【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】

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1人間七七四年
大坂の陣を語り合おう。

前スレッド
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201589307/l50
2人間七七四年:2009/01/28(水) 21:04:41 ID:eVZK6Agh
二番槍ゲットじゃあ
3人間七七四年:2009/01/28(水) 22:45:52 ID:nxJr1ySd
明石
陣中最強、鉄砲指揮から部隊指揮までなんでも出来る名将中の名将。
関ヶ原では杭瀬川の戦いでの指揮、福島粉砕劇など華々しい活躍をみせている。
戦後家康の執拗な明石狩りから分かる通り、この陣で最も警戒されていた人物である。

長曽我部盛親
元大名。関ヶ原では西軍として活躍している。
大部隊を指揮した事がある数少ない武将であり、その点期待されていた。
藤堂隊を破るなど活躍をみせた。

大野治長
事実上の総大将。兄弟が戦場に立つ中秀頼を補佐。
後に和平交戦と意見をころころ変えたため兄弟仲は決裂。
最後は秀頼と自害。豊臣宰相としての器は足りなかったようだ。

真田幸村
昌幸の息子。真田丸を築き武功をあげる。
籠城を決めたさい野戦主張などをしているが実際それが有効かは未知数であり幸村の野戦の指揮は定かではない。
4人間七七四年:2009/01/28(水) 22:56:28 ID:Rv0Y+/2Q
木村重成最強
5人間七七四年:2009/01/28(水) 23:12:14 ID:MBsy7GYd
世間でのインフレ評価の反動だと思うが、2ちゃんでの真田信繁の評価は辛すぎないか?
少すぎる活躍の機会に、十分な活躍をした名将であることは確かな事でしょ。

◯◯より優れてるとかは言うつもりないけど。
6人間七七四年:2009/01/29(木) 00:01:48 ID:m8LKCZad
宇喜多秀家が泳いで来たら大坂は凄い盛り上がっただろうな
7人間七七四年:2009/01/29(木) 12:35:20 ID:Id+4aSqr
>>5
他と相対評価した場合信繁を低くせざるをえない
幸村としかみないやつは聞く耳持たないけどな
8人間七七四年:2009/01/29(木) 20:49:47 ID:NhGCd8yD
冬の陣で宇治川での防衛策を
豊臣側が採っていたらどうなっていただろうか?
9人間七七四年:2009/01/29(木) 20:56:41 ID:6KkbQzdL
大阪の陣の始まる前に、家康の壮大な付け城群の構築で、既に詰んでいたというのは
無しですか?そうですか。
10人間七七四年:2009/01/29(木) 23:09:14 ID:I56vydj+
国家安康君臣豊楽ぐらいでで濠を埋めるなよな古狸が 一番苦悩だったのは両者に挟まれた片桐且元じゃね?余り名前出てこねーな
11人間七七四年:2009/01/29(木) 23:19:02 ID:6KkbQzdL
>>10
ありゃ当時の感覚では超ド級の無礼だぞ?
内掘の「幕府軍による」埋め立ても、最初から休戦条約に入っておる。
12人間七七四年:2009/01/29(木) 23:33:42 ID:4jCIZJyV
>>3
幸村は最後の野戦で一番猛威ふるったやん
13人間七七四年:2009/01/29(木) 23:38:51 ID:4jCIZJyV
幸村が主張したという
・京まで進出し徳川を防ぐ
・家康暗殺

この戦略以外に豊臣側には到底勝ち目無かったと思うね
14人間七七四年:2009/01/29(木) 23:43:52 ID:6KkbQzdL
> ・京まで進出し徳川を防ぐ
戦線が延びて各個撃破されるだけ。
何のために伏見や二条城といった城があると思ってる?


> ・家康暗殺
どうやって?それに家康殺しても幕府軍は依然として存在する。

豊臣家は徳川と手切れをしたとき、本気で日本の大名のうち半分は
豊臣の味方につくと信じていた。

一人の大名もつかなかった時点で完全に詰んでいる。
15人間七七四年:2009/01/29(木) 23:51:59 ID:4jCIZJyV
幸村も9割型負けると踏んで大阪についてるだろ、一割あるとすれば幸村が説いた京で徳川を防ぎ日本を南北で二分するという方法
幸村が説くようにそもそも大阪篭城は不利になってからでも良い訳で

家康暗殺は幸村が少人数で常に狙ってたろ、最後の野戦でも死ぬまで諦めずにそれを狙った
もしくは家康の自然死での状況いっぺん
16人間七七四年:2009/01/29(木) 23:57:03 ID:6KkbQzdL
>>15
西日本にだれかしら味方する大名があれば、日本の東西分断も
多少は考えられるかもしれないが、ゼロでは、豊臣家一つではその戦線を支えられるわけが無い。

あと暗殺で状況一変って、楽観論過ぎるよ。
ルーズベルトが死んだから戦況が変わると信じた日本やドイツのようなもんだ。
17人間七七四年:2009/01/30(金) 00:04:39 ID:znwdhD+K
西日本の大名がつかないから日本の地理を説き、京で徳川を防ぎ西日本を徳川勢力から孤立させ切り離し
自然と大阪側付かざる得ない状況に追い込むと

近代国家のルーズベルトの時と、幕府できたての徳川じゃ状況が違いすぎる
18人間七七四年:2009/01/30(金) 11:12:33 ID:QOYIg214
方広寺梵鐘銘文撰者清韓の弁明書(一部)
「国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也、」
という感じて、意図的と言明している

で、これの礼法的な是非・許容について崇伝・羅山・五山の僧に諮問している
ここで特に五山の僧の意見を上げると
「鐘銘に諱を書くことは問題あり。ただし、武家の書礼は知らないので五山の書礼においての問題ありである」
として、諱の使用について特に説明せずに用いている事は問題と笠谷氏は論じている
19人間七七四年:2009/01/30(金) 11:15:30 ID:Y5ltAS3J
>>18
これを明治になって、「五山の僧が全員一致で非難しているから家康の謀略だ」って、
実に明治時代らしい反徳川史観で解釈してしまったのがすべての誤解の始まりなんだよな。
20人間七七四年:2009/01/30(金) 20:45:16 ID:k6wSPpi5
21人間七七四年:2009/01/30(金) 21:52:24 ID:QKjI9QBQ
いかに秀吉が大名達から嫌われ恨まれているのがはっきりとした戦い
22人間七七四年:2009/01/30(金) 22:12:18 ID:UHq/7FtL
皇帝の諱にあわないように地名を変える昔の中国の感覚だと方広寺の件は本気で総スカン食いそうだな
23人間七七四年:2009/01/30(金) 22:16:29 ID:Y5ltAS3J
>>22
いや普通に日本でも総すかんを食らったんだが。
24人間七七四年:2009/01/31(土) 07:07:51 ID:aSouydsy
単に諸大名が勝ち馬に乗っただけじゃないの?梵鐘銘なんてどうでもよさそう。
仮に太閤全盛時に秀吉が家康に同じ事しても
豊臣恩顧大名がすべて徳川について大坂城を攻めるとは思えないな。
25人間七七四年:2009/01/31(土) 08:16:13 ID:IoC9IFvQ
秀吉は大阪の陣のときの豊臣家みたいにバカじゃねえよ。
26人間七七四年:2009/01/31(土) 09:45:27 ID:j7lmb8ik
耄碌した秀吉>>>>末期の豊臣家

確かに
27人間七七四年:2009/01/31(土) 20:26:09 ID:NSVOPv4Z
木村長門守重成天晴れな武将なり
28人間七七四年:2009/01/31(土) 20:52:52 ID:TwR5F5HB
>>24
だな〜
理由は一つきりではないだろうな
勝ち馬に乗っかった+ねねが東軍についた
これが大きな要因かと
29人間七七四年:2009/01/31(土) 21:41:47 ID:ptLR84Fp
>>20
軍板レベル低いな
30人間七七四年:2009/01/31(土) 21:54:38 ID:IoC9IFvQ
>>20
講談レベルで語ってる奴多すぎ。
31人間七七四年:2009/01/31(土) 22:00:33 ID:LfBA4mlQ
>>29-30
だな。
32人間七七四年:2009/02/01(日) 07:56:53 ID:0gA6fZN9
>>28
> ねねが東軍についた

詳細は見てないからわからないけど、最近それを否定する言説をたまに見かけるんだがどうなの?
33人間七七四年:2009/02/01(日) 08:08:20 ID:0gA6fZN9
ねねの件は関ヶ原時のことだったかな?
大阪の時はまた違ったのかな?
34人間七七四年:2009/02/01(日) 09:25:48 ID:Xsbt0oel
>>32

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 01:47:06 ID:rfpuU4lC
「北の政所三成加担論」についてはどう思う?
木下家が西軍に参加しているのは、北の政所による示唆がなければ、三成の説得だけでは
到底不可能だとか。

371 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/23(金) 02:07:06 ID:586XoPap
>>370
石田と大谷が会談する前に、宇喜多秀家が戦勝祈願をしていた記録があるらしく
このことが宇喜多秀家主犯説を唱える根拠らしいのだが
そこに北政所が腹心の大谷の母を使わしてるらしい
そうなってくると、北政所共犯というより、主犯に近い感じがする

376 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/23(金) 02:51:21 ID:586XoPap
>>372
主犯ってのは大げさな表現かもしれんが
北政所は大津城に開城するよう使者を送ってる
仲がいいと言われてきた加藤や福島とは実は疎遠だったり
血が繋がっている小早川秀秋との仲は、どうなのかわからないけど
実際、東軍に便宜を計ったようなものって聞いた事無いんだけどね
加藤福島に東軍付けと言ったとか言われながら、実は疎遠

実際思われているよりも北政所って、そんなに影響力なかったんじゃないのかな?
それも秀吉が死んで、さらに影響力縮小
西の丸を退去し、政治からも完全隠居体制になろうとしてたけど
家康が台頭する中で、やはり旦那がつくった豊臣政権が簡単に終わるとなると癪
たいした力は無いけど、できる範囲では協力を惜しまなかった
関ヶ原での敗戦後、家康も生かしておいても別に問題になる事も無いだろうし
殺してしまえば、これは後々マイナス面がかなり出るだろうし放置
尼になったのって、秀頼が千姫と結婚してからじゃなかったかな?
もうこの頃は政治的には完全に廃人
それと淀君とは、対立構造にあったわけでなく、協調体制にあったとう見方が最近の傾向らしい
大坂の陣の際には、何もできない忘れられた存在だったのかも?

と司馬の関ヶ原読んで、自分なりの関ヶ原感というのが植え付けられたが
ネットの世界で色々
「あれ?違うじゃん!」「価値観逆転」
を繰り返し、今自分が思う関ヶ原感ってのが上に上げた次第

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/24(土) 08:15:50 ID:M8QbYKIP
三成が自分の娘を北政所に養女にだしたから、意外と仲が良かったって説、最近聞くけど
だからって三成の挙兵を支持して西軍派ってのは、変だと思う。
家康を排除する為だけに身内の譜代同士で争うのを是とする訳がない
自分の家来筋が、地方の有力大名を担ぎ合って、決戦なんて、豊臣家の権威は地に落ちるよ
三成の挙兵で五奉行とか五大老とかは崩壊したし
家康が圧勝しなければ、かなり長い期間戦乱が続いたはずで

どっちが勝っても、全国を収める力は秀頼には無いのだから。
西軍が勝って、豊臣家執政としての三成が、収めるとしても、家康死んでても関東は
降伏するわけがない、秀忠の江戸攻め落とすのは難しい、可能だとしても、その間に
地方は戦国に戻ってる、それがまた豊臣家に従うかどうか

ここでも語られてるが三成が豊臣家の為に家康を討つってのは、三成坊くらいしか支持して
ない意見でわないかな?さらにそれを北の政所が支持するなんてなあ。
権力志向の三成の利害関係と、仏門に入った北の政所との利害関係は
かなり違ってると思うよ
35人間七七四年:2009/02/01(日) 18:17:16 ID:zHqLaql1
まあ実際には放置どころか老いらくの恋と噂がたつほど
家康は高台院にかよいつめているわけだが...
36人間七七四年:2009/02/02(月) 22:02:25 ID:ovsF7ClD
家康が豊臣子飼いの武将を駒にするには
敵対することだけはできなかったんだろうな
37人間七七四年:2009/02/03(火) 16:36:10 ID:gBvfyLCZ
軍事板のスレッドを見てきたけど、
コテハンの奴が珍説でスレッドを延ばしているようなw
38人間七七四年:2009/02/04(水) 20:15:04 ID:ho0QDiuV
軍板は最初に朝廷厨が現れてその後糞コテでとどめを刺されたな。残念。
39人間七七四年:2009/02/05(木) 17:44:26 ID:ubxA1D19
まあ、朝廷利用が客観的に考えて最善の策の一つだな。
40翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 16:20:09 ID:AXRuFOaa
>>1-39 ひとことだけ、トドメさしてやろう。
幸村の宇治川防御案って… それ、信頼できる資料かね?

< 語るに落ちる(失笑
41翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 16:26:54 ID:AXRuFOaa
どうせ軍事板の大坂スレで暴れている奴だろう?
迷惑な野郎だな…

< 信頼できる資料もってこい。ハナシはそれからYO。
42人間七七四年:2009/03/01(日) 17:13:41 ID:6NQLHPaq
真田幸村は自殺志願者じゃんかよ。最近の無差別殺人犯と同じ
43人間七七四年:2009/03/08(日) 15:32:14 ID:E4JQln40
>>39
後醍醐天皇や大塔宮のような血気盛んで野心旺盛な人物がいたら
羽柴家と組んで(というか利用して)挙兵してただろうな
徳川親子討伐の綸旨や令旨が全国にばら撒かれたら
どう考えても徳川は手を引かざるを得なかっただろう
44人間七七四年:2009/03/08(日) 19:15:56 ID:3kdDyPn+
>>43
何のために。
当時誰が見たって徳川家は朝廷の庇護者なのに。
45人間七七四年:2009/03/08(日) 22:24:14 ID:3kdDyPn+
ふと思ったが、大阪夏の陣の時、家康が「腰兵糧は三日分」って言ったから、
家康は短期決戦を考えていた、って言うの、アレ嘘だよな。

戦国時代、もともと兵士が自弁すべき兵糧は三日分。それ以降は大名からの配給ってのが
一般的。
家康が言ったのはそれを確認したに過ぎない。

どうも大阪の陣は色々勘違いされている。
46人間七七四年:2009/03/09(月) 11:02:39 ID:wWnGaXoO
>>45
小荷駄はいらない、腰兵糧だけで良いといったので短期決戦を考えていたで問題なし
47人間七七四年:2009/03/21(土) 10:45:49 ID:71Xsh7q3
>>44
そりゃアンタ、お上中心の政を復活させるためですよ
48人間七七四年:2009/03/21(土) 11:59:40 ID:ZuEZFE9y
>>44
飼い殺しも庇護の内?
49人間七七四年:2009/03/28(土) 20:23:03 ID:vCoft7bE
>>43
後醍醐天皇だったらそれをやりかねんけど、あの人は天皇家の中でもかなり異質な人だからな

かつての源氏と平氏のように徳川の対抗馬として豊臣を生かすことで、
徳川を牽制するくらいのことは考えていた人はいたかもしれないが。
そういう危険があったからこそ家康は自分の存命中に豊臣を根絶やしにしたのだろうけど。
50人間七七四年:2009/04/06(月) 22:41:33 ID:mZo7OgO8
つーか、幕府を通さずに家臣を任官させたのは、豊臣家の方からの最後通牒みたいなものだわな。
大阪の陣は幕府以上に、豊臣家の方が戦う気満々だと言う事はきちんと把握しておくべきだろう。
51人間七七四年:2009/04/29(水) 21:10:44 ID:ob5h92RN
age
52人間七七四年:2009/05/21(木) 15:08:41 ID:GCp5H1Q/
どうして、古田織部は冬の陣では家康側について
夏の陣では豊臣側に付いてんですか?
53人間七七四年:2009/05/21(木) 15:10:05 ID:+oTf02Se
>>52
織部は豊臣に付いたわけじゃねえ。
54人間七七四年:2009/05/21(木) 20:30:35 ID:ci0NKg29
高松久重について詳しく知ってる人いますか
55人間七七四年:2009/05/21(木) 22:47:57 ID:R3vcjrkI
大砲や時の声で淀が講和に傾いたってのはありえんな。
たぶん場内の兵士の糞尿の臭いに我慢できなくなって
講和話に乗ったんでしょう
56人間七七四年:2009/06/17(水) 21:31:53 ID:Z5ty3aei
age
57人間七七四年:2009/06/17(水) 23:11:52 ID:KYiR+I7T
大阪の陣ってやたら明石が大阪側からも過小な扱い受けてる気がする
58人間七七四年:2009/06/22(月) 10:45:42 ID:vap7ZYAU
>>55
城郭内に都市機能があるので糞尿問題はないはず。
むしろ野営している幕府方。

>>57
だってキリシタンだけで仲間を固めてるし。
59人間七七四年:2009/06/22(月) 11:37:06 ID:EEa7j3qf
夏の陣で講和なんかしないで徹底抗戦しないとな。
60人間七七四年:2009/06/22(月) 12:54:25 ID:V0VeX3ch
講和したのは冬の陣だろ
61仙台藩百姓:2009/06/22(月) 14:36:13 ID:Qo+0Wifo
豊臣は財力を生かして大船団を建造しておくべきだったお( ^ω^)
62人間七七四年:2009/07/18(土) 18:17:59 ID:7Ky+ZC8X
63大坂の陣:2009/08/01(土) 15:36:59 ID:2rWppNMY
大坂の陣での豊臣滅亡の元凶ランキング
一、大野治長 二、淀殿 三、大蔵卿局 四、大野治房
五、片桐且元 六、お初 七、長曾我部盛親
八、豊臣秀頼
64大坂の陣:2009/08/01(土) 16:06:38 ID:2iI0WRRY
大坂の陣における絶対的好機は
冬の陣開戦前に
家康が軽兵を率いて京から奈良に夕刻に入ったときのみですよね。(お忍び同然)
家康が奈良に入って2時間足らずで大阪城にいる幸村が諜報活動により
そのことを感知して、又兵衛と共に騎兵を率いて奈良の家康を急襲しようとした
が、治長に受理してもらえず、結局そのことは頓挫した。
治長の軍事的無能さ、天下の情勢に対する甘さ、を露呈している。
やはり、彼は浪人徴募という大それたことをしておきながら、
政治家としての賢明さ、胆力といたものは何一つなかったんだろう。
周りに尊敬できる大人の誰一人いない環境で育った秀頼は
とても可哀相ですね。やはり、豊臣滅亡は
秀吉の晩年の悪行に対する報いと見たほうがよさそうです。

65大坂の陣:2009/08/01(土) 16:36:14 ID:nqi/wMTe
浪人諸将は豊臣家に政治的助言などできる資格などなかったというのも悲痛ですね。
ただの食い詰め者たちだとみなされてたから。
お袋様が淀ではなくて、他の女でも同じ結果になってるのかな。
方広寺鐘名問題のときに
家康が完全に豊家を滅ぼそうと企んでいることを認識できさえすればよかったんだけど、
女性では男の腹の中を見通すことはできないみたいですね。
それにしても莫大な費用がかかるのに、家康のいじめとみなせないのはどうかしている。
金持ち過ぎると頭が麻痺するのか、淀が天性のあほなのか、
多分、後者だろうけど、治長もうんこ同然ですね。
66大坂の陣:2009/08/01(土) 16:46:48 ID:Y2A4hIoZ
片桐且元を簡単に殺すことさえできない豊家首脳部は
幕末の徳川首脳部にも劣る。
やはり、秀頼は源義経の再臨だということを主張する者が
誰一人としていなかったのは、
秀頼は23歳で人生終わる宿命だった。
67人間七七四年:2009/08/01(土) 16:52:18 ID:g9fnneno
自分夫ブログでやれ
68大坂の陣:2009/08/01(土) 16:53:40 ID:rCt89+fb
希望
現代人にとって豊臣の天下再興を夢見るよりも
山崎の合戦で大和の筒井順慶が光秀に味方し、光秀方が勝利し、
秀吉が戦死していたほうがはるかに面白い。
69人間七七四年:2009/08/01(土) 17:08:28 ID:B53OgkjV
>>68
講談本でもめったにないネタ
70人間七七四年:2009/08/02(日) 12:06:31 ID:r9S4yxJ2
方広寺の鐘以外にも諱を使った(使ったような)鐘銘ってあるのかな。
71人間七七四年:2009/08/02(日) 12:08:06 ID:oJLRbDRi
>>66
何故に義経なのか…
72大坂の陣:2009/08/03(月) 15:42:48 ID:bnUwgRqi
>>71
藤原秀衡は臨終の間際に奥州の相続権を義経に譲るということを冷静な頭で遺言した。
しかし、秀衡の死後、義経は泰衡に攻められ自害、天下を覆せるだけの将才と運命を
持ったまま亡くなった。その後、奥州藤原氏は鎌倉軍に攻められ灰に帰した。
その義経と同様に、新しい時代の犠牲になったのが秀頼であることから、
秀頼の前世は義経と推定する。(魂はおよそ400年周期で生まれ変わることからも)
そう考えると、千姫の前世は静御前になるのですが、
それが本当ならかなり悲痛なことだ。

ごくわずかなエピソードから秀頼は大器量の素質を持っていたことは伺われるが、
彼の宿命が輝くことを許さなかったんだと哀悼の意を込めて思います。
73人間七七四年:2009/08/03(月) 16:20:25 ID:SM0e9fNG
信長の孫である織田秀信って岐阜城落城してから高野山に出家したけど(1600年)、
その5年後に病気か何かで25歳で亡くなったのは残念。
もし秀吉好きの彼に生命力があって乞食や寺子屋の師匠しながら露命をつないで、
大坂城に入城してたら、総大将になってる可能性高いですね。淀と親戚ですし。
そうなってたら面白そうですが、それでも豊天下は危なそうですね。
74人間七七四年:2009/08/03(月) 18:34:20 ID:4o1Y6/IK
秀吉や豊臣好きな奴なんて信じられない
日本の汚点だろ
75人間七七四年:2009/08/03(月) 18:46:15 ID:IvrGVmtg
>>73
関ヶ原の時も、岐阜城を出て池田輝政率いる軍勢に攻撃を仕掛けている秀信なら、
籠城を選ぶよりも、後藤・真田らと同じように出兵策を講じるに相違ない。
76人間七七四年:2009/08/03(月) 19:10:03 ID:yDhUhe/w
そして負けると
77人間七七四年:2009/08/04(火) 08:21:23 ID:EoLZExDw
秀吉好きと言うより家康嫌いなんだろ?
それならいたって普通
78人間七七四年:2009/08/04(火) 09:18:11 ID:Y8OCoR5h
好きとか嫌いとかでどう行動するかを判断するような武将は3流もいいところ
79人間七七四年:2009/08/04(火) 12:47:22 ID:3dIF+gEX
市松のことかーっ
80人間七七四年:2009/08/04(火) 13:12:42 ID:Y8OCoR5h
市松の判断基準はは明らかに「損か得か」だろ。
81人間七七四年:2009/08/04(火) 14:30:06 ID:1SmOjO/w
三成に付いた方がトクだったら・・・
82人間七七四年:2009/08/05(水) 14:34:09 ID:KcVXTb9l
市松が3流なら、
岐阜城を見殺しにした三成は四流以下の武将。
83人間七七四年:2009/08/05(水) 17:22:34 ID:SrwmYVYV
いくら損得で好き嫌い抜きでも、市松が三成につくなんてイヤだw
84人間七七四年:2009/08/05(水) 21:30:08 ID:k4T/hoqA
85人間七七四年:2009/08/08(土) 18:41:32 ID:qsHFd1pW
岐阜城案外脆かったらしいな

マジで?
86人間七七四年:2009/08/08(土) 21:19:58 ID:u+H7oBi0
信長に落とされ秀吉に落とされ、しまいに関が原で東軍に落とされたからな。
信長以外はあっさり落としてる。
87人間七七四年:2009/08/08(土) 22:43:36 ID:qsHFd1pW
>>86
信長と信忠じゃね?
88人間七七四年:2009/08/09(日) 17:09:12 ID:pw84Qa3q
岐阜城が信長や秀吉に落とされたのはしょうがない。
関が原で東軍に落とされたのは裸になった大坂城並みに愚か。
岐阜城が攻められるとは想像してなかった三成は義円なみの愚将だ。
89人間七七四年:2009/08/09(日) 17:24:58 ID:yhnHFNps
そもそも奥州には伊達政宗がいるのに
上杉が南下して江戸を叩くとか考えてた三成や直江って愚かですね。
結局上杉は南下してないし。
三成みたいな民政上手な人間がよくも大戦しようと考えたものだ。
90人間七七四年:2009/08/09(日) 17:50:23 ID:u8SIpvfm
真田昌幸率いる豊臣軍、美濃に現れた後、近江路を南下して
瀬田と宇治の橋を焼き、京を攻める
なかったということは当時、昌幸の軍才は神格化されてなかった?
91人間七七四年:2009/08/09(日) 21:15:24 ID:5OzAwIdU
>>89
多分、上杉・直江はあんなにあっさりと勝負が付くとは思っていなかったのだろう。
九州の黒田如水だって一回の戦で全て片付くとは思っていなかったみたいだし、
家康にしたって、政治的な側面もあるとはいえ、江戸の守りに秀康らを残してる。
92人間七七四年:2009/08/10(月) 10:07:27 ID:AFAxNHH4
伊達もそうじゃない?
早く終わるとは思わなかったから 一揆だのに関わって
一番愕然としたのは政宗じゃないかな と思う
93人間七七四年:2009/08/10(月) 12:04:26 ID:Je8uyNWZ
金吾が裏切らなければ
西軍有利で
東軍から裏切りがでて
家康は関東に逃げる
94人間七七四年:2009/08/12(水) 13:13:47 ID:6d7hXCAs
富士川越えるの大変そうだな>家康軍
95人間七七四年:2009/08/12(水) 13:20:43 ID:/iPMQklQ
スレ違いというものが解らない低脳がいっぱいいるな。
96人間七七四年:2009/08/12(水) 21:27:34 ID:ZAHHUHdl
元百姓の作った権威を過信する女たちが老獪な家康に翻弄され滅ぼされた。
秀吉の縁者で不幸にならなかった者は北政所以外誰もいない。
そもそも秀吉とは夢みたいなことを実現しようとするだけの男で、それは終生変わらなかった。
信長にも野卑なところがあり、天下統一事業がむなしい徒労のように思える。
97人間七七四年:2009/08/12(水) 22:02:39 ID:6d7hXCAs
>信長にも野卑なところがあり

粗野の間違いっすか?
98人間七七四年:2009/08/12(水) 22:52:50 ID:KXoO/RF7
常時、何をするか解らん奴
99人間七七四年:2009/08/14(金) 03:04:37 ID:ts4kDRwr
>>98
それは心中を敵に計らせないための作戦じゃないか?
100人間七七四年:2009/08/14(金) 11:05:42 ID:/Er+7Lu1
安土桃山から江戸初期くらいの信長を評する文章には「信長って普段はキチガイみたいだけど〜」
って表現が結構ある。
101人間七七四年:2009/08/15(土) 20:34:56 ID:1gp/szyV
普段どんな行動をとっていたんだろうw
102人間七七四年:2009/08/16(日) 02:01:52 ID:/8KUC0+U
今日やってた硫黄島見て
なんか大坂冬の陣と同じ境遇だと思ってしまった
103人間七七四年:2009/08/16(日) 02:26:19 ID:uAEgKA1b
強制と自発って同じ?
104人間七七四年:2009/08/18(火) 18:25:24 ID:U5W+M8/R
>>103
違うよな、意欲が。
105人間七七四年:2009/08/23(日) 20:18:54 ID:uOoIsDkd
勤労意欲か
106人間七七四年:2009/08/23(日) 20:52:13 ID:mctcv1xj
強制的に戦場の最前線に送り込まれるか
自分で戦うと決めて戦場に出向くか
107人間七七四年:2009/08/25(火) 20:35:12 ID:y7OSZT/7
>>106
前者は最悪だな。
108人間七七四年:2009/08/27(木) 21:38:48 ID:TQ1Ml6MI
大坂の陣では、大坂方の浪人達はやる気満々だったんだろ?
統率してた奴って誰がいる?
109人間七七四年:2009/08/27(木) 21:42:19 ID:18y5Gpto
>>108
七手組の連中が統率していたらしい。
110人間七七四年:2009/08/27(木) 22:07:38 ID:aJ5VnszU
111人間七七四年:2009/08/27(木) 22:14:15 ID:aJ5VnszU
加藤清正の逝去は、すなわち豊家の滅亡だった。
112人間七七四年:2009/08/29(土) 11:14:33 ID:UMfo2kgq
>>109
サンクス
113人間七七四年:2009/08/29(土) 13:03:18 ID:RT6FFeb8
>>111
加藤清正が生きてれば大坂の陣は死ぬまでおきないとは思うけど
もし存命中に起きてても清正が大坂に入場するとは思えないけどなぁ
絶妙のタイミングで死んだから過大評価されてる部分が大きいと思うが
確かに大坂入場したら豊臣子飼いで実績抜群の現役大名だから大野や浪人全てを統制して戦えるとは思うけど
114人間七七四年:2009/08/29(土) 13:15:10 ID:mr+TY6c6
清正は基本強い人間に尻尾を振る性格なので、大阪の陣のときに生きていても
とても豊臣方に付いたとは思えん。
115人間七七四年:2009/08/29(土) 18:33:12 ID:UMfo2kgq
加藤清正って虎退治とか武勇のイメージがあるよな。
116人間七七四年:2009/08/29(土) 20:44:51 ID:wKQSm6ck
実態は逆だからこそそんな作り話を吹聴するせこい男だよ
117人間七七四年:2009/08/29(土) 21:09:41 ID:dRqFptAZ
小早川秀秋がまだ秀吉の猶子の頃、秀秋の家臣と清正の家臣がトラブルを起こして、
両家の侍同士が一触即発の状態になったとき、清正が慌てて秀秋の所に行って
フライング土下座した、って話があるな。

清正は優秀だとは思うが、基本的にはそんな人だわ。あまり過大評価してはいかん。
118人間七七四年:2009/08/29(土) 23:24:33 ID:UMfo2kgq
家来の為に謝れるなんてすごい男じゃまいか
面倒起こした家臣を斬ったり切腹させたりする奴もいるだろ?
119人間七七四年:2009/08/29(土) 23:52:52 ID:mummLThw
「秀吉の猶子」という肩書きに対して謝ったんじゃないの?
主君を立てお馬鹿な秀秋なんぞに土下座なんて逆に凄いじゃないかw
120人間七七四年:2009/09/01(火) 13:51:33 ID:tv4FVwYg
豊臣家を滅ぼすための和議の使者に2回も立ったお初は
大坂の陣後、何を思ったんだろう。
121人間七七四年:2009/09/01(火) 17:39:00 ID:Rb3Rt2Kn
>>120
> 豊臣家を滅ぼすための和議の使者

先ずここの認識が間違い。豊臣家は「結果的に滅んだ」だけだよ。
122人間七七四年:2009/09/13(日) 23:15:55 ID:71CpkCj1
123人間七七四年:2009/09/30(水) 22:40:22 ID:ozogNb2N
しかし、徳川四天王の全員死亡してからの戦いだったことは残念だな。
息子たちでは忠朝や直孝は健闘したものの、他はいまいち冴えなかったし。
黒田長政にもう少し兵力を持たせて、前線に出してみてはよかったのでは?
もちろん外様大名への危険視は理解できるけど。
124人間七七四年:2009/10/01(木) 01:43:32 ID:JVOjTEra
52万石の大大名にこれ以上手柄を立てさせてどうする
125人間七七四年:2009/10/02(金) 17:45:43 ID:8O6PonOd
56万石への加増と、豊臣の持っていた財産の一部を黒田の恩賞にする…。
これは半分くらい冗談だけど、加藤嘉明らの15万石以上で戦歴の多い
外様大名の大半を戦力として用いずに、松平忠良などの譜代の小大名を
本陣より敵寄りに配置したのが、5月7日の徳川軍の苦戦の理由に含まれると思う。
126人間七七四年:2009/10/19(月) 19:58:06 ID:4xDHhsR8
ちょうど今、司馬遼太郎の「城塞」を読み終わったところ。

>>122
この図、おしかったぁw
もっと早くこのスレに気づいて、この図を見ていれば、小説もよく理解
できたのに。
127人間七七四年:2009/10/19(月) 20:19:49 ID:4xDHhsR8
「城塞」では、徳川家康は外様大名にこれ以上手柄を立てさせて、
石高を上げて勢力を増す必要はないものの、徳川家への
忠誠の踏み絵として、参陣を命じた。
しかし、徳川家の軍事力を誇示する意味で、実戦部隊は
ほとんど徳川旗本を中心にした
となっている。

ま、「城塞」は徳川家康を徹底的に悪人にして書いてるから、
それを割り引いて読まないといけないけど。
128人間七七四年:2009/10/19(月) 20:27:44 ID:V1c/RZt/
「城塞」の家康は悪人じゃない有能すぎるだけ
129人間七七四年:2009/10/19(月) 20:32:11 ID:a4JG0ZnG
つーか城塞は小説に過ぎないし、しかもその元ネタも、今では古い解釈に過ぎない。
大阪陣の勃発も、今では豊臣の側からの挑発の面が強いって事になっているし。
130人間七七四年:2010/02/25(木) 20:39:42 ID:HF2Wc/UD
?
131月孔雀:2010/02/25(木) 21:14:16 ID:oj/IbesT
豊臣が挑発なんて、馬鹿馬鹿しい。
132月孔雀:2010/02/25(木) 21:17:22 ID:oj/IbesT
今の歴史家がみる歴史観自体が、偏りがあるんだよ!
133人間七七四年:2010/02/25(木) 22:29:55 ID:SSDjzov0
第二次大戦の扱いでも滅茶苦茶なのに戦国時代に対する現在の歴史観なんて
134人間七七四年:2010/02/26(金) 01:18:41 ID:MDVCDS1/
>>131
同感!
こういう勢力もいたらしい。
http://tenrin.hiciao.com/c_Xo3hUaAC.html
135人間七七四年:2010/02/26(金) 07:36:34 ID:Hzj1SRm/
どっちにしろ豊臣なんて糞大名潰されて当然
何の問題もあるまい
136人間七七四年:2010/02/27(土) 02:52:56 ID:LoFRXcSx
どっちにしろ徳川なんて糞死体を掘り返して陵辱されて当然
何の問題もあるまい
137人間七七四年:2010/02/27(土) 02:56:52 ID:wHinKBLb
反応が
無いから自演
いと哀れ
138月孔雀:2010/02/27(土) 07:55:37 ID:zIuDmYy0
あげます
139人間七七四年:2010/02/27(土) 18:58:26 ID:DNKSNjtn
道明寺の合戦と八尾の合戦の意図がよくわかんないんだけど、
なんで2方向にバラバラに飛び出してるの?
天王寺の決戦で徳川方が苦戦したことを考えれば、
もうちょっと大坂城よりで全軍で迎え撃てばいいと思うのだが‥
140人間七七四年:2010/02/27(土) 19:46:46 ID:JBA/YECJ
隘路で数の優位を克服しようとした
大和方面は国分の狭隘な地、河内方面は八尾・若江の低湿地帯
しかし、前者は濃霧で大部分の部隊が遅参、後者は逆に濃霧を
活かして藤堂を壊滅状態にさせたが、井伊の果敢な突撃に敗北した
141人間七七四年:2010/02/28(日) 03:15:00 ID:dTyAE+Yw
大和方面に遊撃部隊があればおもしろいことになってたかもな。
実際、一揆が起こったり、蜂起を準備していた人たちもいたようだ。
142人間七七四年:2010/08/11(水) 03:26:35 ID:oD6RUP+t
戦国最後の戦いにしては
いまいちこの戦いは面白みが少なく感じるんだよな。
豊臣に与する大名が全く現れなかった時点で、豊臣の敗北は9割決まったようなものだし。

