関が原の合戦、西軍100パーセント必勝法

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1人間七七四年
鉄砲を3万丁揃えて、一丁の鉄砲につき3人を配置し、射撃・掃除・弾込め役を分担
させ、これによって速射を可能にする(鉄砲3段撃ち)

突撃してくる東軍に機関銃並の弾幕で大打撃を与える

東軍が弱っているところに予備兵の小早川を突撃させて家康の首を獲る

これで西軍の圧勝
2人間七七四年:2008/10/22(水) 22:22:26 ID:C5Xge1Kj
簡単な事さ
呂布を仲間にして騎兵で突撃すればいい
3人間七七四年:2008/10/22(水) 23:00:46 ID:GYstk5vD
上杉謙信に精鋭八千人預ければ、敵は蒸発するから、
それでOK。
4人間七七四年:2008/10/22(水) 23:09:52 ID:u6Gjv0Nr
アクシズ落とせよ
5人間七七四年:2008/10/24(金) 01:06:51 ID:Gtv1V/Uu
小早川と毛利を最前線に。
いきなり裏切られる可能性はあるが。
城にこもって篭城するか、島津の意見聞いて急襲すれば面白かったけど。
家康得意の平地でやったのがそもそも間違い。
6いのっぷ ◆EW4r9yZWwk :2008/10/28(火) 01:41:00 ID:uhwWcEoZ BE:437342764-2BP(171)
>>1
そこまでしなくとも>>5のような方策が浮かぶと思うんだが。
というよりも鉄砲3万丁って世界中の鉄砲集めても無理な数字かも知れんよ。
当時の日本の鉄砲保有量は世界一ともいわれているからね。
7人間七七四年:2008/10/28(火) 08:20:40 ID:DnksATi2
>>1
仮想で考察するんだったらどんな方法でも言えると思うんだが…
8たられば君:2008/10/28(火) 08:49:45 ID:1yCUOMtH
揖斐川上流に堰を造って、東軍が渡河を始めたら一気に切って落とす
9人間七七四年:2008/10/29(水) 01:02:55 ID:+axsXlWx
起きなかった事象に100%というのは…
でも毛利輝元が出馬すれば状況は違うんじゃないかな?吉川みたいに「裏山で飯食ってていつの間にか終了」って訳には行かないだろうし、輝元の兵力もある。そして総大将が出陣すれば士気も違うだろうからね。

あと秀頼も一緒に連れて来れば言うことなしかな?かな?
10人間七七四年:2008/10/29(水) 06:57:15 ID:WU+EFdJj
落とし穴を掘って
中にウンチをたくさん入れたら
家康は泣いて帰るよ
しかもウンチ着いた家康は皆からシカトされて関東に引きこもりのニートになるさ
11駿河朝比奈氏:2008/10/29(水) 07:56:43 ID:ZGroJVyb
(´・ω・`)y ̄~秀頼を総大将にして出陣。朝廷から徳川討伐令を貰い持久戦に持ち込めば東軍は瓦解するな。大阪、京都を抑えてあるし秀頼の為の軍という大義名分も無くなる。あと、諸大名の人質は丁重に送り返してやる。


石田三成ほど頭が切れる男ならこれくらいはすぐに考えついただろうけど、三成の身上では指示できなかったんだろうね(´・ω・`)
12人間七七四年:2008/10/29(水) 12:00:24 ID:eksmO+oU
関ヶ原で、東軍を迎え撃ったのが敗因

西軍は中山道を北上
東海道を西進していた家康軍をスルー

中山道を北上し真田軍が引き止めていた秀忠軍本体を途中でせん滅
その後上杉軍と合流して南下

江戸で最終決戦
13人間七七四年:2008/10/29(水) 13:52:31 ID:X8rQ0Wxk
石田三成は当時、すごい権勢だったんだろうなぁ
豊家の一官僚が、信長、秀吉クラスの大御所を相手に
形の上だけでも五分五分に持っていったんだから。
14人間七七四年:2008/10/29(水) 14:13:28 ID:9v2jMTOA
家康を調略する
15人間七七四年:2008/10/29(水) 15:29:20 ID:V+n5/n++
戦をしない
16人間七七四年:2008/11/04(火) 09:59:29 ID:0smCL8a/
宇喜多は自主的に八丈島に流れて謝る。
17いのっぷ ◆EW4r9yZWwk :2008/11/04(火) 10:51:37 ID:bJs8sdHU
三成が頭の切れる人だったってことは認めるが、
数的優勢であり万策を尽くせば幾つか勝てる方法がそれなりに思い浮かぶんだが、
そうはさせぬと関ヶ原決戦に持ち込んだ家康の作戦がちなんだろうな。
もし応仁の乱みたいに平野部での前面衝突だったなら数時間での決着なんてのは有り得ん話だしな。
18人間七七四年:2008/11/04(火) 18:07:59 ID:2t5QLpBw
いくつか挙げてからほざけよ脳内軍師さん
19人間七七四年:2008/11/04(火) 22:43:12 ID:I0X2CAkz
吉川、小早川が裏切らない
コレだけで勝てる。赤座、小川なんかの小物も裏切れなくなる。

更に朝廷から征東将軍にでもして貰って家康追討の勅命を
貰ってれば家康は朝敵、親家康派の大名も離れてしまう。
20人間七七四年:2008/11/05(水) 01:06:57 ID:OiTIWitW
20
21人間七七四年:2008/11/05(水) 07:00:00 ID:wuOZd/XS
明治時代にドイツの将校が関ケ原の布陣を見てこれは西軍が勝っただろって言ったらしい
そんで小早川が裏切ったから負けたって言ったらそれなら仕方ないって苦笑いしたらしい
22今川氏真:2008/11/05(水) 07:17:41 ID:jg4oiHkl
歴史にifは許されないが
松尾山に陣取ったのが今川氏真だったなら今日の日本は変わっていた
引退したのが早過ぎで惜しまれる
今川氏真
23人間七七四年:2008/11/05(水) 08:14:41 ID:jg4oiHkl
               やってくれましたね、みなさん…
       /;;;;;;;;;;;;;\    よく今川家の上洛への夢を見事に打ち砕いてくれました…
      /\;;::::::::::::::::::ヘ    元康くんが戻ってきませんね…信長くんが裏切らせたんですか?
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__   それにしても、あと一息のところで今川軍本隊が奇襲を受けてしまうとは…
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l    父上には残念でしたが、麿はもっとでしょうか…
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   はじめてでおじゃるよ…
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕   このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
    /j/               ヾ、  まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
     l::||::::    \     /  |l   ゆ…
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||   ゆるさん…
    |::||:::::::::::::   \___/     ||  ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  じわじわと蹴鞠技を披露してくれる!!!!!
    /\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ  一瞬たりとも見逃せないぞ覚悟しろ!!!
24駿河朝比奈氏:2008/11/05(水) 09:45:36 ID:f2YGysKR
>>22
(´-ω-`)ノ゛殿!御自重なされよ!
25人間七七四年:2008/11/05(水) 23:53:08 ID:kfXTFbom
>>22
今川氏真が東軍か西軍かによる。
今川氏は豊臣家の恩顧では無いけど家康は裏切り者で
でも家康に面倒見て貰ってた訳で…
26人間七七四年:2008/11/06(木) 17:09:41 ID:+OQyEuP9
上杉軍と家康が交戦してから、三成は決起するべきだった。
そうすれば、家康率いる上杉討伐軍は混乱する。小山軍議など開けなかった。
上杉も迎え撃つ準備を直江中心にしていたから守りには自信があった。
特に、日光街道から鬼怒川を抜けて会津に攻め込むのは至難の業。

さらに、秀頼の出陣。難色を示す淀殿を大野治長に説得させる。
そして、淀殿も含めて出陣。
着陣は無理でも、伏見もしくは大垣・佐和山城まででてきてもらい
本営とする。

そして、島左近に一任して、家康暗殺に全力を尽くす。
27:2008/11/06(木) 18:51:40 ID:dBmb7xyA
そもそもスレタイが幼稚すぎる。必勝=100%勝つという意味だから100%必勝法とは文章がなりたたないのでは?
28人間七七四年:2008/11/06(木) 18:59:37 ID:h6UZXjeT
東軍と西軍の呼称を入れ替えれば西軍の勝ち。
29人間七七四年:2008/11/06(木) 19:56:18 ID:6J/KbPuq
>>26
ヒント 大野治長は東軍。
30人間七七四年:2008/11/06(木) 20:17:10 ID:sWNUv6yQ
細川勝元も東軍
31人間七七四年:2008/11/06(木) 22:34:37 ID:XNnwF2a5
>>26 そうだな。俺もそう思った。上杉と交戦中なら、西軍は
江戸城に向けて進軍できたはず。江戸城攻略に乗り出せば、家康は
必ず引き返してくる。そこを、上杉と呼応して挟み撃ちにすれば、
一網打尽にできたはず。
32人間七七四年:2008/11/07(金) 07:54:51 ID:HxttlSzz
>>26
>>31
そりゃそれが出来るのが理想だがな
現代と違って携帯なんか無いし
そう簡単に上杉と交戦始めたナイスなタイミングで
挙兵なんていかんのよ。
仮にうまいこと上杉と戦いはじめて
さらにうまいこと上杉からの使者なりが
徳川方に捕まらずに来てくれたとしても
じゃあそこから挙兵ってそれじゃ遅い可能性が・・・

そもそも家康は光成挙兵の可能性は十分わかかってて
会津への行軍はかなり遅かったんじゃなかったか。
家康が兵を反したときに景勝が追撃してれば
っていうことなら挟み撃ちもifできるだろうが
まあ厳しいと思う。

ifなら色々考えられはするが
単純に毛利&秀頼出馬が現実的でもあり
また比較的実現可能じゃまいか??
全て史実通りだとしても
西軍に裏切りが一切発生してなく
全軍きっちり働いていればまず勝っただろうけどWWW
33人間七七四年:2008/11/07(金) 08:06:34 ID:WOK5RDEO
遠江、三河、駿河、信濃、伊豆、相模、等の東軍方の諸城は攻略しながら 江戸まで行くのですか?
34徳川秀忠(徳川本軍):2008/11/07(金) 08:16:18 ID:WOK5RDEO
信州真田攻めの中山道の部隊も真田には手勢を置いて

3万が展開すると思いますが?
35前田利長:2008/11/07(金) 08:21:00 ID:WOK5RDEO
北陸で足留めの前田勢も西軍の丹羽勢等を蹴散らしながら 江戸に進軍する西軍の後方にも不安が残りますね
36結城秀康(江戸駐留):2008/11/07(金) 08:28:54 ID:WOK5RDEO
江戸の残留部隊等も家康部隊に合流して江戸を中心に展開は予想出来ますね?

(関ヶ原に同行した部隊8万、江戸駐留1万5000) 合計10万近い部隊も
37人間七七四年:2008/11/07(金) 08:35:11 ID:WOK5RDEO
上杉には江戸まで遠征して戦う兵力は無いとは思われますが? (常陸の佐竹も同じに)

後方には伊達、最上、越後には堀、溝口、村上で領外の戦はまず無理とは思うのすが?
38人間七七四年:2008/11/07(金) 08:46:27 ID:WOK5RDEO
西軍の主力の毛利勢も長期の遠征では自国の領土の不安も‥(東軍方の黒田、加藤等に毛利領の小倉や北九州を攻略されている)

大津城攻城中の西軍の立花、筑紫等の九州勢も
39人間七七四年:2008/11/07(金) 09:06:30 ID:WOK5RDEO
関東まで攻め上がるのでは まず(短期攻城、攻略以外では無理と思われますが?)

西軍は三成を主体に統制の取れた自身の部隊では無く(長期の城攻めでは諸将の動向は自国の不安とかも有り、統制は崩れると思われますよ)

東軍に当初参加予定の薩摩、島津 上方の動向に疎かった土佐、長曽我部(毛利の動向に併せただけで西軍に参加)等も家康の調略は延びるのは必須で
40人間七七四年:2008/11/07(金) 09:22:53 ID:WOK5RDEO
関ヶ原のあのタイミングでの勝負が三成には一番東軍を打ち破るには最適では在ったと思いますが(家康を自国の領から出し叩く戦略)

後は西軍の(影響が強い地域に引き込み雌雄を短期間に決める)その上で西軍諸勢の足並みを揃えた短期決戦でしか家康の東軍には勝てなかったと思うんですが?

41人間七七四年:2008/11/07(金) 09:59:59 ID:WOK5RDEO

関ヶ原からまだ西に東軍が進軍した想定では

西軍は地方に分散、駐留させて居た他の部隊も集結しだし関ヶ原の戦力以上に膨らむとは思います(伊勢攻略中の鍋島勢1万、 大津城攻城中の立花、丹波勢1万5千、それに大阪城の駐留する毛利輝元や増田等2万)

ですが関ヶ原以外で特に毛利輝元も参加した、決戦で勝利を納めたとすれば三成が関ヶ原で東軍に勝利するより、その後の豊家中での主導権は少しは下がるとは思いますが
42人間七七四年:2008/11/07(金) 10:50:52 ID:RXFRjXo0
主導権が下がろうがまずは勝たないとしょうがない。
43人間七七四年:2008/11/07(金) 12:29:27 ID:kWsOTraK
東軍が関ヶ原に進出したときに、西軍主力は迎え撃たずに大垣に留まって大津攻めの立花らと挟撃すれば良かったんじゃね?
44人間七七四年:2008/11/07(金) 12:39:39 ID:RXFRjXo0
それでは家康に大坂(あるいは京)を押さえられる危険があった。
そうなっては西軍の敗北なので、関ヶ原に陣を布いた。
結果論だが、大津城はすぐに陥落するので、挟撃は可能かもしれないが
あの時代、あの場所にいた三成にとっては最善策だったはず。
(逆に言えば野戦を仕掛けるしかなかった。)

その状況に追い込んだ家康が勝ったのは当然、か?
家康にしてみれば「詰め将棋」の要領だったかもな。
45人間七七四年:2008/11/07(金) 18:54:22 ID:mrjRFmMV
家康の行軍が遅かったの事実だが、上杉と戦わずに雪が降り始めて
上杉討伐軍の撤退となったら、それを利用して家康を糾弾できたはず。
雪が降り出したら、上杉討伐は不可能。上杉は、雪が降り始めるまでの
2ヶ月くらいは十分、あの山間部で包み込めたはず。
上杉軍は、伊達を警戒して領国からでることは無いだろうが、攻めてくる
相手を留める力は十分あった。

家康は、上杉討伐が雪でできなくなっても大阪まで戻らずに一旦、江戸に
帰るはず。そこに秀頼への反逆として、朝廷からの勅許をとり、豊臣家
として、家康討伐を宣下する。尚、その内容に上杉家については、家康の
企みにより嫌疑をかけられたむしろ被害者とする。

46人間七七四年:2008/11/07(金) 19:20:05 ID:ElGIMSMm
家康が会津に向かって江戸を出陣したのが7月21日。
雪が降るまえに上杉が参ってしまうだろう。
47人間七七四年:2008/11/07(金) 19:24:13 ID:GQfvx191
家康を暗殺するときに、一緒に世良田二郎三郎元信も殺しておく






六郎、頼むぞ。
48人間七七四年:2008/11/07(金) 20:35:18 ID:kWsOTraK
大垣に西軍を残したまま東軍が京都や大阪に迎えば自ら西軍に包囲されに行くようなもんじゃね?
西軍が畿内を押さえつつあったし補給を得られない
ますます秀忠の別動隊とも合流出来ないじゃん
49人間七七四年:2008/11/07(金) 20:51:13 ID:RXFRjXo0
>>48
家康ほど政治力のある人間が、秀頼や朝廷を押さえたらどうなるか…
下手したら三成が朝敵になるぞ?
50人間七七四年:2008/11/07(金) 21:30:33 ID:GC9uUxWf
朝廷の存在が脅かされない限り朝敵にはしない
何で2600年も続いたのか考えろ
51人間七七四年:2008/11/07(金) 21:36:03 ID:qJaEUjV+
ウリナラ半万年と同じになるからヤメレ>皇紀
52人間七七四年:2008/11/07(金) 22:04:14 ID:RXFRjXo0
>>50
家康なら、東海道部隊を率いて京に入り朝廷を脅すくらいやりかねん。

大坂の秀頼を押さえた方が無難に進みそうだが。
53人間七七四年:2008/11/07(金) 23:12:26 ID:mrjRFmMV
旧暦と新暦 約2ヶ月の差があると考えるが
いかに
54人間七七四年:2008/11/07(金) 23:21:02 ID:mrjRFmMV
今川氏真 器量あれば、一番天下を取れたお人であろう。
自分であれば、即座に父、義元の弔い合戦の為に挙兵し
なお、一番重要なのは、再び桶狭間にて着陣する。
55人間七七四年:2008/11/07(金) 23:30:48 ID:mrjRFmMV
江戸など攻めなくても、家康が江戸にいて月日が過ぎるのを待てば
それまでのこと。
あせっているのは家康になる。

大阪及び京にいない家康などただの田舎狸にしかすぎない。
月日が家康の権力をそぐことなどは明らか。

江戸にさえいてくれれば万事、西軍の思う壺。
大見得きって、上杉に向かっていって、万が一にも年を越すことあれば
家康を見限る武将も多々現れるというもの。

戦わずにして勝つ。これ、善の善。
56人間七七四年:2008/11/08(土) 10:23:50 ID:+O09Vj4P
>>53
関が原の合戦は旧暦では9月15日。新暦では10月21日。
2ヶ月もありません。

三成が決起しなければ長宗我部や立花などは江戸までやってきて
東軍に合流してしまう。となると、畿内にいて大兵を持っているのは
毛利だけだが、そんな状況になったら毛利は三成に味方しないさ。
結局三成は決起もできず、上杉は滅ぼされ、窮地に追い込まれること必定。
57人間七七四年:2008/11/08(土) 20:16:22 ID:CMuPvncV
やはり細菌兵器だな。人類最大の敵は細菌だからな。
天然痘やペストで死んだ死体をヨーロッパから輸入し、投石器を使って
徳川へ投げつければ、半年もしないうちに徳川を滅ぼせる。

すでに13世紀にモンゴル軍が、ペストで死んだ死体を城へ投げつけていたから
前例があるから現実味がないわけではない。

上杉や真田を始めとする、西軍には掘り深くして籠城し、鉄砲や弓、長槍で戦うように
厳命しておくことが必要だな。
58人間七七四年:2008/11/08(土) 20:27:57 ID:+7SDeud4
自衛隊を使え。
59人間七七四年:2008/11/08(土) 22:23:37 ID:IASLmL85
いやもっと古代から細菌兵器は運用されてきたけどな。

対処法もわからない、無菌状態の狭く動物も多い日本でそんなことやれば、
見方共々一辺に全滅www
60人間七七四年:2008/11/14(金) 00:29:30 ID:vPsGRAeU
体調不良の秀秋にタミフル飲ませる。
すると松尾山から家康の陣に飛び込んでいったはず。
61人間七七四年:2008/11/14(金) 01:14:08 ID:WJrXW+e6
豊臣秀頼を関ヶ原に呼んで大義名分をハッキリ打ち出せばもう少し西軍に組する武将もいただろうに
三成じゃだめだ
62人間七七四年:2009/01/04(日) 20:36:14 ID:viT3Wgpw
徳川家康が西軍に寝返る
63人間七七四年:2009/01/05(月) 07:24:22 ID:1lwWq60m
まず出来たことは、家康が上杉と交戦を始めてから挙兵し、家康を挟撃すること。家康討伐軍が到着するのは
随分遅れるだろうから、上杉が城に篭ってでも家康討伐軍が到着するまで粘りきるのが条件。これが出来れば、
挟撃された家康の為に、伊達と最上が真剣に上杉と戦うことはなくなるだろう。適当に戦って様子を見ること
になる。負ける方につくバカはいない。

上のほうに「交戦が始まってから、江戸城を攻める」ってのがあったが、それはおそらく機能しない。何故な
ら、後方に伊達と最上を上杉は抱えてしまってるから。そんなのに兵を割くなら、全軍で家康に当たった方が
無駄が少なくて済む。

その次に考えられるのが、やはり輝元の出陣。3万の兵を率いる総大将が戦場にいないのは、やっぱり大きい。
その3万の兵力をもって、秀頼も出陣させることが出来れば、東軍に相当動揺が走るだろう。まともに戦えない
連中まで出てくるだろう。特に宇喜多の1万数千を一手に引き受けた福島なんかは。

西軍は益々有利に戦いを進めることになり、必然的に小早川は東軍目掛けて突進することになる。そうなれば吉
川も動き、家康の退路を断つ。東軍は四面楚歌の中で崩壊するよ。
64人間七七四年:2009/01/05(月) 12:53:42 ID:HmMaxPw1
>>63
秀頼・輝元の出陣は三成が一番願っていたはず。
でもできなかった。
上杉方面に関しては、徳川の主力が間に合わなかっただけでも
十分御の字じゃないかなぁ。

やはりあの戦いに関しては
小早川を裏切らせない策=西軍勝利の策だと思う。
三成も秀吉が死んだ後からでも、
もう少し小早川のことに目をかけておくべきだったんだと思う。
というか豊臣一族結束なさ杉w
65人間七七四年:2009/01/06(火) 02:11:18 ID:Gh74hsT/
豊臣一族が結束ないのは三成が決起人だからだろう
そもそも豊臣一族という点でみれば家康の方がそうなんだよな
あと小早川を裏切らせない策=西軍勝利の策はちがうと思う
小早川と毛利が西軍として動いてようやく互角だと思うけど
結局家康が死ななければ小早川と毛利は動かないんじゃない
66人間七七四年:2009/01/06(火) 04:15:47 ID:ljloPrga
>>1 からして既に
67人間七七四年:2009/01/08(木) 11:24:44 ID:3EAAfsq5
自分の領地国友村から家康に鉄砲を大量供給してしまった三成はドアホ。
68人間七七四年:2009/01/08(木) 12:37:11 ID:X/J3XNr3
鍛治は国友しかないの?ばかなの?しぬの?
69人間七七四年:2009/01/08(木) 13:39:21 ID:10IefT6m
朝鮮から援軍を呼ぶ。
70人間七七四年:2009/01/08(木) 16:26:18 ID:pDsdcSbL
吉川が徳川の左翼に突入

>65

決起人は三成なのか?俺は宇喜多が怪しいと思うんだが・・。

71人間七七四年:2009/01/08(木) 16:34:05 ID:vnpM9vnT
秀頼参戦なら、絶対に違ったはず。
72人間七七四年:2009/01/08(木) 18:07:53 ID:63VjoiZ3
>>71
「まだ幼い秀頼君を危険な戦場に連れてまで利用するなんて許せない!」→東軍完勝ですか
73人間七七四年:2009/01/08(木) 18:20:53 ID:kASmhM9b
>>70
家康後備や池田や浅野や遠江衆、駿河衆がいます
全部足すとあまり差はなし
74人間七七四年:2009/01/09(金) 20:27:48 ID:TFJjqIL7
73>
つか関ヶ原時の徳川軍って精鋭なのか?

大久保は死んでるし、十年近くまともな実戦を経験していない軍が
一応朝鮮出兵とかで過酷な実戦を経験してる毛利らが負ける気はしないんだが。

池田にしても山内にしてもあまり実績はねえし、
宇喜多とかは善戦してるんだから、前線が崩れたてば真っ先に逃げると思うが。
75人間七七四年:2009/01/09(金) 20:42:43 ID:MnoRdYo+
史実かどうか知らんけど薩摩が自作した錦の御旗を鳥羽伏見の戦いで押し立てて勝ったと大河ドラマでやっていたよね?
おれと同じように豊臣秀頼が出馬したと敵軍、味方軍に思わせるように豊臣の馬印を掲げた部隊を捏造していれば
西軍は勝てたんじゃないの?
76人間七七四年:2009/01/09(金) 20:53:05 ID:X6OtJiIx
ヒント 家康は朝廷に人脈がある
77人間七七四年:2009/01/09(金) 21:46:44 ID:kgOeI6Il
>>74
宇喜多は半数以下の福島と互角でした
後、朝鮮役で活躍した小西行長はぼろ負けだった様な気がしますが
78人間七七四年:2009/01/10(土) 01:38:11 ID:sZwkzdO3
>>75
山崎の合戦で秀吉は毛利の旗を掲げ毛利が味方であるかのように
演出したよね
三成にはそういう狡猾さがないというか潔癖すぎたのでは?
79人間七七四年:2009/01/10(土) 01:53:24 ID:38VCUY+f
葵の旗を偽造して西軍の各部隊にばらまいておく。
80人間七七四年:2009/01/10(土) 09:49:28 ID:SVN/pt0D
というか、関ヶ原自体が既に西軍必勝状態じゃないか。
相手よりも多い兵を集め、陣形も有利な状況で開戦している。
三成からすれば、これ以上望みようもあるまい。
81人間七七四年:2009/01/10(土) 10:40:55 ID:bSV23Gqo
>>80
昔日のドイツ人将校乙
82人間七七四年:2009/01/10(土) 15:04:27 ID:oWRVnSEm
いやいやメッケルの言う通りだよ
小早川と毛利・吉川・長宗我部が積極的に西軍に参加するだけでケリはついた
>>1のスレタイに対するifはこれで充分
だいたい>>1には「小早川は東軍に寝返る」とか「南宮山の連中は日和見する」とかの条件が設定されてないからね
83人間七七四年:2009/01/10(土) 15:31:04 ID:jH4zqTw+
ただ勝った後どうするかだよな。
三成は多分家康倒せば豊臣家は安泰って考えてただろうけど
実際は誰が実権握るかでもう一騒動ありそう
84人間七七四年:2009/01/10(土) 17:08:32 ID:cEHJZVwZ
家康をとり逃がすかどうかでも違ってくるな。
家康斬首→その後、誰が主導権を握るか西軍内で揉める
家康逃走→秀忠軍に合流→睨みあいが続く
85人間七七四年:2009/01/10(土) 18:58:04 ID:IE1m9H6a
>>82
そういった事を想定していない時点ですでに必勝じゃないと思う
あとあれって実際の人数と違う所もあるから必ずしも西軍必勝状態じゃないんじゃね
86人間七七四年:2009/01/10(土) 20:05:07 ID:W35GsumU
日和見と内応を除くと
5万vs10万だからな
87人間七七四年:2009/01/10(土) 20:14:06 ID:H8pS6+5W
家康が西軍だったら勝てるんじゃね?
88人間七七四年:2009/01/11(日) 19:37:25 ID:Q+adZELK
上杉を見捨てて
徳川、石田、福島、黒田、毛利、伊達を全部西軍とする

これなら西軍勝利確実
89人間七七四年:2009/01/13(火) 00:20:00 ID:hhK2bZfX
小山に向かわなかった奴はのぞいて

東軍 上杉景勝 佐竹義宣 
西軍 徳川家康 伊達政宗 最上義光 黒田長政 福島正則 細川忠興 大谷吉継 真田昌幸

これでどうだ
90人間七七四年:2009/01/13(火) 02:44:20 ID:VFlPZEki
>>87で吹いたwこの発想はなかったわw
じゃあ、石田はだれと戦ってるんだよw
91人間七七四年:2009/01/16(金) 15:42:38 ID:VDiMzb6b
いつだって自分との戦いさ…
92人間七七四年:2009/01/18(日) 21:27:24 ID:+8i4aPUG
>>1

ぶちゃけ1の策で東軍に勝てんの?
マジレスでおねがい
93人間七七四年:2009/01/18(日) 22:13:15 ID:YQ4z0Xjc
>>92
無理
効果的な場所に布陣したとしても
94人間七七四年:2009/01/20(火) 21:14:21 ID:n6AY6sky
話が尽くし終わっていると思うけど
秀頼の鎧と旗かりて影武者出陣はだめなの?
95人間七七四年:2009/01/22(木) 09:07:46 ID:Sj+RPWYi
>94
金や米も援助してもらえないのに、旗なんて借りられるわけないじゃない。

一瞬の動揺は誘えても、西軍は内通者だらけだから影武者ってすぐにばらされるよ。
96人間七七四年:2009/04/12(日) 00:42:46 ID:o2x/O7b1
家康暗殺しかないね
97人間七七四年:2009/05/10(日) 11:07:33 ID:g1UzQUkW
佐和山城に2万を入れ、瀬田の橋を落とし、近江南部で東軍を半包囲して持久戦
中山道部隊が東軍に合流したところで、真田が兵站を分断
豊臣恩顧の大名に、天皇の綸旨と秀頼名義の書状を出しまくり、がたがたにする
98人間七七四年:2009/05/10(日) 11:59:44 ID:D5XZkSbH
治罰の綸旨を出させりゃ「私戦」とは言えなくなるな。
といっても当時の一上は秀次事件でさんざんな目にあった菊亭か。
99人間七七四年:2009/05/10(日) 14:40:40 ID:cZE/7c1M
「戦う戦う詐欺」で大坂城まで撤退して、家康に城攻めさせる。
秀頼と一緒に城に籠もられたら、家康も戦えない。
そして東軍が空中分解したところを攻撃する
100人間七七四年:2009/05/10(日) 14:57:10 ID:D5XZkSbH
その前に
領国を東軍に蹂躙される西軍方が空中分解しないか?
101仙台藩百姓:2009/05/10(日) 18:26:16 ID:pc9vVVmx
上杉がビビってないで下野に侵攻すれば良かったのだお┐ (´ω`) ┌
102人間七七四年:2009/05/10(日) 18:45:20 ID:D5XZkSbH
上杉なんぞ秀康で十分。
そうこうしているうちに助平政宗が会津占領。
103& ◆BM5YyAuemE :2009/05/14(木) 07:16:58 ID:SsYuCkt3
好原始~
104人間七七四年:2009/05/14(木) 07:52:21 ID:wSobzWU7
>>1
実際、関ヶ原は長篠の合戦の二の舞になるところだったと
なにかで読んだことはある。
三成はちょっとした砦のようなものを自分の陣地のまえに築いていたらしい。
実質的には籠城戦に近いものだったらしい。
だから、あれだけの徳川の大軍を石田、宇喜多、小西、大谷だけで防げたんだと。
あのまま続いていたら、普通に徳川勢は撤退してたろう。
小早川の裏切りを期待するだけで、特に策を練らなかった関ヶ原の合戦は家康にしては手緩い。
105人間七七四年:2009/05/14(木) 08:10:57 ID:SsXg4QTm
毛利も動かなきゃ無理
106人間七七四年:2009/05/14(木) 09:29:01 ID:m7JFacWP
イオナズンで一撃10万ぬっころす
107人間七七四年:2009/05/14(木) 09:33:53 ID:F0TJS15U
>>104
前線ではほぼ同数の戦闘だったよ
108人間七七四年:2009/05/14(木) 12:05:10 ID:UbNE6Zxr
太閤秀吉が登場。
この狸めが、あれほど日の本での戦は尾張じゃといっておいたのに

おい、金吾、
まさか狸につくつもりじゃなかったんだろうな

清正、正則 馬から転げ落ちるようにして、地べたに平伏。

三成、薄笑いを浮かべながら家康、他東軍の武将を睨みつける

島左近
これが殿(三成)の秘策だったか

太閤秀吉
はははっ、二年近くも死んだことになってるのはワシもきつかったわ。しかし、佐吉が豊臣家のために死んでくれというもんでなー。
109人間七七四年:2009/05/14(木) 12:11:45 ID:Qu5qqJXF
そこまで三成を信用してたなら、せめて百万石くらい呉れてやってつかぁさい。
110人間七七四年:2009/05/14(木) 12:27:48 ID:DtAMyeWY
そんな逸話もあったな
小早川隆景の旧領、筑前100万石を与えようかという話があったが
自分が中央から離れては、政務がしにくいと言って断ったとか

まあ、そんな大老級の石高をいきなり与えるわけ無いから、所詮逸話なんだろうな
111人間七七四年:2009/05/14(木) 12:28:54 ID:UbNE6Zxr
太閤秀吉
いや、ワシは九州あたりの物主にしてやろうと思ったんじゃが
佐吉がいらんというでな
のう、佐吉

三成
殿下のお側にお仕えするのが、三成にとってなによりの幸せにございます。
清正、正則
おのれー治部謀りおったかー。

金吾
小便もらして仰向けに転がっている

大谷刑部
さすがは三成じゃ。しかし、殿下が生きておったとは。

家康
・・・
112人間七七四年:2009/05/16(土) 00:30:54 ID:wVeoOQof
そもそも大阪伏見を押さえてたのに
なんで美濃まで出ちゃったんだ?
せめて三成の城のあたりで決戦すりゃいいのに。
113人間七七四年:2009/05/16(土) 01:17:34 ID:EOJ7GzHv
>>49
ちょっと亀だけど当時の天皇は超豊臣贔屓だしな……
家康が来たところで、逆に朝敵にされかねないような
114人間七七四年:2009/05/16(土) 03:28:59 ID:1IXhz2Sx
>>113
豊臣贔屓だから?
家康は豊臣秀頼の名の下に上杉征伐行ってるんだけど
形式上は上杉に与する西軍が反乱軍だよね
115人間七七四年:2009/05/16(土) 09:27:28 ID:iyTgpin6
秀吉「百万石では不足なのか〜?」

三成「人は日に米がry」
116人間七七四年:2009/05/16(土) 10:42:06 ID:flWH6zy+
「豊臣贔屓」って、後年の幕府体制で朝廷への締め付けが厳しくなったときに
豊臣時代を懐かしんだということだろ。
豊臣家の筆頭大老と次席大老への好悪に大差は無いだろ。
117人間七七四年:2009/05/16(土) 10:52:17 ID:lWQ7DPvv
>108
家康
だまされるでない!
あの太閤はニセモノじゃ!
三成の謀ごとにすぎぬ。
故太閤殿下の名を語るとは不届き千万!
あの不届き者を討ち取ることこそ故太閤殿下、ひいては秀頼様への忠義と心得よ!
皆の衆、目指すはあのニセモノの首じゃ!かかれぇ〜っ!!


史実どおり西軍は敗れ、二年も隠れていた秀吉は骨折り損のくたびれ儲け
だったとさw
118人間七七四年:2009/05/16(土) 11:04:34 ID:flWH6zy+
歌道の秘伝継承者の細川藤孝には開城命令を出しているのに
家康への治罰綸旨を出さなかったということは
朝廷は造反派に対してはあまり好意的じゃなかったってことだな。
逆に言うと、朝廷に岩倉具視みたいなのが居たら形勢は変わっていたかも。
119人間七七四年:2009/05/16(土) 11:17:36 ID:Kl8sV3td
三成
そうはいかぬぞ、狸め。
と、
殿下、お約束通りお願いいたしまする。

太閤秀吉(渋い顔しながら) 佐吉、やっぱりやらんといかんきゃのー。
分かったぎゃ。やるだぎゃよ。

と、太閤秀吉はボロに着替えてその昔大名たちとの余興で披露したドジョウ売りりの真似をしだした。

正則
あっ!あれは間違いなく親父殿じゃ。あのドジョウ売りは。それにしても猿顔じゃのー。
清正
冗談言ってる場合か、アホ。
正則
よし、親父殿がいきておったのなら、取って返して内府の陣に突っ込むぞ。

家康は爪を噛んで糞をもらしていた。
120人間七七四年:2009/05/16(土) 11:54:48 ID:lWQ7DPvv
家康
三成め、妖しげな幻術を使いおって
向こうがそうくるのであれば仕方がない
天海、天海はおらぬか?
天海
ここに控えておりまする
家康
あれを出せ

天海
あれでございますか!?…
家康
そう!あれじゃ!三成、猿の亡霊め、見ておれ〜

信長
猿ぁ〜るぅ〜、よくもわしを嵌めて天下を奪いおったな!
本能寺では腹を切ったものの介錯すんでのところで光秀に捕らわれ、
天王山で敗れた光秀とともに徳川殿のところに身を寄せ養生しておったのよ
猿、わしのいぬ間の貴様の所行は目に余る!
死を以て贖えーい!

秀吉
どじょうすくいの舞台から転がるように落ちて平伏w
121人間七七四年:2009/05/16(土) 12:14:54 ID:flWH6zy+
次は信玄あたりか?
何気なく清正も妖術でワープしてるな。
122人間七七四年:2009/05/16(土) 14:00:38 ID:Kl8sV3td
三成
殿下、なにやら怪しい甲冑をまとったものが姿を見せましたが。

山内一豊
やや、あれは!
まさか!信長様じゃ!

三成
・・・

太閤秀吉
ありゃなんじゃ?! まさか、上様じゃ。信長様じゃ。あの甲冑にあの手綱捌きは間違いにゃーで。 佐吉、こうなったら仕方にゃーで。わしゃー大坂城に逃げるで。後は任せたぎゃ。
家康
ふふふ、猿めの慌てぶりよ。奴にはやはり信長様がよー効くわ。のう、佐渡。
本多正信
御意に。こんなこともあろうかとこ故右大臣家の影武者を用意しておいてようござりました。

清正
とにかく親父殿のいる大坂城へ帰るぞ
正則
刑部、戦は尾張じゃ。金吾、おみゃーも早く戻らんと大目玉くらうぞ。
123人間七七四年:2009/05/17(日) 08:16:27 ID:IMw4P/A/
凄い三文芝居になったな
124人間七七四年:2009/05/18(月) 06:03:03 ID:f3Yc3EOK
淀の方 
さような事があったかえ、ならばこの白髪兜つきの甲冑を戻ってくる清正あたりに
渡したもう

白髪つき兜がうっとおしそうな清正
さあて信長めを今度こそ討ち取って候、方向が逆だったような気がするが・・・

敵背後を追撃していた家康
!!!!ちょ信玄wwなんでだぎゃ?!(慌てて関が原から清洲城あたりへ
引っ込み城門は堅く閉ざしたまま、家康の体から異様な匂いがしたという)

影信
!!!????信玄坊主なんて聞いてねえぞwww(慌てて適当な近くの岐阜城目指して引っ込む)








125人間七七四年:2009/05/18(月) 06:12:37 ID:f3Yc3EOK
三成
ワハハハハ、さすが家康信長両方を一度に蹴散らすには信玄の効果は
もってこいですね、太閤様

秀吉
そうじゃそうじゃ、ところで清正はどのあたりまで追いかけていったのかのう?

