【愛の名宰相?】直江兼続8【義のバカ?無能?奸臣?】
1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 13:24:06 ID:2rV+hiuN
3 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 13:28:43 ID:f31TTnCy
秀吉曰く知恵が足りない
景勝が無口だったからこいつが目立った
伊達政宗に喧嘩売ってるとしか思えない逸話がある
直江の目立った軍功は最上から逃げる撤退戦ぐらい
三成が負けたと知ると指揮官の責任放り出して切腹しようとしたから前田利益に叱られる
米沢藩の藩政の基礎を築くが上杉重定の時代に米沢藩は藩土返上のうえ領民救済を
公儀に委ねようと本気で考えたほど困窮しており直江の築いた藩政の基礎は大した事のないものであった
徳川家へのゴマすりや藩内の権力独占など官僚としては一流
漢籍コレクターとしては超一流
4 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 14:29:58 ID:2d68chWV
頭悪い煽りレスを即貼りすると直江アンチはただの馬鹿と思われるぞ。
批判したいなら自分の貼るレスはちゃんと内容吟味しろよ。
5 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 14:36:22 ID:CRYm4P6l
煽りいれずにレスしたらいいのにな。
釣れるのは長文メモの彼くらいだろうし
6 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 18:39:12 ID:QfQu92Mo
2ちゃんに来て煽ってウザがられ・・・
つまらない人生だなw
7 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 19:12:55 ID:QO/Emnza
そほいうこと言うなって。
8 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 19:13:37 ID:CRYm4P6l
どこのアンチもそうだがな
9 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 20:54:35 ID:CRYm4P6l
あぁ
>>6あてね。まぁどうでもいんだけど。
前スレ最後何はなしてたっけ。
埋め立てで終わってなかったか
10 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 21:04:43 ID:kbHjCSHa
>>3の内容事態はほとんど本当なのが直江厨の悲しいところ
11 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 02:32:13 ID:Ara5GLeM
上杉御年譜て直江についてどんな記述あるの?
12 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 08:12:53 ID:BnpYsGLT
スレタイひどすぎw
13 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 08:40:38 ID:DsI5d4C2
>>3 概ね良くまとまっていると思うけど、最上からの撤退戦は武功でも何でも無くね?
14 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:38:53 ID:1tdegxcz
>>3 >>13 痩せた米沢の土地でも、上杉直臣約7,000名全員を全くリストラせず。
上杉鷹山の輩出する土壌を作った。
今の政権投げ出し2世首相どもに直江公のこの粘り腰、見せたいね。
15 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:55:04 ID:2rj4y5e0
>>14 「愛」だね。
リストラせず米沢の区割りをした直江は「民の父母になる」と誓った鷹山と通じる精神を感じる。
ってことは、J.F.ケネディが尊敬した政治哲学はもともと直江の哲学だったってことになるな。
さすが、豊臣秀吉が天下の政治を見れる男と評しただけのことはある。
16 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:58:41 ID:Rt2+ps5q
秀吉の天下の三陪臣の逸話ってかなりうさんくさいんだけど実際どうなの?
秀吉存命時の直江の活躍なんて聞いたこと無いんだけど
秀吉の目に止まるようなことなんかあったの?
17 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 00:06:39 ID:jI/slKe6
>>3 前田利益から切腹をするなと言われたなんて、何処の出典ですか。根拠の無いことを書かないように。
伊達に喧嘩を売ったってのは、大判の話ですか?
あれは、伊達の成金趣味をからかっただけじゃないの。
政宗も苦笑いしてたってのは、直江が扇子で大判を取り上げて見た意味を悟って、直江の言いたい事が分かったからじゃないですか。
逆に、天下の伊達政宗にそういう苦言を呈することができるのも、直江の凄い所だと思う。
まあ、家康に正面を切って正々堂々と喧嘩を売れる人だからね。
18 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 00:20:26 ID:TuKlmMsa
「上杉将士書上」にある逸話に似たようなのあったぞ
そっちは三成の死を知ったからって理由で切腹しようとしたんじゃなくて
最上相手の撤退戦でもうだめだから切腹するって言い出したのを前田慶次に
「言語道断、左程の心弱くて、大将のなす事にてなし。心せはしき人かな。少し待て我等に御任せ候」
って叱咤激励、さらに前田は5人ばかりを引き連れて最上軍に突進奮戦してくれたおかげで
その間に兼続は堅固な陣を張ることができ、窮地を脱することができた。って話がある
19 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:02:46 ID:PJpZcXvt
>>16 まあ、「秀吉による誰々評」という話は当てにならんのは多いよね。
三陪臣も兼続・隆景ともう一人が堀監物だったり鍋島直茂だったりするし
大谷吉継に百万の兵を云々とか、似たような話が多い。
20 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:17:42 ID:jmoI4CwT
大判とかのはあくまで微妙な逸話だからなんとも言えんな。
性格判断してもなぁと。
釣りか知らんがケネディとかはさすがに
とびすぎ
アンチ信者入り乱れてるが、まともな答えって出たのか?
21 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:45:19 ID:dUUHWu4G
政宗に喧嘩売ってるような逸話ってこれじゃね
江戸城で達政宗とすれ違った時、兼続は知らぬ顔で会釈をしなかった。
政宗が「陪臣の身で大名に会釈せぬとは無礼ではないか」と咎めると
「これはご無礼いたしました。これまで中納言様(政宗)とは戦場で相まみえる間柄だったゆえ、
(戦に負けて逃げる)後姿しか拝見した事がなく、お顔を存じ上げませんでした」と慇懃に答えたという。
これは本当政宗馬鹿にして喧嘩売ってるとしか思えない逸話だと思う
22 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:54:06 ID:PJpZcXvt
>>20 米沢の町割りではかなり詳細に指示を出していたりするので、そういう行政能力は
評価できると思うけどな。あとは、本多などとのパイプなどもそうだし。
大久保事件の際も、本多正信と繋ぎをとったことが息子平八に
あてた手紙の中に出ているし。
23 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:01:44 ID:jmoI4CwT
伊達絡みの逸話に関しては今更だし、
あくまで逸話なのであんま重要でないw
ビミョーな逸話だが。
>>22 そういうパイプ作りを見れば執政の仕事
やってるわと思うわな
こーゆー話はやっぱ必要だねぃ。
24 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:05:12 ID:jmoI4CwT
直江に興味をもつなら個人的に戦よりも減封後の方かな。
25 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:15:05 ID:dUUHWu4G
やり手官僚直江さんが後世の民のために書き残したお言葉。
注)意訳です
「働かんと井戸端会議ばっかりに精を出す女は手入れが悪いからあそこも臭いぞ!」
「女房は下着をチラチラさせながら野良仕事しろ。旦那のやる気が出る」
「小便をしたとき、泡が立っていればその日は心配ない」
「死ぬ気でやればなんとかなる!」
26 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:38:27 ID:jmoI4CwT
まぁ初めて読んだ時は正直吹いたw
なんだか直江って色々ズレているよなぁ。
そこもまたいいのかもしれんが。
しかし教養人ならもっと何かグッとくる文章を
と期待してしまうのだがな。漢詩は有名なのがあったか。
減封後七千人のうちどんくらい帰農したん
だろう?相当な数だとは聞くが数字は
勉強不足で知らない
27 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 05:19:28 ID:SWVlWPeu
無知な農民の為にわざと面白く書いたんでないか
28 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 06:38:37 ID:EsSgEblY
29 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 07:50:32 ID:FB5ux2Ft
やっぱ直江の愛は愛染明王の愛なんだろうなあ。
女房の下着で旦那のやる気出させるの推奨!とかそれっぽい。
30 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 13:19:55 ID:MaqHSbpS
米沢では別段に愛染明王のお堂はないけど、愛宕神社は信仰集めてるから
愛宕権現の愛だという説をお勧めする
31 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 23:24:39 ID:6/aY7XjJ
直江は和歌よりも漢詩の方がなじみがあったのかな。
32 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 05:52:53 ID:hk7RIHhJ
>>15 >「愛」だね。リストラせず米沢の区割りをした直江は
リストラするかどうか決めるのは直江じゃなく景勝じゃないの?
つまり景勝こそ愛や義の人なんじゃないか?
むしろ直江こそリストラされるべき対象であって、
直江が禄を辞さなかったから他の奴もリストラ出来なかった。
むしろ直江が米沢の貧困の原因だろう
33 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 05:54:53 ID:6ItcpVpj
このスレ読んでて感じた事だが
直江擁護してる奴のが直江にあまり詳しくないだろ
すぐ反論レスされてる
34 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 08:21:01 ID:KeCRuebA
反論レスが糞レスだがw
35 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 08:51:11 ID:TbiqSdMj
直江が糞なんだからそうなるのもしょうがない
36 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 10:50:29 ID:79ji53XG
最後の砦を守った直江が糞なら最上はがん細胞とかの病原菌だね。
37 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 12:31:51 ID:cGXfTQ5p
なんでこんなに活気あるんですか?
みなさん大河で嫉妬でつか?><
38 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 16:12:34 ID:6ItcpVpj
直江厨は直江褒めるために他を貶すってのばっかだからな
前スレで散々たたかれたのをもう忘れたらしい
どう考えて最上ががん細胞とかの病原菌になるのか語って欲しいものだ
真の糞野郎は直江兼続ではなくろくな知識もなく他を貶す事ばかりの直江厨だな
39 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 17:23:07 ID:z+kjUXJs
ちょっとばかりレスが増えてると思えば
ただただ罵りあいに終始してるだけかよ…
しかも糞だの菌だのガキじゃあるめえし
いいかげんにしてくれ。普通にここに出入りしてる人間からすれ
ば迷惑なだけだ
40 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:07:11 ID:0MQQ91TG
何言ってるの昔からこんな感じじゃん
41 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:09:50 ID:CxKzuogR
というか圧倒的兵力差で勝てなかったのにと
誰もが突っ込む…。
直江は有能な執政だと言うのは構わんが
他貶すのは意味ない。
あの基地外君と一緒。
42 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:17:03 ID:KeCRuebA
悪意でねじ曲げ、偏執的かつ基地外みたいに執拗に直江を貶しめてるアホが自己正当化をまた始めますたw
ほんとレッテル貼りが得意だよな…厨房は
43 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:18:29 ID:0MQQ91TG
うん罵詈雑言合戦でいつもの流れだ
44 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:21:41 ID:CxKzuogR
じゃあ流れ戻して何の話をしようか。
45 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:42:02 ID:LOuUE6oS
直江<長谷堂城ということで一つ
46 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 22:02:57 ID:R0Mt2e+M
>>36 直江が守った最後の砦ってそもそも何?
志村が守った最後の砦じゃねーの?
てかがん細胞を病原菌って…生物の勉強くらいしろ。
細胞と細菌類は全然違うだろ。
47 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 02:56:11 ID:R0KFyr/I
48 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 06:48:07 ID:21z2FzBM
「直江兼続伝」がまさか現代に復刻されるとは!!
現代仮名遣いで読めるのは嬉しいよ!!
まさに大河効果だなー
49 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 20:46:32 ID:jjyIFHxc
とにかく俺は史実が知りたいんだよ、史実が
ここのファンとか火坂の小説とかウソばっかだからムカつくんだよな
この辺で何が真実の直江の功績だか整理しないか?
前スレまでの内容だと、文献集めたり刷ったりしたのしか出てないんだよな
他に何があるんだ?
50 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:06:06 ID:hSOW49Bi
>>49 2ちゃんでわかるわけねーだろ。つかお前アンチの基地外自演厨房だろうが。
51 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:27:46 ID:9y7wBdaU
そんなに気になるなら自分で史料文献当たってみりゃいいじゃないか。
52 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 00:16:46 ID:8pFZ2Ipa
直江の功績=戦方面では大抵が捏造だしね
長谷堂は捏造と言うよりも直江が美化されすぎだけど
御舘の乱に関してわかる事は詩詠みましたって事だけだし
多分直江が人気なのは美男、成り上がり、頭脳明晰、忠臣、愛兜
と、スペックが良いからだと思う
どうも上杉はスペックが良い→捏造→それが史実みたく扱われてる
って感じがするんだよなぁ
でも成り上がりについては元の身分がよくわからないからなんとも言えない
忠臣とかは本当に誘われたのかどうかわからないから、
他にない程の忠臣だったのか証明する手だてがない
漢文とかの話は聞くが、頭は良いのかと言われたら微妙なところ
愛兜に関しては解釈の捉え方によって違って来る
……こう考えてみたらスペックすら微妙な位置だな
やっぱり直江は目立った功績がないと言うか
凄いとまでは行かなくともそれなりな感じ
まぁ、それが平和な世の中だったらの話だけど
53 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 00:21:59 ID:LMItABtI
>>51 図書館行って資料当たっても何も無いんじゃね?
その結果がこれまでの内容だろ
54 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 00:34:32 ID:ywYWgmTr
成り上がりってか兼続は上田長尾家執事の長男で上田長尾当主景勝の側近。
それを景勝が上杉家当主になったら側近の兼続を直江家に入れて
上田長尾家から上杉家全体の家老に押し上げたわけで
景勝政権の上田衆重視措置の筆頭だった。くらいにしか思えない。
55 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 00:47:30 ID:J2Qm6ENf
上杉博物館で直江中心の展示してる。
興味あるから見てくるよ。
来年は混みそうだし今のうちにw
というか直江ファンも直江の功績レスしとかんとー。
56 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 01:01:05 ID:WJPdWs1T
>>52 兼続が美男とか頭脳明晰、忠臣とかっていうのはどういった資料からわかる情報なの?
57 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 01:35:28 ID:J2Qm6ENf
平和な世だったら直江は学者とかが向いてそうだ
勝手なイメージだがw
58 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 01:59:20 ID:8pFZ2Ipa
>>54 そういう捉え方だったのか
なんか複雑に考え過ぎていたみたいだ
すっきりしたよ、ありがとう
>>56 見目麗しく背が高くてガチムチ系、ってのは何かの史料にあった気がする
そしてどっちかと言えばスペックと言うよりも、テンプレ的なものだと言う事に気が付いた
捏造された事の中に、忠臣とか頭脳明晰とか顔が良かったとか、が含まれているのか、
それとも捏造された理由が頭脳明晰だったからとか、忠臣だったからとか、顔が良かったからとか、なのか
何が捏造で何が史実なのか、正直そこらへんややこしくなってる
59 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 02:03:20 ID:J2Qm6ENf
>54は確かにわかりやす
60 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 03:48:34 ID:MGd3l2aZ
美味く勝ち馬に乗れたと。
61 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 08:52:55 ID:RQm23B7x
>>54 >>58.59
>成り上がりってか兼続は上田長尾家執事の長男で上田長尾当主景勝の側近。
>それを景勝が上杉家当主になったら側近の兼続を直江家に入れて
>上田長尾家から上杉家全体の家老に押し上げたわけで
>景勝政権の上田衆重視措置の筆頭だった。くらいにしか思えない。
早速デマだ。何処の小説から持ってきたのか知らんが、
実際はタダの炭売りだか炭役人だかの子供、と新井白石が言ってる
そもそも、余六の余、というのはどうでもいい庶流や妾腹、私生児などにつく名前
どうでもいい6番目の子供、という意味
62 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 09:19:02 ID:ywYWgmTr
わあ薪炭吏の息子なんてネタ信じてるんだ
63 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 10:31:27 ID:ij1KABWx
>>57 俺の直江兼続現代イメージでは融通の利く京都大学生という感じかな。
ちなみに石田三成は融通の利かない真面目な東大生。
兼続の子孫ではないが弟の実頼の直系の子孫・昌彦氏は東大を卒業後して王子製紙の社長&会長を務めていたくらいだから似た様に大企業のトップになっていたろう。
上杉家の歴代当主も東大を卒業して社会に出てるから子供の頃から学業を叩き込まれているんだろうな。
俺には務まらんわ。
庶民に生まれてよかったよ。
64 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 11:34:34 ID:8pFZ2Ipa
>>61 反論したいのはわかるけど
『○○さんが言ってたから本当だよ!!』なんて言われても困る
何より説得力がない
言うなら『□□って史料に△△だって書いてあったから△△だ。
って○○さんは▽▽で言ってたよ!!』みたいな感じに言ってくれ
薪役人って言うのが書いてある史料は江戸時代に書かれたもの
だから信憑性は薄いって聞いた
上田長尾家執事の子だって言うのにも元の史料はある
けど、何の史料だったかは忘れた、すまん
あと余六じゃなくて与六な
確か与〜って名前は十とあまりの数みたいな意味だったと
聞いた事があるから与六だと十六番目の子供と言う意味なのだろうか
もしそうだとしたら下の子も五人くらいいるし凄い大家族だな
でも兼続は長男だったらしいし、通字みたいなものだと思う
65 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 14:24:48 ID:rEh+BTCS
『□□って史料に△△だって書いてあった」って書け、とか
江戸時代の資料じゃだめだ、とか、キビシイこと言いながら
自分は、「何の史料だったか忘れた、すまん」で済ます
これが直江ファンのクオリティww
66 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 15:53:43 ID:ywYWgmTr
俺は各藩の史料に当たらず伝聞と推測だけで書いてる新井白石なんぞより
上杉家の記録である上田士籍の
「上田長尾政景家老と泉重歳(泉重蔵と書いてあるが多分誤記)の娘の子」
って方がよっぽど信頼できると思う。
兼続の出世コースに自然だし、父母の身分の釣り合いも取れる。
67 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 16:32:31 ID:im1eLO6q
つうか直江ってなんでこんなに変な話が多いんだろうね
出自にしても政宗関連の変な逸話もそうだし
なんかうさんくさい話がやたら多い人だよね
68 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 16:47:17 ID:ND3M3drh
>>63 その理屈だと信長はスケート選手、家康は写真家兼コーヒー研究家に
政宗がちょっとアレな実業家ってのはぴったりだけど。
エピソードから伝わる人柄から察するに民間企業でやっていくには潔癖過ぎる気がする。
良くて官僚か学者だろうな。
69 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 19:18:42 ID:8pFZ2Ipa
>>65 そんな事言われてもなぁ
厳しいと言うか
『○○さんが△△って言ったから、△△なんです』
それだと新井白石に賛成していると言う報告にしかなってないんだ
それで納得出来るものかと
江戸時代に書かれたものであって、当時に書かれたものではないから
信憑性が薄いって聞いた、っていう意味
違うとも、信頼出来ないとも言ってないよ
でも、あってるとも、信頼出来るとも言えない
別に身分低かろうがなんだろうが良いんだよ
戦上手の忠臣でも戦下手の奸臣でも良い
でも、どちらにも決め手がない、どちらにもおかしい
ってとこがあるからどちらにもつけない
かなり極端な事を言えば
薪役人の子だったかも知れないし、上田長尾家執事だったかも知れない
見た事はないし、見る事も出来ない、史料が捏造された可能性もないわけじゃない
だから本当の事なんて誰にもわからない
○○は正しい、△△は間違っている、なんて
史料とかでしかわからないんだから
本当は偉そげに言う事じゃないんだよなぁ
70 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 19:25:39 ID:gLdhVXX9
71 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 23:24:13 ID:yAvgrybU
いずれにせよ与六なんて名前からして軽格だったことは明らか
まともな身分なら○六郎○○とか名乗るはずよ
>>69 潔癖だとか忠臣だとか、どの事実をもとに言っているの?
72 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 00:30:38 ID:qdWT5l+S
兼続の主筋である上田長尾政景やその父は新六なんだが。
(景勝は次男だから喜平次だな)
○△郎って付くのが多いってだけで法則ではないだろ。
兼続が上田執事の子であるのは上杉家の記録に載ってるんだが
否定する証拠がないなら上田執事の子と見るべき。
73 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 00:31:24 ID:tKtV7PpC
潔癖とかは思わんけど、学者向きくさいとは思う。
低身分からの出世って後世の人間から
すると魅力的にうつるもんだから
こんな説が広まったのか?
早雲とか松永とか明智とかも諸説あるよな。
新井白石の耳に入るくらいだからまことしやかに
語られてたのかもしれんけど
それにしてもあんま説得力ないなぁ。
74 :
69:2008/10/03(金) 01:21:17 ID:JGEh52Yy
>>71 それだと、
>>72が言ってる新六とかどうなるのか気になったが
○六郎○○だと、位置的には名前と言うか通称なんだな
でも、それだと謙信の通称の平三とかはどうなるかと気になった
つまり
>>71が言いたいのは幼名がそのまま通称に使われてる、って事で良い?
自分は与六って通称がどっかで誤解されて幼名として伝えられた
的な感じな気がしている
喜平次みたいなニュアンスで
でも武田にも幼名そのままの人がいるよな
ちゃんと四郎とか五郎とかだけど
でもそんな名前、って言ってるんだから、
単純に与六って名前かつ通称だからちゃんとした身分じゃない
と思うって事を言いたいのか?
なんかややこしいと言うか、ややこしくしてしまった
つか、直江が忠臣だろうがなんだろうが、それならそれで良いと言ってるだけで
誰も兼続は忠臣だ、とは言ってないよ
無駄な補足をすれば下側には、
本当の事実なんぞわかったものじゃないんだから兼続が忠臣でも奸臣でも有り得る
とも書いてあるわけでしてな
75 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:13:50 ID:DqDmJOkG
通称って、
北条氏照だって源三だし、これゆえに出自が明確にわかるというものでもないだろ
76 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:22:32 ID:asKUjMVT
潔癖でも忠臣じゃないことは間違いないだろ
秀吉にも家康にも過分な優遇受けているからな
筆頭家老が天下人に優遇されたらどうなるか、その影響を考えられないはずは無いからな
77 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:33:30 ID:qdWT5l+S
景勝が全く問題視してないんなら別にいいんじゃね。
家康からの優遇ってなんだっけ?
78 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:40:58 ID:lLTGCyXm
兼次を貶したいだけで根拠ないから
79 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 13:04:53 ID:tKtV7PpC
優遇されることに問題はないよな。
景勝がよしとするならそれで。
潔癖とか心優しきとかよくわからんイメージがいけないのか?
80 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 13:27:56 ID:pFcz+0GQ
中央政権ときちんと繋がりのある重臣がいることが、大名にとってどれほど大切な事か。
上杉家は直江の存在のおかげで、相当助かっていた事は間違いないよ。
81 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 13:58:05 ID:7tm9YXut
大老の地位にある者が一体誰に嫉妬するんだ?
82 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:37:01 ID:HEa+pesu
大石内蔵介と正反対な人物だったんだと思ってる。
平時は有能、非常時は無能
83 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 17:32:48 ID:FFmH2LU0
直江が豊臣に懐柔された結果がまさに上杉の徳川との敵対、関ヶ原負け組み転落だろ
>>80 >上杉家は直江の存在のおかげで、相当助かっていた事は間違いないよ。
どのように助かっていたのか具体例を挙げて言ってくれ
84 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 19:28:20 ID:pFcz+0GQ
>>83 例えば直江の人脈のおかげで、上杉家は本多親子から、いち早く土井利勝に接近することが出来た。
それができずに本多人脈のままだった福島がどうなったか、知ってるでしょ?
他にも、大阪冬の陣で、先鋒を命じられたりしているのは、これは間違いなく直江と徳川政権との
信頼感あってのものだよ。先鋒は間違いなく他家の羨望する名誉なんだから。
まあ、基本的にはもっと日常的な部分での政権とのかかわりのほうが大きいと思うが、ともかくも
直江の存在は上杉家にとって陰に陽に利益になっていたことは認めるべきだとおもうぞ?
85 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 20:38:47 ID:kh+XVuxO
>>84 普通、先鋒を命じられて嬉しいのは褒美が望める合戦でだ
大阪の陣は、褒美が豊臣家の領土ぐらいしか望めず、諸大名だれもがやりたがらない
上杉の徳川への忠誠心を試される踏み絵としてイヤイヤやらされているのだろ
上杉の立場の弱さ、外交折衝力の無さの現われだろうな
逆に島津の不出場は、その優れた軍事外効力の表れだろう
86 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 21:35:58 ID:pFcz+0GQ
>>85 > だろ
> だろうな
> だろう
すまん、大笑いしたw
87 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 21:42:56 ID:SqI8rFdH
関ヶ原の件をフォローすると、あれは上杉にしてみれば吹っ掛け
られた喧嘩。信長に多方面から攻められた時に「生き残れば英雄
だ」と武者震いしていた景勝が家康の難癖におとなしく従うわけ
がない。その判断は有能とか無能を超越したものじゃないのかな。
結果的に家康が勝って上杉は負け組になったけど、当時はどっち
が勝ってもおかしくない状況だったし、長谷堂の戦にしても苦戦
したのは確かだろうけど、関ヶ原の三成VS家康がもっと長期化す
るとにらんでいた兼続はさほど焦ってはいなかったと思う。
最上に先んじて西軍敗退の情報を入手し、戦うふりをしながら撤
退準備をして、犠牲少なく全軍を帰還させたのはなかなかの手腕
だと思う。
生涯を通じて景勝などの功績まで兼続に吸われてる感は否めないけど。
88 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 22:05:50 ID:lLTGCyXm
直江を貶せれば何だっていいんです
89 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 23:08:12 ID:qdWT5l+S
豊臣に懐柔されたも糞も当時徳川・伊達の抑えに入れるのは上杉しかおらず
抑えのために会津行きさせられた以上上杉が徳川と対立するのは
避けようの無いことだろ。
仙洞院を景勝に差し出させりゃよかったのか?
景勝がそんな事聞き入れるとは思えんが。
90 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 23:51:45 ID:LkHQIRTA
>最上に先んじて西軍敗退の情報を入手し、戦うふりをしながら撤
退準備をして、犠牲少なく全軍を帰還させたのはなかなかの手腕
だと思う。
おおむね同意だけどこれは納得いかない。
そんな余裕あっても切腹しようとして止められたんだよな。
それに事前に知っていたってちゃんとしたソースあるのだろうか。
知っていたなら庄内勢は無理でも、谷地あたりにいたのには連絡できなかったのだろうか?
あと全軍帰還はしていない。自分が率いていた連中だけがかろうじて逃げた。
残された連中は直江に激怒していたからね。
91 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 00:23:45 ID:+pg3fkTD
>>90 切腹うんぬんはまぁ軍記物の話なので…。
ただ、馬で突撃しようとする前田慶次を水原親憲
が「長槍で待ち構えてる敵に騎馬は危険だよ。下
りてかかりなよ」って注意するのとかは結構リア
ルなんだよね。水原の親戚が軍記物の成立にかか
わったとはいえ。
情報のやり取りができる状態だったのかは分から
ないけど、庄内方面軍との連携のまずさはたしか
に指摘されてしかるべきかも。
兼続は9月21日には「上方散々」の情報を得て
しばらく戦うふりをするむね家臣に送った書状が
残っているとのこと。
92 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 00:30:38 ID:LsiWYoj2
関ケ原から一週間か?ずいぶん早いな。
すると上泉は独断専行して討たれちゃったんか。
93 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 00:37:11 ID:vvDiJKYV
如水なんかも早く関ヶ原の勝敗を知ったし不思議な事ではない。
94 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 00:55:02 ID:tgj7WoDi
>>85 島津の不出馬は免除されたというよりは、度重なる
出費や藩内の情勢で手間取っていたという性格が強い
ので、交渉能力の賜物とかいう問題じゃないと思うが。
>>84 本多家とのパイプは大久保長安事件の際にも登場しているな。
あとは、十万石分の負担が免除されたことなども大きいだろう。
95 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 07:12:22 ID:vvDiJKYV
養子もらったのに本多失脚も被害受けずに、うまいとこ遊泳してるよな
96 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 16:52:42 ID:XIOpUcyI
つか本多政重本人にはとばっちり行かなかったの?
97 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 17:42:35 ID:PGbiThBH
>>96 いざとなれば前田家に迷惑がかかるので、
政重は幕府に問い合わせし、幕閣から問
題ない旨連絡を受けていたはず。
政重も謎が多いなぁ。父の名が知れてた
としても実績のない二十歳の浪人が、家
中が混乱していたとはいえ宇喜多家で二
万石もらってたとかうそくさいんだが。
98 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 17:46:25 ID:uZhsMHic
政重は反骨を売りにしているみたいだけど
実は、直江と同じ穴のムジナのタダの世渡り上手な遊泳家
のような気がしなくも無いな
99 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 21:15:21 ID:v5QmJ/DL
新井白石ムカつくみたいなこと聞くけど、
新井白石は直江ベタ誉めしてなかったかい?
100 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 21:40:50 ID:yDta4P2a
直江くらいの教養人の漢詩や和歌で残ってるものが
少ないっていうのは…何故?
江戸時代以降再評価されたのが遅かったのか?
101 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 21:44:57 ID:LsiWYoj2
直江のことはどうも好きだったようだが上杉に確かめることなく
直江は身分の低い出で美貌を気に入られて取り立てられたんだお!という
夢見がちな話を書いて広められちゃーな。
兼続父が元々景勝の父の家老だったんじゃ
兼続が景勝の家老でも普通すぎてなんの面白みもないかもしれんけど。
102 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 01:29:28 ID:a0o2COgq
>>100 作家じゃなくて収集家として有名だっただけだからな
103 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 01:59:07 ID:QXILvvEO
水野晴郎みたいなもんか
104 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 09:19:48 ID:Fb/rFPaT
何か直江って今の自民党の古いタイプの政治家みたいだな
対外的に無能でなんら革新的なこともせず
与板衆の数の力と主君の寵愛と人脈力だけで権力をキープして
105 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 09:25:47 ID:iEBpDVHZ
>>104 必死すぎw
自民党議員の様なら家康に尻尾振って近づくだろ
敵対への道など選ばない
ちなみに上杉の血を引く亀井久興議員は郵政民営化に反対して自民を離党してる
106 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 10:10:17 ID:AZK5aO3d
新井はまったく根拠もないのに謙信や景勝や兼続ホモ説を唱えるあたり、新井も男色好きだったんだろうな。
107 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 15:56:16 ID:SD8LtTOH
>>105 > 家康に尻尾振って近づくだろ
上杉家を第一と考えるならそうすべきだった。
景勝が打倒家康を唱えても説得すべきだったのに、景勝とふたりで
説得するどころか、アンチ徳川を押し進めて上杉衰退の原因を
作ってしまったのだから、関ヶ原の景勝、兼続コンビの読みは甘かった
ってことだろうね。
108 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 16:55:27 ID:upyRaaAr
結果論ではな・・・保険位掛けとくべきだったな
109 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:07:28 ID:gWDG7OVL
関ヶ原の西軍は負けるべくして負けたとか言われたりも
するけど、東北での直江上杉軍の動き自体は間違ってなくないか?
関ヶ原が長引いたら数でごり押して善戦してる最上を圧倒したかもしれない。
ただあくまでイフなので、読みが浅かった、及ばなかったと言えば、
返す言葉もないけどさ。その後の親徳川に転換してからの直江の
必死さをみれば、敗戦後出来うる限りのことはしたとおもうけどな
西軍について負けたことの責任の一端は確実に
背負ってるとは思うが(立場上当然)、
すべて直江一人というと…それは違うだろうと思うよ。
110 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:09:03 ID:gWDG7OVL
>>108 長々と脱線しつつ書いてしまったが、自分が思って
いたことはそれだったw
111 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 20:59:08 ID:zX/eTijx
>>109 関ヶ原が一日で終わらなければ(石田がもっと思慮深ければ:立花隊等大津城攻めの部隊を待つとか...)、景勝の最上攻略方針は間違いではなかったはず。
庄内の下吉正軍は、村山の谷地城占領完了し、山形城まであと15キロまで迫って山形城で合流目前だったし、直江軍も寄集めの2軍だが、畑谷城を落とし山形城目前、本庄・須田軍は福島で伊達領侵入を窺って伊達軍を足止め。
だけど、最上・伊達をまず抑え込むという景勝方針は、中央での戦がもつれる(西軍が持ちこたえる)ことを想定したものであって、直江の考えとは違っていたのが残念。
西軍の必勝を期すなら佐竹と小山撤退の家康を追って一撃加えておくべきだと、直江は主張したんだと思う。
とは言え、天下の家康に喧嘩を吹っ掛けた直江状で本多正信に惚れられ、上杉30万石安堵となったのは間違いない。
秀吉も、景勝後の越後70万石に東軍となった堀久太郎を据えたのは間違いだったと草葉の陰で嘆いただろう。
112 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:03:08 ID:sYOEF11u
ま〜た、敗戦は人の所為、直江軍は2軍、直江状で惚れられとか、始まったよwwww
113 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:13:05 ID:zX/eTijx
>>100 直江の漢詩とか、句とか、いろいろな書物で結構いっぱい(50ぐらいは:景勝が上句、直江が下句という様なのも含めて)見てるから、少ないとは思わないけど。
関ヶ原後の1602年に亀岡文殊で前田慶次とかと連歌会やった時のにも結構いいのあるよ。
景勝・直江を尊敬し米沢まできたと公言する前田慶次のも5首見てきたけど、結構良かった。
114 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:15:45 ID:zX/eTijx
>>100 直江の漢詩とか、句とか、いろいろな書物で結構いっぱい(50ぐらいは:景勝が上句、直江が下句という様なのも含めて)見てるから、少ないとは思わないけど。
関ヶ原後の1602年に亀岡文殊で前田慶次とかと連歌会やった時のにも結構いいのあるよ。
景勝・直江を尊敬し米沢まできたと公言する前田慶次のも5首見てきたけど、結構良かった。
115 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:24:29 ID:pEnSDV1u
>>100 > 直江くらいの教養人の漢詩や和歌で残ってるものが
> 少ないっていうのは…何故?
君が知らないだけだと思う
116 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:29:03 ID:zX/eTijx
>>102 惚れてなけりゃ、自分の次男をわざわざ前田家から引っこ抜いて兼続の養子にしないだろうと思うよ。
どう?反論お待ちします。
117 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:34:27 ID:GUvggllT
漢詩で20、漢和連句20、合わせて50くらいらしいね。
多くも少なくもないというか、漢詩が得意って言われる直江なら
もっと作ってるだろうなとは思う。韻書持ち歩くくらいだし。
118 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:36:17 ID:pDAX76kQ
政宗に対する無礼な振る舞いは創作だと思うな
徳川に逆らった馬鹿者として江戸時代あたりに作られたんじゃないの?
本当の話だったら、いくらなんでもDQN
119 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:39:22 ID:UkLw+qfP
>>112 兼続も長期戦を想定していたと思うよ。
最上攻略も長谷堂に手間取ったとはいえそれほど焦ってはいなかっ
たと思う。討伐軍追撃に関しては、景勝にすれば上方の書状に書い
てるように後方の伊達、最上をまず抑えることが先決というのもあ
るし、西軍が勝つ可能性も十分にある時点で、そんな一か八かの賭
けをする必要はなかったと思う。あの時点での追撃は非現実的。
兼続もわかっていたはずで、軍記物にあるように実際に追撃を進言
したとは個人的には思えないな。結果的に西軍が負けたから、IF的
な選択肢をあの場面に込めたのかなぁと思う。景勝の返事も上杉家
の家風かっこいいぜ!みたいな演出になってるし。
もっとも、三成がのちに関東入りを急かしてるから事前に兼続との
間でそういう作戦を立てていたのかもしれない。でも兼続が追撃を
進言したにしても、それほど多くない軍勢で後ろから急襲するくら
いの考えだったんじゃないのかな。
120 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:42:26 ID:pEnSDV1u
>>118 上杉家に伝わった話なんだがね。しかも「直江様えらい」ってニュアンスで。
121 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:48:25 ID:GUvggllT
>>118 前々から言われてるけれど信憑性無い、というかさほど意味がある
とは思えない逸話。あんまり直江の印象が良くなるとは思えない内容。
あくまで逸話だし、あんまり本気にしない方が良いとおも
122 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:49:19 ID:UkLw+qfP
>>116 112の人が言ってるのは、直江状で惚れたという部分だろう。
直江状はあれに似た書状は実在したと思うけど、正信が兼続
を評価したのはそこではないと思う。和平交渉でのやり取り
の中で評価したのだと思う。あと、養子に迎える時点では政
重は浪人中で困っていた様子。
123 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:53:07 ID:GUvggllT
惚れたとかそういうことよりも幕府とのパイプ作り成功
ってことで評価対象にした方がより納得できる人が多いだろうね。
124 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:57:09 ID:ycak+DLu
完全な憶測だけど政重は密偵みたいなもんだったんじゃないの?
125 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:58:02 ID:pDAX76kQ
126 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:03:57 ID:GUvggllT
>124
それはさすがに憶測過ぎますw
127 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:15:05 ID:ycak+DLu
>>126 130万石時代の家臣をそのまま抱える上杉家を野放しにしとくのって不用意過ぎるだろ?
お目付け役の一人や二人いても自然だと思うんだが。
それに養子解消=お役御免って考えると凄く納得が行く。
逆に言えば直江は政重を受け入れることで徳川に二心が無いことを示したとでも言うか。
128 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:24:00 ID:UkLw+qfP
>>124 たしかに小説とかでは密偵説が多いですね。
養子縁組するときの書状を見ても「蒙勘気者」みたいなこと
がでてくる。スパイとかよりむしろ正信も持て余してたと思
う。だからこそ兼続の申し出は正信とのパイプを強化する上
ですさまじい威力を発揮した奇策だったと思う。
兼続は娘(政重嫁)が死んだとき?にそれでも上杉家に忠義を
尽くすように政重に誓わせてる。
>>125 逸話からだと兼続の性格は悪く感じるけど、話自体は政宗を言
いくるめる内容になってる。最初に出たのが誰が書いた書物か
は知らないけど、景勝や兼続は江戸時代にも評判はよかったっ
てことなんじゃないのかな。
129 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:30:59 ID:GUvggllT
そういうことですか。確かに幕府側上杉側としてもお互い養子縁組に
よって得るところが大きいですね。特に上杉側としては期待が大きそう。
養子縁組も養子縁組解消もはっきりとは理由がわからないらしい
けど。
まぁ前田家行った後の交流をみると信頼関係はうまく作ったようで少し
微笑ましい。そんなのんびりしたもんじゃないとは思うけどw
130 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:36:39 ID:ZM2waoe4
まぁ西軍が勝つチャンスもたくさんあったわけだから
結果論で非難するのはおかしいな。
島津や長宗我部や宇喜多や鍋島らも愚将扱いしなけりゃならなくなる。
あの敗戦の大半の責任は西軍総大将の毛利にある。
国東半島をウロウロしてた黒田如水も1日で終了なんて予想できなかったわけだし。
131 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:36:46 ID:GUvggllT
>128
忠義を尽くすように誓わせるって、杖柱ともなるべくみたいな書状の?
