戦国ちょっと悪い話7

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1人間七七四年

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233221056/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233164778/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/02/15(日) 01:00:48 ID:lMUUL0QV
>>1
乙に候!!!!
3人間七七四年:2009/02/15(日) 01:06:20 ID:UOXeRu/r
>>1
三河武士の忠義とは、一に主君、二に主君、三四がなくて、五に>>1乙!
4人間七七四年:2009/02/15(日) 01:29:49 ID:UOXeRu/r
なんかごめんなさい・・・
5人間七七四年:2009/02/15(日) 02:08:24 ID:TYgNzcQb
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 具なし

6人間七七四年:2009/02/15(日) 02:43:44 ID:1kVOlkSH
>>5野沢菜ゲットぉぉおー

>3-4 ドンマイ大丈夫だよ
7人間七七四年:2009/02/15(日) 02:49:04 ID:F5xzca5r
>>5
いつもありがとう。
おにぎり状の物一つ貰っていきますね。

   ∧ ∧ 
つ ( ´・ω・)
                   _________
                  ( ∪ ∪
                  と__)__)
8人間七七四年:2009/02/15(日) 03:07:17 ID:1kVOlkSH
>7
それ、朝倉義景の兜ちゃうねんから
9人間七七四年:2009/02/15(日) 03:50:27 ID:Zdm9PC77
>>1
  ヘ ヘ
 ( ´д) コレハ
 ⊂  ヽ 。 。
  ノ  ノ.゚
  しし´
     乙ジャナクテ
  ヘ ヘ  オシッ(ry
 ( ´д)
 ⊂  ヽ 。。。。。
  ノ  ノ.゚ 。・゚
  しし´ 。・゚  
     ・。。。。。。・
10人間七七四年:2009/02/15(日) 11:13:31 ID:xFnrclHE
>>9
話の途中で用を足しにトイレへ行くなど言語道断、
小便を漏らしてもよいからここで披露される話はよく読んどけってことですね
11人間七七四年:2009/02/15(日) 11:35:50 ID:ibhPEGG/
いい話(松山城風流歌合戦)の難波田憲重のかわいそうな話

天文14年、上杉朝定は北条綱成の守る河越城を8万とも言われる大軍で包囲するが、翌年4月の
北条氏康の奇襲戦で敗北。扇谷上杉朝定は討ち死にし扇谷上杉氏は滅亡した。

朝定の重臣の難波田憲重も奮戦するが、誤って古井戸に転落し凄惨な討ち死にを遂げたという。
12人間七七四年:2009/02/15(日) 11:44:20 ID:ibhPEGG/
往生際の悪い(?)話

本能寺の変において、織田信忠は二条御所に立て篭もって明智の大軍と戦った。
しかし、いかんせん多勢に無勢であったので、信忠は自害することにした。
信忠は、「切腹したら、縁の板を引きはがし、遺体を床下へ入れて隠せ」と言い、介錯は鎌田新介に命じた。
そして、信忠は切腹し、鎌田新介が首を打ち落とした。

ところが、信忠を介錯した鎌田新介は切腹せず、井戸の中に飛び込み約3メートルほど下の積み石が抜けた所に這い入って身を隠し、夜半になってから忍び出たという。
(明智軍記)
13人間七七四年:2009/02/15(日) 12:14:47 ID:qHOeFX9y
文禄三年(1594)に内藤如安は明国と和平交渉を行った。
その時、明側がかつて日本国王と認めた足利義満に与えた金印はどうなったかと尋ねると…

「日本国王と称する姓は源姓、平姓、橘姓、秦姓などたくさんある。
十六年前に信長が殺した国王は秦姓の末裔だ。金印がどうなったかは聞いていない。」

また他にも
「国王とは帝のことだ。」
「信長は国王を殺したので明智光秀に殺された。」
などと証言した。

…なんという嘘八百。
14人間七七四年:2009/02/15(日) 13:26:11 ID:qHOeFX9y
ちなみに如安はかつて足利義昭に与して信長に所領を奪われた。
だから信長を憎んで極悪人にした…のかもしれない。
15人間七七四年:2009/02/15(日) 13:28:38 ID:Eu0Q92Dn
まあこの手の外交交渉は、細かい歴史的経緯よりも、つじつまさえ合えば
双方それでよかったんだと思うよ・
16人間七七四年:2009/02/15(日) 13:31:35 ID:W2rOXycU
>>14
もしかしたらラスボスの指示もあったのかもね。
もし信長を怨んでいたとしても公式の場で嘘ついて信長の評判を落とすような発言なんて出来ないと思う。
17人間七七四年:2009/02/15(日) 13:31:47 ID:So4TMHvo
明朝も日本国内の細かい経緯なんてどうでも良いだろうしねえ・・・
説明さえつけばそれで良いみたいな。まさに役所。
18人間七七四年:2009/02/15(日) 14:38:12 ID:g0AbbfWk
でも如安って、丹波に領土を持っていて明智光秀に城落とされて追放されて
義昭のもとに逃げたとかなかったか?

直接戦った明智への恨みはなかったんだろうか?
19人間七七四年:2009/02/15(日) 14:40:15 ID:Eu0Q92Dn
>>18
信長の命令に従っているに過ぎない、「部将」明智光秀の行動を恨むのは筋違いでしょ。
20人間七七四年:2009/02/15(日) 15:04:39 ID:9SCrf3Qe
秀吉は信長の法要を三回でやめたんだけど
それに対して特に非難の声は挙がってないし
信長を強く追慕する逸話もあんまり見たことがないので
案外、忘れられるのは早かったんでは?
で、話の踏み台なんかに使われたと。
現代の補強バリバリの信長像からすると違和感あるけどね
21人間七七四年:2009/02/15(日) 15:10:12 ID:Eu0Q92Dn
後年までノブナガノブナガ言ってたのは前田利家くらいだね。

実際豊臣期も徳川期も、信長は人気がないというか、冷酷な人物として
描かれているし、彼を慕うと言うような意味での人気は、なかったんだろうね。
22人間七七四年:2009/02/15(日) 15:22:42 ID:GmM0bh85
堀久太郎なんかは織田家の凋落を愚痴ってたが、もう守る力もなく・・・
準一門蒲生氏郷は完全に死に場所を見失った感じさえする
あと、織田を忘れきれなかった人はだれだろうね
23人間七七四年:2009/02/15(日) 15:23:22 ID:Yt2+3YeM
というか信長を慕うだけの近しい人物あまりいなくね…?

信長の古参で、かつ取り立てられたり重用されたといえば、
柴田丹羽滝川池田堀とか、あと森も、みんな早い段階で死んでるし
残ってるのは蒲生前田か

陪臣クラスじゃそこまで忠心もないだろうし
何より秀吉の目があってもそれを口にする程の奴は更に少ないだろ
24人間七七四年:2009/02/15(日) 15:30:33 ID:UOXeRu/r
家康も晩年武田信玄の話をするのは好きだったけど、信長の話はほとんどしなかったらしいね。
やっぱ信康の件なのかな?
25人間七七四年:2009/02/15(日) 15:38:32 ID:Eu0Q92Dn
信長って、教訓にならないんだよね。

色々調べてみると、優秀な人物である事は勿論確かなんだけど、ただ、飛びぬけて
優秀と言うわけじゃなくて、彼の天下盗りはとにかく、運の要素がめちゃめちゃ大きい。
「運」を語り伝えるって言うのは、不可能に近いでしょ。無論伝承なんて出来ない。

信玄はものすごく合理的で、こうすればこうなるって言うのが誰にでも納得できる。
彼の拡大に不合理な点はほとんど無い。

対して信長は理不尽なのよw どう考えでも、信長はこれでもう駄目だって時に、奇跡みたいな事が
次々起こる。
あんなのを他人が真似しようとすれば絶対失敗する。
家康みたいな人間からすれば、そう考えるだろうね。
26人間七七四年:2009/02/15(日) 15:39:22 ID:+tGLLaqb
そういうのはこのスレはいらないね、うん
27人間七七四年:2009/02/15(日) 15:58:20 ID:kJa1K9xv
内藤如安は信長に追われるころから
バリバリのキリシタン、家臣もキリシタンが多くて
十字架の旗指物を皆さしてた。

当時の武将できちんとまともな漢文をかける者は皆無だったから、
李朝、明からは、日本の武家の手紙は、下手くそで意味が通らないと馬鹿にされていた。
(公家や坊さんは、マニアックな漢文もかけたけど。)
小西行長から明との交渉役として、珍しく立派な漢文をかけた内藤如安が
北京に派遣されたけど、明の皇帝陛下にお目見えしたとかできなかったとか
定かではない。
が、日本以上に行儀作法、仕来たり、慣習がやたらやかましくて閉口した。
28人間七七四年:2009/02/15(日) 16:13:45 ID:Yt2+3YeM
>>25
そうか?
信長って非常に慎重で合理性を重んじる方だと思うが…

運っていうなら家康が天下取れたのはまさに運だし
29人間七七四年:2009/02/15(日) 16:48:33 ID:9JMDNhDo
荒らしたい流れに持っていこうとするような
馬鹿なレスはもういらん
30人間七七四年:2009/02/15(日) 16:54:31 ID:GPl7VDMv
前スレ975
秀吉の鬼武蔵評。長久手での戦死の報を受けて。
「池田と森はワシにとって目の上のたんこぶだったが、長久手で戦死してくれたのはこの秀吉が天下を取るべき吉兆。
 モチ糊にも竿にもひっかからぬ者は忌まわしい。まことに花も実もある大将ではあったが、これで3年の間は長袴じゃな」

ラスボス的に鬼武蔵は天下獲りの障害らしいです。
因み鬼武蔵は家康を破った暁には駿河、遠州を要求してます。
31人間七七四年:2009/02/15(日) 16:57:41 ID:V37ijjMl
つか尾張譜代家臣が誰なのかくらい調べりゃわかるって話
譜代を除けば光秀秀吉以外大国貰った家臣はいない
それが信長のやり方
32人間七七四年:2009/02/15(日) 16:59:45 ID:Eu0Q92Dn
スマンカッタ。空気を換えよう。


前田利常がある時、藤原定家の掛け物を手に入れた。
手に入れれば、自慢したくなるのが人情と言うもの。
そこで利常はかねてより親交のある小堀遠州にこの掛け物を見てもらおうと、
彼を茶に招いた。

さて、茶席に入った遠州は、かの掛け物をじっと眺めたものの、そのまま何も言わなかった。
利常も、遠州が黙っているのに、主人の方から「この掛け物はいかがですか?」と聞くわけにもいかず、
気詰まりの重い空気のまま、その茶会はお開きとなった。

後日、前田家の使者が遠州の元を訪ねて来た。
「われらの主人があなたを茶にお招きした意図はお分かりのはずです。
あの定家はいかがなものでありましょうか?」

これに遠州は
「いやはや、いかがかと言われますが、自分が書いたものを自分で批評は出来ません。」

なんと、その掛け物は遠州が書いた定家様の書が、いつの間にか本物の定家として
表具されたものであったのだ。
前田家の使者は赤面して退散したと言う。

前田利常の恥ずかしい話。
33人間七七四年:2009/02/15(日) 17:01:51 ID:F5xzca5r
これはかっこ悪いw
逆に小堀さん凄い話なのかもしれないが。
34人間七七四年:2009/02/15(日) 17:12:02 ID:W2rOXycU
>>31
つ滝川、荒木、筒井、
35人間七七四年:2009/02/15(日) 17:25:34 ID:vMhNrG0P
>>30
dクス
36人間七七四年:2009/02/15(日) 17:31:09 ID:V37ijjMl
滝川の名字は信秀の頃からよく出る名前
切腹したり追放されたりしているが一益との繋がりが不明なだけ
筒井荒木は元は大名格、他の一般織田家臣とは違う
まあスレチ すまぬ
37人間七七四年:2009/02/15(日) 17:46:51 ID:Yu3QSBED
>>36
うん、そう思ったんなら>>29を見てから半年ROMっててほしいな
38人間七七四年:2009/02/15(日) 17:49:27 ID:fsSQFCrk
>>27
なんでそんなに行儀作法にうるさい明で愛州移香斎はあんなんできたんだろ?
39人間七七四年:2009/02/15(日) 17:52:15 ID:T0Laziwt
この流れは、そろそろ百段さんをお招きした方がいいのか?
40人間七七四年:2009/02/15(日) 18:07:44 ID:Yt2+3YeM
流れ変えようとするのは分かるけど、
上から目線で仕切るのやめてくれ
逆効果だ
41人間七七四年:2009/02/15(日) 18:11:38 ID:Eu0Q92Dn
まあ、前スレで荒らしが来たりしたからピリピリするのもわからなくもないが、
今の所そう言う状況じゃないし、みんなリラックスしようや。
42人間七七四年:2009/02/15(日) 18:54:16 ID:1P8lpUje
>>12
織田有楽「主君に殉じないとは不届きな輩め!」
43人間七七四年:2009/02/15(日) 19:00:39 ID:mkIq+V1U
前田玄以・水野忠重「俺らって有楽さんが風除けになって話題にならないよね」
44人間七七四年:2009/02/15(日) 19:21:42 ID:RPmtH6ct
.    / ,             ヽ
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|
   l:,;'"`'、,    . ,;ィェ、..   ,rェ;〈
.   ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン  .., .:::'''"゙,
    l;゙、',.::l;;;i      r   ヽ.   l,
    l;;;;`‐;;;;;ヽ   . './'ー'''ー‐' ',  l;;;,,
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ  ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
↑この人って結局どっちが本物でもエロい人であることは変わらんのね。
45人間七七四年:2009/02/15(日) 19:38:14 ID:vnXk1NIG
良いAAとかあったら森長可もブーム来そうなのに惜しいな
46人間七七四年:2009/02/15(日) 19:40:38 ID:+tGLLaqb
しつごいぐらいこのスレでブームだから
気にするなよ
47人間七七四年:2009/02/15(日) 19:43:24 ID:Eu0Q92Dn
あのキャラクターの鬼武蔵は、ほぼ、このスレ発信と言っていいからなあw

今後小説とかで、ああいう傍若無人キャラの森長可が出てきたら、このスレの影響だと
考えて間違いないかとw
48人間七七四年:2009/02/15(日) 19:46:45 ID:mkIq+V1U
>>44
幼女か男色かで差が出る。
49人間七七四年:2009/02/15(日) 20:33:07 ID:EnIXeBPT
>>48
どっちでも変態には変わりなかろう
50人間七七四年:2009/02/15(日) 20:51:48 ID:Eu0Q92Dn
当時の男色はノーマル。むしろ嗜まない方が変態。

そんな時代のお話

ある男が美しい若衆を見かけ、「キミは織田信忠公の小姓で、美貌で有名だった
佐治新太に良く似ている。」などと言って誘惑するが、若衆はこの男を嫌い
「私は守護不入だよ」とけんもほろろな態度。
それを憎らしく思った男は

「なあに守護不入の土地でも、時々ふひょう(歩兵、放屁とかけている)が出るであろうよ」

と、悪口を言ったとか。
51人間七七四年:2009/02/15(日) 20:59:10 ID:v5cASBnw
光栄の決戦3ではストーリーが進行して可成が死ぬと蘭丸が、
蘭丸が死ぬと長可が登場するが
能力をそのまま引き継いでるので長可も「知将」タイプなのがものすごい違和感がある。
52人間七七四年:2009/02/15(日) 21:03:46 ID:rOO8uqVf
水原親憲の話はまとめにあるがオチが無かったんで詳細

大坂夏の陣の後、上杉家の将帥に対して家康が感状を渡す事になった
実はこれ、上杉家の主従の絆に割り込む無礼な行為
正式には景勝に感状と目録を下賜し、景勝から臣下に下賜すべきなのである
これに対して水原は貰った感状をその場で開く事で意趣返しをした
これまた無礼な行為なのである
本多正信を始め咎めようとした者もあったが家康は笑って許した
さらに、水原は主君景勝を無視した内容であったら破り捨てるつもりであったと伝わっている
そして退出後、「子供の石合戦如き戦で感状とは」と言ったのである(『常山紀談』)

で、これだと何が悪い話かわからない
実はこの感状‘杉原親憲’宛だった
読みはどちらも‘すいばら’だから間違えられたのである
将軍から頂いた感状の名前が間違っているなどと言えるはずもなく
しかたなく水原親憲は杉原親憲に改名した
周囲に訪ねられると「ああ、夏の陣に参戦する前に改名したのよ」と言い続けたと言う

家康晩年の(記憶の)悪い話

人の名前って間違うと色々気まずくなるよね
53人間七七四年:2009/02/15(日) 21:14:39 ID:22qNby3M
昔の書状って当て字が多いって聞くけど
感状はしっかり字があってないとだめだったのかね
54人間七七四年:2009/02/15(日) 21:53:48 ID:w0fppN6/
>>31
筒井、荒木、松永、滝川、宇喜多は?
55人間七七四年:2009/02/15(日) 21:54:41 ID:w0fppN6/
http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/index.htm
森一族専門サイト RANMARU!
56人間七七四年:2009/02/15(日) 21:56:31 ID:kJa1K9xv
>>32

高山右近が主君、前田家各当主の茶道の趣を尋ねられた。

前田利家 婆娑羅
  利長 わび茶
  利常 大名茶

と評したと加賀乙彦「高山右近」より。

利常の小堀遠州に習ったはでやかさに批判的だったのかもね。
前田利家の婆娑羅は、この場合どんな意味かいな?
57人間七七四年:2009/02/15(日) 22:07:35 ID:97d8slr1
>>56よく言えば自由奔放ってとこですかね?ほめてるともバカにしてるとも取れる。
基本、数寄者って気難しいよね。

十五夜のある夜、細川幽斎と蒲生氏郷が利休の茶会に招かれた。名月を存分に観賞し、
茶も済んだところで氏郷が利休に申し出た。

「宗匠は、関白殿下から『千鳥の香炉』を預かっておられるとか。ぜひ見せていただきたい
ものですな!」

利休は断ったものの、氏郷の再三の求めに断りきれず、香炉を一同の前に持ってきた。
不機嫌な顔で香炉を取り出した利休は、中の灰をブチまけるとその上に香炉を投げ出した。

日ごろ礼儀正しい利休の思わぬ行動に氏郷が驚いていると、幽斎が手を打って言った。
「ああ!『清見潟』の歌、ですな!!」
「いかにも。」 機嫌の直った利休が、ニコリと笑って答えた。

清見潟 雲も迷わぬ 浪の上に 月の隈なる 群千鳥かな (順徳院御百首)

(今宵は雲さえも、清見潟の波間に映る月を隠すまいと出ていないのに、その月に
影を差す千鳥の群れの、無粋なことよ。)

満月と茶の湯で今夜の興は尽きている。なぜ、また香炉の拝見など所望するのか?
月に影を作る『千鳥』の無粋さと、『千鳥』の香炉を見たがる氏郷の無粋さを掛けたのだ。

その後、歌の話で盛り上がる利休と幽斎を前に、氏郷はうつむくばかりだった。
58人間七七四年:2009/02/15(日) 22:08:18 ID:97d8slr1
氏郷(この間は、幽斎様に助けられた…友達の父親だし、仲良くしておいた方がいいよな。
…そうだ!幽斎様も、茶道具の蒐集で知られているじゃないか!)

「幽斎様は、細川家伝来の道具を数々お持ちとか…」
「いかにも。」

「よろしければ、それがしにも拝見させてはもらえませぬか?」
「いや、何も問題はありません。お若い方には、勉強にもなるでしょう。」
(やった!これを機に、歌とかも習っちゃおう!!)


約束の日に幽斎邸を訪れ、案内された部屋に入った氏郷は、驚いた。

妖気立つような刀、禍々しく光る槍、古めかしい甲冑などが所狭しと並んでいたからだ。

「あ、あの…幽斎様、これは…?」
「おお、来られたか蒲生殿! まあ、ゆっくり見て行って下され。」

「い、いや…それがしが見たいと言ったのは、茶道具のつもりですが…」

「これはしたり!『道具』が見たいとおっしゃるゆえ、我ら侍の『道具』、武具を用意したと
申すに…茶道具なら茶道具と、最初から言わっしゃい。」 マッタクチカゴロノワカモノハ…

氏郷、またしてもうつむくしか無かった。
59人間七七四年:2009/02/15(日) 23:06:27 ID:Yt2+3YeM
流石の氏郷も数寄者には弱かったかw
60人間七七四年:2009/02/15(日) 23:21:42 ID:kJa1K9xv
この2つの挿話は、逆に利休と藤孝行のみみっちさ、
知的デイレッタントのイヤラシサを物がったておるわいな。

素直な、氏郷のごとくあらまほし。
61人間七七四年:2009/02/15(日) 23:31:59 ID:cGJhnHid
>>57
利休は相手が無粋とはいえ意趣返しの仕方が穏やかじゃないなあ。
頑固でストレートな物言いをしたと言われるが
こういう相手に屈辱を与えるようなやり方から、かんしゃく持ちなのかもしれない。
62人間七七四年:2009/02/16(月) 00:04:34 ID:gS0P5Ryx
利休には、そういう頑なで嫌みを感じるようなエピソードは結構ある
だから腹を切るところまでいっちゃったんだろう
63人間七七四年:2009/02/16(月) 00:09:57 ID:pTzI0ElK
若いもんが氏郷ちゃんじゃなくって、長可ちゃんだった場合。

1・無粋な千鳥は、こうしちゃいましょう!エイ、千鳥をぶった切る。

2・素敵な道具、う〜んそそられるものばっかし、じいちゃん、
この中で好きな刀とやりで、勝負勝負!
とあっさりぶった切る。
64人間七七四年:2009/02/16(月) 00:14:16 ID:DlZTvavu
はてさて鬼武蔵で幽斎さんに勝てるかなー
65人間七七四年:2009/02/16(月) 00:18:19 ID:zkAuLpd7
そんな逸話があればいいなと思ったが残念ながら無いようだ
66人間七七四年:2009/02/16(月) 00:27:54 ID:NFeyfWrK
>>58
三斎「武家の茶の湯」の元ネタはこれか…?

>>64
槍を振るおうとしたらがっちり組み止められそうだからな
素手の体術というか腕力的に……
67人間七七四年:2009/02/16(月) 00:43:48 ID:zkAuLpd7
森家SPの高木右馬助ともガチでやりあえそうだな、幽斎は。
68sage:2009/02/16(月) 00:50:14 ID:xuprqIqf
細川藤孝は武勇115はある
69人間七七四年:2009/02/16(月) 00:54:11 ID:nByulRnO
幽斎はインテリガチムチ系だからな
70人間七七四年:2009/02/16(月) 00:59:42 ID:WYt5zvTa
幽斎なら普通ににやにやしながら生暖かく見守ってると思う。
71人間七七四年:2009/02/16(月) 01:09:35 ID:AAYkJOJl
>>53
日記や手紙などの私的文書なら、当て字でかまわない。
しかし感状や宛行状などは公式文書なので、字が違うということは
人そのものが違うと看做されかねない。
現代でいえば、土地の登記簿の字が違っている、以上の話です。

このエピソードで言えば、将軍が感状を出したのは杉原親憲という人で、
水原親憲なんて人には感状を出していないよ、となりかねないんですね。
72人間七七四年:2009/02/16(月) 01:59:26 ID:z9gvCkZF
>>52
>「子供の石合戦如き戦で感状とは」
子供の頃解体工事現場で石合戦やったけど怖かった〜。
よくけが人がでなかったもんだ。つくづく子供は馬鹿だな。
73人間七七四年:2009/02/16(月) 02:28:33 ID:gS0P5Ryx
なんか砂みたいのを積み上げてるところが近所にあって、
その塊を砕いて、こぶし大にして投げ合ってたな
そしたら石が混じってたらしくて、おれの頭にがっつーんと・・
いや、石合戦危ないよ
74人間七七四年:2009/02/16(月) 02:31:58 ID:b5Fmkdi9
>>72
真田信繁の子どもの真田守信は、京で石合戦やって死んでいるってことにして
預かった伊達家は存在を隠しているんだから、石合戦は死人も出る危ない遊びだぞ。

投石部隊は武田家の主力部隊の一つだし。
75人間七七四年:2009/02/16(月) 02:37:40 ID:mfNOnYNb
幽斎の空気読み力は異常だからな
76人間七七四年:2009/02/16(月) 06:17:05 ID:S4xMyPnE
ある時細川忠興が、千利休にこう訪ねた。

「はばかりながら、利休殿、あなたが五百八十年の後お亡くなりになった時、
天下の茶の指南はどなたが勤めるのであろうか?」

「それは…、古田織部でしょうね。」

「しかし、あなたのご子息の道安殿も、古田殿に負けない一流の茶人ではありませんか?
何故道庵殿ではないのですか?」

それに利休は
「道安も良い茶人です。だが、天下の指南は出来ないでしょう。町人ですから。」


茶の世界も、「武家の茶」と「町人の茶」に分離し始めていた。そんな頃のお話。
(烈公間話)
77人間七七四年:2009/02/16(月) 09:21:42 ID:bqczMiEX
>>76

>五百八十年の後お亡くなり

単純に読むとすげえ長生きって思ったけど
昔はこういう言い回ししてたのですか
78人間七七四年:2009/02/16(月) 11:05:38 ID:IDX7tmEU
伏見城からまさかの敵前逃亡をやり
妻から三行半歌をもらった事で有名な木下勝俊。
(木下勝俊の妻・悪い話)
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-355.html
     
ある日の事、叔父さんでもある太閤殿下秀吉より
花に関する歌を作ってみろと言われた
よっしゃと奮起した勝俊、一晩で何と五十首も作ってしまった。
それだけでも尋常ではないが
しかもその中の一つにこんな歌があった。

月の比夜はすがらにわぎも子が手枕かれて花をみるかな
(月がキレイな頃は妻の手枕から離れて夜通しで花を眺めるんだよなぁ)

花>妻だろと言い切ったこの歌を読むと
三行半も当然と納得できる、勝俊のちょっと悪い話。
79人間七七四年:2009/02/16(月) 11:56:39 ID:6ATR2qsf
木下勝俊といえば最近こいつが天下人になってしまう仮想戦記なんてのもあったが…

ところでこいつ幽斎の縁続きって説もあったんだな
なんとなく雰囲気的には納得しやすい気もするが
http://www4.ocn.ne.jp/~kouyouan/kinosita-no-nazo.htm
80人間七七四年:2009/02/16(月) 13:10:48 ID:bqczMiEX
最初に言っておくね!ソースは陰徳太平記


小早川家を継いだばかりの隆景が
元就パパと元春兄ちゃんと一緒に大内義隆のお屋敷を訪ねた時のこと
隆景の美少年ぶりに一目ぼれの義隆さま

「又四郎隆景は、容姿甚だ美なりしかば、義隆卿男色の寵愛浅からずして」
あの、元春もいるのですが・・・

後年、隆景の養子となった隆景の弟、元総が吉川経言と一緒に
大坂城へ人質に行った時のこと
元総の美男ぶりにさすがのラスボスも

「男色美麗なるに依って、秀吉公耽る心在しける故」
元総超お気に入りで名前も秀包と改名させるほど
しばらく手元から離さなかった
一方の経言は一日で「帰っていいよ」

元春・・・広家・・・
81人間七七四年:2009/02/16(月) 13:29:04 ID:P7jjp42Z
>>80
元春を無視された元就パパは…

隆景だけではなく元春も"寝所"に差し出したのは大内家が武運長久栄える様にとの意味を込めたのに、
御館様は隆景のみをはべらして元春を返してしまった

これでは大内家は花の様に栄えるでしょうが、その期間は短くなることでしょう


と、いったかどうかはさだかではないw
82人間七七四年:2009/02/16(月) 13:36:01 ID:S4xMyPnE
小さな国人出身から大きくなったので、下克上のように言われがちだけど、
毛利氏は奈良朝以来の学問の名門、大江氏の子孫だからね。秀吉は勿論
大内氏なんかよりもよほど家柄は良い。
83人間七七四年:2009/02/16(月) 13:48:00 ID:W+BvMcY6
>>80
ttp://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080702/1214968900
[黒田家譜]
秀吉おもへらく、元春天性気あらくして物をやぶり、人情に背くべき士なり。
然ればたとひ人質を出すとも、それに拘らずして我が人質も、隆景が人質をも、共に捨て約を変ずる事あるべし。
若しわが人質を出さずば、隆景が人質ばかりを捨させて、わが人質ださぬとて約を変ずる事は、
諸人の思ふ処をかへりみて、左は成がたしとおもひはかり給ひ、
隆景一人の人質にてよしとて、元春の人質をばかへし給ふとぞ。

本当のところはわかりませんが
84人間七七四年:2009/02/16(月) 13:48:15 ID:AoyCCaK1
>>80-81
元春は陶のアニキとオッスオッスで名馬と刀を交換しあい、一説には義兄弟の契りを結んだとも言われている
「貴方と会えて嬉しかったです。何かあった時は(謀叛起こす時は)よろしく」
という手紙を陶のアニキから個別に貰う程、親密であった
大名とその重臣の両面作戦に出るとは汚いなさすが元就きたない
85人間七七四年:2009/02/16(月) 14:10:08 ID:W+BvMcY6
確か陶は毛利が陶と決別したとき
「悪逆」「猛悪無道」とか言って怒ってたな

あとうろ覚えだけど陶は元春にだけ内通するように手紙を書いていたような
毛利の居城が尼子に包囲されたとき山口で人質中の隆元が
元就が降伏できるように自害しようとしたのをとめて
援軍の総大将になったのも陶だったような気がする
86人間七七四年:2009/02/16(月) 14:46:04 ID:xuprqIqf
森長可が娘に
『武士に嫁ぐな』と言った件
87人間七七四年:2009/02/16(月) 15:03:28 ID:F4m+JBxa
>>86
娘を武士に嫁がしたら、いつか自分が斬ることになるのを分かってたのだろう。

・・・おや?階段を駆け上がる馬蹄の音が(ry
88人間七七四年:2009/02/16(月) 15:08:42 ID:/P4G3XUo
>78三行半突きつけた妻は鬼武蔵の実の妹
三行半突きつけて弟(忠政)のとこに身を寄せた
89人間七七四年:2009/02/16(月) 15:09:05 ID:bqczMiEX
直家「娘がおるのに武士に嫁がせぬとはもったいない」
90人間七七四年:2009/02/16(月) 15:12:14 ID:S4xMyPnE
>>89
お前は娘に何か恨みでもあるのかとw
91人間七七四年:2009/02/16(月) 17:19:58 ID:bqczMiEX
お兄ちゃんのお土産

毛利元就の長男、隆元が15歳で大内へ人質へ行き帰って来た時の話

因みに
隆元(18歳)
元春(11歳)
隆景(8歳)

隆元「ただいま!お兄ちゃんだよ」

そう言ったかどうか分からないが、隆元お兄ちゃんが帰って
来たというのに弟たちは妙によそよそしい
突然お兄ちゃん、と言われ戸惑う両川(まだ毛利だけど)

そこで隆元は大内からのお土産を弟たちに渡した

隆元「ほら、お土産だよ!」
元春「・・・・・」
隆景「?????」
隆元が弟たちに渡したお土産

山口名物フグちょうちん

このお土産のセンスに両川キョトン
大内だったらもっといい土産が無かったのか隆元
92人間七七四年:2009/02/16(月) 17:31:02 ID:AoyCCaK1
…鬼武蔵さん、出番っすよ
ちゃちゃっと空気変えてくだせえ
93人間七七四年:2009/02/16(月) 17:53:56 ID:r5a+4xX/
歴史初心者でよく知らんかったんだが、隆元と隆景の年の差10もあったんかー
何故よそよそしかったんだろ?雰囲気的なものかな

フグちょうちんぐぐってみたw
かわいいけど確かにもらったらきょとんとするわw
94人間七七四年:2009/02/16(月) 17:56:29 ID:S4xMyPnE
つーか、こんな時代からフクちょうちんがあった事にびっくりだ。未だに名物だぞw
あ、ちなみに現在山口県では、「フグ」ではなく、「フク」提灯。
95人間七七四年:2009/02/16(月) 18:12:14 ID:f0k8xfDK
>>91
このスレで言うのは野暮かもしれんけど出典教えてくれ
ぐぐったけどこれに該当するのが書いてあったのは何か変な対談サイトだけだった
そのページにも出典はなかった
96人間七七四年:2009/02/16(月) 18:37:13 ID:PQcPB65s
>>91
あ、元就さん家って上3人はうちと同じくらいの歳の差なんだなあ。
3月に帰省するし、したら「ただいま!お兄ちゃんだよ」って言ってみよう
97人間七七四年:2009/02/16(月) 18:55:18 ID:z9gvCkZF
>>96
手ぶらじゃだよ
土産なにすんだよwww
98人間七七四年:2009/02/16(月) 19:38:28 ID:xwX8Tcv9
>>77
>五百八十年の後お亡くなり
確か、五百八十年生きた神様がいたような…。
それを踏まえての発言じゃないかな?
99人間七七四年:2009/02/16(月) 19:43:36 ID:3z3vi+mV
意外と面白そうな話みたい>五百八十年
ttp://ueda.ctv-blog.jp/u/taroyama/archives/0000006436.html
100人間七七四年:2009/02/16(月) 20:07:11 ID:S4xMyPnE
>>99
>>76なるほど。理由のあるもんなんだなあやっぱ。
101人間七七四年:2009/02/16(月) 20:27:35 ID:PQcPB65s
>>97
うーん、今いるのは越中だからこれとかなら・・・
ttp://www.rakuten.co.jp/kawachiya/301074/424832/
102人間七七四年:2009/02/16(月) 21:00:58 ID:xbMjNnH9
ドンドンドン!
隆景 「誰だ?」
隆元「あんちゃんだよ。お前のあんちゃんだよ」
隆景 「ほんとに俺のあんちゃんか?」
隆元「ほんとにあんちゃんだよ」
隆景 「それじゃあ、俺の質問に答えてみろ。弟にあげるお土産は?」
隆元「ふく提灯」
隆景 「やっぱり、あんちゃんだ!」
103人間七七四年:2009/02/16(月) 21:20:18 ID:hIhua4+G
出来そこないの吸血鬼乙
104人間七七四年:2009/02/16(月) 21:28:02 ID:epm/1pDz
>>102
ワロタw

長男の毛利隆元誕生が1523年
九男の毛利秀包誕生が1567年
その差は実に44年!
元就パネェ
105人間七七四年:2009/02/16(月) 21:28:16 ID:9wBySHSe
一木三銘

寛永元年、長崎にベトナムからの交易船が着いた
それを聞き、細川忠興は茶事に使う珍しい品を買ってくるよう命じて家臣二名を派遣した
家臣の名を興津弥五右衛門と横田清兵衛と言った

長崎に着いて物色したところ、非常に秀でた伽羅の香木が運良く見つかった
それは、本木(木の幹の部分)と末木(梢の部分)の部分に別れていた
ちょうど同じ頃、伊達政宗の家臣も派遣されて鉢合わせしてしまい、
細川家と伊達家の意地の張り合いのように、値段の吊り上げ勝負となった

横田は
「香木なんて手慰み物に過ぎないし、伊達家に譲って末木でいいじゃん。」
と言うが、興津は
「主人が『珍しい物買ってこい』っつったんだから本木しかありえねーだろJK。
 みすみす伊達家に渡してDQN増長させるわけにはいかねえよ。」
と譲らない
しだいに口論はエスカレートし、ついに横田が興津に脇差を抜いて投げつけるも
興津はそれをかわして横田を斬り殺してしまった

その後、興津はどうやってか見事本木のほうを手に入れ、伊達家家臣は末木を持ち帰った
国許に帰った興津は
「主命とはいえ、本来お家に役立つべき侍を殺してしまいました。
 切腹をお申し付けください。」
と忠興に言った

この言葉に感じ入った忠興は
「お前の言い分は一々もっともである。
 俺が珍しい物を買って来いと言ったんだから一番いいものを買ってくるのは当然だ。
 功利だけで物を見るなら世の中に尊いものなどなくなってしまう。」
と逆に興津を褒めた
さらに、斬り殺された横田の息子を城に呼び出して酒宴を催して興津家と横田家の間に
遺恨を残さぬよう手打ち(手討ちではない)とした
興津はこのことを終生恩に感じ、のちの忠興の死後一周忌の命日に殉死した

この話は後の世に森鴎外が興津の残した文書を元に『興津弥五右衛門の遺書』
という名で小説化している

さて、興津が買ってきた香木は忠興により『初音』と名付けられた
後に天皇に一部献上し、そちらは『白菊』と名付けられた
そして伊達家が持ち帰ったほうは『柴舟』と名付けられた

一本の木から三つの銘がつけられたため、この話は『一木三銘』と伝えられた
(一説によると前田家が絡んで『一木四銘』とも)


いい話なのかもしれんが、やけに血生臭いのでこちらに書くことにする
反省はしていない
106人間七七四年:2009/02/16(月) 22:16:58 ID:3z3vi+mV
これだな>興津弥五右衛門の遺書
ttp://www.eonet.ne.jp/~log-inn/mori/okitu.htm
107人間七七四年:2009/02/16(月) 22:35:31 ID:6qaiDdmM
朝鮮の王宮で見つけた王義之の教経を話と2つに割いて山分けした話といい、
忠興と政宗は(政宗が深酒で忠興の屋敷に昼まで宿酔するくらい)同好の士な
せいか、嗜好品の収集時に競合してしまうみたいだな。

王義之の教経の件は既出だけど軽く触れただけなので、ちゃんと話に
纏めたい。史実なのは確かっぽいので良い出展は無いものか。
108人間七七四年:2009/02/16(月) 23:06:31 ID:pTzI0ElK
森鴎外ならこれも

http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/686_23251.html

20数年前に、抜群に有能だが冷酷な家臣、佐橋甚五郎に出奔された家康が、その姿を
あろうことか朝鮮の外交使節の高官から見つけ出してしまう。

家康の抜群の記憶力、人を見る眼光の鋭さを物語ると同時に、人の心の
寒々とした暗黒を短編で軽くスケッチしてしまう

鴎外の筆も切れ味の鋭い刀のようである。

朝鮮からの外交官まで上り詰め、何食わぬ顔をして
やってくる佐橋の姿が浮かび上がる処は何とも不気味である。
109人間七七四年:2009/02/17(火) 00:14:28 ID:HZEj7cyK
和久宗是、政宗にキレる

秀吉の傍にあって、伊達政宗のロビイストのような事をしていた和久宗是。
彼は奥州仕置きで政宗が疑惑を受けた時、密かに書状を出し京の状況を伝え、
現状の危険性を訴えた。その中に言う


「いいですか!?今度の事はあなたのミスだ!
仕置きのため奥州に出陣してから、一度も上方に人をよこさないとは何事ですか!

ちゃんと事細かに注進していれば、不穏な噂が流れても、殿下だって信用なさらないだろうから、
御前であなたの事を悪く言う人だっていなくなるんですよ!

もう何度も言うけど、人をよこさなかったのは本当に酷いミスだ。
あなたがそちらで、どれだけがんばっても、連絡がなければその努力は水の泡になるんですよ!

奥州と上方は遠く離れているんだから、もし殿下が讒言を真に受けて、ご機嫌を悪くしたら
それこそ取り返しの付かない事になる。
一大事なんだから、何かあれば一々注進することが肝心ですよ!

