徳川軍とオスマン軍はどっちが強い?

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1人間七七四年
日本を統一した徳川政権とオスマン帝国が戦っていたら
どうなっていた?
2人間七七四年:2009/02/17(火) 20:49:56 ID:V42jN0sq
関連スレ
信長軍とオスマン軍は戦争したらどっちが強いの
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1230724338/301-400
3人間七七四年:2009/02/17(火) 21:02:25 ID:qmmCjbcV
オスマン軍はドラキュラ領内には一歩も入れぬわ!
4人間七七四年:2009/02/17(火) 21:49:04 ID:ZKK2LWio
一個二個サンコーーーーーーーーーーーーーーーーン
5人間七七四年:2009/02/18(水) 04:44:53 ID:JMhlIvn7
うんこ対マンコですね
6人間七七四年:2009/02/18(水) 18:18:20 ID:vfnuOIiS
大砲多く持ってたほうの勝ち
7人間七七四年:2009/02/18(水) 19:49:15 ID:P++8B4xJ
押忍マンコ

押忍マンコ

押忍マンコ
8平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2009/02/19(木) 00:53:18 ID:Nux8vzWl
旗本八万騎とイエニチェリか。わからんな・・・
9人間七七四年:2009/02/19(木) 08:57:50 ID:D6yLVd/s
・カプクル 常備軍。イエニチェリなど歩兵に騎兵、砲兵、工兵からなり、最盛期には6万に膨れ上がった。
       これに属州軍・同盟軍・補助兵を加え、推定20〜30万人前後が動員された作戦もある。
       騎兵は重厚な馬鎧に槍やメイス、砲兵は5千人を超え大規模な野戦砲・擲弾部隊をもっていた。
       傭兵や市民兵からなる当時のヨーロッパ軍は、専業軍人たるカプクルとイエニチェリに歯が立たなかった。
・イエニチェリ 「新しい軍隊」という意味の、キリスト教徒の子弟を強制徴募しイスラムに改宗させ訓練を施した親衛隊。
         軽装だが世界で最も早く銃を大量運用し、圧倒的な火力でカプクルの中核をなした。
・シパーヒー カプクル騎兵とは別の、封建領主的な騎士階級。
        初期は弓騎兵、中期は装甲騎兵、後期には銃を持ち竜騎兵となった
・アキンジ 軽装の騎兵で、偵察やかく乱任務を主とした。非正規軍であり士気は低い。
・メフテル 世界初の本格的な軍楽隊。聞いただけで逃げ出す敵もいたという。
・ヨーロッパ同盟軍 セルビアやワラキアの、プレートアーマーを身にまとった典型的な西洋騎士で、貴重な補助戦力だった。
10人間七七四年:2009/02/19(木) 17:13:52 ID:gXHXT/15
動員兵力の規模の割には
寡兵のワラキアやアルバニア相手に
負けが目立つんだが

