富野関連の対談や発言を書き込むスレ2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1通常の名無しさんの3倍
富野氏の対談を中心に書き込むスレです。

厳密には対談でなくてもコメント等でも結構です。形式も自由。
また、富野氏でなくても関連が深い人物の発言なら何でもOKとします。
カキコしてくれる神にお任せします。

基本的に保守を除いてあまりageずにsage進行でお願いします。

前スレ
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/shar/1044472767/l50

富野&庵野語録倉庫(前々スレ57氏のサイト)
http://members.tripod.co.jp/wijayu/
2通常の名無しさんの3倍:03/04/15 21:03 ID:???
2
3通常の名無しさんの3倍:03/04/15 21:14 ID:???
スレタイの番号は本当は3だけども…
ご苦労様 and yet...
4通常の名無しさんの3倍:03/04/15 21:29 ID:???
>>3
ほんとだ、、、。すまそ。m(_ _)m
5通常の名無しさんの3倍:03/04/15 21:31 ID:???
俺が定年を迎える頃にはもうトミノーは生きてないだろう
6通常の名無しさんの3倍:03/04/15 22:17 ID:???
あと50年は生きてるから安心しろ
7高句麗 ◆OIZKOUKURI :03/04/15 22:32 ID:???

     /ヽヘ
     / ,ノ丿     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ミ,,゚Д゚ミ  < 高句麗だぞブルァ!
    ,ミ v"v     \_____________
   C(,,η,,η
  /   ナー┐|ll /   / "  ┃
  /ヽノ  l  、l  /ヽノ  \    ・
8通常の名無しさんの3倍:03/04/15 22:41 ID:???
j3、(*****)ですわ・・・・・・る


(*****)の中に好きな言葉を入れてみよう。
9通常の名無しさんの3倍:03/04/15 22:48 ID:???
富野 なるほどね、はいはい。
10通常の名無しさんの3倍:03/04/15 22:51 ID:???
ブレンパワードの時に御大がブレンチャイルドを見てその永野に、言った言葉。
「こんな凄いデザイン貰っていいのか。」

ついでに書くと、御大がいつも言ってるのは、
「アニメ界の中から永野君のような才能をもっと見つけだしていかないといけない。」
11通常の名無しさんの3倍:03/04/15 22:58 ID:???
俺はブレンのデザインは失敗だったと思ってる
12通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:03 ID:???
>>11
スレ違い。
13通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:04 ID:???
富野 なるほどね、はいはい。
14前スレ975:03/04/15 23:04 ID:???
FSS OUTLINE 富野×永野

永野 僕ね、最初に監督と会ったころと同じ年代になりましたよ。

富野 あ、そう?

永野 でも僕が監督と対談するのって、じつは初めてなんですよ。

富野 そうそれを聞いて「ウソだ、一度や二度はしているはずだ」と思っ
   たんだけど、どうもしていないみたいなのね。でもそれにかんして
   いえばみんな永野くんがいけないだよ、対談をしてほしいという
   オーダーはサンライズ周辺でいっぱいあったはずなんだから。

── 監督は永野さんを「エルガイム」でキャラ&メカのデザイナーとし
   て大抜擢したわけですが、注目していたのはいつごろから?

富野 彼が描いた小物の設定画を50枚程度見たことがあって、それで「彼
   を呼んでください」とお願いした、それが初めてだったと思いま
   す。ただ、いまでもわからないのが、何を見て彼にキャラクターま
   で頼んだのか、ということ。彼と会う前に彼が描いたキャラクター
   を見たことがなかったの。

永野 あ、そうですか。僕は当時、メカだけ描いてもしかたがないんで
   キャラとか、いろいろと出していましたよ。

── 最初にメカデザインで決定して、その後にキャラクターも描くこと
   になったという話を聞いていますが。

富野 永野くんがキャラクターを描けるというイメージはなくて、企画を
   進めているなかで、なし崩し的にキャラまでお願いしたんだろう、
   という記憶しかなかったが、それはやはり正しいのね。
15前スレ975:03/04/15 23:06 ID:???
── では別のデザイナーを考えていた?

富野 いや、それも考えていない。僕は基本的に情報不足の人間なんで
   しょうね、いつも周囲にスタッフがいないという状況から始めてい
   るから。あまり意識はしていませんでしたがサンライズ・テリト
   リーがあったんだろうし、自分のフットワークが悪くてどこかで
   「自分は仕事師である。その自分の周囲にアーチストやクリエー
   ターは集まってくれないだろう」という妙な思い込みもありまし
   た。実際に作業を進めていくうちに「これなら永野に頼もう」とい
   う、よくいえば現場主義、手の届く範囲でお茶を濁していたという
   ことです。高名な誰某を連れてきて、こういう仕事をしましょうと
   いうのは一度もやらせてもらえなかった(笑)。

永野 それはしょーがないですよ、サンライズ自体に人材が少なかった
   し、「ガンダム」という作品を見て「こういうものをつくれる人が
   いるんだ」と監督に寄ってきたのは僕が最初の世代なんですから。

富野 永野君が初めての世代という意識はあります。だけれど僕は“さば
   き屋”だというのが嫌ではなくて「それでいいんだ、でなければこ
   んな日銭仕事はやっていられない」という意識もあった。いまの現
   場にもつながるけど、自分をアーチストだとかクリエーターだと
   思っている人ほど、ものをろくにつくれない人たちがそろってい
   る。アーチスト、クリエーターというのは自分がそうだと意識して
   いない人のほうが多いということです。天才に近いところにシフト
   している人以外はクリエーター、アーチストっていないんじゃない
   か、と最近わかってきた。
16前スレ975:03/04/15 23:06 ID:???
永野 「俺はアーチストだ、クリエーターだ」って言っている人に、
   「じゃ、芸術家なの?」と聞いたら大半の奴がことばにつまってし
   まう。つまり芸術家っていうのは周囲がそう言ってくれるものなん
   です。

富野 まったくそのとおり。ことばを大切にしたいから“クリエーター”
   “アーチスト”てことばは使ってほしくないです。自分自身が経験
   しているから言えるんですが「自分にも何かがつくれるのではない
   か」と思いたいとき、そういう自分にしがみついていないと自滅し
   ていく気分があって、そうしたときには「自分はクリエーターなん
   じゃないか」と思ってしまうことはありますね。

永野 (富野)カントクは“監督”で、それ以外のなにものでもないんで
   すよ。

富野 ……あのさ、これって僕の話をする場所ではないでしょ?(笑)

永野 いいの、監督をサカナに話そうという企画なんだから(笑)。で
   ね、富野さんの監督には「カントク」という愛称、そして監督、
   ディレクターという職業、それが全部入っているんですよ。でもそ
   れって類まれなことですよ? だって宮崎駿監督も押井守監督も、
   “職業としての監督”だけど富野さんは単純に“監督”(笑)。ア
   ニメ業界の中で「俺が監督だ」と言いはじめたのは富野さんが初め
   てで、それまでは誰もいなかったんだから。

富野 意識的に言ったというのはあります。それは「職業として確立させ
   る」ということではなくて、アニメ業界の中で自分の居場所を見つ
   けていこう、ということでした。自分は作家にも絵描きにもなれな
   い、それで“監督”しかないというのはあったね。
17前スレ975:03/04/15 23:07 ID:???
永野 富野さんが「ガンダム」で出てくるまでのアニメ雑誌って、作品イ
   コール作画監督、あるいはメカやキャラのデザイナーっていいう雰
   囲気がすごく強かったんだよね。「このキャラクターは誰某が描い
   たからすごい」とか。それがね、「ガンダム」は安彦良和さん、大
   河原邦男さんという強烈なキャラクターがいたにもかかわらず、放
   映が始まってしばらくすると「これは富野の作品だぞ。話を聞くな
   ら富野だ」って雑誌側もシフトしていった。

富野 うん、自分のことでいうと、だから悔しい。そのあとに自分がそう
   いう部分に乗れなかったというのがあって……。

永野 まぁた、何言ってんだろうなぁ。それは結果論で、あの当時は半年
   で「『ガンダム』は100パーセント富野の作品だ」ってみんな認識
   したんだから。

富野 でもね、「ガンダム」のとき、迂闊に「何年後の世界が舞台」と
   やったら物語が全部崩れるかもしれないと感じたから、「宇宙世
   紀」という年代をもち出して“らしく見せる”ということをやっ
   た。その程度のことは考えたしテクニックもあるのだけれど、仕事
   の仕方の問題で「弱虫で神経質なヨシユキちゃん」の部分が40歳に
   なっても50歳になっても払拭できなくて、そのあとに自滅したのか
   な、という思いはあります。永野くんに「エルガイム」の世界をあ
   げたあとも、じつは何年かして「あの世界を取り戻したい」とも思
   いましたもん。

永野 がーーーん(笑)!!
18前スレ975:03/04/15 23:08 ID:???
富野 つまり「Ζ」までをバタバタとつくっていって、そのあとスポンと
   時間が空いたときに「自分はもう何もつくれない」という心境に
   なってしまった。サンライズと僕の関係も良好とはいえませんでし
   たから、その程度には狂うよな、というのはあります。それは狂気
   というほどではなく、正常値に中のいちばんマイナスのところに
   ダーッと走っていった。それが「Vガンダム」の直前のころです
   ね。

── 「エルガイム」で永野さんを起用した理由というのは?

富野 アニメ全体、それ以外の部分も総合してビジュアルの仕事は変わっ
   ていくだろうし、変わらなくちゃならない。変わるためには永野く
   んのような才能を拾い上げなくては、という意識があった。それが
   15年たって、サンライズの外にはいくつか出ているようなんだけれ
   ど、サンライズ内に明快に後続が出てこなかったというのは問題で
   すね。

永野 ロボットアニメの寿命が尽きてんだから仕方ないですね。

富野 いや、ロボットじゃなくて“ものをつくるという回路”そのものま
   で変えなくては、と思ったんだけれども、それはできなかった。い
   まもビジュアルの世界でCGが増えてきたけど、、その回路そのもの
   は変わっていなくて本当にゲッソリしているところがあるの。ヘタ
   なアニメのサンプルをCG化しているだけで20年前のビジュアリス
   トの感覚なんだよね。僕はCGってよい道具だなと思いはじめている
   んだけど、手抜きのアニメレベルのCGをやって気持ちいいという感
   覚がわからない。それでいうと、この2〜3年で自分が意識するよう
   になったのは「僕は動く絵がすごく好きなんだ」ということ(笑)
   いままでそれほど好きだと思っていなかったんだけどね。だから
   「こんなにCG使ったぞ、金がかかってるぞ、すごいだろ、見ろ」と
   言われても僕は見ない。
19前スレ975:03/04/15 23:09 ID:???
永野 もうCGの時代は終わってるんだよね。CGを使ってどうするか、で
   しょ。道具を手に入れて、それをたとえばアニメ業界はどう使って
   いくのか。いまは彩色や撮影をコンピュータに置き換えているだけ
   であって、どうやってCGを取り込むかは考えていないところが多い
   からね。

富野 僕はそれも含めて、ビジュアルをもう一度つくっていくという仕事
   は絶対にあるって思いはじめてます。4〜5年前は打ちのめされてて
   「もうやることはない」と思っていたけど、この2〜3年は違うの
   ね。これから始まるぞっていうのがあって、ひどく困ってる。なぜ
   困るのかというと、具体的なハウツーが見えてこないからなんだけ
   ど。
20前スレ975:03/04/15 23:09 ID:???
── 話は変わりますが、永野さんがデビュー当時のアニメ界には永野さ
   んのようなスターがいた。でもここ数年、アニメ界にそういうス
   ターは出ていないですよね。

富野 ニュータイプやアニメージュのようなアニメ誌はパラパラとしか読
   まないからよく知りませんが、でも何人かはいるはずですよ。

永野 いたとしても、それってゲームから来たり、アニメとはぜんぜん違
   うところから出てきているわけでしょ? たとえば「∀ガンダム」
   の安田朗くんだってゲームなんだ し。安田くんは“ストII”であれ
   だけの絵を描いて、いまの若いゲーム好きの子にものすごい影響を
   与えているのに、名前は表に出てこない。それはゲームのある意味
   の弱さですね。で、どうして出てこないかっていうと、アニメー
   ションはハリウッド・スタイルで作品をつくる、つまりプロダク
   ションとして人を集めて1本つくって終わったら解散、という形に
   対して、ゲームは会社だからお互い足の引っ張り合い、企画のつぶ
   し合いなんですよ。

富野 初めに資本ありきだとそうなってしまうんだよね。ということは
   ゲーム会社は官僚になっていくし、いまがそうだものね。

── 「機動戦士Ζガンダム」以降、永野さんはサンライズ作品からしだ
   いに離れていく、という形になりましたね。

永野 「エルガイム」のあとは、監督には「これでやってください」とい
   う要求で僕がすごいデザインを出していたの。それは「僕のモビル
   スーツはこうだ」とか、「こういうものをやりたいんだ」というも
   のでもなかったんだけどね……。
21前スレ975:03/04/15 23:10 ID:???
── でも、それは採用されなかった。

富野 そのころ、僕がいちばん心身症にかかっていた時期だったんです。
   「これはヤバイな」というのがわかってきたころで、考えはじめて
   しまって、単純な言い方をすると守りに入ってしまって前に行くこ
   とを止めてしまったんだろうね。それが僕だけならまだよかったん
   が、サンライズ自身も同じ方向に走っていたために、全部がそう流
   れてしまった。僕はさばき屋だから発注される仕事がなければ話し
   にならない、だから適当なところで手合わせをするようになってし
   まったというのがある。そのころに本当の意味でうぬぼれることが
   できて「俺は作家だ、アーチストだ」と思えていたほうがよかった
   のかもしれません。自分は作家だという自信がもてないまま「Ζガ
   ンダム」をやるぞ、と決めたときに僕の敗北が始まった、と。そう
   いうことです。

永野 それ反論していい? 監督が敗北だという「Ζガンダム」が、実は
   いま唯一のタネとして残っているわけでしょ? 「ファースト」で
   はなく、なぜか「Ζガンダム」が。

富野 でも、いまはその残り方が気になって「こういう残り方はいけない
   んだ」という意識がある。自分の心身症も含めて業界全体へのカウ
   ンター的意味合いで「Ζガンダム」を出して「本当はお前らがこう
   なんだぞ」ということを言いたかったけど、その部分が15年たっ
   て、また同じ状況が回ってきて「Ζガンダム」が浮上しちゃってる
   のね。
22前スレ975:03/04/15 23:10 ID:???
永野 だったら監督は新しい「Ζガンダム」をつくっちゃえばいいんです
   よ。「Ζガンダム」はシャアの内ゲバみたいな話だったけど、いま
   の子たちはゲームの影響で「サイコガンダムのパラメーターは強す
   ぎ。こんなの反則だ」とか、そう思っているわけ。見方が当時の
   ファンとはぜんぜん違うんですよ。そういう子供たちの話を聞いて
   「Ζガンダム」はこういう話だったのか、と確認してつくる(笑)

富野 なるほどね、はいはい。

永野 たとえば「宮本武蔵」の物語はオリジナルの小説を読んでいる人は
   いなくて、マンガ家がかみ砕いた焼き直しの「バガボンド」(原作
   =吉川英治/画=井上雄彦)を読んでいるわけ。監督も自分の「Ζ
   ガンダム」を忘れて新しい「Ζガンダム」をつくっちゃえばいいん
   です。そしたら僕はタダで最新版ナイチンゲールを描きますよ(編
   注:永野メカの中で最もスゴイといわれるモビルスーツ。いまだ未
   発表)。

富野 うーん、いいのよ、新しい「Ζガンダム」も。いいんだけどね、僕
   は余命いくばくもないのよ?(笑)

永野 監督は10年前からそう言いながら「ブレンパワード」をつくった
   り、いろいろやっているんだから、まだまだつくれますよ。監督と
   いうのは作家と同じで、つくれる本数とか活躍できる年数は限られ
   ていることが多いけど、富野さんは長い間活躍してるでしょ。こ
   れってすごく希なことですよ。

富野 希だというのはわかるし、そこで自分の力を信じてもいいはずだ
   し、もっと乱暴に言うと「富野は天才で特別なのよ」という気持ち
   もある。でも前例がないから、どこにすがればことしと来年を生き
   延びられるか、というのがわからない(笑)。
23前スレ975:03/04/15 23:11 ID:???
永野 まぁた、なんでそーなのかな(笑)。監督はそれだけのネームバ
   リューがあるんだから、たとえばハイブリットな映画をつくったり
   もできるでしょ。“ハイブリット”ってのは、このキャラは安彦さ
   ん、こっちのキャラは安田くんがつくるってゆーさ。監督は脚本と
   コンテを統括していれば映画はできるでしょ。

富野 それはそうね。

永野 監督はサンライズの中に弟子や子供はつくらなかったけど、監督が
   思ってもないところで子供が大勢生まれているんです。僕は鬼子だ
   けど、いちばんの子供で「ブレンパワード」のときもけんかしたけ
   ど、あれは親子げんかなんだから、そういうレベルでけんかできる
   子供がいることを誇りに思いなさいよ。僕は富野さんをボロクソに
   言うけど、でも富野さんをバカにするヤツがいたら、僕はマジギレ
   しますよ。そういう子供たちを集めて次の作品をつくったらどうで
   すか、と僕は言いたい。

富野 自分の中でわかっていることがあって、友達とか僕を応援してくれ
   ている人、目の前にいる永野くんのような人を忘れてしまうのね。
   いつもその向こうを探している。いま、いっしょに仕事をやってい
   るスタジオの連中が言ってくれているのは「富野の周りにものをつ
   くれる人間がいない。それにどうしていままで気がつかなかったの
   か」と。それはうれしいんだけど僕は現場では極端なものを求めて
   しまうから、すぐにネクストを探してしまう。
24前スレ975:03/04/15 23:12 ID:???
永野 それは「エルガイム」のころからそうだったね。こっちは「エルガ
   イム」の話をしているのに監督は次の「Ζ」のことしか考えてなく
   て「『エルガイム』の話ふってんのになんで『Ζ』の話するんだ
   よ」って怒ったことあったじゃない(笑)。でね、話を戻すと
   「Ζ」や「ΖΖガンダム」の当時、雑誌とかで「これが俺のガンダ
   ムだ」という企画がいっぱいあったじゃないですか。ああいうのを
   見て僕は「ふざけんじゃねぇぞ、お前ら!」ってのがあったの。僕
   にとって「ガンダム」は富野監督がつくったものが「ガンダム」で
   あって、それ以外の人間がつくったものは、どんなによくできてい
   てもパチモンだっていう大前提があるわけ。そんなふうに思ってい
   る子供がたくさんいるんだから、いろんな業界にいる富野の子供た
   ちに向けてニュータイプで「興味のある人は連絡してくれ」って告
   知すりゃいいじゃん。そうすればゲーム業界からも人が来るし、優
   秀な原画マンだって集まってくる。原画マンが15人いれば映画を1
   本つくれるでしょ。

富野 できるけど、そういうことをよく平気で言えるなあ(笑)。

永野 でもそれはやらないとね。そうやってサンライズではないスタッフ
   をつくっていけばいい。子供がいるなら、その子供を使いなさい
   よ。富野監督だったら、何をやっても許されるんだから、やっちゃ
   いましょう。

富野 僕はねぇ、それがダメなの。みんなに好かれたいから(笑)。

永野 若い女の子から好かれればいいんですよ、サンライズから嫌われて
   もね(笑)。

                       (2001年2月20日)
25前スレ975:03/04/15 23:12 ID:???
スレ立て乙です
おまたせー
26通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:15 ID:???
>>前スレ975さん乙!


>僕 にとって「ガンダム」は富野監督がつくったものが「ガンダム」で
 あって、それ以外の人間がつくったものは、どんなによくできてい
 てもパチモンだっていう大前提があるわけ。
いいこと言うなあ、ナガーノ。
27通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:23 ID:???
>>14->>25
ありがとう。

富野 自分の中でわかっていることがあって、友達とか僕を応援してくれ
   ている人、目の前にいる永野くんのような人を忘れてしまうのね。
   いつもその向こうを探している。

↑この辺りが興味深い。
28通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:25 ID:???
ここまでぶっちゃけ話出来んの永野くらいだよなあ。

それは置いといて、やっぱり永野を今の御大と組み合わせてみたいってのはある。
キンゲ後ってどんなのが出てくるのかちょっと想像出来ないし。
29通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:33 ID:???
>>14->>25
乙。

>>28
同意です。何かやってくれないかなあ。
30通常の名無しさんの3倍:03/04/15 23:55 ID:???
唐突にすみませんが御大のデビュー作ってなんすか?
31通常の名無しさんの3倍:03/04/16 00:04 ID:???
>>30
初代アトムだよ。
詳しくはスニーカー文庫から復刊された「だから僕は…」を読め。
32通常の名無しさんの3倍:03/04/16 00:07 ID:???
>>30
鉄腕アトム96話「ロボット・ヒューチャー」でいいのかな?
これが初演出ってトップランナーでも言ってた。
33通常の名無しさんの3倍:03/04/16 02:47 ID:???
>>32
「全仕事」によると演出デビューは96話みたいだけど
演出助手としては76話『モンスター・マシーン』が初らしい
34通常の名無しさんの3倍:03/04/16 07:20 ID:???
── 進行から途中で演出部に移られたわけですが、
   演出助手になったということは?

富野 虫プロは厳密に言うと演出助手というパートはないんです。
   進行か演出か。だから僕は96話の「ロボット・ヒューチャー」の時に、
   いきなりコンテと演出をやらせてもらって、
   その翌週から演出部の方に移行しました。
   なしくずしにやってかなくちゃいけない体制だったので、
   「ロボット・ヒューチャー」は半分進行もやっていたはずです。
35通常の名無しさんの3倍:03/04/16 12:44 ID:???
何だかんだ言って、永野って御大にずいぶん可愛がられてるよな。
36通常の名無しさんの3倍:03/04/16 20:26 ID:???
しかしここまで御大に対しズカズカ言える人間も居ないよな。
37通常の名無しさんの3倍:03/04/16 20:47 ID:???
しかしやっぱりオムライスにはチョコソースだよな。
38通常の名無しさんの3倍:03/04/16 21:39 ID:???
永野は監督にとっては恋人の一人らしいから(w
39通常の名無しさんの3倍:03/04/16 21:58 ID:???
息子だろ。
あ、そうそう、都内の書店ではFSS11巻出てるね。早速買ってきたよ。
40通常の名無しさんの3倍:03/04/16 22:20 ID:9QIfniW6
すいませんけどFSSってなんですか?
41通常の名無しさんの3倍:03/04/16 22:24 ID:???
永野信者になっていいですか?

つーか良い対談だね、言ってる事もその通り。
監督が集まってくれっつったらかなり凄い勢いで来るだろうし。
とりあえずFSS読んでみようかな。
42通常の名無しさんの3倍:03/04/16 22:30 ID:???
ナガノはなんかキモチわるい

FSSも5回ぐらい読み返さなきゃ
話が理解できないのでなんかイヤ
43通常の名無しさんの3倍:03/04/16 22:39 ID:???
正直カトキの方がキモチわるい
44通常の名無しさんの3倍:03/04/16 22:40 ID:???
>>42
それいったら、トミノ小説は何回読みk(ry
45通常の名無しさんの3倍:03/04/16 23:20 ID:???
>>40
ファイブ・スター・ストーリーズを知らんのか?
ここ見れ。
http://www.toyspress.co.jp/fss/story.html
46あぼーん:03/04/16 23:20 ID:???
   ______________
 /:\.____\
 |: ̄\(∩´∀`) \  <先生!こんなのがありました!
 |:在  |: ̄ ̄ U ̄:|
http://freeweb2.kakiko.com/mona/
47通常の名無しさんの3倍:03/04/16 23:21 ID:???
メス豚どもメ!!!!ヽ(оДо)ノ
48通常の名無しさんの3倍:03/04/17 00:34 ID:???
>>42
5回読んで理解出来る君は立派
あれは、永野の1枚絵を堪能する為の本だよ
49通常の名無しさんの3倍:03/04/17 00:47 ID:???
うーん目頭が熱くなったよ。富野信者の代弁者だ、、永野タンは。
世界の意思が永野フィルターを通して話している感じさえする。
キンゲでは、これがほぼ実現してしまったわけだ、、、。
Z再編集版も全部新作カットで創れそうな勢いかも。
つうか、そうなってほすぃ。
50通常の名無しさんの3倍:03/04/17 00:59 ID:???
てか、よくZに再度手をつける気になったな。トップランナーで鬱になってたのが嘘みたいだ
51通常の名無しさんの3倍:03/04/17 01:36 ID:???
え、FSS11巻とかΖ再編集とかマジ話なの?
52通常の名無しさんの3倍:03/04/17 01:48 ID:???
>>51
ゼータの話は知らんが、FSSは都内では出版されてる
しかし、連載中のコミックの新刊が出るのと、10年以上昔のアニメが再編集されるって話が
同レベルのネタっぽく聞こえるのは、永野の人徳だな
── 監督は『ブレンパワード』制作にあたって、ロボットアニメでは
   ない、ということを言われたそうですが、改めてそれを言われた
   理由というのはなんだったんでしょう。まずそこからうかがいた
   いと思います。

富野 改めてでもなんでもなくて、元々ものを作ることというのは、前
   例を踏襲するもんじゃないとは思ってます。だけど、『ブレンパ
   ワード』を始めるまでの15年間ぐらいは、創作活動をやってな
   かった。そう自己認識しないと、これ以後ものは作れないし、こ
   のままフェイドアウトして死んでいくだろうと自覚したんです。
   『ガンダム』のような長期のシリーズにのって、自分のものを作
   るっていう衝動というものを減速させてしまっていた。その自覚
   があったところで、改めてという言葉を使わざるを得なかったと
   ころが悔しいところなんです。
   これは、アニメ業界全体にいえることで、テクニックは上がった
   んだけれども縮小再生産ばかりで、物語を作るとか、アニメとか
   映画の記号で語るべきもの、見せるべきものはなんなのかってい
   うことをきちんとやってるふうには思えない。どうもこの15年
   間に、全体が沈んてたんじゃないかという気がして仕方がありま
   せん。
── 『ブレンパワード』の宣伝コピー「頼まれなくたって生きてや
   る」は、監督自身の作ですよね。『もののけ姫』を意識している
   ことが伝わってきましたが。

富野 『エヴァンゲリオン』と『もののけ姫』が、97年に発表され
   て、日本のアニメのいい区切りになったと思えたんです。その翌
   年に1度、作品を形にしておかないと『エヴァ』と『もののけ』
   がずっと続くんじゃないのか、それはさせたくない、というのが
   ありました。ですから『ブレン』はその2つに対しての回答とか
   なんとかではなく、現象を受けて僕が急いで作ったものなんだと
   いうことに関しては、いわれてもしょうがないですね。2作品を
   僕が知らずに『ブレン』を作ったということは、これは口が曲
   がっても言えません。けれど企画の骨格とかストーリーの半分ぐ
   らいは、あの2作品を観る前に創っておいて良かったと思ってい
   ます。全部創るのを2作品を観てからやっていたのでは、もっと
   ひどいものになっていたでしょうね。影響されすぎて。
   とにかくあの時期で一度、幕を引く必要があったと思った。それ
   はキャリア論として思ったんです。そうは言っても『ブレン』は
   ご存知の通り、視聴率的にも、作品的にも成功しなかったと思っ
   てます。では、無価値な作品かといえば、そうではなくて、わけ
   の分かんないのだけれど何かを作ろうとしてると指摘してる文章
   に出会って、ああ、やってみて良かったんじゃないのかなと思い
   ました。少なくとも『ブレン』的なものは、うーん……もう1、
   2度チャレンジする意味はあるだろうなと思えたし、そこから出
   てくるものの作り方っていうのもありそうで、むだではなかった
   と思っています。
── オーガニック・マシンというアイデアが特徴的で、設定とテーマ
   のリンクが興味深かったんですが。

