戦国ちょっと悪い話31

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話30
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1328357412/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話31
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329316941/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2012/05/01(火) 23:35:53.03 ID:YzAwdwYQ
>>1乙でおじゃる
3人間七七四年:2012/05/02(水) 00:47:50.31 ID:gxlu90BH
>>1、骨折り
4人間七七四年:2012/05/02(水) 01:58:51.40 ID:gDmhthSp
>>3
もう天下を取った気でいやがる
5人間七七四年:2012/05/02(水) 11:46:12.91 ID:NFXESFo/
>>1殿、乙でござる
好物を用意したゆえ存分に食われるがよい
私は遠慮いたすが
6人間七七四年:2012/05/02(水) 13:29:49.78 ID:YZ3Q6U8w
>>1
スレたて大義である
7人間七七四年:2012/05/03(木) 11:45:07.69 ID:4oDYZnOV
秀吉は信長の仇の明智を討ち、また柴田を滅ぼしたので、もはや天下に自分の敵はないと思っていた。
そのためこの軍功の賞として征夷大将軍職が欲しいと願っていた。

その頃、足利尊氏初代将軍から十四代後の将軍足利義昭はいまだ中国地方にいたので秀吉は使者を送り
「私を養子にして下さり征夷大将軍職をお譲り頂ければ、あなた様を敬い奉り富と栄誉を回復させてあげましょう!」
(吾を養子に被成下、征夷大将軍をゆづり給はらば、敬し奉り富貴栄花をひらかせ申さん)
と義昭に訴えた。

が義昭は天然の馬鹿(天性愚生)だったのでこの絶好のチャンスに
「卑しい身分の分際でよくここに来れたな!」(卑姓の身として是推参なり)と怒ってそのまま使者を追い払ってしまった。
秀吉はムカついたがどうしようもなかったので菊亭晴季に相談して、関白に就任し朝廷から豊臣姓を賜った。

その後秀吉は毛利輝元の館に行ったときに義昭が輝元の庭の前に立っているのを見かけたのでこう言った。
「今ちょっといいかな〜?かな〜?」(只今は如何如何に)

義昭は手をついて腰を折り大いに秀吉を敬っている様子だったとさ。

元禎筆記より
8人間七七四年:2012/05/03(木) 16:23:21.03 ID:Hte26Ogr
慶長五年七月三〇日付真田昌幸宛石田三成文書の一節

「会津征伐に向かった大名達は自分たちが挙兵したと聞いて、家康のもとを離れて帰国しているようですが、美濃・尾張で
秀頼様にしっかり忠誠を誓っているか一人一人、調べる予定です」
「今年の暮から、来年の春に関東の家康を討伐するために畿内から西の大名に動員をかけています。八月中には近江に
集結させて、兵糧米を与えた上で各方面に派遣する予定です」

取らぬ狸の皮算用がもの凄いことになっている
9人間七七四年:2012/05/03(木) 16:24:02.56 ID:iUXj9ZBD
こんな感じか 

                       ∩___∩
     __ _,, -ー ,,             / ⌒  ⌒ 丶|     只今は如何如何に?
      (/   "つ`..,:         (●)  (●)  丶        只今は如何如何に?
   :/       :::::i:.        ミ  (_●_ )    |
   :i        ─::!,,     ハッ  ミ 、  |∪|    、彡____
     ヽ.....:::::::::  ::::ij(_::●    ハッ    / ヽノ      ___/
    r "     .r ミノ~.      ハッ   〉 /\    丶
  :|::|    ::::| :::i ゚。            ̄   \    丶
  :|::|    ::::| :::|:                  \   丶
  :`.|    ::::| :::|_:                    /⌒_)
   :.,'    ::(  :::}:                    } ヘ /
   :i      `.-‐"                    J´ ((
10人間七七四年:2012/05/03(木) 16:29:41.30 ID:3gRWC64H
. 0ニニニ)而}ニニニニニ),リリニニ)
.   L| |_____|____| |
    l | |._______| |  ,:
 ,  l \ヽ l  |   , '/  ;'
 :, ____l_|_|_;_|_|___|_|__   ;
  |\゙;三三゙';三三三,;゙三三\ ;'
  |\\三三゙三ジジ三三,''三;'\,;'  ;'
  |、 \\三゙;三三ジジ・'三三三;\ ;
  0ト、\\\;'三三;'三三三;''三三,;'\
    \\\| 炎炎炎炎炎炎炎炎炎 |
      \\| 二I二二I二二I二二I二 |
       \LI二二I二二I二二I二二」
        0」            0」
11人間七七四年:2012/05/03(木) 17:34:54.24 ID:YDAW1rsX
>「今ちょっといいかな〜?かな〜?」(只今は如何如何に)
これ、近況聞いてるんだと思うんだが
「おう、お前んとこの景気どうよ?わいの申し出断ったんやからさぞ景気ええんやろうなあ(ニヤニヤ」
みたいな
12人間七七四年:2012/05/03(木) 21:30:44.75 ID:pdWNygIe
「最近調子どう〜?(ヘラヘラ」くらいの意味だろうな
13人間七七四年:2012/05/04(金) 17:37:48.52 ID:FjlMaFMg
>>9
糞ワロタ

>>8
田丸さんぐらいしか戻って来てない(それも本当か怪しい)w
14人間七七四年:2012/05/04(金) 17:41:09.34 ID:GaGL5wUB
関ヶ原の時の島津義弘の書状で、関東から誰も帰ってこないことに慌てて西軍首脳部が大阪城で
緊急会議開いた、というのがあったな。
どうも三成始め西軍は、大阪城を抑えたら家康の会津攻めの軍勢はすぐに崩壊すると考えていたっぽい。
15人間七七四年:2012/05/04(金) 17:45:26.02 ID:+HAa1Kgd
秀吉の晩年の乱行のせいか、建前以上に豊臣家万歳している大名なんて少数派だったしね。
さすが三成、計算はできても心情には疎かった……。
16人間七七四年:2012/05/04(金) 18:13:25.50 ID:15ti2dtC
慶長五年のウィリアム・アダムス以来、極東の日本にもイギリス人が訪れるようになった。
当時のイギリスは、エリザベス一世の治世以来海洋国家として着実に踏み出しており、
時の国王ジェームズ一世と徳川家康・秀忠の間には書簡のやりとりがあり、
英国王室の武器庫であったロンドン塔には秀忠が贈呈した甲冑が保管されている。

君主同士だけではなく、イギリス人商人たちも平戸に東インド会社商館を築き、
活発に交流を始めていた。
ところがアダムス没後、わずか3年後の1623年にはこの商館は強制閉鎖されてしまう。
バダヴィアのイギリス人商人委員会からの一方的な命令であった。

しかしなぜなのか?
まず思ったよりも貿易が利益をあげないことがあげられる。
そしてそれ以上に、リチャード・コックスら商館員の態度があまりにひどく、
まさしく国の恥であったのだ。
借金する、酒屋で暴れる、若い娘に絡む、通りで暴力をふるう。
こうした連中の中には日本の奉行によって斬首された者もいた。

もっとも目に余ったのは性的な乱れであった。
商館員は日本人女性を妻にし、しかもとっかえひっかえしたという。
さらにはイギリス人やオランダ人同士で妻をまじえてワイルドなパーティをする始末。
朝まで続くパーティでは大量に飲みまくり、本国ではありえないほどセクシーなダンサーを
はべらせる酒池肉林ぶりである。

こんなパラダイスを去る気は商館員にさらさらなく、なんのかんのと滞在を引き延ばしていた。
だがついに強制連行するという脅迫を受け取り、彼らも重い腰をあげた。
上洛していた秀忠のもとに代表者を派遣し、この国から去ることを告げたのである。
ついでに莫大な借金返済も…ただし大名たちはこの申し出をやんわりと断ったという。

盛大なお別れパーティを終え、バダヴィアまで戻ったコックスを待っていたのは、
怠慢、浪費、そして遊興への叱責であった。即刻イギリスに戻り釈明せよと宣告されたコックスは、
己の失われるであろう名声を思いすっかり意気消沈、心身ともに病み衰え海上で帰らぬ人となった。

ポルノが没収され恥をかいたセーリスといい、(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5674.html
以上、未来に生きた日本人に触発されて人生を踏み間違えたイギリス人の、悪い話である。
17人間七七四年:2012/05/04(金) 19:11:40.41 ID:A3nzwVtG
他国から日本製品買った方が安かったとか?
18人間七七四年:2012/05/04(金) 19:26:07.68 ID:FjlMaFMg
単純に儲からないから撤退したんだと思ってたけど
そんな事情もあったのね
19人間七七四年:2012/05/04(金) 19:30:45.59 ID:FjlMaFMg
天文年間。飛騨国大八賀郷を治める豪族に平野豊後守安室という者がいた。
豊後守は領内の鍋山が大八賀川に臨む天嶮の要害であると同時に、
信州街道と平湯街道を抑える要衝である事に目をつけると、
そこに以前築かれた砦を改修して鍋山城を置き、姓も鍋山と改め、
その勢力を確固たるものとした。

だが永禄の頃になると、近隣の三木自綱はまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
抗し難しと考えた豊後守はこれに降り、自綱の弟・顕綱を養子として迎えた。
ところがこの顕綱、生来貪欲な人物で、豊後守を毒殺すると、その一族を追放、
みずから鍋山豊後守を襲名し鍋山城を乗っ取ってしまった。

さらにこの顕綱、兄の自綱が飛騨国司・姉小路の名跡を継ぎ、
帝から三位中将の位を賜ったのを見て、めらめらと嫉妬の炎を燃やし、
いずれこれに取って代わろうと企んでいた。

しかし、天正15(1583)年、ついに顕綱の野望は自綱の知るところとなり、
自綱はこれに先んじて弟を成敗する事を決意した。
さっそく家中でも屈指の剛の者である、長瀬甚平、土川新三郎を呼び
計略を授けると、それにも劣らぬ腕利きの士卒十数名をつけて、
鍋山城へと向かわせた。

さて、鍋山城に到着した一行。甚平、新三郎は顕綱に目通りすると、
ご機嫌伺いの口上を述べた後、あらためて平伏すると次のように言上した。

「本日は松倉の中将様より格別の密書を持参いたしました。なにとぞ人払いを…」

野心家の顕綱もまさか二人が刺客とは思いもせず、左右の近侍を別室に下がらせ、
文箱を受け取ると、中の書簡をバラリと開いて目を通そうとした。

ところが、この密書、字がまるで子供の落書きのように乱雑に書かれており
読むに読めない。何度も巻物を巻き戻し、目を皿のようにしていると、
突然、甚平がわっと躍りかかり、顕綱を組み伏せ、新三郎が刀を抜き放って
大音声に叫んだ。

「中将様の密書とは真っ赤な嘘。悪事千里を走るの言葉通り、豊後殿の
 御謀叛はすでに家中の知るところとなっておりますぞ。お覚悟めされいっ!」

と言うが早いか、顕綱の首を一刀の下に刎ねた。
騒ぎを聞いた近侍の者たちが駆けつけると、すでに座敷は血の海となっている。
すぐに腕に覚えのもの数名が斬りかかったが、たちまち返り討ちにあい、
あとのものはすっかりこれを見て戦意を失い、城中はたちまち大混乱になった。
20人間七七四年:2012/05/04(金) 19:31:36.83 ID:FjlMaFMg
さて、甚平、新三郎の共の者たちは城門の外に待機していたが、
城内の侍が一人、二人と逃げ出していくのを見て、謀が成就した事を知り、
一気に鍋山城を制圧するべく、門の中に駆け込もうとした。
ところが、逃げ出す者の中にしどけない姿ではあるものの
あきらかに身分の高そうな妙齢の婦人の姿があった。

「豊後守の奥方に違いない!逃がすな!」

すぐさま何名かが彼女の跡を追い、奥方はたちまち七夕岩という所に追い込まれた。
すると、奥方はすばやく腰の帯を解くと

「もしお前に霊魂があるのなら、大蛇となって我が仇に報いよ!」

と叫んで、これを谷底に投げ捨てた。そして、その直後、
追ってに捕えられた奥方は、あわれ滅多切りにされ果ててしまった。

こうして鍋山城はわずか十数名のものによってあえなく落城した。
顕綱亡き後、自綱の次男・秀綱が鍋山の名跡を継ぎ、新たな城主となったが、
直後、自綱の嫡男・信綱が羽柴秀吉に内通し、自綱に誅殺されるという変事が起こり、
秀綱が新たな嫡子として松倉城に戻され、代わってその弟・季綱が鍋山城主となった。

その頃、鍋山に牙がすべて真っ黒な大蛇があらわるようになり近在の人々を驚かせた。
人々はこれは自綱を呪って奥方が投げた帯が変化したものに違いない、いや
奥方の怨霊が帯に乗り移って大蛇の姿となったのだと口々に噂し、
これを「お歯黒蛇」と呼んで恐れた。

さて、顕綱暗殺から2年とたたないうちに羽柴秀吉の命を受けた金森長近の軍勢が飛騨に雪崩れ込んだ。
鍋山城も落城し、城主・季綱は松倉城の兄・秀綱とともに信濃に逃れようとしたが、
落ち武者狩りに遭い非業の死を遂げた(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1053.html)。
姉小路の一族は、頼綱と美濃遠藤氏の人質となっていた末子の近綱のみが残ったが、
大名としては滅亡し、二度と歴史の表舞台には姿を現さなかった。

それから幾星霜、顕綱の子孫の平野清心という者が、松之木村の郷士となって
田畑を耕し暮らしていた。ところがある晩、見知らぬ女が枕元に現れ、清心を
呼び起こした。驚く清心に女ははらはらと涙を流し、

「妾はもと、鍋山豊後守顕綱の妻女であった。すでに白骨となって久しいが、
 未だ七夕岩のあたりに埋もれたまま、誰一人として供養してくれるものがおらぬので、
 成仏できず毎日苦しんでおる。どうか、どうか、早くこの苦しみから救っておくれ」

と告げ煙のように消えてしまった。はじめは夢だとおもっていた清心も
三日三晩同じ夢を見続けたので、七夕岩に行ってそのあたりを掘ってみると、
確かにぼろぼろに風化してはいたが人骨が幾片か見つかった。
さっそく高山雲龍寺の脱山和尚という人を呼んで、顕綱婦人の回向を催し、
そこに供養の石塔を立て、ねんごろに弔った。

しかしさらに後、脱山和尚の元に顕綱夫妻の霊が現れ、

「どうか、毎日読経の声が聞こえるような仏縁深い地に移して欲しい」

とまた懇願したので、和尚は檀家の村人とともに供養塔を雲龍寺の境内へと移した。
後に、この石搭をさらに他所に移そうとした事が何度かあったが、
いずれのものも怪死したり、家門が没落したたため現在も
顕綱夫婦の供養塔は雲龍寺の境内に残っている。
21人間七七四年:2012/05/04(金) 20:51:46.97 ID:ZoEGeX3p
ノブヤボのアイドルって印象しかないけど、
姉小路さんもドロドロだよね
22人間七七四年:2012/05/04(金) 22:15:08.44 ID:EZYOyTc3
まじめな話ブリタンニアの商館が赤字なのはDQNが懐にいれてたからじゃないのか?
23人間七七四年:2012/05/05(土) 00:49:16.05 ID:aRYlMfnY
現代でも二号さんはじめ女性にはお金がかかりますから。
酒池肉林の代償はそれなりに…

ですよね>>1-1000の皆さんも胸に手を当ててよく考えてみてください。
24人間七七四年:2012/05/05(土) 00:56:16.11 ID:mrgqHIyA
浮いた話を聞かないのって軍神様ぐらいだっけ?
25人間七七四年:2012/05/05(土) 03:17:29.77 ID:qD0SCri4
愛の人「そうですね」
26人間七七四年:2012/05/05(土) 08:53:43.46 ID:SU9LUYh2
飛騨はなんかオカルトな逸話が多い印象
まんが日本昔ばなしでも「十六人谷」とか「亡者の通る道」とか最恐クラスの話が多かった(例外は飛騨の匠関係)
27人間七七四年:2012/05/05(土) 09:55:47.22 ID:e4TvmKN6
>>24
魔法中年プリティー細川政元も
28人間七七四年:2012/05/05(土) 10:12:49.93 ID:aRyXgFAW
>>24
男にもという意味では吉川元春くらい
29人間七七四年:2012/05/05(土) 10:15:48.15 ID:8nDoBwcP
>>24
美少年に(*´Д`)ハァハァしてとんでもない事になってるがな
30人間七七四年:2012/05/05(土) 15:42:47.30 ID:KAapQ89Y
「毎日読経の声が聞こえるような地に移さないとどうなるかなー」チラッ
31人間七七四年:2012/05/05(土) 16:07:04.02 ID:MNkhLfbK
毎日読売、にみえた
32人間七七四年:2012/05/05(土) 16:17:34.09 ID:q4KaNZRn
元春さんは、嫁の見栄えは拘らない みたいな話があったような〜
まぁ、それでも浮いた話っぽくないからな〜
33人間七七四年:2012/05/05(土) 16:26:44.08 ID:10eihu1y
明智光秀とか?
34人間七七四年:2012/05/05(土) 16:52:32.74 ID:Z0tX2U9R
元々正室は好き嫌いで迎えるものじゃないだろう
35人間七七四年:2012/05/05(土) 17:08:56.08 ID:OslXH5uJ
>>26
神岡の江馬も親殺して家督継いだりしてるし・・・

一向衆と国人が争ったり武田に焼き討ちあったりで戦国時代の飛騨って結構荒れてるな
36人間七七四年:2012/05/05(土) 20:01:43.38 ID:v3FIWEMx
一方、お歯黒蛇は鍋山城が陥落すると白川郷の方へ向かったという目撃談がry
37人間七七四年:2012/05/05(土) 20:03:59.96 ID:PavKPiIR
>>32
あれは正室ゲットしに行った話じゃなかったっけ?

>>33
光秀は本能寺の変のおかげでゴシップ作られまくり
38人間七七四年:2012/05/06(日) 07:14:38.05 ID:cH/2mGpz
>>36
???「ウホッ、うんまそーな蛇!」サクッ!
39人間七七四年:2012/05/06(日) 09:08:58.51 ID:mp2goNtH
最近スレにラスボス成分が足りないぞ
40人間七七四年:2012/05/06(日) 10:45:52.84 ID:wGoFZz2j
ラスボスが唯一恐れた…
思いつかん
お隣の国の味噌様には数え切れないほどいるのに
41人間七七四年:2012/05/06(日) 11:09:32.59 ID:mxoLBBcb
>>40
つ 黒田官兵衛
42人間七七四年:2012/05/06(日) 11:22:35.95 ID:Jt009Mjr
>>40
つデニーロさん
主に滝壺的な意味でw
43人間七七四年:2012/05/06(日) 11:37:21.26 ID:g+c5YC31
>>40
その味噌様でないの?
44人間七七四年:2012/05/06(日) 12:26:57.45 ID:KLM9lNar
つ嫁
45人間七七四年:2012/05/06(日) 13:16:29.98 ID:uRWBkgo6
スレ住民でさえビビッてるから話題に出しにくい。
46人間七七四年:2012/05/06(日) 13:47:13.47 ID:rOF6ksBV
第六天魔王様のことは恐れまくってただろ
47人間七七四年:2012/05/06(日) 13:58:01.76 ID:bJMC9grr
恐れてはいたけど、反応や扱い方かもわかってたと思うからな〜
48人間七七四年:2012/05/06(日) 13:58:36.87 ID:cXPQZM+p
秀吉といえば有名な天正10年(1582)、本能寺の後の

『さてさて、我々が野殿(備前津高郡野殿)まで進軍したところで、あなたからの書状を見ました。
今日は沼(備前上道郡沼)まで進軍するつもりです。古左(古田佐助(織部))も一緒にいます。

…このような事を申している時に、喝采すべきことがありました。
只今、京より下ってきたものが申す所によると、上様(織田信長)、ならびに殿様(織田信忠)は、
何れも御別議なく明智光秀の襲撃を切り抜けられ、膳所ヶ崎まで退避成されたそうです。

その途中、福平左(福富平左衛門)は三度敵と戦い、比類なき働きをして、これにより何事も無く
退去できたそうです。
とにかく、先ず以て目出度きことです。我々も出来るだけ早く帰城します。

なお、今後も追々書状にて申し送りますが、あなたについては御才覚専一にて、ご油断無きようしてください。
恐々謹言

                羽筑(羽柴筑前守秀吉)

 六月五日
中瀬兵(中瀬瀬兵衛)
        御返報』

(梅林寺文書)

秀吉が中川清秀宛に、抜け抜けと信長親子が無事だと知らせた、有名な書状の内容である。
49人間七七四年:2012/05/06(日) 18:01:06.64 ID:cTDmFpmn
信長親子どころか福富さんも死んでるんだよねw
長篠の時の鉄砲頭の一人で塙、野々村とならぶドマイナー三人衆の一人
50人間七七四年:2012/05/06(日) 19:15:33.20 ID:oBePxxQN
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1808.html
前に出ていたこの話では略されているゲヒ殿であった
51人間七七四年:2012/05/06(日) 20:06:58.11 ID:56scsTb7
「ふくとみ」さんだと思ってたけど「ふくずみ」さんって読むんだね。
52人間七七四年:2012/05/06(日) 20:32:56.06 ID:/2kd03X6
本当に現状認識が出来ていなかったんじゃなく、中川をだまして他の?
53人間七七四年:2012/05/06(日) 20:48:37.48 ID:mxoLBBcb
>>52
当然。日付見ればわかるように、毛利と和睦して大返ししている最中だぞ。
54人間七七四年:2012/05/06(日) 21:01:04.09 ID:qLVBZeOu
微妙にスレ違いだが、今回の竜巻被害って天庵様の小田城からちょっと北に行ったあたりで起きたんだな…
55人間七七四年:2012/05/06(日) 21:14:14.08 ID:cTDmFpmn
天正の末頃、安濃津城の富田信高の嫡男・千丸が原因不明の病にかかった。
病は日に日に重くなり、信高夫婦や千丸の祖父・一白は都から有名な医者や、僧侶、修験者を呼び
手を尽くしたが、一向に効き目が無い。

ところが、城の者たちはおかしな点に気が付いた。若君には二人の老女が、看病役として付き添い、
病状を信高や典医に報告するのだが、なぜ今まで気が付かなかったのか。
いつのまにやら、素性不明の老女が一人増えている。しかもその老女、
いつも白い綿帽子を目深に被り、口数少なく、あきらかに挙動不審。

あきらかにあの女、尋常の者ではないと、家老たちの意見が一致した。
翌朝、その老女が通りかかると朝の挨拶をかわすと見せかけ、
一斉に取り囲み、無理やり綿帽子を剥ぎ取った。
56人間七七四年:2012/05/06(日) 21:14:56.20 ID:cTDmFpmn

    r‐-、                    ,,、
    | `ヽ\                      /,^ヽ
    |   `、\               /, ´  |
    |    `、:.\            /, ´    |
    |     ヽ: :.:`''ー‐-ァ‐rー - ,ィ´, ´.     |
    |   , ,,、」: : : : : :,、'´:;,:;:;:`ヾ〈 ゝ-、     ,!
    |  ,ィ´: : : : : : :,ィ´:;:;:;:;:;;゙;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;゙、    !
    ,ゞ゙': : : : : : :,;'´:;:;:;:;:;:;:;,;゙ ゙:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ゝ、 /
    /: : : : : : : :.,;゙:;:;:;:;:;:;:;,.'´  `ゞ:;:;:;:;:;:;:;,. '´ヾ,k
  .,イ: : : : : : :,イ:;:;:;:;:;:;:;,;゙       ゙;:;:;:;:;:;;: : : : ,;;;i
  j: : : ,..,ィ;:;:,ィ´ ̄iIヽ,      ,ィ Ii ̄ノゞ: : ,;:;:;!
  ゙i: : :.,.'"´``  ̄`''ヽ     ゝ´ ̄ '´`ヽ、j;:l
   |!'´                    , ,,. _ ,リ
  イ    ,.、`ヽ,     r-‐-、    ,;゙ `ヽ、, ,!`ヽ、
   `, `丶、,.'´,.゙;     ゝ ,r'     ,;``ヽ ,イ/``丶'、
     `ゞ、,' ,` ,ヽ、ゞ.、.   _人_    ,イ   ,ィ´ゝ`、ヽヽ ヽ
  ,、 ' ´,、'´,、゙`,、 、'´, `ヽ、     ,.ィ´ _, ィ´`丶、  丶丶 `、
., ´, , ' , ' ,'   `ヽ、  `"゙゙゙゙´  ,ィ´  `丶、 `ヽ ` 丶 、
 ,'. ,'  ,'  ,'       `ー====='i       ヽ  `, ゙, ' ',
.,'  ;  '                            ;  ;  ;  '
                                  '  '

なんと、その老女、年老いた大きな猫であった。
すぐさま家老たちは化け猫を取り押さえ、信高に報告した。
信高は居室の前の庭に生えている梨の木に猫を縛り付けると、
唐渡りの闘犬を数匹つれてきて、猫相手にけしかけた。
ところがこの猫、屈強な闘犬に吠え掛かられてもまったく動じない。
それどころか澄ました顔で居眠りをはじめてしまった。
57人間七七四年:2012/05/06(日) 21:16:02.52 ID:cTDmFpmn

      \ ZZz…/

        i^,\ _,,_ /^l                   ∧∧, ゴ、ゴルァ…
        lノ  ⌒ i|l ⌒ヾノ        ク、クゥ〜ン…   ;ミ゚Д゚;彡.;
      シ " ( ー)  (ー )ミ          ; /⌒ヽ'´ヽo;ミ   ,,ミ.;
     メ  = ⌒(__人__)⌒=ヽ         .;(`ω´;U( )▼;ェ;▼; キャイン!キャイン!
    彡       ヽ/    ;ミ         ;(ノ (ノ ヽ) (u u)、;.
      ヾ         ン


その様子に逆に犬たちが怯えてしまい、尻尾を巻いて後ずさる始末。
そこで信高、今度は城門前の橋の欄干に猫を縛り付け、晒し者にし、
そのまま干乾しにしてしまおうとした。

ところが、二、三日後。見張りの者がふと目を離した隙に、
猫は影も形も無くなっていた。カンカンに怒った信高、
すぐさま城下中を捜索させたが件の猫はみつからず、
間もなく、千丸は衰弱し息を引き取ってしまった。
結局、その猫が何の因縁があって千丸を害したのかは
最後まで分からぬまま、信高は伊予の地に去り、
代わりに藤堂高虎が安濃津の城に入った。

がこの化け猫、そのころに再び現れ城下で様々な怪異を起こすようになった。
元淡路水軍頭領・菅達長の屋敷の植え込みに化け猫の巣があると噂になり、
捜索隊が組まれたりもしたが、結局化け猫は捕まらず仕舞で、
そのうち騒動も下火になっていったという。
58人間七七四年:2012/05/06(日) 22:46:29.79 ID:TzQObvuf
オチのない化け物話って結構もやもやするな
59人間七七四年:2012/05/06(日) 23:37:46.81 ID:D4z4nqEV
誰か佐竹義宣を呼んで来い
60人間七七四年:2012/05/06(日) 23:53:02.51 ID:cH/2mGpz
化け猫大★勝★利
奥さんはなんとかできなかったのか?
61人間七七四年:2012/05/07(月) 00:25:33.68 ID:RDTmrJB4
鍋島「化け猫すら殺せないとは情けない。」
62人間七七四年:2012/05/07(月) 01:41:20.05 ID:JTAZzy4d
信長が佐久間親子を追放したのは、石山本願寺の跡地が欲しかったからです。
織田家で方面軍には「切り取り次第」という特権がありました。
戦線を委ねられた武将は、敵から奪った領土を自由にして良いとされていました。
佐久間親子は石山本願寺と戦争していましたので、石山の地を得る事になりました。
しかし、石山がある攝津は山陽地方に抜ける交通の要衝ですので、信長にとっても重要な土地になります。
「切り取り次第」のルールを破る事は、他の戦線への示しからもできません。
なので、信長は佐久間親子の追放という形で、摂津を自分の直轄下に置きました。

石山の地の戦略上の価値は、後に羽柴秀吉が大阪城を築いた事でも伺えます。

63人間七七四年:2012/05/07(月) 07:04:13.17 ID:OfoBUiOE
>>55-57
この化け猫はもしかして、嫡男の病気を見に来た
単なる野次馬じゃね?
64人間七七四年:2012/05/07(月) 08:38:50.09 ID:DB8wLCYw
>>62
歴史を知らない人の歴史観        .
ttp://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228222701/l50
65人間七七四年:2012/05/07(月) 20:38:23.84 ID:cIlYgPCA
おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

文禄2年、朝鮮での戦局が転換を向かえ、明軍の講和使節が名護屋にやってきた頃、
在陣中の南部信直は留守居の八戸政栄宛てに手紙を出した。

『十郎がこちらに下ってきたので、文を送ります。
5月15日に唐の官人二人(謝用梓・徐一貫のこと)が名護屋に来ました。
(秀吉は)早々に兵を高麗へ入れるべしと申してましたので、
連れてきた者を集めておくようにと仰いましたが、赤キ国(全羅道)を占領せよと命ぜられたので、
8月までの御在陣を仰せられました。
そして近日、佐竹義宣・堀秀治・丹羽長重・織田信包など、五人を渡海させよと指示されました。
なにはさておき、詳しくは十郎がお伝えします。』

『高麗八州四ヵ国は日本に割譲されるとのことで、これは一国が九州ほどで、使者は多くの人々を引いてきて
年貢を送ると詫び言があったそうです。唐の大王も貢物を送ってくるそうです。
これ以上ない条件だと上も下も言っていますが、高麗四か国に
日本の侍を置かなければ平和は無いだろうと太閤様はいろいろな御難題を仰られる。
そういうわけで、北金の都より大将としてやってきた遊撃将軍(李如松のこと)が釜山海に居るので、
太閤様が仰られた通りの事をこの人へと伝えたそうです。』

『高麗に在陣している大名達はさんざんに疲れ果てて、何の役にも立たない様子です。
だがその有り様を秀吉の御前で話しては、即刻処分されるので、皆怖がり恐れて、この有り様を申す人はいません。
この状況をわかってほしい。』

『日本では大身者であろうと小身者であろうと、御前で物を申す者はいません。
日本国内では一切の争いも許されません。ですが、武具などは油断なく準備し、九郎(南部利直)に奉公してほしい。』

『高麗の年貢は年々印子金1万2千ずつだそうです。印子金一つは100目(匁)で、これというほどのものではありません。
弾正殿(小西行長)は釜山海に居ます。
こちらで重ねて何かあったら、おいおい人を下して連絡します。以上

(文禄二年)五月廿五日  信直
 八戸殿』


当時の情勢や秀吉の独裁者振りが垣間見える南部信直の書状。
『高麗に在陣している大名達は〜』のくだりを読んだ時、秀吉って本当に独裁者だったんだなぁ、としみじみ思った。
誤訳あったらゴメン。
66人間七七四年:2012/05/07(月) 20:45:37.12 ID:B3YaATvq
もう早く帰りたいと書きたかったけど八戸さんや北爺を
心配させまいと我慢した信直くん
67人間七七四年:2012/05/07(月) 21:23:05.15 ID:9FYEu+Q2
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1385.html
さてこの逸話で吉川元長がかなり怖かったと大いにビビっていた豊臣秀吉であったが
これには理由があった。
この時のことについての吉川元長はこうコメントしていたのである。

「(小早川隆景と一緒に)天守見物をしたとき実は秀吉を一刀のもとに斬り殺し
自害してやろうと思っていた。今だ斬れ!今だ打て!と何度も思ったが
この身は毛利家のために命を捨てるのは望むところではあっても、隆景は違う。
たとえ秀吉を討ったとしても、隆景を失っては中国の柱礎が砕かれてしまう。
そうなれば毛利家の滅亡を招くだろうと仕方なく思い留まったのだ。
ああ、あの時隆景さえ同行していなければよかったのに!
太政大臣だろうが、関白だろうが、体が金属や石でできているわけでもないのだから
ただ一打ちに斬り殺してやったのに!」

自称怖いものなしの秀吉がビビったのも無理はない。
本当に元長はすぐ近くで秀吉に対してガンガンに殺気を放ちまくってたのである。
隆景フォローが大変だったろうな・・・
68人間七七四年:2012/05/07(月) 22:44:46.45 ID:go88GTy6
吉川家の当主ってことで、叔父さんでも同格ってことで敬称なしなのかな?
69人間七七四年:2012/05/07(月) 23:56:28.28 ID:VfltotWG
身内への手紙なんじゃないの?
70人間七七四年:2012/05/08(火) 00:56:10.64 ID:ooj+DNCP
隆景も「こいつは秀吉を殺りかねん」と思って制止するために秀吉の近くに居たんじゃないかw
71人間七七四年:2012/05/08(火) 05:35:57.17 ID:bN+9LY1b
全てを見抜いて(・∀・)ニヤニヤするラスボスの姿が浮かんだ。
72人間七七四年:2012/05/08(火) 05:44:52.47 ID:bN+9LY1b
>>65といい
太平洋戦争といい
原発事故といい…
日本人の気質は400年以上変わってないなw
73人間七七四年:2012/05/08(火) 06:15:52.55 ID:uJUJc7v/
>>67
元春に似て覇気がたぎっているとでもごまかしたのだろうか?
なぜか隆景がいると秀吉は疑うことを知らない
74人間七七四年:2012/05/08(火) 09:43:28.23 ID:Ea+j5Xec
隆景さえいりゃ軽率なことは起こさせないという絶大な信頼かもしれん

勇が足りない、ってことは思慮や智謀は全く問題なしと思ってたんだろし
75人間七七四年:2012/05/08(火) 09:57:37.00 ID:yzMucEDe
>>72
大切なのは耳に痛い進言を許す上なのだけどね

そう考えると徳川家は本当に異様だな
76人間七七四年:2012/05/08(火) 10:00:16.87 ID:i8fNsTvc
MSNGさん再評価の流れですね
77人間七七四年:2012/05/08(火) 10:09:51.62 ID:vyd3V7yM
>>76
進言を取り入れる度量?進言をほとんど必要とさせないほどの智謀あっての度量だろ、jkとの声が届いています
78人間七七四年:2012/05/08(火) 11:20:28.26 ID:6+bzqfZS
信長も信玄も、文書上は自分に悪いところがあったら遠慮なく言え、としているね。

……ただ、リアルに考えると怖くて諌言できねえよw
79人間七七四年:2012/05/08(火) 14:20:32.32 ID:aMpjFMa+
>>76
三好政長?
80人間七七四年:2012/05/08(火) 14:22:54.10 ID:i8fNsTvc
うん、素で間違えた
81人間七七四年:2012/05/08(火) 20:54:31.04 ID:ij3+uOtf
>>74
勇というか隆景にないのは野心だね
碧蹄館のときみればわかるけど普通に勇はある
82人間七七四年:2012/05/08(火) 23:34:30.38 ID:Kamt77nI
>>78
佐々成政
83人間七七四年:2012/05/09(水) 00:17:22.67 ID:VJ72z96+
>>78
不平分子を炙り出す罠だから......
84人間七七四年:2012/05/09(水) 00:19:41.30 ID:yYvcozOv
気に入らないことがあった時・・
織田家:泣き寝入りか死を覚悟の直訴(か謀反)→生か死か
徳川家:迷わず直訴する、聞かなかったら切腹すると喚く、何度でも直訴する→聞き入れてもらえる(*´∀`*)
上杉家:抵抗するか反乱するか隣国に逃げ込む→当主がないて寺にひきこもる
豊臣家:泣き寝入りかデスorダイ
85人間七七四年:2012/05/09(水) 00:33:22.28 ID:W43ff8xB
デスorダイwww
86人間七七四年:2012/05/09(水) 01:08:43.04 ID:E8l5GNHq
大人しく切腹するか、罪人として処分されるかの二択かいなww
87人間七七四年:2012/05/09(水) 01:52:12.00 ID:xNfowe9u
しかも一族郎党
88人間七七四年:2012/05/09(水) 02:27:44.62 ID:m0I6GJ3n
>>78
武井夕庵さん忘れちゃ駄目だろ
89人間七七四年:2012/05/09(水) 07:00:48.01 ID:H7FI8CyN
天正11年(1583)3月、賤ヶ岳に向けて畿内がきな臭くなってきた頃の、羽柴秀吉より、当時毛利との講和作業に
現地に赴いていた蜂須賀正勝、黒田孝高宛書状

