1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2012/05/18(金) 23:20:58.00 ID:Qbx0mxu0
さて信綱について語ろうか
3 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 00:41:45.11 ID:ygFxHKUI
信濃国松代藩主真田伊豆守幸貫は、閣老に起用され、従四位下侍従、信濃守に官位を改め、松平の姓を許され、松平信濃守幸貫と名乗り、海防掛を兼務した
4 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 09:51:38.32 ID:x82fmz0x
幸村は信玄と会った事があるの?
5 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 12:45:04.13 ID:HixdWiCD
祖父の幸綱が「これが孫です」と信玄に会わせた可能性が無きにも非ずだ。
6 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 12:46:52.27 ID:HixdWiCD
7 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 19:28:37.11 ID:2vZ7mpU8
「物事柔和忍辱にして、強しからず(忍耐強い)。ことば少なにして怒り腹立つ事なかりし」(「幸村君伝記」)
一度くらいはこういう幸村をドラマで見たいものだ
大河・徳川家康、真田太平記、大河・葵徳川三代等みんな猛将設定だったけど
8 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 19:32:25.69 ID:2vZ7mpU8
>>4 甲斐に人質に出されていた時期もあっただろうから信玄が弁丸(幸村)を
見た可能性はあったと思うよ
9 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 19:36:56.63 ID:VpIFRTcp
でバックバージンを奪われたと?
10 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 20:06:54.82 ID:2vZ7mpU8
真田太平記では幸村が人質として、いきなり春日山城に行ったことになっているが
『矢沢文書』では、幸村は、まず海津城へ。
↓
上杉が真田に五千の援軍(『景勝一代略記』)(援軍五千は真田太平記でも採用)
↓
幸村は海津城から春日山城へ。
11 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 20:31:59.88 ID:2vZ7mpU8
第一次上田合戦で特筆すべきは沼田城の矢沢頼綱。
北条は三万8千もの大軍で沼田城を攻めたが落城せず撤退。
その2か月後、石川数正の出奔により徳川勢上田から撤退。
なお、石川数正出奔の後に
・木曾義昌 徳川から寝返り豊臣傘下へ。
・小笠原貞慶 同上
12 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 21:05:44.63 ID:2vZ7mpU8
小田原征伐の北陸支隊
前田(1万8千)、上杉(1万)、真田(3千)、松平康国(4千)
※兵数は諸説あり
北条の大道寺軍との碓氷峠の合戦が幸村の初陣のようである。
「(前略)時ニ源次郎信繁、自身ニ働キ、手ヲ砕キテ高名アリ、敵ヲ追ヒ崩サル。」
真田太平記では虚空蔵山での小戦(vs上杉)が幸村の初陣となっていたが、史料なし
13 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 22:24:38.26 ID:2vZ7mpU8
14 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 07:52:55.75 ID:DsBFHbTB
15 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 07:58:37.85 ID:DsBFHbTB
16 :
人間七七四年:2012/05/21(月) 08:10:06.94 ID:DsBFHbTB
天正10年に勝頼まだ存命中の真田昌幸と北條氏邦(武蔵鉢形城主)の書状を探しているのだが
やはり無かった。
武田家や勝頼のことを頼む書状だったのか?
自身(昌幸)のことを頼んだ(相談した)書状だったのか?
・・・と何年か前に過去スレでも話題になっていたけど真相は闇の中か・・・
17 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 07:39:29.74 ID:Lp8LVFph
関ヶ原の戦いの少し前、犬伏で父や弟と別れた真田信幸は小山に駆けつけ、
舅・本多忠勝と同宿した。
夜になって、同じ信濃出身の保科正光が密かに訪ねて来て、信幸に耳打ちした。
「お主、なぜここに来られた?徳川は譜代が多い、外様がこの先どう扱われるか、
良くお考えあれ。かく言うわしも、真田より先に徳川についた身ながら、この戦に勝っても
遠い磐城へ移封されるらしい。
わしの今の失意、お主ならお分かりだろう?もう一度考え直されよ!」
信幸は答えた。
「私は既に決めたのです。もう言わないで下され。」
説得を断念した保科が去ると、入れ違いに忠勝がやって来た。
「今、黒い鎧の武者が出て行ったようだが、誰が来ておられたのかな?」
信幸が動揺を隠して黙っていると、忠勝が言った。
「フン、あの鎧は保科であろう。おおかた、「所領に帰れ」とでも説きに来たか。」
驚く信幸に、忠勝は続けた。
「なァに、あの帰り方では、あやつは逆にムコ殿の腹でも探りに来たのだろう。
何も心配する事はない。」
忠勝の言葉通り、戦後に信幸改め信之は父・昌幸追放後の上田領を相続できたし、
保科は本領・高遠を安堵された。
「このように、舅どのは戦の機微に練達するばかりでなく、洞察力も神の如しであった。」
後々まで信之は語ったという。
18 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 09:54:48.95 ID:Lp8LVFph
真田家は宇和島伊達家の血統になってしまった真田本家(公認子孫)の他に
自称子孫も含めると
・越前真田家 昌幸の兄で長篠で戦死した昌輝の子・信正の子孫。福井藩士。
・旗本真田家 昌幸の弟で大阪の陣で幸村を東軍へ誘った信尹の子孫。
・仙台真田家 幸村の子・大八の子孫。仙台藩士。
・真田勘解由家 2代藩主信政の嫡男信就の子・勘解由の子孫。松代藩士?。現在も松代に在住している。
があって、いずれも現在まで続いていて、仙台真田家は幸村の男系を主張しているが、一仙台藩士の家系なんてアテにならないと思う。
あと9代幸教の子・幸世が別家した真田男爵家もあるが、こちらは血統で言えば紀州系。ここも女系になってしまっている。
真田本家から他家へ養子に出たのは、いずれも4代信弘の子で、柳生家へ行った柳生俊峯と、本多家へ行った本多忠盈がいるが
俊峯は自身限り、忠盈は子の忠典で男系は絶えている。(女系が残っているかは知らない)
19 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 10:04:42.81 ID:Lp8LVFph
5代真田信安の娘が島原藩深溝松平家の松平忠恕の正室に入り、2人の子が松平忠馮で、
以後島原藩は、忠馮−忠候−忠誠−忠精と真田の女系が続くがここまで。
忠恕、忠馮は男子が何人かいるから、ひょっとしたらこちらに女系で残っているかもしれない。
真田は男系最後の6代幸弘のあと、7代幸専、8代幸貫と女系で繋ぎ、
幸貫も、松平忠馮の子を真田幸忠として養子にとるが、残念ながら亡くなってしまい、自分の孫の幸教に継がせた。
幸貫もなんとか真田の血統を残そうと努力したがダメだった。
20 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 10:51:55.82 ID:Lp8LVFph
天正8年5月23日、真田昌幸は沼田・吾妻に法度を発する。 長篠後、武田の勢力は日々に縮まりつつあったことから、これは真田昌幸の力によるもので、真田昌幸が自立の方向に歩み始めていることを物語っている。
21 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 11:11:16.22 ID:Lp8LVFph
天正9年(1581年)越後上杉氏v.s.真田氏
7月10日、真田昌幸は内応した須田新左衛門に南雲20貫文を与え、また屋敷地などを安堵。
岩櫃城代をつとめる羽尾幸光と羽尾輝幸の兄弟が、相模北條家重臣の猪俣邦憲の誘いに
応じて 真田昌幸に反旗を翻す。 矢沢頼綱や吾妻衆の活躍により事なきを得たが、真田
昌幸の沼田領掌握が不安定なものであったことをしめしている。 真田昌幸は沼田城に
矢沢頼綱を城代として入れ、岩櫃城は池田氏、鎌原氏、湯本氏の3名に預けて守りの体
制を強化した。
22 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 11:13:51.20 ID:Lp8LVFph
天正10年(1582年)
3月4日、真田昌幸は2500騎を率いて岩櫃城を立ち、戸石城へ入る。祢津氏、室賀
氏により高遠城の陥落と織田勢が今にも攻めてくるとの報せを受ける。真田家は一族と
ともに守りを固める。
3月11日、武田勝頼一族が天目山で自刃。
4月8日、真田昌幸は織田信長に馬を贈って臣従の意を表明した。
7月、北條氏直は東信濃に侵入、北信濃に侵入した上杉景勝と対陣したが、この時は真
田昌幸は蘆田氏、高坂氏、小笠原氏ら信濃国衆と談合して北條氏に属している。
9月、真田昌幸は弟加津野信尹らの勧めで、徳川家康に属す。
9月19日、徳川家康が屋代秀正に真田昌幸が徳川方に身を投じたことを報じる。10
月14日、真田昌幸は羽尾城に湯本三郎右衛門を城代に任命し、普請を命じる。10月
22日、真田昌幸は正式に相模北條家から離脱。報復の為に北條氏直が信濃佐久と上野吾妻へ兵を進める。
10月、徳川・北條の和議が成立し、真田昌幸は独立の地位を確保した。
23 :
人間七七四年:2012/05/22(火) 12:32:07.55 ID:hnC83HQa
>>17-22 コピペか自作かどっちか知らんが、ネタならもっと興味が持てて
鬱陶しがられないような内容にした方がいいと思うよ
24 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 11:44:27.15 ID:uOFjeZwl
25 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 12:06:17.30 ID:uOFjeZwl
真田幸村を討ち取った越前松平藩士・西尾仁左衛門宗次。
彼が自分の菩提寺に造立した地蔵菩薩像は「真田菩薩」と呼ばれ、幸村の鎧袖を埋めて供養したものと伝えられた。
(なお、幸村の首の方は真田一族に奪い返されることを恐れて福井城下の某所に埋葬し、その場所は西尾家一子相伝の秘密としたという。)
やがて年月を経て地蔵菩薩は摩耗し、いつのころからか首が破損し落ちるようになった。
これを元通り載せようとするとその者は必ず熱病に悩まされたという。
ちなみにこの西尾宗次は幸村所用の兜・薙刀・采配等も戦利品として持ち帰ったとされ、現在でも一部が越葵文庫に収蔵されている。
(平成23年9月6日〜10月30日福井市郷土歴史博物館で展示)
26 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 12:14:00.08 ID:uOFjeZwl
2009年、朝日新聞
記事掲載時点では准教授、現在は教授
1987年4月。慶応大学理工学部で数学を教えている教授の前島信は、新入生の名簿を見ていて、ヤバイと感じた。
「真田幸俊」という名前の学生がいたからだ。
前島は東京育ちだが、先祖は「六文銭」の旗印で有名な信州の真田家に戦国時代から仕えた名門の家柄だ。
授業の後、「君、真田家と関係があるの?」と尋ねた。「14代当主です」と言われ、思わず「すいません」と口走ってしまった。
「もうハハーッて感じで。すぐに思ったのは、まさか悪い成績を『殿』につけるわけにはいかないんで、この子、本当に出来てくれるといいな、と」
幸いなことに成績は優秀で、現在、同じ学部の電子工学科で教える准教授になっている。
その真田幸俊が旧松代藩10万石、真田家の家督を継いだのは、父が亡くなった14歳の時だった。
翌年が善光寺の、数えで7年に1度の御開帳の年。回向柱の奉納は藩政時代から松代藩が行う伝統の儀式で、裃姿で出席し、挨拶状を読み上げた。
完璧にやらなければ、との思いから、緊張で声が震えた。
後日、菩提寺の住職から言われた。「失敗しても、お殿様はいいんです。その代わり、堂々としていて下さい」
なるほど、と合点がいき、以来、気が楽になった。
幸俊は大学生の頃から、毎年、秋の「松代真田まつり」に駆けつけ、有名な幸村の兄で藩祖の信之(信幸)役の騎馬姿で練り歩く。カナダに留学中も、このために帰国したほどだ。
長男が生まれた時、地元に報告すると、大喜びだった。次男の時は「これで真田家は安泰だ」と言われた。
恋愛結婚した妻の綾子は肩の荷がおりたとホッとしたが、幸俊が頭を悩ませたのは息子たちの名前だ。
「『幸』の下の字が、もう大変。先祖の名前になく、姓名判断でいい画数の漢字となると、残り僅か。息子の代では付ける漢字が殆どないはず」
27 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 13:09:53.60 ID:GurtmLdc
コピペしている間は過疎スレになるのが判らんかな
まぁこのままコピペだけで最後まで逝くんだろw
28 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 22:26:19.88 ID:BO3yfHmR
>>27 こっちは嵐専用幸村スレってことで放置でいいんじゃね?
29 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 00:06:13.83 ID:tC2uFgyv
>>26 真田家家臣に前島氏は確かにいる。前島姓の家臣が複数いるので、数学科の前島さんが、どの前島氏かまでは分からない。
>息子の代では付ける漢字が殆どないはず
旧大名家はそこまで名前にこだわるものなのか
「幸○」でいい名前がないならば、「○幸」で名前を考えればいい。案外「昌幸」のようなイイ名前が見つかるかもしれない。
30 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 00:07:17.57 ID:tC2uFgyv
今後、真田視点で大坂の陣を描くドラマがあるならば、
・大谷吉継の息子・大谷吉治(名前が諸説あるが・・・)
・細川忠興の息子・細川興秋
・毛利勝永
この3人にもスポットをあててドラマを作って欲しいものだ
大坂夏の陣で大谷吉治と細川興秋は共に真田信繁(幸村)勢(兵数3千5百)の一員。
戦後、細川忠興の命で細川興秋が切腹に追いやられたなどドラマに使えるネタがある。
幸村と義兄弟の大谷吉治と幸村の会話は脚本家の腕の見せ所。
大坂夏の陣での毛利勝永隊(兵数4千)の活躍は凄まじい。
本多忠朝や小笠原秀政を討ち取る等、見事な活躍。
『真田太平記』では
草刈真田幸村「毛利殿は何故待てぬのか」と言われてしまい、損な役割を演じさせられていた。
31 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 00:32:03.06 ID:tC2uFgyv
32 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 00:47:46.76 ID:tC2uFgyv
大河ドラマ『武田信玄』では真田幸隆が重臣会議になぜか常に出席しているが、現実は先方衆。
勝頼期になっても真田(信綱、昌輝、昌幸ら)は先方衆のままだった。。。
33 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 08:38:47.91 ID:MRuwEyKZ
サマーウォーズの話は出た?
真田家をモデルにした上田の旧家を舞台にしたアニメ映画。
「大変じゃない、ごはん食べてる場合なの?」
「遺言だからな」
「でも敵は圧倒的なんでしょ、勝てるの?」
「慶長20年の大阪夏の陣では徳川15万の大軍にご先祖は討って出た」
「でも負けたんじゃ」
「こういうのは勝ちそうだから戦うとか、
負けそうだから戦わないとか、そういうんじゃないんだよ。
うちは負けそうでも戦うの、それも毎回」
「バカな家族!でも私もそのバカの一人だわ。」
34 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 08:48:40.67 ID:/VUKwQXn
もう一つの削除対象スレより、こっちの方が断然盛り上がってるな
35 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 16:09:59.91 ID:tC2uFgyv
>>33 サマーウォーズの話題は過去スレで出たことがなく初出
私は見ていないのだが、上田観光コンベンション協会か何かが宣伝に熱心だったことが印象的です
36 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 16:28:50.59 ID:tC2uFgyv
真田昌幸は天正7年(1580年)に従五位下・安房守に叙任
主君勝頼は信長の妨害により無位無官
安房守は勝頼が昌幸に与えたのだろうか
37 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 18:28:32.85 ID:MRuwEyKZ
>>35 劇中で第一次・第二次上田合戦の話やらが出て来るし、
屋敷は建物が上田城、地形が砥石城跡をモデルにしてて、
旧武田家家臣のアイデンティティー持ってたりとか、
なかなか楽しめる。
アニメ・映画としてもいい出来で面白い。
こんど上田に行ってみようと思ってる。
38 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 18:51:45.97 ID:tC2uFgyv
39 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 20:24:57.19 ID:tC2uFgyv
信玄の両眼と言われた真田昌幸と曽根昌世
第一次上田合戦に曽根昌世は徳川軍の一員として参加
真田の勝利が確定し徳川軍が敗走したとき真田昌幸は「曽根昌世(内匠)の退却はお前たちの追撃よりも見事
(内匠が逃ふりハ、おぬしらが追よりハ増して見えし。)と褒めたという。
武田家滅亡後の曽根昌世の生涯はよく分かっていない。会津若松城の築城で名前を残したが。
40 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 23:02:35.48 ID:WETW0sbz
41 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 23:08:01.87 ID:tC2uFgyv
>>40 しかも役者の演技が下手で俳優養成所のレッスンを見ているかのようだったw
42 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 23:10:17.02 ID:tC2uFgyv
子孫ネタで未出のをひとつ
真田信之→(中略)→真田信安→娘(建部政賢正室)→建部政醇→娘・道子(小栗忠順室)
43 :
人間七七四年:2012/05/24(木) 23:48:00.13 ID:tC2uFgyv
真田家激動の天正10年
・3月3日、新府城で昌幸が勝頼に岩櫃城行きを勧めた
・3月11日、天目山にて武田勝頼自刃、武田家滅亡
・翌3月12日、真田昌幸のもとに鉢形城城主北条氏邦から1通の書状(真田家からの申し出への返事)が届く。
・3月15日に昌幸は織田信忠に服従を申し出ている
44 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 12:16:58.16 ID:4W8tWeEA
その辺最近のセンゴクでもやってたな
45 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 13:13:30.97 ID:SLfGvxoh
勝頼がもう少し持ちこたえていたら、北条氏邦からの返書は昌幸の黒歴史になっていたかもしれない
46 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 13:40:51.59 ID:SLfGvxoh
幸村(信繁)の側室(隆精院)は秀次事件を上手く乗り切った(逃げ切った?)
その結果、豊臣秀次の血を残すという貴重な役割を担った(豊臣秀次の娘が生んだのが三男・幸信、五女・お田の方)
大坂冬の陣のとき隆精院は娘のお田と共に大坂入城。
夏の陣で幸村(信繁)が討ち死にした二か月後に京都の町屋で左馬之佐(幸信)を生んだ
47 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 14:11:00.86 ID:SLfGvxoh
>>13 信之家臣のうち馬場主水は最悪(裏切り者か?どこかの間諜か?)
馬場主水と信之の家老とで、今でいう裁判のようなものが行われた
↓
信之の無罪確定
↓
馬場主水は真田家家臣により暗殺
48 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 15:02:43.21 ID:SLfGvxoh
徳川家光「伊豆守は天下の飾りである」→信之の隠居願いは許されなかった
49 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 16:23:50.87 ID:SLfGvxoh
50 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 17:05:33.41 ID:SLfGvxoh
>>46 自己解決
父・豊臣秀次の処刑の際は「既婚である」という理由で蓮座を免れた、とのこと。
51 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 18:08:58.29 ID:qDRgTY/v
難波2見たけど幸村役がアンガールズっぽくひょろい奴だったな
冬の陣の和睦後、不意打ちで家康秀忠を打ち取るチャンスあったのってマジカ?
52 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 18:26:07.99 ID:SLfGvxoh
>>51 >冬の陣の和睦後、不意打ちで家康秀忠を打ち取るチャンスあったのってマジカ?
実現性の是非はともかく“古くから”色々な雑誌・小説で取り上げられています(たぶん逸話)
『真田太平記』第39回あたりにも出ていたような
53 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 18:34:59.50 ID:SLfGvxoh
真田太平記のは(和議の直後に)「家康、秀忠を生け捕りに出来れば(今後の交渉が有利に)」って感じだったかも?
実現性は極めて低いけど、話半分として面白いかなと
54 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 19:23:01.29 ID:SLfGvxoh
>>51 よく聞く話だから講談が元ネタか?
『真田太平記』第38回の27分辺り
大坂城内の大野修理の陣屋を幸村が単身訪れる。
(略)
幸村「そのような和議、何故お受けになりました・・・」
(略)
大野修理「他に何か・・・」
幸村「茶臼山の家康の陣と秀忠の陣に夜討ちかけたく存ずる」
大野修理「左衛門佐殿!」
幸村「今宵が豊家の運命を決するぎりぎりの日じゃ!」
結局、幸村の案は大野修理によって却下された。
55 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 19:49:55.74 ID:SLfGvxoh
1712年に徳川家継が将軍となり、官位の昇任や名誉回復、また罪人を許す御赦免が実施された。
これにより(仙台真田家の)辰信は「真田」姓に復帰し、真田辰信と名乗ることが出来た。
56 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 21:07:46.26 ID:SLfGvxoh
1712年の「既に将軍家を憚るに及ばざる」は復姓直後のあとづけ、と推測。
57 :
人間七七四年:2012/05/25(金) 23:26:00.13 ID:SLfGvxoh
慶長20年(1615年)5月6日の夜(大坂夏の陣最後の夜)
真田信繁(幸村)は真田源八郎を呼び、形見の自筆の一巻を持たせ、強いて上田へ帰らせた。
この真田源八郎は播州姫路城主池田備後守利隆に仕えて80歳まで長命し、信繁(幸村)の物語をした。
58 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 00:43:40.86 ID:Rllcdyhj
滝川一益
子・滝川一忠
孫・滝川一積
関東時代に縁を得た真田家とは非常に親しくなった様で、廃嫡された一忠は真田
家に身を寄せ、孫の一積は未亡人であった真田昌幸の娘(お菊、於菊)を娶っ
た。なお、一積は真田信繁(幸村)の娘達にも良縁を持ち込んでいる。
小説やドラマの影響でお菊は滝川一積に普通に嫁いだと、ついつい勘違いしてし
まうのだが、正確には、お菊は「宇多頼次室のち滝川一積室」なんだな。
59 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 00:57:45.89 ID:Rllcdyhj
滝川一益は神流川の戦いで北条に敗北した際、関東諸将から預かっていた人質を無条件で解放して
関東を退去。このことから、諸将は滝川との別れを惜しんだという。
諸将からの滝川一益の人気ぶりは、敗走する滝川を、上田の真田氏が木曽まで警固したという逸話からなんとなく読み取れる。
このことが孫の滝川一積の代にまで影響したのであろう。
60 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 01:01:45.57 ID:Rllcdyhj
戦線を維持出来なくなった滝川一益は敗残の兵を率いて領国伊勢へ帰国の途についた
帰国途上の滝川軍は手負いであり士気も低かった
今後、空白地となり混乱するであろう信濃勢にとっては北条や上杉への格好の手土産となり得る羊の群となり果てていた
しかし…
真田以下大半の信濃勢は何もしなかった、真田は護衛すら請け負った
真田には真田の考えはあっただろう、しかし一益はただただ感激に涙したという
61 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 01:58:46.18 ID:Rllcdyhj
62 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 10:28:21.60 ID:uHgNAaN8
まあ、なんにせよ
仙台や松代とかの真田さんが直系じゃないにしても、血は絶えずに傍系とかで日本のどっかにいるよね。
まあ俺かもしれんが
63 :
人間七七四年:2012/05/26(土) 23:59:53.78 ID:Rllcdyhj
>>62 松代真田氏は血の繋がりこそないものの由緒正しい伊達の男系
仙台真田氏は途中で養子、女系が入って
誰の男系かも誰の女系かも分からない状態
他の色々な家に真田の女系が相当いるので真田昌幸の血筋は真田以外の名前の人たちに相当いるらしい
64 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 00:10:24.62 ID:qiO9ryYh
安房守(安房)、伊豆守(伊豆、豆州)、左衛門佐、薩摩守、主計頭、清州侍従、弾正少弼、但馬、
長門守、治部少輔(治部)、刑部少輔(刑部)、大和守、三河守、武蔵守、美濃守、佐渡守、右府、
修理、木工頭、左京大夫、越前守、左近将監etc.
