【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四

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1人間七七四年
類似の板が分散していて、過疎ってしまうので
家康公を中心として、徳川家全体のスレとして再出発します。
十六神将までカバーしますので、類似過疎スレからの誘導をお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
2前スレ テンプレ:2008/05/20(火) 16:26:24 ID:xxvcz5OY
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。

東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/l50
3人間七七四年:2008/05/20(火) 16:28:57 ID:xCYV+Cd/
鳴かぬなら鳴くまで持とうホトトギス。秀忠「鳴かぬなら鳴かんでいいよホトトギス」
4人間七七四年:2008/05/20(火) 16:40:00 ID:KQQFyD5a
>>3
秀忠は結構強硬派だぞ。福島改易も幕臣の方が穏健。
5人間七七四年:2008/05/20(火) 16:57:06 ID:7zutOrLU
勝頼の例もあるが、親父と比較される事と重臣に甘く見られないように
あえて厳しく望むことがしばしばある。
6人間七七四年:2008/05/21(水) 15:32:48 ID:U8rwmyV6
黒田如水の偉大さを再認識だなw


>鎮圧した結果、矢作川流域の諸権利や寺領を自らの物にし、
>更に帰順した門徒武士を自身の家臣する事で直属の戦力を拡大
これって算盤的には当たり前か。
信ヤボやってると、寺社勢力に切れた信長の気持ちがよく分かる。
現代でも創価学会員は社内で嫌われてるが
言いなりなので上層部には可愛がられてる。


>やるときは自分から仕掛ける人物だというのは
勝利可能性90%以上に出来た時だけ、ガンガン攻めるだけじゃね?


>三方が原とか小牧とか、
>すごいやつ相手にしかけるといっぱいくわされている。
小牧なんて上出来でしょ。 一矢報いたあと負けたら恭順すれば良かったし。


>当時最高の博識僧・太源雪斎や、京を逃れ今川に身を寄せていた公家衆から
>至れり尽くせりの英才教育を受けた
現代にはこういう高僧は居るのだろうか?
7人間七七四年:2008/05/21(水) 15:34:28 ID:U8rwmyV6
トヨタグループが「パワーポイント」自粛令!?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080521-00000000-dol-bus_all

かつて奥田碩取締役相談役は、「トヨタの敵はトヨタ」と語った。
世界一の販売台数獲得が目前に迫るなか、
そのOBは「若い社員はかつての苦労を知らない。
何も考えずに慣例的、事務的に仕事を処理したり、
部品メーカーなどの取引先に傲慢な態度を取るものも少なくない」と指摘する。
“世界一”になること自体が大きなリスクと感じるトヨタ首脳陣やOBは多いのだ。


さすが三河のトヨタは違うね!
8人間七七四年:2008/05/21(水) 16:52:38 ID:Gf9+chx8
>前スレ
えなりが家康なら、
思い切って秀吉は出川あたりでやろう。
ヤバイヨヤバイヨ家康はヤバイヨ!!
9人間七七四年:2008/05/22(木) 03:37:24 ID:MWmspwM1
この情報化社会で江戸の英雄を大々的に祭り上げるの
やめてくれ
テレビとかで信長だの家康だの大々的に取り上げられるとうんざりだ
信長や家康なんてテレビが普及するまで九州や東北北海道では
庶民にはその都度知られていない人物だろ
飛鳥平安鎌倉時代に聖徳太子を知ってる奴が日本にどれほどいたんだ?
聖徳太子が鎌倉時代にテレビで大河ドラマみたいに
取り上げられたのか?せいぜい人形劇や舞台で
一地域で取り上げられたに過ぎないだろ?
戦国時代は日本最大の内乱だと俺は個人的に思うんだ
古代日本では朝鮮と戦争してたんだろ?
皇室は日本と朝鮮の関係いっぱいプロパガンダしてるはずなんだ
本や舞台劇で信長や家康を有名人に
しようってなら構わない
テレビで有名人化される信長や家康
のおかげで際悩まされる
10人間七七四年:2008/05/22(木) 07:02:47 ID:S5v3fz/x
どこから突っ込めばいいんだ?
11人間七七四年:2008/05/22(木) 13:52:15 ID:GCZBlBwL
>>9
別にいいんじゃねえの?
TVのおかげで、歪められた歴史の真実が少しづつ世間に広まったと考えれば。
聖徳太子はいなかった。
天智天皇=守旧派の大悪人。
義経のモデルは2人いた。
鎌倉幕府成立は1192年ではない。
秀吉と小六の矢作川はウソ。
醍醐の花見で北の政所と茶々の喧嘩は茶々と松の方の喧嘩。

これらもみんなTV以降一般に知られるようになったんだし。
「うんざり」という人の為にTVにはチャンネルというものが付いているんだぜ。

12人間七七四年:2008/05/22(木) 14:30:27 ID:S5v3fz/x
いや、そもそも小学で習うやつらに有名人化も糞もないだろ
てか、テレビで目新しい説が取り上げられたことがどれだけあるんだよ
そしてなぜ半島が出てくるのかと小一時間(ry
13人間七七四年:2008/05/22(木) 15:31:19 ID:7BjRzMaa
>義経のモデルは2人いた。
架空の人物だったっけ?


きっと島津マンセーなヤツがねたんでんだよw
14たられば君:2008/05/22(木) 18:35:22 ID:iIei3N1E
ひとりは山本義経かな?

