【疑問】スレ立てるまでもない質問10【戦国時代】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
分からないことがあるときは、スレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問は、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。
回答に時間がかかったり、回答が得られなくても怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップ付けることをお奨めします。
また質問する前に一度自分でも調べてみましょう。
人名・用語について調べたい時は、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。。
―【質問する前にすること】―
★検索サイトでとりあえず検索。これ最強。→Google検索
http://www.google.co.jp/
★自分と同様の質問がスレッド内(Ctrl+F)、過去ログ先に無いか必ずチェック。

<お願い>
 ・常時age進行でお願いします。
 ・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
 ・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
 ・過度な論争は自粛してください。
 ・煽り質問はスルー。

◇過去スレ
1 ttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150022967/
2 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195567708/
3 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234172504/
4 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251802299/
5 ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1263114279/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274877247/
7 ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296473917/
8 ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1311198199/
9 ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327134476/
2人間七七四年:2012/09/15(土) 00:24:21.12 ID:B/qLTJ73
>>2 武将以上の死に方は、
・老衰死
・敗死(負傷死・切腹含む)
・内科的直接要因での病死(ガン・心疾患その他)
これらに当てはまらないのが、暗殺の可能性高いと定義。

「裏工作だから、3英傑の親類多数ほか史実の何十倍も実在した」はず。
3人間七七四年:2012/09/15(土) 08:42:07.66 ID:b40tmjGL
戦国時代という呼び方はいつから始まったのですか?
4人間七七四年:2012/09/15(土) 08:52:17.41 ID:fg19uC2/
>>3
「戦国時代」と言う言い方は明治になってから。
ただ同時代から「戦国の世」という認識も言葉もあった。
5人間七七四年:2012/09/15(土) 10:28:48.20 ID:KXx5NeR0
八つ墓村の元ネタになったような落ち武者狩りは有ったのでしょうか
6人間七七四年:2012/09/15(土) 12:15:59.81 ID:yZt04MJ5
明智光秀なんてもろ落ち武者狩りじゃん。
7人間七七四年:2012/09/15(土) 23:09:42.59 ID:D+jQjERx
1乙

信長について質問です
信長の伝記漫画に道三と会談する時、信長達は
『全裸で男性器の形の飾りを馬に乗せて極めて卑猥な事を言いながら町を歩いた』
そうですが、歴史番組では
『袖を片腕だけ通して、腰からひょうたん下げて、カキを食べながら』
としていました、どっちが正しいのでしょう?
それとも資料によって書いてることが違うのでしょうか?
8人間七七四年:2012/09/16(日) 00:50:00.34 ID:Z1YkyDI5
後者については出典は信長公記です。
信長公記は編纂物、いわいる後世に書かれた書物なのですが
信長の部下だった人物が桃山時代に書いた同時代資料と言ってもいい物で
内容も一次資料との差異が少なく信頼できる史料です。
(ただし正徳寺の会見は首巻に書かれいて、首巻は後から書き足されたものとも言われ
信長公記の記述の中では若干信頼性が落ちます。)
そして正徳寺の会見に関する資料で最も古いのも信長公記であり
信頼性からのも後者が事実に最も近いものだとされています
それを踏まえて前者に関してですが出典はわかりませんが
内容的にほぼ後世の人物の創作、または捏造と見ていいでしょう
9人間七七四年:2012/09/16(日) 08:49:34.78 ID:oeakW6zh
敗戦から逃れて領地に戻って来ても
もうここにはいられないと逃避行するのは落ち武者っていうんでしょうか?
10人間七七四年:2012/09/16(日) 08:50:48.83 ID:OaS8+f8c
それは同時代の言葉では「没落」と呼ぶ。
11人間七七四年:2012/09/16(日) 08:59:43.31 ID:vbDa0kFE
軍勢のていを為してないのが落ち武者って言うんじゃないのか?
だから自領でも追剥ぎみたいなの警戒するw
12人間七七四年:2012/09/16(日) 12:20:13.16 ID:Z1YkyDI5
>>8
そういえば前者は正徳寺の会見ではない別の事柄で見た記憶があるなぁ
はてなんだったか?
13人間七七四年:2012/09/16(日) 23:18:13.44 ID:53u1/GrQ
国衆って厳密な家臣ってわけでも無さそうだけど
江戸期はどうなって行ったの?
14人間七七四年:2012/09/16(日) 23:36:10.00 ID:OaS8+f8c
家中組織に統合された。
その統合レベルは大名によって様々。
家中の官僚機構にがっちり組み込まれたものもあれば、
伊達みたいに半独立のまま幕末まで行ったものもある。
15人間七七四年:2012/09/17(月) 00:05:13.03 ID:E8p4a0fx
国替えがあるとそのときに組み込まれちゃうよね
16人間七七四年:2012/09/17(月) 13:52:26.02 ID:jBufAYMd
武田家に埋蔵金はあったんですか?
上州に土屋某の墓があって、武田家の遺産を預かっていたという話がありました。
三つ巴なので金丸系の土屋氏の一族だと思うのですが。
17人間七七四年:2012/09/17(月) 13:55:11.03 ID:MkFOmeOq
埋蔵金なんて余裕があれば滅びてねえよ
18人間七七四年:2012/09/18(火) 05:18:10.32 ID:FWFSqyAR
裏金になびくのは、程度の低い浪人・忍び衆だけだろw
19人間七七四年:2012/09/18(火) 09:00:29.56 ID:3vCDDrLC
>>4
ちなみに、「戦国の世」という言葉の初出っていつ頃なんでしょうか?
20人間七七四年:2012/09/18(火) 17:46:38.76 ID:apTRm8//
「戦国時代」も「下克上」も古代中国の戦国時代に由来する。
古代中国の「戦国時代」は戦国策という書物に由来する。
21人間七七四年:2012/09/18(火) 17:48:16.82 ID:IqXhyi4/
>>19
具体的な出店は忘れたが、応仁の乱の頃にはすでに言われているはず
22人間七七四年:2012/09/18(火) 18:26:29.95 ID:VDwBAGhV
>>20
あんまりウソばっかり言いなさんな
中国の「戦国時代」という名称が使われるようになったのは
17世紀の清代からです。

23人間七七四年:2012/09/18(火) 18:35:45.93 ID:apTRm8//
>>22
えっ、そうなの?それじゃ春秋時代も?
24人間七七四年:2012/09/19(水) 01:55:49.74 ID:00aFhjNg
>>16
怒られてやんのw
25人間七七四年:2012/09/19(水) 08:59:19.70 ID:eOvDlqr9
14年NHK大河に浮上 明智光秀
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/sereal_tv_drama/?1348008714

良いやん!
26人間七七四年:2012/09/20(木) 11:28:19.45 ID:TBipoF2X
史料類で写しと原本の違いはサイン(花押)の有り無しで判断するのでしょうか?
27人間七七四年:2012/09/21(金) 15:35:59.53 ID:R9JnpGbP
陣形については俺のHPで勉強しろよ
http://1st.geocities.jp/sengokujidai_sougou/D-500_sengoku.htm
28人間七七四年:2012/09/21(金) 18:04:56.62 ID:kPpmcvql
>>27
陣形の漢字が読めない・・
29人間七七四年:2012/09/21(金) 19:07:49.32 ID:q4HNZcaH
>>26
花押ごと写してるのもあるのでそう簡単でもない
30人間七七四年:2012/09/22(土) 11:29:30.32 ID:tcxKQCVG
脇坂安治が大坂の陣で中立を守ったって記述をウィキペディアや巷の解説本で目にしたのですが
ソースとなる一時史料はわかりますか?
また、本当だとしたらどのような政治的な事情があったのでしょうか?
豊臣家への忠義立て、だけとも思えませんし
31人間七七四年:2012/09/27(木) 20:58:12.46 ID:bM1hHVva
分からん
32人間七七四年:2012/09/27(木) 21:03:58.74 ID:9It+jQ9a
脇坂は幕府軍として八丁目口を担当してるだろ。
どっから中立守ったなんて珍奇な話が出てきたんだ?
33人間七七四年:2012/09/27(木) 21:09:29.84 ID:NErhFr3o
脇坂家としては脇坂安元が軍を率いて幕府型として参戦しているし、豊臣方とガンガン戦ってる。
脇坂安治個人が参加してないだけ。

これって中立か?
34人間七七四年:2012/09/30(日) 20:41:21.19 ID:DP5Me6bG
直接秀頼は討ちたくないだけだろ。
35人間七七四年:2012/10/02(火) 18:37:01.57 ID:GLgdIXzL
大名やその家族を逃がす為とかに死んだ女
ってどんなのが居るの?

男はたくさん居るけど、、、
36人間七七四年:2012/10/02(火) 20:51:38.32 ID:hCHVNpzi
どこだったかな備中だか美作だかあたりの国人領主の女中が
領主の子息を抱えて逃げて片腕切り落とされながら逃げ延びたみたいな記述をみたような…
死んだわけではないけれど
37人間七七四年:2012/10/03(水) 12:26:36.47 ID:KRCsBAI2
てかそういうので再興果たした武家ってあるっけ?

大名は立花家くらいだよな。
38人間七七四年:2012/10/03(水) 14:41:38.35 ID:crXgtU2m
再興を果たしたとか誰も言ってないだろ。
39人間七七四年:2012/10/03(水) 22:53:46.07 ID:FiMMMGmk
言って無いとイケない根拠は? コミュ障さんw
40人間七七四年:2012/10/13(土) 21:15:51.26 ID:1HUwngB1
アホがしょうもない茶々入れたら過疎ったな
41人間七七四年:2012/10/18(木) 13:31:18.54 ID:/jrfKVrS
関ヶ原の頃の徳川って本当に240万石もあったの?
関東は田は少なくて畑中心だったのじゃないか?
江戸時代を通じて米は北陸などからの輸入に頼ってたはず。
42人間七七四年:2012/10/18(木) 14:01:37.12 ID:ovYf0ydA
>関ヶ原の頃の徳川って本当に240万石もあったの?
あった
>関東は田は少なくて畑中心だったのじゃないか?
そんなことは無い
>江戸時代を通じて米は北陸などからの輸入に頼ってたはず。
輸入に頼っていたのは江戸であって関東では無い。
43人間七七四年:2012/10/19(金) 08:38:06.89 ID:QnwN6wzW
江戸だけ人口がやたらと多かったからな。
44人間七七四年:2012/10/19(金) 13:35:39.91 ID:x84+M6WA
240万石も米が取れて江戸100万人を養えないはずがない。
関東は畑中心だよ>大石新三郎
45人間七七四年:2012/10/19(金) 14:08:29.29 ID:Z8QFrMpQ
さすがにスルーだわ
46名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/19(金) 14:55:55.69 ID:xElriWwF
すまそ 日本の合戦って食料庫襲撃作戦、ほとんどないような
気がするんだけど 気のせい?

曹操VS袁紹 官渡の戦いなら鳥巣の食料庫襲撃でほぼ決着つきました。
関ヶ原や大坂の役で10万人以上の食料庫を襲撃してしまえば形勢も
逆転できたのでは??
47人間七七四年:2012/10/19(金) 15:25:37.92 ID:B4gC78hG
>>46
恐ろしい事にあの時代の兵糧は「各大名家で自前でヨロシク」だったりする
なので1ヶ所焼けば逆転出来るような兵糧集積地なんて無いです

現地調達分も大きいんで大名屋敷の備蓄を接収したり、買い占めしたりはしてますね
48人間七七四年:2012/10/19(金) 15:41:39.11 ID:Z8QFrMpQ
長篠城の戦いで窮地に陥った城側が鳥居強右衛門を
決死の使者にだした契機が食料庫を奪われたからだとか
三増峠の戦いで北条がまず襲ったのが小荷駄隊だとか
川中島屏風絵で小荷駄隊がゲリラに襲われてるとか
補給線に打撃を戦術はそれなりに行われてますよ。
守る側も補助部隊なのにあえて精鋭を持つ重臣や高名な武将に
小荷駄奉行を担当させ守らせているので簡単にはいきませんでしたが
49名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/19(金) 15:49:41.05 ID:xElriWwF
>>47 そうなの??? 日本史の戦争すべてが食料自前・現地調達だったら尚恐ろしいですね。
50名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/19(金) 16:03:48.96 ID:xElriWwF
>>48 確かに。
しかし官渡の戦いみたいに歴史的転換となったほどのレベルではないよね。
個人個人レベルで食料携帯であれば 荷駄隊の襲撃はほとんど局地戦レベルでしょう。
51人間七七四年:2012/10/19(金) 19:58:25.71 ID:Q6c3iEbD BE:2013963438-2BP(11)
過去の歴史から学んで食料庫が無いん( ´・ω・)?
52名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/19(金) 21:49:16.62 ID:xElriWwF
うーん 食料は各自何日分もってこいってのが通例みたいだね
それ以上になると購入・乱捕り・・・

これが本当だとすると、
日本の陸軍事学って世界でも最弱レベルかもしれないよ
戦争のほとんどは移動か寝るか食べるかだから
53人間七七四年:2012/10/19(金) 22:03:52.90 ID:2gmdden5
同時代のヨーロッパでも似たようなもんだろ
おかげ国家レベルの戦争なのに数万しか動かせない
54人間七七四年:2012/10/19(金) 22:26:15.32 ID:Z8QFrMpQ
数万といっても日本ほどの人口の国はヨーロッパにはありませんからね
同君連合を一国と数えれば別ですが

食料自弁、足りない分は現地調達は中世では何処もたいてい同じですね。
あと軍事学的に現地調達だから単純にダメってことは全く無いんですね
現在のアメリカ軍も現地調達に力を入れています。輸送費削減になりますから。
55人間七七四年:2012/10/20(土) 01:54:25.32 ID:Ufi3c7Jf
孫子の兵法も「兵站を何度もやるな」だからなあ。補給が重要かつリスクのあることであることは事実
補給線が伸びきるとそれこそ太平洋戦争みたいなことになりかねない
であるからこそ拠点をいくつも設けてあるとも言えるわけで
56人間七七四年:2012/10/20(土) 07:54:00.42 ID:k7nn88Y0
>>49
秀吉の唐入りが頓挫したのも朝鮮で現地調達できなかった為に当てが外れたせい。
57名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/20(土) 08:07:34.43 ID:WjZRDeZz
日本の武将で兵站に優れて有名な人物って光成か吉継ぐらいかな
かれらのおかげで北条滅んだのに 挙句の果てに周りからボロクソに言われたのは
当時の陸軍事学が兵站を軽視していた証拠だよね。

中国では、漢楚の戦いで100万人の将兵の食料補給を絶やさなかったショウカが韓信を差し置いて
建国第一になったというのに。
58人間七七四年:2012/10/20(土) 08:15:12.74 ID:k7nn88Y0
韓信を差し置いてというか、群臣が推薦したのは曹参だがな。
59人間七七四年:2012/10/20(土) 08:30:07.56 ID:qmuCdkAy
>>52
兵站の確保は政治的な意味合いも強いからな。
特に現地での購入は予め、敵地の商人や豪族を懐柔する必要があるし。
60人間七七四年:2012/10/20(土) 09:40:38.75 ID:OjTnBRaU
>>57
え?まだ北条攻めで豊臣の兵站優れてるとか信じてるの?食料不足で足軽の脱走続出してたのに。
すこしは軍談講談の世界から離れようや
61人間七七四年:2012/10/20(土) 09:42:13.83 ID:t6s/gcUt
>>57
長束を忘れるな
62人間七七四年:2012/10/20(土) 14:12:31.09 ID:h3GVE5Wn
>>57
100万は虚構だよ
せいぜい5万って事だな
あの国はなんでも数字を大盛りするからな
南京も3千人程度なのに30万人にしたからな
63人間七七四年:2012/10/20(土) 14:31:46.58 ID:RVR2aioL BE:1006981834-2BP(11)
一桁違うのはよくある事だからなw
64名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/20(土) 16:51:09.09 ID:WjZRDeZz
それもわかります。
しかし、日本は全面に出て戦うやつしか評価しないから困りますよ。

賤ヶ岳でも光成が兵站確保してくれたから
大垣から木之本まで1万5千人が全力疾走で裸で走れたのに
正則が兵站の重要さを理解していたら光成との仲も改善されていたはず

中国なら光成・吉継・正家は建国第一功労者になっていたと思うよ。
65人間七七四年:2012/10/20(土) 17:39:48.37 ID:OjTnBRaU
お前の三成が兵站やってたって妄想がどっから来たのかそっちが気になる。
ずっと光成って変換してるし
66人間七七四年:2012/10/20(土) 17:51:43.81 ID:+4iEbw9r
太平洋戦争で日本が兵站軽視で負けたという俗説を
この時代にも当てはめたいだけなんだろ
67人間七七四年:2012/10/20(土) 17:57:45.92 ID:OjTnBRaU
戦争で負けた側は必ず、自分の所の兵站が貧弱だったから負けた
(つまり兵隊の戦闘能力は敵よりも優秀だった)
って言うんだよな。

ちなみにドイツも右派ほど、戦争に負けた原因は「「兵站が貧弱だったから」と言っておる。
68人間七七四年:2012/10/20(土) 20:09:15.81 ID:m3oAq9KI
太平洋戦争で日本の海軍が兵站軽視したってのは嘘なのか
それで負けたかどうかは別にして
69人間七七四年:2012/10/20(土) 20:21:03.13 ID:OjTnBRaU
戦略の基本中の基本なんだから軽視するわけがないだろ。
アメリカが異次元だっただけだ。
70人間七七四年:2012/10/20(土) 22:36:47.05 ID:pchZocik
兵站能力の限界を越えるほどに手を広げてしまったというべきか
軽視というより過大評価したのかな
71人間七七四年:2012/10/21(日) 10:14:39.92 ID:h4Avm1Dn
>>70
軽視したために負けたわけじゃないというだけで、
海軍などが兵站軽視した事実はあったと思うよ
72人間七七四年:2012/10/21(日) 14:06:28.53 ID:DvwCBrAc
小牧長久手の戦いや賤ヶ岳の戦いみたいに中入り戦法って成功が低い
イメージなんですが成功した戦いってありますか?
73人間七七四年:2012/10/21(日) 15:54:41.47 ID:/m7kD9I/
小牧長久手のはそもそも中入りというより公然と三河方面軍を編成して攻めに行っただけだな。
74人間七七四年:2012/10/21(日) 17:52:38.73 ID:ZfwaQ868
>>72
六角攻めとか信長が何度か成功させている。そういえば桶狭間もか。
佐久間も秀吉も信長の真似やね。
75人間七七四年:2012/10/22(月) 09:36:16.22 ID:xtqO3Sji
長久手は奇襲戦だろうがw
76人間七七四年:2012/10/22(月) 19:14:12.43 ID:VD3JQJsG
家康嫌いの俺が聞きたいんですけど、
徳川をつぶせる可能性が最も高かったのは次のどれだったのでしょうか?
また、実現していたら、最もではないけれども、つぶせた可能性が高いと思われるのはどれだったのしょうか?
                                                  
1.小牧長久手の戦いに純粋に軍事的に勝利した。
2.秀頼が生まれても、秀次をそのまま家康と同じ寿命まで関白として生かしておいた。
3.橋渡し役の前田利家に家康が死ぬまで寿命があった。
4.家康嫌いの蒲生氏郷に家康が死ぬまで寿命があった。
5.関ヶ原で小早川が裏切らなかった。(合図とともに松尾山から出撃していた)
6.関ヶ原で立花宗茂の1万5千が時間通りに到着していた。(宇喜多・大谷の陣近くへ布陣)
7.会津征伐で家康が退却時、上杉軍が追撃をおこなった。
8.大谷吉継が生まれた時から健康だった。
9.夏の陣で、天王寺の合戦で真田幸村の最後の突撃で家康を討ちとった。
10.石田三成と福島正則の仲が生まれた時から良かった。
77人間七七四年:2012/10/22(月) 19:34:43.56 ID:47DS0Mbs
いつ以降?小牧長久手以降なら信雄が単独講和して家康が孤立化した時だけだ
78人間七七四年:2012/10/22(月) 19:48:45.38 ID:airw8vTR
その時点でも北条を寝返らせるか時間かけないと無理だな
徳川の代わりに北条が残るか九州が手遅れになるか・・・
79人間七七四年:2012/10/22(月) 20:34:17.93 ID:VD3JQJsG
>>77 すみません、講和したのは1584年11月だそうですが、
合戦があったのは1584年3月〜9月までですので、その戦いで勝利をしたという意味です。
(つまり1584年9月以降という意味だと思います)

北条・徳川をあらゆる方向から挟撃しても軍事的に完全屈服は無理でしょうか?
80人間七七四年:2012/10/22(月) 20:37:50.44 ID:RHeXKvrS
そもそも九州征伐以前だと「あらゆる方向から挟撃」という戦略が無理だから。
81人間七七四年:2012/10/22(月) 21:12:19.51 ID:VD3JQJsG
それだったら史実通りにすすめるしかないと思われますね・・・
82人間七七四年:2012/10/22(月) 23:43:55.00 ID:CBp+XTX6
信玄が長生きしてたら徳川幕府は成立してないだろうな。
というか信長の死後以降は徳川が滅ぶって展開は考えにくい
83人間七七四年:2012/10/23(火) 12:53:57.25 ID:N1CAU1cG
>>774
もっともであれば2 秀次が関白でありつづければ徳川も臣下でしか生きながらえなくなる 秀頼が幼いを理由にはできない
          その後トイレの壁を勝手に修理した言いがかりをつけて改易すればいい 
可能性が高いのは4 蒲生が会津にいれば上杉は越後で二大強国に背後と中央から江戸城を襲える

基本的に秀忠 家光は軍事的にも家康には到底及ばない
関ヶ原までに家康を討ったばあい徳川を滅ぼせるのかというのが最大の論点だとおもふ
家康を討ちとる=徳川滅亡の方程式が成り立つか?
それによって変わってくると思う 成り立つのであれば9以外は可能性はある
84人間七七四年:2012/10/23(火) 15:52:50.10 ID:MfPwQ5Y2
誰にも同意して貰えないと思って書込まなかったのに
蒲生が一番可能性高いと思ってた人が居たなんて感激!!
85人間七七四年:2012/10/24(水) 07:49:00.62 ID:TbUT54cG
何で9駄目なの? 家康倒せば後は雑魚ちゃうん?
86人間七七四年:2012/10/24(水) 12:10:11.70 ID:545ZMovE
違うからむりー
87人間七七四年:2012/10/26(金) 12:47:14.80 ID:zR9pu2js
豊臣を生かしておいて幕末まで存続していたら江戸幕府は史実と変わらず260年続いていたのでしょうか?
あえて家康は豊臣を滅ぼす必要があったのでしょうか?
88人間七七四年:2012/10/26(金) 13:19:07.50 ID:/7ddS9bR
大坂の陣直前のような朝廷幕府に次ぐ第三の権威として存続すれば
当然何らかの影響はあったと思います。
また完全に無力化して、たとえば公家として存続なら
歴史にたいした影響を与えることは無いでしょう。あったとしても朝廷以下です。
そして史実では豊臣方が無力化を拒否したので幕府としては滅ぼさざるを得なかったのです
89人間七七四年:2012/10/27(土) 05:45:40.07 ID:0YD+4Rc6

65万石のままということでいいよね? 無理だろ?30年もたなかった
と思うよ。加藤清正なんて二条城会見で、秀頼様に何かあったら家康を殺すと
いってるんだし。それだけ秀頼の求心力はすごかったんだ。
あのままだったら家康が死んだ後、秀忠では統制がきかず、幕府の将軍は秀頼に
なってたはずだよ。そしたら関ヶ原前と何もかわらん状態になるよ。
90人間七七四年:2012/10/28(日) 16:57:12.06 ID:ipwurZv+
先日行われた関ヶ原合戦祭りのお鉄砲演舞で
関ヶ原の戦い時に、使用されたという2人がかりで撃つ程の
大きな銃が出てきたのですが、ご存知の方いますか?
普段どこかに展示されているのか知りたいです。
91人間七七四年:2012/10/28(日) 17:07:22.51 ID:7yx1X8af
>>90
それは大筒、あるいは大鉄砲だと思うけど、普段どこにあるかは、主催の関ヶ原町の地域振興課に聞いたほうが早いと思うぞ
http://www.kanko-sekigahara.jp/jp/contact/
92人間七七四年:2012/10/28(日) 17:16:23.61 ID:ipwurZv+
>>91
ありがとうございます
実は月曜にメールフォームから問い合わせたんですが返信がまだ来なくて…
もうしばらく待って返信がなければ電話してみます
93名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/29(月) 15:18:44.61 ID:Gt7DJqpf
一向一揆を制する者は、戦国を制するとは本当ですか?
であれば根拠を教えてください。農民より正規兵の方が断然強くないでしょうか?
94人間七七四年:2012/10/29(月) 17:07:26.64 ID:dgW5jpdN
嘘なので根拠も何もありません。
95人間七七四年:2012/10/29(月) 19:07:19.65 ID:twjjUuR3
お金について質問させて下さい
ウィキペディアで「永楽通宝」について調べてたんですが、解説に「中国、明朝第3代皇帝・永楽帝の時代に作られた銭貨。」と書かれてる一文を見つけました
もしかして日本でも中国でも同じ価値のお金として使えたという事でしょうか?
96人間七七四年:2012/10/29(月) 19:17:17.88 ID:FBgcykdN
>>95
同じ価値ではありません。銅銭はあくまで信用通貨なので、同じ通貨でもその国や次代によって設定が違ってきます
97人間七七四年:2012/10/29(月) 21:39:49.97 ID:3bOBiEhJ
>>96
なるほど同価値では無かったんですね
けれど使う事は出来たという感じのようですね
答えて頂いて有難う御座いました!
98人間七七四年:2012/10/30(火) 07:43:29.56 ID:Z9M9mstI
>>93
>農民より正規兵の方が断然強くないでしょうか?

一揆の構成員が農民だったのは、江戸時代のことです。
戦国期は、武士、足軽階層も主構成員です。
99人間七七四年:2012/10/30(火) 17:04:41.48 ID:98arkQ4r
そもそも>>93は土一揆と一向一揆の区別も出来てないと思うんだよね
質問の仕方的に考えて
100名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/10/30(火) 21:00:52.36 ID:2fuf6RKO
日本の戦国最強は一向宗の宗主 顕如だろうな
101人間七七四年:2012/10/30(火) 21:53:04.46 ID:Rgn5Goix
武士団を組織できていない一向宗が最強の訳がなかろう
102人間七七四年:2012/10/30(火) 22:23:25.96 ID:91nEuati
釣られるかねぇ
103人間七七四年:2012/10/30(火) 22:43:24.86 ID:pG2/+zo6
イモか何かの手軽な農地まで擁して
数千で籠城したら永久機関で無敵だと思うんだけど
そういう事例って無いの?
104人間七七四年:2012/10/30(火) 22:59:23.05 ID:91nEuati
耕地まで防衛するとなると人員密度がスカスカになってすぐ落ちるだろ
105人間七七四年:2012/10/31(水) 00:08:36.47 ID:7aHzrjyy
数万なら小田原城か
106人間七七四年:2012/10/31(水) 00:40:18.43 ID:x3MY+h96
>>103
仮に食料が自給できたとしても、弾薬が無くなるので無敵ではない
107人間七七四年:2012/10/31(水) 01:33:01.40 ID:rRsX61iA
数メートルを一人で受け持つ計算になるから無謀としか
108人間七七四年:2012/10/31(水) 09:37:50.05 ID:nRHMqVBm
精鋭3千人で半径1kmの城守るとしても1m間隔で
実際には防衛ポイントは数える程度だと思うのだが?
109人間七七四年:2012/10/31(水) 10:32:19.42 ID:rRsX61iA
半径1kmで3000人の兵を養えるスーパー作物
防衛ポイントの限られる要害かつ水の利が良い地形
一騎当千の精兵
条件をどんどん加えていけば何時かは可能になるかもしれませんね。
110人間七七四年:2012/10/31(水) 12:54:45.99 ID:t+WYE72M
石山本願寺は無給で2年近く耐えたがな
111人間七七四年:2012/10/31(水) 13:04:53.02 ID:x3MY+h96
え?補給しまくってるけど?
112人間七七四年:2012/10/31(水) 14:47:33.32 ID:nRHMqVBm
3千が多過ぎるんだったら7〜800とかでも良いのだけどな。
結局は狭苦しいところに密集した敵さえ撃退し続ければ良い籠城戦
なんてそんな兵数居なくても大丈夫じゃね?

火薬はともかく、弾や武器なんて敵の死体からリサイクルできるしw
113人間七七四年:2012/10/31(水) 16:57:16.08 ID:DWP8o775
現場を想像してみると、どこのITブラック企業のデスマーチですかって惨状になったんだがw
114人間七七四年:2012/10/31(水) 17:05:08.42 ID:x3MY+h96
付け城作られて終わりだろ
115人間七七四年:2012/10/31(水) 17:05:13.68 ID:s/DXDplQ
石山本願寺は補給もしてるし兵として参加している連中には「山越」という名称の賃金が支払われていた。
なので信長との講和で石山を引き渡すという時、そう言った傭兵連中が「今まで山越で妻子を養ってきたのに
これからどうすればいいんだ!」と騒ぎ、この連中が徹底抗戦を主張する教如を支持して本願寺が父子で
分裂することになった。

大阪の陣の豊臣家と似たようなことが、石山合戦でもあったってことだ。
116人間七七四年:2012/10/31(水) 20:43:16.96 ID:Mlhks+4z
籠城なんてちゃちいことかんがえるな 
それにしても日本の合戦は兵糧攻めにされて
城からうってでる夜襲が少ないのう 
戦い自体が低レベルなんだよ

中国の武将は夜襲が得意な武将が多い 兵糧攻め中で油断している間に夜襲かけて殺すこと多いし
まあ中国だったら兵糧攻めして油断している秀吉の1人や2人は討ち取られてただろうな
117人間七七四年:2012/10/31(水) 20:45:31.30 ID:s/DXDplQ
日本の武将は中国人みたいに夜襲を許すような粗雑な包囲はしないからな
118人間七七四年:2012/10/31(水) 21:32:31.08 ID:Mlhks+4z
>>117 ほうどんな包囲だ? 
だれだって長期に滞陣していたら油断くらいするだろう
そこをガツン狙えといってるんだ。
何故日本ではそんなこともできなかったのだ?
103のどうやって無敵の籠城しますかって 
そんな質問って中国ではありえないな
どうやって包囲を突破しますか 
どうやって撃退しますかだろ?
日本人はあまり事を荒立てたくないからそんなことしか思い浮かばんのだろ?
119人間七七四年:2012/10/31(水) 21:53:03.86 ID:rRsX61iA
何を言ってるか分かりません。
120人間七七四年:2012/11/01(木) 00:13:39.40 ID:0Nk5v0yW
籠城戦の敗因って、大抵が食糧難と内部崩壊だろ?
賄えるだけの農地擁して、少数精鋭で負けないさ。
121人間七七四年:2012/11/01(木) 00:16:46.15 ID:Q9fnfTrw
そりゃよかったね
122人間七七四年:2012/11/01(木) 21:31:30.51 ID:X9QMi2Ik
在地領主(国衆)を支配下に置いても家臣化した事にはならないんでしょうか??

