1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 17:54:40 ID:RtTV3MQU
このスレのパターン
・特に話題も無く過疎る
↓
・三成厨を装う、、、のageキチガイが脳内妄想を書き散らかし、さらに清正厨を装って
清正厨vs三成厨という自作自演をする
↓
・よせばいいのにここの住人がそれに付き合う
↓
・しかし、、、は基本ワンパターンかつ無知なので議論も深まらずグダグダになって終わる
↓
・過疎る。そして上に戻る。
3 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 18:53:55 ID:Exjf8cKS
おつ
なんつーか、もう、、、をNGワードであぼんすればいい気がしてきたw
4 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 19:36:17 ID:RMTPRyhl
5 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 19:55:03 ID:RMTPRyhl
とにかく三成さんに関しては言いたい事は言わせてもらったので書き込みする事はありません
6 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:02:45 ID:zaYWelHf
家光の側室のお振の方が三成の曾孫っていう説はどこまで信憑性があるの?
つか、三成の子女って関ヶ原後みんな許されてるんだよね
7 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:09:09 ID:Exjf8cKS
>>6 基本的に、男子はまだしも女は許されるのが戦国の習い
だから秀次事件で女までほぼ皆殺しっていうのが異常になるわけで
8 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:13:22 ID:zaYWelHf
いや、息子も二人とも許されてるでしょ?
9 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:15:03 ID:RMTPRyhl
秀次事件に関しては全て秀吉が悪い
三成にとって秀次ファミリーを抹殺してもメリットは無い
10 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:18:17 ID:RMTPRyhl
息子の一人が津軽家の家老(津軽家独立に三成が協力したので恩返しに家老にさせた)
息子の一人は出家して石田の菩提を弔う
息子の一人は備前で庄屋になる
11 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:56:11 ID:v55zNbU+
12 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 20:57:05 ID:Exjf8cKS
>>8 あれ、そうだっけ?すまん勉強不足
佐和山で息子も死んだって聞いてたから
>>10 d
意外に石田の息子はうまくやってるんだな
13 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:02:07 ID:sxoz8ETY
助命した家康のおかげでもあるけどね
14 :
魔王:2010/02/11(木) 21:19:24 ID:Nu+lgJLA
虎の威を借りる小童めが、武を誇るからじゃあ
15 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:27:02 ID:DknKYCPg
>>7 信長はもちろんだけど、家康も刑部城で女子供にいたるまで惨殺してるよ。
16 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:31:48 ID:Exjf8cKS
>>15 そういう場合はわざわざ”撫で切り”って言うだろ?
普通はやらないからこそ、わざわざ名前が付けられる行為なんよ
記録にもあまり好意的に書かれないしな
17 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:32:41 ID:RtTV3MQU
>>15 刑部城なんてまた、昔話みたいな伝承のことを持ってくるとはw
18 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:34:33 ID:RMTPRyhl
>>12 さわ山城で自害した甥の朝成と勘違いしてるんじゃない?
19 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:34:51 ID:sxoz8ETY
>>15 やったのは堀川城
これは掛川城を攻囲するために、後方連絡路を何としても維持しなければならなかったから
嫌な話だが合理的ではある
20 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:36:50 ID:RMTPRyhl
一方で石田の息子達を生かし一方で石田の先祖の墓すら壊させて三成本人の墓を立てる事すら許さなかった家康て
まさに本音と建て前は違うって事かい
21 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:40:23 ID:zaYWelHf
家康と三成が本当に対立してたかは疑問視されるところもあるらしいね
三成の子孫が徳川家と浅からぬ縁になってることもあるし
22 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:44:35 ID:RtTV3MQU
>>20 大名家としての石田家を解体することではじめて、三成の子女を救うことも出来るわけだが。
23 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:46:27 ID:RMTPRyhl
家康の最愛の妻の甥と三成の娘が恋愛かなんかで結ばれてたし石田自体が挙兵する事をためらっていたが我慢しきれず、、家康は三成挙兵むしろ意外でまさかという感じだったというのが真相か
ドラマでもそのあたりを膨らませればもっと面白いドラマが作れそう
24 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:46:53 ID:TosGem5P
25 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:47:51 ID:Exjf8cKS
>>23 あ、なんだ、、、の人か
せっかくNG入れてるんだから、、、付けてくれ
26 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:48:40 ID:8AuGAfx/
>>6 三成の次女が孝蔵主の甥の岡重政に1599年に嫁いでる
お振の父はその重政の息子岡吉右衛門といわれてるからそれなりに信憑性はあるかと
岡重政はその時上杉家臣だったらしいからその辺漁れば出てくるかも
27 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:49:23 ID:RMTPRyhl
↑一部アンチが悪口を書いてたので正直うんざりして書き込むのをやめにしょうと思ったがまともになったので復活したまで
28 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 21:53:14 ID:DknKYCPg
>>16 もちろん良くある出来事ではないが、「異常」だなんて表現がおかしいって言ってるんだけどな。
>>19 戦闘終了後、捕らえられた者も集められて処刑されてるだろ。
29 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:00:59 ID:zaYWelHf
いや、秀次事件はある意味異常だと思うけどね
だって実際秀次は何も事を起こしてないのに、連座者も多すぎるし、
妻子の助命基準もよくわからん
それと三成の関係も曖昧だし、浅野細川藤堂がアンチ三成なのが秀次事件のせいとも言えないような
30 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:07:32 ID:sxoz8ETY
>>28 この手のものは半端に終わらすと、またやる
不正規戦の典型
見せしめの意味合いもある
余裕が無い時に危険分子を根こそぎ滅ぼすという一つ例
31 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:24:55 ID:RMTPRyhl
秀次にかんしては自業自得と言えないまでもない
秀次の側近木村が三成にライバル心むき出しで諸大名に秀吉への反乱を煽ったが秀次を監視してた田中堀尾山内などが秀吉にちくったので怒りくるった秀吉が側近などまとめて粛正したというのが真相
秀次も被害者ではある
秀次が木村などを追放して三成を自らの陣営に引っ張っれば歴史は変わっていたかも
ところが秀次ときたら三成が一番警戒してた伊達と親友になるわ三成を敵視むき出しにするわ秀吉の子供と自分の娘との縁談を断るわ情勢を見極められんかったんかい
32 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:36:24 ID:Exjf8cKS
>>28 そうかな?異常だと思うよ
普通ああいう処刑は、遺族や縁者が乞うなら遺体は引き渡すものなのに
問答無用で穴に放り込んで、あげくの果てに畜生塚だろ?
しきりに「豊臣はもうダメ」みたいな落書が揚げられたらしいがさもありなん
33 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:36:52 ID:DknKYCPg
>>29 勝手に調停に献金したり、諸侯と誓紙のやりとりをしたら叛意ありと思われても仕方ないだろ。
>>30 秀次事件もそうだろうね。
34 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:37:37 ID:Exjf8cKS
35 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:39:18 ID:Exjf8cKS
>>33 勝手に、っても秀次は関白だからなぁ
後で政宗も「次の権力者と仲良くしてて何が悪い」って言って許されてるだろ
36 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:45:43 ID:sxoz8ETY
>>33 秀次事件は不正規戦でなく、政争だから扱いは異なる
族滅というのは身分の低い者へならともかく、関白へ行うものとしては
悪影響があり過ぎる
37 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:56:50 ID:DknKYCPg
>>35 関白であっても政権を完全に委ねられた訳じゃない。織田・徳川政権も同じ。
あと、女まで殺すのは異常って言ってたのに殺し方の問題に言い換えるのは良くない。
>>36 反乱分子に対する処遇としては同じ事。
危険分子を根こそぎ滅ぼし、見せしめにする。
戦国武将なんだから信長も秀吉も家康も残忍な行為があって当たり前だろ。
なんで特定の人間の行いだけ正当化したがるのか分からん。
38 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 23:08:14 ID:sxoz8ETY
>>37 関白一族族滅は影響がでかすぎるという話
べつにどっちが残虐かという話ではない
39 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 23:08:16 ID:Exjf8cKS
>>37 え、別に特定だけ正当化してるわけじゃないが・・・
それに、撫で切りを異常じゃないって言ってるわけでもないよ
女まで殺されるのは戦国の通例としては異常なこと
ただ秀次の連座処刑については、処刑の場合は願えば遺体が下げ渡されるのが普通なのに
それも許されず、その辺に掘った穴に無造作に投げ込まれて「畜生塚」とまで言われた
異常なことが二つ重なっていて、それが京童の評判にもつながったわけだ
40 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 23:28:36 ID:DknKYCPg
>>38 そもそも「女まで殺すのが異常」という話であって、
豊臣政権に対する影響についてなんて話はしてないはずだけど。
>>39 あんたは別に徳川の事言ってる訳じゃないだろ。
で、女まで殺すのが異常だというなら信長だって家康だってやってるって話。
41 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 08:22:15 ID:jR+8LHZ3
>>40 落ち着け
誰も「秀吉だけが悪い」なんて言ってないだろ
被害妄想すぎるぞ
42 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 09:10:53 ID:am1/swUB
>>41 落ち着けだとか被害妄想だとか意味が分からないけど、
「女まで殺すのが異常」っていう事に対して「異常」という程の事じゃないって突っ込んでるだけ。
43 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 09:50:12 ID:jR+8LHZ3
>>42 いや、「普通」は問答無用で女まで殺さないんだよ、ちゃんと調べればわかる
だから女や牛馬まで殺す「撫で切り」や、秀次事件の連座は「異常」で正しい
他の人がやったことがあるから「普通」なわけじゃない
信長がやろうと家康がやろうと秀吉がやろうと政宗がやろうと「普通じゃないこと」なわけ
普通じゃない=常と異なる=異常、だから正しいんだよ
44 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 18:42:23 ID:DS2E9zdU
秀次事件は脇に置いて、戦場で女が殺されることは異常でもないけどな。
45 :
人間七七四年:2010/02/12(金) 22:08:20 ID:1gY2RJTu
ていうか、みんな三成の話をしようとしないのはなんでなんだw
46 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 00:47:05 ID:TRxTiwF8
荒れるからじゃね?
47 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 01:28:27 ID:Qny3mDwG
関白を粛清して徳川に政権交代できたんだから因果応報でめでたしめでたしだろ
秀吉が間抜けなだけだから気にすることは何もない
48 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 02:09:12 ID:6indW0rS
粛清しなきゃしないで結局火種が残るだけ。
49 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 13:33:56 ID:duGnu1mK
普通やらない事を全部異常だとか言ってたら異常だらけだな
50 :
人間七七四年:2010/02/13(土) 17:58:55 ID:dDVVdXEZ
地獄の内府が君を狙っている 勇気を出すんだ戦いはこれから
豊臣の天下夢みてやってきた 福島正則が君の事睨み付けてる
51 :
人間七七四年:2010/02/15(月) 14:25:17 ID:wBk94JLo
>>49 い‐じょう〔‐ジヤウ〕【異常】
普通と違っていること。正常でないこと。また、そのさま。(大辞泉)
普通やらないことが異常じゃないなら
いったい何をもって異常って呼ぶの
52 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 01:08:15 ID:EmNg4YV2
通常起こり得る事からどの程度かけ離れていたら異常と呼ぶのかは個人の感覚による。
一般の感覚から少しずれている人がいたら全て異常な人間、
日常と少しでも違った事があったら全て異常事態とかいう感覚の人もいるかもね。
53 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 09:58:50 ID:1r6n8bR3
どうしても秀次事件を異常事態としたくない奴がいるみたいだなw
残念ながら、京洛中に批判の高札が立ちまくった程度には異常事態でした
54 :
人間七七四年:2010/02/16(火) 21:58:40 ID:pPu0ZAS4
異常だろうがなんだろうが豊臣は関白を粛清して幼児に賭けた
そして賭けに負けて滅びた
それだけのことさ
55 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 09:01:06 ID:6Xurrvyh
>>54 自分がやってきたことを考えれば
あの後の豊臣の末路はわかるだろうになぁ
所詮はその程度の人間だったってことだな太閤サンも
56 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 14:04:07 ID:MIKi94hv
57 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 17:38:06 ID:77+/f7/j
秀吉死後から関ヶ原まで誰も豊臣を潰そうだなんて行動していないのに
>>55みたいな事言う馬鹿が時々現れるな。
58 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 23:20:48 ID:wUdboqIq
豊臣を潰すの定義次第だな
単に五大老五奉行制を潰すことなのか、豊臣政権を潰して別政権にすることなのか、豊臣家を消滅させることなのか
最初の意味なら家康はもちろん武断派大名も三成をはじめとした官僚が居座る体制を破壊する気でいたことは間違いない
59 :
人間七七四年:2010/02/17(水) 23:31:48 ID:77+/f7/j
定義も糞もねーよ。
秀吉に恨みが合って豊臣家を潰すという事と、豊臣政権の体制を変えるという事は全く違う。
60 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 19:01:17 ID:sIXSWvAj
過疎ってるね
61 :
人間七七四年:2010/02/20(土) 23:37:10 ID:gyZjMVhX
まぁ、アンチがいないとこんなもん。
62 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 05:23:20 ID:QW+xIW9h
ネタもあんまり無いしね。
最近の三成関係だと、佐和山城の石垣は彦根城には殆ど再利用されていないことがわかり、
佐和山の石がどこに消えたのか解らない、ってはなしくらいか。
63 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 11:12:05 ID:B4UsJLSL
もともと転用できるクラスの石が少なかったんじゃねかに
64 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 12:00:30 ID:gYJ1yV8i
そうじゃなくて、佐和山城跡に石垣が殆ど残っていない
65 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 13:24:00 ID:B4UsJLSL
土台とか見えない部分に転用されてるんじゃろ、
旧型の山城だし石垣自体も少ないだろうし使われてた石も
小型で不揃いだろうから表には使えなかったとかじゃね
66 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 20:09:17 ID:QW+xIW9h
>>65 土台と言うか、石垣と言うのは土塁の側面に石を詰んだもの。
積み石と土塁の間に、裏込めと言う小石の層をつくるのだが、これは、いくら旧型と言っても
それなりの大きがあったに違いない佐和山の石垣からもってきてわざわざ小さく加工するより、
付近の河原などから持ってきた方が早い。
よって、そういう土台に使われた可能性も無いのだよ。
67 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 01:10:59 ID:ayFPjacZ
佐和山から持ってきて流用できない分は埋めちゃうのが手っ取り早いだろ
68 :
人間七七四年:2010/02/22(月) 01:56:11 ID:dWBE/XKT
彦根城の石垣で、佐和山から持ってきたと確認される石は、3つしかないそうな。
もし佐和山の石を全部運んできたのだとしたら、壮大な無駄だな。
最初から彦根城に流用出来そうな極少数の石以外は、運ぶことは無かったと考えるべきだろう。
69 :
人間七七四年:2010/02/23(火) 00:01:37 ID:Ct3T+3lT
石垣の石だからといって石垣にりゅううようせなかんわけではないだろうが
70 :
人間七七四年:2010/02/23(火) 01:34:44 ID:DBGrhNI/
漬物石とかな
71 :
人間七七四年:2010/03/01(月) 01:28:48 ID:O5lapb41
三成の怨霊から逃げ出すための彦根城だろうが。
誰が怨霊の呪いのかかった石垣石なんか持ってくるかw
72 :
月孔雀:2010/03/01(月) 08:22:32 ID:nf8QrHxn
豊臣政権の事務次官、石田三成。
73 :
人間七七四年:2010/03/01(月) 09:39:25 ID:5mZsE8Fl
74 :
人間七七四年:2010/03/03(水) 22:48:13 ID:tQ79DWDb
佐和山城なんて基本は南北朝時代の防衛思想で作られた城だしな。
75 :
大野修理:2010/03/04(木) 05:03:13 ID:cgQ7jp1S
兄貴!(穴的な意味で)
76 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 02:10:35 ID:RTYLYTfn
関ヶ原合戦を天下の名合戦にしたのは石田三成家臣団の奮闘ぶりにありと主張する笠谷和比古氏の講演会。
三成ファンは必聴!
3月20日(土)午後2時〜3時30分
関ヶ原町ふれあいセンター
講演:笠谷和比古「関ヶ原合戦の真相」
主催:関ヶ原町教育委員会
77 :
人間七七四年:2010/03/11(木) 19:55:55 ID:XXBW5Asu
ちぇすと逝け、関ヶ原!
78 :
人間七七四年:2010/03/12(金) 14:37:55 ID:bUGmqmcs
>>73 一瞬なぜか直江兼続の事かと思ってしまった
79 :
人間七七四年:2010/03/13(土) 18:22:22 ID:4rhphfdh
80 :
人間七七四年:2010/03/30(火) 00:49:58 ID:DSvBUFuX
真説・石田三成と三成伝説を買った人いるかな?
81 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 07:43:30 ID:DvszYFvm
保守がてら三成初心者が質問いいでしょうか?
昨年の戦国ブームで色んな本を見ると「義将」「智将」の誉め言葉ばかり、でも忠義だけで関ヶ原を起こしたとは思えず、
宇喜多さんに釣られて挙兵とも何だか思えず
かといって一昔前通説の自分の権力を取り戻す為に乱を起こした奸臣とも思えません。
沈み行く船の様な豊臣政権で復権したところで甘い汁もないでしょうし。
大人しく徳川に切り崩される豊臣を見送りながら佐和山で隠居という選択肢はなかったのでしょうか?
家康も北政所は生涯手厚く遇してしますし、その北政所に三成の娘が養女に行っている訳ですから
改易やらはくらうでしょうが小大名として残れば良かったのにと思ってしまいます。
初心者の香ばしい質問ですが皆様のご意見をお聞かせください。
82 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 22:37:08 ID:zgs6GHdC
>>81 とりあえず関ヶ原に関して言えば忠義がなかったとまでは言わないが、
忠義だけではなかったろうと俺も思うよ
野望のない清廉潔白な忠義の士、というのはまぁ聞こえよくはあるけど
いくらなんでも持ち上げすぎだし、実際そうだったようにはあまり見えないなぁ
隠れなく有能な人であることは確かなんだけどね
秀吉没後の奉行衆では実質三成が頭を張っていたようなものだった
というより、まぁ秀吉存命中から三成の権勢ってのは非常に大きかった
関ヶ原で勝てた場合、当然ながら三成の権勢は秀吉生前をしのぐものになる
恐らく三成は、関ヶ原合戦の勝利のその後については
鎌倉幕府における執権北条家のような位置を狙っていただろうし、
関ヶ原が西軍勝利に終わったら、確実にそうなっていただろう
三成は秀吉政権下で権力の中枢にいて、天下を動かす仕事をしてたようなもの
しかし家康には自前の部下がいて、家康の天下になれば三成ら奉行衆は当然ながら
権力中枢からは遠い、権勢もなにもない、ただの一地方小大名に成り下がる
しかも、それまでいわば「使う側」だった武断派大名との立場の差は歴然になる
秀次スレでも言われてたことだけど、三成ら秀吉の官僚にとっては
秀吉−秀頼ライン、かつ自分たちが実質的に動かす政治機構の死守が第一目標だったと思うよ
だから「家康の天下での小大名」という選択肢は、少なくとも三成にはなかったのだと考えている
そもそもそんなことを考えられるなら、はじめから家康を敵視したりはしなかっただろう
83 :
人間七七四年:2010/04/19(月) 22:44:22 ID:zgs6GHdC
あ、秀次スレじゃなかった
逸話検証スレだった、すまん
84 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 04:07:24 ID:26dkPRRV
三成が家康を敵視したのは、家康の元に独自の、しかも豊臣政権よりもずっと進んだ
組織や機構が整備されていたことが大きいだろうな。
もしそれがなければ、室町幕府の管領と政所伊勢家のように、充分に共存が可能だっただろう。
85 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 21:49:46 ID:iWkdJ972
>>82 執権北条家のようなものか・・・確かにそんな感じではあるな
ただ、おそらく上杉・毛利・宇喜多もそこを狙ってただろうから
「確実にそうなっていただろう」ってとこだけは疑問だな
俺が考えるに、西軍勝利後は毛利派・上杉派・石田(宇喜多)派の三派に割れたんじゃなかろうか
(宇喜多は石田派に担がれる形で取り込まれるだろう)
家康を釣り出す功ををなした上杉はもちろん、総大将を勤めた毛利にも
多大な恩賞を与えないわけにはいかない
しかし、徳川亡きあとの「執政」というポジションを上杉毛利が黙って明け渡すはずはなく、
石田=宇喜多はなにがなんでも自分たちが引き継ぐように画策するだろう
この後までは予想がつかないが、ここまでは確実に1〜2年で起こるだろうな
86 :
人間七七四年:2010/04/20(火) 23:14:46 ID:T+mblEOV
二頭体制という政治構造上、秀吉と言う箍が外れれば、その二つの勢力が対立するのは当然の成り行き。
七将襲撃事件も手打ちの条件が三成のみの処分となった為、三成と反石田グループの争いだと思われがちだが、
本来は親徳川派と石田・増田・毛利・上杉らとの対立であって、これは家康と利家の対立からの延長線上のもの。
関ヶ原はそういった対立が具象化したものであって、三成と家康の個人的な対立は関係ない。
対北条戦での対立から、ある程度の確執はあっただろうが。
87 :
人間七七四年:2010/04/21(水) 02:16:11 ID:Qaulmcw6
>>86 家康と利家の対立という図式に仕立て上げたのが三成だろう
秀吉の遺言である太閤置目には「政務は家康が執り、家康がいないときは
前田玄以と長束正家が代行するように」とだけある
五大老・五奉行の合議で政治を行うようにする、というのは
秀吉死後の9月3日に大老・奉行間で交わされた誓紙で初見だったりする
つまり、政務から外された格好になった三成が直接政治に関わるために
家康が政治を行い突出するのが気にくわない奉行・大老を抱き込んで
家康vs大老・奉行という構図を作り出した、とも考えられるんだよな
その後の展開や状況的に勘案すると、三成が主導したと考えるのが妥当じゃなかろうか
そういえば少し時代が下るのでなんだが、景勝公御年譜には七将襲撃事件について
「利家味方の大名等打寄て評しけるは、石田与党の輩は今般利家卒去に時を得て
利家方の者ともを討ん由陰謀の風説あり 人に先せられては 臍を噛とも益なからん
是より逆寄にし三成を誅戮せんとて 日頃一味の大名に廻文を遣しけれは」
という風になっている
んで、襲撃方は「利勝一味」とされている
他の史料では親家康派か反三成派として書かれることが多いんだが
すでに石田方についていたと思われる上杉家は一体どうしてこう書いたんだろうか
実は真相はこちらなのか、もしくは単に編纂当時上杉が前田を嫌いだったのかw
88 :
人間七七四年:2010/04/21(水) 04:09:34 ID:zgjHyN/7
利勝て誰?
89 :
人間七七四年:2010/04/21(水) 06:45:11 ID:CcSaj0b0
>>87 三成が政務から外されたのが利家死後だというのに、家康と利家の対立構造を作ったのが
再び政治に関わるためって、意味が分からんのだけど。
90 :
人間七七四年:2010/04/21(水) 13:18:14 ID:Qaulmcw6
>>89 つ 太閤置目
これにも、秀吉臨終間際の8/5五大老・五奉行連署状にも
「十人の合議で政治を行う」という文言は出てこない
つまり、政務を執るのは秀吉臨終の時点で家康で、
その代行を行うのは三成ではなく前田・長束のほうだった
つまり実際に政務の実権という立場から三成は外されていたということがここでわかる
(実働部隊という意味でなら外れていないが、実権的には外れている)
で、秀吉死後の9/3連署状に初めて「十人の合議で政治をする」という文言が出てくる
家康が自ら秀吉に認められた執政権を割譲するとは考えられなく、
それによって利益を得る立場の者だから、他の奉行衆あるいは4大老だろう
(利家は「秀頼の後見」であって政治に関わるようには遺言されていなかった)
石田・増田・前田・毛利・宇喜多・上杉それぞれに動機はあるが、
その後の活発な活動と家康排除の動き、「家康派」からの反発状況から見て
この「十人合議」の連署状を主導したのはほぼ確実に三成だろうと推測するんだがな
91 :
人間七七四年:2010/04/21(水) 13:20:03 ID:Qaulmcw6
>>88 前田利長だろう
初名は利勝だし
御年譜は名前が結構適当だからなぁ
92 :
人間七七四年:2010/04/22(木) 12:52:40 ID:91F+oLqJ
>>81 >大人しく徳川に切り崩される豊臣を見送りながら佐和山で隠居という選択肢はなかったのでしょうか?
秀吉の威光をバックに威張り散らし、擬似的な天下人気分を味わっていた三成には
いまさら隠居して普通の人間として暮らす選択肢など不可能だよ
豊臣に対する忠義というより豊臣の権勢に対する中毒症状といったほうが正しいかな
たとえ秀吉が死んだって秀頼でも利家でも輝元でも何でも利用して同じことをし続けないと生きていられないんだ
家康と対立したのは別に家康の簒奪が許せないというより
家康が三成に自分の威光を貸す気がまったくなかったため邪魔でしかなかったから
93 :
人間七七四年:2010/04/22(木) 15:17:12 ID:l1AQfIig
これは多少邪推になるが、
三成時代の佐和山は、朝鮮役や災害による不作などで日本中が疲弊した時期ですら、
『善政』が敷かれていたと言う。
これはつまり、三成が政権の要職にあった間、不正とまでは言わないが、領民の負担を
軽減させるほどの「役得」が、三成に存在したことを表しているのではないだろうか。
そして政権から離れれば当然、その「役得」も存在しなくなる。
しかしそれでは役得に合わせて作り上げた家中や統治体制を維持することは不可能であり、
三成としては縮小した規模に合わせてリストラなどの統治体制の転換をするか、
それが嫌ならもう一度政権中枢に返り咲くより他はない。
こう言った視点で三成の挙兵を見るのも、ひとつの方法だと思う。
94 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 18:13:16 ID:EtO5sDbO
>>92,93
まず石田を貶めたい人たちが書いた文章だよな、はっきり言ってwww
そもそも役得て何?
石田が関ヶ原で負けた時、城には財産のかけらもなく内側は貧相な作りだったというのは事実
関ヶ原で使い果たしたというが同じく私財をつぎ込んだ名束の水口城には結構な財産が残っていた事を考えれば石田は汚い金など一切受け取らなかったという事
それが彼のポルシー
彼は天下の政治を司る事を生きがいとし私欲に走る事はしない男
だからこそ秀吉も信用したわけだ
俺は石田の地元滋賀県彦根市の者だが石田の数々の逸話を聞いている
色メガネをかけた状態で石田を語らないで欲しい
実際問題あのまま徳川の横暴をゆるしたら天下強奪は目に見える
石田の挙兵はやむを得なかった
とにかく石田は挙兵するべきではなかったと言うのは結果論でしかない
95 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 18:34:38 ID:1RvXH/GD
逆にとんでもなくバイアスかかってるなw
96 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 18:56:01 ID:SsOIqj5d
>>94 三成の評価に憤る前に、まず日本語をちゃんと書くようにしようや。
97 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 19:51:31 ID:SDLHXqVb
ポルシーってなんじゃらほい
98 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 19:58:37 ID:20MTzLsg
そりゃ財産無いのは当たり前だわな
負けたら終わりの乾坤一擲の勝負をこれからかけようって時に財産残してるほうがおかしいわ
>天下の政治を司る事を生きがいとし
これが私欲なんだよ
金銭欲だけが欲じゃない
三成の場合は権勢欲の塊だったんだろうな
だから佐和山に蟄居させられてこのまま自分の影響力が無くなってしまうのが我慢できずに反乱を起こしたんだろう
99 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 21:34:52 ID:EtO5sDbO
↑少し正論(石田ファンからの目線だが)書いたらすぐこれだ
そりゃ三成にも問題ないわけではないけどね
成り上がりのじいさんを主人にもったのは彼にとって不幸だったかも
100 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 21:50:28 ID:EtO5sDbO
>>98 そもそも反乱という言葉をだすこと自体おかしいわな
そりゃ家康が天下人の代理とはいえ見方によっては家康の方が反乱に見えなくもない
野球の田淵らと同様に結果論でしか物を言えないのですかいな
101 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 22:00:00 ID:SsOIqj5d
主観と仮説と空想に満ちた話を正論だと信じて疑わない奴は
冷静な議論をアンチだと曲解しがちだよね。
貧弱な知識をもとに頭の中で作ったマイヒーロー像が壊されるのが怖いんだろうね。
脳内妄想のスーパーヒーロー石田三成で一生オナニーしているといいと思うよ
102 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 22:29:25 ID:JxJ2Ht8q
一次資料だけを見れば石田三成は必ずしも反徳川ではないぞ。
最終的には敵対したけどね。
103 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 22:56:15 ID:JbS8tVPM
関ヶ原で運良く家康を討ち取って勝ったとしても、
秀忠・歴戦の重臣・数万の兵・徳川270万石は残っているのに
もう財産がないとかどうしようもないだろw
104 :
人間七七四年:2010/04/23(金) 23:23:20 ID:EtO5sDbO
肝心な家康が死んだらいくら徳川の兵が温存してても意味ないて
それに徳川軍は北条攻め以降実戦の経験なし
真田に返り討ちされるくらいウルトラへたれぶり
もし家康討たれたの情報が全国に広まればよってたかって叩きつぶされただろ
また豊臣も本気で西に荷担、ありったけの金銀をつぎ込み朝廷も徳川を朝敵に認定
結局秀忠泣いて土下座、戦わずして降伏
10万石程度の小大名に転落という展開は容易に予想できる
そもそも250万石の北条が一瞬で滅亡した事を考えれば家康が死んでもまだまだ戦えるというのは暴論
105 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 01:20:28 ID:6hLJcyfD
>>104 家康が死んだら確実に福島正則が東軍の盟主になって打倒三成を掲げるわけなんだが
そうなると家康よりは体制が強固になるし、正則は豊臣一門ともいえる立場で
豊臣政権内での人望は抜きん出ている
それに徳川勢が加わるわけで、ぶっちゃけ三成では太刀打ちできない勢力になるぞ
家康は所詮は豊臣では外様だからと西軍についていた大名にも
大っぴらに東軍に寝返り始めるだろうしな
まぁ、関ヶ原で家康を打ち取るミラクルは家康がいきなり前線に出てくるくらいしか無理なわけだがw
106 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 01:33:51 ID:1645vkeS
秀頼がいるのに一門ヅラしてもだめだわな、
関ヶ原敗戦となると尾張が前線になるから発言は強まるけど
豊臣政権において大老でも奉行でも無かった奴が盟主になるのは無いでしょ
107 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 07:08:36 ID:c5e3hlV4
そもそも福島は関ヶ原で大敗すればその場で討ち死もしくは捕らわれ打ち首
実際万歳突撃してかなり兵力を損失してたくらいだから逃れられるわけない(小早川が石田につき毛利秀元が動けば南宮チーム全て参戦、脇阪あたりもやむを得ず石田につけば東軍は壊滅、逃げ足の早い黒田藤堂は逃げられるだろうがな)
数多くの大名が参戦しただけに一度弱さを見せればよってたかってというのがこの関ヶ原の特徴だ
もし福島が逃れててもほとんど兵隊が残ってないし人望もないのにな
ま家康が逃れられればかろうじてリベンジの可能性ありだが
108 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 07:46:41 ID:c5e3hlV4
関ヶ原で徳川が当然勝つべくして勝ったという感じで伝えられてるが単なる結果オーライ
そもそも小早川やキッカー(彼の立場を考えれば石田についても当然)を当てにしなければならないくらい徳川は切羽詰まっていた
大阪京都が西におさえられてる以上、時をイタズラに過ごせば状況は悪化
あえて一か八か罠にかからなければならなかった
もちろん石田も大垣籠城に徹すれば小早川が裏切りさらに大阪京都が徳川におさえられる危険性があるのであそこで動くしかなかった
とにかく結果は徳川の天下になったわけだが一つ間違れば数多くのシナリオが考えられた希有な戦い
それが関ヶ原の魅力
(北条攻めとか九州征伐とかなんか秀吉圧勝のシナリオ一つしか無いがな)
まどう間違っても小大名石田が天下取れるシナリオは無いがな
109 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 10:50:38 ID:ldT5ny2w
なんで西軍厨って、どいつもこいつもこうなんだろうw
110 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 10:56:30 ID:VIciu8gz
負けて滅んだ人に傾倒しすぎると夢を見てしまうせいか
敵方どころか当の本人の事さえ、なんにも知らないんじゃないかっていうくらい
現実とずれてしうまんだよね…
111 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 11:07:44 ID:c5e3hlV4
家康のような小物が天下取ったのはある意味奇跡
浅井長政や武田勝頼とかの方が明らかに優れてるだろ
単なるごますり男に天下とられたのは日本の汚点
明智は余計な事をしやがって
112 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 21:35:34 ID:xzJaMfyz
武田勝頼は同情の余地がないこともないが
浅井長政はただのアホだろ
113 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 21:55:38 ID:Fhcm9qYe
>>108 吉川の立場を考えれば、そもそも豊臣方につくこと自体が考えられないんだがなぁ
吉川はこれでもかってくらい秀吉から冷遇されてるだろ
潰されなかっただけマシ、って待遇
というか、福島正則が人望ないってお前・・・歴史知らないだろwwww
114 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 23:48:41 ID:c5e3hlV4
浅井長政に関してはじいさんの代で恩義のある朝倉につかざるを得なかったという事、家督をついだとはいえまだ20代の若造、しかも親父はまだ健在
しかも家臣ほとんどが朝倉びいきという条件では朝倉についたのは仕方ない
それをただのアホとはな、、、、
せめて親父がすでに他界してたら織田について確実に歴史は変わっていたよな
福島の人望に関しては?という感じ
関ヶ原では池田と大喧嘩してたし
秀吉の親戚だからちょっとちやほやされてただけ
ちなみに故郷は三河の国(だったはず)
もし家康に仕えてたらせいぜい侍大将止まりの猪武者
勘違いもはなだだしいわな
この単純馬鹿は
115 :
人間七七四年:2010/04/24(土) 23:58:16 ID:Fhcm9qYe
>>114 お前が全く歴史の流れを知らないことだけはわかったw
先陣争いをしたら人望がないのかよwwwww
とりあえずお前がただのアホなのだけはわかったから
三成を庇いたいなら黙った方がいいぞ
116 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 00:06:27 ID:xkBuWPNc
↑おめーもな
お互い知ったかぶりは止めような
10歳のときからの三成オタクの俺をなめないでよ
ちなみにどう贔屓目に考えても福島だけは賞賛できない
やつは地元三河でチンピラを殺害したチンピラ
それがウルトラコネで清洲城20万石
まともな人材はいないのか
秀吉の親戚連中は
現代社会なら殺人犯のチンピラヤクザが大物に気に入られてコネで国会議員
学歴もねつ造してね
117 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 00:10:04 ID:xkBuWPNc
最近過疎ってたから無視してたが(このスレでさんざん議論してたので)また変なアンチがつっかかってきたな
無視してた方がいいかな
118 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 00:13:22 ID:VGmtzSw8
>>116 わかったわかった
とりあえずコテ付けてくれ、な?
119 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 00:43:21 ID:xkBuWPNc
>>113 徳川が天下とれば毛利はつぶされるのは目に見えている
それがわかっていたから暗黒寺が動いたわけだ
てるりんも危機感を感じ出馬したが豊臣を信用できず大阪から出られなかったようだがな
毛利全体を考えれば石田につく以外道は無いのだがな
それをキッカーときたらな
ちなみにやつは本来キッカー家の末っこあたり
それを将来の布石で家康が彼をキッカー家の家督をつがせるように働きかけたという事
とにかくウルトラ家康ラブという困ったさん
そんな私情をすて毛利家全体を考えて西につくべきだったな
暗黒の方がよっぽど頭いい
秀吉の天下を予言するほどだからな
ちなみに暗黒はかつての安芸の守護大名武田氏(あの武田とは遠い親戚にあたる)の嫡男として生まれながら父が合戦で毛利に滅ぼされ自分は幼くして出家
立派なお坊さんになっただけであきたらず仇敵毛利に自らを売り込み外交を担当
秀吉に気にいられ独立した大名に取り立てられるも豊臣毛利のためにさんざん手を打ったわけだがだった一人の馬鹿の為に
考えてみれば
キッカー、福島、小早川
この三人の知的障害者(もしくはきちがい)に天下とらせてもらったな
家康は
120 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 01:09:31 ID:VDf8Wz8m
>>119 なるほど。
>>2のパターンどおりだな。
キミさ、『、、、』の人でしょ。勉強するって言ってなかったっけ?
