1 :
A級戦犯:
512kb超えちゃいましたoTL
誘導貼らなくて御免なさい。
…と、いうわけで、第X話氏の偉業を引継ぎましたピンチヒッターというか城代家老のA級戦犯です。別に個人スレではないから、我もと思う方はどしどし等価していただいて結構。そうすればそのうち第X話しも戻ってきてくれるかも……。
これまでの粗筋…
××県の県庁舎ビル上層階がなんの前触れもなくピンクの靄に包まれ、直後びる全体の電気設備がダウンしてしまう。
ピンクの靄の正体は、極小サイズの台風怪獣バリケーンのメスの集団であり、その一部がビル内部にまで侵入したため、30階の大会議室に一部の県職員と社会科見学に来ていた小学生1クラスが閉じ込められてしまった。
彼らを救助するため、防衛隊の特殊部隊が三班に分かれて県庁舎ビル攻略を開始する。
だが、これと時を同じくして、千葉県沖に巨大バリケーンのオスが出現、メスの集団に惹かれるように前進を開始した。
「怪獣やっつけ隊」は果敢に迎撃、巧みなチームプレーでこれを葬りさる。
だが、喜んだのもつかのまだった。
横須賀沖に新たなバリケーンが姿を現したのである。
「押し出せぇーーーーーーっ!!
班長の怒号とともに、第一班は前進を再開した!
怒号とともに一期に押し出し、非常ドアの前を抜ける!
開いたままの非常ドアの前を素通りした直後、2名の隊員が離脱。
ドアに挟まった死体を引き出すべく、素早くその手首を掴んだ。
死体を引き出し、素早くドアを閉鎖する手はずなのだ。
…だが?!
(ん!?何か引っかかってるのか!?)
簡単に引き出せると思われた死体が、妙に重い。
ドアに手をかけていた隊員も異変に気づいて死体の腕を掴み、屈強な隊員2人が渾身の力をこめると、踏ん張っていた死体も不承不承というようにズルリと動いた。
すると…ドアの向こう側にあった死体の下半身は、一面灰青色のクラゲ状の物体に覆い尽くされていた!
(バ、バリケーン?!)
2人の隊員がパッと手を離すより早く、バリッという音がして鋭い閃光が走って、死体の手首を掴んでいた隊員が背後に吹っ飛ばされた!
弄んでいたオモチャを奪われそうになり、バリケーンたちの目は真っ赤な怒りに燃えている!
(い、一斉放電!)
……部隊全滅か?
ビシッという乾いた音ともに複数の閃光が、青灰色の塊から放たれた!
しかし…何も起こらない。
死体の手首を掴んでいた防衛隊員は、自分がまだ生きているということが、それも無傷で生きているということが信じられなかった。
「いそげ凍条!」「はい!!」
防衛隊員に並ぶように、不可能犯罪捜査部の凍条刑事が滑り込むと、吹きつけ塗装用のスプレーガンを大きくしたような器具の先端を、うごめく青灰色の塊につきつけた。
すると、死体に貼り付いていた小型バリケーンが、渋々といった感じで死体から離れ始めたではないか。何匹かのバリケーンは抗議表明としての電撃を放ったが、すべて南刑事が構えた銀色の手槍状器具に吸い込まれてしまう。
「死体を引っ張り出して!慎重に!ゆっくりと!」
凍条の言葉に我に返った防衛隊員は、バリケーンを除去する凍条の作業と歩調を合わせるようにして死体を引っ張った。
ズルッ…ついに非常ドアの間から死体が抜け出すと同時に、凍条と防衛隊員の二人が争うように非常ドアに飛びつきこれを閉鎖することに成功した。
「そ…それは?」
命がけで閉鎖したばかりの非常ドアに並んで背中を預ける防衛隊員にそう尋ねられ、凍条は笑って答えた。
「ウチで開発失敗した秘密兵器で……冷凍銃です。銃って言ってもほら…」
凍条は自分の背中を相手に向けた。
「…背中に背負ったタンクから液体酸素をチビチビ放射するんです。もちろんこれで相手を凍結させるなんてコトは無理ですけど、十分嫌がらせにはなりますからね。」
「そうか、それで…」
冷気を嫌がってバリケーンは逃げたのだ。だが、防衛隊員は即座に理解した。
「嫌がらせ止まりの威力だったから却ってよかったのか。もしそれに殺傷力があったら……」
バリケーンの死に物狂いの反撃を受け、それこそ部隊は全滅しただろう。
「あっちの…槍みたいなものは?」
「これですか?…一種の携帯用避雷針です。」
南は、電撃に吹っ飛ばされた防衛隊員を介抱しながら、「手槍」の後ろに接続されたゴツいケーブルを防衛隊員に見せた。
「…反対側は、この建物の避雷針のアースに繋がってます。今度の敵は、状況から電撃を使うヤツだと自分たちは思っていました。それでコレを持ってきたんです。だが……ちょっと妙だな?」
防衛隊員の無事を確認すると、南刑事は引きずりだした死体の背中の上にかがみ込んだ。
「……どうかしたんですか?南さん?」
「変だと思わないか凍条。このビルのバリケーンは、これまで積極的に人間を襲ったことはなかったはずだ。それなのに、この人には何故バリケーンが纏わりついていたんだ?」
死体は県営繕部職員の青い作業着を身に着けており、その背中に、目立つピンクの斑点が付着していた。
不可能犯罪捜査部の援軍を得ると、防衛隊の作戦は急激な進捗を見せた。
28と29階は一気に突破。そして当初の予定より遅れること10分、ついに最上層30階の非常ドア前へと辿り着いた。
防災上の理由から、いまいる非常階段区画は最上階大会議場横扉のすぐ前の場所に出られるようになっていた。もちろん非常時の議員たちの避難用にである。
目の前の扉を開けば、わずかに3メートルほどの目の前の距離に、目指す大会議場の扉はあるはずだ。
非常ドアを開き、ここまで押し上げてきたバリケーンもろとも30階に飛び出し、バリケーンを排除しながら大会議室へと絶縁トンネルを接続。会議場内部に立てこもっているはずの逃げ遅れた職員と社会科見学の小学生たちを脱出させる。それで作戦は終了だ。
第一班班長が凍条と南を振り返った。
ゴムのマスクと分厚いゴーグル越しに笑みを見せると、班長は部下に向かって号令を発した。
「出るぞ!扉を、開けろおっ!!」
非常ドア前のバリケーンの群れの中に凍条が「嫌がらせ」の液体酸素を吹き込むと、目に見えてバリケーンの密度が薄くなった。冷機を嫌って退いたのだ。
その僅かなエリアに2人の隊員が潜り込むと、群れの何匹かが放電攻撃を加えてきたが、死の閃光は悉く携帯避雷針に吸収されていく。
そして電撃に臆することなく、2人の隊員が通常フロアへと扉を開くと、バリケーンの群れもろとも、防衛隊員たちと2人の刑事は大会議場横の通路へと足を踏み入れた!
「な……なんだと!?」「そんな、それじゃ逃げ遅れた人たちは……」
防衛隊隊員の何人かがうめくように言った。
目の前の光景が信じられない……いや、信じたくないのは凍条も同じだった。
逃げ遅れた人々が立て篭もっているハズの大会議場のドアは、完全に開いていたのだ。
「……間違いないと思います。」
「同じピンクだな。」
県庁舎最上階で開きっぱなしの会議室ドアを前に防衛隊員たちが呆然としていたころ、同じビルの一階警備室では、防災端末を前に岸田警部と近藤博士とが興奮気味に言い合っていた。
端末画面の左には、3日前に県庁舎ビルを上空から撮った映像。
右には、27階で非常扉に挟まっていた死体の映像が写っている。
バリケーンに集られた死体に不審を感じた南刑事は、携帯端末でそれを撮影し、県庁舎内防災センターの光ファイバー回線を使って、一階にいる岸田警部に送ってよこしたのだ。
「塗装はいつやったんだ?!」
岸田警部が振り返って怒鳴ると、営繕部の職員が驚いたように答えた。
「ちょ、ちょうど3日前です。業者が来て一日で仕上げました。」
「そうか…」
眦を決して岸田は端末の前から立ち上がった。
「…ガソリンをポリタンクに入れて準備してくれ。」
「ガソリンをですか?」
なんのために?と、営繕部職員が尋ねようとしたときだった。
庁舎正面のガラスがビリビリ振動したかと思うと、道路を隔てた公園広場に、ゴウゴウとエンジン音を響かせて「怪獣やっつけ隊」のトンマ・ジャイロが舞い降りて来た。
ジャイロのハッチが開くと同時に2人の「やっつけ隊員」がまるでスタントマンのような身軽な動作で飛び降りてきた。
「逃げ遅れた人たちの救助は完了しましたか?」
モデルなみの長身の隊員=《レーサー》が慌てたように言いかけたのを、年長の隊員=
隊長が制して言った。
「バリケーンが接近してきています。救出作戦は上手くいっているのでしょうか?」
「バリケーン?」岸田の眉間に皺がよった。「…随分早いですね。ヤツが現れたのはたしか千葉沖…」
「そいつならもうやっつけました。いま申し上げているのは、横須賀沖に現れた二匹目の方です。」
「二匹目のバリケーン!?」
近藤博士は思わず仰け反った。
「なんということだ!?まさにオオクジャクサンの夜です。ここにメスの大集団がいる限り、オスのバリケーンが際限なくやって来ます。」
「そうです。我々もそう考えました。だから、逃げ遅れた人々の救出が終わり次第、ジャイロで攻撃してメスの集団を壊滅させようと…。」
「隊長さん、待った!それなら何もビルごとぶっ壊す必要はないぞ。」
「隊長さん、待った!それなら何もビルごとぶっ壊す必要はないぞ。」
「なに?!それはいったいどういうことですか?」
こんどは驚かせる側から驚く側に回った「やっつけ隊」隊長に向かって、興奮気味に近藤博士は言った。
「このビルに集まったバリケーンは、人間を積極的に襲うことは無かったのに、ただ一人だけ積極的な形でバリケーンに襲われたらしい被害者が発見されたんです。」
「積極的に襲われた?」
「そうです。発見されたとき遺体には小型バリケーンがびっしり集っていました。そしてそれを追い散らすと、遺体の背中にはピンクの斑点がついていたのです。」
たちまち隊長はハッとした顔になった。
「さすが隊長さんだ察しがいいな。このビルはいまから3日前、屋上ヘリポートの塗りなおしをやっている。そしてバリケーンの群れに覆われているのは……」
《レーサー》が叫んだ。
「屋上部分を含む最上階!」
「それから、ペンキの飛沫が付着した作業着を着ていた人間だ。」と隊長の言葉が続く。
「なんでもシックハウス症候群もおこさず、環境にも優しい成分の塗料なんだそうですが、たぶんその中にメスのバリケーンを誘引する物質が含まれているんです。」
そこに、さっきの営繕部職員が重そうにポリタンクを下げて戻ってきた。
「言われたとおり、ガソリン、もって来ました。」
「ガソリン?……まさかアナタは??」
「オレはこれから屋上まで行って、ガソリンぶん撒いて、ヘリポートに塗られたペンキの塗膜を焼き払ってくるつもりだ。」
「いまからなんてムチャだ。」
《レーサー》が大声を上げると、それに負けない大声で岸田警部も答えた。
「そんなこたぁ承知だ。だが、あのメスの集団をそのままにしておいたら、第三、第四のオスのバリケーンが来ないとも限らん。やるしかないんだ!」
「なら……隊長!」《レーサー》が直立不動の姿勢で隊長の方に向き直った。「ボクも行かせてください。」
10 :
ケロロ少佐 ◆uccexHM3l2 :2008/04/02(水) 00:06:11 ID:7YeeOhGN0
変わらず応援!!
>>少佐殿
変らぬ応援ありがとうございます。
ところで少佐殿も一本いかがでしょうか?
私も某板の「短編書いてください」スレに二本続けて投下しました。
「バケモノ」と「コウノトリ」というのがそれです。
(ここで構成するような中短編とちがって、短編は難しいですね。)
投下者が多いほうが、X話氏も戻ってくれる可能性が高いような気がしまして…。
12 :
ケロロ少佐 ◆uccexHM3l2 :2008/04/02(水) 14:31:39 ID:UIi0sJrt0
了解しました。
もし書けたとして…ですが、私の書くものは、このスレのタイトルにあるウルトラQ…とは違う、場違いな内容になるかとはおもいますが。
そのうちに何とかしたいですね。
「よし!トンネルを接続しろ!」
県庁舎最上階まで延々設営されてきた耐電トンネルの先端が、会議室内へと運びこまれた。
扉が破壊され、開けっ放しになった大会議室の中で、逃げ遅れた人々は奇跡的に全員無事であった。
ヘリから庁舎屋上へとロープで降下した第三班が、逃げ遅れた人々との合流に成功した直後、会議室天井近くに設けられた廊下との通風孔から小型バリケーンが会議室内に侵入を開始。
守りきれないと判断した第三班は、各自の装備から第三班は耐電シートを取り外し、これを接続して即席の耐電壁を作成。逃げ遅れた人々に被せて防護シートとしていたのだ。
即席防護シートの下に耐電トンネルが突っ込まれると、逃げ遅れた人々の脱出が始まった。
大きな子供は自分の足で、女の子や体の小さな男の子は、防衛隊員や共に立てこもっていた県職員に抱きかかえられて狭く足元の悪い耐電トンネルを下ってゆく。
防衛隊班長は、最後の一人まで脱出するのに必要な時間を概算した。
(……最低でも30分はかかる。地下への退避も含めてギリギリ間に合うか。例のバリケーンが来るまでに。)
彼は知らなかった。
千葉沖のバリケーンがすでに倒されていることを。
そして、そこから目と鼻の先の横須賀に、新たなバリケーンが出現していることを。
ガソリンを満タンにしたポリタンクは予想以上に重かった。
しかし、「やっつけ隊員」《レーサー》は、両肩にタンクを担いだ状態でも、岸田警部に全く引けをとらなかった。
(バケモノか?こいつは?!)
驚きを隠せない岸田の表情の意味を読み違えたのか、《レーサー》は突拍子も無いことを言い出した。
「重いんですか?なら、持ちますよ。」
「…はあ??」
バケモノどころの話じゃないと、警部は思わず舌をまいた。
そのとき、緑の制服が階下から駆け寄ってくると、岸田の下げたポリタンクの取っ手に手をかけた。
「自分が手伝います。」
「防衛隊の方ですね?お願いします。」
微笑んで頭を下げると、《レーサー》はまた駆け出した。
息を切らして3階層を駆け上がると、防衛隊の設置した耐電トンネルの出口があり、そこから女の子の手を引いた背広姿の男=県職員が飛び出してきたのと行き違った。
「よかった!脱出作戦成功ですね!よーし!!」
(これだけの運動しながら、まだ喋る余裕まであるのかよ…)
岸田警部にはしゃべる余裕など無いし、助っ人の防衛隊員にいたっては激しく肩を弾ませ息をしているのに、《レーサー》はまだ体力十分だ。
(…やれやれ、さすが………ん?)
《レーサー》のあまりの体力にあきれ果て、警部がため息をついたそのときだった。
警部の鼻は、思わぬ臭いをかぎつけた。
それは、そのシチュエイションでは絶対にあり得ないはずの臭いだった。
応援
「…ここからは危険地帯です。耐電装備は大丈夫ですか?」
27階から、耐電トンネルはピンクの靄の中へと消えていた。
そこからは、小型バリケーンの支配領域なのだ。
返事をする代わりに岸田警部は背広のエリを立てて隠れていたフックで固定すると、
襟の裏に折りたたまれていたフードを引き出して被り、ポケットから取り出したゴーグルをフードの上に装着した。
不可能犯罪捜査部所属の捜査官のスーツは、「やっつけ隊」のものほど高性能ではないが、
多少の電撃や熱線には耐えられるよう設計されているのだ。
助っ人の防衛隊員が米軍の対NBC装備のような装具を身につけたのを確認すると、《レーサー》はヘルメットのバイザーを下ろした。
「さあ、残すはたったの7階です!行きましょう!!」
左右の肩に載せた二個のポリタンクを、体をひと揺すりして担ぎ直すと、猛烈な勢いで《レーサー》は階段駆け上がりを再開した。
(…ヤツのスタミナは底なしか?)
装備を整えるためにいっとき足を止めたせいで、再び駆け出そうとするとしたとたん、岸田の太股と脹脛に奇妙な震えがはしった。
「このクソたれめ!」
岸田は自分の足に向かって悪態つくと、サザエの殻のような握り拳を振り下ろした。
「あとちょっとなんだ!我慢しろ!!」
歯を食いしばって言うと、変らぬ足取りで先を行く《レーサー》を必死に追いかけた。
膝が「笑う」どころか「発狂」しそうな気がしたが、警部に諦めるつもりなど毛頭なかった。
もし警部の推理が当たっていれば、これから何かが起こるはずなのだから。
17 :
名無しより愛をこめて:2008/04/07(月) 11:37:18 ID:xP0glEhS0
応援
「周辺住民の避難はほぼ完了しました。」
「『ほぼ』とは何だ!?100%まで努力しろ!!」
「はい!!」
署長に一喝され、若い警官は防衛隊員や県職員らでごったがえす前線指揮所を後にした。
振り返るなり署長は「やっつけ隊」隊長に尋ねた。
「例の二匹目の巨大バリケーンは?」
…どこまで来ているかというのだ。
「本部からの連絡によると、横須賀に上陸後、ここに向かって一直線に浮行して来ているそうです。計算では、ヤツがここに辿り着くまであと十数分というところだそうです。」
防衛隊の隊長が口を挟んだ。
「千葉沖の一匹目のようにやっつけるわけにはいかんのですか?!」
「あのときは、5機のアローと本部の長距離ミサイルが連携して仕留めました。しかし、その戦いで全機武器を撃ちつくし、燃料も殆ど残っていません。急ぎ本部に戻って補給したとしても、全機再出撃する前にバリケーンはここに辿りついてしまうでしょう。それに…」
「市街地に接近され過ぎた。下手に手を出して台風をおこされたら…最後だ。」と警察署長。
眦を決し防衛隊長が言った。
「手を出さなくとも、ここまで来ればヤツは台風を起すのでしょう?それなら…」
「…待ってください。」
「やっつけ隊」隊長の声は、あくまで冷静だった。
「私の部下と不可能犯罪捜査部の勇気ある捜査官が、屋上の誘引物質を焼き払いに行っています。誘引物質が無くなり、メスのコロニーが消滅すればオスのバリケーンも…。」
そのとき隊長のバッヂが本部からの連絡を着信した。
『隊長!二匹目のバリケーンの速度が急激に上がりました!』
「一匹目のバリケーンのときと同じか。それで、ヤツの到達時刻は?」
『あと数分です!!』
その返事を耳にするやいなや、隊長はヘルメットを抱えると前線指揮所を飛び出した。
「やっつけ隊」隊長がヘルメットを手に前線指揮所を飛び出したころ……《レーサー》
岸田警部と助っ人の防衛隊員の三人は、ついに屋上ヘリポートに出る扉の前まで辿り着いていた。
「お2人ともありがとうございました。ここからはボク一人で行きます。」
屋上ドアの前で振り返ると、白い歯を見せて《レーサー》は笑った。
「扉の向こうは、庁舎内以上に小型バリケーンがうじゃうじゃいる危険地帯です。お2人の装備では命の保証はできません。」
いったんポリタンクを下ろし《レーサー》がドアノブに手を掛けたとき…
「ちょっとタンマ。」
突然に岸田警部から待ったがかかった。
「そのドアを開ける前に、確認しとかなきゃなんねえことがあるんだ。」
岸田警部はここまで一緒にガソリン入りポリタンクを運んできた防衛隊員の方に向き直った。
「答えてくれねえか?目的は……何なんだ?いんちき防衛隊員さんよ。」
「い、いんちき?」
防衛隊員が半分裏返ったような声を上げた。
「ワタシのことを偽者だとでも言うんですか?
《わたしのことを偽者だとでも言うんですか?》
憤然と言い返す防衛隊員だったが、少しも動ぜす警部は断言した。
「そうだ。アンタは防衛隊員なんかじゃねえ。真っ赤な偽者だ。」
「警部!いったい何を根拠にこの人が防衛隊員じゃないなどと……」
「やっつけ隊員さんよ。あんた気がつかねえか?こいつの臭いに…」
臭いと言われたとたん、防衛隊員はそれまでの「謹厳実直そのもの」といった仮面をかなぐり捨て、顔をしかめるとチンピラのように舌打ちした。
「………そうか!」驚いたように《レーサー》も言った。「タバコの臭いだ!」
「気がついたようだな。オレが防衛隊で研修受けたのは随分昔の話だが、そのころでも連中はタバコを吸おうとはしなかった。嫌煙運動なんて無かったころの話だぞ。」
「当然です。」そう言いながら《レーサー》はさりげなく偽防衛隊員と距離を置いた。
「僕らTONMA隊員だってタバコは吸いません。動きがたちまち悪くなりますから。」
「そんじゃあアンタは…」
偽防衛隊員は喋り方までチンピラのようになっていた。
「…俺がホンモノの防衛隊員じゃないとして、いったい何者なんだと思う?」
「可能性は二つだ。」
いつの間にか警部の手は拳銃を握っており、その銃口は偽防衛隊員の胸にピタリと狙いを定めている。
「一つは、オマエがゴシップ雑誌の記者に過ぎないって可能性だ。…だが、だとしたらなんでバリケーンの群れを突破してここまで一緒に来るような危険なマネをする?」
…不敵に笑う偽防衛隊員に向かって、警部は更に言葉を続けた。
「もう一つの可能性は………オマエが、メスのバリケーンの誘引物質を撒いた犯人だっていう可能性だ。」
「ま、まさか!」
信じられないという顔で叫ぶ《レーサー》を見て、偽防衛隊員は愉快そうに笑った。
「はははは、アンタの言う二番目の可能性だとすると、つまり俺はタバコ臭い宇宙人か何かってわけか。」
「タバコ売ってた宇宙人だっていたからな。愛煙家の宇宙人がいたって不思議はないぜ。」
いつのまにか、《レーサー》もトンマ・ガンを抜き出している。
「偽防衛隊員さんよ、アンタの正体が判らねえままで、小型バリケーンがうじゃうじゃいる屋上に出て行くわけにはいかねえんだよ。」
「もし俺が自分の正体をゲロしなかったらどうすんだ?」
「……大変な数の人々の命がかかってて、おまけに考える時間がまるで無いときてる。そしてオマエをこのままにしておくわけにゃあいかねえ。と、なったら……」
警部の構える拳銃のクーリングホールが、警部の決意を示すように冷たく光った。
「最後の決断をしなきゃなんねえだろうな。」
22 :
名無しより愛をこめて:2008/04/11(金) 10:49:15 ID:XdxV0/2X0
応援!!
「ま…待った!」
拳銃の銃口と警部の顔を交互にちらちら見ながら、偽防衛隊員は両手を上げ「まいった」のポーズをとった。
「…あんた本気だな。判ったゲロするよ。俺は……フリーのライターでヒルカワって者だ。いまは『ボールズライフ』の依頼でウルトラマンの正体暴きを狙ってたんだ。」
「ボールズライフ?」
《レーサー》には初耳の誌名だったが、岸田警部には馴染みのある名前だった。
「ああ、公然猥褻の常習のあそこか……。」
呆れたような顔をして警部は拳銃を下ろした。
「…あれ?いまの説明だけで納得するんですか?」
違う意味で呆れたように《レーサー》は言った。
「……何の証拠もないじゃないですか。この人の言い分だけなのに?」
「アンタは知らないみたいだが、こいつの言ったのは、女子更衣室への侵入も、テロリストのアジトへの侵入も同じ次元で扱うようなイカレきった雑誌なんだ。ヘビースモーカーの宇宙人ならいるかもしれねえが、あんな雑誌を知ってる宇宙人なんかいるわけねえよ。」
偽防衛隊員=ヒルカワがほっと胸を撫で下ろし、おどけたように《レーサー》が「チャンチャン」と言った……そのときである!
屋上へと続くガッシリした扉に強風があたるガタンという音と共に、扉の僅かな隙間から太陽光線に似た光が力強く射し入ってきた!
「これは…まさか!?」
思わず《レーサー》は、ほとんど反射的に屋上ヘリポートへの扉を押し開けた。
屋上ヘリポートは漂う小型バリケーンの群れでいっぱいだった。
そのピンクの濃霧の向こうにはいくつも重なり合ったビルが見え、そしてそのまた向こうに……巨大な背中がこちらを向いていた。
「ウルトラマン!?」子供のような声で、ヒルカワが叫んだ。
「バリケーン!?もう来てしまったのか!」と《レーサー》。
いままさに回転を始めんとするバリケーンの前に、人々の命と平和を守るため光の巨人が立ちはだかっていた。
「なんだ…それじゃあウルトラマンはあんたじゃなかったのか。」
半ば落胆し、そしてそれ以上に嬉しそうな声でヒルカワが言った。
「2ch連続殺人のときも(=「ゴスラ対ウンコタイガー」)、それからこの間の高速道路の事件(=「幸せになる方法」)のときも、あんたの消息だけは掴めなかった。だから俺はてっきり……」
「残念だったな。」と岸田警部。
「…前のときのように、宇宙空間に吊り上げてやっつければ…」と、これは《レーサー》。
ウルトラマンの背中は、まるでヒマラヤあたりの絶壁のように高く、そして、子供のころに仰ぎ見た父の背中のように頼もしかった。
「…がんばれ…ウルトラマン」
思わずそう口走っていたのは誰あろう……。
天災怪獣の斜めに切れ上がった目が、己の前に立ちふさがる銀色の巨人をギロリと睨みつける。
ただ、その目にはまだ怒りの色は無い。
巨獣の目に怒りの赤がひとたび燃え上がったなら、超大型の台風が吹き荒れる。
そうなったらアウトだ。
最大風速170メートルの突風が、人も自動車もひと薙ぎにするだろう。
傘を旋回させる暇を与えず、台風を起させずにバリケーンを倒さねばならない。
光の巨人は剣術使いのように、ずいっっと摺り足気味に左の足を踏み出した。
必殺の一撃を狙い、ジリジリと間合いを詰めてゆく……。
「がんばってくれウルトラマン!」「頼むぞ!!」
台風を避けるために立て篭もった地下街や地下鉄の出入り口から、近藤博士らが、祈るような思いで巨人の背中を見つめていた。
県庁舎ビルからはまだ全員が脱出できていない。
防衛隊の大部分と逃げ遅れた人々の一部、それから凍条や南、岸田警部や《レーサー》も、まだ庁舎内だ。
「頼むウルトラマン!皆を守ってくれ!」
近藤博士が搾り出すように言った、まさにそのときである。
博士の傍らにいた県職員が、突然あらぬ方を指差して叫んだ。
「な、なんだアレは!?」
それまで平静だったバリケーンの目が、突然朱を流したような色に一変し、県庁舎ビルを挟んだ向こう側の虚空を睨み据えた!
そこにあるのは……不思議な雲だった。
綿菓子というよりも生クリームのような濃厚感のある雲で……。
それが滴るようにずるずる重く低く垂れ下がったかと思うと、中からもう一匹の巨大バリケーンが悠然とその姿を現した!
いや、忙しすぎて全然構成できない。
でもやっとこさっとこココまで辿り着きました。
メスのコロニーに次々招き寄せられる巨大バリケーン!
ウルトラマンは二匹のバリケーンを、台風を起させることなく退治することができるのか?
そして《レーサー》、岸田警部、ヒルカワの運命は?
なんとか来週こそ終わらすぞぉ。
と、いうわけで「アイドルを探せ!」は土日はお休みです。
特撮ファン住民のみなさん、そしてSFファン住民の方も、良い週末を。
土曜応援。
応援。
「どこに行くんですか!?」
地下鉄の出口からふらふらと外に出ようとした近藤博士は、そこを固めていた防衛隊の士官に強引に組み止められた。
「離してください。甥の、ヒロシのところに行くんです!ヒロシはまだあの中にいるんです!」
「あなた一人がいったところで何にもなりません!それにあのビルは鉄筋コンクリートですからきっと台風にだって……」
しかし、鉄の輪のように自分を捕らえた腕を何とか振りほどこうともがきながら、近藤博士は叫んだ。
「メスと交尾する権利を二匹のオスが争うときこそ、バリケーンが最大最強の台風を起すときだと考えられているんです。」
「さ、最大最強の台風!?」
屈強な仕官の声が一瞬喉に張り付いた。
「そうです……風速170メートルどころでない風が吹くんです!!」
そして…近藤博士は脱力したようにがっくり両膝をついた。
「あんなビル、ひとたまりもありません。」
すると、防衛隊士官は博士を捕らえていた腕をそっと解き、傍らに自らも片膝を落として静かに言った。
「ならば……僕と一緒に信じましょう。ウルトラマンが起してくれる奇跡を。」
巨大なバリケーンが二匹!
一匹を倒したとしても、残りの一匹が台風を起してしまうに違いない。
ウルトラマンに打つ手はないのか?
メスを争い睨み合う二匹の巨獣の眼の中に敵愾心の炎が燃え上がり、傘の下の触手が風によるものとは異なる揺らめきを見せ始めた!
互いに台風発生までのカウントダウンが始まっているのだ!
「こん畜生…タイムオーバーか?」
岸田警部が思わずそう漏らした瞬間だった。
「うわああっっ!」
叫び声を上げ、ポリタンクを抱えたヒルカワが小型バリケーンの群れに占拠されたヘリポートに飛び出した!
ヘリポートの中央にポリタンクを下ろすと、ヒルカワはタンクの蓋に手をかけた。
だが!ヒルカワがそれを開くより早く、近くの小型バリケーンから短い閃光が走った!
「ぐはっ!?」
弾かれたように後ろざまに倒れ込んだヒルカワのもとに、警部と《レーサー》が駆け寄った。
「何故こんな無茶をするんです!?」
「バカ野郎!アメ横あたりで買った米軍のお下がり装備で、ヤツラの電撃を防げると思ったのか!」
《レーサー》と岸田が口々に叫びながら助け起すと、ヒルカワは半失神状態で苦しそうに咳き込みながら言った。
「……なりたかったんだ。」
「このバカ喋るんじゃない!体に障るぞ!」
岸田警部に一喝されても、ヒルカワは喋るのを止めない。
「俺も…なりたかったんだよ。ガキのころは……『怪獣やっつけ隊員』に…」
「いまでこそ俺は性根の腐ったインチキゴシップライターさ。けどよ……ガキのころはいっちょまえに憧れてたんだ。『怪獣やっつけ隊』とウルトラマンに……」
喋るなという警部の制止も聞かず、ヒルカワは苦しい息の下、言葉を繋いでいった。
「飽き飽きしてたんだ。…選挙のことしか考えてない政治家や…てめえのバカさ加減が売りのヘボタレント、口先だけの格闘選手なんてのには。」
はっと気づいて警部が見回すと、三人は小型バリケーンに完全に包囲されてしまっていた。
群れ全体に怒りを表す「赤い色」が広がっていく。
警部は気づいた。
もう間もなく、群れ全体の一斉放電が襲って来ることに。
しかし、《レーサー》はというと、ヒルカワの手を握ったまま、相手の言葉にじっと耳傾けていた。
「…本物のヒーローなんていねえと思ってた。だから……ウルトラマンの正体暴きの依頼を受けたんだ。でもよ、違ってたんだ……」
「馬鹿!無理して喋っちゃだめだ!」
「《やっつけ隊員》さんよ…、アンタの言うとおり…俺は…馬鹿さ。ヒーローがいねえなんて思ってたんだからな。…でもよ…」
汗と埃のまみれたヒルカワの頬を、涙が一筋流れおちた。
「ここにゃそこらじゅうにいるじゃねえか。逃げ遅れた子供を助けようと体を張った職員に防衛隊員、それからあんたら2人も、みんなヒーローじゃねえか。だから俺も…」
ヒルカワは胸ポケットから100円ライターをとり出した。
「だから……『やっつけ隊員』にはなれなかったけど……俺も…ここで……」
…指の隙間から、100円ライターが滑り落ちた。
「しっかりしてください!」
《レーサー》が叫んだ。
周囲の小型バリケーンはすでに怒りの赤一色に染めぬかれ、ところどころに小さな放電の光も見えるようになってきた。
小さな放電が次々数を増し……そして巨大な閃光に三人は包まれた…。
(………こ、ここは?)
気がつけば、警部とヒルカワは巨大な銀色の掌の上に横たわっていた。
見回しても《レーサー》の姿は無い。
そして見あげると、仏像を思わせるアルカイックスマイルの宇宙人が2人を静かに見下ろしていた。
新ウルトラマンは、警部とヒルカワを近くのビルの屋上に下ろすと、三匹目のバリケーンへと向き直った。
巨大バリケーンが二匹!
しかし対するウルトラマンも二人!
2人の巨人は、まるで鏡像のように同じ姿勢、両手を合わせた合掌のポーズをとった。
そんなことにもかまうことなく、回転を開始する二匹のバリケーン!
だが、2人のウルトラマンも巨獣とあわせるように回転を開始した。
ただし、巨獣の回転方向とは逆にだ!
バリケーンの回転にあわせ、ウルトラマンの回転速度もぐんぐん上がっていく。
地下鉄出入口から見あげていた防衛隊員が驚いたようにあたりを見回した。
「何故だ?風が吹かないぞ?」
彼の足元から近藤博士が立ち上がって言った。
「たぶん…ウルトラマンの力です。バリケーンと逆回転することで、ウルトラマンはバリケーンの台風エネルギーをいわば『巻き取って』いるんです!」
「そ、それじゃあ!?」
「おこったんです。アナタの言っていた『ウルトラマンの奇跡』が、おこったんです。」
ついに!全く風が吹かないままバリケーンの回転が停止した!エネルギーを使い果たしたのだ!
相手が力尽きたと見るや、2人のウルトラマンがすかさず両腕を十字に組んだ!
必殺のスペシュウム光線!
35年前の戦いでは通用しなかった技だが、いまは違う!
バリケーンから吸収した膨大な「台風発生エネルギー」が、ウルトラマンにはあるからだ!
いつものようなシュバババではなく、大砲でも撃つようなズドン!という野太い炸裂音とともに、太く脈打つ光線が2人のウルトラマンから同時に放たれた。
35年前のようにバリケーンは腹部の口で受け止めた……だがそれも一瞬のことだった。
バリケーンの全身から眩い光が漏れだしたかと思うと、次の瞬間には…。
パアンッッッッ!
ガラスの割れるような乾いた音をたて、バリケーンは光の粒へと変じ、粉々に砕け散ってしまった。
ありふれた雑居ビルのコンクリートの屋上に、ヒルカワと岸田警部は大の字になっていた。
青い空を白い雲が流れ、ついさっきまで台風怪獣の揃い踏みがあったことなどウソのような景色だった。
白い雲を見つめながらヒルカワは言った。
「なあ、警部さんよ。ひとつ教えてくれねえか?」
「…いったい何をだ?」
「最初に現われたウルトラマンは、あれは『やっつけ隊』の隊長だろ?」
「……」
警部は答えなかったが、かまわずヒルカワは言葉を続けた。
「そんでもって、2人目のウルトラマンはオレたちといっしょにいたあの背の高い『やっつけ隊』隊員だ。」
「………」
「…ウルトラマンって一人じゃなかったのか?」
ヒルカワが言葉を切っても、警部が答えないままたっぷり30秒以上が過ぎた。
「オレの思うに……」
ついに警部は重い口を開いた。
「……『やっつけ隊』の隊員は、全員がウルトラマンだ。」
「全員なのかぁ…」
警部の答えがかなりとんでもないものだったにも関わらず、ヒルカワの反応は極々あっさりしたものだった。
「最初のウルトラマンがついに悪魔のような侵略者の魔の手にかかったとき、二人目のウルトラマンがすぐそこまで来ていたが、ちょっとのところで間に合わなかった。」
「それで……複数のウルトラマンが常駐するようになったってワケかぁ。」
まるで勤め先の会社の社歴を新入社員に話して聞かせるような調子で2人のやりとりは続いた。
「それじゃなんで大人数で出てきて、怪獣をボコらないんすか?」
「そりゃやっぱり教育上良くねえからなんじゃねえか?それとも『宇宙人の助っ人は一人まで』なんて規制があるのかな?…はははははは」
警部が笑い、つられたようにヒルカワも笑った。
青空にいかにも相応しい、ヒーロー2人の笑い声だった。
『やっつけ隊』の全員がウルトラマン。
ヒーローの正体を探し求めたヒルカワくんは、ついに正解に辿り着けたようです。
しかし、彼はこの冒険のなかで、もっと大事なものを見出しました。
それは……。
防衛隊員や不可能犯罪部捜査官たち、この事件で関わった者の全員がヒーロー。
もちろんその中にはヒルカワくん自身も入っています。
だからこそ、彼は自分の知ったことを公にしなかったのだと思います。
発売された「ボールズライフ」には次のような見出しが躍っていました。
「見た!ウルトラセパレイション!ウルトラマンは二匹のバリケーンを倒すため、二人に分身し戦った!」
「A級戦犯/アイドルを探せ!」
お し ま い
「アイドルを探せ!」はもともと「ヒーローを探せ!」というタイトルで構成していました。
でも、「ヒーローを探せ!」だとオチが見えすぎだと思ったので「アイドル」に変更した次第です。
ネタ元はミステリーの女王の某名作小説。
それから「遠すぎた橋」で映画化されたマーケット・ガーデン作戦です。
オチが綺麗にきまっていたらいいのですが…。
少佐殿が投下されないのであれば、予定どおり「木神」を構成・投下開始します。
37 :
予告編:2008/04/18(金) 17:22:18 ID:t4hnLHXc0
東京から列車を乗り継いで3時間半。
そこから一時間に二本しか走らないバスに揺られて更に一時間。
バス停からは、村道とは名ばかりの山道を登って下ってもう一時間。
左に鬱蒼とした北国の森、右に巨岩の転がる谷川を眺める村道が、川から不意に離れて大きく左にカーブを描くとそこから急に視界が開けて、あなたは目指す場所へとついに辿り着いたことを知るでしょう。
そこから見えるのは、山懐に抱かれ眠りこけているかに見える村、そしてその背後に圧し掛かるように聳え立つ一本の巨木古木なのです。
次回は、時に忘れ去られたようなこの村に、「現代」が足音高く踏み込んできたとき起こった、とある事件についての物語です。
「木 神」
38 :
名無しより愛をこめて:2008/04/20(日) 20:50:39 ID:kKe1Di1z0
期待、支援!
39 :
A級戦犯/木 神:2008/04/21(月) 17:30:04 ID:JQtIQOM20
「南さん、なんだか…随分すごいところですね…」
右手をダッシュボードに突っ張り、左手はロールバーに手を掛けた姿勢で、凍条は左方に広がる鬱蒼たる森林を見上げていた。
「これじゃあまるで日本のチベット…あっ!」
車が不意に大きく右に傾いて運転席の南の足元に転げ込みそうになったのを、なんとか持ち堪えた。
「ははは、驚くな凍条。バブルのころにこの新道ができたおかげで、これでも随分アクセスがよくなったんだぞ。」
ハンドルを握ったまま愉快そうに南は笑った。
「これでもアクセスが良くなったっていうんですか?」
「昔はいま走ってるこの道のずっと下、谷川沿いの未舗装の旧道しか無かったんだ。冬場なんか凍るわ滑るわで、随分怖い道だったそうだ。」
「もしその谷川に落ちたら?」
「もちろん春が来るまでそのまんまだろうさ。」
また車がガクンと大きくバウンドし、凍条は思わず手足を突っ張った。
「つい30分ばかり前に通ったT字路を、曲がらないでまっすぐいったところにあるのが俺の生まれた村さ。」
「それじゃこの先へは?」
「父さんが営林署の職員だった関係で、一二度連れて行ってもらったことがあるだけだよ。」
「へえ…いったいなんのために南さんをそんな辺鄙なところまで連れていったんですか?」
「……木を……見せるためさ。」
「……木を……見せるためさ。」
南が「木」と言うとき空けた意味深な間に、凍条はある種の「畏敬の念」といったものを感じ取った。
「…木…というと、例の連絡のあった木のことですか?」
凍条に答える代わりに、南は車を静かに路肩へと寄せた。
「さあ、降りてくれ。」
「ここでですか?」
さっさと車を降り、峠と思しき場所へと歩をすすめて行く南を追い、凍条も慌てて車を降りた。
「父さんと同じやり方で、オマエにあの木を見せてやりたいんだ。オレがいいと言うまで、オレの足元だけ見ながら付いてきてくれないか?」
「…わかりました。」
荒れた舗装路を行く南の足元だけを見つめながら暫く登って行くと、光を遮っていた森が切れたのだろうか?…足元が急に明るくなり、そして南の足がピタリと止まった。
「さあ…いいぞ凍条。そのまま…真っ直ぐ前を見てくれ。」
(…南さんの声が…震えてる?)
言い知れぬ予感を胸に、凍条は恐る恐る瞼を開いた。
「………あっ!!」
短く一声叫ぶのがやっとだった。
転がり落ちるような谷間の下に鄙びた村が蹲り、そしてその上に圧し掛かるように「森」が広がっている…。
最初はそう思ったが、すぐに気がついた。
それが「森」などではないことに。
そこにあるのは、「森」と見紛うほどに巨大な「一本の木」だったのである。
「木」の佇まいに圧倒され立ち尽くす凍条に向かい、厳かに南は言った。
「あれが例の『木神』さ」
奇怪な事件が起こっているが、自分たちには手に余るようだから助けに来てはもらえないかと、東京の不可能犯罪捜査部に地元県警から出動要請のあったのは2日前のことだった。
ただ「奇怪な事件」といっても、一件一件の事件は普通の事故や病死に過ぎず、犯罪を疑うべき根拠も特に無い。
そのため不可能犯罪捜査部としてもおおっぴらに動くわけには行かず…。
…捜査員の中で最も「捜査官っぽくない」2人、つまり南と凍条の2人を密かに送り込んだのだった。
「『木神』の祟りですか。」
気乗りしなさそうに凍条は言った。
「…21世紀の時代に祟りなんて…」
「だが…」と岸田警部「…少なくとも、現地の連中はそう信じてる。」
「伐ろうとすると祟るって木は昔話なんかでもよく聞きますけど、でも……」
「昔話なんかじゃないぞ、凍条。」今度は南刑事だ。
「警部、自分の知る限り、はっきりした記録があるのは第二次世界大戦中のことです。陸軍が村に入ってきて、なんのつもりだったのかは知りませんが、とにかく『木神』を伐ろうとして…」
「死んだり病気になったりと…で、それだけなんでしょうか?」
「いいや凍条、次があるぞ。それもごく最近の事件だ。」
細部を思い出そうと、天井を見上げながら南はつづけた。
「…あれは確かバブル経済真っ盛りの平成元年、村にスキー場を解説しようと考えた業者があった。このときは村の連中もすっかり乗せられて村道まで作り直したんだが…。」
「以下同文というワケですね?」
「そのとおりだ。」それまで黙って聞いていた部長が口を開いた。
「地元警察が言ってきたのもそのとおりの話だ。しかし南、随分詳しいな?オマエにオカルト趣味があるとは知らなかったぞ。」
「いえ、実は、その村は自分の故郷の近くなんです。」
「それじゃ決まりだな。」
いつの間にか南と凍条の後ろに回っていた岸田警部が、ニヤニヤ笑いながら2人の方をぽんと叩いて言った。
「この事件の捜査は、南と凍条に先発してもらおう。」
いまどき「祟り」なんて…。
不可能犯罪捜査部の部室で、凍条がそう笑い飛ばしたのはたった2日前のことにすぎない。しかしいま北の奥山で当の巨木を目の当たりにするとき、凍条は、ある種の慄きが身内を貫くことを禁ずることはできなかった。
(こんな木なら…祟りぐらいあってもおかしくないかもしれない)
石の柱のように立ち尽くす凍条の傍らで、口を開いた南の声には、いつもの快活さが戻っていた。
「…他所の人間であるオマエに、村の人間が抱いている感覚を、一端でいいから感じて欲しかったんだ。」
「……十分過ぎるほど感じてます。」
視線を「木」に貼り付けたまま、凍条は正直に答えた。
「…あの木は…」
「木の神と書いて『ぼくしん』。地元の人間はそう呼び習わしてるんだ。」
「……木神は、いつごろからあそこにああしてあるんでしょうか?」
「悪いが、その質問にはオレじゃあ答えられないな。助っ人を呼んであるから、その人に聞いてみるといい。」
「助っ人ですか?」
「ああ、実はこの峠で待ち合わせしてるんだが……。」
南がそう言うか言わないかのタイミングだった。
凍条たちが上ってきた村道の下手から、ぷすんぷすんとエンジン音がやって来た。
やがて姿を現わしたのは、南たちの乗っているような四輪駆動車ではなく古臭い小型車で、中古というより骨董に近いようなシロモノである。
それがいかにも環境に悪そうな排気ガスをブンブン撒き散らしながら、ゼイゼイ坂道を登ってくるのだ。
「…ひょっとして、あれが助っ人ですか?」
南の答えを待つまでも無かった。
バフン!と、停車したのかエンコしたのか判断に苦しむ音をたてて軽自動車が南と凍条の前に停まり、中からメガネをかけた優男がよっこらしょとばかりに降り来ると、南は笑って男に右手を差し出した。
「こんな車、どこの廃車場で見つけてきたんですか?万石先生。」
「あれが……」
神木を目にした瞬間さすがの万石も一時言葉を見失ったが、数秒の後には科学者としての目を取り戻していた。
万石はポケットから折りたたみ式の小型双眼鏡をとり出し木神の聳える向こう側の山の斜面に向けた。
「万石先生。」
「…私のことを『先生』なんて呼ぶんなら、南さんのことを『南閣下』って呼びますよ。」
「それは勘弁していただきたいですね。」
苦笑しながら南は言い直した。
「それでは改めて…万石さん。」
「なんでしょう?南さん。」
2人のやりとりを、凍条が困惑気味に眺めている。
「神木……あの木は、いったい何の木なんでしょうか?」
双眼鏡から目を離さぬまま、万石は答えた。
「南さん。セコイアって御存知ですか?」
「アメリカのどこかの国立公園に生えてる大木ですね。子供のころ写真を見た記憶があります。」
上から下まで木神を舐めるように動いていた万石の双眼鏡が、こんどは木神を離れて水平に動き出した。
「木の根元にトンネルが開いてて、車が通り抜けてる有名な写真ですね。日本で大木というと縄文杉でしょう。実はセコイアも杉の仲間なんです。」
「つまり大木というと杉なわけですね、では木神も?」
「樹形からして杉の仲間です。ですが…」
「…杉ではない?」
「この距離からは断定できませんが……違うように見えます。」
この距離からは断定できないなどと言いながら、万石の双眼鏡は明らかに木神とは別の方向の何かの上で止まっている。
不審に思った凍条は、万石の双眼鏡が向けられたあたりの山並みに目を凝らしてみた。
(別に何も見えないな?…普通の山と森しか……)
だが、万石は確かに何かを見出していたに違いない。
双眼鏡を次々とあらぬ方に向けていったかと思うと、思案顔で双眼鏡を折りたたんだ。
「…何か気になるものがあったみたいですね?」
「ああ、仰るとおりですよ、南さん。実はここに来る坂の途中でも見かけたんで気になっていたんですが。」
46 :
名無しより愛をこめて:2008/04/28(月) 16:46:52 ID:dVG3sV760
大応援!!
万石と南・凍条の三人は、村へと下ると真っ先に役場へと向かった。
「ああ…たしか先日御連絡いただいた××大学の…」
役場と言っても、実際のところは山の分校の職員室みたいなところで、受付で応対に出た30代ぐらいの男の他は、奥に多少の年嵩に見える男がもう一人いるだけだった。
「万石です。それからこの2人は私の助手の…」
「南と言います。どうぞよろしく。」
「……凍条です。」
南と万石の間ではすでにそういう話が出来ているらしいので、凍条もとりあえずは合わせておくことにした。
車から降ろした荷物に一瞥をくれてから万石は尋ねた。
「電話でもお尋ねした宿の方なんですが…」
「役場の前の道を左に10分も行けば、村営の宿泊施設がありますから。そちらをどうぞお使いください。宿泊代なら心配いりませんから。」
「そりゃ助かります。」
役場が貧相だったので、「村営」宿泊施設の方は果たしてどんな有様か?と凍条は不安を感じざるを得なかったが…。
目の前にした「村営」宿泊施設は古くなってこそいるが、意外にモダンなつくりの建物だった。
「床にホコリが溜まってませんね。さっきの役場の人が掃除しといてくれたとか?」
さっさと靴を脱いで荷物を手に上がり込むと、凍条は建物内を一渡り見回して言った。
「建物そのものもちょっとしたホテルみたいです。役場がアレだったからちょっと心配だったんですけど…。」
玄関に荷物を下ろすと、万石は南に尋ねた。
「そのとおりですね。この村にはちょっと不似合いです。例のバブル期の開発で作られた建物なんじゃないでしょうか?」
「ご明察です万石さん。なんでも、木神の聳える裏山を切り崩してスキーリゾートを拓こうという計画だったらしいんですが、いろいろあって破綻しまして。そのとき既に出来上がっていた宿泊施設を、二束三文で村が買い取ったのがこの建物です。」
「…バブルの遺産というわけですか…」
靴を脱ぎかけた手を止め、何か考えごとをしながら更に万石は尋ねた。
「この施設以外に、作業が進行していた部分はあるんでしょうか?」
「フォークリフトの敷地の一部と、それから我々がついさっきやってきた村道がソレのはずです。行ってみますか?」
「ぜひに!」
荷物を部屋に運び入れてくれと言い置くと、南は万石とともに出かけて行ってしまった。
「…やはり、これもそうですね。」
万石がそう漏らしたのは、村をとり囲む森に入ってからもう三度目だった。
「さっきと同じ木のようですね?……万石さん??」
それまでは万石の考えるのを邪魔しないよう、質問したいのにじっと我慢していた南だったが、とうとう我慢しきれなくなって口を開いてしまった。
「その木に何か意味があるんでしょうか?」
「この木は橘です。」
「タチバナ?」
タチバナと言われても、それだけでは南にはさっぱり意味が通じない。
「右近の桜、左近の橘のタチバナですよ。」
独り言のように呟くと、万石はクルリと南を振り返った。
「古事記によると…、垂仁天皇の命を受け常世の国へと渡った田道間守(たじまのもり)が、かの国より持ち帰った『非時香菓(ときじくのかくのこのみ)』こそ、橘であるとされています。」
「トキジクノかくのコノミ?…ですか?」
コノミと言われても体育会系の南が思いつくものはというと……
(…コノミナナ?…マシタコノミ?)
情けないことに、たったそれだけで打ち止め終了だった。
「あの……そのトキジクノカクノコノミというのは?」
ふっと万石の視線が南の顔から離れ、村の向こう側に聳え立つ木神へと飛んだ。
「時に在らざる香りのコノミつまり永遠に香りの消えない果物……転じて『食べると不老不死になる神果』の意味です。」
「不老不死?!」
その意味するところにハッとなり、南の視線が飛んだ先もやはり木神であった。
「橘はおよそ10メートル前後の間隔を置いて、木神のぐるりを取り囲むように生えている……というより、何者かによって植えられているのです。」
しまった。
レス番47の最終行は…
荷物を部屋に運び入れてくれと「凍条に」言い置くと、南は万石とともに出かけて行ってしまった。
…が正解にござる。
つまりそれ以降は、万石+南と凍条の2班に分かれているということです。
凍条には凍条でやってもらわにゃならんことがありもうす。
それに彼は単独行動の方が映えるような気も……。
「橘はおよそ10メートル前後の間隔を置いて、木神のぐるりを取り囲むように生えている……というより、何者かによって植えられているのです。」
「木神のぐるりを…ですか?」
「…山の向こう側まで調べたわけではありませんがね。少なくともこちら側を見る限りはそうなっています。」
その場に片膝を下ろすと万石は、近くに落ちていた小枝で、このあたりの地図らしきものを地面に描きだした。
「『橘の輪』ですが、一重目は木神のぐるりを……」
「一重目?」
思わず南は声を上げた。
「それでは二重目や三重目があるんですか?」
「三重目は無いと思いますが、二重目ならありますよ。さっき車で上ってきた坂の途中を横切ってましたから。」
南はついさっき峠の上で聞いた万石とのやりとりを思い出した。
『…何か気になるものがあったみたいですね?』
『仰るとおりですよ、南さん。実はここに来る坂の途中でも見かけたんで気になっていたんですが。』
「坂の途中で何か見たと仰っていたもの、それが橘だったんですね?」
片膝ついた姿勢のままで、南を見上げて万石は頷いた。
「そうです。橘はミカンの仲間で、本来南方系の植物なんですよ。ですからこんな雪深い東北の山奥に自生しているはずはないんですね。それが村道と交差するように列を成して左右両側に生えていました。」
万石は、木神を意味するらしい三角をまず地面に描くと、次にそれを囲むように輪を描き足した。
「木神を取り囲む内側の『橘の輪』は、山の向こう側は判りませんが、少なくともこちら側から調べた限りでは健在です。」
(……健在?)
万石が「健在」という単語を選んだことに、南は微かな不安を覚えた。
「…しかし木神だけでなく村まで取り囲んでいたはずの外側の『橘の輪』は…」
万石は先に描いた輪の外側にもっと大きな輪を描き加えたてから、輪の上の部分に×を二つ描き入れた。
「…明らかに二箇所で絶たれてしまっています。一箇所は例のバブル期に作られたという村道によって。もう一箇所は…」
「…リフト建設予定地ですね。…でも万石さん。それと今回の祟り騒ぎとどういう関係が?」
「……判りません。判りませんが…。」
突然、万石の視線は空を彷徨い始め、ワケもわからぬままに南はその視線の行く先を追いかけた。
「北の山地には根付かぬはずの橘が、ここでは列を為し、輪を描いています。橘と『非時香菓』の関係。『橘の輪』の中心には『神』と呼ばれる齢を重ねた巨木が聳える。切られた『橘の輪』。そして祟り……。」
南がはっと気がつくと、万石の射るような眼差しは己の顔に注がれている。
睨みつけるような顔で、囁くように万石は言った。
「…何か恐ろしいことが起ころうとしている。私にはそんな気がしてならないのです。」
そのころ……南と万石に置いてけぼりを食わされた凍条刑事は、万石に肩入れする南に対する反発も手伝って独力での情報収集を試みていた。
(最初の犠牲者…いや犠牲者とはまだ限らないか…)
地元警察から不可能犯罪捜査部に回されてきた資料によれば、最初の犠牲者は「村の裏の入会林へと続く道の途中に倒れていた」とのことだった。
(でも……ニュウカイリンって何だ?)
それがわからなければ始まらないのだが、凍条には「入会林」が何なのかすら判らない。
そのとき、途方に暮れる凍条の前を、山菜取りの帰りと思しきいでたちの老人が通りかかった。
「あ、あのすみません。」
仕事柄見ず知らずの人間に話かけるのには慣れている。凍条は「ニュウカイリン」の場所を尋ねようと老人を呼び止めた。
「ボク、(えーっと、何大学だったっけ?…そうだ!)××大学研究室研究員の万石の助手で凍条と言いますが…」
狭い村のことだから、万石のことは村中とっくに知れ渡っているだろうという凍条の読みは当たった。老人は興味ありありといった様子で足を止めると、凍条の方へと向き直った。
「…あの、ニュウカイリンというのはどこでしょうか?」
次の瞬間、凍条はその老人に声をかけたことを激しく後悔した。
老人の口から、凍条には理解不能な濁音の羅列があふれ出したのだ。
「だばだばんだだたば、んでだばよ……」
シャバダバ♪シャバダバ♪という、子供のころ盗み見た深夜番組のテーマをなぜだか思い出すが、肝心なニュウカイリンの意味はさっぱり判らない。
結局何も判らぬまま数分が経過し、気がついてみれば老人は凍条に背中を向けて歩き去るところだった。
(何なんだったんだ、今の言語は?……話がさっぱり判らない…)
軽い眩暈と頭痛を感じた凍条が、思わず座りこみそうになったそのときだった。
「はっはっは、驚かれたでしょう?」
凍条の背後で、「都会人」を思わせる世慣れた感じの声が話しかけてきた。
「年寄りたちのナマリは強烈ですからね。外の人には暗号か外国語みたいでしょう。」
凍条が振り向くと、そこに立っていたのは年のころ50前後、幾分白髪の混じった髪を短く刈り込んだ、いかにも精力的な風貌の男性だった。
「私は……」
「自己紹介いただかなくても存知あげていますよ。(株)ヤマナカの山中社長でしょう?」
岸田警部から渡された資料で見た顔だったのだ。
今回の祟り騒ぎも、実は山中社長の会社が木神を含む辺り一帯の一大開発に乗り出したことがそもそもの発端だったのである。
名前を言い当てられても、山中社長に別段驚いた様子はなかった。
「私の名前を当てられましたね。それでは私もアナタのご身分を当てて御覧にいれましょう。あなたは……東京からお見えになられた不可能犯罪捜査部の捜査官ですね。」
ヤマカンなどのはずは無い。
村に流れる様々な情報や、さっきの老人とのやりとりから凍条の正体を推論したに違いないのだ。
凍条は、相手の頭の回転の速さに内心舌をまいた。
「…驚きましたね。ボクの顔にでも書いてありましたか?」
「いいえ。種明かしをしますと、県警を動かしてあなた方に出動してもらったのは、実は私なんですよ。」
「なるほど、そういうことでしたか。それでは改めて……不可能犯罪捜査部の凍条です。」
凍条が差し出した手を握り返した山中社長の手は、まるで巌のようだった。
「入会林(=いりあいりん)というのは……」
いつの間にかガイドのように山中社長が先を行き、凍条が後からついていく形になっていた。
「……村共有の森で、村民であれば誰でも自由に出入りし、薪を拾ったり山菜を積んだりしてもいいことになっている林のことだ。」
外から見ると鬱蒼としているかに見える森だが、一歩中に踏み込んでみると意外に歩き易い。明らかに人の手によって管理されている。
「こんな共有林は、昔はどんな集落にもあったんだ。集落の共有エリアとして集落全体で管理していたのだよ。」
春は蕨やゼンマイ、蕗の薹、秋はキノコに栗、それから冬に囲炉裏にくべる薪。
それらをこの森は何百年かに渡って豊かに供給してきたのだろう。
さっきのナマリのきつい老人も、この森でなにがしかの糧を得ているに違いない。
そんなふうに、凍条が、木神の山のもたらす豊かな実りに思いを馳せていたときだった。
前を行く山中社長が不意に立ち止まり、黙ったままゆっくりと足元の地面を指差すと、
さっきまで入会林のことを説明していたのは別人のような声で言った。
「そこだ。そこに倒れていたんだ。」
最初の犠牲者の第一発見者は、報告書によると山中社長ということになっていた。
「まだ肌寒い朝だったよ。」
凍条に促されるまでもなく、山中は静かに語り始めた。
「その1週間ほど前から、私の連れてきたスタッフが次々と原因不明の病気で倒れ、無事なのは私と秘書の城野だけという有様になっていた。」
「その朝、何時になく早々と目の覚めた私は、ふと思い立ったんだ。祟りをなすという木神と対決してやろうとね。」
「対決……ですか?」
山中の語り口が伝染したのだろうか?
いつのまにか凍条も囁くような声で話していた。
「対決といっても、特に何をしようというハッキリした目的があったわけではない。ただ、木神の前に立って、睨みつけてやろうと思っていたんだ。私はオマエなんか恐れてないぞと…な。」
病みついて眠っている部下の目を覚まさぬよう、山中は裏口からそっと外に出たのだという。
「木神の足元へ行くには、この入会林を抜けて行くのが近道だ。ところが…」
山中の声が、いっそう低く微かになった。
「老人が倒れていた。ついさっき君自身が言葉を交わしたような老人だ。驚いて駆け寄るとその時はまだ息があった。」
ごくりとツバを飲み込むと、山中社長に代わって凍条が言った。
「ただ一言…『祟り』…とだけ言ったのですね?」
「若い者からはふざけて『長老』などと呼ばれていた老人の一人だった。……全くもっと酷い状態だったよ。」
「検視報告によると全身粉砕骨折です。高層ビルから落下するとか、あるいは猛スピードでトラックに撥ねられたような状態ですね。」
「でもね凍条くん。よく見てくれ。ここにそんな条件の場所はあるかい?」
よく見るまでもない。
仮に木々の梢から転落したとしても下は柔らかな土なのだから、全身粉砕骨折などするはずはない。
猛スピードのトラックにいたっては、山奥でしかも森の中とあっては論外だ。
「報告書に書いてありました。二人目は、なんの前触れもなく自宅裏の山から大岩が崩落。屋根をぶち抜いて眠っていた家人を一撃に打ち殺したんでしたね。」
「…まさに狙い過たずといった感じだよ。」
「三人目の現場も自宅ですね。雨戸が開かないのを不審に思った隣人が、玄関さきにある一握りの灰、それから焼き縮められた人骨の一部を発見した。」
もしこれが殺人だとするのなら、人の手で行うのは不可能に近いものばかりだ。
何か邪悪なものが、この村の中を這い回っている。
凍条の背中を、寒いものが這い上がった。
そのときである。
山中社長が、思わぬことを突然切り出した。
「実はね、凍条くん。私はこの村の出身なんだ。」
そのまま山中社長は木神のもとに赴くものと凍条は思っていたが、林の中をうねうね続く道の果てに辿り着いたのは、北に木神を眺める細長い荒地であった。
山の夕暮れは平地よりも早い。
木神の足元にわだかまる闇を遥かに見つめながら、山中社長は静かに問いかけた。
「いま立っているところがどういうところだか、判るかな?凍条くん。」
「ここがですか?」
凍条は改めてあたりを見回した。
草ぼうぼうの荒地だが、さっきまで歩いていた森の道とは違い、土が固く締まっており、ところどころには大きな石が顔を覗かせている。
右に左に傾きながら、荒地は村の方から山の斜面を這い登り続いていた。
「…ここが昔の村道ですね。」
「そうだ。20年ぐらい前までは、こんな石ころだらけの未舗装路が、村と外の世界を繋ぐ唯一の道路だった。そして…」
一段と低く沈みこんだ声で、山中社長は言葉を続けた。
「……ここで、オヤジと兄貴が死んだ。」
木神を見つめたままで、山中社長は近くの倒木に腰を下ろした。
「年が10以上も開いてた兄貴でね、私にとっちゃあオヤジがもう一人いるようなもんだった。その兄貴が、用事で町まで出かけていた親父を迎えに、軽トラックで出かけたんだ。ちょうど…こんな感じの日だったよ。」
山中社長が空を見上げたので、凍条もそれにならった。
周囲の山々に切り取られた空は、東京のそれよりも狭かった。その狭い空を雲が駆け足で通り過ぎていく。
「山の天候は変りやすい。この辺りは特にね。あの日も、まさか雪になるとは誰も思ってもみなかったな。」
凍条の心に、南と交わした言葉が甦った。
『昔はいま走ってるこの道のずっと下、谷川沿いの未舗装の旧道しか無かったんだ。冬場なんか凍るわ滑るわで、随分怖い道だったそうだ。』
『もしその谷川に落ちたら?』
『もちろん春が来るまでそのまんまだろうさ。』
「雪がふれば、道も道ではなくなる。2人を守ってくれと木神に必死に願ったんだがね。……ダメだったよ。」
山中の目が、木神をじっと睨みつけていた。
山中社長の宿も、凍条らと同じ村営宿泊所だった。
床にホコリが落ちていないのも道理で、山中社長の秘書が、着いたその日のうちに掃除したのだという。
「この宿前部をですか?」
「ああそうさ。私やスタッフが泊まる部屋だけでいいと言ったんだが、全室綺麗にしてしまったよ。」
社長がハッハッハと笑っているところに、万石と南も戻ってきた。
4人ともかなり疲れていたので、食事休憩の後、改めて山中社長の部屋に集まり、改めて今回の祟り騒動について話を聞かせてもらうことになった。
まず山中社長が自社の開発計画とそこから始まる原因不明の奇病、そして引き続いて起こった三件の死について説明し、つづいて南が自分たちの発見した「橘の輪」について説明した。
「橘の輪ですと?」
山中社長が繭を顰めた。
「そんなものがあったとは……村出身の私でも知りませんでしたぞ。」
「これはあくまで推測ですが…」それまで黙って山中や南の話を聞いていいた万石が、初めて口を開いた。
「この村は、木神を中心とした神社のようなものなんだと思います。」
初めて口を開いた万石を値踏みするように見つめながら山中は言った。
「この村そのものが神社だと言われるのですな?」
万石は、山中の問いに対しストレートには答えなかった。
「神社と寺や教会の違いを御存知ですか、山中さん?
寺や教会は、修行に都合が良いとか、信者が集まり易いといった人間の都合で作られます。しかし神社は違います。
神社神道は極めて土着的で原始的な宗教なので、人の都合でなく、神の都合で社を建てる。つまり、『もとから神がいるところ』に神社を建てるんですね。」
「万石さん、アナタは、木神を神として祭るため人々が拓いたのが、この村だと言われるのですな?」
「そうです山中さん。そして祭神について知っている、知ることを許されているのは長老のような年配村民だけなのでしょう。アナタは子供のころにご尊父を亡くされたようですから、おそらくは教義の伝承が断たれてしまったのだと思います。」
「しかし…」山中を援護するように凍条が口を挟んだ。「木を崇めるため、こんな山奥に村など作るでしょうか?」
「古代のむかし、島ケルトが信じていたといわれるドルイド教は樹木崇拝が特徴でしたよ。」学者としての論争本能に火がついたのか、万石の喋くりのテンポが急激にアップしてきた。
「信仰の対象は生物とも限りません。湖や山!星に石!無生物と呼ばれるものが信仰の対象となっている例は枚挙に暇がありません。
それに私はある恐ろしい力をもった石も知っていますよ。その石は現に数百年前、神の石として信仰の対象に……」
そこまで喋ったところで、「しまった喋りすぎた」というように万石は口を閉ざしてしまった。
だが……
「石…ですか。」
なぜか山中社長は、万石が言った「不思議な石」に大いに興味を惹かれたようだった。
GW期間中、「木 神」はお休みです。
休み明けには「魔石」が登場し、お話も大きく動き始める予定。
では皆さん……良いお休みを祈っております。
62 :
名無しより愛をこめて:2008/05/07(水) 10:36:23 ID:G2sjqG8m0
GW明け、応援。
「いろいろ事情がおありのようだが…万石くん。」
山中の口調が、妙に改まった、なだめすかすような調子に変った。
「差し支えなかったら、キミの言うその『恐ろしい力をもった石』について、私に話してはもらえんかな?」
たっぷり十秒以上も山中社長の顔をじっと見つめ返していた万石だったが、やがて「自分から話してしまったんだからしようがありませんね」と、諦めたように語りだした。
「恐ろしい力を持った『石』でした。直径数キロの範囲である種の衝撃波を発生させ、地殻を一瞬で液状化させるのです。」
「地殻を液状化!?」
凍条が驚きの声をあげると、南も言った。
「広島や長崎は核爆発の衝撃波に晒されましたが、それでも地殻が液状化したなんて聞いたことありませんよ。それなのに…」
「……それをやってのけるんですよ、南さん。その『石』は…ね。』
不思議に満足げな調子で山中が言った。
「まるで神様のような『石』ですな、万石くん。』
「その石の同類は、実際に神として祭られていましたよ。しかし、私の知っている『石』は違ったんです。
小学校の建築資材に紛れ込んでいたらしいその『石』は、神などになろうとは思いませんでした。
神様みたいな『石』が願ったこと。それは毎日見つめ続けていたクラスの一員となることだったんです。」
神のごとき力をもつ『石』。
それが夢見たことは「人間の子供になること」。
なんとも奇妙な話に南と凍条は黙り込んでしまったのだが……。
「馬鹿馬鹿しい。」
万石の話から興味を失ったらしく、侮蔑も露わに沈黙を破ったのは山中社長だった。
「せっかく神にも等しい力を持ちながら、人間ごときになりたがるなど。」
そして山中社長は、万石の話に負けないくらいに奇妙な物語を話しはじめた。
「私も神様みたいな『石』を知っているのだよ。」
「インドの奥地に、とある寺院があった。」
山中社長が語りだしたのは、遠い外国の物語だった。
「社殿最奥には三つ目の魔神像が鎮座しており、それぞれの目には不思議な力を持つという『石』がはめ込まれていた。左の目は『青い石』、右の目には『赤い石』が。』
「それじゃ真ん中の目は?」と凍条。
「それは判らない。中央の目だけは遥かな昔に石が失われてしまっていたからだ。」
凍条の思いつきの突っ込みを軽くいなすと、山中社長は改めて一同を見渡してから再び口を開いた。
「何百年ものあいだ、『石』は魔神の目となって人間たちを見下ろしていた。人間たちは魔神像に祈りを捧げ、二つの『石』はそれを高みから見下ろし続けた。あの男がやって来るその日まで。」
まるで自身の記憶を辿るように遠いインドのことを語る山中社長の声には、奇妙な高揚感を帯び始めていた。
「一団の手下を引き連れ大男の白人が寺院に押し入ってきた。その男の名は……ウォレス。」
その名を耳にしたとたん、万石が小さくあっと叫んだ。
「ウォレス大佐!」
「知っているんですか?万石先生?」
「多少はね。…でも南さん。この男は本来私よりもアナタの扱うべき男なんですよ。」
「南の扱うべき男」という万石の評が、このウォレスという男の横顔を何よりも簡単明瞭に描き出していた。
「バーナード・ゴードン・ウォレス…英国陸軍歩兵大佐。貪欲なサディスト。直接間接に殺した相手が100人とも1000人とも。
当時の英国に存在したあらゆる種類の犯罪に手を染めたとも言われた男です。
植民地インドで悪の限りを尽くし、そして官憲の手が迫ったとみるや忽然とその姿を消してしまいました。…私の知っているのはそんなところです。」
「いや結構だよ万石くん。それで十分だ。」
片手を軽くあげて微笑むと、山中は再び話を続けた。
「…ウォレスと手下たちは寺院に押し入ると、僧侶と信徒たちを残らず殺したのだ。十分に時間と手間をかけてね。
こうして魔神像の目は奪われた。『青い石』の方がどうなったのかは判らない。しかし『赤い石』はウォレスがインドを去るときまで、常に一緒だった。
ウォレスは石に囁き続けたのだ。
美しい。どんなものよりも、オマエは美しいとね。
そして『赤い石』は彼女の不思議な力でウォレスの賛美に応えたのだ。……ところで万石くんこういう石も……」
何かの期待に顔を輝かせて、山中社長は万石に尋ねた。
「…キミのいう『神の石』と呼んでもいいのじゃないかな?」
万石は、山中の視線を真っ向から受け止めたうえで、首をゆっくりと横に振った。
「私の石っている『石』は、子どもたちから人間というものを学びました。しかし山中さん、もしアナタの言うような『石』があったとするなら、その『石』はウォレス大佐という極めつけに邪悪な男から、人間というものを学んだことになります。」
山中の目が、メスで刻んだように細くなった。
「師匠が悪いと……そう言われるのかな?」
「あなたの言われる『赤い石』は神の石などではありませんね。むしろ悪魔の石『魔石』と呼ぶべきでしょう。」
そのときだった!