富野 「これまでのメカとは違う造型っていうのがあるのではないか」
   と思ったとき、僕に一つだけあったヒントは『ダンバイン』だっ
   たんです。オーラバトラー(『ダンバイン』に登場する人型メカ
   の総称)をやったときと系譜的には似てると思ったし、2、3本
   目のコンテを切ってるときに『ブレン』のアンチボディは、これ
   こそオーラバトラーで一番やろうとしてたことだったとわかった
   んです。それが2、3本フィルムを作るまで僕自身が気がついて
   なかったっていう粗忽さっていうか、迂闊さはちょっと問題です
   ね。ですから『ブレン』の最大の問題は、そのオーガニック・マ
   シンという概念を、スタッフの中に定着させるところまでいかな
   かったことです。
   それから、永野護がオーガニック・マシンのありように対して意
   義申し立てをしたんですが、僕がそれを承知しながらも永野デザ
   インを採用し続けていったこともあったし、オーラバトラーに近
   いかもしれないアンチボディ、本来的な意味でいうオーガニッ
   ク・マシンを画面上に完成させられなかったということもありま
   す。そういうことが決定的に表現の上の致命傷となって現れてい
   るんです。それで物語性が極度に伝わらない作り方になってしま
   いました。
   ただ、もう永野君ではなく無理に他の人だったらどうなるかとい
   えば、もう『ダンバイン』になっちゃうだろうと。それも嫌です
   から、永野デザインでいったのです。ルックスとしてはああいう
   ふうに見えるんだけれども、オーガニック・マシンの話というの
   を僕はやっていきたいんだよ、ということが僕にとっての『ブレ
   ンパワード』なんです。ですから基本的に完成もしませんでした
   し、いわゆる唾つけただけで終わってしまった。それが僕の中に
   ある『ブレンパワード』です。
── とはおっしゃいますが、監督の作風を大きくわけて“クライシ
   ス”と“ドタバタみたいなもの”に分けたとき『ブレンパワー
   ド』はその二つを上手い具合にエンターテインメントという
   フィールドでのせようとしているのが、これまでの作品以上に明
   確に感じられたんです。そして後半は、上手くいったところもあ
   ると思っているんですが。

富野 それは勿論目指してはいたんだけど、それがこちらが思っている
   ほど上手くいかなかったのは、作り方の意識としてその辺がはっ
   きりした形で……ごめんね、こういう言葉しか思いつかないん
   だ、アウフヘーベン(二つの矛盾・対立する概念を合わせて、よ
   り高次の概念に統合・発展させること)してなかったということ
   なんです。後半も、僕の思いには近づいちゃいませんもの。あん
   なもんじゃダメだっていう方が強い……。じゃあ、その、あんな
   もんじゃダメだっていうものをお前は作って見せたのかといわれ
   れば、そうではないとも言えるんです。
   要するに手習いで『鉄腕アトム』から『ザンボット3』『ダイ
   ターン3』までの歴史をやったんで、ようやくやれやれと思えた
   から『∀ガンダム』にかかれたという手順でわかるとおり、創
   作っていうのはチャレンジの連続ですから、『ブレン』は次の
   『ブレン』のために創ったと思ってしまう自分が、今ここにいる
   のです。
   だから、1クール終わってからですね。少しわかってきて。最終
   回見たときに「ああこうだったら始めから言ってくださいよ」っ
   ていう自覚があってね。始め分かんなかったよって(笑)。ただ
   僕も、なんとなくコンテではやってはいるんだけれども、その意
   味説明っていうのをできなかった。それからできなかっただけ
   じゃなくて、僕はもう一つ悪い癖がありまして、パッと見せて分
   からなければそれは表現として完成されてないんだから、説明し
   てもしょうがないなっていつも思っちゃう人間なんですよ。だか
   ら、お前ら分かれっていう気が本当にないんです。それは20年
   前の『ファースト・ガンダム』の時もそうでした。全部分かれと
   いうふうにして強要はしてません。だから、そのあたりがディレ
   クターとして、作り手として、なんていうのかな……自分ではか
   なり我が強いつもりでいたんだけれども、作り手としての業って
   いうのは、僕はかなり希薄ですね。
── 監督は以前から自分のフィルムがゴツゴツしている、他人の手が
   入ればもっとマイルドになるんではないかとおっしゃっていま
   す。今回、作劇についてはかなりライター陣に任せられたそうで
   すが、それはどうでしたか。

富野 最大公約数でいえば、うまくいったんじゃないですか。だから、
   本当にそれは良かったと思っています。けれども、そのあたり
   で、まさにこの15年で現場に入ってきて仕事を始めた人たちの
   持っている要素、物語をプライベートなものに捉えすぎてる、と
   いうところは感じます。それは本来、表現者として大衆に向けて
   表現する言葉ではないんじゃないのか、と感じました。僕自身
   だってどこまでわかっているのか、わかりませんけれども……。
   ただ、『ブレン』のときには、句読点を打つんだ打つんだといい
   ながら、やっぱり時代が顔を覗かせているという部分がありま
   す。だから今にして思うのは、悔しいなということですね。時代
   の気分はかなりメンタルな部分まで支配する、というのを今回つ
   くづく感じてます。それは『∀』をやってなければわからないこ
   とでもありました。
   だから『ブレンパワード』は、『∀』から見たときに「プレ・ガ
   ンダム」の作業をやったんだけれども、『∀』をやってみて思え
   るのは、やはりプレではなくて、まだプレ以前だったかなと思っ
   ています。そういうステップを順々に踏まないと、天才が集まっ
   て作ってるわけじゃありませんから、ものを創るのって手間がか
   かるっていうのが今の実感です。
── 当初は映画版の企画だったわけですが、企画書を拝見すると『ブ
   レンパワード』というより、かつての富野作品に近い感じがしま
   した。これは、いつぐらいから最終的な完成図のほうへシフトし
   ていったんでしょう。

富野 うん。やっぱり変わりましたよね。それで、映画版でやってると
   きに基本的にモビルスーツの臭いが抜けてないんですよ。それを
   抜いてく作業というのは、それこそ頭じゃなくて体に染みついて
   いる、僕の場合、やっぱり20年、もう、モビルスーツ漬けなわ
   けですから、それは抜けようがないですよね。だから、作って見
   つけてくしかないっていうことで、やっぱり体を動かさなけれ
   ば、身に付くものって身に付きません。
── そういうことは、映画版の企画を錬っているときから感じていた
   んでしょうか?

富野 いや、終わってみないと分かりません。そのときそのときの限界
   でやってますから。そういうことで言うと、企画の段階っていう
   のは全部吐き出すぐらいのつもりでやってるはずですから、それ
   は気がつきません。それで、後になって気がついたときに、その
   落差のリーチが自分で読めるようになるんです。わかるだけの表
   現をテレビ版を製作してるときにやらない限り、その距離ってい
   うのは取れません。だから、ものは作り続けなくちゃいけないん
   じゃないのかなっていうのは感じましたね。
   ものを作り続けなくいちゃいけないっていうのは、すごく阿漕な
   商売だとは思います。でもこの間、たまたま『サバイビング・ピ
   カソ』っていう映画をWOWOWでチラッと見て思ったし、それを
   見ながら『アマデウス』のことも思い出したんです。ピカソや
   モーツァルトの創作活動を想像すると、順々に手直しするなんて
   いうことじゃなくて、ずーっと継続してて、こういうふうに、こ
   ういうふうに行くっていう感じっていうのは、あの天才にしてか
   らそうなんだから、凡才は天才以上にやり続けるしかないって思
   うんです。
   それで、なにかいいことが起こるっていうフロック的なものって
   いうのは、ふつうの人は一生の内に一つあれば御の字で、おおむ
   ねそれはないはずですよね。ですから作り続けるしかない。作り
   続けていって初めて、その落差っていうのがわかるわけですよ。
   で、そうなったときに、ああ、前よりは良くなった。悪くなっ
   たっていうのが見えてくるわけです。
   だから、ピカソも「青の時代」までのピカソとそれ以後のピカソ
   みたいなものも、それ以後が見えたときに初めて前のものもわか
   るわけです。そうじゃなければ「青の時代」のままのピカソで
   行って、なんかちょっと崩れたかな、でお終いになった作家かも
   知れないっていうのが、作り続けない作家に押される判定になり
   ますよね。

── 継続して制作する重要性は、『ブレンパワード』で苦労したから
   『∀』は楽しく作業ができると、スタッフの方の話から感じられ
   ました。

富野 それはあります。それからもっと重要なことでいうと、勘があり
   ましたね。『∀』をやるためには、前に一本作らなければ絶対に
   作れないっていう明解な勘がありました。ですから『ブレン』の
   ときから必死でした。その部分だけはまさにキャリアが読みとっ
   た手順でしょうね。ふつうはこの手順は読みとれないでしょう。
   だから、3年前から『次のガンダム』やるんだったら新作一度
   やっておかないと絶対に作れないっていうのだけは、プロダク
   ションにも言ってきたのです。
── すると『ブレンパワード』らしさが、明確にフィルムに定着され
   た、と感じられたのは、どんな部分なんでしょうか。

富野 一カ所しかないんです。その一カ所が実は一番作画がひどかった
   6、7話(双子のアンチボディ、ブレンチャイルドが登場するエ
   ピソード)なんですよ。双子のあそこを触ったときに、全部分っ
   たっていうのがあったんだけれども、結局そこが製作的に一番落
   ち込んじゃったんで、なんていうか、片鱗があったはずなのが見
   えなくなっちゃったんですね。だけど、あの物語ラインを引っ
   張ってるときに、かなり『ブレンパワード」的なるものっていう
   のは……簡単に言うからこういう言葉になるのかも知れないけれ
   ども……豊穣な物語が作れるなとは思いました。
   スケーティングの話(18話のネリー・ブレン)で言うと、シ
   リーズの中で落としどころを見つけなくちゃいけないからってい   うんで急いだっていうことのほうが大きくて、戯作者としてはあ
   まり感心したことではないっていうのがあります。ただ、これは
   はっきりいって欲です。だから、スケーティングは好きですよ。
   だけど、好きだけどちょっと手前味噌だなっていう感覚は残って
   います。
   つまりね、ネリー・ブレンが出てくる以後のところから回想が多
   くなってくあたりが、作り手の心の中、心性の部分で作られてい
   て、実を言うとちょっと困ったな、と感触しかないんです。でも
   「もうちょっとシャープにカラッといかなきゃいけない」「嫌
   だ」っていうのを僕の立場から、意義申し立てできなかったので
   す。というのは、まだ基本的に、僕自身が元々持ってる物語性を
   俯瞰していくという力がなかったために、それを容認せざるを得
   なかったのです。
── トマトが物語の最初と最後に非常に印象的に登場します。そこに
   監督の思い入れがあったんでしょうか。

富野 それに関して言うと、その発想は僕の発想じゃなくて他のスタッ
   フの発想です。だれが言いだしたのかよく分からないんだけれ
   ど。僕はトマトは嫌だなというふうには思ってましたから。あま
   りにも安易過ぎるからです。ただ、若い連中を含めて認めてるの
   は、分かりやすいんだからしょうがないな、トマトでいこうとい
   う納得の仕方をしています。本当はもし僕だったら、本当に僕が
   言い出してたら、ゴボウにしましたね。

── (笑)なんですか、それ。

富野 一見、木の根っこみたいに見えるけれど、食い物だ。

── ああ、なるほど。

富野 それで、土の中で育っていく。それを食わなくちゃいけないって
   いう構造を大事にしたい。ただ、問題なのは、ゴボウにしたら
   きっとエンディングが……(笑)。地面の中に埋まってるゴボウ
   のアップから、カメラ、パンアップしたって、そんなことできね
   えよっていう(笑)。だから、トマトはあくまでもサインとして
   起用したっていうだけのことです。表現上、執着してないからあ
   んなもんになっちゃったんです。もうちょっとトマトに惚れてれ
   ばああじゃなかったでしょうね。
── 惚れてる、といえば、企画当初から、いのまたむつみさんがキャ
   ラクターを描かれているわけですが、監督は目の大きなキャラク
   ターは苦手だとか。

富野 苦手じゃなくて、大っ嫌いです(笑)

── では、どうしていのまたさんだったんでしょうか?

富野 やはりこの30年、40年のマンガとかコミックの世界、アニメの
   世界が育てちゃった、記号の問題なんですよ。それとは別に、企
   業の認識論というのは基本的に、いのまた的なあのキャラクター
   を、今、みんなが慣れてるし、それを求めてるから、これは容認
   せざるを得ないということ認めました。
   なんで目をこんなに大きく描くのかっていう問題を、ある時期、
   徹底的に考えたことがあるんです。いのまたさんだけではなく、
   全マンガ、このテの絵を描く人の全部の人の心理の最大公約数っ
   て一体なんなんだろうなっていうことが分かったんです。きっと
   それは正しい。

   社会がカプセル化し、エゴの増大まで含めて認めるようになって
   いったときに、現実生活の中で、みんな対人関係が下手になって
   いったんです。僕も下手ですけどね。しかしだからといって、人
   間っていうのは一人でいられないですよ。いつも自分を見ても
   らってる目が欲しいんです。つまり、目を大きくしたのは、いつ
   も他人に見てもらいたいからです。それは読者も描き手もそうで
   す。これだけ大きな目を欲しがっているなら、要するに「お前、
   外に出ていって、ヌードになって歩きなさい。本当はそれがした
   いんでしょう。しなさいよ」っていう感じです。もしそれができ
   ないなら、そこまで行けないところでの、人間関係、広い人間関
   係を獲得するように外に出ればいいじゃないって言ったときに、
   それはできない。だから目を使うんです。
   こういうものが流行っちゃうっていう社会っていうのは、かなり
   不幸なんです。これはマンガの問題ではありません。ですから、
   いのまたキャラクターは求められていると認識しています。
── そうすると『ブレン』の狙っていたテーマとベクトルがちょっと
   違う個性っていうことになりますよね。

富野 違います。そんなことはありません。今いった時代性も含めた人
   の問題をテーマにしたのですから、いのまたキャラクターは邪魔
   ではありませんでしたし、僕は好きですね、いのまたさんの力量
   は。だけど困ったことなんだけど、手法として使わざるを得ない
   のと、それから、今目の大きいキャラクター欲しがっている人を
   叱ってもしょうがないという現実に直面はしています。が、そこ
   から軌道修正していくには、社会構造と社会認識論が変わらなく
   ちゃしょうがないことなんです。これは一監督とか一絵描きとか
   一作品で怒鳴ったってしょうがないことです。でも、これは50
   年かけてでも元に戻したいとは思っています。
   ところで、今の目の大きさの話に関して、対極にあるいい例をご
   存知ですか? とってもいい例。

── 対極にある……?

富野 『源氏物語』の絵巻物ってあるでしょう。みんな切れ目で細いで
   しょう。小さいでしょう。あの頃の人たちは、絵で大きな目なん
   て要求しなかったという証拠です。人の関係が極度に濃密でなけ
   れば、あの顔が美人だなんて口が曲がっても言えないけれど、あ
   の絵巻の女性はみんな美人ということになっています。それは、
   なぜかと言えば、絵で求めてないんです。当時は、目を見るって
   いうのは現物の目を、こういうふうに向かい合って、この距離で
   見ていることに人々が慣れているんです。庶民も貴族も、身近な
   視線をいつも獲得できるだけの人間関係があったということで
   す。
   だから、現在の編集者で、目をでかく描けっていうことを要求す
   る人がいたとしたら、商売のことしか考えてない奴か、じつは寂
   しい人かのどっちかなんですよ。
── 今回、スタッフが守るべき演出五カ条があったと聞いたんです
   が。(演出チェックの5原則と書かれた文書で「死に体のポーズ
   は禁止」「アップ気味よりヒキ気味で」「カメラ位置はアオリが
   原則」「つまったレイアウトではなく、距離感を」「固定した
   ポーズから動かさない」という内容だった)

富野 あれは、別に特別なものではないんです。基本的な原理原則でし
   かありませんから、五カ条にもなりません。それが五カ条になっ
   てしまうっていうのは、基礎学力のない人が集まって、この15
   年間、ものが作られ続けた現実があります。それは若い人だけ
   じゃなく、僕自身も含めた僕の世代、僕の上もそうです。映画界
   が衰える中で、映画的なる技法を衰えさせるというようなことを
   してしまいました。
   映画っていうのは、見えるものだから、要するに自分の感性で勝
   手に作っていいじゃないかっていう歴史をやってきたんです。そ
   のため本来的な意味の映像作家が育たなかった。アニメという
   ジャンルではそれがもっと端的に現れてたので、ああいう映像表
   現から技法を身につけてもらおうと考えたのです。映像を作るの
   は感覚が第一だなんて、社会全体が認知しちゃってるっていうあ
   たりは、映像文化に対してひどい国だなと思います。
── 映画を構成する原理原則がないがしろになっていると

富野 アニメや映画を作ろうという、特に日本人に関して言ったとき、
   映像作品の機能というのを基本的に知らなさすぎるんです。だか
   ら、ドラマの流れという以前に、映像の流れのコンストラクショ
   ンというものを……なんていうか……感性で作れるものだという
   ふうに思いすぎているんです。ところが、コンテを切っていくと
   いう段階は、じつは楽譜を書いているという作業でしかないんで
   すよ。で、作画は、今度は楽譜を清書していくっていう作業でし
   かない。そして、最終的にそれが作品というふうに出るために
   は、ビデオなりフィルムなりにしたものを走らせない限り絶対
   に、絶対に分からないんです。それで、走らせたときに初めて、
   「エッ!、こういうふうに見せられるからこういうふうに見える
   んだ」っていうことがわかる、その見え方そのものがドラマを既
   に含んでいて、それでドラマの大半は描けるんです。でも、これ
   を映画作法で説明しようとしたとき、恐るべきことに、古今東
   西、ほとんどそう書いたマニュアルがないんです。
   コンテまでは完全に楽譜です。それも手書きの楽譜です。そのコ
   ンテが読めない限り、絶対にフィルムっていうのは分かんない。
   そして、コンテが読めるとだいたいフィルムの仕上がりが分か
   る。つまり、楽譜が読めなければ、紙屑以下でしょう。だけど、
   読める人はパッと読んでハイッと納得できる。たとえば菅野よう
   子は楽譜が分かるわけ。悔しいけど(笑)。
   それとね、コンテって形がマンガに似てるために、マンガみたい
   に読めないといけないとか、あるいはマンガみたいに描けば済む
   と思ってるっていう人がほとんどでしょう。だから、それが映像
   作品を作ることをものすごく間違わせているんです。
   そして一方では、今度はシナリオ重視に傾いて、シナリオで面白
   ければいいとなる。けれど、これも嘘です。日本では、かつて文
   芸映画と言われる作品もあって、むしろ文芸的な物語のラインの
   部分が良ければ、芸術的っていうふうな観念がありました。そこ
   では映像作品という概念はないんですよ。だけど、映像作品って
   いうのは厳然として固有の文化なわけで、つまり、コンテをどう
   いうふうに理解しているか……楽譜の例えで言うなら、楽譜を見
   て演奏するところまでのリーチを想像できる奴でないと、映像作
   品を監督してはいけない、とはっきり規定できる。
   こういうふうに口にした人は、とにかく世界で5人といないはず
   です。本当、恐ろしいんですよ。現実は。

── 監督は以前、ムックの中で、コンテの読み方について書かれてい
   ますが。

富野 いや、あんなもんじゃなくて、そろそろ、ちゃんとしたテキスト
   書かなきゃいけないなっていうところまで来ました。というのは
   ね、監督術を教えたいとか演出術を教えたいんじゃないんです。
   もっと重要なことでして、今言った通り、映像を知らなくていけ
   ないのは、映像作品に出資する側もそうなんです。シナリオで判
   定してるっていうことで全部止まってるわけです。その後の評価
   論がないために、じつは社会全体が映像、俗に言う映像作家とか
   監督とか演出家を育てる機能を全く持ってないっていうのが、わ
   れわれの社会なんです。
   じゃあ、ハリウッドの人が利口なのかっていえば、利口だなんて
   思っちゃいません。ハリウッドの出資者側が、コンテが読める奴
   はいません。だけど、ハリウッドというブランドと、たまたま百
   人スタッフが集まったときに、何人かちゃんとフィルムになるこ
   とを予見できる奴がいるから、なんとかカツカツにやってるだけ
   なんです。それは1カ所にあれだけいろんな種類の才能が集ま
   りゃ、それは当たる確率高いですよ。
   そうしたことを伝える暇がなかったのと、これは僕のような映画
   界に入れなくて、テレビアニメでお茶を濁してた人間にしてみれ
   ば、生活していくことが精一杯だっていう、本当のエクスキュー
   ズがあるわけです。若い奴らに仕事取られてたまるかっていうこ
   とで今日まで来ましたから。だからフィルム見れば原理原則は
   守ってるんだから、それを見てくれればいいのにと言いたかった
   んです。
   しかし、こうやって地上波でない電波、チャンネルが増えて、昔
   のフィルムを嫌でも見るようになったときに自分でもあきれるの
   は、俺も下手だった(笑)。だからそれは伝わるわけはないって
   いうのも分かりましたんで、教えるとか教えないとかじゃなく
   て、はっきり分かってることぐらいは言葉にして残しておかなく
   ちゃいけないって思うようになりました。やっぱり、年寄りの任
   務だろうなと。年寄りなりキャリアという部分での話をさせても
   らうのは、ここだけです。そのことと、ものを作ることは全然違
   うことですけど……。

── その映画についてですが、監督は映画はエンターテインメントで
   あるべきだと、以前からおっしゃっていますよね。そういう意味
   で『ブレンパワード』は、ここ15年間の監督作品の中でも、明
   確にその方向へ歩いている感じがしたのですが。

富野 本当にそう思える? だったらありがたいな。助かる。

── 2度目に見るとすごくよく分かるんです。分かりにくく見えるだ
   けですごくシンプルな話だし。つまり、泣いて笑って喧嘩して
   じゃないけれど……。

富野 全くそうです。
── そういうお話なんだっていうのが分った途端に、こちらもロボッ
   トものを見る側の習い性がボロボロはがれ落ちるような感じが
   あったんで。そういう意味で面白かったです。

富野 いや、本当にそう言って頂けたらありがたいですね。『ブレンパ
   ワード』をカルトって言われたことに関して、本当にカッともし
   たんだけれども。カッともしながら、そうだよね、これだけ分か
   りにくかったらカルトだよねって……(笑)。そう了解もする。
   了解もするから、それで本当にこの2年ぐらい「芸能」っていう
   ことを僕の中できちんと取り込むように努力してるつもりなんで
   す。だから、映像の芸能っていうのは有り得るはずなんだ。そう
   いうふうに思えるようになりました。
   今の若い人たちは本当にご存知ないんだろうけれど、松竹ヌー
   ヴェルヴァーグ(大島渚、篠田正浩、吉田善重らのデビューによ
   り60年代に生まれた日本映画の新しい波)、そんなのは映画
   じゃねえよっていうところに、僕としては言葉を戻していきたい
   んです。基本的にエンターテインメントであるための、つまり、
   構造なり、それからなによりも作り手の心の軽さみたいなものは
   持っていきたいなっていうことを『ブレン』ではかなり意識し
   た。

   それでも、一つ、そうは言ってもインテリの私小説的な部分を
   引っ張ってるっていうのはなんなんだろうかっていう疑問はあり
   ます。どうも今の20代後半から30代のような人たちでも、映画
   を作るということはどこかで、先に芸術っていう言葉が頭に浮か
   んでるんじゃないかっていう気がしてしょうがないんですよ。作
   るんだったら私のことを分かって欲しいとか、作るんだったら俺
   の作り手の気持ちを分かれよっていう部分がありすぎて、見ても
   らって楽しむ、楽しませるっていう一番原理原則を言葉としてと
   か認識として排除してるような気がしてしょうがないんです。
   それには一番適切な媒体として、小説とか評論とかっていうレベ
   ルがあるじゃないか。だから、映画とかテレビでやる、つまり、
   ビジュアルのものっていうのは、もっとエンターテインメントで
   いいと思っているんです。
   だけど、それは嘘ですよっていう言い方もあるわけです。ピカソ
   だって、ダダイズムだってそうですし、シュールレアリスムもそ
   うなんだけど、視覚的なものでも哲学的ななもの、心性をそのま
   ま表現できるものがあるじゃないか、と。確かに、絵画はそうな
   んです。しかし、映画は、鑑賞する側が決定的に現実の時間軸の
   中に乗っているところで見せるものですから、絵画のような心性
   描写、心情の吐露、それから心理面での、つまり、精神鑑定をす
   るときの素材には映像はそぐわないと思うのです。もっと機能的
   で、矛盾した言葉を使いますと……ものすごくデジタルなんです
   よ。デジタルなものを時間軸に乗っけてエンターテインメントや
   るとしたときに、さっき言った「芸能」をやるしかないのではな
   いかと思うようになったのです。こんな言い方したの初めてなん
   だけれども、こういう言葉を持たないで映画を作るとか映像いじ
   るのやめて欲しいのです。そうでなかったらコンピューターゲー
   ムの映像を作ってるだけで我慢してくれって言いたいですね。
── デジタルっていうのは、つまり、一定の刺激の与え方をすると、
   観客に一定の心理効果を起こせる、そういう関係ということです
   よね。

富野 はい、そういう関係性での「デジタル」でしかありません。『時
   計じかけのオレンジ』みたいに、多少シンボリックにその部分描
   いてる作品もあるわけですが、ああいう時間軸にのっとったとこ
   ろでの心理感っていうのは、つまり人間を楽しませようと思った
   ときに、そこはやっぱり芸能しかないんじゃないんでしょうか。
   だから、芸能の中にはエロチックな部分も含んでますから。映画
   志望者ってその芸能を一括りにしないで、分けたり芸能の部分を
   嫌ってるっていう気がしてしょうがないんです。それは僕自身も
   学生時代そうだったっていうのがあるからよく分かるんですよ。
   ただそれを30歳、40歳すぎても引っ張っててもらっちゃ困るん
   です。僕の同世代の人間、特に映画志望者、映画青年の中にそれ
   は多いですね。それはなんなんだろうと考えると、映画芸術とい
   う言葉を使ったための誤解がすごく大きいような気がしていま
   す。
── その辺、結構難しい問題があると思うんです。日本映画は明らか
   に、そういう芸能的なものがすっぽり抜け落ちたけど、いわゆる
   芸術的なレベルは高いと思うんです。その半面、芸能という部分
   が全然産業として成り立たなくなった。ところがアメリカ映画の
   芸能化というか、それこそ雛に餌を与えてるようなやり方も、い
   きすぎなんじゃないかと。

富野 アハハハハ、ひどい言い方。それ、カットしないで下さいね。あ
   のね、それは行き過ぎですよ。行き過ぎなんだけれども、最大公
   約数を取って、オープン・エンターテインメントの機能を使った
   ときに、「このくらいやっとかなかったら百万の客は取れない
   ぞ」っていう恐怖感がかなり支配してるんじゃないのかな。それ
   と、資本家ですね。資本家の論理が入ってると思う。投下した資
   本に対して、ペイは絶対よこせよという恫喝があって。昔の絶対
   階級差ある中での王侯貴族の芸術家に対する寛容なスポンサーで
   なくなっちゃってるっていうところが、キリキリしたものを作り
   続けさせてますね。資本家たちが芸能を汚染させてるという部分
   は感じます。
   これは、中間管理層には分かってもらえないと思う。トップの出
   資家は分かってるでしょうね。トップの人々がそんなにさもしい
   人間ばっかり揃ってると思えないんで。年収が十億単位で稼いで
   るような人たちが、それほどさもしいとは思えないんですよ。と
   いったときに、その間でシステムを稼動させたり、責任があると
   いったことが順々にかかって濾過されていくと、末端に責任だけ
   がドンッとくるっていうのがあるんでしょう。
   だからアクションがどうだの、裸のシーンがこうだの、ここはあ
   と1分増やせ、こうなら1分増やせというようなことを言う。そ
   れは芸能を作るということとは全然違う心を育ててるんですよ
   ね。
── すると、ハリウッド的な落とし穴に入らないところで、監督は芸
   能をやりたいと願ってる。

富野 やりたいと思うと同時に、やらなければ……病人が増えるだけで
   す。やはりきちんと芸能、つまりお祭りを年に三回なら三回ちゃ
   んと仕切るぜ、という生活をしている生活者と、なんだかなあ、
   だったらこちらでゲームやってるほうがいいやっていうメンタル
   は、僕はかなり違うと思います。その「なんだかなあ」ってゲー
   ムやってる心性に添う作品だけを提供していったらどうなりま
   す?
   だから、オープン・エンターテインメントという言い方の側面と
   いうのは、1人で楽しんでいるよりもみんなで楽しんだときのカ
   タルシスっていうのは、僕はかなり深いと思っています。で、カ
   タルシスが深いだけじゃなく、それで自分が一つのコミュニティ
   の成員だっていう安心感を得ることもできる。そうでなかったら
   人間がお祭りというシーンに集まらないはずなんですよね。もち
   ろん、個は尊重しなければならないけれど、それイコール芸能の
   拒否にまで繋がっていったり、あるいは逆に個室の人々に500万
   枚売れればいいんだっていうところに突き進んでいったとき、そ
   れはどちらも芸能論は一切なくなってしまいます。それで進んだ
   社会が健全になりうるかと考えれば、そうはなり得ないと思いま
   す。
   だから、ソフトビジネスだって本気で言ってるんだったら、ソフ
   トっていうのはそういうものにしばられない、なにかもう少し大
   きな、緩やかな中で遊ばされるものではないのではないのかと思
   います。
── その芸能というのを、もう少し詳しく説明していただけますか?