他将をsageても、君の大好きな三成が凄い事にはならないよ。
キミの言って内容は、誰もが子供の頃に通過してる西軍視点小説のお話。
もっと客観性を持たないとね。他の三成擁護者が気の毒になる。
121 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 01:18:15 ID:yhY4dG6F
自壊と言っていい関ヶ原地の西軍の崩れ方を見れば、石田三成という人間が
少なくとも大名レベルでは、人望が無く積極的な信頼も無かった、と言うのは間違いない。
そういう事をきちんと認識した上で、三成の魅力なり能力なりを語るのが、
三成好きであっても、正しい三成論のあり方だと思うぞ。
贔屓の引き倒しはオナニー以上の意味が無いんだよ、誰にとってもな。
122 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 02:07:59 ID:Ys9JjvyC
西軍の崩れ方云々を三成個人の人望だの信頼だので語ろうとしてる時点で小説以下のレベルの話だなw
123 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 02:39:29 ID:yhY4dG6F
>>122 三成が西軍の中心にいた以上、その崩壊に彼の資質が関わっているのは当然なんだが…
いやキミが、三成が西軍に何の影響力も持たなかった、と考えているのなら別だよ。うん。
124 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 02:51:00 ID:3sPmZT/o
マンセー以外は全員アンチ扱い
三成敵対した相手は史料に拠らない思い込みで誹謗中傷
某お隣の国も真っ青な考えでありますな
まるで三成はそんな小物に大敗するような小物pgrされてるみたいでイラッとする
それとも新手の三成アンチなんだろうか
こんな小物に潰される程度の小物でしたよって主張したいんだろうけど
アンチスレでも探して、そっちでやってくれ
125 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 06:18:03 ID:xkBuWPNc
過疎→アンチ登場(三成悪という色眼鏡をかけた人間による)→それを三成ラブによる三成擁護→三成アンチによるきちがい攻撃→三成ラブによるきちがい攻撃→やがて落ち着き過疎→アンチ登場
ずーーーーとこのパターンだな
三成さんに関して議論しつくした感があるのであまり書き込みたくはないんだが
126 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 06:37:46 ID:2dzcC5X4
19万石の三成があれだけの数の西軍を集めたのは凄い!
といって西軍の結集に関しては三成の功績にして誇る一方で
毛利小早川はおろか激戦地の真っ只中にすぐ横にいた島津すら
ヤル気を出さずにあっけなくその西軍が崩壊したことに対しては三成は関係ないとする
この都合の良さ、三成中心史観
都合の良いことは三成の功績
負の部分は三成無関係
127 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 06:40:25 ID:xkBuWPNc
ハイハイハイハイハイハイハイハイ
128 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 06:46:57 ID:xkBuWPNc
客観的とか言いながら常にアンチの目線でしか語れないアンチ三成の方々とは議論する気ないわなwwww
図書館行って三成関連の本をもう少し読んできたら?
そもそも人望がどうのって
たった18万石しかない大名、仮に人望があっても簡単についたりとかできないだろうしね
129 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 08:46:08 ID:jw1Ad2ju
18万石しか無いにもかかわらず前面に出てグイグイ引っ張っちまったからなぁ
嫌な気になった奴は居そう
130 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 10:56:57 ID:Ys9JjvyC
>>123 で?一体三成の人望や信頼の無さがどう具体的に西軍崩壊へ繋がったんだ?
131 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 11:30:34 ID:3sPmZT/o
>>130 南宮山に陣取った毛利勢に大垣入城を打診するも拒否される
長宗我部は東軍につく予定が三成によって無理やり西軍に組み込まれたのでやる気なし
島津はそれまでの三成の対応に怒って布陣はするものの動かない
小西は大垣籠城を主張したのに三成に関ヶ原へ引っ張り出されたので士気低下
関白職ほか大盤振る舞いしたのに小早川を再度寝返らせること叶わず
そんな感じで各部隊の連携が取れず各個撃破の形になったせいで
まともな撤退ができずに大将格が「逃亡」という体たらく
関ヶ原に参戦した「西軍」だけでもこの有様なんだがな
関ヶ原後は見ての通り、総大将も無事なのにやる気あるのは立花くらい
西軍の士気の低さ、連携の取れなさは異常だよ
少なくとも関ヶ原本戦においてまともに連携が取れなくて瓦解したのは
三成が大将として信頼されてなかったことの証左になる
こういうと大垣勢の大将格は宇喜多とかいわれるだろうから先にいうけど
少なくとも大垣入城後には三成の意向が作戦実行に大きく関わり
関ヶ原では三成が逃亡したことで「東軍勝利」と見なされてたわけだから、
実質的大将格は三成であったことに間違いはない
その三成に従わない部隊がこれだけいたのが何よりの証拠だよ
どれだけ三成好きでも現実はきちんと見るべきだ
「三成に人望がある」なら、そもそもあれだけ三成を嫌う人がいるわけない
132 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 11:32:58 ID:3sPmZT/o
というか、その「三成ラブ」(笑)の人に聞きたいんだけど
おすすめの「三成の本」ってなんなの?
何を読むとそんなドリーム三成になるの?
後学のために聞いておきたい
133 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 11:40:06 ID:TVlQovzk
134 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 12:33:53 ID:Ys9JjvyC
>>131 そもそも吉川は家康との講和を模索しており、その状況で家康の西上、岐阜落城、
京極氏の離反など、西軍に多くのマイナス要因が出たのだから、
そこで敢えて西軍への積極的参加などするわけもない。
島津は元々二番備若しくは後備として配置されており、当初から前線での戦闘を予定していない。
西軍が崩れる前には鉄砲隊の派兵もしており、決して傍観していた訳ではない。
小早川に関しても同様で、そもそも東軍寄りであったにも拘わらず、更に旗色の悪くなった西軍に付く理由が無い。
「勝ち馬に乗る」というのが当然の考えであって、それを何の肩書きも持たない一個人の
人望だの信頼だので解釈しようとしている時点であまりに小説・TVドラマ的考え方。
135 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 12:41:39 ID:GvIxSKFl
人望もそこそこ大事だろ
三成一人の、たった数ヶ月の間の挙動いちいちを原因原因うるさく言うとおかしくなるけど
136 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 13:04:47 ID:UNNqK0qa
>>131 三成の対応が気に入らなければさっさと戦線離脱すりゃいいのに、
なんで島津はいつまでも留まってたんだ?
しかも戦い終了間際になって家康の本陣前を強行突破してるし
島津は分けわかんないよ・・・
137 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 13:16:35 ID:TVlQovzk
この時点では、関ヶ原一戦で全てが終わるなど誰も考えていない。
大坂には毛利本家が控えてるし、別働軍もいる。
ここで戦線離脱したら、裏切行為に等しいし、物笑いの種。
武勇で名をはせた島津が取れる選択肢ではない。
138 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 15:22:01 ID:3sPmZT/o
>>134 大垣入城を打診したのは吉川でなくて毛利なんだがな
まぁ、この時点でどうやら輝元自体が三成を見捨てて降伏しようとしてたようだが
というか、実質的大将が三成なんだから、「この大将についていけるかどうか」は士気の面でかなり重要だぞ
そもそも戦国時代なんだから、今の軍隊のようにガチガチに決まっていない
各部隊に最低限の信頼関係がなければ連携すら取れないわけ
島津は後備とか言いながら鉄砲貸したくらいで、戦局不利に傾いてもまともに戦っていない
小西のやる気のなさは言わずもがな
何とかなってたのは数を揃えた宇喜多と有利地形に持ち込んだ大谷くらい
それも相互連携どころか好き勝手個別に戦ってたせいで各個撃破
関ヶ原において、東軍ではこんな無様なことにはなっていない
思うにこれは論功行賞が絡んでいて、明確に自分の手柄としなければならない理由があったんじゃないか
あるいは、同じ西軍でも信用ならないという空気ができていたか
その辺をうまく纏めるのは大将の役目であって、その役は大垣勢では三成が担っていた
しかし、その石田勢はほとんど単独で戦っていて、布陣図では突出したような位置にある
大将首であるから、当然三成は真っ先に狙われることになる
なぜ三成を捨てるような布陣なのか?
そして、撤退するならまさに後備の島津が三成を守って引くものであろうに
そうすれば島津も名分が立つだろうに、三成はなぜ島津を頼らなかったのか?
139 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 15:27:51 ID:JisZxhjk
あのちょっと質問なんですが・・
関ヶ原の後、捕らえられた三成と家康が対面した時に家康が三成に「さらば」と言ったのは史実ですか?
大河ドラマを見てるといつもこのセリフがあるので文書でも残ってるんですかね。
去年の”天地人”もそうだし、功名や葵徳川三代でもあったと思います。
140 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 17:47:56 ID:jw1Ad2ju
>>138 当初三千は居たのに退却開始時には五百にまでなってたとか言われる島津が真面目に戦ってないとか・・・
141 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 18:55:41 ID:yhY4dG6F
>>140 えーっと、西軍崩壊してどう逃げていいか解らず気がついたら敵の真ん中に出ちゃったために
フルボッコにされただけですが島津。
まさか中央突破なんてアホなこと本気で信じてるの!?
142 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 21:25:24 ID:jw1Ad2ju
三千丸々で撤退開始したって資料でもあるの?
143 :
人間七七四年:2010/04/25(日) 23:02:50 ID:cTCwMldC
南宮山の毛利勢に大垣入城を打診って何の事?
144 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 00:38:59 ID:Cn+MyUs3
>>143 毛利が到着したら山頂に登って降りて来ないので
何度か大垣に入城するように打診してたはず
結局毛利は動かなくて、三成は安国寺にその旨を問い合わせている
その後も微動だにしなかったのは史実の通り
145 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 03:29:18 ID:sSTf8EvT
>>131 三成に人望が遇ったとはいえないが無かったともいえないのでは。
19万石の失脚して権力を失った元奉行に過ぎないんだぜ。
それが各々自分の利害でバラバラの連中を一方の勢力にまとめて一戦まで持ち込んだ事実は認めないとな。
失敗したし家康に敵わなかったとはいえ、そこまでやれたのは三成だけだろ。
前田上杉は見捨てられただけだし、古くは鎌倉政権の北条と家康の行動は似ている面も多いが
鎌倉の歴々の将も結局各個撃破されて対抗勢力すら作り上げられなかったしね。
でないと、それこそ250万石で豊臣政権の代権者だったのに
関ヶ原の一戦まで持ち込まれて危うい所までいった家康を貶めることになっちゃうじゃないか。
相手が多少なりとも凄かったからこそ自分のひいきの武将が輝くものなのに
狭い視野で相手側の将を根拠も無く矮小化して罵倒するだけの厨二病からはそろそろ卒業しろよ。
146 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 03:33:29 ID:7KfSxoWL
>>145 ものすごく矛盾に満ちたことを言ってるのに気づかない?
大好きな三成を貶められて興奮しているのはわかるけど、もうちょっと考えを整理してから
書き込もうな。
147 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 11:57:59 ID:yMV5SaMY
>>114 >しかも家臣ほとんどが朝倉びいきという条件では朝倉についたのは仕方ない
結局、長政はただ何もできずに流されていっただけだろ
長政自身の存在意義がなにもないからただのアホなんだよ
>>145 >各々自分の利害でバラバラの連中を一方の勢力にまとめて一戦まで持ち込んだ事実は認めないとな。
ほとんどの恩顧に秘密裏にしながら留守を突いて蜂起したり、人質を使って脅そうとしたり
そうやって形だけでも無理矢理まとめたことを功績とすることもできるが
そういう強引なやり方が反発されて東軍を団結させ敗因になったわけでもある
三成の存在は強引な手法を使ってでも成し遂げた準備を活用してくれる優秀な総大将がいて初めて意味がある
それがいないと時間とともにメッキが剥がれる一方になってしまう
148 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 15:27:09 ID:PzjK0zVh
〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜
●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。
●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」
織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
149 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 15:54:16 ID:Cn+MyUs3
>>146 というか、これで貶められたと感じるなら三成本人を見ていないかと
三成の能力も魅力もそこにはないんだと気付かない、
ぼくのかんがえたさいきょうのいしだみつなりは完璧なので人望もないはずがない!
むしろ人望がないのは東軍の奴ら!と言い出すのが狂信者の狂信者たる所以
どうせ三成ラブ(笑)さんは、三成が街道を封鎖し
会津攻めに参加しようとした諸将を無理やり大坂に引き戻させて
人質作戦で西軍に引き入れたことも知らないに違いない
いや、これは作戦としては正しいし、もともと大坂に妻子を置くのはこういう時のためのもので
実際東軍も家康がうまくやらなければ離反が相次いだはず
ただそこで、「三成の人望のなさ」が壮絶に足を引っ張った
本来なら東軍の大量離反を招いたはずなのに、蓋を開けてみれば成果はたった一人
家康と正則の連携プレーも相まって東軍の結束を固める羽目になってしまった
また下手を打ってガラシャを自害させてしまったことで、肝心の人質作戦もgdgdに
おかげで西軍の結束も締まらなく、命令にも従わず好き勝手する連中が増えた
伊勢方面勢は特にひどくて、三成の命令なんかガン無視
こと関ヶ原に関わる一連の西軍のgdgdは、三成の人望のなさによる指揮能力欠如によるもの
ここをきちんと押さえておかないと、「なぜあれだけの人員を揃えても西軍は負けたのか」が理解できない
150 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 20:20:46 ID:2MGih+6a
↑どうせ三成ラブさんは、、とかいう部分に関してだがそんな事は小学生の時から知ってるよ
そもそも勝つためなら手段を選ぶとかいうてる人間では勝てないよ
きれいごとなんていうてられないわな
むしろこういう状況で西軍にほとんど援護しなかった豊臣家(片桐は徳川に買収されてると信じてる)の平和ぶりにはあきれかえる
俺はけっしてひいきの引き倒しでは無く冷静に三成を見ている
良い部分も悪い部分もね
三成をとにかく落としいれる事しか考えてない君とは根本的に違うって
151 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 21:36:32 ID:7KfSxoWL
そもそも兵力の拮抗した大勢力同士の争いはグダグダと長い戦乱になるもので、
応仁の乱も、畿内での三好長慶と反三好勢力、織田信長と反信長勢力の争いも、
決着まで10年以上かかった。
それが、片方の勢力がたった1日の決戦で崩壊したと言うのは、そもそもその勢力自体に
致命的欠陥があったため、としか言いようがない。
もし石田三成が西軍勢力の中心人物だと言うのなら、その資質に疑問符が持たれるのは
当然であり、
又、そのような西軍の欠陥に三成が関わっていないとすれば、三成は西軍の中心人物ではない
と言う事になり、「天下分け目の戦をやった」という三成評価自体が成り立たなくなる。
外部要因への根回しのなさ、政治力の無さも含めて、三成の欠点をきちんと認識しないと、
いくら三成を養護しても説得力がなくなる。
>>150は「三成をおとしいれる」なんて言っている段階で、すでに冷静ではないぞ。
152 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 23:02:52 ID:ajaZJu5L
豊臣には大野命と心に刺青した人が
いたんだよ
153 :
人間七七四年:2010/04/26(月) 23:50:45 ID:2MGih+6a
何だかんだ色々書き込みしてるけど結局は結果論
西が関ヶ原で圧勝する可能性(家康の生か死でその後の展開は変わるが)もあったわけだ
いくら阿呆キッカーが徳川につくと言っても毛利一門の現場監督毛利秀元のほうが圧倒的に発言力あるから彼が徳川を討つと言えば阿呆キッカーではおさえられないし小早川ももし徳川について勝っても悲惨な末路になると予想して西についた可能性もある
長宗我部もキッカーが動けば動く手筈だし島津もさすがに動いただろう
そうなれば逃げ足の早い家康も討ち取られ後はよってたかって徳川つぶし
さすがの250万石徳川も一瞬で滅亡(お江が土下座してかろうじて数万石の大名で残るだろが)してた可能性も考えられる
一説では関ヶ原の展開次第で伊達やホリコマンダー、佐竹あたりも西軍につく事も考慮してたようだし
とにかく何度も言うが(同じ事何度も言うのつかれた)家康がはじめから必ず勝てる戦いなのに三成は無謀にも挑んだという戦いでは無く
双方とも一寸先は闇の戦いであったのは間違いない
ま石田が絶対勝てると多少油断した感があるけどね
ところであそこでいきなり関ヶ原(西軍東軍どちらも戦力を分散させていたのに)にもちこまれた理由として
西軍にとって大垣城で籠城してる間に東軍に西にいかれたら小早川も東につくかも知れないしあくまでも中立の豊臣も東に味方する可能性もなくない
だから関ヶ原で食い止めたかった
一方徳川はこのままだらだら大垣城で城攻めしてる間に他の西軍が集結してしまうし何よりも上方を西軍におさえこまれてるのでなんとしても短期で決戦に持ち込みたかった
どちらも切羽詰まった状態なのだから
関ヶ原でまけても結局徳川が勝っていたというのは暴論
154 :
す@死:2010/04/26(月) 23:53:44 ID:lOKpOVEY
結局関ヶ原で戦ったのは宇喜多隊と石田隊だけだしな
布陣図見たらぞっとする、これじゃ勝てんわって
155 :
す@死:2010/04/26(月) 23:56:56 ID:lOKpOVEY
毛利頼みという時点で負けは決まってたのかも知れないな
結局糞の役にも立たなかった毛利一族w
156 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 00:03:02 ID:FeVgeTRm
>>154 その石田宇喜多に東軍ほとんどが攻め込んだにもかからわず石田の首を取るどころか逆に返り討ちにあう情けない東軍のヘタレぶりは非難しないのかな?
157 :
す@死:2010/04/27(火) 00:19:14 ID:fI4T7rPz
関ヶ原、東軍の主力って豊臣恩顧の大名ばかりじゃん
この大名連中に嫌われた時点で敗北っぽいけどね
下手な作戦考えるより
恩顧の連中を口説き落とすのが先だったかも知れんね
三成には人望が無かったからこれが出来なかった
正義はあったけどな
158 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 00:26:25 ID:EEKCZLGB
>>156 半日の決戦で壊滅させたんだから特に誹謗を受けるようなことはないと思うが?
まあそう見たい人にはヘタレに見えるんだろうけどさ。
159 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 00:29:57 ID:FeVgeTRm
もし小山で福島が石田につきますと言っていたら家康涙目
仮に福島だけ西軍についても東軍にとっては東海の浮沈鑑清洲城を敵にしただけで苦戦は必死
ある意味歴史を変えた男だな福島は
160 :
淀:2010/04/27(火) 01:05:17 ID:gZmweCTW
161 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 02:46:52 ID:m8qEznyJ
東西両軍合わせても、関ヶ原一連のMVPは福島だよ。
家康の立場に立ち、誰がいなくなったら困るか考えればわかる。
清州城の戦略的位置はもちろん、3分の1の兵数で宇喜多とガチ。
関原軍記大成なんかの講談では、壊滅寸前とか描写されてるけどね。
まぁ、
>>153のような三成信者には絶対許せない武将だろうw
162 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 04:54:38 ID:pDr5HAot
お、がんばってるな
163 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 07:25:23 ID:FeVgeTRm
他の大名の部下ならせいぜいサムライ大将どまりの無能者を20万石と東海の浮沈鑑清洲城をやった意味無いわ
天国の秀吉もそうとう激怒したとおもわれます
164 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 07:46:31 ID:drF0PnT4
>>163 で、サムライ大将どまりの無能者の根拠を言ってみてくれよ、三成ラブ(笑)?
小説、講談の類じゃなく、具体的によろしく
別に福島好きじゃねーけど、関ヶ原のMVPは同意だね
165 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 10:20:40 ID:J2vXEc8S
>>138 南宮山に布陣していた毛利・吉川・安国寺・長束・長宗我部等を主導していたのは吉川で、
その吉川が徳川寄りの立場を取っているのだから、他の部隊が勝手に下山出来る訳も無い。
吉川と黒田の交渉が輝元の与り知る所なのかどうかは定かではないが、
そういった行動は先にも述べた通り、情勢の悪化による日和見であり、
人望がどうとかいう問題じゃない。
島津は開戦当初、三成の陣へ家来を遣わして作戦を協議している。
その島津が三成の攻撃要請を拒んだのは、小早川の参戦により敗色濃厚となったためだと考えられる。
主君でもない三成を守る為に自軍を壊滅の危機に晒してまで殿軍を勤めるなど有り得ない。
ちなみに、長政記には当初先手は島津、二番備に島、三番備に三成という予定だったが、
島が先手を譲らなかった為、三成もそれを承諾したとなっている。
共通して言える事は、彼等の多くが独立した大名家であり、その大儀は「秀頼公御為」だ。
西軍有利な状況ならいざ知らず、旗色が悪くなれば三成に従う道理は無い。
それはその人物個人に人望があっただの無かっただのと言う話ではなく、組織の構造上の問題。
そういった問題を孕んだ組織に対する危険性の認識が甘かったとは思うがね。
166 :
す@死:2010/04/27(火) 18:12:21 ID:zccPvSMv
徳川の抑え役の福島が徳川につくんだもんな(笑)
おまけに蓄えた兵糧も全部上げちゃったんだろ?
秀吉も見る目ないよね、福島なんかを清洲に配置するなんさ
167 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 18:46:42 ID:FeVgeTRm
>>164 家康の家来なら主君が天下取ろうがとらまいが大名にひきたてられる事は無い
ただ単に秀吉の親戚(親戚の家に養子に入っただけで血縁は無い)というだけで大名にとりたてられただけ
そもそも関ヶ原の後、家康の家来伊奈氏に因縁つけて切腹させるような単細胞、秀吉以外誰も評価しないわな
てなわけで秀吉、自分のコネがある人間なら誰でも大名にとりたてるのはいただけない
あの知的障害者の金吾くんですら大大名とくるくらいだからな
せめて三成が甥だったら天下は続いていたかも
168 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 21:13:49 ID:b4F+YWAw
>>166 関ヶ原は、徳川対豊臣の構図ではないので問題なし。
豊臣家中の権力争いであり、武力クーデターを起こした三成等に
与する必要はない。
>>167 コネ入社だろうが、能力が伴うなら問題なし。
伊奈氏切腹の逸話について、要旨を勘違いしている。
単細胞は自分自身という事に早く気付け。
169 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 21:30:52 ID:FeVgeTRm
↑能力なんぞ無いだろ
170 :
人間七七四年:2010/04/27(火) 21:52:46 ID:b4F+YWAw
君は一生わからなくていいよ。
無知のまま、恥をさらし続るのが君らしくて良い。
171 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 01:27:58 ID:6dT7iqH4
>>169 そろそろコテハン付けてくれないかな
「三成ラブ」でいいから
172 :
す@死:2010/04/28(水) 01:36:59 ID:zrUfBWDU
金伍の大名取立ては歴史のイタズラとしか思えん
日本史史上最大の寝返りじゃね?(笑)
恥だよ恥
173 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 01:42:00 ID:ZeHJBtlP
前田さんがいるだろ
174 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 02:18:45 ID:6dT7iqH4
おっと前田さんと太閤殿下の悪口はそこまでだ
175 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 02:27:48 ID:6dT7iqH4
あ、すまん太閤殿下は寝返りじゃなく主家乗っ取りだったっけな
それにしてもよく考えたら親の因果が子に報いというか
自分のやったこと全部返されてるんだよな太閤殿下は
何人か子供がいたら一人二人は生き残った可能性があったけど
一人だったのが運の尽きだな
東軍連中は関ヶ原が往年の賤ヶ岳と同じだってのに気付いたんだろ
だからみんなこぞって「往年の秀吉」である家康に靡いた
石田三成は自分が柴田勝家であることに気付いてたのかね
176 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 03:00:05 ID:3NMwikza
まぁ、次の奴は主家乗っ取りどころか、主人もその子供もぶっ殺したけど、報いは無かったな。
やるなら中途半端な事はせず、極悪非道に徹せという事だな。
177 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 03:27:42 ID:0P5gM/Py
秀吉から見た織田と
家康から見た豊臣じゃぜんぜん違うからな
前者と比べれば、後者の恩義なんて無いも同然
内も外もそれが分かってるから綻びなんて出て来ないわな
むしろ今川からの離脱で三河、松平は大混乱
家康にとっては三河統一戦〜武田侵攻での国人衆との関係がそれにあたる
正念場だったな
豊臣との関係のほうが全国的だから大掛かりに見えるが
178 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 04:12:05 ID:3NMwikza
自分が壊した政権の問題点から学習したから破綻しなかったに決まってんだろ。
恩義だとか馬鹿じゃねーのw
179 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 04:33:46 ID:0P5gM/Py
なんだ報いなんて言葉使うからそういう話がしたいのかと思った
180 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 04:50:31 ID:3NMwikza
皮肉も分からんのか
181 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 04:54:26 ID:0P5gM/Py
金吾秀吉利家の流れだと恩義がないと皮肉が成立しないからな〜
182 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:14:53 ID:3NMwikza
皮肉の対象が間違ってんだよ。理解出来ねーならレスすんなカス。
183 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:24:17 ID:Ty653CJr
なんか三成のスレっていっつも擁護とアンチの煽り合いばっかだな。
一部いい意見もあるけど全体的に矛盾してるスレばっかだからグダグダなのに未だによく続いてるよな。
信者もアンチもファンのうち、の論法でいけばろくにスレの続かない武将よりはましなのかな。
おまえら、治部さんと越中さんみたいに柿でも食ってちょっとは仲直りしろや。
184 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:28:48 ID:bbtX36y9
報いを待てや 羽柴筑前
185 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:30:32 ID:0P5gM/Py
なんかいつもの三成スレだよな
報い、極悪非道、馬鹿、カス
こういう感情論の世界
186 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:36:25 ID:3NMwikza
皮肉にとんちんかんなレスしたのを馬鹿にされたからって間接的に文句言うとか恥ずかしすぎるw
187 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:43:04 ID:0P5gM/Py
結局その話がしたいのか・・・
「上の3人に恩をあだで返すような奴というけど家康もそうだろ」
ってのが176の皮肉でしょ
こう読ますんじゃないなら、176は言葉足らずだったかもなー
188 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 05:50:03 ID:3NMwikza
は?その話がしたい?どこをどう読んだらそう取れるんだよ。
マジキチw
189 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 12:58:08 ID:rxJwBFD6
・特に話題も無く過疎る
↓
・三成厨を装う、、、のageキチガイが脳内妄想を書き散らかし、さらに清正厨を装って
清正厨vs三成厨という自作自演をする
↓
・よせばいいのにここの住人がそれに付き合う
↓
・しかし、、、は基本ワンパターンかつ無知なので議論も深まらずグダグダ ←いまここ
↓
・過疎る。そして上に戻る。
190 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 14:59:54 ID:hQsdMWQg
>>176 秀吉も信孝やその妻子・母を殺してるぜ。
191 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 15:34:06 ID:/uCbw4gM
神戸信孝がいつ信長の後継者になったんだよ。
192 :
人間七七四年:2010/04/28(水) 20:30:33 ID:zv8+/HGA
信孝は明確に敵対してたし、秀吉陣営にとっての織田家棟梁の秀信の後見役はあくまで信雄だったからね。
しかも一度降伏して後見役を剥奪された後も兵を挙げる始末。信包みたいに大人しくしてりゃ生き残ったでしょうに。
秀吉が秀信にしたみたいに家康も秀頼を大名として残す気がなかったわけじゃないのでは。
でも大坂の連中がやりたい放題やりすぎたからねぇ。
193 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 02:45:49 ID:ReF+IsT0
豊臣恩顧の大名をしっかり仲間に引き入れておけば関ヶ原にも勝てたかな?
194 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 02:56:13 ID:vVsQUn5Y
そんな一枚岩ならそもそも関ヶ原は起こらん
195 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 00:02:28 ID:O2YCKvK/
弱冠27歳で自害を命じられた信孝カワイソス
196 :
仙台藩百姓:2010/05/04(火) 08:06:05 ID:MTJrrYH5
戦争責任者が殺されるのは自業自得だお( ^ω^)
死にたくなければ百姓でもする事だお( ^ω^)
197 :
人間七七四年:2010/05/04(火) 21:27:51 ID:MGYHvVnU
百姓が「むざ」と殺されなくなったのは江戸時代からだけどな。
198 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 01:07:58 ID:x7CFaWm8
石田三成って、関ヶ原の前まで、京都を抑えてたんだから、帝から錦の御旗貰って、
徳川を朝敵にすれば西軍勝ってたんじゃね?
199 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 01:40:27 ID:xIrJZpEJ
200 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 01:40:28 ID:pBu6ITJK
関ヶ原で家康は「豊臣家の敵」にすらされていないんだから、更にワンランク上の朝敵になんて
できる訳ないだろ。
三成の政治力と言うのは限定されたものでしか無い。
201 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 12:11:17 ID:x7CFaWm8
202 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 16:58:43 ID:QoDPgTLp
何その太閤立志伝
203 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 18:48:26 ID:IEmDikzA
やはり奉行職をとかれ単なる一地方大名という立場ではなすすべ無しか
ちなみに時の天皇は大の豊臣びいきなので(関ヶ原後のゴタゴタで徳川の手で隠居させられた)朝廷を味方にできない事はなかったが肝心な豊臣が徳川にベッタリでは話にならんわな
ありったけの黄金を西軍に提供してれば歴史は変わっていたはず
全ては獅子心中の虫片桐か
204 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 18:57:55 ID:pBu6ITJK
ID:x7CFaWm8とかID:IEmDikzAみたいな気持ちの悪ーいゲーム脳は
頼むから一般の本屋で買える通史ものでいいから、関ヶ原前後について書かれた
歴史書を数冊読んで勉強してから書き込んでくれ。
まあ本を読むような根気も情熱も持っちゃいないだろうが。
205 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 19:06:04 ID:IEmDikzA
↑なんか言うてるけど結局は金次第でしょ
豊臣が黄金を惜しげも無く使うという態度を見せれば毛利や島津などなど目色が変わるし展開はかわってるはずだ
側近の大野が人質にとられず大阪にいればどうなってたか
石田の性格がどうのこうのとかの問題ではないとおもうがな
206 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 19:08:20 ID:pBu6ITJK
>>205 勉強してから言え。お前はただ感や推測で言っているだけだ。
きちんと勉強して、その上で言え。
207 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 20:05:01 ID:IEmDikzA
↑知ったかぶりはお互い様www
関ヶ原に関してはいろいろな角度から検証してるつもり
なぜ三成は大垣で籠城しなかったのか
なぜ家康は秀忠をまたずにあそこであの時点で決戦にうってでたのか
またなぜ福島が家康の野望のためにあそこまでやったのか
また毛利が総大将に担がれながら大阪から動けなかったか
あの時もしこうなってたら、、、
展開によって幾通りのパターンが考えられた
それが関ヶ原の魅力です
今伝えられてる関ヶ原の結果は幾万通りのシナリオの中のほんの一つでしかない
もし豊臣が西軍に100%バックアップしていたら
そして大阪城に眠る黄金をありったけ使っていたら
さらに天皇をも担いでいたら
それが東軍の諸将にも伝わっていたら
どうなってたかは言うまでもない
徳川が当たり前のように勝つべくして勝った
これ以外のシナリオは考えられないとかいうてる時点でたかがしれてるよね
勉強しろとは自分の事じゃないのかな(て書くと基地がいになって知識をひけらかしまくると思うのでスルーさせてもらいます、あしからず)
208 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 20:54:16 ID:r0vbNVYO
IFを語るにしても基本的なことは抑えてもらわないとアレだわな
209 :
人間七七四年:2010/05/10(月) 21:58:09 ID:xIrJZpEJ
>>207 信長の野望か太閤立志伝でもやってろ
あと安価くらいちゃんと付けられるようになるまでROMれ
210 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 02:42:26 ID:E0olp4g1
>>207 >もし豊臣が西軍に100%バックアップしていたら
>そして大阪城に眠る黄金をありったけ使っていたら
三成は秀吉個人に信頼はされていたが、秀吉が死ねば豊臣家中での信頼はむしろ低いくらいだ
三成が蜂起したから豊臣から黄金をありったけ差し出すなんてありえないこと
>さらに天皇をも担いでいたら
天皇を担いだら秀頼に存在価値がないと宣言しているに等しい
そんなものは自殺行為でしかない
211 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 02:47:37 ID:jEozzfc8
やたらと「豊臣」って言う奴がいるけど、そもそもこの頃「豊臣家」として独立した存在で
意思表示をした事なんか無いんだけど。
片桐なんかが表立って豊臣家の事を仕切るようになったのは関が原後。
212 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 06:25:05 ID:E2Qy5pjz
家康が秀忠軍が到着する前に関ヶ原決戦に踏み切った(たとえ勝っても豊臣恩顧の大名に手柄とられまくりになる危険性があるのに、ましてやまだ裏切らないとは決めつけられない)のは石田方が完全に上方を抑える事を恐れたにほかならない
時間が立てば立つほどやばくなるのではという感じ
秀頼様に加え天皇という錦の御旗までかつがれたらさすがに徳川もまずいわな
ま徳川サイドもあらかじめ朝廷工作をしていたようだがな
もちろん石田も西日本の大名をムリヤリ西軍につかせていたので徳川に上方に兵を進ませてはまずいと踏み切った
というのがあそこで関ヶ原決戦というわけ
テレビ新聞もない時代だけにいずれのサイドも相当な不安にかきたてられていただろうな
結局家康は結果おーらいという事
とにかく天皇を敵に回した時の恐ろしさは歴史マニアの三成、家康が知らないわけは無い
213 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 12:34:05 ID:jaaBhBK3
>>212 つ 北条泰時
つ 足利尊氏
とはいえ、家康に東軍諸将がついていったのは、上杉征伐は秀頼の名を
もって行われたという大義名分があったからで、もし家康が朝敵とされれば
その大義名分は完全に失われ、東軍からの離脱者ももっと多く出た可能性は
ある。けど現実的には、家康を朝敵とするのは不可能だったわけで。
214 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 16:00:20 ID:p+1VJ2SO
>>212 講談なんかでは「秀忠が遅参したから家康が怒った」筋書きだけど
現存する手紙等を見ると、対真田用に配備されていたのが確かなようだ<秀忠隊
位置的なものを鑑みると、上杉が南下してきたのに対処するためもあったんじゃないか
実際の状況を見れば、情報戦で上方を押さえていたのは家康だった
大本営である大坂をものの見事に攪乱され、東軍の分断工作には失敗している
この手際の悪さを考えれば、西軍に朝廷工作なんてできるわけがないことがわかる
そもそも朝廷なんてもんは金を積んだくらいでは動かないのよ
あそこはイライラするくらい前例主義で、それを横紙破りで動かすのは至難の業
力がないなら権勢に頼らなければいけないが、それを持つ者は誰もいなかった
そこらへんがわかってないと天皇なんて担ぎ出せるわけがない
215 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 16:31:12 ID:jaaBhBK3
>>214 後鳥羽、後醍醐のように天皇や治天の君自身に多大な野心がある場合は
話は別なんだけど、後陽成天皇だからなぁ。
216 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 17:18:48 ID:CfVXVryX
後の展開を見ると摂関職を五摂家に戻すといえば、一発でそちらに靡くな
家康側にしかできない技だけど
217 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 17:35:55 ID:jaaBhBK3
>>216 そりゃ、朝廷はなびくかもしれないけど、関ヶ原の時点で豊臣家をないがしろに
したことがバレたら致命的やん…。
218 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 17:39:50 ID:CfVXVryX
>>217 まぁ、そこは御内密にでしょう
五摂家だけに教えとけば良いんだし
219 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 17:49:54 ID:P4bgBGO1
結局、淀殿は大野のチンコのことしか考えてなかったの?
220 :
人間七七四年:2010/05/11(火) 19:51:04 ID:E2Qy5pjz
結局、三成がどうのこうのというより豊臣の不甲斐なさが全て
221 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 05:32:52 ID:NdEXU+Nn
>>219 だろうな。チンコは女のために。女はチンコのために。チンコのために。。。
222 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 10:57:56 ID:rWU7IXZT
ところで、大一大万大吉紋を
源平合戦で活躍した石田為久が使ってたって話は本当なのか?
鎌倉時代あたりにそんな凝った家紋使ってたとはとても思えないんだが…
223 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 18:52:24 ID:+w1e0Csw
>>222 そもそも大一大万大吉紋が石田三成が使ったかどうかも定かでないんじゃないっけ?
自分は確認できてないんだが、初期の関ヶ原合戦図に
大一大万大吉紋が書かれているものがないとかなんとか聞いたこともある
「一人はみんなのために、みんなは一人のry」なんて解釈になったのも江戸時代もかなり下ってからだし
むしろ、「石田為久の子孫とされたから大一大万大吉紋が三成のものとされた」が正しいと思う
224 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 18:59:11 ID:+w1e0Csw
というか、大一大万大吉って凝ってるか?
字を組み合わせただけで紋としちゃこれ以上なくシンプルだと思うんだが
225 :
人間七七四年:2010/05/12(水) 19:48:20 ID:V/FfBUGp
>>223 > むしろ、「石田為久の子孫とされたから大一大万大吉紋が三成のものとされた」が正しいと思う
うん。そっちが正しいと思う。
三成は実際にはぜんぜん違う旗印だっただろうな。
226 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 01:29:20 ID:cC+XUL34
結論を出すと秀頼を出馬させて錦の御旗を使う事が出来なかった佐吉が馬鹿で人徳が無いって答えでいいです?
227 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 01:35:01 ID:UWlMUA86
>>226 結論を出す方向が間違っています。赤点。
228 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 02:22:08 ID:mTcqBHyD
ケツ論を出すと海千山千なウンコタレに挑んだ佐吉のケツは青過ぎって答えでいいです?
