【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その八

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1人間七七四年
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。

東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。

前スレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その七
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253167986/

それ以前のスレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その六
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245836764/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その五
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211268328/
【東照】 徳川家康スレッド 其の三【大権現】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/
【勝ち組に人気】 徳川家康 公について語る
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178897839/
【東照】 徳川家康 【大権現】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158481651/
2人間七七四年:2009/12/21(月) 18:02:41 ID:3xx/uKyB
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
3奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/21(月) 19:04:04 ID:zvcyfnp3
いちおつ。
4人間七七四年:2009/12/21(月) 19:27:03 ID:dpX2nnYD
>>1

コンビニで売ってる日本刀の本に家康の刀が拵え付きで載ってたんだが
とにかく実戦重視だってのがよくわかる刀だった  太い、とにかく太い
5人間七七四年:2009/12/21(月) 20:19:20 ID:y2us3jOM
>>1

>>4
それは斬るより殴るって感じに使うから?<太い
6人間七七四年:2009/12/21(月) 20:23:27 ID:dpX2nnYD
>>5
いや、多分折れないように強固にするため
実際にかなり斬れるらしいし
7人間七七四年:2009/12/21(月) 21:15:04 ID:7fCe5MMh
昼間に暇人の30レスがあったけどID2つ消したらすぐに1000に到達した・・・なんなんだよ

>>5
殴るタイプというと西洋の剣って感じになるね
あれは日本刀みたいな切れ味勝負じゃなくて、とにかく力で切断て感じだったようで
8人間七七四年:2009/12/21(月) 21:54:32 ID:01/ReQWr


★警察がパチンコ社会を作りだしている★

★パチンコを朝鮮玉入れと呼ぶのは間違っている・・・警察&朝鮮玉入れが正解★

2009年11月27日 元厚生次官ら連続殺傷の小泉被告パチプロだった
2009年12月8日 27歳女性を殺害・遺棄の被告に懲役20年判決
 「パチスロなどの遊興費に充てるために被害者から借金を重ね」
2009年12月9日 「パチンコ代欲しかった」 青森強殺で再逮捕の女供述
2009/12/10 強盗続け12年、被害9800万円=パチスロに3000万−福岡県警など
2009年12月7日 大阪市生野区、強制わいせつと強盗を再逮捕「パチンコや風俗店へ行くため」
2009/12/08  自殺失敗、寒くて119番 着服を告白し容疑で逮捕 「着服した金はパチンコに使う」
2009年12月5日 久留米のコンビニ強盗:被告に懲役6年を求刑 「パチンコで約230万円の借金」
2009年12月4日 コンビニ強盗:被告に5年6月−−地裁都城判決 /宮崎 「パチンコに使うなど」
2009年12月4日 女性宅に侵入し、通帳などを盗んで放火/千葉「生活費やパチンコ代、風俗店などに使った」

パチンコ店 ATM8000台・・・IIJ社 今後4、5年で全国に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-11-14/2009111401_04_1.html
パチンコホール内ATM(現金自動預払機)問題で、
その管理・運営業務を大手警備会社「綜合警備保障」(ALSOK、東京・港区)が受注した。
ALSOK・・・創業者の村井順氏は元九州管区警察局長、前社長の漆間英治氏は
元中部管区警察局長と、警察高級官僚の天下り先となっています。
http://news.livedoor.com/article/detail/4461070/
公安警察がパチンコを作りだしている
http://www.cyzo.com/2008/10/post_1040.html

(マルハン)パチンコ代欲しさの犯罪(神田うの)
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/pachi/1244185075/
ttp://megalodon.jp/2009-1127-2308-08/namidame.2ch.net/test/read.cgi/pachi/1244185075/

9仙台藩百姓:2009/12/21(月) 22:11:30 ID:Ju1ZNp4q
生涯二度も馬印踏み倒され本陣捨てて逃げ惑い
家中の城が攻められても余裕で見殺し
功臣も都合が悪くなれば存在すら抹消し妻子ですら惨殺
一向衆を騙し約定を違え、北条を騙し約定を違え、豊臣を騙し約定を違え
今川氏真、武田勝頼、北条氏政など強敵相手に信長の金魚の糞で生き残り
幼少に受けた恨みを30年近くも忘れず相手を殺す執念深さで天下を取った家康公は我々現代人に多くの事を教えてくれる
家康公万歳!!ヽ( ^ω^)ノ
10人間七七四年:2009/12/21(月) 22:23:06 ID:OoclvCUb
権力闘争なんだからそれくらいはデフォでしょう
仙台白味噌だって母親殺してない? 弟は?
しかも天下うんぬんじゃなくて東北の田舎の権力争いで…
11人間七七四年:2009/12/21(月) 22:29:06 ID:9IaCVHNI
>>9
それに相反することも数多くこなしていますがね
12人間七七四年:2009/12/22(火) 00:23:09 ID:4KkMf9a/
弟殺したのは言い逃れできないよなあ
13人間七七四年:2009/12/22(火) 01:54:30 ID:9d5fwdbO
そもそも料理好きのマザコンじゃん( ´,_ゝ`)



>功臣も都合が悪くなれば存在すら抹消し妻子ですら惨殺
これ誰の話?
14人間七七四年:2009/12/22(火) 02:50:25 ID:7+m6L3aV
長安じゃね
15人間七七四年:2009/12/22(火) 04:38:32 ID:C0kWREI5
信雄から見れば、信長が死んだ途端に同盟を無視して
織田領の甲信に攻め込んだ裏切り者だよね。
16人間七七四年:2009/12/22(火) 06:49:56 ID:QvulJOI+
本能事の後、甲信放棄されてるじゃんw
むしろ信雄が秀吉に下るまで同盟守ってくれたありがたい存在だろうに
17人間七七四年:2009/12/22(火) 07:36:04 ID:RQ1IFB+1
>>14
あれは死後収賄が発覚しの流れ
18人間七七四年:2009/12/22(火) 08:59:42 ID:Y8Lss/rj
大久保と本多の政争ともとれる
19人間七七四年:2009/12/22(火) 12:03:40 ID:8HFX9fJp
>>15-16
あれ昔から不思議に思っていたんだよね
信雄はともかく三法師を擁している秀吉から何の苦情も出なかったのかな?
イチャモンつけようと思えば格好の口実になると思うんだけど
20人間七七四年:2009/12/22(火) 12:47:51 ID:QvulJOI+
自分らから手放したものをクレクレって恥かくだけだろ
21仙台藩百姓:2009/12/22(火) 16:35:22 ID:0bM/h6Eg
信長と信忠亡き後、残った織田一族に決定権などないもの( ^ω^)
清洲会議などは重臣達のあからさまな権力闘争で
みんなで主家の領地を分け合ってしまったのだお( ^ω^)
だから徳川に返還要求すると言う事は自分達も返還しなくてはならなくなってしまうのだお
単に相手にしている暇がなかったというのも大きいだおうけど( ^ω^)
22人間七七四年:2009/12/22(火) 18:48:51 ID:3beuItFX
徳川と伊達と両方にネガキャンか。死ねば良いのに。
23人間七七四年:2009/12/22(火) 18:55:40 ID:paIgCLkE
時期が時期だからどの程度本心かわからないけど、
秀吉と激突前の勝家は家康の甲信略取について評価してるという書状残してたな
北条や上杉に取られるよりも徳川が抑えてくれて良かったという感覚なんじゃね
秀吉やら勝家やら信雄のように中央で覇権を争ってる連中には優先順位低いし
24人間七七四年:2009/12/22(火) 19:06:10 ID:71FO4rRG
秀吉に本気で徳川家を潰す気があれば信州、甲斐をとったのは不都合と責めることも出来たでしょ
秀吉は講和を望んだけど
25仙台藩百姓:2009/12/22(火) 21:06:45 ID:0bM/h6Eg
当時は織田家中が柴田派と羽柴派で割れていたのだから徳川を非難したところでお互い攻める余裕などないお( ^ω^)
>>23の言うように織田に対して敵対心を抱いている上杉や北条が進出すれば
柴田にとっても羽柴にとっても厄介な事だお( ^ω^)
だったら友好的な徳川を緩衝地として置いた方が得策だお
こうして見ると徳川は本当の意味で悪質な火事場泥棒だお( ^ω^)
26人間七七四年:2009/12/22(火) 21:36:18 ID:B+ky56JS
武田の矢面に立ってたのは誰?
柴田や秀吉が武田を防いでくれたんか?
27人間七七四年:2009/12/22(火) 22:13:02 ID:C86Mdel7
あの頃の領土確保って思ってる以上に当主個人の存在は重くて
名目当主信忠だけじゃなくて事実上当主信長が死んだとなったら
各地一斉に重石が取れて元の独立大名とか豪族に戻っちゃうよ
次期織田家当主がやってくるまでおとなしく待ってるわけがない
だいいち秀信に決まるまでもモタモタしてたし
簡単に言えば全織田領はリセットされたも同然
ゲームだったら単に次の当主を指定すればいいだけかもしれんけど
そんな空白地帯を、新領主として家康が進攻して平定したのはなんの問題も無い
そもそもあの旧武田領ってまだガッチリと織田傘下になってたようでもないようだけど
これから、というときに本能寺
だから意外なほどあっさりと徳川領になったらまた従ったような印象があるよ
28人間七七四年:2009/12/22(火) 22:18:22 ID:EBEIT2Kp
>>27
実際には上杉・北条と三つ巴で争った結果で、そうすんなり決まったものでもないけどね。
真田の蠢動も、ある意味では本能寺後のゴタゴタがそのまま秀吉による北条征伐まで続いたものだし。
29人間七七四年:2009/12/22(火) 22:53:18 ID:Zl+Fwbjc
とにかく見下げ果てた汚らしいデブ
30仙台藩百姓:2009/12/22(火) 23:15:14 ID:0bM/h6Eg
>>26
防ぐどころか攻めまくってたお( ^ω^)
それにひきかえ家康は防戦一方で、それすら単独では敵わず織田に泣き付く有様
信長の直臣だったら佐久間や林と同じ末路だったお( ^ω^)
その癖、人の弱みに付け込んで盗っ人働きだけは一人前とは呆れたものだお( ^ω^)
31人間七七四年:2009/12/23(水) 00:14:39 ID:TzJwRZ+i
お前、信玄の二万五千に一万八千で鶴翼の陣だぜ?
萌えだろう? さすが赤味噌って三河人は思ったのさ

信長なんて信玄に貢物作戦なんだもの、助けにも来ないし
32人間七七四年:2009/12/23(水) 00:14:51 ID:35TcZPFZ
百姓は毎日なにかを批判していて精神病まないのか?
島津家や上杉家のスレでも揚げ足ばかりとってスレの人間に嫌な思いさせてるの見たよ。
まぁ、病的だからこそできる行為というべきか
自分がうまくいかない苛立ちを徳川家であったり島津家にぶつけてストレス発散してんだろ?
マジで不愉快
33人間七七四年:2009/12/23(水) 00:23:18 ID:TzJwRZ+i
おいおい、楽しめよ、アンチがいるから議論になるお!
みんなマンセーだと話が進まないぞ
ミックス味噌なんて嫌だ
34人間七七四年:2009/12/23(水) 00:32:43 ID:bg8nYgtQ
アンチの嫉妬まんまんできもちいいです。(^q^)
35人間七七四年:2009/12/23(水) 00:45:42 ID:+8vTAjYa
>>33
何か2ちゃんってこうやって勘違いしてる人多いんだよな。百姓もそのつもり
でわざわざ煽るんだろうけど。
36人間七七四年:2009/12/23(水) 00:54:57 ID:TzJwRZ+i
勘違いなのか?
おれ三河人だけど、まんま家康マンセーなんて恥ずかしいぞ
むしろアンチに反論してるんで恥ずかしげもなくマンセーできるんだけど?
37人間七七四年:2009/12/23(水) 01:16:24 ID:+8vTAjYa
アンチかマンセーの二者択一ですかそうですか…。
どうやってスレ楽しむかは個人の自由なのでかまわないけどね。
38人間七七四年:2009/12/23(水) 01:30:07 ID:FGLQrt+7
つーか、家康を人生の手本にとかいう奴いるけど、
裏切りに次ぐ裏切りの連続でのし上がるのは戦国時代だから
許されるけど、現代でこんなに年中信義に反して裏切りや
コバンザメばっかりしてたら政治家でさえ人生うまくいかない。
で、家康が裏切りをしない場合、残るのは、ストレス抱えながら
上や強いものへの服従を続けることと、ケチに徹することと、
裏表や本音や建前が激しいことと、実は無類の女好きだってこと
くらいだから、それは要するに、
昭和のチンケなサラリーマンの平凡な
生き方を肯定するだけにしかならない。
なんか、欧州の奴が偏見に満ち溢れた目で典型的日本人を描いたような
人間像じゃないか(笑)
39人間七七四年:2009/12/23(水) 01:34:34 ID:r2dxBIRu
時々というか頻繁に、何を読んだらそんな見方になるのか理解に苦しむレスがあるなw
40人間七七四年:2009/12/23(水) 01:38:07 ID:FGLQrt+7
だって1〜2がすでにそういう路線じゃん。
マゾ的な忍従の連続をよしとするような。

だけどさ、家康は裏切りや残飯処理を前提に、強者に服従してるんだから
その前提が成り立たない場合、ただの奴隷の道徳にしかならないんだよ。
41人間七七四年:2009/12/23(水) 01:38:42 ID:t3KpnCA5
>>35
まあ百姓って荒らしだしな。
正直伊達関連のスレが荒れるのって、あっちこっちで百姓が煽りまくって
いるのもあるからな。だから変な気違いみたいなのが増える。
42人間七七四年:2009/12/23(水) 01:38:56 ID:Q5HMHSy9
>>38
お前かなりキモいなwww
43人間七七四年:2009/12/23(水) 01:42:04 ID:Q5HMHSy9
>>40
>1〜2ってそういう路線じゃん


つか1〜2って何の話してんの?マンガとかゲーム?板違いじゃねぇの。
44人間七七四年:2009/12/23(水) 01:44:26 ID:TzJwRZ+i
欧州コンプレックスか、白味噌コンプレックスに近いな
45人間七七四年:2009/12/23(水) 01:46:55 ID:FGLQrt+7
あと「着実に歩を固める」とかさ、昭和の親父が大好きじゃん。
ストレスやサビ残に耐えに耐えて、千葉のド田舎にちっぽけな家買うような
人生を「重き荷をせおって遠き道をいくように、苦難に耐え着実に歩を
固めて天下をとった家康」とかになぞらえて、自己肯定するような
そういう役割をしてるんだろうけどさ、
でも、家康はただ地味なんじゃなく、徹底して冷酷でアコギな人間だし、
それが許され、強みになる時代に生まれてるんだから。それ抜きに
人生訓なんかにしたって意味ないって。






46人間七七四年:2009/12/23(水) 01:48:19 ID:FGLQrt+7
>>43
わかってて書いてるんだろうけど、このスレの>1と>2だよ。
47人間七七四年:2009/12/23(水) 01:49:13 ID:Q5HMHSy9
その意味ないっつってる昭和親父とやらもお前のただのイメージというか妄想だな
48人間七七四年:2009/12/23(水) 01:52:50 ID:FGLQrt+7
山岡荘八とかをドイツの教養小説みたいな、人生訓や生き方の指針みたいに
読んでたのは、まさに昭和リーマン。
49人間七七四年:2009/12/23(水) 01:55:28 ID:Q5HMHSy9
なるほどこういう手合いを相手にすると脱線して荒れてくんだなww
50人間七七四年:2009/12/23(水) 01:56:48 ID:TzJwRZ+i
その徹底的に冷酷であこぎってのには賛成だな
しかも信長みたいに本質を弁えてじゃなくて
相対的な人間関係に冷酷だね、恐ろしいくらいだ
でも先生が頼朝だからな…
51人間七七四年:2009/12/23(水) 01:58:47 ID:TzJwRZ+i
でも昭和親父って凄いと思うよ
実戦を経験してるからな
52人間七七四年:2009/12/23(水) 10:33:01 ID:i/xUg4GO
昭和を馬鹿にしても、平成は悪くなるばかりなんだけどな
53人間七七四年:2009/12/23(水) 15:21:43 ID:bg8nYgtQ
>>49
ずっと言わせておけばいい
無理やりこじつけたり必死に欠点探したり自演したり
アンチの長文をかいてまでのすさまじいコンプレックスっぷりと嫉妬
今この時を快感にしてたのしまなきゃ


54人間七七四年:2009/12/23(水) 20:14:11 ID:5QyxbP0a
というか家康のような深みのある人格は人によって解釈の仕方もそれぞれ
図らずもおのれの精神構造や精神状態を暴露してしまうのさ
55人間七七四年:2009/12/23(水) 21:22:09 ID:J+TdMr9C
家康はチャンスがきたらなりふり構わず掴み取る力があるが、
自分の場合チャンスが来ても気づかないかつかむ力がないのではないかと思う
クリスマスを一人で迎えそうな今日この頃。
56仙台藩百姓:2009/12/23(水) 22:59:19 ID:aL6T1uZ2
家康にすら劣ると卑下していては成せる事も成せないお( ^ω^)
57人間七七四年:2009/12/24(木) 00:28:16 ID:U12u7Eqa
チャンスなんて生涯に一度あるかないかだろう
ないのかも知れないよ、殆どの人にはないのじゃないかなぁ…
家康にだって棚ぼたがあったのかどうか
あったとしたら桶狭間だろうが
砦への食料の搬入など、うま過ぎるきらいがあるから
織田と内通していた可能性もある
だからこのチャンスだって仕組んだ、つまり努力の賜物かもしれない
58人間七七四年:2009/12/24(木) 00:33:00 ID:YddzIjfx
源頼朝公、足利尊氏公、徳川家康公
日本が誇る侍文化の三英傑
59人間七七四年:2009/12/24(木) 00:40:05 ID:U12u7Eqa
残念ながら家康は源じゃあないよ
足利一族の吉良、今川、その末の得川を名乗ったが
松平は三河の山の中、どこから来たのか未だに知られてないよ
60人間七七四年:2009/12/24(木) 00:42:24 ID:u7WZyGOw
なんで突然源氏かどうかの話してんの?
61人間七七四年:2009/12/24(木) 00:47:56 ID:fAoEpamo
新田一族の得川でしょ
62人間七七四年:2009/12/24(木) 00:48:03 ID:U12u7Eqa
頼朝も尊氏も源氏だからだよ、武家の棟梁
63人間七七四年:2009/12/24(木) 00:52:13 ID:u7WZyGOw
んなことはわかってるよ
59は家康が源氏だなんて言ってないじゃん。
64人間七七四年:2009/12/24(木) 00:53:13 ID:u7WZyGOw
×59は家康が源氏だなんて言ってないじゃん。
○58は家康が源氏だなんて言ってないじゃん。
65人間七七四年:2009/12/24(木) 00:57:17 ID:U12u7Eqa
征夷大将軍、つまり幕府を開けるのは源氏だけだよ
66人間七七四年:2009/12/24(木) 00:57:17 ID:fAoEpamo
足利尊氏は他の二人に較べると一段低いな
67人間七七四年:2009/12/24(木) 01:01:22 ID:i1Gd3xlz
>>65
ダウト
68人間七七四年:2009/12/24(木) 01:05:02 ID:U12u7Eqa
田村麻呂? じゃあなんで秀吉は関白なの?
69人間七七四年:2009/12/24(木) 01:09:21 ID:Wo5w+S9V
その話はここでは関係ないから他でやってくれ
70人間七七四年:2009/12/24(木) 01:16:06 ID:U12u7Eqa
新田って何処なの?
71人間七七四年:2009/12/24(木) 01:30:57 ID:YddzIjfx
>>68
スレ違いの指摘もあるので徳川氏を絡めて説明します。
まずは源氏でなければ征夷大将軍になれないというのは俗説です。
征夷大将軍の任命権はご存知の通り朝廷にあるのですが、
その朝廷が平氏を称していた信長公に征夷大将軍就任を打診していることからも、
源氏でなければ征夷大将軍になれないというのが俗説だというのは明らかです。
そして家康公が源氏を称したのは、当時称していた豊臣氏を離脱して独立した幕府を作るためです。
72人間七七四年:2009/12/24(木) 01:34:20 ID:U12u7Eqa
じゃあ松平家康でいいじゃん、そうすりゃ吉良に遠慮もしないですむし
73人間七七四年:2009/12/24(木) 01:38:18 ID:u7WZyGOw
頼朝以降でも摂家将軍もあったし皇族将軍もあったしね。
実際に源氏以外が征夷大将軍になってるわな。
74人間七七四年:2009/12/24(木) 02:26:16 ID:k5+wwowc
>>72
三河守を名乗るための布石だ
松平じゃ家格が低すぎて守護職に叙任されん      ……らしい
75仙台藩百姓:2009/12/24(木) 09:53:15 ID:2YTEGGZh
うむ、家康は三河支配の正当化の為に徳川姓を称し始めたのだお( ^ω^)
だから三河統一後、朝廷と幕府に働き掛けたのだけれど
足利義昭は「下賎の輩がざけんじゃねえお(#^ω^)ピキピキ」と認めなかった経緯があるお( ^ω^)
義昭にしてみれば足利一門の土地と名前を横領されたわけだからね( ^ω^)
76人間七七四年:2009/12/24(木) 10:05:08 ID:i1Gd3xlz
その時は源姓じゃなく藤原姓だけどね
77人間七七四年:2009/12/24(木) 10:22:40 ID:U12u7Eqa
源氏以外の征夷大将軍って誰よ
78仙台藩百姓:2009/12/24(木) 11:18:06 ID:2YTEGGZh
上に書いてあるじゃんお( ^ω^)
義仲以前の将軍や実朝以降は11代に渡って摂家や宮家だお( ^ω^)
源姓説は完全に嘘だけど東国支配説は征夷大将軍の成り立ちからして事実だと思われるお
そう考えると秀吉による関東移封は失策だお┐ (´ω`) ┌
公卿の支配に例外を持つ将軍の存在は豊臣家にとって危険であるのに
関東の支配を一つの家に集中させてしまったのは浅慮だっただお┐ (´ω`) ┌
79人間七七四年:2009/12/24(木) 12:01:30 ID:y3mHsaiL
秀吉は家康の位置や権力から考えて鎌倉公方的な役割を期待してたのかもね
80人間七七四年:2009/12/24(木) 12:09:47 ID:U12u7Eqa
だからだめなんだな、百姓は…

誠意大将軍って答えが欲しかったなぁ
81人間七七四年:2009/12/24(木) 13:10:04 ID:3IXLVoA2
>>77
藤原頼経
藤原頼嗣
宗尊親王
惟康親王
久明親王
守邦親王
以上、幕府の統領としての征夷大将軍に就いた「源氏以外」の人物

大体、>>65で前提にしているような
幕府を開けるのが征夷大将軍だけという認識が大間違い

アンタは二重に勘違いしている
82仙台藩百姓:2009/12/24(木) 13:48:05 ID:2YTEGGZh
>>79
公方というか東国の奏者、すなわち関東管領的な役目を担わせていたのは間違いないお( ^ω^)
でも秀吉の東国仕置は非常におざなりだお
頼朝以来関東は政治的に重要な土地であった事を理解していなかっとしか思えないお┐ (´ω`) ┌
83人間七七四年:2009/12/24(木) 14:00:38 ID:U12u7Eqa
勘違いって言うけど
じゃあ他に幕府を開いた太政大臣とか右大臣とかはいないぜ?
つまり征夷大将軍以外に幕府は開けないってことじゃまいか?
84仙台藩百姓:2009/12/24(木) 15:57:27 ID:2YTEGGZh
そりゃ本来、太政大臣とかになれば幕府を開く必要なんてないもの( ^ω^)
まずは征夷大将軍と幕府の成り立ちから考える必要があるお( ^ω^)
征夷大将軍はその名の示す通り蝦夷を征する為に置かれたもので
古くは大伴氏や坂上氏がこの職に就いたお
この際に都から遥か離れた土地で、いちいち朝廷に裁可を仰いでいては無駄に手間がかかり差し障りがあるので
征夷大将軍に全権に近い権限を与えてある程度自由に統治や戦略を立てる事を許したお
つまり地方に臨時の小さな政府が作られたのだお
将軍は陣幕の中でこれを行ったから、陣(幕)の中の政治機関(府)
すなわち幕府と呼んだお( ^ω^)
朝廷を中心とする枠組みから見れば幕府はあくまで下位機関でしかなく
太政大臣や右大臣などが幕府を開く意味も必要性もないのだお
だが、これに目を付けたのが源頼朝で、本来は蝦夷限定のただの出先機関であった幕府を拡大解釈したのだお
朝廷の干渉を受けずに統治ができるという性質を利用し
全国に戦陣を敷いて鎌倉に本営を置いているという形にしたのだお
藤原氏や平氏のように自ら朝廷の重職について権勢を振るう手もあったけど
頼朝はこの将軍職で朝廷を出し抜き、朝廷と同様の機関を作り上げたのだお( ^ω^)
で、頼朝は征夷大将軍の前例を用いたけど
他の将軍職にも幕府を開ける可能性は十分にあるお
また、同時に複数の幕府を立てる事も可能なはずだお( ^ω^)
あくまで幕府は頼朝の政治思想から来たシステムであって
必ずしも幕府を開く必要などないのだお
太政大臣や関白になれるようなら下位の将軍職に就く事は容易だし
幕府を「開けない」のではなく「開かない」のだお( ^ω^)
まあ、当時まだ身分の低い武家でありながら朝廷に匹敵する機関を作り上げた頼朝は偉大であるお( ^ω^)
85人間七七四年:2009/12/24(木) 16:14:31 ID:WDLWBTR9
征夷大将軍は源氏の棟梁はあながち間違いじゃないよ
朝廷はなるべく慣例を守ってほしいが、そうもいかない時があるだけ
86人間七七四年:2009/12/24(木) 16:42:04 ID:3IXLVoA2
>>83
全然違う
物事の包括関係の認識が逆、というかアンタの捉え方が間違い
源頼朝が幕府を設立した”後”から征夷大将軍の職を贈られた事実を知らないようだな
頼朝は従三位以上の官位くらいあれば幕府を開くに相応しい名目が立つと考えていた節があるが、
結果として従二位という、予定以上の官位で開幕した
征夷大将軍に任じられたのは、それからおよそ7年後だ

いいかい?
征夷大将軍でないと開幕できないという規則はないし、一時的にも存在したことはない
一定以上の軍事力を抱える実力者が幕府を開くことができる
そこには源氏も平氏もなく、武家という連中を従わせるだけの統率力が必要となる(ヤクザの世界にも似る)
なおかつ、朝廷の外部に統治・行政システムをも機能させた組織を幕府という
幕府を開く頃には当事者の軍閥は強大になっているのは当然なことで、朝廷はそれなりに高い軍人としての肩書きを贈ることになる
それが三度、征夷大将軍だっただけのことであり、実のところは鎮国大将軍でも何でもよかった
征夷大将軍という肩書きと幕府のトップという地位とは別物だが、
幕府トップの襲名披露として征夷大将軍の肩書きを譲るというパフォーマンスが行われた結果、両者を混同する俗説が産まれた

まずアンタに必要なのは、俗説に染まった強引なアドミッド(ああ言えばこう言う反応:無茶苦茶な辻褄合わせ)よりも、
無知を克服することだ
87人間七七四年:2009/12/24(木) 17:55:15 ID:YddzIjfx
征夷大将軍は源氏という氏族単位の棟梁ではなくて武家の棟梁でしょう。
88人間七七四年:2009/12/24(木) 18:00:10 ID:U12u7Eqa
だから事実として征夷大将軍以外に幕府を開いた人物はいたの?
うぃきで調べりゃそんくらいは出ているが
そんなこと言ってもしょうがないじゃん
歴史的事実として征夷大将軍が鎌倉、室町、江戸と続いて幕府
を開いているんだから、そら義仲が征東大将軍だったかもしれんが
幕府を開いたわけじゃないだろう?
ただ、誠意大将軍だけは別だよ
89人間七七四年:2009/12/24(木) 18:04:00 ID:3IXLVoA2
>>88
わからん奴だなあ

いたよ

この答えでOK?
90人間七七四年:2009/12/24(木) 18:08:47 ID:U12u7Eqa
ok だよ、誰よ
91人間七七四年:2009/12/24(木) 18:12:01 ID:3IXLVoA2
源頼朝
92人間七七四年:2009/12/24(木) 18:16:46 ID:U12u7Eqa
まあ、ユーモアのセンスは少しはあるみたいだな
93人間七七四年:2009/12/24(木) 18:23:26 ID:3IXLVoA2
アンタのつまらない釣りにはギャグセンスの欠片も感じないがな

開幕と征夷大将軍就任とは別だと、口を酸っぱくして言っても聴こえないフリかよ

頼朝の開幕…1185年
頼朝の征夷大将軍就任…1192年
どちらが先にあったことなのか理解できるか?
94人間七七四年:2009/12/24(木) 18:26:18 ID:U12u7Eqa
予定どうりな反論で笑っちゃうぞ
95人間七七四年:2009/12/24(木) 18:31:12 ID:3IXLVoA2
なんだ、真性だったのか
真面目に教えてやって損した
96人間七七四年:2009/12/24(木) 18:50:42 ID:U12u7Eqa
頼朝と義経、上皇との関係くらいあんたも知ってるだろう?
そらごたごたするさ、そんでも言う?
結局どちらも線路から外れてないよ
97人間七七四年:2009/12/24(木) 19:03:06 ID:3IXLVoA2
>家康のような深みのある人格は人によって解釈の仕方もそれぞれ

家康に深みなんてねえって。戦国大名ってのは結局、途上国になら
いまでもいる地方の軍閥や武装ゲリラのお頭にすぎない。いかに他人から
略奪をおこなって、私腹を肥やすか、権力を握るか。結論づければ
それだけが行動原理。

家康を聖人君子かのように描く解釈なんて、ほとんどは
幕府の御用学者や儒者の後付けの創作。

家康を貶めるとかそういう話じゃなく、基本的に血なまぐさい、
人間の欲望がむき出しの時代の人物であるっていう前提を忘れて
干物みたいな、聖なるお利口さんとして扱ったら本質を見誤るぜ。
98人間七七四年:2009/12/24(木) 19:05:47 ID:YddzIjfx
これに対する回答として3IXLVoA2の源頼朝というレスはなんら間違っていない。
文章力のなさから言いたいことが伝わらないのか、自分が正しくないとされたことからの悔しさからかは知らないが、
U12u7Eqaのやってることは傍から見ても無茶苦茶なイチャモンだ。

88 :人間七七四年:2009/12/24(木) 18:00:10 ID:U12u7Eqa
「「だから事実として征夷大将軍以外に幕府を開いた人物はいたの?」」
うぃきで調べりゃそんくらいは出ているが
そんなこと言ってもしょうがないじゃん
歴史的事実として征夷大将軍が鎌倉、室町、江戸と続いて幕府
を開いているんだから、そら義仲が征東大将軍だったかもしれんが
幕府を開いたわけじゃないだろう?
ただ、誠意大将軍だけは別だよ

「「だから事実として征夷大将軍以外に幕府を開いた人物はいたの?」」
「「だから事実として征夷大将軍以外に幕府を開いた人物はいたの?」」
「「だから事実として征夷大将軍以外に幕府を開いた人物はいたの?」」
「「だから事実として征夷大将軍以外に幕府を開いた人物はいたの?」」
99人間七七四年:2009/12/24(木) 19:29:29 ID:YddzIjfx
>>97
三河藩が生きていくための戦いだというのと同時に、厭離穢土の理想もあったでしょ。
どの時代でも、その時代に引きずられながらも同時に理想を追った人が名を残すのであって。
時代性を無視して、聖人だのお利口だの言ってもしょうがない。
その言い方をするなら現代のサラリーマンだっていかに私腹を肥やすか、権力を握るかだけの論理で働いているといってもおかしくない。
まぁ、大方のサラリーマンはいかにして失敗せずに自分の給料を確保するかだけども(これも私腹といえば私腹)。
100人間七七四年:2009/12/24(木) 19:41:18 ID:3IXLVoA2
そんなもん一向衆が怖いから使った方便だろうに。どこに理想があるんだ?
101人間七七四年:2009/12/24(木) 19:42:44 ID:2mUtHnga
>>97
干物の聖人君子に人格的深みあるかよ
残虐裏切り行為もいとわず、一方で人情の機微も理解するから深みなんだろうが
102人間七七四年:2009/12/24(木) 19:47:43 ID:3IXLVoA2
人情の機微があったと、幕府の役人や講談師が書いた後付け話以外で
何から立証するわけ?
103人間七七四年:2009/12/24(木) 20:00:40 ID:f5O2U9I4
>>97
収奪したり横暴し放題の権力体=戦国大名(支配階級)という認識は極端すぎ。
104人間七七四年:2009/12/24(木) 20:04:20 ID:0pcwZegN
今より全然法整備がされてない時代に家臣の人情機微を理解しないで
どうやって家中をまとめていくの?
105人間七七四年:2009/12/24(木) 20:07:42 ID:3IXLVoA2
>>103
し放題なんてのは、お前が後付けで付けた表現なんだよ。
たとえば、18〜19世紀の欧州は内政では福祉国家の建設を進めながら、
国外では戦争や搾取し放題で帝国主義バリバリだっただろ。
それが、その時代の当たり前の国家の姿。

戦国時代だって、武装勢力が内戦繰り広げてる時代なんだから、
暴力や収奪があるのは、ただ単に当たり前のこと。
家康だって、戦国時代の人間なのに、江戸幕府イメージが先行して
戦国人として冷静に評価する目が曇ってしまう人がいる。
106人間七七四年:2009/12/24(木) 20:12:53 ID:3IXLVoA2
>>104
そんな背理法じゃなく、正面から、幕府の役人以外が書いた
家康の人情の機微を如実に示す文書の存在をご教示願いたかったんだが。

つーか、ポルポトだってビン・ラディンだって、身内や側近との間で
なら人情噺の一つや二つはいくらでもでてくる。ヒトラーだって
ベルリンオリンピックでコケたリレーランナーを涙を流してねぎらった
っていう逸話があるだろ。そういう逸話にどれだけ意味があるのかね。