NHK真田太平記では官職名がふんだんに使われていたのがいいよね
65 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 00:19:26.93 ID:qiO9ryYh
66 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 00:48:01.49 ID:qiO9ryYh
仙台真田家 系図
片倉守信⇒真田辰信(真田姓に復姓)⇒信成⇒信経⇒養子・信親(田村顕道三男)⇒また養子・信珍(大條頼始三男)⇒(以下略
67 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 11:54:46.59 ID:WYPfltAz
大條氏が入ってるって事はサンドウィッチマンと親戚って事ですな
68 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 16:37:54.69 ID:qiO9ryYh
岩櫃城に勝頼を迎えた後の昌幸
1・勝頼とともに徹底抗戦
10万の織田軍を相手にしても昌幸なら数日は粘れるかもしれない
けど真田軍は元々総動員してもせいぜい数千
織田に走る配下も多数出るだろうから、2〜3千ほど集まればいい方なのでは?
野戦で勝負するわけには行かないので、もちろん籠城
となると時間切れで織田軍が撤退することを望むしかない 、
2・勝頼の首を餌に信長に降伏
表裏比興の者と呼ばれたほどの昌幸なら、こっちの方が現実的
むしろ既に裏では信長か誰かと密約を交わしていたかもしれない
3・勝頼をどこかに逃がして降伏
上杉は御館の乱や織田軍の北陸攻勢の前に弱体化しているので、
勝頼を匿える余裕はなさそう
北条は織田の同盟軍なので匿うはずがないし、勝頼もそんなところに逃げないだろう
つーか織田と敵対してでも勝頼の身柄を確保したい大名など、当時日本にいるのか?
69 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 16:44:56.40 ID:qiO9ryYh
真田幸隆
本家海野氏ともども滅亡
上野にて浪人中に武田氏からの招請を受けて信濃返り咲き
村上氏討伐の功にて父祖の地+加増
絶家となっていた本家海野氏は武田からの養子によって再興
70 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 21:43:31.84 ID:qiO9ryYh
昭和時代になって「真田勘解由家文書」が分析された結果、小野お通のこれまでの伝承は誤りが多いことが判明しました。
71 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 22:42:37.20 ID:qiO9ryYh
小野お通については、真田淑子さんが書かれた『小野お通』という本が非常に詳しくて、正確な記述。小野お通はこれまであまり正体が分からない女性だったが、お通は「おづう」と濁る。
お通の『四季女文章』にも、題簽の下の方に「小野のおづう」とあり,
奥書にも「づう」と書いてある。そのほか小野お通の直筆本などにも明らかに「づう」と書いたものがある。
72 :
人間七七四年:2012/05/28(月) 07:50:03.63 ID:vtp7VzXf
昔のNHK大河ドラマの武田信玄で真田幸隆ファンになった。
あそこから歴史が面白くなったと思う。
今見てもあのドラマは面白い。橋爪さんが演じる幸隆と馬場、鬼美濃のやり取りが絶妙。
まあ、あくまでドラマだけど、面白かったなあ。演技も皆うまかったし。
今の大河ドラマは見る気もしない。
スレチごめんね。
73 :
人間七七四年:2012/05/28(月) 10:44:30.42 ID:LfleDivx
大河ドラマ『武田信玄』の幸隆は最高だった。コントか漫才のような調略で村上氏を攻略。
幸隆にピッタリ寄り添う大男の家臣矢島六郎太には実在のモデルがいたらしい。
74 :
人間七七四年:2012/05/28(月) 14:51:23.34 ID:LfleDivx
75 :
人間七七四年:2012/05/28(月) 19:28:10.86 ID:LfleDivx
加増移封は栄転ではなかった
>失意の心情を書き送った手紙
ttp://www.geocities.jp/kgjhaat/page/page_113.html 信之が松代に移った当時の松代がたまたま信之の手で記されている。それは転封
の当時の失意の心情を書き送った手紙で、京都の小野お通に宛てたものである。
小野お通は京でも最高の教養人の一人でとくに女筆家として有名であった。信之
は武将にして,文に造詣が深く、上洛の折には小野お通を心の友としていたらしい。
お通の娘お伏(二代目お通)と、信之の二男信政は結婚して信就をもうけてい
る。信就は信之とお通の孫になる。 信政は信之の引退後二代目藩主 を継ぐが半
年後父より早く死ぬことになる。初代信之が死んだのはさらにその半年後である。
76 :
人間七七四年:2012/05/28(月) 22:01:25.97 ID:LfleDivx
昭和期に『真田勘解由家文書』が分析された結果、小野お通の
実在が確認され、従来喧伝されていた説に誤りが多かった点が
判明した。美濃北方の小野氏の出身で、森蘭丸長定の同僚で本
能寺の変で討死した塩川伯耆守に嫁いでいたというのが実際の
前半生のようである。その後、渡瀬羽林家に再婚。この間一女
を産んでいる。のちの小野宗鑑尼である。上田藩主であった真
田信之と親交を結ぶが、一説には豊臣秀吉や真田信之の側室と
据える説もある。元和8年(1622年)松代転封を命じられた
真田信之がお通に送った書状が残る。晩年は真田信政の側室と
なった長女を頼り、松代へ住んで寛永8年10月にこの地で没
したという。享年64歳。お通が永禄2年(1559年)に出生
し、元和2年(1616年)3月5日に没したとする説もある。
77 :
人間七七四年:2012/05/28(月) 23:35:49.59 ID:LfleDivx
大坂の陣、大坂入城家臣
高梨内記(?〜?) 、横谷重氏(?〜1615)、飯島市之丞(?〜1615)
真田勘解由 (?〜?)、真田権太夫 (?〜?)、大塚清兵衛 (?〜?)、
高梨主膳 (?〜?)、海野小平太 (?〜?)、望月善太夫 (?〜?)、
称津小六 (?〜?)、柏田玄仲 (?〜?)、山岡軍平 (?〜?)、
角輪佐吉 (?〜?)、利光久兵衛 (?〜?)、沼田清次郎 (?〜?)
森川隼人 (?〜?)、滝川平太夫 (?〜?)、丹生弥二郎 (?〜?)
星田勘平 (?〜?)、馬淵六郎太夫 (?〜?) 、横谷庄八郎 (?〜?)
真田与左衛門 (1580〜1615)、真田源八郎 (1585〜1640)
78 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 00:02:49.33 ID:TwedIGzX
>>72 今川義元、今川氏真、北条氏康、北条氏政が頻繁に登場する貴重なドラマ。真田幸隆は山本勘助と共にスター扱いだった。
武田四名臣のうち内藤昌豊がなぜか登場せず。勝頼が登場するためか、小山田信茂、穴山信君は未登場だった
79 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 01:26:29.34 ID:Smb7tnyp
風林火山の時も幸隆スター扱いだったような
80 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 17:10:46.50 ID:TwedIGzX
81 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 19:38:53.53 ID:TwedIGzX
真田左馬助信勝
弥十郎、左馬介、左馬之助ともいう。真田昌幸の三男として生れる。妻は牧野康成の娘。関ヶ原敗戦後、真田昌
幸、信繁(幸村)父子に伴い紀州へ従った。兄二人とは母も異なり、年齢も相当離れている。幕臣となっている
点からみて、九度山から戻ってからは長兄真田信之の引き立てがあったものと思われる。後に旗本となり、慶長
10年2月、将軍徳川秀忠上洛のとき大御番組として供奉した。慶長14年9月、江戸において戸田半之丞氏勝
(戸田興勝)と喧嘩して殺された。また一説には徳川秀忠に従って大番組として京都滞在中6月19日に戸田氏勝
と論争し斬殺されたともいう。
82 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 20:05:56.94 ID:TwedIGzX
元和元年(1615年)大阪の陣では、真田河内守信吉は父真田信之の名代として真田藩士を率いて参陣した。和
睦成立後のある夜、叔父真田信繁(幸村)は真田信吉の陣を訪れた。23歳の若年であったが真田信吉は真田家
の総領、信繁は長らしく浪人していたことだから、どんな容儀だろうかと家臣たちが見守っていると、いかにも
真田信吉の叔父という貫禄で座上になおり「御辺4歳の時、対面してのち、今夜初めての対面であるが、思いの
外の成人、器量・骨柄、人に優れて立派なものだ。伊豆守どのが年寄られても心配なかろう」と言ったという。
信吉は「城から離れた出丸を御構えになり、御苦労なさったのでしょう。御扱いにならなかったら危ないところ
でした。」と言うと、信繁は、「おっしゃるとおり、天下の大軍で攻められれば、どうして敵おう。しかし、そ
う簡単にはやられません。」と答えたという。やがて盃が出ると、老臣の矢沢但馬守、木村土佐守、半田筑後
守、大熊伯耆守の4人を呼び出し、「久しぶりだなあ」と懐かしがり、一緒に酒を飲んで城中へ帰ったという。
83 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:12:07.75 ID:TwedIGzX
真田は幸隆(幸綱)・信綱・昌幸と武田家の為に働いても他国衆・先方衆扱い
滝川一益与力の外様・新参ではよほどのことがない限り領土拡大は望めない
武田家滅亡・・・と本能寺の変は真田家にとって開運
84 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:12:51.55 ID:J1gV4UqJ
上杉謙信と最前線で互角に戦いぬいたのは真田幸隆だけである
真田幸隆こそ戦国史上最強の鬼謀
85 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:16:25.44 ID:TwedIGzX
長尾景虎(上杉謙信)をして「我、弓を取らば真田(幸隆)に劣らぬが、知謀は7日後れあり。真田(幸隆)いる限り信濃をとること安からぬ」といわしめた。
86 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:17:08.69 ID:J1gV4UqJ
真田幸隆がスーパーチートである3つの理由。
・織田信長でさえ負けた上杉謙信と川中島の最前線で互角以上に勝負する。
・武田信玄が勝てなかった村上義清を1日で葬り去る。
・落とせなかった城が1つもない。
87 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:26:59.06 ID:TwedIGzX
1543年頃、 真田幸隆は武田晴信に仕え佐久郡岩尾城代となり、信州先方衆として活躍を始める。
全てはここから始まった
88 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:29:29.11 ID:J1gV4UqJ
浮浪者だった幸隆の鬼謀を一瞬で見抜いて採用した武田信玄も天才
89 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 22:36:57.49 ID:4c05davi
上の方で幸村の側室「隆精院」について書いてあったけど
秀次事件の時点で既婚だったという事だが、関白の娘が何故
幸村の側室になっんだろう?
幸村は全然無名だよねこの頃。事件の後に側室になったという
のなら理解出来なくはないが。
それとも秀次事件の時の隆精院の相手は別の人なのか?
90 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 23:20:37.74 ID:TwedIGzX
妄想してみる
隆精院は秀次事件のとき誰かと婚姻状態
↓
秀次事件
↓
既婚であるという理由で隆精院は連座を免れた
↓
死別か?離別か?
↓
真田信繁(幸村)側室
もしも、このストーリーなら、幸村の側室になったことが、ギリギリ説明可能。
大坂城での人質生活が長かった幸村は大坂城内では、そこそこ知名度あっただろうし。
以上、全部妄想で書いてみた
91 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 00:05:27.16 ID:YUf7sR+l
隆清院の父は豊臣秀次で、母は秀次の正室である一ノ台です。
豊臣秀次は1595(文禄4)年、秀吉によって自害させられました。
豊臣内部での家督争いを防ぐために、8月2日に秀吉は秀次の側室侍女34人と子供4男1女を京都三条河原で斬首しました。
この処刑から逃れることができたのは、隆清院と、同じく一ノ台が母である隆清院の姉の2人だけだったと言われています。
隆清院には秀吉からの追っ手があったはずですが、この危機を潜り抜けて育ったものと考えられます。
真田信繁(幸村)の側室になり、大坂の役が始まる前に信繁(幸村)と共に大坂城に入城しました。
http://www.rokumonsen.com/source-of-future/sanada-db/index.html
92 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 00:58:53.78 ID:YUf7sR+l
隆清院が既婚だったのか?それとも初婚の状態で幸村(信繁)の側室になったのか?よく分からない。
>"後に"真田信繁の側室になる隆清院
>咎人の娘を正室にすることはありません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
正室は大谷吉継の娘・竹林院で1594年に嫁いでいます。
1595年に豊臣秀次は謀反の罪で切腹させられています。
その際に遺児(4男1女)及び正室・側室・侍女39名が処刑されています。
難を逃れたのが何名かいますが後に真田信繁の側室になる隆清院もその一人です。
このように主君の一族ですが咎人の娘ですから妻にするのも容易ではなく咎人の娘を正室にすることはありません。
93 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 01:05:22.93 ID:DJ0+mGl3
>>90 リアルな妄想だわ。
まあ時が時なら関白の娘としてどこぞの大名の正室に納まっただろうに。
咎人の娘となると流人の側室位にしかなれないのか。
94 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 01:18:55.22 ID:YUf7sR+l
>>79 >風林火山の時も幸隆スター扱いだったような
「風林火山」は最初の数回を見て脱落してしまったのだが、幸隆(幸綱)が「武田信玄」同様スター扱いなら今度見てみる
(古い映画「風林火山」は子供の頃テレビで見ました。勘助の由布姫への恋心?が未だに印象的)
大河ドラマ「風林火山」のwikiを見てみると「武田本隊と共に上杉勢を挟撃すべく妻女山を下りて来た際、幸隆の隊であることを示す六連銭の旗を見た勘助は、自軍の勝利を確信した。」
・・・と幸隆の扱いがかなり期待できそうな感じ。
ちなみに私が好きな大河ドラマは
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164129195/496
95 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 16:56:28.24 ID:YUf7sR+l
真田本家(伯爵家) 現当主は宇和島伊達家からの養子であった10代幸民の男系。伊達政宗の男系でもある。
真田男爵家 9代幸教の子・幸世が本家から別家した系統。8代幸貫の系統であり徳川家康・吉宗の男系だったが、現在は女系。
真田解勘由家 2代信政の長男・信就の系統。旗本から後に松代藩士となり明治維新まで存続。
http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/234501/ 仙台真田家 信之の弟・信繁(幸村)の二男・片倉守信(真田大八)の系統。仙台藩士として明治維新まで存続。
越前真田家 信之の叔父・昌輝の系統。福井藩士として明治維新まで存続。
旗本真田家 信之の叔父・信尹の系統。旗本として明治維新まで継続。
96 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 04:08:56.23 ID:uqmE2rEr
幸村は豊臣の姓を与えられたそうだが、そういうのは珍しくないの?
人質でもよくあること?
97 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 04:37:15.87 ID:WD8rAT7R
信繁(幸村)は実質出仕みたいな形だし
また、秀吉は豊臣姓や羽柴姓を乱発してたので
さほど驚くことではないかと
98 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 04:57:58.24 ID:WD8rAT7R
99 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 12:11:02.26 ID:ZX+ojg3W
直臣だろうが大名だろうが陪臣だろうが節操無さ過ぎ!
100 :
100:2012/05/31(木) 14:29:14.25 ID:HxapV/OM
100
101 :
豊臣清正:2012/05/31(木) 14:31:05.03 ID:C8Qso3Wk
豊臣清正
102 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 17:18:11.42 ID:KkQyT0pD
豊臣という姓を秀吉も朝廷から賜っているわけで
豊臣姓を家臣に分け与える事で 禄を与えるのと同じ意味を持たせたんだろ
103 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 18:32:28.65 ID:I1zqicVC
ところで秀吉に豊臣姓を与えてやると言われて
拒否した奴はいるの?
104 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 19:05:36.00 ID:U93rpzZ1
家康が拒否したとか云われるが 実際には豊臣を使用している
秀吉が生きていた時は拒否したヤツは居なかったんじゃないかなぁ
秀吉が死んだアトは家康や秀忠や徳川家臣一同が使わなくなったようだけど
105 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 01:04:12.73 ID:FYoDXJ3v
とんでも説をひとつ
糀町光明院 1597〜1703年
真田幸村の長男。
真田幸村の落胤といわれる。真田の忍者であるともいう。真田の子なので武家になれなくて僧になったといわれている。
『甲陽軍鑑』には疑いありとて用いられることはなかったという。
光明院は大阪陣の時19歳だったが、108歳まで長生きして、藤堂勢が長宗我部隊に追われて竹薮を押し倒して逃げた話などを子孫に話したという。
ttp://koskan.nobody.jp/sanada_busyou.html
106 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 01:23:40.79 ID:FYoDXJ3v
>>98 信長六男の織田信秀 (侍従)は羽柴姓に続いて豊臣姓も下賜されているな
107 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 21:31:08.50 ID:FYoDXJ3v
大河「風林火山」第31回
真田幸隆の計略は苦肉の策とよく似て見えた。
しかし(?)存在感では「武田信玄」の真田幸隆のほうが格段に上。
橋爪功演ずる真田幸隆は際立っていた。
108 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 23:08:54.26 ID:EUqhe7bY
>>107 橋爪功最高だね。
一癖も二癖もある曲者っぽくて。
109 :
人間七七四年:2012/06/01(金) 23:44:45.43 ID:VkWVC8+h
織田信長もフルボッコにされた上杉謙信と互角に勝負した武将は真田幸隆だけ
さすがはスーパーチート一族の開祖
110 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 03:34:31.13 ID:KP0MHxIk
>>109 小田は検診と直接戦ってないし
大敗は伝承にすぎない
111 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 13:02:21.81 ID:M4p/y3Il
小田っていうと関東の小田さんを連想してしまう
112 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 13:59:49.67 ID:4ynoTn2B
「松代藩真田家系図」や「真田家御事蹟稿」にあるように、
幸隆が棟綱の長男で真田郷に移り住んで真田を名乗った
というのは、日向畑遺跡や真田屋敷跡が幸隆以前の物で
ある可能性が高い事から、考え難い。
「幸綱」という諱は如何にも海野氏嫡流という感じもするけど、
子で「幸」が付くのは何故か三男の昌幸だけ。
113 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 14:35:29.62 ID:Cp+jptM8
何で突然昔俺がした発言をコピペするんだよw
114 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 20:58:43.94 ID:4ynoTn2B
第一部「栄枯盛衰」(長篠の戦い〜甲斐武田滅亡)
第二部「豊家臣下」(天正壬午の乱〜秀吉天下統一)
第三部「故郷上田」(秀吉晩年〜九度山蟄居)
第四部「日本一兵」(九度山脱出〜幸昌死去)
115 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 00:06:21.89 ID:4OmaneKu
>>95 >伊達政宗の男系でもある。
伊達政宗(仙台@)−忠宗(仙台A)−綱宗(仙台B)−宗贇(宇和島B)−村年(宇和島C)−村候(宇和島D)−
山口直清(旗本)−直勝(旗本)−伊達宗城(宇和島G)−真田幸民(松代I)−幸正−幸治−幸長−幸俊(現当主)
れっきとした伊達政宗の男系の子孫です。
116 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 00:12:29.41 ID:4OmaneKu
真田太平記に登場した山中内匠長俊
実際の長俊は、柴田勝家の家老を務めたのち、丹羽長秀を
経て豊臣秀吉の右筆を務めた。関ヶ原の戦いでは西軍に属
して浪人となり、京都で隠棲して慶長12年に没している。
117 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 00:39:50.02 ID:4OmaneKu
118 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 00:55:29.54 ID:C0TdjrZw
>>105 トンデモ説に近いが、石田三成とその一族って本に真田大助生存説っていうのがあったね
親父と違って、別に秀頼を助けたりとかいう話はなかったけど
119 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 03:24:11.12 ID:4OmaneKu
>>79 風林火山 (NHK大河ドラマ)ようやく見終わった。武田信玄 (NHK大河ドラマ)に比べて真田幸隆の登場回数の少なさにチョットがっかり。
しかし風林火山 (NHK大河ドラマ)を見て良かった。
花倉の乱や河越夜戦等にここまで時間をさいてくれたドラマは初ではないだろうか?と思った
120 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 05:51:47.48 ID:yAYRpTxt
>>119 幸隆の出番、自分は思っていたより多かった気がする
武田信玄見ていなかったからかな?
