【敦賀城主】大谷吉継 2【刑部少輔】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年

関ヶ原に散った仁将、大谷吉継について語るスレです。

前スレ
大谷吉継
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150724990/
2人間七七四年:2009/09/17(木) 14:59:53 ID:8tmAN0Da
 ノ( ___
 ⌒/\ /\
 /(○) (○)\
`|  (_人_)  |
 \  |┬|  /ii
 /  丶ノ  \i||
/ 、    | ||丶i
L_(⌒)   しE |そ
   ̄  Σ iEノく
 ドンッ! レYVヽ
3人間七七四年:2009/09/17(木) 18:02:20 ID:7v+a8LM5
関連スレ
大谷吉継についておおいに語れ(日本史板)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1121188391/

>>1乙です。なまこ満足。
4人間七七四年:2009/09/18(金) 00:38:01 ID:QXZ+at7P
>>1
スレ立て乙!
5人間七七四年:2009/09/18(金) 10:01:57 ID:2H0utDoI
>>1
新すれ満足。こふ
6人間七七四年:2009/09/18(金) 10:21:46 ID:+03Kk3/q
>>1乙。
連休に長浜で大谷展見て来る。
7人間七七四年:2009/09/18(金) 10:31:20 ID:M9VnKPH9
同じく
8人間七七四年:2009/09/18(金) 22:47:26 ID:EZ3fHafi
これだけの有名人物なのに、出身地が不詳ってのも不思議だな。
近江と豊後のどっちが有力な説だろ?
9人間七七四年:2009/09/19(土) 00:28:28 ID:9YHcOYaZ
ぶっちゃけるとさほど有名ってわけでもw
10人間七七四年:2009/09/19(土) 00:31:52 ID:4JjVRoGT
>>8
昨今は近江説が有力と言われているが、ぶっちゃけどっちも決めて無し。

ちなみに高階氏家系 青蓮院門跡坊官大谷氏の出身説ってのも一応ある。
が、これもやはりまだ決めてが無い。
11人間七七四年:2009/09/19(土) 00:41:13 ID:TkTfYMXA
wikiを見ると、オヤジの諱にも通字らしき「吉」(吉房)が付いてるね。
吉継の吉って、秀吉からの偏諱と思ったが、そうでもないのかね?
12人間七七四年:2009/09/19(土) 01:31:42 ID:4JjVRoGT
>>11
父を吉房とするのは、近江出身説の在原姓家系図から来ているだけなので確定ではないよ。
豊後出身説の平姓大谷氏の系図からだと父の名前は盛治になる。
そして青蓮院門跡坊官大谷氏の系図だと泰珍。
どれを信用するかで変わって来るし、どれも確定じゃない。
wikiの内容は結構いい加減。

吉継の吉は秀吉から、って説はあるけど信頼性のある出典は無い。可能性はある。
13人間七七四年:2009/09/19(土) 08:05:56 ID:Ctp6whxS
今年の歴史読本は大谷吉継の特集が充実していましたね。
特に外岡慎一郎の論考が興味深いと思った。
14人間七七四年:2009/09/19(土) 14:12:14 ID:62z0gJnj
吉は秀吉からで思い出したが隠し子説があるんだよな
15人間七七四年:2009/09/19(土) 14:28:09 ID:xt9nCUVl
隠し子説は眉唾
だいたい実子だったら隠す理由が無い
16人間七七四年:2009/09/19(土) 15:03:37 ID:GgI/V2Be
時慶記に関ヶ原のあと孝蔵主と同様に
大谷の母東殿が捕縛されたとあるそうだが
その後どうなったんだろう。
孝蔵主は解放されたけど。
17人間七七四年:2009/09/19(土) 17:57:08 ID:9YHcOYaZ
>>16
ことさら処分が記録されて無い場合は、開放されたか、捕縛している最中に病気にでもなって死んだか、
どっちかじゃね?
18人間七七四年:2009/09/19(土) 19:03:23 ID:aoMxbAUp
前スレにあった人物文庫の小説、買ってみたけどつまんなかった
なんか文章が小学生の作文みたいだった
武功夜話を一級史料と言って長々引用してるのもなんだかなーって感じ
19人間七七四年:2009/09/20(日) 22:38:41 ID:HJ8H8IjU
ところで今回の大河は
利まつ、功名でスルーされたのを出番あっただけでもよかったって意見と
あんな中途半端な役回りならスルーでよかったと、このスレの住人的にはどっち?
20人間七七四年:2009/09/20(日) 23:40:27 ID:N77mP1CY
出番多くて嬉しかったよ
21人間七七四年:2009/09/21(月) 00:08:40 ID:bCjPzqrn
長浜行ってきたんだがちょっとガッカリ
「三成と吉継・展」というよりも「三成展と吉継展」という感じ
吉継の方は展というほどでもなかったし
22人間七七四年:2009/09/21(月) 08:54:19 ID:ZRccIL+G
行こうかなと思ってたのにそうなのか
23人間七七四年:2009/09/21(月) 13:48:22 ID:GaqSyGZ9
今日早まって行かなくてよかった
24人間七七四年:2009/09/21(月) 21:04:50 ID:C+63r6yY
書状が数点あっただけだった。
少ないのは残念だけど、初めて生書状見られたから良かったよ。
25人間七七四年:2009/09/21(月) 22:30:49 ID:oUp9fcVq
なんかこの人って人気だよね
26人間七七四年:2009/09/22(火) 00:32:04 ID:vAhO1NYT
24テレビのノリで言えば「病気・障害を抱えながら活躍した戦国大名」
27人間七七四年:2009/09/22(火) 16:20:57 ID:RrhlgKyu
いまさらながら大谷吉継関連の本がほしいけど、絶版多いね…orz
28人間七七四年:2009/09/22(火) 23:15:12 ID:AOzYk8Xt
大河に合わせて再版するりゃいいのに商売下手だな・・

なんか即席風の新しい本は出てるがイマイチ食指が動かん
29人間七七四年:2009/09/23(水) 00:56:34 ID:TqSLYkdr
でも何を再販するの? 小説?
研究本は今となっては『大谷刑部のすべて』があればほぼ足りるし。
(あとは少し前の『歴史読本』で補えば)
最近出たやつは『歴史街道』の記事の再利用っぽかったのでスルー。
30人間七七四年:2009/09/23(水) 01:11:53 ID:VOhS6zcE
>『大谷刑部のすべて』

それだよ、それ!
マケプレで10000円也。
重版してくれえ〜
31人間七七四年:2009/09/23(水) 01:20:27 ID:G025HtKu
>>30
同意
本当に重版して欲しいわ…。どうにかしてしてもらえないかねえ。
32人間七七四年:2009/09/23(水) 01:31:09 ID:ETQuZ56Z
>>30
同じだ
欲しかったんだが断念してたよ
重版希望
33人間七七四年:2009/09/23(水) 01:41:06 ID:CTJCJ91i
先週の天地人で、津田寛治の演じる大谷吉継を見て(台本の流れはかなり粗かったけど)、感銘すると同時に病身の姿に胸が詰まる思いがした…。
ハンセン氏病は抗生物質で治ること、現代でもつい十年前まで「らい予防法」があって、患者は療養所で苦渋の歴史を重ねたことなど、刑部公に申し上げたいよ…
34人間七七四年:2009/09/23(水) 06:38:35 ID:Dvl8kSe6
なんかのTVで大谷は梅毒って言ってたが、wikiではハンセン病みたいな事が書いてあった。
結局、どっちなの?
詳しい人、教えてm(__)m
35人間七七四年:2009/09/23(水) 07:25:42 ID:1ysLNlSo
梅毒は10年経ったら脳を冒される
刑部は頭がしっかりしていたのでハンセン病と思われる
36人間七七四年:2009/09/23(水) 07:33:04 ID:f9pYX56c
梅毒は武田信玄
脳をやられて25000で上洛しようとして
武田家を滅亡に導きました
37人間七七四年:2009/09/23(水) 09:44:19 ID:7bh6RD+S
梅毒は織田信長
脳をやられて本能寺で殺され
織田家を滅亡に導きました
38人間七七四年:2009/09/23(水) 09:45:18 ID:cMdp3q+Q
加藤清正は梅毒で毒殺されました
39人間七七四年:2009/09/23(水) 09:58:24 ID:TqSLYkdr
稀に売れ残ってる店あるけど、
2000年刊行だから大半の店じゃ厳しいだろうなぁ。<『大谷刑部のすべて』
40人間七七四年:2009/09/23(水) 11:08:36 ID:dA5dp2fT
その本、長浜歴史博物館内のショップで積んであったような気がする…
うろ覚えだから確定ではないけど…
41人間七七四年:2009/09/23(水) 11:19:28 ID:/R1rUl9o
まじで?!
先日行ったのに展示のガッカリ感でさっさと出てきてしまったから見なかった…
42人間七七四年:2009/09/23(水) 11:22:49 ID:dA5dp2fT
>>41
自分が行ったのは今年の始めだったから、その時には積んであって「なんだ、あるんだ」と思った気が…
詳しくは電話でもして聞いてみてくださいOTZ 間違ってたらゴメン
43人間七七四年:2009/09/23(水) 11:32:46 ID:/R1rUl9o
いや、ありがとう。
44人間七七四年:2009/09/23(水) 12:20:02 ID:jelVrIrl
セブンアンドワイ?とかネットにあるのは実際には売り切れってことなの?
45人間七七四年:2009/09/23(水) 12:23:21 ID:TqSLYkdr
そういうところは出版社の在庫次第だと思う。
なので狙い目は実際に店舗を持つ本屋。
46人間七七四年:2009/09/23(水) 15:34:35 ID:G025HtKu
関東圏内ならどこへでも飛んでいって買いに行くのになあ…
47人間七七四年:2009/09/24(木) 09:29:24 ID:CoNEeUKh
『大谷刑部のすべて』、最近になって大谷さんに興味持ち始めたんで
当初の値段より千円くらい高かったけどマーケットプレイスでこの間購入したよ。
もしぜひとも購入したいって方は、重版はどのくらいの可能性があるかわからないから
待つより本屋に問い合わせたりした方がいいかも。普通の本屋とか、古本屋とか。
あと気長な話になるがオークションでアラート設定しとくとか。成せばなる、かもしれない。
48人間七七四年:2009/09/24(木) 17:33:21 ID:1PiUSwEf
大谷刑部かっこいいです素敵です
49人間七七四年:2009/09/24(木) 21:52:41 ID:rK4krNO6
大谷吉継を演じてみたいな。
50人間七七四年:2009/09/24(木) 23:16:07 ID:K2pSn0ts
吉継みたいな実態のわからん人間を、かっこいいと言われてもなあ。
51人間七七四年:2009/09/25(金) 09:31:52 ID:BcYIy6XF
信長であろうが秀吉であろうが家康であろうが史料が多かろうが
400年隔たってしまえば実態が分かる人物など一人もいないんだが
52人間七七四年:2009/09/25(金) 18:50:51 ID:gIt0S95i
セブンアンドワイで『大谷刑部のすべて』発送可能になってたから注文してみた
絶版ですメールが来るかと思ったら普通に現物が届いたw
53人間七七四年:2009/09/25(金) 20:40:11 ID:KOAhpwmd
在庫あるかも?
http://www.bk1.jp/product/00018547
54人間七七四年:2009/09/25(金) 22:31:23 ID:TjoBDTAj
もしかすると大谷展用に少し増刷した?
ライブドアブックスからは確保メール来ないけどもうちょっと待ってみる。
55人間七七四年:2009/09/25(金) 23:49:44 ID:82sBy5ux
三成との茶会のエピソードが実話であってほしい 勝猛にしろ、彼にしろ、三成の為に西軍について、散っていったのをいつまでも感涙出来る
56人間七七四年:2009/09/26(土) 10:16:29 ID:p3kylGbf
セブンアンドワイ発送可能になってないね、今は。
57人間七七四年:2009/09/26(土) 13:00:41 ID:I8ackV9v
>>53のBK1は出荷可能になってるよ
58人間七七四年:2009/09/26(土) 13:58:12 ID:p3kylGbf
BK1注文してみたんだが、

>現在発売元へ発注し入荷を待っております。
今しばらくお待ちくださいませ。

>◇この商品は出版社・メーカーへ発注するため
 品切れで手配できない場合がございます。
 その場合は必ずご連絡差し上げますが、判明までに 1〜3週間ほどお時間をいただく場合がございます。 恐れ入りますが何とぞご了承ください。


だって
59人間七七四年:2009/09/26(土) 20:23:55 ID:I8ackV9v
>>58
そうか、BK1も望み薄そうだな… (´・ω・`) 58サンクス
6030:2009/09/26(土) 21:39:25 ID:OPmp1esP
livedoorブックス発送メールきた
まさか普通に買えるとは…
皆さんdクス 試しに注文してみてよかった
61人間七七四年:2009/09/27(日) 13:01:36 ID:YvmrYVxX
>>60
まじかー
62人間七七四年:2009/09/27(日) 17:30:00 ID:MXjCN91B
セブンから届いた本見たら第一刷だったから最後の一冊だったのかも
増刷じゃなくて売れ残りだな
63人間七七四年:2009/09/27(日) 18:10:45 ID:j/nILPlO
返品かき集めて再販とかかも
64人間七七四年:2009/09/28(月) 03:23:46 ID:W47+xpFf
徳川美術館にいったんだが、美術館所蔵の刀の目録の中に
吉継が徳川に贈ったという謂れの短刀があった。
美術館には400をこえる刀があるそうだが、月代わりで展示してるらしいので
タイミングあえば見られるんだろうな。
65人間七七四年:2009/09/28(月) 17:56:25 ID:U9UtyQWv
おおたに
66人間七七四年:2009/09/29(火) 19:35:31 ID:aUKPm6KL
ぎょうぶ
67人間七七四年:2009/09/29(火) 20:04:14 ID:6j3umGl5
のバカ
68人間七七四年:2009/09/29(火) 21:11:09 ID:+BxCennY
>>67
おのれ金吾め三年のうちに祟りを成してくれん
69人間七七四年:2009/09/30(水) 00:08:09 ID:ttjFlBll
>>64
吉継といえば戸田流(だったか)の小太刀の達人だと聞いた
>>短刀
70人間七七四年:2009/09/30(水) 06:05:31 ID:6qiBr3ns
>>69
なにそれkwsk
71人間七七四年:2009/09/30(水) 17:42:16 ID:Ec8Ld87L
>>67は秀秋なのかw
72人間七七四年:2009/09/30(水) 17:43:14 ID:AGXk9B/H
富田勢源でお馴染みの富田流じゃね
吉継に関係してるかは知らん
73人間七七四年:2009/09/30(水) 19:30:57 ID:nJrb7p+h
富田流の流れの伊東一刀斎の弟子だって話しはあるよね。
そこからの尾ひれがついたのかな?
74人間七七四年:2009/10/02(金) 16:02:03 ID:v8sHH+im
BK1から「大谷刑部のすべて」出荷不可メールきたあああ\(^o^)/
75人間七七四年:2009/10/02(金) 22:23:02 ID:HHogT0NY
生きろ
76人間七七四年:2009/10/03(土) 00:03:44 ID:1g/YbSA5
みんな「すべて」ばかりでなく池内氏の「智将 大谷刑部 」も忘れないでくれ。
まぁこっちは確実に古本しかないけど。
この人のこの本こそ近江出身の方が有力説を最初に唱えた本だ。

古い本なので武功夜話をソースにした記述も多いが、それは「すべて」もだし
「すべて」はこの本を引用して焼き直したような内容も多いので
先行の「智将 」の方も一読しておくのも悪くないぞ。

最近の研究は外岡氏のやつ一択だけど、書籍としてはまとまってないので
氏の説はあまり浸透してないのが残念。
77人間七七四年:2009/10/03(土) 12:23:24 ID:LvGvGuO7
『刑部が屏風に上手に坊主の絵を書いた』
78人間七七四年:2009/10/03(土) 16:27:26 ID:h1zHDWZJ
age
79人間七七四年:2009/10/04(日) 15:03:01 ID:2i462sxe
保守
80人間七七四年:2009/10/05(月) 17:56:14 ID:d3BtCbhb
おおたにさますてきです
81人間七七四年:2009/10/05(月) 20:08:25 ID:W+wqPSnu
BASARA3への出陣待ってる!
でももし色物枠だったら泣く
82人間七七四年:2009/10/05(月) 21:33:12 ID:nk9K8xKH
気色悪い奴らは来ないでくれ
真っ当な歴史好きはBASARAに嫌悪感を持っているんだからな
83人間七七四年:2009/10/05(月) 22:27:44 ID:mNRAoEr8
あんなキモゲーに出て欲しいとか釣りとしか思えん
狂気の沙汰だな
84人間七七四年:2009/10/05(月) 22:33:56 ID:lSZaLImJ
無双も嫌です
85人間七七四年:2009/10/05(月) 22:40:08 ID:bprlWPbu
本当にまっとうな歴史好きなら
ゲームはゲームと割り切れるから笑って許せると思うんだが?
きっかけはどうであれそこから歴史や大谷に興味持ってくれるんなら
俺は別に構わないがな。
86人間七七四年:2009/10/05(月) 22:57:23 ID:/aV0aRF+
大谷ファンはリアクションが生真面目じゃのう
87人間七七四年:2009/10/05(月) 23:08:23 ID:aeHIexN6
確かにゲームはゲームだ。
しかしこんな興味のもたれ方するくらいなら出て欲しくないね。

宮城県 護国神社の惨状↓
ttp://image.blog.livedoor.jp/wordroom/imgs/6/d/6dd57d95.jpg
88人間七七四年:2009/10/05(月) 23:16:34 ID:l1CgxL3w
ここで嫌悪感を操作してこのスレの住人を巻き込みたいのですね、わかります
85と同意
興味を持った人が増えれば絶版本も再販してくれるかな…
89人間七七四年:2009/10/06(火) 03:31:03 ID:JIWOZ3LE
>>88
「嫌悪感を操作」?「巻き込みたいのですね」?
BASARAに嫌悪感を抱かれることに何か都合の悪いことでもあるのか?
90人間七七四年:2009/10/06(火) 10:13:00 ID:m1D30wve
>>87
こ  れ  は

子どもみたいな人たちは、神社を漫画とかのイベント会場と勘違いしてるのかねぇ。
さすがにちょっと、神社の人とかが困惑するような事態は気持ち悪く感じる。
91人間七七四年:2009/10/06(火) 12:11:05 ID:AzpgDFqb
BASARAなんかに出たらゆかりの地が荒らされるだろ…。
公式で注意するどころか、褒めてるんだし。>絵馬

刑部が出たら、変態キャラにされそう…
92人間七七四年:2009/10/06(火) 14:02:21 ID:1mXKp8in
>87
伊達家は戦国一の腐女子ホイホイと聞いていたが聞きしに勝るなw

敦賀の八幡神社がこんなことにはなるまいと思うが…

「采配のゆくえ」ですでにこんなことになっているのでやや心配
http://ca.c.yimg.jp/gameinfo/1224647186/img.gameinfo.yahoo.co.jp/img/eg/report/20081023_spe_gemaga_01_22.jpg

ま、きょうび人気が出るというのはいろいろ覚悟がいることである
93人間七七四年:2009/10/06(火) 17:26:59 ID:T+1mK60X
>>BASARA嫌いの特攻厨
すまんがスレの空気を読んでくれるか?
急に「ゲームは悪!」とここで宣伝活動が増えたな
94人間七七四年:2009/10/06(火) 17:30:03 ID:m1D30wve
入り口がなんであれ、歴史に興味を持つようになるとかはいいと思うんだけどな。
ただ、史跡とかでマナー守れない人はゲーム云々関係なくどうかと思うよ。
95人間七七四年:2009/10/06(火) 18:07:57 ID:T+1mK60X
史跡でマナー違反はゲーム関係なくいそうだもんな
城の石垣に相会い傘を彫ってたり、スプレー缶でいたずらの痕を見たときはド肝抜かれた
96人間七七四年:2009/10/06(火) 20:16:30 ID:pVCFHQNT
昔は「ドキュソ」と呼ばれていた層が今ではオタクの主流になってるからなあ。
97人間七七四年:2009/10/06(火) 22:25:46 ID:PV7pNlSe
>87みたいなのは一過性のもんだからな。
100人興味を持った人がいたとして
数年後にその中の一人二人残ってれば充分だろ?
マナーの悪い奴は総じて数年後には残ってないもんだ。

歴史は長く続けられる趣味だからこそ楽しいもんなのにな。
といわけでそろそろ厨の話から大谷の話に戻ろうじゃないか。
98人間七七四年:2009/10/07(水) 00:21:20 ID:kf1//+cC
知恵袋でこんなネタを発見↓

大谷吉継(大谷刑部)公ファン、関ヶ原・歴史ファン妄想して答えてください!
彼はハンセン病を男盛りに発病していたといわれますが、妻とのセックスとか、どうしていたと思いますか?

