【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ14【東軍】

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1人間七七四年
130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。

過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176221394/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 ※12
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/
2:2009/09/19(土) 18:05:50 ID:Wx1qifT/
誤 あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。
正 あらゆる角度から検証するスレ第十四弾です。
3人間七七四年:2009/09/19(土) 19:35:37 ID:RUPOzLHm
get3
4人間七七四年:2009/09/19(土) 19:47:46 ID:Ctp6whxS


池田公一「相良頼房と関ケ原合戦」(『戦国史研究』19号、1990年2月28日発行)

會田康範「石田・上杉共謀説について」(『戦国史研究』23号、1992年2月29日発行)

笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館、1993年2月25日発行)

笠谷和比古『関ケ原合戦―家康の戦略と幕藩体制』(講談社、1994年2月1日発行)

四本健光「島津氏と関ヶ原合戦 −島津義弘の参戦事情と徳川の島津処分」(『鹿児島大学教育学部研究紀要』18巻<人文社会科学編>、1996年)

西本誠司「関ケ原合戦前の島津氏と家康」(『戦国史研究』34号、1997年8月25日発行)

宮本義己「徳川家康の人情と決断−三成゛隠匿″の顚末とその意義」(『大日光』70号、2000年3月26日発行)

笠谷和比古『関ケ原合戦四百年の謎』(新人物往来社、2000年6月10日発行)
5人間七七四年:2009/09/19(土) 19:48:30 ID:Ctp6whxS

桐野作人『真説 関ヶ原合戦』(学習研究社、2000年9月13日発行)

藤井尚夫『フィールドワーク関ケ原合戦』(朝日新聞社、2000年9月15日発行)

笠谷和比古『関ケ原合戦と近世の国制』(思文閣出版社、2000年12月20日発行)

林千寿「関ケ原合戦における細川家−その動向と動機」(『熊本史学』76・77合併号、2000年12月20日発行)

宮本義己「徳川家康の豊臣政権運営−「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して」(『大日光』74号、2004年3月26日発行)

布谷陽子「関ケ原合戦の再検討―慶長五年七月十七日前後」(『史叢』73号、2005年)
6人間七七四年:2009/09/19(土) 19:49:43 ID:Ctp6whxS

宮本義己「内府(家康)の公儀掌握と関ケ原合戦」(『大日光』76号、2006年3月17日発行)

白峰旬「関ケ原の戦いに関する時系列データベース―城郭関係史料を中心として」(『愛城研報告』10号、2006年8月発行)

福田千鶴『淀殿』(ミネルヴァ書房、2007年1月10日号発行)

光成準治「関ケ原前夜における権力闘争−毛利輝元の行動と思惑」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)

三池純正『敗者から見た関ケ原合戦』(洋泉社、2007年5月22日発行)
7人間七七四年:2009/09/19(土) 19:50:31 ID:Ctp6whxS

土居聡朋「関ケ原合戦における四国侵攻と武井宗意」(『地方史研究』57巻4号、2007年8月1日発行)

田端泰子『北政所おね』(ミネルヴァ書房、2007年8月10日発行)

布谷陽子「関ケ原合戦と二大老・四奉行」(『史叢』77号、2007年9月30日発行)

笠谷和比古『戦争の日本史17 関ケ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年11月1日発行)

笠谷和比古『関ヶ原合戦』(講談社学術文庫、2008年1月10日発行)

笠谷和比古「関ケ原合戦余聞−「三成、家康屋敷に逃げ込む」の嘘」(『本』33巻2号、2008年2月1日発行)

平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)
8人間七七四年:2009/09/19(土) 19:51:48 ID:Ctp6whxS

宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年3月31日発行)

白峰旬「関ケ原の戦いに関する再検討」(『別府大学大学院紀要』10号、2008年3月発行)

三宅正浩「「秋長」書状の年代比定をめぐって―関ケ原合戦と蜂須賀家政」(『ヒストリア』210号、2008年6月10日発行)

太田浩司『近江が生んだ知将 石田三成』(サンライズ出版、2009年3月1日発行)

光成準治『関ケ原前夜―西軍大名たちの戦い』(日本放送出版協会、2009年7月30日発行)
9人間七七四年:2009/09/20(日) 01:08:19 ID:auqKB6fS
thanks!
10人間七七四年:2009/09/20(日) 04:19:40 ID:dNd+xnSO
>>1
大儀であった
褒美として伏見城の城代として警備するよう申し渡す
11人間七七四年:2009/09/20(日) 09:37:21 ID:HmDwQeOK
フラグたったw
12人間七七四年:2009/09/20(日) 14:23:11 ID:xx2oYezi
関ヶ原の戦いで、中国地方で
戦場になったところって
あったけ?
13人間七七四年:2009/09/20(日) 14:47:32 ID:YAGREETr
>>12
正確には関ヶ原後だが、鳥取城攻防戦。
14人間七七四年:2009/09/20(日) 15:35:51 ID:xx2oYezi
>>13
ありがとう。
戦後か。他の地方に比べて
印象薄く感じるのは、
その所為かな。
15人間七七四年:2009/09/20(日) 22:06:08 ID:rQ4Cf+Id
毛利傘下の村上水軍が四国のどこか攻めて、
返り討ちにあってなかったか。
16人間七七四年:2009/09/22(火) 06:30:57 ID:bRcdPUDr
熱中夜話後編の感想はどうですか?
17人間七七四年:2009/09/22(火) 07:52:57 ID:FlX4qXK2
後編のMVPって結局誰だったけ?
18人間七七四年:2009/09/22(火) 08:19:24 ID:bRcdPUDr
NHK 熱中夜話後編では、西暦1600年9月15日と説明してるよ。
慶長5年9月15日(グレゴリオ暦1600年10月21日)wiki
が正しいんだね。
小早川秀秋を19歳と説明しているが、数え年、満、どっち?
19人間七七四年:2009/09/22(火) 08:47:28 ID:308EsrLe
毛利と宇喜多の関係って南部と津軽みたいなもんだろ。
うまくいくはずがない。
立花は主家(大友)を滅ぼした石田や小西を恨んでいるはず。
島津、長曾我部同様、積極的に戦うわけがない。
自らが危険にさらされた時だけ。

20人間七七四年:2009/09/22(火) 22:30:01 ID:fliOXCw7
>>19
その大友は復興するために九州で西軍のために兵をあげたんですけど、、、もっとも黒田にあっさりやられたけど
立花の活躍次第で大友復興もありえたので必死に戦ったんでは?~
21人間七七四年:2009/09/22(火) 22:35:11 ID:WnG1OqDm
>>20
宗茂個人の感情はともかく、立花家臣団にとって大友復興なんて何の意味も無いだろう。
むしろ下手すれば陪臣扱いにされて、有害にもなりかねない。
22人間七七四年:2009/09/23(水) 15:47:51 ID:+MxVI1Ob
前スレで、騒いでた直江状の話は、決着ついたの。
目離している間に、前スレ落ちちゃったんだけど。
23人間七七四年:2009/09/24(木) 07:47:24 ID:94JRM+Cm
24人間七七四年:2009/09/24(木) 17:26:03 ID:BuIlokBt
毛利のアホさ加減がほんと笑えるな・・・

そりゃ恥ずかしくて、さっさと徳川打倒したいと思うわなw
260年かかったけどw
25人間七七四年:2009/09/24(木) 21:32:27 ID:wYlV1Apa
毛利秀元って東軍に内通していた疑惑が強いな
南宮山から吉川が邪魔しているのをいい訳に軍を動かさなかったからじゃなく
本戦の後、東軍が佐和山城を攻撃している近くを通過している、
普通は長束と同じように伊勢経由で退却するのにだ
東軍もそれを見過ごしてる
さらに極めつけは毛利秀元に同行していた安国寺恵瓊が佐和山付近から離脱し
琵琶湖を船で横断している
そのまま毛利秀元といっしょに瀬田まで行けば西軍の勢力範囲で大阪城まで無事に辿りつけたのにだ
なぜか逃げ出すようにわずかな人数で離脱している
みんな不思議だと思わないか?
26人間七七四年:2009/09/24(木) 22:28:45 ID:KcNymOJt
>>25
吉川の手引きがあったのだから当然だろう
27人間七七四年:2009/09/24(木) 23:55:10 ID:t2tQJ7XE
秀元は吉川の離反は知らなかったというのが通説だが、
もし一緒に離反していたのなら、秀元の子孫が毎年徳川打倒を語り
合ったという逸話が滑稽でしょうがないな。
28人間七七四年:2009/09/25(金) 00:11:55 ID:T489/zDC
>>27
それ長州征伐受けた頃に生まれた作り話だから。
29人間七七四年:2009/09/25(金) 02:22:05 ID:ZhR2gIjJ
三本の矢はもはやギャグ
30人間七七四年:2009/09/25(金) 08:35:19 ID:8JGPqMnm
秀元は当時、20代前半
いとことは言え親父くらい離れてるキッカーに逆らえるはずは無い
もし金吾がもう二時間攻めるのが遅れたら動いてたかも知れない、、、
大阪籠城をテルモトに進言したのはだれだっけ?
31人間七七四年:2009/09/25(金) 10:21:35 ID:iiuZQMMv
立花宗茂
32人間七七四年:2009/09/25(金) 10:37:46 ID:QjLlDtVL
元就の「三本の矢」「所領安堵のみを考えろ」って
群雄割拠してた時代のやり方だろ。

なのに、天下が体制が定まって、その中で起こった混乱なのに
天下を手中に握るチャンスをみすみす逃す毛利一族は爆笑ものだわ
33人間七七四年:2009/09/25(金) 19:28:21 ID:8JGPqMnm
>>31
わかってて皆さんたずねた
秀元と立花ね
34人間七七四年:2009/09/25(金) 22:09:58 ID:6ttuuKV0
安国寺恵瓊はなぜ2、3人で鞍馬にいったんだ
敗戦で1800人いた兵が逃げ出しても600人くらいは残ってたろ
全軍連れて鞍馬に潜んでれば奥平信昌隊に捕まることもなかったのにね
35人間七七四年:2009/09/25(金) 22:14:48 ID:T489/zDC
>>34
安国寺の兵は殆どが毛利の付けた寄騎だったらしい
36人間七七四年:2009/09/25(金) 22:50:26 ID:6ttuuKV0
すると毛利秀元東軍内通説濃厚
身の危険を感じた安国寺恵瓊琵琶湖を船で逃走
秀元大阪城で輝元に籠城を訴えはフェイクだな
37人間七七四年:2009/09/26(土) 04:42:19 ID:Kh70Kc8C
秀元まで東軍に内通していながら、
所領激減の毛利って・・・・w
38人間七七四年:2009/09/26(土) 07:37:33 ID:ykSM4vAD
>>34
潜伏するのにそんな目立つ真似をしてどうする
39人間七七四年:2009/09/26(土) 12:05:41 ID:zum4s7KT
>>34
600人は何を食って生き延びるの?
40人間七七四年:2009/09/26(土) 16:02:28 ID:DVuZ5DFp
>>37
吉川だって都合よく東軍と連絡とったり向こうの連絡を無視したりしてるしね。
ちなみに秀元は吉川達とは別行動である可能性もある。
天野元政家の「譜録」では佐和山の麓を通過して西に向かったとしているけど、
瀬田で黒田と福島から東軍参加を求められたけど、講和するとは聞いていないと
拒否してる。
別の毛利家家臣の覚書では東軍が後ろから追ってきたため、秀元軍は山上に逃れ、
東軍が通過した後に瀬田を渡ったとされていて、黒田たちからの誘いのくだりも記
載されている。
秀元が脇を通過しようが、無傷の大軍相手に東軍の部隊が戦える状態ではなかったかもしれない。
41人間七七四年:2009/09/27(日) 00:21:53 ID:ctfJoYPK
>>40
それではなぜ秀元から安国寺恵瓊は離脱したの?
42人間七七四年:2009/09/27(日) 01:58:45 ID:xXiL2DUE
単に安国寺は秀元を信用しきれなかったんだろ。
43人間七七四年:2009/09/27(日) 02:15:47 ID:IObUyRuM
安国寺を生け贄にして毛利は助かろうという気配を感じたのだろうよ。
44人間七七四年:2009/09/27(日) 02:25:27 ID:ktqDxybA
というか、自分の口車で毛利が西軍の大将に押し上げた。
でも肝心の決戦で、戦う気配が無い。
お隣に自分を不倶戴天の敵とする武将がいる。で、自分の部隊は実質そいつの指揮下にある。

逃げるという考えは当たり前だと思うわけだが。
45人間七七四年:2009/09/27(日) 03:04:09 ID:ctfJoYPK
吉川って本戦の後すぐに東軍と合流したのでは?
46人間七七四年:2009/09/27(日) 03:22:11 ID:IObUyRuM
先鋒の吉川がサボタージュしたから毛利隊は動けなかった、
ったというか、動く機会を逸したということで、
毛利秀元に戦意が無かったとは断定できない。
47人間七七四年:2009/09/27(日) 04:16:16 ID:2LKoTUrh
秀元はともかく、吉川が安国寺を捕らえて、家康に引き渡す恐れは充分にある
48人間七七四年:2009/09/27(日) 04:33:24 ID:ctfJoYPK
吉川って本戦の後すぐに東軍と合流したから秀元と安国寺だけでは?
49人間七七四年:2009/09/27(日) 09:45:40 ID:GyeKkhY5
吉川隊を蹴散らして下山出来なかったのか?
物理的には可能?
50金馬天馬:2009/09/27(日) 11:22:09 ID:ssnrvWgS
さすがに難しいんじゃないか
まかりなりにも毛利の三川のひとつやし
51人間七七四年:2009/09/27(日) 11:42:06 ID:j23Q2Bz6
もう一つの川はどこだ
52人間七七四年:2009/09/27(日) 12:49:49 ID:ctfJoYPK
秀元はなぜ佐和山経由で退却したの?
53人間七七四年:2009/09/27(日) 14:09:24 ID:zqlDasWz
先鋒を踏みにじったら同士討ち必至
54金馬天馬:2009/09/27(日) 15:31:20 ID:ssnrvWgS
小早川
55人間七七四年:2009/09/27(日) 15:40:08 ID:QsiYDHW7
三川じゃなくて吉川と小早川の両川じゃないのか
56人間七七四年:2009/09/27(日) 17:30:25 ID:+MgJVW4S
三川は美濃のお国柄を考慮すると@木曽A長良B揖斐だろうな。
57人間七七四年:2009/09/27(日) 17:32:19 ID:5y8jNkdK
ロッテの早川じゃね?
58人間七七四年:2009/09/27(日) 18:12:47 ID:05uchWD7
誰がバット投げやねん
59人間七七四年:2009/09/27(日) 23:57:03 ID:hwO82lVp
毛利がちゃんと大坂城を押さえとけば一日で決着なんかつかない。

関が原の最大のへタレはどう考えても毛利以外にはないな。


60人間七七四年:2009/09/28(月) 00:00:01 ID:wa30bZik
それで毛利秀元は東軍に内通していたのか?していなかったのか?どっちなんだ?
61人間七七四年:2009/09/28(月) 00:01:20 ID:ShQ8HRVD
三成たちがあれだけ完膚なきまでにぼろくそに負けて、大阪城の保持なんか出来るかよw
寝言は寝て言えw
62人間七七四年:2009/09/28(月) 00:03:33 ID:P6fVLDej
たしかに大「阪」城の保持なんて不可能だな
63人間七七四年:2009/09/28(月) 08:58:31 ID:eNNSTAM5
>>61
日本国中の全大名と幕府軍を相手に回しても落ちなかった大坂城だぞ。
寝言は寝て言えw
64人間七七四年:2009/09/28(月) 09:08:23 ID:ydd+zecP
>>47
安国寺にしてみれば、初めてに戦場に加えて、初めての敗戦で、
パニクって、気づいたら、そこに逃げてたということもあるかも。
65人間七七四年:2009/09/28(月) 09:26:57 ID:8bn5QURk
>>63
たかだか二週間程度の攻城で落ちなかったと言われても…
66人間七七四年:2009/09/28(月) 10:36:54 ID:ShQ8HRVD
>>63
あのさあ、大阪の陣と状況がぜんぜん違うって事解ってる?
これがゲーム脳かw
67人間七七四年:2009/09/28(月) 12:53:23 ID:Mk7RcvTC
関ヶ原の時の方が圧倒的に有利だろ、大坂方が籠城迎撃した場合。
68人間七七四年:2009/09/28(月) 12:57:06 ID:Mk7RcvTC
>>65
大坂城を落とせたのは、家康得意のダマシ討ち戦法でしかなかったってことを忘れるな。
69人間七七四年:2009/09/28(月) 12:59:06 ID:ShQ8HRVD
>>68
だまし討ちって何だよ?まさか、もはや否定されてる、内堀埋め立てが条約違反ってやつ?
70人間七七四年:2009/09/28(月) 13:10:04 ID:Mk7RcvTC
>>69
アホか。
堀埋めたら秀頼と大坂城はそのまま安泰と誓約しながら、
舌の根も乾かぬうちに軍事出動したという単純明快なダマシ討ち。
71人間七七四年:2009/09/28(月) 14:15:05 ID:S3IMUikK
>>67
大坂城内には東軍の増田が居る
72人間七七四年:2009/09/28(月) 14:51:30 ID:zgMTKO7f
増田が東軍スパイなら領地没収の改易にはならんだろう
73人間七七四年:2009/09/28(月) 15:07:15 ID:S3IMUikK
>>72
増田は実際に密書を送っていたし戦後、二股をかけようとしていたらしいことを
指摘されて改易された。片桐、前田は加増があった。
増田の内通を毛利が疑って大坂から動けなかったのが重要。
籠城しようにも疑わしい増田がいる以上、そのことを考慮しなければならない。
74人間七七四年:2009/09/28(月) 15:16:15 ID:zgMTKO7f
毛利が出動しなかったのは、三成からの出動要請が無かっただけのこと。
家康は隠密行動で赤坂まで来たので、西軍は毛利本隊の出陣の機会を逸したということ。
75人間七七四年:2009/09/28(月) 15:21:06 ID:ShQ8HRVD
>>70
何を言ってるんだお前は?
講和直後から堀や塀の復旧をするなど不穏な動きを見せていたのは豊臣の側、
さらに大和や堺に攻め寄せ先に戦端を開いたのも豊臣家だ。

君は特殊な歴史観の中に生きているらしいな。
76人間七七四年:2009/09/28(月) 15:33:16 ID:6DNBRb+x
>>75
この手の言いがかりは家康の常套手段。
毛利の領地問題からして、最初は全領保全すると約束しておきながら、
後になって、聞いていた話と違うとか言いがかりをつけて100万石没収だからな。

昔もやっていただろうが、三河の一向一揆に対して、寺はもと通りに保証すると言っておいて、
「もと通り」とは更地のことだからと寺院は全部破却。
あれだ、家康のいつもやってることだ。
77人間七七四年:2009/09/28(月) 15:36:20 ID:ShQ8HRVD
>>76
いやだからさ、豊臣家から先に手出ししたことはどう言い訳するの?

それぞれに複雑な事情のある事象を無理やりに単純化している君の勝手な印象論じゃなく、
具体的にお話してみな?
78人間七七四年:2009/09/28(月) 15:48:57 ID:6DNBRb+x
何もなしに豊臣方から戦争しかける理由はない。
豊臣方としてはできるだけ穏便にして時間を稼いで、家康のくたばるのを待つのが上々策。

豊臣方から戦端を開いたのは、徳川方が再戦の動員を開始して総攻撃必至の情勢では、堀を埋められた以上、
先制攻撃に打って出ざるをえないこと。
79人間七七四年:2009/09/28(月) 16:15:46 ID:vGllL2QR
約束ってのは破った時の報復にそれなりの威力が無いと成立しないんだと思う。
毛利や豊臣はその辺の詰めが甘かったとしか言えん。
80人間七七四年:2009/09/28(月) 16:49:34 ID:5HSUgsNH
>>76
毛利は吉川の言い分と違っていたから
担がれただけと言っておきながら、四国に出兵したり
輝元が積極的に西軍に加担した証拠の署名した文書を
押収したから

言い分が違うのは毛利の方
81人間七七四年:2009/09/28(月) 19:14:49 ID:Syp1TdaG
>>78
結局、騙し討ちじゃねぇじゃん
82人間七七四年:2009/09/28(月) 19:31:03 ID:OUdds9DE
騙し討ちじゃんか
83人間七七四年:2009/09/28(月) 19:36:06 ID:S3IMUikK
冬の陣講和後大坂の浪人集が(大野暗殺未遂)不穏な動きを見せたので
大野が進めていた郡山への国替えの話がぶち壊されて大坂夏の陣勃発。
84人間七七四年:2009/09/28(月) 19:55:33 ID:Hmui1gLq
大坂城を保証すると約束しておきながら、
平気で郡山転封を強要する家康。
もちろん拒絶回答を織り込み済みでの開戦口実。
もう騙し討ち以下でないの
85人間七七四年:2009/09/28(月) 19:57:35 ID:ShQ8HRVD
歴史なんかよりまず「だまし討ち」の意味から勉強しなおせ。
86人間七七四年:2009/09/28(月) 20:41:07 ID:X9e3aVC1
「だまし討ち」=エサで釣って罠にはめる。家康の常套手口w
87人間七七四年:2009/09/28(月) 20:53:29 ID:Syp1TdaG
豊臣方が先に手を出してる以上騙し討ちやないやん
88人間七七四年:2009/09/28(月) 21:07:13 ID:X9e3aVC1
>>87
78でも読め
89人間七七四年:2009/09/28(月) 21:20:05 ID:5HSUgsNH
外交上は特に問題は無い
つうか国家間では騙される方が馬鹿なのである
90人間七七四年:2009/09/28(月) 21:25:01 ID:gUvYaTp5
「天地人」やる意味ありそうだよなぁw
91人間七七四年:2009/09/28(月) 22:12:05 ID:MARb2PZA
とにもかくにも三成が嫌われ過ぎていたから西軍は負けた
徳川の勝利というより、三成の自爆
92人間七七四年:2009/09/28(月) 22:30:46 ID:N8k00c96
騙し討ち家康をもみ消すために、三成に矛先を向ける家康オタw
93人間七七四年:2009/09/29(火) 02:07:10 ID:Lm9XDayz
>>89
>騙される方が馬鹿なのである
なんか、支那人の本心みたい。
94人間七七四年:2009/09/29(火) 02:12:03 ID:HGfJPtku
そうでも考えてないとやっとれんだろ
95人間七七四年:2009/09/29(火) 02:22:30 ID:NGMVWC5T
つまりは騙し討ちの家康ということで全員結論w
96人間七七四年:2009/09/29(火) 02:26:45 ID:Lm9XDayz
「大義のためには嘘も許される」
97人間七七四年:2009/09/29(火) 02:31:20 ID:oJz6llJE
気持ちの悪い馬鹿が一人で暴れているな
98人間七七四年:2009/09/29(火) 03:57:42 ID:D/jnfrtD
議論に窮するとすぐ一人自演と言いたがる奴がいる
99人間七七四年:2009/09/29(火) 13:57:48 ID:bf3FWjSv
要するに毛利がもう少し大坂城で頑張っていたら、
関ヶ原合戦(「関ヶ原合戦」でなくなってしまうかもしれないけど)は、
もっと面白くなっていたということでしょう。
100人間七七四年:2009/09/29(火) 14:30:21 ID:t0V8rBgA
毛利と立花とが迎撃に出ていたら次はどこが野戦地になっていたかな?
101人間七七四年:2009/09/29(火) 14:55:16 ID:wT8zqkLC
自爆の三成にびびりの毛利か西軍悲惨すぎる
102人間七七四年:2009/09/29(火) 15:12:34 ID:oJz6llJE
何度も繰り返されてる話だが、毛利が大阪城なんかにこもったら、本拠の中国が東西から
どんどん侵食されて立ち枯れるだけ。
103人間七七四年:2009/09/29(火) 15:14:42 ID:ZcdjZrVB
家康の関東領国も食い荒らされるぞ
104人間七七四年:2009/09/29(火) 15:24:23 ID:oJz6llJE
>>103
どこが侵食するの?関ヶ原で勝った勢力が、しかも西軍の中心だった
奉行衆は解体しているのに。

馬鹿なの?
105人間七七四年:2009/09/29(火) 15:36:04 ID:F3cy14eU
堀、最上、伊達、結城で上杉は身動き取れないし佐竹も中途半端な立場。
中山道に秀忠の軍勢だって控えてる。

関ヶ原で家康を討ち取りでもしない限り関東は磐石だろうな。
106人間七七四年:2009/09/29(火) 17:25:38 ID:ivgm3lZU
確かに佐竹は中途半端な立場だし、佐竹義重と東義久がいる以上は西軍に付くのは厳しいだろうなあ。
107人間七七四年:2009/09/29(火) 18:03:37 ID:ZcdjZrVB
>>104
大阪城が健在なら、長束も帰還して三奉行体制も再建。

持久戦になった場合、ともに居城を離れている毛利と徳川と、
その領国が浸食される脅威はどちらが高いか。
毛利領国を脅かす勢力はちょっと見当たらない。
それに対して家康の関東領国に対しては西軍主勢力の上杉が無傷で残っており、
佐竹の連合もある。政宗は情勢次第でどちらへでも転がる可能性あり。
毛利領国に比べて、徳川領国が背後から強く圧迫されていることは否めない。

それに家康の場合、大坂攻めを強行する場合、どこを拠点にするかが問題となる。
伏見城が取れない場合、大坂城に匹敵する強力な城郭拠点はどこにあるかだ。
破壊された大津城あたりでは話にならないだろう。
108人間七七四年:2009/09/29(火) 18:40:13 ID:F3cy14eU
九州は火事場泥棒してた如水さんとか島津の抑えで居残り組の清正さんとか・・・
東北の上杉は最上相手に苦戦してるし佐竹はやや東軍寄りの中立
北陸は堀と前田が東軍だけど内紛中

関ヶ原である程度の戦果を挙げないと地方でも優位になれないんじゃないかな?
109人間七七四年:2009/09/29(火) 19:03:13 ID:t0V8rBgA
四国や北九州で毛利方が頑張っていたんでしたっけ?
毛利が関ヶ原に参戦しなかったのはその目が東ばかりでなく
西により強く向いていたためではないですか?
110人間七七四年:2009/09/29(火) 21:36:34 ID:6jf0VSEe
毛利は加藤嘉明が留守の伊予を攻めて失敗してるな。
でも瀬戸内を掌握してる以上は大坂から東に出撃しても問題ないと思うんだが、
九州の清正と如水に警戒してたんだろうか
111人間七七四年:2009/09/29(火) 23:02:54 ID:qdvkFYX0
家康が大坂城に攻撃かけるとして、いったいどれだけの兵力が投入できると言うんだ。
家康の旗本勢3万(多く見積もって)に、井伊直政と松平忠吉の計6000(関ヶ原でかなり消耗している)、
そして遅れてきた秀忠率いる徳川主力の3万。これはいいだろう。

しかし同盟の豊臣武将で、秀頼君のいる大坂城に弓鉄砲を撃ちかける勇気のある奴は、一体どれだけある。
仮に(まずありえないことだが)全員が攻撃に参加しても、攻城軍の総兵力は多く見積もっても10万どまり。
しかも味方から裏切りの発生する危険度がきわめて高い状態の中での攻城戦。
これで大坂城を陥落させられると想像する方がどうかしてる。
112人間七七四年:2009/09/29(火) 23:21:03 ID:oJz6llJE
秀頼が毛利に味方すると疑いなく信じる想像力w
113人間七七四年:2009/09/30(水) 00:10:31 ID:+efcjoJE
大津城にいた別働隊が間に合ってたら、
立花の参戦も大きいだろうが、その隊の大将が一族の
毛利元康なら秀元も動いてた可能性ありますか?
114人間七七四年:2009/09/30(水) 00:39:34 ID:NNJfO5Ko
大津組が関ヶ原に来てたら立花は積極的に戦うだろうし
まず親しい毛利秀包が引きずられ、元康も引きずられ、吉川も戦わざるを得なかったかも。
そうなると小早川も西軍として戦わざるを得なかったな。
115人間七七四年:2009/09/30(水) 01:59:24 ID:X73aaTW3
逆に言うと大津城守ってた京極高次は大金星だよな。開城したけどw
最も厄介だったかもしれない立花を足止めすることには成功したんだから
116人間七七四年:2009/09/30(水) 02:15:33 ID:0FAmfNqC
その無傷の立花が大坂城に拠って、消耗した東軍を迎撃してたらなぁ
117人間七七四年:2009/09/30(水) 03:05:29 ID:OCBB9Ev5
いい加減妄想はこっちでやれ

関ヶ原、西軍勝利
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150726266/
118人間七七四年:2009/09/30(水) 04:02:16 ID:VE24r1nZ
毛利ヘタレの犯罪性を糾弾するんだから、このスレでいいんでないの。
119人間七七四年:2009/09/30(水) 12:40:51 ID:1LqOeBAc
もっとも毛利側も大坂城に立て籠もる限り負けは無いかも知れないが、
東軍を撃滅する方法も見当たらない。手詰まりだな。
東軍側も追い詰めても、大坂城を陥落させることはできそうにない。
こちらも手詰まり。そこで和議という話になったんだろう。
それで最後は、やっぱダマシ討ちという流れW
120人間七七四年:2009/09/30(水) 17:27:14 ID:OCBB9Ev5
気持ち悪い奴が住み着いたな
121人間七七四年:2009/09/30(水) 18:11:41 ID:RMXNNr5i
家康オタには騙し討ちというのがよほど効くみたい
122人間七七四年:2009/09/30(水) 18:15:58 ID:Bg6ne2qb
>>114
大津組の大将は元康だから立花に引きずられて戦うことはないだろう
それに東軍は大垣城の押さえに兵を1万3000ぐらいおいてあるから
もし大津組が来ても大垣城の押さえの部隊をまわせばあまり兵力は変わらない
123人間七七四年:2009/09/30(水) 18:42:40 ID:stSiFlme
独りよがりの勝利宣言ほど惨めなものは無いな。

>>121みたいな。
124人間七七四年:2009/09/30(水) 19:11:14 ID:5zYdthy+
結果論だが、疑わしい小早川を方面軍の大将として配置したら良かったのに。
125人間七七四年:2009/09/30(水) 21:28:12 ID:n7mi40BE
三成嫌われ過ぎだろ 敵はもちろん 味方の小早川や島津や毛利吉川にまでたばかれるとは
宇喜多は三成なんか関係ない自分の正義のためって感じだし ここまでくると可哀想だよな
126人間七七四年:2009/09/30(水) 22:08:46 ID:jGX2tZJ9
あとから三成をスケープゴートにしてるだけでしょ。
127人間七七四年:2009/09/30(水) 22:13:17 ID:stSiFlme
三成が嫌われたのは朝鮮役から引き上げた後、参戦した大名への加増を停止したくせに、
自分の子飼いの連中にはちゃっかり加増したところからだよ。
128人間七七四年:2009/09/30(水) 22:14:24 ID:I9NrNtCB
>>124
小早川は東軍、ただ家康の思惑すら超えてしばらく日和見してただけで、西軍から突然戦場で東軍に寝返ったなんて創作
129人間七七四年:2009/09/30(水) 23:20:29 ID:NNJfO5Ko
>>122
引きずられてって表現は置いといて、
秀包が立花に同調するのは確実だし、元康も特にそれを止める事もなく、
普通に西軍として戦うんじゃない?
130人間七七四年:2009/10/01(木) 00:43:51 ID:/onKV+Lw
>>128
小早川の東軍参戦は既定の事実。家康から奥平藤兵衛が裏切り目付として送り込まれている。
それで奥平に促されて秀秋は大谷隊へ向けて攻撃発令をしてるのだけれど、
先鋒の平岡頼勝が難色をしめして動かなかったために、話がややこしくなっていった。
131人間七七四年:2009/10/01(木) 00:47:06 ID:NtI27Qe8
玉の輿のように可愛い秀頼様が赤鬼のような幸村と薩摩に落ちていった
132人間七七四年:2009/10/01(木) 02:02:08 ID:RnHEwnCC
>>130
先鋒って松野じゃなくて平岡なのか。
しかし、先鋒が秀秋の本陣で奥平にひっ掴まえられてていいのだろうか。
133人間七七四年:2009/10/01(木) 02:48:57 ID:d5/m98tI
>>128>>130
関ヶ原までは西軍として動いていたのも事実。
だから西軍側からすれば突然寝返った事になる。
134人間七七四年:2009/10/01(木) 02:51:16 ID:dB8+C9KN
小早川の寝返り疑惑は周知のこと。
だから大谷も松尾山に対する防備兵を用意している
135人間七七四年:2009/10/01(木) 02:57:59 ID:dB8+C9KN
>>132
平岡は先鋒部隊の司令、松野はそこの先手鉄砲頭。
平岡の攻撃ためらいは戦況混迷からくる優柔不断。
松野の攻撃拒否は裏切り行為に対する道義的反逆。
もうぐしゃぐしゃ(笑)
136人間七七四年:2009/10/01(木) 03:01:40 ID:d5/m98tI
>>134
あくまで疑惑だろ。そして表ではあくまでも西軍。
137人間七七四年:2009/10/01(木) 03:30:08 ID:uC/fdHVQ
玉の大きな秀頼様が赤鬼のようなマンコの幸村と薩摩に駆け落ちした。
その子孫がのちの西郷隆盛である。
138人間七七四年:2009/10/01(木) 14:17:11 ID:PKtq80t8
小早川による松尾山占拠なんて暴挙以外の何者でもないだろう、それでも信じ続けた西軍ってバカなの?

