>>25 http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1151026593/954-955 実は、その重役社員用の別荘は那須岳の温泉の別荘だったんです。
始めていった記憶もあって、物心は付かなかったが、そのときだけは覚えています。
始めは家族全員で泊まり、次に、テニスコート場につれられていった時、ナスで食べようと父が私に
言うので、わたしはナスを食べると答えたと思いました。父と私の二人で、重役社員寮に行く事となり、
ご馳走があったものの茄子が出てこなかったので困っていたんです。那須岳に登山して、
途中あたりから歩くのが辛くなりだしたんですけど、困っているのを父がニヤニヤ見ていて、
地獄の時間が始まり、その後の記憶が途絶えています。恐らく、肩車で下山したと思われるんですが、
那須や茄子というと、先ず地獄のイメージが心の底で付きまとう所があります。
そこが重役社員寮の珍しい旅館であると言う事が解り出したのは高校生の頃で、
1月単位や2週間に一回の割合で普通に行っていた時もあったと思われます。
その頃には、那須岳の良が解るようになったが、旅館は飽きていたので、最果ての地の屋敷に居る
気分くらいで、少し見慣れた庭の急斜面に感激するくらいの状態でした。
いま、振り返ってみると本当の意味で何かが狂っていると感じたんですけど、
父が、自分にとっては良い所だと始めてきた時は感じたが、次からは、父が暮らしなれた
実家の感覚で行こうと思うようになったらしいのではないかと言う事が、ずっと後になってきて
解ってきたと言う事なのです。 先ず、私の平常の感覚が普通の人と何かがずれていると
思われるのはここからきているのではないかと思われる。