『去る9日付けの書状が今日届き、それを見た。

一、お前たち(蜂須賀・黒田)からの報告は心得た。毛利から割譲された城々を受け取ったなら、
  人数、兵糧をしっかりと入れ置き、お前たち両名は早々に帰ってくるように。

一、西国の者たちへの挨拶は、書状でしておけばよいだろう。

一、尾張表では喧嘩のようになっている。不思議な事も起こるものだ。(尾州表喧嘩之様成、不思議之儀出来候)
  そんな状況なので伊勢表に軍勢を派遣した。私も今日、坂本まで移動する。

一、お前たちは軍勢を一人も率いてくる必要はない。これは八郎(宇喜多秀家)の家中の者たちにも良く
  申し聞かせておくように。
  しかし鉄砲を撃ちあうような事態になれば、軍勢を出すように申すだろう。内々にその事は伝えておく。
  なお、お前たちのことについては改めて入念に申し付けておく。早々に帰ってくるように。
  油断があってはならない。恐々謹言。

                       筑前守
                          秀吉(花押)

  三月十一日
    蜂須賀彦右衛門(正勝)殿
    黒田官兵衛(孝高)殿 』
(黒田文書)

尾張で織田信孝と織田信雄の紛争が始まっていることを「不思議な事だ」と抜け抜けと言っているのが
ちょっと面白い、賤ヶ岳に向けてそろそろ緊迫し始めた時期の秀吉の書状である。
90人間七七四年:2012/05/09(水) 08:36:46.88 ID:ndzGvL46
偉そうな口調で現代語訳し過ぎだろ。
末尾も恐々謹言だし、もっと丁寧な書状のはずだよ。
91人間七七四年:2012/05/09(水) 17:00:18.70 ID:zuqqu7Ru
話としては興味深いんだがなあ・・・・

最近ネタが尽きてきたせいか、アレンジしすぎるきらいがある
スレを盛り上げたいという気持ちは分かるが
やり過ぎるとくどい

92人間七七四年:2012/05/09(水) 18:48:34.04 ID:atCq22oh
>>89
義昭や家康もこの政局に絡んでくるしこのへんの駆け引きには細心の注意を払ってるね
万が一宇喜多や毛利が寝返ったりしたら大変なことだし
93人間七七四年:2012/05/09(水) 19:16:40.38 ID:yYvcozOv
この時代好きならみんな一度は
柴田=徳川=北条連合vs秀吉の妄想してると思うんだ。
旗色窺う毛利長宗我部、背後で騒ぐ上杉・・影で操る義昭・・
織田家臣である長秀はどうする、秀政はどうする、氏郷はどうする、長可はヒャッハーするetc..
94人間七七四年:2012/05/09(水) 19:48:25.68 ID:veZljIe4
それは、このスレで扱う話題なのかと…?
95人間七七四年:2012/05/10(木) 05:05:42.58 ID:nUasaX1m
96人間七七四年:2012/05/10(木) 08:23:15.45 ID:koE3i5hB
三重から広島まで手紙は2日なのか?
97人間七七四年:2012/05/10(木) 09:33:08.84 ID:tTSCUau7
なぜそうなるw
98人間七七四年:2012/05/10(木) 09:41:19.51 ID:9Ge1RoD7
現代語すら読めないとはw
99人間七七四年:2012/05/10(木) 09:52:08.65 ID:koE3i5hB
むうう?
広島から愛知まで2日ってことじゃないのか?
現代語難しい
100人間七七四年:2012/05/10(木) 10:56:46.34 ID:tTSCUau7
蜂須賀達が居るのは、割譲された城の差配をしろと言われてるので
毛利領地の広島な訳はなく最前線の備中
秀吉が居るのは、伊勢表に軍勢を派遣した俺もこれから坂本に向かうと言ってるので
伊勢や尾張に居るわけな訳はなく、坂本より西の京辺りに居る。
備中京都間の手紙のやり取りの話
101人間七七四年:2012/05/10(木) 11:32:59.96 ID:vSBf0zO7
ある時、坂崎直盛は近くで召し使っていた小童を罪があったとして処断した。
その小童と知音のあった浮田左門は仇を討とうと決意し、童に手を下した者を
殺害して坂崎家を出奔した。

直盛の父・安心入道は左門が殺されるであろうことを哀れんで富田知信に文を送り、
左門を匿ってくれないかと頼んだ。知信の妻は直盛の姉であった。
知信の妻もこの事態を嘆き、結局知信は左門を匿った。直盛は知信を追及したが
知信は「今は逐電して家にはいない」と白を切った。

頭にきた直盛は直接安濃津城へと赴いて捜索したが、見つからなかったようで
今度は伏見にいた知信と一戦交えようとさえした。さすがにそれは不味いと
周囲に戒められた直盛は家康に訴えでたところ、家康は
「天下のことは将軍に譲った。江戸にて上裁を仰ぐことだ」
と答えた。そこで秀忠に訴えたところ「証拠がない」と突っぱねられたため
直盛の憤怒は相当なものであったという。

それから数年の歳月を経ても、直盛は執念深かった。
直盛は突如として、知信が左門と繋がっている証拠を幕府に提出したのである。
その頃、左門は知信と親しかった高橋元種のもとに潜伏先を移していた。
実は左門と一緒に逃げていた侍が裏切り、坂崎家に帰参するために、
知信の妻が左門に宛てた文を直盛に渡してしまったのである。

狂喜した直盛は証拠をつきつけ、知信と元種は言葉に詰まり、ついに改易された。
一方、左門も捕縛された。左門は土井利勝らの警固で輸送される途中、縄を解き、
警固の刀を奪って暴れまわったが、土井の家臣・藤左衛門に組み伏せられ、
最後には誅せられたという。
102人間七七四年:2012/05/10(木) 13:07:39.25 ID:wrAZjjBi
知信=信高でその妻ってのは安濃津城戦でピンチの旦那を助けに出撃した例の人でいいんだよね?
なんか釈然としない巻き込まれ方して改易食らってたんだなあ、そして安定のマジキチ坂崎
103人間七七四年:2012/05/10(木) 13:40:01.00 ID:kiMsfJNv
こんな改易のされ方って有りかよ・・・
超がつくほど後味が悪い
104人間七七四年:2012/05/10(木) 13:54:02.15 ID:CBZogoyl
一族郎党皆殺しにされた某せっしょう関白よりマシ
105人間七七四年:2012/05/10(木) 13:59:44.84 ID:4ogxsfHj
殺生なことするよな
106人間七七四年:2012/05/10(木) 14:26:05.10 ID:w/K8TT8E
なぜ伯父のような用意周到さと父のような用心深さを身に付けなかったのか残念でならぬわ < 坂崎
107人間七七四年:2012/05/10(木) 16:01:03.31 ID:QxmBCIxX
犯罪人をかくまったんだろ?現代でも罪になるよ
108人間七七四年:2012/05/10(木) 16:45:23.01 ID:XaNNPDHV
左門も処刑人を殺害するんじゃなくて直接坂崎を仇討ちすればいいものを
坊主を殺すかわりに袈裟を切ったんじゃ、なんだかなぁ
109人間七七四年:2012/05/10(木) 17:55:48.79 ID:L+liZV1+
道雪を宿敵とする秋月種実の実子で、紹運に家督を奪われた高橋鑑種の養子である
高橋元種が、この改易後に棚倉の立花宗茂の預かりになって面倒見てもらったっていうのも
元種としては辛かっただろうな
110人間七七四年:2012/05/10(木) 20:49:44.40 ID:CC6EiYze
111人間七七四年:2012/05/10(木) 22:14:25.93 ID:9AcK8kMs
秋月種実って立花・高橋コンビ相手に毎回負けてるのに何故か負けるたびに所領が増えてるイメージ。
1度大友に滅ぼされてから復興して島津侵攻前には30万石以上を領する北部九州1の大勢力だったし。
112人間七七四年:2012/05/10(木) 22:37:21.89 ID:CLRP5WSF
秋月さん家の逸話?を1つ

秀吉の九州征伐軍に降伏した秋月種実・種長親子は、
昨日までの盟友であった島津討伐のためその先鋒に立たされることになった。
そして軍勢と共に秋月へと向かう途中、休憩中の秀吉が秋月種長を呼び寄せる。

秀吉は「そちは俗謡の名手と聞くが、今この場で一曲歌ってみよ」と命じた。

九州御動座記には『筑前一国豊前半国筑後半国の屋形』と書かれ、
昨日までは北部九州第一の大名だった秋月種長に諸将の前で幇間の真似事をせよと命じたのである。

もちろん断る事の出来ない種長は、その長身を屈め跪き恥も外聞もなく膝拍子を打ちながら唄いはじめた
 一張の弓の勢い月心にあり
 これぞ真如の槻弓の
 薩摩もなどかおそれざる
これを見た秀吉は「面白し面白し」と興じて喜んだと言う。
また種長の父・種実も諸将の中に混じり息子の姿を見ることになる。この親子の心中穏やかではなかっただろう。
時に種実43歳、種長21歳であった。

こんな屈辱うけたんだから関ヶ原直後に西軍裏切っても何の問題も無いよね。
113人間七七四年:2012/05/11(金) 06:48:02.04 ID:hGflx+co
一族郎党打ち首以外は全てラスボスの優しさ
114人間七七四年:2012/05/11(金) 09:12:29.25 ID:C3wWIHI3
>>108
この左門て人は直盛の甥らしいよ。
て事は多分忠家の孫。
血縁だから余計に色々な事情があったんじゃないの?
115人間七七四年:2012/05/11(金) 11:54:34.55 ID:44V+1Lhw
>>106
伯父の執念深さを見習い父の臆病な保身を反面教師にしました!

って勢い
116人間七七四年:2012/05/11(金) 16:30:33.74 ID:Wog8g69N
泳ぎの達人はどうしてあんなんになったんだろうな〜
一族の洋な部分を集めたような性格だよね

009のガンダールさんを思い出すわ〜
117人間七七四年:2012/05/11(金) 16:33:07.62 ID:FpwYnF0T
秀吉「八郎はわしが育てた。」
118人間七七四年:2012/05/11(金) 17:32:22.75 ID:Wog8g69N
ラスボスさんの洋の部分までも…ってことですか?
119人間七七四年:2012/05/11(金) 21:26:20.00 ID:bOlIM1Vz
その後
>>118とその家族を見たものは居なかった。
120人間七七四年:2012/05/11(金) 21:29:27.59 ID:ZeoJTVo/
>>119
え?川原に転がってたのを見かけましたよ?

鼻だけね・・・・・
121人間七七四年:2012/05/11(金) 22:42:02.89 ID:66hNI7/4
裏切ってもいいじゃない、戦国だもの

【テレビ】NHK大河ドラマ「明智光秀」を、篠山市と丹波市が誘致模索・・・織田信長を討った“裏切り者”のイメージに心配の声も
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1336723626/
122人間七七四年:2012/05/11(金) 22:46:09.66 ID:mDALuLx/
なぁに、まーくんだって大河になったじゃないか
123人間七七四年:2012/05/11(金) 23:18:27.90 ID:3IiJUsJm
信玄だって裏切りまくってるしな
その程度は大丈夫
124人間七七四年:2012/05/12(土) 00:01:30.63 ID:dj0URJpg
大河で松永久秀てのもアリだと思うの
125人間七七四年:2012/05/12(土) 00:05:24.56 ID:8qPxD0LX
性夜の指南書を書き上げるまでか
126人間七七四年:2012/05/12(土) 00:22:23.50 ID:gcWAO0CT
どうせ光秀の妻とかが主役になるんだろう
そして「戦なんてやめて!!」を連呼するだけの底辺大河の出来上がり。
127人間七七四年:2012/05/12(土) 00:34:11.56 ID:1gZWadSc
ここは娘の玉ちゃんをクローズアップしてですね…
細川夫妻を筆頭とした戦国の夫婦愛を大河化するといいよ
128人間七七四年:2012/05/12(土) 00:37:45.67 ID:VKtIVBVZ
いっそ福を後編の主人公にして、意地悪な将軍の嫁に勝つ話に
129人間七七四年:2012/05/12(土) 01:32:46.04 ID:xW0NrYzl
それ昔あったような
130人間七七四年:2012/05/12(土) 05:07:35.04 ID:r2fWdkkf
>>121
俺は反対。光秀は前半が不明な部分が多い。ドラマ化したらくだらない内容になるに決まっている。

>>122
馬鹿か。独眼流は視聴率1位の大作なんだよ。
131人間七七四年:2012/05/12(土) 05:33:04.32 ID:QhS+GLPi
>>126
髪を切るエピがやたら改悪されそうだ
132人間七七四年:2012/05/12(土) 06:39:12.40 ID:dj0URJpg
>>131
地下闘技場で大金を掛け金網髪切りデスマッチを…
133人間七七四年:2012/05/12(土) 07:24:28.59 ID:Xw++7ci+
>>132
そこまで突き抜けたら見たいw
134人間七七四年:2012/05/12(土) 07:34:14.69 ID:1JFeruxf
いっそ光秀を極悪非道なピカレスクヒーローにしてくれたら嬉しいが、そういうのは絶対ないだろうしなあ。
国盗り物語の頃は、道三編なんてほんとに主人公が悪党だったがw
135人間七七四年:2012/05/12(土) 09:16:33.37 ID:DUenkhcI
天正11年(1583)4月、柴田勝家と羽柴秀吉の賤ヶ岳の合戦が進行する中、
備後国は鞆にあった足利義昭が、毛利輝元に対して発した書状


『度々そちらに申し寄越したように、柴田勝家勢が既に北近江まで進出しました。
上方で合戦が起こるのは至急の事だと認識するのが肝要です。
私の方からは小林家孝、今村を上方に遣わしました。
今、この事態に対しもし油断があれば、たちまち後悔する事になるでしょう。

并びに、当家(足利将軍家)の再興はこの時にあります。別して、毛利家が軍勢を上方に出すことを
頼み入ります。

猶、この事については真木島昭光が詳しく話します。

卯月(4月)六日                   義昭(花押)
     毛利右馬頭(輝元)とのへ     』

全く同文のものを吉川元春・元長親子にも送っている。
どうもこれは、柴田勝家を助けるための行動であった模様である。義昭は自身の京都帰還を条件に、
柴田勝家に毛利輝元、徳川家康などを結びつけようとしていたようなのだ。

賤ヶ岳の合戦を前にした、足利義昭の策動の一端である。
(徳山毛利文書)

136人間七七四年:2012/05/12(土) 09:20:13.08 ID:4jftyOGG
ずれてやがる・・・義昭
137人間七七四年:2012/05/12(土) 09:39:05.90 ID:DzEURu8a
輝元「ま〜た始まった。さっさと秀吉にこの居候を引き取ってもらおう。」
138人間七七四年:2012/05/12(土) 09:44:49.12 ID:gcWAO0CT
そういえば、光秀が上杉に宛てた
「上様の御上洛を手伝う約束をしてくれてありがとう」
的な手紙が、最近になって実は本能寺の変の時期に書いた手紙だったって説が有力になったらしい
この点から、光秀煽って信長殺させたのは義昭なんじゃないかって
「その時歴史が動いた」で放送してた
139人間七七四年:2012/05/12(土) 09:53:35.18 ID:TewGXaFI
歴史が動いたは作家が自分の妄想を披露する番組でしかないような
140人間七七四年:2012/05/12(土) 10:28:23.82 ID:6fw1/gKu
たぶん小牧・長久手の戦いの時にも同じ内容の手紙を出してるんだろうな
141人間七七四年:2012/05/12(土) 10:55:57.27 ID:xlDPqTFR
>>124
久秀がコオロギの世話をしながらボヤイテ終る、毎回そんなEDならオレは見る!
142人間七七四年:2012/05/12(土) 11:11:50.64 ID:MQWBSPIs
>>138
その時期に書いたもんだったならそもそも上様って信長のことだったりしねえか?
143人間七七四年:2012/05/12(土) 11:16:57.40 ID:qBbek2Ml
>>135
義昭=ルーピーのイメージ
144人間七七四年:2012/05/12(土) 11:25:10.71 ID:bJ+qhSHj
義昭の書状って返事も待たずに書き散らかした代物で
後から見た人間が勝手に騒いで遊ぶ玩具以上の物じゃないよなぁ
145人間七七四年:2012/05/12(土) 11:59:07.41 ID:gcWAO0CT
>>142
天皇か将軍にしか使われない文章ルールが使われてたからどちらかは確定らしい。
で、天皇が上洛って意味不明だから消去法で義昭宛って事を言ってた
146人間七七四年:2012/05/12(土) 13:35:37.74 ID:WKdDn7Jl
義昭はアフォって言うよりインケツって感じ。
信長包囲網とか、たまたま信玄が死ななければ、成功したんじゃないかな。
147人間七七四年:2012/05/12(土) 14:19:43.80 ID:pKSFgug4
信玄が死んだ時はすでに瓦解してただろ。
148人間七七四年:2012/05/12(土) 14:38:01.07 ID:DzEURu8a
朝倉が退いて包囲網の瓦解が確定したから信玄ブチ切れしてたよね
149人間七七四年:2012/05/12(土) 14:48:08.00 ID:gcWAO0CT
それ以前にも信長死にそうだったじゃん
秀吉光秀のチート家臣コンビのお蔭で助かったけど
150人間七七四年:2012/05/12(土) 16:09:35.85 ID:CtL9kiUh
つまり信玄なんていらんかったんや!
ってか信玄が死んだ後に義昭は挙兵する、という全く情報収集を欠いた姿勢で自滅しとるよね。
151人間七七四年:2012/05/12(土) 16:14:53.12 ID:CtL9kiUh
>>149
志賀の陣のことなら、その二人は決定的働きしてないよ。
朝倉びいきの江戸期の軍談だと信長の土下座外交が決め手。
当時資料だと、帰路が雪に閉ざされる朝倉軍が根を上げて義昭に頼んで和睦。
152人間七七四年:2012/05/12(土) 16:15:27.51 ID:1gZWadSc
一向宗と畿内の諸大名との間に渡りをつけることができたら織田家を妥当できたかもね
とはいえ、現実には包囲網もずさんで連合の実質的な盟主として活躍していたとは言い難い
情報収集力のみならず調整力の欠如からして、将軍の器ではなかったのだろう
153人間七七四年:2012/05/12(土) 16:52:22.64 ID:5II2LVjH
三河一向一揆の時、小豆坂の戦いの際に、徳川家康の家臣・大見藤六はその前夜まで
家康の側にいて、明日の軍議を盗み聞きして一揆側に走った。

これに気づいた家康は近臣たちに言った。
「明日は大変なことになった。藤六はきっと我らの計略を賊徒に知らせたに違いない。
お前たち、明日はよくよく戦に励むのだ! もし私が討死したならば、藤六の首を
切って私に手向けよ。これぞ二世までの忠功である!」

翌日、藤六と石川新七の二人が真先に攻め寄せてきた。これを水野忠重と水野太郎作正重が
迎え撃ち、新七は忠重に討たれ、藤六には正重が「お前は逃がさぬ!」と立ち向かった。

藤六は弓を引いて「小僧め、よらば一矢で射抜いてやるぞ!」とかまえたところ、
流れ矢が腕に当たり、太刀を抜こうとしたところを槍で突かれてしまった。

しかし札の堅さのため致命傷にはならず、藤六は刀を抜き放つがこれも致命傷には
ならなかった。そして正重も抜刀し、切り合いになったが、ついに藤六は切り倒された。
藤六は「小僧め…無念なり」と念仏を唱えだしたところを正重に首を切り落とされた。
二人の死によって一揆勢は敗走した。

さて、正重は討ち取った藤六の首を家康に捧げたところ、家康は大いに正重を誉めた。
「おう、汝が藤六を討ったか! よくやった、汝が一代の忠功である!」
154人間七七四年:2012/05/12(土) 17:01:31.97 ID:dj0URJpg
そんな器量あれば幽斎様が離反しなかったろう
155人間七七四年:2012/05/12(土) 18:12:38.73 ID:VMU8ttWB
太郎作正重は水野忠政の実弟水野清重の子だから忠重の従兄弟になるのか
水野一族は織田と徳川の両方で手広くやってるなあ
156人間七七四年:2012/05/12(土) 19:37:32.00 ID:ALcjGN7/
>>153
最初読んでどこがオチかわからんかったが、なるほどセコいw
157人間七七四年:2012/05/12(土) 20:09:08.64 ID:7q1WltS/
家康が焼け味噌をもらして討ち死にする>仇を討つ>二世までの忠功
家康が焼け味噌をもらすだけ>敵を倒す>一代のみの忠功

家康死んだ方がお得じゃん!
158人間七七四年:2012/05/12(土) 20:11:11.73 ID:Xw++7ci+
家康は討死してないから、二世までの忠功は無理ぽ
159人間七七四年:2012/05/13(日) 10:41:23.94 ID:wSH7Wm/G
二世までの忠孝は家康に対する死を越えた忠孝って事で
一代の忠孝はお前すげーな今までで一番よくやったなくらいの意味で
この二つに関連はないのでは
160人間七七四年:2012/05/13(日) 12:18:00.08 ID:li5yr2Zt
言葉の上での褒めすらケチる家康ってこと?
161人間七七四年:2012/05/13(日) 14:55:58.88 ID:mQAiqYTz
長久手の戦いの後、佐々成政は越路の雪を踏み分けて
はるばる浜松までやってきた。世にいう『さらさら越』である。
成政が徳川家康と面会したところ、家康は成政を丁重にもてなした。

「この度は信雄様をお援け頂き感謝にたえません。
これからもどうか織田家興隆のためにお力添えをお願いいたします。」

「よくぞ深冬風雪をかえりみずに参られましたな。私は秀吉と遺恨が
あったわけではありませんが、信雄殿の窮状を見て忍びなく、
また亡き織田殿との旧好を忘れられなかったので、およばずながら
お援けした次第です。

しかし、信雄殿は秀吉と和議を結んだそうですから、私の信義も
詮なきこととなりました。ですが、成政殿が主のために義兵を起こす
おつもりであれば私も援兵を送りましょう。」

成政は家康の言葉に感謝した。その後、会話の中で成政は、
家康を武田信玄、自らを上杉謙信に例えて、己の自負を語ったという。

次に成政は織田信雄とも面会した。成政は信雄に上洛を勧めたが、
信雄は秀吉と和議を結んだことを理由に勧めを拒否した。
とうとう、どうしようもなくなった成政は後に秀吉に降伏した。

家康は成政が訪ねてきた時、高力正長に「佐々は人傑である。
あのような者とは知人になって、その様を見習うがよい。」と言い、
成政を評価した。

しかし、老臣の酒井忠次は成政の自負に不快感をあらわにし、
「あのような者に御加勢は無用でありましょう。あの者は
大剛の士なれば、その勇気に任せて失言するのも道理である。
関わらないほうがよろしい。」と批判した。
162人間七七四年:2012/05/13(日) 14:58:01.65 ID:ZJGf6pn7
大剛自体は三河者にも認められるレベルだったのだな
163人間七七四年:2012/05/13(日) 15:01:37.70 ID:60Eo2k8l
忠次の場合、お前が言うなって話のような
164人間七七四年:2012/05/13(日) 15:29:25.23 ID:wk3JHOPB
三河武士は、本音の暴言は吐いても失言はしない(キリッ
165人間七七四年:2012/05/13(日) 17:58:20.11 ID:zXq2moZZ
というかタヌキをお屋形様になぞらえていいのか?
166人間七七四年:2012/05/13(日) 18:17:10.82 ID:So+1BAHS
家康はこの時期すでに、全盛期の信玄を超える勢力を持っているわけだが
167人間七七四年:2012/05/13(日) 21:02:14.49 ID:a4VRu9Yp
とか思いつつもしかみ像見て下はこんなことになってまつ
168人間七七四年:2012/05/13(日) 21:15:30.81 ID:FAMzNlya
ウンコネタ出せば面白いと思ってるのかよ。
169人間七七四年:2012/05/13(日) 21:46:28.16 ID:a4VRu9Yp
うんこじゃなくてちんこだよ
170人間七七四年:2012/05/13(日) 21:49:04.02 ID:So+1BAHS
そういうネタを面白がるのは小学生低学年までだな
171人間七七四年:2012/05/13(日) 22:38:27.94 ID:MdmJHRJN
三河もののウザさは現代の東三河あたりでも通じる
172人間七七四年:2012/05/14(月) 08:43:33.87 ID:h3WDfoK9
確かに徳川に忠節を尽くすからこそ輝かしく見えるけど
主君がいなけりゃただの意地っ張りで直情な田舎者だものな。
173人間七七四年:2012/05/14(月) 08:47:00.76 ID:iBJ919P2
だからこそ逆説的に主君が必要だったんだなw
174人間七七四年:2012/05/14(月) 18:57:32.78 ID:iBJ919P2
賤ヶ岳も終結した、天正11年(1583)5月15日、羽柴秀吉よりの小早川隆景宛書状。
前半は賤ヶ岳合戦から柴田勝家らの滅亡までを解説している。
その後半部分


一、それら(賤ヶ岳の戦後処理)が終わって後、この筑前守は近江の坂本にあって、今回の戦役において忠節をなした者に
   国郡を遣わし、安堵の思いをさせてやりました。

一、この間、我々のために働かず無精をしていた者たちは、本来なら成敗すべきなのでしょうが、
  この秀吉は、人を斬ることが嫌いなのです。(秀吉人を切ぬき申候事きらい申候付)

  ですから助命してやり、先々忠節を成せば、(没収した土地に変わり)変え地を遣わしてやる。
  どこの国でも望みのままだと念を押していってやりました。

一、来月の中旬には今の知行割の作業も終わるでしょう。部下の諸侍たちには非常に骨を折らせましたので、
  7月の30日間は休みにしてやりたいと思っています。

一、ところで、(賤ヶ岳のために動員した)軍勢を、このまま徒に置いていても無駄なことなので、これらを率いて
  貴国の国境に罷り越し、国境の確定もしつつ、長くご無沙汰していたので久しぶりに相まみえたい、などと
  思っています。
  よくよく御分別あるべきです。この秀吉の腹を立てさせないご覚悟が、あってしかるべきでしょう。
  (秀吉腹を不立様ニ御覚悟尤候事)

一、東国の北条氏政から、北国の上杉景勝まで、もはやこの筑前守の命ずるままです。
   (東国者氏政、北国ハ景勝まで、筑前任覚悟候)
  毛利右馬頭殿(輝元)にも、この秀吉の存分次第にすると覚悟をお決めなされれば、日本の統治は、
  源頼朝以来、これ以上のものはないほど安定するでしょう。この事、そちらからもどうかご意見しておいて下さい。

  7月前に、あなたのご意見をご存知のものを、御心を置くような事はせずに申し寄越して下さい。
  八幡神に誓います。私の方からも、私の考えをよく存じているものを、あなたに元に遣わすでしょう。

一、右の趣、全て輝元へ仰っていただいて構いません。なお、そちらからの使者には口上で申し渡しを
   しておきました。恐々謹言。

    五月十五日                  秀吉(花押)
      小早川左衛門佐殿 御返礼

(毛利家文書)

戦勝報告の中、既に天下の主の気分を隠そうとしていなかったり、また毛利への恫喝成分もたっぷりの、
波に乗りまくっている時期の秀吉の書状である。
175人間七七四年:2012/05/14(月) 19:04:46.00 ID:wGmkp3JR
わー、さすが人誑しの名人は手紙も配慮が行き届いているなー(棒読み
176人間七七四年:2012/05/14(月) 19:11:56.20 ID:+h+m2sv5
脅しておいてから優しくする作戦ですな
177人間七七四年:2012/05/14(月) 19:25:10.94 ID:BGRCKAj8
すげー、完全に恫喝だよなw
178人間七七四年:2012/05/14(月) 19:30:44.88 ID:VXpTierc
>この秀吉は、人を斬ることが嫌いなのです。
この頃は、まだ本気で言ってたんだろうなぁ
179人間七七四年:2012/05/14(月) 19:49:09.20 ID:HhzJbgFl
○この秀吉は、人を斬るだけで済ますことが嫌いなのです。
180人間七七四年:2012/05/14(月) 19:54:47.30 ID:aTr/iayw
実はこの秀吉は、あと2回の変身を残しているのです
181人間七七四年:2012/05/14(月) 20:04:12.91 ID:OI0JlE1r
隆景「それでは賭けは私の勝ちということで皆さんよろしいですか?」
元春「仕方ないなー、わし引退するわー(棒)」
輝元「秀吉と組んでさっさと将軍を返しましょう。(切実)」
182人間七七四年:2012/05/14(月) 20:11:40.81 ID:fL4k86fq
この秀吉は、人を斬ることが嫌いなのです。
(殺すことが嫌いとは言ってない)
183人間七七四年:2012/05/14(月) 20:19:15.79 ID:QrN2piIA
上で大河話出てたが三斎様大河は三傑絡められるし親父の足利将軍後落胤説も採用してのドラマとか嫁とかネタ多彩でありな気がするけどまず無いだろうなぁ…。安倍龍太郎の小説みたいなファンタジー的要素入れれば史実考証は?だが話としては面白そう。
184人間七七四年:2012/05/14(月) 20:21:29.28 ID:UXyjY/St
ラスボス様の話題はスレが伸びるなぁ
185人間七七四年:2012/05/14(月) 21:38:11.87 ID:bB4p7DPY
三斎さんはトリッキー過ぎて史実なのにファンタジー要素あるのが難点かもね〜
186人間七七四年:2012/05/14(月) 21:44:05.81 ID:DE30Lmm6
>>174
へたれの毛利だから上手く行ったけど、こんな手紙を徳川に送ったら大変なことになるな。
187人間七七四年:2012/05/14(月) 21:50:47.79 ID:UXyjY/St
多分送ってると思うw
188人間七七四年:2012/05/14(月) 22:00:00.30 ID:ICovyeWM
>>186
然り、然り
この秀吉は、人を斬ることが嫌いなのです。
作佐「焼くこと嫌いとは言うておらんですぞ!お殿さん」
忠勝「ふむ、油で煮るのが嫌いとも言うとらん」
康政「牛裂きにするのが嫌いとも言うとらんな」
直政「埋めるのは嫌いではないらしいのでは?」
正信「ご一同、飢え死にさせるのが好きなのをお忘れか?」
家康「皆、考えが古いの。毒茶、毒まんじゅう、毒酒が昨今の流行りぞ」
189人間七七四年:2012/05/14(月) 22:04:09.07 ID:MZjqqhtQ
>>186
荒らしたいのがバレバレでワロタ
190人間七七四年:2012/05/14(月) 22:23:11.31 ID:6tTt6JhA
秀吉「俺を怒らせるなよ?」
家康「元通りで手を打ちましょう」
191人間七七四年:2012/05/14(月) 22:57:46.54 ID:ohExgLnk
そして三河を人類誕生以前に戻す秀吉であった…
192人間七七四年:2012/05/15(火) 00:12:15.42 ID:bcpQECBX
金持ちになると、いきなり態度変わるやつっているよね・・・
193人間七七四年:2012/05/15(火) 00:12:32.63 ID:o5/gVUqh
まぁ、ラスボスもそこまで余裕ないと思うけどな
194人間七七四年:2012/05/15(火) 00:48:33.20 ID:88svNaRc
三河とか眼中に無いと言わんばかりw

実際問題まだ四国も九州も制圧前だから再度包囲網組まれたらヤバイ気がするけど・・・
195人間七七四年:2012/05/15(火) 01:43:23.60 ID:ONGMgOI7
毛利は高松城で「和睦」したのに、その後は織田に属した国人をどんどん攻めてたからね。
上方情勢で中国路に手を出せない秀吉はかなりむかついてただろうし。
196人間七七四年:2012/05/15(火) 06:21:13.47 ID:lZgF3+vf
>>195
小競り合いしてたのは署名してなかった現場の各国人達だから
毛利側も秀吉側もかなり頭痛めてただろうね
197人間七七四年:2012/05/15(火) 07:31:42.87 ID:GX1vLRxE
毛利と秀吉の国分けは難航しつづけたからなぁ。
恵瓊が嘆いてたし
198人間七七四年:2012/05/15(火) 19:19:33.24 ID:7FJ+0bFj
>>195
本能寺の変をスルーして秀吉に恩を売るという行為と矛盾してないかな。
宇喜多も毛利を裏切ってるし。
199人間七七四年:2012/05/15(火) 19:30:49.87 ID:vHLb6F/w
>>195
確か山陰方面でも毛利に追い出された国人を元にもどせ云々もめてたよな
200人間七七四年:2012/05/15(火) 19:45:47.25 ID:2Oa+wF1U
戦国時代なら当たり前の策動じゃない?
201人間七七四年:2012/05/15(火) 19:46:49.58 ID:TCjpTIbs
正宗イズムの始祖かもしれん
202人間七七四年:2012/05/15(火) 19:47:16.32 ID:TCjpTIbs
× 正宗
○ 政宗
203人間七七四年:2012/05/15(火) 20:12:19.86 ID:nydYVSSf
ある時、徳川家康が茶道具の管理者を呼び出し、
「茶杓を持ってまいれ」と命じた。家康は管理者が持ってきた茶杓のうち、

瀬田正忠が創った茶杓6、7本を取り出すと、それらひとつひとつを
折って「捨てておけ」と命じた。

この不可解な行動は、ちょうどその頃、正忠が豊臣家の内意を受けて
蒲生氏郷を殺したとの噂があったので、正忠をひどく憎んでの行動では
ないかと人々の間で囁かれたという。

家康、正忠を憎む、という話。しかし、本当のところは不明。
204人間七七四年:2012/05/15(火) 20:31:51.01 ID:UA5bRMtf
京都在住:F・Oさん「拙者の作った茶杓とて良い物でごz(ry」
205人間七七四年:2012/05/15(火) 20:38:20.87 ID:dXRI1xBY
江戸在住のH・Tさん「・・・(おもむろに茶杓を手にとる)」ベキッ
206人間七七四年:2012/05/15(火) 20:39:43.57 ID:2Oa+wF1U
???「無駄に破損するぐらいなら、爆薬をこう詰めてだな……」
207人間七七四年:2012/05/15(火) 22:50:38.78 ID:IIRhIeas
茶器1つでラスボスから許されることもありますよ
208人間七七四年:2012/05/15(火) 23:25:29.11 ID:X18uVI8G
>>207
その時のラスボスは、完全体ではなかったのだ。
209人間七七四年:2012/05/16(水) 00:15:44.87 ID:RiKlthYT
完全体となったラスボス様は
現役の関白相手にも容赦しないからな。
210人間七七四年:2012/05/16(水) 05:43:28.35 ID:8qolJmAb
現役関白が太閤隠居した先代に謀反と云うのも違和感有り捲り。
211人間七七四年:2012/05/16(水) 14:00:35.11 ID:fsphCIhR
しかも秀次は一切抵抗せず腹切ったのに、生き残りの妻子や侍女ら、関係がちょっとあった大名まで連座とかね……。
秀長という安全弁が吹っ飛んだせい、といわれているが。
212人間七七四年:2012/05/16(水) 15:53:55.27 ID:TYcBwZWl
>>211
だから、秀頼に遺産を全て相続させたいから邪魔なやつは排除
213人間七七四年:2012/05/16(水) 16:15:23.37 ID:zagptTFu
金借りてた某DQN様は何とか切り抜けたな
214人間七七四年:2012/05/16(水) 17:12:42.07 ID:DqzMyUNG
そうだね秀長公も生きてたら切腹食らってたと思うよ
もうおかしくなってたんだな
215人間七七四年:2012/05/16(水) 17:15:52.26 ID:X5LDreca
切腹までは無いけど、今の日本のワンマン経営者だって似たようなもんだろ。
意見したら左遷、気にくわなければ左遷。辞めさせる方向に…
216人間七七四年:2012/05/16(水) 17:17:16.20 ID:YaoCO/kl
家康「一門を大事にしないから……幼主一人残して何ができるんだよw」
217人間七七四年:2012/05/16(水) 19:12:34.17 ID:hP+TgbVe
松平忠輝「ほんとうに」
徳川忠長「徳川は一門を」
松平忠直「大切にするよなあ」
218人間七七四年:2012/05/16(水) 19:14:36.48 ID:YaoCO/kl
信長「一門残っても微妙な場合が……」
219人間七七四年:2012/05/16(水) 19:17:33.99 ID:DBRk/TYZ
>>215
だから駄目になるんだろ
220人間七七四年:2012/05/16(水) 20:03:59.35 ID:g27pBqn5
>>218
肝心の跡取りが同日に死んじゃったからなあ
221人間七七四年:2012/05/16(水) 22:38:03.25 ID:00W7VYaq
忠輝は現代になって徳川家当主の裁量で許されたんだろ?
信康の立場は…墓もあんなだし…
やっぱ武田家で言う義信みたいな扱いだったのかな
222人間七七四年:2012/05/17(木) 11:20:49.63 ID:07ynqDT5
>>220
跡取りが死んで跡取りの幼い子と跡取りの弟(複数)が生き残るってある意味最悪のパターンだな。
223人間七七四年:2012/05/17(木) 12:09:01.49 ID:6d70yEla
本人はおとなしくその幼い甥を助けて・・と思っても
家臣派閥や乳母や奥さんや穴仲間の幼馴染が
そそのかすもんねw
224中国地方名無しさん:2012/05/17(木) 12:13:54.74 ID:qHch7Djr
甥を厳しくしつけます
225人間七七四年:2012/05/17(木) 12:31:54.12 ID:k959DbTm
屏風襖の裏で…
226人間七七四年:2012/05/17(木) 12:32:33.24 ID:5bwNOItT
織田家が筒井家みたいにしょぼければまた違ったんだろうな
227人間七七四年:2012/05/17(木) 12:45:25.18 ID:3RWKz1S1
関ヶ原の戦いの時、徳川の家臣・米津清右衛門正勝は敵の首を取って
きて小栗又一忠政に向かい「やあやあ又一よ。俺はもう名を上げたぞ」
と自慢した。

