戦国ちょっと悪い話11

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1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243956483

姉妹スレ
戦国ちょっといい話11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246459446

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/07/04(土) 13:57:08 ID:kQOI+iDY
>>1
3人間七七四年:2009/07/04(土) 14:02:13 ID:XPjETLdV
>>1乙です!
4人間七七四年:2009/07/04(土) 14:12:04 ID:feJM36Hy
  ¶ 
  ( '・')、/    >>1乙ナリ   
  ゚しJ゚ `
5人間七七四年:2009/07/04(土) 16:12:28 ID:oI4EwBVH
>>1
御苦労乙之進
6人間七七四年:2009/07/04(土) 16:49:24 ID:rA9GJ82V
織田信長が岡崎に通りかかった時のこと。信長は徳川家康の岡崎城の
前に来ると、馬から下馬して恭しくお辞儀したのである。

「なんと!信長公が頭を下げておられる!?」

岡崎城の武士たちは感激して信長の前にやって来た。

「同盟者とはいえ、わざわざご挨拶して下さるとは、まことに恐れ入ります。」

「なにを言っているのだ。予は名城たる岡崎城に挨拶したのであって、
お前たちに挨拶したつもりなど毛頭ないが。」

これには武士たちも言葉を失った。
7人間七七四年:2009/07/04(土) 17:12:50 ID:/lQcPZuc
何という天の邪鬼w
信長らしいw

前スレwww
8人間七七四年:2009/07/04(土) 17:13:41 ID:7klS+D+A
前スレ>>900-1000
実に悪いスレらしい美しさだw

>>6
信長は、歴戦の城である名城岡崎に敬意を表した、って話らしいね。
そう言う意味ではいい話だな。
9人間七七四年:2009/07/04(土) 17:37:59 ID:sT78TrhG
前スレの終わり方、見事としか!w
10人間七七四年:2009/07/04(土) 17:39:44 ID:XJ5ZvJSo
>>6
信長が元祖ツンデレか…
11人間七七四年:2009/07/04(土) 19:35:48 ID:ftBpHquo
>>
1縄張りお疲れ様です。
一服いかかですかな?
皆様もご一緒に…。                         。
  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦
       生茶  玄米茶 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯 
12人間七七四年:2009/07/04(土) 22:27:39 ID:L1l1mLSN
前スレ>>970

>上の方にあった「サツマンルーレット」についてググってみたよ。
>火縄銃を天井から縄で吊るして捻る。手を離すと銃身がグルグル回る。
>その内、火皿に着けていた火縄により点火されて発砲。

野暮を承知で言わせてもらうと、これだといくら待ってても発砲しないよ。
火縄をダイナマイトの導火線みたいなもので、火縄に点火してしばらく待つと
やがてズドンとなると勘違いしてる人(けっこう多いらしい)による創作だろう。
実際には引き金を引く→バネの力で火縄が火皿に押し付けられる→火薬に
引火してズドンって流れだからサツマンルーレットをやっても火縄が燃え尽き
るだけで発砲まではいかない。
13人間七七四年:2009/07/04(土) 22:31:19 ID:u6iyPImS
どうも甲子夜話に載ってるらしい<サツマンルーレット
14人間七七四年:2009/07/04(土) 22:41:36 ID:RG0RN4/1
>サツマンルーレット
立場の弱いモヤシを全裸で吊るしてグルグル回して止まった奴が頂けるというシステムじゃないかな?
15人間七七四年:2009/07/04(土) 22:51:01 ID:L1l1mLSN
あ、そうだ。
今思い出したんだが、ロシアンとかサツマンみたいな物騒なのじゃなくて
コシアンルーレットってのはやったことがあるな。
見た目そっくりのアンパンを人数分用意するんだが、そのうち1つだけが
こし餡で、他は粒餡。
で、みんなで一斉に食ってこし餡だったヤツが当たりっていうの。
16人間七七四年:2009/07/04(土) 22:59:12 ID:w1kRwcbZ
京都御馬揃え殺人事件〜信長激怒編

我らが森長可さんによる有名な馬丁斬り事件発生!死体を放置して帰っていく鬼武蔵・・・。

ちょうどその時、河内守の叔父の川尻肥前守が通りかかってこの様子を見て、「見苦しいから死人を屋敷の内へ
引っ込めておけ」と、言った。河内守の家来の者が屋敷の内へ引っ込んでおいたところ、河内守が出て来てどうい
うわけか、「その死体を門の外に出しておけ」と申し付けた。
これを聞いて叔父の肥前守がいうには「もはや河内守殿には仇討ちの気はないとみえる。はてさて勇気のないこ
とよ。」といった。

この話を信長が聞いて、さっそく肥前守を呼びつけ、
「勝蔵と河内守との出入りについて、その方はかようかようのことを言ったそうだが、実に怪しからんことである。
勝蔵が平素から憎んでいる小者一人殺したからといって、その死体を取り込み因縁をつけて、あの若い勝蔵に
一命を捨てさせるようなことを企んだとは前代未聞のことである。もし河内守が石一つでも投げ打つようなことが
あれば、河内守の一門の者共ことごとく竹の根を返すように捜し出して、討ち果たすから左様心得よ。」と、
きついお達しをされたので、肥前守は縮み上がってただ平身低頭して謝ったという。

毛利河内守<そりゃ、「なんかあったら一族郎党ジェノサイドしてやんよ」って言われりゃ、鞘当てされても
         スルーするしかないすよ・・・('A`)
17人間七七四年:2009/07/04(土) 23:02:10 ID:XHV0D28d
>>15
コシアンルーレット後にはお茶が必要であろう。
一服いかがかな?
                        
  ∧ ∧                              
 ( ´・ω・)                             
 ( つ旦O                            
 と__)__) 旦      
      カンタレラ茶  
18人間七七四年:2009/07/04(土) 23:05:01 ID:9OSMm8ZU
>>16
どこまで甘いんだ信長・・・
19人間七七四年:2009/07/04(土) 23:05:37 ID:SUKHb7Ny
肥前(あれ?怒られる立場っておれだっけ!?)
20人間七七四年:2009/07/04(土) 23:09:00 ID:nk5gA0yM
>>16
甘い・・・甘すぎる!
チョコレートをハチミツに浸けて、コンデンスミルクかけた上に砂糖まぶすくらいに甘い!
21人間七七四年:2009/07/04(土) 23:24:48 ID:P9oJhbZU
まさか毛利さんが鬼武蔵に因縁つけられ続けたのって名前が似てるからか・・・
22人間七七四年:2009/07/04(土) 23:32:57 ID:ftBpHquo
>>19
それでも川尻肥前は優遇されてるよなぁ、最終的には甲斐の代官だw
23人間七七四年:2009/07/04(土) 23:34:00 ID:nCkRF1EZ
信長は長可になんか弱みでも握られてるのか
24人間七七四年:2009/07/04(土) 23:58:26 ID:3CE/PMbT
そりゃイチモツをry
25人間七七四年:2009/07/05(日) 00:05:38 ID:Y0JQsDV8
長可も弟達と同じくらい「ケツの穴が小さい」漢だったということか・・・
26人間七七四年:2009/07/05(日) 00:07:10 ID:qwkQVhOS
小姓として仕えていた期間は無いはずだけどなw
27人間七七四年:2009/07/05(日) 00:19:08 ID:I72VP+6h
美少女女装してた人だし、信長の方が受けだろ
28人間七七四年:2009/07/05(日) 00:35:48 ID:6qGH8kMO
美少女女装した上で攻めという倒錯を果たしたお方かも知れないじゃないか
29女装ナカーマ:2009/07/05(日) 00:36:05 ID:XybA1qAo
>27
玄以ちゃん「あーらカズサコちゃ〜ん、私と仏法をエンジョイしません?」
30人間七七四年:2009/07/05(日) 01:20:00 ID:+B4CSwFD
>>12
火縄のケツを火皿に入れておけば発砲はできる気が一応する
31人間七七四年:2009/07/05(日) 01:37:06 ID:I9jl5coy
領土拡張率ランキング(ver.03)


         家督相続年  相続時勢力圏  最大勢力圏  勢力拡大率
1織田信長    1551年     4万石    800万石      200倍
2毛利元就    1523年    2万石  180万石      90倍  
3長宗我部元親  1560年    2万石    80万石      40倍
4三好長慶    1532年?    10万石     200万石       20倍
5島津義久    1566年    15万石      180万石     12倍
6尼子経久    1478年   10万石     70万石       7倍
7北条氏康    1541年    45万石     180万石       4倍
8武田信玄    1541年    26万石      90万石       3倍
9上杉謙信    1548年    45万石   90万石       2倍
32人間七七四年:2009/07/05(日) 02:10:25 ID:4cgJ0a5e
>>30
それだと火縄が燃え切れて落ちるんじゃないかなぁ。

むしろ、火縄に火をつけずに銃を引き金を引いた状態にして、火縄に通常とは逆の端に
火をつけたんじゃね?
火縄が燃え進むに従って火が火皿に近づき、火皿に達したところでズドン!
・・・となるはずが、火縄ばさみに達したところで金属に熱を取られて火縄は鎮火、みんな
ドキドキっていう遊びだったとか。
33人間七七四年:2009/07/05(日) 03:36:54 ID:WoQ1O80+
加藤清正の家臣に南条という者がいた。南条は歯に物を着せね言い方を
する男だった。ある時、南条の召し抱えたよそ者が清正の足軽二人を
ボコボコにした。怒った清正は南条を呼び出して

「そいつを呼び出せ!よそ者のくせにとんでもない事をしおって、
手討ちにしてやる!」

と言った。すると南条はこう言った。

「おかしいですな。殿がいつも仰せになるように私は家来を厳しく鍛えて
います。私の足軽が強いのは当たり前です。あと、よそ者呼ばわりは如何な
ものでしょうな?殿はいつもよそ者だろうと優れた者は優遇しろと仰せ
ではないですか。よそ者に負けるような連中こそ手討ちにすべきでしょう。
その程度ではいざという時、役には立ちますまい」

「ぐぬぬ・・・」

清正は言い返す事ができず、手討ちにするのを諦めた。しかし腹の虫が
おさまらなかったのか自分の足軽に

「お前ら、よそ者なんぞに負けんな!」

と言った。
34人間七七四年:2009/07/05(日) 09:01:47 ID:yqWEM+Gc
でも、ここでぐっとこらえるのが清正だよな。
正則だったら南条と二人まとめて手討ちにしそうだよな。
35人間七七四年:2009/07/05(日) 09:15:49 ID:C4/Q7qbF
手打ちにして翌日落ち込んだり
手打ちにしようとして相手のカミサンにどなられたりする
それが市松クオリティ
だがそれがいい
36人間七七四年:2009/07/05(日) 09:29:51 ID:PT/bGdAk
>>34
正則がアホっぽく見える所以は他人の忠告を素直に受け止める所だから多分しないよw
酒さえなけりゃなあ
37人間七七四年:2009/07/05(日) 10:42:15 ID:fySLv2uB
>>11
ちゃのみおばーちゃん、白下糖あるよ

 ■ ◆...
38人間七七四年:2009/07/05(日) 10:44:43 ID:kPJoUiXR
秀吉が中国攻めで播磨神吉城を攻めた時のこと。

初陣を果たしたばかりの福島市松、のちの正則はこの戦いで首一つを獲った。
しかし、再び敵中に入り戦っているうちに、いつの間にか腰に吊るした首が消えていた。
あろうことか、味方に首を盗まれたのだ。
これに腹を立てた市松は猛烈に敵を攻め立て、再び首を獲ることができた。
安心して槍と首を置き、一休みしていたら、またしても味方に首を持ち逃げされた。

さすがの市松少年もこれには泣き出してしまったが、のちに福島家の家老になった
星野吉次に、「そんな事で悔しがるとは、お志が小さいですぞ!!」
と叱咤され、三たび敵中に駆け入り、見事に首を獲り、秀吉のもとに帰った。
秀吉に経緯を話すと大いに褒められ、感状を授かったという。


オチだけ見ると「不屈の市松・いい話」と言えなくもないけど、内容は
生き馬の目を抜く戦場の悪い話かなーと思ったので、こちらに。
39人間七七四年:2009/07/05(日) 11:16:10 ID:Y0JQsDV8
市松はこういうおかしみのある逸話多いな
40人間七七四年:2009/07/05(日) 11:36:07 ID:yqWEM+Gc
福島正則って俺にはジャイアンが水牛角の兜をかぶっているイメージなんだが。
41人間七七四年:2009/07/05(日) 11:52:34 ID:GOg303g+
>>40
オンチで家臣からもネタにされてたのは大水牛の兜を譲られた
黒田さん家の息子さんだがまさか兜のせいで…
42人間七七四年:2009/07/05(日) 12:18:12 ID:fySLv2uB
>>41
市松さん「ぼえー」
母里太兵衛の人「……」
43人間七七四年:2009/07/05(日) 12:36:42 ID:9zurQp1U
>>32
使った火縄は、通常の火縄ではなく一気に燃える導火線タイプじゃなかったのかな?
火縄銃を中心に円陣組んでやったんだからとにかく馬鹿だな。>薩摩兵児
44人間七七四年:2009/07/05(日) 13:06:07 ID:PT/bGdAk
>>41
前半生を音痴と罵られて過ごしたんだろうに、それが先生に筋がいいよ!って
ほめられただけでころっと「俺上手くなった!」と喜んで家臣を集めてリサイタル
開いてしまった黒田長政の気持ちを考えると…
45人間七七四年:2009/07/05(日) 13:33:16 ID:4lNmM82E
>>12->>15>>30>>32>>43
戦国時代に関係ねぇから、いい加減他スレでやれよ!
46人間七七四年:2009/07/05(日) 13:36:54 ID:rY8F7NBb
スルーしろよ
47人間七七四年:2009/07/05(日) 17:23:45 ID:ppfM+fiD
まさかの一日2せいしょこさん

加藤清正の母衣衆、坂川忠兵衛は酒豪だったが、清正が
「武士たるものが、呑んで乱れるは嫌いじゃ!」と言っているのを聞いて以来、
一滴も呑めぬと偽っていた。
その日、城中に主だった家臣が呼ばれた宴席でも、忠兵衛は隣りの席の
御用医師・玉庵がなみなみと注いだ大盃を脇に置いたのを、指をくわえて見ていた。

そこへ清正が通りかかり、
「なんじゃ、いけるクチと聞いたが、進んでおらぬな。その盃を空けて一杯やらんか!」
と銚子を差し出した。
さっそく忠兵衛はこれに応じ、大盃を取りグイッとやった

清正「 ( ゚ Д゚) 」 玉庵「 ( ゚ Д゚) 」

・・・所で清正が玉庵に声を掛けた事、盃が誰の物かという事に気づき、痛く赤面したそうな。


こんな逸話を残した坂川さんですが、二条会見で家康と刺し違え、斬り死にする覚悟で
秀頼に付き添った清正がお供に選んだほどの武辺で、清正の死後は断食して殉死という
壮絶な最期を遂げた「漢」でもあります。

そんな侍が殿様の顔色伺ったばかりに、この有様。自分を偽らず裸になって生きようZE!
48人間七七四年:2009/07/05(日) 17:32:05 ID:5Pr0laan
>>47
かわいいじゃないかw
逆に、そんな人だから清正に信用されたんだろうね。
49人間七七四年:2009/07/05(日) 18:00:27 ID:9zurQp1U
>>43
火縄銃を使用するのに戦国とは関係ないとか
50人間七七四年:2009/07/05(日) 18:03:03 ID:GOg303g+
>>47

>>38の人「そうそう酒ぐらい好き勝手に呑みたいよねー」
51人間七七四年:2009/07/05(日) 18:12:18 ID:rOtEBeU8
巨大スッポン「でも私は酒で身を滅ぼしました。(´・ω・`)」
52人間七七四年:2009/07/05(日) 18:16:11 ID:MqFJGj2N
>>51
島津家の某家老が全身全霊で同意しております。
53人間七七四年:2009/07/05(日) 18:18:17 ID:qwkQVhOS
>>50
島津家久(善)「ちょ・・・もう酒いらな・・・ゴフッ!」
54人間七七四年:2009/07/05(日) 20:14:57 ID:ledxT4mS
>>51-53
岡部正綱「まったく同感…げふっ!」
55人間七七四年:2009/07/05(日) 21:05:40 ID:MgNFjKc1
酒はおっかねぇ
薩摩はもっとおっかねぇ
56人間七七四年:2009/07/05(日) 21:38:22 ID:IDPvYbf2
岡部さん接待のしすぎでアル中死だからなぁw
57人間七七四年:2009/07/05(日) 21:53:10 ID:C4/Q7qbF
毛利「酒なぞ止めて儂のように餅を食えば長生きできる」
謙信「えー」
58人間七七四年:2009/07/05(日) 22:00:08 ID:MqFJGj2N
そういえばTERUさんに
「曾じいちゃんも曾々じいちゃんも酒で死んでるんだから
 ほどほどにしなさい」って言ってたんだっけか。
59人間七七四年:2009/07/05(日) 22:04:35 ID:AhJsVrr/
酒をきっぱり止めてるってのが格好いいな
現代でも酒と煙草をすっぱり止められない
ガムやお茶の力を借りて止める根性無しがほとんどだってのに
60人間七七四年:2009/07/05(日) 22:40:00 ID:5Pr0laan
折花姫

小山田信茂の一族、小山田行村は、あの有名な百足衆(大百足差物衆)に属する武将であった。
天正十年、ご存知のように小山田信茂は武田勝頼を裏切る。そして織田家への帰順を求めに行った
その留守中、行村は岩殿城代を勤めていた。

そこに、凶報が入る。小山田信茂が、織田の手により処刑させられたと言うのだ。

「織田は必ずここにも攻めてくる」

行村は身内の者をまとめ、大月から逃れ奥津久井へと入った。
しかし長者舎と言う所でついに、織田の追っ手に追いつかれた。

行村には、折花姫という、愛してやまない一人娘があった。
彼は、この姫だけでも逃がそうと、彼女に昔から付いていた爺と姥に後を託し、自らは
姫の内掛けをかぶって敵を引き寄せ、やがて猛烈な矢弾の集中を受け、討ち死にした。

三人はこの間に、逃げる。
が、か弱い姫と老人の足である。追っ手はたちまち、狼のように喰らい付いてくる。

今度は姥が姫のふりをして追っ手を騙し、時間稼ぎをするが、彼女も、たちまち殺された。
そして追っ手は、渓谷を渡ろうとしている爺と姫を見つけると、これを銃撃。その弾のうちの一つが、
爺の背中に当たった。

「姫様、ここからはお一人でお逃げください!」

爺は、自分の身はもはやこれまでと、姫を逃がすと自分はそこに留まり、向かい来る敵と
壮絶に戦い、死んだ。

姫も必死に逃げた。だが、娘の足ではどうしようもなく、ついに追っ手に囲まれた。

彼女は絶望し、その懐剣で喉を突き、息絶えた。

丹沢山麓、神の川周辺では、この姥が死んだとされる場所に「ばば宮」、爺の死んだとされる場所には
「じじ宮」、そして姫の死んだ場所には「姫折宮」と言う祠が建てられ、今も、無念に死んだ姫たちの霊を
弔っている。

相模原は津久井に伝わる、哀しい姫のお話。
61人間七七四年:2009/07/05(日) 22:43:38 ID:7ELcB+fF
小山田はなぁ・・・正直、同情する気になれん
62人間七七四年:2009/07/05(日) 22:48:39 ID:yqWEM+Gc
信長は武田を心底憎んでいたか小山田みたいに土壇場で裏切る奴を嫌いだったかどっちかだな。
63人間七七四年:2009/07/05(日) 23:29:21 ID:CFIbk9WF
信長も武田には一番いやな時に裏切られてるから両方かもね
64人間七七四年:2009/07/05(日) 23:35:29 ID:C4/Q7qbF
小山田の娘のうち一人は確か
勝頼の妹の松姫が勝頼の娘や盛信の娘と一緒に
助け出して引き取り育ててたよな
65人間七七四年:2009/07/05(日) 23:42:16 ID:yqWEM+Gc
身内なのに裏切るってのは浅井長政に裏切られた時を思い出したんだろうなぁ。
66人間七七四年:2009/07/06(月) 00:12:15 ID:xDpnInWk
信長に限らず基本的に土壇場で寝返った奴は寝返り先で殺されたり後々悪く言われる事がいる事が多い。
帰り忠といって、事前の内通による寝返りと異なり、信用性が低いため。


主君の嫡男手土産に北条氏康に寝返った妻鹿田→処刑
関ヶ原での赤座→寝返った後に切腹
67人間七七四年:2009/07/06(月) 00:23:20 ID:liCFuqJn
赤座は
寝返り→改易→前田家に仕える→溺死
だったような気がするが、まあ、寝返って改易後に死んだ事には変わりないしな。
68人間七七四年:2009/07/06(月) 00:25:02 ID:DxYNIAQ+
秀吉はある時、こんな事を言った。

「遺言は死ぬ時にするものだが、病気が重い時に遺言するのは絶対に駄目だ。
というのも、そういう場合は頭が混乱して整理できないのだ。また、言いたい事
が言えないし、余計な事を言うかもしれない。そうなれば残った者は誤解する。
故に自分が与えたい者ではなく、与えたくない者に遺産が渡るかもしれない。
よく心に留めなければならぬ。遺言は己が健康で平穏な時にしなければ
ならないのだ。」

でも、あんた・・・。
69人間七七四年:2009/07/06(月) 00:42:58 ID:Fdt5JLtV
当の本人が元気な時に創ったのが辞世の句だったと
70人間七七四年:2009/07/06(月) 00:44:13 ID:PTCPIyGC
うん、人の事が言えないね
71人間七七四年:2009/07/06(月) 07:28:10 ID:kWejJvy+
7月6日になりました。黙祷。

寛永11年(1634)、森忠政は徳川家光の上洛の供を命じられた。病を理由に役儀を
辞退する忠政に対し、家光は現在の美作18万石から出雲等30万石への国替えを提示。
ここまでされては忠政も受けざるを得ず、7月1日には家光に先立ち、京に入った。

忠政の身に異変が起きたのは7月6日、出入りの豪商・大文字屋の屋敷で昼食をとり、
膳に載った桃を食べた後のことである。

急に顔をしかめ、苦しみ出した忠政に同席者が容態を尋ねたところ、
「脇差で腹を切っても、これほど痛くはないだろう…」
とまで言うので、あわてて宿舎に引き上げ、鍼灸・加持祈祷とあらゆる手を尽くしたが
甲斐なく、苦しんだ末に7月7日、世を去った。

あまりにも不審、かつ急な逝去に当時家臣たちは、30万石への国替えが惜しくなった、
あるいは嫡子・忠廣とその婦人(秀忠養女・家光の義妹)の相次ぐ変死に不審を抱いた
家光による毒殺ではないか、と噂したという、いろいろと後味の悪い話。


以来、森家では桃と桔梗の花(明智光秀の紋)はご法度となり、津山城下では
桃を植えず、七夕祭りは7月6日に繰り上げるようになったそうな。(今は分かりません)

いい話スレに「桃に当たって死んだのって誰?」というレスがあったので、磔右近に
敬意を表して、7月6日付で詳しい話を投下してみました。黙祷終わり。
72人間七七四年:2009/07/06(月) 09:41:51 ID:fyuaF2RW
>>71
家光の毒殺ってのはないと思うなあ
忠政の後を継いだ長継って人は忠政の外孫、しかも家老の関家に入ってた人で
森家が家光の信用無くしてたなら、これを理由にいくらでも難クセつけて
改易に出来たはずだけど滞りなく相続が許されてる

やっぱり鬼の弟が魔除けの食物なんか食べたから・・・
73人間七七四年:2009/07/06(月) 10:27:28 ID:9eJ/d9qw
> 鬼の弟が魔除け〜

 だよねー
 菖蒲湯とか柚子湯に浸かっても悶え苦しむんジャマイカ森一族……

 しかし端午の節句に粽(ちまき)を食うのは平気なんだなきっと。明智光秀が粽苦手なんよね。
74人間七七四年:2009/07/06(月) 10:56:42 ID:fiutYYv0
      _,、r=====、、,,_ ,
     ,r!'゙゙´       `'ヾ;、, 
    ,i{゙‐'_,,_         :l}..  
.  ,r!'゙´ ´-ー‐‐==、;;;:....   :;l!:;r    
 ,rジ          `~''=;;:;il!::'li      人間拳骨
. ill゙  ....         .:;ll:::: ゙li    
..il'   ' ' '‐‐===、;;;;;;;:.... .;;il!::  ,il!   
..ll          `"゙''l{::: ,,;r'゙      
..'l!       . . . . . . ::l}::;rll(,      
 'i,  ' ' -=====‐ー《:::il::゙ヾ;、         
  ゙i、            ::li:il::  ゙'\        
  ゙li、      ..........,,ノ;i!:....    `' 、  ∧__∧       
   `'=、:::::;;、:、===''ジ゙'==-、、,,,__ `' (`・ω・´ ) なんだよなんだよ
     `~''''===''"゙´  ごきっ!  ~`''ヽ .^ yヽ、  俺がいつまちがったことしたよ、ゴルァ!
     ( `∀´)/             ヽ,,ノ==l ノ 
          /               /  l |
                   """~""""""~"""~"""~"
75人間七七四年:2009/07/06(月) 13:30:47 ID:pUR7KDp4
巻き込まれて、桃を植えられなくなった人たちが一番の被害者。
76人間七七四年:2009/07/06(月) 16:19:01 ID:KeIQZf6p
桃の種ごと食ったんじゃないか
77人間七七四年:2009/07/06(月) 17:05:29 ID:liCFuqJn
豪商たるものが大名のお偉いさん相手に出す膳に桃を切ったりせずに丸ごと出すもんかね?
78人間七七四年:2009/07/06(月) 17:34:36 ID:teeAYqmp
その桃はかつて忠政が斬り捨てた人間の埋められた場所に生っていた桃だったりして…
79人間七七四年:2009/07/06(月) 17:48:14 ID:oaJDN6ZY
宗像氏貞と六人女の怨霊(1/2)
天文二十年のことである。
筑前の名門宗像氏の当主、宗像氏男が大寧寺の乱で大内義隆の自害に殉じ、
宗像氏は跡目相続問題で揉めに揉めていた。
家督を継いでからまだ四年しかたっていない若い当主は、
先先代当主で叔父の宗像正氏の娘、菊姫を正妻としていたが、二人の間にはまだ子がいない。
そんな中屋形の死に騒然とする宗像家中に一人の少年が陶晴賢より送り込まれてきた。
少年は亡き氏男の叔父で、正氏の側室(陶晴賢の妹)の息子であった。

そんな子どもが居るなど寝耳に水だった国許は憤懣やるかたない。
特に夫の隠し子の存在を知った正氏の正妻山田の局の怒りは生半可なものではなく、
どうにかしてこの少年を長州に追い返そうと、入国しようとする一行に武装した一団を差し向けた。
しかし陶晴賢の肝いりでやってくる一行はなかなかにやり手であり、
向かってくる刺客を迎え討ち、行きがけの駄賃で敵対勢力の城を落とし、
ついに国入りして白山城に入ってしまった。
そして反対勢力を力ずくでねじ伏せ、軒並み撫で斬りにすると、
少年は宗像氏貞として家督を継ぎ、大宮司の地位を得た。

しかし事態が収束してもまだ、懸念材料は領内にあった。
山田の局と、菊姫のことである。
この二人は主城である白山城から追われて後、そこからあまり遠くはない山田村というところで、数人の侍女と共に暮らしていた。
元々側室である氏貞の母はこの二人が憎らしく、
また再び氏貞の地位をおびやかすのではないかと毎日気が気ではなかった。
そこである日、譜代の御家人衆に命じて、この母娘を殺害させた。
この時屋敷に居た侍女を含む六人の女を、御家人達は惨殺すると、
遺体を人の通る宇原の辻に運び出し、穴を掘って放り込み埋めて、その痕跡が残らないよう踏み固めた。
またこの時、氏男の父氏続とその妻と三歳の子も田楽刺しにして殺し、
見事に氏貞以外の宗像の血を絶やしたのであった。
80人間七七四年:2009/07/06(月) 17:51:43 ID:oaJDN6ZY
そんな血なまぐさい事件から数年が経ち、氏貞が十五になった年のことである。
氏貞の母が自分の娘、つまり氏貞の妹のお色の方に喉を食い破られ重傷を負った。
楽しそうに双六をしていたお色の方が突然顔をひきつらせ、
奇声を発するや否や母に飛びつき喉を食い破ったのだという。
そして口から血をしたたらせ

「我は山田の局が怨霊なるぞ!われのみならず娘をも殺したる報い、思い知らせてくれようぞ!」

と叫んだというのだ。
家督相続時の血なまぐさい事件については家中でタブーとなっており、
当時まだ幼い氏貞やお色の方は、山田の局の無残な死のことを知らないはずであった。
荒れ狂うお色の方は、男たちが数人係で抑えつけることでようやく意識を失い大人しくなったが、
以降ずっと錯乱と鎮静を繰り返した。
娘に喉を食い破られた母もかろうじて一命を取り留めたものの寝たきりになった。

氏貞は家臣達から話を聞き、早速慰霊のため墓所を整備し法会を行ったが、
その途端に大友方の豪族の来週があり、領内の大部分が大友に占領されてしまった。
また疫病が流行し、井戸が枯れ、土砂崩れが頻発した。
領民は山田の局の怨霊の仕業だと口々に噂した。

氏貞は比叡山から日祐上人という高僧を招いて調伏を頼んだ。
日祐はあらましを聞くと

「それは尋常な祈祷では無理ですな。
大釜を三個作り、その釜に怨霊を封じ込めましょう」

と言った。
氏貞は言われた通り釜を三つ作らせ、日祐と共に調伏祈祷を催した。
ところが一刻ほど祈祷を続けると、徐々に天候が荒れ始め、豪雨が降り雷鳴が轟いた。
そして一瞬閃光がきらめいたかと思うと、凄まじい轟音と衝撃が氏貞たちを襲った。
雷が落ち、釜が木っ端微塵に吹き飛んだのである。
日祐は直撃を受けて死んだ。

81人間七七四年:2009/07/06(月) 17:54:23 ID:oaJDN6ZY
続き(番号入れ間違えた)
以降氏貞は生涯慰霊に努めたが、宗像の家運は傾き続けた。
あるものは病で、あるものは討ち死にで、またあるものは発狂し、
宗像家譜代の重臣の家は全て氏貞の代のうちに絶えた。
妹のお色は大友の名将戸次道雪に嫁いだが、この縁組みも幸福なものとは言い難く、
色々な騒動の末に子もなく死んでいる。
氏貞には嫡男が無く彼の死後、秀吉の九州入りと同時に、
六百七十年七十九代続いた宗像氏は断絶した。
しかし以降も怨霊は氏貞の後家を悩ましたため、後家は増福院という寺に六体の地蔵を寄進した。
今もその地蔵は増福院の本尊として残っているが、これもあまり効果は無かったようだ。
後家が後に行った大法会の後、それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されている。
これも宗像氏を恨む怨霊の仕業であると、人々はそう噂したのであった。
82人間七七四年:2009/07/06(月) 18:21:27 ID:f64YCn8L
女の争いこわー(((゚Д゚;)))
しかし

> それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されている。
何故かヨハネスのガイドラインを思い出したw
83人間七七四年:2009/07/06(月) 19:59:32 ID:Y/FMZYfQ
>>81
> 続き(番号入れ間違えた)

それも怨霊のしわざか!!
84人間七七四年:2009/07/06(月) 20:34:55 ID:TtCROrHf
織田信雄と関ヶ原

関ヶ原の戦いの以前、東西両軍の総大将である石田三成と徳川家康は、
各地の諸大名に宛てて盛んに書状を発し、裏工作を行っていた。
その頃の織田信雄と言えば、伏見や大坂に住まいて暇な日々を送っていただけである。
そんな信雄に、是非味方になって欲しいと申し出た者がある。石田三成であった。
三成は、信雄に対し
「常真殿が御味方して頂けるなら、戦後、恩賞として尾張一国を差し上げよう」
と言って誘った。ついでとして、黄金千枚も献上するとも約束した。
「ならば、最初に黄金を寄越せ」
何か頼りにされている信雄は、味方する前金として、まずは黄金千枚を要求した。

さて、後日の事である。
西軍の大将、石田三成から黄金千枚――――ではなく、銀が千枚送られてきた。
金ではなく、銀である。見た目も価値も全然違う、銀である。
「治部少は嘘を吐いた。嘘を吐いて、金ではなく銀を送りつけてきやがった」
流石に信雄は失望し、
「この様子では、恩賞で尾張が貰えるという話もデタラメに相違あるまいて……」
と思い、信雄自身はちゃっかり銀一千枚を貰った癖に、出馬を取り止めた。

戦後の信雄は、長宗我部盛親や大谷吉治らと同じ、牢人の身分にまで零落れ、
その日の食事にすら困るようになったので、大至急大坂の淀殿に保護を求めたという。
85人間七七四年:2009/07/06(月) 21:12:23 ID:3baYlXHc
黄金千枚に尾張一国か。分限は6万石程度だったよな。
将としては並以下、淀殿への影響力を考えても黄金千枚か。
三成もけっこう空手形っぽいのを切りまくってるけど、全部合わせたら恩賞は足りていたのだろうか。
86人間七七四年:2009/07/06(月) 22:44:32 ID:V4td9NEf
空手形すぎるだろ・・
本気で集める気あるのかw
無い袖が振れなかったにしろもうちょっと何かフォローしようぜ。
初任給40万ですよって言われて就職して実際に振り込まれたのが14万だったら
来月から出社する奴いないだろ。
金と銀の当時の価格差はよく分からんが。
87人間七七四年:2009/07/06(月) 22:48:28 ID:32Jw2EMP
うーんでも、当時って新大陸発見のシルバーラッシュで、
中国なんかも馬蹄銀が通貨だったし、価値が極端に低かったとは
思えんのだがな〜。くわしいことはわからんが
88人間七七四年:2009/07/06(月) 22:55:17 ID:f64YCn8L
>>86
「銀一枚」がどういう単位を表すのかが、いまひとつ良くわからないが、
銀一枚=銀一匁として考えると、

比較的時代の近い慶長14年(1609)で

    金1両=銀50匁

つまり、「銀千枚」は「金千枚」の、50分の1の価値ですな。
89人間七七四年:2009/07/06(月) 23:03:26 ID:f64YCn8L
ついでに、この「金千枚」もどういう単位か解りにくいが、これも江戸期の「一両」と同じ程度として考えると、
まあ計算の仕方は色々あるけど、今の貨幣価値で言えば、だいたい「1両≒20万円」くらいなので、
ここから、信雄は

「二億円もらえるつもりだったのが、送られて来たら400万円だった」

って事になりますな。
90人間七七四年:2009/07/06(月) 23:04:40 ID:UWnbD44p
じゃあ初任給40万のはずが8千円か。
無理、誰もついてこないわw

91人間七七四年:2009/07/06(月) 23:19:47 ID:fiutYYv0
この時代で金一枚と言えば通常大判を表すはず。大判一枚はのちの小判十枚に相当した。
銀も一枚というからには豆銀ではなく丁銀と思われる。長銀も重量不定だが、およそ十匁以上は
あったと思われる。ま、どちらにしても安く見られたのは明らかだけどね。
92人間七七四年:2009/07/06(月) 23:25:48 ID:f64YCn8L
>>91
では単純に十倍して、

「20億円貰えると思ったら4000万円届けられたでござる」ってことか。

…こっちのほうが精神的にはダメージでかいですなw
93人間七七四年:2009/07/06(月) 23:41:23 ID:fyuaF2RW
しかし夏らしく怪談が続いてたと思ったらエラい生々しい話が出てくるのが
悪い話スレらしいと言うかw
94人間七七四年:2009/07/07(火) 01:08:12 ID:d7Av7dx4
松平忠輝が火事にあった。これは多くの人々が消火に尽力したので
事なきを得たのだが、こういう時には火事場泥棒が現れるもの。
案の定、忠輝の大事な物は一つ残らず盗まれた。

それよりも前の事だが、掘秀政が滞在した宿で火事があった。
この時もたくさんの人が駆け付けたので火は消された。
ここまでは忠輝と同じなのだが、秀政は何一つ盗まれた物はなかったのだ。

この疑問に人々はこう結論を出した。
「秀政様は人格者だ。だから消火に来た者は何も盗まなかったのだろう。
しかし、忠輝様は粗暴ゆえに人々に嫌われていた。
それで火を消しに来た者は消すふりをして、ちゃっかり財産を盗んでいったのだろう。」
95人間七七四年:2009/07/07(火) 01:19:35 ID:FwZnTptV
>>94
んん?
堀秀政は天正18年没、松平忠輝は天正20年産まれ。
比較対象としても流石にありえないような。

比較対象としては、同じ越後国主であった、秀政の子の秀治か忠俊ではないだろうか。
96人間七七四年:2009/07/07(火) 01:24:37 ID:d7Av7dx4
重要なのは火事で盗まれなかった事だから
同時代の人間じゃなくてもいいんじゃないか?
97人間七七四年:2009/07/07(火) 01:37:08 ID:FwZnTptV
>>96
まあそうなんでしょうけど、ただ、秀政と忠輝は世代で言えばおじいちゃんと孫ほど違うし、
忠輝は、後に堀家が改易された後の越後に入国したって事くらいしか、接点が無いので、
ちょっと不思議な逸話だなと思ったわけでして。
98人間七七四年:2009/07/07(火) 01:39:52 ID:dTE+Z7Z5
>>84
思うに三成は信雄自身を欲してたわけじゃなく、信雄の兵力が欲しかっただけなんでしょ。
で、一応徳川と渡り合えるだけの人数を得られたから、三成的には
「所詮はあの信雄だし、今更どっちでもいいかな」てなことで銀を送ったみたいな感じでは。
99人間七七四年:2009/07/07(火) 01:48:02 ID:T+e9Sz2R
それが真相だったら、おれの中の三成嫌み度が大幅アップする
本当にカネがなかったと思っておきたい
100人間七七四年:2009/07/07(火) 02:31:39 ID:TcVABCcX
みんな生きることに必死だったんだよ
101人間七七四年:2009/07/07(火) 03:10:26 ID:M4t4D4za
家康も空手形切ってるじゃないか細かいことは気にするない
102人間七七四年:2009/07/07(火) 09:18:59 ID:dUBtBfDg
>94たぶん二代将軍秀忠の頃。
駿府か江戸で火事があった時、堀家の名物家老、堀直寄は真っ先に手勢を連れて消火に赴いた。
しかも火事場装束や火消し道具を藩邸から大量に持ち出し、
辻々に置き捨てて地元民や他藩の者が使うに任せた。

おかげで消火活動は迅速に行われ、被害が拡大せずにすんだという
大御所家康が直寄の豪胆さと日頃からの用意周到さを褒め称えた……て話と混ざってないか?
103人間七七四年:2009/07/07(火) 09:25:31 ID:b9jpXqYQ
結局三成と家康の差って
「ああは言うが奴が本当に恩賞を出してくるものかな……」
って思われるか
「どうせよこさないんだろうが、場合によってはもしや」
って思われるかの差のような気がする
104人間七七四年:2009/07/07(火) 11:50:57 ID:bMp1Acgp
東西両軍の総大将である石田三成と徳川家康は…
徳川と渡り合えるだけの人数を得られたから、三成的には…
結局三成と家康の差って…


       / TERU \
     / ─    ─ \
    /  <○>  <○>  \.
    |    (__人__)    |  …
    \    ` ⌒´    /
    /              \
      ↑西軍総大将
105人間七七四年:2009/07/07(火) 11:57:01 ID:1WyNdW+N
TERUfeaturing元春&隆景

だったら誰も不安もたなかっただろうけどなw
そもそも西軍についてないだろうけど
106人間七七四年:2009/07/07(火) 12:11:02 ID:jK8m62mP
なるほど、実は家康と比較されない上に総大将としてすら見られないTERU元の悪い話だったのかw
107人間七七四年:2009/07/07(火) 13:27:02 ID:tljC7P7w
三成は謀主であっても、盟主じゃないからな。
肉を分ける権限があるかどうかというと、少しあやしい。
108人間七七四年:2009/07/07(火) 13:43:27 ID:mpVqASaU
なるほど。TERUのカリスマ不足なら納得だ!
偉大な父その他を持つと苦労するねえ・・・・・・。
109人間七七四年:2009/07/07(火) 14:46:17 ID:1UsanmqQ
>>107
かかかかかかかかか関白にしてくれるときいて馳せ参じたのですが
110人間七七四年:2009/07/07(火) 17:19:45 ID:w6C+ybsF
「馬鹿が沸いてきたので、泳いでまいった!」
111人間七七四年:2009/07/07(火) 17:23:46 ID:oee0OZWM BE:493392825-2BP(0)
家康が最初に喧嘩を売ったのが前田、ついで上杉
宇喜多はお家騒動で内実ボロボロだった事を考えると、TERU・・・
いや、単に関東から遠かったので後回しになっただけだと思いたい
112人間七七四年:2009/07/07(火) 17:29:51 ID:ulAgvDGM
>>79-81
日向の伊東氏も怨霊で衰退したって話しもあるけど、九州はこういうの多いんですかね?w
113人間七七四年:2009/07/07(火) 18:11:47 ID:dUBtBfDg
>109
柳生五郎右衛門宗章が泣いてるぞ..
あと松野さんも
114人間七七四年:2009/07/07(火) 19:57:55 ID:/G9D+Oiq
森家 石切場における重臣の決闘@

森忠政がエピソードてんこ盛りの津山城を築城した時のお話でアリマス。

築城に当たってはなにより大量の石材が必要、であり、なおかつなかなか容易ならぬ仕事なので藩の家老が交代で
陣頭に立ってして採石を指示していた。
慶長十三年十月十四日のこと、石切場で前番監督の小沢彦八と細野佐兵衛という何れも家老が二人詰めていたと
ころ、昼の交代のために、後番の筆頭家老各務四郎兵衛が下から上がってきた。

この各務四郎兵衛は、『あの』各務兵庫の嫡男。知行八千石、津山藩最高の地位にあり、且つ勝山城の城代をも務
めるほどの人物で、その弟の藤兵衛、吉左衛門も共に家老に列し一門の権勢は並ぶものがなかった。
一方の小沢彦八は知行千石の家老であり、森忠政の妻と彦八の妻とは姉妹であるところから彼の藩内の羽振りは
かなりのものだった。
一方は代々家老の家柄、他方は忠政の親戚にあたるところから、この二人は平素から何かと権力争いをしてたがい
に反目していた。

たまたま、当日小沢彦八は石切場の前番をつとめ、石に腰を下ろして竹杖の先で小石をつついていたところ、その一
つが転がり落ちて、運悪く下から上がってくる各務四郎兵衛に当たった。平素から二人の仲が悪かったので、四郎兵
衛は彦八がわざと石を落としたものと思い込み、向かっ腹を立てながらあがってきたところ、もう一人の家老細野佐兵
衛は「御苦労様です」と挨拶したにもかかわらず、彦八は黙ってそっぽを向いていたので、四郎兵衛は腹立ちまぎれに
「無礼でござろう!」と杖で彦八の肩をしたたかに打った。
115人間七七四年:2009/07/07(火) 19:58:51 ID:/G9D+Oiq
森家 石切場における重臣の決闘A

彦八の傍に立っていた細野佐兵衛は驚いて「何を乱暴をなさる」と後から四郎兵衛を抱き止めたが、不意を打たれた
彦八はカッとなり、刀を抜き打ちに四郎兵衛の左腕を切り落とした。びっくりした佐兵衛は、斬り合いになっては大変と
思い、両人を引き離すつもりで抱きかかえていた四郎兵衛を谷の方へ突き落したところ、谷へ落ちてうつ伏せになって
いる四郎兵衛のところへ彦八も続いて飛び降りてきて、さらに斬りかかった。
四郎兵衛は起き上がりざま、彦八の右腕を切り落としたので右腕と刀を失っては戦うすべもなく、たちまち彦八は斬り
殺されてしまった。つづいて、四郎兵衛の家来の佐藤作太夫という者は、この有様を見て細野佐兵衛がいらぬ邪魔立
てをして、主人を谷間に突き落としたものと怒り、持っていた槍で呆然と立ち尽くしている佐兵衛を一突きに殺してしま
った。

四郎兵衛は左腕を切り落とされたとはいえ命には別状なかったものの、小沢彦八と細野佐兵衛の家来は主人の仇を
討とう大騒ぎ。急を聞いて駆けつけてきた弟の各務藤兵衛が、大身の槍を振り回しながら「寄らば突くぞ」と先頭に立
って兄を護衛しながら屋敷に引き上げた。上席家老同士の決闘ざたに、各家とも報復を恐れて一族郎党を集めて緊
迫した情勢に。
さらに、各務四郎兵衛の弟各務吉左衛門が、勝山から多数の部下を引き連れて津山に乗り込んで来て、お城の二階
口の御門をむりやり突破!小沢、細野両家老の屋敷も同じ城内にあるので、それぞれ軍兵を集め戦備を整えるので
付近一帯は戦場のような騒ぎになり、やがて内乱にまで発展しかねない情勢となり、城下町は戦々恐々としていた。

事態を憂慮した総奉行の大塚丹波は、夜ひそかに各務家を訪れそれとなく自決を促した。
四郎兵衛は、「筆頭家老ともあろうものが、軽率にも殿の側近の家老二人までも斬り殺し、城下町にまでこんな大きな
騒ぎを引き起こして誠に申し訳ない」と、その夜自ら切腹して果てた。

争いの当事者が三人とも死んでしまったので、「いまさら、仇討ちでもあるまい」と総奉行の大塚丹波の説得と、その事
後の処置が適切であったので大事にいたらずして事件は無事落着した。

藩主森忠政は当時、参勤交代のために江戸屋敷にいたがこの事件を聞いて大いに怒り、由緒ある
三家老の家老の家禄を没収してしまった。
以後、事件の起こった谷は「喧嘩谷」と呼ばれるようになったという・・・。
116人間七七四年:2009/07/07(火) 20:01:02 ID:X7hX+cuk
また地名シリーズかw

本当にこの家は・・・
117人間七七四年:2009/07/07(火) 20:04:23 ID:Pq/9/FQ5
縁起の悪い地名ばっか残しやがって日本人に何か恨みがあるのかこいつらw
118人間七七四年:2009/07/07(火) 20:40:54 ID:FwZnTptV
小牧長久手の時の事である。

九鬼嘉隆は、最初織田信雄に属していた。が、秀吉の勧誘により密かに寝返えり、
蟹江港へと船を廻した。
ところが蟹江は既に、徳川水軍の間宮酒ノ丞が、その船清洲丸にて港口を押さえていた。

この時点では九鬼の寝返りは知れていない。嘉隆はいかにも友軍という振りをしつつ、清洲丸に
近づき、「舳先を相手の船に軽くぶつけろ。」と、命じた。ぶつかった。

双方の船が少々破損した。そこで九鬼家の家臣村田七太夫が

「うっかり操船を間違えてしまい、大変申し訳ないことをしました!そちらは大丈夫でしょうか!?」

と、謝罪のため小船に乗り清洲丸に向かった。清洲丸では村田を出迎えるため、船頭の
間宮が船側に出てきた、

「今だ」

九鬼の船より鉄砲が一斉に放たれた。田宮たち船側にいたものは皆撃ち殺される。
そしてこの混乱を利用し、九鬼水軍は蟹江港を制圧した。

このとき九鬼側の死者は、相手の船に乗り込んだために討たれた、村田一人であったと言う。

水軍と言うより、まさに「海賊」と呼ぶにふさわしい、そんな九鬼嘉隆の戦術のお話。
119人間七七四年:2009/07/07(火) 20:55:19 ID:MEq9puhQ
村田さんは戦術を理解した上だったのかそれとも・・・
120人間七七四年:2009/07/07(火) 21:16:35 ID:c/7WvwuA
まとめサイトの「徳川家康と趣味の悪い便器・悪い話」。自分が聞いたのとは
若干違うので補足して投下。

家康が贈られた蒔絵が施された便器は、戦場の陣場で使うための「おまる」だった。
家康は大名となった後も、陣場では地面に穴を掘り、幔幕で周りを囲って用を足すのが
常だったので、それならば……と贈ったらしい。

まあ家康が、「糞が蒔絵を見て喜ぶか」と怒って打ち壊してしまうオチは同じなんですけどね。
121人間七七四年:2009/07/07(火) 21:57:04 ID:jpAWxYA8
>>114-115
名古屋山三郎じゃない方の決闘キター
122人間七七四年:2009/07/07(火) 22:27:05 ID:dUBtBfDg
>>114
採石場といえばヒーローものの定番だが、こいつら悪の大幹部や怪人同士が喧嘩しているようにしか見えんw

