なんでもかんでも「家臣が勝手にやったコト」にするんじゃねえよ滝田家康!
無責任杉やろ
ばんそうこう政宗の中の人ってとうの昔に若死にしてたんだな。
552 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/14(土) 10:42:23.82 ID:CdL8Yp4X
>>549 斉藤家はいざ知らず、織田信長公の軍は、兼業兵士ではなく、専業兵士だったから。
ただ、当時の農業は機械化されていないので、今の三ちゃん農業(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)と違って、
一番重労働だっただろうから、専業兵士より体力あったかもね。
554 :
551:2015/02/14(土) 12:41:26.71 ID:???
生きてたら独眼竜出演もあり得ただろうに
まさにその年に逝くとは狙ってたとしか思えん。
伊達政宗:尾上辰之助
大河云々よりも歌舞伎界の重鎮になるはずだった人だな。
尾上菊五郎、市川團十郎と同世代で仲が良かった。
いくら戦国時代とはいえ、勝頼は残酷すぎる。
長篠城の戦いで鳥居強右衛門を捕えて磔にしたり、おふうの方や仙千代みたいな
女子供を殺したり。
鳥居のような勇者は敵ながら天晴れと称賛して城に帰すべきでしょ。
そうすれば敵も味方も、血も涙もある大将よと、感服したはず。
戦国時代の人質ってものがわかってないよなw
他の連中は別にして、鳥居は人質じゃないからな。
まあ、切腹命じて拒否なら斬首でも良かったろう。
辰之助は後鳥羽院がはまり役だと思ってたが政宗もいいな
561 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/20(金) 22:39:32.72 ID:pyDgf9aa
>>557,559
勝頼の武田家は、孫子を旗印にしていたくらいだから、楚荘王と解揚の故事を知っているはず。
その上で鳥居を殺したので、無能の極地というべき。
それか、親父と違い、孫子の意味も解らず旗印にしていたのかな?
何れにしても、無能な奴。
562 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/24(火) 12:02:50.32 ID:YMpynkAz
>>457 築山殿は相当問題のある人だったみたいね
築山殿は傲慢で嫉妬深い女性だったと伝わる。
史料の多くは後世の江戸時代に編纂されたもので、多少の誇張もあろうが、
江戸時代に権現様となった家康の正室だった人物がここまで貶められているのは異常とさえ言える。
ただし政治的に考えれば、政略結婚の価値がなくなった彼女を始末した徳川家が、
彼女を処断した事を正当化するためにでっち上げたものであるという可能性も否定できない。
「生得悪質、嫉妬深き御人也」(『玉輿記』)。
「無数の悪質、嫉妬深き婦人也」(『柳営婦人伝』)。
「其心、偏僻邪佞にして嫉妬の害甚し」(『武徳編年集成』)。
「凶悍にてもの妬み深くましまし」(『改正三河後風土記』)。
『改正三河後風土記』では唐人医師の減敬と密通していたとされており、その有様は古代の道鏡・称徳天皇に匹敵するとされている。
今川氏の滅亡が省略されている
第10回「三河一向一揆」
第13回「三方ヶ原合戦」
第25回「伊賀越え」
家康の三大危機のうち、三河一向一揆だけが危機に見えない
NHK大河ドラマ杯・秀吉役No.1決定戦
┌───── 勝新太郎(独眼竜政宗)
┌─┤ ┌─┬─ 仲村トオル(信長-KING OF ZIPANGU)
│ └─┤ └─ 西田敏行(おんな太閤記)
│ │ ┌─ 緒方拳A(太閤記、黄金の日日前半)
優勝┤ └─┴─ 竹中直人(秀吉、軍師官兵衛)
│ ┌─┬─ 武田鉄矢(徳川家康)
│ │ └─ 香川照之(利家とまつ)
│ ┌─┤ ┌─ 藤岡琢也(春日局)
└─┤ └─┴─ 火野正平(国取り物語)
└───── 緒方拳B(黄金の日日後半)
大河ドラマ YODODONO頂上決戦
┌───── 夏目雅子(徳川家康)
┌─┤ ┌─┬─ 永作博美(功名が辻)
│ └─┤ └─ 池上季実子(おんな太閤記)
│ │ ┌─ 樋口可南子(独眼竜政宗)
優勝┤ └─┴─ 松たか子(秀吉)
│ ┌─┬─ 藤村志保(黄金の日日)
│ │ └─ 瀬戸朝香(利家とまつ)
│ ┌─┤ ┌─ 大空眞弓(春日局)
└─┤ └─┴─ 深田恭子(天地人)
└───── 小川真由美(葵 徳川家康)
571 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/26(木) 00:14:03.64 ID:6ILCHa2z
>>566 緒方拳Avs緒形拳Bの決勝戦ですね。
>>567 シード1位夏目雅子のダントツ優勝ですね。
家康の父・松平広忠の死因
・病死
・岩松八弥(片目弥八)による殺害
・一揆による殺害
当初、重要な役どころだった登場人物がその役割を終えるや、後日譚もその死も全く語られない人物が幾人か見られる。
石川数正
本多忠勝
おみつ(栄の局)
水野信元
今川氏真
575 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/28(土) 02:15:06.68 ID:KXzIdL7G
>>574 奥平信昌夫妻(おふうさんじゃないほう)
本多作左衛門は、その死が語りで伝えられているから該当せず。
意外と少ないものなんですね
>>574-575
577 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/28(土) 11:32:03.47 ID:SekqFA3x
家康のラック
・田舎人質世継ぎが一級の教育を受けれた
・義元が討ち取られた
・三河衆が松平家を変わらず当主として迎え入れてくれた
・氏真が三河を纏めきるまで攻めてこなかった
・信玄がギリギリのタイミングで死んでくれた
・本能寺の変が起こった
しかも、自国の隣に突然空白地帯(甲斐、信濃)が生まれた
・女好き秀吉に年相応の実子がいなかった
・秀頼が徹底抗戦してくれた
・秀吉の息のかかった武将たちが、半島で感染した梅毒で全滅
秀忠が元服してこの名前になったのは
やはり、秀吉に忠義、という意味があったの?