107人間七七四年:2009/12/24(木) 20:13:58 ID:U12u7Eqa
俺は地元の人間だけど
一向一揆は家康が仕組んだのではないかと疑ってる
地理的なことが判らないと思うが、近いんだよ
直ぐ目の前に一向衆の寺があり、吉良の東条城がある
厭離穢土なんてスローガンだね
反対勢力一掃の粛清だと思うよ
108人間七七四年:2009/12/24(木) 20:17:29 ID:3IXLVoA2
基本的には家康と江戸幕府っていうのは、マキャベリの書く国家の典型
だと思ってる。初代は血なまぐさく強欲で既存の倫理を踏みにじって権力者
になり、権力を取った子孫は、立派な人格や神聖な血筋を後付けで捏造して
権力に正当性を与える。

そういうリアリズムで見れば家康面白いじゃん、ってそんだけのこと
なんだけどね。俺がいってんのは。本当に刀傷大権現なる神だとでも
思いたい人が、このスレにはいるのかもしれないけど。
109人間七七四年:2009/12/24(木) 20:18:25 ID:0pcwZegN
そんなお涙ちょうだいのパフォーマンスが人情機微かね?
110人間七七四年:2009/12/24(木) 20:23:16 ID:3IXLVoA2
たとえば家康は本当に情にもろい涙もろい奴で、旧知の秀吉の死に際して
本気で泣いたかもしれない。それが芝居だと決めつける必要はない。

でも、彼が個人的に涙もろかったかどうかは別にして、家康が
豊臣家から死後すぐに権力の強奪をはじめたのはこれは争えない事実で、
そこは結果が全てだ。


111人間七七四年:2009/12/24(木) 20:29:44 ID:U12u7Eqa
権力の強奪って、戦国大名なんだからあたりまえだろ
仙台の百姓だって天下を狙ってるんだぞ?
でもそれを理づめで取れるやつっていないだろう?
毛利元就か家康かってくらいじゃないの?
112人間七七四年:2009/12/24(木) 20:35:04 ID:3IXLVoA2
そうだよ、当たり前だよ。
なんていうかさ、江戸の講談から離れようよって俺はいいたい。
たとえば、上杉が過酷な奴隷商人だったことも、
家康は源姓を捏造した賤しい土豪だったことも、
講談や、それの影響受けた小説の類とは全然違う姿だろ。

講談で描かれたような側面ばっかり見ようとするなよ、って
ほんと思う。
113人間七七四年:2009/12/24(木) 20:56:30 ID:0yD2GYBc
毎日コツコツ仕事してたら、天下取れそうな地位に行ったんだよ。
114人間七七四年:2009/12/24(木) 21:02:19 ID:U12u7Eqa
毎日コツコツは秀吉だろう
一応は大名だぞ、幼名だってあらあな
115人間七七四年:2009/12/24(木) 21:40:15 ID:oyCiZsuw
秀吉はコツコツってレベル超えてるだろ
昨日安土にいたと思えば、数日後には中国で命令発給してたりしてるんだから
116人間七七四年:2009/12/24(木) 21:42:44 ID:U12u7Eqa
平社員の息子はコツコツ働かにゃならんが
社長の息子が働くか? 見たことないぞ
117人間七七四年:2009/12/24(木) 21:48:22 ID:3IXLVoA2
タコ社長の息子は汗だくで働くだろw
118人間七七四年:2009/12/24(木) 21:58:18 ID:U12u7Eqa
タコ社長は働くが息子はスポーツカーでナンパだろう
119人間七七四年:2009/12/24(木) 22:05:44 ID:3IXLVoA2
お前相当貧しい生まれだな
なんて貧困なイメージw
120仙台藩百姓:2009/12/24(木) 22:08:24 ID:2YTEGGZh
家康の場合は極めて特殊だお( ^ω^)
家康の成功は努力でも才能でもなく運のみに集約されるからね( ^ω^)
121人間七七四年:2009/12/24(木) 22:20:58 ID:L41FqA4A
キチガイの仙台藩百姓は早く死ね!!!
122奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/24(木) 22:23:27 ID:cvdMh247
うん。最近の百姓は誰かさんとの差がなくて全然面白みも魅力もない。
123人間七七四年:2009/12/24(木) 22:26:18 ID:0pcwZegN
>>122
お前が言うかw
124人間七七四年:2009/12/24(木) 22:28:23 ID:U12u7Eqa
運がいいのは仙台の片目だろう
まわりに強いのがいなくて、運がいいよ
125奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/24(木) 22:37:36 ID:cvdMh247
>>123
お前が誰かは知らんがこの7年、オレはそういったスタンスで2ちゃんねるに訪れていないんでな。
126仙台藩百姓:2009/12/24(木) 22:44:44 ID:2YTEGGZh
>>124
それはもまえの妄想でしかないお( ^ω^)
127人間七七四年:2009/12/24(木) 22:52:41 ID:U12u7Eqa
信玄が隣にいたら北海道まで逃げなきゃならんだろうに…
128人間七七四年:2009/12/24(木) 23:14:23 ID:Kzzlxs2H
またどうせいつもの人かなって思ってほっとこうかと思ってたけど
今日クリスマスなのに深夜からずっとこのスレにいるじゃねーか!!
かわいそうだから誰かメリークリスマスといってあげなよ
129平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/12/25(金) 00:47:30 ID:KD4o3j0/
明日は家康公の誕生日だぜい。
130人間七七四年:2009/12/25(金) 01:35:32 ID:5U10Wasp

白味噌さん。メリークリスマス
131平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/12/25(金) 01:46:42 ID:KD4o3j0/
「メリークリスマス!ミスターローレンス!」たけ坊より。
132人間七七四年:2009/12/25(金) 13:07:19 ID:8ARn3jur
運だけで天下を獲った家康はまさに神。
大権現とは嫌みな三河家臣の家康への当て付けだった。
133人間七七四年:2009/12/25(金) 13:09:41 ID:lVopaIRP
天皇から戴いた名前に何つうことを…
134人間七七四年:2009/12/26(土) 09:19:27 ID:3Kj2jiLK
そのうち桶狭間でたまたま本陣にたどり着いた信長も石橋山で見逃してもらった頼朝も
運がよかっただけとか言い出すんじゃね。
ところで江戸時代の長期間の平和をすべて家康の功績扱いにするのは
さすがに秀忠や土井利勝や保科正之のファンが怒るよねえ。
135人間七七四年:2009/12/26(土) 10:04:48 ID:VmOOhJwq
誕生日おめ
調べたら毛沢東、小栗旬、菅山かおる、松中信彦と同じ誕生日かよ
136人間七七四年:2009/12/26(土) 10:14:57 ID:wz6zQjsg
でも家康は子供の頃から吾妻鏡を読んで研究してたらしいぞ
鎌倉幕府の北条のやりかたを
137人間七七四年:2009/12/26(土) 14:11:26 ID:4aH81Ara
頼朝や北条氏らの政策は革新的で優れていたからね
武家政権としては平氏の方が早いが
平氏の場合はあくまで自分らが公卿になって朝廷を運営する従来の形でしかないけど
頼朝は朝廷とは別の政府機関を設立したという点で有史以来の大革命であったと言える
幕府体制はその後600余年も続いたわけだし、頼朝は不人気だけど日本を代表する政治家だな
138人間七七四年:2009/12/26(土) 14:23:41 ID:R/RKb14N
でも非常に興味無い
139人間七七四年:2009/12/26(土) 14:33:58 ID:wz6zQjsg
奥州藤原氏を滅ぼす時なんて、冷酷だよね
140人間七七四年:2009/12/26(土) 15:08:48 ID:WU0Sfoge
では清盛みたいなのがいいの?
141人間七七四年:2009/12/26(土) 17:59:52 ID:wz6zQjsg
頼朝って清盛を反面教師にしてるみたいだよね
身内に対して厳しすぎる感じでね
義経にしたって上皇に篭絡されるのを待ってるようだし
梶原の言うことの方を優先したり
まあ、判官贔屓だが…w
142人間七七四年:2009/12/26(土) 18:46:45 ID:4aH81Ara
でも頼朝にとっては長年関係があって嫁の実家でもある北条や
危機を救ってくれた梶原の方が、顔も知らなかっただろう弟よりも「身内」だったと思うよ
143奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/26(土) 19:20:49 ID:byqSJsF4
源氏の身内なんて、本宗に近づくほどドツキ合いがお約束やん。
144人間七七四年:2009/12/26(土) 20:09:53 ID:wz6zQjsg
義経は自分を狙う挑戦者ってわけか…で排除する
とすると、やっぱ秀頼を抹殺した家康も同じか
145人間七七四年:2009/12/26(土) 22:19:23 ID:eSTmut80
そうだった!誕生日オメ!
半額のクリスマスケーキでハピバ!
146人間七七四年:2009/12/26(土) 23:13:09 ID:wJy7YkRo
祝徳川家康公生誕日
147人間七七四年:2009/12/26(土) 23:33:48 ID:4aH81Ara
>>144
頼朝の場合は義経が挑戦者で敗者
秀頼の場合は家康の方が挑戦者で勝者
立場も経緯も全然似ていないかと
148人間七七四年:2009/12/26(土) 23:53:40 ID:wz6zQjsg
でも秀頼って秀吉の子供じゃないのに
誰も言わないのな、そうゆうとこって豊臣って異常だよなぁ…
149人間七七四年:2009/12/27(日) 04:18:10 ID:hojKQhEl
キミの妄想はいいから
150人間七七四年:2009/12/27(日) 04:38:39 ID:ZwZNHnzt

一日遅れですが誕生日オメメ!!!
151人間七七四年:2009/12/27(日) 08:58:41 ID:m3ehtLNO
秀吉死語の家康は、秀吉が織田に対してやったことを
ほとんどそのまま豊臣に対して行ってるように見える
違うところは自分が死んだ後の地固めをしっかりやったところだな
秀吉も秀次処刑なんてやらなければそれなりにスムーズに行ったかもしれないのに

…と思ったが秀頼が成長したらしたで跡目争いで割れそうだから
その時まで家康が生きてれば同じことだったのかな
152人間七七四年:2009/12/27(日) 09:40:22 ID:VSIJ0vao
五奉行、五大老という政治機構は問題あるということだろう
秀吉が死んだ途端に機能しなくなった

>>148
みんな怪しいとは思っただろうが、秀吉自身が自分の子と認知したから口出しできない
153仙台藩百姓:2009/12/27(日) 10:09:05 ID:htwPYb2e
2年半で織田家中をすんなり治めた秀吉と
17年もかけて命からがら豊臣を潰したけど現代に至るまで悪名を残した家康が同じかお( ^ω^)プ
154人間七七四年:2009/12/27(日) 10:48:48 ID:qomWZAaV
すんなり! 七本槍の出番は? ないのか?
155人間七七四年:2009/12/27(日) 12:25:31 ID:0jcDnRbI
>>152
石田ごときがでしゃばらないで
時の流れに身を任せていれば間違いなく豊臣は残ったよ
そのシステムに固執しすぎてあのざまだから
ただその後ろにはもっとKYな淀が控えていたが・・・
156人間七七四年:2009/12/27(日) 15:16:56 ID:qomWZAaV
光成は秀吉軍の参謀総長みたいなものだろう?
指揮を取るのがあたり前じゃないの?
上杉を囮にして家康を惹きつけ西国をまとめて
関が原で家康を囲んだとこまでは文句なしだぞ
157人間七七四年:2009/12/27(日) 16:57:02 ID:qst8VWof
参謀が指揮取るとか無いから
158人間七七四年:2009/12/27(日) 18:01:04 ID:GPcTL2cp
能無しの天下盗りのプロセスは本当に見苦しい限りですな。
石田を小者扱いでこき下ろしても紙一重の戦いになってしまうなんて
何と手際の悪いことか・・・
石田に同じ石高の実力があれば家康などあっさり屠られていたところですな。
いや、戦にならずに家康が尻尾振っていつものように
庇護下に入るんでしょうな。
159人間七七四年:2009/12/27(日) 18:01:08 ID:qomWZAaV
じゃあ関が原じゃ西軍は勝手に陣を敷いたのか?
夏の花火の席取りだなや
160人間七七四年:2009/12/27(日) 18:04:00 ID:qomWZAaV
そら無理だわな、石田光成はサラリーマンだもの
自分で戦して取ったわけじゃないもの
大企業の社長が死んで部長は路頭に迷うのよ
161人間七七四年:2009/12/27(日) 18:07:12 ID:Qx/ILdpA
何か最近石田さんは五奉行筆頭とか言われるけれど筆頭ではないよな…。
162人間七七四年:2009/12/27(日) 18:40:18 ID:0jcDnRbI
>石田に同じ石高の実力があれば
無いよ
もしもの話は見苦しい
163人間七七四年:2009/12/27(日) 19:24:08 ID:m3ehtLNO
>>155
三成と淀があのまま大人しくしとけば豊臣政権での織田家くらいでは残ってただろうな
164人間七七四年:2009/12/27(日) 19:24:56 ID:NYbtfIOt
>>161
最近?
初耳だぜぃ
165仙台藩百姓:2009/12/27(日) 22:24:43 ID:htwPYb2e
家康の文化遺産を語るお( ^ω^)
166人間七七四年:2009/12/27(日) 23:26:02 ID:qomWZAaV
赤味噌だけで十分だろう? 
167人間七七四年:2009/12/28(月) 00:37:43 ID:hVoPRCI/
>>163
三成の知恵が別の方に働いてたらなあ
家康も無駄な戦いはしなかったはず
168人間七七四年:2009/12/28(月) 00:57:12 ID:odWVDxcS
同一人物がずっと書きこんでいるの?
無視しとけばいい?
169平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/12/28(月) 01:11:40 ID:ApDFasyI
アンチはよそ逝け。
170人間七七四年:2009/12/28(月) 02:04:35 ID:mnNtqu2z
でも光成がいなかったら家康も困っただろうなぁ…
清正、福島ラインが先に立ったらやばかったかもな
171人間七七四年:2009/12/28(月) 10:01:23 ID:RUKzwY2K
そうやなY2K問題になってたかもな。
172人間七七四年:2009/12/28(月) 11:55:15 ID:kdHC3kDJ
>>170
三成がいなかったら豊臣家であそこまでの分裂はなかっただろうから
家康はあそこまであからさまに動かなかったかもしれないが
秀吉死後の福島加藤があっさり籠絡されてるところを見る限りでは
もうちょっとスムーズに天下が移行したかもしれない

あの時点で天下を治めうる実力者はもう家康しかいなかったってのが肝だから
徳川の天下を阻むためには、やっぱり秀次の存在が不可欠だったように思うんだよね
中継ぎでも後継者がそれなりの権力を掌握してれば危なげなく行ってたと思う
173人間七七四年:2009/12/28(月) 13:13:28 ID:Tj8YLVih
家康以外に誰も豊臣の天下を簒奪しようなんて思ってないよ。
都合のいい解釈は小説だけにしとけよ。
174人間七七四年:2009/12/28(月) 13:21:35 ID:mnNtqu2z
仙台の片目はやる気満々じゃねえの?
毛利はどうなんだ?
島津だって九州統一はしたかったのじゃ?
175人間七七四年:2009/12/28(月) 13:47:27 ID:kdHC3kDJ
豊臣自体を快く思ってなかったところは多いからな
毛利しかり、伊達しかり、島津しかり、上杉だってそうだろ

冷静に考えて、家康が動かず豊臣家の内紛を放置してたら
また乱世に逆戻りしてただろう
秀吉死後の豊臣家に諸侯を押さえられる力はなかったし、
唐入りで搾り取られて、外様はなおのこと豊臣に尽くす意義を失っていた
秀吉死後家康が動いたから、大名の動きは自分が天下を狙うことよりも
「手堅く家康に取り入って徳川政権でそこそこの位置を狙うか」
「思い切って秀頼が幼いうちに豊臣政権に食い入って重鎮を狙うか」
この二つに移った

豊臣の天下は土台が緩いのはみんなわかってただろ
だから家康が台頭したら子飼い連中ですら掌を返したわけで
それこそ都合のいい解釈は小説だけにしとくべきじゃね?
176人間七七四年:2009/12/28(月) 13:54:13 ID:Tj8YLVih
ごり押しで乱を起こそうなんて誰も敢えてしないって言ってんの。
177人間七七四年:2009/12/28(月) 13:56:02 ID:xPqBHseg
ごり押しで乱って上杉や石田の事?
178人間七七四年:2009/12/28(月) 13:57:07 ID:mnNtqu2z
するよ、戦国大名なんだから、軍事力を持ってるんだから
179人間七七四年:2009/12/28(月) 14:01:15 ID:kdHC3kDJ
>>176
それは仕方ないな
秀吉が先例を作っちゃったもの
「こうやってやれば天下を簒奪できるよ!」って秀吉自身がやったことを
ほぼ忠実に再現してるよ
まぁ、屋台骨の揺らいだ天下を他人にかすめ取られるのは常のことだから仕方ない
古今東西問わずそれが天下の常ってもんだよ
別段家康が特別なことをやったわけではないわな

まぁ、やりなれないことをしたから無理が出たわけでw
もうちょっとスマートなやり方はあったと思うが
あそこで家康が動かなければ確実に東北と九州がヒャッハーはじめてただろうなぁ
180人間七七四年:2009/12/28(月) 14:50:37 ID:mnNtqu2z
家康は仙台の片目を取り込んで上杉に備え
高台院を篭絡して小早川を毛利に当て
島津もはじめは家康側だったつうことは
何らかの手を打っていたんだろうねえ
181人間七七四年:2009/12/28(月) 16:21:47 ID:P6cI+EoP
豊臣がおとなしく従ってたら、確かに徳川時代になったかもしれんが
豊臣方大名もどっさり残って全国ものすごく微妙なバランスになったかもしれんね
そこから家康がどうやって切り崩していくかという流れになっていったかも
戦わずして勝つのが最良なのは家康も分かってたはずだし
182人間七七四年:2009/12/28(月) 16:28:15 ID:XIjL0hQr
>>175
子飼いの連中は、豊臣政権という枠組みの中で、家康派閥についたというだけで、
彼らに豊臣政権を潰そうとか家康が政権を樹立するのを助けようなんて意識はなかったろ。
そんな意識が生まれるのは大坂の役から。
183人間七七四年:2009/12/28(月) 16:33:43 ID:mnNtqu2z
となると、やはり家康にとっては石田光成さまさまだったんだね
予定通りに旗揚げしてくれ、計算どおりに負けてくれた訳だ
お釈迦様の手のひらで踊る猿か…
184人間七七四年:2009/12/28(月) 16:43:31 ID:kdHC3kDJ
>>182
よっぽどのお花畑ならまだしも、いくらなんでもあの状況で家康についておいて、
そのまま家康が大人しく豊臣の下で従ってくれるとか考えないと思うがなぁ
腐っても戦国武将で、秀吉がどんな風に天下を取っていったかをそれこそ間近で見てた奴らなんだし
あの状況で「家康が天下を握るとは思ってませんでした」とか
もし本気で考えてたとしたらとんでもない無能だ
少なくとも関ヶ原の時点ではもう徳川の天下の中で豊臣の家をいかにして残すかを考えてたはず

>>183
どうでもいいけどなんか気になるから突っ込むw

○三成
×光成
185人間七七四年:2009/12/28(月) 16:46:59 ID:mnNtqu2z
ごみん、同級生に光成つうのがいたんだよ w
186人間七七四年:2009/12/28(月) 17:15:06 ID:XIjL0hQr
>>184
鎌倉幕府と北条氏のように、政権の中で執権者となって天下を握る、という道だってないわけじゃない。
少なくとも関が原の時点では、家康が豊臣を潰すかどうか?まではまだ予測もできないわけじゃない。
少なくとも子飼いのものたちは、家康が豊臣政権の執政者となって欲しいとは思っても、家康に豊臣家を
潰して欲しいと願って、豊臣を見限って徳川家に臣従したわけじゃあない。それは関が原以降の話。

念のためにいっておきますが、東軍の武将のすべてがそう考えていたと主張しているのではありませんよ。
中には、明確に家康に豊臣を超えて天下を取らせるべく動いた、近い将来そうなると踏んで味方した者も
いたでしょう。しかし、当然ながら、すべての東軍諸将がそんなことを考えて家康についたわけでもない。

なんでこう、ゼロか百かでしか考えられないのかね。
187人間七七四年:2009/12/28(月) 17:46:37 ID:Tj8YLVih
何をごまかしてるのこの人。
あの時点で西か東かの旗色を鮮明にすることが津々浦々で悩みの種ともなっていたのに、
東が勝てば徳川の天下となるのは当然わかっていること。みんな豊臣を見限って
家運を徳川に賭けたのですよ。
188人間七七四年:2009/12/28(月) 18:08:21 ID:mnNtqu2z
そうだよね、恩賞にあづかってるわけだし
ポチだよね
189仙台藩百姓:2009/12/28(月) 18:39:16 ID:GoTcwCyC
家康ですら関ヶ原時点では天下云々など考えてなかったのに
諸大名が考えるわけないじゃんお( ^ω^)
190人間七七四年:2009/12/28(月) 18:40:20 ID:LnL1OOKg
>>188
ポチとまで言うのはちょっと違って、それこそ処世だろう
豊臣子飼いって一口に言っても、もう城も所領も貰って家臣もいるわけだ
一時の感情で対処を間違うと一族郎党が路頭に迷うんだから風の吹いてる方に従うのが当たり前
それこそ信長死後の織田武将が秀吉に靡いたのと同じだな

まあ、黒田蜂須賀なんかはだいぶ冷遇されてたから、ここらですっぱり鞍替えして
少しでも石高増やしたいって目算もあったかもね
191人間七七四年:2009/12/28(月) 19:14:51 ID:mnNtqu2z
餌を貰ったらポチじゃん
首輪をつけて飼い犬になるさ
そうじゃなきゃ保健所逝きだろう?
192人間七七四年:2009/12/28(月) 20:19:23 ID:P6cI+EoP
家康は結構前から裏であちこちに恩を売ってたからなあ
他の大名家にはこんなことできんだろう
石高が違うし位階も高いよね
その辺がさすがってとこ
193人間七七四年:2009/12/29(火) 23:08:04 ID:IKIJdM53
ある程度価値があるのに、わざわざ切捨てた勢力あったっけ?
そんなの信長でも利用すると思うが。
194 【末吉】 【932円】 :2010/01/01(金) 01:59:30 ID:/Xbxok6Z
今年の運試し。
家康を見習って何かでっかい事やりとげたいものだ。
195 【大吉】 【1320円】 :2010/01/01(金) 03:23:38 ID:1yM3VXJy
おれもおれもー
196人間七七四年:2010/01/01(金) 05:11:04 ID:hdXK5VxA
いま女太閤記?診てるけど、秀吉の末期って最低だな。
半生を人を騙し続けたと言っても良い。
天下とったら本性現して来た感じw
197人間七七四年:2010/01/01(金) 13:22:30 ID:S3OBwF3u
ドラマで語られてもね
198人間七七四年:2010/01/01(金) 14:07:21 ID:mSk1ApXe
荒らすためにスレ違いネタとか

スルーで
199人間七七四年:2010/01/01(金) 17:14:57 ID:xGYnc/lI
永井家子孫見参!
200人間七七四年:2010/01/01(金) 23:47:18 ID:1yM3VXJy
今年は家康の生まれ年か
201平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/01/02(土) 15:38:46 ID:umr9c8rm
558歳。(たぶん)
202平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/01/02(土) 15:39:44 ID:umr9c8rm
間違えた!568歳だった!
203人間七七四年:2010/01/02(土) 18:18:32 ID:6oFi6pJp
井伊直政がまだ若武者だった頃、味噌味の鍋に不満を抱き、たまりはないかとたずねた。
大先輩である大久保忠世はそれを聞くと、直政をこってりと説教した。

この逸話は、当時の味噌は未発達であり、
遠州人である直政の口には合わなかったことを示している(?)
204人間七七四年:2010/01/02(土) 19:21:00 ID:12q84qgh
>>203
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
205人間七七四年:2010/01/02(土) 22:42:32 ID:BrHIV0D2
遠州って白味噌?
206人間七七四年:2010/01/02(土) 23:01:48 ID:trS4qawe
>>203
水炊きの鍋が味気ないから味噌はないか?じゃなかったけ
で、戦場ではそんな贅沢は出来ないぞ!って怒られてた気がする
207人間七七四年:2010/01/03(日) 15:55:51 ID:AF2y+HgD
現代の遠州なら、特に断りを入れておかない限り
普通に味噌と言えば赤味噌のこと
208人間七七四年:2010/01/05(火) 12:52:14 ID:yOM3EPVZ
やっと規制解除きた!

>>199
頼朝から美濃尾張(身の終わり)をもらった人と三島由紀夫の子孫が永井家だっけ?
209人間七七四年:2010/01/06(水) 13:35:40 ID:JLIGFHw+
ちょっと質問します
論功行賞についてです
北条征伐後、その領土はすべて徳川が貰いますけど
日本中の戦国大名が参加したのに
全て家康に与えて他の大名は戦ったのに領土が貰えなくて不満は出なかったんでしょうか?
不思議でなりません
教えてください
210人間七七四年:2010/01/06(水) 14:33:09 ID:gbXO48Ar
>>209
あれは表面石高は加増だったけど、懲罰の意味合いも持ってそうな勢いだからな
他の移封大名と同じように、失敗したら難癖つけて減封だの改易だのを狙ってたけど
予想に反してあの難しい関東をさらっと鎮撫してしまったのが誤算
家康のため込んだ金を使わせて疲弊させるのには成功しているが

秀吉は同じようなことを上杉や伊達にもしてるから、金持ってて反抗しそうな外様は
表面上厚遇してても実際は警戒して、国力が疲弊するように仕向けてるんだが
実質ほとんど豊臣家を守る役には立たなかったのが面白いとこだよな
211人間七七四年:2010/01/06(水) 18:15:24 ID:lG07vxKK
陰謀、術策だけでは長くは持たないということさ
212人間七七四年:2010/01/06(水) 18:48:57 ID:YQ42KInT
>>210
家康は家康で望んでゲットしたという面もあったようだ
去年その説を読んだばっかりなのにその理由がなんだったか忘れた(・∀・)
213人間七七四年:2010/01/07(木) 20:40:57 ID:Z/0GABk8
半蔵という門番が担当した…ことが由来じゃなかったのね
214人間七七四年:2010/01/07(木) 21:38:20 ID:jn/WCIT0
徳川旧領とついでに織田信雄領も空いたじゃん
豊臣子飼武将はこのとき大部分加増されたんじゃ
215人間七七四年:2010/01/07(木) 22:55:55 ID:ibEzq9FI
そのときに掛川に入った山内一豊が
関が原で豊臣を見限って徳川についたという
216人間七七四年:2010/01/07(木) 23:02:19 ID:zi+8coKu
徳川治世の素晴しさを分かっていたからでは?

大幅加増だと思ってたよ。
217人間七七四年:2010/01/07(木) 23:05:23 ID:BSxvQoJd
>>214
ただ、それがなかったらどうなっていたんだろうな、という疑問もある。
信雄旧領の尾張伊勢だけで賄うのか?
218人間七七四年:2010/01/07(木) 23:37:45 ID:m8cuJIAr
>>217
信雄が拒絶するのを
計算ずくでは 
219人間七七四年:2010/01/08(金) 01:11:09 ID:xo7GQGGt
全国単位でも、1カ国単位でも
大幅加増ってよく分からんのだけど
先祖伝来の土地から、一族郎党飛ばされるの?
根拠地だけ残して、その数倍の加増地に代官でも置くの?
220人間七七四年:2010/01/08(金) 03:14:44 ID:gGdEVcCN
>>219
TPO
221人間七七四年:2010/01/08(金) 11:38:38 ID:ufsp+VAs
>>219
旧領安堵で加増なら加増地に代官置くなりするだろうな
旧領召し上げ移封なら一族郎党飛ばされる、家康の関東移封はこっち
さらに豊臣政権はそれまで連れて行ってもよかった百姓は全員置いていくようにと命令している
当然長くそこを治め土地に愛着を持っている大名ほど反発するが
秀吉はそれをそこらじゅうでやり、拒否した大名家は取りつぶすなどして遺恨を残してる

簡単に家臣の配置換えが出来ない不自由もあるが、それを差し引いても
父祖の地という執着と何代にもわたる民衆との繋がりは
武将にも民衆にも「この国を守らねば」という強固な意識に繋がるからねぇ
こういった土地と大名の繋がりを断ち切ることは大名家の力を削ぐことになる

ただまぁ、効果的な仕置きではあるので徳川政権にも受け継がれたが
豊臣時代と違うのは、秀吉一人の気分で移封や取り潰しが決まるのではなくなったところか
とりあえず名目上はお家騒動か領内の治安悪化が目に余った時くらいになったからな
正直、豊臣も冬の陣の後素直に浪人連中を召し放ちして風を読んで大人しくしておけば
家康が生きてる間は潰されるまでいかなかったと思う
家光時代にはどうかわからんが
222人間七七四年:2010/01/08(金) 12:28:46 ID:Y2FzNCf8
夏の陣、冬の陣は一連の作戦だろう
豊臣つぶしは決まっていたのだろう
家康が生きてるうちにこそ潰したかったつうか潰す気だったぞ
それも徹底的にやったのじゃ? 夏の陣の虐殺が証拠だ
223人間七七四年:2010/01/08(金) 14:10:11 ID:YAmCco/V
>>221
逆だよ。配下豪族を在地から切り離すことによって、臣下の力を削ぎ、大名家の権力を強化する。
太閤検地も転封も、基本的には大名権力の強化のため。だからこそ、大名より下と民衆より上の
レベルからは恨まれたが、大名家からは支持された(唐入りの失敗まではね)。
224人間七七四年:2010/01/08(金) 18:58:49 ID:hRBmhL/p
夏の陣が始まってしまった
という時点で豊臣、というより淀殿の頑固さが決定してしまったことで
冬の陣にも行かざるを得なくなったという雰囲気だと思う
夏の陣で懲りて降参するという性質じゃなかったんだろうな
225人間七七四年:2010/01/08(金) 19:14:21 ID:Na1ls1x3
取り潰さないならよほど豊臣側が譲歩しないと全国の大名動員した幕府の面子丸つぶれ
にならんかな。
226平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/01/09(土) 00:06:28 ID:nTsfqT8b
>>224
冬の陣の方が先だぞ。
227人間七七四年:2010/01/09(土) 01:36:49 ID:+o1YqGxv
夏と冬ってよく順番間違えるね
228人間七七四年:2010/01/09(土) 14:44:47 ID:Iqqzkxil
>>223
実際、関東移封に家臣はしぶしぶ、家康はのりのりだったみたいね
229人間七七四年:2010/01/09(土) 19:16:24 ID:iKzCtUB1
本心はどうだったかわからないけど、とりあえず京大阪から遠く離れることを受け入れたというのはさすがとしか言いようがない。
結果的に世界でベスト3ぐらいの都市になってまったし。
東京都は、家康の日、を制定したほうがいいぐらいだな。
230人間七七四年:2010/01/09(土) 19:31:48 ID:lXGnNeCQ
おかげで地元には碌な人材が残ってないわな
苗字だけは本多とか大久保とかあるけれども…
231人間七七四年:2010/01/10(日) 00:54:09 ID:B8sw32no
9:世界@名無史さん:2009/02/16(月) 17:29:14 0
トインビーが挙げたといわれる史上最も優れた三人

劉邦
アウグストゥス
徳川家康

長期に渡っての安定を築いた人達だね。



史上群を抜いて優れた人物三人を挙げるスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1234725820/9
232人間七七四年:2010/01/10(日) 01:58:45 ID:13OgQsr8
>配下豪族を在地から切り離すことによって、臣下の力を削ぎ、大名家の権力を強化
これが良い緊張関係を持続していたのでは?


>東京都は、家康の日、を制定したほうがいいぐらいだな。
聖夜の翌日、12月26日がうってつけだと思うが
石原じゃあ無理かな?


