【義光】出羽最上氏総合スレッド2【山形】

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935人間七七四年:2009/12/02(水) 13:43:58 ID:28SJYveE
最上が滅亡したのは、近世大名への脱皮が遅れたからなのかね。
義光が生きている間は本人の能力・カリスマ性で乗り切れたけど、
次の世代になると国衆出身の家臣団をまとめきれず・・・みたいな。
豊臣政権下ではだれが秀吉との間を取り次いだの?
文化人としても優れていたし、中央とのコネクションもあったと思うけど。
936人間七七四年:2009/12/02(水) 18:46:20 ID:hHwZ0XY7
豊臣そのものが二代目で崩壊しているし
最上はもとから徳川よりだったから
近世大名への脱皮云々はあまり関係ないかも
937人間七七四年:2009/12/02(水) 18:51:51 ID:F0G29aVT
潰れるくらいなら転封されとけば良かった
938人間七七四年:2009/12/03(木) 00:12:22 ID:W9EFQdCO
最上義光 「なぜ最上の記録や遺品が少ないかって?後継ぎがバカで改易されたから仕方ないだろ!」
出羽の民 「こんなもん家宝になんねえよ。縁起が悪いから燃やしちまえ、祟られるぞ!」
歴史学者 「人に言えない、胸を張れない、そんな行動が多かったということでしょう。」
939人間七七四年:2009/12/03(木) 00:34:49 ID:d0bTKOMX
>>936
豊臣は特殊で一緒にはできないのでは。改易された原因から考えても、
最上義光としてではなく、最上氏としての君主権が確立できていなかった
と考えて差支えないと思うけど。
「もとから徳川寄り」というのも疑ってかかるべきというか、あくまで豊臣
政権内で徳川家康寄りということだと思う。家康が最上の取次をしていたの
かもしれないし。

近世大名化が遅れてるという意味では島津義久が似てる。国人出身の重臣に甘
く、改革派の義弘とは主導権争い。改革が進まず、取次の三成や幽斎にはあき
れられる。関ヶ原が終わった後も、評定で家臣たちがなかなか上洛に賛同して
くれない。家中統制が進んでいないことが分かる。
940人間七七四年:2009/12/03(木) 01:12:29 ID:sAJHXnp7
最上の場合、単なる家中の主導権争いや派閥争いに留まらず、
主君交代論というところまで行ったのが、特殊といえば特殊
政治が変わるなかで、主導力のない主君に不安が出たためだけど
そう考えると、やはり家親の病死がもっとも痛かったと思う
941人間七七四年:2009/12/03(木) 05:10:23 ID:gCfo05d5
主君交代なんてよくある話だと思うが
問題はあの時期になってまでそれが出たことだが
942人間七七四年:2009/12/03(木) 06:02:09 ID:BagW00t0
兄弟それぞれが派閥化してる中で
愚かにも義光が長男暗殺しちまったのが最大要因だな。
次男以下が後継への野心を持ち、長男家臣団も怒り狂い何事も纏まらなくなった。
そもそも家康寄りってのも非常に怪しい話。
943人間七七四年:2009/12/03(木) 09:07:39 ID:Qkunue5V
太閤検地の厳しい方針に反対していたという話が本当なら、一見すると
弱きを守るみたいな印象で、今はそういう好意的な方に論じられているけど、
実際には国人の既得権益を否定できないでいるということ。ズブズブの
中世的な体質から抜けきれていない様子が窺える。

伊達方の史料で広まったダークなイメージを払拭しようと言うのは分かる
けど、反動が大きすぎて、逆に本当の意味での再評価の妨げになってる
部分が多いと思う。
944人間七七四年:2009/12/03(木) 09:23:40 ID:vvHABfx2
まぁ義光の評価は、優秀な戦国大名、で良いんじゃないか
優秀であるから領土を拡大し、人誑しに長け、
外交や中央政権との折衝で領土をあまり失わず、
内治でも一定の成果を残した
が、戦国大名で有るが故に、
国人連合の長としての立場から抜け切れず、
豪族を家臣団化する事に失敗し、
結果最悪のお家騒動までに発展させ改易された

まぁ後段の部分は他の大名家だって有る程度似たようなもんだから、
義光だけの責任にしてしまうのは酷だと思うけど
義光が無能ならそもそもお家騒動が苛烈に成るほどの大きさに成長しなかっただろうから、
良し悪しだな
945人間七七四年:2009/12/03(木) 12:15:48 ID:lziap/zq