誠実で思いやり深かっただろう彼の男盛りに得た病を想像して、こんな質問してしまいました…失礼かもしれませんが、吉継公が断然好きなあまり質問です・・・お許しください。自分が吉継公の立場だったら、あるいは妻の立場だったら・・・と。
皮膚病というのは、現代でも色々とつらい思いをします
99人間七七四年:2009/10/07(水) 00:41:53 ID:XeKsKDXY
断然好きな割には知識が全然追いついていない残念な質問文だよな。
100人間七七四年:2009/10/07(水) 09:38:53 ID:8UKbAaCw
とりあえず南原幹雄の小説でも読ませとけばいいんじゃねーかな
101人間七七四年:2009/10/07(水) 11:45:43 ID:yeV5sAHB
中学生?高校生?
「妄想」した答えで良いわけね。
なんだかね…
102人間七七四年:2009/10/07(水) 18:09:28 ID:kI1m8ZLA
ヲタネタをぶり返したくはないが
>>98みたいな質問はエロ同人誌を書くやつの
取材活動じゃないかと思ってしまう。
すっかり疑い深くなった今日この頃。
103人間七七四年:2009/10/07(水) 18:14:44 ID:jSQDGflE
はあ?
104人間七七四年:2009/10/07(水) 18:27:02 ID:6dV4eiKa
探せば男でも女でも>>98みたいなイタタはいるので
スルースキルですよ、構うと増えるもの

興味があるなら自分で調べるでしょうに
105人間七七四年:2009/10/07(水) 19:31:52 ID:mH18Tko6
急にこのスレの質が落ちてしまったのはなぜなんだ
106人間七七四年:2009/10/07(水) 20:49:01 ID:7/Q0W5SR
スレにはいろんなときがあります
107人間七七四年:2009/10/07(水) 23:12:23 ID:GfrLSrBo
>>105
間違いなく大河に吉継が出てきたため。
108人間七七四年:2009/10/08(木) 00:19:56 ID:uqubgrDQ
>>79まではまともな流れだったような気がします
109人間七七四年:2009/10/08(木) 01:13:29 ID:1xjg1ktM
   お茶でも飲んで落ち着こうよ
              ____
      ∧_∧   /__ o、 |、
     (´・ω・ ) | ・ 敦\ノ
     ( o旦o     | ・賀 | 
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

関ヶ原合戦まつりもあるし、まだまだ変則的な流れは続きそうだね 旦旦旦
110人間七七四年:2009/10/08(木) 18:48:10 ID:3pVKx/te
なんか気持ち悪い人がいるね
111人間七七四年:2009/10/08(木) 20:58:32 ID:AcVuyBsC
>>76
歴史読本にあった外岡氏の刑部のルーツをめぐる論説は興味深かった。
しかし何で1565年(永禄八年)生まれ説を採ってるんだろうな。
そのくせ天正六年に織田信長の朱印状を草刈氏に届けさせられたかも
という情報を書いてる。信憑性はそもかく、数えの14歳じゃ無理だろうに。
賤ヶ岳(1583年)のときも在地の武将と折衝した書状が残ってるようだけど
いくら昔の武将が早熟といっても、とても10代の仕事とは思えん。
参考が『すべて』となっていたので、『大谷刑部のすべて』をざっと読んだが
生年の根拠をめぐる論説はなかった。(見逃したかもしれないが)

42歳で没した説とって1559年生まれという研究者も多いし、それが順当だと
思うんだがどうだろう? 生年をめぐる史料についてわかる人いる?
112人間七七四年:2009/10/08(木) 22:18:30 ID:vONOJHF2
>111
永禄8年説は『兼見卿記』に書いてある吉継の年齢からの逆算。
草刈氏云々は知らんが、賤ヶ岳の頃であれば19歳だからいいんじゃないの?
113人間七七四年:2009/10/08(木) 23:34:41 ID:wYP0bkNy
>>112
『兼見卿記』か。ありがとう。
歴史読本の諏訪氏の稿によると、賤ヶ岳のころには
相応の権限、立場を持って在地の武将の調略や折衝にあたったようで
書状の内容も細やかな心遣いがあるとあるので、18〜19歳の若者の
仕事かなあと思ったんだけど微妙なとこかね。
あと三成より大人っぽいイメージだったけど、この説だと5歳若いことになるね。
114人間七七四年:2009/10/09(金) 03:39:03 ID:saLttNGQ
「兼見卿記」の吉田兼見は吉継、東殿親子と交流も有り祈祷など行う人間だから
その人物の記した記録であるからには、簡単に無視できない信憑性があると思う。

三成より5歳年下、という所はその仕事ぶりを三成らと比較すると結構納得する所がある。
例えば「輝元上洛日記」には天正16年に輝元が上洛の際、世話になったり挨拶周りした諸大名らの名と
それぞれへの献上の品が細かく記されてるんだが、三成、増田たちと吉継の扱いがだいぶ違う。
奉行衆の中では格下っぽいんだな。この頃はまだ敦賀領主ではないからその差かもしれないが、
その敦賀城主になるタイミングも同期の連中とくらべると若干遅いので、年齢が低いほうが周りと折り合う。

能力差や出世スピードと年齢は関係ないのは解ってるんだが、常に行動をともにしてる
三成らと比べて見て行くと、どうも一歩引けてる感じがね。
後輩として補佐役だったのかなと思わせる所がある。
敦賀城主になって後以降はわりと対等っぽく見えるんだが。

賤ヶ岳の「吉村文書」についてだが、あれは同じ日付で秀吉の書状もあってセット。
つまり吉継単独の文書ではなく秀吉の添え状。
あくまで秀吉の側近として指示を伝える立場で(これも重要ではあるが)
この頃はまだ単独で強い権限があったというのとは違うだろうから、若年でもおかしくはないと思う。
あと一応、諏訪氏は眉唾と書いてる先駆け14人衆だが、このメンバーの年齢層的には
吉継19歳でも全然おかしくないよ。

草刈氏への朱印状の件は事実なら興味深いが自分も検討中。
115人間七七四年:2009/10/09(金) 07:32:53 ID:pCUJ50DR
>能力差や出世スピードと年齢は関係ないのは解ってるんだが、常に行動をともにしてる
三成らと比べて見て行くと、どうも一歩引けてる感じがね。

そうだね。
大名になる前とあとじゃ、扱いに差があるのは当然と思うけど
出世の順番には年齢が関係していたかもしれないね。
吉村文書は秀吉の添え状でも小姓に近い年齢ではたいしたもんだと思うけど。
116人間七七四年:2009/10/09(金) 12:07:06 ID:/9eOX6Pf
吉継が1565年生まれだと非常に若くしてふたつくらいしか
年の違わない真田信繁の岳父になったわけですね。
まあ養子養女で縁戚関係を増やした戦国時代では珍しくないんでしょうけど。
ところで没年42歳という方は何が根拠なんでしょうか?
117人間七七四年:2009/10/09(金) 12:45:13 ID:q57fRvZ8
>>116
享年42歳の出どころははっきりしないので探し中。
たぶん後の誰かの日記とか家記だと思うんだが。それか関ヶ原関係の軍記とか?

外岡氏が過去の記事で「27歳で刑部少輔に任じられた」という所伝から計算されてる説
って書いてたが、その所伝がどこからなのかは書いてなかった。
その他の人の記事でも通説すぎるのか、出典書いてるのをなぜか見かけない。
名将言行録にも享年42歳て書かれてるけど、これは出典にはならないしな。

118人間七七四年:2009/10/09(金) 18:45:59 ID:IKXnk3Z3
花ヶ前さんも、天正十三年、七月十一日、二十七歳のとき、刑部少輔に叙任された
と日付まで書いてますが、なぜか出典がないですね。
119人間七七四年:2009/10/09(金) 21:35:35 ID:eFpgB/SG
>116
享年42は例えば『烈祖成績』。
120人間七七四年:2009/10/09(金) 22:27:21 ID:/1I/MT8w
>>119
もっとリアルタイムのやつが欲しいな。
何を典拠に編纂したかは書いてなかったですか?
121人間七七四年:2009/10/09(金) 22:31:39 ID:eFpgB/SG
>120
残念ながら出典記載なし。
122人間七七四年:2009/10/09(金) 22:36:01 ID:eFpgB/SG
そういえば『関原軍記大成』も享年42説。同じく出典記載なしだが。
123人間七七四年:2009/10/09(金) 22:48:42 ID:/1I/MT8w
う〜ん、なかなか時代が遡れませんね。
関ヶ原から5、60年の後には享年42歳説が広まっていたようだから
何か元になる記録があると思うんだけど。
124人間七七四年:2009/10/10(土) 00:24:59 ID:f2tnWgkA
各書読み返してちょっと気づいたんだが、「27歳で刑部 叙任」の所伝とやらの件。
花ヶ前氏が「すべて」で
>天正十三年、七月十一日、二十七歳のとき、刑部少輔に叙任された
と書いてるのは、そういう出典があったからじゃなくて
どうもこの記事自体、享年42歳説から逆算の「永禄2年生まれ」を前提に書いてるようなので
只単にそこから数えて、叙任時期の天正13年は27歳、って書いてるだけだと思う。
ちなみに叙任の日付は秀吉が関白就任の決まった日で、
参内の儀式に吉継含む12名を大夫に叙任させ列席させた記録が有る事から、その12人の叙任も
その時期のはずであろう、という事から。

で、その「すべて」を参考文献にしていた外岡氏はその花ヶ前氏の文章を見て
「27歳で刑部に叙任」の所伝が〜、という文を書いただけなんではと思う。

つまり結局、どこかにある「享年42歳」の記録だけが出典なんだろう、って事です。
125人間七七四年:2009/10/11(日) 20:44:51 ID:aJFdfxYI

外岡慎一郎「大谷吉継と敦賀」(『敦賀論叢』15号、2000年12月発行)

外岡慎一郎「青蓮院坊官と大谷吉継―その系譜をめぐって―」(『敦賀論叢』17号、2002年12月発行)
126人間七七四年:2009/10/12(月) 14:52:10 ID:zrVMYy80
Click Times 平家物語を熱く語る 平 貞盛
をキーワードにしてググると、大谷吉継が末裔として調べられている、というブログが出てくるんですよね。
で、それよりも、そのブログにレスを付けている大谷氏は大谷刑部の子孫のようなのです!!!
大谷の首級をつつんだ片袖のない小袖が家にあるそうで・・・
その話、有名なんでしょうか?
127人間七七四年:2009/10/12(月) 15:45:29 ID:2G413tc+
>>126
その御子孫と伝えられてる方なら「歴史研究」平成20年5月号に記事を書いておられます。
その家系に伝わる家系図などと一緒にその袖の残りとか槍などの品が掲載され、
そこから導かれる吉継の出自に関してなど、書かれています。

ちなみにその系図だと豊後出身説と同じ、桓武平氏の大谷氏系図で吉継は大谷盛治の子になってます。
御子孫は吉継の嫡男・大学の長男・吉刻の家系という事です。系図はその吉刻が記した物だとか。
個人的な考えとしては正直信憑性は微妙だな、という感想です。
系図に吉継の事は詳しく書いてる(といっても通説にある有名な事柄)のに、
父にあたる大学の事は名前しか書いてないとか、系図の他に書かれている吉継の情報が通説とは異なり、
他の史料と照らすかぎり間違ってると思われるとか理由は他いろいろです。

ちなみに吉継の子孫と伝わる家系の方は、他にもいらっしゃいます。
吉継の孫で大阪の陣の時に、徳川方で働きその功績で家康から50石を賜ったという
大谷隠岐隆昌(大谷五衛門隆昌)の家系の方です。
『大谷刑部少輔吉隆とその一族』の著作者もその家系の方のようで、本家には掛け軸と
吉継が描いたという秀吉の肖像画が伝わっているそうです。
128人間七七四年:2009/10/12(月) 15:46:01 ID:wt30JpHh
>>126
それ、読んだことがあるよ。
刑部の子孫という人だと奈良(だっけ?)の歯医者さんが有名らしいけど
ブログのコメントの人が関係あるかは知らない。
墓参りで子孫の方に会ったとかいう報告も珍しくない。

「家では代々吉隆と呼んでいる」つうのはちょっともっともらしいね。
・元和6年に吉継の孫、大谷吉勝長男吉刻が記述したと伝えられる家系図がある
・立花家(柳川藩)よりの手紙が残っている
・首を包んだ片袖のからくさあやし紋の布が在る
という話だけど、片袖の布はいささか信じがたいなあ。
僧祐玄が首をもって立ち去ったという説もあるので興味深くはあるけど。

あと平貞盛の子孫大谷盛治を刑部の父とする説は
主君とされている豊後大友氏の家臣に大谷姓が見つからない等の理由で
最近は否定されてきている。
「大谷家」に家系図やなんかが伝わっているなら鑑定・公開して欲しいけど
子孫を自認する人の心情としては嫌だろうね。
129人間七七四年:2009/10/12(月) 15:50:43 ID:wt30JpHh
>>127
128はリロードせずに送信しちまいました。
雑誌に掲載されたこともあるのか。なるほど。
130人間七七四年:2009/10/12(月) 16:06:29 ID:cRyb0swZ
大谷吉刻子孫の大谷氏は『歴史研究』2009年9月号、10月号にも記事を書いている。
前者は幼名について、後者は大宰府に奉納した鏡について。
131人間七七四年:2009/10/12(月) 16:07:21 ID:2G413tc+
>>128
吉刻の系図は昭和56年に一度信憑性を「市当局に否定された」と書かれてます。
132人間七七四年:2009/10/12(月) 17:06:58 ID:5UfYGnwa
大谷刑部の子孫とかかっこいいな
133人間七七四年:2009/10/12(月) 19:34:20 ID:osOg15oi
>>131
一度否定されたということはその後判定が変わったのかな?

>>132
大学介なんか養子説濃厚だから微妙だけどね。
真田に嫁にやった娘くらい血のつながりがあると思いたいが
刑部の生年によってはそれもちと難しいか。
134人間七七四年:2009/10/12(月) 20:41:37 ID:jcAH04o8
>>133
否定されっぱなしのはず。
他に「吉継」の名を贈るという内容の秀吉朱印状なども一族に伝わっており掲載されていましたが、
分家に別々になって伝わっており、判定当時はそれがなかったから否定されたんでは、と書かれてました。
記事を書いた方の先代の時に否定されたので、朱印状などが出て来たからその疑念も晴れたはず云々と書かれてます。

しかしその朱印状ともう一通の秀吉書状(刑部少輔に脇差を与える内容)なんですが、それ自体の信憑性も疑問です。
宛名が「刑部少輔との」となっているのに日付が天正10年6月となっており、通説の叙任時期より早すぎます。
(複製からなので翻訳がまちがってるかも、ともありましたが。実際かなり画質悪いです。)

埼玉県文書館に複製が保存されてると有りましたが、以前文書館の史料検索したときには出てきませんでした。
正式に秀吉書状と認められていない物なのかもしれません。
135人間七七四年:2009/10/12(月) 21:58:46 ID:q3iRbkXE
>徳川方で働きその功績で家康から50石を賜ったという大谷隠岐隆昌(大谷五衛門隆昌)

この人も興味深いですね。
出家して伊与久に龍昌院を建立、今もお墓があるのはググってわかりましたが
父親は誰と伝わっているのでしょうか? 
136人間七七四年:2009/10/12(月) 22:21:57 ID:MhANFAG/
>>135
つっこんで調べていないので何ですが、父の名前は不明なようです。
『大谷刑部少輔吉隆とその一族』著者の本家に伝わる掛け軸にも、
吉継と大谷隠岐隆昌の名が祖先として書かれているのみのようです。
137人間七七四年:2009/10/12(月) 22:23:46 ID:cRyb0swZ
>135
>父親は誰と伝わっているのでしょうか?

大谷吉勝らしい。
138人間七七四年:2009/10/12(月) 22:53:28 ID:q3iRbkXE
吉勝=吉治=大学助ですか。
だとしたら大坂の陣で父子対決? う〜ん…

>>136さんのいうとおり掛け軸でも名前がないなら
はっきりしないのかもしれませんね。
139人間七七四年:2009/10/12(月) 23:15:31 ID:cRyb0swZ
隆昌 ?-寛永9年(1633)2月18日

で、慶長18年(1613)2月に厩橋酒井家に仕えたというから、
年齢いくつ?とか突っ込みたくなるが。
140人間七七四年:2009/10/12(月) 23:28:44 ID:jrXlbwSf
>>137=139
隆昌について何に載ってました?
なんか気になって来た。
141人間七七四年:2009/10/12(月) 23:37:40 ID:cRyb0swZ
>140
『大谷刑部少輔吉隆とその一族』

読んでもけっきょく良く分からないんだけれどね。
142人間七七四年:2009/10/12(月) 23:58:16 ID:tc8FVbEp
>>141
ありがとう、やっぱりそれですか。
今度読み返してきます。
143人間七七四年:2009/10/13(火) 18:05:48 ID:xqqx9PSF
戦国BASARA3に大谷吉継がきた・・・
包帯ぐるぐる巻きで輿に乗って浮いてる
144人間七七四年:2009/10/13(火) 18:21:46 ID:S631l0qG
あれは同姓同名なだけの別人です。
刑部はあんな毒電波じゃないよ。
145人間七七四年:2009/10/13(火) 18:59:14 ID:aQyOST32
>同姓同名なだけの別人

わざわざ書くことかw
Bは歴ゲー板でも村八だ
146人間七七四年:2009/10/13(火) 20:20:26 ID:LhuVSQgZ
戦国BUZAMAまじふざけんなよ…
呪ってやりたい気分だ
147人間七七四年:2009/10/13(火) 20:28:37 ID:JrllwFtc
>>143-146
BASARAスレにでも書いてきたらいいんじゃないの?
大谷ファンとして、そういう書き込みが不快だ
148人間七七四年:2009/10/13(火) 20:31:35 ID:LhuVSQgZ
そもそもBASARA自体嫌いだからBスレなんか、覗きたくもないんだけど…
149人間七七四年:2009/10/13(火) 20:33:06 ID:LhuVSQgZ
でもBに関する書き込みはしないようにするよ、ごめん。
150人間七七四年:2009/10/13(火) 20:34:26 ID:QmKFdQ7n
もうその話は出せば荒れるの解ってるだろう
ゲームの話はゲーム板でやって下さい。板違い。
151人間七七四年:2009/10/16(金) 21:51:50 ID:z8Ri9Oxc
アンチスレはお通夜モードです
152人間七七四年:2009/10/16(金) 22:02:37 ID:/DfZxDwf
真上のレスが読めませんか?