それでも最終的には征服したが
11人間七七四年:2009/02/19(木) 20:30:37 ID:qQ/EegR1
オスマンは米軍に近いイメージがあるな。
いわゆる物量で時間掛けて押しつぶすのが基本戦略みたいな。
日本で言えば織田信長
12人間七七四年:2009/02/20(金) 18:44:06 ID:2qZrUU8m
まともに戦えば大量兵力でつぶされる
ワラキア、アルバニアにならって山岳での
ゲリラ戦に徹した方が得策といえよう
13人間七七四年:2009/02/20(金) 20:00:25 ID:N3RU2+A4
>>12
天下統一後の総動員なら徳川でも数十万は堅いよ
14人間七七四年:2009/02/20(金) 20:46:59 ID:puVzGWME
徳川軍とアッティラ軍はどっちが勝つのか気になる。
15人間七七四年:2009/02/21(土) 18:11:26 ID:apjn8V3Z
さすがに何百年も前の軍隊には勝つんじゃ?
16人間七七四年:2009/02/21(土) 19:57:12 ID:yyKpVz9B
アッティラって数百年どころか千年以上前だよね。江戸時代より。
17人間七七四年:2009/02/21(土) 20:49:19 ID:NPqfZs2v
強力な合成弓を装備した騎兵の大軍だから意外と勝敗はわからんよ?
土地の属性によってかわるとおもうが
18人間七七四年:2009/02/21(土) 20:58:52 ID:fE5GfFbC
鉄砲いっぱいもってるから余裕でかてるよ
19人間七七四年:2009/02/22(日) 01:16:23 ID:pjVDHHfk
大砲がないから明に勝てなかったのと同じで、トルコに勝てないよ
20人間七七四年:2009/02/22(日) 02:45:01 ID:FabsHRQ+
なんというバカスレ
21人間七七四年:2009/02/22(日) 03:55:04 ID:vDkyOOOz
やぁ、仲間が増えたうれしいな
22人間七七四年:2009/02/22(日) 10:27:11 ID:Uge1sLtC
戦国時代でゲリラ戦を得意としたところってどこ
甲賀の国人?
23仙台藩百姓:2009/02/22(日) 11:20:06 ID:YGcgC2GZ
百姓( ^ω^)
24人間七七四年:2009/02/23(月) 01:02:35 ID:LYZbtCFP
>>19
榴弾でもない当時の大砲では対人効果は低い
城攻め以外に使いどころはないと思うが
まあそれはそれとして…

――――――――――――――――――――――――
此は日本の武士が中国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。

戚継光 「紀効新書・長刀解」
25人間七七四年:2009/02/25(水) 12:09:23 ID:Gv4fBWpS
>>24
トルコの野戦砲はやばいよ
ずらっと砲列を並べて水平射撃すると、バウンドショットで地面を跳ねながら敵を薙ぎ倒すので、
兵の密集した当時の野戦では大変恐れられた

銃も大口径のマスケット銃で、近代軍隊のように指揮系統や規律が確立されていたため
統制のとれない封建軍隊でどうこうできる相手じゃない
北はポーランド、南はソマリア、東はカスピ海、西は大西洋まで広がった大帝国だぜ?
26人間七七四年:2009/02/25(水) 20:26:24 ID:4woedGxU
>>25
当時の日本も備に代表される統制された部隊編成や指揮系統が確立していた
しかも、首という明確な恩賞システムがあるので、士気も高い

また、日本は密集陣形を採らないので、球弾射撃の効果は薄い
27人間七七四年:2009/02/28(土) 08:45:37 ID:6t3lG4PV
関連スレ
もし家康がワーテルローの戦にタイムスリップしたら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1233560180/
28人間七七四年:2009/03/01(日) 13:30:48 ID:cVn5aQaO
>>24
簡単に寝返ったりする先行論証でもめたりすることが
多かったように規律がなってない戦国時代の武将は
厳しい戦いを強いられるだろうな
所詮軍閥の連合体である
29人間七七四年:2009/03/01(日) 13:34:01 ID:5rV3kN5/
論功でもみもみとかはどこの国でもやってることじゃん
30人間七七四年:2009/03/04(水) 17:06:30 ID:5tB+Vqiz
>>28
それが日本の弱点だ
軍として一致できない
31人間七七四年:2009/03/04(水) 19:21:08 ID:FDv9NWVe
日本は現場判断尊重するから、強い
32人間七七四年:2009/03/04(水) 19:51:09 ID:Qz3rI1xB
オスマン軍はウィーン一つ落とせないカス
三河武士の敵ではない
33人間七七四年:2009/03/04(水) 20:41:20 ID:L1GjO7F7
徳川なんて真田一つ落とせないカス(笑)
大坂の陣でも真田に総崩れにさせられてるしw
「屈強な三河武士」なんて典型的な勝者が書いたねつ造された歴史だろ?
34人間七七四年:2009/03/05(木) 00:38:43 ID:UbJq8xFz
オスマンつったって何時の時期の誰の指揮してる軍かわからにゃあ何ともいえないな。
将軍にも強弱あるし、オスマン帝国自体時期によって色々な事情で強かったり弱かったりするし。
ハリウッド映画じゃあるまいし、双方国許を空にして野戦で正面からぶつかり合うなんてありえんし重装備してるから強いとは限らん。