物見
甲冑が重過ぎて途中で息切れで死にました・・・

西軍一同
・・・・・・・・・・・・・wwwwww
126人間七七四年:2009/05/18(月) 07:59:19 ID:92ChANXO
122の続き
大坂城に戻ってきた太閤秀吉
ねね、ねね、大変じゃ大変じゃ、信長様が関ケ原に現れたぎゃ。

ねね
おみゃーさん、ボケとる場合でにゃーでよ。狸に化かされたんよ。茶々と遊んでばかりいるからいけにゃーでよ。
太閤秀吉
いやいや、わしはそもじが一番だでよ。しかし、一豊が徳川に付くとはのー。
淀城では太閤秀吉が生きていることを知った淀の方が半狂乱になっていた。
治長、治長!猿が生きておったと、まことか!わらわは、もうやじゃ、やじゃ。猿とはやじゃ。治長〜。
127人間七七四年:2009/05/19(火) 00:13:15 ID:YkAr+09E
鉄砲玉
128人間七七四年:2009/07/19(日) 09:49:12 ID:NeRhaqOz
家康が関が原着陣前に鯛の天ぷら食わせられればおk
129人間七七四年:2009/07/19(日) 13:01:38 ID:vLaEBHer
とりあえず吉川暗殺しとけば勝てそう
130人間七七四年:2009/07/19(日) 16:01:33 ID:YVXa6hrE
太閤秀吉
しかし、家康はしぶといだぎゃよ。こうなったらしかにゃーでよ
いったん朝廷に調停でもたのむしかにゃーでよ。

ねね
おみゃー様、また家康殿に負けたのかえ

秀吉
いやのー信長様の影武者にだまくらかされたでよ

ねね
情けにゃーでよ。いっそのこと、天下は徳川殿に譲ってしみゃればええにょに
秀吉
あっ、その手があったでよ。ねね、おみゃーはわしの次に賢いだでよ

佐吉出かけるで。
131人間七七四年:2009/07/19(日) 16:13:27 ID:BywFkYfM
タイのてんぷらで人が死ぬかよマヌケ
132人間七七四年:2009/07/19(日) 17:08:29 ID:NeRhaqOz
>>131
田舎侍めが
133人間七七四年:2009/07/19(日) 19:22:59 ID:YVXa6hrE
家康
ほっほっほっ
鯛じゃ、鯛じゃ。鯛の天麩羅じゃ。うまそーじゃの。
本田佐渡守
殿。あまり慌てて召し上がってはお体に。

家康
うっぇ、うるさいわ。飯の時ぐらい、そのキモい顔だすで にゃーでよ。

佐渡
・・・

その夜、家康はあまりの腹の痛さに畳の上を転げまわっていた。
134人間七七四年:2009/07/20(月) 12:45:53 ID:NTvh0it7
黒田長政を逆調略
135人間七七四年:2009/07/20(月) 21:11:15 ID:rHCcG42p
吉川を逆ナンしてヤりまくる
136人間七七四年:2009/07/21(火) 02:35:51 ID:4zFeZkpE
まあ、当時の西軍の中でありえた判断でないと、あまりリアリティを感じられないよな
大垣篭城あたりが限度か
137人間七七四年:2009/07/21(火) 06:21:28 ID:edDe28v3
結果論だけど三成はいい人なの?もし、三成が関ヶ原を制していたのなら太平を築けていたのでしょうか?
138人間七七四年:2009/07/21(火) 13:00:27 ID:vj5YZzZC
京極をスルーする
139人間七七四年:2009/07/23(木) 19:14:11 ID:GUeY41BM
島津義弘に全権を託す
140人間七七四年:2009/08/12(水) 18:27:58 ID:7VJ4I4C1
上杉が家康の上洛命令に応じる。
だれも逆らわずに家康の寿命と秀頼の成人を待つ。
141人間七七四年:2009/08/13(木) 01:33:46 ID:8hOPLzP+
小早川秀秋は東軍不利を見越して裏切ったのではないか?
このまま西軍東軍の泥仕合に突入して黒田や伊達などの地方大名に力を持たれるよりここで東軍に恩を売ることにより自らの立場を優位にしようとしたのではないか?
だから西軍は敢えて奮戦せずに引いたように見せかけることが必要だったのではないか?
142人間七七四年:2009/08/16(日) 13:30:10 ID:j/wd38YD
西軍の戦闘実働数は35,000くらいでしょ。それで倍の人数の東軍を押し返していたのは、
三成が事前に西軍陣地に4メートルもの土塁工事をして、そこを起点に東軍を迎撃したから。

小早川の裏切りも大谷吉嗣がそれを見越して、松尾山側に柵やら掘やら施して迎撃し、何回も小早川隊を退却させていたらしいが、赤間らの裏切りによる横槍で壊滅した

判官びいきで西軍に肩入れしてみてしまうけど、その時期最強の大名が統治することがその後の平和のためだと思うから、結果的に徳川勝利で良かったと考えたいね。

143人間七七四年:2009/08/16(日) 13:59:06 ID:L17/iPn5
豊臣というよりも
石田政権で民を安んじてほしかったな
144人間七七四年:2009/08/16(日) 15:09:13 ID:i3fKlq8J
>>142
>西軍の戦闘実働数は35,000くらいでしょ。それで倍の人数の東軍を押し返していたのは、
>三成が事前に西軍陣地に4メートルもの土塁工事をして、そこを起点に東軍を迎撃したから。
そんな土塁工事をしておりません

>小早川の裏切りも大谷吉嗣がそれを見越して、松尾山側に柵やら掘やら施して
小早川の裏切り見越して、そんな策やら堀施してません



遺構調査で証明されております
145人間七七四年:2009/08/16(日) 23:19:31 ID:LyvhtBUg
大谷は最後二刀流で戦ったんだよ
146人間七七四年:2009/08/17(月) 08:09:13 ID:nciymgEO
民の立場考えたらそれこそ比較にもなんない

豊臣石田政権は七公三民(税率70%)
奉行大名が強すぎて民はただ虐げられるだけ

徳川政権は四公六民(税率40%)
武士は偉いけど質素な生活
農民偉くて自由すぎ部下が木材取ったと言いがかりをつけられ改易された大名も
職人は普通だけど魂とも呼べる生産品は高く評価され生活もレベルもかなり安定
商人は偉くないけどこの中で一番いい暮らしが出来る
147人間七七四年:2009/08/17(月) 09:12:08 ID:PHeo2Dnm
>>144
遺構やら文献は「敗者から見た関が原」という著書に載ってるよ。勿論実地調査済み
148人間七七四年:2009/08/17(月) 10:53:50 ID:3As7RBmB
その本がデタラメだから
遺構調査もしてない、フィールドワーク関ヶ原の鵜呑みだしね
149人間七七四年:2009/08/17(月) 21:10:58 ID:v5lWdKf/
じゃちょっくら1600年に行って確かめてくるわ
150人間七七四年:2009/08/18(火) 09:37:41 ID:0S30kZoA
長尾能景・為景・景虎の長尾家三代に兵1万を預ければ楽勝
151人間七七四年:2009/08/18(火) 12:47:21 ID:GPiY/Z8m
家康を暗殺するか、関ヶ原を起こさず石田の方が若いんだから家康が寿命で死ぬのを待つのが必勝法じゃないか
152人間七七四年:2009/08/19(水) 20:22:01 ID:yZ0uUBfg
どっちにしろ家康が実力行使に出るとは思うがな。

兵士上げたらどうせ福島とか従うんだろ。
153人間七七四年:2009/08/26(水) 23:43:53 ID:5GKcuBPW
 東軍     西軍
徳川家康 石田三成
徳川秀忠 毛利輝元
結城秀康 宇喜多秀家
福島正則 上杉景勝
154人間七七四年:2009/08/27(木) 10:36:04 ID:HkTHHk9m
チハ車導入
155人間七七四年:2009/08/27(木) 16:41:52 ID:Dy3dx+M4
三成が
戦を起こさずに
家康と上手くやっていく
156人間七七四年:2009/08/27(木) 17:10:49 ID:ReHniGX2
>>154
戦国バロン西
157人間七七四年:2009/08/27(木) 17:36:14 ID:qcE3+04k
>155
豊臣以外みんな江戸に人質出すハメになってそのうち家康将軍宣下
あと史実どおり
158人間七七四年:2009/08/27(木) 20:54:29 ID:Is2Io3mL
秀頼を関ケ原まで引っ張りだすしかなかっただろ
159人間七七四年:2009/08/27(木) 21:49:20 ID:C4yJffaQ
毛利の馬印を石田本陣に建てればおk
160人間七七四年:2009/08/27(木) 22:08:03 ID:Mhbozq84
三成が東軍に寝返る
161人間七七四年:2009/08/28(金) 22:41:58 ID:5BMfTl4E
いつだって
核爆弾
162人間七七四年:2009/08/29(土) 18:50:15 ID:zcaWbJCu
SAKONが100人位いれば、墨炎で何とかしてくれそうだ。
163人間七七四年:2009/08/29(土) 19:21:10 ID:3UGyp6ba
大谷吉継も100人居れば楽勝
164人間七七四年:2009/08/29(土) 19:25:01 ID:3UGyp6ba
>>151確かにそれはあったかもw
>>152 家康から戦を仕掛ければ、大義名分で、三成に味方多数あったかも 利家の死後、1年で早かったかもな
165人間七七四年:2009/08/29(土) 23:37:25 ID:J7EFr1PW
三成が本気で伊達を引き抜いたら勝ってたんじゃないか?
家康が左で必死に戦ってる間に上杉伊達連合軍が上から攻めてきたら家康はどうしようもないだろ
家康もそれをわかってて100万石にしてやるから上杉抑えててくれって言ったわけだし
166人間七七四年:2009/08/30(日) 02:11:58 ID:5Ae2OSKG
>>82
そう。毛利、吉川、長宗我部が積極的に動くだけ。
西軍の連中はあの布陣で何を恐れていたのだろう。まともに戦えば西が勝つのに。
負けて家康に言い逃れするより、まともに戦って勝てばよかった。

ま、それだけ三成に人望がなかったのね。
167仙台藩百姓:2009/08/30(日) 08:46:27 ID:j8i7nHZT
暗黒寺は吉川の台頭を恐れ、吉川は暗黒寺の台頭を恐れていたのでしょお( ^ω^)
負ける側は必ずくだらない足の引っ張り合いして自滅するものだお( ^ω^)
168人間七七四年:2009/09/02(水) 08:04:06 ID:c2GVMG0c
隆景さんがあと少しばかり生きてたら勝ってた
169人間七七四年:2009/09/09(水) 06:13:07 ID:u/c8YJH6
勝つ為には

伊達に徳川の褒章よりも大きいものを与える。

千なり瓢箪の秀吉の旗を掲げ、家康を逆族扱いにする、それにともない、家康を除く大老と三成と他の五奉行、豊臣恩顧の大名の連署をもって東軍の各大名に送り付ける。動揺を誘う
輝元を担ぎ西で輝元・宇喜多・東で上杉と大老が内府家康を成敗という形にして
小早川秀秋を羽柴に帰らせて羽柴秀秋として秀頼元服までの補佐またはしっせいにする。出来たら関ヶ原前に結城秀康も補佐に!(嘘かホントかしらんが秀康は秀頼を害するなら家康にたてついてでも阻止するといったこともあるしいから)
関ヶ原西軍は豊臣家を守るといった事と家康粛正っていう大義名分で戦わなければならないと思う。
170人間七七四年:2009/09/23(水) 23:45:32 ID:/7naa7Pd
オシッコ飲んで落ち着け
171人間七七四年:2009/09/25(金) 13:10:56 ID:ZhR2gIjJ
そもそも畿内ほぼ掌握して秀頼がいて大阪城があるのに負ける西軍って。
172人間七七四年:2009/09/25(金) 22:00:58 ID:OlmenNLA
宇喜多、小西、毛利、石田、大谷、長宗我部、立花、長束の8万で大坂城に籠ってりゃ勝てたんじゃね。
大物揃いだから、同じような数でも冬夏の陣のようにはいくまい。
173人間七七四年:2009/09/26(土) 05:31:06 ID:d0wIqG01
大坂に篭るのはねぇよ、大坂スルーで領地蹂躙されまくりで困るだけ
弱い所から狙われる、寝返りが増えるだけ。
かと言って東にも攻め込めない。
何で関が原で叩こうとした(叩くしかなかった)かわかってないだろ
174人間七七四年:2009/09/26(土) 06:24:07 ID:9WPQE4fx
布陣が悪い。
三成の隣りに秀秋。
秀秋のいた山に吉継。
広家のいた山に左近。
175人間七七四年:2009/09/26(土) 09:34:28 ID:HKgBVFhg
なんども、言わすな。細菌兵器を使うのが一番。徳川へ天然痘に感染した
兵士を投降させ、天然痘を流行らせばいい。その間、籠城し続け、使者も
切り捨てる。徳川は、2ヶ月ぐらいで壊滅するだろう。また、忍びをつかって
『これは太閤殿下のたたりじゃー』とうわさを広めさせれば、家康の首を土産に
投降する諸将も出てこよう。
176人間七七四年:2009/09/26(土) 10:10:36 ID:UW5D4vVc
>>168
隆景さんが生きていたら、関ヶ原自体起こさせない様にしてるだろう。
177人間七七四年:2009/09/27(日) 05:32:33 ID:CAR6UMc0
>>174
三成的には「近くで見張っとけば裏切らないしよく働くだろう」と思ったのかな
178人間七七四年:2009/10/15(木) 12:04:28 ID:A+NjIGFD
>>1

豊臣秀頼の参陣だけで豊臣恩顧大名と日和見大名の殆どは西軍となる。家康は遅参
した秀忠の徳川本体に伴われ関東へ引き上げ防戦態勢に入る。
179人間七七四年:2009/10/15(木) 12:48:16 ID:t6jrbCuQ
ifが許されるなら
豊臣秀長
豊臣秀次
前田利家
小早川隆景
このうち一人でも生きていれば、東軍が勝つということはなかったかもね(関ヶ原自体起きない)
180人間七七四年:2009/10/15(木) 18:54:02 ID:A+NjIGFD

家康には豊臣政権簒奪のはっきりした目的を持った戦いが関が原。しかし、三成方
西軍は戦闘目的が曖昧で、勝とうとする戦略よりも、個々の勝手な思惑で動いた。
秀頼の存在は大きい!秀頼の参陣なしでの戦闘はお粗末です。関が原ではなく大阪
城で戦ったほうが良かった。
181人間七七四年:2009/10/15(木) 18:58:01 ID:A+NjIGFD
>>179

家康の長生きが勝利の本質ですね。秀吉の寿命が真田信之(幸村の兄)並みに
93歳まで寿命があったら・・・・日本の首都は大阪だったね?
182人間七七四年:2009/10/15(木) 21:35:10 ID:owT+VDw5
豊臣政権自体に欠陥があったのですぐに崩壊
そして次の政権が大坂に首都を置く理由は見当たらない
183人間七七四年:2009/10/15(木) 23:41:43 ID:A+NjIGFD
>>182

当時、関東の田舎(当時)である必要はもっと少ないのでは?
184人間七七四年:2009/10/16(金) 00:30:13 ID:MYQXECmU
関東である必要性は無いかもだけど
朝廷の権威を政権から排除するために近畿から離れる必要性はある。
つまり近世において大坂が首都になることはありえない
185人間七七四年:2009/10/16(金) 13:34:59 ID:+flRH53G
徳川の本拠地が関東だったから関東におかれただけで
他の場合は大阪あたりの可能性が一番高いとは思うが
186人間七七四年:2009/10/16(金) 21:33:32 ID:oLzvoOgt
>>179
隆景は本家をまとめて家康に恭順しそうな気もする
彼は毛利本家を守る為なら何でもする人だから
187人間七七四年:2009/10/16(金) 23:43:50 ID:9bcGypFi
もし西軍が勝つなら?
水口で家康の首を落としておけば良かった
というか、秀吉が死んだ時点で処理すべきだった

槍鉄砲など所詮事後処理に過ぎん
戦は刀を合わせる前に相手を制して勝つものだよ
188人間七七四年:2009/10/17(土) 20:49:54 ID:bzP7F98w
>>186
ようするに擁立される毛利軍が出陣しないので
関ヶ原はおきないということではないだろうか
189人間七七四年:2009/10/18(日) 00:03:35 ID:J5bDaxsz
>>188
それでも佐吉ならやってくれる気がする
190人間七七四年:2009/10/18(日) 22:15:08 ID:xOFDDgdr
さすがに毛利が傍観だとすると
勝ち目はないだろう
結果的には史実も傍観に近い形となってしまったが
191人間七七四年:2009/10/19(月) 00:26:40 ID:Z2EFs70N
徳川が西軍に居ればいいんじゃね?
192人間七七四年:2009/10/20(火) 15:49:13 ID:Pi3Xs6WW
>>191
天才現る!!
193人間七七四年:2009/10/20(火) 16:32:54 ID:Lmw/uqXP
三成「今じゃ!狼煙をあげい!!」
正純「あっ!殿!狼煙が上がりましたぞ!!」
家康「戦況は?」
正純「西軍優勢!!」
家康「・・・・」
正純「ふふふ・・金吾殿動きませぬな」
家康「ならわしが」
正純「えっ!?」
家康「出陣じゃ!!藤堂・京極を蹴散らし、福島の背後を突くのじゃ!!」
194人間七七四年:2009/10/20(火) 19:51:04 ID:/oq7qIL1
天才現る!!
195人間七七四年:2009/10/20(火) 21:55:15 ID:smxQgWtK
>>191
天才や!
最初から金吾殿や南宮山の動きなんか考える必要なかったんや!
内府殿が西軍参加・・・!
まさに奇策
196人間七七四年:2009/10/20(火) 22:40:43 ID:9UWBKOhs
お前らアホか?なら東の総大将は誰や?
197人間七七四年:2009/10/20(火) 22:42:06 ID:FEa8/f6K
氏ねや!
198人間七七四年:2009/10/21(水) 08:29:55 ID:pZIHXgzE
東軍の総大将が西軍に寝返り・・・!

まさに西軍100パーセント必勝のシナリオ

だが東軍の頭は誰が?徳川秀忠?
199人間七七四年:2009/10/21(水) 10:12:37 ID:pg1QhFqB
毛利が暇だから奴らにやらせればいいんじゃね?
200人間七七四年:2009/10/21(水) 11:31:27 ID:OUZuOzKv
>>1
1丁につき3人って3段構えになってないじゃん
201人間七七四年:2009/10/21(水) 11:40:52 ID:OUZuOzKv
秀次事件がなかったら豊臣が勝ってた
202人間七七四年:2009/10/21(水) 11:48:26 ID:t1il6dkh
じゃあ、本能寺の変がなかったら豊臣は無かった。
203人間七七四年:2009/10/21(水) 13:44:58 ID:cVcqFseZ
おぎ丸が生きてたら…。
204人間七七四年:2009/10/21(水) 16:41:19 ID:/7eBlchz
>>201
でもアレは石田主導の讒言ぽい。
でもアレのおかげで徳川は評価を高め、石田は敵を作ったのは間違いない。

205人間七七四年:2009/10/21(水) 18:19:11 ID:UWsdm4RI
秀長が生きてるのが一番手っ取り早い
206人間七七四年:2009/10/23(金) 01:06:14 ID:3CN3J5U7
>>204
それ間違いだから
207人間七七四年:2009/10/23(金) 08:32:14 ID:VLXtHoEd
>>206
石田は秀次事件で奉行として発言力を増したから、普通に讒言だと思うのが?
208人間七七四年:2009/10/27(火) 03:11:22 ID:gLGdmQGM
左近がSAKON並みに戦えたら1000%勝ちます!!
209人間七七四年:2009/10/27(火) 03:33:31 ID:NT6d0W/G
毛利輝元が松岡修三ばりの熱い声援をスタンドから送ってくれたら西軍は勝てた。
毛利輝元をキムタク風に呼ぶとモーテルなんですけどwww
もうモーテルで良くね?
210人間七七四年:2009/10/27(火) 04:18:06 ID:fF1ccv0t
>>202

全て本能寺の変に繋がるね。最後は信長が天下の方向を決めて、途中で光秀
が変えてしまった。・・・・それ以降は秀吉も家康も信長の代わりにすぎな
い。
211人間七七四年:2009/10/27(火) 13:18:33 ID:tyIEaNPx
土岐衆を呼ぶ
212人間七七四年:2009/10/30(金) 10:02:13 ID:z5Hr6dGo
>>198

遅れてきた秀忠を関ヶ原の全軍で迎え撃つ。


ドッキリですか?

213人間七七四年:2009/11/15(日) 20:02:09 ID:W3x6ssva
錦の御旗と豊臣家の旗印を掲げるのはどう?
214人間七七四年:2009/11/15(日) 20:19:43 ID:dE1X2xne
大谷刑部がもっと戦力をもってたら勝敗は分からなかった。寝返りが抑制出来たかも。
215人間七七四年:2009/11/15(日) 20:37:09 ID:N4xaBqRY
まさか秀吉は自分が亡くなったあと
黒田とか福島、加藤が家康につくとは思ってなかったろ
対家康用に用意してた兵糧まで家康が使うハメになるんだからな
これが一番の敗因だよなぁ
216人間七七四年:2009/11/15(日) 20:51:18 ID:N4xaBqRY
三成が挙兵しなくてもなし崩し的に徳川の天下になったと思う
三成以外に積極的に家康に歯向かう奴いなかったじゃん?

秀次生きててもどうだったろう、

家康から見たら秀次なんぞ完全に舐め切ってるだろう、あの手この手の謀略で秀次も追い落としたと思うぞ
217人間七七四年:2009/11/15(日) 20:53:12 ID:N4xaBqRY
秀次に人望がないと家康の天下横取りは防げない

加藤、黒田、福島が秀次についていくか?
218人間七七四年:2009/11/15(日) 20:58:24 ID:N4xaBqRY
という訳で後継者の秀次が生存してても豊臣の天下は危うい
絶対徳川に寝返らない、力のある大名を
大阪近辺に配置するべきだったのでは?

上杉を岐阜、尾張に領地変えして大阪の足元を固める手もあったと思うがな

いかんせん豊臣恩顧の大名の豊臣家を守る忠誠心が低すぎ
219人間七七四年:2009/11/15(日) 21:02:26 ID:N4xaBqRY
前田も加賀にいながら糞の役にも立たなかったからな(笑)
100万石が聞いて呆れるぜw
220人間七七四年:2009/11/15(日) 21:04:03 ID:N4xaBqRY
毛利は動かす訳にはいかない
やっぱり上杉でしょう、
上杉が一番信頼できるわ、力もあるし
これを大阪近辺に配置して2重の家康防衛網を作るべきだったな
221人間七七四年:2009/11/16(月) 03:14:21 ID:kEfmovXK
やっぱり豊臣恩顧のやつらが頭悪すぎた。そこに尽きると。
三成憎しだけであそこまで先が読めないなんて、人間としてどうかと思う。
上杉の大阪は非現実的過ぎるのでは?
前田は、情けないの一言。婆さん(母)のアドバイスが実際あったかは分からないが
情けない!
222人間七七四年:2009/11/16(月) 06:56:52 ID:MdhLVYYV
1、家康が決戦当日関ヶ原にいない
2、三成もいない
3、豊臣家が大阪から西軍に出てくる

この条件が揃えば勝てる!
223人間七七四年:2009/11/16(月) 13:48:15 ID:NJkU9RYF
秀吉と北政所の息子がいてだ四十の分別ざかり、大和大納言並の常識人だったらな。
224人間七七四年:2009/11/16(月) 13:59:59 ID:37mO+wqn
長男の秀勝が生きていたら関が原なんてものは起こらない。
北政所の子ならなおさら。
225人間七七四年:2009/11/17(火) 01:34:10 ID:41i4CUzA
>>222
豊臣家が大阪から出てきても率いる武将がおらんだろw
秀頼の旗立てても、肝心の武将がへっぽこでは戦に勝てん
226人間七七四年:2009/11/17(火) 01:39:21 ID:41i4CUzA
豊臣恩顧の武将が総寝返りだからな
アフォだな
三成はよく戦ったよ
227人間七七四年:2009/11/17(火) 02:03:06 ID:41i4CUzA
蒲生氏郷が生きてればな、あと5年生きてれば
蒲生は家康嫌いだから、家康につくことはしなかったろう
でも生きてても上杉討伐が蒲生討伐に変わっただけになるのかな
228人間七七四年:2009/11/17(火) 04:59:53 ID:vBZOskIZ
いないいないばー、か?
229人間七七四年:2009/11/17(火) 05:20:55 ID:iPEL+F4k
幕末の鳥羽・伏見の戦いでは薩長軍が錦の御旗掲げたことで形勢が一挙に変わったと言われてるけど、この時代に同じことしても効果は薄いんだろうか?
230人間七七四年:2009/11/17(火) 07:59:27 ID:012YMcbw
仮にだが関ヶ原合戦が一日で終わらず持久戦になってれば西軍勝利の可能性はありましたか?
231人間七七四年:2009/11/17(火) 16:17:52 ID:IQh70UhT
>>230
西国の情勢次第かと・・・
黒田勢と輝元軍が呼応するか否か、など。
行き着く処は様々ですな
232人間七七四年:2009/11/17(火) 16:27:56 ID:7/aph8GE
そもそも家康を改易にして官位を剥奪すればこんなことにはならなかった
233人間七七四年:2009/11/18(水) 02:54:16 ID:D1aujgPq
誰がそんなこと出来るの?
234人間七七四年:2009/11/18(水) 15:09:30 ID:5fbtKAHp
改易は無理だから
関八州から転封すれば良かったかな?
新しい領地は蝦夷地w

「徳川殿、蝦夷地は関八州より何倍も広うござる
 その上、海の幸、山の幸にも恵まれてござる」

こうして秀吉は家康を北海道に厄介払い
したのであった
235人間七七四年:2009/11/21(土) 18:46:38 ID:TLt6ziZz
秀吉が福島や加藤や浅野や黒田や武断派のバカ共に
『わしの死後は家康に気をつけろ,お前らを絶対利用するぞ』
と一言残しておけば三成憎しで,家康に利用されることもなかった。
236人間七七四年:2009/11/21(土) 18:48:44 ID:hkbfAOY1
>>235
でもそいつら三成につくの嫌だっていったらどうなる?
237人間七七四年:2009/11/21(土) 18:59:24 ID:TLt6ziZz
>>236
秀吉の命令なら言うこと聞くだろ
武断派の連中は本当の敵が誰か見えてなかったところがバカだったな
238人間七七四年:2009/11/21(土) 20:23:20 ID:hkbfAOY1
というかそれならもともと秀吉が生きてる間に家康改易すればいい話じゃん
官僚派の三成に政権を取られるのが嫌で家康についた連中だし
朝鮮戦争で豊臣家から離れて行ったものもいるだろうし
239人間七七四年:2009/11/23(月) 12:48:07 ID:81L9cP8o
全国を統一した後
秀次に天下を譲り
引退してドジョウすくい
をやってれば西軍の勝ち
240人間七七四年:2009/11/23(月) 19:20:02 ID:y6namEpz
秀吉は本気で家康をあてにしてた節さえあるからなあ。
241人間七七四年:2009/11/23(月) 20:09:52 ID:iKNoA7H8
秀吉が家康を改易するにはどんな方策があるかな?
かなり難しいと思うけど。
242人間七七四年:2009/11/24(火) 05:43:02 ID:5yPvVPc5
>>241

方広寺の鐘のように適当に謀反をでっち上げる。・・・いや無理だな!秀吉は信長
暗殺加担の弱みを家康に握られているしな?
243人間七七四年:2009/11/24(火) 07:16:44 ID:3wu4hPdZ
なんか延々とスレ違い(秀吉生前の話)だが、それがありなら、家康を5大老に入れないだけで全然違う
前田を筆頭に、宇喜多、小早川程度にとどめ、徳川は外様扱いとする
こうしておけば前田征伐→屈服の流れは起きない
前田家も利家死後の方がかえって豊臣の譜代っぽく実務を取り仕切ってくれそうだ
武断派が家康担ごうにも外様の分際じゃ無謀人になり勝ち目はうすい
仮に東軍勝ったとしても、家康が論功行賞やりだしたら、「ここからは豊臣家の問題。外様の家康殿はお控えなされい!」とか福島なりが一発かませばいい話だろ

結局秀吉が家康を5大老筆頭にしたことが全て
244人間七七四年:2009/11/24(火) 11:19:52 ID:1M9Xt+I4
西軍が確実に勝つには上杉が追い討ちすることと
毛利輝元が直々に出陣するべきだった。
毛利の主君が出陣すれば吉川も秀秋も西軍に付いただろうな
245人間七七四年:2009/11/24(火) 12:11:48 ID:cgGGXu2B
もう、終わったことだ。
246人間七七四年:2009/11/26(木) 16:51:22 ID:IC9wtlhS
家康は豊臣側の人間として振舞っていたんで、秀吉の後継体制が確立してれば
危ない橋は渡らなかった。家康に事を起こさせたのは豊臣シンパのグダグダゴタゴタ振り
と後嗣が幼少で淀の方が半端に賢く行動力があるという組し易さ。
家康にはなから野望があったとするのは間違いであろう。

見方によっては奉行チームと武断チームの下らん諍いの調停ばっかやらされたり
豊臣家特有の浪費ぶりに管理者のひとりとして愛想を尽かしたということもできる。

西軍が勝つ方法はあるとすれば毛利吉川小早川ら内通糞大名達にちゃんと手当てをして
戦わせるということだけ。しかしそれはまず不可能。
上杉が追い討ちなんてのは夢のまた夢。上杉が追い討ち→佐竹の爺さんが当主押し籠めて阻止
→結城伊達最上ETCの援軍により上杉壊滅、景勝主従討ち死 で終了
247人間七七四年:2009/12/07(月) 18:08:55 ID:cni0V/hM
>>217
秀次自身よりも秀次事件で人心を失った方がでかいような
248人間七七四年:2009/12/19(土) 13:19:05 ID:FjYYR2j/
錦の御旗は徳川時代に新田義貞を持ち上げて権威をつけたものだから、
この時代ではまったく効力は無い。
まだ豊臣のひょうたんの方が効果があるはず。
しかし、実在する家康と実在しない秀吉の選択は知れている。
249人間七七四年:2009/12/19(土) 13:21:50 ID:FjYYR2j/
人間長生きした者が勝ち。
今川氏真か真田信之かってかんじ。
250人間七七四年:2009/12/19(土) 17:07:02 ID:c8fbPJLG
織田信雄もな
251人間七七四年:2009/12/20(日) 01:10:25 ID:zGK/RiBO
西軍の足軽の前列左から4番目の奴が合戦中に思い出し笑いしなけりゃ勝ってた。
252人間七七四年:2009/12/20(日) 02:56:08 ID:WXlfS70b
違う違う
真ん中の奴がくしゃみした瞬間にギックリ腰にならなければ家康の首を取っていた
253人間七七四年:2009/12/22(火) 13:04:00 ID:H2SUfoX8
>>251-252
その定説には疑問が残る
最新の学説は、東軍の鉄砲隊が馬糞踏んで集団で暴発したの勝因とする説だ
254人間七七四年:2009/12/25(金) 00:26:44 ID:qCljr/pM
宇喜多隊が前日に「燃えよドラゴン」を見てしまい
ほぼ全員が上半身裸で刀も持たずに戦ったのがまずかった。
255人間七七四年:2009/12/27(日) 20:36:49 ID:KbaVN3Al
吉川隊にウイダーinゼリーが配給されてれば勝ってた。
256人間七七四年:2010/02/13(土) 10:17:18 ID:6vg2pqPv
毛利秀元「今、カロリーメイトを食べておるのじゃ!」
257人間七七四年:2010/04/21(水) 11:34:37 ID:61lf9OQJ
一番長生きした宇喜田秀家が結局勝者
258人間七七四年:2010/04/21(水) 12:11:33 ID:JW7SyjIC
小牧・長久手が長引いて秀吉と家康が全面対決とか
家康を朝鮮征伐に借り出して消耗させるとか
上杉と佐竹に伊達も巻き込んで東軍に対抗させるとか
259人間七七四年:2010/04/23(金) 22:09:41 ID:XkXdpaPh
過去を変えるしかないのか
260人間七七四年:2010/04/26(月) 03:10:04 ID:sSTf8EvT
要は秀次殺害、秀長堀蒲生蜂須賀宮部前田みんな死亡の流れで家康だけが残って豊臣政権の機能不全が起きて
各勢力が自分の利害の為にバラバラになったところを家康に取り込まれたり分断されたりしたのが原因だろ。
それでも無理やり一方の勢力をまとめて一戦まで持っていった三成は大したものだけど結局空中分解したしな。

家康排除は問題外だろ。秀吉自身が家康をあてにしていて権力をあたえていったんだから。
その牽制の為にもう一人、利家の位置ににさっさと逝っちゃわないで忠実な奴を育てとくべきだった。
具体的にいえば養子で大老で60万石の太守の秀家。ていうか、あの時点で残ってるので使えるのは秀家くらい。
能力的にはともかく忠誠心と格的には充分。実際豊臣軍の指揮官の経験もあるし。
秀吉存命の頃から秀家を利家のポジションにつけといて豊臣政権の代官として
普段から譜代大名を統率する立場だったなら譜代が根こそぎ家康に取り込まれる事態は防げたはず。

それでも秀家じゃあ家康に謀略面で翻弄されそうだから与力に誰か適任者がいればいいんだけど。
261人間七七四年:2010/04/28(水) 12:29:12 ID:hQsdMWQg
田辺城と大津城攻めてた部隊が関が原に参戦してたら間違いなく勝てた。
特に大津城にはりつけた名将立花宗茂がもったいなさすぎる。
262人間七七四年:2010/04/29(木) 04:54:05 ID:huWrzICV
立花は勇将だけど、関ヶ原で勝てたかどうかまではわからないのでは。
仮に関ヶ原で一時的に勝っても西軍はバラバラだから、中山道の軍と合流した東軍をどこまで押し切れたかね。

あとさ、宗茂さんの名前を挙げるなら盟友秀包さんの名前も挙げてあげてよ。
263人間七七四年:2010/05/05(水) 10:26:16 ID:0nEvNmTu
実際の関ヶ原でも内応済みの小早川が家康をイラつかせるぐらい途中まで日和見してたんだ。
もう1〜2万ほどマトモに戦う戦闘部隊が展開していたら小早川も毛利も東軍めがけて突撃かましてただろう。
264人間七七四年:2010/05/05(水) 21:52:54 ID:95vbTV+2
俺が400年早く生まれていればなぁ
265人間七七四年:2010/06/08(火) 05:09:07 ID:Q/7oXn88
石田三成を斬首して毛利秀元を連合軍の大将に据える。
それだけで勝てた。
全ての元凶は石田三成の存在そのもの。
266人間七七四年:2010/07/03(土) 21:52:37 ID:+4CvwsIs
「続・関が原」って小説で秀元が西軍総指揮してたがあれは良く回ってた
267人間七七四年:2011/02/21(月) 12:14:41.50 ID:uW+lNEk7
石田三成が東軍についたら西軍の勝ち?
豊臣秀長・前田利家が生きていたら?
この2点だけでも相当な確立で西軍の勝利になる可能性があったのでは?
268人間七七四年:2011/02/21(月) 13:43:29.95 ID:4WGxjliW
いつも言っていることだが、重税政策の豊臣が
政権取ってたら間違いなく日本は不幸になると思うんだが。
東軍が勝ったからこそこんにちの日本があるんだが。
269人間七七四年:2011/02/21(月) 17:00:53.52 ID:YZVKmQ/G
関ヶ原とか夏の陣とかみると、家康が野戦の名人というのは眉唾と言わざるをえない。
戦略眼としては高いものをもっていると思うが。
270人間七七四年:2011/03/01(火) 15:37:03.34 ID:vaA0DY92
ミエール銃1万丁あれば勝ってた
271人間七七四年:2011/03/01(火) 16:47:50.05 ID:AE0xE213
>>269
あれだけの人数だと1人で仕切るの無理だろう
272人間七七四年:2011/04/06(水) 16:16:08.80 ID:+KyCcngZ
アメリカ軍の一師団投入すれば西軍大勝利
273人間七七四年:2011/04/06(水) 17:36:18.13 ID:o/ftL1ze
澤 巨根が西軍にいたら勝っていた。
274人間七七四年:2011/04/08(金) 16:41:38.11 ID:WxnwnKaH
>>269夏の陣はダメだろ
275人間七七四年:2011/04/09(土) 12:30:07.34 ID:ZCub9Zwe
大坂の役の大将は秀忠ですぞ

家康が野戦の名人とか聞いた事ないけどな、そこそこは出来る印象だが
小牧長久手は負けてもおかしくなかったし、そこは運だね
276人間七七四年:2011/04/09(土) 17:12:47.12 ID:WkVys51x
池田恒興「冗談キツいぜ…」
277人間七七四年:2011/04/09(土) 18:04:32.35 ID:rR8BpigB
寄せ集めの大名軍団で大規模な城攻めだからな。
白兵が基本の時代でよく大阪城落とせたなって感じだ。
278人間七七四年:2011/04/10(日) 02:31:14.03 ID:ZrcyxjCs
イスパニアと明の大軍団を日本に招き入れる
279「がんばろう神戸」から「がんばって、みちのく〜関東」:2011/04/13(水) 11:16:54.95 ID:xIOgaMYi
阪神淡路大震災で山手幹線、御影鳴尾線の整備が早まったように、
今回の大震災で太陽光発電、電気自動車、官公庁、企業などの地方分権
(危機管理対策、リスクヘッジ、…みんな東京に本社置いてたら危ないですからね)が進んでいくでしょうね。
三洋太陽光発電http://jp.sanyo.com/solar/
京セラ住宅用太陽光発電http://www.kyocera.co.jp/solar/
三菱住宅用太陽光システムhttp://www.mitsubishielectric.co.jp/service/taiyo/
シャープソーラー発電システムhttp://www.sharp.co.jp/sunvista/index.html
東芝住宅用発電システムhttp://www3.toshiba.co.jp/sic/h-solar/index_j3.htm
大阪ガス「家庭用燃料電池 エネファーム」http://www.ene-farm.info/my_enefarm/faq/index.html#q1
東京ガスエネファームhttp://home.tokyo-gas.co.jp/enefarm_special/index.html
マツダ水素ロータリhttp://www.mazda.co.jp/csr/environment/special_features/2008_01_02.html
三菱i-miev http://www.ev-life.com/
スバルプラグインステラhttp://www.fhi.co.jp/envi/plugin/practical.html
日産リーフhttp://ev.nissan.co.jp/index.html?rstid=20110209rst000000201
パナソニックエコキュートhttp://sumai.panasonic.jp/hp/index.html
ところで、日本ってアメリカとともにG7のなかでも別格な国なのに、
いまだにカダフィ大佐のリビア、カストロ議長のキューバ、キルギスみたいに、
戦時中の国家総動員法の名残である中央集権国家とか護送船団方式をやってる。(笑)
そして大阪、神戸の経済衰退?一番の要因は護送船団方式が一番の要因でしょうが、
住友銀行、三和銀行、太陽神戸銀行、板の川鉄、双日、丸紅、住友化学、藤沢薬品
など東京へ本社機能がシフトしましたが、http://www.your-party.jp/policy/
大林組、大証、クラレ、りそなHD、住友信託銀行、ダイエー、シームレスパイプの住金、
まで東京って言ってるし…  http://www.nobuteru.or.jp/ http://www.s-abe.or.jp/ 
また計画停電とか言ってるけど、これ以上東京一局集中させて日本をどうするつもりなんでしょう?
もちろん東京一局集中って時代の流れで進んでいったものではなくて、霞ヶ関などが意図的に行ったものですが…。
http://twitter.com/t_ishin http://www.yawata88.com/index.htm
280人間七七四年:2011/04/27(水) 13:47:50.90 ID:IdgX/vcF
西軍が合戦の前に、優勢になる状況はいくつも考えられるがww
当日までは歴史どおり進行したとする。
西軍というか三成の最大の敗因は、家康に釣られて大垣城から出陣したことにある。
三成の佐和山城攻めなど家康が行えるはずもなくww毛利の陣する南宮山のあたりで
全軍を展開することになるだろう。
しかし、毛利攻めなどできるわけもなく、吉川も不戦はともかく東軍への露骨な参加はなしえないだろう。
小早川が東軍側に走る可能性は否定できないが、高確率で動かないだろう。
1日待てば、立花軍1万5千が到着するだろう。
勝機あるんじゃね?
281人間七七四年:2011/04/27(水) 14:22:21.43 ID:7Pf3fshS
完璧超人が着陣してから、指揮権を委譲したうえで会戦すればいいだけ。
282人間七七四年:2011/04/27(水) 23:05:02.10 ID:gaZWqSEd
無防備マンに守ってもらう
283人間七七四年:2011/04/27(水) 23:34:57.85 ID:OvhAETPe
秀頼が参戦すれば勝てる






と信じたい
284人間七七四年:2011/05/01(日) 15:22:40.70 ID:cQeFuf+q
大谷に3万ぐらいの兵を託す。
285人間七七四年:2011/05/01(日) 16:07:59.64 ID:SbXE1RVX
秀頼が大阪城から出馬。
小早川秀秋の陣に駆け込み、豊臣公儀である家康側に迎えられ、新西軍として旧西軍(石田、毛利、宇喜多、島津連合)
を撃破すれば、西軍大勝利となるであろう。
286人間七七四年:2011/05/05(木) 23:00:49.63 ID:0+1bW2Oo
今日から、「新『関ヶ原合戦』論」を読み始めた。書かれてあることすべてに賛成。
逆に言えば、著者が力むほど新しい問題提起ではなく、
既に僕ら通には十分届いている情報ではある。
ただ、完成度の高い論考としてまとめてあるので、それを自分の知見として共有しておくための1冊ですな。
287人間七七四年:2011/05/07(土) 17:59:09.11 ID:Yqcuf4eQ
関ヶ原の戦犯が毛利一族なら毛利がいなきゃ西軍勝ったんじゃない
毛利軍いなきゃ長宗我部軍が大いに戦えただろう
288人間七七四年:2011/05/08(日) 00:52:05.79 ID:FMzJi0Bj
毛利がいなかったら西軍自体成立していない。
石田と大谷が自前の寡兵で暴れてあっけなく鎮圧されて終了。
289人間七七四年:2011/05/08(日) 01:46:52.34 ID:zoHhDJwp
毛利勢がいなきゃ緒戦の伏見城攻めも成立するか怪しいな。
島津も西軍参加なんかしないだろうし。
290人間七七四年:2011/05/08(日) 02:00:33.79 ID:Qp/mPuqf
小早川秀秋が徳川に裏切ると見せかけて裏切らなければ勝ちじゃん
毛利家が結束してれば勝てた試合だろ
291人間七七四年:2011/05/08(日) 03:39:36.07 ID:YfkmwmWM
何で家康についちゃったのか金か?