そのときだった!
黙って2人のやりとりを聞いていた南が、突然窓に駆け寄るなりカーテンを引きあけたのだ!
「どうかしたんですか?南さん??」
「凍条、オマエは気がつかなかったか!?カーテンの隙間から何か真っ赤な目に覗かれてるような気がしたんだが。」
「おおかたフクロウじゃないですか南さん?野生動物の目は夜光るそうですから。」
凍条も窓辺に立つと窓を押し開けた。
戸外の夜気がたちまち室内に流れ込んでくるが、もう春だからだろうか?それほど寒くも感じない。
しかし、いくら目を凝らしてみても、該当一つ無く、月星も翳りがちの曇天とあっては、善きものであれ悪しきものであれ、闇の中に姿を見出すことはできない相談だった。
あれ?
ちゃんと直したハズなのに直ってない…。
66の下から二行目、「該当」は「外灯」が正解にござる。
翌日は、これまでに起こった三件の死亡事件現場を改めて検証しなおす予定だったが、早朝からの来訪者によって予定は全面的に変更を迫られることとなった。
「社長さん!こっちだぁよ!!」
朝霧漂うなか、初対面の若い村人を先頭に、山中社長、南、凍条と続く形で村の中央を抜けると村営宿泊施設があるのとは反対側の山裾へと分け入ってゆく。
足元は草ボウボウだが、整地されたらしき名残もありそこがかつては道であったと窺われた。
しかも外界へと続く村道ほどではないが村内の他の道路よりは明らかに広い。
「これ道、ですよね?どこに続いているんですか?」と凍条。
先頭の男は振り返りもせずに答えた。
「リフト乗り場だぁよ!」
「より正確にはリフト乗り場になるはずだった場所だ。」山中社長が補足訂正した。
「今の村営宿泊所とスキー場のリフト乗り場を結んでいたのさ。」
南はきのう万石とともに訪れていた場所だった。
橘の輪が途切れている二箇所のうちの一箇所である。
しばらく行くと一同は、ほかとは違い妙に明るい感じの場所に行き着いた。
明るいと感じるのは、下草や潅木ばかりで日光を遮る高木が全く生えていないからだ。
「あ、アレだぁよ!」
先頭の男が足を止めて指差したのは、山奥の森とはどう考えても場違いなものだった。
「リフトの支柱だよ。」
怖気づいたのか、立ち止まってしまった若い男を追い越しながら、山中社長は言った。
「あれを建てたところで、スキー場計画は資金難に陥って頓挫したんだ。」
潅木と下草の間からニョッキリ突っ立っていたのは、すっかり真っ赤に錆ついた鉄塔だった。
だが、近づくにつれ、鉄塔が赤く見えるのはただ赤錆のせいというわけではないことに、南と凍条は気がついた。
朝霧の湿っぽい臭いの中に、刑事として馴染みのある、あの臭いが漂っていた。
金臭いと評されることの多い、あの臭い。
…血の臭いだ。
明るいオレンジと焦げ茶に染められた支柱の上に、赤黒いスジが走っていた。
その赤黒いスジを上へと辿っていくと……
ちっぽけな泥ダンゴのように縮こまったものが引っかかっていた。
……人間だった。
そして、議論の余地無く、死んでいた。
所轄の警察を呼ぶべき場面だったが、村には生憎と駐在すらいない。
ダメもとで携帯を開いてみたが、やはり周囲の山々に阻まれて村外には繋がらなかった。
置き電話で所轄警察を呼び出させるべく、南は、ここまで案内してきた男を村へと使いに出した。
「いいんですか南先輩。彼がもし犯人だったら…」
「このまま逃亡すると言いたいのか?ここで逃亡するのなら、最初から我々を呼びに来たりはしないよ。……それより凍条、準備はいいか?」
「所轄が来るのを待った方がいいんしゃないですか?文句言われても知りませんよ。」
「その所轄の連中がオレたちを呼んだんじゃないか。さあ、上るぞ凍条!」
所轄警察が来るまでに、出来る限りでいいから2人で調べておこうというのだ。
力強い動作で南が鉄塔を上っていくと、諦めたように凍条もこれに続いた。
途中にあるかもしれない証拠を潰してしまわぬよう、細心の注意を払いよじ登ったので、引っかかっている死体のところに着くのに10分近くかかった。
間近で見ると、死体はまるでボロ雑巾のように鉄塔に巻きついていると判った。
「なんで人間の体がこんなふうに?」
死体の大腿部を指さして南が言った。
「見ろ凍条、こんなところで人間の体が曲がると思うか?」
「…骨が砕けている!」
「最初の犠牲者と同じだ。この状態ならたぶん頚骨も…」
南が死体の後頭部にそっと手をかけると、あっけないくらい簡単に死体の顔が凍条の方を向いた……。
「あっ!」
凍条が短く叫んだ!
「どうした凍条?…ひょっとして害者を知ってるのか??」
「は、はい。知っています。この人は、昨日森で会った老人です。」
一通りの調査を終えると南は、現場に至る廃道を県警到着まで通行禁止にしてもらうため、凍条を村役場へと使いに出した。
当然彼らの身分も明らかにしなければならないが、もはや隠密捜査の段階は過ぎたと判断したのだ。
一足遅れて南と山中社長が村役場へと赴くと、既に村中の若者が役場前に集まり、凍条と役場の受付係を取り囲み騒ぎ立てていた。
「どうだ凍条、県警の連中は何時ごろこっちに着くと言ってた?」
「南さん、それが実は……」
県警との連絡はとれていなかった!
「電話が不通なんですよ。」と凍条。
「たぶん村道の途中で崖崩れでもあったんだぁと、思いますぅ。」言い訳するように口を挟んだ役場受付の口調からは、昨日は感じられなかったナマリが顔を出していた。
「雨が降ったわけでもないのに、崖崩れがあったと言われるんですか?」
「…オ、オラ、ま、前から、危ねっと言ってただがぁ。」
南の追求に役場受付のナマリがいっそうひどくなる。
ならばと南は役場受付に背を向けて凍条に言った。
「仕方が無い。携帯が繋がるところまで車で行ってくる。」
「待つんだ南くん。」
山中が南の肩に手をかけた。
「いま聞いたろう?村道はがけ崩れで…」
「旧道があるんでしょう?そっちを行きますよ。」
「そりゃムチャだぁよぉ。」
役場受付が、2人のやりとりを耳にして叫ぶように口を出した。
「新道が出来るまえっから、旧道は酷い状態だっただぁよ。いまじゃジープだって走れねえだぁよ。」
「その通りだ南くん。新村道が、村と外界を繋ぐ唯一の道だったんだ。それが断たれたということは…。」
続く山中の言葉を耳にして、役場前の群集が一瞬で静まり返った。
「……村は完全に孤立してしまったということなんだよ。」
南たちが役場前で立ち往生していたころ、死体発見の報より早く宿舎を出ていた万石は、役場前での騒ぎも知らずフィールドワークに精を出していた。
手製の地図には二本の線と×が三つ。
二本の線は「橘の輪」、三つの×は三つの死体の発見現場だ。
その朝一で見つかった四番目の×はもちろん記されていない。
三つの×は全て「完全な橘の輪」の外側になった。
それを暫く見つめていた万石だったが、やおら背中のディーバッグを下ろすと中から書類を取り出した。
南と凍条が東京の不可能犯罪捜査部で交付された捜査資料である。
もちろん黙って持ち出したのだ。
それを見ながら、地図上に○を書き込んでいくと、今度は○がひとつだけ、「完全な橘の輪」の内側になった。
「…………あっ!」
不意に小さな叫びを上げ、万石は猛然と背後の山の斜面へと駆け上った。
藪を掻き分け、草木の根に縋り、息を切らせて登ることしばし。
ようやく足を止めると、息を整える間もなく万石は村の方へと振り返った。
手製の地図と村の全景が、万石の頭の中でゆっくりと重なっていく…。
「……橘の輪の内側の○はあそこ……その他には……」
…そして万石は思わず息を呑んだ。
彼は確信したのだ。
自分の直感は当たっていると。
村は、人の子のあずかり知ることを許されない存在同士の闘争の場になっているのだと。
「私や南さん、凍条さんに、いったい何ができるというのだ?!」
眩暈のような間隔の中で万石が呟いたときである。
不意に彼は、背中に人の気配を感じて振り返った。
なにも語ってはいませんが「木神」。
ご本人は姿を現していませんが、「魔石」。
このお話の二大巨頭は既に登場しました。
休み明けには「リーマ」も登場して、役者は全員揃います。
そして…上手くいければ「村民暴走」と「脱出!?」そして「闘争」「つなぐ力」へと進んでエンディング。
「アイドルを探せ!」ほど時間はかからない予定にござる。
と、いうわけで、「木 神」は土日はお休みです。
くだらぬ駄文にお付き合いくださる「心広き方々」へ、楽しい週末を。
73 :
名無しより愛をこめて:2008/05/13(火) 12:19:23 ID:QypE0BCH0
応援
人の気配を感じた万石が振り返ると……
…女がいた。
穏やかな笑みを浮かべて。
年のころは30前半といったところで、肩に届くぐらいの長さと見える黒髪を、無造作に頭の後ろで束ねている。化粧っ気は全く無いが、顔そのものが整っているせいだろう、明薄暗い林の中にも関わらず、彼女の顔だけは明るく見えた。
「何か、面白いものでも見えますか?」
明るく澄んだ声の中に、万石はある種の職業の臭いを嗅ぎわけた。
「申し遅れました。私(わたくし)……」
女が言いかけたところで、機先を制するように万石が言った。
「山中さんの秘書の方ですね?」
身分をズバリ言い当てられても、女は別段驚いたりはしなかった。
「正解です。私のしゃべり方でお判りになられたんですね?」
(雇い主に負けず劣らず頭の回転が速いな…)頷きながら万石は応えた。
「電話交換手とか、アナウンサーを連想する正確な発声でしたからね。この村でその種の職業の人間といったら、一人しか思い当りませんし。」
「…それでは改めまして」
にっこり微笑んだまま、女は決闘でも申し込むように右手を差し出した。
「私、山中の秘書をさせていただいております、窪田香と申します。」
握手を解くと同時に、窪田は彼女にとっての本題を切り出してきた。
「万石さんは東京から例の…あの問題を調べにいらしたのですね?」
適当に誤魔化そうかとも思ったが、さきほど見せた頭の回転の速さからすれば、窪田をごまかしきれるとも思えなかった。
それに窪田は南たちを呼び出すべく働きかけた山中の秘書なのだ。最初から南や万石の目的を知っていたとしてもおかしくはない…。
(ここは正直に答えるか)
万石は窪田に向かって首を縦に振ってみせた。
「山中さんの言葉によると、窪田さんも、『木神の祟り』と言われる病理現象をその目で御覧になられたんですよね?いったいどんな症状だったんでしょうか?」
「この目で見たといっても、お医者さんではありませんから…」
短い前置きにつづいて始まった窪田の説明は、実に簡単なものだった。
「東京から一緒に来たものたちが、次々高熱を発して倒れました。木神の森に踏み込んだ翌日からです。だらだら脂汗を流し、不思議なウワゴトを口走って…。仕方がないので、私が車で3度も往復して町の病院へと運びました。」
窪田は「…私の知っているのはそのくらいです」と言葉を締めくくった。
「ご無事だったのは山中さんとアナタだけだったんですね?」と万石。
窪田は小さく頷いた。
「私は宿舎の掃除で忙しくて、みんなと一緒には行かなかったんです。」
「山中さんは?」
「今度の開発計画について説明するため、村役場に行っていました。」
結局、「木神の祟り」と言われる原因不明の病気に罹ったのは、木神の森に踏み込んだものだけだった。
万石は、ついさっき自分で手書きした村の地図を思い浮かべた。
間違いない。
窪田の言う「木神の森」とは、「橘の輪」の内側のエリアだ。
だが、三件続いた死亡事件は、全て「橘の輪」の外側で起こっている。
「橘の輪」の内側は原因不明の病気。
そしてその外側は暴力的な死だ。
輪の内側にいるのは「木神」。
では、外側にいるのは?
万石と、そして窪田がいるのは「暴力的な死」が支配するエリアだ。
「窪田さん、悪いことは言いません。アナタは村を出るべきです。」
窪田の身の安全を慮っての、万石からの忠告だった。
「さもなければ、あなたの身にも…」
彼の言葉はそこで止まった。窪田が顔を横に振ったからだ。
「もう…山中本人から聞かれたかもしれませんが…」
窪田は万石の横に並んで足元の村を見渡した。
「…山中はこの村で生まれた人間です。この村でお父様とお兄様を亡くされ、たった独りで外の世界に飛び出し、散々苦労した末にいまの地位を築きました。」
「凍条さんが伺ったそうです。大変だったんでしょうね。」
小さく頷くと、力強い声で窪田はつづけた。
「山中は、この村をもっと良くしたいんです。もっと近代的で、もっと暮らし易い村にしたいんです。それが、亡くなられたお父様・お兄様のためにもなると、そう信じているんです。」
「それで、あくまで村の再開発を断行しようと…?」
窪田は、か細い声で、しかしはっきり「はい」と答えた。
「山中にとって、木神は村の発展と幸せを妨げる祟り神にほかなりません。彼は絶対に引き下がらないでしょう。そして山中がこの村に踏みとどまる以上、私もここに残らなければならないんです。」
決意に満ちた「宣言」だった。
「…そうですか。」
万石は説得を諦めた。
彼女の意思、彼女の義務感が、山中を置き去りにして逃げることを許さないのだ。
いや、それは義務感などではなく……。
万石がそんなことを考えていると、窪田はさっきまでの営業用とは違う、寂しげな微笑を浮かべ、そして言った。
「そんなに心配しないでください。私も十分用心するつもりですから。それに……山中を守ってくれているという赤い石が、私のことも守ってくれるかもしれませんし。」
その瞬間、万石の背筋を冷たい何かがサッと駆け抜けた。
「赤い石!?」
「ええ、山中が二年前に仕事でインドに行ったとき、得体の知れない露天商に売りつけられた石です。」
「最初に見せられたときは、なんだか萎れかかったバラの蕾みたいで、暗いパッとしない赤に見えたんですけれど、なんだか目の錯覚だったみたいで…」
次に見たときは、生き生きとしたバラの色だったのだという。
「…ある日の夕方、書類をもって社長室に行くと窓辺に山中が立っていました。掌にあの赤い石を載せて、夕日にかざしていたんです。」
そのときの光景を思い出しているのであろう。
窪田の目は、辺りの何ものも捉えているようには見えない。
「真っ赤な夕焼けの中、石から赤い光が滴り落ちてるようで、それを載せている山中の手なんか血まみれになってるみたいでした。そして山中は石に向かって語りかけていたんです……」
その瞬間、不吉な予感とともに万石は予感した!
(…あの言葉だ!)
山中社長が吐いたというその言葉は、賛美であると同時に呪文のような響きをもって北国の森に木霊した。
「……山中は語りかけていました。『美しい。どんなものよりも、オマエは美しい』と。」
窪田と別れて万石が村営宿舎に戻ると、疲れきった顔の南と凍条が待っていた。
「4人目の犠牲者ですか!?」
「今朝早く…と言っても、万石さんがここを出た後なんですが、悲鳴を聞いた村の若者が死体を発見して知らせに来たんです。」と凍条。
南が手短に状況を説明した。
「死体発見現場はリフト建設予定地跡。害者は、昨日凍条が森であった老人です。全身の骨が粉々に砕けていて、しかも高さが6メートル以上あるリフト用鉄塔の天辺に引っ掛けられていました。」
「なんてことだ…。」
万石たち三人が昨日の午後、この村に到着してからまだ一日も経っていないというのに…。
明らかに「事件」の方が、万石や南・凍条の先を行っている。
「相次ぐ怪死に、若い村人たちは暴発寸前です。さっきも役場前で騒動になりかけたので、止む無く我々の身分を明らかにして押さえ込みましたが…。」
「こんな事件がもう一件でも起こったら、もう押さえ込めないかもしれないですよ。」
オマケに村はいま、外界との交通が遮断されてしまっている。
孤立した村で、恐怖にかられた村民がもし暴発したら?
(狙いは……ソコですか。あまり時間くれる気も無いみたいですね。)
気を取り直して万石は南に尋ねた。
「その老人の遺体は、どこにありますか?」
老人の死体は……村営宿舎の裏手にある保管庫に安置されていた。
捻じ曲げ、くしゃくしゃにされた遺体の前でそっと手を合わすと、万石は両手をついて屈みこんだ。
「なにを…されているんですか?万石さん??」
「ああ南さん…臭いをね、嗅いでいるんですよ。………あっ!これだ!」
「どうかしたんですか?!」
「南さん、凍条さん、被害者の手の平の臭いを嗅いでみてもらえませんか?」
万石が立ち上がって場所を譲ると、まずは凍条が代わって膝をついた。
臭いを嗅ぐことしばし…
やがて首を振りつつ凍条は立ち上がった。
「べつにおかしな臭いは……」
「凍条さん、それはアナタが使っている整髪料のせいですよ。」
「整髪料??」
そのとき、凍条と入れ替わりに遺体に屈み込んでいた南が短く叫んだ。
「あっそうか!柑橘系だ!被害者の掌から微かに柑橘系の臭いがしますね。」
「そうです。凍条さんは柑橘系の整髪料を使われてるんで、自分の臭いに邪魔されて判らなかったんです。」
「でも万石さん。」自分の整髪料のせいで臭いが判らなかったと指摘され、内心ムッとしながら凍条は言い返そうとした。
「…この老人が柑橘系の整髪料を使っていたからといって…」
「整髪料じゃないぞ、凍条。この老人の体で柑橘系の臭いがするのは、掌だけだ。」
凍条の言葉に素早く反論すると、万石の方に向き直って南は言った。
「と、いうことは万石さん。この老人は…」
「そうです。」
南に向かって万石は頷き返した。
「…死の直前、例の橘の木のところにいたんです。」
「万石さん、もう検死はいいのですか!?」
「結構です。もう知りたいことは判りましたから。」
追いすがりながら問いかける南に振り返りもせず答えると、万石は村営宿舎から飛び出した。
「万石さん!どこに行かれようというのですか!?」
「一方の当事者に会いに行くんです。この村に来て、まだ一度も会っていませんからね。」
「当事者と仰られますと?」
「木神です。」
(狙いはわかった!だが、防げるのか?私に??)
内心の不安を吹き飛ばすように、万石はもう一度叫んだ。
「木神に会見を申し込むんです!」
木神聳える山懐へとひたすら突き進む万石と南そして凍条。
目指すは「神域(しんいき)」。
木神の支配する静謐なる緑の王国だ。
だが…
静まり返っているはずの木神の森に、騒然たる気配が迫っていた。
「なんでしょう南さん!この気配は?」
「………しまった!凍条!急ぐぞ!!」
前方から伝わる騒然とした気配に気づくと、南と凍条の2人は、先を行く万石を文字通り一瞬で追い抜いた。
気配の原因はすぐに判明した。
先ほど村役場前から散ったはずの、村の若者たちの一部だったのである。
ただ、さっきまでは素手だったのに、いまは手に手には鋤や棒ぎれ、手斧などが握られている。
標的が何なのかは判らないが、典型的な暴徒化だ。
(まずいぞ凍条)
南が目配せすると、凍条もいっそう足を速めて、若者たちの一団の中を駆け抜けた。
「落ち着いて!みなさん!落ち着いてください!!」
「落ち着いて!!」
口々に叫びながら集団の先頭を追い越すと、南は身を翻し、村人たちの前に両手を広げ立ち塞がった。
「皆さんは、ここで何をしているんですか!?」
暴徒と対するとき重要なのは、流れに押し流されぬ断固とした態度だ。
「あ、あんたは不可能犯罪捜査部とかの…」
「自分は南!そしてそこにいるのは凍条刑事!!」
凍条はさりげなく斜面の上に回り込んで、村人に上からプレッシャーをかけるポジションをとる。
「もう一度伺います。」意識的に声を低く抑えて南は言った。「皆さんは、ここで何をしているのですか!?」
「き、決まってんだろ!!」
先頭の男が南を睨み返して吠えた。
「祟り神のうろつく、不吉な木神の森をぶっ潰してやるんだ!」
「バカなことは止めるんだ!」
先頭の男に負けない大声で、南が叫び返した。
「何百年も村とともに存在してきた森なんだぞ!それをそんなもので…」南は男らの手にした鉈やオノ・鎌・鋤といった冷たい凶器を次々指差した「…そんなもので荒らそうというのか!?」
「これほどの木と森を壊すなんて、正気の沙汰じゃありません。環境保護の面からも…。」
南に続いて凍条も口を挟んだが……これは全くの逆効果だった。
決然とした南の気迫に押し込まれかかっていた村の若者たちに、新たな火が燃え上がったのだ。
「環境保護なんて、都会人の贅沢だ!」
「んだんだ!自分たちは車乗ってビデオ見て、電気使って排気ガス垂れ流しまくってるクセによ、田舎モンは田舎のまま暮らせってのかよ!」
「不可能犯罪なんたら言うても、所詮テメエらは東京もんだべ!オラたち田舎モンがここでどうなろうと、知ったこっちゃねえんだ!!」
「オラたちゃあ、爺や婆どもみたいにこんな山奥で朽ち果てるのは真っ平だぁ!!」
「オラは山中社長についていくだぁ!!」「オラも!」「オラもだぁ!!」
口々に叫ぶ村の若者を前に、(まずいぞ)と南は感じていた。
武器を手にしている分、役場前の時よりもテンションが高くなっている。
人間の命や財産が標的でないのなら、とりあえずはそのまま放置するのも一つの選択だ。
だが、どういうわけか南の頭には「放置」の二文字はさっぱり浮かんでこない。
いやむしろ、上手く説明できないが、絶対に彼らを「木神の森」に行かせてはならないという確信が彼にはあった。
(最悪の場合「威嚇射撃」だ。)
脇のホルスターに収められたコマンダーの安全装置は既に外してある。
森の静謐は犯されるが……止むを得ない。
南は、上着の下に右手を突っ込むタイミングを窺がいはじめた……。
南が上着の下に右手を突っ込むタイミングを窺がいはじめた……。
そのときである!
何かが風をきってビュッ!と飛んできたかと思うと…。
ピシッ!「あ痛っ!?」
先頭の男の額に音を立てて命中!その直後、男の足元にポトリと落ちたのは…ドングリだ!?
「な、なんだ!?」
突然の「襲撃」に、南と凍条はドングリの飛んできた森の上手に目を向けた。
(……「木神」の怒りは、なんの気紛れでこんな姿をとったのか?)
とっさに南の脳裏を過ぎったのは、そんな文句だった。
逃げ隠れすることもなく、「襲撃者」はその場から南に凍条、それから激高する村の若者たちを睨みつけていたのは、下着姿同然のボロを纏った13〜4ほどの少女だったのだ。
村人たちの誰かが、喉にひっかかったような声で、うめくように言った。
「…ひ、ひろこ…」
少女の眼差しにいったいどんな力があるというのだろうか?
先頭きって騒いでいた男がドングリの命中した額を抑えて後ずさると、他の村人もそれに押し込まれるようにジリジリ退りだした。
ビュッ!…少女が握り締めた拳を一振りすると、二個目のドングリが別の村人に命中。
「うわっ!」という悲鳴がキッカケだった。
暴徒と化していた村の若者たちはもと来た方、村の方へと、雪崩をうって逃げ出してしまった。
「南さん、こ、これはいったい?」
「判らん。……村の者はキミのことを」
だが、南が少女の方に振り返ったときには、少女はいなくなっていた。
「ど、どこに行ったんだ?」
「判りません。ちょっと目を離しただけなのに…」
小枝ひとつ、草の葉一枚揺らすことなく、森に溶けたかのように少女は消えた。
まるで「そんな少女はこの世に存在しなかった」とでもいうように。
南と凍条が呆然と立ち尽くしていると、軽く息を弾ませながら万石がようやく追いついてきた。
「あ、万石先生。先生はいまのを御覧になられましたか?」
「村人たちの最後尾からハッキリ見させてもらいましたよ。おかげで逃げ惑う村人に、もう少しで踏み潰されそうになりましたけど。」
間一髪道の横の藪に飛び込んでかわしたらしく、万石の服はすっかり泥だらけになっている。
「どうやらあのヒロコと呼ばれた少女は…『神の子』か…『忌み子』のようですね。」
「神の子」とは「神に捧げられた子」、「忌み子」とは「忌まれた子」という忌みである。
共同体に発生したなんらかの不都合などを一心に背負わされた存在である。
「神」と「忌み」で一見逆の存在のように感じるが、孤立し敬遠さるべき存在であるという点では、実は両者に違いは無い。
「私のみるところ…おそらく彼女は『木神』の巫女的存在なのだと思います。」
「巫女ですか?…あんな……」
実直な南は「裸」というのを一瞬憚ったが、万石はそんなことなど構いもしなかった。
「大事なのは神の所有に属するものであるということです。裸だろうと羽織袴にチョンマゲ結ってようとそんなこと関係ありませんよ。……さてと…。」
ズボンや上着のドロを形ばかり払い落としながら万石は言った。
「…『木神』と会うんですから綺麗にしませんとね。あの女の子にドングリぶつけられちゃいますから。」
村人たちとの小競り合いからさらに15分ほど山道をたどった果てに……。
三人はついに「木神」の拝謁の栄に浴していた。
根元から見あげると……「木神」はなんとも雄大な樹木であった。
もともとこういう形だったのか、それとも別々の二本の木が成長過程で融合したのか、根元は人の足のように二本に分かれている。
そしてそのあいだは、バスが通れそうなほどに大きい。
木神は、巨人のように左右の足を踏ん張って、頭上高くに聳え立っていた。
「こ、これは…」
木というより、緑の魔神だと南は感じた。
そして、昔の人が「木神」を神と崇めたのも無理もないとも…。
南の傍らで、凍条は完全に言葉を見失っている。
一方万石はというと、頭上を見上げる二人とは対照的に、地べたばかりを見回していた。
「なんとも…不思議な場所です。」
「何か不思議なんでしょうか?万石さん。」
「いや、足元を見てください。」
万石が指差した彼らの周囲ぐるりには、赤や青、紫に黄色といった様々な彩りの花々が、覇を競いあっていた。
「…美しいですね。まさにお花畑です。……ですが、これが何か?」
「太陽です。問題はね、太陽なんですよ。南さん。」
膝を屈して足元の花を摘もうとしかけた万石だったが、「せっかく咲いてるんですから、止めときましょう」とすぐ立ち上がった。
「…さてと、突然変異種なのかもしれませんが、木神は明らかに杉の仲間です。そして杉は常緑植物なんです。常緑植物は冬でも葉を落としません。」
「…あの…自分には先生が何をおっしゃりたいのかサッパリ…」
「いいですか南さん。ここに咲いている花々は、普通なら日当たりのいい野原にでも咲いているべき花なんですよ。それが、常緑樹であり、常時太陽を遮っているはずの『木神』の足元で咲き誇っているんです。」
言われて初めて南も気がついた。
この場に相応しいのはコケやキノコである。
お花畑というのは日当たりがいい場所にあるものなのだ。
「北国の山奥にも関わらず根付いている橘。そして日の射さないはずの場所に咲き誇る花畑。南さん、この場所には、いったいどんな秘密があるんだと思いますか?」
いや、「陰謀もの」は書き易い。
悪くない調子で進んでおります。
上手くいけは、来週中に終われるか?
上手くいかなくても、再来週には追われるはず。
もし、X話氏や他の方が投下されないならば、「猫」か「甦る顎(あぎと)」の投下を開始します。
上記2本の投下後は、かつて「遊星」氏が途中まで投下し未完となっている作のリライトに挑戦。
と、いうわけで、「木 神」は土日はお休みです。
特撮モノ好きのみなさん。
よい週末を。
87 :
名無しより愛をこめて:2008/05/19(月) 10:29:28 ID:hQEGqxWJ0
応援!!
「木神」との「会見」後、万石を宿舎に残し、南と凍条は役場の青年とともに村道の調査に出かけ、当たりが薄暗くなってからようやく戻ってきた。
村道の崩落は一箇所ではなく数箇所に及び、しかも村から6キロほど行ったところのトンネルが、完全に崩落して電話線もろとも谷川に消えているという。
「迂回できないんですか?南さん。」
「できないことはないかもしれないが…」
「無理ですよ。」
役場の青年が南の言葉を遮った。
「途轍もなく遠回りをしなくちゃならないし、迷ったらアウトです。それにいま『迷ったら』と言いましたがそもそも道なんか無いんですから。」
結局、村の側から外界とアクセスするのは極めて困難ということだった。
南と凍条が東京の不可能犯罪捜査部に最後の連絡を入れたのが昨日の18時。
隠密操作の関係上、連絡が途絶えるのも止む無しということで、最大48時間連絡が途絶えないと不可能犯罪捜査部は動かない。
つまり、村との連絡途絶を外界の側が知るのは明日の夕方以降であり、事実上はその翌朝ということになる。
しかし、今夜が何事も無く終わるとは、万石にはとても考えられなかった。
「そもそもの発端は…バブル期に失敗したスキー場建設計画なんですよ。」
部屋に戻ると、万石は南と凍条の前に例の手製の地図を広げた。
「地脈とか竜脈とか……、この村はそういう不思議な力の焦点なんだと思います。」
地脈とか竜脈というのは、大地を貫くある種の力の流れ、いわば地球の「動脈」のようなもののことである。
「北国だというのに橘が根付き、巨大な常緑樹の葉陰だというのに花畑が広がっているのはたぶんそのせいです。そしてこの未知の力の中心にあるのが……」
「…木 神ですね!」
囁くように南が言うと、万石は黙って頷き返した。
「この未知の力に気づいた古の人々は、聳え立つ大杉を『木 神』として崇め、その周囲を橘で囲んだんでしょう。『橘の輪』は『神域』の境界を示すと同時に、この不思議な力を狙って邪悪なものを侵入させないための結界でもあったんだと思います。」
万石は手製の地図に描かれた二つの輪を指さした。
「…ですが、二重に存在した結界のうち、外側のものは現在機能していません。」
「スキー場建設工事のせいですね。」
「その通りです。南さん。計画そのものは失敗に終わりましたが、新村道とリフト場の建設のため二箇所にわたって『橘の輪』が途切れてしまった。そのため外の世界からやって来た魔物の侵入を防げませんでした。」
「外世界からやって来た魔物?」突然発せられた凍条の言葉には、その場に奇妙な緊張をもたらした。「…万石さん、アナタの言われる魔物というのは…」
「待て。凍条。」南は後輩を制した「まずは最後まで、先生のお話を伺うんだ。」
「最初の被害者と4番目の被害者は屋外で、2番目と3番目の被害者は自宅で殺されています。でも、なんで最初の被害者と4番目の被害者は自宅で殺されなかったのでしょうか?」
推理小説の名探偵よろしく問題を提起すると、「これを見てください」と言って万石は再び手製の地図を指差した。
「×は死体発見現場。○は被害者の家の場所です。」
×は四つとも「橘の輪」の外側だが、○は「橘の輪」の内と外とに二つづつ記されている。
「健在な方の『橘の輪』は一部村の中を通っているんです。そして最初の被害者と4番目の被害者の住居は、『橘の輪』の中にあるんです。」
「橘の輪」の内側にある○印とは、一つが最初の被害氏の住居、もう一つが四番目の被害者の住居だったのだ。
「魔物は、完全な状態の『橘の輪』の内側には手出しできないんでしょう。だから、被害者が『橘の輪』の外側に出てくるのを待って……。」
「まった!」
もうがまんできないというように、南の黙示の制止も振り切って凍条が声をあげた!
「万石さん、アナタの説の通りだと、外世界の魔物は『橘の輪』を壊したがることになりますね?と、いうことはつまり……」
「待つんだ凍条!ここは最後まで…」
だが、万石は南の肩に手をかけると静かに言った。
「いいんですよ、南さん。」
万石は感じていた。
凍条は「彼」に影響されていると。
父と兄の死についての「彼」の話や、生まれた村の開発に賭ける「彼」の思いが、凍条の真っ直ぐな心を捉えたのだ。
だから……凍条との心理的な対立は避けて通れない。
居住まいを正すように凍条の方に向き直り、改まった口調でハッキリと万石は言った。
「凍条さん、あなたの考えられているとおりですよ。魔物は……山中社長です。」
万石と凍条の対立がついに表面化していたころ……
……もごもごと、我々都会人には聞き取り難い難い言葉を残して一人の老人が闇の中に出ていった。
夫をなんとか思いとどまらせようと、老妻が後ろから様々言い募ってはいたが、内心では、一本気な夫を止めるのは無理だと承知している。
あの「バブル」と言われ、日本中が浮かれ騒いでいたころ、彼ら夫婦の知らないところで大切なものが失われていたのだ。
もっと早く気がついていればと…老人は思ったが、もう遅い。
「長老」と呼ばれ、古の伝承を知る村人は、もう老人も含めて幾人も残っていない。
特に「橘の結界」の内側に住まう「御三家」としては唯一の家柄だ。
伝承を守るのに一番熱心だった「一之家」の老人は真っ先に殺された。
「御三家」の中では一番の年嵩だった「二之家」の「長老」は、遅ればせながら外側の「橘の結界」を立て直そうと試みたのだろうが……「敵」を出し抜くことはできなかった。
「敵」と、老人は心の中で繰り返した。
…そうだ。
いままで努めて考えないようにしてきたが、恐ろしい「敵」が、村に入り込んでいるのだ。
貪欲で、血を好む「敵」が。
「三之家」の老人はその場で振り返ると、家の藁屋根越しに聳えているはずの「木 神」に向かってそっと手を合わせた。
「敵」から老人を守ってくれるものは、「木 神」をおいて他には考えられなかった。
「山中社長はれっきとしたこの村生まれの人間ですよ。それでもって生まれた村を、より良く変えていこうとしているだけでしょう?その山中社長をつかまえてバケモノ呼ばわりなんて……」
「より正確には『魔石』です。」
激しい感情が見え隠れする凍条の言葉に対し、万石のそれはあくまで冷静だった。
「山中さんがインドで行商人から売りつけられたという『赤い石』こそ敵の正体です。
「山中社長をバケモノ呼ばわりしたと思ったら、今度は『魔石』ですか?いいかげんにしてください!アナタの言うのは机上の空論どころか、まるでお伽話じゃないですか。
第一、その『魔石』の話は、山中社長が自分で話したことですよ!?もし山中社長がアナタの言うように『魔石』に支配されてるんなら、自分からそんな話をしますか?!」
推理小説なら、真犯人がわざと自分に疑いがかかるように仕向けることもある。
だが、いま万石や南・凍条らの目の前で展開しているのは推理小説などではない。
「どうです万石さん?違いますか?」と睨む凍条だが、万石の反論は彼の思ってもみない切り口から始まった。
「……凍条さん、あなたはジャイアント馬場のことを説明しようと思ったら、どういうふうに言いますか?」
「ジャ、ジャイアント馬場??」凍条の顔には「妙な理屈を捏ね回しても騙されないぞ」と書いてあった。「…それがいったい今度の事件とどんな関係があると…」
「ジャイアント馬場のことを知らない人に、ジャイアント馬場のことを説明しようと思ったら……誰もが必ず口にするのは『巨人である』ということでしょう。
人は何かについて他人に説明しようとするとき、説明対象の最も目立つ点を口にします。それが、例えばジャイアント馬場の場合は『巨人である』ことです。」
視線を落とし、万石と凍条のやりとりを黙って聞いていた南の眉間にさっと皺がよった。
「私は、私の知っている『不思議な石』について語ったとき、『地殻を液状化させる』と言いました。『不思議な石』について話すのですから、『何が不思議なのか』を最初に話すのは当然です。」
南がはっとして視線を上げた。
万石が何を言わんとしているのか、そして山中社長が昨夜何を話したのか、二つが結びついたのだ。
南に向かって「どうやら気づかれましたね」と言うと、再び万石は凍条に向かって話を続けた。
「昨夜、山中さんは『魔石』が『不思議な力でウォレスを守った』と言いました。しかし、その『不思議な力』の内容について、何が不思議なのか?具体的なことは何一つ言わなかったんです。」
凍条の視線が、落ち着き無くチラチラと動き出した。
自分の記憶の中に、山中社長は昨夜何を話したか辿っている。
一方万石は、淡々と冷静なままだった。
「あのとき私は疑いを抱いたんです。山中さんは『魔石』の能力に関する情報を故意に伏せたのではないかと。」
「そ、それでは魔石の能力が!?」南が口を開いた。彼も思い至ったのだ。
……全身の粉砕骨折、家に飛び込んできた巨岩、そして屋内での焼失。
万石は南に頷き返した。
「…4件の殺人こそ、『魔石』の能力の発現なんです。」
「三之家」の老人は、ロウソク一本、懐中電灯ひとつ灯さぬまま歩いていた。
街灯と呼べるのは役場前のものだけなので、老人の足元を照らすのは月星だけなのだが、子供のころから78年も暮らしてきた村である。目をつぶっても迷わないという自信があった。それにうっかり灯りをつけて、「敵」に見つかる危険を冒すわけにもいかない。
移動する距離にしたところで精々数百メートルだ。
まずは家を囲いこむように続く橘の木の一本のところに行き、そして新村道とリフト建設の予定地に向かう。
若いころなら10分とかからずにひと回りできたであろう距離だ。
問題はどちらから先に回るかである。
距離的にはリフト予定地の方が近いが、あそこは二之家の長老が殺されたばかりとあっては、老人の足が、村道の方へと向かったのも当然だったろう。
だが………
若いころならば、とっくに目的地に辿り着いているはずの時間になっても、老人はまだ峠に続く坂の上り口にしか辿り着けていなかった。
息切れして足を止め、老人がもと来た方を振り返ると、村はすっかり闇に沈んでいた。
普段は灯されているはずの役場の常夜灯も何故か今夜は消えていて、唯一といっていい地上の灯りは村営宿泊所の一室から漏れるものだけだ。
東京から来た「なんたらかんたら捜査」の部屋か?それとも町を近代化すると言っているお節介な社長の部屋か?
どっちにしろ老人には関係ない。
息を整えた老人が、再びヨッコラショと歩きはじめるたそのときだった。
……じゃりっ!…じゃりっ!…じゃりっ!
荒れた舗装路面を靴底で踏みしだく音が、不意に老人の行く手から近寄ってきた。
(ま、まさか「敵」が!?)
月星の明かりが老人の行く手に朧な人影を浮かび上がらせ、怯えた老人が身を竦ませた瞬間、ピタリと足を止めて人影が言った。
「御心配なく。私は別に怪しいもんじゃありません。東京から来た山中です。」
「体中の骨という骨を粉砕骨折させたり、狙った場所に巨岩を落としたりするのは、一種のテレキネシスでしょう。三人目の被害者は焼死でしたが…」
「パイロキネシス(精神発火)でしょうか!?」
「み、南先輩!万石さん!ちょっとまってください!なんでそう簡単に山中社長をバケモノだと決めつけるんで……」
…ズゥン!
鈍い音とともに、地図の上に放り出された万石のペンがピョンと跳ねた!
「…地震でしょうか?万石さん?」「いや違いますね。地震にしては振動が一回だけなんてことは……。」
…ズゥン!!
また轟音が轟くと同時に、今度は村営宿舎全体がぐらりと揺れた!
…ズゥン!!
轟音が轟くと同時に、今度は村営宿舎全体がぐらりと揺れた!
そしてもう一度……ズゥン。
部屋の窓ガラスにぴしっと鋭く亀裂が入り、部屋のドアが叩きつけるように勢いで開かれた!
「そんなバカな!?」と南「…確かに鍵は…」
ズゥン!!
南が「鍵は掛けた」と言い終わるより早く、もう一度地響きが轟いた。
それも前より大きく、前より……近くに!?
乾いた音とともに宿舎の壁に亀裂が走り、壁材が埃となって舞い上がった!
「こ、これは……」壁に縋りながら万石が叫んだ。「足音です!巨大な何かがやって来る!」
…ズゥンッ!!
震動とともに今度は天井パネルの一枚が床に落ちて、粉々に砕け散った!
「危険です!ここを出ましょう!…凍条!オマエは山中社長と窪田さんを!」
「判りましたっ!!」
だが、南と万石、そして凍条が廊下に飛び出すのと同時に、奥の山中社長の部屋から痩せた人影が転げだした。
「窪田さん!」四つんばいの姿勢で凍条が叫んだ。「山中社長は!?」
「それがいないんです!」
窪田は泣き声になっていた。
「いま覗いてみたら部屋が空っぽで……」
突然、ズラリと並んだドアが一斉に弾けるように開くと、廊下に凄まじい突風が吹き込んできた!
「うわあっ!?」
立ち上がりかけ中腰になっていた凍条が、ひとたまりもなく壁に叩きつけられ動けなくなった。
南が叫ぶ「こ、この風は!?」
突風の吹いてくるのは窓の向こう。「木神」の山からだ。
そのとき、こちらに這って来ようとしていた窪田が、カッと目を見開くとドアの向こうを指差した。
「み、見てください!あれを!!」
「その部屋に何か?」
「違います!部屋の外!窓の外です!!」
「窓の外!?…ああっ!?」
南には、自分の見ているものが信じられなかった。
月星の明かりしかないはずの闇の中、台風に吹きなぶられるかのように「木神」の身悶えするさまが南の目にもハッキリと見えていた。
「木神」は、ホタル火のような光を全身に纏っていたのだ!
ズゥンッ!!
地響きはますます激しさを増し、震動はもはや立っていることすら困難なほどだ!
ギシギシギシィィィィィッ!
「ぎゃあっ!」「た、助けてーっ!」
ドスン!ガラガラガラ!!
闇に包まれた村のあちこちで、何かが落ちたり木部が裂けたりする音と人の悲鳴が交錯がする!
息を吹き返した凍条が窪田を、南が万石を支えて転げるように宿舎から飛び出した直後、あっけないほど簡単に村営宿舎はペシャンコに潰れてしまった!
「こ、これではまるで戦場だ!」
「南先輩!木神です!ヤツの仕業ですよ!!」
「社長!山中社長!!どちらにいらっしゃるんですか!?」
南、凍条、窪田が口々に叫ぶ。
そして……「うわあああああああああああっ!」
ひときわ長く擦れた悲鳴とともに、謎の震動はぴたっと止んだ。
しばらくして、懐中電灯や蝋燭、ライターにマッチ、村のあちこちに様々な明かりが灯り、家族や知人の安否を気遣う言葉が行き交い始めた。
「……止まったようですね、先輩。」
「ああ、そのようだ。」一応余震を警戒しながら、南は立ち上がった。「…しかし最後の悲鳴は何だったんだ?まるであれが合図だったみたいに異変が止まったが?」
気がつくと「木神」が纏っていた燐光も消え、森は……誰かの喪に服しているように静まり返っている。
そのとき、「木神」の沈黙を犯して、闇の中から誰かが叫んだ!
「おおおおおおおおおい!誰か来てくれーーッ」
「山中です!」叫ぶなり、窪田が闇の中闇雲に走り出した。
「社長―――!山中社長―――!!」
「ここだ!窪田くん!!」
窪田のあとに、携帯のライトを掲げて南と凍条が続く。
「社長!どちらにいらっしゃるんですかーーーー!?」
「村道だ!新しいほうの!!…南くんと凍条くんにも来てもらうんだ!!急いでくれーーっ!!」
やがて…頼りなげな灯りの行く手に、ボンヤリと人影が現われた。
山中社長だ!
いや、山中社長だけではない。彼の足元に、もう一人誰かが倒れている。
南と凍条が駆け寄り抱き起こすと、倒れていたのは三乃家の老人であった。
そして、……胸の鼓動は完全に止まっていた。
今週終了はさすがに希望的観測に過ぎました。
来週の展開は、もう読めていると思いますが、今夜の事件を「木神」の仕業と信じた村の若者が暴発します。
一方万石は、ある秘策を旨に村脱出を試みますが、しかし…。
ついに「木神」対「魔石」の対決。
そしてエンディングの「繋ぐ命」へと…。
たぶん「アイドルを探せ」や「幸せになる方法」よりも綺麗に決められるでしょう。
…というわけで、「木 神」は土日お休みです。
スレ住民(そんな人がいればの話ですが)のみなさん、楽しい週末を…。
99 :
名無しより愛をこめて:2008/05/23(金) 22:17:59 ID:nBtleHCY0
数少ない住人の一人・・・
の、週末応援。
ここにも居ますよ、住民が。
101 :
Ag(4:2008/05/26(月) 17:21:20 ID:PKevnmFq0
深夜にもかかわらず、村は騒然とした気配に包まれていた。
役場から各戸に安否を確かめる使いが次々出さて、懐中電灯や松明の明かりが走り回り、
安否を喜ぶ言葉がそこここで交わされていた。
万石が、倒壊を免れた保管庫から三乃家の老人の遺体を調べ終わって出てくると、ちょうど南が山中社長への事情聴取から戻ってきたところだった。
「死因はどうでした?」
「首が折られてますね。それが死因と考えていいでしょう。」
「ほかは?」
「それだけです。」
「…妙ですね。」
「やはり南さんもそう思われますか。」
最初の犠牲者と4番目の犠牲者は頚椎ばかりでなく、全身の骨が粉々に砕かれていた。だが、5番目の犠牲者である三乃家の老人は首が折れただけだ。
「……山中さんは何と言っていましたか?」
「山中社長の話によると…眠れないのでこっそり部屋を抜け出したのだということです。」薄暗いライターの灯りのもと、南はメモを開いて読み上げた。
「…偶然現場で三乃家の老人と出会い、あの奇怪な現象の始まる少し前に挨拶して別れたそうです。そして村に戻りかけたところであの現象が始まり、悲鳴を耳にして戻ってみると…あの状態だったということです。」
「その証言を証明する第三者は?」
こんな時刻にそんな人いるわけがない。もちろん南も首を横に振った。
今回、最も被害者の近くにいたのが山中社長である。南には彼への嫌疑が一層深まったように感じられた。
だが、万石には何か腑に落ちないことがあるらしく、腕組みして下を向いてしまった。
もともと山中社長を犯人として名指していたのは万石であったのに?
万石の真意を聞きただそうと南が口を開きかけたところで、役場前から凍条が戻ってきた。
「役場前にたむろした若い連中がいつまでたっても解散しそうにありません。このままだと夜が明け次第、騒動になるかもしれません。」
簡潔に南に報告すると、凍条は俯いたままの万石に対し改まった口調で話しかけた。
「万石さん。あなたはまだ山中社長が『魔石』の手先だとお考えなのでしょうか?」
俯いたままで万石は答えなかったが、かまうことなく凍条は言葉を続けた。
「今夜の犠牲者の最も近くにいたのは山中社長であること。そのことは事実です。
ですから山中社長が最有力の容疑者であるということは、一人の捜査官としてボクも否定しません。ボクが山中社長を信じるのは、『そう信じたいから』に過ぎないんだと思います。」
そして凍条は、不可能犯罪捜査部員としてボクは甘いのかもしれませんと付け加えると、静かに万石に背を向けた。
「……凍条さん」
不意に万石が凍条を呼び止めた。
「…人は何かを信じる権利があります。」
驚いて凍条が振り返ると、顔を上げて万石は微笑んでいた。
「…だからアナタも、山中社長を信じることを止める必要はありませんよ。」
そして今度は、万石が改まった口調になって言った。
「お2人にお願いがあります。」
「我々の車を使ってください。」
南は万石に車のキーを押し付けた。
「しかしそれではアナタがたが…」
「いえ、遠慮なく使ってください。」万石が押し返したキーを今度は凍条が押し戻した。
「…それに万石さんの車はエンジン音がうるささ過ぎますから。」
「…なるほど確かに…」
万石は苦笑してキーを受け取った。
街灯一つない闇夜の村道を抜け、万石は最寄の町まで抜けようとしていた。
崩落で通行不可能な箇所まで車で接近し、あとは徒歩で山越えを図るのだ。
村の人間に言わせれば自殺行為である。
万石が計画を打ち明けると、凍条はすぐさま反対の声を上げた。
「ムチャです!!役場の人も言っていたじゃありませんか!?迷ったら最後だって!」
「もし、外部と連絡をつける必要があるのなら、自分が行きます!」南はずいっと前に踏み出した。「自分は山岳での軍事教練も受けています。素人の先生が行かれるより、遥かに成算も高いです。」
「…いえ、お2人にはこの村に残ってもらわねばなりません。」
「なんのために村に!?」
なおも言い募る南に対し、万石はきっぱりと言った。
「若者たちの暴発を抑えていただかねばならないんです。」
万石の推理どおり、村を襲っているのが『魔石』であり、「橘の輪」の結界破りを狙っているのなら、若者たちの暴走はなんとしても封じ込めねばならない。
「魔石」に操られて橘の一本に手をかけたなら、結界はたちまち破れ、『魔石』は狙いを遂げてしまうのだ。
「警官でない私には、若者たちの暴発を押さえ込むなんて不可能です。アナタたちでなければできないんです。」
ぱたんとドアを閉めてエンジンをかけると、万石は見送る南と凍条に黙礼し…そして、ヘッドライトも灯さぬまま彼の乗った四輪駆動車は村道を上っていった。
車で行けるところはいくらも無く、大部分は徒歩での山越えになる。
「万石先生、どうか御無事で…」
短く呟くと、南と凍条は村役場へと向かった。
凍条は若者たちの動きをけん制するために、そして南は山中社長の動きを監視するために。
万石が外の世界から助けを呼んでくるまでは、2人だけでなんとかしなければならないのだ。
…だが
2人が去ったあと、背後の闇からヌルリと流れ出るように人影が現われた。
万石を見送っていたのは、南たち2人だけではなかったのだ。
万石は、アクセルをなるべく踏み込まぬよう、エンジン音を響かせぬよう気を配りつつ、村道を登っていった。
打ち合わせどおりなら、いまごろ南が山中につき、凍条が村の若者たちについてさりげなく監視下に置いているはずだ。
2日前、はじめて「木神」を目にしたあの峠に辿り着くと万石はいったん車を止めて振り返った。木の神とそれに仕える村は、どちらも墨を流したような闇に沈んでおり、特段の動きは見えない。
「大丈夫そうだな…」
万石はアクセルを軽く踏むと再び車をスタートさせた。
そこからは森の中を縫う一気の下り坂だ。
エンジンをふかす必要もないので右足をアクセルからブレーキペダルの上に移し、セレクトレバーをセカンドに落とした。
ヘッドライトのスイッチをいれると、程度の良くない舗装のせいで小刻みに上下する二つの光の輪の中に、森の木々が浮かび上がった。
(…ん?)
万石は森の木々の中に、ペンライトのように小さく、パトカーの警告灯のように真っ赤な光をチラッと目にしたような気がした。
(ま、まさか?!)
赤い光の正体を見極めようと、万石はとっさにブレーキを踏んだ。
スカッ…
だが、踏み込んだ右足は何の抵抗も感じないまま床についてしまった!
「ブ、ブレーキが!」
二度三度と叩きつけるようにブレーキを踏みなおすが、車のスピードは緩むどころか上がっていく!
ハンドブレーキを引くがこれもだめ!
セレクトレバーを更にロウまで落とすが、ギア比というものを全く無視して、速度メーターの針は60キロを突破!
ヘッドライトの照らす円の隅を、「右へのカーブ」を示す標識がすっ飛んでいった!
白いガードレールが、万石の目の前いっぱいに迫る!!
ガシャーーンという金属同士がぶつかる音!そして激しいショック!!
上が下になって車とともに崖下へと落ちていく何万分の一秒という一瞬、万石は自分が飛び出したばかりの箇所に立つ相手の姿をハッキリと見た!
(そうか!おまえだったのか!)
そして万石と彼を乗せた車は、30メートル下の、巨岩の転がる谷川へと落ちていった。
役場の受付に置かれた待合の長椅子から南は身を起した。
もちろん眠っていたわけではない。
反対側の長椅子に眠っている…ようにみえる山中社長を一晩中監視していたのだ。
(万石先生は…無事に町まで着けただろうか?)
外はようやく白み始めたばかりだが、役場の時計は7時45分を指している。
南が窓辺に立って外の様子を覗いていると、人の動く気配に目が覚めたのか、山中も起き上がってきた。
「…時間の割りに暗いと思うかな?」
「ええ、そうですね。」
「東京ならもうとっくに明るくなっているだろうが、山に囲まれた谷間のこの村では、太陽がかなり上まで昇ってくれないと明るくはならなのだ。なのに、夕方はあっという間に暗くなってしまう。」
日の当たる時間が最も短い村。言い換えれば、夜の時間が最も長い村。それがこの村なのだ。
「南くん、キミにはキミの考えがあるだろうし、エコだとか、自然環境保護だとかの考えもあるだろう。だが私はこの村をもっと明るくしたい。木神のくびきを絶って、もっと日の当たる村にしたい。…それだけなんだよ。」
(…本当にこの人が『魔石』の手先なんだろうか?)
一瞬浮かんだそんな考えを、南は慌てて振り捨てた。
(だめだ!だめだ!そんなことを考えていたら、『魔石』の思う壺だぞ。山中社長の監視役に徹するんだ!万石先生が戻られるまでのあいだは…)
そのとき!パタパタという軽いエンジン音とともに、村の若者の一人が50tバイクで乗り付けると受付に飛び込んできた。
「たいへんだぁ、谷川に車が、お、落っこちてんぞー!」
107 :
A級戦犯/木 神:2008/05/28(水) 17:06:10 ID:+sOUaQ7R0
「ゆんべの地震の後始末で家に戻った眠りかけたとき、谷川の方で何か落っこちたような音がしたんだぁ。岩でも落っこちたにちげえねえって思ってて…そんで今朝になって村道まで見に行ってみたら…」
「まさか……」
顔色を変えて南が役場を飛び出すと、村の若者数名とそれをさりげなく監視している凍条がやって来るところだった。
「いまバイクがすっ飛んできませんでしたか?」
「凍条か!オレと来い!!」
凍条は何も聞かなかった。南の顔色が全てを物語っているのだ。
昨夜のままキーが挿しっぱなしになっている万石の車に2人が飛び乗ると、オンボロ軽自動車はゼイゼイと村道を這い登り…。
108 :
A級戦犯/木 神:2008/05/28(水) 17:08:09 ID:+sOUaQ7R0
「そんな馬鹿な…」
眼下の光景に、南はそれきり絶句してしまった。
白いガードレールがリボンのように捲れ……そこから30メートルほど下の谷川に、万石の乗って行った車は仰向けになっていた。
黒いエンジンオイルが血のように流れ、キャビンはペシャンコに潰れている。
人間がまともな姿で入っていられるような空間は残っていない。
「南先輩!!」
坂の上まで検証に行っていた凍条が戻ってきた。
「ブレーキ痕は全くありません。万石さんはノーブレーキのままでこのガードレールを突き破ったようです。」
「そんな…馬鹿な」南はさっきの言葉を繰り返した。
「ボクもそう思います。泥酔でもしていない限り、そんなムチャをする人はいません。つまり万石さんは……。」
「6人目の犠牲者か…。」
南は自分の迂闊さを呪った。
「魔石」は「橘の輪」の結界を狙ってくるとばかり思っていたのに……
まさか万石先生を狙ってくるとは…。
なんとしても止めるべきだったのだ。
悔やんでも悔やみきれない。
(でも……何故ココでなんだ?)
殺す気なら、村の中でも襲えたはずだ。
邪魔が入るのを嫌ったのなら、もっと村の遠くで襲えばいい。
…何故だ?
その答えが訪れたのは本当に突然だった!
「オレたちだ!」
両眼を見開いて南は叫んだ!
「万石先生が襲われたと思ったから、オレたちはここにいるんだ!」
「そ、それじゃあ!?」
「オレたちを村から引き離すために、万石先生はここで襲われたんだ!」
109 :
A級戦犯/木 神:2008/05/28(水) 17:09:52 ID:+sOUaQ7R0
慌てて車に駆け戻り、例の峠を越えると…谷底から白い煙がいく筋か立ち上っているのが見えた。「木神」の森の中でチラチラ動くオレンジ色の光は、たぶん松明だ!
「まずいです先輩!ヤツラ『木神』の森を焼き討ちするつもりです!」
「万石先生を襲ったことでオレたちを村から釣り出し、同時に村の若者たちの恐怖と怒りを煽ったんだ!」
村道を転げるように駆け下り、役場にぶつける寸前のところでなんとか急停車させると、
役場から窪田が泣きそうな顔で飛び出してきた。
「窪田さん!山中社長は!?」
「判りません!さっきまで村の若い人たちと話してたんですけど。」
「やっぱり山中社長なのか!?」
凍条の顔が悲しみに歪むと、「木神」の森に向かって駆け出した!
それに南、そして窪田が続く!
(結界が破られたら、この地の力が『魔石』のものになってしまう!)
悪魔の宿願達成は目前に迫っている!
なんと!書き込めるようになってる。
それでは改めて、ダガーラに一票。
「ODがダガーラに効かないわけないだろ?」という長文を書き続けていて、この一票は顰蹙かもしれないが(笑)。
「効く」としたほうが、対決が面白くなるからね。
話は脱線するが、「ゴジラの出現」は神かあるいは地球そのものの意思だよ。
モスラとかスーパーマンとか一生物の超能力で阻止できるものじゃない。
ビキニの水爆実験を無かったことにしても、結局ゴジラは出現してしまう。
現に「対キングギドラ」で、ゴジラザウルスをタイムワープさせて水爆実験の影響圏内から外しても、結局今度は原潜事故でゴジラが出現した。
そこに作用しているのは、「運命そのものを支配する力のある存在(絶対神ユウコーさんかな?)」の意思なんだろうね。
だからいまいるビジラの存在を抹消しても、より強大になってゴジラは出現してしまうんだろう。
上は全くの誤爆(大謝)。
鉈か何かで手当たり次第に切り払ったらしく、いたるところに落ちている大小の潅木や枝を飛び越えながら、南と凍条は森の中の道を駆け抜けた。
村の入会林から「木神」の森へ。
途中、ブナの木に向かって、引き攣った顔で狂ったように斧を振り下ろしている男をみつけ、凍条は飛びつきざまに投げ飛ばした!
「止めろお!!」
「かまうな凍条!」
「しかし!」
「いまは『橘の輪』のところまでともかく急ぐんだ!!」
生木が燃える臭いがする!
誰かが森に火を放ったのだ。0
(間に合うのかっ!?)
マシラのように森を駆ける南の視界に、結界を構成する橘とそれに近づく村人の一群が入った。
手当たり次第という感じで、木々に鉈や手斧を叩きつけ、あるいは火をつけて回っている!
「待てっ!」
「邪魔すんでねえ東京もん!」
中の一人が横殴りに振り回した天秤棒を、斜めに滑らせた左肘でそらすと同時に、右手で相手の胸倉をふん掴まえて投げるっ!!
「おれは田舎もんだあっ!!」
南に襲い掛かった村人は、トランポリンでも使ったように、面白いほど吹っ飛んだ。
(あれはっ!)
村人たちの先頭に山中社長がいた!
村人たちの先頭に山中社長がいた!
既に傾きかけている橘の木に留めの一撃を叩き込むべく、山中社長はゆっくりとバックスイングの体勢に入った。
「山中――――つ!!」
殺気立つ村人たちの中に、怒号とともに南は飛び込んだ。
多勢に無勢。
おまけに南は素手、一方の村人たちは手に手に鉈や手斧、火のついた棒ぎれなどを持っている。
だが南は…先頭の3人ばかりを強行突破すると、後ろにいた4人目に飛び掛った。
後方にいる者は、「まだ自分の出番は無い」思って油断しているのだ。
ふん捕まえた相手を、さらにその後ろにいた2〜3人に向かってぶん投げ、一度になぎ倒すと、南はそのまま一気に山中社長へと迫る。
「止めるんだーーーーーっ!!」
……ヒュッ!
数メートルほど遅れて南を追う凍条の耳元を、風切り音がすり抜けた直後、南がガクンと膝から崩れ落ちた。そしてその向こう側では、山中社長が手にした斧をフルスイング!
ガツーンという乾いた音が響き、メリメリッという湿り気を含んだ音が続いた。
橘の木は倒れた。
結界は…ついに破られたのだ。
「み、南先輩!?」
凍条が助け起すと、南の左胸には真っ赤なシミが広がりはじめていた。
「…ん?ど、どうしたんだ南くん!?」
背後の騒ぎに気づいて駆け寄りかけた山中社長に、凍条は拳銃を突きつけた。
「近寄るな!バケモノめ!」
凍条は怒りと悲しみに震える指を、引き金に掛けた。
「畜生!やっぱりアナタが魔石なんだな!」
突然、血にまみれた手が拳銃を構える凍条の腕を引き下ろした。
「ち、違う…山中社長じゃ…ない…」
「南先輩!」
「見ろ!橘の輪は…何処を…通っている?」
「橘の輪は?………あっ!」
十数メートル向こうの橘と、目の前で切り倒された橘とを結ぶラインは、ついさっきまで山中社長が立っていた場所のすぐ後ろを通っている!
「や、山中社長が…『魔…石』なら…、『橘の輪』は…超えられない…」
「そ、それでは『魔石』は……」
凍条の脳裏を様々な情報が稲妻のように駆け巡った!『魔石』に支配されている人物。それは………山中社長と常に行動をともにしていた人物……山中社長とともに「木神」の祟りに侵されなかった人物……橘の結界に近づこうともしなかった人物……そして……
『……山中は語りかけていました。『美しい。どんなものよりも、オマエは美しい』と。』
…万石の、山中社長に対する疑いを決定的にした人物だ!!
「そうか…くたばれ!バケモノ!!」
凍条は上半身を大きく捻ると、背後に向かって続けざまに拳銃の引き金を引いた!
バン!バン!バン!乾いた音と共に、リズミカルに銃口が跳ね上がる!
だが…何もおこらない。凍条の放った弾丸は、一発残らず何も無い空中に捉えられてしまったのだ!驚愕する凍条の目の前で、弾丸はバラバラと大地に落ちた。
「いまごろ気がついても、もう遅いですよ。」
ガラスのような営業スマイルを顔に貼り付けたまま、嘲るように窪田は言った。
「山中社長にとり憑いていたんじゃなかったのか。」
「…その男に?ワタシが??」
窪田…いや、「魔石」はさも愉快そうにケラケラと笑い出した。
「でも、その男は、美しくありませんわ。」
慄然として凍条は悟った。
万石は言っていたではないか。小学校の校舎にあった「不思議な石」は、子供の心に触れ、子供を愛し、子供の一人になりたいと願ったと。
では、邪悪な男の魂に触れ、ただの美しさを讃えられ続けた石は何を望むのか?!
「ワタシは美しいの。そして美しいものが好きなの。だから……。」
「窪田くん?……窪田くんどうしたんだ!?何を言ってるんだ??」
事態が飲み込めないまま、山中社長が不用意に二三歩近寄った。
「危ないっ!」
凍条が叫ぶのと殆ど同時に、窪田の右目が赤く光って、山中の体がはじき飛ばされた!
「ぐあっ!?」
見えないダンプカーにはねられたように、20メートル近くも吹っ飛ばされた山中の体は、
ブナの古木の根元に叩きつけられてそのまま動かなくなった。
「結界は、破れたわ。」
窪田の顔から、社長秘書としての営業用の微笑みが剥がれ落ちると、老婆とも老人とも見える笑みがとってかわった。
「結果は、破れタ。『木 神』だケニ流れこんデイタ大地のエネルギーが、ワたシニも流レこンでいル。」
歓声を上げる窪田の髪が黒から赤に変わり始めると同時に、その声も性を感じさせぬ、無機的な声色へと変化した。
「…手始メニ、この山ト、コの森ト、ソして、オマエタちヲ、余サズ灰ニシテヤロウ」
「あ、あわわわ…」
何がおこっているんだ?という顔でなりゆきを眺めていた村人の一人が、騒ぎ出したのを皮切りに、森を荒らしていた村の若者たちは一斉に逃げ出した。
その姿を見て、軽蔑もあらわに窪田=「魔石」は罵倒した。
「自分を守ってくれテイるものを自分で壊しテシまった馬鹿モノども!オマエタチ生キ物ハ、ドイツモコイツモ救イヨウノ無イ馬鹿モノバカリヨ。」
「魔石」の目がまたも赤く光りだした!
「ワタシハ石。ワタシノ命ハ大地ノ命。ワタシノ思イハ星ノ思イ。命短キ愚カモノドモヨ、
我ガ炎、己ガ体デ味ワウガイイ!」
「炎!?…そうか、パイロキネシス(精神発火)!」凍条が叫んだ。「三番目の犠牲者は自宅で焼け死んだ!それがオマエの力なんだな!」
ニヤリと「魔石」は笑い返した。瞳が輝きを増し、髪は燃え立つ炎のように赤く染まった!
(焼き殺されるのか!?)
無駄とは知りながらも、凍条は重傷を負った南を守ろうと、その上に覆いかぶさった。
…魔石の瞳が更に輝く!
……ズゥンッ!!
そのとき、昨夜と同じ地響きが轟き渡った!
「魔石」憤怒の形相で天を仰いだ!
「オノレ、マダ邪魔ヲスル気カ!?」
ギシギシギシィィィィィッ!
ズゥンッ!!
何かが軋む音とともに、もう一度地響きが轟いた!
(何かがやって来る?)
「魔石」の視線の行方をたどった凍条は、目にした光景に瞬間度肝を抜かれた!
歩けぬはずの木が歩く!
緑の巨人=木神が、二本の足を大地から引き抜いて、真っ赤な髪をなびかせる魔性の女=『魔石』と戦うべくやって来る!
「ソウマデシテ、コノ小サナ世界ヲ守リタイノカ!?」
凍条も、やっと昨夜の事件の真相に気がついた。
「夕べの事件は、三乃家のお爺さんを助けたいという『木神』の一念が起したものだったのか!」
三乃家の老人に魔石の魔の手が迫ったとき、大樹は「行って助けてやりたい」と願ったのだ。
その思いが、昨夜の怪異現象の正体だ!
いや、ただ助けたいと願っただけではない、実際助けようとして「魔石」と目には見えない戦いを繰り広げたればこそ、「魔石」は三乃家の老人の首を折るところまでしかできなかったのである。
そしてついに…山と、森と、そしてそこに生きるもの全てを守るため、「木 神」は本当に歩きだしたのだ!
「面白イ!相手ニナッテヤロウ!!」
「魔石」は片手を谷川の方に、差し招くように振った。
「魔石」が片手を振ると、ゴオオオオッ!という音につづいて木々を押しつぶし巨大な岩が降って来た。
それも一つではない。巨岩が次々と飛んでくると、「魔石」をシェルターのように包み込むながら次々折り重なっていく!
ぶつかり合い、重なり合う巨岩は、みるみるうちに巨大な人型をつくり上げた。
そして折り重なる巨岩の隙間を漆喰のように赤い光が埋め、そして、人間の頭にあたる箇所の中央に大きな陥没が生じたかと思うと、突然そこに血のような赤い輝きが迸り出た!
赤く輝く隻眼をいただいた、巨岩のサイクロップス!
