【史実】徳川家康の人質時代を語るスレ【推測】

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1人間七七四年
いろんなエピソードがあったり、推測を考えられたりする徳川家康人質時代
そんな松平竹千代〜元康とその周辺をいろいろと語ってみようじゃないか
ちなみに人質は織田パートもあることをお忘れなく

本人略歴
6歳 今川の人質になる・・・はずが織田家へ
8歳 やっと駿府へ
14歳 元服して元信
16歳 元康に改名、瀬名姫と結婚
18歳 信康誕生
20歳 独立
ここまで

Wikipedia徳川家康
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
2人間七七四年:2009/10/06(火) 01:52:00 ID:qZ6ni3Rn
信長との接触はあったのか
氏真との関係は
今川家の中での立場はどうだったか
雪斎の教えはどの辺まであったのか
などなど好き勝手にレスしちゃえ
3人間七七四年:2009/10/06(火) 09:57:21 ID:b536pQET
>信長との接触はあったのか
あったかもしれないし、あってもおかしくなかいが、史料的には確認できない。

>氏真との関係は
少なくとも、悪かったとする史料的根拠はない。むしろ敵対した期間もあるのに、
その後は仲がいい。人質時代は氏真の側にわざわざ嫌うほど関心を向ける
価値があったかどうか。

>今川家の中での立場はどうだったか
婚姻によって、今川一門に迎えられ、三河のどこの馬の骨とも判らない豪族の
何の後ろ盾もない人質の子供にしてはありえないほどの厚待遇。将来の幹部
候補生といったところか。ただ、今川家臣たちの個々人がどう思ったかは別。

>雪斎の教えはどの辺まであったのか
最近は疑わしいんだっけ?
4人間七七四年:2009/10/06(火) 16:05:30 ID:KKxQtS/g
松平氏が竹千代を人質に差し出すことにより今川氏との主従関係が一応成立するも
その後の当主不在の時期にあっても松平氏の西三河における支配機構は機能し続け
ついに今川氏は松平家直轄地と家中衆を今川氏知行地、直臣のなかに組みこむことを
断念することとなる。
5人間七七四年:2009/10/06(火) 17:51:14 ID:qmM+agw3
殺されても仕方ない状況で生き残ったのはすごいよな。
頼朝もそうだけど、強運の持ち主。
6人間七七四年:2009/10/06(火) 19:08:29 ID:KmdEXXdT
田原戸田家は何の勝算があって織田に売り渡したんだろうね
7人間七七四年:2009/10/06(火) 19:14:45 ID:1dDfL2mf
戸田「愉快犯・・・おもしろけりゃァそんでいい」
8人間七七四年:2009/10/06(火) 19:26:43 ID:qZ6ni3Rn
>>3
ちょwwwww
マジレスだけでなくて憶測で面白いレスしてもいいスレなので
そこんとこにょろしく><
雪斎の件については、どうも当時の雪斎は忙しくて
たとえ次世代のホープとはいえ竹千代だけに関わっていたとは考えられない
というのが当たりっぽい

>>5
それは厚遇目的だった今川時代じゃなくて織田時代だよね
そこんとこは確かに言える
だからそれをもって憶測で「信長が気に入ったため助命されたのでは」
なんつっていうのもありかと
「松平の小僧、面白い!」と引っ張り回してた可能性だって
現時点では絶対の否定はできないよね
たとえ居場所が違っててもあの信長のことだから
ふらふらと家康がいるところに行ってたかもしれんし
その後の臣従に近いとはいえ、同盟関係の破綻が無かったことも考えて・・・
9人間七七四年:2009/10/06(火) 19:29:48 ID:qZ6ni3Rn
さすがにあの頃はまだ前田利家他名だたる家臣たちは仕えてなかったのかな
一方の家康側には間違いなく酒井忠次はいたはずで
それ以外には誰がまんまと騙されちゃったんだろ
10人間七七四年:2009/10/06(火) 20:39:02 ID:qZ6ni3Rn
前田
>天文6年を生年とする説が有力となっている。
>天文20年(1551年)に織田信長に小姓として仕える。
関係ないな
11人間七七四年:2009/10/06(火) 20:46:56 ID:buVO84Ti
>>3
三河のどこの馬の骨とも判らない豪族ってことはないよ
岡崎はかなりの大勢力だ
12人間七七四年:2009/10/07(水) 19:13:20 ID:s4dXLEYs
没落した今川の氏真を庇護したということは
北条氏規のときみたいな昔馴染みってところがあったのかもね
掛川城立てこもりからわざわざ逃がしたのもそういうところはあったのかもしれん

書いてて気付いたけど「人質時代」の繋がりは氏規にもあったんだよなあ
屋敷が隣という話もあるし
義元としては将来氏真の補佐役として家康・氏規に期待してたところもあったのかな
13人間七七四年:2009/10/07(水) 19:48:52 ID:s4dXLEYs
軍事的側面で語られることが多い家康隠居の地・駿府
でも嫌な思い出の地だったらわざわざ来ないよね
軍事的地理なら他にいくらでも考えられたはずだし、
初代将軍ほどの力なら全然新しい地に居を構えることも出来たはず
今川時代もそれなりに華やかとはいえ、駿府が栄えたのはやはり家康後ではないかと
だから人質時代は少なくとも負の記憶はそんなに無かったか、
プラスマイナスで0以上だったと思う
14人間七七四年:2009/10/08(木) 20:00:09 ID:OFT0RBJ0
兄貴信長と舎弟家康の遊びがどんなのだったか興味がある
15人間七七四年:2009/10/08(木) 20:51:44 ID:3omq1PZJ
室町中期の一次史料に出てくる松平をみると、
地頭職とか伊勢氏配下とかになってるから、
清康、広忠が馬の骨あつかいになってたとは思えない。
16人間七七四年:2009/10/09(金) 13:00:37 ID:qZCnGTEH
>>14
信長とは鷹狩とか一緒にやってるな。
竹千代時代のことなら知らんが
17人間七七四年:2009/10/09(金) 18:47:48 ID:+k1RwHai
清洲で
兄貴「竹千代も、苦労しとるくせにようこんなに大きくなったのう、わっはっは」
舎弟「もう元康だでその名前はやめてくだされ・・・」
翌年、家康へと更なる改名
18人間七七四年:2009/10/09(金) 19:11:10 ID:7Qdt/0oQ
義元敗死しなくても後継が蹴球麿だから乗っ取れたと思うわ
むしろその方が・・
19人間七七四年:2009/10/09(金) 22:20:07 ID:YzkkPJih
桶狭間の後も氏真とは仲が良いんだよな、わりと。
20人間七七四年:2009/10/09(金) 23:17:38 ID:43pvVnd6
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2476.html
この話って本当かどうかあやしけど
なんの史料に乗ってるのか詳しい方教えてください。
21人間七七四年:2009/10/09(金) 23:23:41 ID:+k1RwHai
>>19
だから駿府時代に何かあったと思うんだなー
勝気な家康が年上氏真を子分扱いにしてて
氏真も結構その立場が気に入ってたとか・・・
22人間七七四年:2009/10/10(土) 03:40:21 ID:GfCAe3hf
仲が良いって言っても、その後氏真が降伏するまでずっと戦争しっぱなしだけどな
23奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/10(土) 08:31:16 ID:zi5g5ujW
「偉大なる舎弟頭」徳川家康。
駿府期には氏眞の舎弟にキッチリ収まっていたと推測。
24人間七七四年:2009/10/10(土) 11:59:20 ID:9el+FeMv
>>22
そりゃ無抵抗のわけはないべ
徳川陣営自体がまだそんなに大きくなかったし元家臣だし

氏真の鞠を豪快にシュートして障子の5枚や6枚破ってそうな家康
意外とそれを咎めない義元っていう感じ
25人間七七四年:2009/10/10(土) 13:23:11 ID:aJi+4meY
そこまで勝ち気なイメージなのかw
26人間七七四年:2009/10/10(土) 13:41:17 ID:9el+FeMv
逸話だとしてもそういう性格だったろうと推測されるのが
縁側から小便とか寺の領内で鷹狩りとか鳥居元忠を突き飛ばしたとか
そんな話が残ってるからねwww
他にまだあるんじゃない?
27人間七七四年:2009/10/12(月) 08:44:18 ID:LrSvJT7C
>鳥居元忠を突き飛ばした
kwsk
28人間七七四年:2009/10/12(月) 17:47:53 ID:Z/fBZBgB
例えばぐぐると
http://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/torii-mototada.html
>駿府でのエピソードとしては、百舌の飼い方が悪いと、怒った家康公に縁側から突き飛ばされたこともあったといわれる。

明らかに短気なやんちゃ坊主の竹千代
これを見た酒井忠次からげんこつでももらってれば面白いのにwww
29人間七七四年:2009/10/12(月) 22:14:42 ID:h9CVtQ8W
戦でも短気で、指揮しながら拳を血が出るほど鞍に叩きつけたり
したともいうな。
30人間七七四年:2009/10/13(火) 00:38:18 ID:IVJEWORh
だから短気は生まれ付いてのもの
忍耐は人質時代のものだろう
いかに優遇されてると言っても心から臣従したわけじゃなかったはずだから
今川一族になってハッピーっていうノーテンキだったら
後の徳川家康はなかったよね
31人間七七四年:2009/10/13(火) 01:53:29 ID:PM04I4wk
>>30
今川に臣従していなければ、松平家は所領をことごとく横領されて岡崎から放逐されていただろうな。

「忠勇無比の三河武士」? 先祖顕彰の作り話乙
32人間七七四年:2009/10/13(火) 18:49:41 ID:DwIVxu2/
つーか広忠が死んだ時点で事実上家康の系統の松平家は一旦無くなったも同然
更に織田人質になったときも今川がぐずぐずしてたらマジで首切られてたかもしれん
いろいろ差し引いても今川には恩は相当あるはず
ただそこは戦国の世だから・・・チャンスを掴み、力を持った者が上に行くのは当然で
33人間七七四年:2009/10/14(水) 22:47:59 ID:rpjHiA16
このころに他人と入れ替わっててもおかしくないなあ
34人間七七四年:2009/10/15(木) 20:28:06 ID:SGs6BRxs
人質時代に信長との接触があったと考えるのが普通。

でなければ、
大河ドラマの「家康」のときの、信長との同盟で
「竹千代ー!今宵は童へ還って遊ぼうぞ!」のセリフはなかった。
35人間七七四年:2009/10/15(木) 23:56:00 ID:0XTDQ9gW
好奇心旺盛なヤンキー信長が強奪した人質に興味を示さない筈がない
36人間七七四年:2009/10/16(金) 00:33:48 ID:T+qiP9vi
江戸より駿府が大好きだった家康。
少年時代に学んだ場所は、駿府。
青年時代に目指したのは、駿府。
晩年を過ごしたのも、   駿府。
37人間七七四年:2009/10/16(金) 01:01:26 ID:JP/1VTQv
>>34
いやいやいやいやwww
大河ソースは・・・

