1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 18:21:20 ID:5xzLdFv+
できっこないよ。
3 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:18:39 ID:EkYf08uk
材木問屋が、とりあえず世界征服!って言いつつ
九州某県でローカルに戦ってるようなもんだろ。
大きいこと言った方が志気も上がるじゃん。
浅井・朝倉なんかも牽制を頑張るだろうし。
4 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 20:02:40 ID:5d1hO76E
まあ2万5000、家康の抑えに5000置いておくとして2万ぽっちじゃ信長には勝てんわね。
防衛線に徹するなら一万あれば十分だし、長期の遠征はそれこそ国人が嫌がる。
5 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 20:16:10 ID:5d1hO76E
武田にできることは織田が手一杯の内に三・遠を侵食すること。
流石にいよいよヤバイとなれば長篠のときのように信長も動く。
その分だけ浅井、朝倉その他の寿命も延びる。
あとは三・遠の要衝を押さえたまま対峙を続けながらチャンスがあればジワリ侵食。
徳川を引き込むことが出来れば形成の逆転も夢ではないというところか。
信玄が三年ぐらい長生きしてその間、上杉、北条との関係が良好なままという希望的な前提が必要だが。
6 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 20:18:37 ID:5d1hO76E
そもそも信玄って合戦で一気に勝負決めるタイプじゃないよね。
本格的な西上を本気でするつもりはなかったんじゃないかと。
自体が好転すればあるいはぐらいには考えてただろうけど。
7 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 20:20:25 ID:TVAbZRzn
______
| |.| ∧∧
=====(,,゚Д゚)∩=
|_|.⊂ ノ
/ 0
し´
\ えっ…と、糞スレはここかな…、と /
 ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧ ∧∧ __._
∩゚Д゚,≡,゚Д゚) |.|
`ヽ |)====
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U U
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌─┴┴─┐
/ つ. 終 了 │
〜′ /´ └─┬┬─┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
8 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 21:25:37 ID:XFuXrZpt
北条侵攻と同じように織田の領内を横断しつつ荒らしまくればいい
9 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 21:36:47 ID:Py6ul5rx
テンプレぐらい貼れよ
10 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 23:09:37 ID:Z16rgLOL
また立ったのかw
11 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 02:18:15 ID:k3fWkrs8
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する
12 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 02:26:51 ID:k3fWkrs8
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
関東
上野:49万6千石/12400
甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375
東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450
北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125
畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500
四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/
13 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 02:27:43 ID:k3fWkrs8
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況
●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。
総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。
14 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 02:28:55 ID:k3fWkrs8
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。
総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。
●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。
総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。
15 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 02:33:14 ID:k3fWkrs8
はってて気付いたんだが
このとき荒木ってまだ織田方だとはっきりさせたわけじゃないよね。
池田家の乗っ取りに四苦八苦してるころじゃない?
あと和田は高山に追放されてなかった?
まあなんにしても畿内勢力は混沌としすぎて
信長とか将軍どころじゃないんだろうけど。
16 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 07:14:56 ID:+qgqx1xS
五月一斉攻略論者に対する反論。
今回の作戦の快進撃を支えた状況はなんだったのか?
それは、信長が信玄の行動を予想していなかったから。
つまり不意をつかれた。
だから、織田は積極的に行動がとれなかった
信玄側からすれば戦略を展開していく先手をとったことになる。
しかし、一度退却して五月に再包囲網をしたらどうなるか。
織田に包囲網対策の時間を与えることになる。
そうなると、総合的に勝る織田が包囲網勢を退ける可能性は飛躍的に高くなる。
17 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 09:29:46 ID:26uLEcbf
快進撃してるならそのまま快進撃して尾張蹂躙
徳川降伏 包囲網のさらなる強化 そして織田内部へ寝返り工作
反乱を起こさせる まあ織田では太刀打ちできない
18 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 09:42:38 ID:v8sOAADd
いきなり同盟破棄しといて快進撃とか…
困ったもんだぢゅ
(●`з´●)
19 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 09:47:31 ID:26uLEcbf
将軍から上洛要請されてるしなぁ 大義名分は十分にあるし
織田にいわれたくねぇな
20 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 09:54:04 ID:Ym1FQLqg
三河遠江の電光石火の攻略は凄まじい。あの時点なら信長に負けることもまず無い。
やはり信玄が長命だったらとしか言えない。
21 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 09:56:01 ID:Ym1FQLqg
22 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 12:19:59 ID:v8sOAADd
快進撃というより騙し討ちぢゅ
騙し討ちなら初めのほうは有利に運んで当然ぢゅ
武田は今まで味方だったし、徳川という防波堤があるんだから準備してなくて当然ぢゅ
その兵力を畿内で使ったほうが有効ぢゅ
で、武田が裏切って防波堤の徳川が頑張ってる内に、武田の奴もしかしたら織田領にも入ってくるかもしれんで、そろそろ準備しようかなって時に、結局武田は防波堤を越えられずに帰っていったんだぢゅ
それだけの事ぢゅ
(●`з´●)
23 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 12:52:13 ID:7UV0xLo2
ところで前スレ終わりで朝倉の戦果朝倉の戦果と連呼してtけど、その戦果は情勢にどう影響を与えたんだ?
織田の小谷城包囲の綻びを作るなり後退させるなりしたの?
24 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 16:16:32 ID:FNBb+76x
虎御前山砦が健在な所からほとんど影響なし。
一部の人間が戦果戦果と言っているだけで、
他の人は、小競り合いで秀吉が勝ったりすることもあれば、朝倉が勝ったこともあるだろう、
ただ虎御前山砦を落とせていない事から、一戦闘では朝倉にも戦果があったけど、
戦略戦術的には秀吉が勝っている。
一部の人間は本気じゃなかった、落とすのを来春にしただけと主張しているが、
小谷城の目と鼻の先の砦も排除出来ないというのは、城下を荒らされたなどよりも余程影響が大きいだろうから、
単純に落とすことが出来なかったと考えるのが自然。ってとこじゃないかと思う。
25 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:10:54 ID:k3fWkrs8
■三方ヶ原の戦い後の情勢。
1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い
1573年
一月 三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。
三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。
四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。
七月 足利義昭京より逃れる。
八月 朝倉・浅井両家滅亡。
26 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:18:40 ID:k3fWkrs8
■この情勢をもとにした推測。
織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?
武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?
武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
27 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:19:14 ID:k3fWkrs8
その他の勢力 東国
●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。
総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。
●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。
●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)
総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。
●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。
総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。
●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?
●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。
28 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:20:02 ID:k3fWkrs8
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。
●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。
●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。
●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。
29 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:21:11 ID:k3fWkrs8
その他の勢力 三好
三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)
畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。
・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。
総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。
四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。
・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。
総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる
おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。
総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)
30 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:22:10 ID:k3fWkrs8
永禄十三年・元亀元年(1570)
正月武田信玄、駿河に侵攻。(第四次駿河侵攻)
五ヵ条の条書。僧侶の朝山日乗と幕臣の明智光秀らが証人。(23日)
信長上洛付書立・同触状。(23日)
二月織田信長、岐阜城から出陣。(25日)
三月常楽寺相撲興行。(3日)
織田信長、上洛。足利義昭や三好義継らと鷹狩。(5日)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第一次元亀の争乱)
四月織田・幕臣連合軍、若狭から越前に侵攻。(第一次越前侵攻)
徳川家康、松永久秀、池田勝正、公家衆(飛鳥井雅敦、日野輝資)らも参戦。
浅井長政の織田陣営から離反。織田・徳川連合軍、敗走。
織田家部将の丹羽長秀と幕臣の明智光秀、武藤友益を威圧し若狭を平定。
武田信玄、駿河に侵攻。(第五次駿河侵攻)
五月守山合戦。
織田家部将の稲葉良通らが六角残党を掃討。
織田信長、千草峠を越えて美濃に帰国。
森可成を宇佐山城、佐久間信盛を永原城、柴田勝家を長光寺城、中川重政を安土城、
それぞれ諸将を配置し南近江(湖南回廊)を確保。
六月野洲川落窪合戦。六角残党、敗走。
織田家部将の佐久間信盛と柴田勝家らが出陣。
織田・徳川連合軍、北近江に侵攻。(第一次近江侵攻)
池田城で謀反。荒木村重、池田勝正を追放。
織田・徳川連合軍、近江姉川で朝倉・浅井連合軍に勝利。(野村・横山合戦)
木下秀吉を横山城に配置し湖北に備える。
七月織田家部将の丹羽、水野、河尻、市橋らが佐和山城を包囲。(翌年二月に開城。)
織田信長、上洛。次いで美濃に帰国。
三好三人衆と三好康長、細川信元を盟主に掲げ畿内に出陣。(第二次畿内危機)
三好三人衆と三好康長、中嶋城で挙兵。
斎藤龍興、三好三人衆側に参加。
安宅信康、兵庫に上陸。次いで尼崎に布陣。
安宅信康、池田勝正や伊丹忠親らと戦う。
八月古橋城合戦。三好長逸、攻略。次いで高安城の松永軍と対峙。
織田信長、上洛。
織田・足利連合軍、河内、次いで摂津に進軍。(野田・福島合戦)
九月石山本願寺、蜂起。(第一次石山合戦)
朝倉・浅井連合軍(湖北十ヶ寺も含むか?)、西近江に侵攻。(第二次近江侵攻)
朝倉・浅井連合軍、長期戦を想定し船舶を確保。琵琶湖制海権を掌握。
坂本合戦。朝倉・浅井連合軍、勝利。織田信治と森可成、戦死。(20日)
宇佐山城合戦。朝倉・浅井連合軍、大津から山科に転進。(21日)
織田・足利連合軍、摂津から撤退。(23日)
織田軍、志賀に着陣。(志賀・堅田合戦)
朝倉・浅井連合軍、比叡山に布陣。比叡山延暦寺、協力。
篠原長房、兵庫に出陣。(27日)
十月高屋城合戦。一向一揆、高屋城の畠山昭高を攻める。(22日)
徳川家康、近江に援軍を派兵。
十一月小木江城合戦。長島一向一揆、勝利。織田信興、戦死。(長島一向一揆)
堅田合戦。朝倉・浅井連合軍、勝利。坂井政尚、戦死。
織田信長、六角残党と和睦。さらに篠原長房とも和睦。
十二月織田信長、朝倉義景と浅井長政とも和睦。
織田信長、美濃に帰国。
31 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:22:53 ID:k3fWkrs8
元亀二年(1571)
正月篠原長房、阿波に帰国。
武田信玄、駿河に侵攻。(第六次駿河侵攻)
明智光秀を宇佐山城に配置。
二月佐和山城の磯野員昌、織田信長に投降。
丹羽長秀を佐和山城に配置。
蜂屋頼隆を肥田城に配置か?
備前児島の本太城で反毛利の軍事行動。(毛利と村上の間で確執か?)
四月毛利軍、本太城を包囲戦の末に攻略。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第二次元亀の争乱)
五月箕浦合戦。浅井軍と湖北十ヶ寺の連合軍、敗退。
織田信長、北伊勢に侵攻。(第一次長島合戦)
織田家部将の柴田勝家、負傷。氏家直元、戦死。
篠原長房、備前児島に出陣。(反毛利行動による浦上への支援。)
交野城合戦。松永久秀、安見直政を攻める。安見直政は自害。(第三次畿内危機)
これより摂津・河内・大和は争乱状態に。
六月吹田城合戦。和田惟政、吹田城を攻め落とす。
篠原長房、阿波に帰国。
高屋城合戦。三好義継と松永久秀、畠山昭高を攻めるも撤退。
七月篠原長房、河内に出陣。
和田惟政、三好義継・松永久秀の連合軍と戦う。
八月織田信長、近江に侵攻。余呉・木本を放火。(第三次近江侵攻)
辰市合戦。筒井軍、三好・松永連合軍に勝利。
郡山合戦(白井河原合戦)。荒木村重、勝利。和田惟政、戦死。
九月志村城合戦。織田軍、攻略。小川城、開城。(第一次湖南一向一揆)
金森城合戦。川那辺秀政、降伏。
織田信長、比叡山延暦寺を焼き討ち。(延暦寺焼討)
明智光秀を坂本城に配置。これにより湖南支配が強化。
織田信長、上洛。
織田信長、竹内季治を斬首。(竹内事件)
織田家部将の明智光秀、高槻城に救援。
この頃、織田信長、細川信元と石成友通たちと和睦か?
織田信長、美濃に帰国。
十月宮部城の宮部継潤、織田信長に投降。
槙島城合戦。三好義継・松永久秀の連合軍、攻勢。
高屋城合戦。三好康長、攻勢。
十一月篠原長房、高屋城包囲戦に合流。(十二月までか?)
32 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:23:40 ID:k3fWkrs8
元亀三年(1572)
正月金森城・三宅城で合戦。六角残党と一向一揆、敗退。(第二次湖南一向一揆)
織田家部将の佐久間信盛と柴田勝家らが出陣。
二月利根川対陣。(上杉vs北条・武田)
三月織田信長、近江に侵攻。余呉・木本を放火。(第四次近江侵攻と河内侵攻)
木戸城合戦。田中城合戦。
織田家部将の明智光秀、丹羽長秀、中川重政らが出陣。
織田信長、上洛。(織田信長、細川信元や石成友通らと謁見。)
三好長治と細川真之、讃岐に上陸し阿波へ侵攻。
四月交野城合戦。織田家部将の佐久間信盛や柴田勝家らが三好・松永連合軍に勝利。
五月織田信長、美濃に帰国。
椎名康胤、上杉陣営から離反。
加賀一向一揆、越中に侵攻。
六月神通川合戦。加賀一向一揆、上杉軍に勝利。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第三次元亀の争乱)
七月織田信長、近江に侵攻。(第五次近江侵攻)
小谷城合戦。
朝倉義景、小谷城に後詰。
上桜城合戦。篠原長房、三好長治に攻められて戦死。
毛利輝元、毛利家部将の小早川隆景と共に備前に侵攻。(備前侵攻)
八月朝倉家部将の前波、魚住、富田らが織田軍に投降。
織田家部将の中川重政、召還。
摂津中嶋城合戦。細川昭元、三好・松永連合の攻撃を撃退。
九月織田信長、美濃に帰国。(朝倉軍は小谷城に滞陣のまま。)
一七ヵ条の異見書。
岩村城の城主の遠山景任、死去。
十月武田信玄、甲府を出陣。
第一次岩村城合戦。織田軍(河尻秀隆と池田恒興か?)、攻略。
二俣城合戦。(十一月に開城。)
毛利輝元、浦上宗景と和睦。
十一月第二次岩村城合戦。武田家部将の秋山信友が攻め、開城。
武田信玄、二俣城を開城。
十二月朝倉義景、越前に帰国。
織田信長、佐久間信盛や水野信元、平手汎秀らを援軍として徳川家康に派遣。
三方ヶ原合戦。武田軍、織田・徳川連合軍に勝利。
摂津中嶋城合戦。再度、三好・松永連合の攻撃を撃退。
武田軍、遠江刑部で休止。
上村合戦。武田軍、遠山残党に勝利。
この頃、織田信長と毛利輝元の友好が破綻。
浦上宗景、三村元親、尼子勝久らは織田信長と誼を通じる。
宇喜多直家は毛利輝元と誼を通じる。
33 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:24:36 ID:k3fWkrs8
元亀四年・天正元年(1573)
正月野田城合戦。(二月に落城。)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第一次将軍蜂起)
二月武田信玄、野田城を開城。
山岡景友(光浄院暹慶)、近江石山で一向一揆を蜂起。(磯谷、渡辺らも参加。)
北山城でも山本久政らが蜂起。
織田信長、近江に侵攻。(第六次近江侵攻)
近江石山城合戦。落城。
摂津中嶋城合戦。三好・松永連合軍、勝利。細川昭元、堺へ逃走。
今堅田城合戦。開城。(朝倉・浅井連合軍の援軍は無し。)
織田信長、美濃に帰国。
足利義昭、三好義継や松永久秀らと連携し挙兵。
三月織田信長、岐阜城を出陣(25日)。
細川藤孝と荒木村重、織田信長に臣従。(29日)
織田信長、上洛。(29日)
高槻城で謀反。高山重友、幕府派の和田惟長を追放。
足利義昭、織田家部将の村井貞勝の屋敷を包囲。(30日)
四月織田信長、吉田兼和と会見。(1日)
織田信長、京都郊外に放火。(3日)
織田信長、上京に放火。(4日 上京炎上)
二条御所包囲。(4日)
織田信長、朝廷工作により足利義昭と和睦。(7日)
鯰江城合戦。六角残党と一向一揆、敗退。(第三次湖南一向一揆)
織田信長、百済寺を焼き討ち。(百済寺焼討)
織田信長、美濃に帰国。
武田信玄、死去。
五月徳川家康、駿河に侵攻。岡部や久能、さらには駿府に出陣。
六月万里小路惟房、死去。(9日)
高屋城で謀反。遊佐信教、畠山昭高を殺害。三好康長、入城。
34 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 17:26:34 ID:k3fWkrs8
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第二次将軍蜂起)
七月織田信長、上洛。
二条御所合戦。三淵藤英、降伏。
槙島城合戦。将軍足利義昭、降伏。次いで追放。
織田家部将の村井貞勝、京都所司代に任命。(28日)
長篠城合戦。(九月に開城。)
木戸城合戦。田中城合戦。
八月勝龍寺城合戦。三好三人衆の石成友通、戦死。(槙嶋・伏見・淀を制圧。)
織田信長、美濃に帰国。(4日)
万里小路輔房、急死。(5日)
浅井家部将の阿閉貞征、織田信長に投降。
織田信長、近江に侵攻。(第七次近江侵攻)
若狭の織田派(武藤舜秀らか?)、武藤友益ら反織田派を討伐。(若狭平定)
小谷城合戦。(九月に落城。)
朝倉義景、小谷城に後詰に来るも越前に撤退。
刀根坂合戦。朝倉義景、敗走。斎藤龍興、戦死。(第二次越前侵攻)
朝倉義景、自害。
上杉謙信、越中・加賀に侵攻。加賀一向一揆に圧力。
小谷城総攻撃。
浅井久政、自害。
九月浅井長政、自害。
木下秀吉を近江湖北三郡に配置。
丹羽長秀を若狭に配置。
武藤舜秀を越前敦賀郡に配置。
織田信長、美濃に帰国。
徳川家康、長篠城を開城。
織田信長、北伊勢に侵攻。(第二次長島合戦)
十月静原山合戦。織田家部将の明智光秀、勝利。山本久政、戦死。
磯谷久次、近江志賀郡山中から逐電。
織田信長、美濃に帰国。
十一月織田信長、上洛。
織田信長、足利義昭に帰京を説得するも失敗。(9日 堺協議)
若江城合戦。織田家部将の佐久間信盛、勝利。三好義継、戦死。(16日)
織田信長、浦上宗景に備前、美作、播磨を安堵。
織田信長と石山本願寺、和睦。
妙覚寺の茶会。参加者…塩屋宗悦・松江隆仙・津田宗及 点前…不在庵梅雪
妙覚寺の茶会。参加者…松井友閑・今井宗久・山上宗二 点前…千宗易
十二月織田信長、美濃に帰国。
多聞山城合戦。松永久秀、降伏。
35 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 19:15:39 ID:xYsI/dXA
この板が無くなるまで存在し続けそうなスレッドですな
36 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 22:05:01 ID:JtGUq9CS
そりゃ武田上洛ネタは無くなる事は無いだろうな。
37 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 22:05:59 ID:hofCJyb5
>>24 勝手に多数の意見を決めないでほしい。
虎御膳が存在するなら秀吉のあるいは戦略的には勝利といえるかもしれないけど
戦術的な勝ちではないだろう。
虎御膳を攻略しても冬の間に気づきなおされたりする可能性などを考慮する人もいたし、
秀吉優位としてる人と朝倉優位としてる人の数はそれほど変わりなかったはず。
38 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 22:47:29 ID:3KCx3Ood
朝倉優位なんて初めて聞いたぞ
39 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 22:52:54 ID:Sa20pBhu
朝倉が本気を出せば虎御前山砦を抜けるという考えは少し楽観的すぎだと思う。
虎御前山砦単体で考えてるのが間違いだよ。
虎御前山砦は後方約12キロに位置する横山城との連携が完璧な堅い砦群。
虎御前山と横山城との間の八相山と宮部郷にも砦を築き、
それらを結ぶ、高さ約3メートル程の防御壁も兼ね備えた軍用道路を作ってる。
また信長公記に「御巧を以て、当山の景気興ある仕立、生便敷御要害見聞に及ばざるの由候て、各々耳目を驚かされ候。」
意訳(こんなすげえ砦今まで見たことねえ…と人々がびっくりした)
という記述があり、また牛一自身も「何れも眼前及ぶ所の景気、又丈夫なる御普請、申尽し難き次第なり。」
(周囲一体を見渡せるロケーションと頑丈な砦構えは言葉に言い表せないほどのものだ)
と述べており、虎御前砦がそこらにあるような砦ではなく相当規模の大きい砦だった事が分かる。
40 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 22:59:18 ID:hofCJyb5
>>39 それは織田側の資料。
朝倉側の資料なら朝倉側が織田側を放火して700近い陣屋を焼き打ちにし
被害を与えている事や、同時代の書状にも朝倉が織田側に対して戦果をあげ
それをお祝いされてたりする。
実際戦果は出ているのだから太刀うちできないわけがない。
41 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:01:24 ID:hofCJyb5
>>38 前スレじゃ結構朝倉が戦果をあげたり、春に備えて本気出してない事や
急いで攻略しても冬に引くから無意味になるとかは言われてたけど。
42 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:26:58 ID:86K0wsT/
みえみえの自演だけはやめろ。みっともない。
43 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:29:11 ID:3KCx3Ood
本気出さないで戦えるほどもう朝倉に余裕無いだろw
大体包囲網勢力の五月反撃ってのも
朝倉が春には動きだすだろうという事は当然信長はわかってるだろうし
武田が美濃進軍か徳川攻略を続けるようなら
朝倉が動けないうちに織田は武田に軍差し向けて
武田を追い返す努力をするだろうから
包囲網勢力の五月一斉反抗が実現するかがそもそも怪しくないか
44 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:37:14 ID:hofCJyb5
>>42 みえみえの自演って何のこと?
>>43 信玄死んだ時点で4月半ばなんだけど。
織田はこの間武田に対して兵を向けられてないし、
織田の主力が武田に向かったならその間に朝倉をはじめとする包囲網勢が
動けばいい。
朝倉にはまだ余裕あるけど。
45 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:39:03 ID:Sa20pBhu
>>40 放火ってのは確か虎御前山砦が建築されて間もない頃に虎御前山の柴田勝家陣地を放火したってやつ?
それなら、あの後に宮部山砦や八相山砦を増築補強してるんだが。
小競り合いやら放火程度では虎御前山を抜ける根拠にはなり得ないんだが…
46 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:44:57 ID:hofCJyb5
>>45 少なくとも抜けない根拠はないよ。
二万数千の兵を擁する浅井朝倉が全力攻勢をかけなくても
織田勢相手に戦果をあげているんだから。
放火も結構な規模だし。
47 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:50:46 ID:3KCx3Ood
信玄死んだ時点じゃなくて
2月10日の野田城落城くらいからこの仮想戦記考え始めるんじゃ無かったの?
いつの時点から考え始めるのかはっきりしてくれ
信玄の体調悪化で武田軍が進軍をやめたから
織田は近江に侵攻したり動き出してるし
信玄が健康なら野田城攻略後の武田の動きも違うし
織田の動きだって違ってくるだろ
48 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:51:02 ID:Sa20pBhu
>>46 あの放火はラッキーパンチの類でしょ…
そう毎回毎回成功できると計算すべきではないよ。
49 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:52:49 ID:3Px1Z9ty
確かに2万以上いる朝倉浅井の大軍が
秀吉隊を絶対抜けないって事はないだろう。
戦果もあがってるみたいだし、
虎御膳があるから大丈夫!ってどっかのCMじゃないんだし。
50 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:55:29 ID:Sa20pBhu
>>49 野戦なら抜けるだろうけど完全防御化した砦をそう簡単に抜けるもんじゃないだろ…
51 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:56:42 ID:3Px1Z9ty
>>47 まず一人の見解だけじゃいつの時点から始めるか
決まるわけもない。ID:hofCJyb5の見解があっても
別のスタートを想定する奴もいるだろう。
信玄健康から織田武田の動きがまるで違くなるとなっては
それこそ予想がつきにくいのでは。
52 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:58:23 ID:FNBb+76x
そりゃ絶対は無いだろうな、
単に抜けない可能性が高いってだけで。
あと始末記や朝倉が出した書状を何処まで信用していいんだ?確実に誇張表現入っているだろ。
武田派の人間は包囲網有利側のそういった情報はすべて額面どおりに受け止めているみたいだが・・・
53 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:58:27 ID:3Px1Z9ty
>>50 戦争は数だよ兄貴!ってやつだろ。
2万数千近くいる大軍に寡兵の秀吉隊がいつまでも
砦頼みでいられるわけないだろ。
54 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:01:38 ID:3Px1Z9ty
>>52 誇張かどうかわかんないし、
そう言うならなんで織田のは誇張表現なくて
虎御膳が鉄壁の要塞みたいにいうのか。変だよそれ。
55 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:02:48 ID:t5pJ5BMc
とりあえず朝倉は撤退しなければそれで良いよ
56 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:03:19 ID:fL9APkZo
>>53 木下隊以外に磯野や丹羽の部隊の増援があれば十分だと思うんだが。
57 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:06:39 ID:vmK+s/2F
木下隊以外に磯野・丹羽を加えたらどれくらいの兵力に
なるんでしょうかね?
あんまり引き抜きすぎると武田本隊の相手する兵力が減りそうですね。
58 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:07:06 ID:fL9APkZo
>>54 砦の遺構やら軍用道路、砦の絵図が現存していて虎御前山砦が堅固な砦だったと分かるんだがね。
59 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:07:23 ID:ZShOBLEK
799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/18(火) 00:27:55 ID:5YPRZ5Nc
『福井県史』通史編から引用
「義景は三月十一日に敦賀まで出陣した(「越州軍記」)。しかし信長方の湖西の守りが固いため滋賀郡方面まで出兵することはできず
また小谷城に対しても普請などの支援を続ける必要もあったので敦賀にとどまらざるをえなかった。」
この記述の後半部は始末記や義景書状を基にしてるわけだからなあ。浅倉側の資料でもこんな状況ではねえ。
60 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:08:56 ID:vmK+s/2F
数万の人員を持つ伊勢長島は
この時まだ北伊勢に勢力をもってますし
信玄の書状でも一向宗の中で特に重要なポイントになってるみたいですから
織田が武田・朝倉の相手に兵を割き過ぎると危なそうです。
61 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:13:53 ID:5xEjLLJ1
甲越和与で武田・上杉の連合軍で織田なんて楽勝さ
もちろん徳川滅亡で武田のその分の兵力と対上杉の兵力も加算されるし
武田4万と上杉の2万に一向宗で織田の後方を撹乱
62 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:15:04 ID:HwBFXs2k
>>58 堅固な砦なら寡兵でもいつまでも大丈夫っていうのはどうか。
遺構や絵図って実際見たことあるの?
>>59 それ越州軍記しか資料書いてないだろ。
63 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:16:54 ID:wdX9GW11
>>54 といってもここ数スレ見てる感じはそんな印象受けるが。
包囲網有利派はとにかく自己に有利なら何でも主張、相手の言い分認めず。
包囲網不利派にも自己に有利なら何でも主張、相手の言い分認めずって人間も多々いるけど、
自己に有利すぎる情報は誇張だろうと否定、上記の砦の件も
小競り合いで勝ったり負けたりはあっただろうとか全力で損害無視して攻めれば落とすことは可能だろうって感じで、
自己の主張に固執したりしない。
というか上のスタンス取っている人間は単に中立なだけかもしれないけど。
ついでにいうなら厨だの自演だのとの誰に言っているのか分からない単レスに反応して、
織田厨の仕業だって決め付けて騒ぐのも包囲網有利派の人間ばかり。
単レスで荒らすのは織田派っぽい人間が多いかなって印象も受けるが。
64 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:19:14 ID:fL9APkZo
>>62 絵図はネットでググってしか見たこと無いけど虎御前山は行ったことあるよ。
昔、木之元のキャンプ場に行った帰りに立ち寄ったことがある。
65 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:25:07 ID:HwBFXs2k
>>63 >>小競り合いで勝ったり負けたりはあっただろうとか
資料を見れば明らかに朝倉が戦果挙げてるんだから
それを全否定してたらおかしいと思うんだが。
>>全力で損害無視して攻めれば落とすことは可能だろうって
朝倉浅井のほうが圧倒的に大軍なんだからこれ否定するのもまず無理だろ。
実際織田派は反対派を罵倒した書き込み多いぞ。
ここ数スレ見た印象だけど。
>>64 いいねえ山歩き。
66 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:25:58 ID:vXsG4+Hw
結論なんてでるわけない仮想戦記考えるスレなんだから
自分の考える仮想戦記を発表
それが実現可能かどうかの色んな意見を聞く場として考えればいい
織田厨は無理と言い
武田厨は可能と言って
ずっと続いてるスレなんだから
67 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:28:38 ID:wdX9GW11
>>65 >実際織田派は反対派を罵倒した書き込み多いぞ。
細かくいうなら包囲網不利派は罵倒のみする人間と罵倒煽りせず普通に議論する人に別れている感じ。
包囲網有利派は、罵倒のみする人間と罵倒煽りを混ぜながら議論する人がいるって感じだな。
68 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:31:27 ID:HwBFXs2k
>>67 それ言い方が酷過ぎないか?
有利派にだって普通に議論してる人何人もいるだろ?
なんで一方をそんな酷く言うんだ?偏ってないか?
69 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:34:01 ID:ZShOBLEK
湖西の守りは始末記の巻の五、小谷城支援は4月7日付多胡宗右衛門尉宛義景書状をもとにしてるの。
だいたい専門家が何の根拠もなしに書くわけないだろうが。
70 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:44:23 ID:HwBFXs2k
>>69 始末記は最終的に悲観的な口調になってるし、
多胡への書状は防備を固めるように言った書状は知ってるが。
4月7日のはどんな内容で?
3月には意気軒昂で武田との連携にノリノリな朝倉の書状があるぞ。
反撃が5月以降なら行けそうだが。
71 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 00:59:34 ID:ZShOBLEK
その防備を固めるよう指示したものが4月7日付の書状(尊経閣文庫所蔵文書)。江北表の普請により出兵できないから
西近江路の守りをおこなうように指示という内容。
72 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 01:52:13 ID:khH/TYvC
>>65 >朝倉が戦果挙げてるんだからそれを全否定してたらおかしいと思うんだが
戦果は否定していませんよ。小競り合いで勝ったり負けたりレベルは。
問題は、その小競り合いが何か戦略レベルで戦果を得ているのか?ということ。
>朝倉浅井のほうが圧倒的に大軍なんだからこれ否定するのもまず無理だろ
元亀二年、浅井長政が横山城を攻撃、さらに浅井井規と一向一揆の五千が鎌刃城を
攻撃。秀吉は百騎を率いて出撃、箕浦に陣取っていた浅井・一向一揆軍を攻撃、撃破
浅井軍は八幡で体勢を立て直して秀吉を迎撃したが、ここでも敗れて小谷へ逃走。
一方横山城を攻撃した浅井長政も留守の竹中の奮戦により撃退される。
さらに前年といい、大軍だからって必ず城を落とせるという根拠にはならないね。
秀吉と横山から虎御前砦は、少数で浅井朝倉の攻撃を凌いできた実績があるので。
73 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 08:22:30 ID:Ei+IxGHL
各勢力に十分な押さえ用意しても防衛戦でいいんなら武田が引き返すまで持たせるだけの戦力は容易に用立てられるよ。
結局、撤退後に奥三河を維持できなかったあたり武田も侵攻する戦力はあっても占領続ける余裕はなかったみたいだし。
信玄が生きようが死のうが撤退は規定路線なんじゃないかねえ。
74 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 08:26:04 ID:Ei+IxGHL
それまで敵地だった領地を自分の土地として使えるようにするには手間がかかるしねえ。
イラクとかそうだし。信長だって朝倉倒した後も越前平定するのに手こずってるし。
信玄存命でも獲得した城の地固めで精一杯なんじゃないかねえ。
75 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 08:31:14 ID:AT12px5H
武田軍に勝ち目ないやつらはどんどん降伏していくにきまってんじゃん
奥三河だろうが 侵攻してくる武田を相手に決戦挑めないヘタレはどんどん寝返られるだけ
つまり織田も打って出るしかない まあそんな余裕あればだが
76 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 09:34:02 ID:aO6gmbTO
>>65 > 資料を見れば明らかに朝倉が戦果挙げてるんだから
だからその戦果が小谷城ほういにどう影響を与えたか?という話なんだが……
その結果によって織田方の小谷城包囲の一角を崩すなり後退させるなどしたのか?
77 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 13:10:43 ID:Vx2qADOk
>>75 それは桶狭間のときの織田や三方ヶ原の徳川だから通じる理屈。
国力で圧倒的に落ちる側だから打って出なけりゃジリ貧なわけ。
織田の国力は武田の倍なわけだからうってでなけりゃジリ貧になるのは武田の方。
北条の小田原攻めたときも落とせずに結局、有利な条件での講和で落着しただろ。
まして織田の国力は北条とは比べ物にならない。
78 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 20:34:39 ID:QXudKcZq
>>71 前スレだか前前スレだかでいわれてたけど、
小谷から虎御前を抜いていく事が狙いなら
湖西にこだわる必要はないわけで。
多胡とかに守りを固めてもらえばいいわけで
その間に小谷の補強をおこなってたんでしょ。
>>72 朝倉が全力攻勢をかける前に撤退したんだから戦略レベルを論じても。
箕浦合戦を出してるけど、信長公記にしか記述ない合戦で
明らかに誇張が入ってると思うけど。
その信長公記には朝倉方が戦果をあげてる事は一切書いてないのも留意するとね。
信長公記は天下人になった秀吉が生きてる間に書かれたらしいから
かなり秀吉に留意されてる所あるよ。
朝倉が本格的には攻めてないけどね。
79 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 20:39:27 ID:QXudKcZq
>>73 信玄が死んで急きょ撤退した武田軍の後で
徳川が乗り出したからね。
何度も言われてるけど五千も抑えを置けば
徳川の相手は十分。
>>74 さすがにイラクはたとえにならないと思う。
>>76 打撃を与えて戦力を削ったなら後の事を考えれば有益だと思うよ。
>>77 武田だけならね。
包囲網勢はしっかり生きてて信玄とともに動こうとしてるんだから
ジリ貧じゃないよ。
北条との戦いでの小田原ぜめは駿河が狙いだし。
80 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 20:44:23 ID:SO8e54YO
いつもの人参上でまた平行線の水掛け論が始まるのか…
81 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:00:06 ID:Qv5gENHM
包囲網勢の敵が信長だけとは限らないし、信長とずっと戦い続けるとも限らんけどな。
本願寺なんか何度か戦っては和睦してるし、松永もついたり離れたり。
82 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:00:34 ID:rrTNSm5/
>>78 >箕浦合戦を出してるけど、信長公記にしか記述ない合戦
速水真願寺記・松下文書にも合戦があった記述がある。
83 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:02:34 ID:QXudKcZq
>>82 どんな記述か教えてくれない?
煽りでなく。
84 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:15:56 ID:Qv5gENHM
つうか5000も押さえ置いて残り2万じゃ決戦挑むにゃ不足もいいとこだな。
一万程度の兵に城に篭られればそれでストップしちゃう数だって。
85 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:18:07 ID:QXudKcZq
>>84 心配ご無用。
美濃にいる秋山隊と合流すれば本隊は再び2万5千くらいになって
ノープロブレム。
決戦挑まなくても織田主力を足止めして包囲網勢に多方向から暴れさせればいい。
86 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:19:55 ID:Qv5gENHM
義景に有能であることを求めるのは信玄に長生きさせることよりも厳しいIFだな。
87 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:21:40 ID:DH5qTwNC
天正元年8月の小谷支援の朝倉の出兵数2万は信長公記の記述によるものなんだよな。
信長公記の記述に疑問をもつならこの数字もよく精査しなくちゃならんよな。
ちなみに谷口克弘氏は朝倉記の記述等を踏まえて5,6千ぐらいではないかとしているけど。
88 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:23:17 ID:Qv5gENHM
どのみち長引くようなら撤退せにゃならんしなあ。
農繁期がどうとかじゃなくて国人の意向的に。
いつまでも内政まかせきりにしとくわけにもいかんし。
89 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:25:12 ID:rrTNSm5/
90 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:27:21 ID:QXudKcZq
>>86 >>88 おいおい。義景は史実の戦果を見る限りなかなかのものだぞ。
内政任せることに特に問題あるとも思えんし。
91 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:29:02 ID:QXudKcZq
>>87 谷口さんて信長万歳な人だからなあ…。
信長公記にないからって理由で手取川とかもなしに見ちゃう人だし。
92 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:30:09 ID:rrTNSm5/
>>85 前スレからのコピペ↓。
暴れるなんて無理な気がするんだが…
688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/09(日) 20:59:25 ID:Se9BgSnD
五畿の状況をあらまし述べると
・山城
北山城の明智や細川は織田につく。ただし北山城から何人かの豪族は将軍へ。
南では真木島氏や石成が健在。
・大和
大部分を押さえる筒井氏と寺社勢力が織田方。将軍方の松永氏は逼塞状態。
・摂津
三守護のうち、池田氏は1570年に当主の勝正が出奔、弟の重成が建てられるが、
実権は荒木村重が握る。もう一つの和田氏は、当主惟長が高山重友によって
追放される(73年3月)。これは荒木の謀略だったらしい。そして4月には正式に
信長に臣従。
最後の伊丹氏は将軍方につくが、荒木らに攻められて篭城。74年11月までは伊丹
城で頑張る。
あと南に石山本願寺がある。
・河内
北河内半国守護三好義継が73年11月に死ぬまでは将軍方。
南半国守護畠山家では、永禄の頃から家中が纏まらず、当主高政は弟に家督を
譲って出奔。跡を継いだ昭高は将軍方につくが、家中の遊佐氏と対立。73年6月に
殺される。実権を握った遊佐信教は本願寺につくが、翌年信長の攻撃で戦死。
その後は高屋城に三好笑岩が入るが、75年4月に降伏。織田領へ。
・和泉
不明。73年4月には和泉の豪族達が織田に従っている様子が確認できるが具体的に
いつ頃から従ったのかは不明。逆に、将軍や本願寺に従って織田と敵対した
ような記録もない。
73年4月には織田についていたというのなら、信玄の西上や将軍の決起には応じな
かったとみるべきだろうが。
73年4月(信玄がまだ生きていて、武田軍も帰国をはじめていない)頃として
・山城 将軍方優勢だが攻勢に出られるほどか?ほとんどが篭城。
・大和 織田方圧倒的。一部で松永が篭城。
・摂津 織田方圧倒的。一部で伊丹が篭城。
・河内 南北ともに将軍方。ただし家中に問題が大。
・和泉 ほぼ織田方とみなしていいかな?
93 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:36:46 ID:Qv5gENHM
つうか現状でも精一杯やってるであろう各勢力にそれ以上のパフォーマンス望むなんて酷なんだよねえ。
信長が断固ぶっ潰すな構えでやってるから死力尽くして戦ってるところもあるから
条件折れてやれば懐柔とかもできそうだし。
94 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:37:19 ID:rrTNSm5/
>>91 一応専門的に研究してる人を信長万歳だからといって切り捨てるのもいかがなものかと思うが…
俺はその論説を読んだ事が無いから何とも言えない。
出来れば
>>87は谷口氏のその論説をもう少し詳しく記述してくれ。
95 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:37:41 ID:QXudKcZq
>>89 いやね…そういう事じゃないんだよ。
箕浦合戦とやらのソースになると言ってるけどそれが
「織田勢と朝倉勢が箕浦で衝突し織田が勝ったそうだ。」とかいう記述なのか
公記にあるように「秀吉が数百の兵で五千の朝倉・浅井・一揆勢を蹂躙し撃破しました。」
という記述なのかでは全然違うよ。
>>92 あんまりコピペに頼らん方がいいよ…。
包囲網勢は5畿だけじゃないし。第一三好義継が死ぬ1573年11月まで
まだまだ時間あるよ。信玄死んだの4月だし。
それに朝倉浅井伊勢長島本願寺その他がいるし。暴れられないわけがない。
96 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:39:00 ID:QXudKcZq
>>93 実際みんな書状で打ち合わせて動こうとしてるわけで。
条件折れたら織田の天下は遠のきそうだな。
97 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:43:31 ID:Qv5gENHM
いったいいつの書状だよ。
リアルタイムで情報の入るわけじゃない戦国時代で戦況の変化に細やかに対応できるのか?
”五月から本気だす”ってそれまで本気出さずにいたわけでもないだろうに。
98 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:46:42 ID:QXudKcZq
>>97 信玄の10月の書状や2月の書状や
浅井の2月末の書状や
本願寺の2月末の書状などで
歩調をそろえての反撃が計画されてるのは確か。
本格的な攻勢に備えて力を温存してた事は考慮できるが。
99 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:49:29 ID:Qv5gENHM
つうか信長が三方ヶ原のとき家康に篭城しろって言っても
家康は地侍の支持とか諸般の事情で出兵せざるをえんかっただろ。
各勢力が武田の都合のいいように動けるとは限らんよ。
所詮はその場限りの同盟にすぎないわけだから。
100 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:52:58 ID:rrTNSm5/
>>95 さっきと言ってることが違うくないか?
>>78では>箕浦合戦を出してるけど、信長公記にしか記述ない合戦
とあたかも箕浦で戦がなかったような事を君が言うから、
俺は他にも合戦があったと分かるソースがあるらしいとレスしたんだが…
ちょいと調べてみたけど「丹波松下文書」
「某・徳山右衛門尉へ去る5月6日に鎌刃表に於いて浅井七郎(「浅井」)率いる
一向一揆軍と交戦し大勝した旨を報告。」と記述があるらしいし。
包囲網の面々がどれくらい動けるかについては前レスまでの間に散々
ループしてた話題でどうせまた堂々巡りになるだけだからもうパスしとく。
101 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 21:54:59 ID:QXudKcZq
>>99 朝倉は越年は本国で行う傾向があって
それに従って冬に兵を本国に戻したしな。
これは武田も本願寺もびっくりして書状送ってる。
でも朝倉も両者の要請にこたえて2月末から動きだし
三月末には武田との連携にノリノリな所を見せている。
包囲網勢にしてみれば大敵織田を倒す為に力を合わせるのは
おかしくない。
102 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:00:03 ID:QXudKcZq
>>100 いやいや悪かった。
俺も存在自体の否定というより
秀吉配慮の誇張があったのではと思ったわけで。
しかし君のあげた通りの記述だとすると
やはり兵力についての記載はなく、信長公記みたいに数百で五千を破ったりした
書いてないのか。参考になったありがとう。
103 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:02:26 ID:DH5qTwNC
本願寺の2月末の書状というのは2月27日付の顕如上人御書礼案留のことかな。
東京大の鴨川達夫助教授はこれを信玄が越中対策を名目とした撤兵を顕如に打診したことへの
慰留のために送った書状ではないかという解釈をしてるけどね。
この説を踏まえるなら信玄は一斉反攻なぞ考慮してないことになるな。
104 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:04:33 ID:QXudKcZq
>>103 その信玄が朝倉に送った書状では
朝倉に対して5月に一緒に動こうと言っているし、
美濃の遠藤氏に対しても春から美濃に行くからその時に寝返ってくれと
言っている。本人の直接の書状からうかがえる事だけど。
105 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:05:04 ID:Qv5gENHM
>>101 京都議定書を批准したロシアもノリノリである。
大敵地球温暖化を打破するのに協力するのはおかしくない。
で実際は?
国同士の約定なんてそんなレベルなんだけどなあ。
106 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:10:25 ID:QXudKcZq
>>105 地球温暖化問題は人によって国によって解釈が違うからな。
日本が沈むと言ってる人もいればちょっと海面があがるだけという人もいる。
文字通り生死かかってるんだけど。織田との戦いは。
国同士の約定では利害が同じくした時兄弟以上の親密さでもって協力し合うとは
古代の中国の頃からいわれてたはず。
107 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:11:19 ID:j4gURuyG
>>104 武田との連携にノリノリなことが書いてある3月の朝倉の書状というのは誰宛の
どういう内容のものなの
108 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:13:04 ID:Qv5gENHM
景鏡とか梅雪みたいな人はどこの家にもいるでしょ。
戦国大名なんてどこも豪族連合体の盟主にすぎないんだから
盟主同士が合意しても各家足並み揃えてというわけにはいかんと思う。
109 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:19:35 ID:rrTNSm5/
>>102 そりゃあ箕浦合戦に限らずどの戦いだって誇張はあるだろうね。
横山城を守る兵を残した上で樋口直房と一緒に出撃となると
実際は1000〜1500前後程度の兵だろうから
浅井勢が5000もいないとしても寡兵で多勢を破ったのは事実だと思うよ。
110 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:20:35 ID:QXudKcZq
>>107 朝倉が縁戚である常陸江戸崎の土岐氏にあてた書状。
常陸江戸崎の土岐氏は1572年末に朝倉に対して書状を送り
朝倉が越前に引く前の織田勢との戦いで戦果をあげた事をお祝いしてる。
これへの返書として朝倉は、「自分が織田勢との戦いで大戦果をあげた事を
あながた知って喜んでいる事が書面からうかがいしれて満足している。
でもこれは武田家臣日向玄東の教えによるものだ。この恩は浅くなく、
これからも教えを請うていくつもりだ。」と書状の中で書いている。
日向玄東は1572年10月の信玄から朝倉への詳細な作戦を示した書状と条目を持参し
作戦細部の説明を口上で伝えた人物だよ。
111 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:21:56 ID:QXudKcZq
>>108 その理屈は織田にも使えるって事は考慮してね。
112 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:22:33 ID:jMdf2WN+
>>87 2万の大軍が追撃を受けて壊滅してそのまま越前まで攻め込まれたというよりは
説得力を感じる。
>>90 義景宛書状で、義景の留守中に寵臣が横領をするのをなんとかしてくれという書状がある、
内政任せていて問題が起きている。ちゃんと書状として残っている以上
内政を任しておいて大丈夫というのは難しいと思う。
>>98 謙信の書状だと、義景は春になったら動くといっているが敦賀に出るぐらいでそれ以上動くことは無いだろうと
家臣に宛てた書状があったような気がするが。
113 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:23:48 ID:Qv5gENHM
でどの程度の戦果だったわけ?
攻め込んできた織田を一時的に撃退する程度じゃ話にならんぞ。
なんか近江の戦況に大きく関わるような戦果だったのか?
114 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:25:39 ID:rAvf/tZ/
>>105 >朝倉に対して5月に一緒に動こうと言っているし
もしも実際に朝倉が五月に動けるならば、
そもそも信玄西上時に退却なんかしないのではないだろうか?
信玄も突然撤退した朝倉を信用するだろうか?
書状の中身は、両者とも関係悪化を避けるための方便に過ぎないのではないだろうか。
115 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:27:47 ID:QXudKcZq
>>112 朝倉が春から動いてるとしてまだまだ時間的にも余力はあるが。
信長と組んでる時代の謙信の書状ではなあ。朝倉の内部を知ってるわけもなし。
>>113 本格的な反攻が5月かそれくらいからなら
戦力に努められた事は十分だったはずだが。
君の勝手な主観で話しにならんとかいわれても困るな。
116 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:28:10 ID:Qv5gENHM
約束したらその通りに動くなんて現代社会でも通じないのにいわんや戦国おや。
117 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:30:05 ID:Qv5gENHM
>>115 つまりその程度の戦果だったわけね。アホらし。
城を奪い返したとか、名のある将を討ち取ったとかしたわけじゃないんだ。
単なる織田の攻撃失敗ってだけで。
118 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:31:10 ID:TAfpu9NR
ちょ、一日で伸びすぎだろw
119 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:31:18 ID:jMdf2WN+
>>101 朝倉にしてみれば、信玄が信長引き付けてくれれば楽できるんだから、書状では誇張でもハッタリでも何でもするだろ、
武田が、北陸や飛騨や美濃それぞれに対して来春兵を出すとか言ったり、
三河遠江の大半を制圧したと誇張したりしたように。
それをそのまま信じたのか2月なんかに挙兵してしまった義昭は可哀想だが。
>>113 1キロ圏内にあるような砦を落とせていないのだから、大きな目で見ればほとんど影響なしってレベルではないかと思う。
120 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:32:18 ID:QXudKcZq
>>114 信玄が書状出した時点で10月だから。5月を期すなら一回帰る事を朝倉が
考慮してもおかしくない。たいてい越年を本国でやるんだよね。朝倉って。
まあ信玄も本願寺もびっくりしただろうが。
でも信玄も本願寺も浅井も2月から朝倉の出兵する事を知って計画を進めるために
動こうとしてる。
>>116 その理屈は信長にも通用する事をry
第一生き死にかかってるんだからやらない理由ないし。
121 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:34:23 ID:Qv5gENHM
倒産寸前でも役員同士で足引っ張り合いの会社ってよくあるよね。
実際、後の武田がまさにその通りだったし。
122 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:36:50 ID:QXudKcZq
>>117 君らの大好きな箕浦合戦も大した戦果でもないんだけど。
本格的な反攻を後に帰すなら敵の戦力を削れた事は十分な戦果。
>>119 おあいにく様。
朝倉が3月に出した書状は常陸の遠戚あてのもの。
信玄に向けたものじゃない。
飛騨や美濃は十分織田と戦う上で接触する地域だと思うが。
まあ義昭は実際みこし以外の役割を期待されてないふしがあるからな。
落としても冬帰るんだったら意味ないわけで。
123 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:37:25 ID:QXudKcZq
>>121 本能寺後の織田家ってまさにそんな感じだよね。
124 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:38:59 ID:Qv5gENHM
で、仮に朝倉がノリノリだったとして朝倉・浅井はどの程度のことが可能だったのかね?
近江の戦況をひっくり返すぐらいのことはできたのか?
既に大分織田方に寝返ったような気もするが。
125 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:39:06 ID:QXudKcZq
今日は都合によりそろそろ寝ます。お休み〜。
126 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:39:10 ID:jMdf2WN+
>>115 朝倉と上杉は敵対しているわけではないからそれなりに信用できるって点もあると思うが、
謙信のソースが織田からなのか、北陸関係の商人とか朝倉とか何からかは判らないけど、
信玄死亡を短期間で知るなどそれなりの情報能力はあったのでは。
>>117 織田は守っていた側じゃないか?
である程度の被害は受けたものの砦を守ることに成功と。
>>120 信長のほうは信長と家康、あと細かい勢力多数だから、
意思統一は中小勢力多数が並び立つ&名目上トップの軍事力が乏しい包囲網側よりはまだマシだと思う。
織田側はそれでも三方ヶ原があったけど。
127 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:39:41 ID:aO6gmbTO
>>122 > 落としても冬帰るんだったら意味ないわけで。
朝倉が冬になったら帰ることがわかってるなら、信玄は年明けから出陣するべきだったね。
128 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:40:46 ID:Qv5gENHM
戦力削ったってどの程度?百も死んでないっしょ。んな局地戦。
それに自分とこの損失が0なわけでもねえし。
129 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:43:47 ID:aO6gmbTO
そもそも朝倉は冬に全軍帰す必要あるのかねえ?