家康が1613年ごろに死んでいたら、展開は変わっていたのだろうかと思う。
143人間七七四年:2010/08/17(火) 10:06:49 ID:q1g3N1++
冬の陣は小競り合いの応酬の果てに和議が結ばれて終わり、
夏の陣はなぶり殺しみたいに終わってしまったから、
なんか手に汗握るって感じが確かにないんだよな。
144人間七七四年:2010/08/17(火) 11:13:00 ID:kEqBkY78
教科書になりそうな冬の陣の家康の様々な城攻め方法が実に面白い
145人間七七四年:2010/08/17(火) 21:24:05 ID:wttQfA58
秀吉がいた頃の豊臣家と、大坂の陣の豊臣家は全くといっていいくらい中身が別物だからなぁ。
石田三成がおったら、徳川家康や本多正純の政治的謀略に対してどう対処したか興味あるがそういうことができるやつも関ヶ原で全滅されておらんかったからね。
146人間七七四年:2010/08/27(金) 01:23:05 ID:O/czreFC
普通に家康に従って大阪城攻めたりして
147人間七七四年:2010/08/31(火) 22:52:32 ID:04e4z35T
天下を統一した豊臣氏なのに、今度は征伐される側になっちゃうんだからなぁ
しかもその豊臣氏が滅亡して平和がもたらされたってのもね・・・
148人間七七四年:2010/08/31(火) 23:18:36 ID:G4EJ+QeP
>>147
せっかく一度平和になったのに、わざわざ家康が戦乱を引き起こしたんでしょ。
豊臣家をつぶす、ただそれだけのために。

家康が執権役に徹していれば、大坂の陣はもとより関が原すら起こらなかった。
149人間七七四年:2010/09/01(水) 04:37:21 ID:FTBmUnM5
ゆとり乙
150人間七七四年:2010/09/05(日) 04:08:23 ID:UQe5jtsg
>>143
豊家の呼びかけに応える大名は一人も居なかった。
みんな最初から豊家が負けると確信していた。
だからそこに集まってきた元大名、武将達が輝くんじゃないか。

>>148
家康が死んだ後に豊臣に天下を取り返される心配があったから、家康は自分が生きてる内に豊臣を無理矢理にでも滅ぼしたんでしょ。
151人間七七四年:2010/09/05(日) 07:21:38 ID:pqBpfDMV
>>148
そのセリフ秀吉に返すわ
152人間七七四年:2010/09/05(日) 07:59:20 ID:8PYj9kDD
普通に見たら大坂の陣は秀頼一派の挑発の結果起こってるんだが。
家康や幕府のメンツを潰そうとする事ばかりやってて、あれで戦争が起こらないと考えてるのなら
大阪の連中は頭がどうかしている。

「大坂の陣」を望んだのは家康じゃない、豊臣家の秀頼を中心とした対徳川強硬派連中だよ。
153人間七七四年:2010/09/05(日) 13:57:48 ID:SIHW+011
そもそも征夷大将軍に従うのは当たり前だしな
もし豊臣家が大阪城なんて居城と浪人かき集める金なかったら「その後豊臣は徳川によって滅びました」で終わりだろう
大戦があったから他の大名を裏切りだのなんだの言えるだけ
154人間七七四年:2010/09/05(日) 15:20:07 ID:5up0F7T/
家康が生きてた時代は征夷大将軍に従うことを忘れた連中ばかりだったけどな
最末期の足利将軍家が良い例でしょ
155人間七七四年:2010/09/06(月) 17:21:57 ID:nBqCk5nz
>>154
家康が幕府開いて諸侯はその幕府への服従を誓っている。
秀頼も二条城会見で家康への臣従を(少なくとも世間的には)確認された。

戦国末期はともかく大坂の陣の時点では、征夷大将軍への服従義務が明確に存在する。

あと再末期の足利将軍家は将軍に従うことを忘れたわけではないぞ。
将軍家が二流に分裂したため、「どちらに従うべきか」という混乱が起きただけだ。
その辺の理解は正確にな。
156人間七七四年:2010/09/06(月) 20:10:43 ID:hw8cNMoc
秀吉と阪神タイガースは似てるよなあw
157人間七七四年:2010/09/07(火) 21:07:43 ID:hr3/Wooi
どこが?
158人間七七四年:2010/09/08(水) 20:14:31 ID:wAnwjnbF
織田→西武
豊臣→ソフトB
徳川→巨人
武田→阪神
上杉→中日
伊達→楽天
毛利→広島
島津→日ハム
なイメージなんだが
他は知らん
159人間七七四年:2010/09/12(日) 11:24:49 ID:+EH+rqJO
四境戦争のときは4000対15万で長州が勝ったんだろう。
当時と大坂の陣のときは政治的状況や武器や士気などぜんぜん違うが豊臣も
勝つ見込みは十分あったんじゃないのか
160人間七七四年:2010/09/12(日) 12:38:01 ID:O63dT8eT
>>159
豊臣が徳川軍より2〜3倍の射程で連発の出来る鉄砲を全員装備してりゃな。
161人間七七四年:2010/09/13(月) 14:34:07 ID:b8TwR206
>>158
伊達→楽天
毛利→広島
はイメージじゃなくイージーだろう。
162人間七七四年:2010/09/14(火) 21:54:50 ID:duLVEUJM
指揮してる人間も違いすぎる
豊臣秀吉、黒田孝高、石田三成、小西行長ら全盛期の人材が揃っていたら面白そうだが、
淀殿や大野治長がでしゃばってるんじゃ・・・
163人間七七四年:2010/09/15(水) 00:27:16 ID:eU3moltS
>>162
お前の知識は未だに軍談講談の俗説で詰まってそうだな。小説以外の歴史書もちゃんと読めよ。
164人間七七四年:2010/09/15(水) 07:38:29 ID:Ax00+L3x
『難波戦記』や『城塞』を史書と思いこんでる人多そう
165人間七七四年:2010/09/15(水) 11:05:02 ID:M2d0OTvu
歴史書の中身だけ転載していればいいスレだね(ニッコリ
166人間七七四年:2010/09/16(木) 10:57:34 ID:ZzYK+Gsc
なにその腐女子くさい煽り
167人間七七四年:2010/09/25(土) 13:38:16 ID:brOMHQig
何で籠城なんかしたんだ
168人間七七四年:2010/09/26(日) 10:13:32 ID:0CaCkHh9
出て戦っても勝てないから
169人間七七四年:2010/09/26(日) 10:17:19 ID:f/MlGTj5
とりあえず、大坂の陣について言いたいことがあるなら最初に、「大日本史料」の
対応箇所を読んでからにしろと言いたい
ネットがあれば無料で閲覧できるんだ、文句はあるまい
170人間七七四年:2010/11/04(木) 18:49:23 ID:cCsBvYs9
ここは、どこ?
171月孔雀:2010/11/17(水) 15:12:04 ID:d1W2k626
大日本史料、ネットで見たけど、1582年までだった。

で、今の歴史家によると、豊臣家が徳川家に喧嘩売ったことになってるの?
172人間七七四年:2010/11/17(水) 15:36:45 ID:UhoQ+cdz
例の鐘銘事件も徳川が無理やり問題にしたんじゃなくて、先に京で「あれ、大御所の諱
つかってるぞ!?」って話題になって、その事を京都所司代から幕府に連絡して…、
という流れだったらしいしな。

当時のある程度教養のある人間が見れば、家康の諱を使っていることは誰でも解るという
文章だった。
173人間七七四年:2010/11/17(水) 16:46:47 ID:fyNY3R8I
>>171
家康の征夷大将軍就任から再び刊本されているよ
174人間七七四年:2010/11/20(土) 10:04:30 ID:jjr7fFiF
徳川方なら水野勝成
175人間七七四年:2010/12/04(土) 13:15:44 ID:57cjtUJz
保守
176人間七七四年:2010/12/04(土) 14:35:36 ID:57cjtUJz
家康存命中に、豊臣が徳川を挑発するのは、豊臣家が阿呆としか
思えない。
当時の豊臣家は阿呆でOK?
177人間七七四年:2010/12/04(土) 14:49:06 ID:KGfwYQp6
>>176
むしろ家康存命中だからこそ挑発したんだろ。

秀頼の側として、家康に対してははそもそも豊臣家の家臣だったのに自己の政権を
確立させてしまった事で、謀反人として討つという大義名分がまだ有る。
家康が死んで秀忠に完全に代替わりすれば「家康存命中は黙っていたくせに」と
大義名分は弱くなり、豊臣家の反乱としか見られない可能性が高い
(まあ実際の大阪の陣も豊臣家の反乱としか見られなかったが)

あと時間が経てば立つほど「豊臣恩顧」も減っていくわけで、家康があの歳でもピンピンして
いつ寿命が尽きるのか予想も出来なかった以上、時間に追い詰められていたのは
むしろ豊臣家側だったと言っても間違いではないだろう。
178人間七七四年:2010/12/04(土) 14:52:53 ID:8yTST5h0
>>171
>今の歴史家
って誰?2ちゃんねら歴史オタのこと?
179人間七七四年:2010/12/04(土) 15:08:17 ID:FsH+gY7S
来年の大河ドラマ「お江」で、大坂の陣どう描かれるかな・・・
180人間七七四年:2010/12/04(土) 15:12:42 ID:8yTST5h0
ん〜脚本家のノベライズを読んだことあるけど
今まで通りって感じだったかな。
特に目新しい描写なんかなかった。
181人間七七四年:2010/12/04(土) 19:40:04 ID:kUhZnSYq
豊臣家がアホすぎた
182人間七七四年:2010/12/06(月) 04:36:34 ID:JrOPvN56
淀君と大野治長が、豊臣家を仕切ってたら、駄目か・・・
183人間七七四年:2010/12/06(月) 08:04:04 ID:Ed6mmv/U
最後がショボイ。蔵の中で自害って。
184戦国オタク:2010/12/06(月) 17:31:29 ID:WlchRhOH
>>182
豊臣家を牛耳っていたのが黒田官兵衛か竹中半兵衛だったら、成否はとにかくとして種々工作しただろうね。
丁々発止のやり取り見られただろうに、残念。
185ループしとる:2010/12/06(月) 18:02:09 ID:OysFzL4F
162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/14(火) 21:54:50 ID:duLVEUJM
指揮してる人間も違いすぎる
豊臣秀吉、黒田孝高、石田三成、小西行長ら全盛期の人材が揃っていたら面白そうだが、
淀殿や大野治長がでしゃばってるんじゃ・・・

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/15(水) 00:27:16 ID:eU3moltS
>>162
お前の知識は未だに軍談講談の俗説で詰まってそうだな。小説以外の歴史書もちゃんと読めよ。
186月孔雀:2010/12/12(日) 16:37:22 ID:CrDGZmX0
なんか、このスレッド、下がりやすくなったね。

前田利政は、西軍に付かなかっただけで、十万石貰えそうだったんだけど、
能力が高かったんか?
実戦経験のある武将がそれ程少なかったから?
後、前田家の3万の兵の動向が大事だったから?
187人間七七四年:2010/12/12(日) 18:17:53 ID:AbBRTQqQ
その話嘘だから
188人間七七四年:2010/12/15(水) 11:13:08 ID:4rYNnYnP
>>159
安易すぎ・・・
幕末と江戸初期では事情が違いすぎる。
189人間七七四年:2010/12/15(水) 11:15:52 ID:4rYNnYnP
>>172
嘘をつけ。
「国家安康」が家康の諱なんて無茶苦茶。
190人間七七四年:2010/12/15(水) 12:12:35 ID:WuXFL0Rd
え?
191人間七七四年:2010/12/15(水) 12:38:16 ID:XvXApRm9
>>189
あの鐘銘文書いた本人が家康の諱だって認めているんだが。
192人間七七四年:2010/12/17(金) 03:24:50 ID:vKOP+4j7
本人には少々のイタズラ心はあったにせよ。
しかし、冒涜だの呪詛だの言いつつ。
その鐘が堂々と現世に残ってるのはなぜ?

本気で家康がそんなことを信じたのなら、
鐘なんて鋳潰してるだろう。
という事は只の豊臣をつぶす口実じゃん。
193人間七七四年:2010/12/17(金) 03:32:17 ID:xsWxdWIp
証拠を残しといただけだろ
194人間七七四年:2010/12/17(金) 04:10:07 ID:pq4m/SiT
>>192
あの鐘銘事件で呪詛などということが問題になったことは一切無い。
最初から最後まで問題になったのは家康の諱の無断使用問題一点だ。

そしてこの事件の最中に豊臣家は徳川家に通告無く家臣を任官させたり
諸大名に書状を出したり牢人を集めたりと、幕府を刺激する行動をたてつづけに起こしている。

鐘銘事件も含めて大阪の陣は豊臣家側からの挑発によって起こったと言い切っていい。
195人間七七四年:2010/12/17(金) 06:48:09 ID:/Enyyu6r
豊臣家が、家康を挑発しなかったら、
豊臣家は、大坂で生き残れたのか?
豊臣家は、まだ、天下を狙っていたのか?
196人間七七四年:2010/12/17(金) 07:32:21 ID:VU/yHxz7
>>194
>鐘銘事件も含めて大阪の陣は豊臣家側からの挑発によって起こったと言い切っていい。

それ、学者では誰が主張してるの?
197人間七七四年:2010/12/17(金) 08:44:12 ID:kjKEHh/1
全員
198人間七七四年:2010/12/17(金) 15:10:49 ID:EWUmWVoy
全員では、ないだろう。多数派でしょ?
199人間七七四年:2010/12/17(金) 19:06:30 ID:VU/yHxz7
>>198
だから具体的に誰?
その人たちの本読みたいんだけど。
200月孔雀:2010/12/17(金) 19:14:56 ID:/Enyyu6r
俺も読みたい。メジャーなら、ネットでも分かるよね、ある程度。
201人間七七四年:2010/12/17(金) 19:22:24 ID:vKOP+4j7
うん、ほとんどの人がそう思ってる。
家康は豊臣が「徳川家配下の一大名として収まってくれたら」
いくらでも豊臣を残すつもりっだった。その努力もいっぱいしている。

それなのに・・・それなのに・・・
そういう努力を無視して、ひたすら自ら滅亡に突き進んだの全て豊臣家。
同情の余地なし。
202人間七七四年:2010/12/17(金) 19:36:01 ID:VU/yHxz7
ID:vKOP+4j7
何がしたいんだか
203人間七七四年:2010/12/17(金) 19:46:32 ID:vKOP+4j7
>>202
みんなの話を聞いて考え方が変わっただけだ。
204人間七七四年:2010/12/17(金) 20:05:01 ID:jC9u3KNO
>>196
Yahoo!掲示板の『〇臣秀吉と〇川家康』や
『〇康公の時代』の 『〇用部屋』や『白〇院』の
作左衛門(Yahoo!の方ではoni_sakuza_mark2)のカキコミを読むべし
205人間七七四年:2010/12/17(金) 21:01:12 ID:kjKEHh/1
それ学者?W
206人間七七四年:2010/12/17(金) 21:11:34 ID:jC9u3KNO
>>205
作左衛門は院生以上の学識がある人だよ
207月孔雀:2010/12/18(土) 05:56:35 ID:SCt4tXM8
ヤフーは、韓国系だから、徳川の肩を持つ訳だが。
208人間七七四年:2010/12/18(土) 06:36:15 ID:nzXcc35t
>>204
せっかく教えてくれて悪いが
家康公といってる時点でバイアスがかかってると判断せざるをえない。
>>194の主張をしてる学者はいないって事でいいかな。
209人間七七四年:2010/12/18(土) 11:54:55 ID:37SNsXV4
>>208
論文集雑誌の大坂の陣に関するものを読め。史学雑誌とか日本史学とか戦国史研究とかの。
でっかい図書館なら入れてるだろ。そう言うのに出てるから確認しろ。
210人間七七四年:2010/12/18(土) 12:55:03 ID:lFJWT4Oj
>>208
笠谷
211人間七七四年:2010/12/18(土) 19:49:32 ID:q3aReEzX
>>208
いる
212人間七七四年:2010/12/18(土) 20:41:14 ID:ZfGUceFJ
秀頼の幼子を公の場で斬首したことからみて
最初から豊臣を滅ぼすつもりだったのは確実
213人間七七四年:2010/12/18(土) 20:46:20 ID:aYPfCuMS
公開処刑は普通じゃん
214人間七七四年:2010/12/18(土) 20:46:27 ID:lFJWT4Oj
>>212
あそこまで至ったら族滅は普通
215人間七七四年:2010/12/18(土) 20:48:14 ID:q3aReEzX
男は殺されるだろ普通w
216人間七七四年:2010/12/18(土) 20:48:47 ID:nzXcc35t
学者の名前を聞いてるだけなのに
なんでファンサイトや論文雑誌が返ってくるんだ・・・
まあこれから片っ端から検索します。
どうもありがとう。
217人間七七四年:2010/12/18(土) 20:50:02 ID:nzXcc35t
>>210
笠谷さんて二重公儀体制の人?
218人間七七四年:2010/12/18(土) 21:30:19 ID:q3aReEzX
>>216
それらを読めば分かるってことだ
219人間七七四年:2010/12/18(土) 21:58:16 ID:lFJWT4Oj
>>217
あの人のは論考で勘違いが多いが(例えば、関ヶ原家康本隊役立たず説とか)、
方広寺鐘銘については一次史料をそのまま引っ張るているで問題は少ないかと
220人間七七四年:2010/12/18(土) 23:17:33 ID:M6k+VIkG
1611年の会談の時点ではどうだったんだろう
浅野幸長や加藤清正、福島正則以外のあからさまな豊臣シンパはいたんだろうか
池田輝政の考えが気になる
221人間七七四年:2010/12/19(日) 07:01:44 ID:rMrm9WAn
>>220
池田輝政はガチガチの徳川シンパだよ。家康の娘婿だしな。

それと浅野幸長が豊臣シンパとかいうのは講談だよ。
彼が二条城の会見で大阪の説得に熱心だったのは、
浅野家が豊臣家の隣に領地を持つ事から徳川家康からの依頼で説得したにすぎない。

なお、二条城の会見を主導したのはあくまで家康であり、
朝野池田は言うに及ばず加藤や福島すらそれに協力したに過ぎない。
まあ加藤や福島は豊臣家の安泰を願って努力したんだろうけど。
222人間七七四年:2010/12/19(日) 07:41:55 ID:9JCv+XGU
こういうのは即レスなんだな・・・
223人間七七四年:2010/12/19(日) 08:47:10 ID:jLpW6zWp
最後に秀頼が家康の本陣に突撃して戦死したら盛り上がったのに
224月孔雀:2010/12/19(日) 09:45:37 ID:WsS39nC3
実戦経験のない秀頼には無理でしょ
225人間七七四年:2010/12/21(火) 18:07:20 ID:G3XMv7+E
突撃するのにロートルもルーキーも関係ない
それで問われるのは戦果くらいだろ
226人間七七四年:2010/12/21(火) 18:23:48 ID:EQLhcc8F
そんなこたない
227人間七七四年:2010/12/21(火) 18:25:10 ID:plj1CbXT
突撃して戦死するのは初陣でも可能だろ
家康の首を取るのは無理だけど、それは初陣じゃなくても無理だし
228人間七七四年:2010/12/22(水) 17:17:04 ID:XI2A4HsL
あげ
229人間七七四年:2010/12/22(水) 22:20:02 ID:LZpSnQbo
常識敵に考えて本陣まで行けないだろう
230人間七七四年:2010/12/22(水) 22:25:09 ID:ZZbYmUHH
50歩100歩でも違いはあるんだから経験は大切だよ
231人間七七四年:2010/12/23(木) 15:44:20 ID:leLo9HO2
>>229
夏の陣では毛利(もり)や信繁の部隊は家康本陣を蹂躙してるんだが。
232人間七七四年:2010/12/23(木) 16:09:45 ID:6TpBuHhG
それじゃさすがに釣れんよ
233勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2010/12/23(木) 18:52:36 ID:X4nHU+Zz
大坂方は備前島を重点的に防御しなかったのはなぜでしょう(?_?)

石田三成→大野修理とその時その時の中心人物の邸になるほどの要地のはずなのですが。
234人間七七四年:2010/12/23(木) 20:45:04 ID:/vAFABpL
ちょっと大坂城から離れすぎじゃない?
そこから大坂城を砲撃したっていうじゃん、徳川方
235勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2010/12/23(木) 22:29:31 ID:X4nHU+Zz
遠い…ですか?本丸を有効射程距離に捉える唯一の場所に見えますけれど。

砲撃があった時点で備前島を夜襲しなかったのは疑問です。

奪った大砲で徳川方を次々砲撃すれば、局面も変わったと思えるのです。
236人間七七四年:2010/12/23(木) 23:16:01 ID:GTVgjhi8
そう簡単に奪えるとは思えないけど
237人間七七四年:2010/12/24(金) 00:42:39 ID:Luv9nhQo
ゲーム脳には簡単なことなんだろう
238勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2010/12/24(金) 22:23:04 ID:P3j67Z5v
しかし、大坂冬の陣の緒戦において備前島攻防戦というのは聞いた事がありませんよね?
大坂城の外郭であるはずの備前島に初めから兵を配置しないでみすみす大砲を設置されてしまった様なのは不可解です。
239人間七七四年:2010/12/24(金) 22:49:43 ID:XBZhUmSW
遠いと守りにくいだろ
よっぽど大量に兵おかないと守りきれない
240人間七七四年:2010/12/25(土) 15:47:01 ID:sjImZ/sh
どっかの仮想戦記にあったけど、和睦を受け入れて
大名を帰国させ、堀を埋める為に残った徳川をフルボッコ
がいい案だと思う
241人間七七四年:2010/12/25(土) 15:51:56 ID:Ozn9v70I
火つけられて終わる
242人間七七四年:2010/12/25(土) 19:55:47 ID:vnqqdX/h
>>240
タイミングが難しいなw
243人間七七四年:2010/12/25(土) 20:16:32 ID:h79CXKFw
備前島に兵を配置したら、防衛線に穴が開く。
太平洋戦争で言うとガダルカナルのような消耗戦に巻き込まれるぞ。
そうなったら兵站に限界のある大阪方の敗北は決定的になるから、備前島放棄は最善の選択だよ。
あの時点で、新型の大砲の射程なんてわかるわけないから、備前島からの砲撃は想定外だな。
244人間七七四年:2010/12/26(日) 10:43:10 ID:fdZQ5+7S
備前島に兵を置いても結局は捨て兵にしかならないしな。
245人間七七四年:2011/01/29(土) 17:51:08 ID:l+Dp8Qby
狸オヤジと揶揄される徳川家康
難癖をつけて攻撃し、和議を結んでまた攻撃し秀頼を殺した。
家康の戦略は戦国時代では当たり前の行動だが、豊臣方の人の良さが災いした。

大坂冬の陣
四方を包囲された豊臣方が打つ戦略とは、秀頼は戦国武将として鬼にならねばならない。

@千姫とその家臣どもの首をはね、徳川秀忠の陣に送る
(最初から大坂方の動向を探るためスパイとして送り込まれた千姫のお付きどもを静粛)
A激怒した秀忠が総攻撃を開始する
(子の首を送られて目の前の戦いを自重するのは武士の面子がなくなる)
B当時、三国一の名城とうたわれた難攻不落の大坂城はそう簡単に落ちない
(冬は堀の水も石垣も冷たく手が凍える、外は冷風だから綿入りの服をきて兵の動きが悪くなる)
C甚大な損害が出て長期戦となり、外様大名あたりから脱落者が出る
(名城を正攻法で武力攻略するのは困難、足軽、雑兵も多数死者がでる)
D将軍としての権威が失落
(例え五分の戦で引き分けたとしても、戦後、功労者に分け与える恩賞がないため負け戦と取られる)
E相手が退却すれば、追手を差し向けるが深追いはしない。敵を領外に追いやる。
Fその後、太閤が残した金銀を使い、城の手直し、兵糧米や武器の備蓄をして次の戦いに備える
246人間七七四年:2011/01/29(土) 17:57:31 ID:rq8Z4UHq
>>245
> 難癖をつけて攻撃し、和議を結んでまた攻撃し秀頼を殺した。

まずここの認識が全部間違ってる
247人間七七四年:2011/01/29(土) 18:01:05 ID:l+Dp8Qby
千姫の首をはねるのは、城内の浪人衆や譜代の臣に、もう後が無い事を
知らしめ背水の陣である覚悟をさすためである。

城から逃げ出しても助かる見込みはゼロであり、目の前の敵を倒さないと生き残れない
戦いに勝たなければ死しかない精神状態に追い込むことが大将として器量
248人間七七四年:2011/01/29(土) 18:04:51 ID:l+Dp8Qby
>>246
色々な諸事情を短的に表現すれば、これは間違いではない
249人間七七四年:2011/01/29(土) 20:03:06 ID:buypCzck
千姫の首をはねるwwww これで詰むのは秀頼母子だ。
徳川方としては、秀頼星の首に万石の賞金をかける大義名分ができて万々歳だ。
いままで徳川方が「返り忠すれば身分保証するよ」って誘っても疑心暗鬼だった
浪人どもも秀頼の首を持参すれば確実に褒美にありつけることになる「。
なにせ千姫の首を浪人共の総意ではねたわけでも、真田や後藤が進言してはねさせた
わけでもない。総大将の秀頼がはねたわけだからな。
そんな事してみろ、真田以下の浪人大将や部下の浪人たちが呆れはてて城から退去するわな。
あの時代、女は非戦闘要員で、どんな戦でも、処刑の対象外がデフォなんだよ。
250人間七七四年:2011/01/29(土) 21:01:08 ID:o8TKgSv6
>>249
無知はお前だ。
戦国時代は人質は男女老若の区別なく、手切れになれば殺されるのがデフォ
交渉事の駒に過ぎん!
251人間七七四年:2011/01/29(土) 21:03:43 ID:H+VgZcUE
>>250
それやる奴は大抵負ける
252人間七七四年:2011/01/29(土) 21:06:50 ID:lDfBLKV3
駒を斬られて激怒して総攻撃するか?
253人間七七四年:2011/01/29(土) 21:19:36 ID:o8TKgSv6
今までの秀忠の言動や軍事行動から簡単に推測できる。
関ヶ原でも信州真田の小城さえ落とせず、家来が捨てて先に行きましょうと進言されても
真田に少しちょっかい出されたくらいで無視できないで時間をつぶし、関ヶ原の合戦に遅れた

千姫は人質の駒と言うより大事な娘だからな。親子の情は身分の高低は関係ない。
254人間七七四年:2011/01/29(土) 21:23:58 ID:H+VgZcUE
>>253
上田城は元々、落とすのが目的なのですが
で、西に向かうのが遅れたのは使者が利根川で川止めに遭ったから
255人間七七四年:2011/01/29(土) 21:29:25 ID:o8TKgSv6
>>254
大軍を率いる将ならば先を急ぐのが肝要
天下分け目の決戦に遅れるのは失態
256人間七七四年:2011/01/29(土) 21:32:04 ID:H+VgZcUE
>>255
その情報が届いていないのに、無理なことを仰る
257人間七七四年:2011/01/29(土) 21:37:03 ID:o8TKgSv6
徳川の大軍を率いて信州上田の小城さえ落とせないようでは
大阪城なら3年はかかるわなwww秀忠
258人間七七四年:2011/01/29(土) 21:40:53 ID:buypCzck
>>250
 馬鹿は貴殿だな。
 千姫は、秀吉が秀頼の嫁としてくれと家康に頼み込んで豊臣家に嫁がせた正妻だぞ。
 公式文書のどこに千姫が人質と書かれているのかね?
 自分の正妻を、「いきなり人質だと言い出して首を跳ねる乱心者に付いていく者なんぞおらんわ。
 
259人間七七四年:2011/01/29(土) 21:58:14 ID:o8TKgSv6
城は外よりも中から崩れる

千姫個人よりもお守役として場内に入り込んでる徳川の犬を処分すべし
豊臣の家臣として入り込んでるが、城内で裏切るタイミングを狙ってる

家康が送り込んだ内部崩壊さすための駒。
正妻とは名ばかりの豊臣方を安心させるための罠であり、秀頼の子供すら居ない
徳川と親戚になれば、お家安泰と考えた豊臣方の愚鈍

織田、豊臣と続いた権力を横取りするためには何でもするのが家康
260人間七七四年:2011/01/29(土) 22:17:37 ID:buypCzck
>>259
おいおい、それを言うなら
織田有楽斎、織田信雄の二人を真っ先に処刑しないとまずいぞ。
千姫の侍女などは、元々間諜であるのがデフォ
獅子身中の虫たる茶々の叔父御の首をはねて額に犬とでも焼印を押して晒し首に
したほうが、千姫斬首の上さらし首よりは大阪方の士気が高揚するぞ。
261人間七七四年:2011/01/30(日) 14:08:32 ID:lQRr+Q5M
家康公も若い時に奥さんと長男を殺してるがなwww
262人間七七四年:2011/01/30(日) 14:48:59 ID:oc5xWJEl
>>261
今川家は滅びてるしね。
信長様に
「俺の嫁と息子が、とち狂ってクーデター起こしかけてるんで、ぬっ殺すけん
徳姫ちゃんによろしく言ってちょーよ」
と言って娘への説得を依頼してるからな。
秀頼が千姫の首はねるのとは意味合いが違うわな。

最も、事情を詳しく知らない彦左は、信長のせいだと思い込んでたようだがなw
 
263人間七七四年:2011/01/31(月) 17:48:53 ID:Af5GAGtV
>>245
そんなややこしいことやらなくても、堀をうずめさす条件に同意しなけりゃ良かっただけ。兵糧は充分あったんだから
二年は築城可能。冬の陣直後に兵糧不足きたしているから、徳川の兵站能力相当低い、秀吉の家臣団は小田原や
九州遠征の兵站無事こなしていたが、徳川家臣団にそのような能力無し、長期の包囲戦を遂行出来る組織じゃない。
後一ヶ月築城していれば大和領有の条件で和議に持ち込めた。
264人間七七四年:2011/01/31(月) 19:59:02 ID:snBNatRv
>>263
頭から尻尾まで勘違いのスレだな
265人間七七四年:2011/01/31(月) 22:59:45 ID:uRRqx3Hm
豊臣方が戦争終結と思った和議が全ての敗因

家康は、最初から大阪城と旧主である豊臣家滅亡を狙っていた。
266人間七七四年:2011/02/03(木) 11:47:21 ID:u7IBq6yh
豊臣秀頼は、馬にも乗れない肥満の大男であり、城内では淀殿と女子としか話ができない
愚鈍にて箱入り息子なので牛を見ても驚き後ずさりしたと江戸初期に書物にて噂されたが、
秀頼の書き残された書の字体をみても、臆病者には見えない。
反対に大将らしい、堂々とした書体である。

後で勝者による自分の都合のよいように歴史を捏造することは、よくある事であり
本当の真実は、当時の者しかわからない。

冬の陣の講和は、急な戦争のため兵士となる浪人衆は自然に集まって来たが、
銃弾を初め、籠城しても人数分の武器が足りなかったと思われる。
あと半年早く槍や鉄砲を掻き集めて準備すれば講和は無かったと思われる。
267人間七七四年:2011/02/03(木) 11:55:16 ID:qwNsQzAC
準備整うまで待ってくれると思う?
268人間七七四年:2011/02/03(木) 12:48:44 ID:9O8DgZ8S
>>266
書体で人格を判断するのは無理じゃね?
269人間七七四年:2011/02/03(木) 17:01:37 ID:u7IBq6yh
貝のように城門を閉ざして引き籠るより
同じ籠城するのなら大手門あたりを改修して、道幅を狭くして直線の
通路の左右の壁を10mくらい石垣を積んで高くして城方の兵を並べて
左右の上から弓矢と鉄砲を撃てば敵に損害を与えられる。

実践経験の少ない徳川家の譜代と軽く小競り合いをして城に逃げ込んで、
勢いに乗って城内に侵入した敵を個別に分断して
左右から飛び道具でつるべ撃ちすれば多大な効果が得られる。
城方7万で徳川1万を撃退するのは簡単だろ。

城を守りの最終防御地と考えずに戦場の射撃場と考えてれば良かったのでは?
270人間七七四年:2011/02/03(木) 17:08:27 ID:9O8DgZ8S
>>269
危険すぎるだろw
271人間七七四年:2011/02/03(木) 17:22:33 ID:u7IBq6yh
俺なら幅2m、長さ1kmの通路を作り、そして左右の城壁に鉄砲隊と弓部隊を並べる。
800m以降は、柵を20m間隔で並べて前からも鉄砲を撃つ。
最終の入り口には、万が一に備えて道を行き止まりにする為の大量の岩を積んで
敵が防御用の柵を突破して侵入したら投げ落として通行止めにする。
272人間七七四年:2011/02/03(木) 17:24:24 ID:ae1471df
トンネル掘って爆薬で吹き飛ばします
273人間七七四年:2011/02/03(木) 17:53:02 ID:u7IBq6yh
>>272
大坂城周辺は川に囲まれた砂地だから、当時の技術ではトンネルは無理
穴を掘れば水が湧いてくるか、崩れるだろうw
274人間七七四年:2011/02/03(木) 18:50:10 ID:ae1471df
>>273
実際に掘っているのに無理と言われてもw
275人間七七四年:2011/02/04(金) 08:02:56 ID:DxY+AxVD
>>249
家康が小牧長久手のあとに
秀吉に朝日姫を嫁がせ実質的な人質である大政所をさらに向かわせた。
それで家康が秀吉への臣従のために上洛したさいに
家康は家臣にこう伝えた「もしもわしが殺されるようなことがあったら大政所殿は殺せ、しかし朝日姫は我が正室だから決して殺してはならぬ」と
人質と妻の違いを大きく理解した家康らしい発言だ。
朝日姫なんて全くの形式的妻に過ぎないのにちゃんと保護するんだからな。
大阪方が秀頼のれっきとした正室の千姫を殺したりしたら、その瞬間に大阪は瓦解することは間違いない。
そんな外道につく武士のひとりもいないだろう。
276猿飛び佐助:2011/02/05(土) 18:13:59 ID:NfrV04lk
大坂の陣、まだー。
暇でしょうがない。
幸村さんいるかー?
277人間七七四年:2011/02/05(土) 19:38:27 ID:+Mym8zma
>>275
 秀頼が千姫の首を刎ねたとしても
 それでもそれでもだな、あの真田昌幸の表裏卑怯を一子相伝した幸村なら!
 幸村なら、徳川の謀略と言い繕ってくれるだろう(キリッ
278人間七七四年:2011/02/05(土) 23:42:25 ID:6PSvB/5z
冬の陣の時に家康と秀忠の本陣に真田5万と毛利5万で突入してたら勝ってたのでは?

