは必要ないし、国家というものは必要ないものになってします。
なぜ、法が必要なのでしょうか、国家や社会が存在するのですか?
524 :
保守を考える:03/02/09 21:25 ID:m1HQ3uOW
>>518 >公共圏=国家と考えるべきと言い切れるのかね?
言い切れないでしょう。基本的には、時・場所・場合において個々に発生する概念
だと考えますが、スレの流れ上、国家として考えているだけだと思います。
>国家と言う枠組みは為政者のためのもので、
>民衆にとっての公共圏とは、村落共同体や都市共同体だった
前近代は、年貢制ですから、殊農民に対しては、その地域からの脱走が、尤も重要な
関心事でした。そこで、郷村制や5人組等が発達して、共同体を強化したいきさつが
あります。もっと遡れば、公地公民制ですな。
日本の近代史において、特に大政奉還以来、アノミーが生じたのは、概ね武士階級ですし
維新に反対して、一般民衆が立ち上がった事実を私は知りませんが、民衆は、その理不尽な
搾取から開放されたのは、歴史的事実です。
>伝統的社会秩序や文化・習俗を破壊して成立した
陋習を破壊したのであり、良質な伝統・文化は継承しました。
>近代天皇やナショナリズムは、伝統社会の憎むべき破壊者なわけだ
そもそも、前近代が良好な社会体系であったという主張だと思いますが、
・・・氏が質問された、前近代の天皇についてはどう捉えているのでしょうか?
525 :
・・・:03/02/09 21:25 ID:???
>>522 >中世の日本人を連れてきて
その外国的な場で皇室が残り、神社・仏閣が残っている事
には、感動して頂けるかもしれない。
526 :
ころ:03/02/09 21:31 ID:???
>>523 >それが「人権思想はキリスト教を前提としなければ成り立たない」
>という意味を含んでいるとしたら私はそれを否定します。
その通りです。キリスト教でなくてもいいのです。
イスラム教でも仏教でも、国家神道(天皇教)でもいいのです。
だから、人権思想はどの宗教であろうと関係ないのです。
・・・というと、多分、混乱・誤解を生じると思います。
ここは、逆に疑問・質問をお待ちしてます。
527 :
保守を考える:03/02/09 21:54 ID:m1HQ3uOW
>あやしい氏
>>519 >言語を見ても、現在使われている日本語とは中央の知的エリートが
>作為的・人工的に民衆に押し付けたものであり
どう考えてもあなたの日本語表現が、上からの押し付けには思えませんが・・・
各地域に方言があっても、文法(文の標準)は同質であるから、意志の疎通が
通訳を介さずに成立したのですが・・・。
>>522 >現代的意味での天皇制が、昔から存在したとか、過去から現代まで
>日本が存在すると考える発想自体が、一種の宗教なんだよな
まあ、過去は現代ではないから、当たり前のお話しですな。
言語については、歴史的に「万葉集」で反論が出来ますが、
タイムマシンの話しは面白いですね。特に日本語は流行に左右されたりしますが
それでも不易な言葉もあるわけです。例えば、地理上の名詞や、文の成分や構造等
があげられます。
宗教だから駄目、という論旨もよく判らないところですが・・・。
>>523 あー、多分共有されてないんだと思いますよ。
近代リベラリズムは一貫して「国家は自由の敵である」という立場です。
20世紀に「積極国家」という概念が誕生してさえ、その基本は妥協することはなかった。
なんで「一元的内在制約説」が必要であったのかわかります?
人権思想の外にある「公共の福祉」は、戦前の「法律の留保」とほとんど変わりないものに
なってしまうことを恐れたためです。
国家はあくまでも人権思想と自由主義で制御しておかないとだめなんですよ。
529 :
・・・:03/02/09 21:58 ID:???
今日は、退散致しますが。
>保守考氏
氏の考える、「総意」をお伺いできますでしょうか?
サロン化は控えたいのですが、私もどうもしっくりいかないのです。
>>526 何度もいうように、その根底にある世界観は統一されてなくてもいいんだってば。
「なんで人には人権があるの?」という問いは、「なんで犬は犬っていうの?」
という質問と等価であって、ましてやキリスト教や国家神道で人権を根拠付けるなんて
もってのほかですな。それはもはや「人権」ではない。
それじゃ思考停止ですがな
532 :
保守を考える:03/02/09 23:15 ID:m1HQ3uOW
>>530 >「なんで人には人権があるの?」という問いは、「なんで犬は犬っていうの?」
>という質問と等価であって
非常に判り易い詭弁ですね。
まず、「人権がある」は実在論的、観念であり、それを公理とすべき証明が存在しない。
「犬という」は、ある実体の名称であり、その日本語的語源があり、証明が存在する。
いや、漏れも書いてて変な気がしてたんだよな。
たとえが不適切だったかもしれませんが、(ごめん)
>まず、「人権がある」は実在論的、観念であり、それを公理とすべき証明が存在しない。
まあ、それなりに理解されているようなので、別にいいやw。
もっと言えば、「公理とすべき証明」は各人の世界観によるしかなく、
それは人権思想を政治システムとして受容するときに、統一する必要はまったくない。
また、ヨーロッパ人の世界観=キリスト教的世界観(画一性の高い)は
ちょっと乱暴。
534 :
保守を考える:03/02/10 00:40 ID:zeOP4Mci
>・・・氏
>>529 >氏の考える、「総意」をお伺いできますでしょうか?
具体的に「何の総意」なのか、示して頂くと応え易いのですが、
今日の始めのレス(
>>511)に関して(なんか、ころ氏を撹乱させてしまったような・・・)
「人権について」
人権、人権と声だかに、「これは人類普遍の価値観である」とよく耳にしますが、
果たして、この権利とは、「人間」のみにあるのであって、他の動物には無いと判断します。
では、人間と、他の動物の違いはなんであるのか、と考えた時に、それは、人間が有する精神の
大きさが、他の動物に比して比べるまでもなく、大きいからと結論づければ得心がいきます。
つまり、人間はいかなる物質、いかなる生命にもない特殊的な精神という性質を有しているということです。
これが「人権」という観念を生んだ根拠だと考えています。が、
「人権は人類普遍の価値観」という見解は、つまる所、各人に「普遍的な精神」があり、
そこから派生する「普遍的な歴史」が各国にあるということでしょうか。
かつて、E・バークがその著書、「フランス革命についての省察」で、
「仏でおこり欧羅巴に広まろうとしているモノは、名誉革命以来、英で培われてきた
自由の体制に対する挑戦である」として
「人間の権利というのが、私には解らない。しかし英国人の権利と云うのならばよく解る」
と、フランス革命を批判しますが、その心理というものが、私には良く判るのです。
つまり、歴史が各国において特殊なものであるのだから、人権もまた、国家の枠組みに依らなければ
規定することは出来ないということです。
単純に考えてしまうと誤解があるかもしれませんが、ころ氏のレス等を援用して
「権利」とは「自由の可能性」を示し、それを「法によって、許容される範囲における可能性」とします。
そうしますと、あとは、その法がいかにして定まるのかという問題になります。
なんども説明していますが、「法」とは「標準化」です。
その法(人権)を神の啓示や、為政者の恣意的な判断で定めてしまっては、それこそ時代錯誤ですね。
だからこそ、歴史的な価値観において、その権利の範囲を議論し、定めていくことが望ましいと考えるのです。
535 :
保守を考える:03/02/10 00:47 ID:zeOP4Mci
結論
1 人権という概念も、日本人であるならば、その影響する範囲でしか存在を認められない。
2 人権が持つ各種権利は、日本人の国民性に由来する範囲でなければ適用を許されない。
3 2の補足として、ヒューマン・ライトは正しい事のみに応用できるものとする。
4 これら日本人の権利は、日本の伝統・文化・道徳等の良質な継承を除外しては論じられない。
5 だからと言って、排他的に他国の人権を認めないということではない。
536 :
ころ:03/02/10 00:49 ID:???