そのタイミングだったのか…。
132 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:39:38 ID:t/9YiUjU
ここの直江批判って、
>>112の指摘通り
・景勝、水原らの功績吸収
・しまいには上杉鷹山の政策も直江のおかげ、直江のパクリ、
それをケネディも賞賛(笑)
・失敗はすべて他人のせい、成功はすべて直江のせい
にしている痛い一部の直江信者へのカウンターであって、
結果論云々じゃないと思うが
133 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:46:16 ID:GUvggllT
>>132 荒れる原因はいつもそんな感じかもね。直江自身への
批判とはまた別だとおも。
134 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 23:55:27 ID:lO21FBMh
これも散々過去スレで話されたと思うが、1日で終わるのが予想されなかった
ってのも、ポイントはそこじゃなくて、最上相手に苦戦したことなんだけどね。
最上が善戦ってもいいけどさ。
135 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 00:01:26 ID:SL1woL+3
まぁ当の本人も焦った感じの書状残しているね。
136 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 01:14:30 ID:4srxS9jo
二軍だいうのも、後付けの言い訳だからな、完璧に。
仮に二軍だとしても、負けるつもりで出陣したわけじゃないだろうに。
勝てるつもりで出陣して、後から負けた言い訳にしてるだけ。
137 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 01:22:30 ID:QLlrvWT2
最上が庄内攻めできたのも、上杉勢が降ったおかげ(笑)とかほざき出すからな、
ごく一部はw 何でも直江のせいだ、確かにスイーツ大河向けだわなw
138 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 01:49:14 ID:SL1woL+3
う〜ん
直江は構想は良かったがいざやってみたら
うまく行かなかったって感じだよなぁ→最上攻略
大軍を指揮する経験が足りなかったってのもある?
139 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 08:19:00 ID:ejlrpfl3
ほとんど景勝のお供だったみたいだから経験不足ってのはあるかもね
でも数はそれだけで力になるから最上の異常な頑張りの方が大きいかも
140 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 08:54:27 ID:PeV8dHXH
んなこたない。直江は新発田の乱で既に軍の主将も先鋒も経験している。
で、失敗している。部隊長をやってもこれといった武功も聞かない。
軍事が無能だことは既に分かって居たはずなのに…
141 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 08:54:50 ID:GshOuQvX
織田との戦いでは景勝自身が駆けずり回ってるし
兼続だけを大将に出陣したのは最上攻めの時だけだよな?
景勝は中央に対する本領守備から離れられなかったんだろうな。
籠城してる相手攻めるのに時間が掛かったからってそう叩く気には俺はならんが。
142 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 10:57:24 ID:2tJVojmp
最上攻めは関東侵攻の前段階だったため、本隊は
本領守備と言うより関東攻めの準備を整えていた
のだろうと思う。その状態で最上攻めの軍が二万
もいたのかは微妙だと思うけど、いずれにしても
大軍で苦戦したのは確か。
ただ、支城をほとんど落とされた最上家のピンチ
が回避されたわけではないし、関ヶ原が長引けば
最上の滅亡もしくは降伏の可能性のほうが当然高
かったと思う。
直江本隊だけでなく、別動隊や小野寺家も攻めあ
ぐねている。撤退戦での采配は最上からも評価さ
れているし、戦上手とはいかないまでも無能って
のもどうかな。伊達など周りの大名が上杉を敵に
回したくないために積極的に動かなかった中、最
上が地の利を生かしてよく孤軍奮闘したと解釈し
てるよ。
143 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 11:04:30 ID:CVrT6e6P
そもそも戦略上の失策だけどわずかな期間にこれだけの失敗を重ねていることが無能の証明だと思う。
具体的には畑谷城撫で斬り、長谷堂での失態、上山での大敗北
144 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 13:07:27 ID:zMkgYLwN
また壊れたカセットテープみたいに同じ事言って永遠ループかw
145 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 13:16:48 ID:QBUiMBzc
>>142 >ただ、支城をほとんど落とされた最上家のピンチ
ここで何度も話されてると思うけど、支城の放棄、山形周辺への兵力集中は
最上側の基本戦略だから。
>関ヶ原が長引けば最上の滅亡もしくは降伏の可能性のほうが当然高かった
これも何度も話されてて、「上杉の大軍の前に落城目前」とかいう物を知らない
物書きの文章じゃなく、長谷堂戦の詳しい経緯を見れば攻城戦の最中で攻城側が
優勢だったことは一度もないし、雪の問題もあるし。
>最上が地の利を生かしてよく孤軍奮闘したと解釈してるよ。
まあこれは同意だけどね。
>>143 >具体的には畑谷城撫で斬り、長谷堂での失態、上山での大敗北
長谷堂はともかく、上山での敗北を直江の責任にするのは酷だと思うが。
まあ、畑谷城撫で斬りは必要なかったと思うし、上杉家の「義」の看板にも反すると思うがね。
146 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 13:48:59 ID:SL1woL+3
叩くつもりで最上攻略の話出したわけじゃないんだが、
本人が思っていたより事が進まないことに焦り気味の書状が
あるからさ。
時間が長引けば直江に有利なわりになんだかな。
落ち着かないっていうか直江っぽくないというか
147 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 15:12:13 ID:GshOuQvX
畑谷撫で切りって最上が支城放棄して引き上げたにもかかわらず
一部が命令に従わずに籠もってたんなら
畑谷にいた奴はほぼ全員引く気の無い戦闘員じゃねーの。
こういうのを殺して撫で切りっていうのか?
148 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 15:50:04 ID:uKBhvrK7
149 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 20:25:42 ID:SL1woL+3
撫でぎりしたことは大きな戦果ってことか。
見せしめ要素が強いのが撫でぎりだが最上は
戦意消失しなかったな。
150 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:25:05 ID:GshOuQvX
そらまあ最上にしてみりゃ命令に従わずに立てこもった一部の兵が
案の定殺されましたってだけの話だろうしなあ。
151 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:25:31 ID:LjHHF0q9
逆効果な撫で斬りをやらかしたのは官僚的な前例踏襲主義だろう
信長や政宗が撫で斬りをやって中央や奥州に覇を唱えた
だからオレも撫で斬りをやって羽州に覇を唱えよう、みたいな
バカだねぇ〜直江
152 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:39:28 ID:ZP7JK3w5
直江マンセー本では「畑谷を速攻落とし、戦上手ぶりを見せつけた兼続」とか
書いてあって笑えるんだがw
城攻めは難しいといっても、敵の二倍死傷者出しておいて何がだよw
>>147の言う通りかもしれんが、降らなかった城将を殺せばおしまいなのに、
怪我して動けない奴のとどめをさし、
わざわざ首を取るわけだから無駄な殺戮であることは確か
それに畑谷周辺の住民は思いきり上杉勢に乱暴されて、逃げ惑っているし
愛があろうがなかろうが、虐殺は虐殺だ
>>150 最上にすれば「よくもぶっ殺しやがったな、ゆるせねえ!」ってむしろヒートアップ、
した感が強い。江口も捨て石になることで士気を高める気持ちがあったかもしれんしな
あと畑谷しか撫で斬りをしていない印象のある直江だが、
庄内検地で逆らう奴には撫で斬りを辞さないとぶちあげていた
おかげで庄内では一揆や逃散が相次いでいたのを忘れちゃならない
153 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:42:38 ID:zMkgYLwN
154 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:48:09 ID:XTjpOQGO
直江軍は最上軍に苦戦したって言うけど当然だと思う。最上は250年以上も山形村山地方を治めて地理は知りつくしてるし、また米沢に備えた支城もある(米沢伊達時代から)。
最上も生活懸かってるし、そんなに簡単に降伏しないよ。一方直江は米沢に入ってわずか2年。苦戦するのは当然。
だけど、庄内鶴岡軍と3方から攻囲しており、苦戦しても勝てる陣容は整えてあった。関ヶ原さえ長引けば(あと半月あったら)最上は降伏してた状況だろう。
その後、最上は伊達攻めの先鋒となってた可能性大。って言うかそれを狙ってたんだろう。
直江の考える伊達攻めは、福島から本庄・須田軍と佐竹軍。笹谷峠から直江軍(先鋒は最上義光)って計画だったんだろうな。
155 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:51:03 ID:ZP7JK3w5
156 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 21:52:45 ID:T+XJpTXM
157 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:16:21 ID:XTjpOQGO
関ヶ原の時は、景勝は一切表に出てこず、直江状から最上攻め迄一貫して直江が表に出ている。
また、家康を追撃すべきと主張したのも直江だということになっている。
これは、家康が勝って直江が潰れても、上杉本家は残すという直江の考えから出てたんだろう。
直江って凄いね。
158 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:22:28 ID:T+XJpTXM
また景勝の功績吸収か
いい加減にしろ
159 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:26:08 ID:SL1woL+3
庄内検地でのそんな物騒な台詞は知らんかったなぁ
160 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:33:46 ID:XTjpOQGO
>>152 全く話にならないね。
どっからの出典だか知らないが、虐殺したなんてそんな話は初めて聞いたよ。
出典を明らかにして下さい。最上記にも直江に対してそんな批判めいたことは無かったよ。
161 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:41:16 ID:h4iLjKuE
>>160 直江兼続の秋山伊賀宛書状に「撫で斬りを命じ、首五百余をとった」とある。
籠城勢は五百だから、撫で斬りにせんとそりゃ五百は首取れない。
何が得意気に話にならない、だ。
おまえ一時期いたクソコテハンだろ? 常時ageで痛い口調でバレバレだ。
162 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:49:08 ID:SL1woL+3
大軍で攻め続ける中撫で斬りにしないで捕虜とかにしたら、最上側からも寝返りがでたかもしれないのに。
撫で斬りしたらしたで相手が戦意消失すりゃいいけどしないし…。
なんかうまくねーな
163 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 22:51:00 ID:GshOuQvX
直江は景勝の奏者をしただけだろ。
会社窓口と「〜とお伝え下さい」「我が社の回答といたしましては…」とか
やりとりしたからって会社の業績は全部窓口係のものになる訳じゃあるまいし。
164 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 23:10:11 ID:7WFrLrXv
>>154 上杉は伊達を攻める気だったのかな。景勝や直江は伊達
が関東攻めに従う可能性は高いと見ていた。最上を降伏
させたら伊達も味方につくとにらんでいたのだろう。
畑谷に残った連中は撤退を聞かなかった奴らだから降伏さ
せるのは骨が折れただろうけど、結果的に撫で切りは確か
に逆効果だったね。ただの奏者ってのも違うと思うが。
165 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 00:26:07 ID:D3Rb5gFX
対照的に最上は投降した上杉兵を積極的に活用して庄内平定した。
でもその時の降将が後に最上騒動を引き起こしたってのは皮肉だ。
直江みたいに撫で斬りしてれば改易は無かったかもしれないのにな。
166 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 01:26:37 ID:lm0aGVA/
降将はそれが狙いとかはない…よな?
167 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 01:27:48 ID:reG9/kif
まあ、お家騒動は二十年後だし、そこまで行くとさすがに結果論すぎるだろ。
168 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 01:31:56 ID:caQyWuTM
「撫で斬り」ってのは、戦国的な意味では、撫で斬りをされたほうに、「住民を守る安全保障上の能力が無い」って事を
証明するための行動である場合が多い。
上杉方も、「最上の領主としての住民保護能力の欠落」を宣伝するために、撫で斬りをやったと考えていいだろう。
169 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 01:55:21 ID:D3Rb5gFX
>>168 後にその土地を統治することを考えたら撫で斬りなんてできないけどな。
もちろん住民感情は最悪になるし生産効率が著しく落ちる。
政宗と言い信玄と言い撫で斬りは良い結果を生んだ試しが無い。
むしろ効果的に作用した撫で斬りの事例を示して欲しいくらいだ。
170 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 02:07:58 ID:lm0aGVA/
住民感情より敵方、周辺諸城へのデモンストレーションって感じ。
城内での殺戮よりそん時土地あらして民家襲うって方が
住民感情には影響大きそうだと思うけどなぁ。
171 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 02:09:14 ID:caQyWuTM
>>169 > 後にその土地を統治することを考えたら撫で斬りなんてできないけどな。
それは違う。撫で斬りには、相手の統治能力を貶めるとともに、自己の統治能力アピールの効力も、間違いなく
あったんだよ。
伊勢宗瑞(北条早雲)も、後に根拠地になる伊豆でやってるし、信長の伊勢長嶋のもそう。
戦国の、自力救済の世界では、「殺されるほうが悪い。負けるほうが悪い」って意識が、普通に存在したのは
間違いない。だから、強者としての自分を、暴力的な方法で見せ付けるのは、必ずしも下策ではなかったんだよ。
ただ、直江の場合、これがすでに近世に入りかけの時代で、人々の感覚もかなり変化してきていた、と言う部分を
考えると、これが良い作戦だったかには、疑問符がつくけどね。
172 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 02:24:35 ID:lm0aGVA/
戦争で槍やら銃やらで普通にぶっ殺し合ってるの目の当たりにしてちゃ
強い方に統治してもらった方がまだ安心か。
戦争無い時代に生まれて良かった……
173 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 19:25:12 ID:r7BRN12o
直江の無能・無慈悲ゆえの悲劇…
それに尽きる
174 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 02:02:38 ID:oZLw4gsI
軍事はどうみても無能だろうな、内政面は無能とまでは
いかなく普通に家老職まかせられる能力あったんじゃないかな。
軍事も内政も無能では下の者だれも付いてこないでしょ。
上杉の家老ってブランド名で有名になったようなもんだな。
175 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 02:11:50 ID:RtTEdkXI
関ヶ原後も家内で引きずりおろされてもないし
中心になって活動してんだから有能だったんだとは思う。
軍事は…自分は正直わからない。
176 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 09:24:26 ID:t+8J7pKZ
関ヶ原後は、家康のもとに真っ先に行って、家康に気に入られて
上杉の減封を主導したから権力をキープした。
直江の支持基盤である与板衆による家中の要職の独占をさらに進めた
177 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 09:30:06 ID:gtzIri+A
直江兼続死後も景勝は与板体制の解体してないけどな。
178 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 10:42:57 ID:rKL65RnL
秀吉死後の派閥争いや、
本多親子や大久保の失脚、
最上など改易につながる相続を巡る派閥を背景にした争いなど
未然に防ぐためには与板衆の強化は
欠かせないだろう。
そもそも謙信死後の内乱からの教訓だろ。
ところで新発田の乱における兼続の指揮ってのはどの一次資料に書かれてるの?教えてくれないかな。
179 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:01:06 ID:rKL65RnL
あと撫で斬りしたのは民衆でないのに
のちの統治のためとか意味不明。
そんな事言ったら大崎葛西の乱で撫で斬りしまくったのちに統治した政宗はw
佐々が統治に失敗した肥後の一揆を撫で斬りした後の統治の件は?
そもそも、撤退命令が出ていたのに、城を枕に討ち死に覚悟で徹底抗戦した相手だから名誉の死を望んでたし、それを逃がして長谷堂に籠城させてさらに長谷堂の防御力をあげてあげるの?
最上が長きに渡る支配を続けていた上山など村山地方周辺は、討ち死に覚悟の将兵が多かった。
城将が責任を取り切腹で城兵の助命開城なんて選択肢すらなかった。
長谷堂籠城2週間で落とせなかったのが無能なら伊達が攻めた二本松城や福島城や中村城や織田の小谷城や石山本願寺や秀吉の鳥取城や備中松山城や忍城や北条の関宿城や武田の小田原城などはなんなの?彼らは無能なの?
直江は米沢15万石の旧伊達系の兵力で最上主力軍を正面から引き受けて、背後の庄内軍(23万石程度の兵力)の侵攻を支援していた。
しかも直江は中央情勢や白河口の情勢も気にして情勢収集しなければならない立場で忙しかったろう。
180 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:09:50 ID:rKL65RnL
訂正
備中松山でなく
備中高山城の間違い
181 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:12:35 ID:rKL65RnL
変換失敗…何度もすまん高松城です。
182 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:24:17 ID:PAGUCQVL
六倍以上の兵力差があったのに苦戦を強いられるってのは無能というか指揮不味過ぎ
183 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:37:15 ID:OzPqa910
またきた率いた兵が2軍だから厨
184 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:42:50 ID:JtceNej+
>>179 小谷城だ、石山本願寺だ、鳥取城だ、備中松山城だ、小田原城だ・・・・なんで長谷堂ごときを本城と比べてんの?
185 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:44:50 ID:JtceNej+
忍城や鳥取城は、意図的に持久戦に持ち込んだだけだし、
小田原攻めや石山本願寺やらが、長谷堂攻め並の兵力差があったのか?
変換がどうのじゃなくて、まず条件付けすら無茶苦茶だからさあ。全然比較になってないから。
186 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 12:15:43 ID:rKL65RnL
はぁ?敵本拠地寸前で、尚且つ1000規模で籠城できる城で
しかも後詰め決戦にむけて伊達最上が集結して側面を窺う地理的状況だ。
しかも直江軍兵力は15万石(伊達の一揆を危惧して米沢を空にする事もできない)で最上兵力は24万石だったか。
明らかに最上との兵力差はさほど開いてない。
長谷堂で座して待ってれば、庄内軍と山形で集結するのも時間の問題だ。
しかも長谷堂周囲はまわりがぬかるみで、足を取られ自由に動けない場所で、最上側はかなりの(山上から2000〜2500挺以上で狙い撃ち)鉄砲装備だと聞く。
そもそも防衛側有利に設計されている以上は籠城側が優位な位置を占め、攻め口を限定させ集中防衛を敷き、攻略は長期戦になりがち。有岡城や丹生島城など攻め手の苦戦はよくある。
187 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 12:26:57 ID:rKL65RnL
それに畑谷城で兼続は降伏勧告の時にメンツを潰さない処置をとると説得したのに拒否した件は黙殺か?
下の降伏を許した義光を誉めて持ち上げておいてさ。
188 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 13:19:21 ID:rKL65RnL
新発田攻めに関しても
景勝らは越中や北信濃情勢を優先している。
新発田自体が織田の他、葦名氏(御館の乱でも景虎支援)の支援を受けての10年の抗争をしている。
本能寺後も、新発田攻め&上野出兵依頼より春日山近くにあたる佐々や家康や氏政や真田の動きに対応する事を優先しており、
例えば、越中が緊迫してきたから景勝が越中へ出兵するにあたり、春日山に信濃諸将を入れて防衛を任せたら
北信濃が緊迫して越中出兵が中止になったりと忙しい。
だから新発田攻めで攻勢に出て新発田城に肉薄した時も、例年の相次ぐ越中や信濃出兵で将兵が疲労してるから休ませたいと城攻めはせずに撤退したりしてる。
そういう背景や経緯を書かずに何を言ってるんだか。
婚姻関係の家康と氏政が沼田城譲渡を巡り真田が離反し、上杉に帰属した際に
家康が大軍で、真田が籠城した上田城攻めを行い大敗してるね。
189 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 13:40:44 ID:rKL65RnL
当時の山形城は単なる小さい平城で、最上57万石だったか?になった時に築いた巨城のようなものではなく、軍事拠点と言うより政庁のようなもの。
当然、義光としては長谷堂を最終防衛地としていたはずで、全力で支援していたはずだし、村山地方将兵は決死の覚悟だったはず。
しかも庄内軍によって、すでに寒河江城を落とされている。
上杉側の大戦略が順調に成功しつつある状況下だ。
190 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 15:58:49 ID:gtzIri+A
陣容見てると浪人衆と直江家臣の中で
水原は景勝が戦経験値の低い直江を心配して付けたのかな、と思ったりする。
191 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:03:07 ID:JtceNej+
ID:rKL65RnL
お前が書いてるのって、歴史の至る所から、都合のいい失態だけピックアップして、
「誰々も失敗したから、直江の失敗なんてよくあること」って言ってるだけだぜ。
理論自体滅茶苦茶だが、仮に理論が全部合ってたとしても、他が失敗してるから直江の失敗が軽くなるモンじゃない。
伊達の次は、全国の武将を貶めたいらしいが、いくら下に並べようとしたって、直江の失態が消えないからさ。
上田攻め失敗した家康にしろ、他の武将にしろ、優秀とされる武将には、別に優秀な戦の実績がある。
直江は失敗した戦の結果ばかりで、能力で成功させたといえるモノがないから、戦はダメって言われてんだろ。
直江に長篠や小牧長久手、関ヶ原、大阪の陣みたいな戦果があるのか?
>>186 最上と上杉の兵力差はさほど開いてないなんて、超新説なんだけど、ソースはなんなの?
で、迅速な行軍が求められた直江の失態と、じっくり攻めていた鳥取城や忍城、
城の規模が段違いの小田原、石山本願寺だのを例に挙げてんのは、何?
お前が例に挙げてるのって、どれも1000人規模の籠城どころじゃない規模の城が大半じゃん。
知りもしないで適当に書いてるのか、わざとミスリードしてるのかしらないが、わざわざ長文&連投で乙だな。
192 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:37:13 ID:JtceNej+
>しかも後詰め決戦にむけて伊達最上が集結して側面を窺う地理的状況だ。
小野寺義道等から侵攻を受けて、側面を突かれてるのは、最上も同じ。
>直江軍兵力は15万石(伊達の一揆を危惧して米沢を空にする事もできない)
上杉は120万石、最上は24万石。どこから直江軍は15万石なんて計算が出てきたんだ?
>長谷堂で座して待ってれば、庄内軍と山形で集結するのも時間の問題だ。
座して待ってないで、散々攻めたてて、甚大な被害が出ているわけだが。
>新発田攻めに関しても景勝らは越中や北信濃情勢を優先している。
だからといって、負ける前提で出兵するわけがないわな。
>家康が大軍で、真田が籠城した上田城攻めを行い大敗してるね。
家康は小牧長久手で圧倒的不利を覆したり、長篠や関ヶ原でも勝利を収めてるね。で、直江のめざましい戦果は?
>当時の山形城は単なる小さい平城で、最上57万石だったか?になった時に築いた巨城のようなものではなく、軍事拠点と言うより政庁のようなもの。
>義光としては長谷堂を最終防衛地としていたはずで、全力で支援していたはずだし、村山地方将兵は決死の覚悟だったはず。
空城策を用いてまで、山形城に兵力を集中させてたわけだが。長谷堂は1000規模で凄いと評価し、その何倍の兵が集結した山形城は小城ですか?
>しかも庄内軍によって、すでに寒河江城を落とされている。上杉側の大戦略が順調に成功しつつある状況下だ。
結果論だろうが、最上は持久戦に成功し、直江は攻めきれず敗軍の将となった。これは歴史的な事実。
負けるつもりで攻め込むバカはいない。勝てるつもりで攻めたが、勝てなかったんだよ、直江は。
2軍だの、兵力が分散しただの、全部ただの後付けの言い訳。んなもん、攻める前から分かってたことだろ。
それを計算に入れずに攻めていたなら、もっと評価を下げなきゃならん。
193 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:40:28 ID:+2x5aL+q
最上攻め
http://c.2ch.net/test/-/sengoku/1208470295/184 鳥取攻めも強襲して無理やり落城させようとすると被害甚大になるから包囲したんだろ。
忍城にしたって葦と湿地に囲まれた城で
強襲は被害が出るため早期に落城させられず(事実、6/1〜6/6まで佐竹らは強襲して被害がでてる)に6/7に秀吉の命で方針転換してる。
そもそも戦数が少ない・武功が少ない事が戦の無能の証明になるなんて聞いたことないな。直江の失敗ばかりって具体的にどれのことだよ?わかんないんだが。
むしろ戦の経験豊富な家康が、たかが上田城で失敗したことの方が遥かに笑える。
長谷堂城は230m級で周囲は湿地と田の泥濘で囲まれた山城。
攻める側は泥濘に足を取られ、退却時には鎧兜の自重により
自由がきかずに軽装の城側から長鑓の追撃を受ける。
こういう泥濘で大軍を投入すれば、沖田畷の戦いのように
進退において攻め手の渋滞が起きて混乱するだけだ。
下手をすると敗軍になりかねない。
こんなトコだから、途中で包囲策に切り替えただけだろう。
攻城が難しい山などの天嶮を利用した要地で包囲策に切り替えるのは、秀吉などもやっている。
これが2週間で落城させられない無能の証明かね?
長谷堂が落ちたら即、最上滅亡だろうし、後はないので全力で篭城してるんだし。長谷堂が事実上の本城だわな。
194 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:49:37 ID:JtceNej+
>>193 別に急ぐ必要がなかったから、鳥取攻めは強襲から包囲にと、作戦の変更もできた。忍城攻めも同様。
時間的な猶予がなかった直江軍とは、そもそも前提条件が違うから。
>長谷堂が落ちたら即、最上滅亡だろうし、後はないので全力で篭城してるんだし。長谷堂が事実上の本城だわな。
だから、兵力は「山形城」に集結させてるから。
195 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:52:31 ID:+2x5aL+q
戦で負け続きで失地を繰り返した小野寺義道は関が原の時も結局、無力だっただろ。
その何倍の兵が集結した山形城は小城ですか? ←その小城じゃないと言う根拠の提示をしてくれ。
長谷堂での後詰め決戦に向けて、直江は最上・伊達連合軍の攻撃を長谷堂で待ち受けながら包囲してたんだろ。
彼らと長谷堂の挟撃を待って撃破し、山形へ新支配者として堂々と入城することで反乱や一揆を押さえ込む策。
196 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:52:53 ID:JtceNej+
あと、当時の上田城は尼ヶ淵、千曲川、神川、太郎山脈等に囲まれた、要害城だったからね。
現在の市街にある、ただの平城とか思ってない?
197 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 17:59:16 ID:JtceNej+
>>195 >戦で負け続きで失地を繰り返した小野寺義道は関が原の時も結局、無力だっただろ。
なら、長谷堂攻めの時期にまったく参戦してない伊達軍も無力扱いしておけ。なんで直江側だけ敵が多かったみたいに書くの?
>その何倍の兵が集結した山形城は小城ですか? ←その小城じゃないと言う根拠の提示をしてくれ。
逆に、まず小城と主張したお前が根拠を提示してくれ。
長年、出羽領内で戦が続いていたのに、その主たる大名の本城が支城の長谷堂以下だったっていう根拠を。
>長谷堂での後詰め決戦に向けて、直江は最上・伊達連合軍の攻撃を長谷堂で待ち受けながら包囲してたんだろ。
だから、包囲じゃなくて、完全に功城戦をしてたから。待ち受けて包囲してるだけで、なんで副将が死んだりするんだ?
198 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:05:11 ID:+2x5aL+q
199 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:12:33 ID:JtceNej+
>>198 時間がたんまりあるっていうなら、関ヶ原が早く終わっちゃった所為で……とかいう言い訳はしないでね。
時間的猶予があったのに、庄内軍を待たずに無理矢理に攻めたてて、副将まで失う大被害を被った直江の指揮は論外だね。
長年、争いが続いていた出羽国内で、最大の大名の本城に、有効な防衛力がない方がおかしい。
ある、ないで論じるなら、常識で考えて、「なかった」根拠を示すのが先。
両城の立地くらい、知ってるに決まってる。籠城戦しようっていうのに、距離で絞め殺されるとか、関係ないから。
何得意げに書いちゃってるの、城の立地くらい知っていて当然だろうに。
200 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:17:13 ID:JtceNej+
そうそう、地図がみれるなら、上田城攻めの失敗が笑えるなんていうまえに、上田城の辺りの地図みてみたら?
現代でさえ、周囲には縦横に多くの川が流れてるから。
>攻める側は泥濘に足を取られ、退却時には鎧兜の自重により
>自由がきかずに軽装の城側から長鑓の追撃を受ける。
なんて、長谷堂擁護を自分で書いてるのに、知らなかったわけないだろうけどね。
201 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:26:58 ID:FC9Ouhqz
山形城は天正年間(1573〜)から改修工事してるよ。
1592年には九州から本国に普請の指示書も出してたりする。
関ケ原の1600年に政庁程度ってのはありえないと思うよ。
202 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:32:20 ID:+2x5aL+q
初期に攻撃をかけて、難しいと知ってからは
それほど積極的な攻勢には出ていないんだがな。
それに副将が死んだから何?そんなの戦なんだから
泥水の中で前線指揮に出て行って城に取りつこうとしたら死ぬ可能性なんて常識的にあるじゃん。
関が原が一日で終るなんて誰が予想できたのかね?
黒田如水も予想できなかったね。当の義光すら「なんで勝ったかわからないけど、偶然勝てたラッキー」って言ってるんだが。
兼続の指揮に関しても義光も家康も誉めているし文句のつけようがないだろ。
15万石ってのに文句言ってる人もいるようだが
俺が代りに代弁すれば、
信夫・伊達郡30万石のうち、半分の信夫・伊達は本庄が対伊達用に温存してるんだから、米沢は15万石の兵力しか集められないだろ。
景勝本隊は下野駐留の徳川軍の進入路の白河口に備えて動かせないのは明白。
家康の5路による上杉征伐にしても、家康の白河口を決戦地として
他の4路には見事に手を打ってあったのは評価される軍略だろ。
御館の乱後の、ボロボロの上杉を纏めて、国人の独立性の高い越後を、家臣化して中央集権化を目指した手腕や、
衰退した越後を再度、軌道の乗せる創業の手腕や
越中や信濃・上野の情勢をうまく乗り切りながら下越を平定し
惣無事令下での戦略で庄内・佐渡の制圧と金山開発や
120万石5大老就任や上杉家の家格の向上のための官位任官などの中央政治工作など特筆すべきこともそれまでにやってきている。
それは専横ではなく、景勝の信頼の元で行なっているのであり、
別に独裁や秀吉へのへつらいでもなんでもない。
203 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:38:33 ID:+2x5aL+q
>>200 君は日本語わからないの?
そういう上田城でさえ、経験豊富な家康は敗北したんだよ。
同じように長谷堂で攻めあぐねた直江を無能扱いするのはおかしいと
皮肉をこめて主張してたのもわからないの?
>>201 それで具体的にどうなん?平城じゃ心もとないから
土を持って小高い丘陵にしたり
石垣でも積み上げたの?一面を掘って空堀にしたの?
河川を新たに引いてきたの?
204 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:44:46 ID:+2x5aL+q
202のレス
×信夫・伊達郡30万石のうち
○米沢・信夫・伊達郡30万石のうち
205 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:44:58 ID:FC9Ouhqz
いやだから、ID:rKL65RnLが書いたような政庁程度ではなかったってこと。
政庁程度だって主張したいなら、その根拠を示すべきだと思うよ。
206 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 18:56:08 ID:oZLw4gsI
スレ伸びていると思ったら、平日の真っ昼間から直江厨のキチガイ長文
復活かw
いくらひいきの武将だからと言って何でそこまで無理な持ち上げかたするのかなー。
人間なんだから失敗することなんて当たり前じゃん、そおいうのもまとめて好きになればいいのに。
207 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 19:00:55 ID:PAGUCQVL
上田合戦の兵力差が長谷堂合戦ほど無いんだけど・・・
一度行ったから分かるけど防御力なら長谷堂が上だねぇ
当時の山形城が戦え無い城って事も無いけど
208 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 19:07:22 ID:FC9Ouhqz
今の上田城って、昌幸の頃の上田城とは違うんじゃなかったっけ?
209 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 19:13:28 ID:+2x5aL+q
>>205 天嶮に拠らない山形城は、そもそも現代の遺構において本丸部分くらいの城域しか持たない小城だった。
豊臣秀吉の天下統一により世の流行に従い要害として整備したわけではなく行政向け志向。
平城として強化したのではなく、政庁としての機能を強化したんだろう。
(秀吉から特別に築城許可が降りたのは上杉の神指城や広島城)
そもそも24万石から57万石になった時に、今までのみすぼらしい城から
立派な城を作りましょうと家臣達に言われた義光は、民衆や家臣達に
大変な思いはさせたくないからと天守閣すら築かなかった。
「大将と士卒は扇のようなものであり、要は大将、骨は物頭、総勢は紙だ。
どれが欠けていても用は為さないのだから、士卒とは我が子のようなものだ」と言っていたし
義光は自国の民に対して非常に寛容であり、義光存命中は一揆もほとんど起きなかったと云われる。
これだけの言動をする義光がのちに最上四十八楯と称される支城群がありながら
山形城の為に皆を酷使するとは思えない。
義光の直轄地は非常に少なく57万石時代からして、家臣総石高が合計66万石に達していた。
それだけ厚遇してるのに山形城を要害として本格整備する余力が24万石時代にはない。
(秀吉時代の諸大名は相次ぐ出費の金策に苦労していた)
しかも山形城自体も町民が住む場所が本丸などよりも高い位置にある防衛を疎かにした珍しい城だ。
210 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 19:20:40 ID:oUcWDWqs
>>203 家康は上田城攻めたことないだろ
徳川軍が真田攻めたのは鳥居が指揮とってたのと秀忠が大将だったときで
家康自信が指揮して上田城攻めは無かったと思うぞ
どう擁護したって直江は軍事に関しちゃ良い結果を残せなかった武将だよ
211 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 19:22:25 ID:FC9Ouhqz
いや、こっちが聞いたのは「だろう」とか「思われる」じゃなくて、山形城が政庁程度の規模でしかなかった
という根拠を示してくれってことなんだが。あなたの考えじゃなくソース付きで。
それからその逸話は天守閣建造に対するもので、城郭の整備に対するものじゃないから。
212 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 19:47:46 ID:PAGUCQVL
上田合戦と比較したいなら直江さんと比べるべきなのは家康じゃなくて秀忠とか鳥居とかだよ
どっかの時も家康は景勝ポジなんだから
213 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 20:04:54 ID:rKL65RnL
>>211 秀吉から本格的山形築城許可の証拠に出して反論してくれ。
それとも義光は秀吉の激怒を恐れなかったのか?何の為にやったのか問い詰められたらどう答えるつもり?
景勝の政策的失敗は直江の無能呼ばわりするのに、家康の戦略的失敗は鳥居の責任だと歪曲するわけ?
しかも一度失敗した上田城攻めの教訓が生きてないね。
相変わらず都合がいいね君は。
君の論法だと鳥居や秀忠を選んだ家康は無能と指摘するケースでしょ。
そもそも秀忠が関ヶ原が1日で終わる事を予知できないでモタモタしてたから無能なんだろ。
秀忠が関ヶ原に間に合わなかったのは家康が1日で関ヶ原決着が予想できなかったためで無能の証明なんだろ?
1日で関ヶ原決着して西軍が負ける事が予想できなかった長宗我部や島津も鍋島も立花も毛利も宇喜多も西日本のほとんどが無能なんだろ。
家康の通り道にいた東海方面の豊臣諸将がやむを得ず従ったケースも関ヶ原が1日で決着がついて東軍が勝つ予想してたんだろ?
すごいね君の歴史観はw
214 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 20:28:14 ID:PAGUCQVL
直江さんは長谷堂で戦術的失敗を犯したなら比べるべきは戦略的失敗を犯した家康では無く同じ戦術的失敗を犯した鳥居や秀忠と比べるべきって事
上田城攻略軍を率いていた鳥居に秀忠、長谷堂城攻略軍を率いていた直江さん同じ立場の人を比べるべきでしょう?
215 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 20:31:12 ID:FC9Ouhqz
>>213 大丈夫かおまえ?
おれは秀忠とか景勝とか言ってるやつとは別人だぞ。
俺が聞いてるのはただ一つ、山形城が政庁程度だったというソースを出してくれってことなんだけど。
216 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 20:52:57 ID:KtaBGsjt
秀忠の上田城攻めが失態なら直江の山形出兵も失態だよな。
時間的制約の中で攻めなくていい城を攻めて結局落とせなかったってのは共通してる。
でも主力旗本部隊抜きで勝っちゃった家康って凄いな。
217 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 21:03:42 ID:gtzIri+A
最上を落とさないとどっちにしろ上杉は動けないんだから
落とさなくていい城じゃないな。
出来るかぎり早く落とさないといけない城だ。
218 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 23:48:30 ID:HKy8RvMQ
最上攻めや新発田攻めが簡単でないことはよく分かった
つまりそんな難しいことをやらかした事が無能無知であり
戦術よりも戦略・政策が無能だったってことでおk?
219 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:02:43 ID:Xk4iUr8b
プッ
戦略面における越中や北信濃や下越(新発田攻め)への出兵という大方針にも兼続の失敗と指摘し
小山会議においても、追撃しなかったと非難し、
最上進攻決定も批判するなど戦略面で文句をタレながら
急に家康の信濃支配のための上田攻めの大戦略方針や家康の指揮官選びを黙殺し、
戦術レベルに落として差別化をはかるわけかwwwwほんと自己中で都合がいいな我田引水とはこのことかwwwまさに基地害www
しかも内容が全体のほとんどに反論できないもんだから
なんとか一部の揚げ足取りに必死になってるのが笑えるwww
関が原は家康が凄いんではなくて西軍総大将の毛利があまりにも不甲斐ないていたらくなだけだろう。
勝ちを制する場所に布陣しながら自爆して、
さらに大坂城まで騙されて明け渡した後に改易→吉川が泣いて土下座して吉川に安堵された分を毛利に譲渡しての安堵w
勝手に時間的制約とか早く落さなければいけない城とか長谷堂城を自己中で定義すんなよバァカがwww
2週間で落城しなかった城なんて、いくらでもあるわアホが。
客観的にみて庄内軍を待ってればよかっただけだろ。
最上は朝鮮出兵で名護屋に行っていた時も
「朝鮮に行かずに済みそうだけど、ほんとならうれしいけど・・・早く故郷に帰り水をいっぱい飲みたい」とか言ってたし
豊臣秀次に連座して娘が殺されたりと、秀吉の指令に恐れていたのに
ワザワザ秀吉の目に付くように古小城を大幅に実戦を想定した大改築か?これ見よがしにケンカ売るのかwあり得ないな。
豊臣恩顧大名でもないのに、そんなアホなマネするわけない。
あっ政宗の岩出山築城を持ち出してもダメだぞ。あれは秀吉の命で指定され築城したもんだ。
主要道からも大きく外れた山奥への左遷で広島城や神指城のような巨城を許されたわけでもないけどな。
220 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:06:43 ID:5FItGbhJ
駒姫の死まで持ちだして義光をヘタレよばわりするような直江厨は、
ほんとうにしねばいいのにと心底思いました。
221 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:15:19 ID:5FItGbhJ
悪質直江厨の価値観:
上杉景勝→直江のおかげでもってたような無能
石田三成・毛利輝元→ともかく無能、おまえらがまともにやってれば直江様も勝てたのに
徳川家康→上田攻めに失敗したから無能
伊達政宗→とにかく無能。なんかしらんがともかく無能w
最上義光→豊臣にビビってたヘタレ田舎大名、直江の前になすすべもなかった無能
上杉鷹山→直江をパクったおかげで歴史に名を残せた
そこまで片っ端から無能呼ばわりしないと持ち上がらない直江って一体…
222 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:16:25 ID:Q7TylFmk
直江厨は他の武将を貶めてばっかだな
223 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:18:48 ID:b3gnxXFa
幾ら他を貶めたって、直江の戦での功績が産まれるわけじゃないのにな。
224 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:27:15 ID:HJfavnrr
>>219 SOHOさんお久しぶりですww
上田攻めに失敗したのは秀忠で家康の責は無いと思うんだけどな。
「長谷堂の大敗は直江なんか起用した景勝が無能」って言ってるみたいなもんだぞ
225 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 01:55:57 ID:b5oWpaGF
しばらくぶりに来たらまた同じことの繰り返しかよ
ひたすら極論とレッテルのはりあいに終始しているせいで
この板内でもトップクラスの殺伐ぶり。
いまに始まった事ではないにせよいい加減にしてもらいたいね
226 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 02:13:35 ID:yIG62fU4
いや一瞬落ち着いたんだけど、見ての通り
昨日からヒートアップ
227 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 02:49:41 ID:CiAXsZqV
he is back !!
