戦国ちょっと悪い話

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1人間七七四年
秀吉が関白になった頃のお話

尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。

「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」

女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし

その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。

都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。


このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
2人間七七四年:2008/08/29(金) 20:20:25 ID:LZQYPXp2
姉妹スレ

戦国ちょっといい話
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172237604/
3人間七七四年:2008/08/29(金) 20:26:02 ID:BRLySIW3
直江の閻魔大王
4人間七七四年:2008/08/29(金) 20:28:29 ID:bhFSpqX3
本当に立てちまったのか
まぁ厨が罵倒したい家の悪い話を投下していくだけのスレにならないといいが
5人間七七四年:2008/08/29(金) 20:29:52 ID:M9MqG72g
夏厨の糞スレ(´゚ω゚`)
6人間七七四年:2008/08/29(金) 20:32:25 ID:yuFhX2E3
>>3
閻魔大王はいい話だと思うよ
非を認めて謝罪もしたが、庶民が更にムリな要求してきたんだからしょーがない
そこで更に下手に出たら庶民に政に首突っ込む事を許す事になるしね
7人間七七四年:2008/08/29(金) 20:35:07 ID:bhFSpqX3
あれはモンスター被害者ってやつだな
8人間七七四年:2008/08/29(金) 20:40:40 ID:LZQYPXp2
このスレは、あくまで、きちんと存在するエピソードであること前提ね。

戦国大名も皆、きれいごとだけで勢力を拡大しているわけではないし、
「ピカレスク」ってものも、充分に魅力的だと思うよ?
9人間七七四年:2008/08/29(金) 21:32:04 ID:9FOhBTc1
竜造寺隆信の蒲池の潰し方はなかなか卑怯
10人間七七四年:2008/08/29(金) 21:43:29 ID:maLdPl+S
>>9
松田聖子の祖先なんだよなw
11人間七七四年:2008/08/29(金) 21:46:22 ID:TKcFxFQc
この手のスレが上手くいくのは稀だね…。
12人間七七四年:2008/08/29(金) 21:51:18 ID:CXc5kunr
どうせ上杉武田伊達あたりの悪いエピソードで荒れるんだろうな
13人間七七四年:2008/08/29(金) 22:30:26 ID:2cts2aZx
被害担当艦ならぬ被害担当スレとして頑張っていただきたい
14人間七七四年:2008/08/29(金) 22:34:07 ID:LZQYPXp2
木沢長政のお話

戦国初期の梟雄である木沢長政。彼は主君の畠山義宣から独立を図り、細川晴元に接近した。
当時晴元は、対立していた三好元長を攻めあぐね悩んでいた。そこで長政、アイデアを出す。

「細川家と友好関係にある、一向宗を使えば宜しい」

晴元の要請を受け扇動された一向宗徒は、三好軍を粉砕した。

だが、これですませる長政ではない。
かれはこの一向宗の大軍をその勢いのまま、主君、畠山義宣の元に向かわせたのだ。
義宣のこもる河内誉田城はたちまちのうちに攻め滅ぼされ、義宣は討ち死にした。
長政は畠山家からの独立を達成したのだ。

ところがこの一向宗の軍団、自分たちの力に目覚め、畿内を制圧せんばかりの勢いを見せた。
一体あいつらをどうするのだ、と、これにも困り果てた晴元に、長政

「心得ております」

彼は今度は、一向宗と仲の悪い法華の門徒を扇動したのだ。「一向宗は佛敵である」
長政は法華宗と連合し一向宗を撃破。敗れた本願寺は当時の本拠地山科から退去した。

しかし今度は法華宗が京を支配する有様。これにも長政、今度は比叡山を扇動し、あい争わせ、京は焼け野原に。
最後に皆が我に返ったとき、最も勢力を大きくしていたのは、一向宗でも、法華宗でも、比叡山でも、無論晴元でもなく、
裏で彼らを操り、争わせた、木沢長政一人であったと言う。
15人間七七四年:2008/08/30(土) 00:27:00 ID:XMpNf281
悪すぎる件(`・ω・´)
16人間七七四年:2008/08/30(土) 00:52:34 ID:jN1IP28x
>>14
そんな事ばかりしていた木沢長政を憎む者は多く

最後には細川晴元、三好元長の子・三好長慶、遊佐長教等などに破れ

討ち死にしてしまいましたとさ
17人間七七四年:2008/08/30(土) 02:03:05 ID:YOJDVcFh
応仁の乱の、少し前の頃のお話

和泉守護細川常有の家臣に、宇高有光と言う者がいた。
この君臣、関係が非常に悪化し、常有は宇高の屋敷に、軍勢を率いて夜討をかけた。
しかし宇高は常有の軍勢を撃退、そして一族郎党を連れ大和の古市に逃れた。

しばらくすると、古市の宇高の元に、先の管領、細川勝元の使いがやってきた。なんと、自分の直参として
仕えないか?と言う話であった。同じ細川家臣と言っても、傍流の和泉細川家と、勝元の本家とでは、
立場は全く違う。しかも牢人して早々の身。これはありえないほどの幸運であった。

「承知仕りました」

宇高は喜び、一族郎党を引き連れ京へと立った。同じ時古市にいた安位寺経覚と言う僧侶は、この話を聞き、
日記に書いた

「早速の義、はなはだ不審なり。もしくは仔細あるか…」

その6日後、古市に知らせが届いた。宇高は京でだまし討ちに会い、一族郎党皆殺しにされた、と。
勝元と和泉細川家はグルだったのだ。

経覚はその日の日記に、こう書いた

「案ずるが、ごとし。」
18人間七七四年:2008/08/30(土) 02:15:22 ID:/U3gRVC8
>>11
投稿者のおかげで意外と盛り上がりそうな空気ができてきたな。
19人間七七四年:2008/08/30(土) 02:57:58 ID:Jlfht3gN
これは良スレの予感
20人間七七四年:2008/08/30(土) 06:35:33 ID:igbtLWlB
ちょっと罵倒コキおろしスレになるかと危惧してたけどなかなか良い流れじゃないか
21人間七七四年:2008/08/30(土) 09:44:02 ID:YbpasvLl
騙まし討ちと言えば真田安房守を思い出すなあ。
22人間七七四年:2008/08/30(土) 10:19:25 ID:IVUgEJ8U
自重しつつ節度あるレスをつけると良スレになるのだね。
23人間七七四年:2008/08/30(土) 11:00:12 ID:YOJDVcFh
北畠家を、織田信雄が養子として継いで、まもなくの話。
信雄に、信長からの指令が届いた

天正四年 十一月二十五日 朝

三瀬に隠棲していた北畠具教の所に、信雄の元から、滝川雄利、長野左京亮、軽野左京進が訪ねて来た。
いずれも、北畠家譜代の者たちであった。

具教は炬燵に入り、三歳と一歳になる、二人の子供と遊んでいた。来客と言うことで
子等を乳母にわたし、出迎えに出た所、長野が突然、持っていた槍で具教を突いた。
滝川、軽野も刀をふるい、具教に止めを刺すと、幼い二人の子供も、乳母ともども切り捨てた。

同じ頃

三瀬から二十キロほど離れた田丸城では、信雄が北畠一族の者たちを、朝食に招いていた。
具教の次男、北畠具藤をはじめ、一族の主だったものほとんどが出席していた。
和やかな食事の最中、突然、鐘が鳴り響いた。

その音と同時に、武装した刺客たちが乱入、一斉に襲い掛かった、北畠一族の者たちは成すすべもなく、
皆、殺された。
織田による、北畠一族への粛清は、この朝のうちに完了した。

北畠の一族の中で、一人だけ、命を助けられたものがいる。先の国主、北畠具房である。
彼は信雄の養父であったために、「父を殺すのは外聞が悪い」と、助けられたのだ。
彼もまた七年後、苦悩と苦悶のうちに、34歳で世を去ったと言う。
24人間七七四年:2008/08/30(土) 11:04:28 ID:BtWyT4Yq
秀吉スレになるなこれはw
25人間七七四年:2008/08/30(土) 17:58:01 ID:UFqnofKN
北条もたしか自分ちの子を他家に養子に入れて家を継がせておいて
その家の元当主を暗殺した話がなかったっけ。
26人間七七四年:2008/08/30(土) 20:02:19 ID:bwJ1Q9IX
>>25
上杉三郎景虎?
27人間七七四年:2008/08/30(土) 20:07:36 ID:ChpjI7md
山内一豊 VS 一領具足
28人間七七四年:2008/08/30(土) 20:37:19 ID:RznkeCSE
>>25
北条氏邦と用土氏の話かな?
29人間七七四年:2008/08/30(土) 22:45:10 ID:YOJDVcFh
天正十七年(1589)、肥前は伊佐早において、竜造寺家晴の命により、家中でも腕が立つと評判の
五人の家臣の手によって、罪を得た三名の侍の、死刑が執行された。

二人の首をはねたあと、残った一人の首をはねようとすると、その侍は哀れみを誘う声でこういった

「お願いです。せめてもの武士の情け。この後ろ手に縛られている手を、前に括っていただけないでしょうか?
そうすれば縛られていても、死ぬ前に神仏にお祈りすることが出来ます。どうか。どうか。」

侍とはいえ、丸腰で縛られている。また、憐れでもある。それに此方は腕の立つものが五人。彼を恐れるのも
馬鹿馬鹿しい話だ。そう思い、囚人の願いを聞き入れ、側にいた一人が後ろに回り縄を解き、前に縛りなおそうとした。
その時である

囚人はすばやく立ち上がると縄を解いた男に猛然と襲い掛かり、相手の刀を奪い取るやいなやたちまち、一刀の下に
切り捨てた。
突然の事に残る四人は狼狽しながらも、囚人を逃がしてなならぬと円陣を組んだ。一人が踏み込む。
が、すばやく横払いされ倒れた。他の三人を目で制し、止めを刺す。三人は恐怖に襲われた。ばらばらに踏み込む。
もはや囚人の思う壺である。家中腕利きの五人はこうして、たちまちのうちに全員が斃された。

囚人はそのまま脱兎の如く逃げた。全身に返り血を浴びて真っ赤な姿で。すると、そこは当時の九州、
近くに教会のあることに気がついた。彼は教会の中に乱入した。そこにいた宣教師に、彼はこう言い放った

「わしは今よりキリシタンとなる!よって、わしを保護せよ!」

囚人であっても、宗徒を名乗った以上、教会は保護しないわけには行かない。また、竜造寺家にとっても、
彼を追跡する事でキリシタンと摩擦が起こった場合、貿易から言っても、領国経営から言っても、難しい判断を
迫られると考えるであろう。これらを全て計算した上での。この囚人の改宗宣言であった。

後日この囚人は教会の手引きにより、長崎へと逃げ延び、無事、生きながらえたと言う。目論見どおりであった。

悪くて強くて頭のいい、戦国の囚人のお話
30人間七七四年:2008/08/30(土) 23:39:56 ID:6BBObNBY
なかなか図太い、いいはな……いやちょい悪い話だな
31人間七七四年:2008/08/30(土) 23:58:57 ID:/U3gRVC8
>>29
そいつの名前とその後日談が知りたいわ。
五人切るって剣豪クラスじゃないか?
32人間七七四年:2008/08/31(日) 00:05:58 ID:AkpVdDD0
>>31
名前は記録されてないみたい。フロイスの手記にあるお話。
33人間七七四年:2008/08/31(日) 00:11:48 ID:hlfkfcgu
>>32
フロイスやるじゃん。秀吉の指6本も興味あるし今度フロイス関連の本読んでみようかね。
34人間七七四年:2008/08/31(日) 00:24:56 ID:AkpVdDD0
>>33
まあ、フロイスは誇張癖があるから、実際はおそらく5人も殺してない。一人殺したかも怪しいw
35人間七七四年:2008/08/31(日) 00:35:34 ID:61EhceB5
フロイスほど身内に優しく敵に厳しい男もいないよなw
36人間七七四年:2008/09/01(月) 00:37:44 ID:OqZOmtq7
今に残る、美濃斉藤家の家臣が書いた手紙

「公方様(足利義昭)が、入洛するため、信長が公方様の元に参陣する。よって、美濃は尾張に対して
停戦するように、との公方様からの仰せがありました。信長が参陣するなど、どうせ嘘だろうとは思いましたが、
もし停戦のご命令に応じなければ、信長は美濃側のせいで参陣出来なかった、などと言い訳するに違いありません。
また、万が一、信長が本気で参陣するのであれば、これは公方様にとっても結構なことなので、我々は
停船命令に従います、と、起請文を書いてご返事いたしました。

ところが、いざ停戦を通告し、美濃領国の通行を認めたところ、案の定信長は約束を破り、美濃を攻めてまいりました。

当方は、どうせこんなことだろうと思っていました。公方様のほうは、酷くがっかりされたとの事。
しかし、公方様まで使って騙まし討ちして、まんまと追い返された信長は、天下に大恥を書いたといってよいでしょう。」
37人間七七四年:2008/09/01(月) 05:29:54 ID:NQFSvZvg
(かっこ)悪い話だな
38人間七七四年:2008/09/01(月) 05:55:50 ID:GfHMvaFJ
信長と信玄はそんな話ばかりだなw
ヤクザや悪徳企業とかわらねぇ。
もっと頼む。
39人間七七四年:2008/09/01(月) 07:40:38 ID:t8ppktj7
悪は勝ち栄えるということだな
難で必死に否定する教育するんだろうね
成功者が奴隷たちに真実を知られ自分の地位を奪われたくないからだろうか?
奴隷には聖人君子が向いているし
40人間七七四年:2008/09/01(月) 16:03:25 ID:buFtF2Jb
こういうこといってるやつってしょうもない犯罪犯しそう
光市の犯人も捕まった当初はそんなこといって笑ってたらしいしな

誰だって生存競争の中では汚いこともやるが、他人を平気で陥れるような人間ばかりになったら
集団・社会としての効率は悪くなり全員で沈没だよ
41人間七七四年:2008/09/01(月) 18:40:44 ID:IPHvlexk
>>36
訳のせいかなんか知らんけどこれ時系列むちゃくちゃな気がする
いや、こういうすれでは仕方ないことだけど
42人間七七四年:2008/09/01(月) 21:48:51 ID:SUY/3Mg8
意図したわけじゃないけど、信長で。
斎藤義龍未亡人の持つ壷がどうしても欲しくなった信長は、何度も彼女にせがんだ。
しかし彼女は「戦乱の中で紛失した」といってきかない。
それでも信長が迫ったため、彼女は「自害する!」と言い出した。
それでも信長はひかない。すると正室の斎藤氏(濃姫)や旧斎藤家臣が
「壷を欲しがるなら我らも自害いたす!」と大騒ぎをし始めた。

ここまで来てやっと、信長も壷をあきらめましたとさ。
43人間七七四年:2008/09/01(月) 22:03:03 ID:IPHvlexk
某美女集めと同じ類の逸話だね
44人間七七四年:2008/09/01(月) 22:05:04 ID:sfkr+BM2
壷って子宮のことだろ
つまり俺の側室になれって脅したけど正室に反対された実話が
そのまんまだと格好悪いから壷に変化したのさ
45人間七七四年:2008/09/01(月) 22:07:11 ID:OqZOmtq7
>>43
>>42の話は、美濃系の武将の家の多くに伝わっているから、実際に近いことがあったと思われる。
46人間七七四年:2008/09/01(月) 22:11:33 ID:a+2+7apd
>>44
だとすればあまりにも露骨な隠喩だなw
47人間七七四年:2008/09/01(月) 22:11:36 ID:IPHvlexk
それで実話とするのはどうか。
武田信虎の悪行の話は書かれてるが、あれは中国の故事に何度も出てくるようなパロディだし、あれをそのまま受け取る人はいないでしょ。
敵対していた家には悪い話を事実のように書かれるのも仕方ないこと。もちろん実話かもしれないけど。



いや、ごめんね、こういうスレなんだから信憑性とか突っ込む方がKYなんだけどね
48人間七七四年:2008/09/01(月) 22:35:18 ID:ridcVTZ3
>>42
むしろ我儘な信長に萌えた
49人間七七四年:2008/09/01(月) 22:37:41 ID:NQFSvZvg
実際に言った言葉が「お前の茶入れが欲しい」だったら、
おバカで、お茶目で、ストレートで、ちょっとオサレな口説き文句だったものをw

本当に「ちょっと悪い話」で感心した
50人間七七四年:2008/09/01(月) 22:41:37 ID:fAL4m92t
>>48
これはチョイ悪にふさわしい萌え話だよねえ?
これが本当ならむしろ信長かわいいじゃんw

本当に悪いな話というのはこういうのだというわけで、秀吉。
秀吉の侍女のひとりが、密通して逐電した。
秀吉は彼女を追跡捕縛すると、女と乳母を三条大橋のそばで釜煎りにして処刑。
女の親は埋められ、七日間にわたって竹鋸でひかせて殺した。
その翌年にはすり・盗人を子供も含めて十名釜煎りに、
河原で同様のもの十九名を磔にした。
これはのちの本では石川五右衛門ということになるが、
真相は軽犯罪者を残虐刑で殺しただけである。
51人間七七四年:2008/09/01(月) 23:00:11 ID:iNpGVbXz
秀吉の話で、
病気になって暇を出された侍女が坊さんと結婚したら
処刑されたってのもなかったっけ?
52人間七七四年:2008/09/01(月) 23:05:16 ID:OqZOmtq7
秀吉の話だと関東征伐の時に、前田利家の部隊が、城兵の命助ける条件で、速攻で城開城させてたら
秀吉から使者が来て、褒めてくれるのかと思ったら

「誰が勝手に城兵の命助けていいって言ったゴラァ」

って手紙。恐れおののいた利家は、次の八王子城で全員虐殺やった。って話があったな。

秀吉は本気で、人殺しが大好きだったと思う。
53人間七七四年:2008/09/01(月) 23:15:06 ID:a+2+7apd
定期的に虐殺しないと、威厳というか、家中の緊張感を維持できないんだろう。
城兵はいわば利家の変わりに殺されたと。
54人間七七四年:2008/09/02(火) 00:00:22 ID:OqZOmtq7
軽く悪い話

細川忠興が、京から、腕利きの左官をつれて領国に下った。
この左官、忠興のお声がかりなのをいい事に、酷く傲慢で、家臣らの評判はすこぶる悪かった。
しかし、実際はきちんとした名字も無い身分。普請の棟梁としてえらそうにふんぞり返っている自分が、
裏でその事を馬鹿にされているかと考えると、いても立ってもいられない。

そこでこの左官、忠興に「武士のような名字を付けてくださいませ。名前も付け替えていただきたい」と、頼み込んだ。
殿様直々に頂いた名乗りであれば、家中のものも馬鹿にする事は無いだろう。そう計算しての事。
最初断った忠興だが、あまりにしつこいので、

「では、こう名乗れ、すさ藁の朝臣鏝次 下地壁右衛門(すさわらのあそんこてつぐ したじへいえもん)」

忠興も人が悪い。この左官の目論見を知っていて、からかったわけですな。
この左官、二度と忠興の前で、名前の件を言わなくなったとか。
55人間七七四年:2008/09/02(火) 01:40:04 ID:6lZ+Ke3c
ちょっと悪い話じゃなくて、ちょっと悪い人の話。

柴田勝家率いる織田軍の前に越中魚津城は落城寸前。
魚津城の武将たちは景勝に悲壮感漂う書状を送る。
今月五日・十一日付の書状二通、昨夜戊の刻に松倉城より届き、謹んで拝見いたしました。
当地(魚津城)のことは、先だってご報告申し上げましたとおり、壁際まで取詰められて、
昼夜を問わず四十日にわたり攻められていますが、今日にいたるまで持ちこたえることができました。
しかし、こうなった上は、我々は滅亡と決まりました。
このことを然るべく景勝公へ御披露くださいますようお頼みいたします。恐々謹言。
(以下、魚津城を守備する十二人の署名)
だが結局、城将は全員切腹して開城。にも関わらず織田軍は城兵を皆殺しにした。
翌日、越中を平定した勝家のもとに悲報が入る。光秀の謀叛による信長の横死であった。
領民に恨まれていた勝家は撤収に手間取ってしまい、もたつくうちに光秀は秀吉に討ち取られてしまう。

ちなみにこの時、城兵の虐殺を主導したのは前田利家。家譜でも誇らしげに「全員攻め殺した」と記す。
一方、別の織田の将は上杉方の奮戦に感動して、城将吉江宗信が用いた槍と采配をその遺族に送り届けている。
利家はこの時から既に勝家の明智討伐の足を引っ張ったわけである。

その後の利家の動静は皆の知るとおり。見事に柴田を裏切って秀吉の天下取りに貢献している。
まつが彼の死に際に経帷子を着せようとしたのも道理である。
56人間七七四年:2008/09/02(火) 05:06:50 ID:n84j5DLW
情けは人のためならず ですかね?
57人間七七四年:2008/09/02(火) 07:51:57 ID:qgquYNm2
利家といえば、
彼は蓄財好きで有名で兵を抱えるべき金も蓄財に励むので
まつは幾度も咎めたが、利家は蓄財をやめようとはしなかった。
そんなとき、利家の重臣に委ねていた末森城を佐々勢に攻められた。
急いで援軍を差し向けなければ成らないが、兵が足りない。
右往左往する利家をみてまつが「銭を連れて戦争に行け、このバカ野郎」と金壷を投げつけたとかなんとか。
58人間七七四年:2008/09/02(火) 10:17:01 ID:/ZqwujEq
正論だよなぁw
59人間七七四年:2008/09/02(火) 10:57:17 ID:6hL/HelI
利家はリアル守銭奴で、同じくケチ呼ばわりされた家康や如水と違い、せっかく貯めた金の使いどころを
いつも間違えた。金がよほど惜しかったようだ。
60人間七七四年:2008/09/02(火) 11:21:29 ID:crBXjLyk
大河利まつでもソロバン弾いてるシーンが幾度と無くあったなw
61人間七七四年:2008/09/02(火) 14:16:05 ID:ydYrnm5a
>>52
その後の話で
秀吉に「敵はぶち殺せよ」と文句付けられた利家が
敵を殺しまくって雑兵どころか非戦闘員まで
首を刎ねさせ「これなら秀吉も満足するだろう」と
大量の首を秀吉に送った。
しかし前田家と一緒に行軍していた上杉は
前田に比べて少しの首しか送らなかった。

そしたら秀吉に「前田の首は雑兵の首ばっかりだけど
上杉は少ないからちゃんと送る首を選んだんだろう」
とか言われた。とかいう逸話があったような。
62人間七七四年:2008/09/02(火) 14:23:04 ID:e3tXaIpL
ほんと前田家はろくな話がねえなw
こんなのでも大河の主役として美化されるんだから不思議だ。
63人間七七四年:2008/09/02(火) 14:26:36 ID:fKGuDll/
こんな奴でも温厚篤実忠義の武将扱いだからな
64人間七七四年:2008/09/02(火) 15:25:53 ID:CklEJ1lT
>>52>>61については、
秀吉の態度が一貫してないのも問題あるんじゃないかしらん
とこわごわ利家を擁護してみる