229 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 08:37:17 ID:InBCOSAB
秀吉死後の豊臣家に三成のようなトラブルメーカーを雇う余裕はないんだよ
ただ毒をもって毒を制すという諺のように家康という毒に対抗するため三成という毒の存在を許しているに過ぎない
三成自身も豊臣家を乱す毒でしかないのだからそんな人間に秀頼だの錦の御旗だのを使わせるわけないでしょ
三成は鉄砲玉として勝手に相打ちになってくれればいいだけなんだ
230 :
す:2010/05/13(木) 16:39:55 ID:zRuogso2
結局家康についた連中殆ど改易されてんじゃん
タヌキにいいように利用されただけ
231 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 16:43:09 ID:X3OuiQyO
232 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 16:46:05 ID:UWlMUA86
>>230 過程を見ずに結果だけ見てそう思い込んでいるだけだ君は。
一つ一つの改易にそれぞれ違う理由がある。
それをきちんと把握しないで十把一絡げに語るのは、頭の中身が粗雑だと言われても仕方が無いぞ。
233 :
す:2010/05/13(木) 16:50:50 ID:zRuogso2
タヌキがやった事って
天下取った後邪魔になりそうな勢力改易しまくっただけじゃん
都合のいいように利用されただけって事になぜ気付かない
234 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 16:52:15 ID:UWlMUA86
ごめんな。キチガイに付き合う根気はないんだ。
235 :
す:2010/05/13(木) 16:52:31 ID:zRuogso2
伊達すら謀反の疑いありって危なかったんだからな
重税しかれてさ
豊臣時代の方がよかったべ伊達も
236 :
す:2010/05/13(木) 17:06:13 ID:zRuogso2
タヌキ的には全部潰したかったと思うぞ
全部潰して、自分の遺伝子引いたオール松平家で日本治めてしまえば
反乱は絶対起きないからな
237 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 17:18:50 ID:kXwjDu3U
238 :
222:2010/05/13(木) 17:46:26 ID:pBW1uIlf
>>223-224 関ヶ原から11年後に描かれた絵では三成の軍旗真っ白なんだってな
徳川を憚って絵師がわざと描かなかったらしいが。
あと大一大万大吉紋は鎌倉時代としては凝ってる方だと思うんだ。
大体石田為久って坂東八平氏の三浦だから、
本来なら丸に三つ引きの超シンプル家紋使ってるはずだし。
大一大万大吉が最初に出てくる史料って何を見ればいいんだろ?
239 :
人間七七四年:2010/05/13(木) 19:11:16 ID:kXwjDu3U
>>238 徳川を憚って書かなかったって説はどうだろうなぁ
それ以外の「首謀者枠」である大谷・宇喜多・小西・安国寺は普通に書かれてるし
単純に「書いた人には分からなかった」が正解だと思う
あと、文字紋って結構古くからあるんで別に否定するわけじゃないけど、
大一大万大吉は家紋じゃなくて旗印じゃねーの?と思うんだよな
石田為久が使ったのも、「家紋」じゃなくて「旗印」だろ
相馬藩の野馬追図にも大一大万大吉の旗印は使われていて、
その横に九曜が書かれていたから、石田三成の旗印とされたんじゃないかということも考えられるし
そもそも鎌倉マニアの家康が大一大万大吉旗を知らないわけがないから、
けしからん使うなとか言い出すはずもないわけで、どっちかっていうと
「関ヶ原合戦図絵」を書かせた藩が三成とどういう仲だったか、が気になる
だいたい、三成が幕府によってことさら悪者にされたから憚って、というのも特に根拠がない
水戸じゃ忠臣扱いされてるし、むしろ三成が悪く言われたのは庶民向けの逸話や講談が多い
江戸時代に評判が悪かったのは、江戸の人の感性に合わなかったってのが正解じゃないだろうか
西軍でも島左近や大谷吉継の人気は江戸時代でも高いんだし
240 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 00:29:36 ID:KYNZB+4k
>>236 オール松平にしても反乱はあるよ。
武士は、ほぼ天皇の血が入ってるけど足利は反乱したろ。
241 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 00:51:30 ID:NY9F48Ty
↑大阪城に分家を置かなかったのは反乱つぶしにほかならん
そもそも名古屋城をもつ尾張徳川が幕府にとって脅威の存在だったしな
242 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 00:54:39 ID:NY9F48Ty
更に中国では明の初代が死んだ後、孫が皇帝についたが分家をつぶしまくり
怒った北京の分家が反乱を起こし自ら皇帝に就任、南京から北京に都を移転した例もあるからな
243 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:09:38 ID:BFMdDi6l
足利はそもそも弟が反乱起こしたじゃねーかw
244 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 01:14:53 ID:5f7oQsuY
当の家康が一番近い親族殺してるわけで
245 :
人間七七四年:2010/05/14(金) 21:44:15 ID:oxAAHIFb
>>241 安価の付け方くらいいい加減覚えろよ
そんなだから読んだ本のタイトルも覚えられないんだろ
246 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 13:39:45 ID:aAAD35Nk
江戸時代に改易された松平家の大大名
松平忠輝:50万石
松平忠直:68万石
松平光長:26万石
けっこうあるんよ
247 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 01:23:19 ID:LGXaWoml
遅レスだけど
「団扇九曜に金の吹貫を帖りたる旗を先に立て、聾花に鎧うたる武者金の吹貫を、
皆一様に腰印とし、数百騎纏ひ、遙に引下り押来る」と古今武家盛衰記に書いてた
この時代には三成の紋は「九曜」と思われていた節がある
248 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 02:24:58 ID:audqh4y4
古今武家盛衰記って名文で面白いんだけど、描いてあることものすごい適当なんだよなあw
三成の石田氏は三浦氏諸流って事になってたようだし、少なくとも紋や旗印は、何らかの形の
「三つ引両」だったんじゃないかな?
249 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 18:37:39 ID:LGXaWoml
>>248 いや、「古今武家盛衰記が真実であるかどうか」よりはむしろ、
「世間で認知されていた石田三成の家紋の何がどこまで遡れるか」を重視してるから、
古今武家盛衰記についての信憑性は特に必要ないんだよ
>>247で言いたかったのは、
「古今武家盛衰記が成立した寛文(1661〜1672)年間には三成の家紋は九曜と認識されていた」
かつ
「古今武家盛衰記には石田為久の後裔と書かれているが大一大万大吉の旗印を使用した記述はない」
ということ
相馬藩の野馬追図はこれ↓なんだが、九曜紋と大一大万大吉の旗印がセットで描かれている
http://musubu.sakura.ne.jp/sblo_files/musubu/image/hanshu1.jpg つまり、原町市史に掲載されている相馬藩の野馬追図が描かれた時期と古今武家盛衰記が成立した時期より
石田本陣に大一大万大吉を描いた屏風絵が作られた時期が後であるとすれば、
石田三成と大一大万大吉の旗印が繋がることになる
こうやって伝聞や逸話が後付けを繰り返すことによって大一大万大吉が三成のものになったんだろう
そもそも石田三成が石田為久の後裔だった、というのも俺が知ってるうちでは古今武家盛衰記が初出
これより遡れるものってあっただろうか?
250 :
人間七七四年:2010/05/17(月) 19:28:34 ID:audqh4y4
> そもそも石田三成が石田為久の後裔だった、というのも俺が知ってるうちでは古今武家盛衰記が初出
俺もそこが初見。あのへんの時代に形成された話だという説には同意する。
251 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 21:01:28 ID:Jyvwhc+K
石田が藤原の子孫とかいう話は聞いている
252 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 18:40:54 ID:7PoEt4q7
徳川時代は三成は水のみ百姓とねつ造されていたがそれなりの名門てこった
地元石田にはかなり広い屋敷跡が残されてるよ
253 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 18:47:43 ID:x9EAvsXC
なんだそりゃ。妄想も大概にしとけ。
せいぜい土豪、地侍だ。
254 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 20:44:39 ID:7PoEt4q7
↑江戸時代の三成本ではそういう扱いだったらしい
もっとも石田軍記は石田の関ヶ原の活躍がかかれてたので発禁されたらしい
北朝鮮かい
255 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 20:49:15 ID:x9EAvsXC
らしいらしいらしい
根拠を発見してから言え
256 :
人間七七四年:2010/05/22(土) 22:01:20 ID:7PoEt4q7
↑過疎ってるとおもてたら変なのが住み着いたな
人の揚げ足とって嬉しいか
とにかく江戸時代、幕府は石田や淀殿を悪人に仕立て上げる事に躍起だったのは間違いない
家康の子孫の松平定信公(NHKアナ)も歴史番組で認めてたから間違いない
否定する事しか頭にないのか
257 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 02:20:52 ID:gJPj5ugN
>>256 いや変なのは君だと思うぞ?歴史を語りたけりゃそんなあやふやなものではなく
きちんと根拠を出すべきだ。
だいたい松平アナなんて歴史素人じゃないか。それが言ったことをどうして信じられるんだ?
自分が好きな三成に都合のいい情報ばかり頭に入れてるからそういう変な結論になるんだと思うぞ?
もっと視野を広く持つべきだ。
258 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 02:44:34 ID:EfeNam0x
>>256 いい加減にアンカーの付け方くらい覚えたら?
259 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 05:44:15 ID:48caaMxq
松平が素人?何を根拠にwwww
家康の子孫でかつ歴史番組の司会をつとめた人間をつかまえて素人て
少なくともおまえさんよりは詳しいだろ
彼は時代が時代なら今頃、四国伊予の親藩(松山藩では無い、さらに分家の小藩)の御当主
そんな彼がはっきり言っていたんだから間違いない
そもそもあなたは徳川の何?
なぜそこまで徳川を肯定する?
徳川は日本を天下太平にしてくれた恩人でもあるが自分たちに都合のいい歴史書を書かせていたのは間違いない
光圀だけはそれは違うと大日本史でまともに取り上げたがな
なぜそれが認められないのかな
ちなみに三成の墓は明治になるまで作る事をゆるさなかったほど徳川は歪んでいたという事
これに関してコメント(言い訳)を書いてくれ
ところでアンカーて何?
教えてください
260 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 07:08:00 ID:+juUGkfo
子孫の見解・・・
いつもいる三成の地元の言い伝えとか評判で語る人だな
261 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 10:44:53 ID:x+fQtrKx
>>259 そもそも戦国の人間の考える事と子孫の考える事は違う
同じ時代を生きていないのに同じ価値観というのはありえないし
子孫だからといって事実を全て知っているわけじゃない
時代が時代ならと言うが、今は幕府も藩もない平成だ
> そもそもあなたは徳川の何?
> なぜそこまで徳川を肯定する?
これはそのままお返ししよう
そもそもあなたは石田と徳川の何?
なぜそこまで石田を肯定し徳川を否定する?
262 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 14:12:20 ID:gJPj5ugN
>>259 否定か肯定かの、二元論でしか物事を考えられないようだけど、
誰もそんな事は言っていないんだよ?
歴史を語るならきちんと「論拠」「根拠」を提示すべきだと言っているの。
あやふやな感想レベルではなく具体的な事実を元にしたもの。
じゃないと君がいくら三成を持ち上げようとしてもそれは、虚像を広める作業に
他ならない。そしてそれは実在としての三成を汚す行為にほかならない。
君は自分の意図とは逆に、三成をせっせと貶めているんだよ?
三成が好きなのなら先ず、三成という人物を正確に知る努力をしようよ?
それを拒否するなら君は「三成を好きな自分」が好きなだけであって、
歴史上の人物である石田三成が好きなのではない、と断ぜざるを得ない。
263 :
人間七七四年:2010/05/23(日) 19:27:36 ID:48caaMxq
あーいえばこういうwwwww
ちょうど過疎ってたのでにぎやかにしてくれるのはありがたいが
264 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 20:08:43 ID:0J1PAI0K
三成ってガリベンですぐ先生にチクるタイプ?
265 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 20:11:09 ID:rTFm5g2+
そりゃ悪さをする奴にはチクるだろうな
加藤ら自業自得wwww
266 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 21:46:15 ID:eo77Wu+j
つまり空気読めない君ってことか
267 :
人間七七四年:2010/05/26(水) 23:39:10 ID:5BPzrD+7
一種のコミニュケーション障害の持ち主だったんだろうな。
268 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 00:18:13 ID:TKMG5cLw
三成ってアスペルがーだったんだな。
秀吉は多指症だし信長はサイコパスだし
戦国武将って身障者の集まりだったんだろ。
269 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 00:20:37 ID:nKc0Zc6n
福島加藤も障害者だろ?
270 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 09:50:41 ID:TKMG5cLw
正則と広家は軽度の知的障害
金吾様はAD/HD(注意欠陥/多動性障害)
家康は脱肛、吉継はハンセン病
輝元は精神薄弱
実は関ヶ原って病人たちの集いだったんだよね。
271 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 10:59:33 ID:ZY1giGjT
三成の功績は関ヶ原に徳川本隊を遅刻させた事
三成の失態は関ヶ原の敗北後を考えなかった事
272 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 15:14:35 ID:ixHrYdLy
>>271 それは三成の功績じゃなくて真田の功績だろうがよ
273 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 15:38:42 ID:XYH22Ip9
>>272 いえ、利根川の増水という自然現象のお陰です
つまり三成は天運を味方にしたのに敗れたのです
274 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 16:20:52 ID:TKMG5cLw
並の武将だったら家康が到着する以前に秀家と赤坂を攻め秀信とともに岐阜城を維持し
家康到着の前に西軍必勝の形を築けあげとくわな。
そこまでしとけば後から到着した毛利も小早川も西軍につくしか選択肢が
無かったわけだし美濃平野に家康が入る事すらできなかった。
275 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 16:25:21 ID:qnKCs8Hw
清正公の唯一のミスと言えば、朝鮮で小西と共に舌先三寸で秀吉公を欺き裏切り
現在でも、最低最悪で糞以下の評価のみである糞石田を駆除出来なかった事だろうな。
276 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 16:42:50 ID:TKMG5cLw
清正って官兵衛の犬になって九州で留守宅の火事場泥棒ばかりしてた人?
277 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 16:53:17 ID:qnKCs8Hw
いや、卑怯な糞石田の人質作戦のせいで九州に留まらざるを得なくなり、人質が救出されたから黒田と共に九州を平定しようとした人。
278 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 17:59:37 ID:ixHrYdLy
なんかひどい自演を見てる気がする
279 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 20:33:25 ID:nKc0Zc6n
ちょっと過疎ってると思ってたらwwww
第三者的目線で見れば石田も徳川もなにやってんの的展開
石田は岐阜を見捨てたりした挙げ句ぶっちゃけ
本番の関ヶ原決戦に持ち込んでボロ負け、
徳川も本体(秀忠軍)をまたずしていつ裏切るかわからない豊臣恩顧大名ばかりの東軍の中に入っての勝利、
しかも裏切るかどうかもわからない不確定要素ありまくりの毛利勢小早川その
他大名の裏切りによるラッキーな勝利
どっちも巨大化した軍勢を持て余した下手な戦
ただ片や250万石片や30万石(代官地も含め)の差がものをいっただけか
ただこれだけははっきりいえる
加藤なにしてんの?
280 :
人間七七四年:2010/05/27(木) 22:21:37 ID:XYH22Ip9
281 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 09:00:02 ID:iiaFswUn
見方によっちゃあ日本の半分の大名とその関係者を
地獄に落とした大悪人だな
282 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 18:25:00 ID:uob6efyG
一つ間違れば家康がそうなってた可能性もある
キッカー、金吾が知能障害者で助かったな、家康
283 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 19:35:19 ID:iiaFswUn
三成がおとなしくしてれば会津征伐だので
徳川の悪名が高くなっていった可能性は無いのかな。
それとも織田→羽柴のようにさら〜と政権交代していたか
284 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 19:47:16 ID:0XDR0EBi
上杉スルーして潰されたら、次はどこ、さらに次は……って感じだったんじゃね?
少なくとも大勢が従っていた会津征伐が実行されたところで、悪名には全く繋がらなかったと思うけど。
285 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 20:37:25 ID:ShidUIFf
>>283 状況的にはさらっと政権交代したと思うよ
上杉征伐の時点でほとんど権力は家康に移ってたからな
286 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 21:44:57 ID:uob6efyG
しかし秀吉死後、徳川に従う大名が続出に対し家康はどう思っていたのかな
自分が死ねば今度は別の誰かに従うとか、、、
不安になってたハズだ
秀吉のおかげでせいぜいサムライ大将が関の山の雑魚が一端の大名にしてもらえたのに秀吉死後あっさり鞍替え
そんな恩知らず(三成が原因とかいうてるがそれは口実)を信頼できるハズはなかったということか
実際、小早川、田中、福島、堀尾、加藤などなど
あっさり改易
豊臣政権が続けば安泰だったのにね
家康が天下を取った後に忠義を問いただしたのは必然だな
287 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 22:42:23 ID:qo1vmuWs
また恐ろしく気持ちの悪いスレに戻ってるなここ
288 :
人間七七四年:2010/05/28(金) 23:19:31 ID:0XDR0EBi
お前の唐突なレスが気持ち悪い・・・
289 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 00:35:43 ID:kdXpHZt1
>>286 ぶっちゃけ秀吉時代と同じだよ
お家騒動を自分で畳めなかったら改易されるのは秀吉時代から変わらん
しかも徳川政権になってからは「本音」と「建前」を使い分けられれば
なんとか切り抜けられてたから実はいくぶん緩くなっている
福島だってなんだかんだで一回はお目こぼし貰ってるからな
黒田や細川や藤堂なんかはうまく内々でおさめて改易回避してるしな
正直秀吉の気分次第でガンガン改易されていた頃とは雲泥の差だと思うぞ
290 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 01:35:51 ID:9ucz7zuX
石田三成ってどの段階から徳川家康と対立し始めたんだろうな
291 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 02:10:46 ID:CPzBpVGj
小牧長久手直後
292 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 02:48:38 ID:Jr1YKW7e
実際、石田は何時から太閤の影に隠れて豊家を私物し始めたのか?
293 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 02:53:30 ID:CPzBpVGj
秀吉が秀次を自害に追い込んだ直後
294 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 19:17:36 ID:JCz/Y5sc
石田が豊臣を私物化?
もしそうなら北近江18万石だけであきたらず80万石くらい要求してるはず
なにしろ秀吉は秀次兄弟にやった大和100万石と尾張100万石をつぶしているわけだから石田に100万石くらいやってもおかしくないのに石田は政治欲はあっても領土欲は全くない御仁
そんな人物が豊臣を私物化するわけはない
江戸時代ならいざ知らずこの時代にそういう見方しかできない人間てまだ存在するんですかな
295 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 20:43:10 ID:9ucz7zuX
権勢を得たら3万石以上は諦めろって本多さんも言ってることだし
処世術の常識なんじゃね。
結局、恨み妬みは回避できなかったけど。
296 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:00:50 ID:SjBfdx1t
18万石は多すぎたと言うことだ
297 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:14:46 ID:JCz/Y5sc
片桐みたいに豊臣本家の家老あたりにおいとけば良かったかも
しかし大名でなければあの戦いはおこせなかっただろうし、、、
298 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:22:57 ID:ByQIREWR
毎回、石田信者って生物はクズ過ぎて笑わせてくれるな。
何が北近江18万石だけだw
朦朧していく秀吉を騙して自分が
豊家の蔵入地の代官になってんのは
豊家の私物化にならないのか?
299 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:26:41 ID:JCz/Y5sc
↑あくまでも代官だよ
私腹は肥やしてはいないよ
史実が証明してるわなwwwww
石田信者よりアンチ石田の方が精神的に疑うがwww
300 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:27:01 ID:75LdoUDP
あの戦い
つまり関ヶ原の戦いと一般に呼ばれる石田三成の反乱のおかげで家康が天下を取れたんだけどな
石田三成の乱を鮮やか且つ速やかに鎮圧した功績がなければ
あんな早期に征夷大将軍に任命されることはなかっただろうし
家康自身がそれを認めて「天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげ」と語っている
信玄の場合は手本や教訓にしたという良い意味だろうけど
三成の方は「ナイスアシストw!」ってことだからな
301 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:30:20 ID:MDcS8lNK
奉行だと、自家の領地ではないものの、自分が勝手に扱える収入というのは
めちゃくちゃ大きいんだよなぁ。七将襲撃による三成の失脚後に増田長盛が
管理していたのは100万石以上と言われているし。
302 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:33:35 ID:ByQIREWR
自らの欲望の為に、邪魔となる豊家の側近を粛清して
豊家の弱体化を計り、家康の付け入る隙を作り捲った
己の欲望の為に動いた結果、周りは家康に懐柔され敵だらけ
303 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:42:22 ID:9ucz7zuX
石田三成は言われるほど完璧じゃないからね。
宇喜多家の御家騒動を調停せず、近いうちに一大事を起こそうと計画しているのに
無二の味方の軍勢を駄目にしたって家康に馬鹿にされてるし。
304 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 21:43:50 ID:ByQIREWR
石高以上の力を行使する力があったのは当然
結果、己の欲望を追いすぎた為に起きたのが関ヶ原
烏合の衆を纏める力すらない無能な者が
失敗するのは、目に見えてる
305 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:04:34 ID:JCz/Y5sc
>>302 あくまでも秀吉が行った事
三成自体は秀次の助命願いを出してたという説があるしね
そもそも秀次が粛正されたのは彼がクーデターを起こそうとしていた
つまり自業自得
どうしても三成を悪人に仕立て上げたいみたいだな君は
江戸時代の人ですか
306 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:07:36 ID:JCz/Y5sc
>>303 宇喜多お家騒動を沈静化したのは三成でしょう
家康はどさくさに紛れて目障りな宇喜多を改易しょうと目論んだが三成に先をこされたという事なのに
三成がてwwwwww
307 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:13:37 ID:ByQIREWR
豊家の弱体化を秀吉のせいにしてれば石田は安泰かw
て事は、秀吉の手柄はあっても石田の手柄は全くなって事かw
でも秀次粛清は石田が引き金なのは当然か
308 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:20:04 ID:ByQIREWR
秀吉の手柄はあっても石田の手柄はない。
あるとすればそれは石田の野望
無能な石田の野望なぞ、誰でも見破れるのは史実が証明している
309 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:22:38 ID:JCz/Y5sc
秀次粛正は
秀次本人の自業自得
茶々が跡継ぎを産んだ
秀吉が秀頼を可愛がった
という事
三成自体は秀次を残そうと考えていたらしいが秀次本人は三成を嫌っていて何かあるたんびに対立していたという事
秀次粛正を三成のせいにして三成はどうのこうのとしたいんですかいな
アンチ三成は
このスレはこんな連中ばっかり
いくら歴女人気が高いからってひがむなよ
310 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:27:01 ID:Jr1YKW7e
石田信者の気持ち悪さは朝鮮人と同じ
ウリナラファンタジーを教典としているからなのでは?
311 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:30:56 ID:ByQIREWR
家康と闘う大義名分が全くないのが石田
己の欲望の為ならまだ評価するが
豊家の為にとかほざくなら、全く評価は出来ない
312 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:33:56 ID:MDcS8lNK
ID:ByQIREWR = ID:Jr1YKW7e はID切り替えるのを止めること
313 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:38:18 ID:ByQIREWR
秀次を粛清して損をするのは豊家
特をするのは石田と家康。
石田は豊家を潰す事に全精力を傾けていたとしか思えない無能
314 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:46:28 ID:JCz/Y5sc
↑アンチはきえな
世の中の何が不満かしらんがここでうさばらししてなや
悲しくない?自分
朝鮮人並みのレベルだということは文を見ればわかるけどね
315 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 22:52:49 ID:Jr1YKW7e
普通に石田信者が朝鮮人並の知恵遅れだと思うんだが?
316 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:02:32 ID:JCz/Y5sc
↑自分がだろ
2chでうさばらししてな、もてないくん
317 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:20:45 ID:ByQIREWR
史実だと、己が野望の為に、豊家を滅亡の礎を造り
秀吉の側近を粛清したら、そのシンパがどうなる事かすら判らない
近視眼的な事柄しか捉えられない無能
家康はただ単に、石田の大きな欲望に惹かれて食らいついただけだろう
318 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:32:39 ID:Jr1YKW7e
石田は輝元の身代りで処刑されたのだけは評価せる。
身代りとしての評価のみだけだが…
319 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:33:46 ID:9ucz7zuX
少なくとも小西行長・大谷吉継・長束正家・安国寺叡恵・宇喜多秀家らは
成り行き上西軍じゃなく石田三成に同調した。佐竹義宣も似たようなもんだ。
本当に奸臣ならばこうも人が集まらんぜよ
320 :
人間七七四年:2010/05/29(土) 23:52:08 ID:ByQIREWR
普通に人望のない石田に同調する様な輩は誰一人としていない
万が一にもいたとすれば、それは
石田が豊家の私財をちらつかせたからからにすぎない
豊家の私財を餌に、一発逆転を狙った者共の集まりが西軍
321 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 00:02:22 ID:JC21XvNl
本当に武事に暗かったら総勢10万近い軍を動かすことも出来ず
徳川家康と5分に戦えんだろ。
兵站のことだけ考えても頭が痛くなる
322 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 00:17:01 ID:KS96+2M9
5分に戦えてないし・・・
323 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 00:34:12 ID:MhOYzzpr
いや、無能の極めで大軍を動かせてない
過大評価の典型的な最期だ
324 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 00:46:39 ID:JC21XvNl
ひとつ三成の行動に残念なことがあるとすれば、裏切り濃厚の秀秋を処理できなかったことだな。
戸田重政と平塚為広を送ったのにかわされた。吉継に説得させても無駄だった。
325 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 00:53:58 ID:6hgGwJNA
>>305 三成が秀次の助命願いを出したっていうのは
武功夜話にしか出てこないネタで
その武功夜話自体が昭和に入ってからの捏造文書
あとはわかるな
326 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 01:21:10 ID:pqaZb4BT
なんで急にこんな小学生の書き込みみたいのばっかりになったんだ?
327 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 01:39:58 ID:MhOYzzpr
>>324 豊家の権力を私物化して関白にしてやると唆されたが
まやかしだと気づいただけんだろう
328 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 01:42:04 ID:MhOYzzpr
石田三成自体が幼児の悪巧み並の知能しかないから気にするな
329 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 02:02:22 ID:1e1m+7Md
>>326 基地外が一人湧いてきて、粘着しているから。この基地外、以前もこのスレに
粘着していたのとたぶん同一人物。
330 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 03:04:30 ID:pqaZb4BT
あーなるほど
>>264-265この辺見て暴れだしちゃったのか。
本物の基地外だから理屈が通じないしな。対処に困る。
331 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 05:53:28 ID:9Xah1gZa
>>328 全国規模の検地などを全て把握できるほどの能力のある男を無能とは
トホホ
武将としてはどうかはともかく俺らよりははるかに頭良いだろう(頭よすぎて某武将などに嫌われたのは大失点)
無能集団の小沢内閣の誰よりも頭いいと思うが(赤松は本来打ち首)
332 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 17:38:26 ID:aMFhmiGM
テスト
333 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 21:23:57 ID:xQ2k6xd/
三成が現在生きてたら国税庁の事務次官くらいにはなれたかもな。
一部上場企業のトップやIT社長とかは器じゃないが。
334 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 21:32:07 ID:pqaZb4BT
「国税庁の事務次官」だとか言ってる馬鹿がこのスレに住み着いてるってのは理解出来た。
335 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 21:36:21 ID:v/xNLcXs
なんで急にこんな小学生の書き込みみたいのばっかりになったんだ?
336 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 21:41:26 ID:pqaZb4BT
他人のレスの鸚鵡返しとか完全に小学生って感じだな。
337 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 22:49:14 ID:9Xah1gZa
本人もまさか400年後の2chで自分が馬鹿とか無能呼ばわりされてるとは夢にも思わなかっただろうな
確かに戦争は苦手と言えなくもないが
所詮結果論でしかものを言えないこのスレの連中を鼻で笑ってるだろうな
338 :
人間七七四年:2010/05/30(日) 23:46:12 ID:6hgGwJNA
そんなおまえ
所詮結果が全てやで
339 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 00:01:52 ID:pvj96OtT
後々、幕府を倒されるのに、島津を放置した家康ワロスと。
340 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 00:17:40 ID:17h/A8rB
家康もさすがに250年後のことまで責任もてないだろう
341 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 01:50:45 ID:kQWtd0IC
250年先のシナリオを考えて行動してる人間なんているのいかね?
342 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 02:02:11 ID:0tb4gcMQ
勝者のみ優秀で敗者は皆無能だとか思ってる馬鹿が歴史好きにいるとは信じられない。
343 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 05:02:55 ID:gAG+y5Yf
ガセ逸話を抜きにして史実だけで評価したら、無能だと言わざるをえない。
344 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 07:22:00 ID:0tb4gcMQ
平日のこんな時間に基地外が無能だとか言ってんだから笑えるわ。
345 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 08:01:54 ID:gAG+y5Yf
現実逃避の統合失調症が賛美しているだけで、史実だと無能。
346 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 08:21:16 ID:cQivgV1p
まぁ、頭のおかしい引きこもりニートが何を言っても何の意味も無いけどな。
347 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 09:45:01 ID:lQaS+KtZ
250年後とは言えども島津&毛利に倒されたのは事実だろ
徳川家がさ
348 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 10:09:54 ID:p4PSs4lh
西軍がまかり間違って勝っていたら
三成ってどんなポジションに就くつもりだったんだろね。
よく言われるような己の野望のために動いていたとしたら
秀吉の後継者を名乗っていたか
349 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 10:29:05 ID:S2nssUcU
そもそも関ヶ原自体が四大老五奉行の家康詰問及びその後の利家・家康との対立から
一連の流れの中で始まったもので、誰かの個人的な野望で出来るようなものじゃない。
中心に居た人物には当然それぞれの思惑はあっただろうが、
秀吉の後継者になろうだなんて馬鹿げた事を思ってた奴はいないだろうな。
350 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 10:42:29 ID:p4PSs4lh
それなら西軍が勝っても意味ないな。
徳川がいなくなっても第2の徳川が現れるだけ。
抑止力となるトップがいないんじゃな
351 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 17:43:34 ID:wgHHqgnE
>>348 基本的には北近江18万石しかもたない秀吉が天下を取れたのは実子秀勝が幼くして病死(おねが嫉妬に狂って毒をもったという説もあるが)したため信長が羽柴家を乗っ取れる(毛利元就がやった手口と同じ)と思い自分の4男を養子に送り込んだ(羽柴秀勝となのる)
秀吉はそれを逆手にとり信長の信頼を勝ち取る
本能寺の後、秀吉が一気加勢に天下を取れたのは秀吉が天下とっても信長の実子が後を継げば問題ないという感じで支持をえられたという事
しかしその秀勝も何故か病死(策略を感じる)して気がつけば秀吉の完全天下て感じ
一方三成は当時の秀吉と同じ北近江18万石だが天下とる意志なんぞ最初からもつはずはない
ただ今後も自分が豊臣政権の中心に居座り豊臣政権の基盤を盤石にしたかったという事
北近江18万石しか資本金が無いのに天下とるなんておおそれた事など考えるわけはない
352 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 20:07:28 ID:17h/A8rB
>>351 どうみても北条執権を狙ってました
本当にありがとうございました
353 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 22:34:48 ID:Tc9zCQkb
三成が勝ってたら普通に豊臣政権継続だろ
逆らった福島等は改易、徳川も減封
上杉、毛利が発言力を持ちともに領国加増
354 :
人間七七四年:2010/05/31(月) 23:15:03 ID:zgu0D7z+
名ばかりの豊臣政権は残るだろうが
各地で諸大名それぞれの思惑で
東軍だの西軍だのはもう関係がなくただそれぞれの目的を果たすための争いになって
中央政権にはそれを止める力がなく
なし崩し的に乱世に逆戻りだろうな
355 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 00:35:16 ID:ynmbF86p
景勝なんかも家康と同じ穴の狢だと思うなぁ。
三成はキッチリ利用させてもらって。
もっと長引くと計算してたから、その間に切り取り勝手。
なのに超短期で決着付いちゃったから、もうやめやめ。
って感じじゃない?
豊臣への忠誠守る義理なんてないし、義とか絶対有りえんだろ。
356 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 00:39:18 ID:0ola+GK2
>>355 あわよくば北関東併合
そして越後奪還
・ ・
とか妄想してみたが所詮あの軍師では…
357 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 00:49:30 ID:w3NLhL/R
>>355 宇喜多秀家は 義 というか 義理 で動いたんじゃないかなあ・・
上杉は確かに。
358 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 01:57:58 ID:m2gBxrd7
結局は宇喜多も似たようなもんだと思うんだよ
毛利も言わずもがな
で、毛利や宇喜多に主導権を握らせたら結局おいしいところは全部持ってかれちゃうんで
石田はかたくなに自分が中心っていうのを誇示してたらあの有様という
359 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 05:12:27 ID:uRVJw5Vd
宇喜多は自分は太閤の息子にして秀頼の兄という感覚だったから損得抜きで戦ったはず
三成挙兵がなければ彼一人でも動いてたかも知れない(家臣にとめられただろうが
360 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 11:09:02 ID:f6c0LwyJ
どっちの大義も秀頼公御為だよ
361 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 15:40:37 ID:vVcWZ6QS
石田には大義名分がないからどっちみち家康には勝てんよ。
362 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 16:53:49 ID:295QTdfv
日本語理解してから書き込めよ、ゴミクズ。
363 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 17:54:27 ID:qMgGtvre
日本で一番力ある人物が秀吉の死後に率先して禁止を破って
大名同士の婚儀やら徒党を組みだしたら危機感もって当然。
利家が唯一抑止力になりえたけどあっさり死んで前田家にいちゃもん付けて
まんまと傘下にしてしまった。つぎは上杉。
家康が動く度に豊臣の中老や奉行が諌めてるけど全て無視。
三成の野望?そんなもの家康の野望に比べたらクソ以下でしかない
364 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 20:34:39 ID:GGt0PsNG
大名同士の婚儀自体は別に禁止されていない
単に秀吉が秀次を殺したときに出された文禄四年の御掟の中に”許可なき婚姻は禁止”とあるだけ
この中には”誰の”許可を得るべきなのかは一切書いていないが
この御掟が出された1595年当時では当然秀吉の許可ということでOKだったろう
では1999年であれば誰が許可を出すべきなのか
やはり秀吉から後事を託され政務を任された家康がこれを代行するのは当然だろう
三成はこれを自分たち奉行衆の了解も得ねばならないかのように捻じ曲げて家康に難癖をつけたわけだ
365 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 20:46:46 ID:uRVJw5Vd
外様大名に5大老職を与えた秀吉が全て悪い
5大老5奉行制に関しては三成らの提案かも知れないがな
秀吉の息子同然の宇喜多と家康と自分の親友の直江(上杉はお飾り)とお人好しの毛利と親豊臣を同格にして家康が何もできないようにする作戦は失敗したようだな
上杉、宇喜多、毛利、前田、島津の5大老制で家康をスルーすべきだった
366 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 20:47:54 ID:uRVJw5Vd
親豊臣=親豊臣の前田
訂正
367 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 20:59:52 ID:uRVJw5Vd
とにかく家康を中央政権から完全に外した上で家康が何か仕掛けてきたら豊臣特権を使って全大名に号令をかけて叩きつぶすべきだった
秀吉の家康畏怖は異常
たった一回の戦いで負けたくらいで
やはり天下人の器でないな
368 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 21:13:58 ID:uRVJw5Vd
天下とってから約10年くらい時間がありながら家康を野放した秀吉の情けなさにはあきれかえる
強豪北条を滅亡に追い込んだ豊臣特権なら家康ごときどうにでもできただろうに
石田らに全て押し付けてさっさとあの世行きとは
とほほ
369 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 21:51:59 ID:m2gBxrd7
ID:uRVJw5Vdは脊髄反射でレスしないで
考えをまとめてから書けよ
宇喜多は義理がなかったとは言わないが
それはそれで利害で動いてたのは間違いがないと思うぞ
秀吉の猶子で五大老という格は豊臣政権でこそ守られるのであって
あのまま権力が家康にスライドしてしまうとそんなもん糞の役にも立たなくなるどころか
家康の縁者になった大名たちより扱いは格下になってしまう
だから意地でも家康のもとには奔れなかったわけだ
あと、ここからは上杉毛利の利害とも一致するが
西軍勝利後、家康の位置を誰が占めるか、ということになる
上杉毛利石田宇喜多それぞれみんな自分がやるべきと主張するだろうが
宇喜多にはまがりなりにも「太閤秀吉の猶子」であったというアドバンテージがある
他人にやらせたから失敗したが、秀吉の猶子である自分なら大丈夫!と主張すれば
政権奪取への大義名分にもなるからな
宇喜多にとっちゃ飛躍への大きなチャンスでもあったわけよ
370 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 22:52:38 ID:w3NLhL/R
>>369 その後の歴史の流れ、結果を知っている後世の人間から見ても、
完全に義理と利害とが一致し、行動に一片の迷いもなく、
肝心の関ヶ原本戦でも力戦奮戦したわけであるから、
宇喜多秀家にある種のスマートさを感じる人が多いのは肯ける。
あの関ヶ原決戦前後は、根回し・裏切り等、まさしく人間社会の
ドロドロとした部分が濃密に凝縮された政変劇だなあとの印象を強く受けるしね。
ただ、様々な思惑の間で揺れ動くのは当然のことで、当時の大名家の対応はそれぞれだけど、
その思惑の中でも優先順位の第一は利益であるのが大名というもの、
に関しては異論はないな。
371 :
人間七七四年:2010/06/01(火) 23:16:19 ID:uRVJw5Vd
石田としては本音は徳川について徳川政権の中での石田としてやっていきたいという考えもあったかも知れないが
そんなに茶々に義理立てする理由なんかないし
ただ彼の中でのポルシーが関ヶ原へと導いたと言える。
損得考えたら家康につくしかないもんね
家康としては戦争しか脳のないあのアホ共などはなから天下とるための道具でしかなく石田あたりの人材を引き抜きたかった節がある
徳川政権の中で辣腕を振るう石田も見てみたかった
ま、後世の人気ゼロだろうけど
372 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 02:04:02 ID:mr8Vd/aF
>>364 は?伏見で行われていた日常の業務に対して「諸職御肝煎」ってだけで
政務を任されていた訳でも何でも無いんだけど。
そもそも家康が何か重要事項の決定をしようとした際には利家と奉行の許可を取る必要がある
秀吉が家康に自分の権限をそのまま委譲するかどうかなんて少し考えりゃ分かるだろ。
373 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 04:03:22 ID:J2EUMVAV
>>372 つ 太閤置目
実は太閤が死ぬまで、合議制とか奉行の許可とかそういう話はなかった
太閤置目は「政治は家康がやって、利家は秀頼の後見をしてね」って内容
政治は合議制でやってね!ってのは太閤死後の9/5の10人連署が初出
まぁつまり、そういうことよ
374 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 09:20:38 ID:GA+A30Jx
>>373 原文で何て書いてあるか知ってる?政治は家康がやってね、なんて書いてないぞ。
あと、家康には「大納言、五人の者居り申すところにて」と、利家・五奉行の許可を得て行動する事、
訴訟の取り扱いは十人衆によって行われる事、法度違反の処罰は誰であろうと
五奉行が処罰する事など、それぞれに取り決めがあり、家康が何か独断で行って良いだなんて何処にも書いてない。
375 :
人間七七四年:2010/06/02(水) 11:27:23 ID:AkJChxMv
どちらにせよ徳川の行動は豊臣になんら利益ないどころか
脅威でしかないよ。
376 :
だぅ:2010/06/02(水) 23:45:55 ID:GY8h3nY3
家康を潰さなかった所に秀吉の性格を見るけどな
タヌキは天下取った後、ネチネチ抵抗勢力になりえる大名潰したよね〜
陰険だよな〜ほんと、伊達もいつ潰されるかってぶるってたくらいだしな
秀吉は外様の直江にも30万石加増の話持ちかけたりするんだぜ?