聖徳太子がいなかったというのはちょっと捏造臭いけれど。
15人間七七四年:2008/05/23(金) 01:04:05 ID:ph7HiyZE
聖徳太子という名前を持つ人物が居なかったって事じゃね?
うまやど(なぜか変換できない)の皇子は居た事が分かっているんだし
16人間七七四年:2008/05/23(金) 12:55:45 ID:eLLxuOXJ
死後贈られた名で呼んじゃ駄目なら何とか天皇とかはみんな駄目だな
17人間七七四年:2008/05/23(金) 13:18:02 ID:GL4qmco2
冒頭からスレ違いなレスばかりのバカなスレですね
18人間七七四年:2008/05/23(金) 13:36:37 ID:ri0IgsYZ
 脱糞。
19人間七七四年:2008/05/23(金) 15:10:18 ID:wpjEHeId
>>10
突っ込んだら負け
20人間七七四年:2008/05/24(土) 06:32:35 ID:RdvEgaI0
でもあまりメジャーな大河だと、知ってる事ばかりで違和感あるけど
直江みたいなマイナー陪臣大名wだと、知らない事だらけで面白いかも。

さすがに九州・東北だと知らな過ぎるから
総集編からやって欲しいとか思っちゃうw
21人間七七四年:2008/05/24(土) 07:33:39 ID:Mbj09u0M
いや直江は超有名だろw
22人間七七四年:2008/05/24(土) 08:33:51 ID:YcLaHStJ
歴史に全く興味が無い人が知ってる戦国大名なんて
北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、
武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、
このへんくらいのもんですよ。たぶん。

毛利?元親?島津??
誰それ。
23人間七七四年:2008/05/24(土) 09:35:45 ID:YsHhWjGs
>>21
戦国ヲタの自分を基準にしたらダメ
24人間七七四年:2008/05/24(土) 10:11:34 ID:a0ZvSQmi
北条早雲でも受験でチョット覚えたら忘れてしまう
25人間七七四年:2008/05/24(土) 11:02:25 ID:vlUBZf1k
一代早雲、三代氏康、五代氏直!二代、三代は忘れた。
26人間七七四年:2008/05/24(土) 11:06:36 ID:vlUBZf1k
訂正 忘れたのは4代。
27人間七七四年:2008/05/24(土) 13:53:22 ID:DsSeH8vT
どんどん家康から離れてくな
28人間七七四年:2008/05/24(土) 13:58:29 ID:rTFduy1r
脱糞!これで近ずいてくるはず。
29人間七七四年:2008/05/24(土) 14:26:51 ID:YsHhWjGs
ず ×
づ ○
30人間七七四年:2008/05/25(日) 01:10:38 ID:516iKydK
>>27
おいおい、25で急接近しただろ。
氏直は家康の娘婿。
31人間七七四年:2008/05/26(月) 13:19:44 ID:Gdw6watC
家康はまだしも、伊達政宗はいかんよ!民、万民を第一に考えた氏直は立派!
32人間七七四年:2008/05/26(月) 13:24:17 ID:/wA2S0Q2
確かに北条の撫民政策は特色あるけれど、
民を第一に、というのは持ち上げすぎ。
33人間七七四年:2008/05/26(月) 15:16:56 ID:GCRX2ZJf
小田原開城のことか?
34人間七七四年:2008/05/26(月) 16:27:55 ID:AVkOeuMR
御意。
35人間七七四年:2008/05/26(月) 18:31:16 ID:aPnxk0UI
江戸初期に猪熊事件なんてあったんだな。恥ずかしながら知らなかった。家康と板倉が介入してるんだね
36人間七七四年:2008/05/26(月) 20:08:18 ID:dQ+fW0Cg
司馬遼太郎と城を歩く「浜松城〜“覇王の家”」

録画できてるはずだから後で見なくちゃ
37人間七七四年:2008/05/27(火) 00:37:51 ID:fmh4EdOt
>>36
どういうわけか頭が欠けてた_| ̄|○
38人間七七四年:2008/05/27(火) 14:02:03 ID:FUuL6ysI
昨日のクイズ番組で「武家諸法度を制定したのは誰?」っていう問題が出て、
そりゃ家康だろ、と思ったら答えが秀忠で面食らった
そりゃ表向きの将軍だけ見ればそうかもしれないけど、
武家諸法度は家康主導で決まったイメージが何となくあるなあ
39人間七七四年:2008/05/27(火) 14:06:55 ID:BMQx2y/F
家康が正解なら苦情ものだろ。
当時の秀忠はすでに在位10年くらいだ。
40人間七七四年:2008/05/27(火) 14:56:13 ID:J/SkeeQS
武家諸法度を意図したのは家康かもしれないけれど、
武家諸法度を実際に制定したのは秀忠。
だから問題なし。
41人間七七四年:2008/05/27(火) 15:30:11 ID:AfT69Aff
検地したのは石田三成ってか?


それにしてもお主らなぜ下げる?
一応徳川一門の主スレなのに、、、
42人間七七四年:2008/05/27(火) 16:43:11 ID:J/SkeeQS
いるよな、
江戸城を作った人は誰かと問われて、大工とか答えるやつ。
43人間七七四年:2008/05/27(火) 17:25:03 ID:ilgigDuj
つーか、秀忠って肖像でわかるだろw

家康の許可無くして法律を定めるなんて無理だろうが、
当時の将軍は秀忠なんだから諸大名への発布・制定は「秀忠」で正しい。

関白豊臣秀次だって、人掃令を出してるでしょ。
44人間七七四年:2008/05/27(火) 19:41:02 ID:V1DlZdL9
発布・制定は帝じゃないんだ。
やっぱ征夷大将軍は朝廷のお役目じゃなくて武士の長として認識されてたのか
45人間七七四年:2008/05/27(火) 19:42:43 ID:877n48Vf
第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント
二次予選<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html

詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/
46人間七七四年:2008/05/28(水) 15:09:45 ID:hZoEWOEp
>江戸城を作った人は誰かと問われて、大工とか答えるやつ。