>おかげで地元には碌な人材が残ってないわな
その割には世界的企業がいくつかあるじゃん。
233ネオムギTEA:2010/01/10(日) 02:25:38 ID:vHbVMwNB
                  .i.i:::I         .i...i:|
                  .i.i:::|    .|    ..i..i::|
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                 ...i..i::/iト」'´iヽ|_ ./ni .i...i::::|
            .,,,--,,,__」-i,i//ii.゙i,,,_と.i_ノ.i.i'~ヽ_|._|,-−、
           ../ `.i |i'''''⊥i::iYiYイ..)i:i::i|.「~~iヽ_,,,,--,`,〉
           ヽO~.i ii.|~/::|~~|i..ノ|ノニ/~T|  i_,-'つ.,/
            `i、百ノ''/::ノ/ニ/=/__/ ..|.|百‐'''´ ノ:|
             >t,,,,/__/ ̄i' ̄i___i_,,,-|::i.e_,,,-,='、/
              i'.../ヾ,,| ̄i' ̄|_,,,,,,二|...i`'''i<'ヾ,<ヽ、
            ..t=i',,,,>v'ヽTTT~ヽ,/-,,,,ノ''' i'...〉,,ヽY''t:i_
           ..,/'.,ア~y'´>-入.i_i,_,ノ.,___/」-y...i .λ...ンi...|...i
           /.,/' /_//..|...,ノ /iンイ..ノ `,.`i'' ..i, . ij. i
          ...i...i .,//イi .iノi /i.|~|_ノi  .i i ..ヽt'''´゙゙i...゙ヽ
          〈_/ /,イ..i〈..;∧ト=|.i.| ...i.|i  ゙i...」  |.|i,--i、...゙>
        .__/_/~/ミ<レ'...゙.i ゙|~.|.i..| ...゙i゙i_,,-'''イ ... |i´_,,,‐,ヽ'|
       ,////>/i゙ク、  ..〈 .i |ノ.| ...ノノ ..゙iノ   .|''iiク~トi
      ,,</,.゙ヽノ_i,iノ/   ..|ヽヽニレ|,ノ'ノ'゙i_ ..〉   .|//ト-ミi
     ../,.ク /~~ .~    i' .゙,| .|.レ'ヽ、..| 'i    ト,=ノノ
     ノク ./      ..___ト..、  トi  .゙i   |i   ..|彡'
                    呼んだ?
234人間七七四年:2010/01/10(日) 06:42:18 ID:nmuzSQuS
>>231
海外からの視点だと日本人の中ではダントツに評価が高いんだよな
235人間七七四年:2010/01/10(日) 09:58:49 ID:hG8fkObw
>トインビー
ツインビーかと思った
236人間七七四年:2010/01/10(日) 11:24:50 ID:ziAcvH8Q
>>232
なるほど、朝廷の臣下、という意味合いもあるし、冬休みは長くなりそだし、いいな26日。
237平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/01/10(日) 13:58:06 ID:CKQIXgTC
>>232
石原都知事は「徳川記念財団」の会報1号に寄稿文を寄せてくれた間柄。
意外と脈あるかも。
238人間七七四年:2010/01/11(月) 20:37:17 ID:LxeHeXeP
つか江戸に居城を置くよう助言したのは蓮葉秀吉公。
蓮葉公にこそ先見の明があったというべきだろうな。
田舎大名の家康公には戦国脳というか、小田原しか
頭になかったわけだから。



239平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/01/11(月) 22:41:46 ID:hEzkwhlm
>>238
そうかな〜?
240人間七七四年:2010/01/11(月) 23:34:38 ID:suLLfcTp
小田原城行った事あるけど、平地じゃね?
241人間七七四年:2010/01/12(火) 00:17:40 ID:4Ao0BqIe
>聖夜の翌日、12月26日がうってつけだと思うが
江戸入りの8月1日のがいいんじゃないか?
242人間七七四年:2010/01/12(火) 09:32:28 ID:ET/DMXmy
覚えやすくていいね<8月1日
243人間七七四年:2010/01/12(火) 11:07:47 ID:XJEj9asQ
>>238
ソースくれ
244人間七七四年:2010/01/12(火) 14:08:05 ID:9ZI18rIl
小田原にしたら逆心の疑いをもたれちゃうのじゃまいか
秀吉が言ったとしたのなら、攻める気があったとしか…
245人間七七四年:2010/01/12(火) 15:27:54 ID:d6SnNuIP
>>238
秀吉が家康に江戸を進めたと言う話は落穂集などにあるが、別に家康がそれに思い至らなかったという事はない
246人間七七四年:2010/01/12(火) 17:34:07 ID:zY8VOENb
普通に考えて家康を警戒しまくってた秀吉が家康の為を思って「関東移封」や
「江戸築城」を勧めたわけがない。
もしそうなら秀吉はとんだ阿呆と言わざるを得ない。

秀吉政権が期待したのはおそらく「時間」だろう。
出来たばかりで不安定な政権を安定化させるための時間を移封と都市建設という
おそろしく時間のかかる作業をさせることによって稼ごうとした。

「兵農分離を完成させ大名権力を強化」も「江戸は都市とするには無限の可能性を持つ」も
このペテンに引っ掛けるための秀吉の方便じゃないかな。
裏に「東海最強の三河兵と切り離す」「掘削や埋め立てという途方も無い作業が要」
という秀吉政権に都合のいいマイナス面があるしね。

あに計らん、この空手形に額面以上の価値をたたき出した家康を秀吉はさらに
警戒したんじゃないか。
247人間七七四年:2010/01/13(水) 09:25:28 ID:Zi5cFN7S
むしろ逆だろう
秀吉は単に家康を警戒して上方から遠ざけたわけではなく、
普通に家康の経営手腕に期待して関東を任せた部分がかなり大きいと思う
私利私欲のことしか頭にないような秀吉でも、そのくらいは日本全体のことを考えていたはず
248人間七七四年:2010/01/13(水) 09:39:21 ID:KYAMixJC
三河物語史観だよな>秀吉が家康を恐れ関東に追いやった
もちろん家康に対して無軽快と言うのはありえないが、その実力と人柄を秀吉が
最大限に評価してたからこそ関東二百五十万石の沙汰だろう
家康も秀吉が死ぬまではその期待に応え、東国の仕置に奔走してる
もし秀吉より先に死んでたら、豊臣政権最大の功臣という扱いだったはず
249人間七七四年:2010/01/13(水) 10:35:55 ID:XX3Eyz2l
それはどうだろう。
日本全体のこと、なんてのはまず考えなかっただろうし、今、東京が繁栄してるのをみての結果論が大きくないかな。

ほんで最近は、秀吉が家康を評価してた、というのをよく聞くけどこれはどこから来てるのだろう。
そりゃタテマエ上は秀吉は家康を励ましたりするし、文献なんかにもそうやって書いてある。
それに評価と言うか、実力者、としてはイヤというほど認めていただろうが、それはライバルとしてであって
決して、「仲間」という発想はなかったんじゃないかな。

だから「評価」というのは微妙な言い方だし、家康をある意味恐れていた、というのは普通じゃないのかな。
親まで人質に出したのだって、そこまでするか〜、なんだけど、そこまでする必要があるほど家康を
畏怖して、抑えておく必要があった、ということだと思うし。

そうしていくと、遠国関東に移した、というのも、危険人物を遠くにやった、ためだろうし、関東開発に失敗したらラッキ、ってとこだったんじゃないかな、やっぱり。

それと、ついこないだ家康とは殺しあって、部下なんかは家康にウラミを持ってるのも多いだろうしね。
246じゃないが、どっちかというと246に同意だな。
250人間七七四年:2010/01/13(水) 10:55:08 ID:Vpvjni+A
秀吉が家康のことをどう見ていたか、というのは
関東の周囲をどう固めたか、でわかる
関東から上洛を目指す道筋には子飼いたちをびっしり配置し
岐阜に子飼いの中でも最も最古参の福島正則を置いた
会津の蒲生は対東北の押さえでもあるが、関東への睨みという面もある
(最終的に上杉を置こうとしたのも同じ)

状況を見れば、秀吉は家康を最も警戒していた
有力者といえば次に毛利・前田だが、毛利も山陽道を宇喜多、
前田も近江・敦賀を石田・大谷らが固めているが
家康ほどの警戒を見せてはいない
家康を関東に移せば、鎌倉・小田原を選ばないことはわかっていただろうから
そうなればどこに本拠を構えてもほとんど一から街も城も作り上げることになる
家康を遠ざけられ、精強な三河兵とも切り離せ、ため込んだ財力も放出させられる
しかも関東は難治で有名なところだから、一揆でも起こって鎮圧に手間取れば
あとからいくらでも領地は削れると思えば、秀吉にとっては一石二鳥も三鳥も狙えただろう

関東をあれほど素早く、手抜かりもなくまとめ上げたのは全く秀吉の最大の誤算だったろう
251人間七七四年:2010/01/13(水) 10:58:39 ID:WwQZnVS5
いや家康を潰そうという魂胆があったら真っ先に半島に送り
消耗させてただろう。

>それと、ついこないだ家康とは殺しあって、部下なんかは家康に
ウラミを持ってるのも多いだろうしね。

そういうのを利用しようというなら
池田輝政と徳川の縁組などを積極的に推し進めた理由は
何だったのだろうか?

秀吉が家康を警戒したり邪険に扱おうとしてたとは
とうてい思えないのだがね


252人間七七四年:2010/01/13(水) 10:59:24 ID:Zi5cFN7S
誰をどこに差配すれば日本をもっとも効果的に統治できるか考えないはずなかろうが
253人間七七四年:2010/01/13(水) 11:05:31 ID:Rmxhg43m
実際問題、家康以外に関東をまとめて統治できる人材はいなかったでしょうから
関東は分割統治をすると、盗賊が好き勝手に暴れ回るし
254人間七七四年:2010/01/13(水) 14:23:50 ID:Vpvjni+A
>>251
半島には送れないだろjk
唐入りで秀吉は勝つつもりでいたんだぞ
あの状況で家康を半島に入れるなら、
官位から見ても立場から見ても現地総大将に据えるしかない
そこで消耗するだけならまだしも、大手柄立てられたらどうする?
確実に恩賞は最大のものにならざるを得ない
あれ以上徳川を大きくすると本気で手が付けられなくなるぞ

また、唐入り後の恩賞問題で下手にもめてしまうと、
秀吉に反感を持つ勢力が家康を持ち上げかねない状況にあった
唐入りを始めた頃にはもう豊臣政権は細部がガタガタになりかけていて
秀吉本人の威光でなんとか保っているような状況だった
石田三成が頻りに秀吉本人の渡海を勧めたのもそのためで、家康と利家が必死で止めたのもそのため
そこに秀吉に匹敵する力を持った人間が出てきたらどうなる?
いくら晩年まだらボケだったとはいえ、秀吉がそこまで思い至らないとは思えない
255人間七七四年:2010/01/13(水) 15:02:18 ID:Ob56+ARH
関東において東国支配を任せるほど信用してたけど
東海道に子飼いを配置する程度には警戒してたんじゃね
(秀吉の次くらいの勢力持ってるんだから当然だけど)
 
家康も豊臣政権内の地位を確保・強化が目的で
天下取り本気で考え出したの秀吉が明らかにおかしくなってからじゃないのかな
 
ぶっちゃけ、両者ともその場その場で最善尽くしてただけじゃね
256人間七七四年:2010/01/13(水) 17:08:10 ID:auDpEoqS
>>255
>ぶっちゃけ、両者ともその場その場で最善尽くしてただけじゃね

同意
歴史に名を残す人って過去、未来よりも今この瞬間に最善を尽くすタイプなんだと思う
257人間七七四年:2010/01/13(水) 18:19:24 ID:ZX3+VlaM
効率求めて瓦解した織田見てるのに
しかもそれを食い合って勝ち残った勝者の秀吉がそんな馬鹿なわけが無い
>>250>>254に同意
かなりの警戒だし
朝鮮は大大名を直接削らず、子飼いを相対的に大きくしようとしたのに失敗しただけ

東国仕置きを任せたのもしかたなく
太陽の子秀吉は大返し以降負け無しだが
唯一小牧で手間取って妥協した
西国は毛利、東国は上杉のはずだったしな
快勝してれば徳川は普通に削られてた
258人間七七四年:2010/01/13(水) 18:44:35 ID:gx8bAr7z
>>251の半島ってなんのことかと思ったら朝鮮か
あの頃の戦いは戦地に近い方から召集だから家康はセーフだっただけでしょう
ただ秀吉にいいとこ見せようとして遠くからやってきた大名もいたということだけどね
だから小田原攻めのときは確か徳川軍が先鋒だったはず、なんせ隣だから
それで実話逸話どっちか分からんけど、家康が
自分は国内の守りを固めるから安心してくれ、と秀吉に言ったとか
当然その真意は、戦力温存
でもそれだって秀吉もバカじゃない、理解できてるはずで
警戒しつつも信頼もしたいと思ってただろうから
通例どおり遠方の徳川はそのままにさせてたんでしょう
あの頃のバランスはけっこう微妙で緊迫もしてたと思う
259人間七七四年:2010/01/13(水) 19:01:45 ID:7xR9VcWC
この頃の秀吉は最早、正気なのか、狂っているのかわからん
260人間七七四年:2010/01/13(水) 19:30:22 ID:KYAMixJC
小田原征伐や奥州仕置で家康は相当頑張ったからね
新領国関東の統治もあるし、出兵に猶予があったのは
別に家康に遠慮したわけじゃなく普通のこと
大陸には渡らなかったものの、それでも肥前名護屋まで
駆り出されてるわけだから、ご苦労様としか

>自分は国内の守りを固めるから安心してくれ、と秀吉に言ったとか
甫庵太閤記の記述だったかな
261人間七七四年:2010/01/13(水) 22:31:08 ID:gx8bAr7z
秀吉の気の遣い方というか、家康への信頼なのかどっちか分からんが、
宝とも言える秀頼に、家康の孫をわざわざもらいうけたというのは考慮するべき
それも家康がよくやる養女にしてからのじゃなくて、直系のマジネタの孫だから
でも結婚自体は秀吉死後か、さすがに家康も破棄はしなかったようで
だからその辺りまではやっぱり豊臣家を潰すことは考えてなかったんだろうなあ
262人間七七四年:2010/01/13(水) 22:57:04 ID:GHMA89f9
天皇の勅使を勝手に受けたり、征夷大将軍に従わない姿勢をみせるから潰された
263人間七七四年:2010/01/14(木) 00:11:24 ID:1zABU6oo
あるTVでやってたけど、秀吉が天下とるまでは
計算婦好きだったって本当? 家康公の間違いでは?
264人間七七四年:2010/01/14(木) 11:32:43 ID:jR+8LHZ3
>>261
なにせ大坂の陣近辺の豊臣はやることなすこと拙すぎるからな
国家安康のネタも、家康の難癖と言われてるが、五山からも
「これは失礼すぎるだろjk」と非難されている
冬の陣の後も、大坂の浪人たちの素行が悪くて治安が悪化したので
浪人たちを召し放つように言われたのに、がんとして譲らなかった
内堀の埋め立ても和議の条件なのに抗議をしてきて、
また内堀を掘り返そうとまでしていた
もはや天下は徳川に決したというのに、国替えも拒否

家康は天下を視野に入れてからほとんど秀吉と同じような手段を取っている
秀吉がこのようなときにどうしたか、を考えればどれだけ軽率だったかわかる
これでは自ら「潰してくれ」と言ってるようなものだな
それを考えると、大坂方は家康を甘く見ていたのか、
それとも「家康のような人がここまで非情なことをするはずがない」と思い込んでいたのか
265人間七七四年:2010/01/14(木) 12:07:57 ID:NTcEg3/h
いわゆる豊臣恩顧の大名が動いてくれると甘い見通しを持ってたんだろうな
266人間七七四年:2010/01/14(木) 16:05:49 ID:En5q8BOq
皆そこまで豊臣大好きでもなかったっけ感じ?
267人間七七四年:2010/01/14(木) 16:08:58 ID:En5q8BOq
あ、変な日本語に…なかったって感じ?でした。
268人間七七四年:2010/01/14(木) 16:18:39 ID:sLDOohQ2
熊本城を二重天主にしたのに清正が死んだのは痛いよねえ
やっぱ毒殺説が流れても不思議じゃないよねえ
269人間七七四年:2010/01/14(木) 16:50:38 ID:/2WEkV8f
いくら豊臣好きでも、徳川の天下は揺るがないのを分かってた大名が多かったんだろう
270人間七七四年:2010/01/14(木) 17:51:38 ID:ZHOvB6PM
わしも250,254に同意だな。
前に見た時、秀吉が家康を敵視警戒してというのなら証拠を出せ、文献では秀吉は家康を評価してる、なんてのが多かったんだが、これこそ井沢の言う「史料うんたら主義」かな、と思ったんだ。
若い人でもちゃんと学校なんかで学んでる人ほどそうかなって。
少なくとも、家康は秀吉のことを「敵意100%」だったろうしな〜。
271人間七七四年:2010/01/14(木) 17:55:19 ID:AAX3N6cx
井沢w
272人間七七四年:2010/01/14(木) 19:26:40 ID:skIQgreC
>>265
関が原が終わってからは「大名」はもうほぼ徳川寄りだよ
あと秀吉関係の大名個人、例えば清正みたいなのが
大坂まではだいたい死んでたのも豊臣にとっては誤算かも

>>270
レスアンカーをちゃんとつけてくれ・・・
>>250,254
273人間七七四年:2010/01/15(金) 04:34:13 ID:LCnE+NyS
>>264
確かに秀吉の秀信や信雄への対応に比べたら、家康の秀頼への対応は甘すぎるよな。
大阪方は増長しすぎだよな。
274人間七七四年:2010/01/15(金) 20:09:13 ID:cNJgWSyN
家康はけっこう緩いところがあるんだよ
だから一応豊臣を生かす手段は考えた

でもそうやって豊臣が残ったとしても
秀忠の代になったら違うやり方で豊臣家は潰されてたかも・・・
こういう点では秀忠の方が厳しかったから
275人間七七四年:2010/01/16(土) 07:46:21 ID:ee8PE5fH
話の流れ切るようで申し訳ないんだが、家康の下の名の康もらった人は結構思い浮かぶけど、
上の名の家の字もらったのって、島津家久、西郷家員位しか思い浮かばないんだが、
他にどのくらいいるの。
276人間七七四年:2010/01/16(土) 11:34:03 ID:dlaMQpIu
内藤家長とか酒井家次もそうじゃないの
家忠、家次、家清、家信、家広、家乗の松平シリーズも多分そう
277人間七七四年:2010/01/16(土) 14:59:35 ID:Qbp8qZjw
上をもらうか、下をもらうか。
もらったのを上につけるか下につけるかは、なんか意味あったんじゃなかったっけ。
時代と共にかわっただろうが。
278人間七七四年:2010/01/16(土) 15:19:05 ID:iEEGXjW8
普通に上の方が格が高かったはず
ただそれだと微妙に不自然なものもある気がするし・・・

でも>>275と逆で康の字の方が少ないものだとばかり思い込んでた
あんまり知らない俺としては榊原康政しか知らなかったんで・・・
279人間七七四年:2010/01/16(土) 17:50:52 ID:Qbp8qZjw
格が違うと、下をもらって上につけたりするんかいな。
280人間七七四年:2010/01/16(土) 17:51:34 ID:FZzCd9Qy
>>275
最上義親→家親
最上家代々の義の字を変える位のお気に入りだったらしい
281人間七七四年:2010/01/18(月) 13:46:17 ID:bhcu5P7G
282人間七七四年:2010/01/18(月) 16:53:17 ID:GBRTeRjx
植村家存も家の偏諱受けてるな。
植村氏は家の字を代々受け継いでいる
283人間七七四年:2010/01/19(火) 16:58:19 ID:9FUCzE2D
家康が海道一の弓取りというのは
後世の捏造だろ?
姉川は信長の手柄だし
小牧も引き分けか秀吉の勝ちだし
284人間七七四年:2010/01/19(火) 17:10:55 ID:EsJ9OgMd
そうだね、家康にものすごい気を使ってるけど秀吉の勝利だね
285人間七七四年:2010/01/19(火) 18:01:21 ID:qjVLrJ2Y
海道一の弓取りって
駿三遠あたりの大領主程度の意味
286人間七七四年:2010/01/19(火) 20:25:42 ID:M7mmiR6N
部下に対しても呼び捨てはせずに殿付けで呼んでたというのを見たことがあるが
現代で言えば〜君にあたるのかな
良い意味で、友という馴れ合いは無くして、身内の上下関係にも気を遣ってたのでは
厳しい処置もするけどそれは生かさず殺さず
287人間七七四年:2010/01/19(火) 22:09:11 ID:m5pkqve0
>>283
そうだね、結局信雄を落として終結させるしかなくて
戦闘しても勝ててないけど秀吉の勝利だよね
288人間七七四年:2010/01/19(火) 23:23:45 ID:3aXtO5nr
>>287
はいその通りです。戦闘の勝利と戦争の勝利は別物ですから。

「長久手で勝ったから小牧の役は徳川の勝利」なんていうのは
「真珠湾で勝ったから太平洋戦争は日本の勝利」レベルの世迷言
289人間七七四年:2010/01/20(水) 08:27:18 ID:dNxDXqou
>>288
いやいやいや
小牧長久手合戦はこの戦によって家康を屈服させるのが目的だったんだから
この合戦については秀吉の負けだろうよ
これで勝てなかったからこそ朝日姫・大政所を差し出さなければならなかったし
さらに後々までの家康への遠慮にもつながるわけだから
290人間七七四年:2010/01/20(水) 08:30:40 ID:Ei1Jqr6n
家康は屈服しただろ
何言ってんだこのアホわ
291人間七七四年:2010/01/20(水) 09:03:44 ID:xBokZim2
んじゃなんで人質出してたの?
292人間七七四年:2010/01/20(水) 09:40:12 ID:dNxDXqou
>>290
いや、だからさ・・・
小牧長久手合戦で家康を屈服させ、その証として上洛させる
ここまでが一連の流れであって、それでもって秀吉の勝利は確定する
でも、「小牧長久手合戦の結果」として家康が上洛することはなかった
なぜならば、合戦自体には全体として勝ち、かつ「講和」しているので
家康方にはこの時点で上洛して秀吉に頭を下げる必要がない
講和したのは秀吉が信雄と講話して、徳川には合戦を続ける理由がなくなったからで
この講和条件も、ここで屈服させたなら人質として迎えるはずの於義丸を
秀吉の養子という名目で迎えざるをえなかった
更に、この後家康を上洛させるためには朝日姫を離縁させてまで正室にやり、
さらに大政所まで送るという譲歩をしなければならなかった
軍事的にも政治的にも、小牧長久手合戦で家康を屈服させることはできていない
293人間七七四年:2010/01/20(水) 09:54:58 ID:WEoUnTTU
「人質」と「実際には人質の意味合いもある」はまったく別の政治行為なんだがな

以前にもどこかで触れたが、秀吉が母と娘を、という人は、家康が息子を差し出したことはスルーするんだよな
294人間七七四年:2010/01/20(水) 10:14:32 ID:dNxDXqou
>>293
あのね、「小牧長久手合戦」での秀吉の目的は家康を上洛させることだった
これは理解できるよな?
つまり、於義丸を「実質的な人質」としたところで、秀吉の目的が達せられたわけではない
あくまで秀吉の目的は、「家康を上洛させる」こと、
家康が屈服したと内外に示すには、家康が上洛して秀吉に頭を下げる以外にない
しかし、小牧長久手合戦での講和条件には「家康上洛」を入れることができなかった
なぜならば、小牧長久手合戦では軍事的に家康に勝てていないから
この時点で秀吉は政治的にも敗北ということになる

朝日姫と大政所の「実質的な人質」を送り込む羽目になるのは、この敗北があったから
小牧長久手合戦で秀吉が勝利できていたならば、この「実質的人質」は必要なかった
要は原因と結果が逆転してると言いたいんだよ
295人間七七四年:2010/01/20(水) 13:53:36 ID:JegZKg1o
秀吉と家康は講和した証に人質交換をした。
これは戦国の極めて普通の行動で、立場は対等。
家康が上洛することが服従の証。

ということを言いたいんだろ。
296人間七七四年:2010/01/20(水) 14:24:04 ID:dNxDXqou
>>295
小牧長久手合戦が秀吉の勝利、とするなら
「小牧長久手合戦の和睦条件」に
「秀吉の勝利条件」が入っていないと成り立たないとこちらは言いたいんだが・・・
小牧長久手合戦の和睦条件に家康上洛は入っていない
そして朝日姫が嫁ぐというのも入っていない
つまり「秀吉は勝利条件を満たせていない」

朝日姫が家康のもとに嫁がされたのは
小牧長久手合戦の結果、秀吉が敗北したので次なる外交戦として打ち出された政策
朝日姫と於義丸が人質交換であるというなら、そのソースを出して欲しい
定説がひっくり返る新発見だぞ
297人間七七四年:2010/01/20(水) 14:29:18 ID:dNxDXqou
重ねて言うけど、家康が上洛したのは、秀吉包囲網が崩壊し、
秀吉からの朝日姫・大政所の人質外交に押し負けたからであって
小牧長久手合戦の結果ではない
小牧長久手は天正12年11月で和睦、家康が根負けして上洛したのは天正14年10月
時系列をきちんと並べて考えないと意味がない
298人間七七四年:2010/01/20(水) 17:02:04 ID:WEoUnTTU
で、家康側の勝利条件は?
299人間七七四年:2010/01/20(水) 20:10:12 ID:RgBC2epy
>>283,4,5,7,8みたいなやっすい煽りに引っかかんなよ…。
300人間七七四年:2010/01/20(水) 23:22:59 ID:8N+cNNat
天才秀吉に比べて地味だな家康は
秀吉が生きてる間は恐れて何もできなかったヘタレ
301人間七七四年:2010/01/21(木) 04:14:49 ID:OFw9QWXN
アンチ家康の低劣な煽りに家康ファンが糞真面目にレスするっていうのが、
数年前から変わらない構図だな。
302人間七七四年:2010/01/21(木) 08:25:24 ID:IqscTHAV
三河武士に交わると三河武士っぽくなるのかw
303人間七七四年:2010/01/21(木) 14:19:52 ID:ngMVInQS
遠州制圧を推し進めている時期、
没落した井伊家のショボい手勢を引き連れて参陣した井伊直虎を
前線には投入せずに本陣で待機させとるな

戦力にもならんけど、井伊家の中核は徳川傘下に入ったとアピールできりゃ良かったんか
女が率いる部隊に期待はしないが、
かつての名門国人が従ったという既成事実工作みたいなもので

将来の当主になるかもしれない直政は、当時は幼すぎて
奴個人の資質を期待したとは思えん
304人間七七四年:2010/01/21(木) 15:58:50 ID:bdDFGhsR
>>297
押し負け、根負けで上洛するなんてあるわけなかろうw
信雄が制圧(対等な講和でない。完全な積み)され、徳川瓦解も
時間の問題で家康に焦りがあり、そこに秀吉が巧みにつけこんで
きたわけだろう。
親族を人質にするというのなら部下に対する面子も立つし
家康にとってまさに渡りに船だった。
秀吉の側にも自軍が無傷で家康を家臣団に迎え入れるというメリットが
あった。
305人間七七四年:2010/01/22(金) 08:20:49 ID:35bL2hWk
>>304
しつこいねぇ
小牧長久手を「秀吉の勝利」としてる研究者がもしいるなら
その論文なり著書なり出してみなよ
>>304がどれだけ涙目で吠えても小牧長久手は家康の勝利
これが資料その他から導き出された結論ね
目の前の箱でぐぐってみな
「秀吉の勝利」とか言ってんの秀吉厨しかいないからwwwwww
306人間七七四年:2010/01/22(金) 08:27:15 ID:35bL2hWk
結論から先に言うと、基本的にこの時代の合戦は
「先に和睦を申し入れた方の敗北」とみなされるのね
なぜなら和睦を申し入れるということは、
戦線を維持することが出来なくなったことを意味するから
実際秀吉は小牧長久手の戦線を維持することは周辺状況的にできなかった
はい終了
307人間七七四年:2010/01/22(金) 08:39:47 ID:o5TjhmX4
小牧長久手では確かに負けたけどその後の状況で圧倒的優位を築いちゃった
九州&四国
それまで家康は手足もでなかったから結局は負けたのね
308人間七七四年:2010/01/22(金) 08:44:09 ID:qdxP/Byq
結局は、とか言い出したら切り無いぞ
309仙台藩百姓:2010/01/22(金) 09:33:01 ID:LwDBHGkM
家康の勝利?何その超理論(≧ω≦)プッ
信雄は領地を割譲し、家康は人質を差し出して和睦したわけだから
どこからどうみても織田徳川連合の敗北だお( ^ω^)
310人間七七四年:2010/01/22(金) 10:15:17 ID:35bL2hWk
>>307
だからつまり小牧長久手は家康の勝ちだろ?
それ以降の政略戦でも家康の勝ちとか言ってる奴はさすがにいないぞ
311人間七七四年:2010/01/22(金) 10:26:13 ID:MidLEhWh
先に和睦を申し入れた方の敗北とか言ってたけど
結局は家康の敗北だということは認めるんだな
312人間七七四年:2010/01/22(金) 10:57:41 ID:35bL2hWk
>>311
小牧長久手の合戦は家康の勝利
その後の家康上洛を巡る政略戦では家康の敗北
何か間違ってるか?
313人間七七四年:2010/01/22(金) 10:58:57 ID:35bL2hWk
ていうか、IDコロコロ変えるのやめてくれないかね
314人間七七四年:2010/01/22(金) 12:46:48 ID:FsCsUJmG
大阪冬の陣も家康の方から和睦を申し入れて来たというから
家康の負けでいいんだよね?
315人間七七四年:2010/01/22(金) 13:05:03 ID:35bL2hWk
それでいいんじゃね?
大坂の冬の陣では幕府方は実質勝ててないしな
316仙台藩百姓:2010/01/22(金) 13:25:38 ID:LwDBHGkM
先に和睦持ち掛けた方が負けとか子供の喧嘩かお(≧ω≦)プッ
戦争というものは一連の戦闘や外交によって有利な条件を掴み取った国が勝ちなのだお( ^ω^)
家康は長久手の戦闘で池田等の部隊に勝利したと言うだけで
豊臣対織田徳川の戦争は豊臣の勝利で終結しているのだお( ^ω^)
317人間七七四年:2010/01/22(金) 13:55:31 ID:MXm3uhPk
岡崎襲撃の別働隊が壊滅してるのに勝利なんて
吉元新喜劇みたいだな…
318人間七七四年:2010/01/22(金) 14:02:22 ID:+IRJogIp
徳川は長久手という1つのbattleには勝ったが
小牧の戦いというwarには完全に負け。
これはその後秀吉が天下統一し、家康が臣従したことからも
明らか。
家康が勝ったとかいう論者はbattleとwarの
すりかえをやっているのだ。
319人間七七四年:2010/01/22(金) 14:09:19 ID:MXm3uhPk
そのバトルに勝ったつうのを認めない輩がいるんでな
秀吉も、そんなに言うなら家康を滅ぼせばよかったじゃん
戦力差があるんだし、野戦でも城攻めでも滅ぼしてしまえよ
家康殺せば人質なんて要らんぞ
320人間七七四年:2010/01/22(金) 14:09:32 ID:paFVlT6I
家康厨の糞味噌テクニックだろう 糞をミソだと誤魔化す
321人間七七四年:2010/01/22(金) 14:21:56 ID:MXm3uhPk
糞味噌つうのは誤魔化す意味じゃないよ
糞と味噌とを一緒にすることだよ
いい物と悪いものの区別がつかないことの謂
battleに負けてもwarに勝ったからbattleに勝ったのも同然だ
つうような誤魔化しをする輩もいるから、いちおうな
322仙台藩百姓:2010/01/22(金) 14:39:57 ID:LwDBHGkM
政治的に見て潰す必要のない相手にわざわざ戦争吹っ掛けるなんてアホでもなければやらないお( ^ω^)
何で秀吉は徳川攻め潰さなかったんだよ何て言うのは
何で家康は外様大名攻め潰さなかったんだよと言っているのと同じだお( ^ω^)
323人間七七四年:2010/01/22(金) 14:57:03 ID:35bL2hWk
どうでもいいからさぁ
IDコロコロ変えるのやめてくれない?
書き込んでる人数が多いと見せかけたいんだろうけど
一人なのバレバレだからさ
324人間七七四年:2010/01/22(金) 15:01:58 ID:35bL2hWk
>>318
そのwarの範囲を広げすぎてるのが問題なんだろ
家康の臣従は小牧長久手の「合戦」の結果ではない
佐々や伊勢との戦いも「小牧長久手の戦い」なのか?違うだろ?
家康の臣従はこれらの秀吉敵対勢力を潰した後のことだぞ
そして敵対勢力を潰すために小牧長久手の戦を手仕舞いせざるを得なかったんだよ

小牧長久手の戦いは家康の勝ち
その後の政略戦では秀吉の勝ち
何が問題なわけ?
325人間七七四年:2010/01/22(金) 15:05:05 ID:35bL2hWk
なんかもう面倒になってきた
小牧長久手の戦いに秀吉が勝ったっていうなら
「小牧長久手の戦いに秀吉が勝ちました」っていう論文を見せてくれ
どこの大学のどの教授が書いた論文の題名だけでいい
ただの妄想に付き合ってるのばかばかしくなってきたわ
326人間七七四年:2010/01/22(金) 15:19:53 ID:MXm3uhPk
政治で臣従させても、現代ならいざ知らず
戦国では意味ないだろう、そのための武力なんだから
家康はそれを知ってるから豊臣を潰したんだよ
明治維新だって武力でやらなかったらどうなっていたことか
秀吉が間違っていたんだよ
327人間七七四年:2010/01/22(金) 15:28:48 ID:MXm3uhPk
政治的に潰す必要のないってことはないだろう
秀吉が上洛せよって言っても上洛しないんだから
攻め滅ぼすのがあたり前だろう、しめしがつかんだろうに
328人間七七四年:2010/01/22(金) 15:31:47 ID:FsCsUJmG
>>326
その理屈ならなんで毛利と島津も攻め滅ぼさんかった?
アホと違うか
329人間七七四年:2010/01/22(金) 15:34:00 ID:MXm3uhPk
毛利も島津も降参したのじゃないのか?
良く知らないが
330人間七七四年:2010/01/22(金) 15:54:41 ID:tLQmbWOT
同じ兵数を率いたら
秀吉と家康のどっちが
勝つの?
331仙台藩百姓:2010/01/22(金) 16:46:40 ID:LwDBHGkM
>>327
だったら徳川は何故島津や佐竹を潰さなかったのだお?( ^ω^)
332仙台藩百姓:2010/01/22(金) 17:49:11 ID:LwDBHGkM
>>330
むしろ家康は誰に勝てるのだお( ^ω^)
長久手で池田等に勝ったのが唯一の快勝で他にまともな勝ち方ないし( ^ω^)
333人間七七四年:2010/01/22(金) 17:53:13 ID:dMGX95Wj
まともな勝ち方とは何?
まさかあれ、正々堂々と真正面から小細工なしで戦うとか
それはバカのやることだよ
334人間七七四年:2010/01/22(金) 18:08:36 ID:MXm3uhPk
あほかよ、むしろ誰が家康に勝てるのだよ
秀吉だって勝てないのに
仙台の片目なんてポチだったじゃん
335人間七七四年:2010/01/22(金) 18:49:26 ID:RDpciKve
17 名前: げんのう(京都府)[] 投稿日:2010/01/20(水) 22:14:55.24 ID:t02Jwf45
2chやっててよく思うんだが、2chの人って、物事を必要以上に単純化しようとしすぎだろ

○○ってつまりは××それだけのこと

こういう言い方が多すぎる
よく知りもしないのに無理矢理シンプルにするなっていう
比喩は便利だけど、本質をしっかり捉えきれてないと全く意味ない

398 名前: リービッヒ冷却器(兵庫県)[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 01:26:02.04 ID:8NwcwazH
>>17
歴史系の板ってそればっかだからな。
「家康って長生きしただけだろ」
「信長って運が良かっただけだろ」
「秀吉って物量で勝っただけだろ」

お前ら一番最初に歴史を好きになった時の気持ち忘れんなよっ……!と言いたい。
336人間七七四年:2010/01/22(金) 19:00:07 ID:vUA66rMY
自分の後に、自分の作った政権を崩す人間が現れなかった
という点では家康が戦国の覇者であることは間違いない

でも一時期とはいえ国土統一をした人間という解釈であれば、
単なる順番としての話で、誰か→秀吉→家康→誰かということになるだけ
前者は頼朝でいいのかな・・・戦国は好きでも歴史全体はあまり知らない・・・そして後者は誰?

