機動戦士ガンダムSEED DESTINY PHASE-120

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64通常の名無しさんの3倍
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/shar/1355219011/656-659
全然ダメだな
エンターテインメントとして成り立っていない
普通の少年なんて作品の中心に必要ない
んなもんカズイでまっとうした
運命と名付けたならば全ての運命がシンを中心に結び付かなければならない
運命プランによる最高の戦士がシンであり最高の兵器がデスティニーガンダム
議長の運命は人知を超えたものとしてシンや人々を縛り付ける
だがやがて人々との触れ合いや戦いを通して成長したシンが目覚め、運命は己の力で切り開くもの、と議長を撥ね付ける
二つの運命論の真っ向勝負、そしてシンがそれを撃ち貫き灰色の管理社会から命の息吹を取り戻す
三軸主人公なんて「ドラグナーの主人公簒奪マイヨをパクった俺って奇を衒っててかっこいい」なんて中途半端な糞アイデアは間違い
主人公はどっしりと唯一人シンのみ
そして直球勝負できちんと得られるカタルシス
大衆は、より多くの大衆は、そういうものに心を打たれる
65通常の名無しさんの3倍:2012/12/16(日) 19:11:32.00 ID:???
種死は名作にはほど遠い駄作、失敗作、ウンコ
シンで現代の子供の有り様を表現したとかいうけど、じゃあそれを見て感情移入した人間がどう思うかってことをまるで考えてない
成長もなくただ迷走して最後は打ちのめされて劣等感にまみれて終了
叩きのめすだけで夢も希望も何もない
これを見て明日も頑張ろうとか思う人間はいないわな
シンは一向に感じ悪いままで、それなのに途中でキラがでしゃばってきて視聴者は困惑し、片やキラファンがばかりが沸き上がる始末
横槍のキラファンだけが元気をもらってる歪んだ構図
これはもはや大衆に向けたエンターテインメントじゃない
種死に残ったのは一部のファン心理だけという狭義
大衆がパッと見てスカッとしないものを、閉鎖的なファン同士が必死に好意的解釈(笑)で庇い合う姿ばかりが残る
キラオタクのためだけに非常に狭い世界に閉じている
駄作としか言いようがない

昨今、日本のテレビドラマはたいして面白くないものばかりとかよく言われるけど
それでも種死よりは胸を打つ瞬間が何度もあった覚えがある
何も考えず気楽に流し見してても、それでもときどきグッとくる
それはやはり脚本が最低限の作りを保っているからだろう
どれだけ陳腐な設定でも、どれだけトリッキーな設定でも、外してはいけない部分は外さずキッチリ押さえてあると、それで自然と心に響くものだ

種死はシンの作劇が外れたままよくわからなくなると、あとはもうボーっと玩具の宣伝描写を眺めるぐらいしかなかった
キラが出ていくら活躍したところで、肝心のシンが見ていてさっぱり共感も感動もないんだから当然
しかも残った玩具の宣伝シーンも唯一面白味のあったPS装甲が形骸化してからこっち、やることといったら過去ガンダムのアイデアか
ドラグナーのアイデアか、無印種の要素の繰り返しばかりで大して斬新なアイデアもないときてるから退屈極まりないし

嫁はせっかく身内にプロの脚本家がいるんだから、弟さんにレクチャーしてもらった方がいい
福田が劇場版を諦めてないなら尚更
福田も福田で劇場狙うなら過去ガンダムもドラグナーも種セルフ繰り返しも要らんからちゃんと真新しいアイデアを考えろよ

アクセルワールドでシルバークロウが翼を失って挫折した時にスカイレイカーに出会うことで心を学んで再び空へ飛び上がった
これが番組の折り返しの時期の出来事

シンは種死を通して挫折してやっとスタートラインに立ったとかのたまってるが、それは劇として成立していない
キラとの出会いがシンを成長させるというのなら、そんなものは種死の中の26話前後あたりでやるのが劇としての正解
そんな途中経過要項を最後に設置したら、それはただの作劇の放棄でしかない

蕾というものはきちんと大輪の花開かせなければ無意味だということ
蕾が蕾のまま花を咲かせることもなく終わるようなものが面白くなるわけがない