朝鮮のときもそうだが、日本は囮を使っての挟撃とか得意だったような。当時の日本の軍は時々とんでもない機動力を発揮するし。
日本みたいなところで戦ったらオスマンの大砲や重装備の部隊は機動力が全くなくなってフルボッコにされるだけだよ。
指揮系統が確立されてる事は正面からとか単純な作戦なら強いけど離散集合を繰り返す機動戦になったら強いとはいえないし。
でも海戦だったらオスマンがずっと有利だろうな。有馬だったかはショボイ欧州の船一隻沈めるのに散々苦労してたし。

ただ日本の独特の城郭は慣れてないし簡単に落とせないだろうね。見かけしょぼいからってつっかかっていって
反撃喰らってじりじり消耗させられて挟撃喰らって苦戦する様子が目に浮かぶ。
35人間七七四年:2009/03/05(木) 02:19:01 ID:/qtaVgO4
流石にムスタファ・ケマル率いる
第一次世界大戦時のオスマン軍には勝てないだろう。

36人間七七四年:2009/03/05(木) 03:52:09 ID:vJ+R1LFk
オスマン・サンコン?
37人間七七四年:2009/03/05(木) 23:32:42 ID:10PhMl+7
日本を統一した徳川軍っつているから
17世紀前半のオスマン軍と比較すればいいんじゃない?
38人間七七四年:2009/03/06(金) 01:07:07 ID:+TpHn2kr
> 第一次世界大戦時のオスマン軍

時代というか技術と装備が違いすぎるわ。つーか第一次大戦の頃の装備に勝てる16,7世紀の軍隊なんておらん。
ただそれもオスマン帝国のうちだし、まあスレ主の無知っぷりもそうだが
なんか最近やたら厨とかのアホくさいスレがこの板に増えたよな。そんなのに付き合ってる俺もアレだが。
春休みにはまだ早いと思ったが、どっから湧いてきたんだか。
39人間七七四年:2009/03/06(金) 02:12:54 ID:I6OFjZcV
まあまあ>>38さん。
面白いんだからいいんじゃあないの?
四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒
40人間七七四年:2009/03/06(金) 02:58:05 ID:RnMyDKyY
>>38
マジレスする必要はないでしょ。
第一次大戦なんて誰でも冗談とわかるんじゃね?
41人間七七四年:2009/03/06(金) 04:31:47 ID:Aqiolttz
第二次でもイタリアになら勝てるかもしれない
42人間七七四年:2009/03/08(日) 13:36:06 ID:U71p8YLj
槍衾とかの密集しているところに
大砲ぶちこまれたらやばいな

大砲の有無が問題になっているようだが
日本もポルトガルから大砲輸入すればいいから
そこ大丈夫だと思う
確か大友がポルトガルから買った大砲で島津追い払っているし
徳川も大砲いくつか買って大阪城だったか関ヶ原で使っていたというし
43人間七七四年:2009/03/09(月) 11:01:11 ID:wWnGaXoO
>>42
日本は一列横隊だから大して大砲では損害を与えれない
ああいうのは密集陣形でないと
44人間七七四年:2009/03/11(水) 20:03:58 ID:GCwIEzeW
オスマン軍の重火力で、伏見城とか大津城とかの安土桃山型城塞が大砲で吹き飛ばされそうな悪寒。
45人間七七四年:2009/03/11(水) 20:41:20 ID:GCwIEzeW
・カプクル 常備軍。イエニチェリなど歩兵に騎兵、砲兵、工兵からなり、最盛期には6万に膨れ上がった。
これに属州軍・同盟軍・補助兵を加え、推定20〜30万人前後が動員された作戦もある。
騎兵は重厚な馬鎧に槍やメイス、砲兵は5千人を超え大規模な野戦砲・擲弾部隊をもっていた。
傭兵や市民兵からなる当時のヨーロッパ軍は、専業軍人たるカプクルとイエニチェリに歯が立たなかった。
・イエニチェリ 「新しい軍隊」という意味の、キリスト教徒の子弟を強制徴募しイスラムに改宗させ訓練を施した親衛隊。
軽装だが世界で最も早く銃を大量運用し、圧倒的な火力でカプクルの中核をなした。
・シパーヒー カプクル騎兵とは別の、封建領主的な騎士階級。
初期は弓騎兵、中期は装甲騎兵、後期には銃を持ち竜騎兵となった
・アキンジ 軽装の騎兵で、偵察やかく乱任務を主とした。非正規軍であり士気は低い。
・メフテル 世界初の本格的な軍楽隊。聞いただけで逃げ出す敵もいたという。
・ヨーロッパ同盟軍 セルビアやワラキアの、プレートアーマーを身にまとった典型的な西洋騎士で、貴重な補助戦力だった。