2年あれば接触はあっただろうし
後々の関係に影響のある何かがあったんだろうなあ
38人間七七四年:2009/10/16(金) 01:36:57 ID:Nl30eOlW
そのわりには信長と家康の二人のエピソードってあまりにも少ないんじゃない?
何らかの精神的レベルでの交流があったと言うなら、
織田での人質時代に限らず、同盟組んでから本能寺で信長が死ぬまでに二人の中が良かったと思わせるエピソードとかが知りたいのだが・・・
信長と秀吉、秀吉と家康と比べて印象が薄くない?
39人間七七四年:2009/10/16(金) 01:43:46 ID:F48h1s9g
>>38
秦王政と燕太子丹の間柄みたいな
40人間七七四年:2009/10/16(金) 02:06:22 ID:ziXTHTG+
>>38
安土に招いた時相当気を使ったとか
堺見学を勧めてくれたとかw
まあ大連立の2トップだからな
清洲同盟でも本人同士は会ってないだろなんて話もあるし
41人間七七四年:2009/10/16(金) 02:37:37 ID:Nl30eOlW
自分別に史料とか読み漁っているわけじゃないから偉そうなこと言えませんが、
家康が信長について語ったこととかって記録に残っているのかが知りたいです
wikiにも根拠不明で両者が不仲だった可能性もあるとか書いているけど、
実際家康が信長をどう思っていたかについて、個人的な感情や意見を語った(例えば前田利家)話を読んだことがないです
織田家での人質時代の家康のところに信長がきて云々は家康本人の口から出たわけではなく、後世の創作の可能性もあるんですよね?
秀吉のように直接主君に仰いだ経歴のある人物であるならともかく、形式上は対等であった同盟相手の信長に対して家康が遠慮する必要はないように思います。
それなのに信長を褒める話もけなす話も、そもそも信長の登場する逸話が出てこないと言うのは不自然なのでは、と素人考えしてしまうのですがどうでしょうか
42人間七七四年:2009/10/16(金) 21:38:54 ID:GWSRoYxM
>>38
あの頃の二人の忙しさたるや・・・
ついに武田を潰して、毛利を押し込めて、北条を何とか抑えて、上杉もやっと謙信が死んで、四国を軽く食っちゃうか
という段階になってようやく一安心できたんだと思うな
共同戦線になった対朝倉・浅井にしても対武田にしても、
のんきに昔話を語り合う暇も余裕も無かったんでは
家康にしてもあとはどう巧く織田政権に潜り込もうか、と考えてただろうし
実際>>40のとおりああいう歓待って他の人にはしてないよね
軍団長の明智をわざわざ家康の担当にするってことは、やはり家臣扱いではないわけで
>>41
そもそも2年間だけだったしね、織田人質時代
だからこそ妄想は膨らむし、このスレはそれで楽しむスレでもあるし
史実だけで語る硬いスレじゃないよ
俺としては剣術稽古で氏真をボコる家康を想像してニヤニヤしちゃうんだが
43人間七七四年:2009/10/18(日) 20:47:38 ID:9EEdDtnw
戦国時代の忙しさって実のところ大したことないんでしょ。
44人間七七四年:2009/10/18(日) 21:27:12 ID:vnIMpLKF
主同士の行き来が必要だからなかなか暇は無いんじゃない?
余裕が出来てきたのは武田が無くなった後ぐらいだから
さあこれから・・・というときに、本能寺
45人間七七四年:2009/10/19(月) 00:56:47 ID:GpmhjfjR
信長とはわからんが
北条氏規とは仲が良かったのかね
ご近所さん説は置いとくにしても
46人間七七四年:2009/10/19(月) 02:06:37 ID:6C7/qlw7
人質関連年齢差
当主他           織田→今川移送時の年齢
1534年 織田信長 +9  17
1538年 今川氏真 +5  13
1543年 徳川家康     8
1545年 北条氏規 -2.   6

付き従った家臣
1527年 酒井忠次 +16 24
1533年 石川数正 +10 18
1539年 鳥居元忠 +4.  12
1542年 平岩親吉 +1   9
1548年 本多忠勝 -5   4  ただし駿府へは10歳のときとのこと

目立った家臣は他に誰がいるのかな
47人間七七四年:2009/10/19(月) 10:55:39 ID:klZOu665
既出だが、事実かのように語られている「信長と元康が清州城で
会見しての同盟締結」はなかったという説もある。
この説では信長・家康の間の攻守同盟もなかったというのだが。
清州での会見がなかったという説の根拠は「信長公記」「三河物語」
「松平記」などの早く成立した史料にその記述がなく、
江戸時代になってからの史料にしか記されていないということとか。
48人間七七四年:2009/10/19(月) 12:00:25 ID:YLQcglCw
>>47
「清洲会見」があったか否かと、「同盟」の有無は別だよな。

まあ甲相駿三国同盟の善得寺会盟もなかったという話だし。
49人間七七四年:2009/10/20(火) 00:34:31 ID:uQNA3xOW
家康人質時代からの縁で仲が良いというと
徳川家中以外じゃやっぱり北条氏規が思い浮かぶな
氏真の掛川城開城の時、徳川と氏真の仲介して氏真迎えたのも氏規だし
家康の対北条の窓口はほとんど氏規だし
小田原攻めの際も自害を図った氏規を止めたのは家康の命を受けた井伊だしね
氏規の息子も関ヶ原に東軍で参加しているし、もし氏規が関ヶ原まで生きていたら
関ヶ原で家康と戦っただろうなあ

あとは岡部元綱なんかは今川時代から家康と親しかったというよね
50人間七七四年:2009/10/20(火) 20:11:35 ID:Enw1Ba2Z
家康と

家康と共に

だよね
最初「???」だった

要するにこの3人はほぼ間違いなく今川屋敷で顔は合わせてたはずで
場合によっては>>12の件もあるだろうから文でも武でも一緒にやってた可能性も0ではないよね
氏真がちょっと歳が離れてるけど>>46
補佐役になる予定だった二人の方がどうにも優れていたようだというのが
義元から見ると歯がゆい事実だったかもしれん・・・
51人間七七四年:2009/10/20(火) 21:38:50 ID:uM/WjTYx
華陽院が今川氏でどういう扱いを受けてたか知りたい。
52人間七七四年:2009/10/22(木) 15:46:43 ID:1jCZxBsi
つか案外駿府時代のことって謎だらけだよね
だからこそ想像は膨らむんだが

人質同士とはいえ、氏規と家康じゃかなり立場が違うんじゃないか?
氏規は北条家の五男だし、時期当主氏真の義弟で、義元の甥でもある
ほぼ一門衆的な扱いを受けていたんじゃないかな
53人間七七四年:2009/10/22(木) 16:51:21 ID:mIPMJj8F


【G2サマナイ/共同通信社杯/東西王座18】
456:10/20(火) 15:51 bJ+MZU4B [sage]
10年くらい前の取手記念で神山のおっかけのデブスがいて
スタンドの上の方から神山さーんとか叫びながら降りてきた拍子に
思い切り転んで物凄い勢いで二十段くらい階段落ちした。
死んだかもと思ったら、額から血を流したままむくっと起き上がって、
また神山さーんと叫んだのでびびった。
54人間七七四年:2009/10/22(木) 18:58:57 ID:YsU/1tG3
つまり氏規は家康よりは1つ今川家に近いということ?
確かに当時の家の大きさ・立場からいったら
今川⇔北条と今川⇔松平では段違いだからなあ

あと・・・意外とネタレスが無いなこのスレ
妄想OKなんだけどwww
55人間七七四年:2009/10/24(土) 01:00:29 ID:V8MHzU0h
最近は家康が人質として滞在してた場所についての論争(駿府か否か)も
あるそうだな。駿府じゃない説(平野氏)では、家康は吉田にいたんじゃないか
としているな。勿論これには本多氏などの研究者が反論を加えているんだけど、
なかなか興味深いな。
56人間七七四年:2009/10/24(土) 01:30:41 ID:Z+ZY736k
なんかそれ見たことある気がする
そのときはそんなに人質に関して興味なかったから流して読んでたが
どんなんだっけな
57人間七七四年:2009/10/24(土) 01:59:12 ID:FXGC0600
58人間七七四年:2009/10/24(土) 02:09:06 ID:Sn2AlxyB
でも家康は何度か幼い頃は駿府にいたって言ってるんだよね
59奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/24(土) 03:36:13 ID:37FVoTdR
そりゃまあ今川から見たら西三河管理事務所みたいなもんだったろうし。
60人間七七四年:2009/10/26(月) 08:19:06 ID:R6drDZ3I
なんだかんだこの人質時代の縁みたいなものを後世フル活用しているよな
61仙台藩百姓:2009/10/26(月) 09:16:21 ID:WoPdxCUH
広忠の子供と後の家康は別人だお( ^ω^)
62人間七七四年:2009/10/27(火) 17:32:40 ID:CZRIeWIS
氏規の助五郎って名前
そのままんま「五郎(氏真)を助けてね」って意味?
63奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/28(水) 04:05:03 ID:ehN+7JNo
新九郎・源三郎・新太郎・助五郎・四郎・三郎
64人間七七四年:2009/11/02(月) 02:34:38 ID:iLFDIa23
駿河には家康の祖母も来てたんだっけ?
65人間七七四年:2009/11/02(月) 15:45:40 ID:QJiHmlfH
母親は離縁だからやむなく
確か唯一の肉親ということで
66人間七七四年:2009/11/06(金) 14:43:17 ID:FII0ra9K
竹千代は稚児姓として義元に毎晩義元に掘られていたよ
67人間七七四年:2009/11/06(金) 15:03:49 ID:Dfk9PAe4
義元はしらんが氏真はそういう説があるのを2ちゃんで見た気がする
68人間七七四年:2009/11/07(土) 00:47:39 ID:FK3kTP/9
家康だって井伊直政と・・・という話はあるし
69人間七七四年:2009/11/09(月) 08:53:13 ID:q5ckr8sP
駿府での人質時代の家康は、
鷹狩をして、しばしば隣の屋敷に自分の鷹が迷い込んで、
その鷹を取りに行く度に、
その屋敷の主人(孕石主水だったかな?)に、
「三河の小伜には、飽き飽きしたわ!!」等と言われたりして、

辛く当たられていたそうだな。

…尤も、この時の恨みは、後年、高天神城を武田家から奪回して、
孕石主水を捕虜にした時に晴らしたんだが…。
70人間七七四年:2009/11/09(月) 13:40:37 ID:6GHAtoBw
義元が竹千代に施した術が
竹千代の幼い性を目覚めさせ、
信長が竹千代のテクに喜んだと言う。
信玄は竹千代のテクに羨望した。
71仙台藩百姓:2009/11/09(月) 15:32:23 ID:4FXSEfVw
>>69
家康の狭量さをよくあらわしてる逸話だおね( ^ω^)
しかも逆ギレだし目茶苦茶だお┐ (´ω`) ┌
一向一揆でも波切孫七郎という豪の者がいて
家康がこの者に二度槍をつけたと自慢していたら孫七郎が
「私に槍をつけたのは家康様ではなく別の者だった」
と言った為に家康は恨みに思って子供の代まで召し出さなかったお( ^ω^)
72人間七七四年:2009/11/09(月) 20:10:42 ID:SJt8w1zU
>>69
家康は幼少時からいろいろエピソードあるわけで
つまらんというやつは自分の無知をさらけ出してるだけだよな
73人間七七四年:2009/11/09(月) 20:36:25 ID:Xx6/Tt8j
毎晩義元に召しだされ尻奉公する竹千代
その時の鬱屈した想いが桶狭間後の彼の行動を決めたのであった・・・!
74仙台藩百姓:2009/11/09(月) 20:53:43 ID:4FXSEfVw
>>72
というより家康の場合は逸話の内容が面白くないという意味だと思うお( ^ω^)
75人間七七四年:2009/11/11(水) 22:49:12 ID:ADwwU06o
人質時代が描かれている面白い小説ってある?
76人間七七四年:2009/11/12(木) 00:39:22 ID:NDNanLFo
人質時代だけ書かれているものは知らないが山岡荘八の徳川家康はこの時代を丁寧に書いてある
有名な石合戦のエピソードは無いが
77人間七七四年:2009/11/13(金) 03:02:43 ID:/HDWSohp
脇役かつ殆ど登場しないが、姫の戦国に人質時代の家康と氏規の描写がある。
ちょっと可愛げのない、大人っぽい家康と無邪気な氏規、そして寿桂尼に
将来を心配される氏真がいる。
78人間七七四年:2009/11/13(金) 20:15:26 ID:lPC6Z4p/
岩井三四二の「しょうべん小僧竹千代」って短編が面白かったな
朝比奈泰勝が主役で超可愛げない竹千代が出てくる
79人間七七四年:2009/11/14(土) 00:20:58 ID:qd2Fp3G3
なんとなくだがエピソードを拾ってみると
確かに小生意気なんだよな、竹千代www
間違いなく厚遇はされてたよな
苦しかったのは今川にこき使われてた三河の留守衆であって・・・