それはバカかギャグだろうけど、
深読みして墓穴掘ることもあるさw
47人間七七四年:2008/05/30(金) 15:30:09 ID:rNQQuCTG
家康公は頼朝を尊敬していたらしいけど、
そんな大人物なの? 理由が分からん。
48人間七七四年:2008/05/30(金) 15:43:20 ID:H0uW87VY
源氏長者なんだからそりゃあ尊敬もするよ
49人間七七四年:2008/05/30(金) 16:19:26 ID:tqLqtvsJ
武家政権の立役者だからな。
普通に偉人だろ。
50人間七七四年:2008/05/30(金) 19:56:53 ID:7qKsE5tO
朝廷も摂関家も大寺社も都にあり、その他特に東国は笑えるほど田舎で話にならない。
字も書けない野蛮人がウヨウヨしている。

その板東に、朝廷をもひしぐ独立権力を打ち立てる。
その発想自体がすでに別格の証拠なんですよ。
信長も秀吉も、頼朝に比べれば天下人としては小さいというもんです。
51人間七七四年:2008/05/31(土) 02:32:12 ID:/9ggm6Sr
公卿政権だった日本の政治形態を一変させた事、朝廷の都合で昨日の
友は今日の敵、が日常茶飯事だった国内治安情勢の整備、奥羽に割拠
していた藤原氏の征服、日本中の武家を直接的に支配下においた政権
構想など、頼朝ってのは大政治家としか言いようがない。
52人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 22:40:51 ID:vdIRkeeY
義経みたいな戦バカを弟にもって大変だったね
53人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 22:59:42 ID:D0hClofR
義経とは見て育ったものが違うから、もともと分かり合えなかったろうね。
平家の都での繁栄を目の当たりにして育った義経が、
都で平家の模倣をしたがるのは当然至極であって、
上方から蔑まれている東国の、貴族や平家から見下されている中小武士達の間で育ち、
上方に対して憧れの一片も持たず、独立構想を打ち上げた頼朝の真意を理解できないのも当然。
54人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:23:10 ID:t4EGuC0E
でも実際に何をどう動いたのかって
あんまり知られて無くないか?

私の目には単なる恐妻家としか、、、w
55人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:44:25 ID:y7Vv05Uq
考えてみれば、義経のほうが源家の英雄の典型なんだよな。
戦はひたすら強く、個人的魅力に溢れ、際限の無い欲望を抱く。
組織で動く新時代に、古代的な英雄は無用の長物になった、てことか。
56人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:50:16 ID:vgYpgNKq
どうでもいいけど源家はおかしくないか?
57人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 15:50:46 ID:BRP8fTei
別に違和感ないけど
58人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 16:02:38 ID:GjJkhyeP
なんぞのTV番組のネタは無しか。
59人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 11:38:18 ID:N68BIkh5
ただ今テレビ静岡で駿府城ネタ
60人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 17:55:11 ID:cBcigMKP
信康事件は、
嫡男で優秀な信康が、荒れる必要はないし
家臣団が分裂状態なんてありえないと思うんだが、、、

一番怪しいのはとっとと帰った五徳だなw
61人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 18:28:52 ID:4PMtY5mQ
家康と信康の確執があったんじゃね?
家康の築山殿への冷遇や秀康への対応などでさ…
62人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 19:30:15 ID:/COnWO6Y
信康を厳しく躾けなかったから、親や家臣の言うこと聞かなくなったんで、殺したらしい
63人間七七四年:2008/06/09(月) 15:37:35 ID:vJWiOG32
歴史の改ざんだって下駄を履かせて見たら、
普通に優秀な武将ではないのかな?
64人間七七四年:2008/06/10(火) 06:20:15 ID:wevf6UwQ
忠輝ですら殺さなかったのに、長男を殺すってよほどの行為と思うんだが。
65人間七七四年:2008/06/10(火) 06:44:02 ID:2E1EZwsD
>>64
逆に長男だから家督継承の問題でサクッと殺した
66人間七七四年:2008/06/10(火) 18:52:11 ID:cYEvumMZ
>>64
時代が違う
環境が違う
そして性格も変わっていたと思われる
67人間七七四年:2008/06/10(火) 20:09:41 ID:VRZQ14Bi
五徳の可愛さに信長が判断を誤るものだろうか?
68人間七七四年:2008/06/10(火) 23:29:13 ID:Mb6TxqZl
信長や家康みたいに子供の大量生産ができる人間は子供なんて可愛くもないだろ
気に入らなかったら代わりを作ればいいだけだし
69人間七七四年:2008/06/10(火) 23:52:10 ID:wevf6UwQ
神君家康なら明と戦って勝てるの?
70人間七七四年:2008/06/10(火) 23:52:38 ID:0Yu7fQYo
父親にしてみれば、子供が大きくなるほどに、可愛くなくなる。
逆に言えば、我が子が3才ぐらいまでなら、どの子も可愛い。
71人間七七四年:2008/06/11(水) 01:04:24 ID:cIekaYf3
>>67
徳川家お家騒動だと思うよ
72人間七七四年:2008/06/11(水) 09:04:00 ID:Msn/Ixyv
>>68
好みの女を抱かず、後家ばかりに産ませるほどしてまで作った子だぞ。
73人間七七四年:2008/06/11(水) 09:34:16 ID:jAZgHQu4
自動車事故で死にかけたよ
74人間七七四年:2008/06/12(木) 15:50:46 ID:6kKJKIUO
現代の徳川家がか?
75奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/14(土) 13:32:05 ID:z6OPpCxm
異母弟で最も家康に可愛がられた久松定勝。
父親に対抗者と見なされてしまった松平信康。

歳は信康が1つ上なだけ。
76人間七七四年:2008/06/16(月) 01:13:44 ID:ruMRbXKJ
↑ 歴史番組の影響だな。
家康公の兄弟にもケンカで惨殺されたり、
放浪してたりして色んな人生があったんだなと思えて楽しい。