徳川の旗本衆なんて実戦経験のない世代ばかりだろ、秀頼の直臣も同じだし
常に本陣でボケっと立っていれば戦が終了してた安全地帯にいた家臣ばかりだから

関ヶ原で生死の境目を生き抜いてきた城方の浪人衆の経験がものをいうだろ
279人間七七四年:2011/02/06(日) 00:13:59 ID:EO0+u+5w
ないないw
280人間七七四年:2011/02/06(日) 07:00:03 ID:8nqxUH1C
信繁に5万も指揮する能力あるの?
281人間七七四年:2011/02/06(日) 07:13:29 ID:wOpX4kE+
>>280
俺もないと思うな。
武田スレでも思ったが「真田ならなんでもできる」
みたいなこという奴が多すぎ。

>>277
信繁が千姫を殺すような大阪方に味方するような男なら、
見損なうよ。

282人間七七四年:2011/02/06(日) 11:10:10 ID:g3fB1W97
>>281
 やはり信繁(幸村)では無理か
 所詮、二代目だからな・・・・・
 千姫殺しは、徳川の謀略だと取り繕って大坂方に味方できるのは
一片の良心の欠片もない”信玄の目”と呼ばれたあの男しかいないかw
 つくづく真田昌幸が死んだのが惜しいわな。
283人間七七四年:2011/02/06(日) 11:43:27 ID:8nqxUH1C
親父でも5万は無理じゃね?
284人間七七四年:2011/02/06(日) 12:38:54 ID:EO0+u+5w
現場指揮できる人の頭数が足りんだろうな
285人間七七四年:2011/02/06(日) 12:56:08 ID:EF6R0hu3
現場指揮なんて簡単じゃん。隊列整えたら一直線に

「皆の者、家康本陣へ突っ込め!」の一言で終わり。あとは知らんw

国元で安定した暮らしが保障されてる徳川譜代の家臣団より、
落ちぶれて明日の保障さえない切羽詰まったギラギラした浪人衆の方が強いだろ
286人間七七四年:2011/02/06(日) 12:59:02 ID:m6e2aTrm
>>285
旧軍の参謀が言いそうなセリフだなw
「軟弱な米兵など、諸君ら皇国の臣民にかかれば赤子の手をひねるが如し」
とかw
287人間七七四年:2011/02/06(日) 13:09:31 ID:EO0+u+5w
どう考えても組織で行動できる連中の方が強いです
288人間七七四年:2011/02/06(日) 14:33:13 ID:etHhJbKL
「やべえこんな大将の元にいたら名誉の討ち死になんてできやしねえ」
「やべえ、こんな大将のもとにいたらまともな戦功あげれそうにねえや」
などと思われて崩壊すんのがオチやろな。
289人間七七四年:2011/02/08(火) 09:36:31 ID:qVp4OB3N
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png

この配置図を参考に戦略を立てるなら、北から西の橋と言う橋に火薬をしかけ
先ず少人数で小競り合いのあと橋の上に徳川方が侵入したら火をつけて橋を破壊。
その為、少人数で守らせる。(豊臣方兵員10万と仮定して1万で守らせる)
形勢不利なら城内に撤収させる。

真田丸に徳川方が攻撃を仕掛けた時を合図として、八丁目口と谷町口から突撃8万
一気に家康本陣へ突入。その内1万は茶臼山の戦闘に加わらないで紀州街道に進出し遊撃軍となる。
家康の陣が崩れて家康が逃げる退路を塞ぐ。

両翼の松屋町口と平野口は秀頼直臣3千の兵で攻撃を掛け敵を前に釣り出す。
伊達と前田は豊臣の旗に抵抗があるから本気で攻めて来ない。
直接、仲たがいして敵対したわけではない旧主に弓矢を向けるのは武門の恥
290人間七七四年:2011/02/08(火) 09:40:16 ID:JpzAmOjC
武門の恥じゃねーよw
291人間七七四年:2011/02/08(火) 09:46:18 ID:qVp4OB3N
「家康の首100万石なり」を合言葉に
鬼面のような形相の浪人衆が攻め掛かれば
徳川の旗本衆、旗印を捨てて逃げて候
292人間七七四年:2011/02/08(火) 09:57:45 ID:qVp4OB3N
冬の陣の時、城を取り囲んだ徳川方から城内の秀頼公へ塩鮭が密かに送り込まれたが
送り主は北の方の大名だろと推測する。
293人間七七四年:2011/02/08(火) 10:24:02 ID:gfY+FBLC
毛利勝永のチートっぷりが凄い
小笠原とかマジでザコ扱い
294人間七七四年:2011/02/08(火) 10:24:54 ID:X9e6iG0z
軍事板で同じようなこと言ってボコボコにされた人がいたね
295人間七七四年:2011/02/11(金) 02:29:44 ID:DtPhz2Jk
>>289
 伊達は、豊臣に恨み骨髄の上に忠輝擁立の野望がありますから、まずは秀頼の首をはね
なければ第一ステージがクリアできません。
 後は、手抜きして負けてやった真田やチート毛利に家康の本陣が壊滅してくれれば、その
どさくさに糞袋家康の首をはねる予定でしたが・・・・・
 蓋を開けてみれば、真田も毛利も力不足の上に池沼だったため、家康の偽装本陣に突入しただけ
家康は、とっくの昔に安全圏に退避済み。
 前田はが怪しいのは、秀忠も承知していたので、黒田、細川の二人を予備隊にしており、なおかつ
立花を使って、大野に中央突破さ瀬田前田がひでたただ本陣に反転攻勢しようとするのを封じました。
 最も、そのせいで前田主体の秀忠暗殺部隊に襲撃され、柳生無双が起きたわけですが、それも失敗。
 なおも反転攻勢しようとする悪あがきする前田を黒田、細川も加わって抑えこむことに成功し秀忠軍は
前田の謀反を未然に封じたわけです。
 
296人間七七四年:2011/02/11(金) 09:22:12 ID:gvCgVKS5
妄想乙
297人間七七四年:2011/02/11(金) 11:01:12 ID:dJNHD3ZX
前田にそんな度胸ない
298人間七七四年:2011/02/11(金) 14:50:37 ID:02g9DgvB
毛利、真田の決死隊の前で徳川譜代も前田も伊達も金玉袋が縮でました。
299人間七七四年:2011/02/11(金) 14:56:29 ID:kOj8Vzbc
鳥羽伏見の戦いの余波で大坂城が炎上した時、「秀吉の祟りだからしゃーねー」
といった幕臣がいたそうだ
300人間七七四年:2011/02/11(金) 15:06:37 ID:02g9DgvB
片桐且元、織田長益、織田長頼、青木一重、小幡景憲

徳川方の間者として豊臣に付くふりをして秀頼母子を殺した武士道無き御仁
家康の報償に目がくらんだクズ
301人間七七四年:2011/02/11(金) 19:09:07 ID:Usv3MGQ6
関ヶ原の小早川秀秋と言い、大阪の役の片桐且元と言い、
、戦後早々と狂い死にしたと言われるが・・・

裏切りの打ち合わせとか実情を知ってるため、家康に口封じのため、毒殺されたのであろう。
神君家康公には、勝つために犯した薄汚いドロドロした陰謀は似合わないからな
302人間七七四年:2011/02/11(金) 19:16:02 ID:Usv3MGQ6
江戸幕府としては正々堂々と戦いに勝利した形を取りたいから
裏の世界は抹消するはず、そして事実を書き換えた史記にするのが徳川
303人間七七四年:2011/02/11(金) 19:22:58 ID:PxnisQlv
で、この気持ち悪い妄想キチガイは自分の頭のおかしいことを
どうしてそんなに自慢したいの?
304人間七七四年:2011/02/11(金) 19:31:55 ID:dJNHD3ZX
それが真実と思ってるんだろ
305人間七七四年:2011/02/12(土) 09:19:55 ID:ZTnUkSRY
>>201
二流根性
典型的な労働厨だな
306人間七七四年:2011/02/12(土) 09:45:46 ID:NyOfC2HO
現在の大坂城に太閤の木造と真田信繁の鎧と片桐且元の鎧が展示されているが
死後400年経っても豊臣家の主と義を貫いた男と滅亡の裏切り者が一緒になるとは哀れ

家康に唆された奸臣、裏切り行為によって10万石の大名になれると思っていたが、
主家を売った臆病風に吹かれた不忠義者と幕府の人間に嘲笑われ罵倒され
落城から僅か20日後の5月28日に死去した片桐且元は思ってもいなかったであろうw
307人間七七四年:2011/02/12(土) 13:01:19 ID:9dJHA8T1
>>305
典型的な一発逆転できると信じて生涯を終える無職ニート脳だな
308人間七七四年:2011/02/13(日) 16:22:19 ID:q578fJgx
現代の価値観で当時の人間の行動を笑う典型的な馬鹿
309人間七七四年:2011/02/13(日) 17:21:37 ID:AAkTYI2T
主人の命令で死を覚悟して敵に突っ込む家来衆
主人の命令で切腹する家来衆
家名を守るために女子供も犠牲となる

下剋上が収まり、大名が統治する戦国後期から江戸時代にかけて
この時代は主従関係の忠義がなければ、家畜以下の人間と看做される。
310人間七七四年:2011/02/13(日) 20:43:51 ID:tigk5ICA
>>280
亀だがたしか親父が信繁は大将の器じゃないって言ってなかったっけ?
311人間七七四年:2011/02/13(日) 21:23:28 ID:pHwY5VOZ
夏の陣の天王寺の戦いだと真田隊より毛利隊の方が強そうな感じだな。
312人間七七四年:2011/02/13(日) 21:28:34 ID:XQ3aB9Wy
>>311
どう見ても毛利隊だろ
あの状況で大阪城まで崩壊せずに退却したなんて神業だろ
313人間七七四年:2011/02/13(日) 22:26:04 ID:7UG1i+Zk
毛利の活躍って大体軍記物ソースだが軍記物なら真田が輪をかけて活躍してる罠
314人間七七四年:2011/02/13(日) 22:57:41 ID:4VHeEAES
毛利と言えば安芸の国の毛利一族と下々の者が誤解にて候
庶民相手の講談の世界では、討ち死にした真田と又兵衛のほうが都合良きにて候
315人間七七四年:2011/02/18(金) 09:15:56 ID:M78Qj6Hy
千姫との婚姻とは・・・・家康、豊臣家滅亡への遠謀

1.大阪城内外の情報収集(豊臣恩顧の大名への牽制)
2.流言流布による情報操作(城内士気の低下、徳川家臣団の虚栄宣伝)
3.朝廷と親戚関係の阻止(秀頼が朝廷側から嫁を貰い、太閤になる事を阻止)
4.秀吉の遺言であると嘘をついて政略結婚さす(淀の方の親戚なので反対はしない)

史実では秀吉は朝廷と親戚に成るため、秀頼が元服後は朝廷の子女との結婚を計画
もし豊臣と朝廷が結び付くと家康には天下を取れない。
関白は将軍より官位が上なので大坂の陣もなく家臣として徳川家は大名の地位
316人間七七四年:2011/02/18(金) 10:49:06 ID:0GZVrK9S
まぁ以前にも関白はいたんだけどなんともならんかったわな
317人間七七四年:2011/02/18(金) 11:42:00 ID:xdmDdecv
妄想乙
318人間七七四年:2011/02/18(金) 11:51:55 ID:U9VTwogU
ただの妄想じゃなくて被害妄想だな。病院に行ってカウンセリング受けたほうがいいレベル。
319人間七七四年:2011/02/18(金) 12:13:43 ID:w+xyOPbV
且元はぎりぎりまで頑張ったと思うけどなあ
320人間七七四年:2011/02/18(金) 12:36:52 ID:M78Qj6Hy
大坂方浪人衆の中には、関ヶ原以降没落した諸大名の子息、家臣だけでなく
報奨金目当ての百姓、野武士、山賊の輩も入城した。

諸大名が大坂城を目指して行軍してくる山中に伏兵として置き、隊列が細くなる
峠や狭路で武器や食料を運ぶ荷車隊を襲撃。
左右に伏兵させた少人数の選抜された腕の良い鉄砲隊は、全面戦争を避け本陣のみ襲撃&退却
上手くいけば敵の大名を撃ち取ることも可能。
また襲撃の用心ため、行軍のスピードが落ち時間がかかる。
大坂の平野に大軍を集結させる足並みが乱れる。

このような戦法が浪人衆の言う出撃論だと思われる。
321人間七七四年:2011/02/18(金) 14:37:31 ID:E52tkvba
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png
これを参考に教えて欲しいんだけど、冬の陣までの大坂城ってどういう縄張りだったの?
内堀と外堀があって、一番外に惣構えがあるけど外堀と惣構えの間になんかあるよね? これは空掘り?
それと、二の丸、西の丸、三の丸ってのはどの部分になるの?
二の丸と西の丸は共に内堀と外堀の間のスペースにあったんだっけ?
322人間七七四年:2011/02/18(金) 14:46:46 ID:KURTc/d/
豊臣大坂城は全面的な発掘調査はされてないから
正確な構造はわからないんだってな
323人間七七四年:2011/02/18(金) 15:06:09 ID:M78Qj6Hy
>>319
且元は家康に任命されて秀頼の御世話役になった賊臣
賤ヶ岳の七本槍の一人と言われるが、他の者は10万石以上の大名になったが
太閤存命中から3千石の小大名。人を見る目が人並み以上の秀吉からみても
小者に映ったのであろう。

慶長見聞書によると「且元、去年までは秀頼の家老として無二の忠臣を
装うが、君臣不快となると言えども多年のなじみを忘れ、家康公に秀頼殿の
隠れ場所を申し上げしこと侍にあらずと人々申しける」
自害した秀頼の場所を教えたり、その子、国松の潜伏先を教えた功績により
家康から大坂の地に4万石の大名に加増されたが、大坂落城の1ヶ月後に突然死。
死因は、病死とも精神を狂わせて自殺あるいは徳川の毒殺とも言われるが不明
324人間七七四年:2011/02/18(金) 15:18:27 ID:M78Qj6Hy
>>321
一番外に惣構えがあるけど外堀と惣構えの間になんかあるよね?
「大名屋敷、武家屋敷、町屋などの屋敷」

これは空掘り?
「真田丸のあった南惣構掘は空堀、東と西の惣構は水掘」

二の丸、西の丸、三の丸ってのはどの部分になるの?
「上記の略図の真ん中、後藤基次の文字のあたりが三の丸、
大坂城の大の字あたりが二の丸」
325人間七七四年:2011/02/18(金) 15:34:44 ID:E52tkvba
>>324
いや、惣構えの内側の外堀の西と南に黄緑色の枠のようなのがあるじゃん?
あれも堀? あの内側が三の丸ということ?
326人間七七四年:2011/02/18(金) 15:55:24 ID:M78Qj6Hy
>>325

黄緑色の枠のようなものが三の丸の空堀を表しているが
略図なので正確な位置ではない。

秀吉の晩年から死後の慶長三年から第四期工事にて二の丸外側の町屋を移転させた
うえで三の丸を築造、惣構とともに難攻不落の威容を整えた。
大坂冬の陣では攻め寄せる徳川20万の軍勢を惣構の中に一歩も入れなかった。
城作りの名手である秀吉の縄張りである。
327人間七七四年:2011/02/18(金) 16:20:02 ID:E52tkvba
なるほど。 天下人の城でありながら三の丸の正確な縄張りはいまだ解らないのか。
でも完成から冬の陣後の埋め立てまでかなりの期間があるのに三の丸の縄張りが
後世に残ってないって不思議な話だね。
328人間七七四年:2011/02/18(金) 17:40:37 ID:AOZQAuKN
>>323
いつ平野長泰、加須屋真雄、脇坂安治が10万石越したのかと(平野なんかそもそも終生一万石越えなかったのに)小一時間(ry
ついでに言うと10万石って宮部継潤とかも越してねーぞ。
329人間七七四年:2011/02/18(金) 21:13:01 ID:UAsKJpSP
>>323
 こんばんは、捏造ヒール脇坂安治です。
 私も仕事柄、悪役やってますがね〜 何時、10万石になったんですかね?
 世界三大提督の李舜臣相手に大暴れしたあげくに殺されたりもしましたが
十万石なんてギャラ貰ったことないですよ。
 関ヶ原のジャンピング土下座して寝返った時のギャラでも5万石ちょっとだし
捏造報道は辞めてもらえませんか
 
330 冒険の書【Lv=5,xxxPT】 :2011/02/19(土) 18:39:30 ID:o4qHvFCP
大名じゃないよ平野長泰♪
331人間七七四年:2011/02/20(日) 12:05:20.99 ID:4gp7d1Kq
火縄銃が約100mだから
当時の大砲って射程距離はいくつ?
332人間七七四年:2011/02/20(日) 15:30:24.78 ID:iNKW8obb
徳川方が使ったカルバリンで最大射程6kmだったかな
333人間七七四年:2011/02/22(火) 08:35:27.87 ID:VbaOwJhZ
大坂冬の陣の和議は家康の謀略!

兵も食料も1年分はあった難攻不落の名城に立てこもる大坂方
なぜ豊臣家は大きな戦いもぜず、わずか籠城一カ月で和議の条件を飲んだのか?
そこにはオレオレ詐欺より巧妙な徳川方の詐欺があった。
後で勝者側の徳川方が流布した大筒による淀君の恐怖ではない。

朝廷を巻き込んだ停戦命令が真相ではないのか?
戦乱を好まない朝廷の命により停戦とするから
大御所家康&将軍秀忠が遠方より駆け付けた戦いの印として惣構を壊すという条件をつけ
右大臣として朝敵となる事を避けたい豊臣側に付け込んだ罠を仕掛けたのが歴史の裏側
334人間七七四年:2011/02/22(火) 08:43:36.73 ID:HsSuRmpp
火薬がありませんでした
335人間七七四年:2011/02/22(火) 08:52:23.10 ID:VbaOwJhZ
>>334
火薬や鉄砲玉が無かったというのは徳川方が流した講談話

徳川方が外掘りを埋める時、矢倉にあった鉄砲玉を堀に捨てたが
太閤時代から保管してた量に驚いたぐらいだ。
336人間七七四年:2011/02/22(火) 09:04:30.13 ID:7d7nujMd
朝廷は動かなかったんじゃなかったっけ?
337人間七七四年:2011/02/22(火) 09:26:44.29 ID:VbaOwJhZ
>>336
当時の家康なら武力で脅してでも朝廷和議の書を書かせます。
権力者なら簡単な事。
「大坂に近い京の町も戦乱に巻き込まれますぞ!焼け野原になり候」と言えば
独自の軍を持たない朝廷や公家は恐れるでしょう。
338人間七七四年:2011/02/22(火) 09:48:24.58 ID:HsSuRmpp
>>335
「当代記」にしっかり記述してある
339人間七七四年:2011/02/22(火) 09:52:56.97 ID:VbaOwJhZ
当代記は他の資料に見られない考証を重ねられた内容も散見できるが
大衆向けに脚色した部分も多く、信憑性は不確かな部分も多い。
340人間七七四年:2011/02/22(火) 10:05:21.56 ID:HsSuRmpp
それは最初のほうで文禄慶長からは史実に忠実
341人間七七四年:2011/02/22(火) 11:27:52.67 ID:VbaOwJhZ
当代記=松平忠明(徳川家康の外孫)の著=徳川マンセーw
342人間七七四年:2011/02/22(火) 11:39:31.12 ID:HsSuRmpp
>>341
ネットでざっと調べて反論しているのがまる分かり
343人間七七四年:2011/02/22(火) 13:34:45.72 ID:QUoufZ3H
>>341
お前はそうやって自分の中だけに閉じこもってりゃいいよ

物資不足がないのなら冬の陣で降伏と全く変わらん講和を豊臣が受け入れた
合理的理由を提示せよ。
344人間七七四年:2011/02/22(火) 19:12:02.35 ID:T1WsQSaH
もともと烏合の衆だから援軍無き長期の篭城戦には耐えられまい
あの時点が潮時で徳川が退却するまで篭城など机上の空論ではないか
345人間七七四年:2011/02/22(火) 20:45:19.78 ID:+5hi4gV8
確かに冬の陣の豊臣方は後詰めの無い篭城という最悪のパターン典型例なんだけど
さすがにあそこまで巨大な城塞と大兵力と資金力があると攻める方も包囲を続けるだけでも
大変な負担を強いられるな。
実質、日本全土の大名を敵に回しても強襲で落とすのは無理という無茶苦茶な防衛力というか。
それでもまあ、そのうち金が尽きたら終了だろうけど。
346人間七七四年:2011/02/22(火) 21:18:10.64 ID:7d7nujMd
2年がんばったら家康は死んだのに
開戦するのが早すぎた?
347人間七七四年:2011/02/22(火) 21:21:41.36 ID:/W+qh1dB
仮に決起するなら関ヶ原の時しか無いよな。
もっとも仮に勝ったとしても毛利が徳川の代わりに実権握るから
それも討伐となるといよいよ戦国時代に逆戻りだしな。
348人間七七四年:2011/02/22(火) 21:57:22.35 ID:mzsiaKZS
>>346
何でお前みたいなタイプの馬鹿は、ifを考えるとき自分の考えに都合いいものしか変わらない、
と信じ込めるのかね?

一つ何かが変わったらそれに連動してありとあらゆるモノが変化するに決まってるだろ。
349人間七七四年:2011/02/22(火) 22:12:44.46 ID:7d7nujMd
決めつけて批判されても、リアクションに困るんだがw
350人間七七四年:2011/02/22(火) 22:41:40.28 ID:z07Dtuhl
5年早く、5年遅い豊臣方の決起だが、冬の陣でも勝機はあった。
遠く九州や東北、関東から遠征してくる軍を地の利の良い場所で個別撃破すれば良い。
地の利の良い場所、即ち少数で多数を打ち取れる場所とは山の峠道のような
大軍が細くなって移動する場所で伏兵を置いて攻撃。
籠城するなら毎夜、個別に夜襲を掛けて城攻めするように誘い、城壁から火縄や弓の連射。
寒波のきつい冬なので水掘りには入れないから攻め手の範囲は狭い。
351人間七七四年:2011/02/22(火) 22:47:25.95 ID:PtdeplC7
地の利……瀬田まで出るか?w
352人間七七四年:2011/02/22(火) 22:52:47.46 ID:/W+qh1dB
戦術論でどうこう出来る話じゃねーよ。
関ヶ原の直後に出しゃばればまだしも徳川体制が完成しつつある時に喧嘩売るとか時期を読み誤ってる。

防衛で負けなくても結局終現状維持ならそもそもなんの為に喧嘩売ったんだよ。
伏見とか大阪城並の城を劣勢の大阪がどうやって攻略するの?
353人間七七四年:2011/02/22(火) 23:00:54.64 ID:z07Dtuhl
足軽、雑兵は農民兵が多いから豊臣方が4ヶ月間籠城すれば城の包囲軍は
春になると一人二人と脱落し農民兵が故郷に向けて逃亡する。
田植えや麦刈りといった農作業をしないとその年は食べるものがなく
農業放棄の大飢饉で領民は餓死。田植えをしないと米はできないからな。
354人間七七四年:2011/02/22(火) 23:08:17.54 ID:+5hi4gV8
でも真田信繁は近畿全域を作戦範囲として迎撃すべきだし、既に集結している豊臣方10万なら
東西から各個に集まる幕府軍20万にも予め有利な地形に展開することで対応できると言ってたとか
読んだことがあるけど。
355人間七七四年:2011/02/22(火) 23:08:40.51 ID:z07Dtuhl
>>352
豊臣方から喧嘩を売ったのではなく、徳川方から豊臣家滅亡計画として仕掛けられた戦い
356人間七七四年:2011/02/22(火) 23:11:57.42 ID:T1Nmtvsh
まぁ寄せ集めの防御がそんなに持たんわな
357人間七七四年:2011/02/22(火) 23:12:42.84 ID:PtdeplC7
>>354
ぶっちゃけ手がたらんようになる未来しか見えない
358人間七七四年:2011/02/22(火) 23:18:21.82 ID:/W+qh1dB
農民総動員って事態は大阪側の話じゃねーか。
その理屈で立ち枯れるのは大阪だぞ。

小田原攻めの逆をされてるのが大阪側の状況。
小田原はまだ関東の支城もあるし伊達の援軍とかいくらか希望的要素が有ったが。
359人間七七四年:2011/02/22(火) 23:19:52.33 ID:/W+qh1dB
>>355
鶏卵論争はお断りする。
360人間七七四年:2011/02/22(火) 23:21:19.90 ID:+5hi4gV8
でも豊臣方が京都急襲して天皇と公家を根こそぎ強制的に大坂城にお迎えしてたら
面倒くさいことになってたんじゃない?
361人間七七四年:2011/02/22(火) 23:21:38.64 ID:7d7nujMd
>>355
豊臣がケンカを売ったんじゃないか
362人間七七四年:2011/02/22(火) 23:24:24.84 ID:PtdeplC7
>>360
もうその時点で「賊に拉致された陛下をお救いする」って大義名分たっちゃうよね
363人間七七四年:2011/02/22(火) 23:29:32.85 ID:02LVVuGa
>>359
自分で言っといてなんだそれ
364人間七七四年:2011/02/22(火) 23:35:57.59 ID:T1Nmtvsh
鶏卵論争・・・親子丼のメインの具は卵か鶏肉かという論争
365人間七七四年:2011/02/22(火) 23:37:52.46 ID:7d7nujMd
え? 鶏肉だろ? 論争することか?
366人間七七四年:2011/02/22(火) 23:42:31.39 ID:/W+qh1dB
>>363
どっちが喧嘩を売った買ったの論争は不毛だから好きな解釈してくれ。
大阪側が売ったと俺は考えるけど。

喧嘩を売られたとしても買っては駄目だった事に変わりは無い。
秀吉がかつて仕置きしたみたいに大人しく従うしかない。

徳川だって関東移封に従った。逆らった信雄は所領没収。
367人間七七四年:2011/02/22(火) 23:47:26.65 ID:z07Dtuhl
冬の陣の和議の後、家康が真田幸村に信州10万石やるから徳川方に寝返れと
言われた時に「はい!」と言って承諾して
夏の陣の徳川方の行軍に参加して合戦が始まったら、家康の本陣に3000の兵で突撃したら
面白かった。まぁ〜後世の人から何と言われるかは知らないがw
368人間七七四年:2011/02/23(水) 00:00:19.84 ID:C2tI/n2c
そんな能天気な場所に配置してもらえるわけないだろ
369人間七七四年:2011/02/23(水) 00:02:14.09 ID:7d7nujMd
>>366
どんだけ無茶なこと言われても「ハイハイわかりましたよ」って従ってれば良かった。そうすれば家は残せたのに。

>>367
寝返ったばかりの武将を、本陣に突撃できる位置には置かないだろw
370人間七七四年:2011/02/23(水) 00:23:07.73 ID:5Cc2Lhru
足利義昭or義尋が生きてれば大坂方の総大将で担ぎ出せたのにな。
371人間七七四年:2011/02/23(水) 01:10:19.12 ID:8/XwxXMI
>>362
だけど徳川も大坂城に手も足も出せなくなるじゃん?
372人間七七四年:2011/02/23(水) 01:31:27.04 ID:C2tI/n2c
そこまでやったら手出さんでも内部から崩壊するわ
373人間七七四年:2011/02/23(水) 05:19:23.68 ID:MzWmjzU+
平家が安徳天皇とともに都落ちした際に、源氏側が後鳥羽天皇を即位させた
先例もある(壇ノ浦の合戦で安徳天皇が水死するまで二帝並立)し、
手も足も出せないというようにはならないだろうな。
374人間七七四年:2011/02/23(水) 08:17:56.08 ID:2BLYHb3r
手を出せない状態にしたいなら黙って幕府体制認めりゃそれで済む話なんだがな。
一族郎党皆殺しにしなきゃ許さないまで言われたら戦うのも分かるんだが。
375人間七七四年:2011/02/23(水) 08:34:07.70 ID:p9C2xzPI
秀頼が大坂城を放棄して移封を受け入れても、
後日、難癖をつけて改易や切腹させて豊臣家滅亡を企みます。
豊臣本家滅亡と豊臣恩顧の大名を滅亡させるのが幕府の基本方針。
376人間七七四年:2011/02/23(水) 08:58:43.10 ID:2BLYHb3r
何をもって恩顧とするんだよ。
浅野家なんかは忠臣蔵でも有名だけど血のつながりはともかく秀吉の縁者だぞ。

それに徳川から嫁入りさせてる家を潰す理由が分からん。
埋蔵金とか含めて乗っ取るってなら分かるけど。
377人間七七四年:2011/02/23(水) 08:58:53.64 ID:/QqntYp1
>>375
そんな基本方針ないw
378人間七七四年:2011/02/23(水) 12:58:09.70 ID:8/XwxXMI
いや、家康なら豊臣潰すためには何でもやるだろう。
千姫など捨てたも同然ってかんじだろ。
379人間七七四年:2011/02/23(水) 15:05:40.92 ID:vdPdQ0B1
>>378
イメージで語られても困るんですけど。
380人間七七四年:2011/02/23(水) 21:52:55.55 ID:8/XwxXMI
>>379
架空の話を考える以上多少はやむを得まい。
イメージではなく仮説と思えばいい。
381人間七七四年:2011/02/23(水) 23:00:21.13 ID:2BLYHb3r
>>378
縁組みエンドレスに繰り返して嫡子生まれなかった時に御三家辺りから養子入れて
乗っ取る方が楽じゃんか。

仮に血が続いても維新みたいな事でもなきゃ裏切れない(維新で尾張藩が寝返ったりしてる)
382人間七七四年:2011/02/23(水) 23:35:01.44 ID:8/XwxXMI
俺だったらやっぱり滅ぼすな。
怖いもん。 担ぎ上げる神輿としては最適な家だし。
383人間七七四年:2011/02/23(水) 23:37:47.40 ID:/QqntYp1
神輿に最適なのは皇室だろ
384人間七七四年:2011/02/24(木) 08:36:33.38 ID:NtiA7lN4
当時は和議と言えば現代の法律と同じだから順守するのが当然なのに
徳川方は堀を埋めたら、わずか3ヶ月前の和議を破棄して豊臣方を殲滅した。

家康は悪党といえば悪党だなw
今の家康像の資料なんて神君家康公とされて江戸時代に書かれたものだから
本当の悪口なんか書いたら斬首されるから、良いようにしか書かれてない。
本来は強欲(色欲、物欲、権利欲)な極悪非道の梟将かもしれない。
385人間七七四年:2011/02/24(木) 08:39:42.41 ID:CEsY1/pD
斬首されたのかコワイな
386人間七七四年:2011/02/24(木) 09:04:44.32 ID:NtiA7lN4
和議の書類なんて2通ある豊臣方が保管してる物は大坂落城の炎の中に消えた。
現存するのは徳川方の書類のみで、後で何とでも書き換えられる。

右大臣秀頼公を寺社奉行を総括する幕府の要職につけるから御城の堀だけ埋めさせてと言って
和議を結ぶのも可能。和議の内容を知ってる豊臣上層部は全員死亡、生き残った者も捕まえて斬首、
書類は燃えて灰だからな
387人間七七四年:2011/02/24(木) 09:51:28.46 ID:NGUgRpjo
>>384
 和議の条件守ってないのはどっちだよw
とっとと浪人放逐しろっての。
もはや手が付けられなかったんだろうけどさ。
同じ戦うんでも勝ち目のない戦やって滅ぶよりはましだろ?