騎兵と砲兵を大幅に活用する三兵編成の近世型軍隊と歩兵主体の中世型軍隊の混成だな当時のオスマン軍は。

それでも
騎兵隊の迂回突破、常備軍の恒常的投入、鉄砲や大砲、その他火薬式前方投射兵器大量使用が可能だからな。
オスマン軍の野戦築城で歩みを止められ。
圧倒的な火力により射すくめられ、
騎兵により蹂躙されていった。
オスマン相手だと東軍の戦死者3万人とも言われる決定的な敗北の結末になりそうな悪寒
46人間七七四年:2009/03/13(金) 20:42:57 ID:BjEIwewG
>>43
野戦となると陣とか
かならず密集した所が出てくる

なんで大砲が今日まで使われているか考えてみるといい
大友は大砲を使って城攻めにきた島津を撃退したぞ
47人間七七四年:2009/03/13(金) 20:46:33 ID:BjEIwewG
日本も大砲(ポルトガル製)使えばオスマン軍に対抗できるかも知れんね
48人間七七四年:2009/03/13(金) 21:31:28 ID:47kOi/0K
密集方陣とは密度が全く異なる
それと、大友は攻め口が一つしかないという例外的な状況
49人間七七四年:2009/03/14(土) 08:55:45 ID:jABro4XU
密集方陣に打ち込まれたら被害が出るだろうな
大砲をうたれた恐怖で陣形が崩れる可能性もある

欧州で散兵戦術が盛んになっても大砲がなくならなかったのは
それだけ有効だったということだろう
それと日本は大砲もってないと思っているのがいるようだが
ポルトガルやスペインから買っているから無問題だ

ただやはり兵力の問題があるから
やはりゲリラ戦に徹した方がいいだろう
50人間七七四年:2009/03/15(日) 00:42:50 ID:lLd1CsbS
縦深陣形だと大損害が出るよ。
バウンドする砲弾のエネルギーは、口径によるが十数人の人体を貫通しないと止まらないそう。
射角が大きいと兵士の頭超えて跳ねちゃうけどw
他に直撃せず手足をもぎ取られる兵士も含めれば、砲弾が陣を通り過ぎるまで何人巻き込まれるか・・・
トルコは時限発火式の榴弾砲や迫撃砲、手榴弾も持ってる。
51人間七七四年:2009/03/15(日) 19:11:34 ID:YITp/tEv
陸戦ならオスマン圧勝だよ
銃も馬もオスマン側が圧倒的に有利
オスマンが銃もってなくても騎馬戦術だけで負けるんじゃないのか
52人間七七四年:2009/03/15(日) 19:12:21 ID:YITp/tEv
ポルトガルやスペインよりも強かったのがオスマン軍なわけで・・
53人間七七四年:2009/03/16(月) 13:34:36 ID:a24HBg0K
中隊規模諸兵科連合部隊である備の柔軟性に、オスマン軍は先手をとられ続けて負ける
54人間七七四年:2009/03/16(月) 22:48:56 ID:KvrQpVb4
オスマン軍の野戦築城で歩みを止められ。
圧倒的な火力により射すくめられ、
騎兵により蹂躙されていった。
オスマン相手だと東軍の戦死者3万人とも言われる決定的な敗北の結末になりそうな悪寒