支配下に置けば既得権安堵⇔軍役になるので主従関係が発生しますよね??
123人間七七四年:2012/11/01(木) 21:38:41.72 ID:wa9MXoK4
>>122
武士の家臣化というのは家中のシステムに組み込まないといけない。
いわば在地領主からその大名家の役人になって初めて家臣化が成立する。
124人間七七四年:2012/11/02(金) 08:41:16.25 ID:/rxaetBm
武器について質問したいんですけど、戦国時代ではヌンチャクやトンファーを使ったりはしなかったのでしょうか?
125人間七七四年:2012/11/02(金) 08:57:12.00 ID:eA13ez8c
ヌンチャクやトンファーは琉球空手の武器だから戦国時代の内地に有ったかどうか不明です。
126人間七七四年:2012/11/02(金) 09:18:37.02 ID:ZSlyWsU9
そもそもヌンチャクやトンファーも島津の琉球征伐以後に成立した武器じゃなかたっけ
127人間七七四年:2012/11/02(金) 09:43:15.32 ID:HHZxeIE2
>>124
昔、津本陽が小笠原長治のことを小説に書いていた。
その中で、確か琉球に渡り、三節棍かなにかの用法を学んび、後年日本に戻ってきたというような内容だった。
(読んだのはかなり以前なんで、いろいろうろ覚え)

今思えば、多分伝説の技「八寸の延べ金」をヒントに、作者が脚色したものだと思う。

史実では小笠原長治は、明に渡り、向こうの武術を取り入れたりしているわけだから、
著名な剣客の中では、ヌンチャク的なものを使った可能性が確かに一番高い。
128人間七七四年:2012/11/02(金) 09:52:02.84 ID:+ZFv7sUZ
>>127
ヌンチャクは中国には存在しなかった武器だぞ
129人間七七四年:2012/11/02(金) 09:54:59.63 ID:8EOhu1ER
身近な農具や馬具を即席の護身武器として使う護身術らしいから
戦国時代の武士や農民はそれらより強力な脇差を
護身用として肌身離さず持っていたので
たとえ入ってきても流行る余地は無なさそうだな
130人間七七四年:2012/11/02(金) 11:33:49.89 ID:HHZxeIE2
>>128
だから、三節棍とかヌンチャク的なもの、とちゃんと書いてるだろ
131人間七七四年:2012/11/02(金) 11:39:22.09 ID:HHZxeIE2
>>129
>身近な農具や馬具を即席の護身武器として使う護身術らしいから

似たような発想で生まれた鎖鎌は、結構普及したよ。
ちなみに、漫画等で鎖が異様に長く描かれるから誤解されているけど、
鎖鎌術で使う鎖はものすごく短い。

使い方も、多節棍にちょっと似ていたり。
132人間七七四年:2012/11/02(金) 13:30:53.87 ID:8EOhu1ER
鎖鎌ねぇ。戦国時代に使われてたという具体的な史料ある?
一定数あるなら普及してたと言えるけどねぇ
133人間七七四年:2012/11/02(金) 15:21:19.41 ID:ILM3pZ9h
>>123
なるほど。ありがとうございます。
134人間七七四年:2012/11/02(金) 18:53:27.31 ID:cdqiwclf
刑事物語で武田鉄矢がハンガーを武器に戦っていたから
頭のいい人なら色々工夫してヌンチャクみたいな物を使っていたかと
だから無いとは言い切れない
135名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/11/02(金) 21:39:42.30 ID:P6NaUXfx
対面にこだわる日本人って合理的に戦うことしらんからな 蒙古襲来で醜態さらしたわけだし
そんな鎖鎌なんてたいそうなもんあるわけないだろw
136人間七七四年:2012/11/02(金) 22:04:28.73 ID:8EOhu1ER
サッカー板ということはK糞かよ
こんなところにも来るんだw
137人間七七四年:2012/11/02(金) 22:36:54.93 ID:X4ifrGnh
坂豚きんもーっ☆
138人間七七四年:2012/11/02(金) 23:27:02.80 ID:HHZxeIE2
>>135
鎌倉時代と戦国期を一緒にするな
139人間七七四年:2012/11/02(金) 23:29:38.09 ID:HHZxeIE2
>>134
>頭のいい人なら色々工夫してヌンチャクみたいな物を使っていたかと

杖とか棒の先に仕掛けをして、強く振ると分銅が飛び出すような武器は確かあった。
で、一度飛び出したらそのまま使い続けると、ある意味長柄の長いヌンチャクっぽい動き。

相手から間合いを読まれにくいというメリットがあるんだよね。
140人間七七四年:2012/11/02(金) 23:36:04.43 ID:AAXDpVNn
変わった武器といえば忍者じゃないの
どこまで本当だったかは知らんけど
141人間七七四年:2012/11/03(土) 04:32:34.19 ID:l6rLnvt2
俺は鉄砲と槍でいいわ
142人間七七四年:2012/11/03(土) 05:11:26.41 ID:DFqegWAy
俺は手裏剣と網タイツがいいな
143人間七七四年:2012/11/03(土) 05:36:04.78 ID:UBb05zCD BE:1817387137-2BP(0)
http://www.youtube.com/watch?v=MH-mexUg5zE&feature=plcp
遊びとはいえ、本物の武器で攻撃をしまくるハラハラ動画
ユーチューブからー無双だお
144人間七七四年:2012/11/03(土) 08:39:55.19 ID:GWH907P/
>>139
乳切木(契木)の一種だね

ただ鎖鎌や乳切木のような鎖でつなっがている武器は扱いが難しいらしい
145人間七七四年:2012/11/03(土) 08:41:10.54 ID:YB2xDlLk
そもそもヌンチャクなんて戦争で仕えるような武器じゃ全然ないし
146人間七七四年:2012/11/03(土) 09:44:26.45 ID:ooH14SdB
分銅鎖があるのにヌンチャクを使うメリットが分からない。
147人間七七四年:2012/11/03(土) 13:28:30.29 ID:N7MuQhe1
>>145-146
一兵卒にとって戦争の勝敗なんて関係ない
目立ってなんぼ
148人間七七四年:2012/11/03(土) 14:10:55.59 ID:DFqegWAy
やはり網タイツ最強やな、目立つでぇ
149人間七七四年:2012/11/03(土) 18:26:27.47 ID:hIz2pTpk
>>145
合戦で使うかどうかの議論じゃないだろ?
特定の武器が存在して実際に使われたかどうかの話なだけで
150人間七七四年:2012/11/03(土) 19:06:06.49 ID:bWgQyRhL
じゃあ使ってた資料は今のところ存在しないでFAだな
151人間七七四年:2012/11/03(土) 21:32:13.93 ID:tCoPHbaK
戦国期から伝わる流派の中に、一応鎖鎌術はある。
それがいつの時代に追加されたか探るすべがないため、
正確なところを突き止めるのは難しい、というだけの話。

剣術や槍術といった表芸ではないので、こうした武器術に関する
記録は極端に少なくなりがち。
柔術でさえ、江戸期以前に存在したことが確認できるのは
一流派しかないのだから。
152人間七七四年:2012/11/03(土) 23:03:26.94 ID:bWgQyRhL
鎖鎌と柔術が関係あるのか。ヌンチャクの話じゃないの?
153人間七七四年:2012/11/03(土) 23:48:11.46 ID:tCoPHbaK
ちゃんと読めよ。
柔術は、表芸じゃない武術の例として出しているだけ。
154人間七七四年:2012/11/04(日) 00:07:31.16 ID:9p6rpRJB
ヌンチャクって裏芸なの?
155人間七七四年:2012/11/04(日) 00:19:03.46 ID:9WFrkSKl
職も金も学もないのに知識だけはあるお前らに質問です

>九頭竜川の戦いは、朝倉の軍勢、数千人が一向一揆の数万人の
>軍勢に勝利したといわれていますが
>これは両陣営、協議をして、合戦の決着を一騎打ちを何セットか
>やって(引き分けが無いように奇数のセット)
>勝った数が多いほうが合戦が勝利で、現場一帯を制圧でき
>負けた側は引き上げる、と決めて
>一騎打ちの団体戦をやって、朝倉側が大多数の一騎打ちに勝ち
>一向一揆は撤退をした、といわれています

これマジ?
156人間七七四年:2012/11/04(日) 00:34:37.71 ID:paGg5hwm
博識で低学歴って、そんな多く無いんじゃないのか?

俺の>>120 みたいなのにも、的確な反論出来ないと
フェードアウトして、低脳みたいにファビョら無いだろう?
157人間七七四年:2012/11/04(日) 00:35:18.63 ID:768deTpf
>>154
ヌンチャクは本土の武術だから、表芸も何も無い。
表芸じゃないのは、鎖鎌や柔術などの、剣(or 槍・弓・馬)以外の武技。
158人間七七四年:2012/11/04(日) 00:56:56.61 ID:9WFrkSKl
>>156
俺はちょっといい話スレの人にここに書くように言われただけだから
159人間七七四年:2012/11/04(日) 01:16:55.55 ID:9p6rpRJB
>>157
ありがとう。誰がどういう基準で決めた分類なのか気になる

>>156
>>120は相手にされてないだけに見えるけど
160人間七七四年:2012/11/04(日) 02:05:02.90 ID:oknsyBEx
>>155>>158朝倉氏に詳しい人のサイトに見られる記述には

朝倉氏側…軍勢を約3千づつ3つに分けて九頭竜川の対岸に陣取る(+後方待機として反本願寺勢力3千が後詰)

本願寺側…軍勢を4つに分けて九頭竜川の対岸に陣取る

宗滴控える朝倉本陣以外の2軍勢に対して本願寺側が渡河攻撃を仕掛け、その際に名乗り出た甲斐氏浪人と朝倉側の武将とで一騎打ちが数件勃発
朝倉側の武将が全て勝利しその後軍勢どうしの乱戦から再度の睨みあいへ
数日後に宗滴が渡河攻撃を決断し朝倉本陣が対岸に攻め込む→朝倉本陣の勝利が他の3つの本願寺勢に伝わり恐慌状態となり本願寺勢敗走

朝倉側の布陣はある程度離れた位置にあり各所で行われた一騎打ちの結果が即時伝わるような状態ではなく上記のレス内容には無理がある
朝倉氏の情報はかなり見てきたけどそんなルール決めて一騎打ちしたなんて見た事無いけどな
161人間七七四年:2012/11/04(日) 02:19:09.42 ID:xoFDy1vi
ルール決めたって記述はYahoo知恵袋の回答でされているようだけど、ソースが不明だな・・・
162人間七七四年:2012/11/04(日) 02:41:08.71 ID:9WFrkSKl
>>160
ありがとう。
面白いなと思ったのにガセなのねorz
163157:2012/11/04(日) 08:17:32.53 ID:768deTpf
>>159
間違えた。

× ヌンチャクは本土の武術だから、表芸も何も無い。
○ ヌンチャクは本土の武術じゃないから、表芸も何も無い。
164人間七七四年:2012/11/04(日) 08:43:53.63 ID:McEhs2lf
ヌンチャク議論に隠れてトンファーの話はもうおしまいか
165人間七七四年:2012/11/05(月) 09:06:49.44 ID:pckKVgXJ
鎖鎌って江戸初期(大坂戦役が終わって武蔵が浪人しているころ)の成立じゃなかったっけ?
166人間七七四年:2012/11/05(月) 11:58:46.86 ID:za1qBudr
俺の>>120 みたいなのにも、的確な反論出来ない?
167人間七七四年:2012/11/05(月) 13:11:11.60 ID:B47pGWCq
畑仕事で疲れきったところを力攻めで終了。畑仕事ははっきり言ってキツイ。なめんなよ!!
168人間七七四年:2012/11/05(月) 13:38:46.30 ID:PNfze7vp
一石=一人分の糧食だとして、当時だと一石生産するのに一反つまり10a必要
十人だと1ha(100m×100m)となる
これをぐるりと城壁で囲むと城壁長は400m
一人で40m防衛仕切れるか、考えるまでもないかと
千人すると、100ha千m四方が必要となり城壁長は4km
小田原城の城壁長が5km強で数万人で籠城してるので、
いかに無茶かわかると思う
169人間七七四年:2012/11/05(月) 14:05:01.53 ID:TMLjoXGt
>>166
何が聞きたいのかが分からないから誰も答えないんじゃないのか?
小田原だって大阪だって、物理的に城を破られたわけじゃなくて、
その前段階の政治的駆け引きや人間同士の問題で落ちざるを得なかったんだし。
君の言う通り食料と防備が整っていれば、あとは中に籠る人の士気次第で
かなり長いこと篭城できるんじゃないか?
その士気をどう保って内部崩壊を防ぐかが難しいんだろうけれど。
170人間七七四年:2012/11/05(月) 14:05:31.42 ID:za1qBudr
1年掛かりの米じゃ無くて
餓死しない程度のカロリーを、
効率良く補給できる食料と

目の前で作物育ってる士気の高さなら
何とか持ち堪えられるだけの兵数で頼む!!
171人間七七四年:2012/11/05(月) 14:21:17.12 ID:t+R0UhyI
>>170
仮にそんな城が存在したとして、城の中にオッサン兵士だけ立てこもって、
嫁と子供は放置ですか?
嫁はレイープ、子供は奴隷として連行されようとしてるのに、
黙って城の中に篭ってるんでしょうか?
何のために戦って、何のために城にこもってるの?
172人間七七四年:2012/11/05(月) 15:30:31.97 ID:PNfze7vp
米や麦以上のなんかそうそうあるわけないだろ
あれば麦科作物が全世界でここまで普及してない
それと米だけで計算したのはかなり緩い試算だぞ
水や塩は絶対必要だし、
照明、自炊や暖をとる燃料なんか一切考慮してないんだから
173人間七七四年:2012/11/05(月) 17:41:05.51 ID:OU98NFPU
米って収穫高が麦や雑穀の三倍だかで五倍で連作障害もなく
高カロリーで玄米で食べればビタミンミネラルも多種摂取できるスーパー作物なんだけどな
味とかも含めたら米以上に効率の良い作物なんて正直無い
米に並ぶ作物の芋類でもカロリーベースで二倍の収穫があるが
栄養価を考えればどのみち副菜を作らなくてはならないから大差ない

あと狭い要塞を大量の兵でがっちり守ってるから兵糧攻めや調略が重要になってくるだけで
防衛線がスカスカなら力攻めで速攻突破されて落城、終わり。
そもそも兵糧攻めや調略で落ちる城の方が少なく、
大体は断続的に攻めながら合間に交渉をしての
このまま戦っても勝ち目無いでしょ身の安全は確保するから撤退しとけ的な
交渉開城が大多数と言われている。

また大量の食料を貯蔵し少人数で何年でも持ちこたえれる体制をとったとしても
攻め側も少数の兵か付け城で包囲して無力化すれば何の脅威も無く
周りの領地を征服し統治するだけなのでその施設は全くの無価値。
174人間七七四年:2012/11/05(月) 18:10:03.55 ID:OU98NFPU
訂正
交渉開城が大多数と言われている。

交渉開城と、自落と言われる自主撤退が大多数と言われている。
175人間七七四年:2012/11/05(月) 18:25:19.18 ID:OxQloqSH
問題は水だ水
米は一時期に大量の水が必要&適切な時期に一斉排水必要なんだぞ
176人間七七四年:2012/11/05(月) 18:40:10.12 ID:OU98NFPU
水稲に比べ収穫量が減り連作障害もあるが陸稲ってのも江戸時代まではよく作られていた
177人間七七四年:2012/11/05(月) 20:21:37.35 ID:4R9zL7AU
>>172
燃料も結構必要そうだよねー。
籠城するなら篝火は絶やせないし、補修用の材木も必要だし、
もちろん煮炊きのタキギも必要。
水も飲み水はもちろん、田畑にも、火攻めの備えも必要だもんなー
178人間七七四年:2012/11/06(火) 01:11:19.80 ID:ZT4NF8NB
案の定フルぼっこw
179人間七七四年:2012/11/06(火) 02:26:24.62 ID:oYomYdvA
自分の理論の不備が分かって好都合だけどな。
雨や井戸水は豊富な城くらいあるだろうけど
木材は盲点だったわ。

だから小さい独立勢力とか無かったんだろうな。
離島とかならあってもおかしく無いのに、、、
180人間七七四年:2012/11/06(火) 06:10:44.12 ID:rpZYpfNc
独立勢力とやらでいる意味が無いからな
181人間七七四年:2012/11/06(火) 06:47:38.92 ID:sBmiSdxE
>>165
君はどこでその話を聞いたの?
182人間七七四年:2012/11/06(火) 12:13:36.62 ID:BHEDAtAy
伝統を頑なに守る領主居そうじゃん?

臣下の礼とってない喜連川藩くらいか。
183人間七七四年:2012/11/08(木) 09:09:11.65 ID:LuNIZ6fN
戦国武将は幕末の人物と比べて戦ばかりしてるから馬鹿という意見が自分の周りにあるのですが、
本当に戦国武将が馬鹿なのでしょうか?馬鹿じゃないのならどう説明すれば良いのでしょうか。
184人間七七四年:2012/11/08(木) 09:35:44.97 ID:tz2j+MD1
幕末の人物は戦もする上に人斬りもする馬鹿ばかりです。
185人間七七四年:2012/11/08(木) 10:27:12.00 ID:fbQh3E9f
戦国時代は頻繁に戦争をしながらもさまざまな制度を整え
中世から近世へと移行させた幕末と並ぶ時代の転換点です
西洋という手本が無かったので幕末より困難なことを成し遂げたと
言い換えれるかもしれませんし、まず馬鹿では出来ません。

正直その人の馬鹿の基準が分からないと答えようも無いのですが
幕末にも戦国時代にも詳しくないであろう事は分かりますので
鼻で笑って聞き流す感じでいいんじゃないでしょうか。
186人間七七四年:2012/11/08(木) 10:27:25.69 ID:uhp3MaH1
まず馬鹿の定義がそれで良いのかに疑問を持って下さい
そう定義する限り戦国武将は馬鹿です
187人間七七四年:2012/11/11(日) 20:48:26.89 ID:plXdxerz
>>182
乞食と物乞いの区別が付かないのが、チョウセンヒトモドキ
188人間七七四年:2012/11/12(月) 01:31:27.97 ID:0/yCSKCi
>>170
畑にカロリーメイトが生えて不死身の兵士が防衛する城を想像してぐんにゃりしてしまった・・・
これSFとかオカルトの領分だな。
まじめに答えてる人、大人だわ・・・
189人間七七四年:2012/11/12(月) 01:51:26.64 ID:9glQUIx8
しつこかったからな
190人間七七四年:2012/11/12(月) 10:56:59.33 ID:ySxq7m7Z
>>184-186
なんで殺すんだよ
幕末は戦は最小限だったよ
191人間七七四年:2012/11/12(月) 11:07:06.81 ID:q+iZs2c2
テロはしょっちゅうやってるだろ
武力行使の口実を作る為に江戸の町に放火したりな
どこのタリバンだよ
192人間七七四年:2012/11/12(月) 20:53:26.16 ID:aES1S0BB
すいやせん 日本の戦国って三国志みたいに火計 水計ってあったんですか?
193人間七七四年:2012/11/12(月) 21:10:07.51 ID:9glQUIx8
火計・・・放火ならしょっちゅう
水計・・・備中高松城水攻めとか
194人間七七四年:2012/11/13(火) 02:03:12.86 ID:4K1tOLsv
裏切りや寝返りを何度もくり返し、そしてその選択の
ことごとく(またはほとんど)が裏目になった裏切り損の戦国武将はいますか ?
特に、回数部門のナンバーワンが知りたいです。よろしくお願いします。
195人間七七四年:2012/11/13(火) 10:21:11.92 ID:EqWvWjNZ
有名所としては松永久秀
当主義継を見限って三好三人衆に付く→仲違いでピンチ
義継に付く→三人衆と筒井に挟撃されてピンチ
信長に付く→一武将としてこき使われる
第一次信長包囲網参加→信長に攻められ降伏
第二次信長包囲網参加→信長に攻められ滅亡
196人間七七四年:2012/11/13(火) 16:23:53.18 ID:zY/hAM1A
爆死じゃ無いとらしくないなぁw
197人間七七四年:2012/11/13(火) 18:48:29.14 ID:zTJiC/oF
裏切ったのは二度だけど笠原政堯なんかもなかなか

北条の重臣中の重臣、松田憲秀の長男(ただし松田家は弟が継いでいるので妾腹か?)
武田戦の重要拠点を任されるも城ごと武田に寝返る、北条側に残った義弟とかぶっ殺す
武田が滅んで路頭に迷うも、親父が頭丸めて氏政にとりなしてくれたおかげで北条に復帰
小田原の役で秀吉に内通(単独内通説があり、その場合親父は巻き添え)が露見して斬首
198人間七七四年:2012/11/13(火) 20:28:39.01 ID:jMurOrKn
戦国武将は人殺しばっかで酷い
話し合いで解決できないから馬鹿
それが好きな奴も馬鹿
199194:2012/11/13(火) 21:19:45.61 ID:4K1tOLsv
>>195
分かりやすい説明感謝です。
>>197
この武将の転落っぷりは凄いですね…。

勉強してみます。195さん197さん、ご教示ありがとうございました !
200人間七七四年:2012/11/14(水) 00:50:35.94 ID:IF36DeA5
自分の家の家紋について画像をアップして質問したいんですけど、どのスレで質問すれば良いでしょうか?
201人間七七四年:2012/11/14(水) 01:37:25.59 ID:pvqqziGl
家庭板の家紋スレかなぁ
202人間七七四年:2012/11/14(水) 02:19:02.77 ID:IF36DeA5
>>201
わかりましたありがとうございます
203人間七七四年:2012/11/15(木) 12:42:28.83 ID:xUfZyPmg
>>198
何しにここに来てるの?
204人間七七四年:2012/11/15(木) 13:00:28.34 ID:PFd0sJIa
構うなよ
居つくから
205人間七七四年:2012/11/17(土) 00:32:55.32 ID:9pLQ5Vq0
大返しの7日で200kmって
毎日7時間も歩けば余裕じゃね?

何が凄い事なの?
206人間七七四年:2012/11/17(土) 00:56:04.52 ID:rDn7rsE9
姫路までは1日で70キロの超高速強行軍
速攻で近畿に近いところまで来て存在感を表し
そのままでは明智に付くしかなかった近畿諸将を引き止めるのが第一目標だったわけで
第一目標を果たしてからは戦いのために余力を残したスロー行軍になり
全期間を合わせれば当然大したことなく見える。
207人間七七四年:2012/11/17(土) 12:42:26.94 ID:41t4rrdl
柴田はそれすらできませんでしたが
何か?
208人間七七四年:2012/11/17(土) 13:13:49.47 ID:h+CH1kJU
高速というか 決断の早さだな スピードじゃないよ
秀吉の 光秀もまさかあんなに早く戻るとは思わなかったんだろう あの早さで光秀を討つ大義名分を
得て、清州会議で勝家を凌ぐ発言権を持った 仇を討って求心力を得た
天下統一の歴史が動いた瞬間だ
209人間七七四年:2012/11/17(土) 14:42:49.16 ID:/AkB7V0O
てか清洲会議で
「サルが織田家操るに決まってんだから後見は次男三男」
とか出来んかったのが不思議。

みんな織田家への忠誠心は無かったのか?



>路までは1日で70キロの超高速強行軍
なるほどね!!
210人間七七四年:2012/11/17(土) 14:56:10.12 ID:TrRLS7Sn
>>209
一次資料では清州会議で紛糾した事実はなく、最初から三法師の擁立で
織田家の意思は統一されていたと考えられる。
そもそも清洲会議よりも前、徳川家康が伊賀越の後、光秀征伐の軍を起こした時に
既に三法師を旗印に立てることを明言しており、本能寺後は三法師が織田家の継承者であるという
認識はごく常識的なものだった。

ついでに言うと、三法師擁立は秀吉にとってはむしろ織田家を操るに当たっての障害であり、
結果賤ヶ岳の前に秀吉・丹羽長秀・池田勝入斎の三人によって、重臣による合議という名目で信雄に家督を移している。
211人間七七四年:2012/11/17(土) 18:58:55.11 ID:h+CH1kJU
>>210 三法師に問題はなかったのであろうが 秀吉と柴田の
立場が逆転した会議であったことに違いはあるまい でないと
賤ヶ岳の戦いへ進まない
212人間七七四年:2012/11/17(土) 19:08:25.94 ID:TrRLS7Sn
>>211
そのあたりは解釈により違ってくると思うが、個人的には清洲会議は、秀吉があくまで「織田家」の中で
最大の実力者になったことを認めたものであり、秀吉が実力として織田家を凌駕したのが賤ヶ岳の戦勝であると
考える。

ちょうど秀吉没後の徳川家康の、関ヶ原前と後の立場の違いに重なると思う。
213人間七七四年:2012/11/17(土) 19:52:57.34 ID:50ACPM3p
スジ論でいえば、当時の常識を踏まえると「摘孫擁立」で何の問題もないとは言える
214人間七七四年:2012/11/17(土) 22:14:50.62 ID:rDn7rsE9
三法師は嫡孫じゃないけどな。
215人間七七四年:2012/11/18(日) 10:35:05.70 ID:zKsNvRLW
まあ三法師は 岐阜城の戦いといい 秀吉・家康の天下取りの結構いい局面で出てきたよな
216人間七七四年:2012/11/18(日) 15:13:46.28 ID:pR5dB8bD
大河ドラマ秀吉で
「武田信玄の市を隠したが、織田徳川にはすぐにばれた。
だが、北条はずっとだまされ続けた。」というナレーションがあったんですけど
これって本当ですか?ググってもよくわからなかったんですが。
217人間七七四年:2012/11/18(日) 15:29:49.14 ID:S1gjYMiv
>>216
嘘だよ。創作
218人間七七四年:2012/11/18(日) 19:45:33.63 ID:uukB3FHG
本能寺の変も割りと早い段階で独自ルートで確報を得ていたし、
北条の情報収集力はそんなに悪くない

織田徳川上杉とちがって、北条はなんといっても同盟者だし、
勝頼が信玄の路線を継承してくれりゃ特に問題もないからね
知っていたって変なリアクションは取らないでしょうよ、味方が騒ぎ立ててどーする
219人間七七四年:2012/11/19(月) 00:41:43.75 ID:bEA60BWG
ゲームの話で申し訳ないものの信長の野望やりながらふと疑問に思ったのですが
ゲームの世界ではどの大名もクリア条件は天下統一であるものの
当時の大名の多くが自分の領地をどう守って生き抜くかなどを考えており
天下統一まで考えていた人物など実際はほとんどいなかったと思うのですが
明らかに天下統一を意識していた大名って誰がいたのでしょうか?
秀吉や家康は実際に取ったので意識していたとは思うのですが
220人間七七四年:2012/11/19(月) 01:01:51.74 ID:ANGF9j/N
天下統一の前段階として畿内政権があると考えると、関係があるのは
足利将軍家、細川京兆家、三好家、織田家あたりでしょうか

織田信長は東北や九州の大名とも文書や進物のやり取りなんかしてますし、
本能寺前の時期にはそのつもりはあったと思われます
221人間七七四年:2012/11/19(月) 02:02:55.16 ID:6EiMhShW
いわゆる天下統一を意識して実行したのは信長くらいじゃないか
畿内政権は言ってしまえば畿内という一地方の地方政権にすぎない
それらの勢力の基盤となっている地域はともかく、その他の地方に特に関心を示してないしな

秀吉にしても家康にしても、天下を意識したのは信長死後だろうしね
222人間七七四年:2012/11/19(月) 02:58:24.35 ID:CVbmfkHB
朝廷によって統一済みの中で権力争いしてただけやん
223人間七七四年:2012/11/19(月) 09:50:29.30 ID:1AcfpWIL
統一の意味が違うと思うが・・。
224人間七七四年:2012/11/19(月) 18:04:58.52 ID:CXnklRiP
家康はやる気があったのか微妙
徳川家の存続しか考えてなさそう
225人間七七四年:2012/11/19(月) 18:06:18.65 ID:tDbmY3PK
地元武蔵府中の歴史調べていたら室町初期に武藤・矢島という地侍がいたんだが、これって出羽の武藤一族・矢島氏となんかつながりあるのかな?
226人間七七四年:2012/11/20(火) 01:32:45.36 ID:5X5f1plp
真田氏についての質問です。

来週上田、長野方面に旅行で行く事になり、
上田城址にも寄ることになりました。

日本史に疎く、サムライディーパーKYOの幸村程度の知識しかないのですが、
おすすめの小説(漫画でも)を教えて頂けないでしょうか?

真田太平記はちと間に合いそうにありません…
のでそれ以外だとうれしいす!
227人間七七四年:2012/11/20(火) 01:42:31.16 ID:TjoO8Ta0
司馬遼太郎の城塞とか
228人間七七四年:2012/11/20(火) 03:14:18.35 ID:AeTqnl/1
>>226
未完だけど「やる夫 真田」
229人間七七四年:2012/11/20(火) 14:15:14.53 ID:9QXa7FOa
興味ないなら小学校の教室に置いてあるような歴史マンガとか
図書館子供エリアの歴史小説で充分。
230人間七七四年:2012/11/21(水) 11:25:23.23 ID:zUzuoJ7R
下克上の戦国ですが合戦中で敵方に鞍替えした例は関ヶ原しか知らないのですがなぜ例が少ないのでしょうか?
他に鞍替えした合戦はありますか?
231人間七七四年:2012/11/21(水) 12:32:58.57 ID:6pAeQzF3
合戦中の寝返りは篭城側に離反者が出て落城みたいな例を抜かせば
明智光秀による丹波征伐の黒井城包囲戦で波多野秀治が
城方に寝返るなど無い事は無いが少ないな
大抵は山崎の戦いでの前田利家の敵前逃亡みたいに
味方を見捨てての戦線離脱になる
理由としては陣形を組んでる中で寝返ったら回りは敵だらけになるから
リスクが大きすぎるとか考えれられるけど
関ヶ原は合戦の中でも経緯や規模が特殊で
小早川は安全に裏切れる条件の揃った稀有な例ということだろう
232人間七七四年:2012/11/21(水) 16:18:23.65 ID:qW3kH+LE
>>230
情報の把握と通信の技術が未熟だから
戦場で何の連絡もなく突然裏切って今までの味方に襲い掛かっても
それまで戦っていた側からしらたそれが必ずしもこちらの味方になった証拠にはならない
不明なまま攻撃を止めたり、味方と思い込んで背中を向けたらまた襲い掛かられた、
なんてなったら目も当てられない
はっきり言って戦場において混乱をもたらすだけで利益がないんだ

なので、裏切る場合は事前に相手に連絡し、かつ相手側も上層部だけでなく
味方の前線の武将に「アイツは途中で裏切る予定だから、行動起こしたら
お前らも友軍と認識してよし」と通達しておかないとダメなんだよ

関が原の小早川も(途中で逡巡したとはいえ)事前に裏切りの通達をしていたから問題なかった
もしされていなかったとしたら、小早川裏切る>情報が本陣の家康に齎される>
そこからもう一度最前線の味方武将に「小早川は裏切って味方になったから」と連絡する
とまあこれだけの手間が必要になる、無線技術なんてない、人が直接赴くしかない時代にはね
233人間七七四年:2012/11/22(木) 09:14:10.83 ID:gEHWYYBJ
実際、小早川の寝返りに乗っかった赤座や小川は改易され、朽木は減封された。
234人間七七四年:2012/11/22(木) 11:28:34.24 ID:0z27ZZsI
ありがとうごいざます。
235名無しに人種はない@実況はサッカーch:2012/11/23(金) 23:08:52.84 ID:n+JceVHX
しかし光秀といい秀秋といい裏切者が天下分け目に絡んでくるところが日本らしさがあるよな
民度が低い証拠だよ 中国の場合はそんなことないんだがな
236人間七七四年:2012/11/23(金) 23:11:14.96 ID:fFM+Tc/1
触ったら馬鹿
237人間七七四年:2012/11/23(金) 23:16:50.24 ID:JIgdTvcw
馬玩
238人間七七四年:2012/11/24(土) 00:43:13.35 ID:DQ7Mp3LZ
軍配?か何かで攻撃中止してもダメなの?

その辺の戦だったら、巨大メガホンで叫ぶとかw
239人間七七四年:2012/11/24(土) 01:08:10.99 ID:iBkBtpn4
伝令以外は旗や太鼓、あと狼煙とかかなー。あんまり気づかなそうだけど
240人間七七四年:2012/11/24(土) 03:34:55.34 ID:ouS/Ndmm
信号系は事前にそれが何を意味するのか打ち合わせておかんとな
241人間七七四年:2012/11/24(土) 06:33:19.60 ID:92RLEBuV
法螺貝が一番有名なんじゃない?
242人間七七四年:2012/11/24(土) 16:43:14.34 ID:EehUsb3N
てか命懸けで働いてるんだから、
合図くらい多数決めてて当然だと思うのだが、、、
243人間七七四年:2012/11/24(土) 23:05:31.12 ID:HrsRSLnj
前進や後退だけならともかく複雑な指令になると音だけでは確実性に欠ける
間違ったり、聞こえなかったりしたらそれで戦場は大混乱なんだから

>>242
事前に裏切りの話があれば、合図を決めておくくらいはそりゃできるだろうね
244人間七七四年:2012/11/27(火) 12:45:50.52 ID:C4ulcpga
実際に理論でいうよりやってみると出来ないとわかることってあるよね
いくさの中で合図がなくとも裏切れるような印象だったからね。

鉄砲三段撃ちってかなりできないことがわかった。弾丸の補充の時間
には個人差があるし、「撃て!」っとの掛け声は撃ち方用意の千人全て
には聞こえないことが分かったし。
245人間七七四年:2012/11/27(火) 12:49:01.64 ID:SwUk9bgw
自分も三段撃ち否定派だけど、千人全員が一斉に発砲する必要ないよね
何の為に鉄砲奉行や組頭がいるんだって話だし
246人間七七四年:2012/11/27(火) 14:46:15.84 ID:RlSYW8AF
自分は三段撃ちは積極的に肯定する史料も無いけど
積極的に否定する根拠も無いよね派だけど
一人が旗を振ってそれを見た小隊長が手元の部下に号令を掛ければ
何人だろうが一斉射撃できるよね
247人間七七四年:2012/11/27(火) 15:35:47.78 ID:eahOQBlN
いわゆる三段うちはともかく、
撃って、装填してる間に弓矢を射るなり別の鉄砲を打つなりで間隙を埋めることはしてた

ただ鉄砲の場合は黒色火薬の煙が凄いのであまり連射しすぎると見えなくなる
軍記物でちらほら出てくるんだよね、煙で視界が遮られる描写
248人間七七四年:2012/11/27(火) 23:11:35.85 ID:npbd2njB
単純に4万と1万五千の正面衝突で勝頼が無謀な戦して負けただけじゃないのか?
あそこの土地は平地にはなっていなかったはず 騎馬はむりだ
249人間七七四年:2012/11/27(火) 23:29:19.13 ID:UbDSylm2
鉄砲がなくても信長が勝ったってこと?
250人間七七四年:2012/11/27(火) 23:32:58.62 ID:npbd2njB
いや、ほとんど当てにしていなかったというべきか
251人間七七四年:2012/11/28(水) 10:35:58.67 ID:3bs3XBzX
それはないだろう
信長は戦前から意識的に鉄砲を集めて集中運用を図っているし
戦後に勝頼が鉄砲を何より意識するようになった手紙も残っているし
252人間七七四年:2012/11/28(水) 17:35:08.32 ID:uajq5A46
>>248
いやいや武田軍1万五千といっても長篠城を包囲したままだったから
織田軍と戦っていたのは実質1万くらい、兵力差は1:3以上
253人間七七四年:2012/11/28(水) 21:03:08.54 ID:uDNk8JOH
日本史
三国志・戦国
中国英雄
戦国時代
歴史難民 板あたりって、全部住民ダブってると思うんだけど
過疎り過ぎてるんだから、これを統合して活性化しようぜ!!
みたいな事ってどうしたら出来るの?
254人間七七四年:2012/11/28(水) 21:14:10.38 ID:hxqGvG8V
255人間七七四年:2012/11/28(水) 21:39:05.45 ID:GhKzzbLH
あり!
256人間七七四年:2012/11/28(水) 21:47:37.34 ID:GhKzzbLH
と思ったけど、それらしいスレが無いぞ!!
257人間七七四年:2012/11/28(水) 22:13:54.71 ID:7WblR5eN
陣城を築いて 斥候を射殺し ひいては寄せ 寄せては引くパターンを繰り返した
その結果 武田の騎馬隊は情報も伝わらず、個々におびき寄せられて鉄砲を含む陣城の攻撃に
撃破され壊滅した 信長の作戦勝ち

幸村はこの敗戦を糧に冬の陣の真田丸で同じことをやった
258人間七七四年:2012/11/28(水) 22:40:01.38 ID:dRY4zOIi
という妄想
259人間七七四年:2012/11/28(水) 23:21:58.61 ID:xvXPbHwF
三戦の連中から嬉々として追い出されたからな
今更あいつらと統合は勘弁してほしい
260人間七七四年:2012/11/29(木) 12:56:32.30 ID:L/8LIUoC
3英傑ですら過疎るよりマシじゃ無いのか?
261人間七七四年:2012/11/29(木) 16:33:30.06 ID:fn5sbd/h
赤穂浪士の子孫で出世したの居ないの?
262人間七七四年:2012/11/29(木) 17:08:17.70 ID:gGNs/h/I
ここ戦国板
263人間七七四年:2012/11/29(木) 20:23:52.11 ID:qrCtzOqw
適切なスレ提示出来ないアスペは黙れ( ´,_ゝ`)
264人間七七四年:2012/11/30(金) 07:00:23.88 ID:icGDMRCi
武田の騎馬隊は馬から降りて戦っていたと聞いたが本当? 
265人間七七四年:2012/11/30(金) 07:01:49.16 ID:IYlXkk4M
>>264
ケースバイケース。
ゲームじゃないんだからなんでも必ずそう、なんてアホなことはない
266人間七七四年:2012/11/30(金) 13:42:49.62 ID:M5osB1HA
そもそも武田は騎馬比率の高い編成じゃないしな、騎馬比率の高いのは北条を始めとする関東勢
武田の諸隊の中もで、騎馬で有名な部隊も関東(上野)勢だしね

なので武田の騎馬の運用も平均的で、
追撃や乗入、乗崩で騎馬を抽出して運用するし、逆に歩兵が足りないなら馬を降りて徒歩で戦う
267人間七七四年:2012/11/30(金) 14:06:15.59 ID:cVvlFGQ+
北条に比べれば低いけど全国ではトップクラスなのはかわらない
268人間七七四年:2012/11/30(金) 14:23:32.93 ID:M5osB1HA
確か武田の騎馬率は7〜8%くらい(北条は10%↑)
このくらいだと全国で見ても特に多くはない
269人間七七四年:2012/11/30(金) 15:00:48.73 ID:cVvlFGQ+
>>268
ソースプリーズ