蒲生にも90万石くれてやったし、太っ腹
人心掴むのはやはり秀吉の方が上でしょう、秀吉存命中は陰険家康じゃ天下は取れなかったと思うぞ、器が違う
377 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 00:25:27 ID:gIFIfuwP
だから秀吉死んだら求心力亡くなって崩壊したんだよ
378 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 00:29:58 ID:uciFLLhi
伊達は豊臣政権の時も一揆に密かに加担しておとりつぶしになりかかっていた
石田からの差し金でな
豊臣政権を盤石にしたい石田の考えもわからないわけではないが秀吉ときたら、、、、
推測だが
伊達のおとりつぶし
無能金吾を弱小大名への格下げ
徳川の解体
信用できる直江を北のおさえにおくるチョン征伐を中止
これが石田が秀吉が死ぬまでにしておきたかった事だと思うが実現できたのは直江の会津への移籍
自分の心の広さを見せたいところだっただろうが部下の言うことも素直に聞かないとな秀吉さんは
ま石田としては豊臣政権が盤石でなおかつ自分が政権でこのままの権力を維持できる事が確実なら秀次が後継者についてもかまわなかった
ところだが秀頼が生まれてしまったのは不運だったかも
379 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 00:31:30 ID:uciFLLhi
↑変な日本語になった、、、、
徳川解体とチョン征伐は別
380 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 00:52:09 ID:QWcLZX20
せっかく自分の意見を述べても
文中に明らかな蔑称を使ってしまったら
途端に読み手は質の悪い意見だと判断してしまうよ
凄くもったいないことだと思うよ
381 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 01:13:12 ID:p40EiADr
>>376 伊達は秀吉にも潰されそうになっている
直江の話は上杉の分断を狙って持ち出しただけ
蒲生の90万石は氏郷が死んだ途端に没収され、以後蒲生は徳川と婚姻をして結び付きを強める
秀吉は家康と違って陰険じゃなくて優しい太っ腹な人間だと思っているなら的外れにも程がある
382 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 01:39:29 ID:uciFLLhi
三成の言うことを全部聞いてたら豊臣の天下は続いていたと思う
チョン征伐には消極的だったし伊達はあれこれ因縁つけておとり潰ししたかったしな
ところでアホ福島に清洲城を与えるように進言した可能性もあるようだがこれはそれが本当なら結果的に大失敗したな
福島はせいぜい豊臣旗本の1家どまりで十分だった
383 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 02:09:44 ID:GjREZowT
秀吉の死後、豊臣の天下継続で動いていた奴と
いちはやく徳川の天下への移行に動いた奴と
考え方が違うさ。終始受身で終わった奴等は置いといて。
後者については現実問題秀頼の天下は無理で
有力大名の一つとして残すと考えていたんでしょ加藤とか。
んで秀頼の若さと家康の老齢の差を期待していたけど結果は惨敗だ。
384 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 02:36:37 ID:6xaV0DxJ
加藤・福島の狙いは正しいが、豊家が我慢仕切れなかった。
家康の挑発に乗らずに辛抱してればね。
385 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 03:19:27 ID:DSX/FeqX
大名として残れるチャンスはいくらでも貰えてたからねぇ
全部蹴って一戦しようなんてやらかしたんだから潰されても仕方ないわな
386 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 07:33:10 ID:XbFU9ZDE
今まで家臣だった人間の家臣になるだなんて普通はありえない。
387 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 08:45:54 ID:sgMslqax
388 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 09:15:13 ID:OAQJocbm
は?戦国時代に主君と家臣が平和的に逆転した例挙げて見ろよ。
389 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 09:36:06 ID:sgMslqax
390 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 09:45:30 ID:OAQJocbm
「全部蹴って一戦」しないで家康に従うってのは
そう言う事に決まってんだろ。
391 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 10:00:35 ID:R7BSupBQ
>>388 織田秀信と秀吉
一番わかり安い例が秀頼の父親にあるじゃないか
馬鹿な叔父たちと違って平和的に逆転を受け入れたからこそ岐阜城で大名になってたわけで
父親が死んだときは幼少で
家督を継ぐも自分が元服したときには既に有力な家臣に逆転され・・
というのも秀頼とかぶる
392 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 10:38:54 ID:OAQJocbm
>>391 そもそも織田家は事実上の当主と名目上の当主の両方が殺され、
実質的に破綻した状態だった。
この時点で主君は存在しない事になり、
後になって織田家当主として据えられた秀信が自動的に
織田家旧家臣団の主君になる訳じゃ無い。
秀頼の場合は秀吉生前から定められた歴とした当主であり、
家康も誓詞血判の上、忠誠を誓っている。
393 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 11:19:15 ID:GjREZowT
利家夜話で秀吉の晩年に信長の悪夢を見て
織田一族を蔑ろにした事で詰問されたって話があったっけ。
話の真偽はともかく秀吉の天下は織田家から簒奪したものというのは
誰もがわかっていた事。
でも秀吉がいたから天下統一できたという事実もあるから不問。
家康の場合は完全な天下簒奪。
394 :
だぅ:2010/06/03(木) 11:38:38 ID:p67WNoie
家康潰そうと思えば潰せたよな
関が原で西軍につく奴は誰もいなかったのと同じように
秀吉存命中に言いがかり付けて徳川潰そうと思ったら
殆どの大名が秀吉についた筈だぜ
北条を20万の軍勢で取り囲んだように家康取り囲めば弱小大名に格下げできたのにな
格下げして奥羽の隅っこにでも閉じ込めておけばよかったのさ、
でも秀吉はそんな陰険な事はしないんだタヌキと違ってね
395 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 12:31:10 ID:GjREZowT
そんなんじゃ信長の失敗を繰り返すだけ
敵は本能寺にあり!ってだれか言い出すよ
396 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 12:52:27 ID:sgMslqax
397 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 18:30:59 ID:QWcLZX20
>>396 家康に対する引け目や遠慮、そして畏怖がかなりあったのが窺がえるよな。
諸大名の前で頭を下げさせることで良しとした。
家康を滅ぼすのであれば後北条氏の後の関東配置換えの後になるだろうが、
せっかくの天下統一も最期に最強で、自身も苦杯をなめさせられてる最悪の男を相手に、
わざわざ自分の方から喧嘩をふっかけるの得策ではないと判断したのは妥当だろう。
大阪の陣を予知する能力が秀吉にあれば、全力で家康討伐に動いただろうけど。
それでも巨城の引きこもりと、その男の過保護親を相手にするのとは全然訳が違っただろうね。
398 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 20:03:07 ID:uciFLLhi
↑秀吉は死ぬ寸前で大阪城の外堀を拡張している
おそらく今後の息子の身にふりかかる困難を予想したのだろう
その堀を自ら埋めてしまうとは
とほほほほ
399 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 20:49:40 ID:DSX/FeqX
>>398 お前いい加減アンカーの付け方くらい覚えたら?
脳みそないの?
400 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 20:59:27 ID:QWcLZX20
>>398 不安や危惧ではなく、完全に結末まで予知出来てたらということ。
人間だからありえないけど。
戦ではなく、制度・組織を磐石にすることで秀頼を守ろうとした。
勿論、家康の情けみたいなものに賭ける、という部分もあったでしょう。
それに、いつ家康討伐を始めるのかによって違ってくる話しだが、
秀頼が生まれ、その成長と秀吉自身の健康不安を考慮しての場合、
家康との紛争状態の真っ只中に幼い秀頼一人残して・・・
という最悪の事態も招きかねない。
やはり家康を潰すのは、当事者からしたら現代の人間が思うほど
易しいことではなかったと思う。
401 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 21:11:10 ID:f89qHeEN
太閤秀吉と関白秀次体制下での家康は忠実な部下だからな
だいたい秀吉はシナまで征服するつもりなのに
何のために家康を粛正する必要があるのか?
402 :
人間七七四年:2010/06/03(木) 23:49:50 ID:uciFLLhi
>>399 アンカーなんぞどうでもいいわ
つまらない事にケチつけてないで本文に対して文句いうてくださいな
それと能なしとか馬鹿とかの類の単語は使わない方がいいよ
自分のレベルが疑われるからwwww
403 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 02:02:43 ID:yKILA/mY
森蘭丸と石田三成って似たような境遇だったのだろうか
404 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 03:52:06 ID:wEkx65gq
405 :
だぅ:2010/06/04(金) 10:48:42 ID:9YbLx0y9
まぁ家康も関が原の後豊臣潰すのに10年かかったからなぁ〜
本人は潰したくても諸大名が首を縦に振るとは限らないからな
大阪の陣でも豊臣恩顧の大名はみんな留守番させたくらいだしな
406 :
だぅ:2010/06/04(金) 11:00:20 ID:9YbLx0y9
秀吉が家康潰そうとしても諸大名の協力がないと潰せないわな
徳川の後ろには伊達がいる
北条のように20万の軍勢で取り囲むとは安易に行かないようだ
407 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 17:40:25 ID:XxHh8/3H
伊達は伊達に江戸時代を生き抜いたわけでない
かなりしたたかな大名だよ
チョン征伐でも積極的に派兵してるし格上に対するごますり度は平均より上だ
徳川を倒せと命令されたら従うはず
408 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 18:07:05 ID:wEkx65gq
>>407 チョンとかの類の単語は使わない方がいいよ
自分のレベルが疑われるから
409 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 18:12:59 ID:XxHh8/3H
↑すみません
すっかり2chの住人に感化された
日本の寄生虫に対してあまりいい印象をもてませんよ
伊藤を殺したテロリストを国民的英雄に祭り上げるアホな国家なんぞチョンで十分だという気持ちはある(大津事件で仮想敵国ロシアの皇太子を暗殺しょうとしたテロリスト(現役警官のくせに)を英雄として祭り上げない日本人の方がまともだよ
410 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 18:32:55 ID:wEkx65gq
>>409 そういうのはよそでやれ
あとせっかくアンカー覚えたんだからきっちりつけなよ
前から思ってたけど、差別語といい罵倒語といい人を馬鹿にするような発言といい
建設的な議論をする姿勢ではないだろう
「独り言を呟きたいだけ」ならそのままでいいけど、だったら前から言われてるように、NG入れられるようにコテハン付けてくれ
「議論をするつもり」なら、「誰に向かって発言しているか」が明確にわかるようにしてくれ
いつも↑ですまそうとするけど、あんたがレスしてる相手とあんたの発言の間に他人のレスが挟まることだってあるんだ
誰も真面目にあんたの意見を聞いてくれないのは、自分のレスする姿勢にあるんだといい加減気付いてくれ
それがわからないなら半年と言わず三年くらいROMってろ
マジレスでスレ汚しすまん
もしみんなが荒らし扱いでスルーしてるんだったら相手してすまん
411 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 19:05:56 ID:XxHh8/3H
↑で君は在日韓国朝鮮人に対してどう思うの?
全員じゃないと思うが団体で圧力かけて生活保護もらいさらに税金を全く収めない
しかも韓国籍でいながら兵役にもつかない
国民の責任を全く果たしてないどころか足を引っ張ってばかりの連中にだよ
その上、選挙権をよこせとかwwww
ネットを全くしない会社の同僚(年配)からも嫌われてたくらいだからな
とにかく20年間安月給ながらも働き続けてる自分から見れば俺たちの税金でのうのうと遊んでくらす寄生虫に対して批判して何が悪い
412 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 20:02:16 ID:zm5cRGoV
>>410 気持ちはわかるが、そいつは普通に荒らしなんで相手にしない方がいい
相手にしてくれると思ったらいつくから
どうせコテもつけないし、不快だが黙ってNGID投入しておけばいいよ
413 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 22:24:48 ID:QxLuvVRB
秀吉が家康に撃退されるのを恐れただの畏怖していただの何でこんな頭沸いてる書き込みばっかなの?
本気で警戒している人間を上杉に任せようと思ってた関東やったり、
東国の取次ぎさせたりしたんなら本気で頭おかしいだろw
>>491も言ってるけど、やっと国内統一してこれから外征しようって時に
何で国内でまた戦争始めようと思うんだよw馬鹿すぎ。
414 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 22:34:11 ID:yKILA/mY
佐竹の石高をちょろまかしたりして味方にしたり
真田や直江と恣意にしたり、三成は充分警戒していたらしいが
415 :
人間七七四年:2010/06/04(金) 22:58:50 ID:QxLuvVRB
恣意にしたりって何だよ。まともな日本語も使えんのか。
つーか、上杉と懇意にしてたって?取次ぎ務めてんだから当たり前だろ。
で、石田が真田の誰と個人的に懇意にしてたんだ?
416 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 00:14:33 ID:o+/WPf9t
>>412 ありがとう、もう触らないようにする
NG入れておいた
>>415 石田三成が個人的に懇意にしてたっていうなら真田信之がそうだったらしい
ただ、昌幸信繁相手ならどっちかっていうと大谷吉継の方が懇意だろうと思う
信繁の舅だし、昌幸からの取り次ぎは大谷だったようだし
417 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 01:00:35 ID:hkxQMnYU
そう。石田と懇意にしてたのは信之。これで何で徳川を警戒してたとか言うのか。
石田にとって最初の大役は上杉との取次だ。
順調に北条討伐が行われれば、上杉は関八州及び東国取次という大役を任される事になる。
そうなれば取次を務める石田の権力は非常に強いものとなる。
ところが、家康が臣従し北条との取次を務めると、北条討伐すら怪しくなり、
何とか北条討伐が成ったら今度は関東に家康が入る事になってしまった。
本心として豊家にとって良くないという思いが全く無かった訳では無いかも知れないが、
状況から鑑みて利害関係の対立と見るのが妥当。
つーか、それと秀吉が恐れていただなんてーのとは全く関係無いが。
418 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 09:05:06 ID:dr2BErfn
ドラマでは信之は石田を嫌っているという感じだが史実では信之も石田に好意を寄せていたのは事実だよ
ただ嫁がホンダなので仕方なく徳川についただけ
現に関ヶ原の後、三成の手紙を寝ずの番を置いて管理する
子孫に対しても永久に管理するようにと遺言をのこした
結局明治まで寝ずの管理は続いたわけだ
ちなみに真田は実は江戸時代の途中で徳川から養子を受け入れ乗っ取りにあっていたのだが徳川の血筋になっても大事に管理されていたというから驚きだ
とにかく江戸時代の各大名は極悪人石田からの手紙を所持してたというだけで処罰されかねんという感じなので
証拠隠滅のため石田からの手紙を燃やしたということ
石田の親友の直江の上杉ですら手紙を残していないというのに、、、
政権でぶいぶい言わせた石田の手紙がほとんど(とくに大名クラス)残っていないのはそういう理由
手紙を残す事は石田や石田についた父れ弟へのせめてもの義という訳
419 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 09:56:20 ID:hkxQMnYU
だから石田と懇意にしてたのは信之で徳川への警戒だなんて事と関係ないって言ってんだろ。
頭大丈夫か?
420 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 11:07:53 ID:DfBorqSI
>>418 その手紙って、もしかして関ヶ原の件に関する奴?
421 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 11:17:30 ID:dr2BErfn
↑そういう事
それにしても石田関連の手紙などは民間に書いた書状などを除けばほとんど残ってないのは不自然だな
あれほど筆豆な御仁なのに
やはり歴史は勝者によってつくられるのか
422 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 14:44:11 ID:vfG9vV6o
徳川に命乞いしたクズで無能
423 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 14:51:07 ID:dr2BErfn
↑命ゴイしたという証拠あるの?
去年のドラマ見ていうてるの?
命ゴイした話なぞ無い
福島、金吾が大恥かかされたエピソードはしってるがな
豊臣には全く関係ない
自分で勝手におこした戦だと弁明しさすがは治部殿と家康も感心したというエピソードもあるがな
証拠つきだしてからものを言ってくださいよ
424 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 15:01:41 ID:JA0RRTDb
全部エピソードで、史実ではないわけだ
話にならん
425 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 16:30:16 ID:4QQ1adLX
>>422 煽るんなら史料でも引用してまともな燃料入れろよ、カス。
426 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 19:55:26 ID:mddcE7ZH
七将に追われて家康邸経由で佐和山に逃してもらったって史実じゃないんだ?
427 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 21:50:36 ID:vfG9vV6o
豊臣の力をを削ぐ様に、秀次一家を非常な手段で虐殺したクズ
結局、家康の時代になる事をアシストしただけの無能
428 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 22:22:51 ID:dr2BErfn
↑アンチばかりでウンザリだな
豊臣滅亡の原因のほとんどは秀吉自身にあるというのに(自身の死亡段階で息子がたった6歳くらいというのも含め)
とほほほほほ
429 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 22:28:10 ID:4QQ1adLX
>>427 頭の悪い妄想は日記帳にでも書いてろよ、キチガイ。
430 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:02:53 ID:vfG9vV6o
秀吉公のせいにしてれば世話はないんだよな
このクズの悪行もな
431 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:07:56 ID:vfG9vV6o
基地外だけが崇拝するゴミがコイツ。
都合の悪い事は今も徳川のせいで史実がない。
432 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:10:51 ID:vfG9vV6o
人望もないマジ基地障害
がコイツで、類は基地を呼ぶとはよく言った物だ。
433 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:24:23 ID:o+/WPf9t
>>426 講談ネタだな
江戸初期〜中期くらいで編纂された史料や家譜にはその話は出てこない
実際のところは佐竹のとこだか宇喜多のとこだか自邸だかに逃げ込んで固めてた(諸説あり)
んで、七将が三成を討伐する許可をくれ、って家康に詰め寄ったところを家康が拒否
三成が上方にいたんじゃ今後同じ事があるから三成に佐和山蟄居を命じたって流れ
そのときに秀康が三成を佐和山に送ってった(佐竹説もあり)
秀康説では、七将は家康から許可が出なかったが三成は殺したいので待ち伏せをしていたが
家康の息子が一緒では手が出せないのでしぶしぶ諦めたという話になっている
どっちにしろ、三成は徳川邸には入ってないが正しいだろうな
434 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:28:51 ID:4QQ1adLX
>>430 史料を元に発言する知識も無い、レスされても言い争う事も出来ない。
もうどうしようもないカスだね。荒らすならもうちょっと知識つけてからにしなよ。キチガイw
435 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:34:33 ID:vfG9vV6o
石田は史実だとゴミクズの様に処理された外道だからゴミクズだろう。
基地外だけは認めなさそうだが
436 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:37:32 ID:4QQ1adLX
>>435 だから一体何の史実だよw
ろくな知識も無いくせに史実とか言ってんなよ、ゴミw
437 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:40:09 ID:4UcuACXl
ゴミクズはテメェだよ。
清正公を愚弄するテメェは人間のクズだよ。
438 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:42:19 ID:vfG9vV6o
石田はクズで無能で徳川の掌で弄ばれたクズ
439 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:43:32 ID:4QQ1adLX
>>437 またお前かよ、キチガイ。
毎度発作が起こる度に他スレ来て荒らしてんじゃねーよ。
お前がやってる事は荒らし以外の何者でもねーんだよ。完全なキチガイ行為だ。
清正の話とか全然出てねーっつーのw
440 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:47:14 ID:4UcuACXl
石田信者は清正公に憎悪を剥き出しできもい。
ゴミクズはテメェ等だよ。
441 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:48:57 ID:vfG9vV6o
てか無能の石田が調子に乗ってるのはなぜ!?
442 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:53:22 ID:ho+gxdwb
上杉景勝って三成の意図は関係なく、豊臣政権の分裂と弱体に付け込んで
東北に一大勢力を確立させようと企んだんだってな。
家康の自由っぷりを見習って禁止を破り城を改築したり。
豊臣に忠誠を誓った諸大名が一体どれだけ居たのか疑問す。
家康暗殺しようとした浅野ら3人も秀頼への迷惑考えないし
あくまで秀頼とは離れて戦った三成はやっぱり忠臣第一
443 :
人間七七四年:2010/06/05(土) 23:59:27 ID:JA0RRTDb
まぁ、そうだろうね
でなき、三成敗北、即謝罪の説明がつかん
444 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 00:01:20 ID:4QQ1adLX
445 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 00:02:15 ID:wqT+Uy7G
秀次一家の虐殺の張本人
446 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 00:04:23 ID:wqT+Uy7G
清正は石田を抹殺しようとした御仁だよ
447 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 00:30:42 ID:FdPjbkDw
石田ファンだけしばらくスルーさせてもらいます
なんだか毎回おんなじパターンを繰り返してるだけ
いいエピソードを披露してもやれ講談だねつ造だ、
悪い話になるとこれでもかとあることないこと書き込む
アンチの目線でしか物を言えないんじゃないのかな
正直ウンザリします
サヨナラ
448 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 01:14:43 ID:LOGkAYKx
何を言ってるのか良く分からんが、さようなら。二度と会う事は無いでしょう。
449 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 03:39:18 ID:I9sotLCo
だって実際に講談ネタなんだから仕方ないだろう
史実かどうかを聞かれて講談だ、と答えるのの何がいかんのだ
文句があるなら講談以外でそのネタの裏が取れる史料を提示すればいいだけ
450 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 03:59:37 ID:s/m3wPmn
いっつも三成の話題が出るといつのまにか
何の論理性もないひとりヨガリなアンチが湧いてきてグダグダになるのな。
まぁこのスレならいいけどさ、一人なのかそれぞれ別の人なのか知らんが他のスレまで遠征してくんなよな。
じゃあ話題を変えるために初芽局のエロさについてでも語ろうか。
つうか、三成は敵方のくのいちをどうやって手篭めにしたんだろうな。
451 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 04:12:14 ID:lNwMbYNT
くノ一かどうか、そもそもいたかどうかわからない人物のエロさとか、そんなもんわからんよ
司馬スレにでも行けばいいんじゃね?
ところで初芽局の初出って何なんだろうな
古今武家盛衰記には載ってなかったからそれ以降なのは確かだと思うんだが
452 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 11:51:34 ID:A3eVyy7G
453 :
だぅ:2010/06/06(日) 13:41:31 ID:LoIP+Nbv
石田はよく戦った
ただ、豊臣を思う気持ちが他の人間に伝わらなかったのが残念である
恩顧の大名まとめる事が重要だったろうに
454 :
だぅ:2010/06/06(日) 13:45:47 ID:LoIP+Nbv
みんなの力が無いとタヌキには勝てねーって石田くん
455 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 14:06:06 ID:s/m3wPmn
>>451 初芽局は創作にしてはあまりに話が突飛過ぎるし、似たような話も皆無だから完全な創作ってのは考えにくいな。
少なくとも元になるような話はあったんだろ。
側室レベルの人間なんて名前すら碌に残らないのがザラだから一部の資料に名が載ってないのも当然だよ。
ウィキによると真実はともかく子孫を名乗る人がいるらしい。
あとくノ一を手篭めって響きがエロいのはガチ。
456 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 14:27:28 ID:gA0VyOmc
初芽局はたしか地方の口伝のたぐいだったと思う
以前webでなんかの作家の紀行文みたいなのを載せてる中で見た
しかし作家名は忘れた(司馬じゃない)
あと司馬に直接聞いた人によると
>司馬遼太郎さんにも手紙を出した事があるんです。それは西明寺の絵馬に女性が描かれているんです。
>それを上田道三さんは“初芽局”だと分析されています。しかし初芽局は歴史上存在しない。
>『佐和山と石田三成』という本に初芽局の話があり、そこで三成が行方不明になった時に初芽局が追いかけて
>探したという物だったのだけど、どうもそれを司馬遼太郎さんが『関ヶ原』に採用したのではないかと。
>「出典はどこですか?」と手紙を書いたら、亡くなる1年くらい前に直筆の返事が来て
>「昔の事なので、霞の彼方に消えました」と。
457 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 16:27:38 ID:lNwMbYNT
>>455 話が突飛だから創作とは考えられない、って普通逆じゃね?
あと、俺が知りたいのは初芽局の話が創作されたのはいつか、なんで
モデルになった側室はどうでもいい
嫁いだ娘が実家の間諜なんてのはごく普通の話だしな
>>456 なるほど、つまり言い伝えレベルの話を面白く脚色したのが司馬遼っていう
司馬作品ではよくあることってオチだったわけだな
なんか逸話関係探しても出てこないと思ってたんだよなー
すっきりした、情報ありがとう
458 :
人間七七四年:2010/06/06(日) 22:15:48 ID:s/m3wPmn
別に初芽局は司馬起源じゃないからその論理はまちがっとるよ。
おまえが司馬史観を持ち上げるのは勝手だが。
459 :
456:2010/06/06(日) 23:00:25 ID:nXNK5IkL
460 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 00:20:09 ID:P4Z6FOLb
>>458 落ち着いてちゃんとレス嫁
>>457は「言い伝えレベルの話」を脚色したのが司馬、と書いてるから
司馬が起源とか言ってないだろ
461 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 00:36:54 ID:zlgvrRPz
>>459 なるほど、そのあたりが原型なのかもね
やっぱり神社やなんかで伝承化されてるものを拾った可能性が高いな
こういう口伝や伝承は最初は別の人物だったのが
いつの間にか別の人物の話になってることもよくあるから
三成と初芽局という形になる前に元ネタがあったのかもしれんね
462 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 13:35:09 ID:/1X+iAHo
久々にまともな流れで安心あげ
463 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 01:33:25 ID:LNjVhojb
石田方 日本軍
徳川方 アメリカ(連合)軍
という図式だね
国力10倍以上のアメリカに
やりようによっては勝てた
いや結局負けた
と同じ構図じゃない?
464 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 02:30:48 ID:swTL2yVM
465 :
だぅ:2010/06/08(火) 02:46:39 ID:QGIpMXo/
しかしどうしてここまで嫌われるかなぁ
石田三成という男は
466 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 03:00:19 ID:yzLtpsgl
残念な人だったからでしょう
467 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 05:57:59 ID:BntBWTBr
少なくともお前らに好かれてんじゃん
生き様も一貫してて奇麗だ
468 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 06:27:40 ID:3nWvlm2C
策士である黒田、藤堂を真っ先に敵に回したのは事が敗北につながった
秀吉は黒田と藤堂に対してもっとご機嫌とって石高を与えるか反対に大名にさせずに豊臣本社の家老クラスに取り込むべきだった
実は臆病者の家康が天下を取ろうとしたのは黒田藤堂にそそのかされてその天下の取り方のプランを教えてもらっただけに過ぎない
469 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 06:42:33 ID:ayp/UZRZ
大谷吉継や島清興を見捨てて裏切り自分はトンズラだからなぁw
蔚山城で味方を信じて鬼神にまでなった清正とはやはり器が違うなぁw
470 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 09:26:03 ID:46aGzRGw
信長や家康だって負け戦の時は逃げまくりだろw
大将格が味方を置き去りにしても逃げるのは当然。
生き残る事が役割だから。
生き残る事が役割でない武将格の男が捨て駒として
踏みとどまる判断をすれば良い。
三成は大将で、清正は一武将だからなぁ。やはり器が圧倒的に違うなぁw
471 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 09:48:06 ID:swTL2yVM
朝鮮征伐では明らかに清正と行長は大将格でしょ。
関ヶ原の三成は謀臣の立場で大将じゃないでしょ。
あくまで大将は輝元で、現場には大将が居なかったと言っても過言ではない。
あえて上げるなら秀家でしょ。関ヶ原前日の会議も三成が提案して秀家が納得したため
周りも秀家に従う形で会議がおさまったわけだから。
472 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 09:51:21 ID:46aGzRGw
事実関係がどうとかじゃなくて、
三成は大将としての決断、清正は一武将としての決断になっているということ。
473 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 10:00:58 ID:wVvRZfbi
自分が大将になったつもりで勝手に大垣城飛び出して関ヶ原に布陣することを決めたんだからなぁ
これじゃ南宮山の毛利勢が動いてくれないのは無理もない
自分等がいないとこで三成が勝手に決めて
そのくせ半日も持たずに壊走してるんだからな
474 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 11:04:48 ID:swTL2yVM
マジな話、何の公的権限もない糞成が総大将気取りでいたことが西軍の最大の敗因だと思うよ。
関ヶ原で真っ先にKINGO様を総大将に祭りあげて最初から関白の座と関東に200万石を進上する旨を関ヶ原到着前に確約すべきだった。
KINGO様が松尾山を扼し西軍の補給路を徹底して守る限り東軍の勝ちは最初から無いのだから。
糞成どもは石垣城に拠り美濃平野で混乱する東軍を適宜叩いて体力を消耗させていくだけで良かったわけだから。
475 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 11:20:15 ID:6REsQdiK
>>471 文禄の役での大将は隆景。慶長の役での大将は秀秋(若年であった為、実質的には秀元・秀家)。
>>473 秀家の篭城策を制して関ヶ原転進を主張したというのは軍記大成によるもので、実際の所は不明。
少なくとも軍議で決まった物であり、「勝手に飛び出した」なんてのは滅茶苦茶。
また、吉川は東軍に対し「味方するつもりでいたけど、石田らが関ヶ原へ転進したので、
敵にはならないけど味方は出来ない」と言っている。
関ヶ原に転進したから南宮山の毛利勢が動かなかっただなんてのは論外。
476 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 11:27:04 ID:IS4SMo7j
大垣城の三成・秀家らと南宮山の毛利勢は、指揮権がどちらかにあるかは決まっていなかっただろうしな
477 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 12:16:32 ID:swTL2yVM
輝元が関ヶ原に居さえすればな・・・
そうすれば家康は秀忠の到着を待つ事になり持久戦必至だった。
指揮系統が輝元に帰すわけで南宮山も松尾山も毛利軍の一派なので裏切る可能性が無くなるよね。(将士、足軽レベルで裏切れない)
ただし輝元の立場としては急がないと九州から長州に如水が侵略しに来る事が必至だから
短期決戦に賭けたい気持ちにはなるだろうけど。
478 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 12:51:47 ID:BntBWTBr
輝元は大阪城にいても良いと思う。
万が一負けても大阪城を占拠してれば・・
関ヶ原当時の徳川が大阪を敵に回したら・・ 三成も倒れた後で
豊臣恩顧の各将は秀頼を攻めるか?
479 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 14:48:05 ID:H67bdMTv
>>478 むしろ、豊臣恩顧の奴らが率先して大坂を攻め秀頼君を救出すべし、と唱えていたわけで・・・
480 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 15:53:59 ID:IS4SMo7j
>>477 三成は家康が浜松まで来たら輝元に出馬を求めるつもりだった
しかし三成は浜松はおろか、赤坂に家康の旗・馬印が翻るまでそれに気付かずに
戦略的奇襲を受けることになる
ここは家康が完全に上手だったとしか言いようがない
481 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 16:25:18 ID:H67bdMTv
>>480 一応それまでにも催促はしてるよ
岐阜落とされて東軍諸将が赤坂にたまりだしたあたりかな
しかし輝元は「大坂城内にすでに寝返ってる奴がいるので
これじゃ危なすぎて出馬できない」といって拒否してる
で、このころにはもう吉川との話はついていた
これと、関ヶ原直後の近衛前久書状を合わせて考えると
近衛書状の通り、やっぱりこの時点で既に毛利は降伏しようとしてたように思うんだよな
482 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 16:48:06 ID:BjvygTdq
東軍に付こうとしてた武将をむりやり西軍にしたり
けっこう強引やね
483 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 16:50:10 ID:swTL2yVM
茶坊主の分際で総大将気取り、さらには戦略性0の命令ばかりするからだ。
484 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:38:25 ID:ayp/UZRZ
コイツは味方を見捨てて裏切り、自分だけトンズラ
でも、コイツはトンズラしてこの後一体どうするつもりだったんだろうな?
もうコイツの口車に乗る奴もいないし生ゴミらしく自殺かw
485 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:43:37 ID:y4ImSYw3
戦場から落ちたのは何も三成だけと言うわけでもあるまいに
486 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:45:20 ID:BntBWTBr
満身創痍で戦って死ぬなら悔いはないがそうじゃないし
裏切り者に一太刀浴びせたいという気持ちもあるだろ
487 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:46:03 ID:ayp/UZRZ
コイツは人望がないから匿ってくれる奴がいないんだよw
488 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 17:47:25 ID:6REsQdiK
489 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 18:22:02 ID:/E5aOsNU
>>480 その辺の索敵というか諜報活動ってどうだったんだろうね?
敵方総大将3万の大軍が動いてるわけだし。
三成に油断もあったんだろうけど
490 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 19:46:11 ID:H67bdMTv
>>489 そのあたりは本当にメッタメタだった
よく西軍諸将の連携がダメだったことを取りざたされるんだけど
一番まずかったのは諜報の類
東軍の動きをまったく把握できてなくて、全部後手に回っちゃってる
東軍が清洲に入ってから岐阜攻めまで一週間はゆうにあったのにまともな手も打ててないし
岐阜が落ちてあわてて他の部隊にこっちまで来いって連絡したもんだから
大谷隊で9月3日、毛利勢に至っては7日まで待たないと着陣できてない
大垣を攻められなかったのは家康が止めてくれたおかげなわけで、ある意味ラッキー
あのまま赤坂の東軍全部隊で大垣攻めを決行されてたらそこで詰んでた可能性が高いと思うよ
491 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 20:14:28 ID:/E5aOsNU
>>490 う〜ん・・・
生きるか死ぬかの大一番でその粗漏ぶり
信じられないね
そんな状況判断しか出来てない首脳部から
「たとえ今家康ごときがの者が10人出張ってきたとしても問題無い」
と手紙で中央情勢の報告を受けていた真田昌幸に同情するよ・・・
492 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 20:49:32 ID:IS4SMo7j
>>489 こういう隠密行軍というのは徳川家の得意技だったようです(長久手の戦いとか)
例えば、旗や馬印は隠して先に送っていたようですし、三成と仲の良い田中吉政の居城である
岡崎には泊まらずその手前の岡村に宿泊していたりしている
493 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 20:55:02 ID:swTL2yVM
大垣攻めをしたがる福島正則などに対して藤堂高虎が身を挺して止めたんだっけ。
家康は後々まで藤堂高虎にその件で感謝の弁を怠らなかったとか。
大垣城が先に落ちたら東軍の勝利でも家康の威厳は地に堕ちて
後の論功行賞でも
正則たち「江戸で寝てた爺は黙ってろ!」
家康「・・・」と家康の天下にならなかった可能性があるものな。
494 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 21:04:57 ID:/E5aOsNU
>>492 それは知らなかった
ありがとう
家康の慎重な性格が良く分かるわ
三成を捕縛して大津城の家康に送り届けるのがその吉政というのが面白い
495 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 21:14:50 ID:928tjHOS
長船「もうすぐ家康が来るから西軍も終わりだ」
明石「来ると思ってました、一戦して討ち取ってやります」
みたいなやり取りした文書なかったっけ?
ほんとに戦略的奇襲だったの?
496 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 21:34:13 ID:IS4SMo7j
>>495 それは八月十八日、十九日の書状だと思うから家康が出陣する前ですね
少なくとも九月十二日に三成から長盛に出され、途中で奪われた書状には
三成が家康の接近に気付いていた兆候は見られない
497 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 22:08:23 ID:FxXyajho
>>473 三成て正純との対話で大将について議論しているけど違和感を感じる
例えば三成が西軍の総大将に就任していたのなら三成の大将論も納得できるけど
実際は就任していないから説得力が感じられない
>>475 その軍議に毛利一族の者が参加していたか?