富野 芸能っていうのは、僕は基本的にストリップだと思ってます。つ
   まり、そのくらい、言っちゃえば健やかなもの。つまり、これは
   とても重要な要素があるんですよ。これは本当に若い人は考え違
   いしないで欲しいんだけれど、たとえばお毛々丸出しのオネエ
   チャンを見るにしても、あなたたちって病人の体を見る気します
   かっていうことなんです。つまり、ストリップの決定的に重要な
   ことは健康であるということです。これを抜きにして、セクシャ
   リティとか、裸を見せるということは考えて欲しくない。そうす
   ると、ストリップというのは、健康であるということに対して、
   「オオッ、いいじゃねえか」っていう気分が基本なわけです。芸
   能っていうのはどういうことかって、やっぱり……ああ、嫌な言
   い方だけど……健康の賛歌だね(笑)。
   「私、今、調子いいのよねえ。私が調子いいの見たら、みんなも
   気持ちいいでしょう」「うーん、いいねえ。オネエチャン。股開
   けーっ」そのときにコンコンコンって咳されたらさ、みんなで白
   けるよね。芸能の基本構造っていうのはここにあって、そこには
   人間のつながりが確認されるんです。
   子供がキレるキレないという話にしても、認識論では歯止めなん
   かかからない。そんなインテリのゲームにはついていけない。
   だったら、お祭りやれ。お祭りやるっていうことの重要なこと
   は、さっきの健康の賛歌っていうこともあるし、十代のセックス
   的な欲望なんかも全部吐き出せる。御神輿マニアの発言っていう
   のを聞いて、感動しましたもん。「布一枚でねって。女のケツに
   ね、チンチンこすりつけられる。こんないいときはない」って。
   そうかーっ。了解!(一同笑)。それで、殺しにもならなけりゃ
   売春もしてねえ。こんないいことはない。あの乳は良かったって
   いって、そういう部分で発散することは、犯罪の喚起にはならな
   いんですよ。
   それともう一つ、今度は実際に、特に季節の変動の激しい日本み
   たいな風土の衣食住を考えたとき、冬が越せたことでみんな喜べ
   ると思えるのは、これも病気の賛歌じゃないんですよね。基本的
   に健康を支えあえるっていうことに対して、確認しあってるのが
   芸能の本位なんです。
   食料が物量的にこれで冬越せる。OK、じゃあ、これでみんなで
   順々に分けて、それこそカプセルの中に入って暮らすようだった
   らどうなります? 暮らせないでしょう。秋の収穫が始まった。
   「おーし。みんな行けよ」というふうに、一応神様に御礼参り
   やって、それから酒くらって大騒ぎして、そのうちに「ちょっ
   と、春には子どもが生まれそうなのよね」って言ったとき、春に
   生まれるのは、めでたいっていう話になるじゃないですか。
── すると、父性が物語の軸になることが多かった富野監督の作品の
   中、『ブレンパワード』では女性や母親の役割が大きかった理由
   が分かってきました。

富野 僕は男の中には芸能は基本的にないと思います。男の中にある芸
   能的なものっていうのは、それが理念にまでいったときに初めて
   芸能として告知されるんじゃないでしょうか。能とか歌舞伎で
   す。あれは理念なんですよ。お祭りでやってるほど簡単な宗教的
   な心性に則った芸事ではなくて、観念論的なものを昇華していっ
   たとき、芸能や芸っていうのはこうであるべきだ、道を究めるっ
   ていうのはこうであるよ、というふうに突き詰めた理念のもので
   あって、あれは芸能ではないんです。男っていうのはそっちに
   行っちゃうんです。
   芸能っていう言葉とか意味性の持ってる柔らかさっていうのは、
   僕は母性的なものだというふうに思ってるんです。男っていうの
   は基本的に外に出て戦う動物なんです。つまり、メスと子ども
   を、子どもという自分の次のものを守るために外で戦って死んで
   いく存在ですから。
── 芸能というのは、エンターテインメントよりももっと原初的なも
   のなわけですね。

富野 芸能の構造っていうのはそうだと思います。われわれは今、エン
   ターテインメントという言葉を使ってとてもヤバイことをやって
   るのは、本当のエンターテインメントをやってないからです。と
   りあえず気持ちのいい、とりあえず気晴らしのものであって、見
   た後、読んだ後、聞いた後に、ウンッていうふうに気分が完全に
   ガラッと変わるっていう芸能を我々は知ってるのかなって疑問で
   すね。

── すると、芸能というのは身体性と切り離せないと思ったんですけ
   れど。ただ、実写映画なら役者の体がどうしても写ってしまうけ
   れど、セルアニメはそこをどうするかが、難しいのではないです
   か。

富野 あのね、だから本当にやっかいだなと思ったのは、そのことなん
   です。僕は結局アニメというものは表現媒体としては使えないか
   ら、コンセプトを伝えるだけのものにしたっていうふうに落とし
   たんです。これはさっき言った意味で男の仕事ですよ。これは本
   当はそうじゃなくて芸能のこういうところに肉薄できたらいいん
   だけど、でもセルアニメでねっていうのはこれはこれでありま
   す。僕は基本的に、セルアニメとかコンピュータでは無理だと
   思ってますから、全部理念的にやるしかないと覚悟してます。理
   念でやろうと思えばこそ、その理念が鬱屈した心情から出発した
   ものでは絶対にダメだと気をつけるようにはなりました。
── 『ブレンパワード』では、コックピットから落ちそうっていう描
   写がすごく多くありました。そういうシーンを設定することで、
   つまりセルでも、登場人物の肉体を感じさせようとしたのかと思
   いましたが?

富野 そうです。基本はそうです。だからそれをロジック的な所作のあ
   りようで、描けないのかというふうに思っているわけです。もっ
   と言っちゃうと、今回使っているフリュイドスーツなんかでもそ
   うなんだけど、あの永野君の馬鹿なデザインをいのまた君がOK
   してくれるかな、と思ったら、まんまでOKしてくれました。
   だったら、これは使っちゃおうと思ったのはセルで表現するとき
   に身体性っていうのは、あんなものでしか表現できないのかも知
   れないと思ったからです。素っ裸を出すよりです。
── でも、オープニングからして裸でした。

富野 だけど、それは今言った、まさに理念的なブレインワークでやっ
   てるだけのこと。基本は僕はフリュイドスーツのああいうボテッ
   としてるラインのほうが体を表現するにはいいんじゃないのかと
   思ってるのがあります。
   いろんなものを体に付けるというのは、体の誇示なんですよ。完
   全に。隠すんじゃないんです。だから僕は、スカートっていうデ
   ザインを発明した女っていうのはすごいなと、改めて思っていま
   す。あれは股を隠すためにスカートが発明されたんじゃなくて、
   足が割れていてお股があるんだよっていうことを想像させるため
   にあの形にしたんだって思っています。どこの民族を聞いても、
   スカート的な腰に巻くっていうことをやっている。着物にしても
   そうですね。
   だから、今のファッションっていうのは外面の問題言ってますよ
   ね。でも、ファッションを外面の問題として捉えたときにファッ
   ションのコーディネートというのは失敗するんだと感じていま
   す。
── エンディングについてもうかがいたいんですが、荒木惟経さんの
   写真を使われたのが新鮮な驚きがありました。

富野 荒木さんはご存じの通りのカメラマンですが、写真を撮るってい
   う技能を先天的に持ってらっしゃると思ってるんです。そういう
   作品を、実を言えば一度側に置いてみたかった。それだけのこと
   です(笑)。
   僕も20歳の頃にカメラマンになりたいと、思ったこともあった
   し、かなり意識してカメラやってみたことあるんですよ。で、僕
   にはできないということがわかったんです。シャッターを切るの
   がいつも5秒遅いんです。それで、写真になるフレームが採れな
   いんです。
   一度新宿で、荒木さんがカメラを持って歩いてるの見たことがあ
   るんです。その時にも荒木さんの写真の撮り方、タイミングを見
   て、俺にはできないなと思ったんです。 荒木さんが、パッと見
   て写真にしちゃうっていうことは、つまり、見たときに絵にな
   るっていうことを見通せるっていう、あの感度はなんなんだろ
   うって思います。
   エンディングに使わせていただいた花の写真は、逆の意味で
   ショックだったんです。パッと見て撮るというのではなく、ここ
   までフィックスしていった場合に、今度は光に関しての感度が素
   晴らしかった。一度会いたかったというのが、ホントの話で、お
   願いにあがったんです。
                     (インタビュー終わり)
83通常の名無しさんの3倍:03/04/17 06:18 ID:???
乙です。なかなか興味深い。

>シャッターを切るのがいつも5秒遅いんです。
>それで、写真になるフレームが採れないんです。
5秒も遅いってそれはちょっとまずいんじゃないかと、、、。
84通常の名無しさんの3倍:03/04/17 07:40 ID:???
>>83
確認したけど打ち間違いじゃなかった
確かに遅すぎ・・・0.5秒の誤植かなあ?
85通常の名無しさんの3倍:03/04/17 07:55 ID:???
スパイラル乙!
86通常の名無しさんの3倍:03/04/17 08:43 ID:???
>>71-82
乙。

>>83-84
物の例えだろ・・・、きっちり5秒遅れるわけじゃ無いだろうに。
ちょっと考えちゃうもんだから、少し遅れる、タイミングを逃す。

逆にファインダー除いた瞬間、写真撮れるアラーキーは凄いってことでしょ。
そのくらい出来てこそ、真のカメラマンだと言いたいんではないかな。
(本当かどうかは知らんが・・・)
87通常の名無しさんの3倍:03/04/17 09:51 ID:???


そして>52マリガト。
88通常の名無しさんの3倍:03/04/17 11:52 ID:???
うp感謝。御大はコンテの大事さをこれでもかこれでもかと繰り返し言ってるけど、
この手書き楽譜のたとえ話は分かりやすかった。
89通常の名無しさんの3倍:03/04/17 13:32 ID:???
うお、本当に11巻があった。
買った。読み始めた。18ページで休憩はいった。
90GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 01:58 ID:???
考証学《黒歴史論》
                   黒歴史論提唱者 ヨック・ワック・オニモット
                   正暦2001年 秋分の風吹く頃


還暦を過ぎようとしてしている頃といえば、現在の風潮に迎合するもあたわず、
また流行を喚起することもならず、かの黒歴史なるものの実証を成さんと欲しながらも
死にゆくものかと憂いていたのでありますが、実証考証学なる手法に信じるべき自らを
鼓舞され、最後の発掘調査を敢行したものでした。

アメリア大陸にあるいくつかのマウンテン・サイクルの一角(詳細は伏す)
に潜入したのは、その直後であり、研究者の間で“ライブラリィ”と称されている
A窟からF窟までのAのさらにその下、技術的に申せばaのダッシュ窟の発掘に
挑戦したのです。

常識的には無謀な行為であったのですが、
すでに生涯に必要な資産もいらない身でありましたから、
残った財産すべてをその発掘にあてたものです。

そして、その二年後に、文書(もんじょ)として完璧な体裁を成しているものを
入手したのでありますが、二千年以上の歳月を経たものでありますから、
その修復と解読に五年あまり歳月を要し、
それを現代語にして書籍の形に整えるのにさらに二年を必要としました。

しかも、黒歴史をテーマにした活字出版は、
現今にあってもいまだ自らの社会的評価をおとしめるものであるのは、
読者諸兄姉がじゅうぶんにご承知のところであります。
出版するための協力者を得るのに、また老躯に鞭打たなければなりませんでした。

そして、ここにようやく本書が満天下の白日のもとに刊行される運びになったのです。

91GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 01:59 ID:???
この文献は、一冊の事典ともいうべき体裁をもったものでありまして、
その著者は、時のエリートの参集する象牙の塔、地球連邦総合大学リーア分校の助教授、
ミナカ・ユンカースであります。まず、この一点からしても、驚愕の一事であります。
三千年前、と断ずるほうが正しいのですが、
当時の総合大学助教授という役職にある研究者が、
若くして、地球連邦政府軍とジオン公国軍という
敵対する両陣営の軍事体系ともいうべきものを事典にして発刊していたのです。
公職につく者は、領主の許可を得なければ一般的な書籍は書いてはならない現在と
なんという違いでありましょうか。

しかも、この著作にあっては、軍事のみならず、
その組織全般にまで言及いたしているということで、
その視野の広さに目を洗われる思いがいたしました。
そのことから、我々が黒歴史の真実、黒歴史で語られていた断片が、
まちがいなく実存した古代史であるという実感を得られ、
本書は、黒歴史が語る“初史”の解説をしていると理解できるのであります。

細目の信憑性については、一事についての関連項目を前後左右に読み解いていけば、
そこに矛盾が存在しないことで証明されます。

当時であっても、ミナカ・ユンカースという編者の詳細なる確認作業が、
いかに精緻であったか想像でき、その時の事実事項を一冊の文書にまとめたにしても、
二年有余の時間がさかれ、その直接労働を充当するための膨大な資料収集に、
ミナカ・ユンカースが要した時間は最低でも十余年であったのです。
現在以上に科学技術が発達していた当時であっても、
実直な学究的労働成果があってのこと、と感嘆するのであります。

92GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 02:00 ID:???
本書は、黒歴史が“歴史的事実”であったと実証し得るだけの物量をもっておりますので、
黒歴史がオカルトであったという常識を覆すのですが、惜しむらくは、
本事典はやや軍事一般に偏りすぎているという欠点があります。

歴史学では、資料文書に語られていることだけが事実で、
その集大成したものだけが歴史と言われてきました。
しかし、歴史とは、民俗学も民族学もふくんだものでありますから、
書籍あるいは電気的記録(レコード盤の記録のようなもの)のみをもって実証し得る
と考えるのは間違いなのです。

歴史も人の体感の累積であり、体温の総和であるのですから、
記録に残らない常識を収集し、それをベースにして歴史を構築する必要がある
と考えております。これが学問をする者たちに欠落している視点で、
学問であり過ぎるために、政治的に利用されることが多い
という事実を研究者は率直に認めるべきなのです。

くりかえしますが、その時代の人々にとってあまりに常識的な事物や習慣というものは、
歴史学に記録されることがありません。
現在の我々の知識でいえば、ラジオのある家庭では、
夜の一刻を家族があつまって番組を聴き、
それが団欒の一部になっているのは当然のことなのですが、
このような事実が歴史の資料に記述されることはないのです。

事件しか記録しない資料を基にする歴史学では、政治、経済、大事件、
という順序に表層的事実が羅列されますので、人々の暮らしはわかりません。

民俗学は、その時代のふつうの人々がどのように暮らしたかということから、
生き生きとした生活史を再構築することを試み、
そのうえに、歴史的事実が発生していったと考えます。
その研究を補完するものが発掘考古学者なのであります。
93GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 02:01 ID:???
地下に埋蔵されているものから、生活臭を想像できる資料が発見でき、
そこから生きた歴史学を構築する要素が入手できると考えているのですが、
この分野は、いまだ歴史学の本流からは排斥されています。

この思想があるからこそ、小生はマウンテン・サイクルの発掘に
生涯を傾けたのであります。その成果が、本書の発見でした。

この小生の視点からミナカ・ユンカースの視点の問題点を指摘いたしますれば、
先に記した民俗学的な土着の記述が欠落しているということでありますが、
若き学究の力をもってすれば、民俗学的調査は不可能なことではなかったであろうに、
なぜそれができていないのか、という疑問にこそ、古代宇宙時代、
地球を自滅させた原因があるのではないかと推察するのです。

科学一辺倒の思想が宇宙戦争を拡大した、とか、
一般の日常が科学技術のなかに生気を失っていったことが原因で、
人類の日常が地球を人が暮らせないような環境に変貌させていったのではないか
と推測するのです。

黒歴史では、過去に地球規模の大戦争があった時代があり、
しかもそれは地球だけではなく、宇宙まで戦場にしたと語られます。
あの月にも巨大な軍事基地があり、
巨大な機械人形が敵味方にわかれて戦っていたと語り継ぎます。

黒歴史の“本史”の項目にはそのように書かれて、
不詳オニモットが、その一部の解読をしたのは、まだ若輩という頃でありました。
その時に、古代イングリッシュウを解読し得ていたために、
今回のミナカ・ユンカースの文書を容易に読み進められ、
この事典は黒歴史の“本史”のなかの“前史”の部分に該当するとの
確信をもつに至ったのです。
94GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 02:01 ID:???
むろん、今後、“中史”“後史”を解読していき、
その突き合わせ作業と改訂しなければならない事項があるのですが、
その研究は小生以降の世代の課題になりましょう。


では、なぜ我々は宇宙まで舞台にした大戦争という大、大事件があったにもかかわらず、
それを黒歴史としてしまって、歴史学の本道で語らなかったのでしょうか?

政治的に不都合な事件は、その時の政体によって記されるのが歴史です。
しかし、それ以前に、人間という動物は、本能的に己に不利なことを記さず、
また、精神的傷になっていることを忘れるという性癖があります。
自己に不利になるようなことは、よほど個人的な日記にも記すことはないでしょうし、
記したにしても、自己正当化をしようとする心理が働くもので、
懺悔でもしないかぎり己の罪を語ることなどはまずしないものです。

我々の知る歴史“正史”のレベルでは、
黒歴史に記されているような人類の痛みの事件については、
人々は事実ではなかったと思いたかったのです。
それほど、古代の人類史には、人々が記すことをはばかられるような
大、大、大事件があったのです。

それで、古代の人々は、我々が想像する以上にひどい手傷を負い、
その記憶をもった後代の人々は、その古代史を忘れる努力をし、
その後、我々の祖先たちが、それら古代史を黒歴史と呼ぶようになったのです。

これが小生の仮説なのです。

そのように考えますと黒歴史という存在が明確に理解でき、
また、それゆえに“正史”というものの機能も見えてくるものであります。

95GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 02:02 ID:???
正史を記すようになった我々の祖先たちは、
後世の人々に絶望をさせない歴史を記すと決断したのです。
それで、我々の歴史は進歩し、人類の未来は明るいと書くようになったのです。

そして、我々は暦を数えるにあたって“正暦”という言葉を使うようになったのです。

そのように考えれば、アメリア大陸の古代史もガリアの混沌とした歴史も
極めて納得できるものと理解できるようになりましょう。

現在の我々の正史が、ウソをついているのです。

しかし、それは善意に満ちた衝動がさせたもので、
我々がまちがいのない歴史を重ねるために意図されたものであったのですから、
恒久平和、無限エネルギーである電気の歴史を構築したと記されているのです。
二千年前から電気をつかっている我々人類史は、平穏で豊かであったという歴史観です。

しかし、黒歴史が事実であれば、この事典で知られるような極度に高度化した組織、
複雑な思考、圧倒的な科学技術(電気が機械人形を動かしているらしいのですぞ!)
をもった高度に知恵のある人類が、地球と月までの宇宙を舞台に活躍していたらしい
と想像できるのです。

96GUNDAM OFFICIALS:03/04/18 02:03 ID:???
しかし、その高度な技術や組織が地球というものを破壊して、
人類が暮らすことができない状態にした。そのように想像すれば、
そのようなことをしてしまった人類は、
そのような忌まわしい過去を忘れたがっていると考えるほうが当然でありましょう。

だからです。正史に古代に宇宙戦争があったと書くことをやめて、
神話の歴史を描くことを決意したのです。

本事典は、オカルトであったかもしれない黒歴史が、
事実であったと証明するものになりました。
同時に、小生にとっては、発掘考古学も有効であるという証明をしてくれたのです。

今後は、読者のなかから、実証民俗学の視点、発掘考古学者の視点から
“黒歴史の事実”を解明する方に出てきていただきたいのです。
我々は、古代にあった歴史からのトラウマを脱しているという認識を育てている
と理解していますから、事実を知らされても、もう絶望しない、と断言できるのです。
 
                Yokk Wakk Onimott, Lecturer in Black History
97ごはんギリシャ:03/04/18 04:22 ID:???
90さんおつかれ
98通常の名無しさんの3倍:03/04/18 08:55 ID:???
正暦の世界では黒歴史はムー系に分類される伝承だったのか。
99通常の名無しさんの3倍:03/04/18 12:05 ID:???
>>98
超古代文明アトランティスのナントカはナントカだった!
ってアオリが実は史実だった、みたいな事か。
100通常の名無しさんの3倍:03/04/18 12:40 ID:???
ライディーンから受け継がれてるサンライズの伝統ですな。
101MEAD GUNDAM:03/04/19 01:24 ID:???
「ENCOUNTER MEAD at ∀」
                             総監督 富野由悠季

『PLAYBOY』誌2000年1月号の「ミレニアム特集号」未来志向イメージの記事の一端
に、シド・ミード氏の未来居住スペースの提案として、宇宙船内のキャビンのイラストが
掲載された。スフィスティケーテッド・ポットというコンセプトの安らぎの空間の記事
は、その宇宙船の外観のイラストもキャビン内の数点のイラストも若々しく、「ランド
ヨット」(これも30年ほど前の『PLAYBOY』誌に掲載されていた)1枚のイラストで
ファンになってしまった小生には、うれしい成果として映った。

67歳であるアーティストは、一時期、あきらかにパワーがなくなって終焉かと思わせた
ときもあったので、今回の∀(ターンエー)の仕事を発注するに当たっては、アニメ・ロ
ボット物の仕事をさせて潰してしまうようなことになったら困ると危惧し、これが最後の
仕事になってしまうようだったら困るとも思っていた。そんな思いが昨年末まで続いてい
たので、スケジュール的に∀の仕事が一段落したあとの仕事になる『PLAYBOY』誌のイ
ラストが、∀の仕事をしたことでミード氏がまた元気になったかもしれないと思える(自
画自賛!)成果を見せてくれたのだから、それは嬉しかった。

ミード氏と僕の出会いは、∀が初めてではない。『Ζガンダム』の時代に、ポスターを1
枚描いていただいたという縁があって、それなりに人物像を承知していた。また、僕も
『Vガンダム』以後、体調不全の時期もあったので、氏が死に体になっている時期の、仕
事に苦戦している人の悲哀というものも実感できたので、『PLAYBOY』誌のイラストは
ことのほか嬉しかった。
102MEAD GUNDAM:03/04/19 01:25 ID:???
●スタジオワーク

だから、今回の仕事をお願いするに当たって、氏のマネージャーの市川実英子女史には、
気をつけてフォローをしてくれというお願いはした。年齢的な問題は本人も分かっている
ことだから余計なことは言うな、と叱られもしたし、こちらも簡単にオーケーなど出さな
いぞ、ということも通告したりして、∀の仕事始めの頃は、マネージャー女史との間はか
なり険悪になった。マネージャー女史を泣かせたこともある。

この経緯をミード氏が知っていたかどうかは知らないが、全体のプロジェクトの注文が簡
単ではないという情報は、サンライズのメカニック・オーダーマンの堀口滋君、SF考証
の森田繁君から頻繁に入れてもらった。それについては、堀口、森田両氏はよくやってく
れて、大河原ガンダムの歴史から、SF設定的に膨大な条件をミード氏に叩き付けるよう
にしてくれた。作業がすすんでいっても、造形そのものについては、バンダイのホビー事
業部の川口克己氏より具体的な是非論を提出してもらい、重田敦司君のアニメライズする
ための修正をどのようにしていくかということを見せたりもした。デザイナーにすれば、
アニメにもならず、具体的な立体にならない段階で、アニメーターの修正ラインが入った
イラストを見せられたりすれば、面白いはずはない。国内でこれをやれば、腹を立てて仕
事を止めるデザイナーもいるのだが、ミード氏はよく付き合ってくださった。

僕がやったことといえば、物語のテーマと歴史観の説明だけで、ときには、メカニック設
定についての考え方を口にしたがそれは概略だけで、物語の流れとキャラクターとメカと
の関係などは、文芸制作をやってくれている河口佳高君、高橋哲子君から喋ってもらっ
た。

このようなシフトをミード氏に示すことによって、一機のモビルスーツのデザインであっ
ても、スタジオワークがあってのことで、ハリウッド映画の製作現場と同じようなもの
か、むしろそれ以上の条件と環境を考えているということを見せたのである。つまり、個
人の仕事ではなく、歴史のあるプロジェクトだという説明である。だから、大河原邦男氏
とも会ってもらい、ミード氏なりに大河原デザインを了解すること、また、大河原デザイ
ンの問題点がどういったところにあるかも感じてもらった。
103MEAD GUNDAM:03/04/19 01:25 ID:???
このような面接、ディスカッションを行ったのは、なにも仕事のレベルを舐めないでくれ
というではない。ミード氏がプロであることを信じていたので、スタジオワークの環境を
見せることはさして重要だとは思っていなかったのだ。が、あくまでも、このような環境
を示すことで“年寄り仕事”が見えたら断る、とプレッシャーをかけたのである。

さすがに、この意図を了解してくれたミード氏は、謙虚に我々のミーティングに時間を割
き、そのつど、啓発され触発されたアイデアをラフの段階で、我々の目の前に示してくれ
たりもした。

このやり取りがとても大切だった、と思い出すことができる。

これをしてくれたデザイナーを僕は今日まで一人も知らない。

現在の我々トウキョウ・サイドのスタッフは、若いくせにもっと偉ぶっているのか、臆病
なのか知らないが、要求に対してどう応えるか、という仕事ができなくなっている側面が
ある。勝手に好きなものを描いて、それが独自性だと信じている気配がある。必ずしもス
タッフワークを理解しているとは思えないというのが大半なのである。

太平洋を間におきながら、これほどスタジオに入り込んで仕事をしてくれたプロは、ミー
ド氏が初めてであった。

基礎学力があればこそ理解できる事、基礎学力があれば謙虚に若者に対応してくれる、そ
ういった度量をみせられて、我々は偉ぶらない凄さというものを教えられたのが、今回の
仕事の最大の収穫であった。
104MEAD GUNDAM:03/04/19 01:26 ID:???
●カルチャーワーク

デザインワークについては、プロセスと完成作品を見れば分かることであるし、それは本
文に譲るので詳細に書くことはしない。仕事のプロセスを見れば、急所などは分かる奴に
は分かるのだし、感じられない奴には感じられない、というだけのことであるのだから、
心ある方は自ら鍛えていただきたい。

とはいえ、書くべきことはある。

現実に文化の違う人と仕事をしてみて、圧倒的な違いというものを感じることができたこ
とはエキサイティングだった、という一点である。

観念的にとらえている問題というものは、それは所詮、独自(勝手、狭い)の観念である
と思い知らされたのである。

おおむねの「独自性」という意味が、その人を育てた社会の文化が持っているひとつの理
屈とか価値観でしかなく、それは、絶対に真理ではない、ということである。しかしなが
ら、我々は、自分が信じている価値観が狭いものであったにしても、それにしがみついて
生きていくしかないのである。我々の人生は、たいていひとつのものにこだわるしかない
人生を送っている。

が、人生はそうであっても、創造という行為行動は、新しいものを生むことであるのだか
ら、ひとつの価値観や狭い趣味に縛られているような者に、新しいものを生み出すことは
できない。我々がふつうに知っている事例からしても、創造者とか天才は、旧来のものに
縛られなかった人たちではなかったろうか?