「魔石」の巨人がズシンと一歩を踏み出した。
緑の巨人と岩の巨人。
身長50メートルをゆうに超える2人の巨人が、「木神の森」で睨みあった!
「ここにいちゃマズい!逃げますよ、南さん!」
凍条は南の体に腕を回し、強引に助け起した。
だが「魔石」に彼らを逃がすつもりなどあろうはずもない。
真っ赤な視線が凍条らに降り注ぎ、巨岩の左足が振り上げられた!
(踏み潰す気か!?)
南を抱えては逃げられない。しかし、かといって自分ひとりで逃げることのできる凍条ではない!
南を抱えたまま、できる限りの速さで必死に走り出す凍条。
それを嘲笑うかのように、巨岩の片足が唸りをあげて振り下ろされる!
しかし、必死に逃げる凍条のまわりの地面から、激しく土くれを飛ばして太い槍か棍棒のようなものが無数に飛び出し、振り下ろされた巨大な足を受け止め絡みついた!
(これは…木の根!?)
土色の根が「魔石」の足に絡みつくと、緑の蔦が巨人の体をスルスルと這い登った。
森中の草木が、「木神」に加勢し「魔石」に挑みかかってゆく。「魔石」はあっというまに茶色と緑色とに覆い尽くされた。
南を抱えて必死に逃げつつ凍条がふと振り返ると、締め付ける蔦と根の圧力で「魔石」の岩の体が軋みを上げ、細かな破片が飛び散り始めていた。
「木の根は時にコンクリートを砕き、岩をも割る。あるいはこの勝負、『木神』が…」
凍条の脳裏をそんな甘い観測が過ぎった瞬間、「魔石」の目が一際赤く輝いた!
爆発でもしたように隻眼が赤く輝くと、まるで導火線でも伝うように赤い光が岩と岩のあいだのあらゆる隙間を駆け巡り、岩の巨人はあっというまに炎に包まれた。
いや、燃えているのは「魔石」ではない。「魔石」に絡み付いていた蔦と根だけだ。
それが証拠に…
「ホホホホホホ…」
炎の中から「魔石」の笑い声が聞こえる!
「私ノ力ハ炎。イクラ束ニナッタトテ、炎ニ弱イ草木ニ何ホドノコトガ、デキヨウカ。」
体を一揺すりして燃え上がった蔦や根を払い落とすと、またも赤い隻眼が輝いて森のあちこちから一斉に火の手が上がった。
突然の炎に逃げ惑う鳥や獣、虫たちを嘲笑いながら「魔石」は次々と火炎を撒き散らす
「刹那ニ生キ、刹那ニ死ヌ。生キ物トハ、何ト脆イモノデアロウカ。」
ギギィィィッ!
悲鳴のような軋み音を上げて「木神」が全身をザワザワと激しく揺らした。するとどうであろうか?あたり一面が何処からともなくミルクのような霧が湧き出したかと思うと、山のあちこちに散らばっていた火の手が瞬く間に消し止められてしまった。
「火ハ消セバヨイトイウワケカ?ダガ、火ヲ消スダケデハ、私ハ倒セ……。」
最後まで言い終えるより早く、「魔石」の体が見えない巨大なハンマーに一撃されたように大きくよろめいた。「木神」のテレキネシスによる攻撃だ。もともと歩けないはずの「木神」が歩いているのもテレキネシスによるものなのだ。
岩の巨人を粉微塵にせんと、「木神」がさらに全身を激しく振るわせると、岩の表面に大小の亀裂が走り、圧力に屈した大小の破片が激しく零れ落ちる!
…しかし、「魔石」はまだ余力を残していた。
真紅の隻眼が、またも怪しく輝くと、突如として「木神」に紅蓮の炎が燃え上がった!
「…攻撃ニ集中シ過ギテ、防御ガ甘クナッタナ…」
「木神」と「魔石」のあいだの空間に、陽炎のようなものが現出し、奇妙な色あいが表れては消える。「木神」と「魔石」の念動力が空中で激しく干渉しあい、空間を歪めているのだ!
「魔石」の力を撥ね退けられないとみるや、「木神」は今度も霧を呼び出して火勢を殺ごうとした!
しかし「魔石」の赤い瞳が追い討ちをかけるように二度!三度!四度!と続けざまに輝くと、「木神」はついに地獄の業火に包み込まれた……。
「南さん!あと少しだけ、頑張って下さい!!」
「いいから…オレを置いて…」
負傷のため動けない南を抱え、転げるように……と言うより、実際なんども転がりながら、必死に逃げ続けていた凍条に、「魔石」と「木神」の戦いの帰趨を見届ける余裕は無かった。
だが…リフト建設予定地跡まで逃げてきたところで、凍条は足元の異変に気がついた。
(どうしたんだ?この明るさは??)
足元が突然明るい…。不審に思った凍条は、足を止めて「木神」の森の方を振り返った。
「あっ!!」
思わず凍条は息を呑んだ。
「木神」が、天を突く巨大な松明となって燃えていた。
村人や凍条、山の動物や植物を守るため「魔石」と戦い、そして敗れたのである。
ゴウゴウと燃え上がる巨木に向かい、(ありがとう)と凍条が心の中で手を合わせたときだった。
「綺麗でしょ?凍条さん。」
覚えのある声にハッと振りかえると…、行く手を塞ぐように「魔石」が立っていた。
いまは岩の巨人の姿ではなく、窪田の姿に戻っている。
「アナタたちが邪魔しなかったら、昨日のうちに結界を壊せていたのに。ほんと、余計なことしてくれるんだから。」
(巨人の姿でないということは……「木神」との戦いでエネルギーを浪費したということか?それなら……)
しかし、だからといってどうするという手立てもない。
脇のホルスターに収まっているP226では効果無いことは、既に実証済みだ。
「山中だって勝手にアンタたちを呼んじゃうし、もういい加減にしてほしいわ。」
無駄と知りつつ凍条は拳銃を突きつけたが、もちろん「魔石」は眉ひとつ動かさない。
「バカね。さっき撃ってみたのに、もう忘れたの?」
ニタリと笑って「魔石」は続けた。
「…ワタシね、バーカは嫌いなのよね。」
窪田の片目が赤く光った!
(……くそっ、このまま殺られるのか!)
だが絶体絶命の瞬間、凍条はその場にいるのが自分と南、そして「魔石」の3人だけではないことに気がついた!
「魔石」から20メートルほど離れたところに立つ、さび付いた鉄塔の前に、いつのまにか白く小柄な人影がいた。
「『木神』の巫女さんね?」
振り返りもせず「魔石」は言った
「……いまごろやって来ても遅いわよ。アナタの主人はついさっき私が滅ぼしたわ。…もう何ていうか、ひと捻りってヤツよね。」
明らかに「魔石」は、「木神」の巫女の登場をなんとも思っていない。
しかし……
「……それで勝ったつもりか?」
その声は、紛れもない外観相応の少女の声だったが、同時にどこか遠くから聞こえてくるような奇妙な響きも併せ持っていた。
「…アナタ、喋れたの?」
驚いた「魔石」が思わず振り返ると、ヒロコは、初めて真正面から相対する「魔石」を、臆することなく睨み返した。
「魔石」を睨みすえたまま、ヒロコは再び口を開いた。
「悪魔の石よ、老いた『木神』には、オマエと戦っても勝てないことなど最初から判っていた。」
「負けを承知で戦ったというの?…ふん、何を負け惜しみを…」
「故に、戦いの前に『木神』は私に命じたのだ。自分との戦いのあとに、力の弱まった『石』を倒せと。」
「た、倒すだと??」
「魔石」の顔に、嘲りの笑みが浮かびあがった。
「……このワタシを倒すだと??ほほほほ…、人間の小娘に過ぎないオマエが、どうやって私を倒そうというのだ?『木神』ですら勝てなかった、このワタシを?」
森じゅうを「魔石」の高笑いが響き渡った。
「いくらワタシの力が弱まったといっても、オマエのような小娘が?このワタシを?ほほほほほほほほほほ…」
「悪魔の石よ!」
「魔石」の嘲笑を圧する大声で、突然ヒロコが叫んだ!
「私の立っているこの場所の意味がわかるか!?そして、私の持っているこの枝の意味がわかるか!?」
ヒロコがそれまで背中に隠し持っていたものを「魔石」に突きつけると、凍条は思わず叫んだ「橘の枝!?」
「そう、そして私が立つこの場所こそ、かつて切り払われた橘の木があった場所だ!」
バブル期の開発で、分断された「外側の橘の輪」。
その断たれた輪の部分に、橘の小枝を手にしてヒロコは立っていた。
「魔石」の表情が一変した!
「結界を再生する気か!?だが不完全な結界で何ができると…」
「そのとおり、不完全な結界でオマエを倒すのは無理だ。だが、『木神』様と戦った直後の今なら、できぬことではない!」
「な、何イ!?」
木神の巫女は祈るような姿勢で橘の枝を捧げ持つと静かに目を閉じると、ヒロコは自らも橘の木と化したように、みずみずしい橘の小枝を頭上高く差し上げた!
「『木神』の森に住まう草よ!木よ!生きとし生ける全ての友よ!我が結界に、力を貸せ!」
淡いオレンジの柱が、ヒロコの掲げた橘の小枝から立ち登った!
するとそれに呼応するように、一本、また一本と森の中からオレンジの柱が立ちあがる!
いまだ森に健在の橘の木が、ヒロコの呼びかけに応じているのだ。
次々立ち現れるオレンジの光の柱は、ついに「木神」の森全体を囲い込むと、にわかに「魔石」が苦しみだした。
「『魔石』よ!大地そのものと齢を同じくするオマエからすれば、我々の命は一瞬に過ぎない。されど『魔石』よ!心して聞くがいい!命短い我々は、短い命を受け渡すことで、オマエに匹敵する長い時間を越えてきたのだ!」
「ぐあぁ……い、命を受け渡すだと!?」
「そうだ!父母から子へ、そして孫へ、我らは命を繋いできた!そして知るがいい!『魔石』よ!繋ぐ命は、オマエにも負けない!」
ヒロコの正面の光景が、「木神」と「岩の巨人」の戦いのときのように奇妙に歪んだ!
「魔石」の念動力が、別の力に跳ね返されているらしい。二つの力の鬩ぎあいが、空間の歪みを生み、光が曲がり映像も歪むのだ。
凍条の目の前で、歪みの範囲が急激に広がったかと思うと、口では表現し難い色が次々と現われては消えた。
(「魔石」が全力を挙げて結界を破ろうとしている!)
だが、橘の結界は今度も「魔石」の魔力を跳ね返し、ヒロコには指一本ふれさせない!
ヒロコが更に念を込めると、「魔石」の苦しみも更に大きくなる。
「ぐぅあぁ………」
……しかし、酷く苦しみこそしているが、このまま「魔石」を滅ぼせるとは凍条には思えなかった。
(このままではダメだ、でも、何が足りないんだ!?)
オレンジの光の柱をひとつづつ目で追っていくと、一箇所だけ大きく間の開いた箇所があることに凍条は気がついた。
「そうか、新村道!あそこの橘が途切れたままだから、結界の再生も不完全なんだ。」
「ううっ……」
歯を食いしばってヒロコは念を集中していたが、手にした橘の小枝から生じる光の柱が、次第に揺らめきを見せ始めた。
短い命の人の子と、地質年代的存在の「石」とでは、耐える力に差があるのだ。
ヒロコの額に玉の汗が流れ、対照的に『魔石』の口から勝利の笑いが漏れた!
「やっぱり…私の勝ちみたいね。ほほほほほほほ」
ついにヒロコががっくり片膝をついた。橘の小枝こそ捧げ持ったままだが、光の柱は消えやらんばかりだ。
「…やっぱりダメなのか!?」
…ついに凍条すら諦めかけた……そのときだ!
新村道の向こう側、「橘の輪」の途切れているはずの箇所からオレンジの光の柱が新たに天へと立ち登った!
「…ぐ!?ぐああああっ!!」
途絶が無くなり、「橘の輪」が完成した瞬間、「魔石」の口から絶叫が迸った!!
「け、結界が!?結界が完全に?何故だ!?そんなバカな!?」
叫び続ける「魔石」の全身に細かなヒビ割れが走った!
よろめきながらも立ち上がると、力の限りにヒロコが叫んだ!
「滅びよっ!『魔石』っ!」
南と凍条が村役場前までなんとか戻ってくると、新村道を大儀そうに下ってくるある男と出くわした。
苦しい息の下、それでもほっとしたように南は言った。
「最後に現われた…光の柱は…、やっぱり…アナタの…仕業だったんですね…万石先生。」
傷の深い南を、凍条と万石が左右から支えるようにして受付の長椅子に横たわらせた。
「四番目の犠牲者の掌(てのひら)からは柑橘系の臭いがしました。それに…南さんは気がつきましたか?五番目の犠牲者、三乃家の老人の遺体のすぐそばには、橘の小枝が落ちていたんです。それで、私は、村の外で橘の鉢植えでも調達して来ようと思ってたんですが。」
そこまでの必要も無かったんですねと、万石は笑った。
「それで…『魔石』は…どうなりましたか?」
「『木神』の遺志を継いだ巫女が、見事滅ぼしましたよ。」南に代わって凍条が答えた。「…何万年もの歳月を一度に受けたみたいに、あっというまに風化して砕け散ってしまいました……。ところで万石先生。」
凍条もいつのまにか「万石さん」ではなく「万石先生」と呼びかけていた。
「…先生は車ごと谷川に落ちられたのではなかったのですか?」
「確かに落ちましたよ。」万石は実にこともなげに答えた。「…落っこちながら、窪田さんが上から見下ろしてるのが見えたくらいですから。」
「それでは何で?」
…なんで無事なのかということだ。
「判りません。山火事のような気配がして……気がつくと橘の木の根元に倒れていたんです。」
万石が視線を落とすと、いつのまにか南は目を閉じていた。
死んでいるのではない。胸が僅かに上下しているからそれは確かだ。
「万石先生。ひょっとすると…『木神』が念動力で助けてくれたんではないでしょうか!?」
「たぶん…たぶんそうなんだと思います。…理由は全く判りませんが…。」
さすがの万石にも、自分が助けられた理由はさっぱり判らなかった。
「木神」が何故、念動力を用いてまで万石を助けたのか?
それは……足元の花を摘もうとしかけて「せっかく咲いてるんですから、止めときましょう」と言った、万石の優しさに対する「木神」の返礼だったのだ。
もう「木神」はいません。
「木神の森」も焼き払われ、炭と化した木々が黒い肌を晒しています。
しかしよく見れば、その根元には新たな緑、命を受け継ぐ若葉が顔を覗かせているのに気づくでしょう。
このように次々と命を受け渡すことで、私たちは永劫の時をこえて来たのです。
受け継がれてきた命のバトン。
一つに繋がれた「億」を超える歳月。
その重さというものを、私たちは考え直してみるべきなのではないでしょうか。
A級戦犯/「木 神」
お し ま い
今回の「木 神」は、土壇場でいろいろと災難に見舞われました。
ラスト部分を投下しようと思ったら、何故かアクセス禁止。
アクセス禁止が解けたと思ったら、こんどはパソコン不調。
おかげで、金曜の終了予定がずれこんで火曜に…。
最後の止めで、溜まった分を連続投下したら連投禁止規定に引っかかりました。
いや、ひどい目にあいました(笑)。
「木神」は基本的に原作に忠実に構成しましたが、一つだけ「魔石」の憑依している対象を社長から社長秘書に変更しました。
そしてジャパネスク・ネタをたっぷり盛り込んだ上に、楽屋オチで名前だけですがウォレス大佐を登場させました。
大佐は某板の某スレに投下した駄文「エニグマ」用に作ったキャラクターで、個人的に気に入ったので部下の軍曹やファン・リーテンともども何処かで再登場させたいと思っていたヤツです。
さて次回は……ほかに投下される方がいらっしゃらなければ、万石先生続投の「甦る顎(アギト)」です。
128 :
名無しより愛をこめて:2008/06/06(金) 13:17:15 ID:GKBKPMtT0
応援
129 :
名無しより愛をこめて:2008/06/11(水) 14:57:43 ID:Cl/kCFbv0
応援!!
おまいら、なんで強姦魔が辞められないか知ってる?
経験者から聞いた話なんだが、レイプしようとすると大抵の女は始めは嫌がるんだが、
暴れて疲れるとほとんど身動きも出来なくなる。もう好きにして状態になる。
そして驚く事に、女はレイプされるともの凄く感じる。
普通にセックスした時よりも、比べ物にならないほど激しくイクらしい。痙攣してイキまくる。
それは大量のアドレナリンとドーパミンが順番に分泌されるからである。
吊り橋効果と似ていて、レイプ魔に襲われて恐怖を感じた時に、
アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、自分が恋愛をしていると脳が錯覚して、
脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、体が快感を覚えて反応し、挿入からしばらくすると、
膣が充血する事で、クリトリスや膣内の性感帯が過敏になり、
膣が刺激される度にピストン運動にあわせて脊髄反射で腰を振ってしまったり
痛みに対して悲鳴を上げるように、快感に対してよがり声をあげてしまうわけなのです。
女性というのは、そういう風に出来ているのだそうだ。
(動物学者の真面目な研究で霊長類・特にオランウータンとチンパンジーは
同意婚よりレイプ婚がむしろ多いってのと関係してるかもしれない。)
だから強姦はクセになってしまうのだそうです。
ついでに言うと、強姦被害者がよく自殺なんて話があるが、あれは強姦されたことが嫌で死ぬわけではなく、
強姦されて激しく快感を覚えた自分の体に嫌悪して死ぬのだそうですよ。
ちなみにこれは知り合いの弁護士が連続強姦魔から聞いた話です。
強姦魔の話では、強姦をするときに女性が自分が感じてしまっている事への戸惑いと
快楽に身を任せる表情とが入り混じってたまらないと言います。
どんな美人でも最後には泣きながら自分から腰を振るそうです。
嫌だとは思いながらも体は感じすぎてしまい拒絶できない。むしろ自分から求めてしまうそうです。
強姦魔によると、美人が泣きながらも苦悶の表情で、「イク」と言うのがたまらないと言います。
一度知ったら誰であろうと絶対に辞められるわけないとも言っておりました。
謎のシステム・トラブルからついに復活!
…と思ったら、また何だか変なのが書いてある(笑)。
荒しにしては攻撃力が低め…。単なる誤爆か??
せっかくだからネタとして採用いたしもうす。
タイトルは…「狂った童話」。
粗筋もほぼ完成にござる。
ただひとつ問題なのが、投下予定の「甦る顎(あぎと)」と連続殺人ものが続いてしまうこと。
スレのバランスからして好ましくありません。
そこで毛色の違った駄文を一本、あいだに挟むことを検討中。
候補作は「おっぱいがいっぱい」か「勇気の杖」。
……まともなファンタジーか、エロ・バカか(笑)。
「××大学小林教授、ヒトES細胞の製作に成功!」
「夢の医療実現!!」
そんな見出しが新聞各紙の一面に躍ったのは、たった4年前のことでした。
ES細胞とは正式には「胚性幹細胞」と呼ばれ、人体のどんな部位にでも成長し得る細胞のことです。
もしこの細胞を作り出す技術が開発されれば、再生医療と遺伝子組み換え技術の進歩により人類にもたらされる恩恵は計り知れないものがあります。
一部雑誌が「小林教授はES細胞の製造に成功しただけでなく、既に臨床試験にも着手しているらしい」と報じ、一部には教授のことを「救世主」と呼ぶ人々まで現われました。
しかしそれから半年後、教授は「時代の人」から一転して、「詐欺師」呼ばわりされる身の上となっていました。
他の研究者の追試に必要なデータの一部に、捏造があることが判ったからです。追求に対する博士の沈黙とその後の失踪は、「罪の自白」と一方的に決め付けられました。
今回は、夢のES細胞に賭けた父の執念と、悲劇の物語です。
「甦る顎(アギト)」
「またですね部長。」
「ああ、まただよ編集長。」
「編集長」と呼ばれるようになってから1ケ月が過ぎていたが、またコモモはしっくりこないものを感じていた。彼女にとって「編集長」とは、いま目の前にいる「部長」と呼ばれる男のことだった。
10年前、この地方紙の記者として採用されてからこのから、コモモはずっとこの男の部下として働いてきた。そしてこの4月、「編集長」が「部長」に昇格することが内示されたとき、彼が自分の後任として推薦したのが、コモモだったのだ。
「通算では6人目だ。…事件の発生は未明の午前零時30分。第一発見者が、悲鳴を聞いて駆けつけた警邏中の警官だから時間の点は間違いない。」
石堂市を中心とした周囲4市は、4ヶ月ほど前から始まった「人狼連続殺人事件」で揺れに揺れていた。
部長が知り合いの警察関係者から聞き出した情報によると……
獣のような唸り声と女の悲鳴を耳にしてから現場に駆けつけるまでの僅かニ分ほどのあいだに、犯人は「仕事」を終えて姿を消してしまっていたのだという。
「しかし編集長。僅か二分ばかりのあいだに人間一人を殺して腹を裂き、心臓と肝臓を持ち去るなんてことが可能だと思うか?」
部長は、有能だし部下思いのいい上司なのだが、デリカシーが無いのが最大の欠点だ。
今回もコモモの顔色が青くなったのもお構いなしに、遺体の状況についてひとくさりぶっておいてから、さらりと言い足した。
「ところで編集長。弁当は持ってきたのか?もし、用意がないならこのあいだ開店したホルモン鍋でも……」
「……謹んでご辞退させていただきます。」
ほうほうのていで、コモモは部長室を退出したのだった。
編集部に戻るまでにでんぐり返りしかかった胃袋を建て直し、コモモの判断待ちになっていた案件をてきぱき片づけると、彼女は改めて自身のスケジュールを確認した。
コモモの働いているようなちっぽけな地方新聞では、「編集長」などと言っても、デスクにふんぞり返っているわけにはいかない。
自ら一記者として現場に出て取材活動もこなさねばならないのである。
それに、今日はもうひとつ…大事な仕事があった。
スケジュール帳を閉じて席を立つと、コモモはつい一ヶ月前までは自分が占領してたデスクの前へと向かった。
コモモのデスクの新しい住人は、コモモの昇格に伴い新たに採用された女の子で、彼女の弟であるユウスケのかつての教え子だった。そして、コモモと同様に、10年前の事件の主要な登場人物の一人でもあった。
「さあユウカくん、今日は取材の実地研修よ。」
「は、はい」
緊張のあまりに口を真一文字に結んだまま目をパチクリやっているユウカの姿に、コモモは思わず噴出してしまった
「…そんなに緊張しなくたって大丈夫よ。取材の相手だって、ユウカちゃんも知ってるあの万石先生なんだから。」
(…万石先生!?)
「万石」という名前を耳にしたとたん、ユウカの前の景色は一変した。
いまユウカがいるのは、日の光の差し込む明るく雑然とした地方新聞の編集室ではなかった。
10年前に彼女が通っていた小学校の教室だった。
窓の外は真っ暗だというのに窓にカーテンはかかっていない。
そして暗い窓の前にうつむき加減の少年が、ひとりポツンと立っている。
ユウカは少年の名を呼ぼうとして、彼の名を知らないことに気がついた。
でも……例え名前を知らなくとも、少年がクラスの友達であることは知っている。
それが証拠に、ユウカはいま自分が笑っていることを感じていた。
家族と故郷を地震でいちどきに失ったあの夜から、笑うことなんてすっかり忘れていたはずの自分が…。
ユウカが少年に手を差し伸べると、少年もためらいがちにユウカに手を差し出し……。
(彼の笑顔がなんだかちょっとヘタクソに見えるのは、私の笑顔がぎこちないせい?だからか?)
責任を感じたユウカが、1年前までは知っていたはずの「思いっきりの笑顔」をなんとか自分の顔で再現しようとしたそのときだった。
窓の外から飛び込んできた閃光が、少年の姿を一瞬で飲み込んだ。
………
……
…………
「…ユウカくん?」
コモモの声に、ユウカはハッと我に返った。
「あ、あの、すみません…」
「またあの夜のことを思い出してたのね。」
「……はい」
「万石先生のせいね。」
ユウカは応えなかった。首を横に振ればあまりに見え透いた嘘になるし、縦に振れば自分が10年前の事件から立ち直りきっていないのを認めてしまうことになるからだ。
それに聡明なコモモには返事など必要なかったろう。
「だから最初の取材対象を万石先生にお願いしたの。あの夜のできごとを、新聞記者としての目で客観的に捉えなおして欲しいから。」
こんどもユウカは言葉を返せなかったが、小さく頷くことならできた。
「じゃあ、行きましょうか。」
コモモがハンドルを握る軽自動車は、石堂市の中心街を抜け、郊外へと向かっていた。
この道は10年前の夜、万石の車で走った道でもあった。
あのころのこの辺りはまだ住宅もまばらで……。
コモモの記憶も、あの夜に関しては、実体験というより、映画で見た場面のようだった。
……一の谷研究所……軽トラックの荷台に姿を現したSF兵器=「石を斬るもの」エクスカリバー……石の見る夢とユウカの見る夢……そして……エクスカリバー発射!
コモモの意識を「今」に引き戻したのは、にわかに漂いはじめた「事件の臭い」だった。
昼を少し回ったぐらいの時間で、しかも場所が住宅地だというのに、屋外に出ている人が多すぎるのである。コモモは知らぬ間に、部長が言っていた「昨夜の事件現場」付近に通りかかっていた。
都市の大テレビ局の中継車が3台も停まり、レポーターと取材クルーがぞろぞろと一団になって閑静な住宅街を徘徊する姿は非日常的に過ぎ、コモモと同じ報道関係者だとはとても思えなかった。
一方、助手席にちんまり座るユウカはというと、ついこのあいだまでは学生だったので、素人根性丸出しで私物のデジカメをあちこち向けては写真をとっている。
(「地震の夢」の事件から10年、平和な時間が続いていたというのに、いったいなんでこんな事件が…)
暗い想念を振り払うように気持ちアクセルを踏み足すと、コモモの車は通称「大学の丘」
への坂道をぐいぐいと上って行った。
「いらっしゃい。コモモくんに小山ユウカちゃん。」
コモモとユウカが研究室に入ると、万石はミカンのような良い匂いのする木の鉢植えに、水をやっているところだった。
「先生、ユウカくんはもう小学六年生じゃないんですよ。」
「あ、これは失敬しましたね。立派なレディーをつかまえて『ちゃん』だなんて。」
万石は鉢植えを日当たりのいい窓辺に置くと、コモモとユウカの前に腰を下ろした。
「…で、今日は何を聞きたくてお見えになられたんですか?」
「実は…最近世間を騒がせている……」
「人狼殺人事件ですか……祟りの次は人狼とは……」
万石は思わず苦笑して天井を見上げた。
「……でも私は、犯罪捜査は専門外なんですけども。」
「いえ、そういうことではないんです。」
コモモは笑顔で首を横に振った。
「一般市民は謎の連続殺人の犯人を『人狼』と呼んで恐れたり、ネットでは逆にもて囃したりしています。でも、実際の犯人はきっと…。」
「ごく普通の、つまらない人間ですよ。」
万石の視線、天井からコモモとユウカのところにもどって来た。
「わかりました。神格化されつつある怪物の化けの皮を剥いでくれと、そういうわけですね。そういうことなら……」
おもむろに座り直すと、口調から改めて万石は話をはじめた。
「人狼を意味する『リカント』の語源は、古代アルカディアの王リュカイオスだという説があります。」
「リュカイオス自身は正しい王で、ゼウス・オリンポスの信仰を支配地であるアルカディアに広めた功労者だそうです。
ですが、彼の息子たちは父ほど信仰心厚い人間ではなかったようですね。彼らは末の弟を殺すとその肉で料理を作り、父王が設えた神々の祭壇に捧げたのだそうです。
もちろん神々は激怒しました。弟殺しの息子たちを一人残らず雷撃で撃ち殺すと、父リュカイオスには呪いをかけ、その姿を狼に変えたのです。」
コモモは、自分も知っている「リカント」という語と、ヨーロッパの伝説との温度差に内心少なからず驚いていた。彼女の知っている「リカント」とは……
『リカント があらわれた!』
ビロロロ〜ン♪というBGMとともに現われるアイツだった。ほかに「ダースリカント」「キラーリカント」「リカントマムル」なんて同類もいたが、あの牧歌的なモンスターの背後には陰惨極まりない物語が潜んでいたのだ。
狂犬病のとしての狼人間、麦に発生する細菌が原因の狼人間、そして精神疾患としての狼人間……万石の話は多岐に渡ったが、どれも人類史の暗黒面に纏わるものばかりで、読んだ人間が明るく前向きな気分になれるようなものではない。
「なんだかこれじゃ…」レコーダーのスイッチを切りながらコモモは言った。
「…怪物の化けの皮を剥ぐんじゃなくて、化けの皮を厚くすることになりそうですね。」
「そうですね。なにか…こう、スカッとする話ができたら良かったんですが…。」
「でも、お話を脚色なんてされちゃ却ってまずいことになりますから。」
微笑みながら手帖を閉じ、バッグにレコーダーをしまいかけたコモモだったが、当然思い出したようにユウカに声をかけた。
「ユウカくん。何かアナタは先生にがうかがいたいことないかしら?」
インタビューの実地研修ということで話を向けただけだったので、コモモとしてもここでユウカが何か実のあることを言うとは期待していなかったのだが…。
ユウカの質問は、コモモの思ってもみないものだった。
「万石先生。」
「はい、なんでしょうか?」
「人間が先祖返りして狼人間になることはないんでしょうか?」
「先祖返りで狼男に……ですか。」
再び天井を見上げてたっぷり10秒ほど考えたあとで、万石はおもむろに口を開いた。
「私は…そういうことは無いと考えますね。そもそも『先祖返り』といったところで、返れる範囲はたかが知れてますし、それに……。」
万石の視線がユウカの瞳を覗き込んだ。
「『先祖返り』という言葉を使うとき、人は先祖=下等で野蛮と捉えがちですが…。」
「違うんでしょうか?」とユウカ。
万石はゆっくり頷いた。
「野生動物が同族同士で争うとき、相手が死ぬまで戦いが継続することはまずありません。例外は…人間と、それからチンパンジーで、相手を殺すまで戦う場合があります。では、人間とチンパンジーの共通点とは、何だと思いますか?」
「……知能でしょうか?」
ユウカがほぼ即答すると、万石は、頷くと同時に拍手するように手まで叩いた。
「本能のみに従うとき、本能は同族どうしの殺し合いにブレーキをかけます。このブレーキを解除するのは知能なんです。」
万石の考えは……進化=善という考えを否定するものだった。
「いわゆる『わがままな遺伝子論』では、同族同士の殺し合いほどナンセンスな現象はありません。しかし、知能は囁くのです。『殺せるときに殺しておかなければ、オレが殺られるぞ』と。」
「…まるで失楽園みたいな話ですね。」
知恵の木の実を食べた人間は、知恵を得たのと引き換えに、獣の住む平和の楽園=本能の世界を追われたのだ。
「その通りですね。だからもし、完全に野生の状態に戻った人間がいたとしたら、その人間は大部分の現代人よりも却って安全なくらいだと思いますよ。」
だってその人間は、エデンの園の住人なんですからね、と万石の話は終わった。
「実地研修」も終えてこの4月から一人暮らしをはじめているアパートに戻ると、ユウカは床に大の字になりたいという誘惑と戦わなければならなかった。
社会人生活の初日は、それほどに緊張の連続だったのだ。
バッグを下ろし、デジカメをデスクに置くと、どさっとばかりに机に体を預けた。
横になったら翌朝まで立ち上がれないかもしれないと、それを危惧したゆえの選択だったのだが……結局たいした違いは無かったのかもしれない。
次に彼女がはっと顔を上げたとき、デスクの時計の針は11時近くを指していた。
(いっけない…)
生憎と冷蔵庫に食べ物の買い置きは無かったし、疲れている以上にお腹も減っていたので「晩飯抜き!」の選択肢は存在しない。
後先考えず、ユウカは財布を手にするとサンダルをつっかけ慌ててアパートを後にした。
夜の闇を徘徊する「人狼」のことを思い出したのは、アパートから10分近く歩いた先のコンビニで、新聞の見出しを目にしたときだったのである。
ユウカがコンビニから出るとき、店員が口にしたのは「ありがとうございました」ではなく「どうぞお気をつけて」だった。
そのことが、店員の意図とは逆にユウカを酷く怯えさせた。
(なんで…なんでこんなに人がいないの??)
あと30分ほどで真夜中という時刻とはいえ、コンビニにいるのは店員のみで街を行く人影も殆どいない。
連続殺人鬼には多くの場合、「必ず金髪」といった具合に、獲物を選ぶ「基準」がある。
明確な「基準」が無い場合でも、性別程度ははっきり決まっているのが普通だ。
だが、謎の殺人鬼「人狼」は、男女も老若もお構いなしの乱脈ぶりで、強いて被害者の共通点を探すなら、「暗くなってから表にいた」ことしかなかった。
「……サッカーワールドカップのときみたい……」
極端に見当違いな事件を引き合いに出したのは、少しでも怯えを打ち消そうという彼女なりの判断だったが、あまり効果があるようには見えない。
冬枯れの道を歩くように、首をすくめ、両脇をぎゅっと締めて、ユウカは早足で歩き出した。
(晩御飯なんか抜きにすればよかった…)と後悔しても、「人狼」のことを思い出したのがコンビニに着いてからでは遅すぎる。
(お願いっ!誰でもいいから一緒にいて!!)
ユウカの目から涙がこぼれそうになったちょうどそのときだった。
20メートルほど向こうの十字路に、自転車に乗った警官が突然現われたかと思うと、キキーーッとブレーキ音を響かせて街灯の明かりの下に止まった。
「キミ危ないよ!こんなところで何してるんだ!?」
警邏中の警官が、一人歩きしているユウカを見咎めてくれたのだ。
「す、すみません。」
「家はこの近くかな?…送ってあげるからいらっしゃい。」
「ありがとうございます。」
警官に向かって駆け出すと同時に、ユウカの目から恐怖ではなく安堵の涙がこぼれ落ちた。警官の姿がたちまち涙に歪む…。
「ありがとうございま……」
その涙に歪む警官に、街灯の影から飛び出した何かがいきなり飛び掛った!
「…えっ!?」
ユウカの目の前で、奇妙なとっくみあいは始まった。
襲い掛かった者よりも、襲い掛かられた警官の方が明らかに体格でも膂力でも優勢なのだ。警官がてこずっているのは自転車に跨っているという不利な姿勢のためのようだ。
(いまオマワリサンに襲いかかってるのが人狼なの?)
…とてもそうは思えない。
「こら!何をするんだ!」
相手の両腕を押さえつけたところで警官が叫んだが、それは威嚇というより不良を叱りつける類の言葉だ。やはりいま警官と組みうっている何者かは人狼などではなく、街の不良かチンピラにすぎないのか?
だが…。
「これ以上暴れるなら君を逮捕……」と怒鳴りかけたところで、警官の言葉が急に止んだ。
襲ってきた相手の顔はユウカにちょうど背中を向けているのでよく見えないが、警官は口をポカンと開いたまま、自分の組みとめた相手をじっと見下ろしている。
やがて……警官の両目がカッと見開かれ、口から驚愕の言葉が漏れた。
「…ま、まさかオマエは…」
そのときユウカは気がついた。
(背が…高くなってる?)
さっきまで警官の顔は相手の頭の上に完全に出ていたはずなのに、今は口の辺りまで相手の頭に隠れているのだ!
不気味な発見に呆然と立ち尽くすユウカに向かって、警官が大声で叫んだ。
「に、逃げなさい!早く!!」
同時に、警官に組み止められた相手のシルエットが、風船のように膨れ上がる!一瞬の後には、警官の姿は襲撃者の体に隠れ全く見えなくなった!
「お、おまわりさん!?」
「もたもたしてないで早く逃げ……ぐぁぁあああああああっ!」
ユウカに背を向ける人影が警官に覆いかぶさると、警官の言葉は途中から悲鳴に変わった。
獣のような唸り声と胸の悪くなるようなバリバリメキメキという音が、悲鳴の伴奏を務める。
ユウカは確信した。自分はいま、人狼の仕事場に立ち会っているのだと。
144 :
名無しより愛をこめて:2008/06/26(木) 21:54:33 ID:/hc2GSVs0
応援!
応援感謝。
例年のことながら、暮れに向かって忙しさが加速してまいりました(笑)。
おかげでお話が進みませんが、なんとか力づくでも終わらせます。
年末・年始は他板だと特別編を投下してますんで、ここでも特別編を考えとりますので、良いネタがあればご提案ください。
いままで自作駄文で既に対決させたのは…
ゴジラ対ガメラ
ゼットン対ゴアゴンゴン
ゴジラ対ガメラ対ギャオス
ゴジラ+ガメラ対ギララ
ゼットン対エヴァンゲリオン
ガンダム対ウルトラセブン
ゴジラ対クトゥルー
ウルトラマンエース対ウルトラエース(笑)
その他妖怪・怪獣マイナーどころは数知れず…。
なにかネタがあるなら、お待ち申し上げておりまする。
「早く逃げろ」と警官に言われたとき、ユウカの頭にあったのは「逃げる」ことではなく警官を助けるため「誰かを呼ぶ」ことだった。
しかし、現実はそんな段階を一足飛びに飛び越えてしまった。
人狼は、警官を「片付け」たらこんどはユウカを襲ってくるに違いない。
「あ……?あ…!?」
映画ではこんなとき主演女優が景気よく悲鳴を上げるが、そんなの真っ赤なウソだということを、ユウカはこのとき初めて知った。声が出ないのだ。自分の喉なのにまるで他人の喉のように声が。
悲鳴を上げるのを諦めると、ユウカはジリジリ後ずさった。
10センチ……20センチ……そして30センチを超えたあたりでクルッと後ろを向くと、足音を忍ばせながら走り出した。
少し走りながら振り返ると、人狼はまだ警官の上に覆いかぶさっていた。
もうすこし走ってからまた振り返ると……人狼はやはり同じ姿勢だった。
だが50メートルほど走った住宅街の交差点で振り返ると……真っ黒い人影は上体を起して、ユウカの方に鏡のように光る双眸をじっと向けていた。
(気がついてる!)
足音忍ばせることも止めユウカが走り出すと、後ろから低い唸り声とともに地面を蹴る足音が聞こえた。
捕まったら最期だ!
人狼の視界の中を逃げることを嫌ったユウカは、いまいる交差点を咄嗟に右に曲がった。
本道から一歩脇道に逸れると、普通なら直角に交わるはずの道が斜めの緑地で完全に遮断されていたり、あるいは車道だった道が途中から歩道のようなモザイク舗装になっていたりと、ある種の迷路のような構造になっていた。
比較的新しい住宅街なので、住民以外の自動車が侵入し難いようにするため、そんな風な作りになっているのである。
そんな植え込みの一つの前を、ユウカが走り過ぎようとしたときだ。
(…えっ!?)
藪の中から腕がニュッと突き出され、問答無用にユウカを捕まえた!
ユウカを捕まえた腕は彼女を植え込みの後ろに引き込むと、悲鳴をあげられな.いよう素早く口を抑えた。
同時に腕の主がユウカの耳元に囁いた。
「静かにして!」
その声に含まれる何かが、予想外の展開にパニックを起しかけたユウカの動揺をただちに鎮まらせた。
ユウカと何者かが植え込みの中で息を潜めると、背中を丸めた黒い影が本道から風のように飛び込んできた。
ちょっと前まではあの警官より小さかったはずなのに、今は背中をまるめてなお、頭がさっきの警官の背よりもずっと高い場所にある。
そして顔のあるはずの場所で、銀の小皿のようにギナギナと光る目が二つ、左右に小刻みに揺れていた。
…ユウカを探しているのだろう。人狼が首を左右に振ると、辺りに金臭い臭いが強く漂う。
(……この臭いって………血の臭い?)
臭いの正体に思い当たると同時に、ユウカの口から思わず「うっ!」と声が漏れた。
慌てて口を押さえたが…気がつくと、銀の小皿が真正面からユウカの隠れている植え込みに向けられている。
(見つかっちゃった!)
金臭い臭いが一層強くなり、ユウカの隠れているほうに人狼が足を大きく踏み出した。
間違いなく気づかれている!
ユウカの背後で彼女を捕まえていた何者かが、かすかに体を動かした時だった。
闇夜の寸劇に、新しい登場人物が姿を現した。
引き摺るような足音とともに、本道の方からその人物は現われた。
シルエットは…明らかに人間だ。背中が猫背気味にかるく曲がり、体も手足もひょろりと細い。
肉体労働者や戦士、格闘家といった人々とはおよそ縁が無く、画家か研究者、あるいは音楽家が似つかわしそうだ。
手に乗馬ムチのようなものを握っているが、そんなもので人狼に対抗できるわけがない。
新たな登場人物に対し、人狼は素早く向き直った。
無言のままじっと睨みあうこと数秒…「芸術家」がユウカには理解できない奇妙な言葉を口にした。
「…こたいはっせいは、けいとうはっせいを繰り返す……なんということだ。」
(こ、こたい八世??それってどういう……)
ユウカが眉間に皺を寄せたそのときだった。
すすり泣くような声をあげて、「芸術家」がムチを振りかざして人狼に駆け寄ったのだ!
(こ、殺されちゃう!)
びしっ!乗馬ムチが振り下ろされると、鋭く乾いた音があたりに響いた。
二度!三度!!繰り返し繰り返し振り下ろされるムチ!
だが不思議なことに…人狼は「芸術家」を殺すどころか、自分に振り下ろされるムチを節くれだった両腕で避けながら、二歩三歩と退いていくのだ。
すすり泣きながら、「芸術家」は続けざまにムチを振り下ろす。
ついに人狼は、一声短く吠えると、一撃もやり返さぬまま闇の底へとその身を翻した。すると「芸術家」も、ムチを握って人狼の後を追って姿を消してしまった。
あとに残されたのはユウカ一人だけ。
背後に潜んでいたはずの何者かも、気がつけばいなくなってしまっている。
一人残されたユウカの耳に、パトカーのサイレンが近づいてきた。
149 :
木神原案:2008/06/27(金) 20:48:21 ID:vBzIc6LQ0
私のつたない原案をこんな立派な作品にして頂いて有難う御座いました。
今度はちょっと雰囲気を変えて「電送人間」と「液体人間」を私なりに
アレンジしてみました。気が向いたらどうぞ使ってやって下さい。
「Dr デジット」
アラン・シュタイン。巨大軍需会社「ゼノスコーポレーション」の
科学者だったが、電送装置の実験中、体が電気信号化したまま元に
戻れなくなり、機密保持のため消去されそうになったが消えたフリ
をして研究所を脱走。その後10年に渡って研究と精神修行を重ね
ついに実体化と電気信号化を自らの意思で自在に操る事に成功。
自分を見捨てたゼノスに復讐を誓った。信号化している時はネット
に入れるのでPCやケータイのある場所なら地球の裏でも物の数秒
で移動できる。体だけでなく体に触れた物(衣服等)も信号化できる
のでその能力を使って自ら作り貯めた発明品を全て信号化して自分の
ケータイに隠している(つまり彼のケータイはドラえもんのポケット状態)
ゼノスから送られてきた暗殺用流体ロボット「マーキュリーメイデン」の
思考回路に信号化して入り込みデータを書き換えて自らの操り人形にした。
その後、3DCGと擬似人格プログラムで作られたネットアイドル「レイン」
出会う。人気が落ち目になったため電脳プロダクションに消去されそうになり
ホームページを脱走してネット内をさまよっていたと言う彼女の身の上に
ゼノスに消されそうになった自分の過去を重ね見たアランは、マーキュリー
メイデンのデータを更に書き換えて彼女の体として使えるようにしてやった。
以後、彼女はアランの妻レイン・シュタインと名乗りアランと力を合わせて
ゼノスと戦う事を誓ったのである。
150 :
ギコグルミ:2008/06/27(金) 21:05:16 ID:vobUyGiD0
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧ < 逝ってよし!
(゚Д゚ ) \_____
ιι ⊂ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ΘΘ\_ |〜< 帰ってよし!ゲコ!ギコ!
(Д ∪ \_____
\ ノ ヽ
(_U U_(_)
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(( (゚Д゚ ;) < あぶないぞ!ゴルァ!!
ιι⊂ つ \_____
ゲコォ ΘΘ\ / ))
(Д U ))
⊂\⌒ つ
ゝ ヽ
( ノー( |
\ヽ \ヽ
/|ヽ /|ヽ ミ
ミ
「…どうぞ、開いてますよ。」
コモモとユウカがドアを開けると…研究室にいるのは万石だけではなかった。
「コモモさん、それからユウカくん、昨夜は大変だったみたいですね?ところでこちらの方は…」
紹介の労をとろうとした万石を、コモモは笑って遮った。
「……存じ上げてありますわ。県警の上野毛警部さんですね。」
コモモは「かみのげ」と言うべきところをワザと「かみのけ」と発音した。
警部のオデコが、頭頂部を超えて更に後ろへと版図を広げつつあったからだ。
「コモモちゃんにゃあ、かなわんなあ…」
まずい相手に会ったなという顔をしてはいるが、その実そんなに嫌というわけでも無さそうに見える…。
実は、上野毛警部とコモモはかれこれ10年来の付き合いだった。「かみのけ」と言ってからかうのも、2人のあいだでは定番である。
「…で、警部が万石先生のところにいらしたというのは、どういうわけなんでしょう?」
「やれやれこまったな…」
警部は背広のポケットから薄汚い皺くちゃのハンカチを取り出すと、広大な「オデコ」の汗を拭き……そして言い訳するように「まあ、しょうがないか」と口にした。ちなみにこのへんのやり取りも、実は定番である。
「これは捜査上の秘密なんだから、ワシがいいと言うまで記事にしちゃいかんぞ。」
「はいはい、判ってます、判ってます。」
ニコニコしながらペンと手帳を出すと、コモモは警部の隣にくっつくように腰を下ろした。
「…で、ここにいらしたのはもちろん……」
「もちろん人狼の件だよ。」
万石と2人きりで話していたことまで、上野毛は御丁寧にもコモモの前で繰り返した。
曰く、出現の頻度が上がってきていること。特に、昨夜と一昨夜は連続で出現したこと。
曰く、「人狼」はどうやら道具を一切使わず、徒手空拳で被害者を解体しているらしいこと。
曰く、超人的な体力を有し、人間には到底登れぬ柵を登り、越えられぬ空間を飛び越える
こと。
「…つまり、ワシにはとても相手が人間とは考えられんのです。ところが……一週間前の被害者を覚えとりますか?」
「無職の男性でしたね」コモモは即答した。「…いわゆるプータロウ。人狼騒ぎを面白がって、野次馬根性で乗り込んできて、自分が犠牲者デビューすることになった。」
コモモの毒舌ぶりに苦笑しながら、上野毛は言葉を続けた。
「…マスコミやネットでも随分バカにされとるようですが、彼は実は貴重な物象を我々に残してくれました。右手の爪のあいだに黒い毛が数本、挟まって残っとったんです。」
「警察としてはもちろんその毛をDNA鑑定にかけたんですね?で、その結果は??」
「それが……」
言いよどむ上野毛に代わってコモモに答えたのは万石だった。
「聞かなくったって結果は判りますよ。人間の血じゃなかったら、いまごろとっくに『不可能犯罪捜査部』か『やっつけ隊』が動いてるはずですからね。」
いまに至るも、「人狼」事件に対処しているのは通常の刑事警察機構だった。
もちろん国民には「やっつけ隊」出馬を望む声はあった。
だが、宇宙人や都市破壊型生物の関与を否定する証拠が挙がっている以上、「怪獣やっつけ隊」は動けない。
「しかし、相手の頚骨を握力だけで握りつぶすなんぞ、人間に出来るこっちゃありません。」
上野毛のその言葉には、さすがのコモモも息を呑んだ。
「握力だけで!?」
いわゆる「梃子の原理」で首を折るなら、訓練された人間にとっては難しいことではない。
しかし、単純に「握力だけで」となると全く話は違ってくる。
「そこへ持ってきて、昨夜の……ユウカさんの目撃情報です。」
「キミたちが来たときは、ちょうど話がそこまで来たところだったんですよ。」
目撃者本人が来てくれたんならと万石に促され、ユウカは昨夜来何回繰り返したか判らない、昨夜の体験談を語り直した。
上野毛は「襲撃してきた相手の体が変化した」という部分にハッキリ興味を示した。
「体が変化した」=「変身した」ということであり、「人間とは思えない」という彼の意見と合致するからだ。
だが、万石が興味を示した箇所は、謎の人物の漏らした言葉だった。
「その…ユウカくんが言うところの『芸術家みたいな人』が言った『こたい八世』というのは…『こたいはっせいはけいとうはっせいをくりかえす』だったのではありませんか?」
「…そうです。たしかにそんな風に聞こえました。」
自分が覚えられなかった妙な言葉を、あっさり言い当てられてユウカはすっかり驚いていた。「それっていったいどういう意味なんでしょうか?」
「漢字で書くと……『個体発生は系統発生を繰り返す』ですね」
万石は言葉をペンで書いて文字にしてみせた。
「個体発生というのは、卵子と精子が結合して一つの人間となる過程のことです。」
「それじゃ系統発生ってのは?」
「先カンブリア紀の単細胞生物から魚類・両生類・爬虫類を経て現在の生物へと至る過程のことでね。」
万石は『個体発生は系統発生を繰り返す』と書いたわきに、系統図を描き足した。
「胎児は極初期においては魚類に、やがて両生類や爬虫類に酷似した時期を経て、やがて人間の姿をとるに至ります。そのことが自分の辿ってきた進化の過程を再演しているように見えることから言われるようになったのが……」
「個体なんたらは系統かんたらを再現する…って言葉なわけですな。なるほど…。」
結局、上野毛警部が理解できたのは「再現する」という部分だけだったらしい。
「でもそれが、人狼といったいどういう関係があるんでしょうか?」
その夜、ユウカはコモモの家の客となった。
人狼の目撃者が現われたこと、および目撃者は地元新聞の記者である小山ユウカであることは上野毛警部の力によりいまのところは伏せられていた。
しかし東京の大手報道機関に嗅ぎつけられるのは時間の問題と考えられたので、上司であるコモモが先手を取ったのである。
「昔、弟のユウスケが使ってた部屋で悪いけど、自分の部屋と思って使ってくれていいから。」
「ありがとうございます。」
ユウカに嫌なはずも無かった。
部屋の以前の主だったユウスケは、10年前ユウカが小学6年生だったころの担任で、結婚・転勤で家を出てからすでに5年の月日が経っていた。
古机に刻まれた彫刻刀の傷を指出なぞると、恩師が子供だったころの姿が見えるような気がした。
ギイギイ音をたてる古い椅子に腰を下ろして机に向かうと、自然と隣の本棚に目がいった。
上段はすっかり空になっているが、下段にはまだ本が何冊か残されていた。
趣味だったらしいカメラの本や、ギターのコードの本、それからイリオモテヤマネコの生態を追跡した本など。
一冊一冊がかつての恩師の温かい人となりをユウカの中に呼び覚ましてゆく。
懐かしさに駆られて背表紙を追っていくと、本棚の最下段に一際雰囲気のことなる書名が並んでいるのに行き当たった。
「恐怖の谷」「夜光怪獣」「三十棺桶島」「妖怪博士」…ホームズにルパンに明智小五郎。
どれも子供向けに編まれた本だ。
「……先生こんなの読んでたんだ。」
そう思ったら、恩師の秘密を知ってしまったようで、なんだか楽しくなってきた。
「どんなお話なんだろ?」
中の1冊を本棚から抜き出して開くと、ユウカは戯れにページを繰ってみた。
メガネをかけ爪を噛む優男の挿絵の横に書かれていたのは、探偵の長ゼリフだった。
『…犯人は犯罪の現場に戻ってきたんです。そして…』
「…そうだわ!」
ユウカは思わず小さな声で叫んでいた。
「もしかすると……」
「もしかすると人狼は……人間の姿で事件現場に戻ってるんじゃないかしら?」
考えれば、ありそうな話に思える。
放火事件だと集まってきた野次馬の中に、犯人が混じっているケースが多いとも聞いた。
自分の起した騒ぎを見物するのが楽しいからだ。
ユウカは彼女のたった一つの持ち込み品であるディーバッグを開くと、中からデジカメを取り出した。
新米「記者」としての使命感から「仕事道具」として持ってきたもので、昨日、インタビューのため万石を訪ねたおりも手にしていたものである。一昨夜の事件の現場をコモモの車で通るとき、ユウカは助手席から滅多やたらと写真を撮りまくったのだ。
「もしかしてもしかすると…人狼が写ってるかも!?」
ユウカは、自分が撮った写真を一枚一枚調べていった。
路肩に停まった大放送局の中継車。
首を突っ込むようにして植え込みや生垣の中を捜索する警察官。
「現場」を遠巻きにする群衆は、特に一人一人を丹念に観察した。
その中に人狼がいるかもしれないと思ったからだ。
だが、人狼?と思えるような人物……例えば、ギラギラと欲望がたぎる眼差し……例えば、薄い唇のわきから覘く鋭い犬歯……の持ち主は一人も見当たらなかった。
ここでユウカはようやく気がついた。
人狼は背丈が変わる。おそらく背丈以外の要素も変わるに違いない。
だから、「変身前」の人狼が写真に写っていたとしても、ユウカにそれと見分けられるハズがないのだ。
「…いい思いつきだと思ったのにな…」
自分に言い訳するように呟くと、ユウカは窓辺に立ってカーテンの細めに開けた。
外は本当なら満月のはずだが、厚い雲に蓋をされ、月も星も全く見ることが出来ない。
街灯だけが薄ぼんやり照らす街路の向こうを、二人組みの警察官が横切って行った。
もう警官ですら、一人では夜道を歩けない。
この闇夜を何者も恐れることなく徘徊するのは、ただ「人狼」だけなのだ。
そっと身震いすると、ユウカはカーテンを閉じた。
窓辺の植え込みに隠れ立つ影には、とうとう気がつかないままに……。
ユウカがコモモの家で平和な眠りについたころ…。
上野毛警部は、夜の住宅街を低速で流すパトカーの後部座席に身を沈めていた。
「異常な光景だな…」
まだ10時をまわったばかりで、本当なら帰宅を急ぐサラリーマンの数人も歩いている時間帯だというのに、夜の通りには人っ子一人見当たらない。
いや、通りだけではない。家々の中には、カーテンをぴったり閉じて灯りも消している家が何件もあった。「人狼」を恐れ、住民が逃げだしたのだ。
(このままじゃこの街は……)
すると、警部とまったく同じことを考えていたのだろう。パトカーのハンドルを握る若い制服警官が言った。
「必ずとっ捕まえてやりますよ警部!この街がゴーストタウンになる前に!」
「もちろんだ。」
助手席の警官は話しには加わらず、ただ闇の底だけをじっと透かし見ている。
「人狼」の潜む夜の闇の底を…。
上野毛警部は昔読んだ本の一節を思い出した。
(人が闇を覗き込むとき、闇もまた人を…)
そのときである。
バンッ!
一発の銃声が夜の静寂を切り裂いた。
回転拳銃を構えたまま立ち尽くす2人の警官のところに、上野毛警部らが駆けつけたのは銃声を耳にしてから1分と立たぬうちだった。
「人狼か!?殺ってしまったのか?」
警察の仕事は、犯罪者を捕らえ、法の裁きを公正に受けさせることであって、問答無用に撃ち殺すことではない。
血相を変えてパトカーから飛び出した警部に対し、短銃を構えたままの警官の一方が、震える指で数メートル先の植え込みをさし示した。
「警部!危ないです!!」
いっしょにパトカーから降りた警官が止めるのも聞かず、警部はずんずん植え込みの中に踏み込むと、足元に懐中電灯の明かりを突きつけた。
……思わず警部は、「むうっ」と呻き声を漏らしていた。
「…このバカもん。」
数発の銃弾を浴びて動かなくなっていたのは、大きな犬だった。
しかも始末が悪いことに首輪をしているから誰かの飼い犬である。
つまりは警官が過失で私有財産に損害を与えてしまったということだ。
昨夜の警官惨殺事件が、警察組織に与えた影響を警部は思い知らされた。
市民だけでなく、警察官までもが怯えているのだ。
普通の犬に、数発もの弾丸を打ち込んでしまうほどに。
「…なんてこった」
……警察の失態を叩く新聞の見出しが目に浮かぶ。
そのとき、警部の足元で死んだとばかり思っていた「犬」が不意に瞼を開いた。
緑に光る目にじっと見あげられたときはじめて、警部は「犬」が犬らしくないことに気がついた。
……忙しくってさっぱり進みませなんだ。
「顎」は、試みとして自作駄文の「石の見る夢」の続編という位置づけになっております。
「人狼」の情報とバランスをとりながら「石」での出来事をカットバック的にばら撒く必要があるので、「木 神」ほどお話は進め易くはありません。
しかし、もしこれに成功するならば、過去に途絶した第X話氏と遊星氏の二作品を、私が引き継いで再開させる道が開かれるでしょう。
「平行世界からやってきた女と、それを追って来たロボットの話(過去スレが読めないのでタイトルはわかりません)」と「豪華客船に乗ったまんまの変人女」の再起動です。
変人女救出は難しいですが、遊星氏の作の方はプロット的にはもう出来ていまして。巨大ロボットや衛星兵器が出てくる派手めのお話です。
と、いうわけで、「甦る顎(あぎと)」は、土日はお休みです。少年の心を失っていない特撮ファンのみなさん。よい週末を。
植え込みの暗がりに横たわっているので最初は気がつかなかったが鼻面のシルエットが妙に尖っており、そのラインは犬というよりトカゲを連想させた。
(……なんだ?こいつは?)
正体を確かめようと、上野毛警部が一歩前に踏み出したときだった。
「犬」の前足が、警部のつま先を「掴んだ」!
「こいつは犬じゃない!」
警部が叫ぶと同時に、ヌッと「犬」が立ち上がった!
もう犬になど少しも似ていない!
今の姿は…顔の尖った類人猿だ!
警部の頭を「変身」という語が過ぎる!
「『人狼』め!」
警部の左から拳銃が怪物に向かって突き出された!一緒にパトカーでやって来た制服警官だ!
怪物は自分に向けられた拳銃を、それを掴んだ警官の手の平ごと、むんずと一掴みに捕まえる!同時に、警官は拳銃の引き金を引いた。
バスン!
怪物の手の中で発射された弾丸は、こもった音とともに怪物の手の平を撃ち抜くと、瞬間、怪物の頭部が弾みをつけて軽く仰け反った。
(頭に当った!?)
だがその次の瞬間、怪物に掴まれていた警官の手が、掴んでいた拳銃ごと一気に引きちぎられた!
「……ぐああっ!?」
何が起こったのか理解できなかったせいで、警官の悲鳴は一瞬遅れた。
「なんてこった!」
遅ればせながら上野毛も拳銃を抜こうとしたが、それより早く怪物の手が彼の分厚い胸板にかかった!
一瞬の後、警部の巨躯はまるでクッションのように宙を飛び、そして、米俵のように鈍い音をたてて地面に落ちた。
痛みと衝撃に呼気が止まりそうになる!
交錯する銃声と悲鳴、そしてケダモノの唸り声!
しかし、警部には指一本も動かすことはできなかった。
「せんせー!ユースケせんせー!」
「せんせいー、なんで結婚しないのー?」
「余計なお世話だ(笑)」
ユースケ先生が、騒ぎ立てる男の子に指を突きつける。
「せんせー、○○が、せんせーとなら結婚してもいいって言ってるぜー。」
ユースケ先生の「大人をからかうんじゃない!」というセリフは、ワーワー、キャーキャーという歓声に掻き消されてしまった。
……ユウカがいるのは、10年前のあの教室。先生もクラスのみんなも、10年まえの姿だ。
(でも……、でも変ね。なんで私だけ……)
視点が高い。ユウカは10年後の、つまり今のユウカの姿なのだ。
(皆は、私のこと変に思わないのかしら?)
そのとき、教卓に立つユウスケ先生がユウカを指差して言った。
「おい、小山。いつまでそんなトコに立ってるんだ?早く座りなさい。」
「は、はい。」
「相変わらずどん臭せえなぁ」「ぐずぐずすんなよー」という男の子のからかいの中、恥ずかしさに頬を赤らめながら、ユウカはかつての自分の席についた。
10年前の席と机は、いまのユウカには小さすぎた。
(なんだか、三輪車に乗ってるみたい)
そんなことをユウカが考えていたときだ。
「ユウカちゃん……」
後ろの席の男の子が、彼女に声をかけてきた。
その男の子の名前は……
(あれ?誰だったかしら??)
ユウカが彼の名前を思い出せないでいるうちに、後ろの男の子は早口でユウカに言った。
「ヤツがユウカちゃんを狙ってる。危ないから気をつけて!!」
「ヤツって?ヤツって誰のこと??」
思わず振り返ってそう尋ねた瞬間、ユウカは目を覚ましていた。
翌日は大変な騒ぎだった。
制服警官4人が惨殺され一人が重傷を負わされたという第一報は、まず真っ先にネットで流れ、テレビの深夜放送がそれを追った。
新聞がもたもた配られたころには、事件には「尾ひれ」どころか「羽やら牙やら角」まで生え、とんでもないことになっていた。
つまり、「人狼」とは別の怪物が這い回りだしたのである。
「パニック」という怪物が……。
「上野毛警部は、『人狼が変身するのをこの目で見た』って言ってるそうなんですよ。それなのに……。」
コモモの剣幕のあまりの凄さに、万石は耳に当てていた携帯を思わず遠ざけた。
「まあ落ち着いて…」
「落ち着いてなんかいられませんっ!」というのがコモモの返事だった。
「制服警官が4人。それも全員が拳銃を抜いて発砲もしてるのに、一人残らずやられちゃったんですよ!?」
警察内部に持っている独自のツテのせいで、コモモの掴んでいる情報は比較的正確だったが、パニックを起しかけているという点では、一般人と較べても大差は無かった。
情報収集を終えると、コモモは直ちに万石を電話で捕まえたのだ。
「なのに、なんで『怪獣やっつけ隊』
が出てこないんですか!?」
そんなこと万石に文句言っても仕方がない。
「きっといつかの犠牲者の時と同じ理由ですよ。」と万石。
「現場には『人狼』の血痕が何かが残されていたんじゃないでしょうか?そしてそれが…。」
「人間のものだったって言うんですか!?でもそんなはずは無いですわ!」
コモモは万石に最後まで言わせなかった。
「争いはせいぜい数メートルの範囲だったそうです。そして警官の一人はピストルを撃ち尽くしていたっていうんですよ!?それなのに…」
「上野毛さんを残して皆殺し…ですね。コモモさんの言わんとしていること、判りますよ。確かに人間ワザじゃない。」
「それじゃ何故『やっつけ隊』は…」
「『人間ワザじゃないことができる人間』かもしれません。それじゃ『やっつけ隊』は動けないんです。」
それからもたっぷり10分前後はやりとりを続けさせられたあとで、ようやく万石はコモモから開放してもらえたのだが……。
やれやれと一息つくかつかないかのタイミングで、研究室のドアがノックされた。
「すみません先生。いきなりお邪魔して…。」
コモモの電話が終わるのと入れ替わるように研究室を訪ねてきたのは、ユウカであった。
「いや、別に構いませんよ。さっきまで別のに掴ってましたから。」
「…別の??」
「あ、いやいや、こっちの話です。それよりユウカくんがココに来たのも、昨夜の人狼騒ぎについてですか?」
「いいえ、違います。私がうかがったのは……」
ユウカは顔を横に振ると、昨夜見た夢のことをできるだけ詳しく万石に説明した。
「ユウカくんは、その男の子の名前を思い出せなかったんですね?」
「…はい」
「10年前、教室でユウカくんの後ろの席に座っていたのは…」
「転校生だった私の席は、クラスの一番後ろでした。だから私の後ろには誰の席も…」
「それは現実世界での話ですね?ところで10年前、キミのクラスの生徒は…」
「授業中に地震に襲われる夢を見ていました。」
ユウカは11年前、彼女の故郷を襲った地震で、両親と弟をいちどきに失っている。
にもかかわらず、地震の夢のことをまるで楽しい思い出のように語るユウカを、不思議な感慨をもって万石は眺めていた。
彼女とって、地震の夢」は、そこでしか会えない特別な旧友との思い出の場になっているのだ。
「……そしてその夢の中では、私の席は一番後ろではなかったんです。」
「『石』の少年…。」
「そうです。彼です。」
地震の夢を見せた「石」。
直径数キロにも及ぶ周囲の近くを一瞬で液状化させる「石」。
万石が「木 神」の里で出会った「魔石」の同類。
しかし「魔石」とは違い、人間やユウカら級友を愛することを知っていた「石」。
そして、万石がエクスカリバーで滅ぼしてしまった「石」だ。
「彼が知らせてくれたんです。『ヤツ』が私を狙っていると。」
「『ヤツ』というのは…」万石の声は乾いていた。
「…人狼のことですね。」
「実は……」
ユウカの声が一際高くなった。
「昨日の夜『人狼』が出たのは、私の借りてるアパートのすぐ近くなんです!」
万石の研究室をあとにしたユウカは、その足で自分のアパートへと向かった。
一昨夜の事件を目撃した関係で、コモモから特別休暇を与えられており時間はふんだんにある。
それを利用して、自分なりに事件を再構成してみようと思ったのだ。
一昨夜の事件現場は、野次馬もおらずすっかり閑散としていた。
昨夜の事件の方が、立ち回りが派手で犠牲者も多かったからだ。
(…そんなの酷いよ)
誰も見ていないことを素早く確かめると、ユウカは駅前で買ってきた花束を十字路の隅に置くと、目を閉じて手を合わせた。
一昨夜、ユウカはコンビに出かけるためアパートを後にした。
そしてその帰り道、この場所で「人狼」と出くわしたのだ。
(ひょっとしてあの夜も、本当は私を狙ってやって来たのかしら?)
その場合だと、あの警察官はユウカの身代わりになったことになる。
「でも…なんで私を?」
ユウカが思わず口に出してそう言ったとき、彼女の声に応えるような微かな呻き声がどこからか耳に飛び込んできた。
「…だれかいるの?」
返事が無かったので、声がしたのはこっちの方だと思う脇道に、ユウカは一人踏み込んでいった。
路地の奥にあったのは、自動車の通り抜けを邪魔するために創られた小さな公園で、中央にはとってつけたようにペンキの剥げたブランコが据え付けられている。
……その鎖に縋りつくような姿勢で、年のころは12〜13歳ぐらいの少年が苦しげに腰掛けていた。
「……おや?これは……」
ユウカが謎の少年と出会ったのと同じころ……
万石は、応接用の椅子の上に白い小奇麗なシガレットケースのようなものが落ちているのに気がついた。
拾い上げてみると……いかにも女の子の好みそうなデザインのそれは、ちっちゃなデジガメだった。
「ユウカくん、忘れていっちゃったな。」
記者になるんだからと言って意気込んで買ったユウカのマイ・カメラだが、あまりプロのツールっぽくは見えない。
万石にはそのデジカメが、まるでオママゴトの食器のように感じられた。
「このあいだインタビューに来たときも、盛んに写真を取りまくっていましたね。…でもそう言えば……」
万石は、昨夜のことを話すユウカの言葉を思い出した。
『私、写真に『人狼』が写ってるんじゃないかと思って調べてみたんですけど…』
「別に変なものは写っていませんでした」と、ユウカは笑った。
しかしユウカの夢に現われた「石の少年」は、ユウカに向かってはっきり警告した。
(「人狼」がユウカくんを狙っているとして…、その理由はいったい何なのでしょうか?)
万石には、手の平に載る小さなデジカメに、その秘密があるように思われた。
しばらくのあいだ、万石はての平の上でユウカのデジカメを転がし、眺めていたが、やがて意を決したように呟いた。
「エチケット違反の行為ですが……推定的承諾ということで……」
デスクの引き出しをかき回し、ゴチャゴチャ絡みあったケーブルを取り出すと、ユウカのデジカメを研究室のプロジェクターに接続した。
本来は研究発表の際に用いる器具だが、これを使えば画質が荒くなる代わりに、畳一畳分以上の大きさにまで画像を拡大することができる。
装置のスイッチを入れると、映写用スクリーンいっぱいに、ユウカの取った写真が映し出された。
「さてと……鬼が出るか、蛇が出るか…」
ユウカの写真を調べ始めてから10数分後、万石は震える指でプロジェクターのスイッチを切った。
「……なんということだ」
そう呟いた万石の声は、震えていた。
ユウカの撮った写真の中に写っていたのは、悲しい鬼の姿だった。
ユウカは急いで自分のアパートに戻り、適当な上着をもって公園へと引き返すと少年に着せ掛けた。
「女ものだしサイズも合わないかもしれないけど…」
少年が身に纏っていたのは、「雑巾よりはまし」な程度のボロだったからだ。
「ねえ、こんなところ何してたの?」
答えはない。目をじっと閉じ、肩を小刻みに震わせているだけだ。
「黙ってちゃわかんないよ。」
そう言いながらブランコの鎖を掴む少年の細い腕に手をかけたとき……ユウカの頭にふっとある考えが浮かんだ。
(ひょっとすると、おとといの夜、私を植え込みに引っ張り込んで「人狼」から助けてくれたのは、この子なんじゃ?)