228 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 07:44:20 ID:KbiBFo2X
深夜1時代にまたSOHOとかバカみたいなレッテル貼りの無職基地害が自演して暴れてたんだな。
こいつは低脳で批判内容が的外れだからすぐわかるw
229 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 09:58:09 ID:6ZjUZWto
とりあえず基地害とかバカとかののしり合うのはやめようぜ
直江びいきならここが汚れるのをいいとは思わないはず。
ほかの人の意見に淡々と自分はこう思うーって意見出しあ
ってればでいいんじゃね?あんまり感情的になると論点が
ぼけてくると思うんだが。
230 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 10:08:22 ID:YfUzWdRY
>>221 > 伊達政宗→とにかく無能。なんかしらんがともかく無能w
他は直江厨の妄想も甚だしい限りと思うが、これだけはガチ。
231 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 10:28:25 ID:5TOoULgv
なんか気付いたんだけど、
ここに居る直江厨房だけが悪質なんじゃなくて
直江兼続ワールドそのものが、デマと他将の貶めで成り立っている悪質なものなんじゃないか?
232 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 12:33:03 ID:ATKXFRGe
>>231 またそういうレッテル貼りをする
お前みたいなのがいるから荒れるんだよバカ
233 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:27:54 ID:otUXI831
いや、レッテル貼りとまではいかない気がする。
「怒涛のごとく山形の諸城を落とし義光の運命も風前の灯になったが、西軍敗戦により涙を飲んだ」
とかは最上の集中防御戦略と戦術レベルの奮戦を貶めて兼続の軍事能力を持ち上げるものだし、
「不浄な小判は触りたくない」
とかは政宗を世俗の人物と貶めて兼続の清廉潔癖さを持ち上げるものだし、
「戦では後ろ姿しか見たことない」
も政宗を貶めて、敗軍の将となっても堂々とした人物だと兼続を持ち上げるものだし、
「直江状」
は家康を権勢欲と貶めて兼続の正義感を持ち上げるものだし。
あと「愛」
については誰かを貶めるわけではないけど完全な勘違いだし。
んでこういったイメージが合わさって作られたのが、
文武両道・清廉潔癖で正義感と愛に溢れたスーパー武将、ってイメージなわけで。
んで信ヤボとか戦国無双とかでこのイメージから兼続を好きになったけど、現実はそんな
スーパー武将じゃないって指摘されて怒ってるのがここで熱くなってるやつだろ。
ここで熱くなってる奴が悪いわけではもちろんないけど、そういう他武将を貶めて作られた
虚構のイメージが問題の原因であることは間違いないと思う。
234 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:39:13 ID:KbiBFo2X
>>233 講談まがいの逸話まで持ち出して
すべてが悪意の解釈だらけでキモいよ君
人として終わってるよ。
235 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:40:54 ID:nHtDV8Zx
>>233 鷹山時代に直江を持ち上げるためにそういうイメージが作られたって誰か言ってたね。
で、割を食ったのが景勝。
236 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:44:38 ID:otUXI831
>234
オレはちまたの直江イメージについて話している。
ちまたの直江イメージが講談まがいの話で作られてるんだから仕方ないだろ。
237 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:52:15 ID:nY1TT56l
>>233 それ、政宗を貶めてないだろ。むしろ実際よりも美化してる。
238 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 14:24:03 ID:7l5IqVQc
スレ読んでないけど常に上げてるバカがいるってことだけはわかる。
239 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 16:12:18 ID:LhnLc/TL
時代の流れが読めなかったんだから普通に暗君でしょ
240 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 16:44:54 ID:rX3u+Kbi
君主じゃねぇぞ?美化過大評価され過ぎた凡将
241 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 19:02:21 ID:zUJj3mFI
直江は真田幸村w
みたいなもんだろ
講談、小説では超有能なヒーロー
実際の活躍は微妙
242 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 19:32:00 ID:nHtDV8Zx
>>241 信繁は最後に一花咲かせた+判官贔屓の黄金コンボがあるからあの異常な人気も納得できるんだけどな。
直江の場合特筆される活躍も無く(信繁の大坂の役みたいな)敗北者としての美学も見出せないから。
243 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 19:42:15 ID:yIG62fU4
有能とか無能とか言うといきなり嘘っぽくなるけど、
有能だったんだとは思うよ。
ただ上の長文君が言うような最上を貶してまで持ち上げて
るのみるとハァ?と思う。
普通に関ヶ原後の内政対徳川外交を評価するってんなら
まだわかるが。
個人的に軍事面では特別褒める必要はない。
244 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 19:52:28 ID:zUJj3mFI
軍事面で特別褒められてるのは
最上からの撤退戦くらいだがその戦でも
直江は途中であきらめて切腹しようとした逸話が残っているからなぁ
切腹を止め奮戦した前田や水原鉄砲隊の頑張りが大きくて
撤退戦は直江の功績っていえるのかなんか怪しく感じちゃうんだよなぁ
245 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 20:26:20 ID:H8D1Slrg
>>244 さすがにそこまで言うと、ほかの合戦でも総大将を評価
できなくなるんじゃ…。切腹の話は前田慶次を光らせる
ためのお話だろうし。水原、前田の奮戦は否定しないけ
ど、総大将の采配の中で動いていたんだろう。
246 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 20:38:37 ID:KbiBFo2X
SOHOとか長文君とか気持ち悪い言葉でレッテルを貼りまくる基地害粘着は同一人物。
247 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 21:53:39 ID:yIG62fU4
俺SOHOとか言ってないぞ。
レッテル?実際長文レスじゃん。
別にかまわんから、いやなら次はIDで指定するわ。
248 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 21:55:35 ID:x0puV8J3
この人KbiBFo2Xは他武将のみならず、同じ直江ファンまで貶めて、
一体何がしたいんだろう…
249 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 23:27:52 ID:feY41AVI
ID:KbiBFo2X
これがsoho君の他にこのスレに住み着いてるもう一匹の基地だよ。
sohoは最近このスレ見てないんじゃないかな、今は主にこっちの
ID:KbiBFo2Xが荒れる原因だろ。
自演乙とか言ってるのはこいつ。
朝一から一日中ごくろうさんですわ。
250 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 23:51:50 ID:Xk4iUr8b
さてアンチ直江の偏執狂粘着基地害が
ミスジャッジを誘う洗脳工作を
開始しますたw
251 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 23:53:53 ID:x0puV8J3
Xk4iUr8bって自分のことを雄弁に語るね。
ID変えて自演ってすぐ言うのも、自分がそうしているからでしょ?
偏執狂粘着基地害ってまさにあなたのことじゃない。
生きていて楽しいのかなあ。
252 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 00:06:33 ID:P5D4LTlx
キチガイ低脳無知バカ直江厨を晒すwwwwwwwwwwww
【太田資正】さいたま〜の武将【成田長泰】
369:人間七七四年 10/09(木) 19:02 KbiBFo2X [sage]
>>365 大森教訓状ってそんなに熱い名文なんだ…
出師表に比すほどに感銘を受けたとは!概要で構わないので内容を教えてください。
ちなみに大森教訓状はどこで読めるの?
長尾景春
385:人間七七四年 10/09(木) 19:27 KbiBFo2X
白井長尾って相模国にも所領あったんだよね?
長尾郷とか鎌倉にも館あったんかな。鎌倉では上杉の館に住み込みかな?
景春の乱に呼応した相模の国人や豊嶋氏とはどういう関係だったんだろうか。 白井長尾と主従関係?
それとも景春の父や祖父の恩顧を受けた?
●戦国時代の都市・城下町
44:人間七七四年 10/09(木) 20:16 KbiBFo2X
戦前までずっと新潟県は人口全国トップだったんだよな。
足利将軍家は何故政略結婚をしない?
29:人間七七四年 10/09(木) 20:24 KbiBFo2X
室町政権は京都政権なので 公家と寺社を支配しないと安定しない
だから正妻は日野家からもらい 公家の荘園保護に乗り出し
比叡山など南朝の温床になりそうな場所には次男以下が出家して入る。
公家の荘園を守るとなると、荘園横領した六角氏などと対立するので、
将軍直轄軍たる奉公衆(近江や三河が大半)を使って討伐したり、京でのクーデターの際の逃げ場所になる。
32:人間七七四年 10/09(木) 21:44 KbiBFo2X
日野家は鎌倉幕府転覆に功績があった南朝の功臣にして後醍醐天皇の側近だったからね。
その分家で北朝側の正統性のアピールの一環。
関東の上杉氏を語るスレ
549:人間七七四年 10/09(木) 20:44 KbiBFo2X
むしろ義持時代の大飢饉の混乱や
貨幣経済発達による村落での労役を金で免れる行為により忠義が稀薄になった事が遠因だろう。
尼子経久ってどうよ
201:人間七七四年 10/09(木) 23:59 KbiBFo2X
御冥福をお祈りします。
253 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 00:27:49 ID:hoA2a3lH
>>246からまた罵倒合戦か。
直江と何も関係がないな。
で山形城が政庁程度って、ソースでたの?
254 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 00:28:42 ID:dGDlLchY
ID:KbiBFo2X の今日のIDは「Xk4iUr8b」か。
まっ自演自演言うくらいだから複数使いわけるんだろうけど。
>>252みると一日中2chに張り付いているみたいだし
SOHOさんとこいつは同一人物なんじゃねーの。
255 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 00:37:24 ID:YRE9Uidn
>>252 ほんとにアンチはストーカー並みに狂ってるな…
0時からまた自演で多数派工作して自己正当化ですか?お疲れさま。
256 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 00:44:11 ID:hoA2a3lH
あのさ、俺は昨日「長文君」って書いた人間なんだけど、
SOHOが誰とかそういうのはどうでもいいのな。
ただSOHOとかそれに酷似してるレスが増えると
前みたいに確実に滅茶苦茶になるし直江好きの印象も
良くないしうんざりなのな。
で、今話題になってる奴とかマジどうでもいいのな、
直江或いは直江に関係ある話をしない?
257 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 05:01:22 ID:L5rCh+p8
直江に関係ある話をした場合…
直江って大したことなくね?
↓
いや大したことあるよ
↓
いや大したことないから
↓
自演乙
↓
SOHO乙
この無限ループなんだぜ
ここもスルー検定しないと正常にはならないんじゃないかな
258 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 07:57:17 ID:uZX7oH4K
259 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 08:29:55 ID:QdTszhOc
どんだけ有能なのか分からない現代の我らが批評するより、
同時代の人はどう見てたんだろうね。
秀吉や家康、最上、藤原せいかとかが評価した話はあるけ
ど、最近思ったのはいわゆる直江状に怒った家康に対して、
奉行たちが「直江所行〜田舎者に御座候間、不調法ゆえ〜」
とか書いてる部分からして、家老としてはよく知られた存在
だったろうということ。上杉家に対して詰問してるんだから
「上杉所行〜」と普通はなると思うんだが。田舎者とか書い
てるし、「上杉」にするの憚られたのかもしれないけど。
260 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 08:33:27 ID:YRE9Uidn
秀吉から山形城を実戦的な築城の許可うけた証拠だせよ。
秀吉が何かあればすぐ
改易や死罪や流罪にする性格なのは知ってるよな。
261 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 08:45:29 ID:uZX7oH4K
>>260 その前に、秀吉に臣従する前の山形城が、政庁程度だったってソースを出せ。
262 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 08:47:32 ID:uZX7oH4K
ま、山形城の規模がどうだろうが、結局、そこにすら辿り着けてないんだから、論ずる意味もないけどなw
長谷堂が落ちて「たら」どうの言ったって、現実問題、落ちてないんだからさw
263 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 09:26:54 ID:dGDlLchY
>>259 当時は大名に直接書状出すのではなく、相手の家老を通して
メッセージを伝えるような感じだったみたいだから直江が有名とか
ではなく、各国の筆頭家老の名前くらい知られているのは当たり前
なんじゃないかな。
手紙自体も祐筆が書くのが当たり前だから祐筆でさえ各国の家老くらい
知っているでしょう。
264 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 12:31:01 ID:l40nE97T
>>262 義光のころの山形城は簡素なつくりだったというのは、
東北--南部・津軽家/伊達家/最上家/葦名家 (特集 戦国の常識・非常識)
(全国 戦国大名の新事実・新常識)
歴史読本. 46(4) (通号 736) [2001.4]
この記事に出てるのをみたことがある。
>>263 島津の家臣が国許へ送った手紙などかな。他国の人間が直江について触れた
のは・・・・
265 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 13:20:35 ID:m/t1CRjh
>>263 それは当然だけど、本来「上杉所行」とか「会津所行」、
あるいは「会津よりの返書」などとあればいいところが
「直江所行」ってとこが気になった。
承タイは直江宛に詰問状を出したにしても、求めてるのは上
杉家としての回答であって直江個人の見解ではない。豊臣
の奉行もそこを認識した上で「直江が無礼なやつだから」
と言っているところが、上杉家の直江執政体制というか直
江の家中での発言力の高さが認識されていたからではない
かな、とちょっと思ってみた。
266 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 16:26:48 ID:YRE9Uidn
景勝様の意志ではなく
それがしの一存ゆえ
責めはそれがしが受けます。
と言える状況を作って上杉をかばう為だろ
267 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 17:01:02 ID:uZX7oH4K
>>264 歴史読本か。それだと、誰が自説として書いて、その根拠として何を挙げてるか知りたいところだな。
あと、小規模等でなく、実際に「簡素」って表現なら「贅沢じゃない・質素な」という意味であって、小さい・小規模という意味ではないし。
天守閣がない、贅沢な造りでない等の実戦向きな城だった的な意味合いに取れる。
268 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 17:16:57 ID:SjqEAT4r
269 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 18:47:35 ID:YRE9Uidn
もう必死に拡大解釈ワロタw
さんざん防衛を強化したが派手な装飾を好まず簡素
と
簡素な作り
はまったく別物だろがw
270 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:10:59 ID:FcFRP4ZZ
少なくとも今の山形城に強大な防衛力があった痕跡は残ってないな。三の丸があったらわからんが。
とはいえ長谷堂、上山が落城の気配すら見せなかったんだから義光の防衛戦略は正解だったんじゃない?
難攻不落の支城があるから本城は政庁程度でも充分だった。
秀吉の小田原攻めみたい規模で攻められたら一貫の終わりだけど僻地だし気にしなくていいだろ。
271 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:15:04 ID:3Hkif0uA
直江が最上攻めではなく徳川を攻撃すべきと
主張するが景勝に退けられたみたいな話あるけど
これって軍記物とかの話?実際に資料で確認できる話なの?
あと三成との密約があったかどうかとかはどうなの?
なければ負けると解ってる喧嘩を上杉家は買った感じになるけど
関ヶ原の佐竹なんかの態度見ても三成がそんな対徳川の密約や根回しを
してたとは思えないんだけど
272 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:43:25 ID:uZX7oH4K
>>269 また、論点をずらそうとしてるね。歴史読本読んでの言葉なわけ?
前者とも後者とも、
>>264には具体的に書かれていないわけだが。
273 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:56:06 ID:jdjinV3b
>>271 講談やら火葬戦記やらに良くある東西挟撃策みたいなのは無かったろう
ただ連絡は取り合ってたみたいだから三成が挙兵する気なのは知ってたか気付いてたかしたんじゃない?
上杉が動けば徳川が動き三成も動くとある程度計算してたかもね
274 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:57:03 ID:5NuCC2+M
>271
一次史料には直江が徳川追撃戦を主張したとも三成との挟撃密約も無い。
なので実際は上杉征伐に勝手に三成が便乗挙兵したのではという説もある。
景勝の性格を鑑みれば滅亡覚悟で決戦挑んでもさほど不自然とは思わない。
もしかしたら上杉対徳川で戦端を開けば
上杉の次の標的にされるだろう他の五大老や奉行が行動を起こす可能性に
掛けたのかもしれない。
275 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 20:13:52 ID:dGDlLchY
長谷堂関係はどっから見ても直江にはいいところ無いんだから
もう城が質素だろうが簡素だろうがどっちでもいいんじゃね。
276 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 20:32:50 ID:iqpAyQHG
>>272 >>264の歴史読本には、簡素の中身が具体的にどうなのかも書いてないし、
その簡素だったという時期が1593年の前なのか後の話なのかも書いてないしね。
少なくとも1593年以降改修に入っているのは確実だし。
277 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 21:33:29 ID:YRE9Uidn
無策でいたずらに日を重ねる最上本隊を直江が引きつけてる間に
背後を襲う庄内軍が見事な破竹の進撃してますがw
あと三成の挙兵タイミングが早すぎたのは宇喜多秀家の暴発と言われているのも知らんのかね?
278 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 21:41:10 ID:FcFRP4ZZ
空城を落とすのが破竹の進撃ね・・・・
楯岡に食い止められてるじゃん
279 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:58:56 ID:uZX7oH4K
>無策でいたずらに日を重ねる最上本隊を直江が引きつけてる間に
え……?
280 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:34:07 ID:sYhOwT8J
YRE9Uidnってわかりやすいよなあ。
ちょっと前まではアンチ伊達が2ちゃんに多いから伊達を貶めて支持を得ようとして、
反撃されて各伊達スレから撤退w
そして次は最上をコケにすることで直江マンセーしようとする。
最上はマイナーだからどうせ誰もしらん、悪党だから人気ないとでも
思っているんだろう。
浅はかもここに極まれりだ。友達すくねーだろーなw
281 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:56:14 ID:FcFRP4ZZ
鮭様は某スレで大人気だと言うのに・・・
282 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 00:08:39 ID:osvr4l8o
最上義光の悪党イメージってやっぱり大河政宗のアレの影響が大きいのかな?
あとは肥あたりのゲームイラストが悪そうだからかなー。
283 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 02:35:42 ID:JXw5C1/M
直江スレでどうとは思うがそんなとこかもしれないな。
今は(というか関東関連スレって)最上は悪党とか
言うやつさほどいないし。
むしろこのスレでは皆無に近いというか、悪党とかそんな
話する必要ないというか。
ここで適当に最上を貶したところで返り討ちだわな。
284 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 07:03:02 ID:07+AhjMS
また深夜からミスジャッチ狙う脳内妄想捏造ストーリーで、
自己正当化自演会話ですかw
ほんと低脳ですね。
285 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 07:28:50 ID:QRlsLRNT
や〜い低脳〜!
んで何の話だったっけ?
286 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 19:42:06 ID:6ZlO5K+2
>ミスジャッチ
日本語でおkw
てか11時半を真夜中だの、案外ご老体なのかあなたはw
287 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 05:22:14 ID:vKDTtDQ7
>>278 実際、空城じゃないんだが…つうか空城戦略っていうソースはどこ?
はっ?楯岡に食い止められてる?どのくらいの期間に渡り食い止められていたんだよw
288 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 12:03:56 ID:i6+z9b14
また史実をねじまげミスジャッチ狙う脳内妄想捏造ストーリーで、
自己正当化自演会話ですかw
ほんとド低脳ですね。
289 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 14:47:55 ID:Xrfm1+pK
低脳の次はド低脳か・・・次は何て言うんだ?おらワクワクしてきたぞ
290 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 18:29:55 ID:LpAeEiSI
直江の養子の本多政重と奥村助衛門の息子は親友だったったみたいだな。花の慶次好きがちょっとうれしくなる史実だ
291 :
人間七七四年:2008/10/13(月) 19:39:30 ID:nvXPpEd6
それは確かに嬉しい
292 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 13:35:35 ID:dQ1+TNyN
嬉しさのあまり上げてみる
293 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 19:12:35 ID:exaxs0D7
ののしり合いながらも盛り上がっていたのがうそのように
沈静化してしまったな。荒れてるよりはいいのかな・・・
294 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 19:23:02 ID:FzQmTtEG
荒れる時はもうワンパターンだから、
それ以外はこんなんでいいんじゃないかな
295 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 23:50:53 ID:Y6dkWP/Q
花の慶次も間違った武将評価を広めた原因の一つだよな。
特にマンガ版。前田利家とか扱いがひどすぎ。
296 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 01:49:23 ID:LazShV7K
利家とまつは「花の慶次」より利家がかっこよく描かれたのはもちろん、
わき役だけど四井主馬が渋い人になってたな
297 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 19:33:34 ID:JL8y0DK0
あと、米沢減封の後、白布で鉄砲密造してるよね。
会社の売上1/4(120⇒30)になって、鉄砲買えなくなったから自分で作るなんて発想、凄いと思う。
幕府も上杉・直江のすることだから、と見て見ぬふりしてたんだろうね。
他の大名家なら一発取り潰しですね。
298 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 00:45:44 ID:wALvOGCd
花の〜直江はキャラ立ってるからいい。利家は残念な感じだけど、まぁ大河で挽回したと思えば…。
来年はどうだろうか…。
299 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 12:41:02 ID:ln6mZOTt
天地人読もうかと思ったがハードカバー買うのはもったいなすぎる。
300 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 03:09:40 ID:pCiYIwn0
上杉直江ファンにもあまり評判良くないからなぁ。
近所のブックオフにあったよ。
301 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 07:28:11 ID:vhdu2K9a
直江さん主人公の花慶外伝が出るらしい・・・
302 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 13:47:05 ID:pCiYIwn0
釣られていい?
それは見たいけど、原先生筆置くって言ってなかったっけ
303 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 15:24:34 ID:SvhgZZGx
原哲夫原作で漫画描くのは人は別の人かよ!
304 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 22:45:08 ID:VyyqeVQ/
>>297 鉄砲製造が密造だった、って何処に書いてんの?
あと、密造が直江だから許された、なんて何を根拠にしてんの?
とにかく、根拠の薄い憶測がとにかく多いんだよな、直江厨房は
305 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 23:16:29 ID:SWGZ6SOM
306 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 00:27:20 ID:0mfpow5u
>>305 責任転嫁になってるか?
一般的に当時も今も直江>景勝と見られてい
たってのは当たってるんじゃないの。
見られているって話なんだから。
307 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 01:59:38 ID:wvzaoD1I
>>306 なってるよ
そもそも景勝あっての兼続なのに、そうやって主君をコケにするようなことを言える
厚顔無恥
兼続の最上侵攻失敗も、兵士の質に責任転嫁するような物言い
ほんといつもいつも、兼続の失敗は誰か他の奴のせいにするよなあと
308 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 02:00:55 ID:0ww55kRt
得意分野も身分も違う二人を単純に比較しちゃうって・・・
江戸時代の米沢では完全に直江>景勝だったみたいだけど
それに少なくとも現代のこのスレじゃ景勝>直江じゃん
御館の乱を乗り切った景勝はそれなりに優秀だったと思うけどな。
309 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 02:54:21 ID:q6JwdRrv
直江厨言うけど、叩かれてるの一人二人、一括りにすんのはどうかと。
直江好きはたいてい景勝様も大好きだろう。
普通に直江話は関ヶ原前後が一番盛り上がるけども…、
ループしそうだな。前は城についての話の途中だったか?
310 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 03:21:34 ID:wklQpr9H
直江が台頭する前も死没後も景勝は失策したりしてないのに
なにを根拠に直江>景勝なんだろうか。
関ケ原の辺りのことを直江の責任にせず自ら負ったのがいかんのか。
311 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 09:36:25 ID:wp0yu0xk
>>310 繰り返すけど直江>景勝と「見られている」という点は間違いでは
ないでしょう。関ヶ原が直江の責任と言うのは違う。それこそ景勝
が直江に操られていたと言っているようなもの。景勝は信長に攻め
られたときも武者震いして「生き残れば英雄だ」なんて言ってるく
らいだから、家康を敵に回しても、いわゆる直江状にあるどんと来
い!ってのは景勝の意志でもあったろう。
305のリンク先の平田助次郎を登用して弱体化ってのは何を指すのか
よくわからないけど、助次郎は直江与板衆の体制から脱却する上で
のキーマン。直江のあとを受けて米沢のまちの基礎を作った人物だ
し、美少年で景勝に愛されたという話もあるけど、手腕もたしかな
ものがあったんだろう。
312 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 10:30:12 ID:wklQpr9H
別に景勝が直江の傀儡だなんて一言も言ってないんだが。
上杉棄民一揆も徳川との対決姿勢も表立っては直江がやった事になっていて
全て直江の責任として処断し上杉家の生き残りを計っても良さそうな状況で
景勝は直江の責任とせず自分で全て引き受けた。
それで景勝は上杉を30万石の弱小大名にしたボンクラ呼ばわりされてる訳だが。
本当に都合の悪いのは全部景勝、都合の良いのは全部直江になってんのな。
313 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 10:54:10 ID:wp0yu0xk
直江の責任にしてそれが通るとは思えないけどね。
虚弱の大名ならともかく豊臣政権の年寄まで務めた
景勝が「全部直江のせいで自分はかかわってません」
なんて通るはずがない。
30万石になったのは結果論であって、先が読めなか
ったとかいう問題じゃない。前田家のような動きをす
れば大国を維持できたのだろうけど、上杉家は売られ
たケンカをかわそうとせずに意地を貫いた。だからこ
そ、敵対しても徳川の世でも評判を保てたということ
もある。武士のメンツを保ったという点では、ある意
味景勝も本望だったのではないかな。
314 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 20:22:43 ID:q6JwdRrv
個人的には前田家のように大国でいて欲しかったけどな。
が、勝手なイメージとしてはメンツを大事にする上杉に納得もする。
ただ、負けるつもりはなかったんだろうとは思うがな。
勝たなきゃどうしようもない。滅びようとも○○なんて
軍事ロマン的なことを為政者が考えたとしても行動に
移したらキツイ。
関ヶ原の決着聞いた時どんな思いだったんだろな。
悲観にくれてる暇なんてなかったろうがさ。
315 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 22:14:25 ID:fgpTngI3
256 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/15(水) 22:15:37 ID:rIFJmOXi
コミックバンチで花慶が読切で復活するとの情報有り!!ファン必見!!
264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/18(土) 22:01:23 ID:R1ibirDB
原センセが原作で、慶次視点の兼続物語らしい。
大河あわせなんだろうけど、どうせスピンオフするなら、幸村の夏の陣冬の陣がみたいなぁ。
もちろん原作画で。
316 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 22:40:57 ID:ViZKap54
また信者が量産されそうだなぁ
317 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 23:16:45 ID:eco/8wOx
花慶での直江は慶次と仲良いだけで
戦ではてんで駄目なヘタレっぽかったけど
今回はどうなるやら
318 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 00:57:08 ID:DD16o38D
花慶の直江は本間に一撃でのされてたな
親友補正でレイ顔だったけど
319 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 01:14:34 ID:2bngYt5Q
直江>景勝のイメージって、
小山で家康が反転した時の追撃で意見が割れたと一般に言われている影響が大きい気が。
直江が義のためにあくまで追って戦おうとしたのを、ヘタレ景勝が止めやがったよwwwという。
あの辺の状況が当時の一級史料で確認できてんのかね?
藤沢はじめ(ファンだけどさ)たいての本読むと、景勝が阻止したみたいに描かれてるし。
そして、後年の直江の漢詩の「江南良策無求処」、
これが景勝に抗戦を阻止された直江痛恨の心情の吐露、、、と思ってる直江ファン多いよね。
320 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 22:49:35 ID:IkDvgegU
>>307 戦国時代には珍しく、景勝・直江は心を許し合う関係にあった。泉沢久秀宅にて「直江と2人、酒を飲みバカ騒ぎして悪かった」と景勝から泉沢への書状も現存。
「直江が主君をコケにした」とか「直江>景勝」なんて時々出てくるけど、何の根拠で言ってるのか全く不明です。単なる直江の中傷に過ぎません。
最上攻略作戦も、直江は菅沢山から山形盆地に入っていない。
上山、長谷堂なんて無視して、目的の山形城攻略なんて簡単にできた筈なのに。
なぜか、山形盆地(城)に入って行かなかったのは、中央の戦況を見て山形盆地への進軍を決めようとしていたのです。
直江公は猪武者ではなかった。中央で西軍が負ければ即撤退可能な位置に布陣していたのは直江公さすがです。
万一、長期戦になれば、山形まで十キロの谷地城落城させた鶴岡の下軍、山形から二十キロの楯岡まで進軍していた酒田の志田軍も合流し、最上と留守軍には負けない戦力を持っていたのだから、
直江軍は2軍の浪人軍団(正規軍の50騎組は若松で景勝と、岩井や本庄、須田といった歴戦の勇者も伊達・信夫郡にいた)とは言え、問題無かった訳です。
しかし、革籠原の戦略と同様、「釣り野伏せ」を使った直江の撤退戦は見事でした、西軍が負けた場合、当初から撤退戦も想定していたのでしょう。
最上義光は、織田信長から貰った兜が無ければ討ち死にしていた所でした。
321 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 22:53:12 ID:XhmAPlMc
こ れ は ひ ど い
322 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 23:03:16 ID:YZKNA73w
この口調とage、直江山城守とかいうアイタタなコテ使ってたおまえだろ。
あと「釣り野伏せ」だって? 確かかがり引きじゃねーのw
323 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 23:52:09 ID:8Ny9NwUi
>>なぜか、山形盆地(城)に入って行かなかったのは、
中央の戦況を見て山形盆地への進軍を決めようとしていたのです。
直江公は猪武者ではなかった。中央で西軍が負けれ
ば即撤退可能な位置に布陣していたのは直江公さすがです。
直江好きだけどこれはひどい。全くフォローになってない。
こんな消極的な行軍するんだったら最初から最上攻めしなきゃいい。
西軍が勝ったら最上を攻撃すればいいんじゃないの。
長期戦を見込んでいたというのは同意だが、2軍だったから〜みたい
なのはどうかと思う。
上杉は対徳川のために急きょ大量に兵を雇ったんだろうから
2万と言っても戦力としては兵数に見合ったものではなかったかも
しれない。その点では2軍と言ってもいいのだろう。でも、それはお
り込み済みで軍編成して攻め込んだんだろうから、これは言い訳に
ならないんじゃないかな。
というか320の書き込み自体が釣り野伏せななの?
324 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 07:30:18 ID:kom9wtH6
左様
325 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 14:32:06 ID:tQDWwXAE
直江は慶次がいなきゃ切腹してたのにな
326 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 16:26:57 ID:paMwwoE1
直江の活躍は捏造だけど
慶次が直江の切腹を止めたとかいう講談は信じるわけですね。
327 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 16:52:00 ID:atgcrood
<直江兼続>大河で注目、マンガにも 往年の名作「花の慶次」のスピンオフで11月から
09年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公で、妻夫木聡さんが演じることでも話題となっている
戦国時代の武将・直江兼続が連載マンガになることが分かった。1990年代前半に
週刊少年ジャンプで連載された人気歴史マンガ「花の慶次」(隆慶一郎原作、原哲夫画)の
スピンオフ作品となる「義風堂々 直江兼続 −前田慶次 月語り」で、11月14日発売の「コミックバンチ」
(毎週金曜日発売)から連載される。17日発売の同誌46号で発表された。
「花の慶次」は戦国時代の猛将で、「かぶき者」として知られる前田慶次の生涯を描いた作品。
「義風堂々 直江兼続 −前田慶次 月語り」は前田慶次の盟友で、上杉景勝の家老として
徳川家康らとの戦いで名を残した直江兼続の生涯を描く。原作は原さんが手がけ、
作画は「我が名は海師」などの武村勇治さんが担当する。
連載開始に当たり原さんは、「『花の慶次』が終わって15年たった今でも描き足りなかったとい
う思いが一人だけ残る。それが直江兼続という漢(おとこ)なんです」とのコメントを寄せている。
また、現在同誌では「花の慶次」で、慶次と兼続が出会うエピソードが再録されている。【渡辺圭】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081020-00000007-maiall-ent
328 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 17:12:28 ID:5rP+Dv0T
329 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 19:29:13 ID:hZ84jgrq
切腹阻止の話っていつ頃作られたんだろ?
330 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 20:55:11 ID:hZ84jgrq
朗報かどうかわからんけど、花の〜の直江がパチンコ機種で出た?とか
パチンコやらんから見たことないけど。
331 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 23:05:18 ID:Pr6RVizE
パチンカスと直江とか見事な調和だなw
332 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 01:29:16 ID:OwbswCb3
今の評価でもおかしい所だらけなのに大河関連で
厨設定が加速度的に増しそうだな。
333 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 02:27:25 ID:7g0ofrGM
それはそれでいいと思うんだ。
そこから調べてまた判断すればいいんだし。
そこまで興味もつ人がいるかしらんけど。
他歴史人物貶すような馬鹿げた演出されなきゃまぁいっかな
みたいな感じ。
334 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 12:28:50 ID:O+3dj5nH
直江好きがパチンカスでパチ業界にお布施ワロタ
勝ち組→パチ業界と消費者金融とコミックバンチ(北条司やバンチは韓国中国資本が出資してるからなぁ)
335 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 22:27:31 ID:tOOEtC5s
>>323 消極的な行軍をしてたのは、景勝との考えの違いによるもの。直江は本当は山形攻めをしたくなかったんだと思う。
たとえ山形取っても、中央で西軍が負ければ何にもならない事をよく知ってたんじゃないかな。
谷地城落とした下軍もその後暫く山形に向け行軍してないし(余談だが、直江は撤退する時、酒田の志田軍には撤退を知らせる事ができたが、下軍に知らせる事ができず下軍は谷地で最上軍に降伏している)。
結局、家康との決戦がしたかったんだろう。
336 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 22:34:29 ID:KPn3wfJy
攻勢に出て、副将討ち取られてて、消極的な行軍はないわ。
337 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 22:38:06 ID:W2fnCtJE
直江ってさあ、山形攻めが消極的とか、石田三成との盟約とか、
家を思って死後断絶を選んだとか、前立ての愛は民への愛とか、
ことごとくが研究者や作家の想像でそうだったのではないか、
という推測であって、本当に直江の意志だったかという
証拠に欠けてるんだよね。
直江のちゃんとした決断、ってどんなのあるんだろ。
煽りじゃなくて、知っておきたいんだよね。
338 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 22:49:45 ID:KPn3wfJy
状況証拠的に無理あるのが多いしな、そういう美談に限って。
状況証拠を覆すだけの確固たる証拠があるなら、自分も知りたいわ。
339 :
仙台藩百姓:2008/10/21(火) 23:45:06 ID:tt9nEWyL
いずれにせよ今も昔も上杉家中には病的な捏造体質があると言う事は確かだお( ^ω^)
340 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 23:57:07 ID:PV/V5Ab4
まだいんのかこいつw
341 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:16:44 ID:Ys3+8LEP
直江と景勝の意見が違うってのが、軍記物の通りだとしても景勝は最上攻めを命じたのだから、それをまじめにやらないなら直江は職務怠慢、もっと言えば主命違反だろう。
景勝は最上と伊達を抑えたら関東に侵攻しようとしていたので、直江がそんなに決戦したかったらガンガン攻めまくるのではないかな
342 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:26:41 ID:tGZibrFQ
最上の陽動、秀忠の上田攻めは家康の戦略な気もする。
仮に最上が早々に敗退したとしても秀忠が対上杉に当たれば家康本体はなんとかなっちゃう。
最も秀忠率いる旗本部隊あっての小早川裏切りなんだが。
実は家康を敵に回した時点で詰んでたのかも
343 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 00:45:38 ID:lQ8lBdLB
>>335 直江が本当は山形攻めしたくなかったとか妄想はどうでもいいよ。
史実は最上に勝てなかった、良い所全然無しって結論でてるわけだし。
344 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:18:30 ID:vWZvL7R8
ちょっと切り口が変わったのは、面白いけどな、ネタとしてはw
345 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 12:14:59 ID:2F5A6UoL
アンチはせっかくアンチスレ立ってるんだからそっち行けばいいのに
煽りとかじゃなくて純粋な疑問なんだけどなんでいつまでも本スレに粘着してるの?
346 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 13:01:42 ID:+AIG1Zqe
アンチじゃなく、史実の話をしてるだけじゃね?
小説やら漫画やらゲームの偶像直江でマンセーしたいなら、それこそ該当板でやれば?
347 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 13:20:26 ID:YmDh80RC
偏執的歪曲アンチが、アンチじゃない史実とか言ってるよ糞ワロタw
なんの冗談だwww
348 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 15:04:16 ID:PO/UN6aD
>>339 伊達の超越的捏造力には遥かに及びませんが何か?
349 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 18:04:27 ID:BlLaNyEU
仙台藩百姓さんコテやるならアレつけなよちゃんと。
キャップじゃなくてなんだっけ。つけとけ。
350 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 19:00:21 ID:Lr4KhOq4
>>349 > キャップじゃなくてなんだっけ。つけとけ。
ああ、ハットだろ。
351 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 02:22:44 ID:9LdRrx4a
トリップだっけ
352 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 17:01:28 ID:lNaybOuv
353 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 01:08:04 ID:YZNgtiPd
来年大河なんだから頑張れよ直江ファン
354 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 07:05:07 ID:keU7Ssuy
とんでもない程の名将。
朝鮮出兵で朝鮮で紛失しそうになった漢書などを持ち帰り(他の武将から「馬の肥やしにもなるまいに」と言われ「頭の肥やしになり申す」と言ったとされる:名将言行録)【禅林文庫】を創設(誰でも読めるようにした)したり、銅活字本による古典の復刻なんて業績もある。
新田開発で20年で実質石高を約50万石まで引き上げたり、殖産興業(おたかポッポ等の工芸品)に努めたり「四季農戒書」では、庭の生垣に「ウコギ」を使えば、食用となる」なんて、誰も考えもつかない事を提案してもいる。
戦国で、そこまでの政治能力を持った武将はいない(戦いで有能なのはいっぱいいたが)。
言わば、米沢にジョン.F.ケネディが尊敬すると言う上杉鷹山を排出する土壌を作ったと言えると思う。
上杉鷹山は、直江の死後奸臣とされ無視されてきた直江の政策をかなりの数、実行に移して実績を上げているし、直江を再評価するよう言っている。
355 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 07:40:09 ID:aMOuXbEK
>>354 >とんでもない程の名将。
>戦国で、そこまでの政治能力を持った武将はいない(戦いで有能なのはいっぱいいたが)。
戦いで有能なのこそが名将。内政は内政
30→50万石。この程度の増産率はごく普通
120→30万石。最高の減封率。徳川と直接戦っていない大名として
おたかポッポ、生垣にウコギ→たかだかその程度
>鷹山が…直江の政策をかなりの数、実行に→それ疑問なんだけど、具体的に言ってみ?