家康が天下統一を考え始めたのっていつごろなのかね
何かきっかけがなければ「よし俺が!」とならないと思うが
337人間七七四年:2010/01/22(金) 19:06:13 ID:0mBzA9Ii
338人間七七四年:2010/01/22(金) 19:15:05 ID:9gGIBgKS
>>334
あー、家康に勝てそうな軍事の異才を挙げてみろ、ということでよろしいのかな?

つ松平清康
339人間七七四年:2010/01/22(金) 19:52:00 ID:vIzZZYd9
>>311
家康の戦略目標はことごとく潰されているのに、勝利になるの?
随分と片方にだけ甘い判定だなあ
340人間七七四年:2010/01/22(金) 20:01:36 ID:dMGX95Wj
>>339
領土は保全されてるし、豊臣政権での別格的地位を得られている
341仙台藩百姓:2010/01/22(金) 21:19:20 ID:LwDBHGkM
>>333
戦争に正々堂々なんてあるわけないじゃんお( ^ω^)プ
一気に状況を覆すような大勝を収めた事がないと言う事だお
家康って自力で他大名を降した事がないという
戦国大名としては稀有のヘッポコ戦歴なんだおね( ^ω^)
しかも生涯二度も本陣を踏み荒らされ馬印が倒れたという戦下手ぶり
342人間七七四年:2010/01/22(金) 21:35:07 ID:zOyTLTOT
>>341
豊臣家は自力で下してないか?
大坂夏の陣の話ね
343人間七七四年:2010/01/22(金) 21:38:06 ID:dMGX95Wj
>>341
え、単独で戦わなけれならないという外交的下手をやらかせと
344人間七七四年:2010/01/22(金) 22:19:11 ID:Y7UvxX3Z
おまえらクソコテあぼんしてないのかよ・・・
345仙台藩百姓:2010/01/22(金) 22:56:34 ID:LwDBHGkM
>>342
秀吉の天下統一以降は単純に大名間の戦いではなく明らかに別カテゴリだお( ^ω^)
それと漏れの定義では戦国時代は1590年までとするお( ^ω^)

>>343
一対一で勝った事がないと言う意味ではなく
家康の意図によって出た結果ではないと言う事だお( ^ω^)
家康はひたすら状況に流されて、他大名の思惑に従い戦っていただけだお┐ (´ω`) ┌
346人間七七四年:2010/01/22(金) 23:30:21 ID:dMGX95Wj
>>345
家康の「意図」はずっと「自国の維持・拡大」ですから、それにそった行動をしているだけ
秀吉死後は「天下を取る」、その後は「天下の維持」になったけどね
347人間七七四年:2010/01/22(金) 23:48:06 ID:zOyTLTOT
>>345
じゃあ今川さんところは?
348人間七七四年:2010/01/22(金) 23:55:55 ID:MXm3uhPk
関が原では半日で時代を変えたんじゃないの?
家康は勝ってないの?
349仙台藩百姓:2010/01/23(土) 14:45:51 ID:+isR2y8t
>>346
それすらも信長の意図によって抑制された範疇でしかないお( ^ω^)

>>347
今川衰退の最大要因は織田が義元を討ったからだお( ^ω^)
これがなければ家康が云々以前に松平の自立すらなかったお
勿論義元が討たれた事には一切家康の意図は絡んでいない
次いで、それに伴い今川家中で離反が相次ぎ弱体化する
松平氏もその一家に過ぎないお( ^ω^)
そして松平が対今川戦に踏み切れたのは清洲同盟があってこそだお
清洲同盟は信長の意図が大きなウエイトを占めているお
信長は東侵に興味がなく、西上を図っていたから手頃な松平に目を付けたわけだお
織田にしてみれば松平と組む事は絶対ではない
松平が敵対していても現状と変わらず、むしろ今川が衰退した今となっては脅威ではないお( ^ω^)
一方、松平が自立する上で織田と敵対する事は家の存亡に関わるお
未だ弱小である松平が東西に敵を抱えれば滅亡必至である
だから織田との同盟を蹴る選択肢など家康にはなかったのだお
実質、同盟というより従属に近い形で結ばざるを得なかった事が如実に表しているお( ^ω^)
今川崩壊を一挙に形付けたのは武田の参戦だお
武田の場合、今川だけ相手にしていればよい松平と違って
今川との決裂は北条との決裂にも繋がり、北の上杉を含めて三方に敵を抱える事になったが
上杉を牽制しつつ今川北条を破り、遠江侵攻に手をこまねいている家康を尻目に遠江まで侵入し
北条との関係も修復し西上の体勢を整えるという信玄の独壇場に終始したお( ^ω^)
以上のように対今川でも家康は周辺大名の思惑によって行動していに過ぎないお( ^ω^)
350仙台藩百姓:2010/01/23(土) 14:54:10 ID:+isR2y8t
>>348
だから1590年以降は別物だって言っているじゃんお( ^ω^)
これはあくまで豊臣家中の政争であって徳川個人の戦いではないお( ^ω^)
351人間七七四年:2010/01/23(土) 16:27:36 ID:qLpgwWOa
>>349
>それすらも信長の意図によって抑制された範疇でしかないお( ^ω^)
長篠までは独自路線を維持している
352人間七七四年:2010/01/23(土) 20:37:42 ID:c3tCW11+
>>306

先に和睦を申し入れたのは家康だぞ。念のため。
長久手の戦闘で勝利して調子に乗って和睦を申し入れたが
秀吉に軽く一蹴されてる。
>>311が言っているのはそれだろ?
353人間七七四年:2010/01/23(土) 21:09:50 ID:qLpgwWOa
>>352
何が出典か教えてくれますか
354人間七七四年:2010/01/23(土) 21:26:33 ID:2TSEwVuG
>>352
その状況で、なぜ秀吉は母・妹を人質に入れるんだ?
どう考えても立場は逆な気がするんだが。
355人間七七四年:2010/01/23(土) 21:34:36 ID:EBI0bEU6
先に和睦を申し入れた方の敗北とか脳内ルール設定はやめてください
356人間七七四年:2010/01/23(土) 22:12:24 ID:esfHHMf7
徳川個人の戦いじゃないって、おかしいだろう>350
じゃあ織田と徳川聯合してたから全部の信長の戦いじゃないのか?
大将が戦いの旗振りだろうが
357人間七七四年:2010/01/24(日) 05:20:39 ID:DFFsVLpz
>>349
同盟があったから自力で他の大名を倒したことがないというなら
織田にそのまま跳ね返るわけだけどね
358仙台藩百姓:2010/01/24(日) 08:41:55 ID:j1mlJe04
>>357
全く違うお( ^ω^)
対等な同盟、もしくは盟主的立場の同盟ならそれは己の戦略だお
だが松平の場合は今川には臣従、織田には従属と
常に他国に主導権を握られている状態であるお( ^ω^)
359人間七七四年:2010/01/24(日) 10:30:30 ID:i0Sw/ih3
あたり前の選択だと思うけど? 織田に従属
息子まで殺してるよ
仙台の片目だって同じようなものだけど
天下を取って見返してないだけへタレじゃん
360人間七七四年:2010/01/24(日) 10:51:58 ID:pHsE7qjO
>>358
織田への従属は長篠以降(二回目)
361仙台藩百姓:2010/01/24(日) 11:16:04 ID:j1mlJe04
>>360
大名自身が他国内に赴いて盟約を結ぶなど対等な同盟では有り得ないお( ^ω^)
清洲同盟は初めから織田主導であったのは間違いないお( ^ω^)
362人間七七四年:2010/01/24(日) 11:23:02 ID:i0Sw/ih3
織田に従属してようが秀吉に従おうがいいじゃん
最終目的には到達したんだし
徳川三百年は日本にとって必要だったさ、たぶん
363人間七七四年:2010/01/24(日) 11:59:22 ID:pHsE7qjO
>>361
それは後世の作り話の可能性が高い
364人間七七四年:2010/01/24(日) 12:59:48 ID:1mfdnuoc
>>359
信康とは単なる親子喧嘩
やってることは信玄・義信と同じ
365人間七七四年:2010/01/24(日) 13:04:06 ID:vVjnA3gL
織田を攻める気マンマンだった家康が
嫁の実家を攻めることに反発した信康が起こす謀反を未然に防いだってか
366人間七七四年:2010/01/24(日) 18:22:02 ID:DFFsVLpz
>>358
違わないなあ
自力かに同盟の有無が問題になるかどうかなんだから
織田も徳川も自力で他大名を下したことがないか
どちらも下したことになるか
どちらかしかない
367人間七七四年:2010/01/24(日) 23:24:32 ID:i0Sw/ih3
なんで自力か同盟か問題にするのか理解できないお
戦争は勝たなきゃ意味がないわけで
自力だろうと何だろうと勝てば官軍負ければ賊軍
368人間七七四年:2010/01/24(日) 23:36:24 ID:HugSTwbx
>>353
>>352じゃないけど、フロイスの『イエスズ会日本年報』では
「信雄と家康は秀吉が優勢であったため降伏し、和を請うのやむなきに至った」
という記述がある
ただしこれには異説もあって、
『太閤記』では本願寺の足立清左衛門尉清次が仲介したと書いてある
これが事実なら(当時の本願寺は秀吉寄りだったので)
秀吉側からのアクションだった可能性が高い
『三河物語』では信雄と和睦後に秀吉が家康に降伏勧告の使者を出したとある
このあたり資料によって記述がまちまちではっきりしないが、信雄と家康が秀吉軍に
相当厳しい状況まで追い込まれてたのは『宇野主水日記』にもあるから間違いない
369人間七七四年:2010/01/24(日) 23:45:56 ID:HugSTwbx
>>354
大政所を人質に出したのはあくまで家康を上洛させるための方便です
『三河物語』では家康自身は秀吉への臣従を已む無しと判断し
「我一人腹を切ならバ、諸人之命を助けおくべく」と言って上洛する心持ちだったが、
酒井忠次以下徳川家臣団が強硬に反対したため、
彼らに主君家康の安全を保証するために大政所が下向したとある
この時点では小牧・長久手の局地戦での勝利の意義も完全に消滅しており、
あとはどういうタイミングで秀吉に降伏するかという問題になってたわけ
370仙台藩百姓:2010/01/24(日) 23:50:55 ID:j1mlJe04
>>366
従わせたと従うしかなかったでは全くもって完膚無きにまで違うお( ^ω^)

織田が斎藤、六角、三好などを滅ぼした事に対する松平の影響力
徳川が今川を滅ぼした事に対する武田の影響力
これを同じ比重で見るなど余程物を知らないとしか思えないお( ^ω^)
371人間七七四年:2010/01/24(日) 23:55:51 ID:i0Sw/ih3
同盟と屈服は同じなないだろう
372人間七七四年:2010/01/25(月) 00:00:18 ID:JCwa3cfq
>>325
「戦術では信雄・家康の勝利、戦略では秀吉の勝利」つうのが小牧の役の通説でしょ?
小和田哲男「戦闘(バトル)では家康が勝ち、戦争(ウォー)では秀吉が勝った」
齋藤慎一「戦場での勝負は徳川家康・織田信雄に優位に動いていた。
しかし政治的手腕に勝る秀吉は外交手段を通じて両者を帰属させるにいたる」
鈴木眞哉「とても勝ち目がないと悟ったのは秀吉ではなく家康の方であって、
その後もチャンスがなかったわけではないのに、秀吉生存中は二度と抵抗しようとはしなかった」
この手の意見ならちょっと本を調べるだけで山ほど出てくるぞ
むしろ「文句なしに家康の完勝」としてる研究者が居たら名前を教えて欲しいくらいだ

そもそも小牧・長久手の戦い自体美濃尾張伊勢で大規模に展開された戦役の一局面に過ぎないわけで
岩波日本史辞典にも「これは局地戦で、戦局全体には大きな影響を与えなかった」とある
この合戦が過大評価されるようになったのは、家康が天下を取ってからのこと
373人間七七四年:2010/01/25(月) 00:05:19 ID:A6gZyYJG
>>368
ルイス・フロイスの「日本史」には
「結局、羽柴は有利な条件で和を講じ、」
とある
374人間七七四年:2010/01/25(月) 00:09:00 ID:A6gZyYJG
>>372
当初は秀吉は両者(特に家康)を討ち滅ぼそうとしたが、長久手の戦いにより
服属へと舵を切ることになった
375人間七七四年:2010/01/25(月) 00:10:28 ID:VnOyGFl9
>美濃尾張伊勢で大規模に展開された戦役

詳しく教えてくれよ
376人間七七四年:2010/01/25(月) 00:15:06 ID:7OIy/Nvg
>>374
長久手の戦いの後も秀吉は家康を滅ぼす気満々だけど?
1585年の時点で同盟相手の佐竹義重に
「近いうちに大軍を率いて富士を見るので、参軍するように」
という書状を出してるが、これは再度の家康討伐を仄めかしたものであるというのが通説
(齋藤慎一『戦国時代の終焉 - 「北条の夢」と秀吉の天下統一』より)
小牧・長久手の局地戦では上で述べた通り状況は何も変わってない
ただ家康の降伏のタイミングが良かっただけ
家康が豊臣政権で重鎮の座を占め
後の天下取りに大きく影響したというのは事実
377人間七七四年:2010/01/25(月) 00:24:20 ID:VvCOEliO
>>375
小牧・長久手の後にも羽柴軍は依然として美濃尾張伊勢全域に展開しており、
各地で織田徳川連合軍と一進一退の攻防を繰り広げていた
このあたりを詳しく知りたいなら『宇野主水日記』を参照するのがおすすめ
小牧の役を知る際の一級資料だから
378人間七七四年:2010/01/25(月) 00:24:21 ID:A6gZyYJG
>>376
秀吉の書状はフカシが多いから額面通りに受け取らない方が良いよ
半分以上は宣伝文句かな
379人間七七四年:2010/01/25(月) 00:27:38 ID:VnOyGFl9
秀吉が徳川を滅ぼせる状態だったのなら
なぜ滅ぼさなかったのかなぁ…
380人間七七四年:2010/01/25(月) 00:36:34 ID:9H47ycWh
>>378
秀吉の大言壮語癖はたしかに有名
小牧・長久手の合戦前、合戦直後にも同盟相手の丹羽長秀などに
「絶対に家康を潰す」っつうイケイケの書状を送ってるかんね
逆に言えば少なくとも残された書状で判断する限り、
小牧・長久手の戦術的敗北で秀吉の家康に対する態度が
決定的に変化したことは伺えない
同時期に駆け足の官位昇叙を行っており、
「武力で勝てないと判断したから官位で家康を押さえこもうとした」
と主張する研究者もいるけどね
このあたりはまだ定説には至ってない

>>379
自分なら家康を使いこなせると思ってたんじゃないの
優秀なのは間違いないし、この頃は律義者として有名だったでしょ
事実秀吉が死ぬまでは家康は豊臣政権最大の功労者として活躍してる
381人間七七四年:2010/01/25(月) 00:37:36 ID:9H47ycWh
書き込む度にID変わってるけど、ここしばらくの長文は全部自分です
念のため
382人間七七四年:2010/01/25(月) 00:43:13 ID:MzNOMe0h
つーかなんでみんなその2者だけ見てるのさ
秀吉の周りにはまだ他の敵だっていたじゃん
つまり家康と組んでた勢力が
中立もいただろうし
豊臣が徳川を簡単に潰せるなら確かにさっさとやっただろうけどやってない
それはやれないからに他ならないわけで
簡単ではなが無理に潰そうとしたら、これもできなくはないかもしれんが
被害は甚大だろうし、徳川がそこで時間を稼いでいたら
対豊臣勢力だって各方面で立ち上がることも当然ある
家康のことだからそこら辺はぬかりないだろう
むしろ“あの徳川”が徹底抗戦してると分かったら元気になっちゃうよ
場合によっては臣従したと思ってた連中も叛旗を翻すことなんてあの時代なら造作も無い
各個撃破なら豊臣としても楽かもしれんが
全方面一斉に動かれたらどうだか分からんよ
信長時代の包囲網はこれといったリーダーもいず(信玄もどうもはっきりしてない)
いいかげんだったから助かってたけど
この場合は間違いなく家康がリーダーになって共同戦線を張っただろう

なんとなく書いてみた
383人間七七四年:2010/01/25(月) 00:48:48 ID:VnOyGFl9
ここは家康スレだから
家康擁護派と仙台の百姓その他、反家康派に別れてバトルしちょります
384人間七七四年:2010/01/25(月) 00:53:40 ID:jNznCc80
キチガイは無視すればいいだけのに
このスレは定期的にスルー検定したほうがいい
385人間七七四年:2010/01/25(月) 02:32:01 ID:MC/mAWPA
>>370
>織田が斎藤、六角、三好などを滅ぼした事に対する松平の影響力
東を心配する必要がなかったからそれだけ動員できたわけで
同盟してる以上自力でないと定義するか
同盟していてもそれを含めた自力と定義するかどちらかしかない
比重とか観念的なことをいって誤魔化そうとしても無駄
386人間七七四年:2010/01/25(月) 04:11:06 ID:joOIkDbw
レスを見ていくと
結局いくさの強さも政治的駆け引きも
秀吉が上手だった
387人間七七四年:2010/01/25(月) 04:57:59 ID:zz40x8rC
>>386
「自分の妄想レスだけ見て」だろw
388人間七七四年:2010/01/25(月) 09:20:23 ID:nDz9nURE
>>385
政治的な自力・独力と軍事的なそれを同一視してるね
389人間七七四年:2010/01/25(月) 10:27:40 ID:A6gZyYJG
>>380
長久手以降、家康・信雄のいる小牧山陣地帯へ目立った攻撃は行われていない(挑発程度)
これ以降、秀吉は伊勢方面の攻略に主眼を置き、同時に竹ヶ鼻を水攻めにして、家康の誘引
を狙うがこれも家康が乗らずに失敗
つまり長久手以降、秀吉は自身から家康を攻めるということはしなくなり、消極的な行動に終始
している
390仙台藩百姓:2010/01/25(月) 13:25:19 ID:IGt5LoxO
>>385
信長は思い切り東の心配しているじゃんお( ^ω^)
松平が東を守っていたのではなく織田が松平を守っていたのだお( ^ω^)
織田の後詰めがなければ松平など簡単に消滅してしまったお( ^ω^)
391人間七七四年:2010/01/25(月) 13:29:38 ID:A6gZyYJG
>>390
そうしなきゃ、自分が殺られますし
織田も家康に援軍してもらってるよ
392仙台藩百姓:2010/01/25(月) 13:34:37 ID:IGt5LoxO
家康はいつも戦略が甘く余計な事に手間取って右往左往するおね( ^ω^)
典型的な三流政治家&軍人だお
長久手の戦いなどはその最も足るものだお( ^ω^)
日本人は古来から下士官や兵隊は優秀だが士官の戦略が甘く、常に兵隊の足を引っ張るという傾向があるが
徳川家も完全にその型に嵌まっているお( ^ω^)
393人間七七四年:2010/01/25(月) 14:46:45 ID:VnOyGFl9
三流で天下を取れるんだから日本はなぁ…
一流の片目は田舎で百姓するしかないのか
394人間七七四年:2010/01/25(月) 15:08:11 ID:hlwI/94V
てか、糞コテはあぼんしろよ
どうせ話は通じないんだからさ
395人間七七四年:2010/01/25(月) 17:37:21 ID:CNzQY3Eg
>>389
消極的どころか長久手の敗戦の翌月に尾張加賀野井城を力攻めで攻略したのを皮切りに、
続いて美濃竹ヶ鼻城を水攻めで奪取、7月には滝川一益を
尾張蟹江城に送り込むなど秀吉の軍事行動は戦後も盛んだったわけですが
蟹江城は何とか防衛に成功したものの、全体的に織田徳川軍の劣勢は明らかで、
竹ヶ鼻城は守将不破広綱の援軍要請を断って見殺しにせざるをえなかった状況(『不破文書』より)
上でも挙げた『宇野主水日記』には、羽柴軍が尾張でも完全に織田徳川軍を圧倒してるという記述があるし、
徳川方の資料である『当代記』でも尾張美濃伊勢に展開してる羽柴軍8万に対して、
織田徳川軍は1万しか居ないと書き残しているくらいだ

小牧・長久手で試みた別働隊による家康の本拠地三河強襲、
いわゆる中入り戦術が失敗した後は、秀吉は
地道に織田徳川の拠点を力攻めで潰していく方針に転じているというのは事実
だがそれはあくまで戦術面での話であって、
織田徳川連合軍に対する戦略そのものは変わっていない
一体何処が「長久手以降消極的な行動に終始している」
「服属へと舵を切ることになった」のか、是非具体的に指摘して欲しい
きちんとソースを挙げた上でね
396人間七七四年:2010/01/25(月) 17:54:34 ID:VnOyGFl9
八万対一万で殲滅できない秀吉って、、何なの?
そっちの方が疑問だよ
397人間七七四年:2010/01/25(月) 17:55:26 ID:A6gZyYJG
小牧方面で一切、積極的な行動に出ていないから
この場合には木曽三川を越えるしか尾張へ出る方法が無いので、とてつもなく面倒になる
蟹江城はそれを克服する場所にあるが、これは徳川・織田が瞬時に対応したため失敗している

竹ヶ鼻城は元々、家康を誘引する為に攻めたようなもの
既に確保している犬山からの攻勢を行わないのは、秀吉が本気で攻め落とす気が以前に
比べて少なくなっているから
398人間七七四年:2010/01/25(月) 17:55:52 ID:CNzQY3Eg
>>396
殲滅する前に信雄と家康が降伏したから
それだけの話
399人間七七四年:2010/01/25(月) 17:59:02 ID:CNzQY3Eg
>>397
質問の答えになってないよ
400人間七七四年:2010/01/25(月) 18:03:42 ID:A6gZyYJG
尾張落とさなきゃ信雄・家康の首は取れないのに、そういった行動は一切しなくなったから
401人間七七四年:2010/01/25(月) 18:09:40 ID:CNzQY3Eg
この時期の家康の本拠地は浜松だから、尾張を落としても家康の首は取れないけどね
中入り戦術が失敗したから徐々に周辺部分から締め上げていく作戦に切り替えただけで、
最終的な目標が織田徳川連合の軍事的制圧であることは依然として変わってない
402人間七七四年:2010/01/25(月) 20:04:45 ID:A6gZyYJG
それにどれだけ時間が必要かという事と、それを秀吉が許容できるかというとそうではなく
短期による制圧が不可能とした時点で、柴田のような結果は放棄されたであろう
403人間七七四年:2010/01/25(月) 20:43:50 ID:MzNOMe0h
>>395
家康は動きたくても肝心な信雄がグタグダしてたんじゃないの?
まるで対織田のときの氏真のように・・・
大義名分として「信雄を助ける」だから家康がなにもかも先手を打ってたんじゃ本末転倒
それこそ秀吉と同じで主家乗っ取りみたいになっちゃう

>>401
なんでやめちゃったの?
404人間七七四年:2010/01/25(月) 21:22:36 ID:VnOyGFl9
八万対一万って本当なの?
そら秀吉へタレって思われてもしょうがないわな
笑いものだろう
405人間七七四年:2010/01/25(月) 21:57:10 ID:bC3Ygio/
>>402
許容できるも何も、秀吉が現実にそういう戦法を採ってるのに何を仰るのやら
賤ヶ岳のように秀吉お得意の大軍を用いた機動戦が決まってれば楽だったろうが、
それが失敗した以上地味に相手の拠点を潰す作戦に出たのは次善の策として当然
そして長期戦の様相を見せ始めたとき、
先に音を上げたのは秀吉ではなく連合軍の方だったわけで
もっとも秀吉自身は長久手の戦い以降も清洲城に信雄と家康を追い込んで
一網打尽にする作戦を考案したりと、なおも短期決戦の可能性を
模索しているが(『小松陣始末記』より)

>>404
『勢州軍記』などにも同様の兵数が記録されてるから、概ね事実と見てよいと思う
406人間七七四年:2010/01/25(月) 22:17:35 ID:A6gZyYJG
>>405
了解、大体納得した
どちらが先に根を上げたかについての考えは違うが、今んところ論ずる気はない
407仙台藩百姓:2010/01/25(月) 22:54:08 ID:IGt5LoxO
本能寺の変直後とかならともかく
今や織田家の後継者争いから脱落し政治的価値を失った信雄なんぞに唆されて
今更担ぎ出す辺りが家康の垢抜けない凡庸さを如実に顕しているおね( ^ω^)
戦う前から負けるべくして負けた戦いだお( ^ω^)
408人間七七四年:2010/01/26(火) 00:25:42 ID:5XJkQ4Pn
そうかなぁ、俺だったらそのまま尻尾は振れないな
柴田は家来筆頭の意地で戦ったけど
家康はその上だからな、形だけでも信長の同盟者じゃん
よくもまあ辛抱して従ったものだと思うよ
409人間七七四年:2010/01/26(火) 00:57:45 ID:Cg1ToSVc
皆さん、がんばってますね。
410人間七七四年:2010/01/26(火) 01:32:27 ID:88cPD1Ws
最近行って不思議に思ったんだけど
岡崎城の龍城神社って、江戸時代からも葵の御紋付けられる格だったの?
411人間七七四年:2010/01/26(火) 02:17:49 ID:PZoWEo19
>>408
そのためもあって秀吉が官位もらったわけでしょ
412人間七七四年:2010/01/26(火) 11:49:19 ID:HCr7DSwq
>>410
江戸初期(寛永年間)本丸の神社を「東照宮」とし竜神と家康を祀った。
江戸中期(1766年)本多忠勝を映世大明神として本丸に祀り(映世神社)、東照宮は三の丸に移された。
明治(1876年)に二つの神社を合体し、神社創設の云われに基き「龍城神社」と名を変える。
と言うわけで当然葵御紋。
413人間七七四年:2010/01/26(火) 23:31:12 ID:A9GA1s7l
実際秀吉は大軍のごり押ししかでしか強敵(島津、長宗我部、北条等)には勝てないからなw
兵力が優勢にもかかわらず謙信にビビって敵前逃亡する秀吉w
兵力が劣勢でも逃げずに戦う家康
8万で1万の家康に勝てない秀吉w
家康>>>>>>秀吉
414人間七七四年:2010/01/27(水) 00:09:01 ID:HGNFCDFt
あの時分は豊臣方は寄せ集めだよね
415人間七七四年:2010/01/27(水) 00:17:23 ID:rwVv5+dI
>>413
大軍集めて勝つのは基本であって
それが一番重要な将帥の役目では?
416仙台藩百姓:2010/01/27(水) 08:56:59 ID:l8XXoqKK
逃げずに戦う〜?
高天神城や長篠城からの必死の救援依頼を無視し続けた家康が?( ^ω^)プッ
上田で小勢の真田に完敗して逃げ帰ったのに?( ^ω^)プピッ
圧倒的な兵力で豊臣軍を追い詰めたのに逆に殺されそうになって戦場を逃げ回ったのは?( ^ω^)プピポッ
417人間七七四年:2010/01/27(水) 12:26:23 ID:0rEu49ll
>>416
>>圧倒的な兵力で豊臣軍を追い詰めたのに逆に殺されそうになって戦場を逃げ回ったのは?

信繁凄いね〜(笑)
敵の大将は棺桶に片足突っ込んだ状態で参戦してるのに
結局、最後まで出陣しないで家臣が死に絶えてから命乞い始めるクズとは大違いだね〜(笑)
自分がゴネて始めた戦争なのにね〜(笑)
418人間七七四年:2010/01/27(水) 13:44:52 ID:Dwm0wmny
ボンクラが中途半端にゴネなきゃ織田家くらい、もしくは公家として生き残れただろうにな
419人間七七四年:2010/01/27(水) 15:53:42 ID:e8Jfnuu9
物心ついたころにはもう殿上人だからなぁ
420人間七七四年:2010/01/27(水) 16:04:37 ID:9HWysysM
実際、まともな戦歴が無い信繁って強いの?

一か八かでヤケになって突撃してたら、
たまたまうまく行ったと思うんだが、、、
現代でもただの体育会系ワンマン会社が急成長して
グッド社みたいに潰れるとかよくあるじゃん。
421人間七七四年:2010/01/27(水) 17:55:25 ID:dd1S/zQU
まともな戦歴のない信繁に蹂躙される徳川旗本部隊ってどうなの?って話になっちゃうよ
実際に夏の陣のバンザイ突撃だけじゃなくて冬の陣でも活躍してるから、
普通に強かったんだと思うよ>信繁
徳川の弱体化は家康も嘆いたくらいだからガチだと思うけど
422人間七七四年:2010/01/27(水) 18:05:14 ID:jKmKubUM
実際は信繁はかなりの名将だったとは思う
ただ信繁だけじゃなくほかの武将もかなり凄かったから出来たことだと思う
423人間七七四年:2010/01/27(水) 18:29:20 ID:CFyw2P7/
上田の戦いで実戦は経験済みだろう
昌幸の片腕だったのは間違いないだろうし
424人間七七四年:2010/01/27(水) 18:47:11 ID:2Z+5RtZx
真田丸みたいなのは戦国では普通に使われてた手だから信繁がすごいというのではないが
それにまんまと乗せられて大打撃を被ったのは戦国二世
経験差がもろに出たね
だから本陣を守ってたのもそういうのが多かったんじゃないのかねえ
425人間七七四年:2010/01/27(水) 18:51:41 ID:q9Z/OwJh
いい加減信繁とか言うのやめろよ気色悪い
幸村でいいだろ
426人間七七四年:2010/01/27(水) 18:59:03 ID:/kIXE3TS
ただねえ、それまで戦場経験ほとんど無く今は勝ちもほぼ決まった状態の新兵集団と、
元は歴戦の牢人ですでに後は無いと命捨ててかかってくる精鋭集団。
両者がぶつかればそりゃ史実通りになるのが順当っていうか、「信繁だから」ともあまり強く思えないんだよな。
427人間七七四年:2010/01/27(水) 19:12:02 ID:jKmKubUM
>>425
確かに 典厩公と被るしな

まあ幸村より毛利勝永を評価したいよ
しかし最終的な勝者は家康公だからやはり家康すげえと
428人間七七四年:2010/01/27(水) 20:10:48 ID:bxjjRTMo
天球からもらったんでしょ?
429人間七七四年:2010/01/27(水) 22:33:48 ID:CFyw2P7/
池波の真田太平記、読んだ? 泣けるぜ?
430仙台藩百姓:2010/01/27(水) 23:02:50 ID:l8XXoqKK
豊臣方も殆どの武将がたいした戦歴のない世代だお( ^ω^)
大坂の陣で一番古参の大将は家康なわけだけど一番ヘッポコな戦いぶりだったし
戦歴が豊富でもダメな奴はダメだお( ^ω^)
431人間七七四年:2010/01/27(水) 23:11:08 ID:Q3XMi5Gi
両翼を厚く、中央を薄くするし、自身をそこに置くことで敵を誘引し
左右でそれを叩く、家康の策が大成功した戦いですな
何しろ僅か三時間で決着付きましたし
432人間七七四年:2010/01/27(水) 23:12:08 ID:CFyw2P7/
仙台の片目だって日和見してるじゃん
433仙台藩百姓:2010/01/27(水) 23:56:40 ID:l8XXoqKK
>>431
真田と毛利は両翼を突破して本陣に突入したのだけど( ^ω^)…
434人間七七四年:2010/01/28(木) 00:23:35 ID:9w9gPxfu
>>433
毛利は中央、真田は相手が浅野の裏切りという虚報に混乱してくれた僥倖
435人間七七四年:2010/01/28(木) 08:50:18 ID:+z2vJtXX
横山光輝先生の伊達政宗見ると政宗が幕府に豊臣と内通してるとか言いがかりをつけられてたみたいだけど
これは先生の創作?
436人間七七四年:2010/01/28(木) 09:10:56 ID:r89DkyeM
味方の領国の一揆けしかけてるからなぁw
437仙台藩百姓:2010/01/28(木) 14:43:31 ID:ebAOMtWb
政宗公にしてみればどっちが勝とうと知った事じゃないし
共倒れにでもなればラッキーぐらいのものだお( ^ω^)
438人間七七四年:2010/01/28(木) 18:41:13 ID:FgLg3crW
そうそう、ケチな野郎なんだぜ
439人間七七四年:2010/01/28(木) 20:18:06 ID:+z2vJtXX
共倒れ狙いすぎて加増されないってのも・・・まあ後の祭りだよね
黒田同様政宗も関ヶ原が長引いたら奥州を制覇しそうだし
三成が大阪から立花とかを連れてこなかったり島津の助言を聞かなかったアホだったせいもあるけど
一日で終わらせて乱世を再開させなかった家康は過程はどうあれすごいよね
440人間七七四年:2010/01/28(木) 20:40:28 ID:j7L6owxZ
しかも本体は温存だからな。
441仙台藩百姓:2010/01/28(木) 22:06:33 ID:ebAOMtWb
結果オーライなだけで小早川の気分次第ではどうなっていたか分からなかったけど( ^ω^)
追い首取ろうとして井伊が戦傷死したりしょうもないポカするのは相変わらずだお( ^ω^)
442奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/28(木) 22:15:31 ID:aM9KnjfZ
それは苦しいな。
443人間七七四年:2010/01/28(木) 23:27:51 ID:9w9gPxfu
>>441
そういう微妙なバランスでない限り、「決戦」などというものは発生しない
444人間七七四年:2010/01/29(金) 08:19:41 ID:zqZ0aHei
小早川は家康への詫び状の返書貰ってから松尾山に入ってるので
あの時点で小早川が西軍につく可能性はほとんどないだろ
14日午後の西軍の慌てぶりからして、小早川は徳川方ってのは
西軍内部ではもう明白だったんだろ
だから関白とかいう画餅まで持ち出して再寝返りを画策したけど失敗