輝元が大谷に西軍についても利はないてきなこと言われたから?
292人間七七四年:2011/05/08(日) 11:58:17.54 ID:Ftz0mmK/
結局、詐欺師の三成が信用できなかったの一言に尽きる。
それで日和ったら余計に痛い目みたと。
293人間七七四年:2011/05/08(日) 15:04:30.62 ID:cDOSyYFL
毛利家の諸将の内心ってどうだったの?

毛利本家→大阪に主君、前線に代理
吉川   →前線
小早川 →前線

なんだかんだで毛利って前線張ってるよな
戦場が関ヶ原から形を少し変えるだけで
3つのうちのどれかは激戦にさらされても不思議じゃない感じ
294人間七七四年:2011/05/08(日) 15:38:10.34 ID:Ue7gsYVg
秀吉が毛利を国替えして九州に飛ばしてれば良かったんじゃね?
295人間七七四年:2011/05/08(日) 18:59:04.78 ID:i22nKeMr
>>294
九州は半島攻める前線基地だから最初から子飼いないしはお気に入りの武将を当て込む算段だろ。
296人間七七四年:2011/05/08(日) 20:10:08.71 ID:Pz36gOVO
>>286  直江状の解釈は微妙だ。アレは、やっぱり家康への挑戦状だと思う。
そもそも家康が西笑承兌に書かせた書状、アレは上杉を怒らせて当然の書きっぷりよ。
297人間七七四年:2011/05/09(月) 19:27:30.83 ID:3pzPaqxY
>>291
旧来の小早川家臣に動かされた感じじゃない?
毛利本家による支配から逃れたいために。
298人間七七四年:2011/05/10(火) 01:09:50.53 ID:isGIoTMS
>>295
小早川と毛利本家を入れ替えて中国地方を任せれば満足して裏切らないんじゃね。
毛利なんかを信用したのが間違いなんだよ。
299人間七七四年:2011/05/10(火) 01:36:49.23 ID:p1srofSx
秀吉死亡時の子飼い武将って
せいぜい20万石〜30万石なんでしょ?

佐々に肥後、蒲生に120万石ってことを考えると身内でもやっぱ限界はこの辺なんだろうな

黒田は実質40万石ぐらい?
300人間七七四年:2011/05/12(木) 10:51:01.08 ID:mLj38lCd
朝鮮征伐に東日本の大名が行ってたら
余裕で勝てたね
外征でこき使われた西国大名が裏切ったり動かなかったりするのも納得だわ
301人間七七四年:2011/05/13(金) 04:52:05.69 ID:LlSH/Oe0
徳川氏がプサンあたりに駐屯してれば違ってただろうな
302人間七七四年:2011/05/13(金) 11:21:04.73 ID:ygu40CG/
秀吉は勝つつもりだったんだぜ。
家康にみすみす釜山数百万石とか美味しい功績たてさせるかよ。
303人間七七四年:2011/05/13(金) 13:59:54.60 ID:LlSH/Oe0
駐留=与える

にはならんよ
304人間七七四年:2011/05/13(金) 14:09:54.21 ID:nlGtOiZo
でも戦功を挙げたらそれに見合うもの与えなきゃいけないから日本の土地はないし結局半島の領地与えなきゃいかんよ
信頼出来る子飼いや本能寺から付き添ってた毛利を送ったのはなるべく信頼出来る奴の力を増やしたかったのかも
いや律儀者で通った家康も結構信頼してたろうけどさ
305人間七七四年:2011/05/13(金) 20:26:56.40 ID:QwdsYUlw
関が原あるいは別のところでもいいが
ダム作って窪地に誘い込んで水攻め。

忍城攻めのトラウマがあっただろうが
家康に正攻法で向かっても勝てないだろう
上杉景勝も湿地に引き込んで敵が足がとられたところを
総攻撃するみたいな作戦立ててたとおもったが
306人間七七四年:2011/05/14(土) 08:36:40.07 ID:8TnSQhts
朝鮮の土地は100万石分で日本の1万石程度の価値しかないと、日本の武将に酷評されてるから
家康なんか好き好んで行きたがらんよ
307人間七七四年:2011/05/14(土) 20:57:09.34 ID:Ds6X9bFo
仮に秀吉が朝鮮に行けと命令したら家康はどうしてたかな?
おとなしく従うかな?
308人間七七四年:2011/05/14(土) 22:21:31.40 ID:Eq3tKcKS
そうなったら後世には

秀吉 劉備
家康 孔明

みたいな扱いになったのかな
309人間七七四年:2011/05/16(月) 20:00:36.93 ID:dqeDX5KR
>>307
政宗みたいに派手派手部隊こさえてこれは殿下が御渡海されるときのために
とかご機嫌とってかわすんじゃねえの?
310人間七七四年:2011/05/16(月) 21:25:49.76 ID:iPKaL1BH
俺が1000人の隊を率いて関ヶ原に居れば、家康の首を挙げられた筈orz
311人間七七四年:2011/05/21(土) 15:39:57.59 ID:mziFgq+n
秀吉は山崎の合戦のとき毛利の旗印を掲げたっていうが
三成は秀頼の出馬要請を断られたにしろ、馬印等で
出馬の演出くらいはできたはず。
策を講じず正々堂々と正面から戦いを挑むし、
潔癖すぎやしないか?
あれで秀吉とよく馬が合ったなとおもう。
312人間七七四年:2011/05/24(火) 16:46:03.63 ID:qbA0jERI
>>311
他家のしかも大老毛利家の馬印なんか擬装したらどういう事になるやら
313人間七七四年:2011/05/24(火) 20:25:07.77 ID:vrZo1QKL
内部に明らかな裏切り者もいたわけだし
山崎のときとは違うわな
314人間七七四年:2011/05/25(水) 09:34:08.57 ID:INLd59pD
>>311
仕事言いつければはいはいと言って手早く済ましてくれる人間はどこでも重宝する
潔癖というか一部にしか視点がいかない視野のせまいバカだ
315人間七七四年:2011/06/12(日) 07:27:30.67 ID:7gGkMCgG
要は小早川秀秋の動向次第。
三成は家康のように秀秋に監視役を張り付けておくべきだった。
ま、そこが三成の甘さだが。

東軍は予想以上に脆く弱かったのだから、
秀秋が東軍左翼を攻撃すれば、あっさり西軍の勝利。
316人間七七四年:2011/06/12(日) 12:47:52.85 ID:xl3rZliM
毛利輝元が出陣して、立花宗重がはせ参じて、
島津義弘が正規軍を引き連れていたなら
西軍余裕で勝ったと思う。
つか不利を悟った家康がいったん退却しただろう。
その後和解交渉に入って合戦は起こらなかったと思う
317人間七七四年:2011/06/12(日) 13:54:35.45 ID:XvcNbmRx
上杉が後背を突いていれば勝てた。日和りやがって。
伊達や最上なんぞ戦後にいくらでも潰せるんだから無視すりゃ良かったんだよ。
318人間七七四年:2011/06/12(日) 23:32:01.00 ID:iRO2ctDt
>>300
秀吉が朝鮮に攻め込んだせいで西国大名と東国大名に疲弊の差が生まれた。
一番に潰すべきは家康なのに、西国大名に朝鮮出兵させたのはなぁ・・・

もし自分が秀吉だったら、
「よし、いまからシベリアを侵攻する!
家康殿の指揮のもと東国大名を動員する。西国大名は補給につとめるように!
拠点は越後とし、ウラジオストックを制圧後モスクワ目指して進撃せよ
モスクワ大公フォードル1世(雷帝の子)が降伏するまで撤退はぜったいに認めないからね☆」
ぐらいやっとく

たぶん関ヶ原のときも家康はイルクーツクあたりで撤退途中だろ
319人間七七四年:2011/06/13(月) 08:50:39.93 ID:MP5f4uMz
>>317
無茶を仰る
抑えの兵もいるし領国占拠されたら兵が霧散するわ
320人間七七四年:2011/06/13(月) 13:22:36.56 ID:Io28IFU+
そういえば、関ヶ原に豊臣家直轄領の兵が、あまりいないようだが、
なんで?
321人間七七四年:2011/06/13(月) 15:29:03.46 ID:uRD2v76r
三成と島津の間にそれなりにいたクサイ
322人間七七四年:2011/06/13(月) 22:06:43.71 ID:dvTxjCQO
>>319
上杉はどうせ移ってきたばかりなんだから会津がどうなっても痛くないだろ。
不識庵以来の軍法を効かせれば、むしろ東軍への怒りに燃えて結束が固くなるよ。
323人間七七四年:2011/06/13(月) 22:46:43.93 ID:W8ztJXQj
>>322
越後の堀が、わやくちゃなら、会津ほったらかし、東軍追撃もありだが
堀が越後一揆を壊滅させたから、それは無理。
伊達に会津、米沢を奪われ、庄内を鮭様に奪われ、根無し草の上杉
に明日はないだろう。
324人間七七四年:2011/06/13(月) 23:10:25.07 ID:9PXFI7vN
>>320
秀頼が頼んだわけでもないのに三成が勝手に蜂起したのだから
三成が政権復帰したいだけの私戦に豊臣家直轄領の兵を大量投入する方がおかしい
325人間七七四年:2011/06/13(月) 23:20:18.83 ID:Io28IFU+
つまり、家臣同士の争いなのだね。
326人間七七四年:2011/06/14(火) 08:25:24.89 ID:WEHrCjvu
西軍は無理に東軍の前面に回り込もうとしたから結束力もないのに分散した鶴翼で
戦うことになってしまったんだよ。
西進する東軍を後ろから普通に追えば手薄な背後を襲えたし事前に布陣してた大谷とかと
東西から挟撃できてたのに。
327人間七七四年:2011/06/14(火) 09:18:39.07 ID:TE+Ji3OE
>>326
西軍が移動したから東軍は関ヶ原に向かったんだが
328人間七七四年:2011/06/14(火) 15:35:27.54 ID:KyPv0f+M
石田VS徳川の直接対決が見たかった
加藤福島辺りはなぜ邪魔したんだ
329人間七七四年:2011/06/14(火) 19:13:48.90 ID:WEHrCjvu
>>326
そうだっけ?
東軍が移動し始めたからそれを塞ぐために急いで東軍前方に迂回したんじゃなかったっけ?
330人間七七四年:2011/06/14(火) 19:55:04.92 ID:DSH4XO/a
>>328
関ヶ原は直接対決じゃないの?
本隊同士の単独勝負という意味なら数が違いすぎて石田は史実以上の虐殺だぞ
331前田利政:2011/06/14(火) 20:09:37.32 ID:gLKEDKb9
三成さんの悪口ゆうな!
332人間七七四年:2011/06/14(火) 20:51:15.05 ID:KJvi9MK1
忠勝と左近の1騎撃ちが開幕戦だったら盛り上がったのに
333月孔雀:2011/06/14(火) 20:54:10.33 ID:gLKEDKb9
age
334人間七七四年:2011/06/14(火) 22:01:30.09 ID:TE+Ji3OE
>>329
違います
明らかに西軍の移動に東軍が対応という形
ちなみに、西軍移動の理由は「慶長記」は小早川謀反のためとしている
335人間七七四年:2011/06/14(火) 22:21:02.45 ID:X69kv82Y
>>323
会津・米沢・庄内を奪われても、徳川さえ倒せばそれで勝ちだろ。
戦後、悠々と伊達・最上を取潰せばいいだけ。
336人間七七四年:2011/06/14(火) 23:02:04.77 ID:BEqzqcUt
>>335
その3つ奪われて帰る場所ない兵達が徳川倒せるほどに士気が持つとでも?
本拠の会津奪われた時点で上杉軍死亡だろ。
337人間七七四年:2011/06/15(水) 03:26:36.00 ID:bVbxdPFU
>>334 板坂卜斎の書いた慶長年中記のこと?慶長年中記による三成襲撃メンバーは
池田輝政ではなく脇坂安治に改変されてたりで改竄してんじゃないのか?
(秀秋陣に隣接布陣してる脇坂は西軍にあって当初からずっと家康に内通し味方認定されてる)
慶長年中卜斎記で「筑前中納言殿むほんと風聞候、仕置いたずべきとて出られ候由」と書いてるが
なぜ敵方の三成らの考えを家康の侍医やってた卜斎が知ってんだよと思う。
しかも秀秋に関してはあくまで噂レベルだし、東軍の偽情報戦術かも知れず内通と決まったわけでもない。
徳川実紀ではさらに脚色がなされ島左近らが秀秋らが挙動不審なので関が原へ行くように
勧めてるに至っては明らかに幕府の思惑で史観が成立してるように思う。
この秀秋謀反させたネタは斎藤福改め朝廷からの下賜された名である春日局のダンナ稲葉正成の
ロクに武功がなかった窮余の捏造武功ネタに関わってくるからものすごく怪しい。
明らかに毛利の布陣は三成らのいる大垣城への救援の後詰め最前線の位置。
その背後にあって関が原の予定戦場には西軍が集結し陣地構築の完成を見て
野戦で一挙に事を決すべく三成らが関が原へ誘導すべく撤退しただけでしょ。
338人間七七四年:2011/06/15(水) 03:32:35.14 ID:bVbxdPFU
そもそもまず秀秋は伏見城攻撃やってんだから旗翻は明らかに西軍。
ただ実際には万が一の保険を家中それぞれの派閥の家臣を通じて東西双方の大半の大名がやってたと思うよ。
だから内応交渉してたから東軍なんて主張は意味が無くて、公での旗翻で見るべきでしょ。
だいたい最初から小早川が東軍なら何で、あんな危険な位置に大谷が布陣していてしかも早期に小早川排除に動かないのか不明だし
小早川の先鋒は西軍側の松野主馬なんだから、秀秋が東軍なら松野なんて連れて来ないし、さっさと排除してるでしょ。
実際に秀秋は傍観者を決め込み家康から派遣された奥平貞治から再三に渡る出陣依頼も拒否しまくりだったわけだし
東軍に参戦と決まり、松野が怒って出奔した後に小早川先鋒を指揮する人間がいなくて
結局、奥平が指揮を引き受けて下山するも後続が続かなくて大谷に苦戦した挙げ句に
奥平はのちに死ぬほどの致命傷を受けてるじゃん。 最終局面で脇坂を筆頭に赤座・朽木・小川が裏切り(脇坂が調略し仕組んだ?)
大谷を攻めなければ奥平は討ち死にしてた。 小早川軍が当初から東軍なんて断言できないでしょ。
そもそも9/12石田→増田で大垣城の伊藤は若輩でその家中の能力を疑い人質取ると書いてあるのみ。
西軍の伊藤を叩き出して松尾山に布陣ってのは春日局ダンナの武功を捏造するために書かれた後世編纂の三次史料。
339人間七七四年:2011/06/15(水) 03:35:49.82 ID:bVbxdPFU
吉継が秀秋を2回にも渡って会談して暗殺しようとするすごい妄想軍記。
三成も当日は小早川に山を見張って動かなくていいからって言ってるだけだし
三成から増田への12日書状で松尾には中国勢をいれ敵陣は20日のうちに破るって書いてるから
秀家か毛利か小早川が寡兵の伊藤に代わって防備するのは不思議な話じゃないし、
そもそも伊東は本当に松尾にいたのかどうかも怪しい。 小早川は14日の太陽が照ってる時間には移動完了してるし
大谷や毛利や秀家に至ってはもっと前からいたし、はっきりした敵認定してるってんなら
大津城攻撃隊の一部を転用してでも早期に除くだろ。なんで放置してんの?
さらに松野が先鋒してるんだから最初から小早川が東軍と決めていたわけじゃないのは明らか。
みんなある程度はお家存続のために東西両軍に唾つけてるしそれに三成も味方中の心中も計り難いと言ってる
毛利の陣の動きを注視しつつ様子見して戦況を眺めていたからだいぶ傍観してて小早川参戦は正午を回ってからだよ?
早朝の濃霧があけ始めて開戦してからかなり経過してるまで動いてないのは秀秋自身の悩みがあるだろう。
徳川の説得工作の継続と毛利陣が動かないことによる疑心暗鬼のダメ押しにキレた家康の秀秋陣への鉄砲銃撃威嚇が決定打。
340人間七七四年:2011/06/15(水) 13:54:50.34 ID:CGSEpr5j
>>337
年中記も実記も関ヶ原の結果を知った上で書いてるから
知るはずが無い西軍側の話にある程度の創作があるってのは同意。
家康までやってきて本格的に大垣城を包囲され
さらに秀忠隊までやってきて
退路まで絶たれての完全孤立の危険性より秀忠隊が来る前に関ヶ原での野戦決戦が有利と三成が判断した上だと思う。
341人間七七四年:2011/06/15(水) 20:30:20.99 ID:7vRvrasJ
ていうかさ、東軍って家康が美濃に来る前に福島や黒田が先陣で先に来てたじゃん?
なんでその時に兵力で大幅に勝る西軍が一気にそいつらを叩かなかったんだろう。
東軍先鋒をボコボコにできてたら東軍全体の3割は削れたような感じになってたんじゃないかな。
342人間七七四年:2011/06/16(木) 12:03:51.58 ID:BWwaoCMZ
兵力で大幅に勝っていたらそもそも美濃があっという間に陥落するわけないだろw
343人間七七四年:2011/06/16(木) 17:00:30.02 ID:oaHszYGM
岐阜城攻めの時点の西軍ってまだ数そろってなかったの?
344人間七七四年:2011/07/07(木) 13:30:29.46 ID:V+elLq+2
大谷吉継が小早川秀秋の軍勢15000を借り受けて指揮
345人間七七四年:2011/07/23(土) 06:06:16.81 ID:sWAGcyZS
九州覇者島津:東軍につこうとしたのに
四国覇者長宗我部:東軍につこうとしたのに
中国覇者毛利:宇喜多嫌い
豊臣恩顧武将大多数:親徳川
小早川秀秋:三成マジ大嫌い
勝てる訳がない
346人間七七四年:2011/07/24(日) 02:39:09.18 ID:0xf+HFup
小早川が関白約束を信用すれば裏切りを阻止できて勝てたはず。
淀からも一筆もらえれば信用したんだろうけど、淀が許すわけがない。
淀の偽書でも用意して、戦勝後に責任を取って切腹する覚悟が三成にあればなぁ
347人間七七四年:2011/07/24(日) 03:02:19.09 ID:3BWJIXls
小早川が寝返らなかったとしても
東軍は不利なら一旦岐阜迄引いて
態勢を立て直せば良いだけの事。
1週間も待てば秀忠が来るし。
戦が多少長引くだけで勝敗は変わらないよ。
348人間七七四年:2011/07/24(日) 10:07:51.75 ID:CHvPvADa
>>347
西軍も大津と田辺に派遣してた連中が戻ってくるけどな
349人間七七四年:2011/07/24(日) 10:50:45.21 ID:0xf+HFup
>>347
秀忠軍が来たところで満身創痍で使い物にならないよ。
秀忠自身もこの時かなり鉄砲傷を負ってるのは遺骨調査で判明してるし。
350人間七七四年:2011/07/24(日) 12:38:04.19 ID:pMQmh6XM
西軍が負けたのは小早川の寝返り以前に
10万人を動かせる総大将がいないから。
351人間七七四年:2011/07/24(日) 17:43:34.30 ID:yYHx3oZE
352人間七七四年:2011/07/25(月) 00:13:34.01 ID:YJXaAHQQ
大将の喪瓜が城に引きこもってる時点でダメだな
353人間七七四年:2011/07/25(月) 02:26:16.14 ID:I3SBFZUs
西軍は負けるべくして負けたとしか言い様が無い
354人間七七四年:2011/07/25(月) 18:37:13.31 ID:rncYaEfZ
>>349
秀忠が鉄砲傷をおった事があるのは確かだけどそれが確かに第二次上田の時だとする史料は無かったんじゃないっけ?
そんなに重い鉄砲傷ならあんな強行軍出来るわけもなく

>>353
挙兵して伏見を落とした辺りまでは十分に勝機はあったんだけどね
その後は、状況の楽観視と上層部の意見不統一でグダグダになった
355人間七七四年:2011/07/27(水) 21:45:09.90 ID:snVW6Nmk
清洲城を全力で落として、大量のひょうろうを奪えば勝てたんでは?
356人間七七四年:2011/07/27(水) 22:20:40.43 ID:kaehhSej
秀秋の裏切りは戦が始める前から察知してたらしいね
357人間七七四年:2011/07/28(木) 20:43:39.01 ID:m32t5flq
毛利両川のやる気があれば家康は関が原で死んでた
358人間七七四年:2011/07/28(木) 21:10:44.03 ID:Vv6/kxCh
家康が死んだらそのまま戦乱の世に突入して
どっちが勝ったかはうやむやになりそうな気がする
359人間七七四年:2011/07/28(木) 21:20:19.81 ID:HAdnCuZm
あったら家康はそんな所にいない
360人間七七四年:2011/07/28(木) 23:31:45.37 ID:g/Rfhz0h
福島らが東海道を上がって来る前に清洲〜浜松あたりを強襲して、
備蓄米や城下町を焼き払い、青田刈りもやる。
そのために、伏見、大津、田辺の城は、後方撹乱されない程度に押さえの兵付けて放置。
ようは曹操並みに焦土作戦をやって、東軍が容易に東海道を上がれないようにして、
その間に美濃を徹底的に固めればいい。
361小早川:2011/07/29(金) 01:58:04.43 ID:AUPk2NF+
ま、みっちゃんが大将のうちは西軍に勝機なんてないよ。うん。
マジ嫌い、あいつ。
362人間七七四年:2011/07/29(金) 03:59:07.24 ID:dW8QZae8
秀吉だったら、似たようなガキを連れてきて偽の秀頼を担ぎ出すくらいのことはやっていただろうな。
三成は秀才すぎた。
363人間七七四年:2011/07/29(金) 08:57:00.03 ID:H9DWJBT/
偽者でも幼君を戦場に連れ出したら西軍は崩壊するわな
私が傀儡にしてますと宣言してるようなものだ
賤ヶ岳でも小牧長久手でも秀吉が三法師を戦場に連れ出さなかったのはそういう事
364人間七七四年:2011/07/29(金) 19:55:43.89 ID:fknmg3xz
京都まで撤退して、御所を背に戦うじゃダメかな。
幕末みたいにはならないのか?
365人間七七四年:2011/07/29(金) 20:40:59.09 ID:OZa9O95v
皇族全てを大阪城に連れて行き秀頼と共に篭城。
天皇に逆賊追討の宣旨を貰う。
恩顧武将を内応させ内と外から挟む

366人間七七四年:2011/07/29(金) 21:49:33.68 ID:8oTzH4wS
宮中まで巻き込んだらむしろ敵を増やすだけでは?
それにどうやれば天皇が大阪城に移ってくれるんだ?
武力で無理やり移せば西軍が逆賊になるだろ
367人間七七四年:2011/07/29(金) 23:06:03.87 ID:fknmg3xz
追討令もらった正義の官軍が籠城なんてしたら、なんか情けなくて笑える。
368人間七七四年:2011/07/31(日) 00:38:09.04 ID:NeZQiyMW
>>365
家康は、吉野あたりに潜伏している後南朝の末裔を捜し出して即位させ
南朝を再興、一天両帝南北二朝に持ち込めば良いだけ。
石田の要する天皇を、既に本物は殺され、石田が偽帝を擁立してるだけと
宣伝すればよし。
369人間七七四年:2011/07/31(日) 00:44:08.33 ID:NeZQiyMW
さらに毛利がの伝統芸であるお家乗っ取りを実行。
秀頼も殺され、毛利が替え玉のガキを秀頼と称している
と檄文を全国にばらまけば、良いだけ。
370人間七七四年:2011/07/31(日) 12:29:17.94 ID:KyIzWdoD
誰が信じるんだよ。
371人間七七四年:2011/08/02(火) 21:07:23.06 ID:0GqBSDWK
>>356
秀秋を大阪城留守番部隊にして
代わりに毛利を出陣させればよかった
372人間七七四年:2011/08/02(火) 23:25:37.55 ID:FZFIy/L4
それを誰が命じる?
373人間七七四年:2011/08/04(木) 23:15:27.00 ID:rwBtnaMd
小早川を改易して、それプラスαで九州の100万石を三成に与えるべきだった。
そうすれば石田軍だけで3万になるから、関ケ原では黒田らを即蹴散らして、家康本隊と直接戦えた。
当然、日和見や裏切りも出にくいし、勝ったはず。
374人間七七四年:2011/08/05(金) 00:37:02.54 ID:FJW200KU
100万石与えるにしても約40万石しか無い小早川を没収してもまだ足りない。
あと残りどっから調達するの?
それにそれを当時不人気街道爆進中の三成に与えるのも無理ありすぎ。

375人間七七四年:2011/08/05(金) 01:56:48.39 ID:6jBFgKu8
どのタイミングでどういう理由を付けて小早川を改易して石田に100万石を与えるかによるが
結局石田の敵を増やすだけでは?
376人間七七四年:2011/08/05(金) 04:31:12.42 ID:DFi91+vU
やっぱり毛利次第かね
でもたとえば関ヶ原時点の毛利家のボスが優秀というか元就だったりしたら
西が勝っても徳川じゃなくて毛利に乗っ取られるだけになりそうだしどうしようもなくね?
377人間七七四年:2011/08/05(金) 23:07:01.69 ID:L7fz41r6
「小早川は裏切るから事前に改易しろ」じゃなくて「どうすれば小早川は裏切らなかったか」を考えるべきだろ。
378人間七七四年:2011/08/06(土) 01:04:13.71 ID:aZIPz1vD
西軍に三成がいなかったら金吾も裏切らなかったんじゃね?
379人間七七四年:2011/08/06(土) 09:24:37.16 ID:bzGcFXzn
三成いなかったら石田隊大谷隊がいない状態だね
実行犯は宇喜多のみか
西軍総大将は毛利じゃないかも
380人間七七四年:2011/08/06(土) 18:47:01.61 ID:X6wWrb34
石田100万石でも
家康主導の石田討伐令が出てフルボッコにされるだけじゃないの?
大坂から討伐軍が真っ直ぐ石田領に向かってくるんだから
いつ上杉や毛利が味方になってくれんのさ
381人間七七四年:2011/08/06(土) 23:16:55.43 ID:+pFmT+9T
どうやって討伐令を出すの?
何を原因にして?

それ以前に100万石与えるって、
じゃあ、その頃まだ秀吉存命中じゃあないですか。
秀吉死んだら加増されないんだから。

秀吉死亡までの数年で行政関係に強い三成が100万石の領地経営したら、
トンでもなくなると思うんですが。
382人間七七四年:2011/08/07(日) 18:25:30.47 ID:kANQCpal
人材少なすぎて、内部分裂する可能性が高い
383人間七七四年:2011/08/08(月) 00:30:12.38 ID:vmsQe7Rl
>>382
人材は募集すればそこそこ来るだろ。
石田は親戚も多いし。

三成は100万貰っても本人は少禄で質素に暮らし、有力な家臣に与える傾向だから、
結構よさげな人材集まりそうじゃない?
384人間七七四年:2011/08/08(月) 00:44:07.35 ID:fECYEdhx
総大将がいない
385人間七七四年:2011/08/09(火) 01:02:31.37 ID:EeZjvMAC
100万石でも九州じゃダメでしょ。
関東に100万石やって背後から家康を
牽制すれば、家康も容易に兵を動かせない。
まあ最初秀吉もそんなこと想定してたようだけど
だから三成を大将に抜擢したわけだし
忍城攻略戦がうまくいってりゃ実現したかも
忍城主誰か知らんけど、確実に歴史変えたね
386人間七七四年:2011/08/10(水) 00:19:48.69 ID:jf/QqVmt
三成が九州で100万石って、
現代で言えば総務省事務次官が福岡県知事をやらされるようなもんだろ?
左遷じゃねぇか。
387人間七七四年:2011/08/10(水) 09:57:37.00 ID:HYp3nTVv
>>386
まさにそのとおり。
結局のところ大名などというのは在郷の有力者なわけだから。
知事同士が結束して行動してるのに対して、知事を兼ねてるとはいえ
高級官僚が旗振りでは同じ方向性では対決しにくいよね。
で山口県知事にがんばってもらいたかったけど無理でしたということですな。

石高の問題ではないな。
388人間七七四年:2011/08/14(日) 12:38:20.77 ID:rSHwrul5
淀殿をきつく激しく抱いてメロメロにしてなんでも言うことを聞くようにして、
秀頼を出陣させ謀反者家康を討伐すると言わせれば東軍は崩壊確実
389人間七七四年:2011/08/15(月) 00:35:36.68 ID:uvPgj+KW
>>388
その頃の茶々は既に治長に夢中。
それでその治長を家康に人質に取られたんだからどうしようもない。
390人間七七四年:2011/08/15(月) 21:32:51.79 ID:gflFXL9M
メカ秀頼を作って
出陣させりゃいいでしょ
391人間七七四年:2011/08/16(火) 13:48:23.98 ID:OOVUvcXq
脇坂安治って寝返ったけど結局脇坂家はいつの間にか譜代になったんだろ。
これが賢い生き方なもんだ
392人間七七四年:2011/08/17(水) 00:50:34.19 ID:ARUvxulj
淀殿を性奴に調教していいなりにするのが無理ならやっぱフツーに多数派工作かなあ
だが前田利長は北国7カ国(若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡?)でも西につかなかったし、
小早川秀秋は関白でも裏切った どうすりゃいいものか
三成嫌いの加藤、福島、黒田は無理としても、伊達政宗を味方に出来れば大きい
条件は家康の領土すべて与える、かな 正宗が西につけば上杉景勝と合わせて江戸を攻撃できる
家康は動けず、西軍はどんどん東へ進軍できる
393人間七七四年:2011/08/17(水) 15:09:11.07 ID:c759dT7E
正宗は日和見主義者だから恩賞ちらつかせたって味方にはならないよ
勝ち馬に乗るみたいな感じで関ヶ原で西軍有利なら西軍に付いただろう
関ヶ原前はどっちつかずで優柔不断な態度とってた
394人間七七四年:2011/08/17(水) 20:00:27.11 ID:xUnU9JPi
やっぱ家康を某殺するしかない。
そのために以前から家康と昵懇になっておくくらいのことをしとかないと三成。
395人間七七四年:2011/08/17(水) 21:41:50.80 ID:geNSN1EP
>>392
如水様の上方で7カ国という恩賞要求を拒否ったのが致命的だったな。
播磨、丹波、山城、近江、伊賀、伊勢、大和くらいくれてやっても無問題なのに
396人間七七四年:2011/08/17(水) 21:48:05.31 ID:ZqYZ72Ai
昵懇になったら家康にうまく丸め込まれて関ヶ原は起きない気がする
397人間七七四年:2011/08/18(木) 09:19:21.29 ID:ZEJWSkh1
>>394
その前に、暗殺や夜襲を潔しとしない、その融通の聞かない性格を
なんとかしなくちゃ
398人間七七四年:2011/08/18(木) 11:11:08.13 ID:yr1qz5+9
毛利の空弁当とかやってたからまけた
399人間七七四年:2011/08/18(木) 12:23:45.34 ID:bGEQedZY
三成に家康と同じくらいの人望と戦略があれば勝てたかも知れない
400人間七七四年:2011/08/18(木) 12:45:41.92 ID:OOSlRiR/
情報収集能力がゼロである限り、無理
この問題は豊臣家全体に言えるが
401人間七七四年:2011/08/18(木) 15:45:38.77 ID:D4V8L2b3
秀吉の情報収集能力はずば抜けてたんだが
なぜそれが次代に受け継がれなかったのか・・・
402人間七七四年:2011/08/18(木) 16:34:06.40 ID:OOSlRiR/
>>401
秀吉自身も大した能力がなく、国境の大名に依存している
403人間七七四年:2011/08/18(木) 16:47:20.81 ID:bGEQedZY
そういう事が得意そうな小早川隆景は死んだし、クロカンは東軍側だし
人材を失ったんだろうな。
404_:2011/08/18(木) 20:30:19.64 ID:2DKEyO89
刑部に全権任せていたら勝っていたぞ。金吾の裏切りもちゃんと予想していたし。
わずか2500で京極、藤堂壊滅させたのはすごい。
405人間七七四年:2011/08/18(木) 21:18:03.43 ID:NW1L8YWA
>>404
しょせん、形部も敵しか見えぬ偏頗者よ。
脇坂の裏切りも小物4人組の裏切りも見抜けなかったのを忘れるなよ。
406人間七七四年:2011/08/19(金) 20:46:57.61 ID:Q1BgtDoG
大垣城で籠城し、東軍を関が原で素通りさせてから、大坂の毛利と呼応し挟み撃ちに
すればいいのでは?また島津が家康の野戦の強さを指摘し夜襲を提案していたはず。
夜襲をかけるとすればどこが一番適切なのであろうか?
407人間七七四年:2011/08/19(金) 21:18:43.55 ID:m4CNpvlm
佐和山取られるだろ。
408人間七七四年:2011/08/20(土) 01:10:14.11 ID:Orimi217
有事があれば関ヶ原で食い止めよってのは秀吉の入れ知恵らしい。
あと島津も関ヶ原の西軍の陣形に初めは賞賛してたが、
一説に松尾山のポジションが欲しいと申し出たところあっさり
退けられ、それでふてくされてひきこもってしまったとか。
島津の扱いをもう少し考えるべきだった
409人間七七四年:2011/08/20(土) 18:07:33.79 ID:792AoRqW
細菌兵器だな、当時欧州で猛威を振るっていたペスト患者を
家康と江戸へ送りつける。関が原に防衛線を築き、全将兵には、遠距離で
戦う様指示し、だれも西には通さないようにする。一方使者を飛ばして
上杉、真田にも籠城するように指示する。数ヶ月後徳川は伝染病で壊滅している
だろうから、一部の軍勢は船で東へ進軍し、上杉と呼応し伊達、最上を降伏させる。
これでどうだ?
410人間七七四年:2011/08/20(土) 18:09:16.45 ID:a8O1UkAA
>>408
脇坂さんや朽木さんの隣に居たかったのかなぁ
411人間七七四年:2011/08/20(土) 18:30:53.22 ID:JDHbXsL8
>>409
ペストは不潔な場所でないと蔓延しない
412人間七七四年:2011/08/20(土) 19:03:56.14 ID:k/dyA6NE
ペストも天然痘も既出だが、まあそれはいいとして
東軍を倒した後どう後始末する?
413人間七七四年:2011/08/20(土) 19:47:29.00 ID:lEscvjvg
あの陣形で負けることのほうが不思議だ
414人間七七四年:2011/08/20(土) 20:00:29.32 ID:k/dyA6NE
狼が指揮する羊の群は羊が指揮する狼の群に勝る
415人間七七四年:2011/08/20(土) 20:10:56.08 ID:JDHbXsL8
>>413
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/0/05/Sekigahara.png
この地図でなく
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/21/Honsenkouikizu.jpg
こっちの地図で見ると逆に東軍が西軍を包囲していることになる
416人間七七四年:2011/08/21(日) 23:52:03.29 ID:aqtdclq1
>>410
裏切りをある程度察知してたんじゃないの?
417人間七七四年:2011/08/22(月) 07:23:22.44 ID:evu6cVz6
金吾は前日から命令無視するわ、本来の西軍守備隊追っ払って勝手に松尾山に着陣するわで明らかにとっくに裏切っているからなあ

ああいう陣図になったのはむしろ西軍首脳部にとって想定外だった訳で…
418人間七七四年:2011/08/22(月) 10:53:31.66 ID:MW0HqoCn
松尾山って実は要所と見せかけて実際そんな大したことのない場所だったかもな
山崎の戦での天王山みたいな位置づけだったり
419人間七七四年:2011/08/22(月) 11:07:05.18 ID:iCV99i6+
彼我の位置や状況を把握するのに高所を確保するのは重要
逆に言えば、安全が確保されているのなら、大将と伝令のみを上に置き、
後の戦力は山麓に展開させるべき

もっとも関ヶ原合戦では濃霧で高所の優位は失われており、家康はその点を
踏まえて、早々と桃配山を降りて前線に出向いている
そういう判断をしなかった一点においても、他の大将は家康に明確に劣る
420人間七七四年:2011/08/24(水) 00:01:35.02 ID:3F8S2kIO
秀頼を大将にする
421人間七七四年:2011/08/24(水) 00:30:03.59 ID:qkdm3lt4
メカ秀頼を大将にする
422人間七七四年:2011/08/24(水) 00:50:07.13 ID:YOpMjqC9
秀忠を将軍、秀康を秀頼成人まで関白にする条件で寝返ってもらう。
423人間七七四年:2011/08/24(水) 00:53:08.13 ID:xtGc5J4a
なんかよく考えたら西軍のほうが数多くねーか?
もっとうまく関ヶ原方面に戦力を集中できたらそれこそ東軍の倍以上に
なってなかった? 作戦ミスだよ 強力なリーダーがいないからバラバラになる
424人間七七四年:2011/08/24(水) 00:56:20.14 ID:03e9R+xW
>>423
>強力なリーダーがいないからバラバラになる