創造者としての才能がなければ、異質なものを取り込むことによって、次の創造を生み出
していくという手法がある。ふつうの人に出来ることは、これである。
105MEAD GUNDAM:03/04/19 01:27 ID:???
例えば、昨年亡くなられた日本画家の東山魁夷は、第2次世界大戦前に2年間、ドイツ留
学をして西欧美術史を専攻したためんい、その素養が氏に新しい日本画を開拓させたとい
う事例がある。あの昔の日本軍の「零戦」でも「戦艦大和」でもいいのだが、あれらも、
西欧技術を採取した日本人が、その技術を国内にもちかえってきて消化したうえで、製
造・建造されたものであるということで、すべてが独自な発想から生まれ出たものではな
い。

この簡単な考え方がいつの間にか失われてしまっているのが、ガンダム・ワールドに棲息
する人々である。『ガンダム』のデザインを今日までろくなアレンジも加えることができ
ず、20年という歳月を経過させてしまった人々。それらの人々は、異質なものを取り込
むことを拒否したのであるから、アレンジ以上のものは生み出せなかったのである。

想像力が発動せず、枯渇させていた、と言ってもよい。

それは、僕が車のデザインは『ホンダのSハチ』と『トヨタの2000GT』『モーガンの2
シートのオープンカー』しか認めないというのと同じ心である。が、現実はあのダサイ
『クラウン』に乗っている。我慢できないが、これしかできないという現実。性能は、比
べようもなく良くなっているだろうしさ。

106MEAD GUNDAM:03/04/19 01:27 ID:???
人は、独自性のなかに固有のものを発見して、そのなかで生きようとする。それは当然の
ことなのだが、それらの独自性なるものがすべて独創であると誤解してしまうのは、孤高
でありたいという欲求があり過ぎるからだし、じつは、それは保守でしかない。

新しいフォルクスワーゲンのヴィートルだっていいし、MRSは格好いい。

よほどの天才でない限り、独創性はありえないのだ。

だから、凡俗には、異種格闘技が必要なのである。

それを現在のトウキョウのカタログ世界、スペック社会の風土に席巻されている我々は、
この当たり前の真理を忘れ過ぎていると思えた。その反省を強いられたのが、我々のミー
ド体験だったのだ。

それは、ミード氏にしても同じで、何度も「トウキョウのバカどもが!」と、一人仕事場
で罵ったことだろう。留守電に出ないというのは、その証拠である。


すでに何度か活字にされたことなので、ご承知のことであろうが、最初の∀のデザイン
は、「こちらが零戦を頼んだのにグラマンが上がってきた」という結果になった。

つまり、現在のスモーの原型が∀と指定されてきたのである。だから、前項に記したよう
なディスカッションが頻繁に行われ、ミード氏への教育も必要ではあった。

とはいえ、スモーのデザインには文化の違いが生み出す力というものも感じたので、ス
モーをかつての太平洋戦争の時代のグラマンのように、敵機として採用することを認めた
のである。だからといって、ミード氏のラフのまま採用するのではなく、スペック、使い
方については、物語の構造から変更、追加の作業をやっていただいた。
107MEAD GUNDAM:03/04/19 01:28 ID:???
そのために、堀口君がロスに飛ぶということも一度ならずあった。FAXのやり取りですべ
てが完了するということは絶対にない。人間が行動してはじめて伝わることというのは山
ほどある。

そのことは、ターンXという固有名詞がフィックスされる過程にあらわれている。

∀の物語上の意味性がミード氏に理解され、かつ、数話のビデオを見るに及んで、ミード
氏の方から、冗談のようにターンXという単語が出てきた。それを冗談として受けとって
いた我々トウキョウ・サイドが、物語を書いていく作業のなかでその単語が再浮上してき
て、採用してもいいのではないかと思い始めていった。このことなどは、一緒に「お好み
焼きを食い」、「サケ」を飲みという時間があってのことで、書類のやりとりだけで発生
する性質のものではない。

ターンXという呼称が採用されるという話がロスに飛べば、とりあえず「みつばちハッ
チ」頭のターンXが、ミード氏の手のなかで重量感のあるデザインになって戻ってくる。

その結果が、この本に示されているデザインである。
108MEAD GUNDAM:03/04/19 01:29 ID:???
●デザインワーク

ミード氏といえ、すべてが万全ではないし、癖がある。その癖の部分が∀とスモーとい
う、本来まったく違う文化のものとして建造されたモビルスーツのデザインが、類似性と
いう問題になって現れている。

これは、∀の物語上、世界観の上では、決定的な欠点である。これは、僕と文芸設定のス
タッフがチェックしそこなったミスである。

スモーのデザインの決定は、初期作業のながれのなかで行なわれたために、対ミードとい
う問題だけに囚われていた我々が、デザインの癖を見落としてしまった結果なのである。
∀の輪郭ができあがれば、ともかく制作は始められるという安心感に囚われてしまった
我々のミスなのである。

それに似たことでいえば、モビルリブについては、現場的なプレッシャーがあって、ミー
ド氏の提案どおりにすると作画する時間がなくなるという理由から、タイヤでもキャタピ
ラでもつけて使ってしまえ、と許可を出してしまった僕の甘さが原因になっている。だか
ら、デザインとして完成したものにならず、物語上での使い方も曖昧なままに終わってし
まった。

そのような事例については、ミード氏にまことに申し訳ないと思っている。


しかしながら、『カースタイリング』という国内で唯一の車のデザインの専門誌が、∀の
特集を組んでくれたという意味はどういうことであったのか、とか、このような作業を通
して我々がが知った意味性がどういうところにあったのかは、本書を通して読者に理解し
ていただきたいと念ずる。

109MEAD GUNDAM:03/04/19 01:30 ID:???
それは、本文を詳細に読み込んでいけばおのずと理解できることであろうが、基本は、デ
ザインというのはなにかという設問に尽きるだろう。

それは……と、僕にデザインの何たるかを語る資格はないのだが、ひとつだけ書いてしま
えば、人が使うための道具としての機能は、形に現れるということにすぎない。

機能を示すことができた形は美しい、という哲理である。航空機のデザインにこの哲理に
反するようになったステルス機は不幸だし、怒りに燃えるのだが、それでも、形がシンプ
ル・イズ・ベストであることに変わりがない。

想像上のメカニックなのだからどうやってもいいといいながらも、ミード氏の手は、形を
構成するラインの根本をシンプルにつなげていくという手業を示している。

それは、進化した形がバロック的になってしまう、という原理に棹さすものである。

現在の我々のCG環境を体感すれば、まさに装飾過多のなかに我々人間が埋没してしまっ
て窒息状況にある。それは、本当に気持ちがいいものなのか? この状況の是非を考えれ
ばいいことであろう。

創作は、独自のものではあるのだが、そこに至るための基礎学力は絶対に必要で、それを
培うには異種も取り込む(広い視野をもつ)といった素養がなければならない、と繰り返
して、我々のミード体験を締めくくらせてもらう。

同時に、ミード∀の出現によって、大河原ガンダムは、ビジネス・シーンにおいてもデザ
イン史の上においても、かつての「零戦」と同じような位置付けになって、永遠不滅の機
体として残るだろう。

今後の諸君の健闘を祈る。

Yoshiyuki Tomino
110子孫製造業:03/04/19 02:54 ID:???
>>101-109
モツカレー!!(・∀・)

>『ホンダのSハチ』と『トヨタの2000GT』
何処かでヨタハチと読んだ覚えがあるが、
やはり編者の混同による間違いだったか。安心した。
111通常の名無しさんの3倍:03/04/19 23:00 ID:???
乙カレー
坊な私にはためになるなー
《イデオン》の海       
                               富野 喜幸

 門外漢に音楽を語る資格はないけれど、なに、お楽しみのために
あるのが音楽、と割り切ればなに言っても構わないだろう。
 そんな軽薄さからでもいい、本楽曲を手にして下さった方を僕は
うらやましく思う。
 アニメ好きからアニメ音楽、それ以外の流行の各種楽曲(ミュージ
ックといういい方のほうがなじむのだろうが……)を聞き知った方が、
一つアニメの因縁で交響曲の型を知ってくれることは良いことだからだ。
 はじめはBGMの羅列にしか聞こえぬかも知れない。それは、なまじ
の旋律を知っている不幸といえる。しかし、各楽章の細かい組み立て
と流れを産むテクニックを知っていった時そこに作曲者の顔と技が姿
をあらわす。
 その作曲者の創意とそれを演ずる指揮者とオーケストラの呼吸が
聞こえてくるためには、二、三度は聴きこんでほしいと思う。
 僕は未だにすぎやま先生の作品歴も、音楽家としての立場も知らない。
けれど、現代という時代の中で成すべきことと、その表現の仕方をご
存知の数少ない作曲家であろうと想像できる。
音楽はこういうものである、という個人の狭量な感性を排除して、
音楽を創意することのできる方であるから、そういうのだ。
 だが、それを聞く側が洞察するためには、多少の訓練が必要になって
くるのも止むを得まい。鑑賞力は感性だけに頼ると、多少心もとなくなっ
てくるからだ。
 そして、なまじ映像とか論理とかを排除した音楽という表現の世界が
示してくれたイデオン世界は、透徹である。聞き知って、ようやく感性と
しての世界がみえてくるのである。
 イデオンという海が、きこえる。
 これはすでに独自の世界である。後に残されたのは、この交響曲イデ
オンをマイル・ストーンとして僕が何を示すか、である。
 交響曲という仕立てはハードである。そして、それ故に一つ海を形成
し得る力があるということを知っていただけたら幸いである。
 飾りでない、と……。
114山崎渉:03/04/19 23:59 ID:???
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
115山崎渉:03/04/20 01:18 ID:???
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
116山崎渉:03/04/20 02:38 ID:???
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
117山崎渉:03/04/20 07:40 ID:???
(^^)
118112:03/04/20 09:51 ID:???
続いて交響詩ガンダムのライナーです。富野×安彦はこれしかないのかな。
119交響詩ガンダム:03/04/20 09:52 ID:???
対談 
原作・総監督 富野喜幸
作画監督 安彦良和

藤田
本日は「交響詩ガンダム」のジャケットのために、わざわざ
お集まりいただきましてありがとうございます。ガンダムに
ついては言いつくされ、書きつくされた感がありますが、富
野さんと安彦さんが対談されるのは、初めてだそうで、珍し
いお話が聞けるのではないかと、期待しております。特に
安彦さんは御病気のあと実作業から離れていらっしゃった
訳で、そのへんのところからお話を始めていただければと
思いますが……

富野
入院してから後も、「ガンダム」の最後の方は、何本か見
たわけでしょう。当事者としてではなく、外から見ると、問
題点が非常によく見えるから、まずその辺を聞かせてくれ
ませんか。要するに、安彦さんの立場に立った時に、どう
いう所が一番違うなって思いました?
120交響詩ガンダム:03/04/20 09:52 ID:???
安彦
やはりヒフ感覚ですね。普通TVアニメは、外見だけとりつく
ろって行けば、それで通ってしまうんです。しかし、「ガンダ
ム」の場合は、各キャラクターからにじみ出てくるヒフ感覚が、
非常に重要な位置をしめていたわけです。ところが、それが
そうでなくなってくると、見てて大変つらいんですよ。
 たとえばララァというキャラクターは、描き始める時に、ニ
ュータイプというアプローチが普通のキャラと違っていた事
もあって、僕はあまり好きになれなかったんです。だけど、
大変大事なキャラクターだから、何とかして好きになる手
がかりをつかもうと、富野さんに色々と立ち入った事を聞い
たし、逆に、富野さんも色々とコンテ上の操作をして、大丈
夫だよ、うまくやって行けるよ、と言って下さった。一種のお
見合いですね(笑)。それで何とか好きになれそうだって感
じになって作画し始めたらダウンしたんですが、画面に出
て来ているララァをお客さんとして見ていて、やっぱり好きに
なれなかったんですよね。
121交響詩ガンダム:03/04/20 09:52 ID:???
富野
それは、僕もそうなんです。ララァってのは結果論として好
きになれるキャラクターじゃない。だけど、最終的に絵で表
されるはずの、あたたかさとやさしさとかいうヒフ感覚が、
もう少し出てくれれば、ララァってもうちょっと少女らしくなっ
たと思うんです。その辺を伝えていく上での的確な絵とい
うものを考えた時に、安彦さんが倒れた後は、演出者の立
場上、泣くに泣けない気持ちでしたね。

安彦
もうひとつ41話で、キシリアとシャアが会話を交わす長い
カットがありましたね。ただイスに座っているだけで、セリ
フは起伏に乏しい、おまけにマスクかぶってて顔は見え
ない(笑)。普通、あんなカットを出されたら、リミテッドア
ニメでやってきたアニメータは芝居なんか出来やしないん
です。だけど、あの後、最終回でシャアがキシリアを殺し
たりするのは何故かって事を考えた時には、コンテが不備
であろうが、セリフが不都合であろうが、作画的にねじまげ
てでも何か含みを持たせた芝居をさせなければいけない、
という事が暗黙の要求としてあるわけですよ。今までアニメ
ータが、ヒフ感覚とかそういった芝居を要求された事がなか
ったから、とまどってしまうんですね。大変キツイ課題だった
とは思いますが、それでも何とかしなければという考え方を
していかなければ、いけないんじゃないでしょうか。
122交響詩ガンダム:03/04/20 09:53 ID:???
富野
そういう事を考えると、「ガンダム」という作品は、一つの時
代の流れの中で、結果的に間違いなくラフスケッチでしか
なかったんですよ。本来、作品というのは、少なくともその
時点での完成品でなければならないわけで、それがそうで
なかったというあたりが、視聴者に対して申し訳ないと思い
ますし、僕自身、一番つらい事なんです。だから、これを丸々
一つやり直す時代が、もう一度来るぐらいにして行かないと、
駄目だという気がしますね。
 もう一つ問題があって、いわゆる漫画映画の延長として
のアニメーションと、今の日本のアニメーションというのは、
そろそろ色んな事が違ってきている、という仕分けを、いず
れ現場の人間は絶対につけなければならない、という事
なんです。

安彦
それに類することを、この間“ガンダム記録全集3”に書き
ましたが、言わなきゃいけない事なんですよね。
123交響詩ガンダム:03/04/20 09:54 ID:???
富野
そうなんです。今、手塚アニメに対する信仰が、対外的な
所であるとすれば、明らかにこれは権威主義ですよ。そし
て、これは本来現場の人間が、一番避けなければならな
いものだと思うんです。
 80年代のこれから10年間は、作品のあり方が、そんな
意味で曲がり角に来ているのは事実ですし、去年から今
年にかけて様々な作品がありましたが、単純にこういう
状況がこのまま後へ続くとは思えません。支える現場が、
自分たちの携わっている映像媒体を、まだまだ本気で考
えているようには見えないんですよ。その辺は、休んでて
どう思いました?

安彦
はっきり言って、作り手の心情が問われるという事は、と
にかく大変いい事だと思いますね。今までは、権威の上
に立たないと、より以上のものが出来ないと、みんな卑屈
にあきらめてたんです。実際は、心情あふれるものは、こ
の技量でもできるわけで、そういう所に見方が設定される
状況は、まさに待ち望んでいたものなのです。「ガンダム」
なんかは、テクニックとしては無残なものだけど、心情の
次元だけは、自分のタッチした部分に誇りをもてますね。
それはシャレた言い方をさせていただければ、自分の生
き様に関わってくる問題ですから。富野さんにしても僕に
してもね。
124交響詩ガンダム:03/04/20 09:54 ID:???
富野
ただ、これは作り手側の大きな反省なんだけれど、「ガン
ダム」みたいな作り方をすると、損だなァとは思いますけど
ね。本当はあまりホンネは出しちゃいけなくて、もう少しタテ
マエ論ですいすい行った方が、ああ楽だな気がして(笑)。

安彦
でも、こういう同業者からもバカにされるロボットものという
ホンネと一番縁遠い所から、ゲリラ的にホンネを忍ばせた
作り方をした作品が出て来たという事は、皮肉だし、面白
いですね。これがもっと正面から、ホンネでものづくりして
ごらん、みたいな持ちかけられ方をしたら、多分できないと
思うんですよ。身構えて、ホンネ自体を見失ってしまう……
大半の作り手は、そうだと思うんです。

富野
これは日本人の体質かな、ともよく思うんですよ。僕は日
本の映画界で、正面きって本気でやんなさいよ、と言わ
れて作った作品で、うまく作れた作品ってのは、まずない
と見てるんです。黒沢監督でさえ、そうでしょ。ところが、
「スター・ウォーズ」の第2作はお金も充分あって、好きに
やれると言いながら、ちゃんと娯楽作品に徹して作られて
るというあたりに、ジョージ・ルーカスという若い才能の持
つ凄さがあると思います。日本人だったら、すぐコッポラみ
たいな行き方しちゃうでしょ。
125交響詩ガンダム:03/04/20 09:54 ID:???
安彦
日本人ってのは、ホンネに対する信仰が強すぎるのかも
しれませんね。ホンネは、大変崇高で、哲学的なもので、
シリアスだという考え方があるけど、向こうでいうホンネ
は、一番自分の好きな事とか、興味のある事とか、もっと
フラットな事なんじゃないですか。
 話の成り行きで言わざるを得ないんだけど、そろそろ富
野さんもゲリラの親分じゃいけないんじゃないかと(笑)。
もう少し正直に作っていいよって客観情勢が出て来たわけ
だから、もうからめ手じゃなくて、割と真正面から応えるも
のづくりを、スタンバイして欲しいな、と思うんですが。

富野
だけど、それは仕事に対する基本的な考え方の違いがあ
って、僕の場合はむしろ永遠にマイナーで、永遠にゲリラ
屋のほうが性に合っている部分があるし、そう簡単にはふ
っ切れないですよ。それと僕は、身体を動かしてないと何
も出て来ないんです。まずキチンと出せるものがあれば、
今カッコ良く身をひいてね、あとは好きなものだけ出してい
けるけど、やはりそういう状況にはないと僕は思うし。これ
は「ガンダム」のテーマにもなったけど、僕の場合は生き
残り論しか考えてませんから……安彦さんと違って、僕は
直接的な表現方法ってのは持ってないから、与えられた場
は最終的にそれを利用するという発想しか持ち得ないんです。

安彦
だけど、それはやっぱりアニメ・ディレクターという立場を
卑屈に考えすぎてますよ(笑)。
126交響詩ガンダム:03/04/20 09:55 ID:???
富野
ただ、一般的にTVアニメのディレクターは、たえず仕事を
やらなければ食っていけないから、仕事を好みで選ぶな
んてとんでもない話で、とにかくやらなければいけないと
いう状況が続いていたのは、経済的にも作り手の立場で
も自転車操業になっていくTVアニメの現場というもののせ
いだったと思うんです。TVアニメの世界で、絵描き物書き
含めた上で、いわゆる“作家”という人たちが出て来なか
ったのは、それが集団作業だったから、という事だけじゃ
ないんです。仕事に対してのシビアーな、各スタッフの個
性に対するつきつめみたいなものが、ないからなんですね。

安彦
大変おこがましい言い方だけど、やはり皆さん処世術が
下手だと思います。食わんがために仕事をやらなきゃい
けない、というのはわかるんだけれど、ただそれで100%
あきらめがつくってものでもないし、つけちゃいけないわけ
ですよ。2歩前、3歩前の問題ばかりじゃなく、もう少し長い
射程をもって考えたら、絶対ほかの処世の仕方ってあると
思うんです。

富野
それは、安彦さんがいわゆる安彦キャラクターを持っている
から言えるんですよ。実際にルーカスや実写の人たちは、
作り屋としては、生々としてマメでしょ。だから、アニメの演
出家が絶対にまっとうにやってはいけないかというと、そん
な事はないと思うんですけど。
127交響詩ガンダム:03/04/20 09:55 ID:???
安彦
汚れ仕事を逃げておさまってる人と、すりへって疲れたなァ
っていう人と、極端なんですね。アニメできれいな仕事をし
ている人は、あくまできれいな仕事をしていると。やっぱり
奇形的な世界って気はしますね。
 でも、スポンサーつき、局つきという事が言われてるけど、
小説家や劇画家、作曲家にしても、ニーズのない所で勝手
にものを作ってるわけじゃないでしょ。だから、そういうところ
でアニメって、あまり特殊化したくはありませんね。

富野
僕だって、そう思います。たとえばスペシャルものの作品
条件は、大変ゆるいわけです。だけど、過去のアニメスペ
シャルものの中で、名作といわれる作品の中に何がある
か……本当にホンネ言っていいんだよ、好きに作りなさい
と言われた時に、自分のスタイルなり方法なりを持ち合わ
せていないと駄目なんですよ。要するに“作家”の問題です。
 それより、ものを創るという事に関して言うと、僕はアニ
メだから、という考え方はしてませんし、所詮は作家性の
問題ではないでしょうか。つまり、如何にものを創造(クリ
エイト)するか、という骨格論を、わかるかわからないかの
問題でしかないと思いますね。究極的には、“奴はいった
い何者なんだ”ってつきつけられた時に、“俺は俺だよ”っ
て言えるか言えないかで、作家であることが決まると思い
ます。やはりそういう意味での、オリジナル性を含めた自
意識を持ちうるか持ちえないか、だけじゃないかと……
128交響詩ガンダム:03/04/20 09:55 ID:???
安彦
この前、ある人から仕事を持ちかけられたんですが、現場
仕事はいいから、ホワイトカラーとして、ブレーンとして参加
してくれないか、と言うんです。それ聞いて、いや、違うんだ、
アニメ作ってる人間は、みんなブルーカラーなんだって答え
たんです。全部が全部つくりごとの世界だから、自分も実
作業者の一員として、物理的にもやって行かなかったら、
最後のアガリまで責任持てないんです。だから、アニメの
演出家不在だ、というので実写の監督を連れてきたところ
で、その人は実作業者にはなれない。これはその人の責
任じゃないんですよ、わからないわけだから。やはり4年な
り5年、あるいは10年なりの経験をつまないと、原画の良し
悪しや、撮出し…音の問題などわかってこないし、そういう
事の絶対的なハンディを考えると、アニメのリーダー=作家
は、アニメ屋の中からしか生まれないというのは、絶望的な
くらいはっきり言えるんじゃないでしょうか。

富野
そうとしか言えないからなんですよね。
 これ以後のアニメを考えた場合、ここ10年くらいにすでに
発生してるビデオ文化を含めたトータルな映像文化におけ
る位置づけが、そろそろちょっと違ってきています。そして
当事者としては、その辺まで見透かした上で、ものづくりを
しなければいけないんです。日本のリミテッド・アニメという
世界中どこにもないジャンルが、将来どうなっていくかという
先達者意識をもっと現場の人が持って、色んな形での作り
方をしていって欲しいですね。要求がなければフィルムな
んか作れるわけないですから、もう局やスポンサーといっ
たかくれミノを使うのは、やめていただきたい。本当の意味
での“作家”が出なければならないんですよ。
129交響詩ガンダム:03/04/20 09:56 ID:???
安彦
それに関して言うと、大変長いつき合いをしているアニメ好
きの方が、イタリアの雑誌を訳して送ってくれたんです。そ
れで面白かったのは、海外から見ると、日本のアニメ産業
は、日産、トヨタじゃないけれど、かなり脅威になってるらし
いんです。日本には厖大な数のアニメ技術者がひしめいて
いて、圧倒的な生産基盤があるというのが、向こうの一般
的な認識で、一体何をやらかすのやら、と固唾を飲んでい
るんですね。ところが、それに応えるような状況は日本には
何もないわけですよ。とめどもなく卑屈な精神しかない。よ
く我々は、アニメブームとは現象だけで、浮かれちゃいけな
い、なんて言ってますが、もうちょっと大きなスケールで、
自信をもって世の中変わってるんだなって認識を持って欲
しいですね。

富野
ひょっとして世界の期待も日本に向けられているかもしれ
ないから、これから10年、我々もまたがんばりましょうね(笑)。
という所でおしまいにしましょうか。

藤田
どうも今日は、お忙しいところ有難うございました。御二人の
今後の御活躍をファンの方々と共にお祈りしております。

昭和55年7月8日 
高田馬場BIGBOXローズルームにて収録
(文責キングレコード制作部)
130通常の名無しさんの3倍:03/04/20 19:29 ID:???
スレの流れと関係なくてすまんけど、
「決定日本のベスト100」の「巨人の星にアトムがマル秘出演」
てっていうの、御大が演出やった幻の映像のことかな?
131通常の名無しさんの3倍:03/04/20 23:05 ID:???
>>119-129
乙彼様

そういや、安彦さんも御大と対談してそうでしてない人か
本人を目の前にしてるせいか、ニュータイプへの不快感がやや弱めでつね
132通常の名無しさんの3倍:03/04/21 05:01 ID:???
133山崎渉 ◆yGAhoNiShI :03/04/21 12:09 ID:???
|    あなた達は愚行の数々を繰り広げる低脳で無知で強欲な生物です(^^;   . |
|     しかしこのFLASHを見ればきっと神は御救いになられるでしょう(^^)     |
\      (^^) http://f2.aaacafe.ne.jp/~eagle/flash/flash.htm (^^)        /
  \                                            /
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                   ∧_∧
                   (  ^^ )
            (っ)    ,,,,l ` γ l,,,,,
             \ \/~~.... |。  ~~ヽ
               \,,/ |   |。田}}\ \
                    |   |。  |  ヽ_ヽ
              _    |   |。  |   ゝつ
             |\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
 <      山  崎  !   山  崎  !   山  崎  !   >
  ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
    、        、        、       、        、
  /っノ      /っノ      /っノ     /っノ      /っノ
 / /  ∧_∧ / /  ∧_∧ / /  ∧_∧ / /  ∧_∧ / /  ∧_∧
 \\(    )\\(    )\\(    )\\(    )\\(    )
134通常の名無しさんの3倍:03/04/21 23:12 ID:???
保守。FSSアウトラインの対談良いですね。
135Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:15 ID:???
「20th Anniversary Concert Symphonic GUNDAM 1979〜1998」CDライナー
 『オーケストラに惹かれ』

ないものねだりのあさましい心があったからです。
TVアニメのBGMという厳しい予算枠のなかでも、
フルオケを鳴らすスコアのベースを創っていただきたいと要求しつづけてまいりました。

ですから、今日という日に巡り会えた自分は、幸せとしかいいようがありません。

しかも、二十年という歳月は、思わぬ結果も手に入れました。
スコアにも時代相が含まれ、その時々の才能が現れて、
ついに洋楽という言葉を死語にした仕事を聞かせて下さっているということです。

文化の一翼を担えるかも知れないと思っていたジャンルが育ち、
さらなる可能性、豊かさを手に入れられるかも知れないという陶酔の波!!