風林火山の幸隆は、かなり重要な役回りで嬉しかったよ
121 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 20:25:50.30 ID:4OmaneKu
■昌幸時代の真田家家臣団概要
●譜代(幸隆・信綱の代からの家臣)
矢沢・常田・河原・春原・宮下・深井・矢野・丸山
●旧武田給人
大熊・浦野・海野・鎌原・池田
●吾妻衆
湯本・折田・唐沢・一場
●沼田衆
中沢・森下・田村
●寄騎衆(沼田攻略の際につけられた寄騎)
藤田・金子・恩田・渡辺・発地
●小県郡土豪(小県郡統一で臣従)
禰津・望月・室賀・出浦・丸子
122 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 23:13:58.47 ID:vy1VtGqc
実は保科の分家もこの辺りから真田家臣になってるんだよな
>>121の面子より位は低かったが
123 :
人間七七四年:2012/06/04(月) 00:42:03.51 ID:hkfmH9On
逸話、無口な景勝が
上杉家の人質であった信繁(幸村)が秀吉の人質になったとき、上杉景勝が秀吉に「大きに怒りて、かの源次郎信繁をきっと返し給わらん」とつめよったらしい。秀吉は聞き入れなかった(『藩翰譜』)。
124 :
人間七七四年:2012/06/04(月) 00:48:32.87 ID:hkfmH9On
慶長20年5月6日の道明寺戦の殿を引き受けた信繁。これは彼自身が強引に引き受け、しかも自身の強さのみを強調したやりかたで退却したものだから味方の諸将からは評判がよくなか
ったらしい(『北川覚書』)。「人々聞きて憤り、真田やゝもすれば己が武勇を自慢して諸人を蔑如する事奇怪なれ。この上は巳然の評議を破り、面々存分に任せ相働くべしと云う」とある。
これは信繁への妬みがかなり入ったコメントだと思うが大坂方の武将同士がうまくいっていない証拠でもある。
125 :
人間七七四年:2012/06/04(月) 21:53:40.33 ID:hkfmH9On
上田城には本家本物の小松殿の遺体を運んだかごが展示されているそうだ
126 :
人間七七四年:2012/06/04(月) 22:54:37.79 ID:xQjLE4n4
確かに展示されているけど、本物かどうかはねぇw
でも、時代が合っているとすれば、かなり豪華なのは確かだ
127 :
人間七七四年:2012/06/04(月) 23:05:16.51 ID:hkfmH9On
信繁(幸村)の初陣時期
・神川合戦(第一次上田合戦)by『上田軍記』
しかし、このとき信繁は上杉の人質だった
・小田原征伐 by『滋野世記』
「時に源次郎信繁、自身に働き、手を砕きて高名(=功名)あり」
ただし初陣とは記されていない
128 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 01:11:20.54 ID:ZRLbxfFn
>>127 秀吉の九州遠征に付き合ってたらしいので
そこのどこかで出陣してたのかもしれないが
とりあえず資料がないので何とも
129 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 02:20:11.98 ID:UXk8t7/L
天正11年(1583年)3月、真田昌幸は、埴科郡虚空蔵山にて上杉景勝軍を破る。
真田太平記第3回では、これが源次郎の初陣となってたが、ソースはあったのだろうか?
130 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 03:02:00.29 ID:AqglSjzp
徳川家康−紀州頼宣−紀州光貞−徳川吉宗−田安宗武−松平定信−真田幸貫
131 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 03:25:57.63 ID:UXk8t7/L
132 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 03:43:52.17 ID:UXk8t7/L
133 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 08:04:36.82 ID:UXk8t7/L
真田太平記、大坂冬の陣前
真田信之「ところがわしは将軍家の命により、この上田に居残りじゃ。徳川家の家臣というに・・・。わしは将軍様(秀忠)に信用されておらんようじゃ・・・。
寂しい話よのう・・・。が、これも一国の主なれば辛抱するしかあるまい。家臣や領民を路頭に迷わす訳にはいかんゆえのう・・・」
史実では信之は病床で出陣できず。
初陣の真田信吉・信政に信之も一緒に出陣していれば、夏の陣での信吉・信政軍(徳川方、幕府方)の敗走はなかったかも?
大坂方も徳川方も大坂冬の陣・夏の陣に参戦した武将の多くが、いくさ経験ほとんどなし。
家康は小身ながらもイクサ経験豊富な水野勝成を前線に配置したほど。
「天正年間」から戦(含む小戦)に明け暮れていた信之が出陣していれば、もう少しマシに戦えてたかもしれない。
しかし徳川方(幕府方)の真田軍は小勢だから結局史実同様苦戦したか?
と書いてるうちに堂々巡りになってしまったw
そもそも信之の初陣がどの戦からかも分からないのであった。
134 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 08:06:00.27 ID:UXk8t7/L
「信繁年若に付、矢沢三十郎軍代とし(て付き添い)、海野・望月・丸子等、合備と成て、上田勢百キづつ、春日山へ勤仕」(『真武内伝』)
天正十三年九月に上杉景勝は新発田治長攻めの軍を起こした。信繁(幸村)の軍代・矢沢三十郎は上田勢100余騎を率いて参陣し軍功を立てた。
信繁(幸村)は上杉の人質とはいえ厚遇されていたのではなかろうか。
『信繁、上杉景勝から1千貫文賜る』
上杉景勝は真田昌幸へ与えた起請文の中で、昌幸に沼田・吾妻・小県のほか屋代の跡を宛がうことにしている。
屋代の跡とは、上杉家を離反し徳川家康のもとに走った屋代秀正の旧領のことである。景勝は屋代の旧領3千貫文の内、1千貫文を信繁に与えている。
135 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 09:55:35.23 ID:DR858+xl
もうコピペは止めろ!!!!
136 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 12:29:28.80 ID:ZMF/23Ki
真田幸隆が凄すぎ
137 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 18:06:17.93 ID:foVe/0HF
信之には幸村以外にも2人弟がいたはずなんだが
そいつらの子孫はどうなったん(・・?
138 :
人間七七四年:2012/06/05(火) 18:13:28.97 ID:pX5MCmdm
三男は次の代で実子なしで断絶
末弟は実子がないまま同僚との喧嘩が元で死亡
139 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 06:02:12.50 ID:th4ouwFa
>>120 見てない人がいるのか。超高視聴率ドラマ武田信玄(1988年)は幸隆ファンには必見。実力派の橋爪功さんの神演技、橋爪功無双が強烈なんだけど、
番組全体としての幸隆ageが物凄かった。もしも当時ネットが存在していたら掲示板やブログに「また幸隆ageきた」と書かれそうなほど。
雑誌等で幸綱表記よりも幸隆表記が多くなったのは、このドラマが影響しているのではないか、とも言われている。
ただし、幸隆の策略の具体的な細かい描き方は風林火山(2007年)のほうが上。
武田信玄(1988年)の場合は視聴者が知らないうちに大須賀久兵衛が幸隆に調略されていて味方になっていた。
140 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 06:03:44.83 ID:th4ouwFa
141 :
人間七七四年:2012/06/06(水) 22:09:34.27 ID:qjwnJB91
>>136 さすがは山本勘助までもが
その智謀尋常ならずと褒め称えて推挙した漢よ
142 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 00:15:20.93 ID:OO1uiFtl
143 :
142:2012/06/07(木) 00:16:10.04 ID:OO1uiFtl
誤爆orz
144 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 05:42:54.89 ID:OO1uiFtl
「真田信繁と呼ばせない厨」の投稿↓
仙台真田家当主のHP
http://www1.odn.ne.jp/cah49810/papa/index.htm 仙台真田家当主のHPの掲示板
http://6100.teacup.com/sanada1/bbs 真田幸村の実名は幸村(6) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月28日(水)10時44分20秒
真田幸村の実名は幸村(5) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月27日(火)11時20分59秒
真田幸村の実名は幸村(4) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月26日(月)11時04分18秒
真田幸村の実名は幸村(3) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月25日(日)10時24分31秒
真田幸村の実名は幸村(2) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月18日(日)13時47分31秒
真田幸村の実名は幸村 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月11日(日)14時27分14秒
145 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 20:47:01.97 ID:OO1uiFtl
観光(含む真田祭り等)による収入だのドラマ化(視聴率)だのを考えると、「彼ら」にとって「真田信繁」が広まることは都合が悪いんだろうな
146 :
人間七七四年:2012/06/07(木) 21:25:32.44 ID:OO1uiFtl
・年次不詳9月20日 宛先不明 「真左衛門佐 信繁」
・年次不詳極月晦日 木村土佐守宛 「真左衛入 信繁」
・年次不詳9月15日 関口角左衛門宛 「信繁」
・年次不詳6月23日 河原左京宛 「真好白 信繁」
・年次不詳2月8日 小山田壱岐守宛 「真好白 信繁」
・年次不詳12月29日 池田長門守宛 「左衛門佐」
・慶長20年(1615)正月24日 村松殿宛 「さへもんのすけ」
・慶長20年(1615)2月10日 石合十蔵宛 「真左衛門佐」
・慶長20年(1615)3月19日 小山田壱岐守・主膳宛 「真左衛門佐 信繁」
147 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 00:09:26.07 ID:+hTNJ5WH
・犬伏の別れ 7月21日
・小山会議 7月25日
犬伏の別れから小山会議まで4日間
@ 去年の不評某大河では昌幸ならまだしも幸村がなぜか小山会議に出席していた
A 葵徳川三代では小山会議が終わった日の夜に信幸が昌幸、幸村の離反を家康に報告
B 真田太平記は時系列がしっかりしていた。
C 関ヶ原(TBS) では野原みたいなところで犬伏の別れ(3人の談合)をやっていた
>>134 その頃19歳の源次郎が書いた書状の名前が弁(弁丸)であることから、信繁(幸村)の生年を1570年と考える説も。
148 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 00:19:12.02 ID:YPH/Xdjd
真田幸村と北条早雲と似た所は本人は一度もこの名で名乗ったことはない
違う所は早雲も本名が伊勢 盛時、早雲の名は号
北条は早雲死後、息子の氏綱の時代に名を変えた
なので北条早雲でも間違いじゃない
149 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 00:26:57.74 ID:+hTNJ5WH
大坂夏の陣で真田信繁隊が突撃したとき
・家康、(換算すると)約3km後退『渡辺幸庵対話』
・家康の旗本、約12kmも後退『薩藩旧記雑録』
家康よりも旗本のほうが約4倍も後退
150 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 01:10:52.77 ID:+hTNJ5WH
大坂夏の陣最後の決戦が終わった日。真田信繁(幸村)の首実検のとき
真田信尹「眉の内の傷は信繁(の首)か判別できない」
家康「お前は冬の陣後に信繁に二度も会っているではないか」(と怒る家康)
信尹「その時は夜中、殊に左衛門も用心仕り、近所へ近づき申さず、遠く罷り在り候(その会見の時は夜中で、しかも信繁が用心して近づけず遠かったので分かりませんでした)」(『慶長見聞書』)
151 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 01:18:41.71 ID:+hTNJ5WH
>>40 完全にバラエティー番組だったけど・・・
・作家の井沢元彦が信繁という名前について説明していたのは民放の番組では珍しい
・信繁(幸村)の初陣を小田原の役のときとしていた(ソースは番組には出ていなかったが)
152 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 01:44:15.46 ID:+hTNJ5WH
沼田藩(約3万石)の悪政による改易がなければ
松代藩(約10万石)と合わせて約13万石だったのになぁ
153 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 06:15:02.98 ID:+hTNJ5WH
154 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 10:58:12.95 ID:iYQAXn0q
もうええから名前は幸村だけにしろ
お前ら学生時代のテストにも天皇の名前を本名で書いたのか?
書かんかったやろ
それと一緒
155 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 11:10:28.33 ID:Yv8fh6m3
>>146 どうしてこれを抜かすの(笑)
・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
以上にみるように、真田幸村の書状のうち、大坂入城後に「信繁」と署名しているものは、小山田壱岐守・主膳宛の1通
のみであるという事実である。
一方、5月2日付け蓮花定院宛の「幸村」署名の書状についてであるが、大坂城からの後藤・真田の出発が、陸軍参謀
本部編纂の『日本戦史 大坂の役』の記述とは異なり、『慶元記』によれば5月2日とされている。『慶元記』の「巻24 後
藤基次最後之暇ヲ請フ附幸村之事」には、5月2日、後藤基次は秀頼公に最後の御暇を申し上げ、真田幸村も御前に罷
り出て、「後藤が二ノ見」として河内路へ赴く旨を申し上げたと記載されている。この5月2日付けの書状であることについ
ては、大坂落城そして戦死を覚悟した幸村が、蓮花定院に形見の正宗の刀を届けさせたということであり、幸村の置かれ
た状況を察するに、まったく肯けるものがある。(了)
156 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 13:52:54.28 ID:Koen+i36
手紙がニセモノ 後世の物だという事は考えないのか?
157 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 14:01:47.93 ID:yM25ZrQt
そういう考え方なら
>>146も手紙がニセモノと一刀両断に出来るが
自分でも何を言ってるのか分かってないな
158 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 14:28:14.85 ID:Koen+i36
歴史を語る上でドコまで信じるかは絶対解決できない問題
159 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 14:32:13.41 ID:Koen+i36
結局、事実と思われる事を積み重ねて付き合わせて証明していくしか無いわけだからな
自分の目と耳で確かめた事実以外は すべて誰かの情報の又聞きだから・・・
160 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 15:13:20.84 ID:iYQAXn0q
今まで信繁に固執し続けてきたID:Koen+i36がとうとう狂いだしました(笑)
161 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 15:42:32.52 ID:Koen+i36
幸村の話なんて信じられない最たる物じゃないかw
162 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 17:18:28.85 ID:McMlF3C6
そうだな
163 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 19:01:12.08 ID:X508co5Y
真田幸村の実名について、幸村の直系子孫である仙台藩士の「真田家」では、どのように伝えているのか記すこととする。
「滋野性海野氏真田氏略系」(真田徹氏所蔵)
幸 村
母ハ木曽氏族大庭木工国秀女阿瀧方。元亀元庚午年(1570)2月2日生ル。
小字源二郎。(中略)
元和元年(1615)5月6(7)日摂州大坂ニ於テ戦死ス。時年46歳。
大光院殿日秀高白大居士ト諡号ス。
このように仙台真田家では、信繁という実名の記載はなく、あくまでも幸村と記載している。これは、最後の実名が幸村であった
ためと思われる。直系子孫の家において、先祖の名前が幸村と伝えられている事実は重視されてよい。軍記物に迎合して先祖
の名前を変えるなどということは、有り得ないのではなかろうか。
寛永17年(1640)に真田四郎兵衛守信(幼名真田大八)が仙台藩士に列し、江戸御番組馬上役を仰せ付けられ、永代二番座御
呼懸(召出)に召し出されたとき、仙台藩に幕府から系(いえすじ)調査の命があり、幕府へ書上系譜を呈出したものと同系統の系譜
(大八を夭死、守信を真田信伊の子政信の子とする偽系図)が片倉小十郎家に伝えられているので、次に記すこととする。
「滋野姓真田之系略」(片倉信光氏旧蔵)
幸 村ー幸 昌(大助)
大 八(7歳夭死)
女 子(石河宗雲室)
女 子(片倉小十郎重綱室)
女 子(於奥州白石早世)
このように片倉小十郎家に伝えられた系譜においても、信繁ではなく幸村と記載しているのである。
このほか、仙台藩内に伝来した真田家関係史料は、次のとおり、いずれも「左衛門佐幸村」または「幸村」と表記している。
@『老翁聞書』(延宝・天和年間(1673〜84)成立)
A『片倉代々記』二代重長譜(初代から三代までは貞享3年(1688)完成)
B片倉辰信提出「勤功書」(仙台真田家二代辰信、宝永5年(1708)12月付)
164 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 19:07:35.42 ID:X508co5Y
真田幸村の実名を「信繁」とする説においては、「文献上初めて「幸村」という名前が使われた軍記物の『難波戦記』が
成立したのが寛文12年(1672)と推定されている。」としている。
寛文12年成立の『難波戦記』とは、流布本の三宅可参が増補したものであり、内容としても寛永3年(1626)徳川家光上
洛時までを記している。『難波戦記』の原著者は、京都所司代板倉重宗の門客である万年頼方と老中阿部忠秋の家臣であ
る二階堂行憲であり、最も古体を示すものは、その内容が元和元年(1615)末の家康の江戸入りまでのものと、元和2年
(1616)4月家康の死までのものとが存在する(中村幸彦執筆『日本古典文学大辞典』)ことから、『難波戦記』の成立は寛
文12年を遡り得ることは間違いない。
また、北条氏長(北条流兵学の創始者)が編纂した『慶元記』は、寛永10年(1633)の自序をもっており、『難波戦記』の書
名を特記したうえで、凡例において「三年ニシテ成レリ」と記していることから、『難波戦記』の成立は少なくとも寛永7年
(1630)より以前に遡ることになる。ということは、『難波戦記』は大坂夏ノ陣から僅か10年程度後に成立した可能性があり
、ほぼ同時代史料といってよいように思われる。
165 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 19:19:37.42 ID:+hTNJ5WH
ま〜た仙台真田家が暴れて荒らしている
166 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 19:51:30.77 ID:+hTNJ5WH
>>155 学者たちに否定されているものを強引に押し付けようとするから
誰かさんは嫌われるのである
167 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 20:20:10.09 ID:YPH/Xdjd
歴史的資料もすくないので議論しようとしても
できない人なんだよな信繁さん
逸話も少ないしね
それだけ無名だったからこその大坂だったのかもしれないが
だから史料レベルで見ていくと昌幸好きになるんだよ
168 :
人間七七四年:2012/06/08(金) 23:16:51.83 ID:+hTNJ5WH
捏造されたもの(
>>155)を載せておくとはひどいサイトだ
169 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 00:01:35.69 ID:dyiIzwLG
>>155 真田幸村の実名は幸村(6) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月28日(水)10時44分20秒
・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽ものと判明してますよ
170 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 00:18:11.76 ID:742haDz7
いつ、どこの学会なのか?
171 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 00:34:08.01 ID:OcAH3Dh7
172 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 01:22:14.60 ID:lzDvUyTF
筆跡で偽物ってわかるでしょ まして花押もないんじゃね…
173 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 06:21:47.27 ID:WuwyrBeD
数年前に蓮華定院に行った人が「幸村という署名のある書状を見た!」と言っていたけれど
素人が見られるようなものを歴史を研究している人たちが知らないはずないよね
それでも歴史研究家は「本人は幸村という名を使った証拠はない」と言っているのだから
やはりあの書状は本物としては認められていないんじゃないかな
使っていた証拠もないけど使っていなかったという証拠もないので
この論争はずっと続くんだろうね
174 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 06:47:33.42 ID:OcAH3Dh7
>>173 そんな妄想と言い訳を書き込んだところで偽物は偽物
175 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 07:56:28.77 ID:N5xqQU+0
迷惑 投稿者:T.SANADA 投稿日:2012年 6月 9日(土)07時44分29秒
この場で言い合いは迷惑です。
広く伝わっていないのは現物がなくなっているからでしょう。
学者先生が二次資料の存在を知らないか無視しているか。
知らないで学者だ研究者だ俺が第一人者だというのが大勢いるから素人は混乱するよね。
学会なんてものは自分たちに不利になるものはそういう形で片づけるものです。
http://6100.teacup.com/sanada1/bbs?page=1&
176 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 10:18:08.74 ID:OcAH3Dh7
うわ気持ちわる
177 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 10:33:43.10 ID:nzE55jcW
仙台藩には北条氏直や三好義継の子孫がいるけど、
もしも本物なら何故家督を継がなかったの?という話。
真田守信というのも同じようなものでは?
178 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 12:19:46.88 ID:iQqHakQy
>わざわざ信繁と言って「どうだ」って顔する人がこのごろ多いのは確かね。
>そういうのが嫌だな。わざわざ訂正することもない。まあ、お好きな方をどうぞ。
>そう言えば幸隆さんを幸綱としている学者(?)もいるよね。史実なんだとさ。
>どうすしても正確な史実の呼び名だと言い張るのだから多分
>天国(地獄かな)にでも行って本人に確認とって来たんだろうね。
こうまでボロカスに言われて何故反論しないの矢沢?
チンチンちゃんと付いてるの?
>マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
> >・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
>学会で偽物と判明しています。
179 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 16:16:26.38 ID:nzE55jcW
>どうすしても正確な史実の呼び名だと言い張るのだから多分
>天国(地獄かな)にでも行って本人に確認とって来たんだろうね。
低レベルの発言にいちいち反論しないといけないの?