356 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 07:55:11 ID:keU7Ssuy
>>354 直江状や最上領地からの電撃撤退しか知らなかったけど、やっぱり凄い武将なんだね。
この板は兼続に批判的な人ばっかで笑っちゃうけど、こういう書き込みは大歓迎です。
いろいろ教えてください。
357 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 08:27:56 ID:GfKs9YfY
>>356 ここの馬鹿アンチは過去に何度となく論破されてきてる。
論破されるとレッテル張りや、悪口を書きまくり、他の上杉スレで暴れまくる。
さらにほとんど関係ない伊達勝利を書きまくり煽る→また論破されると伊達に嫉妬とか伊達人気とか伊達意識し過ぎとか馬鹿みたいな流れを繰り返す。
そして論破された話を黙殺して
壊れたカセットテープみたいに同じ話を永久ループさせてるだけ。
論破された話を蒸し返して同じ事を繰り返すから飽き飽きして、マトモな人間はここに書き込まなくなる。
358 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 10:55:41 ID:btz18kHO
論破されてるのは功績捏造厨だろー
長谷堂落とさなかったのはわざとだの、戦力は2軍だったからどうだだの、言い訳ばっか。
359 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 10:57:00 ID:btz18kHO
過去ログ見れば、どっちが「議論」から逃げてるかは、一目瞭然だけどね。
一方はすぐ、議論相手の人格批判に走って、史実的な議論からは逃げてるから。
360 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 12:25:53 ID:YXx5MERU
お前ら直江を馬鹿にすんな
誰よりも家康公のために働いたのは直江だぞ
361 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 14:25:36 ID:gIe8rxXy
別に直江は優秀な家老だとは思う。
あと伊達に嫉妬だなんだって、元はわざわざ関係ないのに
伊達話してこのスレ荒らしちゃったんじゃん。
いい加減学んで必要無い敵を作るなよ。
362 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 16:01:55 ID:bF8K7v4f
>>354 上杉鷹山は血縁とは言え秋月からの養子だけどな。
363 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 16:53:08 ID:bF8K7v4f
>>357 【レス抽出】
対象スレ:【愛の名宰相?】直江兼続8【義のバカ?無能?奸臣?】
キーワード:伊達勝利
357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 08:27:56 ID:GfKs9YfY
>>356 ここの馬鹿アンチは過去に何度となく論破されてきてる。
論破されるとレッテル張りや、悪口を書きまくり、他の上杉スレで暴れまくる。
さらにほとんど関係ない伊達勝利を書きまくり煽る→また論破されると伊達に嫉妬とか伊達人気とか伊達意識し過ぎとか馬鹿みたいな流れを繰り返す。
そして論破された話を黙殺して
壊れたカセットテープみたいに同じ話を永久ループさせてるだけ。
論破された話を蒸し返して同じ事を繰り返すから飽き飽きして、マトモな人間はここに書き込まなくなる。
抽出レス数:1
364 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 16:57:23 ID:XZQJsJ1h
直江は時代が見えていなかったか
見えていてあえて家康の力量を軽んじたか
いづれにしろ上杉を30万石へ減封させたのは彼だ
365 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 23:32:55 ID:xPn9wszm
>>48 買いたいと思ってるんだが、ググったら1680円のと8400円の本があった
出版社や著者も違うようだが、どちらが良いかね?
366 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 23:53:09 ID:dAnSevtN
>>364 状況が見えていなかった、というか利益があったからじゃないかな
直江自身が豊臣の奉行を兼任したり、秀吉の介入で家中で大封を貰っていたから
優遇され利益がある状態が続いて欲しかった
上杉家をそれに付き合わせたのだろう。
367 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 01:39:56 ID:HhH+J7A2
>>366 直江は太閤検地をうまく誤魔化して
その後に、改めて上杉で田畑の検地をしたら
かなりの増加になったという(一説に30万石)
これもすべて主家上杉家のためにやったことだ。
藤田能登守は上杉征伐前の
正月に家康から刀や金銀百枚に小袖20枚をもらい
露見しそうになり、上杉家を出奔したが
同様に直江が景勝に内緒で不正に利益を得ていたとする根拠を提示してくれ。
それと大封を得たとはなんの話だ?
よもや米沢30万石の話か?
そもそも米沢は15万石しかないしなwww
368 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 06:08:24 ID:MDMLoU/W
>>265 直江兼続のすべてとかで飽き足らない人は、高いほうだと思うけど木村徳衛 直江兼続正伝がオススメ。古い本だけどかなり分厚くて読みごたえあり。
書状などをもとに直江の生涯を綴っていて、膨大な量の史料が掲載されてる。
前田慶次の現存する唯一であろう書状もこの本で発見した。
兼続と本多家の関係についての章も、関ヶ原後の正信とのやりとりや政重を養子に迎える経緯、正信妻とのやりとりなど、この章だけで五十ページ(再販版でのページ数は不明)というボリューム。
369 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 06:10:17 ID:MDMLoU/W
↑↑265は365の誤りでした
370 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 09:13:13 ID:dz+eSHgB
>>368 携帯からスマソ
ありがとう
書状とか詩とか慶次の史料を読んでみたかったから、高い方買ってみるかな
371 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 00:44:39 ID:98Gc4+wK
>>74 >>75 亀レスだが、
謙信(長尾景虎)の通称平三は桓武平氏を称する長尾氏の三男ということじゃないか。
同様に氏照は氏康の三男で(大石家)に養子に行っている。
この大石家は元は藤原氏だが木曾義仲の子孫と称する男子が
養子に入って源氏を称している。だから正式には大石源三とは呼ぶが
北条(平氏)源三とは言わない。この場合北条陸奥守と呼ぶべき。
372 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 17:06:41 ID:QOv9nXC9
>>371 越前家の五男坊を結城五郎八、松平大和守と呼ぶが、結城大和守、松平五郎八と呼ばないようなものかw
ちなみに結城だと藤原氏だし松平だと源氏になる。
373 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 19:21:52 ID:yhxvPkXV
>>287 空城とか最上の撤退戦略とか
わけわからんことをアンチは言ってるが
未だにソース一つ出せてないからw
畑谷城を攻めとり敵方を撫で切りし城主親子共々、首500余を討ち取り梁沢の城兵もまた敗走
という書状から見ても梁沢の城兵が援軍に来てるから撤退戦略なんて根拠のない大嘘はいてるだけ。
374 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 23:56:43 ID:jj7rFJav
>>367 直江の二君に仕える姿勢が景勝に内緒とは言っていない
そんな姿勢を許していたが景勝がバカ殿だったと思う
直江のような無能を重用していた景勝にこそ衰退の責任があるだろう
ところで検地の誤魔化しぐらい何処でもやっているけど、
直江のは何に載っているの?
375 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 00:14:08 ID:Q0b7QtDg
>>何処でもやっているけど
例えばどこがやってんの?
376 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 00:24:53 ID:1tUa/2HN
景勝は影薄いけど馬鹿ではないさー。馬鹿だったら
景虎が当主になってたさ。
っていうか、最上の撤退戦略って根拠ないの?
377 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 02:11:26 ID:83yUliBC
御館の立ち回りで、
勝頼や氏政を手玉に取った景勝が馬鹿はないなw
378 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 02:12:43 ID:O1uOsHhC
> 勝頼や氏政を手玉に取った景勝
ここは笑うところ?
379 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 02:41:55 ID:lXQmUsSW
あの対外状況下で、あそこまで大規模な内乱に発展させちゃってる時点で、微妙だよな。
380 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 07:47:24 ID:BKwdX2PF
北条と北条同盟国と古志衆が景虎に付いてる状況で勝ったのは十分すごい。
内乱になったのは景勝より謙信の責任だろ。
381 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 09:25:42 ID:q4DZfTgl
つうか何度も危機を乗り越え景勝が天寿を全うできたのがすごい。
382 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 18:36:11 ID:1tUa/2HN
最近景虎後継者説が声高に言われるけど何ででしょ
383 :
人間七七四年:2008/11/02(日) 19:40:51 ID:BKwdX2PF
景虎悲劇の美少年イメージと驚きの新発見をしたがる学者のせいじゃね。
甥で養子の景勝が普通に見たら後継者だろうに
なんで景虎が対立候補になって乱になったんだろー→謙信がイケメンの景虎可愛がって後継者にしてたからだ!の飛躍。
官途を名乗ってないから三郎が後継者!なんて屁理屈にしか見えん。
実甥の景勝が謙信に可愛がられていたなんて普通すぎて面白くないんだろ。
384 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 14:49:22 ID:Gz02rniP
形式的な上杉家当主 影虎
実務担当の長尾家当主 景勝
だったんだと妄想。根拠は無い。
385 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 16:09:20 ID:YCB29JZU
>>384 管領上杉家、家宰長尾氏の体制に戻そうと考えたのなら自然だな。
386 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 17:30:23 ID:hc1xMFfF
直江の名前が書状で登場するのは(最初は樋口名)、御館の乱以降1580年頃から現存。
御館の乱で、何らかの大きな功績があったと見るべきだろう。
御館の乱は、最初の状況からすると景勝側が勝つのは至難の状況。
上杉宗家の憲政、北条家はもちろん、武田勝頼も景虎支持。
ましてや上杉家の家中も真っ二つ。中央からは織田軍が迫り、上杉家は滅亡の危機にあった。
その上杉家を景勝で纏め上げ、最終的には米沢30万石を残し、明治維新を迎える礎を築いたことは凄いと思うよ。
景勝一人で、果たしてこの業績が上げられたかどうか...。景勝も凄い武将だとは思うけど。
一方、同じく大大名家で田舎(関東)にあって中央に背いた武田や北条は滅亡してる訳だし、関ヶ原後の業績を見ても直江はやっぱ凄い家老だったんだと思う。
387 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:03:19 ID:YCB29JZU
>>386 > ましてや上杉家の家中も真っ二つ。中央からは織田軍が迫り、上杉家は滅亡の危機にあった。
真っ二つにしたのも織田に付け入る隙を与えて滅亡の危機に陥れたのも景勝の自作自演…
388 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:21:59 ID:WH+NYHWi
389 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 18:43:12 ID:YCB29JZU
根拠も何も、あんな無駄な内乱起こしたから周辺各国の介入受けたんだろうに。
景勝と景虎どっちが悪いって議論は意味が無い。最低でも半分は景勝の責任だよ。
390 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 19:35:53 ID:WH+NYHWi
なんだやっぱり基地外による根拠なしの貶し中傷か。
391 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 19:51:36 ID:bK2JZZ/i
御館の乱の勃発がなんで景勝の自作自演になるんだよw
どういう脳内設定になってるんだw
>>384 >>385 それなら謙信最晩年の家中名字尽の中に、家臣団の一人として
長尾弾正少弼(景勝)と記載されているんじゃね?
でも実際はそうではなかった
392 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 21:15:29 ID:hUsGWx+s
御館の乱はどう考えても生前に後継を誰からもわかるよう
明言しておかなかった謙信の責任。
反対勢力があるなら謙信が潰しておくべきだった。
393 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 23:14:24 ID:ZoqC8/2p
後継者問題が下手したらお家衰退の要因になるなんて、
謙信ならわかってるもんだろうって普通思ってしまう。
不思議だ。
最近景虎後継者説がなぁんか元気なようだね。
394 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 23:18:17 ID:ZoqC8/2p
景虎後継者説は今んとこなるほど!っていうのがない…
知らないだけかもしれんけど
395 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 00:05:54 ID:GP0YHb/n
謙信は幕臣意識が強かったから正直どっちでも良かったとか・・・
新資料でも出ないと決着はつかない。
396 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 01:01:49 ID:icTUJVmv
>>374 文禄4年の検地は豊臣による上杉領の検地
それとは別に文禄5年に直江配下の土地に詳しい河村彦左衛門尉を多くの隠し田などを太閤検地方式ではない方法で再検地してる。
397 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 01:30:05 ID:G8wxzSYT
>>396 検地の方式が違うなら、何で30万石増えたってわかるの?
398 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 01:42:31 ID:Df36VSqJ
よく勘違いされるのだが、豊臣期でも徳川期でも、大名は自分のところの石高を、極力大きく見せようとした。
石高が大きいと確かに負担も増えるが、そのかわり中央における序列や権威が大きくなった。
そして中央政権のほうでは、石高を増やす事を、実はなかなか認めなかった。
徳川初期に毛利家が、「検地やり直したら50万石だった!37万石から50万石に変えてくれ!」って
何度か要求したけど、幕府はそれを認めなかった。
石高増加競争が始まると、住民への負担が大きくなるのを恐れたのが大きな要因らしい。
399 :
人間七七四年:2008/11/04(火) 14:35:27 ID:10UFazcW
>>397 検地の方法が違うと総領がわからなくなるのか?それじゃ「検地」の意味がないだろwお前アホかね?
400 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 13:22:50 ID:U2FBkY26
>>398 それは徳川期からじゃないか?豊臣期はそんな話はないと思うが。
豊臣期は朝廷の官位も関白様がけっこう奮発してすぐ位階が上がってるし。
401 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 13:28:09 ID:w/TEVTBv
>>400 島津が石高わざわざ大きくして見せたりしてるな>豊臣期
402 :
人間七七四年:2008/11/05(水) 15:00:28 ID:U2FBkY26
>>376 根拠がないどころか畑谷城の後詰で飯田播磨守・矢桐相模守・富前忠右衛門・日野伊賀守に、さらに追加で義光旗本百騎を添えて山形から送り出してる。
さらに谷地城を取り返さんとして返り攻めして失敗してる。
これが空城撤退戦略の一環なのか基地外アンチには詳しく聞きたいもんなんだがw
403 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:44:50 ID:hxop8zcP
無知無学の歪曲基地害直江アンチは論破されて根絶されたようだなw
404 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:50:36 ID:A9rRdbYd
空城説がどうだろうが、結局、山形城まで辿り着けずに逃げ帰るしかなかった直江の負けだろ。
論破もクソも、結論は一つだ。
405 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 21:41:41 ID:f5q+WTJF
畑谷以外の城で討ち取られた城将とか
兵力の詳細ってわかる?
調べても出てこないんだけど。
406 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 22:05:31 ID:YXCXdxDh
上杉は最上以下
407 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:29:40 ID:AYHdXC4o
釣られたアンチの発言がさらにアホw
おい空城作戦とか撤退戦略のソース出せよwww
408 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:32:32 ID:T6i1Isgj
なん一部の直江ファンってこんなに口が悪くて下劣で、語尾にやたらとwwつけるんだ?
アホとかキチガイとか正直気分わりーわ
409 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 00:04:38 ID:NG2jlMU4
>>408 それでさんざん力説してた最上の素晴らしい空城撤退戦略のソースについて早めにコメントお願いします。
410 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 00:05:41 ID:IpWX6EDR
静かだったのにわざわざ煽ってアンチを呼ぶとは餓鬼すぎるな…。
411 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 00:07:08 ID:9li5c3G0
それがご希望なんだろ
412 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 00:30:27 ID:xvr35f3c
>>409 なんで一部が口にしてたものを全員に求めるの?
だったら、直江がまじめに最上攻めしてなかったってソースくれよ。
空城じゃなかったのなら、なおさら一致してないことになるんだけどさ。
あと、山形城が館レベルだったとかいうやつのソースもくれ。
413 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 06:43:45 ID:NG2jlMU4
急に湧き出したなw
つかアンチの自演なのは明白なんだがw
あんだけ力説しといてウケる。
414 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 12:25:14 ID:AAtCfvD4
>>413 答えになってないぞw
意見が合わない相手には、誰かれ構わずソース求めるのに、自分は同じ意見の人のソースを出してやらないのかよw
これだから直江オタは・・・・・
415 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 12:26:55 ID:AAtCfvD4
流石、手柄は直江のお陰!失策は景勝の責任!だぜ・・・・
416 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 13:51:19 ID:IpWX6EDR
主君だから最終的に景勝の責任とかはわかんだけど
なんか違うんだよな、直江好きに限らず景勝軽んじすぎというかな……(・ω・)
417 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 14:26:11 ID:+D+CTVPu
>>406 最上義光>>上杉景勝>>並みの大名の壁>>>>蒲生秀行>>>暗愚大名の壁>>伊達政宗、ですね。わかります。
418 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 15:58:40 ID:4K13F28R
現存する山形城三の丸土塁も結構堅固だからな。当時は部分的にしか無かったそうだが。
「山形城は館レベル」の館の基準がわからんけどそれなりの防衛力はあったんじゃないか?
少なくとも長谷堂で愉快なことしてる直江が簡単に落とせる城じゃない。
419 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 16:29:02 ID:061nbD4V
別のスレで話題になった事があったが
直江が最上攻めでたいした結果を出せなかった事が
ある意味上杉を救ってるんだよな
もし最上攻めが順調に進み義光を討ち取っちゃったり最上を滅ぼしたりしてれば
家康に再度上杉征伐をされる恐れもあり少なくとも減封の沙汰だけですみそうにない
最上攻めをしてる時点で上杉が家康と三成の戦に大きく影響を与えることはないから
関ヶ原の結果は変わらないし、直江の戦下手なおかげで上杉はお家存続が出来たのかもw
420 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 08:12:12 ID:oHFzfG/z
その発想は無かったぜ!
421 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 08:51:18 ID:lG3XCJvB
負けたからこそ、「最上程度とガチでやってこの程度なら、心配いらんわ」と、お情けをかけて貰えたってことか!
422 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 09:17:52 ID:n2v6ESQY
家康は伊達や最上に上杉征伐中止を命じたのに伊達は家康の命を無視して暴走し侵攻し撃退された。
家康は西上するために背後に憂いを残したくないので上杉に手を出したくなかった。
そのために秀忠や結城らの大軍を残し、その大兵で大掛かりな陣地築城して罠を張った。
上杉側でも白河を決戦地として土木建築して罠を張り自軍勝利シナリオを描いていた。
家康と上杉は互いに武力衝突せずに家康の敵前逃亡に終わった。
秀忠らの牽制軍や家康が江戸に長く留まっただけでも伊勢にまで進軍できた三成方には充分な支援と言えよう。
三成が自分の佐和山城を突かれる恐れから野戦決戦に釣られずに罠を張り自軍勝利シナリオを冷静に行うべきだった。
山形城が落城していたら小野寺や安東も上杉に従う可能性が高く、伊達も従うしかなくなるだろう。
史実で言えば米沢15万石の直江軍が面の支配を続けながら最上主力軍を引きつけてる間に庄内25万石軍が点の支配を続けながら急速に南下しまくって最上の地奥深くの寒河江まで侵攻してしまくっている(アンチはこれを空城撤退戦略と言い張り続けていたが未だにソースなし)
まさに最上滅亡前夜で三成は自分の父のいる佐和山城の危機に釣られて、ノコノコと野戦決戦に誘き出されてしまった。
423 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 09:55:56 ID:kdhB3dpA
関ヶ原におびき出したのは家康でなく三成だよ
424 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 09:57:02 ID:ZatU8T3A
直江脳は幸せ全開で羨ましいッス
425 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 11:44:44 ID:FZYbzqYe
426 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 12:47:17 ID:Ui1XglGL
>>418 三の丸って57万石時代に作られたんじゃなかったっけ?普通の平城なら城下町を取り込んだあのラインが総郭で、その内側に二の丸を囲
う形か馬出っぽい形で三の丸がつくような感じだがいずれにせよ24万石時代の城としては三の丸を防衛線にしたのでは大きすぎて使い勝手
が悪かろう。
本丸と二の丸(今の城跡公園の範囲)だけだったら「大きい館」と言ってもおかしくはないが。
427 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 13:42:10 ID:lG3XCJvB
大きい館どころか、「軍事拠点と言うより政庁のようなもの」って言ってるからなぁw
428 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:20:34 ID:Ui1XglGL
あ、そうそう。
江戸時代も半ばの秋元家5万石時代頃には、もう三の丸は城内部分として維持することは諦めてたみたいだよ。
この石高で維持するには手が回らないらしいし(東大手門を修理したが以前よりも櫓門を簡略化していた)、有事には三の丸を防御線に
するには兵力が足り無すぎだそうな。
429 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 14:25:31 ID:a8mzrCwQ
空城戦略にはソースねえ、あるんだよ。でも山形市の公式文書だからさー、
あの人に「山形市民は義光マンセーで嘘ばっかこくから、そんなのソースじゃねえよバァカ」
と論破されるかと思うと怖くて出せませんw
あの御方は義光嫌いアンチだらけの寒河江出身の中村晃まで義光マンセーとか言い出すし。
(中村晃が直江兼続讃美小説を書いているのは当然スルーw)
そんな人に噛みつかれるとキモ怖いんだもんw
つかオレの見た範囲では全部空城戦略しかないわ。
だっておかしいじゃん、畑谷とか上山しか守将も兵力判明してないのは。
最上はさておき、なんで上杉側にも戦果として記録されていないんでしょう。
おしえてエロい人。
430 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 19:05:02 ID:gIgAyjM9
寒河江、朝日あたりは義光嫌い多いのか
なんか複雑な心境だ
431 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 06:19:57 ID:wNgL/UPw
白鳥長久が暗殺で殺られてるからな
とは言え一揆すら起きなかったんだから当時の住民はそんなに怒ってなかったんじゃないか?
江戸期の反最上教育でアンチ最上精神が育成されたとか。
432 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 09:00:59 ID:oQrWCKXa
会津に逃れた寒河江家を呼び戻して復興させてるし、寒河江一族から殉死者もでてるし、
同じく当時はそうでも無かった気もするが。
義光嫌いでありながら義光研究第一人者だった山形大学教授の影響とか?
433 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 09:07:13 ID:hZJ/7nc9
つーか、どこどこの人は誰々嫌いって、あんまアテにならん。
観光客目的にしろ、そういう地域でその手の旗掲げてるとかザラだし。
好きだ嫌いになるほど、戦国武将を知っている人がそもそも少なくなってるわけで。
434 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 13:14:56 ID:213DKMIq
>>429 おおっ早くソースだしてやれ!!!直江厨涙目www
435 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 15:09:03 ID:FU7RnzA2
領主暗殺で住民が一揆はないだろう。
更に重税かけてしまって一揆ならわかるが、義光は
そんなことはせんだろうし。
あと○○地域は○○好き嫌いってあんまな…。
まともな研究者なら関係ないだろな。
まともじゃないのもいるだろうが。
436 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 16:02:11 ID:213DKMIq
山形県西村山郡河北町谷地の有志が菩提寺を中心に
昭和56年から白鳥さま顕彰をし始めてからの話ではないかな。
437 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 16:51:51 ID:fpLUCQGR
438 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 17:21:27 ID:XXn/lSZP
>>436 谷地といえば紅花で栄えた場所だけど、紅花の栽培奨励も義光と言われているようだし、
なにより最上川水運の発達が紅花だけじゃなく山形地方の産業発展に大きく貢献したのにねぇ
439 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 17:27:57 ID:oQrWCKXa
>>437 領地や領民への愛
旧領の年貢かっぱらい
つながりません><
440 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:29:41 ID:FU7RnzA2
普通に愛宕神社の愛でいいだろうに。神の御加護。
ゲームのキャラ付けで愛を説くってんなら仕方ないけど。
441 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 21:37:10 ID:g68Mwj7P
>>439 奉行の三成も認めた話であり違反でも何でもない。そもそも会津から下野に移動した蒲生家もガッツリやっている。
社会常識を知らない堀の完全な落ち度で逆恨みだから。
>>440 日本語ってのは高度なもんで一つの漢字の中にいろいろな意味が内包されてるんだわ。
「愛」の中にいろんな解釈があると言うより、広義な意味ですべてを含んでるから問題ない。
低脳で無知なアンチが「慈」や「憐」と混同させて喚いてるだけ。
442 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 21:46:30 ID:ejrAKCqW
愛って今みたいな意味じゃなく「執着すること」みたいな悪徳の一種だったんじゃなかった?
謙信の「毘」みたいなもんで特に意味は無いだろ。
443 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 22:48:41 ID:z5l3m2RG
悪もそうだよ。
悪も昔はワルじゃなくて強いって意味だった。
言葉の意味は昔と今じゃ違う。
「広義な意味ですべてを含んでるから問題ない。」ってー話じゃなくて、昔の言葉を
今の意味で解釈してることのおかしさだろう。
少なくとも愛をLOVEって解釈している便乗には萎えるわ。
444 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 22:57:21 ID:vCsz/nNZ
>>434 ttp://naoe-mogami.jp/?p=special まずここね。
>軍事力においてははるかに劣る最上側は、領内各地の出城のほとんどを、
>放棄するしかなかった。
放棄する=明け逃げのこと。陥落ならそう書いてある。
これは直江・最上に関する山形県の公式サイトだからな。
これが山形の公式見解っつこと。
もっとわかりやすいのとしては、
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=114854 *最上軍*
作戦1・・出城の多くを放棄して、山形城、長谷堂城、上山城を拠点として、迎え撃つ。
(村や田畑が荒らされるのを避けたいし、放棄すれば最小限の被害で・・・)
作戦2・・それぞれの城で迎え撃ち、徹底的に戦う。
(返り討ちに!)
最上義光は、作戦1に決定!
まあ文章は軽いノリであれなんだが、これが最上側最新研究による見解。
歴史館発行の書物も、山形市史とか山形県史もこの解釈。
そもそも畑谷の江口だけが「撤退命令を無視した」わけであり、
他の城将は撤退命令を受けて戻っているわけだわな。
445 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:09:40 ID:g68Mwj7P
なんだ、義光歴史博物館がソースかよ…アホくせぇ。
446 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:12:28 ID:fpLUCQGR
>>445 じゃあ博物館の著述を否定するソースを持って来いよ。
447 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:12:56 ID:vCsz/nNZ
>>445 ちゃんと読めよ、文盲じゃねえならな。
>これは直江・最上に関する山形県の公式サイトだからな。
>山形市史とか山形県史もこの解釈。
あー、そういうこと言うなら直江のこと語るのに米沢市とか
米沢市民の書いた書物使うの禁止な?
あとこれは山形の公式サイトだから。
アホらしいならメールでも出して「陥落」に訂正しろって抗議しとけ? な?
448 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:14:57 ID:ejrAKCqW
火坂本はソースにするのに公式は否定なのな
449 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:49:58 ID:213DKMIq
俺は
>>434だけどさ、
そのサイトで書かれてる
「領内各地の出城のほとんどを、放棄するしかなかった」
の文献的裏づけのソースも出してやれよ!!!
>>373>>402のアホ直江厨の論拠もソースだして論破よろしく!!!
450 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:55:07 ID:vCsz/nNZ
>>449 だから「山形市史」と「山形県の歴史」って本があるだよ。
他に「山形合戦」、「最上義光合戦記」、「北天の巨星・最上義光」。
Web公式ならすぐ見られるからってことであげたんだけどな。
>>402は、空城とは関係ないぞ、撤退命令を無視した畑谷に援軍を出したというだけ。
451 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:57:30 ID:g68Mwj7P
>>449 そんな無理難題なお願いをするのは嫌がらせだぞwww
だってそれ書いた片桐氏は
義光の人物像は弁慶みたいな人物って言ってる人だぜ。
講談の弁慶は大活躍でしたね良かった良かったって話だぜ。
452 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:58:56 ID:213DKMIq
453 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:00:31 ID:hIHapIQE
だから嫌だったんだよなあ。
直江厨って最上研究者まで貶めるからな…最上研究者が義光贔屓で何が悪いんだ?
てかその弁慶云々のソース出してくれ。
454 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:04:08 ID:YHcMbTsc
あのな、あと
>>450であげたうち
「北天の巨星・最上義光」だけだから、片桐氏の著作は。
つかさあ、そんなこと言うなら義とか愛だの言っている直江関連書物は何?
兼続の人物像は義と愛の塊だって言ってるんだぜ。
大河ドラマの兼続は義と愛で大活躍ですね良かった良かったって話だぜ。
455 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:06:45 ID:FHWiiwqu
>>451 んじゃその片桐氏の主張を否定できるソースよろしく。
>>452 お前も変に煽ってないで、直江厨を応援したいならそのような根拠でも探してこいよ。
>「領内各地の出城のほとんどを、放棄するしかなかった」
>の文献的裏づけのソースも出してやれよ!!!
県の公式サイトが裏づけの無いこと書くわけ無いだろ。
否定したいなら否定できるソースもってこい。
456 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:09:58 ID:npeyMxLj
>>450 本の名前だけ書くとか意味不明。本の名前を出すだけなら誰でもできる。
本の中の該当箇所だけ抜き出して書けよ。
個人の妄想ではなく、研究とかなら裏づけの論文、または根拠を明示する書状もだせ。
>>453 なんだ贔屓して書いてるの自覚してんじゃんw
>>454 ID違うぞw自演かよw
457 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:12:33 ID:Wal7529z
なんでこんなに直江厨は必死なの?
状況証拠的にも空城だったのは言うまでもないじゃん。
458 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:12:45 ID:YHcMbTsc
>>456 >>450 本の名前だけ書くとか意味不明。本の名前を出すだけなら誰でもできる。
本の中の該当箇所だけ抜き出して書けよ。
個人の妄想ではなく、研究とかなら裏づけの論文、または根拠を明示する書状もだせ。
おまえが出したら出してやる。さあとっとと出せ。
あ、米沢新潟NHK関係者のソースは贔屓だから認めないぞ。
459 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:16:00 ID:GCeZlFyZ
県の公式サイトが裏づけの無いこと書くわけ無いだろ←反論したお前自信に根拠がないから、結局は開き直りかよバァカ丸出しw
サイトに書いてある文章でもソースないもん信じられるかよ。しかも低年齢対象でガキ向けに作戦1とか作戦2とか書いてるしw
つか義光歴史館=山形県公式って何なの頭弱いの?
460 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:17:13 ID:YHcMbTsc
とか…言っておいてなんだが実はだせっこないんだわw
答え:山形周辺では長谷堂・上山・畑谷しか交戦記録が「ない」から。
最上、上杉側の記録、軍記にもまったくない。
城に兵士が入っていたら記録が残る。まったく記録がないってことは戦っていない
ということになるわけだ。
反駁は楽勝だよな、上三城以外の将の名前、
戦力を書き出せばいいだけ。簡単だな。
461 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:17:47 ID:YHcMbTsc
462 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:23:03 ID:xgjyB4Hj
>>456 他人に「兵が居なかった」ことの立証を求める前に、「兵が居た」ことを立証しろよ。
無かったことは当然記録も何もないんだから。
逆に、兵が居たり戦いがあったなら記録があるはずだよな?
463 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:29:32 ID:npeyMxLj
谷地城に谷地大学や金山伊豆守ら17騎など300が下軍と篭城戦やってるな。
寒河江肥前守が谷地落城を聞いて奪回するために
300騎にさらに八沼・左沢が馳せ加わり、さらに大規模召集を地下人にかけて3000余騎をもって下軍を襲撃して両軍が毎日死者を出してる。
元々、記録が少ない戦線でも戦闘の痕跡は残っている。
464 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:33:50 ID:xgjyB4Hj
>>463 それって出展は何?
それから谷地以外は?
465 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 00:37:45 ID:YHcMbTsc
つかもう空城とかどうでもよくねえか? 直江の活躍と対して関係ねえよ。
直江スゲーなら伝説の撤退戦の話でもしようぜ?
466 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 14:30:21 ID:GCeZlFyZ
>>423 美濃大垣城に籠城していた三成を家康が無視して、近江佐和山城へ向かう動きを見せたので
大垣城から三成は見事に釣り出され、上杉が気になる家康が望む早期決着たる野戦決戦に持ち込まれている。
三成が大垣城に籠もり家康の背後を遮断して、
宇喜多や毛利らが関ヶ原に野戦陣地を築いて長期持久戦に持ち込んでいれば、家康は進退極まり、その間に最上滅亡→孤立した伊達が従属し佐竹と上杉は関東侵攻だった。
津軽氏の関ヶ原へ馳せ参じた話は津軽藩の捏造で三成の子の保護までしてる。
安東氏も上杉との内通疑惑がある。
越後の溝口・村上も上杉と内通疑惑がある。
小野寺氏は最上と対立しており西軍。
一揆が起きた南部は家康の命を無視して米沢口から無断撤退し、伊達が支援軍まで派遣し一揆を煽ったために伊達に敵対中。
>>442 それは和漢的解釈ではなく、仏教的解釈の特殊例ではないだろうか。
>>443 悪って言葉には昔も悪い意味もあった。
このあたりは蒙古的な風習で、わざと悪い意味をつけたりした名残り。
例えば生まれた子に悪魔とか、病原菌とか悪い意味の名前を付ける事で、当時の人々が恐れていたモノから守る意味があった。これらの慣習が転じたもの。
467 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 19:24:52 ID:GL7peWAF
>466
家康が佐和山城へ向かう動きを見せたというのがこれまでの
通説だけど、細川家の記録では十四日深夜でも合戦の動きは
なく、十五日未明になってから、三成が関ヶ原に布陣したと
いう話を聞いている。
西軍が関ヶ原に野戦陣地を構築していたことから見ても、
最近の関ヶ原関係の本では、戦場の選定をしたのは西軍側
としている。
468 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 01:30:34 ID:LQOtRo2d
>>467 島清興の見事な釣り野伏せのような戦術による杭瀬川の戦いは無かったってこと!?
その論は誰が提唱してるの?つか学会みんなが認めてる公認ってこと?
三成は大垣に留まらずに岐阜城の織田秀信を救援して、伊勢を攻略中の宇喜多と上下からの挟撃を狙えばよかったのにな。
469 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 01:37:31 ID:lJWcy4my
三成に言えよ
470 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 15:45:15 ID:A2m+ujD/
最近の研究で決まってるみたいな書き方してるけど、
>>467の脳内認定なだけで諸説あり合意されたわけでもなんでもないよ。
>>466が言うように、関ヶ原に大規模築城し、大垣城との連結を図り、家康が挟撃を恐れて躊躇して侵入できないうちに
大津攻略軍(あわよくば宮津攻略軍も)との合流を目指していた。
関ヶ原へ侵入した場合は街道を封鎖し補給を断ち袋のネズミにする。
だが家康が三成を無視して佐和山を狙うとの風聞を流し関ヶ原へ侵入を開始してしまい、三成はなぜか基本戦略を捨てて家康が欲する野戦即決に乗ってしまった。
これは三成が小早川の布陣を怪しんだためとも言われる。
大谷が小早川の寝返りに備えていたのもこのため。
島はこの時、三成に関ヶ原野戦決戦ではなく、寄せ集めで疑心暗鬼の東軍各隊の行軍中の大がかりな伏兵埋伏の夜襲を推奨していた。
やはり三成は正々堂々と勝ちたかったのだろう。義を重んずる人間は往々にして、利を嫌い清く戦おうとして狡猾かつ悪辣で利に集まる者たちに負けることが多い。
だが古代中国の昔から春秋戦国時代にかけて義裂な人間は顕彰され義は尊い行為で一服の清涼剤ではある。
そこに治乱興亡を見、敗者に情を寄せるのが日本人の美徳であり滅びの美学である。
儚い平家滅亡や義経伝説、南朝の衰運、豊家の中興を目指す三成、江戸無血開城、帝国日本の滅び。回天に接して時勢に反するものの生き様は素晴らしい。
471 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 15:48:26 ID:lJWcy4my
ついにキチガイまで現れた
472 :
人間七七四年:2008/11/11(火) 16:52:56 ID:xVq4JvJb
「諸説あり合意されたわけでもなんでもない」というのなら、
>>467の
「戦場の選定をしたのは西軍側」
>>466の
「大垣城から三成は見事に釣り出され、上杉が気になる家康が望む早期決着たる野戦決戦に持ち込まれている。」
>>470の
「関ヶ原に大規模築城し、大垣城との連結を図り、家康が挟撃を恐れて躊躇して侵入できないうちに
大津攻略軍(あわよくば宮津攻略軍も)との合流を目指していた。
関ヶ原へ侵入した場合は街道を封鎖し補給を断ち袋のネズミにする。」
いずれも、「諸説あり合意されたわけでもなんでもない」というわけだよな。
473 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 03:05:30 ID:2f8nfXel
>>472 合意を得たわけでないが冒険的なものではなく、矛盾の少ない無難な定説ではあるな。
474 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 03:09:12 ID:2f8nfXel
あぁ
>>467の
「戦場の選定をしたのは西軍側
としている 」
上記部分は正直、聞いたことがないので
誰が提唱してるのか知りたいので出典を求めたい。
475 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 10:52:17 ID:xI0c4zn2
西への返し方にしても、秀忠への書状からしても、家康はあんま早期決戦に拘ってはいないと感じるなぁ。
476 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 11:40:53 ID:W8Qwu1K8
桐野作人
十四日夜、家康が「『場中』へ敵をおびき出したい」と提案(綿考輯録)
→竹中重門の菩提山へ陣替え(軍記大成や慶長略記など)
場中とは敵との間の意味で、菩提山陣替え説をとれば、家康は
青野原の垂井に引きずりだそうと考えていた。そうすれば、垂井に
進出した西軍を南宮山の吉川勢とともに挟み撃ちにできる。
ところが三成が関ヶ原に布陣。吉川は黒田へ「味方になる予定だった
が、三成が関ヶ原に回ったためできない。でも敵にもならない」と告
げてくる(綿考輯録)これは合戦当日の未明。前日夜には陣替えの準
備をしていなかったらしい。
三成の関ヶ原布陣の理由は、家康の動きより小早川の松尾山城占拠
にあるだろうと指摘している。
三池純正は三成を持ち上げすぎな気もするけど、「フィールドワーク
関ヶ原合戦」などを引用して、西軍が塁壁などを構築していたことや
東軍が高地に陣を構える西軍と戦わなくてはいけないなどを根拠にし
ている。島津家の史料でも「軍議で、大垣を出て関ヶ原に布陣する」
ことを決めたとしてるらしい。
だいぶ兼続からは離れたけど・・・。
477 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:23:00 ID:+QJg4lOf
つうか各家の正当性主張に都合が良いように編纂されたものや、
偽書状や矛盾する資料がいろいろあり、
さらに諸説あって新たな資料が発掘されないと結論が出ない関ヶ原は完全にスレ違いなので長々と議論したいなら関連スレへ移動しましょう。
478 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:18:54 ID:nhpqxePE
直江の素晴らしさ、戦略眼の的確さがわからないのはアンチのバァカだけwww
自演多すぎてワロタwwww
山形城なんてボロ館陥落寸前で義光涙目命乞いしてましたがwwww
実際、最上が大規模築城たる石垣の山形城を作ったのは関ヶ原以降だろうね。戦後に最上川を開削し近くまで開通し内陸部の山形に巨石が運び込めるようになってから。
戦後は石垣築城ブームになってたし、近江の石垣職人も畿内だけでなく戦後には仙台城築城などで奥羽に来てるしね。
最上川の運河化での収入が財政を支えたと思う。
豊臣政権期における出費や築城制限に関しては
南部信直に秀吉が妻子を在京させ在京費用も賄え。領内諸城を破却しろなどと厳しく城割りを指示してる。
戸沢氏の資料だと秀吉に命じられ33カ所の城郭を壊すハメになるなど領内では超軍縮なのに、最上だけが城郭拡大なんて非現実的過ぎる。
479 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:48:12 ID:W0dNEBg1
空城説は嘘が論破されて涙目乙www
それで、まぁた山形城は政庁レベル話かよwww
過去ログ読んでこいwwww
480 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:49:10 ID:W0dNEBg1
空城策とって、最後にボロ館に籠もる奴がいるわけねーだろ
481 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:52:39 ID:W0dNEBg1
根拠がない、もしくは辻褄が合わない自説を煽りまくりで主張
↓
人が多くなってきて、論破される
↓
反論できないから消える
↓
人が消えて静かになる
↓
1行目に戻る
何がしたいんだろうな、この人。
482 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 21:10:55 ID:MWUzMPlY
>>481 きっと精神病院から書き込んでるんだよ。
可哀想だからあんまいじめないであげて
483 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 23:59:31 ID:1I6R/g73
長谷堂城と直江が鶴翼の陣を敷いた菅沢山を休日を利用して見てきました。
また菅沢山から、朝に山形城を見てきました。霞がかかっていて、直江公が山形城を「霞ヶ城」と呼んだ意味が判りました。
山形では直江公に敬意を表して今でも山形城公園を「霞ヶ城公園(かじょうこうえん)」と呼んでいるそうです。
だけど、一番びっくりしたのは菅沢山から畑谷城までの道程です。
この道(両側が険しい山で、2列行軍がやっとの道)をどうやって、最上・伊達(留守)軍の追撃を振り切ることができるのか、全くもって考えられません。
直江公が殿となって、水原・前田軍を使い「掛かり引き」で見事に撤退させた情景が浮かぶようでした。
帰りには、白鷹町も「鮎茶屋」でおいしい鮎の塩焼きをゴチになってきました。
484 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:03:46 ID:NfrMPiD2
>山形では直江公に敬意を表して
違うよ、最上側が
「霞がかって城が見えなかったなんて! 奇跡だ、これからは霞城とよぶ!」
っていう意味で美称としてつけたんだよ。
直江は「げ、なんで山形城みえねーんだ」と焦った。
山形市内で直江に敬意を払うかよ。侵略者だぞ?