これが、ガンダムというひとつの名前に収斂されるのではなく、
固有の楽曲としてはばたいてもらいたい。
それが、次の野望であります。

                                  富野由悠季
136Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:16 ID:???
「20th Anniversary Concert Symphonic GUNDAM 1979〜1998」CDライナー
 『「アトム」から遠く離れて』

「機動戦士ガンダム」が私たちに投げかけた最大のテーマは
「未来の社会は決してバラ色ではない」という事実である。

手塚治虫氏の「鉄腕アトム」には、技術の進歩が理想社会に直結するという、
ユートピア思想があったように思う。
それは戦後の平和と繁栄を謳歌した時代を反映したものであった。
しかし日本の社会がほころび始めるのと時を同じくして、
作品世界を構築していったのが「ガンダム・シリーズ」である。

技術の進歩や宇宙への進出があっても、絶え間のない戦いの中でしか存在できない、
おろかな人類に対する壮大なレクイエム。
作曲者として、このシリーズに取り組んだ時、こんな複雑な感情を抱いたように思う。

現実の世界では、恒久的な宇宙ステーション建設も始まったという。
そんな時に、人類の近未来を描い「ガンダム」を回顧するのも、
この世紀末にふさわしいと思う。

                                   三枝成彰
137Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:16 ID:???
「20th Anniversary Concert Symphonic GUNDAM 1979〜1998」ビデオ
 富野由悠季×三枝成彰

三枝 えー、総トータルで、10人ぐらいの人が、
   この20年間でガンダムを書いてるんですね。

富野 はい。

三枝 やっぱり一番最初にお作りになった、松山さんの「ガンダム」
   というのがやっぱり、みんな引きずってるっていうか、
   やっぱり聴いて、このスタイルを受け継いでいるんですね。
   それはね、非常に面白いなと。今日初めて分かったんですけど。
   松山さんの最初の「ガンダム」を、みんなこう、
   引き継いで、曲を書いてるんですね。

富野 はい。あの、それはあの三枝さんのおっしゃるとおりで、
   僕自身もここまで、全作曲家に打ち合わせをしてもらった覚えはないんです。
   しかし、そうなってしまった。と同時に、それだけじゃなくって、
   やはりその作品が移り変わることによって、時代時代の匂いとか、
   カラーっていうのが出ている、っていうのも、
   じつはここで聴いてみて本当にすごいなと思いました。

三枝 この後半に入りますと、千住さんの曲なんてもうこれは、
   えー、なんて言うんですかね、あの、アニメの音楽という世界を越えてまして。

富野 越えてます。
138Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:17 ID:???
三枝 越えてますね。で、私はすごいと思うんですけど、
   まあ、みなさんみんなそう言うんですけど。
   一番大きな問題は、このもうひとつ対向する
   「宇宙戦艦ヤマト」というのがありまして。
   この宮川さんの音楽というのが、やっぱり非常に、
   あれを越えられないひとつの壁があるんですね。
   なにかと言いますと、大衆性なんですね。
   この大衆性と、もうひとつ、マニアックな音楽の世界という、
   この狭間でどっちを選ぼうかと、迷ってうろうろするのが僕なんですよ。

富野 確かに「宇宙戦艦ヤマト」があって、あの大衆性に対して、
   ネクストをどういうふうに出していくかっていうことは、
   あの、松山先生もそうでしたし、当時、渡辺岳夫先生なんかとも、
   結局考えたことで、とにかくそういうものを乗り越えていく、
   方法っていうものを手に入れたいっていうことがありました。
   で、そういう部分から始まっていった成果が、
   「ガンダム」の場合にはこういう形で継承されているっていうのは、
   とってもすごいこと。

三枝 そうですね。
   ですから新しいひとつの音楽の系譜みたいなジャンルがあると思うんですよね。
139Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:18 ID:???
富野 はい、はい、はい。
   ですから、あの、ひとつの作品としてのすごさとか、
   時代性っていうものがあるんですが、むしろ15、6年前の三枝先生の楽曲でさえ、
   現在、この2、3年売り上げがむしろ伸びてるんです。
   ということはいったいどういうことなんだろうかな、という意味での、
   なんていうのかな、あの、作品の作り方とか、
   それから系譜を作っていってもいいもの、そういうものがあるんじゃないのか。
   時代によって、それからなによりも、あの、聴いてくださる方が、
   きっとこうだろうなとか、こういうふうにしてくれみたいな要求っていうのを、
   やはり、それぞれのその作曲家が、あのやはり、肌で手に入れてくれて、
   そしてそれを今こうやって具体的に、今度はみなさん方におかえしし、
   で、今度はまたそれで我々が、受け取るものをネクストに持っていく、
   というふうなキャッチボールが、間違いなく、
   この10年に関していえば、僕は行なわれていると思う。
   
三枝 あの、少なくとも、最近のこの“ガンダム・シリーズ”を聴きますと、
   ジョン・ウィリアムズを越えていることは間違いないですね。
   あの、音楽のテクニック的な問題。
   問題はその大衆性というものに関して、あるいは、
   全世界に広まるとかいうことに関しては、まだ差があるかもしれない。
   ただ、テクニックというか、音楽の質からいえば、もう越えてますね。
140Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:18 ID:???
富野 と思います。
   ですからもう、あの僕自身、洋楽という言葉が死語になったとも思ってますし、
   オーケストラのものが、あの、なんていうのかな、
   日本人のものでないっていうことも言わせない。
   問題なのは、だからそれをもっとワールドワイドに広げていくための、
   もうひとつの力ってのが必要なんじゃないのか。
   で、それが今、なんなのかってことが、
   今の現在現場に立っているクリエーターたちが、
   分かってるのか、分かってないのか。
   それから、どういうふうにやったらいいのか、ということを今、
   模索し始めたのが、この2、3年の状況だし、これから数年、
   我々がやらなくちゃいけない仕事だし、作曲家のみなさんには、
   そういう部分にチャレンジをしていただきたい。
   で、そういう場としての“ガンダム・フィールド”っていうものを、
   利用していただけたらとてもありがたいし、
   なによりもその作曲家の方とか、演奏者の方が、
   “ガンダム・フィールド”の中で仕事をやることを、嫌がってくださらないで、
   お手伝いいただければうれしいなっていうのが、僕からの方のお願いです。

三枝 あのー、「ガンダム」が当たる理由っていうのは、
   あの、富野さん自分でなんだと思います?

富野 ええと、僕が作っているからです(笑)。

三枝 なるほど(笑)。
141Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:19 ID:???
富野 ていうのも、ちょっ……あの、半分だけでして、本気で言ってるのは。
   だって、全部が全部僕が作ってるわけではありませんから。
   ただ、その、今言った“フィールド”を、
   作りうるだけのコンセプトがあったんだろうな。
   で、それは僕流の言葉でいえば、
   “ニュータイプ”というような言葉に込めた何か思いがあったんだ。
   ただ、僕はそれが上手に作品の中で説明できなかった、
   語ることができなかったな、というところで、
   えー、言ってしまえば20年のうちのこの10年ぐらいはちょっと惨敗感がある、
   というのがあります。
   ただ、そういうコンセプト、そのたかがロボットものに、
   つけ加えてともかくやってみようという、
   思ったその……心意気みたいなものだけで、生き延びたんじゃないのか、
   という部分だけは、これはあの確信的に持っている思いです。

三枝 ただ、僕は一番面白いのは、青臭さだと思ってるんですよね。
   笑い声が聞こえましたね(笑)。

富野 今笑ったやつとは、あとで仲良くしようね(笑)。
142Symphonic GUNDAM:03/04/22 00:20 ID:???
三枝 (笑)このね、青臭さがね、やっぱり今まであんまりなかった。
   つまりその、正義感みたいなことね、
   が、格好悪いという時代が長く続いたと思うんですよ。

富野 確かに承知はしていたことです。
   ただ、あの本当に、19年から20年目にかけて、あの初めてですよ。
   その、三枝さんに……のような人から、初めて青臭いって言われた。
   それまでは、あの、「ガンダム」の制作関係者とか、その周辺にいる評論家、
   ていう言われているようなレベルの人たちから、
   そういう、とっても分かりやすい言葉で、えーと、
   「ガンダム」の一番いいところっていうものを指摘されたことがないんです。
   だから、そういうふうなご指摘ってのは、僕はとてもうれしいし、
   むしろその、この青臭さを今後どういうふうに維持していこうか、
   というふうに考えたときに、あんまり手練手管であってはいけないし、
   技術があの、高くなっていけばいいのかっていうと、やっぱりそうではない。
   その、青臭さが持っている初心っていうものを、
   とても大事にしていかなくちゃいけないんじゃないのかな、
   というふうに思います。

(拍手)

富野 (客席に向い)どうもありがとうございました。

           (1998年12月18日東京オペラシティコンサートホールにて)
143通常の名無しさんの3倍:03/04/22 00:20 ID:???
聞き取りなので、多少間違ってると思います
三枝成彰の声が、ところどころ聞き取り難かった
144通常の名無しさんの3倍:03/04/22 04:03 ID:???
>>143
おつです。興味深く読ませてもらいました。
145通常の名無しさんの3倍:03/04/22 18:51 ID:???
「なんて、スリリングな話なんだ・・・」

その時富野の読んでいたものは「めぞん一刻」

爆笑しますた
146通常の名無しさんの3倍:03/04/22 23:27 ID:???
>>145
誤爆?
147通常の名無しさんの3倍:03/04/23 05:15 ID:???
監督のめぞんの感想なんじゃないかな
148通常の名無しさんの3倍:03/04/23 11:33 ID:???
>>145
確かにスリリングな話ではある<めぞん一刻
149通常の名無しさんの3倍:03/04/23 22:12 ID:???
双葉社から発売中のエルガイム大全に御大のインタビュー載ってるんだが、高いから買えんかった。
内容的には、エルガイムの事だけじゃなくて、FSSのことにも少し言及してる。
150通常の名無しさんの3倍:03/04/24 04:36 ID:???
あー、それ、俺も読みたいな
誰ぞ、うpして、神様
151通常の名無しさんの3倍:03/04/24 04:38 ID:???
>>149
聞き手は誰だった? 岩佐?
152通常の名無しさんの3倍:03/04/24 19:42 ID:???
キングゲイナーがジョジョに影響受けたって発言は、どこで見れますでしょうか?
153通常の名無しさんの3倍:03/04/24 20:09 ID:???
イントロダクションの大河内発言じゃねえの?
154通常の名無しさんの3倍:03/04/24 20:15 ID:???
オーバースキル=ジョジョのスタンド(の能力)って感じか?
へ〜。
155通常の名無しさんの3倍:03/04/24 22:34 ID:???
>>152
へー、初めて知った
ジョジョオタでもガンヲタでもある俺にはすごく嬉しい事だ
156通常の名無しさんの3倍:03/04/24 22:56 ID:???
ジョジョのスタンドじゃねえかって突っ込みもありです、
という感じの発言だっけ、大河内氏。
157通常の名無しさんの3倍:03/04/24 22:57 ID:???
ジョジョは2部で終らせて、3部からは別のタイトルで話を始めるべきだったと思う(DIOも出さずに)
158通常の名無しさんの3倍:03/04/24 22:59 ID:???
>>157
残念ながら荒木(作者)は最初から3部作にすると決めてたみたいです
あとすれ違い
159通常の名無しさんの3倍:03/04/25 00:56 ID:???
でも、スタンドって概念は2部の途中くらいで考えたんだろうな。
160通常の名無しさんの3倍:03/04/25 02:21 ID:???
ダンバインノスタルジアの富野湖川対談で、
2人して剣構えてる写真に笑った。2人とも若いねぇ〜。
161通常の名無しさんの3倍:03/04/25 02:23 ID:???
★在日韓国人★キム・テギョンのインタビューより


−岡山一成選手(川崎)は日本代表のチャンスがあったときに、それを逃したくないから
ってことで帰化したし、他の外国人と少ない枠を争うのを避けるために帰化するとか、そ
ういうことは考える?

金「そこまでしてやりたくないっすね。やっぱりプライドとかあるじゃないですか。帰化
して他の外国人と争わないため、とかいうのならサッカーやめたほうがいい。Jに行
かないで普通に会社行くとしても、帰化していない、ありのままの自分を必要として
くれる会社とか、そういう人についていきたいですね」

−日本が他の国と対戦するときは?

       ∧         ∧
        / ヽ        ./ ヽ
     /   `、     /  `、
    /       ̄ ̄ ̄    ヽ     
    /:::::::::      金      .\    
   /:::::::::: ヽ-=・=-′ ヽ-=・=-′ / 「…やっぱ、ちょっと日本負けてくれって
   ヽ:::::::::::::::::   \___/    /  思うことはありますね(笑)」
    ヽ:::::::::::::::::::  \/     /  

◆金大慶(きん・てぎょん)
1985年1月6日、兵庫県生まれ。18歳。滝川第二高から、★明治大学★に進学。
高校3年時の高校選手権では中盤の底でゲームをコントロールし、チームをベスト4
に導いた。175センチ、65キロ。血液型はB。

http://www.hochi.co.jp/html/soccer/highschool/interview/0418kim.htm
162通常の名無しさんの3倍:03/04/25 22:18 ID:???
カレンマンセー
163通常の名無しさんの3倍:03/04/25 22:27 ID:???
スレ違い
164通常の名無しさんの3倍:03/04/26 00:29 ID:???
>>152-156
 そのあたりの発言抜粋。
 (オーバーマン キングゲイナー イントロダクション より)

 Q.キンゲの見所について

 大河内
 やはりまず、オーバースキルみたいな「少年ジャンプ」的バトルの要素。

 (中略)

 それに、作品をどう楽しむかということの中に、作品をネタに人と話すことも
 含まれていいと思うんですよ。『キングゲイナー』もそれでいい。
 「これ『ジョジョ』じゃん!?」と言われても、それはそれでありです。
 「このあいだのキングゲイナー、こんな変な敵が出てきてさー。見ろ見ろ!」
 みたいに、なんだかんだ言って友達に話したくなってくれればね。
 そこまで含めて楽しんでもらえたら嬉しいです。
165通常の名無しさんの3倍:03/04/26 23:33 ID:???
保守。金沢の講演情報きぼん。
166通常の名無しさんの3倍:03/04/26 23:57 ID:MmcOD5+q
俺は行ったぞ
今頑張ってるから三日程待ってくれい
てか富野教のスレとこっちどっちに書き込めばいいよ?
167通常の名無しさんの3倍:03/04/27 01:46 ID:???
>>166
長くなりそうならこっちの方がいいんじゃない?
ゆっくり待ちますので、がんがれ〜
168通常の名無しさんの3倍:03/04/27 20:05 ID:???
169THE IDEON LD:03/04/28 01:49 ID:???
「10年目の『THE IDEON』」

 『イデオン』の劇場版ですか、そうですね。作った時のうっすらとした印象
しかないのと、実は『イデオン』は作ってから一度も見ていないんです。

─そうなんですか。

 だからよく覚えていない。……いや、嘘だな。よく覚えている(笑)。

─よく覚えているというのは。

 『ガンダム』に続く作品ということと『ガンダム』に引き続いて打ち切りに
なってしまったということで、その怨念返しをしようという気持ちがあった。
だけど『ガンダム』の映画化があったから『イデオン』も、という予感もあっ
た。だから、打ち切るんだったら勝手にしてくれ。そっちの方がこちらには都
合がいいんだ、と。でも実際に作ることが決まったというのは運が良かったで
すね。その時代の運の良さみたいなものにのれたというか、そういう点では幸
せでした。だから、どんな形であれ世に出たというのはうれしいし、作品冥利
に尽きると思っています。もうひとつ思い出すのは、最後のシーンが、こちら
が思っていたほどの圧縮感で作れなかったということですね。技術的なことを
思い出すとすごく悔しい。

─最後のシーンというと、あの実写を使ったシーンですか?

 そうです。それと、あのオールヌードのシーン。実は何箇所か演出ミスがあ
る。実写シーンにしても、使い方というか、ちょっとね…。作っている時はわ
からないんだけど、いざ完成してみると、思っていたやつの3倍は長い。そう
いうことはきちんと思い出しますね(笑)。
170THE IDEON LD:03/04/28 01:50 ID:???
─この作品は宣伝もかなりすごかったんですが。

 そうですね。どうしてあんな形になってしまったんだろうと思いますけど。
 宣伝に関しては、僕はいっさい関わらないということでずっときてしまった
ので、ああいうお祭り騒ぎを、誰がどう仕切っているのかとか、まるで知らな
かった。今思うと、時代がそれを要求した部分があったんじゃないかなという
気がしますね。時代の現象といった部分があったのじゃないかな、と。アニメ
というものが、何回かのブームを経てこうしてひとつのメディアとして定着し
てきた。その第2期的なファンの時代の象徴的な現象だったと思いますね。宣
なるかな、というか。でも、そういうお祭り騒ぎを起こすきっかけとなったと
いうことでも『イデオン』は幸せだったなという気はしています。

─『イデオン』という作品がその後の作品に何か影響を与えたということは。

 それは基本的になかったと思ってます。『ガンダム』ほど一般的な嗜好に対
して受け入れられるように作ってはいませんでしたし、言ってしまえばマニ
アックな作品だったという気がします。でもそれは結果論であって、作ってい
る間はそんな気はまるでありませんでした。こちらには、第2の『ガンダム』
を作るんだという気があったわけですから。でも、それでは力が出なかった。
力が出なかったというのは『ガンダム』ほど一般的には拡大しなかったという
意味でのことですが、別の視点で見るとやはり『イデオン』という作品は完結
しているんですね。その完結性の厳しさみたいなものが、真似させることを拒
否した。そういう意味では『イデオン』という作品は、まとまったいい作品だ
と思っているんですけどね。
171THE IDEON LD:03/04/28 01:51 ID:???
 それは劇場版のまとめ方でも証明されていて、本来なら『発動篇』的な作り
方をしたかった作品であるわけです。だから『発動篇』ができたことでは幸せ
なことなんですけど『ガンダム』みたいに大きなファンをつかめなかったとい
う点で『接触篇』『発動篇』という形を取らざるを得なくなってしまった。そ
のために、かなりぎくしゃくした作りになってしまっているわけですが、それ
はもともと『イデオン』という作品が、テレビと映画の橋渡しの中で、かなり
曖昧な立場に置かれた作品であったからだという気がしますね。時代的にもそ
うだった。作品として締まりきらなかったという意味では、とても残念です。
作り手として、こういう風にしか作れないんだよね、という自分の力量を感じ
させる作品だったと言えるでしょう。
 だから、今回LDという形でまた世に出るわけですが、若いファンの方に見て
もらえるならば、ガマンして『接触篇』から『発動篇』まで見て下さいと言い
たい。少なくとも『発動篇』に関しては、アニメ屋さんとしての、ひとつの夢
みたいなものを、それなりに作りおおせたという自信もありますのでね。10
年前であっても、こういう形での作品があったんだということを知ってもらえ
ればとてもうれしいです。

─それは新しく見るファンに対してですね。

 そうです。だって当時5歳だった子供は『イデオン』見てないでしょうし、
その子供が今、ようやく15歳になって、高校生のレベルで見てくれたら、こ
れは作り手の人間が言ってはいけないことでしょうけど(作品として完成して
いないということもありますが)きっとブッ飛ぶぜって(笑)。アニメの現場
でも、例えば20代前半の人なんか見てないっていう人もいるんじゃないかな。
 『イデオン』は湖川アニメのかなり完成された部分というのがよく出ていま
すから、自分達の資料として見ていただければと思います。
172THE IDEON LD:03/04/28 01:52 ID:???
─当時からのファンに対しては。

 商売上は、そうした層がいちばんのターゲットになると思いますけど、僕み
たいな送り手の立場からいえば、そういった人たちはもうターゲットじゃない
んですね。
 『イデオン』を見た若い人たちから、こんな作品を作る人間に、また新しい
ものを作らせろという声が出てくれるようにしてくれるとうれしい。

─スタッフを見るとかなり著名な方が参加されてますね。

 作曲のすぎやま先生をはじめとして、作品のテーマを読み込むことのできる
方が参加してくれましたし、そういった方はたぶんこの作品を悪い作品じゃな
いと思って下さっているんじゃないかな。ただ、やはり作品としての体裁をな
していないということが、『イデオン』の評価をかなり低くしていると思うん
です。
 例えば『発動篇』だけ見た人がいて『接触篇』も見てみようかと思う。でも
見れないんです。作りがメチャメチャだから。後は何を見るかというとテレビ
シリーズだけなんだけど、ここからテレビシリーズを全部見るなんてことはも
う、信じられないくらいうっとうしいことでね。そうなると、じゃあ『イデオ
ン』て作品は何だったの、ということになってしまうんだけど、それは僕の中
にもあることでね。だから『イデオン』て、世に出るための仕掛けとしてはい
い形で終わっていなかったなと思うんです。かわいそうな作品だったんです
ね。そしてそのへんが、この種の作品の限界じゃないかな。
173THE IDEON LD:03/04/28 01:52 ID:???
 この種の作品というのはふたつの意味があります。ひとつは巨大ロボットも
のというイメージ。そしてもうひとつは、あのテーマですね。あれは映像でや
るにはちょっと重すぎたかな、きつすぎたかなという気がするんですね。その
へんでも観客に拒否反応があったんじゃないか。それは一般大衆になじまかっ
た。やってはいけなかった仕事という気もするんですけど、それはあくまで結
果論であって、作っているときは、物事をきちっと見ていこうぜ考えていこう
ぜという気持ちでやっている。第2の『ガンダム』を狙ってね。僕は『ガンダ
ム』『イデオン』と続けてやらせてもらったわけだけど、そうか、あの頃が花
だったんだ、だからあれ以後うまくいくわけないんだ(笑)。あとは死ぬだけ
なんだ……なんて話は誰も見たくないわけなんです。『イデオン』はそれを
やってしまったわけだからね、これはたまんないぜという(笑)。
 ただ、小説版でいうと『ガンダム』より『イデオン』の方がいいという話を
かなり聞きますんで、やはりあれは活字でやるべき作品だったのかなと思いま
す。

─そういう『イデオン』を生み出した背景には、やはり当時のアニメ界のパ
ワーみたいなものがあったと思うんです。

 今ではなかなか作りにくい作品ではないでしょうか。
 それもあったとは思いますけど『イデオン』という作品は『ガンダム』があ
ればこそ、というところもかなりあって、10年前だろうが今だろうが『イデ
オン』みたいな作品は本来、作らせてもらえないはずの作品だと思いますね。
だからもし、今後作る可能性があるとするならば、映画なりビデオなりの状況
がもっと良くなった時じゃないかな。誰かだまって50億ぐらい出してくれれ
ば出してくれれば別ですけど(笑)。いや、冗談じゃなくそれくらいかかりま
すから。作るということになったら面白い結果が出て来るでしょうが。50億
あったらもっと明るい話作るかな。

174THE IDEON LD:03/04/28 01:53 ID:???
─富野さんご自身は『イデオン』は暗い話だと。

 いや、僕は暗いとは思っていません。あくまで一般的にはそう思われるだろ
うな、ということです。で、暗い話だと思っていないところがあるというあた
りが、映画屋さんとしての僕の決定的な欠陥なんでしょうね。映画というのは
もっとアッパッパなものじゃないかという気がするんです。
 だからといって、例えば『ダンス・ウィズ・ウルブス』がそうだといってい
るんじゃありません。あれは、映画産業を支える基盤がしっかりしているから
こそできるのであって、日本にはそういうところがない。だからこそサーッと
『イデオン』みたいな作品を作ってみせようぜ、と思うんだけど、僕にはそ
の、サーッという部分が抜けているもんでね。映画って『イデオン』的なもの
であってはいけないんだよね。もっと気持ちよく見られるもんじゃないと。
『イデオン』はそこを逃げましたからね。一般的にはつらいんじゃないかな。
でもあれはアニメでやったからこそ、つらい部分をケロッと見られるところも
あるんですよ。これを実写でやったら地獄ですね(笑)。好きなんですよ、好
きなんだけど、これはやばいな、という部分が『イデオン』にはありますね。
あのエンディングが、テレビで打ち切られた部分がやりたいから映画をやった
のであって、映画を作りたいからやったんじゃないんですね。

─やりたいことをやっている、というパワーが感じられますよね。

 そう。だから『イデオン』って決して嫌いじゃない、というか好きなんで
す。好きだからこそ、何かきっかけがないと見返すことができない。自分の好
きな部分というのは、そう簡単にさわれるもんじゃないでしょう。だからこの
10年、1カットも見てない。その後、何も仕事がなければ見たかもしれないけ
れど、あったからね。それに『ガンダム』みたいに継続するということがな
かったら、見る必要がなかったんでしょう。
175THE IDEON LD:03/04/28 01:54 ID:???
─もしテレビシリーズが打ち切られなかったらどうなっていたんでしょうか。

 ひとつの作品としての評価がもっとあがったと思いますね。巨大ロボットも
のという歴史の中に、きちっと位置づけられたという気がする。映画にして
も、こんな形だったからそんなに動員できなかった。例えば、道に置いてあっ
た石としてそこに置けたのだけど、誰かのつま先が当たって落っこちてしまっ
た、というような作品じゃないのかな。だから、実写で作り直す機会があった
なら作り直してほしいなという気はするんだけど、映画に見合う作品なのかな
という疑問もあります。
 『イデオン』が好きな人はかなり多いとは思いますけど、正直僕の手に負え
なくなっている部分というのはありますね。

─これは噂なんですが『イデオン』のラストに別バージョンがあると聞いたこ
とがあるんです。イデが発動すると、テレビシリーズの1話の冒頭に話が戻
り、地球人とバッフ・クランが、今度は善き出会いを果たし、握手するところ
で終わるというものだったのですが。

 それは本当に噂だと思うんですが、僕が忘れているだけかもしれない。たぶ
ん噂だと思いますけど、それは送り手としてよくわかる。そういう風にもって
いかないと、とてもじゃないがたまらないという気持ちが一般にあるんでしょ
う。民話みたいなものでね。ああなるほど、そうすれば映画になるのか、とい
うことですね。
 悔しいけど、それは僕のアイディアじゃない。それは、きっと多くの人の話
が入っているんじゃないかと思います。だから、もし実写でできるんだった
ら、そのエンディングを採用せざるをえませんね。映画としてオープンにした
お楽しみにする場合は。それをやっても『イデオン』という作品が歪められる
とは思わない。
176THE IDEON LD:03/04/28 01:54 ID:???
 『発動篇』までのものがあって、ここまでは作り手が趣味としてやってきた
ところもあったけど、その上でもう一度『イデオン』って何なのかということ
を考えた場合、そのエンディングが決定的に必要になってくるんじゃないか
な。映画というのは、哲学論集でもなければ私小説でもないわけでしょう。現
実の人間はこんなにバカなんだ、とか言われても、そんなことはもう、みんな
判っているし、その通りなんだけど、でもやっぱり気持ちのいいラストにしな
きゃいけないんだというね。
 10年前の僕のメンタリティーではそういうラストは考えられなかっただろ
うし、結構生真面目にこうなんだと個人的に納得してやっていたところがある
から。10年たってそうした新しい劇場版以後の『イデオン』の話が固まって
くれば、あるいは、新しい『イデオン』ができるかもしれない。誰が作るんだ
ろ(笑)。
 日本の風土では、これまでずっと巨大ロボットものをやってきた富野由悠季
さんという人がいたら、そういう人にはレッテルが貼られてしまって、実写を
撮らせようという発想はないでしょう。残念ながら僕は50億の金は用意でき
ないし、やるんだったら7〜80億の金がほしいなと思いますもん。かなりCG
の精度も上がってきたし、コストも下がってきたし。でも『イデオン』ってロ
ボットを数多く出す戦闘シーンをやらなきゃいけないとなると、へたすりゃ
50億なんて半年ぼーっと見ていたらなくなっているかもしれない。100、
200のロボットが飛んで腕を動かすなんてやった日には大変ですよ(笑)。

─実写版をやるとしたら役者は。

 キャラクターが多いから、ひとりやふたりは既存の役者にお願いするとし
て、残りは全部新人というふうにするしかないでしょうね。例えば『スター
ウォーズ』と同じですよ。ハリウッドみたいなところで撮影してくれれば、若
い人でも人脈が多いし、役者の土壌は日本より深いからね。ドバ・アジバなん
か、あの『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスとかいいんじゃないかな
あ。あと僕の好きな女優にジョディ・フォスターがいるんだけど、彼女にもぜ
ひ出てほしいなあと。彼女はキープしたいですね。彼女がキープできるんだっ
たら、特撮のカットなんか100カット削れって言うよ(笑)。
177THE IDEON LD:03/04/28 01:56 ID:???
─アニメで新作を作るという可能性があるとしたら、やはり巨大ロボットもの
で。

 やはり、メカものでやることになるでしょう。ロボットものという言葉を使
うかどうかは別として、メカニカルなものとして。これから10年くらいのス
パンで考えてみた上で、21世紀の観客をを相手にした場合、その方が動員を
かけられると思いますから。