ところで、たまたまだが今日というか昨日か
日本史の泣ける話だなんだとかいう本を立ち読みしてきた
そこには読む前に期待した鳥居元忠が載ってて
         キター!
マジで泣きそうになった・・・逸話込みだろうがもう関係無いね!
突き飛ばしたエピソードも書いてあったよ
80人間七七四年:2009/11/25(水) 18:21:57 ID:CzyptNcU
>>79の本を見に行ったら無かった・・・買われてた
81人間七七四年:2009/11/27(金) 23:31:19 ID:GZeScu97
家康が、もう少し長く織田に人質になっていたならば、お市と結婚していたかもしれない。
歴史は確実に変わっていたのに。
82人間七七四年:2009/11/28(土) 00:18:49 ID:19jQshZ9
いや〜今川と違って織田は単純に物として強奪したからそれは無いだろう
松平は織田とは喧嘩しても今川には従ってたという関係もあるし
今川にしても松平の長男を取り込めば三河を武力で抑えるよりは楽に属国に出来る
83人間七七四年:2009/11/28(土) 10:05:38 ID:5JeawFfT
当時の織田の人質だとあまり厚遇されないだろ。
市を貰える可能性なんて皆無。
84人間七七四年:2009/11/28(土) 12:08:51 ID:nG+jOZLI
そういえば織田時代はどうだったんだろう?
信長と本当に親しかったんだろうか?
85人間七七四年:2009/11/28(土) 12:26:07 ID:IvteTUFu
それを妄想して楽しむのがこのスレ

そしてこのスレ出発でリアルに調査を始めるのも一興ww
86人間七七四年:2009/11/28(土) 21:31:08 ID:ipDTRlmF
>>82 >>83
それは、信秀の時代だろ。信長の時代になったらどうかなと思ったんだが。
いつまでも家康を人質にしている余裕は、当時の信長にはなかったか。
87人間七七四年:2009/11/28(土) 22:28:51 ID:IvteTUFu
人質は幼児でも容赦なく切り捨ててた時代
使えんと思ったら信秀が殺してた可能性は高いだろう
でも今川方にして見ればどうしても欲しいものでもあったから
いろんな手を使って取り戻してたんじゃないかね
88人間七七四年:2009/11/29(日) 03:07:07 ID:/ntjiEqe
緩衝地帯の御曹司だし人質には最高だろ…
89人間七七四年:2009/11/29(日) 11:17:44 ID:9gLoMUY0
そういえば織田人質のときに織田から松平に「人質を返してほしくば〜」って恐喝なかったっけ
でも広忠は「俺は今川に忠誠を誓ったのだ、いらん!」て屈しなかったような
それを見て今川の方がびっくりして困って救出作戦に出たんでは
家康が広忠でなく清康を尊敬してたのも自分をそうやって見捨てた父親を嫌ったとかも
家康って根に持つタイプだから
当時の関係からすると織田と松平は力も大きくは違わないから
人質を生かしても殺しても関係も変わらない全面抗争のまま
でも大国・今川からすると松平長男をゲットしとけば
すでにほぼ傘下にある三河経営にかなり有利になるかと
死なれちゃったら将来松平離反の可能性が少なからず高まるわけで
そういう点で今川内と織田内では竹千代の価値は違ってたと思う

あえてぐぐらずうろ覚えで書いて
後続のレスに期待することでスレを活性化させる俺の戦術(・∀・)
90人間七七四年:2009/11/29(日) 11:41:31 ID:D/O0jtyd
>>89
おれもあえてぐぐらない。理由はめんどくさいから
秀康が秀吉の人質になった時に秀吉に息子はいらんのかー
って言われて「いらん」って答えてなかったけ?
親父の徳川家>息子な考えは間違ってはないと思ってるんじゃないかな
それとも親父に見捨てられた経験から性格が歪んで息子を大事にしなくなったとか?
91人間七七四年:2009/11/29(日) 11:49:43 ID:QoN/MMV5
子供を怒鳴りつけたというだけで後世まで名前が残った孕石さんかっけー。
92人間七七四年:2009/11/29(日) 14:06:56 ID:JY6p6oD2
>>91
それで結局殺されたんじゃなかったっけ

>>90
そのエピソードはちょっと覚えてないが
秀吉だからまさか「徳川の子」を殺しはしないと思ってたんじゃない
それにただそばに置いておく人質の立場でなく養子にしちゃったしねえ
身内の秀次に対してだけはやりすぎの感はあったけど

因果応報?
自分が親にされたことを親になった自分も気付いたらやってたってことなのかな
もしかして清康信者になったのは、その嫁である祖母が同居してたから
清康すごい清康すごいと常に教え込んでいたのかも?
93人間七七四年:2009/11/29(日) 15:18:36 ID:CJ8dkeAg
お婆ちゃん子だった可能性はあるよな
94人間七七四年:2009/11/30(月) 01:30:14 ID:fJ1/MlHn
祖父>父
この構図は家光にも通じる所がある
95奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/11/30(月) 20:43:32 ID:yJwswXJz
お婆ちゃん子で間違いないんじゃないの。
育ての母みたいなのが父方祖父の後妻かつ母方祖母だったりする奇妙な生まれだし。
96人間七七四年:2009/12/01(火) 00:34:34 ID:OD6zVEgS
その上、確か3歳ぐらいで母親と離別となったら恋しくもなって
そりゃ年上好きにもなるだろう

年取ってからの子供はそれはまた別の話
97人間七七四年:2009/12/01(火) 01:17:56 ID:i9ix2Z7c
いろんなエピソードって・・・
石合戦で人数が少ないほうが勝つと「予言」した話くらいしかないだろw
それも、「若様」のご機嫌を損ねぬよう、家臣が人数の多いほうに
わざと負けてくれるよう菓子を渡した・・・という裏話まで
あるほどだw
いずれにせよつまらん人質時代だったんだろうが、
彼のつまらない人生は、その後も一生続くね
なんつーのか、秀吉のような花がない
98人間七七四年:2009/12/01(火) 10:12:59 ID:dKy5Gfvd
氏真とはどうだったんだろう?
蹴鞠おそわらなかったんだろうか?
99人間七七四年:2009/12/01(火) 14:07:23 ID:WCciK+hr
>>98
知ってる限り人質時代の氏真との逸話は無いな
同じ人質だった氏規とは交流があったようだが……
氏規は寿桂尼が自分の孫として連れ歩いたりしたくらいだから
ほぼ今川一門扱いだろうし、どうなんだろう

後に家康が氏真の籠もる掛川城を攻めた時も
仲裁に入って交渉したのは氏規だったし
100人間七七四年:2009/12/01(火) 18:08:41 ID:JYUkUJe4
氏真と家康では単に立場の違いで勉学で同席は無かったんじゃないかね
家康も後々瀬名をもらって親戚になるとはいえやはり家臣的立場だろうし
101人間七七四年:2009/12/01(火) 18:41:03 ID:GaBwTaSf
>>97
でも後年東海道一の弓取りになって良かったよな
102人間七七四年:2009/12/02(水) 00:14:58 ID:tE2M1t1H
いやん
103人間七七四年:2009/12/05(土) 12:43:16 ID:ZGLV2CJC
仮に桶狭間がなかったとして、
今川が天下を取って、吉本は氏真でなく家康(元康)に
家督を譲り、結局家康が天下人
って流れになった気がしないでもない
104人間七七四年:2009/12/05(土) 14:00:04 ID:8cL6B7Wm
さすがにそれは無いだろう
瀬名が義元の養女でなくリアル娘だったら可能性は出てくるが
それに今川家臣もなかなか従わないと思う
氏真のふにゃふにゃも困るが、属国出の家康は嫌だと
でも後に氏真と家康の子同士が結婚していくのは有りか

しかしさすが名家に連なる女だけあって本名があるとは
家康としては逆にそのプライドがうざかったのか
105人間七七四年:2009/12/05(土) 18:59:04 ID:bKMMInep
今川義元が元康に家督を譲ることはないけど、
元康が天下人氏真を下克上のシチュはあるかも。
今川譜代の家臣は氏真に付き、外様は元康につく・・・かな。?
106奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/05(土) 19:36:31 ID:ZpCVj8e2
瀬名って名前か?
107人間七七四年:2009/12/05(土) 19:54:50 ID:mBfgzj6g
今川義元にとっての家康(今川配下なら元康)は、
秀吉にとっての宇喜多秀家みたいなもんか
一応一門扱いだしな



108人間七七四年:2009/12/05(土) 20:08:48 ID:/eKEiKXL
築山殿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%89%E5%B1%B1%E6%AE%BF
築山殿(つきやまどの、天文11年〔1542年〕? - 天正7年8月29日〔1579年9月19日〕)は、徳川家康(松平元康)の正室。
本名は瀬名(せな)。別名を鶴姫という。築山御前(つきやまごぜん)とも呼ばれる。
今川家一門、瀬名家の関口義広の娘。母は今川義元の妹で、つまり義元の姪にあたる。
また、室町幕府の重鎮・今川貞世の血を引く。


超名門
109人間七七四年:2009/12/05(土) 20:13:48 ID:/eKEiKXL
>>107
北条氏規も合わせて両脇を固めたんだろう
人材・国の関係含めて
110奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/05(土) 20:17:08 ID:ZpCVj8e2
それはバランス悪すぎるな。
111人間七七四年:2009/12/06(日) 02:25:14 ID:QuEalsYT
西の磐田には長沢まさみ
東の伊豆には岩田さゆりと可愛い若手女優がいるが
瀬名姫をやらせたい駿河地元の若手女優って誰がいるんだ
酒井美紀はああ見えてちょっとお年が
まあそれでもいいけどさ
112人間七七四年:2009/12/06(日) 12:12:07 ID:LCYtw1z+
113人間七七四年:2009/12/06(日) 12:56:24 ID:9+LLE+5C
>>112
チェンジお願いします
114人間七七四年:2009/12/06(日) 13:34:38 ID:LCYtw1z+
>>113 じゃあこっち
原田 夏希
http://www.wingsjapan.com/harada/harada.html
115人間七七四年:2009/12/06(日) 13:54:01 ID:LCYtw1z+
若いのがいいならこんなの
高良光莉
http://blog.oricon.co.jp/takarahikari/

個人的には>>112この娘いい子だよ
116人間七七四年:2009/12/06(日) 14:38:10 ID:9+LLE+5C
>>114
信金の原田か
姫っぽくていいな

ローカルでいいから、そして小和田哲男監修で
今川時代の家康ドラマでも作らんかな
ドラマだけでは無理そうなら史跡を訪ねる旅と混ぜて

いたなあこのグランプリ>>115
117人間七七四年:2009/12/06(日) 16:04:07 ID:cfOQPvel
信長にカマ掘られたのかな
118人間七七四年:2009/12/06(日) 18:23:17 ID:oE1rtAQN
横山光輝の徳川家康には信長と家康がフンドシ姿で川遊びしてたよな
119人間七七四年:2009/12/06(日) 19:10:50 ID:jk3v3q29
華陽院の生年なんだけど、明応元年(1492)生まれではどうも得心いかん。
水野忠政が継室でありながら年上ということになるが、於大らを30代で産むのは
ともかくとしても、再嫁先の松平清康とは18歳も年上ということになってしまう。