485 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:07:43 ID:Mtw+rFgh
あと、山形城はデカかったです。得に3の丸跡は凄い高さがあった。
それに比べて、米沢城の貧相なこと...。
486 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:09:11 ID:SEVaL8yv
お城見学は楽しかったようでよかったですね。
ただ、退却はむしろ細い道のがやり易いと思えるのだけど。
追撃を受ける面積がそれだけ減るのだから、そこに防御兵力も指揮も集中できるし。
むしろ、平地で様々な方向から追撃受ける方が大変かと。
487 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:23:07 ID:pFGJozg8
>>486 細い道は一度に通れる人数が少ないんで進軍速度が低下します。
488 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:56:45 ID:eVbAQ5Jg
>>487 自然渋滞でも、進行スピードは落ちるしね。
489 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 02:06:49 ID:SEVaL8yv
いや、進軍速度は下がるけど、防御正面がかなり限定されるのは変わりないと思うんだけど。
渋滞に例えるなら、渋滞してる車を後ろから叩き壊していくにしても、一度に一、二台しか
叩けないんならそうそう沢山壊せなくなるでしょ。
490 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 02:15:28 ID:v5lRuYM0
つうか選ぶほど道あるのか
491 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 02:36:18 ID:sNY1mAk1
選べるほど道が無いから、追撃側はそこしか攻め口が無く、防御はその一筋の防御でいいから、
平地における退却よりもやり易いんではないか、ということなんだが。
退却時は当然殿軍が遅滞戦闘を行うだろ?
この時、平地みたく追撃側に様々な攻め口がある場合と、今回みたく道を一筋守ればいい場合とでは、
平地の方が大変なんじゃないかな。
492 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 03:56:45 ID:CJ1gz+18
493 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 04:00:55 ID:xTrh5xW+
>>491 平地だったら撤退戦自体が起き難くなる。撤退する軍に追いつけないから。
尤も撤退する直江が25000、追撃する最上が5000なんだから真正面からやり合えば
圧倒的に直江有利なんだけどな。
494 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 04:34:32 ID:v5lRuYM0
撤退戦て具体的にはどこで行われたんだろうな
前田に切腹止められる話や水原の鉄砲隊が最上義光仕留めそうになったり
色々エピソードがあるけどやっぱいろんな所で散発的に戦ってたのかね
撤退戦だし逃げる→休憩→追いつかれ戦→逃げるの繰り返しで
495 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 07:29:22 ID:CxCmEuMF
殿軍が食い止めてる間に本隊は退く訳だから休憩してる間に追いつかれるってのは早々無いような・・・
勿論殿軍が壊滅したら追い付かれるだろうけどさ
496 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 08:17:03 ID:Mtw+rFgh
>>483 「掛かり引き」でなく「相懸かり引き」では?
上杉軍が得意とする戦術で、謙信も使っていたことがあるはず。
別に直江の功績ではないと思う。
ただ、「鶴翼の陣」を敷いていたのであれば持久戦の陣形。
直江の考えは鶴岡勢と酒田勢の挟撃を待っていたのか、それとも空城に近い山形城を目の前にして西軍が負けることを覚悟し撤退に備えていたのか、興味深い点ではある。
いずれにせよ、山形の陣を早期決着しようとは考えていなかったということになるかな。
497 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 12:49:29 ID:rwB/nGQR
>>484 キチガイアンチ必死すぎワロタwwwwww
最上なんて改易大名、暗殺しか能がない息子殺しなんか尊敬する奴地元でもいねーよw
銅像建設反対運動までされたとかwww
霞城と言ったのが直江なんだから直江尊敬に決まってるのにアフォすぎ。
>山形市内で直江に敬意を払うかよ。侵略者だぞ?
直江公は全国レベルで尊敬されてるからw
三傑全員に畏怖され、米沢藩の基礎、上杉鷹山の政策のもととなったのも直江の政策。
景勝みたいな無能でも家を保てたのがそもそも直江のおかげ。
498 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 13:00:50 ID:rwB/nGQR
だいたい最上なんて自身の内政功績ほとんどないしな。
北楯大学とか志村光安が有能だっただけw
なのに山形の基礎を築いたとか山形市民も仙台市民並にバァカすぎてワロタw
499 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 14:14:42 ID:9MvM4V2r
有能な部下をもった功績はトップに還元されるもんだろ。
500 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 14:35:48 ID:RpRdzNjd
>>494 上杉の方が圧倒的に大軍で、最上側は不用意に深追いはできない
上杉は後方を突かれているor突かれる恐れがあるわけではない
兵力で勝り、時間的制約もなく撤退に望めたわけだから、あまり絶望的な撤退戦ではなかったと思うな。
501 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 14:45:09 ID:O52qHiz3
最近は義光善人説の結果ありきで研究し過ぎ。
自分の息子義康に嫁をもらって、自分は病人のフリして誘き出して嫁の父白鳥長久を暗殺し、天童夫人(義親の母)が死ぬとさっそく天童滅亡させる。
仙北一揆の鎮圧の時に、義光が通過すると聞き、民が不安がってる小野寺が義光を「計策の人」だからドサクサ紛れの火事場泥棒を警戒してたし、
案の定、湯沢城代の暗殺事件引き起こし、あいつ一揆やろうとしたと秀吉に嘘報告し横領。
雄勝郡の民達が義光を恐れ横手へ逃げると上杉側に民を戻せよとしつこく要求。
そのために上杉転封後に旧小野寺領民の反感がありすぎて統治不能で、
佐竹の由利郡と交換せざるおえなくなる。
横手で新支配者の佐竹に一度反乱起きるも鬼佐竹義重に撃破され鎮圧後に、
政宗が領内統治能力なしの無能と言いがかりをつけて虐待し続けたので
ついに佐竹に逃げてきた叔父の伊達盛重が横手城代になると安定統治を達成。
502 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 14:52:10 ID:SkKwbIbg
>>499 うん、されるもんだね。その有能な部下を使うのがトップの人間だから…
503 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:08:27 ID:r4ZgvFVA
アンチ必死過ぎw
いい加減雑魚無能政宗や義光が直江にそもそも勝てるはずがなかったと認めて黙ってくださいwww
504 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:38:09 ID:O52qHiz3
>>503 オレのレスに煽りレス付きで他スレになるなよ。
おまえが伊達厨なのはわかってんだよ工作必死過ぎ。
505 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:38:58 ID:O52qHiz3
訂正
×他スレになるなよ。
○他スレに貼るなよ。
506 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:55:56 ID:xI/IOVT1
>>504 こんな狂ったレスできる奴が二人以上この世にいるなんて思いたくないわけだが。
伊達厨のわりに伊達けなしているだろうが。
507 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 18:01:56 ID:xI/IOVT1
>>504 悪いことは言わない、自分が何書いたかもわからなくなっているなら、
今すぐ病院逝ったほうがいい。今ならまだ引き返せる
508 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:08:49 ID:VTUhk/mE
>>501 たしかに義光は、白鳥十郎騙まし討ち(霞ヶ城公園に「血染めの桜」なるものが残っている)とか天童氏への仕打ちとか、長男義康への対応とかヒドイことする奴ですね。
特に長男義康は、長谷堂撤退戦の折、殿の直江軍がいきなり反転し反撃して義光が危機に陥った時、山形城から打って出て義光・伊達(留守)軍の虎口を救った人物。
その上、義康はその後の酒田侵攻でも東禅寺城の志田軍を開城に導いている。
福島城へ侵攻して手痛い敗北を喫し撤退した伊達軍とは大違い。
義康への仕打ちは単に義康が豊臣・上杉の息が掛かっていたから殺して家親に継がせた、ぐらいにしか見えず、全く理解できない。
509 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:25:18 ID:VTUhk/mE
>>496 「鶴翼の陣」に直江の心情を見るね。
直江は中央の戦況が気になって、山形盆地へ軍を進める気にならなかったんだろう。
負ければ、即撤退が必要だと判って侵攻してたんだろう。
直江状の中に次の一節がある
「内府様又は中納言様御下降之由候間、万端御下降次第可仕候」
訳「家康様又は秀忠様がこちらにおいで頂く間、全て、おいで頂くなりに仕事させて頂きます。」
つまり、言葉は柔らかいが、こちらに軍勢を向けた段階で当方としては「宣戦布告」とみなす。と言っている。
軍勢が小山まで来た段階で、直江の考えとしては、家康と秀忠が「御下降」したのだから、追撃されても文句が言えないようにしておいた。
しかし、追撃について景勝の決裁は出なかった。落胆、そして景勝から出た命令は、山形行き。⇒攻める陣形でない「鶴翼の陣」と見る。
510 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:26:59 ID:NjLVlUXi
実際に手を下した里見民部の一族を滅ぼさせたって言うんだから
義康暗殺に義光関与の可能性は低いんじゃないか?
511 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:44:57 ID:o5/oXL1L
つか話苦しくなったら政宗の次は義光叩きかよw
次誰をターゲットにするかwktkしてきたw
512 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:49:16 ID:o5/oXL1L
>>508 しらっと自分のレスに文体かけてレスつけてもバレバレだよーw
513 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:40:48 ID:SkKwbIbg
てか何直江スレで最上ネタやるなら長谷堂じゃねーのかよ
514 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:46:02 ID:SkKwbIbg
あ、スマン何でもないです。ゴメソ
515 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:58:21 ID:RpRdzNjd
>>509 まあだ、直江が長谷堂落とす気なかったとか言いたいわけ?
現実見ろよ。
516 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:59:45 ID:RpRdzNjd
どっかで見かけたんだけど、直江が出した長谷堂にちっと手間取ってるけど、陣替えしてさっさと落とすわ的な書状があるの?
それって、誰に出したもんなの?
517 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:19:33 ID:zDHUvzfR
長谷堂を落とす気無かったとなれば、長谷堂戦でのマイナス評価を回避できると思ってるんだろ。
でもそれは、逆に言うと自ら長谷堂の戦いが褒められたものではないって認めてることになるんだけどねw
本気で長谷堂の戦いに問題がないと思ってれば、長谷堂を落とす気無かっただの主張する必要もないw
518 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 01:46:04 ID:6l1dAHHw
519 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 08:28:53 ID:UZGKXsez
今朝、コミックバンチの新連載の直江兼続を立ち読みしてきた
思いっきり萎えた あれは無ぇーわ
傾きまくりの遊女とセックスしまくりの
あれじゃまるで直江兼続の皮をかぶった前田慶次だわ
少なくとも花慶に出てきた直江兼続とはまっっったく別人
あれが原哲夫の指示通りの内容であるのなら 俺は原哲夫を軽蔑する
直江兼続を貶めるに十分な漫画だ がっかりだ
520 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 14:18:47 ID:niQ1ISRn
>>518 11/8の義光から甥への手紙には、小野寺との戦いについて
安東や由利は出陣こそしたが、談合して小野寺攻めして馬鹿げてる!南部に至っては10/24になってから横手在家6家くらい焼き払ってアリバイ作ってその日の内に帰りやがった!と怒っていた。
戸沢は小野寺との連携があったが金森長近が家康に働きかけをして助かったらしい。
関ヶ原が早期決着が無ければ奥羽は上杉化されていた可能性が高い。
小野寺に関しては11月に鮭延が増援され、12/14に家康から赤尾津孫次郎へ小野寺攻め戦功を賞する手紙があるらしいので、12/1前後に小野寺→家康へ降伏の何らかの意思表示があったと思われる。
(庄内との連絡線が切れ孤立無援になったのを悟った)
軍事占領は鮭延らがやっていたのだろう。1/21には小野寺は領地召し上げで横手城を出たらしい。
3月には鮭延らが横手仕置きを終わらせ4月には鮭延らも庄内攻めの増援に向かう。
今の日付は約一ヶ月半のズレがある事から最上勢は厳冬期を通して軍事行動を続けていた事になる。
521 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 17:25:01 ID:6l1dAHHw
>>520 最上の小野寺攻略は冬にも継続してるんですか。
あそこの山形・秋田周辺域は非常に厳しい難所で
特に雄勝峠は箱根以北でもっとも厳しいために
「箱根の如き難関」と呼ばれ、通行にすら難儀だった地ですね。
ここら辺は結局、最上が統治に失敗し佐竹領になったとか
>>501 そして佐竹は参勤交代の為に道を切り開き、さらに佐竹の常陸時代からの金山技術で、
1606年慶長11年に発見され、天保期には日本一の産銀量を誇ったが開山が。
この地は1617年にローマで作られた地図にまで載ってる活況ぶり。
「東洋一」の大銀山とうたわれ、年間産出量日本一を何度も記録し
秋田銀線細工という伝統技術も生まれ成長した(石見銀山の世界遺産化運動に秋田も対抗したら?)
この銀山のおかげで佐竹本拠の久保田城下を凌ぐ藩内最大都市に成長し
出羽の都と呼ばれ、その勢いは明治政府工部省の街道大開発と明治天皇の行幸にまで及ぶ。
ちなみに1624年の隠れキリシタン殉教地としても雄勝峠は有名だったりする。
また明治政府からこの銀山を払い下げられた古河市兵衛が
足尾銅山(群馬県の公害汚染と田中正造で有名)を買収し財閥化した。
まさに奥羽での最大の勝ち組は上杉でも伊達でもない!
なんと佐竹だったんですね〜。
>>492 え、つまり漏れの発言は否定されてるの?肯定されてるの?
別にスレ違いとか書いた記憶はないんだが。
523 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 17:41:03 ID:6l1dAHHw
>>522 結局、豊臣政権時代の最上は実高10万石程度で朝鮮出兵負担や小野寺との争いから、二の丸の維持すら難しい=館レベルってことを言ってんじゃないの?
524 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 18:26:13 ID:pQbqxvob
何この分かりやすい自己レス
525 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 18:31:20 ID:pQbqxvob
煽りとかじゃなくて心配になってきた。
多スレにマルチポストまでしてる。
少し戦国板から離れたほうがいいんじゃないのか。
526 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:27:50 ID:niQ1ISRn
>>521 そんなすごい銀山とは。
関ヶ原さえなければ…小野寺カワイソス
まさか膨大な軍資金が埋蔵された宝の山の上に住んでいたとは。
527 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 21:41:23 ID:ZDlEkbdP
NHK「天地人」:信長役に吉川晃司 伊達政宗は松田龍平、妻は杏 大河初出演
来年1月スタートの大河ドラマ「天地人」に主に後半登場する出演者が17日発表された。
織田信長役の吉川晃司さん、伊達政宗役の
松田龍平さん、政宗の正室の愛(めご)姫役の杏さんは、大河ドラマ初出演。
「天地人」は、「義」の精神で主君・上杉景勝とともに戦国時代を生き抜いた直江兼次(妻夫木聡さん)の
生涯を描く。このほかに今回発表されたキャストは
▽徳川家康役=松方弘樹さん▽千利休の娘、お涼役=木村佳乃さん▽毛利輝元役=中尾彬さん
▽前田利家役=宇津井健さん▽豊臣秀吉役=笹野高史さん▽ 北政所役=富司純子さん
▽福島正則役=石原良純さん。
いずれも戦国時代を代表する武将らで、直江にとっては大きな壁となって立ちはだかる人々。
35年ぶりの大河出演という家康役の松方は「主役いじめをどう演じるか。台本を見て考えたい」。
また秀吉役の笹野は「日本で一番秀吉に見た目がぴったりと思っていたので、『やっと来た。
待ってました』という感じ」と喜びを語った。
また時代劇初出演の杏は「時代小説を読むのは好きだったので出演が決まりうれしい」。
伊達政宗の正室役を演じるが、父の渡辺謙は87年の大河ドラマ「独眼竜政宗」で伊達政宗を演じている。
「大河のころに生まれたので見たことがないですし、父とも特に話はしていません。これまで通り
自分で頑張りたい」と話していた。【佐々本浩材】
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20081117mog00m200017000c.html
528 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 21:53:31 ID:XmrcjZOv
大河板と大河スレでどうぞ
529 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 22:51:24 ID:Zy35X0z8
よしずみwwwwwww
530 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 08:05:59 ID:rTiWInMh
>>496 「相懸かり引き」とは、どんな戦法?
殿は直江自ら500の強兵を選んで溝口と水原合わせ1,500、上杉方の損害200余り、最上伊達の損害2,000余りって。
最上伊達は殿に直江がいると見て最上は相当頑張ったな。
531 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 08:49:37 ID:hfkReMv4
ん? オレの持っている数字では上杉の損害のは多いぞ。
てか伊達は追撃戦ではほとんど損害出てない。そこにいました、っていうだけ。
532 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 08:55:26 ID:PlOi59Wv
29日には少しでも円滑に退却できるように直江は撤退路の整備をし始めたらしいね。
でも実際はもっと前から補給通信を目的に街道整備してたんじゃないかな?
直江自体が白河口で徳川方と変事が起きたら急行する予定だったし。
寒河江や東根まで落ちちゃったし、長谷堂落ちたら最上も降伏すると思ってたんじゃない?
直江自体は米沢→会津→下野→徳川背後を閉じるの初期戦略があったから、即応体制で、行きたい気持ちはあるだろうけど山形まで行っちゃったら白河の戦が始まった場合は間に合わなくなるし。
533 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 08:57:29 ID:hfkReMv4
>>532 それってさあ、直江の慧眼として引っ張ってくる連中割といるが、
どこがいい話なわけかね? そのわりに連絡間に合わなくて
最上領で孤立した将かなりいたよね。そういう連中無茶苦茶怒っているだろ。
その説を採用すると、直江はテメエのケツをふくことしか考えてねえゲスとしか
思えないがねえ。
534 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 09:26:01 ID:PlOi59Wv
>>533 どうやって下に連絡をとりつけるのさ?
無理なことに因縁つけて貶すのはアホのやること。
535 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 09:32:42 ID:hfkReMv4
>>534 撤退路の整備は完璧だけど味方に連絡できませーん、仕方有りません、か。
最高だな。まあ直江の生涯なんてケツふきくらいしか卓越した技能ねえけどな。
主家のケツをしっかりふいて存続させたのはエライよね。
536 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 11:32:13 ID:YHjTsp6q
関ヶ原の敗報を知らず最上領に取り残されて戦う武将がいた方が直江の撤退は上手く行くんじゃないの?
残された方はたまったもんじゃないけど
537 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:02:47 ID:PlOi59Wv
地形も知らない無知が露呈。
よって具体的な連絡方法も語れず、
まるでダンプやシャベルカーでも持ってるかのような発言にワロタwww
相変わらずアンチが超馬鹿丸だしw
そろそろ恥じて死んだ方がいいんじゃない?
538 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:06:59 ID:PlOi59Wv
>>536 その話は初耳だな。
いつ義光が直江追撃にあたって庄内軍追撃に兵を分けたんだい?
全力で直江追撃してたはずだが。
興味あるからソースくれ。
539 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 14:37:49 ID:HHNFtl7n
>>537 なんで味方への連絡にダンプやシャベルカー…もといショベルカーが便利なんだ?
携帯電話とかならわかるけど。
あなたはダンプで連絡を日頃しているのかな。
そういえば来年愛と義で大河になるような人だからさ、
そういういい話とかいっぱいあるんだろうけど、
いい話スレでちっとも直江公が出てこないんだよねえ。
なんか投下して欲しいなあ。
540 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 15:50:05 ID:RIVFqroH
>>532 東根は落ちてないぞ。
あと、長谷堂までなら引き返せるけど、山形まで行ったら引き返せなくなるってのも変だな。
8キロぐらいしか違わないのに。
541 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 22:34:11 ID:PPcotLIS
実際愛と義を連想させる逸話ってあんの?
542 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 23:54:23 ID:xyvDeahL
>>541 当事の「愛」は、欲望のまま自由勝手にする、みたいな意味。
543 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:41:50 ID:Hd/uNZDn
愛宕神社の愛っす
544 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:50:15 ID:+JaK7ffl
愛新覚羅の愛です
545 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 10:54:26 ID:6nGMiptM
自己愛の愛です。
546 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:10:47 ID:KyPmtMzI
>>535 仕事では、その「ケツ拭き役」が一番大変なんです。サラリーマンなら判ると思うけど。
完璧にやったとて誰も褒めてくれない、負けた責任は自分。
その中で逃げずに米沢でやり切った、直江は凄い。
「政権投げ出し」で責任取ったふりしてる、某○部元首相、某福○首相にも見習って欲しかった。
あと2年大河が早ければ...。
547 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:26:22 ID:ehBW+9O/
ケツを拭いたのは水原じゃないの?
うんこしたのは直江だけど
548 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:27:09 ID:KyPmtMzI
「革籠原」を見物してきました。
JR新白河駅の東側。上杉方が作ったとされる土塁跡がありました。
その中心に立って、上杉方の必勝戦略に背筋が寒くなりました。
風は上杉本陣側から強風(鉄砲の威力を倍加させる)が吹き、討伐軍が低地から攻め上る格好。湿地帯も多く攻めるに不利。
上杉軍は西側から東側にかけて長い土塁を何重にも創っていました。ここから景勝を攻めるのは容易でない。
西側には直江軍、東側からは棚倉から佐竹軍、南からは真田軍。
長期戦になれば、戦線膠着させて上方軍の挟撃を待つ戦法も取れるし、家康側が短期決戦を仕掛けてくれば革籠原の罠に嵌めてで緒戦で勝利する。
後詰めは須賀川(長沼)にあり、長期戦も可能。
上方軍の動きが後、5日遅ければ、この必勝作戦が発動していたことでしょう。
罠に嵌らないのは、さすが家康、ですけどね。
帰りはお約束で「白河ラーメン」食べてきました。
549 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:30:19 ID:7jHkz1gY
指揮官の責任放り出して
切腹しようとして前田に止められてる話が
上杉将士書上にあるし
ケツ拭かないであの世に逃げるつもりだったんだろ
実際は
550 :
541:2008/11/24(月) 23:43:13 ID:PTcPuRjv
>>542 あ、そっちの「愛」と、現代の「愛」の両方の意味でという質問でした。
551 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:50:23 ID:wYpqpvzy
>>546 米沢でやり切った、って一体何をやりきったの?
文官としての業績、何処でもやっているような事業しか見つからないのだが
景勝の寵愛と与板衆による多数派政治で筆頭家老に居座っていた
としか見えないんだよな
552 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:54:09 ID:ehBW+9O/
A部の政権投げ出しといて今更復帰しようとしてる様は直江を彷彿とさせるけどな。
553 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 00:20:06 ID:cp8SlMGY
直江と与板衆が政権に居座ってお家の癌と化していたために
ろくな改革が出来ず、米沢藩は貧窮を続けたんじゃないかな
ところで直江の死後、与板衆は弱体化したってのと
前スレでは政権に居座り続けたってカキコ見たけど
どっちが本当なの?
554 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 01:28:04 ID:z6BuV+g1
ずっと政権握ってたけど
直江の政治を見本としたという上杉鷹山公の
改革に反対し七家騒動を起こし
処罰され衰退していったんじゃなかったけかな
555 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 02:29:44 ID:U4xanvj/
まあ須田も色部も兼続と縁戚関係結んでるんですがね。
556 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 11:14:16 ID:c8WlTTs+
関ヶ原当時の上杉軍の総兵数はどれくらいいたの5万とは聞くけど。
557 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 12:24:39 ID:GfT+7tok
>>553 米沢藩の実情を知らない癖に偉そうに書くなや。
米沢藩は1638年の検地で51万石を記録してるわけだ。
つまり兼続を中心にはじめた藩政改革は一応の成功を収めている。
米沢藩の屋台骨が傾きだしたのは1664年三代目藩主綱勝が急死した時にはじまる。
嫡子がいなかったため本来なら御家断絶だったわけだが綱勝の正室が保科正之の娘であった事から正之が奔走して上杉家を御家断絶から救った。
とはいえ、他の大名の手前もありペナルティを与えなければ収拾が付かない状況下であったために領地の半分を召し上げる策を取った。
これが米沢藩困窮の始まりだ。
あとを継いだ綱勝の妹の子で吉良上野介の子である綱憲が吉良家の借財を請け負ったり、自らの浪費も加わって一気に借金生活へと落ちていった。
>>554 上杉鷹山は最初の改革を失敗している。
それは周りを自分の取り巻きだけで形成し意見をするものを排除した。
つまりYESマンだけで改革を行った。
結果、これは藩の上層部だけで行った独裁政治的な改革だった。
だから領民はこの改革についていかなかった。
二度目の改革の時はYESマンを出来る範囲内で排除し、七家騒動を起した家を再び藩政に参加させ、七家騒動の首謀者だった人間の息子の意見であった養蚕事業に乗り出す。
つまり一度目の失敗を糧に反対派や領民の意見を取り上げる様になった。
これが成功し米沢織で一気に財政が好転し1823年に借金を完済する。
558 :
仙台藩百姓:2008/11/25(火) 12:38:43 ID:3vkOUQIP
藁葺き小屋に住んでて改革成功も糞もないおね┐ (´ω`) ┌
検地なんていくらでも水増しできるし逆に隠す事もできるお( ^ω^)
559 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 12:58:04 ID:G3t23vu7
>>557 > 米沢藩の実情を知らない癖に偉そうに書くなや。
> 米沢藩は1638年の検地で51万石を記録してるわけだ。
つーか、それ普通だよ。
この時期の外様大名の石高と言うのは、幕府の側では基本過小にはじいている。
石高が増えると各種の賦役義務が増え、それが住民に過大な負担としてかかる事を
恐れたからだ。
そして大名の側はなるべく石高を大きくしたがった。賦役や負担が増えても、石高の増大は
中央での「出世」につながるからだ。
ちなみに毛利長州藩。表高36万石だが、これと同じくらいの時期に、検地によってなんと
70万石をはじいている。
転封直後の段階ですら、50万石以上をはじいていた。
幕府はそれを認めなかったけどねw
なので、検地で石高が増えている、っていうのは、改革の結果とは一概に言えないのよ。
残念ながら。
560 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 13:08:36 ID:Ae4sb7w4
島津も確かそんな話あったっけ?
561 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 13:41:48 ID:KLvgjXZq
表高と実高が違うなんて良くある話
お前らが大好きな伊達藩だって実高100万とも200万(これは嘘だろww)とも言われてる。
常識的に考えて農業技術が進歩すりゃ取れる米だって増えるだろ
562 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 13:48:26 ID:Ae4sb7w4
>お前らが大好きな伊達藩
この一文見ただけで、説得力なしとわかるな
563 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 13:51:03 ID:MXQm+GvX
>>551 どこでもやっているような業績を伊達家はやってなかったの?
564 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:27:12 ID:KkdwNYv9
定勝の代で御用金としてかなりの蓄財が出来てるようだから
景勝〜定勝の間蓄財する余裕は出来ていたんだろう。
例によって景勝〜定勝が非常時に使えるようにと貯めた御用金を
食いつぶしたのは綱憲と吉良家な訳だが。
565 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:28:29 ID:GfT+7tok
>>559 定勝時代は備蓄金が16万両あったとされている。
米沢城の金蔵の床が重みで抜けたとの伝承もある。
同じ頃、真田家でも30万両を超える備蓄金があったといわれているので決して大袈裟で誇張された話とはいえない。
つまり、この頃は関ヶ原敗戦側の家でも財政面ではかなり回復しているわけだ。
真田家の場合は頻繁に善光寺とその周辺の整備をやらされたため蓄財がなくなっていったわけだが。
566 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:34:53 ID:Ae4sb7w4
567 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:52:14 ID:GfT+7tok
>>566 わりいわりいw
勢いで書き込んでしまった。
真田信之自身は皆も知っての通り徳川についていたわけだが秀忠時代にはいろいろと嫌がらせを受けている。
戦後に受けた処置があまりにも敗戦国みたいな扱いでな。
その際たるものが国替え。
表向きは加増だが実質的には減封だ。
これでもかというほど幕府から嫌がらせを受けている。
ただ幸いな事に信之の方が幕府より一枚上手だった。
もし、この時の当主が信之でなかったら真田家は江戸時代前期で消滅していただろうな。
568 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:53:02 ID:v6RD4eQL
>>561 飛び領地込みで102万石と言うところだな。これはお前らが大好きな伊達藩(笑)の自称ではなく明治初頭に新政府がまとめた資料による。
まあ、これはいわゆる米だけの話でそれ以外の産業は含まれてないけどな。
で、同じ尺度だと津軽は30万石ほどになり、長州はやはり100万石ほどになる。また、宇和島や薩摩は逆に表高より目減りしてしまう。
569 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:54:52 ID:Ae4sb7w4
>>567 長生きしたこともあって、家光に「天下の飾り」とまで称されているんだが。
何か適当に言ってないか?
570 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:08:54 ID:GfT+7tok
>>569 家光は名君じゃないだろ。
取り巻きが優秀なだけであって。
571 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:18:07 ID:Ae4sb7w4
>>570 何を全然、関係ない話にすり替えてるんだ?
どこに家光が名君と書いてあるのか・・・・相手してらんないわ。
572 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:27:11 ID:GfT+7tok
>>571 苦労知らずのおぼっちゃま将軍に人を見抜く力などないといいたいだけ。
実際に家光自身がなにか大きな事を成し遂げたか?
幕府の余剰金を大量に使い込んだだけだろうに。
573 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 17:01:19 ID:+vS0lM5P
>>568 明治のやつ?
それは米以外も含んだやつじゃなかったか?
それに藩財政は大借金だらけで雄藩以外は石高比較なんてなんの意味ないし。
特に幕末は商人主導の人災的な飢饉が多いが
商人が儲かるだけで藩は赤字のまま
574 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:17:15 ID:G3t23vu7
>>572 仮にも幕府の中心を任じ続けた男だぞ、人を見る目くらいあるに決まってるだろ。
つーか、何でキミはそんなにえらそうなんだ?
575 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:42:02 ID:0EX8sEO9
優秀な部下を使うことができる主君なんて理想じゃん。
取り巻きの優秀さの評価が主君に還元されるのは普通じゃないのか?
576 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:21:01 ID:G3t23vu7
だいたいまだ独裁権の強い徳川将軍のシステムの中で、奸臣と言われるような者を
ほぼ一切登用する事の無かった家光に、「人を見る目が無い」と言うのは無理がある。
どうも、変な偏見を持っているか、徳川時代の歴史を知らないかのどちらかとしか思えん。
577 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:42:08 ID:KLvgjXZq
たまたま登用した腹違いの弟が超有能で逆心を抱かなかったってのもあるわな。
恐妻の目を盗んで浮気した秀忠に感謝。
保科正之がいなかったらどうなってたかってのは興味あるけど。
578 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:42:51 ID:ShfyBAt6
直江厨なので
直江が仕える上杉家を減封した
徳川家の人間なんて死んでも褒めたくありません
貶すだけ貶してやります
直江様の内政実績のが他の連中より優れてるに決まってます
579 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:47:23 ID:G3t23vu7
>>577 保科正之が、実際に幕府中枢として働くのは家光の死後。
580 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:45:31 ID:+vS0lM5P
部下の功績まで直江の功績にして独り占めと非難しながら
家光には優しいんだな
ほんとアンチの迷走しまくる節操ないキチガイぶりには
いつも笑わせてくれる。
581 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:50:49 ID:Ae4sb7w4
主君の功績まで直江の功績にして景勝は直江あってこそと非難しながら
家光には厳しいんだな
582 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:13:21 ID:SqTbIyuI
>>580 ほんとアンチの迷走しまくる節操ないキチガイぶりには
いつも笑わせてくれる。
↓
ほんとアンチの迷走しまくった節操のない精神障害ぶりには
いつも笑わせられる。
日本語として添削しておきました。
583 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:17:01 ID:SqTbIyuI
これが直江厨史観だ!
伊達政宗:ともかく悪いことはすべて彼と伊達厨のせいにすればいい
上杉景勝:直江公がいなければ何も出来ない無能
最上義光:直江公に命乞いしていた雑魚、庄内をとれたのも上杉のおかげ
徳川家康:上杉にビビって反転した弱虫
石田三成:偉大なる直江公の脚をひっぱった無能
毛利輝元:同上
その他諸大名:ともかく直江公にかなうはずもない無能
徳川家光:部下がいなければ何もできなかった無能←New!
584 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:17:42 ID:SqTbIyuI
忘れてた
上杉鷹山:無能ではないが、直江公の政策をパクっただけ
585 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:17:44 ID:sbIvh4sc
ほんと直江厨の迷走しまくった節操のないアンチ認定ぶりには
いつも笑わせられる。
反論できなくなるとすぐこれだww
586 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 00:29:41 ID:VEXeodQW
>>573 大借金のない大名なんてまず存在しないじゃないか。島津みたいに強引と言うか勇敢と言うかという方法を取れた大名もほとんどいない。
さも特定の大名だけが金がなかったように言うのはおかしいじゃないだろうか。
587 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 00:34:58 ID:HCf9bhKP
というか景勝以後の藩政は
直江に責任ないし関係ないよな
588 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:47:27 ID:zAcU3tJh
責任大ありだろ
初期藩政に必要な事業を大してやらず
与板衆の要職独占による数の政治で政権に居座り
他衆の台頭を抑えていた。
だから藩が貧窮していった
589 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:54:33 ID:DwhDeG9i
前半と最後の一行が関連してない件
590 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:57:38 ID:iiXxIBTi
>>588 領土に見合った雇用に切りつめるのは、最初にやっておくべきだからな。
切るなら、そのタイミングで切るべきで、理由として十分だし面目も立つのに。
591 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 02:05:09 ID:c5Kig2qn
リストラか…雇用先を全て手配してきれれば
凄いんだがね。
山一証券の元社長とかやっぱり凄い…。
592 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 07:11:51 ID:yCoJnxw7
むしろリストラしないで何とかなった手腕は大したもの。
欧米型資本主義の安易なリストラ策を持ち出すアンチってバカなの?死ぬの?
593 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 10:10:26 ID:esWLGakf
>>584 パクろうが改革を成功した手腕は素直に認めるべき。
2007年に読売新聞が全国の首長に行ったアンケート理想のリーダーでNO1になった上杉鷹山。
だが誰一人として上杉鷹山の足元にも及ばない。
上杉鷹山の政策を今風にアレンジすれば成功するのに、だ。
分かっていても簡単に出来ないのが改革だ。
594 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 10:10:58 ID:7mlAR6w0
595 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 10:28:57 ID:c5Kig2qn
リストラ策自体は普通。
でも確かに景勝直江が減封後も藩士切らなかったのは驚く
わな。
後に帰農したりする藩士もいたようだから
あぁやっぱキツかったんだなとは思ったけど。
自主的に離れたのもいたようだが、数もよくわからんし
もう少し史料があればいいんだが。
越後からついてきた奴ら、きれなかったんだろうねぇ…。
596 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 10:32:32 ID:c5Kig2qn
>>593 流れみると鷹山の批判なんて誰もしてないようだよ。
597 :
仙台藩百姓:2008/11/26(水) 10:35:57 ID:Wak6m3vq
何を当たり前の事を美談のように捏造しようとしているのだお( ^ω^)
完全に景勝や直江の失策で90万石も減らされたのに
お前ら辞めろなんて言えるわけないじゃんお┐ (´ω`) ┌
むしろお前が辞めろだお(#^ω^)
10万石や20万石どころじゃないのだから藩士と家人で万単位の流人が出る事になるし
周辺国にとっても迷惑極まりないお
どこかの官僚じゃあるまいし責任取って腹切れお(#^ω^)ピキピキ
598 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 12:47:12 ID:7mlAR6w0
あの段階で藩士切ろうとしたら内乱起きるからな。上杉。
599 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:04:05 ID:qmiJq30C
減封された3家(佐竹・毛利・上杉)のうち、
大国実頼の出奔くらいしか事件らしい事件は起きてないという
のは評価されていいと思うが。
類型化は出来ないとはいえ、佐竹・毛利の家中ではかなり血腥い
権力闘争が起きている
600 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:32:15 ID:zAcU3tJh
まず真っ先に直江が責任を取らなくてはいけなかったんじゃないかな
やっぱりホモとして景勝とつながっていたからだろ
直江をクビに出来なかったから他の奴をリストラ出来なかった
そのため藩が貧窮するハメに
そういった意味でもやっぱ直江が藩を傾けたことになる
601 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:34:49 ID:1IyNcabH
>>564、
>>565の書き込みを見るに
リストラしなくてもなんとかやっていけてたが
お家断絶の危機で所領半減して
新しい藩主が実家の吉良家の普請や買掛金を
上杉家負担になんてしちゃったのが困窮のきっかけでしょ
直江の藩政自体は問題が無かったと思うけど
602 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:51:35 ID:c5Kig2qn
600ゲッツ(σ・∀・)σ
603 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:54:58 ID:c5Kig2qn
やって当然とはいえ藩政は及第点と言いたいんだけどな、個人的に。
絶賛する気はないけど
604 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:32:47 ID:dJGMyMol
>>599 >大国実頼の出奔くらいしか事件らしい事件は起きてない
それ事件ていえるか?