─キャラクター的な部分はどうでしょうか。

 劇場版には、カララの生んだ赤ちゃんも出てきましたけど、あれは作品の中
では所詮、水先案内人でしかない。その後の明確な形での成長物語があるとも
思えません。さっき、今度『イデオン』を作るとしたらこんなラストシーン
が、というようなお話もありましたけど、でもあれは、たぶんかなり世代を重
ねた後のことだと思いますからね。それに『発動篇』に登場したキャラたち
は、あまりにも戦争という極限状態の中で正直すぎましたからね。みんな死ん
でしまったけど、がんばったんだよね、としかいいようがないわけです。だか
ら今後、もし『イデオン』のリプロダクションがあるとするならば、考えなけ
ればならないことがたくさんあります。
 ここ数年で、われわれをとりまく世界環境とかがかなり変わってしまった。
とりわけ戦争というものに対する考え方というのはそうですけど、まだそれが
具体的な言葉として固まっていないのが現在の状況です。ユーゴスラビアもそ
うですし、イラン、イラクもそうですが、旧来のメンタリティーで行なわれる
戦争というものもしばらくはなくならないでしょう。だけど、2大陣営という
ものが崩壊してしまって、われわれが危機的に考える戦争状況とは何なのかと
いうことが、文脈的に明確にされていないと思うんです。
178THE IDEON LD:03/04/28 01:57 ID:???
 なおかつ、旧来のメンタリティーで行なわれる戦争というものも、起こらな
いとは限らない。そういう形の中での戦争は決してなくならないだろうし、何
よりこれ以後、戦争をなくすための戦争論というものを見つけていかなくちゃ
ならない。そんな中で、ロボットを使った戦闘ものは、もう少し描いていく必
要があるんじゃないかと思うんです。だから『イデオン』をリプロダクション
する機会があったら、今言ったような問題を明確にリライトしていく力を手に
入れたいな、と思います。それが、今の僕自身の中で『ガンダム』ももう少し
作っていきたいし『イデオン』もまた作る機会があればいいなと思う所以なん
ですけどね。

─それはやはり、何かプロデューシングがあった上ですか。

 そうですね。やはり『ザンボット3』から15年くらいのキャリアというの
は、全部が全部無視できるもんじゃありませんし、なかったことにできるもの
でもない。ここまでは謙遜です。自惚れて言わせてもらえば、戦後の日本人か
らは考えるということがなくなってしまいました。だから、もう少しちゃんと
した物の言い方というものを見つけ出せるんじゃないかなと思うわけです。そ
れを見つけだしていくためにも『イデオン』を出発点にして、これから10
年、20年という時間の中で考えていかなくちゃいけない問題を、さっきの戦
争論も含めてのことですけど、見ていきたいな、と思っています。それがネク
スト『イデオン』かどうかはわかりませんけど、それを僕の仕事にしていいん
じゃないかなと思いますね。
179THE IDEON LD:03/04/28 01:58 ID:???
 今こんな話をしていても、若い人には遠い話なんじゃないかなと思います
よ。日本では、義務教育で戦争論って教えませんからね。でも、これから若い
人が、たとえばヨーロッパなんかに行ったりしたときに困ると思うんですよ。
向こうは日本でいう戦国時代みたいな状態が長く続いていましたし、そういう
メンタリティーが継続してるわけで、自分の目から見た戦争というものがあ
る。日本だけですよ、戦争というものにパープリンな民族というのは。だから
こそ戦争論というのはあってしかるべきじゃないかと思うんです。そして、そ
れが持っているイメージで身を引き締めるということができれば、逆説的な意
見になりますけど、戦争阻止論にもつながるんじゃないかと思いますんでね。
専門家の自衛隊だけに任せておいていいわけじゃない。戦争論というのはあっ
てしかるべきではないかと思います。
 僕はロボットものをやらせてもらったおかげで、戦争論というのは市民の問
題だということを、かなり承知したつもりですから、そういうことを明確に描
いていきたいと思いますね。ただ『イデオン』のリプロダクションがあるなら
ば、また別な観点で作っていきたいということはありますけど……『イデオ
ン』もね、このタイトルから離れられなくて困ってます。

─離れられないというのは。

 ネーミングとしてね、変なタイトルなんだけど、このネーミングからはなか
なか逃げられないんですよ。テリトリーが広くて。だから困っているんです。

─新作を作るときはロボットものとしてということですが、ロボットものとい
うことへのこだわりは。

 個人的に、ロボットものに対してこだわっているわけではありません。た
だ、ロボットを使わないと『イデオン』以上に最悪の作品にしかならないだろ
うと思っているだけです。だからロボットから離れられないだけです。
180THE IDEON LD:03/04/28 01:59 ID:???
─それはさっきの戦争論とも関わるとか。

 たとえば、論文という形で書いても誰も読んでくれない。商売にならない。
もっとわかりやすく小説で書いたとします。するとそれは、すごくリアルに戦
争を俯瞰した戦記物にしかならない。
 檜山さんという「もしこうだったら」という戦記物を書いてらっしゃる方が
いますけど、ああいいものを書くためには、かなり基礎学力がいるんですが、
それを今からやるのは無理。だから、ロボットという、とてもいい加減なもの
を使う。ロボットものは、フィクションにする手段としては手っとり早いし、
まずルックスがいいというのは、じつは俗受けするということでも都合がい
い。ロボットさえ出しておけば、あとはこちらの好きなことを潜り込ますこと
もできるわけです。ロボットものという媒体の持っているいい加減さというこ
とですが、そのいい加減さというものが持っているパワーはすごいわけです。
 本当はロボットものはやりたくないんですよ。でも、ロボットものだからで
きるということがある。本人は困ってますが、ここまで来てしまいましたから
ね。檜山さんみたいな小説を書けるバックグランドを、ロボットものを作る上
では僕も持っているわけです。テレビから入った人間はこういうものが好きな
んだよね、ということもあるんですけど(笑)。
181THE IDEON LD:03/04/28 02:00 ID:???
 だから、ロボットものを作るためにロボット好きから入ったスタッフはいら
ないんです。そういう人たちは、そこから先には絶対行きませんから。物語な
んか作りようがない。ロボットの世界で何を書くのか、という設問があった
時、ロボットの世界を書くことが答えじゃないでしょ、ということを解らせる
のに、10年以上かかってもたどり着けないこともあるわけです。ロボットも
の、というのはジャンルじゃないんですね。僕の場合。それはひとつの媒体で
しかない。その意味はかなり有効なのかもしれないということをわかってくれ
る今の若い人がいて、これからアニメの仕事に参加してくれるといいですね。
ロボットものが嫌いな人が仕事を手伝ってくれるといい(笑)。
 例を言えば『2001年』を作ったキューブリックはメカ好きだったわけじゃ
ないですよね。でも、好きじゃない人が作った方が、すごいものができること
がある。正直言って、アニメ好きの人にアニメ作ってほしくないわけですよ。
アニメ作ることが目的じゃなく、アニメを使って何を描くかということが重要
なわけですから。その「何か」にこだわりを持つ人じゃないと作品は作れな
い。
 アニメの勉強なんかしなくていいんです。企画とかそういう段階にいる人、
つまり、そこから先の、専門職に入る前の段階の人が専門職であっては困るん
です。
 「学生時代、ほとんど学校行ってません、でも世界中回ってきました」とい
う人が来てくれるといい。2、3カ国語をしゃべれるともっといい。そういう
人は連絡して下さい(笑)。

                      (発行日1992年6月25日)
182通常の名無しさんの3倍:03/04/28 04:33 ID:???
乙イデ!
183通常の名無しさんの3倍:03/04/28 06:05 ID:???
掃除中に見つけた富野&神谷明対談番組が
あまりに面白いのでキャプってうpしてみる。

ttp://tom-an.hp.infoseek.co.jp/tom.html
184通常の名無しさんの3倍:03/04/28 10:55 ID:???
>>183
いただきました。乙です。
非常に面白いですね。
185通常の名無しさんの3倍:03/04/28 19:11 ID:???
>>183
サンクスです、後半禿しくワラタ
>>181の様なことも言ってましたね
186通常の名無しさんの3倍:03/04/29 13:04 ID:???
>>183いやー、芸能を見たw
187通常の名無しさんの3倍:03/04/29 19:25 ID:???
最後の5.6分が振り切れていて面白かった。途中からなんか対談というより独演会に
近かったね。
188通常の名無しさんの3倍:03/04/29 21:42 ID:???
○○やればいいだけの話よっ!!
189通常の名無しさんの3倍:03/04/29 23:27 ID:???
>>183
いいものを見させてもらいました、ありがとうございます。
ここ近年言ってることが凝縮された内容ですね。面白かったです

全然対談じゃないよなー 神谷明がインタビュアーになってる(w)

おさわり
190通常の名無しさんの3倍:03/04/30 00:06 ID:???
俺は思ったよりも神谷明が物言ってて意外だった
御大に噛み合わない事言って怒られるってパターンかと思ってたから
191通常の名無しさんの3倍:03/04/30 01:08 ID:???
神谷明くらいの世代なら、俳優を目指して
結果的に声優になってしまった人がほとんどだと思うから
富野とは噛み合うとは思う
声優になりたくて声優関係の学校出て声優になった人とだったら
噛み合わないと思うけど…

192通常の名無しさんの3倍:03/04/30 01:21 ID:???
ピー音が入るわ、最後には目の前の撮影スタッフを
コケにするわ、さすがだなあ。
193通常の名無しさんの3倍:03/05/01 00:21 ID:???
徳間書店デュアル文庫の
ハイストリーマー三巻の後ろに載ってた
御大インタビュー(2002/11収録)は既出?

出てないなら日頃ROMらせて貰っているんでうpしますが
194通常の名無しさんの3倍:03/05/01 00:48 ID:N3YbHQhH
うpキボン
195通常の名無しさんの3倍:03/05/01 23:18 ID:xpd2bIz/
カムバック、トミノ対アキラ
徳間書店デュアル文庫 ハイストリーマー三巻に収録

富野由悠季インタビュー

=今回完結したこの作品は、旧来『徳間版/逆襲のシャア』(アニメージュ文庫)と呼ばれていました。
それは、同タイトルの角川版(スニーカー文庫)が存在したからなのですが、
もともと『ハイ・ストリーマー』という副題で映画『逆襲のシャア』公開の一年前(1987年5月号)から
「アニメージュ」に連載されていたという、ちょっと混乱しそうな経緯のもとにありました。
それを14年ぶりに正式なタイトルに戻して刊行したわけですが、まず監督にお訊きしますが、
どうしてアニメージュ版では『ハイ・ストリーマー』というタイトルで連載されたのですか?
またその時には映画の企画はどれぐらい進んでいたんですか?

富野
そんなの覚えてないですよ。ただ、当時は、どうガンダム離れをするかというのが
重要な命題としてあったので、とにかく何か新しいタイトルが欲しくて『ハイ・ストリーマー』
というタイトルをつけました。僕自身、器用な人間ではないから『ガンダム』すべてを
フィックスなんてできないけど、当時の気分的なものでいえば絶えず、走り続けていたい、
向かい風に向かっていたいという意味もあったんです。
=『ハイ・ストリーマー』というタイトルで、この作品の先も書きつづけたい気持ちがあったと、
旧版のあとがきで書かれていました。物語の時間軸的として考えると、後の『閃光のハサウェイ』
がその構想の一環にあたるだけですか。

富野
そうですね。物語的なつながりはないんだけれど、意識としてはそうです。『ハイ・ストリーマー』
では「悲劇を書く」ということができるのかというのが、僕にとってのテーマでしたし、
『ハサウェイ』もその延長上にある作品ですから。『ガンダム』の外伝という形だけでなく、
オリジナルな作品としてきちんと成立させられれば良かったんだけど、二十年近くたっても
御覧の通りですから、駄目だったんですね。

=駄目ですか?

富野
何いってんの!これだって『機動戦士ガンダム』ってタイトル消えてねーじゃねーの(笑)。
成功しているんだったら、君だって「タイトルは『ハイ・ストリーマー』でいきましょう。
『ガンダム』はいりませんよね」っていってくれたでしょう(笑)。
傍系で始めたもので本家に勝つってことを考えていたんですよ。
枝葉のところででも何かを成立させられないかと思ったんです。それはクリエーター的な発想ではなく、
ビジネス論的な発想だったんですよ。だから駄目だったし、ちょっと下がって見てみると、
やっぱり本家の『ガンダム』に取り込まれている。話が少しずれますけど、現実のなかで、
取り憑かれるとか祟りとか、「うちの家系は、こういう因縁に縛られている」なんて言い方があるけど、
僕にとって『ガンダム』なんて、一時期は怨霊そのものでしたね。
自分では『ハイ・ストリーマー』という分家を成立させたつもりでいたけれど、気が付いてみれば、
本家筋の一角でグダグダやってるだけで「あんた、ちゃんと本家立ててないじゃないの」となってしまった。
そりゃ悔しいけど、自立するだけの力を持っていなかったのは認めるしかりありません。
二十年だった今でも、編集者や色々な人を通して、『ガンダム』怨霊は未だに僕の所にきているんだけど、
最近の僕は、もうそういうのはどうでもいいと言えるようになった。それは本人の気持ち次第なんだよ。
慣れるようになりましたね。
=それはいつぐらいからですか?

富野
『∀ガンダム』を作り終わって、すべてがすっきりしました。
『ブレンパワード』にとりかかる前までは、こういう構造を含めて『ガンダム』に呪われてるって
本当に思ってました。だけど自分の心的な構造とかがわかってくると、
勝手に自分が思っているだけなんだ、と気付くようになりました。当時は、本当にひどいものでしたけど。

=『ブレンパワード』ではまだお払いが終わってなかったのですか。

富野
『ブレンパワード』は『∀ガンダム』を作る為のリハビリでしたから。『ブレンパワード』の企画は、
次にもう一度『ガンダム』を作る事を前提としてはじまったものだったんです。
ただ、言えるのは、『∀ガンダム』をやっていなければ、今回の再刊行でも
「やっぱり『ガンダム』は外してくれないんだ。ちくしょー」って人を呪っていたかもしれない(笑)。
でも人を呪うって辛いのよ。自分が屈折していくことがわかるからね。

=『∀』という作品は、富野監督だけじゃなくて『ガンダム』という作品全体にかかった
呪縛みたいなものをお払いしてくれた感じもしますよね。

富野
だといいんだけど…。今『ガンダムSEED』をサンライズは作っているけど、関っているスタッフは、
これでガンダムを終わらせてやる、というつもりでやって欲しいですね。
いろいろなことを気にしないで好きにやって下さいとは話したんだけどね。他人の作ったタイトルを
作らなければいけないってのは、クリエーターとして悔しい筈だから、その悔しさを全開にして
凄い事をやって貰いたいのです。呪いって本当に大きいし、個人的な事じゃないから難しいですけどねぇ。
=映画の『逆襲のシャア』はファンの評価も高いのですが、あの制作時期のメンタリティは
どんな感じだったんですか?

富野
信じられないだろうけど、やけっぱちもいいとこでした。この間ニューヨークのイベントで上映されて
改めて見た……というか見せられたんだけど、映画が作れるってんで前向きにやろうとはしていたんだけど、
どこかまとめる事だけを考えているから、見やすい作品になっていない。気持ちいいものになっていないですね。

=すごく"熱"のある映画だったと思いますが。

富野
それは当たり前ですよ。当時の僕だって当然、プロなんだから。プロのスキルというのは、
作り手の心情なんて隠して当たり前なんです。それが、最近の映画ではそのスキルがないのが沢山ある。
アニメだけをいってるんじゃなくて、ハリウッドの大作とか観ても、しょうがなく作ってるみたいな
不節操さが凄く見える。それでも僕の映画より売れたり、賞を取るんだから悔しいよね。
ニューヨークの上映会ではブロードウェイに面した大きな劇場でフィルムをかけてもらったんで
嬉しがっていいんだけど、所詮ロードショーでかかった訳じゃないから喜べないです。
僕の場合は目標を達成しない限り、敗残者でしかないと思ってしまうから。
これだけファンが付いてくれているから敗残者という言葉は使えないのかもしれないけど
『ハリーポッター』とか『千と千尋』に勝てない自分のディレクションのまずさとかには情けなく感じます。

=多くの人間が気にしないでいられることや、自己防衛のために無視したり、諦めてしまうことを、
決して諦めないというところが凄いですよね。「ニュータイプ」というのは『ガンダム』世界における
最重要キーワードだと思うのですが、アムロとかシャアを見ているとその能力というのは
「不幸に対する感受性が強く、だけど絶対諦めない意志」なんじゃないかと思うのですが。
つまり富野監督そのもの(笑)。

富野
そうかもしれない(笑)。最近は我慢できない人が増えたけど、我慢できないことと諦めないことは、
言葉の表面は似てるけど全然違うことなんだよね。
=ガンダムという物語から「ロボットもの」というフィルターを外したとき、
根底に残るのが「ニュータイプ」という「ものが諦められない人間」の物語だとしたら、今の若いファンや
クリエーターはそこにどのぐらいシンパシーを感じとっているんでしょうか。

富野
ほとんどないのかもしれないですね。作り手の側でも、アニメという媒体が社会的に認知されてから、
職業の一つとして参加してきている人が多くなっています。絵を描くことが好き、ガンダム的な世界や
キャラクターが好きということであって、それ以上の「何か」を持っている人というのは、少ないと思います。
個々のスタッフにあたっていないから、断言するわけにはいかないけど、社会的な状況が公認している
職業に参加してくる人が、公認されていない職業をやらざるを得なかった時代の人間達とは、
メンタリティとか考え方が根本的に違うのは当然のことでしょう。
僕は、諦めずに表現を模索してたことで、初期のガンダムとかを生み出せたはずなのです。
だったら次の世代で、あの時代のガンダムのような新しい「何か」を描きたい、手に入れたいと
考えている人は、毅然として富野は敵だと思って欲しいのです。僕に対してシンパシーを感じるということは
極度に警戒しなくちゃいけません。何故かというと、不遜な言い方かもしれないけど、僕は虫プロに
一時在席していましたが、手塚治虫という人は根本的な部分で敵だと思っていました。
当然、尊敬しているし、年長者を敬う部分もあるけれど、仕事で物語を作るという上では、
絶対に敵だと思ってました。だから『トリトン』では、手塚原作の枠から逸脱しようと抗ったわけです。
その後になってやっと、手塚先生とはよく話をできるようになったのです。

=講談社の手塚全集の『海のトリトン』のあとがきには、逆に手塚先生のアニメ版を認めざるえない
悔しさが滲みでていました。

富野
おぼろ気しか覚えていないけど、ありましたか?

=ありました。いい師弟関係ですね。ところで『逆襲のシャア』によって、アムロとシャアではじまった
ガンダム物語は完結するわけですが、監督にとってこの二人はどのぐらい重要なんでしょうか?
富野
全然、重要じゃない(笑)。戯作を作るというのは、こんなものなんだからそんなこを気にしていたら
「近松」に勝てないじゃないですか。近松は古典を作ろうと思った訳じゃなくて大衆小説でしょ。
それに勝ちたいと思わなきゃ。僕は茶川賞も直木賞も狙えるような技量はないから、近松に勝ちたい。
いけないかぁ(笑)。

=近松といわれると富野さんの書かれる小説が恋愛率が高いのがわかりますね。
『ハイ・ストリーマー』のアムロはおねーちゃんをくどいちゃ、次のおねーちゃんって。
『好色一代男』みたいですもの(笑)。ところでアムロは当時のアニメファンに対する
アンチテーゼとして設定したと伺いましたが。

富野
アムロとカミーユは明確にアンチテーゼとして配置しました。戯作として世相を見て意図的に産み出した
ことは当然ですが、ファンに受け入れられるとは思っていませんでした。

=ララァのキャラクターはいかかですか?

富野
あれも全くの意図的なキャラクター。僕に戯作者としての才能があるかと考えたときに
全くないんじゃないかと考えてしまうのがララァですね。僕の中に存在しないキャラクターだからこそ、
ロジカルに突き詰めて動かしているだけです。つまり、枝葉論的なものを意識し過ぎていて、
戯作が持つべきもっと大きな膨らみみたいなものを創造しきれていないんです。
だから、ララァとかクェスとかを動かすと僕は全く駄目ですね。
=監督にとって戯作のもっている力とはどんなものなのですか。それが発揮できたキャラクターというと?

富野
ガンダムの登場人物の中ではビジネス論的な意図がなく、無意識に作り上げられたのは、
ランバラル夫妻です。今でもとっても好きですね。あの二人は本当に自然に生まれてきたもので、
この年齢になっても「うーん、この男女はいいよな」と思います。明確に戯作上に存在するキャラクターを
獲得できたと感じられますから。だから、ハモンの最後の台詞はこれだよなって覚えてるからね。
『逆襲のシャア』はこの間観るまではなにも覚えてなかったんですよ。そういった無意識の意識みたいな、
これしかないだろうと言う部分をちゃんとおさえて、アニメをやっていても
戯作者だといってもらえるような仕事をしていこうと思っています。
だからこそ今、戯作者たらんとして自分の柵をかけるつもりで『キングゲイナー』みたいな作品を
やっているんです。これは僕にとって凄く幸せなことです。僕が昔、そぎ落としてしまったものを
もう一度手に入れられるかもしれないと思うと、本当に嬉しいです。
時代を生きてるという感覚は、今まさに僕は『ハイ・ストリーマー』です。

(2002/11 構成・編集部)
203通常の名無しさんの3倍:03/05/02 02:58 ID:???
うp完了。
誤字脱字あったら脳内変換して下さい。

暖かくなったので、全裸になってスカラー波に当ってきます。
204通常の名無しさんの3倍:03/05/02 03:18 ID:???
乙カレー
アニメージュ文庫版持ってるからスルーしてた
こんなおまけがあったのね

お礼替わりじゃないけど、アニメージュ文庫版のあとがきと
ベルトーチカ・チルドレンのあとがきうpろうか?
205通常の名無しさんの3倍:03/05/02 14:00 ID:???
今出てるザ・スニーカーで
御大がまた自作の小説についてコメントしてるね
ガイア・ギアについては全部忘れたとか
206通常の名無しさんの3倍:03/05/02 22:39 ID:df/xKha3

堪能しますた。

>>204
おながいします。
207通常の名無しさんの3倍:03/05/02 23:38 ID:???
ハイ ストリーマーってどういう意味?
『ハイ・ストリーマー』として、『アニメージュ』誌上に連載をさせて
いただいたものを、『逆襲のシャア』として発表されたことで、
戸惑っている読者がいらっしゃると思います。

小生も、この事情については、裁定ができる立場ではなかったために、
困ったというのが現実でした。なぜこうなったかという事情については、
関係各位の善意がすれ違った、と理解していただきたいのです。

当初は、本稿を『ハイ・ストリーマー』として、
テレビのビジネス・ラインから離れたものとして、
長く描いてみたかったという作者個人の願いがあって、
それをアニメージュ編集部が了解して下さいました。
つまり、『逆襲のシャア』版の映画化に平行して、
そのストーリーを組込みながらも『ハイ・ストリーマー』として、
さらに継続する物語を想定しておりました。

しかし、本稿を『逆襲のシャア』のためだけのものと理解されますと、
物語は継続不可能になります。
小生の思惑は、宙に浮いてしまうという感じになるのです。

そのために、二巻目からは『ハイ・ストリーマー』のタイトルを併記して、
復活させていただいたのですが、今後、読者の皆様の助命嘆願でもおこらない限り
『ハイ・ストリーマー』としての復活はないと思えます。

この種のテーマについては、永遠に『ガンダム』として継続するのだ
という宿命を想定するのは、作者としては辛いのですが、この経過ひとつ取っても、
『ガンダム』という現実が迫ってくるのを、作者としても認めざるを得ません。

思えば、『ガンダム』を始めた当初、フィクションが現実の生活に
かくも食い込むものだということは、想像しませんでした。
本当に、ありがたいことです。
前に記した思いは所詮、個人として、大人としての賢しい計算だったのです。

一人の男として自立したい、いつまでも『ガンダム』のトミノでは厭だという思いから、
『ガンダム』離れしたいという欲が始まったのだと自覚せざるを得ません。

このように、我々の仕事は、応援してくださる読者と観客がいて
成立するにもかかわらず、大人の欲を出してしまって、
自分勝手になんでもできるのではないかと思ってしまうのです。

これが、大人の嫌らしいところであり、現実の生身の人間の問題なのでしょう。

ですから、他人に感謝する心を持て、という先人の訓戒を身にしみこませる時なのだ、
と実感する今日この頃なのです。

あとは、皆様の御批判次第です。

その上で、次なる物語を描かせていただけたらと、
今は、被告席に座る気持ちで、日々悶々としているのです。

皆様の御声援には、本当に感謝いたします。ありがとうございました。
映画を本編とすれば、本書は、モチーフ小説と位置づけられるもので、
本来、発表されるべきものではないでしょう。
また、小生は、今期、別の出版社でも映画のストーリーに即した
『逆襲のシャア』のノベルス版も提供しております。

それ故に、なぜ、このような仕事をしたかという点について、
お答えする義務が多少あると考えました。

他社版の『逆襲のシャア』は、現業をすすめながら、
前後に次なるストーリーを展開する人物たちを登場させる
という方法を試みさせてもらっているのです。
このような手段を講じないと、若い人に負けてしまうという、
小生の恐れがさせていることです。

そして、本書については、次のふたつの理由があって、
このような形で発表させていただいたのです。
ひとつは、映画と活字では表現が違ってくるために、
そのサンプルを提供したかったということです。

もうひとつの理由は、『逆襲のシャア』のモチーフではあっても、
小生の思いはこうであったということを知ってもらいたかったということです。

しかし、前者の理由は、企画の段階では、小生自身もわきまえることができず、
その反省だけが痛切にある問題でした。この問題は、ケースバイケースで、
その時々に判定しなければならないために、とても難しいのです。
たとえば、小生の独断でありますが、今日までの日本映画は、
その企画段階で、この間違いを正確に理解せずに、今日に至ったと考えます。
映画版『逆襲のシャア』のシナリオは、当然、小生が書きました。
その提出第一稿が、このストーリーだったのですが、
『ガンダム映画化委員会』とも言うべきインべスターの審査にかけられた時に、
このシナリオについて各種の意見と批判が出ました。

その中で、最も重要な意見は、この小説になっているテーマは、
モビルスーツ否定であるという指摘でした。
当然、それは、小生の目論みでありました。

しかし、ガンダムは、モビルスーツの玩具が売れ、それによって厚い市場が形成され、
映画を制作する資金が提供されているのです。
その現実的な基盤を、作品そのものが否定するのであれば、
出資者たちが映画制作を拒否して当然です。
これは、立場が違うから仕方がない、という性格の問題ではありません。
小生が、夢を追いすぎたのは、認めざるを得ませんでした。

さらに、もうひとつ、小生に鉄槌を下した意見は、
『映画で、アムロの結婚した姿は見たくないなー』というものでした。
この意見は、世俗的でくだらないと思う方もいらっしゃるでしょうが、
小生には、映画を制作企画する上で、もっとも重要な意見と思えて、
最重要ポイントとして採用させていただいたのです。

小生がそのように直感できたのは、映画という媒体の性格に対して、
その意見と同じような思いがあったからです。
しかし、思いがありながらも、できないのが小生なのです。
映画は、オープン・エンターティメント、つまり、大勢の人が一緒に見て、
パーッと楽しめるものでなければなりません。
過去には、日本も文芸映画といわれるものが受け入れられた時代もありましたが、
時代が変れば、企画の発想は、根本的に変えなければなりません。

ニ十年前の映画企画レベルは、現代ではテレビかビデオ、
ミニシアター、ケーブル・ソフトで毎日のように公開されて、
しかも、その表現のレベルは上がっています。
しかし、かつて基幹産業的な性格を持った映画会社は、
優等生しか入社させませんでしたから、その優等生たちが芸術を振り廻し、
栄光の時代から抜けだせない習い性の映画が制作され続けたのです。

もちろん、映画界の柳の下にどじょうが二匹的企画も変りませんが、
問題は、体力がなくなった人々には、スピルバーグの真似はできないという点です。
この体力こそオープン・エンターティメントをやってみせるという気概になります。
勿論、ガンダムは、まだそういうレベルを語れるものではありませんが、
それを目指したいと夢を見ているのです。