それともこの話は、殺すのが少しだけでもいっぱい殺ったよとウソの報告をして、
送る首も合わせて少しだけにすれば・・・とかすればよかったのにという
利家の(要領の)悪さについての話だったのか
65人間七七四年:2008/09/02(火) 18:45:07 ID:hDBFhNH0
大友宗麟のちょっと悪い話。

陶隆房の謀叛により、大内家は大友宗麟の弟、大内義長を
当主とした。だがそれは隆房の傀儡であり、中国の雄、毛利
元就の好餌でしかなかった。
ほどなく大内家は毛利、大友両家に攻め込まれ、義長は且山城
で毛利勢に包囲される。この時、元就は宗麟に「貴殿の弟を助
命致そうか。」と訊ねたが、宗麟は「弟の命はどうでも良い。
だが弟が持っている『瓢箪茶入』は、年来の望みである。ぜひ
賜って頂けないか。」と返答した。
そこで元就は義長を自害させ、瓢箪茶入を宗麟に贈ったと言う。
やはり戦国の世とは、肉親こそが最大の敵であったのだろうか…

66人間七七四年:2008/09/02(火) 21:30:00 ID:9B4M6N0Z
>>65
しかし、その瓢箪が、大友家(豊後一国の安堵)を救うことになるのは、なんともはや。
67人間七七四年:2008/09/02(火) 21:43:25 ID:s1ykryoj
前田は徳川の潜在的敵の最大派閥だったんで、微妙なエピソードばっかり残されたじゃないかと。

元親豊臣大名だったわけだし。
68人間七七四年:2008/09/02(火) 21:47:02 ID:1g17rhoV
なぜ長宗我部?と一瞬思ってしまった
69人間七七四年:2008/09/02(火) 23:05:48 ID:W0NapNCf
三村でもなかったようで>「元親」豊臣大名
70人間七七四年:2008/09/03(水) 00:02:04 ID:sGRr7fah
しかし>67の場合は上杉も反徳川では?
上杉は親豊臣とも言えんが。
71人間七七四年:2008/09/03(水) 00:07:22 ID:02AXiL0a
利家&秀吉の虐殺コンビw
72人間七七四年:2008/09/03(水) 00:23:29 ID:ymaSWLpj
なんか嫌な流れになりそうだなー

微笑ましい悪い(人の)話だから面白いのに、罵倒してくる阿呆が沸くと途端に萎えるわ
73人間七七四年:2008/09/03(水) 00:41:20 ID:/J5HghFJ
閉伊郡内で3千石あまりを領していた大槌城主・大槌孫八郎だが、
南部氏により秀吉に南部領だと勝手に報告されて、
心ならずも南部配下とされてしまう。
剛毅な大槌孫八郎は商才もあったとみえて、名産の鮭を
「南部鼻曲がり鮭」として江戸に売り出し利を得るが、
それが南部家に警戒される元となり、南部利直により
濡れ衣を着せられて南部一族の奥瀬家にお預けになる。
ある日奥瀬家の家人から「暴れ馬を何とかしてくれ」
と頼まれた孫八郎は、馬術の心得もあったので
馬を取り押さえようとするが、とたんに刺客が数人沸いて出てきて
そのまま殺害、大槌に残っていた息子も南部家により殺害され、
大槌家は滅亡して南部藩による代官所が置かれた。

うーん、だいぶ悪い話になったかな?
でも南部がいつも津軽の件では被害者扱いされるんで、書いてみた。
74人間七七四年:2008/09/03(水) 14:14:59 ID:oWH8X3Xu
これは従来、賞賛されて来た出来事だが、女は恐いという話。

秀吉の九州仕置きの時、大友の鶴崎城攻防戦。
城代は吉岡紀増の妻・妙林尼。
攻め手は島津軍・伊集院久宣、野村文綱、白浜重政。
女とあなどって散々痛めつけられた島津が本気を出してついに落城となった。
妙林尼と侍女たちは城下で囚われの身となったが、折にふれ島津の兵を招いては、
侍女達に酌をさせ、舞を舞い、歌を歌っておおいに笑いあった。
(今で言う合コンですな)
そしていよいよ秀吉が九州上陸という知らせが入り、島津軍は薩摩に帰ることになった。
妙林尼達は「いっしょに連れて行って欲しい」と懇願した。
兵達は、馬よ輿よと騒ぎ立て喜んだ。
ついに出立の日、妙林尼達は、門出の祝いとして将兵全員に酒を配りしたたかに酔わせた。
そして、途中、手配していた手兵に襲撃させたのである。
伊集院と白浜は討ち死に、野村も深手を負い、指揮官を失った兵達は敗走していった。

大友宗麟は「尼の身として稀代の忠節古今の絶類なり」と称えた。
秀吉も是非会って恩賞を取らせたいといったが固辞して受け取らなかった。

75人間七七四年:2008/09/03(水) 14:35:10 ID:ih8VIv8T
将軍、足利義昭から、大友との和睦命令が来た時、受け入れようとした元就に対し、それに反対した毛利隆元の発言

「毛利は、上意さえもはねつけたと国内外から取りざたされるだろうが、毛利の家(の利益)こそ大事であり、
そのためには将軍の和睦命令など、拒否しても、いっこうに構わない。」

今に残るイメージと違い、隆元の、戦国大名らしい剛腹さの垣間見える逸話。
76人間七七四年:2008/09/03(水) 15:15:38 ID:mFgJxjFS
それはちょっと良い話スレに書くべきだな。
77人間七七四年:2008/09/03(水) 15:51:29 ID:GHCCXJ+P
>>74
秀吉は尼さんプレイしたかったんだろうなぁ
78人間七七四年:2008/09/03(水) 16:05:00 ID:ih8VIv8T
>>76
正直どっちにしようか迷ったw
79人間七七四年:2008/09/04(木) 04:02:35 ID:Wryb8VCd
>>78
確かにどっちでも書ける話だ
しかし面白い話だ 世に出してくれて有難う
80人間七七四年:2008/09/04(木) 11:33:02 ID:5UBCIv0R
謀略家で有名な如水、正信、高虎たちの悪い話はないかい?
高虎なら鈴木重意毒殺だか強制自害だかが有名だけど
81人間七七四年:2008/09/04(木) 12:40:34 ID:0uavHQTo
悪といえば宇喜多直家

伊賀久隆に妹を嫁がせる→油断させて謀殺→妹自殺
松田元賢に娘を嫁がせる→油断させて謀殺→娘自殺
後藤勝基に娘を嫁がせる→油断させて謀殺→娘自殺
伊賀久隆の娘を嫁に取る→油断させて謀殺→所領奪う

まさに地獄
82人間七七四年:2008/09/04(木) 14:14:40 ID:6PKkhzKZ
宇喜多家臣何某「私はいつかあにう・・、殿に殺されると思っていました」
※プライバシー保護のため音声は変えてあります
83人間七七四年:2008/09/04(木) 15:03:57 ID:+zwxPN6T
前田慶次、悪い商人に騙される。

京の町をウインドショッピングしていた慶次、ある商店の軒先に鐙(あぶみ)が一つぶら下がっていた。
珍しいデザインが目を引き、購入しようとしたが、対の片方は無く、これ一つだと言われた。
しかたなく諦めてしばらく歩いていくと、ある店頭に先ほどの片割れと思われる同じデザインの鐙が置いてあった。
慶次は。左右も確かめず、ただちに購入し、先ほどの店に戻って、もう一つを買い揃えようとした。
店の主人は「あなた様が行かれた後、売れてしまいました」と言う。
慶次は非常に残念がりながらも、しかたないと帰っていった。

実は店の主は急ぎ先回りをして、支店に並べておいたのだった。
84人間七七四年:2008/09/04(木) 15:29:36 ID:y7YOhahr
いい話だw
85人間七七四年:2008/09/04(木) 15:36:23 ID:n17SyvK8
なるほど、片方しかなかった鐙を
まんまと売却したわけか
これはちょい悪だw
86人間七七四年:2008/09/04(木) 17:10:09 ID:0uavHQTo
元亀四年三月末

織田信長、吉田兼見に諮問をした。

「そなたの父の兼右が、『南都(奈良)、北領(比叡山)が滅亡するなら、王城にも祟りがある』と言ったそうだが、
それは本当であるか?」

兼見「はい?まことでございます。」
信長「それは結構なことである。」

それを聞いて信長は喜び、兼見に褒美まで渡した。

次の日、有名な信長による上京焼き討ちが起こった。当時対立していた将軍、足利義昭を脅すためにである。

信長は先の、吉田兼右の言葉に、南都は、松永久秀の東大寺焼き討ち、北嶺は無論自身の比叡山焼き討ちを
あてはめ、

「上京焼き討ちは信長が恣意的にやったことではなく、予言されていた運命であり、全く仕方の無いことであった。」

と、喧伝したと言う。
87人間七七四年:2008/09/04(木) 17:27:44 ID:OP9vj0x2
予言されてたんなら仕方ないな
88人間七七四年:2008/09/04(木) 19:15:59 ID:kkr/Xe9E
>>80
如水なら城井谷とかだけど…あれは講談ですっごい悪い話にされてるから
今更史実に近い話をしてもぬるいかなー…

あー、昔からのつきあいの井口さんちの息子を召し抱えてたんだけどね如水。
長男→戦死 次男→戦死 三男→殉職
という結果になったわけだが、如水がまた井口さんちに行くわけよ。
「おたくの末っ子もうちに仕えさせてくれませんかねえ、息子さんたちの忠義は決して忘れませんから」
でも井口さんはさすがに断るやね。この時実に、井口さんちの子供はたった一人になってた。
ところが如水、あきらめない。
親の目を盗んでたった七、八歳の与一之助(後の黒田二十四騎の一人村田出羽)にお菓子を与えて
「うちに来た方がこのまま親の家にいるよりいいぞ」と言い聞かせそのまま連れて帰ってしまった。
これはあれだね、未成年者略取誘拐……。
89人間七七四年:2008/09/04(木) 22:02:24 ID:TVkE4C7H
ひでえw
なんか暗殺とか謀殺話より切実にきた。
90人間七七四年:2008/09/04(木) 23:04:10 ID:gLxXMIJu
>>83
これは良いちょい悪だなw
91人間七七四年:2008/09/04(木) 23:05:51 ID:gLxXMIJu
>>88
ほぼ誘拐じゃんw
そこまでして井口さんちの子が家臣に欲しいのかよw
92人間七七四年:2008/09/05(金) 00:08:37 ID:pkMeJIpz
イエズス会の宣教師が、信者に向かって言った、とある説教。

「我々は、罪深き仔羊です。四旬節ごとに、罪の償いをしましょう。
一番良い罪の償いは、通りすがりに寺院を見かけたら、それに放火することです。
神もお喜びになるでしょう。」


キリスト教徒が、未だに殉教などと言って被害者面しているのが不思議でしょうがない逸話。
93人間七七四年:2008/09/05(金) 00:34:49 ID:zSM7KckT
>>92
被害者面するあるいは被害妄想的な発想をするのは開祖のジーザス・クライスト以来の伝統かもね。
あと、キリシタン大名の大友宗麟が、日向遠征の際、寺院仏閣に放火してまわったという伝承もあるよ。
94人間七七四年:2008/09/05(金) 01:55:55 ID:oXihZ12h
>>92
自分ら=殉教
敵ども=天罰

ダブルスタンダード。
それがキリスト教&シナチョソ&会津の遺恨トリオクオリティーwww

>>93
「かもね」はいらない。

ほんと極悪カルト犯罪集団キリスト教マジイラネ。
跡形なく消え失せればいいのに。
95人間七七四年:2008/09/05(金) 01:57:18 ID:IyrMVPV+
>>94
落ち着け
96人間七七四年:2008/09/05(金) 02:16:06 ID:xqPbWGcD
イエズス会は当時からヨーロッパでもキチガイ集団視する人多くなかったっけ
97人間七七四年:2008/09/05(金) 02:24:42 ID:pkMeJIpz
>>96
あまりにキチガイなので、ヨーロッパでもイエズス会を領地から追い出した国も多かった。
98人間七七四年:2008/09/05(金) 12:29:04 ID:ZDLwAhU+
>>94
かもねかもねそうかもね
99人間七七四年:2008/09/05(金) 13:06:05 ID:/D2kfXQX
>>80
藤堂高虎が家康から功を立てるのを阻止された話。

大坂夏の陣で井伊直孝と道明寺口の先陣を勤めていたが、味方と敵の間に堤があり、
高虎は、「ここを占拠できれば有利になる」と、家康に援軍を要請した。
家康は「敵に取らせてこそ勝機がある」と言って却下した。
間もなく直孝が堤を占拠したという報告があり、
「直孝ようやった、これで勝ちはきまった」と喜んだ。
家康は高虎が勲功を上げるのを嫌ったのである。


100人間七七四年:2008/09/05(金) 14:01:22 ID:pkMeJIpz
つーか、大阪の陣って、

大阪方が攻めてくる→諸隊が被害を受ける→井伊の赤備えがやって来て粉砕→大阪方大慌てで逃げる

このパターンばっかりのような。
101人間七七四年:2008/09/05(金) 14:23:37 ID:rkC4KeZK
さすがひこにゃん
102人間七七四年:2008/09/05(金) 15:31:15 ID:/D2kfXQX
夏の陣の戦場は南北10km、東西6kmもあるから、そこを走り回るのは無理でも、
井伊隊と組んでいたのが、藤堂、細川。その右に片桐、前田、本多(康紀)、
左に真田(信吉)、本多(忠朝)、浅野、秋田。
これくらいはカバーしたのかもね。
103人間七七四年:2008/09/05(金) 19:36:53 ID:aSMW2rAu
冬の陣では景勝が家康から他の隊と変われと言われてるのに
ここはうちがやるから誰にも譲らんとごねて
結局家康も上杉は仕方ねーなと放っておいたじゃん。
そういう話は夏の陣だとないんかね。
言うこときかなそうな奴は夏の陣では外されてたのか。
104人間七七四年:2008/09/05(金) 22:56:27 ID:IYcLe+69
「いやー急いできたんだけどもう戦終わってたかー残念残念」
ってわざと遅刻してきた島津
105人間七七四年:2008/09/05(金) 23:13:41 ID:Qcb8tdDp
それは「こんな戦国武将は見たくない」スレに投下すべきネタでは
・・・って、そのスレかなり前に落ちたか
106人間七七四年:2008/09/06(土) 02:17:43 ID:y6tdixCV
応仁の乱の頃のお話

侍所所司代の配下に、骨皮道賢という男がいた。
この男、盗賊などの捕縛を仕事とした目付けの役割を与えられていたのだが、その権限を利用して、
いつしか京の盗賊、あぶれ者たち300人ほどの、頭目となっていた。

さて、応仁の乱が起こる

東軍の細川勝元は、この男の動員力に目を付け、東軍に引き入れる。道賢、政治的な立場があったからではない。
勝元が差し出した呉服や黄金の太刀に眼がくらんでの事である。
道賢とその配下は「足軽」として暴れまわる、西軍の食料補給路を寸断すると、その勢いで七条の民家を
略奪破壊放火。下京に走って五条大宮から高倉までをやっぱり略奪破壊放火。まさにやりたい放題であった。

だが、天罰覿面。道賢とその配下が稲荷社に終結している事を察知した西軍、山名宗全、畠山義就、斯波義兼、
大内政弘という、西軍オールスターメンバーとも言うべき諸将が軍を率いて取り囲む。道賢、女装し輿に載って
脱出を図るが、リアルに「お前のようなババアがいるか!」と正体を見破られ、討ち取られてしまいましたとさ。

この骨皮道賢の悪行があまりに酷かったので、乱の終結後、京の知識層からは、今の核廃絶のような論調で、
足軽廃止論が議論されましたとさ。


ちなみに骨川スネ夫氏は、名字の近似性から、この骨皮道賢と何らかの繋がりがあると思われる。
107人間七七四年:2008/09/06(土) 02:25:22 ID:/0WGOybC
落ちがつまらんな
108人間七七四年:2008/09/06(土) 04:10:49 ID:oiiFOJJ8
土佐の戦国大名・長宗我部元親は四国統一の途上、阿波国に攻め込んだ。
那賀郡まで攻め入った際、ここを治める牛岐城(富岡城)主・新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で知られており攻めあぐねた。
元親は一計を案じ、和議を申し入れた。天正9年10月16日(新暦1581年11月12日)、道善を丈六寺に呼び出し酒宴を開いた。
和議の条件として、道善に対し四国統一の後に富岡城主の地位の確保し勝浦郡を与えるという案を示した。
好条件に道善主従は大いに満足し、酒宴は盛り上がった。道善主従が、夕刻、宴を辞して帰ろうと縁側に出たところを、隠れていた元親の家臣に襲撃された。
道善主従も応戦したが、多勢に無勢で全員殺害された。この時の手形や足形の血痕は、拭っても消えなかったと言われる。

現在、この縁の板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、手形・足形の血痕らしき赤い形が認められる。
109人間七七四年:2008/09/06(土) 10:07:51 ID:xIqn5Q6g
>>108
ちょっと悪い話というより、
ちょっと怖い話じゃないか?
110人間七七四年:2008/09/06(土) 10:12:39 ID:gcq+2vA5
悪いし怖いな
111人間七七四年:2008/09/06(土) 10:32:58 ID:sZ0yePL8
だまし討ちなんて当たり前で良策だった時代なんだから一概に悪いとは言えないんじゃ?
112人間七七四年:2008/09/06(土) 11:04:51 ID:y6tdixCV
> だまし討ちなんて当たり前で良策だった時代

そんな時代は、無い。
113人間七七四年:2008/09/06(土) 15:34:16 ID:W+LKs912
農民目線で言うと
戦で集落を焼き、田畑を荒らされるよりは謀殺で片付けてくれる方が良策だわな
114人間七七四年:2008/09/06(土) 15:59:18 ID:xIqn5Q6g
>>113
戦わずして勝つのが上策だからねえ。

関が原も、三成が余計なことにこだわらなければ・・
115人間七七四年:2008/09/06(土) 16:51:05 ID:Ztl0PUnX
>>106>>108
話はいい、けど、文章が、悪い、ね。
116人間七七四年:2008/09/06(土) 17:31:21 ID:Ad08y/9y
>>112
キミはあれだな
戦国時代はみな忠義に厚く、二君にまみえず、武士道万歳とか思ってそうだな
117人間七七四年:2008/09/06(土) 17:41:36 ID:00ao/M2X
ま、良いか悪いかで言えば当然悪いだろう。
ただ兵力や物資をあたら損耗するよりはマシ。

武士は勝つことこそ肝要。
118人間七七四年:2008/09/06(土) 17:44:07 ID:hyrrjz5M
>>116
でもそれが良策だったらみんなやっているし、
手打ちの宴なんかにのこのこ敵方が顔を出す
こともなくなるだろう?
やはりイレギュラーなやり方と思うな。
119人間七七四年:2008/09/06(土) 17:59:42 ID:9Xw2eBHe
上役が武士道とか忠義とか堂々と戦うことにこだわってたら
つきあわされて一緒に死地に赴かねばならん下っぱはたまらんよ
下っぱ的にはそんなもん一人で勝手にやってくれよ
こっちは将棋の駒じゃねーんだよ
正々堂々とした決闘したいなら好きなだけその辺の馬場とかで個人的にやってくれよって感じで
いくら汚い手や卑劣な作戦で周りから「ほらあいつ出自が武士じゃないから礼儀知らない」とか
犬畜生のように叩かれ巻くてっても
自軍の損耗最小に抑えて勝つ武将に仕えたいよ
120人間七七四年:2008/09/06(土) 18:00:29 ID:39n8chUO
だまし打ちが当たり前で良策なら
松永・宇喜多はもっと評判いいはずw
121人間七七四年:2008/09/06(土) 18:06:32 ID:nw1L+ExN
>>118

みんなやっている件

松永、宇喜田は上司を殺して乗っ取りだから悪く見えるだけ
122人間七七四年:2008/09/06(土) 18:15:32 ID:y6tdixCV
>>116
だまし討ちが社会通念として良いとされた時代なんて無い、って言っているだけだが。
123人間七七四年:2008/09/06(土) 18:41:00 ID:pfe9EL+a
>>121
ちょw宇喜多は宗景は殺ってない
124人間七七四年:2008/09/06(土) 19:32:43 ID:xIqn5Q6g
>>122
そういう意味であるなら、わかる。

125人間七七四年:2008/09/06(土) 20:44:13 ID:oiiFOJJ8
阿波の武将一宮成祐は、新開氏らとともに長曽我部軍に加わり、
中富川の戦いではその先陣をつとめて奮戦、長曽我部軍の勝利に貢献した。
 かくして長曽我部元親は、四国統一を成し遂げた。
同年十一月、元親は成祐を夷山城に恩賞のことを話し合いたいと招いた。
成祐は疑うことなく夷山城に赴いたところを、弟主計頭、星合六之進らとともに元親の家臣畑弥助らによって殺害された。
そして、一宮城には元親の武将が城番として入り、一宮氏は没落した。

阿波の武将は人が良すぎるらしい。
126人間七七四年:2008/09/06(土) 20:56:37 ID:sZ0yePL8
>>122
だれが社会通念で良いって?「策」って文字見えないの?
127人間七七四年:2008/09/06(土) 20:59:37 ID:DDCjOAUE
>>126
当たり前って書いてるじゃないか
128人間七七四年:2008/09/06(土) 23:01:01 ID:y6tdixCV
秀吉が関白になったころの、京の都ではやった笑い話

秀吉「予の顔が猿に似ているなどと言う者がいると聞くが、真か!?」とご立腹
近習「これは勿体無い御諚でございます。誰がそのような事を申しましょうか。」
秀吉「ほう、では言ってはおらぬのだな。」
近習「勿論でございます。ただ、世間では、猿が殿下に似たのだと言っておりますが。」

秀吉公、さもあろう、さもあろうと御満悦。


(口が)悪い話
129人間七七四年:2008/09/06(土) 23:08:05 ID:9VFihkF2
はげねずみ
130人間七七四年:2008/09/06(土) 23:23:44 ID:pfe9EL+a
>>128
この近習くんに座布団1枚
131人間七七四年:2008/09/07(日) 00:24:14 ID:0UV3iztH
それでも実際に秀吉の前で言ったら殺されそうだ
132人間七七四年:2008/09/07(日) 00:26:42 ID:BT+LsTAa
悪かったのでコピペ

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/06(土) 23:28:15 ID:j9yEXPFF
宇都宮(城井)鎮房。

毛利(大内)・大友という大勢力の間でうまく立ち回り勢力を保つ。
最盛期には豊前のほぼ全域を支配する。
地方領主の悲しさか、秀吉の権威を読めず、転封を拒否したのは
最大の失敗だったが、黒田氏に反旗を翻し、反豊臣の檄を飛ばした際は
多くの国人が彼に従った。(秀吉が在地の国人を圧迫したせいもあるけど)
僅か300余の兵で居城を奪還。
黒田孝高・長政親子の大軍に攻め込まれるも、地の利を生かしてこれを撃退。
長政は命からがら逃げ帰る。
攻めあぐねた黒田氏は所領安堵と鎮房娘・鶴姫(13歳)と長政の婚姻を条件に和睦。
しかし、騙まし討ちに遭って暗殺される。(鶴姫も後に磔刑)