結局それに尽きる
425人間七七四年:2011/08/24(水) 11:51:31.82 ID:qkdm3lt4
大将 島津
副将 大谷
副将 立花
副将 毛利(秀)
おれで桶?
426人間七七四年:2011/08/24(水) 15:19:31.08 ID:hG1Ydkeu
>>425
島津は当主は参戦しておらず西軍には家臣のみの参加。
427人間七七四年:2011/08/24(水) 15:21:29.27 ID:OL5NEIqw
>>425
アクの強い連中ばかりで話がまとまりそうもない
428人間七七四年:2011/08/24(水) 18:20:45.97 ID:03e9R+xW
>>425
上杉も宇喜多もテルも格下の命令に従うわけないだろう
429人間七七四年:2011/08/24(水) 19:38:38.02 ID:wt0+SKX+
将の将としてはまた別もんだしなぁ
430人間七七四年:2011/08/24(水) 22:49:18.57 ID:Im+dYTVO
秀頼がもうちょっと大きくないと無理だ
431人間七七四年:2011/08/24(水) 23:34:24.24 ID:gY2hxuDr
東軍も別に豊臣家と戦った訳じゃないからな
432人間七七四年:2011/08/25(木) 00:12:27.21 ID:TgtYdu1h
三成が加藤他とうまくやるとか根本的なとこからひっくり返さないと
433人間七七四年:2011/08/25(木) 06:34:45.84 ID:uy9wm2Jn
家康が西軍の総大将になるとか
434人間七七四年:2011/08/25(木) 07:15:00.57 ID:tAEcOem3
じゃあ三成が東軍の総大将だな。
435人間七七四年:2011/08/25(木) 17:41:35.47 ID:NL31kwyK
そもそも西軍が勝っても毛利や上杉が第2の徳川になるだけの話だろ
436人間七七四年:2011/08/25(木) 20:59:00.13 ID:bFaW0lVx
輝は無能だから大丈夫
437人間七七四年:2011/08/25(木) 21:10:37.70 ID:cPP8IH3m
>>436
じいちゃん、父ちゃん、叔父さん達に比べればそうかも知れないが
宇喜多秀家や上杉景勝辺りと比べたら、そんなに変わらないだろう?
438人間七七四年:2011/08/27(土) 15:40:21.47 ID:j+TJ0csi
秀家や景勝は、目的のために行動して、結果として家中が分裂してしまったけど、
毛利がグダグダだったのは、単に統制が取れてなかったからじゃないか。
まだ秀家・景勝のほうがマシに思えるなぁ。
439人間七七四年:2011/08/30(火) 14:20:58.78 ID:jkii8kjz
隆景が生きてればなぁ・・・・・
440人間七七四年:2011/08/30(火) 16:06:55.62 ID:poi+t2gv
ちょっとざっと計算すると徳川家康57歳にたいして
豊臣秀頼  7歳
石田三成 40歳 五奉行
毛利輝元 47歳 五大老
上杉景勝 45歳 五大老
宇喜多秀家 28歳 五大老
小西行長 45歳
大谷吉継 41歳
長束正家 38歳 五奉行

こうしてみると秀頼はまだ完全に子供 戦場に出れるような年じゃない
秀家も意外と若く、これではリーダーシップはとれまい
やはり毛利輝元よ 輝元ががんばらなきゃいけなかったのよ
441*:2011/08/30(火) 20:13:22.75 ID:l8MJYHKG
>>440
そんな器量人なら秀吉に警戒されてるわなぁ・・・
442人間七七四年:2011/08/31(水) 00:23:10.50 ID:y1Wcb+g8
広島人で申し訳ないけど、毛利一族が裏切らなかったら西軍が勝ってただろうよ
本当にサーセンw
443人間七七四年:2011/08/31(水) 00:38:00.38 ID:uBKEPVha
>>442
それはないから謝らなくていいよ
444人間七七四年:2011/08/31(水) 01:20:48.93 ID:y1Wcb+g8
秀秋が寝返らず、秀元・広家が西軍に寝返ると見せかけて東軍の背後を襲ったらそれで決着だと思うんだけどねぇ
445人間七七四年:2011/08/31(水) 03:14:29.86 ID:q+XvIs0i
左和山を取られてもいいから大津まで
秀家の言うとおりに引いていればあと3万
味方が増えて、逆に家康は左和山に兵を1万
程度割かれるから西軍の勝利決定
446人間七七四年:2011/08/31(水) 08:58:09.07 ID:BpXxnCnp
大阪城篭城戦
447人間七七四年:2011/08/31(水) 13:41:14.36 ID:y1Wcb+g8
確かに秀頼を錦の旗にして輝元が居座る大阪城ならまず落とせないな
あの信長ですら落とせなかった石山本願寺を更に強化させた大阪城は力で落とすことは不可能
しかも補給に関しても西国の大大名輝元の村上水軍が行うので兵糧攻めも難しい
秀頼が相手なら清正や正則も西軍につくだろうし、持久戦になったら各地で反徳川の狼煙が上がる
正宗や如水辺りがこの混乱を利用してどれだけ勢力を拡大するか色々と楽しみなifとなるかもね
448人間七七四年:2011/08/31(水) 16:22:14.38 ID:Pj9BksCH
家の論理なら秀秋辺りを関白にして、そちらが豊臣宗家ということにしてしまえば良い
449人間七七四年:2011/08/31(水) 18:17:50.43 ID:Q17qP946
傀儡にして好き放題やりたいのに秀秋迎えたら意味無いじゃん
450人間七七四年:2011/08/31(水) 18:26:16.61 ID:Pj9BksCH
そんな事は後から考えれば良い
それに秀頼が傀儡になって、秀秋がそうならないとはどうだろう
451人間七七四年:2011/09/03(土) 04:41:03.96 ID:sXZHGi44
>>447
大阪城に拉致された秀頼様がおられる、鬼のごとく大阪城を攻め立てて秀頼様をお助けするのじゃ! 

by清正・正則
452人間七七四年:2011/09/03(土) 05:19:53.72 ID:a7tWkdtC
>>447

>秀頼が相手なら清正や正則も西軍につくだろうし、持久戦になったら各地で反徳川の狼煙が上がる

この辺もう少し詳しく
453人間七七四年:2011/09/03(土) 05:39:27.51 ID:Gw5E46Pa
どうすれば西軍が大阪城に籠城する事を豊臣家に許してもらえるのかを聞きたい。
454人間七七四年:2011/09/03(土) 08:19:49.74 ID:+BT29ZcG
>>453
いや、輝元も大阪に実際居座ってたわけで・・・
455人間七七四年:2011/09/03(土) 08:41:20.41 ID:nxKcxrpA
居座るのと籠城は別じゃね?
456人間七七四年:2011/09/03(土) 09:13:36.08 ID:IHQssdUZ
まあ、西軍が片桐且元ぬっ殺して秀頼と淀殿を軟禁して大阪城に籠城してくれれば
西軍を無謀人認定して大阪城を堂々と攻める大義が出来るし、そうなれば東軍の士気は更に上がるだろうし
ますます東軍有利になるだけだろう。
457人間七七四年:2011/09/03(土) 18:56:51.83 ID:fkepHLg5
無謀人ってなんやねん
458人間七七四年:2011/09/03(土) 22:44:38.32 ID:a6lV3UBW
冬の陣でも苦戦したのに、まだ徳川に歯向う大名が
大勢いる時点での大坂城攻めは徳川には圧倒的不利
459人間七七四年:2011/09/03(土) 22:54:12.99 ID:8SLhnFZk
>>458
別に苦戦はしていないが
460人間七七四年:2011/09/03(土) 23:06:27.00 ID:WRMkTWRu
籠城してる間に本国をクロカンと清正に切り取られた九州の大名達がどうするかだな。
数ヶ月続けば毛利の本国にも攻め入るだろうし。
461人間七七四年:2011/09/05(月) 00:33:13.06 ID:GAVs91q/
別に大坂を攻めんでも石田の佐和山、大谷の敦賀、長束の水口、宇喜多の岡山辺りを落として更に毛利領に攻めいる姿勢を見せりゃ勝手に内部崩壊するだろ
462人間七七四年:2011/09/05(月) 16:18:31.88 ID:O6pno5Fp
東軍は前田、秀忠の6万がすぐに来るだろうし、逆に西軍の上杉、佐竹は
動けないし...
463人間七七四年:2011/09/07(水) 19:40:45.58 ID:4DMYXrmX
秀吉死後、密かに大砲を積めるだけ積んだ艦隊を建造。
東軍先鋒が江戸を出たら、艦隊を派遣して由比沖で待ち伏せし、砲弾の雨を浴びせる。
さらに、砲撃を続けて土砂崩れや地面を穴だらけにして、東海道を通れなくする。
復旧作業も砲撃で邪魔する。

仕方なく中仙道を東軍が上がってきたら、木曽山中の狭路で罠を張っておき、
落石、爆薬仕掛け、火攻め、水攻め、落とし穴等の卑怯な手で大打撃を与える。

それでも東軍残党がフラフラになって濃尾平野に出てきたら、夜襲で決着を付ける。
464人間七七四年:2011/09/07(水) 20:26:44.04 ID:fdg0gTUh
技術レベルが19世紀後半
465人間七七四年:2011/09/08(木) 09:32:10.17 ID:Cjx0x+w0
当時の大砲は弾に火薬が入ってないから命中しても炸裂しない
破壊力は弾に当たった人もしくは衝撃時の僅かな飛散物に当たった
人限定
466人間七七四年:2011/09/08(木) 21:15:50.16 ID:lwDb4KmY
三成が甲賀忍者の大部隊を鍛え上げ、家康を暗殺する。

正攻法では、東軍の1.5倍の兵力を揃えないと、
最終的には戦上手の家康に勝てないだろうからな。
467人間七七四年:2011/09/09(金) 21:06:42.30 ID:IWE16fBE
三成は暗殺とか卑怯な手が嫌いだからな。融通が利かない
その辺から変えないと
468人間七七四年:2011/09/10(土) 02:01:26.53 ID:BMbx0/ky
長曽我部が山を左側に迂回したら家康本陣攻めれたんでね?
469人間七七四年:2011/09/10(土) 05:17:51.51 ID:5w18nsDo
穴掘って隠れて家康が前進したところで登場
470児玉:2011/09/10(土) 10:09:49.60 ID:IknWd8a5
桃配山に28センチ砲を叩き込む
471人間七七四年:2011/09/10(土) 19:42:53.63 ID:meR66/kD
三成って暗殺とか卑怯なやり方を嫌う人ってのが定説だったっけ?
こないだテレビで千利休が切腹させられたのは三成との権力争いに敗れたからって
言っててさ、それ聞いてたらなんか三成ってあくどいやつにも見えてきた
とくに戦功もないのに豊臣政権の閣僚クラスの大幹部に登りつめたし
タイプとしては本多正信タイプか・・・ 独裁者にうまくとりいり、ライバルをえげつない
方法で蹴落とし、なんの武功もなく出世していく・・・
ひょっとするとみんなに嫌われてたのは当然かもしれない 佞臣、奸臣という評価も
472人間七七四年:2011/09/11(日) 15:14:53.71 ID:OqQNGs0I
あの時点で利休とタメ張るくらいの権力があったなら余裕で家康を抑え込めたろうにな。
473人間七七四年:2011/09/14(水) 12:54:50.04 ID:NwXKMjSn
>>471
石田三成が嫌いなんだろう?
そこに書いてるくらい知恵が回れば、西軍にはつかない。
秀次が廃され秀頼が立った瞬間に出奔して家康に取り入ってる。

ドイツの軍人が言ったとされる
無能で生真面目な処刑するしかない人間なのが三成。
部下を信じられない偏狭な秀吉さんだから、その無能さを愛して使ったんだろうがな
474人間七七四年:2011/09/25(日) 00:53:31.61 ID:lyelylca
景勝が追い討ち南下すべきだった。多少なりとも損害を与え、乱戦に
持ち込み、当初の予定通り西軍と挟み撃ち。
ちっぽけな城には目もくれず、全軍で会津へ駆け上り、真田、立花、
佐竹らも加えて、東西全軍での全面戦争。
秀忠軍も混じるけど、西軍の勝ちと見た。
475人間七七四年:2011/09/25(日) 03:28:31.95 ID:9THzIyks
NHK熱中スタジアムの秘策
毛利秀元の参戦:ノロシが見れなくて無理
小早川の裏切り阻止:元々裏切るつもりだったんで、まず無理
長宗我部盛親が伊勢街道から家康本陣側面を急襲:西軍勝利
→ボンボンの盛親が家康を討ち取るとか、無理すぎだろ。

やはり、大垣城に籠城して、立花ら大津攻め軍勢と、細川攻め軍勢が加わるのを
待つべきだった。
476人間七七四年:2011/09/25(日) 04:10:25.11 ID:86LxnKzA
時間をかけると秀忠率いる徳川主力4万が到着しちゃうのがなあ〜〜
北陸の前田利長2万5千にも対応しないといけないし・・・
477:2011/09/25(日) 04:32:57.80 ID:NhGVTy11
ま、佐和山は捨てるべきだったな
478人間七七四年:2011/09/25(日) 17:41:50.52 ID:XVBokWV7
上杉と徳川がぶつかるまで挙兵を待ってたらどうなった?
479人間七七四年:2011/09/25(日) 17:43:18.19 ID:hV6eCV7l
>>478
西軍となった兵の多くが東軍になる
480人間七七四年:2011/09/25(日) 17:56:53.45 ID:nW0+1wH1
少なくとも鍋島、立花、長曽我部、島津は東軍だな。大谷吉継も三成のせがれ連れて東軍に参加しただろうし。
481人間七七四年:2011/10/05(水) 21:30:04.65 ID:5Q/4GUiI
今日NHKで関ヶ原やるね
大谷義継やるな、たぶんちょっとだけだが楽しみだわ
482人間七七四年:2011/10/25(火) 16:20:23.64 ID:Q3wiexls
つくづく思うけど、三成じゃなければ勝てたんじゃないか?
483人間七七四年:2011/10/25(火) 16:53:35.29 ID:RU1TCJvE
小早川隆景が生きてて毛利軍CEOだったら勝ててるだろうな
484人間七七四年:2011/10/25(火) 18:27:14.86 ID:ziszyo3D
秀頼が「あのピザぶっ殺そうぜ」と言って城から出てきたら、それで済んだ話
485人間七七四年:2011/10/25(火) 19:05:40.14 ID:Sxfs8hnK
>>484
それだって100パーセントにはならん

100パーセント勝てる方法があるなら戦争なんか起こらん。
どこの基地外が100パーセント負ける戦争をうける?
100パーセント勝つ方法があるってことは相手は100パーセント負ける方法を取ったてこった。

秀頼が動くってのは現実的かもしれんが、まだまだ弱い。
関白の椅子で秀康を釣るのが良いんじゃね?
486人間七七四年:2011/10/25(火) 19:53:18.70 ID:hmHihCJZ
一つ聞きたいんだが、

西軍が「勝つ」っての「勝利条件」ってなんだ?

徳川を全滅させること?
東軍を関ヶ原で破ること?

んで、どこからがスタート?
秀吉が死んでからすぐ?
それともその前から?
それとも上杉征伐直前?
487人間七七四年:2011/10/25(火) 23:00:27.18 ID:yyDYJWrC
スレタイが関ヶ原の合戦だから合戦に勝つ事が勝利だろ
開始時期はしらんが勝てるって案があるならいつでも出していいんじゃね?
ただ前田が死ななきゃ関ヶ原は起きないから最低その辺りからのがいいんじゃないかと
488人間七七四年:2011/10/26(水) 05:16:34.00 ID:4xzIKoie
>>486
スレタイと>>1を読めば簡単に想像がつくと思うが?

このスレでの適正なコメ・レスは2のような類だろw
489人間七七四年:2011/11/05(土) 00:14:24.63 ID:a/CMas8J
増田長盛の罪も相当なもんだ。少しは息子を見習ったらどうか
490人間七七四年:2011/11/23(水) 11:13:01.68 ID:FrYULMTO
如水をどんな手を使ってでも味方に付けて、大阪に参陣させる。
如水が軍師なら負ける気がしない。

島津にも軍資金を与えて、兵を出させる。
島津軍一万も居れば、戦力は大幅アップ。

三成は大阪に残らせる。
戦場に出さなければ、合戦で意思の統一が出来るし
負けた場合でも、三成が生きていれば再戦は可能。
491:2011/11/26(土) 19:08:57.77 ID:hi5Zgfci
結局関ヶ原でまともに戦ったのは石田と宇喜田と小西と・・・で
総兵力は2万ちょいなんじゃないのか?

大阪城の蔵を開いて浪人集を集めるべきだったね、5万の即興部隊は作れた筈
それを大谷吉継に預ける、大谷の部隊がたった500人という時点で負けるの納得だよな〜
492:2011/11/26(土) 19:12:52.29 ID:hi5Zgfci
鶴翼の陣の両翼が小早川のこわっぱと毛利頼みなのが心もとない
案の定調略されとるし
こんな戦法じゃ負けるの当たり前だよな
こわっぱ頼みの戦法とはな
三成不安何も感じなかったんだろうか、事を急ぎ過ぎだわ、
493:2011/11/26(土) 19:14:21.37 ID:hi5Zgfci
鶴翼の両翼に上杉と立花がいればな、
中央の布陣は史実通りとしてもかなり勝ち目がUPするぜ
494:2011/11/26(土) 19:22:13.96 ID:hi5Zgfci
>>447
そうそう籠城したらそう簡単には落とせない布陣だぜ、大阪城+毛利という布陣は
籠城して時間を稼ぐべきだったね
家康は後少しで死ぬ身、死ぬまで待とうホトトギスだよ
495人間七七四年:2011/11/27(日) 10:02:45.81 ID:BVHxb+mX
>>491
大谷忘れてるぞ。

宇喜多13500
石田5000
小西4000
大谷3000

2万5000くらいだ
496:2011/11/28(月) 05:52:39.87 ID:ZDIaFig2
たった2万5千か、勝てる訳ねーな
497人間七七四年:2011/11/28(月) 06:58:25.46 ID:bykdtEf5
小早川寝返り前にまともに戦ってた東軍はどのくらいなんだよ。
498人間七七四年:2011/11/28(月) 07:16:42.18 ID:MJQ0B1aI
毛利が決戦するってことで意思統一出来てたらなあ〜
まあその場合徳川幕府のかわりに毛利幕府になっちゃうんだけど
499人間七七四年:2011/11/28(月) 17:27:23.98 ID:c7/KZ8pd
大津城で引っかかった立花が関ヶ原に間に合っていればとは思う
500:2011/11/29(火) 07:13:01.21 ID:PEjAWdMw
大阪の陣より戦ってねーじゃん西軍
ダメ過ぎ
501人間七七四年:2011/11/29(火) 07:51:02.32 ID:bkWeSJUb
三成が家康にゴマをすって取り入る
これで三成嫌いの諸将が家康の敵にまわる
502人間七七四年:2011/11/29(火) 07:54:27.77 ID:CvGHAu+J
そうだな 三成嫌いの連中、とくに福島・加藤をどうにかすればいい
といってもどうすりゃ仲直りできるのかな
503人間七七四年:2011/11/29(火) 10:41:54.69 ID:V1Dz6Bxr
三成が嫌いだから家康に付いたなんて、ホントに思ってんの?
豊臣を見捨てて家康に付く名目に使っただけだっつーの。

福島正則は、三成と関係なしに家康の養女を婿に貰ったんだぞw
504人間七七四年:2011/11/29(火) 22:00:27.92 ID:mDUBR6lE
>>496
逆を言えば、西軍はその人数で小早川秀秋が裏切る前まで保ってた。
秀秋を何とか騙して戦場自体に来させなければ(例えば、立花宗茂が担当してた戦線に行かせる)、
何とかなった……かも。100%必勝法では無いけど。
505人間七七四年:2011/11/29(火) 22:55:17.44 ID:V1Dz6Bxr
後詰が無い状態じゃ無理だ。
506人間七七四年:2011/11/30(水) 05:53:29.18 ID:0FSzqxy3
加藤・福島・小早川あたりは北政所おね様に徳川殿に味方せよと言われてたらしい
おね様は淀・秀頼政権を簒奪者とみなし、豊臣の後継者とは認めてなかったんだろうな
するってえとおね様を味方に引き入れることができれば・・・
507:2011/11/30(水) 07:00:00.14 ID:Vl8LfO4t
挙兵の仕方が間違ってたんじゃないのか
上杉討伐に向かった兵ごっそり徳川についてしまったからな
508人間七七四年:2011/11/30(水) 07:02:15.48 ID:0FSzqxy3
家康を暗殺できりゃ一番よかったんだけど、時代劇みたいにはいかないんだろうね
509:2011/11/30(水) 07:09:34.69 ID:Vl8LfO4t
それか10年耐えて家康が死ぬのを待つか、だな
関ヶ原で手を出さなければ石田三成も健在だし
死ぬまでの間我慢してれば死んだ後逆転出来たかも知れん
510人間七七四年:2011/11/30(水) 07:24:13.14 ID:2dEk7kZH
関ヶ原西軍完全勝利マニュアル待望論(但し1600年9月14日までに出版すること)
511人間七七四年:2011/11/30(水) 08:10:10.15 ID:ZdUPCfVl
黒田孝高を口説き落とすこと。
西国を牽制してもらい、東軍側の武将の動きを鈍らせる。
512人間七七四年:2011/11/30(水) 13:15:50.82 ID:4HDyCepW
>>506
そんな史実は無い
513:2011/11/30(水) 14:10:59.85 ID:TKe26tFV
前田利家には人望あったけど黒田官兵衛には人望無かったんだな
関ヶ原の当時生きてた、けど反家康の対抗馬にはならなかった
514人間七七四年:2011/11/30(水) 18:55:11.17 ID:ZdUPCfVl
>>513

関ヶ原に集まった連中は、人望で集まった訳じゃないよ。
515人間七七四年:2011/11/30(水) 22:59:52.62 ID:zaskj3V+
>>506
「おね」は、愛知出身→同郷の加藤、福島(武官)カワユス
「淀 」は、近江出身→同郷の石田   (文官)カワユス でサロンが出来てたという説があるんで厳しい。
 因みに如水は、朝鮮出兵の際に、石田から「職務怠慢」の名目で秀吉に告げ口されてる。
>>507 で思ったけど、上杉VS徳川が始まったタイミングで、西軍挙兵できてたら挟み撃ち出来てたかもね。
516人間七七四年:2011/12/01(木) 00:10:22.74 ID:rsC6mqBx
小早川の寝返りが諸将から白い目で見られたというのは
どうも小説の世界だけの話のようだな
517人間七七四年:2011/12/01(木) 03:48:21.97 ID:BERJLZyH
ガトリング砲をフランスから取り寄せるのと、先行隊に落とし穴を作らせるか、揖斐川を塞き止めておいた方がよかったかもな。
あと、伊達政宗も口説けたかもわからん。
518:2011/12/01(木) 07:04:27.53 ID:fONe1F25
>>514
利家がいた頃は家康派と利家派で真っ二つに割れてたんだよ
利家が死んでみんな家康派になってしまった
黒田官兵衛は生きてたのに黒田派は作れなかったからな、やっぱり人望は無かったんじゃないのかな
519人間七七四年:2011/12/01(木) 10:56:33.49 ID:87aJCOlG
>>518
九州の木っ端大名と加賀大納言を同列に扱うのは無茶。
まあ、黒田如水なんか持ち出さなくても、石田三成に近江一国持たしてたら、
勝った可能性もあるには有るだろうけど。
ぶっちゃけ豊臣秀吉が徳川家康を舐めすぎてたんじゃね?
(まさか小牧の負けでビビって手が出せない意気地無しでも無いだろうし)
520人間七七四年:2011/12/01(木) 11:17:47.13 ID:7PhUdYAm
徳川家康と豊臣秀吉の関係は実に微妙

おそらく互いに嫌っているのは確かだが、それ以上に高く評価している
司馬の「関ヶ原」上巻101‐107頁(文庫)の記述は的を得ていると言える
521人間七七四年:2011/12/01(木) 12:01:06.73 ID:87aJCOlG
>>520
好き嫌いとかじゃなく、
秀頼と五奉行と福島・加藤で徳川家康に勝てるつもりだったんだろうか?と
自身が秀信?を関白に付けずに済ましたのに、徳川家康が秀頼に地位をくれるとでも思ったのか? と


対家康を考えるなら、何となくしっかりしてそうで、且つ善人っぽい加藤清正に尾張半国でも持たしておけば、
(尾張一国持ってれば関ヶ原が起こらなかったかも)
関ヶ原の戦いが起こったにしても勝ったと思う。
外様で、家康と比べるまでもなく戦争経験も乏しく、朝鮮出兵で国力も衰えた
毛利輝元を総大将に据えざるを得なかった時点で負けじゃね?
関ヶ原で家康を、東軍の豊臣が無傷の状態でころせたら、真田と遊んでた秀忠軍くらい瞬サツだろうが
豊臣恩顧の同士討ちが終わった頃にどうにかころせた程度じゃ
結局関東の大勢力で残っちゃうし。

あのメンバーで関ヶ原の戦いは、勝ちは難しいんじゃね
522人間七七四年:2011/12/01(木) 12:25:34.39 ID:7PhUdYAm
>>521
独裁者は自分の都合の良いように物事考えるものです
523人間七七四年:2011/12/01(木) 12:49:20.52 ID:1EfUwDOs
黒田官兵衛と徳川や前田を比較するのはいいが・・・
奴は隠居して家督を譲っていたのを忘れてないか?
それじゃ持ち上げようにも持ち上げられないだろ。

それに石高が低すぎるわ。
524人間七七四年:2011/12/01(木) 13:12:38.57 ID:CpXamJl1
前田利長がおまつ様を見捨てて寝返ればどうなったかわからんけど
おまつ様を見捨てる利長は見たくないわ
525人間七七四年:2011/12/01(木) 13:32:02.54 ID:87aJCOlG
>>524
寝返る以前に、徳川とやる気が欠片でもあれば先代の正室を人質には出さんだろ。

歴史によると、前田って豊臣から謀叛の疑いをかけられたんじゃなかったか?
豊臣につくなんて有り得ないんじゃね?
526:2011/12/01(木) 13:45:41.77 ID:inwP19DK
でもあの当時武将の力量的に徳川の対抗馬に成りえたのは官兵衛くらいしかいないんだけどな
隠居してたけどさ、豊臣の石高背景にあったら面白かったぜ
527人間七七四年:2011/12/01(木) 13:55:46.78 ID:CpXamJl1
てか多分だけど利長が西軍についても家康はおまつ様を生かしておいただろう
そんな気がする 度量の大きいところを見せただろう
528人間七七四年:2011/12/02(金) 12:46:23.07 ID:EE6QWhpP
豊臣の金銀を使いまくる。
なんでこれが出来なかったのか不思議でしゃあない。

徳川に取られてた伏見の金銀も取り返しただろ。
何故使わなかったんだ・・・あれを軍資金に兵を募れば10万になるぞ。
529人間七七四年:2011/12/02(金) 19:14:11.42 ID:f+bOGwoG
そこまで融通利く人間なら、嫌われなかったんじゃね。
そこれそ徳川に「逆臣」て言われる。
530人間七七四年:2011/12/02(金) 20:09:08.21 ID:6jTRKt5k
>>528
その程度の信頼さえ豊臣はくれなかったってことじゃね?
531人間七七四年:2011/12/02(金) 22:36:52.57 ID:Q4LEaghP
おいらは福島正則を非常に高く評価してる 関ヶ原に近いところに所領を持ってたことも大きい
あいつさえなんとか出来れば・・・・ うーーーん どうすりゃ福島正則を味方にできるんだ・・・
532人間七七四年:2011/12/02(金) 22:49:39.09 ID:/gVz9QG9
石田の首を差し出せばいい
533人間七七四年:2011/12/02(金) 22:52:35.30 ID:I8+Njl8L
簡単、簡単。
秀頼の花押付書状があれば十分。
西軍に味方せよ、とただ一言。
534人間七七四年:2011/12/02(金) 23:02:43.86 ID:1oTEok+f
>>528
徳川を討つことは了承したのだろうけど、それに豊臣の金を使うのは断ったんじゃない?
つまり「お前らで勝手にやれ、ただし資金は自前持ちで」って。

535人間七七四年:2011/12/02(金) 23:07:37.19 ID:UQCAFzLF
>>533
ちん毛も生えてないようなガキの書状ごときでホイホイ動くかよ
西軍の傀儡にされてると言われたらそれでおしまい
536:2011/12/02(金) 23:24:39.08 ID:W+ljus0j
前田が暗殺疑惑かけられて助け求めても無視したからな豊臣は
ほんと先見の明が無い
これで前田を手放してしまったし
537人間七七四年:2011/12/02(金) 23:25:08.14 ID:I8+Njl8L
西軍は、『そのガキの書状ごとき』を全く発行出来なかたわけだ。
ガキの支援も得られなかったわけだし。

加えて、西軍の傀儡でなかった時のリスクを考えたら、必ず味方するね。
福島・加藤にとって、豊臣家に弓引く選択肢は有り得ない。
石田憎し、なんかとはもう別次元の話。
538人間七七四年:2011/12/02(金) 23:26:59.31 ID:EE6QWhpP
やっぱり腑に落ちないな。
この頃、豊臣を動かしていたのは五奉行だ。
淀や幼い秀頼の方が、豊臣の金銭なんざ使い方解らなかったはず。

まさか、三成らが自分達だけの力で家康なんざ余裕で勝てるぜ!
とか思っていたとも思えんしな・・・

それ以上に、伏見の金銀がどうなったか?って記述すら残ってない。
おかしくないか?
539:2011/12/02(金) 23:29:30.39 ID:W+ljus0j
前田が暗殺疑惑かけられた時に毛利・上杉と連帯して
前田を守り、反徳川ののろし上げれば残りの豊臣恩顧の大名も
豊臣方についたかも知れんのにな

淀&秀頼ってほんと才能無いよな、大阪の陣でもあっさり堀埋められちゃうしさ
関ヶ原でも知らんぷりして全然汗かかないし
能力値は政治20くらいだね、悪いけど
何をやるにも後手後手で空気が読めなさすぎ
540人間七七四年:2011/12/03(土) 00:02:07.72 ID:o9uFN/0R
>>538
五奉行が豊臣を仕切ってたのなら、上杉征伐なんか実行されないよ。
利家死後のこの時期は、家康の専横一択でしょ。
541人間七七四年:2011/12/03(土) 08:02:07.83 ID:wb3eYiXG
>>537
傀儡でなかった場合?どんな状況よ?
例え万が一兆が一秀頼自身の意思で家康討伐を思考したとしても所詮子供、直接説得でもせんかぎり周りの大人に傀儡にされてるようにしか写らん
家康が幼君を傀儡にし武力で政権を乗っ取ろうとしてる奸臣を討つって建前を掲げてしまえば豊臣に弓引くって構図にならん
542人間七七四年:2011/12/03(土) 10:06:03.02 ID:FbhxdbUs
千成瓢箪が関ヶ原に掲げられた場合。つまり、西軍本陣に豊臣家が陣を構えた場合。

要は、秀頼が幼かろうと豊臣家が西軍に味方する意思が明らかになった場合ね。
543人間七七四年:2011/12/03(土) 10:10:22.86 ID:UotFn9g1
なんか幕末の錦の御旗と勘違いしているな
544人間七七四年:2011/12/03(土) 10:21:39.82 ID:FbhxdbUs
そんな大袈裟な話ではなく。
福島・加藤は豊臣家の藩屏。豊臣家との距離は他大名とは全く違う。
例え傀儡であろうと、豊臣家が西軍につけば、当然両者は西軍につく。
545人間七七四年:2011/12/03(土) 10:57:48.51 ID:TmSjE+0N
秀頼がぁ(ρ_;)って子供を持ち出さなくても、
大阪城の人間がとっとと輝元を関ヶ原に叩き出したら済んでたんじゃね?
城から出てきてまで敵対する気は有りませんでしたなんて最後の言い逃れが使えるなんて思えないだろうから、
諦めて働くだろw
546人間七七四年:2011/12/03(土) 11:57:38.03 ID:ALs7dc4S
輝元を大阪から出して関が原に引っ張り出したとして・・・
関が原で輝元が日和見決め込みそうな気がするのは俺だけか?
547人間七七四年:2011/12/03(土) 14:52:14.90 ID:wb3eYiXG
>>544
後世の創作だろうけど大阪城を攻めて秀頼を傀儡にしてる奴を討ち取っちゃると息巻く武断派を家康が宥めたなんて逸話がある訳で
そんな簡単な話でも無いだろ
実際、一部の七手組(豊臣の旗本衆)が西軍についても気にせず戦ってるし
548人間七七四年:2011/12/03(土) 16:42:47.79 ID:o9uFN/0R
加藤や福島が豊臣家を敵にする方が簡単な話じゃないだろ?
幼君を傀儡にする逆臣を云々、なんて余程小説的だな。
549人間七七四年:2011/12/03(土) 17:33:33.61 ID:TmSjE+0N
>>546
流石に宗家の頭首が前線まで出たら、吉川も動かざるを得ないだろうし
秀元あたりは、邪魔するなら味方でも殺して動くんじゃね?

まさか、輝元が実は大阪に取られた人質でしたってなら大変なことだがw
(人質を取り返せたって一気に大阪に攻め入るとか)
550人間七七四年:2011/12/03(土) 20:46:08.42 ID:ALs7dc4S
加藤や福島を動かすのは無理だぞ。
奴等は、真っ先に家康から嫁貰って媚びた連中だからな

>>549
毛利の先鋒は吉川だろう。
その吉川が動かなくても輝元は毛利勢を戦わせるような
決断力は無いと思う。

秀元なんて、毛利本体が動いてたら
兵は預けられてないぞ?
551人間七七四年:2011/12/04(日) 03:02:53.12 ID:3h0yVXnH
確かに福島加藤の豊臣への忠誠度には疑問があるんだよなぁ…
552人間七七四年:2011/12/04(日) 03:40:15.82 ID:W6FJbzoB
へタレ輝元では城を出されても、
南宮山の南の街道あたりに陣引いて様子見だろう。
総大将が日和見(笑)
553人間七七四年:2011/12/04(日) 10:40:27.77 ID:tALdYUXW
小説なんかでは、加藤や福島の七将は三成が憎くて家康に味方したと
書いてあるのが多いが、順序が違う。

奴等の大半は秀吉が禁じた婚姻で家康から嫁貰ってる。
それを三成への嫌がらせとか無茶ぶりだろ。

奴等は三成とは関係ない所で家康に近付いている。
554人間七七四年:2011/12/04(日) 10:47:22.49 ID:tALdYUXW
西軍が勝つ必勝の策は、出兵しないで大阪まで敵を引き込む事だ。
大阪城を落とす兵力は東軍にも無いし、この時点で秀頼の住む大阪城を
攻める度胸がある連中も少ない。

敵味方の判別が付かないうちに、下手に岐阜まで出兵したのが間違いだ。
普通は裏切りの可能性がある奴を抱えて篭城はあり得ないんだが
鉄壁の大阪城で金吾程度が裏切りをする事は無理。

馬鹿な金吾でも、大阪城が10万やそこらの軍で落とせるとは考えないだろうからな。

敵味方共に大阪城が落ちると考える馬鹿はいないので、篭城側が圧倒的に有利だ。
555人間七七四年:2011/12/04(日) 11:10:00.08 ID:588fE40/
>>554
血迷ったか?

籠城してくれてるんなら、とりあえず、予定通り上杉を潰すだけだろうに。
大阪城が実は移動要塞でしたってSF的オチが無い限りなw

大阪城で籠城するくらいなら秀頼を総大将に立てるだろうし、そうすりゃ豊臣対徳川の全面戦争くらいにはなるが、
東西を二分したところで、順番に潰しにかかるだけだろ?
556人間七七四年:2011/12/04(日) 11:12:56.54 ID:9Mat8s6H
その間に九州と東北で怪しい動きが
557人間七七四年:2011/12/04(日) 11:33:11.42 ID:tALdYUXW
>>555
本当に上杉と戦ってくれるなら、それこそ望むところだろ。
上杉と遣り合ってる時に上杉に援軍で出兵すれば良いだけだ。
558人間七七四年:2011/12/04(日) 14:04:16.45 ID:VFy1r9P/
やり合ってる間にその援軍が到着する可能性が皆無
各個撃破の的にされるだけ
559人間七七四年:2011/12/04(日) 14:07:56.29 ID:588fE40/
>>557
上杉を攻めさせてからってのは、前の方に書いてたが?

というか、現実に上杉討伐軍(史実の東軍+α+最上+伊達)が襲ってきたら、
あっさり降参すんじゃね?
マンガじゃあるまいし、豊臣に味方して本気で徳川を潰す気なら、
史実の徳川が関ヶ原に反転した時、全力で追撃してるだろ。

上杉や佐竹が、大阪方が城に引きこもってるのを見たら、急に戦意が湧いて徳川と戦い出すって仕様なら別だが
560人間七七四年:2011/12/04(日) 14:12:14.97 ID:gcYCH4fk
関ヶ原の戦いは、実質どうあれ「豊臣VS徳川」じゃなくて、「豊臣の家来間での争い」でしょ。
豊臣家のOKを取って上杉討伐に行ってる家康に、豊臣の名前で宣戦できない。だから、大阪城籠城とか、秀頼出馬とか「豊臣家の積極的参戦」は難しくないか。
良く分からないのは、西軍が「東軍が大阪に進軍中」の噂を聞いて、大垣城から関ヶ原までノコノコ出たこと。
放っとけば、「攻めてきたからやむを得ず」で豊臣直轄軍、毛利本家参戦、立花宗茂とかで囲んでフルボッコ出来たのに。
561人間七七四年:2011/12/05(月) 11:42:44.79 ID:2a45rXhj
三成ら西軍だって、秀頼出馬は考えたはず。
そうすりゃ勝率はグンと上がるんだからな。
しなかったって事は出来なかったんだろう。

>良く分からないのは、西軍が「東軍が大阪に進軍中」の噂を聞いて、大垣城から関ヶ原までノコノコ出たこと。

金吾が居たからじゃないか?東軍8万が目の前に着たら
金吾の寝返りが確実になってしまうだろう。
更に、進ませれば佐和山が取られると三成が心配したんだろうさ。

とはいえ、俺もアホですか?と思わずにはいられないがね。
金吾や佐和山捨ててでも、大垣から出るべきじゃないと思うね。
562人間七七四年:2011/12/05(月) 11:47:37.39 ID:2a45rXhj
なにぶんにも、現代の俺達は事実と数少ない資料で想像するしかないが
当時は、文献に記されていない事情が沢山あったんだろう。

三成が大阪の増田に宛てた手紙が残ってるが、かなり苦労してるし
西軍の戦意も低かったようだ。

宇喜多、島津、小西くらいしか戦意が低くて戦う気が無いとか
書いてあるし・・・w
563人間七七四年:2011/12/05(月) 13:05:30.49 ID:IARwEiSN
>>561
大垣で遊兵化する
564人間七七四年:2011/12/05(月) 17:57:08.31 ID:rWbHERN6
>>562
大谷さんなんかもやる気無かったのかな
戦死したから主要メンバー扱いされちゃっただけで
565人間七七四年:2011/12/05(月) 18:15:13.38 ID:jg+zmPEj
大谷は、負けるの分かって付いて来てる。
566人間七七四年:2011/12/06(火) 09:01:58.27 ID:K4ymuWkS
>>563
金吾は城外で離れた所に居たんだぞ

>>564
大谷は戦意が高かったんじゃなくて、諦めつつも味方してたから
名前が入らなかったんじゃないか?もしくは、わざわざ名を上げる必要が
ないくらい信用されてたか。
567人間七七四年:2012/01/01(日) 12:40:45.26 ID:o12kb/0+
@家康に対して治罰綸旨を貰う(本能寺の変等の経緯から見て、京都制圧者に対して天皇は好意的態度をとる。
状況的に伏見城陥落後で有るため京都陥落と見て良い)
A大津城の陥落を待つ
B秀頼もしくは総大将毛利輝元の出陣
この3点ができれば勝てた。
568人間七七四年:2012/01/03(火) 18:44:32.67 ID:S/daD5t8
秀頼はもともと傀儡だし、このとき6歳とか7歳だったっけ?
ちょっと小学1年生ではどうにもならんところだ
やはり淀殿を言いなりにするのが定石 ちょっとエロマンガ的だけど、
やっぱ女なので三日三晩犯しまくってメロメロにするのがよかろう
女はしょせん、抱かれた男には逆らえなくなる生き物
569人間七七四年:2012/01/03(火) 22:00:44.82 ID:oifZnrDJ
秀頼が出馬しても謀反人に主君を拐かされたとしか思わんだろ
そんな簡単に従うなら戦国時代なんか起きません
ゲームじゃないんだから
570人間七七四年:2012/01/03(火) 22:08:23.11 ID:TpaqXHQn
西軍を主導できるような強力な存在が居るなら
結局そいつが徳川に代わって天下とっちまうべ
571人間七七四年:2012/01/03(火) 22:49:43.14 ID:S/daD5t8
>>570
うむ 西軍が勝ってりゃ毛利輝元が徳川家康になりかわってた可能性が高い
572人間七七四年:2012/01/04(水) 02:40:32.91 ID:SbQHFzuS
輝元は天下人の器じゃないっておじさんが言ってるけどな。
573人間七七四年:2012/01/04(水) 13:37:53.86 ID:PTmF6+AY
>>569
そもそも、@で挙げたように治罰綸旨を貰っていれば、
家康は朝敵になるわけで、西軍が謀反人となるわけではない。

>>570
現在、我々は歴史を知っているため家康が強力と言えるが、
関ヶ原当時は誰が強力かはわからないのでは?