蒲生家みたいに君主が幼君で無能だったら転封できるような流れだったらな
946人間七七四年:2009/12/03(木) 12:36:32 ID:BagW00t0
実際、5万石から13万石に自力拡大しただけなのに
上杉から攻められたおかげで
棚からボタ餅でいきなり巨大化したんだから
統制できないのは当たり前。
947人間七七四年:2009/12/03(木) 12:55:28 ID:fbX2lEhl
えーと…
948人間七七四年:2009/12/03(木) 12:59:37 ID:lziap/zq
最上家の元々の統制がとれる範囲の10万石前後で
池田家みたいに分割するかして大名家としての家名を保てば良かったな
清水山辺最上楯岡とかでも我慢しとけば良かったが当主や一族が欲かいたな
949人間七七四年:2009/12/03(木) 13:43:09 ID:vvHABfx2
最上に付けば勢力拡大できると見たからこそ付き従うわけで、
欲を掻かなきゃ部下や同盟者も付いてこないんじゃねw?
他でも同様の事は多いわけで、なぜ最上は完全な改易まで突き進んだか、
って所の方がポイントだと…
まぁ当主交代が原因な訳だが
950人間七七四年:2009/12/03(木) 14:20:00 ID:QLlN9ZrV
当主交代はどこの藩もやってること。
そこで家臣がゴタゴタするのは最上氏を大名として山形の仕置きを任せている徳川公儀の
否定につながる。無能なら改易されなかったと言ってる人もいるけど、有能無能が無意味
なくらい(有能だから危険視して改易したなんてのがすでに物語的なんだけど)に、幕藩
体制になじまない家中統制の状況だったんだろう。
951人間七七四年:2009/12/03(木) 14:53:23 ID:BagW00t0
つうか大坂冬夏の両陣で謀反を警戒されて江戸詰めなんて福島正則と同列な時点ですでに改易確定路線の大名じゃん。
952人間七七四年:2009/12/03(木) 14:56:18 ID:fPiVINa0
藩内で内戦状態になってたかもしくはなりそうな状況だったならばもう潰すしかないわな幕府も
953人間七七四年:2009/12/03(木) 16:07:38 ID:TorYspY9
大坂の陣の時点で改易が決まっていたなんてことはないだろ。
福島はその後の不手際が原因で改易なんだし。
最上が本当に豊臣恩顧の連中と同じ理由で江戸に留め置かれた
のかも疑問だし。そうだとしたら、豊臣にも冷遇され、徳川にも
疑われってどんだけ中央とのつながり弱いんだよって気がするけど。
954人間七七四年:2009/12/03(木) 17:22:03 ID:ZL60CwDx
>>950
幕府は若年の義俊が当主になると、義光・家親時代の路線を踏襲するように条文を出しているし、
家中がごたついて山野辺を擁立しようとした動きが出た際にも、義俊を当主として補佐するように
裁定を下すなど、「公儀」として最上の藩政確立を志向している。
ところがその裁定を家臣団が嫌がり、これが「上意」に背いた=「公儀」の権威の否定に
繋がり、断固とした処置を行うに至ったということなんだよね。

>>953
家親は幼少期より家康に近侍していたようだし、慶長15年には御謡初めの着座が許されたり、
琉球使節が来朝した際には奏者を務めるなどしているなど、むしろ徳川政権とは親密な様子が窺えるな。
さらに義光が没した際に、家親が領国への下向を許されるが、その直後にも幕閣は最上家中に宛てて
「家親の下向は上意であり、家親には跡式許可の内書が出される」という連署奉書を発給するなど、
幕府はむしろ家親相続のバックアップを行っているんだよね。
955人間七七四年:2009/12/03(木) 17:36:51 ID:BagW00t0
山形が絶対に拒絶してんのに
嫌がる山形に対して無理やり幕府が義俊を送り込もうとしたのは義俊が義光の血なぞ引いてないと言うことか。
執拗にあぁしろ!こうしろと内政干渉するのも、山形を揺さぶり崩壊させる謀略だろう。
福島正則だって最初から改易前提で、用済みになるまでは潰さず、用済みになっから、テキトーに改易の名目を付けただけだし。罪状なんていくらでも作り出せるし。
幕府にとって利用価値がなくなり用済みになったから捨てただけ。
956人間七七四年:2009/12/03(木) 19:51:22 ID:oaODMGR8
君、陰謀論好きだねぇ
957人間七七四年:2009/12/03(木) 20:35:26 ID:YYou/Ycp
そいつSubだからほっとけ
958人間七七四年:2009/12/04(金) 18:21:29 ID:tMThe5jM
959人間七七四年:2009/12/08(火) 22:49:02 ID:Ubc7JPAE
誰も居ない。
義光様にお仕えするなら今のうち……。
960人間七七四年:2009/12/08(火) 23:41:01 ID:np35Ftry
ガッ
961人間七七四年:2009/12/09(水) 19:15:27 ID:FpcH8I25
次スレは980あたりの人かな
962人間七七四年:2009/12/09(水) 20:03:15 ID:Ie+aMo9v
氏家光光
963人間七七四年:2009/12/15(火) 10:48:52 ID:dp0FwVTV
964人間七七四年:2009/12/16(水) 19:52:00 ID:hVlrWg7R
氏家といえば、守棟って珍しい名前だな
最初、「宗」の誤字かと思ってたわ
965人間七七四年:2009/12/21(月) 23:29:01 ID:T4hiB+K2
氏家宗宗
966人間七七四年:2009/12/22(火) 04:13:03 ID:Wm5GnGov
義守からの一字拝領だから別におかしくないだろ
967人間七七四年:2009/12/23(水) 22:24:47 ID:kqMu4Fqp
>>964
棟は人名としては昔から用いられているだろ
古くは桓武平氏の祖の一人高棟王(平高棟)がいるし、
平安時代の歌人平棟仲もいる
戦国時代なら別所重棟がいる
調べればうじゃうじゃ出てくるだろう