上野毛警部は「キミと同じく、たまたま事件に出くわした者が助けてくれたんんだろう」と言ったが、ユウカにはまるで納得できない話だった。
(「人狼」と出会ったのが偶然でないんなら、私を助けてくれた人だって偶然あそこに居合わせたんじゃない!私を助けるため、あそこに居てくれたに違いないわ。)
彼女は自分でも気づかぬうちに、夢で警告してきた「石の少年」と今目の前にいる薄汚い少年とを重ね合わせていた。
「さあ、こんなトコでぐずぐずしてないで。この近くに私の借りてるアパートがあるの。とりあえず、そこに行きましょ。」
相手の汚らしさも気にせず、ユウカは少年に肩を貸して立ち上がった。
彼女のアパートは、そこからいくらもないところにある……。
やはり忙しくてなかなか進みませなんだ。
この後お話は、万石とユウカがそれぞれ別ルートを辿って研究所へ。
小林教授の登場と彼の目的、そしてその結末。
怪物対怪物。
そして「子を思うことの罪」へと続いて「お し ま い」になりもうす。
しかし、こんな話が果たして「特撮板」に相応しいんでしょうか?
気になるところです。
昔はこの手のスレがもっとあったと思うんですが、そういうのはもっとライトだったような気が……。
では、特撮ファンのみなさん。よい連休を。
168 :
名無しより愛をこめて:2008/07/23(水) 17:27:27 ID:6ayEEmCz0
応援!!
少年の体は驚くほど軽く、身長160pそこそこのユウカにも難なくアパートの階段を上がらせることができたほどだった。
(……いくつぐらいなんだろ?)
疲れ果てたように横たわる少年の傍らに腰を下ろしてユウカは考えた。
見たところ……背格好や顔立ちは中学生ぐらいのようだが、げっそり削げ落ちた頬が、少年の風貌を年齢不詳なものとしていた。
寝ているとき人は腹式で呼吸するものだが、彼は肩を大きく上下させ、上半身全体で息をしている。さらにもう一つ不思議なのは、茹だるほどの暑さだというのに、全く汗をかいていない。ユウカは、遠縁の老人が臨終を迎えたときの光景を思い出した。
(……あのときもちょうどこんな風だった!)
ユウカは怖くなり立ちあがった。
「…お医者さん呼んで来てあげるからね。まってて。」
けれどもその場で身を翻した彼女の足を、思いもかけぬ強い力で少年が掴んだ。
「……お医者さん…呼ばないで……ボク………だいじょぶだから」
少年が始めて言葉を口にした。
「…お医者さん…いらない…から……」
「ホントにだいじょぶなの??」
「ホントに……だいじょぶ……だから。……寝てれば……よくなる……から……」
ユウカがもういちど自分の横に腰を下ろすと、彼女の足を掴んでいた少年の手が緩み……そして彼は、まるで自分のお気に入りのオモチャでもあるかのように、ユウカの足に触れたままで眠りに落ちてしまっていた。
「キミが私を助けてくれたんだよね?安心して寝てていいよ。今度は私がキミを守ってあげるから…」
少年の寝顔を見下ろして、ユウカは呟いた。
「私が守ってあげる」と言ったのだから、むろんコモモにも連絡は入れなかった。
その日、気温は気象庁の発表によると32度に達し、日が傾いても殆ど下がらなかった。コンクリートからの輻射熱は、そこから更に2〜3度は体感温度を吊り上げた。
そんな焦熱地獄の夕方、コモモは、公園の噴水にでも飛び込みたい気分で外回りから社に戻ってきた。
「ただいまー。あー暑い暑い!」
「お疲れさまです。」
バイトの女の子が麦茶の入ったグラスを置くと、コモモは一気に飲み干した。
「これも地球温暖化のせいかしら?まるで恐竜時代みたいな暑さだわ。」
「編集長、まさか恐竜時代にも生きてらしたんですか?」
「いくらなんでもそこまで年食ってないわよ。…ところで留守中私に何か連絡無かった?」
「別に何も……あ、そうだ」思い出したようにバイトの子が言い足した。
「××大学の事務の人から電話がありました。」
「どんな用だったの?」
「なんでもユウカちゃんが依頼した資料が揃ったとかで、何処に届ければいいのか聞いてきたんです。でも『こっちから受け取りに行きましょうか』って言ったら、すぐ切れちゃって…。」
「…すぐ、切れた?」
コモモが首をかしげると、しばし躊躇ったあとで、バイトの女の子は少し不安そうに言い出した。
「実は一昨日も電話があったんです。名前は名乗られなかったんですが、たぶん同じ声だったと……。そのとき私、ユウカくんのアパートをうっかり教えちゃって…」
(妙ね…)
コモモのノウミソがカチャカチャ唸りだした。
(一昨日の電話であの子はユウカくんのアパートを教えたはず。それなのになんで今日になってもう一度電話をかけてこなけりゃならなかったのかしら?)
「まあ喋っちゃったものは仕方ないわ。今後は気をつけてね。」とバイトの子を席に下がらせると、コモモは万石らの大学の事務課に電話をかけた。
「………すみません、私、『○○新報』編集長のコモモと申します。いつもお世話になっております。………本日お電話さし上げたのは、そちら様から御連絡頂いた資料の件なんですが……。」
電話の向こうで、「誰か電話さし上げた人いる?」と大声で尋ねる声がした。
……やがて帰ってきた返事は、コモモを少なからず動揺させる種類のものだった。
「…え?どなたもそんな電話はしていないと仰られるんですか??」
万石が席を置く大学の関係者を名乗る人物から電話があり、ユウカの住所を聞き出そうとした。
しかし大学側は「そのような電話をした者はいない」という。
念のため安否を確認しておこうと、コモモはユウカを匿っている自宅に電話をいれるが、ユウカは電話に出ない。
不安が膨らんでいくのを感じた彼女は、事務所を出て自宅へと向かうが、ユウカの不在を確認するだけに終わる。
胸騒ぎを抑えきれなくなったコモモは、ついに最後の頼みの綱、万石の研究室へと向かったのだが……。
そのころ既に、街は茜色から藍色へと変り始めていた。
夜がやって来る。
熱帯夜が…中生代の夜が…足音高く。
『ヤツが来るよ…』
………
……いつのまにか、またもユウカは10年前の教室にいた。
教卓には、コモモの弟のユウスケ先生。
そしてサル山のサルのように騒がしい男子生徒と、軽蔑の眼差しでそれを見る女子生徒たち。一見いま流行の崩壊学級のようだが、実は先生を中心に家族的・友達的関係で結びついている集団。
その中に、一人場違いな大人の姿で、ユウカは席についていた。
『時間が無いんだ。』
また後ろの席からの声が彼女に言った。
ユウスケ先生の目を気にしながら、ユウカは後ろの席の声に聞き返した。
『ヤツって何?』
『滅びたはずのヤツだよ。何でも食べる飢えた牙。それがヤツなんだ。』
『滅びたはずのヤツ!?』
『甦っちゃったんだ。甦らせちゃいけなかったのに。』
『お願い!もっと詳しく……』
…詳しく話して、と言いながら後ろの席を振り返ったところで、ユウカはハッと我に返った。
あの少年の傍らで、壁にもたれた姿勢のままで何時の間にか眠りこんでしまっていた。
辺りを見回すと、外には最後の夕日の輝きがまだ残っていたが、部屋の中はとっぷりと闇に沈んでいる。
「いっけない。夜になる前にコモモさんの家に戻らないと。でも、この子のことは…。」
ちょっとしたパニックに陥りかけ、ユウカは膝もとで眠っているはずの少年へと目を向けた。
少年は………いなかった。
代わりに、彼の横たわっていた場所に一枚の書置きらしきものが残されている。
そこに、激情にかられたように書き殴られていた言葉は……
「逃げて!ヤツが来る!!」
ゆっくりとではありますが、お話は続いております。
いまは巨大怪物を出すべきか、出さざるべきか考えてるところです。
しかし……こんなことで、「第X話」氏は戻って来てくれるんでしょうか?
疑問とするところであります。
単なる拙者の「スレの私物化」というか「独演スレ」になっているのではないか?
私が独りよがりのヨタ話を連投しているせいで、「第X話」氏が戻って来れないのではないか?
「第X話」氏が「偉大なる老テオパルド」ことHPLで、私はダーレスあたりのつもりなんですがねぇ…。そんでもってこのスレがアーカムハウスと(笑)。
ちょっと用事があるので、「甦る顎(あぎと)」は3日続けてお休みです。
では健全で心広き特撮ファンのみなさん。
1日早いですが、いい週末を。
174 :
名無しより愛をこめて:2008/07/28(月) 11:57:26 ID:+wCy3qg+0
応援中!!
今日は書けるかな?
『逃げて!ヤツが来る!!』
狂おしく書き殴られた紙片を手に、ユウカは廊下に飛び出した。
廊下にも、ずらりと並ぶドアの向こうにも、人の気配は全く無い。
間借り人は大学生が殆どであり、しかも夏季休暇が既に始まってるため、アパート全体が無人に近いのだ。
そして廊下では、屋外より一足早く夜が忍び寄っていた。
一瞬、自室に戻りかかったユウカだったが、勇を奮うと闇の廊下へと改めて踏み出した。
「あの子を探さなきゃ。」
口に出して言ったのは、自分自身を鼓舞するためだ。
(明かりのスイッチはたしか……)
暗い廊下の壁を手探りで進み、電灯のスイッチを探り当てると、安堵のため息をつきながらスイッチを入れた。
明かりは点かない。
廊下は暗いまま……いや、ユウカが部屋を出てから幾らも経たないというのに、廊下は前より一層暗くなっている。
「ブレイカーが落ちてるのかしら?」
自分を落ち着かせようと、ユウカはまたも口に出した。
「このあいだもエアコンやパソコンの使い過ぎでブレイカーが落ちちゃったし…」
ブレイカーは廊下の向こうの端から降りる階段の下、玄関の靴脱ぎの横にある。
そろそろ手探りしながら、ようやくユウカは階段の上まで辿り着いた。
(そうだ!ここには窓があったっけ…)
ユウカは、クレッセント錠を回転させ窓を開いた。
…少しは外の明かりが射し入るかと期待したのだが、結果は全くの期待はずれだった。
窓の外はたぶん隣のマンションの壁でもあるのだろう。一筋の光も入ってこない。
がっかりしたユウカは、それでも気を取り直すと、暗い階段へと左足を踏み下ろした。
そのとき…きっと窓が開いたせいで空気が動いたのだろう。
階下の暗闇から、胸が悪くなるような金臭い臭いが吹き上がってきた。
思わず足を止めたユウカは、同時にあるものに気がついた。
ギナギナ光る銀の小皿のようなものがふたあつ、闇の底からユウカを見あげていた。
コモモが大学の構内に車を滑りこませたところで、危うく万石の軽自動車と正面衝突するところだった。
「最初からユウカくんは、この事件の真相を残らず言い当てていたんです。」
そう言いながら万石は、助手席のコモモにユウカの忘れ物のデジカメを手渡した。
「私の研究室にインタビューに来る途中、『人狼』事件の現場に通りかかったユウカくんは、買ったばかりのデジカメで写真を撮りまくったようですね。」
「はい…」
コモモの眼前に、あの日のユウカが甦った。
「…そうです。もう手当たり次第という感じで写真を撮っていましたわ。…でもそれが??」
「犯人、つまり『人狼』が殺人現場に戻っているのではと空想したユウカくんは、自分の撮った写真を調べてみたようですが、何も見つけ出せませんでした。」
「…見つけ出せるわけないですわ。だって『人狼』は……」
変身するんでしょうと言うコモモに対し、前を見つめたまま万石は首を横に振った。
「写っているのは『人狼』ではありません。もっと別の人物です。報道関係者であるコモモくんなら、覚えがあると思いますよ。」
こんどは万石は、プリントアウトした写真を二枚手渡した。
「これは?」
「ユウカくんの撮った写真をプリントしたものです。……どうです?見覚えがありませんか??」
「そうですねえ…」
一枚は街路樹の陰に隠れるように立つ痩せた初老の男性の写真で、もう一枚はその男性の顔の部分を拡大したものだった。
すっかり白髪になった頭髪はすっかりボサボサで、手入れをしている気配は無い。げっそりと頬がこけ、目の周りもくっきり深い皺を刻んで落ち窪んでいる有様は、浮浪者のようだ。
ただ暗い瞳だけが、激しい感情に燃え上がっているように見える。
その顔から、まずコモモが連想したのは「執念」という言葉だった。
「判りませんか?コモモくん。」
万石の口調は、なんで判らないんですかと言わんばかりだった。
「4年前、彼の顔写真は、全国あらゆる新聞や雑誌の紙面を占拠してたじゃないですか!?最初は『救世主』として。そして次は『詐欺師』として…」
思わずコモモが「あっ!」っと驚きの叫びを上げた。
「この人は…ES細胞の小林教授ですね!?」
応援。楽しみに読ませていただいております。
179 :
名無しより愛をこめて:2008/08/07(木) 10:06:32 ID:IZ1ezg9t0
私も応援中
保守
「ユウカくんが見たという『芸術家みたい』と表現された謎の人物。彼こそ小林教授です。」
万石が手荒くハンドルを切ると、タイヤがけたたましく悲鳴を上げた。
「彼は『人狼』を追ってきて、そのおぞましい行為と姿を目の当たりにしたんです。そしてその結果漏らした言葉が……」
「……『個体発生は系統発生を繰り返す』……ですね。」
万石はコモモの言葉に答えないまま、ここで急に話題を変えた。
「コモモさんは覚えていますか?ES細胞とはどんなものなのかを?」
「確か……」コモモは4年前の騒動のとき読んだ記事を思い出した。
「……どんなものにもなり得る細胞だったと思います。受精後初期の細胞をベースに作られるものだったと…」
「よくできました。それで正解です。」
細胞はそれぞれどんなものになるのか決まっている。
顔の表皮細胞を培養していっても、それが怪物になったりしないのはもちろんだが、手足のような他の部位になることもない。
しかし細胞分裂が始まった初期の段階では、細胞は、それぞれがどんなパーツになるのか決まっていない。
この「まだ何になるのか決まっていない」段階の細胞を科学的に量産しようというのが、ES細胞研究の目的である。
「手にも足にも、心臓その他の臓器にも成長し得る細胞。それがES細胞です。どんなものにもなり得るんです……そう………どんなものにでも……。」
「どんなものにもなり得るんです……そう………どんなものにでも……。」
「……どんなものにも??」
(…どんなものにもなり得る細胞…)
頭の中でコモモは万石の言葉を繰り返した。
(……普通の細胞は、最終的に何になるのか決まっている……でもES細胞は……)
そして、その次の言葉が思考の表を駆け抜けた瞬間、コモモも万石の考えていることを直感的に理解した!
「『個体発生は系統発生を繰り返す!』そうよ!そうなんだわ!!」
コモモは思わず叫び声を上げていた。
「小林教授は詐欺師なんかじゃなかったんだわ。彼のES細胞は本物だったのね。」
「そのとおりですよ、コモモくん。教授の想定範囲を超えるほどに、本物だったんです。」
闇を見つめつつ、万石は言った。
「…個体発生の過程で胎児は魚類や両生類、爬虫類に類似した姿をとりますが、最後にはちゃんと人にしかならない。でも小林教授のES細胞は……」
熱帯夜だというのに、助手席のコモモは自分の両肩を両腕できつく抱きしめていた。
「途中の、どんなものにでもなってしまうのね。魚類にも、爬虫類にも。」
「そうです。それこそが…『人狼』の正体なんです。」
ほとんどスピードを落とさぬまま、万石はハンドルをきった。
加重を失った後輪が派手に泳いで一瞬スピン状態に入りかかる車を、ハンドルさばきで強引にねじ伏せると、万石の車は市街地の道路へとロケットのように飛び込んでいった。
「おそらくユウカくんは、自分なりに事件を調査してみようと、事件現場に戻ってみたんだと思います。」
「そう言えば!」
短く叫ぶようにコモモは言った。
「一昨夜と昨夜の事件はどっちもユウカちゃんのアパートの近くで起こってるんです。」
「当然です。」
「昨夜も一昨夜も、標的はユウカくんだったんです。理由は…」
「偶然、小林教授を写真にとってしまったからですね!?」
万石とコモモを乗せた車が、ユウカのアパート目指し疾駆していたころ……。
……ユウカはアパートの階段の上から、悪夢のような怪物と睨みあっていた。
(…人狼!)
階下から見あげる銀色の双眸は紛れもない、あの獣人のものだった。
建物の外への道は、目の前の階段以外には無い。
強行突破など論外だ。
幸い、階下の怪物に動き出す気配は無い。
…それとも、ユウカに逃げ道の無いのを見越しているのか?
怪物の銀色の目から視線を引き剥がすと、元来た廊下を足音を忍ばせながらユウカは引き返した。
最初に考えたのは、自室に戻って鍵をかけることだったが…
(…だめ!部屋まで逃げたら、もう後がないよ。)
安アパートのボロい扉が、「人狼」の攻撃に耐えられるはずもない。
そのとき、階段の下からギギィィッと踏み板の激しく軋む音が響いてきた!
「人狼」の足が、階段にかかったのだ。
怪物が動き出した!
唇から漏れかかった悲鳴を必死に噛み殺すと、ユウカは壁に背中を擦りつけるように後ずさった。
ギギイィィィッ!
……ギギィィィィィィッ!
ヤツが来た!
ユウカを捕まえるために!
ギィィィィィィ!…ギィィィィィッ!…ギィィィィィィッ!!
階段の軋みのテンポが速くなってきた。
あと数秒も待たずして、「人狼」は二階廊下に姿を現すだろう。
(ど、どこに逃げたら……)
ギィィィィィッ!!
踏み板の軋みが、すぐそこから聞こえたその瞬間、壁に擦りつけながら後ずさっていたユウカの背中が、そこにあるはずの無い段差にぶつかった!住人が施錠を忘れたのか?途中のドアが廊下側に僅かに飛び出している、その段差に背中が引っかかったのだ。
(鍵がかかってない!?)
半開きのドアの隙間に滑りこんだのは、追い詰められた末の、理屈では説明できない行動だった。
ギギッ!
音も無くユウカが扉を閉めるのと同時に、板の軋む音が一変した。
(……廊下まで……上がって来たんだ……)
ギギギッ!!
また廊下が大きく軋んだ。
…かなりの体重なのに違いない。
廊下の軋みとともに、ユウカの潜む部屋の造りの悪い床板までが、僅かに沈み込むのが足の裏に感じられる。
同時に、扉の隙間から金属臭が忍び込んできた。
その臭いからユウカは、「人狼」というより爬虫類か両生類を連想した。
…ギギッ!…ギギッ!…ギギッ!
廊下の軋みはどんどんユウカの隠れている部屋に近づいて来る。
だが…、ドアの覘き窓から目を凝らしてみても、明かりの無い廊下に見えるものは何も無い。ただ……ただ金属臭だけがどんどん強くなる。
ギギギッ!
ドアのすぐ前で軋み音が聞こえ……そして止まった。
むせ返るほどの金属臭!
(ひょっとして…私に気がついたの?)
ユウカが除き見る小指の先ほどの窓の向こうで、銀色の目が二つ、闇のなかに揺れていた。
その虚ろな輝きから、何を考えているのかを読み取ることは不可能だが、扉のこちら側にいるユウカに気づいたわけではないようだ。
でも、「人狼」が扉のすぐ向こうに陣取っている以上、絶体絶命の状況であることは変らない。
(はやく…どっかに行っちゃって…)
扉を両手で押さえながら心の中で祈るユウカだが、「人狼」は何故かそこから動こうとしない。金臭い悪臭はもはや物質感すらもってユウカに纏わりつき、激しい吐き気を催させる。恐怖に震える両膝は、いまにも彼女を裏切って何か物音でも立ててしまいそうだ。
(どうすれば……)
そのときユウカは、扉にもたせかけた自分の腰に、何か硬いものが当っているのに気がついた。
(……そうだわ!)
ユウカは思い出した。
まだ太陽が中天で輝いていた時刻のことである。
眠りについた少年を目覚めさせてはいけないと、携帯電話をマナーモードに切り替え、そして腰のホルダーに収めたのだ。
ホルダーから抜き出すと、震える指でディスプレイを開く。
一瞬、作動音がしてしまうのではないかと背筋が震えたが、マナーモードの携帯は声をたない。扉を片手で押さえたままの姿勢で、ユウカは必死に次々とキーを押した。
そして……
(…発信!)
このまま何も起こらないのじゃないかと思えた一瞬のあと、廊下を支配していた沈黙を電子音が打ち破った!
プルルルルッ……
「ごあああああああああっ!?」
扉のすぐ向こうで、飢えた獣の咆哮がいきなり弾けたかと思うと、荒々しい足音がアパート全体を揺るがした!
そしてメリメリと木が裂ける音、ギイギイと金属が擦れる音が続く!
ユウカは自分の携帯で、自分の部屋の電話をコールしたのだ。
もちろん「人狼」を廊下の奥にある自分の部屋へと誘導するためである。
蝶番ごと引きちぎられた扉が反対側の壁に叩きつけられる音!
そして「人狼」がユウカの部屋に飛び込むのと入れ替わりに、ユウカは隠れていた部屋から忍び出ると、一階への階段を、足音を気にしながらも滑るように駆け下りた。
背後の二階で怒りの雄叫びが迸った!
当り散らすように何かを破壊する音もしている。
だが、その音がかえってユウカの足音を消してくれた。
ユウカが一階の玄関前に辿り着いたとき、荒れ狂う「人狼」の唸り声は、まだ彼女の部屋から聞こえていた。
(よかった、逃げられた…)
安堵の涙とともにユウカは玄関の扉を押し開けた。
突然!ユウカの顔に何か布切れが押し付けられた!
「…きゃ……」
か細い悲鳴はたちまち途絶え、ユウカの意識は石ころのように落ちていった。
深い、深い闇の中へと。
万石の車が滑り込んだ住宅街には、熱帯夜というのに窓を開けている家など一軒も無かった。「人狼」の徘徊する街を見捨てたのか?それとも暗い部屋の中で生きを潜めているのか?ピッタリ窓を閉ざして明かりまで消した家の中に、人の気配は全く感じられない。
「…警官が班を組んで警邏に当っているはずですけど…。」
コモモが言ったそばから、万石の運転する車のヘッドライトの中に、ドアが開かれたまま無人で放置された県警のパトカーが浮かび上がった。
「間違いなく『彼』が来てますね。」
「…彼?」
万石の言う「彼」とはもちろん「人狼」のことだ。コモモにもそれは判る。ただ彼女が引っ掛かったのは…。
(「人狼」の正体は小林教授のES細胞を植え付けられた人間。それは判るわ。でも今の言葉には…)
コモモは万石の言葉の中に、ある種の「思い」が込められているのを感じ取ったのだ。
(もしかして先生は、「人狼」の正体を知っているんじゃないかしら?ただ、それが『人間である』という以上の正体を…?)
そのとき万石が荒っぽくブレーキを踏んだ。
「たしかここでいいんですよね?」
「…あ!?は、はい、そうです。ここです。」
コモモの返事を待たず、万石は安アパートの玄関に手を掛けた。
「蝶番がもげかけている!…遅かったのか?」
短く呟くと、万石は後ろのコモモを振り返った。
「コモモくん、ここから先は危険だから……」
だが、そこまで言いかけた万石の鼻先を、コモモの青白い顔がさっさと通り過ぎて行った。
「コ、コモモくん!?」
壁のスイッチに手を触れてみて、廊下の明かりが点かないと知ってさえも、コモモの足は止まらない。
万石に置いてけぼりを食わせて、コモモはずんずん二階への階段を上がって行った。
「…『待ってろ』なんて言っても、私、待ってなんかいませんから!」
「でも、コモモくん!?」
闇の階段を上がっていくコモモの尻を万石が必死に追いかけるカッコウになっていた。
「ユウカくんは私の部下です!偽電話に引っ掛かってユウカくんの住所を教えてしまったのも、私の部下です!だから……」
結局コモモは追いすがる万石よりも先に二階廊下に足を踏み入れた。
「…私、絶対に逃げるわけにはいかないんです!」
階段横の窓が開いているにも関わらず廊下は金属臭でむせ返るほどで、思わずコモモは片手で鼻を押さえた。
「なんなの?この臭いは??」
懐中電灯代わりにと、コモモは携帯電話を開いて頭上に掲げた。
指向性を持たない微かな光の中に浮かび上がったのは、異様な光景だった。
光の中に浮かび上がったのは、異様な光景だった。
廊下に何枚ものドアが転がっている。
力任せに壁から引き毟られ、床に!壁に!叩きつけられたのだ。
そして一番奥にあるコモモの部屋はドアの嵌っていた枠そのものがメチャメチャに壊されている。室内の様子は容易に想像ができた。
「まさか…まさかユウカちゃんは!?」
悪臭から鼻を守ることも忘れ、コモモは二三歩ヨロヨロと歩み出た。
「…ユウカちゃん!?」
そのとき不意に、コモモの横にポッカリ口を明けていた四角い穴から、巨大な黒い影が飛び出してきた!
「うっ!?」
…気がつくと、コモモは、自分の体ほどの太さの腕で、壁に貼付にされていた。
喉にかかった手の平には、何故か水掻きのような感触がある。
そしていまだコモモが手にしている携帯の明かりに照らし出されたその顔は……!
(これが人間だというの!?)
…左右の対称を著しく欠いた頭部。
せり出した上下の顎はキッチリ閉まっておらず、鮫のようなギターピック状の牙がデタラメに突き出している。
そして落ち窪んだ目の虹彩は、縦に長い。
貪欲そうな顎のあいだから、先端が二つに分かれた下が滑り出し、コモモの頬をさっと火と舐めした直後、彼女の首を掴んだ手の平にグイッと力が込められた!
「人狼」の豪腕の前には、コモモの首などマッチ棒同前だ!
(く、苦しい!)
コモモの喉から悲鳴になることも許されなかった絶望の吐息が漏れだしたとき…!
突然、万石は叫んだ。
「止めるんだ!トオルくん!」
しまった!
「トオル」って名前は前に「人形の家」で使ってた。
それにこの「トオル」って名前には隠しネタがあるし(笑)。
…ここはナオトくんに変更するべし。
ファンなので変更はかまいませんが、まとめる時はきちんと統一してくださいね。
あの……
「まとめる時」とは如何なる意味ぞや?
ちなみに「透(=トオル)」という名前は、「人形の家」では特段の意味も無く思いついただけの名前でした。
それが別の話の核に使えることに気がつきまして(笑)。
第X話氏のメインキャラである「変人女」。
勝手に使うのも悪いと思ったので、マイ「変人女」を起動させようかと…。
そのお話の核になるのが「トオル」。
そんなことを考えていたから、こっちの話に「トオル」が出てしまったのかもしれません。
大謝。
アパートの前でいきなり襲われ、意識を失ってしまってからどれくらい時間がたってからだろうか?
(…手足が…重い……)
……まるで柔らかい毛布か何かで、何重にも包み込まれているような気だるさとともに、ユウカは意識を取り戻した。
確たる目的もないまま、無意識にのろのろ動かした手が何かに触れ、ガチャンとガラスの割れる音がしたが、それもどこか遠くで起こったことのように聞こえる。
……そんな夢とも現ともつかぬ状態でユウカが目覚めたのは、ユウカの意識状態と負けず劣らずに幻想的な場所だった。
白漆喰を塗られた壁には暖炉が設えられ、その前には揺り椅子と、それから小さな○テーブルが置かれている。
これで壁に肖像画でも掛かってれば、中世ヨーロッパの地方荘園領主の館といった趣だが、肖像画の代わりに壁に掛かっていたのは…乗馬ムチだった。
皮がいたるところで擦り剥けていて使い込んだ感じのするのが、なんとも凶々しい。
どこかグニャグニャした、不確かな思考の中でユウカはあの言葉を思い出した。
『…個体発生は系統発生を繰り返す……なんということだ』
いくら忙しいからといっても、189と193の文章は酷すぎるので…。
一部リライトしました。
多少はマシになっているはずですが…。
光の中に浮かび上がったのは、異様な光景だった。
廊下に何枚ものドアが転がっている。
力任せに壁から引き毟られ、床に!壁に!と叩きつけられたのだ。
そして一番奥にあるユウカの部屋は、ドアの嵌っていた枠そのものまでメチャメチャに壊されていて、室内の惨状は、容易に想像がついた。
「まさか…まさかユウカちゃんは!?」
悪臭から鼻を守ることも忘れ、コモモは二三歩ヨロヨロと歩み出た。
「…ユウカちゃん!?」
そのとき不意に、コモモの横にポッカリ口を明けていた部屋の中から、猛烈な勢いで黒い影が飛び出してきた!
「あっ!?」
…気がつくとコモモは、自分の体ほどの太さの腕で、壁に貼付の状態にされてしまっていた。
(じ……「人狼」!?)
コモモの喉にかかった手の平には、「狼」には無いはずの水掻きのような感触がある。
そしていまだコモモが手にしている携帯の光に照らし出されたその顔は……!
(これが…これが人間だというの!?)
…左右の対称を著しく欠いた頭部。
せり出した上下の顎はキッチリ閉まっておらず、鮫のようなギターピック状の牙がデタラメに突き出している。
そして落ち窪んだ目の虹彩は縦に長い。
貪欲そうな顎のあいだから先端が二つに分かれた下が滑り出し、コモモの頬をサッとひと舐めした直後、首を掴んだ手の平にグイッと力が込められた!
「人狼」の豪腕の前には、コモモの首などマッチ棒同前だ!
(く、苦しい!)
コモモの喉から悲鳴になることも許されなかった絶望の吐息が漏れだしたとき…!
万石の叫びがアパートの廊下にこだました!
「止めるんだ!ナオトくん!」
アパートの前でいきなり襲われ、意識を失ってしまってからどれくらい時間がたったのだろう?
(…手足が…重い……)
……柔らかい毛布か何かで、何重にも包み込まれているような気だるさとともに、ユウカは意識を取り戻した。
確たる目的もないまま、無意識にのろのろ動かした手が何かに触れ、ガチャンとガラスの割れる音がしたが、それもどこか遠くで起こったことのように聞こえる。
……そんな夢とも現ともつかぬ状態でユウカが目覚めた場所は、ユウカの意識状態と負けず劣らずに幻想的なところだった。
白漆喰を塗られた壁には暖炉が設えられ、その前には揺り椅子と、それから小さな丸テーブルが置かれている。
これで壁に肖像画でも掛かっていれば、中世ヨーロッパの地方荘園領主の館といった趣だろう。
だが、肖像画の代わりに壁に掛かっていたのは、一本の古びた乗馬ムチだった。
皮がいたるところで擦り剥けていて使い込んだ感じが、ユウカにどこか不吉な印象を与える。
気がつくと、地に足が着いていない感覚のままでユウカ立ち上がり、不確かな思考の中で、無意識にあの言葉を呟いていた。
『…個体発生は系統発生を繰り返す…』
すると、ユウカの背後で見知らぬ声が、ユウカの呟きに応えた。
「そうか、君はあの夜、あそこにいたのか。」
泳ぐような仕草でユウカが振り向くと、背の高いノーブルな姿が、戸口を塞ぐように立っていた。
服装がそれなりだったら、本当に地方貴族にでも見えただろう。
しかし今彼が着ているのは、擦り切れ薄汚れた白衣に過ぎなかったし、憔悴しきった瞳が憑かれたような輝きを放っていた。
「それじゃアナタが…」
そのときユウカの視界がぐらりと大きく傾いた。
左右の腕を大きく泳がせるが、足は縺れて言う事を聞かない。
天地がひっくり返るような一瞬の混乱のあと…、気がつけばユウカは男の腕に肘を支えられていた。
「無理して立ち上がらない方がいい。私の使った薬がまだ効いているはずだからね。」
(…くすり?)
ユウカは、「人狼」の襲撃を辛くもかわしてアパートの戸口を出ようとしたそのとき、顔に何か布きれを押し当てられたことを思い出した。
「私はね、こう見えても医者なんだよ。少なくとも4年前までは…ね。」
男はユウカを長椅子に座り直させると、自分も暖炉の前の揺り椅子に浅く腰をかけた。
「キミがあの夜、あの場所に居たというなら……きっとそれは偶然などではないのだろう。少なくとも私にはそう思えるのだよ。」
しばらくのあいだ、男はじっとユウカの顔を見つめていたが、やがておもむろに語り始めた。
「いまから13年前、一つの命をこの世に生み出すのと引き換えに、妻はこの世を去った…。」
198 :
名無しより愛をこめて:2008/09/14(日) 20:09:37 ID:TZOC5Bov0
a
「こう見えても…恋愛結婚でね。」
男の視線は、いつのまにかユウカの顔を見ながら別の何かを見つめ始めていた。
「2人とも研究者だったから結婚も遅くて……子供ができたのも30過ぎて40に手が届こうという年齢だったんだよ…。」
男の話ぶりは、親戚の子供に昔話を聞かせているようだった。
だが、瞳は釘付けされたようにユウカの顔から動かない。
恐る恐る相手の瞳を見つめ返した瞬間、ユウカは気がついた。
(この人の目…私を見ていない。私の方は向いてるけど……でも、この男の人が見てるのは、他の何かなんだわ…)
そこには存在しない何かを見つめたまま、男の話は続いていった。
「妻は生まれたときから体が弱くてね。出産なんて行為は、はなから無理だったんだ。
でも、『研究者』である前に『母』でありたいと願った妻は、自分の命と引き換えになることを承知の上で出産に臨んだのさ。
そうして、妻と入れ替わるようにしてナオトはこの世に生を受けたんだよ。それなのに…。」
男はここで言葉を切ると…、何か苦いものでも吐き出すように、続く言葉を口にした。
「…小学生になったばかりの春だった。ナオトが通学路で突然倒れた。幾度もの検査の結果、ナオトの体が予想もしていなかった病魔に毒されていると判ったのだ。」
ナオト少年が発症した病とは、ヘイグ・ベルトラン症候群という病気で……。報告例は世界中でもわずか数例だけ。その原因は全く不明。治療法も全く存在しないという奇怪な疾病であった。
「私は誓ったんだ。治療法が発見されていないというのなら、自分で発見してやる!ナオトは絶対に死なせやしないと。」
そして小林教授の必死の研究が始まった。
200 :
名無しより愛をこめて:2008/10/15(水) 15:27:44 ID:XGlsaYZYO
保守
終了
朝飯抜き・昼飯抜き・休み時間なしの12時間労働で忙しすぎて、続きがなかな書き込めない。
…でもなんとかピークは越えたか?
復活に向けて女装を…じゃなかった、助走を開始しよう。
彼の科学者としての目は、ナオト少年の命が中学生に上がることなく燃え尽きると見た。そして、父としての目は、そんなこと絶対に許すものかと滾りたった。
「時間は、限られていた。」
ナオトの病が休むことなく進行していくのに対し、教授の研究は遅々として進まなかった。
考えうる限りの治療法を試し、その全てが徒労に終わった。
「いつしか私は……神様がナオトのことを憎んでいる。何が何でもナオトを殺そうと考えている。……そう思うようになっていたんだ。」
ほかの子供たちが虫取りや草野球で走り回る小学校3年生の夏休み、ナオト少年はついにベッドから起き上がることもできない体となった。だが、死神がすぐそこまでやって来たそんなある日、ついに教授は究極の回答へと辿り着いた。
「それがES細胞だったのさ。」
(ES細胞!?)
その言葉を耳にしたとき、ユウカは目の前の語り手の顔に、4年前、日本中を賑わした男の顔を見て取った。
「わかったわ…」
夢の中で叫ぶようにユウカは言った。
「あなたは…小林教授ね!」
苦い微笑みとともに、男は頷いた。
「…そのとおり。天才、救世主…そして稀代の詐欺師。マスコミは、実にいろいろな肩書きを、奉ってくれたよ。でもね、ユウカくん。どれも間違っているんだ。」
「どれも…間違っている?」
「そうさ……真に私に相応しい肩書きはね……」
小林教授は、疲れきったというように、大儀そうに首をぐるりと回して言った。
「…『神に呪われた男』…さ」
『ナオト、こっちにおいで。』
明るい窓を背に椅子に腰を下ろすと、教授は一人息子をそっと招いた。
部屋の反対側のベッドからゆっくり起き上がるとナオト少年はゆっくりとした足取りで、父に向かって歩き出した。
一歩……一歩……また一歩。
その足取りは、ゆっくりではあるが確実にしっかりと安定したものになってゆく。
つにい
自分の前に立ったナオトの肩に、教授は震える両手をかけた。
『父さんに、おまえの体をよく見せておくれ……』
ふくらはぎと太股の筋肉は、まだ細いがしなやかで弾力性に富んでいる。
臀部と越し回りも申し分ない。
下半身に較べれば上半身はまだまだだったが、それでも皮膚にはその年頃の少年らしい色艶が戻っている。
(もうしぶんない回復ぶりだ…)
教授の頬を、涙がひとすじ走った。
溢れんばかりの安堵と喜びが却って彼から喜びの言葉を奪ってしまっていたが、その涙の色がナオト少年にも父の心の内を、どんな「言葉」よりも雄弁に語っていた。
父の涙に、微笑み返す少年……。
だが教授は、幸せそうな息子の微笑みの中に、引っつれたような影が差すのを見逃さなかった。
『……ナオト、ちょっと口を開けて、歯を見せてくれないか?』
不思議そうに首をかしげると、少年は父によく見えるように大きく口を明けた。
(………このせいなのか。)
…犬歯が不自然に長い。
それに唇が引っ掛かって、口元に不自然な影を作ったのだ。
「やがて私と息子を飲み込むことになる恐ろしい顎(あぎと)の、それが最初の現われだったのだ。」
お体に気をつけて。支援!
「ユウカくん、キミはお爺さん、お婆さんと一緒に暮らしていたことがあるかな?」
小林教授の思考が、過去のできごとから現在のユウカの上に不意に戻ってきた。
「あ…あり…ます。」
夢とも現ともつかぬ世界で、ユウカは答えた。
「わたし…、わたし、新潟じゃお爺ちゃん、お婆ちゃんと……」
「それなら、知っているだろう?若者よりも、年よりは歯が長く見える。」
ユウカの記憶の中から、死んだ祖父母の顔が浮かび上がった。
彼女の祖父母は入れ歯を使っていたが、僅かばかりの残った歯はというと…。
こくりと頷いて、ユウカは答えた。
「お爺ちゃんもお婆ちゃんも、入れ歯だったけど、残った歯はなんだか長かったです。」
「実は、歯が長いんじゃない。歯茎が痩せるから、歯の露出部分が長くなるので、歯が長くなったように見えるだけなんだよ。」
子供番組のコメンテイターのようにそう言った直後、小林の視線が再び一瞬子過去を彷徨った。
「ナオトの犬歯が長く見えるのも、長い闘病の影響で歯茎が痩せたからだろうなんて……そんな風に考えたのさ、私はね……。」
天井を仰ぎ、小林は笑った。
乾いた、大きな声で。
そして吐き捨てるように言い足した。
「とんでもない大バカものだよ!」
小林教授が、ナオトの異様に長い犬歯に気づいてから、ちょうど1週間後のことだった。
幼いころよりナオトとともに暮らしてきたシェパード犬のジョンが、不意に姿を見せなくなった。
教授の話は、ユウカにも痛いほど理解できた。
…もう12年ほども前のこと。
ユウカの祖父が脳溢血で倒れたときのことだ。
祖父の病状は1日ごとの比較では一進一退だったが、1週間前と較べれば明らかに悪くなっていた。
そのことは家族の誰もが気づいていた。
でも誰一人、そのことを口にそうとはしなかったのだ。
(お爺ちゃんが死んじゃうなんて、そんなこと誰も認めたくなかったから、)
だから家族全員が、明白な事実に背を向けたのだ。
「私が事態を把握するまでのあいだに、近隣で更に3人の人間が姿を消した。」
膝に置いた両手のひらを、表に返し裏に返ししながら、教授はじっと見つめ続けていた。
「私が気かついたのは全くの偶然からだった。野良猫が裏庭に入り込んで…………妙だと思い……物置から……物置からシャベルを………」
思い出したくない記憶を、必死に辿る教授の言葉は、次第に途切れがちになっていく。
「…いくらも掘らないうちに………それは………」
…教授の声が止まった。
教授の顔が苦痛に歪み、掻き毟ろうとするかのように両手で覆われた。
それきり言葉は続かない。
両手の向こうから、嗚咽の声がするだけだ。
ユウカは知った。
「人狼」という怪物。
それは、狂った科学者の生体実験や、軍の秘密の研究といった判り易い悪が生み出したものではないのだと。
「人狼」は、一人息子に対する父の愛が生み出した、鬼子だったのだと…。
同情の念が胸に湧き上がり、自分が薬物を用いて拉致されたのだということも忘れ、ユウカは震える小林教授の肩にそっと手を伸ばしかけた。
…そのとき、聞き覚えのある声が叫んだ!
『ユウカちゃん!油断しちゃだめだ!!』
『ユウカちゃん!油断しちゃダメだ!!』
その声は、夢の中で何度も耳にした声。
あの石の少年の声だった。
ユウカは思わず伸ばしかけていた手を引っ込め、辺りを見回した。
だが、声の主はどこにも見当たらない。
いやそれどころか、小林教授は掌に顔をうずめたまま、全く声に気づいた様子が無い。
(いまの声、ひょっとして、私にだけ聞こえたっていうの??そんなことって…そんなことって…)
そこにいるはずの姿を求め、立ち上がりかけたユウカだったが、さっき以上の眩暈を感じてやはり長椅子へと倒れこんでしまった。
「……どうしたのかな?」
ユウカの倒れる気配を感じたのだろう。
小林教授が目を開いた。
「無理して立ち上がらない方がいいと言ったろうに。私の使った薬のせいで、キミはあと最低1時間は半分は起きて、半分は眠っているような状態のままなのだから。」
(…半分眠ってるような状態!?それってまさか…)
ユウカの頭にひらめくものがあった。
(今の私は起きてるけど、でも、寝てるみたいな状態ってことなのね?だから……)
(だからボクの声が届いているんだ。)
ユウカの頭に、さっき以上にハッキリと声が聞こえた!
(ユウカちゃん、よく聞いて。キミには今、大変な危険が迫っているんだ。)
「ナオトの変化の原因が、ES細胞にあることは明らかだった。」
もちろん小林教授は、ユウカが自分以外の者の声に耳傾けているとは気づいていない。
「ナオトと同じ悲劇が起こらぬよう、私は発表を待つばかりだったデータを改竄した。」
(そのせいでこの人は……)
夢からの声に意識を集中したため、意識の覚醒度が上がったせいだろうか。
声は遠ざかるように聞こえなくなってしまった。
「…それで、あなたは詐欺師呼ばわりされたんですね。」
「…詐欺師??」
教授の目に、一瞬奇妙な色が浮かんだように見えた次の瞬間、「なんと呼ばれようが、そんなことどうでもいい!」突然の大声に、ユウカはビクンと身を引いた。
「私にとって大事なことは唯一つ!ナオトだ!!」
それまでとはうってかわった素早い動作で小林教授は立ち上がると、両手を振り回しながら激しい口調でまくし立てた。
「何故だ!?何故ナオトはこんな目にあわなくちゃならない!?生みの母には会うこともできず、生まれたときから重い病気で、それが治ったと思ったら今度は……。」
ガチャン!
振り回された教授の手がぶつかって、低く下がった照明がグルグル回り出した。
壁に投げかけられた教授の影が、グルグル回りながら、高くなり低くなりを繰り返す。
夢と現のはざまからそれを見上げるユウカの目には、影が、「小林教授というマリオネット」を操る黒子のように写った。
「4年前、私はナオトとともにこの屋敷に立て篭もった。もちろんナオトを治療するためだ。」
小林教授の絶望的な戦いが再び始まった。
だが、教授はこれまでの戦いで既に疲れきっていたし、それに……
突然ノロノロした口調になって、小林教授は言った。
「ナオトの変異は……私の 予想 を はるかに 超えて いた の だ。」
今居る屋敷は30年以上前に横浜の物好きな豪商が建てたもので、恐ろしく不便な場所にある上、屋敷を含む辺り一帯が条例で市街化調整区域に指定されてしまったため、周りに他人が近寄る可能性は殆ど無かった。
そういう場所に、小林教授は自分自身と一人息子のナオトを幽閉したのだ。
「ナオトは既に……人を……手にかけている。」
「人を」と言う部分で、教授の声が苦しげに小さくなる。
「…だから私は、心ならずもナオトのことを、倉庫を改造した半地下の部屋に閉じ込めなければならなかった。」
一つしかない扉は鉄製で、地下倉庫の扉というには不自然なほどガッシリ造られている。
扉の他には、地面すれすれに設えられた通気孔が一つあるだけで、泥棒避けに太い鉄格子が嵌っていた。
「…格子の隙間を抜けるのは、ネコでもない限り不可能だろう。
だから、ナオトが人間に危害を加えることは、もう金輪際無いはずだった。」
教授の言うような部屋から脱出するなど、普通の人間には確かに不可能だろう。だが、ナオト少年は、「普通」ではなかったし、更には「人間」でもなくなっていた。
「春ごろから『人狼』と呼ばれる殺人鬼がうろつきだしたことは知っていた。だが、私は今度も、それをナオトと結びつけることはできなかった。」
しかし、悪夢の通告は、今度も突然にやって来た。
「……3日前の未明の夜のことだ。研究に疲れた私は、部屋の明かりを消して窓辺に立ち、空を見上げていた。
雲が厚くたれこめていたのだろう。月も星もない夜空だった。ちょうど私の心のように真っ暗な…。」
街灯一つ無い夜。
黒一色に塗り込められた世界。
もしここで誰かに鼻を摘まれたとしても、その指を見ることすらできないにちがいない。
が、しかし……いったい何の悪戯だろうか?
雲間に開いた僅かな切れ目から、白い月明かりが一筋射し入ると、背中を丸めて忍び歩く姿をほんの一瞬ちらりと照らし出した!
「 それは蒼白な顔をして……」
その光景を振り返るとき、教授の目は、ユウカの上にありながら、明らかにユウカを見てはいなかった。
「…口から下あごにかけて真っ赤に染めた……ナオトだった。」
「そのときになって、やっと私は気がついたんだ。新聞やニュースが人狼と呼ぶ殺人鬼の正体は、……私の息子、ナオトなのだと。」
ドアの覗き窓の向こうで、ナオト少年は体を丸め眠っていた。
もう下顎を血に染めてもいない。
「…ドアの施錠は確かだったし、通気孔の鉄格子もしっかりしていた。……にも関わらず、ナオトは部屋から外に出たのだ。」
何かを必死で捜し求めるように、教授の視線が部屋中をせわしなく動き回った。
「私の想像もできないことが起こっているに違いない!酷い眩暈を感じながら部屋に戻った私は、一種の予感をもってラジオのスイッチを捻った。予感は当っていたよ。」
『……本日未明の零時半ごろ、××県石堂市の……で、またもや人狼によるものと思われる殺人事件が発生しました。被害者は……』
「…なんとあの夜、ナオトは2人の人間を手に掛けていたのだ。」
教授は再び両手で顔を覆った。
「それでも事態を信じられなかった…いや、信じたくなかった私は、ふらふらと屋敷を出てゆき……気がつくと市内の新興住宅地を歩いていた。私の足は、私も知らぬ間にナオトが起した最新の事件現場へと私を連れて行ったのだ。」
ロクに手入れもしていない髪とやつれ果てた顔が、そしてなにより悪夢を見ているかのような彼の表情が変装以上の効果を発揮して、小林教授をかつての「救世主」兼「詐欺師」とは気づかせなかった。だが……。
「人目を避け、立ち木の陰から現場の方を見つめていたときだ。」
静かに教授が顔を覆った両手を取り除けると、その後ろから現われたのは、表情の消えうせた仮面のような顔だった。
「側面に『××新報』と書かれた軽自動車がやって来たかとおもうと、乗っていた若い女性が、私の顔をまともに写真に撮ったのだ。」
213 :
名無しより愛をこめて:2008/11/08(土) 18:27:10 ID:e1aIodLt0
Yes,we can
(もう、なにもかも……お終いだ…)
深い絶望を道連れに、小林教授は隠れ家へと帰りついた。
恐ろしい殺人鬼「人狼」の正体は、一人息子のナオトであった。
そして、よりによって報道関係者によって教授の写真が撮られてしまった。
「人狼」を追う警察か、さもなくば「大詐欺師」を追うマスコミの手によって、今の隠れ家が暴きだされるのは時間の問題であろう。
…だが、屋敷に戻り絶望的状況をぶちまけた小林教授の前で、「ナオト」少年は何故か平然としたままだった。
「…その 車に は、× ×新 報って、書いて あったんだね?」
そう聞き返したのが、ナオトの唯一のリアクションだったのである。
疲れきっていた教授はその場は特に気に留めることも無く、自室に戻るとそのまま倒れこんでしまった。
そして……顔を照らしだす白々とした光の中で気がついたとき、辺りは既に夜の帳に包まれていた。
「はっとして時計を見上げると、針はとっくに9時を回ったところだった。そして……地下室にナオトの姿は無かった。」
教授の視線が、ピタリと動くのを止めた。
「……ナオトは、狩に出たのだ。獲物は……」
ユウカの上に止まったまま、教授の視線は微動だにしない。
射すくめるような視線をユウカに浴びせたまま、小林教授は静かに言った。
「獲物は……ユウカくん、キミだ。」
自分の言葉の意味が相手に染み渡るのを待つかのように、暫くそのまま教授はユウカを凝視していたが、やがて不意に視線を外した。
「私は慌ててナオトを追った。これという当てがあったわけではないが、それでも追わずには居られなかった。」
夜の住宅街を舞台に、三人の運命が交錯した。
一人はユウカ、もう一人は「人狼」、そして三人目は小林教授である。
「悲鳴が聞こえた方に走ると、事切れた警官、そして街灯の下を一瞬、影が行くのが見えた。私は必死に走った。」
同じとき、わき道の植え込みで、ユウカは恐怖に震えていた。
「飛び込んだわき道に……『それ』……は、いた。」
深い悲しみとともにユウカは知った。
(…いままで「ナオト」と呼んでたのに……いまこの人は、「それ」と言った。)
「それ」という、たった二音の短い言葉が、小林教授の、父の悲しみをユウカに語った。
「…変わり果てたナオトくんの姿を目にされたのは………あの夜が…始めてだったんですね。」
ユウカの頬を涙がつたう…。
「人間の遺伝子には…」
ようやく口を開いたとき、教授の話し方は科学者としてのそれに戻っていた。
「今は使われていない遺伝情報が膨大に含まれている。私のES細胞は、そういう『封印された遺伝子』を解放してしまったのだよ。
特定のものにしかなれないということは、一種の安全装置だったのだ。しかし、私はそれを解除してしまった。」
獣から人へ、そして人から獣へ…。
「…その境界を隔てる壁を、私は破壊してしまった…その結果…」
必死に救おうとしたナオト少年を、更なる地獄へと送り込んでしまった。
それは悲しい告白だった。
だがユウカは、教授の告白と自分との係わり合いに、まだ気づいていなかった。
ユウカにとっての悪夢が、間もなく始まろうとしていた。
「なぜ……なぜにナオトは、こんな目に合わなければならないのだ?」
教授の熱に浮かされたような視線が、再びユウカの上に戻ってきた。
「母の命と引き換えでなければ、この世に生を受けることも許されなかった。
生まれたあとは難病を背負わされ、子供のうちに死ぬべく運命付けられていた。
そして、それを潜り抜けたと思ったとたんナオトは………」
ユウカに返す答えなどあろうはずもなかった。
人がこのような問いを放つとき、実のところはそれに対する答えがあろうことなど、期待していないのが普通だろう。しかし、教授は違っていた。
「教えてくれないか。ナオトは、この世にあってはならない存在なのだろうか??」
「…え?」
「答えてくれ!神はナオトのことをそれほどまでに憎んでいるのだろうか?」
「…か、神さま?」
「そうだ!神だよ。」
バネ仕掛けのからくり人形のように教授は立ち上がった。
「ナオトの前に、十重二十重に仕掛けられた死の罠!これが全て偶然だとは到底考えられないじゃないか!
神がナオトを憎んでいる!ナオトを殺したくて仕様がないのだ!!」
「そ、そんなこと…」
「そんなことないと言うのか!?」
教授の長い指が、猛禽のツメのように曲がった。
「ありそうもないことが立て続けにおこったとしても、普通の人間ならあくまで偶然だと思うだろう。だが、私は違う!!
私は科学者だ!在りそうも無いことが立て続けにおこるとするならそれは、我々人間の知らないところで、なんらかの必然が作用しているのだ!!」
「…そんなこと、そんなこと」
必死にユウカは反論の言葉を探そうとしたが、薬の作用で朦朧とした頭には何一つ浮かんでこない。頭のどこかで、危険を知らせるブザーのようなものがただ鳴り響くだけだ。
混乱の中でハッと気がつくと、ユウカの目の前数センチのところまで教授の顔が降りてきていた。
「そして……そういう在りそうも無いことの一つが…」
囁くように、謳うように、教授は言った。
「…キミだよ。ユウカくん。」
217 :
名無しより愛をこめて:2008/11/19(水) 19:00:43 ID:1p+sfCKn0
Yes,we can .
「素手で人間をバラバラにし、拳銃で撃たれても死なず、鉄格子の嵌った窓から自由に出入りできる……ナオトは……人間でなくなった代わりに、人間を越えた力を持ったのだ。」
催眠術でもかけようとするかのように、教授の目はユウカの前から動かない。
そしてその口調には最初のころとは違い、「人狼」への嫌悪の中に、ユウカには測りかねる「ある色合い」が混じりつつあった。
「……ナオトは人ではなくなってしまった。それが『人間を超えた存在』なのか、それとも『人間以下の存在』なのかは、判らない。だが……。」
突然、小林教授の両手がユウカの肩にがっきとかかった!
「ユウカくん!キミは人狼たるナオトの手を、三度も逃れた!
最初は、今も話した夜。二度目はその翌日の夜のことだ!」
教授の言う「翌日の夜」とは、上野毛警部を含む警官4人が人狼と遭遇した夜のことだ。
「それじゃ、あの夜の事件も!?」
「そうだ!キミの命とキミの撮った写真を狙って、ナオトはキミのアパートに出かけたが、運の良いことに、あの夜もキミは不在だった。逆に4人の警官は、運の悪いことにキミの巻き添えを食ったのだ。」
「そうだ!4人の警官は、運の悪いことにキミの巻き添えを食ったのだ。」
万石の研究室で出会った上野毛警部の、警察官らしくない人の良さそうな笑顔が一瞬ユウカの心を過ぎった。
「私の巻き添えで4人も!?」
「いいや、キミの巻き添えで死んだのは…」
視線だけはユウカの顔に貼り付けたまま、教授は即座に首を横に振った。
「5人だよ。最初の夜の犠牲者も含めてね。」
「そんな……」
ユウカは、目の前で黒い渦が巻いたように感じた。
5人もの人間が、ユウカの巻き添えになって命を落とした。その事実が、彼女に重く圧し掛かり、またも眩暈に襲われる。
そのとき、ユウカは不意に気がついた
(犠牲者が5人だというなら……あの子は「人狼」の犠牲にならずに済んだんだ。)
アパート近くの公園で出会い、介抱してあげるつもりでアパートに連れて行ったあの少年。
だがそのために、あの少年までもユウカの巻き添えで「人狼」の犠牲になったとするならば、彼女には到底耐えられなかったろう。
(…でも、あの子は殺されてない。あの子は無事に逃げられたんだ。)
ユウカの口からかすかに安堵のため息が漏れた。
だがその安堵感は、教授が次に口を開くまでのあいだしか続かなかった。
「……三度目の正直というヤツで、今度こそキミを逃すまいと、ナオトはキミが戻って来るのを待つことにしたのだ。そして、驚いたことに、今度はキミの方から、待ち構えるナオトの懐に飛び込んで来たのだ。」
「私の方から飛び込んだ!?」
「その通り。」
教授はゆっくり頷いた。
「キミがアパートに連れ帰った少年こそ、私の一人息子『ナオト』だ。」
「………う、うそ。」
「こんなところでウソをついて何になるというのかな?」
天井を見上げて、教授は短く笑った。
(そんな…そんな………そんなことって!?)
「…お医者さん呼んで来てあげるからね。まってて。」
「……お医者さん…呼ばないで……ボク………だいじょぶだから」
「…お医者さん…いらない…から……」
「ホントにだいじょぶなの??」
「ホントに……だいじょぶ……だから。……寝てれば……よくなる……から……」
あの少年とのやりとりと、幼児のような寝顔。
そして階下の闇からユウカを見上げるギナギナと光る目線が、彼女の脳裏で交錯し、捻くれ、ぶつかりあった。
(あれは、みんなウソだったの?私を罠にかけるための??)
ユウカの心の中を見透かしたように、教授は言った。
「もちろんキミをアパートに足止めするための罠だよ。」
「しかし驚いたことに、キミはまたもナオトを出し抜いた。私が玄関口で待っていなければ、今度もキミは無事逃げおおせていただろう。
つまり『あり得ないこと』が三度起こったわけだ。」
少年のやつれた横顔と、銀の皿のような人狼の目が、どす黒い渦になり、ユウカの脳裏でぐるぐる回りだした。
銀の皿のような人狼の目が、どす黒い渦になり、ユウカの回りで渦を巻いた。
(そんな…そんな…)
だが、黒い渦に呑まれかかったユウカは、ある「強い痛み」によって現実世界に引き戻された。
気がつくと、教授の指が鷲の爪のように肩にギリギリと食い込んでいる。
「い、痛いっ!放してください!」
「離したら…離したら答えてくれるかな?」
「な、何を話せっていうんですか!?」
「何故神は、ナオトにこれほどまで惨い仕打ちをするのだ?そして、この神の悪意ある企みの中で、キミの役回りは何なのだ!?」
「私の役割?……そんなもの…」
「いや、必ずある!」
教授の指が一層強く肩に食い込んで、ユウカは思わず悲鳴をあげるが、そんなものは教授の耳には入らない。
「キミは『人狼』たるナオトの襲撃を三度潜り抜けた!そう!三度だ!!」
さっきも言ったが私は科学者だ!
在りそうも無いことが三度も立て続けにおこるとするならば、それは我々人間の知らないところで、なんらかの必然が作用しているのだ!!」
「そんなこと知りません!」
教授の手から逃れようとユウカは必死に抵抗を試みるが、教授の指は鉤爪でも生えているかのように肩に食い込んだまま離れない!
「放してください!」
「……どうしても答えてはくれないのか!?」
抑えた叫び声とともに教授の手が肩から離れたかと思うと、次の瞬間ユウカの細い首へと巻きついた!
「あのアパートの前でキミをナオトに引き渡してもよかったんだよ!それをわざわざこの屋敷まで連れてきたのは、キミの口から答えを聞きたかったからだ!!」
教授の口調は、明らかに「最後通牒」の色を帯びている!
「さあ、答えるんだ。神は何故ナオトにこれほどまで惨い仕打ちをするのだ?そして、この企みの中で、キミの役回りは何なのだ!?
「知りません…そんなこと。」
「ぐうぅぅぅぅっ!」
教授の口から意味の通らぬ呻きが漏れ、ユウカの目の前に再び黒い渦が巻いた。
(た…たすけて…)
「やめるんです。小林さん。」
静かな声と共に、ユウカの首を絞めていた教授の手から力が抜けた。
涙に滲む視線を上げると、いつのまにか三番目の登場人物が、開いた戸口を背に立っている。
「……万石先生!」
小林教授の手を振りほどくと、ユウカは泳ぐような姿勢で万石の腕の中に倒れこんだ。
「この娘の知り合いらしいね。キミは一体何者だ?」
「私は万石。あなたと同じ科学者ですよ。…もっとも『同じ』と言っても、教授じゃなくて講師に過ぎませんが…。」
万石の冷静な口調と呼応したのか、小林教授も学者らしいもの静かな口調に戻っていた。
「学者か……それではもう一つ答えてくれ。キミはどうやって、この屋敷のことを知ったのだ?」
「もちろん推理したんでよ……と言いたいところですが、実は教えてもらったんです。」
「…教えてもらった?」
「そう、それだけでなく、案内もしてもらったんです。彼にね。」
ユウカを抱えながら万石が横に退いて、戸口に4人目の人物が現われると、教授が思わず驚きの叫びを上げた。
「ナ、ナオト!?」
「そうです。ナオトくんですよ。正真正銘、ホンモノのナオトくんです。彼が、私をここに案内してくれたんです。『人狼』を、アギトを止めてと言ってね。」
「…ナオトがアギトを止める?…だがアギトが『人狼』ならば、ナオトとアギトは同一……」
「違います。」
悲しげな表情で、万石は首を横に振った。
「ナオトくんとアギトは同一人物ではありません。もちろんナオトくんは誰も殺したりしていません。」
「そ、そんなバカな…。」
ワケが判らない…という顔の小林に向かって万石は静かに言葉を続けた。
「人間の遺伝子のなかには、魚類や爬虫類だったころには機能したが、今は存在理由の失われている遺伝子がたくさん含まれています。」
「そうだ、人ゲノム解析作業の結果判ったことは、人の遺伝子の大部分はそういう意味の無い遺伝子の集積だったということだ。」
「しかし、そういう機能を失った遺伝子も、別に眠っているわけではないとしたら?
チャンスさえ掴めば、『生物』の表に再び姿を現そうと、虎視眈々狙っているのだとしたら?」
小林教授が短い呻き声をあげ二三歩あとずさった。
「二重人格か!」
万石は深く頷いた。
「…ジキルとハイドなんですよ。ジキルがナオトくんで、ハイドがアギトです。
一億年以上にわたる進化の歴史のなかで、形になる道を封じられていたハイド。それがナオトくんの言う『アギト』の正体です。」
応援します。
このスレ行方を見失っていました。
てっきり落ちてなくなってしまったものと残念がっていましたがお元気そうで喜んでいます。
「ES細胞によって形となる未知を得たのと同時にアギトの人格……いや、獣格とも言うべきでしょうか……それがナオトくんの体を支配するようになったんです。」
推理小説に登場する名探偵よろしく万石は語りだした。
「アギトが我が物顔で動き回れるのは、最初のうちはナオトくんが眠っているあいだだけだったようです。
しかし、アギトはすぐに気がついたんだと思います。人間としての脳と知識の存在に。
そして人間としての知識を得たアギトは、ナオトくんから体の支配権を奪うとナオトくんに成りすましたのです。」
「まさかそんなことが…。」
万石は、苦しげに肩で息するナオト少年にそっと手を差し出した。
「…すべて彼自身の口から聞いたことです。」
「ナ、ナオト!いまの話は本当なのか!?」
少年は、無言のまま小さくかぶりをふった。
「幸いなことに、私は彼の名前を知っていました。大声で自分の名を言い当てられたとき、
一瞬の隙をついてナオトくんはアギトと入れ替われたのです。
いま彼は、必死に戦っています。彼の中にいる『知恵ある悪魔』と。」
少年のこめかみには青く静脈が浮き、おこりに罹ったように震える肩は、滝のような汗に濡れて光っている。
かみ締められた奥歯、眉間に刻まれた老人のような深い皺、固く握り締められた拳……体の全てで、少年は必死に戦っていた。
「彼は…」
再び口を開いた万石は、隣の少年に負けないぐらいに辛そうに見えた。
「……彼は私に頼みました。」
一瞬口ごもったあとで、苦いものでも吐き出すように、万石は少年からの頼みごとを吐き出した。
「自分が……自分がアギトを抑えているあいだに……殺して欲しいと。」
「殺せ!?」
両眼をカッと見開き、小林教授は叫んだ。
「殺せだと!!?」
もう一度同じ言葉を叫ぶと、教授は一人息子に駆け寄った。
「この子を殺せと!?」
万石も叫び返した。
「それがナオトくんの願いなんです!」
「いいいいい、嫌だ!!」
理性のタガが跳んだようなその叫びは、「科学者」ではなく、生身の父としてのものだった。
「絶対にだめだ!認めんぞ、私は!そんなこと!!」
「アギトは遺伝子の内部にいるんです。そしていったん扉が開かれてしまったらもう閉ざすことは…。」
「ナオトを殺さなければアギトも殺せないと言うのか!?なら、アギトも生きていればいいのだ!」
「小林さん!」
「アギトは超人だ!拳銃で蜂の巣にされても死なない。ナオトも一緒に行き続けることができるんだ!永遠に!!」
引き攣った表情でまくしたてる教授の目に宿る光!
それは狂信者の光!
必死に縋ってきた願いが叶えられないと知った瞬間、小林教授は明白な事実に背を向けることを選んだのだ。
「ナオトは私の全てなんだ!絶対に死なせたりしないぞ!そのためには……」
教授はどこからか銀色に輝く万年筆のようなもの=外科手術用のメスを掴み出した。
「…秘密を知ったお前ら2人、殺さねばならない。」
>>225 応援ありがとうございます。
第X話氏のころの水準を下げないよう頑張ってはおりますが、なんとも書き手の資質の違いはいかんともし難く…。
科学ネタを使っても、私がやるとミステリーかホラーになってしまいます(笑)。
いったいこの話のドコがウルトラQなんだか。
お話は最後のヤマに近づいてきました。
上手くいけば今週中にエンディングです。
「気でも狂ったんですか、小林さん!?止めてください!そんなことをしてもナオトくんは…」
「うるさいっ!」
叫ぶのと同時に教授がメスを真横になぎ払うと、咄嗟に仰け反った万石の胸元から安物のネクタイがはらりと落ちた!
「死ね!死ね!死ねえっ!!」
狂気にかられ続けざまにメスを振るう小林教授!
ユウカの盾になっているため自由に動けない万石は、捨て身の覚悟で教授に掴みかかった!
天井から下がった照明が振り子のように揺れ、光と影が目まぐるしく入れ替わる中、カミソリの銀色がギラリと光る。
「ナオトは死なせんぞ!」
「小林さん!」
椅子が倒れ、小卓が壁際まで吹っ飛んだ。
「万石先生!」
ユウカには、どちらが万石でどちらが小林なのか、どっちが攻めていてどっちが守っているのかも判らない。
……ガンッ!
「ぐあっ!?」
一際大きな音と共に一方が暖炉の石組みに叩きつけられ…呻き声を上げた。
勝者が大きく肩を上下させながら立ち上がる…。
……揺れ続ける照明が照らし出したのは…
「あ痛たたぁ……。」
…無理やり笑顔を作ろうと苦戦している万石だった。
顔には殴られたらしい痣が広がり、髪もめちゃくちゃだが命に別状は無さそうだ。
「先生…手から血が!」
ユウカが言ったとおり、小林教授から奪い取ったメスを握る手から鮮血がしたたっていた。
「奪い合ってる途中で切っちゃったみたいですね。格闘なんて慣れないことするもんじゃ…」
そこまで言って、万石の言葉がハサミで切られたようにプツンと止まった。
ユウカも、万石が気づくのと殆ど同時に「それ」に気がついていた。
…ナオト少年がじっと見つめている。
流れる血を。
少年の口から途切れ途切れに言葉が漏れ出した。
「…もう…ダメだよ。早く逃げて…アギトが…来ちゃう。」
ナオト少年の眼が、銀色の輝きを放った!
少年の両目が銀色に輝いたのに続いて、右の肩がキノコのように膨れ上がった!
指が、腕が、木の根のように節くれだちながら太く長く変わってゆく。
「う…ううううっ…」
銀の目から涙が伝った。
ナオト少年はまだ必死に戦っている。
指先から三日月のようなツメが延びても、口から匕首のような牙が飛び出しても、人間の意志が体の支配を明け渡さない。
「ナオトくん!頑張って!!」
ユウカの叫びは少年の耳に届いていただろうか?
ナオトの首がゆっくりと左に傾き始めたかと思うと、右肩がまるで風船のように破裂!
そこからバレーボール大の物体が植物の芽のようにゆっくりと伸び上がって……まるで見えぬ手が粘土細工を捏ね上げるように、あっと言う間に異形の顔を形作った。
「……コレでもウ…邪魔モのハ、いなクなった。」
血塗れの人面そがギザギザの歯を見せたのと同時に、万石はユウカを引きずるようにして廊下へと飛び出した。
だが、万石たちが玄関のある右に行こうとした刹那、目の前の壁が砲撃でもされたかのように廊下側に弾けとび、中から異形の怪物がゆっりと姿をあらわした。
その姿を目にして、万石は思わず息を呑んだ。
「…なんてことだ。」
熊かゴリラのような姿で、ユウカのウエストほどもある太さの腕の指先は床面に接触している。
だが、それはまだ創造の範囲内だった。
ほんの2〜3秒前までは、頭は二つしかなかったはずなのに、今はもう一つ、背中のあたりから三つ目の頭が文字通り「顔を出して」いた!
最初の顔は、醜く獣化してはいるがナオトの面影を宿している。
二番目の顔は、せり出した顎から長い犬歯の覗いた類人猿のような顔!