180 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 17:42:07.92 ID:ADEGwQA0
その低レベルの発言にすら反論できず沈黙の信繁厨(笑)
181 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 17:48:18.79 ID:crxXeW/p
>>180 君にはそう見えるんだね。君だけにはねw
182 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 18:14:56.33 ID:x2arDDiJ
信繁でも幸村でもどっちでもいいわ
いつまでもやり合うネタじゃねえ
つんねえし
183 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 20:20:14.38 ID:lzDvUyTF
>>177 そりゃあ家の挌が違うもの
大名家の一家臣レベルに真田本家督が回ってくるはずもない
>>182 どっちでもいいのは確かだけど
本名をないがしろにするのはいかんと思う
逆は知ったか乙程度で済むけどね
184 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 20:29:21.69 ID:dyiIzwLG
あの殿はアレだからまともに相手しないほうがいいよ
偽書状を本物であるかのように偽りの投稿をした人
代々記
Remote Host: p4254-ipbf2106funabasi.chiba.ocn.ne.jp
戦国板の幸村荒らし
真武勇者
Remote Host: eaoska033200.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
185 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 23:02:14.86 ID:3Vgs86Mp
そりゃあ信繁厨は断固本物と認めるわけには行かず
感情的に偽と決め付ける他はないわな
186 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 23:10:13.52 ID:YKO3nw8Q
昌幸や幸村より幸隆こそ大好きだ
なにせ渋すぎる上に上杉謙信も勝てなかったほど鬼才すぎ
187 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 23:18:35.05 ID:lzDvUyTF
>>185 幸村という名があるか?ないか?はどうであれ
真田左衛門信繁という人物の史実と史料は証明されてるわけで
信繁ということに何ら問題ないからな
188 :
人間七七四年:2012/06/09(土) 23:21:37.14 ID:dyiIzwLG
>>185 あれを見て偽の書状と見分けられない人発見
189 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:06:40.53 ID:+wQHPgqX
初陣の時期をネット上で調べてみると(ネット的には)
・信幸の初陣
第一次上田合戦としているサイトが多い
・信繁の初陣
小田原攻めの松井田城・箕輪城攻防戦としているサイトが多い。だとすると23歳か24歳での遅い初陣となるので1570年生まれ説(
>>147)のほうが自然なのかな?
190 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:07:34.12 ID:+wQHPgqX
秀吉が乱発した豊臣姓下賜は大して有難味がなさそうだけど、昌幸(大名)・信幸(小田原征伐後に大名@分家)・信繁のうち
信繁にだけ下賜されているのは、どういうことだろうか。
「豊臣家は次男を大切にしてますよ」というメッセージみたいなものか>下賜
真田をアクション映画的に楽しみたい人には映画「真田幸村の謀略」がお勧め。
加藤清正が朝鮮から連れてかえった大きな虎を熊本城で飼っているわ、真田十勇士が登場するわ、破天荒な設定&ストーリー。
幸村の首実検に信尹でなく信之(演:梅宮辰夫)が登場。
人によって評価が大きく異なる映画だと思う(当たり/はずれのギャップが大きそうな映画)。
核心部分を少しだけ、「幸村の首か」と問われた信之は心の中で「違う」と呟きながらも、幸村の首です、とか肯定し、
結果的には幸村を逃がすことになってしまうのであった。
191 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:08:05.20 ID:9Eyc2ey0
>>188 信繁厨は見もせず偽と決め付けるから始末に終えん
192 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:24:33.08 ID:bhFjLZQE
193 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:30:47.80 ID:+wQHPgqX
子供の頃に読んだ本にこんな逸話があった。
大坂冬の陣講和の後に信繁が徳川方の真田陣所を訪れたときのこと。
信繁は信之の庶子とはにこやかに喋ったが、小松殿が生んだ子とは顔を合わせようともしなかった。
信繁が小松殿(≒徳川)を憎んでいたという逸話だったが、考えてみればおかしなもの。
例えば、九度山蟄居の時代に昌幸・信繁は小松殿から好物を送ってもらっていて憎んでるはずはないのであった
194 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:45:05.45 ID:bhFjLZQE
それはそれ、これはこれ
195 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 00:48:39.12 ID:+wQHPgqX
小説・映画・ドラマでお馴染みの信繁(幸村)の影武者
「真田太平記」では影武者登場、「葵徳川三代」では影武者不登場など。
影武者は通常史料に明記されない。
しかし影武者の存在を明記した稀有な例もあった。それは山内一豊。(『一豊公記』か何かの史料)
種崎浜(桂浜)で長宗我部の遺臣を討ち取った為、一豊の命が狙われる可能性が高く、6人くらいの影武者がいたという。
196 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 01:06:29.56 ID:bhFjLZQE
目立つ兜を被るだけで即席・使い捨ての影武者の出来上がり
197 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 01:09:12.90 ID:+wQHPgqX
>>194 なるほど。
以下妄想で書いてみる
九度山蟄居
↓
昌幸死去
↓
昌幸死去で家臣の多くが信之のもとに戻り、いっそう寂しい九度山生活
↓
信繁「父上(昌幸)が亡くなっても徳川は私を世に復帰させてはくれないのか」と徳川への憎しみが募る
みたいな感じで考えると
>>193は結構まともな逸話だったのか。
198 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 01:39:06.25 ID:bhFjLZQE
>>197 あとコンビニでたまたま見つけた本で、犬伏の別れの頃の幸村(信繁)が
信幸を殺そうとして昌幸に止められたという話が載っていた
情報元は慶長年中卜斎記らしい
199 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 01:44:38.55 ID:+wQHPgqX
200 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 01:46:29.35 ID:bhFjLZQE
直接殺そうとした訳ではないけどね
家族会議が終わった後、信幸のいる建物に放火しようとしただけで
201 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 07:51:09.77 ID:+wQHPgqX
小松殿の名前こそ出てこないものの
>>193と類似の逸話があった
叔父甥(信繁、信吉、信政)会見
御辺四才の時対面して後、今夜初めて也。思いのほか成人となり、器量骨柄世に越えて覚えたり。伊豆守殿も年寄たまう共気遣いなし。(『翁物語』)
信吉が弟信政を紹介しても信繁は会釈するだけで、とうとう信吉としか話さなかったという。
202 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 08:07:44.65 ID:ON5wR62s
今日は久しぶりに毒を吐いてみようか。
広く伝わっていないのは現物がなくなっているからでしょう。
学者先生が二次資料の存在を知らないか無視しているか。
どうして無視かというとね、自分の論文(物語)のスジが成り立たなくなるんだな。
そんな学者だ研究者だ俺が第一人者だというのが大勢いるから素人は混乱するよね。
学会なんてものは自分たちに不利になるものはニセとかそういう形で片づけるものです。
http://6100.teacup.com/sanada1/bbs?page=1&
203 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 08:20:54.71 ID:YCk9mbPc
ああ、”ガッカイ”という正体不明の生物がいると信じているのか。お気の毒に
204 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 08:43:23.32 ID:rslJovnR
>>203 >>169 >
>>155 > 真田幸村の実名は幸村(6) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月28日(水)10時44分20秒
> ・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
>
> 学会で偽ものと判明してますよ
205 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 08:53:19.15 ID:k0DA6Huu
そもそも写しだって言ってんのに本物も偽物も無いと思うんだが
206 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 08:57:58.18 ID:+wQHPgqX
大坂夏の陣での信吉・信政については何を見てもろくなものがないなぁ。
大坂夏の陣で、毛利勝永にフルボッコにされ敗走しながらも無事帰国した真田信吉・信政兄弟に小松殿が「兄と弟、ふたりもいるのだからひとりくらい討死して忠節を尽せばよいものを。(あら、どっちか片方死んでも良かったのに。)」
信之、大ウケ。
信吉・信政、歯ぎしり。
こんな作り話が出るほど武功はあまりなかった
207 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 09:01:55.80 ID:+wQHPgqX
草津温泉と大谷吉継と真田信繁(幸村)
大谷吉継は、文禄3年(1594)に草津温泉へ。
直江兼続に宛てた書状に「草津の湯は眼に効いた」と書いていたらしいことから、その事実が確認できるかも?
草津の湯が病に効くことは当時から評判だったものと推測。吉継の娘は真田信繁に嫁いでいるので、その縁を頼って草津に来たのかもしれない。
208 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 09:11:04.43 ID:+wQHPgqX
>>201は正確には信繁(幸村)は信政ともほんの少しだけ喋っているのだが、信政が生意気にも叔父の信繁を挑発するような言葉を少し言い放っている。
素人の感想としては「偉大な父(信之)に似ず、ろくな武功もなかったくせに」だ。
209 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 09:27:22.48 ID:+wQHPgqX
>>193>>201>>208関連で
信吉「和睦が成立しなかったら真田丸は寄せ手によって押しつぶされていたでしょう」
信繁(幸村)「あの砦(真田丸)を押しつぶす?それは至難の業でしょうね」
こんなんじゃ信繁は信吉を相手にせず、信政とのみ話したわけだ。
「信吉嫌い」になりそうだ
210 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 09:49:34.55 ID:8u9L06O3
>>206 そりゃあ皮肉だろう
小松は弟や矢沢さんに二人をお願いって頼み込んでるのに
生きて帰ることが一番の功だろうよ
211 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 10:23:11.32 ID:+wQHPgqX
212 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 11:40:47.75 ID:+wQHPgqX
信政「和睦が成立しなかったら真田丸は寄せ手によって押しつぶされていたでしょう」
信繁(幸村)「あの砦(真田丸)を押しつぶす?それは至難の業でしょうね」
こんなんじゃ信繁は信政を相手にせず、信吉とのみ話したわけだ。
※信吉と信政のタイプミスを訂正して投稿し直しました。
213 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 12:19:31.10 ID:0l136HPU
214 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 12:44:25.85 ID:bhFjLZQE
215 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 13:47:10.38 ID:5CXd0xEK
いや、だから写しに幸村って書いてたって何の証左にもならんって事なんだけどな。
こう書いてあったよって、書いてるだけなわけで。
堂々と写しだって書かれてる物を本人の直筆だって言ってる時点で完全にお花畑だろ。
216 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 14:01:30.83 ID:FVfVQSVZ
マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽物と判明しています。
マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽物と判明しています。
マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽物と判明しています。
マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽物と判明しています。
マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽物と判明しています。
マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
学会で偽物と判明しています。
http://6100.teacup.com/sanada1/bbs?page=1&
217 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 16:23:19.80 ID:8u9L06O3
>>215 結局はそれは写しである時点で本物じゃないからな
幸村は本人が使ってたってという証拠にはならない
だからこそ難波戦記のころから使われ始めたでいいじゃないか…
それがなぜに駄目なんだろう?
真田信繁が幸村と言われているだけなのにな…
幸村オタの信繁否定が全く理解できない
218 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 17:43:07.65 ID:bp5IM4jM
幸村っていうのは物語の英雄であって歴史上の人物じゃない
仙台が幸村って云って顕彰していたのは「物語の主人公としての幸村」で勇猛でカッコいい人物であって
必ずしも信繁である必要は無いんだよ
幸村と信繁は別に考えないと駄目
219 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 18:16:39.41 ID:5CXd0xEK
>>218 あのなぁ、お前みたいなのがいるから幸村荒らしが出て来んのが分かんない?
そもそも歴史上の人物なんてほとんどが軍記・講談ベースで語られてるわけで、そこに諱は全く関係無い。
それとも難波戦記の登場人物の諱が全部違うとでも思ってる?
小身の者なら諱がはっきり分かっていなかったり、誤って伝わっていたりなんていうのは
山ほどあるわけで、そこに固執するのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
220 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 18:55:09.37 ID:bp5IM4jM
ま、幸村の話は全部物語なんで関係ないです。
221 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 19:26:31.69 ID:P2UrT11I
真田家は全て幸村で記録を残してるんだけどな
まあお前みたいなキチガイはさっさと精神病院へ行くといいよ
222 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 19:31:35.94 ID:rslJovnR
>>220 ここは幸村のスレだ
信繁について語りたいのなら他のスレへ行けボケ!!!!!
223 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 19:32:17.30 ID:LQih1EwD
本名を載せるとまずいくらいの重罪人だから
あえて偽名を使ってるだけの話だけどな
224 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 19:40:55.61 ID:bp5IM4jM
別に信繁についても語る気ないよ
225 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 19:44:39.51 ID:P2UrT11I
226 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 20:04:13.07 ID:LQih1EwD
お前が言うな
227 :
人間七七四年:2012/06/10(日) 21:58:35.00 ID:+wQHPgqX
完。
228 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 00:11:50.41 ID:1RXvk0H1
信幸が有名なのは信繁が英雄になったおかげ
根本が分かってないやつ多すぎる
信繁がいなければ信幸はもっとマイナーだったはず
229 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 00:19:37.85 ID:bB0hmSzX
53 :人間七七四年 :2012/06/11(月) 00:11:01.04 ID:1RXvk0H1
信幸が有名なのは信繁が英雄になったおかげ
根本が分かってないやつ多すぎる
信繁がいなければ信幸はもっとマイナーだったよ
釣り乙
230 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 01:32:33.14 ID:fvxs281x
大坂夏の陣後、信之が弟の墓を建てたいと思ったが、本名では藩取り潰し絶好の口実になるので
幸村という名前で墓を建てた
それで幸村という名前が定着して、真田本家も幸村で記録している
江戸時代芝居で石田三成の名を使うと幕府に咎められる危険があったから
「岩田光成」なる役名で登場させた例と同じっぽいですね
231 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 06:17:16.00 ID:l3mVaLn3
大阪の陣の頃に信幸は病気していたらしいが、何の病気だったんだ?
232 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 07:38:53.52 ID:NtLnTfdT
>230
で、その信之が建てた「幸村」の墓はドコに在るんですか?
松代 長国寺に在るのは後世になって真田家の方が建てた供養塔でかなり新しいですよ?
233 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 07:49:05.75 ID:NtLnTfdT
長国時の物は 真田幸昌と真田信繁の連名の供養塔です
234 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 14:57:51.79 ID:YDY3sLKc
235 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 19:39:52.85 ID:1RXvk0H1
>>229 釣りじゃねーよ
野球は巨人のおかげで昭和時代に国民的スポーツになり他のチームも恩恵を受けてる
236 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 21:32:05.69 ID:CeSU0emO
>>232 信之は松代藩主になった後に武田典厩信繁の墓があった鶴巣寺を整備して典厩寺としているけど、
その信繁の墓所内にある五輪塔の一つが幸村(信繁)の墓だという説がある
弟と同じ名の典厩の墓を隠れ蓑のように使い、弟を偲んだのだとか
230は、その説と混同しているんじゃないか?
237 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 22:02:08.54 ID:NtLnTfdT
>236
はい、典厩寺なら知っています。 真田家として大切にしていたお寺ですね。
238 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 07:24:04.70 ID:4PNQFaQW
66 :人間七七四年 :2012/06/11(月) 22:28:30.58 ID:lkkiSDLH
幸村は「真好白」と名乗ってた時期もあったから
いよいよ死ぬという間際になって、父の「幸」を付けて死のうと「幸村」と改めても不思議でもなんでもない
現に写しであるにせよ「幸村」との署名がある以上、幸村に変えたのは間違いない
写しが史料にならないと言うのなら、大半の史料がアウトって事になる
らしい
239 :
いい加減現実を直視しましょう:2012/06/12(火) 07:37:42.14 ID:tWCKVn0L
真田幸村の実名は幸村(6) 投稿者:代々記 投稿日:2011年12月28日(水)10時44分20秒
・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
ヨイショしてくれるはずの地方紙からも地方自治体からも「一切相手にされず」w
240 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 11:35:42.29 ID:Ps5HUILS
どこの地方紙、地方自治体が幸村から信繁に変えたの?
241 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 16:10:55.52 ID:NtOOB4d2
それくらい自分で考えろ
242 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 17:09:44.35 ID:tWCKVn0L
>>240 >幸村から信繁に変えたの?
そういう意味ではなくて、本来なら「大発見」と大騒ぎしてくれる地元メディア、自治体にその史料らしきものがスルーされてるってことだよ
243 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 17:14:00.81 ID:w8nNVuLF
それは元から幸村で定着してしまっているので
わざわざ取り上げるほどの事でもないから
244 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 17:27:37.62 ID:tWCKVn0L
>>243 一般常識すらないのか・・・。
真田信繁が生前に幸村を名乗っている証拠が見つかれば
ほれ見たことかと大騒ぎ。
幸村ヨイショの長野や和歌山の地方紙は勿論のこと全国紙レベル。
245 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 18:58:48.52 ID:ZVciIEzk
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
これが証拠
写しだからと言って否定するのなら、日本書紀も否定する事になる
246 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 19:08:32.39 ID:tWCKVn0L
247 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 19:10:50.05 ID:tWCKVn0L
248 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 19:50:28.67 ID:hrmfxv1e
素人キチガイのwikiなんか持ち出してアホか?
249 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 19:53:04.90 ID:DL63J9rb
歴史学を否定するのは勝手だが、
書状写しだけで通説を覆せるほど甘くないよ。
書状写しが根拠になりうるのは、
別の史料で補強できるときだけだよ。
書状写し1通だけでは捏造の可能性が否定できない。
250 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 20:00:35.67 ID:hrmfxv1e
完全に否定する根拠にもならないのに
何を抜かしてるんだこの馬鹿は
251 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 20:11:03.79 ID:NtOOB4d2
そう思いたいんなら、ここに来るな
書くな、口に出すな
252 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 20:13:40.27 ID:sfSeVD06
>>250 バカはお前だ
史料による裏付けがない以上
証拠がない限り幸村と生前に名乗ったということにはならない
253 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 20:15:29.00 ID:DL63J9rb
挙証責任があるのは通説を否定する側だよ。
通説側が「完全に否定する根拠」を挙げるのではなく、
新説側が「完全に肯定する根拠」を挙げないといけない、
ということ。
書状の証拠が写ししか無いのなら、
同時代の日記で「幸村」と呼ばれている例を探すとか。
254 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 21:10:24.70 ID:LHkOW2LO
>>253 日本書紀は全部出鱈目なわけ?
何を抜かしてるんだこのアホは
255 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 21:15:59.44 ID:RU8MD1I8
>>247 せめてこういうような史料もあると、客観的な検証をしなければならないのに
それすら取り上げず、一方的に史料による裏づけはないと決め付けてしまっている
さすがは知障の巣窟だな
256 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 21:40:10.76 ID:JzHdOEL+
257 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 22:00:47.81 ID:LHkOW2LO
話しをそらしてるのは信繁厨の方だ
258 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 22:13:05.61 ID:JzHdOEL+
釣り乙
259 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 22:22:53.98 ID:JzHdOEL+
引き続き幸村の嘘と文書偽造犯の話題をどうぞ
260 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 22:58:08.54 ID:NoNmu6xH
それは信繁厨の馬鹿が証拠も何もないのに
でっちあげの文書偽造と決め付けてるだけ
261 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:03:17.07 ID:JzHdOEL+
>>260 お前が失敗する度に他人に罪を着せてるのはもう分かってるよ
262 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:06:38.35 ID:tWCKVn0L
代々記
Remote Host: p4254-ipbf2106funabasi.chiba.ocn.ne.jp
真武勇者
Remote Host: eaoska033200.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
263 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:13:15.90 ID:RU8MD1I8
信繁厨の矢沢は大嘘つき(笑)
こんな幼稚園でもバレバレの嘘をついて恥ずかしくないの(笑)
>マジレス 投稿者:矢沢 投稿日:2012年 6月 8日(金)21時39分26秒
> >・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
>
>学会で偽物と判明しています。
264 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:21:08.11 ID:sfSeVD06
史料ないからなー
かわいそうな次男坊
信繁の名自体もあやふやらしいけど
こっちはちゃんと史料による裏付けがあるのよね
265 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:23:57.91 ID:RU8MD1I8
>>264 お前は日本書紀は史料と一切認めないわけ?
266 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:25:40.89 ID:JzHdOEL+
>>265 ちゃんと検証された結果認められてるもの
詐欺野郎の偽文書はそれ以前の問題
267 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:32:51.28 ID:RU8MD1I8
誰が検証したというんだ?
ゆうてみろボケ!!!!
で、これはお前の脳内だけで偽って決め付けてるだけだから、史料として否定されてない
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
268 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:40:48.92 ID:JzHdOEL+
多数の学者
例の幸村偽文書は素人でも偽者と見破れる程度のレベル
269 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:44:22.32 ID:NoNmu6xH
また嘘か
5月3日から7日までの信繁の書状でもあれば
これは100%捏造と決め付けてよい
信繁厨は幼稚園以下のアホだから本当に困るね(笑)
270 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:45:26.49 ID:JzHdOEL+
271 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:46:32.21 ID:RU8MD1I8
272 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:47:50.44 ID:JzHdOEL+
腰抜けはお前だろ
273 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:50:57.67 ID:tWCKVn0L
真武勇者の投稿は二つとも削除されてるねwww
274 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:53:26.27 ID:tWCKVn0L
個人サイトでは管理人=神、最高権力者
しかもアレな人が管理人だから耳障りのいいこと以外は書き込まないほうがいいよ
275 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:53:37.89 ID:sfSeVD06
>>267 同時代の史料には真田左衛門佐でしかのってない
裏付けがない証拠のひとつ
本人の直筆も信仍か信繁のみ
276 :
人間七七四年:2012/06/12(火) 23:56:28.39 ID:JzHdOEL+
あと花押の有無ね
277 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 07:47:26.33 ID:5uGlQqI7
ひたすら否定する信繁厨の馬鹿たち(笑)
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
よっぽど都合悪いからね(笑)
278 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 08:32:20.64 ID:vpGfu2C7
279 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 08:45:28.38 ID:5uGlQqI7
5月3日から7日までの信繁の書状でもあれば
これは100%偽造と決め付けてよい
信繁厨は幼稚園以下のアホだから本当に困るね(笑)
280 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 09:15:52.94 ID:Wnyw1dpp
ファビョった信繁厨は
「ギゾー、ギゾー、ネツゾー、ネツゾー」と吼えるしかないからwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
281 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 10:05:11.61 ID:t8U4rA+k
警察相手にもこの口調で説得しろよ
282 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 10:44:38.95 ID:3BgtgzoF
武功夜話みたいに理路整然と偽書を説明できるのならいいけど
「ギゾー、ギゾー、ネツゾー、ネツゾー」と吼えてるだけじゃ誰も相手にしてくれないよ。
283 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 11:05:04.88 ID:t8U4rA+k
>>282 ここまでのレスおおまかにさえ読まずに書き込んでないか?