>>571
>>572
関ヶ原で勝っても、輝元が天下を取っていたわけではない。
そもそも関ヶ原は豊臣家の内部抗争だから。


574人間七七四年:2012/01/04(水) 16:03:27.74 ID:YEVa1Tzm
>>573
秀頼を引っ張り出したところで貰えるかどうかは別だろ
朝廷が日和ったから内府違いとかで突っ走ったんだろうし

誰が強いなんて気にならないサムライwもいたかもだが、大老の中でも特に大身の大名徳川を最強最大と思わないのも不自然だろ?

まあ、西軍が勝ったところで毛利輝元主導の政権が出来ると思わない人間はいたとは思うがな。
そうじゃなきゃ、石田三成や宇喜多秀家が毛利と組んで戦争はやらないだろうし
575人間七七四年:2012/01/04(水) 16:44:29.31 ID:PTmF6+AY
>>574
秀頼引っ張り出したから貰えると言ってる訳ではなく、
伏見城を陥落させ京都を制圧したから貰えると言う趣旨で言った訳。
あくまで治罰を貰うにはは京都制圧が重要だと思う。
576人間七七四年:2012/01/12(木) 19:48:21.67 ID:IXHeid6w
剣道も柔道もサムライも文化財も韓国の文化になってしまっている。
泥棒だな。でもマスコミも民主も韓国人だから抗議しない。

もうだめなのか日本は?

http://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_720065&feature=iv&src_vid=RnnLj7ChmL8&v=sW4H2PGj6JU



577人間七七四年:2012/01/12(木) 22:02:28.43 ID:BxTejW0F
日本の文化が韓国のものになっていて欲しいと、
いちばん願っているのは嫌韓厨なんじゃないかと、
たまに思うよ。
578人間七七四年:2012/01/14(土) 00:43:10.24 ID:k9ZJO/FA
>>574
家康って内大臣だぜ。毛利、上杉は中納言。格が違いすぎる。
ちなみに関が原後は家康の官位を秀頼が次ぐカンジになってるんだよね。
579人間七七四年:2012/01/14(土) 02:19:14.99 ID:I6Lw5R/D
三成は三国志をちゃんと読めば大敗はしなかったと思う。
家康は空城の計をした強者だし小早川が魏延みたいな椰子と見抜けたはず。
あとは焦りすぎのようだった、信長が石山本能寺攻略につかった九鬼水軍で
江戸を海上から攻略して黒船騒動でもおこすとか、伏見城を攻略できるくらい
だから第二次本能寺の変とかしないと孔明レベルにかなうわけがない。
580人間七七四年:2012/01/14(土) 11:30:13.63 ID:OGQYyr3D
三成は直江と並んで読書家だから
三国志くらい読んでるだろうよ・・・
581人間七七四年:2012/01/15(日) 15:43:36.10 ID:+DWVuIU1
昔の軍記やら歴史書を読んだってそういう戦略があるああいう戦術があるってわかるだけで相手がどう動くか全部解るようになんてなれやしない
582人間七七四年:2012/01/15(日) 23:09:57.31 ID:9rtG5IJz
五大老の内、三人と元五大老の一家を味方につけた上、大阪も手中に納めていた状況と
関ヶ原の東西の布陣をみた時点で西軍の勝ちを三成は確信してたんだろうな
家康にしてみれば戦は将棋じゃねえよ、という感じで三成がとんだ甘ちゃんに思えただろうが
秀吉が敷いた東海道の防衛ラインの小大名が西軍につかなきゃ東軍の着陣が遅れて歴史は変わったかもしれんが
彼等は秀次事件とかのせいで豊臣なんかもうどうでもよかったんだろう
583人間七七四年:2012/01/16(月) 01:40:43.52 ID:gLlmBq+y
>>582
常識的に考えて東海道の大名はほぼ東軍につかざるをえない状況かと。
逆らえば織田中納言みたいになってたでしょうね
584人間七七四年:2012/01/16(月) 01:44:35.54 ID:g3TASZMM
でも家康もあんまりうまい感じしない
リスキーすぎる
585人間七七四年:2012/01/16(月) 01:52:27.34 ID:gLlmBq+y
書状のやりとりだけで連絡がうまくつくとも思えませんね。
リスキーというか西軍は赤坂を夜襲してたらどうなったんだろうか?
もし歴戦の島津が提案したのなら有効だったのでは?
586人間七七四年:2012/01/16(月) 09:03:46.08 ID:dJ7UEF30
>>585
あれは出典が「落穂集」で江戸時代より怪しいとされている
587人間七七四年:2012/01/16(月) 11:33:56.65 ID:RqhssM45
関が原で勝つ方法ってか、西軍が勝つ方法ならあるぞ
それは三成が戦場に出ないで大阪に居る事だ。
三成は味方が負けないように後方支援(兵糧やら金銀米銭)させてやればいい。

三成の才能はそうゆう所だし、逆に一戦して負けても三成が戦死しなけりゃ
軍の再起は充分可能。

588人間七七四年:2012/01/16(月) 19:12:35.64 ID:119zsxOi
↑んなこと無理だ

だいたい西軍には三成ほど勝利にかけた男は大谷か宇喜多しかいない。
しかし、宇喜多は作戦なんか立てれる器じゃないし、大谷も兵数1000未満の少数部隊なんだから
大大名達を仕切れるわけない。
589人間七七四年:2012/01/17(火) 01:21:52.07 ID:qKD5/kaS
>>584
小早川が本当に寝返る保証なんてどこにも無かったしね。
実際はかなりの綱渡りだよね。
590人間七七四年:2012/01/17(火) 02:52:44.19 ID:qujAVWA8
結果論だけど大津城や田辺城に釘付けになってた面子が少数の抑えだけ残して関ヶ原にきてれば
それで勝てたと思うよ。真面目に戦う部隊がもう1万ほど多かったら毛利も山を下ったろうし
小早川も寝返らなかっただろう。
591人間七七四年:2012/01/17(火) 06:36:27.61 ID:e2CAu4fV
立花だけでもきてればね
592人間七七四年:2012/01/17(火) 11:25:53.74 ID:6zSWpKKA
>>588
三成は参謀でいいから、むしろ戦場に出ない事は
他の武将は喜ぶね。

宇喜多は九州で総大将を勤めた経験もあるし
若いが戦は上手い。合戦現場は彼に任せればいい。
593人間七七四年:2012/01/17(火) 11:31:36.39 ID:tabJ7kaR
やっぱリーダーの差かねえ〜〜 やはり西軍は三成が中心だったから・・・
毛利輝元がもっともっと本気になってくれりゃどうなったかわからんのに・・・
594人間七七四年:2012/01/17(火) 15:51:12.13 ID:6zSWpKKA
別に家康は見事なリーダーシップを発揮したとも言えないし
手際が良かったとも言えない。

単純に250万石の強大さに、東軍諸将はへり下っただけ。
595人間七七四年:2012/01/17(火) 16:31:08.05 ID:n0leSgUs
本来だったらもっと楽勝な横綱相撲だったのを三成らによってあわや土俵際まで追いつめられたのが関ヶ原。
鳥居元忠とかすげえ美談にされてるけど実際は伏見城が落ちるとも思っていなかっただろうな。
596人間七七四年:2012/01/17(火) 17:02:35.26 ID:tabJ7kaR
>>595
そういえばそうだな 三成が挙兵するのは読めたけど毛利や宇喜多など
五大老クラスがいっしょにたつのは予想外だったようにもみえる
いや、ひょっとすると三成の挙兵すらひょっとしたら、ってレベルか
前田利長を屈服させたので調子に乗っちゃって、どいつもこいつも根性なしだと
舐めきってたのかもしれないな
597人間七七四年:2012/01/17(火) 19:36:55.83 ID:m48z+vPT
真田と上杉の参戦。
小早川を最前列に配置。
598人間七七四年:2012/01/17(火) 19:49:05.53 ID:6zSWpKKA
( ゚Д゚)ポカーン
599人間七七四年:2012/01/17(火) 20:59:20.37 ID:e2CAu4fV
三成自身ももっと兵を動員できる石高だったらな
600人間七七四年:2012/01/17(火) 21:42:38.94 ID:1hnGUb0n
20万石は相当の石高だが
601人間七七四年:2012/01/17(火) 22:19:11.90 ID:6zSWpKKA
5000じゃ足りないだろ
602人間七七四年:2012/01/17(火) 22:25:48.45 ID:1hnGUb0n
三成自身の書状には6700人とある
603人間七七四年:2012/01/17(火) 23:11:34.35 ID:ss7EPKOz
三成が小身だったから家康も安心して上杉征伐にいったんだろうけどね。
どうせお前なんかじゃなにも出来やしねえだろプギャーな感じで。
604人間七七四年:2012/01/18(水) 01:19:08.75 ID:pmy9RAWi
もし三成が挙兵しなかった場合はそのまま上杉をやるか
上杉が屈服させられたら次は宇喜多か いやもう毛利をやるか
前田利長はもうすでに屈服しちゃってるからこれでもう独裁権確保だ
あとは適当なタイミングで豊臣家から簒奪するのみ どっちみち徳川の天下だ
605人間七七四年:2012/01/18(水) 12:59:24.89 ID:t9fyYWSf
と、誰でも思ってただろうに淀さんら大阪の首脳陣はどう見てたんだろうか
606人間七七四年:2012/01/18(水) 13:15:03.81 ID:oyHrrkUm
北政所は徳川どうにかしないとマジヤバイと思ってたから三成に肩入れ。
ゆとりの淀はそんなことしなくても秀頼が大人になれば政権かえしてくれるでしょと能天気。
結果、関ヶ原終わって北政所はもうダメぽ、これは大人しく徳川に従うしかないわ。
淀は秀頼が大人になれば……ってなに約束やぶってんだあのクソジジイっ!
607人間七七四年:2012/01/19(木) 01:09:00.52 ID:H6KajOjl
淀ってそんなに馬鹿だったの?
608人間七七四年:2012/01/19(木) 07:29:24.66 ID:EPmfLRmc
というか、たとえ淀がそう考えていたとしても、豊臣全体がそれに従う必要はないわな。
609人間七七四年:2012/01/19(木) 16:09:49.25 ID:1R2cc8i8
淀がどんな人物だったかは定かじゃない
なんせ、名前だけは出てきても発言や行動は殆どの史書に残ってない
つまり空気だったんだろうな
610人間七七四年:2012/01/19(木) 16:13:30.16 ID:dJhjo1wt
いやいや まあいろんな説があるだろうけど、オイラはやっぱり秀吉は種なしとしか思えない
だってそうでしょ? あれだけやりまくって子供できないなんておかしいよ
それが茶々だけポンポンと2度も・・・ あやしすぎる
後に最後まで家康にアタマを下げなかったところを見ても、野望に身を焦がす悪い女だよ
凄まじく目立つ、突出した女性だったに違いない
611人間七七四年:2012/01/19(木) 20:53:27.81 ID:MFZemkpe
石松丸「…………」
612人間七七四年:2012/01/20(金) 04:21:58.93 ID:NepIwPp3
本当に淀が実権握ってたかわからん
613人間七七四年:2012/01/20(金) 12:51:03.64 ID:45xzVEO2
秀頼の母親という意外に能の無い淀が実権握っていたとは考え辛い。
誰かが考え(大野や片桐)て、最終判断を、お飾りの秀頼と淀が下して
豊臣運営してたんだろう。


しかし戦争になったら、この運営状況の悪さが露呈しちまったんだな。
女子供が最終決定を下すという愚かしさ・・・大阪の陣で堀を埋められなければ
あるいは?という展開は充分あったんだがねぇ。
614人間七七四年:2012/01/20(金) 16:48:42.94 ID:vtf7QjQD
大野って関ヶ原のときは東軍側だったんだよな。
関ヶ原当時は淀本人含めその周囲も家康以上に三成に不信感持ってたんじゃないの?
615人間七七四年:2012/01/20(金) 18:37:28.42 ID:zh9Fj6BF
関ヶ原前の雰囲気なんて徳川殿を信用するか毛利や島津みたいな西国、九州の大名を信用するかという感じだろう
尾張出身の多い豊臣恩顧の大名からすれば三河出身の徳川につくのは自然な流れ
三成が遂に豊臣を怪しげな西国の連中に売りやがったと思っただろうな
三成が忠臣であるように語られるようになったのは西軍が勝ったら豊臣はどうなったかというのを
あえて無視して話を書いた戦後の小説家のおかげ
実際のところ徳川についた浅野や福島と大きな違いはない
大阪城内部からもそれほど信用もされてないだろう
616人間七七四年:2012/01/20(金) 19:24:09.10 ID:UKMn4KEW
>>611
石松丸の存在を疑問視する声も多いよ
617人間七七四年:2012/01/21(土) 01:30:33.19 ID:WQrSEa9R
てか敗因は大雨のなか大垣から関が原まで移動した上、即陣地作って寝ないで戦したからだろ。
バテて当然
618人間七七四年:2012/01/21(土) 11:17:37.36 ID:QkkbqHWb
石松丸は微妙だよなぁ。
居たとしたら、その母親をもっと寵愛して二人目励んだと思う。
619人間七七四年:2012/01/23(月) 23:22:26.20 ID:OWpW5tJD
西軍が桶狭間あたりで開戦して偽敗退のふりしてかまどの数を減らして
関ヶ原の隘路の木に「家康死せんこの木の下」と書いて鉄砲の集中砲火
何の策もない西軍は負けて当然。
620人間七七四年:2012/01/24(火) 00:49:23.54 ID:97FrfyIY
毛利秀元が伊勢街道から横っ面を叩いたらどうなったかな?
毛利氏に天下をとる野心があれば、内応裏切ってでも西軍を勝利に
導きたかった所。事後三成ひねる方が楽でしょ。
621人間七七四年:2012/01/24(火) 12:30:28.89 ID:iEx2PQG8
毛利は天下を狙ってはならないと
元就の家訓があるから無理
622人間七七四年:2012/01/24(火) 19:44:26.11 ID:XWhEYVRq
家訓云々以前に関ヶ原の時の輝元の目標がどうみてもこの混乱を利用した領土拡大でしかないからなあ
623人間七七四年:2012/01/25(水) 04:18:12.27 ID:McMBG1wd
三成本陣を小早川の東隣に置く
624人間七七四年:2012/01/25(水) 09:43:56.91 ID:iG9gKRoO
元就公の家訓ってどれぐらい守られてたのかな
元就公亡き後の毛利軍CEO、小早川隆景は足利将軍を自分の国(備後)に引き入れ、
石山本願寺と結び、信長公の家来に調略をかけて切り崩して武装上洛のチャンスを
虎視眈々と狙ってた あんなもん天下取り以外のなんだったというのか
625人間七七四年:2012/01/25(水) 11:08:28.25 ID:VsfRE4AM
石山戦争の後半なんて実質、織田と毛利の戦いだったからな。
626人間七七四年:2012/01/30(月) 04:28:37.14 ID:FUD7eCIw
脇坂の位置に三成がいく
627人間七七四年:2012/01/30(月) 04:35:54.81 ID:FUD7eCIw
マジレスすると雨が止むのを待って、お天気がよくなってから大垣を出る。
で、いきがけに長曽我部や毛利を誘って仲間を増やしてでかける。
東軍が近江に入るあたりで、立花くーん、大津が済んだらこっとおーいでと
呼んで、さわやま攻略中の東軍を挟撃して西軍大勝利。
628人間七七四年:2012/01/31(火) 19:42:15.24 ID:DuYKZNe3
三成が家康に一騎打ちでの決着を要望する
余裕で勝てると思った家康は申し出を受ける
決戦場所を八丈島にして家康を先に行かせる
そのまま海上封鎖する
629人間七七四年:2012/02/05(日) 17:22:45.51 ID:pYhoxd1P
大谷配下の兵を増やす(宇喜多あたりから兵を借りる)

630人間七七四年:2012/02/07(火) 02:12:19.01 ID:esrAuvHg
いやいや もう戦力は十分あった 小早川秀秋らが裏切ったのが敗因
裏切らんかったら吉川ら別働隊が東軍の退路を塞ぎ、家康の首を
とれたかもしれない やはり豊臣家が西軍が官軍、東軍は賊軍と
はっきり態度で示せば一発KOだった 淀殿アホ
631人間七七四年:2012/03/11(日) 01:09:20.90 ID:moT6tKS9
すべて総合すると毛利が消極的すぎたのが悪い。
輝元が総大将としてきっちり仕事をして、
分家の連中をまとめてくれれば良かった。
ゆえに元就の遺言が西軍敗北の遠因。
元就の遺書を無かったことにすれば西軍が勝てる。
632人間七七四年:2012/03/11(日) 01:30:04.77 ID:cJnLZf6T
そろそろ春休みか
633人間七七四年:2012/03/12(月) 05:20:58.46 ID:OOsj/8F6
毛利がそこまで出しゃばれば、関ヶ原のあと毛利にもってかれる
634人間七七四年:2012/03/13(火) 22:33:43.99 ID:lskFXV7e
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など

【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
635人間七七四年:2012/03/14(水) 09:23:33.38 ID:hsqNNoPu
真田を参戦。伊達も旧領と会津領事前に渡せば喜んで参戦するだろ。

636人間七七四年:2012/03/14(水) 19:03:06.26 ID:eawdRIFP
やはり淀殿を三日三晩レイプしてなんでも言うことを聞くように調教すべきだった
637人間七七四年:2012/03/16(金) 23:02:58.98 ID:P4yXnCgA
>>631
むしろ毛利家は積極的に行動しているぞ
毛利家が本領安堵の約束を反故されたのも
輝元が積極的に西軍加担していたから
638人間七七四年:2012/03/16(金) 23:08:51.82 ID:YNxM2ZW/
そう輝元は西国ではいろいろ小規模な派兵をむしろいっぱいしてる
問題は、それが関ヶ原の本戦にまったく役に立たなかっただけで
639人間七七四年:2012/03/16(金) 23:27:47.40 ID:yHBMxIIQ
策士如水を九州から召還せねばなるまい
640人間七七四年:2012/03/17(土) 00:30:06.59 ID:sJyKY2MP
如水「九州のうち七カ国をくれたら、西軍になってもいいよ」
641人間七七四年:2012/03/17(土) 00:34:12.55 ID:oM6EQKzz
輝元だきゃリーダーシップねえよなあ〜〜〜
それとも吉川広家がよほどアホだったのか?
642人間七七四年:2012/03/17(土) 08:51:17.42 ID:O4Nfw4+s
総大将を秀頼にする

これくらいしか思い浮かばん
643人間七七四年:2012/03/17(土) 11:00:45.22 ID:74hlz0N3
三成排除してでも加藤らが徳川につく事態を避けるべき
644人間七七四年:2012/03/17(土) 13:53:32.47 ID:7NMUSRmO
春休みだな
645人間七七四年:2012/03/17(土) 18:31:27.96 ID:9yQlzXDq
天皇を参戦させる。
天皇を西軍総大将に据える。
西軍勝利の際には関白職なっていただく。
646人間七七四年:2012/03/18(日) 05:53:34.27 ID:CZiZnprX
錦の御旗で充分
17世紀初頭に明治維新
647人間七七四年:2012/03/18(日) 10:34:32.93 ID:dn78M9Bn
17世紀初頭に大日本帝国憲法発布
648人間七七四年:2012/03/18(日) 17:43:47.20 ID:dn78M9Bn
サチオユキオ
649人間七七四年:2012/03/19(月) 10:58:23.91 ID:Nv/IRtXB
OGギャングスター
650人間七七四年:2013/01/24(木) 08:19:59.61 ID:XKsN0Kbd
秀頼を西軍総大将にして戦場に連れてくるって言う意見があるけど、家康は秀頼の命で上杉討伐行ってるんだよな。
秀頼の討伐正規軍は東軍なのに、関ヶ原合戦だけ秀頼を西軍総大将にすえるってどう考えても無理。
淀を調略して西軍に引き込めばなんとかなったかもしれないけど彼女も決して西軍よりではない。
親族はほとんど東軍だし、腹心の大野は家康に拘束されて東軍にいる。
関ヶ原は北政所や淀などの豊臣首脳陣がそれぞれどんなスタンスなのかイマイチわからない。
651人間七七四年:2013/01/24(木) 09:33:30.19 ID:bmMSh9gQ
中立に徹している

北政所や淀殿が会津征伐で家康の出陣に反対したという史料はあるが
それで西軍に走るとは考え難い
652人間七七四年:2013/01/24(木) 12:00:28.62 ID:l1sXf/Xe
勝った方を西軍、負けた方を東軍と呼ぶ
653人間七七四年:2013/01/26(土) 13:02:34.10 ID:oWgjBIxc
家康を調略したらいいんじゃないか
654人間七七四年:2013/01/27(日) 10:33:25.72 ID:ba+OV7I/
秀頼が生まれて秀次が排除された時点でこうなる事は決まってた。
タイムマシーンでも無ければ西軍勝利は不可能。
655人間七七四年:2013/01/27(日) 18:43:37.08 ID:A0l97Ilg
上杉謙信が1人で10000万人ぶんだから 参加させる
656人間七七四年:2013/01/28(月) 08:46:36.08 ID:UbeUXxG+
簡単に言おう。毛利勢(毛利&吉川&小早川)が加わらなかったことが西軍の敗因。
勝つためには毛利を加える。まず西壁の中央である天満山の宇喜多をどかして小早川を配置する。その北には大谷、南には島津を配置して小早川の妄動ににらみを利かせる。
小早川と福島がぶつかればもう毛利吉川に申し開きはできない。全力で徳川を後方から攻撃をするだろう。
そうすると西壁と南壁が徳川を包む壮大な鶴翼の陣になる。小早川の元の場所の松尾山が中央になり全局を図れるから、石田三成は此処に布陣しなければならない。
で石田の元の笹尾山(西壁最北)も重要なので宇喜多を配置。あとの細かい軍は石田〜宇喜多の間に配置。
実戦では毛利勢は戦わないわ、うち小早川は裏切るわ、で戦力差が大差になった。

明治時代ドイツ軍講師が関ヶ原の布陣を見て西軍の勝利を予想した。東軍を聞いて驚き、西軍の裏切りでの敗けに納得したという。
657人間七七四年:2013/01/28(月) 14:34:22.25 ID:L/rGB54V
小早川家はすでに毛利家と血縁0 小早川家が西軍として戦いになっても毛利家は無関係 
そもそも関ヶ原は親子や兄弟があちこちで敵味方に分かれて戦っているケース 毛利家が小早川家の非を問われるはずがない また毛利家は吉川広家が執務官の役を担っていて、勝馬への賛同姿勢が政策の主眼 
※秀秋はもともと秀吉の養子 それを小早川家の跡継ぎにどうかと秀吉から押しされたためお家安泰のため受け入れた存在 毛利家としては血縁者を跡継ぎにしたかったと思われ(略
658人間七七四年:2013/01/28(月) 15:33:32.66 ID:NQ13//lp
こうすれば簡単なんだがこうするのが難しいという
659人間七七四年:2013/01/28(月) 21:12:51.83 ID:a2R8a4a9
そのとーりですわ
660:2013/02/08(金) 00:08:42.65 ID:42slJAnz
大阪城の蔵を開いて浪人を集め大谷吉継の軍勢を3万人にする
661人間七七四年:2013/02/12(火) 23:10:16.48 ID:uLytImWD
>>660
それだw
662人間七七四年:2013/02/12(火) 23:36:24.17 ID:MkBX/RJk
三成が上杉謙信に改名する
663人間七七四年:2013/02/13(水) 15:45:09.59 ID:GGSlwkgJ
>>656
小早川はわざわざ先にいたヤツを追い出して何も言われても動かなかったの
だから、「小早川を配置する」という時点でその考えは無理。
664人間七七四年:2013/02/18(月) 02:06:57.79 ID:v9jLLTH4
秀頼自身を出馬させる
当然毛利も全軍出る
665人間七七四年:2013/02/18(月) 10:04:11.61 ID:N8As7AkL
豊臣軍のお墨付きが家康の方だからなぁ。
秀頼は動かないでしょ。
毛利は冒険するべきだったと思う。
666人間七七四年:2013/02/18(月) 11:44:14.05 ID:CpsRY7yX
毛利は瀬戸内海掌握という足元を見てしまった
667人間七七四年:2013/02/18(月) 21:29:03.50 ID:lZPfjeF0
関ヶ原で勝つだけなら秀頼を連れ出すのも手だけどその後を考えるとなあ
秀頼様を傀儡にする毛利を討て!みたいな流れになる可能性もあるし
668人間七七四年:2013/03/11(月) 11:54:56.29 ID:zdvIinZN
関ヶ原で秀頼だせるわけないだろ
出るとしたら豊臣自ら石田潰したうえで家康呼び出して詰問、処罰
断ったら関東攻め
全部無理
669人間七七四年:2013/03/18(月) 21:28:20.58 ID:MKpCgiwI
波動砲で勝つしかない
670人間七七四年:2013/03/18(月) 22:17:25.13 ID:IpGGFlEx
真田昌幸・幸村親子が上田城で秀忠足止め後に
関ヶ原に行かないでそのまま江戸攻めに行けばいいよ
671人間七七四年:2013/03/19(火) 03:35:10.45 ID:qrbPrS4m
まあ上杉が関東になだれ込めば
関ヶ原合戦自体が
なかったんですけどね
672人間七七四年:2013/03/19(火) 21:02:49.60 ID:t+MV6AJ7
淀殿を暗殺しなければ勝てなかった
673人間七七四年:2013/03/20(水) 09:46:53.98 ID:WMJHGrMO
やっぱ面白そうなのがサプライズで秀頼登場やろな、できれば輝元同伴で

秀頼が神輿に乗って、豊臣家の家紋が関ヶ原戦場になびくと東軍も動揺するだろう。そもそも三成憎しの豊臣恩義の者も多いわけで...

そうなりゃ小早川も寝返るのは相当難しくなると思うな
関ヶ原前後の一連は三成に始まり、三成で終わったようなもの

他を言うなれば島津家を疑わず早くから戦力に加えて、重宝すべきだったね
674人間七七四年:2013/03/21(木) 19:35:38.08 ID:9GgdVqYp
秀秋が秀頼を抱いて現れて成人するまで関白やるよー!
って叫びながら西軍に加わるのが一番じゃないかな
675人間七七四年:2013/03/23(土) 13:27:56.27 ID:ozPF5K0y
実際関ヶ原で西軍に豊臣家本体の旗本部隊は出てきてるんだよな。
ここに秀頼もでてくればオセロの局面が一気にひっくり返るみたいに面白いことになったんだろうが
大坂の陣の最後まで秀頼出陣させなかった淀がいてそれをどうにかできる奴がいない以上ムリ。

意外と>>674をもっと戦略的にやればよかったかもしれん。挙兵より前に根回ししといて
秀頼成人まで金吾を関白にして政務を執る、家康は伏見城から退去って豊臣家の発令出させれば
お家大事の福島とかを抱え込んでる家康が身動きとれなくなる。
676遊び人の太田:2013/03/24(日) 12:39:27.28 ID:r8KadZ6S
於ねが西軍で采配を振るう
これだけで百パーセント勝利すると思う
677人間七七四年:2013/03/24(日) 14:27:40.44 ID:QtjX07o6
>>675
家康を政務から引き剥がすとしたら利家生存時が一番可能性があるが・・・画餅だろうな
678人間七七四年:2013/03/24(日) 15:24:21.72 ID:lV4+pC9V
今の時代ならともかく、当時7歳の子を大阪から関ヶ原の戦場にいかすのは簡単なこと
なのでしょうか、どのくらいの時間がかかるのでしょうか。
679人間七七四年:2013/03/24(日) 23:39:51.88 ID:5d1+h5/X
家康を味方に引き入れるw
680人間七七四年:2013/03/25(月) 01:51:53.98 ID:H8a8m5WL
秀秋に秀吉の馬印を渡して合戦に参加させる
681人間七七四年:2013/03/25(月) 10:30:08.73 ID:KizAoxN3
海賊になって江戸を海から襲う
682人間七七四年:2013/03/26(火) 14:24:54.19 ID:3/mPGIzj
>>678
時間はともかく、豊臣として戦うなら赤ちゃんだったとしても、関ヶ原まで押し上げるべき。
豊臣は皇室じゃないんだからw
それさえ出来ないなら口出しするべきじゃない
実際、口出ししてないけどw
石田三成対徳川家康みたいな結果になってるし
683人間七七四年:2013/03/30(土) 14:31:22.11 ID:SK+i6VVj
>>682
それは結果論であって、7歳の温室育ちの若君を連れ出し、途中で熱でもだされて
具合が悪くなったらことだし、相手もいることだし若君のペースで進軍するわけにも行くまい。
かなり難しいことだと思う。
684人間七七四年:2013/03/30(土) 19:38:38.62 ID:F9Du/qgQ
>>679
無理があるwww
685人間七七四年:2013/03/31(日) 23:38:53.19 ID:FuuSKVgP
あるいは
関ヶ原まで出ずに
大阪で籠城してもよかった
毛利水軍の補給がれば
10年でも籠城できたでしょ
686人間七七四年:2013/04/01(月) 02:28:42.47 ID:SS71m4cs
大坂に抑えを残されて西軍諸将の領地を攻めとられて野戦にうって出るか内部崩壊するどっちかになるだけな気もするが
687人間七七四年:2013/04/01(月) 06:47:31.59 ID:VWxvgmr3
>>683
>熱でも出されて
なら旗印にするなw
戦争に出れない奴に口出しさせるなw
昔は、女子供は引っ込んでろって良く言ったろ?
688人間七七四年:2013/04/01(月) 18:10:03.59 ID:w6vT3Zda
>>687
淀君に言ってくれ。
689人間七七四年:2013/04/04(木) 15:17:18.13 ID:brgXcpnq
>>688
そもそも、淀君に口出しさせる奴が悪い
(淀君が口出ししたってのも史実かどうか怪しいけど)
690人間七七四年:2013/04/05(金) 17:52:06.94 ID:j7J/rszd
秀頼を戦場に連れていくというより、淀や秀頼側近を取り込めば西軍の勝機はあったかもね。
家康を逆賊扱いすれば西軍が正規軍になる。でも実際は西軍が賊軍扱いじゃなかったか?
秀頼周辺にしろ秀秋にしろ、西軍は豊臣中枢に対しての詰めが甘すぎ。
691人間七七四年:2013/04/14(日) 13:43:32.79 ID:J5w5Db4M
ボケ老人がせっかく後継者として盤石だった秀次粛清しちゃうんだもの・・・
692人間七七四年:2013/04/15(月) 15:13:18.59 ID:czTq9EU0
まあ秀次いたら関が原にならないわけだが
693人間七七四年:2013/04/18(木) 16:45:34.38 ID:QmNEcyP0
秀次がいたら
毛利はともかく、石田は粛正の対象だろ
たとえ半国にしろ政治中枢にいて領国が近江なんて危険過ぎる
694人間七七四年:2013/04/19(金) 11:38:56.12 ID:Xzq122/a
秀吉が赤ちゃん可愛さと自信過剰のあまり道を踏み外したのが全てだな
自分が大名の力を十分に殺がないうちに死ぬのは秀頼誕生前には分かってただろうに
折角各地の大名が取り入ってた秀次をぬっコロスようではダメ
赤ちゃんに取り入るほど無駄なことないんだからさ
695人間七七四年:2013/05/23(木) 06:22:20.53 ID:CtFpKARN
大津攻めが翌日に来るから1日だけ我慢する。
ひでかね、むねしげコンビはやる気満々だから中仙道より
北上して中央に出る。関ヶ原で戦わなくても南宮山から
ひでもとを下ろして大垣入城。この場合は家康は和議か
秀忠を待つだろうが。待たれると少し厄介。

関ヶ原合戦の場合、毛利の旗を振り回して戦っている
叔父を見てたら何時までもひでもとは飯を食えない。
ひろいえも同じ。
またひであきも一門としておなじく。

大津攻めを合流させてれば裏切り、傍観は一門として
無くなるだろう。
696人間七七四年:2013/05/25(土) 09:31:34.58 ID:RccP2qQQ
秀頼を戦場に連れて行くのは無理でも総大将とする、そして毛利輝元を事実上の
総大将にして戦場に参加させれば、状況は変わったと思う。
697人間七七四年:2013/05/25(土) 20:39:58.37 ID:aqJJmnw5
>>671
たかだか3万の軍勢で関東平野になだれ込めるわけがない

後ろには伊達や最上が控えているわけだし
小山で結城秀康とぶつかってる途中で本拠地の米沢と黒川を抜かれて終了だろ
698人間七七四年:2013/05/25(土) 20:44:57.71 ID:aqJJmnw5
>>687
女子供は・・・は江戸時代以降、女大学が出てからだな

何しろ家康自体が(ry
699人間七七四年:2013/05/26(日) 00:35:06.24 ID:6SgC92sy
>>696
あの頃はまだ豊臣家と家康は蜜月とまではいかないが友好関係にあった訳で
ハイリスクを背負ってまで家康に敵対するだけの理由と利を提示しなきゃ秀頼の総大将就任はまず無理だな
700人間七七四年:2013/05/29(水) 20:34:45.28 ID:f2m6BBTu
客観的に見れば西軍は大阪を占拠し秀頼を拘束している状態。主力部隊と首脳陣が揃って大阪を離れるのは政治的に困難。
701人間七七四年:2013/05/31(金) 20:25:51.82 ID:6WhIi58X
BSNHK(英雄たちの選択)では、家康は秀頼の出陣を恐れていたといっていた。
出演者たちも家康は秀頼の出陣を気にしていたと言っていた。
702人間七七四年:2013/05/31(金) 21:05:52.84 ID:D4bfWTtJ
家康が大坂の動向気にせんようなやつなら西軍にも勝ち目あったのにねぇ
703人間七七四年:2013/06/01(土) 23:30:59.05 ID:aKSaWI3t
西軍にも感嘆には秀頼を出陣させられない事情があったのだろうし、家康も出てこないように手を打ってるわけで
704人間七七四年:2013/06/02(日) 10:36:14.31 ID:tA90sbF+
秀頼を出したら寧ろ馬鹿にされる気がする
705人間七七四年:2013/06/02(日) 19:17:48.94 ID:KJU2Ch9M
BSNHK2 英雄たちの選択では家康は@即野戦,A清洲城にて秀忠軍を待つ、
B大垣城を水責めにして、そのあいだに秀忠軍と合流。Aの場合は福島正則
らの裏切りと秀頼の出陣、Bの場合は秀頼の出陣を恐れ、@は秀忠の主力部隊
なしの戦いを危惧したという。
706人間七七四年:2013/06/02(日) 21:37:50.20 ID:8nwJ/nXi
西軍としては最初に清州までいったのが無理あったんだね。最前線の兵力が薄くなったから初戦で躓いた。
岐阜あたりで前線を要塞化し、東軍が攻めてきても盤石の備えで跳ね返すつもりであればあるいは。
707人間七七四年:2013/06/02(日) 23:52:48.15 ID:s1k5+ASu
>>705
家康が実際に危惧したかというよりも、各状況下での東軍のリスクをあげているように思える
708人間七七四年:2013/06/03(月) 10:49:55.04 ID:nPqbgsle
二万の女中に傅かれ大デブになり大坂でも最後まで城から出なかった秀頼
これが日本の主にならなくてほんとによかった
709人間七七四年:2013/06/03(月) 21:29:37.73 ID:gIRpi1YD
BSNHKでの出演者たちはなぜ秀頼が出陣しなかったかということは、まったく語ら
れなかったように思う。単純に淀殿が反対したからだとは思いたくないが。
710人間七七四年:2013/06/04(火) 01:27:21.57 ID:y5WkfwUm
>>706
>岐阜あたりで前線を要塞化し、東軍が攻めてきても盤石の備えで跳ね返すつもりであればあるいは。

俺もそう思うわ。時々、自分が現代の知識を持っていて秀吉に仕えていたとしたら・・・
的な妄想するんだケド、先鋒を大垣に篭城させ三成を岐阜城にいつでも出動出来るように居させる。
輝元の本体は佐和山に居させる。

基本戦略は抜かせない事で、1〜2度東軍を跳ね返せれば状況も好転する。
東軍は兵糧持たないし、豊臣への忠義を思い出す連中も出てくるだろう。

ただ、この作戦だとこっちが万全の体制になるが、家康の先鋒3万8000も岐阜に
到着してしまうから厳しい状況には変わりない。
711人間七七四年:2013/06/04(火) 18:03:49.90 ID:I2bI0jjI
家康暗殺成功がスタートラインなくらいにしんどいわな
712人間七七四年:2013/06/04(火) 18:48:36.68 ID:LDG0uX/2
>>710
そうなんだよな。やっぱり。我ながら岐阜防衛ラインは問題があると思ってた。
利点として言えそうなことは、清州と岐阜のラインで個別撃破されて大垣まで撤退したことが、
万全の態勢で迎え撃つことで撤退せず「やや不利」くらいで長期戦に持ちこむくらいかね。
問題は背後で不気味な小早川の動向でござるが。
713人間七七四年:2013/06/04(火) 19:33:59.84 ID:yvwHxpiJ
がっちり防衛線引けるくらい充実してるなら先に清須落としちゃえよ
714人間七七四年:2013/06/04(火) 22:32:12.17 ID:y5WkfwUm
>>712
>我ながら岐阜防衛ラインは問題があると思ってた。