そして三つ目の顔は、ユウカのアパートの廊下に現われた爬虫類のような顔!
「…こっちです!」
行く手を塞がれ止む無く左に向かう万石の背を、ウシガエルのような声が追ってきた!
「逃がザさねエぞぉ」
廊下の途中の窓にはすべてがっしりした鉄格子が嵌っており、しかもクレッセント錠は溶接で開錠できなくなっていた。
小林教授のクスリでいまだ半覚醒状態のユウカを抱えながら、見知らぬ館の中を万石は必死に逃げた。
そのあとから、洋館全体を揺るがす足音がやって来る。
だが、すぐにも追いつかれるものと覚悟していたにも関わらず、追ってくる「アギト」の足音は非常にゆっくりしたものだった。
ある嫌な予感が万石の心を過ぎる。
カタカナの「コ」の字を描いて曲がっていった廊下は、やがて急傾斜の階段へと繋がった。
万石たちが二階に上がったとき、重々しい足音はちょうど階下。
二階廊下の途中にドアは四つ。
しかし最初の三つには錠が下りていて開かない。
アギトが二階に現われたとき、万石は廊下突き当たりになる四つめのドアに手を掛けたところだった。
「先生!」
振り返ったユウカが悲鳴を上げるのと同時に、万石の手の中でドアノブが回った!
最後の部屋だけは鍵がかかっていない!
ガッシリした重いドアを開いて転げるように室内に入ると、後ろ手で出素早く鍵を掛けた!
だが、ホッとするのもつかの間、慌しく室内を見回した万石は、先ほど感じた「嫌な予感」が現実になったのことに気がついた。
部屋にドアは自分たちが入ってきた一つだけで、窓には全て頑丈な鉄格子が取り付けられていた。
万石とユウカは、完全な袋のネズミだった。
逃げ込んだ部屋は小林教授の研究室らしく、荘園領主風の部屋にスチール製の研究用機材や薬品類、仮眠用の簡易寝台が雑然と配されていた。
「何か使えるものがあるかもしれません。」
ユウカを簡易寝台に横にならせ、自分は教授の使っていた薬剤や器具を調べ始めた。
一般人には得たいの知れない塩類や道具であっても、万石になら爆薬や毒ガスもどきを作りだすことができる場合がある。
だが、今回はあまりに時間が無さ過ぎる!
ガン!
ドアを叩く音がして、部屋がグラグラ揺れる!
頑丈そうな見かけのドアだが、いくらも保つとは思えない。
咄嗟に万石は、ドア横のガッシリしたスチール製本棚をドアの前に蔵書ごと引き倒した。
「…こんなもんじゃ屁のつっぱりにもなりませんか。」
「先生…助けは来ないんでしょうか?」
「実はコモモさんにお願いしてあるんですけども……警察に連絡するのは、夜中を過ぎても連絡が無かったらということになってるんです。」
バカでしょうと言いながら、万石は頭を掻いた。
「10年前、私は痛恨のミスを犯してしまいました。」
「10年前の…ミス??」
10年前と聞いただけで、ユウカにはすぐに判った。
万石はユウカが小学6年生だったころの、あの事件について話しているのだと。
「あの『石』不思議な力を知ったとき、私は心底から恐怖したんです。」
10年前、石堂小学校に通う生徒たちは、奇妙な夢に毎夜悩まされていた。
夢は最初、普通の授業風景から始まり、激しい地震に見舞われたところで恐怖の叫びとともに目がさめるのだ。
その原因は、ある「石」のせいに違いないと万石は推理した。
地上で何らかのエネルギーを溜め込むと、「石」は猛烈な振動波か何かを放って直径数キロにおよぶ地殻を一瞬で液状化し、地底深くの世界へと帰るのだ。
「かつてその『石』の同類が地底に帰るとき、周辺の村と住民が地の底に飲まれてしまいました。
その恐ろしい力が、いままた私たちの上に振るわれようとしている。
そう思ったとき、私はたまらなく怖くなったんです。」
ドアがまた大きな音をたて、こんどは大きく内側に湾曲したのがわかった。
例えドアそのものが打撃に耐えたとしても、蝶番が千切れ跳ぶに違いない。
万石は、やはりスチール製の書類ボックスを倒した本棚の上に積み重ねながら、言葉を続けた。
「…私はエクスカリバーでの攻撃を選びました。でもそれは…大きな誤りだったんです。」
『…ユウカちゃん悲しいの?』
『ボクが地震を起すと、人が死ぬの?』
『なら、ボク、やってみるよ。』
地震で家族を失ったユウカの悲しみを知った「石」は、地震を起さずに地底へと帰ろうとしたのだ。
「なのに私は…エクスカリバーを発射させてしまいました。
本当にすべきなのは、きちんと「石」と話あうことだったのに…。」
がんっ!
三度めの打撃とともに、ドアの表に白い亀裂が走った!
「石のように硬い」と評され、鉄砲弾も通らない」とも言われる頑丈な樫材のドアに亀裂が走った!
次か、それとも次の次の打撃で、ドアは真っ二つに裂けるだろう。
「……今度は話し合おうなんて考えちゃ、いけなかったみたいですね。」
苦笑いして万石は言ったが、その言葉は、ユウカの耳には届いていなかった。
万石が10年前の話をはじめたときから、ユウカの目の前に広がっていたのは小林教授の研究室の風景ではなくなっていた。
(ここは……!?)
ユウカはいるのは10年前のあの教室だった。
黒板の前にはユウスケ先生。そしてちびっ子ギャングのような男子生徒と彼らに軽蔑の眼差しをくれるツンと澄ました女子生徒たち。
なのに窓の外は真っ暗で町の灯りどころか月星も見えない。
(こんな夜中になんで授業が?)
ユウスケ先生は、授業中しばしば見せた名物「脱線」の真っ最中で、テレビの怪獣の話から漫画の妖怪、果ては現実の神話や宗教の存在にまで話が広がっているところだった。
「ラドンって怪獣知ってるか?あれはな、仏典に出てくるカルラ様がモデルになってるんだぞ。」
黒板に「ラドン」と書いたあと、続いてユウスケ先生は蜘蛛のような姿に鬼のような頭の怪物の絵を黒板に描き出した。
「そんでもってコイツは…」
「ユウカちゃん…」
そのとき、後ろの席から声がした。
驚いてユウカが振り返ると、暗い窓の前にうつむき加減の少年が、ひとりポツンと立っている。
ユウカは少年の名を呼ぼうとして、彼の名を知らないことに気がついた。
(そう、いつもそうなんだわ。)
ユウカは思い出した。
この夢はなんども見たと。
そして何度も少年の名を呼ぼうとしたが呼べなかったのだと。
だが、名を知らぬ少年はユウカに手を差し伸べて言った。
「ユウカちゃん!ボクの名前を呼んで!!」
困惑しながらユウカは答えた。
「そんなこと言ったって…」
「もうすぐアギトが入って来る!早く、ボクの名前を呼んでくれなきゃ!」
「でもキミの名前なんて。」
少年は激しく首を横に振って叫んだ。
「思い出して!でないとアギトがユウカちゃんを!」
「ラドン、カルラ様、ガルーダ。ガルーダは天空を支配するヘビクイワシの神様だぞ。
それがインドからインドネシア、中国、日本と渡ってくるうちに名前や姿がちょっとづつ変わっていったんだ。だから……」
ユウカと少年のやりとりはユウスケ先生やクラスメイトたちには全く聞こえていないらしく、相変わらずの脱線授業が続いている。
「ユウカちゃんは忘れちゃってるけど、夢の中のクラスじゃ、ボクにもちゃんと名前があった!ユウカちゃんのつけてくれた名前があったんだ!!」
「私のつけた名前??」
「そうだよ!ユウスケ先生の授業を聞いてて、ユウカちゃんがつけてくれた名前だったんだよ!」
(私のつけた名前…私のつけた……私のつけた……私…の……)
自分で放った問いが自分の心の中で木霊していく……。
しかし、答えはどうにも見つからない。
「日本と渡ってくるうちに名前や姿がちょっとづつ変わった神様や魔物はほかにも沢山いるぞ。」
一方、ユウスケ先生の脱線に泊まる気配は全く見えない。
例えば?!という男子生徒のリクエストに答えて、授業は更に脱線し続けた。
「まずは閻魔大王!インドだと普通の仏様の姿で8人もいるのが、中国でみんなが知ってる服装になって、それから日本に来たとき一人ぼっちになっちゃったんだ。」
「閻魔さまかわいそー!」とチャチャを入れる男子。
「それからもっと大物だと、ミトラ教のミトラ神だ!石から生まれた軍神で…」
(石から生まれた!?)
ユウカはハッとユウスケ先生に振り返った!
「中近東からインド、中国と経由して日本まで辿り着いたときの名前は……。」
バリバリバリ樫の扉に拳が入るほどの亀裂が口を開いた!
(この子だけは!)
万石はさっきから呆然として無反応状態になっているユウカを見た。
(かわいそうに…)
万石の目には、ユウカの無反応状態は、恐怖のあまりの拒絶反応と写っていた。
「…なんとしても守らなければ」
万石は機材の支柱を掴み上げたが、そんなものでどうこうできる相手ではない!
亀裂にアギトの両手がねじ込まれ、次の瞬間樫材の扉は真っ二つになって部屋の左右に吹っ飛んでいた。
踏み込んできた怪物の姿を一目見ただけで、万石は、ナオト少年が何故怪物を「アギト」と名づけたのかを理解した。
アギトとは「顎」の意味だ。
その顎が、怪物の体中いたるところに開いて、歯軋りし、舌なめずりし、あるいは涎を垂らしていた。
生物の、生き続けたいという本能の最も直接的な現われは、『食う』という行為ななのだ!
アギトの全身の口から、食い物を前にした歓喜の雄叫びが迸った!
だが、破れかぶれの覚悟を決めた万石が、いままさにアギトへと打ちかかろうとしたその瞬間!
いままで無反応状態だったユウカが、凛とした声で突然叫んだ!
「助けて!ミロクくん!!」
かなり頑張りましたが、今週終了は無理でした(笑)。
でもなんとか並行していた「今の事件」と「10年前の事件」がやっとクロスしました。
週明けに「アギト対石の少年」。そしてエンディング。
「石の見る夢」「木神」と続いたお話が来週ようやく終わります。
再来週に極々短いのを一本投下して、年内は打ち止めか?
新年早々は、多少バカバカしくても明るいお話を投下する予定です。
では…寒さに負けず、良い週末を。
お疲れ様です。
お聞きしたいんですが歴代スレのまとめとかって無いんでしょうか?
「ぐがあああああっ!」
叫び声とともに、口が、耳までどころか肩口まで裂け、デタラメに何列も並んだ牙が露わになった!
鰐の牙!化石鮫の牙!獰猛な原始猫類の牙!
遥かな昔、進化史の彼方に消え去ったはずの怪物たちが、今ひとたびの生を受けた歓喜の雄叫びをあげ万石とユウカに迫る!
だが、決死の覚悟を決めた万石の背後でユウカが何か叫ぶのと同時に、小さな影が弾丸のようにアギトへと躍りかかった。
小さな拳が、人一人飲み込めるほどのアギトの顎を捉ると、匕首のような牙を数本叩き折りながら、アギトの巨体を外の廊下まで一発で吹っ飛ばした。
怪物を殴り飛ばしたのは、極当たり前の、中学か小学生ぐらいの少年だった。
ユウカが万石の後ろから飛び出して少年の傍らに駆け寄った。
「ユウカくん!彼は『石の少年』なんだね?」
「私の小学6年生のときのクラスメイトです!」
「思い出してくれてありがとう」と言ってどこかぎこちない笑顔を見せると、少年はユウカを後ろに下がらせた。
廊下でアギトが立ちあがったのだ。
叩き折られたはずの牙は、より太く、より凶暴な形状へと既に再生されている。
万石とユウカの見ている前で、水牛のようだったアギトの巨体が更に膨れ上がり、小型ブルドーザーほどの大きさになった。
皮膚は古生代の甲冑魚のように装甲化され、口元からは犬歯虎かセイウチの牙のような突起が伸び出た。
そして半ば開いた口の中に覗くのは、上下でなく左右に開く口。
古代生物アノマロカリスの口だ。
全身各所に開いた口も、それぞれ様々な形状の牙で武装し凶暴さを増した。
少なくとも、さっきの攻撃によるダメージは微塵も残っていない。
「…おレは、ふじミダ。」
人らしさはカケラも見えない顔で、人のようにアギトが笑った。
「ボクが相手だ!来い、バケモノ!!」
石の少年が身構えた。
>>「歴代スレのまとめ」
無いです(笑)。
第X話氏はどうか判りませんが、少なくとも私は全くの書きっ放しですから。
しかしよく書いたもんです。
この板とSF・ホラー・ファンタジー板に長短書き散らして…たぶん50話ぐらいか?
いまは第X話氏に代わってこのスレを守らにゃなりませんので、投下先はこのスレだけに絞っとりますが、ネタ的にはウルQスレとは違うのも湧いてきます。
そのうち番外の短編で、ルナチクスやエレキング、ムーンサンダーといった月島の蕎麦屋の面々にでも帰ってきてもらおうかな?
ご回答ありがとうございました。
支援します。
先に動いたのはアギト!
それまでとはうって代わった敏捷さで踏み込みざまに右腕を突き出すと、伸ばした指の先からサーベルのようなツメが、ジャックナイフのように飛び出した!
突然詰まった間合いに、避ける余裕は無い!
だが少年には、端から避ける気など無かった。
アギトの動きに呼応して自分も踏み出すと、そのまま相手の繰り出したツメを左の胸で受け止めた。
小山のようなアギトの攻撃をまともに受けながら、少年は一歩も退かない。
「……オまえ…」
…バキッ!
乾いた音をたてアギトのツメが折れた!
折れたツメに一瞥をくれると、低く唸るような声でアギトが言った。
「…ニンゲンじゃないな。……おマえ、いッたい何モンだ?」
「ぼくは……」
答えるのと同時に少年は拳を弓引くように引き絞った!
「ユウカちゃんの友達だっ!!」
ブンッ!と一瞬唸りを上げて小さな拳がアギトの巨体に叩き込まれてから、一瞬遅れて空気の震動がやってきた。
音より早い!
普通の人間なら、命中時の衝撃で頚骨にダメージを負うだろう。
しかし……今度は、アギトは微動だにしない!
人ならぬ顔に人の笑みを浮かべて怪物は言った。
「さっき言わナカっタか?おレは、ふじミだ。」
「恐るべき生命力ですね。」
背中の後ろにユウカを庇いながら、万石はその場から脱出するチャンスを伺っていた。
「生物の歴史はおよそ3億年。アギトの実体は、その生命史そのものです。
つまり連続体であって単体ではない。」
「レンゾクタイ?」
「繋ぎ積み重ねてきた命そのものということですよ、ユウカくん。」
万石は、「木神」事件での、「木神の巫女」と「魔石」の対決をまざまざと思い出していた。
(…あの戦いの勝者は、「繋ぐ命」だった!)
「がああっ!」
アギトが拳を天井に着くほど振り上げると、ゴツゴツしたフジツボのような大小の突起がいくつも突き出した。
全体がフレイルのような形状になったその拳が、少年めがけて振り下ろされるのと同時に、少年はこれを右の肘で迎え撃った。
(…アギトが笑った!)
万石がハッとした刹那、ぶいんっ!と空を斬って振り下ろされた怪物の拳が不意に軌道を変えた!
サザエの殻のような拳は、肘の捻りで打ち下ろしの軌道から外れると、肘を上げてがら空きになった少年のわき腹へと叩き込まれた!
ガンッ!
岩と岩がぶつかる硬質な音!横様に吹っ飛ぶ少年!
しかし、少年を吹っ飛ばしたはずのアギトもまた、少年に引っ張られるようにもんどりうって横転した。
ボディへの打撃で吹っ飛ばされながらも、少年はアギトの腕を抱え込んだのだ。
「ぐうっ!」
猫科の野獣の動きで跳ね起きるアギト!
だがその懐に、鞠のように体を丸めて少年が飛び込んだ!
「いまだ!ユウカちゃんを早く!」
相手の巨体を壁際に押し込みながら少年が叫ぶ!
「わ、わかりました!」
相変わらず薬で朦朧としたままのユウカの手を引き、万石は廊下に飛び出した。
「逃がサねえゾお!!!」
叫び声の直後、壁を突き破ってアギトと少年がひとかたまりになって廊下に転げ出た!
後ろを振り返らず万石は、ユウカを引きずるように階段に辿り着いた。
「早く逃げないと!」
「いやです!」
「えっ!?」
階段へと足を一歩踏み下ろしたところで、万石の手は、荒っぽい仕草で振りほどかれた。
「ど、とうしたんですかユウカく…」
「嫌なんです、私!」
驚く万石に向かい決然と言い放つと、ユウカは2階に踏みとどまった!
「ミロクくんが戦ってるのは、私たちを逃げさせるためなんです!だから……だから私、逃げません!」
アギトの体は、僅かのあいだにも次々変異を遂げていた。
より勝ち抜ける体に、より相手にダメージを与えられる体に。
それは、3億年に及ぶ生物の進化そのものだ。
甲冑魚の重い装甲と鳥類の翼!
脊椎動物の体構造とエビやカニの外骨格!
互いに矛盾するはずの特徴が、ただ「生き続ける」というシンプルな目的のため、争うように顕現し、「目の前の少年を倒す」という条件によって淘汰されていく!
混沌を収束させる唯一の条件は「生き抜く」ということなのだ!!
少年の体当たりで、アギトの牙が折れ跳んだが、たちまちスペアの牙、それもより太く、より凶悪な牙が生え出した!
一時的にはアギトもダメージを受けるが、すぐに回復してしまう。
「オレは不死身だ」という怪物の言葉にウソは無い。
「捕まマえタぞお!」
アギトの両腕の下から第三・第四の腕が飛び出して、少年の小さな体を組みとめると、元からの二本の腕が、すかさず少年の首と肩にまきついた!
「おまエの体に、斬ったり突いたりは効かネエみてえダ。だかラ……」
怪物の四本の腕に、筋肉の山が幾つも盛り上がった!
「……このマま、抱き潰シてやるヨ。」
「ミロクくん!!」
級友のピンチに叫んだユウカの肩に、そっと暖かい手が置かれた。
…振り向くと万石が笑っている。
「私も腹を括りました。アナタがミロクくんのために踏み止まるのなら、私はナオトくんのため、ここに残りますよ。だって…」
万石の顔から笑いが一瞬消えた。
「……殺してくれと彼に頼まれたのは、私なんですから。」
そして…万石は大きく息を吸い込むと、精一杯の大声で少年にむかって叫んだ。
「遠慮しないで、衝撃波を使うんです!それしかアギトを倒す方法はありません!!」
石の少年ミロクの「力」は、地殻を一瞬で液体のように変える破壊的な威力の衝撃波だ。
「あんなものを受けたら、映画に出てくるような怪獣だって即死します。なにせ原爆や水爆だって、そこまでのムチャな現象は起せないんですから。」
「だったら早く…。」
言いかけたところでユウカは気づいた。
「巻き添えにしたくないのね?」
「彼ら魔石は、衝撃波で直径数キロにも及ぶエリアの地殻を一瞬で液状化させ、地の底へと帰ります。
今ここで彼があれを放てば、この屋敷はおろか、近隣の住宅地まで間違いなく壊滅するでしょう。」
しかし、と万石は続けた。
「…10年前、彼は衝撃波を制御して大地震を起さず地底に帰ろうとし、実際それに成功しかけました。
私がエクスカリバーで邪魔をしなければ、彼はそれに成功していたと思います。だから…」
「わかりました。」
揺るがぬ視線で、ユウカも石の少年の方に向き直った。
10年前、石の少年が衝撃波発動を思いとどまったのは、彼女を鳴かせたくないからなのだ。
「ミロクくん!!」
万石に負けない大声で、ユウカも叫んだ!
「私、キミのこと信じてる!だから、必ず勝って!アギトを倒して、ナオトくんを助けてあげて!!」
「グワアアァ、今かラ何をしたッテ、もウ手遅れダァ!」
勝ち誇るアギトが雄叫びを上げた!
2本+2本の腕で抱きかかえられた少年の体は、ギシギシという音をたてはじめた。
アギトの腕から、ヤモリやタコの吸盤のような器官が現われ、拘束をより強固なものにする。
体中に現われた口も、それぞれ少年の体に牙を立てた!
ガ…ガ…ガ……ゴ…ゴ…ゴゴ…
少年の体から発する音が変わった!
「オマエを殺シて、オレは生き続ケる!あノ男と女も食っテやる!そうしてオレは、生き続ケるんだあ!」
アギトの豪腕に、更に力が漲る!
「砕け散れエ!!」
…が、しかし!?
「ミロクくん!!」
「ユウカちゃんのために…」
ユウカの叫びと同時に、少年は渾身の力で右腕をアギトの腕の下から引き抜くと、アノマロカリスの口に右掌を掛けた!
「…ボクは負けない!!」
少年の右掌からアギトの頭部に、何か巨大な力が叩き込まれた!
「…ぐぁが!?」
何故か一瞬ぼやけて見えるアギトの巨体!そして洋館全体がビリビリと激しく震動した!!
そして……アギトの全身から霧雨のように赤い霧が噴出した。
どうっと建造物が崩壊するように崩れ落ちる怪物。
そしてこんどはピクリとも動かない。
……「石の少年」が勝ったのだ。
泣き、そして笑いながら、ユウカは少年のもとに駆け寄った。
「ミロクくん!」
そのときだ!
完全に息絶えたかに見えた怪物が、ユウカの目の前にぬうっと立ち上がった!
「逃げるんだ!ユウカくん!」
慌てて駆け寄る万石!
だが、石の少年は立ち尽くしたままだし、ユウカも怯えた顔ではあるが、怪物の目をじっと見つめたままで逃げようとはしない。
やがて顔から怯えの色が消えると、ユウカは万石を方を振り返った。
「…大丈夫です、万石先生。彼はアギトじゃありません。ナオトくんです。」
再び、ユウカの顔が泣き笑いになった。
「ミロクくんが、ナオトくんを取り返してくれたんです。」
「なんと…」
驚き立ち尽くす万石の目の前で、怪物の体がみるみる変わり始めた。
余分な腕、余分な頭。装甲は普通の皮膚になり、牙は当たり前の犬歯に戻った。
数分ののち、万石とユウカの目の前にいるのは、傷つき、衰弱しきった少年だった。
「ナ、ナオト!!」
立ち尽くす万石の背後から、弱々しい声とともに足音が万石の横を駆け抜けると、倒れかかったナオト少年を抱きとめた。
「こ、小林さん!」
ナオトの父、小林教授だった。
何ヶ月ぶりかで、ナオトは父の腕へと帰還を果たしたのだ。
「ナオト!おおナオト!よく戻ってきてくれた。…ナオト!ナオト!」
頬を摺り寄せ、髪の毛を乱暴にかき回しながら、「ナオト、ナオト、ナオト」と教授は子供の名を呼び続けた。
「良かった…本当に良かった。」
ユウカも嬉し涙を流しながら、同意を求めるように万石の方を見た。
…万石だけは悲しげに口を真一文字に引き結んでいる。
(どうして?どうして先生は??)
そのとき、ひび割れ、血の滲む唇からかすかな声が漏れた。
「…シテ。」
とたん、小林教授の顔から表情が消えた。
「コロシ…テ。」
今度はユウカの耳にも聞こえた。
ユウカの顔も凍りつき、万石はうつむいたまま、何度も何度も首を横にふった。
「遺伝子に潜むアギトを解き放った教授のES細胞は、ナオトくんと完全に一体化してしまっているんです。だから……」
「そんな!」
ユウカは、助けを求めるようにミロク少年の方を見たが、彼も黙ったまま首を横に振った。
「ごめんよナオト!」
一人息子の胸に教授はひしと抱きついた。
「許してくれ…許して……」
小林教授の目から、さっきまでとは違う涙、絶望と悔恨の涙が溢れ出した。
息子ナオトをまるで恋人のように抱きかかえると、小林教授は破壊し尽くされた自分の研究室へと歩き出した。
「…許してくれ、許してくれナオト…」
呟くように、ただそれだけ繰り返す小林教授。
抱きかかえられたナオト少年は無言のままだが、父を見る表情はわが子を見る母のように穏やかで…。
「さあ、私たちは帰りましょう。」
「でも…」
「帰らなきゃならないんですよ。後は……彼ら2人だけの問題なんです。」
万石にそう諭されて、ユウカたち三人は小林親子に背を向けた。
……三人が洋館の門の前まで来たときだった。
辺りがパアッと突然明るくなった。
振り返ると、後にしてきたばかりの建物から、いままさに白い炎がゴウゴウと噴出したところだった。
「ナ、ナオトくん!」
短く叫んで駆け出しかけたユウカの手を万石が掴んだ。
「本当は自分でも判っていたんですよ。小林さんは。」
気がつくと、万石も泣いている。
「…判っていたんです。ナオトくんをもう…救えないと。だから屋敷に仕掛けを。」
なんらかの化学物質が配されていたのだろう。
父と子の火葬台となった洋館は、瞬くまに建物全体が炎に飲まれていった。
巻き上がる炎の輝きが、ユウカの頬に流れる涙を照らし出す。
2階研究室の窓から一際激しく炎が噴出したとき、小林教授の問いかけが、一瞬ユウカの脳裏を過ぎった。
『何故神は、ナオトにこれほどまで惨い仕打ちをするのだ?』
わが子を思う父の心が、アギトという怪物を生み出してしまったのだ。
「万石先生!」
泣き顔のまま、ユウカは振り返った。
「…親が、子供のことを思うのは、罪なんでしょうか!?」
ゆっくりと、しかしはっきり顔を横に振って、万石は答えた。
「子供のためを思うことが罪になるというのなら、世の中の親という親は極悪人ばかりです。」
「A級戦犯/「甦る顎(あぎと)」
お し ま い
この「おはなし」のキーは、万石の最後の一言です。この一言を言わせるためだけに、延々引張りました(笑)。ですから、恒例のエンディングナレーションも今回は無しです。
上野毛警部は…横溝正史の金田一耕助ものに出てくる轟警部からのいただきです。東急大井町線の轟駅のとなりの駅が上野毛駅です。
ナオトが罹っていることになっている「ヘイグ・ベルトラン症候群」は、「ロンドンの吸血鬼」と呼ばれたジョン・ヘイ(ヘイグ)と、「パリの狼男」と恐れられたアンリ・ベルトランの名前を組み合わせたでっち上げ。
そして、10年前の事件「石の見る夢」と現在の「人狼」事件をどこでどうクロスさせるかが最後の山場。
うまくいってるといいんですが…。
>>253 乙でした!!次回作の予定はありますか?
ずーっと応援致します。
「おい横田!さっさとしろよ!」
「…あ、はい。」
班長が舌打ちして「…んっとに使えねえなぁ」というのが聞こえました。
しかし彼はというと、相手の言葉に反発するどころか、心の中では(そのとおりだよなあ)と思っていたのです。
本当のところを言うと、彼は特別に「使えない」わけではありません。
工場での働きぶりを示す数字は、ごく平均的なものでした。
それではなんで、彼はいわれの無い非難を受けねばならないのでしょうか?
今回のお話は、そんな彼の日常から始まるのです。
「聖なる夜に首吊りを」
「あ、あの…横田ですが、何か?」
横田君が、半年間働いてきた自動車工場の人事担当に呼び出されたのは、その日の午後3時のことでした。
「横田さんとのあいだの雇用契約についてなんですがね…」
「あ、はい、判りました。」
「まだ何にも言ってないでしょう?」
……言われなくとも判っていました。
もちろんあの話です。
横田君は、4年半も勤めてきた会社を、クビになってしまったのです。
住み慣れた社宅からの退去には、1週間の猶予がもらえました。
横田君は、部屋の中に呆然と立ち尽くし、グルリと室内を見渡しました。
(家財道具は……)
ちっちゃな中古のテレビに箸と湯のみ、それから三つに折りたたまれて部屋の隅に置かれた寝具一式。
パソコンなんかもちろんありません。
置き電話も携帯で代用するから設置していませんでした。
がらんとした空虚な部屋が自分の今を体現しているようで、一瞬暗澹たるた思いに囚われかけたのを頭を振って無理に追い出すと、畳んだままの布団の上に横田君は腰を下ろしました。
「布団はもう捨てちゃってもいいし…。」
幸い几帳面な性格なので、部屋は綺麗に使ってきました。
「掃除は雑巾がけ程度で済むただろうな…あとは…」
横田君の視線が中古テレビの上に止まりました。
点けてみても砂の嵐ばかりで番組を受信できないテレビ…。
いや、買う前から既に故障勝ちだと判っていたのに、敢えてそのテレビを買った理由はと言うと、ビデオデッキが付いていたからでした。
ビデオデッキがあれば、好きな怪獣もののビデオを見ることができます。
職場の同僚に「いい年して」とバカにされても、レンタルビデオ店の女の子に無神経な軽蔑の眼を向けられても、これだけは止められません。
つまり横田君は、いわゆる「特オタ」という種族でした。
横田君は、両膝づきの姿勢でにじり寄ると、そっとテレビの画面に触れてみました。
故郷を遠く離れて親しい友人もおらず、もちろん彼女もいない彼にとって、テレビが友達であり、特撮番組が恋人だったのです。
(どうしてもこれだけは持って行きたい)
しかし横田君は、テレビを持ち上げようとして、ある事実に思い当たりました。
彼のテレビは、液晶やプラズマのいわゆる「薄型テレビ」ではなく、ブラウン管をつかった旧型式のものでドッシリ重かったのです。
これからしばらくのあいだは、預金を取り崩してカプセルホテルに泊まるか、最悪公園で野宿するしかありません。
そんな生活のお供として持ち歩くには、横田君のテレビは明らかに重過ぎました。
(……これも…捨てていかなきゃダメなのかな?)
そう思いながらテレビの樹脂製の表面を撫でていると、彼の視界が不意にぼやけました。
解雇を告げる言葉すらある種の諦観をもって平然と聞くことができた、そんな横田くんにとっての、思いがけない涙でした。
いまさらながら、自分がどれだけ怪獣映画や番組が好きだったのか、横田君は気がつきました。
ウルトラマンよ、さようなら。××戦隊よ、さようなら。
○○少女に△△ライダー、みんなみんなさようなら。
そんなことをまるで葬式の経文のようにモゴモゴ唱えつつ、泣きながらテレビを撫でさすっていると……。
知らぬ間にスイッチに触れてしまっていたらしく、テレビ画面が光を放っていました。
しかも、ここ3ヶ月ほどはビデオ以外どんな番組も写らなかったというのに、いまは粗い画像ではありますが、ちゃんと番組を映し出しています。
何気なく目を移すと、それはニュース番組で…報じられていたのは……。
『火の海です!東京は火の海です!!』
横田君の耳にまず飛び込んで来たのは、その言葉でした!
259 :
名無しより愛をこめて:2008/12/22(月) 17:47:54 ID:2NdcUsJL0
>>253 もう投下開始しました(笑)
さてクリスマス特別企画の短期集中投下。
「聖なる夜に首吊りを」
この物騒かつ悲惨なおはなしを、いかにクリスマスらしく着地させるか?
いや、それ以前に、24,25日に終わらせられるのか(笑)?
無事終了まで漕ぎ着けたなら、新年第一作は…なにかおめでたいお話の投下を検討中です。
それでは…また。
>>255 ありがとうございます。
第X話氏が大いなる帰還を果たすその日まで、頑張りとおす所存です。
260 :
A級戦犯/「聖なる夜に首吊りを」:2008/12/24(水) 17:32:51 ID:BJJqsuVH0
『東京は!東京は火の海です!』
アナウンサーはバカの一つ覚えのように同じセリフを繰り返した。
だが、テレビの画面は一面の黒い雲ばかりで、炎など、ところどころに赤くチロチロ見えるのが関の山です。
それより、横田君の目に一番に飛び込んできたのは、黒煙の真っ只中で旋回する「灯台」でした。
「なんだ?アレは??」
黒煙の海の中、ひときわ黒くそそり立つそれは、遠く近くに強烈な閃光を放ちながら、ゆっくりと旋回を続けていました。
「あの光線は……もしや!?」
そのとき、横田君がテレビをつけてから始めて、アナウンサーが違う言葉を口にしたのです!
『これまで幾度も、わたしたち人類を救ってきたウルトラマン××の必殺技が、いまこうしてわたしたち人類に向けられているのです。』
「なんだって!?」
口でこそ横田君は驚きましたが、心の中では半ば以上予測していたことでした。
なぜなら、いま「灯台」が放っている光線は、テレビでなんども目にしてきたあの光線そのものだったからです。
「それじゃあ、いま東京を焼き払っているのは、ぼくらのウルトラマン××なのか?」
261 :
A級戦犯/「聖なる夜に首吊りを」:2008/12/24(水) 17:33:34 ID:BJJqsuVH0
テレビの報道によると、東京を焼き払っている「灯台」は、12月23日の昼過ぎ、東京都世田谷区内のマンション建築予定地に、突然「存在した」のだということでした。
パワーショベルを使って宅地造成作業を行っていた作業員たちが、現場から徒歩数分のコンビニへと買い物に出かけたのが12時5分ごろのことだったそうです。
『おお、そんときゃよう、ほんっとに、何にもなかったんだよぉ。ほんとだって!』
建設作業員は目ん玉をひん剥き、興奮気味に喋り散らしていました。
『戻ってみるとアレじゃねえか!ぜんぜん仕事になんねえし。反対派の嫌がらせだろって呉作の野郎がよぉ…』
白昼の出来事であったにもかかわらず、「それ」が出現するところを目撃した者は一人もいませんでした。
普通に考えれば、かなり怪しいシチュエイションです。
しかしこの現場では、以前からマンション建設反対派の妨害工作が盛んだったため、作業員たちは空き地に鎮座する謎の物体を「新手の嫌がらせ」としか考えませんでした。
彼らは、公的機関に届け出ることすらせず、極めてイージーな方法で、この謎の物体出現に対処しようとしました。
つまり、パワーショベルで解体・撤去しようとしたのです。
でもそれは、考えうる限りおよそ最悪と言っていい対応方法でした。
262 :
A級戦犯/「聖なる夜に首吊りを」:2008/12/24(水) 17:34:15 ID:BJJqsuVH0
『呉作がパワーショベル、あれにブッ込んで、んでもってグリグリってやってよぉ!したらよぉ!あれの中からよぉ!!」
肉質のアームが伸び出し、パワーショベルを玩具のようにひっくり返したのです。
そして、間一髪逃げ出すのに成功した作業員たちの目の前で、あたりの住宅を手当たり次第に壊し始めました!
遅ればせながらの通報に防衛軍や警察が出動したとき、物体から伸びだした肉質のアームは10本を数え、住宅破壊の範囲は半径200メートルにまで及んでいました。
防衛軍は直ちに「敵」への攻撃を開始。
しかしそのわずか数秒後には、防衛軍は「敵」からの猛烈な反撃を受けることになりました。
それも、自分たちが仕掛けたのと、同種の攻撃で。
防衛隊が総崩れになるのと入れ替わりに、こんどはウルトラマン××が現われました!
誰もが思いました。
もうこれで勝負はついたと。
ウルトラマン××が怪獣をやっつけるに違いないと。
しかし、期待は完全に裏切られました。
ウルトラマン××の必殺光線をうけた「敵」は、ウルトラマンを真似するように両腕を十字に組むと、同種の必殺光線を発射したのです!
光線の威力は同等のように見えました。
しかし、本家であるウルトラマン××には、有名な活動時間の制限があります。
結局ウルトラマン××は破れ、掻き消すように消えてしまいました。
ウルトラマン××がいなくなると、「敵」は必殺光線を四方八方手当たり次第に乱射しはじめました!
まるで巨大な灯台のように、怪物の放つ光線は切れ目なく辺り一円をくまなく舐め尽したのです。
横田君が見たのは、ちょうどそのときの光景だったのです。
それまで「名無しの権兵衛」だった「敵」は、その日の夕刻マスコミによって名前がつけられました。
…「完全生命体」と。
横田君は、解雇されたことも忘れ、寮を退去しなければならないことも忘れて、小さなテレビに噛り付いていました。
いつしか横田君は、自分でも気づかぬうちに「やれ!もっとやれ!!」「みんな灰にしちまえ!」と呟いていました。
「灯台=完全生命体」の放つ光線が、中継カメラを真正面から捉え、アナウンサーが奇妙な叫びをあげたときは、思わずガッツポーズを決めていました。
この国に、あるいはこの社会に、自分の居場所は無いと、横田君は考えていました。
それまで会社や周りの人たちに従順な態度をとっていたのは、ただ自分が「弱いから」だと、横田君は思っていました。
そして横田くんは、ウルトラマンも倒して首都東京を数時間で廃墟にかえた「完全生命体」に、自分の怒りを仮託していたのです。
中継画面が消えてしまっても、暫くはテレビの画像をじっと見つめ続けていましたが、スタジオからの中継に画面が切り替わったところでテレビのチャンネルを切り替えました。
スタジオからの中継に興味などありません。
横田君の見たかったのは、「完全生命体」の大暴れでした。
(もっと!もっとヤツの破壊するさまを見せてくれ!)
破壊の限りを尽くす「完全生命体」の姿を探し求め、横田君はひたすらチャンネルを回しました。
しかし、各局の中継カメラは一台、また一台と必殺光線の餌食になり……現場からの中継を試みるテレビ局は、とうとう一社も無くなってしまいました。
けれども、「完全生命体による破壊を見たい」という欲望は、強くなる一方です。
とうとう横田君は、東京に行って、自分の目で「完全生命体」を見てやろうと決意したのです。
まだ禁止?
265 :
A:2008/12/26(金) 07:51:08 ID:zBmqdMqO0
『政府の発表によると、怪獣『完全生命体』は国道246号線沿いに破壊の限りを尽くしつつ前進。渋谷を経由して国会議事堂を破壊すると突然進路を南に折れ、現在は東京タワー目指して進行中とのことです。』
「…皇居前で向きを変えて東京タワーを目指すか…怪獣映画の王道だな。」
横田くんはニヤリと笑ってテレビのスイッチを切りました。
ついさっきまでは恋人だったはずのテレビなのに、いまは何にも感じません。
いまの恋人は「完全生命体」です。
そして彼は、これから恋人に会いに行くのです。
頭の中でおおまかに辿るべき道筋を描き、上着を着て、僅かばかりの現金をポケットに放り込むと、横田君はすっかり暗くなった戸外に飛び出していきました。
近くの駅で自転車を盗むと、避難民でごった返す幹線道路を避け、横田君は東京タワーへと向かいました。
避難民とすれ違ったのは最初の15分ほどだけで、あとは一般人にも防衛隊員にも全く出会いません。最初は奇妙な印象を受けましたが、理由は間もなく判りました。
「……な、なんてこった!?」
それっきり横田君は絶句しました。
町並みが、ある所から削ぎ落としたように無くなっていたのです。
もちろんあの「完全生命体」が放った必殺光線のせいです。
あまりの威力に鉄やコンクリートも一瞬で蒸発したのでしょうか?
ともかく、ある一定のラインから向こうの町並みが、ケーキでも切り分けたように消滅していて、焼畑農業でもやったみたいになっていました。
「……なんにも無い……空っぽだ。」
横田君の独り言が、木霊ひとつ返さない空っぽな空間に吸い込まれていきます。
なんにもない空っぽの領域の遥か遥か彼方に、クリスマスツリーのようにそそり立つシルエットは東京タワーです。
「あれがまだあるってことは……アイツはまだ辿り着いてないな」
「完全生命体」は皇居前で向きを変えたということですから、この「なんにも無い」エリアも、同じ「L」字形のコースを辿っているはずです。
「ショートカットするならタワーに直進か!」
コースは決まりました。
あとは「完全生命体」に先回りするだけです。
「空っぽのカラカラだぁ♪」
おどけた調子で歌うように言うと、横田君はペダルを踏み込み、空っぽの世界へと自転車を乗り入れました。
舗装路のアスファルトも燃えてしまっているので、「空っぽ地帯」を渡りきるのに30分近くもかかってしまいました。
でも、自転車を乗りにくいかわりに意地の悪い信号も、クラクションで威嚇してくる自動車もありません。
信号を渡り損ねてモタモタしていると車にクラクションを鳴らされることもしばしばという、超どんくさい横田君にとってこの30分は意外に快適でした。
(もうじきこの空っぽ地帯もおしまいか)
行く手にありふれた町並みが現われたときも、いまいるSF的世界が終わってしまうのがかえって残念なくらいだったのです。
行く手の街は、ハイカラな家やマンションが建ちならぶ麻布、そして芸能人も通う六本木。
どちらも横田君とは全く縁の無い街です。
「ここも焼いちまえばいいのに…」
呟いた横田君は腕を交差させて必殺光線発射のポーズをとりました。
「しゅばばばばばああああああん!」
「完全生命体」になったつもりで、横田君は六本木の街を必殺光線で焼き払っていきました。
「しゅばばばばばあああああん!」
(燃やしてやるんだ!こんな街!こんな国!!みんな、みんな燃やしてやるんだ!!)
行く手で、世界の上下を区分するように走る首都高に向かって、腕の十字を突きつけました。
証明が消されて、巨大な墓石のように聳える高層ビルに、腕の十字を向けました。
「しゅばばばばばあああん!!」
そのとき、気紛れに向きを変えた夜風が、得意の絶頂にある横田君の耳に、微かにクスクス笑う声を運んできました。
子供じみた行為を見られてしまったか?と、バツの悪い思いを感じながら辺りを見回すと……なんでそれまで目に留まらなかったのでしょう?
小さな、幼稚園ぐらいの女の子が、熊の縫ぐるみを抱いてしゃがんでいるのに気がつきました。
しゃがんだまま、女の子はケラケラ笑って言いました。
「お兄ちゃん、なにやってたの?」
(見られたっ!)
たちまち横田君の頬っぺたが真っ赤になりました。
「お、お、お、お…おに、おにいちゃんはね…」
緊張するとドモるのはいつものことでした。
ドモるとそれが更に緊張を呼んで…あとはもうボロボロというのがいつものパターンだした。
「…変なしゃべり方」
女の子はなお一層ケタケタと明るく笑います。
すると…何故だか判りませんが…横田君の方もつられて可笑しくなってきました。
「変なの、変なの」
「変だよね、変だよね」
女の子のクスクス笑いと横田君のゲタゲタ笑いが重なると、一度はボルテージを上げていた彼の緊張は、春の日の名残雪のように溶けていってしまいました。
ひとしきり笑うと、横田君は女の子に尋ねました。
「キミ、こんな夜中にここで何してるの?」
「パパとママを探してるの。」
女の子は答えました。
「私にここで待ってなさいって言って、パパとママ、おばあちゃん連れに、お家に戻ったの。」
(……おばあちゃんを連れにお家に戻った?)
いやな予感とともに、横田君はみぞおちの辺りに何か重いものが蟠るのを覚えました。
「それでね、ビカビカって光ったの、そしたらね…」
女の子が口にする前から、横田君は話の続きがもうわかっていました。
「……私のお家ね、無くなっちゃったの。パパもママも、いなくなっちゃったの。」
「……私のお家、無くなっちゃったの。パパもママも、いなくなっちゃったの。」
予期した言葉を実際耳にしたとき、横田君は、思わず口を押さえて二三歩後ずさっていました。
テレビに向かって「みんな灰にしちまえ!」と呟いたとき、横田君はそこで焼かれている人のことは、知りもしませんでした。
いや、本当に知らなかったのでしょうか?
横田君は心の中で叫びました。
(そんなのウソだ!)
タッコングが上陸してきたとき、郷秀樹は子供と子犬を助けて命を落としたのではなかったでしょうか?
渋谷でガメラとギャオスが戦ったときには、多くの人間が巻き添えになりました。
運悪く「そこにいた人々」を描いた特撮ものは何本もあったし、横田君もそれを見ていたはずです。
でも、テレビに向かって「みんな灰にしちまえ!」と呟いたとき、彼はそこで焼かれている人のことには全く考え及ばなかったのです。
特撮番組のパワーの源は想像力なのに…。
(なのに、ボクはこの女の子や家族のことを想像することができなかった。)
想像できていれば……「みんな灰にしちまえ!」とは言えなかったはずです。
横田君は不意に激しい吐き気を覚えました。
彼の中で「何か悪いもの」が、暴れています。
突然足元の大地がグラグラ揺れ、空がグルグル回りだしたような気がして、横田君は思わず四つん這いになって地面にしがみつきました。
そうしないと、空に向かって落ちてしまいそうな気がしたからです。
「糞っタレだと思ってた!」
地面にしがみついた姿勢で、横田君は叫びました。
「糞っタレだと思ってた!こんな糞っタレな世界は、無くなってしまえばいいと思ってた!でも本当に糞っタレだったのは…」
嘔吐とともに、横田君は胸にわだかまっていた「悪いもの」を吐き出しました。
「……ボクだったんだ。本当に糞っタレなのは、ボクだったんだ。」
胃の内容物をひととおり吐き尽し、涙や鼻水でグチャグチャの顔で横田君が立ち上がると、……女の子はいなくなっていました。
(きっと、ボクの醜態にびっくりして逃げちゃったんだな)
自嘲気味の笑いを浮かべて袖口で顔を拭うと、彼は改めて六本木の町を眺めました。
さっきと同じ街なのに、今は全く別の街に見えます。
自分と同じ「とるに足らない人々」が、一生懸命に生きている街。
あの女の子のような子供が住んでいる街。
つまりは、ありのままの「普通の街」が見えたのです。
横田君は、今度はいままで歩いてきた空っぽ地帯を振り返って見ました。
さっきまではSF的不思議世界と見えたのに…、いまはただ空っぽな世界としか見えませんだした。
あらゆる努力が無駄になった世界。
一切合財を否定する空間。
そこで威勢を張っているのは虚無だけです。
「ボクは……間違ってた。」
横田君の胸の奥に、さっきまでとは違う決意が敢然と燃え上がりました。
(ボクもあの女の子も生きているんだ!だから虚無になんて負けちゃ絶対にいけないんだ!)
生きるもの全てを嘲り笑うもの、「虚無」。
さっきまで横田君の胸に潜んでいたものの正体こそそれでした。
「特撮がボクにくれた「夢見る力」!その全てを賭けて、『完全生命体』をやっつけてやる!」
住民はおろか、警察すら逃げ去った六本木の街は死んだように静まり返り、ただ横田君のこぐ自転車の軋み音が、高速道路に木霊するだけでした。
自転車のスピードがぐんぐん上がっていくのに合わせて、横田君のノウミソも回転の速度を増していきます。
防衛隊も、ウルトラマン××すら勝てなかった「完全生命体」。
しかし、子供のころから特撮を愛し、その影響でSF、ミステリー、ホラー小説をも片端から読破してきた横田くんにとって、「完全生命体」対策など実に簡単でした。
(決まったリアクションすることが最初から判ってるなら、あとは知恵の問題だ!)
ケルト神話の英雄、ク・ホリンは「犬の肉を食べてはいけない」と「吟遊詩人の求めを断ってはならない」という定めを負っていました。そこで敵は、吟遊詩人を使ってホリンに犬の肉を食べるよう要求させたのです。
インドの神話に登場する怪物ヴリトラは「硬いものでも柔らかいものでも、濡れたものでも乾いたものでも殺されない」という決まりがありました。そこでヴィシュヌは、泡に変身してヴリトラを殴り殺しました。
手塚治虫の漫画「バンパイヤ(=獣に変身する人間のこと)」では、「人間にも獣にも殺されない」との占いを得たロックに対し、主人公のトッペイは「変身途中のバンパイヤ(=獣に変身する人間)に殺されるんだ」と指摘しました。
(あれと同じことだ!)
自転車が六本木交差点を抜け、飯倉片町の交差点にさしかかったころには、横田君の特撮頭脳は、すでに「完全生命体」対策の立案を完了していました。
(真似した結果、ヤツが無力化するようように仕向けれいい。)
ただし、ただ無力化させただけでは危険は無くなりません。
いつまた攻撃的な動作をどこからかコピーしないとも限らないからです。
(ヤツを永久に無力化させる方法は、たったひとつ。ひとつだけだ)
あとは…横田君の勇気の問題でした。
条件は……まず高い木か塔のようなものがあること。
その点で、「完全生命体」が目指しているらしい東京タワーは絶好のロケーションです。
そして縄が一本。
これはあの怪獣が不思議な力でなんとかしてくれるでしょう。
横田君が使うロープは、シャッターを開け放したまま無人になっていた電気店から「延長コード6メートル(お徳用!)」を黙って拝借することで解決しました。
運がいいことに、同じ店のレジ裏から棚入れ用の簡易脚立も見つかりました。
これで一応準備は整ったことになります。
あとは、如何にしてあの「完全生命体」の目に見える範囲に侵入するかですが…。
(タワーの向こう側でただ待てばいい。)
「完全生命体」がコピーしたウルトラマン××の必殺光線は途轍もない超射程を誇ります。
そして「完全生命体」の身長と東京タワーの高さを考えると、タワーが「完全生命体」の視界に入っていないはずはありません。
にもかかわらず、「完全生命体」が必殺光線で東京タワーを攻撃してこない理由はというと…。
(つまり「完全生命体」は特撮怪獣としての本能に従い、東京タワーを腕力で破壊したいと思っているんだ。)
特撮映画じゃあるまいしと、横田君が苦笑いしたそのときでした。
さほど遠くないところで、何か巨大なものが崩れ落ちる音がして、鈍い震動が伝わってきました!
(虎ノ門あたりの高層ビルだな。それならヤツはもうすぐ近くだ!)
簡易脚立を右肩に、延長コードを左肩にかけると、自転車に跨りました。
桜田通りを抜けて瑠璃光寺の角を折れると、東京タワーは手の届きそうなほどの距離でした。
巨獣接近の地響きがどんどん近づいてきます。
もう一刻も猶予はありません。
大急ぎで、見通しのきいたところに生えていて枝振りの良い木を見立てると、その大枝の下に簡易脚立を立て、投げ縄のように延長コードを枝の右から左に放り上げました。
「完全生命体」の足音はもう耳を労するばかりで、脚立の上の作業も容易ではなくなってきましたが、もう少しの辛抱です。
放り投げた片方の端をもう一方にしっかり結びつけると、脚立の上に立つ自分のちょうど顔のあたりの輪をつくりました。
…なかなかの出来だと横田君が思っていたところで、東京タワーのトラス構造の向こう側に、巨大な影が現われました!
もちろん「完全生命体」です。
初めて見るその姿に、横田君は度肝を抜かれました。
テレビで見たとき、その姿は遠い上に黒煙でよく見えませんでした。
石を投げれば届きそうな場所に、悠然と立つその姿は…。
サーベルや青龍刀、ハルベルトにシミター、ジャベリン、あらゆる種類の刀や槍の穂先を無数に生やした姿は、日本の名だたる名刀を、己の周囲グルリに突き刺して戦ったという、室町幕府将軍足利義輝を彷彿とさせます。
刃の神。軍神。
それが「完全生命体」の現在の姿でした。
気後れし、一瞬脚立から転げ落ちそうになるのをぐっと堪えると、横田くんは「完全生命体」に向かって大声で呼びかけました!
「やい!完全生命体!オレが見えるか?!」
「完全生命体」の動きが止まりました。
25日は原因不明のアクセス禁止だし、仕事は忙しいしで、やっぱり2日では終われませんでした(謝)。
でも29日には確実に終われます。
もうあとほんの少しです。
(見ている。間違いなくヤツは僕のことを見ている!)
バクバクいう心臓を必死に押さえつけながら、横田君は「完全生命体」を睨みつけました。
虚空からじっと見下ろしている怪物の真っ赤な目を見返すと、心臓の鼓動はなおいっそう激しさを増し、いまにも口から飛び出しそうなぐあいです。
(……だ、だめかもしんない…)
元来へたれな性質の横田君は、こんども弱音を吐きそうになりました。
(ボ、ボクやっぱだめかも…)
そのとき……
(あれ?)
誰かの笑うこえが聞こえたような気がしました。
「変なの、変なの」そしてクスクス…
あの女の子がここにいるはずはありません。
しかし例え空耳であったとしても、あの女の子の笑い声を耳にすると、胸の鼓動は不思議に静かになりました。
さっきまでとは違う、とても静かな心で横田君は目の前に下がった電気コードの輪を見つめました。
(ボクは、あの女の子やこれからあの子たちが生きていく世界のために、絶対にやり遂げなきゃならないんだ。)
テレビからの断片的な情報だけで、横田君は見破っていました。
(この「完全生命体」という怪獣は、仕掛けられたアクションを鏡のように打ち返すんだ。)
この手の存在は、実はSFやファンタジー小説では別段珍しくもありません。
(使い古しのネタだ。それならボクも使い古しのネタで対抗してやる!)
ものマネ怪獣をやっつけるには、「真似すると無力化するアクションをマネさせればいい」。
一番の回答は「何もしない」。
こっちが何もしなければ、相手も何もしないので危険は全くありません。
ただもし相手が暴れだしている場合、「何もしない」というアクションで上書きするのは至難になります。
その場合は、「笛を吹く」「歌を歌う」あるいは「落語を語る」といったアクションで上書きし「無力化」するだけです。
ただし、今回の「完全生命体」は厄介なことにウルトラマン××の必殺光線を覚えてしまっています。
ですから「完全生命体の無力化」はそれこそ「完全」でなければなりません。
究極の「ものマネ怪獣」を完全に無力化する究極の方法とは……
(「完全生命体」よ!ボクの死をコピーしろ!)
(「完全生命体」よ!ボクの死をコピーしろ!)
「完全生命体」の目の前で自殺し、「死」という状態をコピーさせる。
それでもおそらく「完全生命体」は死なないでしょうが、「死」という状態をコピーしている以上、再び暴れだすことは絶対にあり得ません。
自分が「みんな灰にしちまえ!」と口にしたとき、実際に命を失った人々がいたことを
彼は知ってしまいました。
そのとき、彼は今からやろうとしている行為を決意したのです。
(…これが…ボクにできるたった一つの罪滅ぼしなんだ)と。
電気コードの輪に両手をかけて見上げると、輪の向こう側には、東京タワーから下がった同じような輪に両手をかけた「完全生命体」の姿がありました。
(…ひっかかってくれた。)
もう横田君には一部の迷いもありません。
後は足場になっている脚立を蹴って倒すだけです。
それで、あの女の子の住む世界は守られます。
…不思議に満ち足りた一瞬、横田君は自分を取り巻く世界が、色合いを変え、自分に手を差し伸べているのを感じていました。
いままでは冷たい拒絶しか感じてこなかったのに…。
(…いや、違う。それはボクの方が世界を拒絶していたからなんじゃないのかな?)
自分から手を差し伸べればよかった。
横田君が気づいたのは、実は当たり前のことでした。
みんな相手が手を差し伸べてくれるのを待っている。
自分から手を差し伸べないままに…。
だから、いつまで立っても手は差し伸べられることがない。
(有難う、みんな。)
横田君は、輪の中に首を通すと、辺りをゆっくり見回しました。
寒天には一面の星空。
そしてそれを縁取るように、木々の枝々が差し交わされています。
(なんて綺麗なんだろう。地球って、綺麗な星なんだなぁ)
そして…
……ガンッ!
横田君の足は力いっぱい脚立を蹴倒しました。
脚立を蹴ったことによる、100万分の一秒かの無重力。
そして、自分の体が重力落下を開始する直前、横田君の視界は目まぐるしく転変しました。
星空、タワー、「完全生命体」、冬枯れの木々、星空、「完全生命体」、タワー、タワー、少女…
(あれ?いま…)
確かにあの少女の姿を見た。
そう思った次の瞬間…
ドスン!
「ぐうっ!」
息が詰まりそうな衝撃とともに、横田君は背中から地面に落ちていました。
「し、しくじった!?」
作戦失敗!?
横田君の体重を支えきれなかったのか?
電気コードが切れてしまったのです。
彼の目からこぼれた涙は、背中の痛みによるものではありません。
「か、『完全生命体』は!?」
首吊りに失敗した以上、「完全生命体」は再び大破壊を開始するはず。
しかし…
…涙目で見上げた横田君の前に聳え立っていたのは、「完全生命体」ではありませんでした。
いや、「完全生命体」です。
だってさっきまで「完全生命体」が立っていた場所にいるのですから、それが「完全生命体」でないはずがありません。
「…これは…いったい?」
口をポカンとあけたまま、背中の痛みも忘れて、横田くんは立ち上がりました。
タワーを背に立っているのは、白く輝く姿でした。
長いローブも、髪の毛も、迎え入れるように開かれた両手も、全て白く輝いています。
そして男のようにも、女のようにも見える優美な顔は、微笑みに満ちていました。
「その姿は、か…」
「完全生命体」はあいまいに頷くと、輝きながらゆっくりと宙に舞い上がり……
そして一瞬、目もくらむほどのに輝きを増しました。
光が消えたとき、「完全生命体」は消え、そして全ては元に戻っていました。
破壊された街も、死んだ人々も。
いや、そればかりではありません。
横田君は、いまも同じ寮に住み、同じ会社で働いています。
あの「完全生命体」という怪物の最後の変身はどういう意味だったのでしょうか?
全てを無条件に愛する普遍愛をアガペーと言い、神の愛こそこれであると言います。
横田君は最後の瞬間に「普遍愛」を得、そしてこれをコピーした結果、「完全生命体」は神に進化したのでしようか?
それとも「完全生命体」は最初から神が姿を変えたものだったのでしょうか?
いまとなっては確かめる術もありません。
ただ、ひとつ確かなこと。
それは…横田君はいまでもこの世界のことが、大好きです。
心の底から、大好きです…。
A級戦犯/「聖なる夜に首吊りを」
お し ま い
282 :
名無しより愛をこめて:2008/12/29(月) 10:21:47 ID:zkk5G6Aw0
19世紀英国風小説シリーズ第二弾(笑)。
「聖なる夜に首吊りを」
ちなみに第一弾は「甦る顎(あぎと)」です。
いまから100年位前のイギリスでは、非常にややこしいというか、複層構造の小説が書かれるようになっていました。
たとえばコナン・ドイルの「恐怖の谷」。
イギリス編とアメリカ編が独立したお話として読める分量と構成になってます。
アメリカ編が原因でイギリス編が結果という関係ですね。
同じドイルの「緋色の研究」も同じ構成です。
アーサー・マッケンの「白魔」なんかになるともっと複雑。
だから「顎」は、現在の「人狼」事件と10年前の「地震の夢」事件が併走しつつ、さらにそこに「小林教授の告白」が入ってくる構成になっています。
おかげで…投下終了まで時間がかかり過ぎました(笑)。
「首吊り」は、イギリスの習慣、「クリスマスには怪談」それもできれば「最後には人間性というものを信じられる怪談」を雑誌などに掲載するというのをマネしたものです。
チャールズ・ディケンズの「クリスマスキャロル」とか…たぶんロバート・ルイス・スティーブンソンの「マーカイム」なんかもこの系統だと思います。
でも、クリスマスまでに投下終了できなかったら意味ありません…。
年明けからは、最後には綺麗に終われるおはなしを考えています。
では、数少ないと思われるスレ住民のみなさん。
よいお年を…。
乙でした。よいお年を。
「あっ!また雪崩だ!」
下の斜面を指差して、登山服姿の若い男が叫んだ。
白い雪煙が地響き上げて駆け下り、さっきまでヘリが着地していたネコの額ほどの平地をあっというまに飲み込んでしまった。
「あぶないところだった…」ともう一人の登山客が呟く。
彼らは××大学山岳部のメンバーで、運悪く雪崩に遭遇し進退窮まったところを、山岳救助隊のヘリに今まさに助けだされたところだった。
「この冬に入ってもう何度目だ?」と山岳救助隊の男もつぶやく。
「多いんですか?」と山岳部員。
後ろを振り返らずにヘリのパイロットが答えた。
「ここ一ヶ月ばかりのあいだに、もう15回目です。」
「いや、20回以上だよ。」年かさの救助隊員が訂正した。
「15回ってのはうちの管轄だけでの回数だよ。県境の向こうでも頻発しているからな。」
「そんなに…!?」
山岳部員の一人が「(そんなに)多いんですか?」と、続けようとしたときだった。
下の雪景色が、突然発破でも仕掛けられていたかのように荒れ狂い舞い上がった!
同時にホラ貝のような鈍い唸り音が轟き、ヘリの機体がビリビリ震動!
右に左にと大きく揺れ始めた機体の安定を取り戻そうと、パイロットは必死に操縦桿と格闘する。
「な、何だ!?どうしたんだ!?」「乱気流?!乱気流!?」「神さまぁ!」
パニック状態のヘリの真下で、不意に雪が入道雲のように舞い上がった!
「…きゅ、急上昇だ!」
隊長が叫んだのは、動物としての本能の為せる技だった。
パイロットが操縦桿を引き、上昇を開始する機体!
「つかまっちまうぞ!」と叫んだのは誰だったのか。
100万分の1秒かの瞬間、ヘリから数十センチほどのところまで雪雲は迫った!
が……その数秒後、ヘリはその白い大入道を眼下遥かに見下ろしていた。
「助かった…」
ほっと胸を撫でおろす一同。
何に「つかまっちまう」と思ったのか?そして何から「助かった」のか?
過ぎてしまうと、それは誰にも判らなかった。
「A級戦犯/一万年にいちどの…」
山岳救助隊のヘリが天高く舞い上がってから僅か一時間後…。
現場には「怪獣やっつけ隊」隊員たちの姿があった。
「副隊長、鍾乳洞か何かが、崩落したって可能性はないでしょうか?」
上空500メートルでジャイロがホバリングを続けているのも、そして隊員らがラペリングで降下したのも、「地盤崩落の可能性」を危惧したからである。
「副隊長」と呼ばれたのは、「やっつけ隊No2」格の「風来坊」だ。
「ウバーレだというのか?『熱血』」
雨による侵食が進んだ果てに、鍾乳洞の天井部分が崩落した地形をウバーレという。
「熱血」と呼ばれたのは、「怪獣やっつけ隊」No4の男は、身振り手振りも交えて言った。
「着地したヘリか、それとも降り積もった雪の重みでグシャッと…」
「それはないよ、『熱血』。」
副隊長の「風来坊」に代わって答えたのはNo3の「レーサー」だった。
「カルスト地形が形成されるには、この辺りは降水量が少なすぎる。」
なおも「そうですかねぇ」と納得しない「熱血」に苦笑すると、「風来坊」は上空に待機するジャイロを呼びだした。
「『総監』!そっちの調査はどうだ?」
「ジャイロからの超音波探査では、地中に鍾乳洞らしき空洞はひっかかりません。ただ…」
「…ただ?!なにかあったのか?」
「はい…地層が崩落したらしき反応がところどころに見られように…」
「風来坊」「レーサー」「熱血」の表情が微妙に変わった。
彼らのことを知らない者はまったく気がつかない程度の変化だが、彼らをよく知る者にとっては、それは決定的な変化といえた。
…つまり、スイッチが入ったのである。
「はっきり言ったらどうだ『総監』?」
「僕にはこの反応は……何か巨大な物体が、地底を移動した痕跡のように読み取れるんです。」
286 :
ケロ:2009/01/06(火) 12:53:29 ID:C/bT1fAd0
今年もかわりなく応援いたします!
応援ありがとうございます。
でも、新年一発目の投下を急いだら、いつにもまして文章がぐだぐだに…。
なかでも酷いのは上レスの9行目。
正しくは…
「熱血」と呼ばれた「怪獣やっつけ隊」No4の男は、身振り手振りも交えて言った。
…が正解。
それから、「アイドルを探せ」で始めて具体的に登場した「怪獣やっつけ隊」ですが、実在の特殊部隊などと同様に、「隊員の個人名などの情報は公開されていない」という設定です。
ですから書類上は「No1」とか単に「1」とだけコードNoで記載されていて、部隊内ではハンドルネームのような暗号名で呼び合っています。
ちなみに…
No1 「隊長」
No2 「風来坊」
No3 「レーサー」
No4 「熱血」
No5 「総監」
No6 「スポコン」
…がそれぞれの暗号名という設定です。
「山岳救助隊のヘリが離陸した直後、大規模雪崩が発生。続いて、長さおよそ200メートル、深さおよそ20メートルにわたって谷底が崩落しました……。」
状況を説明しているのは怪獣やっつけ隊の「隊長」である。
その前で、防衛軍の制服姿の男性が、「隊長」の持参した写真を作戦室のデスクに並べていくと、畳一条ほどにもなる見事な現場写真ができあがった。
『それで『隊長』は…」
横に立っていた背広姿の男が、やっつけ隊「隊長」に向かって口を開いた。
「…これが巨大生物の仕業によるものだと言われるのですか?」
軍服姿の男は、防衛軍のいわゆる「制服組」。
背広姿の男は国家公務員T種試験を合格し採用された、いわゆる「背広組」である。
背広の男は重ねて尋ねた。
「…何か証拠でも?」
「動かぬ証拠をと言われるのであれば、それはありません。」
やっつけ隊隊長の返答はいたって率直だった。
彼は、自分たちの担う職務において、つまらぬ「駆け引き」は、「百害あって一利無し」だと思っている。
「それでは…」
確たる証拠も無しに、国民に負担を強いる大規模な避難命令や、費用のかかる軍の作戦行動はできないという背広の男の言い分を一通り拝聴した上で、「やっつけ隊」隊長は言った。
「いまの段階では、我々も軍の出動や周辺住民の避難は早計と考えています。
ですから、この話は、いまここにいる三人だけの話とし、最悪の場合に備えた心積もりだけしておいていただきたいのです。」
「しかし」
「それでは……」
野戦で鍛えられた野太い声が、背広の男と「隊長」のあいだに割って入った。
「……あなたの言われる最悪の場合というのをお聞かせいただきたい。それによって、決めておかねばならない覚悟も違ってきますので。」
「…わかりました。動かぬ証拠はございませんが…」
まず前置きし、ちらっと背広の男に視線をやってから、「隊長」は続けた。
「…われわれはこの生物が、名古屋方面に移動したと考えております。」
直ちに防衛軍は「防災演習」と銘打った活動を開始した。
設定状況は「震度7クラスの地震が名古屋で発生」である。
防衛軍の各部局は、ただちに部隊を名古屋に移動させるための計画立案を開始。
自走した場合に道路の舗装を痛めぬよう戦車や自走砲のトラックにはゴムパッドが取り付けられ、航空機用のマーカーが各地に設置された。
「東京や静岡でなく、なんで名古屋なのか?」「防災演習に戦車や戦闘機が関係あるのか?」と一部雑誌がすっぱ抜いたが、その本当の意味を見抜くことまではできなかった。
地底に潜む巨大生物は、本当に存在するのかすら不明のまま、氷食地形の一種にちなんで「ウバーレ」と名づけられた。
「スポコン!」
『はい!隊長!!』
「ウバーレの動きは掴めたか?」
地下の微細震動音をキャッチする特殊センサー搭載のジャイロが出動。
昼夜を問わず、上空からウバーレの捜索に当たっていた。
『残念ですけど…』
「残念とはなんだ!」
隊長に代わって副隊長の「風来坊」がマイクを握った。
『は、はいっ!根性が足りませんでした!申し訳ありません!!』
相手が「風来坊」に代わったとたん、「スポコン」の声が裏返り、それを聞いていた一同にクスクス笑いが広がる。
「スポコン」は「風来坊」の、いわば「愛弟子」だ。
ただし…知らない人が見たら、イジメと思うに違いない。
逃げる「スポコン」をジープで追いかけたりといった、それはそれは凄まじいシゴキの連続だったのだ。
「おい、疲れたんなら戻って休め。」
一転笑いを交えて「風来坊」は話しかけた。
「…神経を使う任務だ。集中力を欠くと聞こえるものも聞こえなくなるぞ。」
「熱血」も言った。
「オレが代わってやる。さっさと帰って来い!」
彼は「総監」と「スポコン」にとっては先輩なのだが、先輩風を吹かすようなところは全く無い。先輩というより、「受験に落第して同級になってしまった近所のあんちゃん」といった感じだ。
「…すぐ戻ってくれば紅白歌合戦に間に合うぞ。」
「だいじょぶです!『熱血』先輩、任せてください。」と「スポコン」
「ホントにだいじょぶなのかぁ?」と、形ばかり切り返したが、大丈夫なのは「熱血」にも、そして他の隊員にも判っていた。
「風来坊」が仕込んだ「スポコン」である。
彼が「だいじょぶ!」と言うなら、大丈夫なのだ。
「ボクに任せてください!必要なら、3日でも4日でも…………………」
「スポコン」の声が不意に途絶えた。
無線は繋がっているから、何らかの理由で黙り込んだのだ。
「おい!どうした『スポコン』?」
副隊長の声が低くなった。心の中で警戒の赤いサインが点滅している。
その背後では「レーサー」と「総監」がヘルメットに手を掛けていた。
「熱血」に至っては、既に完全装備で作戦室のドア前に立っている。
………
『……捕まえました。』
たっぷり10秒以上も黙りこんだあとで、「スポコン」の声が作戦室に戻ってきた。
『間違いありません。ウバーレの活動音を補足しました。』
「隊長」と「風来坊」が顔を見合わせた。
「……間違いないな。」
「ええ、間違いありません。」
「スポコン」がジャイロから送って寄越したデータをコンピューターで解析した結果、土砂崩れなどのランダムな音に混じって、はっきりと規則的なリズムを刻む音が確認できたのだ。
潜水艦のスクリュー周辺で発生するキャピテーションノイズを観測することで、敵の位置を補足する軍事技術がある。
この技術を応用し、「怪獣やっつけ隊」は地底や海底に潜む巨大生物の活動音を解析するシステムを確立していた。
巨大生物が稼動するには巨大なエネルギーを体内循環させねばならない以上、潜水艦のキャピテーションノイズ以上にはっきりした音が発生する。
つまり…「スポコン」の観測した地底の音に含まれていた「規則的なリズムを刻む音」とは、巨大な生物の心臓が鼓動する音だったのである。
「怪獣やっつけ隊」がウバーレに張り付いてから3日後…。
「では、その巨大生物の名古屋来襲は無いと、そういうことなんですね?」
ディスプレイの映像からも、「背広の男」が安堵する様子が見て取れた。
背景は、どこかの役所の一室らしい。
大晦日の午前零時も間近なこの時刻に、彼は自宅にも帰っていなかった。
紅白歌合戦でも見ていたのだろう。BGMのように演歌が聞こえてくる。
もう一方のディスプレイが映し出す「制服の男」は、明らかに防衛軍統合本部にいた。
いまさらながらに「隊長」が(自分たちに「勤務時間外」の概念は無いな)と考えていると、「制服の男」が鋭く尋ねてきた。
「…では、モンスターはいまどこに?」
彼の思考は、次に防衛ラインを敷くべき地点へと跳んでいた。
名古屋襲来が無くなったというだけで、「太平洋岸の住民密集地域付近を巨大生物がうろついている」という状況に変わりはないのである。
「名古屋北部をかすめるコースで進路を東に転じました。ただ、正確な位置をピンポイントで掴むのは難しく…。」
「都市部に近づきすぎたか…」と「背広の男」は机を平手で叩いた。
都市部に接近すると人間の生活音が多くなり、巨大生物の心音を細くするのが難しくなる。
「よもや見失うようなことは?」と「制服の男」。
「隊長」は即答した。
「ジャイロを1機から3機に増派しました。三点捕捉をかけますからその心配はありません。」
ちょうどそのころ…名古屋上空には、「スポコン」に加え、「熱血」と「レーサー」のジャイロが展開していた。
3機のジャイロで三方から心音を捕捉する方法が、「隊長」の言った「三点捕捉」である。
相手を「何がなんでも逃がさない」という絶対のシフトだ。
「どうだ?『総監』」
「レーサー」が本部を呼び出した。
「…ウバーレの進行予測はどう出た?」
『ヤツは大きな弧を描きながら、日本アルプス方面に向かっています。』
「へぇ〜そんじゃあ名古屋襲来は無いんだな?」
「バカ!残念そうに言うな。」
「すんません。」
「レーサー」と「熱血」のやりとりを、「スポコン」もニヤニヤ笑って聞いている。
ウバーレの名古屋襲来は無い、というコンピューターの予測が、三人の男をすっかり安心させきっていた。
「あと10秒そこそこで新年です。新しい年が、良い年になるように、みんなでお祈りしませんか?」
疲れを感じさせぬ声で「スポコン」が提案すると、「熱血」が「だいさんせー」と応じ、3機のジャイロで一斉にカウントダウンが始まった。
「5!」
「4!」
「3!」
「2!」
「1!」
三人で声を合わせて「ゼロ!」と叫ぼうとしたまさにそのとき!