誤爆だよな
153人間七七四年:2009/10/17(土) 05:01:55 ID:095rr3gq
はやく大谷さん使ってみたいなぁ〜
154人間七七四年:2009/10/17(土) 05:20:01 ID:RE9TMix5
可成り若い頃から発病していたらしい(千人斬りの風評から推して)が、
石田三成との男色関係は何歳ぐらい迄つづいていたんだろう?
流石に晩年は念契関係には無かった模様ぢゃが。
155人間七七四年:2009/10/17(土) 10:48:58 ID:3ePd84II
・新武将に大谷吉継(CV:立木文彦)
  四字熟語は「寥星跋扈(りょうせいばっこ)」
 宙に浮き8つの数珠を操って戦う 
  固有技は「爆ぜるな計都」
  台詞「死と死の行く先は末広がりよ、メデタキな」
・人物設定
 石田三成の友人。
 徳川家康への復讐にしか目の向かない石田の補佐を司り、西軍の型を保つ。
 重い病に浸されており、豊臣秀吉存命の時代より周囲から疎んじられてきた。
 己の身のみに降りかかった不幸を許容できず、すべての人間を不幸に陥れる
 ことを目的に、天下分け目の戦を起こすべく暗躍する。
156人間七七四年:2009/10/17(土) 10:53:28 ID:VRcLIzjf
バサラの話はもういいって
だから歴女とかいわれて嫌われるんだよ
157人間七七四年:2009/10/17(土) 12:37:36 ID:JnV1m9pf
そんなこと言わずにやってみろって
そこらの歴ゲーなんかよりおもしろいよ!
大谷さん、早く使いたいなぁ〜
158人間七七四年:2009/10/17(土) 12:57:41 ID:/rlDYC13
空気読まずに変な書き込みしてしまった…
スルーしてください、お願いします
すいませんでしたm(._.)m
159人間七七四年:2009/10/17(土) 13:20:55 ID:L8oMUbB4
>>153
>>157

ゲーム関連の板に帰れよ
160人間七七四年:2009/10/17(土) 13:28:07 ID:KRs06IKj
大谷吉継を愚弄した戦国BASARAしね
161人間七七四年:2009/10/17(土) 18:15:35 ID:b8eTWU0E
煽りに反応すると面白がられるだけだと思うけど・・・
歴ゲーのスレをちょっと見た感じだと刑部の設定が余りにひどいので
戦国板の人間を怒らせてアンチに同調させたいと思っている人も
いるっぽいので念のため――

もしそう思っているならまったく逆効果。
我々は低俗なゲームにはまったく関知しません。
たとえBアンチであってもここでは変な板から来た荒らしでしかないよ。
162人間七七四年:2009/10/18(日) 00:06:30 ID:4i5jmxvs
「低俗」なんて言う必要はないと思うが。
ゲームが嫌いな人もいるだろうが、一方で好きな人もいるだろう
ゲームネタは板違いだというだけ

大谷のファンというなら、たぶん人格者という点に惹かれたんだろうし、
何かを貶めるようなレスは控えて欲しい
163人間七七四年:2009/10/18(日) 00:08:58 ID:mx9ykOn3
17日、新宿でやった戦国魂主催のトークイベント?がテーマ吉継の回だったみたいだけど
行った人いる?どんな内容だったんだろう
164人間七七四年:2009/10/18(日) 00:49:12 ID:1+HcDMTs
何ゆえ悪人設定なんだ!許せん
165人間七七四年:2009/10/18(日) 00:50:22 ID:BB2wtaRq
>大谷のファンというなら、たぶん人格者という点に惹かれたんだろうし、

そう決めつけるのもどうよ?

自分は兵站と調略みたいな合戦の裏仕事に興味あるんだよね。
それで豊臣で兵站奉行をやってた石田や大谷にも興味持った。
人格(が推し量れる史料がどれだけあるかしらないが)はいいとか悪いとか
決めつけたくない。
まあネガティブなレスはしないに越したことないが
それは何に惹かれようが、どこのスレにいようが同じだろ。
166人間七七四年:2009/10/18(日) 05:26:14 ID:fwNDyHDB
カプコンから2010年発売予定のプレイステーション3、Wii用ソフト『戦国BASARA3』。その最新情報を入手したのでお届けしよう。
今回紹介するのは、石田三成とともに関ヶ原を戦ったという大谷吉継と、これまでのシリーズで常に徳川家康と行動を共にしてきた本多忠勝。

大谷吉継は、石田三成の友人。徳川家康への復讐にしか目の向かない石田の補佐を司り、西軍の型を保つ。
重い病に侵されており、豊臣秀吉存命の時代より常に周囲から疎んじられてきた。
己のみに降りかかった不幸を許容することができず、すべての人間を不幸に陥れることを目的に、天下分け目の戦を起こすため暗躍する。
http://www.famitsu.com/image/4443/UOs168BQ9ybn4vNq29G9HO56uwByyJd8.jpg
http://www.famitsu.com/game/news/1228617_1124.html?ref=rss


はは、ワロス
167人間七七四年:2009/10/18(日) 06:20:49 ID:p17P27KW
>>166
大谷のファンだがBASARAの公式見てつい笑っちまった
なんかあんまり突き抜けていて怒ろうにも気が抜ける感じじゃあるなw

>>163 
戦国魂のイベント行ったことないけど、関ヶ原前後のよく聞く逸話を中心に
紹介して、通俗的なageをしてくれただけと違う?
ちょっと行ってみたかったけど歴女ってのがいっぱいいそうで恐かった。
168人間七七四年:2009/10/18(日) 09:49:32 ID:iMuMotjW
大谷吉継関連の史跡に行く人は注意しろよ?
ゲームの乗りを持ちこんできては実在した大谷吉継に対してもあんなゲームのあんなキャラと同じ目で見られたら不愉快だ
169人間七七四年:2009/10/18(日) 10:36:54 ID:mlWxagiv
関ヶ原の大谷陣営って暗くてたどり着きにくいよな
170人間七七四年:2009/10/18(日) 14:11:19 ID:Fmg46SDT
墓もだな。この時期はゲー厨より歴女よりクマーに注意!
171人間七七四年:2009/10/18(日) 15:18:01 ID:oQZkmf74
>>166
これは酷い
172人間七七四年:2009/10/18(日) 19:32:24 ID:wB8grVYm
>>163
行ってきた。
講演の内容はいたって真面目で、
ライブハウスで古文書が読み上げられるのはかなりシュールだった。
やはり女性がほとんどだったけど皆普通に聞いてる。

一般的に知られてる逸話よりは少し突っ込んだ話で、
個人的には米原の首塚の祠が開いた状態とか、
近江出生説の小谷(おおたに)村とかの写真が見られて興味深かった。
173人間七七四年:2009/10/18(日) 19:48:40 ID:pQsudsXd
>172
目新しい話は何かあった?
174人間七七四年:2009/10/18(日) 20:48:12 ID:tPRyF8Eo
たん
175人間七七四年:2009/10/18(日) 20:58:21 ID:wB8grVYm
>>173
自分はまだ知識がないので判断つかないけど、
目新しいってほどの話はなかったと思う。

でも、珍しく吉継の槍働きが描写されてる根来攻めの話とか、
吉継が関ヶ原に際して改名したことに触れてるのが安積澹泊で、
光圀公もあの時代なのに三成を誉めてるし、水戸藩は西軍シンパなの?
ってこととか、個人的には新鮮だったよ。
176人間七七四年:2009/10/18(日) 22:10:28 ID:uAx4nkav
>>175
乙です。
出演者の坂本氏は研究が丁寧だから気になってたんだよなぁ
講演内容もやっぱちゃんとしてたんだね
根来攻めの話は出典何からか覚えてますか?
177人間七七四年:2009/10/18(日) 23:34:59 ID:wB8grVYm
>>176
ごめん…失念しました
増田と一緒に二千を率いていて、
味方のピンチに颯爽と現れ敵を突き伏せるw、みたいな
内容だったんだがなあ…
178人間七七四年:2009/10/18(日) 23:57:36 ID:uAx4nkav
>>177
ありがとう、なんか随分とかっこよさげだなw

坂本氏だし『太田総光寺中古縁起』『根来焼討太田責細記』あたりが出典かな?
179人間七七四年:2009/10/19(月) 00:17:53 ID:bT1AGsZv
確か全部で3時間だよね、イベント。
書いてるようなガチなトークって何分ぐらいあったの?
180人間七七四年:2009/10/19(月) 11:28:14 ID:D/TWkGwI
>>179
2時間弱はあったかな。
ただ講師一人が話すのではなくて
司会の人とかといろいろ掛け合いながらだが。

あとは太秦であった関ヶ原劇の上映と、
大谷ソング?のライブがあって終了でした。
181人間七七四年:2009/10/19(月) 19:13:04 ID:Z2EFs70N
大河で三成に説教されててワロタ
182人間七七四年:2009/10/19(月) 22:57:44 ID:Temlcymt
藤堂高虎の旗印って、大阪の陣では紺地に白の餅三つになっていて、大谷吉継の旗印と同じになっていますね。
関ヶ原に飾ってあるのは朱の餅(日の丸)三つだけど・・・
 偶然かぶっただけなのか、それとも?
 ご存知の方いらっしゃいますか?



 
183人間七七四年:2009/10/19(月) 23:19:05 ID:/WFP+n47
当時、白餅や黒餅の旗印は縁起かつぎから定番のものだったようなので偶然では?
高虎の旗は見るものによって紺地だったり黒地だったりしますね

ちなみに最初高虎は白地に黒餅3つだったところ、関ヶ原時に共に岐阜城攻めをした
黒田長政と黒餅なのがカブっていたため、長政に「カブって紛らわしい」と文句を言われたので
「黒餅(石持ち)より白餅(しろもち)の方が良い」などと言って黒地に白餅3つに染め直した
という逸話があるようです(出典不明)
184人間七七四年:2009/10/21(水) 00:20:47 ID:WftZCGr9
大谷は崇高な武将だと思いますが、かつて賎ヶ岳で柴田氏を内応させた大谷が最期は小早川や脇坂ら多数の内応により滅ぼされてしまう・・・
いわば因果応報の憂き目にあっている。

辞世に「六つの巷」を詠みこんでいることや、当時前世での悪業の報いといわれた「業病」を患っていたことなども併せると、大谷は戦国時代に生きた武将としての業を深く感じていたのではないかと思う。
185人間七七四年:2009/10/21(水) 19:55:06 ID:16+ulZD6
ポエムはポエマー板で
186人間七七四年:2009/10/22(木) 00:53:12 ID:BzXNTrcx
>>184
は?なんの話?
長浜城主柴田勝豊を吉継が調略したとか言う意味?
そんな手柄立てたっけ?

つか調略内応茶飯事、討ったり討たれたりの乱世に
開城交渉くらいで因果感じた暇人もいないと思うけど
なんか刑部の単独工作が伝わってるわけじゃなし、なんともいいようがないな

六つの巷(六道の辻)はあの世とこの世の境目
彼の今生の業と前世の迷信がなぜ結びつくのかもわからんし
為広にあの世で会おうと詠んだというだけの句に
妄想心理解説入れられても返事にも困るよ
187人間七七四年:2009/10/22(木) 22:18:15 ID:oMKnf/K+
吉継が称したのって源姓でいいんだっけ?
188人間七七四年:2009/10/22(木) 22:40:32 ID:NFj7k3gR
先祖が桓武平氏の説もあるから違うんじゃない?
189人間七七四年:2009/10/23(金) 00:15:00 ID:pVL4+LkR
>>186
柴田勝豊の調略にあたったのが吉継って話はいろんな本で目にするけど
出典は何なんだろうな?

>>187
刑部叙任の際に源姓を自称してるらしい

永賞寺の供養塔に「預修源朝臣」の刻銘があるそうだし
実際の本姓が何かはともかく自称は源だったのかもしれない
190人間七七四年:2009/10/23(金) 00:17:23 ID:BtlY6vxf
敦賀城主というが、敦賀城って敦賀のどこにあるんだ。織田軍が攻めたあの金ヶ崎城のことなのか。それともその後どこかに新しく城を作ったのか。
191人間七七四年:2009/10/23(金) 00:23:45 ID:pVL4+LkR
192人間七七四年:2009/10/23(金) 00:43:16 ID:AGkNUJIV
>189
柴田勝豊の調略の話は「真書太閤記」にあり。
193人間七七四年:2009/10/23(金) 01:23:51 ID:7Kq/uF5R
>>192
ありがとう、やっと判明した

詳しそうな人いるみたいなんでついでに質問
真田に嫁いだ吉継の娘について、下間氏の娘を養女にしたって書かれてる史料が何かわかりますか?
194人間七七四年:2009/10/23(金) 19:43:33 ID:/QwFUrmM
おすすめがBASARAばっかw
195人間七七四年:2009/10/23(金) 20:12:50 ID:aMR9qQdV
まっとうな板に来てまでその名前を出すな
気分悪い
196人間七七四年:2009/10/23(金) 21:15:05 ID:AGkNUJIV
>193
検索すると『仙台真田代々記』に書いてあるようなのだけれど…。書いてあったっけ?
197人間七七四年:2009/10/23(金) 23:08:14 ID:sXu/FZbC
>>196
図書館通いなんでまだ半分くらいしか読めてないけど
ちっともそんな記述ありそうな気配ないんだよな……
がんばって最後まで読むけどさ、「代々記」にあるなら
更に出典あるはずだよなーって思って
198人間七七四年:2009/10/23(金) 23:23:59 ID:AGkNUJIV
>197
以前一通り目を通したけどそんな記述は見つけられなかったんだよなぁ。

下間頼廉の庶子、頼亮の妻が吉継の妹というから(下間系図)、
その辺から生まれた話なのかもしれないけれど。
199人間七七四年:2009/10/24(土) 00:38:11 ID:Fm+JlRYD
>下間頼廉の庶子、頼亮の妻が吉継の妹

ああ、それが姪を養女にした説の元になってるのかも
200人間七七四年:2009/10/24(土) 00:41:22 ID:INCQkXfO
>>198
やっぱり?
姪を養女にした説があるから、それと混ざって言ってるだけなんだろうか
本当に真田側の史料にもあれば信憑性ますんだけどなぁ
201人間七七四年:2009/10/24(土) 17:41:18 ID:BNPSkZiu
>>180
真の“大谷ソング”は、小学校でも歌われている「友達はいいもんだ」でしょう。
今聞くと、大谷吉継と石田三成の歌にしか聞こえないんですけど・・・
サビなんて直球ど真ん中だし。
202人間七七四年:2009/10/27(火) 06:10:50 ID:4Q7wVbs/
♪いつでも〜 どこでも〜 君を見て〜る〜よ 愛を〜心に〜君と〜あるこう
 みんなは一人のた〜めに 一人はみんなのた〜めに・・・(笑)

ようつべで聞いちまったじゃないか(笑)、この馬鹿(笑)>>201
あのさ、夢・独り言とか電波・お花畑とかいう板もあるんだからさ、
わざわざ戦国板来なくてもいいだろうに。お互い住み分けようよ。頼むよ。
203人間七七四年:2009/11/03(火) 15:52:04 ID:n+n18KRr
前に出てた根来攻めについての大谷の武功の記録の件、
調べた所やっぱり『根来寺焼討太田責細記』だった

増田長盛と共に2000の兵を率いて従軍してた模様
引用するにもけっこう長くにわたって描写されてるので
ラストの白兵戦のとこだけ抜粋

前略〜なんだかんだで追いつめられた根来衆、
凄腕の津田堅物という人物が最後まで抵抗をつづけ白兵戦
津田は組み伏せられても起き上がり、堀の軍勢相手に仲間の杉本荒法師と無双状態
さらに大谷、増田に襲いかかるが…… 以下原文↓

「大谷慶松増田長盛ニ 杉本坊津田堅物切テ掛ルヲ
大谷一声喚テ杉本ヲ突伏レバ 増田ハ津田ヲ一刀ニ討倒シ
西谷延命院ト戦ヒ是モ同ク切倒ス」
204人間七七四年:2009/11/03(火) 18:41:37 ID:pdVZCpJy
増田が自ら監物(自由斎のことだよね?)討ち取ったの?ゲームの印象でモヤシ文官だとばかり……。
205人間七七四年:2009/11/03(火) 19:47:30 ID:2IgEqFs6
>>204
『根来寺焼討太田責細記』にはそう書かれている
東京大学史料編纂所のデータベースで全部読めるよ
206人間七七四年:2009/11/07(土) 07:17:30 ID:rDF9M0Fr
大谷氏の家紋って「対い蝶」と「違い鷹の羽」のどっちが正しいの?
「葵三代」や「天地人」とかの大河ドラマじゃ、後者として扱われてたように
思うんだけど?
207人間七七四年:2009/11/07(土) 10:31:02 ID:I21ceBMp
>>206
元々は「違い鷹羽」
でも吉継さんが、他の大谷と
一線を画すために
「対い蝶」にした様です
208人間七七四年:2009/11/07(土) 15:02:35 ID:cAO/OfZT
古今武家盛衰記に、着物に対蝶を2、3個墨で描いて〜みたいな記述あるよね

>>207
そんな理由あったんだ
何に載ってるの?
209人間七七四年:2009/11/07(土) 20:06:54 ID:I21ceBMp
>>208
207です
子孫の方に聞きましたので
何かに載っているかどうかは分からないです
すみません
ちなみに吉継さんの直系の方ではありません
あまりお家のことをお話しされないので
これ位しか情報がありません
部外者なので、つっこまないで下さいね
210人間七七四年:2009/11/07(土) 21:33:54 ID:1TBikfcf
>>209
子孫の方のお話でしたか
とりあえずそういう風に伝わってる家系がある、って事かな
や、興味深かったです
ありがとう
211人間七七四年:2009/11/08(日) 01:21:35 ID:QGsqYgsA
>>206
複数の家紋を有していたのは珍しい事じゃないから、両方使っていてもおかしくない
どっちも伝わってるには何かしら記録あっての事だろうね
212人間七七四年:2009/11/18(水) 15:18:00 ID:hIVxQgMI
どっちか誰かから賜ったりしたのかな。
213人間七七四年:2009/11/18(水) 22:51:06 ID:0nxM1YFC
みなもと太郎の大谷はギャグ絵なのにかっこいい
214人間七七四年:2009/11/19(木) 15:47:24 ID:H6H+vTVf
初めて刑部の存在を知ったのは光栄ゲームの決戦だった。凄くインパクトがあったのを覚えてる。
兄貴のゲームだったし戦国に当時興味がなく関ヶ原の事を全然知らないままプレイをし、ゲーム中に小早川が寝返り攻めてきた時は子供ながらガチで切れたのも良い思い出。
215人間七七四年:2009/11/19(木) 21:51:17 ID:rZFwAdi9
今は亡き名声優、塩沢兼人氏が演じていたなあ。
小笛を吹きながら頑健そのものな老人島津義弘と語り合う、対照的な華奢な覆面の武将って感じだった。
216人間七七四年:2009/11/26(木) 20:37:49 ID:Z0A0I1G0
『ごーすけーー』


今でも葵・徳川三代(大河)の細川さんの声が忘れられません。
217人間七七四年:2009/11/30(月) 10:51:45 ID:9WXeYqTe
細川さんの大谷は本当に呪われそうで怖かったw
自分は村井さんの大谷が好きだなあ
218人間七七四年:2009/11/30(月) 23:27:57 ID:V2sEowo1
>>217
『わぁからぬかぁー』


細川さんの声が脳内にこだまする…www
219人間七七四年:2009/11/30(月) 23:29:21 ID:wFPgWKMp
葵三代の大谷刑部は秀秋のところに化けて出たからなあw

自分も、細川俊之刑部が一番印象に残ってる
220人間七七四年:2009/12/13(日) 02:46:06 ID:qKgkG9co
wiki見てきたけど情報がいろいろ出てるな。
書いてる奴住人だろ。

で、道川氏って何者?
やたら強調されてるけど。
221人間七七四年:2009/12/13(日) 04:05:26 ID:zeSgnvSJ
wiki、本当だな。ここで出た内容がまんま追加されてるわ。
しかし相変わらず間違いも多いままだなぁ。
 
>>220
道川氏は敦賀の海運業者、川舟座・河野屋座・諸浦座からなる船仲間のうち
川舟座の中心人物で、敦賀の初期豪商の一人。
敦賀はこれらの人物が握る海運業が要なので、政治的利用に協力をさせるため
吉継は税金など諸役を免除して保護していた。敦賀領国経営の上での重要人物の一人。
お歳暮のやりとりもしてたと思う。お得意様だな。
222人間七七四年:2009/12/13(日) 19:11:50 ID:qKgkG9co
>>221
読み方は「どのかわし」で合ってる?
223人間七七四年:2009/12/13(日) 20:21:48 ID:zo3BL7Tl
>>222
あってる。
224人間七七四年:2010/01/10(日) 09:04:55 ID:tl+EREPn
面白い読み方だね。
225人間七七四年:2010/01/18(月) 19:19:27 ID:YkwNPKcX
2月6日(土)に、敦賀短大の外岡教授による
「史実と伝承〜大谷吉継の武辺咄をめぐって〜」という
講演会が福井県立図書館であります。

お知らせまで。失礼しました。
226人間七七四年:2010/01/18(月) 22:42:43 ID:SlutzapA
>>225
情報ありがとう!
事前申し込み制なんだね。
227人間七七四年:2010/01/19(火) 01:39:07 ID:hyhR8RS/
行きたかったけど福井は遠すぎる…残念。
228人間七七四年:2010/01/19(火) 09:31:58 ID:59sMTBS4
頑張れば行けないこともない距離ではあるんだが
福井・・・雪凄そうだなぁ・・・悩む・・・
229人間七七四年:2010/01/25(月) 12:44:40 ID:hlwI/94V
そういや天正19年の吉継から政宗への書状で
宛名が「政宗」って呼び捨てになってるのが二通くらいあるんだけど
官位とか地位が政宗より上ってこともないだろうし
(政宗への敬称は秀吉で「との」、家康で「殿」、三成で「様」だった)
内容をちゃんと覚えてないんだが礼状?みたいだったので
実はすごくプライベートな書状だったんだろうか