問題の無い作戦なんてあり得ないし、西軍が有利な状況でないんだから
仕方ないよ。西軍は堅城を幾つも持ってるんだから、それを活用し長期戦に
持ち込むしかないと思う。

>問題は背後で不気味な小早川の動向でござるが。

島津義弘なんかは、いっそ殺そうって提案してるね。
仮にも秀吉の縁者を殺す事は出来ないしなぁ。。。

>>713
只でさえ長い防衛ラインが更に伸びるし
福島正則を引き返せないくらい敵にしてしまうからなぁ。
715人間七七四年:2013/06/06(木) 08:01:49.02 ID:XU6V51fD
上上下下左右左右BA
716人間七七四年:2013/06/08(土) 08:02:42.29 ID:5zF7Etdp
防衛戦に徹するのは、西軍敗戦を知ってる俺らからしたら当然出る策だな。
問題点は、せっかく真田昌幸が抑えてくれた秀忠の3万8000が到着して
徳川一手で6万8000の大軍になってしまう事(戦意が低い西軍には脅威)

それと、大垣や岐阜を素通りして大阪目指そうとしたらどうする?
という点もある。実際、東軍は大垣スルーして大阪へ行く素振りを見せて
西軍を城から引っ張り出し野戦に持ち込んだ。

勿論、悪い点ばかりじゃない。どの城も堅城だから3万程度の増援では
絶対に落ちないし時間も稼げる。何より速戦を望む家康は歯噛みするだろう。
717人間七七四年:2013/06/08(土) 09:21:19.80 ID:yVD8Q+YK
結果を知っているというなら、内部がばらばらの西軍は持久戦に持ち込まれると調略でズタズタになる可能性が高い点も考えるべき
718人間七七四年:2013/06/08(土) 10:03:28.98 ID:5zF7Etdp
それなんだけどね。金吾や怪しい連中を集めて
大垣を任せるってのはどうだ?寝返ったらしゃあないし
大垣だけ失っても別に構わん。

それに、篭城中って意外と寝返り大変よ?外との連絡付けづらいから。
719人間七七四年:2013/06/08(土) 10:13:50.28 ID:5zF7Etdp
ああ、それくらいだったら怪しい軍団だけで清洲攻めさせるってのも
ありかもしれん。そっちの方がいいな。
720人間七七四年:2013/06/08(土) 16:18:35.96 ID:l4AiGzEo
裏切りを警戒していたのは三成だけでなく、家康も福島正則以下の豊臣恩顧
の大名の裏切りを警戒していた。実際戦が長引いたらどちらも裏切り者が
出ていたかもしれない。1日で戦が終わったのは家康の勝ち過ぎでつまらない結果に
なったということだ。
721人間七七四年:2013/06/08(土) 17:22:19.86 ID:typbKdBW
まぁ家康はあやしい奴らが美濃攻略始めてから腰上げてるけどね
722人間七七四年:2013/06/08(土) 21:03:12.19 ID:yVD8Q+YK
裏切りならまだしも、西軍の場合は首脳陣の対立で内部崩壊の恐れもある。古今東西、同じくらいの勢力が結成した反○○連合が相手と膠着状態になると陥る現象だ。
西軍が勝つには速決するしかなかった。挙兵の一報で会津遠征軍が崩壊しなかった時点で厳しい。こうなると東軍の失策待ちになる。
723人間七七四年:2013/06/09(日) 05:04:57.96 ID:BWYFBHyq
長引いてたらどうなってたかはわからんけど、より脆いのは西軍だよなぁ
724人間七七四年:2013/06/09(日) 07:13:29.13 ID:bSDpuH2H
そうかぁ?福島正則なんか素に戻って秀頼さまぁああああああああああ
ってなる可能性あると思うな。

加藤嘉明だって、七将で三成殺ろうって話しだったのに
秀頼様のお膝元で戦は出来んっつーて、梯子から降りたし。

西軍は豊臣家からの資金や兵糧の援助がされてるが
東軍は全部自腹だぞ(徳川家は鍋島の米貰ったりしてるがw)
戦が長引いたら戦費の拡大で厭戦気分にもなるだろう。

つーか、速戦こそ家康が望む事であって、敵の嫌がる事をやってくのが戦いじゃないか。
家康の思惑に乗って一大合戦で勝負したのが最大の敗因じゃね?
725人間七七四年:2013/06/09(日) 10:12:30.05 ID:RcqRCCJT
あれ?西軍っ豊臣家から支援受けれたの?馬印や旗、秀頼の総大将化は認めなかったけど米や金は出したんだ?
726人間七七四年:2013/06/09(日) 20:09:26.49 ID:2pCRWHfh
家康は1カ月以上かけて勝負をかけれるところまで持って行っているわけだが
727人間七七四年:2013/06/10(月) 08:11:17.76 ID:0Rgz+GHq
>>725
三成が大阪に向けて、自分は持てる物ありったけ出したから
金銀米銭送って♪って書状出してる。
728人間七七四年:2013/06/10(月) 12:22:55.02 ID:7ReQWPtt
大阪城に籠るとしても
大阪城から出るとしても
秀頼の傍を離れるべきではなかった

この時代、秀頼軍=官軍
だったからね
729人間七七四年:2013/06/10(月) 22:04:59.68 ID:fLF/39Xp
秀頼は西軍にとって正当性を示す唯一無二の存在だけど、東軍にとっては人質のようなもの。戦場に連れてきてもやりにくいだけで決定的な効果はないだろう。やはり大阪で拘束して政治的なカードに使うのがベター。
730人間七七四年:2013/06/11(火) 08:10:08.33 ID:2/qJOxZq
幼い秀頼と大阪に篭城した場合、西軍は秀頼を人質に取っていると
悪評を流されるだろうな。
731人間七七四年:2013/06/12(水) 14:37:17.69 ID:1WgGVlWa
当初の作戦が西軍は大垣城で籠城持久戦(家康は野戦は得意だが城攻めは下手と言われてた)
東軍が疲労しそこを後詰めの毛利本隊と毛利別働隊による三方包囲殲滅戦
それを急遽関ヶ原での野戦に誘導された時点で駄目だろう
732人間七七四年:2013/06/12(水) 14:50:33.13 ID:1WgGVlWa
>>716
いや東軍が大垣城を無視して佐和山城、大阪城攻めはありえない。それだと
西軍に後ろをさらすことになり当時は「どんな名将でも逃げる兵と後ろからの攻めを立て直すのは不可能」と言われてた。
そもそもそんな重要情報が簡単に入ってきたこと自体おかしく故に西軍諸侯はこれは家康の罠と判断、石田も承諾したがその後二度も佐和山に戻っており内心穏やかじゃなかったらしい 佐和山城大阪城進行を止めるには関ヶ原で防衛するしかない
そこに小早川から関ヶ原で準備をしていると、、、
733人間七七四年:2013/06/12(水) 15:08:11.97 ID:MPi/DfID
大垣城の規模じゃ籠城選択は厳しいな
734人間七七四年:2013/06/12(水) 15:24:53.07 ID:1WgGVlWa
>>733 ネックになってたのが
@大垣城では大軍を賄うのが厳しい
A毛利が確実に動くか不安(実際吉川が裏切ってた)援軍の来ない籠城で勝ち目は無い
B西軍は当初から誰々が裏切るか状態で信用できる物達(石田、宇喜多、小西、大谷、佐竹、上杉)だけでやるべきと考えがあった
C三成は当初からこの戦は豊臣の威信をかけた天下の大戦。正々堂々野戦で勝負すべきと主張していた
735人間七七四年:2013/06/13(木) 07:44:53.35 ID:OM+SnY1q
>>732
司馬遼太郎の関ヶ原では、島左近が三成に佐和山なんか捨てなされ!
って言ってるな。実際、皆そう思ってただろうが、三成は佐和山まで戻ってる(;´Д`)
736人間七七四年:2013/06/13(木) 08:37:24.97 ID:jCO7y1PS
佐和山を放棄したら三成の兵力が霧散しちまうだろうが
737人間七七四年:2013/06/13(木) 12:56:48.66 ID:OM+SnY1q
霧散なんてしないっての。放棄つーても一時的によ?
どうせ、佐和山を維持する事なんて東軍には出来ないんだから。
738人間七七四年:2013/06/13(木) 16:25:22.44 ID:jCO7y1PS
一時的だろうが東軍が長期維持出来なかろうが佐和山とその周辺を失った時点で石田勢の足軽達は霧散する
自分の家族と農地の危険を放置してまで三成に従い続ける理由がないからな
739人間七七四年:2013/06/13(木) 18:11:16.75 ID:X4vAhEgs
当時は既に兵農分離していて合戦に出るのは直参の武士と臨時に士官させた浪人勢
740人間七七四年:2013/06/13(木) 18:26:13.57 ID:lV5l5HAh
それを支える後方要員は領民だね
741人間七七四年:2013/06/13(木) 18:38:19.84 ID:X4vAhEgs
戦国時代まではそうだが当時は人足を雇ってた
江戸時代の下級武士の標準禄 三十俵二人扶持の二人扶持がそう
742人間七七四年:2013/06/13(木) 18:45:23.82 ID:X4vAhEgs
戦国末期 兵農分離が進むと戦は領主同士の領地争い 領民は田畑を荒らされたり
町を焼かれたりとばっちりは被るが基本的には関わらなくなった
743人間七七四年:2013/06/13(木) 18:58:28.92 ID:OM+SnY1q
兵糧さえあれば兵は付いてくるよ?しかも石田は五奉行だし
末端の兵は食う心配しないだろ
744人間七七四年:2013/06/13(木) 19:30:44.49 ID:C+W0l0ZA
いやぁ負け臭いとこには付いていかんだろ
745人間七七四年:2013/06/13(木) 19:33:06.57 ID:lV5l5HAh
>>741
あれは戦闘補助員、兵站要員は領民
746人間七七四年:2013/06/13(木) 21:53:44.07 ID:pY6nOePZ
というか配下の兵に関わらず佐和山とられたら三成の政治生命がお終いじゃないか?
それ以前に岐阜取られた時点で士気が駄々下がりなのに美濃抜かれて近畿に入られたらもう西軍詰みじゃね?
747人間七七四年:2013/06/13(木) 22:06:29.96 ID:X4vAhEgs
>>732 にも書いてるけど大垣城無視して佐和山城攻めがありえない
東軍諸軍が野戦で殿やっても数日だろう 其の間に佐和山城落とせないと西軍に背後から襲撃される
748人間七七四年:2013/06/13(木) 22:19:19.07 ID:jCO7y1PS
東軍としては大垣に抑えを残すだろうし討って出てくるなら反転迎撃するだけじゃね?
迎撃するとなると大垣と佐和山への抑えで兵力は目減りするだろうけど
749人間七七四年:2013/06/13(木) 22:24:07.95 ID:C+W0l0ZA
三成が動けないなら気兼ねなく寝返っちゃえるな
750人間七七四年:2013/06/13(木) 23:24:32.18 ID:X4vAhEgs
その東軍殿が持たない 事実関ヶ原でも半日で東軍諸軍は壊滅寸前 西軍は総攻撃の指示を出すところだった
小早川の裏切りなければあのまま東軍は総崩れになってた
当時は集団心理が大きく攻めに勢いがあれば止まらないが一旦崩れれば雪崩式になる そもそも徳川三万数千の大軍で反転するのにもかなりの手間がかかる なにせ軍の再構成からやらないといけなくなるしな
よしんば到着した所で東軍諸軍総崩れで前線無茶苦茶 そして西軍は勢いついている
751人間七七四年:2013/06/13(木) 23:31:33.66 ID:pY6nOePZ
>>750
最近だと西軍は初めからフルボッコだったなんて話もあるそうだが
752人間七七四年:2013/06/13(木) 23:42:25.52 ID:jCO7y1PS
東軍諸軍が壊滅寸前とか何処の小説よ?
西軍は開戦から遂に東軍を初期布陣位置まで押し返せ無かったじゃん
753人間七七四年:2013/06/14(金) 00:01:30.98 ID:/12r9W+L
西軍主力の宇喜多軍が東軍諸軍主力福島軍を壊滅寸前
もう一方の主力石田、島軍 大谷軍がその他の諸軍を引きつけており
家康も後方第二陣 まで前線に出していた そもそも宇喜多軍一万七千を抑えること自体無理 東軍諸軍は平均四、五千程度 家康も豊臣恩顧大名の潰し合いを狙っての陣形だから
754人間七七四年:2013/06/14(金) 00:06:52.75 ID:/12r9W+L
それに最初は大垣城には東軍諸軍のみで布陣 家康からはまず諸軍だけで攻めろと指示出してる
この時点で福島達もそういうことかと気づいて拒否
当初から家康は東軍諸軍で西軍を倒せるとは考えてない
755人間七七四年:2013/06/14(金) 00:14:08.42 ID:iWwb3JUy
>>753
そこまで断言するからには出典を示してもらおうか
756人間七七四年:2013/06/14(金) 00:22:56.01 ID:/12r9W+L
出典出しても意味ないだろ 難癖つけるだけ
なにせお前は議論し合いたい 知識欲を満たしたいではなく、
自分の意見と違うのが気に入らないって思考になってるからな
757人間七七四年:2013/06/14(金) 00:45:32.26 ID:3HfsEELl
西軍で密かに内通してしまう輩はあの段階では止められないと思います。

ですが決戦さえ避ければ裏切る行動に踏み切らせないで済む事も可能なのではないでしょうか。大垣城周辺の西美濃の各城塞要害に勢を集めイタズラに討って出ず長期に戦局を運び、東軍と豊臣の連絡を絶ち西軍は密に連絡を取り会い情報操作をすすめる。

不信な空気を打破するのに軍事衝突を主とせず政治的な戦いにて内通者を封じ込めることこそ肝要なのじゃないかな

東北の上杉も時間があればあるだけやりやすいだろうしね
しょせん後世の後付けですがな
758人間七七四年:2013/06/14(金) 00:45:49.80 ID:emuhPiFU
>>746
西軍は関ヶ原の時点ではすでに政治的に相当劣性といっていいな。戦略的撤退はそのまま西軍崩壊になりうる
759人間七七四年:2013/06/14(金) 00:53:54.60 ID:emuhPiFU
>>757
そんなにうまくいくかな?
内通者が出るのは西軍が劣性ってことだから、展開次第で裏切りがさらに増えると思うよ。
決戦とはいわないが、何らかの形ではっきりした勝利が必要だろう
上杉に期待するかな
760人間七七四年:2013/06/14(金) 08:35:44.75 ID:gN6a0KKs
>>756
それはお前だろ?史料も出さずに相手の意見全否定してんだから
まぁ本当に東軍諸軍が壊滅寸前で西軍優位なら最前線脇の赤座達が日和見する理由が無いんですけどね
膠着状態或いは西軍劣勢だからこそ誘いにのるか迷う訳で
761人間七七四年:2013/06/14(金) 10:35:56.80 ID:/12r9W+L
小早川の裏切り疑惑は最初から 脇坂ら与力部隊はその抑えのためのものだったのよ
762人間七七四年:2013/06/14(金) 23:26:27.99 ID:s2VR2N8Z
つまりなんだな、秀信が悪いってことだな
763757です:2013/06/15(土) 00:26:42.22 ID:V2yLijcU
>>759
なるほどです。三成も規模はどうあれ内通の疑いは心配してたようだし…

それを考えると眼前の東軍に対し何らかの戦果を挙げ、内通組の迷う心を自分たちに引き寄せる必要はありますね。

そうでないと『戦意低し?』『勢況不利?』を味方に印象つかせるような形になって尚更諸将に見限られたり更なる窮地を招く事になりかねませんもんね


となると上杉頼みの膠着作戦にもってくにも緒戦で結構な打撃を与える戦果を得ねばなりませんが
問題はいかにして大開戦にせず敵にダメージを与え味方に勝利を印象付けるか… 大開戦にして決戦となれば史実通りですからなあ…
夜襲とか?
764人間七七四年:2013/06/15(土) 01:53:59.42 ID:TRE6vQ1x
夜襲をかけるなら無難に家康の美濃赤坂到着当日が関ヶ原への移動時かねぇ
感ずかれて完封された時の被害と印象が怖い
765人間七七四年:2013/06/15(土) 02:19:19.33 ID:xfwh1LHK
いや、家康着陣前の福島や黒田が着陣してすぐが良くない?
家康が来る前に、東軍をズタボロにしておく。

宇喜田が到着したらその夜に夜襲かける。
766人間七七四年:2013/06/15(土) 09:50:36.94 ID:RSoVz1t8
徳川軍が大垣城に到着時、島津義弘が「敵は遠征で疲労している味方は城で休養がとれてる
今が夜襲の好機」と進言してるが三成は「奇襲は寡兵で大軍を責める時に行うもの
大軍が大軍にやるのは兵法に反する」と却下してるしね
767人間七七四年:2013/06/15(土) 11:55:43.78 ID:V2yLijcU
>>766
ん〜三成めww
しかしそうした後の結果を踏まえてみると、やはり正の構えを以てした戦略では大局に変化を与えないのかも知れないですね

家康がしたように大胆に奇を以て当たらないと史実通りの可能性が高いのかも
768人間七七四年:2013/06/15(土) 12:10:50.14 ID:gS4mI86D
寄せ集め度の高さでは西軍に分があるし夜襲なんかしたら自滅しそうだなw
769人間七七四年:2013/06/15(土) 12:42:59.22 ID:xfwh1LHK
逆だろう、夜襲や奇襲なら寄せ集めでも行える。
770人間七七四年:2013/06/15(土) 13:14:19.00 ID:gS4mI86D
夜間やら隠密やら寄せ集め相手じゃ引率の先生心労で倒れちゃうよ
771人間七七四年:2013/06/15(土) 13:59:57.08 ID:TJTIyVbH
同じ負けるにしても、実戦経験の少ない文系三成と、戦場鬼無双な義弘のどちらの意見をとるか・・・。
家康嫌いだから、三成にかたしたいけど、結局三成の器があれだったのかなあ
772人間七七四年:2013/06/15(土) 14:55:48.01 ID:gS4mI86D
三成のお陰でアホ武将にならなくてよかったじゃん
773人間七七四年:2013/06/15(土) 15:14:39.59 ID:RSoVz1t8
三成は裏切り最有力候補の小早川秀秋を唯一信用した時点でなあ、、
西軍諸侯は粗全員疑ってたし幼い頃から兄弟同然で育ち故に秀秋の性格知ってる
義兄の宇喜多秀家は大阪での態度のおかしさ(鷹狩に誘っても仮病つかって出てこなかった)から絶対裏切ってると確信してた。だが三成は「秀秋が自分を恨んでるのは知ってるが子が親を裏切る訳がない」と

三成の敗因の一つにこの戦はあくまで豊臣家対徳川家と固執してしまった事
実際は家康を認めるか認めないか、三成を許せるか許せないかだったからなあ
774人間七七四年:2013/06/15(土) 16:13:38.24 ID:L2ppW4xe
関ヶ原は反主流派が家康の留守中に秀頼と大阪を制圧して政権を奪ったものの、家康自体には大したダメージを与えられず、家康に反転攻勢をかけられてあっさり内部崩壊して負けたという事件でしょ。
100パーセント勝利となると挙兵した時点で秀頼なり朝廷なりを使えるものは何でも使って家康を一気に追い込むしかない。
775人間七七四年:2013/06/15(土) 16:27:32.45 ID:L2ppW4xe
関ヶ原で対峙した時にはすでに押し込まれていて内部がズタズタな状況なので、逆転にはよほどうまく立ち回る必要がある。少なくとも岐阜城失陥を帳消しにするだけの戦果が欲しい。
776人間七七四年:2013/06/15(土) 16:32:34.76 ID:xfwh1LHK
よし、三成は大阪に残して更に傭兵を集めさせよう
豊臣の金を使えば集まり放題だろう。
777人間七七四年:2013/06/15(土) 19:03:22.81 ID:RSoVz1t8
これ小早川秀秋はどうやったら絶対裏切らないかの方がいい気がする
関ヶ原布陣自体変わってくるし
778人間七七四年:2013/06/15(土) 21:13:30.23 ID:TRE6vQ1x
>>776
更に寄せ集め度が高まってgbgbの烏合の衆にしかならなそうな・・・
大坂の陣の時と違って戦力として頼りなりそうな浪人が畿内にはほとんど居なさそうだし
>>777
監視をつけて宗茂、秀包と入れ替えるとか?これで絶対とは言えないけど少なくとも関ヶ原の戦いの最中に寝返られる事は避けられそう
779人間七七四年:2013/06/15(土) 22:45:48.70 ID:RSoVz1t8
当初の布陣予定が本陣松尾山に石田、正面前列 島、 蒲生 、石田軍与力に組み込まれた島津。
左翼 笹尾山 天満山に宇喜多 、小早川 、本陣右翼 小西、大谷と脇坂、赤座等与力部隊(大谷が与力部隊統括役)
しかし先に松尾山に陣取った小早川が約束を破り石田に譲ろうとせず小競り合いまで起きていた。その後西軍諸軍も到着したため仕方なく到着順にトコロテン方式で奥(左翼)に押しやられた。これで最後に到着した大谷が小早川の裏切りを確信
与力部隊で囲むように布陣 それがあの陣形
780人間七七四年:2013/06/15(土) 22:56:19.21 ID:RSoVz1t8
鶴翼の陣は最も集中攻撃うける大将軍が堅固な本陣で敵軍を惹きつけ両翼陣で包囲殲滅。しかし右翼陣 小早川、与力部隊が動かず、大将軍石田隊が左翼を担ってるためこちらにも敵が集中 鶴翼の陣が機能してなかった
781人間七七四年:2013/06/16(日) 00:08:41.14 ID:i25bP/GF
小早川を一応味方として扱うか、初めから敵として扱うかで対応が変わりそう
782人間七七四年:2013/06/17(月) 11:40:34.30 ID:2qC/soHv
>>777
金吾を裏切らせないのは不可能に近いと思う。
なんせ西軍所属で真っ先に人質まで送ってるし・・・


>>778
>大坂の陣の時と違って戦力として頼りなりそうな浪人が畿内にはほとんど居なさそうだし

やっと戦国が終わったとなので、潰れた大名や豪族の兵が沢山残っている。
むしろ大阪の陣の時の方が初陣な傭兵が沢山居た。

>>781
敵と見做すのが順当ってか間違いなくない?
敵を味方として間違ったのが関ヶ原じゃない?
783人間七七四年:2013/06/17(月) 12:03:43.53 ID:JwvYS/Sp
一番兵力持っている家康を内応させよう
784人間七七四年:2013/06/17(月) 23:27:53.43 ID:w6bSJUYn
>>21
最後にwを10個ぐらい付けろやカス
785人間七七四年:2013/06/17(月) 23:37:22.77 ID:J5CAQ4d0
小早川が「裏切らなければ」という意見が多い気がするのだが、あやつが元々東軍の場合どうするんだ?
786人間七七四年:2013/06/17(月) 23:43:43.78 ID:sJdHRlcH
>>782
戦国が終わったって言っても二度の朝鮮出兵があったからなあほとんどそっちに引っ張られてるだろ浪人達
あの時期の畿内に残ってそうなのって秀次系浪人が少し位で後は地方に居るんじゃないか?
787人間七七四年:2013/06/18(火) 01:27:44.74 ID:dXndwzsz
小早川が開戦前の時点で普通に東軍に付いてるなら、それを見て東軍へ行ってる奴が更に増えてそう
でも、とりあえず大谷がサクッと死ぬ事はなくなるか
788人間七七四年:2013/06/18(火) 10:07:12.78 ID:Uc95KvRk
>>786
織田信雄が、味方の誘いが来た西軍に兵が無い、軍資金があれば2〜3万の
兵はたちどころに集める。と言ってる。貰った軍資金をネコババしたがw
789人間七七四年:2013/06/19(水) 13:13:37.72 ID:kWCcW75f
金吾の扱いがやっぱり争点になってくるんだなぁ。
元々、西軍を勝たせる方法を考察するスレなんだから
無茶でも金吾を殺す方向で考えたらどうだろう?

小早川家にとって金吾は他人なんだから、小早川の跡継ぎは
毛利家から誰か貰うって事にすれば、毛利も小早川も喜ぶだろう。

そうゆうお膳立てを整えてから金吾を殺す。
790人間七七四年:2013/06/19(水) 19:22:04.64 ID:vis62/WD
秀秋が裏切るという確信が持てなかった。
791人間七七四年:2013/06/19(水) 23:08:10.86 ID:kWCcW75f
忍者でも雇って金吾の陣に居る徳川の目付け役を見つけるっきゃないw
792人間七七四年:2013/06/20(木) 10:34:06.08 ID:WKipzerG
>>783
家康が生き残っては戦う意味がない
秀忠、秀康を取り込んだ方が双方にメリットがあると思われ
793人間七七四年:2013/06/20(木) 14:25:46.48 ID:J2hpO8NK
三成以外に積極的に工作や勝つ軍略を立ててる人間が
居ないのってきついね。

他の奉行も工作に動いてたら、かなり違った展開になったと
思うんだけどなぁ。
794人間七七四年:2013/06/20(木) 17:07:55.00 ID:h4Df59ES
家康と直接話を付けた場合、数年後に更に数段悪い条件での決戦が濃厚になるw
795人間七七四年:2013/06/22(土) 13:31:31.89 ID:xz6obvSU
こうゆうのはどうだ?会津に東軍が向かっている時に
家康は遅参している。その時点で秀頼名義で東軍諸将に
大阪に戻ってくるように勧告する。

関東でぼーっとしていた家康を戻ってきた連中と一緒になって
フルボッコにする。
796人間七七四年:2013/06/22(土) 16:47:34.41 ID:FZfEzxiQ
秀頼名義が通用しないから東西混戦事態になっちゃってるんだろが
797人間七七四年:2013/06/24(月) 00:16:26.49 ID:4QhRMPNs
大阪城に籠城すればよかったんだよ
798人間七七四年:2013/06/24(月) 12:07:38.49 ID:tARVyPij
それもアリなんだが、大阪城にいきなり篭城する必要性を諸将に
訴えても同意を得られ無いだろうな〜

いきなり野戦すると負けるよ?って結果知ってるの後世の俺達だけだし・・・
799人間七七四年:2013/06/24(月) 12:42:33.45 ID:o3pnx+5U
三成自身が大反対じゃねw
800人間七七四年:2013/06/24(月) 13:01:49.30 ID:tARVyPij
だろうな〜 大合戦を夢見てた三成に
篭城しないと勝ち目ねーよ?って言ったら
内通者扱いされそうだなw
801人間七七四年:2013/06/24(月) 13:04:16.61 ID:yBcmhrnY
籠城は最後の手段だからね よっぽど兵力差が無ければ基本まず野戦がセオリー
大阪冬の陣でも真田幸村はまず野戦でやるべきと主張していた
802人間七七四年:2013/06/24(月) 14:15:01.51 ID:7Dzu6iVf
野戦して負けたんだから籠城が正解だろ
803人間七七四年:2013/06/24(月) 15:36:26.79 ID:sM3qubMT
何でそんなシンプルすぎる二択にw
野戦のやり方がいくらでもあるだろうに
804人間七七四年:2013/06/24(月) 16:15:43.60 ID:l1Il9s14
関ヶ原の時点で大坂に籠城したら京を押さえられて朝廷を操り豊臣討伐の勅命を出させたのでは無いか?
佐和山城で籠城するのが一番いい選択だと思う。
805人間七七四年:2013/06/24(月) 19:46:53.43 ID:Hm8YFOhq
豊臣家の筆頭大老の家康が豊臣征伐の勅命を頼むのは万に一つも無いと思う

……というか籠城したらその間は西軍の領地が切り取り放題になるんじゃね?
806人間七七四年:2013/06/24(月) 19:51:01.68 ID:7Dzu6iVf
秀頼を人質に籠城してる奴らの、を貰えばいい
807人間七七四年:2013/06/24(月) 19:52:59.28 ID:Hm8YFOhq
>>806
そっちだったら可能性は高いだろうな
808人間七七四年:2013/06/25(火) 00:36:31.57 ID:pGxE0JJ+
>>805
西軍って言うだけあって西の領地が殆どだから
大阪スルーして宇喜田や毛利の領地に攻め込めるとは思えん。

時間をかければ北は上杉が伊達・最上を破るだろう。
九州で兵力を残してるのは島津だけだから、島津無双が始まるかもしれん。
そうなったとしても、西軍としては有利な展開になるだけだ。
809人間七七四年:2013/06/25(火) 00:38:20.57 ID:pGxE0JJ+
大体、領地が切り取り放題になってしまったら
それはもはや戦国であって、誰も家康の命令も聞かずに
自侭に近隣諸国の切り取りに走るだろう。

西軍は主要人物が一箇所で篭城してるから困らない。
810人間七七四年:2013/06/25(火) 00:47:42.82 ID:1HhF4iZm
うーんよくわからん
畿内に布陣ならともかく大阪城に籠城なら多分東軍は軍団分けて中国方面を攻略すると思うぞ?
切り取り放題って言葉を使ったのがまずかった?
811人間七七四年:2013/06/25(火) 00:51:27.00 ID:ptj9gVJ4
揃って大阪城に籠もるなら放置して近所を攻めるな
誘い出せればよし、そうじゃなくても西軍内で意見が割れたり対立が起こったりする
812人間七七四年:2013/06/25(火) 03:39:32.89 ID:DiMlUXLS
まぁ余程の大馬鹿でもない限り大坂籠城なんて選択し無いだろうけどね
813人間七七四年:2013/06/25(火) 03:56:21.15 ID:pGxE0JJ+
>>810
それこそ最高の勝機じゃないか。
軍を分けてくれたら各個撃破が可能だ。
東軍は元々、兵力では西軍より少ないんだぞ?
814人間七七四年:2013/06/25(火) 19:29:28.76 ID:pGxE0JJ+
軍略を語るのも良いが、根本的に毛利を本気で戦わせないと勝ち目が無い。
これにはどうすれば良いかを考えてみないか?

具体的には吉川を攻略すれば簡単なんだろうが・・・
815人間七七四年:2013/06/25(火) 19:51:29.78 ID:vSAZWZB5
>>813
東軍が中国方面に軍を進めたって事は畿内の西軍方諸城が全て攻略済みor一段落ついてるだろうから内部分裂しててまとまった数で討って出れなそうな・・・
816人間七七四年:2013/06/25(火) 21:06:24.05 ID:1HhF4iZm
大阪城に籠城ってなら確実に近畿以東は東軍のものだと思うから兵力は東軍>西軍だと思うが……

毛利を本気にさせるには岐阜城堅守が必須だと思う
817人間七七四年:2013/06/25(火) 21:28:09.88 ID:yJjnqn3H
幾内で長期戦なら東北は上杉や佐竹が主体になって西軍色に染まりそうだわ
818人間七七四年:2013/06/25(火) 23:42:48.08 ID:DiMlUXLS
やんごとなき連中と神器も拉致って籠城せんとな
819人間七七四年:2013/06/27(木) 15:07:34.40 ID:DZHFvYYd
やはり岐阜が無難だな
820人間七七四年:2013/07/02(火) 06:59:15.04 ID:XW9cWe54
戦いが1日で決着っていうのはおかしい
決着を瞬間でとらえれば
どんな戦いだって1日で決着ついてるだろ?
821人間七七四年:2013/07/02(火) 19:56:14.29 ID:BBlp7U7z
ずるずると決着つかない戦もあるよ
822人間七七四年:2013/07/03(水) 00:40:15.80 ID:JIm3kHzJ
>>789
それ主家乗っ取りの典型なのだが・・・
823人間七七四年:2013/07/07(日) 10:55:27.80 ID:qIynkeyX
そもそも西(関ヶ原)へと向かった東軍に構わなければ良かったように思える
南宮山に陣取る毛利・吉川を無視して東軍は進みようが無い
戦場での日和見ならばともかくとして、それ以外で例えば史実の小早川が行なったような
明確な東軍への寝返りは出来ない
それを吉川広家や毛利秀元がしてしまえば、東が勝とうが西が勝とうが毛利宗家の
輝元の立場が無くなる
824人間七七四年:2013/07/07(日) 12:45:12.79 ID:dQmVcmXT
援軍も何もなしとなると南宮山に孤立する前に撤退するんじゃねかに
825人間七七四年:2013/07/07(日) 15:55:57.16 ID:ti0KeXut
撤退ならまだしも、そのまま東軍に入っちゃうんじゃね?
826人間七七四年:2013/07/07(日) 21:13:49.63 ID:g9z68NPN
吉川、秀元は難しいだろうけど長曽我部辺りはあり得そうよね東軍への合流
827人間七七四年:2013/07/08(月) 00:21:20.51 ID:nkZJxbxX
いずれにしても西軍崩壊か
828人間七七四年:2013/07/08(月) 19:09:53.20 ID:JvsZwf5n
ちくしょう、何とかして勝つ方法を見つけたいな。
829人間七七四年:2013/07/09(火) 02:26:06.88 ID:Cb5f/sDo
結局、考えるほどに「家康暗殺」に行き着くんだよなぁ
830人間七七四年:2013/07/09(火) 11:54:06.20 ID:K5kPN0EA
暗殺ボタンが有効なら家康側も連打するだろうねぇ
831人間七七四年:2013/07/09(火) 14:45:37.35 ID:c3M338nI
・・・ここでの西軍勝利ってのは、関ヶ原で家康倒せば終了、ってものでもないしな。

どの人間の立場で「勝利」ってするかは微妙だけどね。
毛利は結局「西軍どうのこうのより自家が生き残ればよし」って考えなら、
戦に負けても勝負には勝ってる。

ここは石田辺りの視点から「徳川を排除し、秀頼に政権を渡す」というのが勝利条件なら、
秀吉死亡時から考えないと勝てません。
832人間七七四年:2013/07/09(火) 15:30:06.49 ID:BlME5yoM
石田や宇喜田視点だろ。
毛利は戦ってすらいないしw
833人間七七四年:2013/07/10(水) 01:09:22.13 ID:u+30/qOl
>>831
関ヶ原で勝つことができても、前段しか実現しないのが悲しい
834人間七七四年:2013/07/10(水) 04:07:56.54 ID:xmBOt3bh
三成=運動音痴のガリ勉
福島加藤ら=偏差値30の体育会系
水と油だわ
835人間七七四年:2013/07/10(水) 10:43:46.14 ID:gUyxqL8g
まぁ関ヶ原(内乱)がおきちゃった時点で秀頼の支配力がアレってるわけだからねぇ
836人間七七四年:2013/07/10(水) 15:37:20.67 ID:ZW5fLmXX
6歳のガキに支配力とか求められても・・・(´・ω・`)
837人間七七四年:2013/07/10(水) 22:32:41.69 ID:1Rxrcim5
毛利のお家事情として1600年というのは最悪に近い
5年前ならば小早川隆景と穂井田元清が健在
この2人が存命ならば、毛利本家の軍勢は元清・秀元親子で差配出来るし、隆景は分家衆を束ねられる
5年後ならば、秀元は分家創設直後ではないので動員力に伴った家中発言力はそれなりにあるし、
二宮就辰(元就四男)も健在
838人間七七四年:2013/07/11(木) 21:51:56.80 ID:YjaqOmb9
>>831
秀吉が死ぬ前に一生懸命讒言して家康の筆頭大老就任回避くらいしか無いよね
839人間七七四年:2013/07/11(木) 23:04:48.25 ID:U63nKOdt
朝鮮に出兵してる状態で家康外しはむりぽん
840人間七七四年:2013/07/12(金) 02:10:44.64 ID:d6hxahtD
朝鮮回避でも三成「ぼくのかんがえたさいこうのとよとみせいけん」になるかどうかはちょっと疑問
841人間七七四年:2013/07/12(金) 04:57:26.91 ID:999/WAOt
関が原に輝元を出陣させるしかないな。
その結果、毛利がどう動くかは解らんが、少なくとも輝元は
吉川広家の内通は知らなかったから、普通に戦うつもりではいたわけだ。

吉川が輝元が居てもなお、毛利本隊の動きを牽制して動かないように
岩のように動かないでいたか?それは無理なような気がする。
842人間七七四年:2013/07/13(土) 12:46:09.20 ID:+lUSgVFS
家康打倒を思考しての出陣なのか?三成や秀家らに突き上げを喰らっての渋々の出陣なのか?でだいぶ展開がかわりそうな
吉川の内通は知らなかったかもしれないが家康と積極的に戦う意志があったかは疑問だなあ輝元
史実での輝元の動きを見るに家康打倒よりもこの混乱を利用しての自領拡大を優先してるようにも見えるし
843人間七七四年:2013/07/13(土) 14:44:21.22 ID:F4RVPBJC
○毛利輝元が家康との交戦を消極的にしか考えておらず自領域の拡大を中心に見据えていたというのは根拠がない
・輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
・自領域拡大が目的なら関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
・石田三成などの奉行衆と連携して積極的に反徳川闘争の決起を行った

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

以上のように毛利輝元が消極的というより単に馬鹿だったからこそ戦力分散させまくり西軍を崩壊に導いたと解釈すれば矛盾なく関が原の毛利の行動も理解できる
844人間七七四年:2013/07/13(土) 14:45:03.09 ID:B55UnmbV
首謀者は輝元
三成はオマケ
三成は美濃近江ラインの重要性を認識
毛利家は家臣がそれぞれ派閥化して方針が定まらなかったため
アホ輝元は戦略的視点に欠けていた(小早川吉川ら兄弟時代からの派閥確執が余計ひどくなっていた)
そこに家康や長政が和睦詐欺や毛利を敵だと思ってないよ嘘アピの謀略をかけてきて
輝元はとうぶん家康の西上はないわwと多方面へ兵力を分散し
肝心の美濃近江戦線を放置するアホぶり。
家康も福島らが三成包囲したわ詐欺にひっかかり
急いで西上してしまったことで
輝元は腰がひけて、家康は和睦してくれる&毛利を敵だと思ってない発言を盲信して騙される。
そもそも毛利が下手を打ったために大津城が東軍に落ちたのが致命的
毛利の無能さは神
845人間七七四年:2013/07/13(土) 17:40:10.16 ID:9aD+Gje9
つまり毛利の指示に従わなかった三成のせいで負けたと言いたいわけかね
君は
846人間七七四年:2013/07/13(土) 18:13:23.74 ID:F4RVPBJC
毛利の戦略どおりに戦ってたら大阪城までガチンコで落とされて豊臣は即効で滅ぼされてただろうな
847人間七七四年:2013/07/13(土) 18:35:07.51 ID:4mJUHYE9
毛利に戦略があったとは思えない
848人間七七四年:2013/07/13(土) 20:06:27.87 ID:9aD+Gje9
程良い所で講和して自分取り分確定させる作戦
849人間七七四年:2013/07/13(土) 20:07:43.15 ID:F4RVPBJC
○毛利輝元が家康との交戦を消極的にしか考えておらず自領域の拡大を中心に見据えていたというのは根拠がない
・輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
・自領域拡大が目的なら関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事
・石田三成などの奉行衆と連携して積極的に反徳川闘争の決起を行った

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

以上のように毛利輝元が消極的というより単に馬鹿だったからこそ戦力分散させまくり西軍を崩壊に導いたと解釈すれば矛盾なく関が原の毛利の行動も理解できる
850人間七七四年:2013/07/13(土) 20:09:01.46 ID:F4RVPBJC
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる
851人間七七四年:2013/07/13(土) 20:39:46.16 ID:aev1yBhE
戦うって軍隊ぶつけるだけじゃないんやで
852人間七七四年:2013/07/13(土) 20:58:19.87 ID:1gOeyDvm
毛利が無能なのは分かったので、その状況でも西軍が勝つ方法を考えてください
853人間七七四年:2013/07/14(日) 01:30:29.82 ID:KYYyZgJi
三成や宇喜田視点で、毛利を戦わせる。
854人間七七四年:2013/07/14(日) 09:55:16.99 ID:Nibtn0rV
そもそも、仮想徳川の兵站基地として兵糧を蓄えていた清洲城を擁している福島が明らかに
味方ではないのだから濃尾まで出張って戦をする理由は無いし、水軍勢力は圧倒的に有利
なのだから伊勢を攻略する理由も無い(むしろ取らせた方がかく乱しやすい)