「オレたちは裏切られた!裏切り汚い!謝罪しる!」

朝鮮人も真っ青っすねw
139人間七七四年:2009/10/01(木) 14:34:52 ID:De02KhCz
出た、裏切り正当化のひねくれ者。
お前、外でもそんなこと言ってんの?
140人間七七四年:2009/10/02(金) 11:41:46 ID:Npa4UfjO
アンチ豊臣
家康マンセー
って典型的な朝鮮人思考だよ。

朝鮮人って怖い。裏切りを正当化できちゃうんだから。
141人間七七四年:2009/10/02(金) 11:44:00 ID:hdGIp7Y8
朝鮮依存症ってホントに怖いわ。
朝鮮って言葉を出さないと何も語れないんだな。
142人間七七四年:2009/10/02(金) 12:32:53 ID:9heQg6Mh
松尾山を伊藤ごときに任せてた三成がアホ。
小西でも入れとくべきだった
143人間七七四年:2009/10/02(金) 12:51:24 ID:W9DiFRd4
小西でもどうなるか

大谷でいいじゃん
144人間七七四年:2009/10/02(金) 13:21:44 ID:m5HlRBlK
>>141
もはや卑怯とか汚いとか犯罪とか裏切るとか・・・その他ゴネル、パクル、騙す、嘘つき、恥知らず・・・・

など、いろんな言葉の代名詞だからな。
145人間七七四年:2009/10/02(金) 13:45:49 ID:LmRTBDTR
BS2 10月2日(金)午後4:30〜午後5:15 BS熱中夜話「関ヶ原」(前編)[再]

BS2 10月2日(金)午後5:15〜午後6:00 BS熱中夜話「関ヶ原」(後編)[再]
ttp://www.nhk.or.jp/nettyu/
146人間七七四年:2009/10/02(金) 17:10:55 ID:hLu7pYh7
家康と浅野長政の関係について疑問なんだが

浅野長政は本当に家康を暗殺しようとしたのか?
暗殺未遂が家康の自作自演だったとして
長政は寝耳に水で、家康にぬれぎぬをきせられたのか?
それとも前田利長と大野治長を嵌める目的で家康と示し合わせて長政は一役かってでたのか?
土方雄久もグルっぽいけど
そこらへんのこと詳しく知りたい
147人間七七四年:2009/10/02(金) 17:49:51 ID:yYt22G5K
小早川が松尾山の伊藤を追い出して占拠したというのは疑問。
西軍に味方すると欺いて宇喜多らの同意を得て入ったとする説もある。
148人間七七四年:2009/10/02(金) 18:09:50 ID:TA+0XPVs
復帰してる。
サーバーがダウンしてたのか。
149人間七七四年:2009/10/02(金) 18:16:23 ID:MWCiQyPp
小早川の裏切りに備えてた大谷とかの話は良く聞くから
小早川はすでに信用されてなかったのかなと思うが
毛利吉川が全く動いてくれなかったのが三成的に一番予想外で痛かったのかな
150人間七七四年:2009/10/02(金) 18:33:02 ID:eh17YhMD
>>149
彼らも動きそうにないと三成は考えていたようだけどね
151人間七七四年:2009/10/02(金) 20:13:51 ID:Gh36JUCZ
西が勝ってれば広島が今の愛知県みたいに発達したんだろうな 毛利に小バカ川め(怒)
152人間七七四年:2009/10/02(金) 20:34:24 ID:eh17YhMD
既に戦術がどうこうという以前の情報面で、西軍は勝てる気がしない
153人間七七四年:2009/10/02(金) 20:35:28 ID:hdGIp7Y8
家康の動向すら把握してなかったんだものなあ。
そんな軍隊が勝てるわけが無い。
154人間七七四年:2009/10/02(金) 22:25:18 ID:p7MuqSqF
小早川がためらってる間に南宮山の毛利隊が下山攻撃をはじめてたら、
西軍にはじゅうぶん勝機はあったと思う。
155人間七七四年:2009/10/02(金) 22:48:12 ID:eh17YhMD
>>154
8月初旬の段階で吉川が内応している
それで南宮山云々は既に前提が間違っている
156人間七七四年:2009/10/02(金) 22:53:30 ID:9heQg6Mh
末次と吉川の役目を逆には出来なかったのかな
157人間七七四年:2009/10/02(金) 22:54:13 ID:VusjiLSH
小早川は毛利が下山攻撃をしたら東軍を攻めたかもしれないが
毛利は小早川が東軍を下山攻撃をしないかぎり東軍を攻めないと思う
それに南宮山に押さえの兵はおいてあるから下山攻撃しても西軍が勝ったかわからない
結局関ヶ原の戦いで三成は自分がした仕打ちをおもっきり返されているだよな
158人間七七四年:2009/10/02(金) 23:01:43 ID:i85E87pb
だから毛利の下山のイフは無い、先鋒が吉川の時点でどうしろと、身内で斬りあって吉川隊を蹴散らして下山しろとでも?
159人間七七四年:2009/10/02(金) 23:05:01 ID:9heQg6Mh
奇跡的なタイミングで決戦当日朝に大津隊が関ヶ原に来て、
元康、秀包隊が戦い始まちゃったら吉川も戦わざるを得なかった
160人間七七四年:2009/10/02(金) 23:17:47 ID:1nFCi7Tj
ねーよwww
161人間七七四年:2009/10/03(土) 00:39:26 ID:2J4nb4UD
>>158
南宮山の広さからして、吉川隊を迂回して下山することができる。
吉川隊は毛利本隊に攻撃をかけることはできないだろう
162人間七七四年:2009/10/03(土) 00:42:00 ID:cjeFUBn/
>>161
軍隊に急遽道なき道を通れと?w
出来るかそんなもの。
163人間七七四年:2009/10/03(土) 01:08:43 ID:2J4nb4UD
栗原山へ回って長宗我部隊といっしょに下山できる。
この場合、東軍の背後にまわりこむことにもなる
164人間七七四年:2009/10/03(土) 01:09:53 ID:bJ7pmAdX
とにかく吉川が邪魔。安国寺が輝元を何とかそそのかして広島留守居か伊予攻めに派遣させときゃ良かったのに
165人間七七四年:2009/10/03(土) 01:17:47 ID:VU+yfJIO
先鋒の吉川を無視して下山など出来るかよ
166人間七七四年:2009/10/03(土) 02:47:14 ID:WpWSDrC4
>>163
恐ろしく遠回りだな。
167人間七七四年:2009/10/03(土) 03:08:38 ID:4uHJHlQc
長宗我部から順に下山していけばいい
168人間七七四年:2009/10/03(土) 06:49:25 ID:EoDdPqmi
奇跡的に、木曽川が大洪水になり岐阜城攻撃の東軍の主力が流されてしまうというのはどうですか。
169人間七七四年:2009/10/03(土) 09:25:17 ID:2J4nb4UD
家康が中山道の秀忠に出した使者も河川の増水で足止めをくったといわれてるから、
ありえない話ではないかも。
170人間七七四年:2009/10/03(土) 13:58:18 ID:tIaapr+Q
って言うか、そもそもあのアホが打って出て
速攻で玉砕したのがそもそもの誤算。
171人間七七四年:2009/10/03(土) 14:17:51 ID:ShZ44+AP

そもそもが二回
そもは四回
172人間七七四年:2009/10/04(日) 00:26:22 ID:UzLFxmbG
連絡不徹底で自分とこの主力軍3万を置き去りにしてしまったような家康が、
勝てるはずがない、と言ったほうがよほど現実味があると思うけどな。
つまりは結果オーライ
173人間七七四年:2009/10/04(日) 00:29:52 ID:GkoqIPDw
天変地異まで家康の責任にされても困る
家康は人知を持って天命を覆したというべき
174人間七七四年:2009/10/04(日) 00:36:21 ID:L31JoVeD
でも秀忠は真田攻めを家康から命じられていて、途中になってから
急いで来いと言われても困っただろうな。上田を攻略していたらよ
かった話ではあるけど。

天変地異や不作が領主のせいになるのはよくあることだ。関ヶ原の
時の大雨はそこまでではないんだろうけど。
175人間七七四年:2009/10/04(日) 02:50:47 ID:EyOoYpMF
関ヶ原のときは三成の所の徴発部隊が、畿内の村落から物資の略奪をしまくってるな。
豊臣家から制札の出ている所からすら。
176人間七七四年:2009/10/04(日) 08:05:52 ID:SXUF0865
西軍は田辺城なんかほっといて、真っ先に、清洲城を攻め落として備蓄米を奪えばよかったのに、
しかる後、戦線は戦いつつ後退させる。
177人間七七四年:2009/10/04(日) 08:19:00 ID:2G4viTgl
>>176
福島正頼に長島城で敗れて尾張へ侵攻できなかった。
178人間七七四年:2009/10/04(日) 09:13:42 ID:SXUF0865
岐阜城を拠点に清州城を攻めるにしても、輝元が秀秋に命じて攻めさせるのは無理でしょうね。
179人間七七四年:2009/10/04(日) 09:19:19 ID:GkoqIPDw
>>174
もし、予定通りなら上田城を攻める前に使者は秀忠の元に到着していた
180人間七七四年:2009/10/04(日) 09:50:01 ID:EyOoYpMF
>>176
三成たちは尾張、三河方面を、マジで織田信雄に担当させようとしたんだぜw
181人間七七四年:2009/10/04(日) 10:34:25 ID:psuEg5HC
そもそもそもそもとして、三っちゃんが福島に嫌われなきゃよかったのに
182人間七七四年:2009/10/04(日) 10:41:25 ID:MQnpF6b3
頭悪そうだね。
183人間七七四年:2009/10/04(日) 11:26:26 ID:psuEg5HC
>>182
ありがとう
184人間七七四年:2009/10/04(日) 12:33:30 ID:8vE5gebe
要するに男の嫉妬だな
185人間七七四年:2009/10/04(日) 15:57:43 ID:GkoqIPDw
すみません
どなたか慶長5年9月20日付、関ヶ原合戦についての近衛前久書状
の内容を把握している方、おられますでしょうか
もし、宜しければ教えていただきたいのですが
186人間七七四年:2009/10/04(日) 16:56:45 ID:/8vZvTYf
>>179
基本的には秀忠も長期戦をにらんでたんだろう。

8月26日に村越、正純に「内府の命令承りました。真田のことは油断なく対処します」
と送り、9月7日になっても「真田を片付けたら西へ向かいます」なんて井伊と忠勝に書
状を送っている。井伊たちもこの時点ではそれでいいと思ってたはず。

11日になると急に「すぐに上洛しろと内府から命令されたので急がないと」と書状を出
していて、背後に真田を抱えたまま、山道を越えて関ヶ原に間に合うのは相当きついだろうな。
187人間七七四年:2009/10/04(日) 17:11:39 ID:GkoqIPDw
>>186
そうですね
で、予定変更しようと29日に書状を送っている訳です。
常識的に2・3日で到着するはずで、その場合、秀忠は9月1日に軽井沢、2日に小諸に着く
上田に着くのは5日だから本来なら十分に間に合う

実際は10日に小諸を発した秀忠が大津に到着したのが20日だから、家康と同日に赤坂に
到着すると思われる
188人間七七四年:2009/10/04(日) 20:04:49 ID:+awCg6gB
結局 強い力(家康)の前には義理も恩も血縁も関係なくなるってことだ
誰だって死にたくないしな、しょーがない
189人間七七四年:2009/10/04(日) 20:18:21 ID:WSLwasTu
誰も秀吉に逆らえなかったようにね
190人間七七四年:2009/10/05(月) 00:31:44 ID:FSSz/6e7
>>173
そんなバチあたりなw
191人間七七四年:2009/10/05(月) 00:51:33 ID:glhog0nY
>>177
西軍は長島城で敗れてなんかいない
192人間七七四年:2009/10/05(月) 02:07:16 ID:2PRGLuHV
家康から秀忠に出した使者は川止めで遅れたというけれど、
江戸から小諸までの間に川止めになるような大きな河川ってあるの?
193人間七七四年:2009/10/05(月) 04:00:33 ID:glhog0nY
>>192
ない
だからこそこれは関ヶ原最大の謎と言われている
194人間七七四年:2009/10/05(月) 09:23:58 ID:1AQB1If1
>>192
利根川、より正確に言うと烏川
195人間七七四年:2009/10/05(月) 09:49:47 ID:bCIIuGC0
川止めのロスが無いのが中山道のメリットのはずでは・・
196人間七七四年:2009/10/05(月) 09:55:24 ID:1AQB1If1
少なくはなるが皆無ではない
197人間七七四年:2009/10/05(月) 15:20:03 ID:FN4JuDJ9
川止めにあった地点は具体的にはどのあたり?
198人間七七四年:2009/10/05(月) 15:58:33 ID:LATUOwTJ
小諸
199人間七七四年:2009/10/05(月) 17:33:13 ID:1AQB1If1
>>197
史料には利根川(俺の文章力ではちと怪しいが)とのみある
中山道の経路を考えれば、おそらく埼玉・群馬県境の利根川水系の烏川
他にも近くの神流川や高崎でもう一度、烏川を渡る必要がある

因みに当時は荒川も利根川水系で、熊谷辺りで中山道も横切っているので
そこも考えられる
200人間七七四年:2009/10/05(月) 18:13:22 ID:jjS2meIp
使者には、秀忠を蹴落としたい井伊直政の息がかかってたんじゃないか
201人間七七四年:2009/10/05(月) 18:31:25 ID:1AQB1If1
使者は大久保忠益という名の大久保一族だからそれは無いね
202人間七七四年:2009/10/05(月) 19:11:48 ID:gV1NtmSO
上田城攻めをやろうとしてるんだろう秀忠隊は。
だったら、なんで甲斐路を使わないんだよ。
至急かつ確実に伝達が求められる重要指令内容だろう。
少なくとも中山道と甲斐路の双方から使者を派遣すべきところじゃないのか。
203人間七七四年:2009/10/05(月) 20:12:54 ID:1AQB1If1
>>202
甲州経由は峠道が連続し、整備も悪い。ついでに味方とはいえ浅野氏の領地
それなら平坦地で比較的整備されており、自領内の中山道経由が最上

後、そう何回も使者を出すのは情報漏洩の恐れが大きい
使者に出す人材も無尽蔵ではないし
204人間七七四年:2009/10/05(月) 22:18:38 ID:saD1ev2t
使者の人材がおらんて、アホか。
本当ならもっとアホやろがw
205人間七七四年:2009/10/05(月) 22:33:52 ID:1AQB1If1
>>204
数千石クラスで、馬術や身体が頑強で物覚えが良く、向かった先で
状況に変化があった場合に柔軟に対処できる人材がどれだけいたかと
おまけに家康は常日頃から、各方面に対して書状を発しているのに
206人間七七四年:2009/10/06(火) 04:09:22 ID:KOE0NYLv
>>205
>状況に変化があった場合に柔軟に対処できる

川止めで4〜5日はつぶしているはずだのに、何もしてないようだが・・
最低限、家康に川止め不通を通報すべきだのに、それもやってない。
207人間七七四年:2009/10/06(火) 08:19:18 ID:c8vOLW9A
>>206
さあ、忠益にそれだけのアドリブに欠けたかそれとも別の理由があるのか
烏川で引っかかり、連絡取ろうとしたら荒川もダメで身動きとれなかったとか
208人間七七四年:2009/10/06(火) 08:19:48 ID:5l9K8Zqj
そんなのしか出せないほど枯渇してたって事じゃない?
209人間七七四年:2009/10/06(火) 09:12:42 ID:c8vOLW9A
>>208
うんにゃ、8月23日に宇都宮にいる秀忠に信州出陣を伝えたのも大久保忠益
秀忠との連絡は彼が担当だったようで
大久保忠隣が秀忠の傅役だから妥当な人選かと
210人間七七四年:2009/10/06(火) 11:13:36 ID:YCQ7ef3c
戦国時代の使者の困難さについてまるで理解してない人間がいるな。
基本命がけの使命だというのに。
211人間七七四年:2009/10/06(火) 11:14:17 ID:EwNvgGQw
だとしたら秀忠悪くないね
悪いのは大久保忠益じゃん
なのに家康は秀忠に怒って会おうとしなかったんだね
秀忠もちゃんと説明したんでしょ
家康ってアホだね  
212人間七七四年:2009/10/06(火) 11:54:12 ID:1M6Cb7Ct
>>210
家康のことを言ってるんだなw
213人間七七四年:2009/10/06(火) 12:13:38 ID:c8vOLW9A
>>211
あの人、基本的に熱くなる人ですから
訳も聞かずに追い出したんでしょう

でも、同時に直ぐに冷静になる人でもあるので
改めて事情を聴いて納得

そんなとこかと


後、忠益も悪くないと判断したようで
特に処罰は受けていない
214人間七七四年:2009/10/06(火) 12:18:19 ID:44PNh/LV
>>212
つまりそんな馬鹿な家康に完膚なきまでに負けた三成の事を嘲笑しているのですね、わかります。
215人間七七四年:2009/10/06(火) 12:37:45 ID:PX/yqGl9
>>207
大久保忠益は川止めが解除されて動けるようになっても、
家康に対して連絡大幅遅延のことを報告することもしていない。
216人間七七四年:2009/10/06(火) 16:04:46 ID:c8vOLW9A
>>215
そんな情報を誰にどうやって伝えればよいんでしょうか?
まぁ、彼個人の精神状態にも影響があったんでしょうが、そんな余裕無くなっていたでしょうな
217人間七七四年:2009/10/06(火) 20:53:06 ID:htscPCIX
秀忠に対する面会拒否の家康を改心させたのは榊原康政の働きによるもの。
康政は面会拒絶する家康に詰め寄り、
「父親が子供を出し抜いて何とする」と強意見を敢行したことによって、
家康ははじめて自分の方に落ち度のあることを悟ったのだ。
218人間七七四年:2009/10/08(木) 08:30:53 ID:89EHnVuH
固まってしまった・・
219人間七七四年:2009/10/08(木) 10:33:26 ID:XYjang4R
小林真一っていう人が関ヶ原合戦の本を出しているけど
読まれた方はいますか?
220人間七七四年:2009/10/09(金) 18:51:17 ID:56pnBWu3
>>219
小林真一乙
221人間七七四年:2009/10/09(金) 19:15:08 ID:WN0eMudG
関ヶ原に関するどんな小説よりも、「関ヶ原軍記大成」のほうが面白いな。
今少しずつ読み進めているが、本当に中身が濃い。
222人間七七四年:2009/10/09(金) 19:53:48 ID:g14NYBLv
自慢になるけど、それを含めた国史叢書をデジタル化してほしいと申請したのは自分だったりする
いやぁ、申請してみるもんだなと思った
223人間七七四年:2009/10/09(金) 22:25:18 ID:WN0eMudG
>>222
大いに感謝する
224人間七七四年:2009/10/09(金) 22:48:59 ID:kqhGMWRt
俺は九州の関ヶ原にワクワクするね
御大将が自家の有力家臣を引き連れていったあとの
留守居役の動向なんか面白そう
関ヶ原本戦でいったいどっちに付いているのか
リアルタイムでは判らないからね
225人間七七四年:2009/10/10(土) 01:03:22 ID:F7ULh//y
目立ったところは黒田と大友の喧嘩ぐらいで
あとはぼんやりしてたんじゃなかろうか
よくいろんな本で見る程度のことしかなかったんでは

九州は関ヶ原で決着がついてからのドタバタの方が面白い
226人間七七四年:2009/10/10(土) 02:47:10 ID:zLIQyYsf
スレタイ無視すると、秀長が死ななければ
もう少し豊臣政権も・・・

・・・無視しすぎだな
227人間七七四年:2009/10/10(土) 03:36:18 ID:REMfo+AE
関ヶ原軍記大成を現代語に翻訳して出版してくれないかな
ゆとり世代には外国語にしか見えんのよ
228人間七七四年:2009/10/10(土) 03:59:16 ID:7eSXqnHG
関ヶ原軍記大成が理解できないって言うのは、古文以前に国語からやり直したほうがいいぞ。
普通に読めるだろあんなの。
229人間七七四年:2009/10/10(土) 07:00:19 ID:vllOsslL
>>228
釣りのつもりか。
関ヶ原軍記大成
なんてアマゾン検索しても出てこない。
230人間七七四年:2009/10/10(土) 09:20:43 ID:Khd62MOe
荒れるから>>229はスルーしような。
231人間七七四年:2009/10/10(土) 10:53:28 ID:MSpn4LbV
.
232人間七七四年:2009/10/10(土) 17:45:24 ID:REMfo+AE
DVDの字幕スーパーを嫌がって日本語吹き替え版を望む人が多いのといっしょの理屈ですよ
すんなり読めるように関ヶ原軍記大成は現代語に翻訳して出して欲しいんですよ
そうすればもっと読者が増えると思いますよ
233人間七七四年:2009/10/10(土) 17:52:30 ID:RQn3eMgQ
それは贅沢な話と言うもの
というよりそれをやるなら最近ハードカバー版が出た徳間書店版「日本戦史」みたいに
新規出版という形になるでしょう、誰か企画をどこかに持ち込んでみれば?
234人間七七四年:2009/10/10(土) 18:30:47 ID:Khd62MOe
素人の俺が翻訳して出版社に持ち込んだら、取り合ってくれるかな?
235人間七七四年:2009/10/10(土) 19:53:43 ID:RQn3eMgQ
プレゼンテーション次第としか言い様がない
236人間七七四年:2009/10/11(日) 03:18:05 ID:VaO1Gs4/
現代語翻訳賛成
関ヶ原軍記大成だけじゃなく日本戦史とかも
小説みたいにすいすい読めると時間の節約にもなるし 
237人間七七四年:2009/10/11(日) 03:19:46 ID:aj5rGCWv
自費出版でも元取れそうだな
歴女ブームで
238人間七七四年:2009/10/11(日) 06:28:43 ID:bczXk6MY
どの程度の図書館にありますか?
239人間七七四年:2009/10/11(日) 08:54:12 ID:aHm++ahi
>>236
日本戦史は徳間書店が昔、文庫で出して
最近、関原の役をハードカバーで再販したよ
現代語訳
240人間七七四年:2009/10/11(日) 08:55:33 ID:aHm++ahi
>>238
関原軍記大成なら
近代デジタルライブラリーで閲覧できる
241人間七七四年:2009/10/11(日) 10:11:21 ID:Tf2guOt4
関原軍記大成はヘタに現代語訳化すると、その文章に含まれている多様な意味合いが
ザックリ削られて、スッカスカな時系列だけの文章になってしまう気がする。
242人間七七四年:2009/10/11(日) 11:03:15 ID:qnrqjNWQ
>>240
ありがとう
243人間七七四年:2009/10/11(日) 11:42:36 ID:qnrqjNWQ
http://kindai.ndl.go.jp/
Internet Explorer ではこのページは表示できません

http://www.ndl.go.jp/jp/data/endl.html
こっちはつながった
244人間七七四年:2009/10/11(日) 12:13:14 ID:aHm++ahi
メンテナンスかアクセス過多にでもなったかな
昨日の段階では使えたし
245人間七七四年:2009/10/13(火) 00:24:36 ID:3kiby+w+
日本戦史関原の役の再販版ぼったくりだな
\620から2,730円に値上げはないわ
徳間書店あこぎすぎ
246人間七七四年:2009/10/13(火) 00:42:06 ID:3kiby+w+
それに昔のは436ページもあったのに
再販版は404ページしかないぞ
カットしてるのか? 
247人間七七四年:2009/10/17(土) 15:03:33 ID:f7dwdzHe
保守
248人間七七四年:2009/10/17(土) 15:14:15 ID:Bi2dYW9K
福島正則が猛将だと言ってる人は福島正成あたりと勘違いしてるとか
249人間七七四年:2009/10/17(土) 17:04:14 ID:O4UqEw7B
>>243
最近異常に重い
250人間七七四年:2009/10/17(土) 19:37:12 ID:wNXWV1H3
賤ヶ岳の戦いも凄いよ

羽柴軍5万 vs 柴田軍3万
251人間七七四年:2009/10/18(日) 02:32:51 ID:9CQf0DBR
徳間書店!2730円でもいいから関原軍記大成を現代語訳化してくれ! 
252人間七七四年:2009/10/21(水) 18:11:01 ID:mGBz/sqr
253人間七七四年:2009/10/21(水) 19:08:52 ID:ICcmpthP
関ヶ原の戦いの前に、さわやま城にいる石田家の家族を大坂城に避難させるのは無理か?
三奉行がしっかりしていたらできると思う。
それができたら、輝元にも影響力を行使できたのではないでしょうか。
254人間七七四年:2009/10/21(水) 19:09:38 ID:/KTFu7F6
城主の家族がみんな逃げ出してたら佐和山城城兵はたまんないだろうな
255人間七七四年:2009/10/21(水) 19:54:06 ID:16+ulZD6
城主家族が逃げ出したら、それこそ謀反が起こって城乗っ取られても不思議じゃないな。
256人間七七四年:2009/10/21(水) 20:01:41 ID:IyBOxrcP
>>253
端から負け前提で考えてるような奴が指揮ってちゃあ、史実以上に悲惨な結果だったろうな。

そもそも石田の家族如きが大坂城に入ったところで何の影響力も持たんよ。
257人間七七四年:2009/10/21(水) 20:18:04 ID:JeLMmvcL
家族といえば
ガラシャを殺してしまったのも三成の失態の1つ
258人間七七四年:2009/10/21(水) 20:21:15 ID:/KTFu7F6
でも参加諸将の人質を取るってのは当時では常識だったんだけどな
259人間七七四年:2009/10/21(水) 20:27:43 ID:16+ulZD6
想像以上に大きな影響を与えた感じはするな。ガラシャ自刃は。
個人的な見解からすると、これが西軍最初の躓きで、これ以降不のスパイラルまっしぐらな感じ。
260人間七七四年:2009/10/21(水) 20:52:20 ID:IsPAGCU+
家康が勝てたのは細川のおかげだよな
田辺で1万5千の西軍を釘漬けにしたから関ヶ原で勝てた
家康は細川に頭が上がらないはずだぜ 
261人間七七四年:2009/10/21(水) 20:56:36 ID:16+ulZD6
>>260
田辺城籠城戦は当時相当評判悪かったらしいよ。
戦いぬかずに開城した事で、「幽斎殿は武士ではない。所詮歌詠み」って感じで
散々馬鹿にされて、幽斎も恥ずかしくて人前に出なくなったそうな。

あの戦が評価されるようになったのは戦後になってからだな。
262人間七七四年:2009/10/21(水) 21:39:24 ID:JeLMmvcL
>>258
敵の人質はそうではないだろう
死を選択される危険はあったわけだし
もしもそうなったらその大名家は恨みをより強く持つし
そして実際そうなってしまったわけで
一応味方の家族なら担保としての意味はあるが
263人間七七四年:2009/10/21(水) 21:43:27 ID:2T3cMW4b
人質は使ってはいけない切り札ですから
264人間七七四年:2009/10/21(水) 21:44:21 ID:JeLMmvcL
幽斎の一件はドラマの山場の1つに出来るけど何かでやったのかな
立花宗茂が京極のところで手間取ってたのもなんだかなあ
でもこれを考えると、秀忠の大軍が真田のところで・・・ともなるし
265人間七七四年:2009/10/21(水) 21:52:58 ID:2T3cMW4b
流動する状況と敵味方さだかならぬ諸将
当初の思惑とは大きく異なる中、もっともそれに対応した行動をし、
主導権を握ったものが勝利したのが関ヶ原の戦い
266人間七七四年:2009/10/21(水) 22:20:45 ID:JeLMmvcL
人質を殺してしまって逆効果になったのは
竜造寺が転落するきっかけの1つにもなったのを思い出す
267人間七七四年:2009/10/21(水) 23:48:01 ID:+HQkx80n
上杉の動きが謎過ぎる。直江と三成の密約もなかったとの話だし
何がしたかったんだろう?
268人間七七四年:2009/10/21(水) 23:55:39 ID:GtOvlpcr
>>267
単に弁明したら家康が強引に攻めてきた。
軍備増強などは家康と戦うためではなく、新領地の防衛と整備のため。