映画のヒーローは、丹下左膳からランボーの時代まで独身であり、
俳優が変っても同じジェームス・ボンドでありシャーロック・ホームズなのです。
年齢も顔も関係がなく、素敵に恋をし、冒険をしなければなりません。

なぜならば、映画は、現世に疲れている人々が、チョット気晴しに見るものなのです。
プロパガンダ映画ほど、危険なものはないのです。

まして、ガンダムはロボット物です。
その主人公が、劇中の誰かさんの所有物になって、
『生活』をしたのでは、見る必要はありませんし、
さらに、PTAから顰蹙を買うくらい戦闘シーンがなくてはならないのです。
小生は、戦闘については、この原則を忘れなかったつもりですが、人物については、
ガンダム世界は、進化していく人間の物語ですから、その行きつく先が、
『物否定』『マシーンの否定=モビルスーツ否定』になってしまうのです。
これが『アムロの結婚否定』の感想の意味なのです。
これでは、インべスターに対しての糾弾映画になる危険さえあるのです。

それで何が起るのでしょうか? 何も起りません。
次のガンダムはなくなり、小生自身も、ガンダムを作ったということで手に入れた
小さな成功まで否定することになります。

さらに、重要なことは、ガンダムのファンの存在が教えてくれた、
現実のなかにもニュータイプ的な感応を得させるものがあるという事実、
それさえも否定することになりそうな危機感意識を持ちました。

つまり、個人の思いだけで、映画を作ってしまうという危険を、
この指摘から承知したのです。
この認識は、小生にとっても、みなさんにとっても、
まちがいなく次のステップになるという確信があります。

そのために、小生は、映画版の改訂を快く行ない、
ガンダムの成功をより拡大したいと願いました。
映画は、個人のものではないのです。
一人の監督、一人の原作者の意思だけで製作されてはならないのです。
この考え方が先に述べた『体力』ということになります。

ガンダムの生み出したマーケットは、単に興業としてのマーケットの問題だけではなく、
ガンダムを存立させている『場』の真の意味を知ることができれば、
新しい映画の復権だってあり得るのではないかとうぬぼれているのです。
そして、小生もその末席にあって、それを発見し、
次の機会を手に入れたいと願っているのです。
ですから、この仕事から、小説と映画の仕方の違い、
個人と集団の仕事の仕方の違いといったものを見抜いて下さったら嬉しいのです。

故に、ここに収めたものは、ノベルスの形態にのみ許される方法であって、
厳として、映画になるフィールドではないということを、
若い読者には知っていただきたいのです。

しかし、個人という動物の欲は、深いものです。
本来描きたかった自分の中のガンダムを、
このような形で上梓する機会を与えて下さった関係各位には、
心から感謝いたすとともに、この一文を読んでいただいたことに、
本当に、心から御礼申し上げます。
 
                              昭和62年11月5日
215通常の名無しさんの3倍:03/05/03 00:22 ID:???
うp終わり
>>196-202と併せて読むと面白いんじゃないかと
216通常の名無しさんの3倍:03/05/03 00:53 ID:oSud3uRk
サンクス
なんて謙虚な御大(w
217通常の名無しさんの3倍:03/05/03 01:06 ID:???
>>215
オツカレ様
>そのために、小生は、映画版の改訂を快く行ない、
>ガンダムの成功をより拡大したいと願いました

ここは>>196-202読んじゃうとちょっと文字通りには受け取れないね。
218通常の名無しさんの3倍:03/05/03 03:36 ID:???
>>215乙です。
やー逆シャアその当時としての建前と
2002年末の時点で言える本音みたいなものの
コントラストが出てて面白いです。

インタビューを書き移す時には>>183を思い浮かべながら作業すると
脳内富野率が非常に高くなっていいです。マジで
219通常の名無しさんの3倍:03/05/03 03:58 ID:???
>>183
not foundになっちゃったね。漏れは頂いたからいいけど。面白かったよ。
220名無しさん@Emacs:03/05/05 17:01 ID:???
sage
221通常の名無しさんの3倍:03/05/05 21:43 ID:???
今売ってるザ・スニーカーでは、
逆シャア小説群は完全にマスターベーションの類の物だったみたいな事言ってるね。

閃光のハサウェイは富野小説の中で一番「小説」に近づいた作品だと自負しているらしい。
そして逆シャアの小説がアレより売れてる事にむかついてるそうです。
今の御大にお願いすれば多分映像化にGOサイン出るんじゃないかな。
執筆した当時の事良く覚えてないらしいよw
222通常の名無しさんの3倍:03/05/05 22:30 ID:r0fO2YPb
ランバラル並に実直で世渡りが下手な御大萌え・・・
223通常の名無しさんの3倍:03/05/06 00:18 ID:???
堂々と転載してるけどこのスレもろ著作権に引っかかってないか?
224通常の名無しさんの3倍:03/05/06 00:35 ID:???
転載じゃなくて引用です
225通常の名無しさんの3倍:03/05/06 00:43 ID:???
全文引用=転載だとおもうけど、判例的にはどうなってるのかな?
226通常の名無しさんの3倍:03/05/06 01:14 ID:???
ヤバいです。だからsage進行だし、容易に入手できるものは載せないという暗黙の了解がある。
227通常の名無しさんの3倍:03/05/06 01:31 ID:???
ヤバイと思っても聞かないで下さい。
228通常の名無しさんの3倍:03/05/06 10:06 ID:???
オタクがニュータイプになれないワケ 富野由悠季
“鉄仮面”は彼ひとりではない。それは−

今回の「F91」は、基本的に敵方にあたるクロスボーン・バンガードの理想を描くことがテーマになっています。
特に僕自身の性格を反映している鉄仮面という男は、我ながらよく作ったキャラクターだと自負しています。
鉄仮面は、「F91」でフロンティアサイドの4つのコロニーを制圧し、そのうちのひとつを無差別殺人マシン、バグの実験場にします。
彼は心から大衆に絶望しているので、地球圏の環境を回復させるために、人口の大幅な縮小を考え、実践した。
今後の労働力と、資源、資金に関しては、フロンティアサイドと木星輸送船サウザンス・ジュピターをおさえたことで、
十分にC・Vを機能させてゆくことができるでしょう。
この虐殺によって、C・V=悪という図式が他のスペースコロニーに広がるかというと、そうでもない。
コロニーという隔離された環境は、現在の中東に対する日本仁のメンタリティと同様に、
バグによる殺戮も対岸の火事といった趣にとどめてしまう。
支配者にとっては情報操作をしやすい独特の地域性があるわけで、
万一バグの件が他のコロニーに噂となって流れても、実感をともなった物にならないでしょう。
人間は弱い生き物ですから、「おまえのコロニーにバグは向けないよ。そのかわり・・・」
という支配の方法を取ることが出来る。
こうした支配者に有利な環境を利用して、「F91」以後にC・Vに現れるであろう第2の鉄仮面は
独立国家コスモ・バビロンを統制してゆくことになります。
そう、鉄仮面は彼(カロッゾ)一人ではない。
ここがスター・ウォーズのダースベイダーとは違う部分で、続編を作る上でたいへん巧妙な設定になっています(笑)。
229通常の名無しさんの3倍:03/05/06 10:12 ID:???
今後は、コスモクルスなどの宗教組織も使って、彼は社会変革をめざす。
ああいう無機質な外観を持ったキャラクターは生なイメージを与えないと絵空事になってしまう。
ですから鉄仮面にはなるべく直接的な言葉を使わせました。
特に「私は妻を寝取られた情けない男だ」というセリフを生み出せた時に
「あ、鉄仮面ができ上がった!」と感じました。
そのセリフが出るまでは苦しかった、本当。
 一方ヒーローとヒロインは、今回は紹介のみにとどまっている。
ただひとつ明確なのは、アムロを見つけた時と同様の感覚が、シーブックの登場に感じられるということ。
今から12年前、当時はまだ潜在的な存在だったオタク的(あまりこの言葉は使いたくありませんが)
少年の出現を僕なりに予見したのがアムロという少年でした。
つまり僕自身の少年時代に似た少年です。
それに対してシーブックは、僕が、「こうありたい」と思っていた少年に近い。
アムロが’78年の現状認知ならば、シーブックは’90年代の希望です。
230通常の名無しさんの3倍:03/05/06 10:21 ID:???
僕のアイデアではなく、時代の要求から生まれたキャラクターという気がする。
今、「アムロの世代」の少年が成人していますが、あまりにも自己中心的なまま社会に出てしまい、
周囲と順応することができない一部の大人は、普通の…まともな青少年が現れた時に
追い抜かれる可能性がある。
特に新団塊の世代といわれる今15〜19歳くらいの少年少女は、
その成長段階で自然に社会適応力を鍛えられているので、
彼等の中からはシーブックやセシリーのような力を持つ人々が出てくるでしょう。
そんな時、「大人になったオタクたちはさあどうする?」という局面が必ず出てくる。
シーブックやドレルが「F91」の中で見せる行動と、それに対する大人たちの反応は、
それを予見していると思います。
ガンダムみたいに「歴史」を持っている作品には自然にそんな世相が反映されるものですね。
僕自身、自分のオタク的な心根をよく自覚していますので、ある時期徹底して自己改革を行ったわけです。
若い人は居心地よすぎる環境に浸りきっていない方がいい。
もっとも、日本もこれからは経済的に苦労する時代がくるでしょうから
その部分に関してはあまり心配していません。
「F91」は日本社会の動きの線上に乗ったいい仕事になった実感があります。
ロボットものを見て湾岸戦争を考えろなんて口が裂けても言えません。
でもロボットものだからこそ素直に語れるメッセージもあるわけで、
自分の在り方を考えるきっかけにはなりますよ。(談)

   (月刊ニュータイプ1991年4月号より)
231通常の名無しさんの3倍:03/05/06 11:11 ID:???
おつかれ。
前スレ935氏がアップしてくれたF91LDのインタビューと
鉄仮面やシーブックに対する物言いに共通する部分がありますね。
232通常の名無しさんの3倍:03/05/06 15:24 ID:???
日本仁のメンタリティ

日本人のメンタリティ

でした。スマソ。
233通常の名無しさんの3倍:03/05/06 20:40 ID:???
>>223-225
マターリ進行だったスレに何か変だな?と思ったら
シャア専用ポータルでここが晒されていたからなんだよ

http://char-custom.net/
2003/05/05 (Mon)
;゚д゚) <シャア板復活したらしいよ

小説版逆シャアの後書き比較アニメージュ文庫版ハイ・ストリーマー(1988年)
ベルトーチカ・チルドレン(1988年)
徳間書店デュアル文庫 ハイストリーマー三巻(2002年)

正直、荒し依頼に等しいポータルでの紹介は辞めて欲しいな
ポータル作ってるアンタだって、優良スレが潰れるのは嫌だろう?
人に教えて広める行為というのは一見楽しいかもしれないけど
自己満足だけが加速して、自分の楽しみの場を潰す事もあるんだぜ
という事も分って欲しい

234通常の名無しさんの3倍:03/05/06 21:02 ID:???
>>90-96
凄い!オニモット最高!

なんか感動してしまった。
こんな文章も書けるんやねぇ。
235通常の名無しさんの3倍:03/05/06 21:10 ID:???
>>233
著作権関係のツッコミは過去1スレにつき1回は入ってる
それでもたいして荒れたりしないで
このスレまで続いているわけだから、そう気にしなさんな
236通常の名無しさんの3倍:03/05/06 21:12 ID:???
>>233
あそこで曝される事の良し悪しは別として、コンスタンスにこのスレの
こと取り上げてますよ。あそこは。
自分も前スレの段階であそこからここに来た口ですが、雰囲気
変わったとは思わないのだけれど・・・
237通常の名無しさんの3倍:03/05/06 22:52 ID:???
>今後の労働力と、資源、資金に関しては、フロンティアサイドと木星輸送船
>サウザンス・ジュピターをおさえたことで、 十分にC・Vを機能させてゆく>ことができるでしょう。

……おいおい、いくら何でも大まかすぎですよ、御大。
ガンダム見てるといつも「こいつらなんで飯喰ってんのかなぁ」と
不思議になるでよ。
238通常の名無しさんの3倍:03/05/07 00:44 ID:???
>237
どの程度細かく書けば「間違ってない」記述になりますか?
239通常の名無しさんの3倍:03/05/07 03:22 ID:???
183氏は、まだこのスレ見てます?
落とせなかった人もいるだろうし、内容が濃くて面白かったから、
富野×神谷対談を文字に起こそうと思うんだけど、いいだろうか?
240通常の名無しさんの3倍:03/05/07 04:14 ID:???
>>239
オレは落としてみたけど、がんがれ!!

でも、むっちゃ長い気がするなぁ。
241通常の名無しさんの3倍:03/05/07 07:25 ID:???
>>239
大変だろうけどぜひおながいします。見たかったのに消えてたんで。
242183:03/05/07 08:33 ID:???
>239

183に置いたファイルは三日と持たずに削除されちゃったみたいだし、
いいんじゃないすか?

って言うか、俺みたいに映像アップするより
文章に起こす方がよっぽどいいと思います(w

一応データ補足しておくと、
あれは二年位前にスカパーのファミリー劇場で
ライディーンが始まった時の番組宣伝を兼ねた特番。

ピー音が入ってる所は、唇の動きから「おめこ」
もしくは「おまんこ」だと思います(w
243通常の名無しさんの3倍:03/05/07 08:56 ID:???
富野ならおまんこだろう多分、おめこは関西系の人が言うと思う
244239:03/05/07 13:06 ID:???
許可がいただけたようなので、がんがってみます
では近日中に!
245通常の名無しさんの3倍:03/05/07 13:08 ID:???
耳が聞こえない俺のためにがんがってくれ!
246通常の名無しさんの3倍:03/05/07 17:50 ID:???
ちんぽに皮かぶってる俺のためにもがんがってくれ!
247通常の名無しさんの3倍:03/05/07 18:36 ID:???
最近下痢気味の俺のためにもがんがってくれ!
248通常の名無しさんの3倍:03/05/08 09:47 ID:???
つ●ぼと仮性●茎と下●症がエールを送るスレはここですか?
249通常の名無しさんの3倍:03/05/08 09:55 ID:???
>>248
そういうことを平気で書くのか、君は!







真性かもしれんだろ?
250通常の名無しさんの3倍:03/05/08 09:57 ID:???
>>249
そんなものにいちいちレスするなよ、君は!
〜ナレーション〜

神秘の力が、今、よみがえる。
巨大ロボットアニメブームが巻き起こっていた1975年。
1本のTVアニメがスタートした。
現在まで、独自の存在感を保ち続けているその作品は、『勇者ライディーン』!
その総監督である富野由悠季氏と、主人公ひびき洸役の神谷明氏による、夢の対談がついに実現。
制作当時の秘話や、クリエイターたちの迸るエネルギーを、存分に感じて下さい。

『勇者ライディーン』特別対談 富野由悠季 VS 神谷明


神谷 大変ご無沙汰をしております。
   ええとね、3年ぶりぐらいだと思いますけど。

富野 スキー以来とか(笑)。

神谷 そうなんです。最近は、富野監督とは、仕事場でお会いするよりも、
   遊び場でお会いすることの方が多いという感じで(笑)。
   で、やっと、なんて言うんですかね、富野さんと普通にお話しを、
   できるような場所ができたという感じで。

富野 はい。それはありますね。

神谷 まあ、『ライディーン』当時というのは、
   もう恐れ多くて、とっても僕なんかは近づけないというか。
富野 あのね、だからそれは実を言うと僕の立場もまったく同じで、
   神谷さんを指名したにもかかわらず、結局、現場で、スタジオで、
   話をしたっていう記憶がないんですよね。
   今日ここに来るにあたって、昨夜ちょっと当時の日記を調べてみたら、
   僕ね、あの頃の制作が本当に状況が厳しかったんで、
   アフレコにほとんど顔を出してないと思ってたんです。
   そしたら、5、6回といわずアフレコに行ってるらしいんですよ。
   
神谷 僕はね、いらしていたと思うんですよ。
   ところが今は、スタジオにいて、副調整室によく行って、
   みなさんと交流してるんですけど、当時は、あまりそういう機会とか、
   システムみたいなものがなかったですよね。

富野 なかったということもあるし、あともう一つ、絵を作るスタッフサイド側から見た時の、
   音響スタッフと、それから役者さんっていうのは、
   今ほど、つまり、声優っていう認識はありませんでした。
   だから、役者に対して、自分たちが演技指導ができる立場じゃない。
   つまり、役者が演技論で言うと上だ、という意識がものすごくあった。
   それから、あと具体的に、僕に関して言えば、
   具体的な演技の注文がつけられなかったんで、キャスティングの段階で、
   こういうふうな組み合わせにしておけばいいだろうっていうところで、
   ほとんどの仕事が終わってしまったっていう印象があるんですよね。

神谷 なるほどね。
   でね、実はまずね、今日お伺いしたかったのは、
   先ほどチラッと出てきましたけれども、
   なぜ僕があの役にキャスティングされたのか?
富野 いや、だから、それについて言うと、
   当時まだ、今ほど選択肢が多くなかったってことが当然あります。
   それから、いわゆるその、俗に言うヒーローを張れる、
   つまり、張れる声、を出せる人としての神谷さんの印象しかなかったような気がする。
   ただ、あともう一つあったのは、そうは言っても、
   ロボット物なんだけれども……ロボット物だから、
   武器の名前とか、必殺技を叫べる、っていう声量を絶対的に要求する。
   だけれども、怒鳴る奴だったら、ひょっとしたらあの当時だって何人かいるだろう。
   その中で、やっぱり言葉をしゃべれる人っていうことを、
   僕はすごく意識したような気がする。

神谷 ああ、そうですか。

富野 ええ。ていうのは、……少しは声優っていう言われ方が出始めているんだけれども、
   声優の声でない人を選ぼうっていうキャスティングを、すごく意識しましたよね。
   だから、その真骨頂が、相模太郎さんみたいな、
   本来、講談師──浪花節か、あの人──みたいなものをOKしたっていうのも、
   そういうことだったんじゃないのかなっていう気がしてます。

神谷 でも、当時のキャスティングを、今思い返してみると、
   たとえば、猿丸の西川幾雄さんとか、あと桜野マリの高坂眞琴ちゃんとか、
   僕らにとってみれば、ちょっと年齢が上だったり同世代で、
   すごく和気あいあいと、スタジオで楽しくお仕事ができたんですよね。
   で、今でも思うことなんですけれども、すべてのスタッフが、
   その作品で一同にまみえるってことは、なんか、
   言ってみると奇跡的な出会いのような気がするんですよ。
富野 うん、そうですよね。嫌な言い方なんだけれども、アテレコの現場で、違う人?
   をこれだけ積み上げていって、何かをやっていくっていうのは、
   僕は、初めはアテレコしかさせられなくて申し訳ないっていうふうに、
   役者さんに本当に思った時期があったんだけれども、
   ある時からどうもそうじゃなくって、違う体験?をできる場として、
   決して無意味なことではないんじゃないのかな。
   と思いはじめたっていうのは、それはありますね。
   だから、それは『ライディーン』の時に、初めて感じましてね。
   で、そうなってきた時に実を言うと、僕が一番気にしたことがあるのは、
   やっぱり『ライディーン』で、役者に対して、今度は演出家として、
   いわゆるその、演技の注文をできない。
   演技の注文ってのはどういうことかっていうと、
   そのセリフはそういうふうにしゃべっちゃいけませんよ。
   ていうそのていどのことじゃなくて、一つの人格を作り上げていくための、
   つまり、演技指導とか、演技論てのがあるんだろう。
   それに対しての言葉を、何も持ってなかったってことを、
   本当に骨身に沁みて知らされて、やっぱりその、本来演技をするという演劇?
   に近いものを、フィルム上でもフィックスするっていう仕事を覚えさせてもらえたな。
   ていうようなことも、僕にはあるんで、『ライディーン』てのは面白かったな、って。

神谷 そうやって考えますとね、たとえば当時は、
   新人をとりあえず核に置いて、ベテランを配するという、
   そういう理想的なキャスティングができた時代だったと思うんですね。

富野 では、ありますね。
神谷 そんな中で、つまり新人の僕としては、井上真樹夫さんの格好いい芝居とか、
   市川治さんの、やっぱりその、敵役のね、お芝居とか、そういうバイプレーヤーでも、
   そうとう力のある方がゲストで来られたりとか、いろいろしていたと思うんですけども、
   そういう方たちから学んだことってのは、ものすごく多かったですね。

富野 ああ、なるほどね。その辺は役者サイドの立場に立てないんで、
   よく分からないんだけれど、演出の側で言うと、
   結局そういうベテランの方にもお願いするっていうことで、なんていうのかな?
   アニメのフィルムってのは基本的に二次元の薄っぺらいものじゃないですか。
   その薄っぺらいものに対して、つまり、世界観みたいな、三次元?にするために、
   そういう役者の配置にしなくちゃいけない。
   つまり、一元的な声しか聞こえてこない、演技しか聞こえてこないものの構成では、
   それは、ドラマとか、芝居っていうのは成立しないんだっていうことです。
   それだけのことです。ですから、ああいう形で、
   キャスティングをしてもいいもんなんだってことを教えられて。
   ああ、やはりお芝居の世界っていうのは、
   極端な言い方をすると、どんなチープなものであっても、
   それは、三次元に組み立てていく時には、役者っていうのはこういう覚悟をもって、
   こういう場に臨んでくれるんだ、ってことを教えてもらえた。
   て意味では、本当に、あの、『ライディーン』の時に、本当に(教えてもらえた)、
   だから、かなりアフレコには出てた。
   ただ、その時には録音監督任せにしちゃって、ただ黙って、
   こうなんだ、こうなんだ、こうなんだ、ってことを勉強させてもらったってのは、
   僕にとってのあのスタジオだったんですね。
神谷 僕も当時は、本当に演じることに一生懸命で、余裕なんてのは本当になかったんです。

富野 いや、それは信じられない(笑)。

神谷 本当ですよ。で、最近ですね、今、富野さんがおっしゃったようなことを、僕らも考えて。
   つまり、作り手の立場になって、自分がどう演技すればいいのかっていうことを、
   考えられるようになったというか。それは15年以上かかりましたね。

富野 ああ、そうですか。だから、本当にねぇ、
   一つはヒーロー声っていうことがあって、僕なんか誤解してたんでしょうね。
   もう、かなりベテランっていう認識しかなかった(笑)。

神谷 そんなことなかったんですよ、はい。

富野 (ベテランという認識)しかなかったんで、それは違うだろうってことは、
   たとえば僕は、神谷さんに、あの当時は言えなかったっていう……(笑)。

神谷 本当ですか?(笑)

富野 それだけは覚えてる(笑)。

神谷 そうですか。
〜ナレーション〜

1975年の『勇者ライディーン』放映開始当時、
TVアニメはまだ、現在のような市民権を得てはいなかった。
アニメが、子供だけのものでないことを知らしめた名作、
『宇宙戦艦ヤマト』や、『機動戦士ガンダム』が、ブレイクする以前の時代である。
そのような時代、ロボットプロレスというレッテルを貼られていた、
当時のロボットアニメから飛翔し、新しい流れを生み出そうとしたのが、
富野監督ほか、野心的なスタッフたちである。
しかし、スタートの時点では、放送するTV局も決まってはおらず、
混乱した状況の中での、船出となった。
監督の当時の心境は、いかなるものであったのだろうか?

──『勇者ライディーン』を手がける事になった経緯とは?

富野 その、ロボット物の総監督をやるという意味では、
   それは、つまらない仕事だとは思っていませんでしたんで、
   それでは、とにかくうれしかったんだろう。
   それで、むしろ日記になにも書いてないってことは、
   一つはっきり分かることがあるのは、ものすごく忙しくなった。
   基本的に、ロボット物が好きでアニメの仕事をしたわけじゃありませんで、
   もともと映画をやりたかった人間が、結局、就職ができなくって、
   TVアニメの仕事になってしまった。
   それで、TVアニメの仕事も、きちんと続かなくって、フリーになってしまって。
   で、フリーで今度は食ってく……食べてくためには、
   どんな仕事でもやるってテーゼでやってましたんで、ロボット物であろうが、
   今で言う──女児物っていう嫌な言い方があったんですけどもね──女の子向けの物でも、
   いや、もっと小さいチビ向けの物でも、仕事はなんでもやりました。
──他のロボットアニメを意識していましたか?

富野 基本的にオリジナルストーリーを、
   鈴木良武っていう、メインのシナリオライターが書いてました。
   で、書いた上に、じゃあそれをどういうふうに、
   言っちゃえば、作品化していくかっていった時に、
   面白いからやってみようっていうふうに、受けて立ったっていう気分があります。

神谷 あ、そうなんですか。

富野 はい。で、それこそ何度も仕事をやったっていうことは、逆に言うと仕事師です。
   ですから、当然その、まあ、『マジンガーZ』っていうのが出てきて。
   巨大ロボット物として、『鉄人28号』がちょっとショボイ番組でしかなかった。
   それで、『マジンガーZ』がそれなりに形になってきた時に、むしろその、
   原作者の永井豪さん──今でこそ“さん”付けで呼びますけども──を含めて、
   永井豪っていう若僧が出てきて、それの原作で、東映動画みたいな大手が、
   巨大ロボットをやるってことが、ものすごく悔しかったっていう思いがある。
   だから、それを乗り越えるためにはどうするか?
   そして、もうその時には『ゲッターロボ』っていうのが始まってましたんで、
   そうですね、『マジンガーZ』から3本ぐらい東映動画がやったのかな?
   なので、2番手になるわけです。
   2番手で、つまり、先発部隊をどう潰すかとか、
   乗り越えるかっていう……仕事師ですから、そういう意気はあった。
   だから、むしろその初めてのロボット物であるからどうのこうのっていうのは、
   一切なくって、仕事として、東映動画をどうやって乗り越えるか?
   といった時に、ああ『ライディーン』は面白そうだな、と思ったってのは事実です。
──ロボットアニメを通じて表現したかったものとは?

富野 それはね、物語を作るっていうことと、ロボット物をやるってことは全然違うことでして、
   もともと物語を作るということが、課題としてありましたから、
   それは、なんて言うかな、考えないんです。ハナからそれが大命題ですから。
   で、それを、つまり、ロボット物を使って、
   どこまでできるのかっていうふうに考えるわけです。
   で、その辺が、おそらくこの10年で出てきたスタッフと、根本的に違うとこなんです。
   ロボット物を何とかしたいじゃないんです。
   物語を作る上で、ロボット物をやらざるを得ない。
   それを利用して、じゃあどういうふうに物語を作るか。
   ていうことしかありませんでしたし、原作である鈴木良武さんもそういう世代でしたから。
   東映動画がああいうふうにやってる。それから新人のマンガ家で、
   よく分かんない永井豪みたいなマンガが、こういうふうにやった。
   だったら、俺たちだったら、こうやってみせる!みたいな。
   まず、そこから始まってました。
   最低限このていどの作家性を持たないと、ものは作っちゃいけない!と、それだけです。
   だから、マンガありきで、たとえば始めて、TVアニメを作るのかと、
   それはもうマンガ家に対しての敗北だろう、それだけのことです。
   
神谷 ああ、いや、でもその、……多分、気概を持った方が、   
   あの時代に、多分いらっしゃらなかったんじゃ……。

富野 違う、違う、違います。それは違う。

神谷 そうですか。

富野 そういう奴しか、いませんでした。
   で、そういう人たちが上手に仕事ができなかったから、
   歳とってから、みんなで、ダメになってくじゃないですか。
〜ナレーション〜

原作者の鈴木良武氏が目指していたものは、神秘的な世界観だった。
オカルト的な要素を採り入れることによって、
作品に摩訶不思議な魅力を与えようと考えていたのである。
富野監督もまた、鈴木氏の意向を受けて、巨大ロボットアニメと、
オカルティズムとの融合に取り組んでいた。そこには、当時一世を風靡していた、
『マジンガーZ』の真似だけはしたくないという、強い意志があったからだ。
しかし、基本設定が決まり、第1話のフィルムが完成しようかというその時、
スタッフに、新しい要求が課せられた。富野監督の思惑とは、180度違う路線の変更である。
もっとメカニック的要素を増やし、子供たちを喜ばせようとしたのだ。
富野監督は、27話を境に降板。
『勇者ライディーン』の基本コンセプトは、大幅な軌道修正を余儀なくされる。
結果的にこの作品は、奇しくも、二人の偉大な演出家を引き合わせた。
後任は、長浜忠夫監督。

──監督降板劇について…
   
富野 あのう、どうってことないんですよ。
   つまり、仕事をしていく上で失敗したら、それは降ろされるって、それだけのことです。
   
神谷 失敗があったんでしょうか?