書状の書き換え可能とか何でも有りにするなら妄想全開で何でも言えちゃうぞ。
信長は生きていたのに秀吉が殺したとか。
光秀と秀吉は共謀だったのに裏切っただの。
柴田は和議を結んだのに帰路を奇襲されて負けたとか。

そういう事がしたいならここじゃなくて余所でやれ。
388人間七七四年:2011/02/24(木) 11:12:38.03 ID:CEsY1/pD
天海は光秀だったとか謙信は女だったとか
389人間七七四年:2011/02/24(木) 11:15:58.51 ID:YDWpQFOt
勝手に堀を掘り返すに至っては問答無用だね
390人間七七四年:2011/02/24(木) 12:04:52.02 ID:NtiA7lN4
大坂落城後、家康が戦勝品として没収した金銀だけでも相当な額。
これは乱取りと呼ばれる落城のどさくさによって盗まれた後でも、
まだ5万枚を越す金銀が城に残ってた。
この太閤が残した気が遠くなるような豊富な資金があれば、秀忠に将軍職を譲った時点で
関ヶ原浪人どもを集め、全国のコメや武具を買い集め、3年のち秀頼は撃ってでれば良い。
特に徳川陣営の藩を狙ってコメを買いあさり、コメ不足になれば一揆がおこり領内は疲労する。
391人間七七四年:2011/02/24(木) 12:17:06.31 ID:NGUgRpjo
おいおい、明治維新まで臥薪嘗胆とかならともかくよりにもよって秀忠の時かよw
時間が経てば経つ程大阪が不利だっての。

経済力にしたって銀山金山押さえた幕府に勝てねーよ。

それに大坂城出た後だと何処に拠って戦うの?
もっと悲惨な末路しか浮かばねーよ。
392人間七七四年:2011/02/24(木) 13:59:00.04 ID:ZP7A62oj
ただの釣りだろ。これはさすがに
393人間七七四年:2011/02/24(木) 14:16:59.51 ID:5BrpCw5c
でも豊臣が他の兵力が冬の陣の10万から夏の陣には5万に減ってたって事は
だいぶリストラしてたの?
まだ金が結構残ってたんなら全力でまた10万くらい集めれば野戦の夏の陣なら
正面決戦で勝てたかもしれないことない?
豊臣浪人衆って結構いい働きしてたじゃん。
394人間七七四年:2011/02/24(木) 14:41:23.69 ID:ZP7A62oj
リストラというより見限られた訳やね。半減まではしてないけど
所詮そういう烏合の衆だから長期の籠城もできなんだ
いい働きと言ってもほとんどは軍記物の記述で
軍事的には連戦連敗の良いとこ無しだったから、もう少し兵が増えてもどうしようもない
関ヶ原辺りみたいに少し何かが間違ってたらどう転ぶか分からんという状況じゃないから
395人間七七四年:2011/02/24(木) 14:45:22.87 ID:NGUgRpjo
どうせ妄想するなら夏の陣始まっちゃったけど豊臣家をどうにか残すとかの方がね。
秀頼が腹切って淀は人質、大坂退去して東北か九州辺りに5万石ぐらいで許して貰えないかな?
396人間七七四年:2011/02/24(木) 15:24:34.38 ID:lGDajSrt
まぁ織田家をないがしろにした豊臣が滅んだのは因果応報
397人間七七四年:2011/02/24(木) 15:41:58.61 ID:5BrpCw5c
平氏とか豊臣みたいな転落する大勢力って好きだ。
江戸幕府は引き際が上手過ぎてイマイチ盛り上がらん。
まあ後世の人間の身勝手な願望だけど。
398人間七七四年:2011/02/24(木) 18:09:15.25 ID:NtiA7lN4
大坂夏の陣(史実では)
5月6日 道明寺、若江、八尾にて合戦
5月7日 天王寺、岡山にて最終決戦、落城
だが、野戦の基本は大軍に対して兵を分けるのは得策ではない。奇襲攻撃以外は避けるべき。
そしてこの時代は合戦の最中に首取りという非効率的な行動があった。
そこで戦場での機動力を上げるため大名首以外は取らない。これでは後の恩賞を決める証拠がないので
士気が上がらないから自分の名前を書いた木札を一人十枚渡し、討ち取った敵兵の口に入れる事を徹底する。
10枚使い果たしたら慶長小判1枚を進呈するとノルマをあたえる。
国許に帰ったら安定した暮らしがある徳川勢の兵と明日の生活さえ分からない浪人衆とでは戦場での働きが違う。
399人間七七四年:2011/02/24(木) 18:10:29.77 ID:NtiA7lN4
先ず秀頼が城外に出て来ないという事を前提として城から近い篠山、天王寺、茶臼山の上町台地の高台に
に陣を張り、徳川勢が前進して来る奈良街道、阿倍野街道が交わる四天王寺付近に捨て兵を置く。
そこに本陣があるかのように柵を設け千成瓢箪の馬印を立て銃兵二万、弓矢一万を待機さす。
当然のごとく徳川勢が食いついて来る。大軍であるから主戦場が詰まって乱射戦となる。
取り囲んで殲滅させようと左翼、右翼に分かれて軍を移動させて来るだろうし、後方にいる部隊は
勝ち戦に便乗しようと主戦場に出ようとして来るだろう。井伊や本多や松平の苦労知らずのボンボンたちは
歴史に名が残る大阪城一番乗りを目指して我先に本丸に殺到するかも知れない。
裸城とは言え当時の大阪城なら城兵5千で必死に守れば一日ぐらいは持つだろう
そこで徳川勢の軍が動いた時に槍を持たせた騎馬兵二万を一直線に家康、秀忠の本陣に突入さす。
真田三百の兵で家康の本陣を蹂躙した事を思えば十分可能。
400人間七七四年:2011/02/24(木) 18:21:19.98 ID:CEsY1/pD
妄想すげえ
401人間七七四年:2011/02/24(木) 18:25:59.92 ID:ZP7A62oj
妄想でも面白ければなぁ、
つまらな過ぎ。
402人間七七四年:2011/02/24(木) 18:36:58.32 ID:RMlYz0kn
AI徳川の無能っぷりに涙が止まらない
403人間七七四年:2011/02/24(木) 19:09:17.27 ID:8Fly0/Wg
こう言うのがゲーム脳って言うんだろうな。
状況が変わっても相手はいつも同じ行動。

よほど気の毒な頭脳の持ち主なんだな妄想君。
404人間七七四年:2011/02/24(木) 19:15:10.60 ID:XyLd+2uq
夏の陣の時、千姫を徳川本陣に送り届て、涙の親子御対面の時
千姫を乗せた籠や着物や道具を入れた荷車に仕掛けてあった爆薬をドカ〜ン!

このくらい秀頼に悪知恵があればなw豊臣家も安泰だっただろうw
405人間七七四年:2011/02/24(木) 19:17:11.18 ID:CEsY1/pD
時限爆弾、当時あったっけ?
406人間七七四年:2011/02/24(木) 19:22:30.11 ID:8Fly0/Wg
そもそも親子対面の前、徳川陣に入る前に駕籠や従者は徳川家のものに変えられる。常識的にな。
407人間七七四年:2011/02/24(木) 19:22:34.80 ID:XyLd+2uq
>>405
衣装ケースにつめた火薬に火をつければOK!
送り届けた豊臣家臣も死ぬけどw
408人間七七四年:2011/02/24(木) 19:34:46.66 ID:XyLd+2uq
>>406
遠征時の本陣なんて簡易的な物だから荷車100台くらい送り届けて門の外でもOK!
409人間七七四年:2011/02/24(木) 23:26:27.03 ID:XyLd+2uq
>>391
家康から秀忠に征夷大将軍を譲ったのは慶長10年じゃね。
そのころなら豊臣恩顧の武将たちも生きてるじゃんw

410人間七七四年:2011/02/24(木) 23:42:12.24 ID:CEsY1/pD
>>409
最も勝ち目ある時期?
411人間七七四年:2011/02/24(木) 23:42:50.84 ID:MDGu0TqT
>>410
もう詰んでる
412人間七七四年:2011/02/25(金) 00:51:38.62 ID:lBXhxDnl
>>409
だから豊臣の天下にしたいなら関ヶ原まで戻れって。
つまりこのスレの話題じゃねーよ。

仮に加藤、浅野、福島辺りが味方した所で多少は善戦するだけで終わり。
そもそも勝ち目があるなら加藤福島辺りは家康と戦うだろ。

なんで頭下げるように説得したか考えてくれ。
413人間七七四年:2011/02/25(金) 04:44:32.24 ID:PBhje8bX
関ヶ原まで戻っても厳しいんじゃないかな
414人間七七四年:2011/02/25(金) 07:44:30.32 ID:5mYcRDDL
いっそ小牧・長久手辺りまで戻るか
415人間七七四年:2011/02/25(金) 08:37:26.35 ID:uQbM7Cwk
>>412
関ヶ原以降も大坂城に出向いて頭を下げてたのは家康
二条城の会見は二大公儀としての和平案で徳川、豊臣5分の立場

どうも江戸時代の解釈が多くて近代日本史的な研究解釈が少ないな
近代日本といっても池波、司馬は時代小説だから脚色されてるから除外
416人間七七四年:2011/02/25(金) 08:48:37.57 ID:X3xHsbXj
あなたのは脳内立場ですから
417人間七七四年:2011/02/25(金) 09:45:49.97 ID:uQbM7Cwk
江戸時代に書かれた歴史書と言うのは勝った者が自己の都合よく書かれ
敗れた者が悪党や無能扱いで書かれているから、これを信じるのは間違い。
むしろ反対視点にて検証しなければならない。
ただし幕府に都合の悪い物は破棄されてるので現存してる書や物品は極めて少ない。
1例として淀殿は傲慢な女性像だが、本当は神仏に祈りを捧げる大人しい女性
豊臣秀頼の無能説だが領内の揉め事を裁いているように馬鹿ではない。

大河ドラマで注目を集めてるお江だが、彼女の位牌には三つ葉葵と五七桐の家紋がある。
五七桐は豊臣の家紋であり、これは非業の死を遂げた姉や甥を供養する意味。
418人間七七四年:2011/02/25(金) 09:48:41.66 ID:X3xHsbXj
朝鮮の人と言っていることは変わらんね
証拠がないのは日帝による焼却の為とか
419人間七七四年:2011/02/25(金) 09:54:25.39 ID:uQbM7Cwk
>>418
現存してるお江の位牌の家紋は、どう解説明する?
徳川にとっては敵だぞ
420人間七七四年:2011/02/25(金) 10:24:28.30 ID:uQbM7Cwk
崇源院の位牌だから今も残ってるわけであり、幕府は手も足も出せずに法事には
床にひれ伏してして頭を下げて崇拝しなければならなかった。

これが諸大名クラスの位牌なら婚姻関係の親戚でも豊臣の家紋なんか入れたら
謀反の疑いありで位牌はおろか一族切腹お家断絶のうえ改易没収されるわ
421人間七七四年:2011/02/25(金) 10:39:45.14 ID:X3xHsbXj
>>419
桐紋なら家康も駿府政権時に使用している
422人間七七四年:2011/02/25(金) 10:47:26.73 ID:lBXhxDnl
>>415
表向きの行動だけで判断するならそう解釈も出来るかもね。
ただ諸侯がそれをどう判断したと思う?

信長にとっての義昭みたいな構図。
いざ義昭が立ち上がった時に信長の配下は味方してない。
それどろこか幕臣も裏切る始末。

それこそ表だけ見て裏が読めてないと思うんだけどね。
423人間七七四年:2011/02/25(金) 11:22:52.87 ID:lCcEZZIc
>>417
自説に都合のいい史料だけ信じるのは良くない
424人間七七四年:2011/02/26(土) 13:37:37.51 ID:UOA0LJFL
冬も夏も大坂にいたのに所領安堵された伊東長次(長実)の怪。

自害を徳川の人間が止めに来た感すらある。
425人間七七四年:2011/02/26(土) 15:38:29.02 ID:H+4rDOmp
老士談録曰く板倉勝重の配下の朝比奈なんとかを通じて板倉に情報を横流ししてたらしいが。


いつ結婚したかは知らないが息子の伊東長昌の嫁が板倉勝重の養女でもある。
426人間七七四年:2011/02/26(土) 22:17:08.65 ID:e5GPcNEa
夏の陣の時、大坂城が落城し毛利勝永の介錯によって
秀頼と淀の方が自刃したというが、遺骨も出てないよな
その場にいた人は全員死んでるわけだから

昭和になって豊臣時代の大坂城跡から秀頼の首が発見されたと言われるが
1.昭和55年に大阪城三の丸跡から出土したが、埋められた位置が離れ過ぎてる。
2.自刃のあと火を付けて倉を燃やしたのだから埋葬する時間がない。
3.仮に埋めても敵の総大将の首を徳川方が探さないはずがない。
427人間七七四年:2011/02/27(日) 14:05:33.16 ID:zJVJoscH
>>426
秀吉ほどの人物が脱出用の通路を造ってないわけが無い。
地下通路を通ってどっかに逃げたんだろう

428人間七七四年:2011/02/27(日) 14:08:53.58 ID:z58AQ3Gk
秀吉ほどの人物だから大坂城の秀頼は当初から影武者だと思うよ
429人間七七四年:2011/02/27(日) 14:12:05.38 ID:HybcqfvM
鹿児島に逃げて死んだ
430人間七七四年:2011/02/27(日) 16:10:33.72 ID:GoYcAX8f
大坂夏の陣の5月7日落城 
豊臣別働隊として明石全登300の布陣が気になる。
主戦場からあまりにも遠く後方で海に近い位置。
秀頼脱出用の護衛隊なのか?
明石全登もその後の行方は不明である。キリスト教徒だから自殺はしない。

最後の山里丸内の隅櫓の地下室も気になる。
秀吉が茶室として使用していた地下室で自害したとされるが?
地下室には城外へ脱出用の通路はなかったのだろうか?
431人間七七四年:2011/02/27(日) 16:31:17.85 ID:I5vBqZvZ
生きてたとしてもそれが伝わって無い上に影響ゼロだしな。
まあ余生をどこかで送れたならいいんじゃん。
432人間七七四年:2011/02/27(日) 16:57:09.15 ID:3ScDUqX8
真田など単なる自殺志願者に過ぎない。
奴は、豊臣家の生き残りではなく、個人的名誉を満足させるため家康の本陣に乱入しただけの屑
しかも、その本陣は、すでに毛利勝永に突入されていたので自棄になって斬死しただけ。
結城宰相の嫡子松平武勇絶倫公は、ソレを見抜いたから、わざと中央突破させてやり、自分は本来の
目的。不義の子、秀頼を産み、天下騒乱の種を撒いた淀君の腹を裂き、偉大なる豊太閤殿下の名誉を
穢した不義の子秀頼の首で髑髏杯を作って花見酒を飲むために大阪城に進撃した。
しかし、毛利忠誠公勝永殿は、これを予期していたため、麾下の軍組織を維持しつつ、武勇絶倫公の鋭鋒を
挫いて、大坂城に帰還した。
忠誠公にとっては、出自がどうであれ、忠誠を誓った主君秀頼公と母の淀君に安らかな死を迎えさせるのが
自分の最後の務めだと覚悟していたのだ。
433人間七七四年:2011/02/27(日) 23:17:50.76 ID:UlTcXq+k
真田 日ノ本一の兵ナリ
三途の川の渡し賃とされる六文銭  カッケ
434人間七七四年:2011/02/27(日) 23:25:02.76 ID:AKTMuzPa
>>433
ビタミンB1取れよ
435人間七七四年:2011/02/28(月) 12:51:31.34 ID:EWgZAVab
豊臣の浪人衆は強いが幕府の兵は人数に頼るだけで弱い
436人間七七四年:2011/02/28(月) 12:53:03.56 ID:EWgZAVab
豊臣の浪人衆は強いが幕府の兵は人数に頼るだけで弱い
437人間七七四年:2011/02/28(月) 18:42:24.11 ID:FNwFOi0r
大坂の陣からしばらくして薩摩の市街地に超デブの大男が出没するようになり
飲食店に入って好き放題食いまくった挙句に金を支払わずに店を出るという行為をくりかえしていたという
記録があるんだよな。
どの程度信頼できるのかは知らんが。
438人間七七四年:2011/02/28(月) 19:53:26.14 ID:epBShTkG
なぜ?島津かと言うと当時、島津藩は財政難だった。
江戸へ参勤するだけでも時間と莫大な交通費が必要。
豊臣の恩と言うより秀頼の金だったと思う。
439人間七七四年:2011/02/28(月) 20:00:34.19 ID:OLl7qIa9
金だけもらってデブは沈めちゃえばいいのに、デブの食費で倒産しかねん
440人間七七四年:2011/02/28(月) 20:04:11.58 ID:epBShTkG
豊臣家も戦う武士集団の大名として生き残るなら
関ヶ原以降、兵を預けられる軍師的な人間を置くべきだった。
政事を扱う公家として生き残ろうと思うのが間違い。

もし合戦をしようと思うなら3年前から武器や兵の統率準備をするべき。
441人間七七四年:2011/02/28(月) 20:08:31.20 ID:epBShTkG
>>439
デブの食費は、あとで藩の役人が払ってくれたそうだ。
442人間七七四年:2011/02/28(月) 20:14:21.69 ID:epBShTkG
明石全登の息子は九州で捕まった
443人間七七四年:2011/02/28(月) 20:26:51.52 ID:zthd5uyJ
>>440
当時の豊臣家にそんな人材誰がおるんだ
444人間七七四年:2011/02/28(月) 20:37:15.28 ID:epBShTkG
>>443
関ヶ原の戦いで西軍に与し改易された大名や家臣の武将の中から選べばいいだろう。
まだ家康の足元も固まっていないからな。
「幼君秀頼様のお馬さん遊びの相手」と言えば家康も手が出せまい。
445人間七七四年:2011/02/28(月) 20:44:00.99 ID:OLl7qIa9
まぁ落ち目の豊臣に乗っかろうとする程度の輩なら問題ないんじゃない
446人間七七四年:2011/02/28(月) 21:00:55.86 ID:epBShTkG
秀頼は落ちた薩摩で側室をめとり、子をもうけたと言われた。
次男の名は羽柴天四郎秀綱と言われる。
教祖でもない少年が島原の乱の総大将をつとめ金瓢箪の馬印を掲げたのは謎
447人間七七四年:2011/02/28(月) 21:11:50.47 ID:c9OhqmTp
>>444
そいつが家康と内通してたら笑える
448人間七七四年:2011/02/28(月) 21:17:25.96 ID:epBShTkG
>>445
立花宗茂なら1時間でも2時間でも馬になり大広間で秀頼公を背中に乗せ
お馬さんパカパカと言って歩き回り遊んでくれるだろう。
449人間七七四年:2011/02/28(月) 23:15:07.80 ID:tfpahybj
秀頼なんぞの馬になってまで返り咲きしたいなら
秀忠に取り入った方が手っ取り早くて確実だわな
豊臣だからといっていつまでも思い上がるんじゃないってことだ
450人間七七四年:2011/02/28(月) 23:30:36.07 ID:FNwFOi0r
秀吉って急造した豊臣家譜代をどんどん大身にした挙句にその死後に各自が独断で行動して
そこを家康に上手いこと付け込まれて潰し合いさせられたじゃん?
家康の譜代みたいに加藤や福島や黒田なんかは5万石以下にして秀頼(実質淀君)が
有事の際にそれらに豊臣の兵権を与えるというようなシステムにはできなかったのかな?
451人間七七四年:2011/02/28(月) 23:32:21.91 ID:626alQ0U
>>450
そうなると頭数が必要だが、その点について豊臣家は絶望的に不足していた
452人間七七四年:2011/02/28(月) 23:46:20.20 ID:QFs2nvwz
近年の研究じゃ通説みたいに徳川絶対有利とは必ずしもいえない状況だったらしいけどな。
少なくとも65万石(一説では100万石)の一大名に落とされたというのは誤りみたいだ。
二重公儀制とってたみたいだし。

そうなるとやはり家臣層の厚さで決まってきそうな気もするが
453人間七七四年:2011/03/01(火) 00:09:02.87 ID:HPGltlay
じゃあさ、長年の謎なんだけど豊臣家親衛隊みたいな七手組っているじゃん?
一手一万で合計七万。
最盛期の豊臣家の石高や経済力から考えるとだいたい妥当な兵力だと思うんだけど、
あいつ等って特段有能なまとめ役とか聞いたことないんだけどいざとなったら
指揮命令に従ってきちんと働ける組織だったんだろうか?
454人間七七四年:2011/03/01(火) 00:32:49.28 ID:fqnUfqhn

どこまでを豊臣家と言うのかもはっきりしておかないとね
従来、大坂の陣で大名は一人も羽柴家に味方しなかったといわれているが
七手組は1万石以上で、普通に大名だがなぁ
65万石とか100万石とかいうのは秀頼個人の私領であって、家臣の分はまた
別。となると、どこまでが羽柴の範囲なんだ?
455人間七七四年:2011/03/01(火) 01:20:45.56 ID:mD84lncz
今のトリポリがリアル大坂の陣状態だからニュースを見ていて色々参考になるな
金で集めた傭兵軍団は極限の殺し合い状態になると厄介なのは古今東西変わらないようだ
456人間七七四年:2011/03/01(火) 03:23:56.50 ID:Ncux9yIp
>>454
七手組のは秀頼の所領内だったかと
457人間七七四年:2011/03/01(火) 08:54:57.23 ID:GJ2MJEwf
大坂夏の陣の時、真田、毛利が家康の本陣、大野が秀忠の本陣に突っ込んだが
秀頼親衛隊の1万5千は城の中だからな
「両者乱戦の中で雑兵の手に掛かるのは貴人にあるまじき不名誉な死」と言って
城内から出馬しようとした秀頼を押しとどめたのがいけない。
ここは、全軍率いて撃って出るべきだった。ここが勝負の分かれ目。
戦なんかした事のない秀頼は新人ルーキーだから仕方ないとしても
それを補佐する譜代の軍師がいれば千載一遇のチャンスを逃さなかった。
458人間七七四年:2011/03/01(火) 09:05:03.70 ID:AE0xE213
突撃して戦死すれば秀頼も、真田みたいに持ち上げられたのにな
459人間七七四年:2011/03/01(火) 11:01:14.44 ID:smO8fzNI
>>458
まあ、今みたいに世間知らずの2世お坊ちゃんて評価では無かっただろうね
最後の最後で意地を見せた秀吉ジュニアということで、後世に名を残しただろう
460人間七七四年:2011/03/01(火) 11:05:37.83 ID:GJ2MJEwf
大坂の冬の陣でも徳川方は大軍で城を取り囲んでる余裕から油断も出て来る。
城からは20万の兵の食事の炊き出しの煙が見えただろう。
それを合図に城内から夜討や朝駆けを行えば良かった。
東西南北で順番に今日は城の北側、明日は南側と言うように目標を決めて一人の大名の軍を攻撃
鉄砲が使えない雨の日の夜を狙って弓200と槍300を持たせた兵を陣地内で縦横無尽に走らせる。
電気も無い時代だから篝火をひっくり返したら混乱して味方なのに同士打ちもあるだろう。

晩飯時5000の兵で仕掛け退却、深夜500の兵で夜討、朝飯時1000の兵で朝駆け退却。
深追いはしないが、落ち付いて飯を食えない状況にする。飢えと寒さで士気を落とさす。
晩飯時と夜中働いた兵は、昼間は城内で布団をしいて寝る。朝駆けした兵は、そのまま城の警護にあたる。
晩飯や深夜に出陣した城方の兵は無印で挑み、相手の兵の旗印を100本でも奪ったら、
それを背中に付けて朝駆け組みが切り込むと相手は混乱する。城に戻る時は相手の旗印は廃棄。
461人間七七四年:2011/03/01(火) 11:18:38.70 ID:GJ2MJEwf
城方の浪人衆は、一部の大名や家臣を除いて
生きるために窃盗してた野武士や山賊グループのような輩もいるから
夜討ちの類は得意だろ
462人間七七四年:2011/03/01(火) 11:31:15.00 ID:GJ2MJEwf
夜襲で取り上げた最上の旗印を付けて上杉の陣に朝駆けするのも楽しからずや
裏切り者って激怒した上杉軍に鉄砲を撃ちかけられる最上本陣
463人間七七四年:2011/03/01(火) 20:07:03.12 ID:WoQ1e++F
徳川方の密偵もいるだろうしなー大規模な隠密作戦は難しいんじゃねか
464人間七七四年:2011/03/01(火) 20:38:59.45 ID:AE0xE213
順番を決めたら待ち構えられるだろw
465人間七七四年:2011/03/01(火) 22:14:59.53 ID:DsUQA4AC
そんな訓練してるひまねーよ。
頼りになるとしたら浪人衆じゃなくて馬周りとか正規軍だろ。
466人間七七四年:2011/03/01(火) 22:19:42.18 ID:ftKAGHP/
徳川の間者と疑われる人物には、嘘の情報を流して真偽を確かめる。

(例)3日後に城方の総攻撃があると教え、徳川方の軍の動きを見る。
動きがあれば間者
(例)秀頼公、極秘に京に出かけらし、朝廷に拝謁の予定と教えて
京が喧しくなったら間者
467人間七七四年:2011/03/01(火) 22:22:01.59 ID:AE0xE213
「間者と疑われる人物」が多すぎて無理w
468人間七七四年:2011/03/01(火) 22:33:25.71 ID:ftKAGHP/
>>464
順番はランダム。今日は城の北、明日は東、明後日は南でなくまた北と攻める

>>464
徳川も同じだが豊臣も家臣は世代交代した2世のボンボンが多い。
常に鉄砲や弓矢が届かない安全な総大将の本陣にいたから実体験のある兵は少ない。

徳川方は大名や徳川家臣の与力として参加してる小大名の兵が強く。
豊臣方は関ヶ原浪人衆の兵が強い。

戦いは、戦場の経験値がモノをいうw
469人間七七四年:2011/03/01(火) 22:49:07.85 ID:ftKAGHP/
間者と疑われる人物が多すぎたら、偽軍議ばかり開いて間者を混乱させる。
470人間七七四年:2011/03/01(火) 22:51:12.62 ID:cdeKKpvu
そしてみんな混乱して崩壊するんですね
471人間七七四年:2011/03/01(火) 22:53:33.93 ID:AE0xE213
ギャグだな
472人間七七四年:2011/03/01(火) 23:48:43.43 ID:FJedhDEW
桶狭間よろしく味方が二千ぐらいなら統率も出来るけど十万もの兵士ともなると細かい統率は不可能。

日露戦争の時代だって電信とかあったのに本部大混乱だぜ。
473人間七七四年:2011/03/02(水) 17:37:00.17 ID:QT9u7YZA
間者と疑われる人物は、戦の最前線に送る。
最も危険な場所に送って討ち死にしてもらう。
474人間七七四年:2011/03/02(水) 17:47:50.94 ID:2adm7nMu
気に入らないのを間者にでっち上げるバカが続出しそう
475人間七七四年:2011/03/02(水) 17:51:41.63 ID:ViQknw6o
夏の陣の大坂城って堀を埋められたといっても本丸と南面以外の二の丸の堀は残ってたわけだろう? 
要するに今残ってる大坂城と同じだけの広さ。 あれかなりの広さだぞ。
二の丸南面だけ掘り返してそこに全軍で篭れば、兵糧さえあれば冬の陣と同じく
力攻めでは落とせないんじゃないか?
476人間七七四年:2011/03/02(水) 17:55:40.32 ID:dh+r2HnT
最前線なんて重要な場所を信頼できない人物に任せるとはアホやな
477人間七七四年:2011/03/02(水) 17:57:57.54 ID:/f7Vzpfj
二ノ丸は全部埋められています
478人間七七四年:2011/03/02(水) 18:07:08.90 ID:ViQknw6o
>>477
マジで?
wikiだと南以外の二の丸堀は残ってるんだが、あれは間違いだったか。
479人間七七四年:2011/03/02(水) 18:17:04.32 ID:AFL1Ltd1
冬の陣が始まる前に紀州、大和、伊賀を攻めて徳川の軍勢を山で待ち受ける
480人間七七四年:2011/03/02(水) 19:06:51.51 ID:2adm7nMu
手薄の大阪城を突かれるぞ
481人間七七四年:2011/03/02(水) 19:12:24.96 ID:/omRHQHk
連動できないと各個撃破されちゃうだけだしなぁ
482人間七七四年:2011/03/02(水) 19:18:55.66 ID:twYzMU9h
伏見城を取って御所を盾に戦うしかないだろう
483人間七七四年:2011/03/02(水) 23:54:33.75 ID:iwbUyHuE
だから戦で勝つ事考えるんじゃなくて豊臣家を残す事考えようぜ。

勝つのは無理なんだから
484人間七七四年:2011/03/02(水) 23:55:58.78 ID:2adm7nMu
ひたすら土下座しまくる
どんだけ無茶いわれてもイエス
それなら潰されないだろ
485人間七七四年:2011/03/03(木) 00:40:00.08 ID:uOCxEjuP
秀信ポジでお願いします。一文字頂戴して康秀に改名しますんで。
486人間七七四年:2011/03/03(木) 03:11:28.82 ID:ZWwEfryX
残すだけならそんな難しくないしなぁ、
487人間七七四年:2011/03/03(木) 07:23:43.43 ID:Gdym+D7P
旗本クラスでもいいというなら残してもらえるんじゃないの?
488人間七七四年:2011/03/03(木) 19:43:06.89 ID:DKRE8E9b
高家という道も…
489人間七七四年:2011/03/03(木) 19:43:25.65 ID:cgxJZo3c
冬の陣の前だと簡単だから後にしようぜ。
490人間七七四年:2011/03/03(木) 19:49:31.61 ID:AmsspRQ8
後は無理だろw やらかした後じゃ
491人間七七四年:2011/03/03(木) 20:35:31.58 ID:cgxJZo3c
夏の陣で勝つ事考えるよりは可能性高いだろ。
492人間七七四年:2011/03/03(木) 20:38:47.65 ID:AmsspRQ8
大阪城から出て謹慎
淀君を人質として江戸に
大野とかに切腹させる
493人間七七四年:2011/03/03(木) 20:55:56.75 ID:ZWwEfryX
泳いで台湾まで逃げそこで繁殖して増えてから逆襲する
494人間七七四年:2011/03/03(木) 21:21:48.13 ID:Gdym+D7P
>>493
後の鄭成功である
495人間七七四年:2011/03/03(木) 21:26:44.51 ID:cgxJZo3c
城内の浪人衆が一番のネックだよな。
服従する以上放逐だが素直にしたがう訳も無いし。
496人間七七四年:2011/03/03(木) 21:33:04.53 ID:AmsspRQ8
>>495
幕末の徳川慶喜みたいに置き去りにして逃げるかw
497人間七七四年:2011/03/03(木) 22:59:58.95 ID:4SO40kY3
>>496
正直それがベストだっただろうな。山名豊国みたいだが。
498人間七七四年:2011/03/03(木) 23:47:23.71 ID:cgxJZo3c
そして大阪攻めの先頭に立って活躍して五万石ぐらいの外様に返り咲くと。
499人間七七四年:2011/03/03(木) 23:56:01.66 ID:Wz62ruGq
夏の陣は毛利、真田、大野といった少人数でもあれだけ奮闘できたのだから
七手組が傍観しないで後詰で出陣すれば家康や秀忠の首が取れたかもしれない。

勝負事に100%はないから、野球なら9回2アウトからでも逆転できるし
サッカーでもロスタイムで逆転できる。格闘技ならボクシングでも終了間際まで
有利に戦っていても一発のKOパンチで逆転され勝負が決まる事がある。
500人間七七四年:2011/03/04(金) 00:00:16.63 ID:9+GQF+qN
十人の喧嘩と十万人の喧嘩を同列にされてもね。

徳川が二万で豊臣が五千とかならまだ望みもあるかも分からんが。
501人間七七四年:2011/03/04(金) 00:03:50.72 ID:aGAGktZG
大軍を率いる総大将が取られたら、味方が総崩れすることは
古今東西の戦でも良くある事だ。
502人間七七四年:2011/03/04(金) 00:31:19.67 ID:rw/+uKXW
大阪の陣は、家康が秀頼に「俺様に大阪城を差し出せ!」と言ったら
秀頼は「大阪城は父から譲り受けた形見の城だからあげない!」と拒否したら
家康が怒って「それなら城と共に死ね!」って攻撃しただけのお話。
503人間七七四年:2011/03/04(金) 00:31:35.92 ID:76aBuW0o
>>501
意外と無い。0.1%以下
504人間七七四年:2011/03/04(金) 00:33:32.02 ID:DaM4afsh
>>502
> 大阪の陣は、家康が秀頼に「俺様に大阪城を差し出せ!」と言ったら

その前段階で秀頼が「徳川うぜーし家康殺そうぜ!」って全国の諸侯にハッパかけた。
当然尽く無視されたが。
で、家康はそんな火遊び出来ないように大阪城から出ろと言った。
505人間七七四年:2011/03/04(金) 00:42:30.64 ID:KkxWNDFE
近年の研究では、むかし親方が元気なころは膝を屈して服従を誓い家臣になって
そして親方が死んだら、その息子が幼い事をいいことに好き勝手して弱体化させ
息子が成人になったら、かつての主家に言いがかりをつけて滅ぼすという極悪非道の謀反人
506人間七七四年:2011/03/04(金) 00:50:18.80 ID:cQCz2/8M
夏の陣ではよく家康本陣が一時壊走したような書かれ方してるけどなんかうそ臭いよな。
従深の幕府軍が先鋒の壊乱によって雪崩現象を起こしてそれが最後衛の本営まで波及したというのが
大体の話のパターンだけど、あの時代に一旦そこまで混乱した15万もの兵力がその日のうちに
反撃に転じて一気に勝ちを納めるまで持っていけるもんなのかな?
実際は家康本隊にも敵の攻撃が及んだから迎撃に応じたという程度じゃないか?
507人間七七四年:2011/03/04(金) 01:00:45.86 ID:+cMbzjqV
講談とか真に受けてる口ですか?
508人間七七四年:2011/03/04(金) 01:04:25.76 ID:KkxWNDFE
松平忠直の馬鹿が調子にのって前へ前へ行って肝心の家康本体を守る事を忘れたから
真田、毛利の特攻を喰らった

家康が怒って戦後の加増もなし、形だけの粗品だけやった
509人間七七四年:2011/03/04(金) 01:04:53.67 ID:cQCz2/8M
そうではないけどさ、天王寺の戦いは序盤から一方的に幕府軍が豊臣方を押し潰した訳ではないだろう?
510人間七七四年:2011/03/04(金) 01:10:48.66 ID:DaM4afsh
>>509
大阪方の奮戦も確かにあったが、トータルで見れば幕府軍が一方的に押しつぶした戦い。
511人間七七四年:2011/03/04(金) 01:22:14.03 ID:aGAGktZG
落ち目の豊臣相手に徳川軍先鋒大将の本多忠朝が討ち死にしたから
512人間七七四年:2011/03/04(金) 01:29:34.11 ID:rw/+uKXW
落ち目の豊臣相手に負けて逃げ回る本多勢の救援に駆けつけた小笠原秀政・忠脩が討ち死にしたから
513人間七七四年:2011/03/04(金) 01:32:36.82 ID:rw/+uKXW
落ち目の豊臣相手に榊原康勝、仙石忠政、諏訪忠澄の三隊もビビッて逃げたから
514人間七七四年:2011/03/04(金) 01:35:03.49 ID:+cMbzjqV
前提として、前日の八尾・若江合戦が本来の決戦であり、そこで主力の半数が壊滅。
天王寺・岡山合戦はすでに勝負が決まっていた訳で
大阪方は日本人お得意の万歳突撃を敢行、徳川方にしてみれば掃討戦
序盤は全線で大阪方が優位に進めるが、当然そんな勢いが続く訳も無く
押しつぶされて終了。本陣は安全のため若干後退させたが、旗本に損害0
数万の特攻うけりゃ前線に多少の損害は当たり前だよなくらいの話で、徳川完全勝利。
絶望的な掃討戦受けてるのに本陣後退させた真田すごくね?
尾ひれが付いて庶民の娯楽読み物に
515人間七七四年:2011/03/04(金) 01:36:17.63 ID:rw/+uKXW
落ち目の豊臣の大野勢と前田勢が交戦したが前田が手を抜いて逃げたから秀忠の本陣まで攻められた
516人間七七四年:2011/03/04(金) 01:41:30.71 ID:KkxWNDFE
前日の八尾・若江合戦は予定外の遭遇戦
徳川親子が出てきた天王寺・岡山合戦が本番
517人間七七四年:2011/03/04(金) 01:52:26.19 ID:vniY+V0g
>>514
家康の本陣自体は安全のため若干の後退も撤退もしなかった
ただ小便ちびりながら慌てて脱兎のごとく逃げたのが家康と一部の旗本衆だけw
518人間七七四年:2011/03/04(金) 12:40:05.03 ID:DaM4afsh
>>517
はいはい良かったねえ良かったねえソースは?
519人間七七四年:2011/03/04(金) 13:08:30.35 ID:cQCz2/8M
やっぱり戦いは数だな。
520人間七七四年:2011/03/04(金) 18:00:26.13 ID:NAdJo1ci
伊達がもっと味方を撃ち殺してたら勝てた
521人間七七四年:2011/03/04(金) 19:24:28.44 ID:7ToUYc3e
やっぱり戦いは準備だな。

豊臣が3年前から準備してたら勝てた
522人間七七四年:2011/03/04(金) 19:38:51.96 ID:AWM6/WL2
そんなんバレるにきまってますやん
523人間七七四年:2011/03/04(金) 19:46:40.50 ID:q2uw36ZN
北条よろしく準備して名胡桃城占領しましたってオチになるだけだろ。
524人間七七四年:2011/03/04(金) 20:11:52.82 ID:CDAZIXUK
>>521
秀吉がこの事ありと予想して、蔵入地にせず摂津、河内、和泉、大和、紀伊、山城、近江を豊臣の直轄地としておけば石高250万石、
動員数8万で家康もちょっと手がつけられなかっただろう、京都も勢力圏だから将軍宣下も受けられず、豊臣の家臣を続けるっきゃなかっただろう。
525人間七七四年:2011/03/04(金) 20:39:02.14 ID:4ZWqzVIq
可能なら実行しただろうなw
526人間七七四年:2011/03/04(金) 20:44:31.20 ID:q2uw36ZN
関ヶ原の褒美に削られるから同じ。
臣下の反乱を臣下が潰した。