北条14%、武田12%、上杉10%、豊臣期九州大名6%前後、慶長徳川10%
以前調べた時はこのくらいだったが。
天正三年軍役帳で具体的な数字の分かる上杉は基準してみても
上杉が甲斐や安曇野や上野の牧のから続く馬の産地を持つ武田以上
日本一の馬の産地関東の北条と同等になる計算は可笑しいじゃないかな
270人間七七四年:2012/11/30(金) 15:37:11.10 ID:M5osB1HA
>>269
あれ〜と思って載ってるはずの本を見たら鉄砲含有率しか書いてなくて、
探し直す必要があるのでちょっと今は出せんです

ただ九州の大名に関しては初耳だったので、その点は特に申し開きはないな
271人間七七四年:2012/11/30(金) 20:36:04.10 ID:icGDMRCi
鉄砲の比率を増やして勝った記録はありそうだけど、
騎馬の比率を増やして勝ったとか全く聞かない
馬に乗って戦うのと地に立ってる人とどっちが強いの?
検証したことある?馬上の不利ってあるし。10%ぐらいって合理的かもしれない
272人間七七四年:2012/11/30(金) 21:35:31.00 ID:cVvlFGQ+
ケースバイケース
突っ込んでく騎馬は強い。止まってる騎馬は弱い。
273人間七七四年:2012/12/01(土) 10:53:49.35 ID:WMROmBzC
長槍を使用した集団戦が主流になってからは
騎馬の優位性は殆ど無くなってしまったからな。
全国的に有名な南部馬を産出する南部でも
戦国時代は騎馬隊ってなかったみたいだし。
274人間七七四年:2012/12/01(土) 14:23:02.29 ID:13+AGtlE
政宗の騎馬鉄砲隊は事実? 後藤又兵衛戦で本当につかわれたの?
馬に乗りながら弾こめて精度高く撃つってできるん?
275人間七七四年:2012/12/01(土) 14:24:45.92 ID:McOacutt
弾を込めるのは馬に乗る前でいいだろw
276人間七七四年:2012/12/01(土) 14:39:10.10 ID:ixRW/Hwi
>>274
信頼できる史料では騎馬鉄砲隊の存在は確認できない。
ただ馬上筒自体はある程度普及していたので小規模部隊で運用した可能性はあるが
大々的に使ってた大活躍したというなら、まぁ嘘だな
277人間七七四年:2012/12/01(土) 19:44:36.02 ID:qIODberg
騎馬武者なら小者が付いるから
そいつに弾込めさせれば良いだろう?
278人間七七四年:2012/12/01(土) 20:56:15.71 ID:HHbnuqeE
それじゃ兵科としての騎馬鉄砲隊の意味が無いだろう
カラコールなんかを見ればわかるけど、騎馬としての機動力がなきゃ意味ねー
いやまあカラコール自体アレなんだけどさ
279人間七七四年:2012/12/01(土) 21:25:41.56 ID:qIODberg
ポニーみたいな騎馬隊に、そんな高い機動力あったの?
280人間七七四年:2012/12/01(土) 21:32:57.81 ID:Ss79z7lE
>>279
アホか。三十年戦争で大活躍したグスタフ・アドルフのスゥエーデン騎馬隊の馬なんて、
日本の在来馬以下の体格だぞ
281人間七七四年:2012/12/01(土) 21:42:23.44 ID:HHbnuqeE
車に例えるならサラブレットはF1カー、戦場なんてとてもとても
モンゴル騎兵の馬だって分類で言えばポニーだしな

我々が連想するポニーはシェトランドポニーという比較的小柄な馬で体高100cmほど
日本の在来馬は体高135前後でそんなに小さくない
282人間七七四年:2012/12/01(土) 23:14:00.71 ID:0bRvafCP
在来馬で画像検索すると
blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/96/84912046d3342e270817eb33891e5a21.jpg
小さくて可愛いな(^-^)
283人間七七四年:2012/12/02(日) 05:16:42.47 ID:S0aGib9i
>>279,282
その辺の普通の在来馬と戦国時代の軍馬を一緒くたにするのはナンセンスだよ
メタボで腕の細いその辺の典型的なおっさんの写真見て、現代の軍人は弱いって言ってるようなもんだ

甲州和式馬術保存会で「軍馬」として訓練された木曽馬は、こんな感じ
ttp://wasikibajyutu.txt-nifty.com/tankyukaikousyu/images/h_2.jpg
ttp://wasikibajyutu.txt-nifty.com/tankyukaikousyu/2005/06/post_688f.html

素人目にも戦うのに十分な大きさ・迫力があると思うけどね
284人間七七四年:2012/12/02(日) 06:32:22.37 ID:VaAqDRGP
>>283
結構立派なもんだな

でも、長槍を構えた歩兵をぶつければイチコロなんちゃう?と常々思う
馬を突かれただけでも落馬は免れないだろうし攻撃を受けるとまずい面積が増えてるじゃん、と
285人間七七四年:2012/12/02(日) 07:57:21.12 ID:DhGJv2v5
>>284
騎兵が必ず槍の正面に向かってくると思ってんのかおめでてーなw
286人間七七四年:2012/12/02(日) 08:25:29.37 ID:VaAqDRGP
>>285
随分と馬鹿にした物言いだな 普通に会話もできんのか

案山子が槍を構えてるんじゃあるまいし、横から突っ込んでくるなら方向転換すればいいだろ
一かたまりの槍隊の規模によっては方向転換に時間がかかるが規模を調節すればいいし、
所詮は重荷を背負った馬の速度で廻り込んでくるんだから突然横から突っ込んでくるわけじゃない
正面のA軍部隊と交戦中のB軍槍隊の側面をA軍騎馬隊が突くって想定なら、一隊vs二隊の話であって、騎馬隊優位って話じゃない
287人間七七四年:2012/12/02(日) 08:27:43.77 ID:DhGJv2v5
>>286
集団の槍兵の方向転換がそんな簡単にできるわけねーだろ。
ただ向きを変えればいいってもんじゃないんだぞ?
288人間七七四年:2012/12/02(日) 09:09:00.85 ID:nA/QW6Fi
政治家っぽくない喋りだ
289人間七七四年:2012/12/02(日) 09:09:31.66 ID:nA/QW6Fi
誤爆(´・ω・`)
290人間七七四年:2012/12/02(日) 09:27:05.67 ID:O60TThDZ
ナイスなボケだ!
291人間七七四年:2012/12/02(日) 09:28:57.95 ID:O60TThDZ
>>286
だが騎馬隊の機動力に期待されているのはその、敵の腹とか後ろを突く事に有る。
292人間七七四年:2012/12/02(日) 09:37:32.65 ID:QSpOzqXx
歩兵が槍を揃えるだけで突撃を防げるなら槍騎兵なぞ世界各国でとっくに絶滅しとる
実際は鉄砲以降の近代でもライフルが標準になるまでは生き残ってるわけで
293人間七七四年:2012/12/02(日) 13:43:40.74 ID:CHvzGJUo
てか不安定且つ片手で戦わなきゃイケない
騎馬が強いってのが理解できん。

やっぱりちょっとした機動力だけだろ?w
294人間七七四年:2012/12/02(日) 14:34:51.99 ID:WHuJOZkt
いや、長槍兵の密集隊形は騎馬隊でも崩せないよ
騎馬隊に期待されてるのは延翼や迂回といった機動とか、
槍衾などの陣形が崩れたところへの決定打だから

>>293
騎馬隊の衝撃力は近代まで有効とされてる
機関銃が出てからその火力を騎馬の突撃で突破するのは不可能になったけどな
295人間七七四年:2012/12/02(日) 14:49:05.74 ID:6+GGojwC
軍馬の育成ってのは金と手間が掛かるし
正面から歩兵部隊にぶつけるのは金をドブに捨てるのと同じこと。
騎馬の役割は奇襲とか本陣への強襲といった
遊軍的な任務の方が多い。
296人間七七四年:2012/12/02(日) 15:05:23.08 ID:QSpOzqXx
そんなことに使われた例は戦国時代には無いねぇ
297人間七七四年:2012/12/02(日) 16:40:52.61 ID:WHuJOZkt
乗入とか乗崩とか、当時の言葉で残ってるんだがな
298人間七七四年:2012/12/02(日) 16:43:00.83 ID:lZWNu5vt
>>293
馬でブイブイされると歩兵は気持ちが萎えるんだよ
逃げてお家帰りたくなっちゃう効果は大きいよ
299人間七七四年:2012/12/02(日) 16:45:49.19 ID:NAmIn8cp
打撃武器の場合、高さってのはそれだけで有利になるよ
300人間七七四年:2012/12/02(日) 16:51:55.66 ID:QSpOzqXx
>>297
乗入とか乗崩とかは正面突撃じゃね
フランス重装騎兵同様に、従者や徒歩武者と行動をともにしてる日本騎馬に
機動力発揮できる面は無いだろう
301人間七七四年:2012/12/02(日) 20:05:29.82 ID:WWhCitKX
確かに戦国には打撃系の武器を持って馬にのっているやつがいないのう
槍しか見たことない 槍だと突撃で突きがミスったら終わりだから馬は利用価値がなかったのかもしれん
302人間七七四年:2012/12/02(日) 21:05:56.38 ID:QSpOzqXx
だから馬で戦ってる史料はいくらでもあるでしょ。
この手の輩はなんでいつもそれらを無視しようとするのか。
303人間七七四年:2012/12/02(日) 21:10:43.63 ID:NAmIn8cp
>>301
ごめん、打撃系ってのはメイスとかだけじゃなくて
火器や弓以外の、刀も含めた棒状の物理兵器全般を言いたかった
304人間七七四年:2012/12/02(日) 21:27:12.57 ID:WcIsPrTN
大名にとって楽市楽座ってのは、どんな利得があったんでしょう?

例えば、消費税みたいなのがあれば、
売買が活発になるのは、利益につながるでしょうが、
当時そんなものありませんし。
305人間七七四年:2012/12/02(日) 22:16:47.27 ID:GXEHz+P7
いや、あっただろw



んでお前らは、近所へ斬合いしに行くのに
わざわざ自転車に乗りながら戦うの(;¬_¬)?
306人間七七四年:2012/12/03(月) 04:12:50.30 ID:jsZX5toG
絶対に表に出てはイケない職業なのに
後世に名を残した服部半蔵氏て
スゴイんでしょうか?スゴクないんでしょうか?

本当のその道のプロなら名を残さず陰で偉業を
達成してると思うのですが・・・
307人間七七四年:2012/12/03(月) 09:50:51.96 ID:dLZF7wKj
>>306
服部半蔵自身は忍者じゃないですよ。普通の武士です。本能寺の変の時に、伊賀の出身という縁で
家康の伊賀越えの手配をした。そして後に伊賀越えを縁として家康に使えるようになった伊賀同心の
統率をまかされた。CIAの長官だってスパイじゃないでしょ?
308人間七七四年:2012/12/03(月) 10:19:56.22 ID:jsZX5toG
>>307
なある、よくわかりました、まあ服部氏は例えとして
百地や風魔などはどうなのでしょう
やはり頭領クラスは名が残って然りなんでしょうか?
309人間七七四年:2012/12/03(月) 11:43:30.26 ID:tFfy3vT7
信康斬るのも失敗したくらいってか?
かなり裏働きな武士なのは事実だろ。
310人間七七四年:2012/12/03(月) 12:40:50.72 ID:dLZF7wKj
>>308
風魔は風魔忍軍の事じゃなくて風魔小太郎の事でしょうか?風魔小太郎とか百地三太夫とか名前は
有名でも実体は全くの不明で、むしろ虚名を広める事で実体を隠しているものと思われます。
311人間七七四年:2012/12/03(月) 12:59:17.21 ID:wOiAf7Pr
そもそも頭領(社長)ですら世に知られていないなら、どこに人員派遣を頼みに行くのでしょう?
現代でも超優秀な技術者が現場に居たりしますが、私達が名前を知っているのはせいぜい社長くらいのものです
ですので百地さんが有名でよく知られていても問題は何らありません

あ、あと風魔さんは失業後に盗賊になってから捕まって処刑されてます
312人間七七四年:2012/12/03(月) 16:49:30.50 ID:jsZX5toG
よくわかりました
頭領クラスなら名は広まってるが
実体はよく判らないということですね
謎が多いということですね
313人間七七四年:2012/12/03(月) 23:40:49.53 ID:aVt6poIV
戦国時代には茶が流行ったという話をよく聞きますが
当時の人物で「茶なんて別に全然良くない」
なんてこと主張した人物って誰かいますか?
反発するような人もいたと思うのですが
314人間七七四年:2012/12/03(月) 23:52:05.37 ID:dLZF7wKj
>>313
流行り廃りじゃなくて政治の道具だから反発しても出世できないだけ。
315人間七七四年:2012/12/04(火) 00:25:02.35 ID:3i1SuDZe
今でも似た様なもんあるよな。
酒飲み同士で企画の骨子固まってるみたいな会議w
316人間七七四年:2012/12/04(火) 01:24:50.54 ID:oGM9Rvfx
>>314-315
なるほど、茶は今でいえばゴルフや飲み会のように
人脈を作ったり会談を行ったりするのに必要ようなもので
文化や芸術としての価値があるかなどは
当時は特に知識人や文化人の間では議論対象にはなっていたなかったのですね。
ありがとうございました。
317人間七七四年:2012/12/04(火) 02:32:57.77 ID:r5cuQqeC
>>316
文化や芸術としての価値がある前提(もしくは建前)での、政治の道具です。議論の対象にはなりません。
318人間七七四年:2012/12/04(火) 20:59:49.73 ID:MSLYeKxc
信長の野望・武将風雲録で茶器で裏切ることがあるんですが、本当に
寝返ったり裏切ったやついるんですか?
319人間七七四年:2012/12/05(水) 18:48:32.17 ID:fGzJmENQ
>>318
石田三成が羽柴家から一時期出奔した事がある
320人間七七四年:2012/12/05(水) 21:11:40.35 ID:eJ+CjFDX
>>304
楽市楽座という規制緩和を行い、在郷の商人や工業者を
城下に集め大名に権力を集中させるための一手段となった。
321人間七七四年:2012/12/05(水) 21:17:56.33 ID:wHqvdWwL
>>320
楽市楽座が規制談話とかアホか。規制なんぞどこも暖和しておらん
322人間七七四年:2012/12/05(水) 21:19:49.88 ID:PqNeVnx8
>>321
詳しそうだから>>304に答えてあげれば?
323人間七七四年:2012/12/05(水) 21:25:38.58 ID:wHqvdWwL
楽市楽座なんてものは、「座も市もない新興開発地域に自由に参入できる」というだけの話だ。
それが領主の想定したように集まればそこで楽市楽座と云う名の優遇策はストップするし、
そのかわり参入済みの者たちは既得権を認められる。
信長の岐阜での楽市楽座なんて3年後には有名無実になっておる。
本当にタダの呼び水政策にすぎん
324人間七七四年:2012/12/05(水) 21:29:09.38 ID:eJ+CjFDX
規制緩和って書き方が悪かったわ。
特区って書いた方がよかったかも。
325人間七七四年:2012/12/05(水) 21:42:23.58 ID:TbTEEZxY
商人は売値の何割を税金で納めるとかあったの?
326人間七七四年:2012/12/05(水) 21:47:12.34 ID:iTA+UPTa
むしろ地域によってはそれまで好き勝手やってたのに
指定された区域以外は商業活動に制限くわえられたような所も
327人間七七四年:2012/12/05(水) 22:23:28.73 ID:EW2snBVF
>>325
売上税は無し。ショバ代のみ。
328304:2012/12/06(木) 01:08:42.79 ID:JZtBSiwY
なるほど。特区と。
よくわかりました。ありがとうございます。
329人間七七四年:2012/12/06(木) 01:32:03.88 ID:xEO1eQ7J
楽市楽座は実質的には「経済活性化のための減税」のほうが近かったのでしょうか?
330人間七七四年:2012/12/06(木) 02:54:38.70 ID:EoTQ4867
ショバ代巻き上げてるのに減税とはこれいかに
そうじゃなくてしがらみのない新しい取引の場を作ったから、みんなあつまれーって話
331人間七七四年:2012/12/06(木) 10:02:59.25 ID:2CDraz85
ショバ代も無くしてるよ。
332人間七七四年:2012/12/06(木) 10:35:07.78 ID:WFOZtp5R
楽市楽座をすれば経済が活性化するってものではなく
それ連動して活性化させたから信長のケースが特筆されているって感じだわね
333人間七七四年:2012/12/06(木) 19:11:01.32 ID:rqcPPmn5
>>329
経済活性化ってより旧勢力の既得権を剥奪する要素の方が強いかと。
農村にいる商工業者を呼び寄せ、公家や寺社、国人衆の影響力を
弱めるのが主目的だったかと。経済活性化とかはその後の話し。
334人間七七四年:2012/12/06(木) 19:51:03.15 ID:xEO1eQ7J
>>333
なるほど、前領主などとの結びつきが強い商人の排除のほうが主目的だったのですか
335人間七七四年:2012/12/06(木) 20:02:57.67 ID:QCID/cFz
>>333
> 経済活性化ってより旧勢力の既得権を剥奪する要素の方が強いかと。
> 農村にいる商工業者を呼び寄せ、公家や寺社、国人衆の影響力を
> 弱めるのが主目的だったかと。

無い無い無い。ありえない。それこそ後付の理屈だわ。
それが主目的なら信長が、既に座のある地域では、その利権も含めて全て丸呑みに認めた理由がわからなくなる。

楽市楽座に、単純な商人の呼び水以上の意味なんて無い


> 331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 10:02:59.25 ID:2CDraz85
> ショバ代も無くしてるよ。

無くしてない、少なくとも信長は一種の売上税を取り上げている
336人間七七四年:2012/12/07(金) 02:39:09.94 ID:o6KA/aQ/
>>335
>>楽市楽座に、単純な商人の呼び水以上の意味なんて無い

何のために商人を城下に呼び寄せるのかを少しは考えた方がいい。
337人間七七四年:2012/12/07(金) 13:30:16.84 ID:Tg3x1Ndt
>>336
意のままになる商人を集めるためだろ、いわゆる御用商人の走りを集めてた
座は支配者層の影響力も及びにくいから、影響力を行使しにくい
338人間七七四年:2012/12/07(金) 16:21:11.57 ID:WUX+uaI2
どうして武家の影響力が及びにくいのか、を考えればすぐにわかるはずだがな
当時の座というのは基本的に寺社などの庇護を受けていた存在
339人間七七四年:2012/12/08(土) 19:44:17.95 ID:HE9+7PYB
んでお前らは、近所へ斬合いしに行くのに
わざわざ自転車に乗りながら戦うの(;¬_¬)?
340人間七七四年:2012/12/09(日) 00:24:08.66 ID:145pND5Y
島原城って4万石にしちゃでかくない?
341人間七七四年:2012/12/09(日) 08:44:35.55 ID:6/JC3ddL
ちょっとデカ目だね。一揆の原因の一つかもね。
342人間七七四年:2012/12/09(日) 09:10:31.89 ID:2wvUOPq5
実質石高ってのがあるな 外様は誇張石高が見苦しかった
特に参勤交代の格式で幕府が『だいたいこれぐらいの石高だろ?』と決めつけることもあった
『4万石だから3割の1万2千石は税金納められるな』というところから
一揆がでた すべては外様の虚栄心からきたものだ
343人間七七四年:2012/12/09(日) 09:24:37.17 ID:6/JC3ddL
日本語で、と言おうとしたけど
句読点の代わりにスペース使ってるあたり外国の方かな
344人間七七四年:2012/12/09(日) 13:29:04.02 ID:RniiJ3Xi
かつては海外交易の利益もあったからそれ込み
345人間七七四年:2012/12/09(日) 20:07:56.70 ID:v5KgHJPk
松倉は外様か?
346人間七七四年:2012/12/09(日) 20:36:39.48 ID:YBCVCXkp
>>343
句読点が〜って、自分も句点つかってないんだから、読点云々と突っ込めば?
しょうもないことに突っ込みいれるなら、せめて自分は正しく日本語を使えば?
>>342の内容も十分わかるし、お前が日本人か怪しいレベル
347人間七七四年:2012/12/09(日) 21:24:29.38 ID:2gZ6utzi
おそらく、自分は句読点を使いこなしていない
というジョークなのだと思うぞ。
348人間七七四年:2012/12/09(日) 21:30:10.47 ID:6/JC3ddL
>>346
ごめんごめん、
ハングルキーボードとか句読点出すめんどくさいらしくスペースで代用するから
てっきりそっちの人かと思ってしまった。
349人間七七四年:2012/12/09(日) 21:32:11.16 ID:6/JC3ddL
で、実質石高ってなに?内高や実高とは別物なの?
350人間七七四年:2012/12/09(日) 21:44:04.96 ID:AVZPFXC+
多分実高のことだろ
351人間七七四年:2012/12/09(日) 22:58:32.67 ID:YBCVCXkp
>>348
謝られるとは思わなかった
もっと嫌な奴、煽りレスの類かと思って厭味なレスをして申し訳ない
嫌な奴なのは完全に俺でした・・・失礼します
352人間七七四年:2012/12/10(月) 12:00:21.76 ID:7Q3A6g71
忍者の刀の持ち方ってアレ本当なの?

剣道やってた者としても斬りにくいと思うのだがw
353人間七七四年:2012/12/10(月) 13:53:15.10 ID:WR8vgCU3
逆手に持つメリットはトンファーのように腕を広く防御できることと、
首などに刺突できることだけど、そんなメリットあんまり無いと思うよ

逆手持ちをしていた人が居なかったとは言わないけど、
あれはお芝居の演出で誇張された表現かと
354人間七七四年:2012/12/10(月) 14:21:48.97 ID:ruhzacVj
現代の一般的な忍者のイメージは
創作の世界のものなのであまりアテにならない

よく甲賀やら伊賀の忍術なるものが
忍者村等のテーマパークで公開されているが
出典が『万川集海』等の荒唐無稽な内容が多い書籍であったり
書いてはあるもののその技術が
当時用いられたかは甚だ疑問な内容が多々あったりする

水蜘蛛など江戸時代に成立した『万川集海』に記されてはいるが
当然だがあのような道具では十分な浮力を得られないので
実験すらせずに記載されていることがわかる
355人間七七四年:2012/12/10(月) 17:32:05.57 ID:I38dt31Z
そもそも黒装束なんていう目立つモノは着てないしな。
356人間七七四年:2012/12/10(月) 18:47:46.78 ID:Rqjzw49h
網タイツくらいは有りにしておこうよ
357人間七七四年:2012/12/10(月) 20:32:41.04 ID:7k7yQD/8
おっさんはまたそれか
358人間七七四年:2012/12/10(月) 21:31:51.52 ID:FTcSkARG
小田原合戦について質問です。
豊臣軍は、事前に駿河に兵糧を備蓄したと聞きました。
でも、豊臣軍は東海道沿いに進んだ部隊だけではないですよね。
北方隊についても、何処かにそういう補給の拠点は置いてたんでしょうか?
359人間七七四年:2012/12/10(月) 21:37:46.01 ID:cHrP/gax
>>358
無いです。というか清水に備蓄したのも販売用の穀物の倉庫と思った方がいい。
アレは豊臣家の金儲けのための集積。

ついでに言えば豊臣軍は東海方面からの軍隊でも、兵糧不足で足軽の逃亡が続出していた。
豊臣は兵糧の運用で勝ったわけでは全く無い
360人間七七四年:2012/12/10(月) 21:47:21.37 ID:kHyQnDiM
>>352
忍者が持つ刀は脇差みたいに短く、片手で扱うものだから
あながち逆手持ちが出鱈目だとは言えない。
それに短刀だと逆手持ちの方が有利な場合が多々ある。
流石にテレビみたいな立ち回りはないけどな。
361人間七七四年:2012/12/11(火) 11:56:58.09 ID:QmhEt8hH
漫画や映画等の創作物でも忍者が刀を逆手に持ってるのは戦後の物だけ
362人間七七四年:2012/12/11(火) 12:40:50.78 ID:lLYUjkQN
忍者って世界最強の格闘家らしいよ。剣や刀よりも格闘技じゃね?
363人間七七四年:2012/12/11(火) 14:37:08.66 ID:2b6mEal9
本気で忍者の考証や研究をしているとか言ってる人や団体ですら
万川集海を引用して忍術を紹介していることもザラだしなぁ
364人間七七四年:2012/12/11(火) 16:55:10.16 ID:4l1qI7ur
逆手に持たせると見た目でサムライとの区別がつきやすい
こんあとこかな
365人間七七四年:2012/12/11(火) 18:29:29.48 ID:MDsAJeiJ
来年開催される
茶道具名品展に行こうと思うんだけど
戦国板民的には何に注目してみれば良いですか?
九十九髪茄子は当然チェックするとして
http://www.seikado.or.jp/fl_01_2013_01a.jpg
http://www.seikado.or.jp/010100.html
366人間七七四年:2012/12/11(火) 18:47:22.54 ID:Y33O/GC2
戦国ネタはみなさん何を読んで拾ってくるんですか?
普通の図書館だとどこかの信長公記と東洋の三河物語と甲陽軍鑑ぐらいしか思いつきません
これが漢籍だったら普通の図書館でも豊富なのに
367人間七七四年:2012/12/11(火) 19:56:07.79 ID:MDsAJeiJ
普通に小説かマンガでおk
太閤記系の小説だと戦国時代網羅してて良いぞ
368人間七七四年:2012/12/11(火) 20:06:02.97 ID:wMrRmq/a
新書系の本なんかも玉石混交ながらもいい本は結構あるぞ
369人間七七四年:2012/12/11(火) 20:19:15.13 ID:nrQ6vcxt
>>366
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/

ここで「國史叢書」か「日本歴史文庫」で検索。幸せになれる。
370人間七七四年:2012/12/11(火) 20:58:10.19 ID:wLpGZuhI
パチンコの花の慶次の広告で
慶次とお友達の直江兼次が出てくるのは分かるんだけど、
何で伊達政宗も一緒に居るんだろう?
原作とパチンコと歴史に詳しい方、お答えください。
371人間七七四年:2012/12/12(水) 00:24:32.32 ID:1CcS3Bjg
>>358
ありがとうございます。
なるほど。ありませんか。と、すると、
「なで斬り? 出来るわけないだろ。自棄起こされて、兵糧焼かれたら詰む」
ってーお話は、結構正鵠を射てたかもしれないww
372人間七七四年:2012/12/12(水) 06:11:44.52 ID:2RxkZ+Lr
>>367-369
ありがとうごさいました
373人間七七四年:2012/12/12(水) 09:28:22.47 ID:ul1o/GbN
>>365
戦国板的には判らんが美術的には曜変天目です。世界中で、日本に伝わる三点しか無いお宝で
もし一堂に会するとしたら豪勢な事です。以前有ったけど。
油滴天目も素敵だけどね。

>>370
政宗は上杉の仮想敵だからじゃね。
374人間七七四年:2012/12/12(水) 20:30:52.20 ID:gUKgVwhZ
>>352
つうか忍者うんぬん関係なしに、得物が短いときに逆手で使うんだろう。
現在でも軍人、傭兵はナイフ・ダガー類を逆手で使うらしいから。
取っ組合いでは圧倒的にメリットがあるのは逆手だし
順手では重たい太刀や棒の攻撃を受け止めた際に落としてしまうが
逆手は重い一撃を受け止めてもポロリしないしな。
375人間七七四年:2012/12/12(水) 21:59:06.33 ID:p8wEpweF
順手の方が衝撃に耐えれれるの決まってるだろ
お前の親指はどっちについてるんだwwwwww
376人間七七四年:2012/12/12(水) 22:09:41.47 ID:j+rWurv3
>つうか忍者うんぬん関係なしに、得物が短いときに逆手で使うんだろう。
それはケースバイケース
状況や流派によって変わる、一概にどうとかは言えない
377人間七七四年:2012/12/12(水) 22:31:12.44 ID:gUKgVwhZ
>>375
冗談でしょ?てこの原理って小学校で習うことだよ。
順手は逆手に比べて、支点と作用点の距離がないから簡単にポロリする。
嘘だと思うならペンでもなんでもいいから自分で試してみな。
378人間七七四年:2012/12/12(水) 22:39:06.29 ID:voeWGotB
得物が小さいとどう戦うか

なんて問題ではなく忍者の場合は
そもそもそのような武器を使っていたのか
また実在したのか
ってそのレベルの話だからなぁ

魔女はどうして箒で空を飛ぶのかって話で
魔女や魔法が実在するのかの前に
箒で仮に空を飛べばどうなってしまうのか議論するようなアホらしさ
379人間七七四年:2012/12/13(木) 01:06:12.25 ID:CYXWa7OJ
>>377
大丈夫かその学校
380人間七七四年:2012/12/13(木) 01:49:30.35 ID:SbfBUOgC
獲物振り回すような状況に陥ってる時点で、いわゆる忍者としては失格なんですけどね

あと忍者の破壊工作や強行偵察の技術てのは、山賊夜盗強盗の業と大部分で同じだから、
彼らを無罪にする代わりに忍びとして徴用するケースもある(例:上田氏)
その場合、もちろん忍者刀なんて使わず思い思いの獲物を持ってるわけで
381人間七七四年:2012/12/13(木) 02:10:59.34 ID:IMr4653l
>>352
web上のソースはwikipediaくらいしか見つからなかったけど
忍者の刀の構え方とか卍型の手裏剣なんかのルーツは60年代に忍者ブームを起こしたテレビドラマの「隠密剣士」だよ
プロデューサーの西村俊一氏(水戸黄門のPとしても有名)が考案したそうな
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E4%BF%8A%E4%B8%80#.E4.BA.BA.E7.89.A9

自分はこのドラマ見たことないし西村氏と直接の面識もなかったけど、
映像業界の歳がいった先輩方の間では有名な話だったよ
一般にはあまり知られてないんだなぁ
382人間七七四年:2012/12/13(木) 05:53:02.63 ID:00k5tS9n
そもそも忍者って何?(史実的な意味で)
383人間七七四年:2012/12/13(木) 07:16:15.83 ID:SpqHlJrP
>>374
えっ
384人間七七四年:2012/12/13(木) 08:56:20.99 ID:JW5CEKYO
普通に世間話好きのヤツに、色々喋らせたりする人の事だろ?
斬りあいなんて最後の手段だわ。
385人間七七四年:2012/12/13(木) 16:37:17.75 ID:WGD2pFwh
逆手持ちなんて画面映えするからって都合だろ
銃を横向きに構えたりするのと同じで、
役者の顔が隠れないし、構えだけでケレン味を出すことができる
386人間七七四年:2012/12/13(木) 18:31:13.84 ID:yjCfw0+O
歩き巫女と称してハニートラップにかけるとかそういうのもあったんだっけ
387人間七七四年:2012/12/13(木) 19:06:31.49 ID:M2ffKdI/
創作における逆手持ちって一種の記号表現でしょ?
388人間七七四年:2012/12/13(木) 19:59:12.84 ID:eARRf91F
日本刀は基本的に引いて切るものだから逆手持ちとは相性が悪い。
逆手は西洋の短剣みたいなものでこそ真価を発揮する。
389人間七七四年:2012/12/13(木) 21:47:58.71 ID:dZV3MS5W
>>386
キャナメが男巫女やってたな
390人間七七四年:2012/12/14(金) 09:46:54.16 ID:CZZIuD8A
年寄りに不意討ちして討ち漏らしたバカ殿物語の日だなw
391人間七七四年:2012/12/14(金) 10:04:23.63 ID:V2K+nPrm
脇差できっちり殺すつもりなら突けだな
392人間七七四年:2012/12/14(金) 12:17:46.99 ID:CZZIuD8A
あの頃の脇差って、刃渡り何cmくらいだったのかなぁ?
40cmのとかもあるよなw
393人間七七四年:2012/12/14(金) 13:15:08.51 ID:Mld+2kR9
江戸時代の定義で言えば、一尺以上二尺未満だから約30cm〜約60cmの間だね
戦国時代はどうだろうな
394人間七七四年:2012/12/14(金) 16:47:32.46 ID:k+zTgVId
太刀持ってた頃は本差を脇差代わりに差していた。
戦国時代はその中間・・・と言いたいところだけど
規定なんて無いし変革期だわで様々だったというところじゃないかな。
395人間七七四年:2012/12/14(金) 20:49:23.46 ID:4jQEhxxK
戦国時代は実用重視だから三本差しとか普通。
396人間七七四年:2012/12/14(金) 20:57:59.79 ID:TRymkyTw
>>395
普通じゃねえよ。絵画資料でも日本人の記録にも外国人・宣教師の記録などにも武士は二本差しが基本だということが出ておる
397人間七七四年:2012/12/14(金) 21:47:44.24 ID:Mld+2kR9
鎧通しや小柄を一本と数えれば、三本差しと言いはることも可能ッ
398人間七七四年:2012/12/14(金) 23:50:43.54 ID:QTiD71ve
>>385
逆手持ちは格闘技と相性がいいから軍隊でも取り入れてる技法の一つ。
打撃系の格闘はもちろん、短剣を使いながら
関節技を掛けるなどの技もある。別にファッション目的で
考案された技術じゃないから。
399人間七七四年:2012/12/14(金) 23:51:14.98 ID:V2K+nPrm
ちんこも一本数えれば、、、、
400人間七七四年:2012/12/15(土) 01:25:03.23 ID:5v0Wtm+x
>>398
忍者が持ってるのがナイフなら有り得たけどな。
401人間七七四年:2012/12/15(土) 01:35:33.62 ID:yhE3MPIW
忍者が短刀で戦っているという前提が既におかしいから何も言えんわな
402人間七七四年:2012/12/15(土) 01:55:57.46 ID:6GEP7xdf
>398は忍者の話でなくて一般論として逆手持ちが立派な戦闘技術の一つであって
>385が言うような見た目だけのものではない、といっているだけだろ
403人間七七四年:2012/12/15(土) 03:09:04.01 ID:RLXxoO1j
忍者の話をしてるのに関係ない一般論出されてもねぇ
404人間七七四年:2012/12/15(土) 03:41:33.86 ID:27x5PiCd
伊賀の人間が織田と戦う時に逆手に構えたかどうか想像すれば有り得ない事くらい分かるだろ
405人間七七四年:2012/12/15(土) 07:59:59.94 ID:6AX1q4Bh
>>401
忍者の任務は潜入工作がメインであって戦闘は二の次なんだし
太刀や小太刀といった長物を携帯してたわけじゃないだろ。
そんな重くて目立つもの携帯してたらメインの業務に支障をきたすわ。
406人間七七四年:2012/12/15(土) 10:46:23.44 ID:5v0Wtm+x
農民でも大小を指し、少なくとも脇差を持つ時代で
潜入に丸腰って逆に目立つんでないかい?w
407人間七七四年:2012/12/15(土) 12:59:41.06 ID:JdZhUVQv
そもそも忍者といってもいわゆる映画にでるような忍者はおらんわけて
408人間七七四年:2012/12/15(土) 19:33:39.01 ID:1Uvai3H1
>>407
江戸時代の単なるガードマンになっちゃった時代でも自分達の記録に残さなかったって言うくらいだから
戦国の忍者がどう活動していたかなんて分からんので何とも言えんと思うが
409人間七七四年:2012/12/15(土) 22:08:38.35 ID:QZE2ppro
だってお庭番の記録残してもねぇ。
410人間七七四年:2012/12/15(土) 23:04:41.01 ID:mgoak4Mg
>370
 原作の漫画では、前田慶次と伊達政宗は「拳で語り合った仲」です。
 小田原攻めへの参加を促す使者として、直江兼継に頼まれて前田慶次が向かった、
という設定です。で、使者としての口上述べる前に殴り合う(w
※その前にも互いに知らぬままに殴り合ってるが
411人間七七四年:2012/12/16(日) 00:42:10.92 ID:lk2w6MQl
412人間七七四年:2012/12/16(日) 02:43:41.38 ID:7A+CIrOZ
>>411
413人間七七四年:2012/12/17(月) 21:18:30.25 ID:XDe7ojVp
アニメからの話で申し訳ない
クレヨンしんちゃんアッパレ戦国大合戦で、籠城側は城壁の内側に足場を組み上げているんだけど、
これはなんて言う設備なんでしょう? 適切な単語があれば教えてください