毛利からすれば自分たちの知らないところで勝手に作戦が決まったのなら
「勝手に飛び出した」と思われても仕方のないことでは
それに自分たちが毛利を総大将にしておきながら毛利一族を軽視するようなことをしておいて
戦ってもらえると思っているところが文句を言われても仕方のないことと思う
それにしても三成は朝鮮の時は清正とかが勝手な行動したとして注意していたのに
関ヶ原の時は自分の方が勝手な行動しているのがなんか皮肉を感じる
498 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 22:43:12 ID:H67bdMTv
>>497 書状が残ってたかどうか記憶がちょっとあやふやで、もしかすると軍記ネタかもしれないんだけど
秀元に大垣入城を打診したら断られたんじゃなかったっけか
それで、なんで大垣に入らないのか三成が不審に思って安国寺に何度か問い合わせたという
名目上の総大将は宇喜多かもしれなかったと自分も思うんだが、
東軍勢のほぼ全員が「石田三成を討ち取ること」が勝利条件だと思ってるんだよな
実際、宇喜多は行方不明でも三成を捕縛して処刑したところで一区切りがついている
「西軍の認識では」宇喜多が総大将だと思ってたのかもしれないが、
東軍の認識ではそうでなかった、というのが決定的な齟齬だった、と
だから、実は鶴翼の要は宇喜多で、そこに敵が集中すると思ってたのに
三成に多くの部隊を振り分けられてしまってどうしようもなくなったんじゃないかと思っている
鶴翼は両翼を押さえられるととんでもない負け方するから・・・
499 :
人間七七四年:2010/06/08(火) 22:51:17 ID:6REsQdiK
>>497 無闇に打って出るな等の大まかな指示が予め総大将から出る場合があるが、
基本的にはその場の状況に合わせて城将が判断して行動する。
通信手段が発達して無いんだから当然だが、この場合では小早川に松尾山を占拠され
逼迫した状況なのだから尚更。
もちろんこの時輝元から何か具体的な指示が出ていた訳でもない。
500 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 00:58:53 ID:7PCaQPXH
>>499 でも朝鮮の時に現場の判断で行動したら文句をいったのは三成のほうじゃね
他人の時はだめで自分の時はいいという対応をとれば誰でも怒るんじゃないか
それに三成たちが無断で関ヶ原に行ったために南宮山にいる広家たちは対応に困っている
あと三成は関ヶ原に向かう途中に安国寺と長束の陣によっているが毛利の陣にはいっていない
ここで謝罪にでも行っていればまた違った展開にでもなったかもしれない
三成は本気で毛利が動いてくれる思ってたのかね
あんな対応しておいて
501 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 01:05:18 ID:bT4wHLtn
>>500 三成は身の危険を感じてたのかもな。
うっかり広家のところに寄って謀殺されたらアホ丸出しだし。
502 :
だぅ:2010/06/09(水) 01:07:09 ID:sIpxa3oG
広家はどんな気持ちで三成と接してたんだろ
最初から裏切るつもりマンマンだろこいつ
金伍はギリギリまで迷ってたけどさ、
腹黒い奴だよ吉川広家ってやろーは
生まれ変わったら詐欺師が似合うと思う
503 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 01:16:06 ID:x6DKIq9i
三成が加藤清正の行いを秀吉に訴えた内容は以下の三項目。
・朝鮮人に対して小西の事を堺の町人であると罵った。
・明への書面に豊臣清正と勝手に記した。
・清正の家臣が明の正使の財貨を盗み遁走した。
現場の判断とかいうレベルの問題じゃないな。
吉川が困った?そりゃそうだろ、東軍に寝返るつもりが、関ヶ原に出てきちゃったんで、
それが出来なくなっちゃったんだからなw
504 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 02:05:41 ID:qwujEdrq
>・朝鮮人に対して小西の事を堺の町人であると罵った。
小西が堺の町人なのは事実だから問題ない
>・明への書面に豊臣清正と勝手に記した。
朝鮮における豊臣家の代表者が事実上不在だったこともあり
交渉で優位に立つためには前線で頑張っている加藤が名乗らざるを得なかった側面もある
>・清正の家臣が明の正使の財貨を盗み遁走した。
これが事実かどうかはきちんと調査する必要があるが秀吉はまったくしていない
当事者である加藤の弁解も一切聞かず、三成の報告→即有罪としてしまったのは過ちだろう
これではもしも三成が他人を貶めるために虚偽の報告をしてもチェック機能がまったく働かない
三成が訴えたことが悪いというより、秀吉の対処の仕方が悪いんだよな
505 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 02:19:21 ID:x6DKIq9i
小西は秀吉の家臣であって当然武士身分。
出自の事を言ってるのならお門違いも甚だしい。
前線指揮官が国の代表と同じ姓を名乗る必要は更々無い。
加藤の家臣の件は、どのような経緯で処分が決定されたのか、正確には分かっていない。
つーか、そもそもこの件は「現場の指揮官の判断で行動する」って事に対してのものであって
その内容の是非を言ってるわけじゃない。
勝手に脱線してややこしくすんな。
506 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 02:56:12 ID:RRVbzmW8
状況は刻一刻と変化するするものだから
離れたとこにいる味方の了解を得られないまま自分たちだけで判断を下さなければならないこともあるのは確かだろうな
しかしそれならば、その決断についての責任を自分たちで果たさなければな
つまりその軍議に参加していない南宮山勢を戦の初っ端からアテにするようではお門違い
少なくとも自分たち(大垣城の軍議に参加した者たち)だけでしばらくの間(最低限一日)は東軍の突破を防ぐ義務があるだろう?
夜中に慌てて決断して城を飛び出して、夜が明けて早速戦闘開始、そして午前中しか持たずに壊走
それなのに負けたのを前日夜の軍議の意思決定に関わってない南宮山勢のせいにしてるようじゃ話にならんよ
ましてや事前に去就が定かではないのが判ってたはずの小早川のせいにもできない
果たしてどんだけの間東軍の突破を持ちこたえられる自信があって城を飛び出すという決定をしたのかって話だ
せいぜい午前中だけだろう と自分たちでも思ってたのなら、そもそも判断からして狂ってるだろ?
もっと長く持ちこたえられる(小早川の裏切り込みでも) と思ってたのに午前中だけで負けたのなら
これは西軍が奮闘したなんて大嘘の予想以上のボロ負けだったってことになるだろ?
507 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 03:12:34 ID:x6DKIq9i
あのさぁ、戦国時代の合戦で戦い方を城将が判断するのは当然の事であって、
それを「勝手に飛び出して」とか言ってるのが完全なお門違いだってのが理解出来ない?
〜の所為とかそういう問題じゃなくて、前提条件が間違ってるって話。
毛利勢が動かなかったのが関ヶ原に移動したからだってのも完全に間違ってるし。
508 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 03:40:28 ID:bT4wHLtn
広家は相手が家康で良かったな。
信長だったら大阪城を受け取った直後に「汚きヤツ!」とその場で磔にしただろうし
毛利家はお取り潰しで更には毛利狩をしただろうな。
509 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 04:48:50 ID:RRVbzmW8
>>506に対して反論して、特に後半
できないなら黙ってて
それとも
>>506を読んで上でまだ
>あのさぁ、戦国時代の合戦で戦い方を城将が判断するのは当然の事であって、
>それを「勝手に飛び出して」とか言ってるのが完全なお門違いだってのが理解出来ない?
なんて言うつもりなら日本語から勉強しなおして
510 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 09:24:19 ID:x6DKIq9i
>>509 ・城将が状況に合わせて戦うのは当然の事で、それを「勝手に飛び出した」なんて言うのはお門違い。
・南宮山の毛利勢が動かなかったのは既に吉川が東軍に内通していたからであって関ヶ原に転進したからじゃない。
この2点を主張してるわけ。理解出来る?
で、どのくらい持ち堪えられる自身があったかって?
松尾山という要所を占拠され、状況を打破する為に転進したのに、何言ってんだ?
「持ち堪える」事が目的ならそりゃ篭城してるだろ。
511 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 11:19:03 ID:bT4wHLtn
結論としては関ヶ原に家康が来てるのに輝元が来てない時点で
三成がどう頑張ろうと東軍の勝利は確定してたと思うよ。
512 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 11:27:52 ID:bT4wHLtn
東軍の勝利がほぼ揺るがないと見たから秀家は関ヶ原到着と同時に夜襲で
先制攻撃を仕掛けようと主張し、島津も関ヶ原前日に夜襲をしたいと訴えたんだと思うよ。
島津の夜襲はともかくとして秀家の幻の夜襲は成算が十分あったと思う。
513 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 17:20:49 ID:HW4TrfPs
↑夜襲を断られたのですねて参戦しなかったわけですね
わかります
あの時鬼島津が攻め込んでればどうなってたか
優柔不断な金吾がどう動いたか
ただ金吾の下にいたワッキーや朽木あたりは徳川派なのでどう出たか、、、
514 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 17:29:09 ID:S52rcJ8j
島津夜襲説は落穂集が出典だが、後に『朝野旧聞ほう藁』という史料集を作成する際に
幕府の学者が色々調べたり、外部の学者や島津の家老などに聞いてみたけど、どうも
無さそうだと注釈を入れている
515 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 17:49:41 ID:RGvdtYDI
島津は引き連れてる人数が少な過ぎる
元々石高が少ないならまだしもそうではないんだし、
義弘にしても他の西軍将校にしてもどこか遊軍扱いというか
(仮)島津軍みたいな感じはしていたのかも
もちろん義弘の自負も、義弘へのリスペクトもあったではあろうけど
516 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 18:44:02 ID:ne/nSijs
>>492 いくら徳川勢が隠密行動が得意(?)だからって、
3万もの大人数の移動をキャッチできないなんて普通ありえない。
斥候を出していなかったか、斥候がサボタージュしてたか、斥候が余程の能無しか。
そんな理由しか思いつかない
517 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 20:33:55 ID:S52rcJ8j
>>516 もしくは徹底したモグラ狩りが行われていたかだな
当日、大垣は雨だったというから視界はあまり良くないだろうし、
清須からはつねに小荷駄部隊が行き来していたと思われるから
それにまぎれていたとか色々と想像はできる
518 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 20:41:19 ID:YzPbU4lF
>>515 島津は一枚岩じゃないからなあ。
比較的中央政権と近かった義弘と、集権化の動きに反発した家臣団が
義久や忠恒と結びつくなどしてて、家中が相当もめてたみたいだしね。
伊集院幸侃父子の事件も起きているわけだし
519 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 20:56:03 ID:bT4wHLtn
>>514 友人「おい、おまえ騙されたな。島津が夜襲するって言ったろ。あれ嘘なんだ」
俺「よかった」
友人「え!?@」
俺「夜襲した島津は居なかったんだ(ほっ・・)」
友人「乾杯(グラスを傾けて)」
520 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 22:39:50 ID:7PCaQPXH
>>507 南宮山の部隊は元々大垣城の備えの兵としてあそこにいたわけで
関ヶ原で戦う事で前提にいたわけじゃない
それからすると三成たちの行動は予定していたのと違う事をしているから
「勝手に飛び出して」と思われても仕方がない
あと問題にしたかったのは三成が朝鮮の時に他人を咎めた行動を三成自身がやっていることなんだ
朝鮮で戦った武将たちからすれば腹が立つ行動じゃないか
秀秋なんて窮地にいた加藤清正や義兄にあたる宍戸元続を救出したら勝手な行動をしたとして領地を半分にされている
>>508 信長ならむしろ褒めるんじゃね
>>511 元々関ヶ原で戦う事を予定していたわけでないから
輝元が来てないと言われてもどうしようもない
521 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 22:51:11 ID:yOQ2n8PU
>>503-504 というか、明の史料には小西行長を「豊臣行長」って書いてるんだよね・・・
つまり、この場合は小西行長がそう名乗ったとしか思えんのよな・・・
522 :
人間七七四年:2010/06/09(水) 23:09:11 ID:yOQ2n8PU
>>517 東軍が転進して清洲に到着するまで動向をつかめていなかった
家康が清洲に到着したことも知らなかった
お粗末ってレベルじゃないな
>>520 それに加えて、大垣から出て関ヶ原に布陣したことで
大垣の後詰だったはずの南宮山がいきなり最前線になることになった
しかもその連絡は南宮山には届いていない
三成は安国寺には会ったのに南宮山方面の大将であるはずの秀元をスルー
これは「捨て駒にされた」と取られても仕方ないと思うんだよな
常識的に考えて、家康と話が通っていない前提だったら東軍側は南宮山をまず潰す
逆に言うと、関ヶ原に陣取った西軍は南宮山に東軍が攻撃を仕掛けている間を使って陣地の構築ができるわけだ
笹尾山・天満山・藤川台に支城的なものを作って、小早川が松尾山に陣取ったせいで機能しなくなった防衛ラインを
関ヶ原の出口あたりまで下げようとしたんだと考えると、まぁ理屈は合う
結果的に吉川の内応でそれが失敗して、まさかの一日で終結とかいう有様になったんじゃないかと
523 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 01:10:44 ID:qzTChnIZ
要するに三成が諜報活動すらできない戦童貞の分際で総大将気取った事が豊臣家が滅んだ理由か。
524 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 02:00:04 ID:qzTChnIZ
最初から総大将がKINGO 参謀が真田か大谷だったら西軍が勝てたな。
525 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 09:55:28 ID:FhalzzVo
宇喜多秀家と対立するからそれを避けてる
526 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 22:08:08 ID:3gYKMlcX
所詮結果論でしか物言えないくせに鬼の首を取ったの如く石田を叩く、、、、
たかが18万石でしかも奉行職を追われた大名があそこまでの決戦に持ち込んだという事自体、たいしたものなのにね
今のネット全盛と違いお互いが全くの情弱の状態では単純に大大名の方が断然有利なのは仕方無い
下手すればお家滅亡するかもしれないと家康におもわせた事自体が驚きだ
ただ残念なのは豊臣本家とテルがあまりにもチキンだったということ
ただ石田はかなりでしゃばりすぎた感はいがめない
527 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 22:18:12 ID:SkySSC7g
ぜんぶ石田の所為のように言うが
前田利家と徳川家康が対立したのは石田関係ないじゃん。
石田がいなくても誰かが立っていたよ
528 :
だぅ:2010/06/10(木) 23:47:45 ID:qV05/BrZ
石田三成はどうしてここまで嫌われるのか
朝まで生テレビ、スタートです!
529 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 23:49:49 ID:3gYKMlcX
仮に石田が家康にごますって徳川についたら
もともと徳川軍につく予定の大谷は当然、、、彼は石田ラブだから
お家大事の毛利も当然
長宗我部ももともと徳川軍につく予定だったし
せいぜいUKITAくらいか、しかし家臣に反対されて
結局上杉はいけにえに
結果:政治力ではトップクラスの石田は徳川政権の重要部をまかされて福島あたりをリストラに追い込むなど数々の陰謀の末、徳川政権を安定させる
家康は石田を気に入って京都守護をまかせる、、という展開になってたかも
ただ徳川家臣団や旧豊臣家臣団からも総好かんを受ける
てとこかな
530 :
人間七七四年:2010/06/10(木) 23:58:07 ID:Zm461yT6
>>526 >ただ残念なのは豊臣本家とテルがあまりにもチキンだったということ
結果論でしかと言いながら自分も結果論で言っているだろこの事に関して
それにたかが18万石とか言っているけど三成は豊臣政権で五奉行の一人として
かなりの権勢を誇っていたわけじゃん
この五奉行での間に培ったコネや人脈などがあったから持ち込めたわけで
しかも他の人間のサポートのおかげでね
もし三成が豊臣家と何も関係もない只の18万石の大名でも
決起で出来たと擁護の人は本気で思っているの?
531 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 00:30:11 ID:Wx2rlxuV
>>529 石田ラブとか大谷を変な風に言うなよ気持ち悪い
532 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 01:15:32 ID:iQ0SX7Oi
隆景が死に、「これからは本当の意味での毛利家当主にならなければ!」
と思っているところに秀吉が死んで日の本大混乱
安国寺に唆され西軍総大将を自任して大坂城入城も、
まさか広家が超越権行為しているとは思いもよらず・・
そんで西軍の作戦計画も自分の知らぬところで次々と・・
「あれ?俺って総大将じゃなかったっけ?あれ〜?」
と苦々しく思ってたら・・
「お味方衆、決戦して負けましたー!」
とのお知らせ・・
「マジ?マジで?俺、戦ってないし、総大将だし!?」
「そう、戦ってないからあんたはお咎めナシ、罰もナシ」とのこと・・
「でしょーっ!俺、総大将だけど戦ってないし!これからも戦わないし!」
したら家康め「なめんな!全部没収だぎゃあ!」
そりゃ輝元も拗ねて隠居するわ
533 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 01:43:11 ID:Wx2rlxuV
>>532 輝元はせっかく広家が「輝元は巻き込まれただけ、やる気なかったからお咎めなしで」って取りなしてくれたのに
伊予あたりをやる気満々でぶんどりまくってたから自業自得ですわなー
534 :
人間七七四年:2010/06/11(金) 01:54:54 ID:J7SdBzgE
元々秀吉の天下では
東は上杉、西は毛利の2トップの予定だった
だが家康が凄すぎて東を任せないといけなくなり
徳川毛利に落ち着く
隆景死んだら、毛利に人物無しとして
無理やり利家の官位を家康ともども上げまくり、にわか2トップに
秀吉死んでさあこれからと利家にちょっかい出したらヘタレだし
1年と持たず死ぬし、息子も親父に似て強者に媚びる犬そのもの
初めから上杉とか輝元とか前田なんて徳川とは並んだものじゃないから
せめて連携しないとな
535 :
だぅ:2010/06/11(金) 22:13:05 ID:nDiXeKl7
みんなして家康になんでビビッてんだろうなぁ(笑)
ほんとにさぁ
536 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 01:16:21 ID:ASQKIFMx
↑その家康が一番びびっていた
本多あたりが上様は毛利が参戦と聞いてかなり狼狽していましたなと書き残しているし
むしろ石田の方が油断してた節がある
537 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 01:55:37 ID:nIIPzvO2
538 :
だぅ:2010/06/12(土) 01:56:20 ID:sebNK75O
へぇ〜タヌキもビビってたんだw
信長政権下で三河と遠州と駿河の3カ国しか取れなかった男だからな
そもそも買いかぶり過ぎなんだよな
539 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 01:59:30 ID:4qtRaM4d
前田の息子はヘタレじゃないよ。反家康同盟を組んだり(ソースは看羊録)
淀殿と不倫の噂が立ったり。一番戦国を楽しんだ男って感じ。
540 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 11:36:42 ID:lAb81avR
>>526 たった18万石とよく言われるけど朝鮮出兵前の三成は12万石だからな
前線の大名が飢えと寒さに苦しみ恩賞も貰えない時に
自分は現場の人間の行動を告げ口して50%もアップし、さらに石高が上がるかもしれなかった
石高の絶対値ではなく伸び率とタイミングが最悪で明らかに上昇分の6万石より大きなものを失った
たった18万石というより三成が18万石もあったから戦に負けたともいえる
541 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 13:25:46 ID:iZxbBKFg
>>537 横からだけど関ヶ原じゃ仮に西軍が一気に攻めかかってきたら東軍が勝ちようがないよ
宗茂とかやる気のあるやつを三成が連れてきてたら負けてたはず
542 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 17:06:46 ID:x605CC/3
>>533 そういった条件で約束した広家の方が悪くねえか
543 :
だぅ:2010/06/12(土) 19:14:33 ID:AM4xMNxf
関ヶ原は宇喜多と立花の2トップで戦うべきだったな
544 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 19:17:54 ID:nCg1FY3y
>>543 広家抜きなら毛利秀元もなかなかのもんですよ!
545 :
人間七七四年:2010/06/12(土) 20:40:23 ID:x605CC/3
>>543 よく立花がいればとかいうけどこの部隊の主将はあくまで毛利家の元康だぞ
立花の部隊だけなら大して戦局は変わらんだろ
それに大津の部隊はよくいたらどうなったかわからないと言われるけど
そもそも関ヶ原の戦いを前提に戦ってないから間に合うも何もなくないか
546 :
人間七七四年:2010/06/13(日) 16:10:51 ID:QA5JqSPp
とか言っちゃってるアンチ石田
547 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 19:20:47 ID:LkRLdxwk
島左近ってほんとに三成の軍師だったのか?
だとしたら低能としか言いようがない
548 :
人間七七四年:2010/06/14(月) 20:13:34 ID:bn/ckDff
年式が古いからしかたがない
549 :
人間七七四年:2010/06/16(水) 13:39:41 ID:2YR+pMod
主に比べて江戸時代から島左近・横山喜内・舞兵庫って好評価だよな
550 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 22:21:29 ID:xbfBpb8b
豊臣の為に命を懸ける清正と家臣を見捨てて逃げる石田。
551 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 22:25:52 ID:NuJCDtsF
別に清正は豊臣のために命をかけてはないだろ
552 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 22:26:35 ID:ks+ztO/B
5奉行の筆頭って浅野と石田どっちなんだ?
553 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 22:42:49 ID:N/tKIwlz
浅野
554 :
人間七七四年:2010/06/17(木) 23:15:49 ID:DqSr3Rng
>>552 浅野・増田・石田は各国との取次、長束は財政、前田は寺社と役割は異なるが、
それぞれに序列は無く、筆頭というものも特に定められてはいない。
ただ、中央政権の代行者たる取次は、その権力も当然非常に大きくなる。
特に堺奉行も兼ねた石田は、秀吉の縁戚である浅野や長浜からの家臣である増田を差し置いて
「治少御奉行之其随一」だとか「太閤公ノ為股肱ノ臣、其勢威無比肩人」だなどと言われており、
周囲からは奉行の中でも一番力があったのだと思われていたようだ。
また、浅野は秀次事件以降は奉行の連書状に名を連ねる事も少なくなり、
伊達からの絶縁状によってその権威もかなり弱まってしまっていた。
555 :
だぅ:2010/06/26(土) 00:28:25 ID:0IaUz36+
どっちにしても勝てねーよ
関ヶ原で実際戦ったのは
石田と宇喜多隊だけだしなw
ただでさえ戦力では不利なのに
中立決め込む大名もいるしな
挙兵の時点から間違ってたね三成は
556 :
だぅ:2010/06/26(土) 00:48:24 ID:0IaUz36+
上杉討伐が行われる前に毛利に大阪に来て貰う
ことは出来なかったかな、先手必勝で
軍勢全て家康の指揮下にある状態で
挙兵しても、カリスマの家康から離れて
西軍につこうと思う奴はいないだろ
世ほどのひねくれ物じゃない限りさ
平時の時点で毛利に大阪に来て貰って大阪占拠しちまえば
史実で東軍についた武将も選択の自由はあった筈だわ
557 :
だぅ:2010/06/26(土) 00:50:43 ID:0IaUz36+
家康が伏見にいる時点で
毛利が挙兵、大阪に進軍
家康妥当の旗印を上げて、
不意に挙兵喰らった家康はどうしたか見ものだな
こっちの方が面白かったと思うぜ
558 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 01:37:45 ID:b+SM3wgt
>>557 そもそも伏見にいる時点で不意に挙兵を受けるなんてありえないから
毛利が謀反を起こしたということで成敗しておしまいだろ
だいたい伏見にいる家康を打倒といいながら大坂に進軍している時点で誰も謀反以外に判定しようがない
秀頼を人質に取ろうとしているのがみえみえで豊臣だって追い返すよ
559 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 01:55:09 ID:78jqF2tJ
>>555 ふざけんな一番まともに戦えてたのは大谷隊だろ
石田隊なんざ優勢だったの10時くらいまでであとはずっと押されっぱなしじゃねぇか
560 :
だぅ:2010/06/26(土) 12:00:24 ID:ttQBsSLK
>>558 戦いになるとは思う
だけど大阪までの道中に敵らしい敵はいないだろ
少なくとも関ヶ原よりは戦い易くなるとは思うけどな
561 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 15:03:42 ID:/gX6Z/51
輝元にやる気がないからどうしようもない。
むしろ、秀元あたりが輝元を殺して実権を握れなかったのか。
562 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 15:55:34 ID:52cSAxJF
四国や九州にもちょっかいだしてるからやる気はありありだろ、そのへんは長期戦と読んですみのほうでごそごそやってた伊達さんや黒田さんといっしょじゃないかなあ
563 :
だぅ:2010/06/26(土) 18:50:40 ID:WQiX6yU0
どうやれば長期戦になったんだ?
長期戦になれば西軍にもチャンスはあったけどな
564 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 20:53:25 ID:Pb9drk1f
裏切る予定君達のケツを叩いて福島らが来る前に清洲を攻撃
565 :
人間七七四年:2010/06/26(土) 20:57:48 ID:QUCJY0gq
秀頼を巻き込めばどうとでもできるけど
それをしなかった義人三成
566 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 11:34:59 ID:vdkmpwq5
現状把握できてない秀頼周辺が動きたがらなかったんだろ?
秀頼さえ動けば家康は大義名分を失うから所謂東軍が戦う前からボロボロになる。
567 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 12:21:01 ID:EtqXN1hS
そもそもお互いがお互いの力を出し切れば普通に西軍勝ってるのに
纏めきれない且つ人望ない三成が悪い
568 :
だぅ:2010/06/27(日) 13:24:20 ID:ftauaN/Q
だから家康に兵を預けた状態で挙兵が間違ってたと思う
家康を裏切るのは勇気いるからな、安全パイだし
家康が行動を起こす前に
秀頼に手紙書かせて大阪城に向けて挙兵するべきだったわ
挙兵は毛利でなくても、他の大名でも良い
569 :
だぅ:2010/06/27(日) 13:25:23 ID:ftauaN/Q
大阪城を占拠
政権は大阪にある事を全国の大名に号令
家康追討の書状を秀頼に書かせる、これでよかったと思うが
570 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 13:32:06 ID:oOassoiI
暗殺じゃダメなわけ?
571 :
だぅ:2010/06/27(日) 13:34:57 ID:ftauaN/Q
三成の性格じゃな
宇喜田直家なら喜んで暗殺しただろうけど
三成は潔癖症だからさ
572 :
だぅ:2010/06/27(日) 13:37:52 ID:ftauaN/Q
家康が関東から大阪に陸路で向かうのと
宇喜田,毛利が領国から水路で大阪に向かうのでは
宇喜田、毛利の方が早い
大阪城を占拠してしまえばこっちの物だわ
573 :
だぅ:2010/06/27(日) 13:39:45 ID:ftauaN/Q
ま、クーデターだね
ガチンコで戦うと史実のような事になるので
こういう戦いしか無い
574 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 13:55:18 ID:u4qnTlPm
家康が伏見にいて、挙兵はあり得ない。
史実の三成は、家康に対するクーデターだが、
そのIFは、毛利・宇喜多の豊臣家に対するクーデターだ。
そんな事をしなければならない理由は全くない。
575 :
だぅ:2010/06/27(日) 14:12:50 ID:ftauaN/Q
秀頼に一筆かかせれば大義名分は立つ
576 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 14:50:00 ID:O0GiycPS
大老が同じ大老を排除する事をクーデターとは言わねーよ。
577 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 14:59:45 ID:+43wghZb
効力のある一筆を書けるようなら最初から問題はおこらないわな
578 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 16:50:21 ID:5NosG5wU
大坂占拠後の絵が全く見えない。
三成は、家康不在だからこそ、蠢動出来たわけで。
弾劾状発行の手続き、西軍諸大名糾合も、一応順を追っている。
大坂占拠ありきは、まさにクーデタに他ならず、武断派恩顧は勿論、応じる大名は皆無だろう。
大坂を囲まれて、本国の総攻撃を受けるだけ。
579 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 17:05:24 ID:vdkmpwq5
というか何で大老が三成なんだ?
他に信用できる奴が居なかったのかも知れないが…
580 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 17:15:36 ID:O0GiycPS
大老が三成?なんだそれ。
581 :
だぅ:2010/06/27(日) 17:20:52 ID:OUljLVGz
>>578 でも大阪には手は出せまい
秀頼がおるからな
大阪に反徳川勢力結集して
弾劾状ばら撒き、周辺の徳川方の大名を攻略して歩く
史実の関が原よりはよっぽどマシな戦いが出来ると思うが
582 :
だぅ:2010/06/27(日) 17:22:58 ID:OUljLVGz
史実では有力な大名みんな家康に持ってかれてしまった
これでは痛い
583 :
だぅ:2010/06/27(日) 17:27:13 ID:OUljLVGz
伏見にいる時の家康の兵力はどのくらい?
宇喜田中納言辺りでも挙兵して水路で大阪に向かえば
家康よりは早く大阪に大軍集められると思うけどな
584 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 17:32:35 ID:NWgmMLu4
なんの為の挙兵だそれ
585 :
だぅ:2010/06/27(日) 17:43:58 ID:OUljLVGz
家康打倒の為だろう
先手必勝だわ
586 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 17:45:01 ID:5NosG5wU
>>583 家康に対し、戦闘で勝つ事のみに特化した話なんて、ナンセンス。
政治という重要な要素が抜け落ちてる。
587 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 17:56:07 ID:EtqXN1hS
>>581 反徳川勢力って何だよ
関ヶ原は豊臣の内輪もめなのに反徳川もクソもあるか
クーデターなんか起こしたら宇喜多小西とかも徳川に全員つくわ
大阪城に手は出せなくても朝廷を動かして官位取り上げたりや三成の領地を分捕っちまえば
兵士なんか霧散して城内部に三成しか残らん それでおしまい
588 :
だぅ:2010/06/27(日) 18:15:04 ID:OUljLVGz
史実の挙兵では西軍不利でどうしようもないんだわ
こういうやり方でもせんと勝ち目は無い
589 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 18:22:03 ID:EtqXN1hS
>>588 どこがどう不利なんだ?
寝返りが起きず小早川毛利が攻めかかってりゃ圧勝してたはずだが
関ヶ原の布陣を後世で検討したらまず間違いなく西軍が勝つと評されてるんだけど
590 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 19:27:14 ID:3lNlsUlL
>>589 >寝返りが起きず小早川毛利が攻めかかってりゃ
アホに味方するわけじゃないけど。裏切りがなかったらという仮定は無意味。
裏切りを見込んでたからああいう配置になって、東軍はちゃんと勝ったのだから。
591 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 19:37:30 ID:NWgmMLu4
小早川が日和見したのは事実
592 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 19:40:07 ID:vdkmpwq5
>>589 毛利が・・・
豊臣が…
恩顧武将が…
際限無いだろ
593 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 19:41:04 ID:WSg/OF6b
一番現実的なのは、福島を味方にする事。
事前に幼馴染に土下座して、懇々とお願いする事。
小山会議で、福島が陣を引き払い清州に帰る。
清州の地理的重要性は勿論、恩顧への影響を考えれば効果大。
少なくとも、関ヶ原は主戦場にならず、短期決戦もない。
家康の西上が遅れる間に、立花・小野木等も主力に参加。
地方では、上杉・伊達・黒田・島津がヒャァッハー状態。
再び戦国の世に突入。
あれれ??
594 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 20:48:06 ID:EtqXN1hS
>>590>>592 だよね そういう仮定自体が意味ないし
〜がって言ったら本当に際限ないし自分寄りや自分にそぐわない妄想になるしな
まあだから歴史は面白いんだけど
595 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 22:16:30 ID:0rimVT/e
そもそも寝返りだとか裏切りだとか言うのがお門違いも甚だしい
多くの大名は会津に向かおうとしたところを無理矢理引き止められて家族に危害が及ぶと脅迫されて嫌々従っただけ
小早川だろうが誰だろうが三成に服従する義務など誰にもない
皆が自分の命令に従って当然だと三成が勝手に思い上がっていたに過ぎない
596 :
だぅ:2010/06/28(月) 01:45:09 ID:F407Z7LJ
だから兵が家康にまとまる前に挙兵してしまえばいいだろ
毛利か宇喜田が水路で大阪に入城
家康追討命令を秀頼の名前で出す
伏見にいる家康は軍勢集結できずオロオロと関東に逃げ帰る
史実より全然いいシナリオだわさ
597 :
だぅ:2010/06/28(月) 01:48:35 ID:F407Z7LJ
家康の下に兵が集まるには相当時間がかかる
宇喜田&毛利の大軍5万が不意に攻め寄せてきたら
幾ら家康といえども対処に困るだろう
598 :
だぅ:2010/06/28(月) 01:50:53 ID:F407Z7LJ
家康が関東に逃げ帰って応戦
大阪方謀反と声高に叫ぶも肝心の秀頼は大阪の中
大義名分立たない家康w
さ〜て幾ら家康と言えども大義名分無しで家康の下に兵が集まりますかね?
599 :
だぅ:2010/06/28(月) 01:58:53 ID:F407Z7LJ
毛利、宇喜田の5万相手では福島正則ごときでは相手にならん
他の恩顧の武将もしかり
家康の下に戦力が集中する前に各個撃破していくのがこの作戦のポイント
600 :
だぅ:2010/06/28(月) 02:03:39 ID:F407Z7LJ
当時の大名の分布図が見たいなぁ
岐阜の三法師は西軍の味方だし
畿内に敵らしい敵はいない
加賀の前田と尾張の福島くらいか家康よりなのは
601 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 02:21:35 ID:lRZaZwwB
602 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 02:34:12 ID:A+1jyuXz
どう見たってまともじゃないんだから相手にするなよ。
しばらくすればどうせ飽きるから。
603 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 02:35:28 ID:6S91rJqH
>>591 秀秋スレで結構詳しく検証されてたが、状況を詳しく見れば小早川は日和見してなかったと思うぞ
>>593 そもそもそれが出来るような状況じゃなかったろ
三成を殺そうとした七将の首謀者格がそもそも正則で、土下座しようが何しようがもう修復は無理
正則を西軍に引き入れるためには、三成が腹を切るしかないような状態だった
それができる三成ならそもそも七将襲撃事件なんか起きることもなかったし、関ヶ原が起きることがなかった
604 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 02:37:23 ID:mvBjkEL4
>>596 おまえさぁ、バカだろ?
秀頼が一筆書かなかったらどうすんの?
史実でも、秀頼は西軍に対して協力的じゃないのに。
605 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 05:34:16 ID:cD1nBAdm
一筆も何も1600年当時秀頼何歳か知ってるのか?
606 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 07:26:28 ID:/17Rz++b
随分西軍に都合の良い関ヶ原ですねw
三成の意思一つで秀頼が一筆書いて諸将がホイホイ賛同して家康を討てるんですか
戦場が京の町だろうが大阪城になろうが関係ないんですね
607 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 07:32:52 ID:pEiEzkzr
数ターンで、回復させるから大丈夫です。
608 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 15:49:33 ID:6S91rJqH
というか、赤坂に終結した豊臣恩顧の東軍の将たちは
「幼い秀頼様を利用して我が物顔に振る舞う三成ら君側の奸から秀頼様をお救いするためにすぐさま大坂に登るべき」
っていう意見が多かったんじゃなかったか?
秀頼を担ぎ出して来れば東軍の将たちもみんな西軍に寝返る!って主張するのは意外に多いが
6歳やそこらの子供を戦場に担ぎ出して来たら逆に火に油注ぐ羽目になりかねんと思うんだがなぁ
一筆なんてもってのほかだろ
609 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 16:12:16 ID:mvBjkEL4
あれだ。
外様が大坂城を占拠して家康打倒をうたっても、オマエが言うな、だな。
やっぱりそれなりの手続きが必要だろ。
そういうのをまるっきり無視で、ただ家康を倒せばいいのなら、暗殺で十分。
610 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 18:01:40 ID:6S91rJqH
そういえば、家康は一応朝日姫の輿入れで一門扱い(秀吉の義弟)なんだっけか
朝日姫の死後も正室を迎えてないし、秀吉の遺言で秀頼と千姫の婚約も決まってるし
家康のもとに実権が移るのは傍目から見れば特に問題があるようなものでもなかったのかもな
こういう状況があったから、心情的に「秀頼に縁のない毛利・宇喜多・石田」より
「秀頼の親族である徳川」に接近する武将が多かったのかもしれんと思った
福島・加藤・黒田が徳川の婿になったのもその辺が絡んでるのかもしれんね
611 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 21:32:32 ID:WuzwJJki
「我等儀、太閤御爪ノ端ニ而候。内府公ト縁辺取組ミ、万端御意ヲ候ハヾ、
以来秀頼公御タメニモ然ルベキ儀ト存ジ」
『関原記』における、福島の伏見護衛時の記載内容。一次史料ではないけど、第三者視点という事で。
「縁辺」と表記の通り、福島と家康の婚戚関係は、『豊臣家のため』だと認識されているみたいね。
612 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 22:02:19 ID:A+1jyuXz
福島スレからまるまるコピペしてる奴にマジレスするのも何だが、
それは
>>610が言ってる事と逆の意味なんだけどな。
613 :
611:2010/06/28(月) 22:54:16 ID:WuzwJJki
>>612 あんな過疎スレを良く見てらっしゃる。
福島スレで書き込んだのも私なので、特に負い目も感じないけど。
でも、どうして逆なのかわからんのだが。
614 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 23:16:02 ID:/17Rz++b
>>612は秀頼に縁のない石田
までしか読んでないからと見た
ごめんね、三成スレなのに
615 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 23:31:56 ID:A+1jyuXz
豊臣側である自分達が家康と縁戚関係が出来れば、家康も秀頼を粗略に扱わない
って事であって、家康が秀頼と縁戚だから安心って言ってる訳じゃない。寧ろ逆。
福島スレでも何の脈絡も無い所から唐突に言い出したけど、何がしたいのか分からん。
616 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 23:47:07 ID:WuzwJJki
まず、三成スレなのにゴメンナサイ。
で。いずれも、家康への権力移行を見込んだ話だし、その環境下で家康に接近する事は、
豊臣にとって利がある事で一致していると思うけど。
>家康が秀頼と縁戚だから安心って言ってる訳じゃない。寧ろ逆。
家康が秀頼と縁戚だから安心じゃない、って事?