宛名に諱呼び捨てって仲良くてもあまりやらないイメージがあったんだけど
実は結構よくやることなんだろうか・・・?
230人間七七四年:2010/01/25(月) 14:41:35 ID:rXpNhEGE
>>229
プライベートではないね。
奥州仕置きの最中の奉行としての指示とかで
9月7日の水沢・江刺に伊達政宗の代官設置を認める内容のと
9月22日の政宗に対して水沢・江刺に守備兵を求める内容。

そういえば敬称無いってめずらしいな。「政宗」だけだし。
でも宛名の位置は同格の位置か。
この書状は「大谷刑部のすべて」のしかしらないけど
原本でもそうなのかな?
231人間七七四年:2010/01/25(月) 15:14:42 ID:hlwI/94V
>>230
d
内容ちゃんと覚えてなかった、ありがとう
自分が見たのは大日本古文書の伊達家文書だった
原本どこにあるんだろう、見てみたいなぁ
232人間七七四年:2010/01/25(月) 22:21:06 ID:WyxJFOLo
>>231
原本、仙台市博物館にある模様。目録に載ってた
情報資料センターとやらに「資料のご相談も受け付けております」ってあるけど
展示してないのも頼めばマイクロフィルムくらいなら見られるのか?
233人間七七四年:2010/01/27(水) 00:24:13 ID:Gn6/vY2j
新しく創刊したコミック「大河」なる漫画で
みなもと太郎が風雲児スピンオフで戦国武将列伝連載開始
第一シリーズは大谷吉継、風雲児大谷の素顔も見れるぞ!
234人間七七四年:2010/02/18(木) 09:13:28 ID:+R8prbgM
2月16日、日本ハンセン病学会はゲームメーカー大手のカプコンに対し、
「偏見や差別を招くような表現を避けてほしい」と要望書を提出した。
これはカプコンの人気テレビゲーム『戦国BASARA3』にハンセン病を患った(といわれている)戦国武将が
登場したためで、そのキャラクター設定が余りにもハンセン病患者を深く傷つけるものになっているという。

ハンセン病を患った(といわれている)戦国武将は、実在する大谷吉継という武将。
大谷吉継のプロフィールとして「重い病に侵されており、豊臣秀吉存命の時代より常に周囲から
疎んじられてきた。己の身のみに降りかかった不幸を許容することができず、すべての人間を
不幸に陥れることを目的に、天下分け目の戦を起こすため暗躍する」と書かれている。

確かにハンセン病患者の人達が『戦国BASARA3』が設定した大谷吉継のプロフィールを読んだら、
何かしら心に痛みを感じるかもしれない。なにより大谷吉継の容姿が全身に包帯を巻いたようなデザインを
しており、それもまた心を傷つける要因となりかねない。

創作物は自由な発想のもとあるべきだが、誰かの心を傷つける存在となってしまっては
「単なる創作物」として見れないのも事実。はたして『戦国BASARA3』は、ハンセン病患者の人たちを
傷つけず、同時にゲームファンも楽しめる内容になるのだろうか? 日本ハンセン病学会に対し、
カプコンがどのように返答をするのか注目が集まるところだ。

http://news.livedoor.com/article/detail/4611119/
235人間七七四年:2010/02/18(木) 10:44:16 ID:RBMl+nEc
まあこうなるわな
火を見るよりも明らかな流れだ
236人間七七四年:2010/02/18(木) 10:58:23 ID:8gWQ7Mnr
馬鹿ゲーだと言われてもこの件に関しては仕方がない
制作陣は余りにも調子に乗りすぎた
237人間七七四年:2010/02/18(木) 11:27:28 ID:q0c5TuRT
今回に関してはカプコンが悪いと思う
明らかにやりすぎ
238人間七七四年:2010/02/18(木) 15:33:53 ID:u15Ol6J7
だいたい擁護のしようがないからな
正直、あんなもんを大谷吉継として世に出されるくらいなら
これで発売中止にでもなってくれれば有り難い
239人間七七四年:2010/02/18(木) 15:53:38 ID:RBMl+nEc
「大谷吉継が好き」と答えたら「趣味が悪い」と言われてしまいました。 - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136043036

戦国BASARAは史実と全然違うってよくみなさん言いますけど、私はそうでもないと思... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1431868934
240人間七七四年:2010/02/18(木) 16:53:30 ID:u15Ol6J7
>>239
気持ち悪いんで、どっかよそでやってくれ
それがおかしいのはこのスレ住人なら十分わかってるだろ
そのゲームの名前見たくないんだわ
241月孔雀:2010/02/19(金) 01:47:56 ID:cnRvP6TV
ライ病になった戦国武将多し!
ナザレのイエスのまねでもしたんでしょ。
242人間七七四年:2010/02/19(金) 02:14:25 ID:WZW4ldZ6
ただでさえ外見に症状がはっきり出てしまう病は差別されやすいのに、
「病で自分が不幸→周りも不幸になれ」の秋葉原テロの様な味付けをすると、若い人間に変な知識を植え付けるし
ハンセン氏病患者を煽ってると思われてもしかたないわな…

昔から巷では大谷吉継=業病=ハンセン氏病の見解がデフォだしな…
243人間七七四年:2010/02/19(金) 09:00:04 ID:rc/4MWEh
決戦1仕様なら怒られなかったろうに
244人間七七四年:2010/02/19(金) 09:40:39 ID:j7q6vxFk
ざっと2ちゃんのこの問題のスレをまわってきたが

以外にもあの悪名高いゲハ民にもこれはカプコンが悪い意見でまとまっているとは、
245人間七七四年:2010/02/19(金) 14:56:31 ID:cV8SaEGS
これが原因となってゲーム業界全体のモラルがマスコミから叩かれると
ゲハ全部に影響出るから、カプコンが悪いって流れになってるんだと思う。
ニュー即あたりはいつも通りのお家芸でハンセン病学会を叩いてるだけだけど。

この騒ぎで大谷刑部関連の団体や地元に迷惑かからないか心配。
246人間七七四年:2010/02/19(金) 15:40:57 ID:vg9GnVii
>>245
>>238じゃないが、仙台の悪夢を見てると
「発売中止になってくれた方がなんぼかマシ」と思ってしまう

比較してなんだが、采配のゆくえの刑部はナヨっとした外見はちょっとアレだけど
キャラクターとしてはスタンダードにかっこいい刑部だったからよかったんだが
(病に関してもうまくはぐらかしてたし)
BASARAはほんとに何がしたかったんだろうな
247人間七七四年:2010/02/19(金) 15:44:18 ID:S8T6Fx3L
248人間七七四年:2010/02/19(金) 21:17:04 ID:j7q6vxFk
>>245
ざっと読んだ限りは、一番ゲハ民が冷静に見てる理由がある
なぜ冷静なのかというと
他のゲームで、宗教問題や倫理問題で過去に発売中止、修正のため発売延期になったゲームを見てきているから
この手の話題はちゃんと理解する土壌がある
249人間七七四年:2010/02/19(金) 23:14:15 ID:HNte6JGP
>>245
ニュー速でもかなりカプコン批判されてるぞ
250人間七七四年:2010/02/20(土) 06:42:26 ID:DjhFpa9r
この記事が問題点を分かりやすく指摘してる
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0219&f=it_0219_009.shtml
251人間七七四年:2010/02/20(土) 13:08:07 ID:Bc/w/Fl7
このスレにまでゲームの話持ってくるなよ・・・
252人間七七四年:2010/02/20(土) 20:46:18 ID:0Zsv7/cy
そういえば敦賀城趾の小学校の校舎の一部?が建て替え工事なので
それを期に現在発掘調査しているそうだ

一応名目上は江戸期の奉行所趾発掘調査だが
本音は敦賀城の発掘調査だそうだ
3月までやってるみたい
何か出て来るといいなーと思う
253人間七七四年:2010/02/21(日) 01:14:02 ID:jR2ElelR
ララライ
254人間七七四年:2010/02/21(日) 12:43:55 ID:XiMYKERu
「重い病に侵されており、豊臣秀吉存命の時代より常に周囲から
疎んじられてきた。己の身のみに降りかかった不幸を許容することができず、すべての人間を
不幸に陥れることを目的に、天下分け目の戦を起こすため暗躍する」


こんな酷い設定マジで腹立つ。カプコンに電話してくる⊂二二二(#^ω^)二⊃
255人間七七四年:2010/02/28(日) 09:15:43 ID:USJbbefX
最近吉継を知って好きになった。友情に篤いところがかっこいいです。
256人間七七四年:2010/02/28(日) 18:29:02 ID:73GPJA/7
自分もだ。今まで知らなかったのが悔やまれる。
257人間七七四年:2010/03/01(月) 08:53:51 ID:gDYrD/L6
自分の中では、カッコいい武士は大谷吉継と土方歳三が双璧です。
二人とも自分たちが負けることをきっと確信していたと思う。
でも、あえて「勝ちに行く」道じゃなく「義を貫く」道を選んだ強さに惚れるね。
258人間七七四年:2010/03/03(水) 23:59:19 ID:unNBVddo
まあ、バカゲーに汚されたのは残念だけど、ここでは仲良く本当の吉継を語っていきましょう。吉継様がスレを見ておられる……
259人間七七四年:2010/03/04(木) 09:31:08 ID:j7HRzf+O
吉継「五介、髻が曲がっていてよ」

こうですかわかりますん<吉継様がみてる
260人間七七四年:2010/03/04(木) 20:52:50 ID:nVedHtzY
茶会でスルーされたり辻切り疑惑かけられた逸話が本当なら悲しかっただろうね(′;ω;`)
今でも沢山の人が刑部を愛していると伝えたいよ(′;ω;`)
261人間七七四年:2010/03/04(木) 21:48:43 ID:HTaBLvDl
>>260
千人斬り疑惑をたてられたのは本当
実際に大阪の街で噂になったから宇野主水日記とかに書かれている
もちろん真犯人は別に捕まってるのでただの濡れ衣
 
茶会の逸話は99%後世の創作
wikiだと出典が「宗湛日記」になってるが載ってないので間違ってる
さらになぜか天正15年て書かれているが、単に大阪城で1/3に大茶会があっただけ
宗湛が出席してるので勘違いされてるっぽいが、そんな記録はない
本当の出典が何か未だに不明なので99%にしたが、ぶっちゃけ100%創作だと思われる
 
病を煩ったと思われる時期から後も、刑部が周りにさけられていた様子は
一次史料からは一切見受けられない
262人間七七四年:2010/03/04(木) 22:02:50 ID:iGDujYWJ
見受けられなくても千人斬りの噂が立てられてしまうくらいだから
推して知るべし、ってとこじゃねぇの
263人間七七四年:2010/03/05(金) 09:59:16 ID:ZCc+/0Wm
千人斬りの噂は天正十四年だったか、1565年生まれ説だと21歳だな
天正十七年に敦賀拝領の時点で24歳ということを考えると
もの凄い勢いで出世してたことがわかるし、
それが嫉妬をかって立てられた噂と見るのが妥当じゃないだろうか

ところで、吉継の使った号「白頭」が白髪とか頭巾だったから、とよく言われるけど
号って外見で付けることないよね?
これそこらじゅうでいわれてるけど、あんまりそういう例なくね?と思うんだが
青蓮院関係だとすると、そっちでの僧号みたいなもんじゃないのかな
264人間七七四年:2010/03/05(金) 12:23:15 ID:6zU1TLJ9
破格の出世をしたヤツが嫉妬だけで千人切りの噂なんて立てられるもの?
他にベースがあったと見るtべきでは?
265人間七七四年:2010/03/05(金) 12:29:56 ID:FnCb0U9C
つーか大谷が敦賀城主になったのって31歳じゃね?
266人間七七四年:2010/03/05(金) 13:32:37 ID:dxv1/MHv
三月なので刑部に桃の花をプレゼント。

              _ ,.r‐'´ ̄\
               _/ ` -‐、 / ヽ_
         _  /      /`ヽ、ノ !
    _,< ̄   ` ヽ    : :l  r'´  !
   厶7-‐`ヽ : : : ヽ__  : : l /: :   `丶、
  / l  r'"´ :(`Y´--`ヽ_,!} :    , ─ 、',
  l   {  ヽ、: : : ̄ ヽ。/。〃。: : : : :_ノ    冫、
  l    ̄ヽr-、: : _ミj川彡ィr='r───':::::::::ヽ
  /    r'´}: : : ヽ_, ゚=ミミ兆彡ヾ::::}:::\:::::::::::::::::::::::::}
 ゝ  _厶/──ォ‐ヽ,彡チミミヾヾ‐l-、::::ヽ::::::::::::::::/
  ヾ     _, -‐ゝヽツ/゜゚、::ヾ゚゚:::::ヽノヽ::::ヽ::::::::::/
   l, -‐''´:::::::::j:::::::::/::::::::::/ヽr─v'::::::ノ:::::::l_ノ
    l::::::ヽ:::::::::::::\/::{::::::::::}::::ノ7ヽr'ー‐':::::::/
   ヽ::::::ゝ''´7:::::::j::::ヽ:::/::::::::::::l:::::::::::::::/
    ヽ::::::::::::ヽ::::ゝ--'、::::::::::::::::::l:::::::::::/
       ̄ ̄  ヽ:::::::::::ヽ::::::::::::::ノ::_/
            \:::::::::`ー/ ̄
             `ー-‐'
267人間七七四年:2010/03/05(金) 15:32:02 ID:0+IQSQ+1
>>264
千人斬りの噂がたったのは、昨年秀吉が関白に叙任し
初の正月を向かえたばかりの頃(大谷も同じく刑部叙任したばかり)

そのため新政権確立に猛スピードで向かう秀吉への
当てつけで立てられた噂ではないかという説もある
その当時大谷は秀吉の側近だったので、ちょうど悪評の対象にされたとか

その年の宣教師の記録や本人の出世具合などからすると
だいぶ秀吉のお気に入りだった模様なので、ケチつけるにはちょうどいい
>>263のように本人への嫉妬もあったのでは?とも言われる
 
>>265
生年1559年説だと刑部叙任が27歳で、敦賀城主になる時31歳
1565年説だと刑部叙任21歳で敦賀城主時25歳

現在は「兼見卿記」の記録の1565年説が有力視されてきている
 
268人間七七四年:2010/03/05(金) 16:25:20 ID:cJOOwq2r
若いなぁ…ピッチピチ吉継。嫉妬して変な噂流した奴はアホ。
269人間七七四年:2010/03/05(金) 16:57:18 ID:ZCc+/0Wm
号を調べてたら面白いのに当たったので>>263に自レス

吉継の号を白頭でなく白以とする説もあるようなんだが(どうやら定まってないぽい)
Wikiの号(称号)のページを見ると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B7_%28%E7%A7%B0%E5%8F%B7%29

>例えば、李白は、名が白、字が太白、別号が青蓮居士

青蓮院門跡出自としたら、李白をもじって号したってのもアリかな?と思った
まぁ、ただのこじつけっていうか妄想なんだけどw
270人間七七四年:2010/03/05(金) 18:03:09 ID:OOck9Ows
>>269
お、面白い考え方だな
青蓮院大谷家の家系なら漢籍に精通しててもおかしくない
そういえば号を外見から決めるってあんまり聞かないし
あながち妄想とも言い切れないかもよ
271人間七七四年:2010/03/05(金) 20:21:52 ID:a0sOFFA4
>>269
「白次」と読むのではないかとされているのもある
号ではなく、吉継より以前に名乗った初名ではないかと
署名のされ方的にあり得るが、諱に「白」という字を使う例を知らないので違和感がある
実際の筆致からは白頭、白以、白次、どれもそう読めなくもない
 
外見が白髪だった、髪が病で抜けていた、白い頭巾をかぶっていた等の理由で
白頭を名乗ったというのは自分も違うと思う
白頭と読める署名は天正11年の紀介名義の書状からなので
そんな若い頃からそのような外見だったら、もっと記録に残ると思う
特に宣教師の記録には書かれやすそうだが、外見についても病についても何も書かれていない
272人間七七四年:2010/03/06(土) 16:34:45 ID:tlEGd54O
さっそくwikiの茶会の逸話のとこ「宗湛日記」削除されてるけど
どうせなら天正15年大阪城で〜って部分も消して欲しいな
あの逸話、元々日時も場所も特定されたものでは無いので
273人間七七四年:2010/03/06(土) 18:52:28 ID:u/1YtcNi
茶会の逸話の出所は何なんだろうか?
江戸期の史料では見たことないんだよなぁ。
福本日南が『英雄論』や『豊太閤』で秀吉と吉継の逸話として書いているから、
元が存在するはずなんだけれども…。
274人間七七四年:2010/03/06(土) 18:59:42 ID:tlEGd54O
>>273
自分もそれ以上遡れないわ
というかこの逸話、いわゆる逸話集的な物には一切載ってないんだよな
講談本にも無かったし近年の小説くらいでしか見ない

福本日南も他の逸話とかは出典書いてたりするのに
これについては書いてない
なんかの随筆とか当時の雑誌とかにのった小説とか
そういうのの創作ネタのような気がする
275人間七七四年:2010/03/06(土) 19:03:07 ID:tlEGd54O
ああ、あと「英雄論」でも書かれているけど
そもそもは「史記」の呉起の逸話を下敷きにした話だし
元は秀吉を持ち上げるための逸話として
呉起のネタを拝借して作られた逸話と思われる
276人間七七四年:2010/03/06(土) 19:59:38 ID:C3pthBD+
ライ病者の膿をウンヌンって話しは光明皇后の昔からあるしな
仏教説話にもあったような気もする
277人間七七四年:2010/03/06(土) 20:11:37 ID:nuUyLMJK
みんなすごい物知り&考察力だね。死語400年以上たって新たな顔を発見されて、吉継様も照れておられる……(*ノ∀ノ)
278人間七七四年:2010/03/06(土) 22:01:32 ID:dJxUl8VE
刑部好きなのは分かるが、キモレスは勘弁
279人間七七四年:2010/03/06(土) 23:24:45 ID:BWWGXHbA
名将言行録と聞いたことがあるんだが、自分が持ってるのはニュートンプレス版で
大谷の項がないんだよなぁ
原本の方にはあるんだろうか
280人間七七四年:2010/03/06(土) 23:36:15 ID:BWWGXHbA
>>272
消すのはどうかなと思ったので要出展にしといた
281人間七七四年:2010/03/07(日) 00:30:33 ID:fVE+Dw5s
>>279
名将言行録には載ってないよ
 
>>280
ありがとう、ご苦労様です
282人間七七四年:2010/03/09(火) 14:41:24 ID:PD5IsPJx
>>273-275
Wikiの茶会の逸話の項、とりあえず福本日南で補注にしておきました

ところで、文禄三年に草津に吉継が湯治に行ったということなんですが
書状で「草津の湯は目に効いた」という類の内容を誰かに送っている、ということですが
誰宛の書状かわかる人はいませんか?
283人間七七四年:2010/03/09(火) 15:04:28 ID:p2lgi25X
>>282
草津の件は文禄3年10月1日付けの直江兼続宛です
ちなみに「草津の湯は目に効いた」とは書いてないです
湯治は満足いったという事と、眼病については
「眼相煩い候間、慮外ながら印判にて申し上げ候」とあり、目を悪くしていた事が伺えます
284人間七七四年:2010/03/09(火) 15:22:51 ID:PD5IsPJx
>>283
ありがとうございます!
ネットで見たものだったので、内容が曖昧ですみません
助かりました
285人間七七四年:2010/03/09(火) 23:12:33 ID:tKUDnsNL
>>283
よかったらその手紙が何に載ってるか教えてくれないだろうか?
今個人的に吉継関係文書類のデータベースを作ってるんだけど、
東大の大日本古文書のテキスト検索で出てこなかったんだよね

改めてまとめてると毛利と吉川広家宛の秀吉朱印状に出てくることが多いな
家が残ってるからそれだけ多いのかもしれないけど、毛利・吉川は吉継の担当だったのかね
286人間七七四年:2010/03/09(火) 23:47:33 ID:1n9w4H4p
>>285
自分が確認したのは木村徳衛の「直江兼続伝」
他に「温泉草津史料」第一巻所収との情報あり、こちらは未確認