・・・さん
ちゃんとレスは見てますんで。ただ、お返しする余裕がないんです。
で、一気に書くと長レスです。申し訳ないです^^;
>>520 天皇の存在は、肯定するにしても否定するにしても、善かれ悪しかれ影響が大きすぎると思うんです。
戦後、天皇が人間宣言しただけで宗教自体が悪みたいになってしまいました。日本人は、宗教自体が一切ダメと宗教の存在意義を否定してしまったように思います。
確かに、政教分離は正しいと思います。政治が宗教に供されたらとんでもないことになると思います。先の大戦の「聖戦」なんかそのいい例だと思います。国家神道の愚は繰り返してはなりません。
政治と宗教に敏感なのは戦前の国家神道の反動でしょう。宗教を否定、排除して国民は理性を保ってます。これが間違ってると言いたくないんですが、枝葉にこだわりすぎてて、例えば靖国参拝の形
式とか几帳面に検証するのがいかにも日本らしいというか、大局的ではないと思うんです^^;。
宗教は決して悪ではないと思います。大体、憲法でも信教の自由は認められてますし、人間は宗教なくして自律できるほど優秀ではないと思います。「必要悪」と断定してしまうのもなんですが、決してなくならないと思います。
・・・サンは社会人ですか?だったら会社に入って「会社は一種の宗教だ」なんて思いませんでした?思ったのは私だけですかね…
宗教は確かに恐いものです。でも、恐いからって否定して済む問題かといえば、そうではないと思います。否定してもなくならない、だから恐いんです。
日本では(保守考さんの言う通り
>>515)天皇はナショナリズムの具現にはなり得ないと思います。だって人間宣言したのですから。2CHでもバカにされてる節があります。
<つつく>
537 :
ころ:03/02/10 00:55 ID:???
<つつき>
でも、ナショナリズムって皆がなぜ当然のように天皇教みたいに思ってしまうかと言えば、日本には他にナショナリズムの具現になり得るものがないからなんです。
逆に言えば、だからこそ天皇は日本の象徴なんだとも思います。天皇以外で何が象徴になれるかを考えたら他にあり得ないと思います。
天皇制を否定したら国家として崩壊してしまうと考えるのは杞憂かもしれません。そんなに天皇の存在が今大きいかと言えばそうとも言えないかもしれません。
でも、天皇制を否定したら国家自体が悪、国家という存在意義すら否定されてしまうと思うのです。現在の天皇という存在意義は国家の存在意義と近いものだと思います。だからの象徴だと思います。国民主権で国民の国家でもあるけど、天皇の国家でもあるとも思うのです。
天皇制をなくして日本が国民だけの国家になるといっても、国家権力が強い現状の日本という面を考えても、国家対国民の対立構造が浮き彫りになり、国民自体が国家という存在意義を喪失してしまうというのが一番恐いんです。
(なんか天皇制が諸悪の根源とすることで日本ってうまく循環してる節があると思うのは私だけでしょうか)
国家権力が弱まれば、それだけ国民に求められるものも大きくなります。果たして国民がそこまでのレベルにあるのか疑問です。
日本は、天皇が人間宣言しただけで宗教自体を否定してしまった国家です。天皇制の否定が国家否定にならない可能性はゼロではないと思います。
フランスは現在君主がいません。でも、フランス革命後、ナポレオン(皇帝も民衆が選んだ君主です)や王政復古など何度も迷走しています。現在の共和制に移行するためにどれだけ時間がかかったか。
フランスみたいになるんだったらそれだけの覚悟と時間、絶えまない人権意識の維持が求められると思います。今の日本人でも可能だと思いますか?
また、アメリカは現在ブッシュ一家ですwが、かつてケネディ一族を君主にしようとしたと言う冗談とも本当ともつかない逸話があります。君主制が要らないという結論は視野がやや狭すぎると思います。
<つつく>
538 :
ころ:03/02/10 00:57 ID:???
<つつき>
君主制って国民がまとまるのに一番有効だと思います。これが逆に国民をまとめてしまったらトンデモになってしまうんですが、君主制のない国家よりまとまるのに楽だと思うんです。
宗教や国家は必要なものなんです。現代社会では、普段人間が生きていく上で必要性は感じないかもしれません。でも、宗教につづけて国家まで否定したらどうなるか…考えただけで恐いです。
現在の日本は自虐史観か知りませんが、自分の価値観を否定することが善(最近ではグローバルスタンダードですかね)みたいになってますが、これも疑問です。
世界、世界と他に価値観を求めてどうなるんですか?世界が認めないというのは、国家が国民の自由を侵害してることとどう違うんですかね?世界が日本国民の自由を侵害してるとも言えませんか?
ある雑誌で読んだのですが、グローバリズムを声高に叫んでるのはアメリカだけだというのです。それに追従してるのが日本だけとも書いてありました。
インチ(ヤード・ポンド法)という単位がありますが、アメリカがその単位に固執してるらしいのです。世界基準でいくとメートル法なのにアメリカがインチだから工業規格も統一できない。換算率も複雑で邪魔なものこの上ないと書いてありました。
日本は尺貫法をやめメートル法に換えました。どちらがグローバルスタンダードなんでしょう?
グローバルスタンダードはアメリカンスタンダードだと思います。世界を見ても、アセアン、オペック、欧州連合…、そこから漏れたアメリカと日本が焦ってるだけだと思います。
因みに、メートル法はフランスの単位です。模倣するんだったら、君主制廃止より、こういう自国の価値観をグローバルスタンダードにしていく気概というか精神のほうがよいと思うんですがどうでしょうか。
<完>
追伸:何も現状の天皇制が全て正しいとは思ってません。私見では天皇制と宗教性は乖離させるべきだと思ってます。この辺はおいおいということで
じゃあ、もういいですよ。日本は近代国家じゃないということで。
終了。
>>535 本当にこの原則を適用したら、どんな国になるのか見てみたい。
「日本人はパンを食べる伝統がないから日本人にはパンを食べる権利はない」
みたいなw。いいんじゃないでしょうか。検閲制度とか復活しなきゃな。
教科書は国定でみたいな。
とりあえず、日本国憲法は破棄しなきゃな。
542 :
美貴帝:03/02/10 02:46 ID:???
543 :
美貴帝:03/02/10 02:50 ID:???
>>541 今度は天皇から憲法にすり替え!!
しょうがねー香具師だな!!!
544 :
右や左の名無し様:03/02/10 03:45 ID:TBY7eZz3
ありゃりゃ、チョト来ない間に議論が展開してる。
たしかに、一般の人々にとっての公共圏は、狭いところでは家族、広くても地域共同体
だ罠。
ただ、俺は、天皇制は、狭い公共圏に権威を与えるために作り出された、と理解してる
んだが・・・。
例えば、現在、婚姻は個人の心情の問題だが、以前は家とか村落共同体の意志に左右された。
それによって、個人は自分の利己的要求を超えた公的関心のもとで意思決定を行わざるを
得なくなる。
天皇制は、天皇を不可侵の存在とすること、そして、日本という国家を家族の拡大版に
することによって、家父長の権威に基礎を与えた。
545 :
右や左の名無し様:03/02/10 03:59 ID:TBY7eZz3
ハイエクやブルームの
「市民革命によって人間は従来自分が所属していた階層や地域共同体、家の意志から
解放されて、個人の意志が最も尊重されるようになったが、同時に、人間は自らの
エゴイズムも解放することになった。」
という近代の捉え方を、俺は信じてるので、なんらかの仕方で個人の意志を超える
共有された意志の体系を構築する必要があり、そのためにはなんらかの物語を
再び作り出す必要があると思う。
しかし、天皇ではもはやそういう物語は作り出せないと思う(根拠は無し)
リチャード・ローティーは、
リンカーンやキング牧師なんかを、教科書で英雄的にとりあげることによって、
特定のナショナルアイデンティティの構築を構想してるみたいだけど、
日本ではそれが天皇じゃないとダメなの?
誰ならいいの?
>>510 >俺も天皇をナショナリズムと結びつけるのはどうかと思う。
「も」といわれても、私は表に出しての政治運動はよろしくないのではと申し上
げ、日本の統合の「必要性の根拠」として、天皇を持ちださんでくれ、と言って
いるだけです。
日本統合の象徴としての天皇は有効と思っていますし、統合の必要性の根拠は、
国の存在は、歴史や価値観を国民が共有していて、そのことによって、統治の方
法手法は異なってしかるべきと、考えるからです。
548 :
パンドラ:03/02/10 10:16 ID:8zH6hEAK
>>444 >哲学は非合理を否定したらオシマイ
しつれい、
>>486は的外れな応えだったようだ。
哲学は非合理を否定している。
「非合理」をそのままにしては、哲学が哲学たりえない。非合理の論理性が、形而上学であり弁証法でもある。
もっとも、昨今では弁証法、構造にも懐疑的になりつつあるようだが…
549 :
右や左の名無し様:03/02/10 10:17 ID:8zH6hEAK
>>491 >>487に同意する(因果関係がもう一つわからないし)。
失礼ながら、これには笑ってしまった。あなたらしくもない。反論に値しないと無視していたが、
なじみのあなたが「同意」してしまったのでは、そうもゆかないw
>天皇が日本国の圏域と無関係なら、その存在が国際ダイナミズムとやらを息苦しくさせるっつー論理は筋が通らない罠
>どっちの理屈を優先させるのかはっきりした方がよいと思われ
天皇制が、いわゆるゲマインシャフト的な要素で国境を区切ることが、有機的重層的な社会のあり方に反する、としているのだから、
「天皇が日本国の圏域」というより「天皇制が人々の生活の圏域」と無関係なことこそ阻害因子であって、
いずれかを優先するのでは、それこそ、スジが通らないどころか、ハナからわたしのハナシが成立しないw
「一方が一方を阻害している」という主張であるから、同時に論じなければ全然意味がない…疲れるw
550 :
右や左の名無し様:03/02/10 10:19 ID:8zH6hEAK
>>504 >つまり非合理からは見ていないのです。
>>哲学 >だから
>>444は私見です。
上記レス参照
>>国境があり、経済水域があり、領空があり、徴税圏があって福祉サービスの領域も規定されている。
>>天皇を否定したら、上記の圏域は消失する?…w
>しないでしょう。
>象徴を否定したら、国家を否定することになる、と言いたいのです。
このながれでいって、何故?