この際、中津城には黒田氏の陰謀で小姓1人と鎮房だけで乗り込んだのだが
暗殺に際し、黒田方は2人を殺すのに19人の手負いを出したという。
強弓の使い手としても有名で、その武勇は黒田氏も賞賛している。
また築城技術にも優れ、領内のあちこちに砦を築き、敵兵を分散させては
各個撃破するという先述を得意とした戦上手でもあった。
133人間七七四年:2008/09/07(日) 12:26:14 ID:AzrvpKVP
●加藤清正、福島正則と険悪な仲になる

二条城対面の直前のころ、清正は正則に次のように申し送った。
「徳川と豊臣の間に合戦が起きたら、池田輝政の姫路城を攻め取り、
大坂に駆けつけよう」
使者に立ったのは平野長泰の弟・長元。
古田織部の茶会の折、そっと告げたのだが、正則の答えは
「それがしは同心致し難く候、家康候より大国を賜り、厚恩これ以て忘れ難く候」
それ以来、険悪な仲になった。

家康も「関が原の忠臣とも言えるが、二条城での秀頼との対面の際、
大坂がもっとも頼りにした将であるのに、仮病を使って出仕しなかった」
ことを憤慨しており、遺言にも正則改易を書き残した。
石田三成憎しだけで東軍に付いたのではないことを、「武功雑記」は記している。
134人間七七四年:2008/09/07(日) 13:10:27 ID:yX83dHCl
>>132
まあこの話、黒田寄りの見方で言うと「如水の留守を狙ってアポなしで武装した兵200を
率いて乗り込んできた(黒田方は足軽雑用含めて100くらい)」って説もありましてね…
この辺は双方+後世含めてどろどろ悪い話で好きw
135人間七七四年:2008/09/07(日) 17:28:03 ID:Y8s9t/oA
>>75
隆元が生きてるときの将軍は義輝じゃないか?
136人間七七四年:2008/09/07(日) 18:41:35 ID:P/3gB3Zv
秀吉の悪い話は、その多くが江戸時代の作り話だろ
家康を褒め称えるためには秀吉を悪人にしないと不可能だからな
137人間七七四年:2008/09/07(日) 18:56:29 ID:BT+LsTAa
>>136
江戸期に秀吉はそんなに悪く言われていない。
秀吉の悪い話はむしろ、明治以降の研究の結果出てきた話が多い。
138人間七七四年:2008/09/07(日) 19:18:07 ID:X5btdmGJ
淀殿&三成が悪人役を一手に引き受けててくれたしね
139人間七七四年:2008/09/07(日) 19:58:03 ID:2OgkG6+5
戸田勝隆
・西園寺旧臣を下人扱い
・人妻分捕り
・西園寺公広暗殺
・一揆参加者780人磔
・関係百姓2000人殺害

木村吉清
・葛西旧臣を東夷として差別
・人妻分捕り
・少女分捕り
・百姓分捕り

山内一豊
・浦戸一揆参加者270人殺害
・滝山一揆参加者100人殺害
・長宗我部旧臣を郷士とし差別化
140人間七七四年:2008/09/07(日) 20:02:07 ID:BT+LsTAa
>>139
悪いけどエピソードでやってくれ
141人間七七四年:2008/09/07(日) 23:10:39 ID:73OXqym4
>>94
島原の乱など日本で一番隠れキリシタンが多かったキリスト殉教の地の長崎天主堂の近くに投下した原爆でキリスト教信者1万人近くを虐殺後に
崩壊した天主堂の保存運動にアメリカが圧力かけて潰して隠蔽したってテレビでやってましたが事実?
心ある人が被爆してボロボロで目の辺りも黒ずんで盲目になった頭だけのマリア像を去年だかに、天主堂に戻したとか。
被爆したマリア像を見たら被爆死した人々の姿を代弁してるようで涙が出ました。
142人間七七四年:2008/09/08(月) 19:47:17 ID:efwHKosz
みんな大好き、伊達政宗のお話

政宗が江戸にいたとき。喜多七太夫の勧進能があると言うので、能が大好きな政宗公、ワクワクしながら見に行った。
ところが、演場に到着してみると、既に能は終わっており、観客ははけ、役者たちは既に帰り支度。

当然これに激怒した政宗公

「わしのお気に入りの「海女」と「船弁慶」を、これからはじめろ!」
「し、しかし、一座のものがほとんど帰りまして、能はもう出来ません」と、恐る恐る座元が言うと

「政宗ほどの侍が、能を所望すると頼んでいるからには、しないといっても、させてくれよう!
…刀を出せ!!」

と、小姓に刀を出させ、桟敷から舞台に飛び上がり、刀を抜いた!その時

座元が大慌てで呼び返した役者たちが戻ってきた。

「なんだ、能は出来るではないか。あとは観客だな」

と、政宗、今度はわしが胴元の勧進能じゃ!皆のもの見物していけ!とそこらへんうろついてる人達を片っ端から
引っ張ってくる。だが、無理やり連れてきた客のノリが良い訳がない。すると政宗、お前らもっと盛り上がれ、と
用意していた酒、饅頭、肴を、客席に向って投げ込み始めた。たまたま引っ張り込まれた侍など、このとき饅頭が
頭に当たって政宗に向って投げ返す始末。どうもこのあたりから政宗公、能よりこっちのほうが面白くなってきた模様。
今度は大量の銭を持ってこさせ、桟敷に向って投げ始めた!これには勿論周囲は大パニックに。
銭を求めて争っている人々、おびえる座元と役者、真ん中で高笑いしながら酒を飲んでいる政宗、という
地獄絵図であった。

これを息子への書状に書いた細川忠興、
「この話、あまりに現実離れして信じられないかもしれませんが、丹羽長重殿と立花宗茂殿から聞いた
確かな話です。」と、念を入れている。

ちなみにこの騒動、幕府からは例の如く、「政宗だから仕方がない」で、不問に付されたとか。
143人間七七四年:2008/09/08(月) 20:24:11 ID:Bzv+DEiM
うん。
正宗だから仕方ないな、それは。
144人間七七四年:2008/09/08(月) 20:46:09 ID:TOrCPcNN
おもしろい奴だな政宗
145人間七七四年:2008/09/08(月) 20:53:13 ID:Y5DHrwtC
政宗なら仕方ない

近所のいたずら坊主なイメージ
146人間七七四年:2008/09/08(月) 20:58:45 ID:3dKpsk/z
傾きすぎだろ政宗w
147人間七七四年:2008/09/08(月) 21:24:44 ID:pf8AqRzP
忠興に「信じられない話」と言われるのがすげーww
148人間七七四年:2008/09/08(月) 21:46:29 ID:HvZGQC+X
政宗なら仕方ない

愛すべきバカだから。
149人間七七四年:2008/09/08(月) 21:54:09 ID:WpgFeZhN
ディ・・・DQN
150人間七七四年:2008/09/08(月) 21:58:43 ID:226Wq/+l
こんなのが息子だったらオレが義姫でも虐待するw
151人間七七四年:2008/09/08(月) 22:01:26 ID:Y5DHrwtC
>>150
虐待した結果こうなりました^^
152人間七七四年:2008/09/08(月) 22:03:31 ID:eWP4RYRp
義姫は梵天丸に鮭でも取らせてりゃよかったんだよ
153人間七七四年:2008/09/08(月) 22:06:18 ID:Y5DHrwtC
鮭好きにしてしまえば最上義光とも仲良くなれたのに
154人間七七四年:2008/09/08(月) 23:01:58 ID:FsqKM+H7
鮭児の奪い合いで戦争になる
155人間七七四年:2008/09/08(月) 23:09:42 ID:HvZGQC+X
そこへ義姫が輿に乗って仲裁に来るわけですね。
マザコンシスコンどもはそれで停戦、と。

東北の鬼姫最強伝説。
156人間七七四年:2008/09/08(月) 23:14:50 ID:226Wq/+l
東北は鮭と義姫が支配していたわけですね、わかります。
157人間七七四年:2008/09/08(月) 23:28:01 ID:U1Y673Fo
あっちが荒れ気味だからってお前らw
大好きだ!
158人間七七四年:2008/09/08(月) 23:47:54 ID:WNPXAEfi
しっかし政宗って本当に能が好きだったのか?>>142はどう見ても荒事にしか思えないんだが・・・

この時代に江戸歌舞伎があったら政宗通い詰めだろうな。
贔屓役者への掛け声をめぐって刃傷沙汰おこしたり。
159人間七七四年:2008/09/09(火) 00:34:55 ID:w5a4ej2R
正宗さんと能の話#2
ある日、正宗がDQNの方の島津家久を招いて宴会をすることになり、
>>142の座元に「座興で能をやるから役者を貸せ」と頼んだ

座元「あいにく先約がありまして・・・」
正宗「あっそ。 んじゃ、おまいらみんなSATSUGAI してやんよ。
    上様(秀忠)に訴えて味方してもらう?いーよ、そんときゃオレも考えがあっから」

これを聞いた家久2号、仮病を使って延期を申し入れたが、
「えー?! 一幕だけでも見てってよ!他の客にオレのメンツが立たねーから!」
などとゴネるので、結局5日だけ延期されることになった。

なお、これも忠興が息子への手紙で論評しており、
「あきれて物も言えねーよ。アイツ、キツネでも憑いてんじゃねーの?」と言っている
160人間七七四年:2008/09/09(火) 00:38:19 ID:4yrly1pt
家康が死んでからやりたい放題だなw
161人間七七四年:2008/09/09(火) 01:48:28 ID:wZotcZE3
面白い話の腰を折ってすまんが、戦国板の、戦国スレね一応。
正宗は最後の戦国武将だから、ギリギリokとすべきか?
162人間七七四年:2008/09/09(火) 01:50:27 ID:oIgI/cTc
>>161
戦国武将のエピソードまで時代で区分されると、かなり息苦しいスレになると思う。
163人間七七四年:2008/09/09(火) 01:50:47 ID:M5Q88giU
一々オチに忠興が出てくるがなんで?
ストーカー? 似た者同士惹かれあうものがあったの?
164人間七七四年:2008/09/09(火) 01:52:57 ID:xQGHSlDZ
DQN度の比較になるからじゃね
あの忠興もひいた!っていう
165人間七七四年:2008/09/09(火) 01:55:07 ID:oIgI/cTc
>>163
ネタ元が「細川忠興・忠利往復書簡」だからだと思う。
166人間七七四年:2008/09/09(火) 02:03:54 ID:Uff6OhEq
>>142>>159
うむ、それは仕方ないな

しかし、政宗公と忠興公の掛け合いは見事だよな
167人間七七四年:2008/09/09(火) 02:08:06 ID:sryrwh3/
忠興も人の事いえんと思うがな
168人間七七四年:2008/09/09(火) 03:07:59 ID:JitlVPJ9
リアルヤンデレだからなw
169人間七七四年:2008/09/09(火) 03:47:05 ID:um1UMErx
>>168
確かにヤンデレの祖は細川忠興だなwww
170人間七七四年:2008/09/09(火) 06:09:33 ID:Cl/9d+B7
嫁や親父が出てこなければ、忠興も比較的まともだからな。
最大瞬間風速では上な気がするが。
171人間七七四年:2008/09/09(火) 10:08:16 ID:84LjQeoU
政宗の人気に嫉妬wwwwww
172人間七七四年:2008/09/09(火) 10:50:56 ID:rxLQV4Ji
政宗の人生で輝いている瞬間は、
会津を荒らしまわったとき

ではなくて家康が死んでからだと思うぜw
173人間七七四年:2008/09/09(火) 13:17:13 ID:RCriLX0q
下手に改易するとマジで謀反起こしかねないからなあ。
幕府も対応には苦慮しただろうw
174人間七七四年:2008/09/09(火) 14:17:53 ID:1hy1y8Z0
家康は最悪自分が出張れば済むと思ってただろうけど
居なくなった後だとそんな自信ある奴居ないしなw
175人間七七四年:2008/09/09(火) 14:28:26 ID:oIgI/cTc
政宗は家光から、「老公は天下を取ろうと狙っていたそうだな?」って聞かれて。
「あったりまえじゃないですか。家康公さえいなければ今頃…」なんて抜け抜けと答えるような人だからなw
176人間七七四年:2008/09/09(火) 15:03:32 ID:vOzMFsiP
政宗さんすげーっす
でもあんま無茶すっと、自分の死後に伊達家が苛められねーっすか?
そういうのあんま気にしないっすか?
177人間七七四年:2008/09/09(火) 15:28:15 ID:bcCtVvW5
いやいや、この政宗の言葉は、家光と徳川に対して最大のオベンチャラで、
家光も聞いて決して悪い気はしなかったはずだ。
「はっはっは。そうであろう、そうであろう」と家光の笑い声がきこえる。
178人間七七四年:2008/09/09(火) 15:44:02 ID:sryrwh3/
家光は家康のこと大好きだもんな
179人間七七四年:2008/09/09(火) 16:15:44 ID:jLLNs3mp
秀忠に言ってたらどーなったことやらw
180人間七七四年:2008/09/09(火) 17:40:14 ID:5icvwwM7
「はっはっは。そうで(ry

とか言いつつ広いだけのクソ痩せた土地に加増と称して移封
お手伝い普請その他で絞りまくりネチネチとことん暗く復讐
ってこりゃまんま真田さん家だったな
181人間七七四年:2008/09/09(火) 20:40:50 ID:UrhrwvS+
>>173
秀吉相手に2度も土下座
家康には百万石の大嘘
こんだけレ○プされメンツを失墜させられて
嘲笑冷笑されても謀反おこさないヘタレが今更、謀反するわけねーだろ。
家康死後に百万石の御墨付きを政宗が持ち出して「あの時の約束守れや」→井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら冷静に「こんなものがあると御家のためになりませんぞ」と言われビビって何も言えなくなった政宗がw
>>174
石高差が圧倒的な幕府が自信がないわけなかろう。
政宗がヘンな真似したら島原の乱より早く鎮圧されるわな。
>>177
その通り。政宗はひたすら家光に媚びていた妄臣になっただけ。
そして政宗死の翌年には仙台藩は破産しさっそく幕府に大借金w
182人間七七四年:2008/09/09(火) 20:42:10 ID:avdKaLQq
>>181
>妄臣
佞臣の間違いだよね?
183人間七七四年:2008/09/09(火) 20:57:39 ID:c2z9fzFz
>>181
お^^どうやらここにもきたようだなw

まったく粘着くんには困ったもんだ
184人間七七四年:2008/09/09(火) 20:59:32 ID:O8764pOc
>>181
>井伊が御墨付きを政宗の前で切り捨てながら

百万石のお墨付きは仙台市博物館に現存してるんだけど何でそんな嘘つくの?
185人間七七四年:2008/09/09(火) 21:42:13 ID:yI6bokko
>井伊が御墨付きを〜
それ竹中半兵衛と黒田官兵衛の話な。

ちなみに井伊は、
関ヶ原での加増を少なすぎると、家康に突っ返して影で不満を吐き散らす。
聞きかねた永井直勝が苦言を呈するとブチ切れて、
「他の奴等が大封を得てるのに俺様が貰えないってのはおかしい」とか言う。
永井が
「徳川勢だけで勝利はねーよ。しかも譜代と違って、徳川の家臣ではないあいつらにこそ多く報いないと差し障りありすぎ
 大体お前が如何に剛勇でも一人で出来ることはたかが知れてる。それは匹夫の勇w
 将の働きは兵を率いてこそ。いい歳こいて本隊開けて一騎駆けしてんなよ、おっさん」
「はぁ?お前何石?一万石も無いような小身が率いる兵数で出来る働きなんてほとんどないだろw すっこんでろ雑魚」
「お前が率いてるだけの兵数があれば、お前程度の働きは誰だって出来んだよw 調子こくなww
 逆にお前が俺の兵数だったらなんかできんのか?
 はー、こんな奴が重臣なんて徳川オワタ」

って話が合ってだな。
186人間七七四年:2008/09/09(火) 21:47:20 ID:pKik059o
まあ、伊達男って見た目や威勢は良いのに、中身はヘタレとかいざという時に動かないってイメージついてるしな。

伊達メガネとか、単なる格好つけの道具に伊達とかつけられる。

そんな言葉の元となった藩や武将は押して知るべし。
187人間七七四年:2008/09/09(火) 21:52:46 ID:oXbt89b0
>まあ、伊達男って見た目や威勢は良いのに、中身はヘタレとかいざという時に動かないってイメージついてるしな。
ついてるか?
188人間七七四年:2008/09/09(火) 21:58:43 ID:wxjz7Dnl
タイガーマスクは伊達直人

強靭なファイターで立派な人格者でした。
189人間七七四年:2008/09/09(火) 22:04:43 ID:da5V/Ei7
>>186
そもそも伊達男の「だて」の由来は政宗じゃねーぞ
190人間七七四年:2008/09/09(火) 22:07:00 ID:1hw4kIEs
戦国ちょっと(ふいんきが)悪いスレになってきたな
191人間七七四年:2008/09/09(火) 22:21:46 ID:Jy1md2MZ
伊達厨スレでも>>181のように脳内妄想で伊達を貶めていたら
自論の破綻を指摘された上にソース出せと伊達厨にフルボッコにされて
本来仲間だったはずの上杉厨や直江厨にまで引かれた
有名なキチガイくんですね、わかりますw
192人間七七四年:2008/09/09(火) 22:29:40 ID:wxjz7Dnl
戦国の呪術師

鰐淵寺住職である鰐淵寺栄芸は、永禄四年(1561)、毛利元就から尼子氏調伏の祈祷を依頼された。
芸栄は三日三晩の五大尊の法、さらに三日三晩の六観音の法、最後に三日三晩の七仏薬師の法を行った。
流石の元就も恐ろしくなるほどの呪法だったと云う。

さて、この呪法の翌年から、尼子から毛利に寝返る者が続出し、永禄八年(1565)、見事尼子は
滅亡するのである。天下に、鰐淵寺栄芸は恐ろしい。そう喧伝された。



が、

これにも別の説がある。
元就が、わざと鰐淵寺栄芸の評判を立てさせ、敵味方に「元就殿に逆らうと、鰐淵寺栄芸によって呪い滅ぼされるぞ」
との、恐怖を植えつけたのだと。

戦国の世は一筋縄ではいかない、と言うお話。
193人間七七四年:2008/09/10(水) 02:40:23 ID:69SiJgrD
>>182
携帯にその字がない。
>>184
最後には燃やしてやったぜw
ウソなのは仙台博物館のだろw
この話を隠蔽しようと伊達厨必死過ぎてワロタw
>>185
政宗に恥をかかせたのは父ではなく息子の譜代最大の彦根35万石の井伊直孝だ。
鄭成功の支援要請を受けて明を助けて清を攻めたい徳川頼宣を一喝したり家光から最も信用された男だ。
194人間七七四年:2008/09/10(水) 03:12:13 ID:auqnm2w7
>最後には燃やしてやったぜw

見てきたように言うんだね
195人間七七四年:2008/09/10(水) 03:15:07 ID:0Iw3YAD8
ひいきがすぎて公平な見方をしない者の意見は
結局誰にも信用されることなく無意味だ
196人間七七四年:2008/09/10(水) 04:47:12 ID:aaleHa/q
そいつは東北関係のスレではガチで有名な基地害だから相手すんな
197人間七七四年:2008/09/10(水) 13:05:16 ID:kHledHWt
政宗の猜疑心と成実
(悪い話といい話)

成美といえば人取橋合戦、二本松城攻略戦、郡山合戦、などに大功があり、
伊達家きっての猛将として知られている。
朝鮮にも出兵するが帰国後、石川義宗や留守政景が重用されているのを見て、
政宗に無断で高野山へと籠ってしまった。
呼び戻しの使者が訪れた時には行方不明となっており、
もしも成実が上杉と手を組めば事は重大と危惧した政宗は、屋代勘解由に成実妻子と家人の殺害を命じた。
妻子・家人30人は奮闘の末、自害した。
家康が100人扶持で成実を召しだそうとしているのを聞くと申し出て破談にするという執拗さだった。
ところが成実は上杉からの5万石での誘いを断っているのである。これはすぐ政宗の知るところとなる。

関が原直前、上杉の白石城攻略戦でのこと、
崩れそうな伊達軍に逆行して突如一騎の黒武者が敵陣に突撃し、これにより形勢は逆転、
この黒武者こそ成実であった。彼は帰参し亘理城主となる。
この後、政宗は自分が成実妻子殺害を命じた屋代勘解由を追放するが、
遺恨もっとも深いと思われる成実は、勘解由と妻子を手厚く保護しているのである。
感状のブレの激しい政宗に対する無言の批判であったかどうかは、不明である。
198人間七七四年:2008/09/10(水) 14:09:19 ID:q4JQeDWc
大永4年(1524年)、北条氏綱は扇谷上杉氏の家臣、太田資高を寝返らせて
江戸城を攻略した。

扇谷上杉朝興はこれに対し、北条と対決する事を決意。
そのためには軍勢である。彼は越後を支配する長尾為景(謙信の父親)に、援軍を申し込んだ。

が、為景は、言を左右にして態度をはっきりさせない。
彼の元には氏綱から、このような書状が届いていたのだ。

「為景殿かねてよりお探しの名画、間もなく手に入れられそうです。」

為景は、絵画の愛好家であったのだ。

援兵は来ぬまま、江戸城は北条の元に下る。
為景の元には、羨望していた名画が、北条より届けられた。

為景にとっては主筋の衰亡よりも、絵画のほうが大切であった。
そして氏綱にとっては、個人の趣味趣向も、大切な謀略の種なのであった。
199人間七七四年:2008/09/10(水) 15:01:14 ID:t5KG6yFS
為景から氏綱に贈られた鷹を横取りした信虎もなかなかの恐れ知らず。
為景や信虎や氏綱って、絶対息子たちより胆力あるよなw
200人間七七四年:2008/09/10(水) 17:56:04 ID:UbsfT2aM
彦左の槍と旗の逸話はこっちの方がいいのか?
201人間七七四年:2008/09/10(水) 22:35:31 ID:aWpyd4jo
家康を思ってのことだから
俺としてはいい話にしてほしい
202人間七七四年:2008/09/11(木) 00:08:31 ID:qwcl/Om8
有名な宮部継潤の息子、宮部長煕。

家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。

長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    <`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
    (つ  丿 \_________
    ⊂_ ノ
      (_)