平和憲法があるわけじゃないので、移転先に何の防衛施設も建てないでいられるはずがない。
269人間七七四年:2009/10/22(木) 00:04:19 ID:vJVe2Yzv
もっと解りやすく言えば、あの当時既に、「徳川家康政権」と言うものは成立していた。
上杉も、「徳川家康政権」と言うものに服従するかどうかを迫られた、と言うこと。
景勝はそれを拒絶したので、政権担当者である家康は、その威信を保つためにも
上杉征伐が必要だった。

と言う事。
270人間七七四年:2009/10/22(木) 01:01:02 ID:bt4CwJir
三成の家族を大坂城に入れたら城兵は関ヶ原に動員できるし、佐和山城方面への防衛ラインは不要になり
西軍は京大坂方面への後退戦術を取れるのではないかな?
それができれば、半日で総崩れ壊走もなかったのではないか。
271人間七七四年:2009/10/22(木) 01:12:29 ID:Jj0MvakW
後退戦術も何も、初手からそんな逃げ腰じゃ西軍についた諸将が不安がって付いてこないだろ
西上した東軍兵力より上回る兵力を動員出来てるわけだし
小早川みたいな完全に西軍の指揮下に入ってる動きをしない怪しいのや
無理矢理西軍に組み込んだ赤座等の連中もいるけども
272人間七七四年:2009/10/22(木) 03:20:40 ID:I7RZ39iu
>>268-269
それはわかるんだが、なぜ勝ち目の無い戦いを始めたのかがわからない

>上杉も、「徳川家康政権」と言うものに服従するかどうかを迫られた

この時に負けるとわかっていても、服従を是としなかったのかな?
一応自分は、直江と三成の密約がなかったという説を支持しているんだが
密約が無くても、家康派・反家康派で天下が割れて戦乱状態になる見込みでもあったのかな?
どうもその点が腑に落ちない
273人間七七四年:2009/10/22(木) 06:21:17 ID:0dUHtHxD
会津討伐は、今では上杉が喧嘩を売ったような感じで語られることが多いけど
実際は家康の陰謀っていうのが大きいんじゃない?
新年に上杉が上洛しないことが謀反の噂をうんだといわれてるけど、
上洛しないで領国の経営に専念するように言ってたのは家康もじゃん。
謀反の噂で詰問使の派遣も検討されていたという頃、秀忠は上杉に書状出してるけど、
そんなことみじんも感じさせない内容だよ。新城の建設ももっともなことって言ってるし。
直江状出したあとも、防衛体制を強化することもしてない。
討伐が決定的になった六月から、大慌てで白河城の補修も行ってる。
上杉の正史である御年譜は、例の秀忠書状を慶長5年じゃなく景勝が会津帰国時のことにして、
しかも帰国の日にちを改竄してるとある研究者の人が指摘してたと思う。
史実通りに書くと、家康の陰謀というかいちゃもんが明白になるので、
徳川に憚って改竄されたのだろうと推論されていた。
御年譜が編集された当時の藩主綱憲は景勝の曾孫とはいえ、徳川の家来筋からの養子だしね。
景勝は三成襲撃事件の際、毛利とともに事態の解決を図ったと言われてるし、
佐竹や毛利が三成と通じ、表面では家康に従いながら内心は反発しているのは
知ってたとは思うけどね。
なにかあるかもと期待はしてたと思うけど、兼続は家康が江戸に帰ってから
ようやく家康の小山からの反転を知るなど、三成挙兵計画自体は具体的には知らなかったぽい。
まあ、会津討伐時と関ヶ原後、反家康陣営が壊滅された状態とは状況は違うと思うね。



274人間七七四年:2009/10/22(木) 08:52:08 ID:fF7Xfede
いわゆる密約説というのは直江状以前からのもので、それは否定されてる
けど、直江状後には三成と連絡を取り合っているのは間違いない。

三成挙兵の動きを知っていた可能性は高く、直江が白河方面で本当に
戦になるか疑っている様子もある。

豊臣政権では東国取次を家康と景勝に任せたように、両者は利害で
対立しているので、家康の浮上は上杉には致命的。前田や表面上
服従した毛利のように「はい、そうですか」と屈服はできない。
言い掛かりに屈することができない家風もあるんだろうけど。
275人間七七四年:2009/10/22(木) 10:45:26 ID:W66Hu/lu
>>273
本当に攻めてくるとは思わなかったかもしれない
挑発しつつも家康の譲歩を狙うつもりだったのではないだろうか

ましてや家康はようやく政権の実権を握り、足固めをする重要な時期
そのような状態で、畿内から離れるとは考えらず、仮に攻めてきても
東北や関東の兵を動員する程度と高をくくったのかもしれない

つまり、第一次上田合戦みたいに家康が動けない状態での勝利は
考えていたが、そうでない事態は想定外だったかと
276人間七七四年:2009/10/22(木) 11:49:56 ID:EeLjYtvW
秀吉の死で混沌とした政治情勢で、偶発的な事態も起っているから
後の世から見て、合理的な解説では説明が付かないことも多くあるな
277人間七七四年:2009/10/22(木) 13:07:26 ID:408gbe8K
>>275
ほぼ同意。上杉は徳川が本当に軍事行動をするとは予想しなかったんじゃないかな。
そこまでやるとさすがに徳川のほうが孤立するだろうし、実際に孤立して窮地に陥っている。
だから強気な態度に出て恫喝的な態度を牽制したと思う。

あとは現在まだ確認されていない事実や史料が出ないことには何もいえないかも。
気になるのは当時、徳川は上杉とどの程度の関係にあったのかということ。
何か決め手となる史料の発掘や研究の報告を待ちたいところです。

>>276
それも考慮しないと何も見えないだろうね。
三成襲撃事件に大掛かりな政治的作為があるとは思えないし。
278人間七七四年:2009/10/22(木) 13:56:15 ID:vJVe2Yzv
>>272
> それはわかるんだが、なぜ勝ち目の無い戦いを始めたのかがわからない
簡単に言えば会津征伐の時の景勝は、関東征伐の時の北条と同じ立場。
関ヶ原は例えば、秀吉が北条征伐のため関東に行っている間に、例えば蒲生氏郷あたりが
反乱を起こしたもの、だと考えるといい。
279人間七七四年:2009/10/22(木) 14:08:38 ID:408gbe8K
ここだと関ヶ原前夜の上杉家の態度というか直江状の真意は三説あるのかな。

・石田三成らとの密謀で徳川を誘い入れた「挟撃説」
・徳川の態度に腹を据えかねて単独で武門の意地を見せるため宣戦布告した「独立説」
・上杉が徳川の暴走を想定していなかった「弁明説」
280人間七七四年:2009/10/22(木) 14:11:13 ID:W66Hu/lu
>>279
「弁明」でなく「ブラフ」
281人間七七四年:2009/10/22(木) 14:29:46 ID:408gbe8K
政治的作為などなくて、本当に「直江の弁明に家康が激怒したから戦争になった」
なのかも知れないな。だとしたら直江も家康も短気すぎる。
282人間七七四年:2009/10/22(木) 15:50:05 ID:EeLjYtvW
直江状というのは真贋論争ではかなり疑わしいという話だけど
283人間七七四年:2009/10/22(木) 15:51:05 ID:B2m9sV7w
ただ直江の出した書状で家康がキレたってのは史実だしなぁ
284人間七七四年:2009/10/22(木) 16:02:30 ID:EeLjYtvW
書状で家康がキレた事自体がフィクションなんじゃないかな
上杉家の藤田信吉が出奔して江戸に走ったり、上杉領周辺の大名からの謀反の報告があった時点で
最大限に政治的に利用しようとしている
285人間七七四年:2009/10/22(木) 16:14:35 ID:oykTXwwP
直江状の真贋が論じられてるのは内容であって
当時直江から家康に向けた返書があったのは事実
家康が怒ったか、これで上杉討伐の口実ができたと喜んだかどうかは家康自身しか知らん
286人間七七四年:2009/10/22(木) 17:51:30 ID:vJVe2Yzv
政権に座に着いた家康の、上洛要請に逆らった時点で、誰が考えたって合戦になる。
景勝や兼続がそれを受けて立っちゃったのは、家康の指導力を見誤っただけだろうな。
まさに関東征伐直前の北条と一緒。
287人間七七四年:2009/10/22(木) 17:56:41 ID:W66Hu/lu
家康が畿内から離れて、東北に来るとは思わなかったんでしょう
家康は決断したならば、相当に無茶苦茶やらかしますから
288人間七七四年:2009/10/22(木) 18:24:59 ID:YsU/1tG3
家康は短気だよ
でもそれを抑えるすべも心得てる
直江に対してドカーンと爆発したのも家康で
でもそれを次はいかにして用意周到に叩くかを冷静に計算するのも家康
289人間七七四年:2009/10/22(木) 18:39:08 ID:fEW6Wdl8
長束、前田玄、増田(5月7日)
「直江は田舎者で不調法だから内府殿がキレるのももっともです。
 田舎者だからあんな無礼を・・・」
290人間七七四年:2009/10/22(木) 19:57:25 ID:W66Hu/lu
景勝や直江は家康がそういう無茶をする人物だったということを知らなかったのかな
天正壬午の乱とか小牧・長久手とか結構例があるのに
291人間七七四年:2009/10/22(木) 20:08:04 ID:lSs+4zVH
前田死んだ直後に大老中心とした大名に帰国するように勧めたのが家康。
で、その直後に帰国した前田が大阪で謀反発覚とか、領地整備しているのに上杉が謀反準備した
と解釈されたという状態。そもそも、前田は釈明する前に軍評定開いている家康さん。

俺的に流れは、武断派の愉快な仲間(概ね家康の婿)と家康が下手な政治コントしている様にしか見えない状態。

そりゃ、三成も兵の一つや二つも上げたくなるわな。
ちなみに毛利は俺の中では、TERUが家康のコントに感動してオレもオレもと間違った戦国武将の血が騒いだ感じ。
292人間七七四年:2009/10/22(木) 20:27:05 ID:oykTXwwP
上杉は前田のように家康に屈服するか
家康に対して挙兵するかの二択しかなかったしな
ほかの大名にしても前田、上杉と難癖つけられてる状況見れば上杉の次は〜みたいに危機感覚えるんじゃ
だからこそ家康に臣従できない三成の挙兵のタイミングは各個撃破される前の状況の上杉征伐状しかないだろうし
293人間七七四年:2009/10/22(木) 22:01:51 ID:/e3Yf/oF
>>286
やっぱりそう考えるしか説明がつかないんだよな
石田三成と事前に打ち合わせがあったという説はドラマチックで面白いが
294人間七七四年:2009/10/22(木) 22:11:32 ID:W66Hu/lu
あったとしても当時の通信手段で畿内と東北を連動できるとも思えないけどね
家康が江戸にいたのも双方に対応できるからで、それも兵力だけでなく連絡という面もあるかと
295人間七七四年:2009/10/23(金) 00:21:23 ID:sD4ttoQA
西軍から東軍に寝返った小早川秀秋よりも
西軍を貫いた宇喜多秀家の方が
ある意味戦後は、幸せだったのではないか?と思う。

小早川の方は、備前に赴任後、領民や家臣に背かれ、早死にした。
一方、宇喜多の方は、所領を失ったとはいえ、八丈島で穏やかに過ごし、
後50年生き長らえた。
296人間七七四年:2009/10/23(金) 00:24:34 ID:YPabc/3b

> 宇喜多秀家の余生において、遭遇したと思しき災害の数々。
>
> 1604年12月 西国で地震発生。津波が八丈島を襲い、人家ことごとく流失。死者五十余。
> 1605年9月 八丈島噴火。田畑に多大な損害。
> 同年11月 火山活動収まらず、再度噴火。
> 同年12月 三度大噴火。一夜にして大山が出現する。
> 1642年3月 三宅島噴火。
> 1643年2月 三宅島雄山噴火。溶岩で村が焼失。
> 1652年3月 青ヶ島噴火。
>
> このほか、八丈島にも関係しそうな地震、暴風雨も毎年のように記録が残っている
> 天寿をまっとうできた秀家は結構ラッキーだったのかもしれない
297人間七七四年:2009/10/23(金) 01:13:22 ID:LVBCVqrp

結局、本能寺の変後の戻った世界で、豊臣政権が偶然だったに過ぎないんだね。
最後は長生きした家康の天下になっただけか。
298人間七七四年:2009/10/23(金) 01:17:14 ID:6xynism/
日本語でおk
299人間七七四年:2009/10/23(金) 01:44:54 ID:kV+bkcTd
長生きも何も50代でほぼ天下取ってるからな
江戸時代は短命になるだろうが
戦後処理終わってすぐ死んでも徳川の天下だろ
開幕と秀忠に将軍職ゆずればさらにいい
それなら60ちょいか
飯もろくに食えん平民や、戦関連で死んだ人除けば普通

確かに秀吉の天下はほとんど運だが
運も才能のうち
農民だろうが使ってやれば使える奴なんて
秀吉自身が取り立てた連中の中にごろごろいるし
強行軍でへろへろになろうが
戻りさえすれば
畿内の戦力を主力として戦えるチャンスがあったのは
一番近い秀吉だけだった
でも運なんていったら信長だって相当だし
それが普通
300人間七七四年:2009/10/23(金) 02:23:05 ID:YPabc/3b
そもそも運が無い武将には、天下人どころか、歴史に名を残す事すらできない。
301人間七七四年:2009/10/23(金) 02:32:21 ID:TFWYlhu7
>>296
三宅島とか青ヶ島って関係ないよね
302人間七七四年:2009/10/23(金) 02:46:34 ID:DuAQ3Cu9
謙信は10万人(旧上杉家家臣団)を率いたことがある
もしも越後から関東に拠点を移してれば、関東は上杉謙信の所領となったであろう
武田や今川とは同盟を結ぶ
303人間七七四年:2009/10/23(金) 02:55:01 ID:EiEy9xKs
よく信玄は謙信がいなければ天下を取れてたとか言うけど
謙信も信玄さえいなければ何処まで伸びたかわからんな
ただ本人に何処まで個人的に立身しようとしていたのかわからんが
戦国屈指のライバル同士だ
304人間七七四年:2009/10/23(金) 02:57:13 ID:YPabc/3b
>>301
距離を見ろ。関係ないわけ無いだろ。
305人間七七四年:2009/10/23(金) 03:03:50 ID:yf3/tbkr
>>284
通説では家康のいいがかりになっている上杉謀反だが
私はここであえて「上杉の謀反は事実であった」という大胆な説を唱えてみたい

藤田信吉と栗田国時出奔した時、兼続は追っ手を差し向けて栗田は殺害されてる
無実なら追っ手を差し向ける必要はないはず

上杉に恨みを持つ堀だけでなく戸沢政盛までも上杉に不穏な動きありと言っている
なぜ戸沢まで?

『越後風土記』に「上杉家徒封につき、領主交代頻繁に依り、各領民夫役に苦しむ
故に当国新古の領主協議して、当戊(慶長三年)の貢税半収と約定す、然るに兼続は三成と謀り
景勝を勧め、兵を挙げんとするが故に、新領主堀家・溝口家・村上家等と結約を破り
旧領主を督促し、貢税の全額を徴収して会津へ移る、」とある。

年貢米を持ち去ったのは直江兼続と石田三成の謀議によるものだという主張
なんらかの石田三成の力が働いていた?

三月十三日、上杉謙信の二十三回忌に上杉景勝は色部長門、甘粕備後、本荘越中守ら諸将を
会津若松に召集せり。四月、直江兼続は越後に密使を放ち
上杉恩顧の遺臣、柿崎三河守、丸田右京、長尾景近、斎藤利実、宇佐美、矢尾板、竹俣、神保らに越後での蜂起を命ず。
謙信公の遺骨を会津へ持って行かなかったのはこのためといふ。
「謙信公の墓を守れ」といふのが大義名分なり。武器を買い集め、砦を築き、新道を造り、前田慶次郎、上泉泰綱、小幡将監、山上道及らの浪人を雇い入れり。

砦、道を修復し、武器、米を買い集めるのは直江状の通りだとしても
前田慶次郎、上泉泰綱、小幡将監、山上道及の浪人を集めるのは
戦の準備としか思えない

さらに上杉遺民一揆について検証してみよう
兼続は身分の低い兵の内、智謀に富み、忠義のあるものを越後に浪人を装わせて潜入させ、寺社などに検地入を苦情の一つとして一揆を起こさせている
これは明らかに軍事行動である

後世の後知恵から家康が悪で上杉が善と思いこんでいるが
上杉の謀反が事実なら家康は正義ということになる   
306人間七七四年:2009/10/23(金) 03:11:48 ID:S01Pa0QG
長い・・・
307人間七七四年:2009/10/23(金) 03:19:09 ID:t3C96d+h
つか上杉の領地みりゃ軍備に入念になるのは分かるだろが
308人間七七四年:2009/10/23(金) 03:22:06 ID:EiEy9xKs
>>305
まあ善とか正義とかは置いといて、その時の上杉は臭いよね
まあ俺は秀吉が死んで重石がなくなった時点で、日本中の大名達が
昔暴れまわっていた頃の血が蘇ってしまったと思ってる
309人間七七四年:2009/10/23(金) 03:33:59 ID:irw/QP3W
加増された新天地なんだから国境の整備、城砦の修復、軍備なんて当たり前
しかもその領地が飛び地な上に間に仇敵の最上がいるわ、最上と縁続きの伊達とも接してるわっていう
いつ紛争が起こってもおかしくない状況だし
310人間七七四年:2009/10/23(金) 08:48:45 ID:kkgEE4LO
>>305
栗田刑部は殺害どころか出奔もしてないと最近研究者が指摘してるけど。
そうなると藤田の方も軍記の記述を疑わんといかんと思うけどな。
311人間七七四年:2009/10/23(金) 09:35:47 ID:Hv+3Yr5X
上杉が当時家康との戦闘準備をした形跡もないんだよな。
神指城は政庁機能に特化したつくりであり軍事拠点として築城されたのではない。
しかも直江状の後も国境付近に諸将を配置しようとしていない。
小田原北条は伊達との同盟しかなかったけれど、上杉は家康とその一派以外全員が味方なので、
無謀にも家康が攻めてくるとは思わなかったんじゃないか。
312人間七七四年:2009/10/23(金) 13:43:25 ID:P8s0LN6W
結局合理的な理由があって上洛の勧告を蹴ったわけではなく
家康の力と、当時の政治情勢を見誤ったというしかない
313人間七七四年:2009/10/23(金) 16:08:29 ID:12IstxeV
なんかしょっちゅう墓穴を掘るけど、他力本願でなんとかなるというのが
景勝と兼次のコンビ
314人間七七四年:2009/10/23(金) 22:42:18 ID:S01Pa0QG
>>313
墓穴掘りなら伊達政宗にお任せ!
315人間七七四年:2009/10/23(金) 22:45:42 ID:YPabc/3b
政宗は本当にやばくなる手前で手を引っ込めるが、上杉の場合本当に絶体絶命の
状況になってしまう印象。
316人間七七四年:2009/10/23(金) 22:55:12 ID:1GEybnTY
一度家康が征伐を決めて、奉行衆に止められて再度上洛を促したときでも
景勝は「讒言人の糾明がない場合は上洛しない」を通してるんだから、甘
く見たとかそういうのとも違うベクトルのような気もするがね。
317人間七七四年:2009/10/23(金) 23:31:46 ID:L0ACeSip
謙信って2度も上洛してるのは異例中の異例だけど、
義輝・義昭から関東管領どころか管領待遇(上杉の七免許)を受けてるにも関わらず、
官位は以外と低いんだよね
318人間七七四年:2009/10/23(金) 23:37:48 ID:YPabc/3b
>>317
官位インフレ後の感覚で考えるとおかしくなる。京兆家ですら右京大夫だからね。
319人間七七四年:2009/10/24(土) 00:01:09 ID:mXc4BUba
山名宗全の従三位右衛門督って、娘婿の管領・細川勝元(従四位下右京大夫)より高いよね?
320人間七七四年:2009/10/24(土) 00:21:45 ID:g2PqHbIZ
室町時代は官位と幕府内の地位がリンクして無い。
官位を武家政権内の序列に使い始めたのが豊臣政権で、それを完成させたのが江戸幕府。
321人間七七四年:2009/10/24(土) 19:45:50 ID:F6PNjVeR
>>271
不利な状況下であればこそ、その中で上を目指すなら戦略や忍耐が必要なのに、
「この一戦は捨てる、その代わり戦力を次の戦いに集中する、 」と言うような考え方を、
最初から負ける気で戦ってどうする!戦うなら全戦全勝を目指せ!といって全否定する。

この考えは威勢が良く、聞いていて気持ちが良いが極めて幼稚。
旧日本軍のバンザイ突撃と何ら変わらず、結果戦力に勝る相手にいいようにされ、負ける。
322人間七七四年:2009/10/24(土) 20:04:20 ID:IyYDo8TE
>>321
別に三成の親族が大坂城に逃げ込んでも、毛ほどの影響を与えられない
意味のある後退は良いけど、意味のない後退はただの敗走
323人間七七四年:2009/10/24(土) 20:13:02 ID:Kxk+1Yey
個人的には最上が上杉を抑えてたから
あの大勝があったと思う
324人間七七四年:2009/10/24(土) 21:06:46 ID:g2PqHbIZ
そもそも上杉に南下なんて無理なんだが。
325人間七七四年:2009/10/24(土) 21:07:38 ID:yY0YNB+T
最上と伊達相手にした後は結城秀康がいるからな
326人間七七四年:2009/10/24(土) 21:33:05 ID:ULD31AQU
上杉景勝も直江兼次も北条家の運命はその目で見てるはずなのに
327人間七七四年:2009/10/25(日) 00:21:56 ID:EoKHBd/x
>>326
秀吉は最高権力者だが、家康は五大老として同格で、
せいぜいその首座だからいわば同僚。
「やんならやってやんよ」
って感じだったのかな?
328人間七七四年:2009/10/25(日) 01:14:09 ID:DRtFHGfq
北条のような惣無事違反もしてないし、具体的な謀反の証拠がないのに
攻めると言われてもポカーンって感じだったんじゃないのか?

領国仕置きの様子も家康や秀忠へ報告していたのに、出奔したやつや隣国
の大名が示し合わせたように謀反を申告。彼等の事情聴取を要求しても
拒否され、ただ期日までに上洛しろ。

これじゃ武門の家としては「はい、分かりました」とはいかないわな。
329人間七七四年:2009/10/25(日) 02:24:02 ID:oICP9TT8
>>327
そんな甘い考えだったのなら景勝はとんでもなく無能だな。
まだ最後までいろいろな外交手段を駆使した北条のほうがまし。
330人間七七四年:2009/10/25(日) 03:39:34 ID:+ZMTjzhz
どうにか三成ら西軍を2日もたす方法はないかな
2日もてば元康、秀包の旗が立って毛利軍も戦わざるをえなくなる
331人間七七四年:2009/10/25(日) 03:42:00 ID:ElrO/XM6
宗茂はいつごろ到着かね
332人間七七四年:2009/10/25(日) 03:42:50 ID:aYZ0iJp4
あんな近距離で対峙していたら寝るわけにはいかないから、
徹夜で戦うと二日持たないだろう。
333人間七七四年:2009/10/25(日) 06:27:38 ID:PDQxdm/E
野外決戦」を挑んだのが誤り。
西軍は大垣城から出るべきではなかったわけだ。

そうすれば、必ず、長引く。
長引けば、必ず、毛利も戦わざるを得なくなる。
334人間七七四年:2009/10/25(日) 07:30:13 ID:9g5jzl89
輝元を引っ張りだせれば確実
335人間七七四年:2009/10/25(日) 09:40:26 ID:5m4kssJj
>>333
大垣城で戦っても、野外決戦にしかならんだろ。

ゲーム脳には理解できんかもしれないが・・・
336人間七七四年:2009/10/25(日) 10:04:26 ID:CNgF67O0
小早川に松尾山を取られたんだから、そのまま大垣城に籠ってるのは危険。
337人間七七四年:2009/10/25(日) 11:09:12 ID:oICP9TT8
「長引かせればどうにかなる」という発想自体が、後世の後付知識からくる
シュミレーション思考。
338人間七七四年:2009/10/25(日) 11:19:26 ID:mF7g9ykT
そもそも長引かせて大垣に引っ込んでいれば松尾山に籠る小早川が一応西軍にいる理由が無くなるし、北陸から戦意やら何やらはおいといて前田の軍が来る。
後は足止めされて遅参していた秀忠の軍が中山道から来るなあ。
西軍は小野木はともかくからきしやる気なしの田辺城包囲軍、寸前まで大津城の攻防をやっていた毛利元康、立花宗茂らか。
南宮山に拠る毛利秀元らは動けるもんかねぇ。
339人間七七四年:2009/10/25(日) 11:30:30 ID:oICP9TT8
ぶっちゃけると

・岐阜城を手もなく陥落させられた事
・家康の動向さえ把握できず、何の対処も出来ないまま前線部隊と合流させた事

この二つで西軍は既に詰んだ。
大逆転の短期決戦を必要としたのはむしろ西軍。
340人間七七四年:2009/10/25(日) 14:16:46 ID:V2iJU3at
つまり、西軍はじり貧を避けて、どか貧を選んだと。
341人間七七四年:2009/10/25(日) 14:36:22 ID:5CXNaq/1
三成だもんなあ・・・
342人間七七四年:2009/10/25(日) 21:25:57 ID:On6blIyC
立花宗茂が到着してれば文句なしに西軍勝利だろ。
一日の運命の違いだよな
343人間七七四年:2009/10/25(日) 21:40:50 ID:ORyjqrsj
田丸忠昌
344人間七七四年:2009/10/26(月) 07:10:46 ID:hjH4KGYO
>>342
やはり、西軍は大垣城を出るべきではなかった。
345人間七七四年:2009/10/26(月) 07:21:42 ID:D+Js4jU6
>>344
大垣組が秀秋と秀忠に挟まっているあいだに、大津組が各個撃破されてしまう。
346人間七七四年:2009/10/26(月) 09:09:51 ID:8lyxYJ2B
>>342
秀忠が上田なんぞ切り捨ててさっさと関ヶ原に到着してたらそれこそ余裕で押し切ってたかも
これは一瞬の判断
347人間七七四年:2009/10/26(月) 09:29:32 ID:DY330rNB
いや、当初は信州攻略が秀忠への命令だから。
のちに命令変更があって急いで上洛しろと言われたがあとの祭り。
348人間七七四年:2009/10/26(月) 09:57:58 ID:O7+fwWgl
>>337
シ ュ ミ レ ー シ ョ ン
〜〜〜〜
349人間七七四年:2009/10/26(月) 10:09:13 ID:rT5oYqdK
>>347
利根川の増水がなければ、遅くても小諸に着いた時に受け取れた筈なんですがね
350人間七七四年:2009/10/26(月) 18:52:38 ID:TM2ouDbT
義宣が動いてれば
351人間七七四年:2009/10/26(月) 18:58:11 ID:yYbdz/b2
秀忠隊が動かないだけかと
352人間七七四年:2009/10/26(月) 19:37:10 ID:zwp855Tw
西軍が大垣城を出なかったとして
秀忠到着で大垣包囲
近江の北で前田軍と大津城攻撃軍と田辺城攻撃軍とが睨みあい
その頃には輝元も出陣してくるでしょうから兵力差は余りない
遊兵化してる鍋島が清洲城強襲で東軍崩壊のシナリオが現実的のものとなり
奥羽では長谷堂城が陥落、最上滅亡
上杉、伊達、佐竹連合軍が関東侵攻
353人間七七四年:2009/10/26(月) 19:47:06 ID:yYbdz/b2
大垣城から出なかったら、南宮山の諸勢は調略され、小早川との共同攻撃で大谷は壊滅し、佐和山も落ち
一気に近江まで進出
核が大垣にいるままの西軍は崩壊し、以下は史実と同じ
354人間七七四年:2009/10/26(月) 20:12:21 ID:TM2ouDbT
>>351
親父を完全無視で
小山評定自体無かった線は
355人間七七四年:2009/10/26(月) 20:30:56 ID:yYbdz/b2
当時の常陸は南は香取海に西は筑波山地に囲まれており、進撃路が限られるので
一軍を抑えに置いとけば問題ないかと
356人間七七四年:2009/10/26(月) 21:05:06 ID:TM2ouDbT
>>355
佐竹は福島県棚倉町まで進軍してる

家康が那須、白河付近まできてりゃ

義宣景勝軍で・・・
357人間七七四年:2009/10/26(月) 21:25:19 ID:bmbD8juL
義宣ってそんなに動けたのか?
パパが親家康である以上、好意的に見ても若干上杉寄りの中立勢力でしか無いと思うけど。
358人間七七四年:2009/10/26(月) 21:27:35 ID:yYbdz/b2
>>356
それは佐竹云々でなく、石田の挙兵時期の話
359人間七七四年:2009/10/26(月) 23:24:02 ID:LY/a0yRU
>>352
鍋島も間違って西に入っちゃったタイプじゃなかった?
360人間七七四年:2009/10/26(月) 23:44:16 ID:YCp8c9fc
>>357
徳川へ人質を差し出すのを断ってる時点で完全に西軍。
361人間七七四年:2009/10/27(火) 01:25:10 ID:uc2TaVPM
上杉勢は那須の
家康大好き伊王野資信、資重親子に
負けてるので話にならない
362人間七七四年:2009/10/27(火) 02:55:41 ID:tPhvgjnB
上杉は喧嘩するにしても徳川方を誘い込んで迎撃する態勢しかとってなかったんじゃ
景勝が止めたとはいえ、あのまま追いかけていっても勝てた見込みは?
徳川にしても負けての退却でもないし、それこそ通説どおり背後に居た最上・伊達が動くだろうし
363人間七七四年:2009/10/27(火) 18:06:45 ID:fun62CdR
上杉は西軍じゃないだろ 結果的に西軍になっただけで、実態は黒田官兵衛や伊達政宗と同じ 周辺への領土拡大が目的の第三勢力