実はこの二人かねてより仲が悪かった。又一は「貴様がしらみ首を
取るならば、俺は兜首を取ってみせるわ!」と言い返して先陣へ馳せた。

正勝はさっそく首を主の家康に見せたが「使番の仕事は先手の様子を
早く本陣に伝えることであろう。首の一つや二つが一体何の役に立つと
いうのか!」と叱られてしまった。

さて、一方の又一は宣言通り兜首を取ってきて正勝に向かい
「ほれ見ろ。お前にできることが俺にできないわけないだろ」と言うと、
首をその辺の谷川に捨ててしまった。
228人間七七四年:2012/05/17(木) 13:32:47.66 ID:jAtkeGHb
>>222
何その毛利家。

>>227
兜首を捨てるとは…めんどくさい三河者らしいや
229人間七七四年:2012/05/17(木) 13:43:06.94 ID:wBTEnuY+
徳川の戦いでそんなホイホイと兜首が取れる訳ないし
自演乙と言う話なのだろう
230人間七七四年:2012/05/17(木) 13:53:21.97 ID:MiYy4jIx
兜首って別に大将の首という訳ではなく侍の首って事だから
231人間七七四年:2012/05/17(木) 14:03:31.68 ID:5bwNOItT
じゃあしらみ首って何だ???
232人間七七四年:2012/05/17(木) 15:27:42.42 ID:dSUi5V82
多分、雑兵の首

正勝「首取ったど」
又一「雑兵の首じゃんwじゃあ俺は侍の首取ってくる」

正勝「首取りました」
家康「お前の仕事は何か考えろ、ああ?」

って話だろう
233人間七七四年:2012/05/17(木) 16:32:21.58 ID:iFsfSyEb
>>221
政宗の弟は、200年後に許される
234人間七七四年:2012/05/17(木) 16:39:27.52 ID:BikHuZ7P
猫を殺すと七代祟り、まーくん殺しかけると七代勘当か
235人間七七四年:2012/05/17(木) 16:59:47.33 ID:ao6IvoSt
ニャンコの話をするとあの人とあの家が黙ってないぞ〜
236人間七七四年:2012/05/17(木) 17:06:10.66 ID:gYuaCo0B
政宗「処断した人間を赦免するにも時間が必要なのが大名の辛いところなんだぜ。
それはそうと、この間寄った寺で見た白萩は美しかったなあ」
237人間七七四年:2012/05/17(木) 18:38:07.45 ID:138/PK//
天正3年(1575)5月20日付、武田勝頼が長篠より出した、三浦員久(かずひさ)宛の返書

『あなたの心配はありがたいが、全て我々の思い通りに行っているので安心してほしい。

長篠城に取り詰めた所、織田信長と徳川家康が後詰に出張してきたので対陣したが、
敵は戦術を失敗して一段と逼迫しているように見えたので、我々は無二に敵陣に乗りかかり、
信長・家康の双方とも我々の意のままに討ち崩した。

なお、そちらも城の用心を、念を入れて行うのが重要である。』


翌21日、あの「長篠の戦い」が起こり、武田軍は壊乱する。


武田勝頼がこの書状に事実を書いたのだとしたら、勝頼は織田徳川連合軍の「戦略的撤退」に
引っかかったのではないか、と言われる書状である。
238人間七七四年:2012/05/17(木) 19:36:57.33 ID:UJhs5+ct
相手が勝ち誇ったとき、そいつはすでに敗北している
ですね
239人間七七四年:2012/05/17(木) 20:17:47.23 ID:BYoEqjru
家康「まったくこんな見え見えの罠にかかるなんてどうかしてるよ。」
信長「おまゆうw」
240人間七七四年:2012/05/17(木) 20:38:54.08 ID:XpvLXEAZ
三方ケ原をdisってんの!?
241人間七七四年:2012/05/17(木) 21:00:06.84 ID:dSUi5V82
龍造寺隆信「>>237なにそれワロタwww あ、有馬・島津は雑魚なんでこのまま前進で」
242人間七七四年:2012/05/17(木) 21:07:21.35 ID:IBBc7xKa
>>238
金柑頭「俺はコケにされると根に持つタイプでな…」
243人間七七四年:2012/05/17(木) 22:19:45.22 ID:4LsRMwP5
秀吉の九州征伐により壊滅した商都博多。
その博多の復興に関与した黒田如水の家臣久野四兵衛のお話。

彼は復興が始まった博多の街で日々疎開先から戻ってくる群衆の中に奇妙な乗り物を見つけた。
歩くことができない老人がハンギリ(タライの形をした広くて底の浅い桶)に乗って担がれているのだ。
このハンギリがよほど面白かったのか四兵衛は
「上方ではかのような乗り物見たことが無いwww」
と言って大笑いし九州滞在中の面白話として常に語るのだった。
(豊前覚書より)
244人間七七四年:2012/05/17(木) 22:43:02.71 ID:BikHuZ7P
大久保忠教「Hahaha、バッカじゃねーの?www」
245人間七七四年:2012/05/17(木) 22:56:10.44 ID:Ae/6+ndf
まとめブログより
記事 立花宗茂「恥ずかしいことよ。50万石という文字を見た時、」

コメント
1.人間七七四年 | URL | -
伊達政宗「百万石はいつくれるんですか?」
( 2012年05月08日 21:09 )

仙台伊達62万石、残り28万石は六十余州に5000石づつぐらい分散させれば、管理が面倒で放棄したんじゃないかなとおもふ。
246人間七七四年:2012/05/18(金) 01:46:28.34 ID:4Pr2drQS
ハンギリで検索してこんなに出てくると思わなかった
九州は深いな
247人間七七四年:2012/05/18(金) 01:56:30.73 ID:fqzEgpTZ
酒井忠次の娘は見目麗しいと評判であった。
その娘を牧野康成が妻にしたがっているという話を聞いた忠次であったが

「右馬允は元来大胆な男だから、機に乗じて謀叛の志を抱くやもしれぬ。
そのような穏やかならぬ者に、最愛の娘をやることはできぬ!」
とまったく娘を嫁に出す気はなかった。

しかし、家康に「牧野が如き才幹ある者にお前の娘を嫁がせれば、
後々になって家臣とした時に、少しは力になるかもしれんぞ?」
と諭されると、忠次も心を決めて娘を嫁がせたという。

佐々との逸話といい、忠次は豪気とか豪胆とかがお嫌い?
248人間七七四年:2012/05/18(金) 02:54:41.54 ID:YMHyi3m1
>>236
大悲願寺だな
249人間七七四年:2012/05/18(金) 08:31:29.27 ID:I35kFbYO
>>243
ふーん、そうなのか。
でもその割には太閤さんは、博多では人気あるよね。
250人間七七四年:2012/05/18(金) 09:11:19.24 ID:NO73EV1b
>>247
忠次「娘は公務員と結婚させたい」
251人間七七四年:2012/05/18(金) 09:33:20.27 ID:sYI315Vu
??「もう戦なんて嫌だから娘は医者と結婚させてあげたい(キリッ」
252人間七七四年:2012/05/18(金) 10:35:44.27 ID:ispGt5mV
>>243
博多が壊滅したのは九州征伐より前じゃね?
253人間七七四年:2012/05/18(金) 12:23:58.48 ID:vuF+dqwQ
(´・ω・`) 「処断しても許せるのは家が存続した場合だよ・・・改易されちゃうと何言われるか」
254人間七七四年:2012/05/18(金) 12:32:21.16 ID:QlYLcYvF
>>252
島津軍が立花山城から撤退する際博多を焼き討ちしてる
25588:2012/05/18(金) 13:24:30.41 ID:dcWuMNXE
三成も博多の復興に関与したよね?
256人間七七四年:2012/05/18(金) 17:28:15.89 ID:GnHI1kes
龍造寺が立花山城攻めたときも博多を焼いてる
257人間七七四年:2012/05/18(金) 17:57:57.87 ID:flddRqPp
ムシャクシャしていたので行き掛け駄賃に博多を焼いた
今は後悔している
258人間七七四年:2012/05/18(金) 18:03:01.56 ID:Yn0TgF2/
ムシャクシャしていたので行き掛けの駄賃に博多を焼いた
今は(琉球攻めに)航海している
259人間七七四年:2012/05/18(金) 18:54:33.11 ID:svPpHKG6
博多は小早川隆景が筑前に入領して以降は復興してその後順調に発展してる。
260人間七七四年:2012/05/19(土) 07:04:57.24 ID:FaU63Kqm
>>247
めんどくせえなあ
261人間七七四年:2012/05/19(土) 07:32:17.47 ID:a7OcRTbz
本当にナイスポジションに築かれた都市は滅びんよということか
何度でもよみがえってこそ真の都市
262人間七七四年:2012/05/19(土) 09:04:58.64 ID:ns8SFJ5+
>>261
イスタンブールとか何度も名前を変えて甦る。
トンキンとかは歴史浅いけどどうなんだろ
263人間七七四年:2012/05/19(土) 09:13:30.98 ID:HBVCn7bQ
面倒くさい集団と言えば源氏の血族と比叡山と徳川家臣団
264人間七七四年:2012/05/19(土) 09:43:32.41 ID:JVYz1Rh4
>>247

お上の許可無くしての家臣同士の結婚は家康に叛意を疑われて当然
でも家康がGO出しているとなれば一も二もなくってところが面白いね
265人間七七四年:2012/05/19(土) 11:23:19.31 ID:xz3C5Ze5
源氏は身内殺しがデフォだっけ。そいや源氏の子孫って平家を嫌わなくちゃいけないと思ってるのがいるけど清盛より義光とか身内のほうが害になってると思うのは気のせいか?
266人間七七四年:2012/05/19(土) 11:24:55.32 ID:5aL4WU/2
牧野氏の徳川における地位を考えると康成の縁談ってかなり重要事項だもんな
家康も忠次も縁談を調える上で過程をしっかり踏んだんだろう
267人間七七四年:2012/05/19(土) 11:27:18.76 ID:cuNlqL/R
鳥居元忠「主君に無断で結婚なんてないよねーw」
268人間七七四年:2012/05/19(土) 11:36:07.06 ID:prsFmlUN
馬場信春「ご立派ですな」
269人間七七四年:2012/05/19(土) 11:45:32.34 ID:puPzjtkv
某君主N・O「夫婦円満ならそれで……奥さん宥めるのって大変なんよ?」
270人間七七四年:2012/05/19(土) 11:54:07.96 ID:EgYXo03R
某Hs川Td興「ですよねぇ〜」
271人間七七四年:2012/05/19(土) 11:55:38.06 ID:Wuqvm7oi
>>267
家康「馬場美濃の娘は見つかったか?」
272人間七七四年:2012/05/19(土) 21:54:04.31 ID:5zjZgNq0
天文21年(1552)9月、武田信玄は小笠原軍の籠る信州中塔城を攻めた。
この時、武田軍の南の口の大将は、小笠原長時を裏切り武田に寝返った三村十兵衛であった。

さて、中塔城の東の尾根では、そこの郭を守る小笠原方の武将、二木善右衛門が、実に見事な
黒い馬に乗っていた。
これを見た攻め手の武田軍・飯富虎昌の手のものが声をかける

「その馬は実に良い馬だな!わしに売ってはくれないか!?」

これを聞いた善右衛門、相手が敵方にもかかわらず

「よし、売ろう。」

と答えた。これを聞いて武田方のこの者

「敵味方であっても商いはある!互いに一人ずつ出して、馬と代金の受け渡しをしよう!」

すると善右衛門

「いかにも売ろう!しかし拙者は金銀には望みがない。代わりの物をお前が取ってきてくれたなら、
これを売ろう!」

「代わりのもの?それは武具か?馬具か?太刀か?やはり籠城しているのだから兵糧か!?
なんでもいい、望み次第に持ってこよう!」

「そちが言うようなものではない!私がほしいのは…」

と、善右衛門

「武田晴信と三村入道(十兵衛)の首だ!!その二つをくれるのなら、この馬など安いものだ!」

これを聞いた武田方の者たちは皆驚き呆れ、怒った

「おい!それは我々への悪口であるぞ!」

「少しも悪口なものか!前の諏訪峠の合戦は、本来は我々小笠原軍の勝ちであった!それなのに三村入道が
裏切ったために負けた。
この遺恨によって三村の首を馬の代物として取り、また晴信の首さえ取れば、馬がなくても楽々と
在所に帰れるというものだ!であるから、この2つの首をくれれば、馬を売ろう。」

武田軍はこの言葉に激怒し、二木善右衛門に向かって矢を射かけた。そこからここでの戦が始まった。


信州中塔城、馬売り問答である
(二木家記)
273人間七七四年:2012/05/20(日) 11:47:35.82 ID:CHM1z5aw
>>272
二木善右衛門、言合戦上手いなw
274人間七七四年:2012/05/20(日) 12:15:47.49 ID:6yWpkEg0
275人間七七四年:2012/05/20(日) 13:08:40.73 ID:FHyW84qH
小笠原長時の首と交換してやれば満足しただろうに
276人間七七四年:2012/05/20(日) 13:39:25.41 ID:g0Xsl+xM
こういう口の達者な男は敵から狙われるだろうけど名前も売れるだろうな
277人間七七四年:2012/05/20(日) 13:49:11.40 ID:FHyW84qH
達者っていうほど達者でもない 本当に達者なら相手も関心して納得して兵を退く
278人間七七四年:2012/05/20(日) 13:57:02.25 ID:eNtWFxLr
>>277
んなアホなw
開戦前のこういうやり取りはお約束の儀式みたいなもんで相手が言い返せずにキレたんで
二木の勝ちでしたってお話
279人間七七四年:2012/05/20(日) 14:01:34.83 ID:FHyW84qH
ベタな口喧嘩ってことじゃん 達者でもなんでもない
280人間七七四年:2012/05/20(日) 14:15:27.24 ID:9ejhEOBU
じゃあ実際に言合戦で兵を相手が何もせず引いた例とかあるのかな?
281人間七七四年:2012/05/20(日) 14:20:05.34 ID:FHyW84qH
ありそうじゃね?w あるだろ
嘘か本当かは知らないがな
282人間七七四年:2012/05/20(日) 14:21:03.87 ID:g0Xsl+xM
口合戦の目的って相手の挑発や味方の士気高揚だろ?
相手が引くようなことがあったら伝説級の功名になるかもしれんが
そんなのそもそもの目的に無いぞ
283人間七七四年:2012/05/20(日) 14:25:16.85 ID:9ejhEOBU
だよねぇ。普通に考えたら、口げんかで負けた程度で引く話に軍をそもそも動員しないだろうな。
284人間七七四年:2012/05/20(日) 14:33:32.25 ID:FHyW84qH
達者でもなんでもない奴を達者とか持ち上げるから問題
たかが口喧嘩ごときで戦をしてるわけじゃない
そういうことだな
285人間七七四年:2012/05/20(日) 14:38:19.18 ID:g0Xsl+xM
あんまり触らないほうがいい人だったみたいだな
286人間七七四年:2012/05/20(日) 14:39:59.49 ID:FHyW84qH
お前がな
287人間七七四年:2012/05/20(日) 15:04:35.37 ID:MI6AVIXI
「話せば分かる」って言うと
「問答無用」って言う

児玉でしょうか?いいえ、犬養
288人間七七四年:2012/05/20(日) 18:08:56.71 ID:CHM1z5aw
>>284
言合戦の結果、十分な連携や準備が整う前になし崩しで戦闘に入るのは
仕掛けた側の勝ちで問題ないだろうに。
何か認めたくない理由でもあんの?
289人間七七四年:2012/05/20(日) 20:09:12.25 ID:0dp6Tndq
レベル低いなー
290人間七七四年:2012/05/20(日) 20:09:23.24 ID:K8CaHQP1
どこがどうなし崩しで戦闘になったって?
291人間七七四年:2012/05/20(日) 21:23:34.82 ID:isER7NA2
なにやってんの?
292人間七七四年:2012/05/20(日) 21:39:27.87 ID:MI6AVIXI
>>291
言合戦じゃない?
293人間七七四年:2012/05/20(日) 22:53:46.00 ID:fJbT1QdM
だれうま
294人間七七四年:2012/05/20(日) 23:36:27.37 ID:boft6j84
大蔵氏嫡流で筑前西部(現在の福岡市西区・糸島市)を治めていた原田信種は秀吉の九州討伐軍に降伏した。

信種は久留米の高良山にある秀吉本陣にて拝謁し許しを請うのであった。
そのとき本領をありのまま申告するより少ない方が見逃してもらえると考え、その所領を過少に報告したのだった。
しかし秀吉が下した判断は

「小身にては家を立てること無用」

とのことで所領没収の憂き目にあったのだった。
そして秀吉の命で佐々成政の与力として熊本へ赴くのであった。

武士の嘘は武略と言ってもこんな嘘はいけませんよね。
295人間七七四年:2012/05/20(日) 23:42:20.19 ID:6BJHUeGV
ありのまま報告しても所領はボッシュートだと思うな。うん。
296人間七七四年:2012/05/20(日) 23:50:36.85 ID:isER7NA2
まあ所領をそのまま報告してたら切腹でしょう
なんたってラスボスですから
297人間七七四年:2012/05/20(日) 23:57:27.19 ID:QeQEX0PV
九州にしろ関東にしろ東北にしろ小大名に興味ねーんだろ
298人間七七四年:2012/05/21(月) 00:09:43.96 ID:aYak0z95
九州仕置は唐入りの準備だからな。
軍団を構成できないほどの弱小勢力には用無し。
他の大勢力の傘下に入らせる。
299人間七七四年:2012/05/21(月) 00:14:55.81 ID:iD5GWiX+
所領がないのに与力としてなにをしろと?
それとも佐々から新しくもらったのか?
300人間七七四年:2012/05/21(月) 00:16:00.41 ID:aAdfS/2D
>>299
佐々からもらったし、佐々改易後は加藤清正の与力になって朝鮮で戦死してる
301人間七七四年:2012/05/21(月) 00:16:58.69 ID:CRwyRtDn
>>297
由利十二頭「だよねー、やっぱ万石クラス位無きゃ所領没収だよねー」
302人間七七四年:2012/05/21(月) 00:20:09.43 ID:aAdfS/2D
子孫は加藤家を追放→寺沢家臣→保科家臣となって会津に移住した
303人間七七四年:2012/05/21(月) 00:58:34.18 ID:dceLwrZ9
だいぶ北に流れたな、原田氏
304人間七七四年:2012/05/21(月) 06:48:50.47 ID:DTXN5B1b
所領を過小に申告すれば改易、
加増を夢のようです!と喜べば夢にしてやろう!と取り消し
下総の弱面相手に快進撃すれば相手弱すぎで武功と認めず

難しいな、ラスボスはw
305人間七七四年:2012/05/21(月) 08:26:03.55 ID:dceLwrZ9
運良く武功を認められ加増されても先祖伝来の領地と家宝は召し上げだったり
それを拒否して族滅された人もいるし。
敵対した場合の処分は言わずもがな

もうどうしろっちゅうねん…
306人間七七四年:2012/05/21(月) 09:57:09.37 ID:oHf8SPor
太閤お気に入りの人を間に挟めばいいんじゃね
307人間七七四年:2012/05/21(月) 10:46:30.32 ID:FGze0Na6
では利休居士に御願い致す…
308人間七七四年:2012/05/21(月) 11:13:45.75 ID:fQF5tF4H
この原田は信長が塙直政に対して与えた原田氏の本流であり
最後まで平家に味方していたせいで大宰少弐の官位を剥奪されたという
先祖代々時流が読めない家
309人間七七四年:2012/05/21(月) 12:29:39.85 ID:R+0xr0LM
>>306
養子の秀次殿と昵懇の仲になっておけば、次世代まで安泰ですな
310人間七七四年:2012/05/21(月) 14:57:47.09 ID:oHf8SPor
よく言われるけど秀長さんが死んだとこで豊臣家は詰んでる感じだなあ
311人間七七四年:2012/05/21(月) 16:20:25.51 ID:kw95xTGk
秀吉の暴走が始まったら、秀長生きてても同じだった可能性も……。
むしろ真っ先に粛清対象にされないか?
いずれにしても、秀吉は平和な時代に適応して生きられるタイプじゃなかったのかもね。
312人間七七四年:2012/05/21(月) 16:31:44.92 ID:OmSvhGMh
俺の先祖は原田家の家老
313人間七七四年:2012/05/21(月) 17:05:47.52 ID:RKTMd4LT
(´・ω・`)
314人間七七四年:2012/05/21(月) 17:12:36.94 ID:TE8Yu5kp
ウチの先祖は伊達家家臣

と、言っても伊予宇和島藩士だけども
315人間七七四年:2012/05/21(月) 17:28:22.69 ID:ElkM6HVq
>>311
そうだとすると、秀長さんにも色々と悪い噂が付けられたんだろうな。
あるいは秀長さんも死に時だったのかも。
316人間七七四年:2012/05/21(月) 17:30:26.51 ID:ElkM6HVq
>>314
げ、うちの母方もだす。
和霊神社の山家様は未だに神w
317人間七七四年:2012/05/21(月) 17:32:36.30 ID:vJtmFjPK
そもそも秀長が自然死だって誰が決めた?
318人間七七四年:2012/05/21(月) 17:34:52.38 ID:g1jHYwkQ
母方の先祖が武士だった時のがっかり感は異常
何で父方じゃねーんだよ、俺もカッコいい苗字名乗りたかったぜ
319人間七七四年:2012/05/21(月) 17:36:22.08 ID:q5JIzhr0
先祖が偉かった、よりも一代の実力で成り上がった、というほうが凄く思えるけどなw
秀吉ばりに晩節を汚さない限り。
320人間七七四年:2012/05/21(月) 17:52:13.08 ID:L684DROm
太閤殿下は神
晩年も朝鮮人&明国人を撫で斬りして周辺国に日本の武力を見せつけた
321人間七七四年:2012/05/21(月) 18:46:02.86 ID:YoMVl6WI
日本人マジパネェ、戦争モンスターだろ
って評判が立って江戸初期の日本人傭兵が売れっ子だったんだっけ?
322人間七七四年:2012/05/21(月) 19:06:56.48 ID:0LhrXbGL
元寇の仕返しの倭寇時代から戦闘民族だったよね                                                               
323人間七七四年:2012/05/21(月) 19:30:00.33 ID:IJ0r/Me1
部下さえ秀吉の暴走に頭かかえて本当の事伝えなかったんだっけ。
明に対する降伏文書さえ偽造したり。
そりゃ家康に天下乗っ取られる罠。
324人間七七四年:2012/05/21(月) 19:45:10.08 ID:R+0xr0LM
秀吉は養子の教育も駄目過ぎるんだよな
泳いでまいった以外はカスばかり
325人間七七四年:2012/05/21(月) 20:02:56.22 ID:G0ccMxr+
甲斐国、向嶽寺(現山梨県塩山市)において、代々の住持が書き継いできた『塩山向嶽禅庵小年代記』より、
天文10年(1541)の、武田晴信(信玄)による、父・武田信虎追放についての記事


『武田信虎は平生より悪逆無道であった。そのため国中の人民、牛馬、畜類どもに至るまで大いに愁い、
悩んでいた。しかし駿河の太守である今川義元が信虎の娘を娶ったため、信虎は6月中旬に駿府に行ったので、
晴信は万民の愁いを救おうとして、足軽を河内(甲斐南部、駿河との国境)境に出し父の帰り道を断って、
自分が即位し国を保った。

国中の人民はこれを知ると、尽く快楽の笑みを含んだ。』


これによるとなんと武田信虎、人間どころか牛馬を始めとした甲斐の動物たちまで困り果てるほどの悪政を
行なっていたらしいのだ。一体どれほどの悪逆無道だったのだろうか?w

そんな、武田信虎追放に関する記録の一つである。
326人間七七四年:2012/05/21(月) 20:04:18.87 ID:IJ0r/Me1
そして妙法寺記では「信玄は信虎と代わらない」と嘆かれる……。
どんだけ暴君の血筋なんだ甲斐源氏w
327人間七七四年:2012/05/21(月) 20:04:32.09 ID:x+rWaOjr
泳いで参ったさんは叔父さんの賜物では?おかげで従兄弟殿がエロイ事になってはいるけど…
328人間七七四年:2012/05/21(月) 20:05:06.41 ID:TE8Yu5kp
結城さんェ…
329人間七七四年:2012/05/21(月) 20:20:27.92 ID:3OopP/r0
宗氏は朝鮮のスパイ
330人間七七四年:2012/05/21(月) 20:33:33.90 ID:B1JCzCry
>>327
坂崎さんのことかー!!!
331人間七七四年:2012/05/21(月) 20:35:05.69 ID:Q172rEn1
信玄って戦国大名では屈指の残酷さだよね。
332人間七七四年:2012/05/21(月) 21:31:23.73 ID:DINpJWY/
>>324
養子で一番優秀なのは結城秀康だと思うわ
333人間七七四年:2012/05/21(月) 21:48:29.84 ID:fPFituto
>>326
おかげで滅ぶときは蜘蛛の子を散らすように家臣たちに逃げられる有様だったからなあ
334人間七七四年:2012/05/21(月) 22:05:23.14 ID:tTi0QAjE
信虎や信玄ぐらいじゃないと修羅の国甲斐は纏められんしねw
信虎以前の武田家なんて一門からも攻められまくり
信縄の時代には伊勢盛時に攻め込まれ、その前の信昌の時代には信濃の大井氏にも攻め込まれ
武田家って近隣には侵略者みたいなイメージだけど
向こうにやられたからやり返してるだけだなw
335人間七七四年:2012/05/21(月) 22:24:27.61 ID:TN99aMdj
>>324
智仁親王は歌人としては良かったじゃないか
336人間七七四年:2012/05/21(月) 22:31:35.47 ID:96sK94ka
武田に限らず地方の盆地に勢力張ってた連中はそんなんばっかりじゃないか
世界が狭いんだよ
隔離されてるから外部は敵扱いだし、内輪もめするし、古い因習引きずるし
337人間七七四年:2012/05/21(月) 22:38:56.77 ID:B1JCzCry
>>336
盆地だらけの信濃は信玄に攻略された側だからかそんな雰囲気はないけど・・・
規模は小さいけど人吉盆地の九州相良氏とか飛騨高山の三木(姉小路)なんかは納得。
338人間七七四年:2012/05/21(月) 22:55:58.78 ID:oSr9yCQ8
>>308
じゃあ空気の読めない原田さん家の話をもう1つ

慶長の役で戦死した原田信種の嫡男嘉種は父の肥後熊本の所領を相続した。
しかし嘉種は名門大蔵一族の嫡流を誇りとし、主君の加藤清正が相手でも素直に従わない困り者であったのだ。

清正の娘がある大名に嫁ぐ事になった時、清正は嘉種の母が故事に明るいと聞き、
乳母として娘に付き従っていくよう命じた。しかし嘉種母子はこの命令を断ってしまった。
流石の清正は嘉種のこの行動に怒り、その後は嘉種を冷遇、ついには召し上げ追放してしまったのだった。

流浪の身となった嘉種は旧知の唐津藩主寺沢氏の下に行くが寺沢家が改易、
その後は流れに流れ最終的には会津藩保科正之に2千石で使えることになるのである。
339人間七七四年:2012/05/22(火) 00:29:47.95 ID:wOVGIGjX
昔の栄華が忘れられずに身を滅ぼす典型だね

加藤家にいても後に改易されたから、結局遅かれ早かれ流浪の身なんだが
340人間七七四年:2012/05/22(火) 00:34:28.04 ID:wZq8LzyM
20万石ちょいの家で2000石取るんだから良いほうに出てるかもw
341人間七七四年:2012/05/22(火) 00:36:27.36 ID:LrmZLcIy
加藤家に仕えたままだった場合、細川の名家コレクションに加えられた可能性もある
342人間七七四年:2012/05/22(火) 02:17:34.77 ID:zcFBSgDy
細川家が超名門なのに、なんでだろうね?
出がちとあやしい秀吉や家康ならわかるんだけど。
343人間七七四年:2012/05/22(火) 02:22:25.41 ID:DB9NcRrJ
元々何石で仕えてたんだよw
344人間七七四年:2012/05/22(火) 02:24:43.18 ID:xLdTtJs1
>>342
超名門っていっても庶流の庶流だからか?
345人間七七四年:2012/05/22(火) 05:58:12.46 ID:Mvz2TTBu
>>336
京都周辺の盆地の豪族も頭が硬くて閉鎖的な感じ
346人間七七四年:2012/05/22(火) 06:03:11.65 ID:Mvz2TTBu
>>340
20万石あるのか、糸島、西区、早良区で。そこの家老ならまあまあの勢力だね、俺の先祖。主家が滅んだのが惜しいけど。
347人間七七四年:2012/05/22(火) 06:29:21.94 ID:btwXSsLi
1590年徳川家康の後継者に最も近いとされる三男竹千代が元服することになった
この時元服にあたり諱を兄秀康に習い秀吉と家康の字をもらう事で秀家としてはどうかという案が出た
しかしすでに秀家を名乗る者はいる宇喜多秀家である
このためは銀子三百枚で秀家の名を譲ってもらってはどうかと言う案も出され
石田三成が宇喜多秀家に交渉を試みた

しかし秀家は憤慨し交渉は失敗
しかも三成と秀家の仲も一時悪くなり三成は以後大谷吉継に秀家に対しての諸事を相談してから応るようになったという

そして徳川秀家は実現せず家康三男竹千代は元服後父祖伝来の忠の字を継ぎ徳川秀忠となったとさ
348人間七七四年:2012/05/22(火) 06:37:47.02 ID:uia1kN9G
三成は本当にダメな子だなあ
349人間七七四年:2012/05/22(火) 06:56:05.40 ID:8qQBZDnf
ここに銀子三百枚ござる、これで貴殿の名前を徳川様に渡されよ
新しい名前は好きに決められるが良い

こんな感じで交渉してそうだ
しかし上手く交渉したところで秀吉の秀と宇喜多伝来の家なんだから譲るわけないとも思える
350人間七七四年:2012/05/22(火) 07:08:07.12 ID:nuw9LNVV
まあ宇喜多の場合は、秀家から父親の一字をとって秀直、という手もあるにはあるからな。
351人間七七四年:2012/05/22(火) 07:30:58.69 ID:yQyCkQot
別に秀家ふたり居たっていいじゃん。
えっ?だめなの?
352人間七七四年:2012/05/22(火) 07:44:20.03 ID:FBudDokO
「んじゃ、また秀勝いっとくか…」
353人間七七四年:2012/05/22(火) 07:45:18.07 ID:7kiFbm6R
もうめんどくさいから秀秀にしちゃえよ
354人間七七四年:2012/05/22(火) 07:57:44.13 ID:XgVRoYzR
>>350
家は宇喜多家の通字だから無理だろ。
徳川の家は家康以来のにわかだからな。
355人間七七四年:2012/05/22(火) 07:58:24.05 ID:gggpkjLb
>>350
宇喜多の通字が「家」だから駄目だろw
356人間七七四年:2012/05/22(火) 08:10:22.53 ID:DB9NcRrJ
信康
秀康

う〜ん、本当は「○康」で統一したかったんだろうな…
357人間七七四年:2012/05/22(火) 08:58:18.42 ID:GbQ3Luqj
銀300枚っていくらなんでも安すぎだろw
名物茶器の1つも買えやしない
358人間七七四年:2012/05/22(火) 09:00:45.28 ID:LmniDXIS
>>351
姓も官位も被りそうだしなかなか厳しいんじゃないかなあ…
359人間七七四年:2012/05/22(火) 09:02:56.02 ID:gNi0KE9K
国家
安康
君臣
豊楽

好きな名前をえらんでね!
360人間七七四年:2012/05/22(火) 09:10:50.97 ID:eTWDdC0F
バラなら問題ないだろw
361人間七七四年:2012/05/22(火) 09:46:22.81 ID:Sso/Rx7Y
お金で名前譲れとかもうねアホかと
362人間七七四年:2012/05/22(火) 10:04:52.42 ID:NiEjEz6K
宇喜多"Yahoo!BB"秀家とかどうよ
363人間七七四年:2012/05/22(火) 10:15:31.45 ID:xLdTtJs1
この初花肩衝と引き換えではいかがかな?とかだと人によっては・・・かも
364人間七七四年:2012/05/22(火) 10:43:52.59 ID:Nt0Z+AfQ
>>363
それ、ほとんどの大名が即OKするとおもう。
365人間七七四年:2012/05/22(火) 11:26:03.14 ID:wOVGIGjX
大友義統→吉統の例もあるし、吉康でいい気もするが
それだと三河者たちが納得しないのかな
366人間七七四年:2012/05/22(火) 12:51:37.40 ID:zc0fRLlu
>>365
徳川家の惣領息子にそれは無いだろ
367人間七七四年:2012/05/22(火) 13:05:05.70 ID:6H2j42s+
信玄の信長へのお手紙

永禄12年 1569年

「信玄事者、只今憑信長外又無味方候。此時聊も於信長御疎略者、信玄滅亡無疑候」
(信玄には信長以外に味方いません。信長を粗略に扱えば、信玄が滅亡するのは確実です)

駿河侵攻をきっかけとして、上杉・北条・徳川を同時に敵に回して窮した際、信玄が信長に上杉との和睦斡旋を求めた時の書状。

元亀2年 1571年

「縱扶桑国過半属手裏候共、以何宿意、信長ヘ可存疎意候哉」
(たとえ日本の過半を支配するような事があっても、信長に敵意は持たないし粗略にもしない)

甲越和与成立して信玄は危機を脱したが、結局は破綻し北条との甲相同盟が武田の方針となった時期の信長への手紙。

信玄が信長を頼りにし、また友好的だった様子がうかがえるいい話(棒)

……もちろん、史実を見れば分かる通り信玄はこういった手紙の裏で反織田と通じ、信長の弱味につけこんで攻撃を開始した。
戦国の常とはいえ、信玄のなんとも意地の悪い話。
しかも後世ではだいたい「信長が信玄をおそれ、気を使った」話は有名でも、信玄が信長に気を使い恐れた類の話はほぼ知られないというおまけつき。
368人間七七四年:2012/05/22(火) 13:58:19.20 ID:eWgQZ3XT
武士の嘘は武略でござる
369人間七七四年:2012/05/22(火) 15:30:33.40 ID:Mvz2TTBu
>>347
徳川豊臣とか、徳川羽柴とか徳川山県とか
370人間七七四年:2012/05/22(火) 16:33:59.15 ID:/efPnCUo
品川庄司とかおぎやはぎみたいだな…
371人間七七四年:2012/05/22(火) 17:12:35.70 ID:sNzz5dRr
>>337,345
甲信越や畿内の交易路に接続されてる武士はまだましだろ
奥州・羽州なんか修羅の国だぞ