↓鉄砲持った足軽達や木の盾が並んだり、
http://uploda.cc/img/img50cf0cc1b422a.jpg
↓下の人にとっては屋根にもなる
http://uploda.cc/img/img50cf0cd9e4abe.jpg
414人間七七四年:2012/12/17(月) 21:28:23.80 ID:UWnqWIs4
>>413
櫓でいいと思う
415人間七七四年:2012/12/17(月) 21:28:26.45 ID:GKQTqu1j
足場でええんちゃうの
416人間七七四年:2012/12/17(月) 21:35:40.41 ID:2t3UquLH
>>413
石打柵

学研 歴史群像
戦略戦術兵器辞典 6日本城郭編
65Pより
417人間七七四年:2012/12/17(月) 21:55:11.52 ID:XDe7ojVp
おー!
本は持ってないけど、石打で調べたら姫路城にも射撃用の足場として石打棚(武者台)というのがあるそうで、また一つ確信させて頂きました。
ありがとうございました
418人間七七四年:2012/12/17(月) 23:53:22.59 ID:nW10KUIU
あれで「絶対ウソ付かない」って
刀カチャってやる作法って本当?
419人間七七四年:2012/12/18(火) 01:13:14.93 ID:L1Wr70zp
金打(きんちょう)のことね。
戦国時代でも本当にしていたのかは知らないけれど、
江戸時代はよく行われていたことは確か。
講談や歌舞伎でもする場面があるなど、
かなり庶民にも浸透していた。
420人間七七四年:2012/12/18(火) 19:23:05.04 ID:20U4iIi4
( ゚д゚)ノ ハイ!シツモーン!
現在、知られている合戦以外に大きな合戦があった可能性はありまつか( ´・ω・)?
有力な資料がなくてもその合戦はあったと断定されている事もありまつよね( ´・ω・)
だったら資料が無いから現在まで知られていない合戦があっても不思議じゃないでつよね( ´・ω・)
421人間七七四年:2012/12/18(火) 19:33:44.75 ID:2llT84WC
人はそれを悪魔の証明と呼ぶ

例えば今現在恐竜が居ないことを証明するには、
地球のあらゆる場所を同時に(恐竜は動物で移動するため)探索しなければならない
しかし地上だけじゃなく海底や洞窟といった地球の内部まで同時に探索するのは無理
つまり居ない証明は出来ない

存在し無い可能性を示すのは不可能、設問を改めるのを要求する
422人間七七四年:2012/12/18(火) 22:29:00.09 ID:HBdLLGZQ
>>420
土豪時代の松平家の戦いとかは資料には残らないだろうけど
別に大名でもないしね。
大名同士が戦って、やっぱり無かった事にしようってのは流石に無理では?
423人間七七四年:2012/12/18(火) 22:45:37.19 ID:VVM0q08f
>>422
東北の南部家の跡目争いは相当大きな内乱だったらしいけど
後世に残ってる資料は殆どないことから、意図的に隠されたと思われる節がある。
歴史ってのは勝者が書くし大名クラスの争いでも
無かったことにされてる合戦は多いと思うぞ。
424人間七七四年:2012/12/19(水) 00:25:33.98 ID:Dgt5InDI
内乱が小規模な紛争扱いで記録に残される例ってのは世界的にもちょいちょいあるね
実質的に相手がもう独立して久しかったのにあくまで内乱で処理していたりとか
425人間七七四年:2012/12/19(水) 03:24:45.92 ID:GpwiIWr0
ノモンハン事件の様な字面的には大した事ない小競り合いが
実は大規模戦闘でしたってのは有るかも
つっても詳細が不明なら憶測にしか過ぎないよね
426人間七七四年:2012/12/20(木) 02:41:50.62 ID:6Z5iYq+G
最近戦国時代に興味を持ってウィキペディアで色々調べるようになったんですが、ウィキペディアの情報なら古本で20年も30年も前の本で情報を調べるよりは情報の精度は良いでしょうか?
色々と新説とかも出ているようですし、いったいどの情報からまずは大まかに知っていこうか非常に悩んでいます。
一番は新品で最新の本を買う事だとは思うのですが、好きな大名家とか興味の対象がまだ絞れてない状態なんで、あまり散財せずにまずは広く浅く知りたいのですが。
427人間七七四年:2012/12/20(木) 02:51:37.89 ID:15efHeW2
ウィキペディアは教科書レベルのことは書いてあるので
大まかな概要を知る程度であればもちろん役に立つのだが
それ以上は怪しい情報のオンパレードなので信用しないのがいい。

よく言われることだがウィキペディアは
「地球は宇宙人が作ったのだ」という説が書かれた書籍や論文があれば
それを出典として載せることができてしまうサイトだから、
出典があったところで信頼のおけない情報も多い。
そしてその出典すらない情報はなおさらのこと。
428人間七七四年:2012/12/20(木) 11:13:50.84 ID:1UXA/TkZ
ただ、広く浅く、という入門的に知るならいいかもしれない。
わからないことはこういうとこで聞けばいいしね。
それにウィキが信用できないということを知るというのも
また有益かも。
429人間七七四年:2012/12/20(木) 20:19:23.29 ID:1bgHUVPS
>>420
強いて言えば国府台合戦か?
これは利根川(現江戸川)を挟んで行われた二つの合戦がごっちゃにされて伝わっていた時期がある。
430人間七七四年:2012/12/21(金) 00:59:34.56 ID:dw9RGdXw
>>426
広く浅くなら、歴史雑誌でいいんじゃない?
本屋に行けば何種類も売ってるよ。そんなに高くないし。
431人間七七四年:2012/12/21(金) 14:50:15.52 ID:9CyN3gnX
いわゆる赤本、学研の(歴史群像シリーズ)<戦国セレクション>なんかもオススメ
内容はともかく、図と表とイラストの見やすさからくる分かりやすさは入門書としては良質
戦国合戦大全の上下や決戦関ヶ原と激闘大坂の陣あたりを読んでおけば426の希望を叶えられると思う

そこから興味を持った人物や大名、あるいは地方史に移行していけばいいと思う
432人間七七四年:2012/12/21(金) 15:36:46.23 ID:uAAnS6nb
>>283
和種馬乗ったことあるけどこんな感じだったな
人載せて山道走るのも問題なくこなしてたし、
装備込み80キロ強の重量が乗ってダッシュしても問題なさそうだった

近寄ると思ったより大きいので、これに人が乗って集団で突っ込んできたら
その衝突力はもちろん士気に対しても相当なプレッシャーになると思われる
433人間七七四年:2012/12/22(土) 17:58:40.82 ID:fax7t+CZ
騎馬なんて槍で刺しちまえば、落馬すんじゃね?w



心酔してる武将の生誕・命日とかって
お前らはどんなお祝いしてる?
434人間七七四年:2012/12/22(土) 19:34:58.47 ID:qtwe6dmj
合戦開始直後に正面から騎馬をぶつけるわけないわ。
騎馬の役目ってのは敵の追撃や、敵を側面から討ち、
陣形を乱すなど遊撃的な任務が主。
435人間七七四年:2012/12/22(土) 21:16:24.61 ID:Kjmx+Vy8
毎度思うのですが、動いてる人間にボールをあてるのもめんどくさいのに、
3m以上もある棒切れを適切にぶちあてるのは、そうそう簡単にできるものなんでしょうか?
物干しざお程度の長さでも扱いに苦労するのに。
まして当然、相手も案山子じゃないでしょうに。
436人間七七四年:2012/12/22(土) 21:52:49.22 ID:vzRpbaBl
野球選手が上手い事やってるんだから
あれくらいは出来るでしょう
437人間七七四年:2012/12/22(土) 22:19:12.80 ID:3rxImnAm
質問いうより想像力の欠如
438人間七七四年:2012/12/23(日) 04:53:06.60 ID:ZODUu8Lf
その疑問を解決するにいは、古武術の演舞でも見れば早いと思うよ
439人間七七四年:2012/12/23(日) 11:19:47.92 ID:RTCAKSDD
偉人武将の生誕命日祝わないとか、
情けを持たないヤツらめ<`ヘ´>
440人間七七四年:2012/12/23(日) 12:26:54.00 ID:ZODUu8Lf
新暦で祝えばいいのか旧暦で祝えばいいのかわかりません

新暦だとニワカっぽいし、旧暦だといちいち割り出すのが面倒だし
441人間七七四年:2012/12/23(日) 21:36:38.32 ID:DN+o/23C
旧暦の場合は閏月ってどうすれば
442人間七七四年:2012/12/23(日) 21:38:25.94 ID:DN+o/23C
俺が馬鹿だった
少しだけ勘違いしてたわ
443人間七七四年:2012/12/24(月) 12:36:55.94 ID:7M8aIzBy
2月が30日もある平等な世界なんだよ
444人間七七四年:2012/12/24(月) 12:39:17.13 ID:ceZ9Sijd
気持ちの問題だから、通説通りで良いだろ?
信長好きなら本能寺の5/12とかで良い。

実際問題盆あたりの武将だったら、
実際には涼しくなった後に生まれてるって事なのか?
445人間七七四年:2012/12/24(月) 14:34:30.16 ID:L6D772zb
本能寺は旧暦で6/2だから、新暦では6月の末くらいだよ
ひと月後ろ倒しになるから、旧暦で盆あたりに生まれた武将なら新暦では9月中頃ってことになるね

問題はこの下がり幅が一定ではないのが問題なんだよ
446人間七七四年:2012/12/24(月) 18:23:04.30 ID:PqEJRNGH
敵対するような他家から養子を迎えるのは迎え入れた家からしたら乗っ取られる可能性があると思うけど
養子が家督を相続したら家臣から反発とかないん?
御館の乱で景虎が勝ってたらその後北条氏に乗っ取られる可能性はあったん?
447人間七七四年:2012/12/24(月) 18:24:43.46 ID:WMhzXkBs
>>446
そのあたりはケースバイケースとしか言いようがないが

> 御館の乱で景虎が勝ってたらその後北条氏に乗っ取られる可能性はあったん?
これはありえた。勝頼はその危険性を危惧して景勝寄りになったといってもいい
448人間七七四年:2012/12/24(月) 18:40:35.99 ID:D8jrBbGT
家臣団主導の旧主君押しこめに近いケースもあるからなんとも
449人間七七四年:2012/12/24(月) 21:11:14.74 ID:PqEJRNGH
家臣にとってはその御家が存続していれば血縁が無縁でも良いという感じ?
縁戚を大事にしてる割には裏切りとかよくあるしあくまでも政略的な物が多いのかな
450人間七七四年:2012/12/24(月) 21:40:09.95 ID:tTryVbAy
当時は家は今風に言えば会社だから。
451人間七七四年:2012/12/24(月) 23:37:37.25 ID:PqEJRNGH
ニャるほど
452人間七七四年:2012/12/25(火) 23:52:52.70 ID:nvL4OHto
占いどっぷりハマってた有名な武将って誰かいますか?
政策や軍略まで易や占星術を参考にしていたような人です
453人間七七四年:2012/12/26(水) 01:01:26.57 ID:M5xTJAei
怪しい信仰にどっぷりなら細川政元、
儀礼的な占いを重視なら九州大名全般だが、
占い任せみたいのはあんまりいないねぇ
454人間七七四年:2012/12/26(水) 22:42:32.95 ID:Iz5c/vYD
織田家が越前を統治していた時期に大量の一向一揆が越前に押し寄せ
織田家の郡司の一人として越前統治にあたっていた朝倉景鏡が越前大野の平泉寺に逃げ込んだ際
占星術に拠り寺に籠り周囲の防備を固め籠城策を主張
だが平泉寺僧兵達は占星術を嫌い近隣の一向一揆が籠る砦急襲策を主張し実行に移して壊滅し
逆に一向宗に寺を急襲され景鏡は子息諸共討取られてしまった
455人間七七四年:2012/12/26(水) 22:57:20.07 ID:8gK2j1Fl
>>447
あまり詳しい事は解らないけども、武田と北条はこの頃まだ同盟してませんでした?
どちらかと言えば賄賂抜きにしたら景虎勝った方が良い気がしますが…
456人間七七四年:2012/12/26(水) 23:20:12.48 ID:2R6c4WA7
甲相越同盟が成立したとしても景虎が氏政の傀儡だったとしたら
武田は事実上、北条に従属せざるを得ないしそれを嫌ったと聞いたことがある。
457人間七七四年:2012/12/26(水) 23:26:38.91 ID:bQPO+qfH
御舘の乱はどっちに肩入れしても勝頼にいい事ないんだよ。
458人間七七四年:2012/12/26(水) 23:36:11.15 ID:m2IdOMct
あの政治判断は難しいよな
ただ結果だけ言えば織田・北条・徳川で三方囲まれて、
頼みの上杉も新発田の乱と織田の攻勢に首も回らない状況で同盟者として頼りにならず、
武田が詰んだ直接のきっかけになっちゃった訳で

歴史にイフはないけれど、景虎に着いたままなら勝頼はどうなったかちょっと見てみたい
459人間七七四年:2012/12/26(水) 23:44:06.09 ID:9RIpu08E
景虎側に着いた場合、北条家の松田(親武田)派閥がどんくらい大きくなってたかだよね
武田が仮に北条側に事実上の従属になったとしても滅びなければマシだったと考えられるしね
北条から独立するきっかけも小田原攻めみたいな感じの合戦の時であったと思うし
460人間七七四年:2012/12/26(水) 23:48:14.82 ID:M5xTJAei
どっちにしても長篠の大敗ですでに詰だから。
よく調べてみると影勝についたのは正解っぽいけど、ただの短期延命だな
461人間七七四年:2012/12/27(木) 00:06:20.44 ID:ssEIRtwR
見解次第だけど、長篠ではまだ詰んでないかと
例えば勝頼の求心力が決定的に低下した高天神城の後詰失敗は、
北条とドンパチやってて徳川に西方に手が回らなかったからだからね
北条と同盟結んでたら、少なくとも援軍は出せたかと
長篠で疲弊した状態での二正面作戦とかもう無理ぽ
462人間七七四年:2012/12/27(木) 00:24:35.02 ID:v0TQOqbS
一正面にしてもう一度信長と戦ったらその時点で終わりだろ
463人間七七四年:2012/12/27(木) 05:32:46.76 ID:eNd5PEUc
信玄が織田の同盟破る前に死ねば良かったのにな…
信長は同盟は案外破らない良い奴だし
464人間七七四年:2012/12/27(木) 15:07:57.80 ID:J+NCvd/d
信長はよく部下に裏切られたというけど
それだけ正直だったって言い方もあるもんね。
さらに裏切った人を許すいい人とか。
同盟破らないのは家康で律儀って言われるけど
豊臣にはまともに・・だしなぁ。
465人間七七四年:2012/12/27(木) 15:26:46.61 ID:3+fiz0xG
> 信長はよく部下に裏切られたというけど
これが

> それだけ正直だったって言い方もあるもんね。
何故こうなるのかわからん。信長はパッパラパーだったと言いたいのか?
466人間七七四年:2012/12/27(木) 15:47:16.59 ID:ist+xWVZ
>>462
その後の状況によっては上杉がそうなったように辛くも一命を取り留める可能性はあったのでは
467人間七七四年:2012/12/27(木) 16:17:49.50 ID:v0TQOqbS
勝頼が神様か未来人なら待ったかもな
468人間七七四年:2012/12/27(木) 17:06:57.55 ID:FitW9go3
長篠で御親類衆が勝手な行動さえ起こさなきゃ…
せめてこいつらが死んでれば長篠後もやり易かっただろうに
469人間七七四年:2012/12/27(木) 20:15:17.42 ID:oyqisjL4
>>462
信長が武田領に侵攻したのは北条が織田に誼を通じたのが大きい。
畿内から甲斐信州に進軍するのはかなり面倒だしな。
それよりは秀吉のように中国、四国、九州から片づけて
東国に乗り出すのが普通。
470人間七七四年:2012/12/27(木) 20:23:01.51 ID:v0TQOqbS
何が普通かさっぱりだ。
471人間七七四年:2012/12/27(木) 21:30:14.44 ID:ssEIRtwR
俺もいろいろ言いたいけど、その話はそろそろスレチだろ
472人間七七四年:2012/12/28(金) 02:24:31.88 ID:xRS+j+kx
戦国時代って何でも有りなイメージありますけど、身分の高い人ほど大義名分にこだわってる気がしますが実際どうなのでしょうか?
例えば秀吉なら大儀名文に拘って汚い事は出来ないけど、その参謀の黒田官兵衛なら罪被って悪に手を出すとかあるのでしょうか?
もっと低身分ならば殺しも陵辱も略奪も何でも有りなのが想像出来るんですが、意外に大儀名文を気にしないで行動した武将は三好主従くらいしか思いつかなかったので。
ちょっと前に話あった勝頼が賄賂を貰った同盟破棄等も戦国時代なら許される範囲なのか、あの時代ならマナー違反だったのかとかそういう倫理観を知りたいので教えて下さい。
473人間七七四年:2012/12/28(金) 12:02:25.63 ID:Y60eeujY
乱世であり変革期なので個人では何でもありと考える人は当然多かったのですが
無法地帯と化してたわけではないので倫理を重視する人もまた多かったのです。
ですからいろんな考えを持つ集団を同じ方向に向けるには
大義名分を掲げる事が手っ取りはやいわけです
そして集団を率いる人はいわゆる身分の高い人なので
身分の高い人ほど大義名分にこだわったと一面では見えるのでしょう
474人間七七四年:2012/12/28(金) 12:12:13.83 ID:/VWf/rLz
そもそも昨今は、戦国期を表す代表的な言葉である「下克上」すら、下のものが実力を付けたから出来る、というものではなく、
より上位の権威権力と繋がることが必須条件だったとされる。
戦国期はたしかに実力主義の動乱期だが、それでも一定のルールに則らないと、実力だけでは何も出来ない世界でもあった。
475人間七七四年:2012/12/28(金) 17:24:35.18 ID:C6nUyaNj
陶の下克上は大内旧臣にも受け入れられた
龍造寺は蒲池の粛正で求心力を失った

正当な理由や下準備はマジ大事
476人間七七四年:2012/12/29(土) 08:52:55.96 ID:k8ZAaIRo
>>466
当面は北条の盾として援軍を送ってもらいながら信長の関東制覇を防ぎ、
織田、北条間のキャスティングボードを握れてたらなあ。
歴史にIFはないけど、上手く立ち回れたら甲斐と南信濃くらいは
安堵されそうな気がする。
477人間七七四年:2012/12/29(土) 08:56:31.34 ID:gScdDeGi
北條の配下になるってすごい怖いんだよ。最初は勢力全部安堵してもらえるけど、北条は組織化がダントツで
進んでいるのでジワジワ家中が北條のシステムに取り込まれて、気がついたらそのシステムの一部にされちゃう。
478人間七七四年:2012/12/29(土) 08:57:29.52 ID:NmWqEc4v
しかし武田滅亡は明らかに信玄の責任だからなぁ
ifを想像すると第四次川中島や駿河進攻くらい遡りたくなる
479人間七七四年:2012/12/29(土) 17:12:13.38 ID:h2pGziBi
>>476
それはそれで北条氏を過大評価しすぎ
北条家内部はたしかに制度が発達していたが、その外にはほとんどおよんでいない
具体的に言うと伊豆相模に武蔵の南部までで、それ以降は精々従属大名というところで
北条氏だろうとかつての管領上杉氏だろうとその内部に介入することはできなかった
それくらい関東豪族たちの独立性は高い
これが解体されるのは秀吉の北条征伐で豪族たちが取り潰されたり移動されたりしてようやく
480人間七七四年:2012/12/29(土) 17:19:07.55 ID:xHil9DLm
>>479
そこまでいくと過小評価し過ぎ
北条にかぎらない常套手段ではあるけども、養子に入れたり親類衆に引き込んだり、
或いは小山領を奪取したり由良氏の本拠を直轄にしたりして、
最終期の北武蔵〜上野・下野への影響力は相当なもんだよ
もちろん成田や上田といった諸将の独自性はそちらの言うように維持されたままだったけどね

476みたいに硬一辺倒ではなく、あなたの言うように軟一辺倒でもないよ
481人間七七四年:2012/12/29(土) 17:58:51.17 ID:h2pGziBi
>>480
影響力と、制度を内部に持ち込ませることは別でしょう?
あと影響力も判定するのは人それぞれだろうけど、
正直表向きは強いが実質はかなりもろい面がある、というのが私の評価なので

成田氏なんてかなり自由に動いて、北条氏の方がその待遇にそうとう気を使っている
時には一族を譲歩させても成田氏の要求に応えたりね
482人間七七四年:2012/12/29(土) 18:22:01.48 ID:k8ZAaIRo
>>479
そういう話じゃなくて勝頼が上手いこと立ち回れば、宇喜多直家のように
対北条の先兵として生き残れたんじゃないかなと思ってるだけ。
勝頼は合戦は強いから後顧の憂いがなければ織田・徳川とも
それなりに渡り合えたと思うんだよ。
483人間七七四年:2012/12/29(土) 18:32:29.18 ID:h2pGziBi
>>482
あ、すまん今気づいた
>479は>477宛ってことで

勝頼がうまく立ち回れていたら、という点には同意
たとえば景勝の相続は認める代わりに上野を北条に譲渡する(全部でなくとも)ような仲介が取れたら
上杉武田北条による対織田同盟の結成も、簡単ではないだろうが絶対に不可能ではなかったと思える
(後は身柄を無事に引き渡すとか)
484人間七七四年:2012/12/29(土) 18:45:43.70 ID:4SuBWgEP
北条は勝頼が三度援軍を出しても一度も援軍を出さない当てにならない同盟者だからなぁ
御館の乱の時も勝頼が調停を名目に越後に居座ってても出兵が遅れるし
新三国同盟は武田に利は全くない。北条は利ばかりだから同盟破棄せず目指すべきだったが
485人間七七四年:2012/12/29(土) 18:56:01.89 ID:h2pGziBi
>>484
武田にとって北条との同盟は直接的な利は少ないが、敵に回すととてつもなく大きい不利があるのは史実が証明している
正直、あの時点で武田と北条を並べたら武田の方が風下に立つことになるのは仕方のない現実であるわけで
486人間七七四年:2012/12/29(土) 19:09:19.49 ID:xHil9DLm
>>481
例えば佐野氏や大田氏は乗っ取った(反北条派が家を出ざるを得ない状況になってる)
また古河公方家は実質氏照の管理下にあったし、関宿一帯、旧小山領を直接支配して、
由良氏本拠の金山城を直轄にして由良領の南部を分割させて当主兄弟を小田原に移すなど、
北条の関東北部への直接支配はかなり進んでる
その点で、氏康時代と氏政時代はぜんぜん違う、かなり深化させてる

ただまあ繰り返しになるけれども、
そちらの言うように自分に味方する関東諸将のそれぞれの支配権は尊重してるのも確か
487人間七七四年:2012/12/29(土) 19:54:24.10 ID:4SuBWgEP
御館の乱の結果で見れば、上杉から信濃北端の割譲、上野の支配権の譲渡を受け
一次史料上では確認は取れないが多額の軍資金を得た軍鑑にはあり
北条からは東上野全土、北武蔵と西武蔵の一部、伊豆の一部を獲得
当時の訴状から間接的に見えるよう再軍備のための重軍役で恩賞問題が表面化してたから
一連の領土獲得でなんとか一息つけた。
さらに伊豆では北条評定衆の重臣笠原氏が武田の味方に付ついて
さらなる侵攻も容易になっていたし
北条と敵対したことで佐竹を通じて中央との交渉も可能になるなど利点は数多かった

逆に北条は勝頼の侵攻に窮地に陥り北関東攻略は停滞。
このままでは関東全域が武田のものになる部下への書状の中で嘆き、
たとえ織田の属国になっても関東だけは確保したいと誓詞を出し神にすがり、
甲州征伐は北条に無報告で連携することもなく織田が単独でやったから、
火事場泥棒的だが自力で取った上野甲斐駿河の諸城は全て、
滝川川尻徳川に返還させられるという無残な結果で終わるという事態になるくらいなら、
同盟破棄せず武田に譲歩してでも新三国同盟を組み武田を盾替わりにして、
関東制覇を進めるべきだった。
そうすれば中央軍の進出までに北関東も北条のものになっていたはず。
488人間七七四年:2012/12/29(土) 20:04:48.81 ID:4SuBWgEP
上杉佐竹の風下に立つのが嫌だから小田原の陣も起きたとすれば
滅亡もなかった可能性まで出てくる。まぁそこまで行くとIFを重ねる無意味な仮定だけど
一次史料上の勝頼は同盟破棄するまでは終始一貫和議の取り持ちとしての行動しかしてなく
事を荒立てない余地はありまくりだったのに、武田との同盟破棄は北条最大の失策だと思うな
489人間七七四年:2012/12/29(土) 20:37:39.13 ID:h2pGziBi
そうやって北条を追い詰めすぎたから北条を織田との同盟に追いやって結局詰んだのでは?
あの時期の武田と北条の違いは、武田は織田と講和できなかったのに対して北条は織田に対しては外交上の因縁がなかった
つまり北条にとっては武田と織田どちらと組むかと外交選択の幅が武田よりも多かった
武田は軍事的にどれほど北条を上回っても、外交的には頭を下げるしかない相手だったんだよ
勝頼はそこに考えがいたらなかった

信玄も今川侵攻で北条を敵に回した結果軍事的には北条を圧倒できても結果として三年の時間を無駄に費やして寿命に追いつかれた
結論として、武田の身命は北条に強い影響を受けていたことを信玄も勝頼も気づかなかったんだな
490人間七七四年:2012/12/29(土) 20:52:47.11 ID:4SuBWgEP
北条の選択肢の数は武田とは関係ない。もとより北条と上杉佐竹の二択しかなく利益の大きい後者を選んだだけ。
そして北条織田同盟は最後の最後まで機能しなかった物
491人間七七四年:2012/12/29(土) 21:32:24.21 ID:h2pGziBi
北条をどれほどけなしたところで、勝頼の失敗がなかったことにはならないよ
492人間七七四年:2012/12/29(土) 22:00:11.68 ID:4SuBWgEP
貶してないよwなんでそっちに行くんだ
493人間七七四年:2012/12/30(日) 00:10:43.50 ID:zAAgwjJf
>>485
滝川一益を関東から追い出した際には5万とも6万ともいわれる
大軍を繰り出すほどの大勢力だったからな。北条は。
西に織田。東に北条に挟まれてる時点で3面作戦は自殺行為だったと言わざるを得ない。
494人間七七四年:2012/12/30(日) 04:13:37.92 ID:6jMNVIl2
確かに上杉佐竹とうまくやれればリターンは大きくなりえたけど、
全体通して勝頼は究極の二択に追いやられた段階できつい状況だったんだろうな
相当相互のバランスを取らないとあの状況では巻き返せまい。それほどのリスクがあったわけだ
495人間七七四年:2012/12/30(日) 04:31:10.09 ID:/LjnlQgP
まあこっちがダメだったからあっちが正解というもんではないからねぇ
496人間七七四年:2012/12/30(日) 22:14:14.87 ID:KIyeko25
未読の某書によると秀吉は非人だったそうでつがホントo(゚Д゚)でつか( ´・ω・)
そうだったら朱元璋超えの世界一の大立身になりまつね( ´・ω・)
仮に非人だったら主君が能力主義と言われる信長以外では足軽にもなれなかったんでつか( ´・ω・)
497人間七七四年:2012/12/30(日) 22:29:38.44 ID:S7hn9/5k
>>496
あの本の秀吉関連は全部著者の妄想だっつーの。
そんなことを現す一切の史料は存在しない。
498人間七七四年:2012/12/31(月) 02:37:12.76 ID:RdunyM4Y
秀吉の出自は水飲み百姓だったと聞いたことがあるのですが、
その割には秀吉は読み書きもできたようですよね。
彼は人生のどこかで猛勉強してそうした教養を学んだのでしょうか。
それとも実は最初からその程度の教養はある階層の出身だったのでしょうか。
499人間七七四年:2012/12/31(月) 07:58:29.60 ID:yEczM5Nn
秀吉の父が足軽とかいう話もあるからなあ
仮に本当に足軽だったならば村の正規の構成員だから水飲みなわけ無いんだけどね
500人間七七四年:2012/12/31(月) 17:44:54.45 ID:nCqyXGWw
出世してからも上位階層にふさわしい教養を身につけようとしていたのは確からしいから、
元からそういう学ぼうという意思を持っていたのは確かなような気がする
501人間七七四年:2013/01/01(火) 02:59:48.36 ID:tA48EPXC
信長の石山合戦で信長の家臣で戦死した武将なんですが原田直政以外で有名な人って
誰かいますか「?
502人間七七四年:2013/01/01(火) 20:21:06.58 ID:awIUwCaa
>>491
まあ強いて言うなら78年の勝頼と同じ状況下で上手く立ち回れる名将どんだけ居るだろうね?
もう俺は誰が何をしても積んでたと思うよ
家臣も言うこと聞かないし
503人間七七四年:2013/01/01(火) 22:08:52.50 ID:P1aVy5M6
>>502
宇喜多直家は同じような境遇だったけど
上手く切り抜けたぞ。
504人間七七四年:2013/01/01(火) 22:49:20.30 ID:Hzyh8hgR
ぜんぜん違うやん
505人間七七四年:2013/01/01(火) 23:34:18.05 ID:SnNpslcs
まぁこれ以上は該当スレでやれよ。ここ質問スレだし
506人間七七四年:2013/01/03(木) 17:48:32.70 ID:98nUeG2b
信長4男の秀勝が生きてたら関白は秀勝が引き継ぎましたか
秀勝の死亡時は秀次と秀勝どちらが上だったのですか?
507人間七七四年:2013/01/03(木) 18:23:27.60 ID:OneTaXlc
どっちが上かは秀次がガンガン引き上げられてた時期だから抜かれてたっぽいけど微妙
生きてたとしても血縁にこだわる性質のある秀吉は秀次を後継者にしたんじゃないかな
508人間七七四年:2013/01/03(木) 18:36:54.95 ID:uMnamYfe
秀吉の後継者としては、天正19年に嫡男の鶴松が死んでからその後釜として秀次が養子に取り立てられた
秀次はあくまで一門衆の重鎮として引き上げられていた身といえるので、生前の地位は秀勝が上と言えるかな

もっとも秀勝が長生きしていても、鶴松が生まれたら史実の秀次事件と同じことが起こったかもしれんが
509人間七七四年:2013/01/03(木) 21:51:31.57 ID:noGfkMgW
どこぞの養子にされたんじゃ?
小早川(毛利)、北条、佐竹とか
510人間七七四年:2013/01/03(木) 22:51:12.83 ID:efRseqiX
上杉でいいんじゃね
511人間七七四年:2013/01/04(金) 01:46:20.52 ID:j4jUMdJS
於次秀勝は結局織田に戻されたかもね
512人間七七四年:2013/01/04(金) 10:31:20.70 ID:MNJJMAWx
なんで伊賀と甲賀の忍者って仲悪かったり対立してる作品が多いんですか?
伊賀の忍者は信長と敵対してたし、甲賀に関しても武田自体が信長と敵対してたのでむしろ協力関係でも良さそうな気が…
513人間七七四年:2013/01/04(金) 11:12:26.31 ID:bjnsaG+I
>>512
山田風太郎のせい
514人間七七四年:2013/01/04(金) 11:14:05.47 ID:nFGygn5k
まぁ話の都合だわな。ライバルとか因縁の対決とかお好きでしょ
515人間七七四年:2013/01/04(金) 11:28:47.04 ID:QiomR+fq
>>513
山田風太郎の功績、といわんかい。
多数の作家や漫画家その他に飯の種を与えた。

っていうか対立の構図って山田風太郎が初出なのかな?
516人間七七四年:2013/01/04(金) 16:07:53.82 ID:MNJJMAWx
>>513-515
要約すると山田風太郎の著書が有名になり過ぎて伊賀VS甲賀という設定が浸透したんですね。
という事はやはり伊賀と甲賀は別に史実では険悪では無かったという解釈で良いんですね?
疑問解けましたありがとうございました。
517人間七七四年:2013/01/04(金) 16:10:52.59 ID:bjnsaG+I
>>516
史実で言えばお察し通り協力しあう良好な関係だった
518人間七七四年:2013/01/04(金) 20:31:51.78 ID:7YxRwun2
山田風太郎って癌みたいなヤシだよなw
519人間七七四年:2013/01/04(金) 20:50:49.49 ID:owH5s4pe
山田風太郎『ガーン!?』
520人間七七四年:2013/01/05(土) 21:50:20.20 ID:CwbiMDrb
戦国時代の犬って何か活躍したりしてたんでしょうか?
現代日本でも警察犬とか居ますし、何かしてたんじゃないかと思いまして。
521人間七七四年:2013/01/05(土) 22:35:26.53 ID:ED6j3YYo
大田三楽斎って人が伝令犬として使っていた話がありますな
522人間七七四年:2013/01/05(土) 22:46:40.27 ID:CwbiMDrb
>>521
伝令犬ですか!
捜査や門番的な感じの解答が来るかと予想してたのですが想像外でびっくりしました。
戦国時代は漫画とかのせいか鳥で伝令してるイメージが強いんですが犬だったんですね。
523人間七七四年:2013/01/06(日) 08:10:20.78 ID:9+pPvxRW
忍犬ってのは、流石に白戸三平の創作なんだろうな
524人間七七四年:2013/01/06(日) 20:51:14.49 ID:jjTivbqv
その後少年ジャンプに引き継がれる。
525人間七七四年:2013/01/07(月) 00:19:45.90 ID:jbCJrDxj
城に火を点けて自刃した人の辞世の句が残ってるのはどうして?
526人間七七四年:2013/01/07(月) 00:22:26.47 ID:J4LeEIrk
家来とか誰かに「後の世に伝えよ!」と命令して逃がすから。
527人間七七四年:2013/01/07(月) 00:23:08.35 ID:uqLjhkgN
基本的に辞世の句は前もって用意しとく物です
528人間七七四年:2013/01/07(月) 00:32:53.88 ID:N0px7LL/
よく江戸時代頃の講談の本を読んでいると
武士が切腹する時に腹を十字に切って腹から内臓を取りだしていたとか
かなり凄い切腹の仕方が描写されていますが
これは実際にやっていたことなのでしょうか?
大抵の人間はそこまでする前に体が動かなくなると思うのですが
529人間七七四年:2013/01/07(月) 02:25:49.02 ID:J4LeEIrk
>>528
根性のある人はやってました。普通は横一文字に切ったところで介錯します。介錯というのは
首を切り落とす事です。そうしないで腹を切っただけでは死にきれないので大変苦しむ事になります。
平和が長く続いた江戸中期になると短刀の代わりに扇子で代用する(つまり実際には腹を切らない)
扇子腹が一般的となるらしいです。
530人間七七四年:2013/01/07(月) 02:48:49.66 ID:AWo55cjq
でも中には堺事件みたいに気合が入りまくった連中もいるからな
531人間七七四年:2013/01/07(月) 05:48:32.51 ID:mZR+AbrY
切腹の数は戦国時も江戸時代の平和な時でもそれほど変わらない
何処の藩でも切りまくっている
532人間七七四年:2013/01/07(月) 09:22:51.71 ID:adcowTLf
>>528
>大抵の人間はそこまでする前に体が動かなくなると思うのですが