284 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 11:38:29.44 ID:3BgtgzoF
>・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
5月3日から7日までの信繁の書状でも出ない限り、偽造でも捏造でもない
285 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 12:12:12.63 ID:jJgpy6KV
「幸村」の名前の由来は「誰が、何のために」ってのが重要なんだよな
そこの辺りに確固とした何かがないからわけがわからない
286 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 15:26:47.46 ID:t8U4rA+k
伊達家
287 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 15:42:38.14 ID:vQpNanRp
288 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 17:20:49.60 ID:t8U4rA+k
vipにも同じスレ立てやがったな
289 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 17:35:43.36 ID:5A4hiRhw
>>288 あちらの板は日本史の知識が豊富な奴が多いから
お前も詭弁を書くのに大変だな(笑)
290 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 08:10:11.08 ID:frSpOLow
17 :日本@名無史さん :sage :2012/06/14(木) 00:11:07.93
>>15 極めて史料価値の高いとの評価がある
ただ信繁オタだけは断固、史料価値を認めない
まあ、任那日本府を絶対に認めないチョンのような物
(笑)
291 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 20:20:17.74 ID:ZWCrfUXJ
なんか今BSで真田丸の事やっているな
仕事でよく見れんが
292 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 21:00:59.81 ID:l9KpS2I4
293 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 13:04:00.70 ID:eqjeTy9F
見たが信繁って名前も怪しいって言ってたね!
残念だが再放送は今朝だったねw
294 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 14:49:34.97 ID:tmK9aCk4
>>291 残念ながら3人の出演者による信繁のイメージアップのための勝手な妄想像を語る番組と化していた。
感情的なファンなら大喜びする内容だろうが客観的なファンや冷静なファンなら間違いなく失望する。
昨今のテレビゲーム等で信繁を好きになった歴女が語る様な内容のレベル。
295 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 15:50:16.45 ID:MfDQ/0lm
>>294 信繁など出て来なかった
幸村だろうが
目と耳がおかしいのか?
296 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 17:07:48.84 ID:GPEcyUh3
お前の価値観のがひどい
297 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 17:19:20.11 ID:00b43/zc
信繁厨は王仁が漢字を伝えたのは信じる癖に、任那日本府は絶対に認めないチョンと全く一緒
298 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 20:03:47.01 ID:GPEcyUh3
金がほしいまで読んだ
299 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 20:06:31.80 ID:/DwraG+y
>>293 >>287のスレによると
信仍が一番の候補らしい
信賀とも
でも本人があまりに字が汚いので
判別が付きづらいらしい
わざと崩してる可能性もあるけど
信繁という名も最近の研究でわかってきたことらしいので
なんせ史料が少ないので謎だらけ
死んでしまってから有名になる人には往々にしてあることだ
300 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 20:59:23.88 ID:qmld+Smy
信繁のみに拘る馬鹿涙目(笑)
301 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 21:05:04.92 ID:GPEcyUh3
幸村という虚構に執着する阿呆乙
302 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 22:42:44.45 ID:dDos3Zl0
幸村は物語の主人公だろ ソレで決まり
303 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 22:46:40.25 ID:wMv4YQg5
真田信繁 〜〜幸村と呼ばれた男〜〜
というタイトルでの番組を考えてるテレビ局があるそうだ
304 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 22:56:55.99 ID:0m8tfOSU
信繁って名前も怪しいって今日のテレビで言ってたのに
信繁厨はあまりの事にとうとう発狂したようだ(笑)
305 :
人間七七四年:2012/06/15(金) 23:14:15.63 ID:/DwraG+y
>>304 お前が必死で擁護している作られた幸村よりよっぽど信憑性あるんだぞ
信仍・信賀≧信繁>>>>史実の壁>>>>>>>>>>>>>幸村
306 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 00:06:26.11 ID:3D0B1tEv
大学院で日本史学やってるけど普通に幸村だな
教官も幸村って言ってるし
307 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 00:30:24.54 ID:mYkWNioO
>>306 それは俗称だし一般的にはいいと思うよ
但し実際は信繁または信仍という名前だという事実は変わらないだけで
最近は歴女とかのブームの影響で
幸村=信繁っていうのは広がってきてる
実際にテレビなどでは信繁と注釈をいれてから
幸村として扱うところも増えてる
狂った幸村オタはそれが気に入らないみたいだけどね
308 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 09:51:41.38 ID:C7HGvas9
眞田左衛門佐の本名って松代のどっかの蔵の書物に書いてないのかな?(笑)
兄 信之なら本名でカキコするだろうw
なんか24時間警備してた怪しい蔵があったみたいだね!
309 :
人間七七四年:2012/06/16(土) 23:49:40.42 ID:AfBboVq6
真田家の記録には全部幸村になってる
それ以外の名前など全くなし
信繁は怪しいって事だからもう幸村で決まり
310 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 00:09:02.84 ID:iDsNmHDm
代々記
Remote Host: p4254-ipbf2106funabasi.chiba.ocn.ne.jp
戦国板の幸村荒らし
真武勇者
Remote Host: eaoska033200.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
311 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 10:58:59.47 ID:ezltgJRo
>>309 1594年に豊臣家から官位を授けられた時は、豊臣信繁として記録されているけどな
312 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 11:26:50.39 ID:Vhij3Xx0
幸村を実在の人物だとするから騒動になる
幸村は物語の主人公
信繁やその他の人のエピソードが含まれた架空の人物
313 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 11:29:45.17 ID:2xTG2c2b
>>311 ねねも豊臣秀子と記録されてるんだけどな
しかし、誰も秀子なんて呼ばんだろ?
アホと違うかお前
314 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 11:37:04.38 ID:n7KI+pca
315 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 11:44:33.28 ID:F8N5ch/j
まあ幸村の名前は信繁とは言えないってのは
先日のテレビで確定済み
これからは信仍か信賀とでも呼ぶ?(笑)
316 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 11:48:20.25 ID:n7KI+pca
>>315 それはない
本人の直筆の書状には信繁と書いてるので
317 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 11:56:00.65 ID:taquYQX3
豊臣秀子じゃなくて豊臣吉子な
その程度の知識で人をアホ呼ばわりとは
元の名は寧だろうけど、叙位のときに諱を吉子とした
318 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 12:06:41.39 ID:ezltgJRo
>>316 そもそも慶長20年3月10日に出した最期の手紙の内容からして、もう手紙を出す理由なんてないしな
出したら出したで武士としても偉い恥知らずだ
あとこの手紙には真左衛門佐 信繁(花押)ときちんと署名されている
319 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 12:38:09.38 ID:n7KI+pca
>>317 信繁も意外とそうだったじゃないかな?と思ってる
幸村は論外なので触れませんが
官位を得る時に
親父からアドバイスを受けて信繁と名を改めたんじゃないかな?と
320 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 13:05:27.99 ID:08NdGIao
信繁厨完全敗北
涙目(笑)
321 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 13:10:00.60 ID:NRw2i9fg
幸村厨って何で史料を読まないのか不思議だ。
同時代史料では信繁(ないし信仍)と書かれているのに、
編纂物や写しを根拠にひっくり返せるとでも思っているのかな?
編纂物である日本書紀を例に、書状の写しを擁護したりw
たぶん編纂物と書状・日記との史料的意義がわからないのだろうけど。
322 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 13:20:07.14 ID:08NdGIao
信繁厨完全敗北
必死すぎて笑える
323 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 13:22:08.58 ID:ezltgJRo
08NdGIaoよ涙ふけよ
324 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 13:33:00.16 ID:F8N5ch/j
真田家が編纂した『左衛門佐君記稿』には滋野幸村、初め信繁とあるので別に幸村と呼んでも間違いではない。
江戸時代の講談で真田「幸村」だ→講談は幕府に気を使った偽名だから本名は「信繁」だ
−と騒いでる人が多いだけでしょう。
325 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 13:55:26.34 ID:ezltgJRo
高圧的に穴だらけかつ独りよがりの自説を
他者に押しつけようとするのが間違い
326 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 14:11:20.45 ID:08NdGIao
>>324 信繁厨完全大敗北
アホ丸出しの知障(笑)
327 :
325:2012/06/17(日) 14:13:53.30 ID:ezltgJRo
↑
こいつのように
328 :
327:2012/06/17(日) 14:18:15.59 ID:ezltgJRo
329 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 17:03:02.60 ID:n7KI+pca
>>324 俗称としては幸村として間違いじゃない
なので幸村と呼ぶことはおかしなことじゃないんだ
狂った幸村オタである ID:08NdGIaoは
信繁と呼ばれること自体を否定したいらしい
330 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 17:24:01.29 ID:IMRJxvbI
>真田家が編纂した『左衛門佐君記稿』には滋野幸村、初め信繁とあるので別に幸村と呼んでも間違いではない。
>江戸時代の講談で真田「幸村」だ→講談は幕府に気を使った偽名だから本名は「信繁」だ
プッ!!!
幸村と信繁は別人などと大嘘ばっかりつく信繁厨完敗(笑)
331 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 17:30:01.30 ID:n7KI+pca
>>330 はいはいID:IMRJxvbIに変えましたかwww
幸村厨乙
332 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 17:46:06.39 ID:+xPQNa6n
(・∀・)ニヤニヤ
333 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 19:36:17.54 ID:2MiUCGCP
>真田家が編纂した『左衛門佐君記稿』には滋野幸村、初め信繁とあるので別に幸村と呼んでも間違いではない。
信繁厨は幸村は小説の架空の人物などと馬鹿げた事を言ってたな
まともに物事を考える知能があるのだろうか?
334 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 19:49:01.44 ID:ezltgJRo
お前が言うな
335 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 19:55:37.55 ID:Vhij3Xx0
『左衛門佐君記稿』という物は1843年に編纂された物で
九州の薩摩 頴娃郡の浄門ケ嶽の麓に風来の山伏が住んでいて、それが幸村だったと云う話
結局、カッコいい幸村伝説
336 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 22:53:32.99 ID:n7KI+pca
>>333 あははは(^−^)バカ丸出し
みじめだな幸村厨
337 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 23:01:28.48 ID:Vhij3Xx0
でも、松代真田家が編纂した事に間違いは無い
「先公実録」の中の一遍
ウチの先祖にはこういう人がいたらしいよという伝記物
338 :
人間七七四年:2012/06/17(日) 23:23:22.61 ID:+xPQNa6n
どこまで本当なのやら
339 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 10:13:44.63 ID:Ypo96OlD
真田郷は古代の官牧地域であり、経営には大伴氏があたっていたとされており、
滋野氏が入部する前から根を張っていたという説もある。
享保16年(1731年)に江戸藩邸が類焼したとき、多くの記録や文書が焼失し
たこともあり、さらに他大名に比べて家史の編纂事業が大幅に遅れていたことも
あって、真田氏に関する史料はあまりにも貧弱であり、幕末にやっと家臣河原綱
徳らが命により編纂した『真田家御事蹟稿』ができあがるが、『綱徳注記』によ
れば、すでに関連史料の多くが散逸してしまっていたという。『真田家文書』
『群馬県史』『信濃史料』『新編信濃史料叢書』など、近年真田氏の研究が進む
につれて、江戸期の編纂物に頼ってきた真田氏の歴史が見直されてきている。
>江戸期の編纂物に頼ってきた真田氏の歴史が見直されてきている。
>江戸期の編纂物に頼ってきた真田氏の歴史が見直されてきている。
>江戸期の編纂物に頼ってきた真田氏の歴史が見直されてきている。
340 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 13:21:58.86 ID:e005H30y
普通に転載すれば、それなりに良かったものを
何で蛇足に等しい強調をするのかねぇ……
341 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 15:06:23.27 ID:qC5xvmf+
アホやから
342 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 04:50:32.60 ID:nw8iZtPl
343 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 06:46:11.52 ID:nw8iZtPl
仙台真田代々記 [単行本] 小西幸雄 (著)
絶版
344 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 08:17:38.74 ID:nw8iZtPl
345 :
人間七七四年:2012/06/19(火) 11:11:20.54 ID:nw8iZtPl
お花畑の郷土史家
346 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 04:17:32.55 ID:5LuQ2C8D
347 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 07:48:39.69 ID:otTu3XLj
戦いの前から(性的)関係があり、子孫に関する(子供を作る)約束があったのではないか」
348 :
人間七七四年:2012/06/20(水) 09:44:07.57 ID:5LuQ2C8D
学者たちに相手にされないw代々記w
349 :
人間七七四年:2012/06/21(木) 00:18:00.37 ID:pVzDl/w8
代々記age
350 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 01:58:30.42 ID:/X9isFq7
井伊直政…菅貫太郎
351 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 12:10:11.73 ID:I3UmVdAo
なんでここ急速に寂れたわけ?
352 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 13:57:57.03 ID:DcGsZ6Ih
幸村厨が飽きたんだろw
353 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 17:29:56.31 ID:IGMw7/Az
信繁オタのキチガイっぷりに音を上げたんじゃないの?
354 :
人間七七四年:2012/06/25(月) 22:07:02.41 ID:Th5dwnFy
>>352が呼び寄せた幸村オタの
>>353が来た
わかりやすくてωαγοτα...φ(^Д^ )ギャハ
355 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 20:50:21.41 ID:LyfpPMF8
あげ
幸村の子孫はこの世のどこかにいるよね
俺も少し血が流れている
356 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 21:14:04.99 ID:GQ+lCAZD
信繁の血が流れていると自慢する馬鹿は一人もいないが
幸村の子孫ならごまんといる
357 :
人間七七四年:2012/07/26(木) 09:04:08.96 ID:iDL0MCwK
358 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 15:05:32.23 ID:FNzoPrvO
氏素性の分からぬ輩を子孫として崇めている上田市、長野県などの自治体やテレビ局
359 :
人間七七四年:2012/07/28(土) 15:07:16.63 ID:FNzoPrvO
某家の系図
江戸時代に3回も養子
↓
(中略)
↓
姉夫婦の子が養子として入り当主
360 :
人間七七四年:2012/08/17(金) 23:46:35.25 ID:2P/GFrov
大河真田は嵐大野が主役らしいな
怪物君しか見たことないけど結構棒だよね…大丈夫なんだろうか?
ジャニが主役だと嫌な予感しかしないわ
361 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 14:08:47.51 ID:A03jaFmN
それガセだよ
362 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 18:50:07.92 ID:YGuhHKec
幸村は上田城主
信之は沼田城主
関ヶ原の10年前から沼田は上田とは別個の(いわゆる)藩として独立している。
そこを知らないと関ヶ原で何故兄弟が割れたかとか理解できないだろう
そして真田は代々関東管領の家来
363 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 19:01:22.39 ID:uHJX+hSU
幸村は上田城主じゃないぞ
364 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 19:35:44.90 ID:YGuhHKec
大阪城では城主として遇されている
ポイントは上田と沼田は別個の組織
365 :
人間七七四年:2012/08/18(土) 19:59:04.70 ID:uHJX+hSU
そういう意味ね
ところで、それに関連して幸村の正室が大谷吉継の娘じゃない可能性が
あるそうだがどうなんだろ
366 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 13:16:52.29 ID:SfPUi5Cu
真田は元々関東管領の配下で、謙信が就任した時も真田は祝いの太刀を送っている。
その後、徳川に攻められた(第一次)時も景勝は上田城直近まで自ら救援に来てくれたし、秀吉を紹介してくれたり秀吉の前で沼田について庇う論陣をぶち上げたり相当に世話になっている。
昌幸は「秀頼にも徳川にも恩はない」と言っていたが、真田が恩を持ってるのは信玄と関東管領景勝のみなんだよな。
景勝は佐渡金山と直江港の超権益を豊臣に奪われているから豊臣嫌いだし、直江状の謀反(関東出兵)は真実だったとするならば、北条嫌いの佐竹と上杉臣下の真田と結んで関東を取り戻そうとしていたと見れる。
ってのはどうかな?もちろん関ヶ原とは別個の計画で。
途中で信之が裏切って徳川に走り昌幸と幸村の計画を漏らし、上杉討伐軍の本体である秀忠が真田を討ちに行った。
タイミング的には最良だし、秀忠が関ヶ原までの道のりを相当遠回りして一々真田を潰しに行ったという理由もそれならば説明がつく。
367 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 13:23:39.85 ID:YECCYDjF
アホか。昌幸は景勝を何度を裏切ってると思ってるんだw
しまいにゃ景勝のところに人質にやった信繁を密かに脱出させて秀吉への人質にしてるし。
これだから講談小説脳は困る
368 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 17:44:02.91 ID:SfPUi5Cu
信繁は景勝を仲介して移動させたと考えられないかな?
国人レベルの真田が単独で秀吉と交渉するのは実際はすごく大変な事。
369 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 17:52:25.23 ID:SfPUi5Cu
石田三成は真田に「上杉との情報仲介役になってほしい」と申し出ただけで、兵を挙げてほしいとは頼んでいない。
なぜ数多く存在する大名の中で、上杉との仲介役に真田が選ばれたのか。
それは真田が上杉の下だからだろ。
関東管領たる景勝も相当に東北で粘ってるし、やる気まんまん。
ただ、直江兼続が思ったより戦争弱かったのが残念。
370 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 17:56:29.77 ID:YECCYDjF
仲介役も何も三成は上杉の取次だぞ?直接のルート持ってる。仲介なんか必要ないわ。
どっからそんな阿呆な発想が出てくるんだ?
371 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 18:11:14.47 ID:SfPUi5Cu
遠いからじゃん?
実際に仲介頼んでるだろ
372 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 18:39:59.03 ID:uzq4LadQ
>>368 ここは幸村スレじゃ!!!!
スレタイも読めない信繁厨は死ね!!!!!!!
373 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 18:41:18.93 ID:oZD7bVla
374 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 19:06:05.28 ID:SfPUi5Cu
三成の書状では
「上杉との情報やり取りの中継地点やってよ」
「家康を西軍が叩けば上杉、佐竹、真田は関東乱入できるね」
だけ。
つまり、上杉(関東管領、主犯)、佐竹(藩北条)、真田(家臣)は共同して関東を切り取るつもりだった。
それを信之が家康に密告してばれたから上田に入って1月も後に、わざわざ上田くんだりまで上杉討伐本軍が攻略に来た。
375 :
人間七七四年:2012/08/19(日) 19:19:32.04 ID:SfPUi5Cu
上杉(関東管領)、佐竹(反北条、徳川)、真田(上杉配下)の関東乱入と三成の関ヶ原は別口で事前の共同歩調はとられていない。
最初から共同歩調を取っていれば、反家康的な大名も多かったので違った結果になったろうな。
某将昌幸は西軍の旗揚げを知って歯噛みしたに違いないな。
376 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 22:04:38.29 ID:w8g9ULXj
色々突っ込みどころがあるけど
「真田は代々関東管領の家来」という一文が謎すぎるんだが…
一体何の史料を見ればそう書いてあるんだ
377 :
人間七七四年:2012/08/20(月) 22:22:07.72 ID:bcW3PerC
ただの妄想だろ
378 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 01:33:08.42 ID:2eJEpJOy
>376
え、そっからですか??
家来って言葉がまずかったか??
379 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 01:44:41.71 ID:YGXQo3yb
幸綱以前の真田氏の動向を知ってるなら学会で発表すべし
380 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 08:40:01.05 ID:2eJEpJOy
真田幸村の幸は海野の諱。
真田は海野の支流ってこと。
そっからだとは思いませんでいた(汗
英語の話をしている時に、「アルファベットって何?」と言われるようなもので、ちょっと脱力でした(涙
381 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 09:25:56.04 ID:dNJHXAHM
そもそも真田が海野氏支流なんて自称にすぎないんだが
382 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 09:56:18.80 ID:4Z/icuFG
墓から骨掘り出してDNA鑑定でもするしか無いなw
湿気の多い日本では結構困難だが
383 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 11:44:34.75 ID:CRY2zxOu
真田=海野としても
「真田は代々関東管領の家来」てのは違和感
海野氏が関東管領の家来なり配下なり庇護下(全然守られてないが
だったのは1468年の海野大乱で海野氏が村上氏に大敗して勢力を弱めて以降だろ?
氏幸棟綱2代で代々って感じはしない
幸隆の代で関東管領とは切れてるし
384 :
374:2012/08/21(火) 19:07:49.41 ID:2eJEpJOy
実は↓を読んだんだ
真田一族―家康が恐れた最強軍団 相川司
けっこう高いし、それなりの知識を持ってる人しか買わないだろうけど、アマゾンのレビューでも全員が五つ星
本は友達に貸したから疑問には返答できない
面白かったんでよかったらどうぞ
この人の北条本も面白かった
385 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 19:49:16.31 ID:YGXQo3yb
なんだこいつ
386 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 20:01:10.95 ID:dNJHXAHM
頼むからその手の俗論臭満々の本の紹介はやめてくれ
387 :
374:2012/08/21(火) 21:59:07.81 ID:2eJEpJOy
俗論集?