20前で斬られた広忠公に、異母弟が居るのか。
77人間七七四年:2008/06/16(月) 02:37:28 ID:cZWw99LQ
父が違うのはいるな
78人間七七四年:2008/06/16(月) 14:44:48 ID:LcONWxOD
お大の方は夫・義父の分だけ長生きで、1600年まで生きてたから、当然。
79人間七七四年:2008/06/16(月) 18:28:25 ID:cZWw99LQ
伊達政宗と母親の話はなにやらあるが
家康にはなんかなエピソードあったっけ
秀吉みたいに人質に出しちゃった話も無かったキモスるし
80人間七七四年:2008/06/16(月) 18:51:44 ID:1PZMtP3D
脱糞。
81人間七七四年:2008/06/16(月) 19:23:27 ID:eVK0jRke
>>76
内藤信成は可能性高い
82人間七七四年:2008/06/16(月) 19:28:08 ID:GkcI8uR0
山岡司郎によると、織田方と結びつける影の動きを
したとか、三河一向一揆を鎮圧するのに力技を排除
させたとかいろいろあるみたいだけど、どこまで本当
やら…。
83人間七七四年:2008/06/16(月) 20:16:09 ID:i1EGnncd
>>76
ちなみに広忠公の生没年は1526〜1549なので、数え24歳です
84人間七七四年:2008/06/16(月) 21:35:42 ID:Y240SfXr
家康公3歳くらいの時、弘忠公斬られてなかったっけ?
85人間七七四年:2008/06/16(月) 21:55:39 ID:uzmdsqkE
家康公が3歳の時に、伝通院と離縁されただけ
6歳の時に人質として今川へ…の予定が織田へ
8歳の時に人質交換成立…の前に死亡
86人間七七四年:2008/06/16(月) 21:58:55 ID:G4DWKSBT
>>79
今川人質時代、事あるごとに家康に差し入れしたくらいかなあ。
87人間七七四年:2008/06/16(月) 23:28:16 ID:cZWw99LQ
>>86
織田との同盟については仲介?の水野信元が血縁だったと言うのはあっても
そこに母親が実際一枚噛んでるわけでもないしね
あまりにも小さい頃に離れすぎたから面影すら残ってなかったのかな

。・゚・(ノД`)・゚・。
88奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/17(火) 00:27:20 ID:IJfhlGXn
>>75
正:異父弟
誤:異母弟
89人間七七四年:2008/06/17(火) 12:31:28 ID:a6P8kpyr
今川時代に差し入れなんて出来るのか?

お台の方は、織田方だったような、、、
90人間七七四年:2008/06/17(火) 15:04:47 ID:YZwgFlbZ
祖母の源応尼が側にいたし、比較的自由はあったらすぃ。
譜代見習いの感覚が近かったみたい。とはいえ、岡崎の
城なし子としていぢめられてはいたみたいだけど。
91人間七七四年:2008/06/17(火) 18:18:21 ID:cu3t35Rr
竹千代の扱いについては
今川家臣の中でも、理解してたり、理解してなかったり、
理解してても侮蔑してたりと、いろいろあっても当然でしょう
自分を侮辱したことを根に持ってた家康もアレだけど・・・
92人間七七四年:2008/06/19(木) 09:25:33 ID:c9iYvvbT
家康公は源氏ではないという疑惑があるらしいけど
ほんとのとこはどうなのかな
93人間七七四年:2008/06/19(木) 09:30:17 ID:FCIarmMc
疑惑なんだから察しろよ
94人間七七四年:2008/06/19(木) 09:35:15 ID:c9iYvvbT
なるほど豊臣ヲタの家康アンチが捏造したんですね
95人間七七四年:2008/06/19(木) 15:47:03 ID:soSP0lWL
偉人に血筋なんて関係ない。
96人間七七四年:2008/06/19(木) 18:05:31 ID:kdw6scUK
性体位将軍になるためにはしょうがない
97人間七七四年:2008/06/19(木) 18:32:17 ID:QMXihRyP
>>91
そういうとこがあるから恐れられて大丈夫なのだろう
98人間七七四年:2008/06/19(木) 19:08:39 ID:2EkhUY/A
逸話の部分になるものでもあるが
石高の話での酒井への言葉も、信康事件を根に持ってたことが原因だしww
99人間七七四年:2008/06/19(木) 20:22:50 ID:gzMvFIgO
他人に感謝する心を持つ人は怨みも深い byニーチェ
100人間七七四年:2008/06/20(金) 16:40:57 ID:lzy30tNu
↑ なるほど。


>石高の話での酒井への言葉も
詳しく!
101人間七七四年:2008/06/20(金) 16:54:17 ID:TOpdF/Z1
>>99
喜怒哀楽が激しいってことか。
102たられば君:2008/06/20(金) 17:03:47 ID:noeULYmQ
家康が浜松から江戸に移る際、関東の知行割りを行った。
奉行衆出身の大久保忠隣や当時新参だった井伊直政が破格の待遇をうけるなか
武辺の本多忠勝四万、榊原康政三万は順当としても
筆頭老臣の嫡子であり家康の従弟でもある酒井家次には二万石が与えられただけだった。

あまりの冷遇ぶりに隠居の忠次が家康を訪ねて加増を訴えると
「お前でも我が子は可愛いか」
と吐き捨てられた。
忠次は失意のなか亡くなったという・・・

こんなお話。
103人間七七四年:2008/06/20(金) 17:52:07 ID:lb04fb0N
まあ、酒井家のその後は、越後高田→庄内藩と転封になって、最大で16万石
(藩政改革の成功で実質20万越え時期もあり)を越えるんだけどね。
104人間七七四年:2008/06/20(金) 18:24:33 ID:vXewMRod
家康が死んだから、まあ増やしてもいいかって感じかな
105人間七七四年:2008/06/20(金) 18:26:27 ID:vXewMRod
そういえば本多忠勝に対しても何かチクッと言ったような・・・別の人かな、勘違いかな
息子が武将としてあまりにもだらしないことについて
ただ時代が変わってきてたからなあ
106人間七七四年:2008/06/20(金) 21:32:20 ID:XxDsTH2P
>>102
本多、榊原は10万石。酒井は3万石
但し、井伊・本多・榊原は秀吉の口添えがあったとか
後、大久保は十分譜代なんだが
家老職の酒井を中堅に落としてるのは間違いないが
107人間七七四年:2008/06/21(土) 10:12:13 ID:l2ls3D5S
実際はどうかわからんけどね。