明智倒した秀吉がやった事じゃねーの。

まあそもそも秀頼に判断能力なくて家康が後見人だったのが問題なのに。
527人間七七四年:2011/03/04(金) 21:14:33.77 ID:cQCz2/8M
250万石から60万石余に削られるのをボーっと見てた時点で豊臣家って痴呆集団同然だな。
528人間七七四年:2011/03/04(金) 21:17:28.51 ID:q2uw36ZN
>>527
だから正当な(量が妥当かはともかく)報酬を払ったまで。
朝鮮出兵に続いて報償無しとかやったら鎌倉の二の舞じゃねーか。
529人間七七四年:2011/03/04(金) 21:44:58.12 ID:4ZWqzVIq
豊臣家のために働いた武将に豊臣家が褒美を出すのは当然だよな
530人間七七四年:2011/03/04(金) 23:22:15.18 ID:cQCz2/8M
褒美なら西軍大名の領地を与えてやったんだからそれでいいじゃん。
東軍は西軍を潰すために戦い、勝ったから西軍の領地を与える。
それだけで十分に筋が通るんじゃないの?
531人間七七四年:2011/03/04(金) 23:27:03.84 ID:4ZWqzVIq
それだけじゃ足りなかったんだろ
532人間七七四年:2011/03/04(金) 23:27:07.38 ID:feZ0JMPA
豊臣から出すのも筋が通ってるんだな
533人間七七四年:2011/03/04(金) 23:44:07.65 ID:cQCz2/8M
でもあれだろ、家康は豊臣直轄領の割譲に関しては淀殿の承諾は得てなかったんだろう?
534人間七七四年:2011/03/04(金) 23:53:56.30 ID:feZ0JMPA
淀にそんな権利ないし
535人間七七四年:2011/03/04(金) 23:56:30.62 ID:6YamFvgk
だからその判断下したのが後見人の家康。
利家は死んだし五大老で残ってるのは利長だけど豊臣家では無く家康に母親差し出してる状態。

他の恩顧の大名にしても貰えるならたくさん貰いたい訳だ。朝鮮出兵の損失補てんってのも切実だったろうし。

会社で社長がお飾りだったら利益を社員で山分けしちゃうだろ?そういう事。
536人間七七四年:2011/03/05(土) 00:42:14.34 ID:TJcJAT6b
秀頼が小学生ぐらいの時に主家を乗っ取って分配するのも酷いな
537人間七七四年:2011/03/05(土) 00:53:00.29 ID:iNownhTp
一緒に死んだはずの淀殿の墓が大阪のお寺で秀頼の墓が京都にあるのも変な話だ
538人間七七四年:2011/03/05(土) 00:55:42.76 ID:TJcJAT6b
槍でつかれた家康の墓も堺にあるけど、あれはどうなんだろう?
秀忠、家光の参拝記録があるみたいだが
539人間七七四年:2011/03/05(土) 01:09:34.14 ID:MspAivBg
>>536
お子ちゃまの三法師様担いで勝家とか信孝滅ぼして信雄臣従させた人が居なかったっけ?
その信雄に尾張から国替え命令して拒否ったら取り潰したとか。

その三法師もたった二十万石に満たない一大名で終わったらしいよ。
最後は野望持ったけど失敗して腹切ったとか。
540人間七七四年:2011/03/05(土) 01:23:49.18 ID:QeVEdNw1
>>538
あれも変だよな。
例え家康が無事だったとしてもあんなもんがあったら誤解を招きかねないし。
まさかマジで討ち死にしてたとか?
541人間七七四年:2011/03/05(土) 01:26:52.29 ID:/w5bRdoR
ないないw
参拝記録とやらを先ず疑えw
542人間七七四年:2011/03/05(土) 09:30:56.20 ID:ZOSKTE8S
事実は小説より奇なりと言うから、死を覚悟した真田隊と毛利隊が家康の本陣に特攻し、
武士の名を残す事だけを考える兵と人数頼りで戦をしたことが無い兵の両軍が入り乱れた
入り乱れる混乱した戦場でケガをし落ち延びた堺で死んでも不思議はない。

赤い塊となった集団の外側が鉄砲や弓矢で討たれ、赤い皮膚が剥がれるように
一枚一枚削ぎ取られても前進し、細くなりながらも家康の本陣に突入、
本来は我が身を張って守るべき兵のある者は逃げ、ある者はただ傍観し、陣を打ち破られる
543人間七七四年:2011/03/05(土) 09:47:27.04 ID:AaK5/D4U
上方講談と史実を一緒くたにされてもねぇ
544人間七七四年:2011/03/05(土) 10:52:35.07 ID:9bh64nKB
>>543
講談難波戦記は寛文12年(1672年)成立している。まさに江戸期に成立、個々で語られる信繁の活躍は
幕府も否定できない事実の反映。徳川直臣団の腑抜けぶりは隠し様がなかったんだろう。
俗謡に、「かかれ対馬(安藤重信・対馬守)に逃げ大炊(利勝・大炊頭)、どっちつかずの雅楽頭(酒井忠世)」
と嘲笑されている。
545人間七七四年:2011/03/05(土) 10:57:49.13 ID:QeVEdNw1
最後は本丸にだけでも立て篭もって徹底抗戦しろよな。
誰だ裏切って城に火をつけたのは。
七手組みの誰かか?
546人間七七四年:2011/03/05(土) 11:06:23.21 ID:ZOSKTE8S
「予を頼むぞ!」城門に集まった将校に秀頼は静かに言った。
そして足軽頭も集めて「ここに居る足軽雑兵にいたるまで我が豊臣の臣なり、
生きて他家に奉公しようと思うべからず、我が馬前にて討ち死にすべし、
秀頼、うぬらの活躍ぶり、しかと見届けるなり。」と言った。
浪人衆はもとより譜代の臣でも、まじかに秀頼公を初めて拝謁し感涙にむせた。

千成瓢箪の馬印が五月の風に揺れた。敵味方関係なく、かつての栄光を知る老兵に動揺が走った。
小高い丘に陣を張った秀頼は、兵を3隊に分け、左翼と右翼の兵は地面に伏せさせ
前面に敵が掛かってくれば側面を突かせる陣を仕掛けた。
547戦国オタク:2011/03/05(土) 11:21:53.52 ID:9bh64nKB
>>526
関ヶ原後に豊臣の領地が激減したのは別に家康が削ったからじゃない。豊臣領(220万石)の大半は諸侯が運営し
その中から豊臣家に納める仕組みだった、関ヶ原後の領土の入れ替えでこの仕組みが消失したので豊臣家の
収入が激減した、秀吉がその気なら近畿一円を豊臣家の直轄地とするのは容易に出来た。
548人間七七四年:2011/03/05(土) 11:53:29.07 ID:2LFnB9EI
>>547
それを削ったと呼ばずなんと言うんだよ。
踏み倒したとでも言うの?
それにみんなが国替えした訳じゃないんだし。

島津なんか領地そのまま。
長束正家とか蔵入地管理してたのが西軍で死んだのも大きいけど削って大名の懐に入れたんじゃん。
他にも金山銀山も取られてるし。
549人間七七四年:2011/03/05(土) 12:24:59.09 ID:QeVEdNw1
>>548
だから豊臣の領地は削ったんじゃなくて逆賊の西軍を倒した褒美として授けたんだっつーの。
何度言えばわかるんだよ。
550人間七七四年:2011/03/05(土) 12:56:02.68 ID:AaK5/D4U
>>544
所詮は俗説
551人間七七四年:2011/03/05(土) 13:08:54.34 ID:/w5bRdoR
>>544
根拠ゼロだから講談って言うんだよ
552人間七七四年:2011/03/05(土) 13:23:21.86 ID:ZOSKTE8S
「かかれ対馬(安藤重信・対馬守)に逃げ大炊(利勝・大炊頭)、どっちつかずの雅楽頭(酒井忠世)」
これが事実無根なら家名の名誉にかかわるから、当然、俗説を流した者は打ち首だなw
553人間七七四年:2011/03/05(土) 13:26:38.39 ID:/w5bRdoR
>>552
江戸時代の人は賢いからお前みたいにファンタジーと史実を混同してなかったんだよ
554人間七七四年:2011/03/05(土) 13:30:18.01 ID:AaK5/D4U
>>552
庶民の戯言には付き合わない
555人間七七四年:2011/03/05(土) 13:40:20.22 ID:iNownhTp
この時代、命や金より武家の面子の方が重要
笑って済ませるよう時代ではない。
556人間七七四年:2011/03/05(土) 13:43:47.92 ID:/w5bRdoR
>>555
笑って済まさないから各家で家譜という自分の家の歴史書を編纂しているんだよ?
なんか言われても「家譜をみろ」で済ませられるから。

わかったかい?
557戦国オタク:2011/03/05(土) 13:46:40.51 ID:9bh64nKB
>>552
徳川直臣団の腑抜けぶりは天下に知れ渡っていたから、目くじら立てられなかっただけ、いきり立てばいきり立つほど
笑いものになる。
558人間七七四年:2011/03/05(土) 13:49:07.41 ID:ZOSKTE8S
島津や細川家は、
有り得ないデマや戯言で真田信繁の活躍を持ち上げたから、一族打ち首のお家断絶だな
559人間七七四年:2011/03/05(土) 13:52:40.12 ID:ZOSKTE8S
伊達なんて戦後、有り得ないデマや戯言で活躍した真田の娘を
重臣の嫁にしたから一族打ち首のお家断絶だな
560人間七七四年:2011/03/05(土) 14:01:53.31 ID:TJcJAT6b
大阪の陣では、命を惜しまず戦場を駆け回り一度足りも敵に背中を見せない剛勇で名高い
「徳川旗本衆 日本一の兵なり!」と言われないのが悔やまれる。
外様の大名どもは何を見てたのだろうか?
561人間七七四年:2011/03/05(土) 14:14:23.30 ID:QeVEdNw1
>>560
そらまあ徳川の旗本はまさに総大将の親衛隊だからね。
一番良い働きをするのが当然ともいえるしね。
562人間七七四年:2011/03/05(土) 14:20:08.41 ID:iNownhTp
>>561
そうだなw神君家康公の旗本衆だから鬼神の働きだよなwww
あれは恐怖で逃げたのではなく、トイレに行くため席を外したと推測する。
563人間七七四年:2011/03/05(土) 14:24:46.04 ID:JxvJNYUD
で、何で君たちは実際にはありもしなかった大阪庶民のオナニー小説の記事を
そんなに熱心に語ってるの?
564人間七七四年:2011/03/05(土) 14:24:56.57 ID:AaK5/D4U
英雄か腰抜けかという極端な評価しかできんのか
565人間七七四年:2011/03/05(土) 14:33:19.17 ID:iNownhTp
徳川御家来衆の大活躍が語られないのは勝軍の将、兵を語らずの美徳だと思う。
566人間七七四年:2011/03/05(土) 14:47:44.31 ID:AaK5/D4U
全員「大日本史料」読め、東大史料編纂所のホームページで
無料で読めるのだから
567人間七七四年:2011/03/05(土) 20:35:31.19 ID:5BwrCrW+
>>544
荒唐無稽だからスルーしたんだろ
568人間七七四年:2011/03/06(日) 02:56:03.15 ID:CUmROvg/
笠谷和比古らは関が原以後も豊家は豊臣公儀を維持しており
65万〜100万石の一大名に転落した、という通説を否定していたな。

通説では太閤蔵入地は関が原以後に消滅したと考えられていたけど
関が原以降の太閤蔵入り地の算用書が残っており、資料的には従来説を
否定する格好になっている。
関が原以降の太閤蔵入り地の算用書とか秀頼がだした摂津河内和泉以外の国
の領地安堵の朱印状の存在はこれまでも知られてはいたが、無視されていたしね。

だいたい、大坂の陣ですら通説では大名は一人も豊家に馳せ参じた者はいなかった事に
なっているが、七手組は立派に万石以上の領地を持っており、大名だしな。
福島正則が兵糧米を差し出した事は通説でも触れているが、あといくつかの織豊系の大名が
大仏開眼の供物と称して数万石を拠出しているが、これも通説ではスルーされているな。



569人間七七四年:2011/03/06(日) 03:09:07.48 ID:ASvWCwtb
>>568
だが笠谷和比古の二重公儀論は思い込みが強すぎ荒唐無稽すぎる。
せいぜい「特殊な一大名」ぐらいがいいとこだわ。

それに関ヶ原によって豊臣は没落し天下のの主催者が徳川になったという認識は
当時の常識だったと考えていい。
関ヶ原からさほど立っていない時期の、対馬の宗氏が朝鮮に当てた外交文書にも

「関ヶ原の結果日本では徳川が天下をとった。大阪の秀頼は徳川のお情けで
大阪城に置いてもらっている存在に過ぎない」

とはっきり書いてる。
570人間七七四年:2011/03/06(日) 03:23:03.14 ID:CUmROvg/
>>569
だがもクソもないよ。実際に資料が残っているもんでな。

>せいぜい「特殊な一大名」ぐらいがいいとこだわ。

それを俗に豊臣公儀と称するんだろ。
摂津河内和泉の65万石の一大名が他人の主君でもないのに他国の領地安堵の
朱印状を出すのもおかしいし、通説ではもはや存在しないはずの太閤蔵入り地の
算用書がでてくるのもおかしい。

>それに関ヶ原によって豊臣は没落し天下のの主催者が徳川になったという認識は
>当時の常識だったと考えていい。

これはない。
伊達政宗が徳川配下の武将との手紙のやり取りで秀頼卿が成人されたら天下を治めるのが
当然であるが、もし器量がなければ家康公が2,3カ国を与えるのがよかろう的な事を書いてあるのが
残っている。
571人間七七四年:2011/03/06(日) 04:17:26.82 ID:dVb3zjb+
>>569
歴史学者ってのは常に独自の説をあたかも史実であったかのように喧伝したがるからあてにしないほうがいいよ。
とにかく飯のタネが欲しいだけだからな。
医者がなにかにつけて新しい病名を作りたがるのと同じだ。
572人間七七四年:2011/03/06(日) 07:52:21.69 ID:U8BJCXfW
>>568
七手組は立派に万石以上の領地を持っており、大名だしな。

確認したわけじゃないけど、七手組の領地は豊臣本家の所領の中からもらってるんじゃない?
それだと大名とは言えないな。
島左近が何万石かもらってても大名じゃないのと同じ。
573人間七七四年:2011/03/06(日) 10:56:22.43 ID:CUmROvg/
>>572
それは豊家を一大名としてあつかった場合の話だよね?
よくよく考えてみれば、豊家が65万石の一大名とした資料的根拠は特にないんだから
こんな事が通説としてまかり通る事が本当はおかしいんだけどね。

通説では豊家の直轄地でもない国に対する秀頼の領地安堵の朱印状が存在する事を
考えみればどうしても、一大名の地位を越えた公儀の立場でないと説明がつかないしね。
形式的には他国の領地を安堵していた秀頼なら、七手組は立派に大名って事になるよ。
574人間七七四年:2011/03/06(日) 11:53:50.44 ID:LS5kTJIi
それは直轄地でなく、豊臣家家臣の給知だったからでしょう。
関ヶ原合戦ではそれなりの数の豊臣家直臣が西軍として参加し、彼等の多くは没収されたけど、
そうでないのは残存したという話
575人間七七四年:2011/03/06(日) 12:55:43.60 ID:U8BJCXfW
>>573
大坂にも公儀があったことはその通りだと思うけどね。
まあ、俺が一番言いたいことは、七手組が大坂方に味方した事実を
過大評価してるんじゃないのってことさ。
豊臣家の親衛隊の組頭が豊臣家に味方した。順当に。それだけでしょ。
七手組が離反したら「七手組までも!」って事態だけど、
味方したんなら「そりゃそうだよね」で済む話では。
576人間七七四年:2011/03/06(日) 13:37:38.74 ID:525D/YI4
もし青木一重が冬の陣の前に謀反したらどういう扱いだったんだろうか
謀反したぞ→元々徳川の家臣だし、そりゃそうだよね
謀反してない→七手組だし、そりゃそうだよね
577人間七七四年:2011/03/06(日) 14:04:54.15 ID:7XA1TTOr
>>570
> これはない。
> 伊達政宗が徳川配下の武将との手紙のやり取りで秀頼卿が成人されたら天下を治めるのが
> 当然であるが、もし器量がなければ家康公が2,3カ国を与えるのがよかろう的な事を書いてあるのが
> 残っている。

それは「豊臣家のことなんて何事も徳川様の思い通りですよエッヘッヘ」という意味だ。
そんな事も読み取れないのか?
578人間七七四年:2011/03/06(日) 15:57:26.08 ID:Xot+VGf4
真田さんの懇願どおり秀頼が出陣してたら何か変わったのかな
579人間七七四年:2011/03/06(日) 16:53:42.87 ID:DSIH/vEO
秀頼出たからって勝てるというものではないと思うが
580人間七七四年:2011/03/06(日) 20:54:20.83 ID:CUmROvg/
>>574
大坂の羽柴家(豊臣とは姓だからあえて「豊臣家」とは書かない)の家臣とはどこまで
を言うんだ?

関が原の恩賞の加増も秀頼の名の下にやっている事だから、家康含む全ての大名は
羽柴家の家臣って事なんだが。

>>577
私信であり、大坂に遠慮する必要のない手紙のやりとりでいちいち「秀頼が成長したら天下を治
めるのは当然」なんてわざわざ書く必要があるのか?
581人間七七四年:2011/03/06(日) 21:17:38.59 ID:LS5kTJIi
>>580
徳川家で言うところの旗本クラス
582人間七七四年:2011/03/06(日) 21:21:25.30 ID:t3pADpXG
俺が軍師なら冬の陣で勝利を収めるのは可能
583人間七七四年:2011/03/06(日) 21:34:05.30 ID:dNxcH3qV
しかし籠城策取らないで初めっから真田の言う通りやってたら勝てたんかな。
584人間七七四年:2011/03/06(日) 21:38:05.97 ID:+o3MaPQu
むり
585人間七七四年:2011/03/06(日) 21:42:45.94 ID:qoLZPE8Y
家康が諸大名に号令かけて大阪城を取り囲むまでに時間はたっぷりある。
仮に大軍に包囲されても半年は篭城できる。
586人間七七四年:2011/03/06(日) 21:58:09.58 ID:Vm6cyH7d
城門の敵を溜めて討ち取る枡形になった所にわざと進入させて密集させて
最初から枯れ草と炭を地面一面にばらまいて敵が揃ったら火をつける
一回で1000人ぐらい可能だな
587人間七七四年:2011/03/06(日) 22:01:35.45 ID:U8BJCXfW
>>580
豊臣家の家臣:全国の大名
羽柴家の家臣:直轄領内部の家臣
ということではいかんの?
直轄領内部の家臣なら、万石以上でも独立大名とは言いがたいんじゃ。
江戸幕府でいう天領、旗本領、大名領と分けたら、七手組って旗本領でしょ。
588人間七七四年:2011/03/06(日) 22:06:47.75 ID:wHsYteyK
譜代領だろ
589人間七七四年:2011/03/06(日) 22:21:32.29 ID:dVb3zjb+
譜代領は七本槍や奉行になるんじゃないの?
七手組はやっぱ旗本じゃないのかな。
590人間七七四年:2011/03/06(日) 22:26:44.73 ID:ASvWCwtb
>>580
> 私信であり、大坂に遠慮する必要のない手紙のやりとりでいちいち「秀頼が成長したら天下を治
> めるのは当然」なんてわざわざ書く必要があるのか?

外様の大名が徳川の人間に出す書状に純粋な「私信」なんてあるわけないだろw
すべて政治的行為だ。

政宗が言っているのはとりあえず秀頼を立てるという家康の方針を尊重した上で

『気が変わって豊臣を追い落とすのなら私は当然賛成しますよ』

って政治的立場を表明してるの。豊臣の君主権を前提としたものでもなんでもない。
まさに豊臣が没落し徳川の天下になっていたことを表してる書状だ。
591人間七七四年:2011/03/06(日) 22:42:47.99 ID:CUmROvg/
>>590
>政宗が言っているのはとりあえず秀頼を立てるという家康の方針を尊重した上で

家康の方針がタテマエである事は徳川家の人間ならわかっているだろうに、大坂方の人間が
知る由のない手紙のやり取りで、なんでわざわざ「秀頼が成長したら天下を継ぐのが当然」なんて
書く必要があるんだ?

家康や徳川家の人間はしらんが、当時の風潮には秀頼が天下を継ぐのが当然というものはあったのは
確実。だからこそ、「御所柿は独り熟して落ちにけり木の下にいて拾う秀頼」なんてのがでてくる。
592人間七七四年:2011/03/06(日) 22:46:58.58 ID:+o3MaPQu
どこにどう漏れるかわからん以上どうとでも取れるもんにするでしょ
593人間七七四年:2011/03/06(日) 22:52:56.20 ID:ASvWCwtb
>>591
それは豊臣派の多かった京大阪だけのこと。しかも庶民の落書じないかw

まさか実際の支配層である大名クラスにそんな思想があったとか信じてるの?
594人間七七四年:2011/03/06(日) 23:01:45.09 ID:CUmROvg/
>>593
信じるもなにもそういう風潮があるからこそ、家康は無理な難癖つけてでも滅ぼしたんでしょうが?
595人間七七四年:2011/03/06(日) 23:17:34.24 ID:ASvWCwtb
>>594
難癖とか未だに信じてるのか。
大坂の陣はどう見たって秀頼の側からの徴発から始まった事だぞ?
よーくあの戦役の過程を勉強しなおしてみろ。
596人間七七四年:2011/03/06(日) 23:26:38.17 ID:CUmROvg/
>>595
挑発って・・・
当時の秀頼側は依然として公儀の立場を保ってたから、官位を得るのに幕府に
伺いを立てる必要なんてないわけだがなぁ。
597人間七七四年:2011/03/06(日) 23:47:15.10 ID:DSIH/vEO
秀頼が後継ぎの雰囲気→そこに家康、反逆!
の流れだろ
598人間七七四年:2011/03/07(月) 00:08:44.84 ID:TaAwYFBO
>>596
鐘銘事件も無断官位事件も勝手な牢人募集も各大名家への援助要請も
あとなにより片桐且元討伐事件

みんな幕府への挑発だっつーの。

秀頼は二条城会見で秀頼自身がどう思ったか知らんが形式的にも世間的にも家康に「臣従」
したことになってる。相手の城にノコノコ出かけて挨拶するってのはそういう事だ。
家康が秀吉に臣従した時と全く変わらん。

上記のことは秀頼がその「家康への臣従」をリセットしようとした行為にほかならない。

これが挑発でないのならこの世の中に挑発という行為は存在しないな。
599人間七七四年:2011/03/07(月) 00:15:02.54 ID:vdNtotSi
鐘銘事件→家康の揚げ足取り、難癖
無断官位事件→関白家なら当然
片桐且元→幕府が任命した犬
600人間七七四年:2011/03/07(月) 00:20:09.69 ID:vdNtotSi
二条城会見で先に頭を下げたのは家康w

秀頼に会った時、長年の癖で自然に頭を下げてしまった。
後で「しまった!」と反省した。
601人間七七四年:2011/03/07(月) 00:20:32.75 ID:MP1RDi++
秀吉存命時から傅役にゃー任命されとるわけだが
602人間七七四年:2011/03/07(月) 00:25:16.21 ID:cGU9fQjQ
力の無い女、子供でも受けて立たなければならないようにしたのが徳川幕府
家康と側近グループの悪知恵

603人間七七四年:2011/03/07(月) 00:26:49.66 ID:RTwIJwIn
>>598
違うな。
当時の幕府の権力は豊家には及んではいない。
なぜなら豊家は豊家で豊臣公儀であったのだから。

二条城の会見は少なくとも家康側は対等の会見を希望しているが、秀頼は家康を立てた。
秀頼が家康の孫婿であったことによるもの。家康が対等の礼遇を提案したのに対する謙譲なんだよ。
家康が秀吉にとったような臣下の礼をとったわけでもない。

官位事件も牢人募集も各大名家への援助要請も幕府にとっては気に入らぬかも
しれないが、豊家は武家諸法度の対象外になっていた。
幕府は諸大名に遵守するように誓詞を求めたが、秀頼は誓詞をだしていないし、大
体、出すように求められてもいない。
形式的には挑発になりようがないんだよ、幕府には豊家を咎める大義名分がないからな。

そして、寺の鐘の文句が気に入らぬ、というのはただの難癖。
604人間七七四年:2011/03/07(月) 00:27:27.81 ID:S0PMf4f/
>>602
子供って誰だよ?豊臣秀頼くん(22さい)の事かw
605人間七七四年:2011/03/07(月) 00:30:06.64 ID:vdNtotSi
>>601
秀吉存命時は秀吉の話相手の一人、
関が原以降、豊臣家の家老相当職にランク上げ(家康任命)
606人間七七四年:2011/03/07(月) 00:34:09.20 ID:TaAwYFBO
>>603
お前の思い込み以外一切書いてないんだがw
なーにが豊臣公儀だ。そんなモノは想像の中以外存在しない。

だいたい方広寺鐘銘事件に関してはあの文章を書いた文英清韓自身が

「意図的に豊臣家の文字と家康の諱を使った」

って証言しとるわ。

しかも当時の記録だと幕府が難癖つける前に、畿内の方で先に

「家康の諱が使われてる!」

って騒ぎになって、それで幕府が調査を始めた、ってのが流れだ。

家康に限らず人の諱を勝手に使うってのは主君か敵だけだ。
二条城で家康に臣従した秀頼が使っていいものじゃない。
つまり秀頼は、自分が家康の敵だと宣言したと同じ。

その程度のことも知らなかったのか。
607人間七七四年:2011/03/07(月) 00:35:39.15 ID:MP1RDi++
>>605
そりゃー、且元も大した人物じゃないが、人材誰もおらんかったからな、豊臣家に
608人間七七四年:2011/03/07(月) 00:38:39.25 ID:RTwIJwIn
>>606
ほう、公儀でない立場の者が他国の領地の采配をするのかw
それは初耳だ。

>二条城で家康に臣従した秀頼が使っていいものじゃない。
>つまり秀頼は、自分が家康の敵だと宣言したと同じ。

は?秀頼が家康にいつ臣従したの?
妄想か?

まぁその経緯は知っているが、あれを戦争のネタにふっかけるのは
やはり難癖だよ。
609人間七七四年:2011/03/07(月) 00:41:27.16 ID:RTwIJwIn
>>606
つかさ、秀頼は家康に臣従してもいないし、家康自身も
秀頼への臣従への誓詞を出してから出奔したわけでも追放されたわけでもない。
引き続き、家康の主人は秀頼なんだよ、現実的な力はともかく形式的にはね。
610人間七七四年:2011/03/07(月) 00:42:35.58 ID:5A/zh73z
だいたい方広寺鐘銘事件に関してはあの文章を書いた坊さんが
大阪城落城の時、秀頼一族と一緒に自害してるからな。
当時、武士ではない、お坊さんとしては珍しいが一説には責任を取ったとも言われてる。
まぁ家康の側近の坊主に難癖つけて嵌められたのが直接の原因だけど
611人間七七四年:2011/03/07(月) 00:44:13.59 ID:GX0YDBcD
明日月曜だってのにチャットのような盛り上がりだなw
612人間七七四年:2011/03/07(月) 00:46:04.71 ID:MP1RDi++
残念だがもう月曜なんだ……この絶望感、まさしく夏の陣。
613人間七七四年:2011/03/07(月) 00:50:42.23 ID:RTwIJwIn
大徳寺山門木像事件と方広寺鐘銘事件は針小棒大の典型例だろうな
614人間七七四年:2011/03/07(月) 00:58:45.83 ID:5A/zh73z
>>613
俗に言う、言いがかりと同じですなW
615人間七七四年:2011/03/07(月) 01:06:17.79 ID:5A/zh73z
皆の衆、明日も無知な家康房を論破して楽しもう
616人間七七四年:2011/03/07(月) 01:09:14.68 ID:RTwIJwIn
臣下の礼を取っているし、現時点では征夷大将軍の自分達に実権あっても、相手は将軍家より上の
関白家。格上だし諸大名の手前、おおっぴらに武家諸法度を守れとも言えず、ずるずるしているうちに
寿命が近くなり、焦りまくる。
そして、支離滅裂な理由でも見つけて秀頼を討たないとまずいと思ったんだろうなぁ。
617人間七七四年:2011/03/07(月) 01:51:03.00 ID:BMRFElye
>>615
なーんか典型的な通説厨っぽい。
豊臣が一大名に成り下がったとか、家康に臣従したとか
特に*当時の*資料的裏付けがないのをしらないんだろう。

無理もない。教科書なんか読んでると、関が原で豊臣方
が負けたとか普通に書いているし、しょうがないわな。
秀頼の代理として出陣しているのに豊臣方が負けたはないだ
ろ、と思うが、そういう知識で喚いているのさ。たぶんね。
618人間七七四年:2011/03/07(月) 03:20:03.29 ID:xF0k24F/
>秀頼への臣従への誓詞を出してから出奔したわけでも追放されたわけでもない。
豊臣の領地を大坂周辺以外全部貰って征夷大将軍になって年賀の挨拶なんて二度としないとなったんだから
豊臣側がいくら屁理屈をこねても1603年の時点で豊臣家の大老を辞めたとしか言いようがない
直接辞めると言っていないからダメ?それなら秀吉だって関白になっても織田家家老を辞めるとは直接言っていないよ

>相手は将軍家より上の関白家
別に秀頼自身は関白でもなんでもない
親が元関白でも本人が関白でない人間なんてこの時代でも秀頼以外に大勢いるから比較にならないね
それに秀頼を無視して15年も五摂家側で問題なく関白を回しているから
秀吉がイレギュラーだっただけで豊臣家が関白家だなんて扱いではもうないよ
619人間七七四年:2011/03/07(月) 13:07:36.01 ID:5bHv5PWv
豊臣の一大名化は、単純に規模の話でしょ。でもって武家の棟梁たる征夷大将軍は家康。
何も間違えていないんじゃ?豊臣が武家でないなら議論の余地有りかもしれないけど。

最高権力者の秀吉が関白に就いたから意味があるわけで。
関白自体に実権があるわけじゃない。秀吉が外れりゃ、名誉職と同義。
620人間七七四年:2011/03/07(月) 13:20:43.28 ID:ymhiDEu3
全員放逐、秀頼だけ城に残って琴を弾く。これぞ空城の計
621人間七七四年:2011/03/07(月) 20:37:13.82 ID:BMRFElye
>>619
いや、秀吉と秀次が武家関白の先例作っているから征夷大将軍よりも上になる。
元々関白は全ての臣下の頂点だ。秀頼は関白にはまだなってなかったが、家そのものは
関白家であるので、依然として公儀の家といえる。秀頼は微妙な立場にいたってこと。
622人間七七四年:2011/03/07(月) 20:53:49.18 ID:pYJ1Mb++
>>621
五摂家に関白位が戻っているから、武家関白は御破算でしょう
623人間七七四年:2011/03/07(月) 21:21:36.18 ID:BMRFElye
>>622
いや、それは秀頼が若すぎる為で、つなぎとも考えられるわけで。
当時は微妙な情勢だった。毛利輝元の手紙にもそうある。
だからこそ、家康はささいな事に難癖つけてでも戦争ふっかけたんだし。
秀頼が無力な一大名ならそのようなことをする必要はない。
624人間七七四年:2011/03/07(月) 21:46:06.62 ID:pYJ1Mb++
>>623
それはどうでしょう。当時の関白で九条幸家と鷹司信尚はともに20台前半です。
むしろ五摂家としては半ば騙し取られた関白位を再び奪われることは頑として
拒否したでしょうし、徳川家もそれに与したでしょう
625人間七七四年:2011/03/07(月) 21:58:36.44 ID:BMRFElye
>>624
武家関白といわゆる関白とはちょっと違うだろ。
秀頼は正二位右大臣(一説には左大臣も)まで上がっており、信長の全盛期と同じだし
関白まであと一歩だったしなぁ。
五摂家はともかく、いわゆる朝廷は豊家にかなり好意的で、大坂の陣まで武家の公儀の
家として扱っているしな。
626人間七七四年:2011/03/07(月) 22:17:12.02 ID:pYJ1Mb++
>>625
右大臣位は上洛させ服従させるための家康の策
この時、家康は秀忠に将軍位を譲っており、ここで臣従すれば丸く収まった

しかしこの最高のチャンスを豊臣家、特に淀殿は母子共に自害すると拒絶
此頃から家康の対豊臣政策は硬化して行く
627人間七七四年:2011/03/08(火) 01:44:37.75 ID:KREHT1x1
>>625
講談話 乙
朝廷への挨拶は、淀殿は反対していない
628人間七七四年:2011/03/08(火) 02:03:16.02 ID:2PREDeTX
二条城の会見の後に死んだ加藤清正の死因は水銀中毒

家康の自家製漢方薬=梅毒の薬=水銀投与
629人間七七四年:2011/03/08(火) 03:28:39.51 ID:mUdeU3Wp
朝鮮出兵で朝鮮人から梅毒を移されたのに家康のせいにするなんて加藤は往生際が悪いな
630人間七七四年:2011/03/08(火) 09:09:07.03 ID:g9dU35v7
>>627
>>626のアンカミスと思うので書くけど、臣従は徳川家に対してで
切腹云々は「当代記」「耶蘇会年報」に記述がある
631人間七七四年:2011/03/08(火) 10:01:09.92 ID:g9dU35v7
>>629
朝鮮人じゃなくて、おそらく遊女だろうけどね
632人間七七四年:2011/03/08(火) 18:36:48.67 ID:XbaEDi/D
慰安婦
633人間七七四年:2011/03/08(火) 18:46:09.45 ID:W3wQN5O8
大坂の話からズレ過ぎだろ。
朝鮮が内紛の隙を突いて九州上陸とかそういう妄想でもする?

結果的に豊臣助けるのは皮肉でしか無いがw
634人間七七四年:2011/03/08(火) 21:39:31.08 ID:bmIoc9TR
>>606
・・・???
だからそういうのを難癖というんだろ。
寺の鐘の文句が云々で大戦争やるなんて古今東西聞いたことないわ。
635人間七七四年:2011/03/08(火) 21:50:14.70 ID:f/OsFQRc
>>634
鐘銘事件は開戦に至る要素の一つに過ぎないじゃん。何いってんだお前?
まさかそれだけが理由で大阪の陣が起こったとか信じてるの!?
頭大丈夫か?
636人間七七四年:2011/03/08(火) 21:54:26.80 ID:bmIoc9TR
>>635
何熱くなってんの?