しかし当事者がみんな死ねば喧嘩両成敗で(一旦は)収まる話なんだね、これだけ大事やらかしても……
123人間七七四年:2009/07/07(火) 22:32:26 ID:X7hX+cuk
大塚丹後っていう人物はただ者じゃないぜ。

長可が殺気だった信濃国衆に囲まれたときも「人質松本で開放するよ」とかいう白々しい嘘を口の上手さでどうにか信じ込ませた。
伊達にこんな家で20年以上も対外交渉やってる訳じゃない。
124人間七七四年:2009/07/07(火) 22:52:51 ID:agba4n9A
日向で起こった「庄内の乱」には島津軍のみならず、他家の軍も助力すべく参陣していた。
島津家のお隣、伊東家も軍勢を出している。

実はこれが切っ掛けとなり島津家と伊東家の間に縁談が持ち上がった。
それは、伊東家当主・伊東祐兵の嫡子である祐慶に、島津義弘の娘を嫁がせるという
遺恨ある両家の絆を深める良い婚約話である。
しかし、これに異を唱える者があった。五大老筆頭・徳川家康である。

徳川家康「御上の許しもなく、何勝手に縁談なんか進めてやがんだ (#゚Д゚)ゴルァ!!」

島津義弘・伊東祐兵「エェェェェ(;´Д`)(´Д`;)ェェェエ・・・」

両家はやむなくこの縁談を御破算とした。
家康の六男・忠輝と、伊達政宗の娘が婚約した翌年の話である。
125人間七七四年:2009/07/07(火) 22:54:27 ID:Ml5ptch9
>>114
挨拶したら何故か喧嘩始まるし、止めようとしたら逆恨みで殺されるし、家禄は没収されるし
細野さん…
126人間七七四年:2009/07/07(火) 22:55:29 ID:JDPqJ3NL
五大老が言ったんならしょうないな。
127人間七七四年:2009/07/07(火) 22:55:45 ID:bMp1Acgp
自分の事は棚に上げてそれはねぇよw

庄内の乱では立花宗茂も参戦を打診してるよな
結局断られたみたいだけど朝鮮の陣の縁か?
128人間七七四年:2009/07/07(火) 22:59:18 ID:89yR3q8r
>>124
ソース知りたいが
スレ違いになりそうなので
よかったらこちらにヒント書いてくれるとうれしいです
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1210358589/l50
129人間七七四年:2009/07/07(火) 23:00:05 ID:Pq/9/FQ5
>>125
ものすごいとばっちりだよなw
130人間七七四年:2009/07/07(火) 23:02:46 ID:agba4n9A
>>128
メモしか残ってないのでうろ覚えだけど、ソースは確か宮崎県史だったはず。
131人間七七四年:2009/07/07(火) 23:27:31 ID:89yR3q8r
>>130
d楠
たぶん県立中央図書館で禁帯出本だなぁ
遠いから涼しい秋になったら読みに行こうw
132人間七七四年:2009/07/07(火) 23:29:28 ID:wknnasUp
>>124
島津義弘の娘とは黒田長政の息子も破談になってたなー
こっちは関ヶ原のすぐ翌年なのでやっぱり「家康の意向を憚って」って理由だったはず
この姫同一人物で伊集院忠真に嫁いだ人かな?なんやかや大変だな
133人間七七四年:2009/07/07(火) 23:56:10 ID:89yR3q8r
ちょっとまて
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2269.html
この話もあるし
一体夫死んだ後いくつの家に嫁がされかけてたんだw
134人間七七四年:2009/07/08(水) 00:05:11 ID:FwZnTptV
島津義弘には伊集院忠真に嫁いだ人の他にも、
御屋地様と言う娘がいたらしいが…。
135人間七七四年:2009/07/08(水) 00:10:05 ID:SrX84T/Q
>123
留守居役とか外交官て度胸いるわなあ、この時代。特に森家は..
最悪いきなり刀すっぱ抜いて切りかかって来るヤシも相手しなくちゃいけないし……
136人間七七四年:2009/07/08(水) 00:22:51 ID:hCsArP6A
>>134
待て御屋地様は天文生まれらしい
つまり舅候補の伊東祐兵より年上だもちろん黒田長政より年上だ
さすがにない…と思う
137人間七七四年:2009/07/08(水) 00:28:30 ID:CHaLpk/9
>>118
上手いな…
こういう機転は武将としては貴重だろうな
海賊だけど
138人間七七四年:2009/07/08(水) 00:30:23 ID:I3xbtBMQ
>>126
今気付いた。「庄内」と「しょうがない」をかけてんのねw
139人間七七四年:2009/07/08(水) 00:44:44 ID:CHaLpk/9
【一服中】

      ∧,,∧ ∧,,∧
   ∧,,(´-ω-)(-ω-`)∧,,∧
  ( ´-ω)旦o) (o旦o(ω-` )
  (_  o[(  ´-) (-`  )]o _)
  └'ー-(_   )][(   _)ー'┘
      'ー'^ー'   'ー'^ー'
【一服中】

      ∧,,∧ ∧,,∧
   ∧,,(´・ω・)(´・ω・)∧,,∧
  ( ´・ω)旦o) (o旦o( ´・ω) >>138
  (_  o[(  ´・) (  ´・)]o _)
  └'ー-(_   )][(   _)ー'┘
      'ー'^ー'   'ー'^ー'
【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'
【評価不能】
      ∧,,∧  .∧,,∧
  ∧∧(´‐ω‐`)(´‐ω‐`)∧∧
 (´‐ω‐).∧∧) (∧∧ (‐ω‐`) 
 | U (´‐ω‐`)(´‐ω‐`) と ノ
  u-u (l    ) (    ノ u-u
       `u-u' `u-u'
140人間七七四年:2009/07/08(水) 00:50:01 ID:Nt1Q5TMN
>>118
何やら清川八郎殺しを思い出させる
141人間七七四年:2009/07/08(水) 03:08:46 ID:1iwNfqoC
細川藤孝の家臣に米田という男がいた。彼は明智光秀が藤孝に仕えていた頃、
その面倒を見ていた。しかし、米田は浪人上がりの光秀を見くびっていた。
ある時、光秀が米田にお願いをしたことがあったのだが・・・

「米田さん、私の領地は石ころばかりで何も育ちません。あなた様の土地と
変えて頂けませんか?」

「は?浪人風情が何言ってんだ。身の程を知れよ。」

米田は冷たく嘲って相手にしなかった。やがて光秀は細川を離れ、織田で
頭角を現した。そんな光秀が藤孝を訪ねた時、米田は光秀とばったり
会ってしまった。慌てて隠れようとする米田に光秀は言った。

「米田殿、あのことはもう恨んでいないよ。あの時、貴方の非情な仕打ちが
私を奮い立たせたのだ。こうして出世できたのも、貴方の仕打ちのおかげだよ。
だから、もう水に流した。今となっては恩に感じてさえいるんだ。」

米田は恥ずかしさのあまり恐縮したという。
142人間七七四年:2009/07/08(水) 03:53:03 ID:AvZAVykk
>>141どの、既出でございますぞ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-798.html

 空気の読めない石田治部or本多上野介風に
143人間七七四年:2009/07/08(水) 08:16:35 ID:37JML+/K
>>133
小少将「…」
144人間七七四年:2009/07/08(水) 08:56:08 ID:SrX84T/Q
>>124
まあ家康の手前勝手な話だが、日本の西端で島津が周囲を縁戚で固めたら後々困ると思ったんだろうか。
145日を召そうとした男の生涯 1/2:2009/07/08(水) 10:27:02 ID:39N90Djn
さて、まとめブログを見ていてふと気づいたこと

足利義昭の話が 一 噺 も 上がっていない?

これは不敬だということで、ここで一つ足利義昭追放後の話でも。

1573年(元亀四年)、足利義昭は槙島城にて織田信長に対し挙兵するが敗北、
追放の憂き目に遭う。足利家の御領所は信長直轄となり、これをもって
室町幕府滅亡とする史書も多いが、実際は毛利家の庇護を受けて
得意のお手紙外交で諸勢力を煽り続けていた。
足利義昭が正式に征夷大将軍を辞職したのは1588年(天正十六年)、なんと
秀吉による九州征伐が済んだあとのこと。それまでは備後鞆の浦でしっかり
幕府は機能していたのである。室町幕府は堺幕府や朽木谷政権など何度か亡命政府化
しているが、この時期までを鞆幕府という史家もある。

さて、この間ずーっと足利義昭と信長は対立を続け、本能寺の変を聞いた時には

義昭>>『ははっワロス、自滅しやがった!!'`,、('∀`)'`,、』

とご満悦であったとされるが、実際はどうも違うらしい。織田信長は備後鞆に
何度も手紙を出し『いい加減変な意地張ってないで洛中に戻って来いよ』と
義昭帰京を促し続けていたという。織田信長はどうやら『足利将軍を追放した』と
いう紛れも無い逆臣の事実を気にしていたようだ。

だが、この申し出に足利義昭、何としても首を振らない。
足利義昭>>『やだやだ、信長側から人質を出さなきゃ余は帰らぬぞ!!』
   〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ 

諦めの悪いことである。また、有名な逸話であるが後に秀吉が
征夷大将軍の位を望み、足利義昭と猶子関係を結びたいと申し出たことが
あったが…代償は国持ち大名という破格の契約ながらも義昭、頑として
首を縦に振らない。

義昭>>『やだやだ、由緒ある源氏の血統を売り渡すだなんて絶対やだ!』
      _, ,_
     (`Д´ ∩ < ヤダヤダ 
     ⊂   (       
       ヽ∩ つ  ジタバタ
         〃〃

結局、足利義昭は槙島に一万石というかろうじて大名格の隠居料を得たが
無駄に幕臣や縁者を雇っていた分、財政事情は火の車であったという。
そこでついた渾名が『貧乏公方』。信長や秀吉の申し出を甘受していれば
貧窮など無縁の存在でいられただろうに。
146日を召そうとした男の生涯 2/2:2009/07/08(水) 10:28:51 ID:39N90Djn
そして1597年(慶長二年)、義昭は薨去するが…困ったことに葬儀の喪主をする
者が居ない。子は居るが総て出家済みであるし、前征夷大将軍の喪主が出来る
ような家臣も、前将軍の格式に合う葬儀が出来るお金も無かったという。
一応主従関係であった細川幽斎が葬儀の主催を引き受けたが、葬儀費用までは
出してくれなかったらしく、義昭の側近で鞆にも随行した柳澤元政が
費用捻出に奔走した結果、義昭の葬儀は次の通りとなった。

葬儀費用…銀子二貫匁、御龕(棺桶)銀子二百匁、火葬代三百匁
     供養代金…百二十匁。

葬儀を引き受けた寺院の僧侶いわく、
僧侶>>『なにこのシケた葬儀…本当に征夷大将軍だったのかよケチ臭えなオイ。』

早く言えば現代の貨幣価値で五千万円ほど。米一石で約十万円と換算すれば
随分寂しい話である。ちなみに、かつて自身が右腕と頼みにしていた
槙島昭光は収入が無く居候をしており、棺桶を作る職人は当初指定した
金額では集まってもくれなかったというから、幕府の末も悲惨な話である。

そんな足利義昭の、(征夷大将軍まで勤めたのに境遇が)悪い話。
踏ん切りを間違った意味でも、悪い話。
147人間七七四年:2009/07/08(水) 10:31:29 ID:SrX84T/Q
>>145ほうー覚慶さんやるじゃない

でも、つまり豊臣幕府成立を阻んだともいえるワケね。
後々考えたら歴史の成り行きに凄まじく影響及ぼしているんだが。


とりあえず鞆の浦再開発はんたーい
148人間七七四年:2009/07/08(水) 10:36:59 ID:1Q/rAYkv
>>123
滝川一益は、信長死んだ後でも、上野衆は体を張って北条と戦ったのに、鬼武蔵との差は何だよ
149人間七七四年:2009/07/08(水) 10:39:28 ID:1Q/rAYkv
>>132
それは仕方ない。
忠興は、家康への遠慮から、前田家とは絶縁状態になってるし。
150人間七七四年:2009/07/08(水) 13:41:26 ID:nXyVMjZo
>『なにこのシケた葬儀…本当に征夷大将軍だったのかよケチ臭えなオイ。』

       |ミミ:::l   r‐‐ァ    r‐‐ゥ   _」  三|
        |ミミゝ'   . ̄       ̄   {,,,、 三|
      i´lミ: !   _,,.-_-       .-_、   :i 三|
      |:|ミ::ノ  .,,ィ'  `ュ    ィ"  ヽ,   | :ニ/i`l
      .!ヽ:l   . `'''''"´~ / ::. 弋''-‐.'`   |. ノi !;ノ
       i 'ゞl:::.      ./ ::   .゙‐-    i::l,,i /
         l ..|:i:::.     ;〃 ::  i,       | |';.ノ
        ~ゞ::::::::...  ''〈 _±::  .......  |├'
         |:::::::::::::..    ) (    .::::::::. ノ:ノ
          !::::::::::::::...._,,...____   ..:::.:::.  ノ/_
         `ヽ,::::::::::..{〉ヘ,__,゙iq     /!1l
             l::::::::::.八`-''フ~i    / ;;r' .i ヽ
          /|ヽ:::::: i :^‐‐' .ノ   / /  /  `!_
          .,ィ'フ .i ;;'、:: ゙ー-‐′  / .ノ ./    -〒ヽ
151人間七七四年:2009/07/08(水) 16:01:28 ID:bnXXmgaB
               l;:;:;:;:;:;:;:;:l;:;:;:;:;:;:;:;:`丶、;:;:;:;l
               ,l;ィ'----┴――--、、;:丶、!
            ,ノ7 '"^   ^`'   ,ィ'三ミ、_〉   格式に見合った葬儀の費用が集まらない
───‐─┬┐  {:/, ニ丶  ,r,=-、 ヾ:::::::ミヾ
  ___,,,...-‐''"| |  〃ィ'。`>ソ { ィ'。`'ァ::..  !::::::ミ:l    ただそれだけのことが義昭にとって
 ̄7     | |   l:! `~´/ ,l、  ̄´   ,. }:::::三<
  i      | |.   ll   (、 っ)     : ,l::::シ久'l   恐怖であり、同時に存在の証明でもあった
 .|   .|   | |    l   ,.,__、     ,:' f::/ン ノ/
 |   |   | |   l 、 f{二ミァ ,)    {,ツ>-‐'′
 |   |   | |   ヽヽ`ー ' : ヽ   ,_ソ/
     :   | |    丶、__, -―''"/,/
     :   | |     ,} ヽニニ  =彡シ,ンヽ,
::::::::     | |    ,/(`=- r‐ ''" / ,/丶、
::::::::::     | |  .ノヽヽ、_;__,∠..ィ"-――ュ、
:::::::::::::::|______|__|∠三二二,,___,,.  -― ''"~⌒`丶、、_
 ̄ ̄ ̄__/. ̄/        /             /``
ニ二二i -二ニ---、     /               /
________________ンー|.|     /            /
         ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄二=-┐   /
152人間七七四年:2009/07/08(水) 18:19:35 ID:ZI3/0viv
ごめん>>132なんだけど…見直してみたら義弘の娘じゃなくて孫だった
勘違いしてたわ

勘違いでひっぱっただけというのもアレなんで島津義弘から黒田長政への
慶長六年十一月四日付の書状の概要(ネタ元:黒田家文書一巻)↓

・うちのことはなんとかなりそうです。仲立ちありがとう。
・縁談の件、なかったことにはせず落着したら進めようとのこと承りました。
・でもはっきり大丈夫と決まったわけではないので謹慎を続けます。
・だから当分こちらから落着したという使者は出せません。
・お互いのためになることと思うのでわかって下さい。
・そちらの息子さんも年頃とのことなので、うちとの縁談がこのまま進まな
ければ他家との話があるとのこともっともと思います。
・他家と縁組することになっても、これからも仲良くしましょう。

断りの手紙だからか実に懇切丁寧と言うか、偏見かもしれないけど
なんて筆まめっぽい書状なんだという印象を持った
この書状の中の長政の息子(実際は従弟)は慶長八年に亡くなるので
縁談が流れっぱなしになったのかは不明
153124:2009/07/08(水) 18:41:58 ID:Y4Iby/DJ
>>152
>>124も孫かも。
↓気になってここ見たら、慶長5年に義弘の娘に娘が生まれてるんだよね
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com/shi/shimadzu-oshita.htm

だいぶ昔にメモった文からだから、色々と間違えてるかもしれん・・・
154人間七七四年:2009/07/08(水) 18:45:24 ID:CHaLpk/9
三歳だけでなく義弘もメール魔か
晩年は寂しがってたみたいだしメンタリティ的にも納得がいく
義弘も三歳も晩年になって寂しがってるのを家臣が哀れんで訪ねに行く話あるよね
155人間七七四年:2009/07/08(水) 21:36:59 ID:PD424x/F
森忠政と呪われた刀

夏向きの薄気味の「悪い」話・・・だと思う。

森忠政が家督を相続し、美濃国金山城に7万石を領したちょうどその頃、金山城中へ夜になると妖怪がたびたび現れるようになった。
鬼武蔵のお化けスッポン退治と違って実体の無い相手じゃ打つ手が無かったのか、陰陽博士を呼んで見てもらったところ代々伝わ
る名剣「鵜の丸」のたたりであるということであった。

この刀の由来については、人皇代七十二代白川院の御世に、宮中神泉苑の池から鵜がくわえ持ってでた太刀であるという。この刀
は、保元の乱に崇徳天皇より源為氏に与えられ、その後また朝廷に戻ったものとみえ、寿永二年には平清増に下されたということで
ある。平家没落後、元暦二年に九州において源範頼が成出院にこの刀を奉納したと東鑑にでている。ところが、いつの頃からか美濃
国の久々利八幡宮に奉納してあったものを久々利城主 土岐悪五郎が宝物殿より持ち出して、その後どうしたものか織田信長の手
に渡り、信長から森可成に下げ渡され、さらに森長可はこの刀を持って長久手の戦いに奮戦して討ち死にし、その後森忠政へ伝られた。

忠政も、「そ〜いえば、崇徳院って流罪先で非業の死を遂げて怨霊になった方だよね〜。やっぱ、いろんな人の怨念が篭ってるのか
も・・・。」と思ったのか、文禄三年二月、伊勢神宮へ願をかけて奉納したのである。

以下余談
・てか、平清増って誰?
・祟りとか呪いとかだったら、思い当たるフシは一杯あると思うんですが。森家の場合・・・。
・「鵜の丸」でググってみたら、「牛玉」と「鹿玉」という謎のアイテムも一緒に伊勢神宮に奉納しているんだって。なにそれ?
・ググったHPによると、「宝暦十二年に森忠洪が見に行ったら、拵がなくなって、棒鞘になっていたが、この刀と牛玉・鹿玉は寛文十一
 年十一月二十三日の伊勢神宮火災の際に焼失したと伝えられる。ならば忠洪は伊勢神宮で何を見たのだ。」とある。まさか「鵜の丸」
 の幽霊?
・「兼山記」に書かれた由来によると、鵜の丸は「生来悪逆非道であった初代土岐悪五郎は京都の五条大橋で、弁慶のまねをして千人
 切りを志し往来する人を斬っていったという。二、三百人切っていたところ、自分の太刀が川に落ちたので悪五郎が神に祈ると、そこへ
 鵜が飛んできて、この太刀をくわえてくれた。この刀には鵜のクチバシの跡がついていたので、悪五郎はこの太刀を「鵜の丸」と名づけ、
 代々土岐家の家宝とした。その後、この土岐家を滅ぼした森長可がこれを所有することになる。長可は金山城の鬼門の寺の地蔵院に
 これを篭めておいた。そうしたところ、不思議な夢のお告げがあったので、大神宮へ奉納した。」だそうである。
 成立当時から、「ウソ臭せぇ」と言われていたらしい由来ですが、こちらの方が森家には相応しいような・・・。悪逆非道とか橋で人を斬る
 とか、まるで鬼・・・うわ、なにをするやめr

156人間七七四年:2009/07/08(水) 22:20:51 ID:1QQ6a3dM
>>152
このあと島津と以前から仲良しだった細川さんが黒田さんの空き家(いまの中津)にひっこしてきた
のだが
黒田さんはその年の年貢をしっかり回収して引っ越していった
これは当時の常識ではあり得ない話だったそうで(後任のためにその年の収穫には手を着けないのが普通)
常識にしたがって前任地での年貢を取らずに引っ越してきた細川さんはたちまちにして困ってしまった。
これをきっかけに黒田さんと細川さんは犬猿の仲となっていく・・・

島津さんも古くからの友人だった細川さんの方をたてたようで、
その後細川さんちのお手紙は一杯残っているけど、黒田さんからの手紙は稀になってしまった。
縁談も消滅したんじゃないかな。

157人間七七四年:2009/07/08(水) 22:23:46 ID:ld6fydoH
>>156
どっかの堀・上杉にも同様の話があったような・・・
158人間七七四年:2009/07/08(水) 22:24:17 ID:lP78qIlW
>>155
そこでなぜ「馬玉」と「鹿玉」でないのか
159人間七七四年:2009/07/08(水) 22:36:46 ID:1QQ6a3dM
>>158
頭文字を読むと「βακα」か・・・

>>155
「牛玉」「鹿玉」の正体は読んでそのままだと思いますが・・・すみません下ネタで
160人間七七四年:2009/07/08(水) 22:36:55 ID:BqcLjddp
>>155
所有者が忠政以外ことごとく畳の上で死ねてないなw
161人間七七四年:2009/07/08(水) 23:20:28 ID:2kw0ifty
○玉と聞いて前田利常公が駆けつけて参りました。
162人間七七四年:2009/07/08(水) 23:25:38 ID:WsgX98SG
>>157
黒田は「筑前の年貢は小早川秀秋が備前に持って行ってしまったので」
細川に年貢を一括返済できないと言い訳したとなんかで見た覚えが…
常識知らず大量発生の予感w
163人間七七四年:2009/07/08(水) 23:26:07 ID:YL0Vp1Od
>「牛玉」と「鹿玉」
 そのまんま牛とか鹿とかの字が書いてある宝玉だったら一気に電気バトル物くさくなるな
164人間七七四年:2009/07/09(木) 00:19:54 ID:vyrnkcKQ
武田信玄
戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが上杉に阻まれる
同盟や和睦をやぶるなど謀略を尽くして領土を拡大し、奪った領土からの略奪により家臣や国内をまとめあげた。
しかし、国境を接する弱小豪族をすべて倒したあたりから領土拡大に急ブレーキがかかる。
このような相手国からの略奪によって家臣や国内の領民の不満を封じこむやり方は、領土拡大のペースが落ちると家臣や国内の不満を生むこととなった。
息子である勝頼は家臣や領民の不満を封じるため、無理な拡大路線を強いられることとなった。
また、信玄の度重なる外交に関する不義により武田家の他国への信用性はゼロに等しいこともあった。
その結果、勝頼は、他国との連携作戦もできずにやがて孤立していくこととなる。
結局、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することができなかった。
そして、武田家は一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
織田信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。

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武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72

毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89

徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115

豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120

織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105

北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110

上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95

信玄が信長よりスタートに恵まれない  → だがのウソ
信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。家督相続をめぐる争いもあり、信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ

信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想
一国にまとまらない信濃の豪族という格下との戦いに勝利して領土を広げただけ。同格の上杉やと北条との戦いでは領土拡大の
スピードは目に見える勢いで低下。上杉の謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や、氏康の病気をねらって
領土を拡大するものの、両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができなかった。
165人間七七四年:2009/07/09(木) 00:56:48 ID:fD4rsKRR
>>164
どこが暴君だってんだ。
普通に同格相手に勢力を拡大してる。嘘をつくなよ。
>>家臣や国内の不満を生むこととなり息子の勝頼は拡大路線をつらなけらばいけないこととなる
ソースよろしく。でてこないだろうけど。
>>度重なる外交への不義により武田家への他国の信用性はゼロに等しく、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することが
>>結局できなかった
これもソースよろしく。普通に勝頼は関東諸侯やら上杉やらと結んでる。
信玄死亡時は北条が同盟国。長篠と御館を押し付けるのはおかしすぎ。
>>一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
武田滅亡は長篠の7年後だが、7年が1か月か。すごいすごい。
長篠直後で勝頼が援軍に行けない状態でも岩村城を5か月かけても落とせなかったくせに。
武田が崩壊したのは長篠と御館で北条や徳川との多方面作戦での疲弊。
その間たくさん戦ってる。
>>信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。
随分苦労してるがな。

画像が畠山じゃねえか。

その基準なら信長さまは統率40代きりそうだな。
知略はぼろぼろだな。

>>信玄が武田よりスタートに恵まれない

そもそもこの文章がおかしいと思わんのか。
信長と書きたかったんだろうが実際恵まれてないんだが。

だから笠原上杉、長尾上杉、北条、織田徳川、上田原後の信濃連合
十分戦ってる。

いい加減妄想はやめとけ。
とりあえず根拠となる資料を出して立証してもらおうか

>>信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
毎年餓死者が続出する貧国甲斐と信虎を追放した事で国人統制の問題もあった。
>>一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ
はいはいうそうそ。
信秀はもとから尾張で最強の実力者。弾正忠家の実力は20万石以上。それに加えて津島熱田の経済力を有してる。
信長は普通に継承してる。信長がそむかれたのはその素行から。

上杉からは5年で西上野20万石とってるし、北条からは2年で駿河15万石とってるが。
>>謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や
その後で第4回川中島で撃退も成功。西上野も攻略してる。
>>氏康の病気をねらって
氏康が病気になるのは武田が駿河の大部分を手に入れたあとだといってんだろ。低脳が。
>>両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができず。
北条は駿河の継承権を譲り受けてる。西上野は上杉の領土。
普通に北信濃・西上野・駿河と50万石を軽く超える領土を得てるんだが。
とりあえず資料だしてくれや。お前の妄想の。

あ、なんとなくだけど、これからお前の要領で
信長さまの紹介文書いてあげるから。
166人間七七四年:2009/07/09(木) 00:57:22 ID:d2Wk1g0v
触るな
167人間七七四年:2009/07/09(木) 00:57:33 ID:fD4rsKRR
>>164の要領で信長の評価
織田信長

日本史上、有数のキチガイである戦国大名。
同格の斎藤義龍にとても勝てず、幼君にも何度も負けてるすさまじい戦下手。
ただ桶狭間で敵先陣と間違えて本陣突っ込んだり、手も足もでない斎藤義龍が早死にし
信玄謙信がちょうどいいタイミングで死に、畿内に勢力の真空が生まれていたという
非常な幸運に恵まれてはいた。しかし素行が悪すぎた為、家臣や味方に生涯裏切られ
最後は息子ともども重臣にころされ、織田家は完全に崩壊した。
信長死後誰も織田家を守ろうとせずみんなで自分の勢力拡大に走った面からも
いかに慕われていなかったかがわかる。
戦国でもっとも短期で崩壊した大名であろう。

武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72
これを基準とした場合の信長の能力地
織田信長
統率40 武勇50 知略52 政治45

信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ→キチガイ織田厨のウソ
信秀はもともと尾張最強の実力を有しており、晩年には三河と美濃の領域は失ったが
尾張国内の力は顕在。信長は普通にこれを継承しており、後で素行の悪さでそむかれた。
実際継承時は弟も林も柴田も佐久間も平手もおじも従っており、名古屋周辺だけなんて
ありえない事がわかる。

信長は信玄より戦が強い→キチガイ織田厨のウソ
実際信長は生涯において格下相手に負けまくっている。
その敗戦数は数十に達する。根っからの戦下手。

秀吉・家康の天下は信長のおかげ→キチガイ織田厨の大ウソ
信長死後、織田家は完全に崩壊しており、秀吉はその旧織田家の勢力争いを勝ち抜き、
さらに多くの大名を倒して天下を統一した
秀吉は織田の一族でも何でもなく、もちろん信長から禅譲などしてもらっていない。
秀吉の天下は彼の実力によるもの。家康に至ってはなにをかいわんや。
168人間七七四年:2009/07/09(木) 01:00:08 ID:vyrnkcKQ
武田信玄
戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが上杉に阻まれる
同盟や和睦をやぶるなど謀略を尽くして領土を拡大し、奪った領土からの略奪により家臣や国内をまとめあげた。
しかし、国境を接する弱小豪族をすべて倒したあたりから領土拡大に急ブレーキがかかる。
このような相手国からの略奪によって家臣や国内の領民の不満を封じこむやり方は、領土拡大のペースが落ちると家臣や国内の不満を生むこととなった。
息子である勝頼は家臣や領民の不満を封じるため、無理な拡大路線を強いられることとなった。
また、信玄の度重なる外交に関する不義により武田家の他国への信用性はゼロに等しいこともあった。
その結果、勝頼は、他国との連携作戦もできずにやがて孤立していくこととなる。
結局、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することができなかった。
そして、武田家は一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
織田信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。

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武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72

毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89

徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115

豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120

織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105

北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110

上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95

信玄が信長よりスタートに恵まれない  → だがのウソ
信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。家督相続をめぐる争いもあり、信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ

信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想
一国にまとまらない信濃の豪族という格下との戦いに勝利して領土を広げただけ。同格の上杉やと北条との戦いでは領土拡大の
スピードは目に見える勢いで低下。上杉の謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や、氏康の病気をねらって
領土を拡大するものの、両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができなかった。
169人間七七四年:2009/07/09(木) 01:02:44 ID:YlyoyIlp
NGID増やさせるなバカども
170人間七七四年:2009/07/09(木) 01:04:27 ID:L3Irxpmo
統率とか武勇って何?
ゲームの話?
171人間七七四年:2009/07/09(木) 01:04:41 ID:ga8ZPf1n
これぞ本当に悪い話
172人間七七四年:2009/07/09(木) 01:05:13 ID:hotASa14
自演だろ
173人間七七四年:2009/07/09(木) 01:14:50 ID:YPCsGCjU
自演でしょうな。以下似たようなレスはスルーで。
174人間七七四年:2009/07/09(木) 02:46:08 ID:4UMrAT+V
最近は悪意や嫌悪が見え隠れするレスも含め荒すような書き込みするヤツ多いな 
基本、中立に立つだけの分別が持てないならこのスレにもいい話スレにも
書き込んでほしくないもんだが、んな分別あったら書き込まないよな・・・
1751/2:2009/07/09(木) 02:54:01 ID:sxKtz2pB
天正14年(1586)、豊臣秀吉は京の都に、大仏建立を計画した。


さて、その大仏を乗せる石垣の隅石の運搬を、松坂少将、蒲生氏郷が担当することとなった。
大阪城の石垣を見れば解るが、秀吉はこう言うものは、大きいのが大好きだ。
この隅石も当然巨大で一片の長さが一丈二、三尺、と言うから、およそ4メートルほどもある
巨石であった。

三井寺の山頂から大路までどうにか下ろした所で氏郷に、秀吉から、
「この先は難儀なので一旦ここで置く様に」との命があった。

この目的地まで半ばの地点で巨石を置いた事に、京童たちは狂歌などを詠んでこれをあざ笑った。
「中途半端な仕事しか出来ないやつめ」、と言う事であろうか。
これに氏郷は怒った。
はい、ここがポイントです。氏郷が怒ったのは、京童たちの揶揄に対してなのです。

「殿下の命など関係ない!引くぞ!!」

蒲生家中に総動員令が下された。
蒲生氏成はセに巨大な朱の丸、小挫藁の笠を着け、采配を持って木遣りの音頭をとる。
蒲生左文の家中中西喜内は笛を、蒲生四郎兵衛家中赤佐一蔵は太鼓を叩き、
さらに氏郷自身が巨石を引く綱を持ったため、蒲生家のものは近習、外様にかかわらず、
ことごとくこれを引いた。

ところが間の悪い男がいるもので、戸賀十兵衛の家臣の一人が、たまたま草履の尾が切れたため、
綱を引かず傍らに寄って草履を結わいていた。
これを見てしまった氏郷

「あいつをひっとらえて来い!!!」

そうしてたちまち捕えられ、引き出された、何が起こっているのかまだ理解できていない
この男を、即座に首刎ねた。

これにより皆斬首をおそれ、いっそう全力を出すようになった。
1762/2:2009/07/09(木) 02:54:48 ID:sxKtz2pB
それでも、最後の坂道の難所にかかり、石が中々動かない。
ここで氏郷は姿かたちの美しく、声も美麗な傾城のお姉さんたち数十人を呼び、
華麗な紅の衣装で飾らせ、石の上に上らせ拍子をとり小唄を歌わせた。
これで皆はさらに奮い立ち、日の岡まで引き上げた。
だがそこから先の坂がどうにもきつく、皆疲れ果て全く動かなくなった。
この時である。

蒲生氏成が、石の上から跳んだ。「とおっ!」

そして道の側の田の中にまっさかさま。そこから起き上がってきた氏成、当然その姿は
頭から泥まみれ。これには一同、半時ほども大爆笑し、その変なテンションでついに巨石を
坂の上まで引き上げた。
途中で綱が切れて一人死んだ。だがそんなものは細かい事だ。
巨石はついに京の入り口、粟田口にその姿を現した。

さて、最初に言いましたね?「氏郷は京童に揶揄されたので、この巨石を引っ張ってきた」と。
それには一体どんな意味があったのか?

今までこのために苦労したのだ。彼は復讐を始めた。

氏郷と蒲生軍団、この粟田口から大仏殿予定地の方向に、道の有る無し関係なく、一直線に
進み始めたのだ。
このため進行方向の家屋、軒並み巨石に踏み倒された。彼らの後ろには、廃墟と新たに出来た
一本の道。男塾かお前らは。

このとき氏郷は石の上で、「我、かの狂歌の遺恨を報じたり」と、大変ご機嫌に
高笑いしていたそうである。

レオン様への、うかつな風刺は命取り。そんなお話。
177人間七七四年:2009/07/09(木) 03:01:07 ID:iC70XSMx
いい面の皮の人が何人もいるが力押しもここまで来るといっそすがすがしい
しかしなんという蛮族w
178人間七七四年:2009/07/09(木) 03:02:28 ID:zxnc94JK
まさか工場長だけじゃなく、解体業者まで兼ねていたとはな…
179人間七七四年:2009/07/09(木) 05:52:05 ID:84IalGKV
ブレイク ブレイク 京洛の町を
180人間七七四年:2009/07/09(木) 06:44:47 ID:623nxWlp
>>175-176
直進、直進、直進行軍であーる!w

 なんという蒲生男塾・・・
181人間七七四年:2009/07/09(木) 07:57:21 ID:+4aQrBCC
>>175-176
だめだ、いい話としか思えなくなってきたw
直進行軍wwww
182人間七七四年:2009/07/09(木) 08:17:53 ID:wc83kNGW
蒲生氏郷を森とか伊達政宗に置き換えると
違和感無いんだが....。
183人間七七四年:2009/07/09(木) 08:33:37 ID:hyZDXYb3
>>182
面子にこだわる意地っ張りなトコは工場長もかなりのもんさね。
184人間七七四年:2009/07/09(木) 09:18:05 ID:hW0m2Tzm
考えついても普通は行動出来ないもんだが本当にやっちゃうとは…w
185人間七七四年:2009/07/09(木) 09:18:57 ID:cIYEMGCA
出典:民明書房
186人間七七四年:2009/07/09(木) 10:21:35 ID:PCE04jw+
直進行軍
すごく楽しそうだw
187人間七七四年:2009/07/09(木) 11:17:05 ID:nI8yudDF
草履結わえ直しただけで殺された人は不憫ではある
188人間七七四年:2009/07/09(木) 11:40:43 ID:hHU+2WM2
逸話も見るかぎり、政宗との席次の件といい、敵愾心を持った
相手に対しては、結構徹底しているよな。
189人間七七四年:2009/07/09(木) 12:07:50 ID:rIrWTZ5F
草履男「えっ」
工場長「我が命が聞けぬと申すか!(刀を抜く)」
草履男「えっ、えっなにそれこw」