家臣1人出奔したところで態勢に影響ないでしょ。
米沢藩の場合、林泉寺と徳昌寺の争いと切支丹を野放しにしていた事の方が重大だったと思う。
どちらも一歩間違えれば幕府に取り潰しの機会を与える切欠になりえただろうから。
迅速な対応を見せた定勝の手腕は評価できる。
特に母と慕ったお船の実家である直江家菩提寺の徳昌寺の追放は苦渋の選択だったろう。
かといって沈静に時間をかけていては幕府から咎めを受ける可能性があった。
一部の奴は冷徹というが藩を守るという面では当然の対応だ。
605 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:39:40 ID:q6YeYMyd
>>604 まあね。
毛利氏だと、天野氏・熊谷氏・吉見氏などの粛清が行われているし、
佐竹氏のとこでも、佐竹義宣の側近の台頭に伴って、川合事件が
起きているし(「雪の峠」の題材となった事件)、それと比べると
比較的平穏な出だしだった印象を受けたので。
606 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:48:45 ID:69DUr/TM
関ヶ原前に雇った牢人衆も見捨ててないのなら
かなり評価出来る
召し放たれた連中は路頭に迷い、結果として凶悪な犯罪集団になってたんだろ?
江戸初期ってのは日本全国でそういった類の夜盗・山賊が激増していたとか
ちょっと話は違うけど、鷹山時代に天明大飢饉が起きて
近隣の東北諸藩から米沢藩へ飢餓民が多く散逃してきたとか
それらにも鷹山は飯を与えたように、路頭に迷う人数を増加させないという方針
これは江戸時代通じて幕府はじめ諸藩は頭を悩ませていた
直江がその難問に取り組み、ある程度達成出来ていたのなら評価すべきだと思う
あと毛利領では悲惨な一揆が起きてこれを容赦なく鎮圧してたけど
上杉もエグイ一揆鎮圧を行ってたのかな?
それが無かったらますます立派なんだけど
607 :
仙台藩百姓:2008/11/27(木) 08:19:43 ID:c+0EIWYh
藩史など嘘丸出しのもの当てになるかお┐ (´ω`) ┌
悪名高い水戸藩ですら善政だったの、飢饉で死者一人も出なかったの言ってるのに
捏造大家の上杉など信用できるものではないお( ^ω^)
608 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 16:12:34 ID:keHQzFcI
すごい贔屓の引き倒しだな
リストラするかどうかの権限は景勝だろ
直江がそんな人事まで決めていたなんて証拠あるのかと
またそんなことやっていたとしたら越権行為もはなはだしい
マジ狂っているなこいつら直江厨
609 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 16:23:03 ID:fjDXLW1M
景勝は他に家督を継げる人間がいないから上杉存続が決まった以上
やめられないのはともかく(定勝の家督相続後2ヶ月位で死んだよな?)
直江は引責辞任したってよさそうなもんだよなー。
610 :
仙台藩百姓:2008/11/27(木) 17:59:47 ID:c+0EIWYh
そもそも景勝自体が胡散臭いものだし
こんなエセ上杉など潰してしまえばよかったのだお
謙信と憲政が死んだ時点で上杉家は終わっているのだお┐ (´ω`) ┌
611 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 21:14:23 ID:fcXP7tf1
上杉には直江のかわりになるような人物がいなかったの?
612 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 23:13:31 ID:zFF1uPJe
直江家に誰か別に養子が入れれば良かったかもしれんが
兼続がというより「直江家が」上杉家の中では随一にでかい家なので
謀反したとか家法に背いたとかでも無いのに
そうそう辞任とか切腹とか無理。
為景〜謙信を支え続けた直江景綱さんの力です。
613 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:35:50 ID:JyaMPQhF
>>611 直江の晩年にはイケメン清野が出てくるけどな
家中で随一の直江家でさえ潰されているということは
直江の専横がよほど総スカンだったということになるな
614 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:36:14 ID:87bCVVHN
直江家婿養子は出世コースだな。
そして途絶えたのは残念。お船も四人も産んで頑張ったのに
615 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 15:29:53 ID:ZhcjLYxy
>>613 黙殺してばっかいないで
ずっと待ってるんだから、直江排斥活動の裏付けたるソースを早く出してくれよ。
妄想はいらないからな。
616 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 16:14:11 ID:bpoOdmpF
>>613 清野は可愛がられてはいたが兼続に取って代わったわけじゃない。
事実、江戸にいる兼続から城下街整備の現場監督をしていた平林に指示をした書状が現存する。
ちなみに平林家は直江家断絶後家臣筆頭になっている。(家臣団屋敷配置図で唯一『殿』がついているので証明できる)
清野家もその後は家老職にはついているが『殿』付けされた史料は今のところ皆無。
つまり、その他の家老と横並びであって筆頭家老といった特権あるポジションに付いた事はない。
直江家断絶後の徳昌寺と林泉寺の抗争で追い出された直江家菩提寺の徳昌寺ではあるが直江家一族の墓と位牌は上杉家によって東源寺に移されて後に林泉寺に移されている。
また33回忌や100回忌といった節目には藩の行事として藩主自らが参加して執り行われていた記録が林泉寺にある。
嫌いな人間だからといってろくに調べもしないで己に都合の良い適当な情報だけを信じる。
あまりにも浅はかで愚かな人間のやる行動だ。
617 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:27:32 ID:z+qBnx9C
>>616 信濃衆と直江兼続は泉氏を介して結構深く関わっていたようだしね。
618 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:40:38 ID:ud5UprBS
関係ないが「○○を介して」って感じで、知り合いの知り合いだから知り合いだ、みたいな論法は
陰謀論者が良く使うんだよね。
日本人の殆どは知り合いを3つ4つたどれば、アメリカ大統領に行き当たるらしいぞw
619 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:47:39 ID:WI1OKLo+
>>618 ケビンベーコン数だっけ?
アメリカ大統領には行き着かないと思うけど。
620 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:18:16 ID:z+qBnx9C
>> 618
兼続と信濃衆との関係については「信濃」60巻10号の
論文を参照してくれ。
621 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 03:49:51 ID:fMsDHsyB
つうか直江がいなくて一番困るのは景勝だろよ。
信任してて何でも任せてるんだから。
理想的な君臣の間柄だろよ。
景勝は威厳があって怖い人って雰囲気も直江が実務を代行してるから可能だったんだろうし。
直江自身は仕事量が多くものすごく忙しそうだし、景勝への奏者の地位を清野に譲っただけでないか?
622 :
仙台藩百姓:2008/11/29(土) 11:11:21 ID:9yBV/9yM
無能な主君がお気に入りの側近に任せっきりにしてるのをいい事に
側近も自分が偉い気になって専横な振る舞いをし御家を傾けるわけだおね( ^ω^)
よくある事ですお( ^ω^)
623 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 11:45:16 ID:fMsDHsyB
景勝は無能じゃないし
直江は今で言う官僚機構運営者であり
上杉家の重大事は皆にはかって合議で決めてる。
直江が奏者職を清野に譲ったら
直江は清野に景勝に伝えて欲しいと頼む立場になってたし。
毛利のようにバラバラにならずに、うまく皆をまとめて意志統一に優れていたと言える。
624 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 15:10:40 ID:rBIXu7oG
625 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 15:36:33 ID:zpUuOuH/
また偶像の伊達厨と戦ってんのかw
626 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 16:09:39 ID:/6LmvlhO
時流の読めない主君の判断ミスで、年収1200万円が、一気に年収300万円台に転落。
関ヶ原戦後は「細腕繁盛記」みたいなドラマになるんだろうな。
627 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 16:17:27 ID:5C4lGqdE
時流が読めないも何も
そもそも家康の方から仕掛けてきたし
勝手に三成が便乗して挙兵してるし
関ヶ原だって西軍が勝てる可能性だって十分にあったわけだが。
結果論で喚く低脳アンチの腐れ具合は重傷だな。
628 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 16:22:13 ID:5C4lGqdE
>>518 関ヶ原後に30万石として
会津から転封して米沢へ移ってきた頃の米沢城は
周囲に堀がひとつしかない小城だったそうだ。
同じ出羽の山形城もその程度だろうな。
629 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 16:25:03 ID:zpUuOuH/
>>628 何の根拠もない憶測で、適当にモノ言うなよ・・・
630 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 16:32:27 ID:zpUuOuH/
米沢城は、非常時に籠もるための館山城が用意されていたからだろ。
躑躅ケ崎館に、要害山城が用意されていたのと同様。
631 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 19:09:15 ID:Q8/EwTk8
週末は伸びるなぁ。
632 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:01:56 ID:fMsDHsyB
>>630 館山城が?まさか。
伊達時代も蒲生時代にも非常時に籠もるなんて聞いたことない。
あんなのは単なる米沢城の支城だろ…
633 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:57:49 ID:Q8/EwTk8
伊達蒲生上杉と自分の燃え所が詰まっている>米沢
634 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:12:40 ID:hiHhvG5i
直江が伊達政宗を嫌っていたのは事実。
今判明している理由は次のとおり。
秀吉が惣無事令を出した後、政宗が葦名を滅ぼし、かつ小田原参陣も遅れていた際、奥州征伐が本検討された。
奥州大名へ小田原参陣を斡旋していたのが、一足先に臣従していた上杉家。
直江から政宗へ、秀吉軍は強大であり、滅亡しないよう早期の参陣を促した書状が残っている。
秀吉へ取次ぎ伊達征伐を回避し所領を安堵するよう手配してやったのに、との思いは当然ある。
635 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:23:06 ID:hiHhvG5i
>>626 直江の偉い所はその後の経済対策。
「四季農戒書」では、後に鷹山時代に米沢織の原料となる青祖栽培を奨励、漆、桑の栽培を奨励しているほか、「紅花」の栽培も奨励している。
江戸時代「紅花」で酒田の本間家は大富豪になった。
残念ながら直江の死後、米沢では直江の奨励にもかかわらず栽培されなかったけど、最上川下流の谷地とかでは紅花商人が江戸時代に大儲けした実績あり。
すごい経済感覚だと思う。
636 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:28:24 ID:utvVti7P
>>635 紅花の栽培奨励は最上義光じゃないの?
>江戸時代「紅花」で酒田の本間家は大富豪になった
酒田は旧最上領で直江関係ないんだが?
紅花でうるおったのは旧最上領だよね。
常にageる奴で前、山形城を霞城公園とよぶのは、
直江がそう言ったから直江に敬意を表してと嘘書いてたけど、
ついに最上義光の功績まで直江のおかげにするようになったか…
恥を知れよ、直江厨w
637 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:30:43 ID:utvVti7P
>>635 ごめんごめん、米沢も紅花有名だな。悪い、でも本間は違うから。
638 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:59:40 ID:yo5JK0yr
最上川開削とか庄内開墾も、いずれ直江の功績になります
639 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:02:23 ID:hiHhvG5i
>>636 義光が紅花を奨励したという資料を下さい。
出せない筈です。無いですから。
「紅花」が書物に出るのは「四季農戒書」が最初です。
640 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:02:38 ID:U2YHFmDG
徳川が天下獲ったのもある意味直江のおかげです
641 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:35:51 ID:yo5JK0yr
>>635 マジレスすると酒田本間家が大富豪になったのは、米の取引と農地買い集めによってで、紅花ではないよ。
642 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:34:24 ID:CL3CUPVJ
少なくとも現在米沢で紅花は作ってないんじゃない?
あと本間氏って米と海運でもうけたんじゃないの?紅花はもっと内陸部。
643 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 21:41:47 ID:51s5Tdw2
>>639 >「紅花」が書物に出るのは「四季農戒書」が最初です。
末摘花って知ってるか? 『源氏物語』の登場人物なわけだが。
そもそも紅花はエジプト原産の説があり、くから世界各地で栽培されているのね。
日本にはシルクロードを経て4〜5世紀ごろに渡来したといわれているのね。
直江厨の脳内では日本で最初に紅花栽培したのは兼続で、
「紅花」が書物に出るのは「四季農戒書」が最初ってことになるのか…
すごいな、感動した!
まあそんな突っ込みも無粋なので、義光に関して書くと
古田織部(没年は1615)の書状に
「紅花にいざ言問わん最上川」とあるんだな。つまり、大坂の陣のころまでには
紅花=最上の名物ということになっていたわけ。
米沢で紅花がとれたら、それは山形経由で最上川を経て各地に届く。
最上川開削あっての紅花貿易ということは理解できるかな?
あ、あと直江が最上領内で紅花栽培奨励したソースちょうだいね♪
644 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:34:52 ID:7meX9cwf
645 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 02:55:00 ID:MQGg6mB8
良く分からない人間が横から口を出すことじゃないけど
四季農戒書に書いてあると書いてある気もするけど
それイコール奨励したともいえないか…
四季農戒書って何かでフルに読めるような本ある?読んでみたいんだけど
646 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:29:11 ID:PrfPRWyw
今福氏が出した直江本は値段高いけどなかなか面白いよ。
兼続の母についてはあえて直江氏説をとったり(泉氏は後妻)、景勝側室は兼続養女である可能性を指摘してたり。閻魔大王の話をただの逸話と片付けてないのも興味深い。
647 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 09:45:08 ID:hblRdKGn
648 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 14:56:52 ID:3ZOBxSrn
5歳の与六可愛いよ与六w
謙信に学んで仁愛の境地に至った義と愛の武将なのか…
649 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 18:52:47 ID:pzxpVKQl
650 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 19:30:39 ID:9w6NaZEY
>>649 この逸話の前後に書かれてる話が大嘘だらけだし
所謂、後世の創作物なんだけどね
ただ、読む方が勝手に修正してみると案外まったくの嘘とも言い切れない
この逸話内では謙信と新田(由良)とが面識無いような台詞が見受けられる、が
そこらへんは作り話だろうから割り切って無視
新田(由良)が謙信を離れた後の話だと仮定した場合
越後の軍勢が由良長尾の畑を踏み潰していくのは当然だし
敵対しておきながら「狼藉は止めていただきたい」と要求してくるのは笑い話
謙信が怒るより笑い出してしまった反応も頷ける
新田から足利の連中を皆殺しにしろ!という勢いで
かつて謙信が由良に与えた領地・・・那波や女渕それに山上あたりを召し上げた天正年間
その前後に起こった出来事かもね
実際厩橋に由良方の首が数千送られたりしてるので
651 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 23:48:41 ID:hblRdKGn
いい悪いスレでの、上杉の逸話が出ると必ず現れて「史実では〜」って暴れる
上杉厨の痛さと言ったらたまらない。
652 :
人間七七四年:2008/12/04(木) 06:02:04 ID:XbifCR9x
>>651 痛いのもあるし野暮・・・っていうかマヌケに見える。
おかしな話だってことくらい分かってるっつーの。
戦国板なめるなっつーの。
分かった上で、その『虚像謙信』を楽しんでるのに。
元々この逸話は
今川義元の行軍を家康が防ぐ くらい夢がある話。
・・・そんな物を丸呑みにしちゃうアホも、中には居るけど。
でもそれはそれでスイーツ(笑)大河を信じてる、馬鹿女を見てるようで面白い。
あそこの楽しみ方がまるで分かっちゃいない。
653 :
人間七七四年:2008/12/04(木) 15:50:18 ID:12CwkYHY
>>629 それ今福氏の新刊の直江本にも書いてあるぞ。
654 :
人間七七四年:2008/12/04(木) 16:11:14 ID:12CwkYHY
>>650 由良氏の話も甲陽軍鑑に載ってる話だな。
元ネタが甲陽軍鑑なんじゃね?
655 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 16:24:29 ID:0zW9GErZ
>>643 最上川がどういう流れをしてるか知らないと見える。
米沢⇒最上領内って流れてるのに、米沢で造った紅花が儲かるとなれば、その後に最上領内でも奨励するのは当然。
四季農戒書が農民に配られたのが1604年頃。その後大坂の陣の前までには開墾で実石50万石までになった、とされている。
それと、わざわざ義光公に開削して貰わなくても船が通れるぐらいの幅で最上川は流れてますので、悪しからず。
我が主君、義光公に失礼なこと書くなよ。
656 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 16:49:49 ID:Qy2Hi0oN
最上川は日本三大急流にも数えられる急流
整備しないと水運には使いにくいよ
657 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 16:55:38 ID:Y3x9dIRH
熟練した舟夫にすれば水路の急峻や岩礁の位置さえ覚えていれば流通量は細いが運用は可能。
と言うより独占状態。
658 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 17:20:32 ID:Qy2Hi0oN
>>657 江戸時代にも熟練した水夫が死にまくってるんだが・・・
義光が始めたかはわからんが最上川って船が座礁や沈没することを前提に整備されてるぞ。
川沿いに水難救助のための里を置いたり
659 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 20:45:34 ID:TS3map/x
660 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 21:58:56 ID:IVsHOwTs
義光の功績までパクられてはだな…。
661 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:03:45 ID:F1iIVdqq
直江厨ってまるで某半島住民だな。
パクりでもしないと直江の功績が見つからない心境はわからないでもな・・・やっぱムリ。
そのせいでせっかく天下の三名臣といわれていたのが最近じゃ随分胡散臭くなっちゃったよね。
662 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:04:50 ID:Qy2Hi0oN
>>661 三陪臣って何かに欠けてる人ってイメージが強いな
663 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:17:48 ID:1MOKZcgN
>>662 三陪臣の話って、小早川隆景、直江兼続、鍋島直茂(堀直政:たぶん秀吉は直○と言ったんだと思う。個人的には鍋島直茂の方と思う)の3人が天下の仕置きが出来るって話?
兼続は辞退したけど、他の2人は大名になってるね。
豊臣の姓を与えられたり、本物の「山城守」を与えられても大名にならなかったのは、景勝への忠誠は本物だったということだろう。
664 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:20:17 ID:TS3map/x
おもしろいことに、一部の直江厨さんが唐突な最上叩きや
義光功績パクリを言い始めたのは、最上スレにやってきて
皆にさんざん嫌がられたあとからなんだよね。
昔は「ボクは最上は認めてるよ、一緒に伊達叩きしよう」って態度だったんだけども。
素直っちゃ素直だけど、わかりやすすぎるよねえ…。
根拠じゃなくて私怨で他の武将を叩くのだもの。
665 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:20:38 ID:1MOKZcgN
秀吉が「兼続は知恵が足りない」と言った懸念は、関ヶ原時に現出した。
知恵があれば、家康に正面からぶつからないわな。
まあ、そこがこの人の「売り」なんだけど。
666 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:23:03 ID:1MOKZcgN
>>664 何を言ってるのか解りません。
日本語を勉強しましょう。
667 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:25:05 ID:Qy2Hi0oN
>>663 こいつらは○○があれば天下を取れるかもよって逸話。
直江の場合は「勇気はあるけど知恵が足りない」。(だから知将って表現はちょっと不思議)
鍋島の場合主家がアレだったからしょうがないし小早川は豊臣の内部に入り込んで内部から毛利を援護
って戦略だったから忠誠うんぬんは違うと思う。小早川の欠番の立花も同じく。
668 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:30:13 ID:1MOKZcgN
>>667 「小早川が豊臣の内部に入って、毛利を援護」って、もしかして小早川秀秋を養子で貰ったことでしょうか?
養子を貰う前から大名だったんですが、矛盾しませんか?
あと、「勇気はあるけど」って部分は初耳なんですけど、3陪臣の話って「名将言行録」以外に書いてる本でもあるの?
669 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:32:06 ID:1MOKZcgN
>>667 あと、なんで立花が出てくるんだろう。意味が解らん。
670 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:32:29 ID:IVsHOwTs
>>666 いや、前から最上スレ居ればわかる話。
最近だから、最上叩き始めたのは。
671 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:32:37 ID:TS3map/x
>>666 自分に痛いことを言われると理解できなくなるわけですね、わかります。
あなたってとても幸せお花畑全開ですね。
で、頷くってどう読むんだっけ。うなづくだっけ、うなずくだっけか。
672 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:44:06 ID:1MOKZcgN
>>671 直江の事で私が「痛い」なんて事はありません。ただ唐突に「おもしろいことに云々」と書かれても一般人は解らないよ、と言っただけです。
なんで「お花畑」だ唐突に出てくるの?
「唐突野郎」の称号を与えましょう。
673 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:48:34 ID:TS3map/x
>>672 ああ、すまん。
過去にいつもageて大うそ書いていてあんたに似た書き方で、
日本語がいつもビミョーにおかしいうえに、慇懃無礼なやつがいたけど別人だったのか。
そいつは酒田の本間家の発展も直江のおかげだの、
霞城と山形城を呼ぶのも直江のおかげだの、
幸せ全開妄想丸出しで皆につっこまれていたんだけどね。
オレが唐突野郎ならお前は幸せ妄想ちゃんだな。
674 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:50:21 ID:IVsHOwTs
最上叩きしたところで根拠無し偏見有りだから、即返り討ちか説得力皆無
で相手にされないと言った感じだがな。
675 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 23:03:09 ID:TS3map/x
>>674 腹黒暗殺野郎だの、呪われているだの、小学生でもいまどきねーよw
みたいなことしか書けないからな。
676 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 01:08:53 ID:gVUualoT
>>658 江戸時代にも熟練した水夫が死にまくってるんだが
上記についてどのくらい死んでるのかデータのソース出してね。
そもそも増水時には利根川などの河川でも普通に水難事故は起きてたわけで最上川で水夫がたまに死ぬから航行不能とかありえないわけだが。
677 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 01:19:44 ID:qk/v5WQc
>>676 >>659のリンク先見ろよ。
松尾芭蕉も三難所を俳句に詠んでいる。
なんで三難所かそもそもわかるか? 人がいっぱい死ぬからだよ。
それよりおまえはまず最上が直江の内政をパクったソース出せよ。
678 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 01:46:17 ID:gVUualoT
三難所=人がいっぱい死ぬ
超ワロタw
679 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:55:30 ID:wSSY1evE
>>676 実際行ってみたらいい。最上川船下りとか。
680 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 09:53:14 ID:IiOZU5tv
五月雨をあつめて早し最上川
681 :
上杉三郎ってどお?:2008/12/15(月) 14:18:54 ID:9KZlEmST
どうせなら直江景綱の方が…
682 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 14:26:34 ID:OLMdHD34
アッー!
1つ頂きました
683 :
上杉三郎ってどお?:2008/12/15(月) 16:34:39 ID:9KZlEmST
684 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 23:22:12 ID:FstJIAJF
>>676 この人って直江厨だけど山形県民じゃないな。
県民なら小学生でも知っている積雪も、最上川のことも
全然知識として持っていない。
685 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 23:31:38 ID:99BkM132
>>684 山形県民でも村山や庄内と置賜じゃ意識が違うんじゃないか?
雪だって最近はそんなに降らないし
686 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 23:34:53 ID:FstJIAJF
>>685 山形市は積雪少ないというけど、それでも皆仙台にいきたがる。
いっぺん冬過ごせば辟易するぞ。
687 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 02:02:18 ID:N4E9bkGV
積雪なら山形の最上郡や秋田側の雄勝郡の方が圧倒的に多い。
米沢方面なんて大したことない。
また山形市内東部にある蔵王方面は積雪多い方だが
最上川が米沢へ行くルートは山形市西部なんである。
688 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 22:52:49 ID:2I3rOgJo
スキー場もある米沢の積雪がたいしたことないとはw
689 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:11:07 ID:X7qSeep6
690 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:13:16 ID:2I3rOgJo
だから何?
千葉が雪降りませんなんて言ってないよ。
そういう些末なことしか突っ込めないの?
691 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 23:16:04 ID:JtGUq9CS
都内は雪降らないからな。水も美味しいし雪国を羨ましいと思ったが、
住むには苦労がいるな。
692 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 01:22:35 ID:hjGPcv1p
693 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 15:23:40 ID:qKWFWBRL
スキー場なら二本松にすらあるわな
694 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 02:11:35 ID:2F97HIQe
つか神奈川県にもスキー場あるよん。
695 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 10:11:20 ID:4kTzHpCz
スキー場くらい九州にだってあります!
696 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 13:24:19 ID:d26opDn8
昔沖縄にすらあったな
697 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 11:57:24 ID:uv01VBAh
698 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:13:45 ID:V/UtkzH+
699 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 18:14:47 ID:GN9BRD1F
>>687 米沢方面の積雪がたいしたこと無いなんて書けること自体、驚き!!
やっぱり、直江アンチって東北のこと知らないのか。
700 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 20:09:04 ID:ga/u8U/R
>>699 過去ログ読むとわかるけど、積雪とか山形の地理にうといのはあの直江厨だよ。
最上川三難所なんてたいしたことない、山形市なんてろくに雪も積もらない、
積雪あっても進軍できるだのしつこく主張。
701 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 20:17:05 ID:ygsPFILS
702 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 20:18:46 ID:48TgaT9I
>>701 どうした、顔真っ赤だぞ?
人に聞く前に自分が言うものって幼稚園で習わなかったのか?
703 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 20:40:56 ID:ygsPFILS
ID違うw
自演くんは今日も健在だな。
704 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 20:55:16 ID:eGXQP9m5
いや論破も何も山形も米沢もばっちり雪降るじゃん。
あと三難所は江戸期の弘化3年(1846年)に二百五十俵の年貢米を
積む新庄藩の船が破船、安政4年(1857年)にも最上商人の船が破船するなど、
数々の船がこの瀬の通行で難破したりしている。
地元じゃ常識だけど。
705 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 23:06:10 ID:LSp3T9q0
最近はそんなに雪降んないからね。
長谷堂合戦の時代はもっと降ってたと思うけど。
一回最上川船下りにでも行くと船頭さんからいろんな話聞けるよ。
地元民だけどこの間初めて行ったw
706 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 04:38:32 ID:BsxlRWdW
>>704 事故がたった2回ですか。
坂東太郎と呼ばれた暴れ川の利根川よりもはるかに安全ですね。
本当にありがとうございました。
707 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 07:27:33 ID:u0QNFMpI
>>706 「など」が読めないのかね。
そんなことより江戸期に利根川で起きた事故の記録を3件程箇条書きしてくれないか?
あ、勿論君の好きなソース付きで。出典もあると有難い。
708 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 15:31:18 ID:0tITiDbo
義光の業績を過度に誇張する為に
作られたマンセー最上川開削ストーリーw
709 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 14:37:46 ID:hr53KIDp
たった2つしかないのに「など」などと使って必死に誤魔化してますwww
日本語便利過ぎw w w
度々水難氾濫する暴れ川だから坂東太郎と名付けられた利根川
筑紫次郎→筑後川
四国三郎→吉野川
710 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 16:43:12 ID:9jWy6E2b
1つすら挙げられないのに「坂東太郎」などと使って必死に誤魔化してますwww
日本語便利過ぎw w w
711 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 17:37:07 ID:BTN2wYoN
712 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 20:22:36 ID:dLPI4/bp
>>711 だからさ・・・
どうして利根川の水害がハンパ無いと最上川の水難事故が二件のみになるの?
もしたった二件ならそれこそ最上(とそれ以降の戸沢家)の事業が凄いってことになるんだが・・・
一応最上川って日本三大急流の一つなんだぜ。
713 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:05:26 ID:hr53KIDp
急流だから何なの?
そんなの船頭のコース取り次第だし。
最上川が戦国期にひどい氾濫したとも聞かないし。
利根川は謙信が渡河を諦めたりしてるし、多摩川も道灌が渡河を諦めてる。
714 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 21:50:54 ID:O45JibaE
自分が聞いたことない=事実なわけか。
こんな人が相手を無知とののしっても、説得力ないわなあ。
715 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:12:55 ID:dLPI4/bp
そもそも「最上義光の最上川開削で水運が安定した」って記述に噛み付いてるのに
>>711の資料は利根川が増水して洪水になったと言うもの。
わざとやってるの?
716 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:38:26 ID:Hx8qK4B1
一見関係ありそうでない話をするのな。
717 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:42:54 ID:O45JibaE
じゃあさー、最上川の開削なんかありませんってソース出してよ。
人の功績横取りだけではあきたらず、消す技まで覚えたの?
そもそもあんたは義光嫌いというより、最上スレで叩かれたやつあたりで
ぎゃんぎゃん吼えているだけでしょ。見苦しいんだよ、そういうのって。
718 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 11:24:41 ID:DUlhIaUq
>>713 渡河を断念してるって話が残っているってことは、基本的には、渡河が可能な河川ってことだぞ。
本当に渡れない河川なら、断念したなんて話は残らないから。
719 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 13:51:05 ID:PpmeDqEt
三大急流で渡河は無理だな。
720 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 09:22:43 ID:RkYW8zdB
最上川って渡河できないって何の冗談だワロタw
三大急流って言ってもな、琢磨川、常願寺川、富士川、最上川とかあるのも知らないようだな無知乙
実際、上流の方が流れも激しい。
そもそも義光のやったことは、直江が庄内や米沢でやった灌漑と治水をマネただけのこと。
その結果、最上川の流通のさらなる円滑化が図れただけ。
上流の米沢側が融雪による増水対策をしたり米沢→山形→庄内に渡る流通活性化が最上川水運の動脈であり、米沢側の開発が相乗効果となっているし、
義光の功績とか誇張しまくってマンセーしてるのが山形市だけに過ぎない。
721 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 11:15:05 ID:ptL6RFiT
こっ、これが直江厨というヤツか
722 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 17:10:53 ID:5HyVTvfD
直江って景勝や鷹山だけじゃなく最上や戸沢の功績も吸い取るのか・・・
スポンジみたいな武将だな
723 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 21:31:09 ID:+i8NekZ5
>>722 それはスポンジに失礼だ。
ヒルとか蚊くらいで丁度いい。
724 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 23:16:43 ID:6a35R+QA
でも何故?どうして?
この直江信仰ってのが何故出てきたんだろう?
最近になっての社会現象だと思うんだけど。
NHKまでが真にうけて
冷静に分析すれば最低のクソ武将だと分かりそうなもんだけど
725 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 03:17:53 ID:gNC+DaXD
726 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 03:25:31 ID:qaNREdRD
>>724 何をしたのか、はっきり残っていない人間の方が、後生の物語や妄想に適してるからな。
それこそ、前田利益がいい例。
727 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 07:10:03 ID:gcjlkzoE
クリスマスシーズンをPCの前でずっと寂しく過ごしたリアル敗者アンチ君でした。
728 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 08:59:49 ID:xH/0iy2u
729 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 09:56:54 ID:XfrQg0GM
>>724 直江は江戸時代から陪臣の中では有名人ですよ
>>726 自筆の書状や日記、歌が残り、ある程度足跡がたどれる慶次はいいほう。
慶次も現代では一夢庵風流記や花の慶次で一躍有名になったけど、
明治時代初期には新聞投書の狂歌に載るほど知られていた。
730 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 12:36:12 ID:25XFIy/N
またアンチが無知を晒してしまったワケだがw
731 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 13:26:50 ID:xH/0iy2u
ある程度足跡がたどれる慶次はいい方って、誰と比較してだか。
家柄と比べたら、名前が残らなさすぎもいいとこ。
どっちが無知さらしてんだか。
732 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 19:01:37 ID:gcjlkzoE
またアンチが恥をかいて
必死なのがよくわかりました。
733 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 22:08:37 ID:PkyYrD0P
>>731 名前を残す残さないの話なの?それなら慶次は歴史的に
何をしたってのはないだろうな(政治的には)。
ただ、京都で連歌会に何度も参加してたり、自らも興行
して細川幽斎も出席してる。奥州検地に随行してたりと
一夢庵風流記のころは知られてなかったようなことも今
はわかってる。
前田家で家柄を持ち出されるとは思わなかったが・・・。
734 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 22:09:48 ID:BNThzpz3
生年に諸説あってもめている人物がいいほうなのだろうか…?
735 :
人間七七四年:2008/12/26(金) 22:31:06 ID:PkyYrD0P
戸籍がない時代だからね。
大名クラスと、直江のような重臣でもない一家臣を比べられ
ても困るけど、秀吉や利家だって生年には諸説あるからなぁ。
生年がはっきりしない武将は多いと思うよ。
736 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 03:13:45 ID:5O8B3Zl9
むしろ生没年不明なヤツばっかだよ。
だいたい名前の読み方すら、いまの読みで当時呼んでたのかもわからない。
かな文書で書かれてる名前しかわからんからね。
737 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 03:26:59 ID:ANDovuFt
>>733 少なくとも、漫画とかで言われてるような、武功面やらいたずら的な要素でって意味じゃね?
茶人としての方が、史実では完全に優れているようだからね。
738 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 10:57:38 ID:j6NAggXO
米沢で妻夫木さんらトークショー 1月24日、「天地人博」開幕式典
ttp://yamagata-np.jp/news/200812/26/kj_2008122600424.php 上杉博物館で1月24日から開く「天地人博2009」の説明会が25日、市内の伝国の杜で開かれた。
開催概要に加え、オープニングセレモニーには主人公の直江兼続役となる妻夫木聡さんと、
上杉景勝役の北村一輝さんが出席し、トークショーにも出演することなどが報告された。
(略)
トークショーの定員は500人で同協議会は観覧希望者を募集している。希望者は往復はがきの
往信用裏面と返信用表面に住所、氏名、電話番号を明記し、〒992−8501 米沢市役所内の
天地人推進室「天地人トークショー」係まで郵送する。
739 :
じょうしゅう:2008/12/27(土) 18:45:24 ID:HjGRvpnB
740 :
じょうしゅう:2008/12/27(土) 18:56:04 ID:HjGRvpnB
直江の愛はアイゼン明王の愛でLOVEの意味じゃないぞ。義はむしろ謙信だ!
741 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 19:25:27 ID:rbbiqcGe
>>739 買ったよ。戦前に歴史研究者でもないのにこんだけのを書いてるのがすごい。
742 :
じょうしゅう:2008/12/28(日) 04:22:47 ID:UJNlWVJT
どーもです。高いので古本屋に出たら買います。
743 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 05:46:34 ID:rhGxJ6S7
はじめてこのスレ来ました。
童門冬二 本ってどんな感じでしょ? 読む価値ありますか?
あんまり史実からかけ離れていたんでは読むの止めとこうかと。
744 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 06:31:06 ID:FIzFbvqa
小説だからね、面白おかしく話を進めるためには
史実から離れてることもあるだろうね
価値があるかないかは人それぞれだけど、兼続に初めて触れるとか
大体の概要を知りたいとかそんなことなら読んでも損はないのかもね
個人的には比較的面白く読んだよ
創作の余地なく史実だけを知りたいならそれこそ
>>739のような本を読んだ方が
よっぽど価値を見出せるんじゃないかな
745 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 08:37:58 ID:zrBtzQzP
>>742 史料が膨大に掲載されてるのが特徴で
ほかの直江本を読むときのサブテキストにも使えますよ。
746 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 15:04:30 ID:rhGxJ6S7
>>744 ありがとうございます。たいへん参考になりました。
とりあえずここから入ってみようと思います。
747 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 21:31:48 ID:qVdRe+1V
本能寺の変が起こらなかったら兼続はどうしていたと思いますか?
春日山で景勝と仲良く切腹でしょうか?
それともどこか他の根拠地に一旦逃げて悪条件でも信長と講和でしょうか?
748 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 22:05:23 ID:i3zetSJa
>>747 腹を切らなきゃいけないような立場にいないから帰農しちゃうかもな。
和睦は難しいだろうし
749 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 12:36:41 ID:iilD8YpS
大河ドラマになるからって
僻むな
750 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 20:48:36 ID:TUw8liNt
兼続は本能寺の変のころはすでに直江家継いでるし、
上杉家の奏者として確固たる地位を築いてるよ。
751 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 21:18:49 ID:C0bIwcxL
>>750 本能寺の変のあたりでは半年くらい前に直江家を継いで
結婚したばかりですね
実力は家中でも認められていたが上杉家ナンバー2になったばかり
752 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 23:23:43 ID:TUw8liNt
>>751 うん。だから切腹しなきゃいけないような立場にない
こともないね。
753 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 23:43:09 ID:C0bIwcxL
主君の助命を条件に兼続が切腹してたかもしれんね。
直江家継いで初仕事が切腹とかイヤだなw
754 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:00:29 ID:vqP18zgt
魚津からの連署状とか奏者としての立場はもちろん、
上条はねたむような書状書いてるし、直江も上条の考
えに異見してるくらいだから、すでに家中で重きをな
してたんだろうな。
755 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:38:14 ID:CcDgovQm
まあ謙信に仕えていた旧臣からみたらジェラシーはすごいだろうね
当時まだ二十歳そこそこのはずだから
756 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 02:11:16 ID:IleMm9zI
直江兼続の男色相手は上杉謙信と上杉景勝の両方だったのですか?
また彼自身が長じて後は誰と誰を稚児として寵愛したのでしょうか?
757 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 05:52:37 ID:IleMm9zI
阿部寛が薬罐頭(スキンヘッド)になったのは何も軍人役に扮するからぢゃなくって スカル・ファックで挿入しやすいように髪の毛を剃っただけなんだゼッ!
ハード・ゲイの真骨頂発揮ってとこだよナッ!!!
正真正銘、筋金入りの男好きドゲイなのサッ!!!
アイツは。
妻夫木と互いに入れたり出したりし合ってるらしいぞ。
758 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 06:49:38 ID:vP3UYMA8
織田の援護を受けた新発田重家に勝てるとも思えんな。
景勝が佐竹に手紙で「ダメだこりゃ」って書いてるくらい。
越後半国安堵程度で織田と和睦できればいいんだけど
759 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 08:23:54 ID:0jYOY3y9
NHK大河もネタ切れか?
こんな小者は大河の主役に取り上げる
レベルじゃないだろうに。。
利家の時もいい加減にしろって思ったが、
直江って。。所詮天下人にはなれん器。
曹操やシーザー等の真の勇者に比べれば
直江はせいぜい町勇者級だな。
760 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 08:34:43 ID:SRXpQFk5
>>759 つまり、信長、秀吉、家康だけを主役に毎年やれということだな。
比較する対象がソウソウにシーザーってのもどうなの…
信長(笑)は天下取ってないんだから三好や細川と等質だな。
新年明けましておめでとうございます。
正月そうそういい切り合いでまことほほえましいです。
762 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 12:13:56 ID:DvPGFXDG
曹操もシーザーも天下取ってないだろ。
中華統一したのは司馬炎だし、ローマ帝国の始祖はオクタヴィアヌス。
763 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 14:14:46 ID:SRXpQFk5
759の人は天下とったかじゃなくて器かを言ってるんだろ。
何をもって天下の器と言ってるのかしらんが。
そもそも直江は大名じゃないしな。
天下人じゃないとドラマ化しちゃいけないとも思わないし。
764 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:45:00 ID:cnouwGtQ
別に直江みたいな小物が主役の大河でもいいんだが天地人だけはやめて欲しかった・・・
ついでにこれに関わったスタッフ全員解雇して欲しい。
765 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 22:49:27 ID:e2W+goCW
なんでこの人って、
堀を掘ったとか、商品植物を植えたとか、開墾を奨励したとか
どこでもやっているようなありきたりのことで、こんなにチヤホヤされているんだろう?
それら事業をやってない藩ってあるんだろうか?