まぁ宗と同音なんで、誤字とか別字として伝わる場合もあるけどね
968人間七七四年:2009/12/24(木) 17:49:59 ID:8LVoX2iA
軽くググったら、伊集院忠棟が出た
そういえばこの人も「棟」だったな
なるほど、案外使われてたんだねえ
969人間七七四年:2009/12/24(木) 21:57:25 ID:sKdQUXFv
小笠原長棟とかな
誰かの偏諱って訳じゃないんだろうけど、多分
970人間七七四年:2009/12/25(金) 23:30:54 ID:vZpHNLb0
人物文庫の義光読んだ人いる?
971人間七七四年:2009/12/26(土) 17:30:34 ID:3y/eSOC8
読んだ。そして後悔した。
googleでレビューを拾うと、やはりと言うか評判はかなり悪い。
作者については最近【戦国時代を舞台にした歴史小説スレ】でも話題になった。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1250760252/181-
972人間七七四年:2009/12/27(日) 11:31:20 ID:BZkTwoQQ
>>971
ありがとう、図書館ででも探すわ。
973人間七七四年:2009/12/27(日) 16:37:38 ID:P0K4oNp5
>>972
後書きを読んだら開いた口がふさがらなくなること必至
974人間七七四年:2009/12/27(日) 23:18:50 ID:BZkTwoQQ
>>973
kwsk
PHPのやつよりひどいの?
975人間七七四年:2009/12/27(日) 23:44:21 ID:8YjdlOpg
973じゃないけど、読んだ人間から一言(立ち読みだがw
歴史小説としてどうとか言う以前に
作者の執筆姿勢を疑ったなあ。
ありゃちょっとないだろううよ。

>kwsk
百聞は一見にしかずだぜ。
976人間七七四年:2009/12/27(日) 23:50:49 ID:BZkTwoQQ
直江マンセーのために書いた大河便乗とかじゃないよね?
977人間七七四年:2009/12/28(月) 11:04:35 ID:sWEhlKoz
最上家の「満」っていう諱はどこから?
978人間七七四年:2009/12/28(月) 11:17:49 ID:Tt0sbVpj
一休さんのおともだち
979人間七七四年:2009/12/28(月) 14:09:22 ID:AI27a9Ag
歴史館面白い?
980人間七七四年:2009/12/28(月) 14:20:50 ID:3qLfAGxb
>>979
入館料タダなのは今年度一杯かもしれんから、いけるうちにいっとけ。
981人間七七四年:2009/12/28(月) 14:22:45 ID:AI27a9Ag
三月までいけんなぁ
982人間七七四年:2009/12/28(月) 17:14:05 ID:QHjK3z9F
>>979
面白くない。そんなトコ行くなら白河城と敷地にある博物館の方がいい。
983人間七七四年:2009/12/28(月) 17:33:37 ID:AI27a9Ag
しかし最上ファンを名乗るためにも行かねばならんのです
984人間七七四年
>>979
充分面白いと思うよ。長谷堂合戦の兜や軍旗など、最上氏の興味があるなら絶対お勧め。
>>982はいつもの奴だな