人間ってなかなかしぶといから、根性座った人間なら可能。
逆に、時代劇とかで切ったらすぐ死ぬっていうのがフィクション。
頸動脈を切ったり太い血管を切ったりすると出血多量で比較的短時間で動けなくなるけど、
腹を切っただけの場合っていうのは割とすぐには死ねない。
だから介錯で首を切るわけ。

時代劇でも「陰腹を切って主君に諫言する」ってシチュエーションがあるでしょ。
死を避けられない行動をする前に、いさぎよくあらかじめ切腹しておくっていうこと。
もちろん普通の切腹よりは切る範囲は狭いんだろうけど、根性があるとそこまでできる。

ただ、やっぱり根性座ってないと内臓抜くとかなかなかできないから、凄惨な切腹した時って
いうのは、すごい切腹をした奴がいたっていうことで伝説になる。
533人間七七四年:2013/01/07(月) 09:34:55.55 ID:adcowTLf
自己レス。
そういえば陰腹の実例って知らないなーと思って検索してみたら、どうやら歌舞伎とか浄瑠璃の世界の
話で、実例はないみたいね。
534人間七七四年:2013/01/07(月) 14:55:12.24 ID:n5Cg6zn2
指を渡すとかならそれなりに実例あるんだけどな
535人間七七四年:2013/01/07(月) 16:05:24.37 ID:6Jn/AfON
名だたる名門病院近所からすぐ搬送されても
かなりの人数死んだアキバ事件の死因って、
ショック死と失血死とか、何だと思う?
536人間七七四年:2013/01/07(月) 16:33:19.97 ID:onGUch4I
斎藤道三の「美濃のマムシ」って異名について。
少し調べた限りでは、同時代に既に呼ばれていたわけではなさそうなんですが、初出はいつ頃か分かっていますでしょうか?
537人間七七四年:2013/01/07(月) 23:57:41.46 ID:LgvaumIQ
失血死はかなり時間がかかるというからね。
戦場物は斬られるとすぐに倒れるけど
そっから数十分は、うぇ〜、と苦しみまくってる
人たちがいっぱいかと思うとおそろしいわな。
538人間七七四年:2013/01/08(火) 01:38:01.32 ID:m7heS+gB
陰腹に関するエピソードって清水宗治の切腹の際に
老臣の一人が陰腹しつつ宗治に対して色々と今後の進退について意見してた記事を
清水宗治について詳しく書いてたブログで見た記憶がある
なので探してみたけど記事が見つからない…
539人間七七四年:2013/01/08(火) 02:32:21.66 ID:1tO8LqgK
ある程度まとまった量が一気に出ると貧血みたいに失神しちゃう場合があるときいたことがったり
540人間七七四年:2013/01/08(火) 09:53:00.46 ID:G06A9Ynv
問題は、千代田区の繁華街でそれが起きたのに
すぐそばの順天堂や三井記念その他が救えなかった不思議だ。

通り魔なのに「次から次へと」複雑に斬ったのか(′・_・`)?
541人間七七四年:2013/01/08(火) 10:34:27.45 ID:isMYQouZ
>>539
一度に大量出血すれば血圧が急激に下がってそのまま死んじまう
俗に言う出血性ショック死

>>540
出産の時に出血死してしまう妊婦さんもいまだに何人もいるし
まさに病院が現場の場合ですら死ぬ時は死ぬ
542人間七七四年:2013/01/08(火) 14:52:36.36 ID:NjRW4eIw
>>540
「致命傷を負ってもしばらくは動くことができる」という話をしてるときに
秋葉原の通り魔事件のことを持ち出して、何を不思議がってるんだ?
まったく違う話だろうに。
「傷を負っても死なない」という話をしてるんじゃないよ。
543人間七七四年:2013/01/08(火) 19:31:16.15 ID:XDCP2XOx
事故とかで指とか腕とかない方がたまにみえるけど
よく失血死しなかったものだと思う。
普通にとまったりするものなのかな
きつくしばったりとか。
544人間七七四年:2013/01/08(火) 19:44:22.25 ID:kOzxQh/Z
胃が食べ物を消化する様子が分かったのは、腹に穴が開いて胃の中が見える状態の患者が居たかららしい。
もちろん医者が手当てしながら観察した訳だけど。
腕はともかく指くらいではそうそう死なない。そのまま放置したら判らんけど。指切りは元々遊女が馴染みの客に
小指を切って渡したらしいし。
545人間七七四年:2013/01/08(火) 21:19:51.33 ID:eeXvkveq
フロイスいわく、指切りは武士にも多かったらしい
極道が指を詰めるような(落とし前をつける的な)論理で詰めたり、
殉死の代わりに指を詰めて哀悼の意を表したりしたらしい

切腹の一段回前みたいな感じだな
546人間七七四年:2013/01/08(火) 23:51:28.23 ID:6iIxlW47
アレって指縛って麻痺させてから落とすんだろ?
547人間七七四年:2013/01/09(水) 13:16:16.68 ID:xZG/udf5
九州四国の戦国大名を大河にしたほうが
まだ視聴率稼げると思わないか?
548人間七七四年:2013/01/09(水) 13:19:01.86 ID:oR2HpywD
おもわない
549人間七七四年:2013/01/09(水) 15:43:49.69 ID:stVZz0V4
視聴率稼ぐだけなら、昼ドラ路線だろうよ
だがそんな大河は見たくない
550人間七七四年:2013/01/09(水) 18:40:11.15 ID:MrQbX0iG
でも上杉〜毛利くらいまでしかやって無くない?
九州四国やれば知らない事いっぱいあって楽しいのに、、、
551人間七七四年:2013/01/09(水) 18:43:40.02 ID:oR2HpywD
いままでやってないでだけでは数字取れんだろう派手な合戦とか
見栄えになるシーンてんこ盛りにすれば数字取れると思うよ
552人間七七四年:2013/01/09(水) 19:31:18.92 ID:mHOyCPhm
どのみち男なんてTV見ない時代なんだし女向けやるしかないだろ
553人間七七四年:2013/01/09(水) 20:00:46.39 ID:a2N8di2E
具体的に四国九州で視聴率がとれそうなくらいメジャーな大名って
思いつかない。
マニア受けはするかもしれないけど。
立花宗茂くらいなら大河の題材になりそうだけど、一般向けでは
ないような気がする。
554人間七七四年:2013/01/09(水) 20:11:35.05 ID:MrQbX0iG
長宗我部とか大人気らしいけどなw
555人間七七四年:2013/01/09(水) 20:18:38.03 ID:mHOyCPhm
長宗我部ねぇ、やっぱ歴女とやらに媚び売るしかないのか
556人間七七四年:2013/01/09(水) 23:07:07.80 ID:58V8Hf/c
どこかがやった大河になって欲しい人物アンケートで
一位と二位が島津と前田だった時点で
もう戦国武将はやり過ぎたのがありありと分かる
557人間七七四年:2013/01/09(水) 23:51:06.20 ID:+Sb2NeDO
津軽、南部、安東で東北三国志でもやってほしい
ドロドロのグダグダだろうけどあれこそ正に戦国時代って感じだし
558人間七七四年:2013/01/09(水) 23:51:51.77 ID:a2N8di2E
>>557
人気は出なさそうだけどなw
559人間七七四年:2013/01/10(木) 01:25:04.84 ID:+W4w4+sU
まとまらないから、条件割出そうぜ!
・過去に激しくダブって無い(山内一豊不可w)
・何かと大大名に関わる(マイナー過ぎない目安?)
・歴女にウケが良い
他にある?

てか復興なら今年は佐竹やるべきだったよな。
560人間七七四年:2013/01/10(木) 01:56:30.39 ID:TucliJ4j
大河スレいっぱいあるんだから続きはそちらでどうぞ
561人間七七四年:2013/01/10(木) 01:56:55.11 ID:50IPE/lX
>>559
ここは質問スレだから、そういうことやりたいならスレ立ててやってくれ
562人間七七四年:2013/01/10(木) 07:11:46.78 ID:INhiLW3b
家臣が大名よりも実権を掌握するケースというのは、大名(または先代など)が家臣に任せっぱなしで頼りない時に発生するのでしょうか?
どのようなパターンが考えられるのか、また実際にそのような状況が起きた武家を良ければ教えて下さい。
563人間七七四年:2013/01/10(木) 09:46:25.20 ID:f2RxPKWG
頼りない時と、横暴な時がほとんどじゃね?



>>560
毎日レスある大河スレ頼むわ!!w
564人間七七四年:2013/01/10(木) 11:08:01.78 ID:fdvyB0lX
>>550
歴史小説にしても、織田、豊臣、徳川が重要なポイントに登場しない本は売れないとされている。
だから売ろうとする歴史小説作家は、なんらかの形で必ず話に絡めてくる。

四国は、三好辺りを松永弾正と絡めてなら、中央と直結した話なんでやれないことは
無いかもしれないが、つまらなそう。
鳥なき島の蝙蝠なんて言われている長宗我部なんて論外。
女を出せば人気が出るってんで、鶴姫を中心に水軍の話をやるのが一番視聴率稼げそう。

九州は、島津は別格だから置いとくとして、これもやっぱり女頼みで吉岡妙林尼を使うのも手かも。
ただ、当然エピソードが数話分しか無いんで、立花とか、ザビエルとか、メンデス・ピントとか、
アルメイダとか大友領内の特定個人じゃなくて、キャラが立っている何人かを組み合わせて
複数の主人公にする必要がありそう。
それだったら、朝鮮シーンを撮らずに島津を使えるし。
565人間七七四年:2013/01/10(木) 12:14:15.38 ID:f2RxPKWG
>>559 ・何かと大大名に関わる(マイナー過ぎない目安?)
>歴史小説にしても、織田、豊臣、徳川が重要なポイントに登場しない本は売れないとされている
だよな!! そうすると後北条・朝倉・三好・長宗我部
くらいしか居なくなりそうだw

この中からキムタク他視聴率キラーの美形で
対応可能なの選べば良いなw
566人間七七四年:2013/01/10(木) 15:54:43.67 ID:L684tDx0
宇喜多直家、最上義光あたりもいいんじゃないか
直家は秀吉との友情みたいな描き方できるし、
義光は後半上方情勢抜きに描けない上、義光自身はハッピーエンドで死ぬから綺麗に終わる
567人間七七四年:2013/01/10(木) 16:32:20.65 ID:/Z5xUrS9
かつて秀吉をあまりにも良い人間として描き過ぎて
晩年の部分を大幅カットしてまとめた大河があったな
568人間七七四年:2013/01/10(木) 16:51:49.64 ID:HM4CNX05
もう細川親子でよくない?
どっち主軸にしてもそれなりに夫婦愛(?)描けるし、中央との絡みもしっかりしている
569人間七七四年:2013/01/10(木) 22:48:36.89 ID:ETpxSSeb
じゃあガラシャは壇蜜で!!
570人間七七四年:2013/01/11(金) 06:14:37.79 ID:O1hq2Sgr
まー
あいつらの思い通りの結果になりそうだから
あいつらの勝ちだな
571人間七七四年:2013/01/11(金) 23:01:46.21 ID:nWsK1aOJ
>>567
そんなイメージに慣らされたせいか江に出てきた秀吉の悪っぷりに歴史ゲーム系の秀吉ファンは不快感を抱いてたそうだ
572人間七七四年:2013/01/12(土) 03:24:03.72 ID:LXvk8H0f
戦国時代とは少しズレるのですが、島津氏(義弘と家久)の奄美大島侵略って悪質なものだったのでしょうか?
それとも侵略自体はよくあることで、問題だったのは江戸中期から行われた搾取の方でしょうか?

自分は歴史の知識が浅いのにも関わらず、
中2小説を書いており、
島津義弘を「義理人情に厚い正義武将☆」というキャラクターにしてしまったので、困惑しております…。あと、他の軍より島津軍は略奪などが激しそうというイメージがあるのですが、どこの軍でも略奪バリバリだったのでしょうか
573人間七七四年:2013/01/12(土) 08:05:54.77 ID:hdhh0wrj
>>572
教えて欲しければ「義理人情に厚い正義武将☆」をうpしなさい
てか小説程度なら好きな解釈すればいいと思うから細かい事気にせず書けば?
今流布してる一般イメージの武将って義理固いが嘘、不敗神話が嘘、暗愚が嘘ってのも平然とあるのに一般イメージの為に合わせてる嘘が多いし気にするな。
大河クラスでも嘘を平然とやってのけるんだから武将なんか著作権フリーのキャラだと思って好きに弄れ。
574人間七七四年:2013/01/12(土) 11:57:59.86 ID:LXvk8H0f
>>573
正義感の強い黒豚という設定です。焼豚にされそうになったところを平川動物園の飼育係の主人公に助けられて、動物園の平和を守る戦士となる…という、どっかでありそうな話です。
でも、島津一族が怖い集団だと思ってきたので、 むしろ敵の方がいい気がしてきて…。

せっかく鹿児島に引っ越したので、色々調べようと思ったのですが、近所の本屋は西郷どんの本が多く、
島津氏の奄美大島侵略とかはどう調べてよいかわからなくて、悩んでおりました。

図書館がクッソ遠いのですが、色々調べてみて、そこそこ史実に近そうな島津義弘が書けたらいいな、と思います。
ありがとうございました。
575人間七七四年:2013/01/12(土) 12:57:44.10 ID:jTBChod+
>>574
その設定で史実にこだわるって意味なくないか?w
576人間七七四年:2013/01/12(土) 13:53:59.78 ID:LXvk8H0f
>>575
男は中身が大事だ、と身をもって諭す豚なのです。
なので、しっかりと人物像を作らないと説得力がないかな、と思いました。

不快に感じたのなら申し訳ありません。
長々と数レス、失礼しました。
577人間七七四年:2013/01/12(土) 13:56:06.90 ID:VHJSTtgh
>>574の小説が読みたくて仕方ないんだがw
史実に拘らず一般的な脳筋な義弘イメージでガンガン行った方が面白そうだけど
578人間七七四年:2013/01/12(土) 15:02:22.00 ID:4sMEjplc
>>576
糞野郎氏ね
579人間七七四年:2013/01/12(土) 17:41:29.98 ID:XkAULdP0
まあアマが書く小説だし、島津義弘を義理人情に厚い正義武将☆にしてもいいんじゃね

そんなことよりも小説うpまだー?
580人間七七四年:2013/01/12(土) 22:53:20.12 ID:nasvoJVK
>>576
たぶん、その設定ならしっかりした人物像を作りたいなら物語内のエピソードで
固めていくべきであって、史実を持ち出しても人物的な厚みは出てこない。
581人間七七四年:2013/01/12(土) 23:10:31.74 ID:y/PEzlsr
俺も意外と面白いかもって思っちゃったw
プロデビューしてアニメ化されたらいいなw
582 ◆24vR32OdN4lF :2013/01/13(日) 00:00:01.90 ID:6F4d+Jgn
トリップを付けましたので、不快な方はお手数ですが、NGに入れてください。

スレチになって申し訳ありません。
アドバイスありがとうございました。
583人間七七四年:2013/01/13(日) 00:51:43.87 ID:6F4d+Jgn
すみません、なんかスレチな話をダッラダダッ失礼しました。。居座りませぬ。消えます。

↓以下普通の質問スレでお願いします。
584人間七七四年:2013/01/13(日) 01:13:48.98 ID:052cOoZg
>>574の小説が読みたくて仕方ありません
どこに行けば見れますか?
ワンコインくらい出せますよ!
585人間七七四年:2013/01/13(日) 01:14:49.56 ID:o/CuvHrd
もう許してやれ
586人間七七四年:2013/01/14(月) 03:58:11.41 ID:gAPcRbKy
姫君の頭がバカ殿TVのみたいに
髪飾り?とかで派手に成ったのって、
江戸時代以降だよね?
587人間七七四年:2013/01/14(月) 04:10:25.39 ID:yvhtNGJN
くっそ・・・小説の流れ便乗したかったけど手遅れかorz
588人間七七四年:2013/01/14(月) 07:32:19.02 ID:axqKnATH
>>586
そう
589人間七七四年:2013/01/14(月) 10:30:52.74 ID:6UEovjlX
>>587
カエレ
590人間七七四年:2013/01/14(月) 18:02:57.88 ID:R3qSvKPR
戦国期の大大名姫よりも
江戸期の小大名姫のほうが偉く見える不思議www
591人間七七四年:2013/01/14(月) 18:07:53.11 ID:DCe73MJY
>>590
そりゃ江戸期の大名は小さくても、基本的には強力な中央政権の保護下にあるからなあ
592人間七七四年:2013/01/14(月) 19:40:37.95 ID:6xRJAISg
戦国期のお姫様は政略結婚の材料だったわけだけど、江戸時代は幕府の意向で
大名間の政略結婚とかは制限されてたわけだから、自然とお姫様扱いになったの
では?
593人間七七四年:2013/01/14(月) 19:47:21.36 ID:/r/KRSzc
戦国時代の大名なんて家臣の支持の上に成り立つ相対的な上位者
対して江戸時代は絶対的な上位者だからね
自分たちを蔑ろにして贅沢するなんて!、と思われたら終わる

またそういった権力・権威の差異はもちろん、可処分所得の差もでかいと思う
天災人災で収入が安定しない上、戦争でアップアップの状況に対して、
その分贅沢に金を回せるだけの余裕は出来たわけだし
594人間七七四年:2013/01/14(月) 23:07:57.21 ID:FsQJbHHb
>>590
けど醜女は貰い手がつかなくて大変だったみたいだけどね。
595人間七七四年:2013/01/14(月) 23:27:59.72 ID:WgBdNwsT
将軍の姫なんて貰っちゃうと、大名はお迎え用に散財しなきゃならないから
財政が逼迫して大変だったって話を聞いたことあるな
596人間七七四年:2013/01/15(火) 00:43:59.65 ID:CmAjnbif
小笠原貞慶について質問です。
wikipediaを始めとして、ネット上では、貞慶が小田原の役で戦功を挙げたため、
讃岐半国を与えられたが、尾藤知宣を保護したため、秀吉の怒りを買って改易された
といった事柄が紹介されています。

これの出典は、なんという史料なのでしょうか?

手元の小笠原家に関する江戸時代の編纂史料には調べた限りではそうした記載が見当たりません。
例えば、笠系大成では、小田原の役の後、徳川氏の関東移封に伴い、
前年家督を譲り受けていた小笠原秀政が上総に転封となった際、
貞慶も共に関東へ移り下総葛飾郡の古河城へ入ったとされています
(小笠原秀政年譜、天正18年9月10日の条)
寛政重修諸家譜にも寛永諸家系図伝にもそうした記載はありません。

また吉川弘文館「戦国人名事典」の「小笠原貞慶」の項目(片桐昭彦著)
人物往来社「家康の臣僚武将編」中村孝也著など
出典が付されているような研究者が著した書籍では、そうした記載が見当たらず、
新人物往来社「戦国人名事典コンパクト版」には、
貞慶が讃岐半国を与えられた後、改易されたとの記事がありましたが、
出典が付されておりませんでした。

秀吉がらみの何かの軍記なのかなと推測しているのですが、
御存じの方、どうぞよろしくおねがいいたします。
597人間七七四年:2013/01/15(火) 01:00:04.22 ID:IUfM7Y3n
>>593
なるほど!


>将軍の姫なんて貰っちゃうと、大名はお迎え用に散財しなきゃならないから
大藩が絶大な安定を得た上で、リストラすれば睨まれる事も無く
地位向上出来るじゃ無いか!!
598人間七七四年:2013/01/15(火) 11:51:34.03 ID:EpuYc93+
>>572
>奄美大島侵略って悪質なものだったのでしょうか?

侵略するよりはしない方が当然倫理的には善だけど、当時の国際慣行から見ても
別に島津が目立って悪質だったわけじゃない。
支配された側は、当然非難するだろうが。


>それとも侵略自体はよくあることで、問題だったのは江戸中期から行われた搾取の方でしょうか?

どっちかと問われれば、こちらの方が問題だろうね。
ただ、これも更に過酷な取立てを行っていた藩もあるわけで。
どこまで特別視すべきものかは難しい。

>どこの軍でも略奪バリバリだったのでしょうか

基本的にそう。
それが目当てで兵になるんだから。
薩摩は、比較的記録が詳しく残っているから目立つけどね。

>島津義弘を「義理人情に厚い正義武将☆」というキャラクターにしてしまったので

貴族と言うものは、一般人を自分たちと同じ人間だとは思って無いから。
現代人からすると矛盾するように見えても、本人の内部では整合性は取れていて全然矛盾は無い。
599人間七七四年:2013/01/15(火) 12:01:06.06 ID:CKUAA+Mc
例なんですけど信長の家臣に秀吉居るじゃないですか。
その信長配下の秀吉の元にも秀吉配下って居たと思うんですけど、
この秀吉配下にとって信長の事も殿と呼んで敬う対象だったのでしょうか?
更にその配下にも配下とか居たりした場合の関係とかどうなるんでしょう?
例として秀吉を挙げましたが、一般的な認識として教えて頂きたいです。
600人間七七四年:2013/01/15(火) 13:36:01.50 ID:hvLSFkF0
基本的には日本はそういう主従関係があったでしょうね。
欧米のような契約社会だと、自分の主君は契約した直属の
主君だけで、その人が誰と契約してようがまた別、のような
発想も見られるけど、日本の場合は主君の親兄弟親戚というような
関係まで主従関係が影響したりする。

もちろん個々の例はいろいろだし個別の話はともかくとして
おおまかにはこういう理解でいいとは思う。

現在でも上司の家の引越し手伝われされるとか
公私混同は見られたりするけど、上下関係一般として
日本には独自の上下ー主従関係が発生する、という例えで
欧米を例に出した。
師匠ー大師匠とかいろんなところで見られるからね。
会ったこともないような上司の上司でも関係が
発生してしまうということで。
601人間七七四年:2013/01/15(火) 14:40:14.75 ID:5HxKZfBv
>>599
そらそうよ。
家来の家来を陪臣、又家来という。
直接の主従関係は無くても当然敬意を払う対象になる。
家老が大名に頭を下げてるのに、その横で家老の家来が突っ立ってるとか有り得ないでしょ。
ただしあくまでも家来の家来なので大名が陪臣に直接命令は下せず、
何かやらせたい任務があるときは家来を通して「お前のところの○○にあの仕事をさせろ」というか、
直接領地を与えて直臣化させる。
602人間七七四年:2013/01/15(火) 15:45:28.72 ID:G9i+x2t5
基本的にその例だと秀吉の部下は信長にも敬意は払うが
直接の主従関係はないので距離はもちろんある。
秀吉と信長が対立した時はどっちにつくかとなると、
もうそいつが個人的にどちらと利害関係が強いかとかそういう話になる。
603人間七七四年:2013/01/15(火) 17:14:56.77 ID:p2mlS9uT
でも赤穂浪士なんかは浅野内匠頭だけに忠誠を誓ってる感じだよね
当時は戦国の遺風が残ってたって言うし
こちらの感覚の方が一般的かと
604人間七七四年:2013/01/15(火) 17:23:36.42 ID:VRTqoe0j
何がでもなのかわからんが、例えば大石内蔵助には中間が居る
その人は大石の家臣であって浅野家の家臣ではない
もし何らかの事情で浅野家がそいつに命令を下したい場合は、直接命令することは出来ず、
大石に命令を出させる命令を下すことになる

あと赤穂浪士は基本的に赤穂浅野家の直臣だから、内匠頭に忠誠を誓うのは当然
605人間七七四年:2013/01/15(火) 17:25:08.49 ID:oSG56CQV
いやおお家再興が最優先だったよ、じぶんらの食い扶持確保
606人間七七四年:2013/01/15(火) 17:38:00.10 ID:G9i+x2t5
忠臣蔵は徳川の敷いた法に逆らったことは特に不義と
当時の儒学者にも言われていないから
やはり直接の主への忠誠の方がもてはやされたことはある
607人間七七四年:2013/01/15(火) 17:55:45.75 ID:Md74QxJX
基本的には陪臣の忠誠は直接の主に対して向けられるのであって、主家に対しては
自分の主が忠誠を誓ってるから自分も従う、という間接的なものになるんじゃないかな。
だから本能寺の変では明智光秀の家臣(=信長から見ると陪臣)の斎藤利三等は光秀の
意向・利益を最重要視して、信長に襲いかかった。
つまり、信長よりも光秀自身に従う、という面が強かったと思う。
もちろん平時なら直接の主とその主(この場合は信長と光秀)の利害が一致している場合は
斎藤利三等は信長に対して敬う態度になるだろうけど。

だからこそ、陪臣で有能な人材がいたら、主君はその陪臣を直臣にしたがったのだろう。
直江兼続は秀吉から見ると上杉家の家来、つまり陪臣にあたるわけだけど、その能力を
ほしがって直臣にスカウトした。(これが本当に史実かどうか知らんけど)
608人間七七四年:2013/01/15(火) 20:24:30.89 ID:7d6BFPyF
>>598
黒糖地獄より酷い藩があったのですか…知りませんでした。
個人的に侵略自体は…奄美大島の方には申し訳ありませんが、当時の状況かを考えると、特異なことではなかった、と598さんのレスを拝見して、心の整理が着きました

> 貴族と言うものは、一般人を自分たちと同じ人間だとは思って無いから。
なるほど!自称毘沙門天もいますしね。
恥ずかしながら、自分は、そう言う想像力がありませんでした…。
略奪したり、侵略したり、本当に恐ろしい時代ですね。
609人間七七四年:2013/01/15(火) 20:50:54.04 ID:xd8vELeX
>>でも赤穂浪士なんかは浅野内匠頭だけに忠誠を誓ってる感じだよね
>何がでもなのかわからんが
将軍家→浅野家 の主従の事じゃ無いのか?


あとあのまま弔い合戦してたら
死者圧倒的(数百)だろうってのも
いまいちピンと来ないよな。
討ち死<浪人化 だろうに、、、
610人間七七四年:2013/01/15(火) 21:15:34.65 ID:Xl/bjn/8
そもそも改易された時点で陪臣である藩士たちと幕府の主従関係なんて無いけどね。
611人間七七四年:2013/01/16(水) 00:21:48.84 ID:UHUxHXPo
直江兼続の凄さがよくわかりません。
長谷堂の戦い?では確か最上義光に負けたし、関ヶ原でも西軍を選んでしまったし…。
どういうところが凄いのですか?行政手腕でしょうか?
612人間七七四年:2013/01/16(水) 02:00:57.30 ID:izi0i5+6
>>611
単なる武将ブームということでしょう。
少し関心を持ってみてみると、アレ、というのは普通です。
自分はこんな人の凄さを知ってるんだぞ〜すごいだろ〜
というのが「凄い」という表現になってるんでしょう。
史実の話とはまた違う世界ということで。
613人間七七四年:2013/01/16(水) 05:36:01.75 ID:hDKt7a7D
>>611
判ってませんねぇ。長谷堂は負けてないけど関ヶ原で西軍が負けたから退却しただけの事です。
退却戦は下手をすると総崩れになる危険が有ります。そうならないでうまく退却できるだけでも
たいした指揮能力です。
そして関ヶ原の時に家康に正面から喧嘩を売るという事自体並大抵の者には出来る事では有りません。
614人間七七四年:2013/01/16(水) 07:05:01.87 ID:UHUxHXPo
>>612>>613
ありがとうございました。
>>613
退却の件は納得できましたが、家康に喧嘩を売る必要はなかったんじゃないかなと思います。
615人間七七四年:2013/01/16(水) 07:50:02.06 ID:hDKt7a7D
>>614
家康に喧嘩を売った件が実際どういう事情だったのかは判りませんが、一般的に信じられているように
「謙信公以来の義を貫くため」であり、その為には上杉家を滅ぼす事もやむなしという事なら、そしてそれを
上杉景勝も了承していたなら、それはそれで君臣共にただ者ではないでしょ?
補足すると、謙信はある時点までは助けを求められれば出兵するけど領土的な野心は無かったと言われています。
長年それでやってきて、家臣団がそれでは不満を募らせていると知って初めて領土獲得に乗り出したと。
史実は判りませんが。

そしてその所為で120万石から30万石に減封(四分の一です)されて財政破綻するところを首切りしないで乗り切った
行政手腕もただ者では有りません。その極めつけは高禄の直江家を断絶させた事です。直江家は上杉家中では
名門で高禄です。それを婿養子の分際で断絶させてしまうのもただ者では出来ません。
616人間七七四年:2013/01/16(水) 08:19:46.65 ID:zI+kfP92
そもそも上杉に「義」という言葉は一次資料と照らし合わせても合わんだろ
ここで俗説語るなよ
後付の理由全てが「義」に結びついただけだろ謙信のやり方は
617人間七七四年:2013/01/16(水) 09:00:10.82 ID:N2S1DbJQ
南北朝時代から戦国時代初期の間に滅びたが
家康によって復興された名門の家はどこかあるでしょうか?
618人間七七四年:2013/01/16(水) 09:44:01.65 ID:hDKt7a7D
>>616
じゃぁ、お前が一次資料に即して家康に喧嘩を売る理由を説明しろよ。
619人間七七四年:2013/01/16(水) 11:12:47.16 ID:W30vA3pj
>>536誰か
620人間七七四年:2013/01/16(水) 11:51:01.68 ID:EPHXgZF8
>>618
>家康に喧嘩を売る理由
そもそも売ってないけど。
直江状追記の事を言ってるのだろうけどあれは後世の創作。
621人間七七四年:2013/01/16(水) 13:01:22.64 ID:EPHXgZF8
>>617
有名どころだと新田氏
実は伴わなかったけど
622人間七七四年:2013/01/16(水) 19:57:49.90 ID:nDlINRj0
>>620
自分も創作の可能性が非常に高いとは
思うけど、確定、断言できるもの?
623人間七七四年:2013/01/16(水) 20:32:30.26 ID:EPHXgZF8
本文は本物、追記は偽物とする最近の論調は説得力もある
まともな学者は支持してるしほぼ確定でいいんじゃね
624人間七七四年:2013/01/16(水) 21:44:21.17 ID:DOvWAfbx
やっぱり俺の
赤穂城で討ち死にはOKなのに
年単位で狙うのはNGだったのが不思議な提案はスルーかw

まぁ現代でも、戦闘で死ぬのはOKだが
北朝鮮の捕虜は嫌って自衛官は多そうだが、、、
625人間七七四年:2013/01/16(水) 22:09:18.34 ID:sBCfPP6Y
質問の仕方が悪かったんじゃねの?読みにくいとかわかりにくいとか
626人間七七四年:2013/01/16(水) 22:10:44.96 ID:BQmHz69d
>>622
早く論破してみろよwwwwww
顔真っ赤にして敗走か?wwwwww
悔しいのうwww悔しいのうwwwww
627人間七七四年:2013/01/17(木) 14:04:42.30 ID:zrrdmkA8
江戸時代の武将は武田信繁や山中鹿之助みたいな武将像が理想とされてたみたいですけど、戦国時代の武将はどういう武将がリスペクトされてたんでしょうか?
628人間七七四年:2013/01/17(木) 14:19:33.76 ID:Dosjfbej
>>626
ほぼ確定、というのが一般的だけど
断言してるのは2ちゃんぐらいだからね。
何か新しい史料とか出たのかなと思ったが
結局断言の根拠は出てないのでしょ。
629人間七七四年:2013/01/17(木) 15:02:31.13 ID:cNWNQgHD
煽りに構ってる暇があるなら本の一つでも読め
630人間七七四年:2013/01/17(木) 18:58:22.56 ID:fvnJrRFy
>>627さん既にご存じかもしれんが
信繁は同時代にも模範とされてて、真田の次男坊の本名になってるほどだ
631人間七七四年:2013/01/17(木) 19:07:59.18 ID:fvnJrRFy
考え直したら、武田家中とか東国に限った話かも。間違ってたらスマソ
632人間七七四年:2013/01/17(木) 19:22:00.96 ID:nNrO67xx
戦国武将にリスペクトされていた武将とは源頼朝
633人間七七四年:2013/01/17(木) 22:33:09.45 ID:TlHtGuBe
リスペクトとは違うが軍記モノ読んでると項羽とか劉邦の引用が多すぎてうざいくらいだな
634人間七七四年:2013/01/17(木) 23:14:48.91 ID:xJ2V7wyL
リスペクトとは違うかも知れんが津軽為信は
関羽に憧れて髭を伸ばしてたとか。
635人間七七四年:2013/01/18(金) 02:09:39.44 ID:ey1AHCRK
>>634
それ知らんかったわ!
あのヒゲにはそんなルーツがあったとはな…
636人間七七四年:2013/01/18(金) 18:08:01.09 ID:ui00bS1b
仙台城って天守じゃなく本丸どうなってるの?
画像が無いんだけどw
637人間七七四年:2013/01/18(金) 18:33:33.21 ID:WyyoI67O
グーグルマップでも見ればいいんじゃね
638人間七七四年:2013/01/18(金) 19:45:41.28 ID:0akepcXb
家康がなんか人気ないよな。
祖父のときは、三河国全域所有していたので
元は、うちのものなので三河国統一     

三河国を統一し、今川勢を追い出したので恨みを買い
今川の脅威から守るために武田と組み、侵攻する 

自分を守るために織田信長に振り回され、忠誠を見せるために
妻と子を殺さなければならなかった。

織田信長がなくなり、自分を守るために秀吉に使えた。
秀吉は家康を気に入り、五大老筆頭で、息子の面倒を頼むといった。

幕府が成立した後も豊臣家の地位を守り、10年以上保った。
家康のほうが上だと誰の目にも明らかなのに臣下に降らなかった。

ほかの戦国大名と比べて、殺戮が少ない。

家康は、腹の中ではどう思っているかしらないが
こう並べてみればものすごくまともだと思うわ。
現代から見てもものすごくまともに見えるから、
戦国時代では結構、人格者として人気あったのかもしれんな。
639人間七七四年:2013/01/18(金) 19:46:30.04 ID:9r6Gn5yu
普通に考えて家康が一番人気有ると思うがw;
640人間七七四年:2013/01/18(金) 19:50:48.45 ID:EdnRcaAg
信康事件が信長主導とか今更
641人間七七四年:2013/01/18(金) 19:57:38.13 ID:0akepcXb
”おまえの好きなようにすればよい”って
処刑しろとはいってないけど、暗に家康を試しているともとれるよね?
ここで下手な対応すれば、信長は頭イカレてるから
のちのち家康が何かされる可能性も決して低くはない。
642人間七七四年:2013/01/18(金) 20:12:18.49 ID:lkb5ykJu
>>640
今更も何も信長主導説は別に覆されてないぞ。
家康が徳川の都合で殺したっていうのはあくまで仮説の域を出ていない。
643人間七七四年:2013/01/18(金) 20:18:09.34 ID:EdnRcaAg
覆されてないとか仮説とか
644人間七七四年:2013/01/18(金) 21:06:49.70 ID:ui00bS1b
>普通に考えて家康が一番人気有ると思うがw;
バイトとして働くなら豊臣家だが、
本業として働くなら徳川家みたいな感じだよな。

