【打倒】上杉謙信 上洛戦【信長】

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370人間七七四年
>>369
謙信が死んだ年にはそれら諸問題の全てを解決済み。
勝頼は織田に大敗してるから謙信と戦うなんて有り得ないし
揚北衆からは人質を取ってるし
彼らを通じて庄内も安定させてる。
各戦線は完全な安定を見ていたから
一向宗と協調関係に入った事で
今までとは違い北陸にまで広く動員をかけて遠征を行おうとしていて
北条はビビッて謙信が上洛するなら北条も兵力を派遣して協力しますから使ってくださいと頼み込んでるほど。
手取川合戦そのものがあったかは不明だが
織田オールスターの敗走を見て加賀能登の国人が上杉の武威を実感したことで軍事バランスが崩壊し加賀を上杉に併合されたのは事実。
そして織田側が謙信の攻撃から能登畠山の幼君を助ける建て前での援軍だったはずが上杉軍を見て助けずに逃走or大敗して逃走。
しかもその言い訳として幼君が病死したから撤退と捏造してる姿が非常に痛い。
謙信は専横していた重臣を除き能登畠山の血を引く者を配置し
幼君は謙信の養子に迎えてるわけだが。
それを合理的に説明できるのが謙信書状なわけだ。
信長公記は主観が入った日記の形を取った金を貰って改ざんしたものだし
執筆した者が全ての情報を知り得る立場だった分けでなく
他家の書状や家譜と違うことを書いているから正確だと主張するのは傲慢。
そもそも信長公記は一次史料じゃない。