砦落としたら浅井と協力して兵を残しておけば翌春の攻勢の時かなり有利になると思うんだが?
生き死にがかかってる割にずいぶん余裕があるドリーマーだなあ。
130 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:45:20 ID:leTzpJ+7
>>128 ID:Qv5gENHM
傍から見てて決め付けが多い割に根拠がろくに見られない。
他の人を見習ってもう少し意味あるレスを書き込んでくれ。
131 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:48:22 ID:Qv5gENHM
後年、勝家も冬場動けない内に秀吉にしてやられてるしねえ。
なんか土地柄動かしにくい事情でもあるんでないか?
132 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:49:00 ID:jMdf2WN+
>>122 土岐氏が単独でその情報を知ったとか、武田と繋がりが全くないというならその理屈も通るだろうとは思うけど。
でも実際はそんなことは無いだろうし。
>飛騨や美濃は十分織田と戦う上で接触する地域だと思うが。
北陸は?ついでに山村だかを通しての飛騨への書状は対謙信のためじゃ?
いずれ帰るんだから敢えて取り戻す必要が無いとか言うなら徳川だって武田に対して無理に出兵することも無かったような、
本拠地の目の前に砦作られた浅井と比べれば徳川なんてちょっと被害受けた程度で済みそう、
そりゃ織田もわざわざ援軍出す必要性感じないだろうな。
>>124 だいぶって程でもないと思う、重臣とはいえまだ数名ってレベルでは。
133 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:52:23 ID:jMdf2WN+
>>131 朝倉が確実に動けない冬、それを分かっているであろう信長がその間に動かなかった時点で
織田側には結構余裕があるんじゃないかって気がする。
134 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 22:54:46 ID:EKWOlNDt
>>129 越前が雪に閉ざされて主力撤退してるなら
残ってるやつらは冬のお間織田に攻められたら終わりじゃね?
戦力捨てる意味ねえだろ。
>>132 >>土岐氏が単独でその情報を知ったとか、武田と繋がりが全くないというならその理屈も通るだろうとは思うけど。
>>でも実際はそんなことは無いだろうし。
これの根拠示したほうがいいんじゃね?無いだろうし、だけじゃいくらでも言えちゃうぜ。
後に反撃の目算があるかどうかの差じゃね?
後で大きく攻めるつもりならその時に備えて力残した方がいいぜ。
135 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:02:02 ID:rrTNSm5/
>>134 もしも虎御前山を落としたのなら大至急補強すれば冬の間くらい持ちこたえられると思う。
史実では織田軍は小谷城と山本山城の連携に手を焼いていたんだから、
小谷、山本山、虎御前、大嶽で連携すれば短期間で織田が攻め落とすのは不可能に近いと思う。
136 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:05:00 ID:35M2xu+d
>>133 でもその間って美濃岩村にも東海道にも武田がいるわけですし。
一回朝倉戦線から引いたばかりですし、武田の動きを見定める為にも
美濃にとどまっていたのでは。
137 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:10:11 ID:Qv5gENHM
実際、武田に対する織田の動きってどうだったんだ?
スズメの涙ほどの援軍送ったぐらしか記憶にないんだが。
138 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:10:43 ID:aO6gmbTO
>>134 > 越前が雪に閉ざされて主力撤退してるなら
> 残ってるやつらは冬のお間織田に攻められたら終わりじゃね?
「信長公記」によると横山方面から虎御前山の砦に至る道は悪路だったらしく併せて道の整備もしたらしい。
砦を落とし、浅井・朝倉の兵を入れ、道を壊せば春先くらいまで保たせられるんじゃね?
139 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:18:55 ID:jMdf2WN+
>>134 虎御前山に関しては守るでもいいし、織田が攻めてきたら堤防切って時間稼ぎ、
破却するでもいいし、どっちにしても織田側は横山とまではいかないにしても、
宮部までかある程度前線下がることになる。
>>136 岩村は美濃と言ってもかなり遠いし、取られた地域も極わずかだから無視してもいいレベルなんじゃ。
あと織田主力が岐阜に帰ったのはよくわからないが虎御前山から引いたのは9月であって引いたばかりというのは無理があるかと、
武田が東海道にいるなら武田を討ちにいってもいいわけだし。
140 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:20:01 ID:rrTNSm5/
>>137 徳川に対して三方ヶ原後はとにかく防備を固めろという指示と近江への援軍はしなくてもいいと指示してるくらいかな。
141 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:21:43 ID:RkBaT+1+
>>136 >>138 無理攻めをして戦力を使い、攻撃で壊れた砦を大急ぎで補強して
戦い疲れた兵の一部を残して主力は越前に帰り春まで来れない、
では完全に捨石にしかならんと思うのじゃが。
そんな事をするくらいなら退いて体勢を整えて春にまた出て攻略し
そのまま押していった方がいいと思うのじゃが。
>>137 ほとんどの期間を美濃で停滞しておるのう。
142 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:26:02 ID:RkBaT+1+
>>139 >>土岐氏が単独でその情報を知ったとか、武田と繋がりが全くないというならその理屈も通るだろうとは思うけど。
>>でも実際はそんなことは無いだろうし。
これに関しての根拠をわしも待っておるのじゃが…。
攻撃して壊れた砦を大急ぎで補強して
孤立無援のまま耐えろというのは酷じゃと思うんじゃが。
そんな簡単に武田を討てるほど余裕があるなら討ちにいくべきだったはずじゃが。
それが一番手っ取り早かったはずじゃ。
143 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:27:11 ID:rAvf/tZ/
包囲網失敗の責任はどこにあるのだろうか?
>たいてい越年を本国でやるんだよね。朝倉って。
この事を武田にたいして事前に通告しなかった朝倉の責任だろうか?
>越前が雪に閉ざされて
この事情を配慮できなかった武田の責任だろうか?
144 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:37:54 ID:jMdf2WN+
>>141 退いて体勢を整えるには小谷城に近すぎると思う。
朝倉は体勢整えられるかもしれないけど、浅井はますます疲弊してしまうのでは、
ついでに春に攻めたとこで攻略出来るとも押していけるとも限らない、
更に言うなら秀吉側も春になったらますます体勢整えているだろうし、
浅井の威信、小谷周辺の諸勢力への影響を考えたらデメリットの方が大きくないか。
>>142 だったら破却でもいいんじゃ?
織田が主力で持って、ついでにどれだけお金かけたか分からないけど、
それを破壊すればかなりの損失を与えることになるし、いい宣伝材料にもなる、
浅井の威信も少しは回復するだろう。
武田に関してはそこまで切羽詰っていなかったってことだと思うが。
本当に危機的状況であったなら朝倉が動けない隙に、武田を討つかあるいは浅井か長島か畿内かって
討ちにいくべきだったはず、でも動いていないのだから、まだ余裕があるってことじゃ。
>>143 武田が信玄の病気?のせいでか、出兵が少し遅れていなければ朝倉が帰国する前にそれなりの状況に持っていけるはずだったのでは。
包囲網側はお互い実情よりも過大宣伝しているから、彼我の戦力の差を見誤っていた可能性もあるのでは?
145 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 23:40:02 ID:aO6gmbTO
>>141 > そんな事をするくらいなら退いて体勢を整えて春にまた出て攻略し
> そのまま押していった方がいいと思うのじゃが。
それが出来る保証は無いのにな……
浅井の口車に乗って意気揚々と大軍を率いてきたものの織田の小谷城包囲の様子を見て大獄山に滞陣しお茶を濁す。
信長が帰濃後に虎御前の砦を孤立させようとと退路を断ち切らんとするも失敗。
翌年八月、阿閉が信長に通じたことにより小谷城と越前の連絡が遮断され、江北へ進めず。
信玄の死によって情勢が変わったとはいえ、「翌春に本気出すので今は温存しとく」なんてのはあまりにも希望的観測に過ぎるだろ。
146 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 00:00:08 ID:tpjiHjlk
信玄の健康以前に、朝倉義景に期待がかかってる時点で危ういな。
147 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 02:04:51 ID:hw4vmFzA
>>144 >だったら破却でもいいんじゃ?
立て直されると分かっている砦を取る為に戦して、将兵を無駄に殺すが馬鹿馬鹿しいんじゃないか?
148 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 03:04:37 ID:BXAZrobE
>>147 そもそもじゃあなんで、朝倉軍は全軍ではない、一部の部隊で虎御前山砦を
攻撃して失敗して「将兵を無駄に殺す馬鹿馬鹿しい」戦をしたのよ?
しかも一時的な戦果すらない、兵からしたらする必要のない余計な戦で出す
必要のない無駄な戦死者を出して。おかげで兵たちの士気は下がるは、翌年
には重臣豪族たちの出兵拒否まででてくるわ。
落とせるのなら、まだしも全軍で攻撃して虎御前山砦を落として「勝って退く」
その方が家中も兵も士気を保たせられるし、自信も持たせられただろうに。
「本気を出せば落とせるけど、落としても保持できないから本気は出さずに
一部の兵だけで攻撃させて失敗に終わらせて兵に損害を出して撤退します」
これがどれほど矛盾しているかってまだ気付きませんかね?
そもそもが「落としても保持できない」ってのが、当時の朝倉軍の実力の程と、
攻勢限界を示していると言える。
149 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 03:32:53 ID:1admmnD8
つうか、国力で随分負けてたから、包囲網が成ってるうちに攻勢に出て、織田に打撃を与えたかっただけじゃね?
上手くいけば、西への道が開けるてっていう。包囲網が崩れた後では(当然崩れる可能性も考えてたに違いない)、
状況は益々不利になることは目に見えてるもん。畿内を制圧された後では、それこそ取り返しがつかないわけで。
150 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 05:20:31 ID:jDh2MEK9
色々あるだろうが
徒歩15分でいけるだろう距離の砦を落とせてない時点で
浅井朝倉もうその程度が限界の戦力だったってことだろ?
朝倉に関しては73年の時点で軍役拒否がでてるし
義景がノリノリでも家臣達は切る算段はじめてるとおもうが。
もう73年の時点では大勢は決してたおもうが。
なんだが野球でいうと9回裏に5点負けてて4番のホームランに期待してるような状態に見えるがなあ。
151 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 08:29:49 ID:yM/l3fmP
>>148 どうしてそう1か0みたいになるかな?
本格的な砦攻めと小競り合いや牽制の戦じゃ全然死傷率がちがうだろ。
後維持できるかどうかは、冬で軍勢の大半を撤退させなければならないんだからしょうがないだろ。
国力云々は関係ない。
冬の間も維持できるようにするには、翌年の春に落して冬までにさらにその周囲まで勢力を広げてがっちり固める必要があるだろ。
なんか全体の状況とか考えずに、一つの言葉にだけ反応してレスしてないか?
152 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 09:55:07 ID:7b9rF3Rs
計画があった
・計画があってもそれをちゃんと実行できるかは別問題。
・実行したとしてもそれが成功するか否かもまた別問題。
・計画を担保するようなものは書状のみ?
金ヶ崎のときの浅井の裏切りみたいな予想外の+αでもない限りそうそう上手くはいかないと思う。
信長だって朝廷工作はしてるし、義昭をいつでも首根っこ捕まえられるようにしてるし。
153 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 11:48:07 ID:pGu/7VXc
自分の意見の賛同者がいるということのアリバイ作りに別IDにして別人装うなど
必死さが目立つな、いつもの武田派の人は。
154 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 12:11:50 ID:q2O+GI1o
武田が進軍続け包囲網勢力が反撃してきても
>>26みたいな感じで兵を割き織田は動き
決戦場所しだいで徳川の兵も参戦
信玄対信長の幻の決戦が実現するってだけじゃないの?
どっちが勝つかはファンが好きなように妄想するってくらいだろ
155 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 12:55:49 ID:AirT1Qii
同数以上の敵相手に信玄が合戦挑むとは思えないなあ。
基本相手が弱ったところを叩く。手薄なところを掠め取るでやってきたイメージあるから。
156 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 14:30:16 ID:rGZxu9a7
包囲網側とちがって信長は史実での73年以降の大攻勢を見るとだいぶ国力に余裕があるようにみえるが
武田派はそのへんどうみてんの?
157 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 14:34:17 ID:BXAZrobE
>>151 >冬の間も維持できるようにするには、翌年の春に落して冬までにさらにその周囲まで勢力を広げてがっちり固める必要があるだろ
できるのなら、なんでそれをしなかったんだ朝倉軍は?
元亀三年に限っての動きを見ると。
まず三好義継と松永久秀がはっきりと信長への敵対を表明して、三人衆と結ぶ。
本願寺も近江の一揆に蜂起を呼びかけ、六角と結んだ一揆が金森・三宅に立て籠もった。
さらに義昭を一月に信玄と誼を通じ、五月には書状で「天下静謐の馳走」述べている。
一言でいえば、前半期をみれば反信長が動きを活発にしたと見える。
これに対して信長は、まず佐久間と柴田に金森・三宅を攻撃させ、自身は三月五日に江北出陣。
七日には余呉・木ノ本を放火したが、浅井は城から出てこず、朝倉は浅井救援を本願寺に書状で
言っているが、結局越前から出てくることは無かった。
※「書状で出兵」を言っていながら、結局兵をださずに終わったわけですね。これだけで、
書状にあるから云々だけでは根拠にならないことの証明になります。
浅井も朝倉も出てこないので諦めた信長は南に兵を転じ、京に入ってその後二ヶ月ほど畿内で
活動する。その間、浅井も朝倉も何もしませんでした。まだ冬まで期間はあるのにね?
次に信長が江北に出陣するのは七月十九日。この後救援の朝倉と対峙して九月には岐阜に
帰陣するわけだが、そこから十二月に越前に帰るまで結局なんの戦果もなかった。
あなたは「落としても冬の間は朝倉は越前から出られないから保持できない。だから落とせる
けど落とさなかった」と言います。しかしこの発言には一つ抜け落ちていることがあります。
それは、信長も冬の間は江北に出陣しない出来ないということです。これまでも冬の間は信長は
動いていません。ましてやこの年は信玄の西上もあるのだから、なおさらですね。
つまり九月以降こそ、信長の救援を恐れることなく、木下隊単独を相手にすればいい絶好の機会
なのです、本来なら。二ヶ月もあれば、砦を落とした後に今度は自分の砦として強化工事くらい
十分にできる時間ですよ?そんなこともできないんですか朝倉は?
そもそも「落とせるけど翌春まで保持できない」というのは、信長本軍の救援のない、木下単独の
攻勢に耐えられないという意味になりますよ?朝倉も浅井もそれほど弱体しているという主張に
なりますがよろしいんですね?
で、そんな弱体化した朝倉浅井が、翌五月まで信玄が生きていれば「大攻勢」ですか?
158 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 16:45:10 ID:L801dgdG
落とせるけど維持できないから落とさない って全く意味がわからんね。
仮に落とせるけど維持出来ないなら破却すればいいだけ
本城の真ん前にある敵の砦も排除できないなんて威信低下どころじゃないよ
俺が家臣なら最後の決断するね「一緒に滅ぶか他家へ鞍替えするか」
で、一族や家臣のいる身なら鞍替えを選択するのが当たり前の行為
何で新興大名の浅井なんかと一緒に滅ばにゃならんのだ そんな義理はない
159 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 16:58:20 ID:RhFeNkAo
>>157 確かに冬の彦根とか長浜に行ったことがあるけど江北周辺はありえないくらい雪が積もるからねえ。
しかも昔はもっと寒かった&雪が降ってたらしいし、織田も冬の間はそう簡単に江北に出兵で着なさそうだね。
160 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 17:05:05 ID:RhFeNkAo
ちょいと調べてみたけど、
1月に木下隊寄騎の堀秀村に信長が春になったら軍事行動を起こす予定だからから準備しとけと手紙を出してる。
基本的に江北に対しての軍事行動は雪解け以降ぽいね。
161 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 17:06:35 ID:AirT1Qii
姉川のときは焼き討ちされてうってでることができたけど
この頃になると焼き討ちされても引きこもる一方だったもんな。
もう領内荒れ放題で税収もぶ役も満足には取れないんでない。
162 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 20:09:24 ID:r6k0WR4u
つまり自分の本拠地を焼き討ちされるような間抜けや素通りを許すような
ヘタレは完全に負けということです で織田が身動きできない間に
武田は織田の領内ことごとく焼き討ち 包囲網の面々も大喜びでハッスル
織田に併呑されてる連中もここぞとばかりに謀反
何で新興大名の織田なんかと一緒に滅ばにゃならんのだ そんな義理はない
163 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 20:26:45 ID:RhFeNkAo
>>162 浅井氏の本拠地小谷城の僅か数百メートルに砦を築かれて本拠地が四六時中圧迫されてるのと、
東美濃のさらに端っこの城を奪われたのとじゃ全然違うとマジレスしとく。
そりゃあ岩村城を奪われてるのに放置してたら織田家の威信が多少低下していただろう事は否定しないけど。
164 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 21:42:12 ID:zJac3+0U
岩村はいってみれば鶏肋のような土地だからねえ。
165 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:04:22 ID:7Lh4t8iO
信玄は古い人間だから
三河と遠江を完全制圧して
徳川が降伏か滅亡逃亡しない限り
織田とはがちでやらんでしょ
166 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:10:57 ID:zJac3+0U
北条や上杉に勝ちきるだけの国力ないのにいわんや織田おやというところ。
辺境をかすめ取れてもガチやるには地力の差がありすぎる。
167 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:20:36 ID:hw4vmFzA
>>157 >冬の間も維持できるようにするには、翌年の春に落して冬までにさらにその周囲まで勢力を広げてがっちり固める必要があるだろ
>できるのなら、なんでそれをしなかったんだ朝倉軍は?
は?
冬までには出来ないから春からするって言ってるんだが?
>元亀三年に限っての動きを見ると。
〜
>その間、浅井も朝倉も何もしませんでした。まだ冬まで期間はあるのにね?
朝倉に虎御前山砦を落とせるかどうかの話をしているのに、なぜ織田本隊と比較する?
>次に信長が江北に出陣するのは七月十九日。この後救援の朝倉と対峙して九月には岐阜に
>帰陣するわけだが、そこから十二月に越前に帰るまで結局なんの戦果もなかった。
だって1〜2日の距離に織田本隊がいるのに攻勢には出れんでしょ。
>あなたは「落としても冬の間は朝倉は越前から出られないから保持できない。だから落とせる
>けど落とさなかった」と言います。しかしこの発言には一つ抜け落ちていることがあります。
>それは、信長も冬の間は江北に出陣しない出来ないということです。これまでも冬の間は信長は
>動いていません。
信長が動いてないだけで、実際は軍事行動できるだろ。
秀吉が賤ヶ岳の戦の前哨戦で12月に長浜を攻めても柴田が2月末まで出陣出来なかったのすら知らないのか?
>ましてやこの年は信玄の西上もあるのだから、なおさらですね。
>つまり九月以降こそ、信長の救援を恐れることなく、木下隊単独を相手にすればいい絶好の機会
>なのです、本来なら。二ヶ月もあれば、砦を落とした後に今度は自分の砦として強化工事くらい
>十分にできる時間ですよ?そんなこともできないんですか朝倉は?
9月の時点で信玄はまだ出陣していませんが?
10月でもまだ遠江ですが?
1〜2日の距離に敵本隊がいるのに、この状態の武田を当てにして攻勢に出ろと?
>そもそも「落とせるけど翌春まで保持できない」というのは、信長本軍の救援のない、木下単独の
>攻勢に耐えられないという意味になりますよ?朝倉も浅井もそれほど弱体しているという主張に
>なりますがよろしいんですね?
朝倉と浅井が木下単独に勝てないんじゃなくて、朝倉が撤退した後の浅井では、維持できないという話だが?
>で、そんな弱体化した朝倉浅井が、翌五月まで信玄が生きていれば「大攻勢」ですか?
織田本隊を信玄が引き付ければね。
なんか君の言っている事はむちゃくちゃ。
168 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:28:22 ID:sDuhmvhX
>>147 それだったら戦国時代の多くの大名がそんな馬鹿馬鹿しい戦をしたってことになるんじゃ。
>>167 だから破却すればいいだけじゃ。
169 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:35:07 ID:BznBCHbw
>>153 だからどうしてそう一人認定ばっかりするのかな?
俺は今帰ってきたばっかりなんだけど。
170 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:37:46 ID:hw4vmFzA
全員がと言うわけじゃないがどうも傾向としては、
武田派の人間は、
信玄が生きていて進撃を続ければ、織田はこれくらい兵力を割かなければならない。
だから、近畿の包囲網側勢力を倒す余力が織田には無いと言うことで話を進めるが、
織田派の人間は、
>>156の様に、史実では余裕で勝ったから信玄が生きていても大差ないだろうとか、
>>157の様に、包囲網側勢力のそれぞれ個別の戦力と織田の全力を比べて、織田が勝っているから織田が勝つだろうとかが多い気がする。
171 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:42:10 ID:sDuhmvhX
秀吉みたいに大垣から短期間で戻ってくるってのを予測出来たのか?
というか朝倉がそんな警戒するぐらい短期間で戻って来れるんじゃ佐久間も警戒して秀吉に付け入られるような隙を見せなかったような気がする。
172 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:45:20 ID:NnosNT58
東部戦線手抜きすぎると岩村遠山家のみならず郡上八幡遠藤家や美濃三人衆など
にも離反が起こってきそうだがなあ あのあたりは小豪族がひしめいてて不安定だし
ガチで決戦やるまでには至らんでも信長側の畿内平定は遅れそうなんだがな
173 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:45:55 ID:BznBCHbw
>>132 北陸にあてた信玄書状について自分で確認してみたいので
年と月日を教えてほしい。
徳川の反撃は信玄死去後の武田撤退と停滞に乗じたもの。それをみないでいわれてもな。
朝倉の場合は織田の大軍が冬に動く可能性を考慮したものだろう。
>>144 春になれば時間の期限は十分。
秀吉が増強していたという根拠は?
朝倉が打撃を与えている事も考慮すれば
春から全力で押してけば倒せる可能性は高いと思う。
冬の間につくりなおされたらおしまいだと思うが。
そんな事の為に無意味に戦力を割く必要を感じないが。
逆に四方八方の動きが予断を許さないから慎重に
周囲をうかがってたと思うが。
危機だったら破れかぶれでどっかに突撃するだけが能ではないだろうし。
武田との戦いがこう着してる間に他が崩れる可能性も高く、
武田を短期で叩きのめせるわけでもない。
174 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:54:46 ID:BznBCHbw
>>143 まあまだ先があるから失敗はこの時点ではない。
>>145 大方信長公記の記述に基づいているんだろうが、
それには朝倉が織田勢に反撃をして戦果を得てる事実は
一切乗ってない事に注意だな。
>>148 その全力で勝って冬に取り返されて死んだ兵は無駄死にかい。
春からがっちり固めて押してったほうがいいだろうに。
朝倉方も戦果をあげてるから自信は得ていただろう。
>>150 1573年の朝倉滅亡の時には出兵拒否出てるな。
でも春からの出陣の時は普通に出陣してるが。
73年信玄死去後の包囲網の戦略崩壊で体勢は決したのかもしれんが(士気的にも)
初頭の段階では全然決してないな。
>>152 逆にいうと織田派の無理無理というのは書状的裏付けはないだろう。
後の結果論で無理だろうと結論づけ当時において交わされていた書状などの資料を無視するのは
いただけないな。
175 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 22:57:57 ID:zJac3+0U
書状なんてなんの担保にもならんと思うが。
彼我の国力差なんて経済力考えれば歴然だし。
176 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:00:49 ID:BznBCHbw
>>156 包囲網側も信玄死去後までは力を大きく動かそうとしてる。
織田の相手ができんとは思えんが。
>>158 破壊して帰って冬の間に作り直されたらどうするんだ?
それこそ無駄だが。
>>163 同盟者の徳川は蹂躙されてて助けに行かない事で
評判下がってるだろう事も追加しといて。
同盟者に対する朝倉の勤勉さが泣ける。
>>166 そのための包囲網。
織田を滅ぼさなくてもその勢力を削減し勢いをそげば武田的には成功だろうな。
>>168 だから破壊しても冬につくりなおされたらry
177 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:01:36 ID:BznBCHbw
>>175 書状も資料もないのに何を基にしてそういうのか逆に聞きたい。
178 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:03:28 ID:zJac3+0U
そもそも武田が撤退したぐらいで破綻する反攻計画なんてよほど余裕のないものだと思うが。
武田に限らずどっかが欠けたらそこでおじゃんじゃん。
179 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:05:18 ID:BznBCHbw
180 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:06:48 ID:zJac3+0U
んなもんいくらでも資料なんてあるだろ。
当時の農作高から推察できる動員兵力云々。
それこそテンプレ読めって感じだな。
181 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:08:42 ID:BznBCHbw
>>180 テンプレに逃げるなよ。俺はテンプレとは違う見解だが。
仮にテンプレ通りでも武田と織田の対峙する兵力はほぼ等しくなるぞ。
182 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:10:24 ID:sDuhmvhX
>>172 郡上は一向宗の影響も強い地域だし、飛騨との関係もあるだろうしな。
ただ美濃三人衆はまず無いと思う、地理的にも正反対だし、上にも他の人が書いているけど岩村は本当に美濃の外れ、
地図見れば理解できると思うけど。
>>173 前スレだかにもあったけど、砦の補強や修築程度は財政が破綻でもしていない限りやっているであろうし、
朝倉によって被害を受けた兵の補充なども当然やっているはずじゃ。
焼かれた陣屋の修築などは冬になる前にさっさと建て直しているだろうけど。
>冬の間につくりなおされたらおしまいだと思うが。
作り直すのにどれだけ金がかかるんだってことになるし、建設中の冬の間もまた出兵しなければならないことに、
仮に織田の主力で持って建設するのに一月かかったとするなら、もし冬の間に織田が造り直そうとすれば
一月ほど織田の主力を江北に引き付けられることに、
もしそうだったなら武田も大助かりだったろうな。
183 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:11:11 ID:zJac3+0U
侵攻側が防衛側と同じ兵力じゃ話しにならん。
184 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:12:50 ID:zJac3+0U
恵那、中津川地域は岐阜よりも木曾に近いしね。
ほんと歯と唇よ。
185 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:14:25 ID:BznBCHbw
>>182 ダウト。
兵の補充をやってるとか増強してるとかいうなら
その資料がないとおかしいぞ。前スレでも結局その件については
論拠なしだったはず。
冬の間は朝倉主力が江北に来れない事を考慮すれば
織田勢が容易に作り直せる。
186 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:15:47 ID:sDuhmvhX
>>177 といっても武田にしても朝倉にしてもついでに織田もだがそれまでにも二枚舌外交、戦果の誇張などしていて、
出兵を約束してドタキャンってのは何度かあったのだから、書状をそのまま信じられるわけではない。
なので当時の各勢力の国力や支配範囲、状況、外交関係などから考えて実際にはどの程度の能力があったか
考えて状況を推測しているんじゃないのか?
書状の文言だけ見ても意味ないでしょ。
187 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:18:55 ID:YNTPzD3Q
188 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:19:57 ID:BznBCHbw
>>186 文言だけでなく、実際に朝倉が春から動いてる事や
長島をはじめとする他の勢力も蠢動している事が
当時の資料から裏付けられている。
長島に関しては信長自身が自身の家臣の中にも長島に味方する者がいて
それを把握できずにいる事を書いている資料があるし。
能力を低く見る必要はないが。
189 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:22:20 ID:YNTPzD3Q
>>185 当時の史料が全て現存してるわけも無いだろ。
>冬の間は朝倉主力が江北に来れない事を考慮すれば
>織田勢が容易に作り直せる。
容易には無理だな。
目の前の小谷城の浅井勢が黙って見てるわけも無く当然妨害してくるだろうから
砦を再度立て直すには織田も主力を配置して浅井の妨害を牽制する必要がある。
190 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:24:48 ID:BznBCHbw
>>189 現存してるわけない、と言ってそこに関する者がすっぽり抜け落ちてても
されたはずだ、で済まされると困るんだが。
それなら包囲網勢もいくらでもいえるぞ。
浅井が朝倉抜きでは守りを固めるのが精いっぱいというのは
織田派が誇らしげに言ってた事だろう。
主力を割かなくても浅井より多くの軍を割けば砦は作り直せる。
191 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:24:53 ID:NnosNT58
>>182 よく知らないけど安藤が後年武田への内通疑惑で追放されたのって濡れぎぬなんだっけ?
192 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:26:04 ID:sDuhmvhX
>>185 それは通常の軍役の範囲を超えるであろう軍役や、新たに与力の付与であれば
史料が残っていてもおかしくないであって、
通常行うであろう軍役の範囲、当たり前の処理などは当然しているであろうってことじゃ
それいったら前年被害受けたであろう浅井朝倉は補充していないのか?
朝倉はひょっとしたら何らかの史料が残っているかもしれないけど浅井には史料残っていないぞ。
>冬の間は朝倉主力が江北に来れない事を考慮すれば
>織田勢が容易に作り直せる。
だからそれに掛かるであろう費用などは、そりゃ金と兵のこと考えなければ容易に直せるだろうけど。
193 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:27:59 ID:sDuhmvhX
>>188 同様に織田派の方もそういったことを総合的に考えて織田のほうが有利とかと考えているんだろう。
194 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:29:59 ID:hw4vmFzA
>>192 >だからそれに掛かるであろう費用などは、そりゃ金と兵のこと考えなければ容易に直せるだろうけど。
>>157の書き方をまねれば、織田は砦一つ作れないほど資金や兵力が不足していたのかと言う事になるな。
195 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:32:22 ID:BznBCHbw
>>192 朝倉は一回退いてるからそこから軍を新たに召集することで
軍を再構築してるが、秀吉はどうなる?ずっと半敵地に滞在してるのだから、
その兵力は新たに集めるしかあるまい。
この時期に織田が手を惜しむとは朝倉でさえ思うまい。
196 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:32:58 ID:zJac3+0U
根本的な問題なんだが武田はどのぐらいの期間遠征可能なんだ?
197 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:33:42 ID:BznBCHbw
>>193 どこら辺を総合的に考えているのかわからんが、
まあここら辺は立ち位置の違いか。
198 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:34:01 ID:sDuhmvhX
>>190 そりゃ包囲網側にだって当然適用できるだろ、
松永にしても三好にしても前年の織田による攻撃でそれなりの被害出ているだろうけど、
それに対して城の修築や兵の補充、兵を休めたりは当然しているだろ、
史料には残っていなくても。
>主力を割かなくても浅井より多くの軍を割けば砦は作り直せる。
でもそれやったら、結局は江北に織田の主力を引き付けたのと同様の効果が出て、
朝倉が撤退しなかった時と同様とまではいかないにしても、ある程度武田への援護になったんじゃ。
>>191 濡れ衣というか因縁付けというか、確か安藤の兵が武田の兵に米売った責任取らされてだったと思うけど、
これは内通とはいわないだろ。
199 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:38:09 ID:YNTPzD3Q
>>190 長期布陣していれば当然陣抜けやら不慮の事故で死亡or負傷、病気やらで
足軽小者たちの数が目減りしていくんだからそれを随時補充して強化していくのは当然だと思うんだが。
財政破綻してるならまだしも財政に余裕があったであろう織田家の最前線が書状が現存していないからといって
虎御前山砦は何もしていませんでしたはおかしいと思わないか?
>主力を割かなくても浅井より多くの軍を割けば砦は作り直せる。
虎御前山砦を破却したという事はそれを守備していた木下隊は勿論、
救援に駆けつけるはずの宮部、八目山、横山城等の部隊も軒並み壊滅状態になってるんだよな?
これを機に浅井勢が横山城奪回に動き出すであろうから、
虎御前山砦を再建するよりも先に損害の出た部隊の再編成と横山城周辺の強化と
浅井方に返り忠させないために南近江の引き締めが最優先だと思うんだが。
200 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:39:40 ID:NnosNT58
201 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:40:56 ID:hw4vmFzA
>>199 >救援に駆けつけるはずの宮部、八目山、横山城等の部隊も軒並み壊滅状態になってるんだよな?
ゲームじゃあるまいし、戦の死傷率はそんなに高くないよ。
朝倉が撤退したら、浅井単独より江北の残存部隊の方が多分数は多い。
君が戦に負けたんならほぼ壊滅すると言い張るなら、徳川軍も壊滅した事にしてね。
202 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:42:30 ID:BznBCHbw
>>198 それならなんで織田派は包囲網勢だけ青息吐息で
織田側は平気で増強して大丈夫といえるのか不思議で仕方ない。
ある程度はな。
浅井の兵数が数千とすればそれを上回る兵を出すのはそれほど難しくない。
実際の所、武田が動いてる間、信長はその動きを止めている。
信玄が野田を攻略して病に倒れ、その動きがとまってしばらく立った
三月末から信長は動いている。おそらく情勢を見ていたのだろう。
信長としては武田の動きを見て慎重に情勢を判断しようとしていただのだろう。
ならば冬の間に岐阜に主力の多くを残し浅井以上の兵力でもって砦再構築は十分可能。
これをやらないと信長がこまるわけだし。
203 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:46:41 ID:BznBCHbw
>>199 最前線で半敵地なんだぞ。虎御膳は。
どっから兵力を召集する気だ。地元ならわかるが
半敵地で最前線である以上、補充部隊は味方の地から集めるしかないだろう。
壊滅かは疑問だな。不利になったら退却する部隊は多いだろう
しかも浅井だけなら織田がそれを上回る戦力を用意するのは難しくない。
204 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:49:56 ID:YNTPzD3Q
>>201 攻城戦は野戦よりも死傷率が高いんだが。
そして散り散りになった部隊を再編成するにも時間を要する。
>朝倉が撤退したら、浅井単独より江北の残存部隊の方が多分数は多い。
虎御前山砦が落ちるという事は江北の織田軍も敗戦ということだから部隊再編成の必要があるだろ。
その間に横山城攻略を目指すだろうし。
>君が戦に負けたんならほぼ壊滅すると言い張るなら、徳川軍も壊滅した事にしてね。
野戦に負けたのと砦が落ちるまで戦って負けたのとを一緒にするのはおかしい。
第一徳川も軍を再編成するのに時間を要してるわけなんだがね。
205 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:54:12 ID:BznBCHbw
>>204 >>201の人ではないが、岐阜で周辺状況を見ている信長の兵力が
二万五千以上としてそこから六千も割けばおそらく浅井の前に砦を再構築するのは
難しくないと思うぞ。冬の間は朝倉抜きなんだから。
206 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:55:28 ID:sDuhmvhX
>>194 逆に言えば
朝倉は織田がそこまで兵と金に余裕があると思っていたのかってことだな。
>>195 半敵地に滞在だと兵の補充が出来ないかどうかはわからないが、それだと秀吉だけでなく前線に張り付いていた連中
みな補充できていなかったのかってことになるし、
秀吉の兵というか与力は近江の兵だから半地元なんじゃ。
207 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:02:09 ID:7dpKQy+3
>>206 余裕以前にここはうたなきゃいけない一手だから当然打ってくると思うだろう。
尾張美濃の兵力が主力だろう。秀吉隊は。
実際朝倉勢との攻防では信長公記では尾張出身武将達が登場して活躍してるように書かれている。
208 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:13:09 ID:PcVOzCu+
>>200 美濃18郡中東の恵那郡の連中は武田の主力が岩村に来て織田の援軍なしならある程度は離反すると思う。
>>202 そりゃ被害が大きすぎれば回復が追いつかないだけじゃ、
その辺は国力の差だから仕方が無いんじゃないか。
信長が止まったのは単に冬だからじゃないの?
冬の出兵だと費用が余計にかさむだろうし疲労も大きい、凍死の可能性もある
それに3月の上洛も武田の影響は感じられないし
そりゃ砦再構築は可能だろうけど、織田だって無限の経済力があるわけじゃないんだから、
浅井を救うというだけでなく、織田に対しても大きな損失を与えられるだろう。
>>203 といっても他の最前線の付け城連中も長期出兵の時に兵の補充に関する資料残しているか?
秀吉のこのときだけ無いっていうならその理屈も少しはわかるけど。
209 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:15:32 ID:lKRlrnG4
>>204 >野戦に負けたのと砦が落ちるまで戦って負けたのとを一緒にするのはおかしい。
救援に駆けつけた部隊もワザワザ砦の包囲網をかいくぐって砦に入り壊滅されられると?
210 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:17:41 ID:TpyokbEh
毎晩数人で同じことずっとわめき散らしあうのが
ずっと続くスレになるかなw
211 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:21:48 ID:PcVOzCu+
>>205 今ここで疑問を呈するのも遅いが
そもそも砦の構築は織田の兵がやったのか、それとも農民雇ってやったのか
前者だと6千じゃ冬の間に終わらない可能性も。
>>207 それまでは横山が最前線だったのに何故?
砦が出来るまでは最悪京都との交通の安全が確保できればいいだったんじゃ。
>>207 宮部や堀樋口などは近江の兵じゃ、竹中は西美濃だけど。
で樋口なんかはかなり兵力が大きくて秀吉が扱いづらかったという逸話があるぐらいだったと思うが。
それに秀吉留守の竹中相手にさえ落とすことが出来なかった浅井のみでは
ある程度秀吉が兵を帰したりすることも出来たんじゃ?
212 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:25:47 ID:7dpKQy+3
>>208 実際武田は動いてるし、戦歴を見れば織田も冬に動けてる。
信玄が2月の野田攻略以後病に倒れひと月以上たった後で三月末に動きだしてる
わけだからまったく影響がないとは思えんが。
しかもこのときは足利と天皇を仲介にした短期での和議を前提に動いてる。
それで新たに作り直された砦に対して再び全力攻勢かけるわけ?無駄と思うが。
普通に春から全力攻勢かけて砦とって、そこを足場に時間に余裕をもってさらなる戦果を
求めていくのが自然なやり方と思うが。
その方が織田をより追い込める。
逆に執拗に攻撃を繰り返されて戦力失って落城とか多いぞ。最前線の砦は。
213 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 00:33:01 ID:7dpKQy+3
>>211 そこはぶっちゃけようわからん。
ただ6千あれば浅井の反撃封じるには十分。
砦がある事で織田領内の安全性と朝倉浅井の抑えが大きく補強されたのだから
攻略されて朝倉が冬に動けないならこれをやらないとは思えんが。
朝倉に虎御膳攻略されて多くの部隊が被害受けた状況で何もせず春を迎えたら
その横山に朝倉浅井が攻めてくるぞ。そして横山落ちれば今度は本格的に織田は危機だ。
中野又兵衛をはじめとして尾張美濃出身武将達が信長がいなくなった後の
虎御膳で朝倉との戦いで奮闘したと信長公記にはしっかり書いてあるが。
秀吉直属はむろん竹中もいるし。
214 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 01:27:16 ID:KSVyN8Ub
>170とか見ると思うんだが、どうして武田派は織田には徳川以外に見方がいて、
畿内の反織田の連中はその新織田の勢力と戦っているということを無視して
話を進めるんだろう?
松永にも三好にも足元に敵がいて動けないのに「織田がいないから自由に動ける」
なんて思うんだろう?
武田派は本願寺や朝倉その他を自分の自由自在に都合よく動かせうる存在だと
思い込んでいるんだろう?
215 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 01:38:15 ID:UNhvwbyo
武田派が主戦力としてあてにしてるのは朝倉とか長島とか本願寺とかその他とかで
松永とか三好とかはあんまり出てきてないような。
書状とかで頻繁に連携の打ち合わせがされてるし
動かないと自分達が危ないから織田を倒すために協力し合うって事じゃ。
216 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 04:29:20 ID:1ZlhCNPE
五月の反攻計画は武田以外の者からすると武田に織田の主戦力を引きつけてもらい
それに乗じて反攻しようという思惑であり
武田からすれば出来るだけ自軍に向けられる織田の兵力が少なくなるよう
他勢力にも頑張ってもらおうという思惑である
そして信玄は美濃をとりあえずの目標地として定めていたらしい
結局は起きなかった反攻作戦であるから当たり前だが
これを織田信長がどう対処するかが一番わからない
包囲網勢力の五月反攻が起きる前に武田軍に決戦を挑み撃退する
これが織田にとってはおそらく一番上策になるかと思われる
武田軍が少しでも侵攻を続ける動きを見せれば即座に織田軍は出陣、徳川の兵も当てにできる
場所に決戦地を想定し戦い、武田が甲斐に引き上げねばならないくらいの痛手を与えればよい
織田のこの動きにより五月反攻が起きたとしても、先手を打って武田さえ撃退してしまえば危機は去ったといえよう
織田が不利になるのは後手に回った場合。五月の反攻計画により包囲網勢力一斉反攻が起き
それぞれの勢力の撃退に織田の兵は分散、その時徳川には押さえの兵を残し
武田軍が美濃へ侵攻してくるとまずい、包囲網勢力の各所の戦局しだいでは武田迎撃に回せる兵力は減るであろうし
武田軍の美濃までの侵攻を許せば離反する豪族の心配もあり苦戦は必至だ
この仮想戦の肝は、信長の動きとそれぞれの勢力の五月反攻のタイミングではないだろうか?
217 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 06:52:33 ID:ctoJDxcg
>>216 反攻作戦って言っても実際に大軍を動かせそうななのは朝倉くらいだろ。
218 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 08:05:31 ID:lKRlrnG4
>>217 朝倉が攻勢にでて虎御膳を落とせば南近江なども優位に進められるし、
足利も大軍とは言えないが武田が織田本隊を拘束し南近江まで戦線を広げられていれば史実のように
すぐに潰されるような事も無い。
そうすれば大和も優位に進めれらるし、織田の資金源の堺とも連携を絶つ事が出来る。
三好、松永など個々で織田勢力と比べれば押さえ込まれるかもしれないが、連携して考えれば攻勢に出る事も考えられる。
219 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 08:07:55 ID:lKRlrnG4
>南近江まで戦線を広げられていれば
と言うのは足利が単独とかじゃなくて、浅井・朝倉や六角などを含めての話ね。
220 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 08:43:41 ID:6fMME9eZ
仮想戦記、それも出来の良くない
221 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 09:56:34 ID:KSVyN8Ub
>>218 三月に動いて、湖西方面は防備が固いから諦めた朝倉が、同じく防備を固めている
虎御前山―横山のラインを突破できるのかというとねえ。
湖東は本気を出せば突破できるけど、湖西は本気を出しても突破できないと。
まあこういうと「三月は本気じゃなかったんだよ!」と反論するんだろうけど。
成功しなかった作戦は全部本気じゃなかったか、現実でも聞く主張だなあ。
222 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 12:29:52 ID:IeDeRPYC
こういう、反論せずにいちゃもんだけつける奴とか、言ってもないことに反論する奴とかは何なんだろうね。
223 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 21:30:05 ID:nLaqX3SV
五月に反攻といっても史実じゃ信玄が生きている時点で義昭が先に動いたり、朝倉が動こうとしたりと
既にバラバラな気がする
224 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 22:16:12 ID:Tz2L+1Ko
>>223 確かに反織田の大義名分で御旗でもある足利将軍が5月反攻なんて何処吹く風と3月初旬から動き始めてるよな。
225 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:19:20 ID:cBwowetn
>>217 伊勢長島や本願寺も数万規模で兵を動かせそうだが。
特に伊勢長島はゲリラ戦もからめてくるから相当うざそうだ。
>>220 いちゃもんだけつけるのはよくない。下でも言われてるが。
>>221 湖西方面と湖東方面なら湖東方面を取るのは自然だと思うが。
浅井と連携して織田を虎御膳方面から押していけるんだから。
防備がどうとか以前に優先順位の問題だろう。
義昭は言ってみれば看板でしかないわけだし。
>>223 義昭も信玄が生きてて兵を進める仮定なら5月反抗の前に兵をあげて
織田と戦える体勢を作っとくのは悪くなかったような。
まあ信玄達にしてみれば義昭が主戦力になろうとするなんて思わなかったかもしれんが。
朝倉も反抗に備えて前もって出陣しておくのは悪くないし。
>>224 あくまでも旗でしかないけどな。
殺されでもしたらそれこそ完全な偶像になってくれるような存在だ。
226 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:27:14 ID:IQuvFoaS
>>225 義昭が先走って動いたら各個撃破されて山城方面での織田軍の負担が軽減されるんだが。
>義昭も信玄が生きてて兵を進める仮定なら5月反抗の前に兵をあげて
>織田と戦える体勢を作っとくのは悪くなかったような。
単独では容易に撃破されるのに織田が主力を差し向けられる状況下で
義昭が挙兵するのは下策だと思うんだがな。
227 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:42:13 ID:ft/FIrSV
>>225 >湖西方面と湖東方面なら湖東方面を取るのは自然だと思うが。
>浅井と連携して織田を虎御膳方面から押していけるんだから
だったら前年の、信長が他戦線で留守の内にどうして湖東方面に攻勢をかけなかったのか?
そもそも、どうして三月に「自然な」湖東ではなく湖西を攻撃しようとしたのか?
だいたい湖西方面でだって浅井領はあるし、高島郡にはまだ織田に属していない
豪族達もいる。彼らと連携しようとした書状も残っているそうだが、つまり朝倉と
豪族達をもってしても湖西は突破できなかったと。
ついでに言えば、湖西方面は突破できれば山城の義昭を直接連携が繋がり、そこから
反織田の三好や本願寺とも直接ルートが結ばれることになりこれまでの孤立が解消する。
湖東と比べても、湖西に力を入れることは決してメリットのないことではない。
228 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:43:00 ID:cBwowetn
>>226 まあ下にも書いたように信玄達も
義昭が主戦力を気取ろうとするとは思わなかったかもな。
まあそれでも義昭が追放されるのは信玄死去し武田が撤退した後で
後顧の憂いがなくなってからだけどな。
信玄死去前は信長も天皇を仲介に使って短期で和議して岐阜にすぐ戻ってるし。
229 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:48:50 ID:cBwowetn
>>227 何度も言われてるだろう。
信長がひいた後で朝倉は湖東方面で戦い秀吉相手に
戦果をしっかり得ていて、常陸江戸崎の土岐氏にまでその事は届いてるほど。
三月に湖西を攻撃しようとしてるのか?
多胡にあてた書状では「君頑張ってるね。小谷の普請とかあってそっちにはいけないから
君は君で防備固めてね」というような内容だったような。
朝倉にしてみれば浅井の本城にしてこれからの最前線になる小谷を固めて
そこから虎御膳押していくのが自然な流れだろう。
湖西に無意味に戦力割いて予定されてる一斉反攻を捨てるわけにはいかんし。
230 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:56:29 ID:ft/FIrSV
>>229 その戦果って具体的には?
秀吉の軍に大損害を与えて動けなくするほどとか、砦を使えなくなるほど
攻撃を与えたとか、そういった意味のある戦果は?
小競り合いでたまたま勝った、くらいじゃ書状で自慢のネタにはできても、
地元の人間は騙せない。どうしても浅井家からも朝倉家からも寝返りが
出て止まらないのか?翌年には軍役拒否がでるほどなのか?それは勝っても
利益がでない無意味な勝ちばかりで、家臣の方が耐えられなくなっている
からだろう。
231 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:00:23 ID:Sfj33vV2
>>229 大勢に殆ど影響のなかっただろう戦果とやらをそんなに強調されてもな。
以下の様に朝倉が湖西を攻めるメリットもかなり大きいよ。
・湖西方面は虎御前山━横山城ラインよりも織田軍の防衛力が弱い。
・織田主力が湖西に駆けつけるのには湖東よりも日数を要する。
・山本山城と小谷城の連携があれば木下隊単独では勿論の事織田家主力で攻め寄せても
そう簡単には攻め落とされない。
・山城方面の反織田とも合流可能。
232 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:03:08 ID:cBwowetn
>>230 おいおい。
何を言ってるんだ?
勝手に意味のある戦果を自分で規定するなよ。
春からが本番になるなら秀吉軍に打撃を与えておくことは十分意味ある戦果だが。
軍役拒否も離反続出も信玄死去後の事だぞ。
1572年の対陣では寝返りは数人だ。
しかもこれの主力である前波は義景に無礼を働いて勘当され、
謝っても許してもらえなかったのが原因なんだが。
233 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:07:42 ID:cBwowetn
>>231 そりゃ春以降の反抗作戦が信玄の死でおじゃんになったからな。
湖東方面に出て小谷を固めれば浅井を守ることにもなり、南下の拠点にもなる。
さらには虎御膳を突破して進撃してけば武田と連携して美濃をはさみ込む事もできる。
このルートで言っても近江や山城方面の反織田勢と連携するのは十分可能だし。
234 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:10:07 ID:Sfj33vV2
>>232 木下隊がそれほどまでに打撃を受けているのならば当然軍備を整えてるわな。
木下隊が兵員を補充した記録とやらはあるのか?
君じゃないかもしれんけど、いつも兵員を補充したのならば記録に残ってるはずだという人がいるよな。
235 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:13:10 ID:cBwowetn
>>234 逆だろ。
実際打撃を受けてる事は確かで、
それに対して秀吉が軍備を整えられてるかどうかが問題なわけ。
そして半敵地で諸方に敵を抱える織田家はそんな事できてませんと。
236 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:16:11 ID:Sfj33vV2
>>235 最重要な最前線が手痛い打撃を受けたのなら何も補充しないとかありえないだろ。
237 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 02:21:26 ID:cBwowetn
>>236 実際何もできてないな。
そんな余裕なかったか半敵地でそんな事できなかったか。
どっちかだろう。
238 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 03:40:47 ID:ft/FIrSV
>>235>>237 それを証明してくれよ。書状だけでなく。例えば、木下隊の将士に戦死者とかいたのか?
書状のレベルで、朝倉が木下に勝ったというものはある。そして、戦力を補充したという
記録は残っているものにはない。
しかし、木下隊は史実としてその後も普通に活動を続けている。四月と七月の対将軍戦。
さらに刀根坂などの対朝倉浅井戦。長島一向一揆戦にも。
これは、
・書状が間違っているか
・記録には無いが損害を回復補充させているか
・そもそも損害が大したこと無かったか
と解釈するしかない。
例えば、姉川の戦いの後にも朝倉浅井は普通に活動している事実から、書状記録では大敗
したとあるが、実際にはたいした損害ではなかったのだろう、と看做されている。
書状よりも事実が重んじられているわけだ。
なのに、織田に関しては、事実よりも書状を優先させて損害があったとするのは大きな
ダブルスタンダードとなる。
>半敵地でそんな事できなかったか
そもそも横山城以南は確実に織田のものになっているのに、半敵地で何もできない?
何も出来ていないのは、本城の眼前に敵砦を造られて排除もできず、織田に焼き働き
されても反撃もできずに城に篭っているしかない、つまり領民を守るという領主の
義務も果せなくなった浅井だろうに。
239 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 05:14:09 ID:BBkDC7gV
結局義昭が先走ったように、信玄が生きていても包囲網はバラバラに動きそう
240 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 07:25:54 ID:Thlqnxmk
リアルタイムで打ち合わせられる現代でもバラバラに動いてちぐはぐなんて事態はザラだ。
それが書状のやり取りだけでも週単位で時間のかかる戦国時代ならなおさら。
241 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 07:30:15 ID:Thlqnxmk
>>232 それで自分とこの損害と比して大きな損害を相手に与えたのかよ?