福島スレにおいて、福島の家康への接近は私欲による、という展開が根強いから
それを否定する材料を提示したまで。脈絡がないわけではない。
これ以上は、福島スレでどうぞ。
617 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 23:47:23 ID:/PDyEEv6
>>603 七将襲撃の首謀者って正則よりも、黒田長政や蜂須賀家政だっていう指摘も
あるようだけど、その辺はどうなんだろう。
蔚山城攻防に関するいざこざが伏線だともいうし。
>>608 そもそも秀頼の一筆ってなんだろうな。
幼年の秀頼の代わりに政権を運営し、その意思を示したのが大老や
奉行なんじゃないのか。
618 :
人間七七四年:2010/06/28(月) 23:54:50 ID:cD1nBAdm
そもそも襲撃されて家康邸に逃げ込むという通説自体が疑わしい
大阪在番中の七将が伏見の家康邸に詰め寄った形跡もない
と山岡そうはちの本に書いてあったけど
619 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 00:05:13 ID:A+1jyuXz
>>616 家康と「縁辺取り組む」相手は「我等」であって秀頼じゃないぞ。
力を持った家康と自分達が近い関係になる事で秀頼を粗略に扱えないって言ってる訳で、
それは言い換えれば自分達が居なければ家康が秀頼を蔑ろにする可能性がある事を前提とした話。
620 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 00:38:36 ID:JNNf6SqB
なるほど、言いたい事はよくわかりました。
でも
>>610の主旨は、『徳川に接近する武将が多かった理由』でしょ。
結論としては、家康への権力移行が自然な流れであった事。
>>610は心情面からのアプローチであり、
>>611は恩顧の藩屏としての立場から。
前提が違うのは、言い変えなくても読めばわかる話で、そこが肝になるのがオカシイ。
621 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 01:01:03 ID:+KxYRcTY
続きは他でやってくれ
622 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 01:01:22 ID:3FgYZ4nc
132 :まあ、その:2010/06/26(土) 17:41:18
橋本龍太郎の娘は米兵に00されました。
1997年6月23日にコロンビア大学で「米国債を売却し、外貨準備を金に変えようとしたい誘惑に、屈服することはない」と発言。
その後のアメリカの動き。
>247 :きもてー:2010/06/21(月) 23:50:26
>橋本龍太郎の娘は六本木の路地裏で黒人米兵数人に0イ0された。
>しかも娘の開マ0写真を送りつけて橋龍を脅していたという。
>アメリカはやることが違うね。
623 :
だぅ:2010/06/29(火) 01:19:12 ID:Z6hNF5Do
どうすれば家康に勝てるんだよ
624 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 01:28:54 ID:44t4EzB7
>>617 どっちにしろ襲撃の七将に加わっている時点で、言い出しっぺであるかどうかは関係ないのでは?
全員三成を殺る気でいたわけだし、言ってみれば正則ら武断派にとっては三成は政敵でもあるわけで
(三成ら吏僚派が政権中枢を牛耳る限り、武断派がこれ以上政権に噛むことはできないので)
そういった面での対立も忘れるべきではないと思う
例えば言い出しっぺが黒田蜂須賀であったとしても、福島加藤にとっては渡りに船だったのでは
>>618 襲撃されて家康邸に逃げ込んだっていうのは講談の話だと思う
江戸初期〜中期にかけて家譜がさかんに作られたけど、逃げ込んだくだりは自分が見た限りでは入ってない
むしろ、家康に三成を排除する許可を取りに行ったら止められて、秀康もしくは佐竹が佐和山まで護衛する流れ
ところで、吏僚派の奉行衆といえば、増田長束なんてあからさまに前田や三成を追い落とそうとしてる感じだが
このあたりはどうなんだろうな?
やっぱり奉行衆の中でも内部分裂というか、主導権争いみたいのがあったんだろうか
625 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 01:31:45 ID:VKYmzGsb
>>620 えーっと、
>>610の主旨である、徳川に接近する武将が多かった「理由」自体は肯定しないけど、
徳川への権力の移行には同心していた、という部分的な肯定を主張をしたいって事かな?
もしそうなら、自分が肯定する部分とそうでない部分を明示しないと文章が成り立たない。
他人の言っている事がオカシイだとか言う前に自分の文章がおかしい事に気付け。
626 :
620:2010/06/29(火) 01:47:47 ID:JNNf6SqB
>>625 >
>>610の主旨である、徳川に接近する武将が多かった「理由」自体は肯定しないけど、
徳川への権力の移行には同心していた、という部分的な肯定を主張をしたいって事かな?
全然違います。極めてシンプルな話です。
>>611は、
>>610の
>福島・加藤・黒田が徳川の婿になったのもその辺が絡んでるのかもしれんね
ここに対応しています。肯定も否定もありません。別の材料を提示しただけです。
『徳川に接近する武将が多かった理由』について、
>>610が心情的なアプローチをしているのに対し、
>>611は、恩顧藩屏の立場でアプローチしてます。
キミは、
>>611の否定から入っているから、話の軸を見失っている状態。
>>610⇒
>>611を先入観なしで読めば、流れは普通理解出来る。
627 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 08:01:20 ID:VKYmzGsb
>>626 なら最初に言ったとおり。
お前の言っている「理由」と
>>610の「理由」は相反しており、同時に成立するものじゃない。
同時に成立し得ない内容の物を「異なった立場でのアプローチ」とは言わない。
628 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 08:51:27 ID:UC2YPKRx
安価ウザいんだが
国語の勉強なら学校行って習ってこいアホ共!
629 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 10:27:38 ID:+KxYRcTY
>>627 『心情的に徳川寄りになること』と、『徳川と縁戚になることで、豊臣にプラス効果を及ぼすこと』は、
同時に成立するだろ。何言ってんの?屁理屈ウザイよ。
630 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 11:31:11 ID:d5NgPsN2
>>629 >>『心情的に徳川寄りになること』と、『徳川と縁戚になることで、豊臣にプラス効果を及ぼすこと』
秀吉死後の豊臣政権は建前で最高実力者は秀頼で実質の最高権力者は徳川だよな?
↑を前提とするなら徳川に近づくと豊臣でも重用される可能性がある訳だよね
また、ここで重要なのは徳川と豊臣の仲なんだよな
豊臣としては仲良かったつもりだが、徳川的には目の上のたんこぶだったんだろうな
どちらにしろ豊臣政権下で織田信雄・信孝にしたことを秀頼にされるかも?ってのがあったのかもね
631 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 12:48:06 ID:cubKphqO
その二人は織田の跡取りではないわな
632 :
人間七七四年:2010/06/29(火) 23:08:29 ID:xZZwO7IN
結局、秀次をry
になっちゃうんだよなぁ…三成じゃ役者不足
633 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 02:17:02 ID:Z/V39VHp
>>631 というより、秀信にしたことを秀頼にされる可能性があるので警戒したんじゃなかろうか
秀吉は「織田家の家臣筆頭」という形で秀信を担ぎ上げていたが、結局はそっくりそのまま自分のものにしてしまって
秀信自身は実質織田旧臣のところをたらい回しで、結局落ち着いたのは文禄元年にようやく岐阜13万石の城主という形
それも秀信が素直に従ったからで、それだっておそらくは信孝や信雄への仕打ちを見ていたからだろうしな
「織田の嫡流だから逆らっても許される」なんて保証はどこにもなかったわけでさ
んで、そういう秀吉のやり方を間近で見てたのが三成や正則清正といういわゆる「子飼い」の面子なわけで
「秀吉がやったこと」が自分たちの身に降りかかるであろうことを良くも悪くも連想したのじゃなかろうか
だとしたら、正則清正は自分たちが家康の婿となって来たるべき徳川政権の中で発言力を残すことで
秀頼を秀信レベルで残すために尽くす、って目的にシフトしたとしてもおかしくはないと思う
だから、三成は「家康を第二の秀吉にさせない」というベクトルからアプローチしたんだろうが
柴田勝家ほど影響力があったかというと、やっぱりそこはちと役者不足だったというところで落ち着くんだよな・・・
634 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 13:23:52 ID:Tr/nIKMO
秀吉すら回避した家康との対決を、三成風情が身の程知らずな話だ。
負けた場合に発生するリスクがわからんわけでもあるまいに。
豊臣の生き残りという意味では、秀信路線をイメージしたであろう清正・正則の方が現実的。
635 :
だぅ:2010/06/30(水) 17:54:39 ID:9ToAJM2l
三法師は選択間違ったな
東軍についてれば織田家の嫡流として岐阜にずーっと所領もらえたのにな
家も残っただろうし
636 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 17:58:49 ID:4CNsqvqs
失脚中の三成にとって時間は味方ではないからな
637 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 22:51:52 ID:oTNb0w0d
>>634 秀吉すら・・・とか言うが、大抵の大大名との対決は回避しようとしてるぜ禿鼠は
638 :
人間七七四年:2010/06/30(水) 23:58:44 ID:A2H6Iwv0
戦に負けたら築いたもんひっくり返るからな
普通はしないよね
639 :
人間七七四年:2010/07/01(木) 01:28:42 ID:XLLIljpd
ゲームじゃあるまいし、何でもかんでも戦争するわきゃねーだろ。アホか。
640 :
人間七七四年:2010/07/01(木) 02:08:43 ID:c1mz2qug
三成の暴挙が破綻し、西軍大名は一斉整理。
東軍大名(豊臣系)にしても、表面上は石高増加も、中央要所から地方僻地へ。
豊家所領はバラ巻かれ弱体化し、必然相対的に徳川が上昇。
家康にとって、三成は非常に有難い存在だっただろうな。
641 :
人間七七四年:2010/07/01(木) 11:19:50 ID:qQq1bi7R
治部さんて暴走族の頭みたいだよね
642 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 01:42:57 ID:RyS/nxMc
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
三成さんと重ね合わせるとすごいしっくりこない?
643 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 19:05:28 ID:ODgHNtuv
相変わらずアンチばかりの書き込みだなwww
少しは三成関連の本を読んだら?
644 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 19:20:52 ID:jkwzeO4E
645 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 19:30:10 ID:ODgHNtuv
どんな人間にも言える事だがとくに石田三成さんは長所と短所がはっきりしすぎてるよな
どんな人間に対してももう少し穏やかに接していれば良かったのにどこか冷淡な所があったな
その一方で気に入った人間に対してはどこまでも世話しまくり(直江しかり佐竹しかり津軽しかり)
もう少しどの勢力に対してもそれなりの態度をとるべきだったかも
とくにキッカー、金吾
奴らは根は単純なのでちょっと媚びを売れば歴史は変わっていたかも知れないのに、、、
646 :
人間七七四年:2010/07/02(金) 19:35:00 ID:ODgHNtuv
>>644 今、何故か手元に無いのであれだが
戦国幕末の群像石田三成(旺文社)
石田三成とその一族
真説石田三成の生涯
とか色々、、、
647 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 01:03:32 ID:d2l6OpnU
>>646 ああ・・・なるほどね・・・
白川亨が愛読書ならわからんでもないわw
しかしそれにしても旺文社のムック本か・・・
せめて歴史群像シリーズの「石田三成」ならなぁ
648 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 01:06:54 ID:d2l6OpnU
というか、まず三成好きなら文書類をきちんと自分であたってみ
図書館に行けば大日本古文書とか普通に並んでるから
研究本は恣意的な史料の扱い方をしてることも多いから、
少なくとも翻刻されてるものは自分で読んだ方が絶対いい
そうしたら、ここの書き込みが「アンチ」と括れないことがわかるから
649 :
644:2010/07/03(土) 01:39:15 ID:hsgZUCDo
650 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 01:42:29 ID:dscfqD3G
歴史群像シリーズw
651 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 01:54:04 ID:5PoOXxAo
>>645 >とくにキッカー、金吾
奴らは根は単純なのでちょっと媚びを売れば歴史は変わっていたかも知れないのに、、、
何で広家や秀秋が単純と思っているかわからないが
こういった考えをしている時点でだめだめじゃないか
652 :
人間七七四年:2010/07/03(土) 02:00:25 ID:d2l6OpnU
>>650 歴史群像の石田三成は最近復刻されたけど、かなり良書だよ
まぁ一度見てもらえばわかる
653 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 20:10:06 ID:E39xFvXy
三成って現代に生きてたらアスペルガー扱いされてるよな
有能なアスペルガーとか近寄りたくないわ
654 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 21:19:29 ID:dj9/B50g
↑現代と戦国では全てにおいて違うだろが
現代ならまた別の人格を持っているだろうが
死体がそこらへんに放置されてる、犯罪を犯して黙認(福島は少年時代、近くのおっさんを殺害、秀吉の長浜に逃げてきた、人殺しが公務員になれる恐ろしい時代)されたご時世
お人好しではまともにやってけないのだから鎧をかぶる必要がある
三成は行き過ぎた部分があるがな
655 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 23:12:39 ID:R0b/WjhC
石田三成、、、
典型的な過大評価。
656 :
人間七七四年:2010/07/04(日) 23:23:09 ID:KD5Mm9DE
>>655 ・戦下手
・決まりにこだわる嫌な奴
・嫌われ者
一般的に言われてるのがこれだろうから
なんだかんだで過大はなくね?てか何をもって過大と
657 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 00:19:28 ID:MAw+AWsX
一般的に見れば昔よりも段々評価を見直されてるのが気に入らない(とくに婦女子人気急上昇)連中がこのスレにうろついてる印象
秀吉の悪事は完全スルーで全て石田を悪役にする近江八幡市民と同じ匂いがするな
658 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 00:38:58 ID:TgFVeYXX
三成も秀吉も小者小者
信長最強ですよ
659 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 00:46:12 ID:GvbvgYjy
海音寺潮五郎は石田三成の評価を「明治以後持ち直して、今では大変な人気
になっているが」と書いている。三成びいきや評価見直しは決してここ最近
のことではない。ただ若くして亡くなったせいもあるのか、人物像を探れる
ような資料は残念ながら少なすぎる。同じところをぐるぐる回ってしまうと
いうか、すぐネタが尽きるので、奸臣だとか忠義の人だとか、三国志演義の
英雄に対するみたいな表現が多いのが残念。
660 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 05:51:17 ID:MAw+AWsX
↑神戸の長田行ってきたが横山光輝の関係で三国志一辺倒、、、
ほかにもかなりの名作を描いてるのにもかからわず
あそこは在日が多いので中国マンセー(ていうか三国志も朝鮮が起源と言い出しそう)
とにかくあからさまに三国志を賞賛するって空気はどうなの?て感じ
俺は三成大好き人間だがいくら地元でもあからさまに英雄として扱われる事には疑問を感じる
661 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 06:59:35 ID:cN6XSeD3
浅野長政が関ヶ原の後における大坂城の猥雑な雰囲気を
「三成が存命の頃はこのようなことはなかった」って嘆いた逸話があるらしいけど
ほんとうかな
662 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 07:09:19 ID:Mi5hLMQF
>>660 お前の目が偏りすぎなのが問題じゃね
埼玉には英雄なんかいないからかもだが三国志やチョンマンセーも無いぞ
目に入ったものを妄信するのはよくある事だしもう少し信じてやれよ
663 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 11:36:54 ID:WZaR12DJ
>>661 三成がいた頃は秘密警察のように監視が行き届き
少しでも不満をこぼせば命さえ危うかったわけだからな
よく言えば大坂が自由になったということだろう
三成の取締りがあまりにも厳しすぎたためその反動として
三成を排除して猥雑な雰囲気に変える必要があったんだよ
管理にもバランスが重要であることを三成は理解できていなかった
664 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 18:21:06 ID:MAw+AWsX
>>661 息子の浅野幸長ですよ
彼は姉の関係で三成を憎んでたが関ヶ原後、認識が変わったみたい
規律などを守れない戦しか脳の無いアホ共を扱うのは至難の業ですな
律
665 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 18:40:58 ID:7rR8If5I
このキモカスは醜くて気持ち悪い
666 :
人間七七四年:2010/07/05(月) 18:44:36 ID:rIf3nAa6
>>664 あれ幸長は「三成存世の中は、何事にも励みて、人に非を入れられじとせし云々」じゃなかった?
「このようなことはなかった」は長政であってる
667 :
人間七七四年:2010/07/08(木) 23:56:00 ID:UQcvltl1
戦闘経験が乏しいってよく言われてるけど
秀吉の小姓をやっていたなら秀吉の戦歴と重複しないのか?
668 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 02:38:22 ID:kYofubAz
>>667 賤ヶ岳あたりまでは馬廻りとして前線で戦ってるらしい形跡はある
その後は後方部隊に回ってるので、戦争には出ただろうが戦闘にはほとんど出てないだろう
669 :
だぅ:2010/07/09(金) 05:37:37 ID:yPmDFI9T
三成のいう規律ってそんなに難しく無いだろ
勝手に婚姻するな、とか、戦のルールを守れ、とか
人を罵倒するな(小西を薬売りなどと)とかだもんな
家康の天下取った後の難癖〜おとりつぶしの方がいちゃもんで
性質悪いと思わねぇ?諸大名は生きた心地しなかったと思うがな
豊臣潰し、前田暗殺疑惑、福島改易とかな
670 :
だぅ:2010/07/09(金) 05:38:59 ID:yPmDFI9T
殆ど恐喝だろ家康のやった事は
671 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 07:30:02 ID:Fg+PN2kr
>>669 それが天下を治める事だよ
おかげで江戸幕府は約200年も続いた
てか結構普通じゃね?それ
三成のやり方は温すぎる上に三成が勝てば毛利や上杉が大きくなりすぎて応仁の乱の二の舞になる
672 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 10:29:18 ID:JBLhwrU6
石田が温かい?
豊臣は取り潰しをしてないとでも?
つうか豊臣のほうが諸大名に難癖つけてないか?
673 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 11:19:24 ID:1oQIit2/
>>669 三成は仲の良い大名に対しては甘く、仲の悪い大名に対して厳しいからな
加藤が小西を罵倒したら処罰するけど、小西が加藤を罵倒しても無罪放免にするなど規律の適用が公平ではない
江戸幕府が続いたのは三成のような個人的な感情によるダブルスタンダードを許さなかったことと
将軍が代替わりしたら権勢を持ってる人間を交替するなどして新陳代謝を図っていたから
豊臣の場合は人材不足もあって三成のような人間を秀吉の死後も続投させようとしてしまったことがまずかった
674 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 20:36:06 ID:Fg+PN2kr
675 :
だぅ:2010/07/09(金) 20:41:54 ID:loGGQvVB
三成の取り締まったことはそんなに厳しくないのにどうしてあそこまで武断派に嫌われたかだよな
家康が天下取った後の方が酷い
676 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 20:51:33 ID:Fg+PN2kr
私情挟んだ政治すりゃ嫌われるに決まってるだろ
逆に家康のは天下を治めるには相応しい政治をしてる
もうちょい勉強してこいや
677 :
だぅ:2010/07/09(金) 21:04:16 ID:loGGQvVB
三成だって天下治めようとしてやった事だろ
家康のやり方に誰も反発しなかったのが不思議だね
やはり逆らえないヘタレだったんだろうよ武断派はさ
三成には逆らえても家康には逆らえない
そういう事だ
678 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 21:08:47 ID:Fg+PN2kr
立場も人脈も色々違うのに言えると思ってんのかw
ここまでアホだと哀れさすら込み上げてくるな
679 :
だぅ:2010/07/09(金) 21:14:05 ID:loGGQvVB
タヌキに逆らえないヘタレなww
小便ちびってたんじゃないのかあいつ等ww
680 :
人間七七四年:2010/07/09(金) 21:43:20 ID:Fg+PN2kr
(´・∀・`)アチャー
また自分の馬鹿さをさらし始めた
気づかないって怖いな
681 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 00:26:43 ID:e0HS1ZYI
三成を官僚と捉えるのは間違いだろう。官僚ならば絶対にやってはいけない
他の役人の権限を、スタンドプレーで侵すような事ばかりやっている。
三成は官僚というより、江戸期の柳沢吉保のような、側用人タイプだ。
そう考えれば三成が嫌われた理由もよくわかる。
682 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 00:28:16 ID:+CqS4RhO
三成が命狙われるほどに嫌われた理由って?
683 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 01:06:13 ID:e0HS1ZYI
>>682 柳沢が嫌われたのと一緒で、主君である秀吉に密着し秀吉の権威のもとに
他者の権限を侵しまくった、少なくとも他者からはそう見えた、からでしょ。
江戸時代ですらこの手の側用人タイプは常に命の危険があった。ましてや三成の時代w
684 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 01:07:17 ID:+CqS4RhO
その権限を侵しまくったってのは具体的に
誰の権限を無視して何をやったのか
685 :
人間七七四年:2010/07/10(土) 01:16:53 ID:e0HS1ZYI
>>684 逸話レベルだと、伏見城の石垣の修復中台風が来て、工事現場に被害が出たとき、三成は
朝イチで調べて担当者より先に秀吉に報告し、その後で報告に来た担当者の顔を潰した、
なんてのがあるな。
実際そういうことは多かったんじゃないかね?
五奉行の他の四人は好かれてないにしてもリアルで命を狙われるまではいかなかった
しかし三成に関しては、少なくとも七人が「殺す」と思い実行された
この違いは何かっていうのは面白いな
三成のやり方は、どちらかといえば細かい隙をついて容赦なく政敵を蹴落として行くようなやり方だから
蹴落とされた方にとってはたまったもんじゃない
たとえば一緒に軍監として朝鮮に渡った増田長盛や大谷吉継は三成ほど反感を持たれていない
これは横柄といわれる性格と、やはり日頃の行いが祟ってるんじゃないかと思う
甫庵太閤記より成立が早いとされる川角太閤記ですでに
「チクリ魔三成」「後ろで糸を引く三成」の姿があらわれている
そういう噂をたてられても仕方がないくらいの行いはしていたってことじゃなかろうか
687 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 05:49:30 ID:cg0PE49Z
↑そんな陰険な人物によく島や渡辺ら豪傑が部下になったなwwww
それと大谷や直江らがよく支持したよな
あなた方は三成の性格ばかりを攻めるが加藤や福島あたりの性格も疑問を感じないの?
福島は長浜に来るまでに地元で殺人事件を起こして逃げてきたDQN
加藤にしても平和な時代ならヤクザにしかなれないDQN
戦での槍働きでは無く頭でのし上がった石田に対して何かと不満をもってただけでしょう
いろいろ言われてるが石田の立場から見ればそんなに批判される事はしてないし
徳川サイドの本多や大久保。時代は違うが柳沢、井伊直弼なども相当反感をもたれていたわけだ
時代がまだぐらついていたから石田は叩かれただけ
ああいう人材も常時いる必要がある
現代社会でもな
とにかく加藤福島あたりのDQNを大名にせざる得なかった豊臣秀吉の人脈の無さは全てにおいて不幸だったな(もうひとつ言えば秀吉が天下とった事自体)
688 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 09:20:29 ID:+CqS4RhO
>>685 それのどこが「権限を侵しまくってる」なのか理解できない。
結局雰囲気で語っていたわけ?
>>688 それが解らないなら世の中のほとんどの事は解らないだろうね。
690 :
たか:2010/07/10(土) 09:47:39 ID:2nao5w0k
利家たちは朝廷も動かすべきだったと思う。頼朝みたいに絶対な力と、対抗できる勢力がない時でないと。朝廷敵にされると終わりじゃない?
691 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 09:54:34 ID:2nao5w0k
関ヶ原の戦いってよく小早川秀秋が裏切ったから西軍が負けたって言われてるけど、キーマンは吉川広家だよね。あいつがちゃんと戦ってたら、西軍が勝っただろ。小早川も裏切らなかったよの。断然有利なのに。
>>687 そこで、加藤・福島を出す意味が不明。
両者を貶めて、だから石田もOKだ、とはならんだろ?
石田自身の話のみで展開すべきでは?
いつまでたっても、キミの話に説得力がないのはそのせい。
>>687 >あなた方は三成の性格ばかりを攻めるが加藤や福島あたりの性格も疑問を感じないの?
別に加藤も福島も最初から三成を嫌いだったわけではないよ
だけど朝鮮で実現不能な講和方法を主張したり、海の向こうにいる秀吉の指示を仰いでからの行動を要求したり
あまりにも現場の状況を理解できていない行動が目立ち
さらに小西など親しい人間を贔屓する行動をしたことで嫌われたわけ
大谷や直江が支持したといってもそいつらは贔屓される仲間の立場だからあまり意味がない
加藤福島は・平和な時代ならただのDQNというけど
逆に戦場においては三成の方が組織の和を乱すDQNになってしまうんだよ
極論を言えば三成をまったく向いていない軍監にした秀吉が全て悪い
694 :
だぅ:2010/07/10(土) 12:47:12 ID:+KvqbNus
でも家康が天下取った後のやり方の方が酷いよな?
いきなり暗殺疑惑かけて、攻め込むぞゴルァ!だもんな
三成はそこまでやらなかっただろうw
695 :
だぅ:2010/07/10(土) 12:51:21 ID:+KvqbNus
三成が襲撃されたのはやっぱり舐められてたのもあると思う
ヤクザのボスにはビビっても
秋葉原リュックサック背負って歩いてるオタクには逆らえる
というそんな感じ
696 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 17:59:47 ID:cg0PE49Z
チョン成敗の時の石田の動きは戦争を遂行させるためで無くあくまでも終わらせる目的だったと思う
そのために朝鮮帰化人の子孫疑惑のある小西を大将に抜擢させたと思われる
現に小西は京城を落とした後は京城に留まり和平工作を行った模様
しかし彼にライバル心をもつDQN加藤は全く正反対の考え
俺が大陸の王になると言わんばかりの強引な行動が目立った
三成さんは頭のいい方ですから大陸を支配しなおかつ支配し続ける事は不可能だ、そんな事をするんなら徳川伊達らをつぶして豊臣政権安泰させる事が先決と思っていたのは間違い無い
じゃ何故チョン成敗のプロデューサーを引き受けたかは豊臣秀吉に逆らえなかっただけ
いくら自分と秀吉の関係だからとは言え何が何でも反対とすれば石田といえども死罪もしくはおとりつぶしになってもおかしくない
そこで自分に何ができるかを考えれば秀吉の犬になった振りしてチョン成敗をなるべく平和的におわらせるしかなかった
ついでに組織の引き締めを行ない結局多くの大名から嫌われたといったところか
最初の講和で秀吉がチョンシナ連合軍から騙される形になったがただ単に石田小西に騙されて講和に持ち込まれただけ
秀吉はこのとき石田小西を殺そうと考えたようだが石田小西のいない政権などありえないという事で罪を許したがそういう事を考えれば加藤を追い込もうとしたのは当然の判断
なにしろ加藤ときたら戦争こそ全て、食料の補給なぞ一切考えず特攻しまくり、また勝手に豊臣姓を名乗り秀吉の身内をアピールするわ豊臣政権の事を全く考えないDQNぶり
とにかく石田が和平的考えという目線で見ればチョン成敗での石田の動きは納得できる
ほとんどの大名が何が何でも戦争をしたいという考えをもってるわけでは無いだろう
もちろん加藤らの目線で見ればとんでもない話だがそのあたりは戦でのみのし上がった者と頭でのし上がった者の考えの違いだろ
数多くのドラマでそういう目線で描いたドラマが無いのには違和感を感じる
所詮成金の男の家来になってしまった三成の悲劇だね
697 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 18:03:47 ID:cg0PE49Z
↑それともうひとつ
三成は外様大名の不満をチョンに向けさせたいから、またそれぞれの勢力の力を削ぎ落としたかったのであえて秀吉に従った部分もあったとおもわれる
結構したたかですな
698 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 18:55:18 ID:8MjblO7k
>>687 島や渡辺の評価と三成の評価は別物だろ?
それとも「豪傑は陰険な奴には仕えてはいけない」とか決まりでもあるのか?
699 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 19:06:58 ID:cg0PE49Z
島や渡辺が三成の部下になったエピソードは結構心打たれるよ
島にたいしては自分と島の取り分は半分ずつと言ってスカウト
渡辺にたいしては自分が出世したら渡辺を四万石の大名にしてやる、それまでは私に仕えて欲しいと訴えてスカウト
彼らは三成に惚れ込んで最後まで忠義を尽くしたという、、、
三成大河ならこのあたりのエピソードも取り上げて欲しい
700 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 19:10:01 ID:cg0PE49Z
どことなく三国志の三顧の礼をおもわせるエピソード
701 :
だぅ:2010/07/10(土) 23:52:46 ID:dcYWVQs0
家康なんかの言いなりになりやがってな
自分等で天下取るつもりは無かったんかい
加藤、福島、黒田は
この辺が小物なんだよな、外国と結んで倒幕狙ってみた政宗の方が大物だわ、やはりね
>>701みたいな典型的な講談脳にはどうすればなれるんだろう?
ある意味しあわせそうだ。なりたくはないが。
703 :
だぅ:2010/07/11(日) 00:05:24 ID:dcYWVQs0
黒田辺りなら天下治められそうな気するけどな
恩顧の大名まとめてよぉ
インテリジェンスあるから、政治も出来るやろ
加藤福島じゃ無理だw
INTゼロw
政治。ひとくくりにしているあたりに、ゲーム臭が漂ってますな。
最近、加藤・福島をこの目線で貶めてるのって、
『だぅ』と、『、、、』の二人くらいなのがウケる。
705 :
だぅ:2010/07/11(日) 02:02:35 ID:5Ii4BtgN
現代に生まれていたらただのDQNという認識は皆同じでしょう
>>691 実際に崩れたのは脇坂ら4将が寝返ってからなので、
キーマンといえばここだと思う
>>696 それ普通に越権行為だから<戦争を遂行させるためで無くあくまでも終わらせる目的
戦争を終わらせるようにという秀吉の指示もない中で独断で講話を進め
しかもその内容が実質降伏文書のようなもの、さらに秀吉には偽の講話文書を渡すという行為は
秀吉そのものをないがしろにしている
平和的考えがあるなら命を賭しても秀吉を諫めるべきで、
それができなかったのは三成の器の限界をあらわしている
慶長の役でこの偽講話に関わった奉行が再度軍監として任命されなかったのはこのせいだろう
石田小西の行為が秀吉から許されたわけではないよ
>>705 現代の価値観・倫理観を、当時の武将にそのまま当てはめて評価する事が、
間違った手法だと気付いた方が良い。
皆同じではないよ。現代の感覚でDQN扱いしてるのは、マジで君達二人だけだから。
709 :
月孔雀:2010/07/11(日) 11:22:59 ID:7mE3rFXF
事務方が、現場監督に嫌われるのは、どの組織でも同じ。
ただ、朝鮮出兵が、泥沼になってしまい、
光成の嫌われ方が異常だったのでは?