ザシュッ 

 ∩草∩
 (;。Д゚)
  ~~~~~~
190人間七七四年:2009/07/09(木) 12:18:05 ID:hyZDXYb3
>>187-189
ヒャッハーいいながらやらかすかすか、
礎石の上で呵々大笑するかが評価の分かれ目だな

最上義光や小早川隆景がブチ切れた時の対応もみてみたい
191人間七七四年:2009/07/09(木) 12:20:16 ID:YlyoyIlp
( ;∀;) いい上司だなー
192人間七七四年:2009/07/09(木) 12:22:24 ID:rIrWTZ5F
>>190
隆景の怒りがどんなものかは輝元なら知ってるはずw
193人間七七四年:2009/07/09(木) 12:56:36 ID:hW0m2Tzm
規律には厳しい方だよな工場長
井伊直政並なんじゃないか?
194匿名希望松さん:2009/07/09(木) 13:00:10 ID:IzhrWDQh
石の上で扇を振って督励する清正は築城の達人として名を残し
石の上で呵呵大笑する氏郷は部下集める人として名を残している

つまり石の上で槍を振るえば俺も…
195人間七七四年:2009/07/09(木) 13:23:12 ID:7zKCo0w0
>>194
銃刀法違反の現行犯で
お巡りさんたくさん集められる
196匿名希望笹さん:2009/07/09(木) 13:39:30 ID:WCNoEnj6
>>194
「殿、帰りますよ」
197人間七七四年:2009/07/09(木) 14:04:17 ID:7vDFIymO
形は違うけど三歳さんと似てるから仲良かったのかな?
198人間七七四年:2009/07/09(木) 17:08:37 ID:wiOZkxJg
工場長も三歳さんも直接信長の薫陶を受けた人間だからな……
199人間七七四年:2009/07/09(木) 17:12:02 ID:9pQt7eYP
量産型蒲生は誰が誰だかわかりにくくてかなわんw
200人間七七四年:2009/07/09(木) 17:32:48 ID:sxKtz2pB
ちなみに粟田口で氏郷が楽しく破壊活動にいそしんでいると、それを聞きつけた
秀吉が大慌てで、木村重茲(重成の父)を引き連れてやってきて、自分が石の上に乗って
軌道修正したらしいw
201人間七七四年:2009/07/09(木) 18:39:45 ID:d2Wk1g0v
街作りは苦手でも街を破壊するのは得意なんです工場長。
202人間七七四年:2009/07/09(木) 19:00:49 ID:623nxWlp
>189
草なぎ男なら「裸●でナニが悪いんですかッッ!」と叫んで許されただろうに...
203人間七七四年:2009/07/09(木) 19:59:23 ID:J1l+doUk
前田利家は織田信長の命により、兄利久に代わって相続人になった。
そのため利家の友人たちは利家を祝福した。

「おめでとう利家。しかし流石は御館様だ。前田家のために無能な
利久殿を退けたんだからなあ」

「うむうむ、全くその通りだ」

「いやいや、本当にめでたい」

友人たちは口々に「利久は無能だ。利家が継いでめでたい」と言い合った。
友人たちの勝手な言い草に利家は激怒した。

「兄が能無しだと?そんなことは俺だってわかってるんだよ。
しかし、身内を悪く言われて喜べるわけないだろうが。とっとと帰れ!」

慌てた友人たちはすぐに謝罪したのだった。
204人間七七四年:2009/07/09(木) 20:14:15 ID:Q2f74HOG
これいい話じゃね?
205人間七七四年:2009/07/09(木) 20:16:43 ID:hyZDXYb3
>>201
ああ……京都の町割りが碁盤の目すぎて安全保障上、看過できなかったんですね工場長兼塾長(チガーウ
206人間七七四年:2009/07/09(木) 20:16:56 ID:sxKtz2pB
>>204
いやいやいや

> 「兄が能無しだと?そんなことは俺だってわかってるんだよ。

これはいい話ではないだろうw
207人間七七四年:2009/07/09(木) 20:23:14 ID:VPeD8D2C
>「兄が能無しだと?そんなことは俺だってわかってるんだよ。

このへんのすごい正直さが・・
208人間七七四年:2009/07/09(木) 20:25:02 ID:Q2f74HOG
あー……利家のダークな本音か。
てっきり、兄ちゃんの頭が悪い話かと思ってばかりで
209人間七七四年:2009/07/09(木) 20:27:50 ID:1VkAgoK9
この頃の利家、何故かあんまり好きじゃないなぁ
何でだろ?
210人間七七四年:2009/07/09(木) 20:47:08 ID:hyZDXYb3
>>208-209んで奥村永富あたりに諫められてしぼむんだ。
211人間七七四年:2009/07/09(木) 21:32:13 ID:trB9osaI
その利家のケチ話が今テレビ東京で…
212人間七七四年:2009/07/09(木) 21:50:48 ID:FyGfWYKn
「兄の事に関してはわかっております
しかし私のためを思って兄の悪口は言うのはどうかやめて頂きたい」
こんな感じだったな
悪い話じゃなくね?
213人間七七四年:2009/07/09(木) 21:54:25 ID:5yYTp/Kn
>「兄が能無しだと?そんなことは俺だってわかってるんだよ。

それを兄の養子に聞かれて水風呂に落とされるんですね。
214人間七七四年:2009/07/09(木) 21:57:00 ID:CfzBXOm2
利久は信長から「武士として役立たず」といわれて利家に家督譲っているからな。
加賀にまでくっついていったようだが、ここでの石高が2000石だったらしい。
加賀では待遇はまぁまぁよかったんだろうけど。

この知行の行き先は、
前田利久→前田正虎(前田慶次郎の息子)に受け継がれている。
215人間七七四年:2009/07/09(木) 22:19:48 ID:jHzwBOFD
>>190
「義光が本気でキレたたった一度のできごと」

家臣の処罰が少ない義光だが、長男・義康の暗殺はこたえた。
徳川の意向をうけ、幼少から家康に預けられていた次男を後継者にすえ、
長男を廃嫡(細川家と似たようなケース)したまでは、
義光の意志があったのは確かだ。しかし、そこから先は
義光自らの手による暗殺とも、あるいは部下の暴発による暗殺ともされている。
義光は出奔した義康暗殺実行犯を追跡すると、他領にいるにもかかわらず素早く成敗した。

この暗殺に関わったとされる黒い一族、それが里見民部である。
二男・家親擁立に積極的で、徳川の本多正信とも交流があったともいう。
義光の疑惑の目をおそれた里見一族は出奔するも、
加賀前田家はじめ、再仕官先には常に義光のクレームが入り、
結局かなわないということが続いた。一旦は高野山に入るも、
義光死後はほとぼりがさめたとみて、最上家にもどった。
ところが、里見と親しかったはずの家親は速攻で里見家族滅を通達した。
一説によると、生前義光は家親に「里見一族だけは皆殺しにしろ」と
遺言をしていたという。

義光が本気で怒って撤回しなかったのは、この義康と駒姫がらみだけのような気もする。
かわいそうなお父さんだ。
216人間七七四年:2009/07/09(木) 22:33:28 ID:1VkAgoK9
>>215
前から詳細が気になってたんだ、ありがとう
義光さんは、家族に不幸が多いよね
217人間七七四年:2009/07/09(木) 23:04:12 ID:ethyOCVR
>214
利家としても家督の件がずっと引っかかってたらしく
利久の墓は利家夫妻の墓より高い場所、というか
墓所全体でも一番高い位置にあると言うのは既出だっけ?
218人間七七四年:2009/07/09(木) 23:12:52 ID:3ZBH3y0E
>>217
それはつみみー、つーか石川県民ですらしらねーわ
219人間七七四年:2009/07/09(木) 23:47:01 ID:CfzBXOm2
>>217
お墓がどうかは別に知らないが、どうも利久系列に関しては利家も気にしていたらしい。
まとめサイトの前田慶次利益のところにもあるが、利益出奔時の知行が

前田利益5000石
前田正虎(利益の息子)2000石→元は利久の知行

総計7000石で、さらに、利益の奥さんは前田家の一門衆から来ているので
利久の養子だった利益の立場を一門内でも良くしてやろうと言う意味があったのかも知れない。

まぁ、親の利益はやっちまったんだが、息子の正虎は不思議と連座していないでちゃんと前田家で勤務していたんだよ。
220人間七七四年:2009/07/09(木) 23:55:29 ID:obQlt3FY
大友義鎮(宗麟)の女狂いと、正妻奈多夫人の悋気。
どっちも内容が結構強烈だったので原文を載せてみます。

「国中を尋ね二十歳前後の女(むすめ)、おどり子をめしいださるヽ事
限りなし。
いかなる野人にてもいろよき女さしあげ候へば、御機嫌よく御前に
召出され、財宝をあたへたるぞ。
都より楽の役者をめされ酒宴乱舞、詩歌、管弦にて日を送り
ひとへに好色に傾き給ひけり」

「鎮公不行儀、御簾中(正室・奥方)深く御にくみあり、調伏あるこそ
おろかなれ。
国中の社僧山伏等ここかしこに相集り、昼夜のさかひもなく祈る事
おびただし」

『大友記』より。
221人間七七四年:2009/07/10(金) 00:12:31 ID:IRQpsfEm
>>220
国崩しで乗っ取った後は、自分の身を崩したのか?
222人間七七四年:2009/07/10(金) 00:58:39 ID:4RB0FLJQ
大久保彦左衞門は徳川家光から家臣を通してツル(弦?)を頂戴した。
後日、彦左はその返礼として、これまたツルを献上したのだが・・・。

家光「彦左、お前が献上したこれは何だ?」
彦左「は、ツルにございます。」
家光「・・・どう見ても青菜だが。」

そう、どうみても青菜だった。家光は当然怒った。

家光「彦左、貴様は青菜をツルだと偽って余を謀るのか!」
彦左「はて?おかしいですな。それは某が先日戴いたツルとやらなのですが。」
家光「な、何!?」

どうやら家光がツルを託した家臣がツルをくすねて、青菜を彦左に渡したらしい。
それで彦左は青菜を「ツル」と言ったのだ。事の次第に呆れたのか、決まりが
悪かったのか、家光は苦笑したのだった。
223人間七七四年:2009/07/10(金) 01:24:54 ID:yvlo/i0R
その家臣の名前が残ってないのは不問に付されたからだろうか・・
結構なことやらかしてる気がするが。
224人間七七四年:2009/07/10(金) 02:30:32 ID:oEQzV/vF
K姫「なにこれ、ツル?草?へー晩御飯に使おうかしら、貰っとくわね。
   え?将軍への献上品?それがどうしたって?えぇ?」
225人間七七四年:2009/07/10(金) 02:36:53 ID:IRQpsfEm
>>224
N之「まて、それ献上品。胃が・・・胃がぁぁぁぁぁ!!!!」
226人間七七四年:2009/07/10(金) 08:10:00 ID:2kPbKGYT
>>222
自分が知ってる方のバージョンでは
家光が家臣たちに鶴の吸い物をふるまった時
彦左衛門にあまり食べない珍しいものだろうと声をかけると
彦左衛門はすまして「なにこんなもの毎日のように食べております」
そんなわけないだろうとつっこんだら証拠に持ってくると言う
で、持ってきたのが青菜
実は吸い物をよそったときに彦左衛門のお椀にだけ鶴が入り損ねて青菜だけだった
「お椀の中に入ってたこれがツルってもんなのかと思ったんですが違うんですか」
で一同笑
227人間七七四年:2009/07/10(金) 08:27:17 ID:6g+tLWzN
どっちもありそうだから困る
228人間七七四年:2009/07/10(金) 09:19:00 ID:0e+Fk+yS
青菜を鶴じゃなくて蔓だと思ったとか
229人間七七四年:2009/07/10(金) 10:53:04 ID:Y7IN0Vnj
十人目の名は…

尾張藩初代藩主となった徳川義直は、藩政に尽力して東海地方の
産業振興に大いに寄与し、自身は質素倹約を旨とした名君であった。

ある時、義直は家臣達に命じた。
「我が家中にて、この者はけしからぬ(無能、傲慢、怠惰…等)と
思う者の名、十名を紙に書いて私に提出せよ。」
つまり、「家中の問題児は俺が直接指導してやんよ!」と言う事だ。
家臣達は、思い思いに紙に名を書き、義直に提出した。
集計した義直は奇妙な事に気づいた。ほとんどの者が九名の名を
書いているのだ。
義直(どう言う事だ?確かに「十名の名」と命じたはず…皆「十人目」
   を書いていないのか?誰だ?ここに書けぬ人物の名は…?)
ひとしきり思い当たる人物の名は、すでに書かれてあった。
「誰だ?」思案に思案を重ねる義直。…そして思い当たった!

「そうか!私か!」

そう。皆、書くに書けなかった「十人目の名」は当主、義直の
名であった。
たとえ名君と称えられても、やはり上司と言うのは部下から
煙たがれるのは、何時の世も同じであった。義直もこれに反省し
家臣には、より気を配るようになったと言う。

良い話と思うけど、義直と素直すぎる家臣のバツの悪い話って事で。
230人間七七四年:2009/07/10(金) 10:56:35 ID:0e+Fk+yS
気がついて逆上しないあたりが名君だな
231人間七七四年:2009/07/10(金) 11:00:16 ID:i1mbe5Ig
逆上するような主だと思われてたら書かれもしないわけだから
ある意味信頼を表してるともいえる
232人間七七四年:2009/07/10(金) 11:12:11 ID:DoW0OJDT
>>229
う…俺ならかなり落ち込むぞ。
俺「うちのクラスでマジウザイ奴って居るよな〜(笑)」
同級生「そうだな〜例えばお前とかな(笑)」

いやちょっとマジでやめて、冗談でも傷つくから…ガラスのハートなんだから…ごめんなさい(泣)
233人間七七四年:2009/07/10(金) 13:29:09 ID:UdqMbzTG
>>232
おまえ何かムカつく
234人間七七四年:2009/07/10(金) 13:38:50 ID:jPr/rpDO
それは本気でウザがられてる可能性90%越え
235人間七七四年:2009/07/10(金) 13:42:37 ID:BSAA1tdM
>>232
なんの脈絡もなく、そんなネガティブな話題を振ったなら
そういう返しをされても自業自得ぞなもし。
236人間七七四年:2009/07/10(金) 13:45:11 ID:w8L5VhnJ
人の事をウザイと話題にする人は、たいてい他の誰かにウザイといわれてるもんだからなぁ
冗談ぽく忠告してくれる友人のいい話になるかもしれん
237人間七七四年:2009/07/10(金) 14:07:59 ID:oEQzV/vF
安藤「きちんと言ってやる人間がいなければどうしようもない人間っていますからね」
238人間七七四年:2009/07/10(金) 14:19:41 ID:NofdA75Y
人の悪口や陰口を平気で人前でベラベラ喋るようなやつに限って
自分も同じように言われてるって可能性を考慮に入れてないんだよな。
どういう脳味噌してるのか不思議だわ。
239人間七七四年:2009/07/10(金) 14:24:53 ID:UdqMbzTG
>>232城は包囲された
最善な身の振り方は戦国板にいるなら分かるはず
240人間七七四年:2009/07/10(金) 14:33:51 ID:i1mbe5Ig
そして>>232は静かに人間無骨を手に取り百段の元へと向かった
241人間七七四年:2009/07/10(金) 14:50:39 ID:0+OvobYE
彼の名前は森長一。
そう。後に鬼武蔵と呼ばれる豪放無頼の男である。
今伝説が始まる…。
to be continued…
242人間七七四年:2009/07/10(金) 15:07:03 ID:sZ8Ai2L1
龍 vs ヒャッハー

弘治2年(1556)、長尾景虎は上杉憲政の要請を受けて関東に攻め入り、上州沼田庄で
北条軍と対峙した。
10月3日から合戦が始まったが、両軍が対峙したのは兵の展開しにくい山沿いであり、
矢戦や小競り合いが続き、なかなか総力戦には至らなかった。

ある日、北条軍の若武者50騎ばかりと、越後勢の30騎ほどが、峠で遭遇した。
数に勝る北条軍が矢を浴びせかけたところ、越後勢は退いたが、ただ一騎猛然と北条軍に
反撃して来る者がいた。
越後の武者は、巧みな馬術で山道を平地のごとく駆け抜け近づいて来たが、馬を射られ
徒歩になった。しかし、それでもあきらめず前進して来る。

そこへ、この頃は北条に仕えていた太田源六康資が、「今日の手柄ぞ!」と切りかかった。
しばらく切り結んだ末、業を煮やしたか荒武者二人は場所柄もわきまえず、四つに組んで
格闘を始めた。
案の定、峠道から足を踏み外し、一緒になって真っ逆さまに落ちた。
両軍の武者が驚いたのも束の間、三間(約5.5m)ほど下に落ちていったん止まり、
下を上をと組み合っているうちに、今度こそ谷底に落ちていった。

北条軍が捜索したところ、康資は枯れ木に引っ掛かっており、なんとか命を拾っていた。
越後武者の生死は、分からなかった。


10月13日になって「景虎がにわかに発病した」と言って越後勢が急に引き上げたので、
北条軍も小田原に戻った。(小田原北条記より)

弘治2年と言えば、景虎さんの出家騒動があった年なので戦どころじゃなく
逸話に過ぎないとは思いますが・・・
243人間七七四年:2009/07/10(金) 17:20:36 ID:I1kIlDpw
いや普通に病気で帰ったんだろ?



外傷性の
244人間七七四年:2009/07/10(金) 17:45:31 ID:0e+Fk+yS
>>104
多くの人に認められている権威ある人なら
自分より多くの知識を持つ教養人なら
自分や社会をよりよいものにしてくれる
そう思ってロクに考えず追従する人はどこにでもいるだろ?
まぁそんなもんは幻想で権威持ってようが知識があろうが
間違ったりおかしな事はしてしまうものなんですけどね
ウイグル人も底辺の漢人も変わらんよ
民族に惑わされてるだけで政府が目指すところに
ウイグル人も底辺の漢人もいない
置き去りにされる漢人が政府を慕う姿は哀れですらある
結局自分の幸福の為には自分でなんとかしなくちゃならんのだが
公正に情報を得て、考え、行動するなんて事を出来る人は稀でしょうなぁ
情報が得難いあの国では特に
245人間七七四年:2009/07/10(金) 17:48:45 ID:ZhFN5Hf4
どこを縦読み?
246人間七七四年:2009/07/10(金) 18:06:05 ID:tiP26BkF
そりゃあ輝元もびっくりするわ
247244:2009/07/10(金) 18:06:12 ID:0e+Fk+yS
うわぁぁぁぁぁ
誤爆ったorz
ごめん
ワビに一つ話を
有名かと思いますが…

天正五年、上杉謙信は能登を征服すべく畠山氏の七尾城と取り囲んだ
しかし七尾城は今でも日本五大山城に数えられる堅固な城
上杉方は城を包囲し水の手を切って兵糧攻めの構えを見せる
山城は水の手を経たれると弱い
たちまち城内の水は尽きてしまった
畠山氏の頼みの綱は織田の援軍である
実際柴田勝家が援軍として七尾城に向かっていた
しかしこのままでは元々内紛でグダグダな城方が参ってしまう
そこで上杉方を厭戦させるために一計を案じた

ある日上杉方が城を眺めていると三の丸のあたりに何か滝のようなものが動いている
水の手はすべて切ったはずなのに滝が流れている…
これでは包囲を続けていても落とせない
上杉方の士気はみるみる萎えていった

さて、城方が何をやっていたのかというと
滝に見せ掛ける為に例によって白米を流していた
馬を洗う所か滝を作ってしまう辺り豪快である
偽りの滝を見た上杉方は退却しかけたのでこの謀は成功目前であった
が、想定外の事が起こった

退却しようとする謙信が滝を見てみると何かが群がっている
よく見るとそれは鳥であった
これに謙信はピンと来た
「あれは水ではない!白米だ!」
なんと滝に使っていた米を鳥が啄んでいたのだ
滝が偽りである事を見抜くと上杉方は包囲を続行
七尾城は織田の援軍が来る前に落とされた

あと少しと言うところで見抜かれたどころか
敵に完全に水の手が切れた事を知らしめてしまったと言う話
まぁフィクションなんでしょうけどね
248人間七七四年:2009/07/10(金) 18:08:50 ID:cZadT5fD
七尾城を登ったら筋肉痛になったでござる
山頂からの眺めは良かったなあ。謙信が詩に詠んだだけはある思た
249人間七七四年:2009/07/10(金) 18:13:41 ID:Rq6iTUrf
>>247
米を水に見せる逸話はよく聞くな
250人間七七四年:2009/07/10(金) 18:36:02 ID:YHx8ugJq
城内に群がった鳥がインフルエンザを運んできて幼主が死んでしまったとか・・
251人間七七四年:2009/07/10(金) 18:39:56 ID:KEan1PcX
水が無ければ米をお飲みになればいいじゃない!?
252人間七七四年:2009/07/10(金) 20:03:55 ID:aAYqa7gZ
水がなければ酒を飲めばいい
ついでにアルコールで傷も殺菌できるにゃ
253人間七七四年:2009/07/10(金) 20:26:54 ID:ca5a2Qec
大友義鎮と十字架

天正六年十二月、大友義鎮の率いる豊後勢が、
日向の耳川の合戦で薩摩勢に壊滅的な敗北を喫した。
義鎮はそのとき、耳川から離れた九里ほど離れた無鹿にいた。
そこへ次々と敗報が届き、彼は司祭を呼んでいった。
「自分には教会にある大きな十字架を与えていただきたい。
自分は常々その十字架に深い信心を抱いてきたのだから、
たとえ自分が他の大切な諸道具を放棄せねばならぬようなことがあっても、
この立派で信心に満つる品だけは決して失わぬよう努めるから」と。

義鎮は相当慌てたらしく、司祭達との打ち合わせの時刻も無視して、
家族や兵を伴って十字架だけ持ち勝手に退却してしまった。
貴重品や武器を置き去りにしての彼の行動に、
司祭達は彼が親衛隊の日田隊の謀略にはまった結果だと批判した。
事実、彼の遺留品は全て日田隊が処分した。
人々はこの敗戦は義鎮が神仏をあだおろそかにしたからだと噂したという。
254人間七七四年:2009/07/10(金) 22:26:18 ID:0e+Fk+yS
退却時は悲惨だったらしいね
食料もなく寺に泊めて貰おうにも拒否される
日頃の行いがここに来て顕在し出した
この戦いから家臣の離反も加速して行くという…
255人間七七四年:2009/07/10(金) 22:29:01 ID:cZadT5fD
ノブヤボ烈風伝なら十字架で天罰くだるのに
256人間七七四年:2009/07/10(金) 22:31:24 ID:o7N+l+SE
甲州恵林寺の焼き討ち@

天正10年4月3日、天目山の戦いで武田氏が滅亡した後に武田の残党が相当多く恵林寺に逃げ込んだとの噂を聞いた
織田信忠は、さっそくこの恵林寺を探索させることにした。恵林寺は古くから武田信玄の深く帰依した菩提寺であって三
百年の伝統を誇る古刹である。
ここの住職 快川和尚は稀に見る傑僧であった。この快川和尚は以前岐阜の崇福寺の住職であったが、織田信長と意
見が合わず、武田信玄がその才覚を見込んでわざわざ恵林寺へ招請したのであって、岐阜長良の崇福寺には織田信
長の墓と共に快川和尚の肖像や遺品が残っている。

織田信忠はその部下の関小十郎左衛門、織田九朗次郎、長谷川丹後、赤座七左衛門の四人に命じて寺内の探索に当
たらせた。さて、この関小十郎左衛門。あの森家とは姻戚関係にあり、妻は森可成の娘である。森一門の中でも勇猛果
敢な豪傑であったと伝えられている。
(その後、小十郎左衛門の子 関民部成次と森忠政の娘 おごうの間にできた長継が津山藩森家二代目藩主となる。)

関小十郎左衛門以下四人の武将は多数の部下を引き連れて恵林寺へ押しかけ、「武田の残党、佐々木次郎、長坂長閑
斉、その他のものがこの寺内へ逃げ込んだと聞いたが、その者たちを寺から出してもらいたい。」と静かに要求した。
快川和尚が出てきて、「寺を頼って来た者には、御仏の加護をしてやるのが僧たる者の勤めである。まして窮鳥懐に入れ
ば猟師もこれを殺さずというではないか、野暮なことは言わないで、ここは静かにお引取り願いたい。」
「何をつべこべいうか、さっさとここへ出せ!」
「仏門に入った者はそう簡単にだせぬ。」
こんなやりとりの間に、佐々木その他の者をこっそり裏から逃がしてしまった。
小十郎左衛門は武田の残党が多数入り込んでいることは、もはや間違いないとみたが、相手は世に名高い高僧なので手
荒なこともできず、この模様を主人信忠に報告してその指示を仰いだ。
「構わぬから強引に入って立ち調べよ」と勝ちに乗った信忠葉強気である。
快川和尚も一代の傑物である。一山を取りまとめて評判もよく、それに前年には朝廷から、円常国師の称号をもらっている
ほどの高僧である。信忠は重ねて言った。
「調べてみて万が一、一人も出てこないようなら恵林寺を焼き払ってもかまわぬぞ!」と。
関小十郎左衛門ら四人の者は恵林寺を取り囲み、寺へ踏み込んでくまなく探したが一人も出てこない。寺内には快川和尚
をはじめ、高僧・役僧など十人とその他、学僧・小僧・老人など合わせて五十余人の者がいたが、これらをすべて山門に集
めて再び手分けして本堂、庫裏、物置などくまなくしらべたが一人も見つからない。

「どこへ隠した!?」
「おのれ、逃がしたな!」
「さあ、どこへ逃がしたか、誰と誰がいたか白状しろ。」
と、口々に大声でがなり立てたが誰も黙って返事をしない。
「よろしい、誰も白状せぬなら全部山門に追い上げろ。」
快川和尚はじめ、高僧・役僧・若僧・小僧など全部の者が山門へ上がったところで、
「火をつけて焼き殺せ!」
と、激昂して山門の周囲に枯れ草と枯れ木を積み上げて火を放った。
257人間七七四年:2009/07/10(金) 22:35:25 ID:o7N+l+SE
甲州恵林寺の焼き討ちA

黒煙もうもうと立ち上がる中で、快川和尚は法衣を纏い静かに正座して読経を続け、泰然として頌を唱う。
「安禅心不用、滅却心頭火自涼」と。
この「心頭を滅却すれば火自ら涼し」は非常に有名な句である。

快川和尚は火が身近に迫って来ても少しも動ぜず火達磨になって立派に焼け死んだ。その他の役僧や学僧たちも、みな
大悟徹底した僧であるので、少しも騒がず快川和尚に従って何れも壮烈な死を遂げた。快川和尚の兄の子の朴蔵主はま
だ子供なので、暑さに堪え切れず、煙の中から逃れようとして、山門の左右の桜の木にとびつく。これを見て、若僧・小僧な
どもわれ先に桜の木にとびつき逃れようとする。武者共は槍を突きつけて取り囲み、片端から突き殺してしまった。
しかし、朴蔵主だけはさすがに可愛そうに思ったのか、殺すのをやめて助けてやった。この朴蔵主は後に淳岩和尚と号し、
岐阜大竜寺中興の祖となりさらに恵林寺の跡を継ぐ名僧となった。

さて、寺の始末が一応片付いたので、検視の武士たちはお寺から十町ばかり離れたところで、今後の対応を協議している
時、その前を陸蔵主という僧が通りかかった。
関小十郎左衛門は、これを呼び止めて、「おい坊主、どこへ行く?」と尋ねると、陸蔵主は「托鉢に出ていて、今から
恵林寺
へ帰るところだ。」と平然として答えた。
「しばらく待て。お寺は先刻焼け落ちて、快川和尚初め仲間の坊主どもはみな焼け死んだぞ。おまえもどうせ百までは生き
れんぞ。」とその僧の背中をぽんぽんと叩いて話した。

この僧は後に作州津山の初代藩主森忠政の招きに応じて、津山東海寺雲竜寺(後の本源寺)の開山海晏和尚となった名
僧である。しかし、慶長10年5月3日森忠政の妻 お岩様が32才で病死された際、その引導を渡してもらうため京都紫野大
徳寺の王室和尚を招請したところ、「いくら大徳寺の格式が高いとはいえ、地元の雲竜寺和尚を出し抜いて引導を渡しても
らうとは不都合だ」として、あっさり葬儀場から立退き、寺を捨てて越前法泉寺へ。さらに虎哉禅師の推薦により松島青龍山
瑞巌円福禅寺、すなわち瑞巌寺へ第96代住持として招聘された。

恵林寺焼き討ちの約二ヵ月後、焼き討ちの命を下した織田信忠は本能寺の変において親子共々、雄々しく討ち死にを遂げ、
関小十郎左衛門もまた長久手の戦いで森長可と共に壮烈な戦死を遂げた。このように、生き残りの僧は名僧となり世の尊
敬をあつめ益々栄えたが、焼き討ちに関係した武将たちはいずれも年若くしてこの世から消え去った。

人の運命の奇しき巡り会わせに今更ながら感慨深いものがある・・・。

・・・のではあるのだが、関小十郎左衛門が森一門も聞いて「やっぱり、ヒャッハー体質だったのかしらん」とか、「おめぇの帰る寺
ねぇから〜ヒャッハー!」とか妄想してる俺は心が腐ってるのではないかと心配になる今日この頃。
258人間七七四年:2009/07/10(金) 22:45:55 ID:0e+Fk+yS
この時代坊主も肝据わってるよな
しかしその後の運命は縁というかなんというか不思議なもんだな
259人間七七四年:2009/07/10(金) 22:50:13 ID:hHhseL9G
>>256>>257
>・・・のではあるのだが、関小十郎左衛門が森一門も聞いて「やっぱり、ヒャッハー体質だったのかしらん」とか、「おめぇの帰る寺
>ねぇから〜ヒャッハー!」とか妄想してる俺は心が腐ってるのではないかと心配になる今日この頃。

おれも、森一門で、後に津山藩2代目藩主のおじいちゃんと聞いて、ヒャッハー!体質と思った。
260人間七七四年:2009/07/10(金) 23:05:34 ID:eLx41NIz
『奥羽永慶軍記』の現代語訳の本に、盛隆の男色についての悪い話があったので書いてみる。

美男子で知られる盛隆だが、男色も好んでいた。
何せ、ラブレターを送ってきた鬼義重と和議を結んでしまうほどである。
重臣が諫めても聞く耳持たないほど好んでいた。
ある時、松本太郎という十三歳の少年が初陣に出たいと願い出た。
この少年は蘆名四天の一人松本源兵衛尉の嫡子で、幼いころに父が戦死した。
しかし、蘆名盛氏のはからいにより、十五歳になったら正式に四天の一人として跡を継ぐことになっていた。
故に彼としては今のうちに戦で手柄を立てて、要職に就くことを家中に認めてもらおうとしたのである。
さて、出陣間際で忙しい盛隆が太郎に目通りしてみると…何とこれまで寵愛したどの少年よりも美しいではないか!
盛隆は彼を合戦に出すには惜しいと思い、彼に黒川城の警固を命じた。(もちろん、戻った後の楽しみ的な意味で)
だが、まさかそんなことを思われてるとは知らない太郎は盛隆を恨み、登城も拒むようになった。
意地でも太郎が欲しい盛隆だが、ある時、小姓の一人からこんな話を聞いた。
「松本太郎は森代の地頭栗村下総守と男色の関係らしいですよ」
それを聞いて怒った盛隆は二人を誅そうとする。が、側近により止められた。
だが、太郎に対する恨みがおさまらない。この後、盛隆は松本家が代々住んでいた三の丸の邸を取り上げ、
さらに、太郎が若年であることを理由に跡目相続を取りやめにしたのである。
これに怒った太郎は、たまった鬱憤を晴らすため栗村とともに盛隆の留守を狙って、黒川城を占拠するが、
それから間もなく反乱は鎮圧され、この二人は殺されたのであった。
261人間七七四年:2009/07/10(金) 23:07:38 ID:eLx41NIz
さて、男色好きのせいで起きた家臣の反乱の後なので、流石の盛隆も少しは自粛…しなかった。
ある時、二本松義継が美しい小姓と一緒に黒川城を訪れた。
盛隆は小姓に一目惚れした。太郎を失ったばかりだったので、意地でも手に入れようとした。
義継は最初断ったが、二本松に戻ってからもしつこく使者を送ってくるので、しぶしぶその小姓を送った。
遂に念願かなった盛隆。周りも目をそらさずにはいられないほど寵愛した。
だが、一人嫉妬に燃えていた男がいた。盛隆の腰物番の大場三郎佐衛門(十九歳)である。
彼は武勇と美貌で側小姓に取り立てられた人物だったが、十九歳になって旬も過ぎた彼は盛隆に相手にされなくなっていた。
周りの目も冷たくなり、挨拶もされなくなった。さらに、盛隆自身が大場を小馬鹿にするようにまでなった。
大場は無念に思ったが、どう晴らしようもなかった。
ある時、盛隆に「大場が殿を恨んでいる」と告げ口をした者がいた。カチンときた盛隆は一つのイタズラを思いついた。
さて、盛隆に呼ばれた大場は薄気味悪い気持ちでやってきた。何せ、近頃ほとんど呼ばれることがなかったからである。
とりあえず、用意された火鉢の前に坐った大場は火箸を使おうとした。その瞬間、
「あっ!」
と声を上げた。その火箸は柄が白くなるほど焼けていたのである。
「うっ、畜生め、やりやがったな!」(←引用元の本のセリフそのまま)
実は盛隆は彼が火箸で灰を掻きならす癖を知っていたのである。
そこで、熱さのあまり慌てる大場を見て笑ってやろうと思ったのだが、大場は耐えた。
何気ない態度で、肉が焼けて白煙が出るぐらいまで耐えた。
結局、盛隆も興が冷めてしまい、大場も指の骨まで焼きついた火箸を引きはがし、一礼して去っていった。


この後、二人がどうなったのかは知ってのとおりである。
262人間七七四年:2009/07/10(金) 23:11:12 ID:oEQzV/vF
でも確か恵林寺って信長を恐れて野晒しになっていた
首のない勝頼親子と北条夫人の遺体を放置したんじゃなかったっけ
見るに見かねた放浪のお坊さんがようやく収めて葬ってあげたってどっかで読んだぞ
263人間七七四年:2009/07/10(金) 23:22:02 ID:AmflQ7N8
何がでもなのか良く分からないが、
勝頼没後20日ちょっとで焼き討ちにされた恵林寺に、
そこまで完璧を求めるのはさすが悪い話スレと言わざるを得ない
264人間七七四年:2009/07/10(金) 23:42:17 ID:fecTG+PD
こいつらのせいで中世以前の宮崎県北部の神社仏閣は壊滅
265人間七七四年:2009/07/11(土) 00:48:15 ID:ZZKVYCh3
>>260
>さらに、盛隆自身が大場を小馬鹿にするようにまでなった。

ひどいや・・
男同士の関係は肉欲の占める部分が大きいからドライと
聞いたことがあるがそのせいかな
詳しくは分からんが
266人間七七四年:2009/07/11(土) 00:49:03 ID:NfB59gF9
>>264
義鎮といい、小西行長あたり他事では割と目端の利く武将が、
信仰に転ぶあまり寺社仏閣をブチ壊して自分の評判も落とすし第一家臣領民の士気をメッキリ下げてしまう。

宗教は麻薬だねぇ〜てコミュニズムカルトの人には言われたくないだろうが。

そういえば、もっと過激だったろう高山右近があまり批判されないのは何でだろ?
267人間七七四年:2009/07/11(土) 00:51:15 ID:pC3LEo9s
>>266
領地が小さいからじゃね?→高山右近
268人間七七四年:2009/07/11(土) 00:55:58 ID:So0g9w9T
>>261
最後まで書いてくれよ。
269人間七七四年:2009/07/11(土) 01:10:08 ID:TnXIhpzf
最後まで書かないからいいんじゃないか
270人間七七四年:2009/07/11(土) 02:02:57 ID:OUplpiVN
なんていうか
西国無双の大内、東国無双の蘆名って感じだな

ただし西は突っ込む方で東は受ける方みたいだが
271人間七七四年:2009/07/11(土) 06:36:15 ID:PbsRp4jU
大内葦名で関が原
戦国のやり収め
272人間七七四年:2009/07/11(土) 07:34:39 ID:NfB59gF9
>270
やりの字が「槍」でなし「ヤリ」なのね……アゥアゥ
273人間七七四年:2009/07/11(土) 07:37:47 ID:wkwr2CcG
アゥアゥというよりアッー!アッー!だがなw
274人間七七四年:2009/07/11(土) 08:25:07 ID:xuTwlUaD
            /\
       /\/__\
   /\/__.\*‘ー‘从
 /__\*‘ー‘从━∪━⊃━━<>
 从*‘ー‘从━∪━⊃━━<>
 /━∪━⊃━━<>
 し'⌒∪
275人間七七四年:2009/07/11(土) 08:55:00 ID:Gry9JFKr
信玄「家内での鞘当てとはみっともないのお、もっともワシも高坂とよく鞘当てをしてたもんじゃが」
276人間七七四年:2009/07/11(土) 08:56:47 ID:jOR2IniJ
>>215
鮭イラネ
277人間七七四年:2009/07/11(土) 09:08:19 ID:oPwy5dc4
イラネと言う前に、何か話書いてくださいよ
大歓迎だからさ
一丁前に言ってるくらいだから、色々逸話しってるんだろーし
278人間七七四年:2009/07/11(土) 10:48:20 ID:VpG0xRtC
>>277
この御仁はこちらにご自身のちょっとみっともない話を投稿されておられますぞ

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/10(金) 23:50:38 ID:2hL8aw4o
知恵袋の投稿読む限りかなりのおっさんだね
悲惨な生活送ってるらしい…

09/07/10 - 09/07/04  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=vyklhlhlhuidcyrddyd55555555
09/07/04 - 09/06/24  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=dfgsdgryhui77898900000
09/06/24 - 09/05/07  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=ggdrrwf6u4e75t797go
09/05/06 - 09/04/30  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=asdfghjuoujjpoi7788888
09/04/23 - 09/04/08  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=fggjhjyuu8999000000
09/04/03 - 09/03/17  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=yiyuiyuiyui00000
09/02/14 - 08/12/11  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=dsdsawwefdtgygui768990900
08/12/10 - 08/12/09  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=asddwwerfyuy9789990
08/12/09 - 08/09/05  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=dffghhhh66777889fgyu78888
08/09/04 - 08/05/28  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=fgdetw67gu89999
08/05/28 - 08/05/21  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=xcfghjpijo999999
08/05/21 - 08/05/14  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=jkhuyit78t68jk9877
08/05/13 - 08/05/09  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=sdaswrttt5569
08/05/08 - 08/04/25  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=hjgytrt46gu88tg667777
08/04/25 - 08/04/18  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=sdfrtytghuhj7889h99097ghj999999
08/04/18 - 08/03/21  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=fghgkkklyuolnip8888888888888888
08/02/24 - 07/11/24  http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_quedetail.php?writer=rtedsdfgtrrtyy76554323222222332
279人間七七四年:2009/07/11(土) 11:20:33 ID:tboTy9Qg
>>261
これわっるいなー大場に武勇があるなら普通にお小姓なんか卒業させて
侍として重用してやればいいじゃないおもちゃじゃないんだから
280人間七七四年:2009/07/11(土) 11:47:20 ID:Ce9cXqC6
石田三成と島左近が櫓に登って大坂の町を見た時、こんなやり取りがあった。

「左近、大坂が栄えているのも全て秀吉様のおかげだ。豊臣は繁栄し続けることだろうな。」

「いいえ、栄えているのは城の周辺だけです。少し離れたところを見てください。
見えないかもしれませんが、そこで軒を並べている人々は皆窮乏しております。
この町の繁栄は秀吉様の徳に服しているからではなく、利に従っているがためです。
それでは長続きしないでしょう。下民の窮乏を考えなければ、豊臣の繁栄に陰りが
見えてくるはずです。」

三成は左近を見詰めて話を聞いていた。
281人間七七四年:2009/07/11(土) 12:12:57 ID:Z9SfKR2W
>>280
これ読むと唐入りの理由は、領土欲とかデフレ回避とかじゃなく
秀吉が利で人を釣ってたからそれを繋ぎとめ続けるために新たな利を
求めて行ったと思えてくる。
282人間七七四年:2009/07/11(土) 12:44:25 ID:3Uzh+XCG
一体その話のどこが悪い話なの
283人間七七四年:2009/07/11(土) 12:56:53 ID:tyYO1oeQ
眼前の繁栄に惑わされている秀吉と三成の悪い話
張り子の繁栄に惑わされていない左近の良い話
どちらともとれる
284人間七七四年:2009/07/11(土) 15:20:16 ID:8MxUYxPC
今、BSでイギリスのヘンリー8世の話を視たんだが……

DQN四天王が可愛く思えるほどの暴君でワロタw
反乱起こした訳でもない自国民を七万人も処刑とか、
妻も6人も替えて、そのうち二人を無実の罪で死に追いやってるし。

秀吉ですら「流石の俺もこれには引く……」とか言いそうだったw
285人間七七四年:2009/07/11(土) 15:26:31 ID:wkwr2CcG
>>284
先生それ中国の大概の暴君も引く領域だと思うんですが・・・
ブリテンマジでパネェな。
286人間七七四年:2009/07/11(土) 15:33:25 ID:p8J4Lryy
天下一暴君会の優勝者クラスだな
287人間七七四年:2009/07/11(土) 15:34:52 ID:cEa3AwU9
7万人もどうやって処刑したんだ?
項羽みたいに穴埋めにしたのかな…
288人間七七四年:2009/07/11(土) 16:04:31 ID:8MxUYxPC
一遍に殺した訳じゃないから、あの頃の英国だと火炙りか斬首でしょ。

ちなみに、英国の首斬り役人は犯罪者上がりで不手際が多く、
一回で斬れなくて何度も振り下ろすことが……
289人間七七四年:2009/07/11(土) 16:40:21 ID:WigufxMV
そんなヘンリーの徒名は、
素直なハルなんだぜw
娘は血まみれメアリだしな
290人間七七四年:2009/07/11(土) 18:05:39 ID:PbsRp4jU
で妹が処女王
子孫は途絶えましたとさ。
291人間七七四年:2009/07/11(土) 18:09:32 ID:zvgq52rT
流石にワールドクラスのDQNは一味違うな
292人間七七四年:2009/07/11(土) 18:10:23 ID:lzcmh+XE
処女王って響きは甘美だな
293人間七七四年:2009/07/11(土) 18:13:51 ID:lzcmh+XE
Wikiの暴君にはラスボス入ってないんだな。信虎入ってるのはかわいそうだ
294人間七七四年:2009/07/11(土) 18:23:40 ID:xuTwlUaD
第六天魔王が寂しがっています。
295人間七七四年:2009/07/11(土) 18:32:53 ID:tyYO1oeQ
というか大陸の暴君は宗教的道徳的に制約があるから暴君と言われやすい
ヘンリー8世だって離婚さえ出来れば妻や側近、民衆を処刑する必要はなかったが
日本は離婚も出来れば側室も取れる
粛正にしたって切腹ならおkっていう本人にも周囲にも許容される死がある
宗教弾圧は他の国ほど宗教権威が強くなかったのに加え
弾圧された場合には宗教団体側にも非がある場合が多いし特に戦国時代は世俗権力との癒着が激しい
なにが暴君なのかって道徳に反するから暴君なんであって
道徳の制約が緩い日本じゃ暴君は生まれがたいでしょうなぁ
マジで道徳的にアウトなのは焚書と暗殺ぐらいでしょ
296人間七七四年:2009/07/11(土) 18:48:25 ID:Tu02Pt2L
度を過ぎた殺害
度を過ぎた漁色
度を過ぎた破壊

何事も度を過ぎればやはり当時の価値観で見ると暴君と言わざるを得ないだろうよ
秀次(殺生関白なら)とか宗麟とか秀吉とか信長とかは、
暴君的な一面が有っただろうね
297人間七七四年:2009/07/11(土) 18:56:13 ID:8MxUYxPC
それにしても、ヨーロッパのは陰湿すぎる……

日本のは、不良少年の抗争みたいにスカッとしてるのに、
欧州のは、クラス内のイジメみたいにネチネチと……
298人間七七四年:2009/07/11(土) 18:58:53 ID:tyYO1oeQ
つ家久(悪)
ヘンリー8世と同じ立場だったら同じ事やってそうなメンタリティはありそう

平安貴族も相当陰湿だったらしいが詳しくない
299人間七七四年:2009/07/11(土) 19:00:38 ID:AAqDDbRf
中国の暴君みたいな豪快すぎるのも勘弁w
特に五胡十六国〜南北朝期のDQN量産っぷりは異常
300人間七七四年:2009/07/11(土) 19:10:21 ID:wkwr2CcG
>>299
基本遊牧民だからなぁ五胡十六国の連中はw
儒家的イデオロギーの悪い面はともかくとして良い面も全く影響受けてないからw

まあ、元でも「張とか李とか劉とかメジャーな姓皆殺しにしてここ草原にしようぜ!」とかイカレた事いう奴はいたが、
流石にあの頃になると文明化されてる奴もいるんで実行しなかったらしい。
301人間七七四年:2009/07/11(土) 19:29:34 ID:tyYO1oeQ
そんな元は統治がめんどくさくなって草原に帰っていったからなぁ
中華化していたと言うがフビライは遊牧民の勘を忘れないために
度々草原を馬で遠駆けしてたんじゃなかったっけ?
遊牧民の誇りは最後まで持ってたんじゃないかなぁ

そういや元寇の江南軍10万も半分棄民みたいなもんだったらしいね
見方を変えれば10万規模の島流しだ
スケールでかいなぁw
302人間七七四年:2009/07/11(土) 19:31:47 ID:8MxUYxPC
「ネーデルラントのプロテスタントは皆殺しね♪」

といって反乱起こされて、その軍事費で何度も破産したアホ王がいたなあ……
なんか、この頃の耶蘇教はDQN育成機関としか思えないよw
303人間七七四年:2009/07/11(土) 19:37:09 ID:cEa3AwU9
>>292
かのドイツには童貞王という王様がいてだな…
304人間七七四年:2009/07/11(土) 19:39:37 ID:M3WMD8u+
状況を完璧に把握できて合理的に過ぎる王は破門されてましたからなw
305人間七七四年:2009/07/11(土) 19:45:27 ID:vURr4jJT
ジョン様は馬鹿なうえに波紋されかけてたよな
306人間七七四年:2009/07/11(土) 19:46:56 ID:ki0mRaL8
>>261
>盛隆の腰物番の大場三郎佐衛門(十九歳)である。

戦国板にいて腰物の意味を知らない訳では無いが
この一文にΣ(*´∀`*;)アッー!としてしまったら、いい男
307人間七七四年:2009/07/11(土) 20:00:13 ID:Gry9JFKr
>>294
世継は正当なもので
京都を復興し帝を奉じたんだから
ヨーロッパじゃ聖人君子レベルだな
308人間七七四年:2009/07/11(土) 20:08:30 ID:/EOXAs0U
皆川広照は松平忠輝の付家老だったが、いくら諫言しても改められない忠輝の行状を
家康に訴えたところ、逆に「家老として不適格」として改易されてしまい、老甫と名乗り
京は知恩院に隠棲した。

その後、大阪の陣が起こり、出陣した忠輝の前に広照が現れた。
「拙者、追放の身ではありますが、なにとぞ殿にお供して軍略の一つも申し上げんと、
恐れ多くも参上いたしました。」
忠輝はかつて筆頭家老として仕えた男が、洗いざらしの衣を着ているのを悲しみつつ
軍略を尋ねた。広照は答えた。

「この度こそ諸将に先駆け、抜きん出る働きなくば幕府のウケが悪い当家の開運は
叶わずと思いまするが、殿はいかがお思いか?」
「オレもそう思うが、先鋒は井伊・藤堂とすでに決まっておる。どうすれば良い?」
「抜け駆けしなされ。」「なにッ?!」
「先に出て戦さえ始めてしまえば、井伊・藤堂と言えども、味方である殿と争うことは
ありますまい。」
「うーむ、よく言ってくれた!しばし待て!」

忠輝は現在の家老、玉虫対馬守・林半之丞に今の話をした。二人は口をそろえた。
「以ての外です!軍法を犯すのみならず、後々井伊・藤堂に対しても、いかがなものか。
その考えはお捨てください!」

「そういう訳で、両家老に反対された。」「…然らば、そうなされよ。拙者は、これにて御免。」
忠輝の陣を去った広照は、同行の息子・隆庸を呼び寄せ、
「もはや、これまで。お前は井伊の所に行って、陣借りして働け。」
とだけ命じて、自分は知恩院に帰ってしまった。


捨て童子に忠義を尽くした人もいた、という話。通じなかったけど(´・ω・`)
井伊隊に加わった隆庸の戦功で皆川家は幕府から許され、大名に復帰していますが、
この返り咲き、広照は素直に喜べたかどうか…
309人間七七四年:2009/07/11(土) 20:27:33 ID:9qYO+XuX
>>308
忠輝が抜け駆けしないのを確認してから先陣で働ける場所に陣借りしたんだな。
310人間七七四年:2009/07/11(土) 21:06:00 ID:jMVzE5bE
>>308
自分の諫言は聞かなかったのに、現在の家老の諫言は聞き入れる…。
もうどうでも良いや。って感じかな?
たしかにこれは、広照の不満爆発だろうな。
311人間七七四年:2009/07/11(土) 21:49:12 ID:/XeTczRW
まぁ「井伊を出し抜け」って話を忠輝に聞いてもらえなかったら
井伊の力を借りるってのは意趣返しを感じる
312人間七七四年:2009/07/11(土) 21:52:16 ID:hSdosJIY
>>302
書類王のことかー!
313人間七七四年:2009/07/11(土) 22:46:14 ID:RwCgPPe0
>>288
エリザベス処女王様はスコットランド女王メアリ処刑の際、
失敗したらかわいそうだからフランスから首斬り役人を呼び寄せたんじゃなかったっけ?
イイハナシダナー
314人間七七四年:2009/07/11(土) 22:47:31 ID:NGpPZXfw