と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。

が、

宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。

さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。
203人間七七四年:2008/09/11(木) 00:50:25 ID:dd4UaSLm
間の抜けた話だぜ!
204人間七七四年:2008/09/11(木) 06:36:28 ID:m0Qrix34
ワロタ
西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw
205人間七七四年:2008/09/11(木) 09:37:36 ID:yQvHYHEo
>>197
成実の妻子が死んだって嘘だし
そんなこと書いてある資料1つもない
206人間七七四年:2008/09/11(木) 10:27:03 ID:czjzh5Fh
>>205
んでもこれ定説(俗説だろうけど)になってるよな。
政宗好きからしたら必死で打ち消したいエピだろうけど
政宗の性格をよくあらわしたエピだよなw
207人間七七四年:2008/09/11(木) 12:23:43 ID:qwcl/Om8
>>205-206

ここはあくまで、後世に伝わったエピソードを紹介するスレ、史実云々の議論は荒れるだけなので
控えましょう。
208人間七七四年:2008/09/11(木) 12:29:17 ID:AZn36+DJ
話のツマ程度なら、2,3レスぐらいなら別にいいんじゃないかなぁと思ってみたり。
まぁ史実云々を指摘する人は空気読んで指摘してくれたらいいと思う。
209人間七七四年:2008/09/11(木) 12:53:32 ID:OZHaxpMH
>>202
なんとも(間の)悪い話だ
210鉄砲小弥 ◆1543.Dh.No :2008/09/11(木) 13:46:17 ID:iXs1syze
>>205 
一応、家人30人自害は「治家記録」や 「世臣家譜」に記載がある。
正室はそれより前に死亡しているから側室と子かもしれないが、不明。

大河内久綱(知恵伊豆と言われた松平伊豆守の実父)古田織部を毛嫌いする。

「織部は古い器の完全を好まず、古書画のあちこちを切り刻んでいる。
 今残っている古からのものは、乱世の中で神の加護により生き残り存在している。
 それを己の好みに任せ損なわせるなどと、そのうち天罰が下るだろう。」
予言は的中し、豊臣との内通を疑われ切腹を命じられた。
211人間七七四年:2008/09/11(木) 13:51:39 ID:qwcl/Om8
>>210
利休も誰かから、「あんな茶をするような男はまともには死ねないよ」みたいな事言われてたね。
212人間七七四年:2008/09/11(木) 15:17:18 ID:ql3TM5OP
意外とギリワン連中の悪事が少ないな
やはりゲームはゲームか
213人間七七四年:2008/09/11(木) 15:40:31 ID:GUnVdF64
ぐぐってみたら東方用語で義理1のことか
松永とか斎藤は有名すぎて書かれないだけだと思うよ
214人間七七四年:2008/09/11(木) 15:46:49 ID:KIzhuNfv
松永斎藤宇喜多の悪事はちょっとどころじゃないから
むざんむーざん
215人間七七四年:2008/09/11(木) 23:36:38 ID:p6KnZUEy
>>214
その辺の毒殺の逸話とか書いても、住人に鼻で笑われそうだな。
216人間七七四年:2008/09/12(金) 00:26:14 ID:tl2/vhTr
真田話がでないのも同じ理由か?
217人間七七四年:2008/09/12(金) 00:34:08 ID:5x8VrNeq
真田というのは>>21のことを言ってるのかな?
俺あんまり歴史詳しくないから、是非聞きたい。
個人的には松永斉藤宇喜多さんも知りたいが…ぐぐれと言われそうだなw
218人間七七四年:2008/09/12(金) 00:39:59 ID:YRC/af0M
>>217
wiki見た方が早い。
ちなみに>>21は真田昌幸(信繁の親父)な。
219人間七七四年:2008/09/12(金) 01:59:09 ID:gXeMNN/I
武田家の、遠州高天神城守将の一人に、横田尹松と言う侍がいた。
御存知のように高天神城は徳川勢によって攻め落とされ、横田は命からがら落ち延び、
甲斐へと逃げ帰った。

帰還した横田を。勝頼は喜んで迎えた。「よく生きて戻ってきた。褒美を与えよう!」
と、太刀を渡そうとすると、

「何を言っているのか」

横田は言った

「城を落ち延びて褒美をもらうなど、私は聞いたことがありません。
このようなもの、頂ける筈がありません。」

そう、その太刀をつき返した。今になって労苦をいたわるくらいなら、何故
篭城している最中に、援軍を送ってこなかったのか。
言葉に出さずとも、そう、勝頼を批判していた。

勝頼は苦りきった顔で、その太刀を引っ込めたと言う。

その頃の武田家の空気を、伝えるお話。
220人間七七四年:2008/09/12(金) 08:53:21 ID:1TEPP01w
>>218
高虎の悪事はwiki見ても載ってないんだお…
この人も何かしらやらかしてるとは思うんだが
221人間七七四年:2008/09/12(金) 09:14:55 ID:eff/RMJt
高虎はそうとう悪事働いているが美談に歪曲捏造してるからな
222人間七七四年:2008/09/12(金) 14:34:37 ID:gXeMNN/I
武田信玄は、第四次川中島合戦で彼の甥、望月盛時が戦死したあと、未亡人となった
その妻、千代に、とある組織の総帥を命じた。その組織とは、

信州小県郡弥津村、古御館に本部を置き、ここには女だけが入ることが出来た。
そこに、孤児、捨て子から、美少女を選び、集め、巫女として育てた。

無論、ただの巫女ではない。巫女の修行とともに、彼女らに、強い仲間意識と
忠誠心を植え付け、女であることを生かした情報収集術、色香で男を惑わす術を
教え込んだ。そして一人前になると、旅の巫女として諸国に送りだされた。

彼女らが得た情報は、千代の元に集められ、信玄に報告された。
この組織の力で信玄は、群雄にぬきんでた情報力を持ったと言う。

なんとも素晴らし、ゲフンゲフン、けしからん組織のお話。
いやまったくけしからん。
223人間七七四年:2008/09/12(金) 14:41:22 ID:WQ2m7aNk
ハニートラップの諜報でも自らの寿命ははかれなかったか。
224人間七七四年:2008/09/12(金) 17:04:09 ID:169Hidqm
>>222
これが忍術書に書かれている「くノ一の術」だな。
因みにくノ一は必ずしも女とは限らない。
相手がウホッの場合、男のくノ一を送り込む。
225人間七七四年:2008/09/12(金) 17:15:35 ID:2oA2jP32
>>224
マジデツカ
226人間七七四年:2008/09/12(金) 17:18:48 ID:VVxcl60S
男だったら、口十力とかになるんでは
227人間七七四年:2008/09/12(金) 17:30:10 ID:laJhpyml
そりゃ女役の男だからとかじゃね?
228人間七七四年:2008/09/12(金) 18:16:34 ID:3DnzFXjU
ネコしかいないのか
229人間七七四年:2008/09/12(金) 18:55:50 ID:QBpNmMVH
タチが悪いんだな
230人間七七四年:2008/09/12(金) 19:15:32 ID:IHbRu1So
長船貞親思い出した
231人間七七四年:2008/09/12(金) 22:03:05 ID:LEhD4rr5
葦名か誰だったか忘れたが謙信が男好きだと聞いて
国一番の美少年を間者として謙信に送り込んだら
即日送り返された。という話があったうろ覚え。
男版くノ一?
232人間七七四年:2008/09/12(金) 22:03:12 ID:czP081DE
たしかにガチホモの武将にくノ一は通用せんわな
233人間七七四年:2008/09/12(金) 23:02:26 ID:F4ktFk8y
宇喜多直家がガチホモの猛将を仕留める為に
家臣1のイケメンを送り込んで倒したというエピソードも有るな。
234人間七七四年:2008/09/12(金) 23:24:22 ID:ha/UV6ME
葦名盛隆と佐竹義重が戦争中にお互い一目ぼれして
両家が和睦した話は有名ですね。
全然悪い話じゃないが。
235人間七七四年:2008/09/12(金) 23:39:51 ID:gXeMNN/I
美少女巫女さん軍団の話を書いて、まさかガチホモの話題に流れるとは予想もしなかったw
236人間七七四年:2008/09/13(土) 01:15:03 ID:CxXA4s4k
>>234
そんな事もあったのか、凄いなw
237人間七七四年:2008/09/13(土) 01:28:15 ID:N38Rk+vC
そこで思わず
「お前ねーちゃんか妹いない?」
って素で聞いた人はその辺の空気読めて無かったんだな
238人間七七四年:2008/09/13(土) 01:29:30 ID:1b11JM34
個人的には逆にスゲーって思うよ
239人間七七四年:2008/09/13(土) 02:07:04 ID:WBwh2FmF
そりゃ…ほら、もしかしたら奉公時代に松下先生にハードコアなプレイを強要されて
衆道恐怖症になったとか。
240人間七七四年:2008/09/13(土) 02:12:41 ID:I+wMAFL6
>>239
いやその、衆道を嗜む方も、人を選ぶだろw
241人間七七四年:2008/09/13(土) 11:19:55 ID:NX33ZP9z
お話としてはおもしろいのですが
ここは
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1219764087/l50
の支店スレではないですのでw
242人間七七四年:2008/09/13(土) 12:49:39 ID:I+wMAFL6
長篠城が武田軍に囲まれ、篭城していたときのこと。

武田側から篭城衆に、もはや兵糧弾薬も尽きただろうからと、開城勧告がなされた。
無論、この勧告は即座に拒絶されたが、その折、篭城衆の一人、恩田半五右衛門は、楼に登り

「弾丸乏しきにあらず、長期の籠城に用意するものなり。その兵糧に至りては
倉庫に充満し、我等の肥満かくの如し」

と、啖呵をきり、「この尻食らえ!」と武田軍に向かって尻をまくった。

これに怒った武田から、一人が鉄砲で半五右衛門の尻をスナイプ!
これがまた見事に命中。距離が遠かったので大怪我にはならなかったが、
半五右衛門、痛や痛やと尻を押さえてピョンピョン跳ねる。
それを見て両軍爆笑。殺伐とした戦場に、しばし和やかな空気が漂った。

ちょっと(かっこ)悪い話
243人間七七四年:2008/09/13(土) 13:24:17 ID:AFovv4YU
露出狂かよ!
ちょっと(性癖が)悪い話 でもあるな
244人間七七四年:2008/09/13(土) 14:36:20 ID:lvs7NYby
>>221
たとえば?
245人間七七四年:2008/09/14(日) 09:01:33 ID:Xa3FHJ0M
>>202
これは宮部長煕を田中吉政が嵌めたという説もある
吉政にはこれ以外にも良くない噂がちらほら
小牧・長久手では羽柴秀次の側近として参戦、
秀次軍の旗色が悪くなると伝令と称して陣を離脱、
堀秀政の陣に状況報告に行くがその下心を秀政に見抜かれ、
「命が惜しくなったかw秀次殿の側近として死んで来い」と追い返される
秀次事件では主君を擁護せず、逆に秀吉に讒言して加増を受ける
関ヶ原では佐和山城の城兵の命を助けることを条件に開城させるが、
約束を守らず皆殺しにするなど悪名高かった吉政、
その非道を嫌った立花宗茂により、田中家が取り潰しになった後も
宗茂は旧田中家臣を召抱えなかったという
246人間七七四年:2008/09/14(日) 12:42:16 ID:EzYK5Ceq
宗茂とは逆の人柄だねえ
247人間七七四年:2008/09/14(日) 18:08:54 ID:qfdlc5N5
美少年の初物をいただく為には 毎日蝋燭を少しずつ太くしていき慣らすらしい
その役目の小姓を好きになつたことが あったとか
248人間七七四年:2008/09/14(日) 18:20:13 ID:kcDMkAcB
戦国時代の色恋沙汰って、本当に衆道がらみばっかりなんだよなー。

当時の記録を見ると、武士や僧侶の階級は衆道を当然のものと受け止めてるけど、農民はそう言うものを知らなくて、
自分のところの子供が武士や僧侶のところに奉公なり修行なりに行って、衆道の世界に入っちゃって、男同士の
恋愛沙汰に巻き込まれ、そんななか親が出てきて何が起こっているか理解できず大混乱する、って笑い話が
けっこうあったりする。
249人間七七四年:2008/09/14(日) 22:57:49 ID:kcDMkAcB
月山富田城の北麓、尼子配下の精鋭として知られた新宮党の本拠地、新宮谷に向かう街道で、一人の男の
死体が発見された。目撃者によると、新宮谷に向かう最中、何者かに殺されたのだ、と言う。
尼子晴久の家臣が死者の持ち物を調べると、なんと、新宮党が毛利元就への内通を示す密書が見つかった。
かねてよりそのような噂があったものの、それを一笑に付してきていた晴久ではあったが、この証拠を見て
ついに決断。彼は新宮党を粛清した。

が、これはすべて、元就の謀であった。殺された、密書を持った男は元就の元で捕まっていた罪人であり、
彼を殺したのもまた、元就の放った忍びであった。

こうして元就は、尼子侵略への、最大の障害を、尼子自身の手によって消滅させたのだ。



これはおそらく講談話だけど、まあ、元就はこのくらいのことをする人間だと思われていた、ってことで。
250人間七七四年:2008/09/15(月) 00:05:48 ID:7wQKPRdg
随分とポピュラーなお話しが来たな
251人間七七四年:2008/09/15(月) 00:28:36 ID:rlP5tkM0
この板に出入りしている奴で、知らない奴なんているのか?レベルだな
252人間七七四年:2008/09/15(月) 00:37:40 ID:SgEYgGjs
まあ最近興味持ち出した人が目にするかもしれんじゃん?
過疎ってるから今後も目にするかもしれんしさ、別に噛み付くこたぁねぇと思うが
253人間七七四年:2008/09/15(月) 00:40:45 ID:M1nJot/K
>>250
>>251
さあ、この板の人間が知らない衝撃的な戦国の悪い話を書き込むんだすぐにw

つーか、人の知らないエピソードを書き込む場所でも無いと思うが。
254人間七七四年:2008/09/15(月) 01:14:03 ID:rlP5tkM0
なんか最近、拡大解釈する奴が居るな。
誰も知らないことを書けとレスした奴は253以外いないだろ。

252のレスに関しては最もだと反省はする。
255人間七七四年:2008/09/15(月) 01:26:59 ID:M1nJot/K
杉元宣の妻

毛利家家臣として、輝元に仕えていた杉元宣。彼には美しい妻がいた。
ある時、その妻を主君輝元が目にし、これに一目惚れをしてしまった。輝元は元宣に、その妻を
差し出すように迫った。

元宣はそれを拒絶した。当然である。主君と言えども家臣の妻を奪うような無法があろうか。
だが輝元はあきらめなかった。腹心である椙山土佐・清兵衛親子、佐世石見守をつかい、謀略によって
誘拐同然にその妻を奪ったのだ。

元宣は激怒した。こうなれば輝元との対決しかない。彼は大阪の秀吉の元に、輝元の悪行を直訴することを
決意し、出奔した。

これに慌てたのは輝元である。すぐに伯父の小早川隆景に相談した。隆景は驚き呆れたが、これが秀吉の
耳に入れば、毛利家はどういうことに成るか。
すぐに元宣に対する大規模な捜索が行われ、間もなく彼は捕われた。
隆景は不憫に思いながらも、彼を殺害した。
全て毛利家のためであった。

結局、元宣の妻は輝元の側室となり、後の毛利家当主、毛利秀就と、徳山藩主、毛利就隆を出産した。
256人間七七四年:2008/09/15(月) 01:32:46 ID:M1nJot/K
>>254
過疎スレなのに、わざわざ人が参加し辛くするような書き込みもどうかと思ったのでな。
まあ嫌味が過ぎたかもしれん。謝るよ。
257人間七七四年:2008/09/15(月) 01:36:01 ID:kdji0wAG
輝元は本当にどうしようもないなw
大坂の陣で幕府に隠れて内藤元盛を「佐野道可」として入城させる、
この件自体は関ヶ原の恨みや万一豊臣方が勝利した場合の保険など理解できなくもないが、
戦後幕府の追及を恐れて内藤氏を断絶させたのは酷い
お坊ちゃんだから自分以外の他人なんてどうでも良かったのかもな
258人間七七四年:2008/09/15(月) 02:32:56 ID:9zBTAlow
阿呆扱いされることが多い割りに、けっこうえぐい粛清をしてたりするからな。

>>257
この事件では徳川方の柳生ですら不憫に思ったらしく、道可の兄(宍戸元続)に悔やみ状を
送っているしなあ。
259人間七七四年:2008/09/15(月) 02:51:12 ID:M1nJot/K
>>257
ただ、佐野道可事件に関しては、本当に内藤元盛の個人的な参戦だったと言う説もある。

後に内藤家が復活した時、藩に提出した当時の顛末が、当時の歴史的事実と色々矛盾があって、
輝元と秀就が与えたと言う誓詞の内容なるものも含めて、内藤家側が帰参を有利にするために
作り出した捏造だったのではないか、とも。

関ヶ原から大阪の陣前後の時期の毛利家では、改易により縮小された領地への不満から、かなり多くの、
重臣クラスの家臣が毛利家から出て行っているのね。内藤もその中の一人に過ぎなかったとも考えられる。
260人間七七四年:2008/09/15(月) 08:18:37 ID:QYSy2sJe
熱心な毘沙門天の信徒であった上杉謙信
上杉家の軍儀は毘沙門堂で行う事になっている。

しかし、そのときは違った。
一刻一刻と敵は間近に迫り、猶予のない状況。謙信は軍儀を急いで行うために毘沙門堂では開かない旨を家臣たちに伝えた。

「しかしそんなことをしては毘沙門天の怒りにさわり、祟りがおきましょう。戦にも負けてしまいます。」

この時代、神仏への信仰や験担ぎなど、ジンクスを気にする人間は多かった。
特に当主謙信を筆頭に越後、上杉領では毘沙門天を振興する人間は多く、家臣にもかなりの数の毘沙門教徒がいた。当たり前の反応である。
ところが謙信は

「何を申すか。戦をするのは毘沙門天ではなくこの謙信である。それにこの越後で毘沙門天が広く信仰されているのは、偏に儂が手厚く保護しているからに他ならない。逆に儂が感謝されても良い位である。」
と言い放った。


熱心な宗教家といわれている上杉謙信の、軍人としてのちょっと(信心が)悪い話。
261人間七七四年:2008/09/15(月) 08:41:48 ID:7jR5ujkB
>>260
老婆心ながら訂正すると軍議ではなく、間者との契約の儀式ですね。もともとの逸話を曲げて軍議としたのは童門氏。
江戸後期の名将言行録の話ですね。もともと江戸初期の北越軍談などでは
「謙信は摩利支天の再来」と称されるように軍神のごとく改められていたとされていて、
それをもとにして作られたエピソード。
本当は謙信は家中の自分への崇敬心を戒める意味も込め、
迅速に合理的な対処をしたという意味が含まれているとのことです。
262人間七七四年:2008/09/15(月) 13:54:36 ID:M1nJot/K
秀吉の天下統一により、上方に出仕した南部信直が、一門の八戸直栄に出した手紙。

「上方の大名は我々のような田舎者を馬鹿にし、恥をかかせます。なので、月に一度の
前田利家殿との面会以外は、屋敷から出ないようにしています。

ここでは他家との交際のため、朝から晩まで、恥をかかないよう気を使わなければなりません。

…国に帰りたい。」
263人間七七四年:2008/09/15(月) 14:03:07 ID:ONntYV5z
ホームシック田舎大名わろたw
264人間七七四年:2008/09/15(月) 19:19:33 ID:+rlVGrqP
自分が田舎者だと気づかないほどの田舎者もいるからな。
結局そういう奴のほうが上手くやっていくんだけど。津軽の髭とか。
265人間七七四年:2008/09/15(月) 21:16:21 ID:00I+U6CT
ホームシック田舎大名といえば鮭様、名護屋にて家臣にあてた手紙
(家臣宛を偽装した妹宛説も?)