時勢が読めずに秀吉にやられた葛西・大崎が一級の土豪で
伊達や南部みたいな大名は天上の存在
その他の有象無象の盆地勢力は田舎者なんてレベルじゃなかった

織田信長みたいに天下を見据えた戦略を立てる存在なんて皆無だった
372人間七七四年:2012/05/22(火) 17:16:33.42 ID:Mvz2TTBu
>>371
政宗の属国は、小田原参陣を止められて、所領没収されたのが、石川、留守、大崎、葛西、田村だったよね
373人間七七四年:2012/05/22(火) 17:19:17.05 ID:XhB4/o6P
>>371
手土産抱えていく余裕もなかっただろうし筆頭の政宗一人行けば良いんじゃね?で沙汰待ちしてたんじゃないっけ
374人間七七四年:2012/05/22(火) 17:21:15.15 ID:DB9NcRrJ
>>365
ヒント:「秀」は必須
375人間七七四年:2012/05/22(火) 17:26:22.23 ID:LiYQ3UQN
秀家と書いてハゲ家と読ませれば解決
376人間七七四年:2012/05/22(火) 17:51:31.61 ID:kIqmS5Xv
家秀でいいじゃない
377人間七七四年:2012/05/22(火) 17:52:05.95 ID:vOQN9Z1w
信玄自ら武田家滅亡フラグ立てちゃったのね。
自業自得。
378人間七七四年:2012/05/22(火) 17:52:48.20 ID:/efPnCUo
明智光禿だと!?
379人間七七四年:2012/05/22(火) 18:03:04.40 ID:cYuyGY89
>禿吉とか光禿

耳を削いで目をくりぬき首を落として川原に晒されるか
親を磔にするところを見せ付けた上斬首か選択肢はありそうだな
380人間七七四年:2012/05/22(火) 18:05:04.59 ID:67L5Aaxx
>>376
太閤さんからの偏諱を下につけっちゃったら徳川さん家でも危ないと思うの
381人間七七四年:2012/05/22(火) 18:09:26.35 ID:J4QrQFwF
逆大坂の陣が発生して徳川家が滅亡してたなw

>偏諱を下につける
382人間七七四年:2012/05/22(火) 18:11:06.08 ID:jBR2bB9R
一番弱い所を探してころころ狙いかえてたら自分が真ん中で孤立してたのが武田信玄
383人間七七四年:2012/05/22(火) 18:57:05.78 ID:REj/GXWz
>>380
そんなことしたら改易か関東征伐だろうなw
味方になるのは伊達最上のみ
384人間七七四年:2012/05/22(火) 19:32:28.30 ID:mmBDlx/v
>>365
宇喜多秀家のほうに
宇喜多吉家と改名してくれないかってお願いしたのかも
385人間七七四年:2012/05/22(火) 19:34:04.74 ID:8wEJj0eK
織田厨わいてる
386人間七七四年:2012/05/22(火) 19:40:57.58 ID:Mvz2TTBu
>>382
結局誰からも信用されずに、勝頼が苦労する
387人間七七四年:2012/05/22(火) 19:41:48.51 ID:8wEJj0eK
織田を頼るというより将軍の斡旋を頼んだの間違いだろ
やがて信長が悪逆非道をやらかし将軍に愛想つかされてから織田と絶交
織田の自業自得
388人間七七四年:2012/05/22(火) 19:48:48.77 ID:0IT5Iabd
足利義輝「そんなに幕府が大事なら、なぜワシが斡旋した輝虎との和睦破ったんだ晴信……」
諏訪頼重「諏訪明神の祟りあれ!」
389人間七七四年:2012/05/22(火) 19:55:08.78 ID:w0nsIQVU
>>383
そんな状況になれば伊達はともかく、いくら娘の件で恨み骨髄に徹するとはいえ、最上も家康には着かんのじゃねーかな
390人間七七四年:2012/05/22(火) 19:55:23.28 ID:oe+eHv/D
将軍が武田を頼りにしまくってるからねぇ 
391人間七七四年:2012/05/22(火) 19:57:20.07 ID:oe+eHv/D
>>382
反北条の関東衆と仲良くなれました ありがとうございました
392人間七七四年:2012/05/22(火) 19:59:23.46 ID:UhBip3Rr
>>390
義昭がアホだからな。
過去に何度もお願いを無視し、兄が斡旋した外交も蹴った信玄をどうして信頼したのかと。
挙句に信玄死後の偽手紙を信じて蜂起して、あっさり負けるとか。
393人間七七四年:2012/05/22(火) 20:02:53.21 ID:LiUrpzQI
信長は助けたり許した相手に裏切られるってのが多い。義昭や信玄なんぞその代表だろう。
他にも松永久秀とか……。
394人間七七四年:2012/05/22(火) 20:06:28.42 ID:nuw9LNVV
一方で信玄は駿河侵攻の頃、信長に

『たとえ俺が天下の大半を取ってもキミのことは悪いようにはしないから。』

という友好的なんだか恫喝なんだかよくわからない書状を送っていたりもするw
395人間七七四年:2012/05/22(火) 20:07:56.88 ID:yw5r0qvc
>>386
まあ止めを刺したのは目先の大金に目が眩んだ勝頼自身だけどな
396人間七七四年:2012/05/22(火) 20:13:10.66 ID:SgHO/UG0
義昭には「俺、弓矢の取り方忘れちゃったから!」
家康から大井川同盟破りの攻撃の抗議が来た時は「アレは部下が勝手に……」
信長が背信に抗議した際にも「年取ったせいで、部下がいう事聞いてくれなくて……」
ってな調子なのが信玄のお手紙戦法だよ。
……うん、信玄を信頼するほうがおかしいって気がしてきたw
397人間七七四年:2012/05/22(火) 20:18:28.75 ID:oe+eHv/D
>>394
ワロタw 
398人間七七四年:2012/05/22(火) 20:21:01.28 ID:w0nsIQVU
まあ、いけしゃあしゃあと有り得ない言い訳並べ立てるのは別に信玄坊主に限った事じゃないしね
399人間七七四年:2012/05/22(火) 20:22:17.61 ID:cBOh/E54
そんな信玄さんですが、なぜか後世の講談あるいは軍学の世界では大人気です。
いつの時代でも空気読めない儒学者あたりには、すっごいぼろくそに言われているがね。
親殺し子殺し背信ばかりの悪党、家が滅んだのも当然とか。
でも戦国時代に道義や礼節を求めても・・・
400人間七七四年:2012/05/22(火) 20:23:15.11 ID:cBOh/E54
親殺し→親追放
401人間七七四年:2012/05/22(火) 20:37:35.53 ID:nupIZcJH
意外と信玄は本音を書いていたのかもね。何しろ武田は国人に当主が推戴されたような連合体色が強かったし。
信玄が戸隠神社に出した願文にも、

「越後(謙信)との和睦破って攻め込んだらどうなるかって占ったら、行けば得るって卦が出たから必ず勝つよね!」とか書いているし。

占い>約束、なのはガチだったらしい。
402人間七七四年:2012/05/22(火) 20:42:08.04 ID:nuw9LNVV
まあ信玄はその占いも、思い通りの結果が出ないと神官を恫喝したりしているがw
403人間七七四年:2012/05/22(火) 20:58:53.05 ID:yw5r0qvc
>>399
講談の世界は何の手柄も立ててない真田の次男坊が持て囃されてる時点で察してあげて下さい。
404人間七七四年:2012/05/22(火) 21:11:05.41 ID:wW6V59hp
>>340
加藤家が20万石ってことでしょ
竜造寺の幕下帳で原田領が三千町だから実高は4〜5万石というところだと思う
405人間七七四年:2012/05/22(火) 21:12:16.96 ID:wW6V59hp
レス番ミス>>346
406人間七七四年:2012/05/22(火) 22:14:26.09 ID:3eJNYxup
>>401

戦国時代の稀代の名将武田信玄が
中国の霊占をヒントに考え出した「戦吉兆占針盤」と言うのがあってだな
詳しくは民明書房刊「戦国武将考察」を全国書店にてお求めいただきたい
407人間七七四年:2012/05/22(火) 22:55:39.52 ID:GbQ3Luqj
フロイスいわく「戦争においてはユグルタに似たる人」>信玄
ユグルタのやり方は「相手に講和をちらつかせて勢いをそぎつつ、自分の知り尽くした地勢でゲリラ戦を展開」(byローマ人の物語)
なるほどと思ったわ
408人間七七四年:2012/05/23(水) 00:22:24.54 ID:UoYU7SLw
流れに便乗して信玄絡みの逸話を。


徳川家を攻めようとした今川氏真は武田信玄に
「このようにして徳川を攻めます」と伝えてきた。その計略の稚拙さに信玄は

内心「馬鹿な奴だ」と思いながらも「心配なさるな」などと調子を合わせていた。
その一方で徳川家には下條弾正をして氏真とのやりとりをつぶさに伝え、

「何も心配することはありません。もし氏真が出馬したならば、一緒になって
滅ぼしてやりましょう」と言った。この時、家康は「信玄は残酷な人物だな。
しかし今川を倒すためならば是非も無い」と言ったという。

氏真の逃亡後、徳川と武田の間に和議があり、誓紙の文に「川を両国の境界とする」
と書き定められた。これは大井川のことであったが、信玄は家康を若輩者と侮って
今川義元が扱ったごとく家康を扱ってやろうと思っていた。

ある時、突然武田家が徳川側の里民の人質を取ったので
徳川家が抗議すると、武田家は「誓紙の川切とは天竜川切という意味だ」と答えた。

これを聞いた家康は「天竜川は我々にとって城溝のようなものではないか!
何が天竜切だ。こんな嘘偽りばかりの輩に我らの行末を頼むわけにはいかん!」
と激怒し、遂には武田家との隣好を絶つことになった。
409人間七七四年:2012/05/23(水) 00:26:13.20 ID:D0U2daIh
この時期は信長もまだ成長し切る前なのに、
圧倒的格上に喧嘩を売る辺り、家康は待ちの人じゃないよなーと
410人間七七四年:2012/05/23(水) 00:48:14.85 ID:6qADo6+S
>>408
家康は自分が信玄にされたことを秀頼にやったわけだ
411人間七七四年:2012/05/23(水) 01:47:38.70 ID:BwbsT0oq
ん?家康なんかやったっけ?
412人間七七四年:2012/05/23(水) 02:01:18.18 ID:8VPEF3GF
家康の良い話は江戸時代の創作な気がして素直に読めないんだよなぁ…
413人間七七四年:2012/05/23(水) 02:06:30.14 ID:UrBtEbqn
でも家康は信玄フリークなんだよね。。。
家康がどんな時も清洲同盟を遵守したのが不思議だったけどお隣の信玄
さんがそういう人だったからか。
414人間七七四年:2012/05/23(水) 05:55:52.88 ID:L4BjVZwm
この時の家康はかなりの間抜けだったんだな
信玄に騙されて成長していきましたと
415人間七七四年:2012/05/23(水) 06:09:40.23 ID:H4NPZrS+
>>414
マヌケどころか、武田への不信感から北条に接触して、結果外交で信玄を遠江駿河から
撤退させたんだが>家康
>>367の、信玄が信長に泣きついた書状はその時のもの。
ちなみに当時家康25歳。

>>410
大阪の陣の大阪城の堀埋め立ては騙し討ちではなく、講和条約で最初から内堀まで含んでいた、というのが
今はほぼ定説だよ。
騙し討ちは後世の創作。
416人間七七四年:2012/05/23(水) 07:05:53.84 ID:B/AnKIQX
あと方広寺鐘銘事件も本当は豊臣の挑発であったらしいな
家康像も幕末〜明治に掛けてだいぶ歪められてしまったね
417人間七七四年:2012/05/23(水) 07:56:34.34 ID:AouIshe9
>>408
老獪だね信玄
418人間七七四年:2012/05/23(水) 07:59:28.54 ID:pEaaSwkX
>>408
せこいw
419人間七七四年:2012/05/23(水) 08:00:19.20 ID:HJHwFkeG
>>416
あの鐘今もあるんだよね
呪いのアイテムは壊さないものなのかな
420人間七七四年:2012/05/23(水) 08:11:01.91 ID:kbqzfZcb
鐘なぞ鳴ればそれでよいものを・・・
421人間七七四年:2012/05/23(水) 08:38:34.75 ID:XjCJ/PlM
>>415
その結果三方原でうんこ漏らすはめになったわけか
422人間七七四年:2012/05/23(水) 08:39:45.36 ID:vyJyYriG
>>416
今までの思想を180度変えさせるのだから大変
真田幸村なんて居もしない人物を講談のヒーローにしたり

>>419
幕府の方が証拠として保管させといたかもよ
423人間七七四年:2012/05/23(水) 08:44:34.39 ID:VcWXnFoP
おれの歴史観が正しいとはじめると不毛
424人間七七四年:2012/05/23(水) 09:46:55.70 ID:UrBtEbqn
>>415、416
つくづく豊臣バカだよね。。。。
425人間七七四年:2012/05/23(水) 09:57:40.19 ID:/OV/YJ7F
常真殿総大将にしようとする陣営が馬鹿じゃないわけないじゃない
426人間七七四年:2012/05/23(水) 10:27:24.08 ID:8VPEF3GF
糞婆が勝手に講和しなければ勝ってたという説が有力になっただろ。
実は外堀は一度も破られてないし
427人間七七四年:2012/05/23(水) 10:35:44.33 ID:HcNJ6tF5
方広寺は大仏の開眼供養が行われた時期が不明とか、秀吉の墓が大仏殿の裏に遷されたりとか
知られていないことが多い

ちなみに幕府の命で遷した秀吉の墓は、いつの間にか馬塚の名になり、庶民が秀吉を追慕して
建てたとかになっていたりする
428人間七七四年:2012/05/23(水) 11:05:50.55 ID:Ofx9+ZBB
>>426
どこで有力になっているのやら
429人間七七四年:2012/05/23(水) 12:39:45.43 ID:wTb/UxoI
弱者には弱者なりの生き残りのやり方があり、それで戦国泳ぎきった所もあるけど。
豊臣家は見事に自爆したからな。
秀吉の晩年の乱行→意地と大阪城にこだわっての現実との妥協拒絶、で。
個々の問題の正当不当より、そういう大筋を多くの大名は見たんじゃないだろうか。
430人間七七四年:2012/05/23(水) 12:57:53.65 ID:EcVNd1Tz
>>338
嘉種って島原の乱の時に戦死した城主に代わって天草富岡城を守りぬいたのに主家改易で浪人する羽目になった人だよね?
431人間七七四年:2012/05/23(水) 13:26:05.64 ID:G//r8zw/
その手の武功があっての二千石か
納得
432人間七七四年:2012/05/23(水) 13:56:23.48 ID:QjnWTmMl
稗貫広忠の末期
陸奥国稗貫郡の領主稗貫広忠は、奥羽仕置によりその領地を没収され、その後の再興運動も実を結ばず、
没落して稗貫郡矢沢村に潜居していた。
ある時、近所の高松寺の法印と四方山話をするついでに、広忠は法印に語った。

「実はこの頃、良い夢を見るのだ。ひょっとしたら本領に帰参できるかもしれない」
「それはよかったですね、どんな夢をご覧になったので?」
その問いに、広忠は歌を詠んだ。

ただ頼め 真如の道ぞ ありがたき 立ち帰るべき 道ぞ来にける

法印はその時は祝福した。だが広忠が帰った後、
「広忠様は悪い夢を見ておられる。遠からずお亡くなりになるだろう」
その言葉通り、その日からまもなく稗貫広忠は亡くなった。
文禄3年3月2日の事だという。
433人間七七四年:2012/05/23(水) 13:58:21.31 ID:j/22FOCs
教えてやれよw
434人間七七四年:2012/05/23(水) 14:31:06.34 ID:BwbsT0oq
>>433
「お前もう死ぬんだよ」とか言うのか
435人間七七四年:2012/05/23(水) 14:32:46.68 ID:iW6HfhIJ
ただでさえ浮かれてるとこに水差すようなことは言いにくいのに、
本領帰参かなわないで死ぬよなんて言えないだろw
436人間七七四年:2012/05/23(水) 14:54:02.81 ID:qKvhe/8Q
魏延の夢占い思い出した
437人間七七四年:2012/05/23(水) 15:26:57.83 ID:UrBtEbqn
>>425
納得、物凄い説得力だ。
豊臣側には彼を総大将にする何かの奇策があったのか?
でないと現代人には到底理解出来ない思考だけど。
438人間七七四年:2012/05/23(水) 16:00:05.37 ID:j/22FOCs
他に人が居ないし
浪人に軍団長やらせなければならないほどの究極の人材不足
439人間七七四年:2012/05/23(水) 16:15:21.22 ID:UrBtEbqn
泣ける話だ。。。

最近は関が原以降に豊臣が一大名に落ちたわけではない、大阪の陣寸前
まで権勢はあったと言われるけど、これ程の人材不足ではその説は眉唾
だよな。
440人間七七四年:2012/05/23(水) 16:16:34.14 ID:lAid72+5
まあ、女が仕切ると碌な事が無いって事だ。
441人間七七四年:2012/05/23(水) 16:51:22.09 ID:YheooyQ5
格と縁戚関係でみれば悪い人材じゃないし
誰にでも欠点の一つや二つはあるもんだ
442人間七七四年:2012/05/23(水) 17:32:49.86 ID:UrBtEbqn
一つ二つなのかな。。。。
443人間七七四年:2012/05/23(水) 17:33:59.01 ID:SjA6Joba
ひとつの欠点がすべての美点をぶち壊すような奴もいるし
444人間七七四年:2012/05/23(水) 18:04:25.52 ID:h22kILq3
>>406

あれだろ、ゲン担ぎに使ってたってやつ。
確か、ほとんど吉しか出ないんだよな。
それで士気を上げる。
有名な話だよな。
445人間七七四年:2012/05/23(水) 18:18:21.39 ID:UrHfjUGn
天武天皇が式盤を使って戦さの吉兆を占っていた、て話があるから
信玄がそういうの使ってても不思議ではないな
民明書房刊じゃなきゃ信じてしまいそうだ
446人間七七四年:2012/05/23(水) 19:36:29.65 ID:llgepiM8
戦国時代の武将、まして信玄あたりは「勝ったら寺社新築してやるから、力かせや」みたいな願文を平気で出すような価値観だぜ。
お前ら本当に信仰してるのかってレベルなのも珍しくない。
447人間七七四年:2012/05/23(水) 19:40:05.15 ID:jsK6e/V9
神様との距離が近いって感じ
448人間七七四年:2012/05/23(水) 19:52:56.70 ID:HcNJ6tF5
西洋でも聖遺物の使い方として
「罵倒する」「脅迫する」「そのものずばり、門の前に置いて盾にする」
があったそうで

http://twitpic.com/9klb6q
449人間七七四年:2012/05/23(水) 20:17:38.52 ID:f2pKqPBo
気になってググったら床子屋っていう18禁同人サークルだった
450人間七七四年:2012/05/23(水) 20:47:38.13 ID:FvYx0BWg
>>448
神様の利用法ではそのものズバリ、免罪符って言うのがあったしね。
451人間七七四年:2012/05/23(水) 20:57:52.25 ID:5VRpYLIq
さすがに軍記より信用できないレベル
452人間七七四年:2012/05/23(水) 21:03:15.31 ID:llgepiM8
まあ仏教の戒律をガチ守ったら、武士は即廃業だ罠w
453人間七七四年:2012/05/23(水) 21:10:30.88 ID:pY24kxa2
戦をすれば沢山の血が流れる・・・・・不殺とまではこの乱世では出来ぬが犠牲を少なくするにはどうすれば・・・・・・


そうだ、暗殺しよう
454人間七七四年:2012/05/23(水) 21:12:17.99 ID:giDwwF/d
じゃぁ毘沙門天になっちゃおっと
455人間七七四年:2012/05/23(水) 21:14:11.87 ID:P+pP9T4R
わたしがかみです
456人間七七四年:2012/05/23(水) 21:17:27.06 ID:D0U2daIh
某M氏「めんどくせぇから行く手を阻む奴はみんなぶっ殺す
     敵兵も一向宗徒も門番もヘビもすっぽんも、みんなだ
457人間七七四年:2012/05/23(水) 21:18:42.99 ID:f2pKqPBo
>>455
天草四郎さんちぃーす
458人間七七四年:2012/05/23(水) 21:27:08.39 ID:ReTQYJs2
本来の仏教は、自分の中にある苦しみの原因を見抜きそれに対処する、極端にいえばひどく個人的内省的なもの。
でも当時の日本の仏教って坊主自身が世俗に塗れて税金取ったり戦争したりする状態だろう。
真面目に信仰しようって気になるのか……? という問題が。
459人間七七四年:2012/05/23(水) 22:52:38.21 ID:lAid72+5
>>458
後から念仏唱えればおk
460人間七七四年:2012/05/23(水) 23:45:04.55 ID:5G/CwKlx
>>458
そもそも我が国の仏教がそういう物だったことがあるだろうか?>個人的内省的なもの
渡来時から国家によって保護され、寺院には荘園などの財産が与えられた。
当時の人間に「本来の仏教は…」のような点に疑問を持つ人間なんていなかったんじゃないかな。
461人間七七四年:2012/05/23(水) 23:58:17.02 ID:5VRpYLIq
国に保護されたんじゃなくて国の物にされた
462人間七七四年:2012/05/24(木) 00:06:33.63 ID:DFC9At7p
>>460
そんな貴方に贈る、こんな言葉
「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」
463人間七七四年:2012/05/24(木) 00:18:47.08 ID:8nIz8xfM
宗教と信仰と教団を分離して考えることができない純朴な人間は
いつの世もいるからなァ
464人間七七四年:2012/05/24(木) 00:49:57.25 ID:eIQ4Udt6
シャカ族のシッダルタが教えを説いてから
その教えが日本に来るまで
ヒンズーと混ざって現世利益を約束したり
上座部と大乗に分かれたり
大陸の技術とセット売りになってたり
すでに十分世俗宗教だたわけだが
465人間七七四年:2012/05/24(木) 01:31:04.00 ID:BhuIHGaG
釈迦と莫迦は紙一重
466人間七七四年:2012/05/24(木) 02:09:13.27 ID:J9GtnOfy
>>462
俺の商売道具に何すんねん
467人間七七四年:2012/05/24(木) 03:09:40.43 ID:3ebG59Xc
中学校、高等学校の歴史の授業は退屈でいつも眠気を覚えていました。面白くなく興味も持てませんでした。なぜか?
真実が教えられていないからです。人間は本能的に無価値なものに惹かれないようにできているのです。
南京事件は実在したのか?従軍慰安婦はいたのか?そういった論争を意図的に惹起して極東の諸国間の関係を
ギクシャクさせたい人たちがいます。当然、軋轢を起こす目的であえて歴史を恣意的に解釈しています。
我々は歴史の真実を知ることで現代社会の病巣を知ることができます。
ヒットラーは金融ユダヤ勢力が起用した「戦争製造装置」でした。世界戦争を引き起こし、世界をベルリンを境に東西に分け
戦後のイスラエルの建国を実現し、そして、あえて戦争に負けることで収束させる役割でした。米英ソもヒットラーとグルでした
戦後は南米で安寧に余生を過ごしています。常に背後に黒幕が控えていました。そんなことは学校の教科書には書いてありません
ソ連は、米欧のユダヤ人が結集してロマノフ王朝を力尽で引きずり下ろして捏造した「ユダヤ独裁国家」でした
ロシア=ソ連ではなかったのです。プーチンの治世の今、ロシアはやっとユダヤ支配から脱却して飛翔しようとしています
これも世界史の教科書のどこにも書いてありません。真実が書いてあれば、世界史教科書は最高に面白い垂涎の書なのです
坂本龍馬は日本にどんな利益をもたらしたのか?米英の武器・阿片・黒人奴隷貿易商人の傀儡となって
薩長のために武器や戦艦を調達し、徳川幕府を薩長が打倒する手伝いをしただけです。それ自体が、愛国的行為なのか?
甚だ疑問に思います。テレビでは竜馬を持ち上げて特集を組んだり、政界では平成の竜馬を気取った輩が幅を利かせているようです
歴史の真実を知れば竜馬の再来など誰も喜びません
関ヶ原の戦いで一人の19歳の武将が、東西軍どちらにつくかでそれから先の300年以上の歴史が決まってしまった
もし、彼がもうひとつの選択肢を選んでいたら、徳川幕府は400年前に滅んでいたであろう
関ヶ原の後、豊臣家の存続に尽力したひとりの大名が49歳で「毒殺」されずにあと10年生きていたら、今頃
日本の首都は大阪であったろう。そんな仮想の話が、実はとても新鮮で興奮を呼ぶのです
それほど、歴史というのは「脆弱」でちょっとしたきっかけで全く異なる展開をしていたはずなのです
これは現代でも全く同じなのです。小沢一郎さんが冤罪裁判を脱して日本の首相に就任すれば
日本のみならず世界全体が信じがたい変化を遂げます。世界の歴史が変わります。歴史の{もしも」が現在進行形の「今」をも説明してくれます
真実の歴史を知ることにより、現代の政治経済状況も実に平易に理解することができます
911も311も放射能パニックも謀略であること、消費増税もTPPも小沢冤罪裁判も黒幕の思惑が働いていることがすんなりと理解できます
だからこそ、真実の歴史を知る必要があるのです。本書を通じて、その真実に辿りつてください
そして、ひとりの日本人としていかに行動すべきか指針を見つけてください。

リチャード・コシミズ第八作:「リチャード・コシミズの新しい歴史教科書」
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201205/article_117.html

第8作を6月に出版いたします。先行予約を受け付けます。複数冊での予約を歓迎します
先行予約いただいた方には、書籍と一緒に以下の特典DVDをご提供します
468人間七七四年:2012/05/24(木) 04:37:10.16 ID:btzajKqQ
>>446
鉄砲のためにキリシタンになる。

九州の大名は、若い娘を誘拐して弾薬と交換している。
469人間七七四年:2012/05/24(木) 07:41:45.22 ID:xpk7cH29
大友はキリシタンのくせに一族を英彦山の座主にしようとして英彦山と戦争したりしてるけどな
470人間七七四年:2012/05/24(木) 11:49:51.19 ID:CnsFi+EX
大名や豪商で心底一神教に傾倒した人っているんかね。
救いを求めた下々はしかたないし、
大金持ちの有閑奥方も、まあする事ないだろうしwわかるのだけど。
471人間七七四年:2012/05/24(木) 11:57:02.90 ID:aHKkx+P2
右近さんあたりじゃ駄目かな?
472人間七七四年:2012/05/24(木) 12:09:19.17 ID:SexZ0GL/
誰が言ったか忘れたが、「戦場みたいな場所だと誰でも神に縋る」みたいな話がある。
普段は無神論でも自分の力じゃどーしようもない危険が迫ると、みんな超越的な存在にすがっちゃう。
で、戦場から生きて出るとまた元に戻るとw
473人間七七四年:2012/05/24(木) 12:10:26.32 ID:CnsFi+EX
右近って、茨木のあたりで
神社仏閣を根こそぎ破壊したやつだっけ?
474人間七七四年:2012/05/24(木) 12:14:32.27 ID:CnsFi+EX
高槻か。まあ今の行政区分と当時の領地はだいぶちがうのだろうけど
475人間七七四年:2012/05/24(木) 13:02:47.35 ID:fnTkPgBU
安心しろ、自称仏教徒で大僧正の信玄ですら、関東攻めた際には「信玄焼き」している。
戦国武将にとって、宗教とは利用するもの以上ではないのだぁー! ヒャッハー!!
476人間七七四年:2012/05/24(木) 17:07:57.28 ID:XdozIMGI
まあ、そのくらいが一番いいんじゃないだろうかと。
姉が対馬の向こうにある邪教にハマって、父親以外がっちり家に嫁いだんだが、
別に何を信仰しようがどうでもいいけど、こっちには勧めてこないでね、という事にしていたのに勧めて来やがった身としてはそう思う訳ですよ
477人間七七四年:2012/05/24(木) 21:46:22.21 ID:bfmd+RLY
立花道雪の死後、長年対立関係のあった高橋紹運と秋月種実との間に和平を望む機運が高まり、
種実の娘と紹運の二男(統増)を婚姻させようとの動きが出てきていた。
そしてその動きは秋月種実の盟友筑紫広門を驚愕させる。
筑紫広門は道雪の死後のどさくさにまぎれ、高橋家の宝満城を攻略していたのだった。
もし秋月と高橋・立花が結び筑紫に攻めてくれば当家の命運は尽きる・・・

居城勝尾城に重臣を集め方策を練ったが、これと言った意見が出てこない。
そんな中、一族の筑紫六左衛門より
「当家が高橋家と婚姻をむすぶしかありません。姫を私にお預けください。
姫とともに岩屋城に参り紹運公に姫と統増どのの縁組を直訴してまいります。
紹運公は情け深きお方とのこと、こちらが真心を持って誠心誠意懇願すればあるいは・・・
もし紹運公に承認いただけない時にはその場で姫を刺し、私も腹を切ります。」
広門もこの六左衛門の気迫を見て賛成するのだった。
478人間七七四年:2012/05/24(木) 21:47:07.69 ID:bfmd+RLY

岩屋城の高橋紹運、敵対している筑紫広門の娘が訪ねてきたとの知らせに訝りながらも目通りする。
「筑紫上野介の娘かねでございます。不躾ながらお願いの儀があり参上いたしました。
女子の口からお恥ずかしいことですが・・・・・」
と言って目を伏せてうつむいてします。その後を六左衛門が続けた。
統増とかね姫の婚姻による和平の提案、突然の押しかけ女房の提案に困惑する紹運。
六左衛門は
「ご当惑はごもっともと思います。しかし我が筑紫も滅亡の危機にあるのです。
もしこの件どうしてもお許しいただけないようならば、庭先をお借りし切腹を致します。」

六左衛門の熱意に押されたか紹運も婚姻を承諾、15歳の統増もとに17歳のかね姫が輿入れしたのである。
その後の2人は九州征伐時に島津軍に夫婦そろって拉致られ薩摩祁答院での軟禁生活を夫婦で乗りきることになる。

で、なぜ悪い話かと言えばその後広門が島津軍に宝満城の秘密を洩らしたため離縁することになったから。
479人間七七四年:2012/05/24(木) 21:55:35.31 ID:KJ+phi8a
うちにも17歳の美人女子高生が結婚してくれなきゃ死ぬって押しかけてこんだろうか
480人間七七四年:2012/05/24(木) 21:57:48.44 ID:WpP6JSoO
>>478
戦国時代らしいオチだな
481人間七七四年:2012/05/24(木) 22:02:08.38 ID:4+4hjbf4
美人とは限らんで
482人間七七四年:2012/05/24(木) 22:03:39.48 ID:Tcsniuyu
秋月の娘は楢柴と一緒にラスボスに差し出された人か
483人間七七四年:2012/05/24(木) 22:58:41.16 ID:J9GtnOfy
古田殿、出番ですぞ
484人間七七四年:2012/05/25(金) 00:20:26.07 ID:SLb8P8dH
>>478
離縁したって話だけど、してないとか復縁したとも言われてるんだよな。
1604年生まれの統増の長男の種次は加袮姫の子らしくって、
朝鮮とかでも高橋家と筑紫家は一緒に行動してて縁戚関係が続いてた様だから。
母親が姉妹で従姉弟同士らしいから、離縁されそうになったけど結局許されたって
とこじゃないかな。
485人間七七四年:2012/05/25(金) 06:58:10.47 ID:/00Z07jC
筑紫は関ヶ原で親戚の高橋・立花家と行動を共にして改易なんだよな
486人間七七四年:2012/05/25(金) 07:42:22.66 ID:srftelVj
>>481
筑紫広門の自慢の娘で美人だったらしい
ちなみに次女は黒田長政の側室になってて姉妹揃っての美人らしい
487人間七七四年:2012/05/25(金) 12:40:48.38 ID:K3e+H2xH
こいつらみたいなの昔はいたんか?
http://bit.ly/JHSP44
488人間七七四年:2012/05/25(金) 19:35:35.46 ID:pjV0/fy7
>>485子孫は旗本
489人間七七四年:2012/05/25(金) 19:36:47.32 ID:bNEa8zYz
改易されたがお情けっぽく旗本で再興、という大名って結構いるような。
490人間七七四年:2012/05/25(金) 19:38:06.62 ID:ytjZzz6i
筑紫みたいに変わり身が早すぎてもかえって立場が悪くなるし
高橋みたいに頑なでも城を枕に討ち死ぬ羽目になるし
立ち回りって大事
491人間七七四年:2012/05/25(金) 19:55:00.19 ID:HS5j1PSZ
忠臣蔵みたいに変に意固地になって敵討ちだなんだやられるより、
捨扶持あげて体制内に組み込んで置く方が安心できるってのはないかね?