766 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 09:07:03 ID:qAaa142a
すぐに泣くような武将に「かわいい〜」って言うような
奴いるのだろうか。
767 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 15:55:25 ID:F3rjHCPd
直江兼続の『四季農戒書』の一節
「年貢を納めなければ女房を質にとられ、中間や小者の慰みものにされ…」
(年貢を納めないものは女房を売り飛ばして、中間や小者の慰みものにするぞ)
他にも農民を牛馬の如くこき使う記述もある。
そのおかげで、農民の逃散が相次ぎ上杉領は荒廃した。それから、約100年後に上杉鷹山が登場し藩政改革を行うことで
ようやく上杉家は立ち直るきっかけをつかむのだった。
愛の義(偽?)将、直江兼続…
768 :
直江兼続 ◆2UEHzhb6MY :2009/01/04(日) 20:23:04 ID:Cxljl57N
愛の力でつ
769 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 20:46:54 ID:+9sDp4zX
770 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 20:52:01 ID:lrBXRPRn
戦の能力がイマイチなのは、経歴を見る限り、間違いないだろ。
771 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 21:57:50 ID:f1M8I0x1
>>767 直江上杉の圧政による農民の逃散は、庄内で酷かったみたいだね
最上の統治に変わって減ったのだとか
最上の開墾によって石高も数倍になったし
庄内は直江上杉の統治を脱して、最上に統治されて良かったね
772 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 21:59:44 ID:XM/2ErBV
| ( ●)(●)
| (__人__)
| ` ⌒´ノ 自己PRしてください
| }
ヽ }
ヽ、.,__ __ノ
_, 、 -― ''"::l:::::::\ー-..,ノ,、.゙,i 、
/ ─ ─\
/ (●) (●) \ ワシはこんな所来とうなかった
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
,,.....イ.ヽヽ、___ ーーノ゙-、.
773 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 22:01:40 ID:oHA+rsqP
おしっこの泡がたくさんある時はよくないことが起きるから気をつけろ!
という直江の教訓には笑わせてもらいました
774 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 22:03:36 ID:+xI16PLc
>>771 別に上杉の肩を持つわけじゃないが、豊臣期時代は全国的に農民の逃散が酷い。
そして徳川期に入って農村が落ち着いたのも、これもまた全国的な現象。
775 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 22:20:22 ID:RcbL39IS
直江が実際に四季農戒書を書いたことは懐疑的に見ら
れてるのに、それを持ち出して批判に使うのはどうかな。
776 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 01:41:15 ID:+9+WxGLi
>>771 そもそも庄内の開発は直江がやっている。
義光の山形開発は直江の真似でしかない。
777 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 07:19:21 ID:zyUAD/43
またまた燃料投下ですか
778 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 08:02:23 ID:juMdmdUL
いい加減、真似とか言うのはやめたら?
じゃあ、庄内が開墾の元祖かって話になるからさあ。
779 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 09:02:07 ID:/mGuguxl
義光が庄内で木々の乱伐採やりすぎて砂丘化し保水力も低下し土地が荒れたよ。
関ヶ原終わってすぐに最上の北の佐竹領で、
佐竹採掘技術で日本最大の金鉱が発見された為に貧しい農民達が佐竹領へ逃れたから
義光が必死に材木販売で実入りを増やそうとしたってちゃんとした理由はあるんだけどね。
780 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 15:02:01 ID:CUqmwKT+
>>774 全国的に逃散がひどかったら、逃げた農民はどこへ行ったの?
全国的にといっても、逃げ出す程ひどいところと、逃げ込まれるマシな所があったわけでしょ。
で、直江庄内はひどいところだったということでしょう。
781 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 16:29:05 ID:oYjiARSv
それでも江戸期に庄内平野の生産力は飛躍的に伸びたんだけどね。
最上氏だけの功績ではないけど。
782 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:25:21 ID:P0K9BumB
『義』とかなんとか云っても当時のただの宣伝用のキャッチフレーズなのにね
アメリカ軍が『民主主義』とか『自由』を掲げて戦争やっているのと同じ感覚
アメリカ軍のスポークスマンの言うことを鵜呑みにして、アメリカ軍は民主主義や自由のために戦っているんだって
思っている人がいたら正真正銘のアホでしょ
要するに直江兼続を義の将とか本気で思っている人は、ただのアホだな
783 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:44:46 ID:o23i6qOC
>>782 四行目まではその通りだが
五行目は極端すぎ、飛躍しすぎだろ 「疑わしい、疑ってみるべき」くらいにしとけ
掲げる以上その文句に反することをしたら
「オメーどこが義やねん」と周りから評判ガタ落ちになるしアメ公ならぬ武士たる者
名が落ちるようじゃダメージあるでしょ
「アメ公の民主主義は宣伝用のキャッチフレーズ→だからキャッチフレーズ掲げる奴は信用できん」
なんて雑な理屈ではなく、純粋に行動から判断しろ
…兼続が義の将かそうでないかはまた別問題だぞ
784 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 18:45:15 ID:2yk0bT16
つーか、義は謙信以来の越後上杉家の表看板で、兼続のものではないし、
兼続も義を表看板にした事なんてないだろうに。
785 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 20:19:04 ID:x62RePTv
>>784 兼続が義の看板掲げたわけでもなく、実際義将と言われるような事跡もないのに
義将とかいうイメージで売り出されてることに反感が集まってるんじゃね?
もちろん兼続の責任でもないし後世のいい加減な歴史家や小説家のせいだけど、
そういうイメージに対して反論が出てきちゃうのは仕方ないだろう。
なんつーか、本質的なところは兼続が叩かれるというよりも、そういういい加減な
歴史家や小説家の作り出したイメージが叩かれてるってところだろうな。
786 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 20:50:18 ID:5E5RJ/tT
あと、事跡自体が少ないから最近までは直江なんてたいして話題にのぼるような将でもなかったよね。
それが大河発表でどこぞに細々といた厨がわらわらと湧き出して
それに更に群がるアンチ、
で戦国板の中で直江関係は実質的に隔離状態に陥る、と。
787 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 20:53:26 ID:gxNNV/UY
アンチスレ作っても駄目かねぇ…
788 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:11:46 ID:x62RePTv
>>787 ダメだと思うよ。
雨後の竹の子じゃないけどさ、義とか愛とかのイメージに釣られた厨がワラワラと出てきてる状況では
それに釣られるアンチも減ることは無いだろうな。
自分も元々兼続自体にはマイナスイメージないはずなんだけど、愛とか義、特に大河後に
湧いてくるニワカ厨を見るとどうしても史実ってそうじゃないだろ、って言いたくなるしなぁ。
789 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:18:58 ID:M0raE5Qc
直江が有名になった理由として一番だと思われるのがパチンコだと思うよ。それで、花の慶次を読んでってパターンでしょ。
790 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:41:58 ID:R2haurvi
>>788 だね。そしてアンチが直江を貶めようと、
その経歴や功績を歪めて解釈し、嘲笑う。
ひどいものだよ。
791 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 22:04:18 ID:2yk0bT16
792 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 00:21:02 ID:fpDg/uB7
>>790 結局のところ、この混乱の原因は、愛や義を煽ったいい加減な歴史家や小説家にあると思うんだよね。
もちろん天地人のNHKもね。
793 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 00:24:59 ID:MQfIA86X
大河終わるまでの辛抱?なげー
794 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 01:32:06 ID:zKduEv9U
大河はゲイの阿部寛が男色家の上杉謙信を演じたから視聴率が高かったんだゼッ!
今後もおぞましいヘテロ番組になんざしネエで、衆道シーンを毎回の如くに
見せて呉れれば、俺様だって見てやってもいいのサッ!!!!
もしも戦国武将を、近代に瀰漫した変態の異性愛者のように描いてみやがれ。
絶対に容赦しネエからナッ!!!!!!!
分かったかーッ!!!!!!!
とりわけ上杉景勝と直江兼続との濡れ場は必須だからナッ!
795 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 05:00:19 ID:FGLMk6n9
★これが戦国板だ!★ 非仙台系東北人による仙台への嫉妬─┐┌──東北蔑視
││
↓↓
最上厨←───(互いに過大評価認定)──────→伊達厨──(1ww5www万www石ww)
│ │
三国司厨──(関白返せよw)─┐ ↓ ┌─☆08'アンチ伊達キャンペーン本部☆ │
│ 直江厨←──(両想い)───┐┌──────────────┘
↓ ↓↓
┌──(吉川に負けて猿涙目w)─→豊臣厨────(会津って住み心地いいよねw)────→上杉厨←──────┐
│ │↑ ↑│ │
│ │└─(猿性格悪すぎw) ││ │
│┌─(また水浸しにされてーのかw)─┘ │┌─(義wwプゲラwwww)──────┘│ (いまだに川中島を巡る論争)
││ ││┌─(謙信が本気出せば織田瞬殺w)─┘ │
│↓ ││↓ │
毛利厨───(日本史上最大の過大評価乙w)───→織田厨←───(三ww段ww打wwwちww)───武田厨←─┘
↑↑ │↑│ ↑│ ↑
│└────(本能寺なかったら滅ぼしてるからw)──┘│└──(騎ww馬ww軍www団ww)─────┘│ └──┐
│ │ │ (源氏正統の座は譲らない)
└(北九州で元就無様w)──大友厨←───┐ │ 徳川厨←──(えんがちょw)───┘ ↓
│ │ 佐竹厨
┌──(キリスト王国とかギャグすぐるww)──┘ └──────────────┐ ↑
│ │ │
島津厨──(仙石のせいにすんなw)──→長宗我部厨──(うちが本能寺の黒幕だからw)─┘ 北条厨──(ボコられてーのかw)─→里見厨
宇喜多厨──(泳 い で 参 っ た !)
796 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 12:53:05 ID:yvcEYRoz
今月の歴史街道は直江兼続特集
さすがは大河(ww
797 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 17:05:24 ID:1uIYuoic
NHK大河ドラマはゲイの阿部寛が男色家の上杉謙信を演じてるから視聴率が高いんだゼッ!!!
向後は衆道シーンを毎回放送して、本格的な戦国時代を再現してくれーイッ!!!
ヘテロや婦女は一切、登場させるナッ!!!!!!!!!!!
ガキも見やがるから、本場の取り組みまで撮らなくてもイイぞ。
だが、せめて前戯の69や兜合わせていどは放送するべきだろうゼッ!
69が無理なら、小姓が謙信のマラをしゃぶって雄汁を飲む口取りの場面とか
逸物をギンギンにしごき立てて射精させるアクメー・シーンぐらいは流せよナッ!
とりわけ上杉景勝と直江兼続との濡れ場は必須だからナッ!
それから上杉謙信と養子になった北条の息子との性行為も必ず忘れるなヨッ。
よいな。
798 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 00:38:45 ID:iKlvSTRG
きちがいよ だまれ
799 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 01:30:24 ID:TfWA8Qjp
閻魔大王への手紙とかなかったことにされそうだよな
800 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 01:58:42 ID:XFvzpegX
>>799 あんな美談をカットするとは大河って糞だな
801 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 02:04:50 ID:Zy5q+jdQ
>>800 兼続「農民達は北斗七星になったのだ・・・」
802 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 11:12:07 ID:MxY+ROhl
「帰せ!帰せ!」
直江、閻魔に文を書く。だが、届けられる人間はいない、従って死者を帰すのはムリと諭すつもり。
しかし、部下が先走って、殺害。
直江、嘆きながらも「義を忘れるとこういう結果を招いてしまうのだ」と教訓化。
なんてどうよ。
803 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 14:04:47 ID:MueaWcvO
>>802 現在直江公は農民と共に向こうで閻魔様に交渉中。
閻魔様「嘆願書持参してこなかったから ムリ」 なんちて><
804 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 15:33:42 ID:wPlRAX0B
閻魔大王への手紙の話、今福氏は会津移封にからめて考えてる。
会津移封に抵抗する者に対して厳しく処断したのが投影された
逸話かもしれないと。
ちなみに、閻魔大王への手紙を書いたとされる慶長二年(三年と
も)は春日山城と伏見城の普請が重なった時期で、家中では景勝
の勘気をこうむった家臣が多く出た年でもあったらしい。このへ
んに逸話のもとになった史実があるのかもね。
805 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 16:38:22 ID:Ktn3uDlj
NHK大河ドラマはゲイの阿部寛が男色家の上杉謙信を演じてるから視聴率が高いんだゼッ!!!
向後は衆道シーンを毎回放送して、本格的な戦国時代を再現してくれーイッ!!!
ヘテロや婦女は一切、登場させるナッ!!!!!!!!!!!
ガキも見やがるから、本場の取り組みまで撮らなくてもイイぞ。
だが、せめて前戯の69や兜合わせていどは放送するべきだろうゼッ!
69が無理なら、小姓が謙信のマラをしゃぶって雄汁を飲む口取りの場面とか
逸物をギンギンにしごき立てて射精させるアクメー・シーンぐらいは流せよナッ!
とりわけ上杉景勝と直江兼続との濡れ場は必須だからナッ!
もっと男前の俳優を使って、チンポをしゃぶり合う場面を毎回放送するべきだゼッ!!
それから上杉謙信と養子になった北条の息子との性行為も必ず忘れるなヨッ。
よいな。
806 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 17:23:28 ID:+RVG7mIA
>>803 閻魔庁
「えーと、この書類はこっちの窓口じゃないですね。2Fの8番窓口で整理券を貰って並んでください」
807 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:23:16 ID:Z9bQh8vh
その時歴史が動いた、見てる?
808 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:27:19 ID:F4LJ7pvi
>>807 三流作家が有ること無いことほざいてるなwww
ここまで酷いのは始めて見た
809 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:35:07 ID:F4LJ7pvi
20000の軍勢が15000になってるし劣勢だった事はスルー。
関ヶ原の敗報で切腹しようと思ったのを慶次に止められるのも無かったことに。
酷いなw
大河もこんな感じに纏めるのかね?
810 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:39:18 ID:Z9bQh8vh
今福さんとか来てくれたら!ってな。
火坂氏は小説家だから仕方ないべ。
末裔、松平が際どい感じに突っ込んでるのが…
何かハラハラするw
811 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:42:40 ID:7cxILCkm
ビックリするほど酷かった。
マスコミの情報操作って凄いな。
812 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:43:47 ID:Z9bQh8vh
〆がちゃんと減封後の事をやってて良かったけど、
今回大河もそこにスポット当ててほしい。つうか今の世の中なら
そっちのが皆真面目に観そうだよな
813 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 23:35:08 ID:+Qnv6XsH
>>812 兼続の治績の多くが米沢時代のものだし、本多家など幕閣とのつながり
という面から考えても、米沢時代こそがクローズアップされるべきなんだが、
どうも関ヶ原前後までしか扱われないことが多いな
814 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:39:49 ID:4AnNQqkb
>>804 >会津移封に抵抗する者に対して厳しく処断したのが投影された
逸話かもしれない
>閻魔大王への手紙を書いたとされる慶長二年(三年と
も)は春日山城と伏見城の普請が重なった時期で、家中では景勝
の勘気をこうむった家臣が多く出た年
なんかさ、こういう史実と後世に出来たエピソードの間隙を紡いで
ドラマを作っていけば、凄く面白いものになりそうなんだけどね。
移封に伴う対豊臣への本音とか、主従の苦渋とかさ、
物語に深みが出そうな展開を作れそうなのにな。
ありえんな。
会津転封→でも120万石→すげーさすが直江殿の手腕!
あの原作だもんな。丸太斬りの脚本だもんな。
移封による戦力の低下とかさ、その変も完全スルーなんだろ。
815 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 01:00:00 ID:26aWmOtI
火坂さん、直江状のことで松平が
「これは上杉家にとって大変危険な内容ですよねぇ」って
言ったら、
「リスクがある文だからこそ重みがあるんです!」
ってちょっと熱はいっちゃったなw
文字書きだからカッとなったんだろうけどさ
816 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 03:30:04 ID:adYIlUrf
良スレ歴史ゲーム@2ch掲示板の「来年の大河は直江兼続」!
817 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 04:27:57 ID:VSfaNrOe
転封して身代は倍増したけど
統制の困難も倍増したからね
もうちょっと時節待つ忍耐力が欲しかったな
結果論ですけど
天の利
地の利
人の和
てっきり皮肉ってるのか思ったよ
818 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 03:39:51 ID:e1RPfOtz
知るを楽しむ 歴史に好奇心 戦国名軍師列伝<新>
<全3回>第1回「直江兼続」
チャンネル :教育/デジタル教育1
放送日 :2009年 1月15日(木)
放送時間 :午後10:25〜午後10:50(25分)
ジャンル :趣味/教育>生涯教育・資格
番組HP:
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/
819 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 04:14:30 ID:Z68yCiyN
つーか、前々から疑問だったんだが、いつの間に兼続は「軍師」になったんだ?
820 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 04:54:15 ID:AQOCTksf
>>819 三国志的な軍師のイメージにしたいんだろうよ。
いろいろ突っ込みどころはあるけど
821 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 22:34:46 ID:polUP2QE
>>819 軍師ってより官僚・政治家のイメージが強い。
戦も弱いし。三成とそりゃ馬合うよなあ、っていう。
822 :
541:2009/01/11(日) 01:44:59 ID:RKump1uc
確かに縮小版三成だよな
違うのは武将としてのイメージが大きい点か
823 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 02:28:06 ID:SFPqod9w
ブームが幸い?直江兼続が奉納した天神像、新潟で発見
NHK大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続が奉納したとされる「天神像」が新潟県の旧三島町
(現長岡市)の逆谷集落で見つかった。
住民らは、昨年11月に「文化と伝統を守る会」を発足。木像発見を機にふる里の歴史を再認識し、
地域を活性化しようと動き始めた。
天神像が発見されたのは、集落内の「日吉神社」。宮司を務める星野和彦さん(57)が、本殿の
さらに奥にある「内陣」の扉を開けて見つけた。
星野家は1300年代の南北朝のころから、この神社の宮司を務めており、「代々の言い伝えで、
兼続が奉納した木像が存在すると言われていた」という。
「天地人」ブームの高まりを受け、星野さんが昨年5月に「開かずの扉」を開けたところ、26センチの
天神像がほぼ無傷で見つかった。脇には、兼続が奉納したことを示す、江戸時代末期の木札が
立てかけられていた。
逆谷集落は、兼続が城主を務めた与板から約3キロと近く、神社の隣には上杉謙信が祈願寺とした
「寛益寺」もある。星野さんは「上杉家の重臣で文武両道に通じた兼続が、学問の神である『天神像』を
奉納したことも理解できる」とする。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090111-OYT1T00580.htm > 脇には、兼続が奉納したことを示す、江戸時代末期の木札が
> 立てかけられていた。
これは…、信憑性はどうかなあ?
824 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 11:16:11 ID:Fzr7HRLn
825 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 20:03:22 ID:uHJ1t9ws
雪の中を歩く2人の会話、すごく可愛いけれど、あのエコーがホ●くささを演出しているような。(汗)
なんか、無理矢理そっち方向に持って行こうとしていませんか?そういう目で見たくはないけど、それを狙っているようにしか見えないんだよなあ・・・
826 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 00:11:57 ID:3Pl1tveC
>>825 そういう目でみてるのはお前じゃないのかw?
あの年齢でホモを連想ってどう考えても変質者でしょw。
827 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 00:19:09 ID:kelojlP2
いや、かなりの腐女子がそう見たw
実況面白かったよ、そんなレスだらけになっていて
828 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 00:59:49 ID:mcPyLOMj
歴史小僧とかいう雑誌はどう?
829 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 06:00:07 ID:8xHxhchr
もしも関ヶ原以前に東軍に付いて徳川家康を全面的に応援してれば、
上杉家の石高は会津120万石から150万石くらいにまで増えただろうか?
あるいは120万石の安堵と、代々徳川宗家から姫君をもらい受けるとか、前田家と同等の官位をいただくとか、
直江はアホだった
830 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 07:24:55 ID:hiSD7ov+
これって腐女子向け?
今ゲームでこの人人気あるんだってね。
831 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 15:32:34 ID:tbzNcWKK
>>829 家康の難癖に対し、武門の意地もなにもかなぐり捨てて
仙洞院やら菊姫を差し出してたら今日のような人気はなかっただろうね。
832 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 15:35:16 ID:h1YHRuep
833 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 16:22:15 ID:eh4xlSrM
最近は特にゲームで良いネタキャラになってるから
人気あるよ。直江はそれ以前からもファンいるけど。
834 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 19:58:30 ID:X/62xJnu
直江は景勝あってこそ
835 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 20:16:31 ID:09l4bEaX
>>829 東軍に付かせないだろう、家康は。
史実どおり、適当に難癖つけて確実に敵対関係に持ちこむはず。
836 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 20:24:00 ID:eh4xlSrM
家康はでかい釣りしたよなぁ。見事釣りました!
って感じ…
837 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 20:25:40 ID:h1YHRuep
>>835 勘違いしているようだが、家康が前田や上杉を服従させようとしたのは、豊臣政権内での
家康の主導権を認めさせるための行動だよ。天下盗りとはちょっと違う。
家康が本当に、自身の手による天下盗りを考えたのは、逆説的だけど関が原が起こって、
それに打ち勝ってからだろう。
838 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 21:08:35 ID:cotF4W+c
秀忠を宇都宮に残して家康が江戸に帰ったあとも上杉の動向を気にして江戸を動けずに、福島らを岐阜へ派遣せざる負えなかった。
さらに
宇都宮から中山道を行った秀忠遅参で徳川譜代が活躍できなかった家康にとって
関ヶ原での武功が
豊臣系家臣団によるものであり
戦後の加増で特に武断派の者達が拡大するのに不安で仕方がなかった。
浅野幸長や加藤清正の相次ぐ死去が無ければ家康とて秀頼殺害はできず、
家康死去&秀頼成人でまた大乱があったろう。
そう言う意味では上杉の牽制は非常に役にたっていた。
839 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 22:31:46 ID:nTnuRFgc
昨日、今福匡氏著「直江兼続」を買いました。
(じっくり読み始めるのは3月頃から。それまでは明治維新関係の本で)
愛だの義だのという“スイーツ直江”の姿とは一線を画し、
一級史料を丹念に追って、史料に現われる業績を書いている本格史伝ですが、
ちょっと極端というか、直江の心情面、三成との連携があったのかどうかなど、
多少の推論が入ってもいいから分析して欲しかったね。
全体的に盛り上がりに欠けるというか、無味乾燥というか。
840 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 22:48:37 ID:SYcKmhg+
実際三成との連携はあったの?
841 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 22:56:21 ID:h1YHRuep
三成との連携があったから家康に対して断交したのではなく、
家康と断交してその征伐のため家康が出立したので、三成が挙兵した、ってのが実際の流れらしい。
上杉と三成は、挙兵後になってはじめて、連携をとろうとしたようだ。
842 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 23:18:48 ID:nTnuRFgc
一級史料かどうか分からないけれど、
上杉景勝は慶長4年に大阪から会津に帰国する際、佐和山に立ち寄った、
と書いてある文書あるね。
843 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 08:14:15 ID:PeXJpRxz
>>839 直江の心情まで踏み込むと小説になっちゃうからなぁ。
三成との事前連携はないというスタンスなので触れてないのでは。
ただ、三成挙兵後の連携についても触れていないね。
ページ数の関係かもしれないけど。
直江状の分析や謎の次女についてなど興味深いものも多かった
844 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 08:48:51 ID:W86WhFot
845 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 12:40:16 ID:hvGwrjwo
景勝に子供はまだいないはずなのに
何故か書状の中で登場する謎の「上杉息女」?
これを後の四辻氏とし、一旦兼続の養女に入ってから
景勝の側室に入ったのではないかとゆー。
俺は実際読んでないので良くわからんが。
846 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 18:19:57 ID:2dwd3g5A
>>844 吉田兼見の日記に出てくる「上杉家中直ヲイ山城守息女」のこと。
1595年7月、9歳の息女が猶子の契約の儀式のため吉田神社を訪問。
兼見の息子から「御まん御料人」の名を贈られる。
8月、九歳の息女やお船、十一歳息女らが神社を訪問。
兼見は御まんに気をつかい、御まんの名が長女や母より先に来たり、単
独で贈答を行っているることから家格の高い娘であることが指摘される。
四辻氏の父はこの八月に死去しており、また御料人という呼称からも四辻
氏である可能性があるとのこと。
ちなみに同年三月の記述には「上杉息女九歳」とある。
詳しくは本でどうぞ。
847 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 06:15:56 ID:jzSChMPm
愛の前立て、直江が同時代に使用していたという史料はないな。
ニセモノの可能性高い。
848 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 07:03:13 ID:oQUfVaUP
>>846 ただ、「上杉息女」がでてくる三月の記事を実際確認すると、
のちの秀就にあたる「毛利子息」の記事の前に、その息女にお守りを渡したとある。
兼見にとって、毛利の総領息子と同様もしくはそれ以上の重要人物だった可能性もある。
この「上杉息女」を四辻氏とするのは、今のところどうかなと思うがな。
ただ、四辻氏が直江の養女となった可能性は大いにありうると思う。
お船の母といわれる、山吉氏の一族が四辻家の一族に嫁いだ系図もあるらしいから。
849 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 18:00:53 ID:GeoGId9u
米沢の上杉神社すぐの
米沢紅花資料館って行ったことある人いる?
850 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 18:44:49 ID:PjVzcBmd
大河板から移動
兼続が20そこそこで家老になった理由はこちらで話しあいましょう。
851 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:12:12 ID:uDwgQNq8
御館の乱やその後の恩賞争いで上の世代がガンガン死んだり失脚したりしたから。
852 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:15:55 ID:3I+THv95
上杉家家老になった理由は直江家に入り婿したから。
入り婿に選ばれた理由は景勝の勢力基盤である上田衆の
上杉重臣家への養子政策による中央集権化に
上田長尾家家老の息子である兼続が丁度良かったから。
兼続に限らず多くの上田衆出身者が上杉家臣の家に養子入りしている。
その筆頭が上田長尾家家老樋口家から上杉家家老直江家に入った兼続。
散々この板で繰り返された話じゃん。
853 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:19:11 ID:uDwgQNq8
つーか、大河板じゃどんな議論してるんだ?
854 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:34:46 ID:PjVzcBmd
>>853 実際のところ炭数えてる樋口家の子の兼続があげた功績だけでは20歳そこそこで家老になるとかありえないから
新井白石が書いてるぐらいの男同士の寵愛を受けていたとかもっと理由が必要
↓
史実の話では兼続は上田長尾家譜代の家老の嫡男です。
上田長尾の運送・経営を任せられた立派な重臣の跡継ぎです。
上田長尾当主の景勝が上杉家当主となったことで
上田長尾重臣衆も上杉家重臣に引き立てられただけで全くおかしな点はありません。
↓
景勝と兼続が愛情関係にあったと書いてる新井白石が
樋口兼豊は薪炭吏て書いていてだから景勝の寵愛で成り上がったて
言ってるんだけどな
どっちにしても樋口家では上杉の家老になる家柄ではなかった
直江家とは格が違うのは確か
↓
白石の勘違い乙w
ソース藩翰譜とかいまだに信じてるのかよ。
景勝治世の時代に泉沢久秀が作った上杉家家臣団の史料で
(当然兼続も政景時代も知っている人間は多数生きている)
はっきり「兼続の父は政景の家老」と書かれてるんだがw
大体直江家自体府中長尾家家老が
当主謙信が上杉家当主となったことで
上杉家家老になった家だろうが。
景勝が自身の政権基盤である上田長尾家譜代家臣から
上杉家重臣の家に養子に入れて基盤強化を図っているのは
兼続以外にも多数行われている。
その筆頭格が上田長尾家老家から上杉家家老の家に入った兼続だったってだけ。
855 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:37:19 ID:PjVzcBmd
際のソースで言えば、兼続がいつ家老になったとか
どうして家老になったなんてのも御館の乱でどういう功績だったのかも
何もわからんのじゃないか
樋口与六なんて無名の子供時代の史料なんて無いに等しい
上杉>>>>>>>上田長尾
の力関係だから上田長尾の重臣なんて上杉の重臣に比べれば
何の権威もなかったんだろ、だから出世した上田衆は養子になっている
上田長尾の家老の樋口家として出世したならば
一緒に御館の乱で景勝についた父親の兼豊が上杉景勝の家老に
なるはず。兼続にしても兼豊にしても御館の乱で何をしたって史料あるわけ?
↓
兼続に関しては御館の乱の報償で景勝から税免除の船を一艘賜っていることから
景勝方の諸城への物資搬入を担当していたのではないかと推測されてるよ。
他に兼豊ではないが一族らしき樋口兼雄が景勝に命じられ鉄砲二丁と共に
景虎方と交戦中の城の救援に向かっている。
当主景勝から名指しされるくらいの家臣だったわけだね。
実際兼続が家老になったのも直江家に養子入りしたためなんだから
別に変じゃないじゃん。
直江家に養子入りするのに選ばれた理由は兼続が上田長尾家重臣の息子だったから。
↓
文献ででてくるのは御館の乱の2年後ぐらいだから
御館の乱での功績かどうかもわからない
結局は直江家を継いだから権力が手に入ったぐらいのもんだな
上杉(府中長尾)>>>>>上田長尾=直江>>>>>>>>(下っ端)>>>>>>>>樋口
ぐらいだから
船貰ったぐらいの兼続が直江に入れたのが上田の衆だったからというのは
新井白石の史料以上に根拠はない
↓
何言ってんだ?
兼続が上杉家家老になったのは直江家に入り婿したからだが。
樋口兼続時代の役職は景勝の奏者。
奉行でも家老でもない。
誰も上田長尾家家老として上杉家を取り仕切ったなんて
言ってないんだが。
直江家に入り婿する身分としては兼続は、
自らの権力基盤を上杉家家中で強化したい景勝にとって
未婚・結婚適齢期・実家である上田長尾家重臣の嫡男である
兼続は非常にちょうどいい立場だった。
856 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:40:16 ID:uDwgQNq8
まあ、景勝と兼続が愛情関係にあったとしても、兼続が上杉家の家老になったのは
それとはあまり関係がないことは確かだ。
857 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:42:22 ID:PjVzcBmd
景勝が上杉宗家に入ると同時に上田長尾家家臣が
「上杉家の家臣の上田長尾の家臣」から
「上杉宗家の家臣」に取り上げられてるのは
謙信の書状での敬称から指摘されている。
江戸時代の根も葉もない噂を根拠にした新井白石と
景勝も兼続も上田衆も与板衆も生きていた時代に作られた
史料と同レベルと論じるwww
↓
当主が新しくなったとき、その近臣たちが出頭人として、前当主の重臣
をしのぐ権力を握るのはよくある話。それに、兼続だけでなく泉沢や甘
糟たちほかの上田衆も上杉家の大身になってるし、上杉>>>上田みた
いな話すると全員の武功を挙げていかなくてはいけなくなる。
ちなみに直江家も代々の重臣というより、景綱の時に陪臣から急激に上
杉中の実力者になってる。
↓
> 自らの権力基盤を上杉家家中で強化したい景勝にとって
> 未婚・結婚適齢期・実家である上田長尾家重臣の嫡男である
> 兼続は非常にちょうどいい立場だった。
結局ここの部分が推論でしかない
これだったら新井白石の史料の方がよっぽど信憑性が高い
> 「上杉家の家臣の上田長尾の家臣」から
> 「上杉宗家の家臣」に取り上げられてるのは
> 謙信の書状での敬称から指摘されている。
それが兼続とは何の関係があるのかは何の証明もできない
上田衆が養子になっていること自体が上田衆の家柄で権威がないってことなだけ
武功だとか理由もなしに出世だとかはありえない
なぜなら兼続が直江になる前のお船の旦那の直江信綱がそういった武功だとかの問題で殺されているから
そういったので殺された後釜に武功や理由もなく兼続が上田衆てだけで直江を継ぐのは普通に考えれば
直江信綱が殺された時と同じく褒章に絡む問題がおきる可能性がある
まとめるのめんどうだったのでほぼそのまま転載
858 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:56:17 ID:uDwgQNq8
「兼続寵愛論」を強調している側は、景勝が上田衆を基盤に御館の乱やその後の混乱を
戦い抜いたということを、過小評価しているのだな。
もう一度言うが、仮に景勝と兼続の間に同性愛関係があったとしても、
兼続が直江家を継いで上杉家の家老になったのは、それとは関係ない。景勝も兼続も、
情愛と政治を一緒にするようなバカじゃない。
別個の事象だと捉えるべき。
859 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:06:23 ID:PjVzcBmd
>>858 同意。同性愛というより衆道関係と出世ってのは、関係があって出世というより
次世代をともに生き抜く忠臣となるべき小姓と関係を結び、絆を深めるものとと
らえたほうがいい。考え方が逆。
860 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:20:00 ID:EG5pBoBS
少なくとも兼続は御館の乱で記録に残るような活躍はしてないし新発田の乱でもイマイチな印象。
上田衆を基盤に勝ち抜いたってのは同意できるがもうちょっと人材いるだろ?ってのが本音。
861 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:46:28 ID:PjVzcBmd
新発田の乱のころはすでに直江家を相続してるからね。
御館の乱のときは戦場に出るというよりは景勝のそばで
ともに戦略を練る近習って感じだろうから、活躍を云々
するようなものではなかったろね。
862 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 20:55:34 ID:3I+THv95
実際御館の乱の頃は父親が元気に現役なんだから
兼続が兵を率いて手柄を立てるってそうないのでは?
兼続が御館の乱で景勝から賜った恩賞が諸税免除の船だったことから
推測されている諸城への物資の配給の差配を行っていたとするなら
ますます「武功」からは遠くなる。
ただし乱を戦い抜くには能力が評価されてなければとても勤まらない重要な仕事だが。
武功武功と騒ぐのは武断派思考の持ち主かな。
863 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:04:58 ID:jPb9PTMx
>>861 直江は新発田攻めにはよく参戦してるよ
それどころか、一度は直江が大将になって新発田攻めてコテンパンに負かされているよ
安田や藤田は武功を上げているけどね。
直江の武功は全く聞かない。
864 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:19:26 ID:p2wGbCQ5
軍記講談の新発田攻めで直江批判ってバァカですか?
865 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:20:06 ID:EG5pBoBS
>>859 衆道で出世=東大から官僚へ
みたいなもんだからね。ちょっと言いすぎかww
要は役人になってからどんな仕事をしたのかだけど。
>>862 武功だけが功績じゃないんだけど他に功績があったのかね?
まさか謙信の遺言書を発見したとか言わないよね?
866 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:36:24 ID:2X03hN5K
んだ。
そもそも男色や功績で出世なんて構図が幻想なんだよ。
序列なんてものは家柄血縁地縁派閥で決まるのが普通。
867 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:36:29 ID:KKnssnd3
衆道衆道ってうるせーな
この時代にはよくある話じゃねーか
いちいち出世に絡んでいたらヒエラルキーが逆ピラミッドになっちまう
868 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 21:53:57 ID:3I+THv95
景勝が坂戸に出した書状に
「物資はこちらでなんとかするからしっかりしろよ」みたいな内容の文面があるし
逆に景虎側は乱後期には物資の不足に喘いで
あちこちに補給を頼んだり救援要請してるべ。
御館と自城との間を移動しようとして途中で討ち取られる将も出るほど
敵味方が領内で混在し城同士の連絡が困難な状態で
景勝景虎双方の本営が隣接している状態での内乱。
補給線が確保できる国対国の戦いではないから
兼続が物資の配給を差配してたなら高評価受けてもおかしくない。
869 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 00:40:20 ID:EkFG22/S
>>863 この話って、よく出されるけど、まともな出典を見た事がないんだよね。
新発田攻めに関する兼続の動向を書状から追うと、築地氏など阿賀北衆を
中心とした調略が主なんだよね。
まあ、新発田攻め関連の話というと『管窺武鑑』に加治城攻めの
逸話が出てくる事は出てくるが。
>>868 いかんせん史料が少なすぎるんだよね。泉沢久秀書状や、件の書状などからは、御館の乱に際して、景勝の側近として活動してたであろうことは
窺えるんだけど。
870 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 09:02:44 ID:yC1PFWoA
「上杉家御年譜」には、景勝から一軍を任され、五十公野城を攻め落としたのが出てくる。
871 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 12:28:27 ID:urS0vVkd
むしろ兼続に限らず御館の乱で名が挙がるほど武功を立てた人物で
景勝政権下で謙信政権時を上回るほど権勢を得た人のほうがいない罠。
景勝政権を確立するに当たって御館の乱で軍事的に大活躍できるほど
謙信政権下で既に地位を手に入れている人物を更に加増重用するのは
全く得策ではないと思うのだが。
景勝の権力が弱まるだけじゃん。
872 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 13:14:59 ID:JbdDxWmC
御館の乱後の戦功行賞は誰が誰の城を落としたとか
誰を討ち取ったとかいうことより景勝の基盤である上田衆に
重点的に行われていることは元から指摘されていることなんだから
上田衆出身の兼続の出世を御館の乱での戦功から
導き出そうとするのが間違いだろ。
上田衆内で樋口家がどれくらいの位置にいたかの方が重要。
そして兼続の母の出自といわれる泉氏は
長尾家と幕府の取次ぎを行ったりしている。
樋口家は上田長尾家家老であると伝わり
樋口一族の名は上田衆の中に散見されることから
唐突に兼続の代で取り立てられた訳ではなく
上田衆内で元よりある程度の勢力を持っていた家だと推測できる。
873 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 13:46:17 ID:yC1PFWoA
兼続、実頼は直江氏の子
二人と活躍時期がずれている秀兼は泉氏の子
という説もあるな。いずれにしても樋口家は下っ端ではない。
874 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 14:02:02 ID:JbdDxWmC
祖父とされる泉重歳の活躍時期を考えると
兼続と秀兼は20も30も年齢が離れているとは思いがたくないか?
秀兼が兼豊が没するまで出てこないのは
単純に樋口家現当主である兼豊が
死ぬギリギリまで現役だったからだろう。
1600年頃で兼続の代理みたいな形で米沢城番してたり
景勝との連絡も取ってる。
875 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 14:57:13 ID:yC1PFWoA
兼豊が隠居しなかったのは秀兼が幼少だったからとも考えられる。
もともと直江氏説が否定されたのは家格が違うというのが大きかったけど、
それなら泉氏でも同じだし、直江氏は景綱までは陪臣の身だったから実は
樋口家と釣り合わないこともない。
尾崎氏の系図では秀兼は1580年の生まれとのこと。このとき母は41歳
だったという。これだと母は兼続と一緒なのだろう。ただ、この系図だと母
は1604年まで生きたことになっていて、1585年に死んだと明記され
てる越後国供養帳と異なる。
泉氏の根拠となるのは「上田士籍」や「文禄〜」の後代の書きいれなので、
決め手はない。今は泉氏説が有力になってるけど、直江氏説も否定しきれ
ないということで併記してみた。
876 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 15:11:04 ID:urS0vVkd
完全に否定しきれるものではないが
直江家断絶後に兼続らをわざわざ泉氏由縁と捏造する必要性も見いだせないので
(直江家由縁と捏造する場合は理由が想像できる)
やはり泉氏説の方が有力だろうな。
877 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 15:42:03 ID:JbdDxWmC
>>875 府中長尾家と上田長尾家の婚姻に伴って
家老同士の家の婚姻も奨めた…と考えなくも無いか。
878 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 15:48:42 ID:9yePb1k8
だから前妻後妻説が出るんだろう。直江氏に捏造する
っても、家格が違うという錯覚から来るもの。
879 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 16:16:12 ID:urS0vVkd
新井白石のせいで大混乱だなーw
上田長尾家は国人衆7位に落とされたとはいえ、謙信の書状から見たら
謙信がいなければ最有力家となると目されてたっぽいしな。
上田長尾家と府中長尾家が主家、家老家ともに姻戚関係結んで
繋がりを深めようとしててもありえるな。
880 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 14:41:00 ID:QahrHfRi
ここから皆さん好きな武将5人挙げてセンスの無い人を迫害しませんか?