読んでみると内容は非常に濃い
レビューの星が5だってのもわかる
表紙と表題はいただけないけどね
388 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 22:11:49.23 ID:cfqjkhTm
推理作家が書いたものを「非常に濃い」と言われても・・・
ちなみに1890円という価格は、歴史専門書ではありえないくらい安いぞ
「それなりの知識を持ってる人」はそんなもの買わないからレビューのしようがないぞ
389 :
374:2012/08/21(火) 22:38:04.27 ID:2eJEpJOy
1890円出す人ってのは本当に歴史が好きな人だな。
レビュー全員が☆5個。
まぁ読んでみ。
たいした額じゃないし。
ちなみに著者が書いた北条氏のも良かったが、あちらもレビューの星の数は最高。
おすすめ本だよ。読まないでグジャグジャ言うのはつまらないよ。
390 :
374:2012/08/21(火) 22:39:05.13 ID:2eJEpJOy
全ての疑問が氷解すると思う。
391 :
人間七七四年:2012/08/21(火) 23:20:45.35 ID:qUu8LoBN
買って欲しいなら買って下さいと正直に
392 :
374:2012/08/21(火) 23:29:34.80 ID:2eJEpJOy
この面白さを他人に知ってほしい
買ってください
本当に目からうろこが落ちる本って少ないなぁ
393 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 01:03:24.89 ID:fU4Mip6g
どんな本を紹介しても、この手のスレでは叩きの材料と化してしまうよな
394 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 07:42:44.28 ID:mnP9oDNc
1円で中古本売っていれば買って見るけどなぁ
ネタ探しの為に買うのはめんどくさい
395 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 08:39:15.83 ID:SMXsc1nW
>>389 >1890円出す人ってのは本当に歴史が好きな人だな。
>たいした額じゃないし。
同じ文中で矛盾しててワロタ
396 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 08:44:52.76 ID:SMXsc1nW
>>390 学術論文に書き直して査読を受けたら、皆読んでくれるようになるよ
397 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 11:44:41.13 ID:PpggZvH7
>戦国時代の馬は「ポニーサイズ」と断じ
レヴューのこの一文で個人的にパス確定
398 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 11:49:50.22 ID:gIVvrAPU
>>397 勉強してないことがまるわかりだよね、それだけでw
399 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 12:27:13.67 ID:IIJ3Y7uF
>戦国時代の馬は「ポニーサイズ」
違うの?
よく言われているじゃん。
今の競走馬みたいに大きかったのか?
400 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 12:28:59.84 ID:gIVvrAPU
>>399 間違いなく「ポニーサイズ」を誤解、もしくはミスリードしている事がありありと解る。
401 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 15:08:35.71 ID:IIJ3Y7uF
結局小さいんでしょ
393の言うとおり何でもネチネチ批判する
ここの人ってキモい
結婚したくないタイプだな
402 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 15:32:42.64 ID:5d4D5QsU
>>401 どう小さいと思ってるんだ?ポニーはどの程度の大きさだと思ってる?
そしてポニーだと何ができて何が出来ないか
言ってみろ
403 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 15:57:17.95 ID:dtUnjYzA
>>401は
>戦国時代の馬は「ポニーサイズ」
というフレーズの由来を知らないから無邪気なことを言っているのだろうが、
さんざん議論された話題なので、少しは調べてから出直してほしい
404 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 16:42:36.13 ID:2+UJDJ3k
まーたキチガイ武田厨が発狂してるのか
この板には真性キチガイ武田厨ってのが棲息していて
捏造戦国最強w騎馬軍団が実はタダのポニー軍団www
だと嘲笑されてるのが気に入らなくて嫌がらせするから気を付けて
キチガイはスルーというのがこの板のルールでもあります^^
405 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 17:03:11.61 ID:dtUnjYzA
正直言って、武田には興味無いので武田の話題は他所でやってくれ
406 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 17:20:36.08 ID:qp1cDesD
たぶん大半が自分で飼ってる馬を戦場に連れてきたんだろうな
負け戦となれば繋いである自分の馬も心配だし
さっさと逃げるだろうね
407 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 17:21:29.07 ID:rZLCM7Bv
>>404 なんか本当に気持ちの悪い人がいますよね・・・
唐突に絡んできたり、405みたいな仕切り屋とか
誰がどんなレスを付けようが自由なのに
408 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 17:43:32.81 ID:N+cO5nL+
こうやってこの板は過疎ってたんだろうな
やたら排他的な奴多過ぎだろ
409 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 18:34:38.86 ID:gIVvrAPU
お前みたいに自作自演で遊ぶバカが出てくるから過疎っていくんだよ
410 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 18:37:07.48 ID:vchVMVkx
よほど悔しかったんだろう
411 :
人間七七四年:2012/08/22(水) 18:45:32.31 ID:rMn96+Lm
武田の名を出すとやたら火病る奴いるよなw
412 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 00:15:56.98 ID:cTD4ca7k
384の本は確かに面白いぞ
史料を基にしているから説得力ある
413 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 00:18:35.04 ID:iDmLgZ6o
そうか、じゃあその史料選択や解釈が正しいか、次は頑張って判断できるようになろうな。
414 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 00:25:50.24 ID:cTD4ca7k
読んでから言えよw
排他的な奴だな
日常生活送れてるか?
415 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 00:46:28.22 ID:QUiv+tWW
つかちゃんと読めてるのか?
理解の仕方に問題があるから突っ込まれてるんだろうに
416 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 00:52:31.76 ID:0hZ60kwz
排他的どころかものすごく丁寧に付き合ってるよな
417 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 06:18:51.36 ID:fOEh2R4G
何の根拠も挙げずに「読め」というのは、新興宗教の信者と変わらないな
418 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 11:30:28.37 ID:Qxu3JKE/
まぁ読まないと否定出来ないので読んでみますw
419 :
人間七七四年:2012/08/23(木) 13:32:10.02 ID:j7B6kqnR
良い奴だなw
420 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 07:32:44.70 ID:zCb21Ei4
秀忠の書状で、「上杉、佐竹、真田」が1セットで語られているのが残っている
上杉の有力同盟者の佐竹と被官の真田が同調して兵をおこしたのは間違いないだろうな。
佐竹は宇都宮、結城、蘆名の旧領を取り戻す因縁合戦的なものもあるし、徳川が人質だせというのを「ふざけるな!」って激怒して北条と近かった徳川に人質出せるかとつっぱねてる。
上杉から家紋をいただいている上杉配下の最上、伊達も上杉に同調するような書状を送ってたし、景勝は関東乱入をかなりの確率で成功すると思ってたろう。
421 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 07:33:52.49 ID:zCb21Ei4
当初の予定どおり、最上、伊達が上杉についたら火度由以前の様に関東は独立的な地域になってたかもね。
422 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 08:09:03.88 ID:SwfsTLIf
地理的な問題で 東北から関東へ攻める 関東から東北へ攻める どちらも結構難しいんだよね
423 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 12:32:12.67 ID:zCb21Ei4
三河物語にも「上杉、佐竹、真田」が西軍とは別に1セットで書かれている。
上杉の関東乱入が成功していたらなぁ。
三成が便乗して関ヶ原が勃発した流れだが、ときちんと連絡取ってればな。
424 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 12:52:42.87 ID:zCb21Ei4
真田は三成に応じて上田で籠城したのではなく、上杉と同調して出陣したものの小山で徳川勢が陣をかまえていたので上田に戻って籠城。
上杉討伐隊である秀忠は上田城を攻撃しに行く
間隙をついて西軍挙兵(上杉、真田、佐竹は西軍の挙兵を事前に知らず)
秀忠は慌てて関ヶ原へ→東軍勝利
425 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 17:32:24.77 ID:+M9VKx6M
上杉みたいな輜重の貧弱な家が関東になんか来れるかよw
426 :
人間七七四年:2012/09/05(水) 19:56:03.98 ID:zCb21Ei4
上杉は国内大名格付け4位。
東北をまとめる奉行だったけどな。
427 :
人間七七四年:2012/09/13(木) 17:11:19.06 ID:qNsdwmg2
ウィキに「松代へ移封した際には20万両という大金を持って入封した」
と書かれているけど、配流された父、弟の面倒もみてよく貯められたなと思う。
信幸も妻も倹約家だったと書かれているけど、倹約も限度があるだろうに。
428 :
人間七七四年:2012/09/14(金) 06:11:18.25 ID:osgtfQl3
父と弟の面倒を見てたのは真田家中だけじゃないし
429 :
人間七七四年:2012/09/14(金) 06:49:31.40 ID:m+eil4ev
農業や兵站を担う木曽馬が普及してた信濃や甲斐は
農業生産、輜重、重装備での行軍など
いろいろな面で活躍してた。
車のシフトチェンジみたいに、
馬力が必要なくひたすら早く走るだけの大陸の草原と違い、
山谷が多く起伏が激しい日本の国土では、
重い荷物を背負い傾斜の激しい峠を超えるため
馬力とスタミナが重視された。
これが木曽馬が文明開化前まで、
各農家で馬力を必要とする農業や荷物運びのために盛んに飼われた理由である。
家内で家族同然に飼われていた。
馬のサイズはむしろ
430 :
人間七七四年:2012/09/15(土) 16:41:14.45 ID:1q/mzdaa
>配流された父、弟の面倒
早く焼酎おくって〜(泣 って位だから、大した援助はしてないんじゃないのかな
流人にあまりおおっぴらに援助するのもアレだろうし
431 :
人間七七四年:2012/09/15(土) 17:32:54.23 ID:WwozIQ4w
それは月々の生活費に加えての分だろう
432 :
人間七七四年:2012/09/16(日) 09:09:49.80 ID:6VZ7/bYG
昌幸の「借金がかさんでいるので金を送って欲しい」という手紙は三男の昌親宛
幸村の「焼酎送れ」の手紙は九度山麓にいた家臣に宛てた手紙で
真田本家に対する物じゃないよ
真田本家としては表立って支援はできなかったんじゃないかな
433 :
人間七七四年:2012/09/19(水) 19:51:45.95 ID:DFilo0+O
真田日本一の兵のツワモノってどういう意味?
真田幸村自身のものか、真田隊に向けてのものか
ところで次次回大河ドラマは明智が急浮上か
真田も有力だったが厳しくなったな
434 :
人間七七四年:2012/09/20(木) 00:55:07.29 ID:ApPejWdT
大阪在住だけど大阪・上本町にはとんと縁がなく、昔そこにあったビクターのサービスセンターにお世話になったのと
ファミコン版ドラクエIIIを近鉄百貨店に買いに行ったぐらいでしたが、今月末に某所要で行くことになりました。
大阪冬の陣の激戦地だったここで逝ったかも知れない幸村のことを思いつつ、所要をこなそうと思います。合掌(-人-)
ちなみにこの辺、今でも土木工事やると普通に当時の戦死者の骨がゴロゴロ出てくるそうな…
435 :
人間七七四年:2012/09/20(木) 18:23:36.07 ID:3kFtB6U6
そこではないよ
10万人の大虐殺があったのは大坂城本丸付近
436 :
人間七七四年:2012/09/20(木) 20:13:40.97 ID:gJ67t0X9
10万人とか戦国時代の装備で殺せるかっつーの。頭おかしいわ
437 :
人間七七四年:2012/09/21(金) 12:12:43.82 ID:2RndKK+u
10万人って云う人間の単位がありえ無いわ
三国人の得意なねつ造だよ 日本人のフリをした在日大阪人
438 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 09:30:17.89 ID:kT2RUHXy
ドドンドドンドン 信繁!
439 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 12:48:29.32 ID:VL2eeFGZ
真田幸村は日本ある限り永遠不滅の英雄です
440 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 13:02:59.05 ID:6Dc82c0e
学研の
まんが人物日本史シリーズの 「真田幸村―大阪冬の陣夏の陣」
病院の待合室で読んで驚いた
「日本史」と銘打ってあるのに真田十勇士が大活躍してたw
Amazonで見たらプレミア価格付いていやがるのw
441 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 13:05:42.24 ID:KKiHEjBG
既存マスコミが没落すれば今の秀吉以下の扱いになるかもなw
442 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 13:14:13.72 ID:cYdoJS7e
なあに今のチョンマスゴミからチョンが一斉に駆除される事なんかまずないから
安泰だよ
秀吉と皇室を蔑む内容が続くだけ
443 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 19:09:09.48 ID:kT2RUHXy
誰が至強か! 信幸!
444 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 00:42:27.93 ID:JruLfzGV
>>440 真夜中なのに思いっ切り大笑いしたじゃないかwww
445 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 19:45:55.84 ID:b6/MeiSZ
真田信幸って1590年の北条攻めの時の戦の戦歴ってどんな感じなのかな
色々本調べてるけどそこらへんの情報が殆どのってなくて
父弟と一緒にっていうのが定説だけど義父の忠勝指揮下っていう情報もあるし
446 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 21:50:31.27 ID:S18dLzEB
1579年の小田原征伐の前哨戦 松井田城攻めがメインイベントだと思うけど篭城戦になってしまったからなぁ
前田利家、上杉景勝、真田昌幸 連合軍の中の侍大将クラスだろうから
信幸は物見としての活動くらいはしているだろうけど
持久戦1ヶ月後の4月22日に開城だから実戦闘は無いだろうな
次の年1590年、八王子城で同じ上杉景勝・前田利家・真田昌幸連合軍の中に信幸が加わっていたという資料は無いようだ
447 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 23:37:32.77 ID:4ccFkoHG
つまり、どこが持ち場だったか解らない訳ね
448 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 05:45:34.48 ID:ai5FolBH
猿飛佐助の孫が主人公の時代劇テレビでやるらしい
449 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 10:38:47.67 ID:04a64xmv
>>433 今の大河なら大河化しない方が賢明。
こんな内容で大河化を切望してる奴は脳みそが腐ってんじゃんかろうかとさえ思う。
>>448 BS時代劇ね。
好評(高視聴率)なら薄桜記みたいに地上波でも放送されると思うが猿飛は正直厳しいと思う。
薄桜記は吉良家視点の忠臣蔵だから視聴者も食いつき易かった。
猿飛だと年配視聴者は子供騙しの時代劇として敬遠しそう。
450 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 21:49:35.25 ID:Fj+4GdPu
>>440 学級文庫で置いてあるやつか。
本の表紙絵(カバーではない)の、幸村が騎乗で軍配を振っている姿がカッコよかった。
451 :
人間七七四年:2012/09/28(金) 23:25:57.31 ID:NAv8ZUgC
それかどうかわからないけど、中学校の図書室で借りた真田幸村、十勇士のマンガが格好良かったな。
影響でその後に出たファミコン真田十勇士を買っちゃったもんな。
ゲームも結構面白かった。
大河は直江兼続がアムロ化していてゲンナリ。
本当は権力欲とか凄くて景勝の長兄や藤田を追い出し、挙句の果てに家康領を攻め取ろうとしたのを恨みに思っていた家臣に密告されるような厳しい尖った奴だった。
兼続がもう少し安室だったら旧領復活と関東乱入も成功していたかもと思うとファンとしては残念。
しかし藤田め・・。
元巨人の藤田監督は藤田一族の末裔らしいけど許しがたい。
やつの出身は埼玉の寄居町用土だったかな。
見に行ったら用土城が再建築されてたな。
452 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 01:01:55.68 ID:vrHxhevF
>>445 前田利家、上杉景勝と一緒に八王子城攻めに参加したはず。
453 :
人間七七四年:2012/09/29(土) 23:49:17.45 ID:G2gn4fpH
長尾義景って若死にしたよね?
454 :
人間七七四年:2012/10/11(木) 11:06:40.49 ID:7V2NBhJ3
455 :
人間七七四年:2012/10/11(木) 13:15:58.74 ID:YufV9y0J
なんで幸村なのかが本気で理解できない
絡みや事績業績を考えるとどう考えても昌幸以外考えられない。
456 :
人間七七四年:2012/10/11(木) 14:17:26.47 ID:RyszAHuP
そりゃあ幸村の知名度が抜群だから
457 :
人間七七四年:2012/10/11(木) 21:30:06.61 ID:wxoV/R/B
458 :
人間七七四年:2012/10/12(金) 22:30:36.97 ID:6KZn9KQW
『関ヶ原合戦の際、信濃上田城(長野県上田市)で徳川秀忠軍を食い止めた真田昌幸・信繁(幸村)父子は、
紀伊国高野山麓の九度山での蟄居を命じられた。その生命を救ったのは東軍に付いた昌幸の長男・信之の
助命嘆願によるものであった。講談などでは、昌幸が打倒家康を果たすべく再起を期したというが、実際は
赦免を待ち望んでおり、国許から経済的援助を受けていたのが実情である。慶長十六年(1611)、昌幸は
無念のうちに病死し、信繁が大阪の陣で活躍する』
渡邊大門著「大阪落城」より
459 :
人間七七四年:2012/10/16(火) 20:46:51.76 ID:HAo/XEEI
潰そうと思えば問答無用で潰せてんのに
徳川に嫌われながらも家を残したお兄ちゃん凄い!って奴はアホだよな
460 :
人間七七四年:2012/10/16(火) 22:10:08.54 ID:W0cyz0fV
そもそも徳川に嫌われてたって話が嘘だから。
秀忠時代ですら譜代格で誰が見ても重用されておる。
461 :
人間七七四年:2012/10/19(金) 11:34:36.09 ID:MBVpU7dr
で、実際のとこ真田信繁の武将としての実力はどうだったん?
一応同時代の数多くの史料にもその戦いぶりの凄まじさが載ってるが
462 :
人間七七四年:2012/10/19(金) 12:01:43.47 ID:fd50bYtU
講談本…。かな。
463 :
人間七七四年:2012/10/19(金) 12:40:21.44 ID:R2PYUudW
現場にいた人たちがビックリしたくらいだから相当なものだろう。
大阪城攻防戦でも大奮闘だし
野戦も城でもすごい。
464 :
人間七七四年:2012/10/19(金) 15:53:39.74 ID:nlqlmxI0
>>461 真田信繁はスレ違い
スレタイも読めんのか
出て行けボケ!!!!!
465 :
人間七七四年:2012/10/20(土) 16:48:19.98 ID:waaE775h
真田信繁と書いて反応を見る
466 :
人間七七四年:2012/10/20(土) 19:42:23.29 ID:J6YRYbNO
真田信ハゲ
467 :
上州真田よしお:2012/10/21(日) 11:24:55.66 ID:2J4x3tVe
10/28(日)は箕輪城祭りですが、本丸にて攻防戦にも参加します。
剣聖 上泉伊勢守秀綱VS武田典厩信繁もあり。
長野業正軍になるか武田軍になるかはまだ未定ですが、出来れば武田軍
がいいな・・・。ストーリー上は負けますけど・・・。
武田菱か真田六連銭の旗指物で出陣じゃ!エイエイオー!!
468 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 13:32:34.02 ID:CU8poCiz
大河ドラマ「真田幸村」が実現しなくて残念だな
469 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 14:59:17.79 ID:MbzYYoBV
よしおウザい
470 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 16:06:19.12 ID:+/xecfz1
>>461 大坂以外の史料ほどんど載ってないよ信繁さん
日本一の兵とは言うけれど将とは言わないことから
将としては並みだったのかな?と思う
471 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 16:25:16.87 ID:9dPFkd/e
信繁厨がキチガイの荒らし以外の何物でもないって事がよく分かったよ。
472 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 16:50:56.99 ID:+/xecfz1
>>471 君が出ていけば良くね?チキガイ幸村オタ
信繁でも幸村でもいいんだよ
それが認められないなら真田家ファンとは呼べないから
このスレにいる必要もない
473 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 18:16:53.97 ID:ZfwaQ868
また自演ですか
474 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 19:46:22.67 ID:CU8poCiz
>>472 お前のようなキチガイを排除するために
スレタイからわざわざ信繁を消して幸村したんだろうが
出て行けボケ!!!!
475 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 20:02:47.70 ID:1v6V+27t
滋野一族の家系図で海野小次郎幸平室って書いてあるのを見つけてたのだが
この人の嫁ぎ先は真田幸隆のことで良いのだろうか?
海野棟綱の子か孫の代に海野幸平という人がいたのだろうか?
477 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 21:57:15.21 ID:+/xecfz1
>>475 ???
失礼とか思ってないけど両方歓迎なんだよ俺
信繁でも幸村でもいいじゃんって思うから
一回一回信繁言うなーって奴はネタなの?
もしかして突っ込んだら負けってやつ?
478 :
人間七七四年:2012/10/21(日) 22:00:58.98 ID:CU8poCiz
>>477 お前がキチガイなだけ
さっさとあっちのスレへ帰れ!!!!
479 :
人間七七四年:2012/10/22(月) 02:25:21.84 ID:kBXAuR4c
群馬県沼田市在住
田村よ○お 44歳
変態コスプレーヤ
女性中古下着愛好家
10月28日の箕輪城祭に出陣します。皆さん見にきてくらはい。
お願いしまいた。
480 :
人間七七四年:2012/10/22(月) 12:40:23.43 ID:WQaG5LYV
よしお失せろ
481 :
人間七七四年:2012/10/22(月) 20:09:30.03 ID:myiRJcBS
482 :
人間七七四年:2012/10/23(火) 11:06:51.63 ID:N9DJLgV0
よしお失せろ
483 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 08:30:34.84 ID:zKNPq3Y7
そしてこの板には誰もいなくなったw
484 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 09:02:29.50 ID:rHtimT0a
大英雄幸村の決死の大活躍には今の人間に胸打つ物があるな
485 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 09:38:01.00 ID:bickzJlL
逃げたところを討ち取られたのに?