どこかで清康より2歳年上という資料を見た気がするが、それならまだ納得できる。
120人間七七四年:2009/12/07(月) 11:00:03 ID:QB86MajD
>>119
松平研究をしてる新行紀一という人は、華陽院の産んだ子の年齢からみて
彼女は清康とは結婚してなかったのではないかといってるよ。
清康に再嫁したというのは疑う余地があるということだな。
121人間七七四年:2009/12/07(月) 13:05:43 ID:PUKvmcYZ
松平が水野を降伏させたときの和睦の条件で清康の元へ(狙ってたという話もあるし)。
清康死後も3人に嫁いだんだから絶世の美人というのもわかる。
40代後半でも20代にしか見えない女優もいるし・・・・
42〜3才の頃の吹雪ジュンに当時27歳の俺は萌えた(hahaha)
122人間七七四年:2009/12/07(月) 20:33:59 ID:Jw8PmBqf
>>118
なんか見たことあるような
でもどこで見たんだっけな
あの人のは三国志と水滸伝しかみてなかったはずだが
123人間七七四年:2009/12/22(火) 13:20:03 ID:90Ufuw2P
竹千代は人質時代は苦労してないけど
岡崎の家臣たちは苦労してたのはたしかなの?
124仙台藩百姓:2009/12/22(火) 16:16:05 ID:0bM/h6Eg
多分に創作が入っていてどこまで本当か分からんおね( ^ω^)
義元は家康を丁重に扱っているし、松平重臣にも加増を行っているお
今川にとって三河を押さえる事は重要だし、わざわざ虐めて統治し難くするのは不自然だお( ^ω^)
125人間七七四年:2009/12/22(火) 21:20:18 ID:a6Zov6kQ
義元が松平の重臣に加増したらまずくないの?
126人間七七四年:2009/12/22(火) 21:55:43 ID:dvFQdDG8
そりゃ苦労しただろう
義元から見たらそこまで世話する義理は無いから
戦力差も相当あったから三河側にしても叛旗なんて無理
大切な長男を差し出したほどだから
127仙台藩百姓:2009/12/24(木) 22:26:38 ID:2YTEGGZh
でも、その人質も届かなかったお( ^ω^)
家康が戻れたのは今川のお陰だお( ^ω^)

>>125
実質臣従していたからマズくはあるまいお( ^ω^)
128人間七七四年:2009/12/25(金) 10:25:43 ID:iaSFZeX9
>>123
人質はそりゃ丁重に扱っただろう

つか義元は三河に限らず領国内の国人勢力には基本的に強行姿勢だぞ
北条を参考にしたのかもしれんが、徐々に国人達の実権を削いでいたからな
三河の連中からしたらたまらんだろ
三河以外も同じような状況だが
129人間七七四年:2009/12/26(土) 11:27:15 ID:/E/oXgMq
大名権力の強化を図ることと、そのために徴した人質を大事に扱うのは別に矛盾しないからな。
130人間七七四年:2009/12/26(土) 15:06:31 ID:tgtYGjvD
家康の読書家だけど、その下地が出来たのは、
やっぱり駿河人質時代かな。
131人間七七四年:2009/12/27(日) 12:30:35 ID:0jcDnRbI
>>1
>8歳 やっと駿府へ
だからそりゃそうだろう
織田人質時代にまともな教育なんてさせてくれるはずがない

雪斎の英才教育、というのは現実には怪しいらしいが
それでも教育環境は間違いなく整ってただろうね
当時の駿府という文化都市、雪斎が指示したであろう教育環境、
義元の竹千代への厚遇具合などなど見てもね
132人間七七四年:2010/01/12(火) 07:40:44 ID:FaBIGWrb
保守
133人間七七四年:2010/01/12(火) 22:20:27 ID:eZRxYwRs
つうか元康は一族の武将並に厚遇してたと思うがな。
134人間七七四年:2010/01/13(水) 00:58:27 ID:LkGZOgx2
それはすでにほぼ確定では
その周辺の話をあれこれ妄想して楽しんでみると
135人間七七四年:2010/01/29(金) 13:46:13 ID:NOnh/w17
保守
136ore :2010/01/29(金) 21:13:21 ID:yJZmq7iG
消えろ市
137人間七七四年:2010/01/31(日) 13:36:57 ID:oY3n4aRD
静岡市の人
家康の人質時代に関する街歩きなんてものやって見る気はないかねえ・・・
138人間七七四年:2010/01/31(日) 21:09:16 ID:ub+9Ou6f
影武者徳川家康で元ネタになった、
「子供の頃願人坊主に売られて云々」って話はどこまでホントなんだろう
まったく嘘なら本気で大御所がボケてたことになるが。。。
139人間七七四年:2010/03/15(月) 00:53:01 ID:b4Pq0ELh
>>137
1ヶ月経っても無反応(ノ∀`)
140人間七七四年:2010/03/23(火) 02:58:24 ID:vqRITMI5
こんな話をご存知ですか。
初めて義元公に目通りされた時、
何と元康は庭に向かって立小便をしたそうな。
これを見た義元は、我が子氏真より器が大きい
元康を恐れ、その後、上手い物を食わせ、女を
若い内から与えて、元康をふにゃふにゃにしよ
うとした。それで元康はブクブクと豚みたいに
太っており、生涯女好きの癖が治らなかった。
だが、元康も馬鹿ではなく、剣術に励み知略は
寺の和尚から授かり、牙を磨いていたのだ。
今の若い奴等は節操が無さ過ぎる。この二つに
ドップリと首まではまり込んでいよるわい。
141人間七七四年:2010/03/23(火) 23:33:28 ID:RadNrS65
太りだしたのは中年以降じゃないの?
142仙台藩百姓:2010/03/24(水) 10:17:33 ID:IK8NtXh1
また徳川捏造史で何でも悪いのは今川織田豊臣にしたいのでしょお( ^ω^)
143人間七七四年:2010/03/24(水) 12:15:40 ID:6G7q85gN
まあ今の若い奴と比べたらそりゃ話にならんわ
剣術師事してる元康に剣道では勝てないだろうし弁舌でも勝てるとは思えん
144人間七七四年:2010/07/09(金) 21:12:21 ID:EfTQ7w2L
結局
今川時代は優遇・冷遇どっちだったんだろう
145生きていた遠山:2010/07/28(水) 21:17:14 ID:SVFjSjx5
この当時の事は殆ど御用史家の作り話と思われるが逸話としては、
織田時代は熱田の加藤図書はよく仕え後年家康に召しだされる、
同じく熱田の山口監物の寡婦は気を配りすぎて織田信秀より追放、
生母お大より衣類、菓子などが届けられる。
駿府時代は石合戦、立小便、鳥居元忠にケリを入れる。
北条氏規との友情、孕石主水への遺恨、岡崎墓参
時の二の丸宿泊、鳥居忠吉の忠義、許せ近藤秀用、
祖母華陽院が世話、瀬名と婚姻、初陣の陽動作戦
家臣団は清康の生まれ変わりかと感涙など。
信長との出会い、本多忠勝オンブ、
雪斎先生は残念ながら小説の創作。
146人間七七四年:2010/07/28(水) 23:57:50 ID:GFjSsxyE
この時代のドラマやってほしいな
147人間七七四年:2010/08/09(月) 18:23:44 ID:RVG8KQ2B
まずはこのスレ
148人間七七四年:2011/05/13(金) 10:10:36.85 ID:i6knMWx9
あげ
149人間七七四年:2011/08/21(日) 02:29:15.00 ID:vO77zGwR
初めてこのスレ見たけどショタコン、歴史好きな自分としたら家康×氏規は萌えるな。
家康て男色は、井伊ぐらいで淡白て聞いたけど人質時代に氏規を掘ってたかも?と妄想してしまう。

氏真を助けたのは、家康が源氏コンプレックス丸出しで落ちぶれたとはいえ、源氏の名門今川氏だからだと何かで見たな。
150人間七七四年:2011/08/23(火) 00:07:05.36 ID:LeVoWsfu
年齢的に氏規は無いんじゃない
それと間違っても信長とも・・・
この織田人質時代の資料が出てこないかなあ

なんかもう氏真とはネタスレ作った方がいいんじゃないかっていうぐらいだwww
喧嘩して追い出されたのに船が難破したから助けてつって言い出すノーテンキさと
それを受けてしまう家康の心情
年取ってからもふらーっと家康のところに遊びにいくお気楽さと
迷惑そうな家康の困った様子
そこから見ると意外にも家康と氏真って駿府では仲が良かったんじゃないかとさえ思える
これについての文献は何かあるのかな
151人間七七四年:2011/08/23(火) 01:28:10.32 ID:TMVRE2P4
信長と、人質時代の家康は、
お互い知っていたはずだが、資料は全く無いのが惜しいよね。

信長と家康が、男色の関係だったとは思えないが、どうだか。
152人間七七四年:2011/08/23(火) 02:12:37.34 ID:LeVoWsfu
いやその二人はまだ幼少で
153人間七七四年:2011/08/23(火) 03:42:35.71 ID:J8GMcX6t
家康織田家人質時代には、信長は精通をむかえている年齢じゃないのかな。
でも、さすがに信長でも満年齢4〜6歳の竹千代を掘るのは無いかな。

それから、山岡荘八の織田信長やそのマンガ版の横山光輝の織田信長や、松本清張の子ども向け伝記徳川家康でも
信長は真冬に竹千代と川で寒中水泳をするシーンがあるのはなんで?
ただ単に信長が竹千代を鍛えている描写なのか?

氏規とは、家康が元服したのは満年齢12歳ぐらいだから家康が友情の延長上で掘ったんじゃないかと妄想してしまう。
154人間七七四年:2011/08/23(火) 23:34:31.09 ID:PGe4e2Od
松平の小僧はどんな顔だ
と見に行ったぐらいは間違いなくしてただろうけど
信長も小さかったから記録は残されてないんじゃないかね
155人間七七四年:2011/08/24(水) 20:42:23.41 ID:lOSLfOB8
桶狭間合戦よりもだいぶ前に、織田家のメンバーが捕虜になって、
その交換で家康は三河に帰ったはず。

捕虜というのが珍しいと思った。
156人間七七四年:2011/08/24(水) 20:54:08.01 ID:rulX+A/U
織田家のメンバーて信長の兄貴じゃないの
信広だったかな
157人間七七四年:2011/08/24(水) 23:02:24.30 ID:dflqkR/Q
今川家としては、それだけ三河支配の為に竹千代が欲しかったんだね
158人間七七四年:2011/08/25(木) 00:53:33.41 ID:qAOcA2sE
>>156
そう
母親が正室じゃないからと家督は継げなかったはず
その捕獲を雪斎がやっちゃったというのがなんともすごい話
159人間七七四年:2011/08/25(木) 00:54:59.90 ID:qAOcA2sE
つーかこういうことだと
家康と利家ももしかして顔を合わせてた可能性はあるのかな
利家が信長についたのが何歳だったのか
160人間七七四年:2011/08/25(木) 01:14:43.21 ID:LPKNBlVo
>>156
織田信広で合ってるよ
しかし、庶子とは言え織田家の長男と、三河の小豪族の嫡男とでは、
釣り合いが取れないはず

今川はずいぶんと松平衆を重要視してたんだねえ
161人間七七四年:2011/08/25(木) 01:17:44.25 ID:LPKNBlVo
>>158
総大将は雪斎だけど、先鋒の一角に松平衆もいたと思う
主君・竹千代を取り返すため、必死で働いたのかなあと空想してしまう
162人間七七四年:2011/08/25(木) 02:02:51.03 ID:HXwRYWli
信広て後年、信長に逆らって許してもらってからは、おとなしくしてたんだよね?
信広てヘタレっぽくてよかったね。
下手に、プライドが高くて自害されたら人質交換できなかったし。
163人間七七四年:2011/08/25(木) 17:42:01.15 ID:E2fllSH8
>>160
重要視してなければ自分の姪をあげたり、名を与えないだろう
岡崎城にしても三河と尾張を結ぶ重要な土地だし
164人間七七四年:2011/08/25(木) 18:22:48.45 ID:0uxagf8U
徳川幕府の因縁を引き継ぐ日本政府

http://s1.shard.jp/rabbit1/0203/37/252.html

英国の清教徒革命にかかる内戦問題が関わっていた。

( http://park.geocities.jp/jpcdebate/0203/p033.html )
165人間七七四年:2011/08/26(金) 15:49:53.00 ID:pyjRK9Gn
>>163
岡崎は西は矢作川、東と南は隘路、北は山という要地
鎌倉時代に三河を支配した足利氏が同地を本拠地にしたくらい
166人間七七四年:2011/08/27(土) 03:21:24.46 ID:7nuQnnS/
>>163
逸話ではあるけど竹千代の聡明さを見た義元がいずれ氏真の片腕となってくれと
でも歴史の現実として一門に加えたんだから期待してないはずはないしね
167人間七七四年:2011/08/27(土) 10:02:11.94 ID:JwZphzOu
家康は、使えた主君は死ぬまで裏切らいと本に書かれてたけど確かに義元、信長、秀吉には死ぬまで裏切らかったね。
家康は義元が死んでから氏真にも、ともらい合戦を勧めているし。
氏真が、へたれだから信長についたんだし。
秀頼については、さすがに天下の欲望に勝てなかったんだろうな。
168人間七七四年:2011/08/27(土) 10:27:51.68 ID:cXiTZSHS
氏真については義元死後すぐに裏切ってると思ったが
あと氏真は義元のかたき討ちをしたいという手紙もあったはず
家内の大半の重臣が死んで領内の混乱ももあり断念したようだけど
169人間七七四年:2011/08/27(土) 10:41:29.13 ID:YUfoIC1k
その辺は、自分と主君の力量を比べて決めてるんじゃないのかな
ヘタレやガキの補佐なんかしたくないだろうし
170人間七七四年:2011/08/27(土) 11:12:03.45 ID:7nuQnnS/
子供の頃から長いこと見てた相手だから見限るにしてもさっさとできたのも当然なんじゃないかね
ああやっぱりこいつは駄目だと
氏真に勧めたというのもその辺のチェックテストみたいなもので
混乱した今川家内を即座まとめられなかった時点で新当主落第という
ただ義元がでかすぎたというのもあるけど