忠臣蔵が例として正しいか知らないけど
492人間七七四年:2012/05/25(金) 20:10:26.18 ID:srftelVj
立花宗茂、高橋統増兄弟も旗本からの復活組だもんなあ
493人間七七四年:2012/05/25(金) 20:30:16.74 ID:BLZx4OMx
真田パパンは敵にいたほうがマシじゃないのか?
494人間七七四年:2012/05/25(金) 20:36:03.69 ID:HS5j1PSZ
真田パパンは、敵にも味方にもいて欲しくないかなぁ〜
495人間七七四年:2012/05/25(金) 20:37:12.60 ID:zBDwHfCp
家康「信之とかの願い聞いて助けたら、一緒に助けた次男が仇で返しにきた。訴訟」
496人間七七四年:2012/05/25(金) 21:05:08.94 ID:HS5j1PSZ
高野山じゃなく、成田山あたりにしとけばなぁ〜
497人間七七四年:2012/05/25(金) 21:28:32.05 ID:X1t+JEUH
3000石くらいの旗本にしておけばよかったのに
498人間七七四年:2012/05/26(土) 00:21:15.69 ID:8stZ+CHY
ここらでフロイスの秀吉評を投下しておくのも悪くないと思う。
※読みやすくするため、句点の位置と助詞を若干変えてあります



彼は美濃国の出で、貧しい百姓のせがれとして生まれた。
若い頃には山で薪を刈り、それを売って生計を立てていた。
彼は今なお、その当時のことを秘密にしておくことができず、極貧の際には古い蓆(むしろ)以外に身を覆うものはなかったと
述懐しているほどである。
だが勇敢で策略に長けていた。

ついでそうした卑しい仕事をやめて、戦士として奉公し始め、徐々に出世して美濃国主から注目され、戦争の際に挙用されるに至った。
信長は美濃国を征服し終えると、秀吉が優れた兵士であり騎士であることを認め、その俸禄を増し、彼の政庁における評判も高まった。
しかし彼は元来、下賎の生まれであったから、主だった武将たちと騎行する際には馬から下り、他の貴族たちは馬上に留まるを常とした。

彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には六本の指があった。
目がとび出ており、シナ人のようにヒゲが少なかった。
男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき策略家であった。

彼は自らの権力が順調に増していくにつれ、それとは比べ物にならぬほど多くの悪癖と意地悪さを加えていった。
家臣のみならず外部の者に対しても極度に傲慢で、嫌われ者でもあり、彼に対して憎悪の念を抱かぬ者はいないほどであった。
彼はいかなる助言も道理も受け付けようとはせず、万事を自らの考えで決定し、誰一人、あえて彼の意に逆らうが如き事を一言として
述べる者はいなかった。

彼はこの上もなく恩知らずであり、自分に対する人々のあらゆる奉仕に目をつぶり、このようなことで最大の功績者を追放したり、
恥辱をもって報いるのが常であった。

彼は尋常ならぬ野心家であり、その野望が諸悪の根源となって、彼を残酷で嫉妬深く不誠実な人物、欺瞞者、虚言者、
横着者たらしめたのである。
彼は日々、数々の不義、横暴をほしいままにし、万人を驚愕せしめた。

彼は本心を明かさず、偽るのが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた。

齢すでに五十を過ぎていながら、肉欲と不品行において極めて放縦に振る舞い、野望と肉欲が彼から正常な判断力を奪い取ったかに見えた。
この極悪の欲情は彼においては止まることを知らず、その全身を支配していた。
彼は政庁内に大身たちの若い娘たちを三百名も留めているのみならず、訪れていく種々の城に別の多数の娘たちを置いていた。
彼がそうしたすべての諸国を訪れる際に、主な目的のひとつとしていたのは、見目麗しい乙女を探しだすことであった。
彼の権力は絶大であったから、その意に逆らう者はなく、彼は国主や君侯、貴族、平民の娘たちを、なんら恥じることも恐れることもなく、
その親たちが流す多くの涙を完全に無視した上で、収奪した。
彼は尊大な性格であったから、自らのこれらの悪癖が度を過ぎることについても、全く盲目であった。
彼は自分の行為がいかに卑しく不正で卑劣であるかに全然気付かぬばかりか、これを自慢し、誇りとし、その残忍きわまる悪癖が満悦し
命令するままに振舞って自ら楽しんでいた。



信長評がほぼ信頼され、光秀評も参考にするべきという意見が出ている中、この秀吉評は現在も「キリスト教徒の偏見だ」で片付けられ、
一部を除いてほぼ省みられていないが、どうだろうか。
499人間七七四年:2012/05/26(土) 00:33:44.13 ID:614OTgA2
「宣教師を追放し、日本の植民地化を回避した英雄」まで読んだ
500人間七七四年:2012/05/26(土) 00:36:17.39 ID:yZw25Xzf
ここでもすでにラスボス扱いだし
501人間七七四年:2012/05/26(土) 00:39:33.13 ID:usxJZcB8
一滴の血も残さず完滅したんだからいいじゃん
502人間七七四年:2012/05/26(土) 01:12:09.60 ID:45URy85P
>>498
俺の秀吉のイメージもだいたいそんな感じだなー。別に品行方正じゃなきゃダメってことないわけだしさ
503人間七七四年:2012/05/26(土) 01:18:21.77 ID:ZeO9PdwT
>>498
悪い所だけ並べたらこうだろうなと言う感じ以上ではないなあ
504人間七七四年:2012/05/26(土) 01:29:27.18 ID:qZsrnTT2
秀吉直系ではないけども豊臣秀勝と崇源院の娘の完子の血筋なら貞明皇后から今の皇室に繋がってるわなぁ
505人間七七四年:2012/05/26(土) 01:35:02.21 ID:usxJZcB8
完子は秀吉の姉の血統だからなあ
506人間七七四年:2012/05/26(土) 05:38:20.81 ID:zvzMGUWj
俺の持っている秀吉のイメージを200%ほど悪くしたら>>498になるな
507人間七七四年:2012/05/26(土) 05:45:21.65 ID:kx63QwwX
織田豊臣徳川の戦国三大大名の中で直系が残っていないの豊臣だけなんだよな
せめて家名が残るよう立ち回ればよかったのにね
508間七七四年:2012/05/26(土) 05:47:33.58 ID:Lxrx7D9T
秀吉はちゃんと道理を説明できる者の言うことは反論であろうと聞き入れますけどねえ・・・
509人間七七四年:2012/05/26(土) 06:30:07.07 ID:UwxicXv+
織田、徳川と比べて誰が最も寛大だったかというと秀吉のような

美女好きで囲った人数は多かったとは思うが
現代の少しヤバイ連中と比べてどうなんだろう
510人間七七四年:2012/05/26(土) 07:24:20.58 ID:vhCSaDWd
家康の直系は今の皇室に繋がってるんだよな
511人間七七四年:2012/05/26(土) 07:51:23.69 ID:E0ugD7dS
秀吉にバテレン追放令を出された恨みを文章に叩きつけた感じ
512人間七七四年:2012/05/26(土) 08:09:32.36 ID:sKwIjOoI
ま当然有るだろうね。
暴君って言われているローマ皇帝、ネロとかそのお友達。
色々悪口言われているけど、結局はキリスト教の弾圧がキモ。
ただね、初期のキリスト教徒は揃って貧乏人ばっかで、やっていることも強盗団との見分けが難しかったみたい。
513人間七七四年:2012/05/26(土) 08:11:53.76 ID:K/7qASyT
>>498
所々に真実を入れるのが信憑性を高めるこつなんですね。
514人間七七四年:2012/05/26(土) 09:35:21.79 ID:hO5jcY34
>>509
それぞれ立場が違うからアレだけど、秀吉は自己都合で
バッサリやるタイプ。
515人間七七四年:2012/05/26(土) 09:47:34.43 ID:2Ic4j6UU
>>514
信長:いつくるかわからない
秀吉:くる意味が分からない
家康:きたときには後がない

こんな感じなんだろうか。
やられるほうからしてみたら大差ないんだろうけど、
516人間七七四年:2012/05/26(土) 10:58:55.99 ID:h52oRqzo
忠興:くる きっと くる
517人間七七四年:2012/05/26(土) 11:04:36.42 ID:W8ta6xBf
孕石元泰「あの家康って人はね、いつ来るか判らないんですよ
     幾ら敵方として捕らえられたからって武士を切腹させる理由が
     何年も後にいきなり思い出したかのように昔のことの御咎めで
     しかも御咎めがこちらに来る意味が判らない!
     我が家の庭に無断で入ってきたんですよ?
     自宅とは小さかろうと狭かろうと武士の一所懸命の地なんだから怒って当然
     でも高天神が落ちて捕らえられたものだから仕方が無いか・・・。」     
518人間七七四年:2012/05/26(土) 11:27:54.50 ID:vHtsye8Z
>>516
あんたは明確な基準定めてるだろ
スリーアウトとお玉拝見
519人間七七四年:2012/05/26(土) 11:36:25.84 ID:UrRLFdDG
キリスト教を排斥したのも家康も同じだが、彼に対する宣教師の評価は秀吉に比べると
どうも筆が乗っていないのは何故だろうか
520人間七七四年:2012/05/26(土) 12:54:26.71 ID:h52oRqzo
>>518
微妙公「お呼びかな?」
521人間七七四年:2012/05/26(土) 13:33:03.05 ID:biCxiQBS
>>519
よくも悪くも秀吉のが「すっげぇわかりやすかった」んだと思う。

洋の東西も宗派も文化も越えて、同じ人間として。
522人間七七四年:2012/05/26(土) 13:45:48.06 ID:yrN/j7Mb
そりゃラスボスは宣教師追放の理由にした奴隷売買を、今度は自分が朝鮮出兵のために大々的にやっているぐらいだし。
523人間七七四年:2012/05/26(土) 17:41:16.73 ID:sW3z7VWp
晩年の秀吉は残念な人だっただろうとは思うけど、
それ以上にフロイスは私情がっつり妄想全開である事ないこと書きまくってるイメージがあるな。
下手に信じると足をすくわれそう
524人間七七四年:2012/05/26(土) 17:46:15.09 ID:/g5ZTx/X
そのフロイスに「あの人、異教徒だけど尊敬すべき人物だよね」といわせた方々はどんだけ人格者だったんだろうかw
525人間七七四年:2012/05/26(土) 18:21:26.88 ID:E0ugD7dS
どんなに冷酷な人でもキリスト教布教を認可してくれればマンセーw
文章はかなりアレだが、フロイスという人間は理解しやすいから好きだよ
526人間七七四年:2012/05/26(土) 18:26:16.84 ID:aUsmUUsb
村上水軍は通行の便宜を図ってくれたから良い海賊
仙石水軍はキリシタン特区豊後でヒャッハーしたからDQN
527人間七七四年:2012/05/26(土) 20:30:48.39 ID:vIjjSfsx
ブレない価値観だなw
528人間七七四年:2012/05/27(日) 01:26:01.86 ID:v4NTWUUT
>>507
淀君は、アフォなのか。  秀吉に恨みがありわざと家を潰したのか。
529人間七七四年:2012/05/27(日) 01:27:16.40 ID:v4NTWUUT
>>510
明治に天皇が入れ替わったらしい。長州の傀儡。
530人間七七四年:2012/05/27(日) 01:28:43.08 ID:k0X4fOoT
>>529
それオカルトだからw
531人間七七四年:2012/05/27(日) 07:36:13.41 ID:MX8f0TKF
>>530
在日会津人は恨民族で、歴史学も思想優先だから説明するだけ無駄だよ
532人間七七四年:2012/05/27(日) 07:41:35.40 ID:76NYTgGl
オカルトは誤用だな
533人間七七四年:2012/05/27(日) 08:19:15.25 ID:8t2qcp6d
会津って・・・子供だけ闘わせて
亡骸から衣服剥ぎ取って今日では
悲劇と称して観光資源にしてる人達のこと
を悪く言うなぁ
534人間七七四年:2012/05/27(日) 09:24:38.60 ID:jgpHnDOa
無知
535人間七七四年:2012/05/27(日) 10:39:35.49 ID:2xllwgey
嫌がる会津の殿様に手の汚れる仕事を押し付けていつの間にか新政府側ででかい顔してる松平春嶽は酷い人
536人間七七四年:2012/05/27(日) 10:40:57.94 ID:uNFFFayD
荒れると分かっているような書き込み方はやめろって……何がしたいんだ。
537人間七七四年:2012/05/27(日) 10:42:39.08 ID:MtyfL79B
あいず(なぜか変換できない)って変なんだもん
538人間七七四年:2012/05/27(日) 10:48:48.65 ID:8K4tDPB6
まあ、スレ違いのIDはサクサクNGに入れてはいるが
539人間七七四年:2012/05/27(日) 11:51:41.58 ID:k0X4fOoT
元亀三年(1572)、いわゆる信長包囲網の中、武田信玄の西上が始まり窮地に陥った頃の織田信長が、
上杉謙信に宛てた書状

『先に使者を遣わして申し上げた所、すぐに御入眼され、さまざまな御懇慮を頂いたこと、少なからず
我が本懐であります。そしてそちらから大鷹5羽を送っていただいたこと、私にこの様に御心をかけて頂いたのは、
まさに前代未聞、当方に過ぎること至極な御扱いであり、これらの鷹は、別して今までにないほど寵愛いたします。
(前代未聞過当至極候、別而寵愛無他候)

右の内容を(謙信に)お取りなしして下さい。恐々謹言


                       信長(花押)
(元亀三年)十一月七日
   直江大和守(景綱)殿


追って申し入れます。仰せくださった御誓談の数々、かたじけない次第であります。
特に、そちらの御養子に我が愚息を召しおきたいとのこと、これは私にとって面目の至りであります。
(殊為御養子愚息可被召置旨、是面目之至候)

これはいつ頃、そちらに送り出すべきでしょうか?今後我らに対しどうぞ御指南をしてやって下さい。

これらの趣旨を(謙信に)ご披露頂ければ本望です。恐々謹言


                       信長(花押)
(元亀三年)十一月七日
   直江大和守(景綱)殿


(上杉古文書)

一旦書状を書いておいて、同じ日にさらにもう一通追伸を書くなど、その内容とあわせて、当時の信長の危機感と緊迫感、
謙信を自分の味方にしておくことに細心の注意を払ったことがよく解る書状である。二通目のほうが一通目よりさらに
へりくだっているのも注目ですねw

ちなみに信長が、信玄の死去もあってこの時の危機を脱すると、養子の件はいつの間にやらウヤムヤと成った。
540人間七七四年:2012/05/27(日) 12:39:19.33 ID:6vsswX3I
うわぁ 痛いな信長w
541人間七七四年:2012/05/27(日) 12:47:24.06 ID:s4FgYe4a
謙信のことだから敵対後も追い出したりしないだろうし養子送り込んでたらどうなってたんだろうw
542人間七七四年:2012/05/27(日) 12:53:02.88 ID:6vsswX3I
こういう奴は許しをこうて土下座しても気を許さず
上から頭を踏みつぶしてやらないとなw
543人間七七四年:2012/05/27(日) 12:55:38.79 ID:dUx5F9zJ
上杉は敵に回すとめんどくさいが、味方にしても頼りにならないからなw
北条も徳川も困ったし、北条にいたってはまだ信玄のほうがマシ、となっている。
結局、上杉も織田を裏切るわけだし信長は本当に人を悪い意味で信じすぎて痛い目見るタイプ。
544人間七七四年:2012/05/27(日) 13:04:10.98 ID:hgfqsN4k
ついでにいえば、北関東諸将も謙信には煮え湯を飲まされてる
545人間七七四年:2012/05/27(日) 13:06:09.92 ID:ZRA3kXwr
と、いうか外交辞令で本音をいう武将っていたんだろうか……。
前の信玄のデタラメに腰が低い手紙もそうだけど、あの裏で反織田と通じてただろう。
「強みがある時は弱く自分を見せて、自分が弱い時は逆に虚勢を張る」っていう兵法の基本ぐらい武士なら心得てそうな。
546人間七七四年:2012/05/27(日) 13:22:38.77 ID:6vsswX3I
誰から見ても弱みありまくりの現状ですがw その上書状でも弱み見せまくりですがwww
547人間七七四年:2012/05/27(日) 13:30:37.39 ID:qCyQnlv9
せめて書状では強がるべきだよな北条みたく
勝った勝ったって
548人間七七四年:2012/05/27(日) 13:34:50.39 ID:5TNBSvzC
このとき考えてた養子って4男で後の羽柴秀勝かな?
5男はちょうど同じ時期に岩村のおつやさんが武田に引き渡しちゃってるし
6男は生まれてたかかどうか、いずれにしろまだ乳児だからすぐにでも送るって感じではないだろう
549人間七七四年:2012/05/27(日) 14:43:49.38 ID:arArXBcr
へりくだって上杉が寄ってこないなら、いくらでもへりくだろうだろ。関わりたくないし
550人間七七四年:2012/05/27(日) 15:28:37.96 ID:qCyQnlv9
北条と同じ無様な様を晒してるな織田は
こりゃ岐阜城が火の海になるのが容易に想像できるわ
551人間七七四年:2012/05/27(日) 15:33:58.57 ID:jt+ED01X
ある時、曾根内匠が内藤昌豊に武田家がいかにすごいかを語ったことがあった。

「村上義清は信濃五郡の主で、当家は甲斐四郡とまことに小郡でした。しかも村上は
当家より人数も多かった。にもかかわらず何度も戦に負けてついには国を捨てて越後に
逃げていきました。

諏訪頼茂、小笠原長時、木曾義昌、上杉憲政らと幾度も戦いましたがいつも当家の旗風に
靡きました。北条氏康、上杉謙信とも何度も戦いましたが、当家の戦いぶりは凄まじく、
今や関東で当家の太刀風に並ぶ者はいません。まさに日本無双というべきです」

これを聞いていた昌豊は呆れてこう言った。

「あなたは本当に幼いことを言う人だ。いま中国には毛利元就という大将がいる。
その人物ははじめ七百貫より起こり、八ヶ国持ちの大内義隆、七ヶ国持ちの尼子晴久、
五ヶ国の主である大友義鎮と何度も戦って打ち勝ったのだ。村上諏訪小笠原と戦って勝つ
よりも遥かに勝っているではないか。

しかし案ずることはない。世間では当家の武勇ほど毛利の武辺は話題になっていないぞ。

国がどれだけ広くとも、どれだけ多くとも、戦の勝敗は志ひとつで決まるものだ。
村上の五郡は大内の八ヶ国には及ばずとも、戦士の数は八ヶ国よりも多かった。

当家の四郡は毛利の十三ヶ国に比べれば大海の一滴にすぎないが、死を惜しまぬ士は
十三ヶ国よりも盛んだ。つまり、当家は毛利よりも上に立っているのだ」


曾根を戒めるかと思ったらもっと大きく出たでござる。
552人間七七四年:2012/05/27(日) 15:40:03.13 ID:qCyQnlv9
内藤さんは控え目なのか剛毅なのか混在してるかなり複雑な人だよなw
もとは剛毅だと思うがそれを抑えるだけの思慮分別があった苦労人だとは思うが
553人間七七四年:2012/05/27(日) 15:45:43.93 ID:KM0dIbUU

サンキュー内藤!武田軍なら1万5千で3万人に勝つくらい楽勝やな!!!
554人間七七四年:2012/05/27(日) 15:46:24.91 ID:5TNBSvzC
一方その頃、信玄はその毛利とガンガンやり合ってた雷神さんに会いたがっていた
555人間七七四年:2012/05/27(日) 15:51:22.92 ID:Dvvnf/Iq
甲斐は四郡しかないんだからしゃあない
たしか加賀も四郡だけだったはず
556人間七七四年:2012/05/27(日) 17:38:58.67 ID:3zvPZDOm
内藤さん大ぼら吹きやな〜
557人間七七四年:2012/05/27(日) 17:39:59.11 ID:I+TgMzPU
最上家臣・松根家に伝わる話。
あるとき、松根家の者が山形城下を歩いていた。するととある家の周りに幽霊がいる。
「うらめしやー…うらめしやー…」
そこで松根がこう訪ねた。
「おい、おめさ、何してんだか?」
「いやあ、この家の奴に仇討ちしたいのだけどお札を貼ってあるからできなくてな、成仏できんのだ」
「んだか(ピッ)」
親切な松根は札を剥がしてやった。
「かたじけない!」
幽霊は早速家に飛び込むと、家の中からすさまじい悲鳴が聞こえてくる。
しばらくすると幽霊は生首を持って出てきた。
「これでわしは成仏できる。ところでこの生首を葬っておいてくれんか?」
「んだか」
松根は幽霊から生首を受け取ると竹林に丁寧に葬った。これ以来、松根家は生首を旗印に描くようになり「松根の生首」として有名になったという。
幽霊にとってはちょっといいが、お札を剥がされた家の者にとってはかなり悪い話である。
558人間七七四年:2012/05/27(日) 17:41:36.93 ID:OVAcFybQ
安芸武田や大内が毛利に滅ぼされて甲斐に亡命した人がいたから西国のことに詳しかったんだろうね

そういや山本勘助なる人物も元就をかなり評価していたな
559人間七七四年:2012/05/27(日) 17:47:07.25 ID:HEoJz3+o
勘助は元大内家臣って説があるくらいだから
560人間七七四年:2012/05/27(日) 17:51:11.57 ID:F2p2qJNE
萩藩閥閲録だな。
山本勘助は讃岐出身で山口に来て大内に仕え、その後甲斐に行ったという。
三河出身と「勘違い」されたのは、「讃州」を「三州」と間違われたからだ、とかw
561人間七七四年:2012/05/27(日) 18:00:16.76 ID:arArXBcr
>>557
その霊験あらたかな御札が欲しいな
562人間七七四年:2012/05/27(日) 18:07:33.93 ID:IlGbXRq9
義光の謀略で敗死した霊か何かか
563人間七七四年:2012/05/27(日) 18:21:10.19 ID:6JVkeerL
親……切……?
564人間七七四年:2012/05/27(日) 18:49:12.23 ID:k1jUfUrw
>>551
まあ毛利持ち上げて武田大したことないで話を終えたら相手に斬られかねんし
内藤さんうまく空気読んだ
それにしても後半の持ち上げ方が大嘘すぎでしょw
相手が無知だからできる技ですね
565人間七七四年:2012/05/27(日) 19:26:27.78 ID:HEoJz3+o
お前が無知なだけ
566人間七七四年:2012/05/27(日) 20:58:02.32 ID:FJUHhKB4
頼茂じゃなくて、頼重じゃないか?
567人間七七四年:2012/05/28(月) 00:38:13.62 ID:p2y0Ubt2
耳川の戦いの後、筑後の国人たちは大友を見限り竜造寺・秋月勢に寝返るものが続出した。
そんな中、数少ない大友方に残っていた問註所統景より一族の問註所鑑景との戦いにさいし大友家に援軍要請が入る。

筑後回復の機は今とばかり宗麟次男・三男の田原親家・親盛を大将副将に約7千の軍勢で筑後になだれ込んだ。
が、初戦の猫尾城攻略から苦戦、黒木氏の猫尾城には竜造寺からの鉄砲隊が援軍として入場しており、城方の反撃悩まされていた。
豊後勢は耳川で歴戦の武将の多くが戦死しており、若い武将ばかりなのも苦戦に拍車をかけていたのだった。

城攻め1ヶ月で業を煮やした大友軍は立花道雪・高橋紹運に出陣を要請、形勢は一気に逆転する。
両将は筑前より一直線に猫尾城へ進軍、立ちふさがる竜造寺・秋月連合軍を片っ端から蹴散らすのであった。
竜造寺からの増援軍も激戦の末に破り(この激戦で道雪の弟戸次次右衛門など戦死)、即猫尾城攻略に取りかかる。
そしてこの猫尾城もすぐに落城。城主黒木家永は13歳の娘に介錯され自害している。
その後も山下・谷川・辺春・兼松・鷹尾などいくつもの城を攻略。
そんな中、竜造寺もさらなる援軍を繰り出し柳川城で戦線は膠着するのだった。

そんな柳川での対陣中、いきなり田原親家・親盛兄弟が撤退してしまう。その理由は
「自分たちがどんだけ頑張っても手柄は道雪・紹運コンビのものになってしまうのでツマラナイ」
と言うものであった。そのまま豊後まで引き上げる田原勢。
さすがの道雪も
「豊後もここまで落ちぶれたか・・・」
と嘆くのであった。
568人間七七四年:2012/05/28(月) 00:48:02.49 ID:Ll6xSbPx
加藤清正「大友のボンボンどもはわかっていない。戦で名を上げるには目立ってなんぼよ!」
569人間七七四年:2012/05/28(月) 01:11:16.55 ID:Wd1uPV5f
>13歳の娘に介錯

これも凄いな。つか当時は山城ばっかで家族は城内に居ないと思ってたよ
570人間七七四年:2012/05/28(月) 01:19:26.09 ID:4lp7fMbE
真面目な人って他人にも真面目を強いることが多いからね
571人間七七四年:2012/05/28(月) 01:42:39.32 ID:aRqkqxJd
無理せず初めから立花さん呼び寄せとけよ
572人間七七四年:2012/05/28(月) 02:45:55.43 ID:27GWEG9m
>>543

>信長は本当に人を悪い意味で信じすぎて痛い目見るタイプ

というよりも自分が気に入った相手に対しては目が曇るタイプだったと思う。
573人間七七四年:2012/05/28(月) 04:41:16.04 ID:cvjlR2ei
宗麟は1人くらい息子を道雪に預けて鍛えて貰えば良かったのに。

多分遠慮なく鍛えてくれる気がする。
574人間七七四年:2012/05/28(月) 12:11:14.36 ID:Nv1mXfCM
鬼のしごきに耐えられるならいいけど
575人間七七四年:2012/05/28(月) 13:39:20.40 ID:qkqExfqv
>>574
なぜか完成したのは全部、量産型立花闇千代で温厚な宗茂がまさかのブチ切れ
576人間七七四年:2012/05/28(月) 13:55:54.50 ID:wyP/LwPV
でなぜか女癖がそーりんと同じだったりw
577人間七七四年:2012/05/28(月) 17:57:19.50 ID:ZwBFD524
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-138.html
↑と似てるんだけどちょっと違う話。

牧野康成がとある高価な茶壷を買ったという話が太閤秀吉の耳に入った。

「半右衛門の身分でこのような重器を欲しがる必要はない。罰金だせ、罰金」

こうして金一枚を上納したというので主君の家康は笑った。
後に牧野家ではその壷を『科銭の壷』と名付けて珍蔵したという。
578人間七七四年:2012/05/28(月) 18:03:08.03 ID:ZZteM4Vd
>>577
前の話は「はてなの茶碗」みたいだと思ったけど、どっちが本当なんだろ。
579人間七七四年:2012/05/28(月) 18:07:12.61 ID:hPwzDujF
どっちにしても秀吉の遊び心みたいなのがよく出てる逸話だなw
580人間七七四年:2012/05/28(月) 18:28:25.56 ID:a8BeXYQt
ほんとに皆で茶器を愛したんですね。今で言うとAKBグッズを
集める感覚なのかな
581人間七七四年:2012/05/28(月) 18:43:18.61 ID:d92vQIDx
小学生の頃クラスで流行った牛乳瓶のフタ通貨みたいなもんだろ
582人間七七四年:2012/05/28(月) 20:31:49.15 ID:aRqkqxJd
AKBグッズや牛乳ビンの蓋で生き死にの戦いはしないけどな
583人間七七四年:2012/05/28(月) 20:33:20.20 ID:ZZteM4Vd
タイのスンコロク行ってきたよ。
本当にどってことない雑器なんだけど、あれが博物館のガラスケースに入っていると良く見える。
584人間七七四年:2012/05/28(月) 21:44:48.02 ID:gIdwCbCa
趣味に生きるって大変なんだよ
585人間七七四年:2012/05/28(月) 22:29:24.08 ID:guyIHvgq
茶湯御政道で名物所有がステータスになったから趣味とは些かかけ離れた物かもしれない。
政府公認AKBグッズが数十億とかで取引されるようになったら命も掛かるかもしれん

ところでAKBてAkimotoがKamoからBottakuruの略でいいのか?
586人間七七四年:2012/05/28(月) 22:35:33.43 ID:lOowyNTa
名物はもってればステータスになるし、有事の際は売り払って資金に出来るから
余裕があったら1つくらいは……って気になるのかもな
587人間七七四年:2012/05/28(月) 23:16:13.66 ID:fmCf3JMv
三斎さまがご親戚とともに名物を拝見したいと来意を告げられております、歓迎しますか?

ニアはい
  だい
588人間七七四年:2012/05/29(火) 00:23:44.82 ID:KzRGf17u
>>567
大友が遠征してきた筑後も当時大友方は長岩城主問註所統景と矢部高屋城主五条鎮定ぐらいで後は秋月・龍造寺方で大友勢に厳しい状況とはいえ、筑前だって道雪紹運以外は敵だらけの状況から無理して援軍に来てんだから僻むなと言いたいよ。

「両将は義統から出陣の命を受け直ちに兵を動員し、8月14日太宰府に集結軍議。
18日の夜半から太宰府から筑後川を渡り耳納山を越え道中敵地だらけの15里先の黒木領に向かい、
19日夕方黒木領に進入し、猫尾の支城高牟礼城前の山上で雨風激しく陣中を吹き濡らす中、両将は夜を徹して見回り兵を慰労し野営。
20日に豊後諸将こ到着を通達。内容工作を進め、
24日高牟礼城を内容にて降し、犬尾城主も降し、
そのまま佐賀勢を排除しつつ
28日には城島、大川の部落を焼き払いまた八女黒木に戻り猫尾城攻撃再開し、
9月5日黒木家永自刃。
9月8日には陣を西に移し八女山下城を攻撃
11日に山下城、和を乞い降る。
続き柳川城及び周辺を攻めるも苦戦。
10月3日いったん久留米高良山に移陣。
途中秋月他高良山より東側甘木辺りまでの敵方の領内を荒らしつつも柳川方面攻略はほぼ膠着状態になり高良山から麓平野部で筑後川に面する北野村一帯に布陣し越年。
そんな年末にW宗麟Jrら若い豊後勢が陣を払って引き揚げ。(ベテランの将は残ってるみたい)

そりゃあ道雪も紹運も嘆くよ(´・ω・`)

因みに勝手にこっそり帰った自分の部下を受け入れた家族もろとも道雪が処断した逸話(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=876)もこの戦だったりする。

その年の6月初めに陣中で発病、9月11日陣中で73歳の生涯を閉じる。

>>571
名将つっても高齢なんだからあんまし無理はさせたくなかったんじゃないか。
約一年間の転戦とかそりゃしんどいよ。
589人間七七四年:2012/05/29(火) 00:32:33.39 ID:KzRGf17u
>>588
リンクで大失態に候。
確認もせずにやらかして申し訳ござらぬ。

雷神様に報告して処罰されてくる。
590人間七七四年:2012/05/29(火) 01:13:55.22 ID:7rmc/ymV
↑で牧野さんの話が出てたのでコッチに投下



ある日、牧野康成の下に刀を売ろうする商人がやって来た。

康成はじっくり観察すると
「素晴らしい。これは良く切れそうな刀だ」
どうやらその刀は業物であったため、これを購入した。

その後、家康が家中の名刀の切れ味を試すために試し切りを行った。
康成も件の刀で試し切りに参加することになった。

そして刀を購入した経緯を説明し、いよいよ試し切りを行うことになった。
自らの眼で業物と判断しただけに、もしここで切れなければ恥をかくことになる。

緊張の余り康成はしばし目を閉じた。

「私の目利きの通りに切れてくれよ」
と念じ、刀を下ろした。

果たして試し切りは成功した。土壇まで切入り、斜めの様子でもない。
康成の喜ぶ様子を見た家康は大いに笑い、その刀を「目眠刀」と名付けるよう命じた。
康成が目を閉じた姿が眠っているように見えたためであろう。
この刀は代々家宝とされた。

なお、この刀は保昌五郎貞吉の作である。
591人間七七四年:2012/05/29(火) 01:31:48.79 ID:5TH8/hvd
>>588
確か、大友軍が帰った理由に、秋月あたりだったかが豊後本国を狙っていたから、という理由があったんじゃなかったかな。
だから、実際に道雪や紹運が嘆く状況にあったかは微妙じゃないかと。

もちろん、逸話にいちゃもんつけても仕方ないんだけども。
592人間七七四年:2012/05/29(火) 02:19:11.98 ID:sPZ2hmjX
>>591
そういえば、この戦いで
百武の奥さんの円久尼が蒲船津城を指揮して大友勢を追い払ったんだよね。
円久尼は荒馬を乗りこなして薙刀を振り回す女傑だったらしい。
593人間七七四年:2012/05/29(火) 06:37:17.17 ID:8MV6Ap8A
>>590
相変わらず権現様のネーミングセンスは(ry
594人間七七四年:2012/05/29(火) 09:31:40.08 ID:5Kr5mr72
もうそれなら「目民 刀」でええですやん
595人間七七四年:2012/05/29(火) 12:45:19.29 ID:v5zuIKCW
ニッカリ青江のネーミングセンスの良さに脱帽
596人間七七四年:2012/05/29(火) 14:12:11.18 ID:5Kr5mr72
「歌仙とかどうよ、歌仙とか?」
597人間七七四年:2012/05/29(火) 14:14:51.09 ID:xLzD3Eot
「人間無骨だろ、ヒャッハー」
598人間七七四年:2012/05/29(火) 16:16:41.96 ID:PF9fZ59I
「(`●∀・)<燭台切忘れんな」
599人間七七四年:2012/05/29(火) 19:29:20.15 ID:eUQVcFC6
人間無骨って鬼武蔵が命名したん?
600人間七七四年:2012/05/29(火) 19:48:17.68 ID:alqFc2Lx
長宗我部って苗字もネーミングセンスがねーなー
601人間七七四年:2012/05/29(火) 20:43:30.89 ID:rZk28FRG
>>594
「自民 刀」にみえた
602人間七七四年:2012/05/29(火) 21:15:52.31 ID:njCxX0oL
どれも圧切よりはマシだと思う
603人間七七四年:2012/05/29(火) 21:38:39.06 ID:PF9fZ59I
なんでどいつもこいつも家臣手打ちにした刀に銘付けたがるんだろう…
604人間七七四年:2012/05/29(火) 22:26:49.75 ID:34eWGKwa
思い出作り・・・かな?
605人間七七四年:2012/05/29(火) 22:28:37.11 ID:TOr99TMh
>>588
周りに敵抱えまくってる時の武将って一体いつ寝てるんだろう・・・
仕事は戦闘だけじゃないはずなのに
606人間七七四年:2012/05/29(火) 22:37:15.77 ID:xLzD3Eot
>>604
クソッ、こんなんでwww
607人間七七四年:2012/05/29(火) 23:10:35.53 ID:KmHwbZEv
友切りよりゃマシじゃないのか?まあ源氏は友だけじゃなくて親兄弟も斬るのがデフォだがw
608人間七七四年:2012/05/29(火) 23:24:32.04 ID:Uag6F3pW
>>603
ワイルドだろ〜?
609人間七七四年:2012/05/30(水) 00:22:29.21 ID:cM0N3tzi
>>605
死んだ後だろ
610人間七七四年:2012/05/30(水) 04:22:48.42 ID:H40hVTOO
>>607
為義の代だけで「鬼切」→「獅子ノ子」→「友切」だっけ
あまりに名前変えるもんだから義朝の代に「お願いだから髭切に戻してください」って化けて出たとか?
611人間七七四年:2012/05/30(水) 09:05:56.67 ID:90ZGZe4K
坂東武者は俺の屍を超えていけ 
親兄弟が討ち死にしようとそれを乗り越えていくくらいだから源氏の身内争いもそこから来てるんだろう
612人間七七四年:2012/05/30(水) 11:26:32.40 ID:GpfYLxZA
もののふですから〜
613人間七七四年:2012/05/30(水) 12:21:39.11 ID:B6AbKxC5
関東はもともと平氏の影響力の強い土地
614人間七七四年:2012/05/30(水) 13:51:05.91 ID:GpfYLxZA
平将門さん依頼の土地だしねえ
615人間七七四年:2012/05/30(水) 14:02:36.09 ID:udvbJRl2
その坂東武者に滅ぼされる平家さんw
616人間七七四年:2012/05/30(水) 14:40:19.09 ID:X1C56O0Q
坂東平氏に滅ぼされた平家だね
617人間七七四年:2012/05/30(水) 16:02:16.89 ID:YZI90gRc
つまり身内に殺される骨肉の争い平家さん 源氏を批判できない平家さん
618人間七七四年:2012/05/30(水) 16:07:44.95 ID:HsvSAh/w
平氏も親兄弟殺してんだ
619人間七七四年:2012/05/30(水) 16:38:02.63 ID:u4lbWzAX
平家≠平氏
620人間七七四年:2012/05/30(水) 18:56:13.90 ID:GpfYLxZA
末裔は千葉さんあたり?
621人間七七四年:2012/05/30(水) 20:45:04.57 ID:9oIrg1Nt
千葉・長尾・多賀谷・葛西・江戸・・・これくらいかな
東北まで行くと芦名とか岩城とかいるけど
622人間七七四年:2012/05/30(水) 20:47:42.37 ID:z2NY+Nwy
相馬さんを忘れてるぞ!
馬追い無事に今年も開催できるといいな
623人間七七四年:2012/05/30(水) 21:00:13.55 ID:Byyp4cvJ
畠山氏みたいに本来は坂東八平氏の1つだったのが、いつの間にか源氏に乗っ取られた家もある
624人間七七四年:2012/05/30(水) 21:07:43.54 ID:IxCRiw0K
>>622
相馬の現当主の嫁は麻生太郎の妹なんだよな
馬追いの大将やったこともある若殿は北海道で農場経営してて震災後のボランティアで一部話題になったし
有名になった南相馬市長も相馬家臣の子孫だっけ?太郎君が現地で野菜食うパフォーマンスしに行ったのも
それと無関係ではないだろうし、旧家の繋がりって知らん人はさっぱりだろうけど知ってるとけっこう面白いよねw
625人間七七四年:2012/05/30(水) 21:12:24.05 ID:B6AbKxC5
三浦氏とか三田氏も平氏
まあ同じ平氏の後北条氏に滅ぼされるんですが
626人間七七四年:2012/05/30(水) 21:21:23.18 ID:YZI90gRc
そう考えると源氏がことさら骨肉の争いするとか平氏野郎のネガキャンだったんだな・・・
627人間七七四年:2012/05/30(水) 21:24:55.44 ID:Byyp4cvJ
それをネガキャンと言うか・・・
628人間七七四年:2012/05/30(水) 21:28:51.67 ID:WdHETq+R
【唯今源氏による平氏のネガキャンが行われています】
629人間七七四年:2012/05/30(水) 21:35:10.25 ID:0GHywJYU
平氏は遡れば同族、とか本姓は平氏、て感じだしなあ
源氏は河内源氏が親兄弟のレベルで派手にやった印象が強いから
630人間七七四年:2012/05/30(水) 21:53:39.32 ID:YZI90gRc
>>628
効いてる効いてる
631人間七七四年:2012/05/30(水) 21:54:38.14 ID:4pMcy+Lb
源氏最後の将軍も甥っ子に暗殺されるという禍々しさだからなあ。
632人間七七四年:2012/05/30(水) 21:57:28.35 ID:1A++Y/r2
源氏最後の将軍? 徳川慶喜さんでつか
633人間七七四年:2012/05/30(水) 22:00:25.67 ID:4pMcy+Lb
鎌倉右大臣でござるよ
634人間七七四年:2012/05/30(水) 22:08:09.92 ID:1A++Y/r2
禍々しいよね 平氏北条は
635人間七七四年:2012/05/30(水) 22:25:35.29 ID:B6AbKxC5
>>634
執権北条も後北条も平氏なのでどっちかわかりません
636人間七七四年:2012/05/30(水) 23:16:53.23 ID:/LShbl9X
???「今日から武士の氏は「豊臣」じゃ。一応、反対意見があれば申し付けるように」
637人間七七四年:2012/05/31(木) 00:41:30.46 ID:7Y4wA2Ot
近衛前久「・・・・・。」
638人間七七四年:2012/05/31(木) 03:03:12.56 ID:ZX+ojg3W
>>635
「伊勢のほうだよ」「え?伊勢平氏?」「執権北条氏は伊勢平氏じゃないだろ……」ですね?
639人間七七四年:2012/05/31(木) 10:32:55.61 ID:Vp9FilaA
何だこの流れwwwwww
640人間七七四年:2012/05/31(木) 11:48:52.44 ID:or9PiUQ0
でも北条政子の北条氏は平氏ではなくホントはどこぞの馬の骨説が有力なんだろ?
641人間七七四年:2012/05/31(木) 12:36:12.02 ID:NXaSdKec
鎌倉北条はスレチですね
642人間七七四年:2012/05/31(木) 12:49:59.94 ID:cHkhpCE+
末裔は戦国武将だしどうかな?
643人間七七四年:2012/05/31(木) 13:33:02.29 ID:WusCzbs+
信長だって平氏だし(棒読み)
644人間七七四年:2012/05/31(木) 14:26:37.79 ID:7Y4wA2Ot
へーし らんかったぁ(棒)
645人間七七四年:2012/05/31(木) 14:54:11.03 ID:cHkhpCE+
>>644には相撲大会への参加を命じる
646人間七七四年:2012/05/31(木) 14:56:41.82 ID:cHkhpCE+
または橋の門番を命じる
647人間七七四年:2012/05/31(木) 16:17:30.33 ID:iem/raIB
>>644は捨て奸要員に決定!
648人間七七四年:2012/05/31(木) 16:21:46.17 ID:CzyZDnzy
我が殿、宇喜多直家様が643殿の言をいたく関心なされた
ついては自ら歓待したいとの仰せなので、後刻城に来るように
649人間七七四年:2012/05/31(木) 18:04:08.73 ID:1Hvl/GwM
ガラシャ「あなたー、今そこの男の人がすごく面白い事を」
650人間七七四年:2012/05/31(木) 18:14:11.40 ID:VuDhoVpx
天正2年(1574)1月、対武田で信長・家康と同盟する上杉謙信が、徳川家康家臣、榊原康政宛に出した書状