まさか、「家康が焦れて松尾山に鉄砲打ちかけさせて脅した」なんていう与太話を
信じてるわけじゃないだろうしなw
445人間七七四年:2010/01/29(金) 09:34:08 ID:P2gPAQ7l
本来は開戦当初に小早川も内応する予定だったが、合図の福島の鬨の声が霧で判別不能になり、
そのまま足踏み状態、その後に家康が鉄砲を撃ち込ませて行動開始という流れ

まぁ、東軍諸将も小早川には懸念を持っていたようで、藤堂も大谷へ移動前に鉄砲を撃ち込んでたりする
446人間七七四年:2010/01/29(金) 12:33:35 ID:WV1s0l/i
>>425
オマイが死後名前を呼ばれるような人物だったとして、
一度も名乗ったことのない名前で呼ばれて嬉しいか?
ドラマ板なら「幸村」でもいいだろうが。
447人間七七四年:2010/01/29(金) 12:59:37 ID:ijx6OOMP
諡ならともかく講談での名前だからねぇ
448人間七七四年:2010/01/29(金) 14:29:56 ID:6S8oLHcL
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し

天下人も一般庶民も人生への思いは変わらんのやね
449人間七七四年:2010/01/29(金) 18:38:50 ID:cnrCU741
>>448
その言葉、本人は言ってないという類のものじゃなかった?
別の言葉だっけ
450仙台藩百姓:2010/01/29(金) 21:34:25 ID:Ll5Zq8vU
家康は寿命の1年前という超ギリギリで天下取ったからね( ^ω^)
小心者の家康の事だから一生気の休まる暇がなかったのだお( ^ω^)
451奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/29(金) 21:36:37 ID:wux2lTf7
もうお前つまらなくなっちゃったから芸風変えろよ。
452人間七七四年:2010/01/29(金) 21:38:20 ID:LfH+VOP2
あれは諸説あるけど、
露も重きは、、、って時世の句だから、異説は無いよね?
453人間七七四年:2010/01/30(土) 18:44:27 ID:gHijFLwe
>>448
うろ覚えだけど、明治の人が「家康の素晴らしさを広めないかん!」ということでその句を作って広めたんじゃなかったっけ?
454人間七七四年:2010/01/31(日) 08:50:35 ID:JT1FTe3W
確か尾張徳川家の人が贋作説を主張した
家康の子孫だからといって家康のことがよく理解できているわけでもないけどね
455仙台藩百姓:2010/01/31(日) 09:35:10 ID:aYtgkyM0
家康は普段から大して歌なんて詠んでないものね( ^ω^)
毎日薬やってヒャッハーって動物虐待して週1宴会、月1能って感じのシフトだし( ^ω^)
456人間七七四年:2010/01/31(日) 13:32:17 ID:Z9cEROu0
阿茶局が一番のお気に入りだったのか家康は。
457人間七七四年:2010/01/31(日) 15:42:48 ID:e96JP2Km
和楽2010年2月号
殿様が受け継ぐ、天下の茶道具 
<連載>水戸藩開藩400年記念企画 第二回  水戸徳川斎正・眞木画像

「新田」(にった)画像あります
「新田」…茶入「初花」「楢柴」と共に天下の三名物とされ、千利休が天下一と賞した

徳川眞木
「たとえちり紙の欠片のようなものだったとしても、わが家にとっては家康公がご自身で
その瞬間、実際に懐に入れていた紙のほうが大事ということ。それが価値観のすべてなんです」

徳川斎正
「だから展覧会図録の挨拶文にはいつも、ものの美しさより先に、このものを愛でてきた、
使ってきた人たちの思いや行動を想像してみてください、と必ず書くようにしています。
そうでないと、ただの、ものの展覧会になってしまいますから。…」
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【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 10
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1263368465/
幸の祖父について疑問。
100年前、屋号、土地、蔵がある家の人間は日本を離れない。
あの時代移民として海外に行くのは、残念ながら水のみ百姓の人達。
http://s04.megalodon.jp/2009-1027-1252-51/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/89-90
後半部分に屋号の話がでてきます (週刊文春2009年10月8日号)
http://s01.megalodon.jp/2009-1027-1249-36/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/37-53

戦前戦後の歴史に詳しい方、ぜひ鳩山幸スレに書き込んでください
458人間七七四年:2010/01/31(日) 15:55:08 ID:e96JP2Km
457訂正
× ttp://www.zshare.net/download/7187283804f1c421/

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459人間七七四年:2010/01/31(日) 20:16:02 ID:6d+wKgPV
よく分からんけど、城跡に行くようなもんで
昔ここで命を賭けて戦い、地元を守った者達が居た
って事に思いをはせるのが良いって事だよな。
460人間七七四年:2010/01/31(日) 22:24:18 ID:MsnoiSbw
>>221
秀忠の軍事能力のなさに危機感を感じて、生きてる間に強引に潰しに行った
461人間七七四年:2010/01/31(日) 22:30:00 ID:MsnoiSbw
>>248
> もし秀吉より先に死んでたら、豊臣政権最大の功臣という扱いだったはず

甘い、家康が先に死ねば、領土を大幅に削減するのはわかりきっている。

丹羽、蒲生、信雄、など  理由は何でもいい。
462仙台藩百姓:2010/01/31(日) 23:54:18 ID:aYtgkyM0
現代の評価が豊臣政権最大の功臣になっていたという意味じゃないかお( ^ω^)
463人間七七四年:2010/01/31(日) 23:56:58 ID:/gB9bkS+
亀レスして的外れとか
464人間七七四年:2010/02/01(月) 11:24:46 ID:RmH9HttX
今日の時代劇専門チャンネルでやる、北大路欣也の家康公楽しみだったのに
まさかの今日から無料CATV視聴が外された(´・ω・`)
465人間七七四年:2010/02/01(月) 12:43:13 ID:1zD8YFw1
>>463
黙れハゲ

>>462
何の功だよ。豊臣政権最大の癌細胞だろうが。
466仙台藩百姓:2010/02/01(月) 14:32:20 ID:b5VFFqm2
漏れに言われても困るお┐ (´ω`) ┌
>>248に言い給えお( ^ω^)
まあ、最大の功臣かどうかは知らんけど秀吉から政務を任されていたのだから
反乱起こさずに最後まで全うしていれば十分に功臣扱いをされるお( ^ω^)
467人間七七四年:2010/02/01(月) 15:57:04 ID:yAMuYlL2
たしかに主君の成果を盗み取ったエロボケエテ公に渋々従ったことは大罪だけどさ、
そのエテ公の家系が握る政権をぶち壊してやったことで
罪の清算は済ませたと考えてやってもいいんじゃないか?
468人間七七四年:2010/02/01(月) 18:38:23 ID:tlf5aci5
罪というか、普通に言えば屈辱とか挫折だろうけどな
469人間七七四年:2010/02/01(月) 22:25:43 ID:FgCia+qV
妾が家を乗っ取ったので
北の政所が人生を掛けて復讐を果たす
その第1章が関ヶ原
賢妻ふうに今は語られているが
生きるか死ねかのあの時代
天下人の妻を務められる女は
イメルダなど足元にも及ばないはらわたの女でしょう
夏の陣にてねねの復讐は完結
家を破滅に導いた元祖西太后
470人間七七四年:2010/02/02(火) 23:55:09 ID:MeMb344V
徳川史観を決定付ける小牧・長久手と三方ケ原
家康よくやった
471平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/02/03(水) 02:57:29 ID:K9v+HxT/
>>456
西郷の局(お愛)だろな。
472人間七七四年:2010/02/04(木) 20:08:37 ID:Rmuehx4F
>>428
武田信繁にあやかろうとして、信繁という名にしたらしいね。
473タルティ:2010/02/04(木) 20:10:53 ID:bAMP64hv
フランシスコ・ザビエルが河童の由来らしいね。
474仙台藩百姓:2010/02/05(金) 20:54:35 ID:Abgtcxud
家康って時にブチ切れて気違いじみた行動するけど
信康とか秀康にもそういった逸話があるしキティちゃんが多いのは松平の家系なんだおうね( ^ω^)
475奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/05(金) 21:19:15 ID:I8Xebr4a
狂疾という個性に飛びぬけて富んだのが安祥松平。
476人間七七四年:2010/02/05(金) 22:03:44 ID:ko52kDUM
おじいちゃんの清康の遺伝じゃないの?
477奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/05(金) 22:14:29 ID:I8Xebr4a
曽祖父の信忠じゃないかね。
478仙台藩百姓:2010/02/05(金) 22:29:38 ID:Abgtcxud
清康も信定に激怒した様子は尋常じゃなかったし相当な癇癪持ちだったのではないかお( ^ω^)
479奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/05(金) 22:38:52 ID:I8Xebr4a
長親の長生きも原因だと思う。
480仙台藩百姓:2010/02/05(金) 23:23:56 ID:Abgtcxud
大概3代目辺りで躓くものだお( ^ω^)
そういや松平も新興の下剋上大名だけど、斎藤や北条ほど取り沙汰されないおね( ^ω^)
481人間七七四年:2010/02/06(土) 01:58:24 ID:xyRSgqfe
吉良も今川もちっちゃくてへたれな田舎領主だたからだよ
482人間七七四年:2010/02/06(土) 11:23:39 ID:G+Pq6UBg
>>481
義元の代に3ヵ国領有した今川が「ちっちゃい」・・・
典型的な徳川御用史観だな。
念のために言っておくが「三河物語」などにある
家康が人質時代にいじめられたとか、三河武士が
さんざんな苦労をしたとかは虚構だから。
483人間七七四年:2010/02/06(土) 11:35:40 ID:0I3H4ET2
まぁ、三河物語は三河武士の主観で書かれているから、
彼らがそう考えていたとは思う
484人間七七四年:2010/02/06(土) 11:48:33 ID:LIftOnis
三河武士って一口に言うけど、家康が帰ってくるまでは一枚岩じゃないしな
東三河は安祥の傘下だったとは言い難いし
三河物語は大久保党の主観だよな
485人間七七四年:2010/02/06(土) 13:21:32 ID:UnANqMcr


《織田信真(信高系織田9代目当主)の情報を求む》

維新後、写真師に転職後、どうなったのか、御存じの方、教えてくだはい。
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486人間七七四年:2010/02/06(土) 13:35:03 ID:UCiqTHIa
スケート板住人って怖い・・・
487人間七七四年:2010/02/06(土) 13:42:06 ID:kieelDMV
>>484
家康当主になってもなかなか一筋縄ではいかなかった感じはあるけど
488人間七七四年:2010/02/06(土) 14:05:45 ID:XSM3/uLo
sdf
489人間七七四年:2010/02/06(土) 17:31:03 ID:TwxDEkXa
ぶっちゃけ武田遺臣いなくても三河武士だけで天下取れただろ
軍制を武田流に変えたおかげで小牧長久手で勝てたとか虚構
三河物語読めば甲陽軍鑑がほら吹きまくってることが良くわかる
徳川四天王のパクリだし<武田四名臣
490人間七七四年:2010/02/06(土) 18:54:43 ID:kJu0stAf
三河物語批評厨は無理矢理話を三河物語は嘘という方向に持っていくし
短時間に単発が何人も現れるから自演だとバレバレだな
某スレでもそうだった
せめて書き込み時間の間隔を考えてから工作してくれ
491人間七七四年:2010/02/06(土) 20:48:46 ID:5SymhE+j
軍制を武田流に変えたのは小牧長久手以降だから、
変更したおかげで勝ったつうのは明白に嘘だな
つうかそんなこと言ってる奴居るの?
492仙台藩百姓:2010/02/06(土) 20:52:18 ID:Jqjgtn3G
今川も織田、武田、松平、伊勢らの餌となり
喰われる側として戦国大名形成に大きく寄与したおね( ^ω^)
その契機となった桶狭間は単に大金星というだけに留まらぬ重大事件であったと言えるお( ^ω^)

>>489
軍制云々以前に三河衆だけじゃ数が絶対的に不足しているから無理だお( ^ω^)
それに領土が増えればより広く人材を求められるというのが大きな利点であるのに
田舎所帯の排他的部落根性丸出しでいたらとても天下は望めまいお( ^ω^)
493奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/06(土) 20:58:49 ID:mpn4XCWZ
三河に固執した場合、井伊氏が家宰ポジションに就けなくなるな。
494人間七七四年:2010/02/06(土) 21:08:19 ID:0I3H4ET2
家康も実力主義者ということ
むしろ広範な層から人材を集める点では信長・秀吉を上回る
495人間七七四年:2010/02/06(土) 21:32:26 ID:5SymhE+j
外国人の顧問が居たと言うのは凄いな>家康
信長や秀吉はあくまでお客様扱いしてたから
けどそれ以外は普通の人事だったと思う
496人間七七四年:2010/02/06(土) 21:38:11 ID:xyRSgqfe
>482
今川ってのは、もともとは三河の出身なんだよ
今川出世の地ってのがあるが、せこいよ
497人間七七四年:2010/02/06(土) 21:39:23 ID:0I3H4ET2
僧侶や学者をあそこまで政策参加や、法律策定に関わらせていなかったと思う
商人も後藤なんかは大坂冬の陣で講和の使者になっているし
498人間七七四年:2010/02/06(土) 21:45:28 ID:5SymhE+j
秀吉側近の西笑承兌なんかは僧侶だけど明との講和に携わったりと実務をしてたよ
商人出身でも信長には松井友閑、秀吉には千利休が居た
まあ程度で言えば、家康の方がその手の文化人を大事にしてた印象は確かに有るね
家康自身もかなりの教養の持ち主だったから
499人間七七四年:2010/02/06(土) 21:53:52 ID:+jHuN0sR
何気に人を適材適所で使う名人なんだよな
凄みすら感じさせる
500人間七七四年:2010/02/06(土) 22:02:07 ID:0I3H4ET2
西笑承兌が外交に携わっていたのは、室町の頃から外交文書の作成は
京の五山が行っていたからだったと思う
501仙台藩百姓:2010/02/06(土) 23:13:23 ID:Jqjgtn3G
家康の場合は人事にしろ法令にしろ通例慣例を踏襲しただけで何も目新しい事はやっていないお( ^ω^)
だからこそ反発を受けずにすんなり受け入れられたわけだけど( ^ω^)
502人間七七四年:2010/02/06(土) 23:23:57 ID:0I3H4ET2
>>501
禁中並公家諸法度を作成するために幕府が公家からどれだけの数の
古典、記録を提出させたか
503人間七七四年:2010/02/06(土) 23:42:45 ID:HXPKwqyx
江戸は家康公が作ったのに、なんで三河弁が標準語に近くないの?
504人間七七四年:2010/02/06(土) 23:56:39 ID:0I3H4ET2
505人間七七四年:2010/02/07(日) 00:17:15 ID:mOZic2Jc
まんま三河弁だぞ
506仙台藩百姓:2010/02/07(日) 00:25:05 ID:IjT/RVKn
>>502
坊主らに調査させ纏めさせたんだおね( ^ω^)
でも結局のところ昔通りに慣例を守りなさいという程の内容なんだおね
だからこそ公卿らも尤もなりとすんなり受け入れたわけでもあるけど( ^ω^)
507人間七七四年:2010/02/07(日) 13:50:40 ID:vmzzKKqv
百姓って家康の事が大好きなんだろうな
508人間七七四年:2010/02/07(日) 14:18:20 ID:6Im6XJ9J
家康公は士農工商とし
侍の次に百姓を列し
生かさず殺さずで
本来ならとっくに途絶えてるはずの
仙台百姓のDNAを現代まで紡がせた
命の恩人だからな
509人間七七四年:2010/02/07(日) 15:50:29 ID:ZYec7GvY
>>490
また「信康自刃は信長の命令」厨か・・・
言っておくが自分は1回しか書きこみしていない。
自分以外は全部自演という思考は止めときな。
「三河物語」が全部嘘ではないが全部が真実でもないということは
松平・徳川の専門研究者が指摘している。素人風情がなにを偉そうに。
「松平・徳川中心史観」ってやつだ。
そんなものに踊らされてる自分の愚かさに早く気付くこった。
510人間七七四年:2010/02/07(日) 17:02:58 ID:hLeuFZHK
やっぱりあのスレで工作していた人間かw
カマをかけたら見事にあのスレで工作してましたと白状しやがったw
511人間七七四年:2010/02/07(日) 19:20:01 ID:YlOOoEgq
該当スレでやってくれ
512人間七七四年:2010/02/08(月) 21:18:33 ID:NFAY7fA7
それ以前にクソ固定は透明あぼんしろよ
513奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/08(月) 21:21:15 ID:LqbSyPNy
んなことは個人の嗜好でいい。
5141000台販100升:2010/02/08(月) 21:34:26 ID:gsLi33Pe
字変えていけば無意味だおね( ^ω^)<イエヤスウンコー
515奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/08(月) 21:40:03 ID:LqbSyPNy
あぼーんに有益な方法を書いておこう。

◆ ←コレをNG指定する。
516人間七七四年:2010/02/08(月) 21:46:41 ID:MzjIzphw
歴史系も結構工作紛いのことが横行してるよな
他板、他スレでも、これ絶対同じ奴だろうってのが多々ある
517人間七七四年:2010/02/08(月) 21:48:35 ID:qK3WkmJ6
スルー検定開始!
518人間七七四年:2010/02/08(月) 21:49:01 ID:v2BLDaQm
そして見えない敵と戦いだしちゃう子がいるのもいつものこと
519奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/08(月) 21:51:40 ID:LqbSyPNy
>>516
適度に構ってあげることだ。
そのうち金の糞を落としていくこともあるかもしれん。
520人間七七四年:2010/02/08(月) 21:54:19 ID:qK3WkmJ6
>>516
歴女スレが怖いから行ってみるといいよ
521人間七七四年:2010/02/08(月) 22:21:46 ID:DQkLb1Z7
>>509の人は某スレでは有名な人なんだよ
決め台詞が「素人風情がなにを偉そうに。」なんだよw
522奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/08(月) 22:23:25 ID:LqbSyPNy
>>521
それ見たことないな。
523人間七七四年:2010/02/08(月) 22:51:53 ID:oHoX3r+f
その某スレとやらで好きなだけやってくれ
524仙台藩百姓:2010/02/08(月) 23:18:14 ID:gsLi33Pe
よく豊臣氏の旗本が貧弱であると指摘されるけど、徳川も似たようなものだおね( ^ω^)
天下人ともなれば重臣達は大名として独立してゆくわけだから
それに伴い宗家が空洞化していくのは自然な事だお( ^ω^)
525人間七七四年:2010/02/08(月) 23:37:42 ID:v2BLDaQm
徳川の方が長年土着の勢力だけあって層は厚い気がするが
譜代大名の分家なんかいくらでもいるだろ
526仙台藩百姓:2010/02/08(月) 23:59:34 ID:gsLi33Pe
それだけに多くの大名を作ったから結構分散してしまっているのだお( ^ω^)
旗本は五千数百家程度だし、その構成も地方の没落大名や豪族国人らも割といて寄せ集めだお( ^ω^)
軽格の御家人合わせても二万余程度
527人間七七四年:2010/02/09(火) 00:22:48 ID:oMy2uumg
陪臣・武家奉公人・小荷駄を含めればその数倍にはなる
軍勢の数は総数で数えるのが普通
528人間七七四年:2010/02/09(火) 08:48:10 ID:RUtxE9F8
そもそも豊臣に比較すれば段違い
豊臣はやっと少ない係累・譜代を大名にできただけで、
さらにその親類を取り立てて旗本にするなんてできなかったのは七手組を見ればわかる

というか1万石超えたら急に忠誠心がなくなるわけじゃないんだからどうでもよくね?
529仙台藩百姓:2010/02/09(火) 10:14:41 ID:SmupW5w2
>>527
それはどこの大名でも同じだし石高の比率で言ったら豊臣と同程度だお( ^ω^)

>>528
親藩譜代と言えども独立した大名であるからどう動くかは未知数だお( ^ω^)
徳川も結局は豊臣と全く同じ末路で宗家の窮地に親藩譜代は見てみぬふりか逆に寝返る始末
旗本は士気が上がらずやる気なし
立ち上がったのは家康に押し込められた東北の外様大名という皮肉な話しだお( ^ω^)
530人間七七四年:2010/02/09(火) 10:31:42 ID:oMy2uumg
>>529
引き際を見抜く力は豊臣の数万倍あったけどね
531人間七七四年:2010/02/09(火) 14:28:07 ID:g8f8GsrN
幕末に立ち上がった東北の外様ってどこ?
532人間七七四年:2010/02/09(火) 15:22:27 ID:/iDweVl0
江戸は
愛知人である家康が造った植民地
533仙台藩百姓:2010/02/09(火) 19:16:13 ID:SmupW5w2
>>530
別に徳川家が好きで引こうとしたわけではないお( ^ω^)
無能ぶりを叩かれて身動き取れないまでに追い込まれただけだお( ^ω^)
将軍は代々障害者ばかりだから問題外としても
幕臣、特に譜代は全くの役立たずで穀潰しばかりだお┐ (´ω`) ┌
二百年以上百姓に飯喰わせて貰ってウンコしてただけだお
まさにニートの先駆けだお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
534人間七七四年:2010/02/09(火) 19:55:07 ID:oMy2uumg
文句だけならプラナリアにも言えるけどね
535人間七七四年:2010/02/09(火) 20:57:59 ID:ur0olTIQ
江戸時代初期、もっと言えば家康治世の晩年でも
幕府の旗本の弱体化は指摘されてたからね
更にその上200年以上の泰平が続いたら穀潰しにもなるわな
536人間七七四年:2010/02/10(水) 10:09:20 ID:SfIkkjMi
長期泰平に文句つけるとかどんだけwww
537人間七七四年:2010/02/10(水) 10:14:12 ID:wmLdwn2r
膏薬とイチャモンはどんな所にもつく
ヤクザの言葉だ
538仙台藩百姓:2010/02/10(水) 12:37:44 ID:F0XVb1Zp
ヤクザの受け売りとか言ってて恥ずかしくないのかお( ^ω^)…
もっともヤクザも武士も似たようなものだけど
外国人などはヤクザと武士の区別がつき難く、ヤクザは武士の後継者であると唱える学者もいるけど
実際、明確に区別できるかと言うと案外難しいお( ^ω^)
539人間七七四年:2010/02/10(水) 19:36:50 ID:6IXOrR71
仙台藩百姓がつけるイチャモンはヤクザ並みに社会の底辺に位置する
という意が含まれた皮肉だが、己が揶揄されたことにすら気付かなかったようだな
540人間七七四年:2010/02/10(水) 21:29:00 ID:YcVexgYR
いちいちそんなこと気にするくらいなら糞コテ続けてないよ
541奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/10(水) 21:39:18 ID:gYxW2n3A
膏薬には貼り付けない場所がある。百姓にはそれが分かるかもしれない。

分からないとは思うけど。
542仙台藩百姓:2010/02/10(水) 23:03:49 ID:F0XVb1Zp
貼ってはいけない部分など眼とか口内とか粘膜とか
成分と症状が合わないものや体質や他の疾患との作用など状況によっていくらでもあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
というか全然上手く掛けてないし掛ける必要性もなく下手で存在意義のない諺だお┐ (´ω`) ┌
543奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/10(水) 23:08:45 ID:gYxW2n3A
なんだその必死な虚勢は。欲しいのはそんな反応じゃない。
544仙台藩百姓:2010/02/10(水) 23:11:37 ID:F0XVb1Zp
今日の歴史秘話ヒストリア
家康が創ろうとしたつまらない社会に命懸けで抵抗した男、古田織部
なかなかよかったお( ^ω^)
545人間七七四年:2010/02/10(水) 23:52:44 ID:zjVuZpF2
戦国板の二大糞コテにとりつかれた家康公スレかわいそ
546人間七七四年:2010/02/11(木) 01:10:10 ID:T7Aho1e6
徳川スレで膏薬の話になったんだから大久保忠佐の話でもしてやれよw
547人間七七四年:2010/02/11(木) 03:13:35 ID:o+JV2iLj
こいつも政宗みたいに愛情が足りてないんだよ( ´,_ゝ`)
548人間七七四年:2010/02/11(木) 04:54:10 ID:RF3qBP/b
>>544
俺はつまらない社会の方がいいなぁ
少なくとも、生存確率はこっちのが高い。
549人間七七四年:2010/02/11(木) 11:42:20 ID:BDdo5gmy
ゴミクズみたいな糞コテどもが同類同士で煽り合いかw
その頭悪そうなコテはどんなツラして考えたのか教えてほしいわ(笑)
550人間七七四年:2010/02/11(木) 20:33:04 ID:Gn+LmMvk
一ノ瀬の戦いについて聞きたい
この勝利は全て天野景貫の手柄だと思うのだが
真田スレでは全て軍艦の昌幸の手柄にしていて腹がたったのだが
実際のところはどうなんだ
徳川ヲタには触れられたくない戦いだろうが
真実を知りたいんだ
教えてくれ!
551人間七七四年:2010/02/11(木) 21:00:08 ID:sxoz8ETY
軍監がそこまでの発言権を持ってるとは思えないので、天野景貫の功績でしょう
軍師や軍監の作戦が大成功というのは古典的な作り話のパターンですし
552人間七七四年:2010/02/11(木) 21:07:21 ID:Exjf8cKS
>>550
普通に天野景貫の手柄だと思う
武田の軍監が総指揮まで任されるのなら別だけど(ごめんよく知らない)
普通、軍監っていえばそこまで権力ないんじゃないかなぁ
553人間七七四年:2010/02/11(木) 21:08:13 ID:Exjf8cKS
>>551
たらたら書いてたらかぶった、ごめん
554人間七七四年:2010/02/11(木) 22:25:53 ID:Gn+LmMvk
やっぱりそうだよなあ
真田厨は何でも真田一人の手柄にしたがるからなあ
555仙台藩百姓:2010/02/11(木) 22:58:02 ID:nzKdAUUz
真田にだってボロ負けしてるしどっちだっていいじゃんお( ^ω^)ノシ

>>548
そりゃ漏れだって平和な世の中の方がいいお( ^ω^)
例え貧しく窮屈な社会でも戦やるよりかはマシであるお( ^ω^)
556人間七七四年:2010/02/11(木) 23:57:30 ID:BDdo5gmy
( ^ω^)(笑)
557人間七七四年:2010/02/12(金) 09:38:22 ID:9N0nCcsm
今日は、徳川家康公が征夷大将軍宣下を受けた日だったな。
…もっとも、旧暦に直せば何時だったか知らんが…。

ところで、徳川家康の将軍宣下の儀式は、
さぞかし盛大に執り行われたのだろうか?
558人間七七四年:2010/02/12(金) 09:41:28 ID:+eNcc4D7
その辺はよく知らないが、なんとなく家康の性格的にド派手なことはしなさそうな気がする
慣例に基づいて、可もなく不可もなくってイメージ

いや、もしかしたら珍しくド派手にやったかもわからんがw
559人間七七四年:2010/02/12(金) 11:27:53 ID:zVir8I60
大坂に豊臣家が残っている以上派手にはやれなかっただろう
そもそも家康の将軍宣下自体「秀頼が成人するまでの一時的なもの」という建前だったはずだし
560人間七七四年:2010/02/12(金) 13:39:22 ID:jR+8LHZ3
>>559
将軍宣下の時にはもうその建前は使ってなかったんじゃないっけ?
561人間七七四年:2010/02/12(金) 22:37:51 ID:TVCTbILO
たしか豊臣家も家康の征夷大将軍就任を祝う使者を出してたはず
同年には秀頼と千姫の婚姻が履行されてるし、
この時期の豊臣家との関係は比較的良好だった
両者の関係に亀裂が入るのは、秀忠が将軍になったとき
562人間七七四年:2010/02/12(金) 22:49:35 ID:TVCTbILO
>ID:jR+8LHZ3
同じIDが違う日に出てるのは初めて見た
どうでもいいといえばどうでもいいけど
563仙台藩百姓:2010/02/12(金) 23:17:54 ID:HQryFEej
頼朝、尊氏、家康
将軍宣下って職の機能上、ろくな状況下で行われないおね( ^ω^)
564奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/12(金) 23:20:45 ID:0QF+1nbP
もうどんな答えが欲しいのかさっぱりだな。
565人間七七四年:2010/02/13(土) 04:10:41 ID:DUHZd/6C
エロじじいがw
566仙台藩百姓:2010/02/13(土) 19:38:25 ID:cGLtjIs3
胡散臭いお( ^ω^)うむむ
567人間七七四年:2010/02/14(日) 00:19:25 ID:MYNA/0lR
うぃき見てると、城主がホイホイ謀殺されたりしてるんだが
2人くらいの腕利きとか交えて、人に会わんものなの?
568仙台藩百姓:2010/02/14(日) 09:09:00 ID:dTHlGjyA
護衛だって四六時中張り付いているわけにもいかないし隙などいくらでもあるお( ^ω^)
そもそも油断を誘うのが上手くいったから暗殺されるのだし
松平一族や配下も怪しげな者が多いし清康以降は特に酷く
家康の正体なんかも知れたものではないお( ^ω^)
569人間七七四年:2010/02/14(日) 14:58:27 ID:Wb/HVf96
輝宗がバカ過ぎただけだろうが
きっと政宗はバイオテロられたんだろうなw
おっと弟や娘も罠にはめられてたっけか?
570人間七七四年:2010/02/14(日) 15:44:29 ID:eLdRdp53
話の流れが全然分からん
571人間七七四年:2010/02/14(日) 16:16:18 ID:T7Ub8Kl7
 
「東海道中膝栗毛」で島津義弘をバカにする

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/38/264.html

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」は、島津義弘をバカにするために捏造された話。

滑稽本自体が捏造か、この人物が捏造なのかはわからない。

赤穂浪士の話をでっちあげる徳川幕府と大本営だ。何でもありだ。

学生も、無意味なものを丸暗記させられる。
572人間七七四年:2010/02/14(日) 18:51:12 ID:6DvE5OtV
宮城谷昌光の『風は山河より』を読んでるけど、
清康時代〜家康青年時代の松平家と、菅沼、奥平、牧野、戸田といった
のちのちは幕府の譜代大名となる三河の諸豪族との関係が面白かった。

『新三河物語』でもそうだったけど、宮城谷が大久保党にやたら肩入れしてるのが気になる。
いったいなんなんだろう?
573人間七七四年:2010/02/14(日) 19:27:20 ID:JynTqCtX
大久保が上和田で一揆を防がなかったら潰れてたよ
だからじゃないの?
574仙台藩百姓:2010/02/14(日) 23:08:49 ID:dTHlGjyA
三河物語ベースに書けば大久保贔屓になるのは当然だお( ^ω^)
575人間七七四年:2010/02/14(日) 23:16:12 ID:JynTqCtX
それが贔屓じゃないんだよ、家康は
576人間七七四年:2010/02/15(月) 01:53:48 ID:kolt4xiA
>>574
情弱乙
577仙台藩百姓:2010/02/15(月) 12:13:46 ID:GRlJ844G
家康は相当なものだけど家臣も酷いものだおね( ^ω^)
家康が八つ当たりで門奈に切り付けたのまで美談にしてるあたり救いようがないお┐ (´ω`) ┌
578人間七七四年:2010/02/17(水) 20:05:32 ID:vjbm0Lin
6本指の片目は黙れ( ´,_ゝ`)
579人間七七四年:2010/02/17(水) 22:15:50 ID:vulGO2C+
アホコテはあぼんしろよ(´・ω・`)
580オゴタイハン100勝:2010/02/17(水) 23:02:11 ID:DtTnQUPx
うむ( ^ω^)
581キプチャクハン100将:2010/02/17(水) 23:08:21 ID:DtTnQUPx
家康は蒲生氏郷や加藤嘉明の爪の垢でも煎じて飲むべきだおね( ^ω^)
582月孔雀:2010/02/18(木) 00:54:22 ID:FS6rgjQd
家康は、最後、用済みで、毒殺されてるよ。
583人間七七四年:2010/02/18(木) 09:29:15 ID:g8RSyfGu
ようやく山岡家康が読み終わりそうだ…長かった
584人間七七四年:2010/02/18(木) 12:38:43 ID:Lku2Cxme
三河の田舎侍が天下を取ったせいで米本位が強化されて貿易が停滞
米が取れない北方が軽視され、航海技術も低下
日本の領土拡大が300年遅れた
585人間七七四年:2010/02/18(木) 13:23:48 ID:E2d4k91W
帝国日本も米作地帯を獲得しようと半島・大陸に行っているけどね。
586人間七七四年:2010/02/20(土) 12:47:13 ID:c3ojS5bQ
>>583
関が原終了あたりでいったん止まるよな
2週目もそこで止まってる
587人間七七四年:2010/02/27(土) 12:08:12 ID:2xMQotJD
家康が死を覚悟したという、背中の腫れ物って
結局何の病気だったんだ?
588人間七七四年:2010/02/27(土) 12:41:06 ID:XnKxVyLz
嚢胞じゃないかな、

チンコの脇に患って炎症おこしたときは死ぬほど痛かった
皮膚科の女医さんに中身搾り出されるとき痛くて泣いた
チンコも金玉も縮んでしまった、、、もったいない
589人間七七四年:2010/02/28(日) 01:18:36 ID:i41rzTE9
土井利勝
590人間七七四年:2010/02/28(日) 11:57:18 ID:NZcrVq7k
>>588
それ麻酔とかしてもらえなかったのか?
591人間七七四年:2010/03/03(水) 22:58:59 ID:XZUIP2Ih
家康も感心する浅田真央、君ならきっと天下を取れる

【五輪】 浅田真央 「銀メダル、いつも見えるところに置いて悔しさを忘れないようにする」「おにぎり食べて高得点」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267600819/l50
592人間七七四年:2010/03/04(木) 08:39:23 ID:7A+3JD1y
家康が李朝に屈服したように浅田じゃキムヨナには勝てない
593人間七七四年:2010/03/04(木) 09:30:04 ID:j7HRzf+O
その屈服した李朝は将軍が変わる度に祝賀の国使を送ってきているわけですが

※日本からはそんなことは一切していない
594人間七七四年:2010/03/04(木) 13:37:52 ID:X4FCRAYP
家康が李朝に屈服したという事実がないように、
浅田じゃキムヨナには勝てないという事実は無い

と読めますな
595人間七七四年:2010/03/04(木) 13:48:19 ID:KwlEP3lM
韓国北朝鮮じゃあ李朝が屈服したと教えてないし、当時の李朝も屈服してないと言い張ってる
実質どうだったのかは置いといて
596人間七七四年:2010/03/04(木) 14:05:04 ID:X4FCRAYP
主客倒置?
597人間七七四年:2010/03/04(木) 15:48:07 ID:RzLaQgUu
悔しがって泣いてる姿を絵に描かせるべきだったな
598人間七七四年:2010/03/04(木) 23:27:31 ID:dTehIane
本屋で平積みになってる小説で、
家康が実は李朝のスパイだったという設定の本があったな
時間なくて中身まで確認できなかったから詳細は知らんけど
599人間七七四年:2010/03/05(金) 10:00:51 ID:tUiuzsCC
在日が書いてそうな小説だな
600人間七七四年:2010/03/05(金) 13:00:56 ID:ah6FdDAd
たしかに日本人ならまったく興味なさそうな題材だw
601人間七七四年:2010/03/05(金) 14:16:07 ID:a92k+VSx
ひょっとして荒山徹せんせーの作品か?