毛利は輝元上洛の際にも接待勤めてるしね
287人間七七四年:2010/03/09(火) 23:47:48 ID:eiunHTOj
>285
283ではないが、『温泉草津資料』の1巻に載ってる。

『大谷刑部のすべて』の発給文書にも、
去年の歴史読本の吉継特集号に載っていた大谷吉継文書目録にも
この書状入ってないね。
(実は『大谷刑部のすべて』の関係史跡事典の方で紹介されているのだが)
288人間七七四年:2010/03/09(火) 23:50:21 ID:eiunHTOj
>286
『温泉草津資料』第一巻でOK。コピー取ってるので間違いなし。
289人間七七四年:2010/03/10(水) 08:16:40 ID:+fs0BLaT
>>286-288
おおっ素早い回答ありがとう!
早速探してみるよ

今作ってるデータベース、ある程度まとまったら
サイトの形にしてうpりたいなと思ってるんだけど
さすがに大日本古文書データベースから落としてきた画像を
そのまま使うのはやばいよなw
島津のよくわからない異体仮名を解読する作業が始まるお・・・
290人間七七四年:2010/03/10(水) 14:13:32 ID:7rPDifBQ
>>289
がんばれ〜
自分も大谷データベース作ってる最中だけど、
書状は訳に自信無かったから応援してます
291人間七七四年:2010/03/10(水) 21:53:44 ID:0aa557F0
>289
どういうデータベース?
発給書状だけじゃなくて、もっと広範囲?
292人間七七四年:2010/03/11(木) 08:21:17 ID:XkEi7cmG
>>290
心が折れないようにがんばるw
訳は自分も心許ないけど、原文併記ならなんとかなる・・・かな

>>291
書状と日記やなんかの同時代一次史料で
できるだけ逸話や軍記ネタを排した年表形式にまとめたいと思ってる
二次史料としては例外的に各大名家の家譜は入れようかなと
よくある吉継の年表って、どこからどこまでが逸話ネタかわからない部分があって
それが結構不満だったんで、それなら自分で作っちゃえとw
293人間七七四年:2010/03/11(木) 20:48:35 ID:lwm8MttT
>292
大日本史料みたいな感じかな? サイト開設激しく期待。
294人間七七四年:2010/03/13(土) 22:19:51 ID:HCEvrb6U
>>292
おー期待するぜ
無理しない程度にがんばってくれ
295人間七七四年:2010/03/16(火) 15:50:13 ID:BH+EYKM3
テレビ東京が茶会の話は、秀吉と吉継とか言ってたからなんでと思ったが
それなりに根拠はあるのね
296人間七七四年:2010/03/17(水) 00:49:36 ID:9lRqDN/l
>>295
根拠というか、元々秀吉で三成の方が多分後発
297人間七七四年:2010/03/18(木) 18:45:47 ID:lvAS6Eb9
刑部の生年が1565年とすると真田に嫁いだ竹林院が娘なのか怪しい所だな
当時の婚期の早さを考えるとまったく有り得ないって話じゃないが

まぁ、秀吉子飼いの小姓衆では兄貴分的イメージがあるので
心情的には1559年説を支持したいが^^;
298人間七七四年:2010/03/19(金) 13:37:36 ID:bPwiQgG6
>>297
竹林院が嫁いだとされる文禄3年には吉継30歳
10歳くらいで嫁いだなら、幸昌を産んだとされる頃には16歳
もう少し早く生まれてた可能性ももちろんあるし、
あと1〜2歳若くても産める年齢ではある
特に問題はないと思う

とりあえず顔文字自重
299人間七七四年:2010/03/19(金) 20:05:11 ID:Wfdhi269
ごめんね(´・ω・`)
300人間七七四年:2010/03/21(日) 02:09:39 ID:gCsGjcQp
敦賀城の一部が見つかったって新聞に載ってたね
301人間七七四年:2010/03/21(日) 15:57:59 ID:evVrJkA+
>>300
これだね
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100320-OYT1T00210.htm

2月からの発掘、効果あったんだな〜
一般公開できるようにするのかな?
元々新校舎建設予定だったから、また埋め立てちゃうのかな
302人間七七四年:2010/03/22(月) 01:35:04 ID:3zureqpW
211に複数の家紋を有していたのは珍しいことじゃないとありましたが、
そうなんですか?

うちは母方の先祖が大谷吉継だという話ですが、家紋は違い鷹の羽です。
Wikipediaを見たら違い鷹の羽から対い蝶に代えたとあったので、
母の実家に伝わってる家紋はなんで違い鷹の羽なんだろうと思っていました。
303人間七七四年:2010/03/22(月) 23:56:45 ID:gR5K6hfx
ちょっとした名のある家なら家紋を複数持ってる事は全然めずらしくないよ
でも一つの服やら家具やらに同時に沢山使う事はさほどないので
302の家も、違い鷹の羽を表紋として使っていて、裏紋だった対い蝶がいつの間にか廃れてしまった
とかそういう事もあったのかもしれない
実際どうだかは知らんけど
304人間七七四年:2010/03/23(火) 11:35:56 ID:EtR4ICbw
>>302
複数所有は珍しくないどころか普通

でも元々大谷吉継の家紋と言われている紋は、信憑性ある記録があるわけじゃなく
後に描かれた屏風絵に有るからとか、その程度の物ではっきりしてません
それに家紋は自分でいくらでも変えられるものなので、家紋が同じだから、違うからだけで
家系がわかるものでもないです
御子孫だと伝わるなら家紋以外にも何か所以があっての事だと思うので、家紋だけを気にする事はないかと

あとwikiにある違い鷹の羽から対蝶に変えた、という記述は
以前このスレでとある吉継の子孫の方の家ではそう伝わっている、という話しがあったので
その所為だと思われます
このスレで出た内容がよくwikiに反映されてるので
出典のように書かれている「古今武家盛衰記」にそんな記述は無いです
305人間七七四年:2010/03/23(火) 23:43:41 ID:3JWoF4KI
302です。
>>303,304
レスありがとうございます。

ここの126から後の書き込みに、子孫の方が「歴史研究」などに
記事を書かれていると知り、ちゃんと由緒正しい子孫の方が名乗り出て
おられるんだとびっくりしています。

じゃ、うちは何なんだろう。勝手に名乗ってるだけなのかな・・・と、
不安になってきました。

母の実家は滋賀で、親戚が毎年、関が原の慰霊祭に出席しているそうです。
叔母は「うちが直系じゃないのかな」と言っており、叔父は息子に
吉継の名をつけています(漢字は違いますが)。
全然関係ないんだったら恥ずかしい・・・。

子孫だというのは何か確証あってのことなのか、今度帰省したときに
聞いてみようと思っています。
306人間七七四年:2010/03/24(水) 11:45:25 ID:YPTlBRwQ
>>305
何百年前の人だと思ってるんだw
代々一人しか子供が出来なくてギリギリの状態で継いできたならまだしも、
途中で何度か分家してる場合もある
それでも子孫は子孫だからね
直系なら400年は確実に続いてるお家のはずなので、
「本家」「分家」という風に明確な一族内序列があるはず
(ちょっと大きな百姓家でも本家分家はあるので、武家ならもっと厳格にある 例:うち)

それにまぁ、こういっちゃなんだが「直系(嫡流)」は大坂の陣で絶えてるので・・・
あと、「紋が同じだから子孫を名乗る」「名字が同じだから子孫を名乗る」
「なんとなく箔が付くから子孫を名乗る」もよくある話だしなぁ
家系図は・・・あんまりあてにならないから気をつけてなw
槍か弓があったら武家の可能性が高いので信憑性がちょっと上がるかも
307人間七七四年:2010/03/24(水) 21:19:12 ID:hFiwzFS8
>>306
いろいろ無知でお恥ずかしいです(^^;)

>あと、「紋が同じだから子孫を名乗る」「名字が同じだから子孫を名乗る」
>「なんとなく箔が付くから子孫を名乗る」もよくある話だしなぁ

うちもなんちゃって子孫かも;

武家であるのは確かなようで、蔵にあった鎧と兜を町の施設に貸し出して、
展示していたことがあったとか。
でも、放蕩息子だった叔父の一人が勝手に持ち出して売り飛ばしてしまったと
聞いています。
他に何か残っていればいいのですが。

大谷吉継の本は野村敏雄の『大谷吉継』という小説と、PHP研究所の『石田三成と
大谷吉継 永遠の盟友』という本を読みましたが、こちらのスレを見ると、
いろいろ良さそうな本が紹介されていますね。
読んでみたいです。
308人間七七四年:2010/03/24(水) 22:24:16 ID:tIxT0bKS
今月の『歴史研究』に
「大谷刑部少輔吉継(吉隆)とその孫刑部吉刻の石碑の考察」
という記事があるようだ。
内容を確認したいが近所で売ってるところが無い…。図書館にも置いてないし…。
309人間七七四年:2010/03/24(水) 22:54:22 ID:0l7PVI+p
>>300
いつもの御子孫さんが、吉刻の石碑に刻まれた内容を検分してる記事でした
家系図の信憑性を論ずるいつもどうりの内容なので、
これといって刑部自身の目新しい情報は無かったかな
310人間七七四年:2010/03/24(水) 22:55:23 ID:0l7PVI+p
まちがえた
>>309>>308宛ね
311人間七七四年:2010/03/24(水) 23:42:08 ID:tIxT0bKS
>309
おお、サンクス。特に目新しい情報は無いのか。残念。
312大谷:2010/03/28(日) 20:29:58 ID:9gIKXVgy
134に対するお答えです。秀吉の朱印状の検索は以下のとおりです。
まず埼玉県立文書館のホームページに入ります。続いて 利用案内 次いで 
収蔵資料検索システム そして 文章群の概要 をクリックします。そして 
次へをクリックした後、キーワード:比企群上野本村、文章群名:大谷家文書 
と入力すると登録番号30062の文書の詳細と出てきます(資料自体は文書
館に行かないと閲覧出来ません)。その中に秀吉朱印状とあります。ただし
これらの資料は全てコピーであり、本物はなぜか非公開(所有者)です。
いずれにしましても、前述の件に関心を持っていただき感謝申し上げます。

313大谷:2010/03/28(日) 20:34:51 ID:9gIKXVgy
321の一部訂正です。比企群は比企郡の誤りです。失礼しました。
314大谷:2010/03/28(日) 20:36:00 ID:9gIKXVgy
321の一部訂正です。比企群は比企郡の誤りです。失礼しました。
315人間七七四年:2010/03/28(日) 21:13:47 ID:Cn8omyMB
大事なことだから(ry
316人間七七四年:2010/03/29(月) 00:19:06 ID:5c3dJaUS
天正10年6月「刑部少輔との」宛書状は結局何なんだろうな?

もし本当に天正10年6月であれば、他の書状との比較から、
そもそも天正10年6月というのが誤読か、吉継以外の刑部少輔宛としか考えられない。

まぁ、一番引っかかるのは書状に日付無しで年月しか書かれてないことだが…。
317人間七七四年:2010/03/29(月) 02:24:00 ID:ySLekSGi
>>312
情報ありがとうございます
見つけられました

>>316
年月しか書いてないのもわりと有るよ

日付が正しければ吉継以外の人物宛だろうね
でもそれだと宛名の敬称がひらがなの「との」なのと
位置からしてだいぶ目下の相手への書き方なのが気になる
この頃の秀吉にそんな扱い出来る刑部少輔って?

例えこの当時すでに吉継が刑部少輔だったとしても、
天正11年の紀之介書状では使われていないのもおかしい

やっぱり日付が間違ってるか、この書状自体の信憑性が……という事では
318人間七七四年:2010/03/29(月) 22:27:56 ID:5c3dJaUS
脇差は褒美なのかお礼なのか分からないけど、
そんな内容の書状で年月しかないのにちょっと違和感を感じたもので。

秀吉の花押があれば、それから何か分からないかなぁ?
花押の変遷なんかがあれば年代比定できるだろうし、
まず花押で真偽が分かるかもしれない。
319人間七七四年:2010/03/30(火) 00:02:05 ID:WEVxxBqK
>>318
それが花押が無い。署名は「秀吉」だけ
「歴史研究」に載ってたのは原本じゃなくてコピーだし
すごく印刷が悪い(原本の状態が悪い?)ので見えないだけかもしれないけど

当時の秀吉書状でそういう署名の例がないわけじゃないのでなんとも
320人間七七四年:2010/04/01(木) 19:52:35 ID:r5KcWxeq
神谷宗湛日記での6月26日の箱崎茶会の件だけど
秀吉の機嫌を損ねて香椎村に蟄居を申しつけられたってのの原因は何なんだろう?
321人間七七四年:2010/04/02(金) 07:50:50 ID:qhWnLnZR
>>320
7月にはすぐ仕事復帰してるし大した事じゃなさげ
というかあれ蟄居なのか?
322人間七七四年:2010/04/05(月) 14:03:23 ID:xHIB/W+q
みなとつるが山車会館が、昨年末から吉継のコーナーを
常設はじめたらしいな

また今年もGWあたりに行けるといいんだが
敦賀城の発掘も何か進展あるかな?
323人間七七四年:2010/04/09(金) 23:53:23 ID:HcTzg3+J
子孫の方が『歴史研究』によく執筆されているけど、興味深い内容なんでしょうか?
324人間七七四年:2010/04/12(月) 23:16:12 ID:8P/VH6oY
>>323
個人的には興味深く見てるよ
子孫と伝えられる方が、その家に伝わる物とか公開して
調査考察してるのってあんまりないだろうし
325人間七七四年:2010/04/24(土) 13:38:53 ID:AvzXA1zy
古本屋7軒回って、ようやっと『大谷刑部のすべて』買えた…
326人間七七四年:2010/04/24(土) 22:00:47 ID:Fhcm9qYe
>>325
おめ
自分も探し回ったよ・・・
327人間七七四年:2010/05/12(水) 01:57:48 ID:+w1e0Csw
保守
328人間七七四年:2010/05/27(木) 15:00:28 ID:ixHrYdLy
わかる人がいたら教えて欲しいんだけど、
兼見卿記に出てくる北政所付き女房の「東殿」と「ひかし殿」は同一人物と考えていいんだろうか?

昨日、天理図書館報に載ってる兼見卿記を読んでたら、「ひかし殿息女」って記述があったんだけど、
(文禄四年で25歳、太閤か北政所に仕えていたらしい)
吉継母の東殿とこの「ひかし殿」が同一人物なんだとしたら、吉継の妹にあたる。
だけど、外岡先生の論文では華頂要略の記述が見つかるまでは、
吉継妹の存在は認識されていなかったと書いてあった。
兼見卿記は吉継の病気の関係でよく引用されるから、知られてないのもおかしな話だと思って、
やっぱり別人なんだろうかとか、一人で考えてるとわけがわからなくなったんだよね。

なんかわかりにくい説明になってすまん・・・
329人間七七四年:2010/05/27(木) 18:34:32 ID:rR8EflHE
>>328
同一人物の可能性高いね
秀次の侍女にも「東殿」はいるけど(連座して処刑されてる)
吉継研究は進んでないから、見落とされているだけかもしれない
だいたい「妹」なら下間系図の記述もあるが、特に取り上げられてる事も無いし

実は華頂要略にある妹「コヤ」だが、秀吉の発給文書で北政所宛の物の中に
宛名が北政所の侍女の「こや」の物が数通あるんだ
なのでひょっとしたら華頂要略にある妹・コヤは、この北政所の侍女・こや
と同一人物の可能性があるのでは?と考えてた

自分も気になるので良かったら兼見卿記のどこにある記述なのか
詳しく教えて頂けないだろうか?
330人間七七四年:2010/05/27(木) 19:03:28 ID:ixHrYdLy
>>329
おお、ありがとう!
北政所侍女に「こや」がいるのか。
じゃあやっぱり同一人物っぽいなぁ。

「ひかし殿息女」の記述は天理図書館報ビブリアNo112のP73〜74あたり。
文禄四年1月28日と2月1日の記述。
以下その部分抜粋

1/28
戌刻自大坂北政所被仰下了、ひかし殿文、当月廿五日太閤入御倉御道具盗取之、
未入御耳、此段御機嫌無別義、御祈祷之義、可抽懇丹之旨懇ニ承了、
予方へ之ひかし殿文也、然共与奪侍従之間、申聞侍従、御返事等調之、
又ひかし殿息女廿五才、御倉之御番也、今度御糾明不苦之様、祈念之義承了

2/1
ひかし殿息女廿五才、守調之、
ひかし殿より以飛脚文到来云、今度御倉ウセ物事、不及御糾明出之、
太閤御機嫌能、政所殿御祝着也、恩祈念之奇特ニ思召也、可存心安之由承了、
尤目出存也、安堵仕之由、御返事申訖、
331人間七七四年:2010/05/27(木) 19:04:37 ID:ixHrYdLy
ごめん訂正

×ビブリアNo112
○ビブリアNo122

全然違う巻を指定するところだった・・・申し訳ない。
332人間七七四年:2010/05/27(木) 22:09:23 ID:rR8EflHE
>>330
ありがとう、抜粋までしてもらってすまない
倉の番人か〜

これは倉に泥棒入って失せ物があったけど、無事解決して良かった的な内容かな
わざわざ飛脚で結果を知らせてるあたり、かなり心配されてたっぽいね

文禄四年で25歳だと、吉継とは7歳、もしくは13歳も離れてる事になるのか
 
333人間七七四年:2010/06/04(金) 20:55:16 ID:zm5cRGoV
兼見卿記って翻刻されてたのか!
ちょっと明日図書館に探しに行ってくるわ
334人間七七四年:2010/06/05(土) 00:25:58 ID:1CkDgn8l
あとは刊本とビブリアの間の部分が翻刻されればなぁ。
たぶん刑部のことも書かれてるだろうし。
335人間七七四年:2010/06/05(土) 01:14:48 ID:o+/WPf9t
天正十年代初頭〜文禄元年くらいまでだっけ
ちょうどそこが欲しいところなんだよなぁ・・・
刑部の病気が進行性である、という理由に兼見卿記がよく出されるけど
どのくらいの頻度か、どういった書き方か、というのが知りたい

全部まだ読めてないけど、ビブリアに載ってる部分がちょうど刑部が本格的に患った時期なのに、
刑部の病気平癒の祈祷をしたっていう記述が文禄年間には見られないんだよね
東殿から別件の祈祷の依頼は結構来てるんだがなぁ
336人間七七四年:2010/06/05(土) 04:09:47 ID:Ox6u4SL/
謄写本の文字部分的にしか読めないんだよな……
「ひかし殿」とか「刑部少輔」がなんとなく拾えるくらいだ

祈祷といえば良く聞く、秀吉が奥座敷で刑部の病祈願の祈祷を行った記録、ってのも兼見卿記?
337人間七七四年:2010/06/05(土) 09:18:04 ID:1CkDgn8l
最近、史料編纂所蔵の「兼右卿記」が翻刻されたから、
その流れで「兼見卿記」も翻刻してくれたら…と願っている。
338人間七七四年:2010/06/05(土) 17:21:18 ID:sdgcX+L2
「兼見卿記」翻刻のゆくえ↓
ttp://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000057742

まだ数年先になりそうだ
339人間七七四年:2010/06/29(火) 13:56:08 ID:CHMHGf3/
売ってるけど1万円は高いよな
せめて千円台にして欲しい
340人間七七四年:2010/07/17(土) 01:08:05 ID:rjItxxFy
保守がてら

以前ネットで玄朔道三配剤録に吉継の病気について書かれてたと見たので探してたんだけど
ようやく最近「医学天正記」という名前で早稲田のデジタルライブラリーにあることを知った
喜び勇んで見てみたらば・・・

載ってないじゃないかー!ヽ(`Д´)ノ
やっぱ鵜呑みにするのってイカンね・・・見られるものはちゃんと自分で当たらないとな
341人間七七四年:2010/08/21(土) 12:22:52 ID:6BXLr928
保守
342人間七七四年:2010/08/29(日) 18:38:25 ID:y6nWacSi
もともと人少ないけど、規制のせいかすっかり過疎だな……
敦賀城の発掘された礎石、一般公開とかまだなんだろうか
343人間七七四年:2010/09/07(火) 21:27:09 ID:a43m2Rvc
ほしゅあげ
344人間七七四年:2010/09/07(火) 23:06:10 ID:9+SzFDsB
「大谷刑部」と呼びたい
345人間七七四年:2010/09/07(火) 23:47:18 ID:qQ2UyhVN
特別展 近世敦賀の幕開け〜吉継の治めた湊町〜
平成22年9月18日(土曜日)〜11月14日(日曜日)