>>312 を見てなんとなく思ったのだが、
ヨーロッパの王って日本の大名に比べて領土は広いわ人口密度は低いわで、
具体的な領民というのが実感出来なかったから、ああいう
シムシティの市長みたいな感じになったのかもね。
315人間七七四年:2009/07/11(土) 23:00:27 ID:wkwr2CcG
あと、挙げられてる名前にはやはり絶対王政期の人が多くない?
やっぱ権力強いことも大きいんじゃないかな。
ただあんまり世界史の話もどうかと思うんでそろそろ自粛しましょ。

そういえば、ちょっといい話・悪い話スレの世界版構想はどうなったんでしょ?
世界史板はやだな。
あそこの荒れ具合と言ったら酷いもん。
歴難でやってみる?
316人間七七四年:2009/07/11(土) 23:30:45 ID:tyYO1oeQ
>>308
やっぱり家老として不的確だったんじゃないだろうか…
進言した抜け駆けももう古いだろ
>>314
領土広いわってヨーロッパ本国はデカイ国でも日本よりちょっとデカくした程度だぞ
>>315
やってみれば?
317人間七七四年:2009/07/11(土) 23:31:34 ID:2B0JQyDP
>>305
獅子心王の遺産で苦労しただけです><
318人間七七四年:2009/07/11(土) 23:40:36 ID:hWCSTz2x
>>315
最初の段階でスレ立てた人が、スレが軌道に乗るまで自分で逸話を投下できるかが勝負でしょうね。
ここも最初は色々言われたが、スレ主が投下している間に、他にも逸話投下する人が出てきて
安定してのびるようになったし。
319人間七七四年:2009/07/11(土) 23:51:27 ID:ki0mRaL8
>>316

ヨーロッパの一国の国王と日本の大名ってことは
秀吉・家康と他の大名を比べてるようなもんだから
領土が広いと言うのは違ってないのでは?
320人間七七四年:2009/07/12(日) 00:02:37 ID:uiZ8OSZA
>>319
ああ確かにorz
なんか比べる対象が間違ってる気がしないでもないが
321人間七七四年:2009/07/12(日) 01:06:25 ID:99P2uOai
>>316
本多政重とか、真田隊の挑発にひっかかって勝手に戦端開いた件で家康から叱責されてるしなあ
抜け駆けして失敗した日にはもう目も当てられんわ
322人間七七四年:2009/07/12(日) 01:20:06 ID:gvR6XKyF
>>304
教皇「おい、いつまでサボってんだ。さっさと十字軍に参加しろ」
皇帝「そうそう、その事なんですけど、異教徒と話し合いで聖地返して貰って起きましたよ」
教皇「…お前、破門な」
皇帝「えー!」
323人間七七四年:2009/07/12(日) 01:53:54 ID:KSznQZKr
いい話スレで休夢さんの話が出たので

細川忠興は千利休から遺品としてttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-227.html
の石灯籠の他に、「鉢開茶碗」「阿弥陀堂釜」を譲られた。

「鉢開」は、その風情が当時「鉢開き坊主・」と呼ばれた物乞い坊主を思わせるところから
つけられた銘で、忠興は毎日欠かさず手に取っていた。

「阿弥陀堂釜」は利休が有馬に行った時、阿弥陀堂にあった湯釜に着想を得て作ったとか
阿弥陀堂の住職の依頼で工夫したとか諸説ある茶釜で、忠興は長男の忠隆に譲った。

譲り渡しの時、忠興は笑いながら言った。
「いやー笑えるよな!阿弥陀様が地獄へ落ちるっていうんだから m9(^Д^) 」
(阿弥陀ガ地獄ヘ落チシトハ、笑ハレシコトナリ)



のちに忠隆は「阿弥陀堂釜」を忠興の孫で自分の甥の光尚に譲っています・・・
324人間七七四年:2009/07/12(日) 07:54:18 ID:uiZ8OSZA
…それは和解後の話なんだよな?
地獄って…
325人間七七四年:2009/07/12(日) 09:04:33 ID:hWRIx3Of
有馬温泉には地獄の名を冠した「地獄谷」と言う場所があり
毒泉が湧いていたそうです。(今では跡地が残るばかりだとか)
有馬温泉に赴いた利休はその辺りに阿弥陀堂があったので
これぞまさに「地獄に仏」と言う事で創作意欲が湧き
その釜を作らせたのでは無いでしょうか。
ちなみにお盆の季節に入る事を地獄の釜の蓋が開くともいいます
326人間七七四年:2009/07/12(日) 09:33:17 ID:Dzxx2NrU
まったく三歳さんは…
ウイットに富んだジョークなのかマジなのかが分からねえ
327人間七七四年:2009/07/12(日) 13:18:28 ID:bsW47eJ+
山名豊国天下人に皮肉られる

時は江戸時代初期、駿府城内で大御所徳川家康と御伽衆山名豊国が話していた。

家康「そちは朽木元綱を粗相人(そそっかしい人)だと称しているらしいが、
そちの方が元綱よりよほど粗相人だろう。」

豊国「なぜでしょうか?」

家康「元綱は殿中での振舞いに祖粗があったとしても、先祖伝来の
朽木谷を守っている。だがそちは゛6分の一殿″と称される程の
先祖を持ちながら、領地を全て失った。これ以上の粗相人はあるまい。」

豊国「まったくおっしゃる通りでございます。せめて先祖の
十分の一の領地を持つ身になりとうございます。」

家康は豊国の最後の一言を苦笑しながら聞いていたという。
328人間七七四年:2009/07/12(日) 13:23:59 ID:mnvie6A7
秀吉と能・その1
晩年の秀吉が能に耽溺していたのは有名なことですが、それに関する話
文禄二年、名護屋在陣中、秀吉は能を本格的に習い始めた。
利休を死罪にして以来茶道とは距離を置き始めていた秀吉だが、
名護屋に在陣している最中、能にはまったらしい
名護屋から戻るとさっそく禁中で大がかりな素人能を催そう、と言い出した
主演は秀吉、ゲスト出演は徳川家康・前田利家・織田信雄・蒲生氏郷
小早川秀秋・宇喜多秀家・浅野長政・細川忠興
小鼓役・太鼓役に毛利輝元・徳川秀忠・細川幽斎などそうそうたるものである
わずか2ヶ月後に行うと聞いて家康などはやはり嫌な顔をしたが(練習できないし)、
結局はつつがなく行われることになった
とはいえ、秀吉は本格的に能を習い始めてまだ10ヶ月しか経っていないズブの素人
それなのに3日間の公演で合計12もの演目をやろうというのだから無理がある
秀吉には特別に「添え声」というアテレコ係が付くことになり、
更に秀吉の能の地謡(ナレーション兼バックシンガーズみたいなポジション)は
観世流・宝生流・金剛流のトップ達に勤めさせた
普通流派が違う役者が同じ舞台に立つなどということは、
演出技法や演じ方の作法が全く違うためありえないことなのだが
天下人はそんなこと知ったこっちゃないのである
更に秀吉の舞台が終わった後、その感想を述べる「褒め役」が置かれ、
いよいよ禁中では初めての能公演が始まった

その舞台はどんなものだったのか
とりあえず後世には基本的に好意的意見しか残っていないが、
家康・利家・秀吉の三人が狂言「耳引き」(現在の「口真似」に当たると思われる演目)
を演じていたりするから、
案外楽しい舞台だったのかも知れない
329人間七七四年:2009/07/12(日) 13:25:31 ID:mnvie6A7
秀吉と能・その2
禁中能の成功に気をよくした秀吉は、今度は自作の能を作りたいと思いだした
そこでお気に入りの文人・大村由己に命じて新作脳を作らせる
後の太閤能である
徳川時代になると上演が禁じられたため散逸してしまい
現在は五つの演目しか確認できないが、
基本的には秀吉を主人公に、秀吉の業績を讃える内容のもので
「吉野詣で」「高野参詣」「明智討ち」「柴田」「北条」の
五つが現在残っている
「吉野詣で」は吉野に参拝した秀吉の前に天人たちが現れ、
天女が舞を舞って秀吉の治世を賛美し、豊臣の繁栄を約束する
「高野参詣」では高野に参詣した秀吉の前に菩薩となった母・大政所が現れ、
秀吉の孝行に感謝し、悟りの境地に至った喜びを語る
「明智討ち」は文字通り山崎の戦いにおいて、秀吉の大返しを描き、
最後は秀吉自らが光秀と切り合いをして、秀吉が光秀を討ち取り織田の無念を晴らす
その忠勤を褒めたたえ終わる
「柴田」は柴田勝家の亡霊が勝家ゆかりの僧の前に現れ、
お市の方との自害の有り様を語り、成仏して終わる
「北条」は小田原を訪れた禅僧の前に北条氏政の亡霊が現れ、
太閤に逆らった己の愚かさを悔い、小田原での太閤と秀次の活躍を語り
己の自害の有り様を語った後、豊臣の治世を祝して成仏する

秀吉は自分を賛美する内容の能を自らが演じるために作らせ、実際に演じている
なんだか「朕は国家なり」と言ったルイ14世も似たことしてますよね
330人間七七四年:2009/07/12(日) 14:15:41 ID:JOtxm8EU
>案外楽しい舞台だったのかも知れない
能はたのしいのう
331人間七七四年:2009/07/12(日) 14:19:50 ID:y2YpYlzg
悪い話というより純粋な豆知識?
332人間七七四年:2009/07/12(日) 14:24:42 ID:PwKJp/qb
やっと規制が解除されたので、>>79で書かれた宗像氏と立花道雪との悪い話。

>>79で書かれた様に、血塗られた闘争の果てに、十五歳にして当主となった宗像氏貞。
当時の北九州の諸豪族のパターンよろしく、陶が滅ぶと毛利に付き、毛利が大友に北九州から駆逐されると、大友に降っている。
氏貞は、豊後三老である臼杵鑑速の娘を大友宗麟の養女として妻に向かい入れ、更には、自分の妹であるお色を、大友家同紋衆である立花道雪の側室にしたのだが、
氏貞がお色の化粧料として立花家に贈った西郷・若宮の領地が悲劇の発端となった。

立花家の家老で鷹取城城主のの森鎮実が領内不作による食糧支援を道雪に求めた時、道雪は直に食糧を輸送した。
ところがこれに対し、かねてから立花家に不満を持っていた若宮の若宮郷氏が輸送の邪魔を計画。
(若宮郷氏の不満の理由は、先祖代々の土地を立花に取られ、代替地が不毛の地だったからだとか)
そしてそれに立花と筑前の覇権を巡って争っていた秋月氏がしゃしゃり出て、
あまつさえ、その動きを止める為に派遣された宗像氏の家老2人もこの襲撃計画に加わってしまった。

まあ襲撃そのものは、立花勢の前になすすべもなく失敗してしまうのだが、この事に道雪大激怒。
何と計画を最後まで辞めさせようとした宗像氏貞討伐の命令を発してしまう。
流石に重臣である由布雪下・小野和泉が

「いや・・・宗像氏貞は数少ない親大友派なのにこちらから敵方に走らせたらまずいでしょ」
「そもそも宗像氏貞は止めているんだからそこを考えましょうよ」

と言って、サポタージュするのだが、道雪の怒りは収まらず、結果氏貞は大友と敵対する事になる。
哀れを留めたのは、宗像と立花の絆を深める為に側室となったお色。
彼女は天正十二年三月二十四日に病死するのだが、奇しくもそれは長州派宗像氏が、
宗像正氏の先妻とその娘を惨殺した日の翌日にあたるという。

なお、立花宗茂は、この不遇の人を哀れんだか、お色の生前、彼女の付き人たちにも温情を以って接し
彼女の死後、寺に寄進をしたりしている。
333人間七七四年:2009/07/12(日) 14:58:03 ID:uiZ8OSZA
まぁ宗茂はそういう役回りですよね
334人間七七四年:2009/07/12(日) 16:59:03 ID:Rqdj4sbA
>>329
>大村由己に命じて新作脳を作らせる

ちょっと怖いw
335人間七七四年:2009/07/12(日) 17:00:47 ID:9M36CJVf
わしに逆らうものはこの新作脳に入れ替えてしまえ

とかですね
336人間七七四年:2009/07/12(日) 17:05:02 ID:M0xd78OD
大森氏頼の諌言状


扇谷上杉当主上杉定正は古河公方足利成氏と盟約を結んだ。
しかし定正は古河公方を軽んじた振る舞いをしたため盟約は崩壊してしまった。
この事を知った重臣達は古河や山内上杉へ寝返えった。
この事を憂いた重臣の大森氏頼は「大森教訓状」と言う諌言状を定正に送った。
しかし定正はこの諌言状を無視して両者との対立を続けたのであった。
337人間七七四年:2009/07/12(日) 19:56:27 ID:1ncb5WAo
>>336

大森教訓状の概要を転載

> 1 .「大森教訓状」の概要
> (1).山内家は上杉の棟梁として(鎌倉)公方様の時代から関東諸将の尊敬比類なく、
> 配下の軍勢は20万騎である。
> 一方、扇谷家は100騎だけど、たまたま天運と道灌の器量によって天下に名を揚げ、
> 関八州に誉れを振い、
> (関東の)諸将が扇谷家に心を寄せるようになった。
> その道灌を自らの手で失ったのは、月日が地に落ちたに等しい。
>
> (2).こんな諌言をするのは、氏頼が代々の家風(家臣)で、心底から別儀(二心)があるわけでなく、
> (闘病中で、もうじき死んでしまう)今こそ、思う所を述べさせてもらいます。
>
> (3).先年(長享元〜三年・1486〜1488年)の山内と扇谷の対立の時は、
> 山内側は味方が無く、扇谷は公方政氏様を引き立て、長尾伊玄を従えて、
> 高見・須賀谷において、敵と戦い勝利するも、(顕定の本拠地の)鉢形は未だに滅亡していない。
> (氏頼もこれらの戦いに参加している。『相州兵乱記』)
>
> (4).それはお屋形(定正)様が勝利に慢心して公方様を見捨てたからではないでしょうか?
> どうか一番大事なことは何か?よくよく考えて下さい。
> 関東の平和は万民の悲願です。これはお屋形様一人の判断にかかっています。
> (つまり山内と和睦して下さい!!)


非常に熱い書状だ。

しかしこの大森氏頼の死後、後を継いだ孫の定頼は扇谷家を離脱し山内家と結び、
このため扇谷の要請を受けた伊勢宗瑞(北條早雲)により、その居城小田原城は攻め取られる。
338人間七七四年:2009/07/12(日) 20:32:49 ID:Ln2ZQCBP
>>332
>奇しくもそれは長州派宗像氏が、宗像正氏の先妻とその娘を惨殺した日の翌日にあたるという
この手の話にはよく出てくるけど、別に奇しくもなんともないと思うんだよくよく考えると。

松永久秀みたいに、大仏焼亡と自身の滅亡が同日ってんならともかく。
339人間七七四年:2009/07/12(日) 21:08:16 ID:uiZ8OSZA
同じ日に何か無いかなと思ったら同じ年の同じ日に
肥前のクマーさんが家久(善)壮大な釣りに引っかかった日だった
えーっと…つまりお色はクマーさんの分身と解釈していいのかな?
340人間七七四年:2009/07/12(日) 21:14:24 ID:4O+8jBzB
よかったね、お前達の希望通りな大河になって
341人間七七四年:2009/07/12(日) 22:10:29 ID:COdHqjm/
渡辺教忠の葛藤

渡辺教忠は伊予河後森城主として1万6千5百石を領し、
西園寺15将筆頭の立場にいたが、彼は元々土佐一条氏の生まれで
一条兼定の伊予進攻の布石として渡辺氏に養子入りしていた。

ある時一条氏が西園寺氏を攻撃した際、彼は主家と実家どちらに加勢するか
苦悩したあげくどちらにも加勢せず、日和見を決め込んだ。
そのため主君である西園寺公広の怒りを買い攻撃され、人質を差し出して降伏した。

土佐一条氏追放後は長宗我部氏相手に奮闘するが、敵に寝返った
家臣芝政景により居城を追放され帰農したとも、暗殺されたとも言われる。
342人間七七四年:2009/07/12(日) 22:44:16 ID:IQdNtIQg
>>328-329
いいよなぁこういうのってまさに秀吉ならではだw
家康じゃこんなことしないもん

>家康・利家・秀吉の三人が狂言

これどんなにへんてこりんで可笑しくても笑ったらお家\(^o^)/オワタになる
究極のゲームだなw観るのも命がけだ
343人間七七四年:2009/07/12(日) 22:52:52 ID:iDWsYp6J
後のダウンタウンによる「わらってはいけない」シリーズである。
344人間七七四年:2009/07/12(日) 23:01:05 ID:li9ouheZ
狂言なら、むしろ可笑しくなくても笑わなきゃならんのでは?w
345人間七七四年:2009/07/12(日) 23:06:49 ID:1ncb5WAo
>>328の逸話を元に大河の「秀吉」で、竹中直人の秀吉と西村雅彦の家康の掛け合い狂言を
やっていたが、二人とも芸達者だから、非常に息のあった見事な掛け合い狂言をやってて、
あのシーンには感心した記憶がある。
346人間七七四年:2009/07/12(日) 23:36:50 ID:mnvie6A7
>>342
補足すると、秀吉の能舞台の最中に居眠りした能役者が
後に折檻されて家録召し上げ&秘伝書没収されてる

……こっち書いた方が悪い話っぽかったかな
347人間七七四年:2009/07/12(日) 23:58:39 ID:vhcfiFzC
ある時、法橋恵斉という儒臣が毛利元就に「この辺りの民は殿のことを
周の武王(悪王を放逐した)だと言って評判でございます」とゴマを
すった。元就の主人殺しを正当化したのだ。

「それはまことか」
「勿論です」
「ふざけたことを申すな!民に本を読む暇がない民が武王を知っているのか!
それに貴様にはもっと大きな誤りがある。武王の側にゴマすりなどいなかったわ!
貴様のような者こそ、わしの愚かな言行を歴史に残して、後の世で恥を
かかせるのだ!」

そう言って元就は法恵をクビにした。
348人間七七四年:2009/07/13(月) 00:07:11 ID:gvR6XKyF
アジアのどの国でも儒学者なんてロクな奴がいな(ry
元親も、岡豊城の語源とか考察して「城の名変えようぜ!」とか言って来る学者さんを追放してたっけ。
349人間七七四年:2009/07/13(月) 00:19:18 ID:4Q1S0RE0
>>347
すいません、まとめに載せる時に以下を直しておいて下さい

×〜民に本を読む暇が〜
○〜本を読む暇の〜

×そう言って元就は法恵をクビにした。
○そう言って元就は法橋をクビにした。
350人間七七四年:2009/07/13(月) 00:22:20 ID:34sfsGU3
>>347
>貴様のような者こそ、わしの愚かな言行を歴史に残して、
>後の世で恥をかかせるのだ!

>そう言って元就は法恵をクビにした。


口封じに殺さずクビにして、さらにゴマ摺り野郎が部下がいたこの件も
後の戒めにして残すんだから元就さんは良い人だよなw
大概の戦国武将だったら文字通り「首」だけにしちゃう人の方が多いから
351人間七七四年:2009/07/13(月) 00:26:33 ID:xMEm4ZVD
>>348
ホントの儒者なら巧言令色を蔑むんでありようとしては真逆だけどね。
バカほど目立つもんだけど。
352人間七七四年:2009/07/13(月) 01:11:14 ID:4Q1S0RE0
>>347
何度もすいませんorz

×周の武王(悪王を放逐した)
○周の武王(悪王を放伐した)
353人間七七四年:2009/07/13(月) 06:44:55 ID:iY2D35yj
毎回思うけど、少しは推敲してから書き込めよ。
小学生じゃないんだから。
354人間七七四年:2009/07/13(月) 07:19:50 ID:qAsuzoTF
織田信雄の家臣、鬼頭内蔵助は主君の命で、京の信長のもとへ使いに出た。
山科まで来た所で、思わぬ人に出会った。
「伊藤殿ではないか!こんな所でどうされた?」信長のお伽衆、伊藤安仲だった。
「おお、鬼頭殿!大変じゃ、明智が謀反を起こし、信長公が本能寺で亡くなられた!
我ら軽輩は、もはや途方に暮れて右往左往しておるところじゃ…」
「な、なに!嘘ではあるまいな!」
「わし如き者がこんな話をしてウソだった日には、日本に身の置き所が無くなるわい。」
「よ、よし!ならば、オレはすぐに帰り、信雄様に変事を申し上げる!」
「されば、わしの話の証拠として。」

二人は脇差を交換し、内蔵助はその日の内に伊勢に帰り、信雄に変事を語った。
「父上が簡単に死ぬわけがない。内蔵助、狂ったか?」
「いや、しかし安仲がこの脇差を…」「くどい!」
重大な報告を信じてもらえず狂人呼ばわりされた内蔵助が自宅に帰ると、夜になって
知人が訪ねて来て、しきりに内蔵助の信雄への思いを聞きたがった。
(ははぁ、これは…)と察した内蔵助は知人に語った。

「殿はオレを狂人扱いしたあげく、叛意をお疑いになるか。もういっそウソの報告の罪で
切腹でも仰せつけ下され。その方が返って幸せじゃ。我はもはや、変事が本当であった
時のことを憂うるのみ。」
知人は言葉もなく帰り、その言葉を信雄に伝えたが、信雄は内蔵助を閉門とした。

その後、続々と変を告げる使者が来るに及び、信雄は内蔵助の閉門を解いた。
さっそく内蔵助は信雄に「この上は、一刻も早く弔い合戦の兵を挙げるべきです!」
と進言したが、信雄はこれも聞かず、十日以上経ってようやく近江まで出た時には、
羽柴秀吉がすでに光秀を討ち取っていた。

のちに内蔵助いわく、
「侍たる者、主人を良く選ばねば、幾百幾千の努力をしても生涯不遇で終わるのみ。
ウソだと思うなら、オレを見よ!」

…と言いつつ、信雄が秀吉に改易されて一万八千石の堪忍料で復帰した時、そこには
「ダメな子ほど(ry」なのか超M体質だったのか、鬼頭内蔵助の姿があったそうな。
355人間七七四年:2009/07/13(月) 07:20:32 ID:qAsuzoTF
おまけの三介殿

信長の乳母の子である池田恒興は、秀吉と信雄が手切れになると信雄側についた。
これを信雄は、
「恒興は信用の置ける男である。そのような者から人質を取るのは、かえって他の者が
わしの心底を疑う元になる。」と言い、人質に取っていた恒興の次男・輝政を帰してやった。



これを喜んだ恒興は即座に秀吉側に回り、信雄軍の犬山城を制圧した。
356人間七七四年:2009/07/13(月) 09:54:48 ID:TMghhu6T
>347
既出だけど詳細話おつ
357人間七七四年:2009/07/13(月) 09:59:21 ID:TMghhu6T
>355
さすが鷹揚な風流人、常信どのは違いますなあ。

マッチョ池田家の力を頼みとせず秀吉と対決しようとは……!orz.イッテテカナシクナッテキタ・・・サンスケドノッテバ・・・・・・
358人間七七四年:2009/07/13(月) 10:47:05 ID:399I726Y
きたない為信さすが汚い
津軽の梟雄、奸智に長けた髭殿のお話。

津軽為信が1603年(慶長八年)から築城を開始した弘前城。
日本七名城の一角として誇る見事な縄張りと、岩木川を外堀に据え
津軽富士と讃えられた岩木山を景観に取り入れた悠然たる様は、
かの司馬遼太郎をして『こんな田舎にかの優雅な近世城郭が出現したこと事態、
奇 跡 に 近 い 。』とまで言わしめたほどなのだが…この城の外廓、
津軽家の菩提寺・長勝寺の周辺…『長勝寺構え』と呼ばれる一角には、津軽の
梟雄と呼ばれた為信らしい逸話が残っている。

1571年(元亀二年)、津軽一帯を統治していた南部家に叛逆の狼煙を上げた
津軽為信は、津軽の領主であった石川高信の居城である石川城へ攻め込む。
この際、二十二歳という妙齢であった為信の妻・阿保良(おうら)は
夫の旗揚げに参加する兵卒達に自ら強飯を炊き出して手拭に包み、その
一人一人に手渡していったが…この若妻から腰兵糧を受け取った者達の中に
八十三人のならず者達が居た。

このならず者達、為信が近隣の賭場やら盛り場やらで雇って来た正真正銘の
悪漢達である。彼らは槍や具足は愚か寸鉄も帯びず軍陣に会った。
もとより、為信も彼らに槍働きを期待していない。為信が彼らに命じたのは…

津軽為信>> いいか野郎共。わしらの軍勢が石川城攻撃を始めたら、お前らは
      城下にある侍達の長屋や百姓達の集落へ走って…。

      目についた女子供はたぶらかせ、連れ去れ、犯せ、輪姦せ。
      なるべく派手に。 。゜+. m9っ;・`ω・´)っ 。+.゜

織田信長は田畑仕事に関わらない流浪人を専業兵士に取り立て、
上杉謙信は鉄炮を扱える者は鎧を帯びずともよい、と専業鉄炮兵に取り立てたが
津軽為信は、賭場の博徒や悪漢達を乱取りの専業として採用したのである。

城下の凄惨な有様に、正気で居られないのは南部軍である。篭城中に郭外から
自分の愛する女子供達の悲愴な阿鼻叫喚が聞こえてくるのだから
合戦に集中できるはずがない。結局、石川城は陥落し城主・石川高信は討死。
『三日月が丸くなるまで』と謡われた奥羽北部に、津軽為信は見事
風穴を開ける下克上を達成したのだった。

だが、これと同じ意趣返しをされれば平然として居られないのは津軽軍も
一緒である。そこで為信が考えたのは、自らの拠点に女子供達を匿うための
領域を設けることだった。それが、前述した『長勝寺構え』である。

ただし、津軽為信はその長勝寺構えと弘前城の完成を見ることは無かった。
1607年(慶長十二年)、豊臣秀吉・徳川家康と実力者の推移を読み取り
見事津軽一円を所領として勝ち得た梟雄・津軽為信は京都で世を去った。

そんな津軽為信の、(梟雄の梟雄たる所以を見せ付けた)悪い話。
359人間七七四年:2009/07/13(月) 10:57:44 ID:fn6KaxJA
これは普通に悪い話だな
もっとも当時の武将は武略とでも言い換えるだろうが
360人間七七四年:2009/07/13(月) 12:25:31 ID:mBOeyL2E
黒田孝高の息子への愛を疑う人に贈りたい親バカな悪い話。(陰徳太平記より)

秀吉の九州征伐後、黒田孝高は豊前中津を与えられたが、国人衆が一揆を起こし
一揆勢との戦いが続いていた。
そこへ、吉川広家が援軍を率いてやってきて、豊前一揆の首魁の一人である
城井鎮房がこもる城井谷を攻めんと近辺にある萱切山に一万騎で屯した。
孝高、長政も二千騎を率い合流する。
人に優れた勇将である鎮房を助けるべく一揆勢も示し合わせて三千ほど馳せ集まり、
そうこうするうち小競り合いから戦が始まろうとしていた。
広家は味方に敵の伏兵をあしらう策を与えるなどして備えを整えて戦い、段々と
敵を追いつめた。
ところが頃やよし鎮房の旗本を切り崩さんと襲いかかろうとした時、黒田孝高が
これを止めた。広家には理由がわからなかったが、孝高は説明を求められても
応じず止めるばかりであったので、これに従って味方を引き上げさせた。
鎮房にもこれを追い討つ余裕はなく引き上げていった。
この時広家の予想通り伏せていた敵兵が襲いかかってきたが、指示を受けていた
家臣たちはこれを鉄砲で撃ち立てて退散させた。

この後広家は城井谷に進み入り陣をしいて城井の城を堅く囲んだ。
城井鎮房は本領安堵を秀吉に取成そうという説得に応じて降伏する。

後日広家が孝高に問いかけた。
「先日私が萱切山で一戦しようとした時、あなたはしきりに止められましたね。
老巧の人の言うことですし、父からも万事あなたのご指示に従うようにと言われて
おりましたのでどのような仰せだろうと背くまいと思い、戦をしかけませんでした。
どうしてあの時私を止められたのでしょうか?」
すると孝高はにっこりと笑ってこう答えた。
「先日の戦、仕掛ければ必ずあなたが勝ったでしょう。だから止めたのですよ」
広家は訝しく問う。
「必ず勝つと思って止められた理由はなんです?」
「それはですね、あなたが大勝利をおさめられたとするでしょう。すると先日
息子の長政が敵を侮って負けた事と比べられ、渭水の濁った水が水の清水が
合流して濁りを増すように、勝劣がはっきり見えてしまうと思って堅くお止め
しました。
あなたと私は兄弟の契りを交わした仲とはいえ、実の子に対する愛にはかなわ
ないということですよ」
広家は「これはたばかられてしまいました、そうと気づいていれば止めるのを
ふりきって戦っていましたものを」と手をうち大笑いした。
二人は断金の交わりを結ぶ親友同士であったので、孝高は心底を隠さず打ち明け、
広家も騙されて恨まなかったということだ。

ちょwwwおまwwww騙されたwwwwwwwwって感じ?
実際には力の差は見せつけたのでこれ以上の戦は無用と判断したという所なの
だろうか。
ところで出家や自害を思い詰めたと言われるほどショックだったらしい敗戦を
父親と年上の友人の話の肴にされて爆笑された黒田長政の胸中は…
追求しない方が親切かもしれん。
361人間七七四年:2009/07/13(月) 12:27:45 ID:1fcSv4ku
石川を攻めたときだっけか?
沼田祐光はあまりにも酷かったから二度とこの手は使わせなかったんだよなあ
362人間七七四年:2009/07/13(月) 12:51:13 ID:HfYeYQPG
>>361
一条兼良の足軽禁止の話を思い出した
363人間七七四年:2009/07/13(月) 13:55:30 ID:vEpzqbbj
>>355
池田恒興も基本DQNでヒャッハーだからなぁ
鬼武蔵の岳父だけはある
長男で嫡子だった元助はどうだったんだろう
364人間七七四年:2009/07/13(月) 14:06:36 ID:tS+dWr3s
>>358
信直「きたないなさすが為信、親父の仇汚い」
365人間七七四年:2009/07/13(月) 14:50:42 ID:vipCmP6A
そんなお前だって尽くしてくれた八戸南部を解体しようとあの手この手で……
366人間七七四年:2009/07/13(月) 16:48:08 ID:WumWDLNV
>>360
その後、大笑いしながら取っ組み合いケンカをする官兵衛と吉川広家を
諸大名は目撃したのですね、わかります。
367人間七七四年:2009/07/13(月) 17:02:28 ID:wXVKAN6E
仲いいなあさすが同じ墓に入っただけのことはある
>官兵衛と広家
368人間七七四年:2009/07/13(月) 17:36:04 ID:vGNpqdIV
>>360
跡継ぎの大失態は当人も気にしてるし家中の動揺もあるだろう
それに自領の一揆を他家の救援で鎮めて、しかも息子が失敗した相手を
斬り伏せたのが広家の軍となったら秀吉の心証も悪くなる恐れがある
広家に手柄を立ててほしくなかったのは本音だろうな
広家も息子の話をされてその辺の事情に気づいたんじゃないだろうか
369人間七七四年:2009/07/13(月) 17:56:32 ID:0NkNnWty
広家としちゃあ、あのまま戦って勝ったとしても実利は無いわけだから無闇に兵や兵糧を消耗しないですんだとも言える

それに親友の恩まで付いて来るんだからまぁ、笑い話で済むんだろう
370人間七七四年:2009/07/13(月) 19:21:25 ID:TMghhu6T
>>332化粧料なんて体裁ですよ。偉い人には……

だから側室は家臣の嫁にしておけばいいんじゃない?と義鎮の殿が仰せですぞ。


ってかこれも視点を変えて書いてくれたんだが既出
371人間七七四年:2009/07/13(月) 19:37:40 ID:wXVKAN6E
“稚児ヶ墓山”(ちごがはかやま)
1579年、信長に敵対した三木の別所氏に味方したこの地域の豪族や、
丹生山明要寺などは、秀吉の軍団の激しい攻撃にさらされた。
戦闘で明要寺から北東の尾根づたいに帝釈山の東まで逃げてきた大勢の稚児達が、
この山で秀吉方の武士に切り殺されたためこのように呼ばれるようになった。

“花折山” (はなおれやま)
村人が墓に供える花を手折った稚児ヶ墓山の東の峰が花折山と呼ばれるようになった。
372人間七七四年:2009/07/13(月) 20:43:42 ID:msgamuY8
>>367
え?同じ墓?
373人間七七四年:2009/07/13(月) 21:42:14 ID:wXVKAN6E
>>372
ごめん記憶違いだった
官兵衛の墓の側に分骨してもらっただけだった
いいかげんなこと書いてごめん
374人間七七四年:2009/07/13(月) 21:48:58 ID:L4OrEVb0
>>353
それは同意。まとめを見ても、
「覇権」→「派遣」のような変換ミスや、助詞・助動詞のミスが多すぎる
375人間七七四年:2009/07/13(月) 21:51:39 ID:tS+dWr3s
度々こういう面倒臭い事言う連中が来るようになったな。

2chの書き込みに何を求めてるんだか・・・
376人間七七四年:2009/07/13(月) 22:21:27 ID:34sfsGU3
>>375

このスレ的に面倒臭いと言うのはもはや三河武士の十八番
374のような輩はこのスレじゃただの野暮って奴だからスルーよろ
377人間七七四年:2009/07/13(月) 22:23:00 ID:lsJ1iPaj
いい悪いスレは、逸話を紹介して「もらっている」って事を、忘れちゃいけませんわな。
378人間七七四年:2009/07/13(月) 22:24:32 ID:L4OrEVb0
いや管理人に苦労も考えろよ
いちいち訂正させられるのは面倒だろ
379人間七七四年:2009/07/13(月) 22:26:43 ID:Q7Nk4yGG
↑これつっこむべきか?
380人間七七四年:2009/07/13(月) 22:28:10 ID:tS+dWr3s
揚げ足は取りたくないので放置しようか
381人間七七四年:2009/07/13(月) 22:33:56 ID:msgamuY8
>>373
あ、いや、自分そういうこと知らんもんだから、興味が沸いて聞いてみただけなんだw
こちらこそすみませんorz
そこまでするほど、2人は仲良しだったんだね
382人間七七四年:2009/07/13(月) 23:21:41 ID:Cwxwg4PQ
三介殿、天下を語る


三介殿こと織田信雄。そのボンクラぶりは失敗しても、「まあ、三介殿のなさる事だから」で
片付けられてしまうほどだが、一点だけ信長から受け継いだ才能があった。
舞(能)の名手だったのだ。本人も自慢だったようで、清洲会議の後くらいに
家老と以下のような会話をしている。

信雄「わしは父上の後を継くぞ!」(‘∀‘ )
家老「それはよろしゅうございますな(棒読み)。で、上様の後を継いで何をなさるおつもりで?」(-_-)
信雄「うむ、父上の覇業を継ぎ、天下に号令をかけた暁には、都の公家どもに舞を披露してやろう! 
きっとわしを褒め称えるに違いない!!」(*‘∀‘*)
家老(だめだこいつ……。早く何とかしないと……) (lll゚Д゚)

時流を見る目が致命的になかった三介殿。
このときも周囲の状況にまったく気づいていないのでありました。
383人間七七四年:2009/07/13(月) 23:44:19 ID:5t3mkDZt
氏真二号だったのか
384人間七七四年:2009/07/14(火) 00:05:30 ID:lvrc+P05
なんで茶筅(あえてこう呼ばせてもらう)だけ、こうもボンクラなんだろな
385人間七七四年:2009/07/14(火) 00:20:37 ID:ra2gszBI
>>383
氏真様は相手が悪かっただけですからっ……!
家臣団の中核がごっそりなくなっちゃった今川をしっかりまとめてましたからっ……!
386人間七七四年:2009/07/14(火) 00:23:20 ID:nA3qmc9H
まあでも、なんだかんだで家を残してるんだから
何が幸いするか分からないなぁ
387人間七七四年:2009/07/14(火) 00:26:39 ID:fCtfxxWV
三介殿芸事は達人だからなぁ
388人間七七四年:2009/07/14(火) 00:29:20 ID:2L0/0V65
>>385
信玄をブチ切れさせてなお生き残ったんだからそれだけで大したもんだよ
389人間七七四年:2009/07/14(火) 00:55:49 ID:uci5KUvI
氏真も信雄も大領主の不向きはともかく、人間としては
裏がない、いい奴だから生き残ったんだろうな。


390人間七七四年:2009/07/14(火) 01:42:40 ID:dfOH2yZh
武人とは全く種類の異なる生物だと本能的に皆理解したので、
別に滅ぼしたりしなくても問題ないか〜という感じになったと思う>信雄・氏真
391人間七七四年:2009/07/14(火) 01:48:13 ID:82nompgT
バカだけど何だか憎めないタイプだよなw
392人間七七四年:2009/07/14(火) 01:58:09 ID:dfOH2yZh
ふと思ったんだが、世間でよく耳にするソウショクケイダンシって
信雄とか氏真みたいな奴かな?
鬼武蔵や水野を肉食とした時の対比として。
393人間七七四年:2009/07/14(火) 03:18:36 ID:sCq080+V
>>392
大内義隆や葦名盛隆、武田信玄はガチ肉食系ですかアッー
394人間七七四年:2009/07/14(火) 04:50:49 ID:IPEz2GAd
>>392
本願寺「むしろ拙僧どものことではないかな?」
395人間七七四年:2009/07/14(火) 04:54:04 ID:rYFGcroW
浄土真宗は奥さんおkじゃねぇか・・・
396人間七七四年:2009/07/14(火) 05:07:16 ID:2QuSIL4P
僧職系男子ですね
397人間七七四年:2009/07/14(火) 05:30:52 ID:txPf4sgs
だれうま
398人間七七四年:2009/07/14(火) 07:23:47 ID:CaNWLr0Q
大坂の陣のとき、大坂方の総指揮官だったんだよな。三介殿。
これはさすがに本人もやばいと思ったのか、はじまる前に逃げ出してるけど。
399人間七七四年:2009/07/14(火) 07:39:24 ID:fRNkbjNi
信雄と氏真を同列視するのもちょっとね。
氏真は武田に裏切られたりしてどうにもならない状況だったけど、信雄さんは自分のミスで領土没収だからなあww
400人間七七四年:2009/07/14(火) 07:49:38 ID:sLuCKR65
氏真は内政では業績残しているから信雄と比べるのはかわいそうな気がする
401人間七七四年:2009/07/14(火) 09:23:59 ID:bskudrQW
やるべきことをしっかりやって、
それでもどうにもならなかったから、別の世界へ移り活躍した。
立派な人生じゃないか氏真。
402人間七七四年:2009/07/14(火) 09:46:05 ID:rYFGcroW
氏真は剣術だって相当な腕前だしな。
義元死後の今川はいろいろ過小評価されてて悲しい。確かに滅んだけどさ・・・
403人間七七四年:2009/07/14(火) 10:46:55 ID:ITtK3zeh
滅んではいないから再評価されるチャンスはあるさ
404人間七七四年:2009/07/14(火) 10:52:32 ID:Prlc8XVo
信雄さんも群馬に、芸術的才能を生かしてこういうものを造って

名勝『楽山園』
http://www.town.kanra.gunma.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_oid=icityv2::Contents::1084&WIT_template=AC020000

一応、後世の人々の役にも立っていますよー。
405人間七七四年:2009/07/14(火) 10:56:56 ID:r31G90XD
>>402
所謂詰みの状態から生き延びたってだけでも凄いのにねぇ
406人間七七四年:2009/07/14(火) 11:09:09 ID:KHWLU8dx
勝頼より凄いんだな氏真
407人間七七四年:2009/07/14(火) 11:12:04 ID:y0JcswZG
氏真が本当にどうしようもないアホなら
朝比奈さんたちが武田と徳川に挟まれてまで匿って篭城したりしないよな
おまけに先祖伝来の城を敵に明け渡した後は一緒について小田原まで行くんだから
駿州の武士ものほほんしてばっかりじゃないような気もする
408人間七七四年:2009/07/14(火) 12:18:05 ID:Prlc8XVo
田村清顕という武将がいた。
あの伊達政宗の妻、愛姫の父親と言えばお分かりであろうか?

この田村清顕が、天正十四年(1586)、突然に死去した。
後嗣の無いままの死であり、死因が様々に取りざたされたが、この清顕の死から
ひと月とたたないうちに、彼の領地三春の街中に、妖怪が出るとの噂が立った。

皆不気味に思っていたところ、翌天正十五年の正月には、領民の女が深夜、
何者かに惨殺されると言う事件が起こった。

三春の人々は恐れおののき、世継ぎのないまま死に、この世に思いを残した
清顕の亡魂の仕業ではないか?と、噂しあった。
そしてそれからは日が暮れると、出歩く者もいなくなった。

これに憤った田村家のある侍が、自分がその妖怪を退治してくれようと、夜、密かに
見回りをした。ある晩、彼はついに、町内の家に押し入ろうとする4,5体の妖怪を発見し、
これに斬りかかった。
ところが、この侍が切りかかると妖怪たちはたちまち降参をする。
何事かとよく見ると、その妖怪達は、化け物の扮装をした強盗であったそうだ。
女の惨殺も、彼らの仕業であった。

彼らが捕縛された事により、三春の妖怪騒ぎは、ピタリと止んだのだと言う。

いつの世も、本当に怖いのは化け物ではなく人間である。と言うお話。
409人間七七四年:2009/07/14(火) 12:19:03 ID:xrrlfxb2
まとめになかったようなので、伊達政宗、浅野長政への絶縁状。

DQN四天王の名をほしいままにする政宗、厨二病の特徴の一つ「絶交状を書く」もクリアしている。
慶長元年、十か条の絶縁理由を示して今後の付き合いを絶つ宣言をした。

1( ●Д゚#)「嘘をついて太閤宛の知行返上書を書かせたあげく、まだ返してねぇだろゴルァ」
2( ●Д゚#)「朝鮮出兵で普州城攻撃の際、勝手に退却の指示をしやがって、俺のメンツ潰れただろゴルァ」
3( ●Д゚#)「しかもそのことを太閤に取りなさかっただろゴルァ」
4( ●Д゚#)「朝鮮出兵の折、太閤から支給された扶持米を俺んとこに分配しなかっただろゴルァ」
5( ●Д゚#)「秀次事件の時、俺はもう上洛してたのに、自分が遅刻しやがってしかもそれを
俺のせいにする嘘の報告しやがっただろゴルァ」
6( ●Д゚#)「秀次との共謀の疑いを持たれた俺を擁護しなかっただろゴルァ」
7( ●Д゚#)「帰国の時、俺に理不尽な言いがかりつけただろゴルァ」
8( ●Д゚#)「俺と仲の悪い木村吉清と仲いいだろゴルァ」
9( ●Д゚#)「俺と仲の悪い蒲生氏郷とも仲いいだろゴルァ」
10( ●Д゚#)「俺の家臣が木下勝俊家臣に殺された時、俺の取りなし依頼に応えてくれなかったから、
俺は世間で笑いものになるし、家臣へのメンツもたたねぇだろゴルァ」

勿論絶縁状の最後には捨て台詞も忘れない。
( ●Д゚#)「この絶縁状のことは太閤殿下に隠さずともオッケー。処罰されても関係ないぜ!」

以後、政宗はずっと長政を許さなかった。天下泰平な江戸の世の平和な茶会の席でさえも、
浅野弾正一類、浅野一族とは同席しなかった。

絶縁状、4,5のあたりは確かにひどい仕打ち、怒るのも無理ないなって感じですが、
8,9あたりになるとさすがDQN四天王としかw
410人間七七四年:2009/07/14(火) 12:20:14 ID:X2oG++AP
伊賀攻めの総大将だったんだよな、信雄
ここらへん経緯を見てると面白い
411人間七七四年:2009/07/14(火) 12:22:16 ID:HDS4axY8
理不尽な言い掛かりつけただろうと書いたそのすぐ次に理不尽な言い掛かりつけてるのがなんとも……w
412武士の嘘は武略 1/2:2009/07/14(火) 12:23:06 ID:mULLNZsk
『仏の嘘は方便と言う。武士の嘘は武略と言う。民百姓の嘘などかわいいものだ。』
明智十兵衛光秀は、自分の愛妻にまで武略を発揮していたんだよというお話。

明智光秀が三十歳前後というから永禄年間の話であろう。
京都での遊学を終え、故郷の美濃国明智へ戻る途中、光秀は美濃大野郡は府内城を
拠点とする山岸光信の元に立ち寄った。光信は光秀の母・お牧の方の実弟と言うから
光秀には叔父にあたる人物である。そしてこの山岸光信には十六歳になる娘・千草が居た。
千草は当時、大野郡で知らぬものはない美貌で、絶世の美女とも謡われた器量の持ち主であったが
既に光秀は当時、煕子を正室に迎えた妻帯者であり、その仲睦まじさは
後世に松尾芭蕉が句にするほどの関係。当然、千草に興味は持っていない。

ところが、千草姫の方は光秀の端正な洗練された理知を持つ光秀にすっかり
惚れこんでしまった。好きだとも告白し、閨にアタックもした。
愛妻家で知られる光秀も当初は断って居たが…。

千 草 >>スキです。
明智光秀>>そう言ってくれるのは大変有難いが、わしには妻が…。
千 草 >>ス キ で す 。
明智光秀>>いや、だからわしには煕子が…。あれの実家は妻木家、同じ美濃の…。

千 草 >>


 \/: /: : : /: /: : : : : : /: /: : |: : : : l: : : ヽ}   \
  /: /: : : /: / : : : : :://://: :∧ : : : :|: : : : |     〉
 l: |: : :  |: /: : : : :/ /" /: :/  \: : :.|: : : : |   /
 |: :ハ: : : |: |二ニ==ェニフ´   /, へ、____>':「: |: : : レ'
 ヽ:|∧: : |: |く/フこ^ヽ\ /   / _ェ‐‐、=、`|: : |: : l: :|
  ∧ヘ: : |/ |r^{:::}゚ |  "      |^{;:::}r^} 〉 |: :/: : l: :|
  /: : |\: |ヽ >ー‐'        ヾ_こ_ソ  /:/: : :/ /|
 / : : {. \ヽ :::::::     ヽ     `ー―' /イ: :/ /: |   スキだって言ってやがるですぅッ!
./: : : ∧  ト >   , へ、___   :::::/ /: ///: l: |
 : : : i^ヽ *\    / /´    :::::ヽ    // ノ/: : l: |
 : : /レ⌒ヽ、.  ヽ、 ヽ、_     :::ノ  , イァー‐く`¬ : l::|
 : / / / ,へ. l| ` 、    ̄ ̄ ̄, ' rーく \.  |` ト、:.l::l
 ::/ .| '  / /ヽ|    >= ァ  ̄  /^ヽ  ` ヽ. | 〈 ヽ::|
: /  |       / |  /⌒/L「\.   |       ./ /  | |


明智光秀、とうとう千草姫の熱意に折れ、二人の関係は割れない仲となってしまった。
千草姫は言うまでもなく明智光秀とは従兄妹同士である。
413武士の嘘は武略 2/2:2009/07/14(火) 12:24:19 ID:mULLNZsk
さて、そんな二人にもやがて別離の時がやって来る。
二人はその間際に、一対の和歌を吟じ合った。その内容は以下の通り。

明智光秀>> はるばると 千代の古跡 ふみわけて とわには行かん 山岸の里

千 草 >> 桂野の 千代の川水 清ければ 月も流れを 尋ねてぞすむ

また会いに来るぞと約束する光秀の贈歌に対し、千草は貴方一人を愛し続ける、だから
必ず訪ねて来て欲しいと哀願する返歌を詠むのだった。

この時、実は既に千草は身篭っていたのだが…山岸光信も千草姫も、そのことを光秀には告げなかった。

この子は山岸家の男児として育てられ、元服して山岸光重、後に光秀家臣として
明智姓を受け明智光重と名乗ることになる。

明智光秀は後に光重が自身の子である事を知るが、これを終生隠し通した。
妻・煕子への愛を裏切りたくなかったのか、それとも織田家重臣としても
世間体があったのか。それとも据え膳を喰わされて生まれた子、と
罪の意識も感じてなかったのか。それは今となっては定かではない。

1582年(天正十年)、明智光秀が山崎の合戦後に京都小栗栖で土民の竹槍にて
生涯を終えたのは周知の通りだが、明智光重もまたこの小栗栖の竹薮で
明智光秀の後を追い落命したという。享年は不詳であるが逆算しても
二十歳過ぎといったところか…父子ともども数奇な生涯であった。

そんな明智光秀の、(愛妻家っていう看板の裏に隠された)悪い話。
414412:2009/07/14(火) 12:26:28 ID:mULLNZsk
ところが、千草姫の方は光秀の端正な洗練された理知を持つ光秀にすっかり×

ところが、千草姫の方は光秀の端正な容姿と洗練された理知にすっかり ○

推敲はちゃんとしようぜってな話が出た直後にこれだ。(*>ヮ<)っ)・ω・`)・∵;; 
415人間七七四年:2009/07/14(火) 12:27:56 ID:BNO/cTFw
>>409
( ●Д゚#)「十戒にちなんで理由を十個そろえたかったんだよゴルァ」
416人間七七四年:2009/07/14(火) 12:32:20 ID:3nV/JSn1
そのAAは反則だろ・・・みっちゃんじゃなくても断れん
417人間七七四年:2009/07/14(火) 13:06:45 ID:rYFGcroW
水銀党の俺にはきかねーな。

光秀不倫してたなんてショックだわ……しかも従兄妹と……うらやまけしからん
418人間七七四年:2009/07/14(火) 16:51:43 ID:jlmneSOE
wikiみたらこの娘が正室になってて、煕子が継室になっ・・・

いやいや・・・そのようなこと、ここでは栓無きことでしたな。
419人間七七四年:2009/07/14(火) 17:34:55 ID:6iMpl945
>>417
ちょ……おまえ百合スキーなのか…
420人間七七四年:2009/07/14(火) 20:13:56 ID:wGCVYTGK
宮本武蔵と巌流島

慶長17年。駿河国の銀座が、武蔵国の江戸に移った年である。
それとは関係ないが、この年の4月13日、巌流島にて待ち人あり。
物干竿を腰に掛け、待ち人を待つのは巌流と号する佐々木小次郎。
彼が待つのは、二天一流兵法の祖・宮本武蔵玄信。
「遅い、遅いぞ…………遅いぞ宮本武蔵!」
約束の時間から既に二時間が経過しようとしている。が、武蔵来ない。
「よもや、逃げだしたのではあるまいな」
ごねる小次郎。彼は、宮本武蔵との決闘を行うべく、ここに来たのだ。
ちなみに決闘を主催したのは、宮本武蔵と言われている。
それなのに、武蔵来ない。小次郎、少しイラッとする。

やがて、武蔵がやって来た。
「待たせたな、巌流!」
遅れたのを恥とも思わない武蔵。小次郎、少しイラッとする。
「遅かったな、武蔵! さあ、殺ろう!」
小次郎、物干竿と呼ばれる野太刀を抜き、鞘を捨て、右手に構える。
それを見た武蔵、
「何故、勝負が終わった時に、その刀を納める鞘を捨てるのだ?」
揚げ足を取りに出た。完璧に心理戦である。
「ええい、さっさといくぞ!」
「おう!」
歴史に名を残す決闘の火蓋が、武蔵の弟子達によって切って落とされた。
「は? え? ハァ?!」
武蔵の弟子達が、である。しかも、みんながみんなして、
それぞれの得物を引っ提げて小次郎に向けて突撃してくるのである。
「汚いぞ! 凄い汚いぞ武蔵!」
「黙らっしゃい。勝てば官軍、負ければ賊軍じゃ!」
その後、武蔵の弟子達により、佐々木小次郎は生涯の幕を下ろし――
宮本武蔵は、この歴史に名を残す一大決闘に勝利できたのである。

「小次郎、敗れたり」
421人間七七四年:2009/07/14(火) 20:19:57 ID:B968w8o5
みんな汚い(><)
422人間七七四年:2009/07/14(火) 20:24:54 ID:2VhxKHzF
何この武蔵汚い
423人間七七四年:2009/07/14(火) 20:26:30 ID:Prlc8XVo
可児才蔵さんも試合を申し込まれて、鎧で完全武装した上、郎党に鉄砲持たせて現われた。
つまり時代的には武蔵が正しい。
424人間七七四年:2009/07/14(火) 20:35:53 ID:dfOH2yZh
武蔵さんは遅刻魔ですよ
彼の必殺技の一つ。

巌流島は、一応武蔵本人が勝っておいてから、身動きできない小次郎を
武蔵の弟子が寄ってたかってフルボッコにして撲殺という説もあるよね。
425人間七七四年:2009/07/14(火) 20:41:03 ID:44XDyTHU
>>408
人間はやっぱり怖いです><