本部からの『総監』の声が着信した!!
『緊急事態!ウバーレが名古屋中心部に向かって進路を変えたぞ!!』
ゆったりした弧を描きつつ日本アルプス方面に転進していたウバーレが、突然Uターンして進路を変えた。
「怪獣やっつけ隊」のコンピューターが新たに弾き出した怪獣の進路は、名古屋直撃!
「人口200万都市の名古屋を守れ!」
「織田信長公、豊臣秀吉公生誕の古都を、たかが怪獣ごときに指一本触れさせるな!」
司令官の大号令のもと、大所帯の防衛軍がついに作戦行動を開始した。
「決戦の地は各務原!これ以上ヤツを前に行かせるわけにはいかない。」
ウバーレの進路上にあり、部隊を展開し易い開闢地で、巻き添えを最小限に抑えられる環境の地域として、ゴルフ場の並ぶ各務原が選ばれた。
これより北は山地になってしまい、地上戦力を展開できる場所とルートが著しく限られてしまう。
逆にこれより南だと住宅密集地が始まり、高速道路や鉄道も入り組み走っているので怪獣との戦場としては最悪なのだ。
「周辺住民の待避は?」
やっつけ隊「隊長」の問いかけに、ディスプレイの「背広の男」が応じた。
『任せてください。こんな深夜だが、幸い今日は大晦日です。多くの住民がまだ起きているでしょう。これがもし他の日だったら…』
「…住民避難は全く進まなかったでしょうな。それだけでも我々は運が良い。」
テレビの特撮番組でよく見られるような、「上げ足の取り合い」や「自己の責任回避と抱き合わせになった他人への責任追及」もここでは見られない。
防衛軍・官僚・怪獣やっつけ隊が一丸となって、それぞれの任務に邁進していた。
『追い出し作戦準備の方は?』
「うちの隊員がスタンボムを装備したアローで向かいました。」
「隊長」の言う「スタンボム」とは、元来閃光や爆発音で相手を一時的無反応状態にする爆弾のことである。
これを搭載した弾体を数千メートル前後の高度から地上めがけて発射。
重力加速もふくめて超高速となった弾丸が、地底深くまで突き刺さったところでスタ
ンボムが爆発。
主にその爆発音で、地底怪獣を地上に追い出したり、あるいはもと来た方に追い返したりするのである。
『…その隊員も、きっと恐ろしいほどの腕なんでしょうね。』
「腕の方は保証します。」
前半部分は「地面に突き刺さる」という必要上芯までタングステン合金でできており、後半部分はぎっしりスタンボムで占められている弾体に、誘導装置を搭載する余裕は無い。
ピンポイントへの命中は、ひとえにパイロットである『総監』の腕にかかっていた。
マッハ3.5の速さで、「総監」のアローは飛行を続けていた。
「総監」という男は、「爽やかな風貌」「快活な話し方」「礼儀正しい態度」と三拍子そろった好青年だが、同時に先輩・後輩に負けぬ第一級の戦士でもあった。
「総監」というあだ名も、本当は「送還」が正解だ。
青年海外協力隊の一員として出向いた外国で、弱いもの虐めする地元警察を面と向かって批判したところが、「逮捕のうえ強制送還された」という無鉄砲な経歴による。
……決して「××ズ」の総監の正体は彼だ!と噂されていたからではない。
『待ってたぞ「総監」!』
地上に開設された前線指揮所から「風来坊」の声が着信した。
彼は、迎撃ラインを敷く防衛軍と協力すべく、一足先に現地入りしていた。
『すまないが、そのままの高度を維持して射撃体勢に入ってくれ。』
「了解です。しかし、早過ぎないですか?3機のジャイロはいまどこに!?」
『あと数分で到着だ。』
「数分?!まだ15分以上はあるはず…」
『ウバーレは猛烈にスピードを上げた。ついさっきのことだ。いまは時速80キロ以上で地底を突き進んでいる。』
「時速80キロ!」
思わず「総監」は息を呑んだ。
地中を進むのは、空気中や水中を進むよりも遥かに抵抗が大きい。
だがウバーレは、地上の舗装路を走る自動車なみの速度で、地中を突進しているというのだ。
「飛んでる君には分からないだろうが、僕の足の裏はヤツの接近をイヤと言うほど伝えてきているよ。」
大地は、感電したようにビリビリ震えていた。
高度5千メートルで静止した「総監」のアローから、低空を這うように飛行する3機のジャイロを目視することはもちろんできない。
だが、アローの計器は「地上展開する防衛軍」も「3機のジャイロ」も、そしてジャイロにエスコートされるように地底を突進するウバーレの位置も、極めて正確に表示していた。
3機のジャイロに1機のアロー、地上に留まる風来坊、そして本部に留まる「隊長」の動静も、本部のスーパーコンピューターでリンクされているのだ。
「総監」は地上攻撃用のサイトを立ち上げると、計器板には標的の現在位置、移動方向と速度、風向きと風速といったデータが幾何学的配列をもって表示された。
付近に緑が多いことを考え、「総監」はサイトの表示色をミドリからアカに切り替えると、射撃スイッチのカバーを親指で弾いた。
(3機のジャイロ、先頭は「レーサー」、後方右は「熱血」左は「スポコン」。防衛軍は前方500メートルの丘陵に展開……ウバーレを防衛軍の射撃ポイントぴたりに追い上げてやる。)
「総監」は射撃スイッチに右手親指をかけ、そして…力を込めた!
…バムッ!
瞬間!アローに斜め装備された大口径無反動砲が火を噴いた!
「来たっ!」
「熱血」が叫ぶより早く、「総監」の放った砲弾はウバーレの後方50メートルピタリに着弾していた!
ギュイイイイイイイイイイン!!
人間が耳にすれば即死するほどの超高周波が、凄まじい音量でウバーレ後方で炸裂!
その直後、火線を張って待ち構える防衛軍の前方に、巨大な土の津波が立ち上がった。
喉元の喉頭マイクを押さえて「風来坊」は本部の「隊長」に叫んだ。
「出ました!」
土の津波を突き破って、イルカのような紡錘系の物体が地表に躍り出た。
潜水艦のような全体形の背中から、三角形の突起がなだらかな曲線をもって隆起しているさまは、確かにイルカかシャチを思わせる。
ただし、この怪物が回遊しているのは水中ではなく地中なのだ!
バォン!バォン!ガンッ!ガンッ!ガンッ!
戦車隊が怪獣ウバーレに対し攻撃の火蓋をきった!
自走榴弾砲舞台も戦車隊の後方1000メートルの地点からこれに続く!
間もなく、防衛空軍岐阜基地から飛び立った航空隊がこれに加わるだろう。
辺り一帯は凄まじい轟音と閃光の海へと変わった。
たが、ウバーレは怒涛のような攻撃をものともせず、轟音と閃光の海をゆうゆうと泳ぎ渡っている!
『…なんてヤツだ!まるで効いてないぞ!』
ディスプレイの「背広の男」が呆然と言った。
怪獣やっつけ隊「隊長」の前の大型ディスプレイは、「風来坊」の送る映像を映し出していたが、ウバーレに命中した砲弾は、鮮やかな火花を放つだけで片っ端から跳ね返されてしまう。
声こそ発しないが、「制服の男」の顔にも驚愕の色はありありと見て取れる。
カーーーーーン!
鮮やかなムラサキ色の火花とともに、乾いた音をたてて砲弾が弾かれた。
『これだけの砲撃をかければ、仕留められないまでも追い返すぐらいはできるはずだ。』
「背広の男」の絶句をしおに、「隊長」は「風来坊」を呼び出した。
「頭は狙えないか!?」
直ちに「風来坊」が返した。
『…ダメです。ヤツの姿勢が低すぎる上に、土ぼこりや立ち木の陰で全く狙えません。』
巨大生物攻略のポイントは、神話の昔から「目」だ。
体がどれだけ頑強でも、たいていの場合目は例外だ。
また仕留め切れないまでも、視力を奪えば後の攻略が格段に容易くなる。
ただし……
『目の存在自体確認できません。』
視界の利かない暗黒の世界に生きる地底怪獣の場合、目そのものを持っていない場合があるのである。
そうなると攻略の難度が一気に高くなる。
「よし…『総監』!」隊長は今度は上空のアローを呼び出した。
「アローのレーザーガンでウバーレ進行方向の低い位置を掃射してみろ。目があるとすればその辺りのはずだ。」
『了解!』
地上砲火を遮らないように大きく角度を取ると、「総監」はレーザーガンのサイトを呼び出した。
(環境的には…あまり良くないな。)
「総監」は上唇を軽く噛んだ。
砲弾と違い、レーザー光線は大気層に歪みがないかぎり直線で命中する。
したがって照準そのものは楽だなのだが、光である以上途中に霧や土ぼこりがあると、その分威力が減殺されてしまう。
レーザー発射のチャンスを伺う「総監」の耳に、他の隊員への「隊長」の指示が飛び込んできた。
『「レーサー」「熱血」「スポコン」ウバーレの鼻先に消火弾をぶち込むんだ。』
『消火弾をですか?』と「熱血」。
「レーサー」は判りが早かった。
『なるほど、消火剤で土ぼこりを抑えようってわけですね。』
『さすが「隊長」!では一発目は…』
先陣きって「スポコン」のジャイロがポジションを取った。
『次々行くんだ!』
『了解!』『りょうかいッス!』
「レーサー」と「熱血」のジャイロも続く。
鉄壁の連携!
彼らはいずれも「怪獣退治の専門家」なのだ!
「総監」はアローの高度を500メートルまで一気に下げると、レーザー発射のタイミングを伺う。
(…消化剤の連続散布で、土ぼこりが目に見えて収まってきたぞ。よし)
…3…2、心の中でカウントダウンしつつ、「総監」レーザーガンのトリガーに指をかけた。
するとそれまで地上を跳ね回っていたウバーレが突然動きを止めた。
(そのまま動くなよ……1…ゼ…)
そのときウバーレが、目には見えない何かをアローめがけて放射した!
現在投下中の「一万年にいちどの…」。
ここまではマジメに普通の怪獣シミュレーションをやっとりますが、目的はシミュに名を借りた「怪獣やっつけ隊」隊員一人ひとりのキャラの描き出しです。
次週で、ウルトラマン対ウバーレ。
そしてウバーレの正体。
「一万年にいちどの…」と続きます。
構成そのものは「顎」に較べると一本調子なので楽ですから、早ければ来週、遅くとも再来週には投下終了の予定。
その次は……どなたも投下されなければ、ダークなおはなし「シンクロ」か「狂った童話」を、そしてその次は「ピノキオの反逆」あたりを投下しようかな?
以前、SF板に投下した「祭祀者」をウルQスレ用にアレンジし直すのも、複層構成で面白いかも…。
では、数少ない(1人?それとも2人)スレ住人のみなさん。
楽しい週末をお過ごしください。
少なくとも自分含めて二人以上はいらっしゃるかと。
304 :
ケロ:2009/01/13(火) 11:03:45 ID:EElVeMDf0
期待しております。
私も何か書ければいいのですが
ここは A級戦犯 さんが頼りのスレです。
このまま少しでも長く続くことを楽しみにしています。
>>303 普通に考えれば私とあなたで2人はいることに…。
でも、実は一人旅の孤独に耐えかねた私の深層心理が、私自身も知らないうちに「第二第三のスレ住民」を作り出しているのかもしれまへん。
つまり究極の自作自演(笑)。
これだとスレ住民は1人だけ。
さすがにそんなことはないと思いますが。
いっそハンドルネームをビリー・ミリガンにしようかな(笑)?
「ビリー・ミリガンと24人のスレ住人」
「背広の男」が悲鳴のように叫んだ。
『や、やられたっ!』
ウバーレを真正面に捉えていたアローのガンカメラの映像が、真っ赤な炎に包まれたのだ!
前線の「風来坊」からの映像が、炎に包まれ墜落するアローを映し出した。
炎の尾を曳きながらアローは滑空しつつゴルフ場を囲む山林の背後に消え、一瞬後、オレンジ色の爆炎が吹き上がった。
だが、たったいま悲鳴を上げたばかりの「背広の男」が、今度は子供のような声で歓声を上げた。
『う、うぉ!?出た出た出たぁ!』
揺らぐ炎を背に、巨大な人型のシルエットが立ち上がったのだ。
『ウルトラマン!』今度は「制服の男」も歓声を上げた。
地底怪獣ウバーレの行く手に立ち塞がるのは、光の巨人!ウルトラマン!!
『頼むぞ!ウルトラマン!!』
「制服の男」が祈るように叫ぶ。
防衛軍の火力がウバーレに効かない以上、名古屋を守れるのはもはや彼=ウルトラマンだけだ。
(…なんだあの姿は?岩石怪獣か何かなのか?)
ウルトラマンの出現だけで有頂天になる「背広の男」と違い、怪獣やっつけ隊「隊長」は冷静にウバーレを観察していた。
消化剤の散布で土ホコリが抑えられているのと、新たな相手の出方を伺うようにじっと動きを止めているため、いまはウバーレの姿がよく見える。
全長は60メートルほどか?
シルエットは「背びれのある潜水艦」か「超巨大なシャチ」のようだが、表面はゴツゴツとまるで岩山のようだ。
体の後半部分に結節のようなものが見える。
目らしきものは見当たらない。
前方の低い位置には、地底怪獣らしいゴツく節くれだった腕が構えており、その先端にはピッケルか鍬のようなツメがのぞいていた。
「隊長」は、ウバーレの姿に、かつて富士樹海に出現した岩石怪獣ゴルゴスを連想したが、ゴルゴスの動きはウバーレよりもずっと鈍い。
(いったいコイツの正体は……気をつけろよ「総監」。)
いまウバーレと対峙しているウルトラマンは、もちろん撃墜されたアローに載っていた「総監」が変身したものである。
「怪獣やっつけ隊」の隊員は、「隊長」以下全員がウルトラマンだ。
ただし世間的には、「ウルトラマンは一人だけ」ということになっている。
ときどき「歴代ウルトラマン総登場」みたいなこともあるが、あれも「遠い宇宙からやって来た」みたいな顔をしているだけで、実はみんな近場に住んでるのだ。
「隊長」以下の注視するなか、「総監」のウルトラマンがウバーレに駆け寄った!
駆け寄るなりウルトラマンはウバーレの背中にストンピングを叩き込む!
だが、怪獣はいっこうに堪えた風が無い。
それではとウルトラマンは、ウバーレの背中に馬乗りになって、相手の背中にパンチを雨霰と叩き込む。
しかし、これも全く効いた風が無い。
困ったように手を止めるウルトラマン。
すると、それまでじっとしていたウバーレが、突然暴れ馬のように棹立ちになった。
虚を突かれて放り出されたウルトラマンに、意外な素早さで方向転換するとウバーレが突進。
間一髪、横に転がってこれをかわすと、ウルトラマンは右手を垂直に立て、その肘に左掌を添えた!
「ストリウム光線!」
ワザの名前をコールするウルトラマンは、「総監」の変身したウルトラマンだけだ。
プリズムのように七色の揺らめく光線がウバーレの背中に吸い込まれた……が!?
バリバリと火花を散らし、ウバーレの巨体がブルブルと震動したが、止めを刺すには至らない!
地底怪獣はくるりとその場で向きを変えると、噴水のように土砂を巻き上げ始めた!
地底怪獣はくるりとその場で向きを変えると、噴水のように土砂を巻き上げ始めた!
「背広の男」と「制服の男」が同時に叫んだ。
『逃げるぞ!』
「逃がすものか」と、背後から駆け寄るなりウルトラマンはウバーレの背びれに手を掛けた!
パン!パン!パンッ!
ウルトラマンの目と鼻のさきで、爆竹のように何かが炸裂!黄色い煙が辺りに立ち込めた!
動きが一瞬止まるウルトラマン。
そして…顔を掻き毟る仕草をしながら仰け反るようにひっくり返った。
もがき苦しむウルトラマン。
いや、ウルトラマンだけではない。
地上展開していた防衛軍兵士も顔を押さえてバタバタと倒れていく!
(まさか?この黄色いガスは!?)
「隊長」の脳裏を、悪夢のような名前が過ぎった。
イエローガス?!
ウバーレは毒ガス怪獣なのか!?
「隊長より『風来坊』!隊長より『風来坊』!どうした!?何があった!?なにが起こっててるんだ!?」
…重苦しい数秒の沈黙のあと、苦しそうな「風来坊」の声が着信した。
…
『く、臭い!死にそうなくらいに臭いです。』
悪夢のような最後っ屁を残し、怪獣ウバーレは再び地底にその姿を消してしまったのであった。
地底怪獣ウバーレは再び地底へと姿を消した。
だがもう心音捕捉などというデリケートな手段で追いかける必要は無い。
…ここは「怪獣やっつけ隊」作戦室。
ヘッドホンをつけた女性オペレーターが言った。
「…『隊長』発信をキャッチしました。6発中4発が正常に作動しています。」
さきの各務原での交戦時、3機のジャイロは、地底に逃げようとするウバーレに対し、特殊なミサイルを発射していたのだ。
それは、弾頭部に「空気に触れれば数秒で硬化する特殊な接着剤」と「強力な発信機」を封入したミサイルで、命中・固着すると同時に作動し、怪獣の居場所を知らせて寄越すのである。
ちなみに…テレビ番組だと普通この種の発信機は一発しか使用されない。
しかし実際の戦闘では、「命中しない」「命中しても発信機が固定されない」「発信機が作動しない」「相手の体に固着し発信機も正常に作動したが、外れてしまった」等というリスクがあるため、一度に複数弾を使用するのが常識である。
今回、3機のジャイロには各二発づつの発信機ミサイルが搭載されており、6発発射の全弾命中で正常作動が4発というのは、誇っていい成績だった。
「いまヤツは何処にいる?」と隊長。
やはりモニターを凝視したまま女性オペレーターは答えた。
「地底約500メートルの深度を、時速約50キロの速さで東に進んでいます。」
「東に?!」と「レーサー」。
「畜生!今度は東京か!?」「熱血」が続いた。
「…だが状況は、この前よりも厄介だぞ。」
「隊長」がスイッチを押すと、一同の前に日本列島の立体映像が現われ、スルスルと静岡西部の断層部分が拡大された。
緑色で表示された断層の中にある、赤い点が怪獣ウバーレの現在位置だ。
「…見てのとおり、怪獣は地下深くを移動している。こんな深度では、スタン弾も届かない。」
「居場所が分かっていても、手が出せないんでね。」
「そうだ『スポコン』。」
「隊長!」鼻息荒く「熱血」が手を上げた!「ペルシダーでこっちから行ってやっつけてやりましょう!」
「そりゃ無理ですよ。」眉を「へ」の字にして「スポコン」は言った。「…ペルシダーの巡航速度は20キロです。」
ゆっくり頷いて「隊長」も「スポコン」の意見を支持した。
「ペルシダーは理論最大速度でも35キロにしかならない。一方ウバーレの測定上の最大速度は80キロだ。とても追いつけない。」
そのとき軽やかなメロディーとともに作戦室のドアが開き、風呂上がりのように髪をタオルで拭きながら「風来坊」と「総監」が入ってきた。
彼らは不幸にもウバーレの「最後っ屁」の直撃を受けてしまい、それから殆ど30分おきにシャワーを浴びるはめになっていた。
「…遅くなりました」「すみません」
遅れたことを詫びながら「風来坊」と「総監」が着席すると、他の隊員はそっと席を離した。
…まだ臭いのだ。
作戦室は沈黙で支配された。
怪獣ウバーレは地底深くを驚くほどの速度で東に向かっていた。
居場所は分かる。
だが、攻撃する手段が無い。
ウルトラマンに変身すれば、地底の怪獣のところに行くことはできる。
だが、そこで「最後っ屁」をかまされたらどうなるのか?
「……コタツに潜ったとこで、すかしっ屁かまされるようなもんだなぁ……」
口をとんがらせて「熱血」が呟いた。
下品な例えだが、そのとおりだ。
よく「ウルトラマンの聴力は、東京にいながら富士山に羽毛が落ちた音も聞こえる」などという記述を見かける。
じつは聴覚や視覚だけでなく嗅覚も人間より優れているのだが、優れている分悪臭も普通の人間より嗅げてしまうのだ。
最後っ屁をかわしてウバーレを倒すには、最低限地上に引き出す必要がある。
だが、どうすればウバーレを地上におびき出せるのか?
……いい知恵が浮かばないまま、ただ時間だけが過ぎ、そうしている間にも、ウバーレは東京に近づいていく。
どうすれば……
……
「隊長!!」
そのとき分厚い本を抱えた「レーサー」が興奮気味に作戦室に入ってきた!
「おびき出せますよ!ウバーレを!地上に!!」
「ウバーレはいったいどこからやってきたのか?僕はそれが疑問だったんです。それで、科学班に調査してもらったんですが。」
「レーサー」は科学班に、怪獣が「どこに行ったか」ではなく、「どこから来たのか」調査を依頼したのである。
各種機器を用いた調査の結果、ウバーレが始めて地上に出現した穴は、地下1000メートル以上のエリアから殆ど垂直に登ってきていることが判った。
「戦車隊の砲撃で怪獣から剥離した岩石は、いまからおよそ1万年前の地層のものでした。つまり、ウバーレは一万年前から地の底でじっとしていた。」
「それがいまになって地上に出てきたというのか?」
「そうです『隊長』」
答える「レーサー」の顔は確信に満ちていた。
「ウバーレは、一万年まえから、地の底で待っていたのです。地上に出る。そのときを。」
「では『レーサー』、キミはウバーレの正体を何だと…」
「副隊長、その答えは……これです!」
「レーサー」がスイッチを切り替えると、日本列島の立体映像に変わって、一匹の見慣れた生物の姿が映し出された。
「セミぃ!?」
「熱血」が素っ頓狂な声をあげ、「総監」が口をポカンと開いた。
あっけにとられる隊員たちの中で、一人冷静さを保ったまま「隊長」が言った。
「日本で見かけるセミではないな。これはなんというセミなんだ?」
「このセミは、北米大陸に生息する、いわゆる『十七年ゼミ』です。」
「レーサー」の説によると、地底怪獣ウバーレの正体とは、「一万年も地の底で成長を続けた巨大ゼミ」というものであった。
「一万年という年月が、ウバーレの外骨格を次第に鉱物に置き換えていったんだと思います。」
感心したように「スポコン」が呟いた。
「生きたまま化石化したというわけか。」
長い年月のあいだに、生物の骨と周囲の鉱物が置き換わって「骨の形をした石」になったものを化石という。
「なるほど!それであんな妙な色の火花が…」
「そうです副隊長。ストロンチウムをはじめとする特殊な鉱物の炎色反応があの鮮やかな色の火花です。」
「ですが、『レーサー』先輩。それだけではウバーレがセミだという裏づけには…。」
「そうですよ。それからあの最後っ屁!ションベンするセミはいくらでもいるけど、最後っ屁かますセミなんて聞いたこと無いですよ。」
納得できない「総監」と「熱血」が相次いで口を開いたが、「レーサー」はその答えも用意できていた。
「一万年も前の生物ですから、現在のセミと同じではないと思います。でも、これを見てください。」
「レーサー」が立体映像を切り替えると、今度は緑色の平べったい昆虫が姿を現した。
「あっ!屁っぴりムシ!」
「そうだよ『熱血』、正式にはカメムシだ。セミは分類学上は、カメムシ目に属しているんだ。それから、近縁にはこういう昆虫もいる。ツノゼミっていうんだ。」
カメムシと入れ替わりに投影された昆虫を見て、まだ納得していなかった「総監」も思わず声を上げた。
「ウ、ウバーレ!?」
「小さなセミの背中に巨大なツノが生えているように見えるのでツノゼミです。本当はセミよりもヨコバイっていう昆虫に近いらしいんですが。」
ずんぐりした背中に、不釣合いなほど巨大な突起を備えたその昆虫=ツノゼミは、羽根があるか否かという違いこそあるが、そのシルエットはまさしくウバーレそのものだった。
「だが『レーサー』よ。」
軽く身を乗り出して「隊長」が尋ねた。
「ウバーレがセミ、またはセミに近い生物だとして、どうすれば地上に誘導できると言うんだ?」
「それは…『音』です『隊長』。」
「なるほどぉ、ウバーレは一度も鳴いてないからメスってわけか。そんでもってオスのセミの……ありゃ?でも先輩…。」
途中まで納得しかかった「熱血」だったが、頭をポリポリ掻きはじめると「レーサー」に尋ねた。
「……ウバーレのオスって、どんな声で鳴くっすか?……ウバウバウバーーーーーーレとか?」
後半はおどけた調子だったが、誰も笑わない。
しゅんとなって引っ込んだ「熱血」に代わって、「総監」が改めて尋ねた。
「ウバーレがオスの鳴き声に反応するとして、それは一体どんな声なんでしょうか?」
「総監」に続いて「風来坊」も促した。
「おい『レーサー』、その答えも判ってるんだろ?もったいぶらずにサッサと話せ。」
「はい、だいたい見当はついています。…怪獣ウバーレの反応する音。それはこれです!」
「レーサー」が言葉を終えると同時に、作戦室のスピーカーから予想もしていなかった音が流れ出した!
ブンブンブンブン!
「なんだこりゃ?」「熱血」の眉が「へ」の字になり、「スポコン」の視線が中を彷徨った。
それはとてもセミの怪物が好みそうな音ではなかった。
「そうか!わかったぞ!!」
突然「総監」がほとんどジャンプするように立ち上がった!
「ヘリコプターのエンジン音だ!」
「そうだよ『総監』!最初ウバーレが地上にあらわれたのは、山岳救助隊のヘリが離陸した直後だ。ヤツは、ヘリの音をオスの呼び声と勘違いしたんだよ。」
「まってください先輩。」小学生のようにいちいち手を上げてから「熱血」は発言した。
「…ヘリの音に反応したって言うんなら、なんで俺たちのジャイロには反応しなかったッスか?」
「反応しなかったのは当然ですよ。」
「レーサー」より先に、「総監」が口を開いていた。
「…僕らのジャイロは怪獣の心音計測システムを搭載したとき、余計な音を出さない電動モーターに切り替えたじゃないですか。」
「それじゃ『レーサー』先輩。31日のウバーレの突然の進路変更はどう説明します?」
「思い出せよ『熱血』、本部から『総監』がウバーレの進路変更を告げてきたとき、キミは何をやっていた?」
「それは……」
「じゃあ…『スポコン』、同じ質問だ。『僕ら』は何をやっていた?』
「レーサー」が「僕ら」という部分を強調して言ったとき、「スポコン」より先に、「熱血」が答えに気がついた。
「判った!新年のカウントダウンだ!」
「そのとおり!ウバーレが突然進路を名古屋に変更したのは、年が新しくなったその瞬間なんだ!ウバーレはある音に反応して、進路を名古屋港へと向けたんだよ。」
ウバーレの進路を「名古屋港」と特定したからには、もうそれ以上の説明は必要は無かっただろう。
だが、「レーサー」はダメを押すように言葉を続けた。
「ウバーレは、新年の到来を祝う船の汽笛に反応したんだ!」
大晦日の時点で名古屋港に停泊し、0時調度に汽笛を鳴らしていた船舶が残らず洗い出され、その「汽笛の音」が録音採取された。
これらと、「山岳救助隊のヘリのエンジン音」も加えてコンピューター解析したところ、ある波長の低周波がそのどちらにも含まれていることが判明。
この時点で、怪獣ウバーレは愛知から静岡に侵入し、神奈川県との境を越えようとするところだった。
神奈川に入られたら、東京までもうあとわずかしかなく、怪獣との決戦に適した地域は殆ど無い。
防衛軍本部と怪獣やっつけ隊は、協議の結果、大規模な火力集中に最適な場所として防衛軍管理の富士演習場を決戦の地として選定された。
「あそこなら、メーサー光線車やハゲタカも使える。今度こそヤツを倒すぞ!」
北海道から、四国・九州、離島にいたるまで、防衛軍保持火力の大半が富士の裾野に集結。
我らが怪獣やっつけ隊も最も富士山に近いエリアに布陣。
そして……「総監」操縦のジャイロが、やっつけ隊基地を出撃していった。
「ウバーレ誘導・殲滅作戦」の開始である!
フォースゲイトオープン!
フォースゲイトオープン!!
そして
わんだばだば♪わんだばだば♪わんだばだばだばだぁ♪♪
BGMに乗って「総監」操縦のジャイロが飛ぶ。
目的地は富士演習場。
怪獣ウバーレの処刑地だ。
ジャイロを操縦しながら「総監」は、各務原での敗北の無念さを無理に思い出していた。
だが、どんなに自分の中に闘志を掻き立てようとしても、思い出すのは出撃前に小耳に挟んだ、「レーサー」と「熱血」のやりとりだった。
「……先輩。」
「…なんだ?」
「先輩は………えーっと…その……いまも思い出すこと、あるッスか?」
2人は「総監」のいることに全く気がついていない。
(思い出す?いったい何を?)
「…ああ、あるよ。」
「総監」にはさっぱり見当もつかなかったが「レーサー」には十分通じたようだ。
「キミはどうだい?たまに…は思い出すのかな?」
「いいえ。」
すこし驚いたような顔をした「レーサー」に、どこか寂しげな笑いを向けて「熱血」は言った。
「たまにはじゃないッスから。しょっちゅう思い出しますよ。月を見るたんびに。」
(月!?)
ここで始めて、二人が何の話をしているのか「総監」にも分かった。
(あの人のことだ。)
「レーサー」と「熱血」は、もう二度と会えない女性のことを話していたのだ。
「レーサー」のその女性、婚約こそしていなかったが、時がたてば当然「レーサー」婦人となるはずだったその女性は、「レーサー」の心理を撹乱しようと狙った卑劣な宇宙人の手にかかった。
「熱血」のその女性は……「やっつけ隊」唯一の女性正隊員で、のいい姉さん女房になってくれるものと誰もが信じた女性だったのだが、星へと帰って行った。実は宇宙人だったのだ。
「さっきの先輩の説明だと、ウバーレは女の子なんですよね?」
「……ああ」
「そんでもって、一万年ぶりぐらいに地上に出て来たんでしょ?運命の相手と出会うために。」
「レーサー」は無言のまま何のリアクションも返さなかったが、そんなことかまわず「熱血」はしゃべり続けた。
「織姫と彦星だって1年一回会えるのに、ウバーレは一万年に一回なんでしょ?」
………
「そのウバーレを仕留めるのが……もう二度と会えない女性のことを胸に秘めてるオレたちなんだ…。」
静かに「レーサー」は立ち上がると、追跡装置の画面に顔を落とした。
そこに表示された、赤い点がウバーレだ。
点はとても小さく、それが巨大な、小山のような生物だとはとても思えない。
「ああ!畜生!!」
小さく叫んで「熱血」も立ち上がった。
「なんだか、釈然としないな!」
「一万年にいちど……か。」
『どうした『総監』?何か言ったか?』
ふと漏らした独り言をマイクで拾われ、「隊長」の声が着信してきた。
「いえ、なんでもありません。ただの独り言です。」
『それならいいが、…飛行コースが微妙に東に膨らんでいるぞ。』
慌てて計器に目をやると、たしかに自機の位置は予定の位置よりも30メートルほど東にずれていた。
ジャイロの飛行コースは、ウバーレの誘導コースからの逆算で決められている。
地下鉄など地下施設や文化財のある場所は避け、できる限り国道その他の国有地の地下を通過させるのである。
「すみませんでした。」
「総監」が操縦桿を数ミリというレベルで右に倒すと、計器上の自機と予定コースの表示はピタリと重なった。
「以後注意します。」
『慎重に頼むぞ……ん?』
本部で誰かの声がして、「隊長」の言葉が途切れた。
『『総監』聞こえるか!?』
再び着信した「隊長」の声から微妙な高ぶりを感じ取ったとき、「総監」は「隊長」が何を言わんとしているのか一瞬で察知できていた。
『かかったぞ。御殿場手前でウバーレがUターンした!』
「了解!現在の高度を維持しつつ、目標地点まで誘導します!」
「総監」のジャイロは地下に怪獣ウバーレを従えつつ、裾野演習場へと飛行を続けていた。
『次、3キロ先を右にカーブです。カーブをショートカットしたウバーレに距離を詰められる危険があります。速度を10キロだけ上げてください。』
「了解」
本部の女性オペレーターの指示にしたがい、「総監」はモーターの回転を上げた。
高度は地表から60メートルぴたり。
これ以上降下すると、山岳救助隊ヘリのときのように、ウバーレが地表に出てきてしまう危険がある。
速度は時速で70キロ。
早すぎず、遅すぎない速度も誘導のカギだ。
もう一万年にいちどの出会いのことなど考えている余裕などない。
……普通の人間ならば。
(くそっ!任務に集中するんだ。いまの僕の任務は、怪獣ウバーレの脅威を除いて人々の命と財産を守ることだ。)
そう思うさきから、「熱血」の言葉が甦ってくる。
(「織姫と彦星だって1年一回会えるのに、ウバーレは一万年に一回なんでしょ?」)
(違う!僕の任務は……)
(「ウバーレを仕留めるのが……もう二度と会えない女性のことを胸に秘めてるオレたちなんだ…。」)
(だめだ!任務に集中するんだ!!)
雑念を振り払うように、「総監」は二三度激しく頭を振った。
そして……行く手はるかに裾野演習場が見えてきた。
「メーサー光線砲、動力アップ!いつでも発射できます!!」
「ハゲタカ!スタンバイ!」
「ジャイロ到着まで、あと15分!」
裾野演習場に設営された防衛軍と怪獣やっつけ隊の合同本部では、せわしく人が行き交い、言葉が飛び交っていた。
「なんとも壮観だな。」
「背広の男」が感に堪えぬように呟いた。
「…一輌120億のメーサー自走砲車ユニットが5台。一発2億のハゲタカミサイルが15基。占めて610億だ。」
「ヤツが東京に暴れこんだ場合を考えれば、そんな金額安いものだ。」
「制服の男」も珍しく口が軽かった。
「全弾撃ち尽しても、必ず仕留めてやる!」
「背広の男」はもみ手をしながら振り返った。
「やっつけ隊の方の準備は?」
「任せてください。」
「副隊長」こと「風来坊」は答えた。
「対硬目標用兵器のニードルS90、それから粘着爆雷を搭載したアローで『隊長』もやって来ます。今度は逃がしません。」
胸を張る「風来坊」の背後で、3機のアローがゴウゴウとエンジン音を響かせながら垂直上昇していった。
『まずは防衛軍のお手並み拝見。僕らの出番はそれからだ。』
『はい!』
「隊長」と「風来坊」がいなければ、「レーサー」が隊のリーダーになる。
だが、「レーサー」の言葉に答えたのは「スポコン」だけだった。
『…『熱血』。』
『……はい。』
『私情は捨てろ。ヤツを大都市に入らせるわけにはいかないんだ。』
『わかってます。』
『それに…私情はオマエ自身の命も危うくする。』
『分かってますって!』
『だが…』
そのとき、「スポコン」の声が「レーサー」と「熱血」のやりとりを強引に打ち切った。
『見えました!『隊長』のアローです!』
「レーサー」「熱血」「スポコン」の操縦する3機のアローに、まずは「隊長」、続いて「風来坊」アローが合流。
その数百メートル前方を、「総監」のジャイロがゆっくり行過ぎていった。
その後方約300メートルの地底にウバーレはいるはずだ。
「総監」のジャイロがゆっくり動きを止めた。
エンジン音のせいで5機のアローからは聞こえないが、誘導音の音量を最大限までアップさせているはずだ。
そして、それに呼応してウバーレも速度を上げているはず。
ウバーレを地中から飛び出させるためには、音源であるジャイロは捕まるギリギリの高度を維持しなければならない。
5機のアローは、大きく旋回を続けながらレーザーガンのセイフティを解除した。
一秒…二秒…三秒…
何も起こらない?
六秒…七秒…
『作戦失敗か?』
妙に晴れやかな調子で「熱血」が言ったそのとき!
ジャイロの真下の地面が逆ドーム状に陥没したかと思うと、次の瞬間、イルカがジャンプするように地底怪獣の巨体が飛び出した!
『地底からジャンプだと!?』『逃げろ!『総監』!』
「スポコン」と「熱血」が口々に叫び、「隊長」と「風来坊」のアローがレーザーガンを発射!だが、宙に躍り上がった巨体を押し留めることはできない!
ガンッ!
硬質な音をたて、「総監」のジャイロが模型飛行機のように弾き飛ばされた!
「メーサー砲部隊攻撃開始!!」
アントン、ベルタ、カエサル、ドーラ、エミールと便宜的に名づけられた首長竜のような5輌の怪物兵器は、「制服の男」の命令一下いっせいに鎌首をもたげ、破壊光線を吐き出した!
A砲(=アントン)B砲(=ベルタ)C砲(=カエサル)の3門は牽制砲撃、D砲(=ドーラ)とE砲(=エミール)の2門が怪獣の化石化した装甲を焼蝕させる。
『全機に告ぐ!各自の任務を忘れるな!』
「隊長」の激に気を取り直した「スポコン」と「レーサー」のアローが、5条の破壊光線をかいくぐるとウバーレの下に特殊爆弾を投下。
たちまち怪獣の下の地面が真っ白になった!
『冷凍弾投下成功!』
『これでヤツは地底に逃げられません!』
「レーサー」が報告し「スポコン」が続いた。
地底を時速数十キロで掘り進むウバーレといえども、マイナス40度の低温で凍りついた地面とあっては容易には掘り進めない!
敵の退路を断ったと見たメーサー光線車は傘にかかって砲撃!
牽制砲撃をかけていたA砲、B砲、C砲サル)の3門も、D砲、E砲とともに焼蝕攻撃に加わった。
ウバーレは逃げ道を求めて凍った大地を跳ね回るが、「スポコン」と「レーサー」のアローが、怪獣の行く先々に冷凍弾を投下し退路を断つ!
怪獣の動きが目に見えて鈍くなった。
「よし、そろそろ止めといくぞ。」
敵が弱ってきたと見て取ると、「制服の男」はおもむろに命じた。
「ハゲタカ発射用意っ!」
破甲ミサイル「ハゲタカ」とは、巨大生物の分厚く頑丈な皮膚を貫通し、その内部で爆破することを目的として設計・建造されたミサイルである。
運動エネルギーで相手の装甲貫通を狙う場合、チューブガンによるのが普通である。
しかし、巨大生物を一発で仕留められるほどの量の炸薬を弾薬に内臓し、怪獣の皮膚を貫通できるほどの早さでチューブガンで射出しようとするならば、砲の大きさと重さは途轍もないものになってしまう。
それでは怪獣出現の報に際し、機動的に展開することが不可能だ。
そこで「怪獣やっつけ隊」の技術支援を受けつつ、防衛軍が開発したのが運動エネルギーミサイルの一種である「ハゲタカ」であった。
強力な電磁力ブースターを併用することにより、発射後僅か2秒で、ハゲタカの飛翔速度はトップスピードのマッハ6に達する。
この速度と、タングステン合金の弾頭により、「ハゲタカ」は怪獣の装甲を文字通り「ぶち抜く」のである。
『ハゲタカを使う。貴隊は怪獣の動きを抑え込んでくれ。』
『…了解。』
「隊長」が応答するのと前後して、決戦場に15基持ち込まれたうちの3基のハゲタカが釈射角調整を開始。
防衛軍と「怪獣やっつけ隊」の勝利は目前に……。
『よし『レーサー』『熱血』、ここはもういい。おまえたちはすぐに『総監』の捜索に…』
しかしそのとき、「隊長」の指示を断ち切るようして、本部からの緊急着信が割り込んできた!
『全隊員に報告!全隊員に報告!たったいまレーダーが、秩父山中から巨大な飛行物体が飛び出したのをキャッチしました。マッハ3.5の速さで、真っ直ぐそちらに向かっています!」
雲を裂いて飛ぶ巨大な姿。
小高く隆起した背中には半月上の突起が二本。
目にも止まらぬ速さで振動する半透明の翼が、重く、空気抵抗の塊のような姿を力ずくで加速させる。
花嫁を助けるために!
異形の彦星が、織姫の処刑に待ったをかけるべく、冬の空をまっしぐらにやって来る!
覚えのある声にハッと振りかえると…、行く手を塞ぐように「魔石」が立っていた。
いまは岩の巨人の姿ではなく、窪田の姿に戻っている。
「アナタたちが邪魔しなかったら、昨日のうちに結界を壊せていたのに。ほんと、余計なことしてくれるんだから。」
(巨人の姿でないということは……「木神」との戦いでエネルギーを浪費したということか?それなら……)
しかし、だからといってどうするという手立てもない。
脇のホルスターに収まっているP226では効果無いことは、既に実証済みだ。
「山中だって勝手にアンタたちを呼んじゃうし、もういい加減にしてほしいわ。」
無駄と知りつつ凍条は拳銃を突きつけたが、もちろん「魔石」は眉ひとつ動かさない。
「バカね。さっき撃ってみたのに、もう忘れたの?」
ニタリと笑って「魔石」は続けた。
「…ワタシね、バーカは嫌いなのよね。」
窪田の片目が赤く光った!
(……くそっ、このまま殺られるのか!)
だが絶体絶命の瞬間、凍条はその場にいるのが自分と南、そして「魔石」の3人だけではないことに気がついた!
「ハゲタカ発射急げ!」
「しかし指令、怪獣の動きはまだ完全には止まって…。」
「完全に動きが止まるまでは待てん。二匹目が助けに来る前に、一匹目を倒してしまうのだ。」
「…了解しました。」
防衛軍のオペレイターが手元のジョイスティックでハゲタカの射角を微調整。
「照準調整終了、これよりカウント…」
「カウントダウンも省略だ。」
「え!?」
「直ちに発射せよ!」
「しかし電磁ブースターはまだ…!」
「もたもたしていては勝機を逸する!直ちに発射だ!」
「りょ、了解!」
破壊光線を吐き散らす5匹のメーサー自走砲の更に後方の地点から、白い蒸気とともに三羽のハゲタカが舞い上がった!
標的のウバーレは5門のメーサー光線砲とアローの冷凍弾攻撃に射すくめられて動けない!
だが!怪獣前方の大気層に乱れが生じたかと思うと、次の瞬間、1基のハゲタカがバラバラに吹き飛んだ。
各務原での戦いで、「総監」のアローを打ち落とした音波攻撃!
バーーーーン!!
たて続けにもう一基!
電磁ブーストの効きが悪く出足の悪いハゲタカが、連続して打ち落とされる。
しかし、撃墜された僚機の爆炎を突き抜け、三基目のハゲタカが怪獣の背中に飛び込んだ!
地底怪獣の背びれの先端から2/3ほどが、爆発とともに木っ端微塵に吹き飛ぶと、初めてウバーレが金属を擦り合わせるような泣き声を上げた!
ギギギギギィィッ!
「よし!畳み掛けるぞ!第二派発射だ!」
第一波が発射されている間に、第二の電磁ブースターは発射準備を終えている。
「発射!!」
オペレーターはスイッチを押すと、第一波とは段違いのスピードで第二波3基のハゲタカが飛び出し、まっしぐらにウバーレへと殺到。
だがそのとき!船の霧笛か法螺貝のような重低音が演習場を圧して轟き渡った!
鈍い重低音が、一挙に高音域へと駆け上がったかと思うと、次の瞬間第二波3基のハゲタカがいちどきに爆発した!
『音波攻撃です!』『それも桁違いの威力だぞ!』
『…まずいっ!『熱血』『スポコン』回避しろ!』
「風来坊」からの通信で間一髪の回避に成功した二機のアローのど真ん中を、背中に巨大な三日月状の二本角を生やした「空飛ぶ岩山」が突っ切った!
驚いたように「レーサー」が叫ぶ。
『羽がある!羽化したんだ!』
二本角のウバーレは、速度を落とさぬまま、地上30メートルほどの高さまで一気に降下した。
「メーサー砲で打ち落とせ!」
「制服の男」の命令に対する、オペレイターの返答はもはや悲鳴に近かった。
「ダメです!追尾しきれません!」
メーサー自走砲の「首」は、至近距離を高速移動する標的を追尾するには、重すぎるのだ。
「A砲!新ウバーレを捕捉!攻撃しま…」
しかし、A砲がメーサー光線を発射するより一瞬早く、ウバーレの低い唸り声が高音域に駆け上がった!
A砲とその隣に布陣していたB砲が、目に見えぬ棍棒で殴られたように横転!
たちまち炎に包まれた!
『第一の個体へのとどめは防衛軍に任せ、我々は新たな固体を攻撃する!私に続け!』
「隊長」機が風に舞う落ち葉のように軽やかに旋回すると、他のアローもこれに続いて二匹目のウバーレへと襲い掛かった。
「隊長」機が牽制するように相手の鼻先で急上昇すると、これを追いかけようと速度の落ちたウバーレに「風来坊」と「レーサー」のアローが一気に肉薄!
至近距離からニードルS90の硬針弾を一秒間に1500回転の速さで叩き込む。
速度がガクンと落ちたウバーレの上空で「隊長」機は華麗に宙返りを決めると、ウバーレめがけて粘着爆雷を投下した!
ズン!ズン!ズン!と腹に響く爆音が轟く!
一見ウバーレにはなんのダメージも見られない。
だが、粘着爆雷のダメージは外装の破壊ではない。
相手の装甲に張り付いて爆発させ、その衝撃で相手の内部にダメージを与える。
それが粘着爆雷の目的なのだ!
ウバーレの飛行姿勢が右に大きく傾くと、羽の先端を軸に回転しながら、地響きを立てて大地に落下した!
しまった…「ハゲタカ」は5基しか展開していないのであった。
5基しかいないはずの「ハゲタカ」の、6基目が発射されている…。
…わたしバカよね〜♪
よく考えたら、第一波、第二波は各2基ということにしてたのであった。
「怪獣やっつけ隊が二匹目のウバーレを撃墜しました!」
「さすがだな。我々はこの隙に一匹目のヤツを仕留めるぞ。」
「C砲、D砲、E砲でトリプルショットですね。」
トリプルショット!
三丁の光線銃の放つ光線を、一条に束ねて放つ特殊な射撃法で、一条になった光線の威力は、単に3倍でなく、「三条ならぬ三乗だ」とすら言われている。
通常は光線拳銃か光線小銃で使われるワザだが、それをメーサー光線砲で仕掛けようというのだ。
D砲の両側から寄り添うようにC砲とE砲が首を伸ばすと、三門が同時に発射準備に入る。
標的は、完全に動きの止まった一匹目のウバーレ。
その500メートルほど東では怪獣やっつけ隊が二匹目のウバーレに総攻撃を仕掛けていく。
「うしっ!こっちの勝ちパターンだ!」と背広の男。
「トリプルショット準備OK!」
オペレーターが報告すると「制服の男」が直ちに応じた。
「直ちに発射!」
三門のメーサー砲の先端が合わさったところに、太陽のような輝きが出現!
次の瞬間、稲妻のような閃光が水平に走った!
332 :
名無しより愛をこめて:2009/02/05(木) 19:53:44 ID:eU1w00Cx0
地上に出現した輝きに気づいた「熱血」と「スポコン」が口々に叫んだ。
『トリプルショットぉ!?』『デカいメーサー砲でやるってのか!』
そして…稲妻のような閃光が演習場を切り裂き、一匹めのウバーレは、爆発の白い煙に包まれた!
『やったぁ!』
歓声を上げる「スポコン」!
だが、「風来坊」が鋭く叫んだ!
『おかしいぞ!爆発が早すぎる!』
命中!そして爆発というプロセスがコンマ何秒か早いことに、彼は気づいたのだ。
「風来坊」の疑惑は直ちに立証された。
白煙の中から、半透明の翅を震わせて一匹目のウバーレが姿を現したのだ。
『畜生!外殻を吹き飛ばして羽化しやがったんだ!見ろ、本体にはメーサー光線のダメージは無いぞ!』
「熱血」のアローが飛来する敵に向かって急旋回した。
『まて!戦力を分散させるな!まず二匹目のウバーレを…』
フォーメイションの維持を叫ぶ「隊長」!
…そのとき!
もう飛び立つ力は無いかに見えていた二匹目のウバーレが、「隊長」のアローを弾き飛ばしながら再び宙に舞い上がった。
(こ……ここは?)
目を開いたとき、「総監」の視界に飛び込んできたのは空だけだった。
正面視界に空しか見えないということは、ジャイロは機首を殆ど真上に向けているということだ。
キャノピーはどこかに跳んでいってしまったらしく、冷たい外気が機内に吹き込んでいる。
(そうだ…ボクはウバーレに…)
指が覚えた動作でシートベルトのロックを解除すると、彼は側面ハッチから機外へと転がり出た。
ジャイロが墜落していたのは、演習場の外縁部を囲む丘陵の外だった。
「戦闘は……どうなったんだ?」
「総監」は耳を澄ましてみたが、そこではじめて、自分の耳がいかなる音も捉えていないことに気がついた。
「墜落のショックで一時的な難聴にでもなったか。」
口に出して言ってみたが、その言葉もやはり聞こえない。
やむなく「総監」は、光線拳銃を手に、軋む体に鞭打って丘の斜面を登り始めた。
目隠しも兼ねた雑木の茂る丘を、枝葉を掻き分け掻き分け「総監」は登っていくが、丘の向こうはなかなか見えてこない。
…たちの悪い悪夢でも見ているような、そんな気がしはじめたときだ。
目の前の下枝を押しのけたとたん、突然一気に視界が開けた。
同時に、石を投げても当たりそうなくらいのところを、怪鳥のような影が飛び過ぎる!
「…アローだ!」
そして、視界が開けると同時に、「音」も戻ってきた!
耳を劈くジェットエンジン音!
何かが爆発する音!
そして、突如押し寄せてきた音の洪水のなか、「総監」が目にしたのは、思っても見なかった光景であった。
「ウバーレが、二匹!?」
広大な演習場のど真ん中、二匹のウバーレが蝶巴のようにクルクル飛び、舞い踊っている。
そしてその周りを飛び交う4機のアロー。
防衛軍のメーサー砲は複雑な軌跡を描くウバーレの飛行挙動に、照準を合わせられないでいる。
一機のアローが果敢に接近して、背中の角の折れたウバーレに機関砲撃を見舞うが、背中に二本ツノのウバーレがアローの攻撃を遮る。
それではと、攻撃の矛先を二本ツノのウバーレに切り替えれば、ツノの折れたウバーレが体当たりのようにアローの前に滑り込む。
二匹のウバーレは、一方が攻撃を受けると、それを庇うようにもう一方が回り込む飛行を繰り返していた。
互いに互いを庇いあう動きが、あたかも蝶巴のように見えるのだ。
その姿は…その姿はまるで…。
昨夜の、「レーサー」と「熱血」の会話が胸に甦ったとき、「総監」は思わず声に出して呟いていた。
「同じだ……、同じなんだ。……人間も……ウバーレも…。」
……そしてウルトラマンも。
そして、「総監」は自分の右手にあるものに目を落とした。
「怪獣やっつけ隊」の義務と誇りの象徴。
……銀色に輝く光線拳銃。
いまは、ピカピカした銀色の輝きが、とても冷たいものに感じられる。
「それでもボクは……」
そのとき!
低空を舞っていたに二匹のウバーレが、竜巻のように速度を高めると、急上昇を開始した。
やっつけ隊のアロー4機も、完全に出遅れた。
二重惑星のように雌雄二匹のウバーレは互いの周囲を回りあいながら、ぐんぐん空高く上っていく!
世界は、二匹だけのものになったかに見えた。
しかし、「総監」は気づいていた。
この急上昇で攻撃のチャンスを掴んだものがいることに!
メーサー自走砲のトリプルショットが二匹のウバーレの動きにピタリとポイントを合わせている!
三門が合わさった先端に再び地上の太陽が出現した瞬間、「総監」は光線拳銃を投げ捨てた!
「地上の太陽」から、稲光が飛び出した!
ただし、上から下ではなく、下から上に!!
トリプルショットの閃光が標的を追って瞬時に空を駆け上がり、そして爆発した!!
「やった!」
作戦指揮所では「背広の男」が飛び上がって叫んだ。
「こんどこそ二匹まとめて…」
「いや!!!違う!!」
「制服の男」が睨み据えるモニターには、爆炎の向こうを更に上昇していく二匹のウバーレが映し出されていた。
「な、何故だ?たしかに命中したはずなのに!?」
「その答えは…ウルトラマンだ。見ろ!」
サイドモニターが右腕を肘のところで折り、左手を添えた姿勢のウルトラマンを映し出した。
「彼がストリウム光線で、トリプルショットを破壊したのだ。」
「なんでウルトラマンが我々の邪魔を?!」
そのとき、作戦指揮所の中に誰かが入ってきた。
「それは、ウバーレを殺すべきではないと、彼が考えたからです。」
「背広の男」が驚いたように振り返った。
「『隊長』!ご無事だったのですか!?落ち方から見て、てっきり…」
苦笑しながら顔の前で手を横に振ると、やっつけ隊「隊長」は改めて言った。
「今回ウバーレは積極的に町を襲ったりしていません。
東京方面を目指していたのも、二匹目のウバーレが秩父から現われたことを考えれば、ツガイの相手の元へと向かっていただけだったのだと思います。」
「しかし、山岳救助隊のヘリを…」
なおも言い募る「背広の男」に向かって、「隊長」は静かに言った。
「あれはただの勘違い。ヘリのエンジン音をオスの呼び声と錯覚してしまった、不幸な勘違いです。」
やっつけ隊「隊長」は、作戦指揮所につめる防衛隊員ひとりひとりに語りかけた。
「同じ地球の生物でありながら、私たちは互いのことを知らなさ過ぎました。
それ故おこった『不幸な行き違いの連鎖』が、今回の事件なのだと思います。」
「しかし『隊長』」
今度は「制服の男」が口を開いた。
「今回は、あなたの言われるとおりなのかもしれません。
しかし、あなたたち『やっつけ隊』の仮説によれば10000年の後、再びウバーレが現われる可能性があるのでしょう?そのとき、今回のような事件が再び起らないと断言できますか?」
しかし、「制服の男」のいかにも軍人らしい剛直な視線を、やっつけ隊「隊長」は豊かな微笑みをもって受け止めた。
「指令、いまから一万年の後、私たち人類は、いまよりずっと強く賢くなっているのじゃないでしょうか?」
…「制服の男」の視線から、鋼のような剛直さが消えた。
「……なるほど、1万年の後、人類は巨大生物ウバーレとも共存できるほど偉大になっていると仰られるわけですね。」
「…と、言うより。そうなっていなければならないんでしょ?」
妙に吹っ切れたような口調で、「背広の男」が言葉を続けた。
「1万年たっても何も変わってないようじゃあ、万物の霊長が聞いて呆れますね。」
「ウバーレが、メーサー砲の有効射程を離脱しました。」
メーサー砲のオペレーターが報告したが、そんなこと、誰も気にとめない。
「総監」のウルトラマンが眩しげに見上げるなか、巨大生物ウバーレはどんどん上昇しつづけ、ついには輝く太陽を背にした小さな小さな二つの点としか見えなくなってしまった。
…富士演習場を飛び立ってから僅か3日後、日本アルプスの山中で、二匹の怪獣の死骸が発見されました。
ウバーレの命は、地上に現われてから僅か一週間足らずしか無かったのです。
しかし二匹は、その僅かのあいだに、自らの使命を果たし、命を燃やし尽くしました。
日本アルプスの地下約3000メートルの場所に、怪獣やっつけ隊の保護のもとウバーレの卵が静かに眠っています。
10000年の後、わたしたち人類と幸せな再会を果たす、その日を夢見て……。
A級戦犯/「一万年にいちどの…」
お し ま い
339 :
名無しより愛をこめて:2009/02/12(木) 18:22:54 ID:oI+wcBZR0
…仕事が忙しすぎて、やっと終わりました。
「一万年にいちどの」の主役は、「やっつけ隊」の「総監」でした。
東光太郎のような「明朗な優等生」のイメージで書くように努めたつもりです。
ですから、ウバーレの正体暴きも当初は「総監」の役目でした。
ところが実際のお話では「レーサー」の役目に…。
理由は「レーサー」のモデルである郷秀樹の、ゴーストロンのときの活躍です。
「怪獣(=ゴーストロン)は、視力は弱いが音には敏感なんじゃないのか?」
そして郷は、単独でゴーストロンの誘導作戦を実行するわけですね。
とても古典的な展開ですが、あれ、好きです(笑)。
それでウバーレの正体暴きも「レーサー」に振ったわけです。
「上昇するウバーレに向かって放たれた最後のハゲタカをウルトラマンが破壊する」展開にするつもりでしたが、間違ってハゲタカを打ち尽くしてしまいました(笑)。
それで引っ張り出したのが、「メーサー光線砲によるトリプルショット」。
オリジナルのトリプルショットは「ウルトラマン」の「小さな英雄」で、ムラマツキャップ・アラシ、フジの三人で、テレスドンを倒すのに使った技です。
苦し紛れのワザでしたが、映像的にはハゲタカより面白いかも…。
次は…他に投下希望者がいなければ、週明けより怪獣の出ないお話し「シンクロ」を投下開始します。
340 :
名無しより愛をこめて:2009/02/12(木) 19:41:33 ID:7Zt5JQSP0
面白くないからもう書かなくていいよ
下手糞な小説もどきはチラシの裏にでも書いてろよ
ここはオマエの日記帳じゃないんだぞ。
長文苦手なので、ショートショートで。
「返信」
人類はついに宇宙人からの電波を受信することに成功した。
科学者が電波を解読した結果、冒頭の文章に「返信、地球人へ」と書いてるのが判った。
かつて、宇宙人と通信していた高度な文明があったのか、人類は電波の解読に並行して、
文明の捜索を開始、ついにその文明を発見する。
「よし発掘だ。」「待ってください、電波の解読はまだ完了してません。」
発掘するとなんと無数の怪獣が現れた。彼らは光速で動き、一部は宇宙空間に一直線に飛びだしていった。
よく見ると彼らの体には文字らしきものが書いている。まさか、この怪獣が通信手段なのか…
その時、科学者が解読を完了していた。
「…地球人の送った怪獣がこの星で繁殖して、この星は滅ぼうとしている。
どうすれば怪獣を駆除できるのか教えてもらいたい。」
…そうかあの文明もこれで滅んだのか、科学者は苦笑した。
>>341氏
投下、有難うございます。
SFの香りのある、特に星新一氏の残り香のある作品ですね。
「…そうかあの文明もこれで滅んだのか、科学者は苦笑した。」
このあたりに特に強く星氏の香りを感じます。
私の場合、最初のゴジラや初期のウルトラマンのように探偵小説の傾向が強いもので、SFの香りはなかなか出てくれません。
ところで、341氏の作を本歌取りにして、別作を試みても宜しいでしょうか?
最初考えているのは、「思考そのものを物質化できるところまで進化したが、空想は理解できない宇宙人」が「地球から受信したや特撮番組に出てきた怪獣を物質化してしまう」というお話でした。要するに「禁断の惑星」のパロディーです。
でも、同じネタのコメディーSF映画(「スタートレック」のパロディーでした)があったのを思い出したのでボツ。
その上のレスの「おまえの日記じゃないんだぞ」というのも、ネタとして採用。
ネタが欲しくてときどきスレを浮上させているんですから、ああいうのは歓迎です。
以前も「幸せになる方法」がそうやって構成したわけですし、準備中の「狂った童話」も同様な経緯のお話です。
…では、予定通り、投下を継続と思います。
第X話氏が戻ってくる日まで。
「…あそこです警部。あれが例の…」
私服の警官が通りの向こうを顎で指し示した。
無言のまま頷くと、岸田警部は大またで通りを横切り、私服警官の示した建物の前に立つと、今は消えている赤い警告灯を見上げた。
引き戸の向こうには、ぎこちない姿勢でデスクに向かう2人の制服警官。
心なしか顔色が悪く、表情も強張っているように見える。
「三日前でした…」
追いついてきた私服警官は、低く視線を落とし、せきたてられるような口調で言った。
「…こ、交番奥の仮眠室で、若い、若い警官が拳銃自殺を図りました。幸い命ははとりとめましたが…。」
自殺、それも仲間の自殺、更に拳銃自殺とくれば、警察官にとってもショッキングな事件といえるだろう。
しかし、私服警官の言葉には、そういったショックを越えた、いまそこにある恐怖が根を張っていた。
交番につめる三人の制服警官も、同じ恐怖を共有しているに違いない。
私服警官は上目遣いで、「石を刻んだようだ」とも評される岸田警部の顔を見上げた。
「……三人目でした。この交番で自殺を企てたのは。」
その言葉を尻目に、警部は交番の引き戸に手をかけた。
突然の来訪者にはっと顔を上げた2人の顔を一瞥しただけで、警部は目指す相手はどちらなのか、当たりをつけた。
「第一発見者は…キミだな。」
「は…はい。」
警部は顎で奥の仮眠室を示すと、後に私服警官と若い巡査の先に立ち、中へと入って行った。
「あ、あの…私物を取りにここに入ると、平田が…平田巡査が短銃を口に咥えていたんです。自分は夢中で…夢中で……」
「…彼が飛びついたおかげで、銃弾は頬を貫通しただけで済み、平田巡査は一命を取り留めました。」
言葉に詰まった若い巡査に代わって、私服の警官が説明を続けた。
「その朝、平田巡査の様子に何か変わった点は?」
「ありません。全くいつもどおりの快活な彼でした。」
若い巡査は理解できないというように首を横に振った。
「…いつもどおりに自分と挨拶を交わし、それから通勤途中の近隣の住民とも言葉を交わして…。でもその5分後には……」
表で『おはようございます』と声が聞こえ、それに答えて何かぼそぼそ言う声が聞こえた。
自殺を試みた朝も、平田巡査はそんなふうに過ごしていたのだ。
「もうじき、結婚するはずだったんです、平田は。」
私服の警官が目を伏せた。
「自殺するなんてとても考えられません。そう…何かに取り憑かれたとでも考えるしか…」
そのときだった。
ズドン!
銃声に驚いた岸田警部らが仮眠室のドアを開けると…
「そんな…馬鹿な!?」と叫んだのはだれだったのか?
……警官が倒れていた。
1人で交番の表に残っていた警官が。
右手に短銃を握り締め、頭部から血を流しながら。
A級戦犯/「シンクロ
4件目の事件があった日の夕刻には、岸田警部は状況報告のため本庁の不可能犯罪捜査部にいったん引き上げていた。
報告を受けた本多部長は、全部で3通の報告書を一束づつデスクに放り出していった。
「最初は12月1日、次は1月の11日、3件目が2月9日、そして一番最近のが……」
「今朝の7時45分です。」
「最初はカミソリ…」部長は首のわきで掌をさっと横にはらった。「…2件目は首吊り。3件目と4件目は短銃だ。」
「しかし手段は違っても、場所は同じです。」と岸田警部。
部長が応じた「勤務先の交番だ。それからほかにも共通点があるぞ。」
「時刻ですね。三人とも午前中の早い時間に死にたくなったようです。」
「ふん、登校拒否の学生じゃあるまいし。」
軽く混ぜっ返してから真顔に戻って部長は言った。
「……神経ガスでも撒かれた可能性は?」
「ありませんね。」警部の変事は実に素っ気無かった。
「ガスを使ったなら、それは強力でありながら、極めて局地的にしか効果を表さないシロモノということになります。なにせ引き戸一枚隔てた私ら3人が全員無事なんですから。」
そんなことはもちろん部長も承知のうえである。
「…命の助かった3人目の警官は、自殺未遂の動機について何か言ってないのか?」
「すじの通ったことはなにも。ただ急に、死にたくなったんだと。」
「うーん」と唸ったきり、部長は天井を見上げて黙りこんでしまった。
痕跡を残さない神経ガスというのが、最も有力な仮説だったのだ。
神経性の毒を直接相手に注射するという方法は、検死結果と運よく生き残れた3人目の証言で既に否定されている。
「部長、催眠術という可能性はないでしょうか?」
「催眠術では、本人に自殺させるようなことはできないぞ。」
「ええ、普通に催眠術をかけても、本人が望まぬことはさせられません。ですが…」
「その行為が、本来の意味とは違う行為だと錯覚させるというのだろう?」
催眠術をかけ、「拳銃で自殺しろ」と命じても、被験者は自殺などしない。
しかし、「手に持っているオモチャの拳銃で自殺するマネをしろ」と命じ、ホンモノの拳銃を持たせれば、結果として自殺してしまう可能性がある。
しかし「話にならんよ」と、部長は首を横に振った。
「この場合、被験者は警官だぞ。警官に腰の短銃をオモチャだと思い込ますなぞできない相談だ。そして短銃をホンモノだと知っている限り、人間は絶対に自殺などしない。」
「そうなると…あとは宇宙人か超能力の類ですか?」
何気なくそう言ってから、岸田警部は(しまった!)と思った。
本多部長の目が、悪戯っぽく光ったのだ。
警部の悪い予感は的中してしまった。
意地悪な笑いを押し隠した表情で、部長が提案してきたのだ。
「岸田警部、この事件、いっそ彼女に任せてみたらどうだろう?」
「子供を幼稚園に送ってからでないと出てこられないそうだ。」というわけで、「彼女」とは翌朝10時、例の交番前の公園で落ち合うことになった。
岸田警部は、約束の時間より2時間半も早い7時半には交番近くの公園に姿を現していた。
早朝だというのに、交番前は黒山の人だかりで、当然のごとくテレビ中継車の姿も見える。
地元警察は、3件目の拳銃自殺未遂を「あくまで暴発事故」とし、事実関係を隠蔽してきた。
だが、そんな努力も昨日の事件が木っ端微塵に打ち砕いてしまっていた。
4件目の自殺事件が1件目と2件目の自殺は繋がった一連の事件となって、あいだに挟まれた3件目も巻き込んでしまったのだ。
警察発表の「暴発事故」は「拳銃自殺未遂」となり、「謎の警官連続自殺事件」となって、地元警察に対する「隠蔽体質批判」とタッグを組み、刑事警察機構に襲い掛かっていた。
だが、それも岸田警部の予感では、ただの序章にすぎないはずだった。
(本当の地獄は、これからやって来る。それだけはなんとしても防がねば。)
警部がそっと唇を噛んだとき、「まるでゴミ溜めでしゅね。」と誰かが呟いた。
…いや、誰か?ではない。
警部はその声の主を知っている。
つまり、「彼女」がやってきたのだ。
「品川さん、子供を幼稚園に送るんじゃなかったのか?」警部は振り返った。
「お友達の近所の奥しゃんに頼んだでしゅ。それから、『品川さん』じゃなく、『シナちゃん』と呼ぶで欲しいでしゅ。』
彼女=シナちゃんは唇をつんと尖らせた。
年齢は不詳。
見ようによっては、10代最後から40代まで、どんな年齢にも見えてしまう。
身長は自称156センチだが、実際は150センチそこそこだと警部はふんでいる。
小さな体に小さな顔、髪型は、ちょっと古めかしいく二束に纏めていて、彼女は常々自分の髪型を「ウサ耳」、つまり「ウサギの耳」と呼んでいた。
そして、どうやったらこの小さな顔に収まるのかとも思うほどに大きく、そしていちいち雄弁な「目」「鼻」「口」。
要するに、彼女は見た目だけでも十分すぎるほどに不思議な女性だった。
だが彼女の本当の不思議は、目には見えない部分にあるのだった。
彼女は…「やばいものが見える」人なのである。
「しかし……、いやしくも一児の母が『ゴミ溜め』なんて言うか?」
「一児じゃなくって二児でしゅ。去年の春また生んだでしゅよ。それから……ゴミ溜めがNGなら言い直すでしゅ。」
大きな瞳をくるくるさせ、前より大きな声でシナちゃんは言い直した。
「まるで痰つぼでしゅね。」
読むだけですが引き続き応援致します。
またムチャクチャ忙しくなってきました。
おかげで続きが書けもうさぬ。
ところで341氏は349氏と別人のようですね。
いや驚きました。
一種独特の感じが、日本SFの黎明期作品みたいだったから、てっきり349氏だと思ってました。
ウルQやマンからセブンぐらいのころのSFや漫画の臭いを出せる人ってのは意外にいるもんなんですね。
次週では交番前でまたも事件が起ります。
突然走り出すシナちゃん。
しかしシナちゃんは足が遅い(笑)。
結局シナちゃんを追い越して岸田警部が走ります。
「見える」シナちゃんと「見えない」岸田警部のコンビは連続自殺の元凶を追い詰められるのか?