「敗戦の罪で大友が改易されたお・・・
もう頭そって坊主にでもなって、山奥に逃げて寿命をまっとうしたい。
どうやらうちは朝鮮いかなくていいらしいけど、
本当にそうなって最上の土をもう一度踏みたいです。
水をおなかいっぱい飲みたいです。」
266人間七七四年:2008/09/15(月) 21:58:07 ID:14iDgfJS
>>262
都会の女子大に進学した田舎育ちのお嬢様みたいだな
267人間七七四年:2008/09/16(火) 00:35:51 ID:j8tJ8pXb
関ヶ原の時の事。九州では黒田如水が着々と西軍を切り崩していた。
東軍に属していた稲津掃部助は、如水の下に付き、彼の指示により先鋒として島津領へ進行し、
日向を攻め取る準備をしていた。

さて、関ヶ原の決戦は、一日で終わる。

家康は全国に戦闘の停止を命じた。その命令は如水のところにも来た。が、無視した。
既成事実さえ作ってしまえば、後はどうとでもなる。そのように考えたようだ。
彼は日向侵攻作戦を密かに進めた。だがそれは、家康の諜報に引っかかった

「如水が日向で不審な行動をしている」

息子長政を通じ家康から、如水の行動に牽制がかけられた。如水は火遊びが過ぎたのだ。
そこで彼はこう申し開きをした。

「日向での事、私は一切かかわっておりません。あれは全て稲津掃部助が企み、
独断でやった事。真にけしからん所業であります。」

稲津掃部助は如水によってあっさり切り捨てられた。彼はそうとは知らない間に、
前線に置き去りにされたのである。そして如水の本軍を待つ清武城において
島津の逆襲に会い、討ち死にした。
268人間七七四年:2008/09/16(火) 18:57:42 ID:Y1qHcY+7
かなり酷いね
269人間七七四年:2008/09/16(火) 20:56:21 ID:a2hRbdv+
これは悪い・・・
270人間七七四年:2008/09/16(火) 22:56:17 ID:jYyns+zm
>>265
塩鮭とか鮭とば食べたら喉渇くもんな。
271人間七七四年:2008/09/16(火) 23:32:49 ID:j8tJ8pXb
永禄三年、肥前国において有馬勢は、渋江公親の篭る潮見城を攻めあぐねていた。
城自体が堅固な事もあったが、なによりその、そろえられた鉄砲の力に
やられていたのである。「あの鉄砲をどうにかしなければ。」
考えた。そして、思いついた。

有馬勢は、渋江氏の氏神潮見神社の巫女を買収し、潮見城に向かわせ、こう言わせた。

「鉄炮で敵を討つことは、この城の穢れになります。敵は神力にて退散させますので、
鉄炮は城外に運びますように。」

そしてその巫女がお祈りを始めると、なんと城を取り囲んでいた軍勢が、
瞬く間に消え去ってしまった。公親はこれに喜び、巫女を信じ鉄砲を場外に運ばせた。

さて、勿論有馬勢の撤退は見せ掛けだけのものである。鉄砲を運び出した事を
察知すると直ちに引き返し、攻撃を仕掛け、見事潮見城を落とした、とか。
272人間七七四年:2008/09/16(火) 23:43:01 ID:j0dQ0bIg
なんつーか巫女も巫女だなw
神に仕える身なのに買収されるとは
273人間七七四年:2008/09/17(水) 01:18:15 ID:fWX0P1DO
有馬晴信は沖田畷の直後にも神代貴茂を和睦と見せかけて謀殺してるしな
274人間七七四年:2008/09/17(水) 14:09:41 ID:Mi14N+E3
大友宗麟の女好き。

立花道雪は好色で有名な宗麟を諌めようと、京から踊り子の一行を招き、
「道雪の屋敷に踊り子が大勢いる」という噂を流した。
宗麟は噂を聞きつけると「踊り子を連れて参れ」と命じた。
一行に踊りを躍らせ、「さて、よきことを・・」という段階になって道雪が現れ、
こんこんと説教をした。

が、宗麟の好色は納まらず、家臣の一万田親実の美人妻を無理やり奪い妾にし、
親実に無実の罪を押し付け殺害した。
親実の兄・高橋艦種は激怒し謀反を起こした。
鎮圧に3年以上も費やし、好色が大友滅亡を確実に早めた。



275人間七七四年:2008/09/17(水) 14:38:56 ID:GvIBXOBv
>>274
そりゃ高橋さんも怒るわな。

なんか悪事が身近すぎて、可哀想って感想も身に迫ったものを感じるわ。
276人間七七四年:2008/09/17(水) 14:46:01 ID:o/zm9UmQ
「部下の妻に手を出して部下を死地に追いやる」って悪の支配者のテンプレみたいなものだなぁ
277人間七七四年:2008/09/17(水) 15:11:03 ID:xYRCtI5W
>>274
ベッキーが「どっきりカメラ」って書かれた看板持って
登場するところを想像した
278人間七七四年:2008/09/17(水) 17:07:00 ID:2pyaHoAM
道雪が遊び呆けだしたという噂を流して
気になった宗麟が様子を見にきたら、ってパターンもなかったか?
279人間七七四年:2008/09/17(水) 17:17:14 ID:kipS+oBJ
主君が道雪なら九州統一してただろうな
280人間七七四年:2008/09/17(水) 21:58:46 ID:zxi2v44V
漫画の殿と〜の影響で宗麟とその家臣と道雪はもうああいうキャラにしか見えん
281人間七七四年:2008/09/17(水) 22:33:29 ID:xYRCtI5W
>>280
家久かわいいよな
282人間七七四年:2008/09/18(木) 14:22:27 ID:ZPWiWsvR
>>278
口うるさい頑固者の道雪を宗麟が嫌って近づけさせなかったというのは本当で、
なんとか直接会って諫言するために〜云々で、そのパターンもあるだろうな。
283人間七七四年:2008/09/18(木) 15:48:23 ID:jDuYSZaQ
>>281
あれで一番可愛いのは貫久だろw
284人間七七四年:2008/09/18(木) 16:37:38 ID:pOWreCas
>>283
それってボケだよね?
285人間七七四年:2008/09/18(木) 21:22:20 ID:e/9f0VaJ
>>281
義弘は地味な子
286人間七七四年:2008/09/18(木) 22:38:32 ID:Fn4jLxyZ
上杉謙信の「実家に帰らせていただきます」が秀逸だった
287人間七七四年:2008/09/18(木) 22:47:30 ID:/JVVI1ji
その漫画読んでみたくなったよ
288人間七七四年:2008/09/18(木) 22:51:59 ID:c1LMZO2f
日本にキリスト教が広まった時、その原因の一つとされた、宣教師による医療行為。

実はその医療行為の内容のほとんどは、聖水をのませたり祈祷をしたり、といったもの。
「西洋医学で患者を治し信頼を得た」というのは、嘘。
289人間七七四年:2008/09/18(木) 22:53:06 ID:bRT7rzBC
おもしろいぞ。
ちょっと絵に癖があるけど。
290人間七七四年:2008/09/19(金) 00:50:39 ID:j7xZh9SH
>>284
あのお父さん、かわいいやんw
291人間七七四年:2008/09/19(金) 04:39:43 ID:QaaE9yjL
あの作品の主人公は真田信幸たぶん
で、あの宗麟の家臣のカニ怪人はだれなんだ?w
292人間七七四年:2008/09/19(金) 09:15:36 ID:0gD/Mw8D
>>290
「貫」久って誰やねん、というツッコミかとw
293人間七七四年:2008/09/19(金) 12:18:05 ID:0bCN2BLk
>>288
イタリア人に「おまえはイエズス会だね」
というと殺されるよ。
イエズス会=イタリア語で詐欺師。
294人間七七四年:2008/09/19(金) 12:36:49 ID:0bCN2BLk
ついでにこれも。
金儲けのためにキリスト教信者になった有馬晴信の非道。

有馬晴信は布教よりも、イエズス会を通して得られる海外交易の利益のほうが重要であった。
交易を維持するためイエズス会の申し出により、少年少女を進物として提供し、
家臣もこれに従い、家来のみならず、庶民の子供をさらい売ったり贈与したりしていた。
人々はこの難から逃れるため、子供を隠したり、他の家に預けたりした。

宣教師の書簡に書かれた「有馬の全土が苦悩に覆われた」というのはこのこと。
295人間七七四年:2008/09/19(金) 12:47:12 ID:wWPP4gHi
てめえでガキを貢げといっておいて何言ってんだ
296人間七七四年:2008/09/19(金) 13:02:11 ID:0bCN2BLk
アジア植民地化の先鋒部隊として位置づけられたイエズス会にも、
布教第一の真面目な人もいた、ということか。
297人間七七四年:2008/09/19(金) 13:33:26 ID:e55tlg1l
トーレスさんとかな
298人間七七四年:2008/09/19(金) 14:36:33 ID:WaljNpTb
九州の切支丹大名は貿易の実利が関わってるから生臭い大名が多い
299人間七七四年:2008/09/19(金) 14:51:51 ID:tknkDcpp
戦国〜江戸初期の肥前っていいイメージが無いなあ
300人間七七四年:2008/09/19(金) 18:45:04 ID:swyDt6+r
カエサルがいたらしいじゃん
純粋に信仰第一にしてたのって高山と大友ぐらいか?
301人間七七四年:2008/09/19(金) 23:55:38 ID:Vc9StHnT
内藤如安を忘れちゃいかんぜ。

何だかんだで追放後に日本人街とか作ったりしながら
マニラで12年生活した後に天寿を全うして逝った。
302人間七七四年:2008/09/20(土) 00:19:51 ID:xYIlr4zw
豊臣政権真っ只中の文禄元年の事。

摂津の国の鳴尾村と河原林村との間で、用水をめぐる争いが起きた。
当初この争いは、双方の村の年寄の介入で、決着がつくかに思われたが、豊臣政権の奉行が介入、
なんと、この争いに加わった双方の村の人間八十三人を、磔にするとした。
理由は「天下ことごとく喧嘩御停止となったのに、違反してけしからぬ」という事だった。
見せしめである。

この処刑者の中には、13歳の子供まで含まれていた。親の身代わりであった。
親が磔になっては一家の暮らしが成り立たないため、子がその代わりに殺されたのである。

この事を記録した興福寺多門院の僧侶は、今の世を「末世」だと書いている。
豊臣政権の時代の「平和」は、後世の煌びやかなイメージと異なり、酷く陰惨で、暗い。
303人間七七四年:2008/09/20(土) 04:32:36 ID:7uEm1lem
304人間七七四年:2008/09/20(土) 07:20:49 ID:K2kwEGX8
家康を中央から遠ざけたかったてのなら本当だろう
305人間七七四年:2008/09/21(日) 02:52:52 ID:95UWwbUg
いざ関東から攻め込もうとしても近江、越前、伊勢、東海道には豊臣恩顧の大名がひしめいてるからな
306人間七七四年:2008/09/21(日) 03:32:41 ID:2Dz0LmCP
まぁ秀吉死んだら大多数が徳川方についちゃうんだけどねw
307人間七七四年:2008/09/21(日) 12:12:55 ID:CXzo8T0d
まさに東軍だぜw
308人間七七四年:2008/09/21(日) 12:24:35 ID:jThRUH7a
やはり豊臣秀次がいないとダメだな
309人間七七四年:2008/09/21(日) 16:15:37 ID:xsIwxr7V
秀次でも所詮は織田信孝どまりだろ。
310人間七七四年:2008/09/21(日) 16:20:00 ID:5Mvd8BIJ
秀次が生きていたら、秀次を名目上の旗頭にして秀頼滅ぼすか、
逆に秀頼を旗頭にして秀次滅ぼすかして、史実より楽に政権取れそう。
311人間七七四年:2008/09/21(日) 18:15:25 ID:eb7KwB0m
家康封じのために家康旧領の東海道沿いに配置された大名は
山内一豊、田中吉政、中村一氏など秀次に付けられた大名が多かった。
秀次が処分されずに後継者のままだったら、この人たちは重臣として政権の中枢にあったわけで、
家康も動きづらかったのではないだろうか。
また主である秀次が死んで秀吉に不信感を抱いたことがこの人らが揃って東軍についてしまった遠因かもしれません。
312人間七七四年:2008/09/21(日) 18:38:23 ID:OuT+z27S
政権切り回すのが一豊や吉政だと政権が揺らぐ気がする…
313人間七七四年:2008/09/21(日) 19:22:46 ID:VRta5Bqj
それ以前に秀次は名君だったのか、殺生関白だったのか、結局どっちなんだ?
314人間七七四年:2008/09/21(日) 19:33:14 ID:Q7M/1+iD
ずいぶん極端な二者択一だな
315人間七七四年:2008/09/21(日) 20:05:13 ID:VRta5Bqj
>>314
まぁ、確かに…
では秀次は天下を継ぐに値したのかどうか…
316人間七七四年:2008/09/21(日) 20:17:40 ID:5Mvd8BIJ
>>315
人間性は良かったと思う。頭も良かったように思う。ただ政治性に欠落した部分は、正直あったとも思う。
仮に秀吉死後まで生きていても、家康に対抗できたとは思えない。
317人間七七四年:2008/09/21(日) 20:22:12 ID:jThRUH7a
いや近江から東海筋を押さえている秀次はかなり有利だよ。
しかも最上や伊達など諸大名との仲も良いし、大名に金を貸しまくってたのを、秀吉は人気取りだと怒ってた。
秀吉は秀頼かわいさの余り、有能な秀次を殺したと言える。
実際、秀次生存なら徳川の出る幕はなかったろう。
318人間七七四年:2008/09/21(日) 20:25:53 ID:krRvTifZ
>>316
> ただ政治性に欠落した部分は、正直あったとも思う。

具体的にはどんな点があげられる?
秀次が無事に後継となって政権の中枢にいれば、家康でもそれを覆すのは結構難しいと思うよ。
319人間七七四年:2008/09/21(日) 20:53:31 ID:5Mvd8BIJ
>>318
まあ結局は、秀頼が生まれた後の政治状況を上手く遊泳できなかった事だと言うしかないわな。
前後の状況から、秀吉が秀頼のために、秀次を危険視し始めている事はみんなわかっていたんだから。

秀次は秀吉の真意を測りかねて、結局自分に係わる全てを滅ぼしてしまった。
そう言う部分でやはり、政治性に難があったと言っていいと思うのだけど、どうだろう?
320人間七七四年:2008/09/21(日) 20:59:38 ID:FXaHrT1Y
秀吉の真意も何もあったもんじゃないよ、あんなの
我が子かわいさに冤罪着せて妻子皆殺しなんて、そんな狂人の
意図なんかはかれないって
321人間七七四年:2008/09/21(日) 21:09:35 ID:VRta5Bqj
俺が言うのもなんだが、秀次スレになってる件
322人間七七四年:2008/09/21(日) 22:30:03 ID:a45kbDX8
秀吉が信長に「養子に下さい(羽柴家を継がせますから)」と言ったように秀次が秀吉に「秀頼殿を養子に下さい(関白を譲りますから)」という手に出ても、やっぱり殺されちゃっただろうか。

まあ「一粒種をやれるかバーロー」で一蹴されるのがオチかもしれんけど
323人間七七四年:2008/09/21(日) 22:32:02 ID:2Dz0LmCP
用は跡継ぎを秀頼に譲ると進言すれば良かっただけだろ
そんで秀頼の後見人にでもなって実権を握れば良いだけ、生まれてすぐに言ってれば天寿をまっとうしてたんじゃね?
我が子可愛さなんて親ならわかるだろうに・・・・ましてや老いてできた子
政治性に難があったというよりは人感情の機微に疎かっただけだろ・・・・秀吉は特に感情の起伏が激しいようだからなw
気の利かない秀次に対して可愛さ余って憎さ百倍になったんだろ
324人間七七四年:2008/09/21(日) 22:37:44 ID:5Mvd8BIJ
いい話スレの前スレに、秀次が高僧と、古典を引用した会話をして、秀吉はそれを理解できずに不機嫌になる、って
話があったな。

秀次はインテリだったから、学のない秀吉の事を、内心馬鹿にしていた部分もあったんだろうな。
325人間七七四年:2008/09/21(日) 22:39:04 ID:fFwA+KJk
秀次に対する秀吉の処置はまぁ理解できるにしても
秀次の家族に対する秀吉の処置は残酷極まりないもので
こんな事をする何て秀吉は気が狂ったんじゃないかと当時から噂になったらしいね
普通はほとんど見逃される女子供、側室までほとんど殺してしまったから
326人間七七四年:2008/09/21(日) 22:42:46 ID:5Mvd8BIJ
>>325
秀吉は女を良く殺すね。
信孝切腹させた時も、本人と重臣だけでなく、信孝の母親と嫁、さらに重臣たちの女房まで殺させてる。
これは異常だと思うよ。
327人間七七四年:2008/09/21(日) 22:46:15 ID:IX6mj0EG
秀吉はこの手の話がやたらと…
328人間七七四年:2008/09/21(日) 22:49:01 ID:2Dz0LmCP
>>323
人感情ってなんだw訂正
人の感情の機微な
秀次がうまいこと立ち回って生きてたら豊臣政権続いてたんじゃないかな
最上、細川、伊達らは家康の取り成しで事なきをえた、みたいだし家康が諸大名に恩を売るきっかけにもなったしな
>>325
そこだよなw
秀次に対する憎悪がよっぽどだったんだろうな〜庇った前野長康、木村重茲、渡瀬繁詮、等自分の譜代の家臣まで殺してるしなw
感情の起伏が激しすぎるんだと思うw母ちゃん死んだら泣いて失神するような男だからな、その逆は・・・・
329人間七七四年:2008/09/21(日) 23:04:07 ID:5Mvd8BIJ
ここがまとめサイトに上がってた
ttp://2ch.xn--o9j0bk.gaasuu.com/entry/14719
330人間七七四年:2008/09/21(日) 23:04:55 ID:rLgdYtFk
おいィ!一瞬別のスレ覗いちまったかとおもったぜ?
331人間七七四年:2008/09/21(日) 23:42:48 ID:ooc2SvKP
信孝に関してはむしろ一度秀吉に降伏して、母親や娘を人質に出しながらも
敢てなお秀吉に再び反旗を翻した信孝の感覚に慄然とする
天下を目の前にすると肉親の情とか倫理観が消し飛ぶんだろうな
って信孝は本能寺の変でも憶測で津田信澄を攻め殺したり、
清洲会議で勝家を味方に付けるために叔母のお市の方と婚約させたりしてるから
元からこんな奴なのかもしれないけどね
332人間七七四年:2008/09/21(日) 23:46:31 ID:5Mvd8BIJ
死の盆踊り

伊予曾根歯長城は長宗我部元親の攻撃を受けていたが、堅固に守られた城は
攻めるに難く、長宗我部勢は結局撤退した。

さて、それから間もなくの夜、城の近郊にある曾根天満宮が騒がしく、何事かと調べた所、
町人たちが戦勝の祝いに、盆踊りに興じているという。
お祭りごとが好きだったこの城主は、早速踊りを見物しに向かった。

無論、罠である

踊っていたのは町人に扮した長宗我部の兵たちであった。見物に現れた城主に
たちまち切りかかり、彼は鼻を削がれて討ち取られた。
これ以降、この地方では盆踊りの事を「鼻取り踊り」、転じて「花取り踊り」と
呼ぶようになったという。

元親はこの謀略がよほどお気に入りだったらしく、野根城主惟宗国長にも、天正三年七月、
手の者に派手に盆踊りをさせ、その見物に国長出た隙に、長宗我部勢が城を攻め立て、落城させている。
333人間七七四年:2008/09/22(月) 10:50:05 ID:LGwzFcum
死霊の盆踊りだな
334人間七七四年:2008/09/22(月) 15:44:16 ID:jQkYfhLy
サスペンスドラマの題名みたい
335人間七七四年:2008/09/22(月) 16:29:27 ID:VfBQu8Pe
一方山内は相撲大会を使った。
336人間七七四年:2008/09/22(月) 17:35:10 ID:VSnhYztH
>>333
建前ホラーのヌード映画か
337人間七七四年:2008/09/22(月) 22:43:17 ID:o2rTTeK0
一方、竜造寺は猿楽をry
338人間七七四年:2008/09/22(月) 23:28:41 ID:SkfRxBfU
一方、宇佐美は舟遊びにry
339人間七七四年:2008/09/22(月) 23:41:37 ID:sX002wdZ
一方、宇喜多は酒宴でry
340人間七七四年:2008/09/22(月) 23:44:03 ID:AeniqIjh
一方、鮭様は見舞いでry
341人間七七四年:2008/09/23(火) 07:14:24 ID:AqCO100h
一方、信長・義龍は仮病でry
342人間七七四年:2008/09/23(火) 07:16:57 ID:nWXizedx
一方、政宗は父ry
343人間七七四年:2008/09/23(火) 10:32:00 ID:0pQfQ98F
一方元成は偽手紙でry)
344人間七七四年:2008/09/23(火) 10:32:20 ID:7F04IjnH
一方、蠣崎は和睦の酒宴にアイヌを招いてry
345人間七七四年:2008/09/23(火) 10:36:59 ID:WucQH2XI
くどい
346人間七七四年:2008/09/23(火) 11:12:05 ID:PVmbkiBX
うつくしま福島正則

関ヶ原からしばらくたったころ
備後尾道に贋金作りの組織があった。彼らが京都銀座の大黒屋常是のところで贋金を両替した。
3年後また、同じ連中が大黒屋に両替に来た。そしてたちまち捕らえられた。常是は両替の後
それが贋金であることに気がつき、彼らをいつも警戒していたのだ。

これを取り調べたところ、福島正則の領地、尾道の者だと判明した。京都所司代がその旨を福島に
報告したところ、福島は怒った。贋金作りを捕まえた大黒屋常是に対してである。

「常是は町人の分際で我が領民を絡め捕り、板倉殿に届けるとは憎き奴!」

贋金作りの銀貨は、およそ半分ほど、銅を混ぜた物だったと言う。

「ならば常是の吹いた銀の中に少しでも銅が混じっていれば、同じように磔にかけるべし!」

そう強硬に主張した。当時の精錬技術では、銀の生成の過程でどうしても少量の銅が混じる。
福島はこれを知った上で、贋金作りを殺すなら、同じく常是も殺せ!と言っているのだ。

常是は犯罪人を捕らえたことが何故にこれほど反発をされたのか、理解できなかったが、
大大名である福島の機嫌を損ねるのも得策ではなく、所司代との話し合いの上、福島側での処罰を条件に
犯人の身柄を引き渡す事にした。

が、福島は贋金作りの身柄を引き取ると、処罰もせずに放免してしまった。
これには常是のみならず、京都所司代のメンツまで潰してしまった。

正則がやがて改易にいたる理由の一端が、垣間見られるお話。
347人間七七四年:2008/09/23(火) 22:09:53 ID:Pz32OEzM
自分の味方というか所属の人には徹底的に優しい人だからな
348人間七七四年:2008/09/24(水) 01:25:16 ID:+XfES3VD
>>342
政宗といえば。
母親の毒殺説は創作だと、いまでは仙台市すら否定することになった。
つまり、政宗は母をだしにして弟を自ら斬殺したということになる。

なのにたとえば伊達政宗歴史館は、

行動力・統率力・智略、時代を見抜く洞察力を持った武将。母に疎んぜられた不幸な幼少期と父の惨死を越えて、遂に奥州を制覇。徳川幕藩体制の確立で天下人になる夢が破れてからは、仙台藩繁栄の基礎を固めました。秀吉もその武勇を恐れ家康も賓客の礼をとった政宗の生涯

こんなこと書いているんだよな。悪いよなあ…
349人間七七四年:2008/09/24(水) 01:27:56 ID:y+XhAe2h
ヒーローは作られるもんだからねぇ。
しかし、悪いねぇw
350人間七七四年:2008/09/24(水) 01:28:01 ID:LpJ1l2ya
そうだね、プロテインだね。
351人間七七四年:2008/09/24(水) 02:39:18 ID:97t17t8T
>>348
うわぁ、悪いな・・・。
これは本当だ、と胸を張って言えることがほとんどない。
352人間七七四年:2008/09/24(水) 02:49:45 ID:PHcWDp0m
そういえば福島と伊達の絡みなかったっけ
福島の家来が伊達屋敷?の庭を勝手に通過して、咎めた伊達家来に逆ギレ
伊達家来が福島家来を討つ
これに正則が激怒して、政宗に対して下手人寄越せと迫る
政宗はお前の家来が悪いだろ。ふざけんなと、拒否するが、
豊臣政権下なので子飼いの福島には逆らえず、浅野長政の言に従って泣く泣く首を渡した

って駄文で申し訳ない
ソースも覚えてないし、ところどころ違う部分もあるかもしれんし・・・
しかし福島鬼だな
353人間七七四年:2008/09/24(水) 03:00:09 ID:y+XhAe2h
家康の話に伊奈昭綱にそっくりだな。
福島ちょっと家臣を溺愛しすぎだろw
354人間七七四年:2008/09/24(水) 03:01:30 ID:CcBXCDU4
おぉ…
あまり接点無さそうだったが
355人間七七四年:2008/09/24(水) 20:34:23 ID:Kmy+1lU8
>>348
晩年の政宗は手記に「母上にはお恨みあり」「弟を殺したことは我ながら情けなく涙が出る」と書いているが
なにかあったんじゃないの?
356人間七七四年:2008/09/24(水) 20:41:07 ID:cgh0o3Pk
>>355
それも政宗のアリバイかもしれんね
家中で「母が悪いって言いふらしておけよ」と命令出したわけだし
357人間七七四年:2008/09/24(水) 20:41:12 ID:mFo7btwR
生前から将来の評判を考えて動機ねつ造にいそしんでた可能性もw
ほとんどの像や画に両目いれてるぐらいだし
358人間七七四年:2008/09/24(水) 20:44:47 ID:qiVa1huP
その死んだはずの弟が生きてる話もどっかにあったなぁ
359人間七七四年:2008/09/24(水) 21:33:52 ID:bAxXmDbO
>>357
李世民みたいだなw
360人間七七四年:2008/09/24(水) 22:37:45 ID:HoX49ok7
>>358
花の慶次だと坊主になってフェードアウトしていくな
361人間七七四年:2008/09/25(木) 00:45:37 ID:MEE2xOHi
まだはっきりしたわけじゃないのだな。伊達エピソードは今更というか
有名な話感じ。
そして思っていたより秀吉話が少ないなw
362人間七七四年:2008/09/25(木) 00:48:35 ID:/T7m59qx
秀吉の場合ちょっとどころじゃないからスレ (´∀`( ´∀`) チガイ
363人間七七四年:2008/09/25(木) 01:42:56 ID:MEE2xOHi
成る程w
364人間七七四年:2008/09/25(木) 02:26:25 ID:k3MlTtHo
>>356
私的な手記だからそれはありえないでしょ
365人間七七四年:2008/09/25(木) 02:27:47 ID:k3MlTtHo
どうも自演臭くないか?
366人間七七四年:2008/09/25(木) 02:41:17 ID:MEE2xOHi
言われてみれば確かに。