そんな駄目人間をまさかその後ずっと相手するはめになるとは
思ってなかっただろうがwww
171人間七七四年:2011/08/27(土) 12:13:10.59 ID:JwZphzOu
>>168

その話は、初めて聞いた。
氏真は、後年信長の前で蹴鞠を披露しているけどどういう心境の変化なんだ?
172人間七七四年:2011/08/27(土) 12:41:06.68 ID:cXiTZSHS
>>171
有光友學の「今川義元」に氏真が義元の死後の5月25日付の手紙に
で天野景泰宛に自分で出馬したいとある、との記述があったんだよ
どうやら出陣勢と留守勢の編成を考えていたみたい
ちなみに同書によれば氏真は翌年6月には元康が逆臣したと表明してるので
元康が再戦を勧めたというのは無理とまではいかないが氏真へたれエピソードのための脚色の気もする
家康は氏真を大名としては見限ってるけど一人の人としてはかなり大切にしてると思うw

あと信長に関しては親の敵だけど、戦だから仕方ない所もあるだろうと思っていたのでは
その頃はもう実質天下人だし断るのも無理そう。
むしろ長篠の戦いに参加してるし(何もしてないけど)直接自分を滅ぼした武田のほうが恨んでるんじゃないか
173人間七七四年:2011/08/27(土) 13:58:32.50 ID:ym8KtnSM
少なくとも嫁は氏真のほうが勝ってる
174人間七七四年:2011/08/27(土) 15:01:53.99 ID:etwQsKHG
もちろん100%推測だけど子供の頃の家康って氏真に結構個人的に世話になってたのかも
お菓子貰ったり本貰ったり着物貰ったり見世物に連れて行ってもらったり
氏真はキレて人殺しちゃったりするけど実際にのんびりな面も当然あったはずで
その坊ちゃんの部分で気前良く何かをくれたみたいな
人を見下すタイプではなかったと
175人間七七四年:2011/08/27(土) 15:07:38.94 ID:IMkRlUrD
永禄四年二月、関東の国衆の大半を率い北条氏康を攻めた長尾輝虎だったが、三月、今川氏真公出陣の報を知るや小田原攻撃もそこそこに逃げ出してしまった
しかも、当時氏真公は前年に起きた父君義元公横死後の領内の混乱を収めている途上であり、対長尾+関東国衆への攻撃はほんの片手間の作業にすぎなかったと思われる
この史実からもわかる通り、永禄四年三月段階では今川氏真公こそ戦国最強の武将としてその雷名を轟かせていたといえよう
176人間七七四年:2011/08/27(土) 21:12:34.65 ID:etwQsKHG
龍王丸<竹千代!京からの客人から菓子をもらったが口に合わん、おまえにやる

龍王丸<竹千代!父上から刀を頂いたが私は興味が無い、おまえにやる

龍王丸<竹千代!能を見に行くぞ、ついてまいれ

今川氏真、5歳年上
あったかもしれん
177人間七七四年:2011/08/27(土) 22:00:29.50 ID:z96XFpwS
>>176

龍王丸、吹いた。
完全に名前負け。
昔の某アニメが、真っ先に思い浮かんだ。

竹千代と助五郎と遊んでいたのか。
178人間七七四年:2011/08/27(土) 22:42:59.05 ID:P1CF8Cmw
そういえば、関東管領上杉憲政の嫡男の名も龍王丸だったような
179人間七七四年:2011/08/27(土) 22:59:30.87 ID:/klvJJNt
>>177
同じ龍王丸でも19年龍王丸だった爺さんは名君だったのに……
180人間七七四年:2011/08/28(日) 00:10:49.81 ID:LlT2Pgef
龍王丸 1538年
竹千代 1543年
助五郎 1545年

吉法師 1534年
181人間七七四年:2011/08/28(日) 02:20:01.54 ID:4jdKBWG0
>>172
武田軍の侵攻により、今川氏真が駿河の国を失ったあとは、妻の実家の北条家へ逃げ込んでいるが、
武田と北条の再同盟が成ったため、今川氏真は、今度は家康の元に逃げ込んでいる。
家康に面倒みてもらったわけだが、家康としても、氏真を大事にしただろう。
182人間七七四年:2011/08/28(日) 18:04:54.86 ID:LlT2Pgef
1つには旧領主ということで使えると見た
1つには武将としては毒にならんから置いといても問題なしとみた
1つには中央との繋ぎ役としての役目を考えてみた

ネットの情報をまとめて見ると全体にはこんな感じかと
183人間七七四年:2011/08/28(日) 18:34:57.07 ID:gjIhsHki
担任 太原雪斉

理事長息子 今川氏真
生徒A 松平元康
生徒B 北条氏規
184人間七七四年:2011/08/29(月) 10:41:20.06 ID:HOVpIuOc
生徒の中で身分が高い?のは理事長息子の今川氏真だが、
ケンカが強く人望のある生徒A松平元康が、クラスを仕切っているという感じか。
185人間七七四年:2011/08/29(月) 19:05:19.16 ID:42DrzXVb
いややはり転校生身分で一匹狼だろう
それ以外は他の今川家臣団の若殿たち
186人間七七四年:2011/08/29(月) 21:04:51.35 ID:FAKD6Cb0
でも、担任は生徒Aを可愛がってそうだな。それを見て、他の今川系がいじめ
に入って、BとAは仲良しにってか
187人間七七四年:2011/08/30(火) 01:34:49.78 ID:sYuVToJt
そんなに仲良しにも見えないけどなあ
HがAをいじめても、Bは知らんぷりだったし
188人間七七四年:2011/11/06(日) 14:55:49.60 ID:PPl8dUqs
「憲法を改正して自衛隊をしっかり位置づけることが大切だ。大使館を守る、邦人を救出
するということは武力行使とは違うと明記すべきだ」 ・・・イラクでのファルージャ人
民蜂起のさなかに勃発した日本人人質事件発生直後の4月11日に、安倍晋三はこのよう
に言い放ちました(フジテレビ報道番組)。人質の安否などは歯牙にもかけずに、「自衛
隊を撤退させる理由がない」と倣然とうそぶき、ムスリム武装グループの要求を一蹴した
だけではありません。この事件を憲法第九条徹廃の必要性を煽るネタとしてただちに活用
したのが、この輩です。スペイン・サパテロ新政権がいち早くイラクからの撤兵を開始し
た情況のただなかで、自民党幹事長として初訪米(4月28〜30日)した安倍にたいし
て、ブッシュ政権は下にも置かない厚遇ぶりをもって迎えました。パウエル国務長官、ラ
ムズフェルド国防長官、ライス大統領補佐官ら主要メンバーが次つぎと安倍との会談に応
じ、「日本人人質事件でも、スペインが撤退を表明した際にも、日本政府はぶれなかった」
(フェイス国防次官)と賛辞を呈したのです。「友邦同盟」諸国の総崩れ状況を押さえる
ために日米同盟の結束の固さを国際的にアピールするとともに、日本政府に動揺するなと
釘をさす、というブッシュ政権の底意は見え透いていました。
189人間七七四年:2012/04/09(月) 16:30:38.93 ID:3+Mw+6jI
スレ違い板違い乙
190人間七七四年:2012/05/18(金) 20:14:06.51 ID:bddyn7mG
人質時代のアニメキボンス
もちろん史実なんてどーでもいい!
191人間七七四年:2012/05/19(土) 16:43:23.47 ID:52HdMO3T
家康は、秀忠の乳母に当時五十歳代の大姥局を命じているよね。
大姥局は岡部一族出身で、人質家康の世話役川村氏の妻だった。
自分を育ててくれた大姥局なら、秀忠を立派に育ててくれると思ったんじゃないかな。
人質時代の悪友岡部正綱と馬鹿をやって、大姥局にこっぴどく叱られたかも
192人間七七四年:2012/05/19(土) 20:42:29.68 ID:5WMtdXo1
徳川家康は武田の旧臣を多数召抱えたのは何故か?
193人間七七四年:2012/05/19(土) 20:53:54.58 ID:ygFxHKUI
坊やだからさ
194人間七七四年:2012/05/20(日) 02:39:36.32 ID:D4Yci8JU
>>192
そりゃ徳川が、ネオジオン軍だったからじゃないか。
195人間七七四年:2012/05/22(火) 02:03:21.62 ID:s+qBP6VH
2つ3つのネタレスの後に

>>192
甲斐・信濃を統治しやすくするため
占領地に自分の家臣を置いてた信長とは反対

>>191
障子をぶち破ったとか
池の錦鯉を釣っちゃったとか
屋根の上に登ったとか
その程度のことはしてたでしょう
それを見て今川家臣の多くは怒ったとしても
義元が大目に見て許してたというシナリオだと面白い
196人間七七四年:2012/05/22(火) 12:52:17.55 ID:bfx3UiEx
>>192
どこまで史実かわからんが、
石川数正が秀吉の元に走ったあと
家康は三河以来の軍制を武田流に変えたとか、
もちろん大久保長安ら金山開発としての戦力もあるし、
普通に武田の旧臣を有能な人材と評価して召し抱えたんじゃないの?
197人間七七四年:2012/05/22(火) 13:18:11.38 ID:XLb0SKbk
果たしてそうでしょうかねぇ
198人間七七四年:2012/05/22(火) 13:35:36.56 ID:8FLBYBpg
在地の人間を登用するなんか常道だろ
有能無能は関係ない
199人間七七四年:2012/05/23(水) 08:14:17.01 ID:GoWpvivE
永禄1〜3あたりの記録はどういうのがあるの?
200人間七七四年:2012/05/29(火) 22:42:25.93 ID:v+j16lxt
それはいつなのじゃ
201人間七七四年:2012/05/29(火) 23:23:29.78 ID:+646NSqs
北条美濃氏規、岡部五郎左衛門正綱は今川時代からの友人です
202人間七七四年:2012/06/07(木) 19:09:31.34 ID:OO1uiFtl
ドラマでよくある織田の人質時代に遊び仲間だった、というのは妙に説得力がある
203人間七七四年:2012/06/08(金) 14:45:25.35 ID:tHAU2eCD
そんなドラマがあるのか。
204人間七七四年:2012/06/10(日) 17:36:28.56 ID:IlaEfw/R
なくね