富野 僕の立場では、失敗は一切なかったんです。
   が、途中で、要するに失敗になるような原因が、具体的に3話目ぐらいから、
   具体的な要望が入ってきまして、全部失敗する要因が、注文として入ってきたんです。
神谷 それは局側の方から?

富野 はい。で、そのために、それで路線変更しなくちゃいけなくなってきて、
   その路線変更を上手にすることができなかったために、降ろされたんです。
   それだけのことです。

神谷 ああ、そうなんですか。

富野 ですから、『ライディーン』の1話っていうのだけは、間違いなく、
   まだ、いわゆる強権力の入る前でしたから、極めて、極めてオリジナル的な、
   気分が残っているっていう、そういう作品になっているんです。
──その対処策とは…

富野 ガンテの話が出れば簡単に言えるんですけど、
   つまり、ガンテとか、ドローメのようなものを出してもらっちゃ困る!って、
   フィルムを作ってる時に言われたんです。

神谷 えっ!あれが一番面白いのに。

富野 はい、そうです。ですから、そういうこと言う人たちは、
   はっきり言ってバカだ、ってことです。それだけのことです。
   だけど、ビジネスってのはそういうもんですから、腹は立ちませんでした。
   ああこれが現実なのか、事実なのかって……。
   でも、しょうがないや、じゃないんです。このしょうがないのを、どういうふうに、
   しょうがなくしないようにするか、っていうことをやってみたんだけれども、
   なんせ初めて──初めてでなくて2本目の作品──でしたから、まあ上手にできなかった。
   上手にできないから、ほとんど途中で、一度切ったはったみたいなところまでいきました。
   で、切ったはったみたいなところまでいったときに、
   やっぱ権力がある方がそりゃ勝つわけだから、
   そりゃ僕は降ろされますって、それだけのことです。
──失敗から得たモノとは?

富野 その時代の空気?が、まだ、あれをやるのは早かったっていうのはあります。
   
神谷 ああ、そうかもしれないです。

司会?らしき女性の声(以下、司会) 富野さんの先見の明があったってことじゃないですか?

富野 それは違います。やっぱり『ライディーン』をやって、
   そういう現場的なことだけじゃなくって、その時代?みたいな、
   空気感みたいなことを、やっぱり読めよ、ってことを教えられたってのはあります。
   だからやっぱり、個々の、プロダクションの、あの制作の人間たちがバカだとか、
   局の担当プロデューサーがバカだとか、スポンサーがバカだとかっていうのとは、
   ちょっと違いますね。
   で、個々の立場の中での、確かに視野は狭い中での発言かもしれない。
   それからあとは、ビジネスだからこう言わざるを得ないって立場もあるわけ。
   で、そういうものを作り手ってのは、全部こうやって寄せ集めていって、
   トータルにしてまとめたところで、じゃあ次に何が出せるか、っていうことが、
   作り手ってのはそれができるんです。で、それを教えてもらった。
   僕はそういうことがあったおかげで、その後、
   『ライディーン』をオンエアした局のプロデューサーとは友達になって、
   別の仕事を、助けてくれってんでいっぱいもらいました。
──これからロボットアニメを作る人達へメッセージ

富野 だからものを作るっていうのは、少なくともTVアニメの仕事を通して、
   僕の場合、ものを作るっていうのは、こういうことなんですけれども、
   自分の好きな、気分だけで作ってない、作れないんです。
   やっぱりそういうものを読んで、作っていったっていうのが、
   僕にとっての、『ダンバイン』までの経緯ですね。
   だから、スポンサーの都合だけでもないし。
   その、ある都合はいただく、オファーはいただく。
   その上で、じゃあ今何やるかっていった時に、こういうアレンジをさせてもらいますよ、
   みたいななことは、やってきましたから。
   むしろその、ロボット物っていうのを、
   こういう形で利用させてもらえる媒体になったとか、そういう媒体であった、
   利用させてもらえる媒体にしたっていうことを、
   むしろ若い人ってのは、見抜いていただきたいなって。
   今は逆なんですよ。ロボット物を好きだから、たとえばアニメをやるとか、
   アニメが好きだから、こういうのをやってみたいっていうように考えているんだったら、
   それは、その媒体の枠以上のものは絶対に作れない。
   もっと急いだ言い方をすると、アニメが好きな人とか、ロボットとかメカが好きな人が、
   アニメを作ることはやめていただきたいっていうのが、僕の基本的な考え方です。
神谷 この、『ライディーン』っていうのは、
   当時、僕、平行して『ゲッターロボ』というのをやっていたんですが、
   ああいうその、永井さんのお作りになったロボットアニメーションのロボットと、
   また、ちょっとこう、違った印象があるんですね。
   その辺りってのはやっぱり、そうとう意識なさいました?

富野 もちろんです。むしろその、『ゲッターロボ』の後発作品だったっていう認識があったし、
   逆に言うとその先発が見せてくれてるものがあって、たとえ子供向けのものでも、     
   それだけで、気がすんでちゃいけないよ、物語を作る側は、
   ていうことがあって、本当にあの、それを意識して演出したってことはありますね。
   たとえば、ああ(モニターを指差し)現にこういうようなとこの、
   芝居じゃないんだな……その、こういうシーンをなぜ作ったのか?
   ていうことに関して言うと、たとえば全部が絵空事のSFの、
   SFっぽい背景でいいのかって時に、そうではないだろう。
   で、やっぱりその反射望遠鏡を見るっていうのは、実を言うと、
   脚立の上に乗って見るんだよ、っていうようなダサイところもある。
   それが、実を言うと生活感?を出すことにつながるし、
   さっき言った役者の選定と同じなんですよ。
   物語ってのは、SFだから、巨大ロボット物だから、
   一面的な世界でいいのか?って時に、そうではないだろう。
   だから、だからやっぱり『ライディーン』で本当に間違いなく意識したのは、
   こういう日常的な景色と、それからあと、食事をするシーン……物を食べるシーン?
   ていうものは、きちんと入れなくちゃいけないってことは、本当に意識しましたし、
   本当は、お風呂にも入る、それから寝る、それからトイレにも行くっていうことも、
   本当は劇中に取り入れなくちゃいけないってことを、本当に意識したのは、
   この作品の時なんですよね。
神谷 ああ、そうですか。僕ね、まったく同じことを考えてて、前半後半て、
   監督がお代わりになって、僕としても両方にとても印象を持ってるんですが、
   前半は、とにかく生活感があった。それと同時に、やっていてそれが楽しかったんですよ。

富野 うん、分かります。

神谷 つまり、ひびき洸は子供なんですよね。
   で、みんなと一緒にサッカーに興じたり、スカートめくりしたり、
   日常的なキャラクターとして描かれていた。
   それがやっているものとしても、いわゆる等身大として感じられて楽しかった、と。
   ところが後半は、ストーリー展開で、
   もうグイグイ、グイグイ母物で押していったじゃないですか。
   そうなっちゃうと余裕が、なんかなくて、ただもう闇雲に、
   ガンガン、ガンガン戦ってるというね。

富野 うん。というふうに感じられるのも当然あるし、
   逆にそれこそ前半で降ろされた立場でいった時に、
   後半の方も何本か演出、っていうよりもコンテの段階で手伝ったりして、
   分かったことがあるんですよ。
   僕のような『ライディーン』の在り方もあるんだけれども、
   本来、お楽しみ、つまり、エンターテインメントとして考えた時の、
   ああいう突っ込み?っていうのは、やっぱり悪くはない。
   むしろ、作り物の世界?っていうのは、こういう骨太の物語でいいんではないか。
   ていうことも、僕自身は教えられた。

神谷 ああ、そうですか。
富野 ただ、問題なのは──ああ、問題なのはじゃなくて──重要なのは、
   後半の長浜節に対して、一つだけ僕は、意義申し立てがずっとあったのは、
   そうは言っても、日常感ってのは必要だろう。
   つまり、これだけ母物で押していったにしても、やはり飯も食うだろうし、
   朝も起きるだろうし、トイレにも行くだろうしっていう部分が、
   本当はもう少しあった方が、TVのルックスには似合うんじゃないのかな、
   ていうのがあったってのがあります。
   僕はその後、『コン・バトラー』もそうですし、『ダイモス』もだな。
   かなり仕事を、演出まで含めて、手伝わせてもらって。
   やっぱり、本来、演劇的なものってのは、作り物的なところもあるじゃないですか。
   といった時に、僕はね、それは全否定はしませんね。
   むしろ、また時代が下がって、この最近の10年ぐらいでいうと、
   そういう意気がなくなりすぎてしまった。
   つまり、日常がどうも嘘八百の絵空事が多いために、本来、物語でやるべきことも含めて、
   日常で体験しちゃってるからなんでしょうね、若い人たちが。
   本来、劇にそういう力がなくなったんじゃないのかなって気が、
   すごく僕は、むしろしてますね。


神谷 このライディーンの格好ですよね、非常にスタイリッシュで、
   洗練された印象があるんですけれど、これなんかもそうとう意識された?

富野 いや、僕はライディーンのデザインがフィックスされるまでは、
   参加してない人間なんです。

神谷 そうなんですか。
268通常の名無しさんの3倍:03/05/09 02:05 ID:???
    。。   連貼りに触発されて泣きダッシュ!
   。     。 +   ヽヽ
゜ 。・ 。 +゜  。・゚ (;゚`Дフ。ウワァァァン
            ノ( /
              / >
富野 そうです。ですから、全部、当時のバンダイのポピーっていうブロックと、
   安彦君の仕事です。
   この間、安彦君に久しぶりに会って、「どうしてああいうふうにしたんだ?」
   みたいなことで言うと、単純に、まさにその『ゲッターロボ』までも、
   もう観ているわけですから、永井豪に対抗するキャラクターとして、
   何を意識したかと言うと、“スタイリッシュである”という、それだけを意識した、と。
   だから、動かすっていうことを、ほとんど考えないで作っちゃったんで、
   作画が……つまり、この製作に入ってから、酷い目にあったっていうことを言ってますね。

神谷 や!そうですか(笑)。

富野 だって、動くことを想定してないのを……。

神谷 ああ、そうか!はい。

富野 うん。フィルム上で動くことを要求したんで……。
   そうすると、足が動くわけないのに、(モニターを指差しながら)こうやって、
   ヒザなんか曲がるわけないのに、曲げなくちゃいけないってのがとても辛かった。
   で、それが今度はそれで、もう一つ理由があるんですね。
   結局、当時の超合金?

神谷 ありましたね。
富野 (超合金)に、しなくちゃいけないために、
   あんまり細かい、まだ、その、動かすパーツができなかったんですよ。
   ですから、デザイン的にシンプルにせざるを得なかった。
   つまり、動かなかったものを、動かすようにしたっていうところが実は、
   アニメの本来持ってる機能、性能だと思うんです。
   それをやはり、ああいう不自由な時代に、やりおおせることができた。
   で、そのことがあったんで、長浜さんはそれこそ、先ほど言ったように、
   その後のいわゆるロボット物の何本かで、今で言う長浜スタイル?
   を確立したわけじゃないですか。

神谷 そうですね。

富野 はい。やっぱり、こういう……、
   あ、今たまたまこういう絵(画面は『ダイモス』の戦闘シーン)が出ているんだけども、
   本来、動くもんでないものを、こういうふうにアニメというフィルムの上で、
   動くものにしてみせるという、まさに“まやかし”ですよね、嘘八百。
   それで、これが本来持っている、僕にとっては映画的なものであるし、
   アニメ的なものなんだろうって。
   今、こういうことを、むしろその、好きな絵がいっぱいできるから、CGも含めて。
   ……なために、そういう感動なんか忘れて、
   絵を作っているスタッフが多すぎるんじゃないのかな。
   
神谷 ああ、なるほどね。

富野 という気がしますね。
神谷 当時ちょうど、いわゆるアニメブームというのが、
   声優さんを起点にしておこったじゃないですか。

富野 うん、おこり始めた。『ライディーン』が本当の火付け役なんですよ。

神谷 そうですね。ああいうことというのは、お仕事になにか影響ってのは?

富野 それはしてません。むしろ、僕に関して言えば、
   そういうことがおこればおこるほど実は、本来、エンターテインメント、
   つまり、芸能の世界ってのは、こういうのが当たり前なんだ。
   当たり前だから、それにははしゃいじゃいけない。
   むしろ、このていどの客がついてくれなければ、こちらが飯の種にならないんだから、
   これは冷静に受けとめて、この子たちをいつまでも引っぱってく作品を作っていきたい。
   ていうふうに、僕の場合には、してきました。

神谷 ああ、すっげぇポジティブですよね!そういう意味ではね。うーん。

富野 だって、そう思わなければ……。
   だって、チーフディレクターを降ろされたってだけで、
   鬱屈することは簡単にできるんだもん。

神谷 まあ、そうですよね。はい。
富野 だけど僕、本当に自分でも覚えてなかったんです、昨日調べるまで。
   えっ!後半の『ライディーン』も何本か手伝ってる!?(笑)
   その後もダラッと、長浜さんのそばで仕事を手伝ってる。なんでだったんだろう?
   一つだけ理由が、覚えているのは、あのスキルは全部いただく。
   いただくためには、一度真似するしかない、ってことだけは覚えてたんです。

神谷 もう、あそこでスパッとね、手をお離しになったっていうふうに思ってました?

富野 うん。だから、かなりしぶとかったですね。

神谷 はい。

富野 というのはどういうことかっていうと、まさに学習するということを、
   やっぱりあの当時、むしろチーフディレクターをやらせてもらったからでしょうね。
   やはりその、ものを作るにしても、それから、ディレクションをするにしても、
   一つの目線だけでは対応できないってことは、本当に教えられたんですね。
   それで、だから、ここではたとえば、とりあえず長浜さんって人は、
   ものすごく腹が立つ嫌な監督なんだけども、僕にとっては。
   だけれども、だけどもこう作れてるっていう技術論──さっき言った通りです──は、
   あれは本当にお世辞じゃなくって、これはもう我慢してでも盗もう、と。
   だから、個人的な好き嫌いは全部目をつぶるっていうんで、僕は、その後3年ぐらい、
   長浜さんの仕事はとにかく手伝ってった。

神谷 うーん。
富野 アニメはやっぱり、どうしても好きになれない。
   それで、やはり映画とか、映画的なものしか好きではない。
   それで、じゃあその映画的なものって、一体なんなんだって言った時に、動く絵なんだ。
   で、動く絵の物語って、なんなんだって。
   で、それだけを作りたいっていうのがあるんだっていうところから、
   ロボット物も利用させてもらってるんですよ、ってことがやっぱり分っていただきたい。
   だけどそれを、ロボット物が好きだとか、アニメが好きだとか、
   ……それからもう一つ嫌な言い方をします。
   声優が好きだから声優になる。いや、それは違うんじゃないの。
   
神谷 うーん。

富野 役者から入っていって、声優のお仕事もあるんですっていうふうに、
   思わなくっちゃいけないのが、この数年、ひっくり返ってるでしょう?

神谷 そうですねぇ。

富野 それではやっぱり、ものが見えてこないよっていうことを、
   キャリアがある人間が、きちんと話をしていかなくちゃいけない時代が、
   来ちゃったんじゃないかのかな、っていうふうに僕は思ってる。

神谷 そう思いますね。だから結局、あの、とっかかりとしてはいいと思うんですよ。

富野 まったくそうです。
神谷 で、入り口入ったら「あっ!違うんだ」っていうことで、
   つまり、視野を変えてほしいというか。

富野 (変えて)ほしい。だって、右と左にいる人たちが全部、
   声優志望ではない役者さんがいるはずなんだよ、っていうことを、
   なんで気がつかないのだろうか?ってことですよね。

神谷 そうですね。で、たとえばね、作品の中で、自分が、たとえアニメであっても、
   生きようと思ったら、ドラマをね、演じられなかったらダメなんですよ。

富野 そうそう、ダメなんです。

神谷 でね、それができなかったら、またね、つまんないんですよ。

富野 そうです。

神谷 ですから、最初の頃は、(自分を指差し)合わすのすっごい上手かったんですよ。
   でも、なんかむなしくて。

富野 (笑)分かる、絶対そう(笑)。

神谷 で、それを感じた時に、“芝居だ!”って、改めて思って。
富野 総論的に言えるのは、もっと生っぽいもの?もうちょっと身近なものを、
   つまり、僕の言葉にすれば、皮膚感から通じ合えるようなものになってくると思う。
   それで、今は、本当に過渡期にいましてね。
   変にCGみたいなものが面白かったりなんかするのと、
   それから、すごくビジュアルっぽく見えるんで、
   なんかその、嘘八百のところにみんな走り込んでるんだけれども、
   こんなの、あと10年も続かない。飽きるもん。

神谷 そうですよねぇ。

富野 それはもうお客さんも飽きると思う。

神谷 はい。

富野 それで、こんなチビちゃんみたいな子が、
   すごくシンボル的なキャラクターが好きだとは言いますけれども、
   いつまで好きなのかって言った時に、もう少し生っぽいシンプルなものを好きだと思うの。
   どういうことかと言うと、たとえば、お母さんのおっぱいに、
   吸いつくってことを知っている赤ちゃんっていうのは、
   やっぱり、そういうもの……それから、お母さんの笑顔とか、
   抱かれた時のお父さんの皮膚感みたいなものが、絶対に好きなはずなんです。
   で、やっぱり物語っていうのは、僕はそういうところにいくと思える。
   だから、そういうためには実を言うと、今見えている技術っていうのは、
   ものすごく便利になったんだから、それは使うべきなんだよ、
   利用するべきなんだけれども、それは、あいつが、あの人の、あの……息吹きとか、
   皮膚感とかっていうものを、見たいとか、聞きたいとか、触りたいんであって……。

神谷 そうですよね、うん。
富野 そんなもの、パリンパリン、パリンパリンしたものなんか、
   そんなのは観たくはないはずなんだ。
   ただ、今、そういうものしかないから観てるのと、
   それからもう一つ、困ったことがあるのは、今、ビジュアルを通してとか、
   アニメを通して表現をしようと思っている人たちってのは、まだね、
   ビジュアル的なものが、珍しいというレベルの人たちが作っているの。
   
神谷 ああ。

富野 ところが、本当に映画を観こんでる人とか、演劇を観こんでる人とか、
   いわゆる海外に対して、いいセンスを持っている人なんてのは、
   もう10年も20年も前に、ビジュアル的なものに対して飽きてるんですよ。
   
神谷 やっぱね、俺、今の声優さんとか見てて……上手いんだよ。

富野 上手いよ。

神谷 でも、どう見ても魂が入ってないんですよ。

富野 だからそれは、絵を描く人もそうなの。
   上手いよ、みんな。うん。
   みんな上手いけれども、キレイな絵がなんなのさ、っていう話。
   だから、そろそろ分ってほしいの。
   美男美女の組み合わせのカップルが、永遠不滅に離婚しないで、
   つまり、完結したかっていう話はあんまりないんだからぁ。

神谷 ウヒヒヒヒヒ(笑)。
富野 そろそろさぁ、もう少し味のある、つまり、本当の意味のテイスト?を求めるもの。
   だからなんです、エンターテインメントとは一体なんなんだ?
   お楽しみってなんなんだ? 芸能でしょ?って。

神谷 そうそうそう。それはもう絶対そうですよ。

富野 だから芸能であって……僕はもうこの2年一生懸命言ってることがあんの。
   芸能の原点は何?って言ったら、お祭りなんだよねって。
   年に1度か、2度やるお祭りなんだよねって。
   この番組だったら言っていいのかな?
   フヘへへへ(笑)。

神谷 ヘヘヘ(笑)。

富野 カットしてね(笑)。
   究極的にね、男と女が入り混じってね、(ピー音)やればいいだけの話よ!って。

神谷 まあね。うん。

富野 で、そこにいくまでのプロセスが芸能なんですよ。
   それは、最近もあの、沖縄でやってる……なんだったっけなぁ?
   踊りの大会なんか見た時に、本当にねぇ、格闘技だもんね!
   
神谷 ほう!そうですか。
富野 うん。ああ、あんなもの見た時に、まさにこれは、
   一般市民てのは、みんな平気でやってたんだ。
   そういうものを忘れすぎてる。で、それを、TVモニターとか、
   スクリーンの中に閉じ込めてゆく時に、なおかつ、やっぱり観てる奴がみんなで、
   「ウオーッ!やっぱりやってみたいぞー!」って、
   ただ観てるだけでいいんじゃないんじゃないかなあ?って思えるものを作っていく。
   それを目指すのが、今後のエンターテインメントとか、クリエイターたちの、
   僕は任務じゃないのかな、と。

神谷 そうですね。

富野 今の、少なくともアニメっていう、せまーいところに関して言うと、
   アニメのスタッフが一番いけないのは、体を動かしてないってことです。
   
神谷 うーん。

富野 で、体動かしてない奴に、芸能が分かるわけがない。
   芸能ってのはなんだ!って言ったら、
   もうハナから(両手を挙げて踊る真似)これだもん!
   
神谷、ああ、そうですね。はい。

富野 で、そこに引き込んでくまでのプロセスを、提供するのが、まさにクリエイターなのさ。

神谷 そうだねぇ。
富野 で、それがなくって、机の上だけで(絵を描く仕種)、全部気がすんでます。
   キーボードこうやって(キーを叩く仕種)やってるだけで、お絵描きができます。
   それででき上がってきたものなんてのは、ろくなものができるわけがないじゃないですか。

神谷 うーん。

富野 一番いい例がある。CGいっぱい使ってる映画で、
   面白い映画があったら教えてよって(笑)。

神谷 うーん、そうだねぇ。

富野 それと、アニメってのはもともとCG的に、全部作るもんです。
   だから、手描きの絵で全部作りながら、
   なおかつ、手描きの世界じゃないんだよ、って見せる、
   嘘八百の世界を作っていくっていう、三次元性?を作ってくってのは、
   これは本当に僕は、別の意味での、芸能的な真骨頂だと思った時に、
   アニメが好きで、そんなものが作れるわけがない!
   
神谷 うん。

富野 「お前はお祭り好きなのか? 今夜、上手くしたら、
   なんかワケのわかんないネェちゃんと、2、3人でヤレるぞ! いいこと!」

神谷 アハハハハ(笑)

富野 ていう気分がない奴に、芸能ができるわけがない。
   本当はこういう話したかったの(笑)。

スタジオ一同(笑)
〜ナレーション〜

独特の演出論をくり広げる、アニメ界の革命児、富野由悠季。
そして、日本の声優陣をリードし続ける、神谷明。
この偉大な二つの才能が出会ったという事実にこそ、
『ライディーン』の神秘の力を感じずにはいられない。
神秘的な設定、ドラマティックな展開、流麗なキャラクター。
『勇者ライディーン』は、素晴らしいスタッフ・キャストと、
数奇な運命が作り上げた、ロボットアニメ界の孤高の作品と言えるだろう。
富野由悠季監督と神谷明さんのスペシャル対談、いかがでしたか?
白熱した展開に、観ている方も思わず、グイグイ引き込まれてしまいましたね。
それでは最後に、富野監督にこんな質問をぶつけてみました。

──今のロボットアニメをどう観ていますか?

富野 僕は知りません。

神谷 最近のは知らない?

富野 あの、アニメ嫌いですから。

神谷 アニメを観ていない?

富野 観ない。自分の作品でさえ、ほとんど観ません。
   
神谷 ああ、そうなんですか!?
281通常の名無しさんの3倍:03/05/09 02:13 ID:???
凄い、よくこんなに書いたなあ。乙です。
富野 嫌じゃないですか。で、自分のを観てるヒマがあったら、
   優れた他のものを観るべきだし、読むべきだし、知るべきだし、
   お触りさせてもらうべきだし(笑)。

司会 フフフフフ(笑)。

富野 そうでなかったら、全部自分のもので終わっちゃうじゃないですか。
   そんなヒマありませんもん。
   もうあと、来年死ぬか、10年後に死ぬか分かりませんけども、先がないんだから。
   人間てのは動物ですから、動物っていうのは、その皮膚感?を働かせなかったら、
   動物じゃなくなるわけだから、なんで、インターネットだけのぞくのか?ってのが、
   僕にはよく分からないし、それでガマンできるというのは、
   極めて、生態的な力が、それから健康的にも、不健全な人たちだと思います。
   
神谷 そうですね。

富野 言い切ります。

司会 本当、なんか巨匠の言葉って感じがするんですが、そんな富野さん……

富野 (司会を遮って)巨匠じゃないよ、普通だって!これ。
   普通の考え方だって!感じ方だって!
司会 それが私たちからするとやっぱり普通じゃ思え……

富野 (またも遮り)だからさ、東京でこういう仕事しすぎてるからそうなるの。
   だから、こうしちゃいけないの。
   だから、こういうふうにキレイに撮影することも、
   本当はよくないんだよ、ってこともあるの。
   今の、とにかくビデオカメラはこれだけ性能が良くなったんだから、
   もっと普通に撮影したって、ちゃんとしたものが撮れるはずなの。
   だけど、こういうふうにしなくちゃいけないっていう、
   なんとかみんなで頭の中で信じてる人たちが、さらにいっぱいにダーッといるのよ。
   それが間違いなの、もともと(苦笑)。


テロップ:未来に生きる神秘のロボットよ、永遠に… 
284通常の名無しさんの3倍:03/05/09 02:14 ID:???
うp終了
データの補足は
>>242
を参照してください

脳内補完した部分が多々ありますので
間違い等含め、他に落とせた方フォローよろ

183氏に感謝!
285通常の名無しさんの3倍:03/05/09 02:17 ID:???
本当に最近の御大は祭りと性の話が好きだなぁ。楽しいけど。
286通常の名無しさんの3倍:03/05/09 02:32 ID:???
乙です!

性の話は昔から好きだよね〜
今後、また祭りをモチーフに新たな作品を作るのかしらん?
287通常の名無しさんの3倍:03/05/09 06:58 ID:???
乙!
色々面白かったがとりあえず

>今日ここに来るにあたって、昨夜ちょっと当時の日記を調べてみたら、

日記なんかつけてんのか。

キ モ 〜 〜 イ
288通常の名無しさんの3倍:03/05/09 09:23 ID:???
著書を読むと日記や日付入りのメモからの引用が多くあるぞ。
かなり昔からネタ帳のつもりでメモを書き残してたらしい。
289通常の名無しさんの3倍:03/05/09 09:41 ID:???
ライディーン対談って何時頃行われたんですか?
290通常の名無しさんの3倍:03/05/09 10:48 ID:???
>>289

>>242見れ
291通常の名無しさんの3倍:03/05/09 13:48 ID:???
>>284
労作ですね。乙。
292通常の名無しさんの3倍:03/05/09 15:22 ID:???
富野はどんなことして体動かしてんのよ
293通常の名無しさんの3倍:03/05/09 16:37 ID:???
NHKに出演した時はモンキーダンスしてたyp!
294通常の名無しさんの3倍:03/05/09 17:36 ID:???
>>292
この前ラジオ出た時、プール行って泳いでるって言ってたぞ。
295通常の名無しさんの3倍:03/05/09 19:41 ID:???
>293
ガシャーン!!ガシャーン!!
296183:03/05/09 20:10 ID:???
>284

乙です。

ただ、>257-265や>280-283などのインタビューシーンの聞き手は
神谷明ではなく、宮内亜弥子と、きだつよしの二人です。

音声レートもかなり下げてたんで区別つかなかったかもしれませんが。
297通常の名無しさんの3倍
禿のいう事には神谷明も戸惑ってるな。