アレは人を選ぶが、「トンデモ伝奇」としては非常に面白い
史実?そんなの関係ねぇ!って山風が好きな人ならいけるんじゃないか?
602人間七七四年:2010/03/05(金) 18:57:00 ID:jkkgVW4g
>>601
そうそう
あまりにトンデモ設定だからどんな電波さんだよ、と思って
後書き見たら秀吉の朝鮮出兵を擁護してる
自由主義史観の持ち主なんだよな
面白いんだ、アレ
603人間七七四年:2010/03/06(土) 20:35:50 ID:Facuxshd
なんで日光だけ参拝料かかるの?
伊勢神宮とか他の神社仏閣はどこも参拝料なんて掛からないのに。

「心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし」
で染まってしまった私には腑に落ちない。
604人間七七四年:2010/03/06(土) 23:29:10 ID:s9wzrEXG
保存に金がかかるとか?
あとは神社本庁とは独立してるから独自に金を集めなきゃならないとか
605人間七七四年:2010/03/07(日) 00:06:53 ID:MPUr1GHv
>>603
瑞鳳殿もかかるよ確か
606人間七七四年:2010/03/07(日) 01:17:03 ID:cKfmq666
浜松の某有名寺も以前は建物有料・境内無料だったのが
ある時期から境内から有料になってしまった
理由は本殿改修のための云々だったような
実際去年から直してる
607人間七七四年:2010/03/07(日) 02:06:25 ID:f2rC6afv
新建材使ってお手軽にってわけにはいかんからね
608人間七七四年:2010/03/07(日) 15:14:14 ID:5HF1vnBp
昔の建築物の工期の短さは凄い
609人間七七四年:2010/03/07(日) 20:01:20 ID:A083kZvv
水戸藩開藩400年記念企画第3回  十五代当主 徳川斎正・眞木夫妻  和楽2010年3月号

徳川家の雛人形と雛形道具


眞木
「先代夫人である義母は広島の浅野家から嫁いできましたが…」
「江戸から明治にいたる激動の時代を生きた11代昭武公とそのご正室様、
外交官だった12代篤敬公とその正室様も洋行され、
ヨーロッパ社交界へお出になりましたし…」

Download now→50秒後にClick here to start your download
http://www.zshare.net/download/734183074891e27b/

【ファーストレディー】鳩山幸をウォッチするスレ 10
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1263368465/
幸の祖父について疑問。
100年前、屋号、土地、蔵がある家の人間は日本を離れない。
あの時代移民として海外に行くのは、残念ながら水のみ百姓の人達。
http://s04.megalodon.jp/2009-1027-1252-51/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/89-90
後半部分に屋号の話がでてきます (週刊文春2009年10月8日号)
http://s01.megalodon.jp/2009-1027-1249-36/hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1255494891/37-53

戦前戦後の歴史に詳しい方、ぜひ鳩山幸スレに書き込んでください
610人間七七四年:2010/03/13(土) 08:36:32 ID:r9m7BEIj
今の日本で徳川って名前のやついんの?みたことねー
611人間七七四年:2010/03/13(土) 12:20:49 ID:T8IgvlsC
あんたがみたことなくても徳川って苗字は現存するよ
今ではレアな部類だ
612人間七七四年:2010/03/13(土) 12:29:50 ID:kjgKaeFv
細川さんの話だったかな。

三菱商事かどっかに勤めていて同僚に前田さんが居たそうだ。
どっちも本家の人間。

課長が二人を呼びつけて「俺って偉いなあw」と遊んでいたらしい。

駿府に引いた本家の徳川さんの情報ってないかな。
613人間七七四年:2010/03/13(土) 12:48:00 ID:0GBrakTQ
614人間七七四年:2010/03/13(土) 17:05:21 ID:ttyacgr2
同級生に徳川って女の子がいたよ、美人だったよ
615人間七七四年:2010/03/14(日) 04:32:27 ID:ATci9u+V
>>612
前田家の当主である前田利祐氏にも似たような話有ったな
徳川家当主である徳川恒孝氏と日本郵船で同僚で、
当時の上司が「徳川と前田を従えるなんて太閤秀吉以来だ」って喜んだ話
616人間七七四年:2010/03/14(日) 11:03:14 ID:6MlKRtlL
>>615
すまん。その話が俺が聞いた話だ。
微妙に改変されていたな
617人間七七四年:2010/03/14(日) 15:42:54 ID:FTzBJYiS
そう言えば愛子たんのいじめっ子って、右翼にやられないの?
618人間七七四年:2010/03/14(日) 23:18:39 ID:r3mEPm9O
右翼なんてとっくに消滅してるよ
今は政界やマスコミを始め韓国や中国の息のかかった反日勢力が主力
天皇家なんかはいずれ消え行く運命だな
619人間七七四年:2010/03/15(月) 11:15:54 ID:1n6IBlPD
>>612,615
それ、徳川恒孝氏の著書「江戸の遺伝子」に載ってた話だよ
この本、なかなか面白かったのでお勧め
620仙台藩百姓:2010/03/21(日) 08:51:40 ID:TIuYpZAb
どういう経緯で恒孝氏が選ばれたのか知らないけど
幕府が嫌っていた水戸藩と幕府が捨て駒にした会津藩の末裔が当主になるとは皮肉だおね( ^ω^)
621人間七七四年:2010/03/21(日) 19:28:01 ID:z9ztJ3ml
家康と竜馬を比べるアホがいるそうだ
622仙台藩百姓:2010/03/21(日) 23:45:57 ID:TIuYpZAb
別に比べてもいいじゃんお( ^ω^)
何の意味があるのか知らないけど
623人間七七四年:2010/03/22(月) 01:28:12 ID:XLZGHw7C
幕末全然興味無い
624人間七七四年:2010/03/22(月) 07:44:37 ID:3S++Hren
幕末=大山鳴動してねずみ一匹
625仙台藩百姓:2010/03/22(月) 08:22:43 ID:Ce8/ok1R
幕末だって徳川政権の内なのだから興味もてお( ^ω^)
家康の再来と言われた慶喜君もいるお( ^ω^)
626人間七七四年:2010/03/22(月) 20:32:57 ID:Xm0zIFCZ
あんなんが家康だったら桶狭間か三方原で自害して終りだわ
627人間七七四年:2010/03/22(月) 21:34:49 ID:Vc9DhTNd
そんなわけあるか!
広忠親父が殺害された時点でアウトだ
628人間七七四年:2010/03/23(火) 00:39:17 ID:P4DhJiDL
ちがうちがう、徳川三百年が六百年になり、日本はいまだに江戸時代…
629仙台藩百姓:2010/03/23(火) 00:49:58 ID:RIg8DYSs
慶喜が家康に似ているのは逃げ足の早さぐらいなもので
見た目は貴族的な顔立ちだし頭の回転は早いし思考も先進的で柔軟だし家康とは全く似てないおね( ^ω^)
むしろ親父の斉昭の方が似ているお
野心を押し通そうとする強引さや異常性欲者である点とか( ^ω^)
630人間七七四年:2010/03/23(火) 01:02:58 ID:P4DhJiDL
いいかい、最初が慶喜で幕府を開くだろう?
最後が家康で薩長と戦うわけだ
家康が薩長に負けると思う?
よって日本は今でも江戸時代のままってわけだよ…
631仙台藩百姓:2010/03/23(火) 11:42:59 ID:RIg8DYSs
誰が将軍になろうと勝てるわけないおね( ^ω^)
幕臣はやる気なしで親藩譜代は他人のふり
そこに先進性もなく戦下手だが欲望だけは人一倍の家康が乗っかったら
見るも無惨な最後を遂げるしかあるまいお( ^ω^)
その点、勝ちを捨て時勢を読み自ら幕府を畳んだ慶喜と勝はたいしたものだお( ^ω^)
家康と比較するのは無礼というものだお( ^ω^)
632人間七七四年:2010/03/23(火) 14:32:42 ID:P4DhJiDL
扇子も団扇もないようだな
百姓じゃしょうがないか…
633人間七七四年:2010/03/23(火) 15:53:34 ID:lBpNl8Kn
>>630
いつのまにか、薩長と対立時の幕府頭領が家康って仮定に摩り替わってないか?

とりあえず家康が生きた時代を、慶喜の力量や性向で経験することになったらどうなっていたか
という話だったはずだが
634人間七七四年:2010/03/23(火) 15:57:10 ID:P4DhJiDL
家康の再来なんだから、イコールじゃないの?
つまり幕末家康だろうに
635人間七七四年:2010/03/23(火) 17:09:15 ID:YMdPxeJh
636人間七七四年:2010/03/23(火) 20:28:04 ID:/txjenD9
家康でも薩長に勝つのは無理だろうけど、
薩長と対立する前に手を打ちそうな気はする
実際は将軍の裁量権が制限されてきたから難しいだろうが
637人間七七四年:2010/03/23(火) 20:31:58 ID:P4DhJiDL
家康でもかよ、まあいいが、ちったあユーモアつうものを解せよ
ったくよ
638人間七七四年:2010/03/23(火) 22:14:22 ID:/txjenD9
ネタがほしいなら自分でも考えてみたらいい

まあ英雄が出現するためには時代的条件に合致しないと難しいということ
639仙台藩百姓:2010/03/24(水) 09:45:42 ID:IK8NtXh1
動乱期に生まれ天下取ったのに英雄視されない家康はある意味奇跡だお( ^ω^)おっ
640人間七七四年:2010/03/24(水) 10:07:45 ID:6G7q85gN
>>639
現代だと薩長の意向が強いからな
どっかのクソ大河のせいで家康を嫌う子供がいてプロデューサーが喜ぶとかいう状態だし

普通に三河の小国から蹴鞠のように人質になって今川から領地を切り取り(しかも信長を助けながら)
信玄・勝頼の猛攻に耐え数倍の秀吉に勝ちぎりぎりまで交渉して
関ヶ原で慎重を期して(それでも危なかったが)やっと幕府を開いて天下統一したというのに
運だけじゃ切り抜けられない状況もいくつもあったし
普通に尊敬に値する人物なのになー
641人間七七四年:2010/03/24(水) 10:31:15 ID:6hG+YHEt
日本では最後の勝利者は嫌われる
642仙台藩百姓:2010/03/24(水) 13:05:31 ID:IK8NtXh1
>>640
家康は徳川史以外では元から余り評価されてないお( ^ω^)
今川から領地切り取ったといっても信長が義元討ち取ったからだし
武田の攻撃凌いだのも織田の後詰めがあったからだし
関ヶ原もあくまで豊臣勢の陣代としての勝利だし
やはり誰の目にも微妙に映っていたのだお( ^ω^)
643人間七七四年:2010/03/24(水) 13:45:59 ID:ZOSlKVBk
棚からぼた餅でも食った者が勝ちだよ
落ちてくるところに口を開けて待ってなきゃ食えないからな
仙台で口を開けて待っててもバカとしか映らないよ
644人間七七四年:2010/03/24(水) 14:11:48 ID:YPTlBRwQ
百姓にはNG入れてるので触らないで下さい
ってか糞コテいじるなよ、構うせいで居着いちゃっただろ・・・
645人間七七四年:2010/03/24(水) 14:25:02 ID:ZOSlKVBk
ヒマなんだもん
646人間七七四年:2010/03/24(水) 17:33:11 ID:6l41g1XW
>>639
いかにも英雄らしい英雄なんて偽者
ミーハーが寄り付かない玄人好みのする英雄だからいいんだろうが
647仙台藩百姓:2010/03/24(水) 19:07:35 ID:IK8NtXh1
家康はミーハーにも玄人にも人気ないじゃんお( ^ω^)
それ以前に英雄とはみられていないお( ^ω^)
648人間七七四年:2010/03/24(水) 21:15:47 ID:6l41g1XW
お前が家康好きでないのは当然だと思うし、
ご同慶の至りに堪えない
せいぜいこのスレを盛り上げてくれ
649人間七七四年:2010/03/24(水) 21:26:26 ID:/RsSZPns
家康が英雄ってのは家康好きからしてもありえんと思うよw
650人間七七四年:2010/03/24(水) 21:46:34 ID:hsSf//rK
困るなあ・・・クソ固定にレスしてるやつがいるからスレの流れがわけが分からなくなってる
651人間七七四年:2010/03/24(水) 22:32:51 ID:6l41g1XW
このスレ盛り上げてくれる恩人だろ
糞コテいなければ閑散たるものだ
了見狭すぎ
652人間七七四年:2010/03/24(水) 23:02:15 ID:hsSf//rK
自分の行為を正当化するために荒らしも正当化しようとするやつってなんなんだろう?
653人間七七四年:2010/03/24(水) 23:43:59 ID:ZOSlKVBk
嵐じゃないだろう、んなパワーはないぞ
せいぜい温帯低気圧、前線もなーんも伴ってない
単なる気圧の低い大気ってとこだぜ、雨もふらないよ
654人間七七四年:2010/03/25(木) 13:53:30 ID:sZwtJVIz
温帯低気圧を侮ってるのか、あるいは誤認してるかの
どちらかとしか思えんな
655仙台藩百姓:2010/03/25(木) 23:54:49 ID:Nk6eCr4C
しかしまあ将軍様だの大御所だの言っても特にたいした事やってないおね( ^ω^)
所帯が大きくなると組織が独り歩きして行き
トップはさしたる仕事がなくなっていくのはどこも同じだおね( ^ω^)
656人間七七四年:2010/03/26(金) 01:19:38 ID:gicOsViJ
おまいんとこの大将なんて、ママに甘えて
料理作ってただけだろ ( ´,_ゝ`)
657人間七七四年:2010/03/26(金) 02:30:59 ID:bBKRHD+j
>>19
その家康、本能寺の変に際して堺で孤立してしまい、伊賀の山中の難所を抜けて命からがら三河に脱出する
ような危機に見舞われながらも、帰還後すぐに光秀討伐の兵を挙げ、熱田まで進軍してますし。
これで家康を不義理と詰っては、かえって秀吉の方が鼻で笑われますよ。
658仙台藩百姓:2010/03/26(金) 09:21:57 ID:mkP9Is0N
すぐに?( ^ω^)
岡崎に帰還してから鳴海に進出するまで11日もかかってるお┐ (´ω`) ┌
家康が岡崎に入った時、秀吉はまだ高松城にいたのに
家康がのろのろ行動してる間に毛利と講和をまとめて姫路に引き返し
兵站を整え一気に上方に進出し光秀を討ってるお( ^ω^)
その間家康は岡崎から熱田まで移動しただけ
秀吉から、もう片付いたから来なくていいよ、と言われておめおめと引き返している
一体どちらが笑われるというのだお( ^ω^)
そもそも本当に光秀を討つ為に出兵したのかも怪しいお┐ (´ω`) ┌
659人間七七四年:2010/03/26(金) 09:49:18 ID:XGANCwXx
そりゃそうだ戦闘準備を一切していないのと、直ぐに動ける軍隊を持っているのでは
即応体制が全く異なる
状況を認識せずに何を頓珍漢なことをホザいているんだ
660人間七七四年:2010/03/26(金) 10:35:42 ID:nR3rNELp
本能寺も秀吉黒幕説とかあるね
661人間七七四年:2010/03/26(金) 11:48:50 ID:1tcIqOlS
そんな妄説があることは知っているが、
だからなに?
662人間七七四年:2010/03/26(金) 12:10:27 ID:J1GFiOkC
説として、ならありますよ。

ただ説があるかどうかと、その説に信憑性とか説得力とかがあるかどうかは別なんで
663人間七七四年:2010/03/26(金) 12:42:53 ID:vcfe05ov
別に黒幕じゃなくても秀吉ほどの人間通で才気があれば、
ここで援軍要請してゴタゴタすれば面白いことになるかも、くらい読めていただろ
664人間七七四年:2010/03/26(金) 12:46:47 ID:0Z4zkcFd
運が良ければ、凡人でも天下を取れると証明した点では評価できるな
665人間七七四年:2010/03/26(金) 15:26:09 ID:6d6cPGwR
人質に出されるような境遇に生まれ
信玄と戦わなきゃならないような所に住み
信長の機嫌を取らなきゃならないような人生が
運がいいのか?
666人間七七四年:2010/03/26(金) 15:57:33 ID:kcFAFVxP
長生きも本人の努力の結果だしな

どちらかというと、99%の努力と1%の運ってやつだと思うよ
んで、その1%の運の恩恵を最大限に得た
運も実力のうちというけど、この運にそっぽ向かれたタイプは結構多い
某独眼竜なんかがその運にそっぽ向かれたタイプの典型だな
667人間七七四年:2010/03/26(金) 16:04:59 ID:XGANCwXx
むしろ運が味方しなかったことも家康には多い
668仙台藩百姓:2010/03/26(金) 16:58:37 ID:mkP9Is0N
>>659
わざとデタラメ言ってるのか素で頓珍漢なのか知らんけど
家康は出陣の準備終えてから8日かかっているのだお( ^ω^)
秀吉は5日で光秀を討ったというのに┐ (´ω`) ┌
669人間七七四年:2010/03/26(金) 17:05:58 ID:T2ilSfDZ
人質に取られるバカ父親と、それを撃ち殺す息子には言われたくないなw
670人間七七四年:2010/03/26(金) 17:25:47 ID:XGANCwXx
>>669
何を勘違いしているのか知らんが、東三河衆が岡崎にくれば
出陣準備完了とする思考が理解できない
671仙台藩百姓:2010/03/26(金) 18:01:15 ID:mkP9Is0N
>>670
準備完了もなにも出陣の命を出してるじゃんお( ^ω^)
秀吉などは本拠地から100km近くも突出して大軍と対峙していたのに
急ぎ講和を締結し毛利が退いたのを確認してから陣を引き払い
姫路で準備を整え5日後には明智を屠っているお( ^ω^)
しかも秀吉は織田家中であるわけだから与力を多く抱えていて
彼らがどう動くかは未知数であり
更に他の地域の織田家臣についても同じ事が言えるお( ^ω^)
それを急行する間に騙したり宥めたりしながら吸収し富田に着く頃には大軍になっていたお
そして山崎で明智を破ると

この間家康がやった事→岡崎から熱田まで散歩( ^ω^)ピッ
672人間七七四年:2010/03/26(金) 18:26:43 ID:6d6cPGwR
家康は石橋を叩いていたんだよ、叩いて、叩いて
叩きまくっていたのさ
673人間七七四年:2010/03/26(金) 19:33:53 ID:XGANCwXx
>>671
秀吉のは作戦行動中の軍隊だから
ほぼ平時の軍隊が動けるようになるまでどれだけかかるか知らんのに物言うな
その上、移動するのは他人の土地だ
移動するのには現地の了解をとらなければならない
674人間七七四年:2010/03/26(金) 21:30:16 ID:RLgpagD8
アホの長文よく読むなあ・・・
675人間七七四年:2010/03/26(金) 22:38:39 ID:SBkICc+U
アホの長文だからこそ、ざっと読めば理解できるのだよw
676人間七七四年:2010/03/26(金) 22:55:48 ID:6d6cPGwR
枯れ木も山のにぎわいだよ、いなくなると寂しいよ? きっと
677仙台藩百姓:2010/03/26(金) 23:27:43 ID:mkP9Is0N
>>673
だから準備整ってからの行動も遅いと言っているのだお( ^ω^)
それに余所の領地通るのは秀吉も同じ
秀吉はあの急行動の中で諸将の取り込みを行っているのだお( ^ω^)
家康の遅滞の原因がそこにあるというならやはり能力に劣るということだお( ^ω^)
尤も誰かが徳川勢の行動を阻害してたなんて話し聞いた事ないけど( ^ω^)
678人間七七四年:2010/03/27(土) 00:22:04 ID:dXBRi5/t
あんた岡崎から京都まで鈴鹿とか関が原越えて逝ったことあるの?
679仙台藩百姓:2010/03/27(土) 08:52:56 ID:XRgjrjrp
漏れ?( ^ω^)
関ヶ原は電車で通った事はあるお
あまり仲良くない従兄弟が岐阜に住んでいるのだお( ーωー)
鈴鹿はサーキットに行ったお( ^ω^)
680人間七七四年:2010/03/27(土) 10:12:28 ID:MC7QIS4z
>>677
ほう、では何時準備が整ったと考えているんだ
>>670で貴様の言う準備完了は東三河衆の岡崎到達に過ぎないと書いたのだが
そして、秀吉は播磨まで自分の勢力圏内だ
681人間七七四年:2010/03/27(土) 14:20:33 ID:8og8OcZ/
>>676
それは絶対に無い
要らないものは要らない

ところで今月号で家康特集してる雑誌があったな
誌名忘れちゃったが立ち読みしてきた
基本的に内容はよくあるものだったけど
北条との対立でけっこう緊迫してた部分だけは知らんかった
まだ勉強不足だなと感じた
682仙台藩百姓:2010/03/27(土) 21:59:32 ID:XRgjrjrp
>>680
漏れが考えてるのではなく家康が出陣を6月12日に定めてるのだからその日が準備完了日だお( ^ω^)
実際は天候不良で更に2日先延ばしにしているけど┐ (´ω`) ┌
秀吉は暴風雨の中、夜通し50数Km移動している事を考えても家康の意識の低さや鈍重さがよく顕れているお( ^ω^)

もまえが読んだのは歴史街道じゃないかお( ^ω^)
漏れも立ち読みしたけど大坂の陣がはしょってあったお┐ (´ω`) ┌
683人間七七四年:2010/03/27(土) 22:29:57 ID:MC7QIS4z
>>682
延びた理由が悪天候が理由なんて初耳、どこから持ってきたのやら
動員に手間取ったと見るのが当然
684人間七七四年:2010/03/28(日) 00:36:51 ID:ieljEDjB
秀吉みたいな一発屋のスピードを
大奥抱えながらの260年政権に求めるほうが酷だろ。
685人間七七四年:2010/03/28(日) 00:54:06 ID:u+bNSG/9
しかし考えれば考えるほど大返しってのは
本能寺を予期してたのかのような行動だよな
なにか情報をつかんでいたのではないのか?
686人間七七四年:2010/03/28(日) 05:06:37 ID:JK18SHJz
まぁ、味方の信孝らと合流急いだらああなったってとこだろうね
687人間七七四年:2010/03/28(日) 10:32:37 ID:u+bNSG/9
事前準備もなしで武器弾薬装備、別々に運ぶだろうか
重装備のまま動くだろうに、丸腰じゃゲリラでも戦えないぞ
688人間七七四年:2010/03/28(日) 10:57:24 ID:UYcR/YZv
信長以外全員犯人説ってなかったっけ?
689仙台藩百姓:2010/03/28(日) 23:44:08 ID:RH1oP2Va
無理矢理黒幕探す必要もあるまいお( ^ω^)
690人間七七四年:2010/03/29(月) 00:18:41 ID:hRloevO4
ドイツ参謀本部じゃないけど、兵站の仕事は参謀の仕事だろう
何をどんだけ運ぶのか、それに人夫が何人いるのか
またそれに必要な食料、水、金、計算しなくちゃならない
それをして、さらに手配してはじめて兵站として機能する
信長が死にました、じゃあ大返ししましょうってな訳にはいかない
691人間七七四年:2010/03/29(月) 00:57:50 ID:hRloevO4
でも水攻めをやってるから、その人夫たちを配置しておけば…
そうなるとますます準備万端つう感じか
692人間七七四年:2010/03/29(月) 10:09:03 ID:NnyX+ugK
>>689
よう、それで家康が悪天候で出陣延期した根拠を
とっとと出せや、コラ
693人間七七四年:2010/03/29(月) 17:08:55 ID:lvP3Dl9L
>>665
信長のお陰で今川の犬の境遇から脱し、
光秀のお陰で信長の犬の境遇から脱し、
秀長が早世したお陰で豊臣の犬の境遇から脱し、
小早川秀秋のお陰で天下人になれ、
淀が世間知らずのお陰で南北朝の動乱を回避できた家康のどこが運が悪いのかね
まさに運で天下を取れた稀有な幸運爺だろ
694人間七七四年:2010/03/29(月) 17:30:06 ID:hRloevO4
勝てば官軍、負け犬の遠吠えはさびしいもんだよ
695人間七七四年:2010/03/29(月) 17:43:46 ID:lvP3Dl9L
要するに、凡人でも運が良ければ天下さえ取れるということを認めたわけだな
696人間七七四年:2010/03/29(月) 18:21:18 ID:b4JRL83s
運で天下を取ったというには犬の境遇の時代長すぎだな
それに小早川が寝返ったのは家康にとっては善因善果、三成にとっては悪因悪果にすぎない
697人間七七四年:2010/03/29(月) 18:28:25 ID:hRloevO4
運が悪かったら天下なんて取れるかよ
家康が凡人で幕府を開けるのなら
凡人でない人はどうなるの? 宇宙人で首相にでもなるのか?
698人間七七四年:2010/03/29(月) 19:03:59 ID:lvP3Dl9L
家康より有能でも、農民の子として生まれたり、大名の子として生まれても、生まれた地域が悪かったり時代が早かったり遅かったりによって天下取りは不可能な事など、常識だろ。
699人間七七四年:2010/03/29(月) 19:53:34 ID:0CZBaVOY
そこまでいくと天下人になるには運が必須ってだけで家康以外の天下人や
著名な戦国大名にも命からがら強運で命を拾ったエピソードぐらいあるでしょ。
700人間七七四年:2010/03/29(月) 20:01:03 ID:lvP3Dl9L
要するに、凡人でも運が良ければ天下さえ取れるということを認めたわけだな
701人間七七四年:2010/03/29(月) 20:08:29 ID:NnyX+ugK
無理
運以外に才がなければ天下は取れない
家康にも運に見放された時期があるし
702人間七七四年:2010/03/29(月) 20:19:28 ID:lvP3Dl9L
>家康にも運に見放された時期があるし
いつ、どこでよ
永禄、元亀、天正、文禄、慶長の間の何年何月のいつで相手は誰だ
明確に示してくれ
703人間七七四年:2010/03/29(月) 20:26:13 ID:hRloevO4
運の相手は神か天だろうに、人間相手に運って言うか?
704人間七七四年:2010/03/29(月) 20:44:39 ID:lvP3Dl9L
運は人間関係によって左右されるんだろうに
家康は誰とも関わらず、天涯孤独で一生を送ったのか
頭大丈夫か

結局>>701の書き込みは根拠梨の張ったりって訳ね
ま、こっちもそんなの重々分かっていたけどさ
705人間七七四年:2010/03/29(月) 21:20:07 ID:hRloevO4
運って運命のことじゃないの? 人間関係?
ある星の下に生まれてくるのが運命じゃないの?
人知を超えたものだろう? 天涯孤独だったらそれも運命じゃないの?
706人間七七四年:2010/03/29(月) 21:24:19 ID:NnyX+ugK
>>702
関ヶ原の時、秀忠隊に関ヶ原転進を命じる使者が利根川の増水で足止めを食らった
そのせいで秀忠隊は本戦に間に合わなかった
707人間七七四年:2010/03/29(月) 21:25:04 ID:lvP3Dl9L
>>705
「運命」も「運」も人間社会、人間の行動あっての事だろ
戯れ言はいいから、>>702の問いに答えな
無理か
708人間七七四年:2010/03/29(月) 21:28:06 ID:lvP3Dl9L
>>705
家康が今川の呪縛から解放されたのは誰のお陰だ
誰かのお陰だよな
関ヶ原で勝てたのは、誰のお陰だ
全て人間の行動が絡んでるだろうに
ほんまにレベル低いわ、君は
709人間七七四年:2010/03/29(月) 21:36:03 ID:hRloevO4
運命って人間の行動に関わりに関係なく定められているのが
運命だろう? ちがうのか? おかしくないかい? 考え方が…
710人間七七四年:2010/03/29(月) 21:39:53 ID:lvP3Dl9L
>運命って人間の行動に関わりに関係なく定められている
それは無人島で孤独で生きている場合のみ通用する論法だ。
戯れ言はいいから、>>702の問いに答えな
711人間七七四年:2010/03/29(月) 21:41:36 ID:hRloevO4
もういいよ、あんたの頭がおかしいのはよく判ったから
止めようよ
712人間七七四年:2010/03/29(月) 21:44:25 ID:lvP3Dl9L
なら、下記の書き込みは嘘だと認めな
>家康にも運に見放された時期があるし
713人間七七四年:2010/03/29(月) 21:47:45 ID:5OvKjFha
義元がコケなきゃ恐れまくる人生送らずにすんだのにねツイてないね
714人間七七四年:2010/03/29(月) 22:00:33 ID:hRloevO4
ほんとうに頭おかしいよ
>>家康にも運に見放された時期があるし

別の人の発言だよ
715人間七七四年:2010/03/29(月) 22:23:28 ID:Hm4vJiSm
>>712
IDよく見なよ
716仙台藩百姓:2010/03/29(月) 23:00:20 ID:rtt6MFip
運も才能のうちだし運だけでもいいじゃんお( ^ω^)ノシ
どんな事でも極めれば成功すると言う事だお
もっとも運は努力で極められるものではないけど┐ (´ω`) ┌
そう考えると家康は戦国最強だお( ^ω^)
数多の英雄豪傑達が心血を注いでも得られなかったものが家康には転がり込んで来たのだから
これ以上凄い事はないお( ^ω^)
717人間七七四年:2010/03/29(月) 23:54:46 ID:NnyX+ugK
>>716
それで本能寺の変時に家康が悪天候で出陣を延期した根拠は?
718仙台藩百姓:2010/03/30(火) 16:57:40 ID:Yhe6pT2g
>>717
( ^ω^)?
何か他に理由あるなら遠慮せず言うといいお( ^ω^)
別に理由なんて何でもいいし( ^ω^)
719人間七七四年:2010/03/30(火) 17:36:02 ID:tQjLHhD4
>>718
何だ、適当な事を言っただけか
720仙台藩百姓:2010/03/30(火) 20:07:29 ID:Yhe6pT2g
>>719
樋口氏や蒲生氏の著書(本能寺の変)や桑田氏の著書(徳川家康)で
大雨(長雨)によって出陣が延期されたと述べられているから書いたわけで
別に漏れが作ったわけではないお( ^ω^)
721人間七七四年:2010/03/30(火) 22:25:42 ID:tQjLHhD4
>>720
当時の家忠日記に雨の日が多かったから、特に考察しないでそれに飛び付いたんだろうな
家康が岡崎を出陣した6月14日に家康は美濃の松ノ木城主、吉村又吉郎へ協力を謝する手紙を送っている
他にも同日に美濃の豪族に書状を送っていることから、その前日まで彼らへ領内通過や合力の交渉を行って
いたことになる

こういう大日本史料を見れば直ぐに解る事をどうしてできないのだろう、その作者達は
722人間七七四年:2010/03/30(火) 23:08:23 ID:GdGXHPaJ
家康は関が原の時も手紙を書きまくって情報を仕入れてるよね
いつからなのかなぁ…
一方の秀吉は即座に大返しだよね、つまり情報は既に掴んであった
とみていいんだよね?
723仙台藩百姓:2010/03/30(火) 23:20:58 ID:Yhe6pT2g
>>721
彼らの著書でもそれらの書状は挙げているお( ^ω^)
その上で降雨の事を記載しているのだから何らかの理由があるはずだお
状況的に見れば降雨の影響や書状送る為に延期したとは考え難いけど( ^ω^)
724人間七七四年:2010/03/30(火) 23:45:38 ID:tQjLHhD4
>>722
>>723
五日には尾張・伊勢から合力を約す使者が来ている、おそらく家康としては
自身だけでなく、周辺の織田家家臣と連合した上で明智を討つつもりだった
と思われる

そこら辺の交渉で出陣が長引いたと思われる
なにしろ織田家の最古参の同盟相手とは言え外様の徳川の指揮下に入るのだから
725仙台藩百姓:2010/03/31(水) 11:17:51 ID:j6cf5yJS
>>724
まあ、その辺りは他の武将でも同じだお( ^ω^)
秀吉も丹羽、信孝、中川、高山、池田らを指揮下に取り込んだけど
彼らは別の指揮系統に属していたし信孝などは上位だお( ^ω^)
それとその家康の工作から見ても徳川が同盟者だったとは言い難いお
「上様御弔」「若君様供奉」などと述べてるし既に織田家中に取り込まれていたと見るべきではないかお( ^ω^)
726人間七七四年:2010/03/31(水) 11:37:38 ID:l7pNwbgN
>>725
秀吉は基本的には信孝を名目的にとは言え総大将にしており、この点は名分的に影響が大きい
家康のこの頃の立場については色々意見があるが、武田征伐後の駿河について信長の内政干渉
は受けておらず、その点を以てこの頃の家康が織田の家臣となったという論は否定される

上様の尊称はどちらかというと信長=天下人という認識より成り立ったものと思われる
727仙台藩百姓:2010/03/31(水) 13:22:40 ID:j6cf5yJS
天下人が存在するなら皆支配下に入っていると言う事だお( ^ω^)
信長が天下人かと言うと色々問題があるけど。
家康が安土に上ってると言う点でも臭いお( ^ω^)
728人間七七四年:2010/03/31(水) 15:40:44 ID:l7pNwbgN
天下人というのは絶対的な基準はなく、当時の人がそう思ったらそうだと言うものに過ぎないし
家康が安土に行ったのも武田征伐で駿河をもらったお礼という形だし