<記念講演会>
第1回 10月9日(土曜日)14時〜
講師 敦賀短期大学教授 外岡慎一郎氏
演題 大谷吉継とその時代
会場 敦賀市立図書館3階(気比史学会共催)

http://www.city.tsuruga.lg.jp/sypher/www/section/detail.jsp?id=288

3連休初っぱなだね
今回は気候もいいし行けそう
346人間七七四年:2010/09/08(水) 03:42:47 ID:hgZEdbIA
平塚為広だっけ?部下は
347人間七七四年:2010/09/08(水) 09:06:04 ID:7oAN9idk
平塚は与力であって部下じゃねえ
348人間七七四年:2010/09/08(水) 10:43:20 ID:hXHc4mhX
>>345
情報ありがとう!
なんてこった……関ヶ原祭りに行こうと思ってたが……
ちょっと予定を練り直そう
349人間七七四年:2010/09/23(木) 02:32:03 ID:SNT74Qdc
今こそあげよう
350:2010/09/23(木) 04:13:00 ID:MAYSH71I
大阪の蔵を空けてかき集めた浪人集3万、5万を大谷はんに預けたら
関ヶ原でも勝機はあった

この策を考えられなかった西軍は愚か
351人間七七四年:2010/09/23(木) 04:55:45 ID:SNT74Qdc
ぶっちゃけ、大谷さん嫌われていたのでは…
三成ほどではないにしろ。
352人間七七四年:2010/09/23(木) 15:04:33 ID:rsg8Yw1l
>>351
ソース出しなよ
353人間七七四年:2010/09/23(木) 15:17:42 ID:NVM9r0u/
三成以上に嫌われてたらお家騒動の仲裁頼まれたり和解の窓口になったり
西軍に寝返ったことが衝撃になったりしないと思うぞ

伊達政宗には嫌われてたかもしれんが、あれは奉行衆とは全方位型で仲悪いから基準にならんがw
そういや川角太閤記では前田利長とはかなり親密な様子で書かれてたな
家康暗殺の嫌疑をかけられた時に和解のために奔走してるようだった
あれは前田家肝いりみたいなもんだからこの辺は信憑性あるかもねぇ
354人間七七四年:2010/09/23(木) 19:50:49 ID:moqAzlo1
>家康暗殺の嫌疑の際
この辺大谷が和解の為に尽力した件は「村井長時筆記」「象賢紀略」などにも記載あるみたいだね
そういやこの辺はまだ読んで無いや

さらに上杉征伐の際、家康の出陣命令について、利長は大谷に相談して
家康の言うままに出陣をするよう決めたようなので、利長への窓口役もこなしてたんだろうね
まぁその後すぐに大谷は西軍ついちゃったからまた「西軍に味方してくれ」って書状出してるんで
利長は気を悪くしたんじゃないかとか言われてるがw

ちなみにお家騒動の仲裁の件は最近出た「豊臣記の宇喜多氏と宇喜多秀家」がすごく詳しくておすすめ
宇喜多家の領国支配の体制を巡っての対立から起った騒動と結論されてるんだが
豊臣政権に依存し、その政策を支持し推し進める秀家サイドと対立して騒動起こした家臣サイドが、
頼った所が豊臣奉行の大谷っていうのが、当時のポジション的にもいろいろと興味深い
355人間七七四年:2010/09/23(木) 22:02:26 ID:rsg8Yw1l
>>354
豊臣奉行といっても、あの頃はだいぶ家康にくっついてた頃だから
恐らく「大老筆頭の徳川方」として頼られたのだと思う
一緒に事に当たってるのは榊原康政だし

このとき家康に怒られて手を引いた、ってのも
実際泥沼化していて二進も三進もいかなくなっていた頃だから、
上から理不尽な怒られ方をしたから、という体裁を取ったようにも見えるんだよな
その後家康と距離を置いてるかといえばそうでもないところからみて
356人間七七四年:2010/09/29(水) 02:58:43 ID:nKIwtuV+
いやぁ、>>350とかよく考えつくなぁ
そんな烏合の衆を万単位で押し付けられたら吉継ブチ切れると思うわ
357人間七七四年:2010/09/30(木) 12:40:33 ID:Hbmk7yrj
http://gp.yuruchara.com/?uid=NULLGWDOCOMO
大谷にゃんぶに投票したまえw
358人間七七四年:2010/10/11(月) 01:20:26 ID:7AD73rqa
>.345の記念講演会行かれた方、いかがでしたか?
359人間七七四年:2010/10/11(月) 22:33:02 ID:ZwWI1QGp
>>358
テーマどうり、今回博物館での特別展にそった内容で
時代の移り変わりの中での敦賀、吉継の領内統治の様子など詳しく講じられていて解りやすかったです
特に新発見が云々というのでは無いです

今月22日の午前10時30分から、また同じ場所で講演があるそうです
テーマは吉継の人物像とかの方面についてだったかと

博物館の展示も、かなりの密度の内容で良かった
図録も有り、全ての写真がカラーで掲載されていて一部千円はお得
今年の夏に発掘された、敦賀城の礎石も一部展示してましたよ

ちなみに博物館隣の山車会館で展示されてる山車が、現在特別仕様で
吉継、三成、平塚為広の3体の人形が乗ったバージョンになっていたんで
これから博物館行く方はぜひ山車会館もおすすめします
360人間七七四年:2010/10/29(金) 03:44:59 ID:GOedl1bY
10/22の講演会行ってきた
まあまあ
361人間七七四年:2010/11/08(月) 23:50:59 ID:G1RMklJg
敦賀博物館に先日行ってきた。
家臣団スレで話しに上がった件の大谷家臣本だが…申し訳ない。
著者がいる時に限り閲覧可能だそうで、今回は見る事ができなかった。
面目ない。

また年内か来年すぐにでも行きたいと思っているので、その時に閲覧することができればまた書き込みさせていただきます。
362人間七七四年:2010/11/09(火) 01:11:48 ID:Pum9Cg8k
>>361
家臣団スレで質問した者です。ご確認ありがとうございます。
著者の方がいないと見られないのかー、著者さんは博物館関係者の方なんだろうか?

ともかくありがとう、自分も次に敦賀行く時には訪ねたいと思います。
たぶん来年の春以降だろうけど……

もしまた閲覧出来た時にはぜひとも情報よろしくお願いします。
363人間七七四年:2010/11/09(火) 03:10:56 ID:YxdHTmuJ
そんなものがあったのか!
この間敦賀行った時に聞いてみればよかった…

寄贈されてるのは博物館だけなんだろうか?
市立図書館とかにも寄贈されてれば閲覧だけは出来るかもしれんね
これから行く人いれば、是非とも書名・著者名を聞いてきて欲しい
364人間七七四年:2010/11/24(水) 11:34:58 ID:xeMkItiR
質問があります。
石田三成襲撃に大谷が絡んでるそうですが、何故そうなったのでしょうか?
365人間七七四年:2010/11/25(木) 00:54:48 ID:CvqPwIZr
>>364
普通に豊臣奉行として自然な関与の仕方だと思ったが。

大谷の七将襲撃事件についての関与は、
毛利元康宛毛利輝元書状『厚狭毛利家文書』に書かれているが

これによると三成は毛利、上杉に協力を仰いで襲撃側
(この書で輝元は「内府かた」と書いてる)と徹底抗戦する構えで、
それについて大谷は輝元に対して、
大阪城をすでに「内府かた」に押さえられてるなど既に戦うには不利な状況の為
「毛利が戦を引き受け三成に加担するのは無益である」と諌めつつも
「下屋敷に下がらず家康と対峙するように」
「人数合わせをするのがいい」と言っており、
軍事闘争は断念しつつも、和解交渉を有利にするために兵力を集めて
表向き対抗の姿勢を崩さないのが良いだろうと言う事を言って来ている。

この時三成と一緒に五奉行の増田、玄以、(おそらく長束も)伏見城に籠っていた様で
とくに増田は三成と同等なくらいターゲットにされてた模様。

つまり七将の襲撃は三成を筆頭に豊臣奉行全体も絡んでいた事件で、
同じく豊臣奉行の大谷が奉行衆の為の行動をとっていてもおかしくは無い。
366人間七七四年:2010/11/25(木) 11:01:49 ID:wYRHK2+X
>>365
「関ヶ原前夜」の記述からだよな?
その辺は書状原文の解釈でちょっとニュアンス変わると思う
少なくともソースになってるこの書状では、大谷が奉行方かどうかははっきりしないんだよな
むしろ内府方として交渉に当たっていたと取れなくもない
「下屋敷に下がらずに家康と対峙」「人数合わせをして」云々も、ちょっとニュアンス的にこれで正しいのかわからん
というより、この部分が大谷の発言だったかどうかも曖昧だなぁ
この著者は「大谷が奉行方で軍事行動を起こそうとした」という前提で書いてるからこの解釈なんだろうけど
その前提を裏付けるものが提示されてないので、それまでとそれ以降の大谷の徳川寄りの行動を見ると
むしろ徳川方として和解の交渉役だったと見る方が自然な気はする
それ以前に大谷の積極的な関与が裏付けられたら疑問もなくなるが、今は裏付けがないのでこじつけ感はあるかな
あと前田玄以は確かこの時の伏見在番だったので、むしろ巻き込まれたと見ることもできる
367人間七七四年:2010/11/26(金) 00:05:21 ID:g4vAs7Py
>>366
「大刑少より申さる事に、下やしき罷り下るの由然るべからず候、内府向い面に成り候様に候との事候
(中略)
ただ引き取りて加担無益にて候、辻合わせ計り然るべく候との内意候」

↑だから、輝元が嘘書いてないなら大谷が言って来た事なんだと思うよ。解釈の違いがあるのはともかく。

確かにあの本は「大谷が奉行方で軍事行動を起こそうとした」前提で書かれているが、自分はそうは思ってない。
やっぱり前後の大谷の行動としては、一貫して徳川との軍事対立は避けようとしてる動きしかしていないからね。
上記の輝元への言でも戦う意思はなさそうだ。

ただその奉行衆や他大老たちと徳川方との軍事対立を避けようとする動きが、
イコール徳川の為の行動としか取れないわけでも無いと思う。
秀吉死後ずーっと徳川の為に行動していると見たとすると、やっぱり関ヶ原直前の西軍加担があまりに唐突すぎると思う。
この辺の西軍入りについても諸説あるけど、あまりに唐突に見えるからなのは確か。

で、逆にあくまで豊臣奉行衆側としての考えで、徳川との軍事対立を避けようとしてたとも取れるんではと思った。
五奉行から外れているからか、この頃の大谷は奉行衆として数えないような扱いされがちだが
直前の文禄3年頃までは三成、増田と並んで中枢に居た、後の五奉行達と変わらない位置にいた奉行であって、
豊臣の人間として秀頼を立てての豊臣政権を守りたい気持ちは、他子飼い衆らと同じくだろうし
経歴、境遇からして同じくして来た三成ら奉行衆との方が、考え方も身の置き所も近かったと思った方が自然じゃないかな?

豊臣奉行衆と徳川以外の大老の力がちゃんと機能していれば、少なくとも徳川の政権乗っ取りが容易には至らないだろうとは考えられるし
そういう方面からの考えなら、軍事対立で徳川以外の奉行大老らの力が削がれる事になるのは避けたいと考えてもおかしくないと思う。
まぁ徳川方との親交もあったようなので、徳川びいきな一面からも戦いは避けたいみたいな風にも思えるが。

ただやはり全て徳川の為と言う訳ではなく、派閥としてはやはり大谷も三成ら奉行衆派の一味だったんじゃないかなぁと、
三成みたいに徳川絶対排除!みたいな意思は無いだろうが。

そういう一考から「関ヶ原前夜」の解釈も一理ありかと、
なので七将襲撃の時のこの動きも徳川方に依頼されての使者だったとしても、大谷はあくまで「豊臣奉行としての関与」だと思った。

ただこの考えにもちょっと利家VS家康の時の状況が引っかかってるんで、まだなんとも。
この辺はまだ詳しくは未調査。

あと留守居役の玄以(+長束)が巻き込まれただけ、ってのは同意。
368人間七七四年:2010/12/11(土) 20:01:31 ID:4boGyIx5
【大河ドラマ】えなりかずきさん大谷刑部役「前から演じたかった」★2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bread/1287749738/
369人間七七四年:2010/12/24(金) 21:15:14 ID:mBzjLsqL
>大谷刑部役「前から演じたかった」

演じたくとも顔が出せないけしな。演技難しいだろうな。
370人間七七四年:2011/01/02(日) 00:42:23 ID:Lbx1G1Fr
>>368
釣りだよね?
371人間七七四年:2011/01/02(日) 11:52:37 ID:hmwjN7SA
>>370
パン
372人間七七四年:2011/01/14(金) 17:14:17 ID:7B6J+Rdf
細川俊之死去って・・・・
すげぇショック
373人間七七四年:2011/01/14(金) 18:05:34 ID:gqvdiOW2
葵徳川三代の吉継、その死に様まで本当に素晴らしい演技でした。
細川さんのご冥福をお祈りします。
374人間七七四年:2011/01/14(金) 20:46:28 ID:/BQ1KNnj
自分は世代的に大谷刑部といえば
今でも葵〜徳川三代〜の細川さんのイメージ
本当に残念でならない
心よりご冥福をお祈り申し上げます
375人間七七四年:2011/01/15(土) 00:16:48 ID:WuL3oic4
「三成殿!ワシもお主と共に死ぬるわ!お主も阿呆じゃがワシはもっと阿呆じゃあ!」

のシーンが最高だった 
376人間七七四年:2011/02/07(月) 19:05:38 ID:518Lz+b2
元の家紋が違い鷹の葉だから元は源氏系なのかな?
377人間七七四年:2011/02/16(水) 17:28:10 ID:S2cW+/lK
http://mitubaaoi.bbs.fc2.com/

これの某左衛門ってコテの大谷吉継の評価どう思う?
378人間七七四年:2011/02/18(金) 23:20:44 ID:ZBiznP6Y
大谷吉継はそもそも「フラフラしている」と評されるほど資料が残っていないというか、まとめられていない
今残されている資料をまとめて俯瞰すると、「どちらかというと徳川寄りの中立」と読むのが一番しっくり来る
個人的には、増田長盛と似たような立場だったと思ってるけどね

とはいえ石田派のはずの小西行長も息子に家康の養女を嫁に貰う予定だったから、
そもそもその当時徳川と石田の対立自体がどこまで深かったものか再考の余地があるかもしれんと思う
379人間七七四年:2011/03/24(木) 09:58:00.92 ID:rknZfaAT
最近大谷さんのことを調べるようになったのですが、幼名は慶松ですよね?
読み方はけいしょう、よしまつなど書かれていたのですがどれが正しいのでしょうか?
380人間七七四年:2011/03/25(金) 00:16:02.26 ID:b/Jgw3tZ
慶松・桂松と両方説があるけど桂松の方が幾分通りがいいと思う
というか、吉継の幼名は逸話でしか出てきてないので本当のところは不明
なので「これが正しい」というのはないよ
「よしまつ」でも「けいまつ」でも「けいしょう」でも好きに読めばいいんじゃないかな

ところで名前といえば、「平馬」って通称は武功夜話から?他に出典あるんだろうか
自官ならまだしも、通称を数年で変えるってあるのかね
381人間七七四年:2011/03/25(金) 00:43:44.37 ID:xAeMe9IA
桂松は一柳家記にでてくる表記、慶松は草刈重継文書とか根来焼討太田責細記に登場する。
ちなみにどちらも「よしまつ」と読めるし、幼名は訓読みするのが一般的なので普通なら「よしまつ」かな。

草刈重継文書にでてくる「大谷慶松」が吉継の事かどうかは今イチはっきりしない所。
↑の慶松は例の秀吉の織田時代、中国攻めの時に草苅氏に寝返り要求した時の使者を務めた人間の名前ね。
時期的に使者やるには若すぎるっていう点さえなければ吉継でもおかしくないんだが。

一柳家記は後の記録だから、「慶松」が吉継なら字間違ってるのはこっちじゃないかと思う。

「平馬」は多分、古今武家盛衰記から。武功夜話よろしくこっちも内容は怪しいから当てにならない。
平馬は東百官の一つで江戸時代にはポピュラーな通称だが、流行り出したのは天正末期頃から。
吉継の生きてる同時代の史料にはいっさい出てこないし、吉継が使うにしては時期が合わないから
信憑性は正直無いと思ってる。
382人間七七四年:2011/04/20(水) 02:13:03.09 ID:N46Bml3D
保守
383人間七七四年:2011/04/20(水) 03:07:06.06 ID:IQnR9DEX
歴史好きなら誰もが一度は
「この人、かっこイイな!」と思わせるシーンを演じられることになる吉継

保守しなきゃいけない武将じゃないのになぁ・・
384人間七七四年:2011/04/21(木) 08:26:35.86 ID:TS5vSo7H
忘られがちだけど、平塚さんもそうじゃないかなぁ。
385人間七七四年:2011/04/21(木) 09:42:10.77 ID:nxhNcaMO
>>383
演者にとっちゃ高橋幸治、細川俊之と
比較される対象が偉大すぎるのが難点か。
386人間七七四年:2011/04/21(木) 23:48:39.62 ID:E+yebTRI
大谷さん好きすぎて5年位前に敦賀行ったわ。
と言っても残ってる物少ないよね。
関が原の方にも行きたいわ。

平塚さんも凄いよね。周りが裏切ってる中、
いくら大谷さんと親しかろうと裏切らないでいれるのは凄いわ
387人間七七四年:2011/04/23(土) 01:21:05.07 ID:HrbOlZSX
このシーン見ると涙が出てくる

http://www.youtube.com/watch?v=iNEaxfm6hPU
388人間七七四年:2011/04/24(日) 03:06:29.47 ID:xeGEPGT2
>>387
同じく。

この茶会の逸話、俺大好きだわ。
三成が秀吉に代わるバージョンとかもあるみたいだけど、
いたずらに真偽がどうの言うよりも、当時の二人の心中とか想像するのも楽しい。
なんか三成なら普通に気にせず飲みそうだし。
389人間七七四年:2011/04/26(火) 03:46:36.55 ID:3hkDYOPR
去年敦賀に遊びに行ったが敦賀の人はみんな親切だった
彦根佐和山に比べるとちょっと閑散としているが

大谷刑部に関する展示物は少ないけど以前よりかなり力は入れているみたい
390人間七七四年:2011/04/26(火) 22:11:10.56 ID:6+grWD4V
もっと語られていい人だよね
391人間七七四年:2011/04/26(火) 23:45:26.92 ID:1mbhDxCk
>>387
今のドラマよりはるかに面白いな。今の戦国時代をテーマにしたドラマは重厚さが全く無い
392人間七七四年:2011/04/27(水) 12:47:22.72 ID:Xnmpx/8I
>>387
さすが信長刑部は高潔な感じだな。
葵のパローレ刑部は「お主も阿呆じゃが、儂はもっと阿呆じゃあ!」の決め台詞といい
豪快な武人らしさが描かれていて静と動の対比になってるのな。
393人間七七四年:2011/04/27(水) 18:03:55.41 ID:L3y4qOiU
>>392
ちなみにそのドラマでは細川さんは直江兼続役
ちょっとしか出番はないけど、
いわゆる直江状を啖呵を切って読み上げる声が最高に格好良い
うる覚えだけど「準備万端で待ち構えておいてやるから、家康、いつでも来い!」みたいな台詞
394人間七七四年:2011/04/28(木) 16:49:59.64 ID:HUNvQ0lZ
>>393
「…追って申し述べる。
 噂によれば家康殿は、会津討伐に下向とか?