運の良いことに今、殿下はご機嫌がいい。今がチャンスです。弁明のためすぐに上洛してください。
その上洛に関してはご進物を整えたりする必要はありません。
『大崎表で変な噂立てられたんで、釈明しに来ました。』
って言えばいいんです。それが何よりの進物です。
たとえ金銀を山ほど積んでも、上洛が遅れれば万事休すですよ。

もうね、お供とかもいらない。一人でいいからとりあえずさっさと上洛してください。
進物なんてコッチで何とかしてくれる人もいるでしょ?そう言うの心配しなくていいから。

とにかく早く出てくるように!」


どうも政宗と言う人は、若い頃から不思議と、周りに熱心に心配してくれる人が現れる。
そう言う生まれつきらしい。
110人間七七四年:2009/02/17(火) 00:15:04 ID:J6QmiC8c
>>108
リンク先、括弧書きの振仮名が目障り
半分であきらめた。
貴殿のせいではないのだが
111人間七七四年:2009/02/17(火) 01:04:48 ID:h8gKebxZ
>>83
>秀吉おもへらく、元春天性気あらくして物をやぶり、人情に背くべき士なり。
秀吉そんなに元春が怖かったのか…
恐れる気持ちはわからんでもないが
112人間七七四年:2009/02/17(火) 01:09:57 ID:rNFCiQH0
>>110
テキストビューア使うと読みやすいよ
113人間七七四年:2009/02/17(火) 02:46:46 ID:WSjoQAfU
>>110
(.*)で置換しようとしたがサクラエディタだと上手くいかなかった。
OpenOfficeで正規表現ONだと(.*)で振り仮名部分だけ消せたけど、難しいなぁ・・・
114人間七七四年:2009/02/17(火) 09:51:11 ID:RrVfE8OM
>>111
秀吉がゾーマで元春が神龍…と?
115人間七七四年:2009/02/17(火) 11:30:43 ID:HZEj7cyK
天正四年の正月の事である。北畠具教、具房親子は、年頭の挨拶のため、譜代の老臣
鳥屋尾石見守を使者として、岐阜城へと遣わした。

ところが信長はこの使者を待たせたまま対面しようとしない。鳥屋尾は怒って帰ろうとしたが
それを聞いた信長は人を遣わして鳥屋尾を連れ戻した。

しかし信長は戻ってきた鳥屋尾に対し、庭の白洲に進物の品を置かせたまま、
自分は縁側に立って刀を抜き放ち、それを振るいながら鳥屋尾を睨み付けた。

鳥屋尾はこの信長の態度を見て、信長が北畠を滅ぼそうとしていると確信した、と言う。


信長、信雄による北畠一族の粛清が行われるのは、この年の11月25日の事であった。
116人間七七四年:2009/02/17(火) 12:40:43 ID:WxYzpXSm
>>103
最近の若いもんはヘルシングは知ってても全員集合は知らんのか…
世も末だな
117人間七七四年:2009/02/17(火) 12:44:06 ID:LNa3HgZO
いや、超ヒントじゃん。
何やすやすと潰されてんの北畠w
118人間七七四年:2009/02/17(火) 13:50:48 ID:K2EfIuT3
>>115
よくわからんのだが信長のこの行動は何を目的にしてやってんだろう?
119人間七七四年:2009/02/17(火) 14:38:27 ID:X3jsr7qd
>自分は縁側に立って刀を抜き放ち、それを振るいながら鳥屋尾を睨み付けた。

想像したらちょっと笑える絵図だ
客の前でぶんぶん刀を振って睨んでるってw
きっと信長は刀を振ってる自分に鳥屋尾さんのコメントが欲しかったんだよ
120人間七七四年:2009/02/17(火) 16:10:21 ID:SEF00P6p
>>113
ttp://site-clue.statice.jp/soft_smoopy.php
このソフト使えばいいよ。
縦書き表示で、漢字の隣にルビを表示する。
121人間七七四年:2009/02/17(火) 17:39:44 ID:FqmpF4K2
北畠氏落城後、残党の中に明智光秀に味方をした一団がいた。

三瀬の変の生き残りである、北畠具教の弟具親と大宮多気丸の一党である。
彼らは、山中に隠れ住み機会をねらっていたのだが、織田信長が本能寺へ入るという情報を得た
大宮多気丸、鳥屋尾内蔵助ら残党は、主君北畠具教を汚い謀略で暗殺した信長に怨みを晴らさん
と本能寺の近くに潜んでいた。

そこへ早馬が飛んできた。「信長、本能寺にて明智光秀に討たる!」
なんと、一足先に明智光秀によって信長親子は殺されたのである。
「一足遅かったか」と嘆いてはみたが、怨敵信長が討たれたことはめでたいことだと祝宴をあげた。
今後は明智光秀にお味方しようと、安土城にいる光秀の傘下に入ったという。

彼らはそれから11日後に、京都山崎の合戦にて全員討死した。
鳥屋尾内蔵助は鳥屋尾石見守の遺児であったという。

122人間七七四年:2009/02/17(火) 17:44:56 ID:HZEj7cyK
>>121
続きがあったのか!このスレはすごいな。
123人間七七四年:2009/02/17(火) 20:24:01 ID:YLkg7Z7z
>>121
内蔵助って名乗ると、平穏には死ねないのかね
124人間七七四年:2009/02/17(火) 21:54:30 ID:F3TkaB/Q
微妙にいいはなしじゃね?w
125人間七七四年:2009/02/17(火) 22:48:13 ID:R5jxE0dE
>>124
南朝遺臣としての武家の北畠家本流としてはその後も再興できなかった…

まったくの無駄死にw
126人間七七四年:2009/02/18(水) 00:09:03 ID:II4SXVZ5
幻の池

遠州七不思議のひとつに幻の池という話がある。
浜松の水窪に七年に一度秋になると出現し、満々と水をたたえるが、
数日の間に何処へとなく水が引いて、元のくぼみにもどってしまうのだ。
場所は亀ノ甲山標高(880m)の中腹付近、池の平(いけのだいら)。
時は戦国、長年この地を治めていた奥山家へ、
敵対する遠山家よりおかわ御前が嫁ぎ、
久頭合城主 奥山貞益の室となった。

しかし実家遠山家がおかわの嫁いだ奥山家に攻め込んだ。
夫は久落城寸前に
「子どもたちとともに必ずや逃げ延びてくれ」
とおかわと子供らを城から逃した。
127人間七七四年:2009/02/18(水) 00:12:00 ID:II4SXVZ5
しかし一才と三才の子連れのため、逃亡は困難を極めた。
逃げる途中水窪川という大きな川に差し掛かったが、
二人の子連れでは思うように渡れなかった。
おかわ御前はやむをえず一才の子を川に投げ、
三才の子を背に必死で池の平まで逃げた。

子連れではとても逃げ切れず、池の平近くで敵兵に追い付かれた。
身の危険を感じて草の中に隠れるおかわ御前。
ところが子どもが泣き出しため敵兵に見つかってしまった。
草を刀で払いながらせまられ、
とうとう草と一緒に母子ともに斬り殺されてしまった。
以来、この池の平にはおかわの無念の涙がたまるのだという。
128人間七七四年:2009/02/18(水) 01:28:38 ID:PG/rVQKn
北畠家は武家か?
129人間七七四年:2009/02/18(水) 01:36:06 ID:BXQecEqu
>>116
おはいりください ありがとう

なら、わかる。と>103が申しております。
130人間七七四年:2009/02/18(水) 02:21:05 ID:tWfEE0Ud
>>128
公家だけど、滅亡直前には武家といっても通用すると思ってそういう書き方をしてみた
131人間七七四年:2009/02/18(水) 09:41:29 ID:mPY8AKIR
>>127
おかわ御前が小松殿レベルの女性であれば・・・
かわいそうに
132人間七七四年:2009/02/18(水) 09:57:49 ID:YIGv5o14
>>131
>おかわ御前が(ry
>おかわいそうに

とよんで「>>131はハン板の駄洒落研スレ逝き」と早合点してしまった
自分が逝ってくる・・・
133人間七七四年:2009/02/18(水) 11:32:15 ID:g4VeEUcC
>>127
劉邦が項羽から逃走中に恵帝と魯元公主を捨てようとしたのを思い出した。
「子供なんてまた産めばいい、今は自分が生き残らなくては」ってことなんかね
134人間七七四年:2009/02/18(水) 11:50:28 ID:lOCVxQI6
稲葉一鉄のちょっと悪い話

美濃三人衆と言われる割に稲葉一鉄以外の織田家での活躍はあまり聞かない
当然といえば当然である
氏家卜全は長島攻めで早々に討死
安藤守就は後方支援が多かった上に武田勝頼との内応を疑われ一族揃って織田家を追放されていたのだから
その安藤守就のもとに本能寺の変が伝わる
生活支援してくれていた竹中重治(半兵衛、娘婿)も死んでおり気が焦ったのか、はたまた織田家が本気で憎かったのか、止められぬ野心に火が着いたのか
信長の死で混乱する美濃で息子と共に旧領回復の兵を挙げたのである
これに相対したのが当時織田家美濃衆筆頭だった稲葉一鉄
ところが一鉄は一鉄で独立しようと画策し旧美濃勢に檄を飛ばしたりしていた
結局、二人は相容れる事無く北方城で交戦に及び安藤守就は自決、一族は虜囚の身に
しかし一鉄にとっては単に一地方の問題で済まなかった
ここで日数を喰ったが為に美濃での地盤を固める前に秀吉が帰ってきてしまった
瓦解すると思われた織田家の組織的な逆襲が始まってしまったのだ
ちなみに
本能寺の変が6月2日
秀吉の姫路城帰着が6月7日
安藤守就自決が6月10日
秀吉の尼崎着陣が6月11日
山崎の戦いは6月13日
すると一鉄、腹いせか証拠隠滅の為か安藤守就の一族を火事場泥棒扱いして女子供を含めて皆殺しに
その後は独立の檄文も守就達不平分子の謀略と表向きは処理しつつ地盤固めの為に暗躍した
しかし秀吉の台頭がはっきりしてくると何食わぬ顔で織田家美濃衆筆頭として秀吉と合流
賤ヶ岳でも秀吉と共に戦っている
もしもキルヒア(ry、竹中重治が秀吉の側近として生きていたら…
歴史は違う方向に動いたかも知れない
135人間七七四年:2009/02/18(水) 12:07:35 ID:iKghjJ6g
西美濃で一鉄と安藤守就が激突、その後も一鉄暗躍
東美濃で鬼武蔵が無双

信孝テラカワイソス
136人間七七四年:2009/02/18(水) 15:12:35 ID:1wRciNKC
小瀬甫庵、鬼武蔵を語る

池田恒興、豊臣秀次、そして最後は加賀前田家に使え、信長記、甫庵太閤記を著した事でも有名な、
元祖「戦国小説作家」小瀬甫庵。

彼はその太閤記の中で、小牧長久手の前哨戦、八幡林の戦いに敗れた森長可について
こう評している。

「だいたい森武蔵なんて、この前に2、3度勝利した事があるって言っても、
弱い敵に対してばっかりなんだよねー。

父親の森可成は非常に武勇に優れていた人だったんだけど、
森武蔵は小さい頃から、その父親に良く似ていたのね。それで
「父親と良く似てるから同じように武勇も優れているだろう」
なんて言われちゃって、しまいには鬼武蔵なんて呼ばれ始めて、もう見てられない。

こんな風だから、家康の軍とまともに当たっちゃったんだけど、これって若さゆえの過ちだよね。
家康は長い事武田と戦ってきた戦争のベテランなんだから、武蔵もそれについて
きちんと警戒すべきだったんだよ。
羽黒で茂みに潜んでゲリラ戦を展開してさ、日暮れまで足を止めさせて、その上で
夜討ちをかければ、相手の軍のほうが多くたって、打ち悩ます事もできたはずだよ!

それをまあ小勢で、羽黒を離れて八幡林なんて所まで出張って陣を張るなんて、
不覚にもほどがあるよね。

それに何が悪いって、加勢につけられた尾藤甚右衛門尉!
あいつ自分の武勇に自信過剰で敵の事なんていっつも侮って、森武蔵とおんなじ性格じゃん!
意気投合して一緒になって出撃してどうするよ。
森武蔵がああなんだから、普通加勢には逆の性格の、慎重で冷静なタイプをつけるだろ。

あー、そう言う意味ではあの敗戦は、森の加勢に尾藤なんてつけた秀吉のミスだな。」


結果論のオンパレードは、「小説家」としてのご愛嬌w
自らの仕える前田家に関しては、これでもかと言うほど美化させた甫庵さんも、
利害関係のない人には厳しいのだ。
137人間七七四年:2009/02/18(水) 15:15:57 ID:/mSCbZSh
>>136
おーっとそこへ鬼武蔵の亡霊が!
138人間七七四年:2009/02/18(水) 15:22:53 ID:SarQ6VUL
では、歴史家の太田牛一はどう評価しているんだろう?
139人間七七四年:2009/02/18(水) 15:31:12 ID:1wRciNKC
>>138
森武蔵に対しての評論は知らないが、小瀬甫庵に関しては「あいつ馬鹿だから」って言ってるw
>大田牛一
140人間七七四年:2009/02/18(水) 15:40:46 ID:SarQ6VUL
>>139
悪い話スレにふさわしい話、ありがとうw
141人間七七四年:2009/02/18(水) 17:52:53 ID:155olgun
いやんばかーん、うふふ そこは羽黒なの あは〜ん
142人間七七四年:2009/02/18(水) 17:56:09 ID:4NuO2QpQ
>>139
太田牛一と小瀬甫庵て凄い仲悪かったんだよね。
小瀬甫庵の方も「あいつは実際の出来事をそのまま書いていて面白みも何にもない」
と語ってる。
143人間七七四年:2009/02/18(水) 18:26:59 ID:RBH8WdRy
>太田牛一と小瀬甫庵て凄い仲悪かったんだよね。
「愚にして直」
「自分が見たこと聞いたことが絶対正しいと考え聞く耳をもたない」
と評価しつつ、甫庵は「信長記」を「信長公記」をベースに、「太閤記」を
「たいかうさまくんきのうち」をベースに書いている。

牛一の愚直さが後世の史料価値の差にそのまま反映されている。
144人間七七四年:2009/02/18(水) 18:39:59 ID:UvS4jMUS
>>136
>あー、そう言う意味ではあの敗戦は、森の加勢に尾藤なんてつけた秀吉のミスだな。

秀吉「ミスっていうかまあある種、計算だったんだけどな」
145人間七七四年:2009/02/18(水) 18:56:36 ID:NCS7cCo3
尾藤って秀吉に残念な殺され方するんだよな。
146人間七七四年:2009/02/18(水) 19:11:49 ID:iRd6h9ci
どうしてもイサオの顔が出てくる
147人間七七四年:2009/02/18(水) 19:34:40 ID:RBH8WdRy
悪い話ではないが流れ上こっちで

桔梗の家紋

加藤清正は若干27才で、3000石の侍大将からいきなり25万石の大大名になった。
当然ながら、小身だった清正に武具や調度など足りるわけがない。
そこで秀吉は、清正が肥後に赴任するに当たって、先年改易した讃岐丸亀城主・尾藤甚右衛門尉
の武具、調度一切を与えた。
このときから、清正は従来用いていた「蛇の目」の家紋とともに、尾藤家の「桔梗」の家紋を併用
することになったという。
148人間七七四年:2009/02/18(水) 23:37:11 ID:5JCgSdvm
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ(奇策ヴァージョン)

秀吉が中国攻めしてた頃のお話

羽柴秀吉は弟の秀長を大将として、播磨国別所氏の居城三木城の支城である淡河(おうご)城を攻撃させた
この淡河城を守るのは淡河弾正定範という男であった

羽柴軍来たる!との報を受けた定範は「牝馬を50頭程用意しろ。あ、若いピッチピチのやつな。ババアは無し」と部下に申しつけ
城下に秀長軍が押し寄せた時に、その牝馬を一斉に敵の軍勢目掛け追い放った

その牝馬を見た羽柴軍の軍馬達、燃え盛る闘志を性欲へと変え暴走モード突入
そこかしこで騎馬武者を振り落とし、股間の槍をかざし牝馬目掛けて突進 秀長軍は大混乱に陥った

これを見た定範、今だ!と城から打って出、羽柴軍を散々に蹴散らし大勝利
その晩、闇夜に紛れ三木城へと撤退する事に見事性交したのであった(四国軍記)



149人間七七四年:2009/02/18(水) 23:48:53 ID:cuu2aWLW
>>148
なんだ最後の一行はw
150人間七七四年:2009/02/18(水) 23:49:46 ID:IOEmO0/S
>>148
性交したって…
馬の気持ちになって
細かいネタが仕込んでありますねw

151人間七七四年:2009/02/18(水) 23:52:50 ID:Mx7tVbxO
>>149
人 作戦に成功
馬 性交に成功

是まさしく人馬一体也
152人間七七四年:2009/02/18(水) 23:58:26 ID:/mvZ4jsV
>>151
何ウマい事言ってんだw
153人間七七四年:2009/02/19(木) 00:01:27 ID:WEiReSzQ
>>151
人:撤退に成功
馬:合体に成功
154人間七七四年:2009/02/19(木) 00:06:56 ID:99lCerMt
http://mukankei961.blog105.fc2.com/blog-entry-569.html
こいつも結構なDQNだなあ。それも有能なDQN。
155人間七七四年:2009/02/19(木) 00:13:37 ID:bwjfqjqV
やるじゃん徳永寿昌
156人間七七四年:2009/02/19(木) 00:46:52 ID:bEKbQ1Lx
まぁ騙される方が悪いって言える状況だがな
157人間七七四年:2009/02/19(木) 00:49:18 ID:2pO5TiTa
卑怯すぎワロタww
158人間七七四年:2009/02/19(木) 01:09:49 ID:vZbT0f0c
部下としてついていくにはいいけど、友達になりたいとは思わないな…
159人間七七四年:2009/02/19(木) 01:11:11 ID:WEiReSzQ
てか高木盛兼がお人よし杉
160人間七七四年:2009/02/19(木) 02:24:53 ID:5KbSQ475
>>146
捲き藁の人形に 浮かんでは 消える〜
 にくい あんちくしょうの 顔めが〜け〜  って歌っちゃう甚右衛門尉か
161人間七七四年:2009/02/19(木) 06:55:05 ID:RAmW4BFX
武田信虎と言う人は、配下の侍二百二十人の中より、戦において手柄の数々あるもの
七十五人を選抜し、さらにその中から三十三人を選りすぐって、自分の身の回りの警護をさせ、
彼らを常に身辺においていた。

さて、その三十三人の中に、白畑助之丞と言う勇士がいた。

白畑がある時、下人の姿をした曲者を発見した。尋問をしようとすると曲者は逃げ出した。
そこで白畑は刀を抜いてこの男を追いかけ、その刀が曲者の背中に触れるほど近づいた、
その時である、

曲者は不意に刀を抜いて振り向き、跪いて片手斬りに一閃。
白畑は両腕と共に、首を落とされた。

そこにまだ若年の原美濃守が槍を持って追いついた。
原はこの曲者を槍で貫いたが、この者、倒れながらもその槍を持ち、刀をふるって原の
腕を少しばかり二箇所斬った。

しかし原はあわてず、そのままこの曲者を取り押さえると、そこに駆けつけた多田淡路が
この男の両腕を斬りおとし、その上で止めをさした。

あまりに剛の者だったので後で調べたところ、この曲者は鹿島の松本備前守の
孫であったと言う事だ。
白畑は勇者であったが、曲者を所詮下人と侮ったため、切り殺されたのである。

武田信玄はこのことを例に引いて
「他所ではどうあっても、我が武田家では逃げて行く者に追いつかなかったからと言って、
それを卑怯とは申さないぞ。」と言われた。
162人間七七四年:2009/02/19(木) 07:01:14 ID:Xw/w+uWe
良く分からんが、いい話じゃね?
信玄が誰かを逃がしたときに引いた話とかか?
163人間七七四年:2009/02/19(木) 07:39:37 ID:RAmW4BFX
いやまあ、白畑助之丞が油断をした悪い話って事でw
164人間七七四年:2009/02/19(木) 07:53:18 ID:U92OLRDP
秀吉の印象

秀吉が若い頃に仕えた今川家家臣の松下加兵衛
「猿かと思えば人、人かと思えば猿」

毛利家家臣
「赤ヒゲを生やし『猿まなこ』をぎょろつかせ」

同世代の人の“口の悪い”お話。
165人間七七四年:2009/02/19(木) 09:30:05 ID:/AryFGP+
まとめサイト見てて思ったんだけど
「三本の矢」の逸話が無いね

三本の矢じゃないけど三男の悪い話

小早川に養子に行った隆景
しかし、度々実家の吉田へ帰っていた
吉田に滞在するときは、長期間滞在していたので
ある時、隆景は隆元兄ちゃんにこう言った

隆景「吉田にお家をくださいな」
隆元「いいよ。じゃあ、この辺りに・・・」
隆景「嫌だ!城下がいい!この辺!」
隆元「ちょwwwそこ家臣達が住んでる城下町www」
隆景「家は広く、庭も広くして下さい!」
隆元「出来るわけないだろwww」
隆景「ヤダヤダヤダヤダ広いお家でパパをおもてなしするんだ!」
隆元「おもてなしとかwww何本気で吉田に住もうとしてるんだwww」
元就「何という可愛いことをいう息子・・・隆元、何とかしてあげなさい」
隆元「オヤジまでwwwただ、家臣たちが住まうところはダメだ。
   ここにしなさい」
隆景「・・・そこまで言うなら妥協してやるよ兄上」
隆元「・・・・・・も、元春、お前も吉田に屋敷が必要だろ?お兄ちゃんが
   作ってあげる。どんな屋敷がいい?」
元春「なんでもいいです」

元春は空気が読める子

隆景が屋敷について駄々をこねる逸話だけど
ソースが分かりません・・・ごめんなさい
166人間七七四年:2009/02/19(木) 09:49:31 ID:weDYD2/Z
>>148
ガイシュツ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-518.html

まとめでは「淡河定範」で分類したほうがいいかも。
167人間七七四年:2009/02/19(木) 10:04:20 ID:CKiNnwIv
>>165
末っ子(違うけど)は可愛がられ、中間子は何事にも遠慮してしまう話ですね
168人間七七四年:2009/02/19(木) 10:08:16 ID:+cexXNDS
>>166
あまり有名ではない武将なんかはその武将に絡んだ有名武将の方に分類されてるから
既出かどうか気付かなかったりするんだよな
まあブログ内検索しろっつう話になると思うけど
169人間七七四年:2009/02/19(木) 10:58:16 ID:yHHiEwIa
>>165
隆元と元春にとってはいい話だなw
しかし隆景に対するイメージ変わるな、これww
170人間七七四年:2009/02/19(木) 11:21:46 ID:ej6LdJwc
俺世間で言う社長の息子で長男だけど、歳の離れた末の弟がガキの頃、明らかに俺と待遇が違っていたな・・・
171人間七七四年:2009/02/19(木) 11:28:39 ID:GGU7XaI3
三男と四男でも違うんだぜ

武豊:親に頼れないよう他の厩舎に預け、厳しくしてくれるよう兄弟子になる騎手達に頼む
武幸四郎:よーし、パパが預かって最初の週から重賞乗せちゃうぞー
172人間七七四年:2009/02/19(木) 11:33:21 ID:HQKersA2
>>170
父親にコンプレックス持ったり人生あきらめたり早死にしたりすんなよ
173人間七七四年:2009/02/19(木) 12:17:25 ID:GrXsvyz+
兄弟ネタが出てきたから関連で
-----------------
お題「耳なんとか目なんとか」

天正13年(1584年)、肥前島原の大名・有馬晴信が遠く離れた薩摩の島津義久に助けを求めてきた。
そのころ、佐賀の龍造寺隆信が急激に勢力を拡大し、晴信の親戚・大村純忠も隆信に人質を取られて
晴信攻撃軍に加わってしまう等、存亡の危機に瀕していたのである。


島津氏も肥後の平定で一苦労している上、主な家臣はみんなふさがっていてとても加勢できる状態ではない。
しかし、ここで有馬を見捨てるのは今後のことを考えると得策ではないと考えた義久は家臣の反対を押し切り
晴信の使いに「分かった!加勢してやる!」と回答した。
・・・とハッタリはかました物の、この時点では義久によいやりくりの算段は全く浮かんでなかった。
「うーん、こう言うときは・・・やはり”このもの”に相談するしかない・・・」
そして呼ばれたのが「ましな方の鬼武蔵」こと新納忠元である。
義久「こういう状況では余り兵も送れないし・・・少兵となると大将は忠平(後の島津義弘)にするか、家久(善)にするか
   どっちかしかないと思うけど・・・忠元はどっちがいいと思う?」(´・ω・`)
忠元は即座に回答
「忠平様は”耳臆病、目かいがいしい大将”であられます
 家久(善)様は”耳かいがいしく、目臆病な大将”であられます
 目に見えるとき大事に思う大将は軍のし損じがありません。
 今回はぜーったいに家久(善)様を推薦します。」
・・・意味不明ななぞなぞみたいな話だが、義久はこの忠元の意見を採用し、有馬晴信の元には家久(善)を派遣した。

ところが、この話を聞いて逆上したのが忠平(義弘)である。
「兄貴の俺が駄目ってwwwwwwwwwちきしょー鬼武蔵ボコってやるぜ」
しかし、それをきいた新納忠元が一言
「何で私のこと逆恨みするんですか 私は私情を交えず御家のためを思っていったまでのこと。」
その後も忠平はプリプリしていたが
 沖田畷の合戦 家久(善)+有馬 ○ − ● 龍造寺隆信
という結果にグーの字も出ず、以後は新納忠元の言うことを聞くようになったとか。
(参考 「武功雑記」(『改定史籍収攬』所収)
------------------
忠元の「人を見る目が いい話」なのかも知れないが
義弘の「弟にやきもち焼いてミットモナイ!悪い話」にも思えるのでこっちに書いておく。
174人間七七四年:2009/02/19(木) 14:08:15 ID:/AryFGP+
家久(善)は義弘より12歳も年下なんだな・・・
やきもちっていうか悔しいというか
わからんでもないな
175人間七七四年:2009/02/19(木) 14:33:23 ID:3TOAa7Ru
俺には意味が理解できなかった、誰か解説をば…
176人間七七四年:2009/02/19(木) 14:48:47 ID:RAmW4BFX
>>175
>>173について?

おそらくだけど、”耳臆病、目かいがいしい大将”ってのは、情報を慎重に集め情勢を把握した上で、
方針を決め、合戦を戦う大将、
”耳かいがいしく、目臆病な大将”ってのは、事前の情報にあまり重きをおかず、合戦に入ってから
状況を見つつアドリブで戦う大将、

って事じゃないかと。

この場合、戦況は絶望的だったわけで、情報を精査した上で方針を決めようとすれば
どうしても悲観的、後ろ向きな作戦を取らざるを得ない。
その点、実際に戦場に入ってからあれこれ方針を調整したほうが、この手の合戦では
有効に働く。

そう新納さんは解釈したのだと考えていますが、いかがでしょう?
177人間七七四年:2009/02/19(木) 15:10:42 ID:cbbraVQt
ロバート・デ・新納さんは本当にズバズバと物を言うなあ
178人間七七四年:2009/02/19(木) 15:31:16 ID:CKiNnwIv
>>175
耳を情報、目を実際の戦場、臆病を慎重、かいがいしいを積極ととるなら、
義弘 事前情報より戦場での直感を重視した天才肌の指揮官
家久 事前情報重視し、戦場では一か八かの戦術より慎重な采配を選ぶ指揮官
かな。
実際に義弘の軍歴を見ると少数の兵で奇跡的な勝利を得た現場指揮の天才と言えるし。
沖田畷は負ける可能性の高い手伝い戦なので、
勝にこだわって博打を打ち玉砕する可能性のある義弘よりも、
無事に帰ってくる可能性の高い家久を選んだのかと。
179人間七七四年:2009/02/19(木) 15:46:13 ID:GGU7XaI3
大友宗麟「北の毛利の兄弟はああだし南の島津兄弟はこれだよ…
      うちの兄弟は茶器くらいの役にしかたちゃしねぇ」
180人間七七四年:2009/02/19(木) 16:05:37 ID:sPK+xIKl
>>179
国力が一番あったのはお前の国だろうが〜〜〜〜
181人間七七四年:2009/02/19(木) 16:11:46 ID:DAcIfyQd
>>161
助之丞って変な名前。
助なのか丞なのかどっちなのかと。
182人間七七四年:2009/02/19(木) 16:17:45 ID:DAcIfyQd
>>173
しかし苦しい状況でも援軍を出してやるところは偉い。
その点長年の宿敵後北条とあっさり同盟した挙句、
武田に攻められた後北条の再三の援軍要請に結局応えなかったどこかの義の武将は…。
183人間七七四年:2009/02/19(木) 16:51:50 ID:/AryFGP+
>>182
謙信「毘沙門天が援軍に行くなと言いましたので
   私のせいではありません」
184人間七七四年:2009/02/19(木) 16:57:28 ID:ej6LdJwc
>>171
次男だっけ、麻薬でパクられたの
全然報道されなかったけどwwww
>>172
うちの母方が名家でね、父はマスオさん
俺はさっさと母方に養子に出されたよw
祖父母の介護をできるかぎりしたり死に水は取ったけど、
絶対に親の面倒はみない
185人間七七四年:2009/02/19(木) 21:23:21 ID:Zm/39qjW
どっちなのかは徐々に明かされる
186人間七七四年:2009/02/19(木) 22:01:01 ID:zkMzgi0c
安土城屏風の行方が不明と伝えられ久しい。
滋賀県観光課がローマで探したが見つからないとか。
安土城下を狩野栄徳が描いた渾身の作、信長の時代を代表したであろう
傑作であり、正親町天皇が観るなり信長に所望したが断られたという
いわくつきの作品でもある。
信長が己の名声栄華を伝えるべく、ローマ法王に贈るつもりで描かせたもの
であったから天皇の所望でも退けてしまった。

天正9年9月、イエズス会巡察師ヴァリニアーノにこの屏風は託され、翌10年1月、
長崎を出港した。天正遣欧使節であった。
伊東マンショら運命の4少年らと共に同12年4月喜望峰を通過し、
13年3月ローマ法王グレゴリオ13世に謁見、屏風はバチカン宮殿に
飾られることとなった。

ところがである、この世紀の傑作を当時の西洋世界、ルネッサンスの絢爛たる
芸術の栄華、ブルネレスキ、ミケランジェロ、ラファエロ、が花咲く
ローマ市民、宮殿の住人らは、美として正当に評価できる能力を欠いていた
のである。

屏風は東方の一資料としてバチカンの地図室に飾られ、その後行方不明
となってしまった。
ただ、屏風の枠ではないかと想像される木片がいくつかあったとか。

その一方で、大友宗麟、有馬晴信、大友純忠がイエズス会長や
ファルネーゼ枢機卿に宛てた手紙の一部はイエズス会本部に
しっかりと保管されていた。

更に大友宗麟の手紙とは、本人の知らないうちにどこかで作られたもの、
偽書であった。

かなり悪い話。
187人間七七四年:2009/02/19(木) 22:43:50 ID:6ZHaDM08
ルネサンス期の芸術と天正文化は合わなかったのかもね。
印象派が流行った時代に贈ってれば大事にされたろうに。
188人間七七四年:2009/02/19(木) 22:45:50 ID:RAmW4BFX
つーかキリスト教文化以外に価値を認めていない。
189人間七七四年:2009/02/19(木) 22:46:42 ID:Zyujev8S
>>188
ルネサンスを勉強し直し。
190人間七七四年:2009/02/19(木) 22:50:15 ID:RAmW4BFX
>>189
いやだからw
信長の頃はもう、キリスト教会からの開放と言うべきルネサンスは収束してて、
対抗宗教改革全盛の時代。
「イエズス会」がどういうものか考えれば、分かるでしょ?
191人間七七四年:2009/02/19(木) 22:51:42 ID:11nWL5M/
ここはそういうすれじゃないよ
192人間七七四年:2009/02/19(木) 22:52:36 ID:6ZHaDM08
>>188
むしろ初めてキリスト教以外の文化に価値を認めた時代
193人間七七四年:2009/02/19(木) 23:02:52 ID:RAmW4BFX
細川藤孝が丹後を領していた頃の話である。

彼の家臣に、市崎猪六郎と言う者がいた。
この男家中でも大変評判が悪く、また下人たちにも辛く当たったので、ほとんどの下人は彼の家から
逐電する有様であった。

そんな市崎の下人の中で、勝之介、番之介と言う二人だけは長く奉公を続けていた。
彼らは何事も堪忍と言う気持ちで働いていたが、それでも主人への恨みは募った。

ある時休暇を求めたが、許可せず、却って厳しく働かされた。そこでこの二人、このままでは
身が持たない、今夜にでも主人を殺して逐電しよう、そう話し合った。

そこで勝之介が言うには
「まあまて、二人とも立ち退かなくても、一人はここに残って、立ち退いた者の罪という事にしないか?
俺は主人を殺した後逃げる。お前はお上による詮議が終われば、そのまま年内はここに住み、
来年の正月18日に都の清水の子安堂で落ち合い、共に西国に下って名を変えどこかに奉公しよう。」

二人はそう申し合わせ、その夜、目論見どおり市崎を殺害した。
そして勝之介は逃げ出し、夜が明けてから番之介は騒ぎ出して役人を呼んだ。
この殺人は当然勝之介の仕業となり、奉行所の者たちは方々を改めたが、元々市崎は
悪人であったため、その調べも適当にすまされ、程なく捜査は打ち切られた。

ところで市崎の持ち物の中に、平盛嗣の物と言う、黄金作りの名刀があった。
番之介はふと思い立ち、これを隠しておいた、そして役人の取調べの時、
「勝之介はあの刀で主人を殺し、それを持ったまま逃亡したのです。」
と言った。番之介はこの刀があれば、両人にとって後々役に立つだろうと思ったのだ。

ところが、京に潜伏中の勝之介がこの事を聞くと、とたんに激怒した。
「盗人の名を取るなど末代の恥辱!」

そしてすぐさま丹波にひき帰り、番之介の親元に忍び入って名乗った上で皆殺しにし、
自分も即座に腹を斬って果てた。
そのおり書置きを残していたので、この事件の全貌も暴かれ、番之介もまた、捕らえられたとの事である。


主殺しの名はかまわないけど、盗人の名は我慢できないと言う、
この当時の人の、名の惜しみ方が面白い。
194人間七七四年:2009/02/20(金) 00:14:18 ID:aie9YMRg
「日本人は西洋人よりもはるかに手癖は良いのです。すぐ人を殺しますけど。」
 
イエズス会報

195人間七七四年:2009/02/20(金) 00:24:21 ID:uV4sg4OR
>>165
この話と、晩年になって他人に忠告するようになった隆景を比べると
なんだか成長してるんだなあって微笑ましくなる
196人間七七四年:2009/02/20(金) 04:38:24 ID:ZBEYgU2r
華麗なる晴信さんの変節遍歴
 ・島津に泣きついて龍造寺家を事実上滅ぼす
 ・秀吉が来たら速攻で島津家との縁を切り島津征伐軍に従軍
 ・関ヶ原は西軍→一連の寝返り連鎖に上手く乗っかり領地安堵
 ・〆は岡本大八事件

西の晴信さんも中々捨てたもんじゃ有馬・・ありませんな
197人間七七四年:2009/02/20(金) 09:23:35 ID:X2Ekou6/
どこかで見た気もするがまとめサイトを探しても
無かったので↓

突撃!安田の朝御飯

大坂の役が終わったある日
直江兼続さんが安田順易さんのお家に行きました
ちょうど朝食時だったので「食事中で・・・」と
すぐに出て行かなかった順易さん

兼続「今朝のおかずはなんですか?」
順易「え・・・蓼と塩」
兼続「メシは塩だけで十分だ!蓼まで必要ないだろう!」
順易「(・・・ほっといてくれよ)」

朝食時に押しかける、迷惑な兼続爺さん話

198人間七七四年:2009/02/20(金) 11:28:55 ID:qQPQ0vhn
小瀬甫庵さん、秀吉の金配りを批判。


天正十七年五月二十日、聚楽第南二ノ丸馬場で行われた、秀吉の有名なバラマキ政策
「金配り」

甫庵さんはこれにいたく腹が立ったようで、太閤記の中でよくこの話を持ち出して、秀吉を
批判しています。曰く

「秀吉の金配りも死んだ時の遺品の分配も、全部自分とその子の為だよね。
秀吉には民の為って視点がさっぱり欠落しているんだよ。

だいたい金配りって言っても、大名貴族に配っただけ。うなるほど金持ってる連中に、
さらに金を渡してどうするんだよ!
金銀を分銅にして大量に蓄えていたけど、これも結局民を搾取した結果でしょ。
千枚の分銅を敷き詰めて、珍しい調度をもてあそんで、一人だけ楽しんでる。どうなのよ?

政府ってのは、清廉な行政を形成して、無駄遣いをせずに下々の事をきちんと把握し、
公明正大な者に政務を取らせる。こういうことが大切でしょ?

それを、既に金持ってる貴族や諸侯に施しをするわ、大伽藍をやたらに造るわ、外国相手に
戦争始めるわ、もう日本中を苦しめまくったよね。

そんな事で金を捨てるより、その金を各国の大名に援助して、諸国の街道や橋なんかの、
インフラ整備をしたほうが、それこそ民が永代まで感謝する事業になるよね。
なのに、そういう支出に関しては嫌がってた。

そんな事だったから、秀頼の時代にあんなに簡単に滅びたんだよ。
金やら遺品やらあんなにばら撒いたのに、大阪の陣のときに大名はだれも助けなかったでしょ?
そんな風に何の役にも立たないものなんだよ。ああいう露骨な人気取りはね。」


まあ、そんな甫庵さんも、徳川家光が江戸や京でご恩沢として金をばら撒いた事に関しては、
「アレは貧乏な庶民に与えているので別。むしろグッジョブ」とやっているのも又、ご愛嬌w
199人間七七四年:2009/02/20(金) 11:38:32 ID:40krjqho
>>197
固茹で卵家臣の話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%B8%C7%E8%A7%A4%C7%CD%F1%B2%C8%BF%C3%A4%CE%CF%C3
直江と安田は相性が悪かったんでしょうか
順易は能元の会津時代からの名乗りで同一人物ですよね
200人間七七四年:2009/02/20(金) 11:58:59 ID:PfMJ6j7d
>>198
なにそのダブスタw
今のマスゴミとかわらんなwww

>>199
発掘乙
しかしこういう話を聞くとますます「直江兼続は義と愛の武将」なんてm9(^Д^) ・・・としか思えない・・・
201人間七七四年:2009/02/20(金) 12:58:02 ID:Ek+bP9Xs
上杉の義も胡散臭いけど、
直江の義は失笑物だよな。

優秀な官僚なのは認めるけど、人格者ではないよね。
それならそれで味がある人物なのに、なぜステレオタイプの聖人君子にしたてあげたがるのか!
202人間七七四年:2009/02/20(金) 13:01:42 ID:2qL4NgMO
直江に比べれば、まだ三成の方が人格者だろうに。
少なくとも主家に対する忠義と領民への善政を考えれば。
家臣にも慕われていたし。
203人間七七四年:2009/02/20(金) 14:34:54 ID:t3FiyS9y
>>197
安田さんは中堅官僚だけど、お家は越後毛利の名家だし、
同系列の北条高広は景虎支援しやがったし、
嫌いになる理由はいくつもありそうだな。
204人間七七四年:2009/02/20(金) 16:24:40 ID:i65EcDQm
>>197
何かもう...何コイツって感じ
205人間七七四年:2009/02/20(金) 16:52:05 ID:4PYz6iML
自分は>>197の話の
清正と福島バージョンを読んだことがある。

ある日の大坂城殿中にて・・・
清正「おい市松。今日は蓼と塩で飯を食ったがすこぶる美味かったゾ」
正則「蓼と塩だと!?てめぇ、そんな贅沢しやがって!」
みたいな感じ。

きっとこれもテンプレ物なんでしょうな。
206人間七七四年:2009/02/20(金) 16:59:02 ID:TsOx9xDc
>>205
20年くらい前に俺が見かけたのは蓼じゃなくて白菜バージョンだった
207人間七七四年:2009/02/20(金) 17:26:55 ID:0xNTlQB4
>206
白菜って日清日露戦争辺りで日本に来たんじゃなかったっけ?うろ覚えで済まんが。
208人間七七四年:2009/02/20(金) 17:29:54 ID:Ek+bP9Xs
>>207
普及したはそう。
日露戦争で出征していた兵隊さん達が、白菜ウメーってことで帰郷して作り出した。
でも、渡来自体は随分昔かららしい。
ただ栽培に失敗しまくってるだけで。
209人間七七四年:2009/02/20(金) 17:45:22 ID:GpgcbTRY
>>208
微妙に寒い時期、寒い場所の方が育つけど…霜ついたり凍らせちゃったら傷むんだよな。
冬野菜の栽培手法てかなり蓄積されないと難しかったかも。
210人間七七四年:2009/02/20(金) 17:53:27 ID:GpgcbTRY
>>201
正義ってより任侠・義侠の「義」だろうからね。
御家や君恩への義理であって、他人(同僚)や敵にはあんまし情が向かないタイプの人なんだろう

……関帝様とかね。義理に篤い、約束を違えないから“商売の神様”になってしまったが
兵や民を慈しむかわり同僚・格上の士大夫には『あいつ蝶ゴーマンでむかつく』といわれてたそうな
211人間七七四年:2009/02/20(金) 18:29:07 ID:zjmpXIgf
それを引き抜こうってんだから曹操もかなりこらえ性あったってことかね?
212人間七七四年:2009/02/20(金) 18:36:01 ID:Nz7kz+Pf
蓼食う虫も好き好きって言うぐらいだから蓼ってまずいもんだと思ってたが、高級品だったりしたのか?
213人間七七四年:2009/02/20(金) 18:41:33 ID:/KNp9/XR
直江が民に悪政を強いたという話は聞かないが同僚からは嫌われまくってるからな。
上条にも「こいつが景勝様のそばにいるせいで…」とか超恨まれてるし。
しかし安田・直江双方と仲の良かったらしい前田慶次は凄いな。
214人間七七四年:2009/02/20(金) 18:47:45 ID:rTasqZra
>>212
刺身のツマに乗ってることあるけどな。
食べるもんじゃないと思うよ
215人間七七四年:2009/02/20(金) 19:06:23 ID:cCkZfDo6
蓼ですら余計な贅沢扱いされるのかよ
本当に米だけで栄養まかなってたんだな
216人間七七四年:2009/02/20(金) 19:08:37 ID:s7NaiLEP
石田三成と武断派の池田輝政、細川忠興と普通に友人関係を築いていた森忠政も凄いかもしれん。
217人間七七四年:2009/02/20(金) 20:09:36 ID:/KNp9/XR
ちょっとぐぐってみたが江戸時代ぐらいまでは蓼は唐辛子と並んで
高級香辛料だったという話が出てきた。
218人間七七四年:2009/02/20(金) 20:59:27 ID:K+VEmzvB
>>216
かもしれんじゃなくって、森忠政はノーロープバンジーで生きている時点で凄い人物なのです。
219人間七七四年:2009/02/20(金) 21:12:55 ID:j2XwA5qE
>>211
曹操は多少性格破綻者でも有能ならおkなスタンスだからなあw
220人間七七四年:2009/02/20(金) 22:28:24 ID:kjBOgE80
郭嘉とか曹操のとこじゃなきゃ重用されなかったレベルのアレな人だからな。
221人間七七四年:2009/02/20(金) 23:55:15 ID:BuUuCDHN
張飛とか、上や同僚からはとても評判が良いが、下からは猛烈に
嫌われたらしいがな。

どっちが良いと言われたら、関羽の方が良いw
222人間七七四年:2009/02/21(土) 00:40:50 ID:5jPt2e99
>>220
そんな曹操にも性格悪すぎて見放された禰コウさんパねーっす
223人間七七四年:2009/02/21(土) 01:35:53 ID:K7YrCNEw
>>218
どっかの阿斗の人(@長坂でパパンに投げ捨てられた)みたいにならなくてよかったね

224人間七七四年:2009/02/21(土) 02:46:39 ID:KvsHQxTk
>>217
清正や直江の「蓼なんて贅沢な!」は当時としては普通なのか。
225人間七七四年:2009/02/21(土) 03:07:03 ID:GFmkOuMf
香辛料としてはどんな味だったのかな?今ではまったく食べんね。
226人間七七四年:2009/02/21(土) 03:48:37 ID:NPqfZs2v
毒消しを食べる必要がない程衛生的に高水準なんですよ現代は
227人間七七四年:2009/02/21(土) 06:48:33 ID:Pu1Hr2XP
>>223
あのまま投げしてたままにしておけばよかったんだがなw
228人間七七四年:2009/02/21(土) 08:06:12 ID:9B1ZYY/z
蓼は酢の物で食う事も無くも無い。
229人間七七四年:2009/02/21(土) 08:20:39 ID:pZwPrVz7
立花道雪、怒る

立花道雪の知り合いであると名乗る高野山の聖が、九州を勧進して回っていた。
その事について、家臣の薦野増時からの問い合わせに対する、道雪の返答

「高野山の清泰院と言う聖が、こちらにまかり越したいという十時和泉守への書状を
拝見しましたが、私は八幡に誓って、この聖に会った事はありません!
あの書状には私を知り合いの様に書いていますが、全くおかしな事です。

大体私は後生の事など何も考えていない人間なので、高野聖と知り合いになるなど
ありえません。

こっちにやって来るような事があれば、捕まえて逆さ磔にしてやろうと考えています。海に。」


雷神様を怒らせると怖いのだ。
230人間七七四年:2009/02/21(土) 08:59:00 ID:9B1ZYY/z
そりゃ高野聖の方が悪いわw雷神様が怒るのも当然だな。

ところでこの十時和泉守って朝鮮で稲富に鉄砲対決で勝ったあの十時の関係者だろうか?
231人間七七四年:2009/02/21(土) 09:35:56 ID:siQ1iWK3
>>227
そんな事したら蜀はもっと早く滅亡…流石にスレ違いか
232人間七七四年:2009/02/21(土) 10:55:00 ID:PBlgLL9E
三国板きたかと思って焦った
スレチほどほどに
233人間七七四年:2009/02/21(土) 11:44:46 ID:qkNvPHeC
>>225
こう、ちょっとビリッと舌に来る感じがして、苦くて辛い。
料亭で鮎とか食べるとたまに蓼を酢で溶いた調味料が出てくる。
234人間七七四年:2009/02/21(土) 11:50:05 ID:K7YrCNEw
>>230
同じとときんさんだし本人か親子だろね。
立花宗茂の代にもあれだけ有名なんだし立花氏譜代の家臣だったんじゃね?
235人間七七四年:2009/02/21(土) 12:17:20 ID:r439FdIT
「ちょっといい話」で(●∀・)騎馬鉄砲隊の話が出てきたので
同じ「騎馬戦」の話

「九州の関ヶ原」ともいわれる木崎原の戦いで寡兵の島津義弘軍が伊東軍を破ったのは
当板住人には有名な話だと思われるが、
この戦いには
「劣勢となった伊東軍の武将が一矢むくいんと騎乗中の義弘を槍で突こうとした
しかし義弘の乗っていた愛馬・膝付栗毛が危機を察知して突如前足を付いたため
伊東側の武将の槍は義弘の脇をかすめ、逆に義弘は伊東側の武将を即座に討ち取った」
という有名な逸話がある。


実態はちょっと違ったらしい。
この戦いの軍記物『木崎原御合戦記』(成立は元禄頃)によると
伊東側の武将が義弘らしき武将を呼び止め
義弘はその声に振り返り
 馬 を 下 り て 地 べ た で
その武将と戦ったとのこと。
逸話にあるようなカッコイイ構図はかなり時代が後になってからの演出らしい・・・

島津義弘のほんとはちょっとかっこわるい戦闘のお話。
236人間七七四年:2009/02/21(土) 12:25:04 ID:H7E0OllB
>>235
さすが目甲斐甲斐しい大将! <こうですか、よく使い方が分かりません!
237人間七七四年:2009/02/21(土) 13:05:33 ID:W0gifNfn
なんか島津の戦は劣勢状態から敵が一矢報いる為に突撃して来るパターンが多いよな。蒲池とか江里口とか戸次とか
238人間七七四年:2009/02/21(土) 13:14:26 ID:DcKP0dWG
そういえば和田維盛が荒木村重と戦い、中川清秀に討ち取られた時も、
「日本の武将は戦う時は、馬を下りて戦う。」とフロイスの日本史に
書いてあったなあ。

しかもこのとき、和田維盛は後続の本隊が到着していないことに気づかず、
自軍の数が2000以上いると思っていたが、実際は数百人しかいなかった。
239人間七七四年:2009/02/21(土) 14:49:38 ID:q02XRGNe
九州の関ヶ原じゃなくて九州の桶狭間じゃないのかえ
240人間七七四年:2009/02/21(土) 14:54:46 ID:6r3+MvIS
馬に乗って戦ったか騎乗したまま戦ったかってのは諸説あるらしいけどな
フロイスは降りて戦うって言ってるが長篠の戦では馬防柵が設けられてるし地域差があったのかもしれん
241人間七七四年:2009/02/21(土) 15:03:48 ID:pZwPrVz7
>>240
長篠のときは家康の「武田の騎馬対に気をつけろ」って書状も残ってるね。
242人間七七四年:2009/02/21(土) 15:09:47 ID:5STMx4g7
「関東衆馬上の巧者にて〜」とか書かれてるし
東西で多少の違いがあった可能性は否定できない
243人間七七四年:2009/02/21(土) 15:58:30 ID:r439FdIT
>>239
ごっめーん そうだった
ご指摘感謝 + まとめサイトの管理人様、収録の際には訂正お願いします
244人間七七四年:2009/02/21(土) 16:22:31 ID:/dDxWnpt
戦国のマク○スとその顛末

尼子経久の嫡男尼子政久が反乱を起こした磨石城を攻めた
しかし、城兵の抵抗は凄まじく兵力差に反し攻め倦ねてしまった
こうなると尼子勢に厭戦気分が広まってしまう
すると、