具体性がないんだよ。あんたの主張する戦果は。
242 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:08:50 ID:ndnGGviw
朝倉が木下隊に対して戦果を挙げたと言う事について、
武田派
朝倉が木下隊に対して勝つことが出来ているんだから、織田派が言うように押さえ込まれて手も足も出ないような状況ではない。と主張。
織田派
大損害を与えていないならそんなの意味無い。と主張。
と言う感じか。
243 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:22:47 ID:ndnGGviw
朝倉にとっては、湖東より湖西だろう。
朝倉は基本的に浅井の支援として出陣してきているし、浅井の支援としては湖西が優先。
それに、湖西を制圧し美濃方面を固めれば織田の近畿への道を閉ざす事が出来る。
伊勢からも行けるかも知れないが。長島の一揆では封鎖するのは難しいかな?
まぁ武田が迫ってきている状態で朝倉に湖西を取られた状態で近畿に出陣なんて出来ないだろうけど。
つまり織田からの援軍が見込めなくなるわけで、近畿の織田方には打撃に違いなく織田から包囲網側に鞍替えするものも増えるだろう。
史実で寝返った奴がいないと言うならともかく、実際義昭が挙兵した時には寝返った奴がいるんだから、
それより包囲網側が有利になればさらに寝返りが増えるのは無茶な主張じゃないだろ?
近畿の織田派は元々包囲網側の勢力と争っていた奴はともかく、他の織田の武力に屈していた奴にとっては、織田が近畿にこれないなら織田についている意味ないしな。
244 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:24:42 ID:Thlqnxmk
どの程度の戦果なのか具体性がないんだもん。
ただ書状に勝ったと書いてあっただけで。
犬ぐらいの大きさの小熊を虐めまわしても熊殺しを名乗れるわ。
245 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:25:10 ID:ndnGGviw
ああ、大間違い。
上のは全部、湖東と湖西逆だわ。
246 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:27:42 ID:ndnGGviw
>>244 だから戦果の大きさが重要なわけじゃないって話だろ。
>犬ぐらいの大きさの小熊を虐めまわしても熊殺しを名乗れるわ。
極端だね。
247 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:33:30 ID:Thlqnxmk
書状に書くだけならタダでもできるつってんだよ。それこそ小熊イジメと同じでいくらでも誇張できるしな。
具体的な裏づけがなかったらその戦果自体ただのリップサービスともとれるわけじゃん。
だいたい他所様宛の手紙に自分とこの窮状をわざわざ晒すわけないだろうと。
248 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:51:05 ID:ndnGGviw
>>247 しかし、勝ったと言う書状という証拠があるが、兵を集めたと言う書状が無いから実際負けてないと言うものな。
ところで、上で織田派が兵を補充するんて当たり前で、戦力を増強するのも書状が無くても不思議じゃないと主張されているが、
君は兵の補充するには記録が残っていて当たり前。(ならば当然増強するなんて絶対残っているはず)と考えているのかな?
249 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:56:02 ID:Thlqnxmk
なんか誇れるような成果があれば具体的にそれを喧伝するだろ。士気的に考えて。
どこそこの砦を落としたとか、木下の兵を●●討ち取ったとか。
そういう戦果の具体的な中身が朝倉側の記録にすらない時点で
その戦果の存在じたいが疑わしいないしはあったとしても取るにたらないようなものと推察できる。
250 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:59:28 ID:Thlqnxmk
>>248 朝倉が書いた書状だろ。それ。
君は大本営発表を額面どおりに信じるのか?
251 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:02:56 ID:ndnGGviw
>>249 >どこそこの砦を落としたとか、木下の兵を●●討ち取ったとか。
君が言ったように書くだけならタダなら同じことだろ?
とりあえず、質問に答えてくれるかな?
織田派の一方から兵の補充に書状が不要で、一方で書状が無いのはおかしいでは、
ダブルスタンダートと言うものだろう。
252 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:07:21 ID:Thlqnxmk
兵の補充云々はオレは主張してねえよ。
俺が言ってるのは戦果の存在じたい疑わしいつってんだよ。
そんなよそ様当ての手紙に具体的な中身も書かずにただ勝ったよってだけ告げただけじゃな。
具体的な中身を書かないのは書けるだけの内容がないってことだろ。
253 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:07:37 ID:ndnGGviw
>>250 負けた側に負けたと言う記録が無いから、負けて無いというのも同じ事と思わないか?
大本営発表で負けたと宣伝されてないから負けてないと言う事になってしまうが。
254 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:11:30 ID:Thlqnxmk
だから具体的な中身を出せつってんだよ。
勝ったとしたならどこの戦場でかったのか?
相手にどのぐらいの損失を与えたのか。
そんな中身が勝ったといってる奴の記録にさえないような戦果が果たして戦果と呼べるのだろうか。
255 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:12:40 ID:ndnGGviw
>>252 あぁ証拠は無いけど俺は信じないってだけか。
>具体的な中身を書かないのは書けるだけの内容がないってことだろ。
だから君が言ったように書くだけならタダなら、嘘でも100討ち取ったとか書ける訳で、
嘘でも書けることが書いて無いから、存在が無いと言うものでもないだろ。
256 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:14:07 ID:Thlqnxmk
喧伝できるような戦果があったなら当然活躍した奴には恩賞とかでるよな。そういう記録はあるのか?
その戦果を裏付ける状況的な証拠もないのに戦果があったって主張するから信用できないんだよ。
257 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:15:36 ID:9vS/TkwP
上の土岐氏宛の書状のあの内容で戦勝の存在を裏付けることができるのなら
ID:ft/FIrSVがいうように姉川だって織田徳川の書状等の資料記述で大勝は確定したようなもんだな。
258 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:22:20 ID:Thlqnxmk
ぶっちゃけ戦果の実体があるのならそれを裏付ける書状が一通だけってこたあねえだろ。
朝倉方の他の記録にそれを裏付けるものがあってしかるべきなのにそれがない。
だから眉唾ないしは誇張の可能性が高い。
259 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:28:37 ID:ndnGGviw
>>258 常陸江戸崎まで話が伝わっていてその記録もあるのに、戦果の実体が無いのにとはな。
朝倉方以外の記録もあるのは裏づけだろ?
>>257 被害の規模以前に、勝敗まで否定されちゃね。
260 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:41:25 ID:Thlqnxmk
だってその書状以外に実在を伝えるものがなくてましてその書状は朝倉が書いたものじゃねえ。
261 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 09:47:17 ID:ndnGGviw
>>260 君は朝倉の書状に具体的に書いてないから信憑性が無いと言っていたのではないのか?
嘘であったなら常陸江戸崎の土岐氏まで風聞が伝わっているなどと言う回りくどい事を書く必要がなく、
ワザワザこの様な事を書いて要る事が信憑性があるのではないのか?
結局君は、どんな事が書いてあろうが朝倉方が書いたものは信じないと言う事か?
262 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:00:11 ID:Thlqnxmk
それを裏付ける補強材料があるなら信じるよ。
それがないんじゃ話しにならね。
263 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:02:56 ID:Thlqnxmk
具体的な中身があればその中身に即して状況証拠を検証することもできるだろ。
中身がないんじゃ検証のしようもねえ。だから話にならねえ。
264 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:15:19 ID:ndnGGviw
>>263 どの程度の戦果かは確かに検証できないが、
勝利したと言う事については、土岐氏の記述で十分信憑性あるだろ。
君は朝倉が勝った事すら否定してたんじゃないのか?
265 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:18:16 ID:Thlqnxmk
ムー大陸はありましたってチャチワードが友人宛の手紙に書いたら
本当にムー大陸はあるのかよって話だよ。
266 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:22:46 ID:tAWe0Aw7
ほんと同じ事を
同じ奴らが言い合ってるだけだな
267 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:26:26 ID:ndnGGviw
>>265 その小学生みたいな極端な例やめてくれないかな?
私しか発見できていませんがと
第三者にも話が伝わっていますって言うのとじゃレベルが違うだろ。
268 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:13:28 ID:Hqxja49t
>>238 なんか極論だな。兵に死者がいたからっていちいち織田側の記録には残らんぞ。
補充されたなら記録あっておかしくないが。
木下隊が活動を続けてることと朝倉が戦果をあげた事は矛盾しないな。
朝倉が戦果をあげ、木下隊に損害をあたえてもいきなり全滅とか壊滅とかするわけじゃないんだから。
姉川の信長書状は誇張入りすぎなんだが。あれ読んだら朝倉浅井が滅亡寸前じゃないと
おかしくなるぞ。朝倉のはそこまで言ってくてただ大きな戦果をあげた事を述べていて
それを祝ってる常陸江戸崎の土岐氏は朝倉からではなくて風聞でそれを知ってお祝いしてる。
全然状況が違うと思うが。
信長の場合は戦場から近い京都周辺にもあきらかに誇張した戦果を流布してて
信長の過大報道を裏付けている。それに比して朝倉の場合は常陸江戸崎の土岐氏は
朝倉から伝えられたものではない。
横山からさらに小谷に近い最前線だろう。虎御膳は。これで半敵地じゃないと
言える感覚がわからんし。小谷以外にも浅井に味方する領域は周辺にまだあるぞ。
269 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:16:43 ID:tAWe0Aw7
30分ほどモデム電源切ってID変えたか
270 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:18:53 ID:Hqxja49t
>>239 義昭も信玄死去しなけりゃそれなりの活動できたような。
>>240 細かな調整はそれぞれの現場で行われ、大戦略は方針に基づいて行えばそれで
十分包囲網は機能できるが。包囲網勢はみな独立した勢力なのだから指示がないと
動けないわけがない。
>>241 具体性がないのはそっち。
風聞で現地から遠い常陸にまで届くくらいの戦果だしてるのに
存在自体否定とかありえんわ。
どっちにしろ秀吉隊のほうが朝倉浅井より兵が少ないから
失った戦力が仮にイーブンでも秀吉隊のが不利だな。
271 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:20:59 ID:Hqxja49t
>>269 いい加減一人認定やめろ。
俺とID:ndnGGviwの人は別人だ。
俺は昨日の
>>237のレスの後今まで寝てた。
というか織田派はこれだけいろんな書き込みがあって
いまだに自分達が多数派で対立意見が一人だけとでも思ってるのか?
272 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:24:32 ID:ndnGGviw
まぁ自分が自演しているから他人も自演していると思うんだろうね。
273 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:28:24 ID:Hqxja49t
>>247 だからそれ以前に常陸江戸崎の土岐氏が
風聞で朝倉の勝利を知ってそれを書状でお祝いしてるんだよ。
朝倉はそれにこたえて「でもこの戦果は武田家臣日向玄東の教えによるものなんだ。
この恩は浅くなく、これからも教えを請うていきたい。」
と言ってる。誇張戦果ならこんな事かくわけないだろ。
>>249 朝倉系の軍記とかでは朝倉が反撃して織田側に打撃を与えてる事が
出てくるが。
>>250 だからそれ以前に常陸江戸崎の土岐氏が風聞で知ってお祝いしてると何度もry
274 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:45:16 ID:Hqxja49t
>>252 >>254 だからそれ以前に常陸江戸崎までその勝利の報告が届いてるといってるだろうが。
それに対して朝倉が「私が織田勢に対して大戦果を上げたのを聞いて喜んでくれてる事が
君の書状の紙面からもうかがえてうれしいよ。」と書いてるんだけど。
勝ったとつげたんじゃなくて、勝った事をお祝いしてくれてる人にこたえてるんだよ。
文章の流れから云って自然だと思うが。
275 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:47:00 ID:eQOD+O5S
11月19日付書状を届けたという日向さんはいつ朝倉さんのところについたのかな?
朝倉さんが越前に帰ったのは12月2日だったけか。
その朝倉さんが勝ったという戦いは帰るまでの10日間ぐらいの中であったということかな?
276 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:51:59 ID:eQOD+O5S
553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 23:08:11 ID:lsI6/KNt
>>539 その書状における朝倉の項目だけど、
朝倉義景最長の書状として知られる年未詳3月8日付書状では
「私が信長と一戦に及び勝利を得ました事を、あなたが風聞で聞いてお喜びである事が
(あなたが送ってくれた書状の)紙面からうかがい知れて満足です。
しかしこれは玄東から教わった軍略によるものです。この恩は浅くなく、私は彼からさらなる教授を受けたいと
思っております。」という文面がある。
ここに登場する玄東とは上のほうで紹介した信玄の書状と条目を渡して口上を伝えた
武田家臣日向玄東斎の事だ。
このような朝倉勝利の事がこの書状を送られた常陸江戸崎の土岐氏に風聞で伝わっていること、
朝倉が武田の教えで勝てた、と言っている事などから
それに近い事実は存在したのでは?
過去スレにこのようなレスがあったけど。このレスによると勝利となってるけど大戦果とは書いてないような。どっちが正しい?
277 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 12:02:09 ID:Hqxja49t
>>276 どっちも正しい。
原文だと該当の部分は「信長と毎度一戦を遂げ大利を得候段、その聞こえあるによってご喜悦の由
紙面に相見え候、満足この事に候」とあるから大勝利、もしくは大戦果、
ってな意味だろう。
278 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 12:13:08 ID:Hqxja49t
>>257 信長の細川宛書状だと「野も畠も朝倉浅井の兵の死骸ばかりだぜ!
両方とも武辺においちゃものの数じゃねえな!
これで江北は平定してやったぜ!
この事は将軍様にも伝えといてくれよな!」とか凄いこといってるんだが。
どう見ても宣言狙いだし。金ヶ崎からの敗戦イメージの払拭に必死になってる。
そんで信長が畿内に向けて宣伝しまくった結果、
朝倉浅井合計戦死者1万4千6百(死傷者ではない!)で浅井長政も討ち死にという
超過大戦果にまで膨張してる。
朝倉始末記じゃ損害120とか言ってる所からするとまさに戦国時代空前の
過大宣伝なんだが。
279 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 12:31:37 ID:Hqxja49t
>>278の補足として
朝倉の書状はもともと遠くの常陸江戸崎にいる土岐氏が
朝倉の宣伝じゃなくて風聞でそれを知っている事、
朝倉が「これは武田家臣日向玄東に教えによるものなんだよ」と
言ってる事から姉川とは質がまるで違うと思われる。
280 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 12:58:43 ID:cQv9SoAl
年未詳3月8日付書状
何年のことか書いてないんだね。
281 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:10:53 ID:Hqxja49t
>>280 でも武田家臣日向玄東(1572年11月に朝倉に書状と条目を渡して口上で
作戦の詳細を説明した人)の名前がしっかり出てきて
「加賀一揆と数年にわたって戦い、国人の堀江が反逆してその鎮圧もあり、
それ以後も信長と戦い続けてて隙がなく、あなたもいうように諸口自在にならず
音信不通になってしまった事は本意ではなかったが、遠くにいるあなたから戦乱の中でも
お便りをいただけてとてもうれしかった。」とあるから
上にある織田方に対しての戦果も1572年末と見るのが妥当と思われ、
書状は1573年3月のものと見ていいだろう。
282 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:16:38 ID:hUHUf+09
>>279 > 武田家臣日向玄東に教えによるもの
どうみても事実に基づいた正確な情報とは思えないんだが……
283 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:17:12 ID:Hqxja49t
284 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:41:34 ID:cQv9SoAl
で?いつ、どこで、どのようにしてあった戦でどのような戦果を立てたのですか?
そんだけ誇れるような戦果なら当然活躍した者には恩賞があったでしょうね。
どんな論功行賞がなされたのですか?
285 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:43:02 ID:Hqxja49t
286 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:44:21 ID:cQv9SoAl
俺は282じゃねえよ。そっちこそ答えろや。
287 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:44:47 ID:Hqxja49t
ああ、違うのか。
>>284 この書状は相手の送ったお祝いの書状にこたえたものだから
そういう形式のものじゃない事はわかるはずだが。
288 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:47:25 ID:cQv9SoAl
戦果の事実があったのならこの書状以外の他の記録にもその痕跡があるだろうがって話よ。
朝倉方の武将の日記かなんかにどこそこの戦で我が軍勝利とかそういうの。
289 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:48:17 ID:Hqxja49t
>>286 書状と傍証から裏付けられる戦いの例としては
上杉の手取川や芦名との萱名庄の戦い、長篠前の勝頼書状による前哨戦での
武田の勝利があるな。
いずれも書状と傍証から見てあったとみるのが妥当とされる戦いだ。
290 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:49:04 ID:cQv9SoAl
その傍証がねえじゃん。
291 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:49:38 ID:Hqxja49t
>>288 朝倉方の軍記では朝倉が織田方に対して反撃して
戦果を得ている事が記されてるな。
後は
>>289を参照。
292 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:50:56 ID:Hqxja49t
>>290 常陸江戸崎の土岐氏から勝利を祝われてる。これで十分だと思うが。
朝倉の書状見ても土岐氏とは長い間音信不通で朝倉から宣伝したわけでもないのだから。
293 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:52:04 ID:cQv9SoAl
んじゃそんな書状じゃなくて軍記の方を持ち出せよ。
その軍記にはどこの戦でどういう勝ち方したかどう書いてるのよ。
294 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:55:02 ID:Hqxja49t
>>293 朝倉が織田の陣屋を700以上焼き打ちにしたんだそうだ。
ただこれは時期的には多少ずれるか。でも朝倉が攻撃を仕掛けてる事の
例にはなるだろう。
>>289であげた勝利も手取川を除いて軍記ではスルーされてる事が多い。
同時代資料でのほうが実態把握には確実だろう。
295 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:56:27 ID:cQv9SoAl
>>292 極端な話、長らく音信不通だった浪人生の息子に合格おめでとうと祝辞を送る親もいるよねえと言う話。
戦国時代なんて正確な情報のやり取りなんざ距離が離れれば離れるほどいい加減だしなあ。
軍記に記述があるというのなら書状だけじゃなくて軍記の記述をまず取り上げてくれ。
296 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:56:53 ID:Hqxja49t
>>293 てかお前
>>んじゃそんな書状じゃなくて軍記の方を持ち出せよ。
書状より軍記を重視する奴を初めてみたw
これが講談や軍記をさんざん馬鹿にしてた織田厨かw
297 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:57:39 ID:cQv9SoAl
どこの陣屋?場所は?時期はいつ?
298 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:58:38 ID:cQv9SoAl
具体的な場所や時期かいてないんだから書いてあるものを検証材料として提供しろといってるだけなんだが。
299 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 13:59:25 ID:Hqxja49t
>>295 全然内容がちがうんだが。バカバカしすぎる。
明らかに風聞で朝倉の勝利を聞いてお祝いしてる同時代資料が
あるんだし、軍記はあくまで2次資料。
>>289であげた戦いも手取川以外は軍記とかじゃスルーされがちなんだから
同時代資料で見るのが自然だろ。
300 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:02:58 ID:Hqxja49t
>>297 >>298 1572年10月半ば織田勢の陣屋に対して朝倉勢放火。
700以上の陣屋焼失。
ただ俺はこの戦果は書状の戦果とは違うと思うがな。
もしそうならあるいは軍記になる過程で齟齬が生じたのか。
>>299を見ればわかるように同時代資料と傍証で有るとみられる戦いが
いくつもあるのだから朝倉の書状は十分だろう。
301 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:03:15 ID:cQv9SoAl
いつ、どこで、だれが、どのようにして、だれに、どうしたのか。
それがハッキリしないもんを戦果だ。戦果だ。言うからおかしくなるんだよ。
戦果として主張するなら時期と場所ぐらいハッキリさせろや。
それこそ手取川ぐらいにはな。
302 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:06:30 ID:Hqxja49t
>>301 明らかに同時代の資料で残ってるものを、
それも朝倉がお祝いに対して答えた書状なんだから
上の内容で自然だろう。
第一、同時代資料でそんなに詳しく書いてるものって少ないんだが。
大抵A勢とB勢が戦ってAが戦果を得ましたくらいのもの。宣伝なら違うだろうが。
同時代資料でしっかり残ってるし、傍証もあるのだから十分だな。
303 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:18:33 ID:z/K+jV1j
合戦自体はあったかもしれんが実際は小競り合い程度が手取川だろ。
手取川以上にあやふやな戦果なんて眉唾の二乗じゃねえか。
304 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:22:21 ID:eQOD+O5S
他国に聞こえるほどの大勝のことは書いてなくて放火のことについては書いてる軍記っていったい。
書くべきことは書けよというもんですな。
305 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:24:06 ID:Hqxja49t
>>303 実際は小競り合い、かどうかなんて手取川を断定してる人っているのか?
信長公記が1時期もてはやされた時に存在否定や過小論がちらほら出たくらいだと
思うが。
長篠の前哨戦も傍証を見るとなかなかのものがあった事がうかがわれているし
萱名庄の戦いもそう。書状と傍証がある戦いを過小にみるのはおかしいな。
さらには朝倉の書状はお祝いにこたえたものだから戦果を説明する類のものじゃないし。
それでちゃんと残ってるんだから十分と思うが。
306 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:25:30 ID:z/K+jV1j
三方ヶ原で武田が徳川に大勝したのを勘違いでもしたんじゃね?その常陸の人。
マスコミもなく流言飛語でデマが飛び交う時代だからな。
307 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:35:40 ID:Hqxja49t
>>306 ところがどっこい。
その武田自身が朝倉の大きな勝利を報じてる書状もあるんだわこれが。
1572年11月27日付山県昌景書状。
「尾張熱田に派遣していたものの報告が来た。
越前衆が江北で一戦を遂げ勝利を得て、濃尾のものは多数討ち死にしたそうだ。」
308 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:38:19 ID:z/K+jV1j
そういうのあるならもっと早くだしてよ。
他にはなにかないの?
309 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:43:20 ID:Hqxja49t
>>308 探せばあるかもしれんが
膨大な資料から探すのは結構しんどい。
とりあえず義景の書状、常陸江戸崎からのお祝い、山県書状とくれば
朝倉がある程度の戦果をあげている事は認めていいと思うが。
310 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:52:35 ID:tgzq1wqi
話はかわるが武田って実際、どれだけの期間遠征が可能なんだ?
十月からずっと戦い詰めの気がするが。なんぼ北条と友好で
上杉とも差し迫った状況でないとはいえほぼ総勢をいつまでも
対織田にだけ向けていられるとも思えないんだが。
311 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 14:57:48 ID:Hqxja49t
>>310 対織田にだけ向けられないも何も
あの時は対織田徳川以外に差し迫った敵いないが。
312 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:00:43 ID:h1unMEX5
なんかまた水掛け論の応酬で凄いスレが伸びてるなw
ところでちょいと疑問がある。
上の方のレスで朝倉は本気出したら虎御前山を破却できた。
だけど破却しても冬の間は越前に退却する必要がある朝倉と違って、
江北に軍を動かせる織田が砦を再構築するから破却するだけ無駄だから春まで力を蓄えたという主張がある。
だけど小谷城の数百メートル手前に位置する付け城的役割の虎御前山砦を放置してたら、
朝倉が援軍を出せない冬の間に織田の小谷城攻城戦基地として利用されて小谷城が攻撃される心配もあるんだよな?
もしも朝倉が撤退する前に虎御前山砦を破却すれば、冬の間に織田は小谷城攻めをする暇もなく
虎御前山砦を再構築する必要がありかなりの時間稼ぎが出来る。
結果的に虎御前山は健在していても織田は冬の間に小谷城を攻めなかったけど、
当時の朝倉や浅井の武将達には冬の間に織田が小谷城を攻めないという確証なんてあるわけもない。
だから織田の最前線基地を破却できるのなら破却すると思うんだが。
313 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:02:16 ID:tgzq1wqi
それでもいつまでも織田だけと対峙してたら上杉も色気だすでしょ。
遠征が長くなりゃ自然と士気は落ちるし、行軍してる国人は留守中に領地専横されないか気が気でないだろうし。
どんだけの長期の遠征に武田は耐えうるのかって話よ。その期間によってとれる行動もおのずから変ってくるでしょ。
314 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:05:03 ID:Hqxja49t
>>312 まず小谷は堅城で冬の間なら十分持ちこたえる可能性は高い。
次に虎御膳の兵力だけでは小谷を攻略するのはまず無理だろう。
実際織田主力は武田が東から押してきているので岐阜で停滞してたし
朝倉が作り直されるためにわざわざ戦力を使う意味がない。
315 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:05:07 ID:hUHUf+09
>>283 情報源が朝倉と同じ側の武田家臣なんだから自分たちに都合のいい情報を流す可能性は高いだろ?
316 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:07:18 ID:/HeEYzGp
武田撤退したのは四月だけどそれまでは織田も武田に気を使いながら浅井・朝倉にあたってたよね。
その間、浅井と朝倉はなにをしてた?
317 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:08:16 ID:Hqxja49t
>>313 何度も言われてるけど当時の上杉は北陸と関東がそれぞれピンチで
武田なんかかまってる状態じゃないんだけど。
この状態は1574年末まで続く。
>>315 ?何をいってるんだ?
常陸江戸崎の土岐氏が武田から情報を得たとは限らないし(風聞で聞いたみたいだし)
朝倉がなんで「この勝利は武田家臣からの教えによるもの」なんて
嘘だとしたらいわなきゃいけないんだ?レス番号間違えてるのか?
318 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:10:22 ID:Hqxja49t
>>316 小谷の普請とかやってた。まず5月まで地固め、といったところだろう。
319 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:11:22 ID:/HeEYzGp
風聞というが情報が関東の人間まで伝わるには必ず武田の領内とおるよね。つまりはそういうこと。
320 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:12:22 ID:h1unMEX5
>>314 堅城と言っても落ちない城なんてあるわけも無く、小谷城が頑張れてるのも朝倉家の後詰というのが大きな比重を占める。
砦を破却できるのなら小谷城が冬の間持ちこたえるなんて希望的観測だけよりも、
織田方の小谷城攻城戦基地を破却して時間稼ぎをすると思うんだが。
それに織田家主力が小谷城攻めに加わらない確証なんて朝倉・浅井方に無かったと思うんだが。
>朝倉が作り直されるためにわざわざ戦力を使う意味がない。
だから冬の間に織田が小谷城を攻めないで砦を再構築する羽目になるという
時間的余裕を稼げると思うんだが。
321 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:12:45 ID:eQOD+O5S
1973年2月の浅井さんの書状に武田さんが加治田城を落としたとかいうのがあるみたいなんだけど
これは事実なんでしょうか?
322 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:13:59 ID:eQOD+O5S
19じゃなくて1573年でしたww
323 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:14:49 ID:/HeEYzGp
武田は半年を超える総出の長期遠征に耐えるだけの国力はあったのですかい?
人の集団が士気を長期間保つのって並々ならず大変なんだけどさ。
ずっと敵地での戦いでならなおさら。どこかで息継ぎしなきゃならんでしょ。
324 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:16:07 ID:Hqxja49t
>>320 それはぶっちゃけた話虎御膳を攻略してても同じ事なんだが。
虎御膳を攻略して破壊して帰っても
織田主力が虎御膳再構築しないで横山から直接小谷攻めたら同じだろ。
時間的余裕も何もない。
織田にしてみればこの砦は朝倉浅井の抑えという意味が強いんだから。
そして虎御膳の兵だけでは小谷を攻略するのはまず無理だし。
325 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:18:32 ID:hUHUf+09
>>307 結局、それも武田自身の喧伝なんじゃねえの?
尾張熱田に派遣したもののからの情報ならそれ自体が伝聞っぽいし。
江北で一戦があった。濃尾衆に被害を与えた。
で、それはどれくらいの被害を与えたの?越前衆には被害なかったの?その結果、戦線はどう変わったの?
その辺がまったく分からんのに戦果戦果言われてもだから何?としか言いようが無い。
ところでこれって元亀三年十一月三日の戦いの朝倉側から見たもの?
326 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:18:35 ID:Hqxja49t
>>323 大内義隆とか1年4か月にわたる出雲に向けての総出の国外遠征とかやってる。
距離的に考えても時間的に考えてもこの時の武田が限界とは思えんけど。
327 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:20:57 ID:h1unMEX5
>>324 横山城から小谷城までは15キロ前後の距離があるわけなんだがな。
極寒の江北で付け城も無しに堅城を攻めるのは無謀じゃないか?
328 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:22:48 ID:/HeEYzGp
>>326 大内は大内。肝心なのは武田の長征の実績よ。
一度も軍返さずに長期間出兵した実績はどんなもんなのよと。
329 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:24:18 ID:Hqxja49t
>>325 随分口調が過激になってきたな。
まず書状では「美濃尾張のものが多数討ち死に」とあるから
尾張熱田というのはその将兵たちの故郷なわけだ。
当然その報告に現地は相当やきもきしていた事が推測される。
ここから得た情報が無根なわけはないと思うが。
戦線云々に関しては春からが本番なんだからある程度の戦果で十分だろう。
だから何?なんていうのはただ認めたくないだけにしか見えんが。
当時の資料では大抵戦いの記述なんてこんなもんだが。
日向玄東が朝倉の書状に出てくるところからして、日向の持参した書状が
書かれた11月19日以降の事だろうからおそらく別だろうな。
330 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:25:15 ID:Hqxja49t
>>328 少なくとも武田にできない理由はないが。
なんで大内だけ特別扱いなのか。
武田の侵攻は大内に比べれば距離も短いし。
331 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:25:26 ID:h1unMEX5
>>328 川中島で200日くらいの対陣をしてるよ。
まあ行軍ではなく睨み合いだからどう評価すればいいのか難しいけど。
332 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:26:28 ID:/HeEYzGp
だから実績で答えろって言ってるだろ。
そうしたら納得せんでもない。
333 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:27:45 ID:/HeEYzGp
川中島はどっちかというと武田よりの土地だな。
侵攻戦というよりかは防衛戦に近い。
334 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:28:40 ID:Hqxja49t
>>332 大内がやったのも必要性に応じたもの。
武田がそれまで必要性を感じなかった以上
やる必要がない。
勝手に枠を狭めようとされてもな。
335 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:29:03 ID:h1unMEX5
>>332 実績が無くても武田は大国なわけだしある程度の長期出兵は可能なんじゃね?
大内がそうだったように長期出兵すれば国内の生産力が落ちるというリスクもあるわけだが。
336 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:30:14 ID:hUHUf+09
>>317 ああ、武田家臣から聞いたというのは朝倉か。ちょっと誤読した。スマン。
で、朝倉は武田家臣から何を聞いたの?常陸の土岐氏が朝倉の戦勝を知ってるということを武田家臣から聞いたということか?
だとしても遠くの風聞に信憑性があるかどうか疑問だし、自分にとっての都合のいい風聞ならたとえ間違っていても朝倉もわざわざ訂正すまい。
>>324 > 織田主力が虎御膳再構築しないで横山から直接小谷攻めたら同じだろ。
目前に敵方の堅い付け城があるのと約10km先か敵方が出陣してくるのでは負担がかなり違うだろうに……
337 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:32:47 ID:h1unMEX5
>>327に書き忘れたから追記。
虎御前山砦は本来は朝倉浅井を抑えるための砦ではないから。
まだ武田との仲が不和でない時期に小谷城を攻め落とすのに必要だったために築いた砦だから。
338 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:34:37 ID:Hqxja49t
>>336 何というか本当にこれまでの流れを見てるのか?
お願いだから上の流れを一回見てからレスをしてくれ。
あんたの疑問はたぶんほとんど上のレス達の中にあるから。
それでもわかんなかったらそこを聞いてくれ。
いや、織田が冬の間に小谷を攻略することに執着するなら
虎御膳があろうとなかろうと一気に攻めるのが最短だ。
もともと抑えの為に作った虎御膳を相手が攻めること優先のときでも
わざわざ作り直してから攻めてくれるなんて誰も思わないと思うが。
339 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:37:52 ID:h1unMEX5
>>338 だからあの砦は抑えのための砦じゃないから…
それまで小谷城を攻めても堅固で戦果が芳しくなかったから、目の前に付け城として築いたんよ。
340 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:38:39 ID:Hqxja49t
>>337 いや、虎御膳は朝倉浅井の動きを抑えるための付け城だ。
信長はこれを構築して岐阜に戻っている。
主な役割は小谷からの朝倉浅井勢の封鎖だろう。
341 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:42:12 ID:Hqxja49t
>>339 付け城というのは相手の封鎖が主な役割なんだが。
どっちにしろ攻めるためであれ抑えるためであれ、
織田が冬の間に主力を使って小谷を攻略しようとするなら
虎御膳なんか再構築しようとしないで一気に小谷を攻めるだろうな。
なんで期間も限定されてるのにわざわざ長い時間かけて土木工事せにゃならんのか。
342 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:48:55 ID:hUHUf+09
>>338 日向玄東斎に関しては了解した。ちょっと勘違いしてた。重ねてスマン。
・常陸の土岐氏に風聞として伝わってること。
・朝倉がそれに対して日向玄東斎のおかげだと謙遜してること。
ただそれでも実質的な戦果が分からんし、戦線にどう影響を与えたかがまったく分からん。
同じようにあやふやな戦いである手取川とはその辺が違う。
> いや、織田が冬の間に小谷を攻略することに執着するなら
> 虎御膳があろうとなかろうと一気に攻めるのが最短だ。
楽さ加減、負担がそうとう違う。どちらでも同じならわざわざ付け城なんかつくらん。
343 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:54:39 ID:Hqxja49t
>>342 山県書状にもそのことがあるのだから
包囲網勢にとっては士気があがる材料になったと思われる。
朝倉勢も春からの本番に備えて秀吉隊の戦力を削減できたのはいい事だったろう。
まず付け城の役割は封鎖だから。これがあれば南方への朝倉浅井の影響力をブロックできる。
時間的に余裕をもって攻めるなら付け城を作るだろうな。
だが朝倉が来ない冬の間に小谷を攻略せねばならないとなるなら
わざわざ時間かけて付け城作ってる時間ないぞ。作ってる間に冬が終わる。
344 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 21:25:03 ID:LS0oQZtQ
朝倉は前波、魚住、富田らが織田に裏切ってるし
もう朝倉家の崩壊が始まってる印象あるんだよね
73年の8月には滅ぼされてる事考えると
武田が近づいてるからって5月になっていきなり強くなるとは思えない
345 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:09:25 ID:cE+PeLGB
前波って朝倉に対して無礼を働いて勘当されて
謝っても許してもらえなかったから寝返ってるだけなんだよね。
いきなり強くなるというかもともと強いと思う。
346 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:16:25 ID:SJGtSHU8
そりゃ虎御膳をいつまでも放置してりゃ裏切りも出て当然だよ
雪だ5月だと暢気な事を言ってる場合じゃないし即刻落とさないと
まあ落とせないが実情だろうけどね
このスレに朝倉は越前一国支配してるから何時でも自由に動員できると思ってるゲーム厨がたくさんいるね。
5月まで放置して動員かけたって武田が織田に対して優勢に進めてない限り集まる訳ないだろ
347 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:19:45 ID:cE+PeLGB
>>346 上でも言われてるけど実際虎御膳に戦果あげてて
3月の段階ですでに大軍を率いて小谷に入ってるんだけど。
何を言ってるの?
348 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:29:21 ID:4sFndSl9
落ち着いて読み返したほうがいいような
349 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:44:49 ID:+0spVdFw
>>242 織田派は浅井朝倉を押さえ込むために築いた砦が健在だから、戦略的にはそれほど大きな影響は無いって感じじゃない?
>>248 >>252 兵の補充増強だけど
当時の武将として最低限のことはしているって話じゃないのか?
>>257 姉川は朝倉は朝倉で勝ったとか主張していたような
>>268 >補充されたなら記録あっておかしくないが
川中島で戦死した将兵の補充の記録とか無いと思うんだが
残っていないほうが普通じゃないのか?
たまに○○が戦死したため家督継ぐこと認めるとかいう書状が残っていたりもするけど。
ついでに城の修築とかも書状で残っていることなんてほとんど無いと思うが、
別の日記とかそういった史料からしょっちゅう普請していたんだなってことが分かるということはあるが
>>278 こと戦果に関する書状なんてそんなもんだろ
だから武田や朝倉が出した書状もみんな話半分に見てるだけじゃ
>>292 でも土岐氏はこの時期佐竹や北条の間で従属しているわけだけど、その両者とも武田は連絡取っている
武田経由で流れてきた情報じゃないか?
>>294 時期的には10月か11月だったと思うからそれなりにあっていると思うけど
>>297 虎御前山砦に築いた陣屋、朝倉の一部の将が夜襲して焼き討ちした
>>301 一次史料には普通そんなもの載っていないぞ
そういう具体的な話は創作交じりの軍記物に頼るしかない
>>308 武田系の史料から判るのはこれでほぼ全部だと思う
暇があったらまた朝倉系の史料を漁ってみる
ただ調べれば調べるほど朝倉大丈夫なのかって印象深めてしまうが
>>314 いざ本格的攻められたらわずかの期間であっさり落ちた小谷城がか?
秀吉の部隊だけでは落とせないだろうけど
>>321 多分嘘
この時期はもう斉藤が城主だし、変があったのならもう少し記録が残っていそう
>>324 それはいくらなんでも無茶苦茶じゃないか?
付け城とか包囲とかの効果なんて無いと言っているようなものだぞ
350 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:45:50 ID:K6zZxzu5
三月の段階で朝倉が大軍を率いて来た
義昭もすでに挙兵している
武田の軍勢も消え去ったわけではない
しかし信長は拘束されずに動いていることをどう理解したらいいのだろうか
351 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:48:19 ID:ft/FIrSV
>>347 なのに、信玄がしんだから朝倉は何もしなかった?
状況を整理すると
・木下隊にはそれなり損害を与えている
・織田本隊は江北を無視して畿内にいる。つまりすぐには江北に出てこれない。
美濃にも大部隊はない。
この大絶好の機会に、朝倉は出陣もせずに何もしなかった。出陣の準備は整って
いたはずなのに。
理由は、信玄が死んだから。
義景って、極めつけのアホウだと思う。
この時期に朝倉が出陣して虎御前を落し(本気を出せば落とせるんだよな?)横山
まで落とせればあとは手薄の江南、美濃が開けている。中山道まで南下すれば、
元亀元年の頃のように京に入った織田軍は本国との連絡が遮断され、かつ当時は
まだ岩成や三好義継らが健在で、信長は進退窮まっただろう。
もう一度いう。こんな絶好の大機会を、信玄が死んだから意気粗相して無為に
すごした朝倉はどうしようもないアホウだと思う。
352 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:49:51 ID:4sFndSl9
3月に敦賀に進出した朝倉軍の兵員数に関しては不明ではなかったか。何故大軍になってる?
353 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:56:08 ID:cE+PeLGB
>>350 動いたのは三月末。
しかもこの時は天皇を仲介して足利と短期で和睦する事を前提に動いてる。
>>351 織田主力は畿内にいないぞ。もう4月10日くらいには美濃に戻ってる。
本当に短期で畿内に入って天皇を仲介として足利と和議してすぐに引き返してる。
354 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 22:56:53 ID:LS0oQZtQ
そういえば信玄が死んだ1573年の4月から考え始めるって事で良いの?
信玄は2月に野田城を落とした後、体調悪化で長篠城で療養
史実ならそれで死んじゃって退却だけど
このスレでは体調回復して侵攻再開って感じかな
一応スタート地点をしっかり決めた方が良くないかな?
355 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:03:14 ID:+0spVdFw
>>325 そんな詳しいことまで一次史料に載ったりはしないだろ
だから書状では仔細は口頭で聞けって結びで終わったりすることが多いんだし
>>326 時代や経済基盤が異なるから一緒にするのもどうかと思う
動員率とか同じかどうか分からないし、
いくら西国でもこの時期には足軽動員しているだろうとは思うけど
>>329 1572年11月27日付山県昌景書状はそもそも内容そのものが怪しくないか?
遠藤が裏切ったので砦を作れとか
田原を海賊が焼き討ちしたとか
織田本隊はとうに帰国しているだろうに近江で濃尾衆を多数討ち取ったとか
織田の重臣が朝倉に寝返ったとか
蒲生が内通したとか
>>339 わざわざ川の水を引き込んで障害にしているぐらいだから封鎖のほうが主だったんじゃないか?
>>345 それは数ある俗説の中の一つだろ
>>347 小谷には入っていないだろ、敦賀まで出てきて近江の守りが堅いの見て引き上げたじゃないか?
356 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:03:40 ID:cE+PeLGB
>>349 一旦軍を解散してその後で召集するならそれは
新たな軍役によって構成された軍隊なわけだから
補充云々以前に兵力が構築される。
半敵地で常時滞在してる秀吉隊はそうはいかん。
それなら増強された部隊の記録なり軍役なりないとおかしい。
朝倉の書状によると日向が出てくるから
日向が書状した持参の日付(11月19日以降)だから違うだろう。
秀吉の部隊だけでは攻略できないと言っている。
それに浅井滅亡の時はもう朝倉滅亡で絶望状態だったし。
下でも述べているけど「朝倉がいない冬の間に攻略するなら」という条件つきなら
虎御膳を長い時間かけて再構築してる時間はないよ、ってな意味。
357 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:08:58 ID:cE+PeLGB
>>355 遠藤に対する砦の指示はほかにも朝倉への書状にも出てきてるし
浅井が遠藤に対して働きかけてる書状もある。無根ではないな。
信玄自身も遠藤に「春になったら美濃を攻めるからその時寝返って」と言ってるし。
その打ち取られた濃尾衆は秀吉隊と見るのが自然と思うが。
重臣に関してはおひれだろうな。まあひょっとしたら隠密裏に二股かけようとしたやつも
いたかもしれないが。
確か多胡にあてた書状で小谷の普請について朝倉が述べてたと思うが。
358 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:14:21 ID:4sFndSl9
799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/18(火) 00:27:55 ID:5YPRZ5Nc
『福井県史』通史編から引用
「義景は三月十一日に敦賀まで出陣した(「越州軍記」)。しかし信長方の湖西の守りが固いため滋賀郡方面まで出兵することはできず
また小谷城に対しても普請などの支援を続ける必要もあったので敦賀にとどまらざるをえなかった。」
これ見る限り小谷には入ってないよね。
359 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:15:48 ID:cE+PeLGB
>>358 普請してる以上朝倉勢が小谷に入ってると見るのは自然では?
入らないでどうやって普請するんだ?
360 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:18:48 ID:4sFndSl9
実際普請がおこなわれたかどうかまではわからないような。ただ普請しないといけないから湖西にはいけないよという書状が
あるだけでしょ。
361 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:19:01 ID:+0spVdFw
>>350 朝倉によるなら近江の守りが堅かったから、自分も守りを固めるぐらいしか出来なかった
そのための虎御前だったのだから順当な結果って気もするけど
>>351 敢えていうなら義昭が先に動いちゃったから
武田がもう少し進軍してきて、出来れば対陣してから義昭挙兵と浅井朝倉による坂田郡への攻撃となれば
多少は望みは出てきたと思うけど
>>353 帰りに六角攻めたりもしてるけど
>>356 他にも半敵地に常駐している者は多々いるけど、それらの連中に対しても
増強された部隊の記録なり軍役が無ければ補充は一切出来ないと証明できるならその理屈も信じられるけど
これだと悪魔の証明なので逆に考えて半敵地で兵の補充をしているような史料がそれなりにあれば
信じてもいいけど
そんな史料あるか?
362 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:22:52 ID:+0spVdFw
>>359 朝倉勢はそりゃ入っていたろ
個人的にはある程度の部隊が常駐していたと思うが
問題としているのは
>>347で大軍を率いて小谷に入っていると言っていることに対してだから
>>360 普請ぐらいはしているだろ、
公的な資料には普請の記録なんてほとんど残っていないけど、
例えば家忠日記とか見れば毎月のようにいろんな城を普請して回っているし
恒常的にやっていたと思う
363 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:26:57 ID:cE+PeLGB
>>361 ほぼ力を失った六角をな。
それでも4月11日に岐阜に戻ってるし。
いわゆる将や兵の派遣がそれに当たると思うが。
天王寺では猪子や大津が検使として最前線に派遣され、その後もその地にとどまって
戦っているから部隊を当然率いているだろう。(当時の習慣的にも)
いわゆる将を部隊ごと派遣するわけだな。
364 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:30:33 ID:cE+PeLGB
>>362 朝倉義景自身の書状で普請の事が述べられてるんだから
相当数の部隊が入って普請してると思うが。義景は入ってないのか?
365 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:45:51 ID:+0spVdFw
>>357 この書状はたしか奥平宛の書状だから
誇張だけでなく不確定情報からあることないことも含めて自分を優勢に見せようとして書いたんじゃ
この時期は三方ヶ原の前で信玄はある意味二俣で足止めされているし
奥平としていつになったら信玄来るんだって気持ちになりかねない
>>363 それでも寄り道する余裕があったってことでは、
また武田を気にしていたのなら、武田が兵を引いてまた出てくる前に行動すべきなのに
夏までのんびりしている、この事実こそが武田をあまり気にしていない証拠じゃ
天王寺を見ると将が派遣されていても兵をすべて率いているってわけでもないみたいだが
>>364 義景自身の書状で普請の事述べているからって義景が普請しているってことにはならないんじゃ
朝倉家が普請しているってことにはなるだろうけど、
で他の資料からは義景自身は敦賀に留まっていたっていうのだから入っていないと考えるでいいんじゃないか?
366 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 23:48:36 ID:ft/FIrSV
つまり攻勢じゃなくて防備を固める。なんで?
三月の時点なら信玄の死んでいないし武田軍も帰国を始めてもいない。
つまり「五月出兵」の攻勢計画はまだ生きている。
なのに小谷の普請。これはつまり織田から攻められるという前提になるが。
そもそも普請できるのなら、虎御前を落としてそこを自軍の砦として普請した
方がいいじゃないか。本気だせば落とせるんだろ?
小谷城の脅威も薄れるし、横山城攻撃への前線基地にもできる。五月の攻勢
計画も一段階進んだ状況で開始できる。前年と違って冬は迫っていないから、
落としても保持できないなんて理由はない。なんでしないんだ?
367 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:09:57 ID:zZ3Ax7F1
>>365 二俣の釣瓶を破壊したとも書いてるな。
遠藤への指示に関しては武田・浅井・朝倉などの複数の資料で裏付け取れる。
朝倉の常陸江戸崎あての書状でも朝倉の戦果は裏付けられる。
多小は不確定要素もその書状に入ってるが他の資料からも裏付けられる事も
ちゃんと入ってる。
信長公記にさえ「東からは武田が来て、虎御膳には朝倉浅井が来て八方ふさがりだ」
と書いてある状況だが。
それから対六角の為に百済寺に滞在するのも短期で済ませる予定だったようだが。
信玄死んだ後にも準備を整えているが。信玄死んで武田引いた以上焦る必要はないし。
天王寺の本戦は時間がないための例外事項として各武将とそば周り合計三千で動いてる。
猪子や大津は普通の時に派遣されてるから十分だろ。
義景は前年では小谷にいたような。敦賀にいたか?調べてみるか。
>>366 興奮してるようだが、5月に歩調合わせたほうがいいからに決まってるだろ。
それまでは前線拠点になる小谷の普請をしとくのは自然だが。
368 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:25:50 ID:kiXNeGor
>>366 もうちょっと武田が進出してからでないと各個撃破されるだけだからじゃ
虎御前山は強襲によって一日や二日で落とせるような砦では無いってことだろう
>>367 遠藤に関しては複数の史料といってもそれって包囲網側が裏切る裏切る言ってるのが
複数あるってだけじゃ
テンプレじゃ日和見と書いてあるが二枚舌使われているだけで、
実際に完全に裏切ってくれるかはやっぱりこれも不確定事項じゃ
>信玄死んだ後にも準備を整えているが。信玄死んで武田引いた以上焦る必要はないし。
死んだというのが確実かどうかも判らないし、いずれ勝頼が出てくるのは確実
浅井朝倉や畿内諸勢力を短期間で滅ぼせる自信があるならともかく、
そうでないならこの時期にこそ動くべきでは。
>天王寺の本戦は時間がないための例外事項として各武将とそば周り合計三千で動いてる。
>猪子や大津は普通の時に派遣されてるから十分だろ。
で実際のそういった前線の将が兵力の補充などする時などに対して史料は残っているのか?
369 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:32:24 ID:kiXNeGor
最近は宇喜多主導説が有力?みたいだが
関が原ももう少し三成の決起が遅ければ、東軍が簡単には兵を引けないような上杉と対陣する段階で
西軍決起の報が東軍に届くだったら結果は違ったんだろうな
包囲網も結局上手く連携できずに駄目になりそう
370 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:32:58 ID:UL3TVGFU
>>367 >5月に歩調合わせたほうがいいからに決まってるだろ。
動けるならば早めに動いた方がよくないか?
他の弱小勢力なら足並みを揃えた方が良いけど、
朝倉は動けるのなら3月、4月にでも動いた方がいいと思うんだが。
山本山城と小谷城が健在である限り前年に織田の主力と退治した時にも
織田軍は大嶽山に布陣した朝倉に不用意に戦を仕掛けることが出来ずに、
「正々堂々決戦しようぜ!」と挑発しか出来ていないので、
朝倉が早めに動いても守りを固めておけば容易には各個撃破される心配はないと思われる。
朝倉が来れば小谷城の木下隊からの圧迫がかなり軽減されるわけだし、
史実の様に織田本隊が上京して放火して回ったり帰り道に六角を叩いたり出来なかったと思われる。
君らが言うように本当に朝倉が本気を出せば虎御前山を叩き潰せるのならば、
織田がもし史実通りに上京した場合は木下隊を攻めてもいいわけだし。
5月一斉反撃とやらに拘って史実の様に織田軍に時間的余裕を与えるよりも、
そう簡単に撃破されない力を持った朝倉が他よりも一足先に動いて織田軍の足枷となるべきなんじゃないのか?
371 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:36:23 ID:kiXNeGor
そういや二俣の釣瓶を破壊したのがこの時なのになんでそこから落城させるのに一月近くかかったんだろ
二俣落城に関しては諸説あるから11月末説とかとれば問題ないけど
372 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:43:24 ID:zZ3Ax7F1
>>368 遠藤の領地から言って寝返るには本当に機を見ないとまずいからな。
しかし武田と朝倉浅井の連絡をしっかり仲介してるし
何度も指示とやり取りを受けてるから可能性は高いと思うが。
まず将軍問題があったからな。そして信長がこの間に作らせた大船は
畿内を急いで進軍するためのもの。準備をしっかり整えている。
後でしっかりこれは役だったし。
そもそも信玄死んで計画がつぶれ朝倉もすごすごと本国に帰ったから
もはや脅威に焦る必要がなくなったし。
だから、そういった前線の連中が消耗したら増援として将と部隊を派遣して軍勢を
増強し、あまりに消耗した部隊は在番や本国帰還を行うんだろ。
373 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:48:23 ID:zZ3Ax7F1
>>369 元から参加大名の大半が離反してるような状況と
くらべられてもな。
>>370 いやね、本当に信長は短期でそれこそダッシュと言っていいくらいの
急ピッチで天皇を仲介にして義昭と和議をして岐阜に戻ってるの。
あの機会に無理をする必要はないし、そもそも信玄自身も病気があった事から
武田軍は動きを止めている。義景にしてみても5月に予定通り信玄やその他が
動き出してからのほうが確実だろう。
374 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:58:04 ID:UL3TVGFU
>>373 朝倉が江北に来れば織田本隊はその短期でダッシュというのも難しいと思うんだが。
山本山城が健在なんだからあの時点で江北に滞陣するのは無理をした行動でもないと思うよ。
大嶽山に布陣して山本山城と小谷城と連携して防備を固めて織田家に時間的余裕を与えない方が確実だと思うんだが。
375 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:58:21 ID:kiXNeGor
>>372 個人的には郡上は一向宗の影響も強いし、美濃の外れであり、飛騨との関係も深いから、
織田の主力が美濃に不在で、武田の主力が郡上まで迫れば寝返ると思う
ただ、岩村からはかなり離れているため現時点では立場を明確にすることは無いと思う
>だから、そういった前線の連中が消耗したら増援として将と部隊を派遣して軍勢を
>増強し、あまりに消耗した部隊は在番や本国帰還を行うんだろ。
将レベルでは記録残っていることもあるけど、部隊レベルでのそういった諸史料何かあるか?