>>709 というより、小西石田ラインの偽講話のせいで慶長の役がおこってしまったわけだからなぁ
あの講話は秀吉も騙していた、というか秀吉の老い先短いのを見越してあの偽講話を仕立てたから
拾が生まれて自分の寿命があと少しなのを怖れていた秀吉の怒りをピンポイントで突いてしまった
この嘘を誤魔化すために、朝鮮で交渉してた宗や小西は「朝鮮に騙された」とさらに嘘をつき
宗・小西の助命のため三成ら奉行衆は「講話の話は自分たちも了解していた」と関与を認めざるをえなかった
これによって慶長の役では在陣諸将には文禄の役よりさらに厳しい「朝鮮一揆衆の撫で切り」を命じられてしまう
秀吉は一面では、拾が生まれて浮かれていたのだから
多少の譲歩はしても正攻法で講話を行い、三成ら朝鮮奉行衆が秀吉を真摯に説得できていれば、
慶長の役はなかった可能性は十分ある
こういう点では嫌われても仕方ないんだよ
あと、こう言っちゃなんだが、三成が秀吉にチクった中で清正が無断で豊臣姓を使っていたというものだけど
実は明側の資料では、「豊臣行長」と記されているものがある
・・・つまり、小西行長も講話時に豊臣姓を無断で使っていた可能性が高い
三成がそれを秀吉に報告した形跡は、ついぞない
三成の贔屓っていうのは、こういうことだよ・・・
711 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 00:43:24 ID:yAorUHQ7
清正公は石田小西がDQN以下のクズだと気付いていたのだな。
だが清正公はすぐには殺さず放流して様子見。
俺だったらソッコーぶち殺してるよ。このクズ共を。
712 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 01:47:07 ID:oSIqTIki
>>711 クズとか口汚い言葉を使うのはやめてくれ。議論にならん。
あくまで史実に基づいた、冷静な評価を下すべきだ。
マンセーもアンチもどちらも害悪でしかないからな。
実際、清正は行長を殺そうとした。というより、見殺しにしようとした。
引き揚げの際、小西隊が送れているのを知りながら、
朝鮮側最後の日本拠点である釜山を焼き払って帰ったし。
これもまぁ、慶長の役で清正が朝鮮に渡る際・渡った後の行長の行動のせいもあるんだが。
慶長の役後帰国した時は、三成の不用意な発言にきっちり嫌味も返しているが
かといってあそこで三成を殺してしまうと自分の立場もヤバいしな。
713 :
人間七七四年:2010/07/12(月) 23:08:54 ID:TO1fw+Cx
三成と近かった(とされる)大名を考えると、兼続や伊集院幸侃、佐竹義宣など、
いずれも中央(豊臣政権)との関係を背景にして勢力拡大だったり集権化だったりを
図っている連中なんだよね。
三成と諸将の関係も、好き嫌いとかそういう問題でなく、そういう政治的な関係から
見ていったほうがより妥当だと思う。
714 :
人間七七四年:2010/07/13(火) 01:14:50 ID:7lOVSouE
>>713 というより当時の大名家の関係なんてもんはほとんどそうだな
個人的に親しかろうがなんだろうが、それとこれとは別問題だし
大谷吉継だって友情に準じたと思う方がかっこいいからそうなってるだけで、
実際は一発逆転を狙って大穴に張ったってところがデカイだろうしな
あれでうまく西軍を勝たせていれば敦賀五万から大幅加増になったろうし
さらにもともと奉行派だから中央政権にも食い込める
ところが大谷は自分の役割をきっちりこなせてたというのに肝心の本隊がガタガタだったという・・・
藤川台まで出てきておいて大垣へ入らなかったってところに、何か思うところを感じるな
715 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 21:08:26 ID:9nuGvQ14
親玉の秀吉は三成奉行一派とその他の確執をどう見ていたんだろうね
716 :
人間七七四年:2010/07/14(水) 21:56:58 ID:tlJf5afE
>>715 独裁者に取っては、配下は適当に分裂して忠誠心競争してくれてたほうが便利。
717 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 13:31:43 ID:S3vd3yuh
朝鮮征伐時に嘘八百で秀吉を騙して明に味方し、その一方で豊臣第一の忠臣である加藤清正を朝鮮と結託して殺そうとしたり、
どう見ても、石田三成と小西行長が豊臣を滅ぼした元凶です。ありがとうございました。
718 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 14:13:08 ID:qRA+HLQS
朝鮮の役って豊臣の天下に忠義じゃなく利でついて来た諸将に対する
苦慮の結果って説もあったよな。
常に戦功を競わせて内部に不満を溜めないように・・て感じだったかな
秀吉がどこまで本気だったのか
719 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 17:55:20 ID:ym6KH+6j
>>717 朝鮮嫌いの俺から見ても秀吉のチョン成敗は大失策
そんな事してるくらいなら諸大名(外様)いじめした方が良かったわな
チョン成敗を終わらせようとした三成の判断は間違ってないよ
むしろ加藤らの暴走などを非難するべきだったな
俺は愛国者だがそれとこれとは別だ
やっと戦国がおわりやっと正常な状態に戻ると確信してた農民たちが可哀想
720 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 19:41:35 ID:KtrX/bEy
>>719 でも成功してたら?朝鮮を日本の領土にできてたかもしれないじゃんか
あと明と戦い日本の武威を世界にしらしめた意味で俺は意義があると思うよ
それに農民が可哀想なのは平和でもそうな気がする 石高を誇張して申告して民を苦しめる奴もいたし
まあ三成のやった事は正しいとは思うよ 完全に正しいとは思わないけど
結果論
721 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 19:43:10 ID:6oWGxXr/
>>720 太平洋戦争の意義を喚く輩と大して変わらんな
722 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 19:59:53 ID:nxeEY16w
太平洋戦争なんてそれこそ植民地政策で利害がぶつかって日本が負けたってだけの話だわな。
723 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 20:23:15 ID:ym6KH+6j
でもだからといって日本が100%悪いわけではない
アメリカは何が何でもアジアを支配したがっていたのだからな
アメリカこそいい迷惑だったな
だれか天誅をくらわせてほしい
中国韓国とともに
724 :
721:2010/07/16(金) 20:32:54 ID:6oWGxXr/
俺としては理念や展望なき戦争という意味なんだけどね
725 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 20:57:37 ID:nxeEY16w
それじゃ結果論でしかないって言ってる
>>720へのレスとしては的外れだな。
726 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 20:59:26 ID:SXTFNE3K
太平洋戦争と朝鮮出兵は比べられないだろ。色々違いすぎる。
朝鮮出兵は当時の人口、装備(武器)、輸送力、通信等を考慮すると、どう考えても無理。
朝鮮が島国ならともかく、陸続きの明から攻められたら防ぎようがないでしょ。
727 :
人間七七四年:2010/07/16(金) 21:02:47 ID:nxeEY16w
戦争で勝つより言葉も文化も違う民衆をどう統治するかの方が問題だな。
728 :
721:2010/07/16(金) 21:24:57 ID:6oWGxXr/
というより秀吉に「外国」という意識があったかも疑問
子供の自分に漢書に触れていれば別かもしれんが、その辺は学がなかったんだろうな
729 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 01:20:04 ID:rjItxxFy
>>728 外国という意識はあったよ
言葉が通じないという認識もきっちりあった
しかしそれを補ってあまりあるほど狂ってた
そんだけ
三成は命を張ってでも秀吉に諫言する度胸はなかった、もしくはそこまでする意志はなかった
しかし小細工を弄して偽講話を仕立て上げ、秀吉が死ぬまで誤魔化せればいいという意識はあった
要するに、数年のうちに秀吉が死ぬことを望んでいたわけで、
これを「豊臣一の忠臣」と持ち上げるのには俺は頷けん
反唐入りだったのなら、側近として身を挺してでも秀吉を止めるべきだったし、
それができないなら、いっそ清正のようにあくまでも秀吉の望みを叶えるべく動くべきだった
それが辺に小細工を弄したがために結局秀吉が死ぬまで戦争は泥沼化
しかも本人は内地で政争にあけくれてましたじゃ、命を狙われても仕方ないだろ
730 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 01:37:10 ID:xTeyJgLX
加藤や福島の忠誠は秀吉個人に対するもの。
それに連なる血筋(であろう)秀頼に対しても同様。
三成のそれは、豊臣政権に対するものだろう。
それなら秀吉を誤魔化したのも辻褄が合う。
早期撤収は、政権安定にプラスだからな。
秀吉個人に対する忠誠については、逸話レベルでも聞いた事がないし。
731 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 02:20:24 ID:rjItxxFy
>>730 豊臣の安定政権は、秀次が生きていれば成ったかもしれんが
幼い秀頼では望むべくもないのは織田家の衰亡を見ていれば明らか
それなのにごり押ししたということは、そこまでの展望はなかったということだよ
といって、慶長の役後「安定政権」のために豊臣内部、もっと言うなら「反三成派」を
まとめたりなだめたりしたかというとその形跡はまったく見られない
結局はそのせいで家康を名実共にトップに立たせてしまった
これは豊臣政権に対する忠誠心とかそういうものではなく、
政権の主導権を握るためには幼君の方が都合がよかったんだろう
偽講話をごまかせたら、その功績で執権のような立場におさまり、
秀吉死後の豊臣政権を掌握するつもりでいたんだろうな
思うに、自分がそこまで反感を持たれていると気付いてなく、
自分が原因で豊臣政権が崩壊するとわからなかったところが三成の限界なんだろう
732 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 04:41:04 ID:nS+R3FkD
淀殿がお得意のセックスで家康を虜にしていれば
733 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 12:16:44 ID:bDeHWBLi
734 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 13:58:06 ID:XpGQH5IM
>>730 ただ単に早期撤収しただけでは豊臣が負けを認めて逃げたことになりかねず豊臣の威信に傷がつく
天下人とは何よりもまず最強の武士であることなのだから戦を止めるには何かを勝ち取らなければいけない
だから秀吉は朝鮮南部の割譲や勘合貿易の再開を講和の絶対条件にしたわけだ
石田や小西はそこが理解できず降伏同然でも帰ればよいという発想に至ってしまった
石田や小西には武士としての思考が足りないんだよ
加藤が茶坊主や薬売りと言ったことは侮辱というより武士になりきれていないという皮肉だろう
735 :
人間七七四年:2010/07/17(土) 23:50:33 ID:jWJz3++w
↑そういうつまらない武士道精神で先の大戦はひどい目にあったわけだ
やれ国体堅持だとか言うて、、、
もし昭和19年以内に降伏してたらという思いがあるよ
それと同じだ
736 :
だぅ:2010/07/18(日) 00:30:19 ID:87Fg1aIB
でも家康のいう事は聞けて
三成の言う事は聞けない武断派もどうかと思うよ正直
737 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 01:24:02 ID:f5yfmBwE
早期撤退なんてしたら豊臣の名も傷つくし
本人たちが嫌になるまでやってない、消費だけした大名はフラストレーション溜まりまくりだな
国内支援で済んだ大名の勝ち
>>736 朝鮮に関しては秀吉死ぬ前と後の話だし
それ以降の話にしても、豊臣政権そのものである家康と
金魚が死んだあとの金魚の糞が比肩する訳も無く
738 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 01:33:29 ID:0oBG7YFh
そもそも落としどころを考えないでおっぱじめるのが間違い
739 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 04:28:59 ID:ROK+gC46
家康とそれに近い大名だけをチョン成敗に派遣するべきだった
もっとも家康ならそのままチョンと同盟を組みかねん
やつはチョン並みの人格だからな
740 :
結果は:2010/07/18(日) 08:34:49 ID:o/gWcA2U
ナンバー2の家康が行くと秀吉が急死なりして内乱起きると収拾不能になる
いても起きたけどな
家康が外地にいる状態での関ケ原は興味深いが
741 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 11:55:49 ID:ZVKidA10
>>769 浅い、浅いな。家康がチョンと同盟結ぶなどありえん。
チョンを支援にきた明軍と講和して、明による朝鮮進駐を認めて、チョンを勝手に明に譲渡して帰国。
明によるチョンの民族浄化にモノを提供(まあ、ぶっちゃけ日明貿易復活)とかしかねん。
お得意の「侍傭兵、海外派遣」で外貨を稼ぎまくって、豊臣政権殲滅の資金源を貯めまくるだろう。
742 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 12:24:17 ID:KA4UKp2Y
まぁ現地に一本化した指揮系統ができるだけで、戦況はだいぶ変わるだろうな
743 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 20:16:09 ID:5MUE5Bqy
>>738 そもそも明を征服しようとして無理だったから落としどころとして朝鮮南部だけでも征服しようとなったわけで
秀吉からすればギリギリまで譲歩した落としどころさえも無視した内容の講和を結ばれたため
自分が死ぬまで戦うしか選択肢はなくなってしまった
三成は軍事面に疎いから無視してはいけない落としどころというものが理解できていなかった
744 :
人間七七四年:2010/07/19(月) 01:36:02 ID:fzZyL1Oq
>>742 正直な話、本気で早期決着を狙うなら家康か利家の渡海を画策すべきだったと思うね
どちらかが渡海した時点で、現地総大将は自動的にこっちに移る
この二人なら、秀吉に「戦況不利」の報告を上げても納得させられる
その上で秀吉を説得すれば、ある程度は軟化した(もちろん内々にではあるが)条件で講話に踏み込めた可能性が高い
そうすれば騙し討ちまがいの偽講話という綱渡りをする必要がなかった
>>743 清正が別ルートで交渉していた方が講話としては正攻法なんだよな
最初に双方強気で提示して、そこから交渉を重ねつつ双方ギリギリまで譲歩してすり合わせる
偽講話のようにいきなり降伏文書では足下を見られるのが当たり前で、事実そうなった
745 :
人間七七四年:2010/07/19(月) 01:51:01 ID:Wctc29w5
>>743 だからドンパチ始めてから落としどころ探りだすのがダメだっての。
戦争をどう持って行くかの共通意識もないから現場もごちゃごちゃしたんだろ。
746 :
人間七七四年:2010/07/19(月) 03:20:36 ID:0I57lVDG
淀君のおしっこを諸将に振舞った秀吉
三成も飲んだのかな?
747 :
人間七七四年:2010/07/19(月) 03:26:17 ID:fiVsfatD
>>745 ドンパチ始める前は最終目標(朝鮮出兵では明征服)が落としどころに決まっているだろw
そこから戦況に合わせて譲歩していくんだよ
最初からこの程度でいいなんて低い目標しかなかったら勝てる戦も勝てないわけ
三成は計算高い性格が災いし、最初から低い戦略目標を立ててしまうため戦に向いていない
低い戦略目標に譲歩を加えたら敗北しか選択肢がなくなってしまうのだからね
748 :
人間七七四年:2010/07/21(水) 01:31:32 ID:RHDR2bl9
徳川に対抗できる勢力を持ちながらあっさり屈服した前田利長が悪い
749 :
人間七七四年:2010/07/21(水) 14:18:42 ID:D11mO+9D
そんな利長にヤラれちゃった淀君
750 :
月孔雀:2010/07/22(木) 19:19:43 ID:0h+Lknq1
淀君が、食っちゃったんだってさ。
751 :
人間七七四年:2010/07/23(金) 03:21:33 ID:HCT3Y9Wt
大
一
大 大
万 吉
752 :
人間七七四年:2010/07/27(火) 14:59:20 ID:r/5IPaI9
>>744 やばい、すごいみてみたい
豊臣軍総大将:徳川家康
豊臣軍総大将:前田利家
っていうか、5大老が総大将をしてる豊臣オールスターズがみたい
753 :
人間七七四年:2010/07/27(火) 18:35:06 ID:3R6ffclU
754 :
人間七七四年:2010/07/27(火) 22:20:02 ID:xXjNAuzR
ヒストリア見ないとな
755 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 00:36:33 ID:Vlpg1iPU
↑必ず見ます
NHKは必ずしも信用してないが(とくにチョンが絡むと平気でねつ造しやがる)戦国時代なら信用はできるがな
756 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 04:02:43 ID:WeJuYAK8
三杯のお茶の逸話って史実なの?
この人滋賀産まれとか姫路生まれとか諸説あるけど
小姓で仕えたとか18歳で仕官したとか
大人物なのに秀吉に仕官するまで謎だよね
757 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 12:41:21 ID:gvwmdH+b
三成を貶める為に
徳川がねつ造したエピソードですね
758 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 21:41:23 ID:0QRAhWz4
>>756 三成を貶めるためでは別にないが
作り話であることは確か
てか何で貶めるためなの?寺にいた設定が気に障ったの?
759 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 22:59:27 ID:5J9IFwxO
忍城の水攻め失敗は史実なのに捏造扱いするからNHKは信用できないんだよ
760 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 23:11:28 ID:cf4tMEt7
堤決壊で大損害というのは大げさなんじゃねーの?って言ってただけだろ。
761 :
人間七七四年:2010/07/28(水) 23:53:22 ID:Vlpg1iPU
↑この前の在日チョンのねつ造番組はともかく今回のはかなり前もって考えて作った番組
地元では慕われたとあるが地元の俺もそう思うので問題ない
いつかは大河というのがNHKの真意じゃね
ま石田大河なら非常に都合の悪い勢力がいるから簡単ではないが
ま、このスレの一部の住人はなんとしても石田を落とし入れようとあの手この手で必死みたいだが
762 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 01:26:34 ID:By+VEJv6
>>761 えっとね
三成関係のあれこれは明治以降(下手したら昭和)に作られた「言い伝え」が多くてね
三成が「地元で慕われた」ならどうして石田勢の軍装やら何やらが残ってないのかってことでね
で、君の大好きな白川先生が書いてることでもあるんだけど
井伊時代に、石田時代の証文等が「前政権からのお墨付き」ということで結構残っていて
石田時代に作られた法律や制度はほぼ丸まま井伊時代に取り入れられていたり
三成の子孫や家臣たちは預けられたり仕官した先で結構手厚く遇されていたり
三成の孫が将軍家の側室に上がっていたりして実は全く弾圧された様子はないんだけど
ヒストリアで言ってたことが正しいならつまり、
地元住民が率先して石田一族を追い出したり墓を破壊したことになるんだよね
これをどう思う?
763 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 06:28:32 ID:aj/gGiJi
↑そのくらいの情報ならしってるわい
井伊は100%石田嫌いのようにおもわれるが政策や制度などはそのまま踏襲、
現実問題、直政は秀吉からも気に入られ徳川譜代では一番の出世、そういう状況で石田の有能ぶりを見てかなり評価していた
関ヶ原後、家臣に石田の悪口を言うのをやめさせたエピソードがあるらしいし
でも本音と建て前は別
石田を評価しながらも石田そのものを
なかった事にしないと徳川政権は成立しにくいからね
中央や北近江での石田の考えた政策をほとんど踏襲しながら石田そのものをなかった事にする事でこれからの時代をつくろうという魂胆ですな、徳川は、、、
地元住人にとっては石田を踏襲した井伊の政治は悪くないし石田そのものを否定しないと生きていけない状況だから建て前として石田には冷たい態度をとらなくてはならなかっただけ
とにかくこれだけは言える
石田は地元では相当したわれてるというのは事実だよ
いい加減に色眼鏡かけて石田を見るような事はやめたら?
764 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 06:32:12 ID:E8UgGE6U
>>763 >石田を評価しながらも石田そのものを
>なかった事にしないと徳川政権は成立しにくいからね
全くそんな事ないと思うんだけど。
三成を過大評価し過ぎでしょ。
でなければ具体的に教えてよ。どう成立しにくいの?
765 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 07:09:46 ID:RioB+04J
小泉純一郎だってみんななかったことにしようとしてるじゃない
766 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 09:14:24 ID:aj/gGiJi
>>764 佐和山城及び屋敷などをほとんど跡形も無く撤去するわ三成の手紙などをすほとんど全て処分(大名ももってるだけでお咎めを受ける事を恐れて処分、三成の親友直江ですら三成の手紙がほとんど残してないのは不自然)するわ更に先祖の墓まで、、、
かつて朝廷は出雲王国を滅ぼした際、出雲大社を建立して霊を慰めたが徳川ときたら、、、秀吉の墓もそうだがとても天下を取る器量や資格などやつにはないわな
後に毛利島津長宗我部に政権を倒されるのは必然的だったわな
それはともかく
五人組み(連帯責任)、検地の徹底、強力な中央政権の権利集中、大名への人質制度その他諸々
これらは全て石田及びその周辺が作った制度
家康はそっくりそのまま取り入れただけ
家康にとって本音は福島などの馬鹿より三成を自分の陣営に入れて政治を行ないたかったはずだ
君はへ理屈ばかりをこねて三成を陥れる事しか頭にないのかな
江戸時代に帰りなさいよいい加減に
767 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 09:23:16 ID:gxgWDQhy
>>758 三成が低い身分の出であるとして貶めている
768 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 10:48:58 ID:NA9kcgz0
>>766 言うと思ったけど佐和山城破却は彦根城突貫工事に伴う、築城材料の早期調達が理由です
岐阜城破却と加納城築城も同列
769 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 20:18:54 ID:35zW6S9h
>>766 屋敷を無くしたり三成の手紙を処分したら
天下を取る器量や資格がないという理屈がわからん
それに石田及びその周辺が作った制度て何で三成中心にやったみたいに言ってるの
三成は五奉行に中では尻から二番目の地位でとてもすべてを決められる立場じゃないんだが
こんなふうに他人の功績までも自分のようにしているから嫌われてるんだろう
あと>三成を自分の陣営に入れて政治を行ないたかったはずだ
これって家康の考えじゃなくて自分の妄想じゃん
それと三成を陥れる事しか頭にないとか言うわりに
自分は福島などの馬鹿とか言って陥れておいて説得力がない
770 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 20:23:23 ID:n+rVldGu
三成が五奉行で下から二番目の地位?何の事?
771 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 21:10:13 ID:gxgWDQhy
ゆとりは相手にしない、よろし
772 :
764:2010/07/29(木) 22:54:42 ID:fSap+BLL
>>766 >石田を評価しながらも石田そのものを
>なかった事にしないと徳川政権は成立しにくいからね
成立しにくい事について、全く説明されてないけど?
きちんと教えてくれ。
773 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 23:04:06 ID:aj/gGiJi
またまた変なの沸いてきたな
気持ち悪い
そんなに三成が評価されるのが嫌なのかいな
そもそも五奉行のなかの下っ端てソースはどこにあるの?
俺も勉強不足かも知れないがあんたらのは明らかに貶めたいだけ
ここんところ人気急上昇の石田さんの人気に嫉妬する気持ちは分からないでもないが
そんな事しても加藤福島が卑怯者という評価は覆しようがないけどな
774 :
764:2010/07/29(木) 23:06:51 ID:fSap+BLL
いや、石田は好きだよ。
家康のような次元の違う相手によくやったと思う。
>石田を評価しながらも石田そのものを
>なかった事にしないと徳川政権は成立しにくいからね
これが理解出来ないだけ。贔屓の引き倒しは見苦しいでしょ。
775 :
人間七七四年:2010/07/29(木) 23:52:31 ID:Dez8wYRa
過大評価で人生の負け犬ゴミ石田の狂信者ってどんな顔してんだろうな?
なんか相当キモそうw
まぁ、石田も清正公みたいな人望があれば現在でも勝ち組になれたのにねw
776 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 00:01:49 ID:1VxorBOB
それは徳川政権の捏造史観のせい
777 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 00:34:49 ID:lLBlOV3R
清正の話なんて誰もしてないのに出てくんなよ、キチガイ。
778 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 06:04:02 ID:LEglWBq7
↑いっその事、三成アンチスレ作って勝手にやってなさい
何を言うても屁理屈で押し通そうとしてるだけ
見苦しいよな
主君が秀吉でなければな大名にすらなれんかったのに約20万石の大名という過分な立場にしてもらえたのに中央での役をもらえなかったからひがんで徳川についた福島加藤の糞親戚よりははるかに評価できるだろ、三成さんはお互い勉強しょうよ
だいたいこの前のヒストリアみたいにちょっと三成上げ番組をやるとすぐねつ造だなんだと噛みついてくる
三成さんの本地元まで来てもっときちんと調査しにきたら?
一円の銭にもならないがな
779 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 06:05:36 ID:LEglWBq7
↑訂正
三成さんはお互い勉強しょうよ
=三成さんは
お互い勉強しょうよ
780 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 06:28:31 ID:1Yfn9vkD
石田は精神障害の馬鹿で無能。
だから昔から馬鹿にされて嫌われてるんだろう。
ただ社会の負け犬共には何故か好かれてるみたいだがw
781 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 07:21:43 ID:1v3uh/MO
精神障害の馬鹿で無能なやつだったのなら豊臣家の五奉行にはなれないし
関ヶ原合戦も起こらないよ
782 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 07:24:16 ID:oov7S3AC
石田のような性質は内輪で仲良しごっこしておきたい
いかにも日本人的な人々には受けが悪いだろうなあ
783 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 07:36:16 ID:L4lyGerx
万人から好かれる為政者なんていると思うか
784 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 14:40:41 ID:J+96JrHh
・佐和山城破却について
彦根築城のためというのも間違いじゃないが、「山城破却」という面もある
山城は戦時の城であるし、登城するのにも苦労するから
(石田時代でも三成含めみんな麓に屋敷があってほとんど城まで登ってなかった)
平和になったのだから必要ないとして山城は破却するように触れられた
一国一城令もあり全国的に行われたことなので、佐和山が特別扱いなわけでもない
城が移れば人も移るので、屋敷もすべて彦根に移された
「石田時代をなかったことにする」とかそんなちゃちい政策ではないということ
・石田そのものを否定しなければ生きていけなかったか
白川先生がもうご自分で立証しておられるのでどうこう言う必要もないが
少なくとも井伊領に関しては「否」である
理由は、彦根藩重臣である宇津木家に三成自筆の書状が残ってること
石田を否定しなければいけないのであれば、三成が出した証文など効果があるわけがない
要するに地元民が率先して「石田一族」を消してただけのこと
石田地蔵が新しい物だってことくらい、地元民なら知ってるはず
知らないなら・・・地元民に石田三成にそれほど興味がなかったってことだよ
本当に慕われてたなら、地元だけの祭りや慰霊祭が残ってるのにそれがない
弾圧されても石田時代の軍装を大事にかくして残してるはずなのにそれもない
地元民の扱いっていうのはこういうところからわかるわけ
・三成の手紙が残らないわけ
基本的に、潰れた家からの手紙は残らないもので、このせいで断絶した武家の研究はどこも苦労する
理由は「持ってたからって箔も付かないし手紙ばっか増えて邪魔になるだけだから」
400年の間に資料の整理があって、そういうのから捨てられる
うまくいけば家譜編纂時に引用されたりとか、主君の文箱に入ってたりして生き残るっていう程度のもの
例に出されてたから言及するが、直江家なんてのは兼続の代で断絶してるから、
兼続宛の手紙なんてのも数えるくらいしか残っていない(それも相手側の写しだったり)から、
そもそも比較対象に入れるのすらおかしい
潰れた家の資料が残らないのは陰謀だの隠蔽だの抜きにして、悲しいけど常識でしかない
・出雲王国(笑)がなんたらかんたら
オカ板に帰れ
・寺にいたから低い身分かどうか
当時の教育は寺が主流、特に田舎の有力土豪の子息なんかは寺で勉強してたことも多かった
逆に言えば、仏門に入ってたわけでもないのに寺で修行してる=それなりの家と見なせる
・五奉行内での三成の格
ソース:秀吉葬儀の際の列順(前田・浅野・増田・石田・長束)
このときは仏式だから前田が先だけど、浅野長政は五奉行首座に決められていた
基本的には年功序列と思っていい
浅野・前田・増田・石田・長束の順で、浅野以下は前後することがあるが、連署とか見てるとだいたいこの順
785 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 16:14:04 ID:pnNOSKKj
長いよ
786 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 17:56:59 ID:J+96JrHh
>>785 一個一個のセンテンスは短いから好きなとこだけ読めばいい
基礎知識しか書いてないし
787 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 20:23:59 ID:eO+sp0dZ
>>784は議論の基礎とするのに大変良い書き込みだな。こういうふうにまとめてもらえると
いちいち説明する煩わしさがなくなって大変ありがたい。
788 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 21:12:59 ID:Aqg6ISMa
>>784 >>766は触っちゃいけない人だから
文章に特徴があるから簡単に見分けが付く
コイツはいつもの気違いだな、と思ったら無視した方がいい
789 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 21:31:06 ID:eO+sp0dZ
しかし秀吉も三成も、何のつもりで、基本的に中世城郭としての機能しか持たない
佐和山城なんかを残したんだろ?
秀吉も旧浅井領を与えられたとき、小谷城を廃して平地に長浜城を作ったくらいだから
そういう感覚は持っているはずなのに。
三成も秀吉に習うなら、平地に新しい居城を作ってしかるべきなのに
そんなこともしていない。
ただ巨大というだけの、機能的にも思想的にも古臭い城郭を使い続けている。
その辺がどうも、昔から不思議だ。
790 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 21:56:59 ID:+Zvlh8AY
自動販売機も「あったかい」と「冷たい」のあいだ「ぬるい」が欲しいね カラダにやさしいドリンクを 三成仕様の自動販売機はヒットすると思う
791 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 23:17:01 ID:9I6MJBPn
>>759 佐和山なら中山道を直接、扼せるからと思われます
792 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 23:32:59 ID:eO+sp0dZ
>>791 それなら中山道に接した平地に城作ったほうが早い、とか思ってしまうな。
793 :
人間七七四年:2010/07/30(金) 23:54:38 ID:iMhgQrDB
橋龍の娘
794 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 05:06:10 ID:pYtQPe0G
>>788 しかし、いくら三成の地元の人とはいえ、
自分が死んではるか400年後の世界に、これだけ自分のことを
熱烈に支持してくれる人間がいて、あの世の三成も
さぞ幸せなことだろうとは思うね。
この
>>766の人は城址スレでも見かけたことあるんだが、
とりあえずこの人の場合、蔑称の使用や加藤や福島を執拗に貶すことを止めたら、
もっと自分の意見に耳を傾けさせることが出来ると思うのにな。
そこが残念な人ではある。
だけど、この人の石田三成愛は本物だろうね。
795 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 05:09:21 ID:Zjf4ynuu
>>794 この人の「三成愛」は
「ぼくのかんがえたさいきょうのいしだみつなり」だから
実際の「石田三成」は好きでも何でもないと思うぞ
司馬遼とか無双とかで三成好きになったタイプにこういうのが多いけどな
796 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 11:16:08 ID:1ouq/dpH
司馬の三成像は実像に近いでしょ
あの人は公平に書いている
797 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 13:02:46 ID:tmKB7t2n
>>796 色々大丈夫か?
創作と現実の区別、ちゃんとついてるか?
798 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 13:48:30 ID:4q45wa7c
799 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 16:16:56 ID:N2or6Sl0
「NHKの名称の采配」ってあれは全くの期間限定番組なん?
全く関係のない話だが今の今まで見逃して損をした
800 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 21:57:47 ID:Zjf4ynuu
>>798 ああすまん、葬儀っていうか遺体運び出しの時かな
門から出る時までは五奉行が従ってるんだわ
801 :
人間七七四年:2010/07/31(土) 22:16:56 ID:X1BPMIyw
>>799 前に10回ぐらいやって一旦終了した
今回も10回ぐらいやる予定らしい
802 :
人間七七四年:2010/08/07(土) 12:26:49 ID:kSh6u2yB
関ヶ原が長期戦に突入した場合のクロカンVS島津とかまじ見たかった。
みんなどっちが勝ったと思う?
803 :
人間七七四年:2010/08/08(日) 12:09:21 ID:MhUM92Hn
長期戦になったらそれどころじゃない
804 :
人間七七四年:2010/08/08(日) 21:06:52 ID:aZq0Wabv
805 :
やっこ:2010/08/13(金) 00:18:58 ID:0DcP7GiE
何が大切かっていうと、
はじめてしまった・・・。
つまりそういうことです
いや、まあ頑張りますよ!
え?いや自給自足も伊達じゃねえってことさ!
とりあえず腹ごなしに三成×官兵衛かいてくっべ。
三官最高だろってことですよげへへ←
806 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 07:08:21 ID:tAd+V+GE
三成襲撃武将って加藤清正とと福島正則以外の武将も前から仲悪かったの?
あと、蜂須賀家政と藤堂高虎
807 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 07:41:16 ID:QxS6rHyK
真相は分からんけど、嫌いだからって豊臣政権下でいきなり軍隊率いて
襲うなんて事はないだろ。DQNにも程がある。
なにか理由があったんだろ。
808 :
月孔雀:2010/08/26(木) 07:51:33 ID:3GC+qEw4
朝鮮出兵での恨みでしょう。
光成は内地で事務方、加藤、福島などは、半島で現場監督。
役割分担とはいえ、後者の方が、遥かにしんどい。
で、いろいろあって、「光成憎し」という私情があったのでしょう。
809 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 11:10:49 ID:IDn9maGe
奉行は三成一人じゃないのにな
810 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 11:55:20 ID:6wgwLZ6z
七将襲撃では一応増田も一緒に逃げている
811 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 16:54:18 ID:ESTXfMF2
大谷も毛利も上杉も石田側で、加藤等を「内府かた」って呼んでるんだから、どう考えても家康・利家抗争の延長。
敵方の大将が死んだから仕掛けただけ。
812 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 17:51:19 ID:jkWCa3Xe
813 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 22:16:15 ID:yxWoAxKD
>>806 笠谷和比古によると、七将襲撃事件で、「扱」が成立した十日後に、黒田長政と蜂須賀家政にあてて
「蔚山城の後詰めに関して処分を受けた件は、再調査したところ正当な処分ではないので、
両人の所領から没収されて公儀の代官地になったところを、家政・長政に返付する、蔚山での
件は両人の落ち度にあらず」という趣旨の五大老連署状が出されており、長政と家政がこの事件に
大きく関与していると指摘している。
気に食うとか好き、嫌いの問題じゃないだろうな。
>>810 三成、長盛、前田玄以の三人が一箇所に篭った、とのこと。
814 :
人間七七四年:2010/08/26(木) 22:44:11 ID:6wgwLZ6z
>>812 811が言ってるのは「毛利元康宛毛利輝元書状『厚狭毛利家文書』」からだよ
わりと最近の新史料なんだっけ?
この書状の中で確かに輝元は相手側を「内府かた」と書いてるし、
石田は毛利、上杉に協力仰いで徹底抗戦するつもりだった
大阪城をすでに「内府かた」の人間に押さえられてた為、それももう無益と判断して
大谷が輝元に有利に和解交渉進められるよう、「内府かた」に抵抗して兵を引かず、
兵力の均衡を保って欲しいと言う事を言って来たりもしてる
「関ヶ原前夜」読めば詳しく載ってる
815 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:08:38 ID:6ctt2iAl
竹中、黒田、蜂須賀が一般的には秀吉の家来って思われてるけど
信長の家来だったわけでしょ?
三成や大谷は信長の家来になるの?
816 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:14:59 ID:XYeaZmYi
竹中は信長につけられた与力の立場のまま死んだから、家臣ではなかったと言って良いと思うが、
黒田、蜂須賀は本能寺後には完全に家臣化してるだろ。
817 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:18:15 ID:6ctt2iAl
本能寺前の話よ
818 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:24:50 ID:/q8byRDl
>>817 石田や大谷は秀吉が自分で雇った子飼いだから、信長からみたら陪臣だろ
直臣じゃなくて家臣の家臣
819 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:27:06 ID:6ctt2iAl
なるほどサンクス
よくその辺がわからなかったのよね
820 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:29:52 ID:KbdLk1fL
821 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 00:44:58 ID:/q8byRDl
>>820 長束は名前出てこないね
でも秀吉の遺言で、前田玄以と長束は伏見城留守居を命じられてたから
状況からして一緒に伏見城内に居たと思われる
>>814の輝元書状で、三成蟄居が決まった事を知らせる物には、
増田もいろいろ言われていて、きっと三成と同じ処分にされるだろう、と輝元は書いている
襲撃目標は三成と増田がメインだったんだろう
恨みを買うきっかけの朝鮮奉行だし
(大谷は文禄の役だけで問題だった慶長の役には任を外れているので対象外か?)
「三成、増田、玄以がこもってる」って記録は多門院日記
822 :
人間七七四年:2010/08/27(金) 02:26:03 ID:o6n2A7e/
みんな色々な資料読んですごいな
尊敬するよ
823 :
人間七七四年:2010/08/28(土) 01:45:55 ID:h9GNL4k6
武断派の面々が豊臣秀吉に怒りの矛先を向けなかったのが不思議だね
824 :
人間七七四年:2010/08/28(土) 23:12:05 ID:c84+O8Hn
文禄、慶長の役で三成が秀吉を騙して講和を
した事が武断派から恨まれる理由なんだから
秀吉を恨むのは筋が通らない。
825 :
人間七七四年:2010/08/29(日) 00:12:34 ID:HsKb32CM
826 :
人間七七四年:2010/08/29(日) 10:08:08 ID:KY/DVPoZ
食うもんすらなくて全滅しかけていたのに講和が原因で対立て
よくわからにゃい
全滅したかったの?武断派は
827 :
人間七七四年:2010/08/29(日) 10:36:02 ID:aKLR2lm7
>>826 まともな関が原関連の歴史書読んでちゃんと勉強して出直してこい
828 :
人間七七四年:2010/09/02(木) 10:47:51 ID:xCUtIsLH
今年の三成公供養祭がいろいろと酷い事になってる…
歴ドルステージとか三成コンテストとか
829 :
人間七七四年:2010/09/04(土) 22:29:42 ID:CjKZxe6k
三成コンテストってなんだそりゃ…
全く内容の想像がつかない
830 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 00:21:08 ID:HNAqfb5R
お茶を適温で出せるか競い合う、審査員の好みや体調を見抜く目が必要
831 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 19:24:33 ID:MrZMZoE3
襲撃事件に関しては家康が裏で糸を引いていた可能性大
家康は豊臣の番犬三成が大阪にいる間はなかなか思い通りに進めないのでなんとしても彼を削除したかったという事
加藤らをそそのかして襲撃させたのはほぼ間違いない
そもそも加藤らは簡単に襲撃できるはずはない
下手すればあの浅野内匠頭のように切腹、おとりつぶしを命じられてもおかしくない、よくて本人隠居か出家
なのにもかからわず襲撃したという事は家康から裏で話ができていたという事
危篤中の前田が死亡したと同時に襲撃するという計画だったわけだろう
記録に残ってないのはわざわざそんな都合の悪い事を記録にするわけはないだろう
だいたい三成は佐和山隠居なのに加藤らはお咎め無しなんて有り得ない話だ
三成は殺してでもいいからとにかく大阪から追放しておきたかった
が予想に反して自分の屋敷に逃げ込んできた
三成を生かさざるを得なかったということだろう
それにしても殺人未遂の加藤らに全くお咎め無しなんて天下が曲がりなりにも整っていたこの時代にこの採決はおかしい
やはり家康には天下を治める器なんぞない
832 :
人間七七四年:2010/09/05(日) 20:19:43 ID:8PYj9kDD
>>831 先ずまともな当時についての歴史書を2,3冊読んでから書き込もうな。
後家康に天下を治める器も何も、実際に秀吉なんぞよりはるかに優れて治めたがな。
ああこれはそう言うツッコミ待ちの書き込みか。引っかかっちゃったかな?
833 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 00:35:19 ID:zHbqRE7H
>>831 「関ヶ原前夜」読んでみ
あれ、どうやら襲撃方より三成方がノリノリで軍事クーデターもくろんでたっぽいぞ
834 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 02:45:38 ID:DTRfByoQ
835 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 09:16:18 ID:fdi12RfF
>>831は三成大好きの腐女子
なんとしても家康を悪にしたい馬鹿
836 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 12:18:25 ID:MgXZCIGY
三成がやった事は結果的に家康という一家臣に力を集中させたけど
下手に毛利上杉宇喜多が力を持って再び戦国時代に入るより100倍マシ
そういう意味でアンチ家康をあぶり出した三成の功績はデカい
837 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 12:20:41 ID:r9zaUIjJ
豊臣の天下を認めていた奴なんて誰もいなかったからしょうがない。
三成含めて配下全員保身に走ったしな。
838 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 20:33:55 ID:PI0RBmQ7
>>835 お前みたいに知能低いのでも煽りは出来るんだなw
839 :
人間七七四年:2010/09/06(月) 21:28:51 ID:dcyIsVo4
>>838その低能wwwww乙死ねwwwwwwwwwwwww
840 :
だ:2010/09/06(月) 21:34:30 ID:ogO5IWCa
大阪城の蔵開いて浪人3万人でも集めて大谷に兵を預けたら勝機はあったね
小早川なんぞよりよっぽど信頼出来るだろ、浪人軍団でもさ
841 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 00:13:56 ID:ALA4j/w3
>>837 その通り
成り上がりで下品な秀吉の天下など誰も認めていない
だから由緒ある豪族の出の家康に人望が集まり
忌まわしい豊臣を完全に消去した
成り上がりにはろくな奴がいない
842 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 10:02:55 ID:3aqzfe+K
徳川が天下簒奪したのを正当化するために過度に貶められたのが秀吉や三成
秀吉の出自が貴人ってのもあるいわ
843 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 10:30:27 ID:mI5IkHBV
>>841>>842 お互い過度に貶めてるけどな
家康が由緒あるんじゃなくて由緒の元が家康になったんだから凄いもんだと
秀吉も農民から天下取った凄い人というのが世間一般の評価
三成もそれなりに評価や悪評名前残ってんだから凄いっしょ
844 :
人間七七四年:2010/09/07(火) 23:51:07 ID:qQ2UyhVN
>>842 いや、それはない
織田時代はむしろ卑賤の出ってのを売りにしてたようなもんだし
秀吉の出自が貴人とか書いてるのは秀吉肝いりで作らせた天正記だし
845 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 12:56:17 ID:nn7jTCsY
フロイスも書いてた容姿が醜悪って事以外は出生にかんする確定事項なんぞない
846 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 18:13:46 ID:m5fDUtcT
指6本
847 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 13:43:14 ID:KWUKMgX1
>>840 寄せ集めのならず者どもを三万も押し付けられちゃ
大谷吉継はもっかい東軍に寝返りかねんぞ
ただでさえ方面軍でそれなりに結果出せたの大谷隊だけなのに
848 :
人間七七四年:2010/09/09(木) 21:34:58 ID:JFlxmmSc
管と小沢の戦いを現代の関ヶ原と見ている人もいるがあんな在日チョン成り上がりインチキ政治家どもと家康三成を一緒にしないでくれや
なんだかんだいいながら石田三成、徳川家康の政治の手腕は今の5流政治家共なんぞ足元に及ばないわ
小沢や管に負ければ死ぬ覚悟なんぞあるわけないしな
849 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 02:23:03 ID:KGijgZ45
政敵は文字通り殺せばいいもんな
昔はそりゃ命がけだろ
850 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 08:13:18 ID:Hhec5jir
> 石田 三成(いしだ みつなり)
>
> 萩原 聖人(はぎわら まさと)
>
> 秀吉の側近で、豊臣政権の五奉行の一人。
> 三姉妹と同じ近江国で育つ。三姉妹の父・長政を破った小谷城攻めの武功で秀吉が
> 長浜城主となったころ、秀吉と出会いその才能を見出される。
>
> 兵糧攻めや城攻めでの武器や食料の調達に、その才をいかなく発揮。算術に長けた知性派で、
> 昔堅気の武闘派大名たちと反りが合わず、敵も多い。
>
> そんな三成を最も悩ませたのは、茶々だった。心につのる茶々への想いと秀吉への忠誠心の狭間で
> 苦しむ三成。その呪縛は秀吉亡きあとも続き、茶々への想いが、天下を揺るがす関ヶ原の戦いへと
> 三成を駆り立てていく――。
http://www.nhk.or.jp/otsu/go/cast/cast3.html#mitsunari 茶々に惚れて関ヶ原かw
851 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 19:04:38 ID:UCc6Vr5l
↑史実は違うと思うぞ
オネ派だったらしいし
そもそも二人が出来てたら茶々は大阪城の黄金を全部石田に明け渡すぞ
しかし史実は、、
852 :
人間七七四年:2010/09/13(月) 19:13:43 ID:UCc6Vr5l
秀忠=向井理ってゲゲゲの女房すか(笑)
長政役は微妙だな
黒田はイメージどうりだが
鈴木保奈美は久しぶりに見たい(ヒーローインタビュー以来)のでOK
さて肝心な三成役だがあまり知的さは感じないので微妙
ただ中の人はけっこうファンなのでこれもOK
なお秀吉役にゴロちゃんだが夢に出てきた組み合わせ(まじで)
期待できそう
853 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 08:53:21 ID:sZNmiD0v
854 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 18:41:31 ID:7pT4Phrb
去年みたいな間にってクソ大河になるんだろう?