…てな具合の予定です。
では、いい週末を。
応援!
「た、痰つぼぉ?」
シナちゃんは、呆れる警部に向かってニコやかに微笑んだ。
「痰つぼもNGなら肥溜めでしゅよ。だってあの人たちは…」
交番の周りにたむろする人々を、シナちゃんは指差した。
「…他人に不幸が起きるのを期待してるんでしゅ。」
「確かにそういうヤツもいるだろうが…」
「…『そんなヤツばかりじゃない』って言うんでしゅね。でも、みんなそういう人ばっかでしゅよ。だって、私には見えるんでしゅ。」
岸田警部は、以前本多部長から言われたことを思い出した。
「いいか?くれぐれも気をつけろよ。品川さんは、『見える』んだからな。」
「…なあ、品川さん。」
「さっき言ったの、聞こえなかったでしゅか?気安く『シナちゃん』と呼んで欲しいでしゅ。」
「………品川さん。」
「………」
シナちゃんと顔を合わすのは2度目だが、はっきり言ってウマが合わない。
絶対聞こえているのに知らん顔決め込む相手の後頭部を、衝動的に「どついてやりたい!」と思ったが、ぐっと我慢して警部は言いなおした。
「…シナちゃん」
「なんでしゅか〜?」
「…………あんたは『見える』って聞いてるんだが、一体何が見えるっていうんだ?」
「ひょっひょっひょっひょっ……聞きたいでしゅかぁ?」
(聞きたいから聞いてんだろうが!)
心の中で言い返しながらも、警部は無言で頷いた。
「私はねぇ〜」
フリルのついたスカートの裾をつまみ、くるっと一回転してからシナちゃんは言った。
「…霊が見えるんでしゅ。」
(さっきこの女は、交番前に集まって来てる連中を『他人に不幸が起きるのを期待してる』と言い、それが自分には見えるとも言った。
だが、いまコイツは自分のことを『霊が見える』と言った。いったいぜんたいどういう…)
若干混乱気味の岸田警部にはお構いなく、シナちゃんは「…起立!礼!……のレイじゃないでしゅよ〜」などとベタなボケをかましている。
ピョンピョン跳ねるシナちゃんの姿が、だんだん警部には「不思議の国のアリス」に登場するシロウサギのように見え始めた。
ランド・オブ・コンフュージョン。
混乱の国へと警部を誘うシロウサギに。
そしてついに岸田警部が(さてはオレのことをおちょくって遊んでいるだな!)という危険な結論に達した、まさにそのときだった。
シナちゃんの動きがピタリと止まり、大きな大きな瞳が、交番前でたむろする群集の中の一点で止まった。
警部の視線ならこんな場合、問題の一点をギュッと凝視するだろう。
だがシナちゃんは違った。
一点を見つめながらもなお、凝視はしない。
凝視どころか視線は拡散し、すこし茶っぽい大きな瞳で、対象を飲み込もうとするかのようだ。
「…どうした?品川さん…シナちゃん??」
ただならぬ気配を察知し、警部の声にも緊張が走った。
「…来てるでしゅ…」
「来てる?いったい何が来ていると…」
「自縛霊?……ううん、違うでしゅ。この感じは…」
シナちゃんの言葉は警部の問いに対する答えではなかった。
「…この感じは死んでる人のじゃないでしゅ。これは、これは生きてる人の……」
色白の頬がサッと青ざめ、同時に額を汗が伝った。
「大変でしゅ!力がどんどん強くなってくでしゅ!ここにいると、みんな危ないでしゅ!」
「危ないって?!いったい何がどう危ないと…」
そこまで言いかけたところで、岸田警部の視界がグニャリと歪んだ。
視界の中に熱く黒いコールタールを流し込まれたように、警部の視界と思考は、歪み、溶け、失われていった。
何もかも嫌だった。
会う人々は空々しいうわべばかりで、顔を会わすのも嫌。
言葉は空虚に感じられ、話すのも嫌。
動くのも、呼吸するのも嫌。
それでもまだ生きているのは、自殺するのが面倒だから。
…誰か殺してくれないかい。
(この考えはなんだ?…これはオレの考えなのか?!)
渦の中から必死に浮かび上がろうとする警部の努力もむなしい
(放せ!オレの意思を返せ!!)
嫌悪に満ちた思考の渦は、ネバつき、纏わりついて、警部の思考を絡めとる
グニャグニャのたうち渦を巻く視界が、ときおり垣間見せるのは…
シミだらけの天井
窓の外に降る雨
壁の隅に模様を描く黴
暗く沈みこんだ部屋のなか、ただひとつ光を放つのは、洗面台に出しっ放しのカミソリだけ
電灯から下がった紐が、何か話しかけてくる
(まさか…、まさかこれが?)
…もう止めちゃおうよ
………しょうがないじゃん、これ以上……てたって
いいことなんてきっと無いよ
(そうはいかんぞ!オレは死なない!オレは、オレは…)
そのとき、不意に警部は気が着いた。
自分の右手が、まるで他人の腕のように、あるものを捜していることに。
警部の右手は、警部の意識とは関係無しに捜していた。
…警部の拳銃を。
(や、止めろ!)
岸田警部は自身の右手の動きを必死にとめようするが、手は動くのを止めない。
いや、それ以前に、右手に「動くな」と命ずることそのものができなくなっている!
警部は慄然として悟った。
黒い渦が、ついに彼の意識そのものを侵しはじめたのだ。
(オレは……オレは……畜生!)
思考が続かない。
意思の力が炎天下のアイスクリームのように、グズグスと崩れていく。
(オ、オレの意思が……溶け…る!?)
そしてついに、蠢く右手は、拳銃を収めたホルスターを探し当てた!
(や……め……ろ……)
もうそれ以上は考えられない。
いったい何を「止めろ」というのか。
そもそも自分はいったい誰なのか。
…しかしそのときだった!
「シナちゃん!サンダーーアターーーーーーク!」
金切り声の絶叫とともに、警部の脳天に原子爆弾でも炸裂したような衝撃が走った!
「ぐああぁっ!」
…凄まじい頭痛とともに、岸田警部は我にかえった。
見るとシナちゃんが、右手に自分の脱いだサンダルを持って立っている。
「…な、なにをしやがった?」
涙目で頭を抑える警部に向かって、シナちゃんは、指に引っ掛けたサンダルをクルクル回しながら、近くの滑り台を指差した。
「あそこの天辺から飛び降りながら、これでゴッチーンでやったでしゅ。」
怒るより先に警部が考えたのは(…精密検査を受けた方がいいだろうな)ということだった。
「それより岸田しゃん。さっさと皆を何とかするでしゅ!」
「皆だと??」
はっとして交番前にたむろしていた野次馬や報道陣を見ると、一人残らず幽霊でも見たような顔で呆然と立ち尽くしている。
「早く助けてあげないと、みんな自殺しちゃうでしゅよ!」
「早く助けてあげないと、みんな自殺しちゃうでしゅよ!」
そう言いながら自分は身を翻したシナちゃんに、頭を押さえながら警部は叫んだ。
「おいアンタはどこに行くんだ?!」「犯人を追っかけるでしゅ!」
「ならオレも…」「警部しゃんは『見えない』人だからダメでしゅ!それより皆をなんとかするでしゅーっ。」
「しゅーーっ」というコダマだけを残し、シナちゃんは公園を駆け出していってしまった。
(しかし、なんとかしろといわれても…)途方に暮れてあたりを見回した警部の目が、ある光景の上でぴたりと止まった。
交番の中で、昨日事情聴取した若い警官が自分の短銃を抜き、銃口をじっと覗き込んでいる!
「や、やめろーーーっ!」
警部の叫びも虚しく、警官は引き金を引いた!
ガチッ!撃鉄が落ちた!しかし弾は出ない。
「あの巡査、ビビッて予め弾を抜いてやがったな。」
自殺の恐怖にかられ、短銃を弾抜きにしていた臆病な巡査に、警部は勲章でもやりたい気分になった。
しかし危険そのものが去ったわけではない。
その証拠に群集は異様な身動ぎを始めている。
(こん畜生!こうなったら最後の手段だ!)
岸田警部はホルスターから拳銃を抜き出すと「警察だあっ!」と一声叫び、それからためらうことなく空に向かって続けざまに3発撃った!
バン!バン!バン!
………三つの銃声は、呪いにかかった群集に対し魔法のような効力を表した。
一人残らず、目をパチクリさせ、キョロキョロ辺りを見回し始めたのだ。
「危ねえところだった。これでなんとか……」
警部がほっと胸を撫で下ろしたときだった。
我に返ったばかりの報道陣の一人が近くのマンションを指差して叫んだ。
「あ、危ない!」
指差す先のマンションのベランダでは、いままさにその家の主婦が手すりの上にふらふら立ち上がったところだった。
「ま、待つんだ!」
……警部にできたのは、ただ叫ぶことだけだった。
応援!!
支援
応援
おうえん
保守
362 :
名無しより愛をこめて:2009/03/26(木) 08:22:53 ID:KHjqc7hA0
3
363 :
名無しより愛をこめて:2009/03/26(木) 08:25:55 ID:KHjqc7hA0
おお、やっとまた書き込めるようになった。
他人様の巻き添えで、何度目かのアクセス禁止でした。
それでは、再開です。
事件の新たな展開について本多部長に報告したあと、岸田警部は交番の周りを歩き回りながら、「事件」の記憶を反芻していた。
報道陣と野次馬は、飛び降りのあったマンションから骸を載せた救急車が去るのを、好奇心むき出して見送っていた。
(連中は「何かが起った」ということにすら気がついていない。もし自分たちも、あの主婦と同じ目に遭うところだと気づいていたら、一目散に逃げ出したはずだ。)
(そういえば…)と捜査メモを開くと、警部は、幸運にも自殺未遂ですんだ平田巡査の証言を読み返した。
「理由なんてありません。ただ死にたくなったんです。それだけなんです。」
白いページには、平田巡査自身の手で震える文字が記されていた。
文字の震えは平田巡査の恐怖であり、そして同じ恐怖を今は警部も共有していた。
自分ももう少しで…と考えると、岸田警部の背中にも冷たいものがはしる。
(…しかし、本人にも気づかれることも無く、あたかも自分自身の意思であるかのように自殺させる。
催眠術でも神経ガスでもなく、そんなことを可能ならしめる力とはいったい何なのか?)
「それはもちろん、『霊』の力でしゅ!」
「それはもちろん、『霊』の力でしゅ!」
背後からの突然の返事に、内心(うわっ!?)と驚いて振り返ると、案の定それはシナちゃんだった。
「戻ってたのか品川さん。」
「…シナちゃんでしゅよ。」
「わかったわかった品川さん…じゃなくシナちゃん。ところで犯人とやらは捕まえられたのか?」
「残念だけど見失っちゃったでしゅ。」
シナちゃんが本当に何かを追いかけていたのか疑問に感じていたので、「見失った」と言われても警部は特段残念には思わなかったが、一応ねぎらいの言葉だけはかけてやることにした。
「お疲れ様だったな……で、どの辺りで見失った?」
「あそこの地図で教えるでしゅ。」
警部の先に立ってとっとと交番に入ると、シナちゃんは壁に張られた地図の前に立った。
「えーーっと……どこがこの交番でしゅか?」
「…ここだ。」
「しょぇ〜…ありがとさんでしゅ。で、シナちゃんは、こういう風に犯人を追っかけったんでしゅ。」
ふんふんふん♪と鼻歌まじりにシナちゃんの指は地図の上を走り出した。
シナちゃんの指が地図を辿りながら次第に駅から遠ざかってゆくと、岸田警部の顔が急に厳しくなった。
そしてシナちゃんの指が、犯人を見失ったという箇所に辿りついたとき、警部は拳でデスクを叩くと、すぐさま携帯を掴みだした。
「本多部長ですか?岸田です。………ええ、そうです。お願いします、地元の連中にすぐに洗い出させてください。警備員か何か夜勤の人間で、朝の7時半ごろ駅に戻り、この交番の前を通る可能性のあるヤツを!」
「なんで夜勤の人なんか調べるんでしゅかぁ?」
警部が携帯をきると、早速シナちゃんが質問してきた。
「シナちゃんにはワケわかんないでしゅ。」
「この交番での警官連続自殺は、4件とも早朝の7時半から7時45分までのあいだに集中していた。これはいったいどういう意味だと思う?」
警部の声は、いつもの響きを取り戻している。
「わっかんないでしゅ〜」
シナちゃんは首を捻った。
「オレは考えていたんだ。犯人はなんらかの理由で、一定の時間帯にこの交番の前を通るんじゃないかとな。」
「ひょえ〜、それでいつも同じ時間なんでしゅか。岸田しゃんやっぱりアタマいいでしゅね。」
(オマエに誉められてもな…)と思いながら、警部は説明をつづけた…。
「最初に考えていたのは時間からいって通勤か通学だ。だが、品川さん。あなたの辿って見せたコースは駅に向かうんじゃなく、逆に遠ざかって、住宅地へと向かうコースだった。
朝早くにそんなコースをとるのはどんなヤツだ?」
「それで…夜勤の人でしゅかぁ。シナちゃん大ビックリでしゅよ。ところで…」
一応感心して見せたあと、シナちゃんは直ちに逆襲に転じた。
「その夜勤の人は、どうやってオマワリしゃんたちを自殺させたんでしゅかぁ?」
「それは…まだ判らん。判らんが、相手を絞り込めれば…。」
「……なんだか随分いい加減でしゅね。さっきまでの推理とは大違いでしゅ。」
「(ええい!五月蝿い!)それじゃあ品川さんは、その方法が判ってるとでも言うのかな?」
「それはもちろん…」
「おっと待った!『霊の力』ってのは無しだぞ。それじゃ何も説明しないのと同じことだ。」
「でも…」
大きな両目のあいだに大きな縦ジワを入れながら、シナちゃんは首を捻った。
「…シナちゃん、説明はあんまり上手じゃないでしゅ。どうするでしゅかねぇ……」
縦ジワをいっそう深くして「う〜ん、う〜ん」と唸っているシナちゃんに、警部が背中を向けかけたときだった。
解決策を思いついたのか、シナちゃんの瞳がキラキラ輝きだした。
「いいこと思いついたでしゅ。シナちゃんと岸田しゃん共通のお友達に聴いてみればいいでしゅ。」
「共通の友だち?…そんなヤツがいるのか?」
「いるでしゅよ。近藤って先生でしゅ。」
警部が近藤博士の自宅兼研究所を訪ねるのは、東京でゴスラとウンコタイガーが対決した事件以来だった。
ちょうど一年前、博士のパソコンから飛び出したゴスラが、甥のヒロシを襲ったその部屋で、警部と近藤博士は向かい合っていた。
「……懐かしいですね。そうですか、彼女も二児の母に…。一の谷研究所で私が初めて彼女に会ったとき、私は新人研究員。彼女はまだ小学生でもちろん旧姓でしたよ。」
感慨深げに言うと、近藤博士は夕日に面する窓辺に立った。
「ことの発端は……彼女が幼稚園で描いた絵だったそうです。」
西日の陰りはじめた書斎で、遠い昔を回想しつつ、博士はおもむろに語り始めた。
そしてゆっくりと扉が開き始めた。
科学とオカルト、二つの世界を繋ぐ扉が。
夕日を眺め、警部には背中を向けたままで、近藤博士は語りはじめた。
「警部、想像してもらえますか?一面の菜の花畑にモンシロチョウが飛び交っている光景を。」
「な、菜の花畑にモンシロチョウ?」
「ええ、そうです。…その光景で、警部にはどんな色が見えますか?」
「なんだ、こんどは色か?!」
予想外の展開に少なからず戸惑いながらも、警部は脳裏に浮かんだ色をひとつひとつ言葉に上げていった。
「……見えるのは……まず菜の花の黄色だな。それから葉の緑にモンシロチョウのハネの白、そんなところだ。」
「私や警部も含めて、普通の人はそうでしょう。でも品川さんは違いました。」
「違った?何がどう……」
「彼女の描いた絵には、白い蝶と黒い蝶が飛んでいたんです。」
「彼女の描いた絵には、白い蝶と黒い蝶が飛んでいたんです。」
「なんだ、そりゃ単に色盲ってだけじゃ……」
何も考えずそう言いかけてから、警部はすぐに気がついた。
「…そうか!白と黒は色の明度差によるもんだ。重度の赤緑色盲だって…」
「そうです警部。彩度を間違うことはあっても、明度を間違うことなどあり得ません。」
「じゃあ何故品川さんは黒いハネの蝶を……。」
夕日を眺めながら、近藤博士は更に奇妙な事柄を尋ねかけてきた。
「ご存知ですか警部?モンシロチョウはオスとメスでハネの色が違うということを。」
「おい近藤さん。こんどは何を言い出すんだ?モンシロチョウってくらいで、ハネの色はオスもメスも…」
「白だと言いたいんでしょう?でも赤外線スコープで見ると、オスの羽は黒く見えるんです。」
「ハネが黒く?それはつまり…」
警部は、ついさっきの近藤博士の言葉に思い当たった。
『彼女の描いた絵には、白い蝶と黒い蝶が飛んでいたんです。』
「その様子だと気づかれたようですね。オスとメスのハネの色が同じに見えてしまうのは、オスのハネが我々人間には見ることのできない種類の色、紫外線の領域に属する色だからなのです。」
「…それじゃあ品川さんは…。」
近藤博士は静かに頷いた。
「品川さんには、普通の人間には『見えない領域』が見えているんです。」
「つまり紫外線が見えるってわけだな。」
「紫外線だけじゃないんですよ。研究の結果、彼女はもっと広範囲な領域を視覚化できることが判ったんです。」
わけのわからない居心地の悪さを感じながら、警部は言った。
「紫外線だけじゃないのか……」
「つまり品川さんは……より広範囲な波長の電磁波を見ることができるんです。」
「一口に電磁波といっても、波長、つまり波の間隔によって様々に分類できます。たとえば『光』。これも電磁波です。それから『電波』や『X線』も電磁波の一種です。」
「つまり…電波やX線でも、シナちゃん…品川さんには見えるってことなんだな?」
夕日を背景に、近藤博士のシルエットが頷いた。
「…様々な透視実験が彼女を対象に行われました。」
(「様々な実験」が?)
一瞬、警部の脳裏に「少女を取り囲む白衣の集団」という図が浮かび、さっき感じたの「居心地の悪さ」の正体に思い当たると同時に、シナちゃんが野次馬を評した言葉を思い出した。
「まるで痰つぼでしゅね。」
(…それであんな言い方を…)
「……そして誰も答えを知らない場合の正答率はあたりまえの成績だったのに対し、その場にいる誰か一人でも、答えを知っている場合、彼女の正答率は驚異的でした。」
「……その驚異的ってのは、どのくらいの正答率だったんだ?」
「100%ですよ。」
近藤博士はこともなげに言い放った。
「…私が立ち会ったのは、内部を見通せない二つの容器のどちらか一方に紙切れを入れ、そのどちらに紙切れが入っているかを彼女に当てさせるものでした。
どちらの箱に紙切れをいれたか?答えをその場の誰かが知っていれば、品川さんは、100%答えを的中させました。」
「テレパシー…!?」
「おそらくそういうものだったのでしょう。」
20数年前の記憶を掘り起こそうとするように、ときおり視線を虚空に彷徨わせながら、近藤博士は話を続けた。
「…先輩研究員たちは考えました。
人間の脳内電流が外部に発生させる何かを、彼女は読み取っているのではないか?」
品川さんは、紫外線やX線をも見ることができるらしい。
そこまでは警部にもついていける領域だった。
だが近藤博士の話は、そこから先、警部にとって理解できない世界へと突入していった。
「彼女が一の谷研究所に連れて来られたそもそもの理由は……、彼女には霊が見えるらしいということからだったそうです。」
「…おい近藤さん」
岸田警部は呆れたように声を上げた。
「アンタのような人の口から、まさか『霊』なんて言葉を聴こうとは…」
夕日を背にしているのでよくは見えないが、近藤博士は笑ったらしかった。
「でも警部、あなただってご存知でしょう?催眠術をかけられた少女の霊体が、肉体を滅ぼそうとしたあの事件を。」
「ああ、もちろん知っているさ。だがあの事件でも、霊体うんぬんの話は科学的には…」
「証明されていませんでした。事件に偶然関わることになった人物がそういう内容の手記を発表しただけです。」
「しかもそいつがSF作家のはしくれだったもんだから、世間はただの娯楽読み物としか受け取らなかった。」
静かに頷いて窓辺を離れると、近藤博士は部屋に灯りをともした。
薄暗くなっていた部屋に光が溢れ、勢力を伸ばしていた闇は部屋の隅へと戦略的撤退を余儀なくされた。
しかし窓の外では、闇が刻一刻と勢力を増し、家を、木を、人を、次々と飲み込み始めていた。
「警部、霊を電磁波の発現形態の一つとする考えは、70年代にまで遡るんです。
もっとも最初のうちはSFとすら言えない、単なる思いつきに過ぎませんでしたが。」
警部が、さっきよりももっと素っ頓狂な声を上げた。
「幽霊が?電磁波だって!?」
「『人の意志も脳内の電気信号に過ぎない』と認識されるに至ると、『人の意思が電気信号であるならば、条件によってはその場に記録され得るのではないか?』『そういう一定の場に記録された意思が、亡霊の正体なのではないか?』と考えるグループが現われました。」
「つまり…フロッピーディスクみたいに、人の意思がその場に記録されるってわけか?しかしオレに言わせてもらえばそんなのは…。」
近藤博士は「御伽噺だとでもおっしゃりたいのでしょう?」と言い、こんどはハッキリ声にだして笑った。
「イギリスのライオネル・バレット博士は、『思いつきの領域』を踏み出した最初の科学者です。彼は『霊』の正体が電磁波ならば、より強力な電磁波をぶつければ『悪霊』を祓うことができると考えました。」
「…な、なんだ、幽霊の次は悪霊祓いか?」
「ええ。…ただ、バレット博士は、そうした『場に記録された存在』を、『意思などとは関係ない単なる物理現象』だと考えていました。」
「…なるほど。そのバレットとかいう先生も、結局は『霊』を物理現象として捉えてたわけか。それならオレにも理解できるが…」
「でも警部、コンピューターに人間の全人格をコピーして保存しようという考えがあるのをご存知でしょう?」
「ああ、SF映画なんかで出てくるヤツだな。」
「それでは警部、『コンピューターに記録された人格』と、『場に記録された意思』とで、本質的な違いなどあるのでしょうか?」
「それは……。」
相手に、たっぷり考える時間を与えたあと、近藤博士は子供にでも相手にするように、ゆっくりと、一語一語を区切りながら、言葉を続けていった。
「人の意思は電気信号です。そして電気信号であるなら、条件によっては死後も自然界に磁気などの形で残留する可能性があります。
電磁波を見ることができる品川さんは、自然界に残留した『意思』か『意思の断片』が発する電磁波を視覚によって捉えることが出来ます。
そうなると…、品川さんが見ているものを『霊』と呼ぶか、それとも他の何かと呼ぶのかなど、単なる言葉の問題に過ぎないのではないでしょうか?」
翌日の朝から、交番前の報道陣はほぼ姿を消してしまった。
昨日の飛び降りを、なんと生中継した(生中継してしまった)放送局があったのだ。
早朝のお茶の間への「飛び降り自殺の生中継」は、中継した局ばかりでなく報道機関全体に対する土砂降りの雨のような非難を巻き起こした。
そういう現状では、「自殺が連続する交番」の報道になど、まともな報道機関は人を出せなかったのだ。
警察にとっては幸いなことに、マンションのベランダからの飛び降りと、交番での3件の自殺と1件の自殺未遂とを結びつけるマスコミは一社も無かった。
マスコミが動きをとれないというアドバンテージを最大限に活用し、刑事警察機構は猛スピードで活動を開始した。
あらゆる学校や工場などに内密の調査が入り、夜勤の警備員についての情報が掻き集められ、警備会社に対しても密かに協力要請が出された。
同時に、シナちゃんが「犯人」を見失った地点を中心に、「木造の安アパート、四畳半一間?で一人住まいしている男性」も調べ上げられた。
そして、そうした捜査の中心にいたのは岸田警部であった。
「夜勤の警備員というのは、オレにも判る。だが、この『四畳半』だの『一人住まい』だのというのは、どういう根拠だ?」
飛び降り自殺の翌々日、岸田警部が地元警察に捜査以来を出したリストを前に、本多部長の鋭いチェックが入っていた。
「それは…」
「キミのカンというやつか?」
「…いえ部長、単なるカンではありません。…ですが、どう説明すればいいのか…。」
警部は「自殺へと誘う力」に囚われているあいだ、自身が目にしたこと、いや、目にしたと思ったことを本多部長に説明しようと試みた。
だが、警部が努力すればするほど、奇怪な昨日の経験はあやふやになり、形を失って、とらえどころのないものへと変わってしまう。
要領を得ない説明を汗だくになって5分以上も続けていると、とうとう本田部長に遮られてしまった。
「つまりだ、この『四畳半』とか『一人住まい』とかいう情報は、警部の幻視した断片的光景に基づいていると、そう言いたいわけだな?」
「つまりこの情報は、警部の幻視した断片的光景に基づいていると言いたいわけだな?」
「ゲンシという言葉の正確な意味は判りませんが…おっしゃる通りだと思います。」
警部は素直に頭を下げた。
「私に、自殺を促す精神的圧力がかかってるあいだ、私は見ました。つまり…」
「洗面台のカミソリは男ものだった。横に見えた歯ブラシが一本だけで、これも男ものだったから、一人暮らしの男だ。天井のシミに壁の黴跡からみて木造家屋。最後に、天井の広さから四畳半。」
「…おっしゃるとおりです。」
本多部長はデスクの上で、巨体に似合わぬ白く細い指を優雅に組み合わせ、ギロリと警部の顔を睨みつめた。
そしてそのままたっぷり数秒……突然両肩が小刻みに震えだしたかと思うと、部長はいきなりプッと吹き出した。
「まるで品川さんみたいな話だな。」
「妙な話であることは、私も承知しております。しかし、マスコミが再び動き出す前に、本件を速やかに処理するためには、あらゆる情報を…」
わかった、わかったというように、部長は両手を上げた。
「だからこそ、品川さんを呼んだんじゃないか。だいたい、警部よりも私の方が彼女との付き合いは長いんだぞ。」
警部が頭を下げると、真顔に戻って部長はつづけた。
「品川さんは非常に優秀な助っ人捜査員だ。だが、それはキミが彼女のことを理解してあげられればという条件つきだ。」
「……あの霊感女…いや、品川さんをですか?しかし私には少々…」
部長はまたも警部の言葉を遮った。
「いや、いまのキミにならできると私は思うぞ。なぜなら…」
「…何故なら?」
「自分の体験した幻視を私に説明しようとして悪戦苦闘したキミの経験は、これまで品川さんが数え切れないほど味わってきたものだからだ。」
何か言おうと警部が口を開きかけたその瞬間、部長のデスクの電話がけたたましい叫び声を上げた。
受話器をとった部長は、二言三言短くやりとりすると、すぐにそれを警部へ渡してよこした。
「警部、キミの案件だ。条件に合う人物を絞り込めたそうだぞ。」
「名前、眞鍋幸平、年齢27歳、勤めは夜間の警備員で…」
手渡された写真にはこれといって特徴の無い…というより、特徴の無いことが特徴であるような男が写っている。
メモを読み上げる相手の声を耳にしながら、岸田警部は思っていた。
(……やっぱり、オレたち警官は犬と同じだ。何か追っかけてるときの方が元気がいい。)
メモを読み上げているのは、先日岸田警部を交番へと案内してくれた森田という警部補で、その声には、あのとき感じられなかった「自信」というものが甦っていた。
謎の連続自殺では、オカルトじみて警察としては手の出しようもない。
しかし今は、警部が放り込んだ「追うべき目標」があった。
それが森田ら地元警察官に、警察官本来の姿を取り戻させているのだ。
「…毎朝、眞鍋は7時に勤務が明け、同じ電車に乗って必ず7時40分前後に交番前を通っています。いや、驚きました…。」
森田はメモから顔を上げると、賛嘆の念を隠そうともせず岸田に言った。
「いったいどうやって、これほど正確な犯人像を掴まれたんでしょうか?いわゆるプロファイリングというやつなんでしょうか??」
(この男に、「手がかりはオレの幻視体験で得られた」と言ったらどんな顔をするだろう?)
そう考えると、可笑しいやら情けないやらで複雑な気がしたが、口に出すのは止めておいた。
「…やはり長年のカンというものなんでしょうか?」という問いに、曖昧に頷いてみせると、警部は警部補の顔から、押元マンションという築17年になる木造ボロアパートへと視線を動かした。
(…このアパートだ。幻視で目にしたのは室内だけだが、……間違いない。)
ボロアパートを眺め渡しながら、半ば独り言のように警部は口にした。
「あの東端の窓のある部屋だな。」
「えっ!?なんでそれを!!」
警部の独り言を耳にしたとたん、今度は文字通り目の玉をひん剥いて森田警部補が叫んだ。
「そうです、あの部屋です!アノ部屋だったんですよ。全てのスタート地点は!」
(やはりあの部屋か。幻視で見た窓から、あの木の枝が見えていたからな。位置からいって、他の窓からは見えないはずだ。)
岸田警部が冷静な一方、警部を見る森田警部補の目の色は、もはや人間を見るそれではない。
「いや…なんと言ったらいいのか……いやはや…」
しかし、続く森田警部補の言葉は、逆に岸田警部を驚倒させるものだったのだ。
「交番での最初の自殺がおこるちょうど3日前です。あの東端の部屋に住んでいた八幡という男が、部屋で首を吊ったんです。」
「な、なにぃ!?」
岸田警部は、鈍器で頭を殴られたようなショックを覚えた。
「あの部屋は、眞鍋という男の部屋じゃないのか?」
「眞鍋の部屋はちょうど反対側の西端、階段を上がってすぐの部屋です。」
警部は素早く西端の部屋と立ち木の位置関係を見て取った。
(そんなはずはない。西端の部屋からだとあの木は見えないはずだ。……では、オレが見た、いや、見たと思ったものはいったい何だったんだ?)
軽い眩暈を感じて、警部はわきの電柱に手をついた。
混乱の国だ。
警部がいまいるのは、確かなものは何一つ無い混乱の国だった。
ついさっきまでは、確かなものを捕まえたと思っていた。
しかしいまそれは、全く得体の知れない何かへと変わってしまった。
眞鍋という男へと辿り着けたのは、警部の「幻視」のおかげだった。
だが、警部が「幻視」したのは、実は眞鍋の部屋ではなく、八幡という男の部屋だった。
では、真犯人は眞鍋でなく八幡なのか?
だが八幡は、交番での最初の自殺より3日も前に自ら命を絶っている。
だとすると……この事件の犯人は、八幡という男の死霊なのだろうか。
「どうかされましたか?」
困惑気味に森田が尋ねてきたが、その声もどこか遠くから聞こえてくるようだ。
混迷の国での縋るべき導(しるべ)を無意識に捜し求め、警部の視線は辺りを彷徨った。
すると……
(ん!?あれはっ!)
当て所も無い、泳ぐような視線の移動が偶然捉えたのは、予想外もしていないものだった!
ボロアパート横の電柱の影から、黒い箒か絵筆のようなものが、ちょろちょろと見え隠れしているのだ。
「…そこで待っていてくれ」
森田に短く言い置くと、足音を忍ばせつつ警部は駆け出した。
そして素早く電柱に駆け寄ると、折りよく飛び出した「絵筆」を、むんずとばかりに掴まえた!
「しょ、しょえぇ!?」
「こんなトコでかくれんぼか?品川さん。」
「品川さん、相手を見失ったってのは、ありゃウソだな?!」
「ご、ごめんなさいでしゅー。」
「こっちはホシを絞り込むのに2日もかかったんだぞ。そのあいだに、また自殺事件が起ってたらどうするつもりだったんだ!?」
「そうならないように、私がこうやってへばりついてたんでしゅよ。」
「…ワケを聞かせてもらおうか。」
岸田警部は、耳を掴んでウサギをぶら下げるように、シナちゃん自慢のウサ耳をひっ掴むと近くの公園へと引っ立てていった。
「……ってことはだ、今回の事件の犯人は、やっぱりその眞鍋という男なんだな?」
「間違いないでしゅ。私、家までついてってポストの名前も、部屋の名前も見てきたでしゅ。」
適当なベンチが近所の老人に占領されていたので、警部とシナちゃんは、いまでは殆ど見られなくなった箱ブランコに向かい合って腰掛ける仕儀とあいなっていた。
「…ちゃんと『眞鍋』って書いてあったんだな?」
「書いてあったでしゅ。」
警部は森田警部補から手渡された写真をシナちゃんの鼻先に突き付けて尋ねた。
「間違いなくコイツだったか?」
シナちゃんは素直にコクリと頷いた。
警部は考えていたのだ。
今、「眞鍋」の部屋で「眞鍋」と名乗って暮らしている男は、実は「自殺した」ことになっている「八幡」という男なのではないかと。
だが、シナちゃんはその警部の推論をあっさり否定してしまった。
にわかに疲れを覚え、警部は箱ブランコの背もたれに体を預けた。
シナちゃんに見せた写真は、半年前、眞鍋が警備会社のバイト募集に応募したとき提出したものだった。
推理小説なら、半年前から「眞鍋=八幡」であったという可能性もあるだろうが、現実的には不可能だ。
…むっつりと黙り込んだ警部を見て、今度はシナちゃんが口を開いた。
「シナちゃんは…自縛霊みたいなもんじゃないかなって、思ってるんでしゅ。八幡って人の霊が、眞鍋さんにとり憑いてるんじゃないかなって。」
「シナちゃんは思ってるんでしゅ。八幡って人の霊が、眞鍋さんにとり憑いてるんじゃないかなって。」
「なんだ、八幡という男の自殺の件も知ってるんだな。」
「2日間ブラブラしてたわけじゃないでしゅよ。」
「なるほど…だがな、オマエの説には大きな穴があるぞ。そもそも自縛霊ってのは、自分が自殺したやり方を繰り返すんじゃねえのか?」
「よく知ってるでしゅね。」
「ネットで調べた。」
ぶっきらぼうに言った後、小さな声で警部は言い足した。
「近藤さんも霊がどうとか…」
「…近藤博士と会ってくれたんでしゅね。」
シナちゃんの表情が、ぱっと明るくなった。
「ああ、会って話も聞いてきたぜ。近藤さんの話だと、霊は電磁記録みたいなもんだっていう仮説があるそうだな。
もしその説が正しいとすればだ、記録されている以外のやり方での自殺はやらないはずだろ?違うか?!」
「もの凄っく強力な意思の持主が、自分の考え方丸ごとを場所に刻んじゃえば、生きてる人と変わんない複雑な霊が生まれるかもしんないでしゅよ。でも……」
自説を批判されているにもかかわらず、シナちゃんの声はどこか明るく弾んでいた。
「……私が『見た』霊は、もっとずっと『後ろ向き』な感じだったでしゅ。だいたい意思の強い人は、自殺なんてしないでしゅよ。」
「それじゃ八幡の自縛霊って説は無し…」
「でも私、死霊だなんて言ってないでしゅ。」
「シリョウじゃない?でも、霊ってのは…」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、シナちゃんは言った。
「私が見たのは生きてる人の霊、生霊だったんでしゅ。」
「ちょっと待ったぁ!!」
岸田警部が、武蔵坊弁慶のように、シナちゃんの顔の前に掌を突き出して叫んだ。
「いまアンタは『生霊』って言ったな?『生霊』ってのは生きてる人の霊ってことだろ?!」
「そうでしゅ。死んだ人のだったら死霊って言うでしゅ。」
「だが、さっきアンタも言ったとおり、八幡とかいう男は首吊って死んでるんだぞ……って、まさか!?」
警部の顔色が変わった。
「…まさかオマエ、八幡がまだ生きてると!?」
それはさっきまで警部が考えていた可能性と近似した考えだ。
「そこまでは私、考えてないでしゅ。でも…」
「…でも、なんだ?早く言え!」
「死霊はファミコンやなんかみたいに、わりとワンパターンなんでしゅ。だから私が見てても、どこか映画の登場人物とか、ファミコンの登場キャラみたいなんでしゅ。」
「だが、オマエの見た霊は、そうじゃなかったってわけか。」
シナちゃんは警部の目を見つめながらハッキリと首を縦にふった。
「私に見えた霊は、強くなったり弱くなったりしながら、ずっと変わり続けてたでしゅ。あれは絶対生きてる人の霊に違いないでしゅ。」
「よし!行こう!」
箱ブランコの中で警部はいきなり立ち上がった。
「行くって何処にでしゅか?」
「まずは所轄の警察署だ!八幡の検死記録を確認する!」
「八幡秀介……26才、フリーターか。」
眞鍋の住むアパートの監視を森田警部補に任せ、岸田警部はシナちゃんとともに地元警察の本署を訪ねて検死記録を閲覧していた。
「眞鍋しゃんと年が近いでしゅね。」
うむと頷くと、警部は案内してくれた所轄警察署の係員に尋ねた。
「本人確認は?」
「え?本人確認ですか?」
意外そうに、係員は答えた。
身元不明の遺体ならいざしらず、自分の部屋で首を吊っていたとあっては、本人確認に特段の疑義があるはずもなく、とおりいっぺんの調査で終わっている可能性が高い。
(…ならば、死んでいたのは実は八幡でなく、眞鍋であった可能性が残る。)
岸田警部の読みは、その一点にかかっていた。
警部は重ねて尋ねた。
「身元確認は誰がやった?郷里の両親でも呼んだのか??」
「係累は一人もいないということだったので、罹りつけの医師に依頼しました。」
「医師か…」
警部は内心の落胆を隠せなかった。
医師による人物確認はカルテ等に基づいて為されるため、親族によるそれよりも一般に信頼性が高い。
(これで八幡生存説は消えたか…)
そっと唇を噛みながら、警部はシナちゃん顔を盗み見た。
八幡の生存が否定されれば、シナちゃんの生霊説も否定される。
自分と同じく、いや自分以上に落胆しているに違いないと思ったからなのだが…。
「…おい、品川さんどうかしたのか?……おい?」
シナちゃんは、岸田警部の声も全く耳に入らぬ様子で、呆然と警察署の係員の顔を見つめていた。
「どうしたんだ品川さん!シナちゃん!!」
係員の顔に、別段の点があるわけでもない。
しかし、シナちゃんの視線は彼の顔に釘付けになっている。
「こりゃいったい………そ、そうか!」
不意に警部は気がついた。
シナちゃんは警察署の係員の顔を見ているわけではない。
近藤博士は言っていたではないか。
「品川さんは人の心が見える」と。
(つまり彼女が見つめているのは、「この係員が考えた何か」なんだ。)
(それじゃあ…ついさっきこの男が考えたことってのは?)
『身元確認は誰がやった?郷里の両親でも呼んだのか?』
『罹りつけの医師に依頼しました。』
(そ、そうか!……わかったぞ!)
「高梨靖男……ええ、知っていますよ。かつて品川さんを研究していたグループの中心人物です。」
岸田警部はシナちゃんを伴い警察署を後にしたその足で、近藤博士の自宅を再び訪ねていた。
「ホントに、ホントにびっくりしちゃったでしゅ。あのオマワリさんの顔に、見覚えのある顔がダブッて見えたんでしゅ。」
興奮気味のシナちゃんに代わって、岸田警部が説明を引き受けた。
「自殺した八幡の『掛かりつけの医師』ってのが、その高梨ってヤツだった。
オレたちの応対やった警官が、たまたま顔を合わせてたもんだから顔を思い出して…」
「それをシナちゃんが見たと……ええ、あり得る話です。あの人の目線は独特でしたから。」
近藤博士はゆっくり頷いた。
「まるで相手に催眠術をかけるような、そんな目をしていましたからね。」
「…それで、だ。」
警部は、近藤博士に向かってぐいっと身を乗り出した。
「品川さんにも聞いてみたんだが、いまいち要領を得なくって判んねえんだ。
教えてくれ。その高梨とかいうヤツは、一の谷研究所でいったい何を研究していたんだ?」
「教えてくれ近藤さん。その高梨とかいうヤツは、一の谷研究所でいったい何を研究していたんだ?」
「……それが警部の扱われている事件と関係が?」
警部は、前回の訪問時には伏せておいた「警察官連続自殺事件」を近藤博士に打ち明けた。
「 本人確認に立ち会った警官に話によると、その高梨という医者は、向こうからコンタクトをとってきたんだそうだ。
でも妙じゃないか?たいていの場合、コンタクトをとるのはオレたち警察の側だ。守秘義務もあるから、医者の側からコンタクトをとってくることはあまりない。
だが、この高梨って医者は、自分からコンタクトをとったばかりか、八幡についての一通りの情報も提供してくれて、人物確認にも立ち会った。」
一気にそこまで言ってから言葉をいったん切り、口調を改めて警部は言葉を続けた。
「この高梨ってヤツと八幡、それから眞鍋、この三人には何か繋がりがある。そう告げてるんだ、オレの警察官としてのカンがな。」
何かを振り払うようにニ三度頭をヨコに振ってから、ゆっくりと近藤博士は答えた。
「…人の垣根を取り払う実験。人々が本当に一つになるための実験だと、むかしあの人は言っていました。」
言葉づらでは、近藤博士の言葉は人類の夢を語っているようだった。
しかし、博士の顔はというと、警部には悪夢から目覚めたばかりの子供のように歪んで見えた。
隣でシナちゃんがギュッと身を縮めたのが感じられた。
たっぷり数秒以上の沈黙のあと、ようやく近藤博士は再び口を開いた。
「シンクロニシティ。それが高梨さんの研究テーマでした。」
「シンクロ……水泳か?」と警部。
「そう言うと思ったでしゅ。」シナちゃんがすかさず突っ込んだ。
「…全く的外れというわけでもないですよ、警部。」
「なぐさめてもらわんでもいい」とソッポを向いた岸田警部の背中に向かって、近藤博士は言葉を続けた。
「シンクロニシティ、共時性とか同時性という意味です。いわゆる『偶然の一致』というものの背後に存在する『ある作用』を考える説です。」
「ある作用?」岸田警部が振り返った。「『ある作用』っのはいったい何なんだ?」
「提唱者のユングによると集合的無意識ということになっています。」
「ユングか。それじゃシンクロ…なんたらは、心理学の概念なんだな。」
近藤博士は首を縦にふった。
「シンクロニシティは考えとしては面白いのですが、科学的に検証することは不可能です。そこで、学者によっては都市伝説みたいな言い方をする人もいるのですが…。」
「…都市伝説みたいな?」
どこかで聞いたような言い回しだと思った次の瞬間、岸田警部は歓声をあげていた!
「そうか読めたぞ。そのシンクロニシティ説が、このあいだ教えてもらった幽霊電磁波説とクロスするわけだな!」
「ご名答です。警部。」
近藤博士が頷き、シナちゃんは手をたたいた。
「高梨さんは、集合的無意識の正体を、人間相互の脳を結びつける『電磁波のネットワーク』だとの仮説を立てていました。」
「つまり…コンピューターを使わないインターネットみたいなものか。」
しかしシナちゃんは、違う違うと首を横に振った。
「例えば、誰かのことを好きだって伝えるとき、インターネットだと「好きです」って文字で伝えるでしゅよね。でも電磁波ネットワークを使えば、「好き」っていう感情をじかに相手に送れちゃったりするんでしゅ。」
「つまり、高梨さんの考えていたのは、インターネットと脳インターフェイスが一体化したものだったんですよ。」
岸田警部が耳にした限りでは、高梨という男の理論は夢の世界としか思えなかった。
それを話すとき、何故、近藤博士の口が重くなるのか、まだ警部には理解できなかった。
「感情を、生の感情のままで伝えられるってのは……そりゃ凄いな。」
警部は驚きを隠すことが出来なかった。
「その電磁波ネットの中じゃ、誰もウソをつけないし、ウソを疑う必要もないわけだ。」
「個人の問題に限りません。民族や宗教・国家間の猜疑や誤解も消滅し、人類は究極の相互理解に達することができる…。そう高梨さんは考えていたんです。」
「そうなると……オレたち警察官は一人残らず失業だな。」
岸田警部が笑うと、つられたように近藤博士も笑った。
だがシナちゃんは笑わなかったし、よく見ると近藤博士の笑いもどこか引き攣ったところのある笑いだった。
やがて潮が引くように笑いが消え失せると、静かな声で博士は言った。
「…ご心配なく警部。失業なんてしませんよ。だって、25年前の最後の実験でこの世に出現したのは、相互理解の理想郷なんかじゃない。地獄の扉だったんです。」
389 :
A級戦犯/「シンクロ」:2009/04/07(火) 17:29:06 ID:dkqKkIxR0
「地獄の扉たぁ…」警部はそっと眉をひそめてた。
「…あんまり穏やかじゃねえな。いくらなんでも大げさ過ぎゃしねえか。」
「それが…全然大げさなんじゃないんでしゅ。だって……私、それから近藤博士も、その場にいたんでしゅ。」
「岸田警部。品川さんは、そのとき集められた4人の被験者の一人として、私は研究所のスタッフの一人として、あの最後の実験に参加していたんです。」
「…実験!?」
一種の人体実験が行われたのだと警部は理解した。
「高梨さんの装置は、インターネットで言うところのプロバイダーの役目を果たすものでした。人の微弱な脳波を受診・増幅し、他の参加者に伝達するわけです。それによって…」
「4人の被験者の間に、シンクロニシティのネットワークが発生する……そうだな?」
「『シンクロニシティでは長すぎる』と言って、高梨さんは短く略していましたよ。『シンクロ』と。」
「実験の舞台は人里離れた箱根の山荘。高梨さんが装置を稼動させたのは、もう真夜中も近い11時40分過ぎのことでした。
なんでも今ではすっかり忘れられてしまった歌手が建てたものだとかで、地下にはレコーディングルームが設えられており、そこが実験場として選定された理由だったのです。」
部屋の中央に据えつけられた高梨の「装置」を囲むように、星形に5人の男女が座っている。
そのうちの一人はシナちゃんだ。
そしてさらにそのグルリを囲むように、数名の白衣の一団が立っていた。
「…この時刻、この場所なら、シンクロへの、被験者以外の、人間の影響を、ほぼ完全に、排除できるだろう。」
「…でも高梨さん。」
「なんだね近藤くん。」
「外部の人間の影響は排除できても、私たち研究スタッフによる影響は…」
高梨の人を見透かすような視線が、新人研究員の近藤に注がれた。
「我々の、思考の、影響は、あそこに入ることで、遮断する。」
高梨はガラスの向こうの調整室を指差した。
「あの部屋には、厳重な、電磁波シールドが、施してある。」
新人ごときからの質問の受付はこれで締め切りだ、と言うように、高梨は近藤に背を向けると、他の白衣のメンバーに宣言した。
「それでは、実験を開始、する。」
「高梨さんを先頭に、私たちは調整室に入っていきました。
狭いドアを抜けるときふと振り返ると、品川さんと目が合いました。
なんて悲しそうな色をしているのだろうと、そう思ったことを、いまでもハッキリ覚えています。」
モニターを前にした白衣のスタッフたちから、次々機械的な声があがった。
「被験者A、脈拍、体温、血圧ともに正常。」
「被験者B、脈拍、体温、血圧、すべて正常です。」
「被験者C、同じです。変りません。」
「被験者D、変化ありません。」
「ヒロエちゃんにも変化は…」
近藤がそう報告しかけたとたん、それまで満足げに報告を受けていた高梨から、叱責の言葉が飛んだ。
「近藤くん!被験者への、感情移入は、慎みたまえ。」
「は、はい。…しかし高梨さん、彼女はまだ…」
「モルモットが、男であろうと、女であろうと、子供であろうと、大人であろうと、関係ない。」
近藤は、初めて「被験者E」の悲しい瞳のわけを知った。
(まだほんの少女なのに、彼女は「人」じゃあない。ここでの彼女は「モルモット」なんだ。)
「…では、報告を、やり直し、たまえ。」
調整室のガラスに向き直った高梨の背中に向かって、近藤は「装置」が送ってよこすデータを読み上げた。
「…被験者E、脈拍、体温、血圧ともに………」
言葉に詰まった近藤に向かって、高梨の苛立たしげな声が飛んだ。
「…どうしたのかね。」
「はい…脈拍数が微妙に上がったのですが………もう元に戻りました。」
「脈拍数が、上がった?被験者Eの?」
高梨は気持ちガラスに顔を近づけ、しばし考えこんでから独り言のように言った。
「……被験者Eは、我々には、見えない領域の、電磁波を、視覚化することができる。あるいは、ここでの、我々の、やりとりを、ガラス越しに、『見た』のかもしれない。」
高梨は、被験者Eの観察要員を、近藤とは別のスタッフに交代させた。
「被験者Eのデーターに、何らかの変化が、現われたなら、直ちに報告しなさい。」
席を立ちながら、レコーディングルームの中に視線をやると、「被験者E」は顔を調整室とは反対側に向けていた。
「最初の異変は、『装置』を稼動させてからちょうど5分後のことでした。」
「高梨さん」
スタッフの一人が首を捻りながら言った。
「被験者Cの体温が上昇しています。」
「被験者Cの?…たしか被験者Cは…。」
「もともと低体温気味で、通常体温は36度そこそこです。それが今は36.8度にまで上がっています。」
「…脈拍と、血圧は?」
「妙なことですが、そっちは全く変わりありません。」
「脈拍も血圧も、上がらないで、体温だけが、上がったのか?」
そのとき、今度は別のスタッフがおずおずと手を上げた。
「あの…いまの被験者Cとどういう関係があるのか判りませんが…」
「何か、あったのかね?さっさと、言いたまえ。」
「被験者Aの体温と血圧が…」
「上がったのかな?」
被験者Aは高血圧で赤ら顔の男性で、体温も高目を維持していつも汗をかいていた。
降圧剤の処方もされており、その彼の血圧が上がり始めるようであれば、実験中止も考えねばならない。
だがスタッフの報告は、高梨の憂慮とは全くの逆さまであった。
「いえ、下がっています。」
「なんだと?もういっぺん、言いなさい!」
「被験者Aの血圧と体温が、下がっているんです。」
「下がって、いるだと……まさか?……被験者B、D、Eの、脈拍・血圧・体温に変化は、無いか?些細なものでも、かまわない。委細報告、しなさい。」
「被験者B、D、Eの、脈拍・血圧・体温に変化は、無いか?些細なものでも、かまわない。委細報告、しなさい。」
高梨の指示で全員が数値を読み上げると、被験者AとCほどハッキリとではなかったが、被験者BとDにも変化の兆しが現われていた。
そして脈拍や血圧以上に奇妙な兆候を見せていたのは、脳波モニターだった。
「これはいったい!?」
「被験者5人とも、激しく乱高下していますね。どういうことでしょうか?」
困惑するスタッフに向かって、高梨は命じた。
「…5人の脳波を、かさね合わせ、平均化して、表示しなさい。」
「は、はい。わかりました。やってみます。」
青い「被験者A」の脳波データの上に、赤で「被験者B」のデータが表示された。
被験者Cは緑、Dはオレンジ、そして最後に白のラインが重ねられ、モニター画面は5色のラインで埋め尽くされた。
「平均化します。」
脳波モニターのスタッフの指がキーボードの上を蜘蛛のように這い、そしてカチッとエンターキーを押す音が聞こえた。
「おおっ!?」
白衣の一団がどよめいた。
コンピューターのディスプレイに表示されたものは……。
「それがシンクロ…つまり同調化です。」
両手で顔を覆いながら、近藤博士は言った。
「高梨さんの『装置』によって、シンクロニシティのネットワークが発生したのです。
シンクロニシティを発生させる『集合的無意識』が、ネットワークの中に顕在したとき、
個人の意識を超えたソレは、個人の意思と肉体に対し統合支配を及ぼしたのです。」
「統合的支配?それはつまり…」
岸田警部は、彼の意思を奪い、自殺に追い込もうとした「力」を思い出した。
「警部は意思の力が人並み外れて強いのでしょう。ソレに対抗することが出来ました。しかし、ソレの恐ろしさは、自殺を強いるなんてレベルに留まるものではないのです。」
「ソレの恐ろしさとはどういう意味だ」と言おうとして警部は口を開きかけたが、近藤博士の目に宿ったある「色」が、言葉を警部の口へと押し戻した。
それは犯罪の被害者となった幼児の目の中にしばしば見られる「色」。
抗いがたい絶対的な暴力に対する、絶望的な恐怖だ。
「恐ろしいのは…」
顔を覆った近藤博士の両手に力が入った。
「恐ろしいのは同調化の及ぶ範囲が、連鎖的に拡大することです。」
「連鎖的に拡大するとは?」
「周囲に存在する『電磁的記録の断片』まで大渦巻きのように統合していくのですよ。」
「今言った『電磁的記録の断片』というのはつまり…」
「周囲に存在する死者の意識、つまり一般に『霊』と呼ばれるものです。」
近藤博士の肩が細かく震えている。
「ひとたび発生したシンクロニシティのネットワークは、生者と死者とを問わず、あらゆる意識を統合しながら、連鎖反応的に拡大していくものなんです。」
怪獣の出てこないお話「シンクロ」
まずは25年前の実験。
次に現在の高梨の実験。
続いて高梨の背後に潜む者。
そしてエンディング。
目的は「人の心に潜む闇」と「組織の内部に潜む闇」の両方を描くこと。
上手くいけたらいいのですが。
では、よい週末を。
「被験者B!同調しました!」
「被験者A!脈拍・体温・血圧ともにまもなく完全に同調します!」
「被験者Cは…!!」
そのとき、真っ暗な窓の外でバリバリという轟音とともに閃光が弾けた!
「うろたえては、いけません!」
高梨の声に白衣のスタッフ一同が形ばかりの落ち着きを取り戻したところを見計らって、近藤が静かに手をあげた。
「あるいはシンクロが原因で、騒霊が発生しているんじゃないでしょうか?高梨さん?」
騒霊とはドイツ語「ポルターガイスト」の和訳で、物体がひとりでに動いたり、原因不明の音の発生や家屋の震動といった現象全般を指す言葉だ。
「まさか!ポルターガイスト現象であれほど巨大な落雷など…」
先輩スタッフの一人が、主任研究員である高梨の顔色を伺いながら近藤の発言を頭ごなしに否定しようとした。
だが、近藤の再反論は先輩スタッフの「後の先」をとる早さだった。
「騒霊、ポルターガイスト現象の原因はたいていの場合一人の人間です。しかし今夜成立したシンクロは5人の人間によるものなので、エネルギーは5倍。ですからさっきの落雷など、ボクはむしろ小さい方だと思います。」
「な、なにを生意気な…」
後輩に真正面から論駁された先輩スタッフが、顔を真っ赤にして再々反論しようとしたときだった。
高梨がいつもの独特のリズムで声を上げた。
「近藤君、おそらく、キミが正しい。あの落雷は、シンクロに、起因する、ものだろう。」
モニターを睨んでいたスタッフが、まるで合いの手を挟むように言った。
「被験者A、脈拍・体温・血圧とも完全に同調しました!」
しかし、報告の声など少しも耳に入らなかったように、高梨は言葉を続けた。
「この、実験場の、外で、落雷が、発生したと、いうことは……」
「ひ、被験者C!!」
別のスタッフが殆ど悲鳴のような声を上げた。
「…間もなく!間もなく完全に!」
「シンクロの、発生領域が、建物外にまで、……及んでいると、いうことだ。」
「心拍!血圧!体温!全て完全に、シンクロしました!!」
「彼が叫んだ次の瞬間。全てのモニターが白い閃光を放って爆発しました。」
支援
ほしゅ
終了
400 :
ケロロ:2009/05/20(水) 13:20:23 ID:21sX0WxH0
保守及び支援
今日は給料日
402 :
名無しより愛をこめて:2009/06/01(月) 09:43:13 ID:nE17AuDU0
保守
403 :
ケロ:2009/06/08(月) 10:50:37 ID:5FJzGLu10
保守及び支援
書けないかな?
やっと規制が終わったか(苦笑)。
一本投下終了するあいだに二度の規制は初めてです。
いや、まいりました。
では、再開です。
ポムッ!という乾いた音に「うああああ!」という悲鳴が続いた。
白い光を放ってモニターが爆発し、スタッフの顔面にガラスの雨を叩きつけたのだ。
「目が!目がぁ!」
近藤の足元でのたうち回る男の顔は既に真っ赤に染まっており、真紅の海のなか、ときおりキラッと煌くのは突き刺さったガラスの破片だ!
「目がぁ!?おれの目がぁ!?」
「触っちゃだめです!却ってガラスを深く食い込ませるだけですから!」
それ以上状態を悪化させないよう相手の手を押さえつけながら、近藤は室内を見回し叫んだ。
「早く救急車を!」
「だめだ。電話は通じてない!」
運よくモニターの前にいなかった先輩スタッフが怒鳴り返した。
彼も、白衣を切り裂かれ指先や耳、顎の先端といったところから真っ赤な雫を滴らせている。
「この家は3年以上も空き家だった。電話なんてとっくに止められてるんだよ!」
「ならボクが…」
助けを呼びに行こうと調整室のドアに駆け寄った近藤の肩に、血まみれの手がかかった。
「バカ!出るんじゃない!あれを見ろ!!」
近藤らのいる調整室は、また照明が生きていたが、先輩スタッフの指さすガラスの向こう側は、全くの闇の中だった。
その闇の中で「何か」が……いや、「何か」というより、「闇そのもの」が、濃淡をもってネットリと流動していた。
ガラスのこちら側に付け入る隙を捜し求めるように、ガラスの向こうで何かが行きつ戻りつしているのが感じられた。
「ガラスの向こうは、シンクロの震源地だ。どうなっても知らんぞ。」
「でもいったい何故なんだ!?」
別のスタッフが、見まみれの顔で叫んだ。
「この部屋には厳重な電磁波シールドを施したはず。それなのになぜ、この部屋の中でこんな現象が!?」
「そんなことより早く救急車を!」
たいして広くもない調整室の中、悲鳴や叫び声が交錯する。
そのとき、静かに高梨が立ち上がった。
「やむを、えません。…『装置』を、止めなさい。」
「わ、わかりました」
リーダーからの指示を待っていたかのように、スタッフの一人が「装置」の操作パネルに飛びついた。
だが……
突然のバリバリという音とともに、悲鳴一つ上げぬまま彼の体は宙を舞った!
バンッ!
体が壁に叩きつけられる音!
そしてごふっ!と空気が漏れる音が同時にきて、「その直前まで人間だったもの」は壁に黒ずんだ染みを残し床へと落ちた。
高梨がカッと目を見開いた。
「シ、シンクロを、止めさせない、つもりなのか!?」
するとその声に応答するかのように、家が小刻みに震動し始めた。
ビリビリという感じの短周期の震動は、瞬くうちにユサユサという長周期の震動に変わり、天井や床からギシッ・ミシッという嫌な軋み音が上がり、ギシギシと長い亀裂が壁を這う!
もう立っている者は誰一人いない!
あるいは倒れ、あるいは床に這うスタッフたちのその上に、各種の機器が次々倒れこむ。
ガタン!グギッ!…つづいて鈍い呻き声!
そして突然、生きていないはずの黒電話がリリリリリンと鳴った。
「死んだ電話が鳴りだすのと同時に、それまで家を襲っていた震動がピタリと止みました。まるで電話に出るのを促しているかのようでした。」
りりりりりりん…りりりりりりん…りりりりりりん…
死んだ電話の呼び出し音は続く。
しかし誰も受話器をとろうとはしない。
不用意に操作パネルに近寄って死んだ同僚の姿が目に新しいからだ。
りりりりりりん…りりりりりりん…
血まみれの白衣の男たちが凝視するなか、うっすら埃を被った黒電話はひたすら鳴り続ける。
りりりりりりん…りりりりりりん…りりりり
「もしもし!?」
他の者たちに止めるいとまも与えず、受話器をとったのは近藤だった。
「…もしもし?………なんだって?…聞こえない!聞こえないよ!もしもし!?」
ひとしきり受話器に向かって怒鳴ったあと、近藤は静かに電話を切った。
「なにか聞こえるような気がするんですが…聞き取れませんでした」
近藤は調整室と向こう側を隔てるガラスのすぐそばまで行くと、闇の向こうを透かし見ようとした。
コールタールを流しこんだような密度感のある闇の中、5人の被験者が物言わぬまま横たわっているのが微かに見える。
そしてシンクロの猛威から彼らを守るものは何一つ無い。
(くそっ…なんとか、なんとかできないのか?彼女たちを助けてやることは…)
そして、右手でガラスに触れたとき…。
(…え!?なんだって!?)
同時に背後でまた電話が鳴った!
りりりりりりん!
「…私が出ます」
近くの者が電話に手を伸ばす。振り返って近藤は叫んだ!
「ダメだ!出ちゃいけ…。」
だが、近藤が「出ちゃいけない!」と言い終えるより早く、男は受話器を耳に当てた。
その瞬間、受話器から耳を劈くような悲鳴が迸った!
まず受話器を当てた方の耳から、続いて反対側の耳からも、赤い液体が噴出した。
「ぎああああああああああああ…」
「…おおおおおおおおおおおぁぁぁ!?」
受話器からの悲鳴に男の悲鳴が重なり不快極まりないハーモニーを奏でた。
男の両目が裏返り、指や足のつま先にいたる全身が激しく痙攣するが、頭だけは両耳に鉄串でも通されたように、ひとつの場所に釘付けのまま動かない!
そして受話器から噴出す悲鳴の奔流が、見えないドリルのように耳を抉る!脳を抉る!
もう両耳から何も出てこなくなり完全に骸と化したあと、更に10数秒以上弄ばれてから、男の体はドサリと落ちた。
シンクロの意図するところは、もう明らかだった。
「そのとき…」
何度も何度も両手の指の組み方を変えながら、近藤博士は言葉を選びつつ、話を続けていった。
その横で品川さんは、じっと俯いたまま何も語ろうとはしない。
「…全員が確信しました。シンクロの意図するところは、我々全員の死であるのだと。
そして、そうしているあいだにも、シンクロは周囲の『力』を吸収し、ますます勢いを増しているのです。もう、私に残された時間は殆どありませんでした。」
岸田警部は、近藤博士の言葉と、品川さんの無言とから、心の中に「ある絵」を描き始めていた。
再び震動が始まった。
さっきのは横揺れだったが、今度のは直下型の縦揺れだ。
(この調整室ごと捻りつぶす気だな!)
近藤に迷いや疑いは無かった。
ついさっきガラスに触れた指先を通して訪れた「ある直感」に全てを賭ける!
重さ数キロはあるディスプレイが設置されたデスクの上で飛び跳ね、天井にはめ込まれた石膏パネルが落下する中、近藤はガラスの向こうに続くドアへと突進した。
もう誰も彼を止めるものはいない。…というより止められる状況にある者は一人もいない。
壁や備品にぶつかり、肩に何か重いものが落ちかかってくる。
生き残っていた照明がオレンジの火花を吐きかける。
しかし、揺れに足をとられ、膝をつき、ときに四つん這いになりながらも、近藤は僅か数メートルの距離を命懸けで突破すると、調整室のドアを一気に押し開けた。
外に一歩踏み出したとたん、濡れ手ぬぐいを顔に貼り付けられたように息がつまった。
たちまち影が次々襲い掛かり、大小の手が掴みかかってきた。
見えない爪が引っ掻き、顔を掻き毟る。
あとにしてきた調整室から女のようなか細い悲鳴がいくつも聞こえ、思わず総毛立った。
近藤は自分が、子供のような無垢な憎悪の真っ只中にいるのを感じた。
(悪霊!?)
一瞬脳裏を掠めた恐怖を必死に追い払うと、近藤は暗闇に目を凝らした。
高梨の「装置」は輪になって寝かされた5人の被験者の中央にあったはずだ。
本体のスイッチを切るか?それともコンセントを引き抜くか?
(方法はどうでもいい。とにかく止めなければ!)
…たとえ命と引き換えても。
体に纏わり付く「目に見えない何か」を引きずりながら前進すると、いっぱいに伸ばした左手の指先が冷たい金属のフレームに触った。
(被験者たちを寝かせた簡易寝台だ!「装置」はすぐそこだ)
左手で簡易寝台のフレームを掴んで前進する助けにすると、今度は右手が別の簡易寝台の床板に触った。
荷台の簡易寝台の間にぐいっと体を押し込むと、闇の向こうに四角い灰色の箱がぼんやり浮かび上がった。
「やった!見つけたぞ!」
近藤が「装置」に向かって右手を伸ばしたそのとき。
彼の左手を誰かが掴んだ。
血肉を供えた生身の手が、近藤の手を。
引きずり戻されながら振り返ると、被験者Bが何時の間にか身を起こし、近藤の腕を掴んでいた。カッと見開かれた目は、吊り上げられてから時間の経った魚のようなドロリとした鈍い光を湛えている。
予期せぬ展開に、驚く近藤の一瞬のスキをついて、被験者Bは近藤の手首を更に手繰り寄せると、黄色く染まった歯で噛みついた!
「うああっ!」
吹き出る血!
ただし血を流しているのは手首ではない。拳だ。
手首の動脈を噛み切られていたらそれでお終いだったに違いない。
とっさの機転で近藤は、手首に噛みつこうとする相手の口に、硬めた拳を自分から突っ込んだのだ!
力任せに被験者Bを振りほどくと、再び近藤は高梨の「装置」へと向き直ろうとした。
だが、彼の横合いから、被験者Cが飛び掛った!
さらには前から、白い泡を吹きつつ被験者Aが迫り、更にその向こうでは被験者Dが獣のような素早さで起き上がるのが見えた!
「装置」までの距離はあと1メートルも無かったが、近藤にとってのそれは「無限」と同義だった。
4人の被験者が憎悪の唸りを上げていっせいに襲い掛かってくる。
(くそっ!ここまでなのか!?)
だが、最後と思えたその瞬間。
実験室の窓の外で、凄まじい轟音とともに真っ白い閃光が炸裂した!