そういった史料が無ければ秀吉に関しても消耗した部隊は一旦引かせていたんじゃないかって
推測されて終わりだと思うが
>>373 和議に関しては前々から打診していたようだし、行きも帰りも特に急いではいなく何日かかけて上洛しているが?
結果として短期で終わったというだけじゃ?
376 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 00:58:37 ID:t7YyES47
>>367 五月に歩調をあわせた方が、ってわりには、朝倉自身がすでに三月中に湖西を
攻撃しようとしているんだがね。実際にしなかったのは織田の防備が固かった
からで、つまり朝倉には五月に武田と歩調を合わせる気が無かった。
なのになんで湖東方面では律儀に五月にあわせようとするんだ?
そもそも将軍も六角も三好もみーんな二月以降にてんで勝手に行動を開始して
いるのに、朝倉が行動をしない理由ってなに?
将軍や三好らからしたら、俺らはとっくに織田と開戦しているのに、朝倉は何
やってんだよ。ハァ?事前の計画通り五月に動くつもり?馬鹿野郎さっさと動け
オレら動いているのに織田に攻撃もされているのに、五月まで座視するつもり?
目の前に大好機があるのに、五月まで動かないでスルー、一応同盟組んでいる
勢力が攻撃されていても無視して動かない。ふざけんな!となるだろうな。
377 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:04:39 ID:zZ3Ax7F1
>>374 虎御膳が健在であり、武田の動きが停滞している以上
朝倉としても後に皆が動く目算があるのだから
それを期したほうがいいだろう。
>>375 だから当時は将と部隊が一つセットだろうに。
秀吉が消耗した部隊を引かせてたと考えるならいいが、
その記録はないし、
増援に来た将(と部隊)がなければ秀吉隊は目減りしてる事になるが。
六角倒すために滞在した百済寺って岐阜から一日の距離なんだよね。これが。
その気になればいつでも岐阜に戻れる距離まで来てたわけで。そして六角の力ももう
2、3日で方がつくものだったわけだ。
和議を前から進めていて天皇との仲介も使って短期で済ませる目算があったから
すぐに行って戻ってきたわけで。
378 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:05:10 ID:kiXNeGor
>>376 >朝倉自身がすでに三月中に湖西を攻撃しようとしているんだがね。
これは義昭支援のためじゃ?
まあ五月まで待つ必要は無いな
そもそも武田だって2月3月は三河にいるんだし、この時点で朝倉も動いたんだから一斉反攻みたいな形になっているような
379 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:08:53 ID:zZ3Ax7F1
>>376 だから、織田の防備云々はお前の推測だろう。
多胡には小谷の普請があるからそっちにはいけないぞ、
って言ってるだけだぞ。普通に小谷方面優先だろう。
そっちのほうが勝てる目算高いからだが。
義昭に関しては包囲網勢は義昭が自分で主戦力張ろうとするなんて思わなかったような。
まあ義昭にしてみても武田の動きを見て動いたわけでしばらく織田はこっちにこれないだろう
という目算だったろう。
実際織田は人質出して天皇仲介に使って和議を求めてきてるし、義昭もそれを受け入れて
織田がいなくなったらまた反逆の準備してる。
380 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:11:39 ID:kiXNeGor
>>377 >武田の動きが停滞している以上
武田は一応対外的には朝倉の出兵を待っているってことになっているのでは?
結局包囲網側は誰が貧乏くじを引くかでグズグズしているような感じ
>だから当時は将と部隊が一つセットだろうに。
将とそれにいくつかの郷ごとの部隊がセットだろ
でその辺の下層レベルでの史料はこの時の秀吉以外の事例ではあるのかって聞いてる?
>六角倒すために滞在した百済寺って岐阜から一日の距離なんだよね。これが。
>その気になればいつでも岐阜に戻れる距離まで来てたわけで。そして六角の力ももう
>2、3日で方がつくものだったわけだ。
ということは包囲網側は織田に数日間の行動の自由を与えるだけで勢力が削られていくのか
だったら信玄生きていてもジリ貧なんじゃ
381 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:12:56 ID:UL3TVGFU
>>377 虎御前山砦が健在であっても、
朝倉・浅井方の山本山━小谷━大嶽の防衛ラインだって健在なんだから
木下隊単独では勿論のこと、例え織田家主力が来ても打って出ない限り突破される恐れは限りなく無いに等しい。
朝倉が1万数千〜2万程度の兵を従えて江北に布陣すれば織田家の身動きがますます取れなくなる。
織田主力と戦うわけでもなく江北に早めに布陣して織田家を牽制する程の余裕が朝倉に無いと言いたいわけなの?
382 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:13:44 ID:kiXNeGor
>>379 >義昭に関しては包囲網勢は義昭が自分で主戦力張ろうとするなんて思わなかったような。
>まあ義昭にしてみても武田の動きを見て動いたわけでしばらく織田はこっちにこれないだろう
>という目算だったろう。
結局こんなんじゃ、一斉反攻しようと思ってもどこかで齟齬が出て各個撃破されるんじゃ
織田にしても義昭をこの時点でも許すような余裕があるってことなんだし
383 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:18:20 ID:zZ3Ax7F1
>>380 実際は信玄が病気だったからだけどな。
まあ美濃侵攻をもって反撃のスタートと成る事を考えれば
普通に考えてそれを待った方がいいだろうな。
だから、当時の軍制から言って消耗した部隊は在番に残すか本国に戻すかしかなく、
秀吉の部隊に増強された様子がない以上戦力が増えてるだのみる要素はないと
言ってるんだが。
もはや何度も大敗し残り火状態になってた六角でもって包囲網全体の事をいわれてもな。
おかしすぎるな。
384 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:21:20 ID:zZ3Ax7F1
>>381 余裕がないというかまず小谷の固めからの地固めだといってるんだが。
なんで後で反抗する目算なのに先走って出る必要があるのか。
それまでは地盤を固めるのはおかしくないが。
>>382 逆だろ。織田にしてみればここに至っても義昭を滅ぼす事はできず急いで
和議を結んで帰るくらいしかできないんだよ。
義昭の戦力は残り後でまた謀反するし。
385 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:27:07 ID:UL3TVGFU
>>384 朝倉家が江北に滞陣したら更に地固めが出来るよな。
浅井家の木下隊からの負担が激減できる。
前述の通り例え織田家主力が来ても前年の様に決戦となる可能性は極めて低い。
織田家に時間的余裕を与えない。
大きな負担も無く朝倉家が早めに動けばかなりのメリットが発生するわけなんだがね。
386 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:29:41 ID:kiXNeGor
>>383 美濃侵攻となると三河から北上して一旦信濃に入るか信濃との国境を掠めるようにして
岩村に抜けるんだけど、史実の武田の撤退ルートと被る
でも織田はその動きをさほど気にせずそれなりに余裕持った動きで上洛しているから、
武田はそれほど直接的な脅威じゃないか守りきる自信があったんじゃないか?
>だから、当時の軍制から言って消耗した部隊は在番に残すか本国に戻すかしかなく、
>秀吉の部隊に増強された様子がない以上戦力が増えてるだのみる要素はないと
>言ってるんだが。
でそういった史料は割と普通に残っているのかと聞いている
残っていないんじゃ推測するしかないだろう
>>384 何故逆?
この時点でも織田に囲まれて何もできなかったのに?
織田が上洛したらあっさり降伏するような状態だったのに?
追放後でさえ義昭を戻そうとしたりしているのだから大義名分を守りたい信長の都合で見逃されただけじゃ
実際義昭の戦力も短期間で潰せる程度の戦力でしか無かったわけだし
387 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:33:20 ID:zZ3Ax7F1
>>385 俺も実際の所多胡への書状を見る限り
小谷に入ってると思ったが。
まあ義景自身が入ってなくてもかなりの部隊が小谷には入って普請してるから
虎御膳に対するある程度のけん制になる。
実際信長公記でも武田と朝倉浅井の動きで手ふさがりとこの時期について書かれてる。
ただそれでも虎御膳の後ろには横山があり、織田は短期で戻る為に動いてるから
畿内への織田の動きを完全に封じるのは無理だな。織田もだいぶ余裕がないが。
それなら5月に備えたほうが確実。
388 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:40:51 ID:lUnEiL3/
>>216みたく信長が信玄の美濃侵攻を許さず
徳川の兵と連携して迎撃すれば終わるじゃん
武田が美濃くらいまで来なきゃ
包囲網は武田と連携できないから一斉反攻しないんだろ
389 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:43:13 ID:zZ3Ax7F1
>>386 信玄が帰陣途中で死ぬのは4月12日なんだが。信長が岐阜に戻った一日後ね。
君が言うとおりなら信長はタイミング合わせて戻ってきてるわけだが。
百済寺はその気になれば一日で岐阜に戻れる距離だから。
逆にそんなに余裕があるならさっさと朝倉方面でも向かうかすればよかったのに
岐阜に戻ってる。伊勢長島へも朝倉浅井へも本格的に攻めるのは信玄死去以後。
ここらへんはどう考えてる?
消耗した軍勢に増援として将(と部隊)が派遣された記録ならわりとみるが。
逆にそっちのいうようなやり方で増強された例なんか知らんが。
この時の秀吉にそんなものないぞ。
降伏じゃなくて和議ね。それも天皇を仲介とした。
余裕があるなら織田にしてみればこのとき足利を追放するなり殺すなりしてもおかしくなかったが
実際は義昭を害する事は出来なかった。
織田が来ても大丈夫と義昭が考えていたなら目算通りだった事になる。
織田主力と相対するなら無理な戦力でも織田主力以外が相手なら十分戦える戦力。
それはひとつの要素として生きてくるが。
390 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:45:19 ID:UL3TVGFU
>>387 朝倉家本隊が江北に布陣し続ければ上記でも上げたような成果を得られると
何度も言ってるでしょ…
>畿内への織田の動きを完全に封じるのは無理だな。
動きを完全に封じるのは無理でもかなりの足枷になるでしょ。
君らが言うように本気を出せば虎御前山砦を破却できるのなら、江北に布陣し続けていれば、
織田家が多方面に動いた時にこれ幸いとすぐさま虎御前山砦を攻めることが出来るわけだしね。
391 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:46:01 ID:zZ3Ax7F1
>>388 織田が来るならそれと対峙して停滞させれば
他の勢力は動くぞ。
織田勢力の中心である美濃を
織田主力ががらあきにするなら包囲網勢にとっては大チャンスだな。
392 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:47:51 ID:lUnEiL3/
前も同じ事言ってた気がするけど
そんな都合良く長対陣させられないだろ
393 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:48:44 ID:zZ3Ax7F1
>>390 だから実際小谷に朝倉の部隊が入って普請してるし、
それはけん制になってるっていってるでしょ。
虎御膳の後ろには横山城があるのだから虎御膳だけ攻略しても信長の機内への動きを
完全に封じられるわけじゃないんだが。短期で信長が動くならなおさら。
それなら各勢力と歩調をあわせたほうがいいだろう。
394 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:50:51 ID:zZ3Ax7F1
>>392 なぜ?
織田がこのとき動かせる兵力は武田を大きく上回ってはいない。
武田が陣を構えるなりすでに攻略してきた城を拠点にするなりすれば
十分織田をブロックできる。その間に包囲網勢は動く。
織田がひくなら武田が動く。
395 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:51:59 ID:t7YyES47
>>387 手ふさがり、というわりには、信長は江北および朝倉浅井に対しては全く手当てをしていない。
三月に朝倉は湖西を窺ったり小谷城の普請などしているのに、信長は対処せずに、江南で一揆が
動いたりしたときにはすぐに軍に送り、自身も江北を無視して京に向っている。
しかも、秀吉への援軍その他は全く行わず。
朝倉からの脅威を感じていないんだよこの動きは。
396 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:55:05 ID:UL3TVGFU
>>393 もしも虎御前山砦を落とせれば一斉反攻とやらの時に
朝倉・浅井の江南方面への進出が早くなるわけなんだが。
そうなれば織田家に対する圧迫の増大は勿論のこと、
朝倉・浅井が手にする支配領土も大きくなるんだがな。
将来的な利益も考えたら早めに江南進出の為の布石を打つのが定石なんじゃないのか?
397 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:55:20 ID:zZ3Ax7F1
>>395 虎御膳に常時兵を配備し、徳川にも援軍を送り、東からの脅威にも神経を使ってる。
この状況で畿内との連絡線はまず確保しておかなきゃいけない。
だから必死で江南や畿内で動いて、それでも短期で美濃に帰ってきてる。
朝倉、だけじゃなくて包囲網側の脅威を十分感じてるだろう。
398 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:57:45 ID:zZ3Ax7F1
>>396 小谷がこれからの反抗の最前線拠点になる事を考えれば
それの普請に精を出すのもおかしくないが。
朝倉の書状によると四月の10日くらいの多胡への書状で
小谷の普請を固めてると述べてるからやっぱり朝倉の予定は五月以降なんだろう。
399 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 01:58:59 ID:kiXNeGor
>>389 >伊勢長島へも朝倉浅井へも本格的に攻めるのは信玄死去以後。
信玄死後というにはやや月日が離れている
この時期信長はまず京を優先したんじゃないかと思うが
そしてそれが片付いたため他にも目を向けたら、
浅井が隙を見せたので江北越前へと向かい、それから各方面に向かったと
>余裕があるなら織田にしてみればこのとき足利を追放するなり殺すなりしてもおかしくなかったが
逆だと思うが軍事的に余裕があるからまた反逆するだろうと思いながらも政治的な都合で見逃せたんじゃ、
本当に余裕が無かったなら、問答無用で襲うしかなかっただろう
>消耗した軍勢に増援として将(と部隊)が派遣された記録ならわりとみるが。
それは当然見るな、全く別の部隊なんだから
ってか補充した記録が無いって言うが1570年から秀吉は城代として横山入っているが
その間兵を補充したような記録や横山を固めたような記録は残っていないが
その間ずっと同じ兵でそのまま戦っていた何もしていなかったと考えているのか?
そうでないならいい加減何らかの証拠を出してくれ
400 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:00:44 ID:lUnEiL3/
テンプレ兵力なら織田二万八千徳川は七千〜八千くらいだろ計三万五、六千で
武田二万五千より一万も上待ってれば十分兵数の差にものをいわせて決戦に臨むだろ
包囲網勢力が動けばそれだけ信長は早期に武田を追い返したくなるんだから
この決戦の勝敗が武田がほとんど被害のない大勝でもないかぎり
武田は損害をうけて甲斐に撤退、包囲網も武田撤退で史実どうり各個撃破され終了だろ
401 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:03:02 ID:kiXNeGor
>>390 まあその方が事態に即応出来るだろうな
>>393 牽制になっているのか?どのような動きを見て?
虎御前山だけ攻略しても畿内への動きを封じられるわけではないってのには同意
ただ簡単に落とせるなら、浅井への影響排除のためとか、後に横山落とすときのため落としておくべきだろうけど
402 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:05:45 ID:kiXNeGor
>>397 単にどれも短期間で蹴りがついただけな気が
無意味に長期出兵しても金がかかるだけだし
403 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:06:37 ID:UL3TVGFU
>>398 つまり朝倉には早めに江北に布陣することによって
織田家を牽制し、隙あらば虎御前山砦を攻撃するという余裕が無かったという事でOK?
404 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:07:33 ID:zZ3Ax7F1
>>399 だからまずこの錯綜した状況で京都を優先し
美濃と往復して周囲の状況を抑えることに務めた。
そして信玄が死に武田が撤退し計画がつぶれて朝倉もひいたから
包囲網から余裕ができた。
そして隙を見せた敵に向かってったと。信玄健在ならこの動きは難しいな。
それこそ逆だろう。この状況では信長は義昭を害して反発と他勢力の大義を
完全にするわけにはいかなかった。だから天皇を使ってさっさと和議し
一時的にでも安定を確保しただけの話だ。
いい加減にしてくれとしか言えない。
当時の軍は軍役衆で構成されてると言ってるだろう。
将を派遣して部隊全体を増強するならともかく、どうやって軍役指示もないのに
兵を召集する気なのか。
てかそっちが兵を召集してるというならそっちが証拠だすのが筋だろう。
否定派のこっちにたかるなよ。
405 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:12:27 ID:zZ3Ax7F1
>>400 徳川の兵力は三方ヶ原で被害を受けて建て直しに必死だが。
野田救援に三〇〇〇くらいしか出せてないし。
織田が無理押ししてきても武田が城を拠点にしたり
陣地にこもって迎撃すれば織田の被害が甚大になるだけだぞ。
>>401 信長公記自身に手ふさがりと言われてる状況なんだが?
>>402 天皇使って早期に和議してるんだからさぞ早くすませたかったろうな。
>>403 語弊がある言い方だな。
ただ単に最前線になる小谷の地固めから入っただけの話。
406 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:16:14 ID:UL3TVGFU
水掛け論の応酬ももうダルイからこのスレ見るのもう止めるわw
多分半年後くらいにこのスレ覗いても同じような内容の水掛け論がエンドレス状態なんだろうなww
407 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:30:44 ID:lUnEiL3/
2月の野田城落城から三ヶ月後の5月には徳川は駿河などに
軍事行動を起こしてるし4月頃には三方ヶ原の損害から大体軍の再編を終えたとみてもいいだろうし
あの辺で二万五千も籠もれる城、武田は獲ってたっけ?
それに城に籠もってちゃ武田は二万五千の兵数をいかせないだろうし
織田が出てきて向かい討つとすれば野戦だろ
織田は武田軍を撃退してしまえば危機は去るし当然損害は覚悟の上の決戦
信玄は兵数で負けてりゃ退却の可能性のが高そうだがな
408 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:34:22 ID:zZ3Ax7F1
>>407 徳川の兵力は完全ではないが。
信玄死去後の武田撤退と停滞に乗じて動いてるが
結局武田の守りの堅い城は長篠後も取り返すのに苦労してる。
長篠城にしっかり入ってるが。
城を拠点としつつ2万5千の兵を防御的に展開させれば
十分織田の2万8千程度防げるぞ。それに徳川の数千があろうとな。
409 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:44:08 ID:lUnEiL3/
だが結局長篠城は落ちたし徳川の力はだいぶ回復したと見るべきだろ
武田が城に籠もったら包囲し城攻めに変わるだけだろ
二万五千の兵の兵糧がいつまで続くかね
410 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:48:17 ID:zZ3Ax7F1
>>409 天野に負けたりしてるけどな。
仮に城攻めにするなら長期戦になるな。
包囲網勢が大喜びで動けるな。
長篠城を拠点にしつつ周囲に野戦陣地なども構築して
防御ネットワークを作るのも悪くない。
これなら包囲もできんし。
411 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:51:35 ID:zZ3Ax7F1
>>409 あとその長篠城は武田主力が撤退した後で徳川が不意を突いて奪ったものな。
412 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 02:58:40 ID:lUnEiL3/
包囲網勢への押さえの兵を残して織田の兵が二万八千だ
朝倉なんかは虎御前山砦で足止めされ終わりだろうし
包囲網勢力頼みの綱の武田が進軍して来れなきゃ
織田勢の防衛線を抜けないだろ
413 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 03:01:44 ID:zZ3Ax7F1
>>412 そのテンプレ自体がもう織田派全盛の時代にできたもので
大分古いがな。
当時は朝倉が戦果挙げてる事も長島が瞬動してる事も知られてなかったし
織田の動きを大きく見る傾向があったので正直完全に信頼できるもんじゃないな。
朝倉は織田主力がいないなら虎御膳踏みつぶしにかかるだろうよ。
長島・本願寺・その他も動いて一斉反撃炸裂。
414 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 03:17:42 ID:lUnEiL3/
長島や本願寺の一揆勢は女子供までいて正確な遠征可能兵数が解らないし
朝倉の抑えには七千ほど考えてるし朝倉一万ほどじゃ守勢の敵を簡単につぶせるわけ無いだろ
だいたいテンプレ案信用できないってんなら
新しい代案出せよ
415 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 03:22:15 ID:zZ3Ax7F1
>>414 朝倉は2万近い兵を最後の刀根坂でもだしてるから
それに数千の浅井を加えれば十分だな。
長島も本願寺もその戦歴から見てそれぞれ2万は堅いな。
416 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 03:45:26 ID:lUnEiL3/
基本女子供の非戦闘員込みで城砦に籠もって戦ってたからこその連中が
ほんとに2万も遠征に出せるのか?
刀根坂の時の二万は無理して数だけ集めましたってものだろ
士気も戦意も低く結局撤退、追撃されてあの有様だし
そういえば前に自領の防衛戦ならばさらに兵を加えて計算するべき
みたいな話題もあった気がするがあれどうなったの?
防衛戦なら万石あたり250人以上の動員率になるってやつ
あれ含めれば織田はさらに防衛兵力アップが見込めるんだが
417 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 03:52:51 ID:zZ3Ax7F1
>>416 長島ではさんざん虐殺された後でもまだ城に2万の男女が残ってて
焼き殺されている。
複数の城や拠点にいくつもこもっててそこも織田と果敢に戦ってるから
どうみても戦闘員だけでも2万以上を作り出すのは容易。
さらには本願寺も2万を野田福島で動かしてる。十分可能。
朝倉のは信玄死んで計画潰れて士気もさがり離反や軍役拒否が出ても
2万だせたわけだからな。信玄顕在で計画が生きてるなら2万を普通の戦力で出せる。
あれはぶっちゃけようしらん。俺が主張したわけでもないし。
418 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:41:24 ID:t7YyES47
>>415>>417 最後の朝倉の二万という数字は信長公記からだが、これを無批判に取り入れるのはどうよ?
これまで散々に公記の数字を否定してきたのに、自分の主張に都合がよければそのままか。
前年度からの裏切り、重臣一族の軍役拒否、若狭への出兵もあわせれば、この時期の朝倉が
二万も出せたとは到底看做せない。だからといって谷口氏の六、七千というのは少なすぎる。
私としては、史料的な根拠はないが精々出せて一万と少しくらいだろうと考えている。
どちらにせよ、志賀の陣で二万だった朝倉軍が、上記のようなマイナスを受けてなお、同じ
数字が出せるするのは無理がある。
そもそも、史料の数字が信用できないというからこそ、テンプレのような兵力算出が行われ、
それに基づいて議論していこうとなったはずなのに、その前提を無視して、自分の都合のいい
部分だけはテンプレでなく史料の数字を持ち出すのは卑怯卑劣というしかない。
>虐殺された後でもまだ城に2万の男女が残ってて焼き殺されている。
>複数の城や拠点にいくつもこもっててそこも
複数の拠点から退去した結果、最後の長島砦に二万の男女が集結とある。
だとすれば、全ての砦をあわせて男女あわせて二万以上はいただろうが、戦闘員だけで二万
以上つまり成人男性だけで二万以上なんてとうて導き出せない。
もう一度いうが、テンプレに乗っ取って議論してくれ。
そちらがテンプレを無視して記録の数字で語るのなら、こちらも同じく記録に基づいて語る
ことになる。五万どころでなく、七万とか八万とか十万という数字をね。
自分に都合が悪ければ史料を否定しておきながら、都合がよければ同じ史料の数字をその
まま使う。なんというダブルスタンダード。いい加減にしろ。
419 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 09:59:59 ID:KyUs8BY7
テンプレの兵力は本来どの程度の兵力を動員できるかの目安と言う事だったと思う。
繰り返すがあくまで目安。
テンプレで朝倉の兵力が12500とあるがこれも国力としては本来この程度のものだろうと言う事。
織田派は朝倉に対して、国内が疲弊していると主張しているがこれは、12500程度を動員する国力しかないのに2万も動員しているからと言う理由。
2万も動員しているはずが無いと主張して、尚且つ朝倉の国内が疲弊していると言うのは都合が良すぎる。
これこそダブルスタンダードと言うものだ。
420 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:05:52 ID:jtmAX30e
まったく正論。だから織田に関しても動員率を高めの兵力数を出してそれをもとに論を展開すればいい。
それをみとめない狭量なやつは武田派にはいないよ。それに文句いう人間にダブスタとののしればいい。
421 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:12:55 ID:KyUs8BY7
え?
俺は織田派が動員率を高めの兵力を出したら反論するよ?
だって織田は国内疲弊してないもん。
朝倉の動員率をあげて考えるのは「理由」があるから。
国力以上の兵を動員して国内を疲弊させているからと言ってどうして、
理由もなしに他の勢力も同じく、理由もなしに動員率を上げて考えなければならない?
もちろん織田の方で動員率を上げて考える納得できる理由があればいいよ。
しかし、理由なしに意味不明な平等精神で同じようにはむちゃくちゃ。
422 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 12:38:30 ID:6nDXaXJX
そもそも
>>415の
>>史料的な根拠はないが
という時点でただの空想じゃん。
これでいいならいくらでも都合よく兵力作れるよ。
423 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 12:39:25 ID:6nDXaXJX
424 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 12:59:56 ID:QUWZCOGI
>>418がいう長島の兵力だけど、
まず長島は信玄死後に第2次伊勢長島侵攻を受けるまで
北伊勢に勢力を持っている。
そして1574年の第3次侵攻ではあちこちの砦を攻略されて
死んだ者は多数。逃げて長島に入れたものもいるけど追撃されて虐殺されたのもいる。
それで長島本城は信長の兵糧攻めで多くが餓え死にし、空腹に耐えかねて
身を投げて死ぬものも多数いたそうだ。
その後信長は降伏を受け入れると見せかけて武装解除して出てきた一揆勢に
襲いかかって虐殺し(このとき反撃をくらって信長もかなりの被害を受けたけど。)てる。
これらをやった後でなお伊勢長島の城には2万の男女が入ってたそうだ。
これらの事を考えると第2次伊勢長島侵攻の前で北伊勢にも勢力を持ってる
伊勢長島の戦力が成人男性だけで2万を超えてもおかしくないと思う。
425 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 13:16:47 ID:VL7Z9Vdq
つまり信玄西上時での伊勢長島は
最後に城に残ってた2万+兵糧攻めで餓え死にした多数+身を投げて死んだ多数+
降伏しようとして出てきて殺された多数+第2次に攻略された北伊勢の勢力+
第3次に攻略された勢力
ですね。これだけいれば確かに2万以上の成人男性をつくるのは簡単そうですね。
426 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 15:32:29 ID:GrZwQ8dU
一揆勢は基本それぞれの領土の権益を守るため自領防衛で戦ってた連中だし
蜂起したときに自領近辺の織田方を襲ったくらいで基本専守防衛
石山本願寺は長島の危機になんら救援にも動いていないし
こいつ等はテンプレどうり遠征が可能か大きく怪しい連中
武田が進軍を織田に足止めされてるんならなおさら動くか怪しい
427 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 16:06:38 ID:QKe7IzeU
前スレからの兵の増強補充や虎御前山砦の強化だけど、
両者というか今日だとID:zZ3Ax7F1は何か別のことを定義している気がする。
片方は通常行っているであろう範囲内での修築や強化、兵の補充などの行動をしていると
推測して、そういった事柄についてはほとんど史料に残ることが無いから、
秀吉の場合も残っていなくても当然と考えているみたいで、
だからこの時秀吉が何もしていないというなら、
この事柄と当て嵌まる事例について史料が通常は残っているという事を証明してほしいと。
それに対しID:zZ3Ax7F1は強化などを新たな武将の派遣や新たな与力の付与や、
砦の強化も恒常的な普請ではなく、本格的な築城を想定していて、
そういった事例については史料に残りやすいものだから、この場合史料に無いから、
行っていないと考えているみたいだけど、
否定派今日の場合はID:kiXNeGorだけど、この人や前スレなどの他の人(同一人物?でも複数いたか)も
そういったことについては最初から否定しているので反論は的外れとなっている印象を受ける。
一度冷静になって問題がどこにあるのかよく読み直して欲しい、同じことのループだし、
ID:zZ3Ax7F1は誰に対して反論しているんだって感じになる。
前スレでも指摘されていたというのに。
>>65もそうだけど、
>資料を見れば明らかに朝倉が戦果挙げてるんだから
>それを全否定してたらおかしいと思うんだが。
読み直しても全否定している人は僅かでほとんどの人が何らかの小競り合いが
あったことは認めている。
相手のレスをよく読んでいないのか相手の主張を誤解しているみたいな感じで
知識があるのは理解できるけど反論がずれている印象を受ける。
>>413 テンプレが出来たのはもう何年も前だけど、基本的には自称他称の武田派の人間が作ったもの。
自分は当時のログを無くしてしまいましたが、当時のログ20〜30ぐらいを見ればはっきりします。
では続きをどうぞ
↓↓
428 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 16:17:52 ID:SwlruQi1
429 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 16:24:54 ID:SwlruQi1
あと
>>426は石山本願寺が長島の救援に動いてないというけど
距離的に無理なだけじゃないかと思うんだけど。
大阪と伊勢じゃ距離ありすぎだよ。
430 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 16:44:39 ID:jU/W+J8f
>>427 失礼ですが私にはあなたの反論がずれているように思うのですが。
まず件のID:zZ3Ax7F1は
>>65で別に朝倉の戦果を否定してる人ばかりだ、とは
言っていません。
>>65と話をしていたID:wdX9GW11が
>>63で織田派が自説の主張に執着しない根拠として
朝倉の戦いについて認めている人がいる、と言ったのに対し
ID:zZ3Ax7F1は明らかに朝倉の書状で戦果が残っているのだからこれを全否定する人がいたら
逆におかしいだろう、それは織田派のほうが良識的という根拠にはならないだろう、という
意味で書いているように見えます。
兵力補充の件についてもそうです。ID:zZ3Ax7F1は当時の軍制から言って
解かれていない軍勢の増強には将と部隊の派遣がセオリーであり、
兵のいちいちの増強というのはないのではないかと言いたいのだと
思いますが。この件については下で私見を書かせていただきます。
私にはあなたがあまり冷静に見れてないように感じました。
431 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 17:01:24 ID:jU/W+J8f
当時の軍制は軍役衆です。
つまりいざ戦となれば各郷村から割り当ての人数と装備をした兵達が
武将のもとにあつまり、軍勢となって戦地に赴くわけです。
この軍役の兵達は郷村に属しています。
時代が進み郷村が軍役にでる人員を雇っておいたりするようになり、
これが兵農分離といわれたりするわけですが、
彼らも郷村に属している事に変わりありません。
もし秀吉達がその連れてきている軍役衆の兵を補充するとして
現地で雇ったりするのなら、戦いが終わったら雇われた彼らはどうなるのでしょう?
臨時パートのようにやめるのでしょうか?
それとも現地の故郷を捨て補充される基になった部隊の郷村に一緒に帰るのでしょうか?
ちょっと考えにくいと思うのですが。
近代の軍も各地域ごとに人員が集められ部隊が構成され戦地に赴いています。
そして消耗した部隊は補助的な役割を担当したり、後方に下げられ再編成などを行われます。
そして増援部隊としては別の将校に率いられた別の部隊が派遣され、軍全体の補強が行われ
作戦を構成します。
土地に対しての帰属が強い戦国当時ではなおさらなのではないでしょうか?
私には増援の将の派遣もなく、半敵地で臨時パートのように兵が集められて
部隊を増強しているというのは当時の軍制から見ても疑問に思えます。
432 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 17:04:17 ID:Djth2R5n
>>431 銭で足軽を雇ったり牢人衆に陣貸ししたりするのは当時珍しいことでもなかったんだが。
433 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 17:09:26 ID:jU/W+J8f
>>432 浪人衆は比率としては少ないものですよ。
浪人衆ばかり入れていたら大抵弱体化します。
関ヶ原で宇喜多勢1万7千も浪人衆を多く入れていたために
本来の力を出せていなかったといわれています。
銭で足軽を雇うのは現地での事ですか?できれば詳しい説明と例示を願います。
434 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 17:41:30 ID:QKe7IzeU
>>430 >.>65に関しては自分の勘違いみたいでした、すみません
どうも前スレ後半で織田派は全否定している全否定していると言っていたのが頭に残っていて
またそのことかと思ってしまっていました。
兵力増強に関しては自分は傍観者なのでどっちが正しいかについては関与しません、
ただ話が噛み合っていないという印象を受ける。
435 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 23:23:00 ID:oYYQVifZ
っというか一揆勢が遠征は無理じゃね?
補給的な観点からも難しすぎると思うんだけど
436 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 23:33:32 ID:KyUs8BY7
長島の一揆はその場の自分達を包囲している織田軍を撃破して長島周辺を確保するので十分じゃないの?
遠征できないから役に立たないわけじゃないでしょ。
それと浅井・朝倉が虎御前山砦を落として美濃から近江方面の京への道と閉ざすのと合わせれば、
織田が近畿へ向かう道がほぼ閉ざされるんじゃないかな。
そうなれば京で蜂起した義昭を抑える者がなくなるし、
今まで均衡していた近畿の織田派と包囲網派のバランスが単純に義昭分包囲網側に傾く。
437 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 23:35:32 ID:IepCdNTR
長島も本願寺も地形的に守るのには向いてるが
攻めでようとすると船なんかの手配が大変そうだし
補給となるとなおさら面倒そうだな
長島が二万もほんとに遠征に出せるならとっくの昔に尾張は
一向一揆のものになってそうだしな
438 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 00:52:11 ID:6zreavbP
>>428とか見ると
船とか凄そうだよー。長島は。
結構活発に動いてるし、補給が無理そうな根拠も特になさそうだけど。
439 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 03:02:13 ID:xuJybMyE
今日は三方ヶ原合戦記念日だなあ。
幸せだなあ、乾杯。
440 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 09:16:11 ID:QHcJyYwb
>>438 >428を見ても、長島一向一揆と同調するような勢力が各地にあった、というだけで、
長島の一揆が軍勢として動いていた、という記述にはならないと思うんだが。
流通を握っていたのも事実だろうが、それだけで軍事力をもてるか?土豪レベルだった
信長祖父に制服された津島や、後の堺は?
なんかこういう、過大解釈が多いんだよな。「足弱を集めた」と書状にあったら、それで
「信長の領地美濃で軍勢を集めていた!それなりの支配地があった証拠!」とか言い出したり。
尾張で坊主が戦死したのも事実として、それで大きな一揆の蜂起があった証拠にもなりはしない。
441 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 09:23:20 ID:OOp8Om9O
居城周辺に一部の家臣住まわせただけで兵農分離とか言い出す輩ですね。わかります。
442 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 13:33:34 ID:sgRntdZz
つうか一揆って戦闘員だけで2万いたの?
女子どもとかそういう人口含めてじゃなくて。
生産人口とか考えると純戦闘員は少なそう。
そりゃいざ防衛ってときには皆兵になるだろうけど。
兵隊とおくまで動かせるだけの台所事情だったの?
443 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 13:39:11 ID:sgRntdZz
んなわけでちょっとwiki見てきた。
長島という地名はもともと「七島」であり、木曽川、揖斐川、長良川の河口付近の輪中地帯を指す。この付近では本願寺門徒が大きな勢力を持っており、
尾張国西南部、美濃国南部、伊勢国北部に一種の自治勢力を誇っていた。その規模は数十にもおよぶ寺院や道場で、これらの統制のために文亀元年
(1501年)に本願寺蓮如の六男である蓮淳を住職として、杉江の地に創建された願証寺は国人領主層を組織した門徒たちによる地域支配体制を確立する
に至り、門徒衆約十万人、石高約十万石(一説には十八万石)を擁したと言われる。
長島一揆はだいたい10万石〜18万石相当の独立勢力ととらえりゃいいんでないの?
防衛戦ならそれこそ総動員かけるだろうけど遠征じゃ出せても2000〜4000ってとこか。
444 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 13:48:53 ID:sgRntdZz
織田方の伊勢の支配率下げて長島一揆をその下げた分だけの独立勢力扱いにするというのはどうだろうか。
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢40%〜50%(5670〜7088)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。
総計46861〜48279
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。
長島一向一揆
・伊勢20%〜30%(2835〜4253) 自衛戦に限り最大2万人動員可能。
445 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 13:59:30 ID:sgRntdZz
一揆やら本願寺やらも生産力無視して無尽蔵に兵隊だせるわけじゃないんだよね。
かなり無理して兵隊ひりだしてると思うよ。同じだけの無理すれば短期的に数をひりだせるのは織田も武田も同じ。
そこらへんの勢力は影響力の強い地域の生産高から使える兵数割り出した方がいいと思うんだ。
446 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:13:16 ID:sgRntdZz
なんかね。他の大名やらは生産高から兵数概算してるのに
一揆や本願寺は2万とか2万3000とか数だけ来てそれで遠征可能か否かな論議で?に感じるんだ。
宗教勢力だから動員率があがるって訳じゃないだろうし基本の兵数はやっぱり支配地の生産高に応じたものだと思う。
お金がなくちゃ戦争できないからね。
447 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:31:55 ID:z2J/D46H
テンプレに関していえば寺社領は石高の兵力や支配率に関しては各国一律除外
太閤検地で寺社領をどの程度検地していたのか不明、テンプレ時の各国にどの程度寺社領があったか不明など、
からすべての国において一律計算からは除外していたと思う。
だから寺社領の多かった越前なども朝倉100%で、
大和も寺社領が大半なのに大和と筒井合わせて11225とか
摂津河内和泉も
>*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
> その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。
本来はここに本願寺が入るはずだろうけど恣意性を排除するため完全無視して、それとは別に
>●長島一向宗+国人
>計20000?
>●石山本願寺+雑賀衆?
>計23000?
とここだけ検地の結果ではなく史料の数字を用いているのだと思う。
>>445 本願寺は加賀一向一揆の時のように全国に所領を持っていて全国の門徒から寄進の名の下に援助要請出来るから、
無尽蔵ではないにしてもかなりの兵力出せるはず。
ただ本願寺は武家とは戦わないが蓮如の教えのせいか自治を守るためには戦っても、
自分から攻める場合にはあまり・・・
無理に武士政権と戦うと本願寺の反対派も煩いだろうし。
448 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:50:00 ID:sgRntdZz
本願寺はまだしも長島は素の兵力で2万ってことはないと思うなあ。80万石相当の実力だもん。
検地高に応じた実力で換算するとせいぜい5000。
本願寺はどうだろうね。石山総本山の実力は多く見積もっても60万石級(15000ぐらい)だと思うが。
449 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 18:15:53 ID:hZuNJ5FU
史料に無いんだから兵の補充とかしているはずがない当時の軍役じゃ不可能とか言っているが、
この人たちはやっぱ二俣城代の依田や岩村の秋山や海津の春日などに関しても史料が無いから、
城代になった時から兵の補充はしていないって考えているのかな?
450 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 19:10:54 ID:smCfb1d1
包囲網つっても実質動けるのなんて武田と朝倉ぐらいだよな。
451 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 19:21:16 ID:QHcJyYwb
>>447 一向一揆は別に本願寺の領地ではない。
一揆なら必ず本願寺の命令だか要請だかに応えるとも限らない。例を出せば、
河内の一向一揆が本願寺から兵役を要請されて断っている。
452 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 20:15:18 ID:QHcJyYwb
あともう一つ。
長島って土地は暴れ川木曾三川に挟まれたというか川の中にある、水浸しの土地。
毎年毎年川の氾濫で、地味は豊かでも農業収穫は極めて厳しい、水害の度に田畑
どころか人まで失われる場所で、江戸時代の宝暦治水、さらに明治の大改修まで
ロクな土地柄じゃなかったと聞くが。
453 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 22:59:52 ID:5VYAY8ZG
織田はテンプレの兵力配置で十分包囲網を押さえ
武田迎撃に迎えるだろ
朝倉や本願寺や長島がそれぞれ遠征にも2万以上の兵出せるなら
武田がいなくても織田倒せてるよ兵力的に
454 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 23:03:05 ID:1t+HS4Yj
見てもないのに力説すんなよ
頭イカレてんのかwwwwwwwwwwww
455 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 00:18:45 ID:J+FA38bB
上条さんはFF9のジタンあたりを参考にして変わった方がいい
誰かを助けるのに理由はいるかい?的な一言でまとめろよ
どーせ二次元だから次のカットはみこちんがハッとした
顔になって納得して笑ったあと
あーなんか笑ったらスッキリした
アンタってホントばかねとか返してくれて終了出来るよ
456 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 00:59:13 ID:qiMiA0wn
テンプレはまだ織田控えめな方だと思うよ。
流通の要衝にぎってる織田の方が銭あるだろうから。
457 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:18:10 ID:3OHCYozB
>>440 そっちはむしろ過小評価だが。
実際信長の領内で人員が集められてるのは紛れもない事実。
しかも津島や堺と長島は同格じゃあるまい。
それに巨大な軍事力がついた存在が長島だな。
実際尾張で長島の僧侶が戦闘して戦死してるのは
長島が織田領内で戦闘できる力を持っていた事をしめしているはずだが。
>>442 その辺は
>>424や
>>425の人が言ってるのを見ればわかると思うが。
>>443 >>444 その考えだと尾張小木江の城を攻略してることがわからなくなりそうだが。
2千から4千の兵に負けたのか?織田一門は。
>>446 >>448 実際記録に残ってるからな。皆兵状態だから無理でもないし。
てか4千足らずに2回も負けて敗走して一門多数信長が失ってる事になるけど
いいのか?
>>449 その二つはいずれもその地域を支配下においてるんだが。
普通に軍役で召集できるだろ。
半敵地につくられた虎御膳とは違うだろ。
458 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:23:14 ID:3OHCYozB
>>450 俺はそうは思わんが。
長島も本願寺も十分な戦力だし、足利達も条件次第で使える戦力だが。
>>451 逆にいうと全滅したり大きな被害を出しても戦ってるのが多数なわけだが。
なんで過小にみるのか。
>>452 流通は結構なもんだったし、本願寺勢力の中でも宗家に次ぐ格式と歴史を持つ
強力な勢力だが。
>>453 全く根拠なさそうだが。
実際志賀の陣でそれらの勢力が動いた結果、信長は屈伏したわけだが。
それらの勢力には十分な実力があるな。
>>456 別に控え目とは思わんが。
459 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:29:07 ID:/vW2bZlr
>>457 >それに巨大な軍事力がついた存在が長島だな
堺はよく知らないが、津島は十五家に代表される軍事力をもった商家、というか
豪族達に支配されてきた。その力は織田家に経済面だけでなく、軍事力でも貢献
している。というか、商人だから武力がないなんて戦国時代にはありえん。
>実際尾張で長島の僧侶が戦闘して戦死してるのは
武田が滅亡したおり、恵林寺は信長の要求を拒絶して戦闘となり、坊主達は
’戦死’しているわけだが、それを持って「恵林寺は信長と一戦するくらいの
戦力は持っている!」とか主張できるの?
>実際記録に残ってるからな
その記録が正しいのか?ってのが問題になっているんだが。
書くだけならいくらでも好きなだけ書ける。
そして、一次資料の中にも間違い、嘘があることなど歴史研究をやっていれば、
ごく普通のこと。
そしてあなた達は、織田家側の記録はいろいろと信憑性を持ち出して否定する
のに、敵対者側の記録は無批判に使っている。これも何度も指摘しているが。
460 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 01:37:41 ID:3OHCYozB
>>459 巨大な、と書いてるでしょ。
津島に軍事力があった事くらい知ってます。
でもそれは美濃尾張から近畿まで抑えた織田家と戦って2回敗走させられるほどの
ものじゃない事はわかるよね?
恵林寺事件はただの虐殺。寺にいたのは200にも満たず、しかも女子供多数。
戦闘になんかなってません。一方的に焼き打ちされて虐殺されてる。
しかも長島は織田領土内に踏み込んで戦闘してるわけなんだけど。
わざわざ信長側の資料で伊勢長島や本願寺の兵力は2万以上いる事がはっきり書いてあるんだけど。
461 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:12:27 ID:J+FA38bB
自演です
462 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:16:49 ID:chklXMnR
463 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:28:12 ID:edxa6wdp
実際志賀の陣とか見ると連携した包囲網勢の力は凄いよな。
これに武田が加わればかなりいけそう。
464 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 02:54:31 ID:2Krtx1i5
>>453の言い方をするなら
包囲網は武田抜きでも実際に志賀の陣で信長を屈伏させてるから
それだけの力がある事になるね。
465 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 04:07:23 ID:/vW2bZlr
>>460 尾張で戦死したという坊主がそうでなく、兵を率いて戦ったという記録は?
軍事力の場合、篭城戦はまた異なるので。
織田軍を二回撃退したから、長島一向一揆は史実の織田と同じように、濃尾
から畿内まで征服できるかなんて言えないでしょう。
>わざわざ信長側の資料で伊勢長島や本願寺の兵力は2万以上いる事がはっきり書いてあるんだけど
長島の人口がね。それを否定している人はいませんよ。ただ、成人男性・足軽・
兵役負担者のみで二万かどうかはまた別の話で、そう主張するのなら、記録を
だしてくださいよ。こちらにばかり記録がないから無いと言わずに。
466 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 06:54:34 ID:2Krtx1i5
>>465 戦死、と書いてあるから。
恵林寺のとは違うんじゃない?
恵林寺の場合はどう見ても一方的な虐殺だから戦闘じゃないし。
それでもどう見ても津島よりは軍事力上だと思うよ。
津島にそれだけの力があるとは思えないし。
>>457の人がいう
>>424や
>>425のレスでは信長公記が資料みたいだけど
これだけ合わせればどう見ても成人男性だけで2万超えるのは楽そうだよ。
一揆に対して兵役負担って言葉もどうかな。
467 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 08:38:37 ID:J+FA38bB
また自演が来た
468 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 09:54:23 ID:XrDoQotr
一揆だって人間だもの。先立つものがなければ戦争できんよ。
短期ならともかく継続的に戦争を続けていくにはね。
469 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 09:58:39 ID:XrDoQotr
>わざわざ信長側の資料で伊勢長島や本願寺の兵力は2万以上いる事がはっきり書いてあるんだけど
当時は相手の戦力の実数なんて調べる術がないからな。戦闘員も雑用員も全部ひっくるめての数になっちゃうし
多分の誇張も含まれるし。だから大概の大名の戦力は石高換算で概算してるんじゃないか。
一揆や本願寺も同じだよ。最終防衛用の学徒動員みたいな皆兵状態を別にすれば動かせる戦力はそう多くはない。
470 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 12:11:23 ID:OsNHiKW6
>>466 >一揆に対して兵役負担って言葉もどうかな。
どういうこと?
471 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 12:26:15 ID:qbzaFV3i
>>465 わざわざ戦死と書いてあるし、もともと長島は美濃にも尾張にも影響力を持つ
本願寺系列の東の要だしな。
それで数万単位の兵を動員して戦ってる勢力が津島と同格にはならんだろ。
君らの大好きな信長公記にしっかりかいてあるから参照。
>>467 いい加減一人認定やめろよ。
>>468 実際継続的に戦闘を続けて長期にわたって戦っているが
>>469 その根拠は?しっかり数万の兵を動かしてる資料があるのに
本願寺方の資料でもダメ、敵である信長方の資料でもダメ。
あてになるのは君の憶測だけ?ずいぶん傲慢な書き方だな。
472 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 12:57:52 ID:OsNHiKW6
>>471 根拠といわれても、ちょっと考えれば分かりそうだが
お前これから新宿駅にでも行って、利用者数をお前の目で計測して来い
そんで、駅員さんにでもきいて、実際の利用者ってのを教えてもらえ
その差が根拠にならんか?
石高を基に算出するのも、目で見て計測するのも、不正確だぞ
だがどちらがより実数に近いかは…なあ?
473 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:06:22 ID:qbzaFV3i
>>472 つまり完全にお前の憶測なわけだ。
割り当ての軍役で構成される軍と
信仰によって皆兵的に集められる軍が同列だとでも思ってるのか?
諸記録にあるいづれも膨大な一揆勢の数、
大名側の記録であろうと敵の数が自分達より少ない時はしっかりそう書かれる。
なのに一揆勢の大軍は一切無視するとは傲慢を通り越してあきれるが。
474 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:23:32 ID:/vW2bZlr
>>471 だからよ、信長公記にある織田軍の兵力は信憑性がないと否定しておいて、
織田と敵対した側の兵力は大きければそのままってのはダブスタだろうと。
それに長島は一次から三次までの間に、増減がまったくなかったとでもいうのか?
それに何度も言うが、織田軍から見たら長島に篭っている人数は女子供老人まで
含めてのおおよその概算。ところがあなた達は、その数字を根拠なく成人男性だけ
の数字とみなしている。
475 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:29:50 ID:qbzaFV3i
>>474 だからな、信長公記にも一揆勢の資料でも
一揆勢が数万単位で動いてる事は書いてあるんだよ。
それなのにどっちも否定するわけか?
都合が悪いから無理やり低くみようとしてるだけにしかみえんが。
信長公記でも織田側のほうが多い戦いなら太田も無理に誇張する必要もないと思うが。
だからな、信玄が死ぬ前で計算するなら第2次で失われた戦力や第三次で最後に城に残って
焼き打ちされた2万人を覗いた戦力が入らないとおかしいんだが。
それなら女子供老人はずしても男性で2万を集めるのは簡単そうだが。
476 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:35:43 ID:NDMP0CYN
男が全て戦闘員つうのも暴論だろ。
太平洋戦争中の日本だってみんながみんな兵隊にいったわけじゃないんだ。
自治体としてやっていくには生産活動に従事する人員は必要。男ではなおさら。
相手が攻めてきて防衛する時だけならいざしらず。
>信仰によって皆兵的に集められる軍が同列だとでも思ってるのか?
そもそも信仰のために戦ったんじゃなくて自分達の既得権益の確保のために戦ってるんだがな。
477 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:40:16 ID:qbzaFV3i
>>476 別にそれならそれでも構わないが。
長島一揆勢の総人員は長島一帯の住民10万と言われるからな。
そこから男性戦力だけ抜き出しても2万は余裕だぞ。
上層部はともかく末端の連中は信仰ありきなわけだが。
でなけりゃあそこまで戦うか。
478 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:47:25 ID:NDMP0CYN
余裕なわきゃねえ。
十万人中、女子どもと老人除いたら3万もいるかいないかだろ。
それで2/3も軍事に割いてどうして生産活動やら自治活動を続けていられる。
だいたい死傷者でたら補充は?兵糧はどう確保する?軍資金は?
自治体そのもののの管理は?
479 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:53:03 ID:qbzaFV3i
>>478 当時は老人比率も現在より低いから戦闘可能な人員の比率は多いだろうな。
余裕だろ。実際それで戦ってるんだから。死傷者関連も普通の戦闘とかわらんだろうな。
兵糧も軍資金も長島に確保されてる分で戦える。
自治体の管理も問題にならん。
実際それで長島が織田勢と何年も激しく戦ってた史実を無視して何を言っているのか。
史実さえ無視か?