「これは…」
「若様の笛の音じゃ!」

尼子政久は笛を吹いて士気高揚をはかったのである
これに鼓舞されて猛然と攻めだした尼子勢

しかし現実は非情である

城兵はこの怒濤の攻めの原因が笛の音にあると見抜き、音源に向かって一斉に矢を射かけた
この内の一発がなんと政久を直撃、討死にしてしまう
尼子勢は大混乱を起こし潰走、敗北してしまう

これを聞いた父尼子経久は次男吉田国久(尼子国久)に

「磨石城を‘死 ん で も 落 と せ’」

と命じた
背後に鬼の陰でも見えたのだろう、国久は必死の思いで磨石城を落とした
そして降伏した城兵達を経久は…

一人残さずぶっ殺した

次男三男は既に養子に出ていた為に経久は政久次男の詮久を後継に指名した
これが後の尼子晴久である
245人間七七四年:2009/02/21(土) 16:31:31 ID:9B1ZYY/z
政久がここで死んだのも尼子滅亡の遠因とも言われたりするよな。

運が悪い話だな。
246人間七七四年:2009/02/21(土) 17:58:31 ID:GFmkOuMf
尼子勢と言われてもどっちの尼子勢か分かりません。
247人間七七四年:2009/02/21(土) 18:28:26 ID:pZwPrVz7
>>246
多分一行目を読み間違えてる
248人間七七四年:2009/02/21(土) 18:32:37 ID:tYWN0Yhm
>>237
島津の戦は敵将を殺しすぎるのが原因かなぁ
だから仇討ちのために捨て身で突撃する敵将が多いのかも
249人間七七四年:2009/02/21(土) 21:28:40 ID:1YUFTHeY
>>244
国久「ふーん、俺は死んでもいいんだ」

これが晴久と国久の確執の原因になったのかな
250人間七七四年:2009/02/21(土) 23:58:28 ID:s37U8E79
>>245
晴久の代で最盛期みたいなので、晴久がもっと長生きすれば毛利に簡単に潰されなかったはず。
251人間七七四年:2009/02/22(日) 01:32:47 ID:TzRga0z/
>>138
超絶亀レスだが太田牛一は信長の話題を書くはずの信長公記にわざわざ「森勝蔵働きの事」なんて項を作って
みっちりと鬼武蔵が信濃でやった事を書いてある。

これは他の武将にはあまりない扱い。やはり小瀬甫庵とは相容れないようだ。
252人間七七四年:2009/02/22(日) 02:33:20 ID:Ro4dmiwk
戦国期最低の悪い話は、秀吉が男色を好まなかったという徳川時代に
捏造された中傷譚だろうナッ!!!!!!!!!!!!!!!!
253人間七七四年:2009/02/22(日) 03:01:49 ID:QgVor0mY
>>235
その時の義弘公の勇姿を偲び作られた
現在の木崎原古戦場にある義弘騎乗像
つ http://www.yoroi.co.jp/gazou/mononofu/yoshihiro.jpg
254人間七七四年:2009/02/22(日) 03:48:36 ID:pFM743/I
徳川家の臣に筧又蔵という男がいた。
彼は長篠の戦いで見事な采配を見せたので信長は非常に感心した。

信長「又蔵の指揮はすばらしい。三河殿はよき家臣を
   お持ちのようだ。」
家康「いえいえ、あの程度の者なら我が家中にごまんと
   おりますよ。」

家康は見栄を張って余計なことを言ってしまった。
又蔵は家康の言葉を本気にした。

又蔵「殿がそのように思っておられたとは心外だ。拙者のような
   者がそうそういるものか、拙者は暇を取らせていたたく!」

怒った又蔵は徳川家を飛び出してしまった。家康は内心、

家康(あれほどの武将を失うとは、馬鹿なこと言ってしまった…。)

と悔やんでいたのだが、意地を張ってまた余計なことを言ってしまった。

家康「あのような者は日本中の誰もが相手にしてはいかんのだ。」

これを知った又蔵はまた本気にしてしまう。

又蔵「そこまで低く思っておられたのか…。こうなれば日本を出て
   外国にでも行くとしよう。」

とうとう朝鮮半島に渡ってしまった又蔵はそこで朝鮮軍が
外国の軍隊と戦って負けるのを見た。

又蔵「ふん、拙者が采配を執ればあのような負け方はしない。」

又蔵がこのように言っていることを知った朝鮮国王が
又蔵に兵を与えてみると、又蔵は日本の戦術を兵たちに教えて
敵軍を負かしたという。

張らんでもいい意地で有能な家臣を失った頑固家康であった。
255人間七七四年:2009/02/22(日) 04:05:46 ID:o6qpRSr4
>>254
そこは「織田家中にもごまんといるでしょう」って言うところだよなw
ところで、何処と戦ってたんだろう?
256人間七七四年:2009/02/22(日) 04:07:11 ID:Taovu6+H
でも朝鮮戦役がグダグダになったお陰で
家康は後で楽に天下取り出来たし
損ばかりでも無いんじゃね?
257人間七七四年:2009/02/22(日) 06:50:52 ID:t4aK/efR
>>253
まさに悪い話スレにうってつけなデザインの像だな
つかなんで下なんも履いてないのwwwwwww
258人間七七四年:2009/02/22(日) 09:54:29 ID:2prOSOt7
鍋島直茂のおうらみ状

1607年龍造寺高房(22歳)は、江戸の屋敷で妻(19歳)を殺害、自らも自害を図った。
発見が早かったため一命をとりとめた。
高房に事情を問いただすため幕府からも使者が来たが、何も答えなかったという。
直茂は龍造寺政家に書状を送った。
この手紙が世に言う「おうらみ状」である。

「自分は隆信様の死後、龍造寺家を盛り立ててきた。
領国の経営は仮に自分が預かってはいるが、
常に龍造寺家を大切にしてきた。
高房様には江戸でのお暮らしに不自由がないよう、
十分な仕送りもしている。
しかるになぜ高房様はこのようなことをなさるのか。
誰にあてつけたのでしょうか。
高房様が国元に戻られたら
政家様が質問して下さい。
その上で我々親子も申し開きをします」

高房は佐賀で療養するはずだったが、帰国することはなかった。
半年後ふぐを食べ(当時ふぐは食用を禁じられていた)自らの命を絶った。
政家は翌月高房の跡を追うように死去。龍造寺本家は断絶した。
259人間七七四年:2009/02/22(日) 10:13:41 ID:wHGCW3gb
家康「自分は太閤様の死後、豊臣家を盛り立ててきた。 国の経営は仮に自分が預かってはいるが、
常に豊臣家を大切にしてきた。秀頼様には大阪でのお暮らしに不自由がないよう、
取り計らっている。 しかるになぜ淀殿はこのようなことをなさるのか。
誰にあてつけたのでしょうか。秀頼様が質問して下さい。 その上で我々親子(家康、秀忠)も申し開きをします」

って言ってるようなもんだな。理屈では分かっていても悔しいものは悔しい。
260人間七七四年:2009/02/22(日) 11:36:01 ID:/+OH0qIl
まだ出ていないようなので前田慶次の悪戯シリーズ「珍芸・兜むくリ」の話をば。

今日も今日とて暇を持て余していた慶次のおじちゃん。
そんなある日の事、堂森善光寺の門前に高札が立っており、そこには
「某月、某日、寺の庭で兜むくってやんよ。見たい奴は誰でも見に来やがってください。 前田慶次」
と書いてあった。その噂は瞬く間に広がり、兜をむくるって何だ?という好奇心も相まって、
当日の善光寺境内は満員御礼。ところが、肝心の慶次は中々姿を現さない。
観衆が慶次に一杯食わされたのかと訝しがり始めたその時、ようやく姿を現して一言
「あ〜、今日は下痢で無理。皆にゃ悪いけどとても芸が出来るコンディションじゃねぇわ。
次の指定日には必ず見せるから今日は帰って」
と言うと、さっさと引っ込んでしまった。都会の人間なら堪忍袋の緒が切れそうな場面ではあるが、
そこは田舎の純朴な村人たち、
「下痢じゃしかたねぇべや。また今度来んべ」「前田様、早く良くなるといいべなぁ〜」
と優しい言葉を口々に大人しく帰路についた。
そうして、次の約束日当日。前にも増して大勢の人で境内は溢れかえった。
寺の玄関前には立派な台が設置され、その上には「明珍」作りの見事な兜が飾られている。
いよいよ約束の時間、刻限どおりに現れた慶次は、
「今からこの兜むくってやるぜ!オメェら、眼ん玉かっぽじってよぉ〜くみさらせ!!」
と気合も十分にうやうやしく述べる。
群集は何が起こるのかと固唾を呑んで見守っていたが、やがて慶次はやおら兜に手を掛けると、
「どっせぇぇぇい!!」
と鋭い裂帛の気合と共に・・・・・・ただ兜後ろ向きにした。
「・・・・・・」「・・・・・・これだけ?」
呆れて押し黙る群集たち。
そんな群集を尻目に、
「さぁ、どうだ!?これにてオレっちの秘芸・兜むくりは終了でござい〜」
とやりきった顔で満足気にさっさと退場する慶次。
群集は怒るに怒れず、
「あの野郎また騙しやがった!」「馬鹿にしくさりやがって!」「でも、前田様らしいや」
と毒を吐きながら帰路についたとさ。
261人間七七四年:2009/02/22(日) 11:38:47 ID:UpH7Nnys
>>260
でかい事言ったはいいが、オチを思いつかなくてズッコケでどうにかその場を治めようとしたコントみたいだなw
262人間七七四年:2009/02/22(日) 12:50:49 ID:GUjNULdY
>>258
高房「家兼様がいきていれば…」
263人間七七四年:2009/02/22(日) 13:59:07 ID:QgVor0mY
1607-1459=148

それでも家兼なら・・・家兼なら生きてくれる!!!11
(無茶ですね済みません)
264人間七七四年:2009/02/22(日) 14:12:23 ID:pFM743/I
>>255
どこかはわからないけど明じゃないだろうし…。
女真族じゃないかな?
265人間七七四年:2009/02/22(日) 15:17:43 ID:Hoz7APtK
>>264
秀吉さんちの日本軍が攻めてきたのに朝鮮義兵を率いて対抗したんではないの?
266人間七七四年:2009/02/22(日) 16:47:53 ID:nuDFPt3D
朝鮮は北の遊牧民と度々抗争してるから多分満州族だろ
もしくは倭寇
267人間七七四年:2009/02/22(日) 18:04:44 ID:3oQeLn+J
そういえば富田長繁ってえらい既知らしいけど、あんまり話見ないよね。
どこらへんから拾ってこればいいのか
268人間七七四年:2009/02/22(日) 19:09:05 ID:9ojsOmZD
そりゃまあ一瞬の輝きでクローズアップされた人物だから探すの難しいだろうな
と無責任に言ってみる
269人間七七四年:2009/02/22(日) 19:11:50 ID:kQ49DU+M
長繁さんは逸話の一つ一つのインパクトが強すぎるんだよ
270人間七七四年:2009/02/22(日) 19:15:36 ID:nuDFPt3D
20過ぎでちょうど今頃亡くなったんだよな
本人満足だったんだろうか?
271人間七七四年:2009/02/22(日) 19:15:49 ID:UpH7Nnys
長繁さんの逸話に関しての資料は、「越州軍記(朝倉記)」くらいだろうね。
272人間七七四年:2009/02/22(日) 19:22:56 ID:IaOWAuVg
若くして死んでるのにあれだけ逸話が多い鬼武蔵が異常なんだよw
273人間七七四年:2009/02/22(日) 19:37:49 ID:3oQeLn+J
>>271
ありがとう、探してみる

>>272
長可基準がいけなかったのか……
274人間七七四年:2009/02/22(日) 19:39:04 ID:YQeU/YDb
>>272
そりゃそうだろ
森長可は単独で戦死しただけ
森家としての参加陣営は勝ってるし家臣の大半は生き残ってる
お家が存続してるのも大きい
冨田長繁なんかは勢力として壊滅してるし一揆で資料も消失してる
歴史資料の消失という点においては一向一揆は間違いなく悪だからね
まあ、武勇伝と称して良いか微妙な話を残した森家の感性は素晴らしいwww
275人間七七四年:2009/02/22(日) 19:40:27 ID:TzRga0z/
小牧・長久手で主だった家臣誰も死んでないよな。

みーんな美濃に居残り。
276人間七七四年:2009/02/22(日) 19:45:59 ID:F6qZBSPB
東美濃は後方攪乱でちょっかい出される可能性結構ある土地だったからねぇ。

実際遠山家はじめ数人の城主は家康の元に逃げてたわけだし
277人間七七四年:2009/02/22(日) 20:51:13 ID:swsFCbu9
>>254
実は家康は後に起こる秀吉の朝鮮出兵を見越していて、筧を朝鮮に追いやったのでした
278人間七七四年:2009/02/22(日) 21:50:01 ID:UpH7Nnys
親やら弟やら孫やら、とにかくいろんな人からかけられた迷惑をこなす事が
その人生だったと言っても良い真田信之。
その迷惑かけられ体質は、真田騒動で信之が守り通した孫、真田幸道にも見事に遺伝されていた。

ある時、真田幸道の屋敷に、関口流柔術の二代関口氏行が尋ねてきた。
幸道は「この氏行の、柔術の弟子であったのだ。

挨拶もそこそこに幸道は、「このたびは大変であったな」
と、見舞いの言葉を言った。
そう、つい最近氏行の弟子、虎蔵が何者かに斬殺されると言う事件があったのだ。

「しかしそなたも大変だろうが、あの件では何故か我が藩にも疑いの目が向けられていてな。
なんでも虎蔵を殺したと言う賊は、虎蔵を斬った後その刀を、我が藩で使っている紙で拭いて、
それをまき散らかして逃げたと言うのだ。

まさかと思い家中のものを調べては見たが、そのような不届きをするものは見当たらず。
しかし世間は真田家の者の仕業だと取りざたす。まったく不愉快な事だ。」

『なんと!』氏行は内心驚いた。なにせその虎蔵、素行心底の悪さを危ぶんだ氏行が、
自分で殺しちゃってたのだ。

そういえば虎蔵を斬った時、刀を吹いた紙は真田候に頂いた物だった。
まさかそれが諸恩ある真田候に、このような迷惑をかけていたとは…

氏行、意を決しては言った。

「まったく、どこの誰があんな酷い殺人をしたのでしょうな!けしからん話です!」

適当に話をあわせる内容を。

そして早々に挨拶を済ませ家へと帰った。
自分が殺したとは悟らせ無かった。これで良し。そして当然真田家は、この件でずっと疑われた
ままであった。
279人間七七四年:2009/02/22(日) 22:01:23 ID:QgVor0mY
氏行、わるじゃのう〜
幸道も先生はもうちょっと人を見て選びましょう
280人間七七四年:2009/02/22(日) 22:19:02 ID:TzRga0z/
これはいかんw
281人間七七四年:2009/02/22(日) 22:37:32 ID:3oQeLn+J
>>278
ちゃんと白状しないと幸道かわいそうです
282人間七七四年:2009/02/22(日) 22:57:33 ID:bZeZ3YxV
でもなんでこの逸話書いた人は真犯人が先生って分かったんだろ?
283人間七七四年:2009/02/22(日) 23:01:37 ID:UpH7Nnys
>>282
後年、関口流の歴史を書いた「柔話」が著された時、氏行自身が
「いやあ、あの時は流石に『俺が殺しました』なんて言えなくてさ〜」
って証言してるw
284人間七七四年:2009/02/22(日) 23:06:44 ID:Oscvap/t
つーか柔術家なのに人殺すのに刀使うなよ
285人間七七四年:2009/02/22(日) 23:34:05 ID:nuDFPt3D
柔術は刀使うぞ
286人間七七四年:2009/02/23(月) 00:32:57 ID:lvaPxo+I
>>284
柔術は柔道とは違う。
元々戦場で首をかき切るための組み伏せとか、
逆に組み伏せられたときに相手の関節を取って
体を入れ替える実用的な技術。
287人間七七四年:2009/02/23(月) 00:40:43 ID:Q/N4OF8G
当時は名前が〜流柔術、〜流剣術、でも
中身は築城術から医術、占いまで何でもありの総合武術だし
288人間七七四年:2009/02/23(月) 00:40:54 ID:+901sj92
柔道って柔術を基にして明治時代に生まれたスポーツなんだよな。
289人間七七四年:2009/02/23(月) 01:06:27 ID:nw9TdvlG
名古屋はえーでー
290人間七七四年:2009/02/23(月) 01:07:06 ID:nw9TdvlG
あげました
291人間七七四年:2009/02/23(月) 01:08:10 ID:NmGYjVQy
毛利家に負けないぞ!?
島津家の爺ちゃんから孫への心温まる手紙

「善も悪し 悪しも善なり なせばなす 心よ心 恥よ恐れよ

その1 不動明王と愛染明王への信仰は日々忘れてはならんぞ
     常に厳しい表情の不動明王と愛情と煩悩の仏・愛染明王の両方を兼ね備えるようにするのじゃ!
その2 些細なトラブルもほっとかずにちゃんと糾明しておくんだぞ
その3 小さな過失は見逃してやる方が優しいと思ってほっといたらダメポ!大きな問題の元になるよ
その4 領国の安全を思い、身を惜しまず過ちはすぐ改め、腹を立てず怒りを我慢すれば、
     天道・神様・仏様のご加護があるよ
その5 絶対に他人をけなしてはいかん、自らは戒律を守り目立たぬ様にし、他人の過ちは厳しく罰するように
     それが本当の慈悲の心なのじゃぞ

以上、諫言のようじゃが、これは老人の愚痴じゃと思って堪忍して下されよ

                                  永禄4年(1561年)10月」

上記は島津家中興の祖とうたわれた島津日新斎忠良から孫の島津義久に送られた手紙です。
内容だけ見てると「どこが悪い話なんだ?」と思われるでしょうが
実は上記の手紙を出したときに、孫・義久は既に28歳の子持ちでした・・・
おじいちゃん早く孫離れしましょうね
292人間七七四年:2009/02/23(月) 01:15:56 ID:+mWgVJTC
別に28でも孫は孫だし、
いい話スレの方が妥当だと思うけど
293人間七七四年:2009/02/23(月) 01:18:26 ID:+901sj92
大きなお世話って言えばそんな気もするがあっちでもいいかなw
294人間七七四年:2009/02/23(月) 07:15:45 ID:sZIhWmjq
>>291
この日新斎公の信心深い態度が、後の大友との争いを宗教戦争のような様相にした、
と、考えられなくもないw
295人間七七四年:2009/02/23(月) 09:20:48 ID:vFPuCqlV
いい話でおk
296人間七七四年:2009/02/23(月) 09:30:50 ID:AISn4vDq
南部利直の家臣に北信景という男が居た
彼は名臣北信愛の甥で南部盛岡藩の金山奉行を勤めた有能な人物である

ある日、利直の食事に小石が混じっていた
これに激怒した利直は小姓をしていた信景の子の十蔵に料理人の手打ちを命じた
しかし十蔵、料理人の必死の抵抗にあって重傷を負い死亡してしまう
これに信景は「元服前の若輩に命じる事か!」と激怒し出仕しなくなってしまう
これに利直も激怒、閉門処分とし職責を剥奪してしまう
こうなると収まりがつかない信景はついに高野山へ出奔してしまうのである

そして大坂冬の陣
大坂城内に派手な甲冑を身につけ‘南部の光武者’と渾名された南部信景なる人物がいた
そう、北信景である
彼は南部宗家血を引いているのでこの名乗りは利直への当てつけである
さらに彼は入城に際して、弓500矢1万(祐清私記)とも鉄砲数百挺(篤焉家訓)いわれる膨大な装備品を持ち込んだ
これらは金山奉行時代に‘不正に’貯め込んだ財産が元手であるといわれる
もちろんこの信景の行動に利直は激怒
従来、徳川への忠勤を示すとされる冬の陣へ強行参戦も信景を討つ為だけだったとする説もある

さて、夏の陣終了後もしぶとく生き残った信景であったがついに伊勢にて捕縛される
盛岡藩に移送された彼を南部利直は直々に処刑した


いろんな部分で悪い話
297人間七七四年:2009/02/23(月) 10:03:54 ID:QYZ8Mf1r
>>296
北信愛「俺が長生きしていれば…」
298人間七七四年:2009/02/23(月) 10:47:35 ID:+mWgVJTC
南部の当主って根暗揃いのイメージ
299人間七七四年:2009/02/23(月) 11:19:08 ID:NKpF8JqO
津軽為信「ワシもそう思う」
300人間七七四年:2009/02/23(月) 11:37:40 ID:29f7XcwC
九戸政実「わしもそう思う」
301人間七七四年:2009/02/23(月) 11:43:46 ID:COXheLoU
>>298
南部って
「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」
と言う歌の、叩く方ってイメージなんだな。
自分も強者にしてやられているが、
弱い立場の相手にはものすごく高圧的。
もののふの情けとかとは無縁。
302人間七七四年:2009/02/23(月) 12:01:33 ID:cZbElYEg
南部の気質は朝鮮人と似てる
303人間七七四年:2009/02/23(月) 12:19:51 ID:sZIhWmjq
何故突然南部叩きの流れに?
弱いものに高圧的になるのが酷いと言う人に、朝倉宗滴翁のお言葉を

「犬とも言え、畜生とも言え。武士は勝つ事が本にて候」
304人間七七四年:2009/02/23(月) 12:21:04 ID:nOe2tkKM
それはさすがに南部さんに失礼
だがまじめに住んでいる場所の気候が似ていると
生活環境など諸々が似ていて、人間性なども似ているらしい
305人間七七四年:2009/02/23(月) 12:31:50 ID:EGNti6Y8
お前ら→え゜=ぷノ ←南部さん
306人間七七四年:2009/02/23(月) 12:41:01 ID:kVuIlv65
万が一に備えて、家臣を大阪に送り込むも徳川の勝利。
徳川への弁明のために後で話を捏造系のネタのような気がしないでもないが。
307人間七七四年:2009/02/23(月) 19:17:35 ID:sZIhWmjq
あるとき、幕府勘定方より、奥州太守伊達忠宗の所にお手紙着いた

「借金返セ」

忠宗
「え?、ウチは公儀から借金なんてしたことないよ?」

勘定方
「いえいえ、先ほど亡くなったアンタの父上、政宗公が。ほらこんなに。」

        ___
       /⌒  ⌒\         ━━┓┃┃
      /(  ̄)  (_)\         ┃   ━━━━━━━━
    /::::::⌒(__人__)⌒:::: \         ┃               ┃┃┃
   |    ゝ'゚     ≦ 三 ゚。 ゚                       ┛
   \   。≧       三 ==-     
      ゙ヽ, ,__    ,. -ー"ヽヽ

「なんじゃこりゃあ!!!???」

それはそれは莫大な借金だった。もう笑っちゃうほど。
「こ、こんなもの払ったらウチの藩は破産する!」

しかし間違いなく偉大な父、政宗のした借金である。その子である忠宗、意を決した。

「払えませんよこんなもの!ウチの親父が借金してたなんてしらねーですもん!」

支払い拒否の方向で。

こんな親父のわけの分からん借金で藩をむちゃくちゃにされてなるものか。
どうせろくな事に使っちゃいないだろうし。

「だいたい先代の借金なんだから、先代が生きているうちに催促しに来なさいよ!
それしてないのはそっちのミスでしょ!その癖先代が死んでから、いまさら
『親御さんの借金ですよ〜』って俺に言われたって、そんな事いわれても困るだけだよ、
俺のした借金じゃないんだから。とにかく、迷惑。こんなもの、払えません!」

と、気合でこの借金を有耶無耶にしてしまったとか。
派手な大物を親に持つのも色々大変だ、というお話。
308人間七七四年:2009/02/23(月) 19:27:08 ID:6IHhSLbb
>>306
テル「家臣をこっそりと大阪に送り込むなんて卑怯だよ」
309人間七七四年:2009/02/23(月) 19:34:52 ID:+901sj92
>>307
そんな言い分で踏み倒せるのかよw
310人間七七四年:2009/02/23(月) 19:39:36 ID:sZIhWmjq
>>309
「あくまで政宗の個人的借金!藩で借りたんじゃないし俺しらね!」で、押し通したらしいw
311人間七七四年:2009/02/23(月) 19:45:24 ID:1zRwLVaG
>>306
三斎「家臣じゃなく息子を大坂に入れた大名もいるらしいぜ。徳川に忠勤を尽くす細川家にはあり得ない話だな。」
312人間七七四年:2009/02/23(月) 19:47:11 ID:GNTtcPKg
さすが政宗、いったい何のためにそんな金額を借りたのやら。
313人間七七四年:2009/02/23(月) 19:56:51 ID:29f7XcwC
文化財クラッシュ
秀忠・家光招待してパーティーしまくり
グルメ三昧
314人間七七四年:2009/02/23(月) 20:17:37 ID:+rvGLvNP
遊興なんてたかが知れてる、仙台入って金山掘りまくり開発しまくりだから
仙台開発にめちゃくちゃ使ったんじゃ?
と、思ったが伊達じゃわからん
315人間七七四年:2009/02/23(月) 20:19:36 ID:+rvGLvNP
って幕府方からからよww
316人間七七四年:2009/02/23(月) 21:37:38 ID:2CCGavU7
公儀からの借金ってところが、使途「遊興」に真実味を与えてるな・・・w
317人間七七四年:2009/02/23(月) 21:47:42 ID:p6hWrxon
>315-316
……遣欧使節の渡航費とか?

あれ幕府もグルだから
318人間七七四年:2009/02/24(火) 01:13:44 ID:K3DITO7G
>>317
遣欧使節は着払いでスペインに払わせるつもりだったらしいが(もちろん事前連絡なし)
向こうはこんな押しかけ女房みたいな連中に金出してくれたのかね?
滞在費かさむから、さっさとスペイン出てけみたいなこと現地で言われてなかったっけw
319人間七七四年:2009/02/24(火) 01:17:59 ID:e5anlBIX
>>318
まとめブログにそこら辺の話あったような気がするよ〜
320人間七七四年:2009/02/24(火) 03:39:46 ID:g93NH5m7
出てけまで記述あったっけ。ってスレチかw

何というか、 なぜ 許されるのか… 納得がいかんw
321人間七七四年:2009/02/24(火) 03:56:34 ID:0yNPT8SB
まぁ借金に関する観念が今日日と違った時代だし
徳政令とかがまかり通った世の中かつ
相手の返済能力を勘案した適度な貸し付けで無かったのも事実
322人間七七四年:2009/02/24(火) 07:08:53 ID:2sPtXp2I
大友宗麟の息子に大友義統という愚息がいた
朝鮮出兵の折、前線で戦っていた小西隊から救援要請があった
義統「小西隊壊滅?大群がこの鳳山城まで攻めてくるかもしれない
   そうだ!逃げよう!」
小西隊から救援要請があるにもかかわらず、
義統は逃げようとした
しかし1人で逃げる訳にもいかない
義統「立花宗茂くんだ!立花くん、立花くん、小西くんが
   壊滅状態でもう死んだかもしれないから一緒に
   漢城まで引き上げようよ!」
宗茂「小西行長死んだの?そんな話聞いてないよ。よく
   調べてから行動してみなよ。もし死んでたら弔い合戦
   すりゃいいじゃん」
あっさり宗茂にふられた義統は近くにいた黒田長政に同じ
提案をしました
義統「長政くん、長政くん、小西隊が」
長政「事実関係が明らかでないのに返事できねえよ」
長政にもあっさりふられた義統
今度は小早川隆景の弟であり息子である秀包の元に
同じ相談をしにいった
義統「秀包くん、秀包くん、小西が」
秀包「あのさあ、義統くん?あんた見苦しいよ。
   救援要請があったのに見方を見殺しにするの?
   自分が部下に小西行長殿の安否を確認しに行くから
   ちょっと待ってろ」
すると、小西行長は無事で、大群と1人果敢に戦っているのであった
事の顛末を秀包は隆景に報告しに行った

諸将は
「さすがは毛利元就の息子だ。大友義統とは大違いだ」
と秀包をほめ、義統は株を下げたのだった

323人間七七四年:2009/02/24(火) 09:10:12 ID:jqCw81YM
その後秀吉に「豊後の臆病者」「日本一の臆病者」「最後の臆病者」(多数の説あり)
と言われて改易をくらう。諸大名に対しては「豊後の臆病者」として
「大友勘当の朱印状」が示される。
そして豊後は秀吉 蔵入地とされ、諸将への恩賞供給源とされる。
という後日談を加えるとよりわるい話になる。
324人間七七四年:2009/02/24(火) 09:11:27 ID:jqCw81YM
さらにこの四人の年齢と関係を書くとより趣き深い。
大友義統   永禄元年(1558年)生まれ。四人の中で最年長。

立花宗茂   永禄10年(1567年)11月18日生まれ。
大友家の家臣から秀吉により独立した大名に取り立てられた。

黒田長政   永禄11年(1568年)12月3日生まれ。
黒田長政は高山右近、蒲生氏郷らキリシタン大名と共に
小西行長宅で開かれた天正遣欧少年使節を出迎えるパーティに参加した。
そこに大友義統が呼ばれもしないのに乱入した。
なぜ義統が父・宗麟と大村純忠・有馬晴信が派遣した使節を出迎えるパーティに
呼ばれてないかというと
使節の帰国前に秀吉が禁教令(1587年)を出すと
義統は即効棄教、弾圧開始したから。
その後秀吉の南蛮人に対する態度軟化。
使節も聚楽第において秀吉を前に、西洋音楽を演奏したりする。

そしてパーティの席で義統は
「自分は本当に弱虫で…意志薄弱で…」」
自虐トークを始める。
秀吉の禁教令によってキリスト教を弾圧したことについては
「周囲の家臣に言われて…」
「両親が死んで孤独だったから…」と弁解。
「また仲間に入れて」
とか言い出す。みんな義統にびっくりする。

小早川秀包永禄10年(1567年)生まれ。
正室:大友宗麟の娘・桂姫 つまり姻戚
325人間七七四年:2009/02/24(火) 11:34:40 ID:mejB3sAn
自虐トークわろた
聞かされる方はたまったもんじゃないな
義統は親が不仲だと子供がおかしくなるいい例
326人間七七四年:2009/02/24(火) 12:54:45 ID:7nspmLhu
秀吉が聚落台にヴァリニヤーノ、天正遣欧使節の少年らを迎えたのは1591年で
既に黒田長政は表向きは棄教していたのかも。如水は棄てなかったっぽい。
もともと義統は洗礼受けるも、あまりその気が無かった。
秀吉も現金なもので、一旦バテレン追放、迫害とかしときながら
帰国に際して困った使節が、「インド、ゴアの副王のお使い」てことになったら
最初は会う気もなかったのに、満面笑みで
「いらっしゃい、お前ら楽器たいそう上手いのう、ワシに仕えぬか?」だった。
ジャスカン.デ.プレの曲だったらしい。

朝鮮での義統の敵前逃亡は、偵察に行った家臣の誤報がもとだったらしいが、
卑怯は卑怯。
御蔭で小西行長は、着の身着のまま、凍死寸前で黒田長政の陣地にたどり着いた。
327人間七七四年:2009/02/24(火) 13:06:28 ID:v+xCGVxx
ある時、武田信玄に、その側近、長坂釣閑斎が、徳厳という軍配者(まあ、占い師ですね)を
推挙したことがあった。

その時信玄が釣閑斎に尋ねた。

「その徳厳と言う者は、足利学校で学んだのか?」

釣閑斎が、徳厳は足利学校で学んだのではない事を説明すると


  足 就 足  /   ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、    ,r';;r"           _ノ
  軽 職 利  L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/             )   非 え
  ま.出 卒  //;;/´         `' 、;;;;;;;;,,l;;'            /ヽ  足 │
  で 来.以  /.,';/              ヽ;;;;,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i 利 マ
  じ る 外 l |;|┌--‐フ  ┌----、、   |;ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !!  ジ
  ゃ の がi  |l ~~__´ 、   ``'__''''┘  |;;;;;l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;厶,
  ぞ は   l _|. <,,O,> 〉   <,,O,,>    |;;;;;| `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;ヽ
        ._ゝ'|.    /   、       |; ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
       「 | |    (    )       .ソ l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
        ヽヽ |    _,ニ ニ,,,,,_        ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、     ''  ', i、-----.、       `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ!   ',   :i゙''''''''''`l'  ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
      /    ヽ.   L__」   「 止 笑 L_ ヽ〈    i|          Vi゙、
ハ ワ  {.     ヽ.  -、、、、 '  ノ  ま い  了゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
ハ ハ   ヽ.     ハ       )  ら が  |  ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
ハ ハ    >  /|ヽヽ、___,,,,、 'く  ん    > ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
ハ ハ   /  ノ. | ヽ       フ      /  ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /


「そんな奴は信用できない」
信玄は徳厳を召抱える事はなかったということです。

328人間七七四年:2009/02/24(火) 14:04:47 ID:4JgnhEYl
>>327
秀吉「学歴なんざに拘るようじゃ天下は取れないぜ」
329人間七七四年:2009/02/24(火) 14:05:06 ID:2DXMomdp
武田家の採用基準って...?
つーか山本勘助はどうなるんだよ
330人間七七四年:2009/02/24(火) 14:22:23 ID:UasReE19
信玄に好意的に解釈するなら、出来るだけ重臣の長坂の面子がたつように断ったってことじゃないかね
出自のしっかりした(=足利学校出身の)者ならともかく、どこの馬の骨かもわからん得体の知れない者は雇用しないってのは当然といや当然でしょ
それをあえて足利学校なんて出して遠回しに示したとか

存在云々を一旦おいといて、山本勘助は資料を信じるなら今川家の被官の一族出身だった・・・よね?
331人間七七四年:2009/02/24(火) 15:00:16 ID:rJnvmM0c
>>304
おっと小沢民主党代表の悪口はそこまでだ

>>326
「ジョスカン」といわれる場合もあるようだね
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%9F%B3%E5%B7%BB-1-%EF%BD%9E%E7%A7%80%E5%90%89%E3%
81%8C%E3%81%8D%E3%81%84%E3%81%9F%E9%9F%B3%E6%A5%BD/dp/B00005FIFZ/ref=pd_ts_m_23?ie=UTF8&s=music
にしてもラスボスはラスボスだなぁ

332人間七七四年:2009/02/24(火) 16:50:37 ID:OqbRWuT7
武田家は(もとは武田の血族でもあるんだけど)地元に根を張った
国人領主が総領国主の言うことを聞かない。そうした国内の領主は
独立割拠する勢力であって、信虎の時代まで「家臣」と言える存在じゃ
なかった。

だから信虎あたりから、他国からの流れ者や、能力はあるけどよその
土地でくすぶってる人間に積極的に働きかけて直臣化させる努力を
せっせとしている。よく勘助を召し抱えた晴信が引き合いに出されるが、
そもそも信虎だって、原虎胤、小幡虎盛らをどんどん他国からゲットした。
虎胤なんて、他国者の侍大将あがりなのに、板垣・甘利が粛清された
ある時期は彼らに代わって「職」の地位について国内の運営を任されてる。
今で言えば帰化した外国人が官房長官を任されるようなもの。
内紛が絶えなかった甲斐ならではの現象という要素もあったのじゃないか。

徳厳の場合はタイミングや職種の問題でしょ。
333人間七七四年:2009/02/24(火) 17:16:49 ID:g4x5an1D
>>324
こんなダメな子なのに立花、高橋両家を取り上げたラスボスと麟パパの所業はイジメにしか見えないな
334人間七七四年:2009/02/24(火) 18:21:48 ID:xma5Foau
>>327
このAAを褒めるべきだろ
335人間七七四年:2009/02/24(火) 18:33:12 ID:gEIy1syr
 元  画 し! .i:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;!;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;i        |;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:||;:;:;:;:;_ノ   .画  え
 服  像  / i:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;!;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;ィ、         l;:;:;:___jl|___)    像   |
 前  な  L/;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:!;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;-彡彡、      ,イ::7´ ,r=ぅ   r- ヽ   な  マ
 ま   し  /ミイ゙ー-- ;:;:i;:;:;:;ーー‐'"´ ヾ彡彡シ     /::::シ  "´    ` ~´.i.   し  ジ
 で.  が  /ミミ´   rz,、, i ー'''rzッ    '彡彡シ      )::/ ,. -− 、   , -−く   と
 で  許  l ミリ  -  ̄ `i ´  ̄,,.,,   ゙彡7⌒i     l:::l.:.,ィ句丶y'.:  ィ句丶厶  な
 お  さ  iド、 '"- 二iソ,,`ー'" 二ヾ彡 ゙彡;ヽ j      }::l:.:.` ̄,.:'´ .: : `ミ ̄.:.:.:.ヽ !? 
 じ  れ  l{ { 〃代ゞイ::i ーt‐=でシ>シ  リシ;; /     l::l   , ' ,r'  ヽ、   :.:.レ、⌒Y⌒ヽ
 ゃ  る  _ゝ ` 、,,~~':::  ヽ,,,二 ィ  / 「 {′    N!    /゙'^'- '^'゙ヽ      l::fク //
 る  の  「 いヽ   ノ::   ヾ、   , '´  r '_人__人ノ_l!   /  ,..,_,..、 丶     l:lぅ,ノノ
-┐  は,√  ゙i::.   ー=、_-=ヘヽ       | 「 心 帝 L_ i   ,イエエエ>、 ヽ    ,l:ゝ- '
  レ'⌒ヽ/    ',::: ,彡ツj i ヾミミヽ   ,' .ノ ノ. し に   了 l l{、:.:.:.:ノ:.:.:l) l   イ::ノ
人_,、ノL_,iノ!    i  (シ一 -ー―゙ミ、   //). て 言   | ! l ヽゝェェェァツ  }   ,/:::ヽ
が 汰 帝 /   ,,,,小、'  `二二´___  ,,, ノ::::く  お 上   >、  `ー-‐ '" ノ ,ィ'{^~゙゙´
よ を の{. /,:/::iヽヽ、     ,,,  /.:::::::::!  じ す  ( l, ト、       ,ィ" Y lト、
い 待 おヽ,:,:/ヘ \\`三二三,,-‐'"::::::::,,イノ   ゃ る   >ヽ.` ‐--‐ '"´    / ハ
! つ 沙 /                  フ  れ 故   /
336人間七七四年:2009/02/24(火) 18:48:20 ID:3U6/whXG
言上でもいいけど、帝に言うなら奏上の方がいいかもしらん。どうでもいいが。
337人間七七四年:2009/02/24(火) 20:15:20 ID:VxD9D4z5
AA職人ってこういう馬鹿馬鹿しいことに命賭けてるよな

愛してる
338人間七七四年:2009/02/24(火) 23:21:11 ID:km6La3NG
>>332
でも原虎胤は千葉氏の一族だから、相当な名家じゃね?
名前に胤も付くし
339人間七七四年:2009/02/24(火) 23:23:35 ID:uhFMVumx
アンサイクロのDQN四天王の記事がもう削除候補になっててワロタw
340人間七七四年:2009/02/24(火) 23:25:02 ID:dQH71O0d
>>327
これって軍配者=気象予報士って意味だからだよね。
作法とか慣習とか、最低限必要なスキルをつけてくれるのが、
足利学校と。
普通の武士ならブルーカラーだし、勇敢ならオッケーだけど、
ホワイトカラーならやっぱ資格とか学歴いるだろという。
肉体労働者なら学歴はどうでもいいけど、技能労働者ならやはり
必要ってことで。

それかそいつがなんかDQN臭くて、適当な理由をつけて
「当家とはご縁がなかったということで…」と言ったとか。どうかな?
341人間七七四年:2009/02/24(火) 23:28:27 ID:K2KcBcKm
平壌を小西行長が占領し、いまにも日本軍が豆満江を越えて
明本土に侵攻する雲行きとなった。
遅ればせながら明の大軍が平壌に到達した。

この時、小西行長の部隊は補給が完全に途切れていた。
当てにしていた食料の現地調達も、もともと朝鮮の地味が薄い上に
田畑は焼きつくされ飢餓と早い冬の寒波が兵士を疲弊させていた。

そのような心細い中、数で圧倒的な明軍の攻撃を迎え撃つこととなった。
その騎馬部隊を巧みに平壌城内に誘い込み
狭い泥濘な路地裏まで分断して物陰から攻撃、とまるで「七人の侍」
のような巧みな攻撃で撃退するも、このままでは全滅必至の日本軍。

命からがら平壌から何とか脱出した。

もぬけの空の平壌に入城してきた明軍。
死んだ日本兵の数を数えると1500人。
自軍の戦死者は3000人。死体から首を切って
皇帝陛下に届けようにもどうにも恰好がつかない。

逆上し荒れ狂った明軍兵士ら、平壌市内に息をひそめていた
生き残りの数千人の朝鮮人を虐殺したとか。
342人間七七四年:2009/02/24(火) 23:29:11 ID:KCyiMjBX
どうも胡散臭かったようだ
343人間七七四年:2009/02/24(火) 23:32:01 ID:rJnvmM0c
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-28.htmlと類似の話なんだが・・・

島津の殿様が隠居し、出家してのんびりと暮らしていた。
既に戦国群雄割拠の時代も去り、使えていた小姓達もすっかりふぬけになってしまっていた。
小姓達は火鉢の鉢の中に火箸を埋めておき、
その火箸を探して人々がパニくるのを影で見てプゲラするいたずらを楽しんでいた。

ある日、小姓達が火鉢の灰のなかにいつものように火箸を埋めていると
その真っ最中に島津の隠居がやってきた。
小姓達あわてて火箸を元のようにしようとしたが既に熱くなってどうしようもない。
仕方なくそのまま平伏してご隠居をやり過ごそうとしたら
隠居はいきなりその火鉢の中に手を突っ込んで火箸をつかみ上げた。
・・・当然、ご隠居の手からは「ジュ〜」という音が・・・
ガクブルする小姓達をよそ目に、ご隠居は涼しい顔で火箸を作法通りに火鉢にさして
その場を去っていった。
以後、小姓達はそのいたずらをしなくなったという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上は「武功雑記」に所収されている話なんだが
実は、原文には非常にまずい点がある。
上記では話がややこしくなるので「島津の隠居」で統一したが、
原文では 「島津 惟 新 義 久」 となっているのである。
これを所収した「武功雑記」の編者もこれには「???」となったようで、
末尾の解説に
「惟 新 といえば島津 義 弘 のこと
 義 久 といえば出家名は 龍 伯
 一体この”島津の隠居”とは義久なのか義弘なのか?
 ・・・うーんわからん。」(意訳)
と疑問を呈して締めくくっている。

いい話のはずが伝わり方が悪くて読み手を戸惑わせた悪い話。

344人間七七四年:2009/02/24(火) 23:34:19 ID:wqtZ8UQ6
軍配者は戦の吉凶を占ったり、諸々の儀式を執り行わなければならない。
だから易学や孫子、呉子などの武経七書に精通してないといけないらしい。
で、それらを教えてるのが足利学校。
345人間七七四年:2009/02/24(火) 23:34:48 ID:rJnvmM0c
>>341
さすが宗主国テラオソロシス・・・
346人間七七四年:2009/02/25(水) 00:25:54 ID:Or2xIW8W
昔は国内に一つくらいしかない学校にはるばる出向いて学ばなければ知識は得られない。
当然学費生活費旅費も半端ない。まさに一将は得がたく万卒は得やすし。

ところが現代は大卒当たり前で氷河期や内定取り消しで卒業しても就職がない有様。
企業は中国やインドに安い労働力を求めて進出。
現代は一将は得やすく万卒は得がたし。
347人間七七四年:2009/02/25(水) 00:41:49 ID:G4Uxpx7H
>>339
嘘百科なんだから丸め込めるだろ。書いた奴見てたらまとめの知識総動員で誤魔化して来いw

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/DQN%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B
348人間七七四年:2009/02/25(水) 00:43:01 ID:PzxRBJNL
>>343
どっちだよ!って言いたくなるオチですねw
349人間七七四年:2009/02/25(水) 00:49:37 ID:Uwn9Nt5I
>>345
朝鮮、明は日本兵の首に懸賞を掛けたから
他の都市でもこんな感じで日本軍はいないはずなのに首の無い死体が激増したとか
全国でこんな感じだったから
民衆は土地を捨てて逃げる→政府の税と軍の略奪で農民が飢える→野盗化して略奪する
こんな感じで日本軍も侵攻してない地域でも略奪を受けて人口激減
国力が回復するまで100年ほど掛かってる
350人間七七四年:2009/02/25(水) 00:54:23 ID:buERDdTp
朝鮮出兵って、結果的に日本の豊臣政権、中国の明朝、
朝鮮の李氏朝鮮、三カ国の王朝に致命傷をあたえたんだから、
すごいイベントだよな…いい悪いかはさておき。
351人間七七四年:2009/02/25(水) 01:18:47 ID:9Z3DvSNL
>>350
>李氏朝鮮
マテ
そこホロンでない
352人間七七四年:2009/02/25(水) 01:52:50 ID:28Rf/bbM
義兵:豊臣氏はホロン部
353人間七七四年:2009/02/25(水) 07:03:41 ID:R9xGiTgq
考えれば不思議な国だよな、李氏朝鮮。
今の北朝鮮を彷彿とさせる悪い意味で生命力を保ち続ける事に長けた国。
354人間七七四年:2009/02/25(水) 08:50:36 ID:hP1oaepa
小田原陣の後、正式に十八万石の豊臣家諸侯となった宇都宮国綱。
ところがその国綱に、豊臣政権との繋ぎ役である浅野長政がこのような事を言ってきた

「息子の長重を、世継ぎとしてあなたの養子にしてほしい。」

これには宇都宮家家中で猛反対が起こった。当然である。宇都宮家と言えば鎌倉以来の名門。
それに、浅野などという、どこの誰とも知れない者の子を当主にして良いものか。

結局、国綱はその話を断った。


さて、太閤検地が行われる。
宇都宮氏の領地の検地は、浅野長政が担当した。
すると、なんということだろう、宇都宮氏の石高は、表高の十八万石に対し、
倍以上の三十九万余石が計上されたのだ!