 万端其節に承ろう!」

直江山城のイメージはずっと細川俊之のままだ。
395393:2011/04/28(木) 18:35:16.13 ID:Lk5NUNsP
>>394
ありがとう
それだ、その台詞!
低くて渋い声なんだけど、それでいてよく通るんだよな、細川さんの声は
本当にダンディな俳優さんだった・・・
あらためて合掌
396人間七七四年:2011/04/29(金) 22:36:05.33 ID:ZCYPPEFu
>>395
本文に入る前の
「紙はこれだけか?
 足りん!墨も!硯の池に水を満々と充たせい!」
なんかも嫌味なくらい格好いいんだよなぁ

葵で見事な大谷吉継演じたのも眼力とあの声があってこそだった…
397人間七七四年:2011/05/09(月) 20:43:07.45 ID:xD4obBsu
保守
398人間七七四年:2011/06/24(金) 18:54:47.00 ID:xGXSSzmG
真田太平記を観たんだが、村井国夫の大谷吉継も誠実さが出ていて良かった。
知名度はいまいちだけど、演じる役者さんには結構恵まれている気がする。
399人間七七四年:2011/07/04(月) 08:15:29.32 ID:bzliEROf
これは読んだ方が良いっていう、おすすめの本はありますか?
400人間七七四年:2011/08/06(土) 16:42:45.84 ID:oSqTZ6g5
>>1
【福井】敦賀原発増設、絶対に必要…敦賀市長が強調[08.01]
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1312209840/
401人間七七四年:2011/08/07(日) 03:37:43.34 ID:tVCQUlUc
敦賀はもう汚染されてるんか・・・
402人間七七四年:2011/08/08(月) 22:00:03.78 ID:JJiN7dFx
のぼうの城

何気に覆面じゃない刑部は珍しい
真田太平記は病気する前の姿出て来たっけ?
403人間七七四年:2011/08/09(火) 11:49:09.74 ID:36PbDRtk
404人間七七四年:2011/08/28(日) 10:18:51.59 ID:VMmMLpoJ
>399
新人物往来社の「大谷刑部のすべて」
絶版だけど図書館にはある。他にまとまった本あるのかな
405人間七七四年:2011/08/29(月) 17:09:45.22 ID:lpAuil1t
大河にはちらっとでも出るのかね
406人間七七四年:2011/08/29(月) 18:25:16.05 ID:a2SWF/po
今年は出ん方がエエ
407人間七七四年:2011/08/30(火) 17:33:33.03 ID:Dx+5uVg0
なんとなく敦賀市のHP見てたら、大谷吉継&浅井姉妹の肖像画コンテストやってるけど
地元の人は大谷吉継のことよっしーって呼んでるんだw
子供から大人まで愛されてるんだねえ。地元に英雄がいるっていいなあ
408人間七七四年:2011/09/06(火) 17:10:42.69 ID:eeBsvCc4
保守

そろそろよっしー様の命日が近付いてきたな・・・
毎年秋の気配の訪れとともに関ヶ原を思い出すよ
409人間七七四年:2011/09/06(火) 19:05:16.85 ID:URZdkPvz
健康なら五奉行だった?
410人間七七四年:2011/09/07(水) 21:32:05.59 ID:jO5IUPak
五奉行スレでは、たまたま5人だから五奉行になったって書かれた
吉継が健康なら6人で六奉行かもしれないし、五奉行の一人かもしれない
411人間七七四年:2011/09/08(木) 21:36:49.12 ID:sdbFf3Zx
やっぱり吉継の病気って甲冑も着られないくらいだから痛みも伴うんだろうな。
だとすれば領地の領主の公務だけでも身体に相当な負担になってたんじゃないかな。
412人間七七四年:2011/09/09(金) 10:29:08.55 ID:bG0sHAHA
そもそも関ヶ原の時も部隊の実戦指揮してたのは平塚為広だったとも言われている。
413人間七七四年:2011/09/09(金) 22:30:27.78 ID:pML/ZG02
>>412
視力をほとんど失ってたとしたら、
臨機応変な細かい実戦指揮は平塚に委ねてたとしても不思議じゃないな
414人間七七四年:2011/09/10(土) 03:06:21.51 ID:5yK/x3v5
関ヶ原では吉継は、武士としてほぼ最高の死に様を見せられた。
少なくとも武士としては幸せな最後だったというべきだろう。
415人間七七四年:2011/09/11(日) 01:08:18.84 ID:oDMi39c5
>>414
武人として完璧かつ、多くの日本人が好む散り様だよなあ
詳しい記録がないのも相俟って判官贔屓されるのも納得できる

もれなく祟りのオマケも付くけど
416人間七七四年:2011/09/11(日) 20:39:01.71 ID:wJcThM/M
今度大谷吉継さんの陣の跡とかお墓に参りたいと思うんですが、
ふらっと一人で訪れても迷わない感じなのかな
看板とかは建ってるみたいだけど、徒歩でいける…よな…?
417人間七七四年:2011/09/11(日) 21:42:16.27 ID:mvFAoXOp
>>416
関ヶ原駅から徒歩だと、御墓のある山道入り口まで20分くらい、距離は2kmくらいか?
駅の観光案内所で地図を貰えるし説明してもらえるから問題ないと思う
自分はいつも徒歩だけど、レンタサイクルもある
車の通りが激しいから気を付けてね
418人間七七四年:2011/09/11(日) 22:31:21.75 ID:wJcThM/M
>>417
教えてくれてありがとう、チャリ借りられるんだね。
なら自転車でのびのび行こうかな。この時期になると訪れる人は多いだろうね
419人間七七四年:2011/09/13(火) 22:58:18.48 ID:JnIJxggc
過疎り気味になってるので、諸先輩方からご意見賜りたいです
歴史小説を読もうかと思うのですが、そういった本が好きな方がおられたら、
大谷吉継が主役、準主役で出てくる小説でお勧め、お気に入りのものがあれば教えてください
420人間七七四年:2011/09/14(水) 18:17:15.82 ID:SAacRixm
>419
自分も最近読み始めたばかりだからおこがましいけど一応
長めの小説
・菅靖匡「小説 大谷吉継」学研M文庫
・佐藤太治「死闘関ケ原―大谷吉継伝」ライオンズ石油出版
・南原幹雄「名将大谷刑部」新潮文庫
・野村敏雄「大谷吉継―「関ケ原」に散った仁将」PHP
・工藤章興「大谷吉継と石田三成」PHP
・山元泰生「大谷吉継」学陽書房

短編
・大谷晃一「楠木正儀」収録の「醜」関ヶ原直前から決戦まで駆け足で年代記っぽくまとめてある
・山田風太郎「忍法流水沙」収録の「刑部忍法陣」関ヶ原直前に真田の忍者と組んでいろいろする話
あと吉川栄治が短編書いてるらしいけど未入手で分からない

あとはもう「群雲、関ヶ原へ」とか「新史太閤記」「関ヶ原」とか…
どれもこれも既読だったらごめん。お勧め作品があったら自分も知りたい
421人間七七四年:2011/09/14(水) 19:01:42.90 ID:KBEB12hP
>>419
石川能弘の「大谷吉継」(幻冬舎文庫)
が個人的には一番良かった。吉継が人間的で、
三成との友情がしっかり描かれてる。関ヶ原前夜の会話は泣いたよ。
(超人的で聖人君子な吉継像を求めてる人には合わないかもしれないけど)
絶版になってるみたいだけど、マーケットプレイスには出てるよ。

吉川栄治の短編は、
「戦国武将列伝 2 秀吉」(徳間文庫)
に収録されてる。こちらもおすすめ。
422人間七七四年:2011/09/15(木) 20:46:07.85 ID:c8lmy95P
411年前の今日ですね・・・
ゆっくり御休みなされませ
貴方の格好の良い生き様は後世にもしっかり語り継がれておりますよ
423人間七七四年:2011/09/16(金) 07:42:07.39 ID:DIRT7CfF
現代でいうところの、10月21日じゃなかったっけ?
424人間七七四年:2011/09/16(金) 11:51:10.29 ID:1eG0wAbk
今年の旧暦の9月15日は、新暦の10月11日だな
425人間七七四年:2011/09/16(金) 17:18:10.27 ID:niBUV51f
新暦で何かやってるとこもあるからいいんじゃない
初冬って感じじゃなくなるが
426人間七七四年:2011/09/16(金) 18:12:05.17 ID:mx3/BTF6
細かいことは言いっこなし。慰霊は>>422の気持ちの問題だから。
427人間七七四年:2011/09/28(水) 23:00:34.37 ID:HP1Ztbyq
来週のヒストリアで取り上げられるね
428人間七七四年:2011/09/30(金) 04:15:59.09 ID:jUa+jXr/
しかし三成との友情を強調しすぎるのもどうかと思うんだよなあ。
三成との友情話はほぼ全部後世の作り話だし。同僚という以上の感情が二人にあったのか
かなり疑問だ。
429人間七七四年:2011/09/30(金) 08:03:18.45 ID:G3vqMKH5
>428
お茶のエピソードが後世の作り話と知った時はショックだったな
児童書で読んで子供ながらに感動した記憶があるので
430人間七七四年:2011/10/01(土) 21:01:49.42 ID:wRn0hvdP
大谷さんが三成の推挙で秀吉に仕官したってのは作り話?
431人間七七四年:2011/10/03(月) 21:23:45.99 ID:d6B4Q/KL
完全につくり話
432人間七七四年:2011/10/17(月) 16:05:43.21 ID:nrlo/3yn
ドラマの関ヶ原(TBS版)の時は堂々と「大谷吉継はハンセン病に侵されて
いた。」というナレーションが入らなかった?
あの時は良かったの?
433人間七七四年:2011/10/17(月) 17:20:26.46 ID:jow6bVz6
平塚、戸田が忘れ去られてる件
434人間七七四年:2011/10/20(木) 23:12:19.62 ID:AqBojgjC
wikiに書かれてた名将言行録のエピソードっていつの間に消えた?
あれは結構好きだったのに
435人間七七四年:2011/10/21(金) 00:16:20.24 ID:bJy6989m
>>434
どんなエピソード?
436人間七七四年:2011/10/21(金) 22:52:17.36 ID:EUxDAoeT
大河の徳川家康で吉継を演じていた有川博氏、亡くなっていたんだな。
あんまり話題に挙らないけど、あの人のも好きだったなぁ。
437人間七七四年:2011/10/25(火) 11:49:22.28 ID:RL2tWsqS
顔から膿が落ちたとき
他の武将から
「ガッツ、ガッツ」
とか囃し立てられなかったのでしょうか?
438人間七七四年:2011/11/06(日) 20:51:46.68 ID:/e6wCewl
膿が落ちた逸話自体が作り話なのでありません
439人間七七四年:2011/11/14(月) 13:49:00.91 ID:Vg8vNxx2
この人の話って後世の作り話ばっかだね
重病をおしての関ヶ原参戦がそうさせるのかな
440人間七七四年:2011/11/16(水) 19:22:31.87 ID:bUtvtR2z
唯一同時代の記録に残っているのが例の百人斬りの話だったり
441人間七七四年:2011/11/25(金) 10:16:05.77 ID:h5xZd/st
本望寺
442人間七七四年:2011/12/01(木) 02:50:29.40 ID:MJeiAto8
>>440
唯一ってなんだ
膿が落ちた茶会は作り話だが、吉継と三成の茶会にまつわるエピソードは一応あるぞ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4514.html
宗湛日記に書かれていたものだからこれは実際にあったことと考えていい
443人間七七四年:2011/12/02(金) 17:29:37.05 ID:DdMHocKU
あとは伏見屋敷での饗応か
444人間七七四年:2011/12/02(金) 17:37:13.22 ID:Oya9wXBj
>>442
逸話的なものの中で、ってことだろ?
その話は人口に膾炙しているものではなかろう。
445人間七七四年:2012/01/09(月) 10:38:51.40 ID:zmbVy5hY
大谷さんにもう少し動員兵力があればなあ…
446人間七七四年:2012/01/22(日) 16:06:26.51 ID:Fbl15ZPj
「『歴史街道』セレクト」の「大谷吉継」ってどうですかね?
大谷公に関する資料本を何か読みたいのですが。
447人間七七四年:2012/02/12(日) 21:28:31.00 ID:QUoOcjff
>446
歴史街道は半分くらいは小説みたいなものだけど、まとまった本はあまりないから読んでみるのもいいと思うよ
あとは新人物往来社の「大谷刑部のすべて」と「智将 大谷刑部」くらいかな
448人間七七四年:2012/02/23(木) 00:00:05.66 ID:l6b2unPy
へうげもので史実をなぞってるのに、茶会と最期がもの凄いことになってて笑った
449人間七七四年:2012/03/13(火) 22:32:54.68 ID:lskFXV7e
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
450人間七七四年:2012/03/14(水) 11:11:57.09 ID:GMnnZGtY
しかし豊臣政権の研究はけっこう進んできているというのに、
相変わらずこの人はどんな事をやっていたのかほとんど解からんな
451人間七七四年:2012/04/02(月) 18:52:50.14 ID:Ib/va6Xb
後期、というかゴタゴタしはじめてからはほぼ隠居みたいなもんだからなぁ
天正〜慶長前半くらいまではそこそこわかってきてるんだけどね
452人間七七四年:2012/04/02(月) 20:29:28.83 ID:zaME0WM7
他と比べたらまだまだでしょ
453人間七七四年:2012/04/08(日) 00:36:32.35 ID:5vEVlxmH
どこと比べてまだまだなのかによるわな
史料が豊富に残ってる人物なら比較にならんけど
たいして残ってない人物と比べたらどっこいだろう

秀吉関係を首っ引きで浚ってたらチラホラ記述がある分だけマシともいえるしな
454人間七七四年:2012/04/12(木) 17:48:17.06 ID:e4EFDcQ7
結局茶席での膿茶一気飲みは嘘?
NHKだかで飲み干したのが秀吉だってやっててびっくりした
455人間七七四年:2012/04/12(木) 21:59:30.21 ID:6NUymN0/
>>454
秀吉がやったってのも含めて嘘
456人間七七四年:2012/04/13(金) 09:18:34.82 ID:Biw1Ve5A
>>455
あ〜…やっぱ嘘なのか
あの話を聞いて大谷さんに興味持ったんだけどね
まあ嘘でも大谷さん好きなことに変わりはないからいいや!

もう少し暖かくなったらまた関ヶ原〜大谷さんのお墓参りツアーやろう
457人間七七四年:2012/04/14(土) 00:48:25.33 ID:yxJ1wGfF
そもそもが文禄の役おわるまでは普通に朝鮮渡海して三成や長盛と軍奉行やってたわけだし
膿が滲むほど病が進んでたらできない仕事ではあるよな

それも含めて、状況証拠から吉継の病はたぶんハンセン病ではないんじゃないかと個人的には思ってる
数ヶ月で一気に仕事ができないレベルまで進むような病気じゃないしね(梅毒もそうだけど)
一時はひどかったようだけど慶長三年以降はまたそこそこ表に出てくるようにもなってるし
慶長四年だかあたりには梵舜とかと女能を見に行ったりもしてるから、目も多少よくなってるっぽいし
458人間七七四年:2012/04/14(土) 09:00:00.95 ID:AZSFR8hM
ハンセン病だろ、適切な処置が施されてないんだ、一気にくる事もあるだろう。
459人間七七四年:2012/04/16(月) 22:54:20.71 ID:BiP4wWAP
関ヶ原までは豊臣政権内部の親家康の代表格だった人。
あるいみ藤堂高虎より露骨に家康に従ってた。
460人間七七四年:2012/04/17(火) 02:50:21.54 ID:Eg8t6tzM
先見があったのだろう
461人間七七四年:2012/04/29(日) 01:37:43.80 ID:bWrd/HeM
>>458
ハンセン病は非常にゆっくり進行する病気だから、数ヶ月で一気に悪化することはないよ
462人間七七四年:2012/05/02(水) 19:00:18.13 ID:qPeZkZlY
>>461
おそらく重篤化したのが文禄三年の秋以降で、慶長二〜三年くらいには回復してるのよな
秀吉が見舞いに行った後くらいにはちょこちょこ表に出てくるようになって
慶長四年には梵舜他数名と女能見物に行ってるからこの時にはかなり回復してたとみていいと思う
特効薬のなかった当時のハンセン病は重篤化したら回復しなかったから、この重篤化→回復の流れは別の病気を疑うな
そもそも当時の史料にハンセン病を特定するものもないしな
463人間七七四年:2012/05/11(金) 15:13:09.28 ID:p5ss3Kk4
保守
464人間七七四年:2012/05/12(土) 00:48:08.78 ID:WcsYQaNR
左翼化したNHKだから、こういう重病の武将を英雄化させる大河ドラマはできそうだな
465人間七七四年:2012/05/23(水) 20:01:30.81 ID:uOFjeZwl
吉継は三成とも家康とも親しかったから関ヶ原前に苦悩しただろうな
466人間七七四年:2012/05/23(水) 21:40:42.01 ID:H4NPZrS+
家康と親しかったという記録はあるが、三成と友情というほど親しかったという記録は存在しないんだなこれが>吉継
467人間七七四年:2012/05/24(木) 08:47:15.44 ID:USiih5a2
いつ頃から世間でそんな風に言われ始めたか興味あるな
468人間七七四年:2012/05/24(木) 10:39:43.86 ID:+SQXMOx3
言われてないと思うが。
469人間七七四年:2012/05/24(木) 12:00:22.88 ID:USiih5a2
世間でっていうか、一般向け歴史本でもフィクションでも当然のように書いてあるじゃん
作り話なら初出はどこ?って思っただけだよ
470人間七七四年:2012/05/27(日) 21:01:35.57 ID:qiO9ryYh
美濃までたどり着いた大谷軍が、そのまま会津攻めに参加していれば
歴史は大いに変わった
471人間七七四年:2012/07/01(日) 05:12:15.35 ID:SVlSyARz
どのドラマでも吉継自害のときに周囲に敵兵が全くいない
472人間七七四年:2012/07/03(火) 00:16:53.80 ID:bxc2RK2w
敵兵が居る所で自害したら首取られちゃうじゃん。
473人間七七四年:2012/07/11(水) 14:27:02.72 ID:/8PkJU5E
回し飲みで吉継の膿が滴り落ちた茶を
豪快に飲み干したという逸話も嘘くさいな
474人間七七四年:2012/07/11(水) 17:15:08.64 ID:+dGeJQVV
ウソも何も江戸期のつくり話だしな。
475人間七七四年:2012/07/12(木) 00:11:00.42 ID:J5yLNOmm
作り話なのは確定として江戸期なのか
三成もしくは秀吉の美談が江戸期に作られたってのも面白いな
476人間七七四年:2012/07/12(木) 04:35:08.86 ID:/ZhxeEYf
ありゃ吉継がメインなんじゃなくて秀吉の将器を語る話しだしな。
相手が三成に変わるのは幕末だし。
477人間七七四年:2012/07/12(木) 10:37:02.21 ID:oURH2yun
膿が落ちるほど顔が崩れていたという話も 江戸後期になってから
478人間七七四年:2012/07/16(月) 22:27:40.49 ID:WflGfRS3
自分は伏見区在住だが吉継が伏見に構えた屋敷って敦賀城なのか大谷町なのか気になる
もしかしたらほかの地域かもしれんが距離的にも歩いて行けるんでふと気になって・・
479人間七七四年:2012/07/17(火) 03:05:27.57 ID:xJJzgxUu
>>478
京都伏見なら古地図が売ってるよ。伏見の人ならすぐ買いにいけるんじゃないかな?
それを見ると現在だと桃山町日向(水野日向守屋敷跡)よりちょい北東方面。
480人間七七四年:2012/07/17(火) 17:35:13.21 ID:7lLjNfJY
>>477
まあ眼病で視力が落ちた、程度がホントのところだろうな、吉継の病気って。
しかも秀吉の死後は完全ではないにせよ回復していたフシがある
481人間七七四年:2012/07/18(水) 07:23:20.37 ID:mjRe+gqz
>>477
秀吉が吉継の膿が入った茶を飲んだというのも一緒に出来た創作だったのか
482人間七七四年:2012/07/18(水) 08:12:36.42 ID:Kzpf8gBi
おそらく創作だろうね
483人間七七四年:2012/07/18(水) 13:47:29.80 ID:nrS49gC6
大谷が病気になる前は美男子だったというのは腐女子の妄想
三成と親友だったというのも三成との友情の為に西軍に付いたというのは歴史小説家の創作
484人間七七四年:2012/07/18(水) 18:00:44.33 ID:Kzpf8gBi
実際のところ、何故西軍についたか理解できないよね
485人間七七四年:2012/07/18(水) 19:58:44.93 ID:8BmSGQo3
まあ、三成の側から見れば大谷吉継は、宇喜多騒動で榊原康政といっしょに介入するほど、
ほぼ家康の配下として活動していた親家康派の筆頭と言っていい人物であって、
それを自分の陣営に寝返らすというのは、西軍の戦略上非常に重要なことなのは間違いない。