『越中に帰陣して以来家康に対して書状を出せませんでした。これは全く私の本意ではありません。

内々に、旧冬の間に信濃・甲斐に調略を入れたのですが、味方に成るものを作ることが出来ず、そうしているうちに
ついに越山となってしまいましたが、その間も家康への援助を休むことはありませんでした。
味方を作るためこの春まで調略を引き伸ばして行なっていましたが、そうしているうちに関東の諸将は
何れも当方に属したので、この18回目の越山は、西上野において放火をし、これを期に引き上げました。

ところで、甲信の武田勝頼との決戦が不可避だというのに、信長の態度について(おそらく勝頼と
和平をするというような)風聞があります。勝頼とは必ず決戦におよび、興亡を賭けねばなりません。
この事は家康に対してもしっかり念を押して下さい。
例によって武田四郎(勝頼)は計略を色々仕掛けてくるでしょうが、それらに振り回されすぎてはいけません。

なお、詳細は村源(村上源五郎国清)より話させます。恐々謹言。

(天正2年)正月九日                     謙信(花押)

  榊原小平太(康政)殿

(榊原文書)


謙信公、この頃は武田を、しかも織田徳川を主導する勢いで滅ぼす気満々だったらしい。
しかしそれでも、対関東の片手間感がぬぐえない書状であるw
651人間七七四年:2012/05/31(木) 18:27:43.94 ID:7Y4wA2Ot
不詳其れがし、細川家門番ステマ狩りにて目指せ東海大相撲の儀、しかと承り申した
!!
652人間七七四年:2012/05/31(木) 19:01:42.66 ID:qdlhlMAg
まさか…熱田神宮を焼いたのは上杉…?
653人間七七四年:2012/05/31(木) 20:39:38.10 ID:Nd4t1raU
俺たち在日韓国人は貴族階級、お前ら日本人は奴隷と言いたいわけ。本音が出たね。

食物連鎖の上の人 → ナマポで豪遊
食物連鎖の下の人 → せっせと働いてまじめに納税

『ありがとう♪食物連鎖の下の人』

   by  ブラックマヨネーズ、吉田

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3034161.jpg
654人間七七四年:2012/05/31(木) 21:09:22.15 ID:jKSiPzFk
>>653
気持ち悪い奴だな。
655人間七七四年:2012/05/31(木) 21:33:42.29 ID:1Hvl/GwM
あの国にも色々な武将がいただろうけど、
独特なお国柄のせいで本来評価されるべき武将が居なかった事にされてたりしてそうだ
656人間七七四年:2012/05/31(木) 22:20:04.31 ID:/Vel8SHz
明智光秀の元に小西万兵衛という十八、九ほどの武士が高禄で士官を願い出、抱えられた。
家中の者はこれを聞き「なんとも図々しい奴だ。若僧になにができる。
あのような者を高禄で抱えるとは殿も大人気ないことよ」とつぶやいた。
〜中略〜
その後の天正三年、丹波のほづつの城の城主、赤井悪右衛門(直正)との合戦の際、
明智殿は夜中陣を巡視された所、この万兵衛と新参の武士が一緒の小屋で前後不覚に
眠り込んでいるのを見かけた。そこで明智殿は忍び入り二人の刀、脇差を取って帰られた。

二人は目を覚まして驚き合ったが、新参の武士が「夜が明ければこの評判は広まってしまうだろう、
夜の明けぬうちに二人刺し違えて死のうではないか」と言った。
万兵衛はこれを聞いて「死んだ所で何の価値もない、起きていて盗まれたなら大恥であろうが、
眠っていたなら仕方がないことだ。わしは同意しかねる」と答えた。
このため新参の武士も一人では死ぬこともできずにいた。

ところが万兵衛は夜明けとともに、茜色の吹抜き指物を高い所に立て、
その下で討ち死にを遂げた。これを見て敵も味方も、さても見事な振る舞いと感嘆したという。
この件に関しては明智殿の失敗であったとの評判であった(この時の丹波攻略も失敗した)。
<武者物語より>
657人間七七四年:2012/05/31(木) 22:45:41.13 ID:WusCzbs+
何も生まないバカな話だ
658人間七七四年:2012/05/31(木) 22:48:21.79 ID:aI7ma32v
何がしたかったんだ明智ィ・・・・・・
659人間七七四年:2012/05/31(木) 22:53:03.45 ID:UrVXXXW7
明智の意図が語られないからオチ無しですげぇもやもやが残る話だなw
660人間七七四年:2012/05/31(木) 22:53:31.91 ID:0fLTKFdJ
何なんだ結局、この話w
661人間七七四年:2012/05/31(木) 23:51:46.56 ID:4i9iuixx
中略されてわからない、「この万兵衛」がどんな万兵衛なのか、が大事なのかもしれない
662人間七七四年:2012/06/01(金) 00:18:26.81 ID:XPBplObM
>>661
明智の話として取り上げたけど、話自体は
「小西万兵衛、玉砕して恥をすすぐ」というものです。
光秀はちょっとした悪ふざけのつもりだったのかもしれません。
わかりづらい話でしたね・・・

ちなみに中略の部分は、あるとき万兵衛が登城すると、若侍が一人いて
「そなたの名前は、まべえか、まんぴょうえかどちらでしたかな」とたずねた。
万兵衛はこれを聞き、この者はわしをからかおうとするのだなと気づき、
「貴殿がご満腹で、お腹に力のあるときは、まんぴょうえとはねてお呼びくだされ。
ご空腹でお力のないときは、まべえとおっしゃって結構。いずれにせよ、
お腹加減次第に」と答えた。若侍は面目を失って立ち去ったという。
663人間七七四年:2012/06/01(金) 00:31:53.63 ID:O+KsRu1y
潔く死ぬのは結構だが禄に見合った働きしてから死ねよって話なのか?
664人間七七四年:2012/06/01(金) 00:54:10.05 ID:XPBplObM
>>663
『武者物語』は松田一楽という編者が明暦二年(1656年)に公刊した書物なんだけれど、
エピソード群からすると、どうも武士の潔さというものに惹かれて書いてるみたい。
この話も、恥をすすぐためなら犬死など考えるなというような、
戦が終わった時代の編者の、戦場で生きた武士への憧れなんじゃないかな?
松田一楽は、葉隠の著者と似た武士像の持ち主なのかも。
665人間七七四年:2012/06/01(金) 07:16:37.63 ID:51IrrW/B
それにしてもわかりずらい逸話だ
666人間七七四年:2012/06/01(金) 07:34:02.91 ID:lHQQxFak
これが江戸時代に好まれる武士像なのか
667人間七七四年:2012/06/01(金) 11:21:17.84 ID:O+KsRu1y
大坂の役でも遅れて生まれてきた若い連中を中心に死にたがりが大量発生したとか言うし
668人間七七四年:2012/06/01(金) 12:50:39.82 ID:vp+u21JC
赤穂浪士事件に対する世間の反応がそれを示している
669人間七七四年:2012/06/01(金) 12:57:39.97 ID:2ZaZyRhF
いきすぎたりや廿三って感じの言葉が流行ったんだっけ、タイムスクープハンターでみたいいかんげんな知識だけど
670人間七七四年:2012/06/01(金) 13:36:14.59 ID:51IrrW/B
浪人があぶれてる江戸時代だからこその昔気質な武士像が好まれたのか?
671人間七七四年:2012/06/01(金) 13:50:37.20 ID:GrY/PBN7
ちょい昔へのあこがれ、と言うか歴史への憧れと言うか、
今は戦の無い世になったけど、戦のあったこの当時はこういうのが主流だったんだよ、というかそういうもんだと思う。
「主君の為に死ねるのが真の武士」「自分が失態をする、これは主君の恥になる→華々しく散って恥を雪ぐ」というか。
672人間七七四年:2012/06/01(金) 15:09:02.23 ID:pVrVu8RC
それを横目でニヤニヤしながら生温かく見守る政宗と三歳であった
673人間七七四年:2012/06/01(金) 18:06:08.30 ID:51IrrW/B
カタワと精神年齢三歳が偉そうにw
674人間七七四年:2012/06/01(金) 18:48:15.36 ID:qIdpJJEP
>>671
なんだ懐古厨か
675人間七七四年:2012/06/01(金) 19:36:38.66 ID:bF7OomjV
仮に光秀が本当に脇差を取ってたとしても、光秀も武士なんだから、
脇差を取られた奴がパニックを起こして腹を切りかねない事ぐらい分かるだろうに
676人間七七四年:2012/06/01(金) 20:02:15.01 ID:6lmRnTgF
光秀「脇差取られるような武士は死んで当然」
677人間七七四年:2012/06/01(金) 21:05:23.18 ID:vuiMF4fx
ただ死ぬより少しでも道連れを連れて行こうという特攻精神
678人間七七四年:2012/06/01(金) 21:14:47.51 ID:lHQQxFak
武器も待たずに特攻だなんて・・・
679人間七七四年:2012/06/01(金) 21:19:03.60 ID:yLLxNUuY
とりあえず

>茜色の吹抜き指物を高い所に立て

これで士気が上がったんだと考えたい
680人間七七四年:2012/06/01(金) 21:47:54.43 ID:BZtU1hCa
九州北部の「海の守り神」宗像大社の宮司などを務める戦国大名宗像家。
戦国末期の宗像家は転生14年に頭首氏貞が死去するがあえてその死を公表せず吉田重致、占部賢安など重臣による合議で領内経営にあたっていた。

そんな中での秀吉の九州征伐、元々毛利家(特に小早川家)との親交の深い宗像家は下関まで関白歓迎の使者を出すなどぬかりなく行動していた。
特に吉田・占部の両重臣は下関で関白秀吉に目通りしており、また豊前方面での戦功により本来ならば大名家として取り立てられても良いはずであった。

九州征伐から帰路につく関白秀吉は早くから秀吉方に味方した宗像家の赤間城に宿泊する。
そしてなぜか秀吉は翌日の赤間城からの出立にあたり
「明春早々にこの城を破却すべし」
と指示し出立するのであった。そして最終的には吉田・占部の功績に対し2千石の所領が宗像家に与えられ、
旧領(4〜5万石ほど)のほとんどが小早川隆景に与えられたのである。

秀吉からすれば唐入りを控え頭首死去を隠すような宗像家に所領を残す必要を認めなかったのであろう。
氏貞の3人の娘に婿養子をとっていればと悔やまれる事件である。
681人間七七四年:2012/06/01(金) 21:49:57.11 ID:HcCfmW67
>転生14年

伝奇物がはじまるのかとw
682人間七七四年:2012/06/01(金) 21:56:52.47 ID:WTPpl2D2
>>680
赤間城に泊まった時に妙齢の美女を差し出さなかったのが敗因だな
683人間七七四年:2012/06/01(金) 22:01:44.88 ID:yVJCW++W
弱小勢力は何してもバッドエンディングな気がする(´・ω・`)
684人間七七四年:2012/06/01(金) 22:02:00.55 ID:ldqa7Dsw
宇喜多や喜連川を見ると冗談とも言い切れんw
685人間七七四年:2012/06/01(金) 22:05:13.38 ID:51IrrW/B
確か阿蘇神社の宮司も2千石だっけ?
寺社には2千石与えるような空気でもあるんだろうか…
686人間七七四年:2012/06/01(金) 22:36:09.15 ID:i4noITb2
大和あたりの寺社領はどうなのかしらん?
687人間七七四年:2012/06/01(金) 22:39:23.73 ID:5MgfCBeG
二千石もありゃ十分じゃねえの?
様は戦国大名止めて宗教施設だけ運営してろと
688人間七七四年:2012/06/01(金) 22:41:20.70 ID:6lmRnTgF
伊勢神宮「(おいらの百万石はまだかなぁ…)」
689人間七七四年:2012/06/01(金) 22:53:37.95 ID:i4noITb2
九州あたりには教会領ってのはないのかしらん?
690人間七七四年:2012/06/01(金) 23:05:30.17 ID:nsbiUcgi
長崎がまさにそれ
691人間七七四年:2012/06/02(土) 00:05:57.48 ID:oWEfQEG1
>>680
宗像氏って山田事件やら色姫の事やらで悲劇のイメージが強いよね

確か改易後も中川家に仕え石垣原の戦いで討死だったっけ?
692人間七七四年:2012/06/02(土) 00:28:22.33 ID:lOC5ivq3
>>685
たしか宇佐神社も同じような扱いだった気が
軒並み没落してますな

ていうか九州と東北のラスボス仕置きはそんなのばっか…
693人間七七四年:2012/06/02(土) 00:36:53.36 ID:l7NsGopG
宇佐八幡の巫女「ラスボスこそが帝位につくべし」
とやってたら、ラスボスのおぼえめでたくなったんだろうか
694人間七七四年:2012/06/02(土) 02:07:48.79 ID:+400689x
関白「誰が巨根だと!?」
695人間七七四年:2012/06/02(土) 04:52:22.37 ID:hOv13Rg4
>>691
石垣原で戦死した宗像鎮続は大友家の家臣だったらしいんだけど
この宗像氏と関わりがあるのかは謎なんだよな
696人間七七四年:2012/06/02(土) 05:11:48.49 ID:g4bm7aX/
天正十年五月の晦日、光秀は「西国へ出陣する軍勢のいでたちを信長公にお見せしたい。」と
表向き発表し総勢八千余騎の軍勢で夜半に丹波の亀山を出発した。
どんどん道を進んでいくと、まだ夜中のうちに大江山まで着いた。
ここで光秀は明智左馬助(秀満)・斎藤内蔵助(利三)などに向かって
「この密事をすべて軍兵にも言い聞かせよう。」と言うと、皆「それがよろしいでしょう。」と答える。
光秀は諸軍勢に向かって「私はとあるわけがあって信長を討ち果たそうと思っている!
皆の者、これから本能寺に討ち入り一気に攻め破れ!
私がこの大望を遂げたならば皆にも大国を宛てがおう。進め者ども!」と呼びかけた。
兵達はこれを聞いて、皆勇み進んで洛中へと攻め寄せた。

折りしもそのとき信長は本能寺で終夜多数の美女を集めて酒を飲み、歌を謡わせるなどして何の用心もしないでいたが
「飲みすぎた。」と言って帳の中に入り、珊瑚の枕を押しやって美しい婦人の玉臂にすがり寝始めたので
当番の者達も皆、帯剣を解いて寝入った。

こうして六月朔日、東の空が明けてゆく頃、光秀は大江山を越えて桂川に臨んでいた。
村井長春軒が召し使っていた者が、桂川のほとりで小役人などをしていたが
光秀の兵が西国には下らず洛中へ行こうとしているのを不審に思って、急いで使者を遣わした。
「光秀の軍兵たちは西国へは向かわず、洛中目指して討ち入ろうとしております。
おそらく光秀は謀反を起こしたものと思われます。ご用心ください。」と注進したけれども
これを聞いた者は「何を言うか!今さら誰がわが主君信長公に向かって弓を引くというのか。
中でも光秀は世に類ない厚恩を受けている。他の者ならともかく光秀に限ってそんなことするはずがない。」と
まったく聞き入れなかった。これが信長の運の尽きであった。

光秀の先駆けの勢は、卯の上刻(午前五時ごろ)に本能寺の門前に至った。
「惟任は西国に出陣するいでたちを信長公にお見せするためにここまで参りました。
上様にもこのことをお伝えください。門も開いてください。」と言うので門番たちは「それは喜ばしいことです。」と
門を八の字に開いた。すると光秀の軍勢が一度にドドっと駆け込んだ。
当番の者たちは「上様はまだ御殿に籠もっていらっしゃるというのに狼藉に及ぶのはいったい何者か!」と
制したけれども兵たちは鬨の声をどっと上げる。
森乱丸は勘のいい者だったためすぐ外に出てきて明智の軍勢を確認すると
「皆の者!切って出て手が動く限り戦い、敵を追い払え!」と下知した。
当番の者たちは鬨の声に飛び起きて帯を急いで身に回したけれども、太刀を取りそびれた者もいた。
同じところで寝ていた者たちは一本の帯を「自分の帯だ!」「いやこれは誰々のだ!」などと論じ合って
太刀なども同じように自分のものだと言い争い、奪い合う者もいた。
また太刀を抜いて出てみると、後から鞘だけを持って追いかけてきたりする者もいて
慌てふためいているところへ明智勢がここぞとばかりに攻め入り、散々に斬り付け、突き伏せていった。
寺にいた兵たちは全く歯が立たず、皆向かってくる敵に走りかかっていって討ち死にした。

信長は白綾の単衣を着て、髪を茶筅に結い、槍を提げて廊下へと走り出ると「せがれめか!せがれめか!」と叫んだ。
その後、敵が思いもよらず攻め入ってきたせいで抵抗のしようがない思いと自害を決めたのだろう
信長は部屋の中へ入ろうとしたが、そこを光秀の郎党、天野源右衛門(当時は安田作兵衛)が槍でしたたかに突いた。
信長は深手を負ってしまったので、自害も思うようにできないとみるや、そのまま燃え盛る炎の中へと飛び込んだ。
だが並河金右衛門が続いて炎の中へ飛び込み、中から信長を引きずり出すとついにその首を討ったのである。

天野源右衛門がのちに語った本能寺の変の一部始終である。
697人間七七四年:2012/06/02(土) 05:19:21.03 ID:ufBBpix2
>並河金右衛門が続いて炎の中へ飛び込み、中から信長を引きずり出すとついにその首を討ったのである。


マジで!?
じゃあその首はどうしたんだ
698人間七七四年:2012/06/02(土) 05:59:11.78 ID:psSDWLQc
>>689
その前には大村が横瀬浦とかも寄進もしてるな、後藤貴明に焼き払われるけど
699人間七七四年:2012/06/02(土) 06:14:23.58 ID:NiAan7g0
>髪を茶筅に結い、槍を提げて廊下へと走り出ると「せがれめか!せがれめか!」と叫んだ。
髪を 茶筅 に結ったということは、信雄が犯人と思ったのか
700人間七七四年:2012/06/02(土) 06:51:51.50 ID:pG5mphBQ
>>697
左馬助(秀満)がイメージダウンを避けるために西誉上人だか清玉和尚だかに埋葬させて
衣袖だけ晒したんだとか

しかしそれにより秀吉による「上様は生きておられる」の工作が成功して
光秀に味方する大名が居なくなってしまったとかも言う

逆に首が晒されていたらどうなっていたんだろうね
左馬助の言うとおりそれはそれでアウトだったんかな?
701人間七七四年:2012/06/02(土) 07:58:16.13 ID:g4bm7aX/
>>699
茶筅髷知らないの?
702人間七七四年:2012/06/02(土) 08:15:31.38 ID:kxvCwzNg
せがれめか!っていうのはやっぱり四国遠征軍を率いてる信孝のことだよね。
703人間七七四年:2012/06/02(土) 08:21:20.47 ID:EJVgUFNH
>>696
まるでその場で見ていたかのような書き方だな
704人間七七四年:2012/06/02(土) 08:47:02.58 ID:x/amQ9nB
茶筅って名前つけられた人がいる
かわいそう
705人間七七四年:2012/06/02(土) 08:50:36.53 ID:idfsyFEB
奇妙(信忠)がまんま「キミョウ(様)」って呼ばれてたのに対して、茶筅は「オチャセン」って呼ばれてたみたいよ
フロイスによると
706人間七七四年:2012/06/02(土) 09:01:14.89 ID:sw+yd/N2
探したら元ネタがありそうなポイント満載だな
707人間七七四年:2012/06/02(土) 10:31:31.50 ID:4vsFTbRT
部下の前で堂々と女囲って女と寝てるあたりのくだりは宣教師の話が混じってそうだ
708人間七七四年:2012/06/02(土) 12:02:38.81 ID:VnyOfSu1
人間くさくて個人的には好きだな
709人間七七四年:2012/06/02(土) 12:05:40.40 ID:DKa7XFY4
>>696
近衛兵は昔から弱いのが定説
信長の供も相手にならんか
710人間七七四年:2012/06/02(土) 12:27:52.20 ID:9+5xCEWT
茶筅ってかわいい名前だなw
711人間七七四年:2012/06/02(土) 13:58:23.24 ID:vWHBCnt7
「皆聞かされてたよ!」って話があったり
「俺最後まで家康討ちに行ってたんだと思ってた」って話があったり
本能寺は面白いなw

>>709
>近衛兵は昔から弱いのが定説
どこの異世界の定説だよw
712人間七七四年:2012/06/02(土) 14:17:52.01 ID:cJZrYwty
大坂の役の後、徳川家康は二条城で御宿勘兵衛をよく知るという同郷の者を
召して話を聞いた。その時、その者が勘兵衛のことだけでなく、国府台の戦いで
名をあげたと口を滑らせたところ、

「お前は永禄の年に生まれたと言ったが、国府台の戦いといえば、
北条氏康は五十前後、氏政は二十六か七ほどの頃だったはず。お前はその頃、
四歳か五歳だろう。どうして従軍できる?デタラメを申しおって、さっさと失せろ!」

と、家康を激怒させてしまった。

「あのような嘘吐きが家人にいては風紀が乱れる。きつく罰してやる」

家康はそう言ったが、まもなく死去したのでその者が罰せられることはなかった。
713人間七七四年:2012/06/02(土) 14:36:38.45 ID:Bg/PK326
平和な時代になると近衛とか馬廻りは血筋や見栄えを優先されて弱体化していく
戦乱の真っ只中ではさすがにそれは無い
714人間七七四年:2012/06/02(土) 16:20:17.27 ID:6vEISf0e
蘭丸だってあの森家の人間だし
715人間七七四年:2012/06/02(土) 16:47:34.74 ID:MqdqJvpA
近衛といえば、司馬遼太郎の小説なんかでは飾り物と酷評されている、大阪の陣の時の豊臣家旗本部隊の七手組も、
実際には豊臣側であの戦役を大きく支えた、有能かつ勇猛な集団だったらしいな。
716人間七七四年:2012/06/02(土) 16:54:25.68 ID:VnyOfSu1
近衛が弱いのは日本陸軍くらいか
717人間七七四年:2012/06/02(土) 17:00:24.28 ID:M+8BIhqZ
大阪連隊忘れちゃいけないヨ
718人間七七四年:2012/06/02(土) 18:12:05.44 ID:9sI3bNXz
本能寺の原因と、秀頼の親父は今後も判らないんだろうね。
多分色々な説の中に事実が含まれていてもそれが事実って判らないし。
719人間七七四年:2012/06/02(土) 18:28:40.62 ID:IA35tFTD
味方から最も恐れられた日向もお忘れなく
720人間七七四年:2012/06/02(土) 19:14:43.50 ID:nKtVF/4J
勝成のこんな恩返し?

若かりし頃
父親から奉公構えを食らって西国を放浪していた六左右衛門は
ある時、美作国の安東国貞と言う地侍に気に入られ
そこの娘婿として、その家に入っていた

地侍と言っても、かつては信長公の小姓として仕えた者である
それなりの家の者だったのであろう

だが、生来の腰の軽さどうかは知らぬが
その安東国貞から「お前は身持ちが悪い」と言われ
勝成いつもの逆ギレをし、その義父を斬って
嫁さんを残し、また放浪の旅に出てしまう


ここまではどう見ても悪い話の範疇なのだが


その後、勝成の息子の勝俊の代になって、
とある者が福山藩に仕官となった

何でも、かつて大殿と縁のあった家の人間だという

勝俊は話を聞き、裏を取った結果
かつて親父殿が娘婿で入ってた家の人間とわかると
仕官をそのまま受け入れた

こうして安東国貞の兄弟
貞清の孫、安東助之進は福山藩に仕官をはたしたのだった


…いい話だよね?
721人間七七四年:2012/06/02(土) 19:18:14.16 ID:JEuABOod
昨日、トーハクでノブオが家老の岡田さんを斬ったと伝わる
岡田切見てきた。
圧し切り長谷部といいノブ一族ひどいお(´・ω・`)
722O田信○:2012/06/02(土) 20:28:01.82 ID:5MGCn4yW
>>721
これが七七四切と名付けるかもしれない刀でしてな(`・ω・´)
もう一度言っていただけますかな?
723人間七七四年:2012/06/02(土) 20:48:29.06 ID:VnyOfSu1
ノブオって結局、読み方はノブオとノブカツどっちが正解なんだっけ?
724人間七七四年:2012/06/02(土) 20:49:47.51 ID:MqdqJvpA
どっちも正解。「ノブカツ」は武家読み。「ノブオ」は公家読み。
725人間七七四年:2012/06/02(土) 21:12:56.72 ID:UJLeyngN
ノブオご飯よ、おりてらっしゃい
726人間七七四年:2012/06/02(土) 21:14:24.00 ID:VnyOfSu1
>>723
そうなんだ。初めて知ったよ、ありがとう。
727人間七七四年:2012/06/02(土) 21:15:46.41 ID:VnyOfSu1
間違えた…自分に返事をしてしまったorz
お礼は723じゃなく724宛です
728人間七七四年:2012/06/02(土) 21:20:25.78 ID:ws2GTVEi
>>720
プラスマイナスゼロ。
ただヤンキーが良い事したみたいに勝成が良い事すると必要以上に評価される。
729人間七七四年:2012/06/02(土) 21:28:48.06 ID:+nj8KBwp
>>694
道鏡のことか!!!
730人間七七四年:2012/06/02(土) 21:30:51.32 ID:dsKKWkzP
一度婿養子に入ったような家の人を雇うのってプラスっていうか
当たり前のことのきがするし、総じて見ればマイナスのほうがでかい気がしないでもない
731人間七七四年:2012/06/02(土) 21:33:58.51 ID:+nj8KBwp
悪い話スレだしそれでいいと思うが・・・
732人間七七四年:2012/06/02(土) 22:23:23.46 ID:6bILk27l
悪い話の方が進んでると思ってたが1周遅れなのか・・・
早く追いつかなきゃな
733人間七七四年:2012/06/02(土) 23:07:26.75 ID:fttVw7e4
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4847.html この逸話の別バージョン

豊臣秀吉が休戦期間を挟み再び朝鮮への出兵を命じた慶長の役において、巨済島沖に
出没した300隻の朝鮮水軍と日本軍が激突した際、決戦前の軍議で藤堂高虎らが

「まず偵察船を出して様子を探った上で、大船で攻撃すべし。」

と主張したが、加藤嘉明は

「いや、ここは中船であえて弱く見せて機を伺って攻勢に出るべきだ。」

と提案したが、これが不採用になると

「配下の乗った偵察船を連れ戻す。」

という名目で味方の船団から離れ、そのまま一隻で敵に先制攻撃を仕掛けて、自ら敵船に飛び移る奮戦で
多くの敵船を乗っ取った。軍勢の軍監だった奉行達からは

「あの命知らずの働きを見よ。」

と称えられ、抜け駆けの件でも咎めは受けなかったものの、後から戦いに参加した武将達からは
大いに不満を抱かれたという。その後、奉行たちに手柄を報告する際にも高虎が、

「儂の功績は皆の中でも随一である。」

との言葉に嘉明は

「貴殿は小舟を2、3隻捕えたまでの事。その点儂は大船を捕獲した。比較を絶しておる。」

と反論。怒った高虎が刀を抜いても顔色一つ変えず、

「周りの目を気にしてむやみに気張って見せるのは子供のする事ぞ。」

と押しとどめ、

「高虎とは器が違う。」

と周囲に感嘆されたという。 「武将感状記」
734人間七七四年:2012/06/02(土) 23:10:56.78 ID:WguClxAC
モマイラ、ちゃんとsageろよ
735人間七七四年:2012/06/02(土) 23:18:33.94 ID:Nd+XMFpF
>>733
器が違うってのは皮肉なのか本気なのか…
736人間七七四年:2012/06/02(土) 23:22:53.98 ID:rjkhrWvp
義経 vs 梶原景時の再現みたいに武将たちの目には見えたのだろうか?
737人間七七四年:2012/06/02(土) 23:46:23.74 ID:CoiYo0K5
>>735
皮肉にしか聞こえないw

ヨシアキラのこういう話は人間味があっていいな
皮肉屋で口悪くてwww
738人間七七四年:2012/06/02(土) 23:54:41.06 ID:4vsFTbRT
皮肉ってか結構ストレートな表現では
739人間七七四年:2012/06/03(日) 00:33:40.84 ID:P4o9dyjQ
天正13年6月18日、四国征伐のため軍勢の派遣を進めていた羽柴秀吉が、小早川隆景に当てた書状

『今度長宗我部元親から、阿波・讃岐を返上した上、実子を出し、大阪に人質として置いて私に対して
奉公させたいと言って来ました。

しかし、もはや人質など受け取れません。また、あなたがお望みだった伊予も返上に入っていませんので、
是非にもおよびません。
長宗我部からの人質は全て返し、伊予の国の一織はあなたに与えます。

長宗我部が許しを請うて降服してきたら、彼には土佐一国のみをあてがうでしょう。

謹言

天正拾参
  六月十八日               秀吉(花押)

    小早川左衛門佐殿

(小早川家文書)

四国征伐が始まったばかりの段階で、戦後処理のあり方まで全て予定していたのだ。
この時期の秀吉の恐ろしさのよく解る書状である。
740人間七七四年:2012/06/03(日) 00:51:07.53 ID:AdnI7bmv
明智左馬助秀満は本能寺の焼跡から信長の屍を捜索していた。
すると並河金右衛門が自ら討ち取った信長の首と白綾衣袖を持ってやってきた。
秀満はすぐにこれを人目に触れないよう隠させた。
金右衛門は「左馬助殿はそれがしの功を隠されようとなさるのか!」と怒った。
秀満は金右衛門を諭して言った。
「前右府殿(信長)はかつて甲斐征伐において勝頼公の首を罵詈されたが、今になって人々はこれを誹誇している。
もし今、殿に前右府殿の首を御見せすれば恨み骨髄に達しているゆえ、必ず陵辱されるであろう。
そうなると殿の汚名が末代まで残ってしまう事は必定だ。天命とは実に畏るべきものである。
そなたの功はわしが後日必ず証を立ててやるゆえ、今は黙ってわしの言う事を聞いてもらいたい。」
そして涙を流しながら頼み込んだ。
金右衛門もその志に感じて秀満に托す事を了承し、秀満は僧西誉に命じて信長の遺骸を葬らせた。

光秀は信長の屍がなかなか見つからないので斎藤(内蔵助)利三を遣わして秀満にこう伝言をさせた。
「その方は先陣となっておるのに未だ前右府殿の生死の明証を得ていないとはどういう事だ!
もし生き延びて逃げられていたならば既に我等は為す術が無くなってしまう。」
これを聞いて秀満は真実を利三に告げた。
利三も感じ入って、焼け焦げた白綾の衣を取って信長の死の証としたのである。

ところで織田信長を討ち取った並河金右衛門だが、明智軍が山崎の合戦で敗れるとその素性を隠して
後に加藤清正に仕え、江戸時代になってからも長生きていたそうである。
741人間七七四年:2012/06/03(日) 01:02:18.69 ID:KXdInI4V
信長は死体損壊ばっかしてたから評判最悪でしたね
742人間七七四年:2012/06/03(日) 01:23:50.24 ID:AdnI7bmv
>>739
秀吉はこのころから既に隆景に甘かったのか
どんだけ隆景が好きなんだよ
743人間七七四年:2012/06/03(日) 07:00:02.00 ID:pDBdzOFx
>>717
八連隊は実際は弱くなかったそうだが
744人間七七四年:2012/06/03(日) 07:06:30.62 ID:kLWkSPzC
イメージ的には
大阪第八連隊=織田有楽斎
なんだけどな。
745人間七七四年:2012/06/03(日) 08:14:06.02 ID:zHWixYid
>>739
西で何かあっても小早川にまかせりゃ大丈夫ってくらいの信頼感だな。
それか小早川に良い顔しとかんと吉川がブチキレると思ったんだろうか。
746人間七七四年:2012/06/03(日) 10:29:28.88 ID:UlsfXCMX
またも生きたか織田源五
747744:2012/06/03(日) 13:10:49.78 ID:3+Y/blTI
www

なんというか、
ここで無駄に頑張っても無駄
ここは頑張りどころ、の
メリハリが歩兵まで行き渡ってる、そんなイメージ。
両方とも大負けも友軍の足引っ張りはないし。
748人間七七四年:2012/06/03(日) 14:17:51.93 ID:1397JmIZ

上月の役の時、織田信長は自ら出陣しようとして、手始めに子の信忠らを派兵し、
羽柴秀吉を助けようとした。

この時、吉川元長は父の元春に
「信長自身が出馬すれば、数も多く統率のとれた軍隊を相手にしなければなりません。
いま羽柴秀吉や荒木村重らは功を争って協調できていないと聞いています。