5人すら挙げる度胸も無い人間が戦国を語るというのは滑稽ですよ^^
私は傍観者なので挙げませんけど
881 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 17:10:37 ID:g/XQiQSc
換羽 町費 朝雲 甲虫 場超
882 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 22:44:34 ID:6CNeCkAD
直江津とこの人は関係あるの?
883 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:15:23 ID:OR2WWTEL
884 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:24:33 ID:9zpmee7J
兼続が婿に入った直江家が直江庄(直江津)に入って
その地名を名乗ったんだから逆なんだよな。
885 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:35:48 ID:V3K0i33y
>>883 鎌倉時代より前からある地名らしいってなんだよ。
らしいっていう推測から関係ないっていう断定は矛盾してるぞ。
後だろうと前だろうと関係はしてるでしょ。
886 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:36:40 ID:T2qqmSdH
887 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:53:39 ID:V3K0i33y
888 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:56:51 ID:T2qqmSdH
889 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 01:03:32 ID:V3K0i33y
だからなんで関係ないといいきれるんだよ。
890 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 01:06:20 ID:5r02iZrd
大抵の地名の由来は〜らしいだろ
名付けられるところに立ち会ってないんだから
891 :
人間らしく生きて半年くらい:2009/01/19(月) 01:22:42 ID:oUM0x7C4
ってか、これもうただの喧嘩に近いね
話に割り込む形になるけど
ちなみに私は、マツナガヒサヒデとか大好きだよ。
あとはオダノブナガとかも大好き。
892 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 02:01:15 ID:IFuLf/4F
俺はJライデン派だな
893 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:41:39 ID:/9rA8T91
どう考えても愚将
894 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:45:27 ID:T2qqmSdH
愚とはいえないだろ。凡将だとは思うが。
つーか兼続の価値は軍事ではない。
895 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:48:38 ID:rZ9IZdNV
>>894 というか「将」じゃないんだよな。一応軍は率いてるけど。
この人の本領は文化事業
896 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:51:01 ID:T2qqmSdH
>>895 文化事業というより、行政全般だよ。
兼続が秀吉や家康に評価された点はそういう、行政の出来る点だということを、
そして行政の出来る人間が当時どれだけ貴重だったかを、
なぜか理解していない人間が多い。
897 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 04:03:34 ID:rZ9IZdNV
>>896 と言ってもそんな行政実績も無い・・・
あと秀吉はともかく家康はそんなに評価してないよ。
評価してたら上杉は脅威だから取り潰しだもん。
898 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 04:17:48 ID:T2qqmSdH
>>897 江戸城でも大名格での待遇してたんだから、当然評価してるだろ。
それに直江との交渉で上杉の存続を決めているんだから、直江を信頼できるって
家康の評価が無ければ、そんな交渉すら出来ないんだぞ。
899 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 04:52:44 ID:rZ9IZdNV
>>898 直江の交渉で上杉の存続が決まったってどういうこと?
例えば初めから許すつもりなら誰が来ようが許してたと思うんだ。
敗軍の筆頭家老が謝罪に来たら一応会うのは礼儀だと思うし。
900 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:16:00 ID:Bd2HvfXH
直江は米沢藩の財政を司り、幕府から10万石分の役賦の免除をもらったりと手腕は確かなものがある。
901 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:25:43 ID:T2qqmSdH
豊臣政権や徳川幕府から直江が、上杉家に有利な状況を引き出した事に、
「直江が無能だから秀吉や家康が安心してそうしたのだ」みたいな事を言い出すのが
たまにいるが、それはやっぱり歪んだ見方だと思うぞ。
ホントに無能なら取り潰されてる。当時の日本は無能を大藩の指導者として養えるほどの
余裕は無いからな。
902 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:27:27 ID:IHsFV61X
本多正信とあんだけ親密になる離れ業
>>897 評価してたらとりつぶし、とりつぶされてないから評価してない
ってのは極端だな。
903 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:36:13 ID:T2qqmSdH
豊臣期でも徳川期でも、確かに政権を脅かすほど強大になられても困るが、
だからといって、無能でその地域を混乱させられるようなことになれば、それはもっと困るんだよ。
上級権力としての管理責任を問われるわけだからね。
当時の中央権力と地方権力の関係って言うのは、今考えるよりもずっと、政治に対して真剣な
関係だったのは間違いない。
904 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:51:59 ID:Bd2HvfXH
例えば直江の政治が悪いと家臣が豊臣政権や江戸幕府にチクったりしただけで政治介入されて、最悪改易なんて普通にあるからな。
そういう権力闘争に発展せず、米沢の町を開発してんだから
景勝と直江コンビは家臣団にとってもよい為政者だったんだろう。
直江を独裁者とか言うのは歪曲。
独裁者なら経済より恐怖を背景にした統制を優先するだろうし、文化芸術さえ統治側を正当化する捏造に利用するだろうが、
直江は純粋に文化芸術を楽しんで米沢を文化芸術面でも発揚してる。家康も直江に書籍の問い合わせしてるくらい。
そー言う文化芸術面にも明るいってのは
当時の幕府政治指導者や京洛の影響力ある商人らとの交流に必要な文才。
また三成は補給や管理に必要な算学にも明るかったとか。戦乱の武士の時代において軽視された算学も
行政の発達とともに重視されるようになった。直江はそういう行政外交能力も三成とウマがあったんだろう。
それが武辺者では無く、天下を任せられる宰相の力量だろう。
905 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 09:06:56 ID:Bd2HvfXH
また三成が戦が下手だとする偏見も
忍城水攻め失敗に原因があるわけだが
あれは三成が地形などの理由で反対したが秀吉が強行させている。
直江が戦が下手だとするアンチの意見は講談軍記ネタにおける新発田との戦いばかり持ち出し史実を知らないようだし。
そもそも当時の上杉政権にとって揚北衆に監視させてる新発田は優先順位低く
越後侵入をたびたびやっている信長死後の佐々成政や婚姻同盟した家康&氏政と真田氏を巡り出兵したりしてる方面を優先してる。
景虎との後継者争いの際に勝頼に謙信の遺産の大半を譲渡して財政難な中で、この越中・信濃・上野方面で手堅い行動をしてる(論功行賞で対立したのも財政難から)
しかも新発田は蘆名筆頭の執政が自ら後援してるので瞬殺できる相手でもない。
新発田攻めの際には途中で「例年出兵しまくってるので兵が疲労しきっているので休めさせたいので止めて帰る」なんてことも言ってるし。
本能寺後になっても上杉軍はかなり疲弊しきっている中でやりくりしてる。
906 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 09:22:58 ID:T2qqmSdH
まあ正直、「天下を任せられる」ってのは、秀吉流の誇大評価だと思うけどねw
兼続が有能かどうかといわれれば、間違いなく有能な人間だったと言い切れるが、
ただその有能さは、既にある状況に対応する場合のもので、状況を自ら作り出す、
という意味ではあまり機能していない。三成にもその傾向がある。
その意味で、未だ過渡期にある天下を切り盛りできるような、そう言う一種異様な才能には
恵まれていなかったと思うよ。
907 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 09:27:22 ID:sEu3gis8
>>906 >間違いなく有能な人間だったと言い切れるが
自分の思い入れで言い切らないで、客観的な事実を元に言ってくれ
何の事実をもって有能なんだよ?
908 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 10:32:44 ID:Bd2HvfXH
じゃあ陪臣のうち誰か有能だって奴を教えてくれよ。
内政や外交でも誰もやった事ない特筆すべきすごい事やった陪臣も教えてくれ。
直江アンチの方は比較の対象になる人物名を挙げてくれ。
909 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 12:55:48 ID:IHsFV61X
同時代なり、時代が近い江戸時代(徳川史観の中でも)に評価された人物を
現代人が無能呼ばわりできるのがすごい
910 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 16:05:59 ID:utXVZEF5
謙信が生きていたら、
関ヶ原の戦いの時に伊達最上を糾合して、江戸まですべて陥落させて家康を滅ぼしたと思う
当然、小早川の裏切りもなく、東軍は敗退
911 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 16:35:11 ID:l5zh6hc7
912 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 16:38:37 ID:D24HyCnv
謙信が生きていたら、
信長家康秀吉はおろか朝鮮、明まで攻めあがって果てはヨーロッパまで攻めあがってたろうな。
当然スペインやイスパニアも敗退
913 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 22:42:53 ID:V3K0i33y
兼続に本多の息子が養子にいってるんだぜ。これも作り話しか?
お前ら自分の息子くれてやるのに相手えらばんか?
よほどの人物だとおもうね。
914 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:17:02 ID:zcV23htd
915 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:30:56 ID:uB5NnQt4
>>905 忍城攻め失敗は秀吉のせい
朝鮮出兵の講和失敗は加藤のせい
関が原の失敗は小早川のせい
三成は何でもかんでも失敗を他人のせいにしすぎだろ
戦下手以前に人間として最低レベルだから嫌われるんだよ
とあえて直江スレで言ってみる
916 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:43:49 ID:IHsFV61X
>>914 昔は隠密だのと言われてたけど、現実的じゃない。
本多にとっては、宇喜多に仕えて浪人していた余し者の三男を直江が
引き取ってくれて感謝。
直江にすれば、これで徳川家の取次との強烈なコネクションが成立し、
さまざまな面で上杉のために動いてくれることが期待できる。取次っ
てのは主人と取り次ぐ相手の関係をうまくつなぐことが大事な仕事だ
から、関係強化は正信にとってもメリット。
917 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:57:26 ID:IHsFV61X
>>915 三成が人のせいにしたというより、逆に三成のせいにされていた
ものじゃないのか?その三点は.
「人間として最低レベルだから嫌われ」者という評価とともに。
918 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:32:56 ID:OsPuo9cH
>>916 隠密としての面もあるんじゃない?
上杉がまだ反抗的ならそのまま獅子身中の虫として、
従順なら関係強化の鎹として。
改易後、上杉がわりと優遇されたのは追い詰めすぎてキレられても困るし、
伊達への押さえにしたかったんじゃないかな。
そういって状況をうまく利用するのも、見事な手腕だと思うけどね。
919 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:11:05 ID:JHmKC/KE
>>916 繋がりが目的だったのなら、途中でさっさと逃げられちゃったのは情けないというか、惨めというか・・・
920 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:16:01 ID:/HHeI23s
>>919 逃げられてないぞ。
つーか樋口家も加賀に行ってるし。
921 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:31:09 ID:YMJ2b2W8
>>919 まあ、兼続にも平八がいたしね。
ただ、上杉家・直江家とは加賀へ去ったのちも親交を持ち続けてた
ことが史料上確認されているので、遺恨が残るような形での退去では
なかったはず。
>>920 早世した政次(本多政重と兼続の姪との間の子)の子が、家を継ぎ損ねて
樋口氏を称したんだよねたしか。
922 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 10:12:42 ID:6mG5Nm5D
>>919 政重の妻が亡くなったのもあるかもしれないが、実子景明の結婚
(妻は戸田氏鉄の娘。本多正純の嫡男も氏鉄の娘を娶った)や秀
忠の上杉邸御成が区切りになったのだろう。前田利長あて藤堂高
虎書状では「直江勝吉」(政重)が直江実子に知行を譲って上杉
家を退去し、貧乏してるから召し抱えてほしい」とある。
政重退去後も本多家との交流は続いているので問題はない。
むしろ、家康が死ぬと上杉家は土井利勝に接近して正純との関係は
薄くなっている。直江が正信の妻とも書状のやり取りしたり家族ぐ
るみでつき合ってた割には冷たいが、正純からの乗り換えができな
かった福島正則は改易の憂き目に遭った。
923 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 11:42:34 ID:Q/QpIL/H
佐竹義久・直江兼続・小早川隆景・石川数正は秀吉に癒着した4大裏切り謀反人
彼らは義久・兼続・隆景は主家を豊臣側につけて滅亡寸前に追い込み家康のために働いた。
数正の裏切りにすぐ対応し甲州流を捨てた家康は名君。
伊達家臣片倉小十郎も家康が将来、勝つことを予見して豊臣と仲良くしなかったので五大老になる資格はあったがならなかった才覚はまさに池沼と呼ばれるに相応しい。
924 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 11:56:38 ID:63qkQy5v
>>923 大体同意なんだけど、小早川隆景を直江と同様の売国奴にするのはカワイソス
彼は大名としての処遇を秀吉の親族の秀秋に譲る形で豊臣家に返上し、
同時に秀秋の毛利本家への入婿を阻止して
毛利の一家老に戻っているからね
925 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 12:08:16 ID:Q/QpIL/H
いや隆景は小早川秀包の別家まで立てて保身に走ってる悪党。
その秀包とつるんで豊臣に組みして家臣領民を苦しめた立花宗茂はさらに無能かつ悪党だな。
926 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 12:44:42 ID:Q/QpIL/H
宗茂や直江は義の武将とか笑える。
それなら直江は家康に無謀な戦いをやって滅亡すべきだし
宗茂は柳川城を枕に討ち死にすべきなのに生き恥を晒した。
長宗我部も家康にビビッて改易を甘んじて受けずに土佐で玉砕すべきなのに命乞いして結局大阪の陣で恥をかく。
加藤清正も家康に利用された無能。
秀長の養子を暗殺して家康に近づいた藤堂高虎最強。
927 :
仙台藩百姓:2009/01/20(火) 15:14:15 ID:uokK+v5S
佐竹義久は徳川派だお( ^ω^)
豊臣派だったのは当主の義宣の方
928 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 16:38:54 ID:/HHeI23s
929 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 06:04:06 ID:aOcmrZ5g
佐竹義久は隆景や直江と同じように家康のスパイで大領を持つ上杉佐竹毛利を減封するために動いていた悪魔。
すべて家康や政宗や小十郎や高虎や義久や隆景や直江や宗茂や秀包や三成の自作自演シナリオどうりだった。
直江を代表に豊臣を裏切った腹黒い人間たちばかり。
みんなでこいつら戦犯を非難キャンペーンして戦国板の総意としてNHKに史実をちゃんと描けと抗議すべき。
930 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 06:25:01 ID:aOcmrZ5g
つうか隆景や直江や宗茂や三成は内政無能で誰でもやってる事しかしてねーな。
直江や前田は関ヶ原後に鉄砲密造とかして最強アホだし。
隆景に至っては本能寺の時に秀吉に毛利を安く売ってるしな。
やっぱ内政実績も片倉小十郎親子が一番すごいな。
931 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 12:56:08 ID:55AjjzAn
>>901 > ホントに無能なら取り潰されてる。当時の日本は無能を大藩の指導者として養えるほどの
> 余裕は無いからな。
つ〔伊達政宗〕
932 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 17:40:39 ID:FPO8fAcL
政宗が無能って、どんな評価だよ。
好き嫌いで人物を判断するな。
933 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 18:27:51 ID:EtOxFsQr
>>930 その鉄砲で大坂冬の陣戦ってるからな。
あと、片倉小十郎の甥は直江に仕えた。
934 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 15:37:57 ID:sWAPlZi5
天地人が視聴率いいのは
パチンコ花の慶次の影響が大きいみたいだな。
なんでも直江兼続は熱いキャラらしい。
935 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 20:48:57 ID:4bOJz0c/
花の慶次に登場する兼続は顔変わりすぎ
佐渡でボコボコにされてる人と、利いた風な口をきくなーの人が同一人物とは思えん
936 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 18:04:43 ID:17LDM/3H
魚津城攻防戦の最中、上杉方はどうも本能寺の変を予感していたふしがある。
理由
@魚津城に籠城死守を命じていること。←6月中には織田軍の撤退が有ると踏んでいたのでは。景勝が援軍を送れないのであれば、通常は通常籠城はさせず春日山に後退させるべき。
A兼続、岩井信能は血判し一丸となり春日山を死守することを景勝宛ての書状に残している
B上杉軍は、反転攻勢に出ようとした形跡も全く無く、また降伏する様子も全く無い。←後の白河口革籠原戦略を見ても、景勝・兼続主従が戦略も無くただ無策にしている筈は無い。
明智方、もしくは信長暗殺を明智に命令した公家から、変を起こすことについて何らかの情報が入っていたのではないか。また、謙信と公家の親密さや上杉忍者隊(軒猿)の優秀さからも本能寺の変を事前に知っていたってのはありえると思う。
それだけに、魚津城があと1日自害を待ってくれれば、という強い後悔は景勝・兼続主従には強くあっただろう。
937 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 18:06:55 ID:rfpuU4lC
あほか
938 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:03:16 ID:17LDM/3H
景勝・直江主従の実績について
@日本で最初の図書館(誰でも書物を見れる寺)禅林文庫を造った(藩校が出来る実に200年前)。
A直江版と呼ばれる日本で最初の銅活字本を造った
Bキリシタン禁教令後も景勝とキリシタン(信教の自由)を保護し続けた
C米による経済だけでなく、紅花、青祖、楮、ウコギ等栽培を奨励し、藩財政を潤した(兼続死後兼続の政策は無視されていたが、後に上杉鷹山が自ら実践して藩財政を立て直した)
D朝鮮出兵で、貴重な論語や漢詩等を持ち帰ったって禅林文庫に収めた
E直江家の婿になり、いとこのお船と結婚した(生まれた子供は近親相姦のためか、早く死亡)
F主君長尾家のみならず、武田から菊姫を景勝の妻を迎えることに成功、武田の血筋も残すことに成功
G伊達家の存続に力を尽くした(小田原の際、伊達政宗に早期参陣を促した他、佐竹からの刺客を排除するため、上杉領を通らせて(迂回させてまで)小田原に入らせている)伊達は討伐されるギリギリの所で難を逃れた。
H直江状(実際は家康に対する挑戦状といった内容ではなかった。転封後まもなく、内政が忙しく今は上洛できないことと、謀反なんてことは考えていないことを説明する書状だった、ただ上杉家全体の意見として来るなら来いという意見も多く、それに配慮した書状だった)
I最上領からの撤退作戦は旧日本陸軍「日本戦史」でも取り上げられ撤退戦の手本となった。
J東北の地で初めて鉄砲製造を行った。
K鉄砲の撃ち方指南書(指南書の名前は忘れた)を書いた(その効果で大坂の陣では上杉軍5千で、劣勢となった佐竹軍を援護しつつ、大野治長・後藤又兵衛(負傷)軍2万数千を打ち破った(今福・鴫野の戦い)ことで、豊臣方を大阪城に閉じ込めること(籠城させる)に成功
L数々の漢詩を残した(例えば、1599年の「春雁、花に背いて帰る」の詩には豊臣からの誘いを断って会津に帰る決心が読み取れるし、亀岡文殊堂にて1602年初詣詩会で奉納した「元日」の短冊には、つつがなく新年を迎えた人々を見て安堵する兼続の姿が読み取れる)
939 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:20:36 ID:1VbYtWls
>>938 なんだ直江は大したことやってないな。
内政もどこもやっている事ばかりで目立つものは一つもない。
これではっきり直江は無能なのが理解できたな!
片倉小十郎の方がやっぱり100倍優秀だな。
940 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:35:33 ID:Su9yXDFP
小十郎(笑)
この人が何かやりましたか?
人々の心にいつまでも残る大物でしたか?
主家のみならず部下から頼りにされ、諸大名や知識階層から高い評価を受けましたか?
海はどうですか、山もどうですか?
教えてください。
941 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 19:50:40 ID:3hsGL9FC
>>936 なぜ魚津を死守しようとすれば明智謀反を察知していたことになるのかわからないが、
十二将の書状からも景勝からは投降を命じられていたことがわかる。本能寺の変を察
知してて、「もう信長死ぬから今だけ降伏しとけばいい」みたいな話だったなら十二
将は死ぬことはなかったはず。
明智から謀反の知らせを受けたという「無二の馳走」の書状も七月初めのものとみら
れている。明智謀反自体が突発的という見方もされているし、謀反を察知していたと
いうのは無理がある。
>>938 無理やりな部分もあるけど、上杉鷹山の興譲館の基礎になった禅林文庫創設などは
もっと評価されていい部分かもね。国宝になってる蔵書が多いことからも、文化面
で大いに貢献した宰相だといえる。あおそはもともと米沢にもあったが、直江は越
後から良質な品種を取り入れて栽培するなどの工夫もしてる。
942 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 21:17:22 ID:7liaP6hs
なになに。
今度は片倉対直江で荒らしたいわけかw?
943 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 22:05:16 ID:/qkdNwtk
武将としては二流。
官僚としては一流。
漢籍コレクターとしては超一流。
だな。
944 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 23:24:22 ID:aP3JCsdr
確かアオソは越後魚沼産が最高級だとされていたんだったか。
945 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 00:30:58 ID:38w1BpXe
>>938 凄いデタラメと贔屓の引き倒しとの羅列だね
>@日本で最初の図書館(誰でも書物を見れる寺)禅林文庫を造った(藩校が出来る実に200年前)。
→金沢文庫その他もっと古い図書館沢山あるよ
>A直江版と呼ばれる日本で最初の銅活字本を造った
→文官としてはよく働いたがそれだけだ。文官としてよく働いたからといって法外な権力を握って軍事や外交をやっていいという理由にならない
>Bキリシタン禁教令後も景勝とキリシタン(信教の自由)を保護し続けた
→幕府にとがめられるリスクを主家に犯したことになる
>C米による経済だけでなく、紅花、青祖、楮、ウコギ等栽培を奨励し、藩財政を潤した(兼続死後兼続の政策は無視されていたが、後に上杉鷹山が自ら実践して藩財政を立て直した)
→うこぎ以外は定着しなかったね。口だけの奨励だったんじゃないかな。最上は紅花を定着させたけどね。
>D朝鮮出兵で、貴重な論語や漢詩等を持ち帰ったって禅林文庫に収めた
→武功が無くてそんな事やってて良いの?
>E直江家の婿になり、いとこのお船と結婚した(生まれた子供は近親相姦のためか、早く死亡)
→その直江家を断絶させたよね
>F主君長尾家のみならず、武田から菊姫を景勝の妻を迎えることに成功、武田の血筋も残すことに成功
それって直江の仕事なの?その証拠は?
>G伊達家の存続に力を尽くした(小田原の際、伊達政宗に早期参陣を促した他、佐竹からの刺客を排除するため、上杉領を通らせて(迂回させてまで)小田原に入らせている)伊達は討伐されるギリギリの所で難を逃れた。
→ただ当時の伊達家の取次ぎが上杉だったというだけ。政宗は徳川、前田、浅野等の違うコネを利用している
>H直江状(実際は家康に対する挑戦状といった内容ではなかった。転封後まもなく、内政が忙しく今は上洛できないことと、謀反なんてことは考えていないことを説明する書状だった、ただ上杉家全体の意見として来るなら来いという意見も多く、それに配慮した書状だった)
→弁明するのが業績なのかよ
>I最上領からの撤退作戦は旧日本陸軍「日本戦史」でも取り上げられ撤退戦の手本となった。
→撤退する羽目になる戦略の時点で間違っていたのでは
>J東北の地で初めて鉄砲製造を行った。
→既にその頃は鉄砲は金で買えた
>K鉄砲の撃ち方指南書(指南書の名前は忘れた)を書いた(その効果で大坂の陣では上杉軍5千で、劣勢となった佐竹軍を援護しつつ、大野治長・後藤又兵衛(負傷)軍2万数千を打ち破った(今福・鴫野の戦い)ことで、豊臣方を大阪城に閉じ込めること(籠城させる)に成功
→後藤と奮戦して首を取ったのは片倉小十郎。業績奪うな
>L数々の漢詩を残した(例えば、1599年の「春雁、花に背いて帰る」の詩には豊臣からの誘いを断って会津に帰る決心が読み取れるし、亀岡文殊堂にて1602年初詣詩会で奉納した「元日」の短冊には、つつがなく新年を迎えた人々を見て安堵する兼続の姿が読み取れる)
→文学的な価値は高くない。武将にしては「よくできました」程度
946 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 01:11:41 ID:KuwCqWmM
まあ、関ヶ原後のリストラ無しの話やキリシタンやらって、正直上杉家における
君主権の弱さを露呈した物に過ぎないとは思うが。
947 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 02:18:48 ID:07TQElDO
>>938 @禅林文庫は日本初ではなく東北初だな。ただ後の藩校のような形まで発展できていない。
A日本初の銅活字本と言われるが、京都の寺院が使っていた木活字だったとの説も。
林羅山や金池伝崇伝も直江の出版した本を所蔵していた。
>>945の「法外な権力云
々」の批判はこの事業とは関係ない。
H信教の自由は言いすぎだが、寛容だったのは宣教師の記録からもたしかだろう。
ただ、他家も関ヶ原後まもない段階で厳格にやっていたとは思えない。
D上杉家の朝鮮での仕事は城の普請であり、戦闘には参加していない。武功がな
いという批判は当たらない。
Iあくまで撤退戦の話をしているのであり、
>>945の「撤退する羽目
云々」は関係ない。撤退する羽目になったのも最上に大敗北とかそう
いう理由でないことはご承知の通り。
J鉄砲は全国的な需要が増大し、不足気味。粗悪品も流通していた。
K
>>938は冬の陣の話をしているので誤っていない。
L詩歌の話は特筆するほどではないかもね。最上義光のほうが
評価されていると思うし。
>>943の評価が的を射た感じだな。
>>945までいくとただ批判したいだけに見える。
948 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 02:48:24 ID:X9JS2z5A
ん。やっぱ直江はエリート官僚のイメージがぴったしだな。
詩歌に関して言えば、とても知識人らしい詩。詩人の詩ではなくて、
知識人らしい詩。それが直江の詩の味だと個人的に思う。
949 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 04:02:08 ID:Jf/yfy0I
官僚としてはどう考えても及第点以上。地味だけどこれ以上やった陪臣は全国でも10人いないだろ。
ただ俯瞰的な視野が欠けてるから政治家や軍人には向いてない。
与えられた仕事はてきぱきこなすけど自由にやって見ろって言われるとなにもできない現代っ子に近い。
そう考えると今年の大河に抜擢というのは面白いんだけどな。
950 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 06:49:55 ID:KuwCqWmM
信長と会談とか、実在しないエピソードで無理やりつないでいく大河だけどな。
951 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 07:15:53 ID:zcupf0H4
質問だけど、紅花が義光が定着って部分がWiKiで要出典が付いてるけど、
このスレでは何度となく義光の業績だって批判なしに書かれてるけどソースはなに?読んでみたいけど。
あと直江の軍事能力に疑問符つけてる人は新発田の乱をよく挙げてるけど、講談軍記を抜きにして新発田の乱での直江の敗北について、ソース付きで、もうちょっと詳しく書いて。
952 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 07:58:40 ID:3nRC+036
>>938 の続き
M神指城建設事業←若松城では城下が手狭。また小田山からの攻撃に弱い面(270年後の戊辰戦争で兼続が懸念した弱さが露呈)。平地に城下を大規模(若松の約2倍)にし道路も整備。経済が発展しやすいよう工夫。完成した神指城、是非見てみたかったです。
家康方は、経済発展のための道路建設事業等まで「戦いの準備」ととらえた訳で...。 まあ、兼続ならずとも反論したくなりますわな。
N米沢の直江石堤の建設。景勝・兼続主従は民衆がいかに安全に暮らせるかを第一に考え、転封後、最初に大規模な治水事業を行って、洪水を防ぐ手立てを為した。
O略奪による「利」で動いてきた戦国時代に、上記のような「仁」や「義」や「愛」の政治を広めようとした(信繁や三成とその一派はそれに殉じてしまった)。結局時代が追いついていなかったってこと。
結局、「仁」「義」「愛」による政治は、アメリカでは「I HAVE A DREAM」後のオバマでやっとその時代がきたかも...ってとこ。日本の政治は...派閥力学と脅しの政治、利権闘争等で金まみれ。
953 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 08:04:45 ID:KuwCqWmM
>>952 なんか変な洗脳でもされたか?
> 上記のような「仁」や「義」や「愛」の政治を広めようとした(信繁や三成とその一派はそれに殉じてしまった)。
> 結局、「仁」「義」「愛」による政治は、アメリカでは「I HAVE A DREAM」後のオバマでやっとその時代がきたかも...ってとこ。
たちのわるいギャグだとしか言いようが無い。
954 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 09:50:58 ID:AoFO7uk4
>>953 俺もその項目見た瞬間、ダメだこりゃと思った。議論の余地すらなし。
955 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 09:56:32 ID:EfrT6ZpN
>>952 Mは流通などを考えて新しい拠点を作ろうとした点では同意だが、
軍事的なことを考慮していたかは疑問。Nの生産力向上の狙いも
大きかっただろう。Oは完全に蛇足。
956 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 13:34:57 ID:AoFO7uk4
蛇足ってレベルじゃねーぞ!
まともに読む気も反論する気も失せるレベル。
957 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 17:48:56 ID:KuwCqWmM
歴史小説でもたまにあるが、歴史上のことを書いておいて突然現代政治を批判しだす奴、
アレはどうにかならんのかな?
つーか、少し前に出た明らかに大河便乗の直江の小説でもそんなのあったな。
直江の話かと思ったらいきなり憲法問題が入ってきて、どっちらけた覚えがある(まあ立ち読みだが)
958 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 19:05:45 ID:1ih60P0Z
現代的価値観では愛(隣人愛)とか義のために戦争されたらかなわんよ。
アフガン、イランではアメリカへの義のために援助したみたいなもんだけど。
国益(利)のために動いて欲しいけどな。
959 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 19:13:14 ID:KuwCqWmM
現代どころか戦国時代でもかなわんよ。
謙信も表看板として義を唱えてたのだろうが、実際は生臭い利害によって動いている。
日本のイランアフガンへの援助だって100%国益のためだ。そうしたほうがそうしないより得だ
って判断のためだ。
960 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 19:48:44 ID:NrMv7ZVu
まあはっきりしていることは、昨今の大河や謙信ブームによって、
光栄の信長の野望での評価もさらに上がるであろうと言うことwww
961 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 20:43:07 ID:1ih60P0Z
>>960 そもそも信長の野望が出ない件
無双のシナリオが充実するくらいじゃない?
962 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 23:40:10 ID:q/6MmqGT
>>932 野戦で敵を全滅させたことはないが、味方は全滅させたことがあるっていうのが有能なわけないだろ。
963 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 23:52:05 ID:KuwCqWmM
964 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 00:39:10 ID:rzgygF0H
味方の神保軍を背後から銃撃死滅w
965 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 00:43:00 ID:z8hGLN95
それも諸説あることくらい知ってろよ。
直江や上杉の都合の悪い事は何でも難癖つけてるくせに。
966 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 00:44:01 ID:hfJFXNLn
荒しはスルーしようぜ。今日のターゲットは伊達なんだな
967 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 14:22:47 ID:kf2D1d13
>>966 いいえ。いつもターゲットは伊達ですが?
968 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 09:09:14 ID:59hs+iX5
やっぱり戦国板から三戦板〜歴史難民板〜日本史板〜大河板〜実況板〜歴ゲー板まで
広範囲に渡って
コピペ爆撃から貶しキャンペーンまで
四六時中キチガイ粘着して
上杉・長尾・直江・最上スレを
荒らしてるのは
完璧に伊達厨だったんだな。
969 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 11:00:40 ID:+ccwDa9e
今頃知ったのかよ
どんだけ鈍感なんだ
970 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 12:28:24 ID:PaEUz11T
非人道的で軍事的才能無し。
内政官としてはそこそこ。
そんな印象。
971 :
人間七七四年:2009/01/26(月) 15:29:00 ID:BLD08KLT
972 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 16:40:45 ID:dwlQOjdb
ようするに謙信というアイドルに憧れて、カッコだけ真似しようとした痛い厨坊精神もった人間だったわけか
973 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 20:22:18 ID:xX3XzyLe
>>972 それの「謙信」を「信長」に変えるとまんま伊達政宗だったりする。
やっぱ似たもの同士なんだな。
974 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 13:04:15 ID:rqufdr8U
政宗は信長が好きだったしいが手法は違うけどな
975 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 08:59:34 ID:W/WYX2wI
粘着伊達厨キモい
976 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 13:57:40 ID:p41gsZ1R
徳川からあからさまに喧嘩を売られて、直江状なんぞを送って喧嘩を買うののどこが勇猛と評価されるのかが分からん。
例えば戦の時に敵が相手を挑発しておびき出したところを叩こうと言う作戦の時に、
挑発に乗って出陣して負けてしまったとすると誰も、挑発に対して毅然と立ち向かった勇敢な武将なんて言わないだろ?
ただの挑発に乗った考えの足りない無能と言われるだけだ。
越後攻めの時の家康の挑発なんてこれの戦略(政略?)版なんだから、
挑発に乗って喧嘩を買うなんて武将として無能だろう。
977 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 18:30:28 ID:Wawbivgv
兼続は直江状を唱えた
しかしMPがたりない
978 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 20:08:19 ID:K4QX/R6P
>>976 後の歴史を知ってるから無謀に見えるけど、小山評定の後にすぐさま追撃してたら家康も困ったと思うよ。
さらに最上に挑発されて兵を逆方向に向けちゃったのはイカンと思うが。
979 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 20:27:51 ID:YZnt7VLF
>>978 >後の歴史を知ってるから無謀に見えるけど、小山評定の後にすぐさま追撃してたら家康も困ったと思うよ。
後の歴史を知っているから小山評定後に追撃とか言えるけど、三成の挙兵は相談をした上での連携じゃないらしいので、
三成の挙兵が無ければ、大兵力に袋叩きにあっただけだろう。
980 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 14:13:10 ID:7nq8p+jB
そこんとこ上杉と最上って対照的だよな。
両方ともどこまで全体の状況を把握していたか分からんが、
最上は上杉という戦力を引き付けて東軍主力を西に向かわせた。
徳川本体は真田に足止めくらったが。
上杉は周囲で一番小さい勢力の最上に気をとられて敵に西軍向けて進ませた。
最上は東軍にとって理想的な働きをして、上杉は西軍にとって物足りない行動になった。
981 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 14:46:25 ID:Xsbt0oel
まあ、最上は圧倒的兵力差の中、「義」のために戦っているけど、
上杉は所詮「利」のための戦いだからな。
982 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 16:07:39 ID:O4h+lFC+
禿同
直江は秀吉に懐柔されて豊臣官僚を兼任して、主家の上杉を危機に貶めるという
功利主義の権化みたいな輩だな
直江を義だとかいう発想がどっから出てくるんだか
983 :
いわん:2009/02/01(日) 16:20:10 ID:GCHYuawC
はやくいこうぜ!
984 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 16:21:22 ID:tdI5opmB
仮に関ヶ原が西軍の早期勝利で終わってたら上杉は黒田如水みたいな扱いだったのかもな
985 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 16:36:35 ID:SGVM9Hiv
最上が「義」で、上杉が「利」であるとは
一概には言えないとは思うがな。
当時すでに冷静に考えれば次期権力者が家康であることは
明らかだったし。
もしかしてっていうのはあったかも知れないが。
最近、石田明夫氏は、対最上はあくまでも一部隊にすぎず、
景勝が率いる本隊は南下に備えて待機していたが、
佐竹が裏切った説を唱えているね。
天地人の脚本作りの補助に、石田氏が参加するっていう噂を
聞いたんだが本当かな。
986 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 19:10:53 ID:ufJE4pBe
>>984 仮に関ヶ原で西軍が勝っても、徳川方は秀忠隊が健在なわけだし、
家康が討ち取られでもしない限り、史実みたいに一気に大勢が決するわけじゃなさそう。
987 :
直江兼続 ◆2UEHzhb6MY :2009/02/01(日) 19:41:43 ID:Qe1qPOL5
秀忠隊など
落ち武者狩りで壊滅さ
988 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 20:01:53 ID:sjqVsBKU
よく言われてることだけど、応仁の乱みたいに長引くことを期待してたんだろ。
徳川を追うのは最上ぶっ潰してからでも遅くないと思ったら、むしろ遅すぎたという。
989 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 22:51:39 ID:Ht3hjJEs
>>985 滅茶苦茶な政治をやる豊臣から家康に変えることもある意味では義だよ
狂った連中よりまともな人間が政治をやった方がみんなのためになる
990 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 22:58:37 ID:Xsbt0oel
謙信や景勝は、「義」を標榜したかもしれないが、少なくとも兼続は
極めて利己的な戦略をとる人だと思う。
乱世だからそれは特に悪い事ではないが、兼続の場合、利を求めて前のめりになる傾向が
あるようにも思う。
991 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 18:05:22 ID:ayLw29dF
黒田如水すら関が原
どちらが勝つかわからなかった。
如水が九州で暴れたのも
関が原で東軍が勝った情報を聞いて
西軍諸城の開城が相次いだからに過ぎん。
そもそも如水からしたら息子のせいで
俺の野望が・・・な話なわけだし。
東西どちらが勝つか?野戦でわずか一日で決着がつくか
なんてわからん。
992 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 18:08:09 ID:jHcr0HH1
運も含めて名将
運の無い者、不運を好機に転じられない者は名将とは言わない。
993 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 19:53:12 ID:ayLw29dF
不遇の名将
や
悲運の名将
も
名将は名将だから。
994 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 20:16:29 ID:Q+EE3WBu
迷将
995 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 20:21:35 ID:jHcr0HH1
>>993 そんなものは兵卒の立場から言えば、迷惑だ。
996 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 08:07:05 ID:F/swdtPC
戦する奴はみんな兵卒にとっちゃ迷惑以外の何物でもない
死ぬのは自分ら何だから
997 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 08:35:48 ID:MpasblQi
関ケ原が大雨などの天災で早期終了したと言うならまだしも、長期戦を嫌った家康の狙い通りに早期に終わっただけなんだから、不運なんじゃなくてただの読み間違えじゃないか。
998 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 08:40:56 ID:8MLCInX3
結果論から話すヤツは史学ではなく
特定武将好きの郷土愛から恣意的解釈で中傷してるだけ。
999 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 10:09:45 ID:MpasblQi
おいおい、結果=実績だぞ。
実績で評価する時には、個人的に好きな武将でも実績が無ければ評価しようがなく。
嫌いな武将でも実績が有れば評価せざるをえない。
結果で評価する方が好き嫌い出ないだろう。
実績の無い武将を評価しようとする時の方が好き嫌いでるだろ。
1001 :
1001:
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