ならこの手の話で王道すぎて
逆に癒されるヤンデレ忠興の話を…
367人間七七四年:2008/09/25(木) 05:01:20 ID:PbGBrmzq
政宗の話すると最近頻繁に暴れてるアンチが湧くからな
368人間七七四年:2008/09/25(木) 09:43:44 ID:u8xVdDcU
それは最近でもないし、戦国板だけというわけでもない
369人間七七四年:2008/09/26(金) 02:27:07 ID:VLWPQ6jF
このスレ見返すと意外と長曽我部えげつないな。
370人間七七四年:2008/09/26(金) 12:27:59 ID:tfyYMlnq
長宗我部と言えば、吉田兼見だったかな?日記に

「四国で、長宗我部と言う大名が暴れているらしい。


変な名字。」

という。現代人と全く同じ感想を書き残しているw
371人間七七四年:2008/09/26(金) 13:06:59 ID:jUo/KixX
>>353
関が原の時の伊奈今成じゃなかった?
伊奈の部下の不祥事で井伊直政や本多忠勝に相談して
かわりに6人の首を差し出したが
福島が納得しないどころか反旗をちらつかせて、
結局、家康が伊奈を切腹させたって言う。
政宗の似た話はおそらくパクりでしょう。こっちは忠勝や直政まで登場してリアルだから。
政宗に関しては、太田道灌の将軍の猿の話のパクリとかたくさんあるから。

福島は天然痘にかかり死にそうな秀頼に一番最初に安芸から駆けつけて見舞ったんだよな。
二条城の秀頼と家康の会見では、
家康には病気で行けませんって答えて置きながら
安芸から大軍を動員して大坂城で籠城の準備してるし。
大坂冬の陣では、この時の籠城用の食料弾薬を福島が大坂方に渡したから長期籠城可能だった。
秀忠も律儀な福島に同情的だったから川中島4万5000を与えたとか。
古代より欲が元で人々は荒み悪くなったと嘆いている者も多いが
戦国の世でさえ、心清らかな人がけっこういるよね。未来もきっと今と人の心は変わらないよねって福島が言ってるんだよな。
そんで400年後の我々が戦国と比べてどうなのかということなんだが・・・

372人間七七四年:2008/09/26(金) 13:17:13 ID:jUo/KixX
ちなみに福島の家臣は伊奈の部下に辱められて
屈辱で嘆き、福島に迷惑がかからないように暇乞いして
徳川の陣所へ切り込み死のうとしてた。
福島はそいつが死を決意してたので、止められず
伊奈も討ち取れないだろうから、
まずお前が腹を切れ。そしたらお前の仇の伊奈を必ず地獄へ叩き込む!
なんて言って、腹を切った男の首を徳川の陣へ送って
伊奈の身柄の要求をしていたのであって
福島が理不尽に怒り狂い要求してたわけではない。
373人間七七四年:2008/09/26(金) 13:45:13 ID:TzYJQqku
理不尽な気もするが・・・
374人間七七四年:2008/09/26(金) 14:35:38 ID:sHaKSLri
理不尽だな

つまり今風に言えば中堅会社(福島家)の社員(家臣)が酔っ払って管巻いてるのを警備員(伊奈家家臣)に怒られたけど暴れて通報・逮捕されたわけだろ。
それを酔いが醒めて恥ずかしい思いをしたから辞表(切腹)出したら社長(正則)が怒って警備会社に詰め寄った。
で、仕方ないから警備会社は職務を執行した警備員6人を解雇して、しかもその責任者まで辞表を出すしかなかった。と

凄い理不尽だな
時代背景を一緒にするのは違うが善悪がどちらにあるかは明確
つまり正則は脳筋でDQNだと思われても仕方が無い
375人間七七四年:2008/09/26(金) 15:16:07 ID:1kelBgtz
厨ホイホイスレだな。公然と悪口書き込めるしww
376人間七七四年:2008/09/26(金) 15:35:10 ID:jNnYSejy
伊奈が現場責任者でありながら
「俺その場にいなかったから知らなかった」って本多や井伊にとぼけただろよ…なぜとぼける必要があったのかね?
勝者家康側が豊臣系家臣団を貶める為に歴史歪曲した典型例だろ。
それに武士の辱めと現代の恥の感覚じゃまったく重さが違うと思うが。
377人間七七四年:2008/09/26(金) 15:44:28 ID:TzYJQqku
>>375
ここをどこだと思ってんだよw
378人間七七四年:2008/09/26(金) 16:43:20 ID:tfyYMlnq
イエズス会日本管区、準管区長ガスパル・コエリョからフェリペ二世への手紙


「日本を植民地化しカトリックに改宗させてしまえば、我々は大量の、好戦的で怜悧な兵を
得る事ができ、これによって、中国征服も可能になるでしょう。」


スペインの本音。
379人間七七四年:2008/09/26(金) 17:05:22 ID:08y/tq6O
最近久しくこういう厨を見てなかったが、久々に良いもの見れた。
380人間七七四年:2008/09/26(金) 17:23:09 ID:tfyYMlnq
もう一個スペイン話

秀吉のキリスト教禁教政策への転換に、決定的な影響を与えたサン・フェリーペ号事件。
この時秀吉は、サン・フェリーペ号の乗員および宣教師を処刑し、積荷を没収した。
この事件に対しての、スペインのフィリピン総督からの抗議書


「船の乗組員や宣教師は皆処刑されたそうですが、考えてみれば、これで彼らは神のいる天国に
召されたわけだから、まあそれはいい。

そんな事よりも、ともかく積荷を返してください。」
381人間七七四年:2008/09/26(金) 18:07:46 ID:mrnvUjWj
総督ナイス!
382人間七七四年:2008/09/26(金) 18:22:42 ID:XqZmN/D5
直江兼続の家臣が領民といざこざを起こし、その領民を斬り殺してしまうという事件が起こった。
調べると家臣の方に非があるようで、兼続は慰謝料を領民の家族に送ることにした。

しかしこの領民の家族は「金はいいから死んだ本人を還して欲しい」、と抗議。
兼続の説得にもどうしても応じないばかりか、一層騒ぎ立てる始末。

ムカついた兼続はこの領民達を斬殺、死体に手紙を持たせる。

「閻魔大王へ
 先ごろ死んでしまい、そちらに行った者だが、家族達を迎えにやるので、こちらの世界に戻して欲しい。

                                                         直江兼続」
383人間七七四年:2008/09/26(金) 23:03:46 ID:V0pXhiFm
戦国のプロ市民w
384人間七七四年:2008/09/26(金) 23:09:15 ID:bP1pJXFJ
巧みにこの世から不満の種を消し去ったわけですね、わかります
385人間七七四年:2008/09/26(金) 23:14:30 ID:zoc16JUz
この話を聞くたびになんともいえない気分になる
不思議な種類の話だ
兼続も悪いが、ここまでの処置をされるとは遺族もそうとう食い下がったんだろうなぁ
両者共にもう少しやり方があったろうに
386人間七七四年:2008/09/26(金) 23:20:49 ID:mrnvUjWj
「愛」
387人間七七四年:2008/09/26(金) 23:21:46 ID:tfyYMlnq
>>385
まあ、学問的に捉えるなら、当時の上杉家中における、裁決に服せずあくまで我を通そうとする国人勢力の強力さと、
それを制御しようとする直江の武断主義を見るべきなのだろうな。

皮肉に考えれば、あえて直江がそこまで騒ぎを拡大させて、家中統御の見せしめとして処分した、とも
見れなくもない。
388人間七七四年:2008/09/26(金) 23:28:58 ID:zoc16JUz
>>387
なるほど 背景あっての遣り様・・・という訳か
389人間七七四年:2008/09/26(金) 23:29:43 ID:jUo/KixX
バカだな。この話は中国古典にそっくりの話がある。
史記の西門豹のネタの改良バージョンだろ。
390人間七七四年:2008/09/26(金) 23:31:35 ID:zoc16JUz
バカじゃねぇよ! ・・・無知なだけです
391人間七七四年:2008/09/26(金) 23:49:44 ID:8SiywpS+
これは恥ずかしいw
392人間七七四年:2008/09/27(土) 00:03:49 ID:uFjkpPlS
>>389
いやあ、この逸話自体は北越耆談にあるもので、これは米沢藩士の手で1661年に成立した本で、
講談物ではないきちんとした上杉氏の歴史資料だよ。「上杉史料集」にも収録されておる。
393人間七七四年:2008/09/27(土) 00:17:07 ID:8LtcpjaG
なるほど。じゃあ兼続がその古典を読んで知ってたんじゃないか?
明治以前の文化人なら史記ぐらい読んでるはずだし
394人間七七四年:2008/09/27(土) 00:17:35 ID:QdCsK1Nx
長文書いたり馬鹿にしたり忙しい奴だなw
395人間七七四年:2008/09/27(土) 01:09:54 ID:2d68chWV
読んで知ってるどころか現在日本に残る最古の史記は
直江兼続所蔵のもので国宝指定されてますよ。
396人間七七四年:2008/09/27(土) 01:19:33 ID:uFjkpPlS
>>395
直江所蔵と言うか、妙心寺の僧侶、南化から譲られた、いわゆる宋版本だね。
これ、南宋の時代に刷られたものだが、なんと現存するものの中では、日本どころか
世界最古の史記。
397人間七七四年:2008/09/27(土) 01:37:39 ID:2d68chWV
では直江のちょいわる話。

上杉が会津に移封された時、越後の年貢を丸一年分持っていってしまった。
そのため上杉のあと越後に入った堀は困り
「移封の際にはあとから来る大名のために年貢を半分残しておく決まりのはず。
持っていった年貢半分返せ!」と抗議したのだが
直江は「蒲生が会津から年貢を一年分持っていったから上杉も持参したまで。
そちらも旧領から年貢を持ってくれば良かっただろう。
これはそちらの落ち度だからうちに文句を言うな」と突っぱねた。
しかも直江は石田三成と謀議し上杉はお咎めなし。

当然ながら堀は移封で大変なときに本来あるはずだった収入を
ごっそり半年分持ち去られてしまってたいそう困った。
仕方なく新潟の代官から借金して当面の費用に充てたのだが。

新潟は元々上杉領であり代官は上杉家家老の直江とは旧知の間柄。
直江はこの代官から堀の借金の証文を手に入れ、
堀は借金させられた元凶の直江からちくちく借金返済の督促をされた。
398人間七七四年:2008/09/27(土) 02:27:34 ID:GgWPMhso
なんかこういうの見ると、関ヶ原で裏切った諸候の気持ちが分からないわけでもなく感じるな。
直江も嫌なヤツだが、石田も嫌なヤツすぐるw

なんか狡猾さを感じさせる憎らしさ。
どこか愛せる憎らしさじゃないとこが、この石田-直江コンビの逸話のミソだな。
399人間七七四年:2008/09/27(土) 03:26:05 ID:CRYm4P6l
良くも悪くも官僚てかんじ。
狡猾な政治家じゃなくて賢しらな官僚というか。
仕事超できるんだろうがこれだけ読むと
ちょっとこわいよなーw

直江の書いた本とかは何か…ズレてる感じは
したが嫌な奴とは感じないんだがねぇ。
400人間七七四年:2008/09/27(土) 08:10:42 ID:2rV+hiuN
まぁ、直江アンチというわけではないが、
有名な逸話からして、スッキリしないものが心に残るようなものが多いし

逸話で本人の性格を語るのは野暮というのも分かるんだけどね
401人間七七四年:2008/09/27(土) 08:16:02 ID:BiX96uP0
蒲生が年貢全部持ってったってのはマジ?
402人間七七四年:2008/09/27(土) 08:54:04 ID:2d68chWV
そんなやり手官僚直江さんが後世の民のために残したお言葉。

「働かんと井戸端会議ばっかりに精を出す女は
手入れが悪いからあそこも臭いぞ!」

「女房は下着をチラチラさせながら野良仕事しろ。旦那のやる気が出る」
403人間七七四年:2008/09/27(土) 09:03:47 ID:9jXWbxSE
直江ぐらい抜けぬけと国益を追求しつつ、
教養深くて冗談も飛ばせる政治家が現代にはいないな。
404人間七七四年:2008/09/27(土) 10:40:28 ID:CRYm4P6l
2ちゃんねるで見そうな内容だよなw
吹いた覚えがある。
直接的すぎる表現
405人間七七四年:2008/09/27(土) 10:49:19 ID:s2T5FOMM
流石、「愛」の侍w
406人間七七四年:2008/09/27(土) 13:30:19 ID:bqk9yMTs
>>402
>旦那のやる気が出る。

沸くのは仕事に対するやる気じゃないだろw
407人間七七四年:2008/09/27(土) 13:35:40 ID:TSedQrhD
犯る気だな
408人間七七四年:2008/09/27(土) 13:36:21 ID:gcHbUg5Y
北方の人生相談みたいな台詞だ
409人間七七四年:2008/09/27(土) 14:25:06 ID:mkupVjAo
>>403
国益追求したのに領地減ってるけどね。
410人間七七四年:2008/09/27(土) 14:46:52 ID:CRYm4P6l
死ぬ気でやればなんとかなる!

みたいなことも書いてたか?
結局それか!?と思わず突っ込んだような
411人間七七四年:2008/09/27(土) 14:56:01 ID:uFjkpPlS
>>410
それは直江の書いた「秘伝集」にあるやつだね。直江本人が書き写したなんらかの写本だと言う話らしいが。
「小便をしたとき、泡が立っていればその日は心配ない」とか書いてあるw
412人間七七四年:2008/09/27(土) 16:27:52 ID:nBN0oy8I
>>389
> バカだな。この話は中国古典にそっくりの話がある。
> 史記の西門豹のネタの改良バージョンだろ。

いや、似たような話だからと言って一概にパクリとも言えんのだわ。
たとえば毛利家の三本の矢の話は登場人物の年齢が合わないなど
の点から、元朝秘史からパクってでっち上げたネタだろうってのは
確定的。
逆に鳥居強右衛門の磔は似たような話が史記に載ってるが(宋が
楚に攻められたときの晋への救援要請の使者)こっちは目撃談が
多く実際に鳥居強右衛門の磔はあったものと判断できる。
まぁ、人間たまたま他人と同じような発想に至るときもあるってことで。
413人間七七四年:2008/09/27(土) 16:28:10 ID:ZzkxtGPX
当時の便所で泡立ちが見えたのだろうか
414人間七七四年:2008/09/27(土) 18:03:38 ID:bqk9yMTs
御閑所ならばあるいは。
415人間七七四年:2008/09/27(土) 18:19:16 ID:QdCsK1Nx
いざ、つれしょんと参ろうか!
416人間七七四年:2008/09/27(土) 19:59:57 ID:UHjXd7CY

                    、、,,,,,ィ ァ;;;;/ ,,, ,,、、、 ,,,i| l|l||/ ll|;;;;;;;l;;;l l l;;;;;l|、;;;;;;;;ン | )
三、_,,、-ー'''"    ,,、 '´     ..::ゝ;;//ィ};;;;/ ,ff゙''ー-、;;;;ヽ|||/::ノノノ从l/ l|リノノ//;;彡l;;| | )
 `''ソ彡     ,,/       イツ l| l(リ;;/   '、ッ彡ミヽ;;;;\}}/////"ノノ//ノノ;;彡.|;;| | 」   出 マ 者
'''''ノ"      /        レ'/ノ ヾ'|;;/   ゙'ヽ、,(::)`゙、;;;;;;)";;゙-ー彡'';;;;;ヽj;;;;彡l;l'、| |ヽ
フ        ノ        「|::|/ )  ゙'''|リ      ``゙"",ミミ"ヨ;;;;ィ=;<´゙''/;;;/、|| ';l ヽ之  せ ラ ど
"      /         X::/(    ::イ   三ニ=ー-゙゙'''゙} /}:`''゙='-ー'゙ /イ/   'l| ',', ヽ )
      /        :::リノ:::| 〉  ..::::l       ..::ィ' ノ:,'ノ:::'' ::: :: , "/::  ゙、  l;l | )  // を も
     l/         .::(/ :::|/ヽ  ..:::::l          `::( _,ソ:"  ゙゙゙ , '-'"',::::   l  ゙l| |ヽ, ・・
    ノ´         ..:: |〉 〈_||`'、::::::::',       ,ィ<'ー 、;ミ::ノ,,   , "   ゙,:::::.   }  || | /
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_,∠____     ..:::  |〉  ゙'、l Y''l::::::',     {、、', `''' "〉/  , 'イノ|    l::::::::..  ゙、 ||  ∠_
―-z      \   ..:::::::   |ヽ  \/`''i:::',   、`'ミ'ー-イ/ /∠Yl|    ゙,::::...  リ /     つ___
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417人間七七四年:2008/09/27(土) 20:03:05 ID:BiX96uP0
 l 。|.     :,:'
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   ┃、 ヽ!   ;!l l
   ┃ ヽ  ゙、  .| l/ /
    ・  \ i;;;.| / /
ヽ  、 \  ヾi/ /  /
 `ー-、\ ,ゝ-'! //´
    `´`′  } ,.. j
     ヾ、   ! .:.:ノ
       ,.ゝ.:i:.:.:'.:.
   ,. ' ,. ':,.;;;i;;;;;_:.:..、ヽ
     / ̄     ̄\
   /          \
418人間七七四年:2008/09/27(土) 22:11:57 ID:gdAI9FTj
>>410
前もったけどやっても何とかならない人のほうが多いよね
何とかならに人は首実験で首になっちゃってるから
結果なんとかなった生き残りたちが
「なんとかなる。証拠は俺様」って書き遺し
何とかならなかった人は無言で死ぬから
(元来は稀なれいな)「なんとかなる」という意見と証拠だけが残り
後世の人の誤った感情論や根性論になる
負け組といわれてるひとにはよくわかるんじゃねーのw
勝ち組から上目線で「お前らは努力不足。やる気があればいくらでもスキルアップ可能だ
日本は誰にも公平なチャンスを与える平等社会。やる気不足のむくい。因果応報」と
御高説を聞かされる気分。99%は努力といわれる気分。
その通りなんだが負け組がいくら自己弁護して反論しても鼻で笑われて唾をかけられる

受験対策ですら講演は合格した人しか来ないしなw
419人間七七四年:2008/09/27(土) 22:22:15 ID:92S4iahK
言い訳見つけて最初からやらんのがNGなのも間違いないけどな。
逃げといてそういうこと言って自己弁護してる奴結構居るからな。

418がそうだって言ってるわけじゃないぞ、念のため。
結局程度問題で何でも根性!何でも環境のせい!はどっちも行きすぎだってだけだが
420人間七七四年:2008/09/27(土) 22:37:56 ID:L2NLoyIw
結果はどうあれ持たざる者は努力するしか無いんだよ。
天才や金持ちに勝とうと思ったら倍以上時間割いて努力しなきゃ。
努力しない奴ほど才能や環境のせいにして言い訳してる気がする。

まあ死ぬ気でやって(たのかわからんが)最上すら落とせず領地減らした直江が言っても説得力無いな。
421人間七七四年:2008/09/27(土) 22:52:52 ID:gdAI9FTj
まぁ結局
勝ちに不思議の勝ちあり負けに不思議の負けなしですかね・・・
422人間七七四年:2008/09/27(土) 23:40:14 ID:2d68chWV
最上が死んでたら領地減るどころか直江の首が飛んで景勝島流しだと思うけどな。
423人間七七四年:2008/09/27(土) 23:53:10 ID:Apy+x3wa
確かに最上に苦戦、撃退されたからこそ
景勝&直江は助命、所領減の沙汰で済んだんだよな
最上義光殺しちゃってたらさすがに上杉征伐を再度やることになっただろうし
424人間七七四年:2008/09/28(日) 00:27:52 ID:Ara5GLeM
負けて良かったねってのはさすがに
変だけどな
本人たちは勝とうと戦やってたんだから。
425人間七七四年:2008/09/28(日) 00:28:10 ID:2PCb0JDX
佐賀城の幽霊

慶長十年(1606)、佐賀城三の丸において、次女、侍、僧など14人に密通の容疑がかけられ、
城主鍋島直茂は彼ら全員斬首となった。

ところがその夜から、彼らがいた三の丸に幽霊が現れ始めた。その恐ろしさに、夜番の次女や、
侍たちまで夜の移動を怖がる始末。これを聞いた直茂、大喜びし三の丸に行き、こう言い放った

「さてさて嬉しき事かな。お前達は首を切ってもまだ憎み足りないものたちだったが、
それが死んでも成仏できず、迷いめぐって幽霊となり、苦しんで浮かばれないとは、これは実に良い事だ。
このまま長く幽霊のままでおるがよいぞ!」

その夜から、幽霊はぱったりと出なくなったとか。
426人間七七四年:2008/09/28(日) 00:36:55 ID:FRuutV5P
まあそういう話は別のスレでな。
もうひとつ直江絡みのちょっと悪い、というか微妙な逸話でも。

大坂冬の陣の時のこと。
上杉家は鴫野を割り当てられ、いつものように直江は安田を先陣に、
須田を第二陣にして着陣した。
ところが景勝が「今日の先陣は誰だ」と聞くので直江が「安田です」と答えると
景勝は「それは良くない、須田を先陣に、安田を第二陣にせよ」と言った。
直江は納得できなかったのだが、とにかく当主景勝の命令である。
安田と須田に陣を代えるよう伝えた。

すると、いつも安田に先陣を取られていた須田隊は
先陣の名誉を賜った、これは期待に応えねばとはりきり奮闘。
先陣を下げられた安田隊は、名誉挽回せねばと奮起し、
両者は競い合って働き上杉家は鴫野の戦いで活躍。
それを聞いて皆景勝の采配を誉め讃えた。