三成等との共謀も徳川本体追撃もありえないだろ
364人間七七四年:2009/10/27(火) 20:21:12 ID:fun62CdR
演出wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
365人間七七四年:2009/10/27(火) 20:21:25 ID:fun62CdR
すまん誤爆w
366人間七七四年:2009/10/27(火) 20:54:03 ID:/I1Mpm5I
>>365
           ,..-─‐-..、
            /.: : : : : : : .ヽ
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ <すまん誤爆w
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ
367人間七七四年:2009/10/27(火) 22:29:41 ID:2OFkm7yv
>>363
上杉は反徳川というまとめられ方になるから徳川から見れば同じ
黒田は当主が長政だから親父がよほどやばいことをやらないかぎりセーフ
伊達はもう家康陣営にどっぷりでしょう
鍋島のドタバタの方がどっちつかずの状態を表してて面白い
368人間七七四年:2009/10/27(火) 22:42:00 ID:Slw3/f8W
>>361
秀康は参戦してなかったのかな
近い所にいたよね
369人間七七四年:2009/10/27(火) 23:17:43 ID:9wxkBn9G
>>361
芋川は最上攻めに加わるなど戦ったといわれる上杉軍の構成メンバーが、
最上や伊達方面にいたと思われる連中ばかりなので、伊王野の武勇譚を鵜呑みにはできない。
ただ、日光で一揆を起こすなどの調略を仕掛けているのでそういった中で戦闘が起こった可能性はある。
370人間七七四年:2009/10/28(水) 00:28:45 ID:L9nHioh7
>>367
いくら反徳川でも、三成との共謀者ではない 
追放された元奉行が「必ず上方で挙兵する」なんて保証も無い援軍を信じて徳川との戦いに挑んだというのは
考えられん ましてや戦国の雄、上杉がそんな軽率なことするとは思えん 
やっぱり単独での領土拡大+大老同士の争いだ 領国での戦いなら120万石もあれば10万の大軍でもどうにかできる
だから徳川本体追撃なんてやるわけがない
371人間七七四年:2009/10/28(水) 01:20:57 ID:ZNqbX2Ds
あげ
372人間七七四年:2009/10/28(水) 01:44:21 ID:ImERKClJ
勝手な領土拡大は秀吉が作った法律の違反じゃない?
373人間七七四年:2009/10/28(水) 01:47:18 ID:hIH6bGXV
直江状以降は三成と連絡取り合ってるしなぁ。。
結果的に西軍というのは同意だが、完全な単独の軍事行動というよりは
上方の騒乱も想定したうえでの行動とみるべきでは。
三成が家康と手切れし、城の守りを固めているとの情報(噂)も六月の段階で
手に入れている。
374人間七七四年:2009/10/28(水) 01:53:16 ID:AXRYcPCP
否定されてるのは事前の共謀であって、
上杉や佐竹が西軍と共闘してるのは書状なんかから明らかなんだけど。
375人間七七四年:2009/10/28(水) 02:03:25 ID:IlX4Tek6
ただ、最初に共謀がなかったせいで、ろくな連携は取れていないがな。
376人間七七四年:2009/10/28(水) 02:12:15 ID:AXRYcPCP
公儀の中心だった家康を自分達が共謀して思い通りに動かすなんて、そりゃ無茶だろ。
それに近江と会津じゃ片道10日くらいかかるわけで、綿密な行動計画なんて取れるわきゃ無い。
377人間七七四年:2009/10/28(水) 03:02:36 ID:RUnHvUjx
関山の合戦は伊王野の自作自演かね?
大関、大田原、那須も現場も目撃してないんだよね
378人間七七四年:2009/10/28(水) 21:23:51 ID:L9nHioh7
上杉じゃないが、前田って人質見殺しにすれば普通に西軍つけるよな?
379人間七七四年:2009/10/28(水) 21:31:22 ID:GsPr2cN3
>>378
つけるけど全くその意思が無い
380人間七七四年:2009/10/28(水) 21:32:03 ID:q6751c6r
利長は晩年も「死ぬ前に母に会いたい」とか言うし、利政も美人の妻
が大坂方の人質で東軍につけない奴だからなぁ。まぁ現代っ子だ。
381人間七七四年:2009/10/28(水) 21:52:20 ID:uI0QE42X
つーか人質を簡単に見殺しにしてる例って実はかなり少ないんじゃない
382人間七七四年:2009/10/28(水) 21:55:11 ID:IlX4Tek6
だいたい丹羽長重が大喜びで前田に攻撃してるんだから、今更西軍になれるわけが無い。
383人間七七四年:2009/10/28(水) 22:33:16 ID:Qha5iMcb
教えてチャンでゴメソ
東軍から西軍に寝返った人っていますか
(真田、佐竹とか黒田パパなど曖昧なの除いて)
384人間七七四年:2009/10/28(水) 22:44:05 ID:q6751c6r
会津征伐→内府違いの条々の間だったら結構いるんじゃないか。
まぁ、この間なら三成もいわゆる東軍っちゃあ東軍だった可能性もあるが。
385人間七七四年:2009/10/28(水) 22:44:46 ID:IlX4Tek6
>>383
寝返ったとはいい難いが、織田信雄の嫡男の織田秀雄が、最初東軍だったのだが、
父親の信雄が三成の要請で西軍に属してしまったため、どうにも出来ずに結局西軍に属した、と言う例がある。
386人間七七四年:2009/10/28(水) 23:09:33 ID:L9nHioh7
信雄といえば一度は家康と共闘したやつか 

もったいない・・・東軍について小牧長久手の継続戦争をしかければ織田100万石も夢じゃなかったのに
387人間七七四年:2009/10/28(水) 23:15:50 ID:3PxnAhT3
信雄じゃあ・・・
388人間七七四年:2009/10/28(水) 23:21:46 ID:IlX4Tek6
ちなみに信雄は、三成から尾張、三河の領有と、手付金として黄金千枚、という条件を出されて
西軍に組したのだが、三成から送られて来た手付金が黄金ではなく銀千枚だったのを見て
見る見るやる気を失い、結局出陣すらすることなく関ヶ原を終えた。

息子の秀雄はそのとばっちりで、越前大野五万石を改易された。
389人間七七四年:2009/10/29(木) 00:14:47 ID:PIHbhFS/
秀信って信雄の息子だったっけ・・? 三法師って信忠の息子じゃなかった??
390人間七七四年:2009/10/29(木) 00:15:32 ID:PIHbhFS/
すまん、秀雄か 間違えた
391人間七七四年:2009/10/29(木) 00:21:17 ID:DzCi7C+0
>>383
あと、宮部長房が田中吉政にだまされて西軍に寝返っている
392人間七七四年:2009/10/29(木) 01:36:16 ID:psHT03qO
>>383
お洒落に手間取った秀信・・
393人間七七四年:2009/10/29(木) 02:37:27 ID:ydKAbDmg
>>388
三成は酷い奴だな。
信雄には尾張と三河を約束しておいて、秀信には尾張と美濃。
尾張が重複している。明らかに詐欺だ。
394人間七七四年:2009/10/29(木) 03:17:48 ID:fNSmQZzw
秀信は当初豊臣公儀の命令で会津討伐の準備をしていた訳で、東軍だった訳じゃない。
三成決起を知った後も、木造・百々は東軍へ付く事を進言するが、
二人を玄以の元に送って判断を仰ぐように命じ上洛させている間に
自ら佐和山に赴いて三成と会談し西軍参加を決めてしまった。
数少ないヤル気満々の西軍大名。
395人間七七四年:2009/10/29(木) 03:46:20 ID:8hVLac6t
兵と本人の経験がな……
396人間七七四年:2009/10/29(木) 03:48:57 ID:fNSmQZzw
武士の誉れを重んじて、堅城岐阜城に籠るを良しとせず勇猛果敢に打って出て
わずか2日で陥落というファインプレー。
397人間七七四年:2009/10/29(木) 08:13:02 ID:1s7mI1BJ
流石の三成も対応しきれず援軍を送れず仕舞い
398人間七七四年:2009/10/29(木) 10:47:29 ID:8d0Uvv9E
>>394
秀信はつくづくアホだな
ここですぐに東軍に付いて関ヶ原で先陣を駆ければ
機を見て織田の仇である豊臣を討ったとして評価も違っていただろうに
秀吉に洗脳されたままのパープリンで人生を終えてしまうのだから
あの世の父や祖父からすれば情けなくて涙が止まらないだろう
399人間七七四年:2009/10/29(木) 12:08:48 ID:IEZF7fKy
織田一族こそ徳川家康と共闘すべき人物なのに
西軍好きだけど織田だけは東軍にいて織田100万石くらいになってほしかった
400人間七七四年:2009/10/29(木) 19:02:57 ID:1s7mI1BJ
有楽「誰か忘れていませんか?」
401人間七七四年:2009/10/29(木) 19:21:48 ID:9aK22FBU
織部にしろ有楽にしろ茶人大名も頑張っているのが関ヶ原
402人間七七四年:2009/10/29(木) 19:52:00 ID:PIHbhFS/
そんなカスみたいな織田ではなく 秀信や信雄みたいな信長の近くて在る程度石高もあるやつが東軍に参戦すべきだった
403人間七七四年:2009/10/29(木) 19:55:19 ID:QxbFhF5O
>>402
秀信はともかく、信雄なんて関ヶ原当時5万石で、しかも隠居の身だったんだが。
404人間七七四年:2009/10/29(木) 20:28:43 ID:PIHbhFS/
隠居だろうが5万石だろうが、なんで豊臣に散々な目に合わされたこいつらが盟友の徳川ではなく憎き豊臣についたんだろう・・・
逆に豊臣に付くべき福島加藤みたいなドアホが東軍につくし
405人間七七四年:2009/10/29(木) 20:30:54 ID:QxbFhF5O
東軍≠徳川
西軍≠豊臣

このくらいは認識しておこうや
406人間七七四年:2009/10/29(木) 20:53:24 ID:PIHbhFS/
豊臣恩顧のバカ大名以外は豊臣VS徳川って認識はすでにあっただろ 
407人間七七四年:2009/10/29(木) 21:07:21 ID:1s7mI1BJ
あの頃はまだ豊臣対徳川ってより家康と三成の主導権争いって面のが強いだろ・・・

408人間七七四年:2009/10/29(木) 21:29:15 ID:QxbFhF5O
ID:PIHbhFS/は後世の、結果が出た後の視点からしか物事を見てない。
409人間七七四年:2009/10/29(木) 23:21:11 ID:p5i6y3jz
石田がクズなんだろ?
このクズが出張らなきゃ西軍も、もっといい勝負したんじゃね?
410人間七七四年:2009/10/29(木) 23:45:10 ID:RTTtvQDR
家康はついでに豊臣も皆殺しにしとけばよかったのに
先鋒を豊臣憎しの大名達にやらせれば
それこそジェノサイドになっただろうに
411人間七七四年:2009/10/29(木) 23:45:28 ID:1kjwqViu
結果論だが、つくづく毛利は何がしたかったんだろう。指揮系統がめちゃくちゃだな
412人間七七四年:2009/10/29(木) 23:46:46 ID:OZ63pb+U
三成が出てきたからついた奴らも多いだろうけどな。
人望ないと言われてるけど毛利輝元や島津義弘はだいぶ
心を寄せていたし。
413人間七七四年:2009/10/29(木) 23:52:17 ID:BW1k6QXu
あの時点で家康が豊臣を攻撃するなんて言ったら単なる謀反だw
414人間七七四年:2009/10/29(木) 23:56:23 ID:QxbFhF5O
>>411
上杉もそうだが、天下云々なんてことは最初から考えてなくて、地域での勢力拡大、
つまり瀬戸内海制海権の掌握と北九州の奪還、あたりを目標にしていたっぽい。

毛利家にとって誤算だったのは、関ヶ原の決戦が1日で終わった事よりも、
その後家康があっという間に畿内を沈静化させてしまったことだろう。

毛利が大阪城を退いたのは、家康に畿内の沈静化を丸投げしてそれに手間取っている間に、
当初の戦略目標を攻略し、既成事実化するためだった、と考えると自然だと思う。
415人間七七四年:2009/10/30(金) 00:37:19 ID:IAURxqOF
>>414 勢力拡大いうのも解るが、それだったら、輝元、秀元どちらかが理由をつけて本国に残ると思うのだが… 関ヶ原、畿内制圧が長引いたとしても、家康が勝てば、毛利は家康と一線交える根性もなかったかな… 結局は減封か
416人間七七四年:2009/10/30(金) 00:53:25 ID:PcM/kFvS
>>415
その辺は時間との勝負じゃない?
毛利がさっさと体制を固めてしまえば、家康もうかつに手を出す事は出来なかったでしょ。
時間勝負でも毛利は負けた、って事かと。
417人間七七四年:2009/10/30(金) 01:18:35 ID:3JGjiYnc
>>402
秀信の家老の多くはは東軍につきたかったみたいだけどね

>>411
輝元はただ単に甘ちゃんだっただけだろ
418人間七七四年:2009/10/30(金) 01:23:46 ID:IAURxqOF
>>416 なるほどね。伊達の考え方みたいなものかなぁ。 それにしても、豊臣家臣同士の争いに、喝を入れる人がいなかった時点で豊臣家は終わってるよな。
419人間七七四年:2009/10/30(金) 02:06:24 ID:49MawwIK
>>417
老臣は徳川を敵に回すべきではないと東軍に付くよう進言。
側近は秀頼公に疎略あるべからずと西軍に付くよう進言。
家中としては二つに割れた状態だったけど、本人は西軍希望。

>>418
本来は前田が徳川を徳川が前田を牽制する筈だった。
利家が死んだ場合には利長が、家康が死んだ場合には秀忠がそうなるようにしていた。
利家死後直ぐに七将襲撃事件により三成が失脚、
家康暗殺未遂事件で前田・浅野が失脚。
喝を入れようにもそれが出来る人物がいなくなってしまった。
420人間七七四年:2009/10/30(金) 02:15:18 ID:h6J652iH
西軍を希望する意味がわからん
421人間七七四年:2009/10/30(金) 02:35:43 ID:49MawwIK
主観を交えなければ、利害・正当性・地理的条件・立場いずれから考えても、
必ず西軍・東軍どちらに付くとは言い難い状況。
422人間七七四年:2009/10/30(金) 02:39:47 ID:H9B4wsQ4
>>412
鬼島津は元々は東軍につくつもりで出てきたんだぞw
鳥居元忠に断られて仕方なく西軍側にいただけだ。
しかも献策は悉く三成に退けられてるし、とても心を寄せてたなんてw
423人間七七四年:2009/10/30(金) 03:01:53 ID:IAURxqOF
>>422 元忠に断られたからって、全く正反対側に味方するかな。 まぁ最後までどっちにつくか迷ってたということか。
424人間七七四年:2009/10/30(金) 03:34:18 ID:3JGjiYnc
>>423
伏見城に入場できなけりゃ西軍真っ只中の近畿で東軍の旗なんか上げられるかよ
西軍につくしか選択肢は無い
やる気なく行動していて場所や環境が揃えば
折を見計らって東軍になるしかないでしょ
1万を越える軍勢の秀秋でさえそうやって行動したのだから
425人間七七四年:2009/10/30(金) 03:43:31 ID:49MawwIK
義弘が伏見留守居を家康から申し付けられたのは会津討伐前で、飽く迄豊臣公儀の命令。
「いずれの道にても公儀候条、御下知次第に仕り候て然るべき候わん由仰せらる事に候」
とあるように公儀の命令だから拒否できないという消極的な姿勢。
また義弘は景勝に対して7月15日に
「秀頼様の為に毛利・宇喜多・小西・大谷・石田らが上杉に味方すると聞いた。自分も同じである」
と書状を送っており、積極的な姿勢が見て取れる。

島津が夜襲を提案したけれど、島左近が反対して退けられたというのは
江戸後期に成立した「西藩野史」と「東照宮実紀」にあるが、信憑性は低い。
426人間七七四年:2009/10/30(金) 04:34:50 ID:IAURxqOF
後から考えると、元忠が入城拒否したおかげで、忠吉負傷等、徳川も関ヶ原で痛い目にあってるよな。 元忠め、いらんことしよって、って家康も思ったんだろうかw
427人間七七四年:2009/10/30(金) 06:53:24 ID:XtUc2pNt
万が一、城を枕に一緒に討ち死になんて事になっても困るからなぁ
其処んところは複雑だろ
428人間七七四年:2009/10/30(金) 09:48:09 ID:QWZWPASH
>>426
個人的に同じ立場なら俺も断る
絶望的状況で外様を入れたら何時、裏切られるか
実際に一番外様に近い甲賀衆の裏切りで伏見城は落ちている
因みに島津が西軍になった理由の内、最大のものは大坂の妻子
書状でしっかり理由に上げている
429人間七七四年:2009/10/30(金) 10:55:14 ID:PcM/kFvS
だな。元忠に断られたのが最大の理由なんて関ヶ原の後に出てきた言い訳に過ぎんよ。
430人間七七四年:2009/10/30(金) 11:19:04 ID:YOIMs3hc
その点伏見城の攻防戦が始まる前に城を出た木下勝俊は良心的だな
431人間七七四年:2009/10/30(金) 15:13:58 ID:h6J652iH
鍋島みたいに普通に西軍の真っ只中から九州に帰国して東軍に寝返ってるやつもいるから
義弘だって帰国できるだろ そんで薩摩の本体で九州の西軍を留守城を席巻すれば望みどおり東軍で参加できるじゃん 

家康にしても黒田や加藤なんかより島津に任せるほうが安心だろ
432人間七七四年:2009/10/30(金) 17:31:22 ID:YOIMs3hc
朝鮮征伐と庄内の乱があったってのにか。つーか鍋島は伊勢美濃国境で傍観じゃねーか。
西軍敗戦→大坂に撤退→家康に謝罪→筑後平定命令を出される→帰国
433人間七七四年:2009/10/30(金) 17:35:13 ID:x03prVtG
島津義久は国衆の利権を奪えず、その発言力を否定しきれないまま。
つまり近世大名への脱皮を図れないでいたので、指南役を務めた細川幽斎や三成は
げんなり。三成は「もう指南しねえぞ。勝手に滅べ」と恫喝する。
逆に義弘は三成に同調して改革を進めようとしていて、国衆の言いなりになる兄に
嘆息していた。

>>426
家康は謀反はさほど大きくならないと見ていたので、小早川や島津に伏見入城を命じたけど、
想像以上に敵が大規模になってしまったので、鳥居が島津らや大坂城から逃げてきた徳川勢まで
怪しんで拒否しちゃうのもしょうがないところはある。状況が変わっちゃったんだし。
434人間七七四年:2009/10/30(金) 18:32:30 ID:2M40fWyA
関ヶ原における石田三成の指揮って悪くないよな?
435人間七七四年:2009/10/30(金) 19:10:53 ID:PcM/kFvS
>>434
9月15日決戦について?
それならあの日の客観状況をどう取るかによる。

最近言われているように、小早川が既に前日の時点で東軍に属していたのが明確であったとすれば、
三成のやったとこは一か八かの特攻作戦に過ぎない。
436人間七七四年:2009/10/30(金) 19:43:22 ID:kkMEQyUP
島津のやった事は、関ヶ原の時に1500騎で出陣して、東西どっち付くか日和って
最後に全滅しかけた阿呆だろ?
大局になんの影響も与えてない空気だよな(笑)
437人間七七四年:2009/10/30(金) 19:52:55 ID:XtUc2pNt
印象は残したから空気とは言いがたい
438人間七七四年:2009/10/30(金) 19:56:38 ID:PcM/kFvS
本当に空気と言うのは長宗我部あたりだな。
本人達すら何しにきたのか解ってなかっただろう。
439人間七七四年:2009/10/30(金) 20:01:13 ID:h6J652iH
アホすぎるだろw

長束とか自害する気概があるなら戦えよw
440人間七七四年:2009/10/30(金) 20:04:22 ID:XtUc2pNt
下り口を塞がれちゃってるやん
長宗我部は元々東軍に行きたかった人だし
441人間七七四年:2009/10/30(金) 20:06:43 ID:YOIMs3hc
たかだか1500程度の兵しか率いない長束に突っ込めとかアホなの?
442人間七七四年:2009/10/30(金) 20:11:48 ID:PcM/kFvS
明らかな負け戦で特攻かけるなんて、先ず家臣団のほうが拒否する。
443人間七七四年:2009/10/30(金) 20:27:14 ID:h6J652iH
関ヶ原の頃になると元戦国大名の毛利、上杉すらも無傷で降伏しちゃうくらいだもんな
所詮、サラリーマン大名に武門の意地なんて期待するほうが間違ってるか
444人間七七四年:2009/10/30(金) 20:33:10 ID:XtUc2pNt
負けると分かってんのに戦って家を絶やすなんて馬鹿な真似そうそう出来る物じゃ無い
445人間七七四年:2009/10/30(金) 20:44:28 ID:y0vc0sE7
長曽我部盛親とか趨勢が決したら
あの後何とか東軍へ寝返る行動(吉川広家と行動を共にするとか)
でもして家康の覚えを良くすればいいのに逃げ帰ってるもんなあ
446人間七七四年:2009/10/30(金) 20:47:04 ID:hrhsGKSa
実際には島津は三千
そうなると島津は家久、義弘が分裂していたというより家中全体で
二股膏薬していたというのが正しい
447人間七七四年:2009/10/30(金) 20:49:39 ID:YOIMs3hc
>>445
ありゃ津野親忠を久武の讒言信じて殺したのが一番拙かったな。
448人間七七四年:2009/10/30(金) 20:56:45 ID:h6J652iH
ぶっちゃけ、輝元の行動や態度がよく叩かれるけど 
東西大半の大名の行動が輝元並に意味不明でヘタレじゃないか
449人間七七四年:2009/10/30(金) 21:00:15 ID:XtUc2pNt
立場ハッキリさせてる奴のが少ないからな
450人間七七四年:2009/10/30(金) 21:03:22 ID:PcM/kFvS
関ヶ原で「天下」というものを視野に入れていたのは、家康と三成しかいなかっただろうからな。

なので関ヶ原の諸侯の行動を「天下争奪戦」と言う視点で見ようとすると、意味不明に写るのだろう。
451人間七七四年:2009/10/30(金) 21:16:40 ID:YOIMs3hc
>>448
いやいや、どっちが勝っても家が残るように汲々としてただろ。
452人間七七四年:2009/10/30(金) 21:19:50 ID:h6J652iH
家康、三成以外にも大谷、宇喜多、黒田、藤堂くらいははっきりと理解してる 

小西行長はかなり微妙だけど実は官僚派ってだけで天下云々はよくわかってないだろ 立場が逆ならこいつも加藤、福島と同じ扱い
になってたに違いないw
453人間七七四年:2009/10/30(金) 21:23:07 ID:rSHyKxhj
>>443
その2家は当主は代替わりしてるから無理も無い
それも前当主はまさに戦国を代表する武将、比較したらかわいそう
454人間七七四年:2009/10/30(金) 21:29:57 ID:kkMEQyUP
>>452
家康は解るが三成が理解していたとは到底考えられないだろ

単なる阿呆だろ(笑)
455人間七七四年:2009/10/31(土) 10:12:54 ID:5um/KTa9
>>454
三成はアホじゃなかった
兵士達からも人気があり、三成の軍団は強かったと歴史書にも書いてあるだろ
負けた方はアホという素人的、知ったかぶりの発言はやめたまえ
456人間七七四年:2009/10/31(土) 10:19:02 ID:yXZKuRDa
石田が島津の奇襲作戦を採用しなかったのは野戦による決戦で雌雄を決したかったから。
勝てると踏んでた。関ヶ原で戦う意味を一番わかってたのは三成だろ。なにしろ自分が演出したんだから。
457人間七七四年:2009/10/31(土) 11:37:24 ID:d23qoxt1
>>454はただの三成アンチか家康マンセーだろ。
458人間七七四年:2009/10/31(土) 12:39:45 ID:h5Z4nUVo
あほじゃないだろうけどさ
なんで冷静に三成を見れないの
459人間七七四年:2009/10/31(土) 14:45:19 ID:/9btvzn3
>>446
義弘は国許にしつこいくらい援軍要請しているよ。
義久には無視されたので、忠恒のほうに何度もお願いしてる。
義弘は三成の失脚と同志である伊集院の粛清で島津家中での発言力が低下していたから、
西軍に荷担することで再度の浮上を狙ったのであって、二股とかではない。
460人間七七四年:2009/10/31(土) 18:16:23 ID:pa9SA2qI
>>459
義弘が増援を要請したのは事実だが、それにたいして家久が冷淡だったかは疑問
何故なら伏見で250人、大垣に入った時点で800人だった島津は本戦には3000に増えている
この増員は家久の関与無しではありえない数
461人間七七四年:2009/10/31(土) 18:27:23 ID:4MYAaN2u
いくつかのレスに島津3000とあるが 3000って根拠は?
462人間七七四年:2009/10/31(土) 18:29:12 ID:pa9SA2qI
各種合戦記ならびに吉川広家書状
463人間七七四年:2009/10/31(土) 18:33:43 ID:4MYAaN2u
その書状での他大名の兵力はどうなん?
464人間七七四年:2009/10/31(土) 18:37:47 ID:pa9SA2qI
記述なし
465人間七七四年:2009/10/31(土) 21:09:20 ID:d23qoxt1
家久って忠恒だよね?
あくまで書状の残りだが、義弘は義久へ一回だけ、忠恒には七回援軍
要請している。義久の方の手応えがいまひとつだったからだろう。
九月にやってきた援軍は二百九十人で、うち二百二十人は義弘家臣らしい。
忠恒への書状では再三「今回の行動は秀頼様のため、島津家のためで
あって、義弘自身の利益のためじゃない」と釈明してるから、忠恒も
さほど親父を理解してやってなかったんじゃないか。
466人間七七四年:2009/10/31(土) 21:19:24 ID:pa9SA2qI
>>465
290(正確には287)人というのは9月5日に到着した分と見るべきかと
五月雨式に上洛したのも個人としてというより、島津の後方能力がヘボだから
一度に大人数を送れなかったのかもしれない
467人間七七四年:2009/10/31(土) 22:23:41 ID:khIS3A0w
島津のような時代おくれの土豪集団の大名が、急に大軍を送れと言っても不可能だ。
468人間七七四年:2009/11/01(日) 00:07:45 ID:hVsC2QaR
島津は何故傍観してたんだろうか

1、伏見での戦功を無視されたからひねくれた
2、夜襲の献策を無視されてひねくれた
3、少ない手勢で最大の戦果を挙げるために戦力投入のタイミングを見計らってたらいつの間にか味方が負けてた
469人間七七四年:2009/11/01(日) 00:28:13 ID:3shH7n2b
そりゃあ主張が認められなかったうえに
数が少ないんだから様子見になるのも無理は無いだろう
自分の考えどおりの戦いなら力も出せようが
それとなんだかんだでどうやら保有戦力の多少で意見が左右されるんだとか
470人間七七四年:2009/11/01(日) 00:50:57 ID:w8+y54TU
前にも書いたが、島津の奇襲作戦が受け入れられなかったという
「西藩野史」「東照宮実紀」にある逸話はかなり疑わしい。
また、島津は元々二番備若しくは脇備であり、当初戦闘に加わらないのは当然。
当初は三成の陣と連絡を取り合っており、鉄砲衆も派遣している。
ただ、戦闘要請を入れられた時には既に小早川が旗色を鮮明にしており、大勢は決してしまった。
島津としては早々に身の安全を確保しなければならない状態だった。
471人間七七四年:2009/11/01(日) 01:02:58 ID:/R5EfYEx
まあ兵3000は居なかっただろうな
いればもっと戦線前方に布陣されているよ
472人間七七四年:2009/11/01(日) 02:23:13 ID:h1Hvkz2Z
加藤ら七将は戦後も仲良かったの?
なんか福島は孤立していったとか聞くけど
473人間七七四年:2009/11/01(日) 02:58:49 ID:vrMqtAbb
>>472
黒田長政と細川忠興は関ヶ原合戦以降は不仲で有名。
また、諸史料によってメンバーは異なるけど、あの三成襲撃は
蔚山城の攻防をめぐるなかで表面化した問題なので、七人のなかでも
黒田、蜂須賀、あとは加藤がとくにメインだった模様。
474人間七七四年:2009/11/01(日) 04:32:24 ID:Koexbz4S
葵見てたら東軍好きになるわ
逐一福島黒田細川池田藤堂京極山内云々と名前挙げるのがいい
475人間七七四年:2009/11/01(日) 09:18:56 ID:3tip8xsA
島津は通説と異なり、ガチで井伊本隊と松平忠吉と戦っている
傍観というのは島津でなく、小西行長
もっとも彼の場合は元々、後詰だったようである

配陣も実際はぐぐっと前に出ている
476人間七七四年:2009/11/01(日) 09:51:50 ID:0IjVxVTc
>>474
福島黒田藤堂に合言葉を伝えるとこのコントがおもしろかったw
主人公が徳川家なのに関ヶ原は実質三成が主人公だけどそこがいい
SAKONと豊久の死には泣かされたわ
東軍は小早川の裏切りよりも関ヶ原以外でも皆で勝ったという感じがよかったわ
477人間七七四年:2009/11/01(日) 13:24:21 ID:q+mO83hB
>>476
合言葉何話だったっけ
478人間七七四年:2009/11/01(日) 13:30:29 ID:9htErwF1
>>477
えいえいおー
479人間七七四年:2009/11/01(日) 14:04:19 ID:7JEyIacZ
>>477
山か山 崖か崖 
480人間七七四年:2009/11/01(日) 17:13:32 ID:0IjVxVTc
>>477
タイトルはたしか天下分け目だったような気がする
481人間七七四年:2009/11/02(月) 00:29:55 ID:idM2biwS
>>476
頭が悪いので実はあのシーンの意味が分からない
482人間七七四年:2009/11/02(月) 02:38:42 ID:C2zcnvtR
三成が、家康の挑発に乗らないで、関ヶ原がなければ、家康が死んで豊臣家の世が続き、徳川は執権的な地位で収まったんだろうか? そう考えると、三成は豊臣家を潰しただけなのかな。
483人間七七四年:2009/11/02(月) 02:47:39 ID:neBq6kUA
どう考えても上杉の次は毛利、宇喜多と順番に難癖付けて臣従させるか滅亡させるだろ
484人間七七四年:2009/11/02(月) 08:27:28 ID:x+dRKh7Y
>>481
合言葉を伝える兵が最後につられて自分で合言葉を答えてしまったんだと思う
485人間七七四年:2009/11/02(月) 11:48:19 ID:kUCwjn3l
>>483
鎌倉幕府の北条氏みたいだな。
最後は宮将軍でもかつぐのかな?
486人間七七四年:2009/11/02(月) 20:58:40 ID:idM2biwS
>>484
兵「合言葉は山に山 財に財」
福島「山に山 財に財」
兵「合言葉は山に山 財に財」
黒田「山に山 財に財」
兵「合言葉は山に山」
藤堂「財に財」
兵「合言葉は」
京極「山に山」
兵「財に財」
何で後ろ2人は合言葉知ってたの?
487人間七七四年:2009/11/03(火) 20:54:35 ID:iq5iVL6P
エイエイオウオウ
エイトウエイトウ
488人間七七四年:2009/11/04(水) 21:54:50 ID:pxo/NLoi
合言葉といえば黒田長政
489人間七七四年:2009/11/04(水) 22:16:55 ID:4+LAKOdl
特報!!押尾学は必ず刑務所に放り込む!! ジャ−ナリズム.
公開日:2009/11/03 00:00 .
http://maglog.jp/nabesho/Article817677.html
.
この数日、ブログを休んだのは他ならぬ押尾学殺人事件を、国会(衆議院、参議院法務委員会)で追求させるための
“資料集めと原稿作り”に取り掛かっていたからです。.
 押尾本人を国会に呼ぶわけではありませんが、押尾を取り調べた麻布警察署の不可解な動き、司法解剖もせず、
女性の死因に「事件性はない。タレントも絡んでいない」と8月3日、午前10時に発表して置きながら、その後、
押尾学を出頭させ逮捕している。.
 女性の携帯を「探せばあるだろう」などと遺族を突き放し、4日に日本テレビのスタッフが六本木ヒルズ入り口の
『植え込み』から発見。遺族に確認後、麻布署に知らせたにもかかわらず、麻布署はそれを隠蔽し、10日もたった
14日にさも麻布署が発見したごとき姿をテレビ放映させた。ここに何が隠されているのか?等々。.
筆者の下にはまた新しい驚くべき情報が二つ飛び込んできています。それは後日掲載します。.