「これは宇都宮氏の所領申告に不正があったのだ!」

国綱は豊臣政権の摘発を受け、慶長二年(1597)九月、秀吉の命によって改易とされた。
355人間七七四年:2009/02/25(水) 09:33:55 ID:rbu1pror
戦国時代のパワハラですねこりゃ
356人間七七四年:2009/02/25(水) 13:29:41 ID:AEZJ5TYE
宇都宮氏にとって豊臣政権は鬼門だにゃぁ

宗家にとって大恩がある城井宇都宮は滅ぼされ、結城に養子に出してたのに秀康送り込まれて…
挙句の果てに本宗家も改易w

357人間七七四年:2009/02/25(水) 13:59:43 ID:L4IPkL0C
年若いぶん、空気読めなかったのが墓穴堀田
あんまり同情できないな
358人間七七四年:2009/02/25(水) 14:31:31 ID:KX4ZeTJ1
暗殺将軍の影

天文十七年八月 三好長慶は叔父・政長の討伐を細川晴元に進言するが、晴元これを拒否。
         長慶は細川氏綱を担ぎ晴元・政長に叛旗をひるがえす。  
天文十八年六月 長慶、摂津江口城を攻撃し政長を討ち取る。
天文十八年七月 長慶入京。晴元、将軍義晴と共に朽木谷へ逃亡。
天文十九年七月 将軍・義輝軍、洛内にて三好方と戦うも京奪回ならず。
天文二十年三月 長慶、吉祥院にて政所執事伊勢貞孝と会談。
         挙動不審の稚児が屋敷の周りを徘徊していたため、警備方は稚児を捕獲し拷問
         稚児「公方の命令で屋敷に火を付けて長慶と貞孝殺すつもりでした。」
         稚児及び近くに潜んでいた稚児の仲間二人を処刑。
天文二十年三月 長慶、貞孝宅にて酒宴。貞孝邸内に紛れ込んだ進士賢光に襲撃され負傷。
         賢光を捕獲・拷問する。賢光「公方の命令で長慶を斬り殺すつもりでした。」
天文二十年五月 長慶の岳父・遊佐長教、目を掛けていた時宗の僧侶に刺殺される。
天文二十年六月 長教の婿・筒井順昭、二十八歳にて謎の死。
359人間七七四年:2009/02/25(水) 14:33:47 ID:Xhvnt/oz
>>343
加藤嘉明にも同じような話あるし、これもテンプレ逸話なのかねぇ。
360人間七七四年:2009/02/25(水) 15:01:24 ID:hP1oaepa
>>358
足利将軍家は暗殺術が伝統芸みたいなところがあるよねw
361人間七七四年:2009/02/25(水) 17:55:43 ID:/VK+c9Ln
約一名、悪人の所に堂々に乗り込んで大立ち回りして事件を解決しそうな将軍がいるけどな。
362人間七七四年:2009/02/25(水) 17:57:17 ID:BdeuhsGr
宇都宮氏、麻生太郎ちゃんの遥か遠い親戚、
と言うか大昔の御本家なんですね。
363人間七七四年:2009/02/25(水) 18:20:48 ID:6e6bZV74
>>362
深谷上杉の家老で、江戸時代に老中をだした秋元氏も宇都宮支流らしいな。
364人間七七四年:2009/02/25(水) 20:04:42 ID:fGiSbwt6
「南のDQN四天王・家久と四天王になり損ねた男」

島津家とツンデレDQNを輩出した細川家が江戸初頭まで親交があったのは比較的知られていると思われるが
島津DQN家久(当時は忠恒)と福島正則の間に交流があったことは余り知られてないのではないだろうか。

ほとんど接点の無かった島津DQN家久と福島正則がつながりを持ったのを確実に確認できるのは
慶長7年(1602年)、島津DQN家久が舅・義久の反対を押し切って単独で家康との会見に挑むため
勝手に上洛したときのことである。
何故かそれまでほとんど交流の無かった福島正則がDQN家久に接近し、
それどころか島津家が諸大名や商人から借りに借りて積もり積もった借金を正則が立て替えて返済してくれ
チャラにしてくれたのである。
このことはDQN家久にとっては 家 康 の 島 津 家 の 安 堵 よ り よっぽどうれしかったらしく
「福島殿がボクをあれこれと世話してくれて、借金も立て替えて返して下さいました!」
・・・と国元に書状を送っている。

福島正則の島津家への世話焼きはまだまだ続いた。DQN家久にはもちろんのこと
その舅兼伯父の島津義久や父の島津義弘にも季節の挨拶を欠かさず贈り
また、江戸に人質に出されていたDQN家久の妹が屋敷が失火に遭い焼け出されると、
正則は自分の屋敷をDQN家久の妹に提供し、困らないように世話を焼いた。
その救いの手は、国元で女漁りに余念がないDQN家久より遙かに早かったらしく
家臣からの
「福島正則殿が我らを助けて下さいました!ちゃんとお礼いって下さいね!」
という内容の書状が残っている。

正則がこのように島津家に接近したのは、豊臣家と徳川家が対立した暁に
西軍に付きながらほぼ無傷だった島津家の力を借りようと考えていたからではないかとも言われている。
しかし、豊臣家は慶長20年(1615年)に滅亡。
更に福島正則は元和5年(1620年)改易された。
この時に島津DQN家久が正則をかばったという史料や逸話は 全 く 残 っ て い な い 。

なお、気になる「正則が立て替えてくれた島津家の借金」についてだが、
これに関してもその後DQN家久が正則に少しでも返済したかというと
そういう記録も残ってないのである。
--------------------------
・・・DQN四天王に入選したのと落選した境目はこのへんだったのかなー
365人間七七四年:2009/02/25(水) 20:15:01 ID:hP1oaepa
> この時に島津DQN家久が正則をかばったという史料や逸話は 全 く 残 っ て い な い 。

申し訳ないが笑ってしまったw
そういえば正則の改易の時、多少なりとも正則をかばっていたのって本多正純くらいだな。
366人間七七四年:2009/02/25(水) 20:20:29 ID:G4Uxpx7H
四天王の家は基本的にこういう判断だけは的確。

森忠政

豊臣と準一門という事で秀吉の死の際に遺品の一部を受け取り。

同年中に家康に忠誠を誓う。
367人間七七四年:2009/02/25(水) 20:22:12 ID:TvooLflA
ここで忠恒が正則を擁護して徳川に目付けられて共倒れになったらそれこそどうしようもない
家の事を第一に考えた当主らしい考え方だと思うよ
少なくともスペースまで開けて引き立たせるほどのDQN話ではない
368人間七七四年:2009/02/25(水) 20:27:55 ID:hP1oaepa
正則を改易させるかって話が出たとき、本多正純が

「正則改易しようとすれば、友好関係にある大名が、正則と一緒になってそれに抵抗し、
混乱を引き起こすだろうからやめた方がいい」

って言ってて、
秀忠が「それでも幕府の遺臣をかけて改易する!」って、合戦の準備までしていたんだけど、
いざ改易を発表したら、正則を助けようとする大名はだれもいなくて、秀忠はすっかし拍子抜け。
それ以降正純を信用しなくなった、って話があるね。
369人間七七四年:2009/02/25(水) 21:04:27 ID:Uwn9Nt5I
市松に恩があるんだから旧臣を受け入れるとかしても良かった気もするけどな
370人間七七四年:2009/02/25(水) 22:54:10 ID:n65l6Sjy
1582年2月20日長崎を出港した天正遣欧使節、有名な4人の少年らは
訪問したポルトガル、スペイン、特にカトリック総本山のあるイタリアでは
極東から遥々やってきたキリスト教徒の貴公子として、いく先々で大歓迎を
受けた。ローマではローマ教皇のシスと5世の戴冠式の際、新法王のすぐ
横に列席させられる程の栄誉であった。反プロテスタントのプロパガンダ、東洋からやってきた
東方三博士に擬せられて利用されたのである。

ところが彼らがまだ帰国の途中のゴアに滞在中の1587年、
彼らを告発するスキャンダルが生じた。
少年らを教育していたラモン司祭が、「彼らの真の氏素性は、とても王子、貴顕には
値しない、単なる田舎のハナタレ餓鬼である。」とイエズス会本部に当てて
お手紙をしたためたのである。

伊東マンショは、日向の屋形伊東義佑の娘の息子、大友宗麟の
遠い縁者であったが、伊東家は当時島津に追われ、豊後で
食うや食わずの落ちぶれ中。彼自身も豊後府内では乞食同様の身の上であった。

原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンも、せいぜい国人の息子であり
とても王子、プリンスといえる身分、ふさわしい財力を持たぬ身であった。

何故、当時平戸にいたラモン司祭が告発したか、その真意は不明である。
おそらくイエズス会内部での坊主同士のつまらぬ喧嘩、出世争い、などであったろう。
371人間七七四年:2009/02/25(水) 23:10:34 ID:Uwn9Nt5I
ヴァリニャーノが日本の布教方針に色々介入してたのが気に入らなかったんじゃねぇの?
ラモンが既に追放されたカブラル派だったとか
本国でヴァリニャーノが挫かれればカブラルが帰ってくるかもしれんし
372人間七七四年:2009/02/25(水) 23:28:57 ID:FUYD+5HP
趣味の悪い話。

ある者が家康に↓を贈った。


      / ̄ ̄ヽ
     / /~ ̄ヽヽ
     | .|    | |
     |. | ・∀・| |  ベンキー!!
     ゝヽ  .ノノ
     ヽ, ̄ ̄ ̄ ̄)
     人     Y´
     し (___)


AAではわからないがこの便器には
蒔絵が施されていてそれは立派であった。
なんとも趣味の悪いことである。

「なぜこんな汚らしいものを飾りつけるのだ!
普通の便器はどうすればいいんだまったく!
おい、さっさとぶっ壊せ!」

かくて高価な便器は壊された。
さすが家康公、倹約家である。
主君が率先して倹約していることを家臣に示しているのだ。
便器そのものに怒ったわけではない。決して!!!
373人間七七四年:2009/02/25(水) 23:40:52 ID:yDlnuTX+
既出かもしれないけどもうひとつのパターン

家康「糞が絵を見るかっ!!」

これも破壊
374人間七七四年:2009/02/25(水) 23:43:41 ID:G4Uxpx7H
まさか三方ヶ原の家康のウン○事件に掛けてこんなもんを贈ったんだろうか・・・w
375人間七七四年:2009/02/25(水) 23:46:44 ID:BCi86q/s
誰から贈られたんだかはげしく気になるわー
376人間七七四年:2009/02/26(木) 00:02:25 ID:4EWgn5f9
>>369
市松さんの家臣団は仕官先に困らなかったとか
ていうか島津家に就職って...無いだろjk
377人間七七四年:2009/02/26(木) 00:59:43 ID:O0IH+nM4
>>376
それでも、例えば借金は返すとか、配流先の正則の生活を援助するとか、
ほかに恩返しの手段はあるだろうに、それが無いってのがなあ。
378人間七七四年:2009/02/26(木) 01:12:50 ID:sGX5aRd2
>>372
便器AAがナイスw

漆器じゃないけど立派な絵の描いてある便器実在するよね。
小樽の「ニシン御殿」として有名な青山別邸で見て仰天した。
ロビーの来館者用のトイレはこれをそのまま復元してある。
http://www.otaru-kihinkan.jp/aoyama/sansaku/index.html(2Fの「便所」をクリック)

>>376-377
市松の一方的な片思いで、DQNは「一方的に貢がれているボクちゃんラッキー!」
・・・ぐらいにしか思ってなかったんだろう。市松カワイソス(´・ω・`)
379人間七七四年:2009/02/26(木) 01:13:00 ID:2MlL96Wo
>>377
借金を返すもなにも、島津はそんな状況じゃなかろうし、それをしないから
こそDQN・・・
380人間七七四年:2009/02/26(木) 01:14:44 ID:AJIRKsxd
白蟻ハウスと化した鹿児島城とかで島津の財政も火の車でござい。
381人間七七四年:2009/02/26(木) 01:17:00 ID:4PbG5bMT
>>372
阿片戦争のときだったか、中国のおまるがあまりに綺麗なので
イギリスだかが奪ってランチボックスとかにしていたそうだ。
気付いておえー。
382人間七七四年:2009/02/26(木) 02:40:56 ID:SCdptHdA
>>372
昔のお公家さんちはンコ箱という綺麗な容器があって
そこで用を足して家人が始末していたようですふぁqp
383人間七七四年:2009/02/26(木) 03:25:48 ID:1XHn6GGJ
>>381
人が食事中に…orz
384人間七七四年:2009/02/26(木) 03:48:11 ID:9TcG1FXQ
>>382

芥川龍之介「好色」にその話があったな。
侍従の局のことを諦めるため、ウンコボックスの中身を
見たらいくらなんでも百年の恋もさめるだろうとウンコ
ボックスを強奪、だけど開けてみたら我慢できずに中身
を食べちゃったって話。
385人間七七四年:2009/02/26(木) 03:59:07 ID:QxSjubXd
好色なんてレベルじゃねーぞ
386人間七七四年:2009/02/26(木) 04:16:05 ID:Ke1UocwJ
あれ、なにぶん読んだのが十年以上前なんでうろ覚えなんだが、
それって実は家人が気づいてて砂糖菓子に入れ替えてたとかいう落ちがなかったか・・・?
387人間七七四年:2009/02/26(木) 04:27:02 ID:f7T+97g/
畠山「変態もほどほどにしろ」
388人間七七四年:2009/02/26(木) 04:29:39 ID:OfGPOp6Z
今昔物語の平中の話だね
389人間七七四年:2009/02/26(木) 09:08:22 ID:KnNVgAHd
谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」で同じエピソードが。

食べたら、女があらかじめ便を暴かれることを予測、用心して
昆布と鰹で巧みに便に似せられたものであった。
実に芳しく、恋情が逆につのったとか。
390人間七七四年:2009/02/26(木) 09:14:42 ID:Guv00nh7
これみたいだなw

○○ってうんこするの?

しないよ派 ─┬─ 肛門ないよ派
          │
          ├─ 肛門あるよ派
              │
          │    ├─ 肛門からは何も出ないよ派
          │    │
          │    ├─ 肛門から出るものはウンコではないよ派
          │    │    │
          │    │    └─ 石川の排泄物は本質的にウンコなどではない派
391人間七七四年:2009/02/26(木) 09:16:47 ID:5mRLzYcc
水木のマンガ今昔物語で一番引いたエピソードだw
今昔物語は悪い話ばっかりだが……戦国時代じゃないよな
392人間七七四年:2009/02/26(木) 09:23:06 ID:gb3TDLd4
う○ことふんどしの話になると盛り上がるなw
393人間七七四年:2009/02/26(木) 09:25:08 ID:gTwDAqbK
真田信之と共に苦難を乗り越えていくスレin歴ゲ2 より転載
773 名前: 名無し曰く、 投稿日: 2009/02/24(火) 21:11:53 ID:MzXroDCN
http://www.city.ueda.nagano.jp/sanada/archive/bunkazai/sanadakouen.html

        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
なんで爺さんと親父のレリーフがあって、俺のが無いんだ、、。
394人間七七四年:2009/02/26(木) 11:41:09 ID:OxOI4mKB
茶杓という茶器がある
茶杓とは茶粉を計る匙の事で茶筅と並び茶道では消耗品とされる
さて、織田有楽斎作の茶杓が現存している
その名も、

‘玉ぶりぶり’

消耗品が400年後に美術館に展示されるなど思いもしなかったであろうが他に良い名は無かったのか?
何ともネーミングセンスの悪い話
395人間七七四年:2009/02/26(木) 11:43:25 ID:ZO8YfRV9
>>393があまりにもひどすぎて涙が出てきた
兄ちゃん……
396人間七七四年:2009/02/26(木) 11:49:36 ID:z5wbYwoD
上に同じく。兄ちゃん…
397人間七七四年:2009/02/26(木) 12:35:43 ID:bGv+rSEq
真田家は誰が守ったんだと思ってるんだ、まったく
398人間七七四年:2009/02/26(木) 13:19:39 ID:GqT8Y132
全米が泣いた
399人間七七四年:2009/02/26(木) 13:22:35 ID:sGX5aRd2
400人間七七四年:2009/02/26(木) 13:56:22 ID:1XHn6GGJ
>>394


                      、_f^ヽ
                  ミ三ニ彡ゞ=ニ'、
                 / ̄ ,イリハi})ヾ丶、
                /   /ィノリ川l.i.l.i.l.i.ヽ、
                  /   く彡彡ノノノj⊥、l.i.l.ヽ_,ノ
              /     `ゞッ=ミソ(ィ'ぅ丶l.i.l.iV_,' _,_
              l  , '  ,、 '´  `ヾj,ニ、 )ヽミッゞくラ丶、
              '、/  ,イツ        、゙_,ノ  ,! l/:.:.:.:.丶、
ヾ 川川川川川川川,ノ  '、'、,li},イ   _、    ヽ'、 i,  /:.:.:.:.:.:.:./l
三           三.   ヾミ'゚'゙ー _,ィf トミ、   ヾ!l! /:.:.:.:.:.:.:.:/:.l
三 ゲ 良 こ 俺 三      ', ::... '゙//::::ヽ    lリ/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.l
三 ヒ  い の .の 三      l '´ /ノヘ::::::l   ,' /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.l
三 ヒ. 物 茶 作. 三     `⌒ '゙´  `tヲノ  /, /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:l
三 ヒ  で 杓 っ 三          _,.ン介-イl'/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,'
三 ヒ  ご と  た. 三         /:.:.:.:l:.:/l::ll/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,':.
三    ざ て    三         l:.:.:.:.l:./ l::l':.:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.,':.:
三    る      .三       (^ヾ:.:.:l:./ ,l:/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:,:':.:':.
三    よ      .三       ,/`ト,∨:/ l/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.l⌒l:.:.:
三           三     /: : l{∧∨ ,/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:l'^'l:.:.:
ノ 川川川川川川川ヾ    ,イ_ ,ィ'l:しヘ.∨:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:.:.'(ソ:.:.:
                /: : : : : lr‐-=.ヘУ:.:.:.:.:../:.:.:.:.:.:.:.:.:',:.:.:.
               r'ニ-‐: :/-、 、_,へ、(二,^ヾ、:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
              //: :/, -、 、_,.ヘ、 `~`゙'ー- ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
             /´: : ノ/_,_ 、__ 〉、 `ヽ丶、   'i,:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
401人間七七四年:2009/02/26(木) 13:59:11 ID:Guv00nh7
家康見栄を張る



大阪夏の陣、五月七日の朝のことである。

家康は具足をつけず、袴に茶色の羽織という姿でいた。
このとき藤堂高虎がやってきて家康の姿を目に止め、

「具足はお付けにならないのですか?」

と、尋ねた。すると家康

「秀頼の様な若輩者を成敗するのに、具足などつける必要があろうか!」
と言った。

さて、高虎がその場を退出した後、家康は傍にいた松平右衛門太夫にこっそりこう言った

「高虎にはあんな事を言ったが…あいつにも、こんな事は悟られたくなかったからだが、

実は歳を取って思いがけなく下腹なども膨れて、具足など着ては馬の乗り降りも出来ない有様なのだよ。
それで、具足をつけないのだ。

わしも若い頃とは、本当に変わってしまったよ。」


この時徳川家康74歳。天下人とて、歳を取っても見栄は張りたいものなのだ。
402人間七七四年:2009/02/26(木) 14:07:59 ID:Guv00nh7
>>401
投下して思ったが、見栄を張るというより「強がる」だな。
すいませんけどまとめに入れるときは「強がる」にタイトル変えてください…orz
403人間七七四年:2009/02/26(木) 14:14:50 ID:NX7lYQUq
家康は天下を獲った代償として半永久的にうんこ洩らしが晒される非情。
404人間七七四年:2009/02/26(木) 15:19:25 ID:/ud2bW5I
>>372を読んで思った
贈られた便器→脱糞→三方ヶ原での悪夢の醜態・・・

という連想が家康の脳裏に瞬時に繋がり
さしもの家康も思わずカッとなって叩き壊したんじゃまいか?
405人間七七四年:2009/02/26(木) 15:43:59 ID:qwy+XQ5D
>>401
そして昼間には真田信繁、毛利勝永にさんざ追い回され、
三方ヶ原以来の屈辱を味わうわけか…
406人間七七四年:2009/02/26(木) 15:51:41 ID:Guv00nh7
ウンコを喜ぶのは小学生までだぜ
407人間七七四年:2009/02/26(木) 16:25:57 ID:NX7lYQUq
本当は家康の黒歴史知っといて便器贈ってくるヤツは八つ裂きか改易
にしたいくらいだろうけど、それやったら半永久的に「小さい男」として
歴史に名が残るから出来なかったのだ。
408人間七七四年:2009/02/26(木) 16:58:38 ID:gb3TDLd4
>>405
某信玄公のスレッド連想したw
409人間七七四年:2009/02/26(木) 18:05:23 ID:5mRLzYcc
>>401
そうなってまで馬に乗り続けるところも強がりだよなぁ
410人間七七四年:2009/02/26(木) 20:07:11 ID:ZZFsMA44
万能お公家さんこと、山科言継の話

1556年、言継は今川家に朝廷への献金を「命ずる」べく、駿河に下向した
その途中、伊勢国から三河国の篠島へ船で渡ることになったのだが…
用意された渡し舟、言継から見てあまりに小さかった

言継「渡海するのは波の荒さで有名なところ…ああ、なんと恐ろしい。ここで果ててはお上に申しわk」
船主「わ、わかりました。大きな船を手配させますので」

さて、無事篠島まで到着した言継。早速、渡し賃を支払うことになった

船主「船賃百匹になります」
言継「おお、百匹ですか…」
船主「え、ええ、百匹ですが」
言継「百匹…ああ、使命を果たせずお上に申しわk」
船主「わ、わかりました!五十匹で結構です!」

大きい船を用意させた上、船賃を半額に値切った男、山科言継
確かに万能お公家だった
411人間七七四年:2009/02/26(木) 20:08:01 ID:NbALYFy+
>>401
こうして家康最後の大仕置はくそみそな勝利に終わったのでした。
412人間七七四年:2009/02/26(木) 20:12:36 ID:AJIRKsxd
>>410
麻呂AAで喋らせたくなった
413人間七七四年:2009/02/26(木) 20:13:59 ID:TUzfnU1K
>>410
言継さんサバイバーすぎるな。
どんだけ生活力有る公家だよw
414人間七七四年:2009/02/26(木) 20:21:36 ID:2UiormE5
         ,l、::::::::::::::::::::::::::::::::::|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
        ,ハ::`丶、:::::::::::::::::::::::|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;_,, -‐:〈
        {;;;;ヽ、:::::`丶、:::::::::::::l:;:;:;:;:;:; ィ";:;:;:;:;:;:;:}
        ,l;;;;;;;;;シ丶、:::::::`:`:ー'‐::'':"::::::::_, ィ"´;;l
       fうl;;;ミミ、  ``丶 、::::::::,: - ''"´  リ;;;;;;f-、   渡海するのは波の荒さで有名なところ…
       { l l;;;;;ッ=`   (三> `^´ (三シ  ム;;;;;;ソl}
       t !;;;リ    _,,...,,_     _,,..,,_    l;;;//    ああ、なんと恐ろしい…
        ゙l ヾ;l  :'ィテヘ9ンミ   ,: ',シヒ9ン、  l;//
        `ーll!   `''==ヲ'  l:.:^''==彡'" ,!リノ    ここで果ててはお上に申しわけが立たぬ…
            ll   ` '' "   l:.:.:` '' "  ,i;;l´
          li,     ,r .: :.ヽ、    ,:,り
           t、   / ゙ー、 ,r '゙ヽ  /,K′
           ゝ、 ,:'   :~:    } // /ヽ、
           /{lヽ ,ィ==ニニ==,ノ,ノ7 /:.:.:.:ヾニヽ
         , ィ/:.:い ヽ `` ー一 ''"/,/,/:.:.:.:.:.:.:.:ソ }- 、、
        / /:.:.:.:ヽヽ `' ー‐ -- '"//:.:.:.:.:.:.:/ /   ` 丶、
     ,, - {  ヾ:.:.:.:.ヽ丶     //:.:.:.:.:, -'" ,/       ` 丶 、
  ,, - ''"   丶、 `` ーゝ、ヽ.,_,,ィ"ェくユ- ''" , ィ"
415人間七七四年:2009/02/26(木) 21:31:06 ID:AJIRKsxd
腹立つw
416人間七七四年:2009/02/26(木) 21:41:58 ID:qwy+XQ5D
>>413
公家といっても貧乏公家だし、庶民と風呂 (といっても当時だから蒸し風呂のはず)
に入るような人だからねい。
417人間七七四年:2009/02/26(木) 22:25:27 ID:2MlL96Wo
>>416
貧乏って言っても羽林家の出なんだけどね・・・
418人間七七四年:2009/02/26(木) 22:42:45 ID:KVDSXlBq
小早川秀秋の初陣は朝鮮、1597年慶長の役であった。

15歳の少年の率いる軍船は、対馬を後にして数時間後に目にしたのは
待ち受けている朝鮮水軍の船団であった。

これが初陣である少年の補佐役は黒田如水であった。
敵船を見るなり突撃を命じようとする秀秋を制し、
如水はしばらく船足をとどめさせ静かに時を過ごした。

待つことしばらく、前方の朝鮮水軍は戦いを仕掛けるわけでもなく
すごすごと西の海上へ去って行った。

大量の兵員と食料を積んだ船団での海戦は論外であったし、
この海での戦は、文禄の頃より日本にたいそう分が悪かった。

如水は、朝鮮水軍の航続距離を知っていたのである。
彼らはこの日、無理に無理をして櫓を漕ぎ、彼らの勢力範囲の
遥か東まで進出してきたのであった。

日本側が挑発に乗らなければ、朝鮮側も戦火を開くことは
できなかった、つまり帰り道の櫓を漕ぐ事で水夫らの体力は
限界だったのである。

日本側の補給線とは、対馬と済州島を結ぶこのか細い一線だけであった。

半島の西岸からの海上補給が可能であったならば、朝鮮の役の展開は
更にこじれまくっていたことであろうが。
419人間七七四年:2009/02/26(木) 22:49:09 ID:ZiELzIE9
>>393

ttp://www5.synapse.ne.jp/furusato/sub2oosyouji.htm
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
義久「変なもん作られるくらいなら無い方がマシだぜ、、。
   何で降伏時の銅像なんか作るんだよ、、。」
420人間七七四年:2009/02/26(木) 22:55:24 ID:D7X4d4r3
商売上手、オマケに酒豪、なのに町民の病気をタダで診る人情溢れる言継さんだが、
重大事件が起きた日の日記はことごとく破り捨てて、身を守る抜け目無さも持ってたと。

恐るべしは下級公家。
421人間七七四年:2009/02/26(木) 22:57:43 ID:qwy+XQ5D
>>417
でも、摂関家、清華家ですら困窮していた戦国時代、羽林家となると…

まあ、半ばヤクザと化している地下人よりはマシなのは確かだけど。
422人間七七四年:2009/02/26(木) 22:58:10 ID:AJIRKsxd
>>419
さらに肖像画が一枚も現存してないからその情けない銅像が義久としてクローズアップされる事に・・・ならないか。
423人間七七四年:2009/02/26(木) 23:13:51 ID:CY3THSo7
姉川の戦いは織田・徳川連合軍の勝利に終わった。
この戦いで優れた働きをした者たちは『姉川の七本槍』と謳われた。

その一人、渡辺金太夫は特に派手であった。
赤色の傘、金色の短冊をつけた旗指物はとにかく人々の目を引いた。
信長はこの金太夫の働きぶりを見て感心した。

信長「金太夫の働きに並ぶ者はおるまい、褒美をやろう。」
金太夫「ははっ、ありがたき幸せ!」

「ちょっと!ちょっとちょっと〜!」

信長「な、何だ?どうしたのだお前たち。」

それは他の七本槍たちだった。

「私たちはみんな金太夫より前に出て戦いましたよ!」
「あいつが派手だから私たちが目立たなかったんです!」
「理不尽だ!不公平だ!」

信長「わ、わかった・・・。お前たちに感状を出そう。」

彼らも活躍していたのだが、
信長は派手な金太夫にしか目が向かなかったのだ。
世の中そんなもんである。
424人間七七四年:2009/02/27(金) 01:07:53 ID:AGVJbpeG
>>422
実はもうされているのです・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E4%B9%85#.E4.BA.BA.E7.89.A9.E3.83.BB.E9.80.B8.E8.A9.B1
>この時代の戦国武将には珍しく、義久本人の当時の肖像画は残存しておらず容貌に関しては不明であるが、
>鹿児島県薩摩川内市の泰平寺には後世になってから作られた義久降伏の銅像がある。
425人間七七四年:2009/02/27(金) 01:18:35 ID:LBwRf6QO
>>424

地元の偉人を地べたに座らせる銅像作るとか…ほんとどういうことなの…
弟との扱いの格差が激しすぎてもう涙も枯れました
島津家は誰が支えたと思ってry
426人間七七四年:2009/02/27(金) 01:31:59 ID:4F9KdiWj
当主なのに裏方だよな
島津家最大の勢力を築いたのに
427人間七七四年:2009/02/27(金) 01:48:27 ID:wClgzm9L
秀秋、初陣が朝鮮で海戦で楽な出来レースでも無いって..
ラスボス何考えてんだよ...楽な所当てろよ
428人間七七四年:2009/02/27(金) 01:58:12 ID:ny+wWTuU
淀殿「その通りですねー」
429人間七七四年:2009/02/27(金) 02:09:44 ID:clwCkyLw
補佐役に怪物がついてたのなら問題ないし破格の待遇だろ。
430人間七七四年:2009/02/27(金) 03:17:42 ID:N0r7l0v0
そもそもラスボスは朝鮮なんか眼中に無かったからな
431人間七七四年:2009/02/27(金) 07:19:38 ID:J8fm1/YK
手柄立てようと最前線で槍振るったらラスボスから「お前は大将なんだから雑兵みたいな真似すんな」とかえって怒られたり
頑張りが空回りしてますな金吾殿
432人間七七四年:2009/02/27(金) 08:01:06 ID:xulAc7Iu
もはや誰もラスボスの本名覚えてないだろ
433人間七七四年:2009/02/27(金) 08:30:45 ID:7BmJHXPd
え〜と、プロゴルファー猿だよね?
434人間七七四年:2009/02/27(金) 09:24:23 ID:9dsimhCW
うちの地元にはラスボスの湯という温泉があるんだが
435人間七七四年:2009/02/27(金) 10:38:06 ID:jH/QX5xE
小早川秀秋を待ち伏せしていた朝鮮水軍である。

彼らは深入りしすぎた。
気づけば遥か南東方向に対馬の山影がみえる、そんな
所まで流されていた。
慌てて船の向きを変え彼らの本拠地である閑山島を目指した。

この頃、海戦の実状に無知な李王の命令で司令官李シュン臣は軍を追放され
田舎で畑仕事をしていた。替わった元均も嫌々ながらの出撃であった。

潮流と風にはばまれ、舮を懸命に漕ぐが朝鮮水軍の船はばらばらに四散してしまった。
ある者は海に沈み、なんとか漕ぎ寄せた島に上陸したものも島津義弘の軍に討ち取られた。
首尾よく閑山島まで達した艦船の行く手には、島津の軍船が準備万端待ち受けていたのである。

7月15日から16日にかけ、朝鮮水軍は壊滅した。
436人間七七四年:2009/02/27(金) 12:12:45 ID:cFQDRQuq
朝鮮水軍に栗田ターンを教えてあげたい。
437人間七七四年:2009/02/27(金) 22:00:34 ID:XahcLCRa
>>434
貴方佐賀県の御方?
438人間七七四年:2009/02/27(金) 23:09:40 ID:9bMR+Js0
上方で人付き合いに苦労し、すっかりホームシックになった南部信直
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html
書状で他にもこんなことを言っていた

「津軽為信のやつ、前田利家殿のところで迂闊な言動をしたそうです、馬鹿だよね(笑
それで前田の陪臣風情に、田舎者って罵られたみたいですm9(^Д^)プギャー!!
最近じゃ、さすがに為信も前田殿や浅野殿に顔を出せないんだってwざまあww」

同じ境遇にいたってもなお、仇敵同士は和解できないのだった
439人間七七四年:2009/02/27(金) 23:11:38 ID:mHNPpkNb
>>438
流石南部さんと津軽さん。仲の悪さは筋金入りだぜ。
440人間七七四年:2009/02/27(金) 23:12:43 ID:YR9G/KzF
現代でもいがみ合ってんだしそりゃそうよね
441人間七七四年:2009/02/27(金) 23:32:34 ID:rmlbjCLx
下の人間はさらに下の人間を見て安らぎを得るのです。
442人間七七四年:2009/02/28(土) 01:55:47 ID:am5C+oNK
その信直の手紙、津軽に対する嘲笑というよりは
「オラだけじゃなくて為信も馬鹿にされただよ、田舎ものはなんで上方大名に馬鹿にされるんだべか」
という同情の気持ちが有ると自分は感じたが
少なくとも原文読む限りそんなプギャーとかいうノリじゃなかったよ

無粋は承知だけど
443人間七七四年:2009/02/28(土) 09:56:02 ID:JuQ+Ig65
いや、無粋じゃないだろ
むしろ同じ逸話なのかと思うぐらいニュアンスが違う
>>438の意訳の仕方だと南部の器量ちいせーw
と思ったけど>>442読むと地方大名の悲哀みたいなのを感じるし

本当に逸話は書き方次第すなぁ
444人間七七四年:2009/02/28(土) 11:00:01 ID:JVB5gvt+
>>443
南部の場合、ろくなエピソードがないからなぁ。
いい話といえば、第三者が読んでも共感できない
「相馬大作テロリスト」の話とかだし。
445人間七七四年:2009/02/28(土) 16:49:15 ID:dydYZe/Y
関ヶ原が終わると、浅野幸長はそれまでの甲斐から、加増され紀伊の国主となった。

さて、ある時、家康の御金改役、後藤庄三郎が熊野詣に出かけた。
帰ってきた後藤に、家康は紀州の様子を色々と尋ねた。
その中で後藤が、どうにも腑に落ちないことがひとつだけあったという。

それは後藤が浅野幸長に招かれ、彼の鷹狩りの同行した折りのこと。

「その時の狩は大変守備が良く、雉、山鳥、また鹿やむじななど多くの獲物が取れ、
私などは、幸長様はこれはご機嫌がよいであろうと思っていたのですが、
逆に幸長様のご機嫌は大変悪く、勢子や奉行、そのほか役のある方々を
散々に叱っておいでになりました。

ところが別の日の鷹狩りでは、全く獲物が無くさぞや不機嫌だと思ったのに、
これまた逆に大変ご機嫌が良く、役人達にも『骨折り大儀である』などと声をかけ、
褒美なども出しておりました。

これはどういうことなのか、私にはさっぱり分からない事でした。」

それを聞くと家康は笑いだし

「庄三郎が合点がいかないのも無理は無い。幸長がやったのは本当の鷹狩りと言うものなのだ。
獲物の多少が問題ではないのだよ。」

と、そのように言われたそうである。


しかしそのように言われても、やっぱり書いてる自分にもよく分からないのでこっちに投稿。
446人間七七四年:2009/02/28(土) 17:15:36 ID:i4e3bLhN
獲物の有無は時の運というか自然任せの制御不能な部分
奉行や勢子達の働きは人間の行いであり自律可能な部分

上の狩りでは獲物が多かった反面
声を上げない勢子だとか気を抜いてる奉行達だとか
手を抜いてる人達が多かったんじゃないの?

逆に下の方の狩りでは獲物は少なかったけど
奉行も勢子も手を抜かずに働いて幸長もいい狩りが楽しめたとか


まぁ獲物の多寡しか見てない庄三郎の観察眼の悪さという事で
447人間七七四年:2009/02/28(土) 17:51:13 ID:yy2ISAZ+
>>445
こっそり、事前に準備した獲物を放った出来合い鷹狩りだったんじゃないの
448人間七七四年:2009/02/28(土) 18:06:22 ID:UyR93sjZ
鷹狩りは軍事訓練と娯楽を兼ね備えた遊びなわけで
訓練と考えた幸長と遊びと考えた後藤との違いなんだろうね。
449人間七七四年:2009/02/28(土) 18:24:15 ID:NRhT2NDX
接待ゴルフでマジになっちゃう人とエンジョイする人の差、みたいな?
450人間七七四年:2009/02/28(土) 18:32:17 ID:LEmSLTeB
鷹狩りってのは鷹が獲物を持ってきたら餌を渡すのはご存じの通り
これが鵜飼との決定的な違いでもある
だからこそ獲物を大量に狩る鷹は狩りをしていないと言える
満腹ならば狩らないのが当然なんだから
つまり浅野幸長は、鷹に‘採る’躾をした事が不満だったんではないかな
451人間七七四年:2009/02/28(土) 19:28:02 ID:Vx+izMzQ
>>420
トレース疑惑なかったっけ?
452人間七七四年:2009/02/28(土) 20:46:45 ID:Z8caIbim
家臣が骨折り損するのを見て馬鹿にするのが楽しみだった…というのはないか。
453人間七七四年:2009/02/28(土) 21:24:16 ID:pKPhMP7M
島津家久(悪)「そんな事あるはずないよねー」
454人間七七四年:2009/02/28(土) 23:22:16 ID:bl61YGoK
短パン
455人間七七四年:2009/02/28(土) 23:36:23 ID:dydYZe/Y
調子に乗ってわからん話をもう一個投下してみる


大阪冬の陣の折の事である

住吉にある家康の本陣に、伊達政宗、佐竹義宣、上杉景勝が一緒に
ご機嫌伺いに来たことがあった。

その時伊達政宗は、猩々緋の袖なし羽織に菊を綴じ付け、朱鞘の脇指、白銀の打鮫、
紅の腕ぬき、という姿であった。
佐竹義宣は普通の黒羽織に五本骨の扇子を大きく付けただけの姿、
そして上杉景勝は、黒いとじおりの羽織に金糸で葦と白鷺を縫い付け、赤い紐を付けて
着ていた。

彼らが退出した後で家康は、
「景勝はおそらく、律儀な人間を周りに使っているのだろう。
そう言う者たちが景勝をあの姿にさせたのだろうが、しかし馬鹿げた事だ。」

と、お笑いになった。
(駿河土産)


という事なのですが、何が律儀で何が馬鹿げていて何がおかしいのかさっぱり分からん。
分かる人教えてください(;´Д`)
456人間七七四年:2009/03/01(日) 00:40:24 ID:d+8mg5sY
センスがあるので派手に着飾っても様になる伊達
オーソドックスに決めた佐竹、
センスが無いくせに無理に着飾っておかしなことになってる上杉
という様子だったのでは?
457人間七七四年:2009/03/01(日) 00:52:57 ID:FLAJMvHx
大将の元に赴くからと言って戦場である以上最低限のドレスコードを守ればおk

そういう意味では佐竹義宣は当然の心構えであり
わざわざ上杉景勝にきっちり着飾らせた家臣たちは杓子定規に大将へのご機嫌伺いといったらこう!と決めてかかった融通が利かない馬鹿だってことじゃない?

伊達?
ああ、着飾るの趣味でしょ、と俺は思ったし多分家康もそんな感じで流してたと思うw
458人間七七四年:2009/03/01(日) 01:05:07 ID:Gnw5t5jh
家康「ちょwwww景勝の奴め政宗に対抗しようと無理に頑張っちゃってるよwwww
    家臣も誰か止めろってwwwwwって言うか寧ろ家臣が勧めたのかアレwwwwww」

かと思った
459人間七七四年:2009/03/01(日) 01:11:13 ID:Z1sJolWs
いや、それは律儀じゃなかろw
460人間七七四年:2009/03/01(日) 01:14:17 ID:cSeiILOd
伊達さんはさすが数寄者、見事に着飾った
佐竹さんは一見質素に見えるが源氏の名門だぞ!と言う誇りを背負って登場
どちらも天下人の前に出るには少し失礼だが
例え百万石のお墨付きを反故にされようと
関が原で中立を決め込んで改易されようと
両家の自信の程を窺わせる
一方上杉さんはと言えば当たり障りのなさ過ぎる格好だが
景勝本人がこんな格好を選んだ訳ではないだろうと考えた家康
主君に卑屈な格好をさせた家臣どもを見透かし
そんな事しなくても会津征伐はもう昔の話しだから気にするなよ
って事か?
461人間七七四年:2009/03/01(日) 01:47:21 ID:yy0cvXDY
家康が家臣に『景勝は服選ぶセンス無さすぎワロタ』と陰口を言った悪い話って事か。酷い男だな
462人間七七四年:2009/03/01(日) 01:58:20 ID:Vv1daEQT
景勝は傍回りに律儀な者を使っているようだ。
まあ景勝自身が選んだわけじゃなくその者達がしたのだろうが
おかしなことだなあ。
と言っているのだから、政宗は派手すぎる、義宣は地味すぎるが家康的におk、
景勝の姿はそれ自体は非常に律儀な姿なんだが、
その律儀さが家康的に何か外してる、という意味のことを言ってるんだろうが
解説見ても「家康の話の理由はワカラン(訳者)」と書かれていて笑った。
463人間七七四年:2009/03/01(日) 02:01:58 ID:hIijGQ0T
「律儀」=おせっかい、ていう皮肉かね
かなり派手な格好のようだし、単純に景勝の仏頂面との対比がおかしかったのかもしれない
464人間七七四年:2009/03/01(日) 02:18:05 ID:F9+N0KVj
.>>462
上司との面会に
「ジャケットに細いネクタイとスラックス」
「ベーシックなグレーのスーツ」
の二人とともに
「フレッシュマン御用達の紺色スーツ」
が来たようなものかな?
紺色スーツがクソ真面目な人柄だから、
余計おかしかったかと。
465人間七七四年:2009/03/01(日) 02:58:41 ID:xfi6BXly
政宗はお洒落に派手な格好を着こなしているし、義宣は地味だけど
これまた本人らしい感じがする。
だけど景勝は、周囲のものが家康の御前に出るのだからと、きっちりと
した格好にしたのだろうけど、本人にさっぱり似合ってなくて・・・

ということでいいのかなあ
466人間七七四年:2009/03/01(日) 03:20:32 ID:cSeiILOd
佐竹義宣の黒羽織の背中に大きな五本骨に日輪
頼朝マニアの家康さんには堪らんですな
しかし家康の考えは読み取り難いな〜
三河武士が面倒臭くなるのも頷けるよ
467人間七七四年:2009/03/01(日) 04:31:14 ID:iykYL66c
鷹狩といい、景勝の話といい、分かりやすい話じゃないか?

