ゼーガペインを考察するスレッド

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129名無しは無慈悲な夜の女王
>>120
>少なくてもナーガは「対話を仕掛けてきた」のだから、
>その「意思がある」という可能性が「排除できない」とする思考に無理があるかな?
甚だ無理があるね。なにせ貴方が挙げた根拠は「キョウは相手に対話の意志がないと指摘しなかった」
ことだけだもの。もしもキョウが普段から人に論理的に指摘しまくるツッコミキャラであったならば、
今回に限っては指摘しなかったことから、「意思がある」という可能性が「排除できない」とすることは
可能だろう。だが、実際は違う。

>で、前提化されているの?
>あの対話の時点でナーガのやってることがペテンであるということは、たいていの視聴者はわかっているべきなの?
少なくともこのスレの流れを見る限りでは、わかっていないのは貴方1人だけであるようだが。
いや、後ろで、貴方自身さえも、あの場面が「ナーガの悪」を表現していることを認めているね。

以下、「マトリックス」の話。スレ違い、スマソ。

>100パーセントコントロールしているわけじゃないだろ
だが、結果として、リローデッドまでは、ネオの感情は100%コントロールされていたね。
少なくとも、1で最初に「栽培受胎への反発」を示したのは建設者のコントロール下でのことだ。

>本人の自由意思があってこその「救世主計画」なんだから
即ち、本人の自由意思があること自体も、建設者のコントロールの内ということになる。

>あと、栽培状態への拒否反応は、救世主だけでなく、ザイオン、
当たり前だ。アノマリーをザイオンとしてまとめて消去するのが建設者の計画なんだから。

>さらには視聴者にも共感できるように作ってあるのが重要
>そうすることで「作品の主張」としての「栽培受胎への反発」が成立する
視聴者が主人公に共感できるように作ってあるのは、エンターテインメントなら当たり前。
当たり前のことを当たり前にしただけでは、それを「作品の主張」とする根拠にはならないよ。
130名無しは無慈悲な夜の女王:2006/10/03(火) 10:54:33
さらにスレ違い、スマソ。
>>120
>物語の目標設定が、作者の主張主題とリンクすることぐらい理解してね
だから、それは、「ワンピース」の主題が「ひとつながりの財宝」だと言うようなものだって。

>私見であるなら、あえて反論はしないが一般化しないようにね
言われるまでも無い。貴方と一緒にしないでくれ。

>押井版のことだよな? 終局のハイブリッド素子が象徴するように、基本主題は「進化」だ
では、正解をお教えしよう。
ユリイカのアニメーション特集で、押井守監督自らが「Ghost in the shell」を無主題作品である
と言い切っている。つまり、少なくとも監督はあの作品に何ら主張を込めていないということだ。
少し考えてみれば当然のことだ。義体もゴーストも人形使いも完全に空想の産物に過ぎないだろ。
空想の産物がどう進化したところで、その進化も空想だから、「進化」を論じたことにはならない。

>>121
>そんな道徳の時間みたいなことを条件化されても困るが
当たり前の条件だと思っていたのだが、違うのか? このくらいの条件が無ければそれこそ、
「ワンピース」の主題が「ひとつながりの財宝」だと言っても反論できなくなってしまう。

>つまり物語レベルでサイファーというキャラクターが象徴する主張を否定しているんだよ
これは、>>123氏の反論が的を射ているね。
 アンチテーゼであるナーガ(身体感覚より「進化」)の存在がまさに、
 テーゼが「身体感覚」であることを示しているだろ
 論しなくたって物語の中で対立する主張を持つキャラクターを対比させることで
 「作品として」主張を展開する技法など珍しくもないよ
 そしてゼーガペインの中でナーガはどう扱われた?
 独善的な虐殺者、だろ?
 つまり物語レベルでナーガというキャラクターが象徴する主張を否定しているんだよ
加えて、「ゼーガペイン」では、キョウとナーガが直接に対峙して、
キョウがまさに身体感覚をもってナーガを退かせる場面がある。
殆どいつの間にか死んでたも同然のサイファーとは違うね。
131名無しは無慈悲な夜の女王:2006/10/03(火) 11:05:16
>>121
>あの数分のシーンにそこまでの「読解」を要求する作劇的無茶ぐらいはわかるよね?
何度でも言わせて貰おう。「個人の読解力の無さを一般化して語らないように」。

逆に訊こう。登場して裏切って死んだだけで、主人公との対話も議論も無かったサイファーから、
上記ほどの「読解」を要求することは作劇的無茶ではないのかね? 何が違うんだね?

>そうだね、つまりそういう形でしか「ナーガの悪」を表現できないと
>スタッフが判断したということを示しているよねえ
いいかい。「ゼーガペイン」は『映像』作品なんだよ。台詞だけでなく、キャラや背景の描写から
BGM、そして声優の演技まで含めて1個の作品なんだよ。「そういう形でしか」ではなくて、
「そういう形で『ナーガの悪』を表現するべき」なんだよ。じゃなきゃ、映像にする意味が無い。
本末転倒も甚だしい。

>これって「理性」の敗北だよね
「身体感覚の優位性」を示したとも言えるかもねw

>「共感」の後に(あるいは先に)、「論理的」解題があってはじめて「身体性の優位の証明」だろう
なんで? 「共感」によって「身体性の優位の証明」をした後に「論理的」解題を示したら、
折角の「身体性の優位の証明」がスポイルされてしまうだろ。やっぱり、本末転倒だよ。

>それが推理小説で言うところの「謎解きの必要性」なんだよ
繰り返すが、ゼーガペインは推理小説ではない。

>論理を重んじる姿勢においては推理小説もSFも同じだ
>あ、ゼーガはSFじゃないって意見の人?
貴方が、SFの定義にどんなに奇妙な条件を加えても、それは貴方の勝手だが、人に押し付けないでくれ。
少なくとも、貴方の「俺SF」でないことは確かだ。

>いや、覚醒後に、一旦納得しているんだよ。幻体世界に
>葛藤じゃなくて、ただの矛盾
素で意味が解からない。矛盾なり板挟みな状況があるから、人は葛藤するんじゃないのか?