426人間七七四年:2009/07/14(火) 20:44:15 ID:SKLqMCDX
まともな武蔵は新納さんだけか
427人間七七四年:2009/07/14(火) 20:48:24 ID:NREvb9bf
親指武蔵もかなりざっくばらんな正確だけどな
太守に向かって人質の娘は事故で死んだと思って反乱起こせとか普通言えねぇよw
かといって義久への忠誠が無いわけではないし
428人間七七四年:2009/07/14(火) 20:57:42 ID:hdl4M3Wv
俺、子供出来ても武蔵って名前だけはつけないようにしよう
429人間七七四年:2009/07/14(火) 20:57:58 ID:HtZtaEcW
>>409
流石にこれは政宗の論理の方が正しいわな。<理由8、9
取り次ぎ役って言うのは要するに、その大名の利益代弁者という側面も持っているから、
その利益代弁者がよりにもよって自分と仲の悪い奴と仲が良いってのは、不信感買われても仕方がない。
特に政宗の場合は(自業自得もあるとはいえ)豊臣政権の中では危険視されている存在なので尚更ね。

もっとも・・・この絶縁状、秀次事件で浅野の立場が悪くなったから書いた側面もあるわけで、
その点では政宗の悪い話にはなるわな。

ちなみに浅野と伊達の争いは、確か江戸幕府が「いい加減仲直りしろや」と言ってもガン無視。
仲直りしたのって、平成に入ってからじゃなかったっけか。
430人間七七四年:2009/07/14(火) 21:00:37 ID:Z6FDqcN0
そういえば浅野内匠頭が刃傷事件を起こしたときは
伊達政宗の曾孫が身柄を預かったんだっけか。
431人間七七四年:2009/07/14(火) 21:11:28 ID:Rx18HHZ5
>>412
AAワロスw、何という男の夢
432人間七七四年:2009/07/14(火) 21:16:12 ID:1qv0sffH
武蔵さんは遅刻ばっかじゃなくて、相手より物凄く速く来て隠れたっていう
作戦をとったこともあるっす。
433コピペ。ソース、詳細共に不明:2009/07/14(火) 21:36:23 ID:NREvb9bf
ウチの地方を治めてた殿様が、同盟を結ぶ為に伊達政宗と会見した時の話。

殿様「よう来られた。持て成しを用意致したので二階へお越しあれい。ささこちらの階段から」
政宗「この陣所の主は貴公ではござらぬか。政宗が後からついてゆくのが礼というもの。どうぞお先に」
殿様「おお、そうでござるか。しからばお先に」
政宗「・・・・・・キョェーーーーーッ!!!!」
殿様「な、なんじゃぁぁぁぁぁぁ!!??」

なんと政宗、突然奇声を発してジャンプ(笑)一気に五段抜きで殿様を追い越す。

政宗「易々と背中を預けていただくとは、余程この政宗を信頼いただいている証。その返礼に今度はそれがしが背中をお預け申す」

しかし政宗の茶目っ気は堅物揃いの相手方に全然通じず、ドン引き。愚弄されたと怒った殿様は仕返しにその晩、政宗の寝所目掛けて暴れ馬を解き放つイタズラを仕掛けるのであった…(一応同盟は締結した)
434人間七七四年:2009/07/14(火) 21:38:49 ID:jlmneSOE
>>420
この決闘に細川藩が立ち会ってるんだよね。
にも関わらず細川藩の史書にこれと似た文書がある・・・
つまり裏に細川藩の御家事情が絡んでるんじゃないかというのが専らの話
435人間七七四年:2009/07/14(火) 21:58:26 ID:dfOH2yZh
細川の剣術師範?だった小次郎を倒した割に、
武蔵と細川家の関係が良好で後日すんなり客分として
迎えられてるのも微妙に怪しいとかも言うね。
実体はひょっとしたら細川家の悪い話なのかもしれん。

>>433
それ、茶目っ気とかじゃなくて本人は真面目にやってると思う。何となく。
奇声はともかくw
436人間七七四年:2009/07/14(火) 22:14:21 ID:JdobMjpO
>>435
小次郎はこの時点ですでに隠居していたからね
それを断っているのに強引に決闘ねじ込んでるんだから

もう、引退して役に立たないからどうでもいい、という判断かも
437人間七七四年:2009/07/14(火) 22:33:39 ID:xV56/bue
>>430
幕閣、仲の悪い両家(分家筋)を競わせる。
 勅使饗応役・・・浅野長矩
 院使饗応役・・・伊達村豊
腺病質チックな内匠頭、ストレスに耐え切れず暴発。刃傷沙汰に。
内匠頭、田村右京大夫(伊達家親類、政宗の曾孫)にお預け。切腹。



438人間七七四年:2009/07/14(火) 22:34:34 ID:sCq080+V
>436
自分で真剣握って(気に入らない)指南役へ斬りかかる、どっかの厨恒さんよりいいんじゃないかと

どっちも悪い話だけどさw
439人間七七四年:2009/07/14(火) 22:56:49 ID:BBfTPB6T
>409
そこまで徹底されるとDQNも小気味いいよな
440人間七七四年:2009/07/14(火) 23:33:48 ID:jlmneSOE
>>436
オレが聞いた説は、細川家が肥前に入って、土豪だった佐々木氏の小次郎を
剣術指南にしたものの、佐々木氏が次第に増長し始めたから、それを
失墜させるために誅殺したとする話だったな
441人間七七四年:2009/07/14(火) 23:52:21 ID:2o9JTL1b
>>426
森長可「え、おれはまともじゃないってか?」
442人間七七四年:2009/07/15(水) 00:05:10 ID:2A4qb9fA
>>408
>>409
>>433
父は謎の死を遂げ、夫は天下きってのDQN…

奥さんの愛姫、テラカワイソス
443人間七七四年:2009/07/15(水) 00:06:12 ID:v/wcHl1E
>>432これも有名な一乗寺下り松の話ですね。

宮本武蔵は孫子の兵法を直接読んだ訳じゃないけど、
それに基づいた教育を受けたらしいから
勝つためには手段を選ばず、って思考になってるのは当然かな。
五輪書の内容は、孫子と類似してる部分も多いし。
444人間七七四年:2009/07/15(水) 01:22:34 ID:vpwOIJeW
田村清顕が死んだ。詳しくは、>>408の通り跡継ぎ無く死んだので
もちろん大問題が発生した。

次の当主誰?

であるが、次の当主といっても娘しかいなかったのだからしょうがない。
そこで娘の亭主にご出陣いただくのだが、この亭主というのが問題児であった。

( ●Д゚)←田村の娘の亭主=伊達政宗

で、ある。当然この問題にしゃしゃり出てきたのだ、迷惑だっただろうが。
どうなったかと言えば、田村領は、

「伊達政宗と愛姫の間に男の子が生まれたら当主にするのでその間伊達が代理で統治する。」

と言うものだったのだ。体の良い併合である。どう見てもお家乗っ取りでもあるが、
子供が生まれなかったら?という疑問はどうもなかった事になったようだ。
愛姫との間には男の子が生まれたが、これは伊達家を継いでしまった。
つまり田村家再興は政宗の眼中になかったらしいので、夫婦仲は一時期悪くなったそうだ。

さて、最後に田村家は江戸時代に再興されたのであるが、どうしたかというと、
愛姫が自分の直系の孫の一人をもって田村家を分家させろと遺言したからだそうである。

DQNの嫁は執念深くなければやっていけなかったのかな?
445人間七七四年:2009/07/15(水) 01:57:50 ID:twiP3Vqb
元々「生まれた息子を当主にしたいので娘を貰ってくだされ!!」
という縁談だったかと思ってた。独眼竜政宗と混同してたかな。
田村家に対する一連の対応見ると、政宗にとっては田村家を存続させるとか
本当にそんな気なかったんだろうな〜と思わざるを得ないw

>DQNの嫁は執念深くなければやっていけなかったのか
政宗が「自分をかたどった絵や像は両目を入れろ」と遺言したのに対して、
政宗死後に愛姫が作らせた政宗の木像はばっちり隻眼だったのは、
政宗の生涯を通じて良妻としての勤めを果たしきった愛姫の
最初で最後の憂さ晴らしというか、仕返しに思えなくもない気がする。
大河の冒頭では「ありのままの姿を残したいという政宗への愛情〜」と紹介されてたが。
446人間七七四年:2009/07/15(水) 02:37:05 ID:vpwOIJeW
>>445
政宗の木像が、隻眼なのは確かに、愛姫の「ありのままの姿を残したい」
という事があったからなのだが・・・・・・

どう考えても意趣返しです。ありがとうございました。

なんといっても、隻眼である事をいつも気にしていたらしいよ。→( ●Д゚)
本当に好きだったらいくら何でも亭主の遺言は守るでしょ。
447人間七七四年:2009/07/15(水) 02:42:04 ID:jyr4wraV
造られた銅像をみて、うちの旦那さまじゃなか、と嘆いた人も居ったな
448人間七七四年:2009/07/15(水) 06:08:29 ID:13aa6Hc1
フニャチンをみて、うちの旦那さまじゃなか、と嘆いた人も
449人間七七四年:2009/07/15(水) 06:28:25 ID:BhGZuF2y
ワシなんぞ降伏の姿しか・・・いやなんでもない
450人間七七四年:2009/07/15(水) 09:13:50 ID:DybmcLqw
>>449
「何言ってんスか養父さん、銅像立ってデキる養子がいて幸せじゃないスかwww」
451人間七七四年:2009/07/15(水) 10:03:44 ID:fQhdjyS1
上野の西郷隆盛は結局誰なんだか不明なんだよな・・・
452人間七七四年:2009/07/15(水) 10:08:38 ID:/cPC+29Y
>>451
いや、あの「うとの旦那様じゃなか」は、顔が似て無い、という意味ではなく、
「うちの旦那様はこんなだらしない格好をする人ではない」と言う意味。

だいたいあの銅像が出来た当時は、実際に西郷に接した人がいくらでも生きていたんだから、
似てなきゃ似てないで各方面からもっと文句が出るのに、そう言うものは存在しないからね。
453人間七七四年:2009/07/15(水) 11:48:43 ID:1X8XEdv/
日本列島は温暖な気候に恵まれ太古から豊かな原生林に覆われていた
日本人はその恵みを受けて生活して来たのである
…戦国時代までは

800年の時点で大規模に伐採された原生林は畿内盆地だけであったが1000年には伐採は四国に広がる
1550年には国土の四分の一にまで伐採が広がっていたがまだ畿内周辺と四国のみで地方には原生林が残っていた
日本列島全土で原生林が驚異的に減っていくのは秀吉が天下統一を果たしたあたりから
秀吉が作った大阪城を始めとする巨大建築、朝鮮の陣…
築城にも造船にも莫大な木材を必要とした
政権が家康に変わっても大名達の木材消費は変わらず各藩の新城建設、寺社の復興や新築に消えていった
家康が築城した内最大の城3つだけでも25平方キロメートルの森林が伐採されている
それだけではなく大阪の陣で戦国が終わってから100年で人口が倍増、民衆の木材消費も激増した
こうしてむやみに木材を消費した結果、秀吉の頃にはまだ日本に四分の三あった原生林は戦国末から激減し
100年ほどでほとんど伐採しつくされ山はほとんど禿げ山と化した
森林が消えて何が起こるのかというと野生動物や近海魚の減少、土壌の侵食により土地が痩せる等食糧資源の減少
それに起因する限られた資源を奪い合う争い、その他諸々の社会問題である

戦国が終わったと思ったら戦国から始まった乱伐によって思わぬ危機が迫っていたでござると言う話
幕府がぶっ壊れるどころか最悪環境破壊で崩壊したマヤやほとんど全滅寸前まで行ったイースター島のような大惨事になる可能性があった
もっとも幕府は強力なリーダーシップを発揮してこの危機を乗り越えるがそれはまた別の話。
文明崩壊って本読んでくれ

みんな自然は大切に使おうぜ
454人間七七四年:2009/07/15(水) 12:28:38 ID:aP6RWrjf
>>429
取次ぎってのは相互関係。中央に対して利益代弁してもらう代わりに、
取次ぎ役に利益を齎す、協力者でなければならない。

浅野からしたら
「お前、人を利用するばっかりで、ちっともこっちの役には
 立たないじゃないか問題ばっか起こしやがって!」
って感じじゃない?
455人間七七四年:2009/07/15(水) 12:47:15 ID:QXprgOb2
>>453
戦国時代には既に、植林という概念があったし、
各地で山が空く(禿山化)のを、統治の為政者達は相当な危機感を持っていたらしいぜ。
戦国時代、畿内が特にひどかったのはたしかだけど、機内に限った話ではない。
戦国末期にたびたび起こる利根川の氾濫は、
上野の保水力が著しく下がったからという見解もあるくらい(半世紀の間、武田・北条・上杉の係争地だったため)。

軍需物資から見た戦国合戦って本もあわせて読もうぜ
456人間七七四年:2009/07/15(水) 13:06:01 ID:1TohCvGL
刀を鍛えるのに必要な燃料として、製鉄に必要な炭を得るための伐採によって
大雨の際に大規模な土石流が起こり、長船や豊後高田などの刀剣の産地は
1590年代に壊滅状態に陥っているね。
457人間七七四年:2009/07/15(水) 13:10:45 ID:MpEnaq7Z
木を大事にする気は必要だ
458人間七七四年:2009/07/15(水) 13:14:05 ID:/cPC+29Y
禿山といえば、家康が関東に移封されたとき、関東の古戦場を色々実地調査してて、
それで北条が武田にやられた三増峠の戦場を見た時、北条が陣取った小山が禿山で、
これに家康は

「あんな禿山に陣取ったりするから負けたのだ。あの山に木が生えていれば
北条は負けなかっただろう。」

って言って、早速そこを植林させた、って話があったな。
459人間七七四年:2009/07/15(水) 14:00:27 ID:NhGbh8WE
戦国時代の環境破壊とか局地的にしか考えてなかったけど原生林切り尽くすほど深刻だったんだな
宣教師のコエリョに対して秀吉が「船を2000隻新造して明へ行くからお前らも大型船くれよ」とか言ってたが
考えて見りゃ2000隻の船にしても大阪城にしてもその分木材切り出すわけで凄い量だよなぁ

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-749.html
この話も秀家のようないい解釈の他に鎮守の森を切り出さざる終えないほど
当時の木材需要が逼迫していた悪い話なのかもしれないな

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-265.html
みたいに民草で植林してたりする例もあるけど
もしかしたら切り出した結果のからっ風だったのかもしれないよね
460人間七七四年:2009/07/15(水) 14:10:56 ID:B2CMvbaa
まあ戦国時代が終わったら新田開発時代が到来してまたぞろ山が開発されるんだがなw
461人間七七四年:2009/07/15(水) 14:12:59 ID:ZXIgTZYc
>>459
前者は用地確保のためであって木材のためではないし
後者のからっ風は気候に起因するものだから木はあまり関係ない気がする。
462人間七七四年:2009/07/15(水) 14:15:45 ID:NhGbh8WE
六甲山とかはげ山だったらしいしな
今では信じられん
中国(国家)に行ったら山という山がみんなはげ山でビックリしたがあんな感じだったんだろうか?
463人間七七四年:2009/07/15(水) 14:16:22 ID:liTh4Vtt
>>460
江戸期に我が下総の干潟で行われた干拓・新田開発は太平洋戦争が終わるまで地元民を苦しめたな
464人間七七四年:2009/07/15(水) 14:16:25 ID:NhGbh8WE
>>461
邪推しすぎか
忘れてくれ
465人間七七四年:2009/07/15(水) 14:25:18 ID:pfAwr09F
>>461
木の話だけに気のせいってことですね
466人間七七四年:2009/07/15(水) 14:32:47 ID:/cPC+29Y
>>463
印旛沼干拓ですかw
しかしあれは、工事失敗して放置、ですからなあ。

山林に関しては、江戸期は上は幕府から下は村落まで、樹木の育成、保全が基本方針ですな。
江戸期は植林技術が飛躍的に進歩してる。
467人間七七四年:2009/07/15(水) 14:33:27 ID:0mSVSH6G
>446
木像を造ったのは たしか成実も亡くなって古い家臣がいなくなって
造っても苦情を言う人がいなくなってからだったっけ?
やはり思うところはあったんだろうね
468人間七七四年:2009/07/15(水) 14:56:51 ID:liTh4Vtt
>>466
いや、椿の海のほうさね
失敗し続けても諦めずに続けた結果、干拓して新田もとりあえずは開発できた
でも泥田でろくに収穫も出来ないし雨が降ればグチャグチャ
そして何よりも用水が足りなかった(計画はあった)

怒った幕府は関わった奉行を全員切腹させたしパトロンだった商家も当然潰れた
そして地元民は、昭和の中ごろに利根川から水が引かれるまで水不足に苦しまれ続けたのさ

ちなみに、幕閣に運動するために担ぎ出された坊さんはお咎めなしで現地に自分の寺まで建てたそうだ
469人間七七四年:2009/07/15(水) 15:03:25 ID:/cPC+29Y
>>468
そんなことがあったのですか。知らなかった。勉強になりました。
ググってみたらあった。これか!
ttp://www.geocities.jp/nagarebosi4123/C3_1.htm

何と言う負のスパイラル…。
470人間七七四年:2009/07/15(水) 15:03:39 ID:liTh4Vtt
>>468
あ、坊さんが自分で建てたんじゃなくて、建てさせたんだったかな? 3つくらい
ちょいと失念

ま、戦国よりも少し後の時代のことだけど
471人間七七四年:2009/07/15(水) 15:07:49 ID:liTh4Vtt
>>469
流れ星だからソコかな?
主のおじいちゃん、ブログもやり始めたみたいだが
472人間七七四年:2009/07/15(水) 18:28:10 ID:KeG2kJPE
>>449
義久公、薩摩へ帰りましょう・・・

>>462
京都の東山も今では観光名所ですが明治まではげてました
473人間七七四年:2009/07/15(水) 18:58:03 ID:AxdcltG5
>>469
歴史上の干拓事業って大概美談絡みのイメージが強かったけど
失敗(と言って良いよな?)した場合、滅っ茶悲惨なのね・・・
474人間七七四年:2009/07/15(水) 20:01:20 ID:dEbsk/Hg
>>449
像があるだけマシじゃないか・・・
ワシなんて・・・ワシなんか祖父と父親と弟のレリーフがあるのに
初代藩主のワシのレリーフが無いんだぞ!!!!!
嫁は戦国無双で大活躍だし・・・

        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
475人間七七四年:2009/07/15(水) 20:21:55 ID:a/GGmQHQ
>>474
そうだね、信之も家康に土下座してる銅像を作ってもらって
その姿を永遠に後世に伝えていくべきだね
476人間七七四年:2009/07/15(水) 20:28:15 ID:yj9OLfDd
上田城の櫓内部の展示室には昌幸、幸村、幸昌のマネキンだけがあるのは秘密だ。
477人間七七四年:2009/07/15(水) 20:28:29 ID:x+QSqz/0
>>449
>>474
隆元様が、お二人を
同情を禁じえない表情で見ています…
478人間七七四年:2009/07/15(水) 20:29:41 ID:lp07Xaet
>>475
家康に、ってか嫁に……?
479人間七七四年:2009/07/15(水) 20:37:13 ID:gq71gcdl
作ってもらえないならば自分で作ればいい
材料も手軽に木でいいんだよ
息子なんかはじめからいないんだ・・・
わし頑張ったよね・・・・・・
480人間七七四年:2009/07/15(水) 20:38:33 ID:UtWow+gP
>>479
おい、やめろ
481人間七七四年:2009/07/15(水) 21:13:39 ID:zK4cxy9m
全秋田が泣いた
482人間七七四年:2009/07/15(水) 21:19:33 ID:CWIksg45
最強の落としどころだよなw
483人間七七四年:2009/07/15(水) 21:25:59 ID:Xrr3tZw7
フローズンワームさん悲しくなるからやめてください
484人間七七四年:2009/07/15(水) 23:49:28 ID:apLLmIQ7
ある家族のだんらん

大友宗麟のお膝元、臼杵ではキリスト教の祝日を盛大に祝っていた。
その日も復活祭を祝い、提灯を連ね花火を打ち上げ、教会は内庭まで人で埋められた。
宗麟自身も、一族や重臣を集めて祝宴を開いた。日ごろ仲が良いとは言えない家族だが、
みな和やかに宴を楽しんだ。

「えー、宴もたけなわではございますが、ここで家長の父上からぜひ一言…」
長男・義統の要請に宗麟は応えた。

「では、簡単に…義統から「一言くれ」って言われたけどお前、ふだんオレの言う事なんて
聞いたことないし。本当はオレのこと何とも思ってないだろ?
あと親家(次男)、バカ過ぎ。悪いけどオレ、お前のこと好きになれんわ。
そんなワケで、オレが死んだら葬式とか親盛(三男)に面倒見てもらうから、長男と次男は
よけいな事すんなよ。以上!」


義統はうつむいて顔を伏せたまま動かなくなり、親家は号泣し始めたという。
485人間七七四年:2009/07/15(水) 23:51:54 ID:UtWow+gP
こ れ は ひ ど い
486人間七七四年:2009/07/15(水) 23:53:16 ID:ZEnpSncO
リアルに悪すぎて嫌だ…w
487人間七七四年:2009/07/15(水) 23:56:23 ID:DybmcLqw
おま…酔ってたとしてもどんだけブッちゃけてんだよ…
488人間七七四年:2009/07/15(水) 23:58:04 ID:f0khfijP
そりゃこんな事してたら国潰れるわ・・・
489人間七七四年:2009/07/16(木) 00:06:19 ID:UL/Xb8p1
親子や兄弟の結束固い毛利や島津にやられたのも無理ないな…
490人間七七四年:2009/07/16(木) 00:07:00 ID:v8vkd3vq
ワラタ
491人間七七四年:2009/07/16(木) 00:18:46 ID:mpGC2jWv
宗麟自体父親との関係があれだったからなあ…


>葬式とか
たしか三男はキリシタンなんだっけ?その関係?
492人間七七四年:2009/07/16(木) 00:18:47 ID:KxHsQR3k
血が一滴も流れてないのにこれだけ酷い話ができるとは……
493人間七七四年:2009/07/16(木) 00:24:58 ID:QWD33VwO
大友には国崩しが二つある
血が流れる国崩しと涙が流れる国崩し
494人間七七四年:2009/07/16(木) 00:28:45 ID:ZdnlmNWI
     _, ,_   詩人か!
   (;´Д`)   _, ,_
    ⊂彡☆ ) Д´)>>493
       パーン
495人間七七四年:2009/07/16(木) 00:31:09 ID:UIc1VXeR
まさに二回崩れ
496人間七七四年:2009/07/16(木) 00:32:20 ID:N0Bu/ilt
>>484
本音で言い合えるうらやましい家族関係だとおもうが?
497人間七七四年:2009/07/16(木) 00:35:03 ID:7meEt4uq
本音の内容にもよるだろ
498人間七七四年:2009/07/16(木) 00:35:49 ID:78nc7aCn
>>491
この話が何年ごろかは不明だけど
義統は87年、親家は75年、親盛は80年に洗礼を受けている。
単純に親盛が一番のお気に入りだったからかと。

ちなみに実際に宗麟の葬儀を執り行ったのは親家だったり。
499人間七七四年:2009/07/16(木) 00:48:16 ID:F9j6u9jc
戦国つか、今でもこういうDQN父がいてナイフで刺されていそうなかんじがいやだねw
こういうのは戦国関係なく、いつでもいるだろw
500人間七七四年:2009/07/16(木) 00:48:34 ID:mpGC2jWv
>>498
そうなんだありがとう
宗麟のお墓を義統が仏式にしたことは知ってたんだけど
親家が葬儀をあげたのは知らなかった
喪主は家督相続した当主のほうがいい気がしないでもない

ttp://panorama.photo-web.cc/tiiki/tukumi/sourinboti.html
>葬儀は神父たちにより盛大に行われ墓もキリスト教式に建てられましたが、
>秀吉が突然耶蘇教禁令を発布したため
>宗麟の嫡子義統は仏式の墓に取り替えました、その後墓も荒廃し
>昭和52年大分市出身の世界的建築家 磯崎新氏に設計をお願いしこの新しいお墓が作られました。
501人間七七四年:2009/07/16(木) 01:17:21 ID:E8SrgHOB
>>484
大友家は謀反ばかり起こされてるけど殆ど理由がわかってなくて、
他紋衆という大友家の同族以外の家臣が、宗麟の扱いに不満を
抱いたためじゃないかと大概の本には書かれてたりするよね。
息子に対してこうだから、家臣らに対しても酷かったのかもなぁ
502人間七七四年:2009/07/16(木) 01:22:29 ID:xqv+Cj4j
>>501
キリシタン武士と非キリシタン武士とで対立があった事と、
大友宗麟がキリシタンなので、宗教的対立があったようだ。

家臣の田原家は当主(非キリスト教)VS養子(キリスト教改宗)
で、対立になって、廃嫡されたとか。

こういう宗教対立の所で、共産主義(宗教は阿片だ!)を教えたら面白いだろうなぁ。w
503人間七七四年:2009/07/16(木) 04:03:45 ID:rC2bu+yi
大友は一族間の争いが多すぎ
504人間七七四年:2009/07/16(木) 06:39:13 ID:3FKuzLDp
>>501
他姓衆=殆どは佐伯系だけど(他には朽網くらいか)
こっちとの対立は「集権化」の観点から説明がつかんこともないが…

むしろ一万田・田原・田北・立花というバリバリの同紋衆が叛く叛く
宗麟が基督教に惑溺する前でも(した後はもうね…)頻発してるから
統治システムと宗麟の人格との双方にかなり問題が有ったと思われ
505人間七七四年:2009/07/16(木) 07:10:30 ID:FHwXVtck
>>484
これは酷すぎる…宴の席が一気に白けるのが分かるわ
親の愛が全く感じられん
復活祭に何やってんだ
506人間七七四年:2009/07/16(木) 07:30:59 ID:zUYrRu6V
親の愛を受けず、むしろ疎まれて育った子供が成長するとこうなります
507人間七七四年:2009/07/16(木) 07:37:05 ID:NR+jQlVO
>>501
北と南だったか家臣団が分かれてたんだよね
日向出兵とかもその影響でろくに統制も取れてなかったらしいし
508人間七七四年:2009/07/16(木) 09:34:46 ID:ZdnlmNWI
一万田なんて嫁さん盗られたうえに殺されてるし、叛かれて当然だ。
俺は今でも許していない。
509人間七七四年:2009/07/16(木) 09:48:15 ID:rC2bu+yi
大友家内紛の歴史は応永の乱から始まったらしいね……
510人間七七四年:2009/07/16(木) 09:50:55 ID:rC2bu+yi
>>509
訂正
×大友家内紛の歴史は応永の乱から始まったらしいね……
○大友家内紛の歴史は応永の乱あたりから始まったらしいね……
511人間七七四年:2009/07/16(木) 09:55:31 ID:qGmzyftj
そりゃあ、戸次さんも心労で早死にする訳ですよ
512人間七七四年:2009/07/16(木) 10:36:15 ID:sAr9TMqS
逸話(特に晩年の)だけ聞いてると、なんでこんな奴にベッキーや紹運さんたちが忠義尽くしたのかわかんなくなるな
513人間七七四年:2009/07/16(木) 10:42:03 ID:cWOCIjzY
スレ違いだし単純な比較は出来ないけど
袁紹さんとこの審配とか思い出しちゃうよ。>ベッキーや紹運さん
514人間七七四年:2009/07/16(木) 10:55:04 ID:zJwbIKx+
せっかくの宴が宗麟の一言で二人だけ葬式会場に…
仮にも自分の息子を大勢の目の前で突然なじるってどういう神経してるんだ
人を斬ったとか言う話より現代でも現実味のある話だから余計悪く聞こえるわ…
515人間七七四年:2009/07/16(木) 11:15:44 ID:1OF17CTz
これを貼れといわれたような気がした
ifスレの書き込みだけど
--------------------------
258 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 05/03/14 16:15:41
大友宗麟 1530-1587

豊後・府内に漂着したアラビア商人と親交を深めてイスラム教に興味を持ち、
日本初のムスリム大名になった。ムスリム名・アブドゥルラフマン。
領内の寺社神社を破壊し、竜造寺・島津・大内ら諸氏と激しく覇を競った。
天正少年遣トルコ使節団を派遣、オスマン帝国と友好関係を結んで
アラビアの学問や兵器を導入したが、耳川で島津氏に大敗し没落した。
フロイスは見るに耐えない凄まじい言葉で彼をけなし、
「シモの地方で十字軍を起こすべきだ」と述べている。
516人間七七四年:2009/07/16(木) 11:27:01 ID:78nc7aCn
キリスト教の前は禅宗にはまって家臣相手に「そもさん!!」だったそうだから
イスラムがくればムスリムになっていたかも。
517人間七七四年:2009/07/16(木) 12:05:33 ID:TNpZiu/2
根本的に宗教に近づけたら駄目なタイプだったのね・・・
518人間七七四年:2009/07/16(木) 12:06:43 ID:wp9bnFlZ
自らの力で版図を最大に広げたけど、自らの愚劣さで最小に狭めたと
言う意味で、宗麟と伊東義祐、龍造寺隆信は似てるなぁ・・・
宗麟と領地が陸上で隣り合うと生き方も似てしまうのかね
(実際、最小に狭めてったのはそれに乗じた島津だけども)
519人間七七四年:2009/07/16(木) 12:41:19 ID:J+iO1tIS
本人ってより土地柄的なものもあんのかもな
520人間七七四年:2009/07/16(木) 16:00:14 ID:QWD33VwO
全ては劇団シーマンズーのための噛ませ犬としか思えん
521人間七七四年:2009/07/16(木) 16:11:12 ID:wp9bnFlZ
その1

相良家が島津家に降伏し義陽が戦死した後のこと、義陽の腹違いの弟である頼貞が
家督を簒奪すべく挙兵したことがあった。頼貞は島津義久を伴った深水長智らに
説得され兵を退くが、ことはそれだけで収まるものではなかった。

湯山地頭の湯山宗昌とその弟の普門寺5代院主・盛誉が、頼貞に呼応していたと
讒言されたのである。義陽の後を継いだ忠房は重臣である深水長智、犬童頼安と
相談の上、宗昌一族を誅滅するよう、米良の士卒に命じた。
しかし、当の宗昌、盛誉には全く身に覚えのない話であり、二人は妻子や従者と共に
善門寺にて謹慎する意志を表した。
一方の忠房も、宗昌らが無実であるとわかり犬童九介なる者に、軍勢を追わせたのである。

だがこの九介、無頼の酒好きである。
途中、知人の家に立ち寄った際、その近所にある馬療治の家に案内されるのであるが、
そこで酒を飲み過ぎてしまい、気付けば夕刻となってしまっていた。慌てて道を
急ぐも夜となり、酔いもあってかそのまま眠り込んでしまった。
そうとは知らぬ米良の士卒は予定通りに普門寺を襲撃、宗昌はなんとか日向へと
落ち伸びることができたが、弟の盛誉は弟子と共に読経中、黒木千右衛門により
一刀の元に殺害され、弟子らも師の仇と敵に飛び込むが結局討ち取られてしまった。
九介が目を覚まして駆け付けた時には既に後の祭り、全て終わっていた。
九介は責任を痛感し、その場で切腹して果てた。
522人間七七四年:2009/07/16(木) 16:13:30 ID:wp9bnFlZ
その2

だが話はそれで終わらない。
その数日後、市房神社に籠り祈念する老女が現れた。その者、宗昌と盛誉の母である。
老女は愛猫の黒猫を連れこの神社にやってきたのであった。
老女はその日から断食を続け日に日に痩せ衰えていく。
そして断食も21日目となったある日、老女は突然自らの指を噛み切り、流れ出る血を
狛犬に塗り付け、更に愛猫にその血を吸わせたのである。
老女は愛猫に話しかける。「玉垂や、聞いておくれ。わたしの子は罪もないのに、
殿様に殺され、行くえ知れずとなった。殿様のなさる事とてあまりに酷い。あまりに
情けない。年老いた女の力では、仇討ちもできぬ。玉垂や、私の気持ちをわかっておくれ。」
老女は一晩中、猫に話しかけ続けという。
数日後、猫を抱いたその老女の死体が湯山の沢に浮いていた。

それからである。盛誉を切った黒木千右衛門が突如病気になった。黒木は猫に脅えるような
言動を繰り返し、やがて気狂いして息絶えた。
災いはそこのみに留まらず、犬童九介に酒を飲ませた馬療治の主人一族にも及んだ。
城ではあらゆる祈祷を行ったが効果は現れず、そしてあろうことか、討滅を命じた当主・
忠房も14歳という若さで急死してしまったのである。

その後、忠房の後を継いだ弟の頼房により普門寺の跡地に千光院生善院を建て、その東側に
老女と猫の墓をたてた。その命日には必ず当主が参詣し、人々にも必ず参るようにと命じ
ようやく呪いは収まったという。
523人間七七四年:2009/07/16(木) 16:19:34 ID:Q8kyE5Y8
なんという酒癖の悪い話
そもそも急遽負っている時に知人の家に立ち寄って飲んでくってのが、
もう論外だろ・・・
524人間七七四年:2009/07/16(木) 16:20:14 ID:wp9bnFlZ
>>521
訂正。
善門寺にて謹慎・・・ ×
普門寺にて謹慎・・・ ○
525人間七七四年:2009/07/16(木) 17:12:05 ID:QWD33VwO
高い酒だなまったく
526人間七七四年:2009/07/16(木) 17:24:58 ID:wopmJUSF
>九介は責任を痛感し、その場で切腹して果てた。

これほど情けない切腹もないな
527人間七七四年:2009/07/16(木) 17:25:03 ID:JInvIvNv
犬童九介って頼安さんと同姓だが親戚か? なんにせよお粗末な話だね...
湯山一族の無念はそれ以上だし祟るくらい当然かもしれん
528人間七七四年:2009/07/16(木) 20:46:05 ID:MZyQOcK1
ひどいとしか言いようがない。
実に酷い話が続いてスレの趣旨的にはイイ流れだが・・
529人間七七四年:2009/07/16(木) 21:19:28 ID:Wca2wwst
まあ、上からの命令は何を差し置いても真っ先に遂行しましょう、って事の良い事例だな。
530人間七七四年:2009/07/16(木) 22:11:40 ID:tTGH9Psn
人選ミスと言ったらまあそれまでなのかも知れないけど、被害が甚大すぎるなぁ・・・
531人間七七四年:2009/07/16(木) 22:51:40 ID:0TCv9LG+
「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。」か…
532人間七七四年:2009/07/16(木) 23:28:37 ID:adb2r12G
田村氏再興の件で政宗さんをフォローすると、愛姫が生んだ2番目の男子に
田村氏を名乗らせる計画だったんだけど、その子が10代後半で死んでしまい
政宗と愛姫の間の男子が二代藩主忠宗だけになっちゃった事情があるんだよね。
じゃあ次の世代で、ということになった。政宗が田村氏の家督争いと奥州仕置に
乗じて三春を横領したのも紛れも無い事実だけどね!

ちなみに田村氏は断絶していたわけでは無く、清顕の甥宗顕が家督を継いでいた。
彼の子は片倉喜多の名跡を継いで片倉氏になったので宗顕の死後、忠宗の息子が
田村宗良になった。やっぱり政宗のフォローをするのは片倉家と愛姫なのである。
533人間七七四年:2009/07/17(金) 00:20:17 ID:tD/U1TUc
>>523
田舎の人はしつけーからな。

馬療治の家「まぁまぁ一献」
犬童「それがし先を急ぐので」
馬療治「たった一献くらいなら一息じゃ。ほら飲め」
犬童「でも追わないと…」
馬療治「飲めんと申すか。男が廃るわい」
犬童「では一杯だけ」
馬療治「駆けつけ三杯と申す。ほら!」

こんな感じだったんだろう。
飲む方も悪いが、田舎人は無理やりにでも勧めるのが
礼儀と思ってるからな。
534人間七七四年:2009/07/17(金) 01:02:40 ID:qqHJ0bzF
>>533
飲む方も悪い
じゃなくて、
飲む方が悪い
じゃないか?
例えば飲酒運転で死傷者が出る重大事故を起こしておいて、
しつこく勧められて断れなかったって言い訳しても通らんだろう。
田舎で酒を勧められたことないんで知らんが、
押さえつけて無理やり飲まされるわけじゃないだろうし。
535人間七七四年:2009/07/17(金) 01:25:29 ID:W9WWTROC
>>533
> 飲む方も悪いが、田舎人は無理やりにでも勧めるのが
> 礼儀と思ってるからな。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-922.html

この話のことですねわかります。
536人間七七四年:2009/07/17(金) 01:41:45 ID:tD/U1TUc
>>534
「飲む奴が悪い」のはそうなんだけど、田舎の人は
お勧めがしつこいんだよ。
それがマナーだから。
都会の人の思考だと
「お役目がある人を留めてお酒を勧めるのは失礼」
田舎の人の思考
「立ち寄った客人をもてなさないのは失礼。
相手のノーはノーサンキューじゃ無く遠慮してるだけ。
是が非でも勧めて酒を飲んでもらわなくてはお家が廃る」

俺も田舎の出だから、田舎人のこの辺の思考はわかるのよ。
犬童さんも飲みたくてうずうずしてたというより、犬童が飲めるのが
わかっている相手に断れないように無理強いされたんだろうな。

537人間七七四年:2009/07/17(金) 01:43:01 ID:q5sHnlqT
いいかげんスレ違い
538521, 522:2009/07/17(金) 02:35:52 ID:mi+Rd1u/
>>537
どうやらそうでもないみたい。

この話を掲載してるHPが幾つかあるけど、元々讒言は湯山宗昌を貶めようと
した者の虚言で、その者が事の露呈を恐れて、馬療治の主人に犬童に
酒を勧めるよう依頼したとか書いてあるものもある。
犬童が喉の渇きから水を所望したときに酒を出したらしいから、
>>533>>536のようなやり取りがあった可能性もあるみたいだ。

まあこれ以上は脱線しそうだから控えた方がよさげなのは確かだけどね。

539人間七七四年:2009/07/17(金) 07:51:02 ID:s4y5IKDg
避けられない酒だったのか
540人間七七四年:2009/07/17(金) 08:27:26 ID:DY99tJ4w
>>433
ワラタw なごんだ
541人間七七四年:2009/07/17(金) 10:23:56 ID:HD2RngzH
つーか犬童はどう見ても今で言うアル中だなw
死んでも飲んじゃ駄目って場面でも酒って聞くと理性が飛ぶ。
お使いの人選誤った悪い話。

>>532
政宗のフォローになってなくないかw
542人間七七四年:2009/07/17(金) 10:39:05 ID:0nq1AQN7
犬童「シンゴー! シンゴー!」
5431/2:2009/07/17(金) 13:48:41 ID:W9WWTROC
穂井田元清といえば毛利元就の四男であり、「毛利四本目の矢」とも言われた名臣である。

さて、文禄四年(1595)、大阪船場の毛利屋敷にいた元清は、主君であり甥である毛利輝元から
こんな事を言われた

輝「今、堺にでっかい異国船が抑留されてて、見物人が沢山出ているらしいよ!
 元清も見に行って来なよ!」
元「はあ?い、いや、私はそう言うものにあまり興味は…」
輝「遠慮しないで!たまには仕事を休んで楽しんできなよ!」
元「は、はあ。そこまでおっしゃるなら…。」

元清、なにやら不気味なものを感じながら、屋敷を出て堺へと向かった。
当然、その感覚は非常に正しい。何とその時、豊臣秀次の家老、白江備後守が、密かに
輝元を訪ねてきていたのだ。

白「秀次様に忠誠を誓う誓紙を内々に書いてください、大丈夫、もう既に沢山の人が誓紙を
 差し上げてますから。
 あ、でもこの誓紙の存在は世間に知られないようにしたいから、家老の人とかどっか
 他所に出しちゃってください。」
輝「みんなもう出してるんだ!それも内密にして外に情報出さないのなら安心だね!」

この時はまだ、秀次と秀吉の対立は表面化していなかった。
輝元、これをころっと信じた。何でこんな露骨に怪しい話を信じるのかとも思うが、輝元なんだから
仕方が無い。余りにうまくいった白江備後、つい調子に乗って

白「最近御養子にされた秀元様からも、誓紙を差し上げてはいかがでしょうか?」
輝「おお!グッドアイデア!」

早速秀元を呼んだ。毛利秀元、当時16歳。自分が呼ばれた理由を聞いて、死ぬほど驚いた。

秀「ち…、義父上はもう誓紙を書かれたのですか?」
輝「YES!」

秀『…やばい!毛利家が潰れる!!』

16歳の秀元でも、このやばさが解るのだ。つーか、16歳の解る事が、当時42歳の輝元には
解らないのだ。困ったものである。
しかしやばい事がわかっていても、義父であり主君が既に出したのに、養子の自分が
誓紙を出さないわけにはいかない。秀元、ふと尋ねた

秀「どんな分面で書けばいいか、義父上の案書(下書き)を見せていただけますか?」
そうして案書を見る。嗚呼、見事なまでに馬鹿正直に秀次に忠誠を誓う文面が書いてある。
やばい。どうにかしないと…。
秀元この案書にサラサラと何か書き加えた。
秀「わたしはこの文面に、『太閤様御同様に』と言う一文を書き加えさせてもらいます。」

輝「あ、それいいね。ワシもそう書けばよかった。」
秀『頼むからそのくらい気付いてくれよ!!』
5442/2:2009/07/17(金) 13:52:39 ID:W9WWTROC
さて、夜になり、穂井田元清が戻ってきた。彼は輝元につけていた近習から、一部始終を聞いた。

元「何たる事だ…、毛利家が潰れる!秀元!秀元!」

ちなみに穂井田元清はこの、毛利秀元の実父である。

元「秀元!誓紙の件を詳しく話せ!」
秀「誓紙ッテナンノコトデスカ?ボク全然シリマセン」

誓紙の件に付いては輝元から口止めされていた。父とは言え語るわけにはいかない。
しかし親子である。彼らは目と目で語るのだ

秀『お察しください』
元『よし察した』

元清、輝元の部屋に怒鳴り込んだ「秀次様に誓紙を出したそうですね!御家を滅亡させる気ですか!?」

輝元はびっくりしている。彼としては良かれと思ってやっているのだ。そんな輝元に元清は、
彼の行為の危険性を懇々と説明する。

元「この上は一刻も早く、誓紙の案書を太閤殿下に見せるべきです!」
輝「えー?確かにわしの行為が浅はかだった事は解ったが、でもそこまでするのは
 毛を吹いて傷を求むって事じゃ無いか?白江も世間には秘密にするって言ってたし。
 わざわざ知らせなくてもいいじゃ無いか〜。」

まだこの危険性を解って無いのかお前は

元「いいですか輝元様!?この件は、秀元も私にも言わないくらい秘密を守っていました。
 毛利家から外に漏れるということはありますまい。
 ですが!毛利家以外から太閤様のお耳に入ったら、その時は…

 毛利家は即滅亡です!!!

 いいからその案書を渡しなさい!安国寺、安国寺を呼べ」

と、ひったくるように案書を奪うと緊急に呼び出した安国寺恵瓊に渡し、すぐに伏見の秀吉の元に
向かわせた。
恵瓊はこの案書を秀吉に直接に見せた。
秀吉は「わざわざ案書を提出する念の入れよう、執着である。しかしあの一文を書き加えた秀元は、
でかしたものである。」と申され、輝元、元清は大いに安堵した。

それから間もなくして、秀吉と秀次の不和が表面化する。
「こうなってからあの誓紙のことが秀吉公に知られたら、大変な事になっていた。」
と、毛利家の者たちは皆、穂井田元清の措置に、大いに感謝したそうである。


この穂井田元清が、関ヶ原を前に死んだのは甚だ惜しかった、と、思わせるお話。
545人間七七四年:2009/07/17(金) 13:57:06 ID:RdF5zHav
秀元のいい話にみえるんだがどこが悪い話?

あ、TERUのってことか
キャラ的にいつものことすぎて何も感じなかった
546人間七七四年:2009/07/17(金) 13:57:56 ID:wcqx9og1
輝元に外交センスが無い悪い話ではあるが毛利家として見れば
ギリギリのところで危機を免れたいい話だろう
547人間七七四年:2009/07/17(金) 14:08:03 ID:iKsD+zqm
毛利ファミリーって、輝元以外皆優秀なんだなw

しかし、TERUがもう少し優秀か、もしくは別の誰かが毛利家の家督を継いでいたらどうなってたんだろ?
548人間七七四年:2009/07/17(金) 14:12:39 ID:RdF5zHav
逸話ではTERUばかり悪者にされるが
毛利自体が1国人から出発した豪族連合政権で
リーダーシップを発揮できないのはしょうがないんじゃないかともおもう

右肩上がりで拡大できている間は表面化しないんだけどね
549人間七七四年:2009/07/17(金) 14:19:47 ID:wcqx9og1
強引に纏め上げた家久(悪)とか優秀な人間なら連合政権を集権化出来る
550人間七七四年:2009/07/17(金) 14:20:23 ID:pdWTOwF9
リーダーシップ発揮するどころか余計なことしてるから逸話になるわけで
ただ周りの言うこと聞いてるだけなら逸話にすらならない
551人間七七四年:2009/07/17(金) 14:25:06 ID:HD2RngzH
TERUは厳しく育てられすぎて浮き世離れしちゃったのかな。
何か憎めないところあるな。家臣は大変だったと思うが。
大河で中尾彬なのはちょっとイメージ違うw
552人間七七四年:2009/07/17(金) 14:25:45 ID:HfDst8v3
小早川の叔父さんが存命の頃にこんなことやってたら
どんだけ折檻されてたことか…
553人間七七四年:2009/07/17(金) 15:07:28 ID:odLBEsNP
そもそも輝元さんのとこに重臣こなかったりしてな。

どうせ小早川殿の意向に左右されるしー、ってw
554人間七七四年:2009/07/17(金) 15:12:01 ID:X+oV3mq6
>>549
尼子晴久や最上家親みたいに
集権化を進行中にポックリ逝っちゃうと、後がとんでもないことに…
大名たる者、家久(悪)みたいにキチンと殺り終わるまでは迂闊に死ねない
555人間七七四年:2009/07/17(金) 15:21:51 ID:bYVQ/AmJ
戦国真っ只中で集権化するのは相当な荒業だな
外敵抱えて尚且つ内部抗争するなんて命取りだしそんな余裕ない
天下統一後に中央から後押ししてもらってしたのが大多数では?
556人間七七四年:2009/07/17(金) 15:30:08 ID:+gY3HYPI
>>555
江戸時代になっても集権化を図る主君とそれに抵抗する重臣の対立が
御家騒動となって出てくるわけだから、戦国時代ではなおさらだろうな。

伊達家なんかは最後まで集権化ができなかったんだっけ?
557人間七七四年:2009/07/17(金) 16:03:00 ID:l2OWt1wR
近頃家久(悪)の評価がうなぎ昇りに
558人間七七四年:2009/07/17(金) 16:12:38 ID:O9A9PCFS
そんなんだから西軍の総大将としてのんきに祭り上げられちゃうのだな。
559人間七七四年:2009/07/17(金) 16:49:12 ID:X+oV3mq6
>>556
伊達は事情が複雑でね…些か長くなるかもだけど概略だけ
そもそもの原因は葛西大崎一揆後の転封(72万石→58万石)
なおかつ転封先は一揆で荒廃状態、数字よりはるかにキツい減封で
政宗はやむなく知行地水増しの為、荒れ地や野谷地をも混ぜ込んで
重臣達(主に一門)に「自力で何とか復興しろ」と命じた
こうなると重臣達は知行地復興の為に大量の家臣団(陪臣)を召し抱えて
彼等に知行地を分与して開発に従事させた。その結果
中央集権化をして重臣達の所領を削る=陪臣団が路頭に迷う
という事態になるから、検地・知行再編は即座に御家騒動につながる
明治初年に北海道へ移住した武士団とは、亘理・岩出山等の陪臣団
(仙台藩直臣は士族とされたが、陪臣は×。移住した者だけが士族籍を得られた)
560人間七七四年:2009/07/17(金) 16:59:58 ID:TgeIezAp
輝元自身が大減封くらった張本人とはいえ、毛利は明治まで存続したうえに幕末維新では表舞台
に躍り出るわけだから、捏造臭くてもキラリと光る逸話が一個くらいあっても良さそうなもんだが・・・
561521, 522:2009/07/17(金) 17:20:04 ID:rHLMnI25
>>557
いや、家久(悪)はよくやったと思うわ。
隣の人吉、相良藩なんて中央集権化に失敗したせいで、
江戸時代に五回もお家騒動起きてるし・・・
562人間七七四年:2009/07/17(金) 17:55:25 ID:HfDst8v3
近頃株は急上昇!皆大好き家久(悪)の話だよ!

ある日のこと、家久(悪)は大変機嫌が悪かった。
お気に入りの焼物が何者かに壊されていたからである。

家久(悪)は酒も茶も和歌も蹴鞠も好きだが、何を隠そう骨董品の鑑賞も趣味だったのだ。
わけても佐賀藩鍋島家から贈られた唐代の牛の焼物は、大のお気に入りだったのだが…
今となっては、見るも無残な姿を晒すばかりであった。

「一体誰だ!壊した奴は!」

誰だって支配者の逆鱗には触れたくない。相手が家久(悪)なら尚更である。
自白する者など居る筈も無かった。
不機嫌極まりない家久(悪)と、それに脅える近臣たち。
不穏な空気の立ち込める鶴丸城を一人の男が訪れた。
剛勇を以って鳴る、中馬大蔵重方である。

「なに、大蔵が。」家久(悪)は顔をしかめた。
家臣の統制を引き締めたい家久(悪)にとって、義弘の家臣というよりも
戦友のような存在であった大蔵は正直煙たかったのである。
とはいえ功臣を無碍に扱うわけにもいかない。
「よし会おう。ここへ通せ。」
家久(悪)の下へ通された大蔵、最初はのほほんと世間話などしていたが、
いつしか話題は例の焼物の件になる。

大蔵「いやあ、しかし殿も災難ですな。」
家久「全くじゃ。あれを見い。
   尻を壊されなんとも情けない姿をしておるではないか」
大蔵「はあ。」
家久「あの焼物を見ながら茶を飲まないと、わしの一日は始まらないというのに…
   おかげで政道に身は入らぬわ、蹴鞠の技の冴えも和歌の出来栄えも今ひとつじゃ」
大蔵「それはいつもの事でしょう」
家久「何か言ったか。」
大蔵「いえ何も。
   しかし殿がご政道に身が入らぬは、我ら家臣も領民にとっても不幸なことでござる。
   薩藩77万石を窮地に陥れた下手人には厳罰を与えねばなりますまい」
家久「おうよ。下手人め、見つけた暁にはわし自ら首をはねてくれるわ」
ひい、と青ざめる群臣一同。それを尻目に大蔵は

「殿の手を煩わせるに及ばず。ここは某にお任せを」

言うが早いか例の牛の焼物をむずと掴み、庭先に出て…庭石に叩き付けた!
これには一同呆然、家久(悪)に至っては卒倒しそうになるのを
堪えるのがやっとである。

家久「ちょ、大蔵…お前自分が何をしたか分かって…」
大蔵「は!某、殿に醜き尻を向ける無礼な牛を成敗して御座る!