480 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 13:58:19 ID:NDMP0CYN
だから地元で抵抗活動続ける分には十分だよ。
問題は地元をはなれて大規模な軍事活動行う余裕があったかないか。
そんなものはなかったのが史実。
481 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:00:08 ID:qbzaFV3i
>>480 実際に尾張でも美濃でも行動してるんだが。
何をもってそんな事をいってるんだ?
大規模な行動はやる機会がなかっただけだろう。
できない理由を資料に基づいてあげてもらえるか?
482 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:05:37 ID:IpCWcqzO
ダブスタダブスタ
483 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:08:10 ID:qbzaFV3i
困ったときには相手の反論も無視してダブスタとだけわめくのが
セオリーなのか?織田厨の。
484 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:09:34 ID:NDMP0CYN
ダブスタであることに弁明はないの?
485 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:11:11 ID:qbzaFV3i
>>484 そもそもダブスタじゃないからな。
どこら辺がダブスタなのかわからないと反論しようもないし。
とりあえず相手に質問ばかりしてないで
>>481にこたえてもらおうか。
486 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:16:56 ID:NDMP0CYN
できない理由なんてそりゃ経済力の一言で済むんだがな。
それじゃ君は納得しないでしょ。悪魔の証明のようなもんだ。
487 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:21:08 ID:qbzaFV3i
>>486 全然資料的な説明になってないぞ。
資料では君の主張に反する事ばかりなんだが。
とりあえず資料に基づいて説明してくれ。
駄々をこねてるようにしかみえんぞ。
488 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:34:34 ID:Q7+n6mYv
尾張美濃まで侵攻って書いてるけど まるで尾張の端まで、美濃の中心部まで侵攻した みたいな書き方だな
長島の話になってから特にインチキ臭くなってきた。
長島に10万人いりゃ2万の戦闘員余裕とか もうアホとしか・・・。
489 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:35:58 ID:NDMP0CYN
そもそも長島地域って美濃や尾張の三川流域付近も含めるんですけど。
490 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:38:29 ID:/vW2bZlr
長島の人口十万ってのがまずどこから出てきた数字だ?ソースよろしく。もちろん、ソースの証明もね。
それに「長島の一揆」が尾張でも美濃でも?たしかに尾張にも美濃みの一向一揆が活動した記録はあるが、
その全てが、長島から遠征で出てきた軍勢だと?そう主張するのならソースよろしく。
また過大解釈が出たよ。
・尾張で一向一揆の坊主が戦死した
↓
・長島の一向一揆が尾張まで遠征して戦闘をしていた!
491 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:40:28 ID:NDMP0CYN
だいたい人口の一割でも過剰負担なんだがな。
いわゆる万石あたり250人ってのは1万人の人口を食わす米がとれる生産力に対して250人の計算だから。
人口あたまの動員率2.5%での計算法なんだよ。人口あたま20%の動員率ってどんだけー?
492 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:44:34 ID:qbzaFV3i
>>488 実際阿呆な理由が述べられていないが。とりあえずあげてもらえるか?
>>489 >>491 お前はとりあえず
>>487に早く答えろ。
>>490 印象操作はやめときな。
尾張にも美濃に長島の砦がある事は何度も言われてるだろうが。
長島が尾張美濃で活動してないならその尾張美濃で活動した連中はなんなのやら。
ぎゃくにできない根拠を資料に基づいてあげてみろ。
長島周辺の石高がまず10万石から18万石。
これで人口をみれば余裕だが。
493 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:52:12 ID:NDMP0CYN
なら10万石〜18万石相当の独立勢力として扱えばいいじゃん。>伊勢長島。
つうか俺は昨日そうしろというようなレスをした覚えがあるのだがな。
まあ浅井とどっこいぐらいの規模か。実戦力としては二万は無理。いいとこ5000.
494 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:58:06 ID:qbzaFV3i
>>493 だからお前の予想と明らかに現実は違うんだが。
史実で戦ってる戦力はそれを明らかに上回ってるんだが。
495 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:02:07 ID:NDMP0CYN
防衛戦ならそりゃ動員率上がるでしょ。それは武田も織田も同じ。
単に大名勢力の戦力をこのスレでは石高計算に基づいて概算してるんだから
長島もそうしろってだけの話よ。
496 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:04:28 ID:Q7+n6mYv
だからと言って常に2万人動員出来る事にはならない
わかるよね? 意味?
497 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:05:12 ID:qbzaFV3i
>>495 一揆勢は皆兵状態だから動員率が大名とは違うんだろ。
加賀一揆なんか30万で朝倉攻めてるし。
30万を誇張だとしても一揆勢が並とは違う動員力を持ってる例証にはなるな。
498 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:06:19 ID:qbzaFV3i
>>496 その言い方ならその気になればできるって事でいいんだな?
499 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:08:39 ID:NDMP0CYN
織田や武田の5万とか2万って数字は普通に無理なく動員できる兵隊の数よ。
後先考えずに搾り取れば倍ぐらいは数出せるけどそんなことやってたら持たないからやらない。
長島の2万は基本防衛戦だからそれこそ後がないんで無理に動員かけた数。
それにしたって人口規模からすると大分誇張されてる気もするけどな。
500 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:11:40 ID:NDMP0CYN
>>497 一揆も人の子ですよん。そんな大名の何倍もの動員率をずっとかけ続けてたら内部から先に崩壊するわ。
501 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:13:06 ID:Q7+n6mYv
2万人を動員出来る ってのは動員維持出来るって意味なのね
長島には一時的(非戦闘員や準戦闘員、職業軍人、浪人、乞食、犯罪者含む)に動員出来ても
それを維持出来る生産力も経済力もない
502 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:13:39 ID:qbzaFV3i
>>499 だから何度も言わせるなよ。
長島2万は最後に大勢が殺された虐殺の後でも城に残ってた人員の数なんだが。
第2次、第3次で失われた多くの戦力が信玄死去時には失われてないんだから
どうみても2万以上だが。
503 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:13:56 ID:NDMP0CYN
>>497 30万の一揆を概算兵力1万2500の朝倉はなんで防げたの?
つうか加賀の全人口に近くね?30万って。
504 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:15:03 ID:qbzaFV3i
>>501 郷村の力を結集するのだから無理でないと思うが。
そうでなかったら加賀一揆が30万で朝倉を攻めてる事が説明つかん。
誇張ありでもな。
505 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:16:17 ID:qbzaFV3i
>>503 名将朝倉宗滴が野戦でこれを撃破したからだが。
その朝倉の兵力も2万な。
506 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:17:12 ID:NDMP0CYN
だから当時の加賀の総人口に等しい数がどうして攻めてこられるんですか?
その1/25の兵力の朝倉がどうしてそれを防げるんですか?
507 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:18:43 ID:qbzaFV3i
>>506 朝倉先生にでも聞いてくれ。
てか寡兵で大を蹴散らすとかいうのは織田厨大好きな話だと思うが。
朝倉の兵力は2万だと言ってる。その戦いでも。
加賀の人口って石高すると50万くらいいそうだが。
508 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:19:04 ID:NDMP0CYN
それなら長島が20000でも織田が3000も抑え置いとけば十分ってことだな。
509 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:20:05 ID:Q7+n6mYv
宗教絡むとインチキ臭くなるな マジで
信長が大虐殺したくなるのも少しはわかるよ 宗教かぶれは人間界の癌だよ
510 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:26:31 ID:NDMP0CYN
あと朝倉が2万だせるなら織田は8万はだせるね。
511 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:27:02 ID:qbzaFV3i
>>508 そりゃないな。
朝倉宗滴ほどの名将はいないし。
>>509 その宗教に金をたかりに信長がいったのがこの戦いの原因だが。
512 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:27:55 ID:qbzaFV3i
>>510 国力疲弊を前提にするならな。
朝倉は国力疲弊を前提にして信長はそれ抜きとかいうなよな。
513 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:30:42 ID:Q7+n6mYv
お前は戦国時代より三国志の方が向いてるよ
514 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:32:44 ID:qbzaFV3i
515 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:33:31 ID:NDMP0CYN
実際守るだけなら相手の半分もいれば十分だよ。
防衛戦で2万がやっとこ(それも眉唾だが)の長島じゃ侵攻戦で出せるのは(後先考えない無理をしても)1万もあればいいとこ。
5000もあれば十分に防げるな。
516 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:34:58 ID:qbzaFV3i
>>515 だから何度いわせるのか。
その長島2万はさんざん虐殺されまくったり拠点を攻略されまくった後で
最後に城に残っていた連中だと言ってるんだが。
2万の戦力は出せるだろ。どう見ても。
517 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:36:20 ID:z6VBwSOK
>>512 それを言うなら武田の2万5千人動員による長期出兵も国力疲弊という事になるんじゃね?
当面は背後への心配が低いとはいえ、国内要所へのある程度の守備は必要なわけだからね。
織田だって本当に窮地に陥ったら多少の国内疲弊なんて考慮せずに朝倉の様に動員率上げてくるんじゃないか?
518 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:39:33 ID:qbzaFV3i
>>517 武田は2万5千以上出し始めたのはまだはじめだがな。
第一織田は畿内の不安定な箇所からでも大軍を動員できるか疑問だが。
519 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:40:40 ID:NDMP0CYN
人口と動員率というものを君はよく考えなさい。
一揆も人の子。あんまりムチャな動員かかれば離反相次ぐわ。
支配者の過酷な支配に抵抗する側が余計に過酷な支配を行ってどうするよ。
520 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:41:26 ID:qbzaFV3i
>>519 だから実際に出してると何度も言ってるだろうに。
521 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:41:40 ID:NDMP0CYN
>>518 テンプレはその不安定な箇所を省いて50000と見積もってるんだが。
522 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:46:03 ID:z6VBwSOK
>>518 別に畿内から無理な動員をする必要も無いと思うんだが。
朝倉が越前一国+若狭数郡?で2万を動員したというのなら、
織田方だってそれぞれ上記と同程度の石高国力を持つ尾張・美濃から
それぞれ2万ずつ動員するのは可能なんじゃないのか?
523 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:46:04 ID:qbzaFV3i
>>521 近江とか畿内とかかなり動揺してるが。
まあ外出する。
524 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:52:27 ID:NDMP0CYN
人口4000万人当時の日露戦争のときの日本の動員兵力が100万だ。
動員率っのは人口の1/40がだいたいの相場。
その相場の8倍なんてどれだけ苛烈な支配なんだよ。
3倍でも死ぬるわ。
525 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 15:56:14 ID:Q7+n6mYv
もし長島が2万人も動員出来る軍事体制を敷いてたら誰も入門しねぇw
入った瞬間成人男子は軍人 女や子供は20%もの軍事活動維持の為に死ぬほど労働w
トップはこの世あの世と説法たれる そりゃ次の世界は極楽だろ
526 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 16:01:01 ID:NDMP0CYN
太平洋戦争末期の日本でも動員率は1割に届かないんだけどな。
開戦当時は3%強。
527 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 16:04:39 ID:z6VBwSOK
俺はそこら辺の知識は皆無に等しいからよく分からんのだけど、
戦国期と近代期との動員率を単純に比較してもいいものなのか?
あと一向一揆については国内の疲弊だとか後先考えずに
動ける門徒は女も子供もとりあえず全員集まれみたいに総動員掛けてるんじゃなかったっけ?
528 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 16:25:54 ID:NDMP0CYN
一揆も超人じゃない。人間の集団。
人間の集団が生活維持するには当然生産活動行わなきゃいけない。
軍事に人を割けばその分、当然ながら生産人口は減る。
その減った分の人口で全体の生活を支えなくちゃいけない。
当然軍事の比率が高ければ高いほどそのしわ寄せもデカイ。
つまりはそういうこと。
529 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 17:49:25 ID:NBkXVNoa
ID:qbzaFV3iはアホなの?
530 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 19:10:28 ID:/vW2bZlr
>>516 だから何度もいっているだろ。その二万という数字は、老若男女全てを合わせて
最後の砦に追い詰められた人数だと。
逆に言えば、それまでの戦いと被害で、成人男性は死亡か負傷しており、最後の
砦に集まった人数は、常識で考えれば、通常よりも足弱(女子供老人)の比率が
高まっていたと推測できる。
531 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 19:20:41 ID:OsNHiKW6
>>473 憶測っちゅうかなあ
試しに友人にでも聞いてみな、俺の例でいいからさ
どっちを信用する?って
ほぼ間違いなく史料を基に算定した方を採るから
お前が何日計測したところで、信憑性は算定されたほうにあるっていうから
記録にいくらかかれようが、それが土台無理な話なら、その記録の記事は信憑性が無い
一切の検証をムシして、記録に書かれているからと盲目的に信じるのはどうなのよ?
まして兵数なぞ水増し上等のあやふやなものを?
そういや、島津は朝鮮の役で物凄い数の人間を切り殺していったという記録があるが、あれも信用するんかいね?
532 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 20:21:00 ID:LWJTKB4i
コテつけて語って欲しいなダブスタさんは
533 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 20:27:15 ID:NDMP0CYN
資料の記録で兵数ほど信用ならんものもないからな。
・当時は相手軍の実数を把握することは非常に困難。
・自軍を水増してみせかけるための喧伝は茶飯事だし雑用員やら非戦闘員を含めたドンブリ勘定が常。
・更に後世に書かれたものはとかく数をやたらと誇張したがる。
だから大抵は生産高を元に推定してるのよ。
一揆は大名と違って皆兵だとか言っても国民皆兵と言われてた太平洋戦争の末期でも
当時の人口7000万に対して動員数は640万。実際は朝鮮半島や満州からも兵隊集めてるだろうから
その分の人口足すと動員比率はもっと下がる。時代が違うとは言えどかなりギリギリの状況でも
人口に占める動員の比率はまず1割は超えないんだ。
10万の人口から2万の兵士を継続的にひり出すのがどれだけムチャかは分かるだろう。
534 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:13:58 ID:H2qFYcwX
一揆と日露戦争や太平洋戦争を比べている奴って、兵一人当りのコストの差を考えないの?
竹槍や農具で自力で移動できる距離を戦う一揆と、銃機を持って海外に派遣する軍隊なんて、コストが全然違うだろ。
535 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:22:11 ID:NDMP0CYN
ついでに今現在、正規軍人員の人口に占める割合が世界一高いといわれている北朝鮮が人口2300万に対して総兵力120万。5%強だな。
それを考えると10%なんてかなりの極限状態。20%なんて集める前に内部崩壊起こすわ。
536 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:33:47 ID:NDMP0CYN
>>534 それを言い出すと織田も武田も〜って話になるからね。
単に諸大名が動員率2,3%の勘定でやってる中で一揆は信仰心があるから動員率20%可能なんてのは通じないってこと。
537 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:40:53 ID:NDMP0CYN
あと中央集権の進んだ近代の方がむしろ国家総動員体制になることが多い。
538 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:51:57 ID:mgz2O3zg
>>536 戦国大名の動員はキッチリ装備整えて継戦能力を考えての数字。
また軍役を課される農村側もそこまでなら出しましょうという数字。
自発的に動く場合に武器も食料も自弁なら、数字は全く別物になる。
539 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:46:35 ID:6jBLPzY9
尾張刈安賀で勝佑・信佑が戦死した件だが、
上のHP読むとソースの原文の詳細は不明でその土地で戦死したということしか判らない、
また死んだのは9月29日長島の滅亡時の話
信長の長島への攻撃を見ると、周囲の土豪の降伏、長島の周りの砦を攻撃、そして長島の完全包囲と移行している、
もし尾張で長島にそれなりに協力する勢力がいたのであれば、とっくに攻撃されているはずだと思う。
9月29日というと
一部の一揆衆が長島の包囲を突破して逃げ散った日、
逃げ散ったものの一部に
勝佑・信佑がいて刈安賀まで逃げたがそこで戦死したか、
逃げ散ったものが刈安賀まで逃げて
勝佑・信佑らが彼らを保護しようとしたため織田軍に
討たれたと考えるほうがまだ自然じゃないかと思う。
それまで勝佑・信佑が中立を装っていたが長島が滅亡しそうになってから織田に敵対するなんてことは無いだろうし。
あとは中立を装っていたが、9月29日になって、一揆勢から勝佑・信佑らが長島に協力している事実を知って、
この時になって、ようやく攻撃対象とされたとか。
>>457 海津も1560年代前半は支配していたとは言い切れないし
二俣も信玄が死んだせいもあってか周囲は敵
岩村も翌年勝頼が18支城落とすまでは恵那郡で孤立していて敵地といえる、
秀吉も近江坂田郡を支配地域においているので普通に軍役で召集できる。
それに上の方で当時の軍制では領地に帰らないと無理みたいなこと言っていたが、
春日依田秋山にしてもその領地は甲斐や信濃にあるわけで、上の理屈によるなら
そこ出身の兵はやっぱり補充は出来ないってことになるんじゃないかと?
>>533 同感
長篠合戦など、両者の兵力は実際は織田1万2000〜1万3000、徳川4000〜5000とし、武田8000〜1万でその内、設楽原へ布陣した兵数が6000〜7000と
高柳氏が述べているが、それが事実なら、織田武田徳川すべての史料が兵力を誇張していることになる。
だから長島に関しても織田本願寺ともに誇張していると考えるほうが自然なのでは。
540 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:51:11 ID:OslZJ+Zk
武器が手製の竹やりや鍬や鎌など自前で用意するとすれば問題は食糧のみ。
元々年貢として作物の半分を領主に取られていたとして、
残り半分の作物で暮らせていたわけだ。
ものすごく単純計算をすれば、領主に年貢を取られないなら動員率50%で半数が農作物を作り半数が戦っていても成り立つ事になる。
もちろんこんな単純計算が行われているわけは無いが、動員率20%が不可能な数字かと言うと不可能じゃないだろう。
541 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:59:17 ID:6jBLPzY9
>>540 >武器が手製の竹やりや鍬や鎌など
そんな武器だと数はあっても戦力としてはいかがなものかと。
とはいえ当時の農民はそれなりに武装をしていたらしいので、問題ないだろうが。
壊れたり矢玉を消耗した場合にすべての人間に補給しきれるかは別問題だが。
542 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 23:31:13 ID:/vW2bZlr
>>540 ところで、長島だけで人口10万のソースまだ?
それと、人口の50%って言っている意味判っているか?人口ってのは、赤子、幼児、
子供、青年、中年、老人、全て合わせて、克つ男女がだいたい半分づつなんだが?
仮に人口10万で5割というと、全て男にした場合でも、やはり赤子から老人まで含めて
五割5万にようやく届くわけなんだが。で、男手をそうやって全て兵士に出した場合、
女手だけでまったく同じ労働して同じ生産量を保てると、正気で考えているのか?
だとしたら、ソ連や中共の、おバカな共産主義者たちが机上の計算だけで地上の楽園
を造れると判断した、脳内お花畑の現実をまるで知らない低脳の所業だとしか。
五割の兵士にしたって、赤子や幼児や老人を戦わせるのか?
仮に二割だとしても、男の青年中年という働き盛り全てを動員しても足りるかどうか。
それで同じ労働ができると?
とりあえずこの発言でいえることは。
おまえ真正の馬鹿だろ。残念だったね、50年前のソ連か中共か北朝鮮にでも生まれて
いれば、天才ともてはやされたかもしれないね。
543 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 23:46:54 ID:OslZJ+Zk
>>542 >ところで、長島だけで人口10万のソースまだ?
さぁ、上で10万から18万と言っているで間を取って14万としたかったが、
織田派の人間も10万と言ってるので合わせただけ。
ところで、
>もちろんこんな単純計算が行われているわけは無いが、
これ読んでる?
544 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:08:01 ID:gZ+5UTBK
朝倉や本願寺・長島がそれぞれ二万の兵出せるなら
この六万と他の三好や松永達と共に動いて史実の武田が引き上げた状態でも
兵力にものをいわせ織田を倒せてると思うし
その後の長島や本願寺が包囲網勢力の朝倉や浅井、三好達が撃退されていくのを
ただ見ていた状況を見てもダブスタ君が主張する
本願寺・長島の遠征可能兵力、遠征能力は大いに疑問
というかそんな力はないから織田に負けたと史実が証明してる
545 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:41:53 ID:72WLziJ6
長島一揆に攻められて信長の弟が自害してない?
546 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:47:14 ID:gxDCKl5D
547 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:58:52 ID:pyWXng7h
>>544 内容にも突っ込みどころはあるのだが、それはそうとして君はダブスタと言う言葉の意味を勘違いしていないか?
ちょっと君の言うダブスタと言う内容を説明しては見せてくれないだろうか。
548 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 00:59:35 ID:7pA77kHh
>>540 不可能だよ。年貢を納める先が領主が自治組織かってだけの話だ。
仮に五公五民として収めた五で領主が治世を残りの五で再生産をするわけだ。
軍事を含めて行政を行うための五が必要なのは変らんわけ。
549 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:03:00 ID:7pA77kHh
一揆に対してだけ人口比20%動員可能なんてトンデモ言うからダブスタ言われるのさ。
一揆にできるなら他のどこも似たようなことはできる。
550 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:04:47 ID:7pA77kHh
まあ五公五民つっても実際の税率は20%ぐらいだそうだけどね。
あくまでも課税対象所得の5割だから。
あまり酷いことをやりすぎると天草の乱のようになる。
551 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 04:36:07 ID:nG5tFHCk
>>545 長島の対岸の城が攻められたやつ?
1、2キロ移動するのに遠征能力はいるまいよ。
552 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 07:06:38 ID:G5qowSsF
1、2キロなんてサラリーマンが自宅から駅まで歩いていくような距離だしな。
553 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 08:02:56 ID:pyWXng7h
>>548 領主の場合は、軍事・行政・自分達の武具・配下への手当て・家族達への生活費を全て含めてで、
一揆はほとんど軍事じゃないのか?
>>549 一揆は大名と条件が違うでしょ。
条件が違うので結果が違うのは当たり前。
条件が違うものを一緒に考えろと言う方が訳分からん。
>>550 農民はすべて課税対象じゃないかな。
554 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 09:37:24 ID:55JfAS0Y
>>553 何をいっている?おなじことだ。
一揆に行政はないとでも?自分達の武具、配下への手当て、家族達への生活費が
必要ないとでも言うのか?
一ついえることは、あなたは一揆とかゲリラとかそういった存在にドリームを
抱きすぎ。現実とはかけ離れている。
555 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 12:36:38 ID:C5icpxW/
長島は豪族たちの反乱だと言いたいのかな?
豪族たちも参加していただろうけど、主体は百姓だろう。
百姓に行政が無いのではなく、百姓の行政には多額の費用なんて掛からないと言うこと。
何か人手が要るなら自分達でやるんだから。
武具なども金の掛け方が違うし、家族も武家のように生産せず消費だけの存在じゃないし。
556 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 13:59:00 ID:WqN/k17K
>百姓の行政には多額の費用なんて掛からない
百姓の国のお隣の中国を見て同じことが言えるのかな。
557 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 14:05:22 ID:WqN/k17K
>>553 実高と表高は異なるものだし、農村の収入は田畑によるものだけとは限らない。
>長島は豪族たちの反乱だと言いたいのかな?
実際そうだよ。百姓の持ちたる国つっても取り仕切ってるのは国人か大地主たる豪農ないしは荘園もってる寺社。
支配者の名義が違うだけ。
558 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 14:11:52 ID:WqN/k17K
現実にある自称『労働者の天国』を見ればだいたい想像がつきそうなもんだけどねえ。
所詮、人の集団のやることなんてどこも一緒よ。
559 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 17:00:40 ID:qYA6ZRBj
ダブスタ痛すぎ
560 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 19:06:32 ID:55JfAS0Y
武士を生産しない消費だけとかいったり、なんとなく思ったことは、
白戸三平の漫画に脳をやられた人なのかな?
つかね、そんな不効率な行政じゃあ余計に費用がかさむだけだわな。
561 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 19:48:24 ID:fD3xRcM6
武田派は信玄だけじゃなく
包囲網の力も過大評価しすぎだな
そりゃ上洛出来るよww
562 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 19:57:32 ID:2zhk9iG9
一気に攻勢にうつれるような戦力あったらそもそも数ヶ月で滅亡しないっての。
武田の撤退がトドメなのは確かだが本当に十分な国力があれば一年はしのげるって。
563 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:23:13 ID:gRnI0D4Q
>>524 そりゃ違うな。
現実問題として日ロ当時は兵器や装備が戦国時代とは
比較にならないほど金がかかるようになった。
それでもって一揆を当てはめるのは間違い。
564 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:26:11 ID:gRnI0D4Q
>>525 普段は普通に周辺地域と一体化した宗教として生活してるよ。
そしてその教義を害する者たちに対して行動するというわけだ。
実際その教義による共同体は地域の住民たちにとって大切なものだが。
>>526 だから違うって。近代戦争と戦国時代の一揆じゃ明白に軍事動員の条件が異なる。
565 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:27:29 ID:gRnI0D4Q
>>528 現にそのしわよせ覚悟で動員を行って戦い抜いてるんだけどな。
大名の軍隊とは構造が違うんだよ。
>>529 あほな理由を説明してみ。
566 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:29:14 ID:gRnI0D4Q
>>530 足弱の比率が高まってる理由にはならんと思うが。
第一それまでに死んだ一揆勢の虐殺や攻略された拠点の規模からいえばどうみても
2万程度の成人男子はかたい。
567 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:31:57 ID:gRnI0D4Q
>>531 その史料とやらがお前の独断だろう。
どう見ても諸記録と人口規模から見た一揆勢の動きは矛盾しない。
長島周辺で10数万いるならどう見ても2万程度は堅いが。
お前の言ってる例は恣意的すぎて話にならん。
568 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:35:18 ID:gRnI0D4Q
>>532 とりあえずどこがダブスタか言ってみ。
>>533 それをいうなら古代ギリシャのアテネは市民人口3〜4万といわれているが
1万の市民兵を出しているんだが。
皆兵制でいくなら前近代なら十分兵力で人口の3割は出せる事になる。
569 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:39:27 ID:gRnI0D4Q
>>535 だから近現代と前近代じゃ動員の事象が全然異なるんだが。
>>536 大名というのは税金の範囲内で活動する統治勢力。
対して一揆勢はその地域全体で活動する勢力なんだが。
全然あてにならなそうだが。
>>537 それはない。近代のほうがコストが高いからな。
古代ギリシャのポリスを見るまでもなく、皆兵制度をとれる共同体は存在している。
570 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:42:46 ID:gRnI0D4Q
>>539 秋山は岩村周辺を支配下においてるし、
春日は川中島周辺全体を統治する武田家最大の軍事動員数を持っている。
二俣も強固に支配されてるぞ。
仮に半分と見積もっても一揆勢が数万単位なのは変わらないはずだが。
571 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:47:26 ID:gRnI0D4Q
>>542 相手を間違えているぞ。
俺と
>>540の人は完全な別人ね。
相手が一人だけだと思うなよ。
だから長島周辺の石高が10万から18万なんだから
それで人口計測すりゃ普通にいくだろうが。
とりあえず古代ギリシャのポリスを例に見るまでもなく
一致した信仰や信条をもった共同体はその自発的な参戦によって
通常を超えた動員を可能にする。
大名で似たような例をあげるなら長宗我部とかいるな。
これも土佐一国+aからはあり得ない動員力を誇ったな。
572 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 21:05:20 ID:gRnI0D4Q
>>548 そりゃないな。地域民衆一帯を教義によって統率する宗教地域共同体組織なら
その5に対し地域住民の5が加わるな。
>>549 実際できるんだから仕方ない。
大名組織とはまるで別物の組織だと言ってるんだが。
いい加減一人認定はやめたほうがいい。
>>551 ただ美濃や尾張内部にまで浸透してるんだけどな。
いざとなれば動けそうだが。
>>554 まあ実際自発的行動が多いからな。
宗教門徒達の本尊に対する奉仕はすごいぞ。
あちこちから陰に日向に支援して物資送ったり金送ったり。
>>556 あれは百姓の国じゃないだろ、どう見ても。
どれだけ時代をさかのぼっても中国を百姓の国なんていえんと思うが。
少なくとも一揆的な意味では。
>>557 いやいや。そうではないな。
現実問題として豪族連合とは明らかに違う地域共同体による戦争協力が
起きてるんだけど。
>>558 「労働者」と「百姓」はまるで違うぞ。
あの国を出して何を例示したいのかそもそもわからんし。
>>559 痛い理由をあげてみな。
っていうか相手が一人だとは思ってないよな?
>>561 織田派は逆に過小評価しすぎだがな。
こんだけ敵対勢力を過小にみればそりゃ勝てるわ。
>>562 数か月で滅亡したのは朝倉だけ。それも刀根坂のラッキーパンチがあった事と
信玄撤退で計画がつぶれてがっくりしてしまった事を無視するなよ。
573 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 21:18:44 ID:NOa/8rEq
しかしなんだな
長島周辺からそんなにかき集めていたのだとしたら、周囲は無人状態みたいな感じになっていたのかね〜
574 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 22:43:08 ID:WhmjSlXi
古代ギリシアは生産活動は奴隷階級が担っていたよ。
市民階級だけで軍が構成されてた。三万人の市民はいわばみんな武士階級なわけよ。
それでも手が足りなくなると船のこぎ手とかに奴隷階級つぎ込んで、
つぎ込まれた奴らが準市民に昇格してったんだがな。
575 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 22:55:43 ID:WhmjSlXi
それと重ねて言うが資料の記録で兵隊の数ほどあてにならないものはない。
時代を遡れば遡るほど信憑性が薄い。
576 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:03:24 ID:WhmjSlXi
>>568の例で言うならその3〜4万人は選挙権を持ってる両親共にアテネ市民の成年男子の数ですよん。
奴隷を含めた当時のアテネノ人口は20万人。1万の市民兵なら人口比は5%だ。
577 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:27:41 ID:WhmjSlXi
ああ、ちょっと間違えた。船子のこぎ手は奴隷じゃなくて無産市民だった。
実戦闘員として戦える有産市民はアテネ20万に対して15000。最大7.5%だな。
だいたい江戸時代の武士階級の比率と同じぐらいだな。
それにしたって全部から全部つぎ込むなんて真似はそうそうできない。(国家存亡のときならまた別だが)
常備的な兵の人口比率はこの時代もそんなに多くはないわけね。
578 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:31:37 ID:0rIunulW
信玄厨は本当に痛いな
長島で2万、浅井5千に朝倉2万それに幾内の義昭中心に松永本願寺三好残党六角残党
あれ?信玄いらなくね?
579 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:38:12 ID:gRnI0D4Q
>>574 違うな。
アテネにおける奴隷と市民の構成比は市民階級のが多いくらいだ。
しかも一万は陸軍のみでしかもアテナイ勃興期のマラトンの戦いだ。
これならどうみても一万の動員率はそっちの理屈を超えている。
>>575 兵数があてにならないという割には結構アテナイの数字を信じてるみたいだが。
どっちなんだ。
>>576 だからマラトンの戦いの時期ならそんなにいないんだが。
>>577 上でも述べているんだが
なんでアテナイ最盛期の社会構成比でもってアテナイ勃興期のマラトンの兵力を
くらべてるんだ。
>>578 一番痛いのはお前だが。
それに信玄くわわりゃ十分勝てるな。
580 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:40:33 ID:55JfAS0Y
全ての武田厨がそうだとは思わないが、ここまで来るといっそ可哀想になってくるな。
自分の無知無能による間違いはいっさい認めず、他人からの解説反論にいっさい耳を
貸さず、己のダブルスタンダードな主張には全く気付かず。
581 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:44:27 ID:WhmjSlXi
彼はきっとスレを盛り上げるためにあえてそうしてるんだよ。
温かい目で見守ってあげようよ。
582 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:45:48 ID:gRnI0D4Q
>>580 そのダブルスタンダードを一回も説明された事はないんだが。
どうせできないんだろうけど。
>>581 反論なしならそれでも結構だがね。
583 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:48:16 ID:WhmjSlXi
つうか人口の四割が奴隷で一割が余所者。市民が五割らしいけどな。<アテネ
その市民で成年男子はその1/3ってとこじゃね?軍の主力の有産市民はもっと少ない。
はい。論破終了。
584 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:51:25 ID:gRnI0D4Q
>>583 全然論破になってないと言ってるんだが。
マラトンの戦いはアテナイ勃興期なんだが。
アテナイ最盛期でもない状態でそれならそちらの主張とは明らかに食い違う。
しかもなんで有産市民だけに限る?他の市民も立派な戦力だが。
585 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:55:21 ID:WhmjSlXi
実際に武器もって戦うのは有産市民だけの権利だからだよ。
無産市民には戦争に関わる資格がない。だから有産市民より権利が落ちるのさ。
それでもペルシア戦争では漕ぎ手足りないから漕ぎ手としてのみ無産市民が戦争に関わることが許された。
それに伴って彼らの権利も拡大されていったわけなんだけどね。
586 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:57:29 ID:gRnI0D4Q
>>585 つまりその理屈ならアテナイはペルシア戦争序盤のマラトンでは
無産市民抜きでも有産市民だけで1万の兵を出したわけだな?
これに無産市民が加わるならさらに兵力は増大し、そちらの主張と明らかに
食い違うんだが。
587 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 23:58:47 ID:WhmjSlXi
戦争に関わることのできる人間に支配階層としての権利が与えられる。
これ世界史の基本なんだけどね。
588 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 00:00:10 ID:WhmjSlXi
だから無産市民は戦闘する権利が与えられてないんだって。
589 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 00:00:22 ID:WCmxhBha
590 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 00:01:56 ID:WCmxhBha
>>588 自分で書いてるだろう。
無産市民は補助兵員として参戦してると。
そしてそれから彼らの権利と活動の幅が広がったと。
補助兵員は立派な戦力だが。
591 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 00:45:46 ID:IXgzjuOP
>>586 それが国家体制だからだよ。あなたの頭の中にしかない体制を、古代ギリシャやら
戦国時代日本に当てはめてもなんにもならない。
>>590 その無産市民を補助兵員として参戦させること自体が、異例であり国家体制からは
本来やりたくはない事態だったんだよ。何故なら、生産階級を兵士としてひっぱれば
それだけ国家の生産力が落ちるのだから。
アテネにおいて無産市民を徴兵することは例えるなら戦国日本で、兵役(徴兵人数)を
引き上げられるようなもの。そんなことをやられたら、生産基盤が傷つき、下手すれば
破壊されるから。
592 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 01:15:20 ID:fnafUcOQ
>>591 >異例であり国家体制からは本来やりたくはない事態だったんだよ。
つまりそこまで切羽詰まればやるって事だろ?
どうして、それで出来ないとう結論になるのかが分からん。
593 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:07:24 ID:J/vQGU9j
>>592 だから信長になで斬りにされるときに初めて二万人で攻勢に出たんじゃないの?
594 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:12:49 ID:WCmxhBha
>>591 全然答えになってないな。
そっちの主張する国家体制と明らかに矛盾が出てるのに勝手に
あてはめられてもどうしょうもない。
全然異例とは思えんが。実際その後で無産市民たちの権益は拡大していく。
しかもこのとき無産市民たちが動かした戦力は生半可なもんじゃないんだが。
ギリシャ最高にして最大、テミストクレスをして「アテナイはそこにある」と
いわしめ、ペルシアをうちやぶる原動力になった巨大艦隊を動かした人員達を
戦力とみなさないだの、異常事態だの言ってもおかしすぎるんだが。
595 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:13:14 ID:yL5rsM6z
で、何で長島だけが全人口の20%も軍隊に出来たのに、その革命的な軍事体制が一切他国に伝わらなかったんだ?
味方である武田や毛利、石山にも伝わってない。
でもって、その素晴らしい革命家を称える文書も一切ない
お前の言ってるのが事実なら日本どころか世界規模の軍事革命であり農業革命なんだがね。
もう、非戦闘員や身の回りの世話してくれた女子供も含めた人数でした。
って、言っちゃった方が良いと思うよ。マジでみっともないから いい大人が意地張ってさ
【【長島だけ特別特別 信仰の力で可能可能 って、信じてもらえると思う? あなた自身で冷静に考えて?】】
596 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:17:16 ID:WCmxhBha
>>595 また一人認定でもしてるのか?
俺と
>>592は別人なんだがな。
革命的な軍事体制?笑止千万。
一揆に取ってこんな体制は革命的も何もない普通の体制だが。
一揆勢における皆兵制度なんざ世界でありふれた存在だが。
ろくに戦国時代史も世界史も知らないで吹いてるんだろうがな。
でなけりゃ一揆達と戦った側がいずれも膨大な人員を相手にしてる事を記録してるのが
わからんな。一つ二つの例じゃないんだよ。一揆勢は大軍で押し寄せてくるのが常なんでね。
長島だけ信仰で特別なんて言ってないがな。一揆勢のありふれた特徴だといってる。
597 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:35:01 ID:IXgzjuOP
皆兵制度の意味がまったく間違っている…
598 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:42:48 ID:ycQPKGND
でも織田派の人もいい加減一人認定はやめた方がいいと思う。
見てて痛い。
599 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 02:54:43 ID:powYkA/n
織田厨こそ自演バレバレ
600 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 04:17:35 ID:N7jf1D9W
石山本願寺や長島どちらも二万の兵を遠征に出す力が本当にあるなら
武田の侵攻は頓挫したとしても織田への五月反攻をやめる理由が別にないんだよ
他の包囲網勢力は健在だし、武田派の言う兵力なら織田に勝っている
この条件で他の包囲網勢力と織田領へ出兵していれば
志賀の陣の時のように織田を追い込み
織田を武田軍抜きでも攻め滅ぼす可能性もあっただろうに
なぜそれをしないのか?
答えは簡単そんな兵力での遠征は不可能だから
だからこそ武田軍を頼りとした、だから包囲網勢力は織田軍に各個撃破され滅んだ
志賀の陣の時も長島は遠征と呼べるほど離れていない間近の小木江城、桑名城を落とした程度
二万も遠征に出せるなら、織田主力のいない尾張に侵攻し城をもっと落としていてもおかしくない
石山本願寺も比叡山延暦寺に籠もる浅井・朝倉の援軍に京まで遠征し織田を叩いていてもおかしくない
しかしそんな兵は出ていないのだ、9月23日に織田は摂津から兵を退いており和睦まで
十分な期間があったにも関わらずだ
これらの織田の危機といえる時に石山本願寺、長島が大した動きができていない事は
つまり長島も石山本願寺も自領防衛のみの大兵力であり、大兵力での遠征はできない証拠だといえる
601 :
>:2008/12/25(木) 10:17:34 ID:XKnSOlJC
武田厨っていうか本願寺厨ってすげえと思う
602 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 11:24:51 ID:a5GD25NT
一人認定はやめた方がいいっていうがこんなバカな妄想並べるのが武田派
に複数いるとは思いたくないんだがな
603 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 13:00:57 ID:ItnvY97P
まあアレな人が二人いるとしよう。
つうかアレな人、二人以外に武田派いないの?
604 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 13:21:41 ID:82CB6yTS
本願寺の一揆衆については、遠征能力よりも寧ろ、「郡中」単位での
動員範囲のほうを重視したほうがいいんではないか?
非常に広域での動員が可能なのが門徒衆の特徴なんだし。
605 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 15:13:38 ID:cpCcOmjp
>>600 確かにそうだよな。
武田が撤兵したからといって、再び武田が来るまで織田が待ってくれるわけも無い。
織田に各個撃破されるのを座して待つよりも、
当初の計画通り5月一斉反攻を武田抜きでやって織田の兵力を分散させるべきだったよな。
史実でそれをやらなかった、できなかったというのに信玄が存命していたら可能だったと言うのはさすがに都合が良すぎるな。
606 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:22:54 ID:+62RabQ8
そもそも1つ2つのアクシデントで頓挫するのは計画自体に余裕がないってこったな。
信玄が死ななくても武田の一時撤退という状況は十分にありえることなんだし。
607 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:40:06 ID:Gkulqk1A
>>600 いや、そうではない。
まず朝倉は信玄撤退で反撃計画がつぶれた事でがっくり行ってしまい、
5月に越前に帰還しその力が減退した。
武田のみならず朝倉まで駄目になった以上反撃計画がつぶれたのは自明。
第一朝倉も多年にわたる戦いの上で勝負をかけていたのだから。
志賀の陣の時は三好と連携した本願寺が結構な攻勢にでているんだがな。
長島が攻略したときにはもう和睦まであと少しの時期なんだが。
そして志賀で朝倉浅井に身動きとれない信長はこれらの状況に屈服した。
信長は和睦を結ばないとどうなるかわかっていた事だろう。さすがにさとい。
608 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:41:33 ID:Gkulqk1A
>>602 お前ら織田派にとって都合の悪い事はそりゃ馬鹿なことだろうよ。
武田派が複数いる以上その数は自然増えるだろうな。
>>603 俺が見る限り3人以上はいそうだが。
609 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:44:52 ID:Gkulqk1A
>>605 キーマンの信玄死亡で最大兵力の武田もひいたのにどうしろってんだ。
武田という主力あってこその反撃計画なのに。
>>606 最大兵力が撤退し、主力部隊の総大将が死んでしまったというのは
並大抵のアクシデントじゃないぞ。
610 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:59:57 ID:yL5rsM6z
誰かテンプレの長島一向宗の所 +国人を外して
一揆衆は老若男女含まずに正規の軍隊として2万人以上の動員が可能 遠征能力○
に変更してやれよ
611 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 00:22:57 ID:mMvyf5r1
>>609 つまり、信玄がいなければ織田に対抗できないほど包囲網側は弱体化していると、
認めるわけですね?武田の軍がなければ朝倉も長島一向一揆も織田が怖くて攻撃
できないと。
それにしても馬鹿だね包囲網側は、武田が抜けたとしても、座しては滅びを待つ
だけなのだから、乾坤一擲で武田抜きでも織田に勝負をかけてみればいいのに。
もちろんそれで勝てる保証はないが、それでも、ただじっとしていれば100%の滅亡が
待っているだけなのだから。
しかしそんな勇気も状況判断も知能もありませんでしたとさ。
信玄の寿命が延びるだけじゃだめだね。朝倉義景とか足利義昭とか六角とか浅井
とかその他包囲網側の人間の知能と勇気と決断力も大幅upさせるデータ改造でも
しないと、信玄が織田を滅ぼして上洛して天下を獲る目は無いわ。
612 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 00:39:22 ID:uhdzKULa
>>609 別に武田が主力じゃないだろ
武田派の話によれば信玄2万5千、長島2万以上、浅井朝倉2万5千これらが遠征能力ありなんだろ
これに+して幾内の反織田勢力なら武田いなくても5万以上でるんだから十分じゃん
まぁ史実じゃあここの武田派の人にとっては悲しいことになってるけどw
613 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:11:00 ID:eJ4BuMRV
>>611 信玄が作戦の主力になるんだからそんな事は当然。
あいにく戦国時代の連中は君ほど刹那的ではなかっただけの話だろう。
朝倉を滅亡に導いた刀根坂も必ず興るもんじゃないし。
包囲網勢は十分な力量をもった連中だが。
実際織田相手によく戦ってるしな。
信玄も別に織田を滅ぼせば天下はとらなくてもよかったと思うが。
>>612 まず朝倉が信玄死亡で計画がつぶれた事で内部に動揺が始まったからな。
仮に5万でも織田派とイーブン。
これで武田がついてこそ意味がある。
むしろ史実でこそ織田派に散々な例証があるから認めないだけだろうが。
614 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:13:14 ID:TqU6uP7b
武田が退く事で朝倉は反撃計画がつぶれたと判断
越前に帰還してしまう事がつまり
朝倉も石山・長島本願寺の兵は当てにできないと考えており
一揆勢は遠征できないと言ってるようなもの
武田派の言う兵力なら武田抜きでも十分織田を追い込め
反攻計画を実施出来る、だがそれをしないのは
できないからだろ
615 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:18:45 ID:eJ4BuMRV
>>614 違うな。
武田がいてこそ織田がひきつけられ、
その間に他の連中は攻勢に出られる。
その主力が抜けた状態では、織田主力の跋扈を許すだけ。
朝倉にしては今回の攻勢に、そして武田の動きにかけていた以上ショックもでかかったしな。
616 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:26:50 ID:mMvyf5r1
>>615 武田がいないと朝倉も長島も織田に対して何もできません。ということだな。
で、志賀の陣のときに長島が攻勢に出なかったのはなんでよ?
織田主力が朝倉に拘束されていて、尾張美濃はがら空きだったのにね。
あなたの発言はそのときそのときで都合のいいことばっかり言うだけなので、
全体で纏めると全く相互に矛盾しあった発言をしているということに気付き
ませんか?
617 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:35:04 ID:eJ4BuMRV
>>616 だから、長島が小木江やその周辺を攻略したときには
和睦が近かったんだけど。
そっちこそ自分に都合のいい事だけ言って
単純な時系列さえ見てないのを気付かんか?
618 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:50:56 ID:toSN/vQq
もともと本願寺は、三好党や六角氏などと近い立場にあったのが
蜂起の重要な要素で、蜂起にあたっては朝倉や浅井とも結んでいる。
ただ、小木江を落とした頃には、篠原長房や六角承禎は信長と和睦して
おり、11月暮れ頃には浅井長政と、ついでその翌月は朝倉義景と和睦
している。さらに、本願寺に対しても、10月下旬に、青蓮院から
本願寺へ和睦が促されている(青蓮院は本願寺を「候人」としていた)。
この状態から、次に交戦が起きるのは翌年(元亀二年)五月。
本願寺単独で戦い続けるわけにもいかないので、休戦状態になっていた模様。
619 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:55:54 ID:X8tLVV6M
ほっとけ
その手のタイプは自分の都合の良いようにしか物事を解釈しなくて客観的に自分を見れない人間だから
まともに相手をするとストレスたまるだけだよ
たまにいるでしょ? 自分の持論だけ展開して都合が悪くなると前言無視して嘘ついてでも辻褄を合わせる奴
子供は正直に嘘つきと発言するけど、大人は理性と遠慮があるので正直に相手には言わない。
で、本人が意見が通ったと勘違いするのよ でも実は他人は「何だコイツ」と思ってる
そういうのが理解できない人
620 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 01:57:41 ID:uhdzKULa
>>617 そもそも武田は8月に出兵するはずだったのに包囲網側との約束守れなかった
なのに5月の攻勢はうまくいくとなぜ言えるんだ?
武田派は、朝倉は信玄撤退で反撃計画がつぶれた事でがっくり行ってしまった、ショックもでかかった
とかいってるが、国の存亡がかかってんのにそれですむかよw
そもそも武田が10月から5月まで遠征続けるとしたら
その時点で半年以上
第2次川中島の時はまだ本国や策源地の深志などから近距離で兵も少なかったが
この遠征ではどれだけ軍事行動が続けられるんだ?
621 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 02:18:30 ID:mMvyf5r1
なるほど志賀の陣はこちらの間違いでしたか。
で、その他の時期は?翌年五月に信長と再び戦端を開くわけだが、長島に二万以上の
遠征兵力があるのなら、どうしてその後に信長が江北に出陣したり京や畿内に出て
尾張や美濃を留守にしている間に、攻撃侵略をしなかったんだ?その間は別段、和睦
やら休戦協定もないのに?
信長が江北で朝倉浅井とにらみ合って、信玄が西上を開始してもなお、どうして長島
は動かなかったんだ?当時はまだ五月一斉反攻計画とやらもなかったのだから、時期
の問題なんて無いのに。
例えば長島が軍を出していれば、信長は徳川に援軍を派遣するのも難しくなる。
そうなったら、信玄の対徳川戦は史実よりもさらに楽に展開するだろう。どうして
同盟者の為に動かなかった?逆に信玄は自分に利益になるのにどうして動かさなかった?
無理がありすぎるんだよ。
622 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 02:23:31 ID:eJ4BuMRV
>>619 >>618のレスがどういう意味だかわかってるのかい?
長島が小木江を攻略したころには
織田と本願寺をはじめとする周辺勢力が和睦してたので長島も
休戦状態にあったって事だよ?織田派じゃなかったらごめんね。
>>620 信玄病気だったからな。
信玄健在という条件なら十分なんだが。
大内でさえ一年4か月以上の遠征やってるんだから
武田が距離的に考えてもそこまで遠出するわけじゃないんだから
十分だな。
623 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 02:26:29 ID:eJ4BuMRV
>>621 無理につじつまをあわせるなよ。
無茶を言ってるのはそっち。
君のいう志賀の陣以降、戦端の後で長島はこの間に北伊勢に勢力を浸透させていき、
信玄死後の第2次伊勢長島の頃には信長は北伊勢に大きな勢力を持つ長島と対決することになる。
そして美濃や尾張にも影響力を及ぼすようになると。
全然時系列見れてないだろ、あんた。
624 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 02:34:35 ID:eJ4BuMRV
>>621 さらにいうと
信玄の義景にあてた書状と条目では
義景に5月にともに兵を動かそうといった後で
反撃計画のひとつとして本願寺勢力により諸国の一揆を蜂起させる事が出てきて、その中で
長島については特にいうべきことがあると書いてある。
長島達の動きもまた信玄達の一斉反抗を前提にしている。
625 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 03:56:33 ID:+s9fl4XQ
実際長島・石山本願寺の遠征はできてもいないのに
滅ぼされたときの二万が突然遠征可能とかいうのは滅茶苦茶
10〜18万石の長島の勢力で二万外征可能というのは無理がありすぎだろ
626 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 05:50:31 ID:h9XTKF4g
そういえば石山本願寺は摂津の35万6千石のうち
どれくらいもってるんだ?
627 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 07:06:10 ID:GBi+RZ3l
>>622 >大内でさえ一年4か月以上の遠征やってるんだから
オイオイ、甲斐の山猿と当時の大内を一緒にしたらいかんよ
大内でさえとかよく言えたな
その”大内でさえ”長期遠征前後は国内が大荒れ
武田が一年以上、遠征出来る根拠は何一つ無いだろうが
ただでさえ痩せた土地の疲弊は相当な物になるぞ
米と金山くらいしか収入無いのに
だいたい武田派は朝倉や本願寺をどうしてそこまで信用出来るんだ
5月攻勢とやらは一致協力が必須条件だろ
諸勢力は一時的な単独講和も十分あり得るほど信用無いよな
信玄も馬鹿正直にそこまで信頼してないだろ
ほどよい所で講和が信玄の戦略目標だと思うが
毛利厨の意見でした。
628 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 08:11:31 ID:TXAl6r9X
当時の大内は明との貿易で儲けまくってたしな。日本国王だし。
豊後の大友氏とも仲良かったみたいだし。
629 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 08:40:22 ID:TXAl6r9X
スマン、仲いいってのは正確じゃない。このときは和睦していたというだけ。
この時期は北九州が片ついていて後顧にあまり憂いのない状態だった。
630 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 08:47:21 ID:TXAl6r9X
あとその大内の遠征って失敗例だからな。
配下の国人の離反が相次ぎ、失敗して撤退。
内政も傾いて義隆はやる気をなくし内紛おきて大内は自滅。
長期戦というのはそういうリスクを計算にいれないとな。
そんな消耗戦は信玄はやりたがらないと思うがなあ。
631 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 08:54:24 ID:noMLc8Yu
堺もだが貿易や商売で儲けている金額って石高に直すと数万石程度だったりするんだよな。
領地に比べて収入が多くなるのに違いはないから建物は立派のを建てられるが、軍事の為に使う場合は、数万石程度が増えてもそうは変わらない。
632 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 09:38:19 ID:mMvyf5r1
>>623 で、第二次の結果、北伊勢の豪族は全て織田に征服されて川の中の島に閉じ込められてしまいましたとさ。
勢力拡大?一瞬で終わったね。それこそあなた達がよくいう、半敵地でロクに支配も浸透していない場所
ってことじゃないのかね。
そしてそんな風にしか勢力を拡大できなかったということは、長島に遠征能力がないという証拠ですね。
それが、信玄が生きていたら突然岐阜やら清洲やらまで攻め込んでいけるようになると?