ただ、三河閥の大物である酒井家はどっかで勢力削いでおく
必要性があったのは確か。忠次自身、家康を血族としてやや
軽く見る傾向があったらしいし。
108人間七七四年:2008/06/21(土) 11:39:29 ID:9TKK7h8n
>>106
本多忠勝の増量の話は見たことあるな
家康・信長・秀吉の3人全員に賞賛されたのは本多忠勝だけっていう話のときに
109人間七七四年:2008/06/21(土) 19:03:16 ID:0WXWiat0
勢力削ぐも何も、加増地は基本遠国ばかりだから、
何とも成らんのではないのか?

2万石とかで所領3ヶ所とかざらのような、、、
110人間七七四年:2008/06/21(土) 19:08:30 ID:0WXWiat0
通り魔事件で思ったんだけど、トヨタって三河精神で
少し割に合わないけど、人を大事にしてたんじゃないの?

大賀弥四郎や石川数正みたいな例外なんだろうか?
111人間七七四年:2008/06/21(土) 23:25:41 ID:qaHFK3TJ
俺はもっと評価されるべきだ、もっと偉く慣れるんだ、ちょっと本気を出せば凄いんだ、
こんなところで燻らせておくなんてあいつらが見る目が無いんだ、世の中が間違ってる


こう考える奴もいるんだよ。
こういう奴は相応の評価をして、手厚く遇してやっても不満を抱き続ける。
112奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/06/21(土) 23:27:47 ID:lPkMbn5w
石川数正は確かに勘違いしちゃった人だな。
113人間七七四年:2008/06/24(火) 15:47:08 ID:oziK5n6x
数正は有能だったでしょ。


>こう考える奴もいるんだよ。
なるほど!
114人間七七四年:2008/06/27(金) 11:18:41 ID:ik12Xl7m
http://uproda11.2ch-library.com/src/1196743.jpg

ξに。。、こξ<結局あたしは酒#(木イ主野)リ奈40歳あきる野・羽村・一の谷小&西中卒左官嫁255アナル
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1214362463/
115人間七七四年:2008/06/27(金) 15:17:07 ID:TQnwi7rZ
江戸期を最近の日雇い派遣みたいな観点から言うと、
西軍浪人とか以外は、多少なりとも扶持があって
それなりに暮らせた世の中なのかな?

10石の足軽でも米だけは食える状態だったみたいだから。
116人間七七四年:2008/06/27(金) 17:33:13 ID:51HlilsS
しかもサラリーローン組みまくりで破綻する香具師が
多いのも現代に共通する部分である。
117人間七七四年:2008/06/27(金) 20:30:39 ID:M0DoD7LX
給料(石高)は変わらないのに米の価値が落ちていくし、
基本的に都市に暮らすことを義務付けられているから物価は高いし、
収入の三分の一くらいは身分維持費として削れない出費だし、
これでさらに物価の高い江戸での単身赴任とかなったら破綻するぜ。
118人間七七四年:2008/06/27(金) 21:17:15 ID:cq9fVR7I
久し振りに香具師(やし)を見た
119人間七七四年:2008/06/28(土) 17:23:45 ID:ecOSjw5Y
>収入の三分の一くらいは身分維持費として削れない出費だし、
これの意味が分からんが、
雑兵だと半農なんじゃないの? 自給自足マンセーでしょ。


>>116
両替商に借金?
120人間七七四年:2008/06/28(土) 17:48:20 ID:L1qR8WyI
>>119
>身分維持費
詳しくは武士の家計簿という本を見てくれ。
ざっとあげると、儀礼費・家来の雇用・交際費・寺社への寄進など。

>借金
同じく武士の家計簿によれば、武士の借金の四割ほどが親戚・同僚の間で行われていたそうな。
121116:2008/06/28(土) 22:45:37 ID:NaE7PH+0
>>120
おいらも読んだ。おもろいね、あの本。
幕藩ものだからイタチ外だけど。
122人間七七四年:2008/06/29(日) 00:23:30 ID:8Wm8kLQH
読み物としても面白いよね。

>>119
江戸期の雑兵は「同心」といわれる奴ら。
銭形平次などに出てくるような紋付袴のが、実は足軽なんだよ。
戦国期の場合、大体において雑兵の臨時雇いは禁止されている、つまり専業。
ただし主人が半農だった場合にはふだんは農作業を手伝うので半農になるけどね。
123人間七七四年:2008/07/04(金) 12:37:36 ID:S2jPfpBP
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215141336/

【万博】日本では知名度低い?開催地サラゴサ…実は“東経135度(日本の中心)でアジアを2分割し植民地支配”する500年前の協定締結地

1 :早よ説教部屋に来栖川芹香 m9( ゚д゚) → ネットナンパ師φ ★:2008/07/04(金) 12:15:36 ID:???0


<参考:サラゴサ協定(Treaty of ZaragozaもしくはTreaty of Saragossa)
この植民地支配を防いだのは、織田信長の国家統一・豊臣秀吉のキリスト教禁止・徳川家康
の鎖国および日中混血ハーフの鄭成功による台湾統治(スペイン・ポルトガルの両国に代わり
極東進出したオランダ拠点を撃破)と言えます>