一説には2人の居城は離れてたから無理
というのもあるぐらいだし
しかし信長の行動力はどれぐらいだか分からんし
むしろ文書が残ってない方がいろいろ想像できて面白いよ
205人間七七四年:2012/06/14(木) 19:00:13.94 ID:hB8EX+2E
一応古河と熱田又は大須ぐらいだろうからすぐ近くでね。
だから市連れて信長が見に行った、ぐらいの小説は
理解は出来るけど、高校生と幼稚園児だから遊び相手ってのが
よくわからんな〜と。
206人間七七四年:2012/06/14(木) 22:58:31.43 ID:BQ1uAtf3
>>203
「兄上(信長)は竹千代、竹千代と可愛がって」
ドラマ名は失念
207人間七七四年:2012/06/15(金) 23:12:56.87 ID:nGvYvtxu
人質時代に信長に可愛がられたせいでう○こ漏らす癖がついてしまった
208人間七七四年:2012/06/16(土) 14:47:51.06 ID:o6jLM60D
糞漏らしの逸話はガセだよ
悪質な明治政府の捏造。
209人間七七四年:2012/06/17(日) 02:25:03.92 ID:R5fVOSi9
そりゃそうだろう
小豆餅食い逃げとかの一連のものを含めて
210人間七七四年:2012/06/17(日) 04:34:42.78 ID:+1kOrvMw
敗けて逃げ帰る途中に茶店で餅を求める余裕などないし、雪も降っていたみたいで、そんな夜に茶店を開けてる店もありません。
211人間七七四年:2012/07/01(日) 07:32:59.34 ID:SVlSyARz
今川の人質時代は普通に家臣扱いだったらしい
212人間七七四年:2012/07/04(水) 01:21:59.36 ID:R6wItFjk
普通なら冷遇されるところだが
義元は器がでかい
213人間七七四年:2012/07/09(月) 18:22:40.24 ID:NDyxvlVl
小さな時から重荷を背負って 歩いていくのが男だと
人に頼るな 頼れる人になれと教えた母の愛
214人間七七四年:2012/07/09(月) 22:28:09.81 ID:0jfnjYUw
>>210
むしろあったら
1:信玄の罠
2:山賊の罠
3:妖怪の罠
4:孔明の罠

のどれかだよな
215人間七七四年:2012/07/21(土) 00:47:31.74 ID:Lv3wzDMm
ただ食いして馬で浜松に帰ろうとしたら
後ろから茶店の婆が走って追いかけて来たんだっけ?
216人間七七四年:2012/07/21(土) 01:13:12.78 ID:pBQ9aBTK
それ自体あるわけがないと分かるwww
どんだけはえーんだ婆の馬

人質かんけーねー><
217人間七七四年:2012/07/24(火) 00:25:09.63 ID:iuGjTGDu
人質時代にいじめてた人が相当後になって殺されたよね
218人間七七四年:2012/07/25(水) 01:45:54.45 ID:d1dwTZxi
高天神ね
219人間七七四年:2012/08/21(火) 18:04:37.91 ID:9a/Gy1np
思いもよらない日本の歴史がみえてきた

http://music.geocities.jp/jphope21/0202/1/111_3.html

その一つのテーマとして、「徳川家康と英国の陰謀史」が存在していた。
220人間七七四年:2012/08/21(火) 18:13:01.20 ID:Yk05JxdR
>>212
義元にしてみりゃ、三河の支配を確固たるものにする為には
現地の豪族から絶大な支持を得ていた清康の孫である竹千代を
自らの一門に取り込んだ方が都合が良いんだからドラマみたいに
竹千代を嫌がらせしたり冷遇する理由なんて一切ない。
むしろ大事に扱う方が自然。
221人間七七四年:2012/08/22(水) 16:11:26.21 ID:qp1cDesD
信長と家康が仲良かったとする妄想って何を根拠に??
人質時代織田家にいたから?
信長は随分家康に酷い仕打ちをしてるけど。家康の嫡男信康を切腹させたり
家康の援軍要請にもあまり応えなかったり
人質時代に交流があったとしても
信長13歳、家康5歳くらいなら

信長「よっ」
家康「・・・」

ぐらいの関係だったと容易に想像できる。
222人間七七四年:2012/08/22(水) 16:57:23.63 ID:fkyaWON5
信康切腹が信長の命令だと思ってる人まだいるのかよ
223人間七七四年:2012/08/22(水) 19:15:46.77 ID:qp1cDesD
そうなのかよ
ぐぐってきたよ
見てない間に(10年くらい)歴史は変わったんだな
だいたい歴史の教科書(20年前)にも信長は本能寺で「暗殺された」って平気で書いてあったし
歴史認識ってかなりテキトウだったよな
224人間七七四年:2012/08/22(水) 19:32:13.28 ID:SZlKUOYk
ハッキリ言って、家康個人には、駿府に良い思い出しかないはず。
じゃなかったら、隠居してから、駿府に隠居城を構えるはずがない。町の名称すら変えていない。
これは、駿府に良い思い出しかなかった証拠だ
225人間七七四年:2012/08/22(水) 19:40:29.91 ID:UjeWGMCT
信長が全く関与していないとはいえないけどね
それまで毎年行なっていた吉良での信長と家康の鷹狩が信康切腹後は
ぱったりと止んでいる
226人間七七四年:2012/08/22(水) 19:44:02.78 ID:M1HSnxhz
>>225
それについては子供大好きな信長の娘婿殺しちゃったからだという可能性も
227人間七七四年:2012/08/29(水) 16:10:38.99 ID:w+um0NPQ
太閤立志伝5のイベントで、鳥居忠吉が少し頼りない氏真を( ´,_ゝ`)プッと馬鹿にして、
竹千代が「めったなことを申すな!」と叱るシーンが笑える
228人間七七四年:2012/09/28(金) 21:26:50.20 ID:x6ix+hG/
>>221
「妄想」に根拠は無くていいだろう
229人間七七四年:2012/09/28(金) 21:35:01.34 ID:x6ix+hG/
>>225
資料はどれか忘れたが
信長本人は徳川への内政干渉はしないとの発言があったという話も
それから見ると切腹は家康判断
結局いろんな資料は後世の人が書き換えられたり勝手に作っちゃったりできるから正誤不明
例えば関連するのものだと築山殿悪女説も神扱いの家康は悪くないことにしたかった人たちのでっち上げの可能来も有るし
でもスレタイとは関係ないのでここで〆
230人間七七四年:2012/12/09(日) 17:12:47.94 ID:76CB/J4M
真実・事実・現実・史実は人の数だけある。数ある真実の1つに過ぎない「真実は1つ」に執着する者ほど、矛盾(怒りや争い)を体験する/感情自己責任論
231人間七七四年:2012/12/13(木) 17:34:45.25 ID:5/83wWT1
アニメの「少年 徳川家康」また見たいな

歌はなんとなく覚えてるわ
232人間七七四年:2013/02/11(月) 11:24:10.49 ID:FGYpKSfi
後年に氏真を庇護したということを
人質時代に仲が良かったことの証拠とも解釈できるが、
立場の逆転を楽しんでた可能性もあるな。
かつて頭の上がらない存在だった人を
庇護下に置くことで優越感を感じることができる。
233人間七七四年:2013/02/11(月) 21:22:08.73 ID:I4qXnk67
>>232
庇護下におくっていうか
振り回されていた感も否めない
234人間七七四年:2013/02/12(火) 02:39:36.19 ID:b2I240S6
家康さん、名家を復活させるの大好きだよね?なんか目的があったのかな?
235人間七七四年:2013/02/12(火) 02:51:56.26 ID:778B5toy
>>232
そういう面もあるだろうな。
俺も入社当時、偉そうにして誰からも嫌われてるウザい先輩が今は部下だけど
皆が見てる前で、たまーに使いっパシリをさせてる。
いつもそれやると単なるイジメになるから、あくまで「たまに」ねw

家康は源氏を仮冒してたから、源氏で没落した武田を再興させたり
山名や喜連川足利に捨扶持を与えたんだろうしな。
源氏の名門を保護するのが、自らの正当性にも繋がるという判断だろう。
しかし、あくまで幕政に関与させるようなポジションは与えない。
236人間七七四年:2013/02/12(火) 13:28:49.07 ID:YNlrx/VW
氏真は氏真でそういう境遇になっても楽しく暮らしてそうだね。
どうしても劉禅とかぶるな。
237人間七七四年:2013/02/12(火) 13:48:41.04 ID:nxL7a3c8
>>234
由緒正しいこいつがこんだけなんだからおまえはそんだけで我慢しろ
という理屈がつかえるから、、、、とかぁ
238人間七七四年:2013/02/14(木) 18:37:27.63 ID:/D9Y1P7u
瀬名姫は絶対元康を見下してたと思う。騎乗位だったかもしれん
239人間七七四年:2013/04/20(土) 18:21:13.54 ID:YisbJ/b7
>>234
単に律儀なだけじゃね
むしろ名家好きってどこからきてるの?
司馬の小説からとか?
240人間七七四年:2013/04/26(金) 10:27:36.14 ID:TCUfZncZ
家康は完全に女脳、これに異存はないよな
たぶん女に囲まれて成人したからだろう

だから日本社会は今でも女性的なんだよ、いい意味でも悪い意味でも
241人間七七四年:2013/05/30(木) 22:10:19.21 ID:juc88sar
t
242人間七七四年:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ID:D7iI2trI
1975年に少年徳川家康ってアニメがやってたみたいだけど
どんな感じだったんだろう。
243人間七七四年:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN ID:2FprHpXB
>>242
「羽ばたけ 竹千代 時来たる」っていう歌詞の一部だけメロディとともに覚えてる。
それ以外は全く覚えてない。
それどころかこの歌も「少年徳川家康」のものだったことを今はじめて知った。
244人間七七四年:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:3XCPRsGc
>>240
女はばーちゃんだけじゃねえの?
それ以外は酒井忠次とか鳥居元忠とか本多忠勝もいたんだっけ
そんなのばっかりだと思う
245人間七七四年:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:3XCPRsGc
氏真を残したのは
あそこまで落ちたのを殺しても得にならんし
山中幸盛みたいな御家復興の行動なんて起こすはずもないし
一応足利の血筋だからなんか使えると思ったからでしょう
実際そうやって使ってるし
武田家臣を取り込んだのとやってることは同じかと
246人間七七四年:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:TMs9JOvD
test
247人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:fkmYZ2e5
テスト
248人間七七四年:2013/09/01(日) 02:17:24.78 ID:QombfO1N
>>238
不覚にも勃ったおれはMなのかも…
249人間七七四年:2013/09/01(日) 10:36:34.63 ID:5M2SBAUU
影武者徳川家康を思い出したわ >騎乗位
250人間七七四年:2013/10/02(水) 23:23:11.18 ID:XGFZuGnh
テスト
251人間七七四年:2013/11/09(土) 17:00:14.02 ID:sllwJW3k
徳川vs武田の戦い、二俣城があった。
http://mirai660.net/castle/
252人間七七四年:2013/12/22(日) 04:24:46.92 ID:Cgzb6rpc
ゆるキャラは出家しちゃったけど
家康は生涯そっちには行ってないよね、義元みたいに
人質時代も坊さんは単に先生だっただけだし
253人間七七四年:2014/01/13(月) 13:36:44.62 ID:Sg9IsLV7
家康公スレ落ちた?
254人間七七四年:2014/01/13(月) 15:25:10.78 ID:IQK4FwGT
980越えの時間切れで落ちたみたいだから立てといた
255人間七七四年:2014/02/26(水) 20:34:13.85 ID:nsJ+Xbd3
>>196
変えた軍制の具体的な
内容わかりますか?
256人間七七四年:2014/04/11(金) 08:03:11.71 ID:rRb2Ky04
以前、このスレを見て元信×氏規の18禁SSを書いてしまった
257人間七七四年:2014/04/11(金) 13:24:55.47 ID:nTY/nEJk
スレ。
258人間七七四年:2014/04/15(火) 21:08:56.92 ID:PrxT38aI
孕石元泰にかわいがられた駿府時代
259人間七七四年:2014/07/30(水) 17:40:36.76 ID:oYAnjCtX
元の読売の記事が消えているので
ttp://bushoojapan.com/news/2014/06/29/24512
260人間七七四年:2014/10/05(日) 15:27:56.56 ID:/DbE0+OW
大河ドラマ 徳川家康@時代劇板
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/kin/1411760774/l50
261人間七七四年:2014/10/05(日) 19:21:43.85 ID:HbGyyek5
>>255
軍事機密だからわからない
262人間七七四年:2014/12/21(日) 14:39:02.80 ID:1O3HjrfB
石合戦の話は実話?
263人間七七四年:2014/12/21(日) 20:49:32.31 ID:8DVqsN83
逸話
264人間七七四年:2014/12/21(日) 22:31:39.19 ID:L+yK4Klq
三方ヶ原関連よりは信憑性ある
265人間七七四年:2014/12/22(月) 16:51:05.48 ID:2w9zhu4F
徳川家康がかつては今川家に従属していて苦渋だったというけど
そもそも、松平家から見たら、今川家とか吉良家とか一色家とか伊勢家は
主君筋の家だよ、どれもかれも。
それらに従っているのが普通。
だから、特別、落ちぶれた感覚はなかったと思うけどな、人質時代。
しかも、成人したら、今川一門の名家の女性と結婚して、
今川家の門閥に入れてもらえるし。
というか、松平家は代々、一色とか吉良と婚姻関係を持っていたしな。