摩訶不思議な主張ですな。時系列とこだわるわりに、まず史実でやったことやれなかったことを認識する
ことから始めたらどうです?
633 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 12:25:43 ID:uhdzKULa
>>622 謙信は、信玄が死んだ時「信長さん一緒に武田攻めましょうぜ」って言うくらい、チャンスだったら攻め込むかも
長期遠征は信玄にとってリスクが大きすぎると思うんだが
信長も万石あたり500人とか防衛の為に多少無理な動員すれば信玄に勝ち目はないし
634 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 12:40:49 ID:0eOK87rp
ぶっちゃけ侵攻戦は攻める側は守る側の三倍は戦力いるからな。
武田の兵力じゃ徳川は潰せても織田は無理。
手堅く掠め取った岩村と奥三河を地固めしてけん制するのが賢明だと思うがな。
635 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 13:06:53 ID:UZG2HCv0
>>633 それを牽制する為の「上洛」名目だったりしないか
武田を攻めること=将軍に逆らうことになるからな
謙信としてはおいしく無いだろう
636 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 13:11:25 ID:uhdzKULa
>>635 また、上杉はこの時期越中から加賀にまで攻め込んでいる。顕如が信玄に、兵を
越後に進めてくれと援軍要請するほどに。もし長期間対峙ということになれば、
北陸を片付けた謙信が関東なり北信濃なりにでてくる可能性は非常に高い。何せ、
信玄死後に信長に「この好機に一緒に武田攻めようぜ」って提案しているくらい。
信玄が留守に北信濃に攻められれば?信濃でなくも上野にも武田領はある。また、
謙信に攻められた北条が武田に援軍要請をしたら?信玄の上洛軍に北条は援軍を
出してくれたけど、北条の援軍要請にこちらは出せません、ですむのか?
637 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 13:17:23 ID:UZG2HCv0
>>636 >信玄死後に信長に「この好機に一緒に武田攻めようぜ」って提案しているくらい。
上洛掲げて西進してる間は攻められないだろう、ってことね
結局武田はすぐやめちゃったわけだから、その後に攻めたがってたとかはどうでもいい
でも
>謙信に攻められた北条が武田に援軍要請をしたら?
こっちは理解できる
将軍ももっと頑張れよ、謙信ぐらい牽制しとけ
638 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 17:30:33 ID:fB3RCrek
>>609 >キーマンの信玄死亡で最大兵力の武田もひいたのにどうしろってんだ。
>武田という主力あってこその反撃計画なのに
キーマンとやらが死んだとしても織田はそんな事を考慮してくれるわけも無いんだから
織田と抗争を続けるのならば反撃する必要があるだろ。
反撃もできない、武田が撤兵して動揺したと言うのなら織田と和睦するなり交渉して時間稼ぎをする必要があるけど
交渉をした形跡はない。織田が出兵しても他の連中は攻められた奴と連携する素振りを見せない。
武田がいたとしてもこんな連中が役に立つとは投低思えないね。
639 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 17:37:31 ID:XEnd7qew
武田派は毎回信玄が死んだから〜で言い訳するけど
それだけで説明つかない事色々多すぎだろ
640 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 19:23:52 ID:mbfCvPKN
実際そうなんだからしかたねぇ
信玄公が生きていれば信長は尾張あたりで戦死だよ
641 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 20:20:29 ID:UcblCQZT
それ本気で言ってるのか…?
642 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 20:26:21 ID:mbfCvPKN
武田が動いた時点で織田はすでに死んでいる
武田の戦はそんな感じ 織田領へ攻め込みさえすりゃ織田の動揺ははかりしれん
おまけに徳川は瀕死 まして戦って勝つ見込みは信長にはない
守りを固めて北条みたいに篭城している余裕は織田にはない
周りは敵だらけなんだから
643 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 21:24:42 ID:3goFh124
結局、何年も戦っても上杉や北条に勝ちきることができなかったじゃねえか。
自分と同等以上の勢力を完全に打ち負かしたことがないのが信玄。
むしろ格下の村上相手に手間取りまくり。
644 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 21:37:57 ID:D8VUKzap
>>567 >その史料
資料な、悪かった
新宿駅観察の話の続き
>どうみても
お前の独断
思考の内容書かなければ余人を納得させられない
>恣意的すぎて
「どうみても」と、自分の思考を明かさずに断定する奴とは話できんよ、こっちも
ところで、友人に聞いてみた?
645 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 21:44:56 ID:2VQcVp90
信長なんか伊勢長島や斎藤に何度も負けてるから
本願寺にも苦戦してるし
646 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:09:12 ID:pd4YV3a3
>>625 一揆勢の構造から考えて、諸記録から見ても無理ないと思うが。
実際石山本願寺は野田福島で2万の兵を動かして織田を破ってるし、
長島もいろいろ範囲を広げてる。
647 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:11:25 ID:pd4YV3a3
>>627 あの当時の武田の力は大内に負けるとは思えんが。
大内が大変になったのは敗北したからな。
それも壊滅に近い大敗北だったから。
武田が1年以上やる事は可能なはずだが。
武田もいろいろ商業振興とかやってるし。
648 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:13:12 ID:pd4YV3a3
>>628 大内が日本国王の位を貰ってたか?
足利がもらってたのは知ってるが。
石高・領土でいえば武田のが上だし。
649 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:14:46 ID:pd4YV3a3
>>630 大敗したからこその失敗例だな。順序が逆になってる。
一大名でも1年を超える遠征ができる格好の例だな。
650 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:17:56 ID:pd4YV3a3
>>632 その割には信長も敗走してる状態だけどな。
論点をすり替えるなよ。
ここでの問題は伊勢長島が何をしていたのか?と伊勢長島が何もできないという
そちらの主張への反論だ。
そっちの主張は完全に矛盾してる。
時系列さえ認識せず、実際長島が勢力拡大してる事実をそむけて何をいおうとしても
ごまかしにしか見えんが。
651 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:22:22 ID:pd4YV3a3
>>633 このスレでも何度も言われてることだが、
謙信はその書状を「北条と戦うために入った厩橋城」から出している。
そしてすぐ後に北条に対して全力攻勢。
どうみても北条の同盟相手である武田を織田に攻めさせて
北条の兵力を分散させたり意識をそらしたりすることが目的。
実際謙信はその年が終わるまで関東で戦い続け、関宿を救えなかった。
別に勝ち目ないとは思わんが。つかそれやるなら包囲網勢との長期戦が無理になりそうだが。
それをやっても包囲網勢の兵力はあるしな。
652 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:26:48 ID:Z0aVbiQn
信長は世間をお騒がせしさんざん暴れまわって顰蹙買い放題
当時の人たちも皆思ってたと思うよ 織田は終わりだって
信長自身も自分の名声は信玄公には遠く及ばないことをよく知っていた
ついには今まで仲良くしていただいていたその大御所が怒りモードで宣戦布告
いままでさんざん頼りにしていた徳川さんをも見限って許しを請おうとしても
首が送りつけられてくる始末 織田の連中もうちのバカ殿もついに年貢の納め時か
もう織田にはついていけないってね
653 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:27:15 ID:pd4YV3a3
>>634 武田が織田の領内に侵攻して織田がその相手に主力を対峙させてるだけで十分
なんだけど。そうすれば後は包囲網勢で一斉反撃炸裂。
>>636 >>651を参照。どう見ても謙信の主な敵は北陸、もしくは関東です。
>>638 あの状況で信長のほうが和睦を受け入れるのかという問題と
そんな事をして味方の包囲網勢との連携を破る理由もなさそうだが。
>>639 いや、実際最大の要因である事は確かだし。
654 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:30:17 ID:pd4YV3a3
>>643 同格の義龍の前に負けたりついに美濃に踏み込めなかったり
幼君でがたがたの美濃に何度も負けたり
格下と主張する伊勢長島に2回負け、
3回目はだまし討ちにして800の敵に一門を10人殺されてる
信長さまのことですね?
655 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:32:48 ID:pd4YV3a3
>>644 だからなんでお前の新宿駅観察なんかあてにせにゃならんのか。
資料からどう見ても長島周辺の10数万の人口と一揆勢の特性からみて
数万の兵員を動かしてるのは矛盾しないんだが。
こっちの書いてる事を無視して納得しないだけだろうが。
そのお前の例示を検証すること自体が無意味なんだと言ってるんだが。
656 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:34:04 ID:CKfgsUwm
>>617 >>618 和睦が近いのであれば尚更和睦の条件をよくするため・織田に更なる妥協を促すため攻勢に出るのでは。
戦力が拮抗して消耗戦や利が少ないと考えて動かなかった可能性もあるが。
本願寺に対しては確かに義昭信長らは朝廷巻き込んで和睦の打診をしていたが、
それに対し本願寺は寸志に励めと門徒に対して更なる攻勢を促している。
また篠原六角とは小木江城が落ちた日かその前日ぐらい確かに和睦したが、
浅井朝倉は近江でまだ織田と戦闘中であったし、本願寺も摂津河内で幕府勢力と抗争中、
この状態で長島だけが和睦が近いから動かないというのはおかしな話だと思う。
三好三人衆は和睦に応じたかは自分は知らないのでパス。
この時も畠山や細川と争っていたのか篠原と同様に和睦に応じたのか。
>>626 それは難しい。寺社領はあちこちに飛んでいるので普通の大名みたいに領域支配などで
概算するわけにはいかないだろうから。
仮にだいたい、河口部にあたる西成郡東成郡住吉郡辺りはほぼすべて影響下にしているので、
これだけだと摂津12郡中3郡で9万石、
でも河口部にも細川や三好の支配範囲もあるし、逆に摂津には河口部以外にも本願寺系の寺社は多い。
それに本願寺は全国にも所領多数抱えていてそこからの支援があるので、
実際にはかなりの国力の大名に匹敵する戦力を所有していると思う。
>>631 甲斐一国の生産高が仮に20万石としても、5公5民なら収入は半分。
その中から家臣の所領知行分を除いたら大名の収入なんて表高の何%になることか。
秀吉だと全国支配していても自分の石高は200万石でしかなかったのだし。
純収入として数万石分増えるのはかなり大きいと思う。
657 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:39:03 ID:pd4YV3a3
>>656 いざ実際に戦となれば
その家臣たちに課した軍役が戦力を構成する。
大名宗家が数万石程度の収入を得ていても
戦の戦力で大きいとはいえんと思う。
658 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:41:19 ID:cCxYgCb3
>>650 第二次の信長の出兵目的は、長島に呼応した北伊勢の豪族達の再征服。
その目的は達している。
で、帰国途中に殿に損害をだされた、それだけ。以後の長島は文字通り
川の中の島に完全に押さえ込まれてしまい、一度は長島に通じた北伊勢の
豪族達は二度と長島につこうとはしませんでしたとさ。
論点をすりかえるなよ。
あなたの長島の兵は長躯遠征できるという主張に対して、こちらは、史実
では何度も織田の領国が無防備になる絶好の機会があったのに、どうして
遠征を全くしなかったのですか?と訊ねているのですが。あなたは答えを
出さずに的外れな質問に質問を返すだけでしたね。
そもそも北伊勢の豪族たちが長島に呼応したこと、つまり地縁血縁で味方に
調略したことを、まさか長島の軍事能力、遠征能力の証拠とか言い出すつもり
ですか?そして北伊勢が長島の支配化にあったというのなら、どうしてそこ
からさらに尾張なり美濃なり近江なりに遠征をしなかったんです?特に信長が
江北に出陣して朝倉や浅井を滅ぼしたときなんて、長島が本当に尾張や美濃に
影響を与えるほどなら出撃して織田本国をあらせばよかったのに。そうして
いたら、信長も後方が気になって、結果朝倉浅井も滅びずにすんだかもしれ
ないというのにね。なんとも頼み甲斐のない同盟者ですこと。
この事態はそちらの主張とは逆で、長島には全く遠征能力がなかったことの
証拠にしかなりません。
なお、尾張美濃への影響?尾張で坊主が戦死した、はすでに否定されてますが。
異論があるのならまずそれへの根拠ある反論からお願いします。
659 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:45:13 ID:GBi+RZ3l
>>653 あなたの主張だと1年以上継戦可能
包囲網一致協力で後顧の憂いは無いってことが大前提
織田派の主張は、そんなにうまく行かないってことでしょ
このスレはずーーとここで止まってる
結局、史実で起らなかったことを主張してるんだから現実感がないんだよ、妄想スレだから仕方ないけど
得に本願寺の遠征能力は過大評価もいい所
660 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:46:15 ID:cCxYgCb3
>>655 その「一揆勢の特性」があなたの頭の中にしかない妄想なんです。
あと長島周辺だけで10数万という人口のソースをまずよろしく。
661 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 23:51:21 ID:CKfgsUwm
>>648 大内は勝手に日本国王の印を使っていた、だと思う。
何年軍事行動できるかは石高領土よりも財政状態によるのでは。
いくら領土が大きくても自転車操業みたいな財政状態じゃ数年間軍事行動続けるとかは難しいと思う。
>>655 史料は人数に関してはあてにならないし、一揆勢の特性って何?
無視というか多くの人を納得させるに足る根拠が無いだけだと思う。
>>657 その収入分を、兵糧の購入に充てれば数万の軍勢を一年補給出来ることになるから、
かなり大きいと思うが。
662 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:02:12 ID:xjVVbN69
>>658 再征服したと認めたな?長島に立派に領土を奪われた事を。
それだけ、ですか。殿で織田家重臣林家当主とその与力率いる部隊全滅。
信長自身も凍死する兵たちの中を突っ切って夜に城に逃げ込んでますが。
どう見ても敗北。
だから何度もいってるんだが。
北伊勢に長島の領域が広がってる状態を無視して何をいうのか。
そして尾張や美濃にまで伊勢長島の勢力は浸透していく。
ほう、何の力もない在地勢力にただ従うと。おかしな事をいう。
そのまま北伊勢から伊勢長島の勢力は尾張や美濃に浸透し、
信長自身でさえ、自分の家臣たちに明らかに長島に味方している者たちがいるが
それを突き止められないで懸命に捜索している書状がある。
長島を過小に見るのは無理だな。どうみても。
こちらがあげた例証は十分に伊勢長島の実力をうかがわせるに足るが。
誰が否定したわけで?美濃に伊勢長島の砦がある事は示されてるし。
上の書状も有効。
というかお前はまず破綻してるその主張を裏付けてもらいたい。
663 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:03:13 ID:xjVVbN69
>>659 実際本願寺は動いてるんだから仕方ない。
>>660 全然妄想じゃなくて諸記録にある事実だが。
数万の一揆勢が動いてる事は。これをどう否定する?
だから長島周辺の石高が10数万なんだから十分人口換算でそうなるだろう。
664 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:04:07 ID:xjVVbN69
>>661 武田が自転車操業とは思えないが。
信玄死後も何度も大軍を動かしてるし、実際武田が破たんするのは
勝頼が北条を敵にまわして多方面作戦を強いられたことから。
人数があてにならない、といっても
多くの記録は敵が自分たちよりすくなければそれを書く。
諸記録では一揆勢は決まって雲霞のごとく大軍として書かれている。
これらは一揆勢が大軍を動かしていた根拠と十分なりうるが。
その数万石規模でいいなら武田にも金をはじめとする副収入があるし、
埋められないとは思えんが。
665 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:09:31 ID:X746C/L0
>>663 これも何度も言われるが
遠征出来るほど本願寺は動いていない
>>664 経済力は正確には分からないが
織田の足元のも及ばないでしょ
666 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:14:53 ID:xjVVbN69
>>665 織田の城攻めたり織田の遠征軍撃破したり
天文一揆では十分畿内を縦横に暴れてるし
加賀一揆は他国に何度も攻め込んでる。できないとは思えないけど。
正確にわからないのに自転車操業というのが素敵だ。
667 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:18:08 ID:cZKpVEUn
>>662 ええ認めますよ。
ただし、長島の軍事行動ではなく、調略によって離反したと。
調略によって得た領土もそれは拡大ですが、でも長島の軍事能力の証明にはなりません。
そんなことも理解できませんか?
>北伊勢に長島の領域が広がってる状態を無視して何をいうのか
だからそれは認めていますよ。問題は、これが軍事力によってなされたものでない限り、
あなたの主張の証明材料にはならないということです。まだ理解できませんか?
>尾張や美濃にまで伊勢長島の勢力は浸透していく
それの証明をお願いします。こちらの反論は全無視ですかそうですか。
>自分の家臣たちに明らかに長島に味方している者たちがいるが
信長の家臣は尾張美濃以外にもいますよ。
>長島を過小に見るのは無理だな
別に過少に見る気はありませんよ。史実の長島は、数万の織田軍を迎えて篭城して保つ
くらいの軍事力はある。でもそれと、遠征能力は別です。
>美濃に伊勢長島の砦がある事は示されてるし
そりゃあるでしょ。長島は川にそって美濃南端にもかかっているのだから。
でもそれと勢力が広がっているかどうかは別です。まさか信長から全く無視された
日根野のチンケ砦のことをいっているので?
>伊勢長島の実力をうかがわせるに足るが
何度もいいますが、長島の実力は認めますよ。でもそれと、あなたの主張する
「長島は数万の軍勢を遠征させる能力がある」
は全くの別で、史実ではそのような事実が一度たりともなく、これまであなたが挙げてきた
例示の中のどの一つにも、長島が軍を遠征させたという事例はありませんでした。
ところではぐらかしてばかりいないで、いい加減にこちらの質問に応えてくれませんかね?
・長島に遠征能力があるのなら、どうして史実でしなかったのか?
念のためにもう一度いっておきますが、北伊勢の豪族にシンパを広げたことは、長島の遠征
能力の証明にはなりませんからね。
そもそも第二次の時に、織田に攻められた北伊勢の豪族達はまったく長島と無関係に行動し
攻められればさっさと降伏している。長島に遠征能力があるのなら、どうしてこの時に出撃
して、攻められている北伊勢の豪族達を救援しなかったんだ?
あなたの主張によれば北伊勢はまあ長島の領土になったようだが、領主たる長島は配下が
攻められているのにまったく援軍を出さず城に篭って見殺しにしたと。随分とひどい、頼れ
ない領主もいたもんだ。そりゃ北伊勢の豪族達も、二度と長島につこうとはしなくなった
だろうよ。
668 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:20:19 ID:X746C/L0
>>666 織田包囲網での実績が無い、天文一揆、加賀一揆は参考にならない
出来るなら尾張、美濃で大規模一揆でも起こせば
自転車操業かどうかは知らないが
経済力の差を言ったまで
669 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:24:20 ID:cZKpVEUn
>>666 天王寺合戦をいっているのなら、大坂から天王寺までの出撃で、しかもその兵は
紀伊の雑賀一党の兵。
本願寺単独の兵は、国を越えて活動したためしがほとんどない。
それから、加賀一向一揆ができることが、他でも全てで出来るとは限らない。
例えば天文一揆の時に加賀一揆が畿内まで出てきているが、どうしてわざわざ
そんなことをしたかといえば、本願寺お膝元である河内の一揆に出撃を命じた
ところ「本願寺とはそんな契約ないし、そもそも出兵なんて無理」と拒絶されて、
止む無く加賀から呼び込んだもの。
670 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:27:18 ID:toTaWoQs
>>653 >あの状況で信長のほうが和睦を受け入れるのかという問題と
>そんな事をして味方の包囲網勢との連携を破る理由もなさそうだが。
外交なんてどう転ぶかわからんだろ。
第一反織田包囲網との連携を破ると言うが連携して無いじゃん。
信長が和睦を受ける入れるわけが無いと言って外交努力をしない。
信長と敵対するのならば反織田包囲網が連携して反撃しなければならないのにそれもせず。
包囲網なんて所詮そんなものだったということだよ。
671 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:29:22 ID:xjVVbN69
>>667 戦わずしてあっさり浸透し領域を拡大している。
まさに理想的な展開だと思うが。
それだけの力がなければ無理な技だな。
できない相手に従う相手がいるとでも?
だからどこで反論してるのかと。こっちは資料や根拠をあげている。
そっちは何を出したんだ?
信長が無視せざるを得なかった、の間違いでしょ。
実際その砦を作られそれは稼働している。
長島が美濃に浸透して行っている事、実際に動きうる力を持っている事の証明たりうるが。
だから戦わずして北伊勢がなびいてるというのに。
実力もない相手に従うものかと。長島は小木江や周辺の城を攻略してるから
十分だろう。
ごまかしてないって。
実際に領域を広げているんだから十分実証になるが。
第一加賀の一揆とかも普通に動けてるんだから。
あっさり負けてるように見えるのは信長公記だけ。
実際は尾張群書系図ではこの時期に
長島関連で討ち死にしてるものが多いことや
織田の家臣から一揆に走ってる堀田みたいな存在もある。
てかいい加減信長自身が長島が自身の配下にさえ浸透してるのを
突き止められてない状況を吐露してるんだから
長島を見くびれるもんじゃないと思うが。
672 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:31:55 ID:xjVVbN69
>>668 参考にならない根拠がまるでない。
組織構造は変わりないのに。
だから実際尾張にも美濃にも浸透しはじめてるんだけど。
だからなんで正確にわからないのに自転車操業とかいうのか。
そうでないのだから武田方遠征能力を疑うことにはならないが。
673 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:34:15 ID:xjVVbN69
>>669 なんで雑賀の兵なのか。
そんな詳しい内部構成かいてあるわけじゃないんだが。
普通に本願寺の兵も入ってるんだが。野田福島もあるし。
全然適当いってるだけとしか。実際天文一揆では十分動き回ってるから。
逆に加賀からきた連中を知りたいくらいだ。
加賀は北陸で動いてるのに。
674 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:34:27 ID:X746C/L0
>>671 ・長島に遠征能力があるのなら、どうして史実でしなかったのか?
この疑問に答えてくれ、ここが肝だから
>>672 俺は自転車操業とは言っていないが
だから経済力の差を言っただけ
まさか織田より経済力有るとは思ってないよね
675 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:35:43 ID:xjVVbN69
>>670 だから作戦の核が二つもなくなったのに
単独で動いても仕方ない。
守りを固めて次を待つのは定石だろう。
676 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:36:44 ID:xjVVbN69
>>674 機会がなかったから。それだけ。
そうか。
有るとは思ってないが、武田の力が動くのに不足なもんだとは思わないな。
677 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:43:23 ID:X746C/L0
>>676 機会がないって
2万の数で遠征能力あったら
もっと動いてたと何故思わないのか?
機会が無いじゃなく出来なかったのではと何故考えないのか?
678 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:44:17 ID:cZKpVEUn
>>671 >信長が無視せざるを得なかった、の間違いでしょ
理解不能なんだけど。そちらの主張どおりなら本拠地のすぐそばに造られて、
軍事的に活発に動いている敵対勢力を、「無視せざるを得なかった」?
近江で蜂起したら即行で部下を派遣して落城させたり、徳川へ援兵を送った
信長が、本城のすぐそばにある敵の砦を「無視せざるを得なかった」?
おかしい、って気付ける知能すらないですか?
信長の手元に兵がなくて、攻撃したくても出来ないから仕方なく無視する。
これなら理解できます。たしかに無視せざるを得なかった。
しかしすでに指摘したように、信長には近江や遠江にまで派遣できる兵力が
あるし、自分自身、本隊を率いて江北なり京まで遠征する兵力も軍事的自由も
あった。なのに、本拠地のすぐそばにある敵の砦を無視した?本来なら隣国の
砦よりも真っ先に落とさなければならない、自領内の敵の砦を無視した?
本当に無視したのなら理由は一つ。無視しても差し支えないほど軍事的脅威は
カケラもないチンケな存在だった。これしかないですね。
そもそも日根野砦に本当に軍事力があったのなら、信長の留守中に岐阜城を
攻撃して、落とせなくとも城下町を焼き払うくらいしたらどうです?信長の
威信はボロボロになりますよ?どうしてそんなことすらやらないんですか
日根野弘就は。
>実力もない相手に従うものかと。長島は小木江や周辺の城を攻略してるから
そして織田軍が攻めてきたら長島は砦に篭って味方が攻撃されているのを拱手
傍観してすごしましたとさ。すぐそばの味方を救援するちからも無かった証明
ですね。
ところではやく応えてくれませんか
・長島に遠征能力があるのなら、どうして史実でしなかったのか?
信長が本国を留守にして同盟勢力を攻撃しているときに、どうして出撃して
後方霍乱でもして同盟者を救おうとしなかったのか?
どうしてすぐそばの味方勢力の北伊勢豪族が攻められているのに、救援軍を
出さずに見殺しにしたのか?
679 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:45:49 ID:toTaWoQs
>>675 作戦の核がなくなったからといって
単独で動いても仕方ない?連携(笑)とやらをすればいいと思うんだが。
守りを固めて次を待つ?
日本最大の国力を誇った織田家を自由に動き回らせたら各個撃破されることが分かりきってるじゃないか…
本願寺と長島が遠征可能というのならばそれぞれ2万以上(本願寺ならもっとか?w)の戦闘要員とやらで遠征、
朝倉・浅井も本気を出したら虎御前山を落とせるらしい(笑)から落とし美濃・江南方面に進出し、
他の反織田勢力も動いて志賀の陣の再来を目指すべきだったんじゃないのか?
本願寺と長島が遠征可能ならば十二分に可能だよな。
680 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:47:55 ID:xjVVbN69
>>677 実際浸透を着々と進めて行動を広げていたからな。
第2次での追撃戦も相当な地域に勢力が浸透してないと無理な攻撃だし。
681 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:50:24 ID:X746C/L0
>>680 いや、2万の機動兵力あったらもっと出来るだろ・・・
過大評価するくせに、2万は過小評価だな
682 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:56:37 ID:cZKpVEUn
>>680 >第2次での追撃戦も相当な地域に勢力が浸透してないと無理な攻撃だし
あなた、地図で確認する作業すらしてないんですか?
第二次で信長が襲撃を受けた場所は、長島のすぐそばなんですが。
「相当な地域に勢力が浸透してないと無理」って、どこまで自分の都合よく。
683 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:58:28 ID:xjVVbN69
>>678 実際その時期は信長も砦ひとつにかまってられる状況じゃなかったからな。
それ単独で攻めてこないならスルーするだろ。
君の知能と資料のなさに脱帽なのだが。
砦はあくまでも長島の一拠点。後方からの本軍あればこそ脅威だが、
単独で攻めてはこないだろうからスルーしただけだろう。
実際信長は余裕があるからおくってるんじゃなくて
送らざるを得ないからおくってるわけで。
だから単独では一拠点なんだから。後方からの本軍あれば大きな意味ある駒。
だから反撃してると何度も言ってるんだが。いい加減無視しないでよ。
まず第一の問は普通に北伊勢から尾張美濃と浸透して領域を広げてるから。
第2の問はしっかり反撃してるから。
てか
>>671でこっちが聞いてるように何をそっちが出したのか教えてくれ。
684 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:59:06 ID:xjVVbN69
>>679 だから武田も朝倉も引いちゃったのに
動いてどうするのか。
朝倉は武田撤退でがっくりきちゃったし。
あせって動いても寿命が縮まるだけだな。
守りを固めて他の有力大名を外交で動かして再び反撃できる機会を
待つしか最善策はない。あせってもそれだけ早く打撃を受けるだけだ。
685 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:01:57 ID:xjVVbN69
>>681 実際ちゃんと領域拡大して織田方の城も攻略してるんだけど。
機会ないのに動いてもな。
>>682 信長がそれまで制圧した周辺地帯から撤退を図ったところで
やられたわけなんだけど。
一揆勢は多くの路を通って先回りを続けたわけで。
そっちも都合よすぎるだろ。信長が制圧したはずの地域で襲撃されてる事実を。
686 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:06:19 ID:X746C/L0
>>685 本願寺の過大評価意外は分かる主張もあるんだけど
長島遠征能力に関しては折れた方がよくないか
意地張るなよ、俺は武田厨じゃないぞ
687 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:06:54 ID:toTaWoQs
>>684 >守りを固めて他の有力大名を外交で動かして再び反撃できる機会を
>待つしか最善策はない。
そんな外交を誰かやっていたのか?
それに織田はその外交の間待ってくれる訳も無く当然各地に出兵して各個撃破を狙ってくるよな。
そんな事分かりきってるんだから、和睦ではなく反撃の為の外交をするのならば同時に一斉に反撃して
志賀の陣の様に織田の行動を縛る必要があるでしょ。
精神的にガッカリしても5月一斉反撃とやらが可能な余力があったというのならば
武田抜きでも一斉反撃とやらをすると思うんだが。
精神的にガッカリしたから各個撃破されるのを待つ、座して滅び逝くを待つとでも言いたいのか?
688 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:07:21 ID:X746C/L0
689 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:14:08 ID:xjVVbN69
>>687 本願寺や義昭はやってるな。
これでのちに毛利や上杉が参戦。
その反撃のための主力が失われてるのに
あせって動いて撃破されてりゃしょうがないだろ。
武田抜きで、しかも朝倉もがっくり来て内部動揺も起きてるのにどうすりゃいいんだよ。
座して滅ぶじゃなくて防衛して時を稼ぐに切り替えたわけな。
この状況で無理に動いてもやられるだけなわけで。
690 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:18:04 ID:cZKpVEUn
>>683 つまり、日根野砦単独では何も出来ないチンケな存在だったと。
>後方からの本軍あればこそ脅威だが
で、なんで後方の本軍は動かなかったの?信長が江北や京に出陣している隙に、
どうして後方の本軍は日根野砦と連動して岐阜を攻撃したりして同盟者を援け
ようとしなかったの?
あなたの意見も含めて纏めると。信長は本軍が出てこれないと見抜いていた。
だからその付属物の日根野砦も脅威を感じないで守備兵も残していかずに無視
していたと。
それってつまり日根野砦がチンケな存在ってことだろ。日根野は後方の本軍が
ないと何もできない。本軍は遠征しない。つまり日根野砦に軍事的脅威はない。
ところで、そんな砦一つで「美濃に影響を浸透させている」とか主張するの?
逆に、美濃に影響を浸透させているのならそれは単独で十分に脅威があるのだ
から、信長が無視する理由が崩壊するのだがね。
自分の主張がすでに矛盾崩壊しているって気付かない?
>>685 >実際ちゃんと領域拡大して織田方の城も攻略してるんだけど
どこの何と言う城?具体的にどうぞ。
>信長がそれまで制圧した周辺地帯から撤退を図ったところでやられたわけなんだけど
また脳内で勝手な妄想を。信長は第二次で撤収するときに、
滝川を長島のすぐ西の矢田城に入れて抑えている。
そして襲撃があったのは川沿いの一揆の勢力がまだ強い位置。それも長島から
すぐそばのね。
ところで、第二次以降に北伊勢で長島に通じた豪族を挙げてくれ。そちらの
主張なら、当然何人かは再び長島に通じて信長に反旗を翻したんだよな?
691 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:27:11 ID:cZKpVEUn
>>689 >あせって動いて撃破されてりゃしょうがないだろ
でも出撃であれ和睦工作であれ、動かなければまっているのは滅亡。
何度も言われているけど、主力の武田がなくなって軍事的に対抗できないと
がっくりきたのなら、どうしてそこからお家存続のために次の策を打たない?
朝倉や三好はそんなことに思いもよらない馬鹿なのか?
ていうかさ、この主張は朝倉や三好や将軍を馬鹿にしているんだよね。
元亀三年にようやく信玄が腰を上げるまでは、それぞれ自力で策を考え同盟を
結び織田と戦ってきた面々が、ひとたび信玄が舞台にでてくるとあっさりと
信玄に依存するようになって、信玄が兵をひいたらとたんに自力で自分の家や
命を守ろうとする気概もなくただ呆然とやる気をなくす。
信玄を持ち上げるのはともかく、その為に朝倉や将軍をここまで虚仮にするか
と思うと、ねえ。
692 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:27:50 ID:xjVVbN69
>>690 ちんけじゃないと言ってるだろ。
どの拠点もひとつだけじゃ織田の主城を落とせるか。
信玄が動く前提だっただからな。
その時期が5月に迫っていたと。書状からも長島は反撃に重要な存在だった事は
わかる。
見抜いた以前にそうするしかなかったんだよ。信長は。
早く畿内を義昭との和議でもしてまとめないと連絡を絶たれる。
全然。実際北伊勢の勢力である長島が織田の主要領土である美濃にまで
砦を構築してるんだから十分浸透だが。
てか信長が書状で自分の家臣たちにも長島に味方してるやつらがいて見分けがついてないと
いってるんだけど。
小木江や桑名とか。
妄想してるのはそっち。信長が引き揚げるときに多芸山を通って引いてる。
そこを襲撃されてるんだけど。
全然こっちの主張と関係ないんだけど。てか先にこっちの質問にこたえろよ。
693 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:30:32 ID:Wirg8Q56
長島とかどうでもいいよもうwどうせ武田派は理解できないだろ
武田派に聞きたいんだがこんだけ包囲網側に有利な状況なのに
自分の死後になぜ撤退させたんですか?撤退すりゃ幾内の情勢は取り返しのつかないことになることくらい
武田派のいう信玄様なら理解できそうなもんだがw
死ぬ前に後継者決めて5月攻勢は続行させればよかったんじゃない?
長島2万、浅井朝倉2万5千、他幾内の反信長勢力、これに内部に不安はあるが武田2万5千があれば充分だろ?
結局信玄も何が何でも信長をやるっていう気はなかったんじゃないの?
あの世に逃げて言い訳してんじゃねぇよw
694 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:31:20 ID:xjVVbN69
>>691 だから何度も言ってるけどさ、
あせって動いてすぐに滅亡するより、少しでも時間を稼いだほうがいいに
決まってるだろ。
君に都合のいい自殺志願者ばかりじゃないんだよ。
全然馬鹿にしてないんだが。
織田との戦いで苦闘していた連中が信玄を中心として一気に反撃にでようとした
ところで信玄死去でその計画がつぶれ守衛に切り替えた、と。
単なる現実認識だろ。
俺は朝倉も将軍も本願寺も全然馬鹿にしてないが。むしろ敬意さえ持ってる。
そう思うのはそっちの妄想。
何度も言うがそっちの出した資料や根拠とやらを教えてくれ。
695 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:32:03 ID:Q96664e6
>>689 それまでに長島や浅井・朝倉は潰され
足利義昭は京から追放され、武田も長篠の敗戦
どうみても動かなくて織田近隣の反撃のための主力が失われています
まだあせって動いたほうがいいんじゃないでしょうか
武田派の主張する兵力が本当に動けるなら
696 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:33:39 ID:xjVVbN69
>>693 勝頼はもともと後継者として立場を持ってる。この時期にはしっかりと。
信玄が外交と戦略を作ったのにいきなり後継者に丸投げしてうまくいくわけないだろ。
そっちは根拠なく勝手にけなしてるだけだろ。
当時の資料を見れば信玄が動く意思があったのは明白。
697 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:34:09 ID:X746C/L0
>>692 長島に関しては折れてくれよ
痛い厨になるぞ
5月攻勢の時だけ2万で遠征だ!って言っても説得力、皆無だからさ
長島周辺で盗賊働きでいいじゃん
698 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:34:53 ID:xjVVbN69
>>695 長篠の敗戦の時には朝倉も伊勢長島も滅んでるんですけど。
武田の長篠の動きは無理に織田の大軍に突っ込んだ結果なんですけど。
699 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:35:51 ID:xjVVbN69
>>697 折れる理由がわからんが。
実際その動きをみれば盗族働きなんていえないはずだが。
700 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:39:52 ID:X746C/L0
>>699 だから長島周辺しか実績ないだろ
尾張へ一回でも遠征してるなら貴方の主張の通るけど
701 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:41:23 ID:X746C/L0
防衛に関してはみんな長島の力は認めてるんだから
無理な主張止めようや
702 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:48:19 ID:Wirg8Q56
>>696 だからそんだけ信玄にとって都合よく事が運ぶなら勝頼や重臣に外交と戦略を伝えて5月攻勢は何が何でも
やるべきだったんじゃないの?
ここで引けば幾内がどうなるか、その結果武田家がどうなるか信玄様なら想像できたんじゃないの?
703 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:51:10 ID:cZKpVEUn
>>692 長島の位置と、美濃と、大垣や岐阜の位置をまず地図で調べてくれ。
あ、もちろん「当時の地図」でな。
そうすれば、長島が美濃と接しているくらいは判ると思うから。
あ、あと多芸山の位置も。
>>694 >少しでも時間を稼いだほうがいいに決まってるだろ。
その時間を稼ぐ為に、和睦工作とは思いつかないのか?あなたの頭では思いつかない
のはもう仕方ないとして、義景や将軍や三好や本願寺たちも思いつかないほど馬鹿だと
主張するのは彼らに失礼だからやめて下さい。
先にいっておきますが、義昭は四月の時点では信長からの和睦を蹴ってます。
時間稼ぎなら、なんでこの時に受け入れずに信長の攻撃を受けて損害を被ってから
和睦を結んだのか?おかげで七月の再挙兵したときは兵が少なくなってしまった。
朝倉や三好には信長と和睦をしようという動きは皆無。信長が受け入れるかどうかは
別にして、お家存続の為の時間稼ぎで工作しようとした気配すらない。
ちなみに本願寺も同じ。畿内の同盟者があらかた滅ぼされてから、信長に和睦を
切り出した。もっと早く和睦を結んで畿内の味方勢力を温存させられていれば、
後に武田が体制を立て直して再び織田と戦うようになるまで信長の敵を残した
状態で時間かせぎができたのにね?
704 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 02:00:07 ID:cZKpVEUn
>>698 長篠以前に武田は出撃しているわけだが、どうしてそのときにまだ生き残っていた
長島や本願寺や遠征しなかったの?
例えば武田勝頼が美濃岩村の救援と明智城を落としたとき。信長は主力をもって
美濃方面にいた。この時にどうして長島や本願寺は万という兵力をもって遠征
しなかったの?
同じく武田が高天神城を攻撃して信長が主力を率いて援軍へと三河まで向った時。
どうして本願寺は遠征兵力をもって京や堺を攻めなかったの?長島は尾張や美濃
やら、あるいは近江や伊勢へと遠征しなかったの?
特にあなたの主張通りなら、長島と日根野砦が連携して尾張美濃を攻撃する絶好の
チャンスでしょうに。岐阜を落とせなくても、例えば大垣を落とせば岐阜から京
へとむかう中山道を遮断できる。そんなことも思いつかないの?
705 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 02:14:24 ID:u6tEwXwV
>>570 秀吉も坂田郡ほぼすべてに浅井郡の一部支配している、
秋山は1574年までは岩村のみだし、依田も二俣支配しているとはいっても1573年には
二俣の南方の城は家康に取り返され1574年には東の方の城まで取り返され徐々に孤立、
とても強固とはいえない。
仮に天野なども与力にしていて、周智郡全域支配している、秋山も強引に恵那郡を支配していると
考えても秀吉の方が支配範囲広いかと、
下手したら川中島支配している春日よりも秀吉の方が広いかも。
>>672 武田が自転車操業と言っているのはあなただけじゃね。
>>692 >多芸山を通って引いてる。
つそれ川沿い、当時は流れが固定されていなかったからもっと川沿いかも。
706 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 02:36:01 ID:Wirg8Q56
どうも、織田の場合は不利に不利に、武田よりにする勢力は武田に有利に見てるような印象を受けるんだが
707 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 03:09:49 ID:bRm8qfod
優秀な指揮官がいない軍が弱いのと同じで 包囲網の要となる武田が抜けたあとの
状況を持ち出しても意味ない 信玄公がいればこそ包囲網も強化されたのであって
その証拠に指令塔である武田を欠いた包囲網の崩壊はあっというまだった
708 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 04:21:02 ID:NydlryPt
武田と包囲網勢力はただの同盟者
武田の指揮下で動いている訳ではない
史実で実際に起こった状況による分析などを無意味というのは
武田厨は自分たちの妄想する武田にとって都合の良い未来しか受け入れないって事だね
まさに最近毎晩一人で頑張ってる自分の妄想を主張し続け現実を受け入れない武田厨の姿だ
709 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 04:27:56 ID:bRm8qfod
むごいな お前は
誰に都合が悪いだのなんだのそんなの当たり前だ
お前に言われる筋合いじゃねぇよ 織田厨さん
710 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 04:30:13 ID:YBd8Khia
織田厨の自演も酷いけどな
多数いるって見せたい気持ちは良くわかるけど痛いよ
しかもレス数が多いだけで内容とかかぶりまくってるし
考え方も結論ありきなのが面白いほど共通
711 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 05:23:37 ID:FesSDApo
お前ら2万5千人の助さん角さん止めれるのかよ。
そういうことだ。
712 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 07:14:59 ID:e94NkAvq
あのまま西上してたら長篠が場所を変えて二年早まっただけだと思うがねえ。
信玄もそう判断したから野田城なんかでちんたらやってたんでよ。
713 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 08:52:45 ID:DDJhhhew
>>704 長篠時点の戦力じゃ、武田が出陣してても一揆を押さえ込むだけの戦力差が織田側にあるからだろ。
714 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 11:47:37 ID:2K+tuAMO
で、武田派の結論は
10〜18万石とここで言われてる長島一向宗は遠征可能の他国と同程度の質の軍勢2万人以上を保持してる
と、結論付けるんだな それで良いんだな武田派は
715 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 11:58:10 ID:DDJhhhew
>>714 武田派は、「戦闘能力のある男性だけで2万」って言っているんであって、
他国と同程度の質の軍勢とは誰一人言っていないと思う。
むしろ、質が違うから10〜18万石程度でも2万の男性を動員できると言ってるんじゃないかな。
716 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 12:23:26 ID:2K+tuAMO
質が違うって何よ? 荷駄引っ張ったり土木工事したりする人員の事?
遠征は出来るのに?
俺は織田派と言われるだろうが別に武田が嫌いなわけでも無いし武田派を否定するつもりもない。
若干織田が有利じゃないかな?と俺自身が感じてるだけだから
それでも絶対に織田が勝つ訳でも武田が勝つ訳でもない その程度の差だったと思う。
戦国ファンが贔屓のサポ応援団的な感じでやりあうのは楽しいと思うよ
どっちも妄想なんだし 結果論なんだしw
石高から論理的にテンプレ作ってた武田派が2万人遠征可能を支持するとは凄い残念だよ 俺は
717 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 12:25:04 ID:cZKpVEUn
だからその長島10〜18万石程度ってのがどこから出てきたのよ?
長島って、狭義には木曾三川の中の島。広義にとってもその周辺。
精々伊勢十三郡中一、二郡程度の範囲。太閤検地で表高五十二万、実高推定
役七十万?の国が、五分の一以下の領域で、収穫が余り見込めない低湿地で、
十万から十八万石?
>他国と同程度の質の軍勢とは誰一人言っていないと思う
むしろ、「一揆の性質を考えれば人口の五分の一くらい出撃できる」と大名組織
よりも上だと主張していたが。
718 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 12:27:27 ID:2K+tuAMO
何度もスマン なんか自分たちで自身の価値を下げてないか?
それは嫌いな表現だが論破では無いと思うよ
719 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 13:04:24 ID:DDJhhhew
>>716 >遠征は出来るのに?
遠征の有無だけが質じゃないでしょう。
>>717 実高推定役七十万の5分の1なら14万石
それ以下って言っても10万石はあって不思議じゃないでしょ。
18万石はないって言うんならまだしも、
どうしてそれで10万石まで否定してくるの?
>むしろ、「一揆の性質を考えれば人口の五分の一くらい出撃できる」と大名組織
>よりも上だと主張していたが。
数が多ければ質が高いって言うのは君の持論かもしれないが、
一般的には数と質は別物じゃないかな。
例えば北朝鮮は動員率20%を越えるが、だからと言って米国などより北朝鮮の方が質が優れていると考えている奴はいないと思う。
720 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 13:21:52 ID:cZKpVEUn
>>719 広義で、です。狭義でつまり本来の長島の範囲でいったら十分の一もない。
質については、兵隊の質ですかそれはこちが勘違いしました。
組織、軍隊としての質かと思ったんで。
もっとも、「船頭多くして船山に登る」というとおり、統一化された指揮系統に
統率されていない一揆の軍組織が、大名よりも上とはとても考えられん。
721 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 13:58:18 ID:DDJhhhew
>>720 >広義で、です。狭義でつまり本来の長島の範囲でいったら十分の一もない。
だから広義で言えばありえるんでしょ?
ありえないって言うのはどう考えても無理だからありえないんでしょ?
広義に考えればありえるならありえるじゃないか?
>大名よりも上とはとても考えられん。
だれも一揆の方が上なんて言ってないしね。
言ってもない事について考えられんって言われても知らんがな。
722 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 15:27:25 ID:41i2S97e
>>716 武田派とひとまとめにはできない
昔のレスを引用するなら
このスレは極右武田厨と普通の武田厨及びそれ以外の人とが争っているスレ
1のテンプレを作ったのは普通の武田厨であって
極右武田厨もついでに織田厨もテンプレ作ったがそっちは賛同者がほとんどいなくて
いつしか消えていった
723 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 17:51:33 ID:cZKpVEUn
>>771 広義の部分の長島が、必ずしも長島一向一揆の支配統治下にあると看做せないからです。
一時、長島周辺の豪族達が一向一揆と同調したことはありますが、それだって別に一揆の
支配下に入ったわけでもなく、また短期間で信長に攻められて降伏して以後は再び織田に
従属して、長島に同調した形跡はありません。
長島の一向一揆の勢力範囲を、地名としての広義の長島と同一視することはできないのです。
724 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 20:14:53 ID:DDJhhhew
>>723 >>719や
>>721はあんたが初めに言った
>>717の説明から言うとそういう事だろ?ってだけで、
>>723では、元からと内容がコロコロ変わってるって言うか、じゃあ初めからそう書いとけよって感じだな。
まぁwikiには門徒衆約十万人、石高約十万石(一説には十八万石)って書いているが、
wikiはソースとは認められないんだっけ?
725 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 22:41:34 ID:QxL0JO/9
>>720 そのころの一揆を後世のムシロ旗掲げてワーワーやってる一揆と同一視してるんじゃあるまいな…
726 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 00:59:59 ID:rTXcUuSF
初期毛利家も一揆みたいなもんだろ。
727 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 01:40:03 ID:+Sg/7Pwo
そもそも、一揆衆の動員力=本願寺の封建支配地ではないだろう。
石山籠城の番衆や物資援助は相模や武蔵など、東国も含めた
20カ国以上(伝承レベルのものも入れると30カ国くらい)の広域
に渡っていたというし、一揆というものの性格も考えると、本願寺の
支配地=動員力の決定的な決め手にはなり得ないと思うが。
長島一揆が遠征可能か否かは、小木江を落とした時期からすぐに
諸勢力が信長と和睦したために、どういう行動が次にとられる
はずだったのかが検討をつけにくい。
けど、武田氏が積極的に攻勢に出るとなると、長島の一揆はともかく、
近江や畿内でも蜂起が活性化するだろうから、それはそれで信長にすれば
小五月蝿いかもしれんね。
728 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 04:09:27 ID:VUSlYZwx
といっても他の大名連中は嘘や誇張、差異の多い史料での兵数は信用せず
兵数をテンプレでの動員数計算、万石あたり250人で出してるのに
一揆勢だけ史料の兵数などをまんま信用ってのもアンフェアになるぞ
729 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 04:15:59 ID:PyE75KIO
史料を鵜呑みにするのなら織田は7万動員するのが可能だな。
730 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 04:27:19 ID:qDq8PQwh
>>727 和睦工作をしたのは他の勢力であって、長島や本願寺とは無関係。
朝倉が織田と和睦したところで、長島がそれに拘束される理由はない。
包囲網ってものを、統一された指揮下にある連合軍と勘違いしていないか?
>武田氏が積極的に攻勢に出るとなると、長島の一揆はともかく
なんで長島の一揆ははぶくんだ?史実で長島が攻勢に出ていないからって、
予防線張って逃げるな。
731 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 04:33:59 ID:6FR8phn/
>>728 一揆勢だけじゃないよ朝倉もテンプレどうりにするなら12500だが
武田派は2万と言ってるし
要するに
>>706だな
732 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:01:47 ID:3FWNpON6
>>731 朝倉の2万は、元々織田派も朝倉は2万も動員して国内が疲弊させていると認めているはず。
朝倉の国内疲弊を切り離し動員数だけとって非難するのはダブスタだろう。
織田派の全員とは言わないが、都合の悪い部分は無視して都合のいい部分だけを取り出して不公平だと言い出すのはうんざりするな。
733 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:07:17 ID:PyE75KIO
武田が100万石あたり300人程度の動員にしてるんだから
織田も同程度の動員にしてテンプレの約5万を約6万にすべきだと思う。
734 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:13:10 ID:3FWNpON6
>>733 もしテンプレの
>>26を元に言っているんなら勘違いしてるよ。
対上杉用の5千と言うのは、上杉がもし攻めてきた場合には5千程度動員しなければならないと言うだけで、
実際攻めてこない状態では、信濃・上野の城は「織田・徳川と同じ」様に「基本的な守り」の兵力で守っている。
だから、常に5千を動員しているわけじゃない。
そして実際、上杉は攻めてきていない。
それで武田の動員率を考えると240程度のはず。
織田も武田と同程度の動員で計算する?
735 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:25:33 ID:WEa1uvH4
武田は領内の守備は0なの?
736 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:35:27 ID:3FWNpON6
>>735 >信濃・上野の城は「織田・徳川と同じ」様に「基本的な守り」の兵力で守っている。
織田は長島周辺以外の尾張や岩村の秋山への押さえ3千意外の他の城々は守備0なの?