大坂の陣はようは家康が権力を独占したいという欲望から発生した事だろ。
鐘の件はただのきっかけにすぎない。でも鐘の件があまりにも小さい事だから難癖と呼ばれるんだよw
637人間七七四年:2011/03/08(火) 21:58:39.80 ID:g9dU35v7
>>634
鐘銘で開戦でなく、片桐且元を殺そうとした豊臣家が兵をあげたのが
豊臣家討伐の理由なんだが
638人間七七四年:2011/03/08(火) 22:03:28.65 ID:KdmPh99T
>>636
いや、既に権力は握ってる。

後顧の憂いを断つのと同時に、
関ヶ原で発生した失業者問題を一挙に解決。
社会安定に寄与した施策。
639人間七七四年:2011/03/08(火) 22:04:23.04 ID:bmIoc9TR
>>637
そういうのを屁理屈というんじゃ?
且元の件は元々は鐘の件が元になっていること。
家康の表向きの理由なんてどうだっていいよ。
家康が朝廷に軽くあしらわれた以上、どちらにせよ大義名分のない戦いだったわけだし。
640人間七七四年:2011/03/08(火) 22:08:26.91 ID:bmIoc9TR
>>638
そう、だから後顧の憂いをたつためってのは権力を独占したいからでしょ。
あのまま放置していたら、秀頼が関白になって諸大名がそちらになびく恐れがあったから。

社会安定に寄与したのではなく、単に独占欲を満たす為。
641人間七七四年:2011/03/08(火) 22:16:01.39 ID:yT26CVFQ
後顧の憂いを絶つことは社会安定に寄与すると思うがw
642人間七七四年:2011/03/08(火) 22:27:45.86 ID:g9dU35v7
>>639
言わない
徳川家としては鐘銘については詫びに留まらない、豊臣家の行動を求めている
これに対して且元が参勤か人質か移封の案をだし、これに強く拒絶反応を示した
秀頼らが且元を討伐したのが理由

つまり先に兵を挙げたのは豊臣家な訳だ
643人間七七四年:2011/03/08(火) 22:28:05.17 ID:bmIoc9TR
>>641
後顧の憂いとは徳川の権力独占を犯す恐れ、ということで別に庶民には関係のない話しだし。
思いっきり私的な欲望。

別にそれがいけないといってないけど、朝廷からも大坂討伐の大義名分を得られなかったでしょ。
家康が関白なら朝廷そのものと言えるから、そんな事をする必要はないが前将軍程度ではお願い
するしかないわけで。でも相手にされず。
だから大坂の陣とその動機は私的な戦い、私的な欲望。それだけよ。


644人間七七四年:2011/03/08(火) 22:29:06.22 ID:bmIoc9TR
>>642
言うよ。それだけだ。
645人間七七四年:2011/03/08(火) 22:33:01.14 ID:g9dU35v7
>>644
論理的でない返答、それこそ屁理屈
646人間七七四年:2011/03/08(火) 22:36:22.92 ID:bmIoc9TR
>>645
何の根拠もなく「言わない」とするほうが非論理的。屁理屈だろ。
647人間七七四年:2011/03/08(火) 22:41:39.39 ID:KdmPh99T
>>643
1614年の段階では、徳川の権力構造はもはや崩れない状況だよ。
諸大名が、大阪に味方するメリットはもう消滅してる。
あるのは、大阪を中心とする局地的な社会不安だけ。
混乱発生後の鎮圧に要するコストは、事前予防に比べて遥かに大きい。
648人間七七四年:2011/03/08(火) 22:44:11.82 ID:g9dU35v7
>>646
じゃあ鐘銘問題という交渉事と、且元討伐という武力行為は異なる局面という事
649人間七七四年:2011/03/08(火) 22:47:35.68 ID:bmIoc9TR
>>647
徳川の権力構成は3代目でようやく完成しているのになにを根拠に。

もともと徳川の征夷大将軍の職も豊臣公儀の枠内ではじまったもの。
家康が当時の官位官職とセットになっているから、という理由でとったものだ。
しかし、それも以前に太閤の推挙があっからできるわけで。
そんな経緯的にも怪しい政権を維持しようと思ったら、秀頼を消すしかないのは理解できる。
秀頼を残したまま家康が死ぬとどうなるかわからんよ。
650人間七七四年:2011/03/08(火) 22:48:22.72 ID:bmIoc9TR
>>648
異なる局面という根拠がないわな。
651人間七七四年:2011/03/08(火) 22:56:10.40 ID:AJW2iVH9
>>649
「秀頼を残したまま家康が死ぬと、どうなるか分からない」ってのは大阪vs江戸で大戦争する可能性ってこと?
そうなると応仁の乱みたいに双方が疲弊→全国に群雄割拠で戦国時代が再来するかもな
その場合苦しむのは庶民
家康が難癖つけて無理やり滅ぼしたのは、結果的に庶民のためになった
政治なんて結果が全てなんだから、結果オーライで問題なし
652人間七七四年:2011/03/08(火) 22:57:09.02 ID:g9dU35v7
>>650
交渉と実力行使という明確な差があるけど
653人間七七四年:2011/03/08(火) 23:07:03.84 ID:KdmPh99T
>>649
家光の時に、将軍親政が始まり、各種法度や参勤交代等が整備されたわけで。
つまり、江戸幕府が制度的に確立されたのが家光の時という事だね。

権力自体は、家康存命時に徳川家で掌握されている。
654人間七七四年:2011/03/08(火) 23:09:45.55 ID:bmIoc9TR
>>652
それが差と言えるかどうかの根拠がない。
なぜなら二つとも鐘の件の話という枠で括れるから。

>>653
徳川家で掌握されているというのは実は根拠がない。
実際は二重公儀状態であったのではないか、と言われているわけで。
家康が完全に天下を取ったと言えるのは秀頼を消してから。
655人間七七四年:2011/03/08(火) 23:11:00.24 ID:AMOQZvT5
家康が秀頼を残して死んで秀頼が関白になっても豊臣に靡く諸大名なんて数えるほどしか居ないだろ
656人間七七四年:2011/03/08(火) 23:13:31.59 ID:KdmPh99T
>>654
根拠も何も単純な話だよ。

1614年の段階で、豊臣が徳川に伍せるか、という話。
二重公儀も当然有り得るが、それは形式的な話に過ぎない。
権力とは形式ではない。実を備えたものでしょ?
657人間七七四年:2011/03/08(火) 23:16:32.57 ID:g9dU35v7
>>654
外交と軍事に差がないと言われても…
658人間七七四年:2011/03/08(火) 23:19:03.34 ID:bmIoc9TR
>>656
大坂の陣で10万以上集めているが、やり方によっては十分勝てたと思うよ。
難攻不落の巨城とはいえ、最初から篭城は愚の骨頂だろうね。
659人間七七四年:2011/03/08(火) 23:25:41.70 ID:KdmPh99T
>>658
10万以上の失業者が集まる事自体が、社会不安の存在を示すものだよ
その核となり得る豊臣家とともに、一掃出来た意味は大きいよ。
大坂の陣は、そういう意味で社会安定施策と言える。
660人間七七四年:2011/03/09(水) 00:02:40.61 ID:OzSJ28JT
>>659
誰のせいでそんな失業者居たのかな〜?
661人間七七四年:2011/03/09(水) 00:04:26.24 ID:UlYaPVSI
誰のせいでもないが強いて言えば秀吉
662人間七七四年:2011/03/09(水) 00:06:37.01 ID:UbgOtaqg
秀吉は朝鮮送りにして減らそうとしてたじゃないか
663人間七七四年:2011/03/09(水) 00:17:45.62 ID:D3fL0Qnb
>>658
真田や後藤が主張した(とされる)積極策も現実味は乏しいし、結局のところ
冬の陣は篭城策がベターだったとは思うけどね。
664人間七七四年:2011/03/09(水) 01:02:52.40 ID:i5UQ8PwB
>>660
三成だろw
665人間七七四年:2011/03/09(水) 01:21:19.40 ID:nIi5/mTl
秀吉も光成も家康も太平の世に不必要なゴロツキまがいを減らしたのは評価していいだろうな
主体的ではないが秀頼も功績あり
666人間七七四年:2011/03/09(水) 01:44:39.77 ID:qqddxjmT
冬の陣の幕府軍って補給線の維持は大丈夫だったの?
秀吉の小田原攻めは一説によればかなり危なかったらしいけど、幕府軍ももし包囲が
1年以上続いてたら補給が破綻しなかったの?
667人間七七四年:2011/03/09(水) 05:36:28.75 ID:bR1hT7j2
なんか二重公儀説を金科玉条のようにいってる人がいるけど、
秀忠が将軍に就任した際に日本全国の大名に所領安堵を行っている。
武士の基本システムである御恩と奉公の枠組みに大名達を治めたわけ。
それから豊臣公儀から徳川幕府への権力移行が漸進的に進み、
大坂の陣の時には豊臣家を公儀と認める家がなかったのは歴史が示すとおり。
668人間七七四年:2011/03/09(水) 08:13:12.47 ID:ooUtB+sn
豊臣を公儀と見ていたのは一部の大名だけ
大半の大名は徳川を公儀を見ていた
その結果が大阪の陣
669人間七七四年:2011/03/09(水) 08:43:12.60 ID:nXff3Utg
>>666
西は大動脈である瀬戸内海、東は関ヶ原に勝った直後より
整備を始めた五街道がある
670人間七七四年:2011/03/09(水) 19:19:09.85 ID:vja7aIec
西日本の大名は豊臣を公儀とみなしていたよ。
なにより朝廷が豊臣公儀を武家公儀として認めていたのが大きい
徳川幕府自体も秀頼への伺候を薦めていた。
671人間七七四年:2011/03/09(水) 20:03:35.93 ID:UbgOtaqg
結局見捨てたんだけどね
672人間七七四年:2011/03/09(水) 20:10:12.40 ID:ooUtB+sn
本音と建前を見分けられなかったのが大阪の不幸
673人間七七四年:2011/03/09(水) 20:35:57.81 ID:vja7aIec
大名では七手組が味方しただけか。
あとは福島正則が兵糧米の接収を容認して、数名の豊臣系大名が大仏供養の供物と
称して数万石を援助。毛利家が家臣が出奔して勝手に大坂に向かったと称して大判500枚
とごく少数の兵をだし、山内家が関が原敗戦後預かりしていた武将が大坂に行くのを黙認くらい。
674人間七七四年:2011/03/09(水) 20:36:50.12 ID:/ReJOebc
>>670
福島と加藤だけというオチ?
675人間七七四年:2011/03/09(水) 20:44:59.92 ID:bR1hT7j2
>>673
大名では七手組が・・・って言ったって、奴らは豊臣家の旗本だからして。
西国大名も旧恩に報いんがために少々の義理立てはしたけど
もう豊臣家は完全に見放されてるわな。
676人間七七四年:2011/03/09(水) 21:22:44.53 ID:i0KRoSeq
関ヶ原から14年、豊臣恩顧の大名死亡が響いてるな
まぁ〜この時が来るのを極悪謀反人の家康が狙っていたのだろう
677人間七七四年:2011/03/09(水) 21:28:53.58 ID:7KFGOoqA
>>676
寿命の心配するのは家康の方だろ。
恩顧っても全部合わせてもたかが知れてるし。

せいぜい加藤、福島、浅野ぐらいか。
居ないよりはマシだけどそれでってレベルじゃん。
678人間七七四年:2011/03/09(水) 22:11:40.90 ID:i0KRoSeq
寿命の心配する家康が、あっと驚く難癖つけて戦を起こしたのが大坂の陣
679人間七七四年:2011/03/09(水) 22:23:17.02 ID:ooUtB+sn
難癖つけて滅ぼされる公儀を支援しなかった大名たち
680人間七七四年:2011/03/09(水) 22:25:05.94 ID:/ReJOebc
むしろ、目標達成に対する貪欲さに頭が下がるわ
681人間七七四年:2011/03/09(水) 22:39:23.22 ID:i0KRoSeq
なぜ豊臣秀頼に関する話や記録が少ないのだろうか?
それは徳川300年の間に焼却されたり、破棄されて歴史の闇に放り込まれたから
682人間七七四年:2011/03/09(水) 22:48:08.07 ID:vja7aIec
秀頼に触れる事はタブーだったでしょ。
主従の道を説く幕府がかつて主君を滅ぼしたとあっては示しがつかんからね。
683人間七七四年:2011/03/09(水) 23:01:38.96 ID:nXff3Utg
滅んだ家の情報なんて何処も少ない
684人間七七四年:2011/03/09(水) 23:17:30.26 ID:Bi/BenNL
>>681
人生の99%を大坂城に引き篭もり続けて死んだ人間の記録なんて少ないに決まっているわな
京で秀吉の法要が開催された時でさえ秀頼は大坂城に篭ったまま一度も参加していないんだぜ
普段から秀頼に接する極少数の人間は大坂の陣で死んでいるし他の人間は記録をつけようがない
685人間七七四年:2011/03/09(水) 23:22:32.17 ID:ooUtB+sn
多い方が不自然だなw
686人間七七四年:2011/03/09(水) 23:23:48.01 ID:7KFGOoqA
生の記録は城と一緒に・・・
娘がもう少し大きければ寺でなんか残したかもね。

ってどっかに嫁入りしちゃうか。
687人間七七四年:2011/03/09(水) 23:39:22.84 ID:vja7aIec
徳川幕府の豊家に対するスタンスがイマイチはっきりせんのだなよな。

むろん難癖つけて滅ぼした事はかわらんが、豊国社秀吉廟を破壊すると思ったら、高台寺で
の高台院と太閤の廟を立てる事を許した(費用は事実上、幕府持ち)り、善正寺や瑞泉寺に寺領を
寄進し、秀次一族の供養を行うように命じたり、高台院の養子に豊家の社稷を持つように命じた
りしているし。日出や足守の木下家に「お前らの本姓何よ?」「豊臣です」「あ、豊臣ね、OK」なんて
あっさり許している。
そういや、家光なんて根っからの太閤ファンなんだっけ?なんの思いつきか知らんが、「豊国社の
復活でもすっかぁ?」といいだして家臣に諌められている。そして、上洛の際に瑞泉寺に500石寄進。
688人間七七四年:2011/03/09(水) 23:49:09.80 ID:ooUtB+sn
幕府のとって無害ならおkなんだろ
秀頼は幕府を崩壊させる危険あったら無理やり難癖つけて滅ぼした
689人間七七四年:2011/03/10(木) 00:47:19.07 ID:W2mamsL0
危険があるなら無理矢理滅ぼしても当然では?
690人間七七四年:2011/03/10(木) 05:19:42.94 ID:lkfJiYyJ
唐突で申し訳ないがこのスレでは後藤又兵衛は扱わんの?
豊臣方の数少ないネームバリュー武将なんだが
691人間七七四年:2011/03/10(木) 05:23:46.95 ID:Ktzf77+y
俺が思うに関ヶ原後の幕府はどちらにしろ豊臣家は潰すつもりだったものの
豊臣家の諸大名に対する影響力を測りかねてて、臆病なくらい慎重になってたんじゃないかな。
だから開幕から10年以上かけて諸大名を徹底的に幕府に従うようにさせたんだろう。
692人間七七四年:2011/03/10(木) 07:46:06.45 ID:1rkHP4Ur
>>690
後藤を総大将にすれば面白かった
693人間七七四年:2011/03/10(木) 08:57:14.64 ID:EHfIQFJC
豊臣秀頼は、常に大坂城内に居て深窓の御令息だから
女ばかりに囲まれて育った肥満児のアホと言う説を徳川方に流されたが
子供のころから武術、兵学、和歌、能、茶、書などを学んだエリート
当時の英才教育うけた人物であり、二条城の会見では見事な立ち振る舞いに
家康が驚いた。凡庸な自分の息子秀忠に比べて堂々とした大将の風格を持つ秀頼

家康の言われなき横車に対して家臣が反対するのも押さえて武門の名誉を守る為に戦を受けて立った。
しかし、千姫が連れて来た料理人によって微量のヒ素を飲まされ続け、大坂の陣のころは体調不良
大坂城本丸に火をつけたのも、この一派。
秀頼に閲覧したことのある大坂方の雑兵や騎馬将の中には敗戦で逃げる途中、
秀頼のいる大坂城を見て馬を引き返し徳川の大軍に単騎で突っ込んだ者も多数いた。
退却命令を無視して一人、二人と引き返しバタバタと倒れ鉄砲の餌食になる大坂方の兵を見て
家康の側近の高僧たちは「烏合の衆、名を欲しき枯れ葉武者」とあざけり笑う。
694人間七七四年:2011/03/10(木) 09:19:20.41 ID:1rkHP4Ur
ss乙
695人間七七四年:2011/03/10(木) 10:05:53.81 ID:EHfIQFJC
大欲山気根院僭上寺悪国師
696人間七七四年:2011/03/10(木) 16:46:23.46 ID:NjN3kGqd
架空戦記スレに成り果てる予感
697人間七七四年:2011/03/10(木) 17:18:58.75 ID:EHfIQFJC
徳川軍の包囲から城を守った美人側室の話をしようぜ
698人間七七四年:2011/03/11(金) 03:27:16.88 ID:NyhEKWos
架空戦記は御自分のブログでお願い致し候
699人間七七四年:2011/03/11(金) 09:54:12.96 ID:F8HaspcW
ウチの本家のじいちゃん家は、代々、源氏の流れをくむ地方の豪族として栄えてきた。
豪族と言っても全盛期で1000石くらい、落ちぶれた時は100石にも満たない
地方大名の御家来衆の中でも下っ端クラスの武家だった。領主が変わっても土着していた。

御先祖さまが大坂の陣に城方として出陣してた時は、兵を300ぐらい従えて入城した。
入城したのは8人兄弟の3番目で秀頼公と同じ23歳だった。父や兄2人は残り
6歳から元服した14歳まで大坂城に人質と言うか行儀見習いと言うか住んでた
経由があるので3男の御先祖様は率先して出陣した。また城方も顔見知りが多く
年も同じなので秀頼公もたいへん喜んでくれたそうだ。
大阪の陣の後、落ち着いた頃に長男は分家し、次男は早くから親戚筋に養子に
行く事が決まっていたため、生き残って帰って来た3男の御先祖様が跡を継いだ。
700人間七七四年:2011/03/11(金) 10:07:39.05 ID:F8HaspcW
ウチの本家のじいちゃん家は、代々、その時の甲冑が残っているのだが
春と秋の天気の良い日に倉から出してきて床の間に飾りお虫干しする。
しかし、手入れが行き届かないのでボロボロになっている。
子供の頃、捨てれば良いのにと言ったら軍人上がりのじいちゃんにビンタされ
なぜか母ちゃんが責められ、母ちゃんが便所で泣いていた記憶がある。
仏間の横に飾られた甲冑は、子供心にも異様な気配がした。
701人間七七四年:2011/03/11(金) 10:27:51.13 ID:F8HaspcW
ウチの本家のじいちゃん家は、代々、その時の槍も残ってる。
秀頼公からは拝謁した時にもらったと言うが真偽は定かでない。
その槍は、先が円錐形になっていてアイスピックの太いような物で
中間地点に釣針のような金具が4本ずつ上下に計8本ついている。
穂先の下の部分は、鬼の権棒のような尖った針が無数にが付いている。
じいちゃんが言うには、騎馬で相手を引っ掛けて転がし、転倒したところを
穂先の尖った部分で突くそうだ。根元の方の鬼の権棒のような部分は
刀を受け止めたり、相手を殴ったりする場所だそうだ。
子供の頃、その槍を持って広間の襖を3枚ほど破ったら、じいちゃんに
「二度と、この家の敷居をまたぐな!」と言われた。
702人間七七四年:2011/03/11(金) 10:55:13.90 ID:F8HaspcW
ウチの本家のじいちゃん家は、代々、その時の甲冑が残っているのだが
春と秋の天気の良い日に倉から出してきて床の間に飾りお虫干しする。
じいちゃんが若い時の5月7日にお虫干しした時、その夜、廊下を
シャリシャリと固い物を引きずるような音がしたそうだ。
寝床にいたお婆ちゃんがじいちゃんに「あんた、鎧が歩いてる」って
揺り起したが、じいちゃんは怖くて寝たふりをしたそうだ。
この日は大坂落城の日であり、ご先祖様が合戦場から今の堺まで進んで
一緒に居た家来も300人から5人に減り、最後は3人になったそうだ。
その時の返り血や怨念を浴びた甲冑は寺に持って行って供養するべきと
ある人から言われた事を頭に過ったが、ご先祖様の物だから危害をくわえないだろうと
じいちゃんは思いながら、一心に布団の中で念仏を唱えたそうだ。
しかし、気丈な婆ちゃんに布団の中から外に蹴飛ばされ、
恐怖と男の面子が入り混じり、嫌々、真っ暗な廊下を見に行ったそうだ。
その時、廊下の奥から白い物が走って飛びかかって来た!
703人間七七四年:2011/03/11(金) 11:09:29.47 ID:F8HaspcW
じいちゃんは、ワッと声を上げ、廊下に座り込んだ。腰を抜かすほど驚いたそうだ。
廊下には血痕が落ちていて、その血痕を引きずったような跡もあった。
翌朝、お婆ちゃんは雑巾で廊下の血痕を拭きながら
「おおかた、近所の猫がネズミを取ったのでしょう」と言った。
なぜか外に鎖で繋いでるはずのワンちゃんの鎖が外れていて勝手に廊下を
犬が歩いていたそうだ。あの物音は飼い犬が鎖を引きずる音だったのだ。
猫がネズミを咥えて走ったのを犬が鎖を付けたまま追いかけたのが真相らしい。

それ以来、5月7日にはどんなに天気が良くてもお虫干しはしないそうだ。
704人間七七四年:2011/03/11(金) 11:10:49.57 ID:9oPpeWs/
遂にポエムスレになったのかよ。
705人間七七四年:2011/03/11(金) 12:17:53.57 ID:UegvWUID
いつもの妄想アゲ厨、普通に病気だったんだな
706人間七七四年:2011/03/15(火) 03:55:58.20 ID:iADYWvOK
ポエムも御手前のブログでやって頂きたく候
707人間七七四年:2011/04/09(土) 16:34:41.68 ID:KlbK05R6
鐘銘事件は、徳川時代に作られた捏造話
708人間七七四年:2011/04/09(土) 17:09:48.68 ID:HLEolBKd
はいはい。
じゃあ鐘銘事件に関する資料を全部、具体的に否定できる理由を上げていってくれ。
大日本史料に収録されているものだけでいいから、さあどうぞ?
709人間七七四年:2011/04/09(土) 21:18:26.78 ID:mOyWSl3p
無体な言いがかり
710日本人:2011/04/10(日) 19:04:31.08 ID:N2+VQfVx
http://ss7.inet-osaka.or.jp/~takio21c/sakaiya.html
「、「兵農分離」「楽市楽座」など組織・財政・経済・軍事・人事上の
新機軸を一連として創り出し、近代化をはかった織田信長、中堅官僚プロジェ
クトのもとを創った石田三成、「お上意識」の普及と島国根性の形成をはかった
徳川家康について、詳しく解説してくれています。読んでいて、「もし信長があと
十年生きていたとしたら、いまの日本ははるかにバイタリティーに富んだ華やか
な国になっていたに違いない」と書かれているのを見て、思わずうなずいていた
のでした。」
家康と言う薄汚い人物さえ早期に消えていれば、日本民族のより良い発展が望めたのに。
家康のような人物の存在自体日本民族の災いである。



711人間七七四年:2011/04/10(日) 19:08:50.35 ID:YcC13Ovi
>>710
堺屋太一はそもそも、重商主義とは何かを理解していない馬鹿だということがよく解った。
712人間七七四年:2011/04/10(日) 19:11:23.69 ID:ps9xDAV7
今回の東日本大震災も徳川家康のせいだと思う。
713人間七七四年:2011/04/10(日) 20:32:57.82 ID:2gRHSdYM
確かに日本がこんな国になったのも徳川家康のせいだな
714人間七七四年:2011/04/10(日) 22:31:23.90 ID:Phyjno14
>>710
>もし信長があと十年生きていたとしたら、いまの日本ははるかにバイタリティーに富んだ華やかな国になっていたに違いない

典型的な負け犬の現実逃避だよな
こういう負け犬根性が日本をダメにしてきた
自国の歴史にこれ程の劣等感を抱いているのは世界に日本人だけ
何千年もシナと日本に支配されっ放しの朝鮮人だってここまで自信喪失してないのに
715日本人:2011/04/11(月) 11:52:39.15 ID:nceuZqnp
>>714
石田三成を頂点とする豊臣官僚は近代的な組織でした、健在であったなら、日本国は
世界に伍する列強となりえたでしょう、海洋国家として海外植民地も多く獲得でき
日本民族は多くの地域で栄えられたと思います。これをメチャクチャにしたのが
家康と言う薄汚い人物でした。
716人間七七四年:2011/04/11(月) 12:01:14.46 ID:S77lQES2
>>715
目を疑い、鼻で笑って、臍で茶が沸き、鬼が笑う
717人間七七四年:2011/04/11(月) 20:34:11.42 ID:SnNn5hjo
豊臣の官僚制度は近代以前に組織と呼べるレベルじゃないからな
財務省とか防衛省とかそんなきちんとした部署があるわけではもちろんなく
ただ秀吉をサポートする奉行といえる人間がいたというだけ(もっというと奉行だって当時の正式名称というわけでもない)
前近代的どころか古代国家だってもっとましな制度を持っていたわけで
豊臣ほど何にもない中央政権は歴史上でも皆無に等しい
それと石田三成は豊臣官僚の頂点という程の存在ではない
一番態度がでかいのが石田三成だったというだけだ
718日本人:2011/04/12(火) 12:03:49.56 ID:IbVWChfC
>>717
豊臣家官僚群は小田原の陣、宇都宮仕置きの間約5ケ月の間21万の大軍を
関東に常駐可能とする兵站を維持する能力を有し、唐御陣にいたっては遠く
海を隔てた異国において15万の部隊で7年間戦線を維持することが可能な兵站構築能力があった。
徳川は大阪冬の陣の如く勢力圏内にあっても初期より食糧不足をきたす如く
兵站能力は貧弱そのもの。そのため明末清初の如き大陸雄飛 の好機を見逃し
日本民族の発展を阻害した。
719人間七七四年:2011/04/12(火) 12:13:05.24 ID:LaKUvIAJ
わざわざ「日本人」と名乗る奴が日本人だった試しがない
720人間七七四年:2011/04/12(火) 12:28:20.16 ID:tEhL2WLX
兵站ってなら石田よか長束辺りの方が…
721人間七七四年:2011/04/12(火) 12:52:21.76 ID:sD8G39HW
そもそも織田も豊臣も兵站は基本ギリギリのラインでなんとか保っていたに過ぎず、
兵糧不足もしょっちゅう起こっていてとても褒められたものではない。
722人間七七四年:2011/04/12(火) 14:06:12.21 ID:sDxIXdnN
逆に準備期間殆どなしであれ程の大軍を動員できる江戸幕府の方が恐ろしい
723人間七七四年:2011/04/12(火) 17:29:43.52 ID:uIMHJKnm
>>722
それは譜代家臣のありなしでも違うような
724人間七七四年:2011/04/13(水) 00:04:49.57 ID:FdVM7A+L
>>718
>海を隔てた異国において15万の部隊で7年間戦線を維持することが可能な兵站構築能力があった。

文禄では2年と持たずにギブアップして休戦したけどまともな講和が結べず
秀吉の意地で慶長を始めたが餓死者が続出し武断派が三成にぶちきれる始末
関ヶ原では畿内に遥かに近いはずの西軍が兵站に困り必死に稲刈をするが
万全の兵站で迫ってきた東軍に一日で壊滅する有様
豊臣官僚は秀吉の集めた莫大な金銀に依存するだけで兵站能力が非常に低い
だから朝鮮出兵や関ヶ原のような戦になると無能をさらけ出してしまう
こういう無能官僚を取り立てた秀吉自身にも責任はあるけど
725人間七七四年:2011/04/13(水) 20:09:24.39 ID:HgQDXIHF
電波△
726人間七七四年:2011/04/15(金) 13:39:25.15 ID:V7N2FQIB
豊臣政府は本邦初の本格的政府鎌倉幕府未満だったらしい。
政治とハーレムも未分化に退行。
727人間七七四年:2011/05/04(水) 22:40:39.44 ID:2RR6HSK8
小田原の役も豊臣方は余裕あるように見せながら実際は逃亡兵続出だったしな。
もうちょっと北条が粘ってたら戦線維持できなかったかも。
728人間七七四年:2011/05/07(土) 10:00:39.79 ID:7aydP/1T
大坂の陣は、豊臣に譜代の軍師がいれば勝てたな
729 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/05/07(土) 20:35:18.15 ID:0aRT7mKw
勝永最強
730人間七七四年:2011/05/07(土) 20:58:04.73 ID:cYuaJijc
>>728
黒官が中枢にいれば変わっただろうな
大阪の陣まで豊臣が無事かどうかは知らんが
731人間七七四年:2011/05/07(土) 22:15:42.93 ID:Hv78qrdd
軍師は魔法使いじゃねーぞw

誰がやったって無理なものは無理というのが大阪の陣だ
732人間七七四年:2011/05/08(日) 00:02:47.26 ID:Yqcuf4eQ
豊臣方で活躍したのは浪人5人だとして、徳川方で活躍した人っている?
733人間七七四年:2011/05/08(日) 00:36:58.54 ID:MPhRhWab
>>732
 父結城秀康が作り上げた越前バーサカー軍団を率いた狂気人間1号の松平忠輝
 父親、長男、次男が奮戦のあげく戦死、戦死、重傷となった信濃の小笠原一家
 渡辺勘兵衛の暴走で、重臣7人を失いながらも、奮戦した藤堂高虎と藤堂組のガテン野郎たち
 将軍秀忠の命により、戦場を通常の3倍の速度で駆け抜け、大御所を救った赤い彗星井伊直隆
 虚仮威しの騎馬鉄砲隊で日本最強の真田軍団と互角にやり合った奥州王伊達政宗と伊達男組

 夏の陣限定で、あえて選ぶとするとこの五人かな
734人間七七四年:2011/05/08(日) 00:38:59.78 ID:MPhRhWab
井伊直隆× 井伊直孝○
735人間七七四年:2011/05/08(日) 10:06:36.20 ID:CWGiIk4L
>>732
そもそも豊臣方で活躍したのが牢人だというのが間違い。
実際には、少なくとも冬の陣は本当に活躍したのは、家宰として家中運営をした大野治長であり、
総司令官の織田有楽だった。

夏の陣?ありゃ集団自殺だ。破れかぶれを活躍とは言わん。
736人間七七四年:2011/05/09(月) 03:44:17.45 ID:wqvoPjyZ
http://mitubaaoi.bbs.fc2.com/

この掲示板の『大坂の陣』と『利長への〜』というトピックのS左衛門氏の見解についてどう思いますか?
737人間七七四年:2011/05/11(水) 21:25:20.08 ID:8DfI1iOn
あげ
738人間七七四年:2011/06/20(月) 17:28:59.26 ID:qyADX/Aw
>>735
大野治長は解るけど織田有楽の貢献度については?だな。
一ヶ月以上前のレスだけに返答は期待してないけど。
夏の陣?〜については同意。
秀頼も玉砕する気で夏開戦したらしいからな。
739人間七七四年:2011/06/20(月) 20:16:47.78 ID:HbeDwmr9
>>738
少なくとも織田有楽は、暴走しがちな牢人衆を統率しつつ現実派として、淀殿の意を受けながら
冬の陣の和平交渉にも関わりきちんと纏め上げたし、それなりに認めてもいいんじゃないかね?
あくまでそれなりだけど。
740人間七七四年:2011/06/20(月) 21:21:04.16 ID:qyADX/Aw
レスどうも。言われてみればそうだ
741人間七七四年:2011/08/08(月) 22:46:12.19 ID:Z8noo9y1
織田有楽は織田家再興を願い、家康に利用された人物w
早い話が大坂方へ侵入した徳川のスパイwww
742人間七七四年:2011/08/09(火) 07:39:05.48 ID:0ha71lV6
それは講談
743人間七七四年:2011/08/14(日) 19:57:12.44 ID:ZKnwQa2P
秀頼と千姫との間に男児が出生していたら、家康は豊臣家を滅ぼそうとしただろうか。
自分の曾孫を殺害にかかっただろうか。後世からみれば1614年時点で
大阪城を落とすのは簡単そうに見えるが、あの時点では豊臣恩顧の大大名が多数存在し
毛利、島津、上杉の動向もはっきりしない。かなり危険な賭けであることは間違いない。
豊臣家を存続させて実験を奪うほうが安全性は高い。孫や曾孫を理由なしに
殺めようと言う企みは、天下の人心を失うことにつながり、諸大名も従うか否か不明。
危険と思う。  
744人間七七四年:2011/08/14(日) 21:03:15.17 ID:JsVzeP31
乱世の習いで終わりだろ
秀頼側に変化がなければどうしようもないし、それ以前に無意味なIfだ
745人間七七四年:2011/08/15(月) 12:20:27.97 ID:psAUxUOa
>>744
どうだろう、信長も斯波氏を完全には滅亡に追い込んでないし、秀吉も
信孝の切腹の命令は出していない。主家を滅亡に追い込むのはかなり危険があった、
主家の後継者が家康の曾孫、秀忠の孫だとこれを殺害せんとすれば、諸大名の信を
失い、豊臣恩顧の武将は身の危険を感じて防衛行動にはしる可能性があったと思う、
それ故大阪城攻めのリスクは高かったと思う。
746人間七七四年:2011/08/15(月) 14:07:30.85 ID:sC2nee+u
実に無意味なIFだ
747人間七七四年:2011/09/25(日) 01:40:57.60 ID:PtgpeC30
>>743
豊臣家を大坂城に置いたままで温存図ることの方が危険だろw
だから大坂城から引きずり出そうとしたんだけど、豊臣側が完全拒否したんで終了。
秀頼と千姫の間に男子が生まれてようと大坂城から出ない限り戦になって終わり。
748人間七七四年:2011/09/30(金) 17:08:14.66 ID:Z7C6Leyb
さっさと秀頼が関白になっときゃ良かったのに
749人間七七四年:2011/10/12(水) 22:38:19.43 ID:/kDaa5KJ
秀頼は大坂城から出なかったヒッキーみたく言われてるが、
あんなデカい城に住んでたら外になんか出なくても事足りるよなw
750人間七七四年:2011/10/12(水) 22:54:51.98 ID:W1fJxaI+
そういう問題じゃないだろw
751人間七七四年:2011/10/30(日) 01:26:43.19 ID:lX+SFWTt
>>692
淀殿が浪人なんて信用してなかったから、仮に後藤が総大将になっても無駄だだろうね。
幸村の父ちゃんが生きてて総大将になってたら、なんとかなったんじゃないかと思う。

あとは、淀殿を内々で暗殺してしまえばよかった。
752人間七七四年:2011/10/30(日) 11:49:39.98 ID:HGbriStF
家臣団のあるまっとうな大名で牢人を信用するバカが何処の世界におるのか。
それは「牢人に乗っ取られた」というのだ。
会社で言えば派遣社員に会社の主導権を奪われるのと一緒だぞ?
常識的に考えろ。
753人間七七四年:2011/10/31(月) 23:19:54.94 ID:KVYnrnYP
伊達と真田に密約はあったのか?
道明寺のとき追撃しなかったのは密約があったからとか言われるが
これは嘘くさいけどお梅に関するのはマジっぽい
754人間七七四年:2011/10/31(月) 23:22:42.19 ID:npjyO3qz
あるわけがない。

というか大阪の陣で真田信繁は、実際には全く活躍していない。


後世の妄想以外の何者でもない
755人間七七四年:2011/10/31(月) 23:30:53.59 ID:1XIPbUHM
>>753
お梅もなぁ……ほんとに信繁の娘だったかどうかもちょっと怪しいんだよ
微妙にスレチだし精査する手間がかかるから今ここでは詳しく書かんが
756人間七七四年:2011/10/31(月) 23:35:48.89 ID:jtXgecby
>>753
伊達はやる気皆無で、そんな伊達を突っついて無駄に兵を失うよりは、
適当なところで引き上げて温存するのが正解じゃないの。
757人間七七四年:2011/11/01(火) 00:30:12.52 ID:WyVnpUtf
>>755
仙台真田家は今も子孫がいるから、信繁のDNAがわかる遺品があれば調べられるぞw
758人間七七四年:2011/11/01(火) 00:43:44.53 ID:Zg8l4xOI
仙台真田家自体が・・・・ってことか?
759人間七七四年:2011/11/01(火) 09:29:45.84 ID:R8ebT6iE
ぶっちゃけ「仙台真田家」なるものは全くの自称にすぎない
760人間七七四年:2011/11/01(火) 11:54:41.42 ID:FKUBz5oq
松代真田も宇和島伊達氏が自称してるだけだな
761人間七七四年:2011/11/01(火) 12:01:37.28 ID:bQhVXQuR
>>760
自称と正式な家督相続の違いが理解出来ない馬鹿発見。
762人間七七四年:2011/11/06(日) 03:24:32.44 ID:/e6wCewl
信繁のDNAなくても、信之兄ちゃんの子孫の方のDNAと
仙台真田家の子孫の方のDNAを照合したら
真田家の血筋かどうか分かるんじゃない?
763人間七七四年:2011/11/06(日) 11:10:31.13 ID:lpRXsxHF
信之信繁の時代から何代交配されてると思ってるんだよ。
日本の中なら似たようなDNAは普通に混ざってくるもので、そんな調査にはほとんど意味が無い。
764人間七七四年:2011/11/08(火) 09:54:05.22 ID:WsEgsLNV
男系子孫のDNA鑑定なら判別可能。
765月孔雀:2012/01/26(木) 18:24:28.82 ID:IbBaT0pK
そろそろ、大阪の陣だぞ
766月孔雀:2012/01/26(木) 18:25:08.13 ID:IbBaT0pK
そろそろ大坂二陣だぞ
767月孔雀:2012/01/26(木) 18:26:49.13 ID:IbBaT0pK
てか、利政は、どっちにもつけないので、立場上。

しょうがないので、家康に説教するため、

信繁の突撃の後を見計らって、家康に説教します。
768人間七七四年:2012/01/27(金) 00:02:26.39 ID:3Fgw5pWt
日本語で
769人間七七四年:2012/01/27(金) 10:44:06.20 ID:gJs5DvlC
大坂の陣について、軍事考察を行おう!