永禄元年4/26付け義元→足立右馬助宛
今川方が寺部へ出陣した際に寺部と広瀬が共同して向かってきたので、
岡崎と上野の今川方が一戦に及び、
右馬助の兄が鉄砲に撃たれ討死。

書状では勝ったと自称してるが、寺部城が奪回できたとは書いてない。
それどころか岡崎まで不安定化する。

閏6/20
朝比奈→大樹寺宛
岡崎雑説出来候処、無別儀無事候間、可為御大慶候、何様来秋必可令参陣候条

結局、不安定な岡崎への出陣はなく、
かわりに義元の妹の娘と婚姻していた家康の
岡崎での自立を今川がバックアップする方向での
岡崎の安定を目指す政策へ変更される。

永禄2年5/16 家康が朝比奈の補佐を受けて岡崎での家中の掟を発布する。

11/28
家康が幡豆郡大浜郷の寺社へ所領返付の判物給付。

今川氏が代官を配置して直接に岡崎を支配することに失敗し三河は叛乱を続ける。
義元の姪と婚姻し今川一族に入れた家康を岡崎に入れて
(織田家で言えば松平信康・蒲生氏郷・筒井定次・前田利長・丹羽長重並みの厚遇)
自立に向け全力バックアップしたのが岡崎政策。
266人間七七四年:2014/12/23(火) 15:39:15.94 ID:Yt3baamx
人質時代には孕石主水以外にはいじめられなかったの?
267人間七七四年:2014/12/23(火) 21:09:29.89 ID:wCllHCEK
それ神君苦労したんだよ!っていうデッチ上げ
268人間七七四年:2014/12/24(水) 11:37:11.65 ID:pVGjYxO0
>>267
孕石主水をのちに家康が切腹させたのは事実だけど?
269人間七七四年:2014/12/24(水) 11:45:17.86 ID:AYWT/etf
三河の小せがれと言われたことを根にもって孕石を無理くり切腹させた小人家康。
看羊録にもどんな小さなことですら絶対に忘れず必ず報復する小人が家康で
それゆえに諸将はまったく信服せずに表面上だけしたがっていた。
秀吉は敵にすら温情を与えて過大な親しさで接すると書かれているからな。

家康がしかも超ド級の吝嗇家だから天下人の器ではないと諸将から思われていたしな。
基本、家康は悪党な性格で独占欲が強い。
270人間七七四年:2014/12/24(水) 12:44:55.56 ID:pVGjYxO0
>>269
小人とは思わないが、根に持つタイプだと思った。
中学の時に自分に体罰をした教師のことをずっと根に持っていて
何十年も後に同窓会で再開したときも口を聞かなかったという
ジャイアント馬場を思わせる。
271人間七七四年:2014/12/24(水) 13:53:05.68 ID:Wl+nnu1s
先日、関ケ原スレでの書き込みで
秀吉死後すぐに家康が豊国神社への参拝を禁じ、
修理も禁じて朽ちるに任せるように命じたのに
清正や政則はどう思ったのかって書いてるのをみて
家康が小さな恨みも最大級の報復をする人間なんだって思った。
もう一度、そのレスを読みたいが
その書き込みの直後にアンチ秀吉長文連続レス爆撃が始まり
スレ落ちしたみたいだなあ。
272人間七七四年:2014/12/24(水) 18:26:41.05 ID:pVGjYxO0
>>271
なんか面白そうなスレだな
273人間七七四年:2014/12/24(水) 18:59:51.19 ID:DOaiT647
そういえば、韓国では豊臣家を滅ぼした徳川家康が人気だと前に書いてあったね。
274人間七七四年:2014/12/24(水) 23:15:15.35 ID:Wl+nnu1s
韓国で家康は一番人気だよ。
むこうじゃ朝鮮を慕って国交を求めて土下座したって話になってる。
だから度量が広く慈悲深い朝鮮が特別に許して先進文化を日本に与え
朝鮮の徳で日本を教化したので、初めて日本に文化が与えられたとか
バカな話をしてるから。
275人間七七四年:2014/12/25(木) 08:33:30.23 ID:QMhBO3jV
事実なら酷い韓国の捏造だな
276人間七七四年:2014/12/25(木) 09:08:24.93 ID:OxL+Y/3C
家康の朝鮮再征計画はなかったことにされたのか
277人間七七四年:2014/12/25(木) 17:05:56.03 ID:yoja0Yc0
荒木栄司氏によれば慶長4年に家康は京都阿弥陀ヶ峰の豊国大明神社に諸大名が参詣するのを禁止し、
修理もせず立ち腐れにせよとと通達をしたのに
清正はこの年の11/29に豊国大明神社を肥後の立田山の勧進して阿蘇社復興を約束してる。
一見、家康に背いて豊臣へ忠節を示しているようにみえるも
清正はこの年に家康養女と結婚して家康と接近しており、
この武断派重鎮清正との婚姻同盟が家康の豊国神社立ち枯れ政策を進めさせた原動力にも思える。
農民出身の秀吉が光明皇后が730年に発願して作られた施薬院が400年間打ち捨てられていたのを嘆き悲しみ
施薬院復興を天皇に涙で直訴してみたら天皇も大喜びで許可し、
秀吉が推薦した比叡山延暦寺の僧であった全宗を早速に施薬院使に任命、
従五位下に叙され昇殿も許す破格の出世をさせた上で派遣し
貧しい人や病人や孤児へ自愛の施しをしたわけだが、
そのことを敬愛して豊国大明神社を慈悲の象徴と捉え肥後統治のアイテムとしていただけなのだろうか。
ちなみにバテレン追放令は全宗の筆によって書かれたものである。
しかし家康が信長を真似た破壊屋で、おまけに超がつく吝嗇家で
一度恨みに思ったら絶対に忘れず報復するため誰もが恐れて表面上は従っているが心では従ってない人徳ゼロの人物で
秀吉が創業の人で、敵であったものでも簡単に許すどころか領地までくれるかたじけない人
っていう世情の評価も納得できるものだねぇ。
278人間七七四年:2014/12/26(金) 07:15:22.32 ID:2IkIh+f2
人質時代、義元の元の字をもらい元康として姪と婚姻し教育も受けさせてもらうほど今川に優遇されながら
今川を裏切りまくるし、
尼子対策で元就に領地をあげたりと、元就優遇しまくった大内義隆を裏切った元就並みに家康は悪党。
279人間七七四年:2014/12/26(金) 10:07:30.43 ID:HMRVU1Xa
裏切りまくるって離反だけじゃん
280人間七七四年:2014/12/26(金) 11:48:26.31 ID:uJFxKBZN
その辺りは徳川びいきで書かれた資料が多いからよくわからない
281人間七七四年:2014/12/26(金) 12:00:18.68 ID:jK1VZ3zK
菅沼遼太はなんでも信長に絡めないと対立を煽れない信玄厨www
282人間七七四年:2014/12/26(金) 15:24:53.98 ID:4efWSBgP
秀吉の鬼畜っぷり


・三木城や鳥取城など中国地方の城で虐殺を繰り返す(信長の命令だったなんて根拠はない)
・恩を受けた主君を裏切って光秀と協力して暗殺し、協力した光秀を主殺しの汚名を負った隙をついてまんまとだましうちにする。
・恩を受けた主家を、主君不在、後継者不在、幼君、信雄や信孝の争い、家臣達の空中分解を利用し
煽りまくり主家をマンマと火事場ドロする。
・何の罪もない主家の主君筋にあたる織田信雄にいちゃもんつけて攻め込む。何の罪もない織田信雄重臣の人質
・何の罪もない朝鮮にいちゃもんつけて攻め込んで、何の罪もない朝鮮人を殺しまくる
・何の罪もない養子の秀次やその一派や親族を殺しまくる。(他大名の親族らも殺しまくる)
・何の罪もないどころか、佐々攻めや雑賀征伐や家康との仲介など、恩が一杯あり
清洲会議後には臨時での織田家の後継者に利用させてもらった織田信雄をいちゃもんつけて改易する。
・佐々成政にいちゃもんつけて改易する。
・関東攻めでも中国計略でも降伏する人々を殺しまくる
・里見からも上総奪い上げ結城も改易しようとして徳川が擁護して守られる。
・宇都宮を改易する
・南奥州はじめ東北の諸将も改易の嵐
・信包ら他の織田一門の連中を主家を簒奪する過程でいつの間にか政権の隅に追いやり事実上失脚させる
・利休の愛弟子の山上宗二を耳と鼻を削がれた上で打ち首にする
・利休は秀吉に完全に心を閉ざすようになりツッケンドンな態度を示すようになり、利休を殺してる
・宇留津城で城主の加来与次郎は討ち死に降伏した男女約400名も見せしめのため全て磔になり処刑されている。
この磔になった遺体は城周辺で処理しきれず海に廃棄することになり、周防灘が赤く染まる
・天正5年(1577年)に、毛利氏への見せしめとして、備前国・美作国・播磨国
の国境付近で女・子供200人以上を処刑(子供は串刺し、女は磔)した
283人間七七四年:2014/12/26(金) 17:19:38.88 ID:+GKcDIvT
ただの離反どころか武田と組んで今川を挟撃したのが家康。
しかも信玄が駿河に攻め入ったから俺悪くないと開き直り背後で城を接収。
遠江がなんかわからないけど手に入ったなどと運がよかった発言。
挙句の果てに駿河から家康を頼って逃げてきた氏真を攻撃。
掛川城に篭城した氏真に大苦戦してボロボロにされる。
苦しんだ挙句に「俺はずっと氏真様の家臣で謀反なんて考えたこともない
全部、あんたんところの家臣が讒言して、俺と殿の間を離間させようとしただけ。
ここはひとつ俺に掛川を明け渡し遠江国を加増してくれたら
北条と俺が武田を挟撃して氏真様の駿河国を奪回してお戻しします」
などとさらなる裏切りとウソを繰り返す。
284人間七七四年:2014/12/26(金) 23:49:51.01 ID:UWrRXurk
戦国時代は親(義元)に仕えていたとしても子(氏真)に仕える義理は無いからねぇ・・・
285人間七七四年:2014/12/27(土) 02:26:47.38 ID:UvBDQXY6
いや普通にあんだろ。
そうじゃないと宿老や重臣が大名家に存在しないことになる。
286人間七七四年:2014/12/27(土) 03:49:18.76 ID:5EmfZKSI
自分の領地防衛の助けにならないなら手切れになっても筋は通る
287人間七七四年:2014/12/27(土) 04:06:50.97 ID:t+xOy3/U
>>282 養子の秀次を実子が生まれただけで切腹させたも追加で
288人間七七四年:2014/12/27(土) 14:05:38.38 ID:h/CMThYb
家康は戦国時代のジャイアンだからな
氏真可愛そう
289人間七七四年:2014/12/27(土) 19:12:08.13 ID:fnFUIoUc
重臣大量に討たれてそれどころじゃないとはいえ、
義元の仇討をする姿勢だけでも見せてくれないと三河が最悪織田の手に渡るんですがそれは
290人間七七四年:2014/12/28(日) 00:25:44.22 ID:VxtzwFQX
なんども三河方面に出兵してるんだけどな
我がの無知を論拠にするのもどうかと思うぞ
291人間七七四年:2014/12/28(日) 14:06:30.31 ID:eWm0dRZV
桶狭間の戦いが捏造なんだから、
そもそも仇討ちなんてもん自体が成立しない。
292人間七七四年:2014/12/28(日) 17:31:26.81 ID:gDxm5P3T
>>290
ソースはよう
293人間七七四年:2014/12/28(日) 20:56:41.58 ID:qxHW/Fh2
本当に義元が信長に討ち取られていたら
いくら氏真でも信長の命令で
屈辱感がハンパなくて蹴鞠をしてみせたりしないだろ。
294人間七七四年:2014/12/28(日) 23:05:47.56 ID:/Nva2F8X
292
戦国遺文今川編出てるよ
295人間七七四年:2014/12/29(月) 12:56:29.32 ID:b0OoqomB
293って菅沼遼太?
296人間七七四年:2015/01/01(木) 19:12:51.26 ID:7VkPPcN6
鳥居元忠との友情を育んだのはこの時代かな?
297人間七七四年:2015/01/02(金) 01:25:26.66 ID:rFxea890
>>293
ソースはよう
298人間七七四年:2015/01/02(金) 15:44:11.88 ID:oS7se0QQ
>>297
それ触っちゃだめ
299人間七七四年:2015/01/02(金) 20:16:01.65 ID:S1d91A35
この時の友情がのちに北条氏邦を助けることに
300人間七七四年:2015/01/02(金) 21:12:05.76 ID:LExsvLh+
若干スレ違いだけど、鳥居元忠の元は義元の元?
301人間七七四年:2015/01/03(土) 04:42:39.76 ID:2f7IM/Nw
元信の元は義元の元だから
その可能性はある
302人間七七四年:2015/01/03(土) 17:34:54.29 ID:BZIIhlcE
竹千代って義元に掘られなかったのかな?
303人間七七四年:2015/01/05(月) 04:50:51.09 ID:3khqtZUa
鳥居元忠に百舌鳥を飼いならすように命じ
失敗したら縁側がわ突き落とした
結構乱暴ものだったんだな、子供の頃の家康
304人間七七四年:2015/01/05(月) 20:34:57.39 ID:KAOZTLFp
根は短気だけど人質時代に我慢することを覚えたから、天下をとれたってかんじかな 我慢することを学べなかった信長と違う所だな
305人間七七四年:2015/01/06(火) 12:30:56.62 ID:pR9OrI+N
実際の家康は劣勢になるとすぐに
「腹を切る」と言い出して家臣に止められるとか
かなりせっかちな部分もあったようだけどな
306人間七七四年:2015/01/06(火) 13:54:07.69 ID:FvbJCNl+
忠義に篤い三河武士らしいけど
父と祖父を家臣に殺されたってのもあんじゃね?
307人間七七四年:2015/01/06(火) 14:08:07.10 ID:flCQcapr
親父は家臣には殺されてないぞ?
308人間七七四年:2015/01/06(火) 20:33:02.54 ID:FvbJCNl+
いずれにしろあっさり2代続けて暗殺されんだ
そりゃ行動にも影響与えるだろ
309人間七七四年:2015/01/06(火) 20:38:02.37 ID:FvbJCNl+
当主殺害
当主殺害
家康
次期当主自害強要