逆に吉継で成功しちゃったせいで、東軍の結束を舐めてしまった、と見えなくもないが。
486人間七七四年:2012/07/18(水) 21:09:05.24 ID:mjRe+gqz
・宇喜多騒動鎮圧の失敗を家康から叱られた
・西軍のからより多くの恩賞を提示された
・秀吉と縁深かった母親による西軍参戦への説得
・重病ということもあり最後に死に花を咲かせたかった

藤堂と双璧をなすほどの親家康派だった吉継が家康に背き西軍に与したのは
この中のどれかが要因もしくは全てという見解が妥当だろうね
石田三成はまったく関係無いと思う
487人間七七四年:2012/07/18(水) 23:00:01.86 ID:sgYlIA3+
石田三成がまったく関係ないってのは言い過ぎなんじゃないの
そりゃ三成との友情でってのは創作の領域だけど
共に奉行を担当した回数などから言って距離の近さでは三成が調略担当者として最適、くらいではあると思う

あと吉継が親家康派の筆頭とか藤堂と双璧をなすくらいってのもさすがに言いすぎじゃないかなあ
宇喜多騒動はそもそも戸川派が吉継に調停を依頼して、吉継が榊原を仲介として筆頭大老家康に介入を要請したようなもんだし
ほぼ配下ってのはちょっと 家康派なのは間違いないけど

重箱の隅をつつくようでなぜ西軍についたかに関する議論にまでいってなくて申し訳ないが
488人間七七四年:2012/07/21(土) 21:26:46.39 ID:LZRanUlk
俺、祖母が敦賀市民だからしょっちゅう敦賀行ってたけど大谷さんのこと全然知らなかった
もう少し知りたいので入門にいい本ってあります?
489人間七七四年:2012/07/23(月) 05:27:43.14 ID:vYHPOYQC
敦賀市史の近世初期あたりがいいんじゃないかね
490人間七七四年:2012/07/23(月) 22:55:34.23 ID:eK6YdILQ
>>490
ありがとうございます!!
再来週、敦賀に行く予定なので読んでみます
491人間七七四年:2012/07/24(火) 00:53:20.27 ID:KCw0nsIe
>>490
敦賀行くなら博物館とみなとつるが山車会館に行くと良いよ
吉継の常設展示あるし、博物館で過去に出た吉継展の図録があるはず
「近世敦賀の幕開け〜吉継の治めた湊町〜」ってやつが十分良い内容
492人間七七四年:2012/07/24(火) 12:17:25.37 ID:Ah017Xsf
>>491
山車会館は小さい頃連れて行ってもらった記憶がありますが大谷さんのことにも触れていたのですね
もう一度行ってみようと思います

それと490は安価ミスです
493人間七七四年:2012/07/26(木) 19:36:50.70 ID:+r0rI2R0
>>487
例の茶会の話やドラマでお馴染みの挙兵時のやり取りは創作だけど
宗湛日記には一時吉継が秀吉の機嫌損ねて謹慎させられてた時に
兼ねてから宗湛の茶道具を見たがってた吉継のために
三成がこっそり取り計らってあげたって記述がある。
宗湛日記自体に偽書説があるからこれも本当かわからんけど。
494人間七七四年:2012/07/26(木) 19:40:09.31 ID:+r0rI2R0
って上でも出てたか
495人間七七四年:2012/07/26(木) 22:35:12.10 ID:tkKQMCCS
> 宗湛日記自体に偽書説があるからこれも本当かわからんけど。

どうも少なくとも江戸期に作られたっぽいんだよね。
史料として考えるには慎重になったほうがいいと思う。
496人間七七四年:2012/07/26(木) 23:56:39.30 ID:+r0rI2R0
戦国時代の出来事の中で我々が通説として知ってるものの多くは
江戸時代前期以降に書かれたバイアスがかかったものと
更にそれを本に編纂された云わば二次史料がソースだからな。
死人に口無しとはよく言ったものだ。
497人間七七四年:2012/08/18(土) 08:26:43.53 ID:Zalg71zc
新人物往来社から出ている大谷の本は、歴史読本で特集された時と同じ内容なのか?

http://www.jinbutsu.co.jp/bunko/?search=1&obj_type=obj_1
498人間七七四年:2012/08/18(土) 20:49:09.55 ID:q5nYetVq
真田信繁の正妻が大谷吉継の娘ではない、と言う説があるらしいんだがどのくらい信頼出来るものなんだろうか?
499人間七七四年:2012/08/18(土) 20:54:26.49 ID:uHJX+hSU
まずは1590年以降の宇喜多家に真田姓の家臣がいたかどうかの確認が必要ね
500人間七七四年:2012/08/23(木) 22:02:45.21 ID:lGl7gYGN

石畑匡基「秀吉死後の政局と大谷吉継の豊臣政権復帰」(『日本歴史』772号、2012年発行)
501人間七七四年:2012/08/24(金) 01:51:37.93 ID:lA5PXYLK
結局のところ吉継って相当謎に包まれてるんだよな。
関ヶ原で西軍についたのも友情云々というより、北政所の側近だった
母ちゃんから頼まれたからという説もあるし。
502人間七七四年:2012/09/09(日) 00:10:04.42 ID:qPyU6G8A
>>501
でも関ヶ原前は徳川派だったってのは確かだからなぁ。
なんだかんだいってかなり強い理由があったんだろう
503人間七七四年:2012/09/22(土) 16:40:08.02 ID:tC+a7gIE
そもそも西軍首謀者の三成自身が別に家康とはそんなに険悪な関係でも無かったって言われてるしな。
504人間七七四年:2012/09/22(土) 17:21:03.54 ID:nznYtawo
まぁアレじゃない? 民主党の中での党首争いが全国選挙になったようなもんでしょ
505人間七七四年:2012/10/13(土) 01:16:21.61 ID:nqMyOdKT
ゆるキャラまつりに出陣されるおおたににゃんぶ殿の采配だそうだ
http://daigosakurayama.blog20.fc2.com/blog-date-20121007.html#pagetop
506「お主も阿呆じゃが、儂はもっと阿呆じゃハッハw」:2012/11/14(水) 19:07:43.49 ID:VGPKxK+i
>>219
やっぱ皆 葵の刑部殿が一番人気なんだな。


--
http://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/sekigahara/hosokawa_yoshitsugu.JPG
細川俊之が演じる大谷吉継
「葵 徳川三代」
ttp://oniheru.fc2web.com/jinbutsu/sekigahara/ootani_yoshitsugu.htm
507人間七七四年:2012/11/14(水) 20:18:12.07 ID:btMZpiZH
家康との決別の切欠は宇喜多騒動かな?
508人間七七四年:2012/11/14(水) 22:54:23.62 ID:NVGc6ows
>>507
自分はそうは思ってないな
吉継が仲裁を頼まれたのは秀家からではなく宇喜多の出奔組からだし
家康が出て来ざるをえなかったのも、秀家が全く折れなくて
大谷・榊原コンビではどうにもならなかったからだからなぁ
とすれば、出奔組に甘い裁定になったところで吉継が不満に思うこともない

母・妹・妻子・真田信繁に嫁に出した娘、みんな上方にいたわけで
(おそらくは主要な家臣の妻子も)
この辺を人質に取られて転んだってところが真相に近いんじゃないかね
実際、上方に戻って真っ先に真田の妻子の安全を確保してるしな
509人間七七四年:2012/11/15(木) 00:18:55.92 ID:iHVHX2HN
それだといくらでも家康に内応するチャンスはあったと思うけどなあ。
510人間七七四年:2012/11/18(日) 16:30:23.50 ID:VXVJmWZl
親家康だったという史料って何かあるのかな
511人間七七四年:2012/11/20(火) 02:15:26.52 ID:xsCMkyAV
>>509
戸田・平塚がガチガチの太閤シンパなのが気になるとこだね
ただ、要請があったというのに大垣入城しなかったのは不思議
あんだけ妙な動きしてた小早川をスルーして松尾山に入れちゃったし
実は内応の約束してたけど寝返る隙がないまま寝返り四将に討ち取られたとか妄想してみる

>>510
秀吉死後〜関ヶ原までは、親家康じゃなかった史料を探す方が難しいと思う
利家と家康が一触即発まで行った時も家康の方に駆けつけてるし
三成襲撃事件の時も家康方について調停してるし
前田利長の謀叛疑惑の時も家康方の立場で説得に行ってるし
宇喜多騒動は>>508の通りで、島津の庄内の乱の時にも家康の下から折衝役で出てる
実質石田・浅野の穴を埋める形で五奉行に準ずる立場にいたようで、それも家康の取り立てだからね
上杉との関係からして、まっすぐ会津征伐に向かえれば何らかの交渉窓口を任されていたと思う
512人間七七四年:2012/11/20(火) 08:43:55.63 ID:Ql7oNQAq
上にも挙がってる光成さんの関ヶ原本記載の輝元書状を素直によむかぎりにおいては
大谷は石田毛利ラインにみえる。
その書状で策動してるメンバーがそのまま西軍の初期決起メンバーになったわけだし。
513人間七七四年:2012/11/21(水) 13:21:01.50 ID:EDdtsKOd
>>512
たぶん関ヶ原前夜の記述からだろうけど
その説はこないだ出た日本歴史での論文で疑問が呈された
自分もあれを石田毛利方に解釈はできなかったんで納得したよ
514人間七七四年:2012/11/25(日) 05:24:07.67 ID:zVAugTG9
寝返ろうとしたのに戦死とか、ちと間抜けすぎなイカ?
515人間七七四年:2012/12/10(月) 15:42:38.50 ID:s0hcaeFY
まぁ小川や赤座みたいな土壇場寝返りですら、寝返り行為自体は成功してるから
やる気だったならやれた気はするなw
516人間七七四年:2012/12/18(火) 16:15:01.22 ID:O4Q5RUW1
石田三成と大谷吉継を歴代読売ジャイアンツの監督に例えてると誰に当てはまりますか?
517人間七七四年:2013/02/02(土) 05:41:15.69 ID:y8zt5GE0
誰だって私情0ってことはないけどあの身分なら主家、家族、家臣、兵士、領民
ここら全部考えてどっちに付くか選んだのは当たり前だしそうじゃなきゃ自分勝手で無責任
518人間七七四年:2013/02/17(日) 02:21:19.16 ID:bxjx9kLK
そんな逸話レベルで話をされてもな
519人間七七四年:2013/03/07(木) 05:42:18.25 ID:pc1567L3
 
【大分】全国で3人目の覆面レスラー議員、スカルリーパー・エイジ市議「これが私の正装」…議場での覆面姿は認められるのか
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1362525758/
520人間七七四年:2013/03/31(日) 12:20:53.98 ID:TAW/CuxQ
大谷が「武将で一番好き」で三成の友達だからとか言い出さない人っているの?
521人間七七四年:2013/04/05(金) 13:02:09.38 ID:O/Cg2cF4
岳父だから好きって人なら居たよ。
522人間七七四年:2013/04/16(火) 22:27:51.06 ID:U6SaCMph
>>520
俺だけど
というか三成はむしろ好きじゃない
523人間七七四年:2013/04/29(月) 11:46:40.06 ID:OfFRxa+R
この武将の何がそんなにいいの?
今までの「友のために西軍について戦った」という
今までのテンプレというかステータスは史実だったとは言えないようだよね
実際に関ヶ原で采配を執っていたのかもわからんし
524人間七七四年:2013/04/30(火) 12:55:57.79 ID:/B8BTVAZ
庇ってくれたりする家系が全く残らなかった。
地元にもなーーにも残ってない
そういう歴史上の人物が面白いんじゃないか
525人間七七四年:2013/05/01(水) 07:11:15.83 ID:nZuPJVUE
残ってないからこそ美化されてるの典型かも
526人間七七四年:2013/05/01(水) 11:25:27.81 ID:JxGOJhYp
子孫に迷惑かけるわけでもなく好きに想像出来るのがいいんじゃないか。
武田の子孫なんて鬱陶しいことこの上ない
527人間七七四年:2013/05/11(土) 23:03:45.37 ID:I7DELEe1
虚像は虚像でかっこいい
ちょっとずつ見えてくる実像は実像でワクワクする
で、もしかすると「友のために西軍について戦った」というのも史実「かもしれない」
たとえていうと遺跡を掘るみたいな楽しさがある

逆に言うと、そういう根気がなければおもしろみを感じない人物だと思うよ
528人間七七四年:2013/06/07(金) 01:11:19.61 ID:WMwjcXDe
いや、100パー石田好きの願望だろ
529人間七七四年:2013/06/15(土) 21:41:20.50 ID:M71H0CU6
>>526
大谷みたいな雑魚武将には騒いでくれる子孫もいねーしな
530人間七七四年:2013/06/20(木) 14:40:11.83 ID:FTbuLMWN
わしの呑んだ茶椀は誰もが嫌うた。
呑む真似をして口をつけぬのが、わしにもわかった。
病気だから致し方がない。
だがあの男は違った。

引き返す!引き返すのじゃ!
531人間七七四年:2013/06/20(木) 16:13:26.32 ID:y9pekW5k
吉継って前田足止めして本戦で大活躍ってかっこいいね
532人間七七四年:2013/06/20(木) 17:51:57.24 ID:tWeCxJaU
大活躍…?
533人間七七四年:2013/06/21(金) 01:38:46.35 ID:1aDkWWFg
西軍一番の活躍だろ
534人間七七四年:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:6PWRfaPb
逐次入る情報を分析して
部下に指示出してたんだっけ?
535人間七七四年:2013/10/03(木) 22:04:08.32 ID:wCiyi6Sx
大谷吉継の3男の息子が福井藩士となって存続している
それを知った土井や他の老中たちが吉継の子孫が福井藩士と知れば
家康は喜んだだろうという逸話がある
少し感動する逸話のひとつ…
536人間七七四年:2013/10/04(金) 00:17:50.53 ID:5l/tTVcM
あう
537人間七七四年:2014/01/08(水) 19:26:27.43 ID:eKRVumZN
大谷が一番活躍する大河ドラマって何かな?
どれもチラッとしか出ないイメージだけど
538人間七七四年:2014/01/09(木) 09:59:41.30 ID:m7000tfD
最近では「葵徳川三代」石田側武将の中心として
故・細川俊之さんが演じている大谷刑部がカッコイイ
539人間七七四年:2014/01/10(金) 01:03:19.74 ID:F2zp4Lzp
湯浅五助の事も思い出してあげて下さい
540人間七七四年:2014/01/10(金) 09:13:30.83 ID:+UKJ53UP
小禄だったからか大した家臣団いないよね
有名な大谷家臣っている?
541人間七七四年:2014/01/10(金) 19:32:30.67 ID:AEo2Udbe
大谷吉継の代に秀吉に使える事で立身出世したわけだから古くからの家臣団ってのは無いわな
542人間七七四年:2014/03/22(土) 12:15:00.87 ID:0D5Wcx9N
【高根城(静岡県浜松市)】
http://mirai660.net/castle/takanejyoh_model.html
543人間七七四年:2014/03/30(日) 17:32:44.68 ID:oNk3czD2
大岡城の城ラマ来てるね。
http://mirai660.net/castle/ookajyoh_model.html
544人間七七四年:2014/05/29(木) 16:02:38.93 ID:HRgpSHv3
あげ
545人間七七四年:2014/05/31(土) 09:14:33.53 ID:avZfsSfW
>>33
講談の誇張だろ
眼は悪かったろうが、ハンセンとかじゃないだろ
治療方法確立してないんだから妥当
今の東北への風評被害の方がよっぽど苦渋の歴史
546人間七七四年:2014/05/31(土) 09:18:47.80 ID:avZfsSfW
>>84
キチガイB腐ゴキ豚死ねカス
おうむ返しうぜぇよゴミクズ死ねカス
547人間七七四年:2014/05/31(土) 09:20:11.08 ID:avZfsSfW
>>85
ゲームとしても限界ってもんがあるよな?
歴史好きの前にまっとうな人間ならわかるはずだが
548人間七七四年:2014/06/01(日) 15:12:05.91 ID:2qhX1NF+
大谷吉継について詳しく知りたいがやっぱり参考本は大谷刑部のすべてなのかな
今Amazonで売ってるかな
549人間七七四年:2014/06/01(日) 15:21:47.61 ID:7loGnga3
でもその本石田と友情で味方したってなってる
550人間七七四年:2014/06/01(日) 22:54:03.14 ID:8syBWMP7
551人間七七四年:2014/06/02(月) 06:55:30.56 ID:0TcZLl91
秀吉の小姓として仕えてその後 馬廻り衆となって秀吉譜代の家臣、武将と
して出世して軍を率いて武功を挙げ大名に取り立てられた

石田三成とは堺などの奉行を一緒にやったり、豊臣政権の中では実務を担当
しつつも秀吉より「1度でもいいから大軍を指揮させてみたい」と言わしめる
ほどの軍才を持ち、また策略で攻めてきた相手を戦わずして撤退させたりなど
智謀も優れた武将であった事は間違いない

若い頃は自らも槍を持ち武将を討つ功を挙げている事から武勇も秀でていた

関ヶ原 家康とも懇意にしていて三成の挙兵を最後まで反対し、戦えば負ける
と三成に何度も諫言するも今が好機と挙兵した三成に「親友」として従い
そして討ち死にした
552人間七七四年:2014/06/04(水) 07:33:44.12 ID:PyklFWLJ
>>550
逸話とかは信憑性があるのだろうか?
553人間七七四年:2014/06/05(木) 00:52:04.94 ID:JwZUSxwB
>>540
湯浅五助
554人間七七四年:2014/06/05(木) 00:56:27.54 ID:JwZUSxwB
大河ではないですが、TBSドラマの関ヶ原が面白かったです。
大谷刑部は高橋幸治 主役の石田は加藤剛
555人間七七四年:2014/06/09(月) 14:05:51.74 ID:qjo3FKk2
利家とまつで一話だけでもフィーチャーされてもよかったのに
556人間七七四年:2014/06/24(火) 12:51:01.69 ID:JzqWdYBz
ポイズン(笑)
マッシュルーム(笑)
のりぴー(笑)
反町(笑)
まつ殿のお味噌汁(笑)
557人間七七四年:2014/09/14(日) 23:17:28.88 ID:cyLt1ofG
大谷氏って近江出身なの?
斯波氏と甲斐氏が越前で争った時に甲斐氏配下の敦賀の代官に大谷将監っているけどこれは無関係なの?
吉継が越前に領地を与えられのは縁があったからじゃないの?
558人間七七四年:2014/10/02(木) 01:53:34.86 ID:u67PsssK
>>554
あのドラマはキャスト豪華だったな
茶会エピ良かった
559人間七七四年:2014/12/12(金) 03:45:33.32 ID:K0LLG4Id
>>511
2年前のにレスするが、舜旧記に次のような記述があって読み様によっては「吉継が秀秋から離反した」ともとれるとか

美濃堺、於柏原、内府先勢、福田[嶋カ]・長岡越中・加藤左馬助、合戦之由、
□大□之勢、敗北大谷刑部打死、余吾殿(小早川秀秋)依叛逆也、巳刻也、掉山[佐和山]落城
560人間七七四年:2014/12/12(金) 22:06:34.44 ID:ORdZfvlp
>>558
今では考えられないキャストだったね

三船敏郎 宇野重吉 三國連太郎 森繁久弥 杉村春子 大友柳太朗 丹波哲郎 平田昭彦 加藤剛 竹脇無我 細川俊之 三田佳子 松坂慶子 高橋幸治 大滝秀治 栗原小巻 千秋実 角野卓造 藤岡弘 木の実ナナ 三浦洋一 高松英郎・・・

まだまだ居たと思うが思い出せない
561人間七七四年:2014/12/12(金) 22:09:00.73 ID:ORdZfvlp
>>553
>>540
>湯浅五助

与力だと平塚為広や戸田重政 かね
562人間七七四年:2014/12/17(水) 13:45:24.61 ID:6XNCQPOh
家臣は蜂屋、下河原あたりはよく見る。軍記でよければ家臣の名前ぐらいは結構出てくるよ。

>>511
平塚と戸田ががちがちの太閤親派だったなんて話聞いたことないけど何か根拠あるの?
563人間七七四年:2014/12/20(土) 20:21:45.26 ID:mnwFEMNb
>>560
笠智衆 も加えて下され
564人間七七四年:2015/02/07(土) 23:46:24.20 ID:do9EE4o1
柴田勝家の甥を寝返らせたのは大谷の功績と言われているが
それもウソなのか
565人間七七四年
>>511>>562
平塚為広は、当初は東軍に参加しようとして大谷吉継ととともに三成に
挙兵を翻意するように説得している
ガチガチの太閤派なはずがない