ところで先陣を下げられた安田は「直江の讒言のせいか!」と思って激怒し、
直江との仲が以降悪くなったという事である。


無口キャラもいいがフォローしてやれよ景勝。
427人間七七四年:2008/09/28(日) 00:37:54 ID:FRuutV5P
あ、リロって無かった。
別の話が来てたなスマン。
428人間七七四年:2008/09/29(月) 01:25:03 ID:jmoI4CwT
幽霊話は姫路にもあったな。
江戸時代だけど。
429人間七七四年:2008/09/29(月) 04:28:56 ID:g7rWgcjc
刑部姫様?
大国主に手料理御馳走したけど(まずかったのか)以後音信不通になり
ショックで死亡した女の子だからある意味幽霊だけど
そこには年月がったって城が立っていたのだが
秀吉がくるまでは社も祠も城内につくってくれていたので姫さまは黙っていた
秀吉は「このほこら邪魔」と外に移築したので
怒った姫さまは天守に移住しいろいろ祟ってみたのだが秀吉ガン無視
そのうち城主が木下家定に変更。秀吉ほど度胸がなかった家定は不気味がり
当時家来だった宮本武蔵に退治を命じる
天守に向かった若い武蔵を「この子(大国主の時代の人なので
武蔵といえど彼女から見たら超年下の坊やに過ぎない)結構可愛いかも」と気に入り
刀をあげて「これあげるから退治したことにしておきなさいね?」と言って帰した
どうもこの姫さまはこういう度胸がある若者が好みのようで
後年肝試しに来た小姓にも似たようなやり取りののちしころをあげて無事に送り帰したりしている
その後城主が天下のイチモツ大名池田輝政になる
輝政は姫路城を改築(とうかもう新築)住居だった天守を壊されたものの
姫さまは家が大きくなったとそのまま天守に住む
それでも一応の嫌がらせとして
「輝政に呪いかけたので死にたくなかったら城内に八天塔つくれ」などと書いた怪文書を回したり
夜中にだれもいないのを見計らって笑い声をあげたり
3mほどに巨大化して驚かせたりするなど結構いろいろやる
そのうち(偶然?)輝政も病に倒れ「ためしにやってみようか?」と城内に八天塔と刑部明神の祠を建てる
すると不思議と病気はけろっと治ってしまった
その後輝政は刑部姫と直接会談
「ちゃんと祀らないとまた暴れちゃうわよ?」というので
「なら年に一回天守にくるからその時にいいいたことはまとめていってくれんか?普段から出られるとみんな怖がるし」
「うん、それでいいよ。その時は一人で来てね?ついでに広い大天守のほうに移っていいかな?」
「よしそれではそうと決めたぞ」
と、契約成立
以後輝政の死んだあとも城主が池田から変わっても年に一回姫路城主は刑部姫と会談することになったそうだ

ちなみにこの多少は可愛げのある姉より性格が
ちょっと悪い妹が猪苗代城にいるそうだ
2人とも十二単の美女なんだってさ

たぶん>>428が指してるのとは違う話だろうなぁ
430人間七七四年:2008/09/29(月) 04:36:40 ID:R05mGcy8
>>429
怖いし可愛いし・・・!
431人間七七四年:2008/09/29(月) 05:23:12 ID:ITzYFP7i
泉鏡花の「天守物語」がいいやねぇ。
夜叉が池の雪姫さまともお友達なんだよね刑部ちゃん
432人間七七四年:2008/09/29(月) 09:39:39 ID:57zc8377
宮本武蔵が姫路時代の秀吉に仕えるとか、どうやってもありえないけどw
面白い伝説だね
433人間七七四年:2008/09/29(月) 09:43:54 ID:57zc8377
>>432
自己レス
よく読んだら武蔵の主君は木下家定でしたか、御免
それにしても無理があるような
434人間七七四年:2008/09/29(月) 09:52:53 ID:1DOw8rOt
>>429
怪異談なのに
その書き方と口調だと
完全に可愛い娘さんじゃないかw
435人間七七四年:2008/09/29(月) 10:17:24 ID:1DOw8rOt
>>433
一応姫路市が公式に(っていうとなんか変だけど
とりあえず紹介文に載る程度には)纏めた
刑部姫伝説には確かにVS武蔵戦の話があるよ
当時まだ武者修行とかの前で無名な足軽奉公していたとかなんとか
ただし「刑部姫と戦った(勝って本当に追っ払った場合と>>429みたいな
結末の2種類)」という話と
「そこにいた別の怪異を払ったので守護神の
刑部姫が終了後出てきてご褒美として刀をくれた」と
2パターンがある
どちらかというと後者のパターンが有名というかほとんどそう
(姫路城のパンフからwikiまで)なので
公式設定的にはたぶんこっちということになるんだろう(倒したのは妖狐とされる場合が多い)

もっとも>>429みるかぎりやってきた武蔵と嫌がらせするのに飽きてきていた刑部姫が
話合わせて他の妖怪でっち上げ周囲への報告はそういうことにしたんだよ、と
みえなくもないかw

ちなみに姫がくれた刀の銘は郷義弘だそうです
436人間七七四年:2008/09/29(月) 15:35:27 ID:mIYlxK+f
>>428
普通にお菊井戸の話だろう。皿屋敷の元ネタ。

刑部姫は大国主を家に招いたほどの神様だったり、有名な刑部狐だったりするね。

>>418
直江って、なんとかなったのかなぁwと時々思う事はあるがw
437人間七七四年:2008/09/29(月) 16:52:57 ID:B3zAxGNZ
艱難辛苦を与えてもらった人に比べれば何とかなってる
438人間七七四年:2008/09/29(月) 18:09:47 ID:R3en1qpU
>>429
神代の人間(?)が十二単とは、ずいぶん後世の流行り物着てるんだな。
まあ、貫頭衣で出て来られても威厳なくて困るがw
439人間七七四年:2008/09/29(月) 19:31:47 ID:mKSt+y6i
>>436
直江というより景勝が、驚異的に何とかなってる。
普通なら3回くらい(御館、本能寺、関ヶ原)死んでるし、家も断絶ぎりぎりだし。
440人間七七四年:2008/09/29(月) 19:38:58 ID:N4IOjbb5
>>439
ぎりぎりのところで運がいいけど、肝心なところでは運が悪いと言う、不思議な人だよね>景勝
441人間七七四年:2008/09/29(月) 20:47:51 ID:FB5ux2Ft
50歳にもなってたった一人出来た子が男子で
その子が生まれてすぐ正室・側室が立て続けに死んでるのも
ギリギリでなんとかなった範疇かな。<景勝
442人間七七四年:2008/09/29(月) 20:57:15 ID:ROD9uQdF
悪運が強いってやつか
443人間七七四年:2008/09/29(月) 23:45:52 ID:PJpZcXvt
>>441
そのせいかどうかは知らんが、景勝はこの一粒種をかなり可愛がっていたらしい
444人間七七四年:2008/09/30(火) 00:17:36 ID:/h1wZMF+
そんな上杉さんちの世にも奇妙な物語。

謙信・三郎景虎・景勝の義親子三人は全員4月19日に死んでいる(新暦で)
445人間七七四年:2008/09/30(火) 11:37:17 ID:Qo3UCeAn
それはまた因果だな…近しい人間3人ともとは実に珍しい。
446人間七七四年:2008/09/30(火) 18:33:54 ID:CxKzuogR
不思議な家だな
447人間七七四年:2008/09/30(火) 22:12:40 ID:qvRBGt3S
最上義光の(かっこ)悪い話。

義光は寒河江攻めで敵の勇士・寒河江勘十郎を伏兵狙撃で倒した。
その直後の城攻めで、調子がよかったのに浮かれた義光は、
家臣をふりきって単身突撃、鉄棒で敵を殴り倒し、首をとって悠々と
帰陣した。

しかしそれを見た重臣の氏家守棟が血相を変えて叱りとばした。
「殿はバカなの? この間狙撃で敵を倒したくせに、自分も突撃って
バカなの? なんかたのしいわけ? もうみてらんない」
こう言われて義光は恥ずかしそうに(´・ω・`)ショボーンとして、
とった首をそこらにいた人にあげてしまったという。

鮭様は後年長谷堂合戦でも、家臣が止めるのを聞かず上杉勢を
真っ先に追いかけて、兜に被弾している。
彼は謀略家のイメージがあるけど、合戦では力自慢の脳筋だった。
448人間七七四年:2008/09/30(火) 22:51:07 ID:H4xcBuTk
>>447
以前仙台市博物館でその生々しい被弾兜見ました。
ベコッて凹んで前立が吹き飛んでて、兜の中の頭は流血を伴う大きな傷になったはず。
兜がなかったら即死でしょうね。
449人間七七四年:2008/09/30(火) 23:12:36 ID:/h1wZMF+
叱られたけど反省しなかったのかw
興奮すると見境無くなるタイプかな、鮭様。
450人間七七四年:2008/09/30(火) 23:17:22 ID:xrZtu/jZ
>>447
いい話スレで名君の誉れ高い鮭様だけど勇猛だったんだね。
451人間七七四年:2008/10/01(水) 00:02:27 ID:8UOM66QH
首もらっても困るよな、自分の手柄として義光に届けるわけにもいかんだろうし・・・
452人間七七四年:2008/10/01(水) 00:05:05 ID:Wi1C95l2
取られた方も、なんか報われないな
453人間七七四年:2008/10/01(水) 00:09:02 ID:XBCzJ97d
ゴキブリ咥えて駆け寄ってくる猫みたいなもんかw
454人間七七四年:2008/10/01(水) 00:17:03 ID:LtW/xOLN
いい話スレでもそうだけど、知れば知るほど好きになるわ鮭様w
455人間七七四年:2008/10/01(水) 01:34:50 ID:v1ZyT71R
鮭様は逸話がおおいなw
456人間七七四年:2008/10/01(水) 12:46:27 ID:3Kqw5GDY
戦争と神様と

尼子氏による毛利吉田城攻め

尼子の大軍が毛利のゲリラ戦に悩まさせる中城下へと迫り、
一方陶隆房率いる大内の援軍が岩国に集結、この緊迫した状況の中
彼らによるもう一つの戦いが、同じ安芸の国で進行していた。

安芸の国一の宮、厳島神宮外宮宝殿の、遷宮式が迫っていたのだ。

大内義隆、陶隆房はいち早くこれに資金を奉幣。負けじと尼子晴久も多胡辰敬を派遣し神楽銭を持参、
毛利元就は吉田城にやってきた厳島の神官に、討ち取った尼子方の首数十をずらりと並べて見せて
「これこそ厳島大明神のご加護でござる」と、遷宮への協力を表明、

戦乱の真っ最中の遷宮式は、大内、尼子、毛利が、お互いの影響力を見せ付けあう奉幣合戦となった。

戦国の世は、神様の領域でも戦っていた、と言うお話
457人間七七四年:2008/10/01(水) 22:39:50 ID:5T5mXeOw
各地の有力神社も私兵抱えて武装してたからなあ・・・
寺は僧兵だけど神社はなんていうんだろう
458人間七七四年:2008/10/02(木) 02:37:16 ID:XzhRekiF
>>457
「神人(じにん)」
ただし軍事専門ってわけじゃなく、雑役一般をこなす。
459人間七七四年:2008/10/02(木) 09:49:30 ID:poFKyEd/
ゴッドマーン!
460人間七七四年:2008/10/02(木) 10:18:25 ID:5phBNVhW
地球が危ない♪
461人間七七四年:2008/10/02(木) 13:42:41 ID:cF3xEyUH
お前が危ないよなw
462人間七七四年:2008/10/02(木) 17:16:12 ID:EzLelDAc
急いでこーい
463人間七七四年:2008/10/02(木) 19:23:21 ID:nl2yFVyt
マッガーレ
464人間七七四年:2008/10/02(木) 21:56:19 ID:YpnXApUI
マッナーガ
465人間七七四年:2008/10/02(木) 22:37:36 ID:GdWgbOG7
小泉の言う、「我観測す、ゆえに我あり」ですね
466人間七七四年:2008/10/04(土) 08:14:04 ID:Ma7kKQZI
 関が原の戦いが起きる少し前、オランダ人のウィリアム・アダムスの船が
日本に漂着した。家康に気に入られたアダムスがその側近となると、それを聞いた
ポルトガル人やスペイン人の宣教師たちは危機感をつのらせた。プロテスタントの
オランダ人が優遇されると、近い将来、カトリック教徒は日本から追い出されるのでは
ないかと不安になったからだ。
 宣教師たちはアダムスを解雇するよう家康にお願いしたが、家康は聞き入れない。
そこで宣教師たちはアダムスをカトリックに改宗させれば何とかなると思って
アダムス本人の説得に取り掛かったが、これも効果が無かった。
 あせった宣教師の一人がアダムスを呼び出して水の上を歩く奇跡を見せて改宗させようと
こころみた。ところがその宣教師は無様に失敗し、あやうく溺れ死にそうになった。
それを見ていたアダムスが「だから、やめろと忠告したのに」と言うと、その溺れた宣教師は
「お前が改宗しないからこんなひどい目にあったのだ」と、答えた。
467人間七七四年:2008/10/04(土) 08:33:36 ID:aYXq7aWq
>>466
アホスw
468人間七七四年:2008/10/04(土) 08:57:33 ID:McLNQjX/
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言ってやればよかったのにw
469人間七七四年:2008/10/04(土) 09:13:44 ID:i5/csjXg
>>468
つ座布団
470人間七七四年:2008/10/04(土) 09:22:54 ID:Ma7kKQZI
応仁の乱が起きる少し前、当時の京都では借金を帳消しにする徳政令が頻発していた。
京にある宿屋の主人は近いうちに徳政令が出るらしいとの噂を聞きつけると、自分の宿に泊まっている
旅人たちをうまいことを言ってだまし、彼らの荷物を借り受けることに成功した。ほどなくして徳政令が出ると
宿屋の主人は旅人たちに「残念ながら徳政令が出たため、あなたがたから借りていた荷物は私のものになった」
と言った。当然、旅人たちは怒ったが、そのうちの一人がこう言い返した。「そうなると、我々が泊まっているこの宿も
主人であるあなたから一時的に借りているものですから、徳政令が出た以上、この宿も我々のものになりますな」
主人はこの返答におどろいて口論となり、結局は都の役人が調停することなったが、宿屋の主人のせこいやり方を
憎らしく思った役人は宿は旅人たちのものだと判断を下し、宿屋の主人の一家は追い出される羽目になった。
471人間七七四年:2008/10/04(土) 09:25:29 ID:i5/csjXg
>>470
逆大岡裁きだなw
ひでえwww
472人間七七四年:2008/10/04(土) 09:34:32 ID:uCx/U3Ly
宿屋の主人の悪事が自分に返ってきたんだろw
473人間七七四年:2008/10/04(土) 10:33:23 ID:uR13tOTO
これ落語かなんかで聞いたような・・・w
474人間七七四年:2008/10/04(土) 10:37:29 ID:KMMByJPC
>>473
つーか、落語の祖と言われる、策伝和尚の醒睡笑にある話だね>>470
475人間七七四年:2008/10/04(土) 11:30:15 ID:ZZd0ko/A
金森さんの弟ですよね
476人間七七四年:2008/10/04(土) 11:37:32 ID:KMMByJPC
>>475
そそ。兄貴が武闘派戦国大名で弟がお笑いの祖という変な兄弟w
477人間七七四年:2008/10/04(土) 12:50:30 ID:V5Cwniew
>>474
落語にも起源があったニダね
478人間七七四年:2008/10/04(土) 18:09:51 ID:KMMByJPC
醒睡笑にある戦国の笑い話

ある寺で、小僧が夜更けに長い竿を持ち、庭の中をあちこちと振り回してまわっている。
それを見た坊主が、「何をやっているのだ?」と聞くと

「空の星が欲しくて、打ち落とそうとしているんだけれど、落ちない。」

坊主は呆れて

「おまえはどん臭いやつだなあ。そんな物が届くものか。

屋根に上がれ。」
479人間七七四年:2008/10/04(土) 18:12:53 ID:8OPezDZG
小僧
坊主
竿

であらぬ想像をしてしまった件
480人間七七四年:2008/10/04(土) 18:20:05 ID:BoRD5/UV
笑い話じゃなくて悪い話のスレだw
惜しいけど全然違うぞww
481人間七七四年:2008/10/04(土) 19:08:18 ID:Nt9ICge+
戦国でなくて悪いが、みんな大好きDQNの話

政宗が生まれたばかりの10男・千勝丸を「この子愛すべし」とか言って抱いてた時のこと。
赤ん坊とて漏らしてしまった千勝を政宗さん、

「親にションベンたれたりウンコちびったりする様なヤツはロクなもんにならねー!捨てて来い!」
と投げ捨てた。
戦国武将で、親が子を嫌った話は時々あるが、直接に劉備並のネグレクトをかました記録が
残っているのはそうそういない。
(もっとも何日かしたら、また抱いてベロベロバーとかしてたらしいが)

さて、この千勝丸、元服後は宗勝と名乗り従五位下・兵部大輔を授かった。

伊達兵部。「伊達騒動」の立役者・原田甲斐宗輔の黒幕と言われる男である。
将来の獅子身中の虫を、独眼竜は見抜いていた・・・
訳ねーな。
482人間七七四年:2008/10/04(土) 21:27:47 ID:DG8BgajL
やっぱり政宗DQNすぐるwwww
483人間七七四年:2008/10/04(土) 21:31:25 ID:9vPxxqZY
DQN話だいすき!
484人間七七四年:2008/10/04(土) 21:46:35 ID:SolQnSGV
政宗とか忠利とかのDQN話は微笑ましすぎるwww
485人間七七四年:2008/10/05(日) 00:57:19 ID:EBq6e231
政宗とDNAが近いみんな大好き鮭様ですよー。

最上義光の(かっこ)悪い話その二。

大崎合戦で敗北した政宗。義光はこの機を逃さず、伊達包囲網を強化。
容赦ない攻撃でついに政宗を追い詰める。最上伊達は対陣、緊迫していた。
しかしその時…最上最大の弱点が戦場におりたつ。
「げえっ、お義!」
義姫=義光の妹、政宗の母、それはシスコン義光にとって致命的だった。

「お兄ちゃん、もういい加減にして! 伊達とは戦わないで!」
連日の妹の懇願に困る義光。交渉が続く中、義光は妹を気遣ってか、
はたまた攻撃意志のないことを示したのか、我が子を義姫の遊び相手に
連れて行っていた。子は何もわからず「おばうえー」と無邪気になついている。
それを見た義光は…
ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!
子供はイイナーと人目もはばからず号泣してしまった。
戦場の中心で号泣した大将、しかも妹のせいで、こんなみっともない
男はかつていただろうか…。

結局鮭様は妹に負けて和睦したが、そのあと妹に出した手紙には
「こんな恥ずかしいことはないよ! でもおまえのために仕方なく和睦したからね」
と書いてあったという。
シスコンは時に平和をもたらす。ただし恥とひきかえに。
486人間七七四年:2008/10/05(日) 00:59:43 ID:NmBvPDuB
え、ええ話やないかい
487人間七七四年:2008/10/05(日) 01:32:22 ID:o9310wOC
鮭様、人が良すぎるよね。
大河ドラマ並みに冷徹な人柄だったら政宗が奥州の覇者じゃなかったかもしれない・・・
488人間七七四年:2008/10/05(日) 01:36:02 ID:sQu5gLpz
独眼竜の時は悪そうなオーラ出まくってたよな
しかし実際は鮭大好きなシスコンw
489人間七七四年:2008/10/05(日) 01:45:21 ID:y3zrgWsY
結局大崎も伊達に半分従属的な立場になるんだよな
ダメじゃねぇかシスコン鮭様ww
490人間七七四年:2008/10/05(日) 01:48:18 ID:gWDG7OVL
鮭様も政宗も逸話大杉w
491人間七七四年:2008/10/05(日) 01:58:38 ID:ywNh9wlV
鮭様はさすがだお(;ω;)
492人間七七四年:2008/10/05(日) 02:05:21 ID:z+HkIDVI
東北限定っつーか
DQN政宗と鮭義光スレになってるなww
493人間七七四年:2008/10/05(日) 02:05:47 ID:TMcaadFL
山形城って意味無くだだっ広いけど
鮭様は何がしたかったのかな。
もし鮭様が現代に生きていたら、三の丸あたりを全部
養殖場にするのは間違いないと思うけど。
494人間七七四年:2008/10/05(日) 02:09:34 ID:gWDG7OVL
鮭様は逸話は多いけど史料少ないのが悲しいとこだなぁ。

そういえば山形城本丸復元は史料無いからできないんだっけ…?
史料でてこないかなぁ…。
495人間七七四年:2008/10/05(日) 07:51:41 ID:uF10+Bx4
ここは最上義光を好きになるスレですね
ノブヤボで最上幕府開いてみるかな
496人間七七四年:2008/10/05(日) 09:51:56 ID:EdCOSCkU
鮭様の話は微笑ましくて大好きだw
497人間七七四年:2008/10/05(日) 11:22:27 ID:ycak+DLu
>>494
本丸は今復元してるよ
498人間七七四年:2008/10/05(日) 11:26:55 ID:nW5B3IGB
>山形城
鮭様が増築されたときには関ヶ原の合戦の功績で加増されて60万石程度になっていたと思う。
んで、それにふさわしい立派な城を!・・・ということで山形城を造ったのだ

が、結果は・・・。・゚・(つд∩) ・゚・ 。

最上家無き後、山形城に封じられた大名もこの城の維持には苦労させられたようで
それだけでこのスレのネタが多数出来るが・・・いかんせん板違いだ罠w
499人間七七四年:2008/10/05(日) 11:31:56 ID:FudHZj4k
山形城の話はセーフにしようぜ!
500人間七七四年:2008/10/05(日) 11:32:11 ID:ycak+DLu
山形県出身として鮭様人気は嬉しいけどほのぼのネタ投下してんじゃねぇよ!
501人間七七四年:2008/10/05(日) 12:00:56 ID:xyrTAwho
>>500
だったらてめえがネタ投下して流れ変えろ! 