鷹狩をした浅野は大名だから、一軍の長。同じく家康も軍団のトップ。
鷹狩は獲物を狩ること以外に、軍事訓練でもあった。
純軍事的に見れば、獲物が穫れなかった方が、統率がとれ、滞りがなかった。
お前さんは森を見に行って、木一本だけ見て良し悪し言ってるよ。
全体像が見えてないよ。主眼がナンなのか?
目的がナンだったかをはき違えてるよって諭してる。


戦場で人に会うときに、伊達、佐竹は個性の違いはあれ、
そのまま戻り陣を指揮できる格好できた。
対して上杉はわざわざ正装に着替えてやってきた。

日程の調整がつかず、会社の飲み会が休日にやることになりました。
みんな休日だからと普段着で来たのに一人だけ、会社の集まりだからとスーツで来ましたと。
TPOってあるよねぇ〜って話。

さほど分かりづらくないと思うんだが。
468人間七七四年:2009/03/01(日) 04:57:58 ID:4r+98OWz
>>445
梅毒で頭いかれてただけの話じゃないの?
469人間七七四年:2009/03/01(日) 06:24:03 ID:alDQqUzH
>>455
長尾の桓武平氏と上杉の藤原と両方主張すんなよ、こら!
って、ことじゃないの?
470人間七七四年:2009/03/01(日) 07:46:04 ID:uozEgQUB
なんというか、当時の家康周辺の人たちもこんな風に
ああでもない、こうでもないとわかりにくい家康の真意を推し量ってたんだろうな。
そんで結論が出なかったから現在に至るまで問題先送りにされてると。
471人間七七四年:2009/03/01(日) 10:21:59 ID:avm6fPV3
なんとなく気になったが
大坂冬の陣の影勝・義宣は近くに陣を敷いて
一緒に作戦行動してたから一緒に来るのは分かるが
なんでその二人に政宗が混ざってきたんだろう。
確かに徳川政権になってから
この三人は一緒に行動することが多かったらしいが。
472人間七七四年:2009/03/01(日) 11:05:07 ID:LeT1f0ak
>>471
北国、外様の(元は)武門で鳴らした雄藩ばかりだから
大坂の陣終了までは幕府にも警戒されていたんじゃないかな、セットでw

上杉・佐竹は隠れもない元西軍(寄り)だったし
政宗は「天下人にだって気逆らいする俺様カコ(●∀・)イイ!!」というイタズラ者体質だし…
473人間七七四年:2009/03/01(日) 11:08:15 ID:PnLNiH/e
つーか、伊達、佐竹、上杉といった東国の諸侯は、大阪の陣の前の段階からまとまった形で、
家康というより秀忠に率いられているね。
474人間七七四年:2009/03/01(日) 12:07:16 ID:Bm4iIILP
仮に政宗が景勝の衣装で現れても、
「あいつめ、しらじらしく正装何ぞで来よってwww」
みたいな感じにしかならない気がするんだが。

逆に政宗の衣装で景勝が…ってなるとやっぱり笑われてそうなw
475人間七七四年:2009/03/01(日) 12:38:40 ID:nCd6Hrpy
小早川秀秋の客将に浦山景綱という男がいた
大層な器量よしだったらしく、一目見た瞬間政宗がフォーリンラブ
秀秋に家臣に譲ってくれないかと持ちかけた

秀秋「そーねー。景綱繋がりで片倉小十郎景綱と交換ならいいよ」
(●∀・)「よっしゃ!取ったどー!!」
小十郎「ちょwwwおまwwww」
なんと股肱の臣である小十郎を渡してまで家臣に欲しいと言い出したのである

その後どういう経緯か、小十郎が小早川家に譲られることなく浦山は伊達家に仕官した
浦山は伊達家臣の一家格である石母田家に婿入りして家督を継ぎ、石母田宗頼と名を変えて以後大いに活躍した


政宗に振り回される小十郎が可哀想でならない
476人間七七四年:2009/03/01(日) 12:41:45 ID:J8PHT2xd
>>475
ちょww政宗wwwww
477人間七七四年:2009/03/01(日) 13:01:06 ID:TV6SkyTg
>>475
ひでぇw
478人間七七四年:2009/03/01(日) 13:42:25 ID:YGLA8KNR
ちょうど秀秋が死んだのでうやむやにしたと予想w
479人間七七四年:2009/03/01(日) 14:21:09 ID:j3r29YkH
政宗はいつもの事だとして、秀秋は意外とお茶目な奴なのか?w
片倉のストーカーだって話もあったけど、あれは年齢的に無理がある気もするし
480人間七七四年:2009/03/01(日) 14:21:58 ID:J8PHT2xd
>>455
直江にボロクソに言われる無口な景勝しかでてこなかった。
481人間七七四年:2009/03/01(日) 14:35:08 ID:L6Lc5CJZ
>>479
秀秋的には無理難題言って断ったつもりだったのかも
482人間七七四年:2009/03/01(日) 14:57:57 ID:XZAute0W
非常識な申し出に対してキチンと非常識な回答してあげただけだな。
483人間七七四年:2009/03/01(日) 14:58:40 ID:YGLA8KNR
秀秋の切り替えし意外と上手いよな。
484人間七七四年:2009/03/01(日) 15:29:44 ID:amRtXeya
>>475
小十郎景綱じゃなくないか?
記憶違いじゃなければ、子小十郎の方(重綱)だった気がする
重綱は秀秋に追い回されたって逸話があるくらいだし
485人間七七四年:2009/03/01(日) 15:44:05 ID:j3r29YkH
>>484
ごめん、勘違いしてた
と、すると純粋にうまい返しだなw
486人間七七四年:2009/03/01(日) 15:59:24 ID:nCd6Hrpy
>>484
石母田家文書には景綱と書いてある
「宗頼はそれだけ政宗に重用されましたよ」ってアピールかもね
当時は石母田家のほうが片倉家よりもだいぶ家格が上だし
487人間七七四年:2009/03/01(日) 16:25:48 ID:j3r29YkH
俺が酷い勘違いだった(;^ω^)
安価先はちゃんと確認しよう
488人間七七四年:2009/03/01(日) 16:58:45 ID:qtWP5mWS
結局両方手元に置いたってことか。得したなおい…
489人間七七四年:2009/03/01(日) 17:34:04 ID:tYtY1M/x
>>488
まったくうらやましい話で
490人間七七四年:2009/03/01(日) 22:17:01 ID:6+Hq1pWR
>>489
アッー!!
491人間七七四年:2009/03/01(日) 22:18:36 ID:PnLNiH/e
伊勢の北畠具教には三人の子供がいた。
そのうち長男で、伊勢国司を継いのは北畠具房だが、
この男、大変太っており、普段の運動すら自由ではなかったそうだ。

そのため伊勢の国人たちは、具房を「太りの御所」と呼んで馬鹿にしていた。
しかもうつけ者で、麦と豆の違いも分からないような有様で、何の役にも立たない男だと思われていた。


のち、信長の手による、北畠一族の粛清が行われた。


北畠の者は、幼児まで惨殺されたにも拘らず、この具房だけが、命を助けられた。

惨たらしく殺された者より、生かされた者の方に、はるかに哀れを感じる。
そんなお話。
492人間七七四年:2009/03/01(日) 22:21:12 ID:48NJ01jb
根切りする価値すらない、と
493人間七七四年:2009/03/01(日) 22:59:12 ID:k4ahZr4k
醜ければ生かせ。同情をさそう者ならば殺せ。
494人間七七四年:2009/03/01(日) 23:07:54 ID:R1ctJEs0
六韜三略の教えに似たようなのがあったな
「切れ者の使者には何も持たせず返せ 馬鹿の使者には盛大に褒美を与えて返せ」
だったか。
コレをやられたのが大蔵卿局(淀の方の乳母→側近)。
495人間七七四年:2009/03/02(月) 00:11:02 ID:maZylx1U
今現在日本がやられているのもソレですな。
496人間七七四年:2009/03/02(月) 01:21:23 ID:C0OlKT5V
>494桐一葉のひとかわいそうです(´;ω;`)ウッ...


>495
はっはっは、笑えない冗談だなあ〜
「大衆はバカでグズだ、都合のいい情報を与えて、うまく操ってやるのがいいんだ!」
ナチの大衆扇動マニュアルでも丸暗記したかのような日本のマスゴミ...orz
497人間七七四年:2009/03/02(月) 01:53:35 ID:vltgrrO+
「DQNの妹」

島津義弘は50歳になってから娘に恵まれた。
年取ってからできた子供は可愛いと言うが、義弘にとっても例外ではなく、この娘を溺愛していた。
年頃になった娘が心配で、筆頭家老・伊集院幸侃の嫡男の忠真に嫁がせた。

これが彼女の人生のつまづきの始まりであった。

1599年、伊集院幸侃は斬殺された。
犯人は島津忠恒・・・つまり、彼女にとっては舅が実兄に殺されたことになる。
当然激高した彼女の夫・忠真は父の敵をとろうとして反乱を起こし、忠恒と戦を始める。
あの「庄内の乱」である。
彼女がどうしていたかは不明だが、忠真との間の娘が翌年に誕生したことから推測して
忠真と共に籠城して戦っていたのではないかと思われる。

戦は徳川家康の仲裁で和解に持ち込まれるが、忠真は彼女と共に島津義弘の元に預けられる。
1602年、上洛する島津忠恒になぜか夫・伊集院忠真は同行を命じられる。
が、その道中の途中で忠真は忠恒の命で暗殺された。
彼女は兄のために乳児を抱えて未亡人になってしまったのだった。この時19歳。

悲しいことは続き、24歳の時には病気がちだった母親の宰相殿が死去。
30歳の時には江戸幕府の指名で人質として江戸に行かされることになる。
彼女は忠真との間の忘れ形見と共に江戸に向かった。
78歳になって突然娘と引き裂かれた義弘は彼女と孫娘の今後を心配し、
多くの御殿女中を厳選してお付きとしたが、それでも心配でしょっちゅう手紙を送っていた。
江戸では火事で焼け出されると言う災難に遭う(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1464.html
が、それ以外は幕府から難癖を付けられると言うこともなく、
父・義弘には「犬を飼いました」なんてのどかな手紙を送ったりしていた。

彼女の運命が再び動くのは7年後
父・義弘が危篤となり帰国の許可が下りるが、
その時に兄・家久(この時には改名していた、以下「DQN家久」と書く)は忠真との忘れ形見の娘を
養女にしたいと申し出た。不審に思った彼女が聞くと、兄・DQN家久は養女にした娘を政略結婚で
桑名藩主・松平定行の後妻にするつもりなのだという。・・・それは娘との永遠の別れを意味していた。
しかし、彼女には兄に逆らう術はなく、鹿児島に帰る途中泣く泣く桑名で娘と別れた。
更に追い打ちをかけるような悲劇が待っていた。
ようやく鹿児島に着いた彼女を待っていたのは既に父・義弘が死んだという話であった。
498人間七七四年:2009/03/02(月) 01:54:54 ID:vltgrrO+
改行ではじかれるほど長くなってしまったorz 続きです。
--------------------------
最愛の娘とは引き裂かれ、父の死に目にもあえず、その後はひっそりと生きていこうと思っていた彼女
しかし、再び運命の歯車が彼女を巻き込もうとしていた。
兄・DQN家久が「お前にいい話があるぞ!」ともってきた話を何かと思って聞いてみるとなんと縁談
「39歳になって今更結婚なんてとんでもない」と冗談と思って受け流して続きの話を聞いて更にビックリ
相手は家老・島津久元・・・既に妻子がいる既婚者であった。
「すでにご正室のいらっしゃる方とは結婚できないでしょ」
と思っていたが、家久のDQNぶりを骨身にしみて知っている久元夫妻は難癖を付けられるのを恐れ
泣く泣く離婚し、後妻として彼女を迎えることにしたのだった。
翌年、40歳という高齢で久元との間に男子を生む。
が、この男子は15歳で突然亡くなってしまう。
その後、領内からは「若様が早死にしたのは先妻を押しのけた祟りだ」という噂が蔓延した。
・・・悪いのは縁談を持っていったDQN家久なのに。
その翌年兄・DQN家久が亡くなり、ようやく悪縁が切れる。
更にその5年後・夫の島津久元も死去。
彼女が死んだのは更にその6年後。享年66歳。
久元の先妻に遠慮したのかどうか、墓は久元のそばではなく自分の領地のある別の場所に息子の墓と一緒に築いた。

が、この話はまだ続きがある。
明治になってから、彼女の化粧料を継いだ島津氏の分家の人たちは鹿児島を去り東京に上京したのだが
この時に先祖代々の墓地も東京に引き上げてしまった。
その墓の中に彼女と久元の間の息子は含まれていたのだが、何故か彼女の墓は含まれず。
そのため、平成の今では彼女は
両親の墓とも引き離され、息子の墓とも引き離され、一人ぽつんと眠っているのである・・・

最後の最後まで不幸な運命の女性の物語。
499人間七七四年:2009/03/02(月) 02:04:57 ID:hsdhyJ9G
やはり薩摩のDQN王の逸話は後味が悪いのが多いよ・・・
500人間七七四年:2009/03/02(月) 02:56:08 ID:GZnmH9hW
>>499
忠興、政宗と比べても後味の悪いというか、感情的な見方をすると
大名武将としての立場以前に「一個の人間としての性根が腐っている」と
いった趣のつよい話ばっかりだからね

501人間七七四年:2009/03/02(月) 06:08:52 ID:7A0FTYKj
鹿児島人が島津公ではなくて、西郷どん好きな理由がわかる気がする。
502人間七七四年:2009/03/02(月) 08:09:28 ID:zMXJ+Leu
義弘公のこの気の毒な娘さんのお母上は、義弘公が例の「貴女が夢に出てきました」手紙を書き送ったお相手?
503人間七七四年:2009/03/02(月) 08:24:04 ID:U5o2HKdv
家久は氏ねばいいのに
こいつ絡みの話は悲しくなってくる
504人間七七四年:2009/03/02(月) 09:34:00 ID:UUcR96I2
久保さえ健在ならなあ
505人間七七四年:2009/03/02(月) 09:54:22 ID:gOEpq3/d
>>503
もう死んでる

…てかそう考えると怖ぇな
登場人物は全員死んでるとかなんというホラー
506人間七七四年:2009/03/02(月) 12:19:25 ID:hsdhyJ9G
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E6%81%92

いつのまにか家久(悪)もアンサイクロぺディアに進出
507人間七七四年:2009/03/02(月) 12:46:46 ID:8/qbrpu+
>>506
そういえばアンサイクロのDQN四天王もなんとか巻き返してるな
508人間七七四年:2009/03/02(月) 13:55:26 ID:D3TBULL8
>>505
登場人物の鬼MとかT田とかが今もなお生きてて俺らの前に現れたらスプラッタになるぞ
509人間七七四年:2009/03/02(月) 16:50:29 ID:gOEpq3/d
>>507
ってか四天王にNRV貼り付けられる理由がよくわからんのだよなぁ
2ちゃんネタが駄目な理由の一つらしいが2ちゃんネタの記事なんて幾らでもあるし
ユーモアがあればネタ元はなんであれ構わないんじゃなかったっけ?裾野が狭まるし
2ちゃんネタで勝手に括ってて同類の記事に糞漫画四天王、三大糞漫画があるがこっちはノータッチだし
2度も同じ文で指摘してる辺りユーモアが足りんし

>>508
それは勘弁w
510人間七七四年:2009/03/02(月) 17:05:53 ID:8/qbrpu+
>>509
じゃあ糞漫画四天王とかいうページにNRVはってやろうかな
511人間七七四年:2009/03/02(月) 17:21:35 ID:hsdhyJ9G
工事中外してもグダグダと文句言ってくるようだったらそうしなさいな。
512人間七七四年:2009/03/02(月) 19:13:22 ID:e8QpZW7o
>>500
政宗、三斎、鬼武蔵は狂ってるが
家久は腐ってるって表現がしっくりくるな
513人間七七四年:2009/03/02(月) 19:44:06 ID:Ni80omPN
秀吉はいったい何人の妾を持ったんだ?
無理やり手に入れた姫も多かっただろうにな。
一番グロいのはやはり秀吉じない?
514人間七七四年:2009/03/02(月) 19:54:10 ID:qLZbjyhY
太閤殿のDQNさは、権力を持った孤独な老人の怖さと寂しさを感じる。
腐り方の方向性で言えば、大友さんも秀吉と同様だと思うんだ。
ただ、秀吉は権力が巨大すぎて被害が酷くなっただけで。
515人間七七四年:2009/03/02(月) 20:10:44 ID:cypyCEjE
権力を持って腐るのと、権力も無いのに腐ってる。
この違いは大きいな。

……ん、なんだ、こんな時間に宅配便か?
516人間七七四年:2009/03/02(月) 20:39:34 ID:McUKy1au
>>513
特に織田家の姫に執着してたね
五徳にまで手を出そうとしてたし
最初の嫁さんに嫌われて離縁されたのが尾を引いてたかも
517人間七七四年:2009/03/02(月) 20:40:45 ID:xV6PZYkG
妖説太閤記を読むと、あれ以外に秀吉の人物像が思い浮かばなくなる。
518人間七七四年:2009/03/02(月) 20:41:19 ID:nJqkhNwS
【猫口将軍】山県昌景と愉快な仲間達 より転載を転載

888 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 13:46:03 ID:KI3rqqoU0
漫画センゴク    四名臣の他の三人は出るが内藤は秋山と差し換え
大河武田信玄   他の三人は出るが内藤だけ出ない
大河風林火山   他の三人は出るが内藤だけ出ない
ゲーム戦国ランス 他の三人は出るが内藤は真田と差し換え
ゲーム太閤立志伝 川中島イベントを起こすのに他の三人は必要だが内藤は必要ない


    :::::::::::::::::::    ____   :::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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  ::::::::::::::::   /  :::):::(::: u\  :::::::::::::::::::::::::::::::
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::::::::::::::::::::::  |  ヽ (__人__) /  |  :::::::::::::::::
  ::::::::::::::::::  \   ` ⌒´    /  :::::::::::::::::::::::::::
519人間七七四年:2009/03/02(月) 20:51:27 ID:TMf4bwM7
>>518
最近名前まで実は昌豊ではなく昌秀だったと言われている内藤さん( ´Д⊂
520人間七七四年:2009/03/02(月) 21:09:40 ID:hsdhyJ9G
これは現代人の悪い話だな。
521人間七七四年:2009/03/02(月) 21:23:43 ID:9mskVb/I
>>518
        統/勇/知/政
内藤 昌豊 82/70/82/79 騎馬B弓B計略B 内政A

山県 昌景 88/94/69/63 騎馬S
馬場 信房 86/77/76/77 騎馬A 内政A
高坂 昌信 91/75/85/71 足軽B騎馬A計略B
(「信長の野望 革新」より)

四名臣で唯一戦闘適性A以上がない内藤さん
四名臣で唯一パラ85以上が(ry
522人間七七四年:2009/03/02(月) 21:31:47 ID:gOEpq3/d
山県 赤備え
高坂 逃げ弾正
馬場 鬼美濃
内藤 …
523人間七七四年:2009/03/02(月) 21:37:25 ID:J+WXQk4z
山県 赤備え
高坂 受け弾正
馬場 鬼美濃
内藤 うはwwwwwwwwwwwwwwwおkwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
524人間七七四年:2009/03/02(月) 21:39:06 ID:HvFe1xzz
えーっと…
が、学研漫画の「長篠の戦い」では格好良い死に方だったよ内藤さん!
525人間七七四年:2009/03/02(月) 21:42:13 ID:hsdhyJ9G
何か内藤さんの面白い逸話が有れば打開出来るかもしれないが俺は知らない。
526人間七七四年:2009/03/02(月) 21:46:53 ID:TMf4bwM7
内藤さんと言えば、戦場でどんなに活躍しても
「内藤だからそのくらいの活躍当然だよねー」
って言われて、生涯一枚の感状ももらえなかった、って話かなあ、有名なのは。

まあ本人も逆にそれを誇りにしていたそうなので、悪い話でもないんだけどw
527人間七七四年:2009/03/02(月) 21:52:19 ID:C4OIEYC2
温厚、公明正大、功を誇らず気配りの重要性を説く

こんな人にはなかなか面白い逸話はでんわな
528人間七七四年:2009/03/02(月) 21:54:56 ID:mQR64LF0
普通にいい人だがでもそれだけなのか…
でも逸話は聞いてみたいもんだ
529人間七七四年:2009/03/02(月) 21:59:53 ID:/qBkS5qG
内藤さんはいぶし銀っぽい雰囲気があって好きだ
530人間七七四年:2009/03/02(月) 22:01:05 ID:TMf4bwM7
内藤さんは優秀なんだけど自分を殺せる、めちゃめちゃいい人なんだよね。

「合戦とは、大将の軍配によって勝ち得るものだ。
個人の手柄などにこだわるのは、枝葉のようなものである。」

戦国武将なのにこんなこと言っちゃう人だもの。
531人間七七四年:2009/03/02(月) 22:04:05 ID:HJG2IDF1
まぁ逆に絶大な自信がないといえないことだけどね。
自分は目先の功を漁らなければいけないほど無能じゃないし大将にも認められてる、という
532人間七七四年:2009/03/02(月) 22:04:51 ID:BFLz/6hR
趙雲みたいな感じだな
533人間七七四年:2009/03/02(月) 22:09:53 ID:HpJRb6oo
山県昌景「古典厩信繁、内藤昌豊こそは、毎事相整う真の副将なり」
534人間七七四年:2009/03/02(月) 22:16:23 ID:BIz4I5RZ
( ^ω^)「ちょwwwwおまwwwwそんな褒められると照れるおwwww」
535人間七七四年:2009/03/02(月) 22:18:24 ID:vltgrrO+
おまいら







話を聞いてみると
内藤さんはいい武将じゃないか!
・・・つまり・・・スレ違いだw

>>502 yes
>>506 執筆者乙
536人間七七四年:2009/03/02(月) 22:24:30 ID:rTARYMoL
内藤さんは近い将来悪い意味での秀長になる気がする

なんつうか史書に記述が少なくて有能っぽい人への過大評価ってやつ
537人間七七四年:2009/03/02(月) 22:31:59 ID:gXfFqswY
記述が少ない
武勇に大変優れている有能な武将であることが数少ない逸話から読み取れる

富田長繁:俺の時代クル━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
538人間七七四年:2009/03/02(月) 22:33:21 ID:TMf4bwM7
>>537
あんたくらい、わずかな資料からキャラクターが明確に読み取れる武将もいないぞw
539人間七七四年:2009/03/02(月) 22:35:15 ID:dcUe9HXc
内藤昌豊の義母が亡くなり、故人の宗派である一向宗の僧侶団を呼び、葬儀を執り行った。

昌豊が故人のお供えに盛大な膳を出すと、一行のうちの上人が口を出した。
「わが宗派では、阿弥陀様にさえお供えすれば、他へは要りませぬ。」
驚いた昌豊は、上人に質問した。
「それは立派な行ないでしょうが、なぜ他の宗派と違うことをするのです?」

「阿弥陀様こそ尊く奉るべきで、余計なことをすれば、かえって故人が迷います。
むしろ他宗派の方が間違っておるのでしょう。」
「・・・それでは故人が、冥土で飢え苦しみませぬかな?」
「阿弥陀様にさえお供えしておけば、それで万民をお救い下されましょう。」

ここまで聞いた昌豊は、手を合わせて拝んだ。
「なるほど、一尊への施しが万人に届くとは、すばらしい宗旨ですな。」
「いかにも。わが一向宗ほどすばらしい教えは、ござりませぬ。」上人は自画自賛した。

葬儀も終わり、僧たちに振る舞いの出される頃合いになったが、膳の出されたのは
上人だけで、昌豊は残りの弟子たちへは何も出さなかった。

僧たちが抗議すると、昌豊は呆れたように言った。
「はて、どうも話の違う方々じゃ。さっき上人に聞いた所では『一尊への施しが万人に届く』
という話だが。上人に膳を出せば、皆様へも出したことになるのでは?」

これには上人も弟子たちも言葉を返せず、さんざん昌豊に詫び、ようやく膳にありついた。
(名将言行録より)

こんなんしかなかったわ。あとはテンプレくさい信玄や後輩に説教たれる話ばっか。
期待に沿えずスマソ
540人間七七四年:2009/03/02(月) 22:37:33 ID:C0OlKT5V
>>526
「漏れ、余所の殿様に仕える気ないし感状なんていらないよね」

って言ったのは内藤昌秀とは違ったっけ
541人間七七四年:2009/03/02(月) 22:43:40 ID:TMf4bwM7
>>540
それは鳥居元忠。
542人間七七四年:2009/03/02(月) 23:32:20 ID:C0OlKT5V
>>541アガトウ
なるほど、三河のミスターまんどくさい人か……
543人間七七四年:2009/03/03(火) 01:13:25 ID:4DQC4vg9
>>539
良い人から嫌味な人へ、一華麗な変身を遂げたなw
544人間七七四年:2009/03/03(火) 01:35:49 ID:YRY+lOzR
>>539
信長みたいな事しやがってw
545人間七七四年:2009/03/03(火) 02:18:02 ID:RBcCZQ7L
>>544
まあ、信長的な感覚はあの当時、信長に限ったものではなかったということがよく分かるじゃないですかw
546人間七七四年:2009/03/03(火) 02:20:07 ID:1AlPSsWy
>>513
フロイスは聚楽第や伏見城に数百人もの女人を侍らせていたと書き残してるけど、
これはフロイスが秀吉やその妻たちに仕えた女官たちのことを勘違いした可能性が高い
秀吉研究の泰斗である故桑田忠親氏が「伊達家文書」などから推定したところによれば、
秀吉が正式に認めた正室・側室の数は15人前後と至って常識的な数字
家臣の妻に横恋慕したという逸話も有名だが、冬姫や立花ァ千代など、
その多くは現在では資料的な裏付けに乏しいとされている
自他共に認める好色家だった秀吉(秀次宛の書状に、「俺みたいになるな」と書いたくらい)
だが、実情を見れば割と普通のスケベなおっさんの範疇かと
547人間七七四年:2009/03/03(火) 02:32:36 ID:1AlPSsWy
まあそれだけなら全然悪い話じゃないから、大明神の代わりに権現様の性癖の話をば
家康の後家好きは有名だが、後年安定した勢力を築き上げ息子たちも成人すると
「実用的価値」のみに拘る必要もないと感じたのか、それまでとは人が変わったように
ティーンエイジャーの少女たちを寵愛するようになった
お梶・お万・お夏(奈津)の方・お梅の方・お仙の方・お六の方など、
何れも15歳前後で既に老年を迎えていた家康に伺候し、
そのまま家康のお手付きとなった女性たち
彼女たちは何れも小身の旗本の子女であり、秀吉にとっての摩阿姫(前田利家の娘)のように
婚姻外交としての役割もない、純粋に家康の愛玩物だったと推測されている

特に最後のお六の方(養儼院)への寵愛は甚だしく、当時の家康の好きなものとして
「佐渡殿(本田正信)、鷹殿(鷹狩り)、お六殿」と世人は陰口をたたいたとか
家康の孫より年下と思われる少女への偏執は甚だしく、大坂の陣にも同行させたくらいだった
家康が元和2年に75歳で薨去した際、お六の方はわずかに19歳に過ぎなかった
本来なら主人が死んだ後は寺に入り尼として余生を送るのが慣わしだったが、
さすがにまだ十台でそれは気の毒だと思ったのか、二代将軍秀忠は
お六の方に還俗し、高家の喜連川氏と再婚するように命じたという

その後お六の方は何不自由ない生活を送っていたようだが、
寛永2年に日光東照宮に参拝した際、僅か29歳で急死してしまう
死因は現在でも不明であり、一説には落雷に当たって感電死したとも
社殿の香炉が突然割れてお六の方の額を貫いたとも伝えられたお六の方、
当時の人々はそれを他家に再嫁したお六の方を嫉妬した
家康の祟りによるものだとして非常に恐れたとか
ま、何というか「老いては益々壮んなるべし」というけど、
あんまり老人が若い女の子に執着するのは色々良くないのでは、というお話
つうかオチのつけ方が思いつかんな、これ
548人間七七四年:2009/03/03(火) 02:33:17 ID:5yDMcJlz
>>546
秀吉と比べると、足利義満とかのほうがこと女癖でいえば、よっぽど
たちが悪いしな。

秀吉が妻妾に宛てた書状のたぐいは、はずかしげも無く、甘ったるいことを
書き連ねていたりするような気持ち悪さはあれど、人妻を無理矢理
みたいな、権力者的な嫌らしさというのはそこまで酷くはないと
いう印象をうける。
549人間七七四年:2009/03/03(火) 06:39:52 ID:NLESdGdu
>>544
一向宗の寺を元通りにしてあげた権現だろ
550人間七七四年:2009/03/03(火) 10:39:11 ID:tk2meGXO
内藤祭り便乗

小田原攻めの際、山縣昌景は
「いとけのくそくてきをきる」
と先手の内藤昌秀に使者を送った
これに内藤昌秀は
「こたち」
とのみ答えた
これを聞いた山縣昌景は
「さすがよ、それがしの心配するところではなかったわ」
と満足したという

これは‘糸毛の具足’すなわち大将首を狙うか否かの問いに
‘小太刀’すなわち小規模戦にとどめると返したのである

流れ的にこちらで

ちなみに
この謎かけに駆り出された使者だが鉄砲傷などで重傷を負ったという
謎かけをお互いに解したから良かったもののさらに往復していたら…
そんなお話
551人間七七四年:2009/03/03(火) 10:46:25 ID:RBcCZQ7L
>>550
いい話スレの山県さんに謎かけした話といい、内藤さんは武田軍のナゾナゾキングだなw
552人間七七四年:2009/03/03(火) 13:21:37 ID:LPZ3zYPJ
勝頼「あいつらわけの分からんことばっか言ってニヤニヤしてて俺を馬鹿にしてるんだな!」

これが武田家の功臣たちとの亀裂の始まりだった

という電波を受信したぞw
553人間七七四年:2009/03/03(火) 13:37:19 ID:GHKKbsqz
電波を受信(笑)
554人間七七四年:2009/03/03(火) 13:39:02 ID:RBcCZQ7L
戦国の人は計算が合わない



『我ら!天下三家老!』

小早川隆景、直江兼続、堀直政、鍋島直茂、片倉景綱

五人


『我ら!龍造寺四天王!』

江里口信常、成松信勝、百武賢兼、円城寺信胤、木下昌直

五人


『我ら!武田二十四将!!』

秋山信友、穴山信君、甘利虎泰、板垣信方、一条信龍、
小幡虎盛、小幡昌盛、飯富虎昌、小山田信茂、春日虎綱
三枝守友、真田信綱、真田幸隆、武田信繁、武田信廉
多田満頼、土屋昌次、内藤昌豊、馬場信春、原虎胤
原昌胤、山県昌景、山本勘助、横田高松、武田勝頼
甘利昌忠、小幡信貞、小原広勝、小山田昌辰、栗原信盛
真田昌輝、曽根昌清、曽根昌世、真田昌幸、諸角虎定


三十五人


しかし良く考えてみればこの時代の人たち、自分の軍勢とか戦果とか、
十倍百倍の数値捏造も平然とやっていた人たちだ。それから考えればこの程度は誤差の範囲である。
そうにちがいないのだ。
555人間七七四年:2009/03/03(火) 14:08:15 ID:kTDTOl7U
三家老も五大老も二十四将も、誰かが死んで欠員があると年代毎に繰り上がっていっただけの話
と言いつつ三家老は計算あわないけどなw

龍造寺四天王は別格。確か同年代の資料でも被ってたはず
556人間七七四年:2009/03/03(火) 14:19:36 ID:jiBXzjon
龍造寺四天王、本来木下さんが仲間外れだったんだっけ?
557人間七七四年:2009/03/03(火) 14:51:02 ID:qPTe6V9y
内藤さんが地味なのって討ち取った奴が地味だからかなあ
雑兵じゃなく忠勝あたりが討ち取ってればもっと……
558人間七七四年:2009/03/03(火) 15:03:01 ID:KS7MvgOo
ラスボスの所の5大老だって
徳川家康・前田利家・上杉景勝・毛利TERUの4人だし
気にしなくて良いんじゃない?
559人間七七四年:2009/03/03(火) 15:08:44 ID:RBcCZQ7L
>>558

小早川隆景「…」
宇喜多秀家「…」

補欠
結城秀康「…」
560人間七七四年:2009/03/03(火) 15:08:57 ID:h5pn/dqC
>>558
秀くんが泳いで来るぞ
561人間七七四年:2009/03/03(火) 15:52:25 ID:nO2cGgsy
四天王は五人仲良く沖田島で討死にしたからなぁ
木下さんだけ生存説があるけど
562人間七七四年:2009/03/03(火) 17:06:32 ID:zLt4U7nR
>>558
毛利三兄弟一の魔性の男と日本史上最高のスイマーを忘れるなんて!><

>>561
おまんさぁそれ「沖田島」じゃなくて「沖田畷」じゃ
563人間七七四年:2009/03/03(火) 18:08:20 ID:iO+eYDXw
内藤は信繁の後釜だから、
OYAKATAの陰に隠れる副将ってのは重々承知だったろう
俺たちがこうやって地味地味言ってるのもある意味それが嬉しかったりしてw
564人間七七四年:2009/03/03(火) 18:47:09 ID:T7TUBk1D
>>500
DQN家久は、家来には無茶だけど、一応基礎を固めてるね。
派閥が3つに分裂したのは、当主に人望が無いからだろうけど。
565人間七七四年:2009/03/03(火) 19:05:36 ID:npoXUkLH
鬼武蔵 ああ 鬼武蔵
太閤立志伝でイベント作って自己満足 もちろん自分が橋守
566人間七七四年:2009/03/03(火) 20:00:18 ID:pqCIVy4s
>>565
よりによって橋守かよw

PC版の太閤5買いそびれて後悔してます…orz
567 ◆/DQN4/qCng :2009/03/03(火) 20:01:08 ID:yBAs9LGq
>>565
槍で突き殺されるんですね、わかります
568人間七七四年:2009/03/03(火) 20:02:14 ID:yBAs9LGq
ごめん名前欄間違えた
569人間七七四年:2009/03/03(火) 20:18:39 ID:YRY+lOzR
>>565
ガラシャを盗み見て死ぬ庭師も作るんだ。
570人間七七四年:2009/03/03(火) 21:34:53 ID:zLt4U7nR
>>567
当スレにふさわしいトリップじゃないかw
571人間七七四年:2009/03/03(火) 22:20:16 ID:o4p6t25g
>>567
鳥すげーw
572人間七七四年:2009/03/03(火) 22:21:36 ID:RBcCZQ7L
>>567
あんたすごいなw
573人間七七四年:2009/03/03(火) 22:30:47 ID:yBAs9LGq
別板でコテやるために探したなんていまさら言えねえ……

戦国板ってコテ禁止なのかね
574人間七七四年:2009/03/03(火) 23:04:54 ID:RBcCZQ7L
>>573
禁止じゃないよ。少ないだけで。
後、あまりすかれていないだけでw
575人間七七四年:2009/03/03(火) 23:17:06 ID:yBAs9LGq
>>574
そうかd
それとスレチスマソ 長可に手討されてくる
576人間七七四年:2009/03/03(火) 23:53:43 ID:mz+LjrH1
むしろ公開して全員でDQNコテを使いまわそうぜ!
577人間七七四年:2009/03/03(火) 23:54:16 ID:mz+LjrH1
コテじゃなくてトリだったorz
ちょっと細川さん家の庭のぞいてくる
578 ◆/DQN4/qCng :2009/03/03(火) 23:57:22 ID:yBAs9LGq
>>576
ixsI.DQN4. <= #Dヤレep[kN S.DQN4.1CA <= #:゙3;i'xQ
78RQ.DQN4. <= #RアNfB]6Y NDQN4//KhU <= #!カ_S0(%~
AJL.DQN4.k <= ##Uタ@k.V; Gf//DQN4aQ <= #NルEqセ.]f
fs8J.DQN4. <= #OsqC8[~k T.DQN4.T7Y <= #2wハ\v=sz
9pDQN4//f. <= #zッXjM~&' o//DQN4noY <= #DzM8KJ+,
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ほいさっさ 使わないからどうぞ
重ね重ねスレチスマソ
579人間七七四年:2009/03/04(水) 09:51:04 ID:+TMjjp/a
秀吉とか、ドMだろうね。
目上の女に罵ってもらいながらのプレイが大好きだったような。
580人間七七四年:2009/03/04(水) 09:51:56 ID:+TMjjp/a
目上は違うな、天下を獲ろうが乗り越えられない格か。
581人間七七四年:2009/03/04(水) 13:44:50 ID:T1N+awIW
大河で謙信公も亡くなったので、その時のお話


石いくさ

越後、春日山城には、その城の内に、巨大な二つの石があった。

ある時、その二つの岩がにわかに上下に震動しだした。
人々は怪しみそれを見守っていると、二つの巨石は一箇所に集まり、互いに打ち合い始めた。

人々は石の事ゆえ理由も分からず、ただただ怪しんでいたが、
石は深夜まで打ち合った末、ついに両方とも砕けて散った。

夜が空けて人々がその場を見ると、あたりに血が流れていたそうである。

このことがあって程なく上杉謙信は死去し、その後をめぐって養子二人が、春日山城を二つに分け
合い争った。

「石が争ったのは、この事の徴であったのだ」

後になって人々は皆、そのように思ったそうである。
582人間七七四年:2009/03/04(水) 17:13:35 ID:oa2zyfWU
>>581
>夜が空けて人々がその場を見ると、あたりに血が流れていたそうである。
犯人はその石で謙信をどつき殺したんだなw
583人間七七四年:2009/03/04(水) 21:21:34 ID:vnqsEXtk
確か北条にものすごい豪傑がいたがまさか・・・
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1275.html
584人間七七四年:2009/03/04(水) 21:28:39 ID:BPa2Xcla
585人間七七四年:2009/03/04(水) 21:31:48 ID:W6r51pon
>>583
清水隆治っていう怪物ですね…
586人間七七四年:2009/03/04(水) 23:22:29 ID:5PDlxtnv
「にらみ合いの松」

かつて森家に井戸宇右衛門という男が居た。

元は織田信孝の家臣で加治田城を守っていたが、東美濃で暴れまわる森長可に加治田城が攻め落とされた際に森家の家臣となった人物である。
この男は腕の立つ武人で有ると同時に、大和は井戸の地頭の出という事で森家でも一目置かれる存在であった。

忠政の代になっても重用された井戸であったが後年、森家の家臣に加わった名古屋九右衛門(山三郎)との仲が大変悪かった。
しかしながら、この名古屋という男の妹は忠政の正室であって新参でありながら強い発言力を持っていたのである。
次第に井戸は名古屋を重用する忠政との仲も険悪となり、奉公をおざなりにするようになってしまう。

もう家臣の中でもその険悪さは知れ渡っており、忠政の美作転封の際には「あなたは着いて来るべきではない。間違いなく忠政様に殺されてしまう。」
と忠告される程であったが、井戸は「行かねば後悔する。たとえ成敗されても行く。」と聞かなかった。
587人間七七四年:2009/03/04(水) 23:23:03 ID:5PDlxtnv
それで美作へと着いて来た井戸であったが忠告通り事件はすぐに起こった。
美作城普請の現場で井戸は名古屋と居合わせたのだがここで口論となってしまう。すると名古屋は抜刀し襲い掛かってきた。
名古屋九右衛門と言えばかつて仕えていた蒲生家では名の通った槍の名手・・・だが井戸も百戦練磨の将、襲い掛かる名古屋を一刀の元に切り伏せた。

名古屋を倒した井戸であったがそれでは終わらない。どこからか出てきた森家の同僚達が集まってきた。
「おやおや・・・井戸殿、これはいけませんなぁ。」「いやはや井戸殿、大それた事を。」「覚悟は出来ておりましょうな?」

有無を言わさぬ彼らの態度を見て井戸は悟った。「これは忠政様の名である。」・・・と。
今度は然したる抵抗もしなかった井戸はその場で斬り殺された。また、程なくして井戸の弟も何者かに暗殺されている。

その後、二人の遺体道路を挟んだ両側に埋められ、それぞれ塚と一本の松を墓標代わりに埋葬された。
しかしながら、その道路を通ると変事が続くという事で気味悪がられ、道路は別の場所へと迂回するように作られて塚は二本の松の中間あたりに一つだけ残された。


二つの松は一方が栄えると一方が衰退するという事を互いに繰り返し、いつしか「井戸と名古屋の霊が松に憑いて未だにいがみ合っているのでは?」
という風評が立ち、「にらみ合いの松」と呼ばれるようになったという。
588人間七七四年:2009/03/04(水) 23:26:44 ID:5PDlxtnv
美作城じゃなくて「津山城」・・・ね。

ちなみにこの事件は幕府に露見して、忠政はしばらく家康への謁見を拒否されてる。
589人間七七四年:2009/03/04(水) 23:38:31 ID:T1N+awIW
しかし忠政は名古屋に井戸を殺させる気だったのか、それとも井戸に名古屋を殺させた上で
井戸もついでに殺す気だったのか。
590人間七七四年:2009/03/05(木) 00:11:05 ID:jyRfbKyg
名古屋がそのまま殺すはずだったんじゃない?戦国に聞こえる槍の名手だし。

で、得物が槍じゃなくて刀だから普通に返り討ちにされた・・・とw
591人間七七四年:2009/03/05(木) 10:34:06 ID:5Pemmj7j
>>587
元就「この程度の事でこの世に未練を残すとは」
井上元兼「・・・・・」
相合元網「・・・・・」
渡辺勝 「・・・・・」
桂広澄 「・・・・・」
吉川興経「・・・・・」
陶晴賢 「・・・・・」
592人間七七四年:2009/03/05(木) 18:52:03 ID:GjQEsFYc
氏郷さんの町作り♪

蒲生再生工場の名を戴くなど、人作りに関しては高く評価される蒲生氏郷。が、

この人、町作りが大変に下手だった。
1588年、氏郷は伊勢松坂に転封、城下町を作るが、これが大変に評判が悪い。

「伊勢の松坂毎着てみても、ひだの取様でまちわるし」

当時このように揶揄されたとか。
「ひだ」は、着物の襞と、氏郷の官名「飛騨守」をかけたもの。
氏郷の町割りの悪さのせいで、松阪はひどい町になった、と皮肉った歌である。

さて、その2年後、1590年には今度は会津に転封される。
そしてここに会津若松の町を建設するが

「黒かはを袴にたちてきてみれば まちのつまるは ひだの狭さに」

当然のように評判が悪く、またもこんな落書が出回った。
とにかく初期の会津若松というのは、町としての機能がどうにもならないほど混乱していたようだ。
この頃になると流石に氏郷も、都市計画における自分の才能の無さに気がつき、
旧武田家臣、曽根昌世らに命じ、甲州流縄張術をもって町割りをやり直し、やっと整然とした
町となり、都市としての機能が回復した。

何事も完璧だと言われた氏郷にも、こんな欠点があった、というお話。
593人間七七四年:2009/03/05(木) 19:00:21 ID:ZDM4vHlT
>506-507
アンサイクロ冨田長繁さんがピチンです。身近すぎるってさ

ttp://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E9%95%B7%E7%B9%81
594人間七七四年:2009/03/05(木) 19:04:42 ID:jyRfbKyg
>>592
そこまで言われるってよほどだったんだなw
595人間七七四年:2009/03/05(木) 20:34:04 ID:qDjarthR
まぁ自分に足りないところを補える家臣ちゃんと揃えてた話でもあるな。

ただ収集してるだけじゃないですよ、と
596人間七七四年:2009/03/05(木) 22:31:50 ID:wi9myVuh
>>593
短すぎる、かな?
こんなのが身近にいたら嫌すぎるw
597 ◆/DQN4/qCng :2009/03/05(木) 22:37:56 ID:SZWyw7iY
>>596
いや、けっこう身近にいてほしい
即死しそうだけど
598人間七七四年:2009/03/05(木) 22:45:58 ID:njFsDnm9
>>592
縄張り=防御重視で生活しにくい町をつくってしまったのかも
確かに今でも松阪城の周辺は道筋がトリッキーで迷いやすい。
というか松坂城内にある本居宣長資料館に行こうとして見事に迷ったw
その他は街道筋になったときにかなり改善されたようだけど。
599人間七七四年:2009/03/05(木) 22:57:31 ID:WN83p6MG
ひこにゃんの城下町もかなり迷うとか聞いたことあるなぁ
600人間七七四年:2009/03/05(木) 22:57:38 ID:jyRfbKyg
外敵の侵入を防ぐのには適してるのかもしれんね。

観光に行った人間が迷うぐらいだしw
601人間七七四年:2009/03/05(木) 23:05:36 ID:M4fg8Cgb
教習所でクランク習ったとき、「こんなのねーよw」と
思ったんだけど、ガチで若松にまんまクランクがありましたよ。
外敵を防ぐためああいう道にした、と聞いたが。
602人間七七四年:2009/03/05(木) 23:07:06 ID:O+zG0AJR
蒲生再生工場を目指してやってきたものの
町割のあまりの複雑さに城までたどり着けず
泣く泣く仕官をあきらめた者も多かったそうだ(大ウソ
603人間七七四年:2009/03/05(木) 23:22:00 ID:xoI2hM3t
>>602
どんな城下町だよw
604人間七七四年:2009/03/05(木) 23:25:54 ID:GjQEsFYc
>>603
きっとこんなだw
                            ┏━┓┏━━━┓
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        ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
605人間七七四年:2009/03/05(木) 23:27:33 ID:WN83p6MG
マジで防御のみを考えた城下町は素人が案内無しで
城を目指して進んでも迷って辿り着けないらしい
デカイ道から城を目指して進む→道が途中で細くなる→家屋が邪魔で視界が遮られる
→視界が遮られたまま道が右往左往していく→次に城の姿が見えたときには見当違いの所に
なんて事があったらしい
友人談
606人間七七四年:2009/03/05(木) 23:35:41 ID:iJ1PIXKa
鬼武蔵「面倒だ、町ごと全部焼くか」
607人間七七四年:2009/03/05(木) 23:36:42 ID:M4fg8Cgb
ちなみに山形は城下町としては防衛機能がザル…というか、
どんな人間でも迷わないくらい素直なうえに、一番低地に城があるため、
義光は長谷堂抜かれたらまさしくオワタwだと思っていた。

