952 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 06:05:34 ID:XbSxka8u
下がったというか、前面に出る必要がなくなったというかね
953 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 10:42:19 ID:d3wUBU8h
なら『淀殿』とか『築山殿』って何だろう。
954 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 11:05:33 ID:SJdFf71q
どういう意味で下がったなんだろう?そうとも思えんが
955 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 11:46:52 ID:UV8z54r9
『淀殿』は淀城に住んでたからそう呼ばれたらしい
『築山殿』は家康正室が人質交換後に住んでいた家のあった地名か、住んでた城の曲輪の名称
956 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 11:48:54 ID:d3wUBU8h
957 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 16:49:43 ID:RwXbNCO2
>>951 地位の低下というのなら明治期だと思うが、どういう根拠で戦国時代が最も下がったといっているんだ?
記録に女性の本名がないってのなら、それこそ明治では女性名がいくらでも記録に残ったが。
958 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 17:58:04 ID:Vc9kJYOx
戦国期の女性の地位の低下って資料見れば、名前も出なけりゃ個性も記録されずって
所から類推できるじゃん。殆モノみたいな扱い。多少の例外はあっても間違いなく戦国期は
男性原理の時代だよ。
まさか戦国期に、室町期ほど女性の地位が保たれていたとでも?
959 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 18:04:45 ID:8nBLEzWZ
女性の名前が残ってないのは平安期も同じなんだが…
960 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 18:16:31 ID:xn5/GvmK
>>951はキチガイなんだから相手にせず放置しておけ
961 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 18:59:31 ID:Wjxva0mu
名前がないんじゃなくて、名前(諱)で呼ばないだけじゃないの?
これに関しては男も女も同じ。
962 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 19:41:51 ID:wyXNj1sC
歴史上の人物を名字と諱で読む事が多いけど当時でもそんな呼び方してたの?
963 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 19:46:02 ID:kN754x4a
男だって受領名とか地名とかで呼ばれるのが多いんじゃないのか?
朝廷からの公文書だと別なのかもしれんが、女だとそういう機会も無いだろうし。
964 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 20:00:03 ID:kN754x4a
>>962 「西村博之」という、とある会社の代表取締役の社長さんがいたとして、
その人に対して、部下や取引先の人たちなんかは、本人に対して、
「博之くん」とか「西村博之さん」なんて呼ばないだろ?
普通は「西村社長」とか、「西村代表取締役」と呼ばれる。
今も昔も同じなのよ。
965 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 20:19:10 ID:uBkYlUJx
そもそも諱は「忌み名」で、他人がそれで呼称するのはタブーじゃなかったっけ?
966 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 20:29:02 ID:4iCNJFqk
石田三成の著作で、小和田教授も武功夜話の信憑性を認めたから信頼できるって書いてありましたけど、本当でしょうか?
967 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 20:36:29 ID:xn5/GvmK
968 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 20:54:47 ID:wyXNj1sC
>>964 歴史小説を読んでると当時の人が「織田信長という人が〜」とか「信長公が〜」とか呼んでる風に書いてあるから当時の人もそんな組み合わせで呼んでいたのかと
969 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 20:59:45 ID:Wjxva0mu
信長が生きているときに「信長公」はないな
「右府様」だな
敵なら、「おのれ、信長め!」というのはあり
970 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:03:11 ID:8nBLEzWZ
>>968 少なくとも俺は、当時の人がそういう風に呼ぶ歴史小説を知らないんだけど…
「弾正忠殿が…」「上総守殿が…」「前右大臣が…」みたいに呼んでるのが普通だった。
朝廷の文章なら「平朝臣信長」とでも書かれてただろうし。
971 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:03:31 ID:xn5/GvmK
972 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:10:20 ID:d3wUBU8h
信長の「上総介」って僭称?
「弾正忠」は親父の信秀が朝廷から正式に任命されたんだよね?
973 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:26:50 ID:wyXNj1sC
今、Wikipedia見たら信長の通称は三郎みたいだな
>>970 俺の読んだ奴には載ってたけど、なんかまったく関係ない人が世間話で織田信長って呼んでたから
>>969 敵側が諱で呼んでたりするのはあるのか
974 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:27:12 ID:Wjxva0mu
975 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:32:17 ID:RwXbNCO2
>>968>>973 小説をもとに言われてもね
>>958 室町期からは若干は下がったとも見えるけど、とてもじゃないけど日本史上で一番下がっていたとは言えないな
976 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 21:42:01 ID:wyXNj1sC
>>975 だから小説が事実かどうか知りたいと
多分、俺は違うと思うけど
977 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 22:45:12 ID:RwXbNCO2
>>976 その通りです。諱で呼ぶなんて敵対者でもまずやりません。
字は書状に記されるから判るけど、それを何て読むかは家族以外はまず外の人間は知れないから。
極端なこと言っちゃうと、「信長」も我々は「のぶなが」と呼んでますが、実は違う読みだった可能性だってある。
978 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 23:31:16 ID:wyXNj1sC
>>977 やっぱりそうなのか
謙信が謙信公とか言われるのは分かるけど信長が信長公とか言われるのは違和感があったから
江戸時代から信長公とか呼び始めたのかな?