秀吉の偏諱と安城松平家の通字の忠を合わせただけだよ
584 :
名乗る程の者ではござらん:2015/03/04(水) 16:27:44.32 ID:hFiLcMsI
『三河物語』によると、
本能寺で異変に気づいた信長の最初の言葉は
「上之助がべつしんか(城介が別心か=信忠の謀反か)」であったとされる。
ただし本能寺の変の際、著者の大久保忠教は京都にいなかったため、
どこまで信憑性があるか疑問がもたれる。
585 :
名乗る程の者ではござらん:2015/03/04(水) 23:14:35.09 ID:Yz0pXbPw
>>583 安祥家は、何故か一代おきに忠を使って居るけど、何故?
秀忠さんの孫からは、家綱、綱重、綱吉と使われなかったみたいだけど。
>>585 通字を家にしてしまったからだろう。両方組み合わせると家忠だが、有名な松平家忠が居たしな。綱吉は兄家綱から偏諱を貰ってるんで参考にならない。
長親は実際は長忠と名乗っていた可能性が高いので一代おきじゃない
家康以外で唯一忠を使わなかったのは清孝(清康)だけど、
清忠とならなかったのは父の信忠が自身の法名の「奉孝」の字を与えたかったからではないかと
新編安城市史で指摘されている。
事実、清康の兄弟も「信孝」「康孝」という名前である
>>587 34 名前:人間七七四年 :2015/03/05(木) 10:18:30.19 ID:WZUeQgXc
>>33 忠が安城家の通字の可能性が高い
あと長親は実際は長忠と名乗っていた可能性が高いので一代おきじゃない
家康以外で唯一忠を使わなかったのは清孝(清康)だけど、
清忠とならなかったのは父の信忠が自身の法名の「奉孝」の字を与えたかったからではないかと
新編安城市史で指摘されている。
事実、清康の兄弟も「信孝」「康孝」という名前である
人の一生は、重荷を負いて遠き道を行くが如し
急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
別のスレから丸コピペしてるの?
池沼か?1は
家康公はなぜに江戸を拠点にしたのかな?普通は小田原だよね?家康公が入る前の江戸は湿地帯の糞田舎だったらしいが。とにかく、現在の東京の繁栄を鑑みるに、家康公の先見の明は偉大だよね
江戸拠点は秀吉の案だとも言われてるが、埋め立てやインフラ整備をやって都市を建設したのがすごいな。
25 :人間七七四年:2013/03/11(月) 22:55:50.85 ID:39RHNs4P
家康公はなぜに江戸を拠点にしたのかな?普通は小田原だよね?家康公が入る前の江戸は湿地帯の糞田舎だったらしいが。とにかく、現在の東京の繁栄を鑑みるに、家康公の先見の明は偉大だよね
三方ヶ原の大惨敗ののち、家康は「脱糞田舎大名」と呼ばれた
脱糞の出典、山岡以外にあるのか?
597 :
名乗る程の者ではござらん:2015/03/06(金) 17:12:45.91 ID:uw2wmeRi
>>594 江戸を首府にしたのは、秀吉公の命令だったんじゃ?
大坂を本拠地にした秀吉公の尾張人的発想(大坂を発展させる元の発想は、同じ尾張の主君信長公らしいけど)。
本来三河人の発想だったら、小田原のままか、埼玉辺りを首府にしていたんじゃないかな?
>>596 あの絵はお漏らし直後って昔から通説なのでは?