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1401-1500/1494_torudeshiryasu.html
新航路発見を機に、スペインとポルトガルは争って通商・植民活動に乗り出し、両国が発見し
た土地、島の帰属を巡って紛争が続出した。両国ともローマ教皇下にあったので、1494年、
教皇が教書を出して、両者の進出領域を決定した(トルデシリャス条約)。
アフリカの西岸ベルデ岬諸島の西方の西経45度の子午線を基準に、西方をスペイン、東方
をポルトガルの進出範囲となった。しかし、地球の裏側にも線が必要となるのは明白で、1529
年には、サラゴサ協定によってアジアでの分界線を東経135度に定めた。この線は日本を真っ
二つに分断する。
そして1543年にはポルトガル人が種子島に、1549年にはスペイン人、フランシスコ・ザビエル
が鹿児島に上陸する。まさに日本は二つの侵略国の先端が衝突する地点にあった。
124人間七七四年:2008/07/07(月) 21:06:11 ID:ISqthxJD
Qさまで家康のブレーンって、崇伝と思ったら天海かよ
125人間七七四年:2008/07/07(月) 21:21:40 ID:80RQrlTg
どっちもでしょう
126人間七七四年:2008/07/07(月) 22:24:13 ID:ALN9u8qm
いっぱいいる。片手どころか両手に余る
127人間七七四年:2008/07/13(日) 18:51:41 ID:yCm7YDKe
なんかネタ無いかな?
128人間七七四年:2008/07/14(月) 20:06:31 ID:LM3PyLwk
秀吉派で家康が大嫌いでしたが、池宮彰一朗氏の「遁げろ家康」を読みました。昔から思い込んでいた卑怯な狸というイメージを覆され衝撃を受けると共に人間臭い家康を思いっきり好きになりました。
129人間七七四年:2008/07/15(火) 00:04:04 ID:o5qd/hpC
秀吉自身は家康と対立したことないのに、
なんで家康派vs秀吉派みたいな図式になるんだろ
どっちも好きな俺としては悲しいのう
130人間七七四年:2008/07/15(火) 00:17:46 ID:klOvfwbR
小牧長久手では対立してんじゃん
vs構図になるのは個人的にも心外だけど
131人間七七四年:2008/07/15(火) 00:20:51 ID:xMz0xEi4
>>129
天下を取った二人だから比較対象にはなるよ
132人間七七四年:2008/07/15(火) 02:44:43 ID:Ld7rCqvJ
>>129
いや、当然のことだろうが、結果的に豊臣潰したからだろ。
秀吉から家康への権力の移行を自然な流れと思うならともかく、三成、幸村みたいな立場としてはやはりもろにぶつかる。
すでに図式ができているから、その図式に乗る奴がいる、としか言えん。
卑怯な狸、みたいな考えは個人的に下らんと思うがな。
133人間七七四年:2008/07/15(火) 12:35:48 ID:Cwz7Ybva
勝手な解釈ですが池宮氏の作品を読んで、どことなく漢の高祖劉邦と家康のイメージが重なりました。回りに担ぎ上げられたと言うか、時代に押し上げられたと言うか…
134人間七七四年:2008/07/15(火) 15:39:03 ID:4UyAIOl+
海道一の弓取
徳川家康のことである。小牧・長久手の合戦で、豊臣秀吉率いる大軍
に勝利したことから、東海道で最強の武勇の者という家康を讃える称号
である。いずれも、幕府関係者の史料に頻出の呼称である。
明治時代の徳川家康の本には、織田信長の感状から、
元亀元年6月28日から、家康の称号であると伝えている。
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

135人間七七四年:2008/07/16(水) 01:17:42 ID:wtauRxiY
>>133
その面はある。
豊臣時代、大名の取り成しとかで人望築いたとか、恩を売ったとか言われるけど、一番狙われかねないのが何より家康なんだから。
保身だよ保身。
文治派が進める中央集権は家康にとっても好もしいもんじゃないだろ。
136人間七七四年:2008/07/16(水) 03:43:28 ID:2Tjwkox9
池宮の「遁げろ家康」って確か司馬の「項羽と劉邦」を家康主人公で書き直した小説じゃなかったっけ?
家康が落ち込んでるのを周囲の家臣が生暖かい目で見つめる描写とかまんま劉邦のそれと一緒だったから、
家康と劉邦が被るってのはある意味正しい小説の読み方かもw

>>134
信長から感状って元亀年間から信長から家臣扱いされてたのか?>家康
むしろそっちの方が驚きなんだが
137人間七七四年:2008/07/16(水) 12:00:07 ID:Doi8xNuM
脱糞してもいいかなぁ?
138人間七七四年:2008/07/16(水) 13:34:12 ID:DMVqfcjo
それって正式な感状なのかな?お礼の手紙なんじゃないの?
139人間七七四年:2008/07/16(水) 18:32:13 ID:SebkCnit
>>136
家臣かどうかはかなり微妙だよ
他の方面軍司令官とは明らかに使われ方も違うと思う
家康が家臣になってたらもっとあっちこっち移動させられてない?
姉川の例はあるけどそれ以外にもっとね
それとか別の武将の下に配属させられたりとか

例えばこのスレではどう見られているのか
【盟友?】織田徳川同盟を語っちゃおう【主従?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170330190/
織田信長と徳川家康・浅井長政
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1199716245/
140人間七七四年:2008/07/16(水) 23:46:20 ID:wtauRxiY
141人間七七四年:2008/07/18(金) 14:48:34 ID:PukfFgST
秀吉死後の豊臣家と徳川家くらいの関係でしょ。