この記事を他ジャンルの板に張り付け願う!


490人間七七四年:2009/11/04(水) 22:47:19 ID:4S5fDQUF
合戦って、敵の大将の首を取ったら勝ちなんでしょ?関ヶ原の場合、西軍全部が島津みたいに家康の本陣に突っ込めば、被害は大きいけど必ず勝てると思うけど…
491人間七七四年:2009/11/04(水) 23:00:28 ID:L1uxwgcX
史上稀に見る完敗の西軍ですら
その場では三成捕まってないだろ
しかも別に島津は家康めがけて突撃してない
逃げ遅れたけど、東軍の西軍主力への追い討ちが始まると
その軍勢と後ろで控えてる軍勢との間に空いたスペースを使って
斜め前(南東)に抜けただけ
三成やらと同じ方向に逃げたら余計危ないからな
それでも壊滅だ、義弘は命からがら逃げたけど
492人間七七四年:2009/11/04(水) 23:02:10 ID:z3zV7Z9K
> 合戦って、敵の大将の首を取ったら勝ちなんでしょ?

そもそもここが間違い
493人間七七四年:2009/11/04(水) 23:29:45 ID:4S5fDQUF
>>492 でも、桶狭間の場合、織田軍より兵が多い今川軍が、義元の首取られたら早々に逃げ帰ったんでしょ?
494人間七七四年:2009/11/04(水) 23:49:57 ID:ejFH1E3I
こいつはバカなんだろうか
495人間七七四年:2009/11/04(水) 23:58:50 ID:4S5fDQUF
>>494 バカに解りやすく説明できる?
496人間七七四年:2009/11/05(木) 00:03:46 ID:2vIi92h6
小山評定で山内一豊が堀尾忠氏の提案を盗んだ、
ということの真偽は別として。
堀尾→出雲
山内→土佐
だが、どちらがありがたいと思う?

司馬遼太郎の小説では「盗んだ山内は土佐一国を得た」
と書かれていたが、当時の交通事情やら土地の豊かさとか
考えたら、俺は土佐よりも山陰で領地貰った方が
ありがたいと思うんだが。
497人間七七四年:2009/11/05(木) 00:04:14 ID:/mDhESEX
西軍全部が突っ込んできたら
東軍全部がそこに応戦する
498人間七七四年:2009/11/05(木) 00:14:47 ID:gPgPEbh6
>>496
交通の要衝掛川5万1000石から(未検地とはいえ)9万8000石の土佐では左遷に近い物があると思う
検地で21万石になったけど、土佐を治めるのに苦労してるし
499人間七七四年:2009/11/05(木) 00:24:44 ID:W0UIxQ7Y
>>496
まあ当時の感覚で考えれば出雲のほうがお得なのは間違いないかと。
土佐は「僻地中の僻地」って認識だったし。
500人間七七四年:2009/11/05(木) 00:43:03 ID:HoWtS61L
>>497 良いIDだな
501人間七七四年:2009/11/05(木) 00:59:38 ID:beSs9GwM
>>497
そのIDで突っ込んだとか卑猥です
502人間七七四年:2009/11/06(金) 15:25:22 ID:DXpP4Wan
有名どころだけでも構わないけど、西軍勝利の場合の西軍諸大名への恩賞や西軍加盟の条件となった恩賞が
わかるサイト、文献ってない?
503人間七七四年:2009/11/06(金) 15:40:45 ID:CukRqtZt
>>502
西軍勝利の仮想戦記でも読め
504人間七七四年:2009/11/06(金) 23:00:08 ID:tMfKk9i2
意外と期間が短いもの
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1221356567/

115 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/11/03(火) 16:54:16 0
関ヶ原の戦い

五時間ぐらいで決着

505人間七七四年:2009/11/06(金) 23:08:24 ID:Dfk9PAe4
三成が短期決戦で挑もうとしたけど
裏目に出たんだろうな
506人間七七四年:2009/11/06(金) 23:19:09 ID:DXpP4Wan
短期決戦もなにもあのまま大垣に居れば孤立無援になり各個殲滅されるだけだろ 

とる策は大垣から佐和山へ戦線を下げて戦力を結集するか史実のように決戦に挑むかの2択しかない
507人間七七四年:2009/11/07(土) 00:17:42 ID:I8F0oID5
>>483
これって必ずそう反論する人いるけど
毛利や宇喜多も関ヶ原の時より前にいろいろと工作を受けているんだよな
毛利は領地問題、宇喜多は家臣問題と家康に介入されている
これが原因で毛利や宇喜多が西軍を結成したのかもしれないけど
ただ介入されても滅亡されなかったんだから大丈夫じゃね
それに臣従するなら形だけすればいいわけだし
508人間七七四年:2009/11/07(土) 00:32:05 ID:rPr+7fWD
>>504
5時間と言うと、丁度運動会くらいの時間だな。
509人間七七四年:2009/11/07(土) 00:46:23 ID:W9/41sJh
むしろ毛利、宇喜多なんかに臣従されたらうかつに豊臣に手をだせないだろ
510人間七七四年:2009/11/07(土) 01:02:42 ID:mxLwuH5H
五大老全員本領安堵で臣従させても意味なくね
結局はどっかから所領取って徳川や親徳川の所領にしないとまた戦国時代になるし
511人間七七四年:2009/11/07(土) 01:06:07 ID:rPr+7fWD
>>510
そんな事は無い。波風立たずに徳川体制に移行したほうが、家康にとって
理想的だったに決まってるよ。
体制が確立してしまえばあとはどうとでもできるんだし。
512人間七七四年:2009/11/07(土) 01:07:46 ID:lx8bvPtM
関ヶ原なしで毛利を潰すとはさすがに無理だろ
輝元と家康は義兄弟ともいえるものだし、何より一族で200万石を越える家を潰すとなれば
勝手に関ヶ原レベルの戦になる
513人間七七四年:2009/11/07(土) 01:11:53 ID:W9/41sJh
五大老家がすべて前田状態なるわけか 

実際加賀藩は100万石で残ったけど別に何の障害にもならなかったな ってことは案外毛利、上杉、宇喜多が残っても

514人間七七四年:2009/11/07(土) 01:12:23 ID:rPr+7fWD
>>512
> 勝手に関ヶ原レベルの戦になる
体制が確立したあとなら、「小田原征伐」レベルでしょ。
515人間七七四年:2009/11/07(土) 01:15:04 ID:Tq7B5BiZ
家康が、豊臣家を潰す前に死んだら、秀忠も天下を狙ったかな?
516人間七七四年:2009/11/07(土) 01:43:25 ID:x3MQTQL1
そういえば最初に秀吉との約束をやぶったのが実は三成っていうのは本当なの?
517人間七七四年:2009/11/07(土) 05:05:45 ID:d2IU1h21
島津への加増の話なら三成が最初に言い出したのとは違うと思うが
婚姻問題より前に特例を認めちゃったのは確か
518人間七七四年:2009/11/07(土) 23:17:56 ID:W9/41sJh
秀忠では無理 代替わりした若造ばっかだっかから家康のやりたい放題だったんだよ

毛利、上杉、前田、宇喜多、蒲生、佐竹、長曹我部、小早川、鍋島 有力な外様の当主が毛利上杉除いてみんな10代20代って時点でw
大ベテランに俺たちとかわらんくらいの新人では勝てるわけ無い とりわけ政治では年齢は重用
519人間七七四年:2009/11/07(土) 23:19:06 ID:W9/41sJh
しかも毛利は言わずもがな、上杉景勝だって相当無能だろ?
520人間七七四年:2009/11/08(日) 00:23:43 ID:8GFLvMJs
実際利家生きてた頃は家康より人望あったしな
521人間七七四年:2009/11/08(日) 00:31:14 ID:uOLnxrNB
ぶっちゃけ利家だって何の武功も、優れた能力もないけど年齢と秀吉同じ時代を生きたってだけでそんだけ大きな存在に成れるんだ
政治では年齢は大きい。
522人間七七四年:2009/11/08(日) 00:31:15 ID:01dUalmp
人望ってw
523人間七七四年:2009/11/08(日) 00:35:57 ID:8GFLvMJs
>>522
「御位も国数も大納言様(利家)は下なれども、お城にて人々用ひ(人々の尊信)は、五雙倍にも大納言様つよく候。
これは第一御武辺者なり。
さてまた太閤様(秀吉)御前よき故にても候由、お城にても道中にても、内府(家康)より人々あがまへ、我らまでも心いさみ申す」
524人間七七四年:2009/11/08(日) 00:39:50 ID:398p5Pzp
家康の婚姻策で利家と対立したとき利家の下に集まった大名の数や石高は
家康の下に集まった連中よりかなり多かったからな
525人間七七四年:2009/11/08(日) 01:09:46 ID:NAOia/RW
前田佐竹は三十路
526人間七七四年:2009/11/08(日) 01:12:27 ID:dLHWyj2B
でもなー結局利家は何もできなさそう
家康もチャンスが巡らない限り何もしないだろうから
戦はおきずにそのまんま利家が豊臣政権の実権を握るんだろうけど
利家が死んでから前田家ダメだしな
秀頼が成長するまで生きてればいいが
527人間七七四年:2009/11/08(日) 02:20:21 ID:aNlIZMN4
実際、本能寺以降は織田家中の繰り上がり当選の連続だっただけだからな。
徳川は織田家と同盟していた大名だから旧織田家臣とは本来ランクが一つ上。
こいつが幅をきかせるのも必然と言える。
528人間七七四年:2009/11/08(日) 03:30:19 ID:398p5Pzp
>>527
そんなランキング持ち出したって意味ない

第一そんなん言い出したら足利将軍や織田家の主筋にあたる斯波氏やら
織田や徳川より家格の上の名家なんていくらでもある
秀吉も利家も織田家臣だったけどちゃんとした国持大名でもあったわけだし
529人間七七四年:2009/11/08(日) 09:46:54 ID:oVbTcZCE
>>524
でも結局利家側から詫びを入れる結果になったからなあ
それが実力というものだよ
530人間七七四年:2009/11/08(日) 09:49:45 ID:6tsywArL
非を認めて向島に退去したのは家康だが?
なんか勝手に都合の良いように解釈してる馬鹿多いな
531人間七七四年:2009/11/08(日) 09:51:39 ID:ewrFM9U+
>>529
何いってんのコイツ
532人間七七四年:2009/11/08(日) 10:55:50 ID:aNlIZMN4
>>528
お前が持ち出したランキングには意味はないわ。
名家がどうとかいう話は一切してねえし。
秀吉も利家も戦国の中にあって武で覇を唱えた織田家の中心にいたからに他ならない。
533人間七七四年:2009/11/08(日) 17:48:10 ID:jFo9QPxB
その後の実績を全く考えずに「織田家臣」という一つの括りだけで判断するとかアホすぎる。
秀吉が天下を取ったのは、織田家の家臣であった事も理由の一つだが、
その後の事績は彼の政戦略に依るものであって、秀吉の実力。
他人から認められる実績や功績、人望なんてものは、当初の立場で決まるような物じゃない。
534人間七七四年:2009/11/08(日) 18:01:19 ID:K0sB4ehC
織田家の家臣団の中で上位にあったからこそあそこまで出来たわけでしょう
信長死後は家中の権力闘争だし
535人間七七四年:2009/11/08(日) 18:12:57 ID:jFo9QPxB
>>534
だから、それは理由の一つ。
そもそも他国と戦争状態の真っ只中で実質的当主と名目上の当主の両方が
内紛によって死亡した訳で、この時点で織田家は絶望的な状況だ。
その後の包囲網の打破や大勢力の討伐・吸収などは秀吉の実力に依る物だ。

っていうか、あの状況で織田家重臣なら誰でも天下取れたと思ってる?
536人間七七四年:2009/11/08(日) 18:52:17 ID:K6ZQwoKp
>>532
織田と同盟といっても従属的な関係だったのに何を
537人間七七四年:2009/11/08(日) 19:00:39 ID:AHoAMuW8
家康厨頭おかしいのが多すぎる
信康殺害も信康の才能を恐れた信長に命じられて渋々従ったとか思ってるんだろうか
538人間七七四年:2009/11/08(日) 19:01:14 ID:01dUalmp
>>536
何をといわれても何を?
従属だろうがなんだろうが同盟関係だったのは確かだが?
539人間七七四年:2009/11/08(日) 19:03:03 ID:N3vQ0zkv
家康厨はIDころころ変えてるのか
540人間七七四年:2009/11/08(日) 19:04:44 ID:yYnR+9jC
>>537
> 家康厨頭おかしいのが多すぎる
> 信康殺害も信康の才能を恐れた信長に命じられて渋々従ったとか思ってるんだろうか

才能を恐れた云々はともかく、信康の切腹後徳川家中に、粛清など反対勢力への
弾圧が見られないところから、信康切腹はやはり、当時既に上級権力だった信長からの
何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
541人間七七四年:2009/11/08(日) 19:05:41 ID:ALSKbOEM
ID変えまくって荒らしてんのか
利家に人望がないとか家康は信長と対等の立場だったから秀吉より立場が上とかもうね
542人間七七四年:2009/11/08(日) 19:07:16 ID:K6ZQwoKp
>>540

単に家康と信康の対立
家康がいちいち信長に家中の問題のお伺いを立てて
信長が家康の思い通りにしろという許可を得て殺しただけですが
543人間七七四年:2009/11/08(日) 19:07:44 ID:yYnR+9jC
ID変えまくっているアンチ家康厨が、他人も自分と同じ事をしているに違いないと信じているようで。
544人間七七四年:2009/11/08(日) 19:09:38 ID:ALSKbOEM
>>540
いやいや
どこの学説だよw
545人間七七四年:2009/11/08(日) 19:12:04 ID:jFo9QPxB
>>540
> 何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
誰の説?2〜3人で良いから挙げてみてよ。
っていうか、そもそも信長が直接殺すように指示した記録も無いのに、
信長自身に利益があるようにはとても思えない命令をしたとする根拠は何?
546人間七七四年:2009/11/08(日) 19:14:21 ID:AHoAMuW8
>>540
>何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
これなんの出典もなく語ってるけどお前の脳内だけの説だよね
こんな論説唱えてる学者誰もいないよ

信康殺害は単なる家康と信康の対立
信長は信康の殺害なんて関与してない
547人間七七四年:2009/11/08(日) 19:23:11 ID:3OOxt4xj
> 何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?

とか出典もなく自分の捏造をさも学会や世間一般で主流のような言い方をしてるけど恥ずかしくないの?
548人間七七四年:2009/11/08(日) 19:26:49 ID:01dUalmp
家康が信康と対立して殺したってのも、定着した学説でもなんでもないだろ。
まともな学者なら「原因は良くわからない」って態度だと思うが。
549人間七七四年:2009/11/08(日) 19:27:55 ID:N3vQ0zkv
> 原因は良くわからない

pgr
550人間七七四年:2009/11/08(日) 19:29:44 ID:DVFygOaK
>まともな学者なら「原因は良くわからない」って態度だと思うが。
これはひどい
551人間七七四年:2009/11/08(日) 19:33:12 ID:AHoAMuW8
ID:yYnR+9jC=ID:01dUalmpか
もっと勉強してきなさい
552人間七七四年:2009/11/08(日) 19:35:33 ID:01dUalmp
「よくわからない」は書き方が悪かったな。「原因を断定しない」とするべきだった。

>>551
お前がID変えてるからって一緒にしないでくれ。
553人間七七四年:2009/11/08(日) 19:41:55 ID:9eqOlNeC
馬鹿すぎる
554人間七七四年:2009/11/08(日) 19:49:33 ID:W1TcZw1X
「良くわかんないから断定は出来ないけど」
なんて前提で自身の論説を発表する学者なんて皆無なんだが
555人間七七四年:2009/11/08(日) 19:51:30 ID:N3vQ0zkv
現代になっても徳川史観に踊らされてる馬鹿居るんだな
良く分からんとか言う池沼は相手にしないでNGIDにするべき
556人間七七四年:2009/11/08(日) 19:55:00 ID:a09m4GaP
信長死後、その事業継承を勝ち取った秀吉が天下取るのは必然
なんで家康と信長の話でケンカになるのか意味不明だな
>>554
不明なことは不明と言うよ
この件に関しては多説あるけど確定的な学説は無いよ
557人間七七四年:2009/11/08(日) 20:05:05 ID:DVFygOaK
>>556
そりゃ本能寺の変みたいな不確定要素が多い事象には色んな説があって
それぞれを支持してる学者も多種多様だけど

信康殺害の件に関して信長が関与した説を唱えてるのは皆無
家康と信康の不仲説、岡崎派(信康派)と浜松派(家康派)の対立説等徳川家中の問題だったという説が主流

>>540を見れば明らかに「外部からの圧力で殺害した」という徳川史観バリバリの過去の通説だった物を挙げて
それに対する反論なんだから
徳川家中での問題で殺害されたという説が現在では支持されてるのは確定事項なわけで
558人間七七四年:2009/11/08(日) 20:11:46 ID:K6ZQwoKp
>>556
いや、そんなに多説無いだろ
派閥の内部抗争があった、いや単に信康自身が家康の不評を買った等細かな部分では色々な論説はあるけど
おおまかな流れは現在すでに確定してる
未だに信長が関与してるとか言い出すのは不勉強な人間か
花の慶次みたいな漫画や光栄ゲームの影響じゃね?
天道でも未だに信康殺害を信長が指示するイベント発生するし
559人間七七四年:2009/11/08(日) 20:20:45 ID:9eqOlNeC
>>556
信長の圧力で殺した設なんか唱えてる学者は今は居ないよ
40年前に死んでるし
560人間七七四年:2009/11/08(日) 20:20:46 ID:tLTt6n7z
>>556
信長が関与してる説をあげてる学者を教えてクレよ
561人間七七四年:2009/11/08(日) 20:22:30 ID:tLTt6n7z
>>556
というかその多説の内何個か挙げてみてくれよ
実際そんなに多くないだろ
562人間七七四年:2009/11/08(日) 20:23:43 ID:a09m4GaP
今までの正史に対する反論として近年家康側から信康処分を申し立てた説が
多く取上げられるけどそれが確定的とも言い切れはしないな
まだまだ研究が必要なことでしょ
563人間七七四年:2009/11/08(日) 20:26:14 ID:tLTt6n7z
>>562
いやだから信長の圧力だったという説を支持してる学者を教えてくれよ

そんな学者皆無なんだから、現在の主流はすでに家康自身の判断って事だろ
564人間七七四年:2009/11/08(日) 22:40:25 ID:aNlIZMN4
何か盛り上がってるwww
565人間七七四年:2009/11/08(日) 22:51:44 ID:RzOTZF7+
なぜか関ヶ原スレで
566人間七七四年:2009/11/08(日) 23:03:25 ID:a09m4GaP
俺の所為かw
別にどちらの説にも与したつもりもないんだがw
567人間七七四年:2009/11/08(日) 23:23:57 ID:ALSKbOEM
>>566
別にどっちの説を支持、不支持でもかまわんが
信長の圧力説の可能性を否定しない時点で一次史料の読めない素人としか

> 弾圧が見られないところから、信康切腹はやはり、当時既に上級権力だった信長からの
> 何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?

こんな馬鹿もいるし
568人間七七四年:2009/11/08(日) 23:27:59 ID:aNlIZMN4
結局何を言いたいのかわからない
569人間七七四年:2009/11/08(日) 23:47:59 ID:H/ZxxLdh
>>566
学会で通説の信長の指示による殺害を支持してる学者を挙げてくれよまじで
信康の件に関しては新説支持が大多数でもはや信長関与の研究してる学者なんて皆無だと思うんだが
570人間七七四年:2009/11/08(日) 23:52:00 ID:G2XVa7nq
家康支持者にソース挙げてくれといってソースが上がったためしがない
571人間七七四年:2009/11/09(月) 07:35:57 ID:nCs0vkLs
信康が生きてようが秀忠と同じだろ
そもそも信州攻略を命じたのは家康だし、徳川主力が無くても勝てる!と踏んで関ヶ原へ向かったのも家康本人の意思。
572人間七七四年:2009/11/09(月) 08:15:29 ID:EJsvcDqf
信州攻略を命じたのは確かに家康だけど
西軍の対応見て即座に美濃に入るように伝令送ってる
天候のせいで秀忠にその命令変更が届いたのは遅れたけど

つまり秀忠本隊もアテにしてたという
573人間七七四年:2009/11/09(月) 08:21:54 ID:nCs0vkLs
アテにしたなら徳川本隊を待ったり、加賀に戻った前田利長を飛騨や信州経由でこさせれるのはどうだ?
どちらかだけでも2、3万の兵力が加わるわけだ 東軍にとっていそぐ必要はない。

ただ、そうすると大津攻略部隊と田辺攻略部隊が来るだろうが立花宗茂や毛利元康以外はどれも1万石程度の寄せ集め
大坂の毛利本隊が動くとは思えんから、西軍には有力な援軍は立花、毛利の5、6千しかいない
574人間七七四年:2009/11/09(月) 08:26:04 ID:nCs0vkLs
さらに、既に小早川の東軍参加は確定事項な上、関ヶ原盆地の要衝である松尾山城は実質東軍の支配下

大津、田辺の部隊が先に到着して西軍が赤坂方面に進軍したところで、小早川背後を脅かすことになる
575人間七七四年:2009/11/09(月) 08:32:02 ID:iozTODdb
>>571
> 信康が生きてようが秀忠と同じだろ
一体何時誰がそんな話出したんだよ?

元々スレチな話題なんだから、普通に別な話振れば良いのに、
こんな強引に話をそらそうとするのがあまりに滑稽なんだがw
576人間七七四年:2009/11/09(月) 08:58:27 ID:EJsvcDqf
俺は言ったか言わないかの真贋はともかく
秀康がおったならと言う家康の言った逸話の事かと思ってた


実際関ヶ原は半日で勝負が付くなんて誰も想定してなかったしなぁ
上杉しかり伊達しかり如水しかり

んで吉川や小早川が寝返りを約束してたとしても、朽木脇坂赤座小川みたいに
東軍の旗色が悪くなったらいつ西軍に寝返るかわからんって事もあるしなぁ
577人間七七四年:2009/11/09(月) 09:21:49 ID:QY5CDJyK
>>576
そんな話じゃ無い。
直ぐ上のレス見りゃ分かる。
以上。
578人間七七四年:2009/11/09(月) 11:29:09 ID:BA13HZpM
極端な家康嫌いの人は、信康切腹は家康の主導だった説と
酒井忠次家の冷遇は信康事件の意趣返し説の双方を採用して
家康の非情さと執念深さを批難するから始末に負えない。
579人間七七四年:2009/11/09(月) 16:54:12 ID:ZPHmJG4q
また蒸し返し?
580人間七七四年:2009/11/09(月) 19:36:34 ID:3Hig2+UY
有名な戦国大名は皆非情さと執念深さを兼ね備えてるものでそんなもん貶し文句だと思う人間は
戦国時代をわかってないんだろう
581人間七七四年:2009/11/09(月) 19:56:09 ID:seITqUvD
信康切腹に織田から圧力が無かった説が確定的ってことは無いだろ
この事件を扱ってるサイトや本は、従来の説と併せて無かった説を載せてるのが大多数だろ
それほど無かった説が確定的ならば、最近の出版物でそのことを明記してるものを挙げてほしいわ
582人間七七四年:2009/11/09(月) 20:23:23 ID:BYsuGNwB
家康
「うちの息子の信康が反抗期で困っているんですよ。不良の勝頼なんてのとつるんでいるらしいし」
信長
「そんなやつ、さっさと殺せよ」
家康
「がーん」
583人間七七四年:2009/11/10(火) 20:34:24 ID:JRW2rGsg
TBSの1981年の「関ヶ原」で、徳川家康を熱演された森繁さんに、黙祷。
584人間七七四年:2009/11/10(火) 20:49:07 ID:fOE9NII9
test
585人間七七四年:2009/11/10(火) 20:50:49 ID:fOE9NII9
規制解除
志村喬氏の徳川家康も良かった。
いつごろか忘れた。
586人間七七四年:2009/11/11(水) 06:08:45 ID:uXD+grQO
志村喬の殿様と志村けんの殿様ではえらい違いだのう
587人間七七四年:2009/11/11(水) 12:55:28 ID:BtrnNlcc
関ヶ原スレで信康論じるバカがいる
588人間七七四年:2009/11/11(水) 13:03:22 ID:oRsdsvum
>>540みたいな馬鹿が居るのにも驚きだけどな
589人間七七四年:2009/11/11(水) 13:08:45 ID:8N2Vo0En
>>588
馬鹿発見
590人間七七四年:2009/11/11(水) 13:11:59 ID:oRsdsvum
えっ・・・
信長の圧力があったとする見方が強いって・・・・・
591人間七七四年:2009/11/11(水) 13:15:13 ID:8N2Vo0En
>>590
他所でやれと言われていることがわからない、こうやって説明しないと理解も出来ない馬鹿発見
592人間七七四年:2009/11/11(水) 13:54:39 ID:oRsdsvum
信康以前に
知識のない馬鹿がレスするって問題だと思うんだが
593人間七七四年:2009/11/11(水) 14:14:35 ID:oRsdsvum
というか
○○という見方が強い
って脳内の妄想をあたかも学会やら知識層では常識みたいなミスリードを誘う書き方とか問題あるし
これは信康云々じゃなくて板のどこでもこういう輩は問題だと言いたいわけ
594人間七七四年:2009/11/11(水) 14:26:23 ID:8N2Vo0En

 い い か ら よ そ で や れ
595人間七七四年:2009/11/11(水) 19:35:31 ID:XuDPPsrW
>>592
知識の有無よりも、自分の妄想をさも定説のように言ったり、
歴史上の人物や事象などについて、中傷ありきの偏った考え方で
書き込んだりする手合いの方が問題ありかなと思う。


>>576
吉川や小早川については旗幟不鮮明という感じだしね。
黒田長政も吉川広家の動向に関してはかなり気を揉んでいたようだし、
信憑性はともかくとしても
「長政、吉川とか大丈夫なんだよな!?」→「今更そんなこと知るか、こっちは
それどころじゃない!」というエピソードは、両者が置かれてた状況をよく
表現していると思う。

596人間七七四年:2009/11/11(水) 22:07:54 ID:OWPG9X5r
>>595
その通りだと思う。信康の話題については何か異様な雰囲気だったな
これ以上やりたい人はこちらでどうぞ

【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
597人間七七四年:2009/11/11(水) 22:25:02 ID:OAEXh/3K
関ヶ原での毛利家って、普通言われているように、大阪退去の時点まで主戦派と講和派で
分裂していたのだろうか?
それとも最近一部で言われているように、9月15日の決戦の時点で既に、毛利家中では西軍から
離脱するという一定の合意がなされていて、安国寺あたりは既に梯子を外されていた形だったんだろうか?
598人間七七四年:2009/11/12(木) 01:14:56 ID:w4IoDPa8
関ヶ原本戦には不参加だけどバリバリ東軍かと思われていた加藤清正でさえ
周りが島津以外は留守状態で普通なら直ぐに宇土城攻めするはずたけど
しばらくは日和見だったからな

毛利みたいな大きな家では意思統一なぞできるわけもなかろう
599人間七七四年:2009/11/12(木) 12:15:21 ID:aaiHDpPS
関が原後、島津の討伐計画もあったんだぜ
600人間七七四年:2009/11/12(木) 13:21:05 ID:/MTj0o5M
>>599
毛利が汚名返上する絶好の機会
601人間七七四年:2009/11/16(月) 22:00:20 ID:myy6Pbeg
「関ヶ原は徳川家康と石田三成の戦い、と言うのは間違いである。
西軍の総大将はあくまで毛利輝元であった。
そのため、どのみち輝元は総大将としての責任を取る必要があり、本来は取り潰される運命にあった。
しかし生き残った。
そこに、吉川広家の奔走の意味がある。
そしてそれを助けたのが、黒田や福島といった者達であった。

そのように見るのが、歴史家の考え方と言うべきであろう。」

本郷 和人(東京大学大学院准教授)
602人間七七四年:2009/11/17(火) 04:39:39 ID:r2Dw1ycZ
>>601
毛利ね
私は関係ありませんでしたでは、すまないのは当然
603人間七七四年:2009/11/18(水) 08:27:03 ID:HfW6PQ2w
不戦を誓うなら 初めから伏見攻めとか伊勢攻めもしなきゃよかったのに 
どうせ毛利を咎められる西軍の大名なんていないんだから毛利4万が初めから大坂城から動かなければ

でもそうはしなかったってことは状況次第で西にも東にもって考えで関ヶ原に布陣してたんだよな
604人間七七四年:2009/11/18(水) 10:57:36 ID:DDtKlVdl
なんでか知らんけど中立を保ってれば罰せられないと思ってる人が異様に多いよね
戦国時代でそんな甘い話が通用するわけないだろ
605人間七七四年:2009/11/18(水) 10:58:26 ID:IW3yLYFN
それ今でも通用しねーし
606人間七七四年:2009/11/18(水) 16:07:25 ID:PwgQPLOc
そもそも毛利の何処が中立だよ
中立って示したいなら途中から伏見攻めも参加せず即帰国しろよ

不戦って様子見だろ?小早川裏切りがなければ普通に攻撃してるだろ 負けたから不戦だったって言ってるだけだろ
607人間七七四年:2009/11/18(水) 17:25:18 ID:HfW6PQ2w
鍋島は父の直茂の急使により西軍参加を中止して伊勢をうろうろ 小早川も同様に近江をうろうろ
小早川は東軍に裏切るつもりだから関ヶ原への進軍もわかるが 吉川広家等は不戦なんだから、ざわざ関ヶ原へ進出する必要がない

608人間七七四年:2009/11/18(水) 19:04:29 ID:NWoCGNum
鍋島は長島城兵の押さえとして留まっていただけで交代要員がくれば大垣に進出するつもりだった
関ヶ原で裏切って西軍の襲いかかっていたら領地倍増だったのに
チャンスを逃した鍋島はバカ 
609人間七七四年:2009/11/18(水) 19:43:58 ID:5WwQJqrg
秀吉信者は哀れ
610人間七七四年:2009/11/18(水) 22:56:25 ID:XXoQ5f3F
>>606
帰国したら困るのは三成たちじゃない
吉川広家はすでに9/14に内応の承諾を得ているから
小早川が攻撃しても家康が死なないかぎり攻撃しないと思う
611人間七七四年:2009/11/19(木) 09:07:50 ID:0Jj1gQ79
わざわざ関ヶ原まで進出したのは やはり東軍不利となれば襲いかかる つもりだったからだろう
612人間七七四年:2009/11/20(金) 02:12:07 ID:Pq0KCPro
だろうな、内応すると言っときながら安濃津城に攻めかかって
西軍で一番戦死者出すほど働く奴だからな
613人間七七四年:2009/11/20(金) 02:34:01 ID:B3QAcWyn
しかし吉川って三十万石を棒に振ったんだよな。
ただの裏切り者とは違う。
614人間七七四年:2009/11/20(金) 03:05:22 ID:1l2mm3HS
西軍を裏切っただけで毛利家に対して裏切ったわけじゃないからな
615人間七七四年:2009/11/21(土) 00:37:56 ID:v31DF8wi
>>612
昔から吉川はその手で信用させるんじゃんw
616人間七七四年:2009/11/21(土) 03:15:25 ID:+TAUvNFq
家康のすごいところは毛利家の盲点を衝いたことだよな
吉川家を毛利家の家臣としてでなくひとつの独立大名として扱うことにより
いままで吉川家と小早川家の毛利家に対する曖昧な主従関係(毛利家に仕えているのか豊臣家に仕えているか)
をはっきりさせ、関ヶ原の密約を毛利家の手柄でなく吉川家の手柄にしている
617人間七七四年:2009/11/21(土) 03:17:27 ID:wRuCMhhg
毛利家の特異さであり、毛利を拡大した原動力でもあり、そしていびつさでもあるな。
618人間七七四年:2009/11/21(土) 09:54:40 ID:pMTGZrVa
密約の目的って、関ヶ原決戦で不戦して西軍を大敗させること?