これが家康から見た松平(徳川)家
色々思うとこはあると思うよ
310人間七七四年:2015/01/06(火) 20:59:57.75 ID:2/qzdKyP
>>306
忠義に篤いとはいっても、三河の一向一揆の時には家臣団が分裂しかけてるぞ
311人間七七四年:2015/01/07(水) 08:26:16.39 ID:5jrFRFtQ
分裂しかけるではなく分裂して国を真っ二つにした戦いじゃないのけ?
本多とかそれで負けて出奔だろうし
312人間七七四年:2015/01/07(水) 08:39:08.01 ID:A7u9U8fn
言われてているほど三河武士も忠義・一枚岩ではないんだな
313人間七七四年:2015/01/07(水) 15:04:35.71 ID:az1kvwcK
江戸時代に三河武士は美化されたんだよ
314人間七七四年:2015/01/08(木) 08:33:02.98 ID:mYlSCMgd
家康人質時代の松平家臣の三河武士の苦労話は実話かね?
315人間七七四年:2015/01/08(木) 18:29:56.56 ID:aeqJWop/
>>310
・一部は一向宗から改宗してまで家康に忠義を尽くす(石川数正、本多忠勝など)
・またある一部は信仰と忠義との狭間で悩むが、説得を受けて家康の許に帰参する(夏目吉信など)
・一向宗勢力に担ぎ上げられ、敗北の結果逃亡した吉良等は家臣とは言えない
忠義に疑念を挟むポイントになっていない
何か他の事件例でもないと
316人間七七四年:2015/01/08(木) 19:23:08.67 ID:iSbQYKFb
忠義w
317人間七七四年:2015/01/09(金) 00:22:34.63 ID:UjR9VI9r
三河一向一揆で徳川家臣が二つに割れたのは大嘘。
だから三河一向一揆側についた徳川家臣の名前をあげることは出来ない。
しかも家康がやってくると、
殿とは戦えないと逃げるのが一向一揆側で、
いわば自作自演一揆なので半年くらいで終了。
家康は全く苦労していない。
一切、根拠をあげず、
徳川家臣の半分が〜などと妄想を書くも
その半分の内訳も一切書かずに黙殺している。
それは答えられないからに他ならない。
なぜなら根拠が全く無いからだ。
318人間七七四年:2015/01/09(金) 01:40:55.06 ID:SMIEte6k
>>317
地味加藤の父親は一向一揆で敵対したから三河を去ったのだが
319人間七七四年:2015/01/12(月) 08:30:41.34 ID:5igoDUhU
そもそも家康が信康を殺したのも
信康を担ぐ勢力が出てきて家臣団が割れかねない状況になったからだろ
320人間七七四年:2015/01/12(月) 09:58:34.33 ID:5/D/TEVG
割れかねない状況というか割れたのを鎮圧して最後に信康に責任取らせたっぽいんだよな
天正4年だかに信康の傅役の一人を含めた信康家臣団が反乱を起こしてたらしいし
321人間七七四年:2015/01/12(月) 12:43:52.45 ID:QlY9m5oJ
信康カワイソ
322人間七七四年:2015/01/12(月) 13:15:02.53 ID:KWGYCjfS
渡辺・本佐・石川父とかは一揆方についた徳川家臣に分類していーんじゃねーの
323人間七七四年:2015/01/12(月) 15:22:55.02 ID:M1+ob4wQ
サクザ、一揆方についたのに
よくその後あそこまで家康に信用されたな
324人間七七四年:2015/01/13(火) 16:33:43.97 ID:LTvTGpLW
信用されてたのか?
325人間七七四年:2015/01/13(火) 16:47:26.31 ID:aFwc489N
いや、作左は一向一揆に参加してないだろ
326人間七七四年:2015/01/13(火) 16:48:25.60 ID:ynBvmZg3
後になって家譜などでそう書いているだけで
実は一次史料でまったく証明できない反家康の一揆参加メンバーw
327人間七七四年:2015/01/14(水) 00:23:07.88 ID:WxJ8ukFs
>>326
バカじゃねーの?
じゃあ、その一次史料とやらで「反家康の一揆参加メンバー」であることは証明できたのかよ?
328人間七七四年:2015/01/15(木) 09:40:43.35 ID:eYsJqATq
え、サクザが一向一揆に参加していたのは常識だと思っていたが
329人間七七四年:2015/01/15(木) 12:29:26.04 ID:R5raIoQQ
山岡だと家康の焼き味噌をからかうのは大久保忠世だが
大河だとサクザがその役回りになってたな
330人間七七四年:2015/01/15(木) 16:18:01.97 ID:5otiU5BL
あの大河はやたらとサクザがめだってた
331人間七七四年:2015/01/15(木) 21:28:24.20 ID:GRHrKVHC
三河武士はちょっと神格化されすぎ
332人間七七四年:2015/01/16(金) 15:24:40.36 ID:x9OPrEeE
人質時代に岡崎城に帰郷させてもらった家康が
畑仕事をしている近藤とやらを目にして
涙したっていうのは実話かな?
333人間七七四年:2015/01/16(金) 18:05:14.68 ID:Rw9ozBr0
そもそも下級武士が農民と兼業なのは珍しくない
334人間七七四年:2015/01/16(金) 23:32:27.29 ID:X3Nnw92h
鳥井忠吉が小判を縦に積んでいるのを見せたり
335人間七七四年:2015/01/17(土) 11:21:23.25 ID:tljuMiQl
松平家臣団の苦労はともかく
家康売り飛ばした戸田が滅ぼされたの見ると
広忠の今川への服従は辛かっただろうけど間違ってなかったと思うな
336人間七七四年:2015/01/17(土) 21:32:04.77 ID:bYb4wP9R
今川のほうが織田よりずっと優勢だったからな
337人間七七四年:2015/01/18(日) 12:51:12.57 ID:fQAXrN/u
>>335
戸田は結局目先の金に目がくらんだため
滅ぼされてしまったのか・・・
338人間七七四年:2015/01/18(日) 17:18:32.18 ID:ZekWnbd+
戸田にせよ水野にせよ
あの辺の小豪族はコウモリにならざるを得なかったが
松平だけが一貫して今川側だったことが美化されているね
339人間七七四年:2015/01/18(日) 21:23:40.44 ID:qRjYfxG0
去年だったか
ニュー速+で実は松平広忠は織田に敗れて竹千代を人質に信秀に送った説の記事みたんだが
真相はどっちなんだろ
340人間七七四年:2015/01/18(日) 21:29:23.67 ID:3zDZFYpe
>>339
それは有り得ないんじゃないか?
341人間七七四年:2015/01/19(月) 08:33:46.49 ID:KoUM/BA7
この人質時代に育んだ友情がずっと後に北条氏邦の命を救うことになった
342人間七七四年:2015/01/19(月) 19:11:35.21 ID:ICjBuCWZ
>>341
まさに「情けは人のためならず」だね
(意味を誤解している人が多い言葉)
343人間七七四年:2015/01/19(月) 19:24:18.96 ID:3tlCCOKb
344人間七七四年:2015/01/19(月) 20:17:50.68 ID:ICjBuCWZ
>>343
いろんなスレに貼りまくってんな
345人間七七四年:2015/01/19(月) 23:20:16.71 ID:BjI8eM4P
この時期に鷹狩りにはまったのは間違いない
346人間七七四年:2015/01/20(火) 01:15:39.21 ID:J1byk/Ft
そのせいで孕石主水にいじめられた
347人間七七四年:2015/01/20(火) 09:25:26.77 ID:DM1zZXbI
この時期が家康の忍耐強い性格を作り上げたというのは嘘、とまで言わなくても誇張
348人間七七四年:2015/01/20(火) 16:11:10.51 ID:SK6ogVk9
家康は中年期にはまだカッとするところがあった
349人間七七四年:2015/01/20(火) 16:48:17.77 ID:AlFcQARM
人質時代・・・ションベンたれ
信長時代・・・ウンコたれ
350人間七七四年:2015/01/20(火) 22:00:52.77 ID:bvQTAiC7
家康は戦の時劣勢になると、すぐ「切腹する」と言い出し家来にたしなめられていた
忍耐強いだけの性格ではない
351人間七七四年:2015/01/21(水) 07:11:49.81 ID:VfvAiwAI
イライラすると爪を噛むクセも晩年まであった
352人間七七四年:2015/01/21(水) 13:27:29.86 ID:vcXAMS9V
家康のイメージって最晩年のもので定着しちゃってるからな
353人間七七四年:2015/01/21(水) 23:35:56.91 ID:lHtV9Has
狸親父のイメージも最晩年のイメージだしな
354人間七七四年
最晩年の大阪夏の陣の時ですら、真田信繁に間近まで迫られたら
切腹すると言い出したらしいw