とんでも番組見てて思うんだが、大名なんて暗殺できるのか? 大老除く
142人間七七四年:2008/07/18(金) 22:31:26 ID:IkIK0aDZ
とりあえずみんなで脱糞しましょう!
143人間七七四年:2008/07/18(金) 23:17:15 ID:YyJX4Enh
だから「ぶるたぶちゃん」だと言っとろうが!
144人間七七四年:2008/07/19(土) 00:11:47 ID:RtM65l78
ウゴウゴルーガですね。
145人間七七四年:2008/07/19(土) 01:40:53 ID:EiFklQt6
あれほどの勢いがあれば、武田騎馬軍団からだって、
余裕で逃げ切れるわけだ。
146人間七七四年:2008/07/19(土) 14:16:46 ID:yRyi9eWK
武田騎馬軍団w
147人間七七四年:2008/07/19(土) 17:22:59 ID:TTUCvgq3
タフなおっさんってカッコイイよな。
148人間七七四年:2008/07/20(日) 15:22:21 ID:ploQfMTU
信州一ならぬ海道一
149人間七七四年:2008/07/22(火) 12:19:55 ID:Vx8UMqN8
家康が関が原以降、三河に戻らず
土地が痩せている関東に居続けたのはなぜですか?
150人間七七四年:2008/07/22(火) 14:34:48 ID:qmloEMlm
確かに不思議な選択だとは思うが、
天下に号令するには、平地が便利だったとかかなあ?
151人間七七四年:2008/07/22(火) 14:42:27 ID:Zr4CIGgb
当初はそうだったが、家臣が増えるたびに埋立!今の皇居辺りから。
152人間七七四年:2008/07/22(火) 15:24:44 ID:pVH+iG5z
要因はいくつもあるだろうなぁ。

○関ヶ原で譜代の活躍が少なかったため、恩賞としての
国替えなどが行いにくかった。
○三河に戻ると譜代からして土着性が増し、他家の転封や
改易などが行いにくくなるから。
○伊達、上杉への抑えから。
○関八州を北条体制からの切り替え未だ進行中のため。
○豊臣・公家・天皇から離れた地で政治を進めたかったため。
○埋め立て、河川付け替えなどにより開発できる余地が大き
かったため。
○豊臣の大阪に対して、江戸に広大な独自の街を作り上げるため。
○またもどるのメドイから。

あえて結果論も含めてるけど、先見の明があるブレーンがついて
いたなら要素として考えられた可能性もあるということで。

一番大きいと思うのは豊臣・公家・天皇から離れて政治を進め
られることじゃないかな。
153人間七七四年:2008/07/22(火) 15:41:31 ID:p7QnHLoa
ところで井伊直政って元服前の名前がスケベだな
154人間七七四年:2008/07/22(火) 15:49:38 ID:NzWCNDP9
>>153
万千代・・・。
155人間七七四年:2008/07/22(火) 15:59:30 ID:p7QnHLoa
>>154
「いい」も付きます
156人間七七四年:2008/07/22(火) 16:03:42 ID:RUMwcR3c
一豊の妻、山内フェラ千代。
157人間七七四年:2008/07/22(火) 18:15:07 ID:+kaTJyNB
ここは

【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
158人間七七四年:2008/07/22(火) 18:51:46 ID:sV9Nu3h7
うんこ?
159人間七七四年:2008/07/23(水) 00:03:01 ID:as4QLRaL
運小ではない!脱糞です。くれぐれもお間違いなく候。
160人間七七四年:2008/07/26(土) 01:06:16 ID:74QoXQlX
やる夫が徳川家康になるようですスレが良かった
161人間七七四年:2008/07/26(土) 07:14:58 ID:gBgN5/+z
>>152
それも同意なんだけど、最大要因は朝鮮、中国も
含めた敵から少しでも離れるため、というのはないかな。

薩長が徳川攻撃に出た場合は姫路、大阪はじめ各所の
要塞的な城で対抗できるし、日本海側の交通の要所も押さえてある。

黒船から徳川崩壊がはじまったように、やっぱり海からの攻撃に
日本は弱いわけで、さすがの家康様はそれを理解していたんじゃないかな。
で、300年持たせたわけで、あの時代にそこまで考えていたとするなら
恐ろしいぐらいの天才だと思う。
162人間七七四年:2008/07/26(土) 11:22:23 ID:vjRCy54Q
毛利・島津や豊家恩顧の大名群を九州や長州のあの位置に
置いたのは朝鮮・中国からの反撃(慶長の役に対しての)
に備えるという意識はあったかもしれないね。

しかも幕末においては却ってそれが裏目に出たということ
かもしんない。
そう考えると江戸時代前期のうちに島津・毛利を改易しな
かった・出来なかったことが悔やまれる。
163人間七七四年:2008/07/26(土) 11:40:15 ID:oWqb12CA
でも、幕末まで裏目に出なかった、と考えればやっぱりすごいと
思うな、家康の発想は。
下手に改易とかに出てたらもっと早く幕府自体がトラブってたかもしれないし。

安房守以外にもう一人でいいから、人物、が出てたらいまだに
自民党内は、徳川姓がうじゃうじゃ、になってたかもしれん。

ちょっと前に徳川美術館の講演会に言ったらさ、来賓席、というのに
すんごい品の良さそうなお爺ちゃんが座ってるわけよ。
あのお方、絶対に家康の直系の20代目ぐらいの親戚だよね。
サインもらおうかと思った。
164人間七七四年:2008/07/27(日) 00:08:18 ID:84qQLBzj
ついさっき、司馬先生の『関ヶ原』を読み直してみた。
何回みても思うんだが・・・。
あれだけ家康をボロクソ言っている割に、家康はけっこうかっこよく書かれてる気がする。
何回読んでみても、『関ヶ原』の理性的でダンディな家康を見てると、この作者が家康嫌いなように思えないんだけれども。
石田三成とか嶋左近を食うぐらいかっこよかった。
この作者の家康に対する批判はやり過ぎだと思うけれど、この作者の家康の描き方はけっこう好き。
汚い部分も描かれているから良い。家康はダークさもあった方が痺れる。
165人間七七四年:2008/07/27(日) 11:31:49 ID:VWnHUUHN
司馬は幕末〜近代しか読んだこと無いけど、司馬自身、作品内で嫌いだとか好きではないと
書く人物には、必ずその人物に傾倒している別人物が登場するんで、「関ヶ原」や「覇王の家」にも
そういう人物は居るんだと勝手に思ってたわ。

