>>188 >物語の内容は作者の主張や主題とリンクすると言ってなかったか?
リンクとイコールは違う
>上腕二頭筋で考えるキョウなら「知らん自分で考えろ」と切って捨てるだろうね。
因果律が逆転していることに気づいてほしい
上腕二頭筋で考える人物であることが明確になったのはあの場面だ
しかし上のほうでも触れたとおり、キョウは割と理屈っぽくものを考えるタイプだった
>脚本レベルで切って捨てられたことは、話として駄目ではないの?
物語の語り方の問題だろう
一方の主張を体現する側を卑劣とし、他方を聖なるものとして描くことで、
作者の主張を明確にする技法としては駄目ではない
と同時に、そういう単純な対置法自体を、安直だと否定することも可能
問題はゼーガにはどういう語り方であったのか、ということだ
わかりやすい悪役がわかりやすい悪役的言動をし、それを退治する話だったのか
どちらが善でも悪でもなく、より正しい道を見つけるべく苦闘する人々の物語だったのか
>物語の前半に限定されているのではないかね?
そうでもない。ナーガとの対話後も色即是空についてのやり取りがある
どちらにしても、キョウがただの筋肉キャラでないのは確かだろう。あの瞬間以外は
>これでも「作中で命題化された」と言えるのか?それとも言えないのか?
これもすでに書いてあるとおりで、サイファーの主張自体は作中で示されている
彼らが対置された時点で命題化され、一方が一方を排することで命題に結論を与えたと見ることができる
すなわち「飼いならされるな、目を覚ませ」と
ではゼーガはどうだろう
すでに書いたようにキョウのキャラクターは主張の体現とするにはブレが大きすぎる
ナーガのキャラクターは「絵に描いたような悪役」でしかなく、その主張は整理されて表現されているとはとてもいえない
対置法として成立しているとはいいがたいな