そうじゃなかったら安濃津で奮戦して西軍を信用させる とかまったく無意味じゃないか
619人間七七四年:2009/11/21(土) 12:17:23 ID:KBlDYD1Z
>>616
家康の前に秀吉が小早川を毛利の家臣としてでなく
独立大名として扱った先例があるやん
620人間七七四年:2009/11/21(土) 13:38:18 ID:+TAUvNFq
>>619
確かその時隆景は秀吉から貰うのでなくいったん輝元に領地を与えてもらって
それから改めて輝元から貰うような形で領地をもらっている
あくまで毛利家の家臣としての立場を貫こうとしている
621人間七七四年:2009/11/21(土) 13:42:55 ID:v31DF8wi
>>618
先方務めたじゃん。
仮に吉川以外が南宮山の先方だったら毛利軍が戦闘に参加しちゃうじゃないか
622人間七七四年:2009/11/21(土) 14:05:18 ID:KRWZJ1nQ
輝元が密約の事実を聞かされたのは西軍敗戦後だろ

ってことは輝元自身は不戦でもなんでもないんだからそのうち出陣か援軍を派遣するともりだったんだよな 
623人間七七四年:2009/11/21(土) 14:08:50 ID:wRuCMhhg
>>622
もっと前の段階で秀元たちも含めて聞かされていたと思うぞ?
蚊帳の外に置かれたのは安国寺くらいだろう。
624人間七七四年:2009/11/21(土) 14:15:25 ID:KRWZJ1nQ
不戦が毛利家の総意なら、伏見や伊勢での戦いにも参加してなくね?
吉川単独だからここいちばんで進路を塞ぐって強行手段を使ったんだろ
625人間七七四年:2009/11/21(土) 14:43:12 ID:pMTGZrVa
三成たちの独断がなければ長期間し輝元もくる筈だっただろ

大垣軍議には安国寺すらでていない
626人間七七四年:2009/11/21(土) 16:01:11 ID:6GIQ6SwE
輝元は大阪に入る前まではやる気満々だったんだよなあ
627人間七七四年:2009/11/21(土) 16:24:19 ID:JQ3pz/cR
家康に対して父子の思いだなんて媚びへつらっていたり、
三成に対して全く頭が上がらなかったりと、相当気の弱い奴だったんだろうな。
それが安国寺にそそのかされて、俺の時代がきちゃったかな?なんて勘違いしちゃったんだろうねぇ。
628人間七七四年:2009/11/21(土) 16:50:34 ID:KRWZJ1nQ
そこまで追い詰められた状況でもないのに
小早川に側面晒して決戦という大博打うったせいで、  決戦での敗北さえなければ普通に大津経由で輝元は出陣しただろ
629人間七七四年:2009/11/21(土) 17:03:12 ID:wRuCMhhg
9月14日の時点で、小早川が東軍についた、と言う事の影響をどう取るかによるんじゃないかね?
> そこまで追い詰められた状況でもないのに

やはり西軍の中の、大部隊が寝返ったと言う事なわけで、三成としては
西軍が雪崩のように崩壊するのを防ぐためにも、ある程度大きな戦果を必要としたと思えるが。
630人間七七四年:2009/11/21(土) 17:18:22 ID:EFLHudje
14日に家康着陣と秀秋の松尾山占拠が重なっている
後者の以前からの不明瞭な行動を見れば、両者が内通しているのは間違いなし
この状況では伊勢方面に続いて、中山道の連絡線も断絶してしまう
そうなればもはや負けは必定、ならば関ヶ原で決戦する外無し、というのが西軍の判断と思われる
631人間七七四年:2009/11/21(土) 17:36:51 ID:KRWZJ1nQ
内通の事実よりも、不明瞭な大部隊に側面を晒し、主力を壊滅させるような布陣を敷き、決戦に挑むってのがどうもおかしい

なんだかんだ言って、三成の作戦全体への発言力は強かったんだから やはり三成の失策だろ
632人間七七四年:2009/11/21(土) 17:41:10 ID:+TAUvNFq
>>627
父子の思いじゃなくて兄弟の思いのはず
あと三成に対して全く頭が上がらなかったりというよりか
豊臣家と外交するには三成を通さないといけないから必然的に気を遣わないといけない
島津も確か似たような立場だったと思う
633人間七七四年:2009/11/21(土) 17:48:44 ID:EFLHudje
>>631
吉川の内応は知られていなかったから、家康が直ぐに関ヶ原に来るとは考えていなかったんでしょう
本来はその間に小早川を何とかするつもりだったんじゃない
634人間七七四年:2009/11/21(土) 17:49:21 ID:wRuCMhhg
眼前に、総大将も含めた敵の大軍がいて、それで一戦もすることなく撤退すれば、
「敵を恐れた」って事に間違いなくされる。
そうなったらただでさえ結束力の弱い西軍は、あっという間に崩壊するだろうし、
少なくとも三成の「指導力」が完全に消滅する。
635人間七七四年:2009/11/21(土) 17:50:01 ID:JQ3pz/cR
>>632
間違えた。父子じゃなくて父兄な。
兄弟ってのは家康からだ。
主家である豊家に「外交」って何だよw
三成に対して頭が上がらなかったってのは起請文前書案の加筆訂正なんかの事ね。
636人間七七四年:2009/11/21(土) 17:52:34 ID:KRWZJ1nQ
西軍が集結していて、敵前逃亡すれば敵を恐れたといわれるだろうが、そうではない
突出しすぎた部隊を引かせて本隊に合流  すくなくとも主力を壊滅させるよりはマシ
637人間七七四年:2009/11/21(土) 17:58:57 ID:wRuCMhhg
>>636
兵を引けば「西軍」以上に、将としての「石田三成」の評価ががた落ちになって、西軍を指導する
主導権を失っただろうね。奉行派から毛利などの武将たちに、その権力が完全に移行しただろう。
ただでさえ三成が西軍を主導する根拠は、法的には何も存在しないわけだしね。

関ヶ原の決戦が行われたのは、三成が「西軍内の」その主導権を守る意味も強いと思う。
638人間七七四年:2009/11/21(土) 18:01:45 ID:EFLHudje
関ヶ原より先にも後退しようとすると移動中に追撃を受けて、その場で壊乱すると思われる
639人間七七四年:2009/11/21(土) 18:06:06 ID:kgiw7Isc
島津に「夜襲かけといてね」と依頼しておいて
その隙に関ヶ原へ転進なんてのはどう?
640人間七七四年:2009/11/21(土) 18:35:54 ID:JXZeRhIR
多く見積もっても3000いけば良い方くらいの兵しか無い島津を突っ込ませて自分達はスタコラサッサと逃げます、ってんじゃあそれこそ島津ブチ切れるだろ。
641人間七七四年:2009/11/21(土) 18:47:07 ID:wRuCMhhg
だいたい三成は、その奉行時代から(一定の影響力はあっても)恩賞権を手にしていたわけではない以上、
西軍の武将の、生殺与奪まで含むような命令権は手にしえなかった。

家康の場合は、関ヶ原以前から恩賞権を行使していた以上、家康が勝てばそれによって、
たとえ討死しても残った者に恩賞を与えられる事は確実であり、それこそが家康の
指導力の源泉となった。
642人間七七四年:2009/11/21(土) 18:52:31 ID:KRWZJ1nQ
知行宛行権か 
そりゃあ実質的にこの時点の豊臣家の当主は家康だからな 
643人間七七四年:2009/11/21(土) 21:14:35 ID:+TAUvNFq
>>635
その主家である豊家の毛利家や島津家なんかの外交を担当をしたのが三成て意味なんだけど
644人間七七四年:2009/11/21(土) 21:24:40 ID:kgiw7Isc
関ヶ原合戦図屏風が載っている本を見ていて気付いたのだが、
福島正則以外の武将は人物名のみ書かれているのに、なぜか
福島正則のところだけ、「先駆」と但し書きがある。
屏風は本来井伊の活躍を後世に残すために作られたものだから、
井伊と福島の先陣争いは、屏風より後の時代の創作じゃねえ。
645人間七七四年:2009/11/21(土) 22:38:36 ID:35ZZzRce
先陣争いするもなにも、ただの抜け駆け(軍規違反)なんだからそう表記するだろ
646人間七七四年:2009/11/21(土) 23:21:55 ID:JQ3pz/cR
>>643
だから毛利・島津が豊家とやりとりする事を「外交」とは言わないんだよw
647人間七七四年:2009/11/22(日) 11:34:48 ID:iaiqQpLn
小早川はともかく、安国寺って独立大名扱い?

所領も毛利家とは離れたとこにあるし、毛利家臣でありながら処刑されてる。 でも毛利家臣なんだよなあ???
648人間七七四年:2009/11/22(日) 11:59:22 ID:HI5SoZ4G
>>647
江戸時代の八代藩と同じ。両属。
649人間七七四年:2009/11/22(日) 12:48:16 ID:G5Oi7usH
既に小早川が東軍参加した時点でほぼ勝負はついていた
しかし毛利秀元の決断一つで小早川が日よっている間なら
西軍にも勝機があったかもしれない
650人間七七四年:2009/11/22(日) 12:55:24 ID:p3PkMTPF
西軍は三成ら奉行衆と、毛利を始めとした武将たちとの間に、主導権争いがあった節もある。
あれじゃ家康に指揮権がほぼ統一されていた東軍に勝つのは無理だ。
651人間七七四年:2009/11/22(日) 12:58:15 ID:iaiqQpLn
でも、大老の宇喜多秀家ですら殆ど三成の言いなりじゃん 
652人間七七四年:2009/11/22(日) 13:06:58 ID:p3PkMTPF
秀家は奉行衆に最も近い大名だからなあ。
653人間七七四年:2009/11/22(日) 13:11:16 ID:iaiqQpLn
近くても大老は大老 でも実質は小西や大谷と共に三成の組下のようなもんだろ
654人間七七四年:2009/11/22(日) 13:13:44 ID:p3PkMTPF
組下どころか、関ヶ原初期は特に、むしろ秀家が勝手にずんずん進んで行って、
三成たちはそれに引きずりまわされてた感じだが。
655人間七七四年:2009/11/22(日) 13:20:34 ID:OH4Pu7Ac
直家だったら平和裏に西軍勝利に導いただろうな。
656人間七七四年:2009/11/22(日) 13:22:40 ID:ygyf3uLP
動員力=発言力だから18000もいるとそうなるわな
657人間七七四年:2009/11/22(日) 13:24:43 ID:G5Oi7usH
西軍が大垣城を出たのは小早川が東軍だから仕方ない。
大垣城にこもったままなら小早川ははっきり東軍参加して大谷隊壊滅
その状況で南宮山が西軍に止まるのは難しい
毛利は垂井で決戦が行われた場合は東軍参加が規定路線だったらしいし
やっぱり秀元も東軍に内通していた可能性は高いな
658人間七七四年:2009/11/22(日) 13:34:14 ID:iaiqQpLn
毛利本家が内通してるなら、全軍大坂待機か帰国でいいじゃん なんで関ヶ原まで行ったんだよ

あとわからんのは、西軍主力が来る前に大谷隊潰せば大垣は完全に孤立させられるのに、なんで小早川はしなかったんだ?
659人間七七四年:2009/11/22(日) 13:42:18 ID:G5Oi7usH
脇坂らの動向がはっきりしない以上小早川も単独で大谷隊を攻撃できないだろ
毛利本家が内通しているんじゃなくて南宮山の毛利軍自体が最初から
日よっていた可能性がある。宇喜多らと大垣城にいったんは入ったはずなのに
早々と山の上に上っているし
660人間七七四年:2009/11/22(日) 13:59:30 ID:iaiqQpLn
脇坂等4隊は謎

小川、赤座は内通もしてないのに動かず 内通していた脇坂、朽木、小早川もなぜかこの2隊を攻撃してない 
てか小早川は、小早川の進路に配置した筈の4隊をスルーしたってことは 脇坂、朽木、小早川は互いに連絡を取り合ってるってことだよな?

なんであんなに近くにいて大谷は脇坂等の動向をまったく気づいてないんだ・・・・・・??????
661人間七七四年:2009/11/22(日) 14:17:40 ID:G5Oi7usH
西軍は正面軍3万5千のみで東軍9万と野戦でどうやって持久戦に持ち込むか
しかあの時点での勝機はない。関が原でなく別の場所で山岳地帯でゲリラ戦を
行うとかどうだろう。
662人間七七四年:2009/11/22(日) 14:52:35 ID:FBteMuNO
>>660
そいつらも14日に内通している
663人間七七四年:2009/11/22(日) 14:53:20 ID:iaiqQpLn
小早川もそれは知っていたのか?
664人間七七四年:2009/11/22(日) 14:56:25 ID:FBteMuNO
家康の方から使者が来ているから知っているでしょう
665人間七七四年:2009/11/22(日) 14:58:04 ID:p3PkMTPF
>>663
そりゃあそうでしょ。
でないと大谷隊だけに攻めかかるなんてマネはできない。
最低でもその四隊に対する牽制の兵を裂かないと。
666人間七七四年:2009/11/22(日) 14:58:07 ID:iaiqQpLn
大谷は4隊の動向を察知できなかったのか!
667人間七七四年:2009/11/22(日) 14:59:11 ID:FBteMuNO
そういう事になる
668人間七七四年:2009/11/22(日) 15:03:19 ID:iaiqQpLn
あんなに近くにいて、しかも4隊は大谷の与力だろ 
ってことは小早川が万一西軍についても4隊が東軍に寝返って進路を塞ぐ可能性も
669人間七七四年:2009/11/22(日) 15:06:29 ID:iaiqQpLn
すまん、可能性じゃなくて
小早川には脇坂、朽木の東軍参加の情報が入ってるから 小早川が西軍に付いた場合は、既に東軍である
4隊を攻撃するんだな?
670人間七七四年:2009/11/22(日) 15:11:32 ID:p3PkMTPF
>>669
言いたい事はわかるが状況としてあまりにもありえない
671人間七七四年:2009/11/22(日) 15:12:48 ID:FBteMuNO
さあ、小早川の内応が不確定要素になるという事は、他の内応衆も同じ風に考えないといけないからねぇ
672人間七七四年:2009/11/22(日) 15:38:53 ID:iaiqQpLn
確かに 

ただ小川、赤座は密約は結んでなかったのになんで攻撃されなかったんだ
673人間七七四年:2009/11/22(日) 16:40:45 ID:HI5SoZ4G
>>658
大谷率いる北陸勢は一万。
小早川勢は正確には八千。
(小早川勢一万五千六百七十五人説は旧参謀本部の妄想、。
江戸時代の福岡藩表高を三人役で計算しただけ)
まともに戦ったら小早川が不利。
674人間七七四年:2009/11/22(日) 16:46:54 ID:wrFiNKma
小早川が事前に調略したんだろう。
675人間七七四年:2009/11/22(日) 16:51:23 ID:FBteMuNO
>>673
一応、三人役は島津の関ヶ原以前に上杉攻め時の書状で「他の大名は三人役だけど、自分たちは伏見城の在番だから一人役」
という内容の書状が根拠
勿論、仮に定めたのは事実

後、内応勢を除くと大谷は5000弱
676人間七七四年:2009/11/22(日) 16:53:23 ID:iaiqQpLn
4隊の内応がない限り小早川を抑えられたってことか
677人間七七四年:2009/11/22(日) 16:58:08 ID:FBteMuNO
西軍としてはそれでも不安だったというか、できれば再度こちらに引き繋ごうと考えて
主力を関ヶ原に転進させたという考え方もできる
例の関白云々の書状もその一環と言える
678人間七七四年:2009/11/22(日) 17:05:11 ID:iaiqQpLn
桶狭間の織田家ほど追い詰められてたわけでもないのに
壊滅覚悟で小早川に側面さらして特攻ってのが危険すぎる 4万もいれば普通何日かは耐えられるだろ 
679人間七七四年:2009/11/22(日) 17:09:46 ID:ygyf3uLP
小早川勢が15000というのが長いこと信じられてきたのは、
西軍贔屓の小早川さえ裏切らなければという願望のせいでもあるな。
680人間七七四年:2009/11/22(日) 17:15:04 ID:iaiqQpLn
小早川秀秋 15600としても

西軍8万4千 東軍8万8千だから 全軍参戦しても負けてる  

681人間七七四年:2009/11/22(日) 17:15:25 ID:HI5SoZ4G
>>675
黒田が徳川から福岡に移された時の朱印状が三十六万石。
大谷は七月に三奉行連署の知行宛がい状で、越前に十二万石加増されて
十七万石になっている。もちろん二か月で完全戦力化は無理だが、五万石の
ままでは無い。
小川も七万石の三人役で計算されているが、実際に小川が出した兵力は
十二万五千石相当。
682人間七七四年:2009/11/22(日) 17:18:11 ID:FBteMuNO
>>678
当初の想定では南宮山に毛利がいるから、関ヶ原にはそう簡単に来れないと考えたんでしょう
683人間七七四年:2009/11/22(日) 17:25:46 ID:32QPwJrm
大谷が関ヶ原前に松尾山騒動で小早川を叩きつぶすとかいうif史はないのかな。
というかそれぐらいしないとあそこで持久出来んよな

もっとも大津勢と田辺勢が来ても徳川本体も到着だから東軍有利は覆らないか。
毛利本隊出てくればあるいは・・・ってか
684人間七七四年:2009/11/22(日) 17:28:29 ID:HI5SoZ4G
大谷も別に無能な人間ではないので、詳細にみていくと
藤堂、京極、小早川を相手に十分互角に渡り合える戦力は用意している。
そういう意味で、大谷は堅実な名将である。脇坂以下の四隊の連鎖反応的
寝返りが無ければ、大谷は勝利していた。
685人間七七四年:2009/11/22(日) 17:45:48 ID:iaiqQpLn
その組下の内応を見抜けなかったのが痛い
686人間七七四年:2009/11/22(日) 17:46:21 ID:bEoqRBVD
大谷隊の戦力は一部三成から借り受けてたんじゃなかったっけ?
687人間七七四年:2009/11/22(日) 17:47:54 ID:HI5SoZ4G
>>686
島の息子
688人間七七四年:2009/11/22(日) 22:14:18 ID:0ENWH/24
>>649
秀元がどう決断したところで、吉川広家が動かなければどうしようもないだろうなあ。

>>657
>毛利は垂井で云々
出典は何?
689人間七七四年:2009/11/23(月) 00:14:12 ID:Jd9cE9OG
毛利本家が内通してたら進路妨害の意味がないだろ 
本家へばれないために安濃津や伏見で奮戦したんだから 本家も同意済だったらそんな無駄なことしない
690人間七七四年:2009/11/23(月) 00:34:02 ID:jgdlniVm
>>689
妨害したのは安国寺や長束に対して。
691人間七七四年:2009/11/23(月) 00:38:24 ID:vUn/CUkf
長束は妨害されていない。
実際は戦っていた。

らしい。
692人間七七四年:2009/11/23(月) 00:43:11 ID:+DDb3rb9
え?
693人間七七四年:2009/11/23(月) 00:46:09 ID:5S0mREKn
長束の兵数であんな所で一隊だけ戦ってたらあっさり敗走してそうなもんだがなあ。
694人間七七四年:2009/11/23(月) 00:47:04 ID:vUn/CUkf
>>693
相手も池田だけしか動いていなかったみたい。
695人間七七四年:2009/11/23(月) 03:12:55 ID:X2ObGKnd
小競り合い程度だったんだろうな
696人間七七四年:2009/11/23(月) 09:08:31 ID:Jd9cE9OG
長束が戦ってたならせめて安国寺も戦ってやれよ・・・ 
697人間七七四年:2009/11/23(月) 09:13:12 ID:cQIFy6Oq
偶発的な戦闘行為レベルだろ。
全面戦闘に入れば、安国寺隊も参加したと思うが。
698人間七七四年:2009/11/23(月) 09:48:52 ID:Jd9cE9OG
偶発的に毛利秀元と池田や浅野との戦闘が起こった場合、吉川はどうする
699人間七七四年:2009/11/23(月) 11:47:08 ID:BXrIcR8L
>>698
位置的に偶発的なことも起こらないだろ
700人間七七四年:2009/11/23(月) 12:24:13 ID:+DDb3rb9
長束だって位置的におかしいだろ
701人間七七四年:2009/11/24(火) 02:00:22 ID:wiCwo12n
>>700
物見だと言ってすり抜けて前に出たのかも
702人間七七四年:2009/11/24(火) 02:03:36 ID:mpINyi4b
つーか長束が戦ってたって何所の情報なんだ?
703人間七七四年:2009/11/24(火) 09:48:21 ID:4HWGHXy9
>>698
東軍から攻撃したら不戦は保証しない て通告してたはず
704人間七七四年:2009/11/24(火) 10:05:50 ID:Dj94+eKs
東軍の徳川家以外の諸将はどの程度情報を与えられてたんだろう
小早川や毛利は裏切ってるから無視してOKみたいな指示は家康からあったのかな
705人間七七四年:2009/11/24(火) 10:16:07 ID:apQwF7Z0
>>704
内応について東軍は小早川は随分前から知られており、小西のは合戦直前に知らせたようである
706人間七七四年:2009/11/24(火) 21:02:20 ID:4Eud9c5G
しかし東軍は豊臣恩顧が最前線で戦わされてるよな
本人らの意思もあったんだろうが 家康が潰し合ってくれと願うような陣構えだよな
707人間七七四年:2009/11/24(火) 21:06:21 ID:apQwF7Z0
井伊や松平忠吉、本多忠勝もガチで戦ってんがな
708人間七七四年:2009/11/24(火) 21:59:58 ID:qOl/3I74
そもそも長政、正則なんか
三成を政権からはじき出した張本人だからな
高虎、輝政も控えてるし
そんな謹慎中の奴がいきなりクーデター起こしたら叩いて当たり前
ましてや豊臣政権そのものともいえる家康に楯突いたんだから
709人間七七四年:2009/11/25(水) 00:57:29 ID:NjWGo0GL
>>705
小西行長の内応について詳しく
710人間七七四年:2009/11/25(水) 01:01:43 ID:xlxJDe4X
>>709
小西じゃなくて脇坂の書き間違いでしょ?
711人間七七四年:2009/11/25(水) 07:17:22 ID:QAxoFcp1
>>709
吉川の間違えでした多謝
712人間七七四年:2009/11/25(水) 17:06:53 ID:JZMievYC
関ヶ原合戦の時の動員兵力って
あれは小荷駄なんかも含まれてんの?
713人間七七四年:2009/11/25(水) 22:13:24 ID:bP4wZqo4
>>707
そうでしたか・・スマン
714人間七七四年:2009/11/25(水) 22:23:15 ID:QAxoFcp1
>>713
そう考えるのが自然かと
但し、東軍のは小荷駄は赤坂に停め置かれている可能性が高い
715人間七七四年:2009/11/25(水) 22:30:45 ID:xlxJDe4X
西軍は関ヶ原の前日、陣営作りに足軽まで動員されてたらしいな。
陣夫の動因が不足していたんだろうか?
716人間七七四年:2009/11/25(水) 22:35:21 ID:9HbgXODQ
西軍の布陣した場所の陣跡はまだ一部遺構が残ってる程の大規模だったからじゃね
だからこそ三成、秀家、吉継他といった少数が戦闘した状況でも序盤は有利に展開できたと
717人間七七四年:2009/11/25(水) 22:58:34 ID:0qn8iDGB
小西行長、島津は目の前の敵がおそってきたから仕方なく戦うというふうで
戦意には乏しかった。小西、島津の本音は局外中立に
718人間七七四年:2009/11/25(水) 23:11:50 ID:OpkylDlF
>>717
いや島津氏としては層かも知れんが少なくとも現場の義弘はそんな事無いと思うが
手勢の少なさで軽んじられたり置き去りにされたり夜襲案を却下されて戦意を失ったって可能性もあるけど

夜襲の提案をするなど戦意はあるわけで
関ヶ原で積極的じゃなかったのは少ない手勢で最大の戦果を挙げようと機を伺ってた
と考える方が自然だと思う
719人間七七四年:2009/11/25(水) 23:14:32 ID:xlxJDe4X
>>718
> 夜襲の提案

それ島津の記録にあるだけだからなあ。
ぶっちゃけ実際には、そんな提案は存在しなかったと思う。
720人間七七四年:2009/11/25(水) 23:22:32 ID:OpkylDlF
手勢1000で参戦ってそんだけ意欲的だった裏返しでもあるんじゃね
721人間七七四年:2009/11/25(水) 23:29:25 ID:gogQR489
前にも書いたかも知れないけど、夜襲の記録は江戸後期に書かれた西藩野史と東照宮実紀。
会話の内容から信憑性が薄い。
722人間七七四年:2009/11/25(水) 23:35:12 ID:9HbgXODQ
最初義弘の手勢は200でそこから必死こいて集めたわけだし戦意はあったんじゃね
帰国するタイミングはいくらでもあったし

伏見入城を断られたから渋々西軍参加ってのも信憑性ないから
少なくとも東軍で戦おうとした程度には戦意あると思うわ
723人間七七四年:2009/11/25(水) 23:35:55 ID:9HbgXODQ
×少なくとも東軍で戦おうとした程度には戦意あると思うわ
○少なくとも最初から西軍で戦おうとした程度には戦意あると思うわ
724人間七七四年:2009/11/25(水) 23:40:45 ID:xlxJDe4X
夜襲じゃないが、家康の赤坂到着前に、毛利秀元や大谷吉継なんかが
「早く決戦するべきだ!」って三成たちを突き上げたり、
松尾山を占拠した小早川秀秋を
「どう考えても東軍に寝返ってるんだから、先にあいつを殲滅するべきだ!」
って主張した、なんて話が毛利秀元記にあるな。

島津の夜襲話は、このへんをネタ元にした創作でしょうね。
725人間七七四年:2009/11/26(木) 00:19:50 ID:B3yIOboi
まぁ誰それが何て言ったなんてのは一次史料の手紙とかで残ってる以外で
正確に伝わる方が難しいしな
信康がいればとかその最たる物だし
726人間七七四年:2009/11/26(木) 05:22:23 ID:JVOF/pbE
>>706
関ヶ原にいた家康の直接の軍勢は家康直属勢と
井伊、本多勢のみしかいなかったんだし
いきなり本陣が前線というわけもないし
井伊、本多は軍監であって少数だったけども勇戦しているよな
727人間七七四年:2009/11/26(木) 09:10:08 ID:la7Jj8v7
>>720
島津は三千が事実
ソースは吉川広家文書及び各種合戦記より