   焼物の分際で、壊れた尻を殿に向けるなど、
   人間で言えば褌も付けぬ尻を向けるようなもの。
   手討ちでは飽き足らぬであろうと、粉々にしてやりました!
   いやいや、殿もあの無礼な牛には悩まされたことでしょうが、今後は心配ありませんぞ!
   (凄くいい笑顔で)」

さすがの家久(悪)も毒気を抜かれたか、焼物を割った者の罪は不問に処す事にしたという。
563人間七七四年:2009/07/17(金) 18:01:47 ID:wcqx9og1
こういう可愛気があるところも家久(悪)だよな
それにしてもさすが中馬というかw
いつまでも過ぎた事に未練がましくしてんなよって話かもしれないけど
564人間七七四年:2009/07/17(金) 18:07:19 ID:xok+vq2T
>佐賀藩鍋島家から贈られた唐代の牛の焼物


これはもしかして唐三彩なのか・・・?
何てもったいない事を・゚・(つД`)・゚・
565人間七七四年:2009/07/17(金) 18:18:23 ID:dJAB3j60
牛の焼き物見ながらお茶を飲むのが日課だったってなんかかわいいなw
566人間七七四年:2009/07/17(金) 18:18:29 ID:10dCaD1P
>>554
息子を養子に送り込んだり、姫を嫁に出したり、子沢山だから堅実に集権化できたよね
567人間七七四年:2009/07/17(金) 18:24:23 ID:rIV9djbz
やるな中馬www
568人間七七四年:2009/07/17(金) 18:56:59 ID:mBkUevZc
何かスカッとする逸話なのでいい話でも良さそうな気がするw
569人間七七四年:2009/07/17(金) 19:03:05 ID:eT3naS6d
>>560
まとめにあるよ
せっかくだから読めよ
570人間七七四年:2009/07/17(金) 19:15:58 ID:WGVy5ikj
>>566
家久(悪)は四男の方の家久の永吉島津家にも子供押し込んで乗っ取ったんだっけ
名前も家も家久(悪)に乗っ取られる家久(善)は気の毒だ
571人間七七四年:2009/07/17(金) 19:53:42 ID:ZqCFFBwe
>>552
隆景「まだ生きていましたけど」
572人間七七四年:2009/07/17(金) 19:57:25 ID:HfDst8v3
>>571
こりゃ失礼しました。享年は1597年でしたね(慌てて調べてきた)
ただ、それならそれで>>543,>>544の逸話のときの
おじさんのリアクションが一層気になるな〜…
573人間七七四年:2009/07/17(金) 20:30:45 ID:W9WWTROC
>>572
> おじさんのリアクション

『後に隆景、聞かせられて、元清を大いに感じ給いし事、おぼろげならずとなん。』
(毛利秀元記)
574人間七七四年:2009/07/17(金) 21:19:46 ID:Kys1xSA7
>>562
これって、前田慶二(マンガの方)で使われたエピソードの元ネタなのかな?
前田さん(マンガ版)は信長伝来の鎧をぶった切って>>562と似たような台詞を言ってたけど。

それとも、こんな、主君が大事にしている物をぶっ壊して家臣を救うっていうエピソードって
他にもたくさんあるの?
575人間七七四年:2009/07/17(金) 22:26:13 ID:ZeQv6MzG
すごく

ありそうでつw
576人間七七四年:2009/07/17(金) 22:30:22 ID:8C3Klk12
自分が大切にしてるものでも壊せる人もいるね

( ●∀゚)
577人間七七四年:2009/07/17(金) 22:39:31 ID:W9WWTROC
まあ想像だが、為景が上杉顕定と戦う時に。宗瑞と連携を取っているから、
もしかしたらこの前後に、為景と伊勢親子は会っているかもしれない。
578人間七七四年:2009/07/17(金) 22:40:16 ID:W9WWTROC
ごめんなさいごめんなさい誤爆しましたorz
579人間七七四年:2009/07/17(金) 23:09:27 ID:3o9geMc+
>>574
これで「お前が他のを見て気にするといけないから揃いの皿は全部壊しちゃうよ」って
自分でやったら主君のすごくいい話になるのになあ…
580人間七七四年:2009/07/17(金) 23:33:43 ID:W9WWTROC
主君が大切にしていたものを、と言えば、
家康は作左さんに畑踏み潰されたり大釜ぶっ壊されたり…
あ、あと鈴木久三郎に鯉を食われた話もあったなw
581人間七七四年:2009/07/18(土) 00:21:22 ID:hDuJStMT
>>568
一部欠けた貴重な骨董品を完全破壊した話だから、
全然清々しく感じないんだが。
582人間七七四年:2009/07/18(土) 00:26:29 ID:LdLPTPuR
贈答品は外交の道具だし元は民の血税だしなー
簡単に破壊しちゃうのは悪い話としか思えない
583人間七七四年:2009/07/18(土) 01:19:36 ID:tyvCzMbD
>564
それを古田織部が継ぎたそうに見ています
584人間七七四年:2009/07/18(土) 01:22:25 ID:piv/E1Rk
ゲヒヒヒヒヒヒ
585人間七七四年:2009/07/18(土) 08:39:51 ID:UISCHR7C
事実報道にかこつけたマスコミによるいじめ
(生放送番組内において行われた、番組内容とは無関係な、
特定の個人向けの仄めかし・いびり発言の数々。)

http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1234345993/
586人間七七四年:2009/07/18(土) 11:44:05 ID:18HQGyJN
コピペ

立花宗茂を大河ドラマの主役にするスレ
276 名前: 日曜8時の名無しさん [sage] 投稿日: 2009/05/26(火) 20:25:36 ID:9Paq9WAR
耳川で戦死した大友家の武将の後継者
吉弘統幸14歳
吉岡統増10歳
佐伯惟定10歳
田北統員10歳(紹鉄の乱の後12歳で相続)

おまけ
志賀親次(不興を買った父に代わり18歳で相続)
立花ギン千代(耳川の前に7歳で相続)
587人間七七四年:2009/07/18(土) 11:47:32 ID:/W0bVyNK
>>586
うわぁ…。見事に若年ばっか
588人間七七四年:2009/07/18(土) 11:53:33 ID:2lmGjkl6
衰退したのも無理はないな…
道雪が戦い続けたのも人材不足が大きかったんだろうな。
589人間七七四年:2009/07/18(土) 12:25:16 ID:CshibCK+
武田勝頼「口うるさい老臣がいなくなってスッキリしたと思ったんだけど
     最近何やっても上手くいかないんだよね〜、どうしてだろ?」
590人間七七四年:2009/07/18(土) 12:33:30 ID:DzG+SaiU
>>570
家久(善)の家の方は、豊久討死後は、婿養子を取ったりして
何とか家を残そうとしたけどその婿が早死にしたりで結局、
後継ぎがいなくなってどうにもならなかった事が先に有るんで
養子送り込まないと家自体が消滅してた。
591人間七七四年:2009/07/18(土) 12:34:44 ID:RNlVmCpM
>>586
なるほどね、龍造寺が急激に勢力を伸ばせたわけだ
592人間七七四年:2009/07/18(土) 12:39:30 ID:/W0bVyNK
そんな竜造寺も沖田畷の戦いで重臣と本人が討ち死に
伊東、大友、竜造寺と島津は敵将殺し過ぎ
593人間七七四年:2009/07/18(土) 12:54:58 ID:RNlVmCpM
>>592
大友と龍造寺は結果としてそうなった感じだよね。
でも伊東の場合は、木崎原で義弘が「一人も生かして返すな」と叫んだとか。
伊東軍に偽情報を教えて自分に有利な場所に引き込んだりしてるから
木崎原はハナから武将を減らすつもりの戦いだったんだろうな。
594人間七七四年:2009/07/18(土) 13:31:10 ID:2lmGjkl6
荒木村重が謀反し伊丹城に立てこもった時
織田信長は自らこれを征伐した。

その戦陣にあった天正7年4月8日
信長は暇を見て摂津池田方面で鷹狩りを行ったのだが
その前にある遊びを行った。

供の者たちを騎馬と徒歩に分け
騎馬は徒歩に駆け入り、徒歩は騎馬を防ぎながら逃げ回るというもので
「しばらくおん狂い、お気を晴らされ候」の後鷹狩りを行ったという。
同月の26日にも同じ遊びを行っている。

織田信長46歳、ある初夏の日の出来事
595人間七七四年:2009/07/18(土) 13:34:43 ID:Dyh3fOkw
ヒャッハーと叫びながら追いまくるバイkもとい騎馬隊の姿しか想像できないんだが
596人間七七四年:2009/07/18(土) 13:39:46 ID:1zjs0/6H
>>590
婿養子って、家久の娘が婿を取ったって事?
気になるのでどの娘がどこから婿を貰ったのか教えてほしい…
家久には三人くらい娘がいて、一人は島津久信に嫁いでたのは知ってるんだが…
597人間七七四年:2009/07/18(土) 14:41:04 ID:vf/WKtpy
>>595
徒歩がフランネル製の赤い布をひらひらさせながら華麗に舞ってたかもしれんよ。
598人間七七四年:2009/07/18(土) 14:45:28 ID:5hmfjMuG
>>593
島津250人 VS 伊東3000人
そこまで計算づくだったら義久人間じゃないわ・・・あぁ、鬼島津だったな。
599人間七七四年:2009/07/18(土) 14:50:44 ID:5hmfjMuG
>>598
間違えた、義久じゃなくて義弘でした・・・
600人間七七四年:2009/07/18(土) 14:59:10 ID:Qvmk0aYx
戦力差を考えれば
殺しすぎ、というより殺されすぎのような気もするんだが…
601人間七七四年:2009/07/18(土) 15:47:41 ID:RNlVmCpM
>>598
じゃあその時の話でも書くか・・・

木崎原の戦いが起こる前、伊東家は義弘の飯野城を落とすべく度々真幸院へ
進出していた。
木崎原の戦いの五ヶ月前も伊東軍は真幸院へと進出し民家を焼くなど
挑発行為をしていたのであるが その日の晩、一人の女が迷い込んできた。
伊東軍これを連れてきて話を聞くと、女は飯野城の西、義弘の妻子が住まう
加久藤城の女中であるという。
女中はとある武士と不義密通を重ねていたのであるが遂に事が露呈してしまい、
いよいよ明日罰せられることになっていた。
しかし、義弘の妻である実相院がこれを哀れに思い、自身の住まう部屋に
通じる「鑰掛口」よりそっと逃がしてくれたという。
女中は相良領へと逃げようと思ったが加久藤の峠は山深い上に険しく、
心細くなってこの伊東軍の陣にやってきたという。
伊東軍はこの女中を不憫に思い、島津の防衛拠点である三ツ山城へと
連れて行ってそこの女中として雇った。そして女中から島津家の内情を
問いただしたのである。
女中曰く、加久藤城には義弘の妻子ら50名ほどの兵しかおらず、
また自身が逃げてきた鑰掛口は、攻められると脆いと教えた。
伊東軍はこれを信じ元亀3年5月4日の未明、飯野城の先にある加久藤城の
鑰掛口を攻めるべく進軍した。しかしそこは狭い隘路で、また鑰掛口は
絶壁でいくら攻撃してもビクともしなかった。
実は鑰掛口とは、その名の通り鉤を掛けて登らなくては通れないというほどの
入口だったのである。
そしてこの女中、実は義弘が遣わした間者だった。
まんまと騙された伊東軍は疲労困憊、已む無く兵を引いた先で暑さから水浴びをして
沢山の将兵が討たれたのは史実の通り。
602人間七七四年:2009/07/18(土) 18:00:58 ID:YNQbNufw
>>590
>>596
さすがにそれ以上深くなるとスレ違いなので以下にレスしとく
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216059962
603人間七七四年:2009/07/18(土) 18:18:30 ID:Bw1eAgNf
>>586
8年後の豊薩戦争時には立花宗茂も含めて
彼ら若い武将が活躍してたのを見ると、苦労
して育って一角の武将に育ってたんだろうな。

ただし志賀親次はいろいろとおかしいがw
604人間七七四年:2009/07/18(土) 21:19:18 ID:+oEZl/bm
>>556
集権化しようとした結果が伊達騒動だっけ?
605人間七七四年:2009/07/18(土) 21:41:27 ID:pnDa2wrh
>>604
伊達騒動を集権化と結びつけるのは、ちょっと後世の視点が入りすぎているようにも思うけどね。
606人間七七四年:2009/07/18(土) 22:15:32 ID:vVG6iday
初代「鬼美濃」原虎胤はあるものが苦手で、同僚から不思議がられていた。

ある人が、虎胤に問い質した。
「貴殿は他国までも聞こえる大武辺者。その貴殿が奥方をとにかく恐れておられる。
なんとも心得難いことです。」

虎胤は答えた。
「人を襲う恐ろしい蛇にも三すくみというものがあって、ナメクジに絡みつかれると
身動きも出来んそうな。」
「そのようで。」
「わしも、強敵に会えば例え鬼であろうとも組み合わんと勇んで立ち向かうが、女房に
あの弱々しい風情で組みつかれると・・・とても立ち向かうことなど出来ん。
蛇がナメクジに会ったのと同じじゃ。仕方あるまい?」



   ノロケんな・・・
    |                   \
    |  ('A`)           ギシギシ
   / ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄        アンアン/
607人間七七四年:2009/07/18(土) 22:26:35 ID:ki/0JhTN
>>605
狭義の伊達騒動(原田甲斐の寛文事件)に関してはたしかにそうだけど
広義の伊達騒動(3代・綱宗押し込め→4代・綱村押し込め)はと切り離せない
その後を継いだ5代・吉村による強制買米制の導入も、集権化に起因
608人間七七四年:2009/07/18(土) 23:11:40 ID:1Xq95odO
>>606
のろけ過ぎだろw
609人間七七四年:2009/07/19(日) 01:44:53 ID:RVpmt5Yy
>>606
目から汗が止まらない!不思議!













('A`)ウツダシノウ
610人間七七四年:2009/07/19(日) 01:49:58 ID:tazzcmtj
>>606
ツッコミに吹いたw
611人間七七四年:2009/07/19(日) 11:59:51 ID:zhxrb6su
ナメクジどころか龍神だったって話もあったような
612人間七七四年:2009/07/19(日) 12:12:17 ID:9n8SGHZ7
>>543と同じ文禄4年(時期はバラバラ?)に、
TERUと隆景が従三位権中納言に、秀元が正三位参議に叙されてるけど、
当主のTERUより秀元の方が位階が高いのは、もしかしてその逸話とか
も関係あるのかな?

序列的には、位階より官職優先で従三位権中納言>正三位参議だけど
当主より位階が高いというのは、ちょっと普通じゃない気がする

元々家臣筋の隆景と同じ従三位中納言の扱いだし、秀吉のTERU評って
実際のところどうだったんだろう・・・
613人間七七四年:2009/07/19(日) 12:56:58 ID:yXrGPurU
蛇がなめくじに絡み付かれると身動きできないってのはマジなの?
614人間七七四年:2009/07/19(日) 17:21:10 ID:06mYcXiB
>>612
隆景は五大老の一人だし他の大老の上杉や宇喜多とかも
従三位権中納言だからあんま関係ないんじゃない
615人間七七四年:2009/07/19(日) 18:28:04 ID:9n8SGHZ7
>>614
家臣筋の隆景をTERUと同格の大老に据えたのも、TERUの立場がないような・・・

616人間七七四年:2009/07/19(日) 18:34:40 ID:UO4e8ZDG
>>612
ラスボスからしてみれば、それぞれの家中での序列よりも
自分にとってどれだけ役に立つかを基準にしてるフシが有るからな…
例えば、ナベシマンなんかは龍造寺から完全に分離独立した大名になりたかったのに
ラスボスは日明戦争の軍役を確実に確保する為に
龍造寺家領全体の統制をナベシマンにやらせて、事実上の当主と認定したくらいだし
617人間七七四年:2009/07/19(日) 18:35:38 ID:ZDdVNgLL
TERUは軍3万を朝鮮へ派遣したことを称えられて五大老になったんだっけ。
宇喜多秀家や小早川隆景は朝鮮の現地での功績が認められて五大老に就任したのかな?
それぞれの五大老就任の事情をさぐるのも面白いね。
618人間七七四年:2009/07/19(日) 19:53:09 ID:ay7QqFVB
前田と宇喜多は縁戚だからってのもあるんだろうけどな。
619人間七七四年:2009/07/19(日) 20:00:07 ID:ua6rx5qG
五大老が史実かどうかはしらんが
秀家は秀吉の猶子だ
西国担当が毛利だけではバランスが悪いというのもあるだろう
620人間七七四年:2009/07/19(日) 20:09:33 ID:gPKhuEHj
>>613
中国の古典に「ナメクジは蛇を食う」という一文があってそれが孫引きされてるんだとか
科学的な根拠はなし
621人間七七四年:2009/07/19(日) 21:05:28 ID:06mYcXiB
>>615
それをいったらそのTERUの家来筋の者と同格にされた
家康や前田の立場はどうなるって話になる
622人間七七四年:2009/07/19(日) 21:41:46 ID:giKNPAFA
文禄3年に秀秋が養子になってるし
元秀吉の養子の引き受け先として相応しい地位とか
隆景の後を秀秋が継いだ時毛利の配下ではなく西国の太守の一人として認識させるためかな?
623人間七七四年:2009/07/19(日) 21:49:23 ID:9n8SGHZ7
秀元の正三位はどうしてなんだろう
当主より位階が高い例って他にある?

秀吉の毛利系の重用は、政略・調略の域を
越えてる気がする。
中国大返し以来の、譜代大名的な位置づけ?
624人間七七四年:2009/07/19(日) 21:55:59 ID:ua6rx5qG
大大名の力を削る方策なんだろうけれども
結局家康の力が突出するのを助長しただけなのが皮肉だよね
625人間七七四年:2009/07/19(日) 22:26:31 ID:1XMND82L
まるで野心のない家だから重用しても無問題と思ってたんじゃね
626人間七七四年:2009/07/19(日) 22:38:10 ID:xeL32Cf6
本性

慶長5年(1600年)2月、森忠政はかねてより希望していた信濃川中島への加増転封を賜った。

前田玄以・増田長盛・長束正家「では、右近殿。信濃の抑え・・・頼みましたぞ。」
森忠政「フフフ・・・今は亡き殿下の為に忠義を尽くしましょうぞ。」

この転封は合議に加わらずに勝手に加増・減封を行っていた家康の独断ではなく豊臣家公認のものであった。
というのも豊家の奉行3人によって前任の田丸直昌の保有していた御蔵米を譲渡が正式に行われているからである。しかし・・・

忠政「ぷっwこのクソ重要な時期に俺が信濃入り出来るとは笑いが止まらんwww内府殿に手紙でも書けは祝いの品貰えるかな。」

とっくに家康と繋がっていたのである。しかも各国の大名の中でもトップクラスの早さで。
豊臣家では豊臣秀長の養女を娶り、木下勝俊の義弟である忠政を信頼しての事であったかもしれないが忠政の心中には豊家への忠誠など毛ほども無かった。
そんなこんなでまんまと信濃入封を果たした忠政であったが4月頃にある事件が起こる。

石田三成「やぁ、お久しぶりですな右近殿。」
忠政「ははは・・・治部殿こそお変わりないようで・・・」(うわぁ・・・面倒くせぇ)

蟄居して表舞台から姿を消していた石田三成が来たのだ。もちろん用件は家康打倒の為の密談。
忠政という人物は兄と違って基本的に「敵を作らない」という事を重視して人付き合いをしている男だったので喧嘩を売って余計な敵を作るという事は無かった。
三成も例外ではなく大徳寺三玄院の建立で共に仕事をした際にちゃっかり誼を通じていたのである。

忠政(八方美人が過ぎたかね。こうして来るという事は味方についてくれるという公算あっての事だろうし・・・ここいらで立位置をハッキリしとこうか。)

正直、三成が何回も来ると徳川から立場を疑われかねないので誘いを断りつつももう来る気が無くなるように仕向けたい・・・そこで忠政は決断した。
もう猫を被るのは止めて豊家への本音を洗いざらいぶちまける事にしたのである。
627人間七七四年:2009/07/19(日) 22:38:56 ID:xeL32Cf6
三成「豊家の為に力を貸して貰えないだろうか?」
忠政「 嫌 で す 。家督継いだ時に所領減るわその後、加増無いわで豊家には正直ムカついてましたんで。」
忠政「兄が豊家の為に死んだというのに没収ですよ?没収!有り得ないでしょ普通は。全くもって太閤というのは血も涙も無い奴でry」
忠政「そもそも毛利なんちゃら如きが旧領の南信濃に復帰したのにウチが兄の旧領の北信濃に戻れないのはおかしい。そうでしょう?」
忠政「加増が無いせいで金欠で逃げようとした家臣を家老がヘソクリ払って引き止めたりもしてるんですよ!忠義(笑)で家臣の腹が膨れりゃ苦労しないッスよ。それより加増しろよと。」
忠政「という訳で俺、豊家大嫌いなんでお帰りください」

三成「・・・貴様!この時期に信濃に入れられた理由を知ってのいい分か!」
忠政「へへへ・・・勿論ですとも。私の交友関係を知らずに入れたのであれば豊家はとんだ間抜けですなぁ」

三成(右近の交友関係?確か俺の大嫌いな忠興と親友で俺の大嫌いな池田輝政と仲が良くて・・・あれ?武断派とズブズブじゃん。なんでこんな奴がこの大事な時に信濃に)

忠政「そもそもね、私はこの領地は豊家から貰ったものとは思ってないんですよね。」
三成「何を世迷言を」
忠政「この書状をごらん下さい」

『信州川中島知行状 by徳川家康 2月1日』

三成「合議に加わってないくせに何故家康の書状が届いてるんだ!しかも日付が入領よりむちゃくちゃ前だし・・・豊家からの知行状はどこにやった!」
忠政「はて・・・?何の事やら。そんな物は存じませーん( ・3・)〜♪」
忠政「内府様も慌てんぼさんだよね。入領決まったって手紙送ったらすぐに知行状来ちゃってそらもうビックリよ。」
三成「ふざけやがって!」

断られれば説得も考えていた三成だがもはやそれどころではない。完全にぶちキレてしまった。

三成「そっちがそのつもりならこっちにも考えがあるぞ!覚えておけよ右近」
忠政「おお、こわいこわい。お帰りはあちらですよ。」

こうして忠政と三成は絶縁関係となった。この一件以降の三成の忠政への怒りは凄まじく真田家への書状でこう書かれている。
「右近への遺恨は格別である。若い秀頼様を騙して領地を掠め取ったんだ!」・・・と
628人間七七四年:2009/07/19(日) 22:44:00 ID:m1yU0XcL
三成じゃなくても激怒するわw
629人間七七四年:2009/07/19(日) 22:46:27 ID:xeL32Cf6
おまけ

忠政は死の際に墓を大徳寺三玄院に建てるように言い残した。
大徳寺三玄院といえば三成の墓が有る場所であるがわざわざ同じ敷地内を指定したのである。

忠政「ねぇねぇ、生前『考えが有る』って言ってたでしょ?あれ気になってて。教えてくださいよ〜。」
三成「・・・」
忠政「まぁ、時間はたっぷり有りますしその内教えてくださいよw」
古田織部「ゲヒヒ」←墓が同じ敷地内

三成(もういや、この墓・・・)

こうして300年以上も彼らは同じ場所に眠り続けている。
630人間七七四年:2009/07/19(日) 22:48:43 ID:1XMND82L
>>629
三成「仲直りの証に桃でも食わんかね。ささ、遠慮なく。」
631人間七七四年:2009/07/19(日) 23:00:27 ID:FMgQ73Jt
>>630
忠政「仲直りの証に柿でも喰わんかね。ささ、遠慮なく。」
632人間七七四年:2009/07/19(日) 23:19:14 ID:ZDdVNgLL
お寺によっては現在もそんな感じの会話が
繰り広げられてるのかなぁ…

と思って大徳寺三玄院をググって見たら
石田三成、浅野幸長、森可成が建立したのね。
633人間七七四年:2009/07/19(日) 23:30:19 ID:xeL32Cf6
>>632
可成じゃなくて忠政だぜ。
634人間七七四年:2009/07/19(日) 23:31:52 ID:ua6rx5qG
森…可成…
635人間七七四年:2009/07/19(日) 23:32:46 ID:u+fibrED
>>626->>627の忠政に吹いて、>>629で更に吹いたwww
そして>>630->>631でまた吹いたwww
やべー面白いwwww
636人間七七四年:2009/07/19(日) 23:37:43 ID:4wD+4gjU
637人間七七四年:2009/07/19(日) 23:38:33 ID:jtErxj1F
>>631
三成「柿タンニンは体の毒でござる」

家康「タンニンの、なるタンニンは誰もする、ならぬタンニンするがタンニン」
638人間七七四年:2009/07/19(日) 23:39:34 ID:ZDdVNgLL
ありゃりゃ、
Wikiだと建立したのは可成になってるけど
京都の観光ページだと>>633さんの指摘どおりですね(汗)
639人間七七四年:2009/07/19(日) 23:40:54 ID:7/1ksbkd
>>636
糞ワロタwwwwwwwwwww
640人間七七四年:2009/07/19(日) 23:51:37 ID:9dudJNbe
>>636
なんという朝〇龍
この男は間違いなくワル

>>629
高野山の墓所も派兵要請シカトした(悪)さんの近くだったり
三成って死後も報われないよねw
641人間七七四年:2009/07/19(日) 23:52:10 ID:6WaxBX31
>>636
…桃食った後のデスマスクですか
642人間七七四年:2009/07/20(月) 00:04:30 ID:Hrd0SFNW
現代に生きてたら長可は殺人で、忠政は詐欺で刑務所入りか。

というか関ヶ原直前のこの時期まで5奉行のうち3人出し抜いてるとか大した役者ぶりだな。
三成が失脚してなくて奉行続けててもこの様子なら難なく奉行4人の公認付きで信濃入りしそう。

関ヶ原でも西軍に味方した親豊臣の田丸と入れ替わりというのが更に痛い。
643人間七七四年:2009/07/20(月) 00:37:47 ID:SgzvGvFd
つかここまでくると忠政は単に三成が死ぬほど嫌いだっただけじゃないのかと
644人間七七四年:2009/07/20(月) 03:05:33 ID:75X8ggVV
長可は現代でも警察力の及ばないところでヒャッハーしてそう
だが結局は一発の銃弾に斃れる
645人間七七四年:2009/07/20(月) 04:01:43 ID:iaACZ4vJ
どちらかというと警察力(当時は信長の寵愛)をかさに着てヒャッハーして
結局は一発の銃弾に斃れるんでね
646人間七七四年:2009/07/20(月) 04:33:24 ID:uuwzUXUr
>>645
鉄血のODAを代表する暴力機関ONMSSすら粉砕する三河武士のめんどくさい蝶☆暴力♪

こうですか。
647人間七七四年:2009/07/20(月) 04:41:12 ID:o3JkM1fS
天地人の脚本家はこのスレ見ていて影響されてるんじゃないか?
あの政宗はw
648人間七七四年:2009/07/20(月) 04:52:32 ID:hUUbCmN+
>>647
元々あんなです。龍平の棒演技には泣いた
649人間七七四年:2009/07/20(月) 05:06:56 ID:o3JkM1fS
やっぱり影響されるんだなぁ
政宗に限らず
650人間七七四年:2009/07/20(月) 05:47:35 ID:kDG/EZXP
え、何?
押すなよ、絶対に押すなよ。
とか言ってたの?
651人間七七四年:2009/07/20(月) 07:55:11 ID:7ymEmrRp
世渡りに関する限り、森さん家の安定感は素晴らしいなw
ロクでなしだが指導者としては一級だわ。
652人間七七四年:2009/07/20(月) 08:39:07 ID:C/YcjRj7
>>651
森忠政は何がすごいって、徳川政権が確立していく中で、気がついたら
外様大名の中でもトップクラスの格式を持っていたところだな。

元和二年の、大阪の陣のあと始めて行われた江戸城における年賀拝礼では、
国持ち格で従四位下侍従という、もっと石高の大きい毛利秀就や浅野長晟、池田忠雄なんかと
同格だったりする。

この時登城した外様の諸侯の中で、忠政より格上なのは、前田利常、島津義弘、細川忠興くらい。
そして黒田長政、佐竹義宣あたりは一格下の諸大夫(侍従以上は直垂を着るが、諸大夫は大紋までしか
許されない)

忠政の世渡りの上手さは抜群の物があったといって良いと思うw
653人間七七四年:2009/07/20(月) 09:09:50 ID:Hrd0SFNW
1570年生まれという事は関ヶ原の時点で30歳だから猫被ってたのは20代の頃からずっとだな。

狸だわw
654人間七七四年:2009/07/20(月) 11:46:44 ID:BA6jMS6S
>>651
若造の忠政にこれだけの処世術があるのに、ベテランの昌幸マヌケが目立つ
655人間七七四年:2009/07/20(月) 12:14:13 ID:4bQ0+Ku9
子孫に恵まれなったのがねぇ>忠政
656人間七七四年:2009/07/20(月) 12:17:33 ID:Zm2tmZ42
昌幸?
長男の嫁に家康の重臣の娘を貰ってしっかり真田家の存続を図ってるでしょ
その上で自分は次男と一緒にやりたい放題やらかしたけど
長男の胃には穴があいたろうけど
657人間七七四年:2009/07/20(月) 12:18:11 ID:MdR1/uIS
蘭丸も早く死ななきゃ出世できてたかもね
658人間七七四年:2009/07/20(月) 12:20:58 ID:9knQJ1wy
オヤジと弟と嫁のせいで20年は寿命が縮んだよな
可哀想に
659人間七七四年:2009/07/20(月) 12:22:29 ID:3yVc2YtB
>>654
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
本当にね・・・こっちの苦労も考えてくれって話ですよ
660人間七七四年:2009/07/20(月) 12:48:09 ID:BA6jMS6S
>>656
両建てすればどちらかが残るのは当たり前
661人間七七四年:2009/07/20(月) 12:54:16 ID:BA6jMS6S
>>660
信玄公に左右の目と言われる人物なのに、実力者の家康を本気で怒らせてこの後どうなるのか予想が出来ないボンクラ。
662人間七七四年:2009/07/20(月) 12:59:09 ID:tnwU7LDk
変な人が沸いてますね
663人間七七四年:2009/07/20(月) 14:11:34 ID:bfjO23ur
マナーは守ろう

尊蔵と円明という茶人が、堺の津田宗及の茶会に呼ばれた。
茶会当日、尊蔵は「まだ刻限まで時間があるから、今評判の利休の茶を見てくる。」
と円明を置いて利休の屋敷に出かけてしまった。

利休は尊蔵を表向き心良く迎え入れたが、利休と宗及は同じ秀吉に仕える「天下の三茶匠」
として交流があり、その日宗及が行う茶会の客も、利休は知っていた。
「一期一会の茶の湯において、時間が余っているからと寄り道するとは…!」

内心、珍しく激怒した利休は、尊蔵を大変なご馳走でもてなし始めた。
いや、それどころかいつまで経っても利休のもてなしは止まる気配を見せなかった。
「り、利休どの、もうこれ以上は…(茶会の時間が…)」
「何をおっしゃる、まだまだこれからですぞ?」
利休の引き留めを断れず、尊蔵はそのまま時間を過ごしてしまった。

やっと利休の屋敷を出た尊蔵は、急いで宗及の屋敷に向かい、家人に案内を頼んだ。
「ああ、今日の茶会はもう終わりました。主人もお客人を送って出ており、いません。
どうぞお引取り下さい。」

こうして茶会に出席した円明は天下の宗匠である宗及のねんごろなもてなしを受け、
尊蔵は堺の町中から面目を失ったという。
664人間七七四年:2009/07/20(月) 14:11:37 ID:1+TjxfAE
>>658
それでも90過ぎまで生きてる訳だが…w
665人間七七四年:2009/07/20(月) 14:15:55 ID:ZWLUhHmx
>>663
現代人から見れば、他人が自分の時間をどう有効に利用しようが
知ったこっちゃないだろうと思ってしまうなw
666人間七七四年:2009/07/20(月) 14:35:42 ID:VwHL3lKx
>>659
昌幸
「むしゃくしゃしており、つい天下を目指したくなって西軍についてしまった。
まさかこんなに早く決着がつくとは思わなかった。今では反省している。
あと仕送りだけじゃ足りないからとりあえず金貸してくれ。」
667人間七七四年:2009/07/20(月) 16:07:29 ID:T/mvV0Rs
>>659
幸村
「やっぱ狸爺の臣下なんて耐えられないんで、親父と一緒に暴れました。
 まさか西軍があんなに脆いとは思わなかった。今でははんせいしている。
 あとまた子供が産まれたので、お金を送ってください」
668人間七七四年:2009/07/20(月) 17:01:39 ID:GKfUDUM8
>>667
お前は反省してねーじゃないかwww
669人間七七四年:2009/07/20(月) 17:12:33 ID:wQMGU7hB
>>667
666見たときに、誰かが書くとは思ってたがw
ナイスアシストだw
670人間七七四年:2009/07/20(月) 17:38:53 ID:B7AtPWZ0
とある男の顛末


鏡山城合戦の時のことであった。雲州の狼こと尼子経久は安芸国内の大内勢を排除すべく、鏡山城を攻めこんだ。
当時の毛利家当主幸松丸の後見人をつとていた毛利元就は幸松丸といっしょに尼子軍に従軍していた。
元就は己の智謀で城主蔵田信房の叔父蔵田直信を籠落、城内へ侵入することができた。
その後城は落城蔵田信房は自刃した。
だが経久は無断で調略した元就も許さず、甥を裏切り元就に助命と領土安堵を約束させた蔵田直信は経久に首をはねられた。
この時元就の謀略を見破ったの経久一人だけであった。
671人間七七四年:2009/07/20(月) 18:45:58 ID:ZEomPvcS
大河ドラマでこの話まんまで見たな。首をはねる緒形拳、無茶苦茶怖かった。
672人間七七四年:2009/07/20(月) 19:03:38 ID:cVBhlrFl
あのシーン良かったよな。
もの凄い迫力だった。
俺あれで尼子について興味持ったもん。
673人間七七四年:2009/07/20(月) 20:18:20 ID:XqXvznlL
>>652
あれそれ豊臣政権内での家格と年齢の関係で持ち越してるだけじゃね?
忠政が従四位下になったのって18の時でいいよな?
674人間七七四年:2009/07/20(月) 20:19:15 ID:XqXvznlL
>>673
いやそれが結果的にすごいってことかごめんスルーして
覚え間違いかと思って焦った
675人間七七四年:2009/07/21(火) 00:14:56 ID:Pm+XLocW
むかし、NHKのクイズ番組の本に出ていた事なんだが・・・・

伊達政宗があるとき自分の屋敷で幕府の旗本と談笑していた。
以前からこの旗本とは顔見知りでもあったようで、
時折屋敷に呼んでいたようである。
そんなあるとき、何かささいな事でこの2人が口論となり・・・・

旗本に政宗が殴られてしまった。

旗本は我に返り、政宗にわびを入れた。これについて政宗は、酒の上の席の事でもあるし、
気にしていないと許してくれた。そして、旗本が退出した。ここまでならいい話であるが、
ここで政宗は自分の小姓を呼び出して、命じた。

政宗「お前、切腹。」
小姓「え?」
政宗「あの旗本とわしの争いは、お互い武士同士の立場であるからわしは旗本を許した。
   だが、わしを守るべき役目のあるそなたは主君が殴られる時、旗本を止めなかったのは
   職務怠慢である。よって切腹を申しつける。」

こうして、小姓は職務怠慢で切腹したという。

ところで不思議なのは、一体何が原因で政宗と旗本は喧嘩になったのだ?
676人間七七四年:2009/07/21(火) 00:24:13 ID:zrRe11+V
>>675
政宗が旗本から殴られたと言うと、当時の幕府高官で政宗の友人だった
加賀爪忠澄に殴られた事があったらしいが、あれは政宗の方から殴ってきて、
それで殴り返されたってことらしいがw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-67.html
↑これに出てるねw
677人間七七四年:2009/07/21(火) 01:10:17 ID:jj4va/YI
道三は町末の小家に忍居て
 
 
斎藤道三と織田信長の、いわゆる正徳寺の会見。
正徳寺とは信長公記における表記で、正しくは七寶山聖徳寺というが、それはともかく。
舞台となったのは町家七百軒を数える富貴の地であったという富田の町。
道三は会見の直前、その町外れの小屋に潜み、信長一行の様子を覗き見たというのは有名な逸話である。
ところが、これに異を唱えたのが聖徳寺の故地、愛知県中島郡の旧・起町が昭和29年刊行した起町史だ。
 
「道三たるべきものが、即刻會見すべき信長を、(中略)その道中を隙見する必要はないかに思はれる――」
 
聖徳寺所蔵の羽柴秀吉制札によれば、富田には天正12(1584)年当時、月に6度の市が立ったという。
尾張と美濃の国境の町、また当時の水運交通の動脈である木曽川に面した町として往時の繁栄が偲ばれる。
この富田に絹屋長者または日比野長者と呼ばれる豪商、日比野氏の屋敷があったと伝えられる。
そして地元の伝承では、道三が信長一行を見かけたのは、この日比野長者屋敷からであったという。
つまり、起町史によれば、道三は信長公記が描くように「町末の小家」にわざわざ「忍居」たわけではない。
美濃から「遠来の道三が到着の仮宿所として、当家を用ひたのではあるまいか」、
その際に偶然に信長一行を見かけただけではないか、というのである。
 
道三ほどの人物が、聖徳寺で待っていれば会える信長を、こそこそ隠れて覗き見る必要もねーだろ?
 
……いや、それはそうなんだけど、そもそも「正徳寺の会見」自体のソースが信長公記だし。
「小屋から覗いてうつけプゲラ」→「会見場での変貌にポカーン」のほうが話として面白いし。
地元の伝承以外に斎藤道三と日比野長者の繋がりを示すものもないわけで。
結局、道三の名誉回復には至っていないという話。
いまなら無難に「地元では〜と言い伝えられている」程度で済ませるのだろうな市町村史の記述的に……
678人間七七四年:2009/07/21(火) 01:16:26 ID:jj4va/YI
>>677
スマソ訂正。本文3行目。

> 舞台となったのは町家七百軒を数える富貴の地であったという富田。聖徳寺の門前町である。
679人間七七四年:2009/07/21(火) 07:51:49 ID:W8CUIJ8N
聖徳寺は何処に
 
 
聖徳寺は寛喜年間(1229〜32年)、尾張国葉栗郡大浦(現岐阜県羽島市)で創建された。
開基は信濃国出身の元武士で親鸞聖人の直弟子となった小笠原長顕、法名閑善。
山号は七寶山といって、親鸞から七つの寺宝を授けられたことに由来するという。
浄土真宗においては本願寺の直参と格付けられた有力寺院である。
その後、木曽川の洪水によって寺堂が流出したため尾張国中島郡苅安賀(現愛知県一宮市)に移転。
さらに再び大浦へ戻ったが、永正14(1517)年、中島郡富田へと移った。
この富田は、先に「道三は町末の小家に忍居て」の逸話で紹介した旧愛知県起町に所在した。
(現在は市町村の合併により、旧尾西市を経て一宮市に属している。)
ここまでの移転の経緯は聖徳寺の寺伝で語られているところである。
そして真宗本山の本願寺側の文書や聖徳寺自身の所蔵文書でも、寺が移転を繰り返したことは確認できる。
「苅安賀聖徳寺」「大浦郷聖徳寺」「富田寺内聖徳寺」「中島郡留田郷(=富田?)聖徳寺」……等々。
 
ただし、各文書に記載された日付と、寺伝による移転の経緯は必ずしも一致しない。
寺伝では永正14年に聖徳寺は富田へ移転した筈である。
しかし本願寺側の文書では、天文12(1543)年時点の所在地を苅安賀としているのだ。
さらにややこしいのは、富田という地名自体は尾張国のあちこちに存在していたことである。
そして、苅安賀にも富田という土地があった。
このため史家の中には「正徳寺の会見」の舞台となった「富田」は苅安賀の富田だと説く者もいる。
起町史や尾西市史では、自身の行政区域に属した木曽川沿いの富田を聖徳寺の故地とする。
(尾西市は昭和30年、1955年に起町と朝日村の合併で誕生。)
だが、平成の大合併で尾西市が一宮市に編入された現在。
新たに一宮市史が編纂されるとすれば、「正徳寺の会見」の舞台をどこに置くのだろうか。
 
……まあ、一般的には旧起町の富田がそれだとされているので。
「苅安賀説もあるんだよ」と軽く紹介しておく程度が無難だろうけど。
 
ところで、その後の聖徳寺である。
天正12(1584)年当時、富田は月に6度の市が立つ繁栄ぶりであったという(聖徳寺所蔵羽柴秀吉制札)。
ところが天正14年、木曽川の大洪水によって富田は水没。
聖徳寺は三屋村(現岐阜県笠松町)へ移転することになった。
そこから一時、尾張国清州へ移り、寛永15(1638)年に現在の名古屋市中区錦町へ移転した。
そして近年になって、さらに名古屋市天白区へと移転したのである。
 
結構な由緒のある寺なのに、こんなにあちこち移転しまくっているのもどうなのだろう。
聖徳寺のなんとも収まりの悪い話。
680人間七七四年:2009/07/21(火) 09:01:32 ID:OT0Grefq
>663
宗及のねんごろなもてなし……ぢゃないよね。

しかし利休の嫌がらせも堂に入ったもんだね。
一期一会って、果たし合いモードかよ
681人間七七四年:2009/07/21(火) 09:08:08 ID:Ok/KTjbD
>>598
計算通り伊東が攻め寄せてきたけど
まさか50人しかいない城に3000人も引き連れて相良まで呼ぶとは思わなかったでござる…
とかw
682人間七七四年:2009/07/21(火) 09:13:10 ID:OT0Grefq
>666-667
父は組合活動の果てリストラされ無職、弟はリアルニートか。とほー


まあ上田攻めを遅滞さして中山道から4万の兵力が決戦場に間に合わなかったんだもな。
うまくやれば天下分け目の合戦で西軍が勝つるかも?と夢見ちゃったの、わからんでもないが……
683人間七七四年:2009/07/21(火) 17:25:55 ID:RdkpDwxK
「戦下手で有名な某三成が海道一の弓取りと呼ばれる某家康(城攻めが苦手らしい)に、平地で正面から決戦を挑むなんて思いもしませんでした。
ああ、総大将はボンクラじゃなくて・・・でしたよね。」
684人間七七四年:2009/07/21(火) 17:39:26 ID:x6QaDI2m
>>683
その戦下手ってのも俗説だけどね…
685人間七七四年:2009/07/21(火) 17:42:11 ID:zrRe11+V
家康が城攻めが下手って言うのもね。
俗説どころか司馬遼太郎の創作。
つーか逸話でも逸話の感想でも無いものを書き込まれても困る。スレ違いだわな。
686人間七七四年:2009/07/21(火) 18:12:42 ID:DPoM7MHd
もうすっかり夏休みだからな。
687人間七七四年:2009/07/21(火) 19:47:16 ID:/0umfyfa
>>681
それはない。
飯野にある三徳院の盲僧に菊市ってのがいて、そいつを伊東領内の村に
送り込んで、足軽らから情報を聞き出してるから、三千人も相良の
援軍も織り込み済みで対応してる。
で、そのときの功で菊市は、盲僧の最高位と小林郷から毎年決まった分の
年貢を貰える特権を貰ってる。
688人間七七四年:2009/07/21(火) 19:52:58 ID:Ok/KTjbD
そこまで周到に準備しておきながら実際に使った兵力が250人ってどういくことなの…
689人間七七四年:2009/07/21(火) 19:57:22 ID:hWSio8Yl
義弘「一人十殺すれば勝てる!」
690人間七七四年:2009/07/21(火) 20:01:42 ID:/0umfyfa
>>688
色々考えられるけど、島津宗家が肝付家との戦いで兵を出しづらい状況だったとか
伊東の油断を誘うためとか、それと遅れてきたけど大口城の新納忠元の160人も
ハナからそれに加わるはずだったとか・・・実際はよくわからんけど。
何にせよ、釣り野伏せの伏兵以外にも至る所に伏兵(偽兵もあるけど)を
用意してるから、最初から準備してたのは間違いないようだ
691人間七七四年:2009/07/21(火) 20:09:44 ID:QFx1RMKp
九州は大げさな数字の話が多いよな
692人間七七四年:2009/07/21(火) 20:16:06 ID:67BS8v8v
悪いというかさみしい話。世の中が悪い話か?

毛利元就はよく酒を飲んで愚痴った。
「私には真の友がいない。こんな世であれば知力と武勇に優れる者が
天下を夢見るのは当然だ。だが、それでは友ができない。
本当なら優れた素質のある友と手を携えれば民を幸福にできるはず
なのだが、なかなかそうはいかない。時代がそれを許さない。
悲しいことに友情を保っていては乱世を生き残ることはできないのだ。」
693人間七七四年:2009/07/21(火) 20:22:07 ID:/0umfyfa
>>691
確かにね。
でも木崎原は個人的に色々検証してみたけど、実は伊東の動員数は三千でも
まだ少ないんじゃないかと思われる。
少なく見ても三千五百〜六百ないとちょっと参加した衆中と動員数が合わない。
何か特別な理由があったのかも知れんけど。

ただ相良からの五百人は、相良の史料によると二百人足らずだったみたいだけどね
って、検証スレみたいになってるから、これ以上あるなら別スレででも・・・
694人間七七四年:2009/07/21(火) 20:29:14 ID:Ok/KTjbD
>>692
悲しいな
謀略家で有名な元就でもやっぱ友が離れていくのは寂しかったんだなぁ
695人間七七四年:2009/07/21(火) 20:36:27 ID:OT0Grefq
>>688
険峻な地形に誘い込んで、徹底的な局地戦に持ち込んだからじゃね?

味方は頼もしい薩摩マッチョばかりで人の和もバチーリ、
敵は数ばかりいて身動きならん地の利・天の時を失った烏合の衆……
696人間七七四年:2009/07/21(火) 20:41:59 ID:DTvIFR9c
>>692
戦国黎明期から謀略で成り上がった人間の台詞は重いね
697人間七七四年:2009/07/21(火) 20:42:22 ID:Ok/KTjbD
>>695
個人的には日新いろは歌の

無勢とて敵をあなどることなかれ 多勢と見ても恐れずべからず
−少人数だからと侮らず、大勢だからと恐れる事は無い。
 一致団結すでば大敵を破ることができる。
心こそ軍する身の命なれ そろゆれば生きそろわねば死ぬ
−自軍の心がひとつまとまれば生き、揃っていなければ敗れ死ぬ

あたりを盲目的に信じてたんじゃないかと邪推してるがまぁきっと気のせいだよね…


終わり終わり
698人間七七四年:2009/07/21(火) 20:44:20 ID:jzKnxXQW
薩摩人はサイヤ人だからな
洞爺湖サミットの時に全国から警官来たけど、鹿児島県警の警官がイケメンでガタイも良かった
699人間七七四年:2009/07/21(火) 21:00:51 ID:Ok/KTjbD
ttp://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090718/CK2009071802000017.html
この記事見ると信長がワインの肴に金平糖食ってたみたいに見えるけど
いくら好物って言ったってどう考えても酒飲みの取り合わせじゃないだろ…
それともアレか?昔の人はみりん飲んでたっていうし甘党の酒飲みだったのか?
700人間七七四年:2009/07/21(火) 21:07:53 ID:WC//80ZL
>692
直家さんと友達になればいいじゃない。
701人間七七四年:2009/07/21(火) 21:11:06 ID:liayfHKL
石原軍団が甘い物食いながら酒飲んでたらしいから
別にあるんじゃないの? オレも個人的には変だと思うが。

702人間七七四年:2009/07/21(火) 21:11:19 ID:ek/jLxAe
>>693
元就は健康のためあんまり酒を飲まんイメージがあるんだが、鬱憤が溜まればやっぱり飲むのね。
703人間七七四年:2009/07/21(火) 21:11:52 ID:5YL2EcOK
まあワインも金平糖も戦国時代にポルトガルから伝わってきたんだから
単なる新しい物好きだったんじゃ…というのは浅慮かな(汗)

今と違って甘いものが貴重な時代だったから珍重されてたのかも。
704人間七七四年:2009/07/21(火) 21:16:01 ID:MExwDSsD
信長が好んだというコンペイトーや赤ワインって書いてあるから別に食い合わせってわけじゃないだろう
並んでる画像から視覚的にそう感じただけじゃない?

勿論家康のところには焼き味噌が展示してあるんだよな
705人間七七四年:2009/07/21(火) 21:18:34 ID:Ok/KTjbD
>>704
いや、記事名が戦国武将の勝負飯とかあるからさ…
やっぱり納得いかねぇ!枝豆クイながらビール飲んでるから余計そう思うわ

家康は白米に麦を添えたものだそうだ
焼き味噌は展示できないだろw
706人間七七四年:2009/07/21(火) 21:25:38 ID:DTvIFR9c
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/l50

そろそろこっちでやれよ
707人間七七四年:2009/07/21(火) 21:30:29 ID:vB1/3YHy
>>699
いや、記事には信長が好んでたってだけで
別にこの組み合わせで飲んでたとは書いてないと思うんだが……
708人間七七四年:2009/07/21(火) 21:53:45 ID:3E3aH0NV
ケーキで日本酒だって俺的にはありだ
709人間七七四年:2009/07/21(火) 22:24:57 ID:JjG05JV+
>699
ノブ「酸っぱ苦ぇェェェエエエエ!金平糖でも食いながら飲むか」
って感じだったのかもよ
710人間七七四年:2009/07/21(火) 22:27:17 ID:NOwE2fUX
ビールや焼酎の肴がいつもチョコレートやケーキの俺涙目www
変なのかな俺は酒のむ時甘いものばっか食ってる

それより信長って下戸だって聞いたような気がするんだが酒飲めたんだな
昔の酒は水で薄めて飲んでたとも聞くし、そんなに度数高くないからちょっとならいけたのか
711人間七七四年:2009/07/21(火) 22:37:41 ID:5YL2EcOK
>信長って下戸だって聞いたような気がするんだが
光秀「私には『白刃を呑むか、それとも酒を飲むか』等と迫ってきたのに…」
712人間七七四年:2009/07/21(火) 22:57:38 ID:VJse1/81
ワインにハチミツを入れる飲み方もあるんだし、甘いもの+ワインはいいんじゃね?
713人間七七四年:2009/07/21(火) 23:01:39 ID:tOvISjY1