家康率いる東軍壊滅状態、福島、黒田、井伊、細川、全員戦死、オスマン軍の後手の一撃による一斉攻撃、包囲殲滅戦が行われて、東軍殲滅戦死者3万人の惨敗だろ。
長篠の武田以上にズタズタにされそう。
55人間七七四年:2009/03/18(水) 21:04:22 ID:l/b+ljG1
>>54
日本の野戦築城も自然地形を用いた大したものだし、
鉄砲火力は同等、大砲火力は方形陣形ではない日本では効果が薄い上に、
重くて機動性が落ちる
騎兵も鉄砲と槍と騎馬武者の共同で打倒される
56人間七七四年:2009/03/18(水) 22:07:14 ID:+nRwVJ1C
野戦築城はトルコの十八番で、ニコポリスの戦いで馬防杭をめぐらせて十字軍破ってるしなあ。
塹壕も得意。
明の騎兵に苦戦するようでは、遊牧民の戦法とアラブ馬を持ち4万からなるトルコの騎兵は手に負えるのかね・・・
先駆けとか首獲りとか言ってるようじゃ、規律においてかなり問題があるのでは。

どこで戦うの?フェアに考えるなら中立地での戦場?
57人間七七四年:2009/03/18(水) 22:39:10 ID:l/b+ljG1
>>56
こういう話では下手に場所をきめるより、
「双方を結ぶ線上、敵の方に自軍の有利な土地あり」
で、よーいドンで決める位でないと比較しようがないけどね

後、前線指揮官が独断で行動できるというのは、指揮通信が
未発達のこの当時では戦術的先手を取ることができる
無論、足元をすくわれることも多いので、備を何段(3から5)にも
重ねる、異常に予備戦力を重視する部隊配置をしている
58人間七七四年:2009/03/18(水) 22:44:37 ID:8etWgf+6
日本の戦場や戦いでも
大砲は有効だろ
ここで大砲があったらもっと相手に打撃を与えられる
と思われる戦いもある

大砲は中東、クリミア、ヨーロッパでは有効でも
日本では別にそれほど有効ではないと言いたいのか?
日本は別に特別な国ではないんだぞ
59人間七七四年:2009/03/18(水) 23:05:39 ID:l/b+ljG1
>>58
炸裂弾が出るまではたいして役に立たない
密集方陣に打ち込むのは麦畑の穂を刈る様のものだが、
複数の一列横陣に打ち込むのは柵列に打ち込む様なもの
効率ははっきり悪い

何より重すぎ、山がちで車輪が却って邪魔になる日本では
野戦に用いるのは非効率的すぎる
60人間七七四年:2009/03/18(水) 23:09:25 ID:UNB0YGP1
戦車や騎兵が大手を振って活躍できる
それらの地形と違って
日本の地形は障害物ありすぎだ。
騎兵がわざわざ馬から下りて戦ってるような地形。
大砲も戦国時代には地形の問題で運搬が大変だったそうだ。
オスマンも日本で大砲使おうとすれば苦労するだろうな。
61人間七七四年:2009/03/19(木) 00:52:24 ID:b2bLWHcI
ヨーロッパでもスイスやチェコやアルバニアといった
山岳地外がある、それらでも大砲は使われている
それに、日本にだって平野はある。
日本は別に世界から隔離された特別な土地ではない