織田家は、、、他人に勧める感じ?w
645人間七七四年:2013/01/18(金) 22:05:58.50 ID:EdnRcaAg
能力に自信があって出世意欲が高いならいいんでない?>織田家
信長もなんだかんだで家来に命がけでつくさせる魅力をもった君主だったし
646人間七七四年:2013/01/18(金) 22:07:46.62 ID:9r6Gn5yu
昨今では信長が優遇したのは譜代家臣だけ、と言われているな
647人間七七四年:2013/01/18(金) 22:17:13.79 ID:EdnRcaAg
それいったら家康だって変わらん
648人間七七四年:2013/01/18(金) 22:29:11.37 ID:9r6Gn5yu
>>647
いわゆる通俗的な信長のイメージに反して、って話だよ
649人間七七四年:2013/01/19(土) 03:15:06.31 ID:sZ2R3Krm
>>646
佐久間がリストラされたのは何で?
650人間七七四年:2013/01/19(土) 07:13:50.67 ID:TUppaXcR
本願寺って織田や諸大名を手こずらせた勢力として評価されていますが
実際は本願寺側に参加する国人や支援大名が鬱陶しいだけで
本願寺法主自体は加賀ですら手勢をコントロールできていないしただの神輿に過ぎないのではないしょうか?
寺社としても東大寺のような広大な荘園も持ちあわせていませんし、
非主流派のつけこんで不満を煽って暴走させるいわば暴動の周旋屋ですよね?
651人間七七四年:2013/01/19(土) 11:20:53.61 ID:hDd55e0C
本願寺と国人はどちらかというと共存関係ですね

本願寺は僧兵や寺侍を養う広大な寺領を持たず武力が無いので国人たちを兵力を使いたい
国人たちは小勢力をまとめる為に、一向宗の名と信仰心を団結の中核として使いたいし
大名のように小勢力の家臣化を目指してない本願寺は味方になっても安心。といった具合です

越前のように本願寺が支配力を強めようとすると一揆内一揆を起こして反攻したり
本願寺が近畿信徒に細川氏を攻めろと命令したら、俺たち細川氏と仲いいからヤダねと
誰も命令を聞かずに面目が潰れかけたりと、
あくまでも共存関係なので利害一致して無いときは機能しません。
652人間七七四年:2013/01/19(土) 12:02:43.58 ID:WxUZdLz6
当人には実質的な力はないけれど影響力がパない、ってのはヨーロッパのヴァチカンみたいなもんだ
653人間七七四年:2013/01/19(土) 17:42:52.87 ID:VA7hiMvN
本願寺というか巨大寺社は、財力、という巨大な力が
あった。自兵を多く持たずともイザという時は
金で雇えばいい。とすると武力を持っているのと同義。
それが巨大勢力として存在するので
信長のように自分がナンバー1になりたいのにとっては
邪魔。

普段は平和に畑耕して暮らしてるだけなので
暴動の斡旋屋、というのもそれを頼みに来る方に
問題があるわけで、その存在自体は善とも悪とも
色分けできるものでもない。

ただ、ドロボーが逃げ込んだりすると助けたりするような
面はあるので、施政者にとっては邪魔ではあったかもしれないが
その施政者もまた力を借りたりすることもある。
存在基盤が異なる勢力があった場合、常に複雑な緊張状態が
保たれる、ということであまりレッテル張りせずに広い視点で
とらえていくことが必要だろう。
654人間七七四年:2013/01/19(土) 18:49:16.88 ID:vzDrZNxh
本願寺に限らず中世の商業を支配してたのは寺社勢力だったから
自前の兵力は限られてたけど、財力はそれなりにあった。
信長が本願寺とぶつかるようになったのも、
既存の座の廃止、関所の撤廃っていう寺社の権益を剥奪しようとしたからであって。
655人間七七四年:2013/01/19(土) 19:01:38.26 ID:yQ0kJIpu
>>654
> 既存の座の廃止、関所の撤廃

信長は既存の座を廃止したこともないし、関所も撤廃したのは軍事関係だけで、経済関所は温存しておる。
656人間七七四年:2013/01/19(土) 19:16:12.32 ID:VA7hiMvN
>>655
654の言ってるのは、本願寺の持つ座や関所に信長が
手を出そうとしたからモメた、という個別の例の話であろう。
一般論で、信長はなんでもかんでも座や関所を廃止したのではない
というのはこれも正解。
657人間七七四年:2013/01/20(日) 00:17:13.72 ID:FH9nC42R
そういう「経済制裁」をしなきゃならないほど財力豊富だったってことっしょ
658人間七七四年:2013/01/20(日) 00:57:05.18 ID:IXVB0xUd
グダグダやな
659人間七七四年:2013/01/20(日) 13:30:35.69 ID:K8JzKfE7
ズルズルやん
660人間七七四年:2013/01/22(火) 00:36:31.51 ID:Jigz35rL
寺がどうやって財力得たの?

酒肉女やってたのは定説なの?
661人間七七四年:2013/01/22(火) 01:06:53.28 ID:l+cJAMJc
中世は人が集まる場所が門前町くらいしかなく、市場ができるのはほとんどが門前町だった
さらに発展して流通の要所になり、地主の寺社はがっぽがっぽ
それとお布施だな。
662人間七七四年:2013/01/22(火) 01:20:14.95 ID:KEco3LSn
基本的に男ばかりで禁欲を是とする環境だから
むしろそれがストレスになって奔放にって事なんかね
663人間七七四年:2013/01/22(火) 07:54:20.69 ID:hvDBxcp5
>>660
寺は自前の領地も持ってた。
>>661のように門前の土地で商売してれば税金もかけられる。
信者が多ければお布施も多かった。
一般信者以外でも、大名に保護されていたり大名自身が帰依している寺社は
その大名から莫大な寄進があった。毛利家と厳島神社の関係とかが有名かな。

酒色におぼれていた件については、全部の寺社がそうだった訳じゃないけど、
当時の日記などの記録から確定的。
664人間七七四年:2013/01/22(火) 11:03:05.22 ID:7mwCf09o
土倉のケツを持っていたのが寺社で京都なら八割は延暦寺、荏胡麻油の座を組織していたのは大山崎八幡宮という具合に経済の要だった。
ところが本願寺は新興宗教なのでそういう利権は持っていないし、貧乏人の不満を煽っている手前貧乏な信者が多く信者の布施は大したことなかった。
初期の頃は協力関係の国人の武力を背景に近隣地域有力者を恫喝して寄進させて搾取したり、協力者に組み込んでいったヤクザのような傾向が強いよ。
665人間七七四年:2013/01/22(火) 11:10:47.30 ID:7mwCf09o
当時の有力寺社が軒並み武装し要塞化していたのも祠堂銭という金融業を営んでいたから。
低利ながらも「踏み倒したら地獄に落ちるわよ」と脅すのでとりっぱぐれが少ない寺院にとって利殖産業だった。
ただし通常の徳政令では棒引きの対象にならないので、土一揆で真っ先に標的にされ私徳政の要求されるなど火薬庫だった。
要塞化するのは当然といえば当然。
666人間七七四年:2013/01/22(火) 22:08:12.79 ID:dOQRw2lr
腐ってやがるなw
667人間七七四年:2013/01/22(火) 22:27:41.85 ID:e1TzfBPV
腐るも何も、そもそも日本の商業流通や金融は寺社から始まっとる。
寺社がルートを開拓し、制度や仕組みを作り、人材を育成し、事業として成立させた。

武士なんかは後からその利益を狙いに来た強盗みたいなもんだ
668人間七七四年:2013/01/23(水) 10:00:37.42 ID:GB3D7pTq
一人あたり合戦で首をどれだけ取れたら手柄になるんでしょうか?
多い、普通、少ないの基準が知りたいので教えて下さい。
可児さんが16個ほど首を取ったのが多いと漫画(名前忘れました)に書いてたので10超えたら多いくらいでしょうか?
669人間七七四年:2013/01/23(水) 10:02:11.90 ID:weTpr0ej
>>668
基本的に物頭以上の首じゃないといくら首をとっても手柄にはならん。
重要人物の首なら1個だけで大手柄。
670人間七七四年:2013/01/23(水) 10:02:47.08 ID:2GwMkXWk
そうとも言えない、武士ってのはもともと農民や商人が武装したものだから
そもそも荘園ってのは自己完結した独立した閉鎖経済ではないので、外部との交易が絶対に必要な共同体だった
671人間七七四年:2013/01/23(水) 10:05:09.65 ID:weTpr0ej
>>670
> 武士ってのはもともと農民や商人が武装したものだから

それはもうとっくに否定された大昔の見解だな。

現代では武士は、地方の治安維持・軍事機構だった国衙軍の世襲化に、中央の軍事貴族が合流したものだというのが
一般的な定説。

つまり武士は、最初から農民承認とは別の階級。
672人間七七四年:2013/01/23(水) 10:25:31.70 ID:GBS6JNzt
上からの武士化と下からの武士化が同時に起こったのが戦国時代というのが最新だろ
673人間七七四年:2013/01/23(水) 10:27:32.22 ID:GBS6JNzt
>>668
1つでも取ったら手柄だよ
ちなみに武田家で最も評価されたのは一番槍
674人間七七四年:2013/01/23(水) 10:28:05.28 ID:weTpr0ej
>>672
下からの武士化って在村給人のことか?
あれは正確には武士じゃないぞ。
百姓や商人が武家被官になったのは権利擁護・利権確保のためだが、これも室町期の現象だな。
675人間七七四年:2013/01/23(水) 10:29:20.21 ID:weTpr0ej
>>673
「一番槍」というのは一番に敵に槍を入れることではなく、一番に敵の「名のあるもの」に槍を付ける、
ということだけどな。
676人間七七四年:2013/01/23(水) 10:52:45.33 ID:IWiUt7f8
>>668
一首から手柄。
ただし自分の身分と同等以上じゃないと手柄にならない
雑兵が雑兵の首を取れば手柄で侍の首を取れば大手柄だが
侍は雑兵の首を取っても手柄にならず、侍以上の首じゃないと手柄にならなかった
また武士は脇武者や従者を率いて数人のユニットで戦うので
手柄といっても一人で取ったわけじゃない場合も多いから注意
677人間七七四年:2013/01/23(水) 11:20:12.55 ID:J3cGhJ9g
>>668
自分一人じゃなくて自分の手下を含めたユニット単位の手柄ね
678人間七七四年:2013/01/23(水) 13:44:15.00 ID:a89ESkyf
伏見城の戦いは別として、
殿軍みたいな捨て石部隊って
なんでモチベーション持てるの?
679人間七七四年:2013/01/23(水) 14:24:35.25 ID:IWiUt7f8
そもそも殿軍は捨石じゃないぞ。
殿が敗れると全軍崩壊の危機に瀕するから、
精鋭や鉄砲隊を優先的に付加されて強力な部隊になる。
逆に負け戦で唯一武功稼げるポジションと言える。

また明らかな捨石なのに士気が保ててる場合は
勇戦して生きて帰ればその後の評価につながるし
たとえ死んでも残った家は主君が優遇してくれるという計算と、
戦士としての意地と使命感が理由だろう
680人間七七四年:2013/01/23(水) 17:22:10.57 ID:2GwMkXWk
>>671
そりゃ農民や商人を現代風に受け取りすぎだ
その世襲化した元国衙軍はどうやって生活していた?その構成員の社会階層は?
681人間七七四年:2013/01/23(水) 17:32:45.76 ID:HMDK0N41
>>680
国衙機構は鎌倉末期まで機能してたんだぜ?
国衙軍は中世になり天皇家や公家、寺社の地方荘園の治安維持などを委託された。
その荘園管理が一種の利権となり彼らの収入となった。
これが「武士の地域化」だ。在地に利権を持つようになったわけだな。
このように荘園の管理利点が彼らの収入だ。
それが出来たのは、「武士」がそもそも国衙軍として軍事や治安維持の専門家だったためだ。

農民や商人が武装した所で専門的な知識もノウハウもない。組織力もない。
そんな連中に組織的軍事行動が出来るわけがないだろ。

武士は最初から、「軍人」だったんだよ。
682人間七七四年:2013/01/23(水) 17:39:57.34 ID:2GwMkXWk
その国衙機能を維持してきたのが地元の人たちだよ
それと、そんな人たちに軍事ノウハウを教えたのが中央の人たちであるということは否定していませんよ
683人間七七四年:2013/01/23(水) 17:42:39.87 ID:2GwMkXWk
というか誤解しているようだしこちらの言い方も悪かったな
その国衙機能を維持してきた元軍人は、同時に農民(農場経営者)であり
生産物を流通販売する商人でもあるということ
近代以降じゃあるまいし一つの面しか持っていないなんてまずないから
(僧侶が聖職者だけでなく知識人・学者や商人の側面を持っていたのと同じ)
684人間七七四年:2013/01/23(水) 17:44:33.64 ID:HMDK0N41
>>682
だから、元々、律令時代に在地から徴兵されたであろう国衙軍人が、時代とともに世襲化・家職化して
「武士の家」になったんだよ。
「武士」が成立した当時はすでにかれらは世襲の軍人だった。
商人や農民じゃない。
685人間七七四年:2013/01/23(水) 17:49:37.56 ID:HMDK0N41
>>683
少なくとも、「武士」で商業や農業経営が主要要素ということはなかったはずだよ?
例えば後世、鎌倉期から江戸時代まで、大規模豪族や大名は商工業や貿易で利を得ていたけれど、
彼らを商人とはいわないでしょ?

あくまで「武士』が主体であり、それ以外はサイドビジネスと考えるべきではないかな?
少なくとも本質として農民だったり商売人だったわけではないのだから。
686人間七七四年:2013/01/23(水) 18:07:10.37 ID:2GwMkXWk
>>685
まったく同意ですが、サイドだからって無視していい側面だともいえませんよ
後の近代軍人のように給料もらって「武」だけに専念できるような身分ではなかったのですから

当時の武士たちがどうして武力を発動したかといえば、土地(農業)であり販路(商業)のためが大きなウェイトを占めていたことも事実です

まあ多分双方の言っていることは同じで、そのサイドをどの程度の大きさと見るかの違いなんでしょうけど
687人間七七四年:2013/01/23(水) 22:59:01.91 ID:YpK8O+DN
商売に手を出していた大名を
「大名であり商人であった」と評するのが適切かってのがある
688人間七七四年:2013/01/24(木) 10:29:05.28 ID:HI2XV5Hn
2大守護大名の一つの大内なんて武士というよりも商売人的な金儲けがメインだったな。
689人間七七四年:2013/01/24(木) 11:50:35.86 ID:DDA9y06I
流石にスルーやわ
690人間七七四年:2013/01/24(木) 11:55:13.07 ID:zI9eyCt0
当時の大名を現代人が考える「武士」の面だけで把握するのが間違い
これは公家や僧侶も同じだけどね
691人間七七四年:2013/01/24(木) 12:06:54.14 ID:HI2XV5Hn
>>689
応仁の乱や船岡山合戦は交易利権が目的なわけだがw
692人間七七四年:2013/01/24(木) 12:09:19.19 ID:DDA9y06I
スルーつってるのにレス付けんなや
693人間七七四年:2013/01/24(木) 16:52:42.99 ID:HI2XV5Hn
なんだ無知か
694人間七七四年:2013/01/24(木) 18:11:40.56 ID:3nj2brXX
そもそも大名は軍事のトップであると同時に行政のトップであるわけで、
その業績の中に金銭面の施策が含まれるのは当たり前の話だと思うが。
民政や公共事業や外交その他諸々も含めて。

つまり、武家政権においては大名は武士の面と為政者の面を併せ持つので、
どの業績を注目するかで商売っ気が見えてきたり、軍人に見えたりするだけ
だと思う。
それらを全部ひっくるめて「大名」という存在だということ。

その点で、大内氏を「金儲けメイン」というのは一面からしか評価してないのだと思う。
695人間七七四年:2013/01/24(木) 20:16:05.54 ID:jYDkRlDi
ただ武家は商売は卑なるものと捉える風潮があったし
大名自らが商売に乗り出すのはかなり稀有な例だった。
696人間七七四年:2013/01/24(木) 21:26:31.15 ID:ABbkugDD
大名自らってのがどの程度を指すのかわからないけど、
領国経営なんだから商売奨励してるよ?
697人間七七四年:2013/01/25(金) 09:52:39.23 ID:ggFTAbso
武士起源はモメるねぇ。
西の職能論は少し不利じゃなかったかな。
武士の家とか世襲とかそういうのを示す直接的な
史料がはっきりしない、という点で。
武装農民説は意外と生き残ってる感じもするなぁ。
698人間七七四年:2013/01/25(金) 19:11:52.50 ID:djISq+br
そりゃ領主なんだから今風に言ってしまえば政治家でもあるし、司令官でもある
開拓者になった官人崩れみたいな層がそのまま在地の主になったのが始まりなのかもしれないけど、
それ自体はまあ別の話
699人間七七四年:2013/01/25(金) 22:35:02.46 ID:HMc093//
>>696
奨励と規制を使い分けてたって感じだろ。
戦国時代に限ったわけじゃないけど
武士の収入の基本は農産物だから農民が
本文を疎かにするのは禁じてたし。
700人間七七四年:2013/01/25(金) 23:16:36.97 ID:hXINDvWi
しかし、鎌倉とか室町の武家一団って
惣領とその子供たちは、どこかで天皇と繋がっているやんごとなき血脈かもしれないが
その他大勢の手下はどこの馬の骨かわからんやつらだろ?
そいつらってもとは農民とかかな
701人間七七四年:2013/01/25(金) 23:21:40.06 ID:1XAQkbOF
>>700
武士団というのはいろいろな要素で構成されているし、鎌倉と室町でも内実はかなり違うが、
基本は家の子という親族と世襲の家内奴隷、そして1代の忠誠心で惣領と繋がる郎党、というのが鎌倉期の
武士団構成だな。
室町期はもっと複雑になる
702人間七七四年:2013/01/25(金) 23:26:47.88 ID:hXINDvWi
結局、天皇の血の権威で荒くれ者どもを従えてたわけか
703人間七七四年:2013/01/26(土) 02:51:51.51 ID:GjSvAOV0
レベルが低い質問で申し訳ないのですが、島津歳久がよくわかりません。

秀吉への降伏を最初に言い出したのは彼です。
それなのに、最後はその秀吉に頑なに抵抗して死ぬ、というのに矛盾を感じます。
人生が嫌になったのでしょうか。
704人間七七四年:2013/01/26(土) 05:42:56.43 ID:5o4yRsHH
タイミング逃したからです
引き返せるところともう引き返せなくなっちゃうところがあるんです
705人間七七四年:2013/01/26(土) 13:27:02.77 ID:3/yrkVwk
上の人間は、下の人間に責任を持つため、自分個人の意思感情だけでは動けない、そういうことです
706人間七七四年:2013/01/26(土) 17:48:11.80 ID:8ocjhyOp
昨日「信長のシェフ」を見て思ったんですけど、戦国期の大名って毒味ってしないんですか?
江戸期の大名は毒味をしたものしか食べられなかったようですけど、ドラマではパクパク食べてたので。
707人間七七四年:2013/01/26(土) 17:49:48.98 ID:J0oJwCr2
>>706
毒見はしてた。
ドラマと史実をごっちゃにしない
708人間七七四年:2013/01/26(土) 18:06:43.89 ID:3/yrkVwk
ドラマで「では毒見します」で冷めた料理を不味そうに食べる描写されてもねえw
709人間七七四年:2013/01/26(土) 19:16:37.70 ID:rO+/i1mK
普通のドラマならその通りだが、
食の歴史ドラマなんだからとは思った。

政宗で毒見関係の描写しなけりゃ、違和感持つのと同じだろ?w
710人間七七四年:2013/01/26(土) 20:08:42.05 ID:8ocjhyOp
ありがとうございます。
そうですよね、演出ですよね。
711人間七七四年:2013/01/26(土) 21:09:40.85 ID:fcuo7NWW
ドラマの内容については知らないが
実は影武者だったとかトリックがあるかも知れんな
712人間七七四年:2013/01/26(土) 21:14:59.21 ID:uKaeAjNM
影武者だから毒見しませんって影武者の意味無いじゃん
713人間七七四年:2013/01/27(日) 02:42:34.82 ID:fXOQNNpl
>>704>>705
ありがとうございました。部下がつっぱしったのでしょうか?
桐野何とか先生の本だと、あえて犠牲になった説もありました。

普通の家久の死に方とか、亀寿ブス説&美人説とか、島津家も謎の多い一族なんですね。
714人間七七四年:2013/01/27(日) 03:16:44.81 ID:kXsxQVlo
>>708
まあそういったのちの大名レベルまで厳密にやったかどうかは今一つ分からんけどな
信長に関しては三好家お抱えの料理人をひっとらえて料理をさせたようなこともある
そのドラマは原作を少ししか知らないが、特別に抱えられた料理人のはずだから監視もあるのではないかな
715人間七七四年:2013/01/27(日) 06:22:54.81 ID:HtYDsnIw
鎌倉時代の荘園制について
武家が警察的護衛を、公家が荘園領主としての持ち津もたれなんだけど
武家がもう、武力で公家領主から土地を奪わなかったのはなぜなんだ?
まだ、やんごとなき血筋の人たちに敬意を払ってたのからか?
716人間七七四年:2013/01/27(日) 14:17:59.01 ID:qwo3V9E8
前田利益や黒田孝高、竹中重治などはなぜ諱よりも通称が広く浸透しているんでしょうか
717人間七七四年:2013/01/27(日) 14:25:13.33 ID:7zAyEVUi
>>715
現代社会で警備員が警備しているからという理由でその会社乗っ取るか?
当時の武家は所領運営のノウハウが殆ど無い。そんなのが武力で土地奪ったって何の意味もない。
718人間七七四年:2013/01/27(日) 14:39:37.96 ID:+bRpS6CU
>当時の武家は所領運営のノウハウが殆ど無い
何を言っているんだ?
719人間七七四年:2013/01/27(日) 14:52:53.16 ID:7zAyEVUi
>>718
無いんだよ。荘園経営のノウハウが。
つまり行政能力が無い。

武士が行政能力を獲得するのは室町以降だ
720人間七七四年:2013/01/27(日) 15:53:13.35 ID:+bRpS6CU
平安期の武士と公家の関わりを学びなおしてくることをオススメします
721人間七七四年:2013/01/27(日) 16:48:59.59 ID:5tG+MV+U
>>716
諱で呼ぶのは恐れ多い事なので普通はしません。だから、むしろ有名人でも諱は不明という事がよく有ります。
722人間七七四年:2013/01/27(日) 16:50:49.42 ID:7zAyEVUi
>>720
キミも荘園というものをもう一度学び直したほうがいいな
723人間七七四年:2013/01/27(日) 16:58:21.80 ID:z8IcJoAA
鎌倉時代は基本板違い
724人間七七四年:2013/01/27(日) 20:35:21.44 ID:qwo3V9E8
>>721
諱を口にするのは憚られることや、お互いを輩行名や官職名などで呼び合っていたことは知っています

お聞きしたいのはそこではなくて、
「現代では多くの戦国武将が諱(法名の場合もありますが)で知られるなか、なぜ上記の三人などは通称の方が有名」なのか
です
725人間七七四年:2013/01/27(日) 20:40:53.95 ID:5tG+MV+U
>>724
それは軍記物などに通称で書かれてるからでしょ。
726人間七七四年:2013/01/27(日) 21:19:22.74 ID:HtYDsnIw
そんなにノウハウっていうか荘園経営が難しいとは思えないけどな・・・
727人間七七四年:2013/01/27(日) 22:02:53.42 ID:gzNFhahB
>>724
単純にメジャーになったきっかけの作品がどう呼んでいたか、じゃないかな。
黒田孝高と竹中重治は最初の出典はわからないけど、前田利益はいわずとしれたアレで
有名になったからでしょ。
真田幸村なんて生きてる間に「幸村」なんて呼ばれてなかったそうだけど、軍記物や立川文庫あたりで
真田幸村という名前が有名になった。
つまり、当時本人がどう呼び合っていたかより、後世にどのような名前で紹介されたかで、一般的な
呼び方が変わってくるのだろう、と。
後世の伝記作家などはそれほど厳密に当時の呼び名にはこだわってなかったのだろうね。
728人間七七四年:2013/01/27(日) 22:18:23.48 ID:z8IcJoAA
>>726
租庸調をやってれば朝廷は文句は言えなかったでFA
っていうか板違いの話しはそれくらいにしておけ。
729人間七七四年:2013/01/27(日) 23:13:48.81 ID:W5sbl1fx
似た質問が三つあります。
@どうして戦国時代は天皇の話題が全然ないのか、話題になるような事を何もしないのか?
Aどうして戦乱が百年以上も続いているのに争いをやめるよう命令して戦乱が終わったりしなかったのか?

 確か科学が発達していない時代は天皇=神で絶対的なものとして崇めていて
征夷大将軍は天皇の下の存在で、天下統一とか天下に君臨すると言っても所詮
はナンバーツー争いに過ぎないんですよね?
 じゃあ信長は別にしても天皇陛下が各大名に戦争をやめるよう言えば
みんな言うことを聞くんじゃないの?

B上記の質問に付随するけどもしかして戦国時代の武士たちって現代の若者みたく
天皇の事なんか全然尊敬してなかったんですか?
730人間七七四年:2013/01/27(日) 23:39:24.80 ID:5tG+MV+U
>>729
>確か科学が発達していない時代は天皇=神で絶対的なものとして崇めていて
それは古代だな。天武天皇の頃はそういう理解でも良い。

>征夷大将軍は天皇の下の存在で、天下統一とか天下に君臨すると言っても所詮
>はナンバーツー争いに過ぎないんですよね?
そういう時代になると天皇は御神輿として担ぐものであって、権力は無い。それ以前の時代に藤原氏なんかの貴族や
天皇をやめた上皇とかが権力を握る時代が長く有って、天皇が権力を持たないのが普通になっていた。

また、戦争をやめるように言って、誰かが従おうとしても敵が従わなければ一方的にやめる事は出来ない。
命令したのに従わないとなれば天皇の権威はさらに失墜する事になるから、確信も無く命令する事も出来ない。

>天皇の事なんか全然尊敬してなかったんですか?
尊敬してない者が多いけど尊敬してる人もいた。
731人間七七四年:2013/01/27(日) 23:45:33.41 ID:kXsxQVlo
>>729
財政難などもあって簡単にいってしまえば「それどころじゃない」状態
そのため祭祀でなんとかならないかというような形で、立て直しが行われていた
ただ、織田信長が京都に入って以降は勅命を名目に各個の戦については和睦とするくらいには回復した

政権がある程度安定しないと権威もあった物じゃないのです
732人間七七四年:2013/01/28(月) 01:07:17.48 ID:4urvDOU/
暴力と人殺しの混乱の時代に
「やめるように言えば」というのが平和でいいわね。
歴史というより、どうして毎日女の子が夜に一人歩きできるか
考えたほうがいいんじゃないかな。
733人間七七四年:2013/01/28(月) 01:24:06.72 ID:DisVsPFd
天皇の権威は当時でも完全には失墜してはいなかったが
既に形骸化した権力を無理に行使しようとして上手くいかないことが続いたら
暗殺されたり隠居をせまられたりする危険性はあった
というか実際にそのような目に合った天皇はかなりいる
結果として現在でも天皇は存在するからといって
当時の天皇や皇室が絶対に安全だったわけでもないのだから
そんな無茶な真似をするわけがない
734人間七七四年:2013/01/28(月) 01:42:58.82 ID:bLv+N/ob
そら、高師直ほど尖がった人は珍しいでしょうけどね
735人間七七四年:2013/01/28(月) 08:38:15.60 ID:Ylt006KR
じゃあ時代モノとかであるセリフ(主に信長系)
「帝を愚弄するか!!」
「たかだか武将の分際で!!」
「天皇の上に立とうなどとなんとだいそれた!?」

みたいなのって原作者の創作か一部の天皇崇拝者の弁で、実際は信長じゃなく
ても腹の中じゃ「天皇だからって何をえらそーに」な感じだったんですか?
736人間七七四年:2013/01/28(月) 13:06:05.62 ID:hkQkcJ2Y
>>735
どんな作品でそんな台詞があった?
どちらかというと、信長モノでいえばそれは足利義昭の台詞だと思うけど。

いずれにしろ、ドラマや漫画や小説の描写をそのまま真に受けない方がいいよ。

天皇の権威はある程度は存在してた。
信長包囲網で信長が窮地に陥ったとき、信長が乗り切るのに利用したのは天皇の勅令だった。
まぁ、みんな膠着状態でにっちもさっちも行かないときに天皇の勅令を口実に「ち、しょうがねーなー」という
ニュアンスかもしれないけど、少なくとも事態打開の口実として利用価値はあった。

ただ、主体的に全国の戦を止めたり独自の政策を実施する実力はなかった。
上の信長包囲網解除の勅令にしても、朝廷が信長の庇護を受けてそれなりの活動ができたからこそ
発せられたわけで、信長入京前には御所は荒れ果てて子供が入り込んで遊んでいるくらい、どうでも
いい存在だった。

最終的に信長が朝廷をどう扱おうかと構想していてのかは研究者の間でも説が分かれるし、腹の中で
どう感じていたのかはわからん。
少なくとも表面上は信長は朝廷に対して丁重に接していた。
信長以外の人物にしても、地位や地域によって大きく違うだろうし。
どういう感じだったか、なんて一律に判断しようとするのが間違ってると思うよ。
天皇崇拝者に至っては意味不明だし。
737人間七七四年:2013/01/28(月) 21:01:35.35 ID:RWj0xARw
戦国武将にとって天皇は競い合う対象じゃなかったから、そんな目立たないんだろ。
そして武将が天下の大半を治めるなりして領地の実権を得たあとは、
征夷大将軍にしてもらうなりの権威付けに利用するとき必要だし、
自分の権威を守るためにも天皇は奉っておく必要がある。
仮に天皇家を滅ぼせば逆賊って大義を他の武将に与えることになるから良いことは何もない。
738人間七七四年:2013/01/29(火) 00:26:31.21 ID:ESzy4Aw+
源氏や平氏の末裔が値打ちあるのも天皇の血だからこそで、そこを自ら否定はしないだろ
739人間七七四年:2013/01/29(火) 10:18:03.31 ID:D+D0aHRr
説によって程度には差があれ
戦国時代の天皇には権威は存在していたが低下していたことや
権力に関してはほとんど実が伴っていなかったことには異論がないから
天皇が積極的に勅令で争いを止めることなどは不可能だったとみていい
740人間七七四年:2013/01/29(火) 19:41:14.57 ID:+3y+sNr0
>>729
だって紛争なんて両者に言い分があるでしょ。
戦争止めなさいって言っても奪われた領地を奪還しようとしてる人達は泣き寝入り?
それとも家康は岡崎城以外は全部没収とかすんの?もしかしたら岡崎城も返せって言い出す人が居るかもね。
もう収拾つかないから「勝手にしろ」が天皇の本音でしょ
741人間七七四年:2013/01/29(火) 21:19:50.36 ID:+2hwUF5d
「勝手にしろ」というよりは「どうにかして」って感じだと思うぜw
742人間七七四年:2013/01/29(火) 21:46:26.49 ID:nfaWdNrn
制度や建前的には朝廷の実行機関が幕府で、朝廷の命令は全て幕府を通して行われる
その幕府が機能停止してるから朝廷はどうしようもない。
743人間七七四年:2013/01/29(火) 23:55:22.68 ID:DR4eEHdW
権威が無くても天皇が最上位の存在だったという事にはかわりはないん( ´・ω・)?
戦国時代にかかわらず天皇より上位の存在ってあるん( ´・ω・)?
744人間七七四年:2013/01/29(火) 23:59:22.20 ID:qQuTu7U/
外敵を滅ぼせ、って武士たちが成功すると
「わしら朝廷が祈祷したからでおじゃる」なんて
よくブチ殺されなかったよな。
745人間七七四年:2013/01/30(水) 00:02:50.09 ID:yzs0Ix7o
>>744
お前が歴史を全く知らないことだけは理解できた
746人間七七四年:2013/01/30(水) 00:12:59.88 ID:MFNtCQEk
>>745
どうして?なにか変なこと言ったか?
747人間七七四年:2013/01/30(水) 00:14:43.47 ID:yzs0Ix7o
>>746
朝廷がどうやって祈祷するんだよ。アホか
多分元寇のこと行ってるんだろうけど、鎌倉幕府も盛大に寺社に祈祷させとる。
そもそも当時の宗教意識をまるでわかってない。

つまり歴史を勉強してないってことだ。
748人間七七四年:2013/01/30(水) 00:15:51.38 ID:eHkKNaXi
>>743
>権威が無くても天皇が最上位の存在だったという事にはかわりはないん( ´・ω・)?

yes


>戦国時代にかかわらず天皇より上位の存在ってあるん( ´・ω・)?

no
749人間七七四年:2013/01/30(水) 00:18:18.37 ID:MFNtCQEk
>>746
あ、あのさ・・朝廷が自分でしたかどうかじゃなくて
そういう論理でことを処理してきた、という普通の
話なんだが・・
勉強とかじゃなくて常識の話な。
750人間七七四年:2013/01/30(水) 06:54:52.21 ID:tb0j4yWj
藤堂高則のWikipediaで1570年9月に北畠と織田の戦いに北畠の援軍として来て討ち死にしたとなってるけど北畠は降伏した後じゃないのですか
他のサイトでは1569年に織田の援軍として来て討ち死にだけどどっちが正しいのですか
751人間七七四年:2013/01/30(水) 09:20:30.67 ID:QxapI4dO
朝廷に限らず幕府も神仏の霊験の威力が云々として論功をはぐらかしているから
あれは神仏が凄いって方向に話を持っていこうという流れだけどね。