737 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 12:20:29 ID:wylnXDxz
>>732 朝倉の遠征二万動員可能を認めた覚えは無いけど
朝倉の二万は一万石あたり四百人役だから
織田も国内が疲弊するのを覚悟で包囲網勢力打倒に四百人役動員
織田軍は八万の兵を動員可能と武田派は当然認めてくれるんですよね
738 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 12:55:06 ID:6FR8phn/
>>737 認めるわけないだろwそんなこと認めたら結局各個撃破されちまう
739 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 12:59:03 ID:n1WM8P2W
>>702 無理だろ。
実際勝頼は地盤固めに5か月以上かけてる。
ゲームじゃないんだから当主変わっても影響抜きでそんな事できるわけない。
740 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:03:34 ID:6FR8phn/
2万は怪しいだろうな
『信長公記』では桶狭間で4万5千ときろくしているが武田北条の書状では2万5千
かなり誇張しているのでは
朝倉が1万〜1万5千とするなら石高から考えると妥当な数値になるし
朝倉を1万〜1万5千としてそれぐらい兵力差があるなら一戦で滅亡してもおかしくないし
朝倉が退却しようとしたのもわかる
741 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:07:50 ID:n1WM8P2W
>>703 全然答えになってないみたいだが。
普通に伊勢と美濃は地続きだろ。
空飛んで勢力のばしたわけじゃないんだから。
問題は信長主要領土の美濃にも長島の勢力が浸透してる事実をのべてるんだが。
だから、なんで信長にしてみればチャンス到来なのに受け入れる必要があるんだか。
基本的に包囲網勢との戦いで和議を申し入れるのは大抵信長側で
包囲網勢のものではない。
いや、それは嘘。包囲はしたけど本格的な包囲にはいたってない。
実際は信長が和議を申し入れたのを蹴った後、信長が軍勢を率いて包囲、
そこで信長が天皇を使って和議を申し入れ義昭受け入れる、が流れ。
742 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:11:10 ID:n1WM8P2W
>>704 だから何度もいうけど、
なんで朝倉浅井もやられ、勝頼も地域限定規模でしか動けていないのに
しっかりした計画も見通しもなく各個に動いて撃破されにゃならんのか。
本当に君みたいな刹那的な自殺志願者ばかりじゃないんだが。
てか東美濃攻防の時はもう第2次伊勢長島の後だから長島もは北伊勢の勢力を
攻略されてるんだけど。
相変わらず時系列ひとつわかってないんだな。
てかあんたがこれまでに何を資料や根拠として出したのかいい加減あげてくれ。
743 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:15:25 ID:n1WM8P2W
>>705 秀吉が滞在しているのは小谷のまんまえの虎御膳なんだけど。
どう見ても周辺支配とは違うだろ。敵地まっただ中。
>>661の人が自転車操業といってるのでそれに反論したまで。
744 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:16:55 ID:n1WM8P2W
>>708 だからいい加減に一人認定はやめろとしかいえない。
その反撃の計画は信玄が中心になって行ったものだ。
それを失った包囲網勢の計画が崩壊したのもまた当然。
745 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:22:47 ID:n1WM8P2W
>>712 あの状況で織田が武田に対して3万の兵を向けてくれるわけか。
まさに信玄の望どおりの展開だな。
>>714 実際問題として長島を中心とした東海一揆の規模も実力も北陸一揆になんら
劣るものではないこと、遺されてる遺物の規模も東海のほうが上回ってる所さえ
ある事が証明されている。
長島は実力的にも伝統的にも東海一揆の中心であり、北陸一揆にできた遠征ができないとは
思えないし、諸記録にのこる一揆勢の規模からも兵力の動員は十分ありえる。
746 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:27:02 ID:n1WM8P2W
>>716 要するに一揆を石高で見たってしょうがないって話だろ。
実際問題として多くの国、多くの勢力で一揆が大名側を上回る兵力を
動員してる事は記されている。これが全部ウソというのはさすがにありえん。
誇張が人数に入るとしても大名側も自分達より多いか少ないかくらいは明確にする。
>>717 だから70万石から5分の1で普通に14万石はあるだろ。計算できんのか。
大名勢力より「人数動員力」が上ってことな。
747 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:30:13 ID:n1WM8P2W
>>723 普通に考えて攻略されて支配されたら再びそむくの難しいと思うが。
実際問題として長島周辺の住民の織田への恨みは長島滅亡の後も長く残り、
織田勢に宿を貸すのも嫌がったので織田がそれに苦慮してる書状も
現存してる。
748 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:33:20 ID:n1WM8P2W
>>728 >>729 だからな、多くの国で、多くの勢力で一揆が自分達を上回る数万規模の兵を動かしてる
事は述べられている。
大名側の記録でも誇張入れても自分達より多かったか少なかったかくらいは明確にする。
それらが口をそろえて一揆勢は自分達より多くの兵を動員してきた、と述べている事実は
注目に値するが。
749 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:36:19 ID:n1WM8P2W
>>730 また一人認定でもしてるのか?お前。俺は
>>727とは別人だが。
本願寺とも和議はされてたはずだが。
信玄を仲介とした和議も行われてる。
長島と本願寺は連動してるからな。
>>731 国力疲弊を前提にしてな。
朝倉が力以上を出して国力疲弊してるといいつつ、テンプレ通りしか認めないというなら
それはダブスタだが。
750 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:38:30 ID:1/ljfSoq
取り込み中なのに申し訳ないがw
君が言ってる長島の遠征可能の2万人の兵力は他国の2万人と同じ位の能力を持つ軍勢なの?
例えば2万人だけど、5千程度の動きしか出来なくて残りは数合わせとかでもないの?
すまんけど、細かい事は無しにしてはっきり返答してくれないか?
751 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:41:10 ID:n1WM8P2W
>>737 朝倉の場合は代代にわたって積み上げられた支配地。
織田の場合は短期に征服した動揺してる不安定な地域で
限界動員できるというのも無理がありそうだな。
まあ尾張美濃はできるか?でも美濃も結構動揺してるみたいだが。
仮に尾張美濃で動員するなら三万数千か?
752 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:00:10 ID:n1WM8P2W
>>750 ぶっちゃけわからんな。諸記録で見る限り一揆勢の大軍が
寡兵の大名側の敵に負けてる事もあるが、
逆に異常な強さを見せて勝利してる事もあるので
一揆勢の強さを一律で決めるのは難しい。
753 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:05:35 ID:MnPNRIH7
織田軍も美濃、尾張は400人役にすると
尾張は22880、美濃は19440に
他地域は250人役のままで
志摩450、近江13563、伊勢9923、三河728で
織田軍合計66984に
754 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:15:18 ID:n1WM8P2W
ただ美濃は岩村が攻略され、上村合戦で秋山に周辺の織田勢が撃破され、
遠藤が包囲網側とつながっている事や伊勢長島の拠点があり人員が動いてる事、
信長自身が家臣に長島とつながっている者がいるがそれが誰だかわからないで
いる事を吐露してる事を見ても結構不安要素はあるな。
尾張にも長島勢力は浸透してるし。
755 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:18:41 ID:n1WM8P2W
>>741の誤字があった悪い。
包囲はしたけど本格的な攻撃にはいたってない、だ悪い。
756 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:22:56 ID:1/ljfSoq
>>752 そうじゃなくて、勝ち負けや強さの話じゃないんだ。
弱くても、数が少なくても勝つ事は大名家にだってあるよ 組織の話
2万人の成人男性がいるから即2万人の軍勢が出来る訳じゃないよね?
大名家と同等の組織の2万人の軍勢を保持してると考えているのか? と聞いてる。
757 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:46:28 ID:n1WM8P2W
>>756 いや、だからね。
そんなものはまちまちでわからんと言ってる。
強い、という事は当然ながらその組織や装備がしっかりしてないと無理だ。
野田福島や三津寺で織田の大軍を真正面から撃破する一揆勢もいれば
北陸で3、4万の兵でありながら謙信に負ける一揆勢もいるという話だ。
前者をとるなら大名と同等ともいえるが、後者をとるなら大名と同等以下となる。
戦いごとに強さが違ってて一律に決められんよ。
758 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 15:05:53 ID:1/ljfSoq
>>757 長島一向衆の軍事態勢が分からないのに何故遠征出来ると断定できるのですか?
759 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 15:10:03 ID:n1WM8P2W
>>758 普通に遠征してる他国の一揆と同じような教団組織構成を持ち、
一向一揆衆の中でも有数の実力を持つ存在だから。
760 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 15:15:33 ID:1/ljfSoq
>>759 石山や加賀と長島が同等だという事ですか?
761 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 15:23:48 ID:n1WM8P2W
>>760 以外だった?完全に同格とまではいかなくても
長島もかなりの実力をもつ存在。
実際番役や頭役勤仕、その他などから見て
東海での一揆衆の実力は北陸と比べてそん色なく、
戦国時代における一向一揆拠点の双璧は東海と北陸といわれている。
むしろ残存してる宝物の数も東海のが上回ってさえいる。
そしてその中心的存在であったのが本願寺の子息を戴いた長島願証寺。
史実での活躍ぶりから見てもその実力を疑わずともよさそうだけど。
762 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 15:51:14 ID:1/ljfSoq
>>761 あなたの説明わかりました イメージですね。
長島一向宗は維持費出さないけど領民はオ○ムのように時間財産など全てを教団にささげてたんですね。
では、聞きたいことはもう無いので終わります。
763 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 16:47:05 ID:+Sg/7Pwo
>>730 本願寺が当初信長と敵対したことの要因に、三好氏や浅井朝倉などとの
関係があるわけで、そいつらが各個で和睦し、さらに青蓮院などからも
和睦の勧告がされている以上、単独で頑張らないとならない理由も
ないんだわ。
あと、長島の遠征能力については、結果として動いてないわけで、
断定は出来なかったので明言を避けただけだ。
それでも、一揆が活発にになるであろう事は言えると思う
764 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 16:56:04 ID:3FWNpON6
>>737 織田は堺などの商業収益を元に、ほぼ一年中戦い続けられるような扱いになっているが、
400を動員しても同じく一年中戦い続けられるなど言わないよな?
朝倉は冬は出陣せず他の期間も出陣しているのは半分の期間程度つまり年間の3分の1。
それで400で国内が疲弊している。
織田も同じくと言うなら、一年間の3分の1の4ヶ月しか戦えない事にするか、
元の250は堺などからの収益でいいとして、250を超えた150の3分の1の50だけを動員して、やっと朝倉と同じ程度の国内の疲弊度じゃないと
同じに考えてとはいえないぞ?
繰り返すが、都合の悪い部分は無視して都合のいい部分だけを取り出して不公平だと言い出すのはうんざりするな。
765 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 17:11:22 ID:6FR8phn/
>>764 都合の悪い部分は無視して都合のいい部分だけを取り出して不公平だと言い出す
それはお前だろ朝倉はもう何年も前から無茶な動員をしてるのに対して信長が5月から400動員して
浅井朝倉滅ぼすのを最優先にしてきたら浅井朝倉は守りきれるのか?
武田長島は防衛に専念するとして
766 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 18:02:11 ID:3FWNpON6
>>765 なにを言ってるんだ?
>信長が5月から400動員して 浅井朝倉滅ぼすのを最優先にしてきたら浅井朝倉は守りきれるのか?
>武田長島は防衛に専念するとして
俺はこんな事に対して、守りきれるも守りきれないもなんの話もしていないが?
どこをどう俺が、都合のいい部分を取り出したんだ?
767 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 19:21:42 ID:0nMWf30c
>>762 イメージじゃなくてちゃんと説明されてるじゃないか。
実際東海の一揆衆が巨大だった事、本願寺一族を迎え、宗家に次ぐ伝統と格式をもつ
長島がその中心だったのはまぎれもない史実だよ。
>>765 >>754にもあるけど、400動員できそうなのは美濃尾張くらいだし、
その美濃も結構あやしいよ。
768 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 19:36:51 ID:1/ljfSoq
>>767 自分の書き込みに矛盾がないかよく読み返しごらん
俺へのレスの意味
>>765へのレスの意味
それは自分の都合と言われても仕方ないよ
俺も織田派だけど織田が朝倉並の動員率は無茶だ ってのは同意するけどね
769 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 19:46:24 ID:qDq8PQwh
>>761 長島の一向一揆が弱いなんていっている人は武田派でも織田派でもその他派でもいないと思うが。
こちらが訊ねているのは、遠征が可能なのか否か。可能とするのなら、その根拠と、どうして
史実でまったく遠征をしなかったのか。そちらの言う、主力の武田が出てきて有利な状況でも。
極端なことを言ってしまえば、どうして信玄が西上中の72年10月から73年4月までに。
もし72年のうちに遠征開始して尾張なり美濃なり近江なりに撃ってでていたら、信長は当然
そちらに援軍をまわし、徳川への援軍はなくなり、武田による徳川領切り取りはさらに有利に
進んだだろう。武田へのメリット抜群のこの行動を、どうして信玄は指示しなかったんだ?
あなたは合いも変わらず五月一斉反攻計画が、というのだろうが、あなたの主張にしても、その
計画が出てくるのは翌年以降、朝倉が冬で帰国をしてからになる。どうしてその前に長島を
出撃させない?また73年は一斉反攻計画とやらは何処吹く風、朝倉も義昭も本願寺も三好も
信玄の計画とやらを無視して一月二月のうちでいろいろと軍をだしているが、どうしてこの時に
長島も動かなかったんだ?まだ武田軍は三河にいるし、長島だって準備戦争とやらで周囲を少しでも
切り取っていれば、計画発動時に楽になるはず。でもそんな行動は史実には一切ない。
史実で加賀の一揆は遠征をしているが、それで即史実で遠征を全くしなかった長島に適用できるもの
ではない。そもそも一向一揆という代物が、同一規格で組み立てられた組織などではまったくないの
だから。
いい加減に話をごまかして逃げるのはやめてくれ。
770 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 19:49:44 ID:0nMWf30c
>>768 悪い。
言葉が短すぎてわかりにくいよ。
もうちょっと説明してもらえるかな?
煽りとか抜きで。
771 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 19:56:48 ID:1/ljfSoq
>>770 まず俺へのレスの意味は10万石程度であろう長島一向宗が2万人の遠征能力を軍勢を保持する
に、あなたが賛成の意味がある。
で、
>>765では石高あたり400人は法外な動員だといってる
これは、何ですか? というのが俺の意味です。
別に煽る気はありません
772 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 19:58:10 ID:0nMWf30c
>>769 だから何度も言ってるだろうに。
連携して一斉に行動にでないと意味がないんだって。
信玄が朝倉に対して書状を送り、その反攻の時期を5月と定めている。
その後で諸国一揆の蜂起と長島の活動を重要要素の一つとしてあげている。
定められた機会を待っていただけのこと。
長島は志賀の陣でもちゃんと動いてるし、その停戦和議が終わった後からも北伊勢に勢力を拡大し
美濃や尾張にまで拠点を伸ばしていく。ちゃんと動いてるよ。
それから朝倉が帰国する前の11月の段階でもう信玄は5月からの出陣を朝倉に指示してるから。
73年の動きもみんな軍を出しているが本格的な攻勢の前の地盤固めに精を出してるんだけど。
北伊勢はおろか美濃や尾張にまで拠点伸ばしてしっかり準備進めてるんだろうに。
なんで無視するのか。
いや、組織体制は一向宗同士のは非常によく似てるんだけど。
何をもって違うというわけ?教えてもらえる?
っていうかそっちが今まで何を論拠として出したのかいい加減あげてくれよ。
773 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:05:20 ID:0nMWf30c
>>771 いや、一揆勢と大名の動員を同じにしてもね。
美濃は不安要素結構あるし、他の地域は統治してまだ日が浅いし不安定で動揺してるから
フル動員できるとも思えないし。
774 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:09:24 ID:1/ljfSoq
>>773 それが5倍以上もの動員力の差になるわけですか?
年貢は大名より多くはないですよね?
一向宗の領国経営は大名よりも相当優れていたんでしょうか?
なのに後世に伝わった様子はないですね
775 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:10:13 ID:wwlnTac/
長島2万遠征可能論者は
>>761以外にいるのか
織田派、武田派、両者防衛や長島周辺の影響力は認めているが
遠征となると・・・
だいたい遠征ってどの程度の物と考えてるの?
5月攻勢とやらに呼応して尾張や美濃に2万で侵攻するって考えなの
いつも連レスする人が5月攻勢、長島遠征論者の人だよね?
この人はコテ付けて欲しいな
776 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:20:01 ID:0/njpoVF
そもそも武田は五月までに織田に軍事的圧迫をかけられるほど迫れるところまで行けるの?
777 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:23:28 ID:0nMWf30c
>>774 そりゃ皆兵動員だからね。
皆兵動員なら普通に大名の石高以上のを出せるよ。
皆兵動員体制なら長宗我部とかも異常な動員やってるし。
>>776 もう抑えてある奥三河から岩村に抜ければ美濃に出て余裕で
圧迫を与えられるよ。
778 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:28:11 ID:qDq8PQwh
>>777 昔の日本(やその他の列強)は国民皆兵だったが、それで国力経済力以上の
軍隊を動員できるとでも言う気か?
一揆というものに妄想を抱きすぎだ。もう何度も指摘していることだがな。
779 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:29:42 ID:1/ljfSoq
>>777 冗談はやめてくれないか?
皆兵動員体制で遠征するのに必要な物資は10万石でまかなうのか?
780 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:32:48 ID:0nMWf30c
>>778 あれは近現代。兵士や武器のコストがそれまでとは比較にならないくらい
跳ね上がった時代だよ。
郷村が普通に武器を持ってて兵糧も持ってた戦国時代とは別。
>>779 いや、冗談でも何でもないよ。
実際長宗我部とかも大名だけど皆兵動員体制でその石高からすれば異常な
兵隊を遠征に出してるんだから。
一揆勢ならより可能。
781 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:39:33 ID:wwlnTac/
>>780 本当に都合いいな
織田も皆兵動員体制でいいの?
782 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:41:02 ID:0nMWf30c
>>781 織田はもともとそういう体制で構築されてないでしょ。
信長が望めば一気にそういう体制になれると思ってる?
一揆みたいにその住民たちが信仰で結束し、志願しないと無理に
決まってるでしょ。
783 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:42:19 ID:qDq8PQwh
>>780 ゲバラのゲリラ戦要綱くらい目を通してから妄想語ってくれ。
784 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:43:03 ID:ad1Vsea7
>>741 信長主要領土の美濃っていっても長島が大きな影響力及ぼせそうなのは領土の端ぐらいじゃ
その言い方では印象操作しているような印象受ける
>>743 岩村は18支城に取り囲まれているし
二俣も天方城のすぐ近く
海津も川挟んで対岸には善光寺付近に上杉の城がある
どちらも敵地といえば敵地
長篠後の高天神もそうだな
秀吉の方は後方との連絡路まであるし
あと当時の軍制で一旦領土に帰還しなければ兵の補充が出来ないというのであれば、
現地以外の兵、秋山だと伊那、依田と信濃出身の兵などは一切補充出来ていなかったってことに
661のレスにはどこにも武田が自転車操業とは書いていないと思うが
>>745 具体的にソースは?
>>746 何でそこだけ実高を用いる?
だったら全大名を実高で評価すべきでは
>>747 本能寺後は伊賀伊勢などでは内乱続いたしな
>>748 対織田では各武将の兵力よりは多かったりするけど、織田本隊よりは少なかったような
また史料による一揆の兵力そのまま信用するのであれば、武士兵力と比べて質は非常に劣るってことになりそう
特に野戦においては
長島2万といっても数割の兵力で十分封じ込められるとか言われるんじゃ
>>751 それを言い出すと武田だって駿河や上野などは結構短期だし
松永や三好もそう、浅井も江西は短期だし、朝倉だって加賀との国境争いの終結からまだ5年ほど
>>754 地図見ればわかるが岩村は美濃といっても辺境
上村合戦がいつ起きたかは諸説あるが、その影響があっても秋山は単独では
岩村を保持できた程度に過ぎない
勝頼が奪ったはずの恵那郡の諸城もいつの間にか取り戻されているし
>>757 >むしろ残存してる宝物の数も東海のが上回ってさえいる。
北陸とは違って織田に従っていた一向宗寺院が多いからじゃ
>>761 ソースは?
>>763 でも本願寺はまだ畿内で頑張っていたような
>>764 後年のイメージが大きいせいか織田は一年中戦い続けられるみたいに思われているけど
年間通しての遠征期間は武田より短いと思う
785 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:47:29 ID:0nMWf30c
>>783 書名だけあげて具体的な事は何も言わないではとても話にならないな。
786 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:48:32 ID:0nMWf30c
>>783 書名だけあげて具体的な事は何も言わないではとても話にならないな。
787 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:48:37 ID:wwlnTac/
788 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:50:15 ID:0nMWf30c
>>787 皮肉にもなってないと思うが。
コテをつけるかどうかって事?それはやめとく。
遠征してもいいし、浸透作戦で各拠点からゲリラ活動してかき乱してもいい。
それだけの力はあると思うが。
789 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:52:32 ID:wwlnTac/
>>788 遠征ってどんな行動とるの?
そこ詳しく
790 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:56:35 ID:0nMWf30c
>>789 発動されてないんだから、
実際にどんなルートでどこを攻めるかまで
わかるわけないだろうに。
ただ反撃の重要な要素であったことは当時の書状からあきらか。
ただ美濃や尾張に進出する力はあるし、その美濃に拠点もあるし
選択肢は十分あるね。
791 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 20:58:42 ID:ad1Vsea7
>>767 本願寺一族を迎えって言っても一族迎えた寺院なんて多数あるし
願証寺は比較的新しい寺院なのに伝統というのは疑問、16世紀入ってからの設立じゃ
格式は蓮淳系列であるため高いし、宗家との繋がりも深いと思うけど
代わりにそれ以外との関係は悪そう
>>772 連携するなら1572年の秋でもよかったようなってことでは
>>773 不安要素といってもほとんど端っこ
武田の信濃の支配だって完全には支配できていないので不安定となると思う
>>777 さすがにそれは無茶だろ
動員しても金や兵糧が持たないんじゃ
>>780 長宗我部に関しては、太閤検地での石高が過小過ぎなのと
軍記物の兵力はあてにならないこともあってそう無茶な動員しているとは思えないが
792 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:04:53 ID:wwlnTac/
>>790 長島周辺でゲリラ活動ならまだ分かるが
>美濃や尾張に進出する力はあるし
これがなぁ、まとまった軍勢で城を囲んだり、落としたりするってことなの
しかも2万なんだよね、あなたの妄想が実現したら織田も困るだろうね
何度も言われてるけど5月攻勢以外でもこの軍を活用出来なかったのは何故なのかな?
別に信玄と呼応しなくても、色々な軍事行動が出来そうだけど
793 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:05:01 ID:0nMWf30c
>>784 日根野の砦は領土の中に入ってると思われるけど。
信長もつかめてない長島派が織田領内に多くいた事はその書状からも
裏付けられる。
高天神に関しては岡部が部隊とともに派遣されて城将となり防衛強化してる。
秋山も依田もその地域をちゃんと領土として支配してるんだから。
秀吉のは敵地真ん中で気づいた付け城でしょ。
これでどうしろと。
ああ、そこは相手の論調を流用しただけ。
伊勢が56万石ならその5分の一でもやっぱり11万石以上。
三津寺や野田福島での織田の兵力は普通に互角以上だと思うけど。
でも駿河や上野には不安定な要素はないけど?
織田の領土はあちこち火がついて戦闘も絶えない状態だし、不安因子が高い。
ここからフル動員は無理だよ。
794 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:08:55 ID:1/ljfSoq
織田の美濃より武田の上野の方が安定してるとか武田派の人でも慌てて否定しそう
795 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:09:09 ID:3FWNpON6
>>784 >後年のイメージが大きいせいか織田は一年中戦い続けられるみたいに思われているけど
>年間通しての遠征期間は武田より短いと思う
そうなんだよ。
なのにここでは、織田は一年中戦えるかのような扱いなんだよね。
織田は武田に対して兵を向けて対峙して、武田が撤退してからそのまま浅井・朝倉を攻めれば、浅井・朝倉を倒せるとか。
796 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:09:24 ID:09DoQ9IL
>>791 蓮淳は願証寺に養子に入っただけで創建はもっと前のはずだと思う。
797 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:10:44 ID:wwlnTac/
>>793 動員に関しては
遠征でも朝倉並みの動員は出来るよね
防衛に限れば動員率はかなり上がるんじゃないかな
798 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:12:14 ID:0/njpoVF
>>777 信玄が病気療養中で動きが止まっていたとはいえ、まだ武田軍が遠征中なのに義昭が反旗を翻すと軍を動かしてるから、元亀四年4月の段階ではまだ直接的な軍事的脅威を感じてなさそうなんだが……
野田城を二月に落とした後、信玄が元気であれば何処まで動けたんかねえ?
799 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:15:50 ID:0nMWf30c
>>784 武田領国と接する国境の門だけどね。
ここを抑えられた事で武田が侵攻できる土壌ができた。
実際織田は長篠の後で真っ先にここの奪還を狙ってる。
長島関連が石山に援助した多くの史実、宝物にかかわる高額な諸費用、
長島が本願寺の一族を迎えて東海の中心となっていた史実、
天文一揆における東海地域の動き、東海一揆の各地に広がる広範囲の活動、
いろいろあるよー。
800 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:18:14 ID:qDq8PQwh
>>793 長島一向一揆が支配していた地域では、伊勢の十分の一もない、と言っているのに。
何故か広義の地名の長島を取り上げて五分の一はあるとか。
また過大解釈ですか。
801 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:21:36 ID:0nMWf30c
>>792 妄想というか資料を見る限りそれだけの力はあるんだけど。
実際織田の城とか攻略してるし、北伊勢から美濃尾張にまで進出も
してるのに。
単独で動いてもしょうがないし,2万動かすのは大変そうだし。
>>794 根拠よろしく。
>>798 その時の行動では天皇を使って和議をしてさっさと美濃に戻ってる。
何度も言ってるけど。
>>797 ちと主語が書いてない。どこの勢力に対しての言葉?
802 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:23:38 ID:0nMWf30c
>>800 言い出したのは君でしょ?
都合悪くなると発言かえられてもね。
実際長島の影響範囲は広いし。
803 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:30:24 ID:1/ljfSoq
>>802 影響が広いって何ですか
他国の農民から年貢でも徴収してたのですか?
何か信仰心みたいな話ばっかりしてるけど一向宗関係者ですか?
あまりにも常識外で的外れな事ばかり並べて正当化されるんで悪いけど疑った
804 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:33:25 ID:wwlnTac/
>>801 2万で遠征は大変って認識なんだね
あくまで長島周辺で後方撹乱なら分からないでもないよ
あなたかどうかわからないが2万で侵攻とか言う人がいたから
織田の動員率に関して
最近は国内疲弊の朝倉が2万で虎御膳を抜くとか言ってる人がいるから
805 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:34:53 ID:0nMWf30c
>>791 もともと長島には法泉寺と同族の願証寺があり、その主が蓮淳に譲ったとされている。
それが長島願証寺略縁起にある。
そんな事いっても実際に計画が煮詰まったのは11月だったし、
第一徳川をある程度叩き、奥三河を確保して岩村に抜けるルートを得ないまま
動いても織田への一斉反撃になりにくいし。
信濃最北端で上杉の城が少しあるだけと内部にまで動かれたり
内応されたりしてるのでは違うと思うけど。
実際そうとでも見ないと諸記録にある一揆勢の兵力が「誇張ありでも」
大名勢力より多く書かれてる事に説明がつかない。
後の検知で見ても四国全土でも80万石。
これで長宗我部はその半分くらいなのに2万3千動かしてる。
806 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:37:48 ID:0nMWf30c
>>803 一向宗関係者じゃないよ。
普通に資料に基づいて話をしてるまで。
>>804 大変って言ってもその気になればできる、って事だから。
恒久的にやるってことじゃなく、って意味。
朝倉二万と浅井数千で普通に虎御膳は抜けるから。
織田の動員率についてもこっちは説明してるでしょ。
807 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:38:42 ID:1/ljfSoq
>>804 虎御膳の話の方が余程マトモだよ
織田派の俺でも全否定しないし議論としてかみ合ってたと思うよ
見てただけだけど
808 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:44:14 ID:ad1Vsea7
>>793 日根野の砦って本当に実在していたのか実在していても織田に無視されるレベルなんじゃ
そりゃ織田の支配下の門徒の中にはそういった連中もいただろうな
実際鉄砲の空打ちや見逃しただの逸話もあるし
でも大勢は織田に従っているんじゃ、本願寺は加賀や石山では全国から門徒集めたわけだけど、
それによって全国の大名が動員すべき兵が減ったとかいうわけでもないし
補充は岡部が派遣されたときだけってことになるのか
あと秀吉は近江をそれなりに支配しているんだから十分だろ
それに横山城代で虎御前山には常時詰めているわけではなかったはずでは
兵力の補給うんぬんは資料に無いが、秀吉が横山に戻っていることは史料にある
これなら秋山らとそう変わらないと思うが
原田の兵力がどの程度だったかは判らないが、雑賀衆の力も大きいのでは
また川の流れの入り組んだ地形でもあるし
野田福島では織田の兵力の方が上だったと思うけど
この時点で大坂に何万も兵がいるのに織田は気づかなかっただとどんだけ鈍いんだってことになるだろうから
たいした兵力はいなかっただろうし
前後にいきなり敵を抱える状態になったのだから織田の方が状況的に不利だったんじゃ
駿河は北条と徳川による万が一の可能性あるだろうし
上野に関しては上杉が
不安定な要素はあると思うが
まあ史実じゃ武田は駿河に岡部か誰かを残していたと思うが
>>795 前スレか前々スレに織田武田の年間遠征期間のまとめがあったような
>>796 法泉寺のこと
こういうの言い出すと他の寺院もどんどん歴史が古くなると思う
809 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:48:24 ID:+Sg/7Pwo
>>803 諸国の門徒が、人員や物資を援助してた事が記録に残ってる。
本願寺側も郡ないし町、檀家や講中単位で指示を与えており、
それは各国に散在している。
くどいようだけど、いわゆる一向一揆の動員可能な範囲というのは、
=直接支配してる領域ではないわけだ。
810 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:54:46 ID:wwlnTac/
>>806 その気になれば出来るの?
そこは考えが違うな、もっと以前からその気になれば良かったのにね
5月攻勢だけ本気って言われても、説得力無いよ
織田も本気になればもっと兵力動員出来るんじゃないかな
朝倉の動員率のことはテンプレ石高換算では1万3千
最近は国内疲弊で統制も不安定なのに2万動員になってるからツッコミたくなっただけ
朝倉二万と浅井数千で織田援軍無しなら虎御膳は落ちる可能性が高いと思うよ
811 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 21:59:17 ID:1/ljfSoq
寄付とか・・・。 年間30万石くらい米俵でも送ったんですか?
何か もう・・・ あと頼みます キリがねえ
812 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:02:57 ID:+Sg/7Pwo
>>811 何が、「なんかもう」だ。
こっちは、一応はそういう資料などを挙げているわけだが。
それに、「年間30万石」とか極論を吹っかけてるんじゃないよ。
813 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:05:28 ID:0nMWf30c
>>808 普通に足弱の移送とかもあるし、存在はしてたんだろう。
一拠点なんだから本格的な作戦発動で意味を大きく持つ駒だから
信長も当面は無視したんだろう。
その連中が織田に対して本格的な反撃が行われた時に動いたらかなりな脅威だと
思うよ。
1572年秋に虎御膳が作られてから、四月の義昭との関連で
信長公記では「朝倉・浅井に取りあい、虎御膳山番手半に候て」とあったはず。
そして武田も東から来てるから「方々御手塞がり」であると。
これはどう解釈してる?
雑賀衆の事は三津寺の時はそんなに大きく取り上げられてないし、
司令官の原田がわざわざ主要武将あらかた連れて攻めてるんだから
それなりの大軍だと思うけど。
連日にわたって野田福島で織田勢のが多いのに一揆達は押し負けず
互角以上に渡り合い撤退させた事は十分な戦闘力の証明だと思うよ。
上杉は北条と北陸で大変だし、駿河も完全な手明きじゃなかったはず。
てか織田領美濃はそういった外部に加えて内部がいろいろ侵食されてて
フル動員はむずかしいんじゃないの、ってな話なんだけど。
814 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:06:17 ID:1/ljfSoq
>>812 ごめん 若干イラッときてたから もうやめる
815 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:10:17 ID:0nMWf30c
>>810 しっかりした計画もなしにいきなり大変な動員するわけないでしょ。
それでも着実に北伊勢から尾張美濃に勢力伸ばしてるし
周囲の城も攻略してるんだから十分説得力に不足はないと思うよ。
朝倉もいろいろ2万を動員して、信玄の反撃計画に乗って
この反撃で決めるつもりでいたのに
信玄が死んでその目算がつぶれたからがっくりきちゃったんでしょ。
普通に信玄存命での行動は可能と思うけど。
内部動揺や崩壊は信玄死後だから。
816 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:18:07 ID:wwlnTac/
>>
>北伊勢から尾張美濃に勢力伸ばしてるし
詳しく、いわゆる大名のような勢力伸張じゃないよね
恒久的に維持するような
いや信玄生前から統制力は弱まってるよ
朝倉2万動員と同等で織田の動員率も上げてもいいんだよね
817 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:23:46 ID:ad1Vsea7
>>799 織田が信濃三河に進出するというのであれば三国の国境を抑えるこの城は重要だろうけど
織田が守勢にたつのであれば岩村は三河信濃からの侵入を防ぐ最初の城って感じじゃ
地図見ればわかるけど恵那郡加茂郡土岐郡辺りまでは山間部なので
美濃を守るのであれば街道が集まっているこの地域のどこかの城で十分だと思う
また長篠の後真っ先にというが囲んだの信忠らだけであって
織田の主力は越前加賀へと進んでいる
影響が広いのは判るがだから何としか
天文一揆でも畿内では大名とも何とか渡り合えたが東海ではそんなことは無かったし
で具体的にソースは
>>805 >そんな事いっても実際に計画が煮詰まったのは11月だったし、
>第一徳川をある程度叩き、奥三河を確保して岩村に抜けるルートを得ないまま
その結果浅井朝倉は江北に封じ込められたじゃ割りに合わないと思う
美濃の方も最西端最北端と端っこ
内部で動かれているといっても一部門徒が動いているだけじゃ
この場合の皆兵動員の定義が各自でばらばらだと思う
元親記の記録がどこまであてになるというんだ
だったら織田にしても朝倉にしても軍記物の兵力採用しないと
>>811 寺社は基本的に所領が全国に散らばっている
また本寺と末寺の関係から
宗教的支配地域においては他の宗派の寺院の存続信仰を認める代わりに
その寺社から税を取り立てたりと
いろいろと収入の手段があるから
そのため大名との戦争になると末寺の連中が独立求めて武士側についたり
また同じ宗派同士でも収入源である末寺を取り合って争ったりと
>>813 当面は無視だとしても最後まで織田方の記録に残らないってのは変
足弱の移送考えると長島に篭っていたのは難民ばかりで戦闘員は少なかったのではって
ことになると思うが
>その連中が織田に対して本格的な反撃が行われた時に動いたらかなりな脅威だと思うよ。
動けばな、ただ個人的には織田が大きな失態でも起こさない限り動かないと思う
>「朝倉・浅井に取りあい、虎御膳山番手半に候て」
実情は史実考えると浅井朝倉はやる気ないし、武田は動いていないので実情を反映していない
しかし織田家中ではそんな風聞が流れていたのではと思う
上のと合わせるがここで織田が大きな失態例として挙げるなら戦術的な敗退でもしていれば
家中領国の動揺も大きくなって包囲網側にも何らかの逆転の目が出てくると思うが
野田福島の撤退の一番の理由は浅井朝倉だと思う
まあこの時互角以上に戦ったのは事実だろうけど
近江戦線だと一向宗は負けてばっかじゃ
内部がいろいろ侵食って実際には遠藤ぐらいじゃ
それにこの程度で侵食言うのでは朝倉はもっと難しいんじゃ
結局フル動員なんてどこも難しいじゃないの
818 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:25:10 ID:0nMWf30c
>>816 北伊勢の豪族達を自分達の中に取り込んでるよ。
そんで北伊勢の広い範囲を手中にした伊勢長島を攻略すべく
信長は第2次伊勢長島を起こす。
いや、そんなに弱まってないよ。根拠あげてみ。
朝倉代代の領地である越前と比べるには織田の領土は短期のが多いし、
実際各地域で混乱してる。動員率あげられそうなのは
美濃と尾張くらいか。その美濃では内部が不安なのは
>>754で説明あり。
819 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:26:49 ID:ad1Vsea7
>>816 もともと北伊勢や海西郡などは一向宗の地域が強くて半独立状態だった
それが織田の上洛前後で一応織田に従い出したがまた離反の動きを見せ始めたってところだな
820 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:29:30 ID:ad1Vsea7
>>818 重臣寝返り
内政問題噴出
後には軍役拒否
酷いものだと思うが
754には反論済み
お互い納得出来ないのでまたループなるだけだろうけど
821 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:33:28 ID:0nMWf30c
>>817 武田にしてみれば岩村は美濃への門。
ここを確保することで安定して軍事活動を美濃に対して展開できる。
長篠の後で5か月にわたって大軍で岩村を包囲してるのに
執着なしとは言えないと思うけど。
東海では普通に一揆勢が畿内に赴いて参戦したりしてるよ。
結構あるから何から語ればいいのやら……
今はスレの流れが早いのですべてを答えるのは長くなりそう。
先にあげた5個くらいの項目でどれをあげてほしいか書いてみて。
822 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:35:01 ID:0nMWf30c
>>820 全然
>>754に反論してもらってないんだけど。
重臣寝返りって無礼を働いて勘当されたから
寝返っただけなんだけど。
その軍役拒否は信玄死後ね。勝手に持ち出さないように。
823 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:38:05 ID:wwlnTac/
>>821 コテ付けた方がいいと思うよ
あなたも何回も同じこと言ってるんじゃない
1年以上甲斐に帰らず継戦可能も言ってる人ですか?
824 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:41:08 ID:0nMWf30c
>>817(その2)
閉じ込められたわけじゃないよ。
実際問題として朝倉浅井も武田抜きでは織田には勝てない。
だから武田の動きと一斉反抗に期待してたんだから。
割とか以前の問題だよ。
実際敵対門徒が動きまわっているんだから十分な脅威だと思うけど。
信長自身でさえ家臣の誰が長島派なのかつかめてないのはさらに恐怖。
おいおい。それなら長宗我部の兵力はまるっきり嘘っぱちだとでも?
誇張ありでもそれなりの大軍だった事は事実だろうよ。
そしてそれは単純な四国の半分程度の計算では賄えない兵力だという事も
皆兵動員の動員力を裏付けていると思うが。
てかお願いだから分けて書いてくれ。
一レスがこんなに長くちゃ反論が大変だ。
825 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:42:30 ID:0nMWf30c
>>823 何でコテつけなきゃならんのか。
そっちが何回も同じこといわせるからでしょ。
大内がやっている以上できないとは思えない、とは書いたことあるかな。
826 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:44:14 ID:wwlnTac/
朝倉の統制力については
どうして朝倉だけ2万で虎御膳攻めって動員率になったの、これはいつから
テンプレ完全否定だよね
827 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:49:33 ID:wwlnTac/
>>825 いや、あなたがこのスレを支えてると言っても過言では無いと思うから
反論してもいつも平行線だしね、何回も同じこと言わせるのはどっちもどっちだよ
結論は
>>11で出てるし
828 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:52:19 ID:0nMWf30c
>>817(その3)
ごく短期で活動した拠点だから
織田が気づいてなかった可能性も高いと思うが。
足弱は補助兵員として役立つと思うよ。
一斉反撃で諸方から攻勢を受けて織田が苦しくなれば動くと思うよ。
朝倉浅井も十分やる気あると思うが。武田も動いてるし。実情を反映してると思うが。
織田家臣の印象としてはこんな感じだったとみるのが普通だろう。
内部の不安は結構なものだったろう。
ってかその文を見る限り、秀吉勢が虎御膳に常勤してるように見えるんだけど。
一斉反撃で十分逆転の目は狙えそうだけど。逆転とまでいかなくても
織田の勢いがそがれて混戦にはなりそう。
だから諸国の戦歴でばらつきがあると言ってる。
まあ実際は朝倉浅井の戦果でも一揆勢が先陣を務めてる事が結構あったみたいだが。
本願寺が浅井に苦情を申し入れたりしてる。それで先陣を交代制にしてたはず。
遠藤に加えて一揆衆の蠢動、さらには武田の進出による動揺。
これらから見ると結構あやうそうだけど。
朝倉の場合は代代の地盤だし。
フル動員はどこも難しい。だから朝倉は代代の地盤でもそれをやったがために
後で疲弊する。
829 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 22:57:02 ID:0nMWf30c
>>826 信長公記で朝倉は最後の出陣でさえ2万だしてるから。
他でも二万規模動かしてる記録は朝倉には結構あるし。
連代の地盤と無理をした動員だったんだろう。
>>827 皮肉でいってるわけ?
っていうかそもそもこのスレが平行線である以上、
立つ意味ないと思うんだが。だがスレがある以上、織田派が無理というなら
こちらも反論するまで。
830 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 23:20:51 ID:wwlnTac/
>>829 テンプレは太閤検地石高換算だから
軍記の誇張が影響しないように作ってあると思うけど
無理して2万か・・
織田も無理すればって話になるよね
真面目に言ってる
立つ意味ないと思うんだがは同意、自分は別に織田厨じゃ無いんだけど
史実じゃないことを語るんだから武田派の主張が苦しいことには同情するけど
仮想スレだから妄想に近い考察だよね
あなたの意見を全て見た訳じゃないけど
信玄生存だと織田もかなり苦しいだろうとは思う
>>11なら上洛可能だなとは思うよ
長島に関しては同意しかねるが
831 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 23:31:24 ID:LVv4weMo
>>655 お前が納得できないから例えて教えてやったんだろうに
お前が如何におかしなことを言っているかな
まあ、それはいいや
俺の頭がおかしいでいいわ
「資料からどう見ても」
おまえが「どう」みて、相考えるに至ったのか示せよ
楽しみにしてるぞ
832 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 23:51:30 ID:SgM9TiQT
規制にまきこまれたため、レス代行をしてもらっています。
>>830 だから朝倉の越前は代代の地盤だし、織田の領土は短期で戦闘も起きてて
不安要素も大きいといってるんだが。
だからできそうなのは美濃と尾張くらいで、しかも美濃は内部が不安定と
いってるんだけど。これだけあげてるのに無視するのはいい加減やめてもらえない?
そう言って相手の説明を一方的に妄想とか同情とか見下してるくせに中立ぶられても
こちらは全く信用できません。今までのレスぶりから見てもね。
別に
>>11を見る必要もないし、上洛が必要とも思ってないが。
>>831 その後に続いたこちらのレスをちゃんと見ることだね。
一揆勢が諸国で数万の大軍を動かしてること、大名側の記録でも誇張入れても相手が
自分達より大勢か少ないかくらいは明白になること、いろんな大名がくちをそろえて
一揆が大軍を動かしてる事を記述してる事などを見れば明白。
両人ともこのスレがこちらが規制されてる間に埋まったら次スレで反論するから。
ちゃんとこちらのレスを見ておくように。
833 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 00:26:50 ID:QxF0zqgM
>>832 何、怒ってるのw
無視してないよ、美濃と尾張は動員率を上げてもいいんだね
他地域も無理すればもっと動員できるよね
朝倉が無理してるんなら、織田も無理するだろうってことを言ってるだけだよ
自分も上洛する必要は無いと思うよ
包囲網が一致協力して1年間くらい連携して戦うことが出来れば有利だよね
834 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 00:28:01 ID:G0ZZF4FR
朝倉氏の不安要素というと、大野郡司家と敦賀郡司家との対立が大きいかな。
これは義昭が越前へ身を寄せる頃から噴出してた問題だしね。
835 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 00:40:45 ID:Q9xdLbHD
>>821 美濃への入り口だけど、入り口でしかないって感じでは
ここを取らないことには伊那口から美濃に侵入出来ないというべき
その先にまだまだ城がある、実際1574年には高野を固めている
執着無しではないだろうけど優先順位は低いってとこだろうな
信忠他東美濃に所領を持つ物に任せている
1574年も城固めたら勝頼を放置してさっさと上洛している
一揆勢が畿内に赴いて参戦したりしてるのは東海に限らず関東や中国九州も全国から集めている
>>822 無礼を働いたは俗説じゃ
それに本国での家臣の所領横領問題は1572年冬の話
>>824 門徒が単に動き回るのは割と一般的なことなんじゃ
1560年代半ばの朝倉による加賀攻めでも全国から門徒招集しているし
大軍だったのは事実だろうけど誇張はありに決まっている
軍記物においてこと兵力に関しては基本的に嘘なんじゃないか
軍記物信じるでもいいけどそしたら各大名の兵力が増大してしまうが
>>826 誰かが勝手に言ってるだけだと思うテンプレはあくまで石高による一定の基準での目安で
しかも軽い軍役なので最低限の兵力とか遠征用の兵力という扱い
どの勢力も無理すれば更なる動員は可能
あと
>>419が
>織田派は朝倉に対して、国内が疲弊していると主張しているがこれは、12500程度を動員する国力しかないのに2万も動員しているからと言う理由
こんなこと言ってる人はいないと思う
国内が疲弊しているという根拠は軍役拒否などが理由だったはず
836 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 00:48:51 ID:Q9xdLbHD
>>828 そんな岐阜から10キロで気づかれないなんてどんだけ小規模な砦なんだってことに
虎御前山は秀長だったはずじゃ
朝倉は代々といっても1560年代後半から内輪もめ繰り返していたようだし
関所の撤廃などによる経済的ダメージ浅井への利益の無い援軍出兵
そして所領問題
決して国内が安定していたわけじゃないし金銭のこと考えると朝倉の方が動員率上げるのは困難だと思うが
>>830 甲陽軍鑑だとこの時期の織田の兵力は10万とか書かれていたような気がする
もっとも武田も嵩上げされていたと思うので比率はさほど変わらなかったと思うが
837 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 01:09:25 ID:wJU1OyjW
そもそも信玄が生きていれば信長は動けなかった、動きが鈍ったと言うこと自体が決め付けでは?
俺は信玄が生きていようが死んでいようが史実どおりに信長は動いていたと見るね。
武田軍主力が三河に展開していた3月の時点で織田軍は岐阜をがら空きにして足利義昭の篭る二条城を攻撃してる。
武田には岐阜まで進める余力が無い事を見切っての事だと思うよ。
俺は信玄の作戦行動は上洛目的ではなく、遠江を占領する為の物だったと考えている。
でなければ貴重な前線基地になる浜松を放置して三河に進む事が考えられない。
現代の火力と物量にモノを言わせて短期に決着がつく時代ならまだしも
輸送手段も兵力の移動手段も乏しい戦国時代に大軍が飛び地を作って長距離遠征を行うなどまず有り得ない。
ましてや慎重の上に慎重を期す信玄がいくら自身の健康状態に不安があったとしてもその様な行動を取るとは思えん。
おそらく信玄は野田、吉田あたりまで進出して遠江を孤立させた上で撤退するつもりだったのだろう。
信長もその辺を読みきっていたから、あえて武田の攻勢を無視して対朝倉、浅井の撃滅準備に専念した。
838 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 02:51:54 ID:IXGycQuc
>>835 なんで岩村の優先順位が低いんだい?
岩村の自然環境は防衛・攻略の前線に適している。
岩村をどちらが保持しているかは非常に大きな問題。
重要拠点である事は間違いない。
839 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 05:03:30 ID:jYNxYtK/
このスレで起こってる奇妙な現象
他スレなら「強かった朝倉を倒した信長は強い」ことを示すために朝倉の動員を2万という織田派が、
「朝倉は脅威ではなかった」ことを主張するために朝倉の動員を1万という。
「一揆に負けた信長だせぇ」と言ってる反織田派が、「一揆勢力は馬鹿にはできない」と言う。
議論ってやっぱり面白いな、と思った。
840 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 10:15:26 ID:oYmEmGch
朝倉が虎御前山を落として破棄した場合に、冬の間織田が再建できるかの話でも起こってたよ。
織田派:朝倉の撃破された後の木下隊を含む北近江の織田派部隊なら浅井だけでも十分再建を阻止できる。
武田派:浅井だけでは木下隊を含む北近江の織田派部隊には太刀打ちできないので再建を阻止できない。
841 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 12:58:33 ID:xmw1xfRp
信玄が生きていたら阿閉の寝返りは起こったか?
842 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 14:07:18 ID:qOfGu1SU
>>840 さすがに織田家主力を出動させないと再建は難しいだろ。
指をくわえて本拠地の目の前に砦を再建させるわけもなく妨害しようとするだろ。
浅井単独では織田家主力が要る場合は妨害は殆ど無理だろうけど北近江の部隊だけだと十分可能だと思うんだが。
>>841 史実で寝返った奴がIFでどうなるかは正直判断しにくい。
織田が守勢だったら寝返らない可能性が高いと思うが、
攻勢に回ったら寝返る可能性が高いと思う。
843 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 16:30:45 ID:oYmEmGch
>>842 >さすがに織田家主力を出動させないと再建は難しいだろ。
織田派:朝倉に撃破された後の北近江の兵力は激減しているから浅井単独で妨害可能。
武田派:元々北近江の部隊は合計7千。撃破された後でも浅井の2・3千よりは多いはずなので妨害は困難。
844 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 20:12:29 ID:rWK7nFCp
虎御前再建って結構難しいと思うけどね
ましてや木下隊で再建出来るなんて織田派の俺でも相当厳しいと思うよ
しかも一度破却されたんなら構造的に同等以上のものを作るんだろ
砦は何回でも作ればいいじゃん って簡単なものじゃないと思うけどね。
845 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 20:26:10 ID:wJU1OyjW
ここでは朝倉が信玄さえ生きてれば5月から本気出すみたいに言われてるけど
朝倉は信長との戦争にそんな乗り気だったようには見えないんだけどな
冬に朝倉が撤退したとき、まず信玄は自身で朝倉に書状を送って詰問し
本願寺の働きかけもあってようやく朝倉は春からまた動く気になり、信玄もその事と
申し合わせの程を東老軒に頼んでいる。
ここの武田派がいうように5月から本気出すとか長島もそうだがあんまりあてにならない気がする
846 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 21:34:09 ID:2/ZMUiF1
>>838 地理的に織田が武田に対して攻勢に出るなら落としておく必要がある城だけど、
織田が美濃の主要部を守るのが目的なら替わりの城はいくつかある。
史実では信長は岩村はほとんど放置しているから優先順位は低い。
逆に武田から見れば岩村が織田の手にあるなら、三河伊那への侵入拠点となる、
三河と信濃を分断する拠点となる。
三河侵攻中に岩村から進出されれば武田は背後の一部を遮断されてしまう。
これが原因なのか岩村がはっきりと織田の手にある時期に武田が三河に侵入したことはない。
>>839 こんな例も見かける。
他スレなら武田派が刀根坂の合戦の朝倉の兵力2万は誇張
朝倉は疲弊していて弱かったから信長はたいしたこと無い。
織田派が2万も動員している朝倉を一撃で滅ぼした信長凄いと。
>>841 少なくとも砦を落としていたなら起きなかったと思う。
847 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 10:00:51 ID:nK5/tmaw
流れが速いのでまずはここまでのまとめ
57スレまとめ
>1-34テンプレ
>37-62虎御前山砦を抜けるか・朝倉の実力・織田朝倉砦に関わる戦果
>69-71朝倉始末記多胡宗右衛門尉宛義景書状
>82箕浦合戦ソース速水真願寺記・松下文書
>89リンク先
>100箕浦合戦ソース丹波松下文書
>87-112刀根坂合戦の朝倉の兵力について・朝倉義景の内政手腕について
>81-134一斉反攻の可能性・書状の信用性・土岐氏にあてた書状について
>113-182朝倉による虎御前山砦への戦果・冬前に虎御前山砦を落としておく価値はあるかないか
>160堀秀村宛書状 春の出兵準備
>182-213秀吉は冬の間何もしていないか・兵の補充の仕方・城砦の普請の有無に史料は絶対に必要か・虎御前山砦を落としておく価値はあるか
>187佐和山城付け城の資材流用による虎御前山の砦建設リンク
>214-228包囲網の実情について
>229-305一斉反攻の可能性・朝倉による虎御前山砦への戦果・秀吉は冬の間何もしていないか・書状の信憑性
>277朝倉義景年未詳3月8日付書状
>307-3721572年11月27日付山県昌景書状の信憑性について
>310-405虎御前山砦を落としておく価値はあるか
>310-355武田の遠征可能期間・
>351-405包囲網が有利なら何故史実で動かなかったのか・包囲網は連携できるか・義昭との最初の和睦は急いでいたか
>349-404兵の補充の仕方・城砦の普請の有無に史料は絶対に必要か
>400-411三方ヶ原後の徳川の戦力・史実での徳川の反撃について
>412-597長島の兵力の実情について・一揆衆はどの程度動員出来るか
>412-522刀根坂合戦の朝倉の兵力について
>427-808まで飛び飛びで続いている 兵の補充について・当時の軍制
>568-591アテネの軍制について
>600-705石山本願寺長島の遠征可能兵力について・何故史実では動かなかったのか・上杉の状況
>617-656志賀の陣での各勢力の和睦状況
>622-661大内について・武田の長期遠征の可能性について
>713-800長島・一揆衆の動員率遠征能力兵の質について・長島の支配範囲影響範囲
>731-799各大名の領国の支配状況・動員率 何故包囲網は動かなかったのか
>784-821岩村の地理的状況とその価値について
>800-各大名の領国の支配状況・長島について
>801-一揆衆は遠征できるか・各大名の領国の支配状況・動員率
848 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:02:37 ID:3f2nnFDW
>>835 この入り口を得たことで武田は美濃に対して軍を展開できる。
武田にしてみればいい拠点だな。
普通に1574年の段階では武田の力がまだ強勢だったからだと思うが。
岩村を攻めたのは長篠の後すぐで5ヶ月に渡って攻め続けてる。大軍で。
これで執着なしとは無理だろう。
俗説か?まあ一次資料に載らない類の話だから、今の所これ以上の離反の理由は
なさそうだが。
軍役拒否問題なのになんで所領横領問題をあげるのか。
だから誇張はありだろうといってる。だがそれでも大軍を動かしていた事実は
十分伺える。これを丸無視して少数しか動かせないみたいに言うほうが逆におかしい。
その言い草はおかしいな。
もともと君が畿内の動きはあったけど東海では動きがなかったとか
言い出したのに答えたものなんだから。
畿内が主戦場である以上、東海は参戦という形での援護になるのは当然。
それを他の地域を出して何をいいたいの?