別に当時の信長と家康が同格というつもりは無い
でも、単純な主従関係にあった訳でもないと認識するべき
729人間七七四年:2010/03/31(水) 18:52:23 ID:XAQIHuAk
結局、家康じゃ主君の仇を討つことにゃならないわけだ
盟友の仇じゃ信長を貶めることになるのかな?
たとえ討ったとしても誰かの手柄になっちまうかもな…
730人間七七四年:2010/03/31(水) 20:16:41 ID:l7pNwbgN
状況的には織田信雄と協力する形になったと思う
731人間七七四年:2010/03/31(水) 20:35:18 ID:/41Uw7nh
>>729
日本の武士って、主君の敵討ちってあんまメジャーじゃないのよ。
無いわけでもないけど。主流になるのは江戸以降。
それ以前は、親など親族の敵討ちだった。

例を挙げると、今川義元死後の今川家中。
氏真に対して「親の仇もとれない」と貶されることはあっても、
家康をはじめとする家臣たちに「主君の仇もとらないとは」と
非難されたりはしない。
732人間七七四年:2010/03/31(水) 23:12:47 ID:l7pNwbgN
さて、そうなると家康による信長・信忠の敵討ちはどの様な意味になるのだろうか
盟友の敵討ち、天下人の敵討ち、どういう立場だったのだろうか
733仙台藩百姓:2010/03/31(水) 23:22:38 ID:j6cf5yJS
秀吉にしろ家康にしろ仇討ちは自己勢力伸長の為の名分に過ぎないお( ^ω^)
家康も秀吉の大返しがなければ美濃尾張を手中に収める腹積もりだったのだおうね( ^ω^)
北条が珍しく素早い行動に出たのも難点だったけど( ^ω^)
734人間七七四年:2010/03/31(水) 23:25:02 ID:XAQIHuAk
>731
でも秀吉は結局は主君の仇討ちでその後の運命が決まったわけだろう?
最大限に仇討ちの称号を活用できたつうことは言えるのだろう?
でも謀反つうこともあるのかも知れないが…そこらへんはどうだろう
735人間七七四年:2010/03/31(水) 23:56:54 ID:l7pNwbgN
>>733
そういう実質的な話でなく、名分的な話をしているんだけど
736人間七七四年:2010/04/01(木) 00:16:25 ID:CMdnP4pg
でも名分の話だけしても薄っぺらいだろ
その名分によって何を得たか
737仙台藩百姓:2010/04/01(木) 00:21:14 ID:hBlqRJBB
>>735
それを語るなら先に織田氏と徳川氏の関係を明確にしないといけないお( ^ω^)
なんか前から何度も議論した気もするけど
738人間七七四年:2010/04/01(木) 09:03:41 ID:ltY+RClf
ちょうどあの頃は家臣と同盟の間にあった
信長が名実ともに天下統一したら、正式に家臣になったと思われる
739人間七七四年:2010/04/01(木) 09:42:30 ID:/zvm+26z
織田家の家臣ではなかったが、織田政権の従臣ではあったな>徳川家
740仙台藩百姓:2010/04/02(金) 23:02:30 ID:PaMbsgcM
武田討伐後に徳川氏の扱いは決定的になったはずだけど
本能寺の変でうやむやになってしまったから今となってはよく分からんお( ^ω^)
741人間七七四年:2010/04/07(水) 16:47:51 ID:6aELQQjl
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
742伊達ムネムネ:2010/04/08(木) 06:18:34 ID:jTlRPIko
小牧・長久手で兵数的に圧倒的だった秀吉が家康を潰せなかったのは家康の戦術と言うより、やはり信長後継者を排除していった秀吉に対しての世論が辛辣だった事もあるのかな。
743人間七七四年:2010/04/08(木) 15:59:00 ID:DU6Mdmml
>>742
複合的なものだと思うよ
大軍の兵站を賄うには限界だったってのもひとつだろうし
世論的なものも一因としてはあったかもしれん
長浜時代からそうだけど、秀吉は下々の評判をえらく気にしてる節もあるしね

ただ、秀吉自体がガチンコ勝負を得意としてなかった点が一番でかいと思う
基本的に秀吉が正面からガチンコで合戦して勝ったのってほとんどないんだよね
だいたいは相手より数倍する兵力をもって囲み、干上がらせるのが多い
それ自体決して間違ってはないんだけど、
山崎で明智勢にガリガリ削られたみたいに、ガチでやり合うと意外に脆かったりもする

それに、小牧・長久手の時点では他に敵も抱えてたから、あれ以上の滞陣は無理だろう
無理して潰し切ったのはいいけど、そうやって疲弊したところに一斉蜂起とかされるとどうにもならん
744人間七七四年:2010/04/08(木) 19:43:48 ID:gGOZgVKK
>秀吉が正面からガチンコで合戦して勝ったのってほとんどないんだよね
虎御前山時代に対浅井・一向一揆相手になんどもあるけど
745人間七七四年:2010/04/08(木) 20:35:08 ID:y0LjYVvW
それ大将が違うだろw
746仙台藩百姓:2010/04/08(木) 23:09:45 ID:6pUEWV69
秀吉の目的が天下平定にあって信雄や家康を潰す事ではなかった事が一番の要因だお( ^ω^)
信長、秀吉、家康とも政略・戦略単位で進めて行ったから覇権を握れたのだお
三者とも戦術的に見れば割とポカしてるけど戦略が外れていなければ大した問題ではないお( ^ω^)
747伊達ムネムネ:2010/04/09(金) 05:44:33 ID:guv8BBMD
秀吉から見た家康は江戸幕府から見た伊達や島津みたいなもんかな。小牧・長久手で榊原が亡き信長に対しての秀吉の背徳を民衆に呼び掛けたのに対し秀吉は激怒したが痛い所をつかれた訳だな。

748人間七七四年:2010/04/09(金) 15:48:35 ID:OmWaY+dp
大阪の陣ででかい不穏分子は潰したんだし
また海外へ出兵すりゃあ良いのに
明はガタガタだし欧州は少し後に30年戦争始めたし
秀吉の時よりはるかに条件良いのになあ
749人間七七四年:2010/04/09(金) 16:12:39 ID:zhAxSElt
>>748
状況は良くても前例が失敗だから出来ないだろう
もし失敗したらせっかく作った政権が崩壊する可能性が高いわけだし
750人間七七四年:2010/04/09(金) 16:36:25 ID:/yp5ZPRE
>>748
んで、それに対するメリットは?
100年の戦乱を落ち着けてようやく国内産業が復活しだしたところで
国外出兵とか、無駄に国力削ぐようなことしてどうすんの?
基本的に戦争なんてもんは、まず国力を蓄えてからやるもんだ
金も人も掛からない戦争なんてないんだよ?
751人間七七四年:2010/04/09(金) 18:14:24 ID:lvUJkrPr
秀吉のおかげで国力を疲弊したのに、さらに外征なんてやってられるか
よほど日本が滅びていれば良かったと思ってるんだな
752人間七七四年:2010/04/09(金) 20:08:11 ID:HD574xLw
それを言ったら米中戦争とかも、どういうメリットあるんだろうな。
753人間七七四年:2010/04/09(金) 22:16:12 ID:jNf94iRA
>>748
大陸と陸続きか(ということは日本半島)、対馬海峡がもっと狭ければ、
戦国時代の延長としてやってたんじゃないか?
もっとももしそうなら日本も外敵の襲来に無事では済まなかっただろうが
754人間七七四年:2010/04/09(金) 22:57:30 ID:/yp5ZPRE
>>752
米中戦争ってどれのことだ??
755人間七七四年:2010/04/09(金) 23:20:54 ID:HZn1pNVX
アホはスルーで、よろ
756人間七七四年:2010/04/10(土) 00:20:05 ID:pQtw8/Q7


三井美術館での家康展のパンフレットに
かれの南蛮胴具足の写真がでているのだが、
腹部に3つの弾痕があるんだよね。

家康が玉受ける程の接戦って、
三方原と大阪夏の陣くらいしか思い付かないのだが、
この弾痕っていつのものかわかりますか?
757人間七七四年:2010/04/10(土) 07:55:37 ID:oR0b3d+c
あれは実戦でなく、平時に強度を確認する為に試し撃ちしたものです
758人間七七四年:2010/04/10(土) 13:41:36 ID:RmaPF8A+
>>757

サンクスです。
まさか答えてくれるひとはいないと思ってましたが…
その博識に驚愕しました。

華やかなる安土桃山時代に、
実用一点の地味な甲冑つけ、
防弾機能を実際にテストし、
しかもテスト後の穴ボコの甲冑で戦場に赴く神経は
ちょっと変わってますね。



759人間七七四年:2010/04/10(土) 15:08:49 ID:7iJXty12
質実剛健、三河武士だね、野暮とも言うが…
760人間七七四年:2010/04/10(土) 16:19:42 ID:RmaPF8A+
>>759

死への覚悟を敵味方に顕示するため、
旗指物の代わりに巨大な位牌を背中にさして戦場にでたところ
あまりにデカすぎて身動きとれず
それに恥じて切腹した、

とかそういう空気の時代だとイメージしていたのですが、異質ですね。三河武士団は…

家康が天下をとっていなければ、もう少し現代の日本人も面白かったのではないかと思います。




761人間七七四年:2010/04/10(土) 19:16:13 ID:7iJXty12
三方が原でボロ負けしたあと、直ぐに夜襲を仕掛けている
そうゆうのが三河武士だよ、わかるかな
762人間七七四年:2010/04/10(土) 20:02:35 ID:WMDbevfH
つまり諦めが悪いってことか
763人間七七四年:2010/04/10(土) 20:22:08 ID:Tjg+j4LY
城の居残り組がボロ負けしたわけじゃないからな
武田軍が城攻めしてやろうかと色気を出さないよう、牽制したってところ
764人間七七四年:2010/04/10(土) 21:20:27 ID:7iJXty12
真珠湾のあと、直ぐに空母にb−25を積んで東京空襲をしてるだろう?
あれが近い、だから三河武士つう言葉が残ってる、徳川武士じゃないよ
そんな土地柄だったんだよ
765仙台藩百姓:2010/04/10(土) 21:36:27 ID:sxk8BvfG
>>760
甲冑の試し撃ちというのはどこでもやっていたお( ^ω^)
試し撃ちの弾痕が残る甲冑は割と多く残っていて歴史館などで全国的に見られるお
何せ命に関わるものだから足軽の具足でさえちゃんと耐久テストはやっていたお( ^ω^)
弾痕が残る物は耐久性が実証されているわけだから好んで使ったという説があるけど
武将の甲冑も大概同じものが複数あるから、耐久テストをした物とは別の物を着用していたとも考えられるお( ^ω^)
766人間七七四年:2010/04/10(土) 22:26:52 ID:RmaPF8A+
>>765
へーー知らなかった。
三井美術館出品のは日光東照宮保存のものだから、実際につけてたものなのかな?
結構豪快に穴あいてて、気のきいた武将ならつけたがらないのじゃないかと(笑)
767人間七七四年:2010/04/10(土) 23:04:45 ID:T6J/VTPK
まさか、貫通してたの?
768人間七七四年:2010/04/10(土) 23:04:48 ID:4wtR0qb4
ほほう
769人間七七四年:2010/04/10(土) 23:54:58 ID:RmaPF8A+
>>767
貫通はしてないけど、結構大きな凹みが腹のど真ん中に3つ。
パンフレットのちっこい写真なので詳しくはわからないけど。

三井記念美術館のホームページにも写真載ってると思います。
770人間七七四年:2010/04/11(日) 00:26:35 ID:ni1mVy5w
ようつべだと貫通してたがなぁ…貫通してない物だと重くて実用には、、
771人間七七四年:2010/04/11(日) 14:17:48 ID:Bw2O7jBh
甲冑って重量的に重くなっていったのか軽くなっていったのかどっちだ。
772人間七七四年:2010/04/11(日) 16:17:05 ID:ni1mVy5w
重くなるのはあり得ないことだろう
ナポレオン戦争じゃ防具なんてなかったし
維新でも薩長は菜っ葉服みたいな格好だし
厚い鉄板を背負ってたんじゃ歩けないからな
773人間七七四年:2010/04/11(日) 17:11:41 ID:Lr72nWtM
家康の甲冑からの流れからして
武将以上のことに限れば
日本の具足よりはるかに重い
南蛮胴がそこそこ流行ってた時代でしょ
774人間七七四年:2010/04/11(日) 19:02:31 ID:Y5yeu/OW
基本的に重くなっていったが、火器の発達に追いつけなくなった時点で一気に軽量化
775人間七七四年:2010/04/11(日) 23:09:09 ID:kcwElGqG
>>774
だね。防具なんて武器が強力になって意味がなくなったら重くて邪魔なだけだもん。
欧州の戦争なんてそれがめちゃくちゃ顕著。でも戦いは見てて悲惨ではあるね。
防具なしで列組んで銃装備した敵に向かって前進とかww
776仙台藩百姓:2010/04/11(日) 23:56:42 ID:8q9lJWbf
でも現代戦では鉄兜や防弾着を着けるようになったお( ^ω^)
あとは人じゃなくて車輌に装甲付けるとか
新兵器が登場すると一時期バランス崩れるけど結局武器と防具の関係は繰り返すお( ^ω^)
777人間七七四年:2010/04/12(月) 00:18:42 ID:xUhrsMm0
新兵器じゃなくて鉄砲が出てからだよ防具してもしょうがなくなったのは
鉄兜は第一次大戦の大砲の破片から頭を防御するためだよ
今でもライフル弾が貫通しないのはイスラエルとイギリスのヘルだけだよ
778人間七七四年:2010/04/12(月) 00:32:07 ID:0bbyAUup
雑兵と大将じゃ
重量への懸念や、厚みのある鎧の有効度が違うからな
779人間七七四年:2010/04/12(月) 00:32:09 ID:0bbyAUup
雑兵と大将じゃ
重量への懸念や、厚みのある鎧の有効度が違うからな
780人間七七四年:2010/04/12(月) 03:33:02 ID:b4Z2s3T3
苗字の番組あったけど、つい150年前まで
ほとんどが苗字無かったんだから
由緒とか関係なくないか?

それとも苗字持ってたの?
781仙台藩百姓:2010/04/12(月) 07:24:13 ID:T2LZ9nSe
本百姓以上の家なら持ってた可能性はあるお( ^ω^)
でもこの間やってた番組はデタラメもいいところだお
斎藤一族の代表人物が斎藤道三とか余りに酷い話しだお┐ (´ω`) ┌
782仙台藩百姓:2010/04/12(月) 08:21:19 ID:T2LZ9nSe
とは言っても羽柴や徳川みたいに天下人でさえ自分で作ったと言われる怪しげな苗字だし
所詮苗字の由緒など胡散臭いものだお( ^ω^)
783人間七七四年:2010/04/12(月) 10:44:11 ID:7YsYNNP5
>>764
城攻めしてくれないから悔しくって出てって自分の居城の前でフルボッコって 
北条以上のアホですね
784人間七七四年:2010/04/12(月) 11:58:55 ID:xUhrsMm0
北条は出て行かなくてチキンと侮られて潰れ
家康は出て行ってフルボッコされたが生き残ったよ
785人間七七四年:2010/04/12(月) 12:38:15 ID:+Is9irkA
運がよかっただけ
786仙台藩百姓:2010/04/12(月) 12:56:19 ID:T2LZ9nSe
あれだけボロ負けして城に篭ってたら離反者が出て自落するお( ^ω^)
劣勢な時は虚勢でもいいから内外に示さねばならぬお
篭城側は定期的に打って出るのが当たり前だお( ^ω^)
軍記類読むと必ず出て来るじゃんお
一次資料でも感状に著れているお( ^ω^)
787人間七七四年:2010/04/12(月) 13:01:36 ID:xUhrsMm0
運がよかっただけって、運が悪かったら死ぬんだろう?
それが勇気ってもんだろうに、北条のチキンと一緒にすんなよ
788人間七七四年:2010/04/12(月) 13:42:10 ID:nyVCyc7r
よく読め
>>783は誤読している

>>764前後の流れは、
三方原での敗戦後、大久保らの夜襲によって武田軍の好き勝手にさせなかった活動についての話だ

>>783が言っている”城攻めしてくれないから悔しくって出てって自分の居城の前でフルボッコ”は、
三方原の本戦の経緯と結果だ。>>764辺りの話題とは違う話だ

>>783はアンカーを間違えたアホか、あるいは話の流れが読めないアホだ
頓珍漢なレスに反応するなよ
789人間七七四年:2010/04/12(月) 13:58:01 ID:xUhrsMm0
どうでもいいよ、俺は三方が原がどんだけ凄いか言いたいだけさ
二万五千の信玄に一万二千で戦いを挑むのは
三河武士以外じゃ無理さ、しかもしなかったら三河武士じゃないし
その上に夜襲もあたり前のごとくしてる
790人間七七四年:2010/04/12(月) 14:16:07 ID:yI6mV5vb
そのとおり。三河武士=犬だからな。
791人間七七四年:2010/04/12(月) 17:54:54 ID:+Is9irkA
夜襲で好き勝手させなかったって 具体的になにも阻止してないがな
城攻めて欲しかったけど攻めてくれなかった次点で負け
792人間七七四年:2010/04/12(月) 18:15:16 ID:xUhrsMm0
信玄は家康に尻をみせて屁をかましたんだよ
城を囲めば流石に信長を誘い出せたのかもしれないが
各個撃破に変えたんだと思うよ、信玄は
家康は切歯扼腕、悔しくて眠れなかったのじゃないの?
罠だと知ってても出て行かざるを得ないし、万事休すだな
それでも出撃したんだよ
793人間七七四年:2010/04/12(月) 18:19:02 ID:BneUHJvl
つまり負け犬
794人間七七四年:2010/04/12(月) 18:23:29 ID:xUhrsMm0
いいよ、設楽が原でリベンジしたから
795人間七七四年:2010/04/12(月) 18:36:02 ID:0L6MGcwo
信長にアゴで使われる糞漏らしの三河負け犬
796人間七七四年:2010/04/13(火) 08:29:42 ID:UCsYd/4k
最後買ってりゃいいのさ
797人間七七四年:2010/04/13(火) 23:22:02 ID:iouKygF+
798仙台藩百姓:2010/04/13(火) 23:37:08 ID:I7Bwxa2i
言ってる事がまちまちでかなり無理があるお( ^ω^)
799人間七七四年:2010/04/13(火) 23:59:09 ID:MFH8flsQ
>>781
あの番組で道三はいろいろ名字変えてるから本当は斎藤じゃないって言ってたよ
800人間七七四年:2010/04/14(水) 08:54:13 ID:YwhoTity
>>789
河越夜戦なんか兵力差それ以上だけど
801人間七七四年:2010/04/14(水) 10:07:20 ID:WXzC+m0y
自分の居城前でフルボッコってのが前代未聞だよな
普通自国領内に引き入れたほうが圧倒的に優位なのに
しかも居城の目前で糞漏らしw
802人間七七四年:2010/04/14(水) 11:02:20 ID:v1dR/J9v
朝鮮出兵で徳川がもっと協力的だったら勝つ可能性上がったのになあ
803人間七七四年:2010/04/14(水) 11:25:51 ID:tAbiBmzV
思いっきり協力的でしたが?
804人間七七四年:2010/04/14(水) 11:48:45 ID:Yjva1hbf
川越夜戦なら負けた方が家康だよ
負けた方の戦力が勝った方の半分なんだよ
どんだけ悲惨かわかるだろう? そうゆうことなんだよ
805人間七七四年:2010/04/14(水) 13:16:05 ID:F1B1850G
うむ。
大将が能無しということが同じなんだね。
806人間七七四年:2010/04/14(水) 19:00:01 ID:vsEVjYS4
>>805
そろそろコテつけてくれないかね?
807人間七七四年:2010/04/14(水) 21:58:09 ID:h3uT1GS0
>>801
当時の家康にとって勝ち負けは二の次で信玄と戦うことに意義があった
だからスルーされそうになったらあわてて出て行った
808人間七七四年:2010/04/14(水) 22:52:25 ID:hzA+w8dt
>>807
あの時点ですでに「徳川頼りねー」と離反してるのがいたからね
それを食い止めるためにも渋々出て行ったという説もあるし
どの説もそれなりに正しく見えるし、総体的にはどれも当たってるだろうし

でもなんだか昨今の流行なのか
三方ヶ原合戦は無かった
という説まで出始める始末
歴史ってなんなんだ・・・
809人間七七四年:2010/04/14(水) 22:57:03 ID:hzA+w8dt
>>789
夜襲に関しては「無い」という方が全般的に有力ではあるようだが

>>756
三河一向一揆のときに2発食らって頑丈な甲冑のおかげで助かったという話は有名だと思うが
事実かどうかまでは調べてない、めんどくさいから(・∀・)

810人間七七四年:2010/04/14(水) 23:11:08 ID:Yjva1hbf
>>809
三河一向一揆の戦闘では、そのような夜襲が常習的に行われている
つまり大久保の上和田と一揆の寺の距離が近いんでとも考えられるが
やられっぱなしじゃ離反者の出る土地柄でもあるんだよ
811人間七七四年:2010/04/14(水) 23:25:35 ID:hzA+w8dt
>>810
話が混じってる気がしないでもない
812人間七七四年:2010/04/14(水) 23:40:34 ID:Yjva1hbf
ボロ負けで疲れているのに夜襲なんて出来るはずが無いと思うだろうが
そんな戦の連続だった経験があるし、それをしないと赦さないつう
土壌があるから、夜襲はされたと言う主張なんだが
納得できないかな
813人間七七四年:2010/04/14(水) 23:49:29 ID:u/RnJPoo
>>808
あまり「最新の学説!」って奴に飛びつかないほうがいいよ
大抵がトンデモだから
814人間七七四年:2010/04/14(水) 23:55:26 ID:64IC1lOF
というか三方ヶ原の戦いについては「信長公記」に逃げる家康を待ち構えていた武田兵が
家康の騎射でバタバタと射ち倒されるという凄い話があるんだよな
815人間七七四年:2010/04/15(木) 00:09:18 ID:cKoG9gVZ
三河武士は家康にそんな真似はさせません
816人間七七四年:2010/04/15(木) 00:17:21 ID:WzFjjtCS
>>812
夜襲が記載されてる文献が〜という話が元だったと思う

>>813
長篠での鉄砲云々とか、姉川での活躍とかの流れの一環ではないかと思われる
817人間七七四年:2010/04/15(木) 00:20:23 ID:6uoriI6Q
そういえば織田家総合スレと豊臣家総合スレって無いな
818人間七七四年:2010/04/15(木) 00:27:06 ID:m4jI4M1Q
>>815
世の研究者がこぞって評価する「信長公記」の一節です
819人間七七四年:2010/04/15(木) 00:29:12 ID:WzFjjtCS
俺的意識ではここは家康だけ語るスレwww
820人間七七四年:2010/04/15(木) 11:02:01 ID:QDM6R8Yv
夜襲を実行したのは浜松城で留守番をしていた連中だぜ。
Wikiなんかでは家康の策で「空城の計」を謀っただの、夜襲を命じただのと書いてあるが、
こりゃあ大間違い。講談のフィクションを真に受けて書いてしまったとしか思えん。
それらの敗戦処理を指揮したのは酒井忠次だ。
「空城の計」だと? 馬鹿も休み休み言えってんだ。
三方原で徳川軍の司令部まで崩壊するような惨敗だったために統制の取れた撤退が不可能で、
将兵は各自の力量でばらばらに帰城するしかなかった。
遅れて帰ってくる将兵を収容するために城門を開け、篝火を焚いて位置を表し、
太鼓を打って城が健在であることを味方に示しただけだ。
821人間七七四年:2010/04/15(木) 11:37:13 ID:xq+1o6Kr
まるで当時見てたのかのようだw
822人間七七四年:2010/04/15(木) 12:08:16 ID:pEeZUBKG
でもそれでビビった武田も面白いなw
823人間七七四年:2010/04/15(木) 12:11:36 ID:m4jI4M1Q
酒井忠次が浜松城にいる時点で全力出撃ではなかったんだろうな
824仙台藩百姓:2010/04/15(木) 12:35:19 ID:CYRVrLbf
wiki見てみたら敗戦処理したのは水野信元って書いてあるけど( ^ω^)
信元が止めるの聞かずに出陣したがボロ負け、仕方なく信元は徳川敗兵を収容して武田に夜襲
これでいくと徳川勢いいとこなし( ^ω^)
825人間七七四年:2010/04/15(木) 14:02:06 ID:m4jI4M1Q
>>824
水野忠重より前の武功は話半分にしておけ、家が潰れる前の軍功は疑ってかかるべし
826人間七七四年:2010/04/15(木) 15:39:24 ID:fnRvdolJ
水野信元には浜松城兵を指揮する権限は無いよ

戦場から生還した鳥居元忠が慌てて城門を閉めようとして、
酒井忠次がそれを止めたという話を聞いたことがある

後々障害が残るような怪我を負った鳥居はパニクってしまったけど、
留守を預かっていた酒井は極めて冷静だったのだろう
827人間七七四年:2010/04/15(木) 16:50:02 ID:gBKEbwaj
ほんと負け犬三河兵は逃げ込める城がすぐ近くにあってよかったな
828人間七七四年:2010/04/15(木) 18:06:48 ID:fnRvdolJ
そうは言っても、女房の先祖は城まで帰りつけずに討ち取られたのだが
829人間七七四年:2010/04/15(木) 21:31:45 ID:oCYqO5hC
 家康の良いところは見習い、後は知らん。というスタンスをなぜ取らないの
だろうか。今更、過去の人をあーだこーだといってなんか変わるわけでもないのに。
830人間七七四年:2010/04/15(木) 21:39:02 ID:B+xOxD+X
脱糞した史実も変わらない
マンセー意見以外を認めたくなくても2ちゃんでは意味がない
831仙台藩百姓:2010/04/15(木) 22:54:19 ID:CYRVrLbf
歴史は悪い所を徹底究明する事が一番大事だお( ^ω^)
日本人は都合悪い所を見ないようにして、たまたま上手くいった事を有り難がる傾向が極めて強い
だから政治も戦争も弱いのだお┐ (´ω`) ┌
832人間七七四年:2010/04/15(木) 23:04:20 ID:m4jI4M1Q
違う、良いも悪いも「運」を排除して考えろということ
833人間七七四年:2010/04/15(木) 23:12:33 ID:cKoG9gVZ
クラウゼヴィッツじゃないが戦争でたまたまなんてないだろう
そんなことアテにしてたんじゃ勝てないよ
834人間七七四年:2010/04/16(金) 08:31:54 ID:Md4VgDKb
>>828
そんなショボい歴史がどうやって伝承されたのか興味深い。
835人間七七四年:2010/04/16(金) 09:28:56 ID:szJwt7g/
>>827
信玄が乗り込んできたのを迎え撃っただけだから当然だろ
信玄が通過するのを見て見ぬふりしたら三河武士の結束は崩壊してたな
それどころか信玄相手によく立ち向かったということで、
「海道一の弓取り」の称号を得たんだから家康にとっては万々歳
巨視的に見れば三方ヶ原の惨敗はのちの飛躍のためのワンステップにすぎないというか、家康がそういう位置付けにしてしまった

「勝つことのみを知りて負けることを知らざれば、害その身いたる」
836人間七七四年:2010/04/16(金) 10:01:44 ID:zTrlbJMG
>>833
「勝因の無い勝利はあっても、敗因の無い敗北は無い」
実際に、運とか偶然って言葉を使わないと説明できない合戦は少なくない。
ただし、だからって作戦立案や運用を運任せにしていいってことじゃないぞ。
極力運の要素を排除するよう、人為で出来る範囲のことには全力を尽くせってこと。
「人事を尽くして天命をまつ」ってことだ。
837人間七七四年:2010/04/16(金) 10:25:11 ID:T1Mtx6pL
家康の小者ぶりをありがたく教訓とばかりに奉るとは笑えるね。
マヌケな大敗も恐ろしいこじつけ解釈で呆れるよ。
家康が巧く泳げたのは忠犬三河が必死に守り立てたことと、
単に運がよかっただけ。
838人間七七四年:2010/04/16(金) 10:25:24 ID:76Vi4MB4
>>836
いや、人事を尽くせば天命が背を向こうと勝利を得ることができる
839人間七七四年:2010/04/16(金) 10:57:53 ID:zTrlbJMG
>>838
勝敗を決める要素はこの世界に無限に満ち溢れている。
しかし人間の能力は有限なので、全てを把握してコントロールすることは無理。
(この有限の範囲を少しでも広げようと、組織を作ったり科学技術を活用するが、
それも限界の範囲を広げただけで、全ての範囲をカバーできるようになったわけじゃない)

人智の及ばない範囲に存在する摂理によって勝敗が決したとき、
人はそれを運とか天命とよぶ。
840人間七七四年:2010/04/16(金) 11:01:48 ID:cFJWoyQy
>>837
そろそろコテハンつけろよ
構って欲しいのはわかるが

あとこれをいじってる奴らも自重しろよ
どうみても百姓と同じで煽りたいだけの構ってちゃんなんだから放置しろ
相手するから居着くんだよ
841人間七七四年:2010/04/16(金) 11:15:27 ID:T1Mtx6pL
適正な評価をしているというのに
ホントめでたいヤツだな。
痛いところは煽り扱いですか。

コテハンつけろとか自重しろとか
自分が一番構って欲しいだろ?
842人間七七四年:2010/04/16(金) 11:41:00 ID:euOgDb5d
>>841
でもそろそろ本当にコテつけてくれないか?
内容はともかく書いてる文章が煽る気満々で議論する気があるようには見えない
きちんと議論するつもりがあるなら、いちいち汚い言葉を使わずに真面目に書いてくれ
正直、今のあんたは百姓と同じでただの煽り荒らしだ
汚い言葉を使いたいならアンチスレに行ってくれ
843仙台藩百姓:2010/04/16(金) 12:40:41 ID:A0btZt9y
荒らしとは失礼だお(#^ω^)ピキピキ
844人間七七四年:2010/04/16(金) 12:52:08 ID:feK0Y2Gn
勝敗を決める要素ったって、鉄砲と刀じゃ戦にならんだろう?
運じゃないじゃん
845人間七七四年:2010/04/16(金) 13:35:29 ID:76Vi4MB4
>>839
そういうのは大抵、遠因となる行いがあって始めて発現するもの
846人間七七四年:2010/04/16(金) 18:41:07 ID:iBUabHs0
>>841>>843
煽り屋って自分が煽られるとこらえ性ないんだな
847人間七七四年:2010/04/16(金) 20:09:06 ID:9SvJCkm5
>>820
上のは、夜襲自体が有ったか無かったか、という問題についての話
酒井ネタについては「酒井の太鼓」という話も残ってるぐらいだから
かなり知られてる話じゃないかと

>>823
身代わりになって家康を助けた夏目も守備隊だったと思う
過去一向一揆についた自分を許してくれた家康のために、という泣ける話付き


Wikipediaよりおまけ
吉信の三男・夏目吉次
夏目漱石 - 明治の文豪。夏目漱石は夏目氏の後裔で、夏目吉次の次男夏目吉尚の子夏目吉之を祖とする。
848いへやす:2010/04/16(金) 20:32:23 ID:1eWnZXEy
三方ヶ原での家康の評価が後、武田遺臣が家康になびいたのもあるよな。戦には負けたが信を信長からも信玄からも受けた訳だ。カリスマ性は抜群だったろうな。決して愚将じゃない。
849人間七七四年:2010/04/16(金) 21:04:33 ID:feK0Y2Gn
政治家であって決して名将ではない、つうなら解るが
決して愚将ではないって、、あほか
850人間七七四年:2010/04/16(金) 22:26:43 ID:5fj292Cq
今の天皇って家康の血は受け継いでるの??
851奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/04/16(金) 22:54:38 ID:l8fizPLN
血は引いていても遺伝子は1本も一致しないような他人並みのご先祖だろうな。雑系だし。
852いへやす:2010/04/16(金) 23:13:04 ID:1eWnZXEy
>>849
アホだな。それを言うなら名政治家であって名将ではない。って言いたいんだろ。まあ俺は愚将では無いといったまでだが。人に絡む前に良く言葉選びたまえ。
853人間七七四年:2010/04/16(金) 23:23:00 ID:feK0Y2Gn
ん? 決してつうのは強く否定するんだろう?
否定的な見解を強く否定したら名将ってことになるんだぞ?
名将って言いたかったのか?
854人間七七四年:2010/04/16(金) 23:28:02 ID:4WFBdts5
家康は名将だし名政治家だろ。
855いけ:2010/04/16(金) 23:41:58 ID:1eWnZXEy
アホだな。愚将でなかったら凡将やら名将だろう。そのラインは知らんが。暗愚な武将に三河侍が抜群の忠誠心を持って支えはしないだろう。って事を言いたいわけだ。
856いへ:2010/04/16(金) 23:47:52 ID:1eWnZXEy
決してって辞書なり使って調べてみろ。※A〜Jの10個の箱に一つだけに卵が入っている。どれか?※私は決してAには入っていないと思う。何故なら一番最初に卵を入れると考えづらいからだ。解るかな。
857人間七七四年:2010/04/17(土) 00:12:34 ID:6eQwWhn2
あんたは決してバカじゃないよ
858いへ:2010/04/17(土) 00:24:37 ID:MhsttI9/
決して天才じゃないがな…。
859人間七七四年:2010/04/17(土) 00:43:38 ID:6eQwWhn2
天才じゃないって言われてもその通りだからなんともないが
バカじゃないって言われれば怒るだろうに
バカじゃないけど利巧でもないって言う意味だからだ
家康が決して愚将ではないって言えば
愚将でもないし名将でもないつう意味だろう
つうか、愚将の次くらいな意味じゃないのか?
860いへ:2010/04/17(土) 00:56:31 ID:MhsttI9/
将の解釈があるからわからんのだ。1個人の武力と采配能力は別だと考えるから解らんのだ。家康の意見か部下の意見もある。ただカリスマ性はあった劉備に近いんじゃないかと思う。だから愚将じゃない。わからんが。
861いへ:2010/04/17(土) 01:08:20 ID:MhsttI9/
あくまでも三方ヶ原くらいのまでの時機までの話だが。そして徐々に経験を積み成長していった感じがする。で江戸幕府開く頃には曹操みたいなイメージ。かな。
862平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/17(土) 02:52:42 ID:FGHUpvEL
今日は家康公の命日だぜ。
863:2010/04/17(土) 11:08:26 ID:MhsttI9/
八重洲口の八重洲って名はヨーステンから来てるとは知らなかった。
864人間七七四年:2010/04/23(金) 03:14:31 ID:SA/qS+OB
家康って、天才肌じゃなくコツコツと地道にスキルアップしていって
頂点を極めたってイメージがある。
FF11で言うところの一級廃人だな。
865人間七七四年:2010/04/23(金) 11:26:53 ID:AGCno8Rg
調子こいて突進するより一旦引く方がむつかしいよ
そうゆう天才なんだよ
866人間七七四年:2010/04/24(土) 10:38:40 ID:hNFzWUQH

日本映画に表わされていた徳川幕府の内情

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/32/207.html

第11代将軍徳川家斉がその陰謀の主犯格だった。
867人間七七四年:2010/04/24(土) 11:22:38 ID:qv0DThgo
家康自身は天才とはいわれたくないだろうな
つか天才という言葉にそれほどの意味認めないだろうし
868人間七七四年:2010/04/24(土) 12:37:52 ID:5Ow3fUMY
天才というより天災
869人間七七四年:2010/04/24(土) 13:03:20 ID:dO1Gf3mI
島津に恐れおののいて、九州南端まで侵攻できない分際で天下人になれた家康
レベル低ぅ〜
870人間七七四年:2010/04/24(土) 13:18:27 ID:7jhUGEI+
そんな田舎はどうでもいいのだ
871人間七七四年:2010/04/24(土) 14:10:19 ID:dO1Gf3mI
その帰結で倒幕されちまうんだから哂わせる
毛利も潰せばいいものを、下手な温情で残しちまって、後世への禍根を残すダメっぷり
所詮、この程度
872平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/24(土) 14:17:00 ID:d/uGbT+X
長州改易しとけばな〜・・・
フランスが金貸してくれればな〜・・・
つくづく残念・・・
873人間七七四年:2010/04/24(土) 15:33:51 ID:7jhUGEI+
家康とは関係ない
874人間七七四年:2010/04/24(土) 18:37:29 ID:qv0DThgo
薩摩・長州は家康の臨終の床で、
もし徳川の政治が邪になったらそなたたちが代わりに政権とってくれ
と言われたから、その通りしたまでだろ
875人間七七四年:2010/04/24(土) 18:39:46 ID:dWkfP5fe
臨終の時近くにいることができた外様は藤堂だけじゃなかったか?
876人間七七四年:2010/04/24(土) 21:06:13 ID:7jhUGEI+
死ぬ間際になってようやく叶った天下だろう
どうぞ取ってくださいなんて死んでも言わんだろうに…
877仙台藩百姓:2010/04/24(土) 21:24:47 ID:k/C8+h0q
まして何の関係もない長薩に言うわけないおね( ^ω^)
878人間七七四年:2010/04/24(土) 22:00:22 ID:7jhUGEI+
仙台にもやらんど、欲しけりゃ取ってみろよ
879人間七七四年:2010/04/25(日) 01:37:16 ID:rFQnVMrA
お主ら以外と甘いな、薩長という危険因子があったからこそ
緊張状態が保たれて、超長期政権が維持できたんだろう?