というかだいたいの史料でも、
祈祷を頼んだ朝廷や幕府が凄いなどという記述ではなく、
神仏の加護の偉大さで話をまとめている通り
それが当時の常識
752人間七七四年:2013/01/30(水) 09:39:58.51 ID:Kd1ESTbM
常識というか、だからもっとお布施しろっていう寺社勢力の要求だろ。
753人間七七四年:2013/01/30(水) 09:41:42.88 ID:w+1+FOrP
最近はほんとグダグダだよなこのスレ
754人間七七四年:2013/01/30(水) 14:08:02.35 ID:KeRTlWRP
↓のソースってわかりますか?
43 :藤田信吉 2006/11/11(土) 14:10:28 ID:FP8iAXO1
>>42
柴田は秀吉に「織田家中で争うより、北条を攻めようぜ」って手紙送ってるよ
秀吉はこの機にどうしても柴田を叩きたかったから無視してたけどな
とりあえず高柳の本でも読め
755人間七七四年:2013/01/30(水) 15:16:20.58 ID:w+1+FOrP
堀秀政宛て五ヵ条の覚書。
756人間七七四年:2013/02/01(金) 05:43:42.87 ID:99vptk7f
堀宛で秀吉宛ではないだろ
という反論はさすがにないか。
757人間七七四年:2013/02/02(土) 15:06:54.30 ID:jJhghU+y
この時代、籠城するときの野菜不足はどうやって防いでいたんでしょう?
漬物とかありますけど冷蔵庫がないとすぐに悪くなってしまうし・・・
758人間七七四年:2013/02/02(土) 15:27:17.57 ID:WgR6AssG
普通に漬物。
今時の人は漬物といえば浅漬けをイメージするからすぐ悪くなる物と思っちゃったんかな
759人間七七四年:2013/02/02(土) 15:46:05.68 ID:jupgIv17
加藤清正が築城した熊本城では籠城の備えとして、畳を芋づるで作り、
城の堀で大量のレンコンを栽培したそうだ
760人間七七四年:2013/02/02(土) 16:49:31.01 ID:1waofJ25
俺はそれを>>166-179 で討論投げ掛けてみたが
大した敗因を想像出来なかったぞ<`ヘ´>
761人間七七四年:2013/02/02(土) 16:59:02.01 ID:Yp8Hd7hg
城の中には通常畑などが有り、野菜類の栽培が行われていた
762人間七七四年:2013/02/02(土) 18:31:32.98 ID:WgR6AssG
まぁ総構の城なら多少の畑はあるだろうな。通常とは言えないだろうけど
763人間七七四年:2013/02/02(土) 21:17:51.49 ID:jJhghU+y
野菜の摂取はそんなに困らなかったんですね。
第一次大戦とか第二次大戦ではビタミン不足に
日本兵が苦しめられたあったので。
764人間七七四年:2013/02/02(土) 21:19:24.23 ID:0yfSWvZH
>>760
あの流れと今の流れは同じじゃないよ、全く違う

松(燃料用)竹(矢種・建材用)梅(副菜)はいろんな城で好んで植林されたし、
759の言うようにレンコンを育てたり、762の言うような大々的ではないけど副菜の畑は確かにあった
補給がきかないからこそ、少しでも城内で補給出来たほうがいいからね

でも籠城した全員が食べられるだけの食料、例えばコメの栽培はスペース的にできないし、
松や竹に頼りきるよりは、薪や矢を備蓄しておいたほうが効率が良い
城内で供給する場合はあくまで緊急用のもので、それをすべて賄うのは不可能

結局何でビタミンやミネラルを賄ったかといえば、
玄米、つけもの、ミソ、塩だろうね
765人間七七四年:2013/02/02(土) 21:39:07.87 ID:xN/SHUqw
備蓄と井戸水が豊富な小さな山城に、
赤穂47浪士みたいな決死隊が籠城したら
一般的な撤退開始期間で
いったいどれだけの兵まで負けないか?
って妄想戦だっての!!
766人間七七四年:2013/02/02(土) 21:55:14.64 ID:xObW3VoQ
>>763
ビタミンBが含まれる糠を取って、白米ばっかり食うからだろ
767人間七七四年:2013/02/02(土) 22:46:50.40 ID:0yfSWvZH
>>765
攻め手側の事情と守り手側の事情次第だから、その程度の仮定で想定なんてムリムリ
どうしても短期間に落とす必要性が無いなら付城で圧迫して終わり
768人間七七四年:2013/02/03(日) 00:03:35.59 ID:u46gZzgk
敵が十何倍も兵糧浪費するんなら、士気高そうだけどなw
769人間七七四年:2013/02/03(日) 01:59:36.87 ID:g89eK3G3
そうか三年の籠城戦の末、
自落した月山富田城は士気が高かったのか

士気が高いと自分から降伏するんですね、知りませんでした
770人間七七四年:2013/02/03(日) 02:52:52.38 ID:yMhbIycA
>>763
数ヶ月単位のビタミン不足なら病気にもなるけど、籠城戦の場合はその前に
兵糧つきちゃうんじゃないかな。
脚気などの病気の原因がビタミン不足という認識はなかったわけだし、食事を
豊かにするということ以上の目的で野菜を備蓄することはなかったと思われ。
771人間七七四年:2013/02/03(日) 03:22:07.67 ID:4Ks3w0ks
城には大抵、食料目的でタンポポがたくさん植えられていた。
(今でも城跡に行くと、タンポポが多かったりする。)

タンポポの栄養価は意外と高い。
http://www.arctic-flavours.fi/jp/info/124951254012502/12495125401250239006/12383124351241312413/
タンポポの葉には推奨一日摂取量からみて、十分な量のカルシウム、鉄、リボフラビン、
ビタミンC、ビタミンB6、ビタミンA、ビタミンE等が含まれている。
772人間七七四年:2013/02/03(日) 08:43:08.80 ID:ERdL85qM
ビタミンはつけ物で賄い
ミネラルは昆布やヒジキで
摂取していたと聞いたことがある。
773人間七七四年:2013/02/03(日) 10:25:56.77 ID:4Ks3w0ks
いつの時代だよ。
戦国期はそういうのかなり贅沢品だよ。
774人間七七四年:2013/02/03(日) 10:58:35.65 ID:dBDNDSNl
敵地に攻め込む時は地元民が案内したらしいでつが案内人は村で認められた人だったんでつか( ´・ω・)
敵対勢力なのに堂々と案内しても無問題だったん( ´・ω・)?
775人間七七四年:2013/02/03(日) 13:43:43.68 ID:ta5goAi/
>そうか三年の籠城戦の末、 自落した月山富田城は士気が高かったのか
低くても3年持つなら無敵だな( ´,_ゝ`)
低くても3年持つなら無敵だな( ´,_ゝ`)
776人間七七四年:2013/02/03(日) 14:33:25.34 ID:9Ies6hBt
>>774
勢力の境界付近はどっちにも味方する勢力があったんさ
境目の村とか境目の地侍とかいわれる人々なんだけど
完全にどちらかの勢力の家臣になると弱小だから滅ぼされる可能性が高くなるし
勢力としても完全に敵に回られるくらいならあいまいな立場で居てほしいとかで
頼まれればどっちの道案内もするし道案内くらいなら多目に見られる
777人間七七四年:2013/02/03(日) 15:11:37.86 ID:dBDNDSNl
>>776
そうなんでつか(´・ω・`)
案内に対価はあったんでつか( ´・ω・)
対価があった場合は案内人個人、村全体、領主など誰に対して払われたんでつか( ´・ω・)
778人間七七四年:2013/02/03(日) 15:21:42.99 ID:9Ies6hBt
基本的には本領安堵が対価。状況次第。
779人間七七四年:2013/02/03(日) 15:45:10.91 ID:ta5goAi/
どっち付かずで本領安堵って、虫が良過ぎないか?
780人間七七四年:2013/02/03(日) 15:50:11.10 ID:9Ies6hBt
敵知行半所務とかいって敵からも知行もらってる存在は現在の感覚だと理解しにくいわな
781人間七七四年:2013/02/03(日) 16:18:55.55 ID:ESd/mKt/
完全に自陣に組み込むと防衛義務が発生するからな
コストが割に合わんならそーしたほうがええちゅこって
782人間七七四年:2013/02/03(日) 18:52:05.49 ID:sCTeGoga
>>781
なるほどなー
783人間七七四年:2013/02/03(日) 21:27:50.74 ID:ERdL85qM
国境ってのはナーバスな問題だしね
784人間七七四年:2013/02/03(日) 21:42:51.12 ID:g89eK3G3
あとは情報収集に利用されることもあった
例えば武田征伐の時、信長からの連絡がないことに焦った北条が
武田との境目の村々に対して情報収集を活発化させてる
双方に通じてるってことは、双方の事情にある程度通じてるってことだし、
そこを足がかりにさらに武田領内の村へ情報収集の拠点にされるわけだ
上方の情報と、それらの情報を合わせて、信長の出兵を確信して北条も兵を動かした

メリットが無いようで、境目の村にも領主側にも一定のメリットがある
785人間七七四年:2013/02/05(火) 08:42:26.47 ID:0zyD1fnu
戦国から江戸にかけての認識の話ですがどうして鉄砲は軽んじられるんですか?

今の大河ドラマ見ても思った事ですが、遠間は弓、近間は槍でとか……

戦国時代、信長が大量の鉄砲を使って有用性を示したり、それから他の大名も使うようになって
関ヶ原、大阪の陣は鉄砲や大筒が大量投入された銃撃戦らしいですし
時間がかかる以外は弓より威力も射程も訓練効率も上の銃は戦国時代後期は重宝されていたとも聞いています

・飛び道具は卑怯→弓矢も飛び道具。
・南蛮ものは駄目→伝来から200年、独自に改良した国産銃はたくさんある。
・弓矢よりすぐれている事は明らかで戦国時代がそれを証明している。

また、失礼な質問かもしれませんが戦国や江戸の武士は、軍人なのに優れた武器が
あっても使わず伝統にしがみつき戦況を不利にするほど頭が固かったんですか?
786人間七七四年:2013/02/05(火) 10:38:22.93 ID:eYety+Pe
>>785
別に鉄砲は軽んじられてない。
だから質問自体が無意味。
戦国期も江戸期も優れた武器があれば、経済力に応じて取り入れてた。
(江戸期の場合は、江戸幕府の意向で新しい武器の発明などは抑圧されてた、という
背景はあるけど)
787人間七七四年:2013/02/05(火) 14:58:57.60 ID:brFVIaj6
軽んじられたかどうかはともかく、当初普及しづらかった要因は主に二つ
鉄砲は単価が弓矢に比べて高くて経済力がないと数を揃えられないというのが一点
運用コスト(弾丸や火薬、特に硝石が大量に消費される)が高いってのが二点
なので経済力に余裕が無い大名はキツイ武器

現代でも空母が強いからって、空母の建造・運用コストを考えれば保有しない選択をする国があるくらいだしね
戦争はお金がかかるのさ
788人間七七四年:2013/02/05(火) 15:27:48.72 ID:uQM7zeB4
軽んじられたどころか最重要兵器だな
789人間七七四年:2013/02/05(火) 16:31:51.55 ID:7ta7wxHK
>>785
戦国期では大名自ら銃を撃った記録もあるから軽んじられてはいないよ。
太平の世に入ると足軽の兵器と蔑む気風も出てくるが
790人間七七四年:2013/02/05(火) 18:25:34.69 ID:uQM7zeB4
足軽の兵器と蔑む気風とやらのソースくれ
江戸時代中期以降の将軍ですら鉄砲の稽古してる訳だが
791人間七七四年:2013/02/05(火) 18:29:48.13 ID:ytqKMuJn
>>789
> 太平の世に入ると足軽の兵器と蔑む気風も出てくるが

それ明治維新後に、江戸時代を貶めるために作られた話の一つだよ
792人間七七四年:2013/02/05(火) 19:24:39.55 ID:7ta7wxHK
将軍以下武士階級全体が銃を嫌ったって話じゃなくて、一部にそういう風潮もあったって事だよ。
793人間七七四年:2013/02/05(火) 19:25:27.80 ID:uQM7zeB4
ソース
794人間七七四年:2013/02/05(火) 19:25:40.69 ID:0zyD1fnu
じゃあドラマや漫画とかの鉄砲をバカにしたり軽んずるセリフとかは
フィクションと思っていいでしょうか?

今やってる大河ドラマでも銃が馬鹿にされていますがあれも嘘ですか?
795人間七七四年:2013/02/05(火) 19:26:55.07 ID:7ta7wxHK
>>793
幕臣の総銃兵化の失敗
796人間七七四年:2013/02/05(火) 19:31:02.27 ID:ytqKMuJn
>>795
ありゃ単純に全員に新式銃が行き渡るだけ揃えられなかったってだけだ。
図体が大きいから、そのへんへの対応も時間とカネがかかるんだよ
797人間七七四年:2013/02/05(火) 19:31:50.34 ID:uQM7zeB4
いつも通りソースは司馬遼太郎
798人間七七四年:2013/02/05(火) 19:33:57.48 ID:7ta7wxHK
>>796
全員一斉に軍制を変える必要は無いのでは?
799人間七七四年:2013/02/05(火) 19:38:13.33 ID:ytqKMuJn
>>798
図体がでかいってことは、それだけ声を上げる人間も多かったってこと。
その辺に上手く対応できず、指導力を発揮して一点集中で精鋭部隊を作れなかったのは幕府の失敗だな。
800人間七七四年:2013/02/05(火) 20:49:53.15 ID:tLKQXB5k
>>794
銃はコストがかかるから全員が持ってられないし、平和な時代になって気軽に打てないから流行らなかったんだよ。
それよりは刀の方が武士の魂としてわかりやすかっただけなんじゃないの。
ちなみに外人の社会学者の本で、日本は危険な最先端技術(銃)を一度捨てたって褒めてたな。
801人間七七四年:2013/02/05(火) 20:57:09.24 ID:niwVIRcY
>>800
あの本かw
あれ印象論と翻訳史料だけで作った妄想本だぞw
802人間七七四年:2013/02/05(火) 21:10:35.48 ID:brFVIaj6
「入り鉄砲に出女」って言葉が示すように、
江戸時代においても鉄砲は非常に警戒されてる
刀なんて目じゃないくらいに危険な武器って認識されてるからこそだよ
本当に鉄砲を軽視していたなら、そんな事態にはなってないよ
803人間七七四年:2013/02/05(火) 22:16:57.55 ID:Fo0h595q
幕府が慢性的財政難だった一方、薩摩藩は無理やり債務整理をしたりして余裕があった
長州もある程度余裕があったし、佐賀もかなりの精鋭を揃えられる状態だった
そのあたりもあるんだろうね
804人間七七四年:2013/02/05(火) 22:24:12.05 ID:brFVIaj6
幕府の場合は大奥がな
アレ、マジ無駄
805人間七七四年:2013/02/05(火) 22:40:35.48 ID:82H3aL/n
大奥の重要性?で、もちろん跡継ぎとか
純潔性とかはあるだろうが
性病予防、という説があってなるほどなぁと思ったことがある。
複数の意味のあるそれなりに価値の高い
システムだったんだろなぁ。
806人間七七四年:2013/02/05(火) 23:20:16.03 ID:brFVIaj6
確か幕府の年間予算の1/3だか1/4が大奥で消費されてた気がした
805の言うメリットもわからんでもないが、さすがに歳出額がおかしいだろ
ベリー来航以降でもいいから、その半分を軍事費に突っ込めたら歴史は変わったと思う
807人間七七四年:2013/02/05(火) 23:27:40.62 ID:82H3aL/n
そんなに使ってたのか。
しかし幕府維持には不可欠だからなぁ。
ペリー以降はすぐに消滅しちゃったから
それはまた別のタラレバだろうけどね。
808人間七七四年:2013/02/06(水) 01:08:51.27 ID:lrW78Szg
>>785
本州最北端の南部ですら鉄砲を導入し、大名自ら鉄砲を使用してた記録もある。
鉄砲の重要性は何処の大名も認識してたから。
809人間七七四年:2013/02/06(水) 08:39:26.99 ID:ymNhTfOX
鉄砲軽視は現代の風潮に合わせた
セリフなんだろうけど早くも歴史誤認の
影響が出てるということは大河の影響は
アレだなあ。
こないだまで、戦はいやでございます、だったのに
鉄砲大好きガールの話ではさすがに
まずいんだろうけど。
810人間七七四年:2013/02/06(水) 14:58:13.72 ID:YLRDq2CL
江戸城以外で奥御殿?がある城ってどこ?
なるべく小さいとこが良いw
811人間七七四年:2013/02/06(水) 15:39:40.55 ID:GpFgiqzI
それは奥御殿が現存している城ってこと?
奥御殿自体は近世の大名の居城ならほぼ全部に有ったと思うが、現存しているものはほぼ無いんじゃないかな?
812人間七七四年:2013/02/06(水) 17:27:52.68 ID:M7P+pAaF
二条城
813人間七七四年:2013/02/08(金) 11:18:35.50 ID:VacHaxzf
新興宗教の浄土真宗ってなんで普及したの?
華厳宗の東大寺や天台宗の延暦寺のほうが皇族の御用達で格式高いし歴史もあるのに。
814人間七七四年:2013/02/08(金) 11:56:42.66 ID:07343PjP
時代のニーズに合っていたから
815人間七七四年:2013/02/08(金) 12:03:38.96 ID:l3AgsuuA
簡単に極楽へ逝けるから
816人間七七四年:2013/02/08(金) 12:19:50.61 ID:3uwNSDA2
どなたかご存知の方
>>596
をお願いいたします
817人間七七四年:2013/02/08(金) 15:52:24.64 ID:Lmfe58v1
>>816
軍記とかは一次じゃないし、かえって正確なことは
わからないから答え方も難しいだろうねぇ。
818人間七七四年:2013/02/08(金) 17:56:35.76 ID:iVCH3vBb
出典だけ聞いてるのになに的外れなことを
819人間七七四年:2013/02/08(金) 21:17:17.56 ID:a7uOHRDU
双子の戦国武将は記録に残ってないんですかね?
聞いたことがありません
820人間七七四年:2013/02/08(金) 22:12:10.38 ID:M2L/nB3X
双子は縁起悪いとされてたから、すぐ養子に出されたんだろうな
821人間七七四年:2013/02/08(金) 22:24:54.90 ID:iVCH3vBb
縁起ってか後継者問題があるからな
822人間七七四年:2013/02/08(金) 23:04:49.17 ID:qWN1ekmw
影武者探す手間が省けていいんじゃないか
823人間七七四年:2013/02/08(金) 23:10:09.30 ID:ORMmNu+U
どっちがやるのかで問題になるだろ
824人間七七四年:2013/02/09(土) 00:20:35.12 ID:zSOdlz7N
二人で一人って事で良いじゃん。
825人間七七四年:2013/02/09(土) 00:38:40.57 ID:ZoDVXAGl
本人同士の仲が良くても
家来が勝手に派閥作って争い始めるから
826人間七七四年:2013/02/09(土) 10:33:06.30 ID:aATbQZde
>>820
養子にだされても双子は双子ですよね?
双子であることすら記録に残さなかったんでしょうか?
827人間七七四年:2013/02/09(土) 10:56:46.99 ID:ywP01cwI
記録に残したら後から担ぎ出される可能性があるだろ。記録を残したら意味が無い
828人間七七四年:2013/02/09(土) 14:27:08.46 ID:4R5dGqO+
ブックオフで戦国ヤンキーという漫画を買いました。
ギャグ漫画だけど信長の事が凄く詳しくてトリビアや豆知識、家臣や当時の
資料を交えつつ信長の少年時代を
おもしろおかしく描いているのですが、道三と謁見する時のシーンで
信長達が全裸で馬に乗って男性器の飾りを馬に乗せて歩いてます。

そして作者コメント、というか作者解説の注釈書きとして

『この時の信長達は全裸に極彩色の男性器の立像を背負った姿であった
さらに極めてひわいな言葉をさけびながら富田の町をねりあるいた。
 遠くから見ていた者は「何千本ものちん○が群れをなして移動しているのかと
思った」という。
 法規制のきびしい昨今ではとても誌面にのせられるものではなく、その点
読者諸兄のご理解をいただきたい。
 このド下品な地獄絵図をお届できないのは切歯扼腕の思いである』

としてモザイクをたくさん使っています。
でも前見たテレビでは
『着物をだらしなく着て、腰からひょうたんを下げて、カキを食べながら馬にのってきた』
と言っていました。

普通に考えれば前者は漫画オリジナルでしょうが、最初に書いた通り
歴史資料の豊富な漫画なので、作者が少数派の資料を採用したのかとも思いました。
前者の事は何か資料があるのでしょうか?


最初に書いた通り、ギャグ漫画ですが当時の細かい知識や資料、信長公記の
文や、風俗、生活などの知識を豊富に使った内容なので
漫画なんか信じるなよ、というレスはお許しください
829人間七七四年:2013/02/09(土) 14:58:45.25 ID:ywP01cwI
老人雑話
830人間七七四年:2013/02/09(土) 18:42:44.48 ID:fIaQxePb
養子よりかはすぐに一人は殺されたろうなぁ。
明治大正辺りのうちの村でも、一人は死産だった、みたいな例が
よくあって何が起きたかは推してしるべしだ。
831人間七七四年:2013/02/09(土) 20:52:27.46 ID:8wxxENHY
>>819
徳川家康と結城秀康は記録に残ってるよ。
832人間七七四年:2013/02/09(土) 20:55:33.97 ID:1gTh+Rkp
>>831
ねえよ。アホか
833人間七七四年:2013/02/09(土) 21:38:37.82 ID:4R5dGqO+
家康やその息子が双子だったってのはテレビの歴史スペシャルとかで
良く見るけど本とかで読んだ事はないですね
834人間七七四年:2013/02/10(日) 00:20:13.62 ID:PlcQSMGZ
>>832,833
横レスですが、結城秀康が双子であったことは、幕府の公的史料である柳営婦女伝系に記録として残ってますよ
それを受けて、徳川家康研究の大家である中村孝也先生の「家康の族葉」にも、
秀康が「双生児であった」旨の記載があります。
ただし、出生時に死去したことになっています。

秀康の双子が実は死んでおらず永見貞愛と名乗って生き残ったっていうのは、
まぁ伝説の類いになってしまうと思いますが。
835人間七七四年:2013/02/10(日) 00:23:12.32 ID:2KV2ayS9
>>834
> 幕府の公的史料である柳営婦女伝系

柳営婦女伝系が史料!?記録!!???

影武者徳川家康でも楽しんでろ君は
836人間七七四年:2013/02/10(日) 00:46:01.13 ID:PlcQSMGZ
>>835
> 幕府の公的史料である
失礼、その部分は削除し忘れでした。お詫びして訂正いたします。

柳営婦女伝系の信用性はともかく、編纂史料に記録が残っていることと
それを受けて真っ当な学者が双生児であったらしいとの記載をしていることを指摘したまでです。

影武者徳川家康は読んだことがありませんので、あしからず。
837人間七七四年:2013/02/10(日) 09:07:08.27 ID:6ofS2da9
>>829
ありがとう
838人間七七四年:2013/02/10(日) 09:16:02.71 ID:f8YFJ/Vz
>>835
今の流れだと事実うんぬんじゃなくて
そういう記録があるかないかだけだから
別にいいんじゃないの
839人間七七四年:2013/02/10(日) 10:03:17.44 ID:VGo0xDkR
>>837
こめん読み返してみたら
老人雑話では「背中にチンコが書かれた着物を着ていた」だった。
元ネタの元ネタな感じかな
840人間七七四年:2013/02/10(日) 10:47:57.26 ID:GnQV0ZSE
>>839
嫌な着物だなw
841人間七七四年:2013/02/10(日) 11:29:56.42 ID:6ofS2da9
>>839
ありがとうございます。

じゃあ大和田秀樹先生が何を見たかはわかりませんが
信長が道三との謁見の時に男性器関連の格好で行ったという話はあるんですね
信憑性は別としてですが
842人間七七四年:2013/02/10(日) 21:39:34.26 ID:Pk9ftlsp
二条城も奥御殿現存して無いっぽいんだけど、、、
843人間七七四年:2013/02/10(日) 21:59:26.45 ID:VGo0xDkR
二条城の奥御殿は焼失してて無いよ。
高知城も本丸御殿は残ってるけど奥御殿はないし。城のは現存してないかもね
844人間七七四年:2013/02/11(月) 01:35:18.10 ID:pp8gT7yV
http://kyoto.gp1st.com/img/njj_annai2.jpg
ほか画像検索しても出て来ないんだけど。
845人間七七四年:2013/02/11(月) 10:18:58.48 ID:mcx97o3d
846人間七七四年:2013/02/11(月) 20:49:59.90 ID:djfJ/Tn7
>>843
多分奥御殿が残ってる城はもうないんじゃないかな?
847人間七七四年:2013/02/11(月) 21:57:45.56 ID:yMQkPhP6
痕跡くらいあるとこ無いの(′・_・`)?

リアル姫の生活妄想したいw
848人間七七四年:2013/02/11(月) 22:38:03.65 ID:mcx97o3d
喜多院には江戸城奥御殿の移築建築が有るとされる
849人間七七四年:2013/02/11(月) 23:03:56.47 ID:yMQkPhP6
多数あるから市名も頼む!!
850人間七七四年:2013/02/11(月) 23:07:52.67 ID:+YqTz4/J
川越の喜多院
851人間七七四年:2013/02/12(火) 00:12:05.61 ID:Vgh5K7J7
春日局ゆかりのナンタラ…。
852人間七七四年:2013/02/12(火) 08:13:13.51 ID:IpzAFeBD
天海僧正の寺だな
853人間七七四年:2013/02/12(火) 18:15:37.88 ID:0t/TVVFH
当時の寺社勢力って、現代のイスラム教やキリスト教の
原理主義武装組織みたいなものですか?
又、種子島鉄砲って現代の核兵器に匹敵する武器ですか?
友人が酔っ払って力説してた。
854人間七七四年:2013/02/12(火) 18:20:03.95 ID:RFSdLQ7a
>>853
寺社勢力は支配体制を構成する要素の一つ。「権門体制論」でググれ。
テロでも何でもない

あと鉄砲は、戦国期の段階だと威力で言えば 弓>鉄砲 だった。
しかし鉄砲や弓ほどには練度が要らないので用いられるようになった。

その友人は2ちゃんの、それもVIPかなんかのまとめサイトの聞きかじりの知識を力説していただけだろう。
855人間七七四年:2013/02/12(火) 19:50:40.56 ID:6y7D1tna
でも篭城戦で城側に鉄砲がズラーッと並んでいたら
攻め手の兵にとっては核兵器の恐怖に匹敵すると思うよ
856人間七七四年:2013/02/12(火) 19:52:53.75 ID:RFSdLQ7a
思わねえよ
命中率低いし弾入に時間かかるし
857人間七七四年:2013/02/12(火) 19:59:54.05 ID:u6tH82ZN
>>854
威力は至近距離なら鉄砲の方が上だろ
弓は急所に当たらないと致命傷にならないが、
鉄砲を至近距離で被弾するとかすっただけでも致命傷になる
鎧兜もほとんど役に立たない
858人間七七四年:2013/02/12(火) 20:07:21.11 ID:RFSdLQ7a
>>857
連射が効かないし命中率悪いから近距離だと逆に怖くねえんだよ。
近距離なら圧倒的に弓のほうが恐い(勿論練度の高い射手に限るが)
859人間七七四年:2013/02/12(火) 20:27:13.86 ID:z6xsSZKL
そんなわけないだろ。弓矢は近距離でも木製の楯板で
防げるが鉄砲はそうはいかない。
その為に攻城側は竹束なんてものまで使って対鉄砲に備えてたんだから。
860人間七七四年:2013/02/12(火) 20:31:12.88 ID:7rGOf7Yj
>>859
そういう構造物があれば弓だって怖いっつーの。
何でもかんでも鉄砲中心に考えるな
861人間七七四年:2013/02/12(火) 21:31:29.51 ID:Ea0SnInY
弓を戦場で扱えるようになるまで数年の訓練が必要と言われている
862人間七七四年:2013/02/12(火) 21:46:10.02 ID:YhQBX4EP
>>861
どの程度の熟練度を指すのかわからないけど、かなり時間かかるんだな
863人間七七四年:2013/02/12(火) 22:05:57.09 ID:Ea0SnInY
弓矢はハンマーで殴られるほどの衝撃力があると言われているので
急所に当たらなくても相手の動きを鈍らせるのには十分の威力があるそうだ
864人間七七四年:2013/02/12(火) 22:19:42.44 ID:uSnf6Fuj
鉄砲の優秀性は
弓では成人男性に何年もの訓練が必要なレベルに
女子供でも短期間で到達することが出来る事だという
865人間七七四年:2013/02/12(火) 23:06:21.83 ID:Vgh5K7J7
女子供が鉄砲打つのは普通は無いだろう。
866人間七七四年:2013/02/13(水) 00:17:32.19 ID:nqQWCqd+
一回使って効果を目にしたらその後何十年と誰も使う気になれないでいる核兵器と
鉄砲を同一視するなんて想像力の欠如としか言い様がない
867人間七七四年:2013/02/13(水) 08:24:28.86 ID:S1+L9KQ1
>>854 >>855 >>866 さん
ありがとうございます。
友人が言うには
「一神教信者は、教義のために倒れれば神の元へ行ける。
石山本願寺も信者をそのように利用した。」
「戦勝五カ国が核兵器を保有して他の国は持つなというのは、
徳川幕府が他の大名にしたのとそっくり。
つまりそういう武器なのだ」
だそうです。
これって本当なの?
868人間七七四年:2013/02/13(水) 08:27:31.34 ID:SMoy78em
>>867
申し訳ないが君の友人は何かの強迫観念にとりつかれているか物を考える能力がないかのどちらかだ
869人間七七四年:2013/02/13(水) 10:16:40.00 ID:b+SHx4Zd
>>856
鉄砲が弓矢に比べて勝る点としては、音がある。
一斉射撃されると、相手は逃げ腰になりやすいんじゃないの?
戦場では、脅かすだけでも結構意味あるし。
人はもちろん、馬はそれ以上に驚くし。
870人間七七四年:2013/02/13(水) 10:22:58.37 ID:xNo1CdgE
>>865
大人の男が戦死したり出兵していたりで兵力が足りなければ女子供が戦う
戦国に限らず古今東西当然のことだ
871人間七七四年:2013/02/13(水) 10:46:55.34 ID:+r+0x8e/
そう言えば武士って盾使わなかったよな。
872人間七七四年:2013/02/13(水) 10:56:05.09 ID:COCyeREp
>>867
意味合い、というのを限定して抽出してしまえば
そんなに変ではない。
ただ武器として「核と鉄砲は違う」という話になると
「比較、同定するほうがおかしい」ということになる。
初歩の引用、例えをすると、誤解、曲解を招いてしまうという
いい例だな。
特にネット上で聞くとボコボコになりやすい
例えではあるなぁ。
873人間七七四年:2013/02/13(水) 16:58:08.57 ID:bnwSs6rD
>>871
置き盾・持ち盾を使ってる
874人間七七四年:2013/02/13(水) 18:46:06.13 ID:tinslEQ8
>>867
>徳川幕府が他の大名にしたのとそっくり。
つまり君の友人の歴史観では薩摩藩は火縄銃を禁止されたという訳か。
875人間七七四年:2013/02/14(木) 05:37:17.06 ID:1WYuAdv0
>>867
少なくとも、その友人とはもう歴史の話はしない方がいい。
付き合うのもやめた方がいいと思うけど、それは本人の判断に任せる。
876人間七七四年:2013/02/14(木) 07:29:08.32 ID:aar/d4YG
>>871
もともと武士は騎乗の戦士、しかも騎射がメインだったからね
だもんで盾の機能は大鎧に組み込まれて、袖の部分が盾に当たる
MSでいうと、ザクのショルダーシールドみたいな感じだな

時代が下って騎射が廃れて武士も徒歩で戦うようになった時代の鎧、
つまり当世具足なんかはその盾の部分が退化してるのがわかって面白い
ついでに言うと刀も騎乗に適した太刀から徒歩に適した打刀に変化してる

あとはまあ>873の言うように置き盾や持ち盾も使用されてる
877人間七七四年:2013/02/14(木) 08:26:59.79 ID:94FqxCX2
>>868 >>872 >>874 >>875 さん ありがとうございます。
以外と面白い話をするので付き合いを止める事は無いと思いますが、
半分くらい聞き流すことにします。
ただし、どの部分を聞き流せば良いかが難しい。
流す部分が分からなくなったら、またレスしますので
その時はよろしく。
ありがとうございました。
878人間七七四年:2013/02/14(木) 14:08:19.42 ID:5yXk+rLN
質問が多くてすいませんが、硝石関係で4つ質問があります。

@戦国時代、硝石が採れず、輸入に頼っていたと聞く一方で
糞尿に草を混ぜて埋めると硝石ができる、とも聞きます
土草糞尿で硝石が作れるなら、なぜ硝石を輸入しなくてはならないのでしょうか?

Aまた、ドリフターズ、というファンタジー戦記漫画では
信長が敵兵の死体と糞尿、草土(便所、家畜小屋、土間の土)を混ぜ
硝石丘なるものを作って硝石を作っていますが、ただの土ではなく便所や家畜小屋の土
そして人の死体を混ぜた方が硝石は取れやすくなるんですか?
死体を使うのは実際でも使われていましたか?

B硝石丘の方法は幕末に海外から入ってきた方法で、明治以前は床下の土から
作っていたと下記のサイトにありますが、ではAのドリフターズを含め
戦国作品で糞尿から硝石を作る描写は全部時代考証が間違っているのですか?
ttp://www.geocities.jp/shimizuke1955/370hinawajuu.html

Cこれはスレチかもしれませんが、床下の土とか糞尿と草とか、どちらにしても
ものすごい手間ひまをかけて硝石を作っていますが、科学の発達していない時代
にどうやって思いついたんでしょうか?
古代中世の発見は偶然によるものが多いようそうですが
偶然糞尿を肥料に使わず土に埋めて草を混ぜて数年放置してから、なんとなく
その土を鍋で煮込んでみたくなった……なんて人がいたんですか?
879人間七七四年:2013/02/14(木) 15:25:30.99 ID:SB5HxREc
硝石については俺も気になる誰か教えて。
ちなみに(4)は、どうとでも考えられるんじゃない?
いきなり効率の良い方法を見つけたり、生産できたりするわけじゃないだろうし。
880人間七七四年:2013/02/14(木) 16:27:21.53 ID:/D9Y1P7u
戦国時代に茶道が流行したのは、教養隠すためなんでしょうか。見てるだけと作法真似する行為。
それまでは連歌や歌会じゃなかった?下剋上や槍一筋で成り上がった大名増えましたし
秀吉の師匠になった細川幽斎なんかは蛍鳴かないのに褒めてたと記録ありましたよね?
881人間七七四年:2013/02/14(木) 17:02:26.40 ID:aar/d4YG
>>878
Bに関しては、土硝法が日本に広まったのが慶長年間(1590年代)っていうのが通説なので
1582年に死んだ信長が知っているのはおかしいということになる
ただ一説ではもっと早くから国内で生産が始まっていたという話もあるので、一概にどうとかは言えない

@は上記のことから戦国時代にはそもそも国内で生産されていなかった、
或いは国内の需要を全て満たすほどには生産量が追いついていなかった為に不足分が輸入で賄われた

Aは土硝法で(硝石の原料となる)硝酸カルシウムを生産するのに必要なのが、
動物性タンパク質や糞尿等の窒素化合物とされる
それらがバクテリアの作用で変質したり、酸化したり土中のカルシウムと化合したりして硝酸カルシウムになる
なんで死体は当然動物性タンパク質の塊なので、有効ではないかと
実際に行われていたかはしらんけども

Cはしらんなあ
882人間七七四年:2013/02/14(木) 18:59:43.60 ID:Q1SHwUMZ
>>880
茶道は時代の転換期だったから新しいものがもてはやされたのと
重要人物が供も連れず密室に集まっても怪しまれない。
いわゆる密談しやすい。とかで流行ったもの
また教養を隠そうにも連歌などは引き続き当然の教養として地位を保ってたし
下克上の代表的人物の秀吉でも何度も連歌会を主催してる
883人間七七四年:2013/02/14(木) 21:33:48.39 ID:xFvGtVOi
>>878

便所の周囲の土壁や、縁の下に、結晶が偶然に出来るらしい。
初期はそれをこそげ落として硝石としていた。
884人間七七四年:2013/02/16(土) 00:16:18.07 ID:Wa63qKxO
秀吉の朝鮮出兵はキリスト教の陰謀というのは正しいですか?
そーす 花の慶次

大坂の役はキリスト教新旧派の代理戦争の面もあったのは本当?
そーす 山岡荘八 徳川家康
885人間七七四年:2013/02/16(土) 00:20:15.16 ID:eRPrsEYq
>>884
> 秀吉の朝鮮出兵はキリスト教の陰謀というのは正しいですか?
嘘だよ


> 大坂の役はキリスト教新旧派の代理戦争の面もあったのは本当?
ねーよ
886人間七七四年:2013/02/16(土) 00:20:15.41 ID:ctFzKn3j
ありません。
887人間七七四年:2013/02/16(土) 00:52:01.37 ID:Hoeyod+u
一応旧教国が豊臣家に肩入れしてたのはしてたし、
徳川は英蘭といった新教国に親しかったのも確か

でもそれで代理戦争ってのはねーな
888人間七七四年:2013/02/16(土) 03:10:22.46 ID:Wa63qKxO
>>884だけど
朝鮮の役の先方が小西や有馬等のキリシタン大名だったのはたまたま?