幸い、雨が降り月も暗い。ここは夜討ちを仕掛けましょう」と言った。
元春も「お前の言う通りだ」と同意し、小早川隆景と相談した。

ところが隆景は「そのような危うき戦は大事の前の小事である」と反対した。
元長はそれでも食い下がったが、やはり隆景は耳を貸さないので悔しさに歯をくいしばり
ながらも、とうとう諦めたという。
749人間七七四年:2012/06/03(日) 20:17:19.82 ID:/aqLC6JI
元長は華々しく一働きしようとするたびに
叔父さんに却下されて奥歯噛み締めてるイメージ
750人間七七四年:2012/06/03(日) 20:59:41.10 ID:pr39qMdt
決戦したら面白かったのになあ
751人間七七四年:2012/06/03(日) 21:35:51.91 ID:G9rCyuKd
でも結局本能寺に至る顛末考えると変に決戦望まずにじりじり持久戦で持ちこたえて
時間稼いだことが毛利にとっては良い方向に転がったと思うんだよね
752人間七七四年:2012/06/03(日) 23:17:36.67 ID:WSkcNH0Z
運頼みじゃないかそれじゃ
753人間七七四年:2012/06/03(日) 23:42:49.17 ID:cVrGnhWq
決戦も運の要素は決して少なくないからなあ
結果オーライだった以上良い判断だったかと
754人間七七四年:2012/06/04(月) 00:26:45.32 ID:Rv3Vxkha
あの当時の主要な大名の中で貴重な「粘り勝ち」であることは確かなのだが……
755人間七七四年:2012/06/04(月) 01:10:02.12 ID:B/c5+Qm5
織田さんは負けても復活するんだけど、
織田さんに負けたとこは坂道を転がるがごとく落ち目になってくイメージ

本能寺がなかったら、
毛利さんは2〜3カ国の領土で、九州や四国で擦り切れるまで働かされてポイ!って感じだったのかね〜
ポイってのはアレだけどTERUさんが信長さんの好みのタイプには思えないからな〜
756人間七七四年:2012/06/04(月) 01:12:54.06 ID:umg7xzME
>>755
隆景あたりに強引に本家を継がせたりして
757人間七七四年:2012/06/04(月) 01:30:09.39 ID:xApnmbx7
>>755
浅井朝倉にしろ武田にしろ、健闘して領土的には結構守れてるように見えるのにな
さあ滅ぼすぞってなると本当に一撃で滅亡させる感じで立ち直る暇も無いわ
758人間七七四年:2012/06/04(月) 02:40:43.44 ID:+1huuNDL
織田は負けるにしても自分とこの領内てのは少ないのに対して織田にやられた側は
本拠地に攻め込まれたりで決戦強いられてるからなぁ…
759人間七七四年:2012/06/04(月) 02:52:44.71 ID:tPGbe+yt
経済力に差があるから争ってる間にだんだんジリ貧になっていく
760人間七七四年:2012/06/04(月) 02:54:22.96 ID:SG08SiOO
>>755
信長は、武田は残党狩りまでする徹底ぶり、毛利に2,3カ国残すのかどうか怪しい。
潰して一族や譜代に分配するのが自然かも
761人間七七四年:2012/06/04(月) 02:58:06.61 ID:SG08SiOO
>>748
上月の時、毛利・宇喜多・荒木に囲まれて、姫路城はいつ落ちても仕方ない情勢だったよね。
762人間七七四年:2012/06/04(月) 06:03:48.74 ID:Fxfn9cse
なにその架空戦記
763人間七七四年:2012/06/04(月) 17:07:58.88 ID:BIQvwxYm
>>760
北条氏政「土下座して上野を献上したけど、本能寺がなかったら家が残ってたか怪しい」
764人間七七四年:2012/06/04(月) 18:50:52.62 ID:ZXALl6bp
信長には頭下げるけど秀吉相手にはつっぱるとかわけわからんね
765人間七七四年:2012/06/04(月) 19:25:05.61 ID:wfTeWzu5
北条って信長にキジとか鶏とか送ってたよね
カラアゲ好きだったのかも
766人間七七四年:2012/06/04(月) 19:38:58.61 ID:Q2/kT3/3
>>765
わざとだろうけれど、鷹ね
鷹は多摩の名産品の一つだから
767人間七七四年:2012/06/04(月) 19:47:28.08 ID:gg6hl+Nu
何で上洛しなかったんだろうね
動けない理由でもあったんだろうか
768人間七七四年:2012/06/04(月) 19:51:39.23 ID:wfTeWzu5
>>766
いや キジだったよ 鶏もいたと思う
鷹っていうなら長尾から送られたのを武田にカツアゲされたのなら知ってる
769人間七七四年:2012/06/04(月) 19:53:56.33 ID:Oyy2nBwt
>>767
北條は徳川よりも格上の意識が強く、秀吉に対し最低限徳川と同等の待遇(大政所、もしくは秀吉肉親の人質)を
求めたこと、
あと秀吉は、「北條は潰す」という意向を度々表明しており、秀吉を信じるのは非常に難しかったこと、
などが理由とされる。
770人間七七四年:2012/06/04(月) 20:29:46.29 ID:XEpmtPHz
上杉なんかは鬼武蔵が村を焼き滅ぼしながら春日山城目前に迫ってる完全に詰む一歩手前で本能寺だしなぁw
771人間七七四年:2012/06/04(月) 21:11:41.31 ID:YzbW0Z0G
高坂昌信の幼女が一日外で遊んで帰ってきたところ重い病気になってしまった。
昌信が「いったい何があった」と尋ねると幼女は「山伏を見た」と言った。

そこで昌信がその山伏を連れてきて祈祷させると、すぐに平癒したので
その日は謝礼を渡して山伏を帰した。ところがその後も幼女は発病し、山伏が
治療するということが続き、三度に及んだ。

その後、実はあの山伏は犬神を使うらしいと聞いた昌信は山伏に料理を振る舞い、
「これは快気の謝礼だ」と金子を渡した。そして昌信は山伏が喜んで金子に
気をとられたところを一太刀で首を刎ねた。その日から幼女が発病することはなかった。
772人間七七四年:2012/06/04(月) 21:30:50.30 ID:nYKh76Pl
>>752
運なのかなあ?あれ・・・
だって毛利は信長が高転びするって知ってたわけだし
773人間七七四年:2012/06/04(月) 21:36:49.46 ID:RCopXQN+
安国寺恵瓊「信長の世は3年5年は持たないだろう」
と言ったのが1573年
本能寺の変が1582年
こんだけ精度が低い予言なら、毛利が滅んだ後に信長が横死しても不思議じゃない
774人間七七四年:2012/06/04(月) 21:59:59.35 ID:G/uSAnB/
>>771
高坂△
775人間七七四年:2012/06/04(月) 22:06:41.24 ID:gg6hl+Nu
>>769
そりゃあ人質でももらわな上洛できんなw
776人間七七四年:2012/06/04(月) 22:12:05.22 ID:laKVpQs2
>>771
幼女「ひとめぼれした山伏さんに来て欲しいから病気のふりしてたのに…」
777人間七七四年:2012/06/04(月) 22:44:16.25 ID:TihXdV2M
>>755
>TERUさんが信長さんの好みのタイプには思えないからな〜

氏真みたいに宴席に呼んでもらえるかもよ?
778人間七七四年:2012/06/04(月) 23:38:19.30 ID:ExFAbJVo
>>771
なるほど、つまり

山伏「幼女に催眠術かけて何度も合うように仕向ければ……グフフ」

……という事か
779人間七七四年:2012/06/05(火) 09:18:23.95 ID:1ZAhD0JL
>>777
趣味人としての氏真さんは当代一流だと思うけど、TERUさんは…
780人間七七四年:2012/06/05(火) 12:25:28.45 ID:An6Nc9Ne
TERUだって一応隆元お兄ちゃんの血が流れてるんだからちょっと習えば絵描きの真似事くらいできr…
ああうん、ごめん…
781人間七七四年:2012/06/05(火) 12:56:12.26 ID:a62djPwU
>>775
家康の臣従のタイミングは本当に絶妙だからな
782人間七七四年:2012/06/05(火) 18:55:41.29 ID:yqckujSM
>>780
TERUさんは確か鼓打ちの達人だったような

元就>和歌の達人
隆元>絵画の達人
元春>書写の達人
隆景>囲碁の達人
秀元>能の達人

なんなんだこのチート文化人一族は?
783人間七七四年:2012/06/05(火) 19:38:12.88 ID:VqmNMtdS
はじまるドン!
784人間七七四年:2012/06/05(火) 20:16:44.82 ID:k0o/CXny
戦国時代もいいけど大東亜戦争の戦士たちもたまらなくいい


神風特攻隊員たちの遺書 20歳前後
http://www.youtube.com/watch?v=_QOXodCXpTs
785人間七七四年:2012/06/05(火) 20:41:59.00 ID:8HbfKAn/
>>783
ゲームセンターで人集りができるのか
786人間七七四年:2012/06/05(火) 22:56:30.38 ID:8+Zhp7Dy
なんかもう死にたいわ
787人間七七四年:2012/06/05(火) 23:24:24.52 ID:k0o/CXny
>>786
これ見て生きろ
お前のために戦ってくれた

神風特攻隊 「命の使い方」〜日本人として知っておきたいこと〜
http://www.youtube.com/watch?v=5w5TC4ppsIE&feature=related
788人間七七四年:2012/06/05(火) 23:27:49.02 ID:NM5ThaOE
>>782
大江広元の血(家風)かね
隆元と隆景は大内家の教育の賜物っぽいが
789人間七七四年:2012/06/05(火) 23:33:22.69 ID:9AcVg/yD
>>787
切ないんだよな。
日本人同士なら判るんだけど、外国人、特に欧米人に自爆テロとの違いどう説明するか。
790人間七七四年:2012/06/05(火) 23:35:40.79 ID:XpIJHS4r
自演すんな
791人間七七四年:2012/06/05(火) 23:41:12.91 ID:ga0Bg+3T
>>788
隆景は教育受けるほど大内のお膝元にいたことないよ
義隆の寵愛云々も親子で山口訪問した時のことだし
792人間七七四年:2012/06/06(水) 00:02:08.21 ID:2dbWxdSZ
毛利でそういう文化的なことに造詣があるのって隆元くらいじゃなかったっけ?
毛利家って武家がんなもんやってんじゃねーってノリだったような印象が
793人間七七四年:2012/06/06(水) 01:17:06.47 ID:KjEt9jDf
>>789
大西瀧治郎中将特攻作戦の真意

  『これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが二つある。
 一つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。
 二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、
これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。


 陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられたならば、いかなる陸軍でも、青年将校でも、随わざるを得まい。日本民族を救う道がほかにあるであろうか。戦況は明日にでも講和をしたいところまで来ているのである。
 しかし、このことが万一外に洩れて、将兵の士気に影響をあたえてはならぬ。さらに敵に知れてはなお大事である。講和の時期を逃してしまう。敵に対しては飽くまで最後の一兵まで戦う気魄を見せておらねばならぬ。
敵を欺くには、まず味方よりせよ、という諺がある。
 大西は、後世史家のいかなる批判を受けようとも、鬼となって前線に戦う。講和のこと、陛下の大御心を動かし奉ることは、宮様と大臣とで工作されるであろう。
天皇陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられた時、私はそれまで上、陛下を欺き奉り、下、将兵を偽り続けた罪を謝し、日本民族の将来を信じて必ず特攻隊員たちの後を追うであろう。
 もし、参謀長にほかに国を救う道があるならば、俺は参謀長の言うことを聞こう、なければ俺に賛成してもらいたい』
794人間七七四年:2012/06/06(水) 01:24:40.65 ID:fqeLm8uh
                                   、_人_从_人__/
                                   _)
 ,..r;;:  (  人)  ) ,;`ー、          | ヽ丶       _) 
 ヾゞ、  ゞ'´   '`´   `ヾ、     ─|─           _) スレチは消毒だ!
          -‐':、ゞ'``  ,l      / | ヽ            _)
ヾ、 ゞ;;.  ,r-、   `ヾ、    ヽ、                   _) ヒャッハー!
, rヾ    ,r!/r'ヽ    '`      \      _|_      _) 
   _,,,.,ノ、_ ヽ,       `ゞ;;    ;:、    /|        `) 
,r‐'''" ,.r ,イ彡ミミヾ、      ``  ´;;i             V^V⌒W^Y⌒
__,.;;,ィ'´ ,:;;;;彳彡ミ;j`、        `i;:、      オ
;; ヾ、彡;;;ノリ;jjjjj;;;jr' i   . ノ;;:'' `゙`、 ``ー、                   ,ィ
彡冫;;il;;;ミ;;;;;y;レ  ,t'´           ,.、ー、  ゝ     ォ             i|l;
;'イ;;;'ヾ``ヽ、ィ;;i ,ri'´    ヽ ヾノ ,ry' il'Y゙r    ヽ、            ,j|l;;
j'´ '´ '´/ゞ';;::`´ヽ    ``´ー  ゙i ;;: ,r'      )  ,r、       ,rヾlir'ミ,
  /   ..;ー≡;i{、      /ヾr'´  ,.   '`;;:、 〉ゝ  r-ー-、_ ,{i=i= }i、
ーr-、j ,! ,;',;'ィ;;:イ''``ゞ、_,、-‐'´ヽ:;/ 、 ``ヽ  ;:、 `' (´  `ゞ、;;;;'',,fi、,≡:;イ==、
,,:'  ``ゞ、,;;ゞ、 "´イ ,... `'彡 ,/´  `ヾ、ヾ   '    ー、  ii;j `i;;!'´ニil';;;;ゞr、_,r'ミ
'   ー‐─ ,rー'゙ー─-、_j;:r'´     ヾ,ゞ         、 ゞ,ミ;:l;;l  ,!  ,!,i;;'´¨/
;.   r-‐;;'"}            ``ヾ、  ノ       ,;;;: (i,;)))、,,:;!、__,:};!_,.、l
....   _,,,ィ、 i        'ヾ人  、}( /     ノ   ,r'i  r'"ヾ-‐i‐-:;イ, / ヾ
795人間七七四年:2012/06/06(水) 05:33:03.37 ID:AhxnJkxL
>>793
介錯無しで腹を切らせていただきます…まで読んだ。
796人間七七四年:2012/06/06(水) 06:23:07.34 ID:OtrrFFg+
>>792
本業しっかりやってる上でのただの趣味ならOKなんでない?
流石に文化的なこと全てダメだと、とても大内家とは付き合えん。
797人間七七四年:2012/06/06(水) 11:19:02.11 ID:raMcOhDC
あれ?三歳様も同じ事言ってなかったっけ?
798人間七七四年:2012/06/06(水) 12:03:05.93 ID:ysW3yZFA
三斎さんは、基本モノノフだからなぁ〜
799人間七七四年:2012/06/06(水) 16:07:05.26 ID:aTQgTH6I
趣味っちゅうか、外交ツールだから上の奴らは何らかの教養を身につけるのは必須
大名クラスなら特に驚くようなことじゃない
800人間七七四年:2012/06/06(水) 16:35:47.39 ID:6ifl/oBJ
特に中央、都あたりになめられないように、地方には案外そういうのを極めた人も多い
801人間七七四年:2012/06/06(水) 18:14:41.34 ID:0MtVGPJI
ブームを作るのは中央、実際ハマるのは地方
なんか昔も今も変わらないなw
802人間七七四年:2012/06/06(水) 19:25:49.79 ID:lP1x5RSQ
京が目茶苦茶になって文化人が地方に逃げたというのも。
803人間七七四年:2012/06/06(水) 19:32:04.51 ID:DJ5APnSm
天正十一年、徳川家康はその頃初めて舶来した九年母という南洋原産の
珍しい果実を小田原の北条氏に送り届けた。

九年母を見た北条の家臣は橙と勘違いして「こんな珍しくもないものを
贈ってくるとは、浜松ではよほど橙が珍しいらしい。こちらにはいくらでも
あるぞ」と逆に橙を贈ってきた。

贈られてきた橙を見た家康は「味わいもせずに橙と勘違いして失礼なことを
するものだ。主人はともかく家臣がこれでは政事にどんな過誤があるのか
わかったものじゃない」と言った。
804人間七七四年:2012/06/06(水) 20:00:13.52 ID:zuRNt64L
>>802
そのせいで戦国時代前期は山口が日本一栄えてたというくらいだしなあ
805人間七七四年:2012/06/06(水) 20:33:30.25 ID:tYhx2lDW
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2892.html
既出といえば既出(こちらは麦の話がメインだけど)
806人間七七四年:2012/06/06(水) 21:11:53.44 ID:UMJdQbss
九年母はシークヮーサーのことで良いのかな
807人間七七四年:2012/06/06(水) 21:39:13.50 ID:5MaMmDYn
オゥレンヂ
じゃね?
808人間七七四年:2012/06/06(水) 22:44:12.71 ID:n4pwiyuf
ひらみレモン
809人間七七四年:2012/06/06(水) 22:44:36.82 ID:jMIKd6lK
安土盛りにあんなに切れていたのに(´・ω・`)
810人間七七四年:2012/06/06(水) 23:04:32.62 ID:AhxnJkxL
酢豚にパイナップル入れんなクソたわけがああ!!!
811人間七七四年:2012/06/06(水) 23:20:40.75 ID:PujAOfKG
ひやむぎに缶詰チェリーは?
812人間七七四年:2012/06/07(木) 02:36:13.30 ID:I87C4FTO
>>806
沖縄辺りの柑橘の総称らしいが、平塚でも一時期献上用のが栽培されてたという
813人間七七四年:2012/06/07(木) 18:20:01.31 ID:lpXbc+c2
三河でも作れるかな?焼き魚にかけるとうまいんだが。それなら粗食の三河武士でも使えるだろうし
814人間七七四年:2012/06/07(木) 18:26:22.27 ID:lpXbc+c2
日本海側の大名はそれなりに文明化されてるんじゃないか?鮭さまは地元にれんがしがいなくてショボンになってたけどw
815人間七七四年:2012/06/07(木) 20:15:23.44 ID:SBWgqlvz
最上は鮭が統一するまで豪族乱立内乱一揆が名物の無法地帯だからなぁ
816人間七七四年:2012/06/07(木) 20:17:54.79 ID:USmx49PD
永禄6年、越後の上杉輝虎34歳の正月11日、輝虎は一族および譜代の家老、物主(物頭)らを招集し、
彼らを前に突然、このようなことを語った

『私は道七居士(長尾為景)の八男であり、誠に末流であったのに、世間の転変により不思議な事に
長尾の家督を継ぎ、惣領職と相なった。

しかし、これは私の本意ではない。

何故かといえば、春秋左氏伝を始めとして異国の歴代の事跡を考え、また本朝(日本)の書伝を見るにつけ、
私のしたことは簒奪の汚名、廃立の慙徳、賢明な人たちからの異論、万世にわたって続く誅筆、こういったものから
逃れることはできない。

そもそも、今さら言うのも恥ずかしいことだが、我が父紋竹庵(為景)が一旦の恨み事で主君上杉房能を弑殺し、
また管領上杉顕定を討ちまいらせ、逆威を振るっていたところ、天鑑は蒙昧ではない。ついに越中において
命を落とされた。

私もまた、越後の御屋形様である上杉定実公の命令とはいえ、兄の長尾晴景を討った事、千歳の悪名である。

然れども、国家のために大義を行い、身の誹りを顧みることはない。ただ、これ故に一生妻子を置かず、
これを以って世の人々に謝罪したい。

この上は、弥持戎清浄の出家となるべし!』

こうして輝虎は不識院心光謙信法印と号した。
高野山無量尋院清胤法印を戒師となし、真言金胎両部の秘密の印明を受け、潅頂を遂げ、
大覚寺門主義俊大僧正執奏にて、大阿闍梨号を賜り、弥戒律堅固であった。

(北越軍記)

上杉謙信,出家の口上である。
817人間七七四年:2012/06/07(木) 20:37:37.95 ID:9FzNPuMN
八男?そんなに兄貴がいたっけか?
818人間七七四年:2012/06/07(木) 20:40:46.75 ID:eneiLz1+
関羽といい、軍神扱いされる人物は左伝癖多いな
819人間七七四年:2012/06/07(木) 21:50:46.40 ID:uL8h25YW
きょうだい全部あわせても8人居ないんじゃ…
820人間七七四年:2012/06/07(木) 21:54:30.95 ID:9YNaesaU
記録に残らず夭逝した男子や名すら伝わらないのがお約束の女子をカウントしたんだよ
              
821人間七七四年:2012/06/07(木) 21:57:23.77 ID:1ZmXOlq+
目指せ鎮西八郎
822人間七七四年:2012/06/07(木) 22:05:19.43 ID:KVHzS9CI
>>818
まあ単にメジャーだから挙がり易いだけだろうけどな
823人間七七四年:2012/06/07(木) 22:18:12.68 ID:5/LxKpeH
そういえば、祖父母世代の話だが、
だだをこねて泣いている子供がいると、
「けんしんがやってくるぞ〜」と言われたらしい。

今はもう言われてないけど、鬼か邪か、ヤツはそんな存在だったみたい。
ってか、何百年も言われてたのかと思うと、悪い話かな。

越中出身です。
824人間七七四年:2012/06/07(木) 23:20:53.40 ID:An97plMo
謙信来々か
魔王と軍神に挟まれるとはまた難儀な…
825人間七七四年:2012/06/07(木) 23:29:12.40 ID:51WSKtlM
>>823
同じく越中出身だが、
けんしん、じゃなくてもんも(蒙古のことらしい)だった
ちなみに呉東です
826人間七七四年:2012/06/08(金) 01:01:16.73 ID:qGpnwX1I
話題に乗り遅れた
先月末までサントリー美術館でやってた毛利展に行ったら、教養品たくさんあって「毛利家ってすげーインテリじゃん」て驚いたよ

隆元お兄ちゃんはトップに立つべき者として、文武の武に重きを置かないといけない時代に文に寄りすぎた
評価されてるのはトップが下に任せるような財政能力だし
氏真同様、生まれる時代もしくは生まれた身分を間違えた人
827人間七七四年:2012/06/08(金) 01:22:10.29 ID:juVd+845
隆元兄ちゃん、武の働きもソツ無くこなしてない?
厳島とか大友戦とか
828人間七七四年:2012/06/08(金) 01:29:34.17 ID:NP9axdAm
「マンU、今川獲得へ」
うむ、然もありなん。
829人間七七四年:2012/06/08(金) 01:33:11.00 ID:Rn8z5zww
素人目だと隆元兄ちゃんの絵ってうまいと思うんだが、プロが見るとどうなんだろう
考え方というか残した言葉は後の長州藩の訓戒とかに影響を与えたみたいだし、
もうちょい安定した時代のほうが本人の「精神的」には生きやすかったんじゃなかろうか
ただ、スイッチ入るとやけに好戦的なところを垣間見るに、やっぱり戦国時代の人だなと思う
830人間七七四年:2012/06/08(金) 06:03:39.50 ID:bDzxPwSe
>>827
本人も言ってるように活躍が父親の影に隠れて全く目立ってないだけですから。
ほんと早死にが悔やまれる。
831人間七七四年:2012/06/08(金) 06:07:33.45 ID:+fkYE8yS
毛利の支援を受けた宇喜多直家が、浦上宗景に対し反乱を起こした状況の中、豊後の大友宗麟が
浦上宗景の家臣にあてて出した書状


『天正2年閏11月13日付けのあなたからのご音信が、今月(天正3年正月)16日に到着しました。これを見たところ、
宇喜多直家は逆意を起こして兵乱をなし、浦上宗景はこれに攻められ籠城をしているとのこと。是非もないことです。

しかし三村貞広は宗景に対して累年の甚だ深い同盟関係にあるので、些かも別儀は無いと承っております。
これをお頼り成されるべきでしょう。

なお、かねがね宗景に申し語った内容は、我々による防長攻めが余技なくなっているみぎり、
芸州の者(毛利家)は備中表に侵攻しています。私は家中に対し、急速な出兵を申し付けました。

あなた方は三村元親と話し合って行動して下さい。ご才覚によって敵(毛利)を抜かりなく足様にするするのは
今この時です。三村元親兄弟に書状を送った所、今後は別して我らに入魂いたすとのこと。祝着な事であります。
よくよく連絡をとりあうことが肝要です。

なお、田原近江守(親実)が詳しく説明いたします。恐々謹言。

(天正3年)正月30日                    宗麟(花押)

 三浦次郎殿』

(上利文書)

この時大友は毛利領への侵攻を本気で考えていたようであるが、おそらく龍造寺との紛争などで動けず、
結局この、毛利を挟撃する計画は実行されずに終わる。
しかし織田包囲網ならぬ、毛利包囲網も形成されていたんですね。

当時の大友家をめぐる、西日本の外交環境がよく見えてくる書状である。
832人間七七四年:2012/06/08(金) 06:20:15.89 ID:+fkYE8yS
>>827
厳島にいたっては二の足を踏んで決断できない元就に「今戦わないんでどうするんだ!」って強引に
決戦に持っていったのが隆元だしね。
833人間七七四年:2012/06/08(金) 07:49:03.99 ID:rjtYOVWQ
>>827
厳島、大友との戦いの時にはそれなりの歳で場数も踏んでるしね
元就に「能とかに現抜かしすぎ」と怒られているのはたしか人質から帰ってきて数年とかそのあたりだったと思う
この時、パパンに怒られて武にも力入れるようにしたんでね
834人間七七四年:2012/06/08(金) 07:57:18.96 ID:rjtYOVWQ
>>829
少なくとも手慰みで描いたような絵ではないよね
そりゃ元就も嫡男がガチであんな絵描いてたら「それよりももっと武芸をがんばりなさい!」って言いたくもなると思うw
835人間七七四年:2012/06/08(金) 09:17:35.63 ID:QO8Ri9EP
出来がいいからむしろ心配になったという事か
836人間七七四年:2012/06/08(金) 12:15:44.72 ID:qGpnwX1I
隆元が長生きして本能寺も起きなかったらどうなっていたかな
隆元の卑屈な性格に信長がぶちギレるか?
837人間七七四年:2012/06/08(金) 12:25:14.66 ID:Bcq7TOx1
隆元兄ちゃん、プライベートはともかく対外には「ガンガン行こうぜ」だし
大内伝来カルチャースキルとコミュ力でうまくやるんじゃないの
838人間七七四年:2012/06/08(金) 13:45:12.73 ID:UybD+u7K
信長が死ななきゃ誰がやっても同じ。
839人間七七四年:2012/06/08(金) 14:04:20.70 ID:1uyas2wL
>>831
三村って正直なところ、家親が狙撃された以外はマイナーな大名ってイメージだし
ウィキペディアの記事もたいしたことないけど、
戦に万単位で兵を繰り出してるし、こういう書状なんかを見るに結構脅威だった感

なんでいまいち日が当たってないんだろう・・・
840人間七七四年:2012/06/08(金) 15:21:52.56 ID:VwsiHXyv
>>823-825

地元っす。
謙信は寺の宿坊に逃げ込んだ地元の城主を炙り出そうとしたんだ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%85%89%E5%AF%BA_%28%E9%AD%9A%E6%B4%A5%E5%B8%82%29

13焼いて、いま3つしか残ってない。
841人間七七四年:2012/06/08(金) 15:55:10.60 ID:hi9YJua3
>>840
謙信…
842人間七七四年:2012/06/08(金) 16:10:30.16 ID:QJ9mNjJD
>>836
卑屈な性格は手紙の中だけの話で
行動力は父の元就から見てもとても頼もしい当主なんだけどね

隆元が長生きしていれば毛利は大友や尼子残党に不覚を取らないで西日本をほとんど制覇してたかも
こうなると流石の信長も同盟堅持するしか手がなくなると思う
843人間七七四年:2012/06/08(金) 16:50:02.47 ID:fKhD3yeK
>>839
一国の覇者とはいえ、なんともあまり存在感のない備中だし、家親は一代の傑物とはいえ、これまた西と東が黒い話には事欠かない、毛利と宇喜多だしで、知名度が劣るのは仕方ないんじゃないかな。
何より大名としては次代で滅んじゃったし。
844人間七七四年:2012/06/08(金) 17:13:56.19 ID:QJ9mNjJD
>>839
結局毛利の庇護下から抜け出せなかったのが原因では?
毛利も大内の庇護下から抜け出せなかったらマイナーで終わってたと思う

戦国大名は独立戦争や拡大戦争に勝ってなんぼということなのでしょう
845人間七七四年:2012/06/08(金) 20:02:55.71 ID:S7FawAar
>>840
ちょwwここ通りかかったことあるwwwwwwww
そんな由緒ある寺院だったのかよ・・・
846人間七七四年:2012/06/08(金) 22:01:27.15 ID:1mHh/8bT
>>840

某大僧正「お〜怖い怖い、善光寺のご本尊は焼かれないように
     儂が甲府にお連れいたそうぞ」
847人間七七四年:2012/06/09(土) 00:16:08.92 ID:ePPgi0Mc
隆元は弟達があまり本家に寄り付かないと悲しんで父親に訴えてるけど
吉川や小早川に養子や婿養子にはいった身としては本家にばかり良い顔したら家で立場無くなっちゃうだろうしなあ
848人間七七四年:2012/06/09(土) 02:55:39.41 ID:R9jla7JH
>>843
次代で滅んだから資料が少なく,過小評価かもしれんよ。
大河ドラマでも最上の扱い悪かったし。
家が残っていれば活躍の場もあっただろうし。

>>831
防長攻めて、北九州止まりじゃん
849人間七七四年:2012/06/09(土) 02:57:48.88 ID:R9jla7JH
>>847
元春と隆景が仲が良くて、仲間外れされてるとか書いてたような
850人間七七四年:2012/06/09(土) 03:08:17.99 ID:JOipi6Hi
ダイソーの社長並にネガティブ思考だなw
851人間七七四年:2012/06/09(土) 09:24:44.47 ID:PH/q4DqB
気を回しすぎるあまり自分からストレス溜めこんじゃうタイプだったんだろうか隆元お兄ちゃん
852人間七七四年:2012/06/09(土) 09:40:06.12 ID:83qZU0LY
あっちのお兄ちゃんのストレスも半端ないと思うんだが、どうやって発散してたんやろか?
853人間七七四年:2012/06/09(土) 09:46:55.50 ID:ZmHY089a
ラスベガスでカジノ
854人間七七四年:2012/06/09(土) 09:48:19.75 ID:SbnV8viL
ドMだったんじゃね?
855人間七七四年:2012/06/09(土) 09:53:55.33 ID:ePPgi0Mc
隆元お兄ちゃんには慰めてくれる優しいお父さんが居たからな
856人間七七四年:2012/06/09(土) 14:05:09.05 ID:29P1g9FM
あっちのお兄ちゃんは弟のみならず、悪名高杉の親父殿に鬼嫁がな〜(嘆)
857人間七七四年:2012/06/09(土) 14:06:30.38 ID:kz2qV/ZW
どっちも嫁に癒されてるんじゃね?

ほら、佐々木健介も北斗と仲いいし
858人間七七四年:2012/06/09(土) 14:08:26.74 ID:29P1g9FM
p.s
お陰で孫が跡継ぐ破目になったし。何事も無ければ玄曾孫が跡継いだろうに
859人間七七四年:2012/06/09(土) 14:21:19.24 ID:kLm7ofbF
>>849
その二人と十歳近く年離れてるし、大内の手元で長い間育ったから
あまり兄弟の実感持たれなかったのかもな、隆元が悪いんじゃないのに
860人間七七四年:2012/06/09(土) 14:46:19.72 ID:g1wg+/IN
留学して超インテリ文化人になった兄貴と
10歳以上歳の離れた実家育ち……

あからさまに余所者扱いフラグだなw
861人間七七四年:2012/06/09(土) 15:16:57.25 ID:OGNjRcwT
逆に隆元は歳が離れていて長年会わなかった弟を弟と思ったんだろうか
って、思ったから疎外感感じたんだろうけど
862人間七七四年:2012/06/09(土) 15:28:47.08 ID:ePPgi0Mc
ちょうど元就父子が大内家へ挨拶に行ったときの供応の献立読んでたんだが豪華なんだよなあ
当時国内有数の超先進地で裕福な山口ゆえか
863人間七七四年:2012/06/09(土) 15:56:23.93 ID:R9jla7JH
>>859
長い間、大内家で義隆に後ろを犯されたから、堅物の元春に嫌われた
864人間七七四年:2012/06/09(土) 16:49:58.89 ID:ek0FCsNn
>>863
…陶晴賢(ボソッ
865人間七七四年:2012/06/09(土) 19:31:54.16 ID:JOipi6Hi
一方で結城さんとこの秀康お兄ちゃんと秀忠は似た様な境遇でそれなりに上手くやってる様に見える。
親父とはイマイチだけども。
866人間七七四年:2012/06/09(土) 23:49:37.73 ID:XFDhX903
あの名将が猫を飼っていた話。

肥後の甲斐宗運は、娘を遠縁の隈庄城主・甲斐守昌に嫁がせていた。
天正頃のある正月、宗運のもとに守昌夫妻が訪問、年賀のあいさつをしていた。
その時、猫が宗運の背後にあった刀かけを倒してしまった。
いたずらな猫ちゃんである。




その時鞘から抜け落ちた短刀は、偶然そこにあった茶臼に9cmも突き刺さり、
「茶臼剣」と呼ばれ名を馳せたという。

さて、茶臼に刺さった切れ味を目の当たりにした守昌は、ぜひこの茶臼剣を賜
りたいと夫婦ともども懇願したが、それは宗運が主君である阿蘇大宮司から拝
領した短刀であった。
宗運は自分の目の黒いうちは手放すわけにはいかない、しかし自分が死んだら
形見として必ず守昌に渡そう、と嫡子を証人に約束した。
守昌は引き下がるしかなかった。

しかし、奥さんがここで気を利かせてしまった。宗運の娘である立場を悪用し、
宗運の寝室から茶臼剣を盗み出してしまったのである。
守昌は宗運の怒りを恐れて敵対、婿と舅の合戦におよび、最後には守昌は城を
捨てて落ち延びろこととなったのであった。
867人間七七四年:2012/06/09(土) 23:54:23.98 ID:MikkhQt/
親子だからって甘えがあったんだろうな…
868人間七七四年:2012/06/09(土) 23:57:27.15 ID:I3K6MtVE
猫「計画通り」
869人間七七四年:2012/06/10(日) 00:22:08.63 ID:IexX/L/V
九州勢は猫に縁があるなw 良くも悪くも
870人間七七四年:2012/06/10(日) 00:56:14.69 ID:AJmvSwNK
九州には猫の王になるための山があったはず
871人間七七四年:2012/06/10(日) 02:02:17.27 ID:sUSqALaO
猫岳の怪?
あれも阿蘇のあたりのお話じゃなかったかな
872人間七七四年:2012/06/10(日) 09:47:48.17 ID:BZM+e/yo
甲斐宗運の身内はロクデナシばっかりだな
873人間七七四年:2012/06/10(日) 10:16:42.33 ID:S6cg7GP9
あ、そ
874人間七七四年:2012/06/10(日) 10:19:12.30 ID:z6kcZuJ3
小田氏治の肖像画に写っている猫を思い出した。
そもそも猫好きな大名・豪族ってたくさんいたのかな?
875人間七七四年:2012/06/10(日) 10:24:31.89 ID:IF4xnqyt
ラスボスの可愛がっていた猫がいなくなったんで代わりの探せないかって浅野の手紙が残っていたはず
876人間七七四年:2012/06/10(日) 10:26:26.11 ID:ZQfQIJL7
九州 猫といえば‥

【大分】盗難自転車をめぐる少年と母親の二重苦
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339249705/
【大分】新人警官、頭が真っ白
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339136582/
【大分】万引犯「3メートル」ダイブ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1339049507/
【大分】超能力捜査官!?ズバリ的中
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1338963115/
【大分】墓参りの帰り、自動車から煙が・・・
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1338876099/
877人間七七四年:2012/06/10(日) 10:29:41.17 ID:MTuOWo59
太田道灌って猫好きじゃなかったっけ
878人間七七四年:2012/06/10(日) 10:33:19.50 ID:lEp6G8RT
信玄:ネズミをとるから好きではないが猫を飼おう
秀吉:浅野長政「太閤が猫なくしたからお前の猫くれ」という書状あり
島津義弘、その息子の久保:ヤスという猫をかわいがる
天庵さま、千姫、佐久間真勝:猫をだいた肖像画あり
879人間七七四年:2012/06/10(日) 10:41:36.31 ID:S6cg7GP9
井伊直孝:キャットセールスに引っ掛かる
880人間七七四年:2012/06/10(日) 15:09:54.39 ID:lpICWZtP
猫の世話をするだけの役職とかあったんだろうな
881人間七七四年:2012/06/10(日) 16:11:17.85 ID:YCk9mbPc
武田信玄の上洛戦により信長包囲網が活発化する中の、元亀4年(1572)2月の浅井長政書状