大体戦国時代の日本でも大砲は使われているだろうに
諸大名も大砲を輸入して持っている

多分戦国時代の日本は大砲を持っていないと思い込んでいるから
日本では大砲はいらない、日本は世界に類を見ない特別な地形だから
大砲は使えないと思いたいんだろうが

心配せずとも戦国時代の日本は大筒をちゃんと装備している
武装面でオスマンには遅れをとっていない
62人間七七四年:2009/03/19(木) 00:54:36 ID:IYBu3Yoc
散弾や榴弾、オルガン砲もあるよ>オスマン
榴弾砲の未発展なヨーロッパ諸国に対し、トルコは16世紀からこの種の砲を使ってた。

砲兵1個連隊、大砲10門につき、2門はアブス砲という対歩兵榴弾砲で、
口径230mm、4.25ポンドの時限発火式榴弾を発射する。
他には長射程のバリェメズ砲2門、標準的な野戦砲サヒ砲2門、
そして西欧人が設計し機動性に優れたスラト・トプクス砲4門。

険峻なアナトリア半島出身のトルコ人もけっこう山岳慣れしているのでは?
63人間七七四年:2009/03/19(木) 00:56:28 ID:b2bLWHcI
大体日本でも大砲(大筒)は普通に使用されているし、
64人間七七四年:2009/03/19(木) 01:00:27 ID:b2bLWHcI
日本と同じぐらいでこぼこした地形の
バルカン半島でも大砲が使われているし
(山に潜む山賊に対するゲリラ戦が多い)
65人間七七四年:2009/03/19(木) 01:05:50 ID:IYBu3Yoc
日本も城攻めでは大坂冬の陣で大砲を大量に使用したけどな。
抱え大筒に散弾を詰めて撃つこともしていたし。
66人間七七四年:2009/03/19(木) 10:33:09 ID:9jSfS9KX
>>61
攻城戦でしか用いていない
野戦での使用例は例外として扱われている
つまり、大砲は野戦では必要ないというのが一般的認識
67人間七七四年:2009/03/19(木) 10:39:03 ID:9jSfS9KX
>>64
植生が全然異なる
それにそれは砦に潜むという意味で攻城戦と変わらない
68人間七七四年:2009/03/20(金) 23:52:50 ID:W56QJHJ6
オスマンも第1次大戦時にはヘタリアよりも弱いという弱小国家。
鎖国してた日本に追い抜かれるなんてヘボすぎ。
69人間七七四年:2009/03/25(水) 12:49:03 ID:MYvKXy18
>>66
関ヶ原で石田三成が使っている
70人間七七四年:2009/03/25(水) 12:51:52 ID:F7YuL6NX
>>69
あれは見事なまでに例外
71人間七七四年:2009/03/25(水) 20:30:43 ID:JQlp0HXm
当時の大砲なんてタダの玉だろ。
野戦じゃ大して効果ねーよ。
第2次大戦でさえ歩兵戦車なのに榴弾積んでないマチルダ戦車馬鹿にされたってのに。
72人間七七四年:2009/04/03(金) 22:38:55 ID:4hxchjdh
>>68
地理的にオスマン帝国は厳しすぎる。西は欧米列強、北はロシア帝国と
強国に囲まれ数百年に渡って領土防衛に多大な負担が掛かっていた。
その上雑多な文化圏、民族を内包していたから民族思想が芽生える近代以降は
政治不安まで抱え込んでしまい正に八方塞り。
地政学的にやたらと恵まれていた日本とは条件が違いすぎるよ。

73人間七七四年:2009/04/05(日) 10:57:48 ID:KwDPahLy
島津義弘も四川の戦いで大砲使った。
釘とか詰めて大軍の中ぶちまけて歩兵に絶大な威力発揮したらしいよ。
74人間七七四年:2009/04/05(日) 16:13:17 ID:16GNV424
>>73
泗川の戦いは守城戦
75人間七七四年
中国は文禄・慶長の役でで大規模な砲兵を使って野戦で日本を苦しめてるな。
特に棒火矢というロケット弾を大砲に込めると、2kmほどの射程を持ち強い殺傷力があった。
数十m四方に焼夷性の破片をまき散らす。
これは日本も真似して抱え大筒で撃ったり、加賀藩で特に発展した。