>昔の酒は水で薄めて飲んでたとも聞くし、そんなに度数高くないから
だが山科卿の飲みっぷりは異常w
714人間七七四年:2009/07/21(火) 23:02:30 ID:e6V4BtfI
当時としては下戸ってことじゃないかな
715人間七七四年:2009/07/22(水) 00:23:27 ID:5up/06G3
信長は下戸ではないけど、あまり量は飲まなかったみたいだね。

あと、当時の日本の酒はまだ濁り酒(ドブロク)が主で、澄み酒(清酒)は
珍しく、アルコール度数も低めだった。
度数の高いワインは日本人には飲みにくいから、甘いもので和らげながら飲んだ、
とは考えられないかな。
716人間七七四年:2009/07/22(水) 00:23:54 ID:bJB6e6tb
>>710
のぶたん「ヨッシー(義景)の髑髏杯で飲むワインは美味にゃ」
717人間七七四年:2009/07/22(水) 00:28:59 ID:uQSmeqKk
平家物語で有名な、平清盛の嫡男、小松内大臣平重盛。
あるとき豊臣秀吉が、この重盛に関して批評した事があった。

「過去の人物の中でも平重盛の事を、日本の聖人であると高く評価している向きがあるが、
しかしその事績を見ると間抜けなことが多い。

先ず、父の清盛だが、諸国上下の船が播磨灘で難儀すると言うので、
この難を救おうと、多くの国々から人数を出して兵庫に築島をした。それはいい。

しかし潮の早い場所であったので、工事が遅々として進まなかった。
ところが清盛はこれを、龍神がこの工事を受け入れていないせいだとして、色々と祀り、
それでも効果が無いと見ると、最後には人柱を立てるべしと、往来で罪も無い者を捕え、
しかも人数が揃うまで押し込めて、その苦しみを人々に見せた。これはいかなる事か!?
龍神に祈念などするより、このような無道を止める事が先では無いか!

また、船の発着場を作るなら、むこ山を下まで掘り崩せば良かったのだ。
あそこを掘り崩せば、多くの労力を使わずに、広い船の発着場が出来たでは無いか。
清盛がこれを知らなくても、重盛が利発だと言うのなら、当然この事を進言すべきなのに
そうした様子は無い。まったく、親子ともによく似た暗主だ。
(※秀吉に、源平の時代と桃山期の地形変化は当然頭に入ってません)

このように清盛の業績と言うのは、人々の望みに背く事が多く、天下から糾弾され、
重盛も家の滅びが近いと感じたと言うのに、彼がやったのは熊野に参って神に祈っただけだ。

何が『もしこの願いがかなえられなければ私の命を縮めて下さい。生きて家の滅びるのを
見たく無いのです』だ!?

そこまで家の滅亡を感じているのなら、一族の中に利発な人間はいただろうから、それと組んで
清盛を押し込め、国家が穏やかになるようにして、その上で朝廷を保護すれば、
家も長久となり、国々もよく治まっただろうに。

そして源氏をことごとく滅ぼしたと言うのに、頼朝を助けたと言うのは、これは最大級の不覚と
言っていい。池の尼が何を言おうが、助けるべきではなかったのだ。
その上、流人にするにしても西国に流すべきなのに、わざわざ源氏代々の基盤がある
東国に流したりするから、古の好を持つ者たちが次々と頼朝の元に集まり、ついにこれに滅ぼされた。

重盛が聖人だと言うのなら、どうしてこんな事をしたのか?重盛にはこのように愚昧な事が多く、
彼が日本の聖人だ、などと言うのは実態を表さないものである。」


まあ、所々「お前が言うな」感が漂うのは、秀吉ほどの男であっても、自分を省みる事は難しい、
ということなのでしょうね。
718人間七七四年:2009/07/22(水) 00:30:22 ID:PP3lP4+Y
普通のワインが、赤道直下を長い間かけて悪くならずに輸送できたとは思いにくいから、
ポートワインでも飲んでたんじゃないか?
719人間七七四年:2009/07/22(水) 06:19:13 ID:iy2rtOtX
318 :マジレスさん:2007/07/15(日) 12:41:19 ID:

会社の人がもう閉鎖されている掲示板に社内から書き込んだ写しです。
下の方には男の人の名前や住所などの履歴書のような個人情報と画像までありました。
非常に嫌悪感をいだきました。醜い内容です。私一人でこの秘密を抱え込むのは
心苦しいのでこの写しをのせることにしました。
写し
職場に何か気に入らない男がいました。
私と不倫相手と仲間で社内いじめを徹底的にしてやりました。
偶然その男に社内での不倫現場を見られてしまいました。
その後不倫相手は退職してしまいました。きっとこの男のせいです。
仲間と相談して、私がこの男からセクハラを受けていると嘘の申告をしました。
私が泣いて演技しただけで皆信じてくれました。
上司も協力してくれて、知り合いの医師に、この男を統合失調症の診断をしてくれるようにしてくれました。
上司と医者がこの男に脅迫までしてくれて、ようやく冤罪をかぶせることに成功することができました。
念のため、この男の中傷を広めました。この男は泣き寝入りで退職してくれました。
自殺させられなかったのが、残念ですが、私たちのしたことは、もう時効ですよね。
ばれなければいいんでしょ。
写し
まだ死んでなかったの?
こっちには仲間がいっぱいいるのよ あんたは一人
警察に逮捕させちゃうよ 
あんたの言うことなんか誰も信じないよ〜ぅぅぅぅぅ
また病院送りにしてやるわよ!
統合失調症とお〜ぉぉぉぉっ みんなが 認めちゃってるう〜ぅぅぅぅぅ
死ぬまで続けるからね!死ね死ね死ねぇぇぇぇぇ
720人間七七四年:2009/07/22(水) 11:00:22 ID:2A7FgoHT
真田昌幸が亡くなってしばらくして、その子・信之のもとに武田家で父と同僚だった
七千石の旗本・城和泉守昌茂から書状が届いた。

昌幸殿が亡くなられたとの事、こちらにも聞こえて参りました。
致し方なく、残念です。
「もう一度会って話そう」と約束しながら果たせず日々を過ごしてきましたが、
今はただ、涙がこぼれ落ちるばかりです。
聞けば病で長く苦しまれたとの事、いっそう不憫に思われます。
この私の心中は、文章には表せません。とりあえず、謹んでお悔やみ申し上げます。

追伸
あなたは体調に充分注意して、例え半身不随になっても真田家のために長生きして下さい。
(・・・たとへかたわに御成候共、御家のつづき候やうに御生き候て・・・)

で、なにが悪い話って、こう書いた肝心の昌茂自身が、わずか2年後の大阪冬の陣の後に
改易されてしまった。

冬の陣に検視役として出陣した昌茂は、ある大名に大阪中之島での駐留を命じたが、
その大名は戦闘が開始されても動かなかった。
家康の上使として水野勝成が「なぜ進軍しないのだ?」と問い質したところ、その大名は
「検視役の指示に従っているだけだ。」と答えたので、昌茂は監督不行き届きとして
改易されたそうな。

動かざる大名、その名を森忠政という・・・・・・
721人間七七四年:2009/07/22(水) 12:06:55 ID:YSycCjgg
また森の眷属か…
722人間七七四年:2009/07/22(水) 12:33:07 ID:k2RJ16nj
処世術というか処世道だよな、鬼の処世道
723人間七七四年:2009/07/22(水) 16:13:20 ID:GTKNj0D9
>>720
疫病神伝説がまた一つ増えたね。
724人間七七四年:2009/07/22(水) 16:24:13 ID:G9sjT6h7
昌茂との約束と真田家のために長生きした信之のいい話と思ったら....。
725人間七七四年:2009/07/22(水) 17:36:57 ID:I/W74ik1
そんな信之も弟と鬼嫁のストレスで(ry
あと30年は(ry
726人間七七四年:2009/07/22(水) 18:34:09 ID:kUbOFIKA
忠政の言い訳テクニックはすげぇな・・・

いつの間にか勝成も「昌茂はけしからん」という方向で納得させられてる謎。
727人間七七四年:2009/07/22(水) 20:04:14 ID:bJB6e6tb
>>726
きっと、神の加護だよw
忠政たんの大坂陣前の逸話参照
728人間七七四年:2009/07/22(水) 20:18:20 ID:fCaeEn4w
>>726>>727
どうも本当に前進ストップがかかっていたみたい。
729人間七七四年:2009/07/22(水) 20:24:54 ID:CIuX33cv
>>727
本人が疫病神みたいなもんだからなw
730人間七七四年:2009/07/22(水) 20:27:22 ID:2DVcqNvp
死んで喜ばれるような先達がいるからな
仕方なし
731人間七七四年:2009/07/22(水) 20:32:17 ID:kUbOFIKA
毎度おなじみの「森家先代実録」だと前進ストップかかって無いんだよなぁw
732人間七七四年:2009/07/22(水) 20:44:51 ID:9p3Hi848
そういや、遺言があったなw
733人間七七四年:2009/07/22(水) 22:16:41 ID:kUbOFIKA
森家先代実録的大坂冬の陣

・11月25日    忠政軍、仙波口より豊臣軍を攻撃。翌日晩まで鉄砲競り合い。忠政軍に戦死者・負傷者が出る。
・11月26日夜   忠政家臣の伊藤・安藤両名が天満川を渡り標木を「勝手に」立てる。
・11月27日午後 忠政、軍法を無視し小姓数人を引き連れて白昼堂々戦場を視察。当然すぐに豊臣方に見つかり発砲される。忠政、城の制止によりようやく帰陣。

・11月28日〜29日 記録なし(この間に近くで博労淵砦の戦い、野田・福島の戦いなど重要な戦があったにも関わらず何も記述無し。懲罰?)

・11月30日 水野勝成が忠政の陣を訪れ天満川の途河の遅れを叱責する。
                   ↓
                忠政申し開き
                   ↓
          水野の訴えにより何故か城に有罪判決。城改易

以後、忠政付きの軍監として水野が忠政に付く。



一体、何が起こったのか推理してみよう。
734人間七七四年:2009/07/22(水) 22:27:54 ID:CWf1kRde
授業中にフラフラしてたDQNなガキが先生に「教室に入ってなさい!」と怒られて
全校集会の時も教室に残ってて「先生に言われたもんねー」と開き直るようなもんか
735人間七七四年:2009/07/23(木) 10:07:25 ID:p+wlyf2i
今週のへうげはこのスレからもってきたかと思うばかりの展開だわw
736人間七七四年:2009/07/23(木) 10:51:59 ID:HC80TgHt
今週のへうげもの
(;●Д゚)「蒲生に大衆の面前で茶席に御呼ばれされちまったー毒殺されちまうー」
上田「男らしく絶縁状送ろうぜ」
(*●Д゚)「さすが兄弟子!そこに痺れる憧れるう!」

死に掛けの病人に意気揚々と絶縁状送ろうとする伊達さんがなんともいえん。
ただ、あのへうげた字じゃ蒲生が読めないor曲解されて絶縁状だとわかってもらえんだろうw
737人間七七四年:2009/07/23(木) 10:54:55 ID:O6Z+k+/S
他所でやれ
738人間七七四年:2009/07/23(木) 11:05:08 ID:lAYjRWTh
慶長11年(1606)12月、古田織部は出入りの塗師・松屋久好や親しい武士らを連れて
奈良興福寺の塔頭・最福院を訪ねた。

最福院の住職は一行を心良く出迎え、さっそく茶会を開き、四畳の席には
信楽焼の花入に白椿が生けられ、備前焼の水指に茶碗、薩摩焼の茶入が並んだ。
松屋が茶入を拝見すると、底に「古織部」と落款が入っている。

松屋「なるほど、尊敬する織部どのを、当人のサイン入り茶器で迎えられたわけですな。
かんしん、かんしん。」
織部「私の判なんて押した覚え無いよ。」
松屋「!?」
織部「その茶入、薩摩の御館からもらった物だけど最初っからサイン入ってたんだよね。」
松屋「?????」

要するに、新興ホヤホヤの薩摩焼をアピールするべく、薩摩の御館(四天王のあの人)
みずからの指示でご丁寧に織部の名まで入れて、ワイロがてら贈ったものだが
肝心の織部は気に入らなかったのか、友人の最福院住職にあげてしまったのである。

以上、なかなか抜け目ない家久(悪)さんと、その上を行く織部さんでした。
739人間七七四年:2009/07/23(木) 12:17:26 ID:CLlBDRBq
茶人としての名声で三歳様を上回り
DQN眼龍に文化財クラッシュをレクチャーし
厨恒さんを華麗にスルー

ホンマ織部さんはパラメータ特化のモンスターや…
740人間七七四年:2009/07/23(木) 15:39:28 ID:stx5VR8I
>>738
松屋久好が松永久秀にみえた…
741人間七七四年:2009/07/23(木) 21:34:05 ID:i8mlnd/W
ここまでくると、鬼武蔵とも絡んで欲しかったな古織w
742人間七七四年:2009/07/23(木) 22:03:13 ID:xSY5BUNx
鬼武蔵は知らんが織部は森忠政の茶の指導をしてやってた人物。
743人間七七四年:2009/07/23(木) 22:40:22 ID:BmvaSl9N
初代ちょっといい話スレで見つけたんだけど、これの詳細↓まとめサイトにあったりする?
検索掛けてみたけどよく分からなくて、話的に悪そうだからこっちで聞いてみた

35 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/03/04(日) 23:56:14 ID:A0ndiNtv
小田原で秀吉と利家がマジ喧嘩
それ見て政宗がドン引き

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/03/05(月) 00:06:30 ID:mVrxP8Ch
政宗がドン引きってどんな喧嘩したんだろう

39 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/03/05(月) 19:19:55 ID:YoQFh5Tn
>>36
江守さんと中尾が収録中に大喧嘩で 若手有能ディレクターがパニクるようなもん
(昔ながらの人は またかw と思うだけ)
744人間七七四年:2009/07/23(木) 23:49:56 ID:fXJbyuLa
ある時の大久保彦左と阿部忠秋のやり取り。

「阿部さんや、あんた実に幸運なお方じゃよ。なんせ畳の上の能力だけで
大名になったのだからのう、カッカッカw」

「ふむ、あなたは合戦での働きで三千石でしたな・・・。私は生まれるのが
遅くて機会がありませんでしたが、もし早く生まれてあなたと一緒に
合戦に参加すれば、あなたよりも手柄を立てたことでしょうな、フッ」

(ぐぬぬ・・・)

これに対して彦左殿はノーコメントでした。
745人間七七四年:2009/07/23(木) 23:55:47 ID:BIBKi1vM
>>743
35は大河の「利家とまつ」あたりを元ネタのある話と混同してたんじゃない?
少なくとも俺の知ってる限りじゃ小田原で秀吉に噛み付く利家が出てくるのはそれだけ
だいたい小田原での政宗って秀吉初見参でそんなケンカを見られるほどウロウロできた
とも思えんし

あとは秀吉にいろいろ言われながらも黙々と城攻め等に励む利家が出てくる資料ばっかり
書いてそうなのは「利家夜話」あたりだけど俺は持ってないしなぁ・・・
746人間七七四年:2009/07/24(金) 00:05:31 ID:0YZwI3a6
>>738
それ、甲
747人間七七四年:2009/07/24(金) 00:35:54 ID:iCEkHT2W
「京極さんや、あんた実に幸運なお方じゃよ。なんせ床の上の能力だけで(ry」
748人間七七四年:2009/07/24(金) 01:36:06 ID:tzJCoSyp
>>747
それを池田輝政がいってるんだね、わかります
749人間七七四年:2009/07/24(金) 02:29:38 ID:SbgMoPk5
確か市松が輝政に「床の上の能力だけで……」とからかって
「俺が普通に槍働きしてたらあんたよりすごいよ」ってやり返される話もあったよな
750人間七七四年:2009/07/24(金) 03:00:09 ID:L9e2dSMB
そんな京極さんの中から、尼子経久に一字を与えた事でも有名(?)な
近江、出雲守護、京極政経。
応仁の乱真っ盛りの文明五年(1473)、彼は朝鮮国王に緊急の書状を出した


『もう大変なんですから。

ウチの守護国のね、近江でも出雲でも、戦乱のせいで農村が荒廃しちゃって、
材料が生産されないから、衣料の入手にも事欠く始末なんですよ。

それでね、うちの兵士達も、まともな衣服がなくて寒さで凍死するのまで出る始末。

そんなわけで、木綿を緊急に輸出してください、それも大量に、今すぐ!
もうホントに大変なんですよ。お願いしますよ。』


京極氏は日本海を通じて、朝鮮とも近しい関係だったようですが、
応仁の乱に対する、東アジアからの視座も感じるお話。
751人間七七四年:2009/07/24(金) 10:03:55 ID:aOAPFygy
泣き落としにかかってるけど、逆に足下見られてそうw
752人間七七四年:2009/07/24(金) 10:51:55 ID:T5u1Cl7A
永禄2年(1559)、長尾改め上杉景虎は、将軍・義輝に関東管領職の認可を受けるべく
三百人の供を連れ、上洛した。

京に着いた景虎は、まず所司代の三好長慶に
「関東管領上杉憲政の養子・景虎、家督相続の報告に参った。公方にお取次ぎ願う。」
と、面会を申し込んだ。
しかし、付け届けなり根回しなりが足りなかったのか、京風の一見さんお断りか、
長慶は風邪を理由に、景虎に会おうとはしなかった。
中一日置いてもう一度申し入れたが、今度も「外出している」との事だった。

業を煮やした景虎は、宿泊先の商家の主人を呼んで聞いた。
「三好殿のまつりごとを、京の町の者はどう思っている?」
主人も答えた。
「はい、三好様の施政は慈悲深く、みな喜んでおります。」
「そうか…では、三好殿は普段どこにお出かけになる?何が趣味だ?」
「はい、鷹狩りが趣味で、年に何回か遠出されるそうな。あとは、北野天満宮を信仰され、
毎月お参りに行かれます。そのために、明後日にはこの辺りをお通りになるでしょう。」
「よし、聞いたな皆の者。準備致せ!」

景虎の号令で、家臣達が弓の弦を直し、槍を磨き、鉄砲に火縄を付け出した。
ここに至って景虎の狙いに気づいた主人は急いで所司代に報告、あわてた長慶は
さっそく使者を立てて景虎を呼び、これと面会して将軍義輝に会えるよう取り計らったので
無事(?)に景虎は関東管領に任命された。

この後義輝に気に入られてあちこちの公家の所に行って呑みまくり、
近衛前久が知恩寺の住職に出した書状に
「最近、将軍と弾正少弼がたびたび来て、イケメン集めて夜を明かして呑んでます。
弾正少弼はイケメンハァハァみたいですね。」
と書かれてるから、都人に越後の龍のお行儀は評判悪かったようで…
753人間七七四年:2009/07/24(金) 12:06:47 ID:rF00l2Ge
>>750
15世紀だとまだ日本で木綿栽培は広まってないかな
泣き落としで貴重な木綿を輸入してまで兵士に着せるだろうか?
ほんとは進物や贈答品に使うんじゃないの〜?(・∀・)ニヤニヤ
754人間七七四年:2009/07/24(金) 12:27:05 ID:syRJm0dZ
>>752
エピ自体は既出だけど、詳細乙にござるよ
755人間七七四年:2009/07/24(金) 12:29:40 ID:syRJm0dZ
>750
越後や後の出羽は、あおそ栽培してたんだっけ。

綿花も国内栽培が盛んになるのは江戸時代、社会が安定してからですた
756人間七七四年:2009/07/24(金) 12:43:23 ID:aOAPFygy
>>752
しかしその時弾正少弼さんにイケメソジャニ軍団を斡旋したのはたしか前久公だったような脳内記憶が・・・ゲフンゲフン
757人間七七四年:2009/07/24(金) 20:01:06 ID:eT6oXwY2
予想はできることだが、政宗の酒癖は悪かったらしい
「充分いただいてます」という人にも「もっと飲めや!」とアルハラまがいのことをしていた

とある時、金剛太夫一座の勧進能が催され、諸大名が集まる席があった
初日公演は大成功のうちに終わり、一座は舞台より立ち去ろうとした
が、突然桟敷より立ち上がり、大声で呼び止めた者がいる
政宗だ
「アンコール!アンコール!」
乞能という、現代でいうアンコールを叫び始めたのだ
酒を飲みつつ観ていた政宗、すでに相当できあがっている
金剛太夫が丁重に断っても聞きつけない
「じゃあ、みんな酒を飲めばいいじゃない!」
などと意味不明のことを言い始め、役者一同に酒を飲ませる始末
仕方なく、一座は短い番組を入れて場をおさめた

同席していた佐竹義宣曰く
「乞能ってのは、初日じゃやらないんだよ。もう終わりみたいだろ
四日目に入って、それでもまだ観たい!って意を表すために乞うものなの
それを……他の大名のやつらもなんなんだろうね
明らかに暴挙なのに、結局御簾上げて観てやがんの
もう帰ろうかと思ったよ!
酔っ払い相手にマジギレしてらんないから、座ってはいたけどね」
758人間七七四年:2009/07/24(金) 20:02:35 ID:eT6oXwY2
冒頭に「伊達」入れるの忘れました。申し訳ない
759人間七七四年:2009/07/24(金) 21:13:08 ID:8Tkl26OM
>>757
予めアンコール2までセットリスト組まれてて、
ツアーの全日程で毎回当たり前にやる予定調和アンコールは
政宗の我儘が起源か…
760人間七七四年:2009/07/24(金) 21:20:21 ID:9yz9P5gO
>佐竹義宣
従兄弟としてさぞ恥ずかしかったと思われる
761人間七七四年:2009/07/24(金) 22:52:18 ID:cVTcM7u/
当時2チャンがあったら間違いなくアンチスレが立ちそうだな>政宗
762人間七七四年:2009/07/24(金) 23:05:59 ID:1kL+8Pnr
>>757
でもさたやんも結局御簾上げて観てたと思うw
763人間七七四年:2009/07/24(金) 23:48:25 ID:onbtgb6r
義宣「だってやんねえと酔っ払い共から『空気読めよ!』みたいに言われるから仕方ないだろ!」
764人間七七四年:2009/07/25(土) 00:55:39 ID:0wTPtEta
氏郷「俺、いなくて良かったわーw」
(多分、江戸時代に入っての話だよね?^^;)
765人間七七四年:2009/07/25(土) 01:16:41 ID:VGBg7LRJ
>>764
政宗のこのテンションは秀忠期以降だと思われますなw
秀吉、家康の生きている間はここまではっちゃけない。
766人間七七四年:2009/07/25(土) 08:10:11 ID:Osa6surA
このスレ覗くようになってから雑誌で戦国特集があるとネタがないかチェックするようになってしまった
たいていは内容の微妙さにがっかりするだけだが。
今日もフラッシュで戦国の愚将なんて言うものあったからみてみたが、やはりがっかりな内容だったし。

DQN四天王なんて枠があるが、純粋に愚将四天王だとどんな顔ぶれになるんだろう
767人間七七四年:2009/07/25(土) 08:37:14 ID:IcOrkC3N
>>766
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/

そんなあなたにおすすめ
戦国武将の名前を放りこめば逸話がたくさん出てくる

(ただし現代語とは限らない)
768人間七七四年:2009/07/25(土) 10:31:07 ID:VGBg7LRJ
「森長可」でググってみたら…

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                           ↑

どうしてこうなった♪
769人間七七四年:2009/07/25(土) 10:34:19 ID:l+LHR2L1
他のキーワード

最上義光 鮭 天地人 最上義光 最上義光 シスコン 最上義光 wiki 最上義光 ツンデレ


これもひどいw
770人間七七四年:2009/07/25(土) 11:37:37 ID:gDtGJwoF
>>769
ひどいけど、妥当な評価だと思うw
771人間七七四年:2009/07/25(土) 12:02:59 ID:VGBg7LRJ
ザビエル、日本よりゴアにあてた手紙

「日本人は友誼に厚く善良で名誉を尊び、学習能力も高く、布教するには最適の地です。

何より、日本は多くの金銀を産出するので、これに進出すれば貿易で
100倍以上の利益を上げることができます!」

理にも、利にも目ざといザビエルさんなのであった。
772人間七七四年:2009/07/25(土) 12:16:59 ID:3k5JUwYx
>>771
じゃないとスポンサーが動かないでしょ
773人間七七四年:2009/07/25(土) 12:51:21 ID:x3Z6iWeV
ザビエルって伴天連の中ではまともなほうだったんだよね。
後から来た連中のアクドイことw
774人間七七四年:2009/07/25(土) 13:29:34 ID:k45Nhfp5
ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か 岩波新書
によるとザビエル館の館長が
ザビエルは海外において率先して異教の寺社を破壊して回った。
ということを認めてる。
775人間七七四年:2009/07/25(土) 13:46:24 ID:iNMuy0d0
>>773
人徳がある程度ある人間じゃなかったらできないようなことを色々している人だからね
776人間七七四年:2009/07/25(土) 22:46:00 ID:LOufkzJS
弘智法印という人は南北朝時代に即身仏になった方で
新潟県西生寺に今もいらっしゃるのだが、その御身体は前かがみ
になっている。なぜか?

天正期のことだ。酔っ払った兵士が即身仏の前に現れた。
「ヒック、死して座っているだとぉ。馬鹿馬鹿しい、正体は狐か狸であろう!」
そう思った兵士は槍で即身仏を突き刺したのだ。
その時、驚くべきことがおきた。即身仏の胸から血が噴き出したのだ!

これを目の当たりにした兵士は驚愕した。
「う、うわぁ!本物の仏様だったのか!」
兵士は自分のやったことの恐れ多さから自害してしまったとか。

以来、弘智法印は前かがみになってしまった。
その時に負ったらしい傷もちゃあんと残っているそうで。
777人間七七四年:2009/07/26(日) 01:25:04 ID:E0oZMbVs
>死して座っているだとぉ。馬鹿馬鹿しい

昔はミイラ化というのが知られてなかったのか・・?
778人間七七四年:2009/07/26(日) 01:31:27 ID:DeBVI5VJ
即身仏は建前的には生きてることになってたはず
その兵士は「どう見ても死んでるのに生きてるなんておかしいだろ」
と突っ込みいれるつもりだったんでは
狐云々は良く分からんけど
779人間七七四年:2009/07/26(日) 01:47:52 ID:E0oZMbVs
>>778
あれ、死んで仏になってるわけじゃなく
生きながら仏と化したことになってるのか!
ありがとう初めて知った
780人間七七四年:2009/07/26(日) 13:17:07 ID:V0hirnCQ
>>776
迷信だろwっていう考えはわかるがそこで槍でぶっ刺すのが末世だのう
781人間七七四年:2009/07/26(日) 13:28:34 ID:Yw6a9l1H
ちょっ・・
ミイラって血が出るの?
782人間七七四年:2009/07/26(日) 13:41:01 ID:eEAsTWf1
近年、空海の死亡届が提出されたらしい。享年1281歳だったとか。
ソースがはっきりしてないんだがやっぱネタかな。雑談すまぬ。
783人間七七四年:2009/07/26(日) 14:45:52 ID:V0hirnCQ
>>782
はははこやつめ
お大師さんが亡くなったら真言宗の俺が知らないわけないだろご健在だよ
784人間七七四年:2009/07/26(日) 15:02:51 ID:lWOENEMj
死体にやりぶっさして血がどばっと出る話というとロンギヌス連想するなあ……
785人間七七四年:2009/07/26(日) 15:08:01 ID:e/BvN4iO
    ,ィィr--  ..__、j
   ル! {       `ヽ,       ∧
  N { l `    ,、   i _|\/ ∨ ∨
  ゝヽ   _,,ィjjハ、   | \
  `ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ   > 実は生きていたが
     {___,リ ヽ二´ノ  }ソ ∠ 刺されたから死んでしまったんだよ!
    '、 `,-_-ュ  u /|   ∠
      ヽ`┴ ' //l\  |/\∧  /
--─‐ァ'| `ニ--‐'´ /  |`ー ..__   `´
    く__レ1;';';';>、  / __ |  ,=、 ___
   「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l ))
   |  |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,|  , -,
    ! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | |   | | .l / 〃 ))
    l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj  7
    | |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\::  ::::|  ::l /
786人間七七四年:2009/07/26(日) 15:19:57 ID:LdCxHKyi
即身仏って土のなかで成仏したあと掘り出した白骨死体に近いミイラだからなぁ
槍なんかさしたら骨がばらばらになりそうな気がする
787人間七七四年:2009/07/26(日) 17:23:43 ID:KwX+BGZI
赤いチキソトロピーでも付いてたんじゃねーの?
788人間七七四年:2009/07/26(日) 17:36:52 ID:RhD5xvxa
土の中で入滅はするが、地下室みたいの作ってるんでないのかね
羽黒周辺に安置されてる即身仏は結構ミイラっぽいけど
789人間七七四年:2009/07/26(日) 17:47:12 ID:S0qm7Def
ある日、長宗我部国親が婿の本山茂辰に書状を出した。
「実は、わしの妻が嫁に出した娘に会いたいと言っておる。わしも一度ムコ殿にあいさつ
したいと思っているのだが周りがうるさくて、公式には出かけられそうもない。
そこで妻と輿に乗って忍んで参りたいが、ご都合はどうだろうか?」

信長と道三の逸話にもあるように、政略結婚の多いこの時代、暗殺等を警戒して舅と婿が
会わない事もあった。国親の書状を見た茂辰は、
「よくぞ本山家を信頼して下さった。そういう事なら、重臣たちにも知らせぬようにして
お会いいたそう。」と、これを受けた。

国親が茂辰の城に来た当日は、人を遠ざけて宴が設けられ、翌日は能の興行が催された。
能の最中、国親の妻の侍女が陪席していた本山家の家臣の名前を、側にいたお局に
聞いて書き留めた。

「さて、明日のお慰みには、何を致しましょうか?」茂辰が聞くと、
「このような席には似合わぬ申し出だが、相撲見物が見とうござる。」国親が答えた。
ただちに高札が立ち、本山領内の腕に覚えのある者たちが集められた。
当日相撲が行われると、また国親の妻の侍女がお局に
「本山さまの直参の侍はあのうち、どなたでしょう?」と聞いて回った。

全てを聞き終えた侍女は、含み笑いをした。「希代の幸せかな!」
実はこの侍女こそ国親の変装で、滞在中は影武者と入れ替わりずっと女装していたのだ。
岡豊に帰った国親は、
「さてさて、あの城の普請は驚くばかりだ。その上、家臣どもの家構えも結構なものだった。
しかし、書き留めてきた侍どもは、当家の大身・小身いずれと比べても器量が勝った者は
家老の吉井修理の他にいない。
それゆえ、いつ本山と合戦になっても恐れる事はあるまい。心安く思っているように。」
そう重臣に語ったという。

策略としちゃ悪くないと思うが、そんな事だから息子が「姫和子」とか(ry
790人間七七四年:2009/07/26(日) 17:53:40 ID:KwX+BGZI
親子揃ってよほど端正な顔立ちだったんだろうか?
791人間七七四年:2009/07/26(日) 18:12:22 ID:6QMo6Tk1
>>789
女装国親>>>>>超えられない壁>>>>>>>吉川元春妻

おや、こんな時間に宅配便ry
792人間七七四年:2009/07/26(日) 18:57:20 ID:7i2CNeya
本山「あの侍女どう見ても舅殿だよなぁ…。
   でも、指摘したら斬られそうだし…。よし!
   皆の者!絶対指摘するなよ?するなよっ!」
793人間七七四年:2009/07/26(日) 19:00:58 ID:e4j3zuz/
>>792
本山さんの良い話しじゃないかwww
794人間七七四年:2009/07/26(日) 19:06:52 ID:6qxfybLC
>>789
神話の昔から女装男装TS大好きな国民性だょな・・・('A`) リボンの騎士とかもさあ

こんなだから前田玄以「ちゃん」にお説教されてまうんやー
795人間七七四年:2009/07/26(日) 19:12:57 ID:6QMo6Tk1
>>794
なんとなく、花慶での玄以の女装姿を想像してしまったw
796人間七七四年:2009/07/26(日) 19:31:52 ID:vpLAsyRc
革新の国親の顔グラみてふいたwww
797人間七七四年:2009/07/26(日) 19:40:36 ID:SF5vE2uW
第2次上田合戦の時の事。
川中島領主・森忠政は家臣の井戸宇右衛門に上田への出陣を命じた。

忠政「ただしお前の手勢だけで行け。」
井戸(えっ・・・?何これ新手の嫌がらせ?)
忠政「いやぁ、俺も出陣したいっちゃあ出陣したいんだけど内府様のお達しが『川中島へ駐留し備えよ』だからさぁ、迂闊に俺は出陣出来ん訳よ。
   でも目と鼻の先で城攻めやってんのに黙認するのってやっぱりどうかと思うんだよね。と、いう訳で井戸が出陣して真田を牽制してきなさい。」
井戸(やっぱ先日の一件は心象悪かったかなぁ・・・)

というのも井戸は先日、葛尾城を任されていたが禄の少なさに不満を持っていた井戸の家臣が真田の兵を引き入れ二の丸まで攻め込まれるという失態を侵していた。
詳細:http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1982.html

井戸「分かりました・・・引き受けましょう。」
忠政「そうかそうか、ところでちゃんと葛尾城の守備兵は残して置けよ?」
井戸(一体何人で出陣しなきゃいけないんだろう。遠回しに『死ね』って言われてないか、これ?)
798人間七七四年:2009/07/26(日) 19:41:39 ID:SF5vE2uW
そんなこんなで僅かな手勢と共に上田を目指し出陣した宇右衛門。しかしながら川中島から上田に行く上で避けては通れない地蔵峠は既に真田の罠でいっぱいであった。
パーン!パーン!
家臣「うわ、間道から伏兵が発砲を!うわあああああああ」

飛んで火に入る夏の虫。当然の如く真田軍のゲリラ攻撃を食らう宇右衛門の軍勢。しかしながら宇右衛門はこれで帰る訳には行かなかった。
井戸(あれだけの失態を侵してちょっと撃たれたぐらいでオメオメ戻れるものかよ・・・!名古屋にまた物笑いの種を与えるだけじゃないか。)

もはやヤケクソである。とにかく何かしら武功を立てるまでは撤退は無い。井戸軍は真田の伏兵を無視して突っ切ると地蔵峠に設けられた真田の砦に押し寄せた。
「手ぶらで帰るぐらいなら全員討ち死にした方がマシ」という特攻作戦であった。
そしてついに・・・
井戸の弟「兜首取ったどー!!!!」
井戸兵「イヤッッホォォォオオォオウ!このまま砦を・・・」
井戸「馬鹿!よく見ろ。こんな状態で落ちる訳がないだろ。撤収だ!撤収!」

兜首を1つもぎ取った井戸軍は今までの必死さが嘘のように踵を返して一目散に川中島へと逃げて行った。ボロボロになにながらもなんとか『武功』は立てたのである。
そして帰って来た井戸が真っ先にこれを伝えに行ったのはよせばいいのに名古屋山三郎であった。

名古屋(自慢UZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE)

名古屋もこれをわざわざ聞かされて面白い訳が無い。こうなれば言葉を返さずには入られない。
名古屋「貴様の弟が取った首なんて一揆軍の輩の首であってそんな物は本当の武士では無いと聞いている。」
井戸「なんだと、適当な事を!」

家中でのメンツは立ったがこれ以後、更に井戸と名古屋の中は悪くなったという。
799人間七七四年:2009/07/26(日) 19:50:30 ID:jM9E1iN5
このあと色々あって殺されてしまうのですよね
何でこんな人についていったんだろう
周りの人から殺されるぞって言われてたのに
800人間七七四年:2009/07/26(日) 20:40:47 ID:gqhoTd8o
>789殿
MSZM「時に宮内少輔どのの仇名は“姫若子”ではごさいませんか?」

サドの守「そのような瑣末なこと、わざわざ指摘せずともよいではないか!('A`)ウチノセガレハ...」
801人間七七四年:2009/07/26(日) 20:52:17 ID:5CampWyu
名古屋が怖くて逃げたと言われたくなかったんじゃない?
802人間七七四年:2009/07/26(日) 21:50:48 ID:2xzEKblk
>>798
ま、やっぱ名古屋が悪いよな。当時なら「真田の武将」を
討ち取るって、大功だよ。
でも、いまいち後世で「真田を討った」って評価されないんだよな…
↓見たいに。

iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-682.html
803人間七七四年:2009/07/26(日) 22:37:20 ID:e4j3zuz/
女装じゃないけど美貌の武将でお話を一つ。

元和元年、浪人の集団が薩摩を訪れた。
その話は既出だろ?と思わずにもう少し聞いて欲しい。

この面々は
・後藤又兵衛基次
・薄田隼人兼相
・木村長門守重成
・大野治長

そう、大坂の陣における大坂方の主要メンバーである。
お前ら城ごと落ち延びてきたのか、と家久(悪)も心の中でツッコミを入れただろうが
真田親子や秀頼同様に匿うことにした。かと言って、人の多い城下に集団で匿うのは危険である。
そこで家久(悪)は彼らを人もまばらな場所に分けて匿うことにした。

・後藤又兵衛は揖宿へ
・薄田隼人は鹿屋へ
・木村重成は加治木へ
・大野治長は谷山へ

といった具合である。大野治長を秀頼と同じ谷山に匿ったのは家久(悪)なりの気遣いであろう。

さて、木村重成である。彼が匿われた加治木は義弘の隠居先でもあった。
義弘は大坂で奮戦したこの若者を気に入り、相応の待遇で召抱えた。

とはいえ天下は既に徳川のもの、豊臣家は滅んだのである。
召抱えるに当たって義弘も近臣も非常に気を使った。
偽名はもちろん、加治木に住むに至った氏素性までも用意(捏造)した。
ここまでしてくれた義弘に重成は誠心誠意仕えたが、
町の者達から自分に好奇の目線が向けられていることに感ずいた。目線の主は町の娘達であった。
そう、言うまでも無いくらい有名な重成の美貌が町娘達の視線を集めてしまったのだ。

万事抜かりなく匿ったつもりの義弘だったが、良くも悪くも武辺者。
彼と近臣達には「重成の美貌は衆目を引く」という考えが見事に欠落していたのだ。
町人の視線を集めるだけならよいが、そこから正体を勘ぐられては元も子もない。
かくして重成は人目を避けて夜に出仕して朝に帰り、やむなく日中に出歩くときは
ほっかむりをする破目になったという(それはそれで怪しまれるであろうが…)

そんなわけで真贋はともかく、今も鹿児島には大坂の陣の面々の墓があったりするのである。
804人間七七四年:2009/07/26(日) 22:47:59 ID:+aA/Wswf
薩摩と大阪城の間にどこでもドアでも有るんだろうか?
805人間七七四年:2009/07/26(日) 23:04:27 ID:hCsz20E6
まあ、逸話だな。
イケメンは罪って事とうっかり義弘。
806人間七七四年:2009/07/26(日) 23:06:10 ID:hCsz20E6
逸話じゃねーや、講談とか伝説とかだった。
807人間七七四年:2009/07/26(日) 23:21:51 ID:GAF3w+Ao
普通に出歩いてる美形より
ほっかむって歩いてる美形の方が
忘れられないインパクトになりそうな気もする
808人間七七四年:2009/07/26(日) 23:48:26 ID:7grlmr01
頼朝さんなんてイケメンで天下取ったようなもんだけど・・・。
809人間七七四年:2009/07/26(日) 23:50:28 ID:KwX+BGZI
突然やってきたイケメンが都会の洗練された物腰してりゃ放っておかれないわな
810人間七七四年:2009/07/27(月) 00:06:19 ID:1/p4ctDU
本能寺の変の直後、羽柴秀吉は毛利と和睦した。
この時、黒田官兵衛は交渉人として活躍した。
また隆景から借りた毛利の旗を揚げて秀吉が上方に
向かうように促した。こうして秀吉は見事に光秀を破った。

そのためか秀吉は側近に
「官兵衛はすごいな。楠木正成の生まれ変わりに違いない」
と言った。

普通なら褒め言葉としか思えないのだが、
官兵衛はそうは思わなかった。
「そんなことを言うとは、よっぽど私を疑っているんだな。
どうやら賢すぎると命を縮めてしまうようだ」
と官兵衛は自戒したという。

秀吉の疑い深い話。あるいは官兵衛の考えすぎな話。
811人間七七四年:2009/07/27(月) 00:07:56 ID:1/p4ctDU
>>810
>また隆景から借りた
抜けたけどもちろん小早川ね
812人間七七四年:2009/07/27(月) 00:20:20 ID:oJrTuQ39
>>796
隆元が爽やかな笑顔なのを思い出した
本人ネガティブ気質なのに…
空元気だったんだろうか?
813人間七七四年:2009/07/27(月) 00:27:14 ID:lgcZQcd7
>>810
楠木扱いされたのが気にかかったか
814人間七七四年:2009/07/27(月) 01:06:13 ID:wyPvTzmy
>810
うーん、明治以降の作り話な気がする。
815人間七七四年:2009/07/27(月) 01:17:19 ID:OwwJkGrj
>>814
公的に楠木正成が名誉回復したのが、楠木正虎が松永久秀の取り成しにより
正親町天皇の勅免を受けた1559年。
それ以前から太平記は代表的な軍記として広く読まれていたし、
巧みな軍略=正成と言う発想は、秀吉の時代にも広く共有されていたよ。
816人間七七四年:2009/07/27(月) 01:18:06 ID:xB+FUmeI
官兵衛の行為と正成がなぜ結びつくのかよくわからんし
なんで忠臣の正成と言われると疑われるに繋がるのかもわからん
817人間七七四年:2009/07/27(月) 01:18:57 ID:xB+FUmeI
微妙にかぶった
818人間七七四年:2009/07/27(月) 01:52:51 ID:Tt0to/hp
正成は幕府を開いた足利と対立していたし、主君は結局都落ちだし
秀吉を足利(武家)後醍醐天皇(主君)どっちにしてもあんまりいい話じゃないってことじゃね?
819人間七七四年:2009/07/27(月) 02:49:27 ID:QB7Xklca
高評価→嫉視・危険視→ジェノサイド っていうラスボスの性格を見抜いていたのかもね。
820人間七七四年:2009/07/27(月) 04:41:15 ID:dM928oOa
>>809
女のイケメンセンサーってシビアにすごいからな
821人間七七四年:2009/07/27(月) 05:09:11 ID:ff9iLZAk
>820
松姫も黒山の人だかりだったそうだ
822人間七七四年:2009/07/27(月) 10:09:35 ID:geHGwpeg
娯楽少なかっただろうしね…
823人間七七四年:2009/07/27(月) 10:38:28 ID:7cYWZtZ7
今みたいに写真やらテレビやらで美形の顔が氾濫してる訳でもなかったしな
824人間七七四年:2009/07/27(月) 10:57:27 ID:ChipUSkp
>>821
で、松姫とともに美人姉妹で世に聞こえた菊姫と×××しなかった景勝は・・・
やはりハードゲイだったのかそれとも謙信と同じく女の子wだったのか
825人間七七四年:2009/07/27(月) 11:16:48 ID:HqAKHvcG
>>815
いかんな「松永久秀」の名前だけでこれも何かの謀略かと疑ってしまうようになってしまった。
826人間七七四年:2009/07/27(月) 12:37:19 ID:FuL+G+yl
>>815
楠木氏って楠木正儀以降の棟梁格が良くワカラン
戦国期は楠木正虎?が一族まとめてたの?
827人間七七四年:2009/07/27(月) 15:04:30 ID:ki/4cJm7
>>803
作り話だろ?
木村と又兵衛は討ち死にのはず
828人間七七四年:2009/07/27(月) 15:11:49 ID:OwwJkGrj
>>826
楠木氏はいろいろ細分化したから、一族をまとめる棟梁と言うような存在は
戦国期にはもういないはず。


>>827
こういう伝承が、しかも薩摩に残った、と言う事実が重要。
829人間七七四年:2009/07/27(月) 16:13:57 ID:1sQDM9Qv
>>824
こればっかりは運がなかったとしか。
別にウホッ!にかまけてたんじゃなくて、たまたま当たりがなかった状態じゃね?
少なくとも四辻氏を側室に入れて、後嗣はもうけたんだしガチもーほとは違うべさ
830人間七七四年:2009/07/27(月) 21:50:15 ID:0I+wl8C1
>>828
義経伝説みたいなもんかな?
岩手から宮城北部沿岸じゃ「ここから蝦夷地に・・・」ってな言い伝えがあるんだけど、それの豊臣・大坂城バージョンかなと。
831人間七七四年:2009/07/27(月) 22:42:55 ID:747hxOKN
文章へたくそで申し訳ないが一つ投下。

利家の浮気の話

前田利家が肥前名護屋に陣取っていたときの事
秀吉から「洗濯女のごときおなごを呼び寄せよ。妻が嫉妬するなら当人が下るよう申せ」との命が各大名に下った。

これはチャンスと思った利家さん、さっそく妻のまつへ
「身の回りの世話をする侍女を遣わせ」とお手紙。

利家の浮気性を知るまつには面白くない話。
とはいえ、秀吉の命とあっては無視するわけにはいかず
「この娘だったら、さすがの殿も…。」と
器量のよくないと思った侍女を遣わします。

が、しばらくしてこの侍女めでたくご懐妊
まつの目論みはあえなく粉砕。

ちなみにこの時に生まれた子が
加賀藩第2代藩主の前田利常です。

832人間七七四年:2009/07/27(月) 22:51:41 ID:oJrTuQ39
どんな醜女であろうと関係無く妻以外の女に餓えてたんだな
もしくは心が綺麗だったのかも知れない
833人間七七四年:2009/07/27(月) 23:12:31 ID:ebKrorFi
吉川元春「…」
834人間七七四年:2009/07/27(月) 23:13:52 ID:z2H7Mabx
いやまて、当時の美人の基準からは外れるかもしれんが、スレンダーで小顔で現代では男受けしそうな女かも知れんぞ。
835人間七七四年:2009/07/27(月) 23:14:55 ID:1sQDM9Qv
ちとスレ違いだがついさっき、水戸黄門の第40部が始まって江戸表から津軽に旅立ったんだが、
2話目の日光東照宮詣での予告に出てきた村野武則が麻呂だった。

自分でも何を言ってるのかよく分かんないが(r

……喜連川殿?




>831乙だが
既出……かな。
836835:2009/07/27(月) 23:16:45 ID:1sQDM9Qv
>835
×村野武則
○村野武範 ですた。お目汚して申し訳なく....
837人間七七四年:2009/07/27(月) 23:21:47 ID:747hxOKN
>835
ありゃそうでしたか。
一応まとめブログには目を通したつもりでしたが、
すんませんでした。
838人間七七四年:2009/07/27(月) 23:28:01 ID:UoYpf/h5
利常若年時には不遇だったって理由少しわかった気がする。
839人間七七四年:2009/07/27(月) 23:28:23 ID:OwwJkGrj
>>837
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-459.html
これだけど、>>831の方が詳しく解説しているから、これはこれでいいんじゃ無いかな?
840人間七七四年:2009/07/28(火) 00:01:17 ID:fBFBaRWE
やる夫スレの為信の話が笑えたw
841人間七七四年:2009/07/28(火) 00:50:13 ID:5rlQT+YW
>>830
義経の逃避行伝説は、恐らく若いころに奥州藤原氏の
世話になっていたとき領内巡回をしたことがあり、
それが後世に逃避行伝説として形を変えたんじゃ
ないかという説もある。
岩手南部から沿岸に出て、沿岸部を北上ルートで
あちらこちらに逸話が残ってる。
まったくの創作にしてはあちらこちらで話が残りすぎ。
>>832
巨乳だったんじゃ?
842人間七七四年:2009/07/28(火) 11:35:25 ID:s/fEN0pR
>>841
江戸時代以前は、巨乳は人気なかったそうな。
まあ女と男との美人判断の基準の差かと。
843人間七七四年:2009/07/28(火) 11:58:43 ID:JrOi5WHk
江戸時代の萌え絵(浮世絵)みてもヌけないしな
844人間七七四年:2009/07/28(火) 12:02:05 ID://RBSVI1
>>842
つまり江戸時代以前の男もつるぺたはにゃあんだったわけだな
845人間七七四年:2009/07/28(火) 12:11:03 ID:EwjdTlzv
巨乳お姉さん好きの俺ウハウハだな
846人間七七四年:2009/07/28(火) 13:31:36 ID:uBn3z0uj
胸についてはブラジャーが開発されるまで垂れる居乳より張りがあってツンと立っ適乳が好まれたらしいぞ
847人間七七四年:2009/07/28(火) 14:18:31 ID:xRzWT/C2
>>846
なるほど、確かにブラがないと型崩れするわなw
848人間七七四年:2009/07/28(火) 15:17:31 ID:wmfxLjt1
上杉征伐に向かった徳川家康に対し、石田三成が蜂起、いよいよ関ヶ原が始まった頃、
加藤清正は毛利輝元の元に、桑山式部大輔を遣わした。

「今度の内府と石田冶部との弓矢の事、輝元様は石田冶部少輔に御一味なされたそうですな。
ところで、我々に大和国を頂けるのなら、我ら早速上方に上がり、近江、三河、美濃、へと攻め上がり、
輝元様に御馳走仕ります。
その上でどうぞ、家康の事は我ら加藤家にお任せくだされ。
清正が罷り出でましたら、今回東国に下った上方、西国の諸侯も多くは我らに味方するでしょう。
そうなればこの戦、我らの勝ちであります。」

輝元はこれを聞いて返答した。

「清正殿のご内意、承知いたした。大変満足いたしました。
ただ、大和の国のことは、ご存知のように、増田長盛が郡山を所領いたしており、これを与える事、
我々が勝手に出来ることではありません。
清正殿は、秀頼様への御馳走をいたさなければ叶わぬ御筋目でござれば、そのような条件をつけず、
御忠節を励まれるべきです。そうすれば後々、どんなお望みも叶う事でしょう。