今でもホントに迷うのが難しいくらい単純な町並みだ。
そして何もないorz
608人間七七四年:2009/03/05(木) 23:49:51 ID:nZZWREDW
佐賀、柳川、いやあ実に車で抜けにくい街です。

だれが作ったんだい!
609人間七七四年:2009/03/05(木) 23:53:21 ID:fdDCKIrX
>>593
ちょっとコピペ過ぎじゃね?
作った人には悪いけど
610人間七七四年:2009/03/05(木) 23:57:45 ID:SZWyw7iY
>>609
資料が手元に全くない
611人間七七四年:2009/03/05(木) 23:58:13 ID:jyRfbKyg
>>608
立花宗茂「・・・えっと・・・田中吉政!」
612人間七七四年:2009/03/06(金) 00:06:52 ID:SJhsWnUl
>607
その代わり、街区街区の要所を占める寺に立て篭って町全体を城郭にできるという雄大な?構想が。
613人間七七四年:2009/03/06(金) 00:08:07 ID:DPEpqou4
>>611
由布くーん、イガグリ持ってきて
614人間七七四年:2009/03/06(金) 00:57:48 ID:ZYmGbFLr
>>612
上田では城の東側に寺が並んでいるのだが
ttp://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&q=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E3%80%80%E3%80%80%E5%AF%BA&fb=1&split=1&gl=jp&view=map&ei=AeuvSYmrAtXLkAWe4t20BA&cd=1
これもイザという時の出撃拠点とする予定だったという話があったり。南側は崖、北と西は総構え、攻め口は東側だけな城。



朝鮮侵攻において「日本一の臆病者」と言われたのは大友宗麟の息子である大友義統
そして相手側にはどのような臆病者がいたかというと…

李宗誠は明の建国の功臣李文忠の後裔という名門の子弟であった。
文禄の役の後の和平交渉において明の上使となり1595年11月に副使柳方亭と共に日本軍占領下の釜山までやってきた。
この後以前から交渉を進めていた明の武将沈惟敬のみが渡海し、李宗誠らは長く留め置かれた。

ここである人が李宗誠に言った。
「倭酋(豊臣秀吉)は誠に封を受ける意思などなく、あなた方を誘い出して拘留し苦しめ辱めようとしているのだ。」
当時の状況からすればこのような考えが浮かぶ事は不思議ではないのだが問題はこの後の李宗誠の行動である。

なんと李宗誠は逃げ出したのだ。副使柳方亭や随従の者達、さらには輜重や信任状まで置いたままで。
1596年4月初めのことである。
夜半に服装を変えて軍営を抜け出した李宗誠は大道を避けて山中に潜んだ。
日本軍が李宗誠の脱出に気がついたのは翌朝の事、すぐに探索を始めたがついに見つからなかったという。
李宗誠の逃走は見事成功したのだ。

こうなると気の毒なのは置いていかれた副使柳方亭である。
ただ一人軍営に残された彼はこの事を宮廷に報告し、上使となるように命ぜられ
6月15日に渡海し無事にその任を果たしている。
615人間七七四年:2009/03/06(金) 01:01:07 ID:fIYu3ICb
ヘタレの宗誠のその後はどうなったの?
ヘタレの吉統のその後は散々だったが。
616人間七七四年:2009/03/06(金) 01:02:59 ID:LixUx5z3
>>614
朝鮮役は日本側も明の側も、勿論朝鮮も、ギャグかと思うほどコミニュケーション不全だよね。
お互いが全くかみ合わない。意思の疎通が出来ない。

良く講和できたもんだw
617人間七七四年:2009/03/06(金) 01:39:58 ID:vol1/OrH
>>616
結局、全面的に引き上げた後での講和だからなぁ。宗義智の偽国書のおかげ。
618人間七七四年:2009/03/06(金) 01:53:07 ID:b88VO1Yk
だって日本にしてみりゃ数百年振りの外征だしなぁ。
言葉が通じないし、考え方も違うから相当苦労したかと。 安国寺恵瓊は子供にいろはを教えたりしたそうだけど、助けにきた筈の明は懸賞目当てに撫で切り…!
戦でも此処まで考えが違うと収拾がつかんよ。
619人間七七四年:2009/03/06(金) 02:16:29 ID:xVOdwq//
山形城三の丸って実は江戸城総構えより広いんだけどな。
長谷堂抜かれたらオワタは流石に言いすぎだと思うよ。
620人間七七四年:2009/03/06(金) 02:19:45 ID:I6OFjZcV
>>601
どこの若松だよ?
北九州ではそんなではなかったけどな?
621人間七七四年:2009/03/06(金) 02:24:45 ID:UctI/Bmc
会津かね
622人間七七四年:2009/03/06(金) 02:25:32 ID:MVJHNiRf
>>620
話の流れからすると会津若松じゃね?
623人間七七四年:2009/03/06(金) 02:32:37 ID:LixUx5z3
つーか話の流れから会津若松以外を想定するのもかなり器用な思考回路だなw
624人間七七四年:2009/03/06(金) 02:50:25 ID:OWKaOXZH
李宗誠は臆病者というよりはむしろ賢明かな
沈惟敬と小西行長が散々お互いの主君に「敵国は降伏する気満々です」なんて調子の良いこと言って、
それを信じて講和交渉進めてたのに、実際に段取りが決まってその使節になってみたら
沈惟敬から「あれ全部嘘だから(笑)適当に話し合わせてちょ」とか言われてもさぞ困っただろう
後に沈惟敬は欺瞞外交がばれて処刑されてるし、小西行長や宗義智も
西笑承兌のとりなしが無ければその場で秀吉に斬られてた可能性が高かった

本当にこの茶番で可愛そうな目にあったのは朝鮮なんだな
1596年の和議の際朝鮮代表として黄慎を日本に派遣したが、秀吉に
「お前ら約束の人質連れてないじゃん、つうか属国はお呼びでないよ」
なんて言われて門前払いくって会議に参加できず城の外で待ちぼうけ、
で和議が破綻したら小西に「講和が上手くいかなかったのは朝鮮人の所為なんすよ」なんて言われたせいで
秀吉の恨みを買って慶長の役では朝鮮人撫で斬り指令出されてる
朝鮮人はあんまり好きじゃないが、大国の間に挟まれて無視され、
挙句いつも貧乏籤ひかされてるのは少し気の毒になる(まあ笑えるけど)
625人間七七四年:2009/03/06(金) 02:57:15 ID:I6OFjZcV
いや、俺としては若松は北九州であり
逆臣の会津は会津若松に過ぎないという皮肉なんだけど。

626人間七七四年:2009/03/06(金) 03:00:51 ID:LixUx5z3
多分ID:I6OFjZcVの発言はスルーしたほうがいい。
コミニュケーションの取れないタイプだ。変に相手をすると、荒れる。
627人間七七四年:2009/03/06(金) 09:26:23 ID:Vp6mmLax
李宗誠は満州でとっ捕まり、北京に送られた。
が、あまりの臆病ぶりを不憫に思った慈悲深き皇帝陛下のご英断で
金三万両の罰金で御赦免となった。

沈惟敬は、称号と異なり武将じゃなくって、市井のおっさん。
倭軍の侵攻で「めんどくセエなあ、対策、誰かいい知恵無い?」という
明政府の怠惰な政策コンクールで選ばれたおっちゃん。

戦いたくなかった小西行長、宗義智とはうまが合い、というか口がうまく
互いに知恵をひねって各々の主君を騙しあった。
外交なんて、今も昔も同じゃないかい。
628人間七七四年:2009/03/06(金) 12:05:34 ID:+QLXObws
小西と宗が中心になってやった背信行為は
よく処刑されなかったなってレベル
命賭けてまで秀吉騙すなんてよーやるわ

そいや島津家にいた明の帰化人家臣も不穏な動きしてたって話だな
名護屋じゃ島津が秀吉暗殺狙ってるとか噂流れたんだっけ
629人間七七四年:2009/03/06(金) 12:08:03 ID:SJhsWnUl
>>614
あそこの城下もかなり入り組んでいたらしいねぇ。

学園祭で教室をパーティションでぶった切って迷路やお化け屋敷にする感覚…かもしんない
630人間七七四年:2009/03/06(金) 16:28:25 ID:V5aFKIwG
>>616
>朝鮮役は日本側も明の側も、勿論朝鮮も、ギャグかと思うほどコミニュケーション不全だよね。
>お互いが全くかみ合わない。意思の疎通が出来ない。
失礼な!ちゃんと日朝会話集を作成して、意思の疎通はできましたよっ!

用例
歌を謡え      →ドロカエブルラ
美しき女を連れて来い→コブンカクセイトボラヲラ
舞         →ツウンチラ
此の方へ御座れ   →イラヲビシシャ
あとは、年はいくつか?・子を持ったか?、なんてのもある。
(「陰徳記」高麗詞之事)
631人間七七四年:2009/03/06(金) 19:05:46 ID:M55nqWWc
>>630
それって....。
632人間七七四年:2009/03/06(金) 19:21:21 ID:0l44YwDY
>>630
実用的過ぎるwwwww
633人間七七四年:2009/03/06(金) 19:27:44 ID:EfgQM+u/
子をおろしたことがあるか
親子(ryは可能か
飲尿は可能か

が足りないと某筋から
634人間七七四年:2009/03/06(金) 19:36:20 ID:BdRTXa0W
>>630
こんにちはとかそういうのじゃないのか!ww
635人間七七四年:2009/03/06(金) 20:06:16 ID:+bPTVKvu
斉藤寝具店や掘った芋イジるなは日本の伝統なんだと理解した
636人間七七四年:2009/03/06(金) 20:24:49 ID:vol1/OrH
>>630
うは。朝鮮人が現代に至るまで恨みを持つわけだ罠、こりゃ…
637人間七七四年:2009/03/06(金) 20:36:54 ID:OVki6stq
>>630
さすが戦国時代!俺たちにできない事を平然とやってのけるッ(;゜д゜)
638人間七七四年:2009/03/06(金) 20:47:51 ID:dBUVZUWu
忠恒「オレトケマリシマセンカ」
639人間七七四年:2009/03/06(金) 21:15:01 ID:ER0bhSQ2
氏真「ダガコトワル」
640人間七七四年:2009/03/06(金) 21:17:43 ID:ftkzNKfD
>>630
なんかねえちゃんナンボや? ってかんじの文例ばっかだな。
人間って変わらんもんなのか…この時代でもまるでキーセン観光の会話集のようだ。
641人間七七四年:2009/03/06(金) 21:19:55 ID:LixUx5z3
ちなみに朝鮮役の時、日本軍にもっとも熱心についていった民間人は、奴隷商人と
キリスト教の宣教師だったそうな。
642人間七七四年:2009/03/06(金) 22:00:25 ID:fIYu3ICb
>>627
d楠

>>641
まあ、日本側の奴隷商人が半島の庶民片っ端からとっつかまえて
宣教師ルートで東南アジアにうっぱらえば
明・朝鮮側も負けておらず、捕まえた(島津に関しては「わかとのがパカだから脱走してきた」)捕虜を
やはり宣教師ルートで東南アジアにうっぱらう・・・
戦争はどこでも悲惨だろうけど、この戦争がとりわけ悲惨だったのは確かだろう。
643人間七七四年:2009/03/06(金) 22:19:19 ID:ZYmGbFLr
>>642
日本国内に連れて行かれたものもいたようだ。>半島の庶民
姜抗の「看羊録」によれば伊予の大洲だけで千人ほどの朝鮮人がいたとか。
644人間七七四年:2009/03/06(金) 22:36:17 ID:Rc/JzaFl
ラスボス秀吉、「こら!ポルトガルの商人ども、奴隷で売りとばした
日本人同胞をかえさぬか!」

ポルトガル人「いえ、あれは正当な商取引でござりまする故、ご容赦を。」

秀吉「ん・・・そうか、なんならわしが買い戻してつかわす、いくらじゃ?」

645人間七七四年:2009/03/06(金) 23:07:36 ID:LixUx5z3
秀吉の時代のことである


摂津国鳴尾村は、三年にわたる旱魃に苦しんでいた。
そしてついに、隣村の瓦林村が新川から水を引き込んでいる枝川から、
空の四斗樽の底を抜いて、つなぎ合わせて作ったといを使って、その水を密かに
自分達の田に引き込んだ。

水盗みである。

瓦林村も水に余裕があったわけではない。事はたちまち発覚し、
鳴尾村と瓦林村との騒乱に発展した。

この騒ぎに大阪城より奉行が派遣され、騒ぎの原因は、鳴尾村による水盗みである事が確認された。
水盗みは当然、重罪であった。

奉行たちからこの話を聞いた豊臣秀吉は、鳴尾村の責任者たちに、このように言った。

「お前達、水がほしいか、命がほしいか、どちらかを選ばせてやろう。」

村のものたちはこの時既に、覚悟を決めていた。

「命をいただいても、水がなければ我々はどのみち生きてはいけません。
水さえあればこの村は生きながらえる事ができます。
どうか命より水を下さい。」

それを聞いた秀吉は、「ならば鳴尾村の者達が引き入れた水はそのままにしておこう。
ただし、この水盗みにかかわった者は、全員磔にせよ。」
そう命じた。

奉行は鳴尾村の者たちに、水引のために使った空樽の数だけ磔にする、そう言った。
村の者たちは、樽の数は二十五だと答えた。
水引のといは、100メートル以上もあった。それに使った樽が、二十五で足りるわけがない。
どう少なく数えても、百を下回ることはなかったであろう。
だが、奉行はそれを聞き届けた。

「二十五個だな。では、二十五人を磔とする。」

「その前に」村の者たちは言った、「我々が処刑されれば必ず水がいただけるという、
起請文を下さい。」

奉行の名による起請文は、村人の代表二十五人の処刑の日、鳴尾村に渡された。
これ以後、鳴尾村では旱魃に悩む事は無くなったと言う。

現在、鳴尾村の場所にある、西宮の北郷公園には、この時死んだ二十五人の村人を称えた
義民碑が建立されている。
646人間七七四年:2009/03/06(金) 23:28:28 ID:8Vop1mPP
もの凄い覚悟…25と聞き届けた奉行さんもいい人だね
647人間七七四年:2009/03/06(金) 23:59:18 ID:HTBIg0dG
>>628
小西と宗ってどういう交渉したの?
よく処刑されなかったなってレベルって・・・
648人間七七四年:2009/03/07(土) 00:01:55 ID:5Ucs4Ket
どうも秀吉は実は戦況を把握してたらしい
649人間七七四年:2009/03/07(土) 00:40:14 ID:yGjTjrrd
>>643
でも技術民はいい待遇だったみたいだね
徳川幕府が気を利かせて朝鮮と国交回復したときに帰らせようとしたら
帰りたくないって言ったとか
650人間七七四年:2009/03/07(土) 00:49:11 ID:DQEIk7RZ
>>647
>>624がチラッと触れてるが

唐入り前は宗が朝鮮との交渉役だったが、
秀吉には「もうすぐ朝鮮から朝貢の使者が来ます!」
朝鮮には「なんでもいいから適当に使者を送って下さい。」

で、本当に適当な『日本平定祝賀の使者』が来て、直接秀吉と対話してウソがバレる
秀吉キレて文禄の役開始

で、停戦後、外交交渉にあたったのが小西 これがまた
秀吉には「日本に有利な条件で講和ができます!この戦、勝利です!」
明国には「日本は明に朝貢したかったんです!でも朝鮮がジャマしたんです!」

で、明帝から秀吉に手紙が来たんだけど
『日本国王として認めてやんよ』とだけ(ホントにこれだけ)なんでこれまたウソがバレる
秀吉キレて慶長の役開始

と、ウソにウソを重ねるのに公文書偽造までやってんだから処刑されない方が不思議
651人間七七四年:2009/03/07(土) 01:18:25 ID:QkMsN8IM
>>645
鳴尾村(現兵庫県西宮市鳴尾町) http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.22.24.1N34.42.59.0&ZM=9
瓦林村(現兵庫県西宮市瓦林町) http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.22.17.8N34.44.27.6&ZM=9
すぐ近くに武庫川が流れているのに水不足とは不思議な話
大河は農業用水としては扱いが難しかったのかな。

北郷公園・・・甲子園球場の近所ですね http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E135.22.15.6N34.43.34.9&ZM=11
652人間七七四年:2009/03/07(土) 01:22:26 ID:rm/DvvCF
>>649

身分秩序とそれによる圧迫統制が厳しくて、それらの被支配民達が、
朝鮮の役のドサクサを利用して戸籍抄本があるところを焼き討ちしたとか言う話もあるな
653人間七七四年:2009/03/07(土) 02:01:11 ID:AU27lZ0X
朱子学全盛下の朝鮮や明朝では、技術者の地位って、その必要性
や価値に比して不当に下に位置づけられていたからなあ。

技能労働=下等

というのは、奴隷制社会の頃のモラルがそのまま残っちゃったのかな?
と思わせるものがある。

(ま、中国本土は、元祖なだけあって抜け道いっぱいでそれなりに敬わ
れていたらしいが)
654人間七七四年:2009/03/07(土) 02:21:40 ID:yGjTjrrd
つーか元朝の後になった明は割と技術者待遇はいいんじゃないのか?
元は技術者を大事にして儒者を低くみたよな。たしか職業別ランクじゃ俳優の一個上
儒学者は朱元璋に取り入って、彼に王者の志を与えたが
実際に朱元璋が彼らに政治を任せてみると汚職連発で陛下ブチギレ、腐れ儒者を大虐殺
一方で農民には訓戒たれたり不当商税を廃して零細商人を救ったり、下々には優しかったし

ラスボスはよく陛下に例えられるが、残忍性だけが共通であとは真逆だと思う
655人間七七四年:2009/03/07(土) 02:25:16 ID:ywxWQBUC
まあスレチだが、明の時代は陛下が役人の給料を極端に低くした(中国史上最低だった)せいで、
役人は汚職しないと食っていけなかった、って理由もある。


結果中国史上最高の汚職蔓延国家になりましたがw
656人間七七四年:2009/03/07(土) 03:21:38 ID:yGjTjrrd
いや、汚職が乱発したのは陛下が虐殺する前の話
順序が逆なのよ「給料が低いから汚職」したんじゃなくて「汚職するような奴らは給料低くていいわ」ってこと
657人間七七四年:2009/03/07(土) 05:54:41 ID:Q55nKRMx
賄賂は慣習化してるのが向こうの伝統だからね。極貧出身の禿様には理解不能な世界だったんだろう
結局、それまで朝廷が持っていた権限を全部自分に帰して政治家を作らなかった。
給料安いって言われたら給料分の仕事しか与えてねーよと言い返すだろうな。科挙も糞簡単だし。
658人間七七四年:2009/03/07(土) 07:56:20 ID:yn5qw26S
汚職は前の元王朝がズブズブだったからなぁ
659人間七七四年:2009/03/07(土) 09:21:52 ID:zRmWduBL
賢明なるラスボスは、最後は明に対して貿易を望むだけまでに
態度を軟化させていた。
が、明は貿易さえもお断りだった。
商人達とは違って、皇帝としては日本の輸出品に、
その当時魅力を感じていなかったからである。

日本に輸出力が有ったのは、銀くらいだった。
それもメキシコ、スペインの開発から価格が下落していた。
660人間七七四年:2009/03/07(土) 09:59:47 ID:08MPk+WC
当時もグローバル経済の影響があったんだなぁ
661人間七七四年:2009/03/07(土) 11:01:05 ID:2NMyQtNK
>>659
前から思ってたんだが、
スパイス貿易全盛時に日本固有種たる山葵ってのは商売に成らなかったのかな
662人間七七四年:2009/03/07(土) 11:09:11 ID:ywxWQBUC
>>661
肉に合わないんで>山葵
つーか、日本ですら山葵が一般に普及したのは江戸時代に入ってから。

中国に関しては明の時も清の時も、日本のみならずヨーロッパも、物品の売込みには苦労しているね。
「ウチには何でもあるからお前らから買う必要ない」が、基本姿勢だから。
だから後にアヘンなんて売り込むことになった。
663人間七七四年:2009/03/07(土) 11:09:37 ID:Af2hBh0E
木の実じゃないからヨーロッパまで持たないだろ
664人間七七四年:2009/03/07(土) 11:26:22 ID:U3WIcaAi
ネオアトラスだと日本は扇子なんかが主な貿易品だったなぁ
665人間七七四年:2009/03/07(土) 11:26:26 ID:AU27lZ0X
山葵は肉に合うだろ〜〜

とまあそれはさておき
山葵は鮮度が大切なので、長期間に渡る輸送に耐えられません。

>>662
実際清朝最盛期の頃は、自国で何でもまかなえたからねえ。
666人間七七四年:2009/03/07(土) 12:21:58 ID:+IHLgDko
>>664
そこでかやくごはんですよ。
667人間七七四年:2009/03/07(土) 13:12:50 ID:jyHXm4Xg
直家「かやくご飯炊いたから食べに来て下さい」
668人間七七四年:2009/03/07(土) 14:05:45 ID:QkMsN8IM
>>667
直家の炊いたかやくご飯はリアルでニトログリセリンが入っていそうだw
669人間七七四年:2009/03/07(土) 14:08:15 ID:0nRdOY75
「かやく」ってレベルじゃねえぞ
670人間七七四年:2009/03/07(土) 14:16:39 ID:AU27lZ0X
>>668
やあ、それは心臓病患者への思いやりですねw
671人間七七四年:2009/03/07(土) 14:17:58 ID:MbsGeYr2
甘いといいますし味付けの心づくしですな

ところでふりかけのこの黒い粉はなんですかな?
672人間七七四年:2009/03/07(土) 15:44:01 ID:Na9nA8na
>>666
かやくと聞いて松永弾正殿が平蜘蛛を抱えて駆けつけて参りました。
673人間七七四年:2009/03/07(土) 17:02:30 ID:6Zkzy/2L
>649
朝鮮の役人はただメンツの為に技術民(陶工)の返還を求めたらしく、僅かに帰った陶工はまた奴隷扱いだったから買い付けの商人に頼んで家族総出で日本に戻ったという逸話も聞いた事ある。
…ただ朝鮮役の後って貿易は止まってたよな? 原典不明な上に載ってた本が行方不明で自信が無い(汗
674人間七七四年:2009/03/07(土) 21:11:49 ID:FZGOjJe/
>>654-658
支那では、お葬式に紙銭をお供えします。
お墓参りの際にも紙銭をお供え物としています。
(燃やしてお供え。)

理由
あの世のお役人に袖の下として渡す為。

板違いスレ違い失礼。
675人間七七四年:2009/03/07(土) 23:02:18 ID:Lts7FQj2
>>664
キャットギターとかな。
676人間七七四年:2009/03/08(日) 04:55:01 ID:lTDc1FCJ
東北勢でまだまとめにいない安東さんの話を




出羽・羽黒山の別当は国中の大名小名に武運長久の守札を例年送るのが慣わしだった。
ところが、羽後の大勢力である安東愛季の所には行かずに配下の浅利、大平、豊島らばかりに向かわせたのである。


(`・ω・)<ウチと豊島とは親戚ッスから


などと羽黒山の使僧である智賢坊は語るが、当の豊島重村


(´Д`)<いや、そういうのマジでやめて。昔は確かに安東さんと戦したこともあったけど
     もう仲直りして何事もなく数年送ってるんだから。俺も野心とかないし、ホント


悪いことにこの羽黒の衆と重村が組んで安東家を攻めようとしているという噂があるとかないとか。


(`・ω・)<ほう、それは大変ですね。でも自分も別当の代理なんで初志貫徹させてもらうッス


智賢坊は、二、三人だけの供を連れて愛季の領地を見つからないように横断
浅利や大平を巡り、当然のごとく愛季はスルーして羽黒に戻ったのである。



ブチ切れたのは愛季である。
スルーするのはまだ先述の言い訳があるからいいとしても、こっそり自分の領土を横切ったのが気にくわない。
なにか後ろめたいことでもあるか、いやあるんだろうと、思い当たる事が一つ


(♯゚Д゚) <重村ァァァァーーー!! 謀反かァァァァァーーー!!


(;´д`) <ちょ、ま、何考えてんのあの坊主!?


重村はここで争ってもしょうがないと、愛季が豊島の城を攻める前に
すでに縁戚をたよって仁賀保まで落ち延びたのだった。




で、これを聞いた羽黒山の智賢坊


(`・ω・)<ホラ、愛季ってこういう奴なんですって
      きっとウチの所にも攻めてきますよ。豊島と縁があるから
      なんつー逆恨みだ、あの野郎!


などと言いふらしていた。
これでヒートアップした羽黒山の坊主ども、安東が攻めてきても簡単にやられるもんかと
城郭を作り、近くの武家も呼んで防衛を固めた。
677人間七七四年:2009/03/08(日) 04:56:50 ID:lTDc1FCJ
だが






シーーーーーン……






愛季は謀反は重村の主導だと思っているので、羽黒山を攻める気などトンと無かったである。



そして、年が明けた……



さすがに別当は冷静になっていたが、下々は更にヒートアップ


(`・ω・)<わざわざ安東を待つことはないですよ! 逆に攻めちゃいましょうぜ!

(・∀・;)<いや、待ってよ。もしかして安東は攻める気が無いn…

(`・ω・)<戦に勝ったら安東の領地五千町の領地はウチのものにして
       残りは今回駆けつけてくれた武家に分け与えるってことで!

Σ(・∀・;)<なんか勝った後の事まで言い始めた……!?


止めることが出来ずに、羽黒山連合は海陸より愛季の領地に進軍を開始した。





(♯゚Д゚) <坊主が船のって俺達に勝てるかボケェ!!


陸上の戦いが始まるまえに海上の羽黒勢は安東勢に負けてしまった。
この戦いは小野寺の仲介で和睦に終わったが
一番の被害者である豊島重村は愛季と和解するまで四、五年もかかったのであった。





愛季と重村のいい(迷惑な)話
678人間七七四年:2009/03/08(日) 05:14:15 ID:Qbk18K1u
>>676
一大海洋王国安東氏の面目躍如ってとこですかね
・・・最後だけw
679人間七七四年:2009/03/08(日) 09:14:47 ID:v1LfuiR8
豊島のいい話でもあるな
愛季タンの少し格好悪い話でもある
680人間七七四年:2009/03/08(日) 09:38:15 ID:D1TCUgDw
マジに何がしたかったんだクソ坊主はw
681人間七七四年:2009/03/08(日) 10:51:05 ID:mJ6kWrnp
一五八三年、10月天正遣欧使節の乗る船はインドの西岸、ゴアに到着した。
ゴアは、当時ポルトガルが海外交易の拠点として、現地のインド王族らと
交渉の末獲得した港湾都市であった。
当時、ポルトガルの王族が統治していた。
東洋の香辛料が莫大な富をポルトガルにもたらしていた。
市場では、アフリカ東岸、モザンビーク周辺で狩られた
アフリカ人の奴隷市が立っていた。

この猥雑な歳を、歳はのいかない少年に見せまいとイエズス会は
すぐに少年らを修道院に隔離し、市場には行かせないようにした。
が、彼らは西洋人の赤裸々、貪欲な素顔を行く道のあちこちで目にしていた。
一五八四年、12月、インド洋を南下しアフリカ喜望峰を回った。
この時、風に恵まれ順調な船足のなか、少年らはクルージング
しながらの船釣りをしてみた。名の知れぬ南洋の大魚が大漁であった。
日本人この地で初めて試みたクルージング釣りであろう。
西洋人にこの手の趣味はまだなかった。

久しぶりのお刺身、醤油はなかったが喜んで彼らは食べた。
が、ポルトガル人は顔をしかめ生魚に手をつけなかった。

が、生魚のおかげか、壊血病続出、3分の1が死亡した西洋人の船員を尻目に
ビタミンCを補給した彼らは壮健であった。

682人間七七四年:2009/03/08(日) 11:21:29 ID:oWbe5sif
>>652
隷書院だったけ、日本軍も焼き討ちしたんじゃないっけ。
683人間七七四年:2009/03/08(日) 14:01:12 ID:NxhaeWaq
>672
ここだけの話、ネオアトラスのかやくごはんは本当に「火薬」+「コメ」なんだ、うん。
あつあつに熱した鉄塊をごはんに盛った鉄火丼(「鉄」+「コメ」)もあるよ!
684人間七七四年:2009/03/08(日) 14:56:32 ID:cMHIdEUt
細川家の筆頭家老、松井康之は歌道に優れ、茶の湯は利休・津田宗及に迫るとされ、
弁舌さわやかにして肝太く、数々の外交交渉にあたり、成功を勝ち取ってきた。

忠興と明智玉(ガラシャ)の婚礼を取り仕切ったのも彼、忠興が関白秀次に連座して
借金の返済を求められた時、家康と交渉して、そのヘソクリを引き出したのも彼である。

慶長17年(1612)、その彼にも最期の時が訪れようとしていた。
「・・・誰かある、遺言を言い聞かせる。」
「父上、興長これに。」 息子の興長が、康之の枕元へにじり寄った。

「よいか、わが家の者は・・・         バカになって、殿に仕えよ。」
「は?!え、あのー父上、当家的には 『学問・茶道を極めよ』 とか、そんな感じで
なくていーんですか?!」

「ええんじゃ!ワシは歌道・茶の湯・学問・礼儀作法すべてを修めたが、世間では
不器用極まりない有吉頼母とワシを、『細川の両家老』と言っておる!」

有吉頼母とは、細川家の記録に『みんなにマヌケと言われてました』とか書かれてしまった
有吉四郎右衛門立行のことである。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-941.html

「しかも、ワシの方が戦の場数は二回多いのに、『細川では儀礼は松井、武辺は有吉』
とまで言いおる!
・・・つまり侍は、有吉みたくバカで不器用でも一途に殿に仕えとりゃええんじゃ。」(TДT)

リア充、マジメバカにコンプレックスを抱く、というお話。
あっちのリッチも、コッチのイケメンも、キミにジェラシーしてるかも?
男性諸君!自身を持とう!!(*^ー゚)b
685人間七七四年:2009/03/08(日) 15:21:18 ID:993QQAbG
細川さんちはいろんな家臣がいるなあw
686人間七七四年:2009/03/08(日) 15:22:53 ID:vckWRPd3
坊主坊主って、羽黒って修験じゃなかったっけ?
687人間七七四年:2009/03/08(日) 15:28:46 ID:BfY3vTLC
>>684
まとめで松井康之の部分は流して読んでいたけど、こんなオチがあるとは…
ここはほんとに面白いなぁ
688人間七七四年:2009/03/08(日) 15:30:24 ID:BfY3vTLC
ageてもた
堪忍、堪忍よ
360万人の鬼武蔵にみももまめましたがされてくる
689人間七七四年:2009/03/08(日) 15:46:39 ID:Qbk18K1u
>>686
当時は神仏混淆で区別するのは意味無いが、東国の修験道のとりまとめとして
大宝寺があり、それを指して「坊主」というのは間違いじゃない。
690人間七七四年:2009/03/08(日) 16:53:07 ID:w05jYnTa
>>689
羽黒山のその当時の別当は大宝寺義興だったともいうから、
裏で大宝寺氏が糸引いてたんだろうかね
691人間七七四年:2009/03/08(日) 18:13:44 ID:eEckgO2n
>>683
山本七平「一下級将校の見た帝国陸軍」に砲弾から抜いた
無煙火薬で飯を炊く話が載ってたな。
煙がほとんど出ないので米軍に発見されにくいのがメリット。
砲弾一発でちょうど飯盒一杯分の飯が炊けたそうだ。
だもんで、「かやくご飯」ってのは火薬で炊いたご飯の事だと
ずっと思ってましたw

※火薬に火をつけたら爆発するだろうってのは錯覚。
密閉状態で圧力を高めないと、勢い良く燃えるだけで爆発
にはならない。
692人間七七四年:2009/03/08(日) 19:27:28 ID:8mrlXoho
390 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2009/03/07(土) 12:38:05
バンダイ、『戦国絢爛チョコ』 - 安彦良和氏らの描き下ろしカードが付属
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/03/06/063/

No. 武将名        No. 武将名    No. 武将名
001 徳川家康       011 黒田孝高  021 真田幸村
002 伊達政宗       012 黒田長政  022 島左近
003 本多忠勝       013 徳川秀忠  023 前田慶次
004 小早川秀秋      014 福島正則  024 小西行長
005 山内一豊       015 後藤基次  025 大谷吉継
006 千代          016 石田三成  026 宇喜多秀家
007 井伊直政       017 毛利輝元  027 明石全登
008 柳生宗矩       018 直江兼続  028 長宗我部盛親
009 榊原康政       019 上杉景勝  029 島津義弘
010 細川忠興・ガラシャ 020 真田昌幸  030 足軽(宮本武蔵)



> 020 真田昌幸
> 021 真田幸村

        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
693人間七七四年:2009/03/08(日) 19:34:30 ID:yEbb/uho
家単位で二人も出てりゃ十分だ上田組のくせに
お前んちの枠一人分田中吉政か加藤嘉明にでも譲れw
694人間七七四年:2009/03/08(日) 19:38:33 ID:Ra7KDtLB
采配のゆくえは充分良心的だったというのが良く解ったわw
695人間七七四年:2009/03/08(日) 19:43:17 ID:0ts1MvnQ
018 直江兼続
019 上杉景勝

せめて順番ぐらい。。。
696人間七七四年:2009/03/08(日) 19:50:29 ID:P15jMiqx
>>692
パッケージが安彦直江はともかく美樹本三歳さまはどうなんだww
697人間七七四年:2009/03/08(日) 19:58:55 ID:albraESl
え、突っ込みどころは金吾じゃないの??
698人間七七四年:2009/03/08(日) 20:01:09 ID:rzAiPfuc
千代もなww
699人間七七四年:2009/03/08(日) 20:07:50 ID:zT9tViQV
ラインナップがアレすぐる・・・・・・
なぜ長宗我部でも元親じゃなくて盛親かねえ・・・・・・。

これって戦国時代チョコというか関ヶ原チョコでない?
700人間七七四年:2009/03/08(日) 20:10:34 ID:3kdDyPn+
>>699
バンダイのこの商品のページより
http://www.bandai.co.jp/candy/products/2009/54773.html

> ■商品説明
> 戦国時代の武将を題材にした、バンダイオリジナルのイラストカード付き
> ウエハースシリーズの登場です。
> 第一弾は、「関ヶ原の戦い」がテーマです。
> 「機動戦士ガンダム」の安彦良和や、「超時空要塞マクロス」の三樹本晴彦など、
> 9名の有名イラストレーターが武将をイラスト化しました。

ですって。
701人間七七四年:2009/03/08(日) 20:11:08 ID:XzkzISwK
010「ガラシャは渡さん!現世人の手に触らせたりせんぞ!!」
702人間七七四年:2009/03/08(日) 20:13:17 ID:YB+xCiuS
>>701
つまり忠興直々に現れてくれるってことか!
ちょっと買ってくる
703人間七七四年:2009/03/08(日) 20:13:18 ID:3kdDyPn+
ふと思ったが、この後、信玄編、謙信編、信長編、秀吉編などが出てくるのだろうが、
信長編では当然

鬼武蔵は出て来るんだよな。
704人間七七四年:2009/03/08(日) 20:13:30 ID:ugOT+R07
031 森 長可
705人間七七四年:2009/03/08(日) 20:17:39 ID:p6+pZtXB
槍をこちらに向けた若武者が描かれた森長可のカード

カコイイ!と置いておくと寝静まった夜中に起き上がり所有者の枕元で槍を…
706人間七七四年:2009/03/08(日) 20:20:34 ID:ohY97FiM
032 富田長繁  持っていると同僚を殺したくなってくる
707人間七七四年:2009/03/08(日) 20:20:49 ID:PmzmowFG
第2弾 鬼編
第3弾 政宗破壊文化財編
第4弾 秀吉好色編
第5弾 家康説教編

未来からきたがこうだった
708人間七七四年:2009/03/08(日) 20:45:55 ID:Ra7KDtLB
信之兄ちゃんは金輪際出て来そうにないな。
幸村削るか昌幸とペアを組ませて、空いた分で小松とセットで出してやればよかったのに。
709人間七七四年:2009/03/08(日) 20:46:52 ID:S8uo5Q2d
>>692
安彦 戦国物描いてくれないかなあ
今はガンダムで手一杯だろうが
死ぬ前までにマイナーだが
江戸時代まで生き延びた小藩あたりで

710人間七七四年:2009/03/08(日) 20:48:10 ID:0ts1MvnQ
討ち死に編とか斬首晒し編とか
711人間七七四年:2009/03/08(日) 20:50:00 ID:N7NfH9gY
暗殺被害者編
712人間七七四年:2009/03/08(日) 20:52:38 ID:3kdDyPn+
>>707
> 第3弾 政宗破壊文化財編

「政宗が貴重な書物を真っ二つにして、気を失いそうになる藤原惺窩」
「政宗が高価な茶道具を叩き壊して、オロオロする小堀遠州」
「政宗が高価な茶碗を破壊するが、まんざらでもない顔で既に修理用の金泥を用意している古田織部」
「政宗が茶碗を壊そうとする前に、その気を察して政宗を殴り倒す千利休」

これなら100枚そろえる。
713人間七七四年:2009/03/08(日) 20:56:22 ID:jsjjNc+2
013 宇喜田直家
564 松永久秀
714人間七七四年:2009/03/08(日) 21:12:07 ID:cYEfjK16
>>709さん安彦さんは戦国もんなんて書きません。僕がさせません。これからは売れる漫画でいってもらいます。絵うまいから
715人間七七四年:2009/03/08(日) 21:16:43 ID:ouQGyocT
信之兄さんはもう少し長生きしたら出られたかもしれない
716人間七七四年:2009/03/08(日) 21:22:06 ID:7ZdFaIez
>>709
つ【三河物語】
上手くアレンジしてて中々面白かったよ。
717人間七七四年:2009/03/08(日) 21:26:08 ID:UVf0nqom
晴信深夜の素肌攻め編
718人間七七四年:2009/03/08(日) 21:27:50 ID:BlcS2eoZ
北陸内乱編

      02 遊佐続光      
04 長続連 01 畠山義綱 03 温井景隆
      05 八代俊盛
719人間七七四年:2009/03/08(日) 21:45:30 ID:0ts1MvnQ
辞世の句でで百人一首編、坊主めくりも遊べるよ
720人間七七四年:2009/03/08(日) 23:13:12 ID:3kdDyPn+
天正十五年元旦のこと

佐野宗綱はにわかに、かねてより対立していた、足利の長尾顕長を攻めた。
足利では油断し元旦を祝っていたため、この不意打ちにみな狼狽し、防衛に手が回らなかった。

この足利の混乱に気をよくし、逸った宗綱は、軍勢の先頭に立ち皆を鼓舞しようと
猛然と駆け出した。それがあまりに早かったため、槍持ちの一人はその馬の尾に?まるように
走ったが、ついに追いつけなくなるほどだった。

さて、宗綱が数葉那坂まで差し掛かると、そこは足利長尾の剛の者として聞こえた
小曾根筑前が防御を固めていた。混乱の中、冷静な者たちもまたいたのだ。

これを見た宗綱は
「よろしい!先に長尾の首を取るつもりだったが、先にお前を打ち倒そう!」
と、采配を振るった

「攻めかかれ!」



「攻めかかれ!!」



「おや?」

後ろを振り向いた。
宗綱の旗本勢は、誰一人いなかった。
宗綱公、味方をぶっちぎってここまで来ていたのである。
気がつかずに。


さあ宗綱公一人に、集中攻撃、開始。

銃弾を受けて落馬した所を、軽輩の豊島七右衛門というものに、あっさりと首を取られた。
小曾根方では最初、「血気に逸った先手の物頭があたりが、突出しちゃったんじゃね?」
と思っていたが、鎧や馬を見ると、やけに物がいい。

「…もしや?」

そこで佐野家の事を良く見知っているものに首を見せると、驚いたの何の

「あっ!宗綱公!」

ようやく追いついてきた佐野勢は、小曾根方の「大将宗綱公、今日ただいま討ち取った」との
大歓声を聞き、壊乱。
何も出来ずに領国に逃げ帰った、とのことである。
721人間七七四年:2009/03/08(日) 23:24:21 ID:Ge7r9wNg
アホすぎるww
722人間七七四年:2009/03/08(日) 23:29:07 ID:3kdDyPn+
>>720
漢字がうまく表示されてない…。
五行目の「馬の尾に?まる」は、「馬の尾につかまる」です。
723人間七七四年:2009/03/08(日) 23:47:35 ID:HgsDux+P
北条氏照を破った男だというのにこれは・・・
724人間七七四年:2009/03/08(日) 23:49:31 ID:6GjdxMop
正月早々何やってんだwww
725人間七七四年:2009/03/09(月) 00:54:18 ID:5J91V+Ha
猪過ぎるだろw
726人間七七四年:2009/03/09(月) 00:55:07 ID:oK5AprB1
「殿がいない!?」とどっちがマシだろうか…
727人間七七四年:2009/03/09(月) 00:57:24 ID:5J91V+Ha
大浦政信ですね、分かります。
728人間七七四年:2009/03/09(月) 01:17:08 ID:PEFXI32g
最上義光「まったく総大将が突出だなんて。知将タイプのわしには信じられないよ」
729人間七七四年:2009/03/09(月) 01:23:07 ID:l3alOe4m
ある時、市の所有を巡り、北条家臣同士が争論となった
一方が相手を訴え、裁判に持ち込まれたが、被告はその裁判官について必死の抗議をした

「ちょっと待ってくださいよ!
実は私、評定衆の山角さんとは仲が悪いんです
今回の訴訟も、原告が山角さんと談合したって聞きましたよ
山角さんとのいざこざは、求めがあればいくらだって説明しますから、
とにかく彼をこの裁判に参加させないでください!(涙」

が、この直後、山角はグルの原告に書状をしたためていた

「ご当主が出陣したので、ちょっと裁定は遅れるかもね
でも安心してね、君が勝つことは間違いないからね(笑」

数日後、やっぱり原告勝訴の判決が下った
こんな裁判記録が後世に残っちゃったのも、北条氏の生真面目な文書主義のおかげです
730人間七七四年:2009/03/09(月) 01:24:55 ID:oSWSt1Hk
>>728
堀喜吽「・・・・・・」
731人間七七四年:2009/03/09(月) 11:24:26 ID:6TGLeQBL
>>731
鬼武蔵「俺だったら即解決!」
732人間七七四年:2009/03/09(月) 11:27:30 ID:WJiIOv/3
>>731
……あ、アウアウ!
733人間七七四年:2009/03/09(月) 11:35:36 ID:zVxp2b9E
>>732
そいつに触れることは”死”を意味する!
734自己レス?:2009/03/09(月) 15:17:05 ID:mK7+2di9
>731 ID:6TGLeQBLの所へ百段がスキップして行きましたよー
735人間七七四年:2009/03/09(月) 19:04:51 ID:M4DMtA9C
>>734
   /ヾ∧
 彡| ・ \
 彡|  ヽ_) つ <長可様━━━━!!
 (つ   /
/   (⌒)   ズドドドド!
/ ___し
736人間七七四年:2009/03/09(月) 19:33:12 ID:B+d2fH5D
実は転生してツインターボに生まれ変わっていたんじゃないかと妄想した。
737人間七七四年:2009/03/09(月) 21:29:26 ID:M4DMtA9C
>>736
黒毛の軍用馬の百段ってのに乗ってる
先月戦働きの褒美として信長様から頂いた
カッコイイ、マジで
そして速い
鞭を入れるとと走り出す、マジで
ちょっと感動
しかも駿馬なのに調教が行き届いているから操作も簡単で良い
軍用馬は速さが無いと言われてるけど個人的には速いと思う
競走馬と比べればそりゃちょっとは違うかもしれないけど、そんなに大差はないって信長様も言ってたし、それは間違いないと思う
ただ城の石段とか乗り越えると流石にちょっと怖いね
俺が乗ってるのに平気で駆け上がるし
速度にかんしては百段も松風も変わらないでしょ
松風乗ったことないから知らないけど逸話が多くあるかないかでそんなに変わったらアホ臭くてだれも騎馬武者になんかならないでしょ
個人的には俺の百段は十分に速い
嘘かと思われるかも知れないけど京の市中でマジで天皇の行列を抜いた
つまりは天皇ですら俺と百段には勝てないと言うわけで、それだけでも個人的には大満足です
738人間七七四年:2009/03/09(月) 21:58:28 ID:ZygskCA5
>>737
まさかこのスレでGTO改変を見るとはw
739人間七七四年:2009/03/09(月) 22:04:27 ID:9Te/TsOK
このスレの住民、マジ多才w
740人間七七四年:2009/03/09(月) 23:20:02 ID:ZaJi2MIf
秀忠の長女千姫は豊臣秀頼に嫁いだが、大坂夏の陣においては大坂城の脱出に成功し一命を取り留めた。
しかし、命からがら逃げ延びた千姫に秀忠の反応は冷たかった。
「なぜ秀頼と共に死ななかったのだ?」
夫と共に死ぬのが妻の務めという事である。
しかし、秀忠の正室お江与の母お市も夫長政の死後も生き長らえている以上、妻が夫と共に死ぬ義務などない。
恐らく千姫が夫を捨てた悪女として非難を浴びないようあえて突き放した事を言ったであろう。
741人間七七四年:2009/03/09(月) 23:29:34 ID:9Te/TsOK
I崎「娘さん、いらないなら是非ください! 中古でもおk」
742人間七七四年:2009/03/09(月) 23:33:24 ID:mK7+2di9
>>701
“やらせはせん!やらせはせんぞぉ〜!!”