>なぜ天皇が象徴でいられると思いますか?
憲法に規定があるから…的外れを承知だが、これ以外の返答ではまたまたむしかえし…
>国境は、国家は必要ないと言いたいのですか?
いいや、現時点で厳然と存在している、という事実を認めているw
>アセアンや欧州連合は、国際ダイナミズムとは逆行する発想でしょう。
そうではないと思う、というか、ありていにみて「そうではない」といえよう。
>アナクロ回帰というが、アナクロ=国家神道とすぐに帰結したがるのはどうかと思います。
別に国家神道と名指ししているわけではない、大時代的国家観に結びつく体制をaboutにさしているw
>改革は、的確な現状認識と、的確な原点回帰にあると思いますよ。
かならずしも、そうとはいえないであろう。Case by case.
>「ゲゼルシャフトとは、何だと思ってらっしゃいますか?(経済、宗教との関係を対比させてお願いします)」
>ループになると逃げないで下さいね。あなたの矛盾を突いてみせますから
ゲゼルシャフトそのものを議論しているのではないが…
少なくとも、国家の存在意義の基本は、徴税とサービスであると考える。
それ以外の要素を、国家で区切ることのムリと矛盾を指摘している、例えば、宗教・民族紛争など、
国家意識が柔軟であれば、防ぎえるものもあろう…というようなこと。
551 :
右や左の名無し様:03/02/10 10:25 ID:2XhZXVgi
>>508 単に、「議論になっていない」へのコメントだから、深追いするつもりはないw
で、わたしの「悪意」は、おおむね、おっしゃるとおりであるw
>>535 保守考氏
>>540 むっちょ氏
保守考氏の
>>535の書き込みについての、むっちょ氏の反論は、
「人類共通の合意とすべき人権」の部分と、「国によって一定の範囲の中
で、運用できる部分」をまとめて議論しているから、おかしなことになる
んじゃないの?
「人は不当に殺されるべきでない」とか「幸福を追求できる」といった類
の「基本的」な基本的人権と、プライバシー権や氏名権といったものは、
自ずと違うわけだし、宗教国の存在も考え合わせると、信教の自由の制限
具合だとか、政教分離とか言う場面では、保守考氏の言い分も理解可能で
はないの?
553 :
保守を考える:03/02/10 11:34 ID:HUIMWcif
>>540 >「日本人はパンを食べる伝統がないから日本人にはパンを食べる権利はない」
相変わらず、例えが不適切ですな。
西欧では「パン」を生活の糧として例える歴史性がある。
日本でいう「コメ」と同義ですな。
つまり、西欧の伝統と日本の伝統は、この場面では同質である。
私は何も、各国の歴史性が完全に異質であるなどと、宣っている訳ではない。
国際社会の安定に配慮する時、各国の歴史に於ける同質の次元や側面を確認したり
拡大解釈することは有用であると考える。
しかし、インターナショナルとは、「異なった国家の間の関係」であるのだから
まず、ナショナル(国家)が確立されていなければ、国際社会などという概念
それ自体、成り立たない。各国は、独自の歴史を背負っていることも認めなければ
国際社会の一員になれるわけががない。
>教科書は国定でみたいな
これは、意味が判らない。
554 :
ころ:03/02/10 13:05 ID:???
パンドラさん
>>548 >哲学は非合理を否定している
そうではないと思います。非合理である状態を否定しているのであって、非合理そのものの存在は否定していない(肯定している)ということです。
>「非合理」をそのままにしては、哲学が哲学たりえない。
「非合理である状態」をそのままにしては、哲学が哲学たりえない。
>非合理の論理性が、形而上学であり弁証法でもある。
「非合理そのものの存在」の論理性が、形而上学であり弁証法でもある。
論理学って認識論のことですよね。認識は存在を肯定する(認める)からできるのであって、存在を否定する(認めない)なら非合理を学問する必要もないと思います。だって、存在しないんですから。これこそやるだけムダです。
合ってます?論理的に??だから哲学(擬き?)は嫌いなんです。
>このながれでいって、何故?
>的外れを承知
>>536−538を参照下さい。長レスですが…
貴殿の疑問には
「>そうではないと思う、というか、ありていにみて「そうではない」といえよう。」
と言う返答になります。これは半分冗談ですが。
>Gesellschaft
国家の存在意義なんか聞いてないです!ゲゼルシャフトを聞いてるんですYO!なぜなら、そもそも認識のズレはゲゼルシャフトの認識のズレにあると思うからです。
私なりに現状認識し、原点回帰した結論です。
多分ここが解決されないと、パンドラさんがいくら主張しても、サロン派には理解されないと思います。逆にサロン派が主張してることも、パンドラさんには理解されないと思います。
話に乗るも一興ということで。
(レスにはちゃんとお答えしたいのですが、このズレがあるから答えようがないのです)
555 :
・・・:03/02/10 13:47 ID:???
>>549>パンドラ氏
う〜ん、又、私のイメージとの混乱が。
私はゲマインシャフトが有機的で、ゲゼルシャフトが機械的(人工的)と
思っていたのだが。だからこそ後者は、共和制的であろうし。
で、人工的な組織においても有機性が強く反映もするだろうし(こちらを薄めるのは困難かも)、有機的組織であっても(だからこそ)、人工的に共生を結びつける必要性も生じる。
>国際ダイナミズムとの因果関係がもう一つ分からないのである。
ただ、古い概念に当てはめてしまうと、少し私のイメージとも違ってもくるのだが。
556 :
・・・:03/02/10 14:16 ID:???
>>536,537,538>ころ氏
ありがとうと言いたいのだけれど、何故、私へのレスがこれなのか分かりかねますが・・・?
大まかな流れ的内容(お気持ち)は、理解できますが。
細かい所は本題とずれそうですし、また、暇そうな時にでも。
>>534>保守考氏
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
の総意です。私は
>>520で私見を書いてはみたものの、しっくりしておりません。
557 :
右や左の名無し様:03/02/10 15:13 ID:TBY7eZz3
>>547 >日本統合の象徴としての天皇は有効と思っていますし、統合の必要性の根拠は、
こっちの方には、同意できないけど、
>国の存在は、歴史や価値観を国民が共有していて、そのことによって、統治の方
>法手法は異なってしかるべきと、考えるからです。
こっちの方には禿しく同意する。
しかし、日本人が共有してる価値っていうのは、天皇を頂点とするような
家族国家的価値なんだろうか?
少なくとも、ここ50年の間、日本人のナショナルアイデンティティは、
「技術国家」という名前で表現されてきたんじゃないの?
>>557 >しかし、日本人が共有してる価値っていうのは、天皇を頂点とするような
>家族国家的価値なんだろうか?
全く違うと思います。
>少なくとも、ここ50年の間、日本人のナショナルアイデンティティは、
>「技術国家」という名前で表現されてきたんじゃないの?
そ、そうなの???偏っていない?内の周りの農家の人は、そんな事は、
思ってもいない。日本は瑞穂の国とか、言っているが・・・。
559 :
右や左の名無し様:03/02/10 15:22 ID:TBY7eZz3
最近、ナショナリズムが議論されるようになったのは、この50年日本人が
共有していた「技術国家」というアイデンティティが崩れてきて、
アイデンティティクライシスに陥っちゃったからじゃないか?