始めから佐和山城を最前線としちゃえば良かったのではないか
西軍は淀川水系を利用して余裕をもっての持久が可能なのに比べ、東軍兵站は基本的には
自侭制なので放っておけば勝手に崩壊する
織豊政権下で大軍遠征の兵站を扱っていた大名はほぼ全員が西軍所属だし、徳川家には
せいぜい隣国程度までの兵站しか経験も組織もない

しかも、東軍としては幼君秀頼公を救うという名目上どうしたって西進しなくてはならないけれど、
伊勢-伊賀-大和方面は大軍の移動に不向きだし突破したところで郡山城があるし、琵琶湖北岸
回りも同じような理由で困難

佐和山城を無視して東軍は進みようがないんだけど、近江表に西軍が万単位で待機している
状況下において佐和山は落ちようが無い。粘っていれば東軍は兵站から崩壊する
855人間七七四年:2013/07/14(日) 17:53:46.01 ID:LLgtFZw0
そうだな佐和山を最前線にしておけば徳川に合わせて前田が南下してくるだろうし
大事な所での必殺技が期待できる
856人間七七四年:2013/07/14(日) 19:40:27.41 ID:KYYyZgJi
最前線は岐阜がいいだろ?すぐ近くに清洲があるしな。
敵から近い方が良い。
857人間七七四年:2013/07/14(日) 20:45:28.29 ID:69Ywvczb
秀信がいるので必然的に岐阜になるね
放棄する訳にもいかないし
858人間七七四年:2013/07/15(月) 09:18:29.16 ID:V249IxtV
>>852
毛利を必死にさせれば良い。
輝元が大阪入城中なんだから、大阪城を使って血戦を仕掛ければ良い。
前線基地が大阪城となれば、そうそう落とせるもんじゃない。
859人間七七四年:2013/07/15(月) 13:35:36.30 ID:GVWpxkP3
そうね。
毛利が西軍総大将としての旗幟を鮮明にして、
対家康戦略に集中してればいいんではないかな。
家康が大坂城を目指していたのに対して、
毛利は中国地方周辺で領国拡大に注力している。
総大将のスタンスとしてこの差は大きい。
860人間七七四年:2013/07/15(月) 15:06:12.27 ID:V2wdro4O
毛利は大和→伊賀→伊勢の東海道制圧を狙っていたんだが。
861人間七七四年:2013/07/15(月) 15:36:18.70 ID:GVWpxkP3
>大和→伊賀→伊勢
東海道?(笑
862人間七七四年:2013/07/15(月) 16:34:17.21 ID:6XMNw9TQ
>>860
東海道って、尾張や三河、更に先の駿河とかだよ・・・
863人間七七四年:2013/07/15(月) 17:26:06.81 ID:V2wdro4O
家康の伊賀越えでも有名な本来の東海道ルートである大和廻りを知らんのかよ。
美濃経由は中山道ルートだぞ。
864人間七七四年:2013/07/15(月) 22:05:35.29 ID:GVWpxkP3
アホか。
それはルートであって、東海道ではないわw
大和から発するルートは、平城京に都があった時期
まで遡るわけだが。
865人間七七四年:2013/07/17(水) 01:12:03.51 ID:EVP6TuLz
毛利と上杉に共通するのは、地方根性。
戦乱長期化を期待し、火事場泥棒を狙ったんだろうな。
中国地方周辺の拡大、飛び地解消を目標に山形にこだわった両者は、
所詮天下人にはなれない器。家康とは格が違う。
866人間七七四年:2013/07/17(水) 01:51:51.21 ID:sCChjRgj
乱世に自力で戦って敵地切り取った事がない家康を誉めても・・・
秀吉が乱世終わらせた時点で残った大名連中に骨が無さ杉。
殆どが織田に滅ぼされたか幸福組みだしな。
867人間七七四年:2013/07/17(水) 01:59:51.12 ID:ABSiJ44J
それ以前に秀吉が単に敵対者の対立を利用して得た漁夫の利の棚ボタ勢力
敵対勢力を根こそぎ潰すなんてできるわけがない(実際信雄・家康を散々押し潰すだの攻め滅ぼすだの書状で書きまくっておいて戦うと
長久手で1万人戦死、戸木・松ノ木・浜田・蟹江・二重堀・神戸・東駒野など各城郭で負けまくったんだからそんな芸当無理)
対明知戦…摂津衆、神戸信孝・丹羽・中川など離反。対柴田戦…勝豊・稲葉ら美濃衆・前田・不破・金森・信雄
そこで上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
毛利の敵対者宇喜多、南条、尼子残党、赤松、小寺、山名、別所、浦上、草刈
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友や龍造寺残党・相良・阿蘇、北条の敵対者佐竹・結城・宇都宮・那須・壬生・皆川、
信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田や水野、石川
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけで取った中身のない天下だから
一々敵対勢力潰すなんてしてたらこいつらまで敵に回して滅ぼさなくちゃいけないからそんな実力到底秀吉にはない(対毛利戦や信雄戦で証明してる)
868人間七七四年:2013/07/17(水) 02:01:33.48 ID:uwrxtQYi
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する
869人間七七四年:2013/07/17(水) 02:06:59.33 ID:EVP6TuLz
>>866
天下を取る、という一点のみにおいては、
家康を賞賛に値すると思うよ。
上杉、毛利の動きは、明らかに天下を意識していないでしょ。
870人間七七四年:2013/07/17(水) 02:07:39.82 ID:uwrxtQYi
関が原の合戦に織田に滅ぼされたか降伏してた大名なんて一つもないんだが相当馬鹿だな
毛利なんて普通に天正9年頃から美作や備前児島で宇喜多&秀吉方を撃破するなど盛り返してたし
御館の乱やそれに続く内戦や新発田の乱に乗じて火事場泥棒した上杉も9倍もの兵力比&下越にも敵対勢力いる状況で
越中中部〜魚津・松倉の短い区間で2年も織田方を立ち往生させてたし、松倉の一枝城にすぎない、ろくな備えもない魚津城でも織田方は大苦戦
森も4/2長沼攻防に破れ信濃に退却、滝川も三国峠越え合戦で上杉方カラス組み奇襲部隊に蹴散らされ敗北するなど
越中45000信濃6000上野10000下越&奥州18000とわずか上杉5000〜8000に対して周囲から攻めこみまくって蹴散らされまくってたのが織田軍
871人間七七四年:2013/07/17(水) 02:08:32.03 ID:Bg8WMMps
首謀者は輝元
三成はオマケ
三成は美濃近江ラインの重要性を認識
毛利家は家臣がそれぞれ派閥化して方針が定まらなかったため
アホ輝元は戦略的視点に欠けていた(小早川吉川ら兄弟時代からの派閥確執が余計ひどくなっていた)
そこに家康や長政が和睦詐欺や毛利を敵だと思ってないよ嘘アピの謀略をかけてきて
輝元はとうぶん家康の西上はないわwと多方面へ兵力を分散し
肝心の美濃近江戦線を放置するアホぶり。
家康も福島らが三成包囲したわ詐欺にひっかかり
急いで西上してしまったことで
輝元は腰がひけて、家康は和睦してくれる&毛利を敵だと思ってない発言を盲信して騙される。
そもそも毛利が下手を打ったために大津城が東軍に落ちたのが致命的
毛利の無能さは神
872人間七七四年:2013/07/17(水) 02:09:47.89 ID:Bg8WMMps
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する
873人間七七四年:2013/07/17(水) 02:11:51.15 ID:hinyVHxg
上杉に骨がないとか相当馬鹿だな
上杉が西軍決起しなかったら前田や浅野みたいに無理矢理いちゃもんつけられて潰される家が増えていくだけ
石田三成襲撃事件や家康の私婚問題に対する西軍方諸侯の家康の軍事力での排除と家康は好き勝手やりまくってた所に
上杉が決起した上に三成がタイミングよく決起したために西軍は畿内方面だけで18万も集まっただけ。
上杉の背後には伊達最上堀がしっかりひかえている
上杉が南下したら最上伊達堀らが会津領になだれ込んでくるだけだろ
三成はこの点も考慮にいれて三河方面へ毛利軍含めた大軍で侵攻する計画を8月上旬時点で真田や佐竹にあてて書いてる。

南下するなら当然下野で秀康ら2万と衝突するわけだから領国の総軍挙げないと無理
領国からっぽになった状態で伊達最上堀の本国襲撃受けたらひとたまりもねーだろw
とりあえず毛利輝元レベルの馬鹿なお前は戦略の基本くらい学んで出直して来い
874人間七七四年:2013/07/17(水) 02:18:47.31 ID:ABSiJ44J
上杉って役に立たない所か最上12000と伊達15000に結城秀康ら2万に堀秀治8000など敵対勢力をひきつけまくってるんだが

役に立ってないのは毛利だろ。あんだけ大規模な軍勢がありながら空白地帯に近い四国の火事場ドロすら失敗して
伊勢侵攻軍なんて編成したにもかかわらず長島に抑え置いただけでろくに攻められず兵力無駄にしただけ。

散々兵力分散させまくり三成ら奉行衆らの援軍要請も無視しまくって結局西軍は大敗するんだし
875人間七七四年:2013/07/17(水) 04:58:02.18 ID:sCChjRgj
>>874
最上に一万二千は無いだろw
24万石くらいだぞ?上杉に当てて1万で味方するとか
虚言は吐いてたが、実数6000しか動いてない。

まあ、上杉に南下しろと言うのが無理なのは同意。
伊達・最上連合軍2万が背後から侵攻してきてて、結城秀康の押さえの2万
堀秀治も7千位か?とにかく4〜5万くらいの敵を引き付けてるからなぁ。
876人間七七四年:2013/07/17(水) 05:01:09.21 ID:sCChjRgj
上杉が南下するとすれば、伊達・最上連合軍を破った後に
転進して結城秀康の2万を破って更に南下・・・って事だが。
無理じゃないが時間はかかるな。下手したら一年以上かかってしまうw
佐竹と呼応すればもっと早いだろうが、佐竹の動きは中途半端過ぎた。

どっちにしても、西軍は一戦して勝敗を決めるんじゃなくて
岐阜辺りで、もちっと粘り強い戦いした方が良かったな。結果論だが・・・
877人間七七四年:2013/07/17(水) 05:13:06.07 ID:nddGDKXD
実際に南下しなくても素振りさえ見せとけば家康の動きも鈍っただろうに
878人間七七四年:2013/07/17(水) 06:28:02.66 ID:sCChjRgj
素振りも何も、迫った伊達・最上連合軍を撃退した所で
関が原で西軍が負けちゃったんだから、見せる時間も無い。
879人間七七四年:2013/07/17(水) 06:29:04.43 ID:sCChjRgj
ちなみに伊達政宗は敗れた原因を最上のせいにしてる。
手紙で「最上勢弱くして」と二回も書いてる。
さぞ悔しかったんだろうw
880人間七七四年:2013/07/17(水) 09:30:31.86 ID:Aub0Nc5D
木曽川や長良川あたりに毛利が大兵力でへばりついて最上降伏まで様子を窺ってればな。
真田も信濃や上野では地盤あるので、時間をかければあの辺はオセロみたいにひっくり返せる可能性はある。
881人間七七四年:2013/07/17(水) 12:12:03.76 ID:ABSiJ44J
>>875
慶長5年9月29日現在長谷堂近辺。

最上軍13,000名=山形城にいる最上側近精鋭部隊(楯岡満茂等)約9,000+長谷堂約1,000+伊達政景鉄砲隊3,000

直江軍18,000名=側近(春日+水原+溝口)約7,000+蒲生旧臣約5,000+新規召抱(前田+上泉)4,000(要するに上杉2軍)

庄内軍3,000名や中山軍4,000名が未到着の段階では決して「圧倒的大軍」とは言えないと思うのだが。

ましてや地理的には最上軍圧倒的有利だし。
882人間七七四年:2013/07/17(水) 12:41:30.38 ID:jpmNxkXe
負ける側は大抵、自身の都合の良い設定で作戦を立てるな
883人間七七四年:2013/07/17(水) 13:40:20.01 ID:uwrxtQYi
三成の想定どおり早い段階で毛利勢含めて西軍主力で三河・遠江方面に侵攻かければいいだけだろ
西軍が優勢になればますます西軍方に寝返りだす部将も増えてくるだろうし
他の戦線地域に影響与えるだろうし
家康が本軍率いて駆けつけてくるまでにはまだ少し時間があるから畿内方面の18万のうちさける部隊を可能な限り結集して石田ら奉行衆の戦略どおり戦ってれば
よかっただけ。伊勢湾だの四国だの伊勢侵攻軍だの無意味な戦力分散をさせ、三河遠江侵攻どころか、美濃口が東軍に攻め込まれても
防衛要請無視してどうでもいい方面に戦力分散させまくるアホが総大将だったせいで負けただけなのが西軍
884人間七七四年:2013/07/17(水) 19:35:08.11 ID:bd4TjYu8
そもそも内部統制に問題がある西軍がそううまく動けるわけないだろ
885人間七七四年:2013/07/17(水) 19:41:32.08 ID:sCChjRgj
戦力の分散はまずかったがな。
家康が戻ってくるとは思わなかったのかもしれんが
普通に考えて、家康倒せば後は有象無象なんだから
徳川方面だけに進軍して良かったはずだ。
886人間七七四年:2013/07/17(水) 19:45:45.21 ID:nddGDKXD
上杉ゴミすぎるな
887人間七七四年:2013/07/17(水) 20:13:00.14 ID:hinyVHxg
上杉にゴミとか相当馬鹿だな
上杉が西軍決起しなかったら前田や浅野みたいに無理矢理いちゃもんつけられて潰される家が増えていくだけ
石田三成襲撃事件や家康の私婚問題に対する西軍方諸侯の家康の軍事力での排除と家康は好き勝手やりまくってた所に
上杉が決起した上に三成がタイミングよく決起したために西軍は畿内方面だけで18万も集まっただけ。
上杉の背後には伊達最上堀がしっかりひかえている
上杉が南下したら最上伊達堀らが会津領になだれ込んでくるだけだろ
三成はこの点も考慮にいれて三河方面へ毛利軍含めた大軍で侵攻する計画を8月上旬時点で真田や佐竹にあてて書いてる。

南下するなら当然下野で秀康ら2万と衝突するわけだから領国の総軍挙げないと無理
領国からっぽになった状態で伊達最上堀の本国襲撃受けたらひとたまりもねーだろw
とりあえず毛利輝元レベルの馬鹿なお前は戦略の基本くらい学んで出直して来い


上杉って役に立たない所か最上12000と伊達15000に結城秀康ら2万に堀秀治8000など敵対勢力をひきつけまくってるんだが

役に立ってないのは毛利だろ。あんだけ大規模な軍勢がありながら空白地帯に近い四国の火事場ドロすら失敗して
伊勢侵攻軍なんて編成したにもかかわらず長島に抑え置いただけでろくに攻められず兵力無駄にしただけ。

散々兵力分散させまくり三成ら奉行衆らの援軍要請も無視しまくって結局西軍は大敗するんだし
888人間七七四年:2013/07/17(水) 20:15:02.66 ID:sCChjRgj
なにこのループは
889人間七七四年:2013/07/17(水) 20:16:20.22 ID:uwrxtQYi
上杉は伊達15000最上12000結城23000堀7000と大勢力に囲まれた状況で、
破竹の勢いで最上領侵攻して風前の灯まで追い込み、伊達も寡兵で瞬殺したのに対して
毛利は規格外の大軍&家康が東に移動して畿内&西国は味方だらけで敵領国は空っぽ状態なのに
伊予攻防でも大損害出して敗戦するなどいい所なしだもんなぁ
890人間七七四年:2013/07/17(水) 20:38:36.44 ID:7YSaGdqu
関ヶ原の伊勢方面はどうなんよ
891人間七七四年:2013/07/17(水) 20:56:50.25 ID:Bg8WMMps
正則の弟の福島高晴が長島へ籠城してる中で西軍の毛利軍は鍋島隊を長島への備えに配置して攻めずに関が原へ急行してる。
関が原を無視して、長島城を落として尾張国に雪崩れ込み背後を襲う戦略をつかわなかったのは
それだけ長島城が堅固だったと言うことだろうけどそもそもなら、なんで伊勢攻略軍なんて編成したんだよって話だよな。
素直に、岐阜城を策源地に尾張に攻め込んでれば良かったじゃんwってもんで。
やっぱり毛利ってのは戦略眼がまるで無い。
892人間七七四年:2013/07/18(木) 00:09:41.97 ID:0ALAL07N
確実に負ける何もできない状況で挙兵、
上杉アホすぎる
893人間七七四年:2013/07/18(木) 01:52:05.66 ID:L9K7KQhK
そうとも言えない、上杉が挙兵すれば上方で三成が挙兵するのは
当時は常識っぽく思われてたようだ。

上杉からすれば、二通りの考え方があっただろう。
自分達が敵を引き付けて、更に伊達・最上を破り北に領土を拡張すれば
200万石を超える事が可能で、徳川との対決も可能。

もしくは、伊達・最上を破って後顧の憂いを無くしてから
南下して徳川を西軍と挟撃する事も可能。

こんな所だったんじゃね?
894人間七七四年:2013/07/18(木) 02:08:17.55 ID:vwlt1IK9
畿内で三成や毛利らが決起すれば確実に負けるどころか、負ける可能性なんて普通に考えて皆無だからな
家康が東上してて畿内方面はがら空き状態・周辺地域は西軍からみて弱小ばかりもいい所・味方は規格外の大軍。
史実であんな負け方したのは毛利の戦略がゴミすぎただけにすぎず、普通に状況でも兵力でも大局的に西軍が負ける可能性なんて皆無
895人間七七四年:2013/07/18(木) 09:47:02.94 ID:3JQ7qpC6
>>893
上杉を西軍に含めてよいのかも微妙だと思うんだが。
結局、自国拡大は、戦乱長期化を視野に入れたものとすれば
正しい行動だと思う。
ゆえに、徳川を挟撃するつもりなどなかったのでは?

毛利も同じ。徳川との短期決戦などメリットはない。
中国四国地方の領域拡大は、戦乱長期化を視野に入れたもの。
そこが決戦志向の石田との違い。
896人間七七四年:2013/07/18(木) 10:08:26.42 ID:7j2Hhmpt
いや上杉は最上を潰せば伊達は従うので、それを以って南下するという構想をもっていた。
それにほかの東北大名もかなり上杉に内通していたようなので
最上潰せば東北はほ上杉に従ってただろう。
しかし毛利は家康や長政らによる和睦詐欺に引っかかった。
897人間七七四年:2013/07/18(木) 10:26:12.38 ID:vwlt1IK9
>>毛利も同じ。徳川との短期決戦などメリットはない

家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる

一日で敗れるような会戦状況作ったのは他でもない輝元。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし 。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ
898人間七七四年:2013/07/18(木) 10:27:18.54 ID:zyEMA6/R
関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし
899人間七七四年:2013/07/18(木) 10:33:31.19 ID:gY5P1klP
総大将にもかかわらず軍分散してどうでもいい所攻めて本決戦で軍ろくに動かさず敗北する毛利が糞すぎるといってるわけで。
大体自分が総大将にもかかわらず東軍との本決戦に敗れれば自国の領域拡大も瀬戸内海の利権も糞もないわけで。
あと関が原直後には毛利の厳封が決まってるのに厳封確定になった時点で厳封する事が決まった領域を一時的に持ってた事をもって「領土は最大」などとはいわん
あと8/10石田←佐竹書状で「輝元は家康が到着したら三万を召し連れて出陣する」と書いており西軍方は家康との本決戦にあたって総大将であり最も巨大な軍団を持ってた輝元を
主力として東軍を迎撃しようと考えていたが当の輝元が再三に渡る石田ら西軍の援軍要請を無視しまくって本決戦で敗れる理由となったわけ。
尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし
900人間七七四年:2013/07/18(木) 10:49:02.83 ID:v+03O7kD
関ヶ原本戦に負ければというけど関ヶ原で戦ったのは結果論であり
別に最初から関ヶ原を目指したわけでも天下分け目の大決戦をしようとしていたわけでもない
そもそも長期戦になれば東軍の方が不利なわけだから畿内各所を制圧して防御を固めようという作戦は間違いではない
むしろ西軍の最大の泣き所は戦下手なくせに自分達が政権の支配者だと思い込んでいるアホ奉行どもだろう
朝鮮の時でも秀吉の戦略に陰で反発して自分達の立てた勝手な戦略で偽講和をやらかして大失敗を犯した
今回も輝元に陰で反発して自分達の立てた勝手な戦略で大垣城の守備を放棄して無断で関ヶ原に突っ込むという大失敗を犯した
奉行に戦略の口出しをさせたら戦には勝てないことは武断派がこれまで何度も訴えてきたこと
輝元の唯一の失敗はこういう現場からの痛切な訴えを真面目に聞かなかったことだけだろう
901人間七七四年:2013/07/18(木) 11:04:25.14 ID:vwlt1IK9
東から西に向かってくる東軍といつかは衝突するのは当然なわけで。
それは早ければ早いほど、味方は有利に多くの味方をもって戦えるし
逆に美濃戦線みればわかるが放置したり中途半端な兵力で迎え撃っても次々侵食されて
味方は寝返りや降伏などで次々減ってくのは目に見えてる。
大体美濃の秀信らを見捨てて奉行衆らの援軍要請も無視し、伊勢湾での活動を家康が西上してきた9/12時点ですらやめていないのは
馬鹿としかいいようがないし石田らの作戦通りさっさと東上して三河や遠江に早い段階で侵攻してたら史実より遥かに味方は多く有利に戦えてたのは目に見えてわけで。
逆に輝元のアホ戦略につきあってたら、次々に畿内を侵食されてもう取り返しの付かない兵力と状況にまで追い込まれてたのは間違いない。
まともな知能の人間なら、美濃で西軍に勝利した先鋒勢にさらに家康が加われば
自分らが総軍あげてかからないと到底兵力比からいっても立ち向かえないなんてわかるわけで。
902人間七七四年:2013/07/18(木) 11:47:52.55 ID:v+03O7kD
>奉行衆らの援軍要請も無視し、

よくこういう表現が使われるがそもそもこれがおかしいんだよ
毛利が奉行衆にああしろこうしろと要請するのが本来のあり方であって
奉行衆が毛利に向かって要請(という名目の事実上の命令)をしていいわけがないだろ
歴戦のベテランならばまだしも門外漢の素人が勝手に指揮・命令をしていたら軍隊が崩壊するのも当然だ
石田らの作戦通りさっさと東上しろ?その石田らに作戦を決定する権限なんかないんだよ
石田らは司令官気取りをしているだけで実際は司令官でもなんでもない大垣城守備隊員に過ぎない
あの武断派連中だって家康の要請を受けるまで岐阜攻めを待っているし
速やかに岐阜攻めを終えた後は家康の要請を受けて赤坂で到着を待っていた
これが正しい軍隊のあり方であり、それに比べたら奉行衆の行動は野生動物のように知性の欠片もない
毛利を無視して身勝手な行動を繰り返した奉行衆のせいで西軍は敗北を余儀なくされた
903人間七七四年:2013/07/18(木) 12:19:32.94 ID:vwlt1IK9
毛利の戦略どおり大阪で引きこもり美濃口の防衛無視、おまけに美濃・近江ラインの防衛も考えず
伊勢湾だの四国だの的外れな方向ばかりに戦力分散させまくってたら美濃でおきまくった離反の連鎖や味方の降伏にみられるように
次々に味方が減り、とりかえしのつかない所まで追い込まれて史実より酷い敗戦になるだけだろ
西軍の中核をなす最も巨大な軍隊かかえる毛利勢がちゃんと戦わないと、しょぼい軍勢しかない奉行らだけで勝てるわけないんだし
実際美濃の防衛も単独で行って失敗してる。
毛利輝元がちゃんと動いて戦場に赴き総大将として行動したなら、西軍の諸勢が毛利輝元の元で動かないといけないというのならわかるが肝心の輝元が大阪に引きこもり
馬鹿な方向にばかり兵を分散させる行動取ってるんだから後は奉行らでなんとかするしかない。
それでなんとかしようとしたのだが、いかんせん兵力に恵まれない奉行らは負けを余技なくされただけ。
904人間七七四年:2013/07/18(木) 12:29:12.00 ID:v+03O7kD
だから奉行らでなんとかするしかないなら本来の任務である篭城でいいんだよ
東軍に対して時間の浪費と消耗を強いるだけで大坂までの突破は難しくなる
万が一大坂まで来れたとしても最強防衛システム大坂城を攻略する余力などない
ところが奉行らは城の守備を放棄して勝手に関ヶ原に向かった結果
東軍は短期間でほぼ無傷のまま大坂まで突破できてしまった
西軍の防衛ラインを崩壊させたのは間違いなく奉行らなんだよ
兵力に恵まれないなら篭城が基本なのに野戦決戦する馬鹿は歴史上でも豊臣奉行だけだろ
905人間七七四年:2013/07/18(木) 12:39:50.07 ID:vwlt1IK9
美濃口では諸将らは篭城して、奉行衆もこれを援護する形で後詰援軍を出したが、結局離反・降伏などがあいつぎ、
また数も足りず見事に敗北して切り取られている
篭城なんてしてたら安定的とはいい難い味方陣営が次々離反したり降伏したり東軍に寝返りだしたりで味方が削られてくだけ。
西軍が畿内で味方を大きく増やせたのは、家康不在で畿内がからっぽ状態だった恩恵が大きく当然徳川方が戻ってきて戦線膠着になれば
東軍につく諸勢は増えてくるわけで。大阪に到着するまでで規格外の兵力差が生じてしまったら、いかに堅城といえど全く機能しないし、
降伏は目に見えてる(実際史実ではあっさり降伏した)関が原は迎撃・布陣とも圧倒的に西軍有利の態勢で、小早川の寝返りと毛利のヘタレ日和見
さえなければ100%勝てる状況での会戦。防衛ラインとしては、ここほど優れた所はない。勿論尾濃国境地帯で防衛ができれば
それが理想的だったが、毛利が馬鹿すぎて、援軍を全く出さないどころか伊勢湾や四国などどうでもいい所での行動を続けていたため、あっさり崩壊した。
906人間七七四年:2013/07/18(木) 13:42:38.99 ID:3JQ7qpC6
まぁ、普通は野戦決戦なんて考えないだろうな。
まさに石田が戦犯。

毛利・小早川の動きを把握していたからこそ、
家康は袋の鼠のような死地に展開し、会戦に臨んだわけで。
両川が機能すれば西軍の勝利は絶対だった、という話はナンセンス。
907人間七七四年:2013/07/18(木) 14:13:07.14 ID:7j2Hhmpt
東軍が関が原通過を放置してひたすら大垣で篭城とかアホか。
大垣は重包囲され
毛利隊が武断派と徳川本隊にフルボッコされて、
秀忠隊が大垣を落として終了じゃんw
908人間七七四年:2013/07/18(木) 15:24:06.03 ID:3JQ7qpC6
大垣城の駐屯していた西軍主力は約3万。
一般的に篭城戦であれば、攻城側は3倍の兵力を要するわけで、
そもそも大垣城の篭城戦は成立しない。
要は、関ヶ原で決戦しなければいい、という話。
兵站を考えれば、東軍が畿内奥深くに入るのは限界があるし、
佐和山城あたりを本当に攻撃するなら、時間・物資を消費してくれるので
なお良い。
909人間七七四年:2013/07/18(木) 16:35:02.05 ID:v+03O7kD
そもそも石田がでしゃばったせいで武断派をはじめ多くの大名が石田の謀反と判断した
徳川に残された唯一の武器である石田謀反説に自ら正当性を与えてしまったのだから
身勝手な野戦決戦も万死に値するが、それ以前の身の程知らずな大将気取りを始めた時点で
100%勝てたはずの西軍の戦略を崩壊させていた
石田のせいで西軍が負けたことに疑いの余地はない
910人間七七四年:2013/07/18(木) 17:41:48.61 ID:gY5P1klP
東軍には三成憎しの武功派と家康が外交や婚姻で懐柔した伊達・蜂須賀などが付いたのに対して
西軍には上杉・毛利・宇喜多や5奉行のほかの連中・さらに畿内・西国の諸将が多く付いている
三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いたという事は諸侯は内心では家康のやり方は無茶苦茶で豊臣政権をあからさまに犯すやり方をしてると考えた証拠だろう
実際三成は蔚山城攻防での論考交渉の際や島津家倉入り地加増問題など
一貫して豊臣の倉入り地の維持・諸大名の倉入り地や石高増加反対や家康と諸大名との会合を糾問したりと
豊臣家のために動いているのに対し家康は五大老の許可なく私婚で諸大名取り込んだり島津の倉いり地問題や庄内の乱の協力などで積極的に
諸大名を取り込み豊臣家のためなどではなく自勢力拡大・専横を行っているのは明らかで
その証拠に三成襲撃事件後三成が失脚し、家康は「天下殿」という世評を受け、
その後に暗殺計画の企て摘発により前田利長・浅野・細川を屈服させ相当な権力を確立したと思われた後ですら
これだけ多くの味方が三成には付いている
むしろ東軍についた諸大名の方が三成憎しの個人的感情やらで凝り固まっているにすぎずまとまっていたとする根拠がない
西軍の敗因はあくまで毛利家の美濃口への援軍要請無視・優先順位低く要害の構えられた伊勢方面軍編成による戦力分散
・毛利一族が総大将にかかわらず不戦・毛利輝元出陣なし・小早川の離反と
毛利のあまりのヘタレぶりで負けただけにすぎない
911人間七七四年:2013/07/18(木) 17:43:55.57 ID:gY5P1klP
大義名分なんて家康側にははなからなさすぎる
禁止された私婚をどうどうと執り行うどころかそれに対する大老連署での詰問に対し軍事力行使で奉行衆を逆に謝らせ
この後前田利家など大老、奉行衆と家康との確執はぬきがたくなり細川忠興はそれを仲介する
家康の暗殺計画が奉行衆らによって企てられ家康は向島に城を移す
利家が死亡し、今度は武功派7将によって三成襲撃計画が起こり、家康は公儀にのっとり武力行使をやめさせる
石田三成襲撃事件本質が蔚山篭城戦をめぐるものであるとわかる(3/19 5大老連署状)
この問題の解決により家康は「天下殿」という世評を受ける(多聞院日記)
そのような中9月に大阪へ家康が赴いた際、暗殺計画があることを増田より告げられる。前田・浅野・大野らが首謀
この一件より家康は伏見より大阪西の丸へ移り天守閣を築造して、自らが秀頼と並び立つ立場であると天下に誇示する
家康は先の暗殺計画の謀議者の摘発に乗り出し土方・大野を配流処分とし
浅野は奉行職を解任し国許へ蟄居とする
また加賀前田家や細川忠興にも追求の手を伸ばし利長の挙兵反乱の疑いを詰問し
10/3西の丸に諸将を収集し北陸討伐令を出す。細川は家康へ恭順の意を示し家康に誓詞を出しさらにその三男忠利を江戸に送り人質とする
前田は弁明するが母芳春院を江戸に送る事を求められる
このように家康は自分のやる事は詰問されても自力で排除し奉行衆を屈服させようとし
他者の行いは徹底的に詰問して敵対勢力を一つ一つ潰すやり方で無理矢理豊臣家を崩壊させた張本人
豊臣が滅ばないためには家康に大封与えない事が一番
秀吉に恭順した時点でもってた三河遠州駿河信濃佐久諏訪伊那と甲斐の100万石程度にとどめるか
信濃3郡と甲斐を無理矢理没収するのが一番手っ取り早い解決方法
島津など他大名にも接触しまくり恩を売りまくり
はっきりいって徳川方には大儀名分も糞もあったものじゃなく
無理やり無茶苦茶なやり方で豊臣家を崩壊させたにすぎん
912人間七七四年:2013/07/18(木) 17:44:15.69 ID:0ALAL07N
つまり三成が諸大名の大事なところに見限られていた
というのが敗因なわけですね
913人間七七四年:2013/07/18(木) 17:46:08.79 ID:DL0UY4/0
美濃口では諸将らは篭城して、奉行衆もこれを援護する形で後詰援軍を出したが、結局離反・降伏などがあいつぎ、
また数も足りず見事に敗北して切り取られている
篭城なんてしてたら安定的とはいい難い味方陣営が次々離反したり降伏したり東軍に寝返りだしたりで味方が削られてくだけ。
西軍が畿内で味方を大きく増やせたのは、家康不在で畿内がからっぽ状態だった恩恵が大きく当然徳川方が戻ってきて戦線膠着になれば
東軍につく諸勢は増えてくるわけで。大阪に到着するまでで規格外の兵力差が生じてしまったら、いかに堅城といえど全く機能しないし、
降伏は目に見えてる(実際史実ではあっさり降伏した)関が原は迎撃・布陣とも圧倒的に西軍有利の態勢で、小早川の寝返りと毛利のヘタレ日和見
さえなければ100%勝てる状況での会戦。防衛ラインとしては、ここほど優れた所はない。勿論尾濃国境地帯で防衛ができれば
それが理想的だったが、毛利が馬鹿すぎて、援軍を全く出さないどころか伊勢湾や四国などどうでもいい所での行動を続けていたため、あっさり崩壊した。
914人間七七四年:2013/07/18(木) 19:48:48.00 ID:3JQ7qpC6
西軍有利に展開するという事は、イコール戦乱の長期化を指す。
なぜなら、家康は毛利のように頭を下げないから。
西軍挙兵の目的が逆賊家康の誅討である以上、これはない。
秀吉にすら抗った家康は、当時より大身でもある。

長期化するならば、毛利・上杉が自国拡大に努めるのも当然。
彼等が心底、忠や義によって、豊臣家のために徳川を討つ、
というのなら話は別だが(笑
915人間七七四年:2013/07/18(木) 20:06:30.94 ID:v+03O7kD
>むしろ東軍についた諸大名の方が三成憎しの個人的感情やらで凝り固まっているにすぎずまとまっていたとする根拠がない

三成憎しだけで固まっていた諸大名に対してわざわざ関ヶ原に行って
俺はここだぞと真正面に突っ立って挑発していたわけだからな
ここまでの馬鹿など日本史上どころか世界史上でもいないんじゃないか?
吉川や小早川に限らず三成の意味不明な行動に西軍の多くは理解不能に陥った
三成が無用に目立とうとしたせいで西軍は敗北に追い込まれたことに疑いの余地はない
916人間七七四年:2013/07/18(木) 20:47:17.88 ID:apbjhWbk
目立とうじゃ無く三成はあくまでこの戦は豊臣対徳川と考えていて
当初から正々堂々野戦で勝負すべしだったから 。朝鮮の役でも軍監だったが多くの将を卑怯な戦いをしたとゆう理由で讒言。三成はそれで豊臣の名が傷つくのが許せなかった。 武闘派連中や小早川との確執もこの辺からきてる
917人間七七四年:2013/07/18(木) 20:50:49.42 ID:3JQ7qpC6
そもそも三成憎しで東軍に味方した根拠がないんだけどね。
福島なんか三成と衝突した史実ないでしょ。
918人間七七四年:2013/07/18(木) 21:06:56.61 ID:apbjhWbk
三成と豊臣恩顧の武闘派衆との確執は朝鮮の役を調べるのがお勧め
書籍はもう捨てちゃったから詳しくは覚えてないけど まあ踊る大捜査線のあの有名セリフそのままの状況て感じだったな
919人間七七四年:2013/07/18(木) 22:09:47.68 ID:B0W2upRp
勝手なイメージだが石田と毛利・上杉の腹積もりはこういう感じだと思う

当初は
石田→多数派工作で家康を政権から排除
毛利・上杉→どさくさにまれて領土拡大

家康が無傷で帰ってくると
石田→決戦して家康を倒すしかない
毛利・上杉→戦いをできる限り長引かせて、適当なところで和平
920人間七七四年:2013/07/18(木) 22:41:19.27 ID:DL0UY4/0
○毛利輝元が家康打倒を考えておらず自領域の拡大のみを見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する
921人間七七四年:2013/07/18(木) 22:43:32.53 ID:edVpho/P
上杉なんか石田と呼応して兵をあげてるが、まず誰も味方いない状態・四方を敵に囲まれた状況で
挙兵してるし毛利も主体的に西軍決起を行い、西軍総大将にまでなってるのにどさくさまぎれの領土拡大とか馬鹿かと
922人間七七四年:2013/07/18(木) 22:46:10.23 ID:vwlt1IK9
首謀者は輝元
三成はオマケ
三成は美濃近江ラインの重要性を認識
毛利家は家臣がそれぞれ派閥化して方針が定まらなかったため
アホ輝元は戦略的視点に欠けていた(小早川吉川ら兄弟時代からの派閥確執が余計ひどくなっていた)
そこに家康や長政が和睦詐欺や毛利を敵だと思ってないよ嘘アピの謀略をかけてきて
輝元はとうぶん家康の西上はないわwと多方面へ兵力を分散し
肝心の美濃近江戦線を放置するアホぶり。
家康も福島らが三成包囲したわ詐欺にひっかかり
急いで西上してしまったことで
輝元は腰がひけて、家康は和睦してくれる&毛利を敵だと思ってない発言を盲信して騙される。
そもそも毛利が下手を打ったために大津城が東軍に落ちたのが致命的
毛利の無能さは神
923人間七七四年:2013/07/18(木) 23:06:56.69 ID:DL0UY4/0
なんにせ西軍が徳川方といずれ衝突するんだから、その時期は早ければ早いほど味方が多く有利な状況で戦えるわけで。
石田の構想通り先手を討って三河遠州方面に総兵力で侵攻して決戦に及ぶか、それができなくても迎撃に適した尾濃ラインで兵力を集中させて決戦
すれば史実よりも遥かに優位な状況で戦えたのが西軍
史実では毛利が美濃口の防衛を無視しまくって伊勢湾・四国などどうでもいい方面に兵力分散させまくったせいで
次々に美濃の諸将は降伏・寝返りで味方が減り、関が原本戦でも毛利がクズすぎたせいで大敗しただけ。
基本的に政情が不安定な時は、先手を討って相手方領地に踏み込んで侵攻すれば、次々に降伏や寝返りで味方が増え、
逆に侵攻された側は放置すればするほど味方は次々潰され減ってくだけだから、決戦するなら早ければ早いほど西軍にとって有利。
現に家康不在の畿内方面では味方が大きく集まり18万にも膨れ上がったが、家康が戻ってきたり、美濃口が激しく攻め立てられると
寝返り・降伏があいついだしな
924人間七七四年:2013/07/18(木) 23:10:00.98 ID:3JQ7qpC6
毛利・上杉も、徳川と同じで豊臣家に対する立ち位置は外様。
東西陣営が別なだけで、豊臣家に忠義を尽くす理由はない。
むしろ、戦乱による火事場泥棒は3人とも共通。
徳川は全国規模、毛利・上杉は地方規模の違い。
925人間七七四年:2013/07/18(木) 23:11:36.26 ID:vwlt1IK9
○毛利輝元が火事場泥棒を中心に見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな
926人間七七四年:2013/07/18(木) 23:12:49.50 ID:DL0UY4/0
関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし

>>毛利が家康との直接対決で全力出す必要は全くない。
家康との直接対決で西軍方の一部隊が敗れたらもう手遅れで降伏するしかなくなるのが毛利
事実そうなったし自国の領土拡大どうこういうなら総大将としての地位を最大限生かして東軍との主力決戦で勝利し
大将としての権力を確立していけばいいだけ。
長期化するシナリオでも最低限福島やら池田やら東軍方諸侯は確実に美濃口で立ち往生させないとどんどん味方が減るだけだし
さっさと石田ら西軍諸侯の要請通り美濃に大軍送ってりゃよかっただけ

西軍総大将で最も規格外の大軍持ってるにもかかわらず目的が火事場泥棒で
軍分散させまくったあげく東軍の尾張口の進軍にも対応せず石田らからの要請無視して
大敗し大厳封くらうんだから相当馬鹿だな
伊達最上堀らに囲まれてた上杉と違って毛利は兵力的にも状況的にも十分すぎるほど東軍ぶち破るチャンスがあったのに
むざむざ無駄にして何もしないまま大厳封
西軍総大将として存在しながら本決戦に負けたら勢力拡大も火事場泥棒も糞もないのにクズすぎる
927人間七七四年:2013/07/18(木) 23:15:41.04 ID:gY5P1klP
上杉なんか石田と呼応して兵をあげてるが、まず誰も味方いない状態・四方を敵に囲まれた状況で
挙兵してるし家康がたまたま東に向かったから助かったが、それでも四方を堀7000最上12000伊達15000結城20000と囲まれてるし
火事場泥棒できる状況とは程遠いので、普通に火事場ドロが挙兵目的なんて馬鹿げた発想だとわかるはず。

毛利も主体的に西軍決起を行い、西軍総大将にまでなってるのにどさくさまぎれの領土拡大とか馬鹿かと
928人間七七四年:2013/07/18(木) 23:42:59.38 ID:3JQ7qpC6
実際に、上杉・毛利は本戦とは無縁の本国周辺で、
能動的に侵攻を行っている。
これが防衛であれば、確かに火事場泥棒ではない。
長期戦になればなるほど、これらの占領地域は実効支配地域と化す。
929人間七七四年:2013/07/18(木) 23:48:07.15 ID:vwlt1IK9
上杉が本戦と無縁の本国周辺で侵攻行うことになったのは、ただ単に周辺国を敵国で囲まれており徳川方は西へ行ったために、
単に西軍である上杉が敵対勢力の最上と交戦しただけで、別に本来の目的が火事場ドロだったわけではない
毛利の場合は主体的に総大将として決起を行ってるし、総大将なので家康との衝突は不可避なので全くいいわけにならない
西軍総大将でありながら東軍総大将である家康と戦わず自領域拡大などありえないし
家康を叩き潰せば最大限に領域は広がり、逆に負ければ全てを失う事になるから、なんにせ家康討伐が第一目的なのはアホでもわかるわけで。
930人間七七四年:2013/07/18(木) 23:55:34.93 ID:3JQ7qpC6
>家康を叩き潰せば最大限に領域は広がり、逆に負ければ全てを失う事になるから、なんにせ家康討伐が第一目的なのはアホでもわかるわけで。

それはゲームの発想だよ(笑
大国間のパワーバランス、落としどころってのは存在するんだよ。
実際、負けた上杉・毛利は全てを失っていないでしょ。

上杉は、最上(山形)を破れば、庄内の飛び地が解消されるし、
では、毛利は何のために、四国に侵攻・占領したの?
アホだからなの?(笑
931人間七七四年:2013/07/19(金) 00:01:31.90 ID:CckW7E+a
>>930
領土を着実に!!って方がゲームっぽいだろ?
実際、家康は西軍首脳の三成・宇喜田をやって決着を付けてる。
毛利の四国侵攻はちと戦略的にお粗末だったと俺も思うな。
上杉の場合は孤軍だし、伊達・最上との戦に全力注ぐのは当然だがね。
932人間七七四年:2013/07/19(金) 00:04:48.47 ID:/vWz+kuT
>>930
いやそんなものはない。実際上杉も毛利も改易されてもおかしくない状況だったし
毛利なんて吉川が土下座して身代わり改易されて助かっただけだし勝てば負けた方はいくらでも好きにできるけど
負ければどんな扱いされてもおかしくないし、実際西軍で家康に厳封・改易された諸大名は総石高で数百万石に及ぶ
逆に徳川に勝てば自国の領域は最大限に広がるし毛利は特に総大将なので、勝ったときアドバンテージと負けた時の家の存亡の危険の天秤くらいは
普通の頭ならわかる。
毛利が馬鹿なのは以下のように実績があるので、単に馬鹿だから四国だの伊勢湾だの兵分散させまくって美濃口の防衛も無視して大阪に引きこもりだっただけ。

・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

正則の弟の福島高晴が長島へ籠城してる中で西軍の毛利軍は鍋島隊を長島への備えに配置して攻めずに関が原へ急行してる。
関が原を無視して、長島城を落として尾張国に雪崩れ込み背後を襲う戦略をつかわなかったのは
それだけ長島城が堅固だったと言うことだろうけどそもそもなら、なんで伊勢攻略軍なんて編成したんだよって話だよな。
素直に、岐阜城を策源地に尾張に攻め込んでれば良かったじゃんwってもんで。
やっぱり毛利ってのは戦略眼がまるで無い。
933人間七七四年:2013/07/19(金) 00:07:57.44 ID:pWiUSk2F
上杉・毛利の両家は、地方領主の域を出ないんだよ。
繰り返すが、上杉は庄内の飛び地解消が目的。
毛利の四国侵攻は、瀬戸内海易の確保が目的。
つまり家康打倒は、西軍の主目的であり
本来外様である両家にはどうでもいい目的。自分の利益が一番大事。
934人間七七四年:2013/07/19(金) 00:14:26.87 ID:/vWz+kuT
○毛利輝元が火事場泥棒を中心に見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな

関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし
935人間七七四年:2013/07/19(金) 00:23:15.17 ID:pWiUSk2F
東軍の主目的だって、大坂城(秀頼)奪還と石田誅討だけど、
家康の目的は、当然豊臣政権の専横でしょ。

全ての大名を、強制的に東西二極化したい気持ちはわからんでもないよ。
そうすることで、敗因を毛利に押しつけ、西軍勝利のIFを妄想したいんでしょ?(笑
でもね、頭数だけ多様な駆け引きがあるのは当然の話だよ。
936人間七七四年:2013/07/19(金) 00:27:05.18 ID:/vWz+kuT
まず目の前の強大な敵を倒さないことには自領拡大も糞もあったもんじゃなく
負ければ滅ぼされるか大厳封くらうかするだけで、勝てばそれだけ勢力拡張する可能性は飛躍的にふえるわけで。
それは両陣営にいえることだし特に毛利は西軍総大将なので、本戦の家康との勝ち負けは毛利の勢力増減に絶大な影響を及ぼすなんて
馬鹿でもわかるし実際負けた事で改易されそうになってたし
937人間七七四年:2013/07/19(金) 00:31:40.83 ID:CckW7E+a
毛利が領土拡張目当てだったら、三成らが負けても
独自で戦を続けてただろうなw
あんなすぐに降参して大阪を出ていかないよw
938人間七七四年:2013/07/19(金) 00:42:39.88 ID:pWiUSk2F
続けないよ。
領土拡張の前提は、長期化による豊臣政権の形骸化だから。
だから、上杉も戦前の勢いはどこへやら、速攻土下座なわけ。

三成の短期決戦敗北で、目論見が外れたと判断したのは正解。
大坂城に籠城したところで、領土拡大は出来ない。
939人間七七四年:2013/07/19(金) 01:06:19.03 ID:/vWz+kuT
まず目の前の強大な敵を倒さないことには自領拡大も糞もあったもんじゃなく
負ければ滅ぼされるか大厳封くらうかするだけで、勝てばそれだけ勢力拡張する可能性は飛躍的にふえるわけで。
それは両陣営にいえることだし特に毛利は西軍総大将なので、本戦の家康との勝ち負けは毛利の勢力増減に絶大な影響を及ぼすなんて
馬鹿でもわかるし実際負けた事で改易されそうになってたし

毛利も総大将なんだから普通に本戦に負ければ史実のごとく改易されそうになる危険はらんでるのは馬鹿でもわかるはずなのに
それが理解できず大敗したのがアホ輝元
940人間七七四年:2013/07/19(金) 01:14:19.88 ID:3G8iBWPg
まず毛利・上杉の目的が火事場ドロだったなんて何の史料にも書いてないし誰も主張してない。
>>929>>934>>936あたりをよめば火事場ドロなんて馬鹿げた妄想で挙兵なんてしてない事くらいはわかりそうなもんだが
941人間七七四年:2013/07/19(金) 01:29:29.29 ID:pWiUSk2F
火事場ドロという表現はもちろん使っていないけど、毛利の真意が、
@他国への侵攻、占領を企図
A瀬戸内海制海権の奪還
であるという事は、光成氏が著書『関ヶ原前夜』(P126)で明記しているよ。

ん〜、>>929>>934>>936は、読むに値しないでしょ(笑
『毛利は馬鹿』が論拠なんでしょ?
これって、論拠になるの?(笑
942人間七七四年:2013/07/19(金) 01:32:01.71 ID:7IcUcwS1
毛利は挙兵した時点では邪魔な家康を政権中枢から排除し、やりたい放題の状況を作って、勢力拡大を狙った可能性はある。
利家存命時には失敗したが、東西挟み撃ちの状況で成功させ、家康を関東に押し込める。家康の完全な打倒まで目論んでいたかは疑問に思える。(考慮はしていただろうが)

現実はすぐに東軍が戻ってきたので戦わざるをえなくなったが‥
943人間七七四年:2013/07/19(金) 01:42:01.95 ID:3G8iBWPg
○毛利輝元が火事場泥棒を中心に見据えていたというのは根拠がない
輝元が家康と戦う気がないならはじめから西軍総大将になんてなるわけないし
伊勢湾、伊勢方面に兵送ったり関が原に秀元広家の大軍送り込むわけもない
つうか仮にお前のいうように自領域拡大が目的なら
関が原本戦に勝利すれば西軍総大将として最も領域も権限も増すし逆に総大将なのに負ければ最も不利な立場になるなんて幼稚園児でもわかる事

○毛利輝元は馬鹿なのは以下の通り史実での実績がちゃんとある
・対織田戦で熊見川で大勝しながら兵站の長さを理由に本国へヘタレ退却する
・天正4年〜7年時点でも織田方が他の方面での戦闘で忙しい時でも中国口を中途半端に火事場泥棒しただけで勝頼やらとの約定反故にして織田を討つ決定的チャンスを逃す
・本能寺の時も秀吉の口からでまかせ口述詐欺(数カ国織田から毛利へ割譲する)にひっかかって騙される
・関が原の後もやはり家康に騙されて大阪城明け渡した
・関が原の合戦に至るまでの間、総大将という最も権限軍隊ある立場にありながら関係ない伊勢湾四国伊勢などに軍分散させ見事大敗する
・総大将なのに西軍諸将からの援軍要請無視しまくり美濃口を突破され、その後も大阪に引きこもり秀元軍も使い物にならず見事大敗する

こんな馬鹿が西軍総大将なのが三成の運のつき
関が原の輝元の目標が自領域拡大であった場合→西軍総大将で本戦に負ければ自領域拡大も糞もなく逆に本戦に勝てば最大限に自領域は拡大
するのにそんな事もわからず援軍要請無視、大阪篭城、伊勢湾やら四国やらに兵分散させまくり18万もいる西軍を見事崩壊させた馬鹿
輝元の目標が西軍の大勝・家康妥当であった場合(関が原に大軍送ったり自分も総大将になった事からこちらの可能性のが高い)
→伊勢湾や四国に兵分散させまくり伊勢方面軍を編成しながら実際には伊勢には中途半端な兵を残したのみで攻められないなど無意味な戦略行動をし
美濃口が攻められた時も三成らからの援軍要請を無視しまくって美濃を突破され
関が原本戦だというのに総大将の自分はなぜか大阪に居座り秀元らに命令出せず見事毛利軍は役に立たず大敗

どちらにしても毛利がクズなのは間違いないな

関が原本戦に負ければ自領の拡大も瀬戸内の権益も糞もないし
逆に勝てば総大将として領土も権益も最大限に拡張するのに
そんな事もわからないとか相当の馬鹿だな
四国方面への拡張とか言ってるけど中途半端に伊勢湾荒らし回ったり伊勢侵攻軍派遣したり
関が原本戦でも一応は軍派遣してるから(全く使い物にならなかったが)
別に戦略というほどの物が輝元にあったか非常に怪しいがな

尾張口に大軍で美濃方面を攻めに来てるのにそれ無視して援軍要請も無視して
伊勢湾とか四国とかどうでもいいところ攻めてるのにその作戦が真っ当とかないわ
戦力下手に分散してその一部隊が敗れたら戦局が大きく傾くなんて普通の脳味噌の人間ならわかることだし事実そうなったし
944人間七七四年:2013/07/19(金) 01:43:04.79 ID:3G8iBWPg
首謀者は輝元
三成はオマケ
三成は美濃近江ラインの重要性を認識
毛利家は家臣がそれぞれ派閥化して方針が定まらなかったため
アホ輝元は戦略的視点に欠けていた(小早川吉川ら兄弟時代からの派閥確執が余計ひどくなっていた)
そこに家康や長政が和睦詐欺や毛利を敵だと思ってないよ嘘アピの謀略をかけてきて
輝元はとうぶん家康の西上はないわwと多方面へ兵力を分散し
肝心の美濃近江戦線を放置するアホぶり。
家康も福島らが三成包囲したわ詐欺にひっかかり
急いで西上してしまったことで
輝元は腰がひけて、家康は和睦してくれる&毛利を敵だと思ってない発言を盲信して騙される。
そもそも毛利が下手を打ったために大津城が東軍に落ちたのが致命的
毛利の無能さは神
輝元が首謀者だったが、大坂城を明け渡すために
大坂城内を説得した功で極刑を免れる。
そのため武断派が嫌っていた三成・小西らがスケープゴートにされる。
これで豊臣家臣同士の諍いにまで矮小化することで戦後の
ソフトランディング謀り、家康の謀反を問う義戦の性格が消滅した。
勝者の論理が適用されたのだ。
第二次大戦での日本の東亜開放の人種戦争の大義が消されたように。
光成氏も輝元の迅速な大坂城入りは
事前に準備をし終えて出撃する準備が完了してないと
不可能な速さだと指摘してる。
明らかに毛利が首謀者でなければあんな一大挙兵はできない。
白峰旬「関が原の戦いに関する再検討」
加藤清正は関が原の戦い直後9/24に「天下之様子」は「関が原表之合戦」では「輝元方敗軍」と報じているので
毛利輝元が大阪城にいて関が原の戦場に出向いていないにもかかわらず「輝元方敗軍」としているのは毛利輝元が西軍のトップであり
首謀者であったとみなされていた事を示している
945人間七七四年:2013/07/19(金) 01:44:19.10 ID:pWiUSk2F
この人都合悪くなったら、すぐコピペだね(笑
946人間七七四年:2013/07/19(金) 02:06:13.05 ID:yHsBxHlt
そりゃアホ毛利厨の妄想レスの内容が全て毎回一緒だから
それに対する反論も同じだからコピペになるのも当たり前だろ
947人間七七四年:2013/07/19(金) 02:13:47.29 ID:pWiUSk2F
勉強不足ということね(笑
頑張れ!
948人間七七四年:2013/07/19(金) 02:17:45.04 ID:uJOl1toe
毛利厨が論破されて大逃亡wwwwwww

ザマァwwwwwww
949人間七七四年:2013/07/19(金) 02:23:40.76 ID:pWiUSk2F
え?(笑
950人間七七四年:2013/07/19(金) 02:31:03.79 ID:3G8iBWPg
今日も馬鹿毛利擁護厨が醜態晒しまくってるな
951人間七七四年:2013/07/19(金) 02:42:51.45 ID:pWiUSk2F
え?(笑
952人間七七四年:2013/07/19(金) 11:42:26.54 ID:+l5LCsFP
>>917
個人的に三成が憎いとか衝突したなんて次元の問題ではない
豊臣の奸臣どもは朝鮮で講和を駆使し日本を明の属国にしようとしたうえに
関白を糾弾して命を奪ってしまった
この奸臣どもを何とかしないと日本という国そのものが滅んでしまう
天下が豊臣か徳川かなんて奸臣どもに天誅を加える必要性に比べれば些細な問題に過ぎない
953人間七七四年:2013/07/19(金) 21:50:05.59 ID:CckW7E+a
( ( ( ( ( (゚∀゚) ) ) ) ) ) デンパ
954人間七七四年:2013/07/20(土) 12:03:57.59 ID:55j+/Flt
毛利については家康が奸臣討伐を掲げた影響が大きかったことは間違いない
これほど立派な大義名分を見せつけられたら毛利や小早川でなくとも戦意を喪失するのが当たり前だ
それくらい奸臣である奉行どもがやってきた行為は悪質で許せないものだったわけだし
毛利や小早川も家康の説得で目を覚ますくらいの常識を持っていたことは情状酌量として考慮すべきだろう
途中で改心をして関ヶ原という奸臣の悪行を断罪する義戦に協力したのだから非難するのは筋違い
955人間七七四年:2013/07/20(土) 13:57:30.39 ID:m7PHWBOa
奸臣討伐とかそんな史料にも全く見えない馬鹿げた妄言言われても困る
石田らはむしろ豊臣蔵入り地をなんとか確保しようと島津の領土問題やら武功派諸将の恩賞削ろうと必死だったし
約定で禁止された家康の私婚を糾弾したりと豊臣家を存続させるため奔走しまくった忠臣中の忠臣だろうが
956人間七七四年:2013/07/20(土) 14:19:02.40 ID:ywk7FiPW
豊臣家を存続させるだけだったら、そんな必死にならんでも存続する。
織田家のように。
三成自身が国政を主導し続けられる豊臣『政権』を存続させるのに
必死だっただけだ。忠臣とは違う。
豊臣『家』を存続させようと奔走しまくった忠臣中の忠臣は、
加藤・福島だ。
957人間七七四年:2013/07/20(土) 14:21:08.00 ID:vgqKBFR+
まー三成失脚後に、盟友の小西にも家康は屈服を要求したけど
小西は秀頼公への忠義をのみを約束して、暗に家康への忠誠を拒否したからな。
裏切って家康の犬になって、九州での小西利権の剥奪を狙った小人寺沢とはエライ差だ。
まぁこのことが原因で、小西が上方に行ってる間に、唐津を舞台に松浦・有馬・大村らを寺沢が手なずけてしまったのは痛かったな。
しかも小西は上方にずっといたから直属兵2900人で、西軍から預けられた与力4000人で戦うハメになった。
朝鮮出兵時の精鋭7000人とは明らかに違う。まぁそのおかげで肥後の領地は安泰だったけど。
958人間七七四年:2013/07/20(土) 14:25:53.09 ID:m7PHWBOa
福島加藤とかそれこそ家康に篭絡されて豊臣政権崩壊させた張本人じゃん
豊臣政権の秩序がこわされていくのに必死に抗って、徳川方を討とうと必死に兵集めたり約定反故を弾劾した三成と
その徳川の犬と化して家康の天下取りに花をそえた福島加藤ら武功派連中
島津の領土問題などに関しても家康の方が島津に恩売りまくって島津有利な結果となるよう取り計らって他勢力取り込みを画策してたが
三成の方は豊臣蔵入り地確保のため、それを認めさせない方向で動いてたし豊臣が単なる傀儡と化すことを恐れて必死だったが
武功派諸将が自分の欲しか考えられない馬鹿ばかりの上総大将の毛利が全く役に立たずにあっさり西軍は崩壊
959人間七七四年:2013/07/20(土) 14:33:54.24 ID:vgqKBFR+
実際、小西が悪い印象にされたのは加藤・細川の統治の中での
熊本県民の加藤人気とその源である清正記だからな。
小西の讒言してたのは熊本県民。
そこには小西は一揆にも苦戦する戦下手・この視は町人の子で清正公こそ日本一
虚言で秀吉を騙す小西
これらで徹底的に洗脳しとる。
明との講和交渉で秀吉が小西に激怒した話は山室恭子氏も後世の創作話だと切り捨ててるし
島津亮二氏も賛同してることだ。
960人間七七四年:2013/07/20(土) 14:41:24.16 ID:vgqKBFR+
結局、小西をライバル視した清正らが武断派を形成し
小西と仲が良い三成がそれに巻き込まれただけ。三成は単なるおまけ。
小西と朝鮮出兵で同じ陣営にいた島津義弘も小西派だったし。
そして三成らの公明正大な立場を毛嫌いした武断派が家康を頼り徴発しまくり。
そこで屈服を強いられてきた毛利が上杉の義挙というこのチャンスに捲土重来を期して挙兵。
961人間七七四年:2013/07/20(土) 15:02:44.42 ID:iwjmZ4fC
上杉の義挙(笑)
962人間七七四年:2013/07/20(土) 15:10:35.06 ID:ywk7FiPW
>>958
>秩序がこわされていくのに必死に抗って、
>徳川方を討とうと必死に兵集めたり

これが豊臣『家』を滅ぼした遠因なんだよ。
豊臣家主導の豊臣政権なんて、もう不可能なの。
秀吉自身が、秀頼と家康直孫との婚姻を進めている。
秀吉亡き後の豊臣政権の姿を認識している証左。
なにしろ、自分がしてきた事だから。
963人間七七四年:2013/07/20(土) 15:20:07.16 ID:m7PHWBOa
別に不可能じゃないだろ
石田や毛利らが決起したら畿内方面だけで18万も集まるほど、諸侯は豊臣政権の秩序を壊そうとする家康らの暴走に危機感を感じてた事がわかるし
実際徳川方も三成にくしで凝り固まってて石田らの家康の私婚問題の糾弾に対して実力で排除するような大儀も糞もないやり方に
異を唱えてたんだろうし畿内から西はそれこそ味方ばかりだし
豊臣蔵入り地が激減するのは関が原合戦後の事なんだから本戦で石田らが勝利すれば徳川なんて崩壊するだけ。
福島ら家康に篭絡された犬達は処刑、家康も処刑か改易流罪で残りの地を奉行衆とか豊臣直轄系とかで分けて豊臣は存続するだけ。
964人間七七四年:2013/07/20(土) 15:31:26.34 ID:ywk7FiPW
なぜ徳川以外の大名が、秀吉亡き後も豊臣家に対して未だに忠実だと
思っているのかが全くわからん。
徳川、毛利、上杉、島津、伊達、長宗我部等は、本来心ならずも
秀吉に服従させられた大名。
まして秀吉晩年の横暴な施策に対し、反発心こそあれ忠義???

関ヶ原での旗幟は、皆自国の利益に基づいたものだ。
だからこそ、寝返り、日和見が発生するのも当たり前。
豊臣家への情で動いていたのは、せいぜい秀吉恩顧連中と極一部だよ。
965人間七七四年:2013/07/20(土) 16:00:04.61 ID:vgqKBFR+
国内が統一し安定した中で
既得権益を守り、豊臣政権主導の下で
国人を官僚化し税制を整備した大名らは
国内での内戦時代逆戻りは避けたかった。
しかし家康は秀吉亡き今、250万石の圧倒的国力を持ち
平和秩序など糞食らえで野望が大きくなっていき
前田や毛利や上杉を排除していった。
966人間七七四年:2013/07/20(土) 16:23:10.28 ID:ywk7FiPW
>>965
内戦を避けたいなら、上杉は前田のように膝を折れば良い。
膝を折った前田は、石高を維持してるし。
内戦を避けたいなら、毛利は石田の謀反を早急に鎮圧するべき。
いずれも内戦時代逆戻りは避けられるけど?

キミさ、言ってること矛盾してるよ。(>>960
毛利が内戦を避けたがってるとは思えないけどw
>屈服を強いられてきた毛利が上杉の義挙というこのチャンスに
>捲土重来を期して挙兵
967人間七七四年:2013/07/20(土) 16:25:20.90 ID:m7PHWBOa
西軍に加担したのは家康の無理矢理なやり方に異を唱えた上杉・毛利・宇喜多・島津・長宗我部をはじめとして
畿内方面だけで18万も集まってる
そもそも豊臣政権の恩などなく、はじめから豊臣をぶっ壊す気なら一々西軍決起など行う必要ないし
まず目の前の強大な敵を倒さないことには自領拡大も糞もあったもんじゃなく
負ければ滅ぼされるか大厳封くらうかするだけで、勝てばそれだけ勢力拡張する可能性は飛躍的にふえるわけで。
それは両陣営にいえることだし特に毛利は西軍総大将なので、本戦の家康との勝ち負けは毛利の勢力増減に絶大な影響を及ぼすなんて
馬鹿でもわかるし実際負けた事で改易されそうになってたし

毛利も総大将なんだから普通に本戦に負ければ史実のごとく改易されそうになる危険はらんでるのは馬鹿でもわかるはずなのに
それが理解できず大敗したのがアホ輝元
968人間七七四年:2013/07/20(土) 16:28:13.64 ID:ywk7FiPW
連投スマンが。

要はさ。
>石田や毛利らが決起したら畿内方面だけで18万も集まるほど(>>963

石田だけで、この数が集まるなら豊臣家主導のの豊臣政権維持もまだわかる。
この数字は、毛利の国力が求心力になったものだ。
なので、西軍が勝利したところで、徳川が毛利・上杉に代わるだけ。
むしろ政権にとっては、東軍勝利よりも不安定な体制だよ。
969人間七七四年:2013/07/20(土) 16:33:47.44 ID:m7PHWBOa
石田らが勝利したら豊臣方蔵入り地確保に東奔西走するからそう簡単にはいかないな
上杉なんか豊臣政権に取って代わる気があるとは到底思えないし毛利も天下取れる大チャンスを何回も大なしにする馬鹿だから
徳川一極安定政権みたいにならない分、豊臣にとっては遥かに有利
秀頼成人までに史実のように豊臣蔵入り地が激減しなきゃいいだけだし、秀頼成人したらそれこそ
諸大名も好き勝手できなくなるだろうし
970人間七七四年:2013/07/20(土) 16:43:14.09 ID:ywk7FiPW
希望的観測に、IFにIFを重ねて、少し妄想が過ぎるね(笑

毛利・上杉の存在自体が豊臣政権を弱体化させるんだよ。
関ヶ原本戦で西軍が勝利したところで、史実のような内戦終結にはならない。
秀忠率いる徳川本隊や、関東本国は無傷で健在。長期化は確実。
その間に、毛利・上杉は占領地を拡大していく。
内戦終結後、毛利・上杉は、これらの占領地を手放すとでも?(笑
971人間七七四年:2013/07/20(土) 17:06:47.10 ID:m7PHWBOa
史実で西軍側が大敗したら、すぐに戦争が終結
いかに兵が残ってようが本戦で大勝すればそれ=天下。これは史実の関が原合戦みりゃわかる
史実で本戦後一挙に西軍方が崩壊したように、徳川方も長期化どころか一気に型がつくのは必至
徳川の領国だって転封後の外様家臣が多くいて西軍方より磐石という根拠がない
毛利や上杉がいくら他方面で暴れようが、中央に関係ないし、そもそも豊臣に牙を向く根拠がない
両家とも史実で全く秀吉に歯向かわなかった所か本能寺後から秀吉に協力しまくった、宇喜多と並んで
この三大名は外様衆の中では最も豊臣に忠心の部類
972人間七七四年:2013/07/20(土) 17:09:32.97 ID:eeS/oA/m
最も豊臣に忠臣だったのは家康だろうよ
973人間七七四年:2013/07/20(土) 17:15:22.25 ID:1n0+nuCc
家康は全く忠臣じゃない。上杉や毛利と違って秀吉に歯向かってた上に和睦締結後も
抗戦し続け秀吉方が徳川討伐令を上杉や真田らに出してた天正13年秋でも相変わらず歯向かってたし
決戦の時期(天正14年初頭)になって秀吉方から取り成しの使者の信雄やら
秀吉母と妹が送られてきてようやく上洛に踏み切っただけだし最初から秀吉に協力しまくった毛利宇喜多上杉あたりの方が遥かに忠臣
974人間七七四年:2013/07/20(土) 17:24:06.25 ID:ywk7FiPW
>>971
史実になぞらえて、同じ展開になるのだとしたら、
西軍が勝ったところで、徳川に代わって、毛利上杉主導の豊臣政権に
なるということだな、やはり(笑

結論としては、豊臣家主導の豊臣政権継続は無理という事。
975人間七七四年:2013/07/20(土) 18:04:58.00 ID:pyhY+Ujx
10年以内に毛利vs上杉で第二次関ヶ原的なものもありそうw
秀頼がとんでもなく有能だったり魅力的だったりするならかわらないけど、それは奇跡の部類だよなぁ
976人間七七四年:2013/07/20(土) 18:11:06.16 ID:vgqKBFR+
そりゃ無理だね。
977人間七七四年:2013/07/20(土) 18:12:34.58 ID:vgqKBFR+
そもそも毛利は大して領地を拡大してないし、もともと西国取次の地位なんだから
978人間七七四年:2013/07/20(土) 18:15:58.20 ID:vgqKBFR+
上杉が多少地位があがって奥羽取次にひょっとして関東の取次が追加されるかも知れないが
そもそも宇喜多や小早川や前田もいるし、
今回改易になった領地を功のあった諸大名へ大老は褒賞として
加増してやる立場だからね。
逆賊家康のように勝手に豊臣の蔵入地の処分とかできないから。
979人間七七四年:2013/07/20(土) 18:19:26.51 ID:6gEYBfd2
秀頼が成人するまでにどこか一極が極端にでかくならなければいいだけだから
西軍が勝利すれば圧倒的に豊臣が優位だな
豊臣に忠実な奉行衆がいるし宇喜多も非常に豊臣本家に近く
毛利島津上杉長宗我部あたりも家康に対して反抗決起した事から少なくとも家康よりは豊臣よりの立ち位置だろうし
大谷とか蒲生とか小西とか蜂須賀とか秀信とか少なくとも徳川よりは豊臣に近く、従ってくれそうな連中も一杯いるし
980人間七七四年:2013/07/20(土) 22:05:40.16 ID:pyhY+Ujx
そもそも毛利、上杉は天下を見てないか
豊臣政権内での絶対的地位までで
981人間七七四年:2013/07/20(土) 22:45:47.12 ID:RAwc0/Lk
家康すら天下を見てなかった可能性について
982人間七七四年:2013/07/21(日) 00:46:23.35 ID:uj7z2DOB
>>979
>>964ご参照ね。
秀吉は、秀頼と家康直孫との婚姻を進めている。
自分の死後を見据え、最有力大名徳川家との融合を企図したものだ。
秀頼・千姫の間に出来た世継ぎが、徳川家の傀儡になる事は、
秀吉が認識していて当然。

実は反徳川的な行動を起こし、豊臣家を滅亡に導いた輩こそ、
秀吉の意思に背いた不忠といえる。
983人間七七四年:2013/07/21(日) 00:57:36.37 ID:Dr+rj1Ce
まずお前の妄想レス>>964なんて史料も論文も書かれてないし参照する価値などない
徳川は全く豊臣と融合などされてない
豊臣と融合されてるというなら秀頼に牙を向くわけがないし秀吉が死んだとたんに私婚を進めまくったり
島津に蔵入り地問題で恩を売りまくり一方で豊臣の直轄地を少しでも削るなど反豊臣行動やりまくってるし
それに対して弾劾してきた三成らに対しても実力で排除するなどめちゃくちゃしてる。
さらに前田やら浅野やらに無理矢理いちゃもんつけて攻め込むそぶり見せて脅迫して降伏させたり好き勝手やりまくってるからな
こんな家康に天下やる気は秀吉はさらさらなかったし秀頼をなんとか他の連中に後見させたかっただけだろう
984人間七七四年:2013/07/21(日) 00:59:35.02 ID:lAoVHZ0+
>>982
お前の妄想には全く興味ないんで。
ちゃんとした本なり史料なりあげて書いてくれ
985人間七七四年:2013/07/21(日) 01:09:34.44 ID:uj7z2DOB
秀頼と千姫の婚姻は史実だよね。違うの?
婚姻が史実でないなら、ゴメンナサイ(笑

逆に聞くけど、この婚姻に両家融合以外に
何の意味があるのか教えてよ(笑
986人間七七四年:2013/07/21(日) 01:15:02.15 ID:Dr+rj1Ce
そんなもん関係を強固にするためってだけで融合は実際されてない
北条氏政が里見や武田に娘差し出したりしたけど両家は融合されてないのと一緒
987人間七七四年:2013/07/21(日) 01:17:29.73 ID:lAoVHZ0+
息子や娘差し出したらそれすなわち融合意図とか融合されたとか
それに歯向かうのは謀反だとか相当馬鹿な発想だな
そんなもん戦国期の政略結婚で同盟とかだと普通に日常茶飯事だし
和睦停戦程度でも用いられる事もあるし
988人間七七四年:2013/07/21(日) 01:23:49.39 ID:uj7z2DOB
秀頼・千姫の間の子は世継ぎになるわけで。
徳川の血が、豊臣宗家に組み込まれるわけだけど。
実際融合されなかったのは、邪魔をした者がいたから。
そしてそのせいで、豊臣滅亡。不忠でしょ。

北条の件については、時代背景が違うでしょ。
乱世における婚姻効果と一緒にしたらいかんよ(笑
989人間七七四年:2013/07/21(日) 01:28:15.51 ID:Dr+rj1Ce
徳川の血が豊臣に入っても別に融合された事にはならん
秀頼がそもそも嫡子ができればそちらが世継になるだけだし
邪魔をしたから融合されなかったとか単なるお前の妄想だろ
融合されてたなら頼に牙を向くわけがないし秀吉が死んだとたんに私婚を進めまくったり
島津に蔵入り地問題で恩を売りまくり一方で豊臣の直轄地を少しでも削るなど反豊臣行動やりまくってるし
それに対して弾劾してきた三成らに対しても実力で排除するなどめちゃくちゃしてる。
さらに前田やら浅野やらに無理矢理いちゃもんつけて攻め込むそぶり見せて脅迫して降伏させたり好き勝手やりまくってるからな
こんな家康に天下やる気は秀吉はさらさらなかったし秀頼をなんとか他の連中に後見させたかっただけだろう

北条の件とは全く事情が変わらない。ただの政略結婚で、里見北条と武田北条が全く融合されなかったのと一緒
990人間七七四年:2013/07/21(日) 01:32:09.11 ID:lAoVHZ0+
北条氏直が生まれたから武田北条が融合されたとか
里見義頼の息子が生まれたから北条里見が融合されたとか
上杉景勝と菊姫の息子が生まれたから武田上杉が融合されたとか
そういうのと同次元の馬鹿な発想だと気付けよ
991人間七七四年:2013/07/21(日) 01:36:42.63 ID:uj7z2DOB
千姫は正室なので、当然千姫との間の子が世継ぎでしょ。
そうなれば、政権における徳川家の影響力が増すことくらいは
理解出来る?(笑

繰り返すけど、乱世における婚姻効果とは全く異なるよ。
徳川家は、豊臣家にとって既に配下の大名。
キミ等が例えに出した二国関係とは全く異なることくらい
自分でもわかってるだろうに(笑
992人間七七四年:2013/07/21(日) 01:45:56.45 ID:uj7z2DOB
あ。
キミ等っていうか、自演でしたか(笑

983 :人間七七四年:2013/07/21(日) 00:57:36.37 ID:Dr+rj1Ce
984 :人間七七四年:2013/07/21(日) 00:59:35.02 ID:lAoVHZ0+

986 :人間七七四年:2013/07/21(日) 01:15:02.15 ID:Dr+rj1Ce
987 :人間七七四年:2013/07/21(日) 01:17:29.73 ID:lAoVHZ0+

989 :人間七七四年:2013/07/21(日) 01:28:15.51 ID:Dr+rj1Ce
990 :人間七七四年:2013/07/21(日) 01:32:09.11 ID:lAoVHZ0+

いずれも5分差以内のレスだね。偶然なわけないわな。
何か意味あるの?(笑
993人間七七四年:2013/07/21(日) 01:46:00.17 ID:Dr+rj1Ce
影響力が増そうが徳川家が豊臣家になるわけでもないし全く融合はされない
徳川の娘なんて所詮娘であって徳川の家督を継ぐ人間でもないし娘が豊臣化するだけ。
別の側室との子が先にできればそっちが世継ぎになるのも十分考えられる

乱世だとか関係ない。そもそもまだ戦乱は続いてるから乱世だし
北条と里見の関係なんて同盟じゃなくて従属に近いものだし
葦名と傘下の二階堂とかの間での婚姻とかと同じで単なる関係強化であって
融合は全くされない
武田が木曽や穴山に娘やっても武田化しなかったのと一緒のことだろ
994人間七七四年:2013/07/21(日) 01:56:22.04 ID:uj7z2DOB
いや、もう屁理屈極まれり(笑

秀吉在世時が、北条−里見等の乱世と同様?
なわけないでしょ。子供でもわかるよ(笑

外に敵対勢力が存在する場合の婚姻効果と、
存在しない場合の婚姻効果は全く違う。
豊臣家の敵対大名が外部に存在するの?(笑
995人間七七四年:2013/07/21(日) 01:57:26.77 ID:uj7z2DOB
あれ。
ID:lAoVHZ0+ の書き込みは?
指摘されて恥ずかしくなっちゃった?(笑
996人間七七四年:2013/07/21(日) 02:05:13.89 ID:Dr+rj1Ce
いや、もう屁理屈極まれり(笑

秀吉在世時が、北条−里見等の安定同盟と別?
なわけないでしょ。子供でもわかるよ(笑

外に敵対勢力が存在する場合の婚姻効果と、
存在しない場合の婚姻効果は全く一緒。
豊臣家の敵対大名も朝鮮に存在する。
997人間七七四年:2013/07/21(日) 02:09:00.28 ID:uj7z2DOB
秀吉在世時の『豊臣−徳川』の関係が、
『北条−里見』の関係と同様と言いたいわけ?

なるほど、キミには何を言っても無駄みたい(笑
朝鮮!!妄想が広がり過ぎだね〜。
998人間七七四年:2013/07/21(日) 02:11:26.98 ID:DaSAI4zI
三成はかわいそうだよなぁ
18万の大軍をかき集め絶対勝てる状況作りながら輝元は伊勢湾やら四国やらどうでもいい方向に軍分散させまくり
美濃口を突破されそれでもめげず本戦でも布陣で優位に立ち毛利一族さえ馬鹿じゃなきゃ絶対勝てる状況作ったのに
肝心の輝元は大阪に居座るアホっぷりで秀元秀秋広家も全く使い物にならず大敗
毛利のアホさ加減で努力が水の泡に帰したのが三成
999人間七七四年:2013/07/21(日) 02:13:17.48 ID:Dr+rj1Ce
秀吉在世時の豊臣徳川…表面的に従ってるだけ(秀吉が死んだだけで豹変して好き勝手やらかしまくった)
北条ー里見の関係…一時の従属、里見の内戦問題もあり、かなり北条に従属的な和議
1000人間七七四年:2013/07/21(日) 02:13:29.79 ID:uj7z2DOB
subちゃん、お疲れ様でした。
相変わらずダメダメだったね(笑
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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