と豆鉄砲で西軍の白いあくまに立ち向かっていくのですね
743人間七七四年:2009/03/10(火) 01:50:47 ID:CCZ0j3vz
>> 737
その数百年後、峠の走り屋が天皇に即位し元号が平成になりましたとさ。
744人間七七四年:2009/03/10(火) 09:20:12 ID:fgzIioig
>>741
秀忠「俺の嫁はバツ2の中古と知っての発言か、それは。貴様は改易だ」
745人間七七四年:2009/03/10(火) 11:57:44 ID:uxaklKN7
剣聖、上泉伊勢守が畿内より関東に戻る途中、三河牛久保に立ち寄った折の事である。

当時牛窪は牧野氏の支配にあり、そこでは行流という剣法が流行り、その道場は
多くの弟子を集めていた。
行流の者達は、上泉師弟来るという話を聞き、「師匠に上泉を打ちのめしてもらおう!」
などと言っていた。

さて、牛久保に上泉伊勢守と、弟子の虎伯と二人が現れると、牧野公はこの二人を招き、

「我が領内で盛んな、行流の師範と立会いをしてほしい」

と、頼んだ。
そこで上泉は例の如く、先ず弟子の虎伯に仕合をさせた。

虎伯はその師範に、「それでは怪しいぞ!」と言いながら、容赦なく打ち込み、
師範がどうにか建て直し、再び向かいかかってくると

「それでは取るぞ」

と言って、彼の太刀を取ってしまった。

この仕合の後、普段からこの師範を心憎く思っていた者達が、打たれた打たれたと
はやし立てたものだから、彼は居たたまれなくなり、牧野公から暇を取って、甲州に向かった。

この師範の名は、山本勘助と言った。


事実の如何は、知らず。
(武辺叢書)
746人間七七四年:2009/03/10(火) 12:39:14 ID:mP3uIFQ1
>>745
作り話だろうけど面白いな
747人間七七四年:2009/03/10(火) 14:41:51 ID:BeWo0eh1
時期がまったく合わないしね。
748人間七七四年:2009/03/10(火) 16:24:43 ID:TSvrvtzO
時系列無茶苦茶すぎワロタw
749人間七七四年:2009/03/10(火) 17:11:16 ID:o8Wlyn1Z
上泉さんが新陰流広めるために旅に出た時には勘助(実在してたら)もう軍師ポジだし...
あるぇ〜?
750人間七七四年:2009/03/10(火) 18:17:02 ID:tzN5GRIc
武田信玄の軍師・山本勘助は浪人中、「毛利の孫子」にめぐりあった?
ttp://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/cf8b5b32d7e64d3f374f9c008ebee38d
勘助はそこらへんうろうろしすぎw
751人間七七四年:2009/03/10(火) 18:39:09 ID:oD6R8Yx4
お大師様なみに全国行脚してたりしてなw>勘助
752人間七七四年:2009/03/10(火) 20:13:37 ID:j84KrGxa
たまには和みは必要じゃないかな
753人間七七四年:2009/03/10(火) 20:56:46 ID:O7E/zCz6
>>751
まさか信玄の隠し湯とやらは勘助が杖かなんかでつついたら・・w
754人間七七四年:2009/03/10(火) 20:59:11 ID:IvdkXVB8
出羽にて複雑な攻防を繰り広げ、領土を維持した秋田実季
しかし、関ヶ原後の仕置により、あっさりと国替えされ、常陸国宍戸へ移されてしまう

藩政確立にいそしむ実季だったが、長男・俊季と「和漢に比類なき」不仲となる
どうやら、後継問題、湊派・檜山派の抗争、財政問題などが昂じた結果らしい
目に余る親子喧嘩は幕府の知るところとなった
やがて、実季は藩主を罷免された挙句、何の縁もない伊勢国朝熊へと追放されてしまった

仏門に入った実季は「凍蚓」と名乗った
戦いの果てに落ちぶれた蟄居暮らし。そこで実季はおかしなことを始める
鎌倉から人形作りを呼び、等身大の自身の木像を作らせた
そして床の上に置いたその像に、
「凍蚓、お茶を飲むか?何か食べるか?(*^ω^)」
などと親しげに呼びかけ、友人のように扱っていたという…

俊季よりも長生きした実季は、万治二年、八十四歳で死去した
755人間七七四年:2009/03/10(火) 21:10:54 ID:KSL8nbi0
おかしくなってしまったんだろうか
756人間七七四年:2009/03/10(火) 21:27:16 ID:o8Wlyn1Z
…その…どうコメントすればいいのやら…
757人間七七四年:2009/03/10(火) 21:37:36 ID:oQvj8ukG
あぁ…なんて言えばいいんだ…
758人間七七四年:2009/03/10(火) 21:38:39 ID:N4ZWAqDf
あはははは
笑っとけばいいねん。
759人間七七四年:2009/03/10(火) 21:49:57 ID:P9/KxRCV
逆に考えるんだ。木像には魂が宿っていたんだと。
…………何と言えばいいのか。
760人間七七四年:2009/03/10(火) 22:17:13 ID:D5qB3wHc
遅れてきたDQN

なにかと小知恵の回る田中吉政であったが、息子には小細工しすぎでまずいことに
長男吉次→「パパなんて嫌い!」と家出して出家(野垂れ死に説もあり)
次男吉信→一時は嫡子扱いされるが、結局支城の久留米城主
三男吉興→お鉢は回ってこず、分藩3万石
四男忠政→吉政のお気に入りらしく、ややこしい経緯の末跡継ぎ。
        嗣子なく死去したのでお家取り潰し

お話は次男吉信。
元々そうであったのか、家督と嫡子のややこしい扱いで鬱憤溜まったのか、
筑後移封後にDQNぶりが加速。
久留米から度々家臣を引き連れ、柳川城に向かって空鉄砲の一斉射撃を行い
ビビる吉政を見るのが趣味。
でも久留米の城下町や街道整備も立派にやる漢気もあるよ、な人物。

あるとき些細な事で下人を手打ちにしようとするが、なにせ戦国直後のこと下人も黙ってはいない。
殺されはするものの刀を手に反撃し、腿に深手を負わせた。
負傷した吉信の対処
「ここは肉が多くて腐り易いからこうするのだ!」と文字通り「傷口に塩を擦り込んだ」

その後また下人を手打ちにするが、これまた反撃されて今度はふくらはぎに深手。
負傷した吉信の対処
(まともかどうかは分からない)治療はしたが、いつまでたっても痛みが引かないので
「これしきの傷がこんなに痛むはずがない!」
とおもむろに四股を踏み始めるが、傷口が開き死亡。

享年は不明だが若死になのは確か。
生涯通算手打ちSATSUGAI数 53人
山鹿語類より

戦歴は知らない。
761人間七七四年:2009/03/10(火) 22:27:22 ID:huOeHCk4
うへあ…
762人間七七四年:2009/03/10(火) 22:45:17 ID:giNrlv7Q
>>754
せっかくだから、その分身と肩でも組んでる様子を肖像画で残してくれると良かったのにね。
763人間七七四年:2009/03/10(火) 23:40:15 ID:4uHRyrAb
>>754
聖☆実季さんてかんじだね…
洒落にならんけど…
764人間七七四年:2009/03/10(火) 23:47:56 ID:6LsH6q+X
>>754
自分を自分で労わってたんだろうか…
765人間七七四年:2009/03/11(水) 00:01:07 ID:FoTXIgYR
>>754
バーン・ガニアが認知症になって施設にいるのを思い出した。
766人間七七四年:2009/03/11(水) 00:49:19 ID:gUdI9oi9
短パンうざいな
767人間七七四年:2009/03/11(水) 00:56:38 ID:s2tlvbR/
>>586-588
津山城でなくて院庄城じゃなかった?
この事件のせいで院庄城普請が中止され鶴山城跡に津山城として移ることに。
768人間七七四年:2009/03/11(水) 02:06:03 ID:WyQ76570
>>754
太閤立志伝でおなじみ万金丹の開発者なのに、痴呆扱いカワイソス
769人間七七四年:2009/03/11(水) 09:06:54 ID:z/Vz0xcf
万金丹にはいつもお世話になっております
770人間七七四年:2009/03/11(水) 14:18:21 ID:wWIBejCT
>>765
確かバーン・ガニアって、老人ホームで隣の老人にボケて
プロレス技を掛けて殺しちゃったんだっけ。
771人間七七四年:2009/03/11(水) 16:44:27 ID:fuTSGE44
>>760

今でいえば境界例、人格障害だね。
「吉」のつく名前が正室の子だったらしい。
おとっちゃん、都市整備では名君だったが、子育ては
苦手だったらしい。


772人間七七四年:2009/03/11(水) 17:53:03 ID:hFPEo9Td
神子上典膳が将軍秀忠より、”忠”の一字をいただき、小野次郎右衛門忠明と名乗った頃の事である。

その頃江戸に剣術の道場を開き、その指南を人に見物させ、評判になっている所があった。
忠明もこれを見物し、どう言う事か道場の者達を散々に笑い嘲った。
これには道場主も怒り出てきて、

「あなたはどういう人であるのか!?今のような嘲りをこのままにしておいては、
明日よりこの道場を立ち行く事が出来申さん。
我等の芸が拙いと言うのなら、ここに出て一勝負していただこう!」

願ったり適ったりとはまさにこのこと。
忠明、この時実に、生き生きした顔となったに違いない。

その言葉を聞くや否や板敷きに飛び上がり、腰にさしていた鼻捻り(木棒)を抜くと
この道場主に立ち向かい、彼の打ち出す大太刀を丁と打ち開いて、彼の眉間をひしと打つ!

道場主、鼻血を流し、尻餅をついて倒れた。

見物の者達、ここで初めて「これは喧嘩だ!」と、外に逃げ出そうとしたが、そこに奥より、
この道場のもう一人の師匠なる人が現れた。

「ただいまの勝負に関しては、何も言う事がありません。
今日はこれより、この者の介抱をいたさねばなりませぬ。よってあなたを御止めはいたしません。」

おいおい、これでお仕舞いかよと忠明、残念そうな顔

「…ですが、
明日までに、この場を清めておくよう、門人達に申し付けておきますので、
どうぞその時お出でになり、それがしと勝負、していただきたい。」

忠明、朗らかに一声「心得たり!」


さて翌日、約束どおり道場に出向いてみると、その様子が昨日とまるで違う。
見物人はみな敷地の外に出され、全ての窓は締め切られている。
道場のくぐり戸が一つ、開いているばかり。

「これは、戸の向こうに罠を仕掛けているな。」

忠明、嬉しそうに言う。彼はこういうことが大好きだ。
何ほどのことがあるかと、雷電の如くくぐり戸に飛び込んだ。

ところが踏み込んだ板敷きには、必ず滑るよう油が敷いてあった。
忠明、仰向けに倒れる。そこでかの師匠、上からたどんを打つように拝み打ちに来る。
しかし忠明倒れながら、愛刀”鍋釣”を抜き、かの太刀を払い、そのまま立ち上がると
一振り。斬り殺した。

そして満足した顔で、道場を後にする。
道場を取り巻いていた人々で、舌を巻かぬものはいなかったという。
773人間七七四年:2009/03/11(水) 17:58:47 ID:jmY65wIX
柳生宗矩「そういう厨二的な発想しかできないから、君は所詮、その程度なのだよ。
活人剣じゃないと」
774人間七七四年:2009/03/11(水) 18:16:03 ID:de/esHF3
いや、マジで柳生但馬が再教育してくれてれば、身を滅ぼすこともなかったろうに
775人間七七四年:2009/03/11(水) 18:23:58 ID:KQD57CsC
なんというリアル虎眼先生
776人間七七四年:2009/03/11(水) 19:42:58 ID:XL+xOuGg
一刀流ネタがでたので
忠明の師匠 伊藤一刀斎奥儀に開眼するの巻

一刀斎が京都に滞在していた折
泥酔してある女と蚊帳の中で眠りこけていた
しかしその女は一刀斎に恨みを持つ者たちの手先で、一刀斎が眠っている間に刀を隠されてしまう
そこに押し込んだ刺客たち
身動きがとれないように蚊帳を切り落とされ、一刀斎絶体絶命の大ピンチ

並みの剣客ならこのまま切り刻まれて糸冬 了となるところだが、さすがに一刀斎は格が違った
なんとこの状況で剣の奥儀に開眼、刺客の攻撃をすべてしりぞけ切り抜けることに成功

後の一刀流極意のひとつ「払捨刀」誕生の瞬間である
777人間七七四年:2009/03/11(水) 19:49:28 ID:d9ZA9Oll
汚いなさすが一刀斎汚い、と思わず書きたくなった
778人間七七四年:2009/03/11(水) 19:55:57 ID:efVyCdOa
一刀斎「それほどでもない」
779人間七七四年:2009/03/11(水) 20:48:23 ID:vLeNiO9/
おいィ!?なぜか一級剣客の逸話はブロんティすトが書きこんでいるんが
稀に良くあるらしいんですがどうなんでしょうかねぇ
780人間七七四年:2009/03/11(水) 21:02:24 ID:QIkClUzl
>>776
これが会話ログ
俺>こんにちは一刀斎さん
一刀斎> 何か用かな?
俺>女と寝込み中に襲われましたか?
一刀斎> 襲われてない
俺> そうですかありがとう払捨刀すごいですね
一刀斎>それほどでもない

やはり無実だった
しかも払捨刀を開眼したのに謙虚にそれほどでもないと言った
781人間七七四年:2009/03/11(水) 21:26:16 ID:s2tlvbR/
リアルではモンクタイプ
782人間七七四年:2009/03/11(水) 21:31:23 ID:whURJ1k6
良い話での逸話の逆バージョン。

朝鮮北部で李王朝の2王子を捕虜とした加藤清正。
大変人道的な処遇を与え、解放後に感謝のお手紙までいただいた、とある。

ところが、これがあっちの国から見ると、異説あり。
かなり苛めまくったというか、この戦国の時代当然の処遇しかしなかった、
そうな。

解放交渉の時、李朝側の使者が清正の陣営に赴くと、たいそうリッチな毛皮に
ぬくぬくと身を包んだ2王子がいた。
一安心した使者は、王子たちに清正らが席を外した際に
「「ひどい目にはあわなくて良かったね」と。

一人の王子
「とんでもない!さっきまでぼろ布を着せられ、寒さに震えまくってた
んだぜ、この背中を見てくれよ、ばっちりあざだらけだろ、しっかりあいつには
鞭で打たれ焼きを入れられたもんだぜ。

北から撤退されるときには、あっちの森長可ってクレイジーの真似だって
俺たちが先頭に立たされ、盾にされてた始末さ。ひでい奴さ、ったく。

こいつみてみろよ、PTSD、トラウマでモノが言えなくなっちまったぜ。」

他の王子「・・・・・」

ま、お互い、言い分あるのだろう。
783人間七七四年:2009/03/11(水) 22:49:43 ID:M/Srvdow
>>782
朝鮮側にある清正の悪い話として

加藤清正と小西行長は黄海道安城駅に至った後今後の目標をくじで決めた。
清正は北方の威鏡道を担当することになり、地元民2名を捕らえて道案内をさせようとした。
が、その地元民たちは「この土地で生長したので北路のことはよくわからない。」と拒絶
すると清正はその場で1人を切り捨てたため、もう1人は道案内を了承した。

なんてのがある。清正の捕虜になっていた朝鮮の役人が日本軍撤退後に語った話。
784人間七七四年:2009/03/11(水) 22:52:12 ID:MJbDb3+I
>>783
森さん所の鬼さんだったら二人とも切られてる所だったな
785人間七七四年:2009/03/11(水) 23:06:37 ID:Uhxli+xw
いや、鬼さんなら地元の村が消滅する。
786人間七七四年:2009/03/11(水) 23:26:01 ID:nVBFHyJY
炎628じゃないんだから
787人間七七四年:2009/03/11(水) 23:47:10 ID:sn0gjgEX
>>786
懐かしいなw
788人間七七四年:2009/03/12(木) 00:17:05 ID:1GCT4oIW
>>754
地元の大名のこういう末路は厳しいな・・・・
789人間七七四年:2009/03/12(木) 00:25:57 ID:YhxT62VW
清正ついでに。

文禄の役も終盤、補給のままならない日本の意気は
上がらず厭戦気分蔓延していた。
制海権も失われ、漢城周辺の河川まで清正らの部隊を尻目に
李朝側水軍の艦船が悠々と就航し始める始末。

勇猛なる清正も「これはまずいのう、こうなれば敵側との和平交渉じゃわい、
幸いわしには、2人の王子の人質がいるからこれをダシに・・・」

しかしなかなか敵との窓口が見つからない。これまでの清正の所業を
目にしてきた朝鮮人は恐れをなし、誰も仲介しようとしない。

そこで困った清正、王子の家来を河岸に立たせ、後ろから
ドつきながら朝鮮水軍の船に大声で呼びかけさせることにした。

さすが人質の王子がいるために、これを無視するわけにはいかず
李朝も鬼の清正との交渉にしぶしぶ応じることとなったのである。
790人間七七四年:2009/03/12(木) 01:20:43 ID:DRs7Hr4e
>>773-774
二代目次郎衛門、忠常

       /⌒\                / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\      / 家光公を指南しろって言われたから
      |/             \  <   気絶するまでフルボッコにしたら
      /   ∠,,_ノ ソ _ ,,.. _)   \ 二度と稽古に呼ばれなくなった。リアルで。
     /|  '',,((ノ )   ノ (\)  |      \__________________
     | |     ̄'      ̄ イ  ハァ ハァ
     \| υ     、_/ロロロ)_ ノ  
     /         ̄ ̄  \ 甘っちょろい稽古してんなよ柳生
    /|    υ          \ 
    ( .|    /  ノ ̄ ̄ ̄)  ノ  \
    ヽ.|◯  |   ノ ̄ ̄ ̄)  /\ ○\
    /.|  o .|  ノ ̄ ̄ ̄) /  \ o゚ \
791人間七七四年:2009/03/12(木) 01:25:31 ID:kAUEph79
>>790
柳生十兵衛「オレもホモマザコン家光をフルボッコにしたら、クビになりましたw サーセンw」
792人間七七四年:2009/03/12(木) 01:29:55 ID:mV3Zgzwi
>>791
そんなことしてるから荒山先生に一族ごとファックされる羽目になるんですよ
793人間七七四年:2009/03/12(木) 13:23:55 ID:DRs7Hr4e
若子城の落城


永禄三年三月、奥山能登守の居城、若子城に、信州の遠山氏が攻め込んでくる。

能登守は驚愕した。何故なら能登守の妻は遠山の一族、和田河内守の娘であり、
さらに息子、奥山貞益の嫁にいたってはその遠山自身の娘なのだ。
二重の同盟関係だったはずの遠山氏が、何故に突然攻め込んできたのか?

これには戦国らしい、複雑な背景がある。
遠山を動かしたのは、能登守の弟、奥平美濃守定茂であった。

能登守は遠山氏の本城、高根城にいる息子貞益の救援を請うため、のろしを上げに
向かわせたが、その家臣たちも先回りした遠山勢に皆討たれた。
しかも高根城にはこの時、貞益はいなかった。
貞益は熊村の奥山将監の所に出かけていたのである。

そのことを知った定茂は、奥平の家督を奪うため、遠山氏と謀りこの挙に出たのである。

若子城の者達は果敢に戦ったが、もとより油断し、又少数だったためことごとく討ち死に。
能登守も自刃。若子城は遠山と定茂の軍勢によって、火をつけられた。

そして池ノ平では
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1396.html
このような悲劇が起こった。

親族であろうとも油断すればたちまち滅亡につながる。
そんな戦国の世のお話。
794人間七七四年:2009/03/12(木) 13:49:22 ID:hcarDziN
元就「親族を信頼できんというのは悲しいのぅ」
795人間七七四年:2009/03/12(木) 14:08:29 ID:QzyAE+c+
>>794
長慶「まったくですにゃぁ。おや、久秀たんが着たので席をはずすにゃ」
796人間七七四年:2009/03/12(木) 14:13:52 ID:tqxH7WCp
諏訪頼重「ぼくの義父さんはいい人だから大丈夫だyo、やったね!」
797人間七七四年:2009/03/12(木) 14:46:30 ID:beGomCQg
朝倉義景「親族一門は皆頼りになります!」
798人間七七四年:2009/03/12(木) 15:03:49 ID:TDz6lBZY
政宗「気に入らん親族など殺せばいいのに」
799人間七七四年:2009/03/12(木) 16:56:49 ID:qFdkN0ER
義久・義弘「兄弟は仲良くなきゃ」
信雄・信孝「本当そのとうり」
800人間七七四年:2009/03/12(木) 17:00:44 ID:lwhg7GIv
信玄「いろいろあっても親父と息子は慕いあうものだ」
801人間七七四年:2009/03/12(木) 17:11:41 ID:mN92k7Pi
>>799
信忠「私がいればこんなことにはならなかった・・・織田家の皆の者、すまない・・・」
802人間七七四年:2009/03/12(木) 18:36:24 ID:GzZaviV7
信幸「……………」
803人間七七四年:2009/03/12(木) 18:43:50 ID:QP68Zq4H
>>802
昌親「(つД`)兄さん……」
804人間七七四年:2009/03/12(木) 18:57:47 ID:WlwAZh7j
筑紫「信頼できる親族がいないなら作ればよかろう。案外簡単ですぞ」
805人間七七四年:2009/03/12(木) 20:14:33 ID:sQd0sSjU
とりあえず落ち着け、おまいら。
806人間七七四年:2009/03/12(木) 21:04:58 ID:Ol+Uij7E
奥平美濃守定茂のその後
ttp://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/totoumi/shiseki/hokuen/mizumaki.j/mizumaki.j.html
三人の兄弟を手にかけて手に入れた領地も最終的には失ってしまうとは……

>>にこの竹皮を城の周囲に撒いて、攻め手の足を滑らせ、混乱するところを討ち取ろうという算段なのである。
定茂は竹皮を城の周囲に撒いて徳川軍の来襲に備えた。
ところが片桐家正率いる徳川勢はこの竹皮に火を放ったのである。

竹の皮の城、再び・悪い話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%C3%DD%C8%E9
竹の皮も汁かけ飯のごとくテンプレなのだろうか
807人間七七四年:2009/03/12(木) 21:28:40 ID:YhxT62VW
家康の旗本、三浦按人ことウイリアム・アダムスは、
1609年平戸にやってきて家康の朱印状のもとに商館を開いた
オランダと契約し、何かと商取引の便宜を図った。

少し遅れてやってきた母国イギリスとも仲介業の契約を結ぶも、
オランダよりも格段にイギリスはケチであった。
そして商館長のヒックスも遊び好きの無能な男であった。

この当時平戸には、この2国のほかにも中国、インドシナとの交易船が
やってくる国際貿易港であった。
街には様々な商店以外に遊郭も盛業であり、松浦法院隆信は、色仕掛けでも何でも
何かと彼らを惹き付けようと躍起であったし、オランダ人、イギリス人とも
によく遊び、金を落としてくれた。

ある日イギリスの軍艦がやってきた。が、三浦按人は司令官セーリスと
不仲であっただけでなく、その他の士官、水兵らと一緒に街を歩くことを
顔色を変えて嫌がり、絶対に同道しなかった。

というのも、彼らが当時の日本人から見て余りに下品であったからである。
道の真ん中でつばを吐く、昼間から酒に酔い大声で叫びまくる、服装は乱れまくり
風呂に入らず汚い、女性を誰彼かまわずからかう。
とにかく旗本の彼にとっては、同国人の風体は恥ずかしくて
たまらなかったのである。

おまけにはオランダとイギリスは胡椒をめぐって戦争状態となり、
平戸にオランダ軍艦が捕獲したイギリス船が曳航されてくる始末であった。

そのイギリス人船員らを、松浦家の助力を得て解放したのもアダムズであった。
家康死後、秀忠からは相手にされず暇になったアダムズは、ベトナムに何度か
渡航し、小金を蓄財した。死後その金をイギリスに残した妻や娘に送金した。

サツマイモを琉球から、日本本土の平戸に持ってきたのもアダムズだそうな。

悪い話と良い話。
808人間七七四年:2009/03/13(金) 01:17:32 ID:X88usixQ
伊豆の大島に、一人の少年がいた。
十四歳になったとき、武道で身を立てようと決めた。
そこで、本土にわたる事にした。
板切れ一枚を持って、海に入った。
大島から伊豆まで、最短距離で、25キロ。

やがて伊豆の三嶋の人々は見た。長い間水に使ったため、恐ろしい形相をした、
大島より「  泳  い  で  ま  い  っ  た  」少年を。

そうしてこの気持ちの悪い少年は、勝手に三嶋神社の軒下に住み始めた。
人々は彼を島から来た「島鬼」だと信じてこれを恐れた。
少年は皆が自分を島鬼と呼んでいるのを聞き、自ら「鬼夜叉」と名乗った。

さて、そのころ三嶋に、富田一放という武芸者が来て、人々に武芸を教えていた。
これに鬼夜叉は試合を申し込んだ。富田は相当の達人であったのに、鬼夜叉は
この富田を木の棒で散々に打ち負かし、富田は逃げ出してしまう有様であった。

この時三嶋神社の神主は始めて理解した。「ああ、この少年は武芸者なのか。」
それなら対処の方法がある。
神主はこの鬼夜叉が、兵法を学び身を立てたいということを確認した。

そうして、一振りの刀を持ってきた。
「これはかつて、備前の名工、一文字より奉納された刀である。
その後久しく棟木に括り付けてあったのだが、縄が腐って落ちた時、下にあった
お神酒を貫き、少しも損じることのなかった、稀代の名刀なのだ。
兵法修行のはなむけに、これを汝に差し上げよう。」

鬼夜叉はこれを大いに喜び、明日にも良い師を求めに、ここを出立する!と言った。
三嶋の人々は心底ほっとした。


さて、その夜の事。

この神社に、5,6人の強盗が入った。
相変わらず軒下に寝ていた鬼夜叉はこれに気づき、思った。「チャンス!」

鬼夜叉は神主からもらった柄拵えも無い刀を持って、強盗に襲い掛かった。
哀れにも次々と切り殺される賊の一味。そのうちの一人は恐怖のあまり酒甕の中に逃げ隠れたが、
鬼夜叉、これを酒甕ごと真っ二つにした。以降この刀は、『甕割り』と呼ばれる事となる。

夜が明け神主達が見たものは、見事に斬殺された強盗の死体数体と、満足げに刀を眺める
返り血にまみれた鬼夜叉の姿であった。

神主、彼に旅費を与え、せかすように出発させた。

この鬼夜叉こそ、後の伊藤一刀斎である。
809人間七七四年:2009/03/13(金) 03:14:45 ID:N9zvUs41
諸説ある一刀斎の生い立ちの中でも一番異彩を放ってるやつだな。
810人間七七四年:2009/03/13(金) 03:34:30 ID:Kc7mMYxI
こんなやついたら、やっぱり恐怖が先にたつわな
岩明さんに、そのシーン短編で描いて欲しい
811人間七七四年:2009/03/13(金) 03:38:21 ID:1gAMpB7s
>>807
時代的に軍隊なんだか海賊なんだかって感じなんだろうか・・
パイレーツオブカリビアンとか同じくらいの時代だよな。
この時代の平戸の光景とかさぞ面白いだろうな、
映画とかドラマで見てみたい。

>>808
>板切れ一枚を持って
後のビート板である。
812人間七七四年:2009/03/13(金) 05:25:51 ID:gJY+aFT+
津軽為信の子飼いの臣下に桜田宇兵衛という男が居た
ある時、桜田に為信から仇敵南部領での諜報活動が命じられた
期間は不明だがかなり長期に渡り潜入調査をしていたらしい
で、役目を果たして無事帰還した桜田なのだが為信の様子がおかしい
引き留めるばかりで家に帰してくれないのだ
しかし役目を果たして真っ直ぐ登城した桜田は身内の顔が見たくてたまらないので為信の制止を振り切り帰宅
すると家には養子として迎えられ家督を継いだ‘新・桜田宇兵衛’がいたのである
為信は長期間連絡がない桜田が既に死んだと思い込み子飼いの家臣が一代で絶えるのは忍びなく家名存続の善行をしたつもりだったのだが…
完全に裏目に
当然ブチ切れる‘元祖・桜田宇兵衛’
「‘新・桜田宇兵衛’が居る限り為信の為に働いたら負けかなと思っている」とスト開始
当時の津軽家は大名家というより地方豪族の趣が強く子飼いの桜田は身内同様
よって、桜田には出奔という考え方はなかった
一方で津軽家も郎党はいまだ少なく諜報を任せられるほどの能力と信任を得ていた桜田は貴重な存在
よって、為信にも抗命死罪や厳罰は選択肢として無かった
同じ理由で‘新・桜田宇兵衛’に対して家督返上を迫る事もできなかった
完全な冷戦状態である
仲裁に入ったのは賢妻との評価もある津軽為信の妻、戌(いぬ)
桜田の育ての親でもある戌は「私の手伝いをしてくださいな」と桜田を保護した
名無しではまずいので斉藤平内兵衛を名乗った桜田だが…
その後は本当に何もしていない
当初の宣言通り、完全にニート化したのである
能力を惜しむ為信は‘斉藤姓’で出仕しろと命じた
しかし桜田は頑として聞かなかった
為信が頭に血が上って桜田を処罰しようとした時は戌にたしなめられている
為信の死後、信枚の時代に‘新・桜田宇兵衛’が嗣子無く死去
戌(当時は落飾して仙桃院)が手を尽くした結果‘元祖・桜田宇兵衛’は桜田家の家督を取り戻した
以後は戌の右筆(秘書)となり津軽家の為に尽力したそうである
813人間七七四年:2009/03/13(金) 08:49:04 ID:RlfHhahx
その二代目藩主信政、熊千代との跡目争いや高坂蔵人の乱で評判悪いんだよなぁ。
814人間七七四年:2009/03/13(金) 11:47:42 ID:s4Q75F9M
元祖の顔を見て、震えながらお経を唱えている為信を思い浮かべた。w
815人間七七四年:2009/03/13(金) 13:44:20 ID:W7Pl6AI8
宇喜多直家「簡単な解決法があるではないか。誰か新・桜田を呼んで参れ。茶を立てて進ぜよう」
816人間七七四年:2009/03/13(金) 15:37:28 ID:gBUaAr/b
待て、それは毒さt(ry
817人間七七四年:2009/03/13(金) 15:56:55 ID:i/PNIDN4
宇喜多直家ってよくもまあ毎回毎回引っかかるもんだよなあ
818人間七七四年:2009/03/13(金) 16:29:00 ID:dN6dhLS9
>>812
加瀬大しゅうかと思ったw

髭殿、痛恨のフライングだったね…
819人間七七四年:2009/03/13(金) 17:30:21 ID:XKtcpar3
>>814
桜田「為信様にすぐ報告しようと思い、天井から顔を出して待っておったのだが…」
820人間七七四年:2009/03/13(金) 17:37:33 ID:3cGBgcV+
>>819
桜田「塩を投げられ二度と来るなと言われたのだ……」
821人間七七四年:2009/03/13(金) 22:48:00 ID:Gn4XTXjd
短パン
822人間七七四年:2009/03/13(金) 23:03:52 ID:X88usixQ
板垣信形が、信州諏訪の郡代をしていたときのこと。
ある時、信形が甲州に帰って報告をし、また諏訪へと戻る前、家のことなど万事を指示しておこうと
息子、弥次郎の所に行くと、壁の折釘に、なにやら物を書いた扇が掛けてある。

これは弥次郎が書いた物かと思い、
「よいか、扇に物など書くというのは、高僧、公家。または御館様のような身分の高い方々が、
我等の持っている扇をとってなされるものだ。おまえがどれだけ書を良くしようと、我々のような
身分の者達が書いて良いものではないぞ」

と戒めれば、弥次郎、これは十日ほど前に、御館様が自分の扇を取って書いて下さったものです、
と言う

信形は立ち上がってその扇を見ると、そこには

『誰もみよ みつればやがてかく月の いざようそらや人の世中』

そう書かれていた。
信形は目をつぶり、すこし考えてから

「去る十月の事であった。晴信様がお煩いになったので、わしが代官として七千騎を預けられ、
笛吹き峠で合戦を行い、勝利した。

その時わしは床机に腰をかけたまま勝鬨を上げた。その姿はまるで御館様のようであっただろう。
ところが意外にもその場に、晴信様はご出馬なされていた。
そしてわしの姿を、御舎弟信繁様以上の振る舞いであると、そうおっしゃったとか。

それゆえに弥次郎、おぬしの扇にそのような歌を書いて下されたのであろう。」

信形はすぐに、諏訪郡代を辞職せてほしいと申し上げたが、許されなかった。
しかしその後も申し上げ続け、諏訪よりも甲州で過ごす方が多くなったと言う。

これは信形が、主君を深く恐れている事を表したのだといわれる。

全てのものは、満れば欠けるのが道理である。
充分であればこぼれる。満足すれば驕りをなし、驕れば災いを呼ぶ。
誰であっても、常にそのように心得ておくべきである。
聖人もおっしゃっていたではないか、貧しくてへつらわない人はいても、
富ておごらない人はいない、と。
(古老軍物語)
823人間七七四年:2009/03/13(金) 23:57:49 ID:XKtcpar3
弥次郎どうなったんだろ、と思ってググったら…
やはり欠けたることもない望月はなかったか
824人間七七四年:2009/03/14(土) 00:08:50 ID:ttopfG3y
>>822

wikiでは板垣に対してnegativeなニュアンスが目立つ記述ですね。
確かに悪い話に繋がる話ではある。

信玄も、古参の幹部の処遇は困ったんでしょう、きっと。
825人間七七四年:2009/03/14(土) 00:11:05 ID:3ofhxkl2
織田信長「追放しちゃえばいいじゃない」
826人間七七四年:2009/03/14(土) 00:48:10 ID:LBrl30F5
元就「大きくなりすぎた家臣は・・・ねえ」
827人間七七四年:2009/03/14(土) 01:05:44 ID:tqiPboH7
DQN家久「主家を脅かすような家臣とは一緒に酒飲めば解決するYO」
828人間七七四年:2009/03/14(土) 01:47:41 ID:ZwmtarTz
本能寺襲撃の模様を知る史料として貴重な、本城惣右衛門覚書
明智方として変に参加し、記録を残した本城惣右衛門、ただの足軽ではない

もともと丹波の野武士として、織田方と戦っていた惣右衛門
剽悍な男で、多くの首級を挙げたとされる
が、正規の武士ではないため、やることは大抵やったようだ
曰く、
「追いはぎ強盗なんざ武士の習いじゃあ」
「ぶっ殺した女子供だの、山賊やって斬ったやつの数なんていちいち覚えてねえ」
とのこと
下級武士として乱世を駆け抜けた惣右衛門は、寛永年間まで生きた
80歳を過ぎて覚書を記したが、さすがに思うところはあったらしい

「おれぁ生まれも育ちも悪くて、山賊働きで暮らしたようなもんだ…
こんな年まで生きちまったが、どうせ地獄行きは決まってらぁ
びくびく怯えたりなんかするかよ」
829人間七七四年:2009/03/14(土) 02:02:46 ID:gJOCemIm
>>828
どこかで見た最強農民のテンプレ思い出した
830人間七七四年:2009/03/14(土) 13:11:24 ID:flXR94f5
まとめサイトで、秀吉が成瀬に5万石で仕えないかと持ちかけた話読んだんだけど、
ラスボスの論功行賞って気まぐれが多くない?

パッと眼についた成瀬に5万石持ちかけてたり、陪臣の小早川とかには大封を与えてるのに、
古参にはかなり冷たい気がする。
蜂須賀あたりは、現役の執行部(3中老・5奉行)と大差なく十万石台だし子飼いの福島・加藤や小西
よりも少ない。黒田如水も少なすぎる。竹中にいたっては大名ですらない…
ともに苦労した過去の功績に報いる考えはなかったのかな?
831人間七七四年:2009/03/14(土) 13:17:42 ID:sI4j085l
成り上がりの短慮か無法の賞か
832人間七七四年:2009/03/14(土) 13:21:10 ID:f3GfrRJW
>>830
竹中重治は信長の家臣であって秀吉の家臣ではないだろ。
833人間七七四年:2009/03/14(土) 13:24:53 ID:kNhTzVwm
秀吉は女も配下武将も良き血筋を好む
それだけ
血筋悪くて大国預けた失敗例がトラウマになっていたんだろ
834人間七七四年:2009/03/14(土) 13:30:01 ID:G4iOYA50
徳川譜代だって似たようなものだろ
ただ秀秋に対する与えて取り上げてまた与えてみたいのを容易にやるところは
武士の土地に対する思いを分かっていない気はする
本人たちはちょっとした罰と報償かも知れんが配下はたまったもんじゃない
835人間七七四年:2009/03/14(土) 13:30:25 ID:dcUZiu9M
伝わる話ほど役に立っていなかったんだろ
836人間七七四年:2009/03/14(土) 13:33:29 ID:0Gv6NXt3
秀吉の古参冷遇はそれだけで小説のテーマになったりするくらいだからな。

むかし本で読んで、なるほどと思ったのは、秀吉が賤ヶ岳の後政権を形成すると、
それまでの与力連中からよりも、新たに配下についた大名達から兵を動員した方が、
はるかに簡単でコストもかからな、ということに気がつき、
秀吉にとって古参与力の必要性が低下したから、ってのがあったな。
837人間七七四年:2009/03/14(土) 13:42:32 ID:flXR94f5
旧主松下加兵衛とかは家康の下から呼んで、叙位して大名に取り立てたりしてるし、気まぐれ?
838人間七七四年:2009/03/14(土) 13:44:24 ID:dcUZiu9M
ちょっと良い話狙いだろう
839人間七七四年:2009/03/14(土) 14:07:21 ID:flXR94f5
>>838
ラスボスほど良い話スレに不似合いな御仁もなかなかいそうにないのにな
松下も秀吉をこき使ったり罵倒してなくて良かったな
酷使してたら首が飛んでただろうw

>>834
だとしても気まぐれで、見かけただけの他家の陪臣に5万石とかやるとか聞いたら、
ずっと汗を流してきた譜代はたまらんだろうなw
840人間七七四年:2009/03/14(土) 14:16:32 ID:08d2VoMy
>>839
秀吉の印象・悪い話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%BD%A8%B5%C8%A4%CE%B0%F5%BE%DD
松下加兵衛こんなこというとるようですが
841人間七七四年:2009/03/14(土) 14:34:36 ID:Q0uAh4gC
一気に取り立てたら破産した馬鹿が続出したでござる

とかやってるししょうがないめんもあるような
842人間七七四年:2009/03/14(土) 14:35:00 ID:VRnJmI7Y
なんか最近ラスボス必要以上に貶められてる感じがするなぁ。
普通に松下さんの話なんて良い話だと思うが。

>>839
松下さん所に居た数年でかなり仕事してるけどな。
仕事しすぎで同僚に嫉まれて松下を去るけどw
信長の下でも酷使無双だし。
843人間七七四年:2009/03/14(土) 14:37:30 ID:NYUSLJOv
他人の下でのラスボスって基本物凄い働き者だからきっちり扱ってれば大車輪で動いてくれるべさ
844人間七七四年:2009/03/14(土) 14:43:31 ID:flXR94f5
>>840
晩年の秀吉が耳にしたら、加兵衛は切腹じゃすまなかったかもw毛利は120万石没収w

刑法理論の「抽象的事実の錯誤(猟師が熊を狙い定めて撃ったつもりが実は人だった)」の例文に
はまり過ぎててワラタw
こんなの机上の例文で実際にはあり得ないと思ってたが、ラスボスなら実際にあり得そうだw
猿の認識でラスボスを撃った猟師を、殺人罪に問うのは酷というものw
スレ違いスマソ


>>942
秀吉は良い悪いも全てが桁外れで、常人の域じゃないからなぁ
実は人に化けた猿の大親分だったと言われても別に驚かんw
845人間七七四年:2009/03/14(土) 16:37:30 ID:ehJpfiIH
>>837
松下が旧主だから云々というのは大嘘で経歴詐称に利用しただけという話もあったな。
織田家以前のことをなかったことにするために。
846人間七七四年:2009/03/14(土) 17:07:57 ID:hL/yuz2s
>>845に関連する話で、若き日の秀吉は遠江のあたりでドジョウを
取って売り歩いていたって話があったな。
だから「俺はその頃、松下の所で働いていたんだぞ」って捏造での登用
だったって話。

このドジョウの話の関連で、名前は忘れたが「人んちの土地でドジョウを
無断に取ってるんじゃねーぞ」と秀吉の頭を小突いた侍がいた。
後年、家康が臣従して来ると。

秀吉「これこれこういう者がいたはずだがその者は今どうなっている?」
家康「確かにおりましたが、その者も他の家の者も既に戦で死んでおり、
    今では影も形も残っておりません」
秀吉「そうか。生きていればお返しをしてやったものを」

実際にその侍はもう死んでいて別に家康が家臣を庇ったわけでもないらしい
847人間七七四年:2009/03/14(土) 18:15:03 ID:JSl7yH7V
宇喜多直家が安國寺恵瓊を拉致してまでその次男を救出した重臣戸田秀安
彼には宇喜多直家の叔父説がある

ある娘(角屋との説があるので便宜上使用する)が晩年の宇喜多能家の寵愛を受けた末に身ごもった
しかしながら既に能家の息子宇喜多興家に嫡孫直家が生まれていた
能家は恥ずかしかったのか秘密裏に側近富川正実に角屋を下賜
こうして富川家に宇喜多家の後落胤が生まれたのである
夫婦仲は良かったらしくすぐに本当の二人の子が産まれた
こちらは娘であり、お家騒動の心配もない理想的な家族が出来上がった
………はずだった
能家が暗殺され興家が博多に逃亡すると富川の子に疑惑が浮かぶ
「あのガキ、能家の隠し子じゃね?」
富川正実が時を空けずに病死すると露骨に疑われだした
角屋はもはや備中にはおれぬと宇喜多宗家にいる博多への脱出を決意
まず、幼い秀安を寺に嫁いだ姉に預けた
こうすれば養子とも出家とも言い訳は出来るからである
そして、娘を
 池 に 捨 て た
こうして身一つで博多に脱出した角屋はいともあっさりと興家の次男忠家の乳母におさまり宇喜多宗家の奥向きを取り仕切るようになる
やがて宇喜多直家が備中に戻ると角屋は秀安を出仕させるのである
富川を戸川と書き換えて…
角屋は宇喜多騒動の後、孫戸川達安の下で93歳で亡くなった
848人間七七四年:2009/03/14(土) 18:54:21 ID:Urm9hNay
>>847
1行目が戸田になってるから戸川か富川か富田か混乱してきたぞ
富田ヒャッハー

あと、興家が逃亡したのって博多じゃなくて福岡でなかったっけ?
849人間七七四年:2009/03/14(土) 18:58:00 ID:pu5jTim2
>>848
釣り?
850人間七七四年:2009/03/14(土) 19:06:34 ID:pnoApfQ3
自分も興家は備前福岡だと思った。
それとも宇喜多と博多って実は関係があったのかな。
851人間七七四年:2009/03/14(土) 19:06:48 ID:Otdj6Vpf
>>848の混乱のしかたを見てたらわけわからんくなってきた
852人間七七四年:2009/03/14(土) 19:07:49 ID:jOcUhszB
いや、福岡で合ってるよ。備前の福岡。
853人間七七四年:2009/03/14(土) 19:30:00 ID:JSl7yH7V
ごめん、俺の勘違い
備前の福岡が正解
福岡=博多と考えた田舎者でゴメンナサイ