俺としては、こういう機会を捉えて、従来、タブー視されてきたナショナリズムに
ついての議論を盛り上げるべきだと思う。
しかし、だからといって、先祖帰りしちゃうのはどうも・・・。
せっかくなので、違う論点で新たなナショナルアイデンティティを構築していく
という方向に持っていったほうが良いんじゃないかと思うんだが。
>>559 そう思うことは、非常に意味のあることだよね。
私の場合、まず、日本独特の価値観の根源はどこかというところから始ま
ったんだが、、、中略、、、天皇は頂点ではないが象徴的な価値観で、納
得した。
>>552 基本的人権は基本的人権ですよ。
認められるべきか認められないべきか議論があるだけで。
そして、この議論は各国の伝統に即しているかどうかということではなく、
単純に理論のレベルで議論されているというだけで。(まあ、各国の制度とのかねあいはあるかな)
人権思想に基づかなくても「生存権」の確保とかはできる。
イスラム国とかは、イスラム教に基づく権利でしょ。
だから、臣民の権利でいいじゃん。
そのほうが自由主義とか、余計な邪魔がはいらずに「国民性」に基づいた
伝統色あふれる日本を建設できますよ?
少なくとも、日本国憲法では保守考氏の
>1 人権という概念も、日本人であるならば、その影響する範囲でしか存在を認められない。
2 人権が持つ各種権利は、日本人の国民性に由来する範囲でなければ適用を許されない。
3 2の補足として、ヒューマン・ライトは正しい事のみに応用できるものとする。
4 これら日本人の権利は、日本の伝統・文化・道徳等の良質な継承を除外しては論じられない。
5 だからと言って、排他的に他国の人権を認めないということではない。
この理想は追求できない。その意味でいえば大日本帝国憲法のほうが優れている。
前文で「普遍」とか「全人類」とかいっちゃってるしなあ。ダメダメじゃん日本国憲法。
563 :
右や左の名無し様:03/02/10 15:50 ID:oMr2X8ZL
日本は八百万の神が住まう神の国で、天皇は神々の頂点に立つ
神の子孫、つまり神様で、日本国民は神様に仕える神の民と
認識することは、極めて自然だと思いますが。
>>561 そなの?
「人類普遍の人としての権利」が存しないということになるなら、基本的
人権て何?論理的レベルに議論はされているが、純理論だけで採用されて
いないよね。
普遍の部分があるから、全人類的に共感があり、世界人権宣言などに表現
されてるんじゃないの?
>>564 基本的人権は、「人類普遍的に適用可能」な原理だけど、
全人類の共感を得られるかどうかというと別問題。
つーか、社会システムの完成度と、その社会の構成員が
どれだけその社会システムに共感するかどうかということは端的に無関係です。
まあ、ワイマール共和国までいくとちょっと問題だけどさ。(あれも結局
憲法の問題だしなー)
さて、「氏名権」など議論されている人権があるが、
それは現実的には認められなくもないが技術とか制度の面でうまく
調整しづらかったりという面もあるわけで、認めるかどうかで
国によって差がでてきてしまうのは当然。
あと、もちろん国内の保守派が反発をするからというのもある。
「世界人権宣言」とか、「国際人権規約」に認められた人権は、
まあ人権思想に基づいて憲法を作ってる国なら認めなきゃやばいんじゃない。
>>564 人権思想の肝は、端的にいえば「全人類に普遍的な人権があること」であって、
これを認めるか認めないかで人権思想に基づくか基づかないかが決定する。
ちょっと乱暴な言い方だけどね。
>>566 なら
>人権思想に基づかなくても「生存権」の確保とかはできる。
>イスラム国とかは、イスラム教に基づく権利でしょ
は、反則発言でしょ。
その権利がどこからきたかとか、どんな種類の権利があるかの議論は別と
して、「普遍的な原則を人類が共有しなけりゃならん」とすれば、、、。
>>567 ぜんぜん反則じゃないと思うけど。
彼らは「全人類に普遍的な人権があること」を認めていないわけで。
569 :
右や左の名無し様:03/02/10 16:51 ID:TBY7eZz3
>>563 そうか・・・。
それはお前が、ここ数年で身に付けた「自然な感情」なんじゃないのか?
俺のバイト先の連中は、神道と仏教の区別も付かないわけだが・・・。
>>568 そうすると、国民の多数が支持しない限り、基本的人権はその国にはない
というのだろうか。
なんか昔の議論を、反対側にたってしているような気になるが・・・。
イスラムの国にも基本的人権は、共有してもらわなければならないんじゃ
ないの?それがNoというなら、日本独特の基本敵人権思想があることに
、異議は述べられんわな。憲法改定で変更可能な権利にしかならない。
(私は存在するとか存在しないとか言ってるのではなく、共有するべき、
としている点で、少し違うんだけれども。)
権利は相手に認めさせなければ意味が無い。
相手が、ソンナモノ知らん、と言えばそれまで。
認めさせるには、それなりの力(ハッキリ言えば暴力)の裏付けが必要。
全国民が認め、要求しても国民に力が無ければ、権利など何も存在できない。
いろいろ書いたのに、全部消えてしまった・・・。
>>570 要するに、「イスラム国の住民は」「本来基本的人権があるが」
「人権思想に基づく憲法がない以上」「たとえイスラム法で殺人が
禁止されているとしても」「生存権が認められているとはいえない」ということ。
逆に、いったん人権思想を認め、憲法を持つということは、人権思想に
付随する自由主義や立憲主義もろもろの「伝統」も受け入れるということであり、
「日本人の基本的人権」なって、馬鹿なこと言ってちゃいけない罠。
>>572 >いったん人権思想を認め、憲法を持つということは、人権思想に
>付随する自由主義や立憲主義もろもろの「伝統」も受け入れると
>いうことであり、
この辺が、どうも論理的ではなく突っ込まれそうだが、趣旨は理解できま
した。
人権思想に付随する自由主義や、立憲主義その他の伝統なども受け入れな
いと、整合性が保たれない。なら、納得も出来るし議論も出来るが、受け
入れるということでありでは、保守考氏の決め付けと、そう変わらんよう
な印象がある。
「基本的人権を人類全てが共有する理念としよう」と言われれば、同意で
きそうなんだが、それを同意するということは、自由主義も受け入れなけ
ればならないといわれると、なぜ?どうして?と、思ってしまう。
そんなもの、整合性が確保できる範囲で良いじゃん、と考えたらいけない
のか?
>>573 自由主義も近代的な立憲主義も人権思想と別の概念ではなくて、
基本的に不可分なものとして発展してきたから、
(便宜上そのへんの思想もろもろを統合してリベラルな民主主義
ということにしておく)
その意味で「整合性が保たれないから」というのはいいけど、
(リベラルな民主主義にもまたいろいろな立場があるわけで)
それが「伝統や文化との整合性が保たれないから」だとまずいですな。
アメリカのライトコンサバだってそんなこと言わないよ。
>>574 人権思想と伝統文化との整合性なんか求めてはいないよン。
私は、論理的であるということに、絶対の信頼はもっていないのである。
複合的な共同体などを語るとき(国や家族など)、歴史的に築き上げた、
場所・場面・時ごとの慣習や常識といったものが、論理的に複雑すぎて証
明できない場合も多く、論理からの結論が実験的になりやすいと思ってい
る。猫タンなどと議論すると、極めて明確にそのことが理解できる。
前提の取り方が難しいからなのかなぁと思う。さほど論理的ではない脳み
そだからかもしれない。(愚痴ってどうする)
人間の論理は万能ではないと、悟ったようなことを言うのは嫌いだし、論
理的に整理することを拒否したり忌避するのでもないが、自由主義的論理
を受け入れろといわれると抵抗が有り、それに抵抗したからといって、人
権が侵害されたということでもなかろうと思う。
576 :
ころ:03/02/10 19:05 ID:???