後、夜襲説は「落穂集」がソースだが、江戸時代から
学者間では雑説と見られている
728人間七七四年:2009/11/26(木) 09:12:44 ID:la7Jj8v7
>>726
井伊は3000程度はいたのでそれなりの戦力
本多は400程度だが遊撃隊として首90を獲るというチートな真似をしている
それから松平忠吉(10万石)を忘れては可哀そう
729人間七七四年:2009/11/26(木) 15:35:33 ID:Soy4BCjC
本多は長男が別働隊で本多隊の大部分を率いてるからな
細川は5000で200しか討ってないのに
忠勝と次男は500で90ってよく比較されるけど
他の隊も全部数字残ってるのかな
細川は中備っぽいイメージだからなんか比べてもね・・・
福島黒田井伊あたりはどれぐらい討ち取ったんだろう
730人間七七四年:2009/11/26(木) 15:57:44 ID:la7Jj8v7
井伊も二百とある
731人間七七四年:2009/11/26(木) 16:50:00 ID:Soy4BCjC
凄いな、じゃあ攻撃特化か
忠勝は二十歳ぐらいで旗本先手役に
同い年の康政と抜擢されたときに50騎与力が付いたらしいが
1騎につき雑兵が5〜10人とすると
数百になるしそれが得意な数なのかな
小牧の陽動も500ぐらいだったらしいし
732人間七七四年:2009/11/26(木) 20:55:43 ID:la7Jj8v7
ついでにいうと本多隊は前半は毛利勢を警戒して、牧田口十九女池近くにいたので、
後半戦からの参戦であれだけの戦果ということになる
733人間七七四年:2009/11/26(木) 21:05:31 ID:6v+FyA4F
後半戦から参戦したから
戦い詰めで疲労していた敵に止めをさす形になったのかな
734人間七七四年:2009/11/26(木) 21:24:45 ID:la7Jj8v7
それもあると思うが、横槍の仕方も上手だったんでしょう
735人間七七四年:2009/11/26(木) 21:34:48 ID:bBvGnIKE
厳密にいうと本多隊はほとんど落武者狩りでの戦果なので、
あまり高く評価されず、戦後の加増は無かったのでは。
736人間七七四年:2009/11/26(木) 21:55:05 ID:fBAkWcNq
加増は自分から固辞したみたいだが 忠政じゃなく次男忠朝が結局貰った 手回しかな?
737人間七七四年:2009/11/26(木) 21:56:06 ID:la7Jj8v7
>>735
本戦に参加した次男の忠朝が別家として五万石を与えられています
738人間七七四年:2009/11/26(木) 22:00:38 ID:7FiLlgLs
追撃戦の戦果を評価されなかったら、戦国期の合戦で評価される武将は
ほとんどいなくなる。
739人間七七四年:2009/11/26(木) 22:07:19 ID:la7Jj8v7
それに追撃と言うより、敵陣を崩したという方が正しいと思う
740人間七七四年:2009/11/26(木) 23:02:27 ID:hdsu0xy5
宇喜田勢一万五千人の勇猛果敢な戦いは、後世に語り継がれているな。
741人間七七四年:2009/11/26(木) 23:08:42 ID:7FiLlgLs
美濃國諸舊記じゃ合戦の真っ最中に突然逃げ出した事になってて笑ったw>宇喜田秀家
742人間七七四年:2009/11/26(木) 23:13:46 ID:la7Jj8v7
>>740
頑張っているけどその前の御家騒動で、戦力半減だからなぁ
743人間七七四年:2009/11/26(木) 23:33:49 ID:0bjJYWl/
>>742
直家以来の著名な一門・重臣クラスが悉く抜けて、明石全登や長船氏くらいしか
残っていなかったからな。
744人間七七四年:2009/11/26(木) 23:36:53 ID:yb0bwYr5
だからそれは褒められたことじゃないじゃん。
745人間七七四年:2009/11/27(金) 09:24:19 ID:RowhhFob
>>738
合戦の死傷者はほとんどが潰走になってからのものだしな
746人間七七四年:2009/11/27(金) 10:15:01 ID:hggEXmI7
本多はあちこち転戦しているからなぁ
747人間七七四年:2009/11/27(金) 14:47:29 ID:B50KJL8b
毛利秀元らがなぜ大垣城ではなく南宮山に登ったのでしょうか
これはかってに松尾山に登った小早川と同じく怪しい行動だと思うのですが
この時点で三成は疑わなかったんでしょうか
748人間七七四年:2009/11/27(金) 17:26:19 ID:sPCx45Og
赤坂にいる東軍を挟撃できる好位置を確保しただけだと思うが。
749人間七七四年:2009/11/27(金) 17:40:34 ID:wkcg9Qmb
南宮山を抑えたおかげで、東軍に長松を占拠されて以降、不安定だった関ヶ原経由の
連絡線が安定化した
750人間七七四年:2009/11/28(土) 13:47:25 ID:XjloI2AB
裏切り4将って大谷の作戦通り機能したてら小早川を抑えられたの?
751人間七七四年:2009/11/28(土) 15:03:36 ID:zp6qLNeM
4将が裏切ってなきゃ無いで、小早川もそっちに押さえの兵を分けるだろうし、なんとも。
752人間七七四年:2009/11/28(土) 16:56:32 ID:/eHlfPub
>>750
そのなかでも脇坂安治はかなり強い意志で東軍に内通していたから
小早川の動きに連動して他の3将が西軍に留まっても
小早川と同じ行動をすると思うな
753人間七七四年:2009/11/29(日) 00:21:11 ID:DBZABPBq
てか脇坂ってよく西軍にいられたな 
三成襲撃グループのやつじゃん 西軍でかっても三成が主導権にぎったら真っ先に潰される
754人間七七四年:2009/11/29(日) 00:46:31 ID:UpW5Q4hB
脇坂が三成襲撃グループ?関連が分からんが、七本槍の話か?あれなら西軍には糟屋武則がいるぞ。
そもそも端から東軍に付くつもりだったのが、ちょうど西軍挙兵とかち合ってしまったせいで西軍にいた訳だし。
755人間七七四年:2009/11/29(日) 01:20:35 ID:nWPCH3LO
戦いが始まってから裏切ったり、日和見決め込むような奴は
敵からも味方からも信頼されないな。当たり前だが。
756人間七七四年:2009/11/29(日) 01:42:08 ID:sOSaKF0y
三成襲撃七将=加藤清正・福島正則・黒田長政・池田輝政・細川忠興・加藤嘉明・浅野幸長
757人間七七四年:2009/11/29(日) 01:50:30 ID:uRg4LvjV
>>756
プラス藤堂高虎・蜂須賀家政・脇坂安治 (義演准后日記)
758人間七七四年:2009/11/29(日) 02:22:07 ID:sOSaKF0y
>>757
こらっ
プラスしたら七将じゃなくなるだろ
759人間七七四年:2009/11/29(日) 03:44:22 ID:vO0AEwt1
七本槍だって7人じゃないんだし
語呂がいいから七本にしているみたいだからアリなんじゃ?
760人間七七四年:2009/11/29(日) 04:04:34 ID:GBloPu2J
まぁ七本槍自体若い連中の奮起を促す名誉職的な意味合いもあるしな
小姓や軽輩でも手柄次第で立身出世も思うがまま的な

実際賤ヶ岳では兵站奉行や調略、敵情視察以外に先駈衆として一番槍の武功を挙げた
三成の方が功績高いわけで
近江水口4万石に封じられて同僚の中じゃまっさきに大名として取り立てられてるし
761人間七七四年:2009/11/29(日) 08:04:11 ID:ED1iOR/V
糟屋武則って関ヶ原で戦っていたはずなのに、
配置図に書かれることほとんど無いよな。
宇喜多の右脇ぐらいで、福島の前。
小大名って哀れだね。
762人間七七四年:2009/11/29(日) 12:54:54 ID:wPHawOvx
え?三成は実際は水口城主になんてなってないだろ
領地の面での出世頭はやはり加藤清正だと思うけど。
763人間七七四年:2009/11/29(日) 13:16:04 ID:38F56P2w
天正十一年に近江水口四万石ってのが一番有力説じゃねーの?
その後中村増田長束と変遷していくのが自然だし
764人間七七四年:2009/11/29(日) 22:21:42 ID:b7MFhCHu
>てか脇坂ってよく西軍にいられたな 

西軍が勝っていたら、真っ先に闇に葬られそうだな。
765人間七七四年:2009/11/29(日) 22:46:06 ID:ED1iOR/V
>>762
加藤の領地は少ない

浅野21.6万石
福島20万石
青木20万石
増田20万石
加藤19.6万石
石田19.4万石

石田はこれに父兄の分もあるし、福島は弟の分もある。
766人間七七四年:2009/11/29(日) 23:28:40 ID:DBZABPBq
宮部継潤も20万石だぞ 
767人間七七四年:2009/11/29(日) 23:39:18 ID:ED1iOR/V
>>766
宮部とか黒田とか細川とか池田とかは、秀吉に付いたときは
既に城持ちなので、扱いは別だと思うが。
768人間七七四年:2009/11/29(日) 23:40:08 ID:Sha11tUF
>>765
青木って何者?
聞いたこともないぞw
769人間七七四年:2009/11/29(日) 23:50:25 ID:uRg4LvjV
まあ豊臣家には七手組に、徳川からスカウトされた青木一重ってのはいるが、
20万石ってのは小西の事じゃないか?
770人間七七四年:2009/11/29(日) 23:59:00 ID:DBZABPBq
小早川秀秋は0万石から35万石になった
771人間七七四年:2009/11/30(月) 00:14:36 ID:BF/+AQZS
>>768
青木一矩
越前北ノ庄城主
越前大野八万石から、秀吉の遺言で北ノ庄二十万石に転封
大政所の甥
772人間七七四年:2009/11/30(月) 00:18:14 ID:xY9YTduJ
関ヶ原後に清正、正則、幸長、秀秋など豊臣家自体には忠誠を誓ってるやつらが組めば この4人だけでも200万石にもなるんだが 

しかも清正以外中国地方周辺にかたまってるから徳川への憎しみに燃える毛利と組めば 
773人間七七四年:2009/11/30(月) 00:32:56 ID:6pwbTB9p
> 徳川への憎しみに燃える毛利

先ずここが大きな間違いなんだよな
774人間七七四年:2009/11/30(月) 00:38:20 ID:xY9YTduJ
憎んでないわけないだろ 特に吉川とか
775人間七七四年:2009/11/30(月) 00:43:42 ID:6pwbTB9p
>>774
毛利は西軍総大将として、命令を発行していた以上処分されざるを得ない事は、
輝元も吉川広家もわかりきっていた。広家の奔走は、その「責任」を
どれだけ小さく出来るか、ってこと。

広家は、毛利が防長二州に改易が決まった後、黒田長政などに出した書状で、
「もし輝元が今後ちょっとでも徳川に逆らうようなそぶりを見せたら、そのときは
オレがあいつを殺します。」って言い切ってる。

小説とかなら恨んでてもいいかもしれないが、そういう歴史観で
実際の歴史を判断しちゃいかんよ。
776人間七七四年:2009/11/30(月) 00:53:36 ID:xY9YTduJ
輝元はなんで西軍総大将の任を受けてしまったの? 
777人間七七四年:2009/11/30(月) 02:25:54 ID:gaXpkxKe
宮部継潤で思い出した
関ヶ原の時、宮部長房って5万石だったの?13万5000石だったの?どっち? 
また、こいつは西軍だったの?東軍だったの?どっち? 
778人間七七四年:2009/11/30(月) 07:20:42 ID:xY9YTduJ
継潤のときで既に8万石だから 13万石だろあと西軍で大津攻めに加わってる
779人間七七四年:2009/11/30(月) 10:43:16 ID:wFPgWKMp
大谷吉継も、敦賀5万石というけど、実際はどの程度のもんなんだろう。
780人間七七四年:2009/11/30(月) 11:00:31 ID:wo+QRsb2
781人間七七四年:2009/11/30(月) 11:02:53 ID:xY9YTduJ
越前(45万石)、加賀南部(36万石の半分)の大名は、
大谷吉継の調略で前田利長以外すべて西軍についてるから、北陸勢は1万5千はいる
782人間七七四年:2009/11/30(月) 13:24:27 ID:I7Z1XLbc
>>781
そんなもん北陸の大大名、前田家が完全に東軍である以上
近隣領主にしたら西軍として旗幟を鮮明になんかできるわけ無い
所詮絵に描いた餅
783人間七七四年:2009/11/30(月) 15:41:46 ID:6pwbTB9p
実際の合戦をゲームみたいに数字合わせで考えちゃいかんわな。
小勢力の連合より、一つの大勢力。
784人間七七四年:2009/11/30(月) 16:49:00 ID:eFDpWeRM
>781
丹羽長重が加賀小松で12万石、弟の分を含めて17万石。
青木一矩が越前北之庄で8万石、青山宗勝が越前丸岡で5万石弱、織田秀雄が越前大野で5万石、討死した山口宗永親子が加賀大聖寺で6万石。
多少石高の高いのはこの辺りか。他は戸田重政や寝返った赤座直保らが1万石とか2万石とか。
785人間七七四年:2009/11/30(月) 17:48:07 ID:I7Z1XLbc
堀尾吉晴が府中6万石で数少ない東軍だね
まあどっちにしても前田家睨みで西軍からは行動は起こせないだろうな
786人間七七四年:2009/11/30(月) 18:09:42 ID:wo+QRsb2
>>785
堀尾の府中は隠居料だからなぁ
忠氏が遠江浜松12万石を継いでるし
787人間七七四年:2009/11/30(月) 18:22:41 ID:gaXpkxKe
堀尾吉晴って加賀井重望を斬ったんだろ
加賀井って豪傑なのに
爺のくせして凄いな 
788人間七七四年:2009/11/30(月) 21:52:38 ID:bUVviKX/
>784
青木一矩は20万石だな。
789人間七七四年:2009/12/01(火) 00:12:04 ID:k0FgUDG8
>>786
隠居してても息子よりは、やり手かもしれん
飛び地だからそれなりの手勢は持っているはずだし
北陸の様子を逐一家康に報告していたらしいね
関ヶ原の時は加賀井の件で負傷していたらしいけど
790人間七七四年:2009/12/01(火) 00:15:56 ID:utM4WvRM
息子が西軍だったけど、親父が東軍についたので結果息子も西軍から距離をとった、
って大名は何人かいるが、息子が東軍だったのに親父が西軍に付いたために
息子も東軍から離れる羽目になったのは、織田信雄の所だけだな。
791人間七七四年:2009/12/02(水) 20:36:16 ID:afbEy7lE
日本人は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。
韓国人は「私のせいではない」と言う。
日本人は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。
韓国人は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。
日本人は韓国人よりも勤勉に働く。しかも時間は韓国人より多い。
韓国人はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。
日本人は問題を真っ直ぐ通り抜ける。
韓国人は問題の周りをグルグル回る。
日本人は償いによって謝意を示す。
韓国人は謝罪はせずに賠償の請求を繰り返す。
日本人は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。
韓国人は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。
日本人は「自分はまだまだです」と言う。
韓国人は自分より勝るものも見下す。
日本人は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。
韓国人は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。
日本人は職務に誇りを持っている。
韓国人は「助けてやっているだけです」と言う。
日本人は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。
韓国人は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。
792人間七七四年:2009/12/03(木) 01:23:42 ID:HCVXioaR
府中城って落ちたの?
793人間七七四年:2009/12/03(木) 01:25:28 ID:hjHTzJBv
どこの府中城?
794人間七七四年:2009/12/03(木) 01:49:45 ID:ZUMuJeLY
>>792
福井か?
落ちてないだろ。
795人間七七四年:2009/12/05(土) 02:42:21 ID:3tAuJtnO
古府中かの?
796人間七七四年:2009/12/06(日) 08:12:13 ID:2V7dvOdL
今日もe2で森繁関ヶ原の無料放送あるね
797人間七七四年:2009/12/09(水) 16:44:25 ID:S1u6+97G

798人間七七四年:2009/12/09(水) 17:53:16 ID:M4cfX2mJ
いまだにアナログのため見られなかった。
799人間七七四年:2009/12/09(水) 20:38:34 ID:PDO9C3CK
DVD版今見てる
大谷の目がイイ
800人間七七四年:2009/12/09(水) 23:00:24 ID:1zLRxoJ1
ISOで洒落に流してくれ
801人間七七四年:2009/12/13(日) 11:39:52 ID:a+Zep9Nh
いろは
802人間七七四年:2009/12/13(日) 19:33:08 ID:74Z53U/P
にほへと
803人間七七四年:2009/12/13(日) 22:41:06 ID:9JQw2/Cu
ちりぬ
804人間七七四年:2009/12/13(日) 23:00:36 ID:o42Wtru7
我が世誰ぞ常ならん
805人間七七四年:2009/12/14(月) 11:41:43 ID:YaEnscLg
名を高松の
806人間七七四年:2009/12/14(月) 14:02:35 ID:1eTfz5wF
苔に残して
807人間七七四年:2009/12/14(月) 15:22:53 ID:YaEnscLg
風さそう
808人間七七四年:2009/12/14(月) 19:48:16 ID:8JSPN/Hd
我もまた
809人間七七四年:2009/12/14(月) 20:06:18 ID:YaEnscLg
春の名残を
810人間七七四年:2009/12/14(月) 20:55:14 ID:1eTfz5wF
はっぱふみふみ
811人間七七四年:2009/12/14(月) 22:24:24 ID:OUheeOq9
春の朝(あした)の吹く東風(こち)に
812人間七七四年:2009/12/15(火) 10:32:32 ID:VWit6DGJ
レイプされる農民の娘に萌え
813人間七七四年:2009/12/15(火) 11:49:44 ID:R6sf7ZWd
昔の戦国武将はみんな
小姓のお尻を掘っていたの?
814人間七七四年:2009/12/15(火) 11:52:59 ID:Mb0rdnyI
衆道のケが無い秀吉はかなりレアなケースだったって記録されるほど
815人間七七四年:2009/12/15(火) 11:55:02 ID:DS8e6cFV
>>813
攻守ところを変えて励んでいた御仁も居られるかと…
816人間七七四年:2009/12/15(火) 13:08:23 ID:1Bz793D6
香りも高き白梅や
817人間七七四年:2009/12/15(火) 20:36:47 ID:VWit6DGJ
>>816
君は何が言いたいのかね
818人間七七四年:2009/12/15(火) 21:06:37 ID:JCrneerv
例えば、宇喜多の陣の範囲って、どのくらいの規模があったんだろうか? 縦長かないうのはなんとなく解るけど、一度、一万数千の隊列と部隊の配置はどのようなものだったか見てみたいな。
819人間七七四年:2009/12/15(火) 21:31:50 ID:2JstD308
25人の鉄砲隊2組を有する一備(500人)を例にとると、一歩を仮に60cmとすると20人の鉄砲隊(指揮官含め25人)の横幅は約12m、
これが2組で24m双方の間隔を入れて大体30m
上位部隊の一手が仮に三備(1500人)で構成されているとした場合、後ろに一備廻るので二備で60m、これにも間隔を入れて70m
旗本に対する先手の割合は六割という一例があるので、一万五千の六割は九千
一手の六倍が横に並んでいたとすると、間隔も考慮すれば450mといったところだろうか

あくまでも一つの仮定として参考になれば
820人間七七四年:2009/12/15(火) 21:36:08 ID:QpszLopU
おおむね城の桝形というのは一備えが待機するように出来ているらしいが
だいたい一反くらいの面積かな
821人間七七四年:2009/12/15(火) 22:04:37 ID:JCrneerv
>>819 >>820 ありがとう。450Mというと、城がすっぽり入るぐらいかな。陣屋の周りには空堀が掘られたりしてカッコ良かったんだろうなぁ。
822人間七七四年:2009/12/15(火) 22:46:25 ID:QpszLopU
>>821
城だったら一辺450Mだと守備兵千人の城
城は当然必要守備兵力を想定して建てられるが、1人あたり一間で計算する
外周1800Mでちょうど千人分
823人間七七四年:2009/12/15(火) 23:45:27 ID:LIYDf0y8
里見も西上したかったんだろうな・・・
824人間七七四年:2009/12/16(水) 00:41:10 ID:7mUXf5yR
古参の猛者共が残ってれば、明石ももう少し自分の持ち場に専念出来たろうに…
825人間七七四年:2009/12/16(水) 18:47:19 ID:cV6NOTFF
明石は、東は福島、その北からは加藤孫六と筒井に攻撃されてたんだっけ?
826人間七七四年:2009/12/18(金) 20:50:13 ID:wsvyIv2w
>>818
関ヶ原の布陣図とか見慣れているから
行儀よく並んでいるように思いがちだが
宇喜多に限らず実際は判らんな
827人間七七四年:2009/12/18(金) 21:11:54 ID:+KnLqQFE
行儀よく並んで無いと迅速な軍隊行動は出来ない。基本中の基本だぞ。
828人間七七四年:2009/12/19(土) 00:41:43 ID:RgsK0qx8
例えば、図面で右翼にいる場合がある加藤は戦闘開始と同時に
左翼に移動している。

西軍は三成、東軍は福島が孤軍の様に思えるが、実際は図程酷くないな。
まあ、昼には陣場野に家康3万が三成の前にくるんだがな。。。

所で、陣場野って三成本陣の精々300m前なんだが、3万も移動できないよな。
家康の3万ってのも実は嘘なんじゃって気がするわけだが。
829人間七七四年:2009/12/19(土) 02:34:43 ID:rjtYJYIf
実数八千とも
830人間七七四年:2009/12/19(土) 02:44:45 ID:q1nN+eV0
>>828
三万全部が並んで移動するわけじゃないだろ
831人間七七四年:2009/12/19(土) 03:44:39 ID:hMEKUTR6
>>827
丸っきりの原っぱでも無いのに
一塊行儀よく並んでいるわけ無いやんか
832人間七七四年:2009/12/19(土) 16:47:55 ID:RgsK0qx8
>>830
そうなると、配下の3万ほっといて最前線に出たことになる。

833人間七七四年:2009/12/19(土) 16:54:02 ID:jSH3qOpY
んな極端な……
834人間七七四年:2009/12/19(土) 18:53:05 ID:q1nN+eV0
どうして馬鹿ってのは極論しか言えないんだろう
835人間七七四年:2009/12/19(土) 19:35:55 ID:RgsK0qx8
いや、家康が最前線に出ること事態が極論なわけだが。

>>833、834
実際とっとと、陣場野に移動している(石田勢と徳川旗本勢の交戦から)
これが、直下に3万率いて総勢10万の軍勢の総大将の行動なんです。

どっかに嘘があって、一番ありえそうな兵力が嘘だと思ったわけです。
そもそも、3万もいるくせに有力武将が本陣にはいないし。
836人間七七四年:2009/12/19(土) 20:03:57 ID:Jw0oEXYY
初期の動員兵は秀康に残して、第二次募集の兵は秀忠に同行、
家康直立の兵は西軍決起後新たに江戸で徴兵、徴募した新米兵と考えられる。
おそらく質も武装もろくなのが残っていなかったのだろう。
槍衾を作ってもおそらくまともに連携もとれず簡単に間を抜かれるような。
837人間七七四年:2009/12/19(土) 20:10:54 ID:q1nN+eV0
三成相手にはその程度で充分だったってことね。
838人間七七四年:2009/12/19(土) 20:44:19 ID:hMEKUTR6
>>836
西軍決起後に募集のニワカ兵だと?
ありえん
839人間七七四年:2009/12/19(土) 21:19:03 ID:OcnVCSpn
840人間七七四年:2009/12/20(日) 00:54:32 ID:6ZGU9JsX
>>836
秀康の方に三流の徴募兵を置いたんじゃないかな?
上杉が江戸まで出張るなんて考えられないもの。
841人間七七四年:2009/12/20(日) 01:16:21 ID:NTuSEP78
>>840
それは無理
入れ替える余裕はない。
家康は会津攻めから江戸へ戻って上洛した。
江戸に戻るときに会津の備えに軍勢を残してきた。
それをそのまま秀康、秀忠が率いているのだから。
842人間七七四年:2009/12/20(日) 06:57:09 ID:150SRRY4
>>839を見ると、奥平信昌を筆頭にそれなりの武将が参陣してるじゃん。
安東直次、成瀬正成、渡辺守綱、松平重勝とか、古くから家康に付き従って
戦争経験を重ねた人たちだよ。
843人間七七四年:2009/12/20(日) 15:54:51 ID:nzIwW02S
>>756
超カメレス スマン

三成襲撃七将=加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興・浅野幸長・藤堂高虎・蜂須賀家政


笠谷和比古『関ヶ原合戦と大坂の陣』に家康文書によった詳しい考証が。
特に蜂須賀家政が隠れた主役だって
844人間七七四年:2009/12/20(日) 16:00:12 ID:EX3RZcIh
>>843
笠谷先生のあの本は、仮説の部分が大変多く、鵜呑みにするのはちょっと危険だと思う。
845人間七七四年:2009/12/20(日) 16:27:32 ID:AUJ5kXOe
>>842
だよね
古参の臣も多いしかなり凄い面々が居るね
成瀬正成なんか後、尾張藩の付家老兼犬山城主として家老筆頭格になるんでしょ
846人間七七四年:2009/12/20(日) 16:33:36 ID:Fb89Cu6N
>>842
関係ないけど渡辺守綱は家康と同い年にもかかわらず
大坂の陣も足軽で出てたのがすごいと思うは
847人間七七四年:2009/12/20(日) 16:33:45 ID:AUJ5kXOe
おっと
本多正純もいるね
848人間七七四年:2009/12/20(日) 16:40:01 ID:HqH3VdSg
当時数千石だけどね。
どっちかっていうと、大須賀がいることが重要なような。

万石級は4人でうち二人は先陣、残り二人は後陣。
849人間七七四年:2009/12/21(月) 00:46:31 ID:JIBUpviS
>>844
三成襲撃の七将が
加藤清正・福島正則・浅野幸長・黒田長政・蜂須賀家政・細川忠興・藤堂高虎

というのは今では常識だと思うのだが。
こんなことを迷っている方がよほどどうかしている。
850人間七七四年:2009/12/21(月) 00:52:21 ID:3QHMS5cS
正確には「七将」ではない。七と言う数字は後世の数合わせに過ぎん。
851人間七七四年:2009/12/21(月) 01:20:26 ID:JIBUpviS
>>850
家康がこの事件のときに、この七人の武将とやり取りした書状が残されている。
加藤清正・福島正則・浅野幸長・黒田長政・蜂須賀家政・細川忠興・藤堂高虎 だ。
ソースは中村孝也『徳川家康文書の研究』。

852人間七七四年:2009/12/22(火) 00:18:45 ID:mEThWg/L
三成総合スレ4より

228 :人間七七四年:2009/06/08(月) 08:13:01 ID:fu7eYHEO
>>227
つ「慶長年中ト斎記」「義演准后日記」「徳川実紀」

まあ加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興までは共通だけど残りは
浅野幸長、加藤嘉明、脇坂安治、蜂須賀家政(一茂)、藤堂高虎と資料でも諸説あるんで不可解でもあるね

しかし逆に言うと最低でも襲撃らしきものがあり、それに最初の四名が参加していたのはほぼ確定的なんじゃないかな
853人間七七四年:2009/12/25(金) 13:38:00 ID:jBMi8EJD
>>852
脇坂はないわw
西軍だし 
蜂須賀家政も西軍だし嘘っぽい
854人間七七四年:2009/12/25(金) 14:39:48 ID:TtScnEBK
>>853
勘違いしているようだが関ヶ原の東軍西軍は、親家康親三成、もしくは反家康反三成の集まりじゃないぞ?
855人間七七四年:2009/12/25(金) 16:02:41 ID:Chk0iOq9
>>853
家康が蜂起した武将たちに宛てた書状の宛名に蜂須賀家政の名が記されている。
856人間七七四年:2009/12/25(金) 16:29:35 ID:/b2dWkN4
>>854
寺沢正成あたりはその最たるものだしね。
857人間七七四年:2009/12/25(金) 17:19:56 ID:Chk0iOq9
反三成蜂起のときに家康から七将に宛てた閏三月五日付の書状(正確には七将から家康に送った書状への返書)の宛名は下記のとおり。

丹後少将  =細川忠興
蜂須賀阿波守=蜂須賀家政
清洲侍従  =福島正則
藤堂佐渡守 =藤堂高虎
黒田甲斐守 =黒田長政
加藤主計頭 =加藤清正
浅野左京大夫=浅野幸長
858人間七七四年:2009/12/25(金) 17:40:45 ID:q5CNzaOT
>>854
じゃあ何?
859人間七七四年:2009/12/25(金) 18:40:27 ID:m5DbuCdY
>>858
田舎者(西軍)VS都会者(東軍)
中世的な御恩と奉公支配体制と近世的封建体制の戦い
860人間七七四年:2009/12/25(金) 18:42:38 ID:jBMi8EJD
おかしいでしょ
蜂須賀家政は三成の命狙ったのに
どうして西軍に?
三成は家政を許したの?
普通殺すでしょ
861人間七七四年:2009/12/25(金) 21:46:26 ID:kw8nw+6/
>>860
大阪方が家康討伐の軍をあげた段階で、蜂須賀家政は領地を豊臣家に返上し、
自分は出家して高野山に入っている。
862人間七七四年:2009/12/25(金) 23:01:03 ID:/b2dWkN4
たしか蜂須賀は家臣の高木なんとかを大坂城に入れて、本人は参陣してない。
で、子息至鎮は東軍だし、果たして西軍と呼べるのかってほど、消極的な与同。
ちなみに、阿波には毛利勢が進駐してた模様。
863人間七七四年:2009/12/25(金) 23:56:28 ID:TtScnEBK
>>858
殆どは、その時その大名の物理的に存在した位置が、そのまま東軍西軍に添加した。
例えば大谷吉継がもし三成の決起直前に佐和山をたずねると言うことがなく、先に
東軍に合流していれば、関ヶ原もそのまま東軍として働いただろう。
864人間七七四年:2009/12/26(土) 00:51:39 ID:qO1KAAJU
例えば、寺沢なんかはどーみても、西軍よりなんだが躊躇無く小西攻撃している。
他に各地の殴り合いも西軍・東軍というよりも。以前からの確執的なものが多い。

とはいえ、中核人物は確信犯的な人間が多いのは確か。

黒田はガチ。福島はヤオ。
毛利は天然。蜂須賀は天才。
三成は受け。家康も受け。
865人間七七四年:2009/12/26(土) 01:00:04 ID:VQh1yz/W
宇喜多は坂崎出羽守への個人的恨み?
866人間七七四年:2009/12/26(土) 10:02:39 ID:xRheErNf
>>863
いや大谷はもともと東軍として参戦するつもりだったが翻意した
小早川は確かに位置的に西軍に巻き込まれたがもともと東軍
島津も同様
位置で宇喜多が東軍になったかとありえない
867人間七七四年:2009/12/26(土) 12:02:06 ID:lDduY8n1
丹羽長重「前田攻めたいんで西軍付きます」
868人間七七四年:2009/12/26(土) 13:22:34 ID:DjuibA9D
>>866
「殆どは」を読んで欲しい
869人間七七四年:2009/12/26(土) 13:56:29 ID:xRheErNf
>>868
東軍に参加した連中:もともと東軍で位置的に東軍だった