849 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:13:24 ID:3f2nnFDW
>>836 場所を選んで隠蔽工作に精を出し、目だった動きをしなければ可能だとも
思うが。
虎御前は秀吉だろ。
別にそこまで内輪もめばかりというわけでもないんだが。
国人の堀江が背こうとしてあっさりばれて放逐されたくらいで。
関所撤廃によるダメージっていうのが意味不明だが。
信長は逆に越前の座を保護してたはずだから、越前の既得権益層には関係なさそうだが。
850 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:15:01 ID:3f2nnFDW
>>837 実際動けてない。
その三月末の動きは天皇の停戦を前提にしてて
4月11日には美濃に戻ってると何度もいわれてるでしょ。
851 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:21:09 ID:3f2nnFDW
>>845 実際朝倉が撤退する前に11月の段階で5月にともに兵を出すことは
定められてるし、信玄も計画に多少の齟齬はあったが5月以降の動きは
プログラム通り、って感じだったろう。本願寺や浅井もそれにそって動き出してるし
朝倉も3月の常陸江戸崎の土岐あての書状では武田との連携に乗り気だ。
852 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:25:44 ID:3f2nnFDW
>>846 信長は岩村に遠山勢を派遣して上村で秋山に撃破され、
東美濃18城で封鎖しようとして武田に攻略され、
後詰に出たら武田に撃退され、って感じで別に放置はしてないようだが。
包囲網勢が反撃に移れば普通におきない、って感じだろう。
853 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:50:17 ID:qodZdadT
信玄って、本庄繁長を調略するときとかあと飛騨攻めとかで、
「攻めるよ」って言いながら攻めなかったりしたってどっかで見たんだがどうなんだろう。
854 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 19:29:19 ID:t6Yv4u9m
>>851 乗り気と可能は違う
可能かどうかは資料により判断せにゃならんが資料が曖昧過ぎるから絶対答えは出ない
劣勢な朝倉浅井が何度も大々的な反抗作戦が出来るとは思えんが
855 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 19:32:07 ID:JQIPgh+s
笹川、柴辻、鴨川氏ら武田研究家の書籍に11月19日付書状が挙げられてるけど
これをともに兵を出すと定められているものと解釈してるものは1つもないんだけど。
誰か史家でそういう解釈してる人がいるのかな?
856 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 19:39:29 ID:M71EDqvE
>>855 まともな判断力のある人間ならばそんな解釈は出来ませんよ。
857 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 19:45:50 ID:Xnn/IQOr
>>855 専門家は誰も解釈していないのかw
五月一斉反攻作戦とやらは奴のただの妄想という事か。
858 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:16:32 ID:3f2nnFDW
859 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:19:19 ID:3f2nnFDW
今確認したら柴辻氏の著作でもちゃんと述べられてる。
>>855の人はどんな著作を読んだんだい?
860 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:43:30 ID:JQIPgh+s
中公新書の「信玄の戦略」、新人物往来社の「武田信玄のすべて」
この2書ともこの書状があがってるけど朝倉氏に5月の出兵を求めたものと書いてあって
共闘が成立したとは書いていないんだけど。
861 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:43:42 ID:3f2nnFDW
まさか
>>855は「条目」だから「書状」じゃないといいたいのか?
862 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:52:34 ID:+yYOZuGI
>>851 ではなんで、武田および将軍も本願寺も朝倉帰国にあれほど激怒したんだ?
863 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 20:58:42 ID:3f2nnFDW
>>860 ああ、そういう事か。
似たような例として本願寺が信玄に出馬を要請し、それに答えて
信玄が徳川領土に出馬してる事もあり、書状で求めた事を相手が「しますよ」と返さずに
実行してる事は例がある。
そして包囲網作戦に裏打ちがあった事は信玄がその11月19日付書状・条目の中で
日向玄東に詳しい事を説明させる、と書いてある事や、
本願寺が年末に撤退した朝倉に対して年が明けてから「この前の帰国はかねての手筈とは
違ったじゃないか。今度はちゃんとやってくれよ。」という意味の書状を送ってる事、
信玄も「ようやく朝倉が出てくるみたいだ。今後の申し合わせよろしく。」と
東老軒に頼んでることからも裏づけられる。浅井も朝倉の出兵を報じ、本願寺も信玄にあてて
朝倉の出兵と共にみんなで反撃に移ろうと書状を書いてる事も裏づけになる。
第一その二つの書でも信玄と包囲網勢による連携戦略が成立してると書いてあるはずだけど。
864 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 21:01:56 ID:3f2nnFDW
>>862 実際当初の予定とは食い違ったわけだからな。
怒るのは仕方ない。
それでも信玄も本願寺も朝倉の再出兵を要請し、
春からの反抗計画を遂行しようとしてる。
一部食い違いはあったが修正可能な範囲だったわけだ。
865 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 21:13:31 ID:+yYOZuGI
>>864 怒るのも無理はないって、先に予定を破ったのは出陣を遅らせた武田側なんだが。
ところで、そちらのいう「当初の予定」ってのをまず詳しく出してくれないか?
なんで十一月の段階で、翌年五月の出兵を計画しておきながら、十二月に越前に
帰国することを怒るんだ?
それとも信玄の身勝手な予定では、朝倉はずっと江北に留まり続けて越冬して、
そのまま春も過ぎて夏五月に攻勢をかけさせるつもりだったと?
…離反者が続出して軍が崩壊するだけだと思う。
866 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 21:21:53 ID:3f2nnFDW
>>865 朝倉とかの連絡線確保でもある飛騨を攻めてたんだし仕方あるまい。
てかその最初の予定についてもそっちから詳しく説明お願いね。
ぶっちゃけその「当初の予定」に関してはよくわからん。
ただ本願寺の「この前の帰国はかねての計画と違う!早く出馬して今度はちゃんとやってくれ」
という文面から見て朝倉にもっと留まっていてほしかったんだろう。
これは信玄が、じゃなくて包囲網達の見解だったんだわけだ。
ただ朝倉にしてみれば越年は本国で迎えるのが慣習だったわけで。
5月辺りに予定されてたらしい反抗計画に関しては結構書状があるんだが、
ぶっちゃけ12月の朝倉撤退前における計画がどんなもんだったかは資料がなくて
よくわからん。
867 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 22:13:42 ID:+yYOZuGI
>>866 >ぶっちゃけその「当初の予定」に関してはよくわからん
よくわかりもせずに、>864で「一部食い違いはあったが修正可能な範囲だった」
なんて言ったのか。
>朝倉とかの連絡線確保でもある飛騨を攻めてたんだし
信玄が飛騨を攻めたのは7月から8月。それ以前から朝倉とも将軍や本願寺
松永等畿内とも連絡は取れているのだが。
さらにいえば、信玄は9月になってから病に倒れて出陣を延期している。
つまり信玄の出陣延期(約定破り)は飛騨攻めと無関係。
>これは信玄が、じゃなくて包囲網達の見解だったんだわけだ
つまり包囲網側は信玄の思惑を無関係に自分達でもいろいろと織田と戦う
ために画策しているわけだ。なのにどうして、史実で勝手に戦っている
連中が信玄の計画に沿って五月に一斉反攻するだとか、信玄が死んだから
戦意を失って引きこもったとかになるんだ?
868 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 22:21:12 ID:3f2nnFDW
>>867 おいおい。こっちの質問である遅延と当初の予定についても
答えてもらってないぞ。早く答えてね。
実際修正がされてるからな。書状による連携も活発になり、いよいよ攻勢に向けて
動いてる。逆にそっちが修正不可だったというなら遅延と当初の予定について
詳しく説明せい。
9月というなら、
信玄は9月末には山県を出撃させ、10月3日には自身も出ている。
これが約定破りとか致命的とかいうならそちらのいう当初の予定とやらを説明してくれ。
何を言ってるんだ?
信玄と包囲網は普通に戦略で連携が取れているんだが。
でなけりゃ信玄も本願寺と似たような朝倉詰問書状を送るわけがない。
>これは信玄が、じゃなくて包囲網達の見解だったんだわけだ
というのは信玄を含めた包囲網勢の見解、っていう意味なんだけど。
受け取れなかったのか?
まあともかくそちらのいう当初の予定とか言うのを説明してくれ。
人のことをこれだけ言った以上そちらは十分資料に基づいて説明できるんだよな?
869 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 22:52:53 ID:65CHa8RA
「よいか勝頼、他の者の意見に耳貸さず、己の意見のみ通そうとしても受け入れられぬは必定じゃ
そして己の一時の利の為に多くの者の信を失うのじゃ この事決して忘れてはならぬ」
870 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 12:39:37 ID:h6zYna1o
虎御前は秀長が城番だろ?
871 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 13:06:49 ID:sIcL7+b/
信長公記に虎御前山砦構築の後で
「虎御前山には羽柴藤吉郎を定番として入れ置かれた」
とあるから秀吉だろ。
872 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 13:31:48 ID:h6zYna1o
それじゃ横山城には誰が?
秀吉が留守中竹中が城代になったことあるから竹中か?
873 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 00:24:41 ID:ZktTLiMN
太閤記か何かだと秀長が砦に入っているように書かれていたような
874 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 16:27:33 ID:Lb0dpe2I
前から疑問に思ってたんだけど包囲網時の織田ってどうやって堺を支配してたのかな?
周囲に親織田勢力が多少はいるとしても三好とか本願寺とかの反織田勢力もいるわけだし。
堺に織田の兵を駐屯してたの?
あと堺と京を結ぶ安全なルートとかあったのかな?
875 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 09:28:11 ID:r5TCm08/
当時は本願寺とは冷戦状態。直接的には敵対してない。
876 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 10:59:41 ID:AwyIqesF
実際本願寺って、最初の野田・福嶋と途中の三津寺〜天王寺合戦以外に、
織田軍と直接干戈を交えたことってないんだよね。
あ、あと一応木津川口沖海戦か?これは毛利にカウント?
まあ後半は包囲篭城戦ってこともあるけど。ただ、包囲を破るために
こちらから攻撃を仕掛けるってこともないんだよな。
877 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 16:34:54 ID:PoNrjvT/
武田信玄にここで抵抗する武田厨並みの粘着力があれば天下を盗ることができたのかモナー
878 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:41:33 ID:+pv2vp/w
信玄本人だろ
879 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 12:17:20 ID:LK7cnXb3
信玄はというよりも他の多くの戦国大名全般的にそうだけど天下を取るなんて発想じたいなかったと思われる。
880 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 13:19:14 ID:ZOPrUei9
自分の代で天下を獲ろう(治めよう)と考えてたのは
信長や三好、松永、足利将軍くらいかな
881 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 15:54:16 ID:YiBzamrf
もう一つ言うと、信長の以前と以後で天下獲りの意味合いが変わっている。
882 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 18:23:18 ID:xczQDx2D
883 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:40:36 ID:QBGvrpnb
信長は天下布武と掲げてその通り京都を制圧したのだから
それ以上でもそれ以下でもない。
信長のみが明確なビジョンを持っていたと思いこみたいのは勝手だが・・・・
884 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:59:44 ID:CQIpnBs2
>>879 いや、別にそうでもない。
信玄にも足利将軍家を助けて「天下静謐」を行うという
従来通りの天下統一の理念はあったと思われる。
実際信玄はこの西上で天下静謐を行うと足利に述べている。
>>881 確かに。ただそれはこの元亀の争乱が契機。
信玄と対峙してる時点では信長も足利将軍を擁しての従来通りの
天下静謐を理念としてる。
だが信玄西上で足利がそむき、やがて追放し、帰還交渉も失敗した後で
信長は「天下静謐の護持」こそが優先される事であってそれを乱すものは
足利将軍であろうと廃されるべきであり、その天下静謐を護持する者こそが
信長であるとする新たな天下統一理念を打ち出すわけだ。
885 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:31:39 ID:xczQDx2D
>>884 >信玄にも足利将軍家を助けて「天下静謐」を行うという
その言葉は信長の真似のように見えるけど?
理念があるかどうか判断するには厳しくないか?
886 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:46:10 ID:CQIpnBs2
>>885 ん?天下静謐の理念自体は目新しいものじゃないぞ。
足利自体が代代、方々の大名にこれを行ってくれとお願いしてる。
よく無視されたりしてるが。
信長も当初はこの要請にこたえる形で行動しており、
信長のマネ、という言い方はおかしい。
887 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:49:34 ID:xczQDx2D
>>886 そだな、真似と言うのはおかしいな。
ところで理念の方は?
888 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:57:51 ID:CQIpnBs2
>>887 どういう意味?
信玄にもそりゃうまくいったら足利を大義としてその管領とかにおさまって
天下の第一人者になって天下静謐を維持しようとかいう理念くらい
あったんじゃないのか?
というかこれは当時ではメジャーな理念だから特にクローズアップするものじゃないかもしれんが。
889 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:59:47 ID:xczQDx2D
>>888 それ言ったら信玄だけの話にはならないね。
890 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 00:01:00 ID:wDhkQxbp
>>889 俺はもともと信玄だけに理念があったなんて言ってないんだが。
信玄存命の時は信長も同じ理念を掲げていたんだしな。
891 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 02:26:15 ID:vFm+LRpn
>天下静謐
自勢力拡大+外交辞令(建前)=天下静謐
よって、天下静謐を指針していたのか疑わしい。
892 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 21:46:41 ID:b0chK59M
それいったら信長も同じじゃ。
京都入って義昭を立てたはいいけど、
その後もやってる事は朝倉に難癖付けて攻めたり、
堺や本願寺に金要求したり。
893 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 12:37:42 ID:VDlC9HXt
>>889 信玄だけとか考えてるのあなただけじゃね
>>892 少なくとも1575年ぐらいまでは細川三好とさほど変わらない
将軍を立てたり対立して争ったり将軍がどっかいったので幕府の代行となったり
違いがあるとしたら信長は幕府の役職にあまり関心を示さないことぐらい
そこから三職推任までは細川三好と一緒だったのか明確な意思があったかは不明
三職推任問題が起きた後は信長から望んだのか要請されたかは判らないが
細川三好とは一線を画する
ただその後室町幕府の焼き直しになるか新たな秩序を打ち立てるかは不明
とこんな所か?
894 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 22:36:12 ID:5JPlZkST
895 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 22:37:41 ID:QPDADDVR
分からない事を思いこみで書いてくれるなって事だろうに。
896 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:10:56 ID:5JPlZkST
その程度の内容ならここの住人ならみんな知っているべ?
897 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 00:34:09 ID:OxJIM5H+
信長も信玄も1570年代前半では同じだという単なる事実確認というか意見のすり合わせだろ。
でないと上みたいに、信玄が信玄がと被害妄想に陥る人間がいるみたいだから。
898 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 01:12:34 ID:vqjsMYK2
899 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 02:12:17 ID:l46M1g9s
>>897 被害妄想になってる人って別にいないと思うけど。
信玄だけの話にならないね、となんかずれた事言ってる人もいるけど。
900 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 18:49:37 ID:kmpyUZCw
武田信玄逮捕されたらしいぞ。
901 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 20:22:20 ID:WTG4yVg9
浅井・朝倉姉川の戦い時に上洛出来ていれば織田家を滅亡させる事が出来た
902 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 20:35:01 ID:6uwiSoxy
だが大敗のし過ぎではないか?
903 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 20:38:03 ID:mOd5jY38
>>901 武田が姉川の戦いで勝って上洛出来ていれば の間違いでわw
904 :
感想きぼんぬ!:2009/01/09(金) 20:54:19 ID:Fipa1TkL
905 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 21:19:08 ID:t6zCZv0w
こういうのにレスするのはアレだけど
読み方は(のぶとら)なんだ
906 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 21:32:10 ID:X6OtJiIx
信玄で「のぶとら」か…
巡り合わせが悪そうだな。いろんな意味で。
907 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 23:38:31 ID:vqjsMYK2
ふと、武田晴信が逮捕されたことを思い出したよw
908 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 08:41:28 ID:gCr55BFR
善光寺の乗っ取りで逮捕されたわけじゃないのね
909 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 13:07:42 ID:pGJUBMOf
山梨県民顔真っ赤
910 :
し:2009/01/10(土) 18:27:03 ID:DV04L7Zy
☆偉大なる武田家の系譜
【偉大なる信玄の弟達】
武田信繁・・・信玄の采配ミスで討ち死に。
武田信友・・・織田軍に捕まり処刑される。
武田信廉・・・戦わずして城を捨てて逃げるが織田信長に捕まり処刑される。
一条信龍・・・上野で徳川軍に大敗。捕らえられて親子共々処刑される。
武田信実・・・長篠の戦いで松平伊忠に討ち取られる。
松尾信是・・・目立った功績もなく病死。
【高貴なる息子達】
武田義信・・・嫡男。謀反が発覚。東光寺に幽閉され殺害される。
海野信親・・・二男。生まれつきの盲目で僧となる。勝頼と供に自害。問題外の雑魚
武田信之・・・三男。生まれつきの病弱で十歳の若さで病死。
武田勝頼・・・四男。長篠の戦いで優秀な重臣達を皆殺しにさせ、十倍もの軍を擁しまがら鳥居峠で
寡兵の木曾義昌に大敗。織田の本格的進行からたった二ヶ月で武田家を滅亡へ追いやる。
仁科盛信・・・五男。名城高遠城を信忠に1日で落とされた愚将。惨めに自害。
葛山信貞・・・六男。怯えて逃げるも織田軍によって善光寺で捕まり処刑される。
武田信清・・・七男。武田家滅亡後、景勝側室甲斐御前を頼って落ちのび上杉家の家臣となる。
【誠実なる一門衆】
木曽義昌・・・義理の息子。武田家を裏切り勝頼を破り武田家を滅亡へと追いやる。
穴山信君・・・義理の息子。武田家を裏切り勝頼を見捨て降伏。
勝沼信元・・・従兄弟。謀反の疑いで処刑。信玄の器量の狭さを立証
【優秀なる武田一族】
武田信勝・・・武田勝頼の嫡男。天目山で惨めに討ち取られる。
一条信就・・・一条信龍の嫡男。上野で徳川軍に大敗。親父と供に捕らえられ処刑される。
武田信俊・・・武田信実の子。滅亡後も生き残り保科家の口添えによって徳川家1600石の旗本として助けられる。
武田信堯・・・武田信友の子。信長によって処刑。何か活躍しましたか?w
望月信頼・・・武田信繁の長男。目立った功績もなく地味に死亡。
武田信豊・・・武田信繁の二男。部下の下曾根覚雲斎に裏切られ死亡。
望月信永・・・武田信繁の三男。長篠で無残に討ち死に。無敵騎馬軍団☆
武田信道・・・海野信親の子。滅亡時に出家。命だけは助かる。
911 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 18:36:39 ID:lEHdHG0A
>>910 ものすごい偏向記事だな。武田に対する悪意で満ちてるな。
織田氏編作ってやろうか?
凄いのができそうだな。
912 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 19:58:54 ID:LZ/eSsXm
913 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 20:05:15 ID:JaiEK4ZS
ここまでコピペ
914 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 20:44:21 ID:m3kfKXk0
織田信長失態集とか織田家臣団醜態集とか作ったら面白そうだなw
915 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:04:22 ID:vhIUpzSc
織田氏編は網羅しようと思ったら大変だろうな
武田よりも一族多いしその一族もある程度最後がどうなっているか判明しているし
縁戚も入れると益々増えるし
60行におさまらない予感
916 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:08:48 ID:lEHdHG0A
>>915 とりあえず織田一族のうちの10人が
「だまし討ちにした餓え死に寸前で武具もつけてなく
一揆勢800人に逆襲されて殺されました。」
で終わるな。
そして逸材たる信雄や秀信、信孝をはじめ、
>>910の論調ならいくらでも貶められる。
917 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:15:06 ID:lEHdHG0A
>>916訂正
だまし討ちにした餓え死に寸前で武具もつけてなく×
だまし討ちにした餓え死に寸前で武具もつけてない○
918 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:41:53 ID:vhIUpzSc
兄弟が
信広信勝信包信時信治秀孝信興長益長利あと数名いたけど忘れた
子供が
信忠信雄信孝秀勝勝長信高信貞、あと数名いたけど忘れた
とここまでは楽だけどその先からが面倒
信忠信雄信高信貞にそれぞれ子供いて旗本とかになっていて
更に信勝の子供の信澄系列の旗本の家系
信包長益系列の家系
叔父とか入れると信光信実信次信正らが入り
従兄弟や一門など傍流入れると信成信清や中川重政や木下雅楽助も入ってくる
で縁戚入れると
浅井長政徳川信康などを筆頭に丹羽前田細川蒲生畠山遠山神保飯尾滝川筒井水野、
秋山信友は入らないかもしれんが一応一門?
あと秀吉の側室にも一人いたと思うから秀吉もか?
柴田も市で一応入るのか?
あと公家に一人嫁いでいたはず
養女だけど勝頼もか
919 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 01:45:23 ID:TPTTWMFX
>>910もそこまで細かくやってないからやれるだけで
いいと思うな。
920 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 13:09:10 ID:UWmv9PVX
921 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:08:42 ID:jH1F4sbs
武田厨が大漁に釣られててワロタwwwww
922 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 15:47:23 ID:QtelnfN/
武田厨そろって顔真っ赤(笑)
923 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 21:10:32 ID:ow1BN3zL
相変わらず織田厨は品性下劣だな。
924 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 21:48:47 ID:qOTrz+jZ
かまってもらうための武田厨のいつもの自演だろ
925 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 21:57:48 ID:LvDXVvjq
しかし織田って兄弟多い家系だな
信長は兄弟10名ほどで
子供も男だけで10名ほど
この数に対抗できるのは元就と家康の息子10名ほどぐらいか?
伊達も子供多くていろんなとこと姻戚関係になっているけど男子はそれほど多くないし
926 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 22:05:12 ID:ow1BN3zL
>>924 あいにくですが織田厨が自演認定するのは
いい加減片腹痛いんですが。
いつも同じようなことやってるのにいまさら何を言ってるんだか。
927 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 22:41:05 ID:SuR1ivV7
>>910 に釣られてるのはどっちもアホw
↓次の話題へ↓
928 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 22:58:13 ID:nUWBlZ9L
その56の時にはこれで最後にしようなんて話していたのに、
57ももう次スレの時期が近づいてきてますね。
929 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 23:01:29 ID:aY/T773R
織田厨の好きな武将:信長、秀吉、前田、丹羽親子
彼らの話題になると目の色が変わる
930 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 23:06:28 ID:SuR1ivV7
俺、織田厨だけど武田も好きだよ
上洛は無理だとは思うけど
931 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 23:48:51 ID:ow1BN3zL
そもそも上洛自体は無理にする必要もない。
932 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 23:58:34 ID:SuR1ivV7
>>931 そこは同意見ですね
包囲網勢力で織田を潰せるかどうかで意見が分かれるよね
73年中に一気に上洛だって言う痛い武田厨はもういないだろうし
933 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:09:23 ID:QCC0o0Si
もちろん73年中に上洛します。5月近江決戦で信長を破り、そのまま上洛するのです。
934 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:19:24 ID:NzBiV/Mu
5月に行われるのは近江じゃなくて美濃での決戦になりそうだが。
935 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:23:04 ID:kgFKFLTQ
美濃近江5月決戦で大勝利で上洛成功でいいじゃないかw
もう次スレ建てるなよ
どうせ平行線だよ
936 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:32:13 ID:KHb6v3Wu
どうせ粘着してる奴が立てるんじゃね
937 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:40:56 ID:NzBiV/Mu
>>936 粘着してる奴って誰の事だか知らないが、
とりあえず武田派の俺としては
このスレが立つ意味はないと思うがな。
どうせ平行線だし。
スレが立って織田派が無理無理連呼するから相手するだけ。
立ててるのは織田厨かと思ったが違ったのか?
938 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 00:48:29 ID:QCC0o0Si
>>934 甲陽軍鑑のオマケみたいなとこに書いてある。
徳川相手には北条の援軍を中心に押さえの兵を置いて尾張を横断して伊勢長島に入る。
伊賀、甲賀と反織田の勢力圏を通って近江に出る。
信長は京都との連絡を絶たれまいと岐阜から近江へ。
信長を近江にて迎え撃ち、浅井・朝倉との挟撃により撃破。
めでたく上洛!
939 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 01:03:03 ID:e84YoU2g
そうやって相手を厨扱いしてレッテル貼りで貶めようとするから、
余計に白い目で見られるって自覚してくれや
940 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 01:16:29 ID:NzBiV/Mu
>>939 織田派のやってきた自演認定、一人認定、レッテル張り、人格攻撃、その他、
いづれも随分なものだったと思うがね。
最初は紳士的に相手しようかとも思ったがいつしか特定の厨には馬鹿らしくなったな。
ただ織田派にも良識的で知識のある人がいるのは承知してる。厨は大嫌いだが。
941 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 01:20:55 ID:e84YoU2g
>>940 相手が汚い手を使っているから、自分も汚い手を使ってもいい理由にはならない。
織田派だろうと武田派だろうと、議論のルールを守らないのなら同じだ。
942 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 01:26:21 ID:NzBiV/Mu
>>941 その台詞をぜひとも今度このスレで議論が盛り上がる時があるのなら
織田派にいってやってくれ。
このスレの中でさえ織田派の武田派に対する自演認定、一人認定、人格攻撃、
レッテル張り、その他で満ちてるから。
というか俺は織田派の中で知識と良識があるのがいるのは知ってるから
区別する意味であえて厨と使ってるんだがな。
943 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 01:48:57 ID:BfiXYRq5
944 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 01:52:26 ID:NzBiV/Mu
945 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 05:10:40 ID:oFf7+o8S
自分が区別してても周囲はそう受け取らないよ
946 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 12:05:04 ID:6ceu2F/1
>>944 武田派なら、武田関係のスレで議論のルールを守らなくてもいいなんてことにはならない
そう言っているのですが、全く理解できませんか
947 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 23:08:43 ID:N5uZO4z0
正直なところ
>>832みたいな痛い発言する人間は隔離スレか自分のブログでやってくれって感じ。
948 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 23:26:10 ID:NzBiV/Mu
>>946 >>947 とりあえず織田派が痛い発言もせず議論のルールを守ってきたと思ってるのかと
聞いてみたいんだが。
そっちがそういうならこっちも静かに相手をするのはやぶさかではないが
織田派がそういった発言をしたときはちゃんと糾弾してもらえるんだろうな?
949 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 23:35:06 ID:N5uZO4z0
織田武田に限らずあまりに痛すぎる人間はどのスレでも嫌がれるってだけ、
度が過ぎた人がいればどの大名の派閥だろうと糾弾するし糾弾される、
最近ゲーム板の過大過小スレでも起きたことだけどな。
で単レスとか数レスの煽り荒らしやコピペ辺りは普通はスルーする。
そんなの相手にルールを言ったり糾弾したりするような人間はむしろ邪魔だしな。
950 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 01:55:03 ID:ljPO9SVO
>>949 >度が過ぎた人がいればどの大名の派閥だろうと糾弾するし糾弾される、
>最近ゲーム板の過大過小スレでも起きたことだけどな。
これと
>で単レスとか数レスの煽り荒らしやコピペ辺りは普通はスルーする。
>そんなの相手にルールを言ったり糾弾したりするような人間はむしろ邪魔だしな。
これを同じ人間が言うのが不思議。
度が過ぎれば糾弾されるが、糾弾したりするような人間は邪魔ですか。
951 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 11:45:43 ID:c+KF/ZP5
952 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 12:27:13 ID:lFm1qWFQ
一番いいのは全部スルーだろ常識的に考えて
いい加減レスの大半が罵倒煽りみたいな荒らしと変らないような人間は無視でいいだろ
953 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 12:38:17 ID:c+KF/ZP5
その基準をこのスレに当てはめると
織田派も武田派も罵倒しあってるから人がいなくなりそうw
このスレ見てると大抵煽り始めるのは織田派だし。
954 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 12:44:13 ID:lFm1qWFQ
釣り目的みたいなレスに真面目に反応して罵倒し返す人間多いからな
すぐ上のコピペに反応しているのもそうだが2ch初心者が増えたのか?厨房かって感じ
まあこんなレスした以上自分も煽り荒らしとみなされても仕方が無いけどな
なので昼休憩も終わるし自分は消える
955 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 16:42:00 ID:IpWHZVJw
あっそう。
じゃお前の大好きな信長や秀吉や丹羽親子や前田の侮辱レスしても
何も反応するなよw
956 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 17:57:01 ID:LKkhQEzN
とりあえず武田厨が苛立ってるのがよく分かったw
957 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 18:45:14 ID:I5j3P3Ij
織田厨も大分煽ってる。
958 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 19:20:35 ID:FZmb1u7U
大いに盛り上がっているところ水を注すようで悪いが残り50レス斬ったぞw
959 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 12:24:36 ID:eI2Bawoe
自分が不要と思っているなら自分が見なければいいだけなのに、いつも終了させろと言ってくるこのキモイ奴はなんなの?
960 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 21:50:41 ID:cmnRaqwY
【☆無敵☆】武田家の輝かしい戦歴【☆騎馬軍団☆】
1541年5月 信玄、信虎、村上義清に従い海野棟綱を攻める。とっとと帰りオヤジに怒られる。
6月 オヤジ狩り開始。武田信虎追放。
7月 諏訪頼重との同盟を一方的に破棄、名門諏訪家を攻め滅ぼす。
12歳の幼女である姪の諏訪御料人を愛人に迎える。
1547年7月 志賀城大虐殺 小田井原の戦いにおいて上杉憲政を破り、討ち取った3000の首級を城に並べ志賀城を包囲。
十一日正午陥落。城内の兵を皆殺しにし、女子供を捕虜に二貫文から十貫文を要求。
払えない者達の多くを黒川金山の坑夫や娼婦、奴婢として人身売買。
笠原清繁の夫人を小山田信有の妾として与える。(妙法寺記、甲斐国志、日本城郭大系)
1548年2月 上田原の大敗 村上5000を上回る7000もの大軍で戦に挑むも先陣を包囲され殲滅。
副将重臣板垣、速攻で討ち死に。さらに怯んだ所を中央突破を受け、歴戦の重臣甘利、才間、
初鹿野を討ち取られ、さらに信玄自身も足軽に切り付けられ2箇所に重傷を負う。
将兵700も討ち取られる大敗。村上の被害は300程度。
この戦によって反武田勢力が力を盛り返し窮地の陥る。
平定に二年も費やし逆らう者を皆殺しにし、無駄に時間と軍費を費やす。
後の長篠大敗の後の信濃大離反の火種を作成する。
1550年10月 戸石崩れの大敗 原虎胤のみならず信玄自身も偵察に赴き、万全の体勢を築き上げ、
かつ、村上義清が高梨と交戦中の絶好の留守の機会に奇襲をするも、つい先程まで高梨軍と
死闘を繰り広げ疲弊していた村上軍が急遽来襲。圧倒的に有利でありながらまたも大敗。
将兵1000を失い、追撃を受け、信玄がその才能に期待していた未来の有望株であった
横田高松が討ち死に。信玄は後年まで酒を飲むとこの者を失った悲しみを周りの者に語った。
1551年10月 小岩岳城に奇襲をかけるも失敗。後年、その恨みか落城の際には降伏さえ許さず城兵500を
皆殺しにし、かつ、老人、女、子供に至るまでを奴隷として売りさばく(妙法寺記より)
そのため現在でも落城の8月12日には慰霊祭が行われている。
1552年3月 村上義清との信州常田合戦で小山田信有、小山田 昌辰、討死
1553年4月 第1回川中島の戦い(布施の対陣) 更級郡八幡で戦うも長尾軍の猛攻により一時撤退。
高坂、奇襲をかけるも村上義清にボロボロにやられる。
後に甲陽軍艦において見事なまでの捏造で挽回をする。
8月 軍を建て直し川中島で戦うも越軍の連夜の夜襲に悩まされる。
9月 謙信に敗れ、筑摩、埴科郡に侵入され、荒砥城を落とされる。
信玄塩田城に怯えて篭る。謙信暴れるだけ暴れて帰還。
そのまま兵2000もの大軍を率い信玄が果たせなかった京へと上洛。
1554年7月 伊奈郡神之峰城主 知久頼元、座光寺氏が謀反。国内が乱れる。
1555年7月 第二回川中島の戦い(大塚の対陣) 再び越軍の夜襲に毎夜被害を出す。
信玄対抗して1000の別働隊を善光寺方面より向かわせ夜襲をかける。
が、見破られ手痛い被害を出す。ウサ晴らしに善光寺より本尊を強盗(妙法寺記より)
兵糧が底を尽き始める。今川に頼み旭山城を撤去する譲歩でなんとか和睦。
1557年1月 第三回川中島の戦い(上野原の戦い) 村上義清の守る飯山城を攻略。失敗
謙信まで出陣してくる事となり上田西方坂城、岩鼻付近の武田軍を撃破される。
信玄出陣するも決着付かず。
1558年4月 信玄自ら武田軍二万を率い上州に侵攻。長野業政が吾妻に出陣している留守を狙うも、
業政は間道を使って直ちに帰還。業政に蹴散らされ、翌日には食糧を焼かれ弾薬を爆発され
軍を維持できなくなり即座に撤退。
1559年9月 飯富虎昌に安中城を攻撃させ、信玄は和田城の攻略に当たる。長野業政は援軍として駆けつけ
奇襲を行い信玄の陣を混乱に陥れる。反撃とばかりに雉郷城を取り囲むも空城。
長野業政は鷹留城の部下に策を与えて箕輪城に帰還。信玄は追撃しようと鷹留城を攻めるも
反撃を受け撤退。撤退中に伏兵を受け惨敗。兵五百を失う甚大な被害を出し撤退
961 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 21:51:45 ID:cmnRaqwY
1560年1月 再度箕輪城を取り囲んだが、飢えと寒さに苦しむ中、さらに安中忠政に
糧道を断たれ、長野業政の総攻撃を受け、たまらず撤退。
11月 武田一門の勝沼信元謀反。処刑。
1561年9月 第4回川中島の戦い(八幡原の戦い)上杉12000、武田23000、上杉は数ヶ月前まで関東に遠征をし、
疲弊をしている圧倒的優位な戦。
啄木鳥戦法にて奇襲を行うも奇襲を読まれ、副将武田信繁、諸角虎定、初鹿野源五郎、室住昌清、山本勘助討ち死に。
信玄自身も本陣にまで切り込んできた荒川に切りつけられる。
死者では上杉の1,5倍、負傷者では二倍近い損害を出す。
1565年9月 義信、飯富虎昌、謀反を起こそうとしたため処刑。国を傾けた大いなる要因となる。
1568年7月 謙信と同盟を結んでいた本庄と共謀し、大軍を率いて越後を攻める。
が、越後以前の北信濃、高梨政頼の籠る少数の小城、飯山城でさえ落とせず撤退。
仕方なく駿河に侵攻。北条を敵に回し窮地に追い込まれる
1569年4月 三増峠の戦い 浅利信種、浦野重秀、討ち死に。誇張軍艦においてさえ無駄な戦と酷評される。
1571年1月 駿河興国寺に奇襲をかけるが見破られ敗退。深沢城攻略も失敗。全軍撤退
1573年3月 信玄、2万5千もの大軍を率いて高天神城を攻める。が、失敗
4月 信玄没。死後娘婿の二人に裏切られる。奥平信昌、長篠城ごと徳川に寝返る
8月 武田信廉、山県昌景、穴山信君、北遠江へ侵攻。徳川の伏兵にあい敗北
1575年5月 長篠の戦い
死者7000、山県昌景、内藤昌秀、馬場信春、甘利信康、五味高重、安中景繁
真田信綱、昌輝、原昌胤、望月義勝、香坂昌澄、土屋昌続、川窪信実、和田業繁、
三枝守友、名和宗安、横田綱松、祢津是広、武田信実、討ち死に
11月 秋山信友、大嶋長利、座光寺貞房、討ち死に
1579年9月 武田勝頼、武田信豊3000の兵を沼津に置き、徳川氏との対決のために出陣。
北条氏牽制のため富士川付近で陣を取る。が、大雨により1万2000人が溺死(武徳編年集成より)
徳川軍、駿河の持舟城を落とす。三浦兵部助、向井正重討ち死に。
1581年2月 勝頼、1万6000もの大軍を率いて高天神城の救援に伊豆に入る。三島において北条氏政の妨害にあい、
甲府に引き上げる。3月、高天神城の岡部長教ら688名の城兵全て討ち死に。
1582年1月 木曽義昌、武田に謀反、織田に寝返る。
2月 武田勝頼二万の兵を率いて出陣。木曽義昌に鳥居峠で大敗。曾根覚雲斎謀反。武田信豊死亡
17日、松尾城の小笠原信嶺が反旗を翻し平谷陥落。
18日、保科正直、飯田城を捨て逃走。信廉、戦わずして大島城を捨て逃走。20日、田中城落城
3月 難攻不落の名城、高遠城1日で陥落。仁科盛信、小山田昌行、今福昌和、原貞胤、武田竜宝、
武田信綱、武田信堯、一条信就、山県昌満、朝比奈信直、諏方頼豊、一条信竜、討ち死に。
武田勝頼、盛信、信勝、信貞、信友、海野信親、跡部勝資、土屋昌恒、安部宗貞、小宮山友晴、
滝川一益に討ち取られる。
武田信豊、小山田信茂、長坂光堅、一条信就処刑
4月 織田軍による武田残党狩り開始。武田信玄の六男、葛山信貞、織田信長によって善光寺で殺害
武田残党は恵林寺ごと焼き殺され皆殺しにされる。
武田家の生き残り武田信清、武田家滅亡時にその縁故を頼り、上杉氏に仕える。
江戸時代まで代々、上杉家の下層家臣として飼われる。
962 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 22:18:46 ID:RbGGeiSH
何匹釣れるかな(´ー`)y──┛~~
963 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 00:00:24 ID:GR0p2qq4
釣れるんだろうなぁw
964 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 00:04:19 ID:rlTUCOCQ
相変わらず品性下劣なのがいるな。
965 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 02:21:41 ID:ssQvA1u9
信長厨ってキモイねw
966 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 07:58:35 ID:Cu9ok2Se
名前やメ欄に釣り針あるのに
スルーせずコピペに反応しすぎだろ
967 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 12:27:56 ID:wxGiSXVu
ここでクイズです。
超スケベで元痴漢だった戦国武将は?
968 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 15:51:33 ID:SWyi5VvV
信玄は居城移さないでわざわざ躑躅ヶ崎に帰ってくる時点で・・・
天下無理ぽ
969 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 22:36:11 ID:0zRFIm0U
実際そこが武田領国の中心だから移す意味ないし。
970 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 15:27:47 ID:q8HS83BK
いやいや信長を見て御覧な、清洲をでて稲葉山に移り、それから安土と一寸ずつ京畿に近付いてるだらう…
権現様も東を取ると定めたら、やりやすい浜松にいったろう、そうして晩年は、お江戸を秀忠公にまかして駿府で海道筋に睨みを利かせた。
天下なんてもんは一所にしつっこくかかずらってちゃどうなるもんでもないヤナ
971 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 17:01:09 ID:f62z7iqx
甲斐は貧しく災害多いからほっとけるもんじゃないし、
信濃と上野にはに上杉、南に徳川、西に織田、と諸勢力がいる状況なら
対応していくには居城は中心近くのがいいだろう。
信長のは東を徳川に任せて西を望むという観点で美濃に移ったんだし
もともと尾張も美濃も豊だし。安土は織田領国の中心にある城だから
やっぱり居城は領国の中心に置かれると何かと便利なわけで。
浜松のは東を取るというか東の武田に取られないためなんだよね。
駿府も隠居地という感じだけど。
972 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 19:50:35 ID:YuTGuhi8
織田のは状況も環境も違うからね。
武田は駿河を首都にすればよかったかも知れないが、
そうすりゃ上野信濃は上杉の切り取り次第かな。
973 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 20:18:01 ID:q8HS83BK
甲府→信府(松本)中仙道から美濃→天下へ
974 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 20:22:03 ID:NxhVvMQ3
三国同盟が友好な時期なら甲斐に本拠を置く必要がないような気がする。
北信濃・西上野を重視するなら諏訪あたりが妥当かな?
でもそうすると上杉を刺激して川中島合戦が永遠に続くかな?
三国同盟の破綻以降は北条・徳川と争うことになるから甲斐が妥当かな?
北信濃の安定化に失敗しているから駿河移転は冒険だな。
甲相同盟の復活以降は織田・徳川と争うことになるからやはり諏訪あたりが妥当かな?
北条と同盟したなら甲斐に籠る必要はないような気がする。
遠江口・三河口・美濃口に近い方が立案しやすいと思うけど?
織田とは状況が違うからこれが正解というものは無いけれど、
織田のように一貫した中央重視政策みたいなモノがあると移転もいいけれど、
場当たり的みたいな四方に進出する武田の政策では本拠移転は出費が多そう。
975 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 21:45:41 ID:tDYRKubw
家康が駿府にいたのは、
上方と江戸の情報を
出来るだけ早く正確に伝達できる
最高の立地だったからでしょ+なじみの土地
携帯があるわけじゃないんだからさw
976 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 21:51:44 ID:jcG7mqSU
>>971 信長様は居城を移したが、配下の領地は移ってないからねw
尾張から安土まで単身赴任していて、空家で火事が出たばかりに
尾張の実家を焼き打ちされるw
信長は直轄地の中で都合の良い城に住む。
配下は交通費自腹で頑張る。
977 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 22:11:37 ID:zHtBXGvV
あんまり自信は無いんだけど言ってみる^^;
本拠地って主君の在住する城でしょ? でも兵は各家臣の領地から集まってくるから軍勢動かす分には大きな影響ってあるのかな?
織田くらい大きな領土なら別だが武田だと諏訪と古府中で動かす程の事かがイマイチわからん
あと諏訪にも古府中にも商売人内政面なんて商売人等の引継ぎも難しいし不満出るにきまってるし・・・。
978 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 22:18:45 ID:WGfTSvos
57スレまとめ
>1-34テンプレ
>37-62虎御前山砦を抜けるか・朝倉の実力・織田朝倉砦に関わる戦果
>69-71朝倉始末記多胡宗右衛門尉宛義景書状
>82箕浦合戦ソース速水真願寺記・松下文書
>89リンク先
>100箕浦合戦ソース丹波松下文書
>87-112刀根坂合戦の朝倉の兵力について・朝倉義景の内政手腕について
>81-134一斉反攻の可能性・書状の信用性・土岐氏にあてた書状について
>113-182朝倉による虎御前山砦への戦果・冬前に虎御前山砦を落としておく価値はあるかないか
>160堀秀村宛書状 春の出兵準備
>182-213秀吉は冬の間何もしていないか・兵の補充の仕方・城砦の普請の有無に史料は絶対に必要か・虎御前山砦を落としておく価値はあるか
>187佐和山城付け城の資材流用による虎御前山の砦建設リンク
>214-228包囲網の実情について
>229-305一斉反攻の可能性・朝倉による虎御前山砦への戦果・秀吉は冬の間何もしていないか・書状の信憑性
>277朝倉義景年未詳3月8日付書状
>307-3721572年11月27日付山県昌景書状の信憑性について
>310-405虎御前山砦を落としておく価値はあるか
>310-355武田の遠征可能期間・
>351-405包囲網が有利なら何故史実で動かなかったのか・包囲網は連携できるか・義昭との最初の和睦は急いでいたか
>349-404兵の補充の仕方・城砦の普請の有無に史料は絶対に必要か
>400-411三方ヶ原後の徳川の戦力・史実での徳川の反撃について
>412-597長島の兵力の実情について・一揆衆はどの程度動員出来るか
>412-522刀根坂合戦の朝倉の兵力について
>427-808まで飛び飛びで続いている 兵の補充について・当時の軍制
>568-591アテネの軍制について
>600-705石山本願寺長島の遠征可能兵力について・何故史実では動かなかったのか・上杉の状況
>617-656志賀の陣での各勢力の和睦状況
>622-661大内について・武田の長期遠征の可能性について
>713-800長島・一揆衆の動員率遠征能力兵の質について・長島の支配範囲影響範囲
>731-799各大名の領国の支配状況・動員率 何故包囲網は動かなかったのか
>784-852岩村の地理的状況とその価値について
>800-835各大名の領国の支配状況・長島について
>801-846一揆衆は遠征できるか・各大名の領国の支配状況・動員率
>850-868 5月一斉反攻の可能性について
>879-893天下布武朝廷幕府への各大名の対応・天下取を考えていた大名はいるのかについて
>968-977本拠移転の是非について
979 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 22:58:18 ID:40XphEEG
織田包囲網は皆やればできる子
しかし、やればできたはずのことを何故かやらずに滅亡しちゃった子達です
980 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 23:02:28 ID:jcG7mqSU
>>977 領内の兵力をまんべんなく動員しようと思ったら、
どこが本拠地でもかかる時間はだいたい同じです。
全軍をまず一か所に集めるわけではなくて、行きたい場所に
応じて、道中で合流するからです。
981 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 01:01:46 ID:tqjeHEtN
>>979 信玄という計画の核が抜けてしまって
できなくなってしまった不憫な子達です。
982 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 04:52:17 ID:rwWXpZq9
そして後は良いとこなしの武田ファンの武田厨は
2chで負け惜しみを言うしかない不憫な子達です。
983 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 05:15:31 ID:tqjeHEtN
最後は家臣に裏切られて嫡男ともども殺されて天下も崩壊した
織田ファンの織田厨は、信長に天下を譲ってもらった覚えもないであろう
秀吉家康の功績を横取りして信長の手柄扱いにする事に血道をあげる
不憫な子達です。
984 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 10:10:34 ID:o+Iw2E4/
織田厨も武田厨もどっちもどっちだな
985 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 13:03:25 ID:ZaBKtEwN
他に居城移した大名居る?伊達は黒川に移したよね?
信玄の場合普請より棒道整備したから、甲府でもいいのかもしれない。
でも三方ヶ原進出以降なら移した可能性あると思う。
986 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 13:07:45 ID:EXggdFm9
>>977 >織田くらい大きな領土なら別だが武田だと諏訪と古府中で動かす程の事かがイマイチわからん
織田の清洲移転は尾張の政庁と考えればある意味当たり前ですが、
岐阜移転の方は尾張・美濃が織田の勢力範囲であったから武田とあまりかわりはないかな?
987 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 13:11:35 ID:7vQy389N
>>985 三好長慶・北条氏綱・島津忠良・織田信秀・武田信虎・武田勝頼・伊達政宗とかかな
988 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 14:48:36 ID:AoC0JzTa
できなくなってしまったんじゃなくて、単にそんな余力がなかっただけ
989 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 14:55:59 ID:Dzm1x/cl
計画の核がぬけたんだから普通はできなくなるだろ。
990 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:07:59 ID:AoC0JzTa
言うほどの余力が残っていれば、信玄死後ももっと抵抗できてるよ
991 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:10:25 ID:Dzm1x/cl
信玄生きてた上での反撃に賭けてたのに
信玄死んで計画お釈迦になったら普通はがくんと来るはずだが。
てか長島とか本願寺とか信玄死後も結構抵抗してるし
朝倉の刀根坂も何度も起きるものではなし。
992 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:16:37 ID:+kXEWoxV
>>991 刀根坂は何度も起きなくても、
山本山城が織田に寝返って朝倉が撤退した以上は浅井は風前の灯だな。
浅井が滅亡すれば朝倉の命運も風前の灯。
結局は織田に滅ぼされる事は回避できないと思うんだが。
993 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:21:27 ID:7vQy389N
まあ信玄が生きている段階で朝倉が撤退するだけで破綻するような作戦だったんだから
ましてや朝倉の倍近い国力の武田が一時的に動けなくなるだけでアウトとなるのは仕方が無かったんじゃね
994 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:24:47 ID:Dzm1x/cl
>>992 阿閉の裏切りは信玄死後の事な。8月の事。
刀根坂の戦いが起きなければ防衛戦闘でもう少しねばれそうだな。
995 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:28:24 ID:Dzm1x/cl
>>993 朝倉も要請に応えて2月から動いてるし、3月の書状では武田との連携にも乗り気。
信玄も美濃侵攻へ向けて動いてるから、信玄存命なら十分そうではある。
996 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:00:32 ID:v6f3I5Wc
信玄が生きているうちに湖西方面に攻めようとして、防備が固いから諦めて
引き上げてしまいましたとさ。
湖西を突破できないと考えた朝倉が、湖東なら突破できると考えた根拠は?
997 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:09:28 ID:Dzm1x/cl
>>996 防備がどうとかいう問題じゃないんだけど。
普通に湖西方面の多胡にあてた書状では
小谷方面があるからそっちにいけないといってるんだけど。
普通に湖東重視だっただけ。
998 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:10:59 ID:Dzm1x/cl
>>996 てかそっちも朝倉が勝利を武田や常陸江戸崎から報じられてる事、
とか武田との連携に乗り気なのを無視するのはなんで?
999 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:17:03 ID:Dzm1x/cl
他にも本願寺や武田、浅井の連携書状や
長島の動き、その他を見れば反撃ができない根拠はないし
朝倉は現に動いてる。
1000ゲット
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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