モノになった女への気遣いが減る、
結婚したら女が途端に本性を見せ始めるのと同じだ。
880人間七七四年:2010/04/25(日) 12:09:50 ID:mmZjcWjh
結果的にはその通りだな
家康を持ち上げすぎるのは気が引けるが、
もし政権が曲がったことをすれば天が政権を奪い返すという革命思想が家康にはあった
自分が曲がった政治の豊臣から政権を奪ったのだから当然といえば当然だが
881人間七七四年:2010/04/25(日) 20:28:05 ID:hSAk1r/o
徳川政権になってから、何かが真っ直ぐになったっけか?
882平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/25(日) 20:55:43 ID:s6L8009R
>>879
薩長よりも南蛮人や紅毛人の方が脅威だろ。
883人間七七四年:2010/04/25(日) 22:32:10 ID:+Deu+3+7
家康様はかくも御尊貴で有られますが、江戸は征夷大将軍がおられる政の都ですが
国主おられる宮拠ではないよ。
884人間七七四年:2010/04/26(月) 00:52:54 ID:Cn+MyUs3
>>881
少なくとも、民衆を疲弊させる戦はなくなった
秀吉の時代はなんやかんやで戦が絶えたことがなかった
885人間七七四年:2010/04/26(月) 02:19:31 ID:7Ra+6kSB
>>884
家康がわざわざ関が原や大坂の陣を引き起こしたことはノーカウント?
外征を起こすよりも内乱を起こすほうが、為政者としてはよっぽど罪深いと思うが。
886人間七七四年:2010/04/26(月) 04:14:38 ID:mwy07Wib
大阪の陣はむしろ武装ニートを潰せて良かったのでは?
887人間七七四年:2010/04/26(月) 08:58:34 ID:17CHHPxh
>>885
はいノーカウントです
888平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/26(月) 09:08:40 ID:dBpy7VIg
>>883
まあ、天皇が国家元首だからな。今も昔も。
徳川宗家は武蔵江戸400万石の大大名ということでオッケーですが。何か?
889人間七七四年:2010/04/26(月) 10:19:47 ID:0UvXkOgG
中央に反乱分子があったから、排除したまで。
890人間七七四年:2010/04/26(月) 15:12:08 ID:PzjK0zVh
      _,,,,,,,,
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r'          /=ミ
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 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //     近代に先祖が4代も不明なら、信成よ、おまえはワシの末裔じゃないだろう
. ',. ,'           , r' 
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''  
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |   織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】 
.  |  |  .l i       / ./ |  |    http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l
891人間七七四年:2010/04/26(月) 15:16:16 ID:PzjK0zVh
織田信長
- 2代織田信高(七男)
- 3代織田高重
- 4代織田一之
- 5代織田信門
- 6代織田信倉(養子)
- 7代織田信直(養子)←←← 大和宇陀松山藩主織田高長の孫(信雄の系統)
- 8代織田長孺
- 9代織田長裕
- 10代織田信真(1842〜?) ←@明治維新後、写真師になって、その後消息不明

- (11代から14代は不明)← A親戚に迷惑をかけるから、16代信義氏が製作配布した家系図では4代不明としたそうだが・・・(週刊新潮の記事より)

- 15代織田重治(1917〜1995?)←B1842〜1912の70年間に5人もいるのは何故なんだ、しかも、ご自慢の「信」の字がついてない。
- 16代織田信義 ← Cのぶよし″ではなくしんぎ″と読む
- 17代信成(次男) ← D17代目を公言するけど、次男じゃん



【織田信直 (旗本)】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%9B%B4_(%E6%97%97%E6%9C%AC)

【織田信真】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%9C%9F

【織田信成 (フィギュアスケート選手)】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%88%90_(%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E9%81%B8%E6%89%8B)

【織田氏】
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E6%B0%8F

【大阪通管工業所】
ttp://www.osakatsukan.co.jp/kaisyagaiyou.htm
892人間七七四年:2010/04/26(月) 15:17:15 ID:PzjK0zVh
〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜

●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。

●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」


織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
893人間七七四年:2010/04/26(月) 15:58:37 ID:Cn+MyUs3
>>885
いや、関ヶ原までは家康の時代じゃないだろjk
関ヶ原から15年、大坂の陣からは200年以上にわたって戦が絶えたわけなんだが
秀吉の時代は数年置かずに戦をやってたことを考えれば雲泥の差だろ
894人間七七四年:2010/04/26(月) 17:41:41 ID:Zhy7VHO1
>>881
徳川占領地のローカルネタだが

家康主従が関東へ転出した代わりに秀吉直属の臣が入封したら、
税が四倍に跳ね上がり、庶民は生活苦で離散する者も激増した
それが豊臣時代

関ヶ原後、徳川関係者が領主に戻ったら、税が四分の一に戻り、
破壊された社会基盤も建て直された
それが徳川時代

豊臣時代があと10年続いていたら、日本は内部から滅んでいたかもね
895人間七七四年:2010/04/26(月) 17:50:52 ID:j9aHCQ3v
いくらなんでも1/4の税収でやって行けないだろう?
896人間七七四年:2010/04/27(火) 00:01:48 ID:NzFRwEG/
>>894
その割には、豊臣政権下で百姓一揆が多発した、なんて話は聞かないんだよね
ほとんどは既得権を奪われた国人衆による一揆ばっかり

本当にそんなにひどかったんだったら、徳川政権下で発生した山代慶長一揆
みたいなのがあちこちで起きててよさそうなもんだが
897人間七七四年:2010/04/27(火) 00:10:07 ID:at4H4rrP
宇喜田なんて姫路城を造るために凄い税を取ってるけど一揆なんてなってないよね
武力で否応なく締め付けてたんじゃないの? 殺しても罰されないのじゃ?
898人間七七四年:2010/04/27(火) 00:10:33 ID:W5qxSJ6T
>>896
当時の富農と国人はほぼ同一の存在
899仙台藩百姓:2010/04/27(火) 08:17:28 ID:XYQkYiCc
そりゃ地侍の類いだお
国人と百姓は全く違うお( ^ω^)
900人間七七四年:2010/04/27(火) 13:17:06 ID:HdjX3cNc
民衆が一揆を起こす力を徹底的にこそぎ取り、抵抗する意欲まで潰したばかりだからな
蜂起する活力さえ喪失する暗黒時代

江戸時代になると武装がロクになくとも生命と引き換えに訴える行動を起こせることを学んだ
そもそも百姓一揆とは、江戸時代の一揆の分類用語だからな
他の時代で聞かないのは当たり前
901平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/27(火) 20:28:40 ID:zZ1Yvd6T
日本全体が「百姓の持ちたる国」になれば良かったと言いたいのかな?
902人間七七四年:2010/04/27(火) 21:32:37 ID:2Ga3/0BB
>>894
初期の江戸幕府は豊臣政権と変わらない重税だった、
つうのは近世について少し勉強したことのある人間にとっては常識

>>896
豊臣政権の税がきつかったのは本当の話
一揆起こす前に、当時の百性は賦役を放棄して逃亡(いわゆる「逃散」)した
朝鮮出兵の頃は兵站補給地となった蔵入地で
百姓の逃亡が相次いだという記録が残ってる

903人間七七四年:2010/04/27(火) 21:53:33 ID:at4H4rrP
島原の乱が重税が引きがねだったよね確か
904人間七七四年:2010/04/27(火) 22:19:10 ID:GRnyc9+G
江戸時代も、税率が下がったというよりは、新田開発や商業の発達による副収入の拡大、
いいかえると非課税所得が増大した分、支払う税額が下がった
905人間七七四年:2010/04/27(火) 22:45:50 ID:at4H4rrP
四公六民もウソみたいだね、30パーセント以下だったみたいだね
特産物も専売で藩が取り上げようとしたが上手くいかないところが多いみたい
江戸時代って本当は農民天国じゃなかったのかな、そら家康さまさまになるよね
906人間七七四年:2010/04/27(火) 22:58:57 ID:SzPvCBhB
権現様
907仙台藩百姓:2010/04/28(水) 00:20:08 ID:7veUfDez
天領だけ良くても他藩が地獄じゃあねえ┐ (´ω`) ┌
しかも幕府の政策のツケが他藩の貧窮を招き
その皺寄せが百姓に回っているわけだし┐ (´ω`) ┌
908人間七七四年:2010/04/28(水) 00:44:46 ID:M2CQUefZ
寝ぼけてるのかよ、仙台なんて新田開発でうはうはだったんだろう?
909人間七七四年:2010/04/28(水) 00:55:18 ID:YEcYRAbw
まぁ、結論から言うと徳川家康を中心とする三河侍達は日本史上、もっとも優秀な軍団だったってことね。
910仙台藩百姓:2010/04/28(水) 07:34:32 ID:7veUfDez
>>908
農業は当たり外れがあるからそう簡単にはいかないお( ^ω^)
特に昔は極端だったお
農業と言えば今年はいつにも増して天候不順で嫌な予感がするお( ーωー)
911平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/28(水) 11:00:45 ID:s0JxPm5V
>>903
松倉重政の圧政だったのは認める。
912平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/28(水) 11:06:32 ID:s0JxPm5V
>>910
青葉神社行って祈祷でもしてもらえ。
アンチ徳川らしいから仙台東照宮行けとは言わないから(笑)
913人間七七四年:2010/04/28(水) 13:32:48 ID:YeGEEAqS
>>909
短絡しすぎだ。そこまでは言っていない

豊臣政権が異常なまでに狂っていたから、
そのツケを清算した徳川政権が比較的マトモに見えるくらいの話
914人間七七四年:2010/04/28(水) 18:58:20 ID:TIAukUwz
民への重税
大義なき侵略戦争
外様大名の締め付け

豊臣政権のおかしなところは
全て初期江戸幕府に継承されてる
915人間七七四年:2010/04/29(木) 00:09:13 ID:5Sa1Fkmp
>>914
>大義なき侵略戦争

これはやってないだろ
916人間七七四年:2010/04/29(木) 00:42:17 ID:9D42TEC/
>>915
琉球出兵知らんの?
917人間七七四年:2010/04/29(木) 01:33:27 ID:5Sa1Fkmp
>>916
ああそっちか
大儀をなんに求めるかによるけど、まぁ小規模ではあっても外征に違いはないね
薩摩だけ動員して一瞬で終わったから、特に国内に影響はなかったけど
あれで薩摩を富ましたのは失敗だったよなぁ
918人間七七四年:2010/04/29(木) 12:12:14 ID:S68OHb5A
琉球出兵知らんかった。

沖縄はずっと占領の国なんだな。
919人間七七四年:2010/04/30(金) 01:12:06 ID:yCnULCa7
本多
井伊
板倉
酒井
榊原
土井
大久保
本当に優秀な部下が多過ぎw
みんな徳川家の為に命かけたもんな。
でも幕末で井伊は新政府に降って江戸に進軍したから、あの世で直政は泣いて詫びただろうな。。。しかも関ヶ原後に島津との和議まとめちゃったしww
920仙台藩百姓:2010/04/30(金) 09:05:37 ID:Sf7joQux
井伊だけじゃないじゃんお( ^ω^)
親藩譜代でまともに戦ったのって唐津小笠原、松山板垣、林ぐらいじゃないかお( ^ω^)
特に大封受けた譜代親藩連中は役立たずのウンコ大名ばかりだお( ^ω^)

>>912
別に不作になろうと家で食べるのには困らないからいいのだけど( ^ω^)
町人共は中国産を食べるがいいお( ^ω^)おっおっ
921人間七七四年:2010/04/30(金) 10:36:54 ID:2rt1TPmH
東北じゃ酒井の分家が薩長に一泡ふかせてるだろう?
922人間七七四年:2010/04/30(金) 11:06:28 ID:qZL2pMUY
>>921
分家じゃない、直系
923人間七七四年:2010/04/30(金) 11:37:57 ID:2rt1TPmH
酒井玄蕃だったっけ?
924平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 11:47:24 ID:Id6Q/JX8
>>920
わしゃ!「島原藩士族」じゃ!ボケ!
百姓なんざ切捨てじゃ!ザグッ!
「また、つまらぬ者を斬ってしまった」
925平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 11:52:04 ID:Id6Q/JX8
姫路城が立派だから
そっちが本家だと思ったんだろうよ。
たいして石高変わんないけどね。
16〜18万石ぐらいか
池田家も本家と分家あるが
こっちも32万石ぐらいで大して差がない。
926:2010/04/30(金) 12:34:37 ID:Ybob4RmO
あぁ!内府殿そこはダメ!
927平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 12:38:57 ID:Id6Q/JX8
文字通り「茶々」が入ってしまった(笑)
「おあとが、よろしいようで」
「はあ、それからどした?」
928人間七七四年:2010/04/30(金) 13:50:10 ID:ceThFIyP
ダメって言われて引っ込む男じゃないよ〜

内堀もいじっちゃうぞ
ほれほれ〜
929仙台藩百姓:2010/04/30(金) 14:16:52 ID:Sf7joQux
>>921
會津や庄内は朝敵にされ恭順も認められず討伐令が下ったからであって
戦いたくて戦った訳ではないお( ^ω^)
徳川宗家の為に捨て石にされた憐れな連中だお┐ (´ω`) ┌
930人間七七四年:2010/04/30(金) 15:16:38 ID:2rt1TPmH
戊辰でどこがへタレって、仙台ほどのへタレはないぞ
931人間七七四年:2010/04/30(金) 15:49:59 ID:AZNq3gWh
我が家の近所にある坂道が「仙台坂」って名前だな
昔片倉さんの江戸屋敷があったらしいが・・・
932人間七七四年:2010/04/30(金) 16:38:44 ID:SO843CuD
>>926-928
激しくわろたw
933仙台藩百姓:2010/04/30(金) 16:57:49 ID:Sf7joQux
>>930
徳川家の為に懸命に働いた會津庄内を、徳川宗家から親藩譜代に至るまで皆見捨てたのに
外様の仙台米沢だけが必死に赦免運動し戦争も辞さず
中でも仙台は広域に渡って戦闘を繰り返し列藩同盟で最も死傷者を出したのに
薩長土肥や秋田はともかく卑怯な腰抜け徳川関係者に仙台を馬鹿にする資格はないお( ^ω^)
934人間七七四年:2010/04/30(金) 17:02:51 ID:2rt1TPmH
三千も兵力があるのに、ちょこっとの兵が上陸しただけで
直ぐに降参してしまったじゃん、独眼龍が泣くぞ w
935平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 19:04:14 ID:Id6Q/JX8
>>928
男優か?お前は?(爆笑)
936平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 19:07:10 ID:Id6Q/JX8
>>929
何だ?お前佐幕派か?
とりあえず青葉神社と上杉神社行って来ていいぞ。
937平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 19:14:46 ID:Id6Q/JX8
>>933
仙台藩も米沢藩も、もともと好きだったんだよ!
お前が出るまではな。
好きな武将も
1位・徳川家康
2位・徳川秀忠
3位・上杉輝虎と伊達政宗と別スレで書いた。
「独眼竜政宗」も「天と地と」も好きだったんだよ。オレは。
お前を手討ちにしたいのは幕府じゃなくて仙台藩だろな。
あ、渡辺謙もだろな。きっと(笑)
938平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 19:18:12 ID:Id6Q/JX8
>>932
オレじゃなくて、その前と後だろ(笑)
PINKちゃんねるに常駐してた頃を思い出して吹いたわ(笑)
939仙台藩百姓:2010/04/30(金) 21:53:49 ID:Sf7joQux
>>934
兵隊いても火器がないのにどうやって戦うのだお( ^ω^)
そもそも慶邦公の旧幕に対する同情、人道的支援で開始された戦であって
本来外様の仙台藩が幕府に殉じる理由などなく、大義の無い戦に士気は終始どん底┐ (´ω`) ┌
確かに政宗公はあの世でさぞかし嘆いてたと思うお( ^ω^)
政宗公なら薩長と先を争って江戸に雪崩込み徳川家を殲滅していたはずだお
長年の泰平で伊達家の野心が抜けてただのお人よしになるとは嘆かわしい限りだお┐ (´ω`) ┌
というか徳川宗家を守るのは親藩譜代の役目なのに170家以上あって皆知らんぷりとはどういう了見だお(#^ω^)
250年タダ飯食ってウンコしてただけで終了とか政宗公より家康の方が余程嘆いていたと思うお┐ (´ω`) ┌
940仙台藩百姓:2010/04/30(金) 21:57:43 ID:Sf7joQux
>>936
何で上杉神社( ^ω^)…
あれは見飽きたお┐ (´ω`) ┌
久々に東照宮行きたいお( ^ω^)
941平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 22:53:03 ID:Id6Q/JX8
>>939
それはわかる。
つ〜か、やっぱ伊達政宗に天下取ってほしかったんだな。
伊達が天下取ってたら、それはそれで面白かったかもな。
942平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 23:05:32 ID:Id6Q/JX8
>>940
見飽きたとは何だ!謙信公に謝れ!
米沢は伊達の故郷だろが!
話は変わるが
政宗が「千代(せんだい)」に入った時
「千年と言わず、もっと繁栄させるべきだ!」
というわけで
「仙人のおわす場所」を表す「仙台」に変えた。
「独眼竜政宗」の完全版持ってたら当然知ってるんだろうが
ある意味「日本の首都」にふさわしい名前じゃないか?
つ〜か信長の「岐阜」と「安土」もそうなんだが(笑)
仙台は東北の首都みたいなもんだし、それで満足しとけよ。
何か不満あんのか?今の仙台に。
943:2010/04/30(金) 23:10:11 ID:Nbp2HGtv
東照宮行って来た
いや〜凄かったね
さすが天下取っただけのことはあるわ

家光御殿の天井の竜の絵が凄かった、オール金で1枚持って返れば家が建つくらい価値があるってさ
944平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/04/30(金) 23:21:22 ID:Id6Q/JX8
>>943
なんだったら私が立てた
「全国各地のついての東照宮についてのスレ」(神社・仏閣板)で
詳しい話を伺いたい。
東照宮巡礼は私の夢ですんで。
つ〜か、ぶっちゃけ単純にうらやましい。
同時宣伝
「徳川の財団についてのスレ」(博物館とかの板)
945奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/05/01(土) 00:21:47 ID:PXCPDLmf
わかれのおか

首都に相応しいのは位置だけだな。
946人間七七四年:2010/05/01(土) 03:26:42 ID:Hye933Uu
政宗が幕末にいたら、幕府の味方してないのは間違いないわな。
というより家康も幕末にいたら幕府の味方してなさそうw
両人とも時代の流れわかってるからね
947平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/01(土) 09:47:46 ID:DChpYqcG
家康公も慶喜公と同じ選択をされたというわけか。
948人間七七四年:2010/05/01(土) 15:22:03 ID:gFokn9zO
仙台って無茶苦茶でかいのに、ギリギリ100万都市で
人口密度なんてその辺の中小都市にすら大敗なくらい
ど田舎なのだが、、、
949仙台藩百姓:2010/05/01(土) 20:46:40 ID:PGWW2Q7w
また何の脈絡もない適当なアンチ君だお( ^ω^)
人口が多い県庁所在都市だけで比較しても仙台は47都市中16位だお( ^ω^)
まあ、人口密度が多ければ都会というのも意味不明だけど┐ (´ω`) ┌
土田舎でも面積狭ければ密度が上がるというだけの話しだお( ^ω^)
人口密度で言ったら東京大阪横浜に次いで那覇が4位なわけで
さいたま千葉福岡名古屋神戸辺りよりも大都会ということになるお( ^ω^)プッ
950人間七七四年:2010/05/01(土) 21:51:43 ID:jhp56WJJ
電車が無い県が人口密度上位なわけ無いから
おまいのほうが適当だろ( ´,_ゝ`)
951仙台藩百姓:2010/05/01(土) 23:56:49 ID:PGWW2Q7w
ないだろって実際そうじゃんお( ^ω^)
那覇はKmあたり8000人オーバーの過密都市だお
伊豆大島に80万人ぐらい住んでるのと同じ状態だお( ^ω^)
952奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/05/01(土) 23:58:47 ID:o+tGUHue
人口密度と一地域に住む住民の数

徳川に何の影響があるんだか全く読み取れん。
953人間七七四年:2010/05/02(日) 00:02:50 ID:Djnu6nG2
徳川にはこれといって悪感情はなかったがこいつを褒めると
三河者がホルホルしてるのかと思うと罵りたくなる
954奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/05/02(日) 00:08:48 ID:WfUGc2AE
三河が家康によって何か恩恵を享けていたなら。

愛知県はなかったであろう。
955人間七七四年:2010/05/02(日) 01:15:10 ID:EMc/wAsx
たまたま狭い都市見つけて大喜びしてるんでしょ。
956仙台藩百姓:2010/05/02(日) 07:50:29 ID:DzwT5zzR
都心に近い埼玉、千葉、茨城あたりのベッドタウンの方が地方の主要都市より人口密度高いお( ^ω^)
実際、都心以外で都会らしい都会て大阪ぐらいしかないけど( ^ω^)
「繁華街はどこですかお?( ^ω^)」
「ここですけど?」
「…そうですかお( ^ω^)」
地方行くといつもこんな感じだお┐ (´ω`) ┌

>>952
全く関係ないお( ^ω^)
957人間七七四年:2010/05/02(日) 11:05:26 ID:fYCIU6s1
とにかく、逝ったことはないが仙台が田舎だつうのはよくわかった
仙台藩は百姓
958人間七七四年:2010/05/02(日) 11:13:00 ID:E9hkRyuq
確かに夏は涼しいかも知れないが
冬は大雪とかで色々と大変なんだろう?

「日常生活に困らないだけの自然環境」
それだけで仙台とか住むのは負け組だと思う。
皮肉だらけの京女は色っぽいと思うが、熱くて寒いから京都も無理だ。

てか仙台のヨドバシって2階建てなんだぜ?
959人間七七四年:2010/05/02(日) 15:27:46 ID:n/UK/6oF
>>958
仙台はあんまり雪降らないし都会な方
釧路とか小樽とか福島とか新潟とか富山とか
岡山とか高知とか長崎とか中津とか鹿児島とかに比べて
那覇も国際通りあたりは結構都会
960人間七七四年:2010/05/02(日) 16:03:50 ID:x90iQle5
この間初めて出張で仙台行ったけど、良かったよ。
ホテルも良かったし、電車もまぁまぁあったし、牛タンもおいしかった。
福島とかもう泣きそうだったから尚更思った。
961人間七七四年:2010/05/02(日) 18:18:27 ID:+ngd0tQM
仙台人が嫌われるのは何故?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1223633615/l50

何故って、このスレの人はみんな納得
962平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/03(月) 02:53:51 ID:T//CxgDX
仙台は戊辰戦争の時、徳川の為戦ったんだから大目に見ろよ。
963人間七七四年:2010/05/03(月) 03:40:32 ID:eiyaYxyt
てか牛タンとかありえん。

牛とべろべろチューチューするんだろ?
964人間七七四年:2010/05/03(月) 03:48:57 ID:vw775PNY
大人になったらそんな下らない事は気にならなくなるんだよ。
965人間七七四年:2010/05/03(月) 11:00:01 ID:vPqf2yZ+
仙台が徳川のために戦うわけがないじゃん
仙台が戦ったのは東北で一番になろうとしただけで
ただのスケベ根性だわな
だからちょこっと戦ってだめだと判ったらすぐに降参しちまった w
966平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/03(月) 13:49:55 ID:T//CxgDX
>>965
外様だから、いいんだよ。
厳密には徳川家の家来じゃないんだから
大名は天下目指してナンボだろ?
むしろオレは淀藩の稲葉家が許せん。
つ〜か島原藩も官軍ついたから言える立場じゃないがな(笑)
967仙台藩百姓:2010/05/03(月) 20:57:15 ID:c+PKZ4qL
結局豊臣の最後と同じで徳川の味方する大名なんて一つもなかったじゃんお( ^ω^)
まさに因果応報だお( ^ω^)
968人間七七四年:2010/05/03(月) 21:21:45 ID:1LpXWpwX
世界を視野に入れてこなかった内向きの政策では、弱肉強食の帝国主義の時代は生き残れんわな
969人間七七四年:2010/05/03(月) 22:31:37 ID:lWzSZ2YX
>>966
俺としては徳川御三家の方が許せないし完全な裏切り者だけどなw
970人間七七四年:2010/05/04(火) 00:17:32 ID:FtTdHBIs
>>967
それでも家は保ったからな
豊臣とはそこが違う
971人間七七四年:2010/05/04(火) 05:04:40 ID:rZXsndY/
武士に忠誠心なんて無いからな
不利になれば裏切るのみ
972仙台藩百姓:2010/05/04(火) 07:58:55 ID:MTJrrYH5
>>970
別に徳川家の力で保ったわけじゃないじゃんお( ^ω^)


>>971
ほんと、武士の忠義や信義なんて都市伝説に過ぎないおね┐ (´ω`) ┌
973人間七七四年:2010/05/04(火) 08:15:59 ID:11bRu9R8
いやいや忠誠心はあったぞ
それに見合うものをもらえる限り
974人間七七四年:2010/05/04(火) 09:00:30 ID:FtTdHBIs
>>972
豊臣みたいな自滅はしなかったわけだけどね
975人間七七四年:2010/05/04(火) 18:48:51 ID:AMl5GNMG
そしたら桶狭間の時に従った連中とかは、どうなの?
976仙台藩百姓:2010/05/04(火) 23:42:03 ID:MTJrrYH5
>>973
250年もタダ飯食わせて貰っていてこれ以上なんの見返を求めるというのだお┐ (´ω`) ┌
というか私欲の絡んだ関係は忠誠とは言わないお( ^ω^)

>>974
ある意味壮大な自滅だけど( ^ω^)
徳川幕府も潰されたというより潰れたという方が近いお
まあ、どんな国も潰れる時は内から崩壊していくものだけど( ^ω^)
977人間七七四年:2010/05/05(水) 00:18:56 ID:eGb2slGz
>>976
まあ二次大戦のときの天皇家と似たような身の処し方だよね
978人間七七四年:2010/05/05(水) 06:51:29 ID:+uP9v0h2
伊達家ってどんなふうに終わったんだっけ?
979人間七七四年:2010/05/05(水) 07:55:57 ID:PESBWGHZ
芸人で食いつないでるぞ!
980平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/05(水) 11:57:18 ID:1AuaT2sK
「仙台藩志会」ってなかった?
981人間七七四年:2010/05/05(水) 13:40:44 ID:xaqjtkTJ
豊臣とは違った形の自滅という文意なら合ってる
982人間七七四年:2010/05/05(水) 17:19:52 ID:joDXNRSQ
まぁ、滅亡の原因が自身に全く無いなんて事は有り得ない訳で、どんな滅亡も自滅と言えるわな。
983仙台藩百姓:2010/05/05(水) 18:22:53 ID:Yu8kruFj
徳川幕府の終焉の面白い所は圧倒的に戦力の劣る相手に綺麗に負けた事だおね( ^ω^)
勝と慶喜はもっと評価されるべきだお( ^ω^)
984人間七七四年:2010/05/05(水) 21:39:35 ID:X2tx9yAd
徹底恭順だね、そらそうだろう、水戸なんだから
で、明治でも徳川宗家は残った、つうことは豊臣だって残った可能性は
あったってことだよねえ? 
985人間七七四年:2010/05/05(水) 22:14:40 ID:Aweay6tg
>>984
会津藩のような都合のいいスケープゴートがいれば、あるいは生き残れたかも。
986人間七七四年:2010/05/05(水) 23:10:00 ID:85+/SBjg
会津藩ですら存続させた薩長政府と江戸幕府では度量が違う
987人間七七四年:2010/05/06(木) 00:43:53 ID:TmBa+hrj
会津は降伏してるだろう? だから殿様が生き残ってるのじゃないの?
度量とか関係ないだろう、降伏するかしないかの差だろう
988人間七七四年:2010/05/06(木) 07:33:49 ID:gF2YG4KG
降伏なら豊臣家もしてる
徳川がそれを拒否しただけ
989人間七七四年:2010/05/06(木) 11:36:08 ID:TmBa+hrj
会津の殿様が降伏したのは、家来が殿様の食料を調達に出かけて
その度にやられちまうんで忍びなくて降伏したんだぜ?
淀殿が秀頼延命の為に降伏したって? いつだよ
つか、降伏するなら秀頼の名前で降伏するんだよね?
990人間七七四年:2010/05/06(木) 11:43:26 ID:eRcZ5neW
まあたしかに戊辰戦争の経緯とかみると、徳川家が認められなかった可能性だってあった。
正直、大坂の役の前の豊臣家とグダグダ具合で大差ない。

やはり外敵の脅威の有無は大きいね。
991人間七七四年:2010/05/06(木) 12:10:05 ID:QykDqRii
降伏勧告なら徳川もしてる
豊臣がそれを拒否しただけ
992仙台藩百姓:2010/05/06(木) 12:26:18 ID:ub1eNr3Y
豊臣と徳川では状況が全く違うからね( ^ω^)
明治維新の場合は内憂もさることながら差し迫った外患に対する恐れが大きな原動力になっているから
戦意の上がらない徳川をわざわざつっ突いたりして構っているような暇はないという焦りが多分にあったお
逆に言えば幕末も単なる内訌であったならば徳川宗家の存続は難しいお
西郷などは意地でも徳川家を潰したがっていたし
外圧がなければ徳川家を殲滅していた事は想像に難くないお( ^ω^)
993平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2010/05/06(木) 14:01:24 ID:o+h9lu3J
まあ静岡藩70万石の大名として扱ってもらって構わんがね。
994人間七七四年:2010/05/06(木) 18:51:08 ID:x//HDQDA
松平容保は「死んでも構わない!最期の最期まで意地を貫いてやる!」っていう
土方歳三タイプの人ではないよね
かといって「俺さえ助かれば後はどうなったっていいんだw」ってタイプでもないと思う
似てる人物をあえてあげるならば昭和天皇かなと
995人間七七四年:2010/05/06(木) 20:34:30 ID:TmBa+hrj
終戦までの昭和天皇は人間じゃないんだぜ? 人間と比較できんだろう
996仙台藩百姓:2010/05/06(木) 23:02:11 ID:ub1eNr3Y
そろそろ次スレ立てるお( ^ω^)
早く立てないと
【スカトロ総合】徳川家康ウン公スレ
てな感じで立てちゃうお( ^ω^)
997人間七七四年:2010/05/06(木) 23:27:08 ID:tJFXE3HV
そりゃあこの板も人がいなくなるわけだ
昔だったらスレ立てしたけど、結局こういう人のたまり場だから
今はもうどうでもいい
998人間七七四年:2010/05/06(木) 23:42:27 ID:TmBa+hrj
おらもこれで最後にするよ、ばかばかしい
仙台でもどこへでも逝ってくれよ
独眼流マンセーでもいいよもう
999人間七七四年:2010/05/07(金) 00:24:06 ID:y0TJmB0B
1000人間七七四年:2010/05/07(金) 00:25:38 ID:y0TJmB0B
1000なら明日Z合格採用通知
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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