むっちょさん
「まず、謝りたいことがあります。」
>>511は保守考さんのレスでした。むっちょさんのではなかったと今気付きました。早とちりでした。申し訳ないです。
>>539 >終了。
リベンジを期待してます。
577 :
保守を考える:03/02/10 22:45 ID:/2HB7r8m
>・・・氏
>>556 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
について
前に散々、旧憲法1条・3条とその本質は変わらない、ただ言い回しが変わっただけ、と述べていたのですが・・・。
もう少し補足しておきますと、
「国民の総意」とは、歴史上の全国民の意志であり、その伝統精神が現在にも受け継がれ、
それ故に、その地位を、時の国民が保証しているということです。
天皇は今も昔も日本の象徴であり、その根底をなすものは、日本及び日本人の意味や価値の体系を
纏め上げているという歴史的事実です。ここが、有史以来の天皇制の意味を解くポイントだと思います。
578 :
保守を考える:03/02/10 23:01 ID:/2HB7r8m
>>562 >前文で「普遍」とか「全人類」とかいっちゃってるしなあ。ダメダメじゃん日本国憲法
多分、皮肉で言っているのだと判断していますが
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託から」にはじまり
「その福利は国民がこれを享受する」でしめている通り、
すべからく「国民」という用語が明示されています。
つまり、普遍原理とは、米国人や北朝鮮人の権利を示しているのではなく
「日本人の権利」は日本人がこれを規定し享受するという意味ですから、何も問題はないですね。
それと、私は創憲派ですから、お間違えのないようにお願いしたいですが
現憲法の問題点をいくつか挙げることは出来ますが、スレ違いなので割愛させて下さい。
>>577 >「国民の総意」とは歴史上の全国民の意志
歴史上って! 存在しない者の意思は無いよ。
「国民の総意」があって天皇が存続した訳ではない。
天皇の存続がベターと判断した誰かの意向を反映して、
「天皇存続」のために「国民の総意」が作られたってこと。
ことの後先が逆なことに気が付けよ。
>天皇は今も昔も日本の象徴であり、その根底をなすものは
>日本及び日本人の意味や価値の体系を纏め上げているという歴史的事実です。
日本を政治的に纏める手段あるいは道具としての歴史的事実はある。
日本人の意味や価値の体系を纏めていると思うのは錯覚に過ぎない。
人は、自分の生に何か意味を求めたがるようだが、本質的には存在に特別な意味はない。
自分の存在に意味が無いと不安なので、神などと云う絶対の存在を作り出し
人は絶対的存在の意思によって作られたのだから、意味がある存在だとして安心する。
日本には、キリストやイスラムのような絶対神の考えがないから
天皇をそれに当てているに過ぎない。天子って考え自体も元々日本のものではないし。
人は存在するから存在する、ってだけで充分なはず。人もクラゲも差はないのだが。
人以外の生き物は、自分自身の存在だけで立派に生きているのに
どうも、人だけは、他のものによって生かされている、と思わないと
気が済まない生き物のようだ。自分自身の存在にも責任を取りたく無いらしい。
トンでもない無責任な生き物なのだろう。
580 :
保守を考える:03/02/11 00:31 ID:g5jShTJo
>>579 >歴史上って! 存在しない者の意思は無いよ
現在はね。だから「それ故に、その地位を、時の国民が保証しているということです」
と述べているのですが。よく読んでね。
>天皇の存続がベターと判断した誰かの意向を反映して、
>「天皇存続」のために「国民の総意」が作られたってこと
ベターと判断したのは誰か?
その政治判断はいかなる理由からなのか?
天皇存続の為の理由は何か?
だれが作ったのか?
歴史的事実に則して、自説を展開して下さい。
>本質的には存在に特別な意味はない
のに
>自分自身の存在にも責任を取りたく無いらしい
存在の責任を取れという論旨が意味不明
そして結論が
>トンでもない無責任な生き物なのだろう
意味が無いといっておいて、意味付けを行うとは・・・
自分が書いてる文章もよく読んでね。
象徴と規定したのは、全国民?
規定したとき国民に問うた?
そんな話聞いたこと無いな。
自己の存在に特別な意味は無いのだが、意味があって欲しいと思う。
自分だけで勝手に意味があると思えば良いだけなのだが
誰かの責任において、貴方は意味ある存在だ、と保証して貰いたい。
自分の存在にさえ責任を持てない。
「人権、人権!」って念仏みたいに唱えてる香具師がいるスレはここですか?
有機的重層的社会や国際ダイナミズムとやらを阻害してるのは天皇以前に国家だという罠
共同体が無機的単層的なわけでもないし(藁
584 :
右や左の名無し様:03/02/11 04:20 ID:KIEVnDfN
国民の象徴としての天皇制の必要性を主張する香具師は、現在の天皇が、どういう種類の
国民を象徴してると考えてるのかな?
戦前では、これは明確で、戦前の天皇は、当時、日本の社会を支えていた農村人口と
財閥を象徴していた。
すなわち、天皇が父で国民が子であり子は父の権威に絶対服従しなければならないという
家族国家観が、農村や財閥の家父長的構造を象徴していた。
だから、天皇制は大部分の国民にとって強権ではなく、自分達の生活感覚にマッチして
たんだと思う。
戦前は、象徴だけでなくて法的拘束力も持っていたんだが。
585 :
右や左の名無し様:03/02/11 04:20 ID:KIEVnDfN
ただ、戦前の政府は、産業の発展に伴って増大していく都市中間層をどのように
天皇制の中に取り込むのか苦慮したらしい。
というのは、明らかに都市中間層の生活感覚は、家父長制的構造の中で育まれる
生活感覚とは異なっていたからだ。
都市中間層が大部分となった現在、天皇はどのような形で「国民統合の象徴」なんだろう?
正直、国民の生活感覚とかけ離れた世界に住む不自由な人達という感覚しか俺には持てないのだが。
俺は、憲法第9条を日本のナショナリズムの源泉にすべきだと考えてるので、平和を愛する国民
の象徴としての天皇なら歓迎だ。
再度、家父長的構造を日本に持ち込まれても、俺は次男なので困るし・・・。
586 :
人権…トンデモ氏とあやしい氏の長文の検討:03/02/11 08:32 ID:Cm/ksZFA
ト氏…人権とはヒトの権利であるから、ヒト以外の動物と対置させて意義付けなければならず、
その意義付けは「ヒトの精神の所在による」とするが、それを根拠付ける「普遍的な精神」を、E.バークをもって否定する。
「普遍性」が否定される以上、国々における「歴史の特殊性」は否定しえず、国家によって保護されざるをえない…と結論する。
一方、あ氏は、
民主的決定は、民主的決定を根拠付ける個人の権利まで剥奪・制限する可能性を有する。
民主的決定(=実定法…国家による法)から、それを除外する要がある。
そこで、「人間が生まれながらに持つ権利」といった実定法に先行する「自然法」という前提を置かねばならなくなる…とする。
(ただし、あ氏はそれを「政治神話」と称して懐疑的な態度も示している)
587 :
つづき:03/02/11 08:33 ID:Cm/ksZFA
ト氏は、一種観念論から出発し、それをE.バークによる観念的論をもって否定し、突然、現実原則に移行し、
一気に実定法のみによる人権の裏付けを主張する。
ところが、あ氏は実定法による人権の侵害の可能性を指摘し、そこの普遍的な「自然法」の前提を要することを直観する。
いっぽうで、あ氏は、必ずしも「自然法」に信頼をおいていない。
結局は、懐疑論にたどりつかざるを得ないようだが、いずれにしても、「国家以外には人権を保護しえない」という事実は否定されるようだ。
>>584 >国民の象徴としての天皇制の必要性を主張する香具師は、
私は、国民統合の象徴であり、国の象徴としての天皇制は、必要性を感じ
ますが、国民の象徴としての天皇制は、現在存在しておりませんし、必要
性も主張しておりません。長くこのスレに降りますが、そのような主張は
誰も提示していないかのように思われます。
また、家長的構造を天皇制を通じて持ち込もうとする人がいましたら、私
も反対ですので、議論に参加いたしたく、存じます。
589 :
パンドラ:03/02/11 10:13 ID:NMi11XC3
>>554 >「非合理である状態」をそのままにしては、哲学が哲学たりえない。
だから、「そのまま」にはしていない…と申し上げているw
>論理学って認識論のことですよね。認識は存在を肯定する(認める)からできるのであって、存在を否定する(認めない)なら非合理を学問する必要もないと思います。
基本的には、哲学的には「存在論」と「認識論」は別に扱わなければならない。もちろん「論理学」はさらに別…
もっとも、いわゆる「認識」「論理性」であればそのかぎりでないw
あなたのおっしゃる内容は、どちらかというとクラシカル、認識そのものにフロイトが無意識という直撃弾をもたらしたのすら100年前、
存在論も存在という概念自体に懐疑的な事態がつづいている…しかし、スレちがいのようなw
>
>>536−538を参照下さい。長レスですが…
むしかえし、それも長レスは、気が進まないw
>「>そうではないと思う、というか、ありていにみて「そうではない」といえよう。」と言う返答になります。これは半分冗談ですが。
では、表現を変えよう、前者はともかく、欧州連合は国家の枠組みを越えた枠組みの可能性を示唆している…キシュツだがw
>国家の存在意義なんか聞いてないです!ゲゼルシャフトを聞いてるんですYO!なぜなら、そもそも認識のズレはゲゼルシャフトの認識のズレにあると思うからです。
しかし、Gesellschaftなる単語は、一般用語として文字通りの意義が付与されている。文字通りの意義は「仲間社会」である。
まさか、そんなことを質問しているとは思いもよらず…w で、あなたの「認識」されている意義と、いかなる違いがありや?
590 :
・・・:03/02/11 11:36 ID:???
