★季刊幻想文学を評する★

このエントリーをはてなブックマークに追加
67名無しは無慈悲な夜の女王
>>64
>荒俣宏なんかがオカルトに転んだことへの反発があったんじゃないか
荒俣のオカルトは似非、氏はあくまで博物学の人。
荒俣が博物学へいったのは、ちょうど国書で幻想文学大系がはじまったあたり。 27〜8才の頃か。
やはりこれをいい区切りにして、自分の資質を再考したのではないか。
「おれは何をやりたいのか、おれには何ができるのか」
たとえば、お師匠の平亭翁は一生涯文学に殉じた。そのかわりずっと貧乏ぐらしだった。
偉とするに足るが、では自分に同じ真似ができるのか。
マッケン「夢の丘」や平井のごとく文学のために死ねるのか。他にやりたいことが
あり過ぎるんじゃないか。
そして「理科系の文学誌」と「帝都物語」を書いて憑き物落としをした。

荒俣は博物学へ行ってから駄目になったと言った人がいた。違うんだ。逆だ。
もう自分は文学の道じゃ駄目だ、才能も展望もないし続ける根性もないと、荒俣はあるとき自覚した。
だからこそ、博物学や図像学へ行ったんだ。

東雅夫は文学にこだわり続けようとしている。
68名無しは無慈悲な夜の女王:02/08/18 21:57
平井呈一『真夜中の檻』序文は荒俣が書いている。短いが泣かせる。
あれは平井を回想していると同時に、平井と交流があった 20代の頃、幻想文学の
紹介に燃えていた自分自身の 10年間を思い出して泣いている。
有り得たかもしれない、しかしあの時自分で切り捨ててしまった可能性を平井の生涯
に見出している。

文学に殉じ、そのかわりお客がきてもロクにもてなしもできず本一冊買うのも苦労
する清貧の暮らし。自分にはあの精神的・経済的にも苦しい生活は耐えられなかった。
だから捨ててしまって別の道を歩んだ。荒俣にとって平井は「かつて有り得た未来」だ。