979 :
人間七七四年:2010/01/09(土) 23:56:54 ID:afSyH/D9
>>975・977
一応「信長」は「のふ」とサインしていたのは知られている。
高台院宛の手紙とかにしてある奴だな。
また「晴豊公記」(晴豊記・日々記とも)は「のふなか」と明記している。
部分「のふなかより御らんと申候こしようもちて」
現代語訳「信長より森乱丸と申す小姓を以て」
明らかに信長を指しているので「のぶなが」以外の読みは考えにくい。
残念ながら信長ほどにもなると名前が知られすぎて家族以外知らないなんてことはない。
これは秀吉や家康も同じことが言える。
980 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 00:07:25 ID:Ct3ebAC2
宣教師は信長の名前については一箇所も記してないの?
秀吉が「ファシバチクゼンドノ」と書かれてた、ってのはどっかで見たけど…やっぱり
名前は書かないか。
981 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 00:18:10 ID:VFaW1gqh
982 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 01:57:49 ID:HWszEABz
フロイスは一貫して「nobunanga」と書いてるね。ノブナンガ?
983 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 04:52:07 ID:o5RcBDPm
読みがはっきり伝わって無いやつってそんなに多いのか?
少なくとも有名どころは確実なものだと思ってたが。
明石全澄とかは読み方が不明な人の代表格だけど。
984 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 04:54:33 ID:Ct3ebAC2
>>982 鼻濁音だろ。昔はが行はそっちで発音するのが一般的だったが、今は消えかけてる。
985 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 09:40:59 ID:HWszEABz
増田長盛が「ますだ→ました」は有名だな。「ますだ」だと思われていたのが
「真下」と表記された文書が発見された。
986 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 17:17:12 ID:HWszEABz
秀吉遺言状の宛名は、いえやす(徳川家康)ちくせん(前田利家)てるもと
(毛利輝元)かけか津(上杉景勝)秀いへ(宇喜多秀家)だな。
987 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 17:19:59 ID:20cO0w+7
なんで利家だけ諱を書かなかったんだろう?
親しみの演出なら秀家に対してもそうあるべきだろうに。
988 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 17:25:41 ID:xzEud7xN
>>987 「利家とまつ」では秀吉は始終「またざ」と呼んでたが
あれは本当なんか?
989 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 17:31:05 ID:20cO0w+7
>>988 あれはドラマの設定上「秀吉と利家は幼なじみ」ってのを
強調するための演出。
990 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 17:49:10 ID:PjR3kSSN
991 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 18:04:02 ID:PjR3kSSN
次スレないな
立ててくる
992 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 18:04:50 ID:PjR3kSSN
993 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 18:33:14 ID:HWszEABz
>>992乙
しかし若い頃から親しい仲なら日常会話で又左と呼ぶのは自然な気がするが、
さすがに遺言状には『またざ』と書けなかったのかね。
994 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 18:45:42 ID:Ct3ebAC2
そりゃお前、例えば幼なじみを普段「ゆう君」と読んでたとしても、遺言状には
「悠一様」って書くだろ?
995 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 18:54:08 ID:20cO0w+7
秀吉は利家と昔なじみだったというのは後世の創作だし、
仮にそうだったとしても秀吉が太閤記の言うように下人上がりなら
利家のことを又左なんて言ったらそれだけでブッ殺されても仕方ない。
996 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 21:01:32 ID:VFaW1gqh
又三は通称だし清洲時代は家が隣同士だから普通にそう呼んでてもおかしくはないと思う
997 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 21:06:32 ID:xzEud7xN
>>996 > 又三は通称だし清洲時代は家が隣同士だから普通にそう呼んでてもおかしくはないと思う
今思い出したのが、秀吉と利家が若い頃親交があったという記録がないのだが
どの史料にそんな事が書かれてあった?
998 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 21:39:48 ID:BkWYW9uQ
>>995 城持ち豪族の息子だし、信長の愛人だもんな。
秀吉とはスタートラインが全然違う。
999 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 21:50:49 ID:UmObTxWv
能登に行ってからも相当年下の佐久間盛政から又ざと呼ばれてるでしょ
秀吉が又ざと呼んでいても何等不思議じゃない
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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