>>577>保守考氏
ありがとうございます。
「主権」に詰まり、
>その地位を、時の国民が保証している
という、表現が出てこなかったものですから。
>>579 >天皇をそれに当てているに過ぎない
ただ、その天皇が神々にお祀りをされている存在でもあるので、
絶対神の変わりとは、違うような気もします。
>人は存在するから存在するも、>生かされているも、
哲学的ですね。仏教的には各々表現されていたような。
私は両方感じて生きております。
>人もクラゲも差はない
生物?としては、そうでしょうし、人間も自然の一つと考えるのも
日本の価値観の一つでしょうし。
確信も何もない単なる感想ですので、鋭い突っ込みは、勘弁してくださいね。
591 :
・・・:03/02/11 11:51 ID:???
>>585 >家父長的構造を日本に持ち込まれても、俺は次男なので困る
私は長男なのだが、親は弟の近所に在住中。
で、もし長男だからと言われ世話をする事に異議はない(理屈に合わないが)
のだが、親が残した財産は?また、借金の継承も平等分配なのだろうか?
全くスレ違いなのだが、長男の今後の悩みも一言。
>>584 >戦前の天皇は、当時、日本の社会を支えていた農村人口と
>財閥を象徴していた。
>天皇が父で国民が子であり子は父の権威に絶対服従しなければならない
天皇は神の子(天子)として、人を統合するために天から遣わされた存在という定義。
これは、天皇制の発祥時点からのもの。(考え自体は世界的に普遍なものだが)、天子(神=絶対的存在)は民の父、民は天子の子とする。
家族はこれを見習い、父を家族内の絶対権限者であり責任者とする。
父を神の意向の代行者責任者として、神が認定者としただけ。
神 → 天子 → [実権者(層)] → 父 → 家族
決して、家族の構造を社会(支配者)が擬制したのでは無い。
馴染み易かったのではなくて、馴染む様に躾けられていたのだ。
中間の責任者も、自責で命令するより、他責命令の伝達者でいた方が遥かに気楽だっただけだ。
(私は納得してないが、上の命令だら仕方が無いと、トンデモ命令出すのがいるだろうが)
593 :
右や左の名無し様:03/02/11 12:39 ID:FkmNn+20
天皇家は無能な外務省に比べて余程役に立つ
欧米・阿弗利加・中南米・・・etc
何処へ行こうとも歓迎される。
いっその事、陛下に終身外務大臣を御就任願ってはどうか?
594 :
右往左往:03/02/11 13:02 ID:pJOwV3Ht
建国記念の今日 天皇家は何をしているのだろう。
595 :
ころ:03/02/11 19:11 ID:???
パンドラさん
>>589 >100年前
哲学には博識がないんで、反論はありません。
哲学はそもそもスレ違いですから…
>欧州連合は国家の枠組みを越えた枠組みの可能性を示唆している…キシュツだがw
欧州連合は国家を否定するものですか?
連合体は国家を否定したものではなく、国家がまとまったものだと思います。国家は否定されていないと思います。むしろ国家が前提になってます。
私は、国際ダイナミズム=国家の枠組み(というより「枠組み」そのもの)の否定、解放だと誤解してたようです。
パンドラさんの言う国際ダイナミズムとはなんですか?
>ゲゼルシャフト
ゲゼルシャフトにおける経済、宗教の捉え方が聞きたかったのです。
私は、ゲゼルシャフトは経済より宗教をあくまで優先させるのであって宗教は否定されてないと思います。つまり国家のバランスが宗教より経済が優先されていれば、その国家はゲゼルシャフトだと思います。
日本は、天皇制があっても政治的権能が全くなくてまして経済にも不干渉だと思います。天皇制が不景気にしたなんて聞きませんし。
天皇が政治・経済に優先していたらゲマインシャフトだと思います。でもそうではないと思うので、日本はゲゼルシャフト=近代国家だと思うのです。
どうしても、ゲゼルシャフトが天皇制不要論になってしまう理由が分からないのですが。
欧州連合ったって、欧州で枠組みを作ってることには変わりない罠
欧州とそれ以外との国際ダイナミズムは阻害されてるだろ(藁
597 :
保守を考える:03/02/11 23:07 ID:YZ51DpzQ
>>581 >象徴と規定したのは、全国民?
>規定したとき国民に問うた?
>そんな話聞いたこと無いな。
私に対してのレスだと思いますが
どこをどう読んだら、こういうレスになるのだろうか?
有史以来、存続する天皇制が現在もその地位を保っているのは
有史以来、日本国民がその地位を否定せず、現在に到った、という事実を示しているのですが・・・
>自己の存在に特別な意味は無いのだが、意味があって欲しいと思う。
>自分だけで勝手に意味があると思えば良いだけなのだが
>誰かの責任において、貴方は意味ある存在だ、と保証して貰いたい。
>自分の存在にさえ責任を持てない。
まあ、全く理論的ではないのだが、
あなたは、およそ「人」を信頼していないらしい。
これが、「ゲゼルシャフト」の弊害であると、生みの親であるテンニスが指摘していますね。
598 :
パンドラ:03/02/12 11:50 ID:FZo/TSzn
>>595 > 欧州連合は国家を否定するものですか?
しつれいながら、どうも児戯的な議論だw 否定などとはいっていない。 厳然と国家は存在している、と申し上げている。
ただ、国境を越えて通用する通貨など、経済領域の変容をその兆し、としているに過ぎない。
で、
>>586,
>>587 はわたしのログだが、蛇足を承知で加えたい。
いわゆる「脱北者」の人権を守るのは、もちろん北朝鮮でも中国でもなく、日本でもなく、NGO,NPOの支援組織、
同様のことがイラクでもいえるが、これなども国家の限界を「示唆」している。
>パンドラさんの言う国際ダイナミズムとはなんですか?
上記のようなことや、多国籍企業の存在など経済社会的国際関係、すでに具体的に提示したと思うが…
>ゲゼルシャフト
この単語は、様々な意味合いを含んでいるから、あなたのおっしゃる意味合いは、それはそれで否定されようもない。
この多義の単語の意義を論じ合ってもすれ違いとなろう。
で、むっちょ氏が提示された、意味合いが議論の発端であるから、それを根拠に反論されたい。
くりかえしになるが、一応、当初のはなしのスジを提示する。
『本来的には近代国家のシステムとは「経済社会(ゲゼルシャフト)」の論理であって、「共同体(ゲマインシャフト)」的なものではない』
が最初の定義(のようなの?)であって、
天皇制にたいする一種のロイヤルティ?で国家の枠組みを「固定する」となると、後者の論理になる…ということである。
599 :
・・・:03/02/12 12:32 ID:???
>むっちょ@かわうそ氏、パンドラ氏
結局、日本に限らず国際社会の一員である国家を
この古い2元論的概念内で定義付ける事は困難であろう。
組織において、優劣の問題でなく、現状を意識付けしてバランスを取る意味合い
程度なら、表現として使用かのだが。
国際社会でもだからこそ、NPO・NGO組織も現状有効なのであるから。
>「全人類に普遍的な人権があること」(むっちょ@かわうそ氏)が、
>「国家以外には人権を保護しえない」という事実は否定されるようだ(パンドラ氏?)
的な意味合いであるなら十分理解可能である。
ただ、前にも書いたのだが、復興的なNPO・NGO活動は、
地域や民族や国の伝統・文化を無視しては、
イデオロギー・宗教活動化として偽善となりやすいらしい。
>>599 同感。そもそも、現代の天皇制が、国民に何の不利益もないのだから、
論理で排除するためには、少なくとも将来の不利益の恐れを、論理的に表
明してもらわないと困る。
>>600 >599 ではない、横レスになるが
>現代の天皇制が、国民に何の不利益もない・・・・
>将来の不利益の恐れを、論理的に表明してもらわないと。
現時点では、その通りだが、信管を取り外した爆弾のようなものであり
信管さえ付ければ何時でも復活する。
将来も不利益は生じ無いと云う点についても、同様に論理的な表明が必要だろう。
上の様なものと理解しているから、危険物は持たない方が安全だろうと考える。
過去の行いから見て、日本人の全てが信頼に足る者だけ、とは言えない。
また信管を取り付けようとする者や信管が取り付けられてしまった場合
それを排除できる自信は全く無い。
>>601 「あつものに懲りてなますを吹く」だと思いますよ。
そんなに、我が国の憲法が、信用できないんですかな。
なますがいつか熱くなるという意見に対して、熱くならない論理など、持
ち合わせていません。
貴殿の論理から言うと、秘密警察も、共産党相手の不当な盗聴行為も、す
べて、絶対安心を、相手が証明しない限り継続できることのなる。
民主的にな諸兄が、天皇に関して、突然非民主的態度になるのは、どうし
てだろう。
都合がいいからだけで、自由主義とか民主主義とか言ってませんか?