486 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 18:15:02.20 ID:WMhaPbQy
実際は家康は鉄砲の玉に当たって死んでいた
が、籠の中だったんでそのまま隠蔽し続けてた
487 :
人間七七四年:2012/10/25(木) 04:29:35.58 ID:sdHwJ58/
負け惜しみ乙
488 :
人間七七四年:2012/11/23(金) 13:20:21.93 ID:RwHqK5fk
世界で人気だよ
489 :
又若丸:2012/12/04(火) 14:18:26.30 ID:mRCteJLA
光栄のおかげさ、真田雪村と去るとび佐助は永遠に不滅です
490 :
人間七七四年:2012/12/17(月) 22:59:00.21 ID:bluJ0rjK
491 :
人間七七四年:2012/12/19(水) 22:48:14.08 ID:xiS7Esdz
492 :
人間七七四年:2012/12/20(木) 16:52:03.95 ID:uTor3Uo8
伯父が死んで嫡男の座に座ってただけで優秀な人物扱いになる信之、ゲームで戦国大名並みの数値貰っても過小評価扱いの信之
分家を残しても無視される信伊がかわいそうです
493 :
人間七七四年:2012/12/22(土) 10:23:43.31 ID:dkcgOZZl
最近、昌幸もいいかなと思う
昔はひねくれたじじいにしか見えんかったけど
失礼か
494 :
人間七七四年:2012/12/22(土) 11:11:58.17 ID:M12TZYij
丹羽さん演じる昌幸が最強
意地悪でひねくれててスケベでw
495 :
人間七七四年:2012/12/22(土) 11:37:15.71 ID:dkcgOZZl
それ付けくわえるなら
ドスケベで馬鹿で天然で勘違いじじいだな
496 :
人間七七四年:2012/12/22(土) 17:34:59.67 ID:BZvuukiB
いや丹波が演じた腹黒昌幸が一番だよ
497 :
人間七七四年:2012/12/23(日) 11:33:27.79 ID:5I2nd65h
真田太平記のはいつも信之が一枚上手でちょっとなって感じ。
498 :
人間七七四年:2012/12/27(木) 21:22:21.27 ID:3+fiz0xG
だって主人公が信之なわけで
499 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 11:22:18.21 ID:0K3YAzbo
さっきTBSで、秀忠は関ヶ原に遅刻したってのをやってたけど、
寝坊でもしたの?って突っ込みに対し、そんな変な理由で遅れたわけじゃなく
別の場所で死闘を繰り広げていてやっつけたけどまだいけるってんで、
関ヶ原に向かったって説明してた
500 :
人間七七四年:2012/12/31(月) 11:25:44.15 ID:r01udmub
ほんとは悪天候が原因なのにね。
501 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 03:39:24.41 ID:OkqnhlYV
真田信繁と書いて反応を見てみる
502 :
人間七七四年:2013/02/10(日) 20:35:44.30 ID:vIaTCPbn
test
503 :
人間七七四年:2013/02/10(日) 21:59:11.74 ID:G8tgtMCk
信繁頑張れ>幸村・・・
504 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 11:13:37.64 ID:CRhYN/qv
幸村表記にこだわる歴女たちによって崩壊したスレ
505 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 18:29:31.47 ID:823GsYCA
繁繁様
506 :
人間七七四年:2013/02/13(水) 23:39:23.83 ID:sWgOhPz2
504>
歴女って、戦国時代にしか興味ない女性達のことですか?
507 :
人間七七四年:2013/02/25(月) 12:20:11.52 ID:raSLzI15
508 :
人間七七四年:2013/02/25(月) 12:40:46.04 ID:NoOxNjrb
509 :
子孫か?:2013/02/26(火) 21:49:16.71 ID:Ccy+YQmD
家臣の大熊伯耆守について詳しく知っている方がいましたら教えて下さい。
旧上田市真田町大日向に未だに大熊と言う名字の家が多数ありますが末裔でしょうか?
510 :
人間七七四年:2013/02/27(水) 08:31:34.83 ID:JYsY2k5y
備前守じゃなかったっけ?
511 :
人間七七四年:2013/03/11(月) 08:42:18.07 ID:HmBoVT62
794 :列島縦断名無しさん :sage :2013/03/10(日) 00:40:40.73 ID:XJs56+4XP
だからそういうことに興味が持てないと、
>>788みたいな結論になる。
真田幸村戦死の地なんか、当然何もないでしょ?まだ寺社や城郭の方がそこに何かある。
797 :列島縦断名無しさん :2013/03/10(日) 08:49:21.17 ID:lZd4SfiYP
>>794 馬鹿だなあお前
現地で英雄幸村を偲ぶ事で行く意義があるんだよボケ
512 :
人間七七四年:2013/04/10(水) 20:30:47.08 ID:nxGoOh/G
513 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 12:32:11.73 ID:/yRHlcxi
(笑)
514 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 12:40:26.47 ID:ds6sXLcq
515 :
人間七七四年:2013/05/05(日) 18:46:24.01 ID:UyHYhvVN
大阪夏の陣が始まりま〜す
516 :
人間七七四年:2013/05/25(土) 02:52:46.79 ID:WpvY5zkK
517 :
人間七七四年:2013/05/28(火) 09:28:11.74 ID:BvH534kC
真田幸隆の功績や事績をあげられるだけ挙げていくと
・1549年三月信濃国衆望月源三郎を調略。
・上記に対して信玄の朱印状を渡して認可。
・1551年、村上の要衝である砥石城を調略。
・その手柄によるものか、千貫文を与えられる。
・1553年には塩田城攻略で手柄を上げ、加増を受ける。
・1562年、上野攻略戦争における別働隊指揮官として活動開始。
鎌原城に在城。
・1564年には上野に岩櫃城を築く。
・上野国人大戸氏などを調略。
・岩下城を攻撃し、上野の斉藤氏を滅亡させる。
・1567年、臼井長尾氏の本拠地白井城を攻略してそこを在城。
・以後、西上野でも主要な守りの要となる。
518 :
人間七七四年:2013/06/02(日) 16:59:31.88 ID:2oqzQ7qU
大熊氏は、長尾(上杉)→武田に仕えて、武田家滅亡後に昌幸に仕えた一族のような。
だか昌幸に仕えて真田の大日向に所領を安堵された可能性はあるかもね。
いずれにしろ、信之に従って松代に移ったはずだから、
大日向の大熊氏は、伯耆守と関係があったとしても、末裔と言うよりは一族と言った方が良い様な。
519 :
人間七七四年:2013/06/11(火) 22:56:48.01 ID:lygGYAdt
//www.youtube.com/watch?v=_PdKBZsYiis
こんなのやってるよー
520 :
人間七七四年:2013/06/20(木) 16:17:55.12 ID:y9pekW5k
やっぱ1番はお兄ちゃんだな
521 :
人間七七四年:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:pEW3nfzk
息子が真田検定を受けるというので
今度の三連休、上田に行くんだけど
ここだけは見とけ!意外にここが良い!ってところがあったら
教えてください。上田泊、レンタカー借ります。
522 :
人間七七四年:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:ugcVWJ9f
>>521 まちbbsの上田スレで聞いたほうがいいよ
何が好きか知らんけど山城巡りもいいんじゃね?
523 :
人間七七四年:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN ID:J5h8vyog
ちょいと離れるけど松代に穴場が多い
524 :
人間七七四年:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN ID:KK3L5q3q
レスありがとうございました。
bbsのぞいてみます。
松代、ガイド本で見てみました。
なんとか回ってみようと思います。
真田家の息遣いがわかるような、
展示物でコレは見ておけってもの、アドレスお願いします。
息子は信之ファンです。
ゲームには興味がなく、ひたすら戦国本を読み、
自分で領土図をまとめたりしてる小学生です。
親は子に引きずられてます。
525 :
人間七七四年:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN ID:KK3L5q3q
私は山城が好きですが、
息子はどうも武将たちが本当にいたというリアル感を
感じるのが好きなようです。
書状や、実際に使ってたモノを見ると
テンションが上がるようです。
526 :
人間七七四年:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:DOm11ItD
信之さん関係なら
松代町長国寺と 隠居所であった柴・大鋒寺は絶対行くべき
長国寺には真田氏代々の御霊屋とお墓が在ります。
信之の御霊屋の豪華さには驚くはず。ちょいとした東照宮並みで真田家の財力が感じられると同時に、代を追うごとに衰退して行くのも判ります。
隠居所であった柴・大鋒寺には信之の木像が在るのですが、ほとんど観光客の行かないお寺なので穴場です。
527 :
人間七七四年:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:fpYsqFXl
群馬県方面だと名胡桃城や沼田城とかもよいのでは?
528 :
人間七七四年:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:wV+pcK0t
よいね
529 :
人間七七四年:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN ID:bjdvxuv8
>>526 >>信之の御霊屋の豪華さには驚くはず。ちょいとした東照宮並みで真田家の財力が感じられると同時に、代を追うごとに衰退して行くのも判ります。
まあそれは将軍家も一緒だから
530 :
人間七七四年:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN ID:n6EGUrK5
>名胡桃城や沼田城とかもよいのでは
沼田は石垣に直接触れる事が一番のイベント
名胡桃は当時の状態が想像出来る素晴らしい城跡
流れで岩櫃に行くと,この時期は死ねるw
531 :
人間七七四年:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:C+LmTQ/Q
典厩寺も行くといいよ
信之が武田信繁を奉ると幕府に偽って
弟の信繁の墓を建てた寺だからね
532 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:EpqqBLQm
>幕府に偽って 弟の信繁の墓を建てた寺だからね
急に胡散臭くなったなwww
533 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:gKaw9HjP
>>532 じゃあんた行ってみなよ
住職が説明してくれるよ
534 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:Reulis0v
たくさんの情報ありがとうございます!
信之の御霊屋は面白そうです。信繁の墓も楽しそうです。
群馬の情報もありがとうございます。
城好きなので私の方がワクワクします。
ここでの情報を見せたら
息子は今日図書館へ行くそうです。
今週末の真田検定の勉強はいいのかと思いますが
何も勉強せず信長検定の二級に合格しているので大丈夫なのかも。
昨日は真田丸の番組を見たあと、
粘土で真田丸作ってました。
普通の勉強も頑張ってくれよと思います。
楽しい週末になります。ありがとうございました。
535 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:gFF5Iy62
>>527 そこら辺に行った時は
北条滅亡フラグを想像しちゃうよな!
あと謙信の越山が完了して沼田で一息して厩橋からの情勢報告聞いてる姿とか。
沼田から白井長尾へ出る17号線を車で走ると切り立った断崖の間に利根川が流れてて
たまに崖下を走ったりしてすごい。
536 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:p8+Xm8um
昨夜の歴史秘話ヒストリア見てあらためて真田信繁ファンが多いのわかる気がする。
537 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:lR5kgFvF
>>536 えっ?
信繁なんか一言も触れてなかったけど?
耳が遠いの?(笑)
538 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:EpqqBLQm
>533
そういう伝説は右から左へ聞き流し
純粋に真田家が典厩寺を大切にしたという事実を見つめて参拝します
539 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:9gKskdpN
>>537 昨日のヒストリア、幸村の本名に一言も触れられてなくてワロタな
あれで歴史番組と言えるんか
540 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:n3sUWkA8
真田の史料によっては幸村は信繁の改名後の諱とされているな。
それを裏付ける一次史料とかはないけど。
541 :
人間七七四年:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:RaSCb5lT
改名したとしても死の直前2ヶ月間だけだからな
542 :
人間七七四年:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:wl8d39NL
543 :
人間七七四年:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:wVyH67qL
>>539 最初の方で「真田幸村(信繁)」って表記されてたよ
544 :
人間七七四年:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:wl8d39NL
されてなかったよ
545 :
人間七七四年:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:WoMyXeae
最初の方に少しだけ、一応「真田幸村(信繁)」とは書かれてたな
数秒その画面が映されただけで説明は一切無かったけど
546 :
人間七七四年:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:vwmB1PSU
ちゃんとみてないくせに文句言うってすごいな
547 :
人間七七四年:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:BsaKinmb
初めて「真田三代記」読んだけど あの本で云う真田三代って
昌幸・幸村・大助だという事に驚いた。
上田城を攻めるのも信長(秀吉)・北条・家康の連合軍だしw
548 :
539、545:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:3EUMCz+X
ちゃんと見てたし文句言ってるつもりはないんだけど
数秒表記があっただけで一言も触れられてなかった
歴史番組として片手落ちだなってこと
549 :
人間七七四年:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:BJOY0m6a
>>548 それだけほとんど知られてない名前なんかわざわざ触れる必要ないって事なんだよ
アホと違うかお前は
死ねよボケ!!!!!!
550 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:MOA4kZUX
真田で言えば
幸隆は謀略家として
昌幸は戦術家として
幸村は部隊指揮官として
有名だけど
昌幸の家康を舐めきったところが好きだわ
まじで大阪に昌幸が入場してたらどうなったかわからないと思う
551 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:RnCM5zs4
〜検定って取って何か日常生活に役立つの?
552 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:175QzAMn
>昌幸の家康を舐めきったところが好きだわ
厨くせぇなぁw
553 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:lK0ElBHH
舐めきったどころか家康に哀れにお許しを懇願しながら死んでいくんだよなあ>昌幸
554 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:gXlePDoL
555 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:QSwNpOGn
幸村が既に短銃をもっていたという事だが
誰がどうやってそんなもんを作ったのか
全く何も検証してなかったから眉唾濃厚だな
556 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:gXlePDoL
水戸藩の記録jに書いてあるんだっけ?
557 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:gXlePDoL
すまん紀州の記録だったっけ?
558 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:TZ5K0d/u
あの番組は既出ばかりだったが、短筒は初情報だったな
あの時代でも性能良い鉄砲あってもおかしくないとは思うが。
559 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:175QzAMn
560 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:Yg53V1tH
ほほう 一度アメリカに渡ってたってのが面白いなぁ
紀州藩の記録書を信じて、長年実物を探し続けた研究家の人もすごいわ
561 :
人間七七四年:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:KWiIKey5
鉄砲を落としてなかったら家康をしとめてたかのような構成だっけど、実際どうだっなんかな
あと一歩だったんだろうか
562 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:CGL234Xu
本当はあれで家康は死んでた
しかし、側近は家康の影武者を立てて1年後に死なす事にした
幸村の執念が実ったってわけだ
563 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:3BPKyZmN
家康死んだとしても、良くて大阪一時撤退くらいだろ
564 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:CGL234Xu
だからな、幸村の目的はあくまでも家康の首を取る事
後の事なんか考えてなかったのよ
565 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:Y3tekAJC
幸村の目的の第一義は既に討ち死にすることだろ
566 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:V2wdro4O
んでも、小型の銃なんで殺傷力が弱過ぎて
家康に命中してても殺せなかったんじゃないかな。
そもそも命中精度もあんなに小型だと低過ぎて実用性が疑問
567 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:IgkzuiEo
家康の廻りには沢山の兵隊がいるわけでもとから家康を殺せるとは思ってない
有効射程50mほどの馬上砲では致命傷を与える可能性は万に一つ
一矢報いて華々しく死ぬのが目的
568 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:4U9NDYJ0
ああいう文献って信憑性もたせたり権威付けるために
実は○○が使っててみたいな事書くのは珍しくない
そもそも指揮官の信繁が自分で最新式銃扱って落としたとかありえんw
569 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:IgkzuiEo
ま,信繁が実際に持って使用していたかどうかなんて些細な事だ
あの銃が存在している事が素晴らしい歴史の一部
ほとんどオーパーツみたいな銃だもんなw
あの銃を徳川家が隠匿していなければ,後の時代の科学技術も変わったかもしれない
570 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:X8M8/aex
571 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:IgkzuiEo
いちいち『信繁』に反応するなよw
572 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:CGL234Xu
>>571 お前こそスレタイ読めんのかボケ!!!!!
573 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:3BPKyZmN
野武士毛
574 :
人間七七四年:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN ID:4U9NDYJ0
>>569 あの銃の構造って具体的にどうなってんの?
なんか早合っぽいのを筒先から入れて突き固めずにそのまま射ってたけど
実際の貫通力は怪しいもんだろw
あと火蓋の所に火薬充填しないでどうやって発射してるんだろうな
575 :
人間七七四年:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:/nnZdhmF
576 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:O+F42gvk
真田信繁と書いて反応を見る
577 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:y/q7dqk9
578 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:N15iyNIb
普通の梯子で登れない高さの空掘ほって
真田丸から上下の2段鉄砲による射撃ゾーンを作って死角をなくしたってまじなんですか
上の方からなら角度があるので堀の中の敵兵にも当る
冬の陣で1万人ほど屠ったとかかんとかTVでやってましたけど
579 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:N15iyNIb
もしかして真田家って大軍からの攻撃を寡兵で防ぐのが得意なんじゃないか
そんな気がしてきたよ
580 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:y/q7dqk9
まあ幸村は二度の実戦の経験があるから
それを思う存分に生かしたんだろうね
581 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:R6qD9wCL
小田原の陣には参戦してないよ
582 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:oFkPlxEL
昌幸は3000程度の兵しか扱ったことがないから大阪城に入場しても云々って昔から言われるけど
信玄・勝頼の時代に仕えてた経験があるからなぁ
石田みたいに経験あってもダメな奴も居るわけで
583 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:5npA8BIV
大阪の陣の一番の問題点は 秀頼だろ
優秀な中間管理職が何人いても,社長がダメなら会社が潰れる
584 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:5npA8BIV
しかも仕事が出来ない副社長の方が発言力が強い最悪の会社
585 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:HJnCpLR7
優秀な中間管理職自体もいなかったんだよ
586 :
人間七七四年:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN ID:Er1CMP1q
昨今では、大阪方で反徳川戦争を主導したのはほとんどが秀頼の側近連中なので、秀頼自身の意向が
非常に強かったと考えられている。
淀殿やその側近の大野治長などはむしろ和平派であり、淀殿に到っては自身が江戸に人質に行くことも許容していた。
それを全部ぶち壊したのが秀頼とその周辺の連中だな。
587 :
人間七七四年:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:4UWYA+tJ
>>586 >反徳川戦争を主導したのはほとんどが秀頼の側近連中
具体的にはだれ?
588 :
人間七七四年:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:qSkJUpZd
大野治房
589 :
人間七七四年:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:GZi9IJjH
>>587 大野治房、治胤兄弟は和平派である兄貴の治長を襲撃するような気違いだしなあ。
あと渡辺糺もガチガチの主戦派だな。こいつも大野治長殺しかけてる。
590 :
人間七七四年:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ID:32uvjsTN
IPアドレス
124.255.220.29
ホスト名
PPPa787.e22.eacc.dti.ne.jp
591 :
人間七七四年:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:/t8bkwDQ
楠幸村について語りましょう。
592 :
人間七七四年:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:1Zur760q
なんでもいいが、幸隆の話題は本当に少ないな。
この3人の中で一番頭良さそうなのは幸隆なんだけどな。
没落した真田を武田にすり寄って謀略使い晴信に信用させたもんな。
593 :
人間七七四年:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:i18Vh354
昌幸も勝頼使って上野攻略したし
594 :
人間七七四年:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:AQ/TsiTo
幸隆は情報が少なすぎて話すことがない
595 :
人間七七四年:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:h+K2pqjd
俺も幸隆のが実力あると思う。幸隆と比べれば、昌幸、幸村は小物感がある。
596 :
人間七七四年:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:V9KtKlUU
武将隊あるじゃないですか?そこの幸村役の人ってなんでメークしてるん
んですか?www 意味分かんないんですけどwww
公家か?今川義元か?はたまた京本正樹か?って感じなんですけどwww
本物の真田信繁も草葉の陰からきっと泣いてるよ。
597 :
人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:J4c7f+rf
「幸村」ならメークした方がそれらしいからだろw
英雄の話だから
598 :
人間七七四年:2013/09/16(月) 14:23:22.77 ID:H733y5BH
信之の胃が寿命がネタってどこからきたんだ
それとも戦国は親族で命のやり取りに達してるのが普通にいるのに信之はメンタル弱いと言いたいのか
599 :
人間七七四年:2013/09/16(月) 15:52:02.87 ID:yiiKwTW+
俗説の将軍である秀忠と家康に睨まれる要因に
なったと取られているからじゃないだろうか
600 :
人間七七四年:2013/09/17(火) 16:51:59.57 ID:8OZ7EkOe
海音寺潮五郎の真田幸村って大坂の陣の記述がないのですか?
601 :
人間七七四年:2013/09/24(火) 02:49:24.11 ID:Oag7hTg2
信之が嫁が三成側の人で自分で嫁とも昌幸と縁切って徳川についたってんなら信之が真田を守った残したというのも分かるんだがな
602 :
人間七七四年:2013/09/24(火) 03:11:50.85 ID:x3x6rs3Z
会津征伐の途中で寝返るという、昌幸のやり方が気に入らなかったんだよ
603 :
人間七七四年:2013/09/27(金) 19:31:20.07 ID:Ybi/lWOB
寝返ったのではない
表返ったのだ
604 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 11:12:14.45 ID:rIXy5JGo
関ヶ原の時は
「家康が好きか嫌いか」「三成が好きか嫌いか」が発端だからw
605 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 13:37:49.73 ID:1jndPQQw
信繁ともども、さっさと切腹してりゃあ真田はもっと安定していたのにな
606 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 14:09:24.96 ID:Efx3LQuz
どうでもいい手紙を後生大事に残してるあたり信之も三成のこと嫌いではなかったっていうか
個人的には好感持ってたんじゃないの
義理と人情を秤にかけたら義理に傾くだけで
607 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 14:41:26.96 ID:1jndPQQw
関ヶ原前の昌幸への書状を見るに
三成も頼りにしていたしなあ
608 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 14:42:19.97 ID:7lBToxNd
>>605 たまにこういう、つまらないタラレバ言う馬鹿いるよな
それだとただの武将止まり
見向きもされない。
609 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 17:08:49.80 ID:P1MdAtr3
弟のせいで秀忠に嫌がらせされた
手紙が残ってるから三成とお友達
上田後に直政に押されて結構した
信之三大俗説
610 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 19:11:45.92 ID:K+PvafHN
幸村がいなければ信之など今頃誰も知らんけどな
超有名人幸村の兄って事でそれなりに知られてるだけ
611 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 19:47:31.31 ID:rIXy5JGo
幸村がいなかったら、信之は真田藩初代としてもっと持ち上げられている
町おこしはドコもかしこも幸村幸村じゃんw
612 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 19:48:21.38 ID:waR/2RRW
〜昌幸の変遷〜
武田が滅亡。致し方なく織田の配下に
↓
本能寺の変。北条が攻め寄せ滝川は敗れる。致し方なく北条の配下に
↓
家康が誘う。家康の誘いに乗る
↓
家康に裏切られ北条に差し出される。裏切った北条に戻らず豊臣方へ
613 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 20:09:58.94 ID:UyiZB5lC
一度でいいから昌幸に数万の大軍を指揮させてみたかったなぁ
徳川を二度破ったって言っても二度とも家康は居ないし
大阪の陣で昌幸が生きてれば浪人衆の中じゃ筆頭扱いだろうし
614 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 20:19:51.30 ID:7/vkyxek
そんなバカなw
615 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 20:34:19.10 ID:rIXy5JGo
昌幸は少数の兵でゲリラ戦をやるのがせいぜいだろw
616 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 20:49:37.32 ID:UyiZB5lC
元大名
関ヶ原関連では秀忠の徳川軍主力を撃破
まぁ大名の規模としては長宗我部とかの方がデカイが
実績が違いすぎるだろ
617 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 20:58:01.91 ID:waR/2RRW
真田昌幸の石高はえらく少ないんだよな〜
618 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 21:16:27.83 ID:rIXy5JGo
昌幸の時代は地方豪族に毛の生えたようなもんだろ
619 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 22:01:24.40 ID:Efx3LQuz
主力を撃破って籠城して3日持ちこたえただけじゃんw
正直アレで勝利宣言っておかしいわ
620 :
人間七七四年:2013/09/28(土) 23:32:11.96 ID:UyiZB5lC
3000も動員できりゃ結構な大名だと思うが
村上とかと変わらないじゃん
621 :
人間七七四年:2013/09/29(日) 02:10:39.92 ID:tDQkwDvV
まず与えられる側の武将一人に数万の兵を割り当てるトップはいない
622 :
人間七七四年:2013/09/29(日) 07:48:04.03 ID:E0nVdhYD
普通に考えりゃ浪人衆を指揮する話で別に武将1人で2万も指揮する訳じゃないのは分かりそうなもんだが
昌幸の場合は関ヶ原で信幸と決別して徳川と戦ってるから裏切りの心配もないだろうし
623 :
人間七七四年:2013/09/29(日) 09:45:05.23 ID:HJwsQtWD
>>611 なんもわかってないな
一地方大名が一般に知られてると思う?