西軍:もともと西軍で位置的に西軍 石田、宇喜多、小西等
    もともと東軍で位置的に西軍 小早川、島津、吉川等

従って家康参戦以降もともと東軍の連中の動きがおかしくなった
870人間七七四年:2009/12/26(土) 14:30:29 ID:uz1cmKKA
>>867
小野寺義道「最上嫌いなんで西軍に付きます」
871人間七七四年:2009/12/26(土) 18:56:02 ID:3JzuTXul
>>866
万一宇喜多が先行して東上始めていて
家康らと小山に滞在してたとなら
嫌でも東軍に付くだろうな
そんなもんだよ
872人間七七四年:2009/12/26(土) 20:02:30 ID:xRheErNf
>>871
それありえん

真田が全部東軍につくようなものだ
873人間七七四年:2009/12/26(土) 20:31:34 ID:vx2EV2jQ
>>871
それはありえん

巨人がパリーグにつくようなものだ
874人間七七四年:2009/12/26(土) 21:05:36 ID:xRheErNf
>>873
だが西武とリーグをつくるというのはありえるぞ

今はもうない感じだが
875人間七七四年:2009/12/27(日) 01:05:40 ID:n9H4dbM4
そうやって考えてみると京極のガッツは凄いな
876人間七七四年:2009/12/27(日) 02:14:50 ID:ylHBhUcr
もう一日がんばるガッツがあったらなw
877人間七七四年:2009/12/27(日) 09:22:06 ID:alrhVboT
>>876
そんなもん
結果的に次の日に関ヶ原での本戦が終ったというだけで
現状はいっぱいいっぱいだっただろう
初めから次の日にけりが付くと判っていれば何とか
がんばるかもしれんがな
878人間七七四年:2009/12/27(日) 11:13:55 ID:RNHLliFN
大津城はもっと評価されてしかるべきだ
立花以下1.5万を拘束したからな
879人間七七四年:2009/12/27(日) 12:57:50 ID:7q1p4gJs
>>877
当日の朝
880人間七七四年:2009/12/27(日) 14:30:10 ID:h7mvZgC7
>>871
それは阪神が電鉄リーグのパリーグを離脱して
巨人の率いる新聞リーグのセリーグに加入したようなものだな。
881人間七七四年:2009/12/27(日) 18:00:07 ID:n9H4dbM4
京極も岐阜城が落ちてからでしょ
あいつ西軍有利のままなら西軍のままだったろ
882人間七七四年:2009/12/27(日) 18:08:28 ID:RNHLliFN
そういう思想なら、家康の本軍が来てから行動を起こすはずだが?
883人間七七四年:2009/12/27(日) 18:16:02 ID:HmxHCLuW
実際の所、岐阜失陥辺りから吉川もマジメに交渉したわけだからな。
黒田にやる気あるのかとか言われているし。

後地味に、徳永寿昌が美濃の城を取りまくったのも大きい。

岐阜自体は概ね西軍よりだったのが大きく変わり、
西軍・西軍よりだった武将が東軍に傾いたわけだしな。
884人間七七四年:2009/12/27(日) 18:19:11 ID:HmxHCLuW
>>882
そういう当たり前の知恵があるなら。
もうちょっと戦国大名らしい異名をもらえたと思う。
京極さんのヘタレと山っ気はガチ。
885人間七七四年:2009/12/27(日) 19:15:25 ID:n9H4dbM4
北陸戦線に三成からの転戦命令がくる

西軍は兵力足りてないんだ

陣抜けしても大谷も追撃してこないしな
三成も福島らと睨みあっていて攻めてこない

こりゃチャンス!大津城に立て篭もっちゃおう

嘘!大阪から大軍派遣してきたよ そんな予備兵力あったの(>_<)


案外これが真相かも
886人間七七四年:2009/12/27(日) 20:19:55 ID:alrhVboT
>>883
やはり岐阜城が落ちたのが大きいな
あの時から濃尾境では東軍の戦力が圧倒していたから
各個撃破されて西軍はなんともならなかった
887人間七七四年:2009/12/28(月) 01:17:29 ID:qHTsgrwL
間抜けかも知れないが結果的に敵兵力を引きつけたのだから
貢献しただろ

逆にどんなに目端が利いても貢献度がなければ意味ない
888人間七七四年:2009/12/28(月) 01:23:18 ID:/raWeN+e
>>886
最後まで城を保っていればという話だがな(w。

伊達・京極・徳永は戦略的に非常に貢献したが、微増に留まっている。
名前の立てどころの問題であるな。
889人間七七四年:2009/12/28(月) 01:55:37 ID:YAix4HQk
有馬の加増が異常だな
こいつ何もしてないだろ
890人間七七四年:2009/12/28(月) 02:15:36 ID:XvFNtzYV
>>889
有馬豊氏?3万石から6万石でしょ。早くから家康に接近していたし、
異常ってほどか?
891人間七七四年:2009/12/28(月) 02:32:48 ID:/raWeN+e
有馬さんは豊臣家の情報を家康に流していた。

藤堂と浅野と有馬がいたおかげで、
豊臣政権下での政界遊泳が出来たといえる。

でも有馬嫁はガチ。ガチすぎて他の姫が霞む位ガチ。
892人間七七四年:2009/12/28(月) 08:39:13 ID:ODcq0ctN
福島の弟が三倍増なのも不思議だな
何も貢献していないだろ
893人間七七四年:2009/12/28(月) 22:28:40 ID:YAix4HQk
>>890
最終的に21万石だぞ
894人間七七四年:2009/12/29(火) 00:41:02 ID:2lYloJOF
>>892
貢献しまくりだろ
伊勢長島城で西軍の主力を食い止め揖斐川を渡らせなかった
こいつがいなければ清洲を空にできない
東軍は全力で織田軍と戦うことはできなかった
対岸にいた鍋島に夜襲をかけたり積極的攻勢を見せている
本戦の後も敗走してきた長束に打撃を与え
桑名城も攻略している

895人間七七四年:2009/12/29(火) 01:05:19 ID:vSjj8t1P
>>893
そりゃあくまで「最終的には」、だろ。
しかも21万石は大坂の陣の後じゃん。

むしろ関ヶ原以降について、その能力、功績を評価されていたってことだ。
896人間七七四年:2009/12/29(火) 01:45:18 ID:2lYloJOF
大坂の陣の後のほうが凄くないか
あの時の豊臣は65万石しかないぞ
それを分けたんだぞ
897人間七七四年:2010/01/06(水) 11:33:13 ID:k7v/yh7Y
関ヶ原この人が生きてたら史実がかわっていたのでは

秀長・・いわずもがなの秀吉の弟、秀吉に対して唯一なんでももの言える存在で
秀長存命であれば、秀吉の晩年の無茶はなかったのでは?とも言われる。
また、秀長健在であれば、秀長を中心にまとまることが可能だったのでは
前田利家・・秀頼もりやくで、史実でも家康が露骨に動いたのは利家亡き後
小早川隆景・・安国寺の隆景様がもう少し長くいきていてくれさえいればと
いったとか。輝元がどう動いたかはわからないが、東軍につくか、もしくは
西軍でも史実のような無様な事はしなかったのでは
蒲生氏郷・・会津92万石の大大名で信長の娘婿、利休7哲で細川や前田とも
懇意なのは有名。秀吉が会津に蒲生送ったのは伊達と徳川に睨みを利かせら
れる人間の一人と見込んでのことらしい。存命であれば5大老入りしていたかも
堀秀政・・若くして死んだが、こまき長久手で家康を破った才能、秀吉に
会津を納めるは蒲生か堀かといわせた人物
898人間七七四年:2010/01/06(水) 13:03:39 ID:JLIGFHw+
大河ドラマとか信じるくちか?
利家がそもそもの攻撃目標
死んだのは計算外
それぐらいわかれよ
899人間七七四年:2010/01/06(水) 13:39:47 ID:Oe5gUBV5
歴史上の人物に自分を投影して陶酔しているのがありありと解る歴史IFほど
気持ちの悪いものはない。
900人間七七四年:2010/01/06(水) 16:20:00 ID:kZnsrmoK
利家の場合は明白だな。
彼の死んだその日に三成攻撃のクーデターが発生したぐらいだから
901人間七七四年:2010/01/06(水) 17:38:12 ID:JLIGFHw+
残念でした
領地加増や婚姻を行なったのは
利家が死ぬ前
902人間七七四年:2010/01/06(水) 18:05:38 ID:k7v/yh7Y
残念でしたって子供の喧嘩かよ。。
903人間七七四年:2010/01/06(水) 18:59:29 ID:MX3RGPNV
秀長が生きていようが利家が多少寿命が長かろうが
どの道圧倒的な力を持つ家康が出てくるのは間違いないだろう
904人間七七四年:2010/01/06(水) 19:54:53 ID:AJrIOKZU
でもそしたら関ヶ原がなかったし、
このスレも存在してないぞ
905人間七七四年:2010/01/06(水) 20:25:29 ID:k7v/yh7Y
ちょいスレチになるかもだが、家康としては、利家亡き後に、他の4大老の
力を削ごうと考えていたのでは?でまずは前田利長に矛先を向けた。
前田はここで徳川に恭順。次に上杉に矛先を向けたら、上杉が激怒、上杉討伐
を掲げるとともに三成挙兵でしょ。
上杉が恭順すれば次は毛利や宇喜多だったのでは?と思う。
恭順しなければ叩き自分の力をより確固となるものにする狙いがあったのでは
秀長が生きていれば、家康はやはり動いてたかもだが、少なくとも
前田・W加藤・福島・藤堂・浅野といったあたりは秀長に従ってたと思う
んだが。
906人間七七四年:2010/01/06(水) 20:38:26 ID:JLIGFHw+
残念
利家と対立した時も
福島正則、黒田孝高・黒田長政父子、池田輝政、蜂須賀家政、藤堂高虎、山内一豊、有馬則頼・有馬豊氏父子、京極高次・京極高知兄弟、脇坂安治、伊達政宗、新庄直頼、大谷吉継などが
徳川邸に参集している
907人間七七四年:2010/01/06(水) 20:40:15 ID:O6Aovq1+
利家側の方が石高も名声も大きい大名揃ってるがな
908人間七七四年:2010/01/06(水) 20:46:39 ID:k7v/yh7Y
だから残念ってわざわざいう必要あるか??906は誰と戦ってるんだ?
909人間七七四年:2010/01/06(水) 20:48:37 ID:O6Aovq1+
秀長だっつってんのに利家の時の家康派を挙げてるしな
910人間七七四年:2010/01/06(水) 21:14:51 ID:88itTNbV
>>908
みぐるしいからもうだまっとけ
911人間七七四年:2010/01/06(水) 21:19:47 ID:LJE+iRyL
ぶっちゃけどっちも見苦しいわ。
912人間七七四年:2010/01/06(水) 21:25:39 ID:Oe5gUBV5
延々と結論の出ないIF話をしているだけだもんな
913人間七七四年:2010/01/06(水) 22:09:43 ID:7GoWk7Lu
話題替えに1つ。
婚姻はともかく、知行は奉行もある程度同意していたね。
そもそも、知行は奉行の実務がないと出来ないわけだし。

914人間七七四年:2010/01/06(水) 22:11:02 ID:X91+Boac
西軍は外様大名中心
東軍は豊臣大名中心
915人間七七四年:2010/01/06(水) 22:27:21 ID:GZUenpGz
>>906
大谷吉継が徳川方にいるから、そのときの情勢とは
あまり当てはまらないかと。
あと利家と家康なら大老同士の対立だが、
秀長なら豊臣家との対立になるし、秀次も
生きていただろうしな。
916人間七七四年:2010/01/06(水) 22:33:38 ID:Oe5gUBV5
関ヶ原の10年も前に死んだ人間なんてどうでもいい
917人間七七四年:2010/01/06(水) 22:44:15 ID:GZUenpGz
それにしても豊臣家は子供に恵まれなかったのが悔やまれる。
秀吉はなんであんなに手をつけておいて、
子供が出来なかったんだろう?
918人間七七四年:2010/01/06(水) 23:00:56 ID:JLIGFHw+
残念
秀次が生きているなら
秀頼と秀次の対立になる
919人間七七四年:2010/01/06(水) 23:20:12 ID:AJrIOKZU
そろそろあぼんするべき?
920人間七七四年:2010/01/07(木) 11:34:46 ID:cHXEJPjC
全ての事が的外れなんだけど、それを本人に言っても理解できないだろうから、スルーするのが最良。
921人間七七四年:2010/01/07(木) 23:34:22 ID:m8cuJIAr
わかります>>915のことですね
922人間七七四年:2010/01/08(金) 00:21:15 ID:kQvPLhXR
>>921みたいな行為自体がもうどうにもならない。

空気を読めない奴ってホントにダメだわ。
923人間七七四年:2010/01/09(土) 13:06:49 ID:bKPYxJrj
残念(笑)
924人間七七四年:2010/01/09(土) 13:41:41 ID:bmGgv907
>>917
今時不妊の理由を全部女性側にあるとか言ってたら問題だぞ。
925人間七七四年:2010/01/09(土) 19:27:00 ID:dkvaaG2P
秀吉はゴムは男の当然の義務だと常々言ってたらしいからな
当時のコンドームの品質には目を見張るものがあった
逆に家康は外出し神話を信奉しすぎて秀康ができてしまった
926人間七七四年:2010/01/09(土) 19:35:54 ID:bmGgv907
言うほど外田氏じゃ当たらないけどな。
ずーっと外田氏でしてて試しに中田氏したら一発であたった。
927人間七七四年:2010/01/17(日) 22:52:36 ID:nMYdhG/y
大坂ニテ去十日秀頼之母家康ト祝言在之候、大閤之書置在由候、大野修理(治長)秀頼之母ヲ連候
928人間七七四年:2010/01/18(月) 15:40:48 ID:WCWzMOoR
>>716
すっごい遅レスだけど
西軍陣地(石田・島津・小西・宇喜多陣)はほとんど事前に建設の節がなくて
堀すら切ってない、陣幕と柵巡らしただけみたいなものらしい
(発掘調査でまともな陣の遺構が出ていないらしい)

関ヶ原の各陣を実際回ってみた感じでは、西軍陣地は東軍陣地に比べて
全体的にちょっと高くなっているので、高所という地の利が上手く働いたんじゃないかと
929人間七七四年:2010/01/19(火) 02:46:14 ID:nekW479I
それに加え
石田隊は鉄砲、大筒の保有率が高かったんだよ
なんせ近江は鉄砲の産地だから
さらに「犬山里語記」によると豊臣直属の1700丁の鉄砲隊が犬山城開城後
笹尾山の近くに移動しているから、かなりの重火力を保有していたんだよ。
930人間七七四年:2010/01/19(火) 02:56:11 ID:i3ZaJknk
ちんこ出せよ
931人間七七四年:2010/01/19(火) 11:32:59 ID:297UVYYk
>>929
> それに加え
> 石田隊は鉄砲、大筒の保有率が高かったんだよ

そんな記録は一切ない。大筒にいたっては1門有ったかどうか。
しかもそれが効果的に機能したと言う記録すら無い。
932人間七七四年:2010/01/19(火) 15:04:04 ID:yys1dQLE
一応、隣にいた寄合衆には豊臣弓・鉄砲衆がいたはず
後、大筒は確か三門ほど
933関ヶ原マスター:2010/01/22(金) 01:26:28 ID:TEh6QJH9
みなさん、関ヶ原に関して何か質問、疑問はございませんか
関ヶ原の全てを知り尽くしている私が何でも答えてしんぜよう 
934人間七七四年:2010/01/22(金) 02:03:10 ID:SXgNEXyC
>>933
関ヶ原町の財政問題をどう思いますか?
935人間七七四年:2010/01/22(金) 02:05:24 ID:V+CQDrkS
>>933
生きてて恥ずかしくないんですか?
936人間七七四年:2010/01/22(金) 09:53:02 ID:pqpwl6Jn
>>933
大谷の首ってどこに埋まってんですか?
937関ヶ原マスター:2010/01/22(金) 20:23:12 ID:TEh6QJH9
>>934
広大な土地を利用して巨大体育館を建設しようという計画があるんじゃよ

>>935
どういう意味じゃ

>>936
大谷吉継の墓から北西300メートルの地点じゃ
938人間七七四年:2010/01/22(金) 20:44:43 ID:sHZJoEV1
首って実際発見されたの?
939人間七七四年:2010/01/22(金) 21:42:46 ID:iRlCW0zV
>>937
吉川はバカですか?
940関ヶ原マスター:2010/01/22(金) 23:18:21 ID:TEh6QJH9
>>939
むしろ天才じゃ
941人間七七四年:2010/01/23(土) 08:35:06 ID:fmIOu66u
三成と家康どっちが好きですか?

どっちもって答えは認めない
942人間七七四年:2010/01/23(土) 18:44:19 ID:cdI5oA21
>>941
三成は知り合いにいてほしくないタイプ。
家康は同僚にいてほしくないタイプ。
943人間七七四年:2010/01/23(土) 19:04:23 ID:MTDGHYid
>>942
逆じゃね?
944人間七七四年:2010/01/23(土) 20:13:14 ID:aebhv0it
>>940
そうなんですか?あそこで毛利の軍勢が動いていれば西軍の勝ちだと思うんですが?
西軍が負けたことによって、毛利家はだいぶ小さくなってしまったと思うんですけど
945関ヶ原マスター:2010/01/24(日) 00:19:40 ID:GL+G2lhr
>>941
どっちも好き

>>944
動く動かないは関係ない
石橋を叩いても渡らない家康じゃぞ
吉川が絶対に寝返らないから家康は進んだ
毛利が残ったのは吉川のおかげじゃ
本来なら輝元も三条河原で打ち首になって
毛利はこの世から消えとるわ
小さくなっても残ったのは吉川のおかげじゃ
946人間七七四年:2010/01/24(日) 00:31:22 ID:MFNIU2bV
石橋を叩いて渡る家康とはいえ
まさか一日で決着つくとは思ってないでしょ。
それこそ毛利本体が大阪城から動けばどうなったかは分からない
947人間七七四年:2010/01/24(日) 00:51:42 ID:4J7G4zWK
それは毛利にとってもどうなるか分からない。
そして徳川より毛利にとってずっとリスクの大きすぎる話だ。
何故なら大阪にいる間に領国が消えて無くなる可能性があったんだからな。
948人間七七四年:2010/01/24(日) 19:11:49 ID:1fHRrC8D
>>946
長期戦は絶対に避けたい家康は
当然1日での決着を狙っていたのは確かだと思う
949人間七七四年:2010/01/24(日) 19:14:01 ID:/HzLuplK
えっ
950人間七七四年:2010/01/24(日) 19:31:42 ID:IGYCNWjq
戦いが始まる前に家康の側近が、戦い終了の時刻を日記に記入した話は有名
951人間七七四年:2010/01/24(日) 23:03:33 ID:aydB914w
>>946
石橋を叩いて渡る性格というのは小説などで誇張されたイメージで
家康はいざ戦になると苛烈に突き進む性格だけどね
952人間七七四年:2010/01/24(日) 23:13:54 ID:/HzLuplK
三方原でも第一次第二次上田城攻略戦そうだしな
953人間七七四年:2010/01/24(日) 23:50:19 ID:pHsE7qjO
戦略慎重、戦術大胆
954人間七七四年:2010/01/25(月) 08:58:45 ID:50UuASKq
七十過ぎて自分で戦場行く所見たって好戦的つーかすごい事だよなあ
955人間七七四年:2010/01/25(月) 09:00:06 ID:50UuASKq
ああごめん、ここは関ヶ原スレだった
956人間七七四年:2010/01/25(月) 09:29:43 ID:wI48x8jO
>>947
>大阪にいる間に領国が消えて無くなる
kwsk
957人間七七四年:2010/01/25(月) 10:27:10 ID:hlwI/94V
>>956
黒田さんのこともたまには思い出してあげてください
958人間七七四年:2010/01/25(月) 10:31:34 ID:xCyv8gid
東海道を行軍中の家康は、
東山道を行軍中の秀忠軍との連絡を緊密にしていなかったのかな?

連絡を緊密にしていたならば、
ある程度の時間差があるとはいえ、
秀忠軍の大体の居場所が掴めたであろうに…。
959人間七七四年:2010/01/25(月) 11:24:53 ID:A6gZyYJG
関東経由は利根川の氾濫で不通、美濃経由は西軍が間にいるので困難
あまり派手に動いて西軍に行動が察知されるのも不味い
960人間七七四年:2010/01/25(月) 13:17:52 ID:VueAoV5O
>>959
素人乙
東海道と中仙道を繋ぐ道は関東経由、美濃経由以外にもいくらでもあるわけだが
ちなみに中仙道は東軍の遠山友政、千村良重、山村良勝が押さえている
これは常識な  
961人間七七四年:2010/01/25(月) 13:21:57 ID:A6gZyYJG
>>960
他は全て外様が抑えており、重要情報の移動には危険がある
962人間七七四年:2010/01/25(月) 13:29:42 ID:VueAoV5O
>>961
残念だけど
関東経由で秀忠がいる所まで行くのにも外様の領地を通ってるんだよ 
もうちょっと勉強してから書きこめ 
963人間七七四年:2010/01/25(月) 13:30:40 ID:A6gZyYJG
>>962
それが一番外様を通過する距離が短いからなだけ
964人間七七四年:2010/01/25(月) 13:33:46 ID:S7qA63f5
>>957
でも、果たして黒田如水単独で九州の垣見、太田などの小大名の領内はともかく、
毛利領を席巻なんてできるのかな。
965人間七七四年:2010/01/25(月) 13:48:26 ID:VueAoV5O
>>963
何だそりゃ
美濃経由は西軍が間にいるうんぬんと矛盾してるぞ
966人間七七四年:2010/01/25(月) 13:54:44 ID:d82e2L1d
>>964
もし毛利が大阪城に居座ったとしたら
史実の通り加藤は宇土攻め黒田は鍋島と連携して北部九州をまとめた後
(立花は大阪城に残りそう)
連合軍となって島津攻略をするだろうな
毛利本家に手を出すのは無理だろ
967人間七七四年:2010/01/25(月) 16:41:26 ID:A6gZyYJG
>>965
一番、外様を通る距離が短い
上野国境から小諸まで済む
968人間七七四年:2010/01/25(月) 23:00:23 ID:g4ZlyYhk
>>957
黒田さんをかいかぶりすぎ
小大名の留守城や大友の残党相手に活躍するのとは訳が違う
小西の宇土城や立花の柳川城は留守城でも堅固
北九州には毛利軍が進駐、島津もいる
関ヶ原前なら加藤や鍋島も味方とは言い切れない面もある
制海権も毛利が握っているのに広島を落とすなどムリ
969人間七七四年:2010/01/26(火) 09:12:37 ID:FMkokBs8
>>968
毛利は四国にも増援を送ろうとしてたからね、案外余裕があるよ
970人間七七四年:2010/01/26(火) 22:55:26 ID:pfx66jc4
案外余裕があるのにまったくいいところなく完敗する輝元は凄いよな
971人間七七四年:2010/01/27(水) 00:13:45 ID:4BAEa87r
余裕があったわけじゃないよ。
四国や九州へ派兵するのには一生懸命だったけど、
その所為で前線からの援軍の要請を無視してたりするし。
いくら攻め取っても本戦で負けたら意味無いんだけどねぇ。
972人間七七四年:2010/01/27(水) 00:26:54 ID:Q3XMi5Gi
>>971
三成自身、輝元出馬は家康が西上するという報が来るまでしなくても良い
としているけどね
973意志欠如者:2010/01/27(水) 07:36:52 ID:vLXoPXCD
輝元は意志欠如者か。
974人間七七四年:2010/01/27(水) 08:56:25 ID:GqpYKkUq
広家が美人侍女をあてがってハニートラップ
975人間七七四年:2010/01/27(水) 09:14:58 ID:dThX5k1G
>>971
前線からの援軍の要請てどこからのかな
976人間七七四年:2010/01/27(水) 09:30:01 ID:4BAEa87r
秀元の伊勢方面軍。大津には出してるけどね。
977人間七七四年:2010/01/27(水) 09:48:12 ID:dThX5k1G
>>976
サンクス、
秀元はいつの時点で要請してるのかな、あと出展が解れば教えて
978人間七七四年:2010/01/27(水) 10:40:08 ID:nsraqeLU
>>971
上杉は「逆賊」となった家康に代わる東国仕置のリーダーとして、
毛利は西国仕置のリーダーとしての行動を優先している部分はある
けど、増田の寝返り情報もあったから、会津征伐に向かった家康
みたいになってしまうのを恐れたってのもあるんだろうな。
輝元を大坂城から動かせないのは、ある意味では輝元に「自分は西軍」
という明確な意思があり、三成もそう考えていたからだろう。
979人間七七四年:2010/01/27(水) 14:51:18 ID:LIy5Re+q


高橋明「会津若松城主上杉景勝の戦い・乾―奥羽越における関ケ原支線の顛末」(『福大史学』80号、2009年10月発行)
980人間七七四年:2010/01/28(木) 02:00:03 ID:JEk1AODF
>>971
関ヶ原の時、輝元は九州へは大友の小僧に武具とおこずかいをあげたくらい
余裕は無いな
981人間七七四年:2010/01/28(木) 02:14:48 ID:p0O9EyRo
毛利といえば、毛利と黒田如水親子は早い段階から友好関係に有り、
毛利領の上関に黒田の早舟の基地の設置を許していたのだが、
この早舟基地、なんと黒田が東軍派としての姿勢を明らかにした後でも存続している。

吉川広家がその影響力を行使したとも考えられるが、上関は瀬戸内であり、
吉川の伝統的な勢力圏である山陰側ではなく、やはり毛利家中枢の方針として、
黒田を東軍とのパイプとして敵対しない、と言う方針があったと思われる。

これをみても毛利には、本気で徳川に敵対するなどと言う意志は、最初から無かったと
考えるべきではないだろうか。
982人間七七四年:2010/01/28(木) 07:34:28 ID:su9TAD0S
単なる五大老間の主導権争いに復権を画策してた三成がそれを利用したただけって感じだけどな
輝元が四国や九州に出兵したのも支配権と影響力の拡大だろうし
どっちみち座してれば前田、上杉と難癖付けられてる状況から毛利も他人事じゃないし
983人間七七四年:2010/01/28(木) 09:24:30 ID:tTPjwsWQ
輝元の目的は家康と雌雄を決するのではなく、家康に毛利の権益を認めさせることだろう、
そういう意味では宇喜多や三成とは違う、
計算外なのは広家が西軍主力を1日で壊滅させてしまったことでは、
そのため西国を抑えてから対等に交渉する目論見が崩れた
輝元と広家の意志の疎通の悪さが敗因と思うが。
>>981
黒田の話は面白い、
広家繋がりとも言えるけど、如水あたりの本当の狙いも解らないし
そういえば輝元は上洛するのに清正を誘ってたりするし、
裏は相当複雑なんだろう
984人間七七四年:2010/01/28(木) 11:20:43 ID:cA8YKFfD
黒田親子や毛利一門のコネクションはあんまり触れられないよね
ただ、このあたりに着眼すると三成が蚊帳の外になるんだよな
985人間七七四年:2010/01/28(木) 14:49:21 ID:p0O9EyRo
三成はある意味「利用されていた」側なんだろう。
986人間七七四年:2010/01/28(木) 15:48:45 ID:/3qnRouC
>>985
さすがにそれはないわwww
987人間七七四年:2010/01/28(木) 18:15:45 ID:cA8YKFfD
三成は利用するつもりが逆に利用されてしまった感がある
988人間七七四年:2010/01/28(木) 20:05:24 ID:oeTNumnT
天下分け目の戦いのわりには五大老って誰も死んでないのな
989人間七七四年:2010/01/28(木) 23:03:36 ID:1XJDi3sh
誰一人生き残ってないよ
990人間七七四年:2010/01/28(木) 23:08:29 ID:p0O9EyRo
ホントなら西軍総大将の毛利輝元は責任をとらされて討首、毛利家は廃絶、だった所を
責任を全部石田小西安国寺におっかぶせて上手いこと生き残った。
991人間七七四年:2010/01/28(木) 23:18:25 ID:oeTNumnT
安国寺って毛利軍でしょ。殺されるのって変じゃない? 
992人間七七四年:2010/01/29(金) 01:01:53 ID:PyQDZtAT
>>981
それってソースあるの?
黒田が東軍の立場を明白にしているということは、
大友と戦ってると思うんだけど、大友義統を九州に
返して一揆を起こさせたのは毛利なんだがなあ。
993人間七七四年:2010/01/29(金) 08:23:52 ID:zqZ0aHei
>>991
安国寺はあの秀吉に引き抜かれて国持ちにたから毛利軍じゃないよ、安国寺軍
まぁ、もと家臣ていうパイプは残ってたろうけど、両川のような特殊な立場ではない
いうなれば宇喜多における小西行長みたいなもん
994人間七七四年:2010/01/29(金) 10:38:33 ID:ItkzH6nE
>>991 安国寺恵瓊は、石田三成と並んで、
所謂、関ヶ原のA級戦犯だったからじゃないの?

毛利輝元を説得して西軍の総大将に担ぎ上げた事によって、
関ヶ原が大事になったんだからな。

家康が、関ヶ原の戦勝後に、
徹底的に捜索、逮捕処刑にしようとしたのは、
石田三成と安国寺恵瓊、宇喜多秀家だったそうだし…。
995人間七七四年:2010/01/29(金) 10:46:58 ID:s/RKJJCm
A級戦犯の使い方がおかしい
B級C級よりも極悪な犯罪者みたいな使い方する奴って知識不足にも程がある
996人間七七四年:2010/01/29(金) 12:59:58 ID:7e8SH2Gk
関ヶ原を引き起こした張本人だってんだろ
使い方間違ってねーじゃん
997人間七七四年:2010/01/29(金) 13:10:26 ID:rctrIDTs
極東軍事裁判のA級戦犯とはまた別だろ
ぶっちゃけ関ヶ原の方がもっと力関係や背景がごたごたしてるわけだし
石田三成vs徳川家康って見方だけじゃなく
五大老同士の影響力拡大闘争だったって主張してる人もいるし
998人間七七四年:2010/01/29(金) 13:49:15 ID:ivhDiwwq
1000なら今年410年ぶりにOB戦
999人間七七四年:2010/01/29(金) 16:22:13 ID:rjT5+Qpz
↓お前が関ヶ原での黒幕
1000人間七七四年:2010/01/29(金) 17:16:15 ID:YnxGAZul
泳いで参った
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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