603 :
保守を考える:03/02/12 18:02 ID:dc9mHJrV
>>600 また、利いた風なことをぬかす輩が現れてくるから、
どうも、戦後民主主義教育の欠陥を嘆かずにはいられない・・・。
>信管を取り外した爆弾のようなものであり信管さえ付ければ何時でも復活する
一体全体、天皇=爆発物 という例えは多分この根底的理解、つまり
>過去の行いから見て、日本人の全てが信頼に足る者だけ、とは言えない
過去の行いとは、先の大戦を指しているのだろうが
天皇が存在したから、戦争が起きた、という認識は小学生並の間違い。
日本人があなたにとって、信用出来ない存在であろうとも、日本人は同じ日本人を信じて
生きていかなければ、殊日本国内において、平和的な生活は保障される訳がない。
しかしながら、ある国の人間が他国(日本)の人間を信用するかしないかは、別問題である。
>また信管を取り付けようとする者や信管が取り付けられてしまった場合
>それを排除できる自信は全く無い。
ご安心下さい。天皇は爆発物ではありませんので、信管の取り付けようがありません。
それとも
神宮皇后や斉明天皇を持ち出して批判しているのかなあ?
604 :
保守を考える:03/02/12 18:18 ID:dc9mHJrV
>>598 >いわゆる「脱北者」の人権を守るのは、もちろん北朝鮮でも中国でもなく、日本でもなく、NGO,NPOの支援組織、
>同様のことがイラクでもいえるが、これなども国家の限界を「示唆」している
示唆しているというのは理解できますが、
NGO等が人権を保障しているわけではないでしょう、
彼らは、人権侵害からの脱出を支援しているのであって、北朝鮮人の多くはその後
韓国という国家において、その人権が保障されているのです。
「支援」と「保障」を区別しないといけませんね。
>>599 別に私は社会をゲゼルシャフト/ゲマインシャフトに
単純に二極化しているわけではないがw。
つーか、漏れ公共性の議論には参加してない品。
参加してもいいが、どーせジャーゴンを調べもせずにみんな自分勝手に
解釈されるんだろーなと思えば萎えるわけだ。
ハーバーマスの公共性論で言うと、ゲマイン/ゲゼルシャフトはどう解釈されるの?
あとハーバーマスは国家を否定したの?
教えてぽ
607 :
保守を考える:03/02/12 19:53 ID:dc9mHJrV
>>605 >参加してもいいが、どーせジャーゴンを調べもせずにみんな自分勝手に
>解釈されるんだろーなと思えば萎えるわけだ
あなたが、説得力のある定義を示すだけでいいんじゃないの?
>>606 >ハーバーマスの公共性論で言うと、ゲマイン/ゲゼルシャフトはどう解釈されるの?
この言葉は、F・テンニスの特許だから、それ以外の定義はないのですが・・・。
>あとハーバーマスは国家を否定したの?
彼も、マルクス主義の影響があると思いますが、国家の否定までは言ってないでしょう。
彼は、民主主義の再建の為に、近代的な合理主義に基づく理性が重要であると説いたわけでして
その根底には、社会が規定する規範の構造を解明しなければならないと主張しました。
私なりに解釈すれば、西欧文明(ウィットフォーゲルの言うところの「亜周辺」)に於ける
社会構造の変遷、特に後期資本主義社会等の概要を解き明かし、その問題点を指摘したと覚えていますが・・・
しかし、スレとは全く関係ありませんな・・・。
608 :
tohtoshi@message:03/02/12 20:06 ID:y2wukET8
はじめまして マジで、少し違う角度の視点から皇室の存在意義を考察します。
高次元的な立場から見れば、他の国には見られない神の国も天皇も万世一系で連綿として
存在している事実に注目して欲しいものです。
どのような事物でも同じですが、後世に何百年や何千年も残るような偉業や建造物などというのは
成し得た人物の霊的なレベルが高いとか、愛念や真心が込められていないと残らないと云われています。
これは、皇室にしても人物にしても同じで、何千年も万世一系で連綿として地位を維持して存在
していることは、余程に凄いことであると言えるわけです。
「君子危うきに近づかず」。君子とは聖人君子を意味し高徳な人です。
特に皇室(皇族方)を始め天皇と皇太子は民衆と比べて霊的な次元が極めて高く、その気品や
人柄は人格や品性として現れますから判る人には感動と尊敬を覚えるものです。
故マッカーサー元帥が良い例でしょう。回想録の中で天皇とのことが述べられています。
世間でも、先祖代々と何十世代も子孫の直系がそれなりの地位を維持して後を継いでいる家系は尊ばれるのです。
このことは日本に生まれた国民として世界に誇れるべき事柄であると思います。
この件に関する説明が当HP↓にあります。
http://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
609 :
右や左の名無し様:03/02/12 20:07 ID:h1RJmY+I
>>608 ここは政治思想板であります。霊的レベルが高いなどの発想は(私が言う
のもなんですが)政治でも思想でもないようなので、板違いではないでし
ょうか。ご紹介のHPも政治思想とはかけ離れた部分と、見受けられます
ので、ご容赦ください。
>>586-587 要約するとそうなるんだろうな。人の意見はどうでもいいから
自分で自分の思ったことを語れよ。言ったもの勝ちだから遠慮せずにな(藁
俺の指摘の重点は、ウヨ・保守に顕著な法実証的な政治姿勢にあるわけ。
保守を考える君らの主張に、この辺りはよく現れているだろ。実定法や
民主的決定過程の上に、なんらかの非民主的で安定した上級規範を想定
しなければ、民主主義システムが安定せん罠(藁
実定法に先立つ上級規範に、文化・伝統を持ち出すのは結構だが、
それを非民主的に安定的に解釈し、多数決原理に対置することが可能
なのか?そこが重要なんだ罠。実定法に上位する規範の社会的な
役割について、彼らは理解が足らんとしか思えんのだよな(藁
あと俺が、既存の上級規範である自然法思想に懐疑的であるのは、
それが果たしている社会的な機能からだな。実定法に先行する自然法
と言った規範の社会的機能は、非民主性にこそある。民主制の限界を
踏まえた上のストッパーなわけだな。既存の制度では、それを制度的に
担保しているのは、民主的決定過程から超然とした知的エリートの
法曹システムなわけだ(藁
民主的多数決原理や非民主的裁判機構ともに、大多数の民衆の日常感覚
から離れたところで、現代社会の公共圏は成立せざるをえない。つまり
大部分の民衆にとって、公共圏とは他律的なものであって自律的なもの
足りえない。この辺りが、俺の現代制度全般に対する懐疑心の源泉だな。
現代社会のような大規模社会では、規範的意味・権力行使の正統性に
おいて、民衆は他律的でしかありえない。民衆にとって、社会を成り立たせて
いる規範は、自然法であろうが、民族性であろうが、その解釈は中央の
知的エリートから押し付けられるのであって、みずから解釈し・創造する
もの足りえないわけだ。
しかし、これは社会の広域化が必然的に招く規範的な問題なのであり、
解決することはできない命題なのだと俺は思うね。民衆にとって
自律的な公共圏を成立させたいなら、中央の政治システムと並立的な
民衆の身の丈にあった公共圏を成立させる必要性がある。かつて
中央権力や領主権力と並存していたような惣村的な公共圏のようなね。
まあ、広域社会の規範的命題とは直接関係ない話ではあるが(藁
613 :
ころ:03/02/12 21:59 ID:???
パンドラさん(レス感謝)
>>598 >『本来的には近代国家のシステムとは「経済社会(ゲゼルシャフト)」の論理であって、「共同体
>(ゲマインシャフト)」的なものではない』
>が最初の定義(のようなの?)であって、
この定義に懐疑的なんです。近代国家に共同体意識が皆無とは思えません。
>天皇制にたいする一種のロイヤルティ?で国家の枠組みを「固定する」となると、後者の論理になる…ということである。
日本では、他に「固定」できるものはありますか?