我々は清正殿を粗略に扱う事は決してありませんから、どうぞ早々に上方へとお上りあるように。」

桑山式部は、これに大いに失望し

「なんと言うご案外な返事であろうか。清正様の提案は秀頼様のお為にも、また西軍の戦力の
増強にもなる話ではないか!であれば、すぐに増田長盛と相談をし、大和を遣わせるべきなのだ!
そうすれば加藤家は強力な味方となったと言うのに!
しかしこのようなご返事では、加藤家はお味方になる事は無いであろう。西軍にとって惜しいことだ。
よき味方を、自分からお捨てになられた。」

そう吐き捨てるように言い、肥後へと帰って行った。

こういう場合、ハッタリでも空証文でも、与えると言っておいて味方を増やすものなのだろうが、
輝元は生真面目なのか、そう言う腹芸が出来なかったようである。

そんな、輝元は確かに乱世タイプの武将では無いな、と思わせるお話。
849人間七七四年:2009/07/28(火) 15:40:55 ID:jAeA5WPe
黒田官兵衛「とっとと東上しててくれれば楽だったのに」
850人間七七四年:2009/07/28(火) 15:42:48 ID:KHWROuIT
ぶっちゃけ勝ってたら増田長盛も郡山どころかどっか1国持ちに転封だったろうし
どう返事しても問題なかったのになw
851人間七七四年:2009/07/28(火) 15:51:36 ID:NJZ9uuvL
乱世タイプの武将では無い割には
小西行長の息子処刑しちゃってるよね>輝元
852人間七七四年:2009/07/28(火) 16:44:26 ID:KHWROuIT
元亀元年浅井・朝倉連合軍の侵攻を受け
森可成は信長に急使を送った上で織田信治、青地茂綱とともに出陣した。
敵軍は最終的には三万余の大軍、森勢は宇佐山城に数を残したためわずか千。
敵の侵攻速度の遅延を目的とした決死の出陣である。

初戦は撃退に成功するも一向宗の支援を受けた連合軍の猛攻で三将相次いで討ち死にとなり、敗北。
森家の軍勢は各務、武藤、林、肥田の四人が統率して宇佐山城に退却に成功。

宇佐山城は四人の指揮よろしきをえて信長の救援が来るまでの数日間連合軍の猛攻に耐えぬいた。
信長は各務ら四人を召しだして絶賛したという。

ここまでなら時間を稼いだ可成、そして主の意に従って守り抜いたかがみんたちのいい話。

その後信長の元に宇佐山城の城代を勤めていた宇佐美左衛門が現れ不満を述べた。

「この城を守りぬいたのは全く私の功績です、
あいつらは大将を見殺しにして逃げ帰っただけなのになぜ彼らに褒美を授けたのですか、と。」

命知らずである。
たちまち追放された。

後日信長は語った。
当時森勝蔵は幼少でありあのような者を残していたらいずれ勝蔵の寝首を掻こうとしたであろう。
だから追放した、と。

森家にどこまで甘いんだよ、この人
853人間七七四年:2009/07/28(火) 16:59:52 ID:n5Oz9SdX
いや、俺が信長でも処断するわ・・・。むしろ追放で済ました信長温厚すぎ
854人間七七四年:2009/07/28(火) 17:08:59 ID:quUbpZAz
ちなみにコイツは後日こうなった。

森家の重臣から一夜にしてニートになった宇佐美左衛門は越前の一族の元に帰っていた。
軍歴を買われて一族を率いて柴田勝家の侵攻を何度か防ぎ、手を焼いた勝家は信長に呼び戻す事を進言した。
すると信長からは以下のような快諾が戻ってきた。

2万石くらいくれてやっても構わん。
まだ長可幼かったからあんな奴が家臣では不安だし追放したけど
お前だったら寝首かかれるような事はないから召抱えて使っていいよ。

だが勝家から宇佐美左衛門の元に打診があった事を聞いた一族は
寝返りを恐れてとっとと左衛門をぬっ殺してしまったという。

信長さん本当に帰参させる気…あった?
これこの結末予想してない?
855人間七七四年:2009/07/28(火) 17:21:16 ID:wmfxLjt1
>>854
          ,      /〃ハヾ  / ∧∨〃、ヾ} l| :}ミ;l\
        /〃// / 〃l lヽ∨,〈ヾ、メ〈 }} ;l リ ハ l`!ヽ.
          //' /,'  ,' 〃 l l川/,ヘ丶\;;ヽ/:'/〃∧ l ト、:l !
         〃,'/ ;  ,l ,'' ,l| レ'/A、.`、\;;ヽ∨信/,仆|│l }. |、
         i' ,'' l| ,l ' l. !| l∠ニ_‐\ヽ;\,//,イ| l | l ト/ λ!   、
.        l ;  :|| ,'i:/ l| |:|: |``'^‐`ヾ∨`゙//|斗,l ! | ,タ /l.| l  三__|__
       l ' l |」,' l' lハ |'Ν    ̄´ /` ,|l_=ミ|! ly' ,〈 :|| |  口 |
        |l .l H|i: l | ゙、| l        _.::: ,!: l厂`刈/ /!} :l|    ‐┬‐
        |! :l |)!| ! |  ヽ      '´ ’/'_,.   ノイ.〃/|!    │田│
        l|l |l 「゙|l |`{             ..   _   |}/,ハ l     ̄ ̄  
       |!l |l、| !l :|.      ‘ー-‐==ニ=:、__j:)  l'|/|l リ    、 マ
ヽ ̄ニ‐、__.」乢!L!lヱL」__           ー、 `'''´   从「 /     了 用 
 \ `ヽ\      /l |       / ̄´     //        '"`ー‐
.  ,、  l  ゙、    / ' |、      {        /l/         ,
   '}  l  ゙,    /   |:::\      }     ,.イ/          レ |  
   l  l   l  ,.イ   l:::::::::\__   `'-‐::"// |′          ノ
   l   !   K ヽ,、 \「`''''''''"´:::::::;;:" //          
.    l   l   ト、\( _.... ヽ  .:.::::::::;;″ /'       _    
\   |  l|  八、ヽi´    | .:.:::::::::::::i' .:/'"´ ̄ ̄ ̄ ,.へ\
856人間七七四年:2009/07/28(火) 18:34:02 ID:inpso3D0
そりゃ自分だけ抜け駆けして帰参しようとしてるような奴は生かしちゃおけんわなw

故意だろ、これは
857人間七七四年:2009/07/28(火) 19:17:41 ID:xRzWT/C2
>>852
信濃住人・鬼武蔵被害者の会一同「寝首かいてくれればよかったのに」
858人間七七四年:2009/07/28(火) 21:01:41 ID:M9YQBhhN
少年鬼武蔵にSATUGAIされるのがオチだろ…
859人間七七四年:2009/07/28(火) 21:51:32 ID:3fSO8jes
柳生十兵衛・敵役との意外な親戚関係

山田風太郎の大ヒットシリーズ、柳生十兵衛三部作。
その一作目『柳生忍法帖』は会津藩加藤家改易の原因となった
堀主水事件(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-711.html)を
下敷きにしている。
小説は悪逆無道の暴君・加藤明成に一族を皆殺しにされた堀の女たちが
復讐に立ち上がり、十兵衛がこれに協力し非力な女人たちをして
強大な敵を打ち破らせるべく奮闘する…という筋立てで、ヤングマガジンで漫画にもなった。

ところで、十兵衛の母おりん(柳生宗矩正室)は秀吉の若い頃の主君として有名な
松下加兵衛之綱の娘である。之綱の後を継いだ松下重綱は十兵衛の
伯父にあたるわけだが、この人の正室は加藤嘉明の娘。
つまり明成の義弟なのだ。
松下家は加藤家の与力大名として一時は五万石を領したが、
加藤家改易の一年後に煽りを食ってやはり改易の憂き目を見ている。
その時の当主の松下長綱は明成の甥、十兵衛から見れば従弟になる。

もともと『柳生忍法帖』は原題を『尼寺五十万石』といい十兵衛には
登場の予定すらなかった。それがこの作品のヒットが『魔界転生』につながり、
現代におけるヒーロー柳生十兵衛のイメージに多大な影響を与えることに
なったのだから、十兵衛と明成の遠い親戚二人は泉下で何を思っているだろうか…
という山風先生のちょっと悪いお話
860人間七七四年:2009/07/28(火) 23:00:22 ID:1snK4iT+
>>831
何か国の発展の邪魔してるような。
ババアだから若い者に任せればいいのに。
861人間七七四年:2009/07/28(火) 23:20:33 ID:inpso3D0
>>859
親戚同士だったんだなw
862人間七七四年:2009/07/29(水) 01:00:26 ID:ztWibPqZ
>>848
「勝ったら大和の国をくれ」ってことだったのか。
俺はまた「現時点で大和の国をくれたら味方する」
という言い分だから輝元が断ったのかと思っていた。
863人間七七四年:2009/07/29(水) 01:47:45 ID:y3UfHl7j
>>862
いや、「現時点で」って事。

おそらくは「長期にわたり上方に駐留するから、その兵を養うまかない領として、
大和をよこせ」って事でしょう。大軍を擁して上洛した場合、畿内近国にその兵を養うための
領地を与えるのは普通の事で、大内義興や信長が上洛した時もそれをやったしね。

>>848の話が実際にあったとして、そこから見えることを整理すると、
清正の、長期駐留の為の根拠地が欲しい、と言う希望が、西軍のある種の縦割り行政
(奉行派の権限、利権に輝元は介入できなかった?)の中で拒絶され、
清正としては、基盤無しに上京するのは無理だと判断した。って流れかと。
864人間七七四年:2009/07/29(水) 10:14:14 ID:Vz5IFILJ

>>848
> 毛利輝元

こいつ知恵遅れか?家康は婚姻や知行を与えたり活発に活動してるのに、何の努力もせずに形だけ総大将になる。
吉川がびびるのも当然だろ。
865人間七七四年:2009/07/29(水) 10:21:50 ID:vxa9VB5y
天下目指してるから勝ったら知行なんか自分の思いのままに割り振れる、と考えてる人と
そんなんまるで考えてなくて独裁する気ない人じゃおのずと違うでしょ。

頼りに出来る叔父上たちがもういなかったのが運の尽き。
まぁ居たらそもそも総大将に祭り上げられる状況回避した可能性の方が高いけど。
866人間七七四年:2009/07/29(水) 10:32:17 ID:NTg2Wgbw
当時、地方から兵を率いて上洛する場合、みなに根拠地が振舞われたの?
867人間七七四年:2009/07/29(水) 10:42:13 ID:y3UfHl7j
>>866
無論率いる兵の規模や、戦時か平時かで違いはあるが、その大名が京から遠国の場合は
だいたい与えられる。
豊臣政権時代、徳川も伊達も島津も、畿内に滞在費捻出の為の領地が与えられている。
868人間七七四年:2009/07/29(水) 11:05:12 ID:dIFHwpcf
柴田勝家の自害・痛い話

賤ヶ岳の合戦で秀吉に敗れた柴田勝家は、
北ノ庄城で別れの宴を張り、近親の者たちと共に自害することになった。

勝家はまず正室・お市の方を初めとした女性たちを手にかけ、
そののちに「勝家の腹の切り様を見よ」と叫んで
刀を左脇腹に突き立てて右脇腹まで裂いた。

さらに返す刀で胸から臍の下に至るまで切り裂いて
五臓六腑を掻き出し、ここで介錯のものを読んで首を打たせた。

柴田の一類ことごとく滅び、城が燃え上がるのを見て
侍は言うに及ばず、野の人々、山賊にいたるまで皆涙したという。
869人間七七四年:2009/07/29(水) 11:07:52 ID:otplQOcp
>そののちに「勝家の腹の切り様を見よ」と叫んで
>刀を左脇腹に突き立てて右脇腹まで裂いた。

切腹してすぐに死ねる人だから言える台詞だな
870人間七七四年:2009/07/29(水) 11:26:57 ID:xDP6RS59
南北朝あたりじゃ切腹後に腸取り出して床に叩き付けるのが勇ましいとされてたようだ
871人間七七四年:2009/07/29(水) 12:10:44 ID:CTZVzSOa
昔の人はすげえよな
幕末に外人が日本人の切腹を見てびびる話とかもあったなぁ
872人間七七四年:2009/07/29(水) 12:25:24 ID:Oj1OFPpy
>>867
とは言っても肥後半国20万石から連れて来た兵を養うのに、大和一国よこせってのはさすがに欲張りすぎじゃね?
873人間七七四年:2009/07/29(水) 12:29:39 ID:48dxOgJR
三成とあれだけ仲悪いのに本気で西軍になるつもりだったとは思えないな。
腹を探るつもりで無茶をいってみただけじゃないの。
874人間七七四年:2009/07/29(水) 12:49:47 ID:0j+i4bLl
真田には勝ったら甲信二国で釣ってたのに…
どうも西軍の人は最初からある程度
人を選んで勧誘してないか
頭よすぎて余計な勝った後のことまで考えて
戦ってた感じ
875人間七七四年:2009/07/29(水) 12:52:50 ID:G7Yezn5k
しかしこれ、家康が負けてたら後世には三国志の魏延みたいな扱いで伝わってたんだろうな・・・
876人間七七四年:2009/07/29(水) 12:56:19 ID:uwW59LmL
北条氏照や仁科盛信、織田信孝、高橋紹運
なんかにも切腹の時腸を掴んで投げたって話あるよね
本当かどうかはわからないけど、
それくらい勇猛で怒り猛々しく死んだんだって
印象が残る人たちだったってことかな
877人間七七四年:2009/07/29(水) 13:03:41 ID:wEYPc/aA
首落とさずに腹掻っ捌いただけじゃ苦しくて死ねないから
早く死にたいが為に腸を引き摺り出すことがあるとか無いとか
878人間七七四年:2009/07/29(水) 13:05:51 ID:NdJjwAp6
そう考えると腹切りって異常だよな
中国みたいに自分で自分の首を切り落とすほうが苦しまないのにわざわざ苦しむ事をしてるわけだから
879人間七七四年:2009/07/29(水) 13:07:11 ID:g+Ih544m
清正のことだから、家康を独力で屠った後は味方になった連中を引き連れて、返す刀で佐和山に攻め込んだだろう。
880人間七七四年:2009/07/29(水) 13:09:29 ID:iYegqEgj
楽に死ぬのは現代の自殺と同じただの逃げ
あえて苦しい死に方して覚悟を云々かんぬん
881人間七七四年:2009/07/29(水) 13:10:44 ID:oujJWih1
ハラキリとかマジ勘弁wwww
有楽斎の気持ちがよく分かる
882人間七七四年:2009/07/29(水) 13:13:21 ID:17IujXw1
昔に「切腹の正式な作法は腹を十文字に切って自分で腸取り出して並べる事」
とかなんとか聞いたよーな
ちゃんと臓器ごとに分けて置くらしい
どこで聞いたんだか忘れたけど、それで外国公使が切腹に立ち会った時
どうせなら一番由緒正しい立派な死にざまを見せつけてやるわ!的に
本式のを見せられて大変だったんだよ、みたいな話題の流れで
883人間七七四年:2009/07/29(水) 13:28:38 ID:NdJjwAp6
幕末の堺事件のことなら切腹を不満に思った武士が大使に内蔵投げつけるって事が起こってる
(この人自分の血で辞世の句まで書いてる)
この件が切腹が西洋に喧伝されるきっかけになったと言われているな
884人間七七四年:2009/07/29(水) 13:46:51 ID:8ozdiK/i
腹切ってんのに辞世の句まで書くとは凄いよな。
885人間七七四年:2009/07/29(水) 13:53:16 ID:kaZ+FpGO
>>884
日根野さんが、何か言いたげにこちらに臓物を投げつけてきてますよ。
886人間七七四年:2009/07/29(水) 15:36:31 ID:pPR7UE5V
>>878
中国では春秋代に
「ある男が使者として他国に赴いている最中に主君が殺された。
 男が帰ってきたとき主君の遺体はバラバラにされ、肝だけが残っていた。
 肝に成果を報告したあと男は腹を切り、自分の内臓を取り出したあと主君の肝を納めて絶命」
という故事があったり。
887人間七七四年:2009/07/29(水) 16:17:28 ID:J3n4Zxpq
>>876
丹羽長秀「いつまでも一緒にいたいと思ったので、はらわた送りつけちゃいました。てへっ♪」
888人間七七四年:2009/07/29(水) 16:42:13 ID:ktzaa0Gn
全部読んだけど、ますます長可さんとその愉快な仲間たちが好きになった。最高だよ、森家とその関係者のみなさん。
889人間七七四年:2009/07/29(水) 17:39:59 ID:9AOVBXvu
>>879
清正にそんな根性は無い。
つうか>>848は輝元、清正二人の悪い話で、中でも清正の根性の悪さの方が目立つ話のような気がする。
890人間七七四年:2009/07/29(水) 18:42:11 ID:mA8CKVF6
>>889
お前のこと熊本県民が血眼になって探してたぞ
891人間七七四年:2009/07/29(水) 18:44:21 ID:8ozdiK/i
いや、そうでもない。
熊本市周辺以外はそうでもない。
892人間七七四年:2009/07/29(水) 18:56:27 ID:vRVD+/ME
>>889
朝鮮出兵で疲弊した清正に多くは期待できないよ
そんだけ働いて加増もない不毛な遠征だし
空手形切られても後からなかったことにされる可能性もあるのにそれすらなく
いいから上洛しろよって言われたら普通切れないか
詰めが甘いって言われる吉川広家すら家康の重臣の誓紙くらいはせしめたぞ
清正は元々家康の養女嫁にもらった家康派だろ
清正としたらその家康と敵対する事も辞さない譲歩を見せたのにばっさり
切り捨てられたらもういいよとしか言えないだろ
…なんかだんだん気の毒になってきたんだけど
893人間七七四年:2009/07/29(水) 19:09:43 ID:Vz5IFILJ
元就は、長女を高橋氏に人質に出した後、騙し討ちにして滅ぼした時に、殺されてるね。
大河ドラマでは、まったく出てこなかった。何か綺麗ごとばかりのような。
894人間七七四年:2009/07/29(水) 19:20:54 ID:hOtHDO5w
ID:Vz5IFILJ
895人間七七四年:2009/07/29(水) 20:34:55 ID:pPR7UE5V
尾張の徳川義直の配下に変わった男がいた。
焼き味噌を何よりも恐れるというのだ。

それを聞いた義直は直に試してみようと酒宴の席にその男を呼び
酒宴の最中に声をかけて、肴の焼き味噌を手ずから下された。
焼き味噌を恐れていた男であるが、義直自らではどうしようもない。
仕方無く手を差し出し頂戴した。

と、その瞬間男の手は『木作りの如く』硬直してしまい引くことも曲げることもできなくなった。
驚いた義直は男を次の間に下がらせ焼き味噌を捨てさせたが
男の手のひらには赤黒く焼き味噌の痕が残り、やがてそこから腐り出して死んでしまった。

元禄期の尾張藩士の日記「鸚鵡籠中記」にある話
896人間七七四年:2009/07/29(水) 20:36:15 ID:NdJjwAp6
怖っ!
焼き味噌を塩や聖水の如く嫌う妖怪かなんかか!?
897人間七七四年:2009/07/29(水) 20:51:53 ID:ID3YGuaj
今昔物語にもそういう男出てこなかった?
898人間七七四年:2009/07/29(水) 20:56:33 ID:shJRW5bF
焼き味噌に見えたのは実は大権現様のウン・・・

おっとこんな時間に誰か来たようだ
899人間七七四年:2009/07/29(水) 21:12:42 ID:J3n4Zxpq
焼き味噌を怖がっていたら徳川家臣になれない気がするw
900人間七七四年:2009/07/29(水) 21:38:07 ID:lvAqBhgT
>男の手のひらには赤黒く焼き味噌の痕が残り、やがてそこから腐り出して死んでしまった。

本当に焼きみそだったのか?
901人間七七四年:2009/07/29(水) 21:40:44 ID:sh7FfR2j
戦国には桃で死ぬ妖怪も居るし焼き味噌で死ぬ妖怪が居てもいいじゃないか。
902人間七七四年:2009/07/29(水) 21:41:08 ID:ag/KBVCb
数兆匹の麹菌の集合体だったんだよ
903人間七七四年:2009/07/29(水) 21:45:10 ID:/WoVCoue
>894
それ以上いわなくていい。いわなくていいんだ……っっ

「証文の出し遅れ」
904人間七七四年:2009/07/29(水) 21:45:38 ID:Nb3vZkBS
(・□・)<かもしてころすぞ
905人間七七四年:2009/07/29(水) 21:47:13 ID:Vz5IFILJ
>>894
お前舐めてるのか?打ち殺すぞ
906人間七七四年:2009/07/29(水) 22:17:52 ID:u3So8udC
池田輝政はドケチであった。
重臣が心配して諫言するほどドケチだった。

「殿、すぎた倹約は人の心を消極的にします。
どうかほどほどになさいますよう、平に申し上げまする」

「お前の目は節穴か。俺は贅沢をしているではないか」

「はて…見当もつきませぬが?」

「フフフ、優れた人物を大勢登用するのが俺の贅沢なのだ。
だが、それには何かと金がかかるのでな。
こんな金のないご時世はカツカツに倹約しないとまかなえない。
どうだ、ケチはケチでも藩のためのケチであろう。
俺のケチでいい人材がどんどん集まるのだ、ハッハッハ」

「……」

重臣の諫言も輝政には馬の耳に念仏でした。
907人間七七四年:2009/07/29(水) 22:32:47 ID:dIFHwpcf
良い話っぽく聞こえるから困る
908人間七七四年:2009/07/29(水) 22:38:11 ID:NdJjwAp6
大名ともなれば私=公だから間違いではないんだが…
部下にして見りゃ贅沢しづらくてしょうがないなw
909人間七七四年:2009/07/29(水) 22:38:44 ID:qQOfGNsY
恒興と元助を失って窮地の池田を
あっぱれ姫時宰相100万石まで成長させたんだからな・・・
結構苦労人&すげえ奴だよ。いい話っぽいな
910人間七七四年:2009/07/29(水) 23:50:22 ID:pZvwcaI5
>>895
 大豆アレルギーの一種ってわけでもないか
911人間七七四年:2009/07/29(水) 23:56:29 ID:8GZ0o9vz
>>897
「胡桃酒を飲んで溶けうせる話」
寄生虫が人間として生まれ信濃の国司となるが、寄生虫が苦手とする胡桃酒を
出されたために正体が露見。本来の姿を現して水に溶けちゃった。
なぜか妻子もいたらしいw
912人間七七四年:2009/07/29(水) 23:56:32 ID:J3n4Zxpq
913人間七七四年:2009/07/30(木) 00:02:29 ID:Ckg04gfq
>>911
それだ!
水木御大の漫画で読んだ
914人間七七四年:2009/07/30(木) 00:25:53 ID:HLUFX7tq
鳥取城の失敗

後世に「鳥取の渇え殺し」として伝わる、1581年の秀吉の鳥取城攻め。
20日分の兵糧しかない状態で4ヶ月を耐えた城兵の姿は、
「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、
叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」(信長公記)
という悲惨なものであった。

さて、守将・吉川経家が切腹することで降伏が認められた鳥取城の兵に織田方から
飯が提供されたが、多数の死亡者が出た。なぜか。

現代でも北朝鮮やアフリカのニュースで取り上げられることがあるが、人間は極端に
飢えると、ものを食べても消化器官が動かなくなる。そんなところに大量の飯を
詰め込んだらどうなるか……。
普通は重湯やお粥で徐々に慣らしていくのだが、このとき提供されたのは普通の
飯であったため、多数の死亡者が出てしまった。

秀吉の、ちょっと(?)悪い話。
915人間七七四年:2009/07/30(木) 00:27:18 ID:5JbClSzT
ラスボスのことだから
知ってて出したんじゃないかと
穿った見方をしてしまう
916人間七七四年:2009/07/30(木) 00:48:45 ID:nlHCmKsK
労ってやろうと御馳走だしたら裏目に出たって聞いた事あるな
こっちの方も秀吉っぽい
917人間七七四年:2009/07/30(木) 01:13:50 ID:MfHz0iNg
その鳥取城の話を出そうとしていたら考えているうちにきてしまった

出そうとしていたのはアニメキャラ板の某スレだが
その件を踏んで以降は粥で出すようにしたんだっけ
918人間七七四年:2009/07/30(木) 01:26:32 ID:6zZWOZ26
しかし秀吉公の場合は三木城の干殺しの先例もあるんだから、
まじめに嫌がらせじゃないのだろうか?
もう飢えた人間にたらふく食わせばどうなるか分かってるんだから。
919人間七七四年:2009/07/30(木) 03:49:47 ID:+rY35Qw+
>910
ピーナツバターみたいなもん?あれ体質合わない人には致命傷なるからな・・・
920人間七七四年:2009/07/30(木) 07:24:03 ID:LcYbMi3X
味噌を載せられた所が痒くて掻いていたら化膿していったとか

昔、俺も右手の甲が爛れてひどいことになったわな
921人間七七四年:2009/07/30(木) 08:24:57 ID:g87LX27Y
衆道にまつわるチョイと悪い話はナイのかナッ?
922人間七七四年:2009/07/30(木) 08:30:17 ID:uPbQBfHh
>>921
クソゴミウセロカス。

逸話として残ってる衆道話は基本的に悪い話ばかりだろ。
むしろいい話を聞きたい。
923人間七七四年:2009/07/30(木) 09:03:56 ID:XOqKWFO5
播磨三木合戦では城の食糧が尽きて
早々に城方が降伏を決めたから餓死者は出てないはず
つうか鳥取城みたいに城兵が人肉食を行うほど耐えるのが異常なんだよ

米子出身の友人に聞いたが、現代でも鳥取県の小中学生は
郷土の誇るべき歴史としてこの鳥取城攻防戦のことを授業でやるらしいね
当時のカニバリズムの記録から、
「人肉は脳味噌が美味い」ということを学んだと言ってた
それも教育的にどうかと思うが
924人間七七四年:2009/07/30(木) 09:54:47 ID:ukYJhB0F
秀吉は「飯を振る舞え」と命令は下すだろうけど、メニューまで指図するかね。
そこまでしてたらその逸話も残るんじゃないかな。気が利かない部下のせいのような気がする。
925人間七七四年:2009/07/30(木) 10:05:57 ID:L8WY2TuM
>>923
うろ覚えだが、人間の脳味噌って食ったら危険じゃなかったか?
926人間七七四年:2009/07/30(木) 10:43:00 ID:OvtYDl9w
クールー病だかになるんだっけか?
927人間七七四年:2009/07/30(木) 11:30:24 ID:BJ+zIFJU
>>914
俺の記憶では、粥を各自お椀にちょっとずつ渡していたが、
城方の兵達が争うように粥の入った大釜に群がり、ついに
織田の兵も止めることが出来なくなり、粥をむさぼって
死んでいく者達を見ているしかなかった…だった。
司馬遼だったかな?なんかで読んだ。司馬遼の先祖は三木城
の篭城戦に参加したらしい。
928人間七七四年:2009/07/30(木) 13:24:19 ID:K6oW7kwv
人間の悲しいサガなのか…
929人間七七四年:2009/07/30(木) 14:45:19 ID:96kL0pHr
どうしても たべる つもりですね。
これも いきものの サガ か…

よろしい しぬまえに かゆのあじを とくと
したに やきつけておけ!
930人間七七四年:2009/07/30(木) 17:44:50 ID:RNwIDf40
小説か実話かは知らないが、本能寺の変を秀吉に知らせに来た伝令にも腹いっぱい食わせて・・・ってな話しを歴史の先生から聞いたなあw
飲まず食わずで駆けつけたが、口封じって事らしい。

>>925-926
どことは言わないがお隣の国には「サルの脳みそ」ってなご馳走があるけど、サルはあくまでも代用品。
本来は、・・・。
931人間七七四年:2009/07/30(木) 17:49:15 ID:Leu7pMff
>>914
これ郷土史の資料集みたいな本に載ってたな@鳥取
932人間七七四年:2009/07/30(木) 19:12:59 ID:EPpxKQs2
>930
ペルシアかどっか西アジアの大魔王ザハーク伝説なんてのもな('A`)
魔王の毎日アレな食事を羊の脳みそで代用さして、生き延びた人間の奴隷が集まって反乱する


..要するにアルスラ〜ン戦記のネタ本ね。スレ違いでごめん
933人間七七四年:2009/07/30(木) 19:25:06 ID:nF+v5KsF
たんぱん
934人間七七四年:2009/07/30(木) 20:58:03 ID:jy49l2lM
>>930
代用品と言えば、何処とは言わないが某大陸や某半島では
虎の肉が手に入らないときは猫を代わりに食べていたとか。
(薬膳のようなものらしい)

もし虎の肉が手に入らなかったらラスボスもひょっとしてネコを食してたかも…
935人間七七四年:2009/07/30(木) 21:00:30 ID://HRJkuM
>>930
あれってかなり栄養価が高いらしいぞ 値段もかなり高い
味は・・・うまくもまずくもないけどな
936人間七七四年:2009/07/30(木) 21:18:47 ID:XOqKWFO5
味方は死骸を引取切分て是と喰ひ、或は手負て未だ死果ぬをも
是は深傷なり助かるべきに非ず、苦痛をなさんより早く死かしとて
無体に切殺し節々を放して其脳を喰ひ、中にも
佳味は首に有へりとてを頭を砕きて争ひ喰ふ有様

真書太閤記の鳥取城籠城戦の記述より
「こいつはもう助からねえ」とか言いながら味方を殺して
その脳味噌を食らうとかマジ餓鬼道
戦国時代の合戦の中でもトップクラスの悲惨さじゃね
ちなみに真書太閤記では秀吉は戦後城兵に白粥を振舞ったと書いてました
937人間七七四年:2009/07/30(木) 21:30:14 ID:jy49l2lM
>>803
遅レスな上に自分のコメントへのレスで恐縮ですが…
こういう講座があるそうです。

【大坂方の薩摩落ち伝説について】
ttp://open.gakushuin.ac.jp/course/detail/2009/B/S03/

秀頼、真田幸村、木村重成たちの薩摩落ち伝説が題材だとか。
島津家の現ご当主が講師をなさるとのことです。

ご当主直々に戦国時代のお話が聞けるそうなので興味のある人は行ってみてはどうでしょう。
938人間七七四年:2009/07/30(木) 21:35:52 ID:VIQJFOj2
>>937
こんな講座があるのかー。しかも講師は島津宗家の人かよ!すごいなー。
さすが学習院だ。
939人間七七四年:2009/07/30(木) 22:28:58 ID:dN0TB6L/
1600年に豊後で行われた黒田如水と大友義統の合戦。
世に言う石垣原の合戦である。その中での話。

黒田勢の先鋒を任された将の中に久野次左衛門という若干19歳の武将がいた。

次左衛門の母は出陣の折、
「宵にそなたが戦場で旗竿を折る夢を見ました。
だから今回だけは、出陣を取りやめられませぬか。」と懇願すると、

次左衛門は「弓馬の家に生まれたからには、屍を山野に晒しても
名を残すのが努め。それはかえって吉事です。」
と言って出陣していった。

合戦場となった石垣原には高さ1丈ほどの火山弾が東西6町余にわたって、
石垣のように列をなして連なっていた。
兵力で劣り、支援勢力もない大友勢にとってこの「石垣」は絶対に確保しなければならず、
大友勢の先鋒吉弘統幸と宗像鎮続は決死の突撃を敢行した。
黒田勢も先鋒の久野次左衛門、曾我部五右衛門らが「石垣」を奪取するために
大友勢と激戦を展開した。

しかし死に物狂いの大友勢に対し、如水がいない黒田勢は苦戦を強いられ
激戦の末に次左衛門は戦死してしまった。
940人間七七四年:2009/07/30(木) 23:54:05 ID:OYCtCxwi
ふむふむ、それで?
941人間七七四年:2009/07/30(木) 23:58:31 ID:oBQ+7EEX
小田原陣のあと、東北を平定しようとした豊臣秀吉の前に
一人の男が現れた。

秀吉「尾藤…」

尾藤知定(知宣)は長浜時代から秀吉に従った家臣だった。
秀吉は尾藤の勇猛さを愛したという。しかし尾藤は九州征伐
で失敗して改易された。そして今、尾藤は剃髪して秀吉に
許しを請うている。だが…

秀吉「この男を殺せ」

秀吉はそう家臣に命じた。秀吉は尾藤が小田原陣の結果
を見て自分のもとにやって来たことを見抜いていた。尾藤
は秀吉の不興を買って殺された。それは尾藤と同じく失態
を演じて改易されながら、小田原陣で活躍して返り咲いた
仙石秀久とは対照的であった。
942939:2009/07/31(金) 00:15:53 ID:/3/HFn+8
続き書き忘れてた。ごめんなさい。

戦後久野家は彼の弟重時が家督を継ぎ、筑前入国後六千石を領して明治まで中老として続いた。
ちなみに彼らの父は黒田二十四騎の一人で、文禄の役で戦死した久野四兵衛である。

なんか大したオチでもないな。すまんかった。
943人間七七四年:2009/07/31(金) 01:35:16 ID:/NL1GEdS
>>937
島津さんは一族総出で調査研究してるよな
当方札幌人だが、次期当主の方が去年まで同じ区に住んでてびっくりした
何でも明治に北海道に作った島津農場を調査してたらしい
944人間七七四年:2009/07/31(金) 01:47:41 ID:L1m3uXcY
>>943
今でも日本の名家というと、島津氏か徳川氏って感じですな。
島津さんは鹿児島じゃ今でもお殿様だし、
愛知じゃトヨタの会長さんでも、尾張徳川家の御当主には頭が上がらないとか。

そういえば尾張家の現当主って、日本のインターネットインフラ草創期の構築に関わってるのね。
945人間七七四年:2009/07/31(金) 02:14:13 ID:lk40jL0n
>>923
そうなんだ。三木城と鳥取城は事情が違ったのですね。
ありがとう。
946人間七七四年:2009/07/31(金) 07:00:27 ID:Q55hq0Bl
森下と中村さえ居なければと思うと・・・
山名豊国の判断は正しかったとしか思えない
947人間七七四年:2009/07/31(金) 16:39:10 ID:WRf3Vn/q
亀な話題に追加だが

インドネシア(?)辺りの山奥の部族には、
勇敢な敵の脳を食べると知性や勇気を受け継ぐことが出来るという風習があるそうだ

首狩り族が住む日本にもそこはかとなく伝わっていてもおかしくはない気が
948人間七七四年:2009/07/31(金) 17:06:39 ID:0BMB9BhJ
日本にはないだろ?
戦争終わったら、わざわざ取ってきた首を洗ってお化粧までしてあげるぐらいだからな。
まぁ、薩摩あたりならあるかもしれないけど。
949人間七七四年:2009/07/31(金) 17:40:56 ID:/NL1GEdS
薬に人の肝臓やら使ってたんじゃないの?
950人間七七四年:2009/07/31(金) 18:01:15 ID:L1m3uXcY
戸田氏鎮の家来、樋口藤兵衛は、大阪の陣でも功を上げた武勇の者であった。
ところが、彼の兄はキリシタンであった。

その兄は大阪の陣のあと、強化されたキリシタン禁制による幕府の取り締まりにかかり、
召し捕られた。とところがこの折、取調べにどういう事か、「弟の藤兵衛もキリシタンである!」
と証言した。
これにより、藤兵衛は閉門することとなった。

藤兵衛は刀や脇差すら手放し、一人座敷に引き籠ったが、息子を呼んで言った

「わしは兄によって、邪教の同類にされてしまったが、そのようなことは決して無い。

大阪の陣のとき、兄より熱心に入信を勧められたのだが、わしはそれを受け付けなかった。
この事は一々申し開きをすることも出来る。だが、実の兄と対決をし、勝敗を争うと言うのは、
これはあまりに詮無い事だ。

この上は自害のほかは無いが、脇差で腹を斬れば、世間は殿からの仰せのように見てしまうだろう。
よって…」


そう言い残し、舌を噛み切って死んだと言う。
951人間七七四年:2009/07/31(金) 18:03:05 ID:1z4e4qUA
>>948
だから、前のスレでも言ったが地域名書くなって。
藩の名前の島津って書けば済むことだろ。
952人間七七四年:2009/07/31(金) 18:20:38 ID:zlpaexKj
>>950
洗礼名を聞いてたらもしかしたら濡れ衣だったかも知れぬ

ネタぶち壊しのマジレスをして申し訳ないが
実は舌を噛み切っても死ぬことは口の構造上ほぼ無理らしい
953人間七七四年:2009/07/31(金) 18:27:56 ID:e/n1WMU+
>>947
ニューギニア島にある風習な。
西半分がインドネシアで、東半分がパプアニューギニアなので間違いではない。
その部族では古くから狂牛病と同じ異常プリオンが原因の病気発症率が高いそうだ。
954人間七七四年:2009/07/31(金) 18:55:28 ID:qcBGT9Rd
>>947
そんなことしたら呪われそうだから日本人は嫌がりますね
955人間七七四年:2009/07/31(金) 19:16:31 ID:JT3/Vpie
>>949
厳密に言えば、戦国末〜江戸時代。
明代の「本草網目」を元してるっぽい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%8D%89%E7%B6%B1%E7%9B%AE
http://www.i-apple.jp/honzo/

木乃伊なんかを薬に使用したのも、おそらくこれが種本かと。
956人間七七四年:2009/07/31(金) 19:22:06 ID:0BMB9BhJ
ちょっとだけマジレスすると
江戸時代の話にはなるが、飢饉時の寺の過去帳を調べたところ
だいたい、10代〜20代ぐらいの人の親世代から死んでいったそうだ。
これは、自分が栄養を取るよりも我が子に栄養をとらせようとした結果
体力が落ち、そこを伝染病の餌食になったのではないか?
という説を読んだことがある。
957人間七七四年:2009/07/31(金) 19:51:10 ID:QYimH0R+
>>952
ついでにマジレス
舌を噛み切った場合ほとんどが噛み切った舌と血が喉に詰まって窒息死するらしい
当時の医療事情じゃまず助からないと思われ
958人間七七四年:2009/07/31(金) 20:00:57 ID:Ozq0eiTR
血はともかく噛み切った舌がのどに行く事はないだろJK
959人間七七四年:2009/07/31(金) 20:04:31 ID:o5Fodb8M
舌を支える筋が断裂して、残った部分が喉に詰まるんじゃなかったか
そりゃ噛み切った舌の先っちょは詰まんないだろう
960人間七七四年:2009/07/31(金) 20:17:36 ID:TwV3IHno
筋肉だけを噛み千切って起こる収縮はたかがしれていて、
これだけでは窒息する程にはいたりません。

舌には筋肉だけでなく、筋肉に付着するような状態で沢山の味を感じたり、
舌を動かしたりする神経が付随してます。
この神経の多い部分を噛み切る事で、筋肉全体に神経を通して激痛の刺激がゆき、
全体が痙攣を起こす為に窒息に至ります。

つまり舌を噛んで死ぬには、そういう風に噛まないとダメという事です。
961人間七七四年:2009/07/31(金) 22:46:17 ID:5F228+3Z
タン的に言って痛そうだ
962人間七七四年:2009/08/01(土) 00:15:32 ID:0H5rhIlo
>>961
(;^ω^)
963人間七七四年:2009/08/01(土) 00:15:32 ID:4xgutBK+
ある時、柳生庄から遠乗りに出かけた柳生宗矩が道端の井戸で洗濯をしている村娘を見かけた。
娘の美しさに目をとめた宗矩、馬上から声をかけて一言。
「そのタライの中に波は何本立っておるか?」
宗矩の謎かけのような問いに娘は笑って返した。
「お殿様の足下にはひづめの跡が続いていますが、それがいくつあるかご存知ですか?」
娘の機知に感心した宗矩は彼女を側室に迎え入れ、一子六丸をもうけた。
この時の井戸は「おふじの井戸」として現在まで残っている。

ところで六丸が生まれたのは1635年、宗矩64歳のことだ。
老いらくの恋もあったものだが、この時期宗矩は大目付の在職中で江戸で多忙な日々を送っていたはずである。
元々直参旗本であった宗矩に領地へ赴く機会はほとんどないのだ。

僧侶となった六丸は列堂義仙を名乗り柳生の菩提寺、芳徳寺の住持に定められたが
(吉原と抗争したり公儀介錯人の地位を争ったりは別の話)
宗矩・十兵衛亡きあと家督を継いだ兄の宗冬は
「義仙の奴寺ほっぽって出奔するとかマジキチだから追放な。
 文句言ったら皆で相談して押し込めにしちまえ。斬ってもいいぞ」(大意)
……とえらく物騒な遺言を残している。
果たして義仙は本当に宗矩の子だったのだろうか?
本当のところは誰にもわからない。
964人間七七四年:2009/08/01(土) 00:24:06 ID:TLm/4uwi
>>923
鳥取城ではなんでそこまで頑張ったんだろうな。
そこまでの悲惨な篭城は聞いたことがない。
965人間七七四年:2009/08/01(土) 00:38:06 ID:pQ8SKuLD
義昭を抱えた手前の意地とか
966人間七七四年:2009/08/01(土) 01:20:11 ID:tUowKWTC
まあ篭った城の規模が違うが小田原の陣ではこういう話は聞かないな。
篭城しながら敵に兵糧攻めを仕掛ける北条さんは篭城名人だな。
967人間七七四年:2009/08/01(土) 01:25:18 ID:ZxGKs5Jl
普通は先に降伏するか城中が荒れて開城するかだからだろう
高天神城は武田の降伏認めなくて皆殺しだったっけ?
968人間七七四年:2009/08/01(土) 01:31:26 ID:TLm/4uwi
経家さんの言葉。

>日本二つの御弓矢境において忰腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候

だって。
死ぬなら配下民衆を餓鬼地獄に落とす前に
一人で死ね。
俺は山名豊国の方が好きだな。
969人間七七四年:2009/08/01(土) 01:32:21 ID:GOY1LrLd
非常時に備えて兵糧が備蓄してある場所にいる守備側と本拠地を離れて遠征している攻撃側ではどっちが
兵站が楽か論じるまでもない

兵糧攻めで城が落ちた事例より兵糧が切れて遠征側がすごすご引き上げた事例の方が圧倒的に多いさ
970人間七七四年:2009/08/01(土) 01:55:33 ID:22jiiK1L
>>968
でも中村春続と森下通与が意地張って織田に下るの拒否しなければあんな事にはならなかったんじゃね?
971人間七七四年:2009/08/01(土) 02:30:13 ID:g9fnneno
吉川経家は司令官だけど外部から入っただけだから、戦術単位ならともかく、
大きな政治的決定は山名の側の方針に従うしかないぞ。
吉川が勝手に降伏とかの方針を決めたら、それは毛利同盟国に対する越権行為だ。
972人間七七四年:2009/08/01(土) 07:08:19 ID:+uxM4vY9
>>963
人の問い掛けに問い掛けで返すなんて…俺なら斬り捨ててるわ
973人間七七四年:2009/08/01(土) 07:14:16 ID:g9fnneno
新スレ立ててくる
974人間七七四年:2009/08/01(土) 07:17:10 ID:g9fnneno
できた

戦国ちょっと悪い話12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249078576/

ここ埋まったら移動してください。
975人間七七四年:2009/08/01(土) 09:40:04 ID:YHJhNMKl
>>974
お疲れさん!毒なんて入ってないから、まァ一杯やんな

 ( ●д・)
 ( つ旦O
 と__)__)    旦
        エスプレッソ
976人間七七四年:2009/08/01(土) 10:26:08 ID:qILhMgUr
>>975
日根野弘就「グビグビ・・・もう一杯下され」
977人間七七四年:2009/08/01(土) 10:33:43 ID:w+XHFiBv
>969
鳥取城は“あの”山名豊数ですら篭城して一度は秀吉(織田)軍を撃退している名城だもんね。
……秀吉軍から瓢箪の馬標をかっぱいだのこの時だっけ?

その代わり、新たに吉川経家が来た時は先の篭城で減った兵糧の集積が間に合ってなかった。(三木みたいに秀吉が買い占めた影響もあるんかね)


その地方の農業経済を破綻させるまで間断なく攻め続ける織田方・秀吉の途方もない経済力、動員力の恐ろしい話
978人間七七四年:2009/08/01(土) 10:34:21 ID:w+XHFiBv
>>974
乙どすえ
979人間七七四年:2009/08/01(土) 10:39:36 ID:B/nWUefY
>>974
乙で御座った

>>976
加藤清正「 (クソ苦ぇぇぇぇ! …しかし日根野殿は普通に飲んでおられるぞ!?) …結構なお手前で。それがしも、もう一杯」
980人間七七四年:2009/08/01(土) 11:20:26 ID:9v9Tooxa
>>963
「お前は今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」
981人間七七四年:2009/08/01(土) 13:22:59 ID:MEsnueZ1
>>968
経家は鳥取城跡に銅像建ってるしさながら鳥取の猛将みたいなイメージがあるけど
実際は石見から送り込まれただけなんだよな

>>977
それお兄ちゃん>豊数

豊国も二人を切腹させる位の力量があれば盆暗扱いされなかっただろうに
豊国が追われた後嫡男が城主になったらしいが知らない間に追われた
982人間七七四年:2009/08/01(土) 16:44:26 ID:Zhil2RWM
>>971
じゃあなんで山名側は降伏開城決断しなかったんだろう?
「今更降っても殺されるから」
と粘ったのかな?
983人間七七四年:2009/08/01(土) 16:56:32 ID:jCR3NaI+
降伏したいのは、やま山名んだけど
984人間七七四年:2009/08/01(土) 17:20:29 ID:P5CuM3my
篭城してる最中ですら、毛利に付くか織田に付くかで勢力争いやってたんじゃなかったっけ
陸軍と海軍の予算の取り合いの余力でアメリカと戦争してた大日本帝国みたいなもんじゃないかなあ、と。
985人間七七四年:2009/08/01(土) 19:27:34 ID:GiQ3wygk
>>983
【審議中】
986人間七七四年:2009/08/01(土) 19:52:24 ID:B3TDYccG
>>985
【審議終了】
百段全力疾走にて市中境内引き回しの上鬼武蔵に7日間近侍の刑
987人間七七四年:2009/08/01(土) 21:26:20 ID:w+XHFiBv
>>981スマソ間違えた..
HARAKIRIのAA探してくるわ……
988人間七七四年:2009/08/01(土) 22:03:47 ID:aw+xY4PR
因幡山名氏よりも先に本家の但馬山名氏が秀吉の侵攻で没落しているから、
今さら降伏なんてできないと判断したんだろう>森下・中村
989人間七七四年:2009/08/01(土) 23:20:23 ID:mbXfGqTQ
武田家に臆病な男がいた。その男はいつも手柄がなく
「今日は調子が悪かった。明日から本気出す。
絶対に手柄を立てるから見てろ」
と言うのが常だった。

その男に内藤昌豊は言った。
「林の中に名無しの木があった。杉や檜がその木に
「お前の名前は何だ」と尋ねた。その木は「あすなろう」と
名乗った。お前はその「あすなろう」だな」

それから武田家では口ばかりの者を「あすなろう」と
呼ぶようになったそうだ。
990人間七七四年:2009/08/01(土) 23:44:22 ID:k6U6qkBO
>987コレデイイナライマノウチ...
      ∧,,,∧
     (・ω・` ) 御免・・・
     / y/ ヽ
 ━(m)二フ⊂[_ノ
     (ノノノ l l l )
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
991人間七七四年:2009/08/01(土) 23:47:15 ID:8xDYvm1D
>>989
第三野球部(涙)
992人間七七四年:2009/08/02(日) 00:26:15 ID:Ad46wJmW
>>988
配下や民衆が食うもの無くて雑草食ったり、人肉食らったり
してるのにか?
993人間七七四年:2009/08/02(日) 01:06:38 ID:HGuETFKy
>>992
経家さん到着した時にはもう手詰まり状態で毛利も降伏してくれって言ってなかったっけ?
清水さんの時もそうだけど毛利は助けられないって判断したら割りと早くから降伏して
助かりなさいってスタンスだと思う。
清水、三木と同様に場内に徹底抗戦派がいたと思われ。
994人間七七四年:2009/08/02(日) 01:07:28 ID:hZAIT5PI
>>989
あすなろの里の期限はこれだったのか!
995人間七七四年:2009/08/02(日) 01:10:00 ID:sG9s5VR5
>>989
現代でも、その手の類が入社していたから笑えん。
996人間七七四年:2009/08/02(日) 01:10:41 ID:qDQFnUHg
>990介錯

           /|
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          (ミ゙∧,,∧
     ∧,,∧   (^(ω・´ )
    (-ω-´)   `[_ノ )
 ━0ニフx と)    ノノ l、ヽ、
    (ノノハ_l_l)   〈_ノノヽヽ>
997人間七七四年:2009/08/02(日) 01:40:46 ID:KfSOWtr+
 /i  (~)  iヽ
 《 ブ~愛`くノ
.  {ヽ,二,,ノ}
 ( ´・ω・) >>1000を取るは我が主、景勝をおいて他にござりませぬ!
  (:::::::::::::::)
   しωJ
998人間七七四年:2009/08/02(日) 02:01:10 ID:qsDzGwzc
うめだよん
999人間七七四年:2009/08/02(日) 02:06:13 ID:KfSOWtr+
 /i  (~)  iヽ
 《 ブ~愛`くノ
.  {ヽ,二,,ノ}
 ( ´・ω・) >>1000を取るは我が主、景勝をおいて他にござりませぬ!
  (:::::::::::::::)
   しωJ

1000人間七七四年:2009/08/02(日) 02:07:23 ID:8lroFkhl
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 !.l"`,, |llllll!' :.:.:::;,,,___`ヾ、;;;;;;;;::;、rィ 
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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