『(上欠)書状を拝見したところ、懇ろな言葉をいただき恐悦に思っています。
去年12月22日の御合戦(三方原合戦)の次第を承り、耳目に驚愕を覚えました。
三河のことは、これも又信玄様の思い通りに掌握されたとのこと、その事は追々聞いております。
実に珍重であります。
日をおかず尾張・美濃に進軍なされること、偏にお待ちしております。

公方様(足利義昭)も立場を明確にされ、御内書を作られ信玄様に送られました。
こちらの方面でもその後威光を以って、(近江)滋賀郡全体が我が手に属しました。
朝倉義景は緊急に出陣することに決まりました。

申し上げている内容について、我々の方では油断はありません。
織田方から甚だ多くの調略などが行われるでしょうが、猶以て別して我らとご入魂頂ければ、恐悦に存じます。
詳しいことは使者に申し含めました。信玄様に直接申し伝えます。恐惶謹言。

元亀四年二月廿二日              長政(花押)

武田左衛門大夫殿(穴山信君)人々御中


(土屋文書)

『                浅井備前守
                     長政
(越中)勝興寺 御同宿中

前回お便りをしたところ、懇ろなる返報に恐悦に思っています。
そちらの方面の状況を承り、満足に思っています。

及ばずながら申し上げます。今は堅固な備えを構築することに専念すべきです。
輝虎(上杉謙信)との講和をお望みになっているようですが、武田信玄にご相談なくそのような行動をするのは、
全くあなた方にとって勿体のない話です。敵の計略に乗せられる可能性もあります。
我々は示し合わせ同盟をし、互いに同心を誓った、別格の関係なのです。
この事は常々、御門主様(本願寺顕如)の御意も得ています。

また、今月13日に公方様(足利義昭)も立場を鮮明にされ、朝倉義景、そして私に御内書を下されました。
そのためこれをあなた方にもご披見していただきたいと思います。

当国(近江)の滋賀郡も、全体が我が方に属しました。
東国では遠江・三河は申すに及ばず、東美濃の加治田、津保、鉈尾の三ヶ所の城が、揃って武田信玄に
属し、甲州勢の先発隊は東美濃に乱入しました。
朝倉義景は我が方面への早々の出兵を決定しました。

申し上げた内容は、着々と進行しております。
諸方面の態勢をこのまま進めていけば、我らの目的が達成されるのは確実です。
どうか活動を停滞させることなく、積極的に策動していくことが肝要です。なお、度々ですが御備えの方は
宜しきように整備してください。

追ってまた申し入れます。恐惶謹言

(元亀四年)二月廿六日               長政(花押)


(勝興寺文書)

浅井長政が信長包囲網間の連絡調整に尽力しているのが、よく解る書状である
882人間七七四年:2012/06/10(日) 16:18:02.29 ID:CX7wcsOz
9月には滅んだんだっけ浅井
883人間七七四年:2012/06/10(日) 22:04:46.70 ID:w4igQ5dx
資正「やっぱり人間になつく犬が最高。猫派ってキモいよね」
884人間七七四年:2012/06/10(日) 22:36:12.04 ID:oGF3ZDbo
浅井タン・・・(*´д`)/ヽァ/ヽァ
885人間七七四年:2012/06/10(日) 22:41:55.71 ID:qglBnDHt
信玄の病死まで、あと一年と少し・・・
886sage:2012/06/10(日) 23:22:45.80 ID:z6kcZuJ3
信長包囲網の調整役か。
どんな心境だったんだろうね。
887人間七七四年:2012/06/11(月) 00:34:12.30 ID:5Za2lqs6
>>883
天庵「よろしい、ならば戦争だ」
888人間七七四年:2012/06/11(月) 00:49:45.14 ID:G0fLf9eU
>>887
(*´∀`*)バッチコーイ
889人間七七四年:2012/06/11(月) 00:57:58.61 ID:hTwtsNZX
ノブはネコだと犬が
890人間七七四年:2012/06/11(月) 01:09:36.65 ID:1x3ekWxU
アッー
891人間七七四年:2012/06/11(月) 02:52:41.04 ID:hgp9hlGV
>>870
阿蘇根子岳かw
阿蘇だし、この逸話の猫も根子岳で修行した猫って事になってたりしないのかな。
892人間七七四年:2012/06/11(月) 23:46:04.29 ID:VTAkt8ao
>>887
秀吉「やめて!」
893人間七七四年:2012/06/12(火) 17:58:31.07 ID:8TaqR9OO
天正13年(1585)7月

この時の大樹(武家政権の長)であった羽柴秀吉は、故織田信長の行った宗論である安土問答は
法華宗に対して理不尽な政治であったとして(忌信長安土問答理不尽之政)、
徳善院玄以をもって、親しく頂妙寺の日bを召し、この事について謝罪し、および天正7年に
信長が提出させた法華宗門からの誓紙を日bに返還した。
(本國寺年譜)

有名な安土宗論ですが、それがこんな決着をしていたとは。
秀吉、地味にこんな所でも信長の時の政策転換してたんですねw

信長の宗教政策を理不尽の一言であっさりで片付けた秀吉公のお話である。
894人間七七四年:2012/06/12(火) 18:28:49.85 ID:QFhT3kry
ノブを反面教師にして天下を取ったんだなぁ
895人間七七四年:2012/06/12(火) 19:45:46.21 ID:aiM+kaLT
>>893
それで法華宗が調子に乗って、例によって家康が後始末に乗り出したと
896人間七七四年:2012/06/12(火) 20:57:05.77 ID:0JZMCSWE
日bは不受不施派ではないからこれは良いんじゃないか
これで法華主衆の主流派が穏健化していったから厄介な先鋭的党派があぶりだされたわけで
897人間七七四年:2012/06/13(水) 17:26:17.34 ID:qNlUlQIi
>>893
安土宗論は政策じゃないんだが…
898人間七七四年:2012/06/13(水) 20:52:17.68 ID:vpGfu2C7
ある時、富山城の佐々内蔵助成政は、城内に桜の馬場が完成したというのでそこに出向くことにした。
そしてこの時、氷見郡阿尾城主であった菊池伊豆入道(武勝)にも出仕するよう申し付けた。

菊池入道は「私はもう隠居した身です。どうぞお許し下さい」と申し上げたが、たっての事だと言われ、罷り出ることになった。

さて、出仕してみると成政は御機嫌で酒など飲んでおり、菊池入道を見つけると、”なますの盃”という秘蔵の盃を取り出し酒を注がせ入道を呼び

「其方、この盃で一献指すがよい」

と言う。菊池入道は喜び「忝き次第です。生前の大慶、これに過ぎることはありません。成政様が
常々おっしゃっているように、この盃は常にはお出しすることのない物です。有難いことです。」

と一盃飲み干し、盃をそこに置いて立ち下がろうとした。と、ここで成政
「その盃をこちらにも指さないか。」

返杯をせよ、というのである。しかし盃を交わすというのは同格かそれに近い者の間ですることである。これには菊池入道恐縮し

「いかに成政様の仰せと言えどもそれは憚るべきことです。どうかお許し下さい。」などと必死にこれを
断ろうとした。しかし成政は

「其の方は常の人並みの者ではない。ただ、私に返杯するのだ。」

これには菊池入道も「重ねて御辞退するのも、憚りのあることです。」
この待遇に感激した菊池入道は、御前に自分が飲んだ盃を置くと

「さてさて忝き次第。この度の返杯の仰せ付け、吾が家の威光となるものでございます。
このためわたくし、御前を憚らず御肴を進上したいと思います。

そう言うと指していた脇差を抜き

「この脇差は鬼神大王と言いまして、上杉謙信が当国に討ち入られました時に私に下されたものです。
上杉謙信は、7ヶ国の管領となりました。殿様もどうか、謙信に御あやかりください。」

と、成政に進上した。ここまではいい話である

これを聞くと成政はみるみる機嫌を損じた
「さてさて年寄りめ途方に暮れ、うつけたことを言い出したものよ!
あの謙信などという者は、私の足元にも及ばない人物だ!それにあやかれとは、どういうことだ!?」

そのように激しく叱りつけた。この時菊池入道は脇差を下げることもできず、だからと言って
進上することも出来ない状況で申し上げたことには

「御尤も千万でございます!上様(織田信長)がお亡くなりになり、今や御前(成政)が天下を得ること、
疑いありません。この年寄り、うつけを申し上げてしまいました。

しかしながらこの脇差を引けとは仰らないでください。お酌をしている小姓の方に、これを差し上げたいと思います。
小姓殿、殿様は天下の主。あなたは殿様の御太刀かげにて、謙信にあやかり、7ヶ国取り給え。」
そうして盃も脇差も小姓に渡した。

「私も頼もしいことです。殿様太刀かげにて一国の主にもしていただけるでしょう。」

これに成政、たちまち機嫌を直し
「尤もである!あれらは謙信にあやかるのが良い!」そう笑った。

さて、菊池入道がその座を立って帰宅するという時、傍輩にこんな事を言い残した
「今日も面目を失ってしまったよ。是非もないことだ。これは私が老耄してしまったせいであり、
今後はもう、公の場所には出ないようにするよ。とすればこの富山城も、今日が見納めか…。」

菊池伊豆入道武勝が佐々成政から前田利家に寝返ったのは、それから間もなくのことであった。
(菊池文書)
899人間七七四年:2012/06/13(水) 21:22:16.49 ID:B3IkbAH6
信長が死んでよほどうかれてたんだな 佐々
900人間七七四年:2012/06/13(水) 22:34:31.62 ID:Mz61eB0V
惜しいな佐々
ちょっと足りない
901人間七七四年:2012/06/13(水) 22:36:26.79 ID:X4myNLvU
小沢一郎=木沢長政

生まれ変わりじゃないかなと思っている。

902人間七七四年:2012/06/13(水) 23:03:54.60 ID:1PvPajz5
>>840
遅レスだけど、寺が焼かれた1551年って
謙信はまだ21歳で越後国内の統一に精を出してた頃で
川中島のごたごたより前なんだが
どう考えても濡れ衣着せられてるよな
903人間七七四年:2012/06/14(木) 03:56:39.27 ID:BCDnhsAE
>>901
いつも病院に逃げる男と戦場で討ち死にした男とを比べるなよ
904人間七七四年:2012/06/14(木) 12:21:35.03 ID:TASEQ9AQ
>>903
きっと前世のトラウマで病院や八丈島に逃げるんだよ!!
905人間七七四年:2012/06/14(木) 12:31:32.96 ID:nKUDRsxz
逃げるなら鹿児島だろう。
906人間七七四年:2012/06/14(木) 13:52:04.49 ID:f2rPJSJg
>>899
ノブが死んでうかれる?
佐々,前田、丹羽は、ノブが死んで秀吉が出しゃばって、内心残念な気分では
907人間七七四年:2012/06/14(木) 14:04:27.17 ID:nKUDRsxz
そんな気持ちはさらさら越え
908人間七七四年:2012/06/14(木) 15:46:57.66 ID:fKpl3RLh
朝鮮の朱子学者李珥は兵曹判書であった1583年に国王に対してこのような意見を述べた。
 
「国勢の不振がきわまっております。十年を出でずして土崩の災があるでしょう。
 願わくばあらかじめ十万人の兵を養い、都城に二万、各道(八道)に一万人を配置して
 戸税を免除し武芸の鍛錬をすようにすべきです。
 また六朔(六か月)に分けて交代しながら、都城を守備するようにし
 変乱を聞けばあわせて十万人で守るように緩急に備えなければなりません。
 そうでなければ一朝に変乱が起こった場合市井の民を駆り集めて戦うようになり、大事を招くになるでしょう。」

しかしこれに柳成竜が反対した。曰く
「事変がないのに養兵するのは養禍である。」
他の重臣たちも李珥の意見は過慮であると反対した為、この案は行われなかった。
李珥はその場を去る時柳成竜に対し
「俗儒はもとより時宜に通達しないものだが貴公もまたその言を言うか。」と言い
この翌年亡くなった。

この9年後文禄の役が起こり、朝鮮全土が大混乱に陥る。
柳成竜は慨嘆して曰く
「今に至ってみると李文成は真の聖人であった。
 もしその言を用いていればどうして国事がこのようになったろうか。」

―――
当時の李朝では非常時には農閑期に訓練を施した農民などを兵として動員することになっており
書類上では二十万近い兵がいることになっていたものの、当てになったのはかなり限られた数だったとか。
やっときゃよかった幻の十万人養兵論の話。
909人間七七四年:2012/06/14(木) 16:33:14.06 ID:ZoSbsaem
農民を動員して20万近くって国で10万常備しろってそりゃあ却下されるわ…
910人間七七四年:2012/06/14(木) 16:38:46.78 ID:Fhc/4dkL
やろうとしても出来ないってやつね
911人間七七四年:2012/06/14(木) 16:39:52.19 ID:VDuJZaE2
朱子学者による後の宣伝用捏造話なのは言うまでもないとして
逆に自信も現実が見えてないことを暴露するオチですね
912人間七七四年:2012/06/14(木) 16:52:11.44 ID:3aROjF5w
兵制切り替えも込みでの話だと思う。
農民は農事に、兵は軍事に集中できるようにしようと。

朝鮮役では兵が集まらないことが問題になってる。
かと思えば義兵はわらわら湧くし。
制度と実情が全然あってなかったらしい。
913人間七七四年:2012/06/14(木) 17:13:33.43 ID:lBd6Zqnt
義兵じゃなくてヒャッハー!じゃないのか?
914人間七七四年:2012/06/14(木) 17:47:35.86 ID:Iw3vqDCO
安国寺さんと同類の匂いがする
915人間七七四年:2012/06/15(金) 13:20:33.00 ID:BlKH1p3t
只でさえろくに食えない土地に食糧持った連中がうろうろしてんだから
そりゃヒャッハー!になるわな。
916人間七七四年:2012/06/15(金) 13:23:22.50 ID:BlKH1p3t
義民「飯よこすニダ!飯よこすニダ!」
日本の侍「アッレー」
917人間七七四年:2012/06/15(金) 14:24:54.18 ID:n4cuV9AC
チョンの常備軍なんて秀吉軍から逃げ回ってるのに
徴発と称して庶民から略奪するイメージしかわかないわwwww
918人間七七四年:2012/06/15(金) 14:43:05.55 ID:xmQJVpGZ
兵隊はエラいニダ。

あまりにも軽やかなステップで逃げるので明軍に疑われるんだよねw
9191/2:2012/06/15(金) 19:39:48.53 ID:SOUk2O/k
天正13年(1585)の10月はじめ、土佐の長宗我部元親は家老たちの反対をあえて聞かず、
秀吉への臣従のため上阪した。

10月20日浦戸を出港し、程なく堺の港につく。そこで津田宗及の屋敷を宿舎とすると、
ここに羽柴美濃守(秀長)と藤堂与右衛門(高虎)が来訪。秀長は「早々の上洛に、秀吉卿は
御感に思召しておられます。」と伝え、大阪出仕の支度をするよう促した。
藤堂高虎はこの堺から案内として元親に同道した。

大阪に入ると町家で装束を整え登城。桜の門に入ると警固のものが50人、金棒を持って左右に
並び、元親の共の者たちを
「これより先、小姓一人、草履取り一人のみしか同道出来ぬ!」
と押し留めた。これに共をしていた長宗我部家臣団は激昂。
「こんな事は見たこともない!主の供をするのを一体誰が止めるというのか!?」と
大声で叫んだ。この騒ぎを聞いた高虎は警固のものに
「長宗我部の共の衆なら問題はない。入れてやるのだ。」と云えば、警固の者共は金棒を引いて
彼らを門内に入れた。

ここで羽柴秀長が迎えに罷り出て、元親と同道し奥の間に通らせた。ここで高虎は立ち戻り、
「共の衆はここに居よ」と、彼らを侍所に連れて行った。

元親は小袖20,馬代銀百枚、一文字の太刀一腰を進上し秀吉に御礼を申し上げる。
秀吉は対面を許し、「長宗我部早々上洛、感じ入るぞ」との御意を伝え饗膳を下し、
「美濃守(秀長)、施薬院(全宗)相伴せよ」と言って、自分は奥へと下がった。

さてここで元親の前には、七五三の膳部、金銀の造花、京堺の魚鳥、そういった珍しいものが
尽きることがないほど出されて来た。元親は四国の主であったが、このような膳部は見たこともなかった。
正直ビビっていたがそれでも臆せぬ体でこれを賜り、酒を数回やりとりしていると
秀吉卿が再び現れ「長宗我部の折角の上洛だというのに、肴も出していないではないか!」と、
さらに元親の度肝を抜かせる事をいう。これを施薬院を通して聞かされた元親は、「この長曾我部、
結構な膳部を頂きました、有難き幸せ。」と挨拶をし、秀吉は盃を取るとこれを元親に下し、
元親は頂戴して酒を賜った。

このあと元親に引き出物が出され、腰の物(二尺五寸備前兼光)、黄金百枚、梨地の鞍鐙をつけた鬼葦毛の馬、
などが下される。そして秀吉は言う

「長宗我部は酒も数盃となり、酔も出ただろうが珍しい肴があるのだ、もう一献参られよ。
珍しい肴とはな、その方が上洛するというのを、家老たちがそれは無用だと止めただろう?だがその方一人の
覚悟によって上洛をした、と、わしは聞いておる。

この上はお前が人質に出した津野孫次郎(親忠・元親三男)を返してやる。これを肴に、さあ、
もう一献参られよ。」

元親「かたじけなし」と、それを飲み干した。

元親は明日京に上り羽柴秀次に御礼申し上げる予定であったが、秀吉はそれも免除し、すぐに津野親忠と共に
帰国することを許した。翌日、元親親子は堺を出港した。
9202/2:2012/06/15(金) 19:40:59.85 ID:SOUk2O/k
元親が帰国すると、土佐の侍町人たちはこれを出迎え、口々に千秋万歳を叫び喜んだ。
翌日、元親は城に家中の者たちを集めると今回の上洛の次第を語り、そして下賜されたもののうち、
最初に太刀を見せた。

「なんと!金で装飾されている!?」土佐者たちは早くも仰天した。

次に黄金百枚を見せた。

「これが判金という物ですか…。はなしには聞いたことがありますが、初めて見た。」

としげしげと眺めていた。そして最期に葦毛の馬に鞍を置いて出すと土佐者たちの驚愕は頂点に達した

「上方という国は一体どんな国なんだ!?こんな馬が存在するなんて!!」

彼らにとって馬といえば、体高一寸ほどの土佐駒であった。上方から来た五寸の馬を見て、
舌を震わせて驚いたのも、仕方のない事であろう。
そして梨地の鞍鐙を見て

「これ光ってる!どうして!?」

などと騒いだ。全く田舎者にも程がある事である。

ところで津野親忠は人質として長く上方に逗留していたので、御供衆まで上方めいた男になって帰ってきた。
これに土佐の者たちは羨み。月代の剃り方から服装まで、土佐の者たちは一斉に真似をした。

それまで土佐の者たちは着物を小袖といい、袖は短く綿をたくさん入れ、帯ははいはたと言う木綿帯をして、袴の
裾も短く、その姿はモグラのようであった。
月代は大きく剃りあげ、刀は三尺ほど、脇差は二尺ほどもある物を差し、顔には武勇を貼り付けていた。

しかしながらそんなモグラ侍を上方侍に見比べると、そのあたりで暴れてるガキ大将すらそんな異風な者はいない。
津野親忠の共の衆に皆習い、着物の脇をすき、袴や袖を長くすれば、男ぶりも良くなり、土佐者たちは
その姿を鏡で見て大いに喜んだという。

翌年、元親が再び上洛した時は、みな上方風の服装をしていた。
この時長宗我部家の諸侍はより合って先年のことを話し、大笑いしたという。

以上、長宗我部元親の初上洛の顛末とその影響、である。
(土佐軍記)
921人間七七四年:2012/06/15(金) 21:12:14.44 ID:C/Wz0oVj
酷い田舎者(´・ω・`)
922人間七七四年:2012/06/15(金) 21:21:36.67 ID:R4Uakz8/
三斎様の茶の湯がらみで悪い方も一つ。

ある日細川忠興は京都で茶会に赴く途中道具屋の店先で形姿の整った茶入れを見かけた。
これは!!と思った忠興はすぐに主人に値を尋ね百両と聞いて、

予約した!俺が予約したから売らずにとっておいて!!

と申し付けるとそのまま茶会に出かけていった。
屋敷に戻った忠興は早速百両を用意し家臣に買いにやらせたところ、
家臣は主命首尾よく果たしてまいりました!と鼻高々で購入した茶入を差し出した。

忠興がいそいそと袱紗から茶入を取り出すと袱紗の底からチャリンチャリンと音が。

忠興「なんだこの五両は?」
家臣「はい!お釣りです!値切って九十五両にしてもらいもうした!」

・・・・・・ガシャーン!!!!

忠興はそれを聞くとやおら気色ばんで茶入を庭石に投げつけて壊してしまったという。

値切って価値を下げるとは!と怒ったとも面子を汚したと怒ったとも推測されているが怒りの真相は定かではない。
なお、この家臣が歌仙にクラスチェンジしたかどうかも伝わっていない。
923人間七七四年:2012/06/15(金) 21:37:55.03 ID:Dksa9u9y
普通に5両を店に返してやらかした家臣を手打ちにすればいいだろ
なぜ割ったwwwww
924人間七七四年:2012/06/15(金) 21:51:16.49 ID:INIqOve4
五両=家臣の首を店に返したんだよ
925人間七七四年:2012/06/15(金) 21:52:57.77 ID:VYYIVd79
だって考えるより先に人斬っちゃうあの忠興さんだもんなあ
926人間七七四年:2012/06/15(金) 21:54:39.31 ID:jKddfgQI
そろそろ好事家たちが血の涙を流しそうだな
927人間七七四年:2012/06/15(金) 21:58:55.82 ID:fR9mz/Pr
節約する気の無いもので節約自慢されるとイラッと来る気持ちはわかる
928人間七七四年:2012/06/15(金) 22:01:56.01 ID:InXLPFz0
>>920
体高一寸…土佐駒とやらはエオヒップスか何かか!?
929人間七七四年:2012/06/15(金) 22:29:54.20 ID:9jvgbY92
>>928
 四尺一寸と四尺五寸の四尺が省略されてるんだろう
930人間七七四年:2012/06/15(金) 22:43:54.05 ID:DnS5F/ik
手乗り馬かわいい
931人間七七四年:2012/06/15(金) 22:54:19.15 ID:hqbMF+mi
>>922
家臣を斬り捨てなかったところに三斎様の慈悲深い心を感じた
932人間七七四年:2012/06/15(金) 23:03:28.23 ID:jkSOzJsf
>>919-920
秀吉の人たらしっぷりには毎度関心させられる

長宗我部の奴らも、田舎者丸出しでダサさ全開の昔の自分達を
こうやって省みて記録に残せるっていうのはある意味いい話なのかも
933人間七七四年:2012/06/15(金) 23:05:08.36 ID:jkSOzJsf
>>931
いや、最後の一行・・・
934人間七七四年:2012/06/15(金) 23:06:21.02 ID:sk5ZrSMQ
落語「竹の水仙」に
一文無しの左甚五郎が宿代の代わりに竹の水仙を彫る
→細川越中守が駕籠からそれを見て、後で家来に買いにやらせる
→宿の主人が二百両です、と言うと家来は法外な値段だと言って怒って立ち去る
→越中守に高すぎて買わなかったというと、激怒した越中守は
「二百両が高いと申して買わずに帰ってまいったか。
千両、万両積んでも気が向かねば作ってくれぬ名人の品、もう一度戻って
買い求めてまいれ。買って帰ればそれでよし、もしも買わずに帰ったとき
は、家は断絶その身は切腹……」

という場面があるが、実は>>922の逸話を元にしたのであった
かどうかはしらない
935人間七七四年:2012/06/15(金) 23:13:36.53 ID:STIaeafI
四国征伐中にも上方の軍勢は金ぴかだし馬もでかいしマジ無理だから降伏しようって言ってる家臣いたよね
936人間七七四年:2012/06/15(金) 23:19:26.46 ID:6SKDqa6T
私です。
937人間七七四年:2012/06/15(金) 23:27:24.30 ID:rJOoru1V
三斎「値切ってきた当人は切腹、お家は断絶に処す。
   根切りにしてくれたわ!」
938人間七七四年:2012/06/15(金) 23:27:40.80 ID:InXLPFz0
よし、じゃぁ次は半鐘を売りに出そう
939人間七七四年:2012/06/16(土) 00:06:56.92 ID:HjePBXg+
はてなの茶碗で漏れ茶碗を手にしたのが三歳様だったら....
940人間七七四年:2012/06/16(土) 01:11:30.27 ID:Dxanh6MH
>>919-920
いつ饅頭が出てくるかと思いながら読んでいたw
941人間七七四年:2012/06/16(土) 01:41:31.26 ID:zZJ2CBf4
>>934
毛利が陣屋に宿屋の主人を呼び出して買い取る話なら知ってる

でも、やっぱり細川のほうがしっくりくるんだよなあ
942人間七七四年:2012/06/16(土) 06:00:56.46 ID:MkMiBzIv

943人間七七四年:2012/06/16(土) 09:03:26.09 ID:S57nW/9Q

944人間七七四年:2012/06/16(土) 09:03:56.93 ID:S57nW/9Q

945人間七七四年:2012/06/16(土) 09:04:51.15 ID:S57nW/9Q

946人間七七四年:2012/06/16(土) 09:06:49.77 ID:S57nW/9Q

947人間七七四年:2012/06/16(土) 09:08:14.99 ID:S57nW/9Q

948人間七七四年:2012/06/16(土) 09:09:03.65 ID:S57nW/9Q

949人間七七四年:2012/06/16(土) 09:10:01.35 ID:S57nW/9Q

950人間七七四年:2012/06/16(土) 09:10:25.83 ID:S57nW/9Q

951人間七七四年:2012/06/16(土) 09:27:31.85 ID:MkMiBzIv

952人間七七四年:2012/06/16(土) 09:29:22.60 ID:MkMiBzIv

953人間七七四年:2012/06/16(土) 09:34:48.44 ID:MkMiBzIv

954人間七七四年:2012/06/16(土) 09:35:47.49 ID:MEQFHb/L
荒らしが来てるみたいなんで早めに新スレ立ててみるね
955人間七七四年:2012/06/16(土) 09:39:18.25 ID:MEQFHb/L
出来なかった。どなたか頼みます


↓スレタイ
戦国ちょっと悪い話32

↓テンプレ
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話31
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1335874012/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1336017262/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
956人間七七四年:2012/06/16(土) 10:03:17.59 ID:J5R7cgVf
>>920
土佐っぽ田舎者すぎてかわいいwww
957和泉守:2012/06/16(土) 10:17:08.66 ID:lqw/WNsT
戦国ちょっと悪い話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1339809373/

新スレを立ててまいりました。
ささ、皆様移動を。
酒宴の用意もしておりますぞ
958人間七七四年:2012/06/16(土) 12:23:53.24 ID:Kv27Uscu
本能寺の変の直後、秀吉はひそかに安国寺恵瓊を自陣に呼び、

「中国地方を平定する計画を見せよう」

と言って秀吉に内通している毛利家家臣の連判状を見せた。
そこには毛利家重臣の名前が、たった5名を除いて全て書かれていた。
肝をつぶした恵瓊に対し、秀吉は信長の死を明かし、

「もし秀吉を追撃してくるような事があれば、そこに書かれた連中が毛利家を内部から崩壊させるだろう」

と脅し、和睦に同意するよう迫った。



毛利家家臣の日記より
清水宗治への義理だの、秀吉に恩を売るだのはウソで、疑心暗鬼に陥った毛利家中は、追撃したくてもできなかったんだということ
959人間七七四年:2012/06/16(土) 12:43:01.02 ID:2XxBulvc
まっさきに裏切りそうなのが安国寺恵瓊の気がする
960人間七七四年:2012/06/16(土) 18:13:43.24 ID:OKZwSJIH
>たった5名を除いて全て書かれていた
ここまでアレだと嘘臭いけど、敢えて信じるたのが恵瓊さんっぽい
961和泉守:2012/06/16(土) 18:22:36.83 ID:4N+TSOhA
してその5人とはどなただったのですかな?
962人間七七四年:2012/06/16(土) 18:27:13.06 ID:WyKotWyo
>>958
これ玉木吉保の「身自鏡」から引用してるんだろうけど

>「もし秀吉を追撃してくるような事があれば、そこに書かれた連中が毛利家を内部から崩壊させるだろう」

ここの部分は創作だね。
最後のコメントといい故意なのがよくわかる。
963人間七七四年:2012/06/16(土) 18:34:31.42 ID:Tf/BVoWS
そして時は流れて関が原、
「安国寺殿、毛利両川が徳川に寝返っているとのこと」
恵瓊「太閤殿下の真似だろう、捨て置け捨て置け」
964人間七七四年:2012/06/16(土) 18:54:07.26 ID:szB8cU31
戦国版で暴れてる粘着毛利アンチがまた荒らしてるのか
やれやれだぜ
965人間七七四年:2012/06/16(土) 19:37:36.42 ID:IBD2787b
そんなもんいないだろ何と戦ってんの?
966人間七七四年:2012/06/16(土) 20:49:41.79 ID:Lv42I/R8
>>962
原文を歪曲して投稿してるってことか。
原文はどうなっているのだろう?
967人間七七四年:2012/06/16(土) 21:00:57.21 ID:g6KWgoOd
たとえ史実だったとしても
おおかた連判状の内容は裏切る余地がある奴らを適当にでっちあげただけだろうと予想
968人間七七四年:2012/06/16(土) 21:29:28.94 ID:MEQFHb/L
この時の公方は足利16代(原文ママ)権大納言源義昭であった。しかれども当時は
京都が荒廃の極みであったので、義昭公はこのころ、毛利右馬頭輝元を御頼りなされて中国に御下向され、
小早川隆景の領地、備前国深津へご住居されていた。

そうではあったが、将軍家の天下の再興の望みがあったので、今年(天正12年・1584)御帰洛したいとの理由で、
去る8月に上使として一色駿河守昭秀、槇島玄蕃充昭元を以って、九州の諸将へ御内書を発した。
この時輝元からも、その二人の上使に自分の使節として柳沢新右衛門を差し添えた。

別けても大友左兵衛督義統、龍造寺民部大輔政家、島津修理太夫義久のもとに上意の趣を伝えたのだが、
この三家はこの頃鼎の如く立ち並び、闘争の最中であったので義昭を援助する余裕はなく、上意に対しての
返答をとにかく引き伸ばし、このため上使たちは何も得るものなく帰っていった。

(北肥戦誌)

ちなみにこの頃の足利義昭による九州諸侯への協力要請は実際にあった話のようで、『寛政重修諸家譜』には
「島津義久、(天正12年)9月4日、義昭また書をたまわりて義久が力を借り帰洛せむことをこわれ、康次の太刀一振、
鞍一口を贈らるる」とある。

東国では小牧長久手により秀吉の拡大が停滞していた中、西国においても足利義昭が色々と暗躍していた、
という記録である。
969人間七七四年:2012/06/16(土) 23:47:03.69 ID:MkMiBzIv

970人間七七四年:2012/06/16(土) 23:50:47.79 ID:MkMiBzIv

971人間七七四年:2012/06/16(土) 23:51:47.13 ID:MkMiBzIv

972人間七七四年:2012/06/16(土) 23:52:38.97 ID:WrXJqMA4

973人間七七四年:2012/06/16(土) 23:53:33.48 ID:WrXJqMA4

974人間七七四年:2012/06/16(土) 23:53:55.70 ID:MkMiBzIv

975人間七七四年:2012/06/16(土) 23:53:58.26 ID:WrXJqMA4

976人間七七四年:2012/06/16(土) 23:54:33.74 ID:WrXJqMA4

977人間七七四年:2012/06/16(土) 23:55:13.63 ID:WrXJqMA4

978人間七七四年:2012/06/16(土) 23:55:54.35 ID:WrXJqMA4

979人間七七四年:2012/06/16(土) 23:56:32.29 ID:WrXJqMA4

980人間七七四年:2012/06/16(土) 23:56:40.03 ID:MkMiBzIv

981人間七七四年:2012/06/17(日) 00:02:11.51 ID:XeYlV+Uz
またキチガイ埋め荒らしが…
982人間七七四年:2012/06/17(日) 00:20:11.42 ID:rNepJm1z
次スレ使おうぜ!
983人間七七四年:2012/06/17(日) 00:23:43.70 ID:w61+sYHP
佐々と埋めて次スレへ
984人間七七四年:2012/06/17(日) 00:25:17.84 ID:rNepJm1z
佐々さんは立山連峰に埋まらなくてよかったですね
985人間七七四年:2012/06/17(日) 01:39:06.80 ID:H3WCTj/O
「16代」なのは再任官を代数に数えたからか
986人間七七四年:2012/06/17(日) 08:11:23.18 ID:bipRdTOp
黒官「おや小西殿、その異国の書物はなんですかな?」

小西「これは黒田殿、この書物は聖書と言って・・・・・」

黒官「ふむふむ・・・」

ガシッ!
黒官「!!」

蒲生「黒田殿!伴天連の教えは、」
高山「良いものですぞ!」


黒田孝高は最初小西行長がきっかけでキリストの教えに興味をもち、蒲生氏郷と高山右近が強く勧誘したので教徒となった。

ルイス・フロイスの日本史より

黒田官兵衛陥落のいきさつ
987人間七七四年:2012/06/17(日) 09:22:37.79 ID:ouFC4Z+h
これは悪い話なのかw
その後黒官も戦場に説教師を連れて行って熱心に布教をするんだよな。
毛利秀包や大友義統を教徒にしたのは黒官。
988人間七七四年:2012/06/17(日) 09:24:21.86 ID:vz74pWME
官兵衛さんは腹黒キャラに描かれることが多いけど数々の逸話からすると人当たりが良く付き合いやすい人と思って良いのかな
989人間七七四年:2012/06/17(日) 09:54:53.41 ID:E7pWIq+2
実はソレすら演技…なんてねw
謀殺とかはあの件くらいしかやってないし、割と黒官さんは汚れてないイメージ
990人間七七四年:2012/06/17(日) 10:27:34.55 ID:v0aB3C/m
黒官は冗談が好きで思わず野心めいたこと言ったばかりに腹黒キャラにされてるイメージがある。
信長が大魔王にされたように。

本当は結構な律義者だったのでは?
関ヶ原後の九州北部制圧もただ単に反乱分子の鎮圧に回ってただけっぽいし。
991人間七七四年:2012/06/17(日) 12:34:35.39 ID:lwLnVLvX
名前に黒がついていれば悪役にされるんだよ、
と大伴黒主が
992人間七七四年:2012/06/17(日) 12:50:01.77 ID:vKFNom+q
ホッシャ
993人間七七四年:2012/06/17(日) 13:18:17.41 ID:wu8WFZfR
>>989
城井さんの件も、時間的制約もあってやむを得ずって感じだし、後で神社建てたりと、
生涯で悔いの残った出来事ランキングのけっこう上位っぽい
994人間七七四年:2012/06/17(日) 13:22:04.34 ID:FeA03xLK
小西高山に嵌められたら悪い話?
995人間七七四年:2012/06/17(日) 13:48:47.80 ID:T61oWLJw
城井で手間取ったら佐々の二の舞だからね
996人間七七四年:2012/06/17(日) 21:58:52.62 ID:FeA03xLK
1000
997人間七七四年:2012/06/17(日) 22:00:16.54 ID:FeA03xLK
なら
998人間七七四年:2012/06/17(日) 22:00:58.14 ID:IpwV9peb
宇喜多直家と松永久秀が
999人間七七四年:2012/06/17(日) 22:01:18.82 ID:FeA03xLK
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログが
1000人間七七四年:2012/06/17(日) 22:02:33.05 ID:FeA03xLK
2ちゃんねる運営より
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/