「…落雷でした。」
それまで何度も組みかえられていた近藤の指の動きは、ぴたっと止まっていた。
「山荘のすぐそばに、猛烈な落雷があったのです。それが、山荘に設置されたあらゆる電気設備を破壊したのです。私たちが持ち込んだ発電機やコンピューター、そして高梨さんの「装置」も…」
長い長いため息を一つ吐き出したあと、近藤はやっと顔を上げた。
「ショックで私は気を失い…意識を取り戻したとき、シンクロはもう消えてしまっていました。私は助かったんです」
一夜のあいだに、5人が命を落とした。
それ以外にも、失明を含む二度と身体の機能を回復できないほどの傷を負った者が7人。
5人の被験者に死者はでなかった。
だが、そのほぼ全員が実験後酷い悪夢による睡眠障害に苦しむこととなり、6年のあいだに2人が自殺を遂げ、1人が今も精神科への入退院を繰り返しているという…。
「警察の捜査では、実験中の落雷による事故ということになりました」
「んぁ?!落雷による事故だとぉ!?」
岸田警部は椅子の上で仰け反った。
「5人もホトケさんが出たってのに、落雷による事故ってのか?それじゃお咎めも?」
「責任は誰一人問われませんでした。ただ、高梨さんは一の谷研究所を去ることになりましたが。私の知る限り、それがあの夜の事件でとられた唯一の責任だったと思います」
岸田警部と品川さんは、近藤博士宅を辞したのち、森田警部補の待つ眞鍋のアパートへと車を走らせていた。
「まちがいなく今度の事件でも、25年前の箱根の実験同様、高梨が関係している。」
「でも…変でしゅね?」
窓の外を漫然と眺めながら、独り言のように品川さんは言った。
「あの『装置』はどこにあるんでしゅか?」
25年前の実験で、謎の『装置』を使い高梨はシンクロを発生させた。
「装置がどっこにも見当たらないでしゅ。それとも、私たちの知らないところに「装置」があるんでしゅかねぇ…」
前を見つめたまま、低い声で警部は答えた。
「…装置は……ある。」
「しょえ?岸田しゃんは『装置』がどこにあるのか気がついてるんでしゅか?」
「近藤さんが言ってたろ。シンクロってのは、インターネットと脳インターフェイスが一体化したみたいなもんだってな。」
そしてそれきり警部は黙りこんだ。
インターネット…
……脳インターフェイス
そして…
(25年前、箱根の事件で刑事責任を問われた者は一人もいなかった。そして、事件のあと一の谷研究所を追われた高梨には、研究を継続するための資金も機会もなかったはずだ。それなのに…)
警部の頭のなかで、近藤博士とのやり取りが甦る。
「その電磁波ネットの中じゃ、誰もウソをつけないし、ウソを疑う必要もないわけだ。」
「個人の問題に限りません。民族や宗教・国家間の猜疑や誤解も消滅し、人類は究極の相互理解に達することができる…。そう高梨さんは考えていたんです。」
(…だとしたら…)
警部は自分の進む先に広がり始めた闇の存在を感じはじめていた。
(今回の事件で高梨の後ろにいるのは……)
次の角を左に折れれば、眞鍋の住むボロアパートが視界に入ってくる。
留守番に残してきた森田警部補は、まだ手前の公園のベンチに座っていた。
(……随分待たせちまったな。)
まずは一言侘びをせねばと、警部が思ったそのときである。
ベンチの男がゆっくりと立ち上がり振り返った。
森田ではない。
全然別の男だった。
「………品川さん。悪いがこの車の中で待っていてくれ。」
「お留守番でしゅか?」
「ああ、そうだ。それから、ドアはちゃんとロックしろよ。」
それだけ言い置くと、岸田警部は車のエンジンキーを挿しっぱなしで車を降りた。
歩きながら警部は待ち構える男に聞いた。
「…森田警部補は?」
「彼なら帰ってもらったよ。」
1メートルほどの距離で2人の男は真正面から向かい合った。
岸田の顔が「石を刻んだような顔」ならば、対峙する男は、コンクリートブロックを重ねたような体躯、四角い顔を縁取る髪の毛まで乾いたコンクリートのような灰色をした初老の男だった。
コンクリートの男は、低く乾いた声で言った。
「私が現われても驚かんか……さすがだな。どうして見破った?」
「25年前、箱根で行われたという実験の顛末を知ったとき、真っ先に連想したのは731部隊の話だったからです。」
「……なるほど。731部隊か…」
軽く咳こみながら「コンクリートの男」は静かに笑った。
731部隊とは旧帝国陸軍の生物・科学兵器研究機関所属の研究部隊で、別名「石井部隊」ともいう。
捕虜を対象とした数々の人体実験を行い、本来ならばその多くのメンバーが戦犯としての責任追及を免れないはずの組織なのだが、しかし731部隊の隊員で、東京裁判で裁かれた者は一人もいなかった。
彼らの持つ「人体実験によってしか得られない知識の数々」は、戦勝国アメリカにとっても魅力的だった。そのため研究成果の提供と引き換えに、アメリカは731部隊隊員に対する訴追を免除したのである。
「オレは考えました。高梨たちの研究成果に興味を持った者がいたのだと。そしてその者は、高梨らに訴追を免れさせるほどの権力を持っていたに違いないと。そして、そんなヤツラはというと……」
岸田は背筋を伸ばすと、きをつけ!の姿勢をとり、言葉を続けた。
「……それはあなたのような組織の方です。殿村……警視正どの。」
姿勢を崩すと、岸田警部は抑えた口調でゆっくりと話し始めた。
「いまから25年前といえば1984年。連続企業爆破テロの記憶はまだ新しかったでしょう。
25年前の高梨の実験はそういう時代を背景にしているはずです」
74年の三菱重工爆破事件を皮切りに、77年までのあいだ左翼系テロリストによる爆弾テロが国内で相次いだ。
警察によりテログループのメンバーは次々捕縛されたが、しかし、77年のハイジャック事件で、先に逮捕されたテロリストは別のテロリストグループにより奪還されてしまった。
コンクリートの男は乾いた声で語った。
「…凶悪なテロ集団が、日本から目と鼻の先の北朝鮮で、活動の機会を窺っていたのさ。そして…」
コンクリートの男は、背広のポケットから裸のままのタバコを取り出すと、おもむろに火をつけた。
「……左翼運動の背後にはアカの国、ソ連・中国がいた。特にソ連は、アメリカに匹敵する軍事力で東側世界を牛耳り、さらには全世界の共産化をも狙っていた。
我々公安警察はそうした者どもから祖国日本を守らねばならず、そしてそれは容易なことではなかったのだよ」
「高梨という男は言ったそうですね。シンクロが成立すれば、誰もウソをつけない、ウソを疑う必要もないと。つまり…テロリストは活動できなくなる。そこでアナタ方は考えた」
「コンクリートの男」と「石の男」のあいだで、一瞬目に見えない火花が散った。
「…人間相互のあいだに広がるシンクロニシティの海に自在にアクセスし、そこを経由して他人の心をスキャンする端末があれば、あらゆる犯罪から日本を守ることができる。そしてその端末が…」
石の男がカッとばかりに目を見開いた。
「…眞鍋幸平。つまり今回の事件の犯人であり、同時に被害者でもある男です」
祝!!
再開
よかった!よかった!!
「そこまで見破っていたか。さすが『不可能犯罪捜査部のエース』と言われるだけのことはあるな。
もっとも『見破っているだろう』と予測したからこそ、私がこうして出てきたのだが…」
「コンクリートの男」はタバコの煙を深く吸い込み、空を仰いで長く長く吐き出した。
「シンクロニシティを利用して、テロをはじめとする凶悪犯罪を未然に防ぐ。
アメリカを襲った同時多発テロも、オウムによる無差別毒ガステロも、シンクロによる防衛が確立されていれば防げていただろう」
「しかし警視正」
岸田警部はそれまで守っていた儀礼的な態度をかなぐり捨てた。
「警察学校で習ったはずです!人権というものは、他の人権と抵触しない限り規制をうけないものだと!
言い換えれば、心の中で考えているだけなら如何なる規制も受けず、罪を問われることもない!
だが、アナタの推し進めていることは、人権というものの最中枢を土足で蹂躙する行為に他ならない!」
だが、「理」をもって迫る岸田に対し、静かな微笑みをもって殿村は応じた。
「そんなことは、学部の学生だって知っているよ警部。だが私は、そしてキミも、学部の学生が知らないこと、法学の教科書には載っていないことも知っている」
警部は、警視正が何を言わんとしているのか、それが口に出される前から判っていた。
「爆弾で母を失った子の悲しみ、夫を奪われた妻の絶望。遺族の流す血の涙は、例え犯人が捕らえられ、生きたまま千回八つ裂きにされようとも乾くことはない」
酒酔い運転による交通事故も、爆破テロも、被害者の悲しみに違いはない。そしてそれは、岸田警部も何度も目にしてきたものだった。
「犯罪が起ってからでは遅いのだよ、警部。犯罪が起る前に動き、未然に押さえ込むことが必要なのだ」
穏やかな口調とは裏腹に、警視正の目には、コンクリートのような硬く乾いた決意が漲っていた。
「高梨の研究は、私のような一部の警察官のあいだで25年ものあいだ非公式に引き継がれてきた。主に二三年のうちに定年を迎える警察幹部のあいだでだ。
犯罪の無い世界、犯罪で泣く者のいない世界を開くことを夢見て、次の者へとバトンを渡す。そうして我々はこの日までやって来たのだ。」
「しかし25年前同様、高梨のシンクロは今回も恐ろしい事件を引き起こしました。」
「例の連続自殺だな。だがあれは事故だったのだ。それも、非常に特殊な状況下での。」
「特殊な状況下での事故?」
「そうだよ。高梨博士は長年の研究で、シンクロに接続する端末としては人間、それも自我の薄弱な、没個性的といっていい人間の方が望ましいことを突き止めていた。
個性の強い者は、シンクロの海、潜在意識の海を泳ぎ渡れないのだそうだ。」
岸田警部は背広の内ポケットから眞鍋幸平の写真を取り出した。
「個性の無い」のが個性のような顔がボンヤリした顔で警部を見上げている。
それが、潜在意識の海を漂うことのできる男の顔だった。
「高梨博士が見出した『最高の端末』、それが眞鍋という男だ。彼を中心に据えた実験が何度も行われ、驚異的といっていい成績を収めて見せた。
特に、犯意といった先鋭的な意思については、100%見逃さなかった。私は思ったよ『これじゃあ我々警官は、遠からず失業だ』とね……」
「…………」
「ところが最後の実験で問題が起った。誰も気づいていなかったのだが…」
「実験に八幡秀介が参加していた。そして彼は自殺志願者だった。」
「実験に八幡秀介が参加していた。そして彼は自殺志願者だった。」
警部の言葉に対し、硬い表情で警視正は頷き返した。
「自殺を志向する八幡の潜在意識があまりに強力だったのだ。
そのため、眞鍋幸平の精神が八幡秀介の精神と接触したとき、強力な八幡の自殺意思が、個性の希薄な眞鍋の脳内に電磁的にコピーされてしまった。
もうひとつ、我々の想定外だったのは、実験場外であるにもかかわらず、眞鍋とシンクロとの接続が断続的に発生したことだ。高梨博士は、『眞鍋にコピーされた八幡の自殺志向が強力過ぎたからではないか』と推論してるんだがね…。」
「つまり……眞鍋の脳内で再生された八幡の自殺意思が、周囲の人間を自殺へと誘うシンクロを発動させたということですか。」
警部は、巨大なジグソウパズルが、目の前でバタバタと音を立てて組みあがっていくような錯覚を覚えていた。
岸田警部が幻視した部屋の窓から、眞鍋の部屋からは見えないはずの立ち木が見えた理由が判った。
岸田警部が見たのは、眞鍋の深層心理に焼きつけられた八幡の記憶だったからだ。
そしてまた品川さんもまた正しかった。
彼女は言ったではないか。
『私が見たのは生きてる人の霊、生霊だったんでしゅ。』
八幡秀介は死んでいても、生きている眞鍋幸平から発動しているのだから、品川さんのような人から見れば、やはりそれは「生霊」なのだ。
短くなったタバコを携帯灰皿に揉み消すと、コンクリートの男は新たなタバコに火をつけた。
「明日の朝9時から、高梨博士が眞鍋幸平の治療をおこなう。眞鍋の脳に電磁記録された八幡秀介を消去するのだ。
技術的には、フロッピーディスクの初期化みたいなもので簡単なのだそうだ。そうすれば、今回の事件は終わる。あくまで未解決のままでだが…。」
「しかしそれでは死んだ4人は…」
「この解決なら……死者は四人で終わる。だが…」
コンクリートの男は、力強く煙草の煙を吸い込み、軽く咳き込んでから、長く静かに吐き出した。
「キミの解決なら、最低もう一人は死者が出るはずだ。」
「………」
石の男は黙したまま答えなかった。
だがコンクリートの男もそれ以上追及するつもりは無いらしい。
指先に摘んだ吸いかけの煙草を、なにか珍しいものでも見るように眺めながら、静かな声でコンクリートの男は言った。
「肺癌でね。医者に言わせれば余命1年といったところなのだそうだ。定年まで後1年半なんだが、どうやら最後まで勤め上げることは難しそうだよ。だが私は…」
それまでの静かな声が、硬く密度感のあるそれに一変した
「私は死ぬことなど怖くは無い。私が怖いのは、愛するこの国を守ってやれぬまま、無為にこの世を去ることだ。だからどんなものにも決して私の邪魔をさせるつもりは無い。それが例え岸田警部、キミであったとしてもだ。」
書けるかな?
なんと新記録達成!
1本投下終了までのあいだに3回規制されました。
これって、実は巻き添え規制じゃなく、私自身がアラシ認定されていることなんですかね?
もっともこれをネタにして一方構成できそうなんですが。
品川さんの待つ車に戻ったあと無言で運転していた岸田警部が、やっと重い口を開いたのは、走り出してからたっぷり10分以上も経ってからだった。
「こんどのこの……事件だが…………」
警部が言葉に詰まると、品川さんが代わって口を開いた。
「…岸田しゃんは、それでいいんでしゅか?」
「……………オレの心を読んだのか。さすがだな」
「別に心なんて読んでないでしゅよ」
「そんじゃ何で判ったんだ?オレが…この事件から、手を引くつもりだってよ?」
品川さんはすまして答えた
「そんなの顔に書いてあるでしゅ」
「…はぁ?!」
「自分で思ってるより、警部しゃん正直なんでしゅよ」
「顔に書いてあるか…」
独り言のように呟くと、警部は殿村警視正とのやりとりを隠すことなく品川さんに話しはじめていた。
「…と、いうわけさ。追いついてみれば、追っかけてた相手は同じ警察、それもオレなんかよりずっとランクが上の組織だった。
おまけに相手の決意は、見かけどおり石みたいに硬いときてる。ま、処置なしってこと、手の出しようがねえってこった」
「ふーーーん………」
品川さんは、首をはっきり左に向けると、岸田警部の横顔を無遠慮に見つめていたが、やがてひょいと正面に向き直ると、確信に満ちた声で断言した。
「でもいま岸田しゃんが言ったのは、岸田しゃんが手を引く本当の理由じゃないでしゅね」
「本当の理由じゃないだと?」
警部の声が不機嫌になった。
「それじゃオメエはオレがウソを言ってるとでも…。」
「そうは言ってないでしゅ」
「それじゃいったい…!」
岸田警部の声が大きくなったが、さらにそれ以上の大声で品川さんは言った。
「岸田しゃんが手を引く本当の理由は、それは岸田しゃんと、そのなんとかいう偉いオマワリさんが似てるからなんでしゅ。」
キーーーーーーーーーーーーーッ!
鋭いスキール音!つんのめるような姿勢で車が止まった。
「似てるだと?オレとあのジジイがか!?」
無言のまま品川さんを自宅まで送ったあと、警部は不可能犯罪捜査部に戻った。
商売柄、完全に無人になることはあり得ない建物だが、それでも深夜となればそれなり程度には静かになる。
デスクに足を投げ出し、背もたれによりかかって、ぼんやり天井を見上げながら、警部は自問自答を繰り返していた。
「そうなると……オレたち警察官は一人残らず失業だな。」
「私は思ったよ『これじゃあ我々警官は、遠からず失業だ』とね……」
一方は岸田自身の、もう一方は殿村のセリフだ。
(そうだ、…言われてみれば、オレとヤツは確かに似ている。感想まで同じだ…)
言われてみれば、殿村警視正は、岸田警部の合わせ鏡のような人物だった。
(ヤツは日本国を守るため、シンクロを推し進めるつもりだ。例えそのために4人の人間が犠牲になったとしても。…しかし)
「キミの解決なら、最低もう一人は死者が出るはずだ。」
(ヤツは気づいていた。オレが……眞鍋幸平を射殺するつもりだったってことを)
ひとたびシンクロを発動させれば、自殺の嵐が吹き荒れる。
そんな男をどうやって逮捕し、裁判にかけられるというのだ?
(人々を守るためには、先手必勝で眞鍋を殺すしかない。だがそれは、4人の犠牲を単なる『事故』とかたづける殿村の考え方と全然変わらないじゃねえか)
もし殿村に正義が無いというのなら、岸田にも正義は無い。
(そうだ、無意識にそう考えたからこそ、オレは尻尾を巻いて退散したんだ)
(オレは眞鍋を射殺するしかないと思っていたし、殿村のおっさんはそのことも見破っていた。)
それもまた、自分と殿村が似ているからだろうかと考えたとき、岸田はふとあることに気がついた。
(品川さんは、おれの考えに気づいていなかったんだろうか?)
気づいていないはずは無かった。
近藤博士は言っていた。「品川さんは、人の思考が電磁波によって読み取ります」と。
それでは何故、品川さんは黙って眞鍋のアパートまでついて来たのだろうか?
25年前の実験で被験者だった品川さんは、今回の事件の被害者である眞鍋幸平と自分とを重ね合わせ、なんとか助けてやりたいと思っている。
だから眞鍋幸平のアパートを突き止めても、彼を守ろうとして、警部には「尾行は失敗した」とウソをついた。
一児の母が、大事な子供を放っぽってまで事件に首を突っ込むのも、眞鍋を助けたいがため。
…それが、短い接触で警部が描き出した品川さんのプロフィールだった。
それなのに…?
「何故だ?」
警部は思わず声にだして呟いた。
「何故、オレといっしょに眞鍋のアパートに戻った?オレは眞鍋のことを…」
「そりゃ信じていたからさ。オマエのことをな」
突然の声に驚いて振り返ると、数時間前にとっくに帰ったとばかり思っていた上司、本田部長が立っていた。
「部長、もうとっくに帰られたのでは?」
「そのはずだったんだがな。飲み屋で飲んでて、終電乗り過ごした」
くたびれたカバンを自分のデスクに放り出すと、部長は岸田の真向かいのデスクにどっかと腰を下ろした。
「さっきのオマエの質問だがな…」
「べ、別に部長に質問したわけでは…」
「いいからまあ聞け」
仕草で警部を制すと、世間話でもするように部長は言葉を続けた。
「…品川さんはオマエのことを信じていた。だから一緒に行動していた。まずそれで間違いあるまいよ」
「信じていた?オレのことを??」
深く大きく、部長は頷いた。
「…オマエが何をしようとしていたのか、オレは知らん。だが…品川さんは信じていた。『岸田警部は、絶対そんなことはしない』とな。」
「信じていた…オレは絶対にそんなことはしないと…」
憑物でも落ちたような思いで警部が何気なく窓を見ると、微かな、けれども鋭い光に一瞬目を射られた。
いつのまにか、夜は明けようとしていた。
「そうだ。信じていたんだ。品川さんは」そして部長はネクタイを緩めながら言った。「理解してあげられたようだな、彼女のことを」
『品川さんは非常に優秀な助っ人捜査員だ。だが、それはキミが彼女のことを理解してあげられればという条件つきだ。』
「岸田警部、キミが品川さんを理解したからこそ、品川さんもキミを信じたのさ。」
次の瞬間、飛び跳ねるような勢いで立ち上がると、岸田警部は猛然と部室を出て行こうもとした。
「待て警部。そんな勢いでいったい何処に行こうというんだ?」
「決まってるじゃないですか部長。最後までつきあってやるんですよ。品川さんに!」
「それなら…」
窓からの光を背にして立っているせいで、部長の表情は全く読み取れない
「……たぶん高梨の居場所は都内の○○警察病院だ。」
「あの重犯罪者治療が専門の?…………しかし、部長が高梨のことをご存知だったとは」
「オレがただぼんやり座ってるとでも思ってたのか?さっさと急げ!たぶん時間はあまり無いぞ!!」
渋滞につかまりにくいようにミニパトを借り受けると、警部は目的地へとひたすら車を走らせた。
品川さんには特に連絡しなかったが、連絡が必要だとも思わない。
こちらから連絡しなくとも、品川さんはそこにいるという絶対の確信があった。
キーーーーーッ!
昨日より気持ち元気なスキール音とともにミニパトが止まると、歩道から灰色の建物を見上げていた女性が振り返った。
…品川さんだ。だが、警部の姿を見てもまるで驚かない。
(オレが来るって信じてたわけかよ…)
心で舌打ちしながら車を降りるなり警部は言った。
「やっぱりここを知ってたか。」
すました顔で品川さんは答えた。
「昨日のなんたらいう偉いオマワリしゃんの心を読んだんでしゅ。」
「やっぱりここを知ってたか。」
「昨日のなんたらいう偉いオマワリしゃんの心を読んだんでしゅ。」
「まったく恐ろしいヤツだぜ。ところでこれからどうする?2人で殴りこんで、眞鍋を奪還するのか?」
「それじゃただのアホたれでしゅ。」
言い返す品川さんの顔には「軽蔑しちゃうでしゅ」と書いてある。
「高梨しゃんは眞鍋くんの中にいる八幡くんを消すつもりなんでしゅよね?」
「ああ、殿村のおっさんは昨日そう言ってたぞ。」
「でも、八幡くんが黙って大人しく消されるでしゅか?」
「そ、そりゃオマエ…」
「ただの電磁記録なら、消すのは簡単かもしんないでしゅ。でも、そうでなかったら…」
品川さんは、高い塀の向こうに建つ、灰色の建物に再び視線を戻した。
一見何の変哲もない四角いだけが特徴のような鉄筋コンクリート3階建だが、よく見れば窓が妙に小さくかつ数が少ない。窓に鉄格子が嵌っていないのは、強化ガラスが使われているからだ。
「もし八幡秀介が抵抗したら。こんどはここが25年前みたく地獄になるでしゅ。でも…嫌な感じの建物でしゅね?」
「そりゃ…そうかもな。あれは精神異常による重犯罪者を治療するための専用施設だからな。まあどう間違っても『爽やか』なんて印象は受け…」
そのときだった。
鉄格子の向こうで何度か光が明滅したかと思うと、窓ガラスが一斉に砕け散った!
「きょ、強化ガラスが割れただと!?」
「シンクロでしゅ!」品川さんが叫んだ「もの凄い勢いで力を増してるでしゅ!!」
「そんなバカな!高梨はなんのシンクロ対策もしてなかったっていうのか?」
「もちろんしてるはずでしゅ!でも高梨しゃんの予想を遥かに超えたパワーがここにはあったんでしゅ!」
「予想を超えるパワーってそりゃ………そ、そうか!ここは…」
岸田警部の顔色が変った。
「重い犯罪を犯した精神異常者の収容施設なんでしゅよね?だからここには普通の人なんか較べもんになんないくらいの妄想や怨念が、どっぷり溜まってるんでしゅ!」
「それを片っ端から糾合してシンクロが成長してるのか!」
「きっと中では、地獄の悪魔が『ごめんなさい、許して〜』って泣いちゃうくらい、恐ろしい力が成長してるはずでしゅ。」
施設の中で銃声が聞こえた!
「始まったか!」
「じきにシンクロが建物の外まで広がってくるでしゅ。そうなったら…」
「そうなる前に!」
警部は拳銃を抜き放った。
「ダメでしゅ!鉄砲なんて、中のヤツには意味無いでしゅ!」
「それじゃいったいどうすりゃあ…」
そのとき、前々々モデルぐらいのとんでもなく古い型のカローラが、環境に悪そうな色の排気ガスを吐き出しながら、ブルンブルンと走ってきた。
ドライバーを見るなり警部は叫んだ「あ、あの禿げは!」
飛び跳ねながら品川さんも続いた「近藤先生でしゅ!お禿げセンセ〜、待ってたでしゅぅぅ」
禿〜げ!禿〜げ!という歓呼の声に迎えられ、近藤博士は車から降り立った。
「シナちゃん、頼まれたもの、徹夜で完成させましたよ。」
近藤博士は助手席から、非常に奇妙な形の物体を引きずり出した。
「なんだその尿瓶みたいなものは」と警部。
「霊の正体が電磁波なら、電磁波をぶつければ消滅させることもできるはずです」
「つまりは電磁波照射尿瓶ってことか?」
「……いいえ、電磁波照射銃です」
警部は電磁波照射尿瓶…いや、「銃」を両手で取り上げた。
「随分重いな」
「一晩の作業ではこれが軽量化の限界なんです」
まあいいと、岸田警部は一通りの捜査方法をチェックし、病院に向かって歩き出した。
「レッツゴーでしゅ!」と続く品川さん。
「待った!」
突然警部は足を止め、その背中に品川さんが追突した。
「ひょ?なんで止まるんでしゅか?」
「品川さん、…いや、シナちゃん。アンタがついて来ていいのはここまでだ」
「品川さん。アンタがついて来ていいのはここまでだ。」
「な、なんででしゅか?せっかくここまで頑張ってきたのに、なんでこっからはダメなんでしゅかぁ!?」
品川さんは口を尖がらかせ「横暴でしゅ!悪質でしゅ!インチキでしゅ!」と抗議したが、無表情のまま警部は首を横に振った。
「だめだ。ここから先は命がかかる。行っていいのは、警察官であるオレだけだ。」
「でも…でも、私は行かなくちゃなんないんでしゅ!行って眞鍋しゃんを助けてあげるのが私の義務なんでしゅ!だって私は……」
そのとき、それまで横一文字を描いていた岸田警部の眉が、突然「へ」の字になった。
「判ってる。」
警部の声は、はっきり震えていた。
「判ってるんだよ。25年前の実験で、シンクロを暴走させたのはシナちゃん、キミなんだろ。」
「若いころの近藤博士に出会ったキミは、他のスタッフがキミを単なる実験動物としてしか見ていないと気づいた。そのキミの怒りが、シンクロを支配し暴走させた。」
じっと岸田警部を見上げていた品川さんの大きな瞳に、どっと涙が溢れでた。
「やっぱり気がついてたでしゅね。……そうでしゅ。25年前の犠牲者はみんな……」
「ちょっと待った!」
品川さんの華奢な両肩に、グローブのような警部の手がかかった。
「25年前の事件を起したのは、品川さん、確かにアンタだろう。だがな、近藤博士が絶体絶命になったとき、落雷を起して彼を救ったのもシナちゃん、アンタのはずだ。」
警部は片膝を地面につくと、品川さんと同じ目線で向き合った。
「シンクロの暴走は事故だ。だが、近藤博士を助けようとしたこと。それはシナちゃん、アンタ自身の意思だ。だから、アンタがいまここで、進んで命を危険に晒す義務なんて無いんだ!わかるな?」
「えぐっ…えぐっ」と、まだしゃくりあげてはいるが、それでも品川さんは首を縦に振り、警部はそれを「ここに残ります」の意味と解釈した。
「よし!それじゃここから先はオレが一人で…」
「…待つでしゅ!」
背中を向けた警部の背広の裾を、品川さんはムンズと掴んだ。
「25年前のことはわかったでしゅ。納得したでしゅね。でも、やっぱり警部しゃんといっしょに行くでしゅ。」
「何が『わかった』だ!ちっとも判ってねえじゃねえか!オメエがついて来て何になるってんだ?!」
「警部しゃんの目になるんでしゅ!」
「オ、オレの目に?」
「だって警部しゃんには、その武器は使えても、相手が何処にいるかは判んないでしゅよね!」
「そりゃ…まあ…」
「だから、私が見て、警部しゃんが撃つんでしゅ。」
「警部、品川さんを連れて行ってあげてください。」そう言いながら、近藤博士も毛イ゛負に向かって頭を下げた。
「いまあそこで育ちつつある地獄を止めるには、岸田警部と品川さん、お2人の力が必要なんです。」
正面玄関を慎重に開けて一歩中に踏み込むと…。ロビーの真ん中で白衣の男が身体をガクガク痙攣させながら、血に染まったメスをメチャクチャに振り回していた。その足元には、白衣の女性が血の海のなか、明らかに事切れて倒れている。
「早速、出やがったか!」
だが、白衣の男に「銃」を向けた警部に、背後から的確なアドバイスが飛んだ!
「そっちじゃないでしゅ!悪霊は左肩んトコにいるでしゅ!!」
「OっK!了解!!」
素早く射線をずらすと、岸田警部は電磁波照射銃を発射した!
警部には何も見えなかったが、たしかに何かの手ごたえを感じた直後、メスを振り回していた男は操り糸が切れたように、バッタリ倒れて動かなくなった。
肩越しに警部は言った。
「頼りにしてるぜ…シナちゃん。」
後ろからピョンと飛び出すと、Vサインしながら品川さんは応じた。
「まっかせるで〜しゅ!」
悪魔の牙城目指して、二人三脚の突撃が始まった。
久しぶりに酷いタイプミスです。
431のラストから2行目は…
近藤博士も毛イ゛負に向かって頭を下げた。←誤り
近藤博士も警部に向かって頭を下げた。 ←正解
…です。慎んで訂正いたします。
「あの時計のとこでしゅ!」
「おうっ!」
品川さんの指示した方向に岸田警部が電磁波照射銃を向けた。
「怨霊退散でしゅ!」
掛け声に合わせ、警部がスイッチを押す。
すると銃が唸って、警部が心のどこかで感じていた嫌なプレッシャーが消える。
「シンクロの震源は、きっと3階の隅の部屋でしゅ」
「なんでわか…」
なんで判ると聞きかけて、すぐ思い出した。
「コイツには電磁波が見えるだったな」
建物を外から見ただけで、品川さんには強力な電磁波の震源が見えていたに違いない。
(オレは、「目」を信頼して動けばいいんだ)
「階段三段目におキツネ様でしゅ!」
「よしっ!!」
電磁波銃が唸るっ!
「館内スピーカーの上に、今度はおタヌキ様でしゅ!」
「………
今度も銃口から電磁波が迸った。
「次!いくでしゅ!」
「ちょ、ちょっと待った。」
警部が品川さんを呼び止めた。
「ひとつ聞いていいか?」
「…とりあえず聞いてみるでしゅ。」
「ホントに…キツネやタヌキがいたのか?」
「……………ボヤボヤしてないで、つぎ行くでしゅ!」
ホントに信じていいのかな?と、ちょっとだけ思った岸田警部だった。
三度にわたる規制に耐え、やっとラスト近くまで辿り着けました。
後は「警察病院の対決」と「空っぽの男」を書いてエンディング。
来週には終われるでしょう。
規制期間中スレをお守り頂いた方々、ありがとうございました。
そして、よい週末を…。
上階へと続く階段手前のドアが開き、中から目の異様に釣りあがった男が飛び出してきた。
警部は男の顔に、世間をさんざん騒がせた末、絞首刑になった幼女殺人鬼の面影を見出した。
(そういやぁアイツが精神鑑定受けたのは…)
相手が握り締めた赤鉛筆に気づいたのは、(…ここだったな)と思った後だった。
警部の姿をみとめ、男が赤鉛筆を振り上げたとたん、先端から真っ赤な飛沫がとんだ。
とっさに電磁波照射銃を構える警部!
そのとき警部の肩越しに銀色の円盤が飛んできて、男の眉間に命中した!
「本体はまだドアの前でしゅ!」
慌てて警部は射線をずらした。
しかしその背後からこんどはガラガラと騒音をあげる何かがやって来た。
体格のいい看護士が、誰も乗っていない車椅子を押しながら突進してくる。
一見普通の人間のようだが、片目から飛び出しているのはドライバーのグリップのようだ。
「避けろ!シナちゃん!」
叫びながら警部も、車椅子を横っ飛びにかわそうとした。
ガツン!「…ぐあっ!」
思わず呻きが漏れ、頼みの電磁波照射銃が転がった。
車椅子が、かわしきれなかった右足脛にぶち当たったのだ。
必死に立ち上がろうとする警部の上に、「車椅子を押す男」がのしかかってきた。
視界の隅では奇声をあげつつ「赤鉛筆」も立ち上がる。
「車椅子を押す男」が、自分の右目から突き出したグリップを掴むと、ズルズルと引き出した。
赤鉛筆と赤ドライバー、その両方が警部に迫る!
のしかかる身体を跳ね除けようとするが、柔道有段者の岸田警部の実力をもってしても、相手の身体は岩利のように動かない。
ドライバーの刺さり具合からみて、相手は脳に達する外傷でとっくに死亡しているはずなのに、その腕力はまるで熊かゴリラのようだ。
車椅子の男が赤ドライバーを振りかぶる!
「こ、このゾンビ野郎!」
しかし次の瞬間、車椅子の男は全身から脱力したようにヘナヘナと崩れ落ちた。
「岸田しゃん!」
品川さんが、電磁波照射銃を迫撃砲のように床から銃口だけ持ち上げた状態で支えている。
「…まぐれ当たりでラッキーでしゅ!」
「はやくそれをこっちに渡せ!」
赤鉛筆の背後からの一撃を身を沈めてかわすと、マット運動のように警部は品川さんのところまで一気に転がった。
「標的は!?」と叫んだときには、電磁波照射銃は既に警部の手の中だ。
「身体の大っきな看護士の上に屈みこんでるでしゅ!」
「地獄に帰れ!」と呟いて警部が電磁波照射銃のスイッチを押すと、腕の中で銃が振動して「赤鉛筆の男」も動かなくなった。
「助かったぜ」と言いながら、「赤鉛筆の男」の顔に命中した銀色の円盤を拾い上げた。
…むかしは喫茶店やレストランなどどこでも見かけた、ありふれた銀色の灰皿だった。
「ナイスピッチング。…ちゃんともとのとこに戻しとけよ。」
「私こう見えても主婦でしゅよ。後片付けは主婦業の基本でしゅ。」
品川さんが、壁際でひっくり返っていた台座を起こして灰皿を置き直したときだった。
目指す階段の、2階ではなく地下に下る側から、ガン!ガン!ガン!と立て続けに激しく大きな音が響いてきた。
「これは…鉄扉か何かを叩く音だな。地下の鉄扉っていうと…」
「閉じ込められてる何かが出てこようとしてるでしゅね!」
小さく舌打ちして警部は言った。
「先を急ぐぞ。」
品川さんの小柄な身体を引き摺るように、岸田警部は2回へと階段を駆け上がった。
2階からは引き攣ったような奇声、途切れ途切れの呻き、そしてなにより圧倒的な血の臭いが降りてくる。
「2階はやばいな。一気に3階まで行くぞ!」
「ちょっと待つでしゅ!これ見て欲しいでしゅ!」
品川さんは、踊り場に掲示された簡単なフロア案内を指差した。
「この階段は2階までしか繋がってないでしゅよ!」
「そうか…3階は特にヤバい患者専用なんで、直接玄関ロビーには下りられないようになってやがんのか!」
3階への階段は、いったん2階に上がってから各治療室の前を抜け、30メートルほど奥まったところに独立してあるらしい。
行く手にいるであろう狂気の産物を思い「ちくしょう!面倒な構造だぜ…」と、警部が言ったときだ。
階段の下方から、一際大きくガーンという音と振動が伝わってきた。
「と、扉が破られたでしゅ!」
「選択の余地なしか…。急ぐぞ!」
再び階段を駆け上がる2人の後ろから、下方から、ペタ…ペタ…という裸足の足音が上がってきた。
2階に駆け上がったときまず警部の目に飛び込んできたのは、奇妙な銀色の道具を両手に持った痩せぎすの男だった。銀色をしたその道具は、一見卓球のラケットのようだが、グリップから電気コードが繋がっている。
「本体は?!」「右の…」
しかし品川さんが最後まで言い終えるより早く、2人めがけて銀色の「ラケット」から電光が飛んだ!
「うわっ!」
間一髪回避できたのは、半分は警部のカン、残り半分は品川さんの運だった。
「あれは心臓が止まったとき使う除細動器だ!」
「電気ショック療法の悪霊でしゅ!」
「おい、また来るぞ!」
再度の放電!
しかし今度はさっきよりも余裕があった。
床に転がりながら警部はリボルバーを抜き放つ。
「鉄砲なんか撃ってもむだ…」
バゴン!
銃身が跳ね、除細動器の電源コードが弾けて切れた。
「的は!」「あの人の右隣に立ってるでしゅ!」
今度は電磁波照射銃が振動し、崩れ落ちる「除細動器の男」。
しかし、その崩れ落ちる身体の向こう側から、顔をビニールテープでグルグル巻きにした女と、荷造り用カッターを一本づつ両手に構えた男が近づいてきた。
「カッターの男の人は加害者、女の人は被害者でしゅ」
「なんだ、被害者まで出てくるのか?!」
「この夜に残った無念や妄執に、被害者も加害者もないでしゅよ」
そのとき背後の階段に、奇怪な人影が現われた。
「あ…」
気配を感じ背後を一瞥した岸田警部は一瞬絶句した。
鎖骨の辺りから下腹部に到るまで長く走った傷が、雑に縫い合わされている。
首の左に大きく口を開いた傷のため、右肩につきそうなほど傾いた頭部。
その右半分は皮膚が剥がれ、白い頭蓋骨が露出。
その上に、乾いてこびりついた血の縞が、蛇行している。
ザンバラ髪の下から覗く濁った目。
それは明らかに、死んで何日もたった人間だった。
「ありゃ検死で送られてきた、人狼とかいう連続殺人鬼の犠牲者だ」
「前も後ろもゾンビでしゅ」
警部は心の中で(ちっ!)と舌打ちをした。
この病院の関係者がざっと50人。
収監されていた「患者」はその半分以下の20人強。
合計およそ70人のうち、半分程度は、「犠牲者」に回っている。
だから…院内で暴れまわっているバケモノは差し引き35人と、警部は読んでいたのだ。
そのくらいの頭数なら、慎重に一体づつ相手にすればなんとかなる。
しかし、死体まで動き出すとなると話はまるで違う。
(こりゃ想定外だぞ)
だが、想定外の展開はそれだけではなかった。
「人狼の犠牲者」の後に続いて、さっき1階で倒したはずの「赤鉛筆」「車椅子を押す男」、それから「メスを振り回す白衣の男」が現われた。
「お、おい、あいつらさっきいっぺんやっつけただろ!」
「別の死霊がとり憑いたんでしゅよ」
「そんじゃキリがねえじゃねえか!」
警部がそう言ったそばから、倒れていた「電気ショックの男」の体がビクンビクンと痙攣を始めた。
前からは「ビニールテープの女」と「荷造り用カッターの男」。
背後からは「人狼の犠牲者」「赤鉛筆」「車椅子を押す男」、それから「メスを振り回す白衣の男」が来る。
そして……3階への階段へと続く短い廊下に面したドアが次々開き、中から血塗れの異形が、あるいは歩き、あるいは這い、次々姿を現した。
「…ど、どうするでしゅか?」
「オレの甥っ子がテレビゲームでバイオなんとか言うのをやっててな、やってるトコを見せてくれたんだが、ポイントはな…」
警部は品川さんの手を間違って放してしまわぬよう、しっかりと握り直すと。密かに体重をつま先へと移動させた。
「………ゾンビを避けて走る技術なんだ!」
品川さんの肩が抜けるかという勢いで、警部は死霊の群れへと突っ込んだ。
立ち上がりかけた「電気ショックの男」を蹴倒し、「ビニールテープの女」と「荷造り用カッターの男」を体当たりで吹き飛ばす。
このとき右肩口に何かがぶつかったように感じたのでチラリと一瞥すると、警部の顔の横数センチのところで刃幅の広い業務用カッターが肩に突き刺さりグラグラ揺れていた。
(こりゃラッキー)とそれを肩から引き抜くと、ちょうど目の前に迫っていた血塗れゾンビの首筋に叩き込んだ。
喚き声を上げながら駆け寄ってきた老女ゾンビの鼻先を拳骨の一撃で陥没させる。バールを振り上げたゾンビナースには、素早く拳銃を抜いてバールを握る手を撃ち飛ばし、手首を返しての一撃で下顎を叩き割った。
しかも一連の戦闘中、岸田警部は品川さんの手は一度も放さず、一瞬たりとも足を止めない。
首に点滴のチューブが食い込んだどす黒い顔のゾンビに、立て続けに2回引き金を引くと、死者の頭部は花火のように散ってなくなり、その向こうに管理ゲートが見えてきた。
「あれの向こうが3階への階段だ!」
「でも絶対カギがかかってるでしゅよ」
「カギ開ける分はちゃんと残してあるぜ!」
バン!バンッ!
警部が残弾2発をロック部分に叩き込むと、管理ゲートは力無く口を明けた。
もはや重しでしかない拳銃をその場に投げ捨てると、警部と品川さんは3階に続く階段に足をかけた。
一応は病院らしい見かけだった2階までと較べ、3階は実に無愛想なエリアだった。
飾り気の一つ無い廊下の果てに、これまた飾り気の無いドアが一つ。
1階や2階のように死んだ人間がうろついていることもなく、物がひっくり返ったり、ガラスが割れていたりすることもない。
唯一の例外といえるものが、ドアの両脇に転がった、拳銃を手にした二つの死体だった。
「妙に静まりかえっていやがるな。ゾンビもいねえみたいだし…」
「…みんな統合されちゃったんでしゅよ」
「統合?」と言いかけて、岸田警部は近藤博士と交わしたやりとりを思い出した。
「シンクロは、周囲に存在する『電磁的記録の断片』まで大渦巻きのように統合していくのですよ」
「今言った『電磁的記録の断片』というのはつまり…」
「周囲に存在する死者の意識、つまり一般に『霊』と呼ばれるものです」
「3階の霊は、残らず飲み込まれたんだな?八幡秀介が顕在化させたシンクロに…」
「そうでしゅ。だから2階のゾンビも3む
品川さんに「ここで待て」と言うと、警部はドアの前の二つの死体に近寄った。
握っているのは凍条刑事と同じSIG230
どちらも全弾撃ちつくしホールドオープンしている。
壁や天井の弾痕から判断すると、一連の乱射の後、最後の一発で互いを撃ったのだ。
「いまはこの2人も、シンクロに統合されてるでしゅ」
「おい、オレはそこで待ってろと…」
しかし品川さんは、警部の言葉など耳に入らぬ様子でドアの前に立つと、おそるおそるドアノブに手をかけた。
「この向こうに待ってるのは…恐ろしいヤツでしゅ。でも…」
そのとき、品川さんの手の上に岸田警部の手がかかった。
「待ってるのがどんなに怖いヤツだとしても、行かなきゃいけねえんだよな。頼むぜ、相棒」
「まかせて欲しいでしゅ」
怖いものなど何もない…そんな微笑で品川さんが警部を見上げ……そして、2人はドアを開けた。
一応は病院らしい見かけだった2階までと較べ、3階は実に無愛想なエリアだった。
飾り気の一つ無い廊下の果てに、これまた飾り気の無いドアが一つ。
1階や2階のように死んだ人間がうろついていることもなく、物がひっくり返ったり、ガラスが割れていたりすることもない。
唯一の例外といえるものが、ドアの両脇に転がった、拳銃を手にした二つの死体だった。
「妙に静まりかえっていやがるな。ゾンビもいねえみたいだし…」
「…みんな統合されちゃったんでしゅよ」
「統合?」と言いかけて、岸田警部は近藤博士と交わしたやりとりを思い出した。
「シンクロは、周囲に存在する『電磁的記録の断片』まで大渦巻きのように統合していくのですよ」
「今言った『電磁的記録の断片』というのはつまり…」
「周囲に存在する死者の意識、つまり一般に『霊』と呼ばれるものです」
「3階の霊は、残らず飲み込まれたんだな?八幡秀介が顕在化させたシンクロに…」
「そうでしゅ。だから2階のゾンビも3階には上がってこないんでしゅ。」
品川さんに「ここで待て」と言うと、警部はドアの前の二つの死体に近寄った。
握っているのは凍条刑事と同じSIG230
どちらも全弾撃ちつくしホールドオープンしている。
壁や天井の弾痕から判断すると、一連の乱射の後、最後の一発で互いを撃ったのだ。
「いまはこの2人も、シンクロに統合されてるでしゅ」
「おい、オレはそこで待ってろと…」
しかし品川さんは、警部の言葉など耳に入らぬ様子でドアの前に立つと、おそるおそるドアノブに手をかけた。
「この向こうに待ってるのは…恐ろしいヤツでしゅ。でも…」
そのとき、品川さんの手の上に岸田警部の手がかかった。
「待ってるのがどんなに怖いヤツだとしても、行かなきゃいけねえんだよな。頼むぜ、相棒」
「まかせて欲しいでしゅ」
怖いものなど何もない…そんな微笑で品川さんが警部を見上げ……そして、2人はドアを開けた。
飛び散る血、無残な死体。
それが岸田警部の想像していた室内だった。
だが、実際踏み込んでみると、壁も床も全てが真っ白な中、幾つもの電子機器がならび、様々な太さのコードが床を這うSF的な空間だった。
部屋の真ん中に固定された椅子に腰掛けているのは、写真で見た眞鍋幸平。
その周りを高さの異なる6本の柱が囲んでいる。
柱の一本一本はケーブルで繋がれていたようだが、今は床に黒い煤跡を残し、全て溶断してしまっていた。
「あの柱みたいなので、電磁波を封じ込めようになってるんだな」
「でも失敗したんでしゅ。25年前のときみたく…」
そのとき、微かな呻き声がするのに警部は気がついた。
「き……岸田…警部……」
「殿村さん!?」
正体不明の電子機器と壁とに挟まれて、殿村警視正は横たわっていた。
「(口の隅に血の泡がついている。肋骨が折れて肺に突き刺さっているな)…喋っちゃだめた殿村さん!」
しかし殿村は苦しい息の下言葉を続けた。
「あれは…シンクロは…人間の手に…負えるもんじゃ…ない」
「だめだと言ってるだろうが!」
「聞くのだ、警部。」
殿村の口から新たな血の泡が幾つも吹き出した。
「個体としての…人間を超える…潜在意識の海、それが………シンクロだ。そこを行き交うのは、道徳や理性……信仰といったあらゆる束縛を離れた……野獣のような…原始の意思…なのだ」
そのとき警部は気づいた。今耳にしているのは、この男の遺言なのだと。
「だから……シンクロと親和性があるのは…………怒り……憎しみ…それから狂気……。
小説と…同じだ。ジキル博士のクスリが……悪のハイドを呼び出したように、シンクロは人の中から……悪魔を……悪魔を呼び出してしまう……。頼む、私に代わって…止めてくれ。…シンクロを…」
そして殿村警視正は息をするのを止めた。
殿村の口元から指で血の泡をふき取り、警部が静かに頭を下げたときだった。
突然、何処からというより部屋全体から、「声」が湧き出した。
「死にたい…僕は死にたいんだ………でも、一人じゃ嫌なんだ。怖いんだ。だから……」
泣くようにも、嘲るようにも聞こえる声で「それ」は続けた。
「だから……僕といっしょに……みんなも死んでくれよォ…」
既に破られた電磁障壁の中で、眞鍋幸平が文楽人形のように目をかっと見開いていた。
「眞鍋!……いや八幡秀介か」
「ちょっと前までは矢幡秀介だったけど…でもいまは違うでしゅよ。」
破滅思考の自殺志願者である矢幡秀介をコアに、変質者や連続殺人の犯人の妄執、あるいは彼らに理不尽に殺された被害者の怒りと悲しみといった感情で塗り固めた存在。
「それ」はそういうものだった。
「おい、品川さん」電磁波照射銃を構えて岸田警部は尋ねた「本体はいったい何処にいる?」
「悪霊は…上でしゅ!」
「上」と言われて天井を見上げた警部は、生まれてはじめてそれを目の当たりにした。
「な…なんだあれは!?」
それは天井一面に張り付いて、渦を巻き、蠢く無数の顔だった。
大小無数の顔が上になり下になり、渦を巻きながら、総体としては苦しみに満ちた一個の巨大な顔、矢幡秀介の顔になっている。
「あんまり霊が凝集しすぎて、普通の人にも見えるほどになってるんでしゅ」
「これが…いまオレたちの戦ってる相手だってのか!」
「……死にたいよォ……でも、一人で死ぬのはいやだよォ……」
呪いに満ちた言葉は、巨大な矢幡秀介の口から出ると同時に、無数の小さな顔からもそれぞれの声で吐き出されている。
無数の顔は、液体のように天井から滴りながら触手となってうねりだした。
「あれに絡めとられたら…」
「いつかのときみたいに、自殺に追い込まれちまうんだな!」
顔でできた触手は妙に親しげな様子で、警部と品川さんに這い寄ってくる
「死んでくれよぉ…僕といっしょに死んでくれよォ…」
噛み締めた警部の口から、怒りの唸りが漏れた!
噛み締めた警部の口から、怒りの唸りが漏れた!
「そんなに死にたけりゃ…」
警部は電磁波照射銃を天井に向けた。
「…テメエだけで死ね!」
カチッ!警部はスイッチを押した。
銃が振動し、電磁波が「それ」をめがけて迸る!
「おおあああああああああああ……」
無数の口から苦悶の声がいちどきにあふれ出した。
「い、痛いよォ………いやだぁぁぁ、一人で死ぬのは、いやだぁぁぁ」
「甘ったれるんじゃねえ!」
目の前の光景に怯むことなく、さらに警部が電磁波照射銃を撃ち続けると、天井を這い回る矢幡秀介の顔の向こうに薄っすらと天井が見え始めた。
「弱ってきやがったな。よし、もうあと少し…」
だが…勝利は目前と思えたそのとき!?
突然建物全体が、グラグラ大きく上下に揺れだした。
「ち、畜生!狙いがつけられん!」
「ポルターガイスト!霊力を再統合して、力を回復しようとしてるんでしゅ」
「な、なんだと!?」
そのとき警部の死角で、何かの電子装置が音もなく動き出したかと思うと、もの凄いスピードで警部にぶちあたってきた!
「ぐあぁっ」
「け、警部!岸田警部!!」
不意の衝撃に岸田警部は思わず電磁波照射銃を取り落とした。
攻撃が止んだ瞬間、天井の顔はブルブルと身震いした。
…すると…淀んだ沼の底から湧き上がるメタンガスの泡のように、新たな顔が次々現われた。
(あ、あの顔は!?)
新たに現われた顔のなかに、警部は見知った顔があるのに気がついた。
(あの顔は「ビニールテープの女」!)
シンクロが拡大して2階の霊も吸収したのだ。
「荷造り用カッターの男」も「人狼の犠牲者」も。
それから「赤鉛筆」「車椅子を押す男」「メスを振り回す白衣の男」も、全て八幡秀介の自殺霊に吸収されたのだ。
統合によって更に圧倒的にパワーを増した矢幡秀介は、もはや天井どころか部屋中にいたるところに存在していた。
もう室内で矢幡秀介に占められていない部分は、岸田警部と品川さんの立つ畳一畳ほどのエリアしかない。
「死、死、死、死、死、死ぃぃっ…」
天井、壁、床。
部屋中のあらゆる所から、蛇のように、海草のように、顔でできた触手が伸び上がり警部と品川さんに這い寄って来た。
「あれに捕まると自殺しちゃうでしゅよ!」
「くそう!」
警部は電磁波照射銃を拾い上げると、這いうねる「顔の触手」を撃とうとした。
「待つでしゅ!」
突然品川さんが叫んだ。
「まだ撃っちゃだめでしゅ!」
「撃つなだと?!いったい何故…」
しかし品川さんは岸田警部の言葉など耳に入らぬ様子で、なにか口の中で呟きはじめた。
「……どこでしゅか?どこを……」
「おい?ど、どうしたんだ、シナちゃん?」
顔でできた触手は、手探りするように床を這いながら次第に包囲の輪を狭ばめてくるが、品川さんの視線は相変わらず虚空を見上げつづけている。
「……これが最後………チャンスは一撃だけなんでしゅね……」
警部と品川さんの「領土」は、もう畳半分ほどしか残っていない。
触手が警部の靴のつまさきをかすめた。
「……ありがとう…それから……お疲れ様でしゅ」
(なに!?「おつかれさま」だと?)
そして警部は、品川さんが何と、いや、誰と話しているのか直感的に気がついた。
警部は品川さんが、誰と交信しているのか直感的に気がついた。
「警部しゃん!」品川さんが凛とした声で叫んだ。
「おう!」答える警部。
品川さんは、天井で蠢く顔の一つを指差した。
「あれでしゅ!あの顔がこの霊団の本体なんでしゅ!!」
一片の迷いも無く、警部は品川さんの指し示す先、矢幡秀介の顔に電磁波照射銃の銃口を合わせた!
「今度こそ、これで終わりだぁっ!!」
電磁波照射銃が振動した次の瞬間、部屋中を覆い尽くした幾百幾千の顔が、いっせいに苦悶の形相に変わった!
「い、痛いぃぃぃぃぃ」
部屋が矢幡秀介の絶叫で満ちる!
品川さんは思わず両手で耳を塞いだ。
「いやだいやだいやだいやだ、死にたくない死にたくない死にたくない…一人でなんて死にたくないぃぃぃぃぃぃぃぃっ………」
泣き叫ぶ悪霊の断末魔は次第にか細くなり数秒ほどで聞こえなくなった。
「…どうだシナちゃん?やっつけられたか?」
暫し、室内のあちこちを見渡してから品川さんが答えた。
「…………うん、完璧でしゅね。完全にお清め成功でしゅ」
警部も品川さんの真似をして、室内に彼の姿を捜してみたが、当たり前のもの以外、何ひとつ見えるものはなかった。
(ま、仕方ねえか。オレはそういう性質(タチ)じゃねえからな)
そして、ガランとした部屋に向かい一礼すると、小さな声で呟くように警部は言った。
「助かりましたよ。殿村さん。」
病院での対決の一時間後、岸田警部と品川さんの姿は所轄警察署のロビーにあった。
「眞鍋くんに命の別状は無いそうだ。取り調べが終わればすぐ家に帰れるだろう。」
「それはよかったでしゅ」
岸田警部の知らせに、品川さんはホッと胸を撫で下ろした。
「命の方は大丈夫だとして……例の方は大丈夫なのか?」
「ああ、霊の方でしゅね。そっちなら私がチェックしたけど大丈夫でしゅ。眞鍋くんの中にいた矢幡くんは完全に消滅したでしゅね」
「そいつぁあよかった」
警部は待合の椅子に尻を放り出すように腰を下ろした。
「しかし、品川さんよ。」
「シナちゃんでしゅ」
頭を掻くと警部は言いなおした。
「シナちゃん。あの病院で見た『あれ』はいったいなんだったんだ?アンタの言うような霊なのか?それとも高梨の言ってたような『電磁記録されたプログラム』なのか?」
「シナちゃん。あの病院で見た『あれ』は、アンタの言うような霊なのか?それとも高梨の言ってたような『電磁記録されたプログラム』なのか?」
警部の前でクルリと一回転してから品川さんは答えた。
「そんなの自分で考えるでしゅ」
「自分でか…」
警部は背もたれに身体を預けると、応接室の天井を見上げた。
「私の考えだけど…」
警部にならい、天井を見上げながら品川さんは言った。
「結局は何が正しいかよりも、何を信じたいかだと思うんでしゅよね。たとえば…」
「たとえば??」
「霊団の中の矢幡秀介の居場所を教えてくれた…あの人のことでしゅ。岸田しゃんはあれをただのプログラムだと思うでしゅか?」
警部は即座に首を横に振った。
「いいや、思わねえ。」
「そうでしゅよね。私もあれをプログラムだなんて思いたくないでしゅ。だから…」
品川さんの声が急に止んだ。
取調室のある廊下奥から、覚束なげな足取りで若い男がやって来たのだ。
男は警部と品川さんの姿をみとめると、どこか困ったような顔をしながらペコリと頭を下げた。
「眞鍋だ。どうやら開放してもらえたらしい。」
「早かったでしゅね?取調べやなんかで、なかなか返してもらえないと思ってたでしゅよ」
そして品川さんは警部を見上げて礼を言った。
「ありがとでしゅ。これって、岸田しゃんのおかげでしゅよね」
「ま、まあな」
そのとき、けたたましいサイレンの叫びとともに一台のパトカーが猛スピードで走ってくると警察署前に滑り込んだ。
停まると同時にパトカーは10名ほどの若い屈強な警察官に取り囲まれ、中から若い男が引きずり出された。
服も破れ、膝や肘は痣や擦り傷だらけの男は、手錠をかけられた両手で顔を隠しながら、無抵抗に、されるがままになっている。
男の無抵抗さと取り囲む警官の数がアンバランスだ。
警部は窓口に近寄ると、そこの婦警に低い声で尋ねた。
「なんだあれは?」
「ああ、あれは…」
婦警の話によるとつい10分ほど前、駅前の歩行者天国に車で突っ込み、その後ナイフを振り回して十数名の通行人を殺傷するという事件があったのだという。
「それがあの男なんです」
「そりゃとんでもねえヤツだな」
全まるで死体か何かのように曳かれていく男…。
たまたまロビーに居合わせた一般人は、それを恐々遠巻きに眺めている。
「岸田しゃん!」
不意に品川さんが警部の背広の袖口を掴んだ。
「…私には見えるでしゅ!アイツはまだ…」
次の瞬間、男が動いた!
両手をガッチリ掴んでいたはずの警官を一瞬で振り切ると、申請書類記入台にあったボールペンを引っ掴み、たまたま手近にいた眞鍋幸平の首に両手を絡ませてボールペンの先端を首筋に押し当てた!
「おいクソども!動くんじゃあねぇ……」
警察官の予想を超えて男は早かった。
だが、岸田警部はもっと早かった!
男がボールペンを眞鍋の首筋に押し当てたとき、警部は既に相手の至近距離に飛び込んでいた。左手でボールペーンを掴んだ男の手を跳ね上げて眞鍋を事由にすると、右手を相手の額にかけ、そのままの勢いで後ろの壁に叩きつけた!
ゴン!!
…鈍い音がした。
再び殺到する警官にツバを吐き、誰彼とかまわず罵声を浴びせかけケリまくるが、彼のショータイムは既に終わっていた。
アドバイスをもらった礼にウィンクでも返してやろうかと品川さんの姿を探すと、彼女はロビーの片隅で一人悪い夢でも見たような顔で立ち尽くしていた。
(…なんだ?どうかしたのか?)
その様子が妙に気がかりだったので声をかけようと思ったが、聞き覚えのある声に横槍を入れられてしまった。
「いや、見事な腕ですね。感服しました。」
「ああ、アンタは…」
所轄の森田警部補だった。
「いったいどうすればあれほど素早く動けるのですか?まるでヤツの心を読んでいたようでしたが…」
(まさか「本当に心を読んだ」とは言えねえよな…)と思いながら、警部は森田の肩越しに品川さんの方に目をやった。
品川さんはもう立ち尽くしてなどおらず、ロビー中をキョロキョロ見渡し、何かを探しているようだった。
(そうだ、そういえば…)
警部は品川さんの捜す相手に思い当たった。
「眞鍋は?眞鍋くんは何処に?」
「眞鍋?そういえば…何処に行ったんでしょうね。人質になったといっても一瞬のことですし格別怪我も無いはずですから、家に帰ったんじゃないでしょうか?」
(家に帰った…?)
まだ話し足りなそうな森田を後に、岸田警部は正面玄関に向かって歩き出した。
見ると品川さんも一足先に玄関に立ち、じっと左の方を不安気な顔で見つめている。
「シナちゃん、何か気になることでも?」
「……ちょっと……見えたような気がしたんでしゅ」
「見えた……何を?」
「シンクロの揺らめきでしゅ」
「シンクロ?でも矢幡秀介の霊は完全に…」
そのとき、2人の目の前で初老の男性が警察署前の道を渡ってコチラ側にやって来た。
そのとき、2人の目の前で初老の男性が警察署前の車道を渡ってコチラ側にやって来た。
最後の2メートルほどを小走りで車道を渡り終えると、この初老の男性は、左側から歩道を歩いてきたサラリーマン風の男性の直前を軽い会釈とともに通り過ぎようとした。
その瞬間…突然サラリーマン風の男が、目の前を通り過ぎようとしていた初老の男性に殴りかかった!
なんの前触れもないあまりに突然の出来事に、玄関両脇に立つ2人の制服警官も反応できない。
突然の一撃に初老の男性が歩道に倒れこむと、サラリーマン風の男は相手の顔といわず頭といわず、革靴の爪先で立て続けざまに蹴りつけた。
「バカ野郎!なにボンヤリ見てやがんだ!」
岸田警部が署から飛び出すと、金縛りが解けたように2人の警官も後に続き、三人がかりで荒れ狂うサラリーマン風の男を取り押さえた。
(待てよ…こいつのこの目は…)
署内に引っ立てられていくサラリーマン風の男を見て、警部はつい数分前に見たばかりの男の目を思い出した。
(あのホコ天殺人鬼の……)
「シンクロでしゅ!やっぱりシンクロなんでしゅ!!」
悪い夢でも見たような顔で、品川さんは立ち尽くしていた。
「だけどシナちゃん、さっきも聞きかけたが、矢幡秀介の自殺霊は消滅したんだろ?だったらシンクロは…」
「違うでしゅ!矢幡秀介さんの自殺霊は間違いなく消滅したでしゅ。矢幡が消えてカラッポになったとこに…」
「そ、そうか!判ったぞ!」
シナちゃんの言わんとすることに気づき、警部は思わず自分の喉を掴んで仰け反った。
「あのホコ天殺人鬼が殺意剥き出しで眞鍋を人質にとったとき、ヤツの憎悪や狂気が眞鍋の心に記録されちまったのか!」
そして警部の顔色がたちまち真っ青に変った。
「お、おい、そりゃまずいぞ」
「そうなんでしゅ。こんどまたシンクロが発動したら、それは憎しみのシンクロなんでしゅ。いまここで捕まった人みたいな憎悪の殺人が大量発生しちゃうでしゅ!」
(考えろ!考えるんだ!眞鍋幸平はどこに行ったんだ!?)
警部の頭脳がフルスピードで回転を始めた。
(さっきの男もここに来るまでのどこかで眞鍋と接触してシンクロの餌食になったんだ。)(男は署の左手側から、つまり署の東から来た。署の東にあるものは…)
(「眞鍋?…家に帰ったんじゃないでしょうか?」)
「駅だ!」
叫ぶと同時に警部は走り出していた。
「駅だ!眞鍋は駅に向かったんだ。」
「ま、待ってほしいでしゅぅぅ…」品川さんが必死にあとを追う。
(駅前の人ごみに眞鍋が入ったらとんでもないことになる。)
眞鍋のシンクロが、警察署での事件で稼動状態にあることも間違いない。
シンクロが稼動時様態でなければ、さっきのサラリーマンも犯罪者になどならずに済んだはずだ。
(それを防ぐには……)
警部は脇の下に吊るしたホルスターのストラップを外すと、黒光りする大型の回転拳銃を引き抜いた。
「警部!警部!」と品川さんの声が聞こえる。
「品川さんは信じていた。『岸田警部は、絶対そんなことはしない』とな。」
部長の言葉が甦った。
(結局オレはシナちゃんの期待を裏切るのか…)
右手の拳銃がとてつもなく重い。
(だが、ためらってるヒマはない!)
拳銃片手に血相変えて走る警部の姿に通行人は飛びのき、車は急ブレーキを踏む。
(間に合え!間に合ってくれ!)
だが…警部は間に合わなかった。
行く手に見えた駅前商店街の人ごみで突然悲鳴が上がり、続いてバン!バン!と二発の銃声が響き渡った。
「どけ!警察だ!どくんだ!!」
商店街の中ほどに、大きな人だかりができていた。
その中を、拳銃と警察手帳を振り回し掻き分けていくと、ぽっかり開けた円形の空間に警部は突然飛び出していた。
円形劇場のように区切られた空間には、4人の「役者」の姿があった。
4人のうち2人は制服警官で、1人はニューナンブを構えて立ち尽くし、もう1人は血の色に染まった右太股を押さえてうずくまっている。
残る2人は民間人で、1人は刺身包丁を手に仰向けに倒れていた。
そしてもう1人が…眞鍋幸平だった。
「ま、眞鍋!」
慌てて駆け寄り眞鍋を抱き起こすと、警部の両腕はたちまち真っ赤に染まった。
「いきなり変な声あげたかと思うと、あの人をいきなり包丁で突き刺したんだ。」
「すぐそこの交番から駆けつけたオマワリさんまで……」
群集の中で囁きかわすいくつもの声が聞こえた。
「おい、救急車を呼んであるのか!!」
警部がそう叫ぶまにも、眞鍋の周りには丸く血溜まりが広がっていく。
赤い、赤いスポットライトを浴びているように。
「道を開けてくれ!これじゃ救急車が入ってこれない…」
「…警部」
いつのまにか、岸田警部の傍らに品川さんが立っていた。
「もういいでしゅ。もう、終わっちゃったんでしゅ」
「助けてあげられなかった」という、悲しみの涙が品川さんの頬をつたった。
「……この人は、もう、空っぽでしゅ」
こうして、「シンクロ」のおはなしは幕を閉じます。
奇怪な実験に参加した眞鍋幸平君は、最後にはシンクロに支配された殺人者の手にかかり悲しい最期をとげました。
果たして「霊」は存在するのか?
それとも「霊」など存在せず、ただの電磁記録に過ぎないのか?
それは、結局生きているものには永遠に解けない謎なのかもしれません。
…では、また。
「A級戦犯/シンクロ」
お し ま い
随分悩みました。後半のゾンビ映画化は。
いちおう「ウルトラQ」を名乗ってるわけですし、ゾンビはちょっと違うんじゃないかと…。
でも、東映は「悪魔くん」や「ジャイアントロボ」でゾンビネタをやってるんですよね。
だから…やっちゃいました(笑)。
ご勘弁を…。
蛇足ながら。
「シンクロ」に岸田警部しか出てこないのは、凍条と南の2人が「木神」事件に出動しているからです。言い換えると、「木神」に岸田警部が出てこないのは、「シンクロ」を抱えていたからなんですね。
「甦る顎(アギト)」は「木神」と連続した事件ですが、猟奇殺人事件そのものは「シンクロ」や「木神」のスタート以前から発生しています。そのため、「シンクロ」にも人狼の犠牲者の死体が出てくるわけです。
458 :
名無しより愛をこめて:2009/07/10(金) 13:23:14 ID:o2aUP5T80
このスレに投下する駄文も、「アイドルを捜せ」「木神」「一万年にいちどの」「聖なる夜に首をつれ」「甦る顎(あぎと)」「シンクロ」と来て、次を投下すれば7本目。
ただ「顎」「シンクロ」とダークなお話が続いたので、次はバカネタの「おっぱいがいっぱい」を予定しています。バカネタは他に「2200年の挑発」と「育てよカメ」を準備中。
他にどなたも自作を投下されないのであれば、週明け月曜から投下開始いたします。
459 :
けろ:2009/07/10(金) 15:41:41 ID:TW80kIxW0
今後とも面白い作品楽しみにしています。
おバカネタも期待ですね。
で、たまには、少し短めのおバカ作品にも挑戦してもお話も面白いかもと思いました…などと、勝手に発言してみました。
自分でいろいろ書いてみて初めて判ったんですが。
「状況の説明」の話です。
むかしジョン・カーペンター監督の映画のコメンタリーを聞いていて…。
単なる説明をダラダラやるのは下手。
キャストに説明させるのは、多少はマシ。
ベストは、複数のキャストの会話や周囲の描写で立体的に状況を理解させるやり方なんだそうです。
たとえば…廃墟の町、荒れ果てた街路を舞う古新聞。
それが風に吹かれて壁にバサッと貼りつくと、目に飛び込むのは「Dead Walk」の文字!
これだけでこの映画が、ゾンビによって滅びた世界を舞台にしていると判ります。
ロメロ監督の「デイ・オブ・ザ・デッド」のシーンですね。
これを文字やナレーションで説明しちゃいかんと、カーペンターは言ってるわけです。
説明が長い小説というと、たぶん推理小説とSF小説が双璧だと思います。
SFはそのとっぴな設定を説明する必要がありますし、推理小説にいたっては名探偵による謎解き(つまり説明)が最大の見せ場だったりするからです。
これをカーペンター流でやろうとすると……どうしても長くなります(笑)。
簡潔に説明に徹すれば2〜3行で終わる話を…
「犯人は××卿だよ」
「そんなバカな!?××卿なら犯行時刻僕らといっしょにいたじゃないか?」
「そうですわ、気でも狂ったんじゃないですか!?」
…これは問題点を立体化させ、トリックの説明を光らせるための準備作業なんですが…ともかく長くなります。
ところで「ウルトラマン」の傑作に「故郷は地球」ってのがあるんですが…これをカーペンター流で書いてみると、絶対に30分番組に収まりません。
しかし、実相寺監督は切れ味鋭い演出で30分番組にまとめちゃってるんですね。
歴代ウルトラシリーズ全作品の中で、編集という観点からはあれが群を抜く一位だと思います。
で、私の目標だったりもするわけです。
バカネタは短い方がバカっぽさをキープしやすいし、長い間バカでいるのはむしろ難しい。
「おっぱい」はおっしゃられる通り、短くまとめてみたいと思います。