・豊臣方が徳川方に勝利する戦略・戦術
・各武将の軍事動向
・大坂城の縄張り

など議題があります。

大坂の陣
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E5%BD%B9#.E5.A4.A7.E5.9D.82.E5.86.AC.E3.81.AE.E9.99.A3
770人間七七四年:2012/01/28(土) 00:43:45.48 ID:R7bnG1KJ
秀頼側の勝利条件ねえ・・・ もちろん徳川幕府は倒せまい
幕府倒して天下取れっていうのは不可能にもほどがある
良い条件での和議しかないけど・・・ 家康はどこまで譲歩できるだろうか・・・
771人間七七四年:2012/01/28(土) 02:03:47.37 ID:CkAtxD0r
この手の話は何度も議論されてるが結局秀吉の対家康の処遇の厚さに尽きる。って事だわな。

小牧長久手で秀吉が家康を殺すことが秀頼の勝利条件。
772人間七七四年:2012/01/28(土) 10:30:42.51 ID:btOqcDrH
秀頼側の勝利条件・・・
大坂の陣で家康、秀忠を討ち取れば良いだけ
773人間七七四年:2012/01/28(土) 12:18:33.10 ID:6RNaz/r1
だけとか程度が知れる
774人間七七四年:2012/01/28(土) 23:18:53.84 ID:2xNJ6Jsv
秀頼の勝利条件
1 関ヶ原直後に改易された立花宗茂を召抱える。
2 同じく改易された長宗我部盛親をを召抱える。
3 神社仏閣など作らず、武器弾薬、兵糧を備蓄する。
4 キリシタンに改宗し、キリシタンの狂信者による親衛軍を組織する

1で大阪の陣で問題となった総大将問題が解決する。宗茂ほどの勇将なら浪人の統率も可能だろう
2は、先鋒を任せるに足る人材の確保
3は、武家としての当然の嗜みで、主家が武器を充実することに家来筋の下郎”徳川”ごときが口を挟める筋じゃない。
4は、ポルトガル、スペインなどの支援も期待できる。

775人間七七四年:2012/01/29(日) 10:03:29.50 ID:OdKq2OtD
そういえば冬の陣でけっこうがんばって撃退して、講和にまで
持ち込んだんだよな なんであのときにもっとマシで、きちんとした恒久講和が
出来なかったんだろう もっと朝廷とかも巻き込んで、がっちりした講和を
してりゃすぐに反故にされることもなかったろうに
776人間七七四年:2012/01/29(日) 10:08:09.02 ID:dnTVATzt
元々何が何でも豊臣家を滅ぼす意図だったのだから
何をしても無駄
777人間七七四年:2012/01/29(日) 10:32:52.42 ID:IWQWg/Jx
>>775
冬の陣は大坂方が追い込まれて講話という形なんだが
778人間七七四年:2012/01/29(日) 12:01:53.73 ID:vk2dO95Q
豊臣恩顧の大名が生きてるうちに秀頼が旗揚げしたら良いだけ。
旗揚げ時期としては関ヶ原以降の5年以内だな。
779人間七七四年:2012/02/04(土) 15:33:57.35 ID:8TpfVYnW
1605年、徳川秀忠が、榊原康政を先鋒に40数名の大名と10万の大軍を率いて上洛。
徳川方より秀頼の上洛を促すが大坂方が拒否。京に不穏な空気が流れ一発即発の雰囲気。
その後、家康から秀忠に将軍職を移行し諸大名に対して徳川幕府の基礎を固める。

「秀頼は上洛し秀忠公に拝謁せよ!」と大坂城に来た徳川使者を天下人の忘れ形見に対する無礼者として
(この時点で秀頼は右大臣で秀忠より官位は上)と叩き切って京に出陣すれば良かったと思う。
先ず徳川家臣団と豊臣家臣団の小競り合いから関ヶ原並みの大戦になるのは必至。
780人間七七四年:2012/02/04(土) 15:56:57.86 ID:FCwRINLX
>>779
その時の使者は北政所です
781人間七七四年:2012/02/04(土) 16:18:35.62 ID:8TpfVYnW
>>780
1605年 秀頼上洛を進めた順番
@家康の家臣→大坂城に行き上洛のお伺いをしたが簡単に断られる
Aさらに高台院や浅野幸長を通じて上洛を促すが→淀の方にも断られる
B一発即発の空気を鎮める為に家康は六男・忠輝を使者として送り和平を誓う
その後、両家安泰として千姫との婚儀を推し進める。
782人間七七四年:2012/02/04(土) 17:33:34.15 ID:FCwRINLX
>>781
千姫輿入は慶長8年、上洛要求は同10年
後、使者は北政所のみのはず
783人間七七四年:2012/02/05(日) 02:09:54.22 ID:TW8MBmo5
上洛しても殺しはしなかったよね? ってかそのへんはもうど根性だよ
京に来いといえば言って挨拶し、江戸に来いっていえば行って土下座して
とにかく延命をはかるべきだった 家康公だって殺すなら殺せとどこへでも
行ってきたんだ 怖いよ怖いよって大坂に篭ってちゃだめだ
784人間七七四年:2012/02/09(木) 09:25:02.09 ID:CpoCZdz6
大坂城を徳川方が取り囲んだ時に個別に夜討すればよろし
785人間七七四年:2012/02/09(木) 11:54:55.38 ID:YXx3abdC
幼稚な策ですな
786人間七七四年:2012/02/09(木) 13:17:06.74 ID:dheBwGv5
やっぱ豊臣家は武士を捨てて公家になればよかったんだよ。
八条宮を養子にして家領8千石くらいで摂家筆頭。
787人間七七四年:2012/02/09(木) 20:59:32.11 ID:CpoCZdz6
先ず大坂城の東に陣を張る、佐竹、上杉勢を討つべし。

遠路遥々と疲労して大坂の地に来た東北勢に城方5万の軍勢で襲いかかるべし
早朝深夜3時に1万、4時に1万、5時に1万、6時に2万で朝駆けし
佐竹、上杉の首を撥ねるべし。家名を重んじ逃げる事を知らない田舎大名は美味なり。
初戦の敗北は後の軍勢に影響大にて候。
788人間七七四年:2012/02/09(木) 21:09:31.70 ID:YXx3abdC
そんな大人数じゃ奇襲にならなさそー
よしんば最初の襲撃に成功しても深追いして逆襲されて潰走しそうだ
で、その流れで五万も出して手薄になった他方面から攻められて詰みそう
789人間七七四年:2012/02/09(木) 21:34:27.58 ID:46z8qJoE
大軍で奇襲ってのは史実でも夏の陣でやって足並みがそろわず確固撃破され
後藤ら主力の半分を失ってるんだし、大坂方には無理だね
790人間七七四年:2012/02/09(木) 22:07:47.57 ID:CpoCZdz6
大坂城の東は湿地帯だから徳川方の応援部隊の大軍を集めるのは不利。
個別撃破は城方に有利にて候。
奇襲と言っても1万の軍勢が時間を置いて繰り出すのが戦略の肝
佐竹、上杉は逃げれば世間の笑い物、討ち死にしか家名を保つ道は無し。
大名が討ち死にすれば豊臣強しの風評が流れ諸大名に動揺が走るのは必至
大軍の兵の過不に非ず気の乱れは負け戦になって候
791人間七七四年:2012/02/09(木) 22:20:22.85 ID:CpoCZdz6
大坂城の南は、松平と藤堂を軽く槍合わせをして城に逃げ帰り
敵をおびき出して討つべし。
城門を開ければ餌に食いついて来るは必至。
792人間七七四年:2012/02/09(木) 23:06:22.75 ID:jEi1dbbW
湿地帯って事は城からの攻撃路も限られるという事なんだが?
時間をおいて戦力投入とか一番やっちゃならねえ戦術だし

ゲーム脳乙とでも言われたいのかねえ
793人間七七四年:2012/02/10(金) 00:27:40.43 ID:8iASnDI1
天守閣の位置を大砲が届かない所に移す。
794人間七七四年:2012/02/10(金) 09:06:04.59 ID:zNdZM0wG
外堀り埋め立てで和議したけど、そのときにもっと完全に降伏するカタチで
和議してれば命だけは助けてもらえたかもしれない
東北でも九州でもいいから10万石ぐらいに転封とか、
あるいはもう武家を引退して公家で生きていくとか
795人間七七四年:2012/02/10(金) 09:52:58.32 ID:BhquBgaj
実際は義宣側は大坂が押してたけど景勝側は大野修理率いる一万五千の軍で
景勝八千に負けて大野弱いw上杉は流石だなあって大坂側に残念な評判が立ったな
五万も上杉佐竹に当てたら他の方面がガラガラになって好きにボコられ
上杉佐竹は討てても上杉佐竹の武名は上がるだけで大坂側が強いって評判にはならんと思うね
796人間七七四年:2012/02/10(金) 10:51:02.67 ID:Kd3QhTl0
つーか湿地帯に計五万も逐次投入でゾロゾロ出したらかなり機動に支障が出そうだ
そして反撃されて引くも進むもままならなくなってあえなく壊滅
797人間七七四年:2012/02/10(金) 20:56:53.69 ID:Z1OqlI1b
第一陣が反撃で潰された挙句、その敗走兵に巻き込まれて第二陣が混乱壊走、追撃してきた上杉・佐竹に第三陣ごと城に雪崩れこまれそうだな
798人間七七四年:2012/02/11(土) 22:15:16.26 ID:IBG4lTTh
>>979
城から出て決戦を仕掛ける時に先駆けが負けても第二陣が前進して来る本隊へ逃げ込む事は無い!
これは兵法の基本中の基本。なぜなら収集がつかず総崩れをおこすからだ。
負ければ壊滅するまで止まるか敵の前から左右に逃げるのが常道。

反対に敵を城内に誘き込む為にわざと逃げ帰る手もあるが、これは少数で仕掛けるものである。

大坂着陣早々の佐竹、上杉を豊臣方は、深夜に森村口を出て平野川で撃てば勝機あり候。
遠征軍は、その土地の地理に精通してるわけではない。長期戦を嫌う東北勢も短期決戦を希望、
なぜなら足軽、雑兵は帰路が閉ざされる雪が降る前に故郷に帰りたいからだ。
799人間七七四年:2012/02/11(土) 22:29:11.31 ID:IBG4lTTh
援軍に来るであろう佐竹の横は浅野長重、真田信吉、真田信政
上杉の横は丹羽長重、堀尾忠長、戸田氏信、牧野忠成
いずれも小大名にして豊臣5万の敵にあらず。

鴫野、今福の戦いより大坂着陣した時に仕掛けるのが妙


上は>>797の間違い。失礼w
800人間七七四年:2012/02/11(土) 22:42:48.20 ID:UJT1M5CN
逃げ込む事は無いもなにも、敗走する味方が伝播して総崩れ、なんて無い話じゃねーし、大坂方だって統制の怪しい寄せ集めの牢人衆じゃねーか
負ければ壊滅するか左右に逃げるかって、前に敵、後ろは味方、周りは兵の進退のし辛い湿地帯で、そんな統制の効いた采配振るえる人間が大坂方に何人残ってんだよ
801人間七七四年:2012/02/11(土) 22:49:43.96 ID:IBG4lTTh
>>795
鴫野、今福の戦いも深夜にやれば兵が多い方が勝つのは必至
史実では川横から鉄砲を撃ち込まれて数に勝る豊臣方が撤退したからな
敵味方の区別が出来ない暗闇の中では鉄砲を撃つ事も出来まい。

冬の陣で痛手を負った上杉は、夏の陣では戦いに参加できず京都警護の格下げ人事
武門の家にして戦とは関係無い場所で警備員とは謙信以降の汚名ですなwww
802人間七七四年:2012/02/11(土) 22:59:01.72 ID:IBG4lTTh
>>800
後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親あたりをに采配を任せればよかろう
803人間七七四年:2012/02/11(土) 23:21:04.87 ID:c6In1mMA
又兵衛って実際に今福・鴫野に参戦してるが上杉隊の射撃食らって撤退してるような
804人間七七四年:2012/02/11(土) 23:27:52.12 ID:IBG4lTTh
戦場着陣当日早々、長旅の疲れを癒す間も無く、寝込みを襲われて朝飯も食えず、
湿地帯の限られた範囲で防戦一方の1万軍勢が
時間を置いて次々と新手を繰り出す5倍の敵を跳ね返せるほどの強兵はおらず

武具を着ける間もなく戦って時間と共に消滅するか、
川に飛び込んで一目散に逃げるしかないわwww
805人間七七四年:2012/02/11(土) 23:40:06.45 ID:CrM+JjNm
さすがに相手する人居なくなるぞ
806人間七七四年:2012/02/12(日) 01:49:09.41 ID:lgnkrXne
湿地帯って事は大阪方も一度に攻撃をかけられる数は限られる訳で
小大名たちとは言え時間をおかず援軍を得られる幕府方との数の差など直ぐに現れる訳もなし
泥沼の消耗戦に以降した挙句、別方面から防衛線破られて大阪城陥落なんて展開になったりしてな
807人間七七四年:2012/02/12(日) 09:40:40.22 ID:lnc3LGHd
五万も一方面に集中したら大坂の他の方面ががら空きになるとか
前の一万が戦ってる間の残りはボケーっと見てる大量の死兵にすんのかとか
狭い場所に五万も逐次投入とか前に出た兵の撤退ができなくならね?とか
なんで籠城側の大坂が徳川方の布陣を先に分かるんだろうとか
堤のうえでしか軍を展開できない湿地帯じゃ大軍の優位はあんまないとか
戦力逐次投入したら他の方面の徳川方も集まってくるだけじゃね、とか

元々今福・鴫野の戦いって上杉佐竹隊に大坂側の守備が崩されたので
援軍に大野隊が出る→大野も苦戦したので後藤木村隊も出るって展開で
戦闘が始まってみたら今福・鴫野方面が結果的に激戦になっちゃっただけじゃんね?
808人間七七四年:2012/02/12(日) 11:40:39.58 ID:B8rAOJkZ
秀頼の勝利

大坂の役が起こる前から堺に兵糧・船を集める・製造する
冬の陣が起こりここまでは史実通り、和睦する
堀を埋められる、堺の船については『貿易』の名目で隠す
船のいちゃもんが付けられてもひたすらつっぱねる
徳川軍が出陣後、速攻で大坂方の兵が全て堺の船に乗り込む
嘘報で豊臣方は九州方面に逃げるの宣伝を打ちまくる
徳川が大和方面に侵入した時点で豊臣軍は何と全員が船に乗り込む
豊臣軍は何とそのまま船で江戸へと向かい、江戸城を攻める

空になった畿内に秀忠軍が到着する、家康は急遽反転するが江戸へは秀頼が先に到達
江戸城で留守番をしていた福島正則が家康に反旗を翻す
江戸は無血開城、家康は名古屋にて孤立し駿府城に入る
徳川秀忠は埋められた堀の大坂城にて孤立

徐々に反徳川の気運が高まり、伊達やら島津やらの動きが怪しくなる

空城の計略











809人間七七四年:2012/02/12(日) 11:44:47.57 ID:DiHH/Ahy
どうせならそのまま唐入りすればいいのに
810人間七七四年:2012/02/12(日) 12:26:44.63 ID:CtaZwIfR
まあアホくさいけど、大坂の陣前に軍船破棄させられてる上に、そんな航海の舵取れるような将もいないから、紀伊水道か熊野灘で補足殲滅されてお仕舞いか、運良く通過しても遠州灘で海の藻屑
811人間七七四年:2012/02/12(日) 12:40:21.77 ID:g/8CaeYx
そも、堺は徳川の支配下
812人間七七四年:2012/02/12(日) 14:55:03.83 ID:x1PIXPHH
バカみたいに神社仏閣を建立しないで豊臣家の全財産をブチ込んで
スペインかポルトガルの最新式大砲付き大型軍船を買えばいいじゃん

黒船じゃーーーーーーーーー!
813人間七七四年:2012/02/12(日) 15:10:24.84 ID:g/8CaeYx
それをやったのが家康
814人間七七四年:2012/02/18(土) 08:30:27.01 ID:1pzbajy9
す、すげえ〜
815人間七七四年:2012/03/18(日) 15:57:14.97 ID:g+x9Ul1c
大坂冬の陣の布陣図発見、合戦直後に作成か

 1614年の大坂冬の陣の布陣を描いた絵図が東京都内で見つかった。
 豊臣家が滅びた大坂夏の陣(1615年)の絵図は江戸後期に写されたものが多く残るが、
冬の陣図は珍しい。戦いの直後に描かれた可能性もあるという。この絵図は縦37センチ、横27センチで、表題部分は欠けている。
東京・神田の古書補修業者が古書を分解中、裏紙として使用されていたのを発見した。

 徳川秀忠を示す「将軍様」、家康を示す「御所様」のほか、布陣する武将名と兵数、大坂城の堀の位置や、
中之島や日本橋など地名が記されている。また、豊臣側に、実際には徳川側で参戦した武将「杉原長房 4万人」との記述があり、誤記とみられる。

 出版文化史に詳しい大東急記念文庫(東京)の村木敬子学芸員は、陣立ての描き方や紙の古び方などから、一枚刷りの「冬の陣図」としては、
「大坂城之図」(江戸東京博物館蔵)に次ぐ古さである可能性が高いと指摘。入手した安土堂書店の八木正自代表(大阪青山短大非常勤講師・日本文化史)は、
〈1〉速報用に絵を簡素に描写〈2〉紙を縦に使用――しているため、「瓦版」の先駆けのようなものと判断。
「社会が少し落ち着いた江戸時代の攻城戦だったので、市民は遠巻きに戦見物しており、戦況を知らせれば売れると思って刷ったのでは」と推測している。

読売新聞 3月18日(日)13時10分配信
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120317-00000493-yom-soci
816人間七七四年:2012/03/27(火) 14:05:46.07 ID:CatxquuP
キリシタン系の牢人のTOPとして高山右近が入城してたらもう少し面白くなるんかね?
817人間七七四年:2012/04/27(金) 20:19:04.58 ID:BuqSZjCi
私案として三案を出した片桐且元を、怒るのは兎も角どうしていきなり殺害という方向に持っていくのだろう
秀頼と淀殿
818人間七七四年:2012/04/27(金) 20:39:06.51 ID:y6NPW9uw
端的に言うとあの時期大阪城内は、片桐且元を代表とする秀吉依頼の古参と、大蔵卿・大野治長母子を中心とした淀殿派、
そして秀頼側近層による三つ巴の政争があったフシがある。
あれは徳川との問題というより、対徳川問題を発端として、それまでの政争がついに爆発した、と見たほうがいいのだろう。
819人間七七四年:2012/04/27(金) 21:07:34.27 ID:BuqSZjCi
且元を徳川の断りなしに殺すことが、徳川家の反逆につながると理解していた奴は…いなかったのだろうなぁ
820人間七七四年:2012/04/28(土) 14:04:18.44 ID:SwuD0ZMF
且元死んでないんじゃね
821人間七七四年:2012/04/28(土) 14:13:07.77 ID:p7joJxsl
殺そうとする策謀が漏れて、且元が大坂城に出仕しなかった
822人間七七四年:2012/05/03(木) 09:37:56.06 ID:R5ZOAD64
2014年大河ドラマは真田幸村主役ってのが濃厚な様子だけど
大坂の陣はどんな感じにしてもらいたい?

【豊臣】大坂の陣の戦後400年大河ドラマ【徳川】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1335956816/
823人間七七四年:2012/05/03(木) 10:01:26.83 ID:PvRImEKj
濃厚なのか?

とりあえず真田を貶して毛利勝永を持ち上げる奴が湧いて出てくるだろうから、
いっそやりすぎなくらい毛利勝永を名将として描いてもらいたい。
824人間七七四年:2012/05/03(木) 14:59:46.03 ID:TcqU9aaa
片桐(小林稔侍)がウンコを我慢したような喋り方で弁明したけどダメでした

林羅山、天海、崇伝らがプランした「大仏殿正銘問題」が冬の陣の発端と成り、堀の埋め立て問題では本多正信、本多正純らが暗躍した。

825人間七七四年:2012/05/03(木) 15:10:58.17 ID:QLKWA+Mz
大河に何か期待してる奴、いまだに居るのか?
826人間七七四年:2012/05/03(木) 15:44:27.62 ID:Hte26Ogr
>>824
欠片も暗躍していません
827人間七七四年:2012/05/03(木) 21:16:28.85 ID:1POSicyi
>>825
何時までも幸村だけが活躍した大坂の陣て世間認識じゃなあ
828人間七七四年:2012/05/11(金) 13:32:05.10 ID:SiJBwwar
方広寺鐘銘事を利用して
家康が豊臣家を降伏、または滅亡させようとしたでいいの?
829人間七七四年:2012/05/11(金) 13:57:33.88 ID:dJEQD8+h
上下を明確化しようとしたら豊臣家がキレた
830人間七七四年:2012/05/11(金) 16:07:56.04 ID:8nxsIi/e
大坂の陣が、豊臣の挑発だという、訳の分からないことを言う関東人。
831人間七七四年:2012/05/11(金) 17:29:17.25 ID:ogYn6bCV
よくわからんが関西人というのは、誰が見ても
解ることを理解しようとしない人種なのか。
832人間七七四年:2012/05/11(金) 18:16:01.38 ID:8nxsIi/e
小田原征伐の復讐をしたいだけの関東人。なんの正義もないね。
833人間七七四年:2012/05/11(金) 18:28:14.23 ID:SiJBwwar
鐘銘は豊臣の失敗だったが
それに家康がつけ込んで国替えと秀頼・淀殿人質を要求したのが原因でいい?
834人間七七四年:2012/05/11(金) 20:11:15.85 ID:FyYs3FaX
>>833
鐘銘事件の真っ最中に、幕府に何の通告もなく家臣の官位昇進やってるからな秀頼。
それにその頃から牢人の大量召抱が始まってる。
これで幕府の態度が決定的に硬化して人質要求に成った。
835人間七七四年:2012/05/12(土) 08:40:53.23 ID:6fw1/gKu
官位昇進は別に徳川家の家臣でも無いんだから独自にやっても問題無い?

浪人の大量召抱えっても
武器弾薬なんかはむしろ遠慮して買ってなかったみたいだから
失業者対策みたいなもんだったんじゃないの?

むしろそれ以前から城に大砲にと合戦の準備しまくってた徳川は
支配下にない他家から見てどうなの?
836人間七七四年:2012/05/12(土) 08:54:09.52 ID:xocivEYk
>>833
提案したのは且元
837人間七七四年:2012/05/12(土) 09:30:39.87 ID:6fw1/gKu
それならなんでデタラメな提案をした且元を城から追い出しただけで
家康の大義名分になるんだろう?

結局は大蔵卿局を使者とした豊臣を騙したってことでは?
838人間七七四年:2012/05/12(土) 09:38:52.38 ID:b/WuevvU
どう考えても、家康は豊臣家に脅威を抱き、自分が生きているうちに
何が何でも豊臣を潰そうとしたとしか考えられない。

ただ、淀君が折れて、徳川の下につけば、豊臣家は存続する可能性が
あったのだろうかどうかは、よく分からない。
839人間七七四年:2012/05/12(土) 09:50:31.93 ID:u8S4UMD3
>>835
二条城会見で対外的には幕府支配下に組み込まれてんのよ
840人間七七四年:2012/05/12(土) 09:50:41.96 ID:1JFeruxf
>>835
豊臣は徳川に臣従してるよ。
二条城会見は誰が見ても秀頼の家康への臣従。
それに幕府は諸大名の勝手な任官を禁止しているから、これも鐘銘事件と同じく
許可を得ないまでも通告はすべきこと。
事前に何も言わないというのは既に、徳川体制を認めないということだ。
一種の特別な地位にいるからと言って、何をやってもいいわけではない。
こんな社会的な常識を、豊臣家は無視したってことだ。

>>837
徳川幕府は大阪との政治交渉は勝元に一元化している。それにより勝元の立場も強かった。
大蔵卿局は政治対話の相手としてではなく、ただのお客としてもてなされただけ。

そして大蔵卿局は勝元などの古参層に対して政争してた淀殿側近層派閥のリーダー。
勝元追放は徳川への態度を弱腰として、実権を持っていた勝元ら古参層を放逐しようとした、
豊臣家内部の政争だよ。
しかしそれで徳川とのチャンネルを叩き切ることになり、それまでの経緯から豊臣に対し不信感を強めていた
幕府は激怒、当然ながら開戦となった。

淀殿側近層や秀頼側近層はあくまで豊臣家内部の事だとして押し通せると考えていたらしい。
彼らの見通しの甘さが起こした合戦だな。
841人間七七四年:2012/05/12(土) 09:54:01.14 ID:xocivEYk
>>837
追い出されたのでなく、殺されかけた
そして且元は徳川家にも臣従しているので、彼を徳川家の許可なしに殺そうとするのは
徳川家、引いては幕府に対する反逆となる
842人間七七四年:2012/05/12(土) 10:40:04.62 ID:6fw1/gKu
>>840
>二条城会見は誰が見ても秀頼の家康への臣従。

>徳川幕府は大阪との政治交渉は勝元に一元化している。

これも惣堀取り壊しと同じで
家康得意の明文化しない二枚舌条約なのでは
843人間七七四年:2012/05/12(土) 10:42:20.75 ID:1JFeruxf
>>842
> これも惣堀取り壊し

二枚舌も何も、冬の陣の講和で大阪城の堀は最初から内堀まで、しかも幕府側の手で埋め立てられることに
なってたっつーの。これはもう既に定説。

大阪講談ベースの知識で語られても困る。
844人間七七四年:2012/05/12(土) 11:39:33.25 ID:6fw1/gKu
>>843
通説という割にはこのスレにもウィキなどにも無いので詳しくよろしく?

「堀を埋める」 というのはあくまでもその一部だけを儀礼的に埋めるものだったという説は前例的にどう?
845人間七七四年:2012/05/12(土) 11:47:01.94 ID:pKSFgug4
とりあえず本の一つでも読め、浮いてっぞ。
846人間七七四年:2012/05/12(土) 11:47:24.86 ID:1JFeruxf
>>844
細川家文書、伊達家文書、浅野家文書などでそのあたりのことは全部出てる。
あと

> 「堀を埋める」 というのはあくまでもその一部だけを儀礼的に埋めるものだったという説は前例的にどう?

これについてだが、幕府側による堀の埋め立てに対して豊臣家の側からの抗議は一切存在しない。
豊臣家が担当する櫓などの軍事施設の破却を幕府側がした際の、豊臣家からの抗議は、ちゃんと記録に残っている。
そもそも大阪城の堀の埋め立てはひと月以上かかって行われている。もし和議内容に違反しているなら
この間に抗議がないとおかしい。

以上の事から大坂城の堀の埋め立ては、最初から内堀までで、それは豊臣家の側も認識していたと
現在ではほぼ結論付けられている。

WIKIとかに書かれてないって言われても知らんがな。所詮WIKIだ。
847人間七七四年:2012/05/12(土) 11:57:31.70 ID:6fw1/gKu
>>846
細川文書とかって確か信憑性そこまで高くないよね?
まあそれはいいけど

>二条城会見は誰が見ても秀頼の家康への臣従。

>徳川幕府は大阪との政治交渉は勝元に一元化している。

こっちは根拠なし?
848人間七七四年:2012/05/12(土) 12:21:26.44 ID:V0qRcidC
根拠も何も当時の時代背景ならほぼ常識レベルだぞ
849人間七七四年:2012/05/12(土) 12:58:53.03 ID:6fw1/gKu
>>848
誓紙を交わして国替えと秀頼・淀殿人質を飲むくらいでなければ
臣従がこの戦国時代の人間たちの常識とは言えないような
850人間七七四年:2012/05/12(土) 15:23:49.04 ID:V0qRcidC
んなわきゃない
851人間七七四年:2012/05/12(土) 15:31:16.65 ID:DUenkhcI
家康のいる、徳川の城である二条城に秀頼の方から出向いて頭下げたんだから、この時代
誰がどう見ても臣従。
これが臣従でないというなら秀吉は家康も丹羽長秀も臣従させられなかったことになる。
852人間七七四年:2012/05/12(土) 18:21:16.30 ID:6fw1/gKu
家康にしても清洲同盟というものがあるが
あれも臣従だったってことになるの?
853人間七七四年:2012/05/12(土) 18:24:36.15 ID:DUenkhcI
>>852
家康が清須に出向いったってのはアレ後世の作り話な
854人間七七四年:2012/05/13(日) 12:35:51.64 ID:X9xjDH3O
>>846
気になる部分

>細川家文書、伊達家文書、浅野家文書などでそのあたりのことは全部出てる。

徳川の威信を他の大名たちに示すために戦っている家康が
「豊臣を騙しての内堀の埋めたて」なんて大名たちに言うわけない?

>幕府側による堀の埋め立てに対して豊臣家の側からの抗議は一切存在しない。

二の丸を壊して揉めたって記録があるなら
堀も含めて壊したってことじゃない?