ナレーション「三成は淀の愛のために、愛を掲げ家康に挑むんだのでございます」
855 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 19:07:42 ID:7pT4Phrb
間に×
愛だの○
856 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 19:19:07 ID:CI3OoxUC
この10数年でまともな戦国大河は風林火山だけか…。
857 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 21:01:57 ID:/nJJdarK
また大河が史実と勘違いした三成厨が増える…
858 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 22:22:16 ID:ph333OYH
主君の側室に横恋慕して戦争起こすとか、むしろ三成厨涙目じゃろ
859 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 22:27:38 ID:Rb1MliU0
大河なんて元々史実に忠実に作られてた訳でも無いだろ。
単にターゲットが男性視聴者から女性視聴者に変わっただけ。
860 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 23:16:48 ID:SQDnorkq
秀頼も三成の子供ということになるだろうな
861 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 23:28:13 ID:759wGURz
今時こんなカビ生えてそうな設定使われるとはな。
862 :
人間七七四年:2010/09/15(水) 23:42:06 ID:tf7gXZVF
おお、とうとう義レンジャー三成の化けの皮が剥がされるわけだな。
糞大河どころか神大河じゃないかw
主君の妻を寝取って、孕ませ、主君の息子(実の息子)のために
なぜかイケメン補正200%の糞漏らし家康(北大路が糞漏らしとは笑える)
とガチバトルなってすばらしすぎる。
おとうちゃんはお母ちゃん(淀君)とお前(秀頼)のためにがんばるぞー!
良いホームドラマ大河出演おめでとう。偽レンジャー三成くん
863 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 00:31:13 ID:F1uGiqsw
フィクションの話でこんなにハイテンションになれるだなんて羨ましいわ。
864 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 00:36:47 ID:peTXjrT+
真面目な話
秀頼の父親が三成な訳はない
秀頼がはらまされた時期は三成韓国出張中であったのは史実
そもそも秀頼の父親が三成ならば茶々は三成のために大阪城の金銀を惜しくもなく出すだろうが
いまだにそういう解釈しかできない演出家は消えろ
865 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 00:49:03 ID:A7N19Vt4
>>864 北大路が家康(糞漏らし、黄色いふんどし、ちり紙拾い他ケチ守銭奴)で
水木しげる(向理)が無能凡人田舎の町役場の係長(by司馬史観)秀忠って
あり得ない配役なんだから、三成の件だって作者脳的にはありだろう。
866 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 01:03:06 ID:F1uGiqsw
もっと歴史オタクが増えて、そいつらがこぞって大河ドラマを視て
視聴率に影響する程になったら史実に忠実な大河ドラマが出来るかもな。
今の視聴率を支えてるのは女なんだから、女受けが良い内容になるのは至極当然。
大河を視てもいないのに文句言ってるんだとしたら甚だお門違い。
867 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 01:23:03 ID:T84U8iYO
腐女子「やっぱり、三成は愛のために戦うのね 素敵」
868 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 01:29:22 ID:zIulxgsj
>>866 ゲゲゲの女房ってアレ、最近時々見るけど、面白いんだよな。
何が面白いって、何話見逃してもいいんだよ。
そういう造りでもあるし、題材も普遍的だから大体想像つく。
女っていうか、たまたまチャンネル合わせる層のために作ると、ホームドラマになるのかなって思った。
朝ドラはそれでいいかもしれないけど、大河でとは…歴オタの大河離れが深刻なんですかね?
確かに、俺もそもそも、歴史を題材にしたフィクションってあんまり興味ないんだよな〜。
大河に思い入れがある歴オタの人には悪いけど、どーせドラマじゃんって思っちゃう。
869 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 03:25:34 ID:Y+SF4peB
お前ら心配すんな
「姉妹」の前に「坂」がある
「坂」をじっくり堪能して1年堪えろ
そしてまた年末「坂」を観ると・・・
熊の冬眠と同じよ
870 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 04:07:33 ID:0L+eGYnB
どちらかというと萩原聖人より向井理のほうが三成っぽい。
萩原は顔が純朴すぎ、つか子供っぽい。
谷原章介(風林の今川義元・龍馬伝の桂小五郎)なんかも三成似合いそう。
三成は目が涼しげ(細め?)でやや面長でつるんとしたイメージ。
871 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 07:22:07 ID:zSLirOJs
谷原章介いいなあ…あと中村七之助とか
個人的には7月のヒストリアの再現VTRの三成のひとがイメージに合ってた
渾名が狐だからかなんとなくお稲荷様のお面ぽいイメージがある
872 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 08:09:51 ID:V+vrnmbC
寧ろ三成は秀吉に許婚盗られてるよね
873 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 11:44:38 ID:MlakG6MX
>>864 それを言い出すと、大坂で淀が秀頼を孕んだ時期は秀吉名護屋出張中であったのも史実だしな
874 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 20:41:24 ID:r4sqoQUi
875 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 22:46:44 ID:3q3YSe9F
むしろ腐女子視聴者は離れそうだ。
876 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 22:50:44 ID:QcMPwXIl
準主役は多いんだが、いずれは三成主役で大河やって欲しいよ。
真田ものが先にやるだろうが。
877 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:17:15 ID:peTXjrT+
俺の地元長浜市では最近ますます石田三成に力をいれてる感じ
石田町では生誕日にイベントを行う予定だし
常設の三成コーナーも作りかねん
その一方で秀吉を祭る豊国神社では秀吉、木村重成はわかるとして加藤が祭られてるのに石田三成は入ってないという扱い
いくら伝統や歴史だからって今からでも石田三成も祭るようにできないのかな
878 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:23:43 ID:IqrDL6ck
一般人の三成の扱いは
「正義家康(笑)に刃向かったバカ」扱いが抜けない。
代表例がBASARAのPの小林
879 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:29:54 ID:sMjyhV7K
ゲームの三成好きの女が
「自分は史実とはちゃんとわけてるもん!」
と主張してるくせに
嬉々として佐和山に登ったり石田町に行ったりするのが
どうにも微妙な気分になる
880 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:30:34 ID:RjGfXGsK
>>873 一応ギリギリ間に合う日付ではある
ほんとにギリッギリだけどな・・・
881 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:38:25 ID:kzOxco7a
882 :
人間七七四年:2010/09/16(木) 23:38:29 ID:/92+2+qZ
>>878 ところがそうでもない
悪の家康に豊臣を守るためとニワカ歴史好きに支持されてる
883 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 00:05:40 ID:XAhGYAAt
まあ、一般人に、どんな容貌で性格的にはどんな感じか
なんとなくイメージを湧かせるくらいなんだから
そういう意味でも三成は大したもんじゃないの?
赤いマントを羽織ってれば「信長だ!」
白い布を顔を覆ってれば「謙信だ!」(一部、大谷だ!もいるかも?)
には勝てないだろうけどね
884 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 00:59:56 ID:FYZ0fCwz
歴史上の人物に対して正義だとか悪だとか言ってるような馬鹿は中学生だってそうそういないだろうな。
885 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 01:42:15 ID:LQjAG5Nw
>>884 幕末系の腐女子なんて未だに尊皇と佐幕で争ってるぞマジで
886 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 02:09:00 ID:5vbT8gIH
秀吉の死の前後って三成が事実上の総理大臣みたいな権力だったんだよな?
そして三成総理を解任できる5大老をうまいことに家康1vs4その他にできた
だからなにもなけりゃ三成総理が家康も押さえ込めた それを加藤・福島が
クーデターで三成総理を失脚させちゃった 今思うと前田利家の死の直後の
あの武力クーデターで豊臣政権は終わってたわけだ・・
887 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 02:21:34 ID:LQjAG5Nw
>>886 > 秀吉の死の前後って三成が事実上の総理大臣みたいな権力だったんだよな?
三成は奉行衆の筆頭ですら無いんだが…。
基礎的な認識から間違えてるぞお前。
888 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 12:09:28 ID:WG5EgwMr
889 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 13:08:53 ID:k4CxUOLl
>>886 豊臣政権における全ての権力を握っているのは秀吉であり、三成自身にはいかなる権力もない
ただし独裁者秀吉に対しての取次を牛耳っているのは三成であり、それが権勢を誇っていると言われた理由だ
その秀吉が死んだら代わりの人間を探さなければいけないが上手くいかなかったため、空白の瞬間を突いた加藤・福島の襲撃で失脚した
三成は権勢を誇っていても直接的な権力は何も持っていない、あくまで権力者への取次が三成の武器である
表現は悪いけど三成はあくまで寄生虫であって寄生主の威光がなければ自分個人では何もできない
だから第二の寄生主たる利家が死んだ瞬間に襲撃されたら何もできずに失脚してしまったんだよ
三成が事実上の総理大臣だなんて豊臣政権の構造を何も理解していない
890 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 14:15:44 ID:rW8rTk1x
891 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 15:08:51 ID:WG5EgwMr
>>890 wikiではそうなってるけど、
色々ググったら実質筆頭は三成のようですけど
892 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 15:40:41 ID:87hxhnLN
腐女子は意地でも浅野じゃなくって三成を5奉行筆頭にしたいらしいw
893 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 16:39:11 ID:rW8rTk1x
894 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 18:24:47 ID:XAhGYAAt
まあ親戚筋で古参だからな
筆頭は長政でいいでしょう
にしても増田は空気だなあ・・・
二十数万石も領地持ってるのに
895 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 19:48:29 ID:71zi9yPu
>>889 総理大臣も寄生虫程度の存在ですよ
雑魚だと思ってた管とか鳩山といい
896 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 21:58:24 ID:rm5/cZPV
でも事実上5奉行筆頭だよな
897 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 22:06:49 ID:LQjAG5Nw
何を持って「事実上」なのか、何に対して「でも」なのか、その辺はっきりしろ。
898 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 22:23:19 ID:87hxhnLN
西軍総大将も三成にしたいらしい
899 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 22:34:18 ID:y61Hkq9j
流石腐女子だ
捏造された腐った歴史を史実と思い込んでやがる
900 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 22:37:37 ID:hdnRfmfM
ヤフーの知恵袋見ると腐女子がいかにクソかわかる
901 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 23:00:31 ID:+eQmK9cf
高校では三成が五奉行筆頭だと習ったが?
行政担当だし、五奉行の中では中心的だったんじゃねーの?
腐に聞くと三成の参謀は真っ先に大谷と答える。
普通左近だろ?
902 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 23:08:33 ID:y61Hkq9j
>>901 何で筆頭なんだと疑問に思わないのか
豊臣の直轄領の管理は五奉行がやっていたけど特に差はないし
石高なら似たような奴もいるしただ単に武闘派との揉め事で話題になるから出てくるにすぎん
筆頭が他の奴と揉め事起こしてちゃいかんだろ
903 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 23:28:15 ID:XAhGYAAt
強引になぞらえるならば竹下派時代の幹事長小沢かな・・・?
虎(竹下・金丸)の威を借る狐みたいなとこもあったからなあ
風貌は全然違うだろうけどね
904 :
人間七七四年:2010/09/17(金) 23:34:49 ID:FYZ0fCwz
五奉行が揃って発給した奉書は文禄四年六月の毛利輝元宛の物が初出だが、
その僅か二ヶ月後に秀次事件が起きて、浅野はそれ以降奉行としての活動をしていない。
更に文禄五年には与力として付けられていた政宗から絶交状を突きつけられ、
取次としての力も大きく失ってしまっていた。
その浅野が政治の表舞台に復帰するのは秀吉の死の一ヶ月前になる。
また、その翌年には家康暗殺の嫌疑で失脚する事になる。
勿論、五奉行に定められた序列は存在しないが、
実質的な意味での筆頭として考えた場合でも浅野は考えられない。
905 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 00:06:51 ID:so7NlNR5
前田玄以が首座じゃなかったか?
906 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 00:18:29 ID:7wga8Fk/
五奉行の存在自体を疑問視する研究者だっているのに、
葬儀の席次だけで序列まで決まっていたかのように考えるとか馬鹿すぎる。
907 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 08:22:07 ID:FW58ulb5
>>906 > 五奉行の存在自体を疑問視する研究者だっているのに、
じゃあ「筆頭」とか言う発想そのものが無意味この上ないな。
908 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 09:40:06 ID:mdpDoOCv
5奉行とされている中で実力筆頭って意味でそ
あと関ヶ原の事実上の西軍総大将を否定する奴はひねくれすぎ
909 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 10:16:38 ID:FW58ulb5
実力なんてどこで測ってんだよw
まあ嫌われ度は筆頭だっただろうがな。
あと三成が「事実上の」西軍総大将なんて、関ヶ原の戦後処理の過程で事態を収集するため、
具体的には毛利家に戦争責任そのものが及ばないようにするために『作られた』
政治的な創作に過ぎない話だから。
910 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 10:19:55 ID:mdpDoOCv
ほう じゃ石田〜安国寺経由で毛利が立ったのもありゃ嘘なのか
毛利輝元が全て事を進めてたわけか
知らなかった
911 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 10:49:16 ID:7wga8Fk/
>>910 石田と安国寺との談合で全てが決まったとすると、その後の毛利の行動は早すぎる。
事前の準備があったと考える方が自然。
そもそも関ヶ原自体、利家と家康との対立から続く物で、独立した戦いじゃない。
七将襲撃事件の際に反家康方は一旦敗北しその軍門に下ったが、
その後絶好の機会が現れたので、決起に及んだ。
本来の西軍の総大将は利家であり、毛利・宇喜多・石田はその代行。
912 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 11:02:33 ID:towE3kjo
安国寺主導による関ヶ原への道ってのありかもな。
でなきゃ石田や小西と共に処刑されるはずがないと思う。史実は逆かもしれなないぞ。
長いものに巻かれろ式で生き延びてきた毛利が、自分の倍の身上の家康に逆らうはずがないのに
牙をむくってのが、そもそも変だ。
石田は安国寺の提案に乗ったって
913 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 13:51:14 ID:tZXt1lx3
その線も充分考えられるな
総大将も発端も実は毛利とか
と、すると裏切った小早川と動かない吉川は本当に裏切り者だな
914 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 17:31:36 ID:AMPb+zAT
915 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 21:19:45 ID:mdpDoOCv
くだらねえw
916 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 21:25:11 ID:d/9nwsd7
>>911>>912 安国寺の、毛利を引きずり出した「罪」、
つまり事を荒立たせ家康方を驚愕させた「罪」で
処刑されたという従来の解釈では駄目なのかな?
確かに毛利は安国寺に唆されただけという言い分は、
毛利方の戦後処理での苦しい立場を十分浮き彫りにさせるものだけど。
まあ誰主導か?という問題は石田、大谷、宇喜多、毛利、そして安国寺と
それぞれ複雑に絡み合ってることだとは思うけどね。
誰のどの行動を重要視するかで解釈が違ってくることだし・・・烏合の衆とまでは言わないにしても。
917 :
人間七七四年:2010/09/18(土) 22:18:26 ID:tZXt1lx3
まあ一般で言われてる三成総大将説は
主力である小早川毛利が動かないこともあり武闘派との仲の悪さのおかげで話にしやすいからだな
恐らく明治維新辺りの時にちょいちょい改変したんでね
918 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 00:42:01 ID:8vuSx/vP
三成は普通に首謀者でよくないか?
三成が総大将でないと何か不都合でもあるのか
三成の事を歪められたとか言ってるわりに
こういった捏造をしておいて説得力がないわな
919 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 03:35:55 ID:GvWEPs1w
三成はゴミ以下の汚物だから、無能確定で首謀者ではないだろう。
誰かに騙されて乗せられたんだよ。
汚物だから。
920 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 05:15:57 ID:VGWFHQWc
でも、石田は清正公からしたらゴミ以下かもしれんが、そこそこの生き物だろう
921 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 05:33:24 ID:mIe1fnC0
↑ていうか清正は一般的にはほとんどスルーされてるんですけどね
ただ単に秀吉の親戚というだけで大名にまでしてもらいながら平気で家康に媚びを売り石田を失脚させてついには天下をとらせたものの豊臣への中途半端な忠義を捨てられないためついには息子の代で改易
そんな小物を偉大て(笑)
ま三成も偉大な人物とは思わないがな
922 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 09:23:36 ID:wP7GC/MX
石治少、大刑少、小攝、備前中納言ら首謀者をすべて改易となった。
しかし安藝中納言は石治少らに大老筆頭をかがされてなびいた故、謀議の枠外と認識され、罪一等を減じ、安藝、石見、出雲、備後、備中、隠岐を没収し、長門、周防のみを安堵した
923 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 09:28:02 ID:12Tbxf3f
石田「忍城攻略失敗はボクのせいじゃないもん!!」
924 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 09:33:30 ID:5YpIG4Ma
まあね。
925 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 09:58:37 ID:tGJo826c
関ヶ原の戦後処理は例えれば東軍が負けた場合、首謀者は福島、黒田、藤堂とし、
家康は助命を許された上徳川家は武蔵相模二ヶ国に改易、と言った内容。
926 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 10:00:00 ID:TaYUfc6H
家康を助命するなんてどんだけ馬鹿なんだよw
927 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 10:08:44 ID:12Tbxf3f
石田「毛利、吉川、小早川は確実に潰すお」
928 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 11:56:04 ID:7d2H9Hnz
アホ石田が政権の重要なポジションに居なくて本当に良かったわ
秀吉のイエスマンなんていらんのや
929 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:24:33 ID:wP7GC/MX
学研にも徳川敗北の際には五大老解任のうえ、武蔵相模二ヵ国に削封と書いてあった
930 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:44:37 ID:5YpIG4Ma
仮に直後はそうなったとしても、家康の豊臣への処置と一緒で、次の段階で潰されるだろ。
931 :
人間七七四年:2010/09/19(日) 15:52:15 ID:pMUucUck
死んだら子供ようけおるし、バラバラ解体できるな
身内同士喧嘩させときゃええ
932 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 19:08:39 ID:1/d90aZ9
関ヶ原で夜襲却下した話って本当なの?
933 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 19:19:01 ID:aW9dZ/Vg
関ヶ原で負けたとしても家康はまだ大丈夫だろ、関東
に逃げ帰ればいいだけなんだから、
ていうか当時の人は長期戦を予想しててあの結果のほ
うが意外だったんじゃない?
934 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 20:02:08 ID:dlbYe5so
935 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 21:11:02 ID:8LlMmq+t
>>934 それって司馬の創作じゃないの?
「僕の大好きな超英雄鬼島津が関ヶ原で動かなかった理由を作らなきゃ」で創作されたもんだろう。
936 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 21:17:45 ID:uuhQPWtp
島津は関ヶ原でガチで井伊本隊や松平忠吉隊と殺り合ってます
937 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 22:21:16 ID:1/d90aZ9
じゃあなんで島津は動かなかったのさ!
へそ曲げてたからじゃないのか
938 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 22:23:40 ID:uuhQPWtp
>>937 動かなかったというのは島津側の資料にしか見られない
まぁ、つまりは言い訳ということ
939 :
人間七七四年:2010/09/20(月) 23:18:49 ID:0fn8YXnz
>>906 >葬儀の席次だけで序列まで決まっていたかのように考えるとか馬鹿すぎる。
そもそも秀吉の葬儀は行われていないのだから席次も何もあるはずがない
序列がどうこう以前の問題だな
940 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 00:33:26 ID:raQEkS7D
941 :
人間七七四年:2010/09/21(火) 09:00:37 ID:0EIDQllR
942 :
人間七七四年:2010/09/22(水) 02:28:42 ID:cE34XUFQ
>>941 朝野旧聞褒藁には各エピソードの引用元が書かれてるはずなんだが
その引用元は何になってる?
引用元の成立年代によっては大して資料価値がなかったりするから
943 :
人間七七四年:2010/09/22(水) 09:27:15 ID:2tFXlGaY
嫌な感じ
944 :
人間七七四年:2010/09/22(水) 22:45:58 ID:mSLpNoov
関ヶ原の島津不動?に関しては
・寡兵で動けなかった
・寡兵により本戦では大した活躍が出来ず目立たなかった
・退き口が異常にクローズアップされた為
・退き口であんだけ頑張れたのは兵力温存してたからに違いない
・つうか最初から頑張ってくれよw
などなど色んな理由なり小説家の解釈なりが混ざり合って今に至ってそうだな
まあ戦闘地域に西軍として他の西軍武将と並んで布陣してるんだから、
全軍押し出すとは言わないまでも普通に柵の外出て戦ったんじゃないの?
945 :
人間七七四年:2010/09/22(水) 22:50:27 ID:2LDj7sWh
>>944 寡兵というのも島津側の資料のみ(というより『日本戦史』がそうだった)で判断した結果で、
実際は3000人はいたというのが吉川広家書状や軍記で解る
946 :
人間七七四年:2010/09/22(水) 23:45:26 ID:mSLpNoov
>>945 ということは、
撤退戦を始めた時500人前後だったよね?
3000→500だからはぶてて動かずどころか
十分に本戦で戦って兵力損耗していたということか
柵内に閉じ篭ったまま二千人以上の兵力を失うなど考えられないね
義弘に、西軍勝利のために積極果敢に動くという気が鮮明に感じられたかはともかく
947 :
人間七七四年:2010/09/23(木) 00:03:42 ID:07PXxL8V
>>946 撤退時は1000という数字が軍記にある
島津側の資料には味方が敗北したときに旗本には200〜300騎しかいなかったともある
仮にこれが記述通りに馬上の数で、先手を含まないのなら1000にはなると思う
948 :
人間七七四年:2010/09/23(木) 09:49:25 ID:WRxlmYEO
なんか撤退が凄そうに島津が吹いてるが
ただの壊走だからな
949 :
人間七七四年:2010/09/23(木) 15:52:23 ID:07PXxL8V
>>942 『関原始末記』に「下野殿(忠吉)井伊兵部一手ニ成テ宇喜多嶋津カ勢ト相戦下野殿深入高名シテ傷ヲ当ラル」とある
ちなみに宇喜多には井伊の先手、嶋津に井伊本隊と忠吉隊が当たっていた
どうやら他の改易された大名と違って、島津は存続したのではばかって記述が曖昧になった書が多いと思われる
余談だが、下野守だった忠吉は戦後、薩摩守になっている
これは関ヶ原で嶋津と戦った故の補任と言える
950 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 18:12:25 ID:ztnR51+I
島津が本領安堵になった理由を述べよ
951 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 18:14:12 ID:MnXMpsJc
土下座してるしめんどくさいからじゃね?
952 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 18:14:35 ID:MUYVI7ad
海賊さんだから
953 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 18:52:29 ID:o47PlbgD
井伊直政がとりなしてくれたから
954 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 23:23:33 ID:62rOT6hg
明治維新を見据えて
955 :
人間七七四年:2010/09/24(金) 23:53:26 ID:FVht3tim
あの、あの悪久がですよ。
平謝りしたからです!
信じられますか〜 あの悪久がですよ。
956 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 00:22:45 ID:sTYBf2rq
あの〜
私、悪久じゃなく、良久ですけど・・・
957 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 17:48:32 ID:W4JdnlJn
>>950 島津は東シナ海をおさえているので改易すると逆切れして海賊と化して沖縄を通して清との交易を開始したい徳川の邪魔をしまくると脅した
また島津は豊臣に対しては忠節を誓っているわけだ
あくまでも徳川に対してだけ敵対してるというポーズなので討伐にこだわれば徳川政権自体もヤバくなるという判断が働いたようだ
958 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 17:54:41 ID:j6AZhzNq
959 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 18:31:43 ID:L8g5+TT+
>>957 >また島津は豊臣に対しては忠節を誓っているわけだ
ねーよwww
960 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 18:36:56 ID:oAcE8u0w
> また島津は豊臣に対しては忠節を誓っているわけだ
> あくまでも徳川に対してだけ敵対してるというポーズなので討伐にこだわれば徳川政権自体もヤバくなる
そんなアホな話が通用すれば理論上家康は西軍参加の大名を誰一人処分できない。
どれだけパラダイスな脳みそしてるんだ
>>957はw
961 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 20:14:52 ID:W4JdnlJn
↑当たってるだろうが
何ケチつけてるんだ
とにかく豊臣家にたいしては少なくとも九州征伐以降は忠節を一応してるだろうが
そして西軍についた事を謝罪してるし
それならば他の西軍についた大名にもという意見があるが毛利は総大将だから
言い逃れできないし石田は滅亡したし、、だが島津はほとんど戦力を温存してるし本領安堵しなければ
戦争辞さず、そうなれば戦いのさなかに加藤が福島が豊臣がその他もろもろが徳川の背後をつくという可能性がないこともない
とにかく徳川が大阪制圧以降なるべく戦をせずに事をおさめたかったからだ
それとウキタというカードをもっていたので本領安堵すれば彼の身柄拘束できるので(ウキタは関ヶ原合戦の主要人物、
彼を直接処罰しないと関ヶ原合戦は終わらないという認識か)仕方なく本領安堵したというわけ
もちろん沖縄を通じて明との貿易に支障があっては困るし
ていうか家康はただのヘタレ
石田などのような格下には強気だが相手がヤクザなら弱腰
所詮小物でしかないようだ
962 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 20:23:43 ID:oAcE8u0w
>>961 はいはいそうだねよかったねえ島津は凄いねえ家康は小物だねえ
基本認識すら間違えてるぞ。
当時明との交易は完全停止状態だったことも、当時薩摩に、琉球に対しそこまでの
影響力はなかったことも、宇喜多秀家の身柄は島津との講和が決まってはじめて
存在がわかったことも。
もうちょっと勉強してから書き込もうね。
963 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 21:11:17 ID:jKYP63rw
>>962 おまー、このカバチタレが!
モノホンのヤクザは、わいら毛利や
薩摩の芋侍とわいらを一緒にするなや!
964 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 21:25:53 ID:3JVQXJ3S
本領安堵された瞬間ジャンピング土下座した島津がそんなすごいわけないだろうに
領国取られた豊臣に恨みこそあれ何で鎌倉以来の名門島津が成り上がりの豊臣に忠義を尽くさにゃならんのだ
家久(悪)の頑張りを認めろよ
965 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 22:55:39 ID:W4JdnlJn
>>962 真面目な話、当時の明とは国交など無い状態
室町以来の日本代表として地方政権でしか無い毛利(大内氏から引き継いだ)が交易してたが豊臣政権になってから軍事衝突して国交断然している状態
また島津と沖縄(あくまで沖縄で通す)は当時は対等な立場
島津が支配するのは関ヶ原以降
島津が徳川を脅して沖縄を攻め込み王様を人質にとり支配する、現在の奄美大島あたりまで直接支配、沖縄諸島以西は属国となった沖縄が面向き支配
明との交易を行い利益はそのまま島津→徳川というルートで入って行った
徳川としては直接沖縄諸島を支配したかったが島津スルーでは無理があると判断したからにほかならない
とはいえ島津がいくら強くても戦いをせずに降伏させるかわりに本領安堵て家康てほんま缶総理並みにへたれだよな
信長なら本気で叩き潰しただろう
本能寺さえなければ明治維新すらなかったかも
966 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 23:12:50 ID:tBtEc3uA
ジャンピング土下座とか使うやつ、
面白いと思ってんの?
967 :
人間七七四年:2010/09/25(土) 23:20:12 ID:3JVQXJ3S
>>966 この場合皮肉か本当に面白がってるかのどちらかだな
ただジャンピングなどという外来語を使用している限り南蛮文化を取り入れようと頑張る島津の心意気を賞賛している節もある
ならばジャンピング土下座とは一種の感状のような意味もあったのではないか
と、書いたが訳わからん マジ基地
968 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 02:02:12 ID:V+JhKkSn
三成は戦略を間違えたね、徳川は最強とかは小説の世界
実際は朝鮮出兵で死地を潜り抜けた兵が最強
それを家康に意図的に渡してるんだけどね
969 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 12:30:03 ID:AAA6tdLg
勇敢な兵ほど早く死ぬって史記かなんかに書いてあったな。
島津の1500人ほぼ全滅もそうだ。結局指揮官次第で戦歴で強弱は語れんだろ
970 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 12:54:48 ID:f/MlGTj5
>>969 いらぬおせっかいと言うかもしれないけど3000ね
固定観念を覆すのはかくも難しい
971 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 13:28:47 ID:rKtx9wjD
大谷吉継勢は本当は何人くらいいたの?
1000や1500では小早川を防げない。
972 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 13:42:11 ID:f/MlGTj5
>>971 全体では大谷吉継600人、大谷吉勝2,500人、木下頼継1,000人、平塚為広・戸田重政500人以上
ただし、小早川を一時的に抑え込んだのは吉継直属の兵
これは藤下・山中といった隘路にいたので、小早川は兵数の優位を活かせなかったためと思われる
973 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 14:42:53 ID:SBFPLFG9
小早川勢も1万5千でなく8千ということなら十分可能ということかな
974 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 19:17:01 ID:N1If5PSX
>>968 実際、徳川軍のへたれぶりが目につくな
関ヶ原は、、
秀忠軍は少数の真田に完敗して逃げる有り様
関ヶ原本戦では井伊が少し活躍したくらいでほとんど存在感なし
福島や黒田などの朝鮮経験の大名は活躍したがな
考えてみれば関東征伐以降実戦の経験なしの徳川軍ではこんなものか
大阪の陣も数にモノを言わせたが徳川軍自体は勇猛果敢だったなんて聞かないしな
ましてや家康がもう少しで殺されてしまう場面もあったなんて呆れてものが言えない
975 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 19:51:04 ID:f/MlGTj5
>>974 井伊と忠吉は中央で宇喜多・島津と戦い
本多は火消し役として、400で首90という異常な戦果
最後まで本隊を動かさずに勝利することがへたれか…
世の中には色々な人がいるもんだ
976 :
人間七七四年:2010/09/26(日) 20:02:06 ID:7gZc75MW
>>974 なぁ、荒らしじゃないならいい加減コテハンつけてくれないか?
977 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 06:13:49 ID:gda+ubdv
>>975 いずれにしても徳川勢の存在感は今ひとつ
外様にあれだけの領土を与えて譜代にはわずかな加増
大阪攻めにこだわったのもそういう不安があったからだろう
978 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 06:23:38 ID:gda+ubdv
基本的に関ヶ原は
石田宇喜多大谷小西とにかく成り行きで参加させられたその他もろもろ連合VS福島黒田藤堂細川とにかく石田嫌い連中と成り行きで参加したその他もろもろ連合
という戦い
東軍の中には徳川が勝ったというより自分たちがあくまでも石田らに勝ったという認識があっただろう、あくまでも一部の大名だが、、、
それが一気に豊臣は単なる大名に格下げされ徳川の天下になったので話が違うって後悔しただろう
関ヶ原後、未曽有の築城ブームに湧いたのは再び豊臣対徳川の戦争が起こると想定したからにほかならない
979 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 09:10:40 ID:n5fvpAf6
>>977 基本的に本陣まで戦闘加入しなければならないなら、それは勝っても
かなりの辛勝ということ
980 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 11:51:41 ID:Fp+R2RHU
>>977 譜代外様含めて最大の加増は家康の息子の結城秀康なんだが
後大坂の陣はむしろ豊臣秀頼からの挑発によるもの。少なくとも家康が望んだものではない。
981 :
月孔雀:2010/09/27(月) 16:50:48 ID:A5LlwrQd
なんで、大阪の陣が、秀頼の挑発??意味不明。
982 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:09:18 ID:+J+LgG29
>>981 むしろ何で秀頼の挑発じゃないと思うの?
983 :
月孔雀:2010/09/27(月) 17:18:48 ID:A5LlwrQd
豊臣家にとって、家康存命中にいくさになっらら困るでしょ。それだけ
984 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:19:28 ID:r3H3tEmL
どんな挑発したんだよ?
985 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:20:32 ID:9Ii5IwHI
家康が天下人の後継者をそのまま放っておくはずがない
986 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:24:31 ID:Fp+R2RHU
その豊臣家自体が淀殿派と秀頼派に分列していたんだが。
そして大阪の陣を主導したのは終始秀頼派。
方広寺鐘銘事件は当時の感覚からして超弩級の無礼だし、
その事件処理の真っ最中にも武家官位申請の幕府による一本化の宣言を無視して
自分の家臣を、幕府に何の断りもなく無断で任官させている。
徳川幕府体制からの離脱を明確に宣言したに等しく、仮に秀頼やその周辺が
これで戦にならないと考えていたのなら、ちょっと救いようのないアホだったと見るしか無い。
987 :
月孔雀:2010/09/27(月) 17:42:14 ID:A5LlwrQd
「国家安康」は、当時の人でも言い掛かりだと思ったんじゃないかな
988 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:47:20 ID:r3H3tEmL
何で家臣にお伺いをたてんといかんのか?
989 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:49:01 ID:Fp+R2RHU
国家安康は「家康」の諱を分割している超弩級の無礼。
しかも無断使用。
家康の諱を意図的に使ったということは、あの文章を書いた文英清韓が証言している。
司馬遼太郎はあの文章を全員一致で家康を冒涜したもの、と判定した五山の僧を
「権力におもねった曲学阿世」とかアホな批判をしているが、全員一致になるほど誰が見ても家康を見下している、
もしくは挑発している文章だとわかるものだったってことだ。
990 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 17:50:34 ID:Fp+R2RHU
>>988 関係が安定してるなら許可云々以前に一言断りがあって当然だろ?
それもないのは徳川幕府というものをガン無視すると言っているってことだ。
全国を統制している政府である徳川幕府が、そんなことを許せるとでも?
991 :
月孔雀:2010/09/27(月) 18:34:34 ID:A5LlwrQd
ということは、秀頼は自分を過信し、家康に戦いを挑んだ、という
ことになり・・・
そういうこと?
992 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 18:40:47 ID:+J+LgG29
思いっきり過信してたでしょ。書状一本で前田や島津や毛利が駆けつけると思ってた位に>秀頼
993 :
月孔雀:2010/09/27(月) 18:47:36 ID:A5LlwrQd
前田利長は、8千の兵を連れて富山から駆けつけるつもりだった
という文献があった。1614年に亡くなったけど。
994 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 19:22:57 ID:xvvvlr3b
石田三成て今の時代で言うと誰かな?
995 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 20:24:09 ID:2ig1rUCE
菅首相>前原外相>越えられない壁>岡田元外相
996 :
人間七七四年:2010/09/28(火) 02:40:48 ID:/qVe8i/9
>>993 文献の名前は?
まさか軍記の類じゃないよね
方広寺事件の頃、本当に徳川方の言い分が難癖レベルだったなら、
そして豊臣が政権者として各大名家に認識されていたなら、
どっかの大名家から徳川に対して非難があるべきだった
しかし実際は誰も徳川を非難せず、逆に豊臣は孤立した
997 :
月孔雀:2010/09/28(火) 20:07:46 ID:ZJTb/bXe
三成スレなのに、すみません。
>>985の言ってる事が正しいと思う。
家康は、生きているうちに豊臣を潰したかっただけでしょ。
家康死後、豊臣家が存続していれば、
徳川の天下は長く続いていなかったんじゃないか?
998 :
人間七七四年:2010/09/28(火) 20:22:50 ID:TnaL/ANz
というか実際は豊臣の扱いにこまるとしか
形式的には関ヶ原は家康は豊臣家の大老として謀叛の詰問状を喧嘩腰で返してきた上杉を討ちに行っただけだし
将軍になったから豊臣家の家臣じゃなくなるわけじゃないし
そんな変な存在残したら家康や秀忠が死んだ後何かあるかもしれないから芽を取りたかったんだろう
でも本気かどうかは別 喧嘩腰は豊臣方だし
999 :
人間七七四年:2010/09/28(火) 20:56:13 ID:tHWj7Ex9
朝鮮義民が999をゲットしたッ!
1000
1001 :
1001:
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