伊達とか武田上杉くらいならかろうじて。
一般の知識なんてそんなもん。
624 :
人間七七四年:2013/09/29(日) 09:52:21.97 ID:NW4ZC1zH
信之が全国に知られる訳無いだろうけど
少なくても松代や沼田や上田では知られるだろ
下手すりゃ幸村は知っていても信之は知らない現地住民が結構居ると思う
625 :
人間七七四年:2013/09/30(月) 17:01:31.70 ID:pP9Ub6FV
〜真田忍者について〜
真田は根津の傍流だろうな
根津神社の根津
諸国にお札を売り歩くのさ
売り子が間者や乱破になったんだろうな
626 :
人間七七四年:2013/10/02(水) 18:44:28.90 ID:rYtihYmO
第二次上田合戦に触れた論文て何かある?
627 :
人間七七四年:2013/10/02(水) 23:27:08.51 ID:X0DSPS0P
信之が寿命自慢しても大坂にも出てないから関ヶ原以後で長すぎだし大坂までに80関ヶ原までに70小田原までに60の方がすげえと思う
628 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 06:53:49.76 ID:t1PZjcIQ
どこが本スレかわからん
なんかヤフーのリアルタイム検索で真田信之が上位に入ったらしいが、何があった?
629 :
人間七七四年:2013/10/03(木) 07:52:26.91 ID:6Zaq+ZtH
無双に出るからだろ、出る理由は完全に幸村の兄だからだけど
昌幸と悩んだが兄弟話の方でってことらしいしこれでもう不遇とか可哀想とか言わんでほしいわ
630 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 13:46:33.10 ID:72nHfLaM
>>624 江戸時代初期の藩主だからってみんながみんな地元で知られてる訳ではないよ
631 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 15:04:17.30 ID:o7W22gYT
多くの譜代藩では藩主家ころころ代わってるしな
たとえば松本城の殿様って言われてすぐピンと来る人なんて地元でも皆無レベル
信之は色々と恵まれている
632 :
人間七七四年:2013/10/05(土) 01:07:29.03 ID:OIlq1zSv
真田を含めて明治まで10万石以上だった外様家の多くが知名度高いのは初代藩主の先代武将
初代藩主→先代
前田利長→利家
島津忠恒→義弘
伊達政宗→輝宗
細川忠興→幽斎
黒田長政→官兵衛
浅野幸長→長政
毛利輝元→元就
鍋島勝茂→直茂
藤堂高虎→虎高
池田輝政→恒興
蜂須賀至鎮→家政
山内一豊→盛豊
有馬豊氏→則頼
佐竹義宣→義重
南部利直→信直
上杉景勝→謙信
立花宗茂→道雪
丹羽長重→長秀
津軽為信→為則
宗義智→義調
溝口秀勝→勝政
633 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 21:43:10.56 ID:25OoiKQz
>>629 あの信幸は酷いキャラデザだったな
なんで髪の色銀髪なんだよ
ちゃんと甲冑を付けされろよ
しかも武器が剣とかマジでふざけるなよ
だから無双はカスなんだよ
634 :
人間七七四年:2013/10/08(火) 15:06:38.72 ID:QGx6H2wX
信之出て喜んでる人はお兄ちゃんは苦労人で長生きだから銀髪と解釈してるんだからええやん
武器が刀も大した逸話もないのに無双ではかなり恵まれてる
635 :
人間七七四年:2013/10/09(水) 06:24:30.77 ID:bKgMFtBv
>>633 嫌ならやらなきゃいいじゃん
そういうゲームなんだから。
俺もやったことないけど
636 :
人間七七四年:2013/10/13(日) 20:30:06.02 ID:bJpn59k0
637 :
人間七七四年:2013/10/14(月) 01:12:37.39 ID:4sDzg63u
女体化されるよりはマシと思うんだ・・・
638 :
人間七七四年:2013/10/29(火) 05:01:55.27 ID:WTMDvKRw
昌幸と信之って国政なんか凄かったの?豊臣以降の余程酷い奴以外には言えるオラの殿様は立派なんだぞじゃなくて全体的に見ても突出した物
639 :
人間七七四年:2013/10/29(火) 11:30:04.28 ID:SUzHFdTK
ほとんどの大名家がお家騒動経験してるけど
真田家は初代藩主が存命中にお家騒動おこされた稀有な例だよ
でもそのことには触れないでぇ
640 :
人間七七四年:2013/11/02(土) 13:42:01.29 ID:BgHKOMXl
現在リチャード・コシミズ氏をはじめ多くの人が、不正選挙の裁判をおこしていますが、
これが不正選挙を行なった人々を怯えさせ悩ましているようです。
不正選挙はなかった事にされるというのが、これまでの彼らのやり方のようです。
ところが今回の不正選挙の裁判はリチャード・コシミズ氏が相手なので、
どうもこれまでのようにはうまく行かないようです。氏は大変頭の良い人なので、
裁判長であった斉藤隆氏に女装癖があり、その筋では"ビクトリア"あるいは"ヴィッキー"と
呼ばれていることをつきとめ、ブログ上で暴露してしまいました。
くわしくはリチャード・コシミズ氏のブログでご覧下さい。大変盛り上がっています。
641 :
人間七七四年:2013/11/21(木) 05:58:13.69 ID:2AfvUOYX
四者会談あげ
642 :
人間七七四年:2013/11/21(木) 18:33:59.15 ID:d2i+TOrH
真田家は戦国の制度を意地でも守り通した稀有な例
ひたすら不便だったけどな
643 :
人間七七四年:2013/12/01(日) 23:21:29.01 ID:MWrHd0or
信之は関ヶ原の合戦が始まる前に長男を
誰よりも早くコ川家に人質に出しているし
次の天下人は家康と思っていたから
最初から西軍につくとは考えてなかったと思うわ…
644 :
人間七七四年:2013/12/02(月) 03:05:51.89 ID:qIl2eyLH
家康派をいち早く表明したって大抵の東軍武将を持ち上げる時に言われることだからな
645 :
人間七七四年:2013/12/02(月) 13:23:30.33 ID:vGuRpxK5
家康の養女=本多忠勝の娘を嫁にしている時点で三成方は無い
646 :
人間七七四年:2013/12/02(月) 15:24:28.68 ID:zh4j/VZI
本多忠勝まで使って助命してやった弟が14年後にまた家康に弓引くとかw
親父死んでてよかったなw
昌幸が生きてたら徳川軍フルボッコにされて信幸もただじゃすまんかっただろう
647 :
人間七七四年:2013/12/02(月) 16:14:59.20 ID:CvwoujAZ
家康が指揮で周りを気にせず時間かけられる昌幸が経験してない条件なのに昌幸いたらフルボッコって浅いわ
648 :
人間七七四年:2013/12/02(月) 16:54:55.10 ID:zh4j/VZI
昌幸はゲリラ専門みたいに思ってる人もいるが
武田信玄の近習だから大部隊の運用もそれなりに学んでるでしょ
649 :
人間七七四年:2013/12/02(月) 22:35:11.66 ID:T4LqPnxw
信幸は昌幸と幸村が西軍についたのは
納得がいかなかったみたいね…
信幸は家康の事は心酔していた
650 :
人間七七四年:2013/12/03(火) 07:33:28.68 ID:pn+gNaaq
>>638 弱小国だということをちゃんとわかった上で
覇権争いしてる大国の優劣を見極めて擦り寄る嗅覚
651 :
人間七七四年:2013/12/21(土) 16:16:34.70 ID:jqjXxmao
まんまなさんまで三谷幸喜が大塩平八郎の話しながら、昌幸の似顔絵書いた色紙をさんまに渡してたが
混同してる?
652 :
人間七七四年:2013/12/31(火) 11:19:44.23 ID:WEPoeI2V
重複スレは何なの?日記帳?
653 :
人間七七四年:2014/01/03(金) 21:14:16.42 ID:bElyGZD8
信之は真田以外が主役でわざわざ持ち上げる要素が見当たらない
654 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 09:19:10.91 ID:z1X9icN+
上田と沼田の間って硫黄鉱山密集してるんだけど真田家統治時代は開発してたのかな
655 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 16:05:25.77 ID:7GCXxJ14
長野産出の硫黄は「続日本紀」にも出てくるぐらい古い
ましてや鉄砲の火薬の材料にもなるので需要はうなぎ上り、相場も急騰したろうだろうから
硫黄鉱山の開発は最優先
656 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 02:41:31.56 ID:pnDV+/xK
>>649 心酔とかそういう問題じゃない
考えても見ろ?
3500程度の兵しか動かせない状況で
4万近い兵を相手にできるわけがない(実際にはできたがw)
と思うのが普通(具体的な数字まで認識してたかどうかは定かじゃないが
大軍で襲うということは想定できていただろう)
要は家族を守りたい一心からだろうよ(自己保身もあるだろうけど)
後の助命活動からしても家族、真田家を想う気持ちの高さがわかる
657 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 08:04:05.17 ID:LWQyK/4z
第二次上田合戦は本腰を入れて攻略する前に家康から転進命令が下っただけなんだよね
658 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 08:15:30.28 ID:Q9L78U1e
最初から本気だったと思うぞ
それを示唆する根切り云々の書状が残っている
659 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 08:54:08.00 ID:LWQyK/4z
『信濃史料』にはなかったけど
660 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 09:28:18.86 ID:Q9L78U1e
宮下家文書に書かれているよ
661 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 09:49:01.26 ID:LWQyK/4z
宮下文書の内容が分からないからなんとも言えないけど、多分真田家臣の方だと思うので
あくまで真田側の視点かと
662 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 10:15:36.90 ID:NuwGLucK
小笠原や松岡に徳川からの命令書があったような
663 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 11:05:33.69 ID:LWQyK/4z
664 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 12:08:30.00 ID:Q9L78U1e
ごめん。一次と勘違いしてた
確かに本腰なんか入れてるとは言えないね
665 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 12:57:01.53 ID:LWQyK/4z
秀忠としても無理に落とすことは考えずに、支城の攻略や
苅田等で上田城を孤立化するのが目的だったと思う
この後は上洛しなければならないし
666 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 13:50:08.69 ID:b5FqVm+F
一応信濃攻略が目標だったろ。岐阜城一日陥落のせいで命拾いできたけど
667 :
人間七七四年:2014/02/14(金) 16:58:59.11 ID:LWQyK/4z
最初は上田城陥落→東軍先鋒出陣で無力化後に上洛→岐阜落城で即時上洛
と任務が二転三転している
岐阜城の戦いでタイムテーブルが大幅に繰り上がった
668 :
人間七七四年:2014/02/22(土) 20:01:51.08 ID:DFViUWa5
上田を攻撃したのに兵力差と若い者が多かったというのは筋通る
15年前のことを恨む者が多かったというのはその時の将が多くいてもなかったのに強引だな
669 :
人間七七四年:2014/03/21(金) 13:08:36.70 ID:888FwomQ
おーぷんにこんなスレが立ってた
【戦国一の武将】 真田幸村【日本一の英雄】
http://ikura.o●pen2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1395327836/ (●は抜いて)
670 :
忍法帖【Lv=4,xxxP】(1+0:8) :2014/03/27(木) 07:18:56.76 ID:rSuxjbOy
test
671 :
人間七七四年:2014/03/29(土) 02:18:17.71 ID:HOL52406
結局信之の知名度が低くて弟ばっかり持て囃されるから拗ねてるんだろお前ら
672 :
人間七七四年:2014/03/29(土) 19:00:08.28 ID:2i0ngnEP
そもそも弟の名声が無ければ見向きもされない地味な地方小領主なので
感謝すれども妬んだり拗ねたりすることはありんせんよ
673 :
人間七七四年:2014/03/30(日) 09:43:17.46 ID:Z2u54AfD
城塞を見たけど、家康vs豊臣家。
最初は、家康圧倒的有利じゃなかった。
やり方によっては、豊臣家も勝てたと思うぞ。
要するに、大阪城には大物がいなかったってことだな。
独り大物が居たら、家康に従順するフリをしてただろ。
そしたら、勝手に家康はくたばっていたはずだから。
なんか、秀吉の方針で、秀頼の近くに、知能派の石田三成を置いて、遠くに加藤清正らの武闘派を置いたみたいだ。
これに、清正ら七本槍は不服だったらしいな。
これが、豊臣家が負けた大きな要因。
でも、真田幸村、長宗我部の次男らの浪人は、その戦況に明るかった。
話をしっかり聞いていれば勝ったかもしれないな。
淀君、大野修理が、すべて悪いのです。
674 :
人間七七四年:2014/03/30(日) 09:49:50.77 ID:88o0lXcc
※フィクションです
675 :
人間七七四年:2014/03/30(日) 10:57:26.53 ID:gvcIiUfB
旧来の戦術思想に基づき大坂城の南を守ったのは良いが、
その常識を打ち破る長射程の大砲でり本丸を叩かれ和睦
何、このラノベ展開
676 :
人間七七四年:2014/04/04(金) 06:14:49.82 ID:Y6yo3+Go
昨日の新番組のトップバッター務めたんだが
677 :
人間七七四年:2014/04/29(火) 09:46:31.38 ID:D9LSZBc6
真田祭り…
678 :
人間七七四年:2014/05/15(木) 01:01:23.65 ID:OpaLDiTQ
2016大河 真田丸
679 :
人間七七四年:2014/06/14(土) 00:47:55.30 ID:RYOOfNmJ
真田丸が大坂を一度は救った
680 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 10:12:17.79 ID:Stojqd1u
素朴な疑問ですまないんだが
武田勝頼が小山田信茂ではなく真田昌幸の居城のほうに逃げ込んだとして。
いかに真田昌幸が天才であろうと、織田徳川北条の物凄い大軍には勝てなかったと思うんだが。
その場合、真田家は天正10年でいったん滅亡していたと考えて良いだろうか?
681 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 11:58:45.55 ID:FGXEg1Y3
本当に匿ったかは疑問
682 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 12:14:57.13 ID:KEE2Z4je
>680
武田勝頼が小山田信繁を頼った時点では、すでに強大な武田軍は無くなってしまっている訳で
攻撃側が大軍を寄せてくる必要は無い
上州に引っ込んでしまった勝頼を一豪族として生かしておくか、引き渡しを求めるかは流れ次第だろう
真田的には武田家の勝頼だから従っていた訳で、領地や人を無くした勝頼に従う価値が無いと判断すれば見限るだろうし、門前払いもするだろう
683 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 16:43:49.03 ID:XCoo0M1N
史実どうりに本能寺の変が発生するのであれば
数ヶ月籠城していれば信長が死んで勝頼は助かったと思う。
684 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 17:28:33.15 ID:7o8SO0XG
>>683 武田が滅亡してなかったら数ヶ月後に本能寺の変と同じ状況も生まれないはずだがJK
685 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 18:36:56.05 ID:MEtkIWnX
上杉に勝頼を逃がしたあとしれっと降伏する流れだろ
686 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 18:50:27.80 ID:XCoo0M1N
>>684 その場合でも武田家は「事実上滅亡」しているのだから問題ない。
687 :
人間七七四年:2014/07/03(木) 19:33:46.15 ID:ECnRHb7f
滝川が関東に行ってないかもしれず、軍勢の配置が変わってくる
軍勢の配置が変わったら本能寺の変は起こらない
688 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 03:24:27.67 ID:rXi2/ppZ
>>685 まぁそれが最後のご奉公だな
上杉と一緒に討ち死にするのまでは責任取れんし
そこまで殉ずる理由もない
まぁもし本能寺が起きて勝頼が上杉に兵借りて信濃に押し出してくるなら
その時はしれっと合力するくらいは昌幸ならお手のものだろう
689 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 07:16:33.53 ID:/S45lK2e
おまいらの豊富な知識を今夜BS11で実況してくれ!
再放送だがw
690 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 16:21:53.06 ID:3dP9GAiA
>>682 真田も小山田と同じ事をするつもりだったかもしれないな
運が良ければ近くに上杉が居るし、織田の兵力がそちらへ引きつけられて
信濃や甲斐の諸豪族の一揆などで、しばらく六角のように
持ち堪えられたかもしれない
691 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 16:53:18.68 ID:NH0RH1zU
武田の指示で真田に滅ぼされた沼田家家臣の末裔の僕が通りますよ〜
692 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 17:14:39.40 ID:ypRqkgXB
>>691 信州の沼田家は滅亡したかもしれないが、
別系統の沼田家は江戸時代にも生き残っていなかったか?
どこかの藩の家老にならなかったか?
693 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 17:19:17.79 ID:ypRqkgXB
>>690 真田昌幸はそういう小細工をする男ではない。
694 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 17:35:58.55 ID:zQ+Bwis/
695 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 20:37:54.45 ID:/MWE6HnO
>>693 奴の人生は小細工の連続
・兄信綱の息子追放、武藤家から真田に戻る
・沼田平八郎騙し討ち
・平八郎騙し討ちに協力した平八郎の親族抹殺
武田滅ぶ前にすでにこれだけやってる
さらに
・名胡桃に対する秀吉の謀略黙認(一説によると積極的に関与)
・唐入りしないですむように秀吉の周辺に賄賂まきまくり
そして関ヶ原での姑息な生き残り作戦
696 :
人間七七四年:2014/07/04(金) 21:40:15.25 ID:gYMc/hZ3
えらい曲解マンがきたな。触らぬが吉
697 :
人間七七四年:2014/07/25(金) 22:52:13.05 ID:1WUU2D1K
おお
698 :
人間七七四年:2014/09/05(金) 07:25:28.84 ID:8rEa5vCh
699 :
人間七七四年:2014/09/05(金) 08:59:49.61 ID:u84UQOEg
本日 上田城攻防戦開始
700 :
人間七七四年:2014/09/10(水) 19:49:42.12 ID:8Xl8d27r
夏に上田市と真田荘に行ってきたよ
爽やかな風が吹いていたのう…
701 :
人間七七四年:2014/09/10(水) 21:01:48.81 ID:hISRwCDI
本日 秀忠公遅ればせながら上田を出立
昌幸パパを城外から見守る信幸さん
702 :
人間七七四年:2014/09/10(水) 22:02:09.66 ID:T0zWnNYM
秀忠はさぞ無念で武士として恥辱だったろうね
703 :
人間七七四年:2014/09/12(金) 07:44:41.02 ID:DvhFOxSc
>>672 だよなぁ。天下に名をとどろかせた弟がいなければ信幸って誰が知ってるの?ってレベル
704 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 18:29:37.59 ID:E1ZS/cgQ
戦国の世は天下に名を残すことが名誉なのに、それを理解しない奴がここには多い
兄貴に迷惑とかネタで言ってんのかと
705 :
人間七七四年:2014/12/11(木) 03:39:56.48 ID:2WVR314J
そういえば元巨人ドラ1で今年ヤクルトクビになった真田ってピッチャーって子孫なの?
706 :
人間七七四年:2014/12/11(木) 19:21:11.80 ID:aKbXO8qp
>>705 そういう噂はあるけど確証はないらしいよ
薩摩落ち後に生まれた幸村の息子の子孫を自称している人物によれば
真田投手は幸村の子孫じゃないそうだ
707 :
人間七七四年:2014/12/11(木) 20:12:59.38 ID:wmXa2gcC
でも鹿児島まで伝説残す幸村ってすげーな
ところでこの前、東出っつー俳優が嵐の番組で武将ランキング五位に昌幸を選んでた
しかし、彼の戦国の話はあまり魅力なかったな
708 :
人間七七四年:
>>706 なんかマスコミに忍者投法とか言われてた記憶がある やっぱ世間じゃ真田=忍者なのかね