         〈〈〈〈 ヽ           ,,----、,,,,,,,,,、、
          〈⊃  }          / ,,-‐―、ヽヽヽヽ >>500
   ∩___∩  |   |          / //    ヽ))))ヾ
   | ノ 義光   ヽ !   !         i!Ξ/' .,,,,、、,,,,,ヽξ
  /  ●   ● |  /         , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
  |    ( _●_)  ミ/   ,,・_  , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
 彡、   |∪|  /    ’,∴ ・ ¨  l    ;::)‐=‐^ン:/
/ __  ヽノ /    、・∵ ’     ヽ.   ;:丿..:::::...::::::/
(___)   /         (ヽ、__,.ゝ、   ::::::::::::::_ノ ,-、

502人間七七四年:2008/10/05(日) 12:02:52 ID:zG9oqrO2
時々ちょっと「悪い」話スレだって事を忘れそうになるなw
503人間七七四年:2008/10/05(日) 18:27:58 ID:gWDG7OVL
>>497
建物自体は復元できないって書いてあるぞ。
城壁はともかく。
間取りはわかるが、建物全体を描いた史料がないから、
立体的な復元はできない。
ただし当時の間取りがわかるようにして、広場にして催し物するって読んだけど…。
個人的に、史料が見つかって完全復元してほしいんだけどさ。
広いし、完成したら立派なもんだとかなり勝手に思ってる。
504人間七七四年:2008/10/05(日) 19:49:47 ID:pEnSDV1u
二羽の鷹

長尾為景が、かねてより友好関係にあった北条氏綱に二羽の鷹を送った。
そのうちの一羽は、氏綱がかねてより望んでいた若鷹であった。
越後から信州、甲斐を通り、北条の根拠地相模に向かう途中、それは起こった。
甲斐の武田信虎が、その鷹を抑留したのだ。

「為景が北条に二羽の鷹を送るということは、そのうち一羽は武田に届けて欲しい。これはそう言う意味だ!」

鷹を輸送していた鷹匠達に、信虎はそう言い放った。無茶苦茶な言い分だが、ここは彼の領地。
言う事を聞かなければどうなるか。
困った彼らは、『このままでは二羽とも信虎に取られてしまうより、せめて主人の望んだ若鷹だけでも』と、
一羽だけ、成長した鷹のほうを置いてきた。
こうして帰ってきた鷹匠たちを、氏綱は「信虎は無法だが、これは仕方が無い。お前達はわが意を汲んで
よくやってくれた」とねぎらった。

ところが


ある日、信虎から突然、先に甲斐においてきた越後の鷹が、相模の北条の元に送りつけられてきた。
使者が言うには「先に頂いた鷹だが、よくよく考えると若鷹のほうが良いと思い直しました。
そう言うわけで、こちらと若い鷹を取り替えていただきたい。」

信虎は、氏綱が若い鷹のほうを望んでいた、と言う話を聞き、「ならば若い鷹のほうが良い物だったに違いない」と、
鷹の交換を望んできたのだ。

当時、関東管領家との抗争の真っ只中であった氏綱は、武田家との関係を悪化させる事はできず、断腸の思いで
鷹の交換に応じた、と言う。

氏綱は後の書状に、このように書いている。「武田は信用できない」
505人間七七四年:2008/10/05(日) 20:45:29 ID:o9310wOC
>>504
信虎って理不尽だな。
こんなんだから自分の子供に国外追放されるんだよな。
506人間七七四年:2008/10/06(月) 00:00:45 ID:xyrTAwho
信虎の時代まで、彼方此方から責められまくってたうえに
甲斐は内ゲバの最悪状態だったんだからこれ位でなきゃ乗り切れんw
信玄より遥かに戦上手だろマジで
507人間七七四年:2008/10/06(月) 00:36:21 ID:+QYh8USz
>>481
兵部一派は実は藩の近代化を促進させようとした側で、古い体質の守旧派に恨まれて悪人にされたという説もあるんだよね。
508人間七七四年:2008/10/06(月) 01:24:43 ID:RWOBfJvU
>>501
何でこのスレで油豚が殴られてるんだよw
509人間七七四年:2008/10/06(月) 08:38:35 ID:OubulpD8
秀吉が亡くなった後、東北の大名の伊達政宗は頻繁に五大老の前田利家の屋敷を訪問し、
「いざというときには味方として駆けつけます」と、言っていたので、前田利家は
「こいつは頼りになる奴だ」と、ひそかに期待していた。

しばらくして、利家と家康の仲が険悪になり、戦争が起きそうなほど緊張が高まると
利家の屋敷には利家と共に戦おうと意気込んだ大名が何人も集まってきたが、なぜか期待を
寄せていた伊達政宗だけは利家のところへは来なかった。後で調べてみたところ、政宗の
屋敷にあった鉄砲はすべて利家の屋敷の方角へ向けられていたことが判明したので、利家は
「政宗という奴はとんでもない二股膏薬である」と、激怒した。
510人間七七四年:2008/10/06(月) 09:36:07 ID:uKBhvrK7
まあ正直、利家に関しては、「お前が言うな」って感じだなw
511人間七七四年:2008/10/06(月) 09:41:36 ID:Xz6OuDbh
頻繁に訪問しておべんちゃらいっても実利を何も臭わせないな…。
駄目だ、コイツ。

家康に付くお!

ってとこだろ、政宗だし。
512人間七七四年:2008/10/06(月) 09:51:08 ID:uKBhvrK7
まあ利家は、この時代でも群を抜いてケチだからw
513人間七七四年:2008/10/06(月) 10:14:10 ID:KpkwyIBP
日本海で獲れた珍しい魚でも食わせればよかったのに
514人間七七四年:2008/10/06(月) 10:22:55 ID:e9wZQjUi
フグとかな
515人間七七四年:2008/10/06(月) 10:48:59 ID:gVwGGfCj
まさむねは食事には慎重だから、、、
516人間七七四年:2008/10/06(月) 11:55:59 ID:dCzhvapT
じゃあ鮭を送るしかないな
517人間七七四年:2008/10/06(月) 15:17:09 ID:M5k/Imwk
金沢の笹寿司(鮭)か富山の鱒寿司あたり送っとけばな
518人間七七四年:2008/10/06(月) 16:05:46 ID:iNHqJUW2
>>512
待て、家康もタメを張るぐらいのケチだろ
蒲生氏郷から家康はケチ過ぎるから天下は取れないって言われたほどだし

そもそも福島、伊達、蜂須賀らが徳川と婚姻を結んだのを利家が怒ったのが事の発端なんじゃないか?
519人間七七四年:2008/10/06(月) 16:07:03 ID:uKBhvrK7
>>518
家康のケチはいざと言う時金をばら撒けるケチ。

利家のケチはいざと言う時も金を惜しむケチ。
520人間七七四年:2008/10/06(月) 17:10:56 ID:z916DbFr
>>519
氏郷が利家を高く評価してたのは、元織田家臣団の長老格だったのと
利長のいた手前という感じだしね。
どうも利家という人物は肝心なとこで腰砕けになるような。
521人間七七四年:2008/10/06(月) 17:47:29 ID:rEDdBVoX
>>520
まぁ賤ヶ岳での裏切りで100万石を手に入れたようなもんだ>利家
確かに旧織田家の人間としては最大の勢力を築いたが
本来なら織田家の重臣とは呼べない身分だしね

個人的には本人の才覚以上の知行地を得ていたように思う
522人間七七四年:2008/10/06(月) 18:08:22 ID:MPbH3Mnj
>>518
家康はへそくりwを諸大名に金を貸したりして恩を売ってるぜ。
あと家康がけちなのを知ってる部下が書状に安い紙を使おうとして、家康は激怒してる。
こういうときには高い紙を使わないでどーするとかなんとか。

ケチといえば政宗もその口だけど、
演習では実弾や火薬を一切ケチらずに兵の錬度を維持しようとしていた。

ふたりともケチだけど、守銭奴・利家とは違うぜ。
523人間七七四年:2008/10/06(月) 18:50:39 ID:1Uh0wkd0
利家を守銭奴扱いはもうやめろ!
なんかかわいそうじゃないか

よく知らんけど
524人間七七四年:2008/10/06(月) 18:57:18 ID:EgsTPbNv
利家さんは主役向きじゃないんだよな
525人間七七四年:2008/10/06(月) 19:02:28 ID:1Uh0wkd0
うっかり八兵衛のポジション
526人間七七四年:2008/10/06(月) 19:48:24 ID:uKBhvrK7
謙信と義重


天正二年、関東制覇を目指す北条氏政は、いよいよ関東中央部最大の拠点、下総関宿城の攻略にかかった。
この情報を得た越後の上杉謙信はすぐさま出陣を決意、常陸の佐竹義重や、下野の宇都宮広綱にも出兵の
命を下した。

越山をした上杉軍は怒涛の進撃をした。新田金山の猿窪城を陥れると利根川を超え、鉢形、成田、足利、
館林一体を荒らしまわり、赤石(群馬県伊勢崎市)に布陣した。が、

佐竹、宇都宮の軍が、いつまでたっても参集しないのである。謙信の元からは、何度も何度も催促の
使者が送られたが、宇都宮方は「出陣の際は佐竹殿と共同で出ると約束していますので、佐竹殿が出陣しなければ
我らも出兵できませぬ。」との返事。
そして肝心の佐竹は、散々言を左右した挙句、

「我々は、謙信様からの血判の誓詞がなければ出陣できない。」と言い出した。

謙信は既に関東管領であり、それは佐竹も認めている。その関東管領の命令権を、佐竹は事もあろうに
疑っているのだ。関東管領の権威に係わるだけに、これには簡単に同意できない。しかし、そうこう
しているうちに、関宿城からは、「このままでは落城も間もなくです!」と、救援を求める必死の書状が相次いだ。

佐竹、宇都宮の協力無しでは、関宿救出は無理があった。しかたなく謙信は、血判誓詞の提出に応じた。
苦悩の選択であった。が、ここで事態は急変する

なんと関宿城が、北条との交渉に応じ、無血開城に同意したとの情報が入ってきた。

義重の狙いはこれであった。謙信を出兵の問題で足止めし、時間稼ぎをしている間に、密かに関宿城と接触し、
北条の求めに応じて開城するよう、説得していたのである。

確かに北条の拡大は脅威である。だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく、両家とも、
そのような関係の無い土地のために、しかも、おそらく激戦となるであろう戦に、家中の者を動員することを
嫌っていたのだ。

義重の事情とこの策略を、謙信は全く見抜けなかった。

上杉勢は憂さ晴らしのように下総一帯を荒らしまわった挙句、成す所無く上野の厩橋に撤退した。
その日閏十一月十九日は、北条との約定により、関宿が開城された日であった。
527人間七七四年:2008/10/06(月) 19:50:25 ID:1Uh0wkd0
謙信ざまぁwww
義重さすがだな


でOK?
528人間七七四年:2008/10/06(月) 20:23:54 ID:MPbH3Mnj
まあ越相同盟破棄直後だから、
義重らが謙信をいぶかしがっても仕方ない時期ではあるけどな。
義重ら関東諸将にしてみれば、北条と単独講和した謙信は裏切り者と思っていてもふしぎではないし。
529人間七七四年:2008/10/06(月) 20:51:46 ID:DXvvn2pK
530人間七七四年:2008/10/06(月) 21:18:56 ID:GshOuQvX
謙信は関宿が北条に落ちたら関東はすぐさま全て北条の手に落ちると考えて
越相同盟したみたいだけどなー。
怒るなんて酷い話だと泣き付いてるし。
しかし当の本人が関宿を重要視してなかったんじゃ仕方ないな。
531人間七七四年:2008/10/06(月) 21:29:41 ID:megndWF7
義で生きていくのは立派だけど、
それだけじゃ世の中渡っていけないよっていう事だな
532人間七七四年:2008/10/06(月) 21:35:33 ID:IMJatteK
>>516
政宗の領地も鮭パラダイスだからなあ・・・
今もコンクリート舗装のドブ川に鮭が泳いでてびびる
533人間七七四年:2008/10/06(月) 23:02:38 ID:vYduB1Sd
>>526
謙信と佐竹で思い出したけど、こんなんじゃそこかしこで「雪の峠」な事になってそうだな
534人間七七四年:2008/10/07(火) 01:00:53 ID:tJxF2xBV
>>522
利家も利殖で溜めた金を諸大名に貸し付けて
恩を売って豊臣政権内で前田シンパの大名を作ってるし、
臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
家康も利家もただの吝嗇じゃなくて理由のある倹約だろう
それをケチだとか何だとか程度が低すぎるわ
535人間七七四年:2008/10/07(火) 01:06:31 ID:caQyWuTM
>>534
> 臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる

ん?それは借金帳消しじゃなくて、遺産騒動が起こらないように財務の勘定を決済したって話でしょ?
この時代ケチと呼ばれた人物はたくさんいるが、利家はちょっと異質。正直守銭奴の気があったと
考えたほうがいいと思う。
536人間七七四年:2008/10/07(火) 01:56:41 ID:KFYPomp4
>>534
戦争に連れて行く兵も雇わない奴が理由のあるケチとは好意的すぎる。
537人間七七四年:2008/10/07(火) 01:59:10 ID:D3Rb5gFX
前田家の過酷な二重課税で富山県民の貯蓄率が日本一になったのは有名な話
538人間七七四年:2008/10/07(火) 08:38:27 ID:lm0aGVA/
仏像の裏だかなんだかに悪行書かれたのって
利家だっけ?
意外だった。
それなりに好きだけど
539人間七七四年:2008/10/07(火) 10:31:28 ID:caQyWuTM
>>538
小丸城跡から出土した、天正八年の越前の一揆のときの、文字の刻まれた瓦の事かな?

「この書き物は、後世の人たちに知って欲しい物語です。
5月24日に騒ぎが起こりました。すると前田利家は、千人ばかり生け捕りにし、
ご成敗と称し、彼らを磔し、釜で煎り、また火あぶりにしたのです。
この事、書き留めておきます。」


原文
「此書物、後世二御らんしられ、御物かたり可有候、
然者五月廿四日いきおこり、其まゝ前田又左衛門尉殿、いき千人はかりいけとりさせられ候也、
御せいはいハ、はつつけかまニいられあふられ候哉、
如此候、一ふて書とゝめ候」
540人間七七四年:2008/10/07(火) 17:40:01 ID:vcMF7073
花の慶次で描かれてる算盤弾いて銭勘定ばかりしている底意地の悪い利家像ってのも
あながち間違いではないんだな。
541人間七七四年:2008/10/07(火) 18:06:53 ID:mJXcKsbM
あれは青年期と中年期で利家の外見が別人になってるけどなw
秀吉とか家康とかはわかるけど、利家は・・・
542人間七七四年:2008/10/07(火) 22:12:02 ID:RPx/OfrO
慶次・影武者・SAKONでの家康の変貌っぷりに比べたら
543人間七七四年:2008/10/07(火) 22:46:17 ID:6uupmHu/
慶次は世界観違うからいいけど、影武者と左近はなぁw
544人間七七四年:2008/10/07(火) 22:55:04 ID:tKDx+J44
慶次:傷だらけのピザ(だがそれがいい)
http://www.asahi-net.or.jp/~gp3m-andu/icon/kei-ie.GIF

影武者:ケンシロウ顔
ttp://image.blog.livedoor.jp/sugarpamp/imgs/2/3/234bd7cd.jpg

SAKON:荒くれ風
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5385/ieyasu01.gif
545人間七七四年:2008/10/08(水) 00:50:53 ID:RtTEdkXI
花の慶次の家康はとても好きだ…
546人間七七四年:2008/10/08(水) 07:57:19 ID:557Au/5d
ちょっとかっこ悪い話

後に甲陽軍艦を書いたことで知られる小幡景憲がある日、家康にこう申し出た。
「私はかつて武田信玄が愛用した軍扇について詳しく知っています。
よろしかったら、まったく同じものを作って献上しましょうか」

家康の許しを得た小幡景憲は何日か経ってから派手な飾りをつけた軍扇を持ってきて
家康に見せた。だが、家康はその軍扇を手に取ると「こんな重いものが
戦場の役に立つわけがない」と言って投げ捨ててしまったため、景憲はおおいに
恥をかいてしまった。
547人間七七四年:2008/10/08(水) 09:42:13 ID:MV/5oBuK
外見は勝新だけどな
548人間七七四年:2008/10/08(水) 10:40:17 ID:557Au/5d
桶狭間の戦いの後、家康が治める三河の国で一向一揆が発生した。
家康は半年の時間をかけて一向一揆を鎮圧し、責任者の罪を問わない、そして、一揆の
根拠地となった寺は元のままにすることを条件に和睦を結ぶことになった。

だが、和睦の後、家康は一揆の拠点となった寺を次々と壊し始めた。一揆側が驚いて
抗議しにいくと家康は「あそこは寺が建つ前は荒地だった。だから、元のままの状態に戻しただけだ」
と答えた。
549人間七七四年:2008/10/08(水) 11:32:45 ID:/o7fKIwi
たすけてー!


惣社(群馬県前橋市)の長尾顕方が、かねてから仕えてきた関東管領上杉憲寛を裏切り北条側についた。
それに対して関東管領重臣の長野方業は、惣社長尾を攻め滅ぼそうと行動を開始。

進退窮まった惣社長尾顕方は、一族である越後長尾為景への救援要請を出した。

「万一あなたに助けていただけなければ、天地に見放されたも同然です。あなたは三国一の名湯である草津で、
会下僧を前に長尾一族の結束を話したくれたではありませんか。

どうかこの願いを聞き届けて。調停の為とか適当に名分を作って、足軽を200人ばかり当地警護のため
お預けください。そうすれば自他の国において評判も上がり、長尾一族の誼の強化にもつながります。
特に我々惣社長尾は、代々特別に懇意にしているではありませんか。

敵は、もう当城を攻撃するための、要害を構える工事が進められいるようです。厩橋宮内大輔が
日夜準備をしています。この前、厩橋で出されていた制札を、証拠としてお届けしましが、とんでもない事です。

とにかく足軽200人ほど派遣していただければ、当方は持ちこたえられるかと思います。
まず100人だけでも構いません。この願いが聞き届けられたら、明日滅亡しても構いません。
こんな風に書きくどいてお願いしていますが、聞き届けられなければ、滅亡するか、命が惜しければ
上方に亡命するしかありません。よくよくお考えになって、もし不憫と思われましたら、とにかくお助けください。
その上は、今生も後生も感謝いたします。」


結局援軍は無く、長尾顕方は降伏。以後、消息不明。
550人間七七四年:2008/10/08(水) 13:29:15 ID:dBh7HPgj
>>549
この調子で越中進攻の文書も訳してくださいw
551人間七七四年:2008/10/08(水) 17:01:41 ID:gtzIri+A
相手が為景じゃーなあ。
総社長尾って結局謙信時代に越後に逃げてきてなかったっけ?
552人間七七四年:2008/10/09(木) 00:07:47 ID:IqVt5uUe
いいな、ここ。
553人間七七四年:2008/10/09(木) 01:29:31 ID:Tfg1eT2E
>>549
まあしかしこんなネガティブ丸出しの奴はかえって助けたくなくなるのも分かる。

だって助けたって得することまるでなさそうじゃん。見るからに落ち目そのもの。
もっと余裕を吹かせて助けるとこーんなにお得なことがありますよ感を出さなきゃな。
554人間七七四年:2008/10/09(木) 19:50:10 ID:Mgqr2Oqo
ちゅうか援兵くれたら明日滅亡しても構わない、って交渉下手
すぎだろw熱意が伝わるどころか錯乱振りしか伝わってこねえ。

「とにかくヤらせて!」って迫る童貞の如し。
555人間七七四年:2008/10/09(木) 20:05:42 ID:SGMWWVzk
>>554
おっと
日本の民主党及び山岡賢次国体委員長への悪口はそこまでだ

http://www.dpj.or.jp/member/?detail_233=1
556人間七七四年:2008/10/09(木) 21:56:55 ID:7l5IqVQc
応仁の乱が終わっても、大和は両畠山氏の争いが続き、いつ果てるともない戦乱の只中にあった。
そんな中、奈良の町に大規模な土一揆が迫っているという情報が入ってきた。
このままでは奈良は略奪の憂き目に会う。町衆は急遽、大和の領主と言うべき興福寺に相談をしに行った。
彼らに対し興福寺は…



「実費と仲介手数料払えば、鎮圧してくれそうな国人紹介するよ?」



こうして大和の国人古市氏が出動し、一揆は無事鎮圧された。
奈良の町から古市氏に700貫文、興福寺に300貫文。
意外な戦国のサイドビジネスであった。
557人間七七四年:2008/10/09(木) 23:29:25 ID:x0puV8J3
鮭様、環境破壊

       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   庄内で塩つくったら、きっといいお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /

庄内を獲得した最上義光は、せっかく海をとったんだし
塩を作ったら豊かになるお! と考えた。
そこで製塩を奨励したんだけども、住民はバンバン森を伐採し、
それに植林を追いつかせなかったから…しかも海辺だし、
土地は荒れてしまった。後世の人は防砂林を作るはめに。

まあ、山形城下では植木市をはじめたり、緑化をすすめた鮭様だけに、
フォローする前に死去、改易ってかんじかもしれないけど。
鮭様唯一の内政面での汚点、とされている。
558人間七七四年:2008/10/09(木) 23:35:41 ID:yIG62fU4
だめじゃんかよww
塩!塩!とはしゃぐ鮭様を想像して楽しんでみるww
559人間七七四年:2008/10/09(木) 23:36:02 ID:AWA3wvWZ
塩は鮭に使うつもりだったんだろう
仕方ない
560人間七七四年:2008/10/09(木) 23:38:23 ID:yIG62fU4
>>556
もう仕事デスカラーって感じだな。
561人間七七四年:2008/10/09(木) 23:39:56 ID:tNbvCnIA
塩鮭の為ならいたしかたなし
562人間七七四年:2008/10/09(木) 23:59:46 ID:YvQ5yYxC
塩鮭美味いからなぁ。気持ちは痛いほど解る。
563人間七七四年:2008/10/10(金) 00:21:08 ID:7waEKLSt
鮭って油が多いから塩漬けにしとかないとすぐに痛むんだよね。
564人間七七四年:2008/10/10(金) 21:55:11 ID:20fjJ2L7
鮭で死んだ話

吉川元春は九州攻めの際、豊前小倉の陣中で死亡した。
黒田官兵衛に招かれた席で食べた生鮭により、患っていた内臓疾患が悪化したためと言われる。

当時、鮭の産地である東北はまだ秀吉の支配下になく、この鮭も実は相当腐敗していたか
辛すぎるほどに塩が効いていたものと想像されるが、最高級品によるもてなしを受けた元春は
礼をわきまえ、持病に悪いと知りつつあえて食べた。
妻選びの話と並ぶ、元春がただの猛将ではない事を語る逸話である。

なお、すでに隠居していた元春が九州攻めに参加したのは、官兵衛・毛利輝元らが強引に
説得したためと言われ、さらに知恵者・官兵衛が鮭のことを知らぬはずもなく、
一種の「暗殺」であったとする説もある。



…という事になってるが、実際は居城・日野山城跡から「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただけであろう。
565人間七七四年:2008/10/10(金) 21:57:38 ID:Gr+/n/0H
>>564
> 「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
> 容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただ

それは食い意地と関係あるのか?w
566人間七七四年:2008/10/10(金) 23:58:06 ID:D8MqXMNA
氷砂糖をおやつにしていた、ということなんだろうw
かわいいなw
567人間七七四年:2008/10/11(土) 00:06:58 ID:Da9OmNw/
>>564
鮭は山陰でも獲れるし石川県あたりもけっこういる
北陸産でも中国地方に届く頃には腐敗はけっこうなもんだろうが・・・
568人間七七四年:2008/10/11(土) 00:25:49 ID:RIQALw0r
塩漬けして持っていくだろ・・・jk・・・

でも
元春「鮭の刺身が食べたいのじゃ!」
って我侭言ったのかも
569人間七七四年:2008/10/11(土) 00:30:15 ID:s02G3dvb
まさか鮭の氷砂糖漬けを・・・
甘酒ならぬ甘鮭を所望したんじゃ・・・
570人間七七四年:2008/10/11(土) 01:10:21 ID:Ao1c8akP
ちょっと鮭茶漬け食ってくる
571人間七七四年
官兵衛は知恵者だけど空気読めない人だったから
普通に好意のつもりだったんだろう
この人羽柴秀俊の小早川家入嗣にも一枚噛んでるよね