>>853
子孫が清洲同盟を事実と承認してしまっている
少なくとも清洲同盟の描写を臣従だとは見なしていない
855人間七七四年:2012/05/13(日) 12:55:30.75 ID:NwOnEVl1
何言ってんだお前は
856人間七七四年:2012/05/13(日) 16:43:32.43 ID:tpFxG8Te
>>855
もう少し日本語のお勉強をしてから書き込んだらどうだい?
>>853は清洲同盟を否定してるんじゃなくて家康が直接出向いた事を否定してるのさ
857人間七七四年:2012/05/13(日) 17:09:41.01 ID:So+1BAHS
>>854
お前は話しにならん馬鹿だな。
堀埋め立ての実作業したのはその大名たちだぞ?
講話の内容伝えないと作業出来んだろ。

その上先に、櫓などの破却に関しては豊臣家からの抗議の記録が残っているのに、内堀埋め立てへの
豊臣家の抗議の記録は一切存在しない、と書いてある。
これらの記録から内堀までの埋め立てが豊臣家も認めた行為だったことは明白だ。

お前は自分の思い込みにこだわって、明確な事実を見ようとしていないだけだ。


あと>>856も言っているが、>>853は清洲同盟の否定ではなく、同盟締結の際家康が清須に赴いたことを
否定しているだけだ。

頭が悪いのは仕方がないが、せめて日本語は読めるようにしろ。議論のベースも作れん。
858人間七七四年:2012/05/13(日) 18:09:59.45 ID:X9xjDH3O
>>855-857
ちゃんと後の将軍が
清洲同盟に家康が出向いたことを認めてるって言ってんだけど何このレスの流れ?
自演?
859人間七七四年:2012/05/13(日) 18:58:53.83 ID:FAMzNlya
>>858
後の将軍が認めようがどうしようが、家康が清須に赴いたという一次資料は存在しないし
傍証も状況証拠もない。
よって家康はあの時期清須には行っていない。

行ったと言い張るならそれ相応の同時代の証拠を出してから言え。
ちなみに現在の歴史学界隈でも、家康は清須には行っていないというのが定説だ。
860人間七七四年:2012/05/13(日) 20:30:04.47 ID:6j0HsMxR
「家康が清須に赴かなかった」が今現在の定説として、
では家康の代理として清須へ行ったのは誰だろう?
本多正信・・・ではなさそうだが。
861人間七七四年:2012/05/13(日) 20:47:26.33 ID:njOUBz2u
酒井さんか石川さんじゃね?
862人間七七四年:2012/05/13(日) 22:50:31.06 ID:28KgDxLa
鳥居忠吉辺りとかかもしれん
863人間七七四年:2012/05/14(月) 09:46:44.48 ID:OcRluL2O
文英清韓て崇伝の南禅寺にいた奴なんだな
やっぱり陰謀臭いな
864人間七七四年:2012/05/14(月) 13:33:58.00 ID:1nme2zh5
また出たか
865人間七七四年:2012/05/14(月) 16:59:21.81 ID:DPCSSkcu
>>860
寛政譜の石川数正譜によると
清須ではなく、鳴海で織田方は滝川一益・林正成、徳川方が石川数正・高力清長により結ばれたとある
866人間七七四年:2012/05/14(月) 23:24:43.11 ID:OcRluL2O
家康と崇伝と且元と清韓はみんな身内じゃねえか
やっぱり陰謀だな
867人間七七四年:2012/05/15(火) 01:53:04.79 ID:7el99qO7
はいはい
868人間七七四年:2012/05/15(火) 07:15:16.22 ID:44DELS53
身内度で言えば家康と淀殿や秀頼のほうがずっと身内である
869人間七七四年:2012/05/15(火) 09:01:20.36 ID:ShpJE2rV
まとめると

家康方に内堀取り壊しは同意されていたよって人は
細川家文書、伊達家文書、浅野家文書などでそのあたりのことは全部出てる。

それに対する反論は
徳川の威信を他の大名たちに示すために戦っている家康が
「豊臣を騙しての内堀の埋めたて」なんて大名たちに言うわけない。
二の丸を壊して揉めたって記録がある。
870人間七七四年:2012/05/15(火) 09:11:16.64 ID:y34aBWjd
二の丸を壊して揉めたって資料は出てない件
871人間七七四年:2012/05/15(火) 09:46:03.62 ID:ShpJE2rV
家康と崇伝と且元と清韓はみんな徳川方。

二の丸、三の丸の取り壊しは一ヶ月半かかり
その間、何度も家康が確認を行なっているってことは
豊臣方の抵抗があったとも考えられる。
872人間七七四年:2012/05/15(火) 09:47:57.51 ID:ZO/tMBff
いつものか
873人間七七四年:2012/05/15(火) 09:52:18.27 ID:ShpJE2rV
徳川正統説側は徳川陰謀説側に
「定説」「常識」「いつものか」だけを繰り返すことが多い。

こういう時は間違っている場合が多いんだよな。
874人間七七四年:2012/05/15(火) 10:16:48.55 ID:ZO/tMBff
いや、別に
875人間七七四年:2012/05/15(火) 18:24:37.68 ID:y34aBWjd
資料名を上げる正統説側に対して妄想とこじつけしか出さない陰謀説側
どちらに説得力があるかなんて言うまでもない
876人間七七四年:2012/05/15(火) 22:00:55.59 ID:ShpJE2rV
>>875
徳川の威信を他の大名たちに示すために戦っている家康が
「豊臣を騙しての内堀の埋めたて」なんて大名たちに言うわけない。

っていう反論への再反論はそれだけ?
877人間七七四年:2012/05/15(火) 22:05:36.64 ID:44DELS53
>>876
それはお前の主観でしか無い。お前の主観など誰も聞いていない。


主観でないというのならそれを裏付ける客観的な史料を提示しろと、最初からいっているわけだが
878人間七七四年:2012/05/15(火) 22:20:31.37 ID:ShpJE2rV
>>877
常識の範疇だと思うがな
徳川正当説側が主観でそれを認められないってことは分かった
879人間七七四年:2012/05/15(火) 23:28:29.52 ID:opeIEun3
史料を元に語れないただただ意固地な奴に認められなくても別にどうでもいいわな
880人間七七四年:2012/05/16(水) 05:41:32.97 ID:xg3SB2yM
>>878
お前が常識と思い込んでいるにすぎんよ。ガリレオの昔、天動説を常識としていた連中と一緒。
881人間七七四年:2012/05/16(水) 06:32:01.33 ID:sGWdxBKm
>>879-880
なら資料を元に
徳川の威信を他の大名たちに示すために戦っている家康が
「豊臣を騙しての内堀の埋めたて」なんて大名たちに言うわけない。
ってのにも反論してみてくれ。
882人間七七四年:2012/05/16(水) 06:34:24.44 ID:xg3SB2yM
>>881
悪魔の証明って知ってるか?知らないだろうなあ。馬鹿だしなあ。
883人間七七四年:2012/05/16(水) 06:43:22.82 ID:sGWdxBKm
>>882
つまり事実であろうと資料での反論にも限界があるってことだ
884人間七七四年:2012/05/16(水) 06:46:46.55 ID:1+JnwaI+
>>883
そんな即座に自分の無知を暴露せんでもいいのに
885人間七七四年:2012/05/16(水) 18:32:05.37 ID:lb/Dlvxx
>>883
まずお前さんは妄想を垂れ流してないで自分の説を資料を使って証明しろ、反論を貰えるかはそれからだ
886人間七七四年:2012/05/16(水) 20:38:40.13 ID:sGWdxBKm
>>884-885
>>882が「悪魔の証明って知ってるか?知らないだろうなあ。馬鹿だしなあ。」
って言ってくれてるぞ

一兵卒レベルならともかく敗者側の資料が少ないことも配慮くらいしてみようか
した上で徳川正当論に固執するってならそれ以上はもう君等の中での真実として尊重するよ
887人間七七四年:2012/05/16(水) 21:44:24.33 ID:cHCiGB9V
豊臣側と言える「日本西教史」にも3つの堀の内、2つを埋めるとあるな
888人間七七四年:2012/05/16(水) 23:13:22.66 ID:lb/Dlvxx
>>886
そんなのは妄想止まりで資料を出さない理由にはならん
少ないって事は全く無い事とは違うわけでまずはその少ない資料から自説の展開を試みろ
それもしないで妄想だけで「これは常識(キリッ」とかアホか
結局、お前さんはドラマやら小説やらゲームやらで一般に流布された徳川のイメージから妄想してるだけなんだろ?
889人間七七四年:2012/05/17(木) 06:21:54.57 ID:mfiIzMmj
>>888
>そんなのは妄想止まりで資料を出さない理由にはならん

ならそっちも早く

徳川の威信を他の大名たちに示すために戦っている家康が
「豊臣を騙しての内堀の埋めたて」なんて大名たちに言うわけない。

これが常識の範疇に入らないって証拠を早く見せてよ
890人間七七四年:2012/05/17(木) 06:31:47.90 ID:pWvxdV4v
レス見ずに意見だけ言うな
891人間七七四年:2012/05/17(木) 06:32:41.88 ID:mfiIzMmj
家康は数年かけて大坂方周辺に天下普請で築城して包囲し
大砲弾薬を海外から買い集めていた

そして大坂方内部の徳川と繋がりの強い文英清韓と且元が
方広寺事件を起こし国替えと人質差し出しを突きつけた
外堀は数日で埋めたが内堀はひと月以上かかった

一方の豊臣方は大事に至らないように武器弾薬を買い控えし
開戦後も早期講和を目指していた

ならば徳川陰謀説を展開するには十分かと
それを妄想と否定するだけの資料も無し

それだけのことだな
892人間七七四年:2012/05/17(木) 06:40:15.27 ID:pWvxdV4v
いちいち上げんな
893人間七七四年:2012/05/17(木) 06:43:53.73 ID:mfiIzMmj
人が少なく埋れやすいから仕方ない
894人間七七四年:2012/05/17(木) 09:56:08.52 ID:fSBIkF40
>>889
家康の色が入っていない「日本西教史」にも3つの堀の内、2つを埋めるとある
895人間七七四年:2012/05/17(木) 22:56:41.51 ID:RO2pMv4y
>>891
>家康は数年かけて大坂方周辺に天下普請で築城して包囲し大砲弾薬を海外から買い集めていた

>文英清韓と且元が方広寺事件を起こし国替えと人質差し出しを突きつけた

>豊臣方は大事に至らないように武器弾薬を買い控えし開戦後も早期講和を目指していた

この3点について、その根拠となる出典は?
これもキミの推測ではないのか?
推測に推測を重ねる事を妄想と言うんだよ。
896人間七七四年:2012/05/18(金) 01:43:39.92 ID:cugE4aUH
>>889
>徳川の威信を他の大名たちに示す為に戦った家康が「豊臣を騙しての内堀埋めたて」なんて大名たちに言うわけない

これが常識だと資料も無しに言い出したのはお前だよ?
だからまずお前のするべき事は資料を出して自説が常識であると示す事
それもしないで反論を貰える訳無いだろ?なんせ妄想止まりなんだから
897人間七七四年:2012/05/18(金) 03:46:06.09 ID:4Pr2drQS
>>894
片桐且元は狡猾で
豊臣は物資が不足しているから容易に勝てると家康に通告したとあるな

他にも1614年の方広寺以前からの徳川の暴れっぷりが凄い
どう見ても懸案事項を一気に潰してしまおうとしている様子だな

それに対して淀殿は懸命に開戦を回避しようとしているとなっている
しかしお構いなしに攻めこまれ伏兵にて大勝したが物資乏しく講和で堀が埋まり構えが壊される

その後に大坂や堺を焼き討ちされて
決戦ではほぼ勝っていて秀頼も血気盛んに出陣したが
城内の裏切り者が城に火を放って敗れたと

しかし家康が死去に際して秀忠に
「諸侯に善くして民を愛せ」と言い残したことも書いてあるとか宣教師の報告は面白いな


>>895-896
>>845
これに且元が家康と通じて鐘銘を彫らせたともある
898人間七七四年:2012/05/18(金) 05:24:30.04 ID:Q26yRBrl
>>897
これって何だよ?史料名を言えよ。
899人間七七四年:2012/05/18(金) 06:30:33.87 ID:4Pr2drQS
>>898

……
900人間七七四年:2012/05/18(金) 09:43:33.93 ID:8UW3yN4I
>>897
日本西教史の家康評はそれが否定的なものである場合は慎重に見るべし
901人間七七四年:2012/05/18(金) 12:28:42.20 ID:cL0us+A4
>>897
>豊臣は物資が不足しているから容易に勝てると家康に通告した

>淀殿は懸命に開戦を回避しようとしている

>決戦ではほぼ勝っていて秀頼も血気盛んに出陣した

繰り返すけど、これらの出典は?
キミがどこから引っ張ってきたのかを知りたいんだよ。
史実性の検証はその後でいいよ。
902人間七七四年:2012/05/18(金) 14:25:56.96 ID:fFzwPPP/
>>901
同意。
真偽の判定は置いといて、
純粋に「どこでその見つけてきたのか」を知りたいだけなんだ。

別にそれをネタに攻撃しようってんじゃないんだから
出し惜しみせずに教えて欲しい。
903人間七七四年:2012/05/18(金) 20:43:41.61 ID:4Pr2drQS
>>淀殿は懸命に開戦を回避しようとしている

これ間違いで秀頼の母な聡明剛毅であり開戦をも厭わないだな

>>900
そうだな
ちゃんとバランスを取りたいところ
しかし且元を見る目は厳しいが全体的に作為からくる矛盾は感じられないがどうだろう?

>>898=901=902
だよな?
904ID変わってるけど902:2012/05/18(金) 22:13:25.51 ID:cEGNVLiW
>>903
いや、別人。
905人間七七四年:2012/05/18(金) 23:34:06.33 ID:8UW3yN4I
且元が豊臣家を嵌めようとした証拠はない
906人間七七四年:2012/05/19(土) 06:30:58.83 ID:BRBDoJ/R
前年には弟が家康から加増を受けていて
寺社仏閣の再建などを勧めていた上で方広寺鐘銘を彫らせた張本人で
豊臣に領地替えと人質の降伏進めて
断られるとしれっと徳川に寝返って
正則が「5年早く5年遅いと嘆いた」と伝えられるような最悪のタイミングで開戦させて
備前島から大砲撃ちまくって淀殿の側女たちを死なせて
狡猾で家康に通じていたと宣教師から特に評され
戦後何の罪も問われずむしろ加増されていたけど
嵌めようとした証拠は無いな

別に嵌めたとしても良いと思うけどな
他に徳川に味方て豊臣を攻撃した大名たちと何が違うのか
907人間七七四年:2012/05/19(土) 09:07:06.70 ID:s1Ng7pvk
>>906
且元は命を狙われたから退城した

石川貞政
908人間七七四年:2012/05/19(土) 17:58:40.43 ID:JyPKVV+t
淀も秀頼も且元をはじめとした忠臣達の諫言をまったく耳に入れない暴君母子なんだから
残された道は離反するしかなかった
悪いのはすべて暴君母子だろ
909人間七七四年:2012/05/19(土) 18:03:45.72 ID:GNth3R4P
女子供が暴君になれるほど戦国家臣団は甘くないすね
910人間七七四年:2012/05/19(土) 19:01:50.62 ID:JyPKVV+t
甘くないからこそ徳川に移籍したわけだからな
911人間七七四年:2012/05/19(土) 21:59:31.01 ID:QeT2no3r
淀が暴君とか講談かよ?淀とか治長は立場的には和平派で暴走してたのは秀頼とその周辺と浪人衆の方だろ?
912人間七七四年:2012/05/20(日) 04:24:56.21 ID:sZpip1YP
且元が忠臣なら方広寺鐘銘の責任とって腹切るか少なくとも高野山に篭ってるだろ
家康が豊臣を潰す気がなければそれで収まっている問題

詰まるところ両者は結託していたので豊臣は降伏か開戦かしかなかった
913人間七七四年:2012/05/20(日) 07:44:50.59 ID:thRqYLVo
且元が鐘銘事件に主体的に関わった事を示す資料を教えてくれ
914人間七七四年:2012/05/20(日) 10:32:36.48 ID:vr6+Vswy
>>912
鐘銘事件が問題の主因じゃねえっつーの。
そのあとの豊臣家側の行動が事態を大きくしている。
915人間七七四年:2012/05/21(月) 09:06:06.77 ID:EVSVj4v5
>>913-914
むしろ且元が鐘銘事件に関わっていないとする資料があるの?

それより何故に且元ってこんなに人気なんだ?
豊臣裏切って大砲撃ちまくった奴だよな?
916人間七七四年:2012/05/21(月) 09:08:38.39 ID:EVSVj4v5
方広寺鐘銘の責任とっての切腹も高野山謹慎もせずに
917人間七七四年:2012/05/21(月) 09:32:01.05 ID:G0ccMxr+
>>915
その前に関わっていたとする証拠を出せよマヌケ。お前の思い込み以外のな。
918人間七七四年:2012/05/21(月) 09:33:30.89 ID:dX4kGJIR
>>915
鐘銘について交渉はしている
だが、それが徳川との芝居という史料は皆無と言っている
>>916
且元を豊臣家が殺そうとした時点で鐘銘問題は吹き飛んだ
919人間七七四年:2012/05/21(月) 10:44:48.75 ID:EVSVj4v5
>>917
お前がマヌケだってよ
良かったね

>>918
つまり且元鐘銘事件を起こした且元を
大坂方の急進派が殺そうとしたという疑惑が大坂の陣の原因になったと

だから且元が責任とって切腹してれいれば双方とも収まったってことでしょ?
920人間七七四年:2012/05/21(月) 10:47:38.99 ID:G0ccMxr+
>>919
> つまり且元鐘銘事件を起こした且元を
> 大坂方の急進派が殺そうとしたという疑惑が

疑惑じゃねえ。実際に攻めてるっつーに。
おまえ大阪の陣に至る基本的な状況すらちゃんと認識してないだろ。
921人間七七四年:2012/05/21(月) 11:10:37.00 ID:R86xN4nP
毎回、恥も学習もなく挑発同然の上げレスをしてる時点で
荒らし以外の何者でもない件
922人間七七四年:2012/05/21(月) 11:11:39.93 ID:EVSVj4v5
>>920
それマヌケなお前さんが言うの?
923人間七七四年:2012/05/21(月) 11:12:43.44 ID:EVSVj4v5
>>921
また不自然な煽りフォローも入った
924人間七七四年:2012/05/21(月) 11:24:16.26 ID:dX4kGJIR
>>919
収まらない
且元は徳川家の家臣でもあるので、それを殺そうとした豊臣家は
徳川家・幕府に対して反逆したことになる
925人間七七四年:2012/05/21(月) 11:45:37.75 ID:EVSVj4v5
>>924
殺されかけた話しはなくなり
自分で責任を被ったって事になるでしょ
それでも徳川が許さないってならそれは反逆(?)ではなく徳川の都合だと

責任も被らず
謹慎蟄居も無視して篭城態勢を取って
援軍も出して
家康に助言して
最終的に本丸目掛けて大砲撃ちまくるんだから
且元は徳川に対して忠誠を
それを敵視した急進派は豊臣に対して忠誠をそれぞれ尽くしたでいいんじゃないの?
926人間七七四年:2012/05/21(月) 13:18:50.04 ID:dX4kGJIR
>>925
意見述べただけで殺されそうになる家に忠義ねぇw
主従関係は一方的なものでなく、双方的なものだよ、キミ
927人間七七四年:2012/05/21(月) 22:27:38.80 ID:hQnV1bBp
鐘銘事件なんて開戦理由の一つでしか無いしなあ
徳川に鞍替えした且元にしたら治まる保証の無い事に命をかけられるわけ無いだろうな
928人間七七四年:2012/05/22(火) 08:24:44.44 ID:kHoWf6GJ
>>926-927
なんで毎度々々且元が方広寺の鐘の鋳造の責任者だって事を無視して
豊臣は「意見述べただけで殺されそうになる家」みたいな意見がループされるのかねえ?

本来なら「それがしの不手際で大事になって申し訳ござらん。腹を切って収めたく存じ申す。」とか
「豊臣の御料地には指一本たりと手を触れさせは致し申さん。」とかそんな感じの責任のとり方をしないかい?
929人間七七四年:2012/05/22(火) 08:30:11.05 ID:kHoWf6GJ
且元の言ってることって、
「僕のミスで徳川を怒らせちゃってごめんね。(テヘ)」
「「領地の移転か臣従か人質かで許してもらえるみたいだから、そうしたらどうかな?(笑)」
とかそんな感じだよ。

清正が生きて聞いてても、恐らくは殺そうとすると思う。
930人間七七四年:2012/05/22(火) 08:34:56.44 ID:NOTsl354
>>928
且元が責任者ってどの資料にあるの?
931人間七七四年:2012/05/22(火) 11:45:51.89 ID:HiyrL5cJ
片桐家奮闘記
932人間七七四年:2012/05/22(火) 15:11:34.07 ID:kHoWf6GJ
>>930-931
責任者じゃなければなぜ且元が清韓と釈明に行ってるんだ?
933人間七七四年:2012/05/22(火) 15:15:43.24 ID:kHoWf6GJ
>>930

>>323でお前らしいのがまた揚げ足採ってるが

>慶長見聞書によると「且元、去年までは秀頼の家老として無二の忠臣を
装うが、君臣不快となると言えども多年のなじみを忘れ、家康公に秀頼殿の
隠れ場所を申し上げしこと侍にあらずと人々申しける」
自害した秀頼の場所を教えたり、その子、国松の潜伏先を教えた功績により
家康から大坂の地に4万石の大名に加増されたが、大坂落城の1ヶ月後に突然死。
死因は、病死とも精神を狂わせて自殺あるいは徳川の毒殺とも言われるが不明

これも酷い話だな
934人間七七四年:2012/05/22(火) 16:57:45.24 ID:w0nsIQVU
それ辿って思い出したが、いったい加須屋や平野や脇坂がいつ10万石クラスになったんだろうね、結局答えて貰えなかったな…
935人間七七四年:2012/05/22(火) 18:27:51.25 ID:kHoWf6GJ
まだ揚げ足とってるよ
性格に問題があるのはハッキリしてるな
936人間七七四年:2012/05/22(火) 19:02:08.23 ID:4XBxgOob
>>935
お前がな
937人間七七四年:2012/05/22(火) 20:20:41.88 ID:NOTsl354
>>932
何だただの妄想かよ
且元は徳川からつけられたとは言え豊臣と徳川に対する双方の外交窓口の一つな訳で謝りにいっても全然おかしくない
謝りにいった事だけでは且元が鐘銘事件の責任者だと証明する事にはならない
938人間七七四年:2012/05/22(火) 20:46:22.71 ID:Tfjf9koH
そも腹切れば万事解決という考えが見当違い
939人間七七四年:2012/05/22(火) 23:18:46.09 ID:qTkVFG0x
>>929
許すも何も徳川が豊臣にそれを望んでいることは10年以上前から明らかなこと
当然加藤だってそれを知っているけど加藤を含め誰も豊臣に言い出す勇気がなかっただけ
且元は裸の王様となった豊臣に王様は裸ですよと親切に教えてあげただけだ
それを聞くどころか殺そうとするから豊臣は「意見述べただけで殺されそうになる家」と扱われるんだよ
940人間七七四年:2012/05/22(火) 23:44:37.79 ID:U/7nl6Dj
秀頼はデブ
941人間七七四年:2012/05/22(火) 23:49:40.30 ID:NOTsl354
ところで何時になったら
>徳川の威信を他の大名たちに示す為に戦った家康が「豊臣を騙しての内堀埋めたて」なんて大名たちに言うわけない

これが常識だと資料を使って示してくれるのかな?
もしかしてそれが出来ないから且元と鐘銘事件の話に逃げたの?
942人間七七四年:2012/05/23(水) 02:27:37.70 ID:j/22FOCs
こんなところで馬鹿にされるための妄想レス垂れ流してるくらいなら本のひとつでも読めばいいのに
943人間七七四年:2012/05/23(水) 08:18:03.94 ID:5dxqoNOV
>>941
少し探せば手頃なのがあるかもしれないが
出すつもりなんて最初から無かったな

逆にこっちもそっちがそれを常識の範疇に入らないって証拠を出せるのなら出してみてくれと言っているが
つまりどっちも証拠なしってことでいいのかな?

ならば後はその上でこのスレの人間が
徳川の威信を他の大名たちに示す為に戦った家康が「豊臣を騙しての内堀埋めたて」なんて大名たちに言うわけない
にどれくらいの理があるかを判断するだけだな

それにしても相変わらずおまけでついてくる>>942の単発IDの中傷レスを見ると
自演癖があるのかそんなに普通の議論に自信がないのかと思いたくなるな
944人間七七四年:2012/05/23(水) 08:25:58.08 ID:5dxqoNOV
>>939
秀頼が15歳になれば政権を返すというのが秀吉の遺命であり
清正やら大坂方は念を押した上で千姫を秀頼の正室に迎えてる

そして二条城の会見も家康による娘婿秀頼へのただの婚儀の挨拶
それ以上の秀頼の臣従だとかはただの憶測だよな

方広寺鐘銘事件がなければ徳川が豊臣に指図をする道理は無かった
945人間七七四年:2012/05/23(水) 10:40:00.25 ID:l05aIrC7
>>944
どの史料にそんな事書いてあるの?
二条城の会見は当時から見ても言い訳が効かないくらいの
臣従の証明なのに何で嘘を付くの?
946人間七七四年:2012/05/23(水) 11:14:47.67 ID:x60ybbmR
>>943
>徳川の威信を他の大名たちに示す為に戦った家康が「豊臣を騙しての内堀埋めたて」なんて大名たちに言うわけない

そもそも威信を示す為に戦う、なんて抽象的・講談的な理由で戦ったわけではない。
反体制勢力の中核と浪人を一掃し、最後の社会不安要素を取り除いただけだ。
社会安定を望む民衆の要望に応えた形だな。元和偃武で徳川の意思は解釈出来る。

豊臣贔屓は、社会実態を無視して小説ベースに終始している。
947人間七七四年:2012/05/23(水) 13:10:04.99 ID:yo/93CSI
秀頼は舅の秀忠にほとんど挨拶に行かなかったりしてたよね?
948人間七七四年:2012/05/23(水) 13:53:53.81 ID:iNfoRyjK
>>944
秀吉の遺命のどこにも秀頼が15歳になったら云々なんて記述はない
それに徳川は征夷大将軍による幕府政治なのだから無関係の豊臣に返すものなど何もない
将軍とは縁もゆかりもない豊臣が現将軍家に対して将軍職を要求するのは簒奪行為であり
従って徳川は豊臣の謀反を鎮圧しただけに過ぎない
949人間七七四年:2012/05/23(水) 14:15:07.31 ID:5dxqoNOV
>>945
何処の史料を見れば言い訳が効かないわけ?
無い以上はただの挨拶

>>946
浪人を雇うなんて豊臣に限らず何処の大名家でもやっていた
徳川も立花などを雇っていた
それがなぜ問題になるのか?

>>948
15歳は違うのか?
それとも秀頼が成人しても実権は家康になんて秀吉が遺命したってこと?

とりあえず常識や通説を連呼するならこの辺をよろしく
950人間七七四年:2012/05/23(水) 14:17:45.44 ID:5dxqoNOV
どうも君等の史料元を手当たり次第見るのが大変なので
徳川陰謀論が何処まで通用するか
ツッコミを中心にさせてもらうのでよろしく
951人間七七四年:2012/05/23(水) 14:22:31.18 ID:l05aIrC7
>>949
挨拶に秀頼自ら行った時点でもう臣従なんだよ、秀頼個人あたりがどう思っていようが関係ない
あと大量の牢人を関ヶ原から何年も経ってる時に雇用なんぞしたら、戦争やテロ行為の疑惑を持たれてもしようがない
実権は五大老と五奉行に一時的に委譲されたが、上杉が豊臣に無断で
戦争の準備を始めた等の理由などで事実上完全に崩壊している
952人間七七四年:2012/05/23(水) 14:27:43.87 ID:5dxqoNOV
>>951
だから何処の史料を見れば
姑と娘婿の挨拶が臣従になるわけ?

浪人が大量にいる時代なんだから
それに扶持を与えている大名は徳川親藩・譜代を含めて全てテロ疑惑って事?
953人間七七四年:2012/05/23(水) 14:30:45.63 ID:l05aIrC7
史料など関係ない
当主自らが出向く行為自体が自らを格下と認めること
舅と娘婿の挨拶はあくまで名目
牢人を大量にあの時期雇おうとしているのが問題
954人間七七四年:2012/05/23(水) 14:39:32.90 ID:5dxqoNOV
つまりまとめると
浪人が世情不安の原因になっていようと
放置するってのが徳川幕府の方針なんだから
豊臣が舅と娘婿の関係だろうと出向いて挨拶した以上は当時は臣従であり
有無を言わさず従えと
955人間七七四年:2012/05/23(水) 14:43:39.09 ID:l05aIrC7
別に放置してないし
罪人は普通に処罰してるし
主従以前に豊臣は特別扱いされてるのにも関わらず態度が悪すぎるし
956人間七七四年:2012/05/23(水) 15:03:30.66 ID:+d9upT2w
>>954
大坂城周辺の関ヶ原浪人が、世情不安の要因になっていたのは周知だよね。
まさかこれを知らない訳ではないでしょ?
ここで立花は比較事例にはならないよ。
957人間七七四年:2012/05/23(水) 15:26:44.92 ID:iNfoRyjK
>>949
そもそも秀吉の遺命に秀頼が成人したら実権がどうこうなんて存在しないと言っているだろ
あるというならその史料を提示してみろ
958人間七七四年:2012/05/23(水) 16:55:43.48 ID:LY9DEHMT
>>943
何だやっぱりただの妄想かよ

お前の資料無しのくだらない妄想にわざわざ資料出して反論してやる必要が無い
当たり前だろ?ただの妄想なんだから

んでまた話題変えて逃げるのなお前
959人間七七四年:2012/05/24(木) 12:58:12.60 ID:5c3amByu
>>956
現代で言えば大阪市の釜ヶ崎を廃止することは無宿者による世情不安対策にならないということだな。
960人間七七四年:2012/05/24(木) 13:31:09.21 ID:5c3amByu
>>957-958
豊臣方は敗者であり
状況は講談、軍記物、下士、第三者などによる裏付けに乏しい史料により行われている。

一方、徳川方は勝者であり、
徳川正統論は、参戦し生き残った外様大名など、一見当事者に近い人物などの史料により行われている。

それにも関わらず、徳川正当・豊臣暴発論を主張する側は、「史料々々」を連呼し、
徳川家康、金地院崇伝、板倉勝重、本多正信・正純、片桐且元などが関わる
徳川陰謀論を妄想だと頭から批判する。

それだと話にならず、史料批判を積み重ねていくことが重要。
固定観念に因われず、やってみれば、文英清韓、上の6人に、藤堂高虎にと、
南禅寺の関わりが察せられるなど、面白い。

逆に且元が作事奉行らしいことは何処の史料にあるか知らないが通説でいいんじゃないの?
でなければ何故に北野天満宮や法華寺などの再興に名前が残っているのかが不明。
961人間七七四年:2012/05/24(木) 14:42:24.79 ID:kxg2EUdu
どこを縦読み?
962人間七七四年:2012/05/24(木) 15:04:46.88 ID:fnTkPgBU
俺にとって都合の悪い史料は、きっと勝者の捻じ曲がった記録だろうから信用するな、しないでくださいお願いしますってことかな?
963人間七七四年:2012/05/24(木) 15:08:32.49 ID:c3PtMrTm
自説に都合良い史料すら提示できない所がなんとも
964人間七七四年:2012/05/24(木) 15:20:25.71 ID:kxg2EUdu
史料抜きでも説得力乏しすぎるしな
965人間七七四年:2012/05/24(木) 17:57:11.84 ID:qNzU3QVr
>>960
お前さんの言う
徳川の威信を他の大名たちに示す為に戦った家康が「豊臣を騙しての内堀埋めたて」なんて大名たちに言うわけない
ってのが常識だと証明するのに当時の資料はあんまり要らない件
966人間七七四年:2012/05/25(金) 11:30:34.48 ID:8aOI+7Or
ブルドーザーみたいな機械もない時代に堀の埋め立てなんて瞬時に出来るわけないだろ
しかも内堀なら浪人を含めた豊臣兵士が大勢いる場所だ
騙し討ちであっという間に堀を埋め立てたという講談そのものが冷静に考えれば嘘八百なんだよ
内堀を含めて全ての堀を埋め立てることは冬の陣の講和で決定されていたことだった
だから徳川が内堀を埋め立てても正当な行為なので豊臣側は妨害できなかった
それを後世の豊臣史観によって徳川が騙し討ちをしたように捏造をして今日に至るまで修正されないままでいる
まったくもって恥ずべきことだよ
967人間七七四年:2012/05/25(金) 12:12:12.53 ID:4W8tWeEA
むしろ堀の埋め立て作業は豊臣が誤魔化そうとしてたしね
一応、内堀は豊臣も埋め立て作業をするはずだったけど
家康が倒れるのを待つかのように、まじめに作業をしなかったからなあ
968人間七七四年:2012/05/25(金) 18:04:23.42 ID:p5D31Ev7
>>962
その可能性を踏まえて見るべきだってことだな

>>963-965
どういう事?

>>966-967
外堀埋立は数日で終わってるんだけど
内堀は1ヶ月以上かっているので何かがあった

どちらにしろ双方向から見た史観じゃないね
969人間七七四年:2012/05/25(金) 18:07:21.69 ID:zgq/h6m7
>>968
> 外堀埋立は数日で終わってるんだけど
> 内堀は1ヶ月以上かっているので何かがあった

お前どこでそんなバカな話し聞いたの?外堀埋め立てが数日って、そんなの聞いたこともないぞ?
なんでいう史料に出てたのかそれをはっきりと説明しろ。
そういうことを言ったお前にはその責任がある。
970人間七七四年:2012/05/25(金) 18:10:57.44 ID:tyT5A6MQ
何かあって作業が遅れてるなら幕府に言えばいいだけの話だろ
971人間七七四年:2012/05/25(金) 18:13:56.51 ID:p5D31Ev7
>>969
徳川正当論の方が他にいるなら引き取ってください
972人間七七四年:2012/05/25(金) 18:15:19.22 ID:p5D31Ev7
>>970
家康は手紙で埋めたか?埋めたか?と
尋ねるばかりだったんだよな
973人間七七四年:2012/05/25(金) 18:16:04.55 ID:tyT5A6MQ
>>971
で、情報元は?
974人間七七四年:2012/05/25(金) 18:17:53.82 ID:p5D31Ev7
>>973
おや?
ひょっとして他のIDでもまだ同じ事を言う人が出てくる?
975人間七七四年:2012/05/25(金) 18:24:15.97 ID:tyT5A6MQ
>>974
いいから情報源を
どんな本に書いてたとか知りたいし
976人間七七四年:2012/05/25(金) 18:38:31.69 ID:p5D31Ev7
>>975
そっちは非常に初歩的な物でも聞かれる度に答えるの?
977人間七七四年:2012/05/25(金) 18:48:39.12 ID:tyT5A6MQ
だからソースは?
978人間七七四年:2012/05/25(金) 18:51:06.01 ID:C18TNvIZ
>>968
>外堀埋立は数日で終わってるんだけど
>内堀は1ヶ月以上かっているので何かがあった

そりゃ深さや幅の規模が違うからね
それに外堀は内部の土塁を埋土に転用できるが、内堀はそうはいかない
979人間七七四年:2012/05/25(金) 18:54:58.71 ID:tyT5A6MQ
うむ
980人間七七四年:2012/05/25(金) 19:52:14.21 ID:p5D31Ev7
>>977
答えるよってことでいいのかな?
だったらこれから楽だけど?

>>978
内堀は当然距離も短くなるけど
内堀に土塁や城壁や家屋などが無かったとでも?
981人間七七四年:2012/05/25(金) 19:54:57.27 ID:bNEa8zYz
軍記物の現代語訳か、それとも独自の最新研究()を売りにしている某歴史雑誌本なのか。
何を基本にしているのか、で「初歩的事実」とやらも全く違うのが現実です。
982人間七七四年:2012/05/25(金) 19:57:17.81 ID:p5D31Ev7
どちらにせよ>>969のお引取りありがとうございます()
983人間七七四年:2012/05/25(金) 19:59:13.43 ID:bNEa8zYz
>>982
お前のほうをあぼんしたほうがいいようだなw
984人間七七四年:2012/05/25(金) 19:59:58.82 ID:EyPCi4gT
>>980
らめぇ内堀の内部の土塁や城壁や家屋を埋め立てに使ったら大坂城なくなっちゃう><
985人間七七四年:2012/05/25(金) 20:04:09.59 ID:p5D31Ev7
>>984
そこで二の丸(三の丸もか?)
986人間七七四年:2012/05/25(金) 20:23:11.72 ID:aQDhL3cP
初歩的だと言うならさっさと資料出して黙らせれば良いのに出さない辺りやっぱり妄想止まりなんだね
987人間七七四年:2012/05/25(金) 20:53:01.79 ID:C18TNvIZ
>>980
>内堀は当然距離も短くなるけど
>内堀に土塁や城壁や家屋などが無かったとでも?
外堀は北と東は川、西は堀割なので埋め立てられた可能性は低いので南のみ
後、内堀は家臣の屋敷があるからそれを壊すというのはどうだろう
988人間七七四年:2012/05/25(金) 22:12:26.06 ID:db1nbKkz
そしてスレも埋まる
989人間七七四年:2012/05/25(金) 22:58:06.09 ID:rAWwUWbv
どなたか次スレの作成お願いします!
990人間七七四年:2012/05/25(金) 23:13:15.10 ID:4W8tWeEA
断る!
991人間七七四年:2012/05/25(金) 23:50:25.35 ID:IiWqH8hZ
だがが抜けてるぞ
992人間七七四年:2012/05/26(土) 00:14:58.00 ID:tmOMbBG2
こんなじいすれにまじになってどうすんの?
993人間七七四年:2012/05/26(土) 02:04:47.55 ID:tmOMbBG2
994人間七七四年:2012/05/26(土) 09:13:06.41 ID:tmOMbBG2
995人間七七四年