アイヌ沖縄の民族独立こそが日本に真の自立をもたらす

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1大和民族よ!アイヌ民族よ!琉球民族よ!立ち上がれ!
お互いの違いを、認め合いながら生きていかなければならない。

それぞれが【単一民族】となるために・・・・・・!
2保守民族維新 ◆ue0TraM1l6 :2010/02/25(木) 05:02:14 ID:mlhJ4awV
初めまして、スレ主の保守民族維新 ◆ue0TraM1l6と申します。

私たち日本人の真の自立と創造、そして自分たちの手で新しい時代を突き進む、
未来に向けての真の独立を目指すという事をこのスレでは話し合っていきたいと思う。

そのためにはまず我々一人一人が誠意を持ち「大和民族」ないし「日本民族」としての
自覚を持ち、そしてかつて北海道にいたアイヌを先住民族と認め、沖縄人を琉球民族
として認める必要がある。

いまや帰化したアイヌ系の人々も一人一人が民族としての意識をもち、日本人として
帰化するかアイヌ民族として生きるかを選択してもらい、沖縄の人も同様に選択する。
一方は○○系日本人として生き、もう一方は民族として生きてゆく。
だが、アイヌ系や沖縄人は在日朝鮮人シナ人外国人とは違いすでに日本人化してるので
○○系日本人を選択された場合は、もうすでに完全な日本人である。
そして民族を選んだ者達はこれからアイヌと琉球の民族や国家独立を目指して歩まなければならない。

そして琉球沖縄共和国と北海道千島樺太共和国としての一歩前進を歩んで欲しいと思う。

なお、この固定ハンドルネームは保守民族主義に基づく平成の民族維新だ!
という考えをもって保守民族維新という名を付けさせていただきました。
3保守民族維新 ◆ue0TraM1l6 :2010/02/25(木) 05:10:00 ID:mlhJ4awV
あらかじめ申し上げておきますが、私は日本分断主義者ではありません。
あれは反日することしか能の無い一部の情弱者とサヨクとシナ朝鮮の政治
団体が行った極めて危険な民族運動です。
つまりああしたことは日本人による民族運動ではないのです。
私は日本人による正当な民族運動を求めています。
大臣が「単一民族」だと発言してもアイヌや沖縄の人々が「ん?日本人は普通
に単一民族だろうし、我々も単一民族だ。別におかしい事でも何でもない。(笑)」
と言える社会にしていきましょう。

以上
4保守民族維新 ◆ue0TraM1l6 :2010/02/25(木) 11:11:37 ID:mlhJ4awV
5ナナシズム:2010/02/28(日) 05:47:27 ID:???
台湾・琉球・ヤマト日本・アイヌ連合協和国
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/1160932185/よち
1 名前:美麗島の名無桑 投稿日:2006/10/16(月) 02:09:45
とりあえず、北海道と沖縄の独立からはじめましょう。
6ナナシズム:2010/02/28(日) 18:50:15 ID:vMzIsUoc
7ナナシズム:2010/02/28(日) 19:03:48 ID:4/15iCyG
わが国ほど素晴らし国は無い、神に近い民達、日本国万歳沖縄県万歳
8Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/03/03(水) 02:59:18 ID:nbjLcnxa
内地も東北州と北陸州と北関東州と南関東州と東海州と関西州と中国州と四国州と九州に分割しろよ。
9ナナシズム
人類学的・民俗学的には大和も琉球も近い。

ウィキペディア-琉球民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E6%B0%91%E6%97%8F
>九州以北の住民とは、同じ祖先を持つことが最近の遺伝子の研究で明らかになっている。
>また、中国南部及び東南アジアの集団とは、地理的には近く昔から活発な交易が行われていたため、
>九州以北の住民と違いその影響があったと考えられていたが、
>遺伝子の研究からそれらの集団とは比較的離れていることが判明している。
>九州以北の住民との近縁性と共に、それを介して北海道のアイヌ民族との近縁性も指摘されている。
>考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体

ウィキペディア-沖縄県の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%9C%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
>琉球王国の正史『中山世鑑』や、『おもろさうし』、『鎮西琉球記』、『椿説弓張月』などでは、12世紀、源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとされる。
>真偽は不明だが、正史として扱われており、この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、この話に基づき、大正11年には為朝上陸の碑が建てられた。
>表側に「上陸の碑」と刻まれて、その左斜め下にはこの碑を建てることに尽力した東郷平八郎の名が刻まれている。
>『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、
>また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、
>王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている[2]。
^ 真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は「「此国人生初は、日本より為レ渡儀疑無二御座一候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。雖レ然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為レ絶故也」。