大坂の役では豊臣方に明石カモンやなんかもう一人ぐらい旧教カトリック大名がいたらしいんだけどさ。そりゃ表面上は徳川vs豊臣だけど少しくらいキリスト教新旧派の対立は存在したよね?代理戦争つうのは言い過ぎた
889人間七七四年:2013/02/16(土) 06:30:19.98 ID:ygJygv3J
>>878
>土草糞尿で硝石が作れるなら、なぜ硝石を輸入しなくてはならないのでしょうか?

質が劣るのが一番の理由だと思う。
890人間七七四年:2013/02/16(土) 07:53:57.39 ID:V2yehkYe
>>888
>朝鮮の役の先方が小西や有馬等のキリシタン大名だったのはたまたま?

たまたま


>リスト教新旧派の対立は存在したよね?代理戦争つうのは言い過ぎた

ねーよ

っていうかお前、キリスト教新旧派ってなんのことだか理解してないだろ
891人間七七四年:2013/02/16(土) 08:24:38.39 ID:64i/c/4J
>>888
日本に布教に来たのはイエズス会だからカトリックだろ。
プロテスタント系のキリシタン大名なんて居るのか?
892人間七七四年:2013/02/16(土) 12:02:03.01 ID:HZ++G3Gk
>>881
ありがとう
漫画ドリフターズだと、信長が硝石丘のことを「一向宗どもが使った手だ」
とか言っていたから本当だと思ってました

>>883
最初に発見した人がすごい、便所の白い粉を汚れやカビとは思わず
「なんだろう」と思ってわざわざ採取して、色々調べて
「おー燃えた、これただのゴミや汚れじゃねぇなあ」とかやって硝石って
いう有用性のある物質だと発見した人の探究心に驚きます
893人間七七四年:2013/02/16(土) 12:17:49.21 ID:Hoeyod+u
>>892
追記させてもらえば881で書いた「一説によれば」ってのは、
まさに一向宗が使ったと言われてる説だからな
だもんで、本当かどうかはこれからの研究次第
現状では疑わしいって程度だよ
894人間七七四年:2013/02/16(土) 12:52:05.93 ID:Wa63qKxO
>>890-891
書き方が悪かったかな?
キリスト教の
旧教徒派=カトリック、スペイン・ポルトガル
新教徒派=プロテスタント、イギリス・オランダ
確かにプロテスタント系大名はいなかったけど家康が三浦アンジン(新教徒派)を側近くに置いたのは事実だよね?旧教徒側からしたら焦るんじゃない、権力者に対抗勢力がいたら?
895人間七七四年:2013/02/16(土) 13:24:37.73 ID:64i/c/4J
>>894
焦る以前に秀吉も家康もキリシタンの布教を禁止している。
896人間七七四年:2013/02/16(土) 15:41:38.16 ID:B7WR8Ce1
>>892
高級品だったから似たもんで
代用出来ないか探しただけだろw
897人間七七四年:2013/02/16(土) 15:48:22.86 ID:eRPrsEYq
そもそも日本に火薬兵器は鉄砲伝来以前からあり、当然硝石もずっと前から使われている。
そして硝石生産の専門家集団が存在し、これが全国を回りながら硝石づくりをしていた。
毛利元就の書状に、近くそういう硝石作りの職能集団が来るからきちんと処遇するように、と家臣に
当てた書状が残っている。
898人間七七四年:2013/02/16(土) 16:35:06.41 ID:LKpDVQtI
>>894
書き方の問題っていうか、「大坂の役はキリスト教新旧派の代理戦争の面もあったのは本当だ」って
言って欲しいだけだろ?
最初に「ねーよ」って回答もらったんだから、それで納得しろや。
自分の中に最初から答えがあって、その回答を欲しがってアレコレ「でもこうじゃない?」って粘るから
書いてることがおかしくなるのだし、うざがられる。
899人間七七四年:2013/02/17(日) 15:52:22.09 ID:x81696Y8
大内とその後釜の毛利がやってることの違いがわかりません。
どちらも尼子(の残党)や大友と喧嘩し、朝廷・公家や将軍に献金して無駄なバラマキをしています。
なぜ毛利元就は称えられて大内義隆は暗愚とされているのでしょうか?
900人間七七四年:2013/02/17(日) 16:01:31.16 ID:P20N/DcH
自分の代で滅んだ家の当主と結果的に江戸時代を超えて明治まで続いた家の当主の差、としか
901人間七七四年:2013/02/17(日) 16:06:25.83 ID:2LLqAbwL
元就は当主の座を譲った隆元の死という危機も有ったにもかかわらず東西に隣接する強国(大内と尼子)を
滅ぼし覇権を握った。
大内義隆は尼子攻めに失敗して勢力を弱体化させたあげく家臣(陶晴賢)に滅ぼされた。

やった事は同じでも結果が違う。
902人間七七四年:2013/02/17(日) 17:06:16.66 ID:0PQ2YMr/
元就の頃は鉄砲伝来してたから
それがイコール鉄砲伝来前から
ということにはならないけどね。
903人間七七四年:2013/02/17(日) 18:19:50.37 ID:04/yDBxd
雑兵向けに良い匂い嗅がせて
戦意喪失させるとか、微妙過ぎる「実際の謀略?」
みたいなのってどんなのがある?
904人間七七四年:2013/02/17(日) 20:16:40.74 ID:lYmDkPt8
>>903
籠城中の城に糞尿、動物の死体を投げ込む。
地味ながら士気は削がれるし衛星面にも影響が出るので城内で病が流行るしで意外と大変。
905人間七七四年:2013/02/17(日) 21:36:59.95 ID:CiXo6lzT
>>900
>>901
まったく異論は無いですが、
そーなると、何故差が付いたか、が気になるような。
906人間七七四年:2013/02/17(日) 21:56:36.05 ID:2LLqAbwL
「人事を尽くして天命を待つ」
最終的には運です。
907人間七七四年:2013/02/17(日) 22:11:49.70 ID:1EqPGAfJ
>>905
一部分だけ同じことをしただけなのに評価が違うと言われてもどこから説明すればいいかわかりません。
908人間七七四年:2013/02/17(日) 22:36:31.37 ID:+lYzTP6E
小学校に入って中学校に入って高校に受かりました
ここまでの過程同じじゃね?って言うくらいアホ
909人間七七四年:2013/02/18(月) 06:24:40.52 ID:fco8Fw2w
大不祥事企業への扱いに似てるな。
大内みたいな一般就職者→避ける
毛利みたいな賢い就職者→むしろ狙う

同じ現象で取った対応がまるで違う例だが
結果はウン年後に「同窓より1ランク良い待遇」と成って出て来るだろう。
東電クラスに成ると存亡問題があるがw
910人間七七四年:2013/02/19(火) 00:10:11.29 ID:I8P7jaLh
築山殿の元の呼び名は瀬名姫と言われるけれど
あの頃はよほど位が高くないと武将の娘でも名前がはっきりしないと言われていて
瀬名も実は本当の名前では無いという話も
どっちなんですかね
911人間七七四年:2013/02/19(火) 00:48:58.29 ID:j2wQy1hN
不確かなのは、実名で呼んだり記録したりするのを避けてたからかねー?
少し話題がずれるけど、戦国時代は名前がコロコロ変わりすぎだと思う。
他の時代って変わっても、幼名と元服後の名前と、死んでからの法名(戒名)くらいじゃないか?
912人間七七四年:2013/02/19(火) 00:53:52.99 ID:I8P7jaLh
女子は低く見られてた時代だから子の名前としても

としか記載されてないっていうのを見たんで
913人間七七四年:2013/02/19(火) 04:08:03.09 ID:zf7uLHpE
〜姫、と呼ばれてたとしたら
逆にその〜は本当の名前じゃ
ない証拠でしょう。
平安の昔から女性の名前は目下の
ものが呼べるものじゃない。
だから出身地や来歴にかこつけて
〜姫みたいに言う。
築山は出自がはっきりしてるから
幼名だったんでしょうね。
茶々、みたいなもん。
914人間七七四年:2013/02/19(火) 10:36:00.55 ID:gfRq/oFL
もともと実名を呼ばない時代だったので男性の武将クラスですら
実名(諱)がよく分からない人がたくさん居ます。
まして現代に残るような政治的な書状を発給したりされたりすることの無い
女性は余計に分からないものです

次に家の記録ですが、当時の家は今で言う会社みたいなものだったので
社長や社員に当たる男性の名前や経歴は残しますが、
その奥さんの名前や経歴までは記載しません
単に部外者だから記載されなかったともいえます。

たとえば秀吉の正妻の北の政所のねねさんは
知名度抜群、従一位でそこらの男どころか日本で何番目かに位の高かったのですが
未だに名前が確定してません。まぁほぼ確定ですが。
女子は低く見られてたので名前が残らないとの見方は
間違いとはいえませんが一面的ともいえると思います
915人間七七四年:2013/02/19(火) 11:50:25.22 ID:lIBBhp/k
『祖父江お豪』と『生駒類』は同一人物ですか?

信長の一番のお気に入りで長男次男を産んだと言われている生駒家の類ちゃん
彼女は吉乃(きつの)という名前でもあったらしいです。

でも『恋する信長』という信長の子供時代を書いた歴史漫画では信長は
祖父江家のお豪ちゃん、にゾッコンで一番のお気に入りで彼女も吉乃(きつの)
と呼ばれいたらしいです。

生駒類と祖父江豪は同一人物ですか?
それとも別人だけどふたりとも吉乃という名前だったんですか?
吉乃は『吉法師の物』という意味らしいですが、そうなると信長は
気に入った女性には手当たり次第に吉乃という名前をつけたんですか?
916人間七七四年:2013/02/19(火) 18:52:20.13 ID:xjzcTUuP
>>915
吉乃は小説で付けられた名前だったはず
917人間七七四年:2013/02/19(火) 19:13:21.64 ID:eM3C3fcq
小説というか、悪名高き「武功夜話」に出てくる名前ね。
これを元に有名な小説や番組が多く作られたので
一般化してしまってるけど、ほぼ偽書であることは確定なので
信憑性はほぼゼロ。
また、類、というのも生駒家の伝承とか言われてるけど
武功あたりが出所なのでやっぱり意味がない名前。

質問がマンガコミックの話なのでこれ以上は
答えようがなくて、今は信長の家臣がビーチバレーまで
してるらしいから、質問を理解するにも難儀するようになってる・・
918人間七七四年:2013/02/19(火) 20:36:49.56 ID:lIBBhp/k
まとめると

吉乃というのは偽書に出てくる名前だから実際はそんなふうに呼ばれてない
だから豪と類は別人
類という名前も信憑性は無い
信長の長男次男産んだ生駒家の女性は名前不明

という事でしょうか?
919人間七七四年:2013/02/19(火) 20:38:34.69 ID:Nr6+gYY6
そう
920人間七七四年:2013/02/19(火) 21:12:17.04 ID:fZ+nmORM
>>918
ちがう。
まとめるなら「漫画に書いてあることを真に受けるな」だ。
921人間七七四年:2013/02/19(火) 22:52:32.56 ID:eM3C3fcq
そだね・・
名前不明どころかほぼ何も事跡が残ってない。
信長に子供がいるのは確かだから
生んだ女性がいるのは確かだろうが
ルイやらゴ〜やらキッチーと言われると
それが同一人物かとか一番お気にだったとか
もう答えようがない・・ということで。

ちなみに、ここ30年ぐらいの偽造歴史で一番
罪が重いのはこのブコウ事件とキッチーとかだろうなぁ。
公金使って観光用のものまで作ってるから
それを「信憑性ゼロ」と言っても逆に変なおじさん扱いされる・・

もう一つはツガルね・・
922人間七七四年:2013/02/20(水) 01:31:18.78 ID:Wh/jYvAW
瀬名と言えば今川家臣に瀬名氏っているよな
関係あるのかなとふと思った
923人間七七四年:2013/02/20(水) 01:59:49.06 ID:d2M+9Oe1
築山殿の父ちゃんの実家が瀬名氏だっけ
924人間七七四年:2013/02/21(木) 06:14:39.06 ID:eU2UJ7Qh
>>899
結果としては

陶晴賢→旧大内時代の大陸貿易の喪失により周囲の利権に与る勢力に失望され不満を持たれる。

尼子晴久→新宮党や国人を粛清し権力を拡大。

毛利元就→陶への不満を利用し大内を倒す。尼子も晴久の死で燻っていた国人衆の不満を利用して倒す。
      大友も国人の不満につけ込んだもの最終的に失敗。
      逆に朝鮮交易などの博多利権を完全喪失し、大内輝弘の乱により山口の復興も頓挫する。

毛利元就は不満を利用して取って代わるまでが得意。
ただし内政面は意外と苦手で大友宗麟にはいろいろ出し抜かれている。

>>900
これにつきる。後世の毛利関係者が滅亡した周囲のネガキャンを行なった結果
新宮党粛清に嵌められた尼子晴久や奇行の多い大友宗麟といった風に刷り込まれた傾向もある。
また長州藩は重税で一揆が多いことで有名。半世紀前までは日本一繁栄した地域ではあるが
交易利権を失ったらただの30万石程度の痩せた山地。関が原以降は家臣領民に至るまで貧しい生活を強いることになった。
この不満を鎮めるには大内時代は当主が極めて暗愚であると都合がよかった。
925人間七七四年:2013/02/21(木) 20:46:36.22 ID:pHLsw27Z
武田信玄の末裔の存在
ttp://livedoor.blogimg.jp/hamusoku/imgs/e/e/ee9e2a0e.jpg

本物でしょうか?
926人間七七四年:2013/02/21(木) 21:38:53.17 ID:b8l2sSNK
んな訳ないw
927人間七七四年:2013/02/21(木) 21:40:55.05 ID:i3sdm+dZ
ファッション雑誌(?)でそれは売りになるのか?w
928人間七七四年:2013/02/21(木) 22:20:27.00 ID:eZSnulg0
仙台武田家かね?
929人間七七四年:2013/02/22(金) 00:29:25.97 ID:iAWedvjn
信玄の子のうちだれの子孫か、だな。
真田昌幸に食わせてもらってた盲目の拝み屋が生き残ってたはず。
930人間七七四年:2013/02/22(金) 00:51:31.45 ID:Bga/P6eG
意外に真里谷武田の子孫とか
931人間七七四年:2013/02/22(金) 07:55:50.61 ID:V1Bbz32p
信玄の子孫じゃないだろ…
932人間七七四年:2013/02/22(金) 16:55:56.27 ID:uSsVpLhu
いいともでもご先祖さんコーナーがあって
かなりメジャー系なのがいっぱい出てた。
現在の職業がラーメン屋さんとか床屋さんとか
ギャップでウケてたな。
933人間七七四年:2013/02/23(土) 10:56:15.16 ID:OgaW2/NT
そういえば信長が延暦寺焼いたけど
そのせいで具体的に何が消失したとか、何が永遠の謎になったとか
わかってるんですか?

大事なお寺だったみたいだし、たぶん貴重な資料や書物、国宝級の物とか
あったと思うんですが
934人間七七四年:2013/02/23(土) 11:02:52.60 ID:xWZEwDXf
ヒント
・信長は3人目
・焼けた痕跡は一部にあるが、詳細な年代はわからない
・延暦寺は一つの寺では無く、多数の寺院の集合体
935人間七七四年:2013/02/23(土) 16:43:24.92 ID:0rzRpFim
綾波みたいだな
意味は違うけどw
936人間七七四年:2013/02/23(土) 21:50:59.29 ID:umhE1IZf
江戸時代は大名の替え玉があったらしいですけど
戦国時代に替え玉を使った事例ってあるんでしょうか?
937人間七七四年:2013/02/23(土) 22:50:05.87 ID:QpPxuiEW
信玄が弟の信廉を影武者にしていたって話はあるな
938人間七七四年:2013/02/24(日) 00:07:51.50 ID:51niJb38
>>922
名前を出さずに
あの家の姫
というふうな意味で言ってることは他でもあったような?
939人間七七四年:2013/02/24(日) 01:34:26.61 ID:FV8rEN3n
>>933
そりゃなくなったものはわからないけど
最澄は個人国宝指定ではトップクラスなので
相当な貴重なものが失われたでしょうね。
現在残るもので、信長の焼き討ちの時持ち出した
なんて記録に残るのもあるし、過去にも焼き討ち
されたからそれなりに用意はしてあったろうね。
公家さんの家も貴重な日記類は普段から車で
保存してあってイザという時持ち出しやすいようにしてある。
清盛の頃だが、車2台分焼けた、なんて記録もあるぐらい。

それと延暦寺の焼け跡調査では案外小規模だったなんて
意見もある。京から見えたというからその印象で山ごと焼けた
イメージがあるがそこまでではなかったらしくて。
信長が京の半分焼いた時の跡はしっかり大規模で
残るから、こういう記録はイメージとは違うという意味で
貴重なものだとは思うなぁ。
940人間七七四年:2013/02/24(日) 13:56:16.05 ID:xoUi/v4Y
まぁ明治の廃仏毀釈で民衆がぶっこわした文化財の量に比べれば些細な量だ。気にするな。
941人間七七四年:2013/02/24(日) 14:09:48.26 ID:4j+05YP1
滋賀の寺って、「信長の焼き討ちから逃れて云々」っての多くてうさんくさい

あれだ、暴君の記録に「妊婦の腹を割いて胎児の性別を調べた」って記述が出てくる並にうさんくさい
942人間七七四年:2013/02/24(日) 14:26:11.89 ID:EdNDYa28
外部サイトの引用ですが、例えばこの左右近衛府に
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kani82.html

右近衛大将があり、田中が右近衛大将になれば「田中右近衛大将」と呼ばれるとおもいます。
では鈴木が府生や使部になれば、その人は「鈴木府生」「鈴木使部」と呼ばれるのでしょうか?
また、下の方には籠持ちの「丁」というのがありますがこの場合は「鈴木丁」と呼ばれるのですか?

もし「鈴木丁」などと呼ばれないのであれば、そう呼ばれるものと呼ばれないものとの簡単に区別が付く方法も教えてください。
943人間七七四年:2013/02/24(日) 17:47:21.91 ID:eshK/EB3
戦国時代は一夫多妻制でしたけど、どのくらいまでが許されるとか上限みたいなのあったんでしょうか?
正妻が嫉妬したとか側室が逃げ出すとかあったみたいですしある程度のモラルなどあったのかと思いまして。
944人間七七四年:2013/02/24(日) 17:49:41.11 ID:KfCYJF5t
>>943
戦国期も一夫一婦制だっつーの。
「側室」つーのは妻ではない。
945人間七七四年:2013/02/24(日) 18:16:27.72 ID:xoUi/v4Y
武士の側室の数は上限があるわけじゃないが経済力に拠るな
馬鹿殿は速攻で当主交代される時代だから
財政に負担をかけるほどのあほな事はそうそう出来ない
946人間七七四年:2013/02/24(日) 19:06:53.01 ID:B54fN3kW
例えば藤堂高虎は、正妻との間に子供ができなかったから正室に側室持っていいか相談した
そうしたら正妻が、この娘なら大丈夫だって側室を用意したって話があるからな

戦国期における正妻の地位ってのは俺達が思うよりは高い
正妻を蔑ろにして側室を持つと
最悪、福島正則みたいに生涯最大の恐怖を味わうことになる
947人間七七四年:2013/02/24(日) 19:10:04.86 ID:KfCYJF5t
つか側室というのは正妻の家来という位置づけだし
948人間七七四年:2013/02/24(日) 19:17:31.84 ID:0FkbmlCI
正妻は奥向きの総管理人みたいなところもあるようだからね
949人間七七四年:2013/02/24(日) 23:38:30.34 ID:pGIMV6PF
>>942
日本史板で
950人間七七四年:2013/02/25(月) 15:20:50.52 ID:rwb6+I7Q
>>934
>>939
>>940
ありがとう
でも廃仏毀釈、もったいないというか、失われた国宝って色々残念だなぁ
と思う

まぁ日本は人種的に記録魔なのか
西洋に比べれば書物や記録が多く残っていて当時の正確な情報が分かる方らしい
からマシだけど
951人間七七四年:2013/02/25(月) 18:32:01.46 ID:P3YVKcUd
そうでもないだろ
中国人に比べたら大した事ない
952人間七七四年:2013/02/25(月) 19:38:25.18 ID:veP9qHIB
自称?武田アンリっていうモデルが「武田信玄18代末裔(23歳)」らしい。
上杉にも武田の末裔居るよね?
埼玉でバーや飲食店3店舗経営だとさ
953人間七七四年:2013/02/25(月) 19:42:25.38 ID:5npxFmM2
>>936
元の木阿弥の語源になった筒井家って例がある。
954943:2013/02/25(月) 22:58:13.49 ID:t2JGE8LY
なるほど戦国時代は厳密には一夫多妻制じゃなかったんですね。
基本的には経済的な問題と正妻が認めると言った事が大きく必要なわけですね。
教えて下さって有難うございました。

あと福島正則のエピソードは知らなかったんですが、ggったら笑ってしまいましたw
戦国時代の女性って子供生む道具で発言権も何も無いという認識が強かったんですがそんな事何も無かったんですね。
955人間七七四年:2013/02/25(月) 23:08:47.41 ID:i6N7Z1J2
亭主が留守の時は嫁が指図するとか、亭主が死んだから後家さんが指図するとか、結構有るよ。
956人間七七四年:2013/02/26(火) 00:26:54.20 ID:kZr82zgy
共同経営者的な面もあるからな
957人間七七四年:2013/02/26(火) 06:17:35.05 ID:XsIuiETH
そう思うと瀬名と家康、五徳と信康の格差結婚は辛かったろうな。
やっぱ男が上でないと。
958人間七七四年:2013/02/26(火) 16:56:12.95 ID:PAGzknwC
【芸能】“武田信玄の末裔”、モデルの武田アンリ(23)「親や親族が結婚相手の血筋を気にするので、それが大変」★2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1361827783/

【芸能】話題の“武田信玄の末裔”モデルは偽者!? 武田家末裔者の会が否定 「その様な方はいない」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1361863497/
959人間七七四年:2013/02/26(火) 21:49:44.12 ID:hTVtKC/m
>>958
うぜえ、あちこちに貼るな
960人間七七四年:2013/02/26(火) 22:59:06.70 ID:tUz2y0AM
うふふふふ、戦国時代ヲタ、うふふふふ
961人間七七四年:2013/02/26(火) 23:13:59.62 ID:lAxqAaAH
きんもーっ☆
962人間七七四年:2013/02/28(木) 16:40:27.36 ID:5hIO8evb
うるせーバカ
963人間七七四年:2013/02/28(木) 16:41:41.95 ID:rQcx44QG
やかましーアホ
964人間七七四年:2013/02/28(木) 21:05:18.13 ID:6pTFdFDl
仲いいなおまいら
965人間七七四年:2013/02/28(木) 21:13:58.15 ID:pEkKkRXL
信玄が野田城攻めで笛の音に誘われて
銃撃されて死んだって話は完全に創作なんですか?
966人間七七四年:2013/02/28(木) 21:16:25.74 ID:dh2WKYlt
創作というか、伝説
967人間七七四年:2013/03/01(金) 09:27:07.37 ID:vrU/eNPj
正室って大名が死ぬと清々してんじゃ無いの?
ほとんど政略結婚なんでしょ?w
968人間七七四年:2013/03/01(金) 10:37:59.43 ID:AgSfvIFC
織豊系大名の多くは、
たとえば秀吉とねね、利家とまつなんかは恋愛結婚だけどねー

あと政略結婚でも北条氏政夫妻とか、今川氏真夫妻、武田勝頼夫妻、毛利元就夫妻など、
関係良好な大名も多いよ
まあ島津家久(悪)みたいに凄まじく悪い例もあるから一概には言えないけど
969人間七七四年:2013/03/01(金) 13:05:03.64 ID:0k87x9nx
>>967
政略結婚じゃなくても、庶民でも顔も見たことない人と結婚とかよくあった。
それでもうまくいく夫婦はたくさんあったわけで、政略結婚だから旦那が死んで
清々するなんてのはものすごく浅すぎる見方。
第一、実家がちゃんとしてるならともかく、基本的には大名夫人の権力の背景は
旦那の権力な訳で、いわば失業状態になって清々するなんてのはよっぽど
仲の悪い夫婦だけだろ。
970人間七七四年:2013/03/01(金) 14:59:02.25 ID:PVd8NIxy
ウィキペディアの島原の乱の項に書いてある記述についての質問なんですが

>北丸を陥落させ落城寸前まで追い詰めたが本丸の防御が固く落城させることは出来なかった。

と書いてますが、これは一体どういう状況下なのでしょうか?
ウィキペディア以外でも似た記述が書かれてる事がありますが、本丸が堅いとか落ちにくいとはどう言った状況下なのでしょうか?
他の書籍では城内に敵を入れた時点で敗北だとか、三の丸や二の丸が占領された時点で敗北だとかよく記載されてたように思うんですけど、江戸期になるとおういうの変わってしまったんでしょうか?
島原の乱についての情報ではなく、本丸がどうしても落とせないという状況下に陥った他の戦いなども知りたいので教えて下さい。
どういった理由からなるのか知りたいです。
971人間七七四年:2013/03/01(金) 15:03:10.32 ID:13Bk368R
>>970
簡単にいえば防御側の攻撃が激しく近寄れなかったってこと。
鉄砲や弓、石なんかもそうだが、そういう激しい抵抗をされて近寄れなかったということ。
972人間七七四年:2013/03/01(金) 15:05:43.94 ID:vrU/eNPj
>>968-969
そりゃ表向きそうだろうけど
嫡子産んでりゃ乗っ取り成功みたいなモンじゃ無いの?w

嫁が怒り狂って敵討ち強行した例ってあるの?
973人間七七四年:2013/03/01(金) 15:10:14.32 ID:13Bk368R
>>972
「家」を単位にしていた時代と現在を一緒にするなアホが。
正妻というのはその「家」の共同経営者みたいなもんだ。単純な家族関係じゃねえ
974人間七七四年:2013/03/01(金) 15:16:42.86 ID:AgSfvIFC
>>970
例えば滝山城の戦いでも二の丸まで敵の進行を許したけど、そこでなんとか迎撃してる
あれは滝山城の縄張り(二の丸で集中迎撃する構造)と、武田方の事情もあってだけどね

基本的に本丸部分が重要施設なわけで最も堅固に作られているし、
敵の進行を漸減するような縄張りがされてる事が多いので、攻め切れない場合もあるかとう
ただ外郭部分を簡単に突破されるくらい力差があるとそんな小細工無駄になる事のほうが多いと思うけどね
975人間七七四年:2013/03/01(金) 15:20:17.61 ID:AgSfvIFC
>>972
仇討ちはしてないけど、共同統治者として家を守った例はあるよ
寿桂尼とかね

安易に草を生やすような偏見をどうにかしないと、君の疑問は解決されないと思うよ
976人間七七四年:2013/03/01(金) 16:42:26.77 ID:tBwddQdW
つまり自分や我が子の立場守る程度であって、
「何が何でも仇討ちじゃ! 異論申さば斬る」
何て事例はやっぱり無かったの(′・_・`)?


ラブラブ政略婚って、浅井長政以外は誰?
977人間七七四年:2013/03/01(金) 16:50:16.07 ID:VDtVKRIK
>>976
今川氏真
978人間七七四年:2013/03/01(金) 16:51:19.83 ID:5c9UZQ3g
>>976
ほとんど夫婦仲は良好だっつーの。
つーか浅井長政とお市の関係がラブラブだたという証拠は一切ない。

ゲーム脳かお前は
979人間七七四年:2013/03/01(金) 16:52:41.98 ID:dVSQViwP
あの時代の家庭内のなりそめは表に出さないからなんとも言えんよ
980人間七七四年:2013/03/01(金) 17:21:04.39 ID:PVd8NIxy
>>971 >>974
なるほど。
やはり守る側は有利で兵糧と士気さえ充分なら粘り勝てる可能性も充分あったという事でもあるんですね。
滝山城の戦いは知らなかったので知りませんでしたが興味深い合戦なので調べてみる事にします。
お答え頂き有難う御座いました。
981人間七七四年:2013/03/01(金) 18:06:04.37 ID:tBwddQdW
↑その辺なら>>757-775 でも投げかけたぞw


>ほとんど夫婦仲は良好だっつーの。
>あの時代の家庭内のなりそめは表に出さないからなんとも言えんよ
そもそも現代でも夫が先立つった方が奥さん長生きだよな。
夫で酷い検索候補出るの知らん、幻想持ってる連中多そうだw

>ゲーム脳かお前は
姫多出のシミュゲーあるなら教えてくれ。
982人間七七四年:2013/03/01(金) 18:10:33.05 ID:2vES0/2T
>>968
利家とまつって恋愛結婚なの? 11歳で?
大河見とけばよかった
983人間七七四年:2013/03/01(金) 18:18:55.88 ID:SGpO814R
いとこ同士だから政略とは言い難いんだろうが何とも
984人間七七四年:2013/03/01(金) 20:29:34.79 ID:9uLmwbZM
>>981
つ天翔記

デフォルトの姫武将モード+有志の顔グラキット(色々なノブヤボの画像集)あてたら姫まみれよ
985人間七七四年:2013/03/01(金) 20:49:24.84 ID:tBwddQdW
そんなバージョンあったなw

10年くらい前の忙しい頃に複雑化してから
面倒になって信ヤボやらなくなったけど
最近だと画期的なシステムあるの?
月額取られるのは意地でもやらんけどw
986人間七七四年:2013/03/01(金) 21:01:42.19 ID:ewGvA8GA
>>976
二階堂盛義
『盛義の死後当主となった二階堂行親は夭折し、その跡は盛義の未亡人であり、伊達政宗の伯母にあたる
阿南の方(大乗院)が継いでいた。そのため政宗も幾度となく降伏を薦めたが、阿南の方はこれを頑強に拒否。
天正17年(1589年)10月26日政宗に攻められて、須賀川城は落城した。阿南の方はその後政宗を嫌って甥の
岩城常隆を頼り、常隆の死後は佐竹義宣の元に身を寄せた。佐竹氏が出羽に移封されると病のため須賀川に
留まることになり、1602年に62歳で没したという。』
987次スレ頼むぞ!!:2013/03/01(金) 21:26:32.24 ID:tBwddQdW
ラブラブかは分からん上に、討死にでも無いけど、
気骨のある姫も居たんだな!!


氏真んとこに身を寄せてた信虎とかの居候って
どんな生活してたのか気に成るなw
988人間七七四年:2013/03/01(金) 23:16:25.11 ID:VDm7pMYu
遠野女大名って本を昔読んだわ。
改易魔、南部利直の魔の手から由緒ある家を守るために
孤軍奮闘した女大名って設定が斬新だった思い出がある。
989人間七七四年:2013/03/02(土) 00:02:00.70 ID:0ocu/L8I
>>982
政略結婚する価値が全くない二人だからな
方や家業を継ぐ宛てもなく将来どうなるかわからない四男坊、
方や家が消滅して前田家で養育された孤児
お互いに家という枠組みからは外れてるからね

>>983
下級武士や庶民の政略婚は、いとこ同士がやたら多いのが日本の結婚事情の特徴だそうな
お互いの家の事情がわかってるから良いんだそうな
990人間七七四年:2013/03/02(土) 11:35:15.34 ID:VJ9AFEpr
憧れの居候生活に関連して、、、

井伊直弼って人数増やせないまでも
ビビって逃げ出さない精鋭で登城するとか
桜田門から騒動を収める兵とか出なかったの?
991人間七七四年:2013/03/02(土) 11:45:13.81 ID:oCQm6Lie
後からならどうとでも言えるの典型だな
992人間七七四年:2013/03/02(土) 12:02:22.79 ID:JA1CC74Z
つーか板違いだ
993人間七七四年:2013/03/02(土) 12:09:53.01 ID:VJ9AFEpr
警戒してた神君は、精鋭20数名で
数千倍くらい遠い伊賀越え成功したけど

とでも付け加えれば良いのか?w
994人間七七四年:2013/03/02(土) 13:09:37.40 ID:Ft8L93Qq
最近風雲児たちでやったから、単行本出たらそれでも読みなさいな
最後の行の質問してる辺り漫画で十分でしょう

詳しい解説するなら江戸後期の状況にモロに踏み込む事になるので本気で板違い
995人間七七四年:2013/03/02(土) 17:49:09.12 ID:Zax8Sa0Y
>>990
井伊直弼は事前に警告を受けていたにもかかわらず特別な警戒はしなかった。暗殺上等。
たとえ死んでも男子の本懐なり、という事だろう。

逃げ出したかどうかは俺は知らないが、雪が降っていたので刀の柄に覆いが掛けてあってすぐには
抜けない状態だったとは聞いている。
996次スレ頼む!!:2013/03/02(土) 19:20:36.30 ID:VJ9AFEpr
体裁で人数は増やせないのなら、
精鋭ばかりで護衛も出来たのに、
柄までとか陰謀論色々と勘繰りたくなるよね!!

小人がうるさいから徳川家スレにでも投げかけて見るかw
997人間七七四年:2013/03/02(土) 21:53:11.68 ID:LJu17D0L BE:3020944649-2BP(11)
次スレならオイラが立てるぉ( ^ω^)
998人間七七四年:2013/03/02(土) 21:54:59.12 ID:LJu17D0L BE:5370566988-2BP(11)
次スレ立てたぉ( ^ω^)

【疑問】スレ立てるまでもない質問11【戦国時代】
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1362228842/
999人間七七四年:2013/03/02(土) 21:56:14.19 ID:LJu17D0L
埋めるぉ( ^ω^)
1000人間七七四年:2013/03/02(土) 21:56:46.23 ID:LJu17D0L
1000だぉ( ^ω^)
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/