ちなみにこの話は当の戸川家は全否定してる
戸川家は富川入道に嫁いだ角屋からの発祥としている
つまり預けたんではなく元々寺の子だと
たが、学者さんは宇喜多家との接点がないので乳母におさまる理由に乏しいと反論してる
どちらにしても富川→戸川の変姓は‘わからない’で片付けられてる



あ、鬼武s(ry
854人間七七四年:2009/03/14(土) 20:39:06 ID:08d2VoMy
>>844
>>秀吉は良い悪いも全てが桁外れで、常人の域じゃないからなぁ

キメラも退治したそうです

『羽犬塚』という地名の由来
ttp://www.city.chikugo.fukuoka.jp/chikugosyoukai/gaikyo/sisei/p18.html
>>昔この土地に羽のあるどう猛な犬がおり、人や馬を襲ってばかりいた。
そんな折、豊臣秀吉が九州征伐の時に、島津の軍勢以上にこの犬に悩まされたため、この犬を退治してしまった。
しかし、この羽の生えた犬の勇敢さをたたえ、これを弔うために塚をつくり石碑を建立。

>>一方、秀吉愛犬説の方は、元禄十五年(1702年)の「六所大権現縁起」の中に
「関白秀吉公薩州下向之時、羽ある犬を召し給ふ、云々」とあり、
九州征伐の際に秀吉はまるで羽でも生えているかのようにすばしっこい犬を連れていて、
その犬を非常にかわいがっていたということです。
しかし、薩摩におもむく途中、この地で死んでしまったため、秀吉が悲しんで塚を築いたことから、羽犬塚という地名が残ったという説です。
855人間七七四年:2009/03/14(土) 22:02:20 ID:JKGUTgDK
大猿の化物が羽のある犬を従えてたところで何の不思議もない件
856人間七七四年:2009/03/14(土) 22:02:57 ID:osEm/IJJ
仙台の伊達政宗がルイス・ソテロとともにローマ派遣した
使節団長の支倉常長は、フランスの 地中海にのぞむ港町サン・トロペにいた
あるとき常長が鼻紙で鼻汁をかんで捨てると民衆が争って紙を拾い集めた
当時のヨーロッパは製紙技術が未熟な上高価だったため紙は非常に貴重なものだったためだという
857人間七七四年:2009/03/14(土) 22:46:15 ID:Y7xMZs5G
ゴミのポイ捨て(・A・)イクナイ!!
858人間七七四年:2009/03/14(土) 23:37:48 ID:pnoApfQ3
海外渡航つながりで。

カンボジアはアルコールワットに落書きし
その名を後世に残した森本右近太夫。
観光客のマナー違反の例として取り上げられる
右近太夫の落書きだが、渡航当時の本人の境遇を考えると
一概に非難はできなさそうである。
というのは
親子して仕えた肥後熊本藩で清正死後にお家騒動が勃発。
その混乱につくづく嫌気がさした右近太夫
出奔して肥前松浦家に仕えるがどうにも心が晴れない。
人の世の空しさを感じたのか、何か悟るものがあったのか
「亡き父の菩提と老母の後生のために千里の海上を渡って」
はるばるカンボジアに来たという背景があったからだ。
書き残した内容もかなりしっかりとしたモノで
安易に落書きと片付けるのは難しい。
右近太夫本人にしか知りえぬ、深い心の葛藤が
きっとそこにはあったはずである。

・・・とここまでだと「いい話」で終わるのだが
念願の祇園精舎に辿りついてハイになった右近太夫
なんと合計三ヶ所に落書きを残していったのだった。

何事もやりすぎはいけないというお話。

859人間七七四年:2009/03/15(日) 01:13:58 ID:xT1Y1/rG
墨で書いたお陰で今でも残ってるんだっけ?
ペンキ落書きは消されたのに消えなかったという…
860人間七七四年:2009/03/15(日) 02:05:53 ID:/p7HcSG6
>>894
聖地巡礼みたいなもんであって観光客とは違うよな
861人間七七四年:2009/03/15(日) 03:21:06 ID:TG5csUFl
初めてアキバ行った時についついテンション上がっちゃって、ハシゴして同人誌買いすぎた
みたいな状況か
862人間七七四年:2009/03/15(日) 07:01:35 ID:nzA865z/
昨日のスレの流れから
秀吉が良くも悪くも触れ幅が大きいことを再認識。
まとめサイトから秀吉のスケールの大きさを示すエピソードを
話の傾向別に分類してみました。
秀吉は逸話が多いので、ああこんな話もあったなあ
と振り返ってみるのもよいかもしれません
863人間七七四年:2009/03/15(日) 07:02:13 ID:nzA865z/
864人間七七四年:2009/03/15(日) 07:03:31 ID:nzA865z/
○生態系を変える・変えようとする
豊臣秀吉、1594年9月朱印状・いい話?
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CB%AD%BF%C3%BD%A8%B5%C8%A1%A21594%C7%AF9%B7%EE%BC%EB%B0%F5%BE%F5
豊臣秀吉、遠州七不思議 鎌研池の片葉の葦・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%CB%AD%BF%C3%BD%A8%B5%C8%A1%A2%B1%F3%BD%A3%BC%B7%C9%D4%BB%D7%B5%C4%A1%A1%B3%F9%B8%A6%C3%D3%A4%CE%CA%D2%CD%D5%A4%CE%B0%B1
お稲荷さんと狐さん、危機一髪!・悪い話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%A4%AA%B0%F0%B2%D9%A4%B5%A4%F3%A4%C8%B8%D1%A4%B5%A4%F3%A1%A2%B4%ED%B5%A1%B0%EC%C8%B1
865人間七七四年:2009/03/15(日) 07:19:29 ID:ujat8AQa
もうちょっと続きます。
また夕方にでも。
866人間七七四年:2009/03/15(日) 08:10:57 ID:zSsqG3ZD
まとめサイト見れば済む話なのに…
867人間七七四年:2009/03/15(日) 10:17:49 ID:fMLZMmOk
禿同
まとめの秀吉タグに誘導すれば良いだけの話だろ

しかもまとめの中の人が「この記事のURL」リンク作ってくれてるのに
なんでわざわざクソ長いURL貼るんだ
無駄レスイラネ
868人間七七四年:2009/03/15(日) 10:34:48 ID:XeKSxqe+
大不評w
869865:2009/03/15(日) 11:51:06 ID:ujat8AQa
ご迷惑かけてすみませんでした。もっと思慮深くなります。スレッドを無駄に消費して申し訳ありません。
870人間七七四年:2009/03/15(日) 12:17:43 ID:Xd2UonXN
サルのファンは足りない者が多い
歴史知識的にも2chの常識的にも
871人間七七四年:2009/03/15(日) 12:55:32 ID:XeKSxqe+
そのレスをわざわざ付ける君もいかがなものかと
872人間七七四年:2009/03/15(日) 13:03:52 ID:aAxrFarE
まあまあいつもの流れに戻ろうぜ
873人間七七四年:2009/03/15(日) 13:16:34 ID:+Y3NY0A0
鬼武蔵「そうだな、いつも通りにするか」
874人間七七四年:2009/03/15(日) 14:20:17 ID:LrWMJUe3





…そして誰もいなくなった…
875人間七七四年:2009/03/15(日) 14:29:44 ID:aAxrFarE
政宗「ええい! わしの好きな能はまだか!」
876人間七七四年:2009/03/15(日) 14:40:36 ID:ZxSWZ8fh
>>875
義姫「そんなに怒らずに・・・母が政宗のために食事を作ってあげましょう!」
877人間七七四年:2009/03/15(日) 14:41:39 ID:DEHDAo9H
遠江の、佐久間に伝わる話である。

とある合戦に敗れた肥田孫兵衛という侍が、下平に身を隠した。
侍は大怪我をしていたが、身を隠した農家の、お銀と言う娘の手厚い介抱で、
その傷もやがて癒えた。

その頃には孫兵衛とお銀の間に愛が芽生え、孫兵衛は武士を捨て、
秋祭りの日には夫婦になろう、そう約束した。

お銀は評判の機織上手であった。彼女は近づく秋祭りの日にむけて、
自分と孫兵衛の晴れ着を、寸暇を惜しんで織っていた。
ところが

ある日、落ち武者狩りの一団が村に現れた。
そして孫兵衛たちが見つかり、争いとなった。
孫兵衛は二度と使うまいと隠しておいた太刀を持ち出し、この一団を斬り伏せた。
が、このままではお銀や村に災いが及ぶと、どこかに姿を消してしまった。

その事を知ったお銀はあまりの悲しさに、孫兵衛の名を呼びながら一心に織った二枚の着物を抱きしめ
近くの滝へと行き、そのまま、身を投げた。


今もその滝壷からは、流れ落ちる水音にあわせるように、機を折る音が聞こえてくるそうだ。
878人間七七四年:2009/03/15(日) 16:39:07 ID:aAxrFarE
スレとまったけど>>877は誤爆か?
879人間七七四年:2009/03/15(日) 17:40:16 ID:koJkbM70
>>877
もうすこしでIDがDEADだったな
880人間七七四年:2009/03/15(日) 19:08:47 ID:nzA865z/
筑前の原田親種は宗麟の軍勢に攻められ筑後の高良山に立て篭もった。
これを知った宗麟は二万騎を差し向けたが、難攻不落であった。
その時寄手に加わっていた臼杵鑑速の小姓で、
当年十八歳の吉野八郎が、
「それがし一人が謀を以って、城を落とし候はん」と言って、
高良山に潜入した。
そこには御井寺という寺があり、旧知の法師がいたので尋ねていき、虚言を構えた。
「年比鑑速寵愛せられ候へども、いつもころよりか、傍輩の小姓に
思ひ替へられ、外様者とならん。遺恨黙示がたく、縣落ち仕り、忍び参って候」
すっかり騙された法師は庵に置いてくれた。
881人間七七四年:2009/03/15(日) 19:09:50 ID:nzA865z/
一方原田親種は染川十郎という小姓を寵愛していたのだが、
この頃は春花という少年に乗り換えていた。
この事を耳に挟んだ八郎は、好機到来とばかりに、
十郎に近づき契りを結んだ。
十郎が主君への恨みを打ち明けると、八郎は
「鬱憤を晴らさんと思ひ給はば案内し給え。親種を討って本意を達せさせまいらせん」
と言って、火に油を注いだ。
882人間七七四年:2009/03/15(日) 19:10:31 ID:Pj0x2eH6
>>878
定番ネタも度が過ぎると悪乗りして騒いでるだけだぜ?
883人間七七四年:2009/03/15(日) 19:12:01 ID:nzA865z/
案の定十郎は「それがし一人にて仕兼ねんと思し召すか。今、見給え」
と言い放った。
翌朝、親種が手水を使うときに、手拭いを渡すと直ぐに主君の首を打ち落とし、
そのまま走り去って、八郎と一緒に大友軍に駆け込んだ。
手柄を立てた吉野八郎は、宗麟から恩賞を厚く宛てがわれた。
しかし一方の染川十郎は、「主君を弑せし無道者」だとして、恩賞の沙汰もない。
それどころか世間の人は無道を憎んで、染川の門前に
「うるはしく 身を染川に 包めども 
心は山の かせ(手偏に上下と書く)木なりけり」
と書いた札を立てた。
その後十郎は八郎の家に養われていたが、程なく病に犯されて死んだ。
884人間七七四年:2009/03/15(日) 19:21:32 ID:aAxrFarE
>>882
いや、どっか悪いことでもあるのかと悩んでしまったから
定番やろうと思ったわけじゃないんだ、すまん
885人間七七四年:2009/03/15(日) 20:05:34 ID:W4H1T9Km
薄幸ネタなんだから悪い話じゃん
886人間七七四年:2009/03/15(日) 21:06:36 ID:nzA865z/
先祖伝来の垢薬

水野勝成は豪放磊落で細かいことを気にしない人物だったので、
父の勘気を受けて四方を放浪した。
西国を彷徨った時、道に迷って宿を求めたが、宿賃がなかった。
如何ともすることができず、しきりに案じ、
寝てもなかなか眠れず、思案していると、
その家の子供が急に煩いだして、しきりに泣くのを聞いた。
勝成はこれはチャンスとばかりに、早速全身の垢を捻って丸薬にした。
そして宿の亭主を呼んで言うには、
「この子の泣きようはどうもただ事ではない!拙者の鑑定では虫気と存ずる。
幸い我が家伝来の妙薬を所持しているから、これを差し上げよう!」
亭主は殊の外喜んで、垢丸薬とは気づかず、早速子供に飲ませた。
887人間七七四年:2009/03/15(日) 21:07:08 ID:nzA865z/
すると不思議と子供が泣き止んだのである。
亭主夫婦は非常に喜び、厚く礼を述べて感謝した。
その翌日勝成は亭主に向かって、
「拙者、路銀を使い果たして少しも所持していないので、
誠に申し訳ないが追って返済するので、それまでの宿賃を待って下され」と言った。
亭主は
「いやもうその儀には及びませぬ。
そんなに御不自由ならば逆にこっちがお礼をしませんと」
たくさんの鳥目(円形方孔で、鳥の目に似ている古銭)を贈った。
勝成は喜び勇んで立ち去ったのであった。
888人間七七四年:2009/03/15(日) 21:37:39 ID:u/PpwCqS
もうその逸話だけで、親父に勘気をこうむった理由が想像できるなw
889人間七七四年:2009/03/15(日) 22:08:18 ID:MhKBNz3N
鼻くそ丸めて万金丹…
890人間七七四年:2009/03/15(日) 22:14:47 ID:K+imW4/Q
細かいことを気にしないってレベルじゃねーw
891人間七七四年:2009/03/15(日) 22:21:34 ID:nr+7K17X
勝成の諸国放浪は家康の密偵説があえうほっがそりゃ嘘だな。
892人間七七四年:2009/03/15(日) 22:25:48 ID:K+imW4/Q
うほっ・・だと・・・?
893人間七七四年:2009/03/15(日) 22:26:13 ID:nr+7K17X
>>891はブラインドタッチで適当に打ってしまった。
本当は、勝成の諸国放浪は家康の密偵説があるがそれは嘘だな。って書きたかったんです。スレ汚し失礼。
894人間七七四年:2009/03/15(日) 22:32:31 ID:MBh7U5lO
武田の殿と大内の麿が891=893の下へ急行しています。
895人間七七四年:2009/03/15(日) 23:06:03 ID:XeKSxqe+
>>886-887
何やってんだコイツはw
896人間七七四年:2009/03/15(日) 23:39:59 ID:ujat8AQa
確かこの話は名将言行録に載ってたはずW
それにしても見知らぬ子供のために文字通り我が身を削る
勝成さんの優しさは五大陸に響き渡るでー
897人間七七四年:2009/03/16(月) 00:17:35 ID:UI3B5TZF
政宗、忠興同様に長所と短所が凄い事になってるね
898人間七七四年:2009/03/16(月) 02:10:39 ID:bfXTcp0p
>>886
聊斎志異に垢を捻って丸薬ぽくしたもんを
飲ませた話があるが、たぶんそれが元ネタ
じゃないかな。
899人間七七四年:2009/03/16(月) 02:39:46 ID:EThaYELU
>>127
いくつか説があるよね。
桜ヶ池(浜岡だったかな?)に棲んでる龍神が七年に一度移動してくるとか。
地元のテレビ局が予定日の何日も前からカメラを設置して収めた映像もあるはず。
突然噴出するんじゃなくて何日もかけて徐々に水かさが増してく感じだった。
九年くらい前かな?とびっきり静岡とか静岡まるごとワイドとかそれ系統の番組でやってたのを覚えてる。
900人間七七四年:2009/03/16(月) 10:51:22 ID:/WNjUExk
>>886
秘薬を飲んだ子供のその後が気になる
901人間七七四年:2009/03/16(月) 10:51:48 ID:nlrLDdVc
そんなもん子供に飲ましたらアカんがな










垢だけに
902人間七七四年:2009/03/16(月) 11:04:17 ID:fMLvOgpg
垢抜けない駄洒落だな
903人間七七四年:2009/03/16(月) 18:45:15 ID:Acyuq/2r
>>883
寵童の話なもんだから

>その後十郎は八郎の家に養われていたが、程なく犯されて死んだ。

と、一瞬読んであせった。
904人間七七四年:2009/03/16(月) 20:01:58 ID:ZxkyXmtP
戦国の虚虚実実

徳川家康が浜松に居た頃の話である。

その頃徳川家中で、居城を浜松から見付にうつすべきではないか、との議論があった。
ところがその案を、甲斐の武田家が嫌がっている、との話が聞こえてきた。

家康がこれを家臣に質した所、酒井忠次は

「はい、私もその風聞は聞きました。
そこで密かに甲州に人をやり探りを入れました所、たしかに甲斐の者達、我らが見付に居城を移す事を
嫌がっている体でありました。

…が、殿?これを表面どおりに受け取るべきではないと、私は考えます。

信玄、あえてこのような情報を流し、我らを要害の地である浜松から見付に移させ、
これにより自分達の行動を自由にしたい、との心底であろうと、私は推察いたしました。」

家康も「これはそう言うことであろう」と同意した、とのことである。
905人間七七四年:2009/03/16(月) 20:16:23 ID:KPYB8hIS
>>880
俺の母方の先祖は、原田家の家老。秀吉に領土没収されて主家が無くなって残念。
906人間七七四年:2009/03/17(火) 04:56:37 ID:zDhwNhwh
高力小隼人は若年の頃岡崎で、徳川信康に使えていた。

ある時信康が近習達を前に殿守にて
「この中に猛敵の前にあえて出る者はいても、この殿守から飛び降りる者は居ないだろうな。」
と言った事があった。
その殿主、地面から相当な高さにあった。

これを聞いた小隼人、
「ここから飛び降りることなど簡単ですが、敵前での働きは、功を立てご褒美をいただくことが出来ます。
しかしここから飛ぶのは、体を損なうばかりで功になりませぬ。だから飛ばないのです。」
と、申し上げた。

これに信康
「お前の言う事は確かに尤もだが、やはり臆病が出て飛ばないのではないか?」

と、この”臆病”の言葉が聞こえるや否や小隼人、走って殿主より飛びおりた!
大怪我をした。
そして回復まで1年間ほども、かかったと言う。

信康もこの時、骨身にしみて知っただろう。若年のものであっても、三河者にうかつなことは
言えないのだ。そんなお話。
907人間七七四年:2009/03/17(火) 11:25:44 ID:l56PVPU5
一条 房家「飛び降りろなんて酷いよね〜。」
908人間七七四年:2009/03/17(火) 13:22:15 ID:ZnhTkfZZ
信幸・信繁「戯れに飛び降りろとか言う人間はサイテーだと思います」
909人間七七四年:2009/03/17(火) 14:33:02 ID:FyrGzetE
そんな軽率な事やるから罰が当たるんだ・・・って話を作って神君を擁護したんだろうか
910人間七七四年:2009/03/17(火) 15:46:53 ID:MYFatVVD
>>909
何でもそういう目でしか見れないとは、気の毒な事だ
911人間七七四年:2009/03/17(火) 17:32:29 ID:EvUkbKlG
国親「高力殿、もっとこう、膝に力をかけずに降りるのです」
912人間七七四年:2009/03/17(火) 17:46:22 ID:iJOsxeFh
>>910
そういう意図の物が多い。
913人間七七四年:2009/03/17(火) 19:42:32 ID:sr9hBImD
>>911
国親しんせつww
914人間七七四年:2009/03/17(火) 20:01:59 ID:mdBWULHx
邪推しすぎだろ。
そうゆうの何か萎えるし、やめてほしい。
915人間七七四年:2009/03/17(火) 20:27:01 ID:8ZBWK44B
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 19:37:31 ID:mdBWULHx
>>860
え?
何を言ってるの?
916人間七七四年:2009/03/17(火) 20:35:23 ID:X64v76/W
915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 20:27:01 ID:8ZBWK44B
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 19:37:31 ID:mdBWULHx
>>860
え?
何を言ってるの?
917人間七七四年:2009/03/17(火) 23:50:54 ID:aZ0tLzVq
人間七七四年:2009/03/17(火) 20:35:23 ID:X64v76/W
915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 20:27:01 ID:8ZBWK44B
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 19:37:31 ID:mdBWULHx
>>860
え?
何を言ってるの?
918人間七七四年:2009/03/18(水) 00:09:37 ID:3e15TDY+
917 :人間七七四年:2009/03/17(火) 23:50:54 ID:aZ0tLzVq
916 :人間七七四年:2009/03/17(火) 20:35:23 ID:X64v76/W
915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 20:27:01 ID:8ZBWK44B
866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 19:37:31 ID:mdBWULHx
>>860
え?
何を言ってるの?
919人間七七四年:2009/03/18(水) 00:33:27 ID:tnw8YJFl
仁加保兵庫、雑賀兵庫、六郷兵庫、
この三人、最上の三兵庫と名高い、最上家の家臣であった。

このうち、仁加保、六郷は、時々江戸に出府し、お目見えに来ていたが、
雑賀はほとんど江戸に出てくることが無かった。

そのせいであろうか、最上家が改易された後、仁加保、六郷は旗本として
召抱えられたが、雑賀は召される事がなかったと言う事だ。

評判があってもやっぱり人脈って大事だよ、と言うお話。
920人間七七四年:2009/03/18(水) 01:15:09 ID:sPj+o2Is
>>919
武田四名臣のあの人みたいなもんですね
921人間七七四年:2009/03/18(水) 02:18:26 ID:vNPgNg/z
内なんとかさんの事かー!
922人間七七四年:2009/03/18(水) 02:25:32 ID:kRbHzcQf
>>906
徳川某「お兄ちゃん、天下をくれるなら飛び降りるYO!」
923人間七七四年:2009/03/18(水) 03:12:30 ID:93ONM213
むしろ同じ家の中なんだから少しぐらい自称官位名変えろよ…被りすぎだろ…
「兵庫はおるか!」と殿が言ったときにややこしい。
924人間七七四年:2009/03/18(水) 04:07:10 ID:/nUhxYbO
>>906
良かったな信康。
忠臣を疑っといて、今週のジャンプの某マンガみたいにテメェが飛ばされなくてwwwww

鬼武蔵さん辺りなら、あのベビーも懐くかしらん?
925人間七七四年:2009/03/18(水) 08:01:53 ID:FguEhQ+C
鮭いらね
926人間七七四年:2009/03/18(水) 08:29:23 ID:6kjzoWIt
927人間七七四年:2009/03/18(水) 09:00:33 ID:UDzHHzyD
>>923
藤堂高虎が佐渡守から和泉守に変わったのは、
同じく家康側近だった本多佐渡守と被っていたからだとか
928人間七七四年:2009/03/18(水) 11:00:19 ID:YJRrX5d6
そんなキヨマサに騙されて

加藤忠広の大力になりたい・悪い話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%B3%D0%CA%BC%B1%D2
に出てくる飯田覚兵衛。
覚兵衛は初めは角という字であったが、太閤秀吉は覚の字に書き換えさせた。
この覚兵衛が言うには、
「俺の一生は主計頭(加藤清正)に騙されっぱなしだった」
というのである。
929人間七七四年:2009/03/18(水) 11:01:33 ID:YJRrX5d6
「初めて戦に出て功名を立てたとき、同輩が多く鉄砲に当たって死んでいった。
なんと危ないことか、もはやこれまで!わしは武士をやめよう。
そう思って城に帰るやいなや、
清正が時を移さず 『今日の働き神妙である』と褒め称え、刀を与えた。
このように戦に出る度に後悔するのだが、
その度に清正が陣羽織や感状を与え、人々も皆羨んで褒め称えたりした。
それに惹かれて武士をやめることができず、
弓矢をとり侍大将といわれるようになったのは、
主計頭(加藤清正)に騙されて、本意を果たせなかったからである。」
加藤忠広没落後、京に引きこもり、再仕を求めていた時語ったそうである。

常山紀談
930人間七七四年:2009/03/18(水) 11:08:58 ID:MXTTA6TW
政宗ファン初級・・・撫で斬りなどの事実から目を背ける

政宗ファン上級・・・撫で斬りを戦国武将のステータスだと思って逆に喜ぶ。
            
931人間七七四年:2009/03/18(水) 13:56:18 ID:R7iRq4ax
蒲生氏郷を会津に派遣するときの事だ。

秀吉は突然、自分の袴を脱ぎだした。
「とうとうボケたか!」と、氏郷が思ったかどうか。

秀吉はそれを「会津出発の餞である」と、氏郷に与え、その場で穿かせた。
自分は、氏郷が脱いだ袴を取って穿いた。
そうして、さあさあと会津に向かわせた。

さて、秀吉は、氏郷が出立すると、それを見送った近習のものたちに、
「氏郷はどんな様子であったか?」と聞いた。
彼らは「事の外、迷惑な様子でした」と言うと、秀吉

「いかにもそうであろうよ。こっちに置いていては、恐ろしい奴だからな。
それゆえに、奥州に遣わしたのだ」
と、笑いながら言った。

迷惑は、秀吉がしてやったり気分で看破した、会津行きの事だったのだろうか?
むしろ氏郷、人前で袴を取り替えられたことが、心底嫌だったのではないだろうか?

「陣羽織とかならともかく、袴はねーよ」

そんな気分で会津に向かったのではないか?無論、事実を知るすべは、今はもう無い。
932人間七七四年:2009/03/18(水) 14:13:06 ID:nP33N1WW
他人の脱ぎたてホカホカな袴なんかはきたくないよなw
会津行きと合わせて2重の嫌がらせだな
933人間七七四年:2009/03/18(水) 14:49:38 ID:FboKQV6t
上着はよく聞くけどな。袴ってやっぱりあんまり与えないよなあ
934人間七七四年:2009/03/18(水) 15:30:57 ID:D0IC9boG
「そちの今までの勲功に報い、余のふんどしを授ける」とかいやだなぁw
935人間七七四年:2009/03/18(水) 16:44:21 ID:9tco4EK3
上で小野次郎右衛門忠明の話が出たので、
因縁のライバル、柳生宗矩との絡みの話をいくつかまとめて書いてみるか。

その1「小野忠明、柳生宗矩をフルボッコにする」

その昔、小野忠明がまだ神子上典膳を名乗っていた頃、
たまたま立ち寄った宿の近くに、将軍家剣術指南役・柳生但馬守宗矩が
いると聞き、勇んで挑戦しようとした。

宿の主人「おやめなさい。柳生様は天下の達人。命の保障はありませんよ」

主人が止めるのも聞かず、柳生宗矩に立ち合いを挑んだ典膳は、
真剣の宗矩に対し、その辺りの燃えさしの薪を手に立ち合い、
一太刀もかすらぬまま、宗矩の服を薪の炭で真っ黒にした。

典膳の腕に驚いた宗矩は大久保彦左衛門にこのことを伝え、
これがきっかけで、典膳は将軍家指南役になったという。
936人間七七四年:2009/03/18(水) 16:45:41 ID:9tco4EK3
その2「小野忠明、諌言する」

将軍家指南役になった典膳は、名を小野忠明に改め、
将軍・秀忠に一刀流を指南した。

そんなある日、秀忠が剣術について一手考え付いたので
それを忠明に話したところ、

忠明「剣は実際に斬って初めてわかるものです。
   そのような畳の上での思いつきの剣などに意味はありません」

とにべも無く答えたという。
また、別の日に一刀流の奥義について問われたところ、

忠明「奥義といっても、一刀流はどこかの流派と違い、
   実際に人を叩き斬って覚えた戦場の剣なので、
   特に奥義と言うようなものはありません」

と答えた。
また、忠明が厳しく鍛えたのに対し、
柳生宗矩は手加減をして秀忠の歓心を買うようにしたので、
次第に忠明は疎まれてしまったという。
937人間七七四年:2009/03/18(水) 16:47:19 ID:9tco4EK3
その3「小野忠明、柳生一族をまとめてフルボッコにする」

ある日、柳生宗矩に一刀流の剣を見たいと言われ、
柳生家の道場へやってきた忠明の前に、
柳生十兵衛、柳生兵庫助、その他木村助九郎や村田与三など
高弟たちがずらりと待ち構え、試合を挑んできた。

そして最初に十兵衛が出てきたが、
忠明と立ち合った瞬間、

十兵衛「小野先生には隙がまったく見当たりませぬ」

と叫んで剣を捨て、平伏したという。
それを見た兵庫助と高弟たちが次は誰が出るか相談したところ、

忠明「一人でも何人でも大して変わらん。
   いっそ全員まとめて掛かってきなさい」

と忠明が言ったので、兵庫助と高弟たちがまとめて掛かっていったところ、
これも全員まとめて叩きのめしたという。
それを上座から見ていた宗矩は「それまで」といい、忠明を帰した。

そして次の日、城では
「忠明が柳生家に乗り込んで無体を働いた」という噂が流れたため、
忠明は謹慎を申し付けられることになった。
これが一刀流が柳生新陰流より名が知られていない理由である。

だが、そんな謹慎中の忠明のところへ十兵衛がこっそりと訪れ、
忠明に弟子入りしたという。
938人間七七四年:2009/03/18(水) 16:48:39 ID:9tco4EK3
おまけ「小野忠明、柳生宗矩に忠告する」

ある日、小野忠明は柳生宗矩に対し、

忠明「剣は人を斬ってこそでござる。
   柳生殿の家でも罪人を貰い受け、ご子息に試し切りをさせなさい」

と忠告したが、宗矩は、

宗矩「いかにも、いかにも」

とだけ答え、一向にそのようにしなかったという。


いい話に乗せるかどうか迷ったが、
残念な結果になった話なので、こっちに乗せることにした。
でも、一刀流は現代剣道の元になったから、最後に勝ったと言えなくも無い。
939人間七七四年:2009/03/18(水) 17:21:13 ID:9Dse5UIL
剣道といえば上泉伊勢守の発案した袋竹刀の影響が大とか思っちゃうけど、どうなんだろう?
そういえば、上泉伊勢守って悪い話はほとんど聞かないような。
940人間七七四年:2009/03/18(水) 17:27:20 ID:28OZJUv/
こういう逸話を見ると、やっぱり忠明は最後まで分からなかった人なんだろうなあ…
と思わざるをえない
941人間七七四年:2009/03/18(水) 17:36:39 ID:CUrTcqrj
理解はしていたけど曲げなかった硬骨漢だと思うけどな

確か柳生の方にも似たような人居たよね?
942人間七七四年:2009/03/18(水) 17:46:23 ID:JYi7sAaN
>>941
タイ斜流の丸目蔵人のことですか?
943人間七七四年:2009/03/18(水) 17:47:14 ID:9Dse5UIL
>>941
柳生宗章?
944人間七七四年:2009/03/18(水) 17:53:01 ID:9tco4EK3
前の話もそうだが、小野忠明の話は柳生宗矩と違って全て一剣士としての話。
事実、忠明は政治に走った宗矩より剣士として強かったし、立派だった。
たまたま政治で負けただけで、世間も一刀流の方が上と認めている。

それにこんな風に嫌がらせされても将軍家指南役をやめさせられなかったのは
一刀流の実戦性や小野忠明の竹を割ったような豪快な人格が幕府からも惜しまれたから。
治にあって乱を忘れず、という得がたい人材だからな。

忠明があんまり知られてないのが残念なんで書いてみた。
悪い話じゃなくていい話に書いた方がよかったか・・・。

>>941
柳生にも惜しい剣士が色々いるけど、柳生宗矩が一人で全部駄目にしている。
剣士が政治に関わるとか、もうね・・・。
945人間七七四年:2009/03/18(水) 18:07:57 ID:D0IC9boG
>>944
無能な幕僚より、有能な剣士が政に参加しても別にいいのでは?
彼には、親父がやらかして没落した家の復興という大命題があったわけだし。
946人間七七四年:2009/03/18(水) 18:08:40 ID:Gkd5ptYS
寒そうな人に上着を貸せても、ズボンやパンツは貸せないです。
947人間七七四年:2009/03/18(水) 18:11:49 ID:SNq62J+S
現代でもレスラーが政治家を志すと・・・
948人間七七四年:2009/03/18(水) 18:18:33 ID:9tco4EK3
>>945
なら剣術指南役は止めるべきだった。
柳生新陰流を広めるために政治を使ったのはどう弁解する?
小野忠明はそんなことをしなかったけど、一刀流は剣道に繋がったぞ。
949人間七七四年:2009/03/18(水) 18:24:49 ID:dVZDJ/m/
>>948
ここ、そういうスレじゃないんで…
950人間七七四年:2009/03/18(水) 19:12:58 ID:AvnSg13i
忠明って大阪の陣でも荷駄かなんかで戦闘には参加しない役目だったのに
勝手に持ち場離れて大坂方相手にヒャッハー!しちゃうDQNじゃん
どう見ても人の上に立つようなタイプじゃないってww
951人間七七四年:2009/03/18(水) 19:21:01 ID:9tco4EK3
>>950
それは悪意のある表現。
真田の突撃で家康の陣が崩れたから、主君を助けるために敢えて向かったんだ。
逃げ惑った譜代衆よりずっと物の役に立つ真の武士。
忠明はそういう歪められた話が多いのが残念だ。
952人間七七四年:2009/03/18(水) 19:42:28 ID:zs9dDJCg
>>951
そんなことを言ったら、あなたの嫌いな柳生宗矩は
秀忠を守るために七人切り殺してもはやこれまでと死をも覚悟してるんですが。
側近としても剣豪としても役に立つ非常に使い勝手のいい忠臣ともいえちゃうわけで。

好き嫌いを押し付けるのはイクナイ。
953人間七七四年:2009/03/18(水) 19:44:32 ID:9tco4EK3
>>952
あれは嘘。
柳生宗矩にそんなことできるわけがない。
政治力で宣伝しただけ。卑怯な奴だ。
954人間七七四年:2009/03/18(水) 19:46:29 ID:9Dse5UIL
なんか例のアンチ最上っぽいアレな人だな…
955人間七七四年:2009/03/18(水) 19:47:56 ID:D0IC9boG
>>954
×アンチ最上 ○ただのかまって君
956人間七七四年:2009/03/18(水) 19:48:03 ID:lgDo7PZ7
善きあしき人の上にて身をみがけ 友はかがみとなるものぞかし
957人間七七四年:2009/03/18(水) 19:51:35 ID:zs9dDJCg
>>953
>逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは
抵触してるぞ。

それ以上は
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
でどうぞ。
958人間七七四年:2009/03/18(水) 19:51:50 ID:i+BwTzeT
ID真っ赤になってまで引っ張るネタでもないな
959人間七七四年:2009/03/18(水) 20:27:55 ID:CUrTcqrj
>>942
蔵人さんは・・・ねぇ

>>943
その人かも。恩人に報いるために奮戦して死んだ人だよね?
960人間七七四年:2009/03/19(木) 00:10:28 ID:OPt8Xezj
今なんか食ってる人いる?味わって食べてね、もう食えないかもよ・・・

鍋島直茂の家老に、多久与兵衛安順という男がいた。

ある日、重臣たち総出の会議が長引き、腹の足しにと、茶と干し柿が振舞われた。

与兵衛は何を思ったか、干し柿を食べ終わったあと、残った種を畳のへりの間に
押し込んで隠し、そ知らぬ顔をしていた。
しかし、彼の主君は些細なことも見逃さない男だった。

会議も半ばというのに、上座から直茂が叫んだ。「誰かある、大工を呼べ!!」
大急ぎで大工が呼ばれると、直茂はさらに命じた。「そこの畳、全部剥がせ。」

当然、群臣は困惑した。「もう遅いし、明日にしません?オレらも手伝いますから・・・」
「  良  い  か  ら  剥  が  せ  。  」

しぶしぶ大工が畳を剥がし終えると、板敷きの上に柿の種が転がっていた。
「よし、その種を捨てたら、畳を元通りにしろ。」
もちろん全てが終わるまで会議は中断され、多くの者が迷惑がり、与兵衛を恨んだ。

この話が広まり、あえて与兵衛に柿を出す者はいなくなり、与兵衛はその後
一生柿を口にすることができなかったという。 (葉隠より)

主君の屋敷でバッチィことする与兵衛が悪いのか、粘着な直茂が悪いのか・・・
961人間七七四年:2009/03/19(木) 00:16:23 ID:auLCQNGx
会議があんまり煮詰まったもんで、部屋の模様替えをしたくなったんだよ、きっと…
962人間七七四年:2009/03/19(木) 00:28:47 ID:Fc7DCJDV
こういう先生居なかったか?
963人間七七四年:2009/03/19(木) 00:48:52 ID:UH9nvsDq
や、さすがにかきの種はまずいだろw
964人間七七四年:2009/03/19(木) 00:56:47 ID:PNBvrvMd
8年後、そこには立派な実をつける柿の木の姿が!

とはいかなかったか(´・ω・`)
965人間七七四年:2009/03/19(木) 01:02:50 ID:+HonyLMQ
>>960
食事作法にうるさいはずの武家なのに、主君の屋敷でそんなことするなんて
言語道断だもの。直茂は直接与兵衛を叱り付けなかっただけ優しいと思うぞ。
966人間七七四年:2009/03/19(木) 01:21:50 ID:+HxDDmMF
たとえ現代だろうと食べかすをポイ捨てどころか
物の隙間に詰め込むとか言語道断な気が
967人間七七四年:2009/03/19(木) 01:35:12 ID:5foewF0c
>965
しかりつけた方が優しいと思う。
968人間七七四年:2009/03/19(木) 01:45:16 ID:69h0LVOT
ちょっと疑問に思ったんだが
>逸話に対する過度の真贋論争
はあくまでその話が史実かどうかという点について野暮な事は言うなという事であって
逸話そのものをでっち上げるのは御法度だよな?
969人間七七四年:2009/03/19(木) 01:53:32 ID:H2Ij/ZZ1
まあ、そりゃそうだ

極端な話、最強農民のテンプレとか信じられても困るし
970人間七七四年:2009/03/19(木) 01:58:03 ID:jd8J1dcF
>>960
石田治部「やはり干し柿は人間関係の毒ですな。何故か同僚に呆れられたり怒らせてしまったりで、うまくいかなくなんだよなー……」
971人間七七四年:2009/03/19(木) 01:59:09 ID:9Rl7f+lX
まあ汁かけご飯や妊婦腹裂きと一緒で、おそらく創作なんだろうが、
信憑性を見るならかなり怪しい。が、逸話自体は少なくとも過去の
記録にあるくらい昔から存在する、ってことですかね。

信憑性を云々すると、上の小野忠明が柳生連中をフルボッコにした
というのが疑われているし。兵庫がいる時点でかなり。
972人間七七四年:2009/03/19(木) 02:53:52 ID:8ES4YpHP
980踏んだ方、宣言してから、新スレ立てお願いします
↓スレタイ
戦国ちょっと悪い話8

↓テンプレ
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234621761/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234946803/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
973人間七七四年:2009/03/19(木) 09:57:22 ID:YI4N1Tau
剣術指南役になったのって小野が先
現実的に考えて潰されるの怖くて喧嘩とか出来る訳無いし
柳生家は元々土豪だしお家の長久願って多方面で活躍して何が悪いんだか...
974人間七七四年:2009/03/19(木) 10:28:41 ID:lf/y4yvX
>>971
忠明を倒すために密かに呼んだものと思われる
まあ簡単にやられたわけだが

>>973
武士として、剣士としてどうかという話をしているんだ。
何がお家だ。馬鹿らしい。
そんなものにこだわっている時点で話にもならん。

それに引き換え、小野忠明は武人の名誉のために保身を考えずに行動している。
事実、忠明は指南役になってからも何度も立ち合いをしている。
武蔵も忠明の挑戦からは逃げている。
これこそ真の武士だ。
他の者達も感服したに違いない。

そもそも柳生宗矩が陰謀家であることは常識である。
こんな奴に大剣豪小野忠明が劣るわけがない。
どうしてその程度のことが分からないのか理解に苦しむ。
975人間七七四年:2009/03/19(木) 10:57:04 ID:1T5scMLR
>>974
小野忠明「いい加減うぜえって」
976人間七七四年:2009/03/19(木) 11:50:46 ID:LBTEjMLk
家を残す為に自分の命すら投げ出すのが戦国武士だと思うけどな
977人間七七四年:2009/03/19(木) 11:56:23 ID:lf/y4yvX
>>965
小野忠明がそんなこと言うわけがない。

>>976
そう。
だから小野忠明は小野家の武名のために戦った。
だから平和な時代になって実戦主義者の忠明は異端視されて不遇な目にあったが
今もこうやって数々の逸話が残っている。
まさに武士の鑑だ。
978人間七七四年:2009/03/19(木) 12:17:44 ID:d6N6R/1g
とりあえずスレ立て前だし変に興奮してかなり間の悪い話スレにするのだけはやめてくれんか。
979人間七七四年:2009/03/19(木) 13:10:17 ID:Mxy4XyQI
>>977
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|  御館様が興味を示されたようです
   l:,;'"`'、,    . ,;ィェ、..   ,rェ;〈
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    l;゙、',.::l;;;i      r   ヽ.   l,
980人間七七四年:2009/03/19(木) 13:12:29 ID:82m7dUyM
>>974
武士というものを何も理解していませんね。
というか、あなたの武士像は江戸時代中期以降のものです。

まっとうな武士にとって、武芸者も剣術もたいして誇るものでもないことは、
馬場や可児のエピからもはっきりしている。
981人間七七四年:2009/03/19(木) 13:27:55 ID:sDi00MVd
なんか、変な奴が湧いてるな。
982人間七七四年:2009/03/19(木) 13:30:10 ID:vjv3cgQz
いいかげんウゼエ
983人間七七四年:2009/03/19(木) 13:30:58 ID:z0XhBBGa
>>974
このキチガイうぜえw
984人間七七四年:2009/03/19(木) 13:40:45 ID:nZ19FHfG
小野と柳生は名を上げる方法が違うだけ
小野は剣客として武で名を上げた
柳生は政治家として名を上げた
それだけ
985人間七七四年:2009/03/19(木) 15:00:40 ID:lf/y4yvX
>>960
ならどうして将軍家剣術指南役があるのか。
それに小野忠明はたまたまその二人とは戦っていないが、戦えば勝ったに決まっている。
一人で道場に乗り込んでいって足元を掬われたにも関わらず、待ち伏せ連中を皆殺しにしたんだ。
可児才蔵の逸話は知っているが、忠明なら20人相手でも勝てる。
所詮、1対1で勝てないから人を集めた奴なんかに負けるわけが無い。

>>984
剣で勝てないから政治に逃げた。それが気に入らない。
政治力で将軍家指南役になったくせに剣豪呼ばわりされるのが我慢ならん。
誰にも勝ってない奴が指南役とか天下一とか論外だ。
普通おかしいと思わんか?
986人間七七四年:2009/03/19(木) 15:02:05 ID:zmj3MVI/
もうスルーでよくね?
987人間七七四年:2009/03/19(木) 15:06:18 ID:lDyhqquM
まじウゼえ
988人間七七四年:2009/03/19(木) 15:26:55 ID:4YW6IBt4
ここはひとつ、高島砲術最強ということで
989人間七七四年:2009/03/19(木) 15:42:02 ID:oA8D+xsK
>>985
「決まっている!」「決まっている!」
これで誰かを納得させられると思ってるならお目出度いわ
幼稚園児か
990人間七七四年:2009/03/19(木) 15:56:06 ID:WMZ9vEVB
990踏んで次スレ立て宣言
991人間七七四年:2009/03/19(木) 16:03:04 ID:WMZ9vEVB
次スレ

戦国ちょっと悪い話8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/
992人間七七四年:2009/03/19(木) 16:04:54 ID:zmj3MVI/
>>99
直家「乙でござる。ささ、私の家で茶でも」
993人間七七四年:2009/03/19(木) 16:25:07 ID:TqUK4Jq0
>>991
乙でござる。では馬上のまま通らせてもらうでござる
994人間七七四年:2009/03/19(木) 16:34:59 ID:vjv3cgQz
鹿之助「>>991乙!俺と一緒に七難八苦を乗り越えようぜ!」
995人間七七四年:2009/03/19(木) 16:40:48 ID:my9SzPo2
だれか>>993を加増汁
996人間七七四年:2009/03/19(木) 17:12:04 ID:IpoEQuKS
信之「1000ならおれも評価される!」
997人間七七四年:2009/03/19(木) 17:45:23 ID:/UPH40Am
997なら次スレでまさかの尼子ブーム
998人間七七四年:2009/03/19(木) 18:32:05 ID:Amk/Bjom
998なら現世に鬼武蔵光臨
999人間七七四年:2009/03/19(木) 18:37:56 ID:veBh4rv9
確かに尼子って良い奴多いからなぁ。
なんてーかな、お人好しっぽいエピソード満載だしねぇ。
1000人間七七四年:2009/03/19(木) 18:38:25 ID:VTZX1uMc
999なら防衛相に鬼武蔵
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
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   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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