また、他国にもロイヤルファミリーより合理的なものがあるとは思えません。
もう少し俺のアズマ的立場を鮮明にすれば(藁)、広域な社会の規範は、
他律的である以上、できるかぎり最小限度に抑えられなければならないとなる。
なぜなら、民衆にとって自律的な公共圏の生成を疎外する要因になるから。
自然法であれ、民族性であれ、広域な社会を形成する原理・原則は、所詮
大部分の民衆にとっては、中央の知的エリートが押し付けるものであって、
自分達の生活感覚にそったものではない。
ウヨ・保守の錯誤は、民族的と称する文化・伝統をあたかもネイティブな概念で
あるかのように扱うが、郷土主義的アズマ人の俺の目から見れば、国家の文化
・伝統なんて、ネイティブでもなんでもない。中央の権力者や知的エリートが、
明治以降、地方に押し付けた人造物でしかない。民衆にとってネイティブな文化
・伝統があるとすれば、それは民衆が自律的に参加し、作り上げるものでしかなく、
一握りの中央権力や知的エリートが作り出したものが、果たしてネイティブな
文化・伝統と言えるのだろうか?この点において、国家制度としての天皇制は、
民衆にとってネイティブではないと言える罠(藁
広域な社会が現代社会の必然だとしても、すべての政治システムや公共圏が、
広域な社会のそれに包摂される必要はなく、民衆の社会や政治文化は、それと
並立的に成立すべきだと俺は考える。ことさらに広域な社会形成の原理を主張
するのは、民衆の自律性を弱めることにも繋がる。ましてや人造物にすぎない
他律的な国家の規範を、あたかもネイティブぶって民衆に押し付けることは、
馬鹿げている罠(藁
>>607 父さん。。。僕は質問の意図を理解してもらえないわけで。
ゲマイン/ゲゼルシャフト・国家・公共性の問題がごっちゃに議論されてたから、例えばハーバーマスが何て言ってんのか聞いてみたわけで。
もともと天皇制がゲゼルシャフトで。。。とかいう話だったわけで。
間違えました。。。天皇制がゲマインシャフト的とかいう話だったわけで。。。寒いです、父さん。
617 :
パンドラ:03/02/13 07:51 ID:ZYmC9WgN
>>599 >この古い2元論的概念内で定義付ける事は困難であろう。
ナニとナニの二元論であろう? 精神と肉体ではないだろうし…w
>ただ、前にも書いたのだが、復興的なNPO・NGO活動は、地域や民族や国の伝統・文化を無視しては、
>イデオロギー・宗教活動化として偽善となりやすいらしい。
その組織によっては、特定文化を無視するような団体もあるかもしれないが、多くはそうではないようだ。
なにをもって偽善とするかは難しいところだが、偽善であってもsupportになることもあろう。
ところで、国家制度という天皇制のあり方は、地域分化や少数民族を無視する形となっているが…w
あなた方は、国際的には多文化容認を積極的に支持し、国内的にはみとめない?
618 :
右や左の名無し様:03/02/13 07:52 ID:ZYmC9WgN
天皇も民間機関となって国内文化の多様性を体現されたらよかろうにw
>>600 あなたは、まぎれもなく好漢だが、トボけているのか、ホントにamnesiaがあるのか…w
>同感。そもそも、現代の天皇制が、国民に何の不利益もないのだから、論理で排除するためには、
>少なくとも将来の不利益の恐れを、論理的に表明してもらわないと困る。
過去スレで、ダ氏らとさんざん議論したろうに…
>>203の以下のようなカキコをご記憶か?
『その他にも、身分制を国家が制度化すること、その身分制自体に人権の侵害の疑いがあること、
国政機能として特に必要とされず、むしろその経費がムダであるばかりでなく、植樹祭など、
彼らの行動自体に弊害が大きいこと…etcを根拠としている。』
あなたは、これに対して、モウイイデショウ…ではなかったのかw
個人的には、論理性では懐疑論が、実態の評価で支持論がまさった…という印象をもっている。
619 :
右や左の名無し様:03/02/13 08:41 ID:ZYmC9WgN
>>604 また、コトバじりの話になって憂鬱だが…
>NGO等が人権を保障しているわけではないでしょう、
>彼らは、人権侵害からの脱出を支援しているのであって、北朝鮮人の多くはその後韓国という国家において、その人権が保障されているのです。
>「支援」と「保障」を区別しないといけませんね。
彼らの保護がなければ、韓国の保護下に入れないことも多いのであるから、「支援」も「保証」の範疇と考えてよいのでは?
例えば、生活保護における「生活支援」は、「健康で…最低限度の生活」の「保障そのもの」であるw
620 :
右や左の名無し様:03/02/13 08:43 ID:ZYmC9WgN
>>613 むっちょ氏の提示が、tonniesの原論に反する、おっしゃるのであれば、わたしが応えるスジではなかろう。
わたしは、むっちょ氏の提示とその語の持つ語義に依拠して申し上げている。
いずれにしても、彼の意向もふくめて、問題にしているのは、「日本が近代国家かどうか」ではなく、
「天皇制が近代的なシステムか否か」ということである。
>日本では、他に「固定」できるものはありますか?
ゲゼルシャフト的(むっちょ氏によるw)に柔軟に決まるのであって、前近代的に「固定」する要はない。
>>618 まだ、痴呆の前兆はない。言っている事は、共同体の位置付けとか言う議
論の中で、天皇制あるいは天皇がどのような危惧があるのかということで
ある。
622 :
・・・:03/02/13 11:43 ID:???
>>605>むっちょ@かわうそ
>単純に二極化しているわけではないが
パンドラ氏と同列にしたのが誤りかな?申し訳ない。
天皇が存在する日本国家自体は、別にゲゼルシャフト的ではないのですね?
ただ、パンドラ氏はそう解釈されているようだが・・・それも否定されていなかったので。
上記も誤解解釈なら、もう一度真意をお願いできますでしょうか(少し混乱)。
>「全人類に普遍的な人権があること」(むっちょ@かわうそ氏)が、
>「国家以外には人権を保護しえない」という事実は否定されるようだ(パンドラ氏?)
的な意味合いであるなら十分理解可能である。は、パンドラ氏でなく氏への書き込み
である。
>>617>パンドラ氏
>ナニとナニの二元論であろう
むっちょ@かわうそ 氏には、通じているようであるが。
>>555も参照の上、別に2元論化されていないのであるのなら、
この用語を使用される真意もお願いしたい。
>supportになることもあろう
supportを否定している訳ではない。
>地域分化
アズマ人 氏的な意味合いなのだろうか?
>少数民族を無視する形
日本民族の統合ならそうであろうが。
>アズマ人
前近代の制度は、集権化が皆無の時代であったのであろうか?
624 :
・・・:03/02/13 12:53 ID:???
>>622 >別にゲゼルシャフト的
は、ゲマインシャフトの方が良いようですね。
>むっちょ@かわうそ氏への質問だけなら、どちらでも良いのだけれど・・。
つまり、国家とは何かということだろう。
あらゆる国家はゲゼルシャフト/ゲマインシャフト両側面を持っているかもしれない。
しかし、国家の意味を「日本国」という政治システムの意味と考えたとき、それは
あきらかにゲゼルシャフト的であるといえる。あらゆる近代国家は何よりもまず
経済的要因によって成立したのは自明であって、その領域は政治的に決定したからである。
「ある同等の価値を信じるものたちによって国家が形成された。」という理屈は、
たとえば社会契約説と同様にフィクションにすぎず、近代国家というものに関して言えば
むしろ社会契約説のほうが実情に近いといえるかもしれない。基本的には、日本国民を
結び付けているものは「利害」でしかない。漏れが考えるに、
こうした経済的/政治的つながりによって形成された国家を
「人工的」とあらわすのは間違っている。というのは、
あらゆる社会システムは有機的(決して、国家有機体説的な意味ではない)
であるからである。それぞれの利己的な人間たちの「利害」は、
リベラルな民主主義システムの中で調整され、社会を動かす力となる。
ゲマインシャフト的な日本(たとえばね)というのは、想定が非常に難しいと思う。
少なくとも、日本(沖縄と北海道は一応抜いておく)には確かにゆるい
文化的同質性は存在するだろう。しかし、自律的な共同体を形成するには
あまりにも範囲が広すぎる。日本という統一的な共同体が誕生したとすれば、
それは近代以後、つまり、学校(まあ、寺子屋という日本独特の教育システム
はあったが、統一的な国家共同体規範が教えられるようになった意味を考えて)
と鉄道と通信技術によって、相対的に各地域が身近に、均一的になったことに
よるものだろう。つまり、@新技術によるパトリオティズムの拡大と、
A国家によるナショナリズム政策が要因。まあ、それこそ「人工的」で「政治的」
なものの産物だな。
フランスの例をあげれば、この国は革命まで「国民」という意識がまったくなかった。
あったのはそれぞれの地域の自律的な規範だけ。貴族と民衆はもとより、民衆の内部でも
職業や財産によってその政治システムの中での立場が変わっており、複雑化したシステムの中で
それぞれ利己的に利益を追求していた。ということで、社会はうまく回っておらず、
どっちみちいつかは崩壊するか、大規模な改革をするほかなかっただろう。
旧体制の政治システムは共同体的規範による統一なんてまるで考えていなかった。
というか、賢明にも、分裂していたほうが王権はより強力になると考えていた―ルイ16世以外は。
革命以後、何かフランス人の「伝統」とか、「価値観」みたいなものが提示され、歴史的になんとなく
それを尊重しつつ政治を行っていたことにされてしまった。後の自由主義者(フランスには少ない)
や社会主義者はそれに反発し続けるわけだが、まあもともとない物に抵抗していたわけだな。