家康の凄さって、適切な時期に組織の変革をキチンと行えてることだと思う。
勝安房に、「後世に残る毀誉褒貶を出処進退の標にして何ができるか、誠意正心を以て
今に応ずべし」という意味の言葉があるけど、ちょっと家康に通じると思ったな。
166人間七七四年:2008/07/27(日) 11:50:44 ID:jNEZWBpV
家康には善意、悪意以前に、徹底した合理があるように思える。
167人間七七四年:2008/07/27(日) 22:34:58 ID:na0jPKiO
そうじゃなければ酒井・本多・榊原を冷遇しないでしょう
これからは要らないと考えたからああしたわけで
168人間七七四年:2008/07/28(月) 01:05:06 ID:C8MIq9NP
>>164
「覇王の家」読んだ?最初から最後まで主人公の家康にケチつけまくりなのに、
結局家康の凄さが良く解る様に書かれてるんだよ。あれ読んで心底家康ファンになりますた。
つか、元々全然ダークな人だとは思ってなかったけど。あの時代、あの環境に
生まれて良く頑張ったじゃん、と思う。狸親父なんてひねくれた見方だよ。
169人間七七四年:2008/07/28(月) 10:11:10 ID:jWqIYPuP
小説から入るとおかしな先入観になってしまわないかな。
あくまで、その小説の中の人物像、と割り切って考えないと
ちょっと今時のゲーム娘の、〜ってすっご〜い、に
近くなってしまう気がする。

家康でいつも思うのは、信長が若い頃から同盟したり
殺しあった秀吉でも最後は「頼候」だし、三成でさえ
ヤバい時にはなんと家康の屋敷に逃げ込んでる。
これから判断して、頼られるべき相当な大人物、というのが
今のところの自分の家康像の基本になってるんだよね。

徳川300年の祖を作ったり、日本史どころか世界的にも
稀な大人物じゃなかったのかな。
170人間七七四年:2008/07/28(月) 18:57:03 ID:Q8q+m168
>>169
三成が逃げ込んだのは家康の居たところと同じ敷地内だっただけのようだけど
詳しくは忘れちゃった、立ち読みしただけなんで
その後に仲裁に入ったのは確かのようで
海外では家康の評価は高いとテレビでちょっとやってた
もちろん長期政権を築いた人と言うことで
171人間七七四年:2008/07/28(月) 20:27:30 ID:pLd6KqL/
>>170
伏見屋敷だったかな。
ここに逃げれば相手は手を出せない、ということで実質
家康の庇護を期待してるよね。

長期政権を築く、というのもいろんな視点からその素晴らしさを
判定すべきだろうね。
例えば職制、ってのもすごいもんだ。
どんな会社だって総務、営業、広報、経理、いろいろ組織を
作らないといけない。
家康の制定したのはすごいんだよね。

ほんで男系の血を絶やさないために60すぎてから子供
ポコポコ作ったり、その執念もすごい。

そして、朝廷、寺社、というすごい勢力を完全にコントロールした。
朝廷内の浮気事件とか、お坊さんの衣事件とかも、家康が仲介して
おさめてる。
そしてそのまま300年コントロールし続けたシステムを完成させたり。
例を言い出すときりがないね。
172人間七七四年:2008/07/28(月) 21:31:10 ID:WESAKuEa
伏見にあった自分の屋敷ってだけで家康は関係なかった気がするが>三成の駆け込み先
何でも徳富蘇峰が「近世日本国民史」で史料を誤読してから広まった話らしい
面白い話だけに事実じゃなかったとしたら残念だけどね
司馬の「関ヶ原」でも狸と狐の化かしあいとして前半の山場の一つになってるくらい
173人間七七四年:2008/07/28(月) 21:43:50 ID:pLd6KqL/
>>172
集英社版の日本の歴史12に、家康の伏見屋敷、って書いてある。
このあたりも違ってるわけか。
おぼえておくわ。
174人間七七四年:2008/07/28(月) 21:46:46 ID:Q8q+m168
面白いのはそこからの家康の人心コントロールだよ( ̄ー ̄)
少し遡って秀吉が耄碌を始めた辺りからだけど
あちこちに恩をばらまいて家康派に取り込んでるところがすごい
175人間七七四年:2008/07/28(月) 21:55:50 ID:pLd6KqL/
だよね。
東軍西軍って言うけど、実質、西、西軍の争いにしてしまったのは
家康だものね。
176人間七七四年:2008/07/28(月) 22:16:16 ID:1KABmu8b
コントロールとかばらまくということではないと思う
義を取るか利を取るかということでもない
真心がないと人間は動かないよ
177人間七七四年:2008/07/28(月) 22:18:32 ID:H1X9v62d
工エエェェ(´д`)ェェエエ工

それはない
178人間七七四年:2008/07/28(月) 23:15:14 ID:fTCoLc0M
>>173
笠谷和比古という人の言うには『慶長見聞録』『慶長年中卜斎記』『関原軍記大成』とかでは、伏見城内にあった自分の屋敷(治部少丸)
に逃げ込んだと書いてるらしいね
179人間七七四年:2008/07/29(火) 06:53:04 ID:FADohgd7
>>178
スレチだが、カサヤは「ツガルサングン〜」でかの寛永原本の
本物認定に名前出されてる。
これ、学者生命一巻の終わりの危機かもなんだが・・
今後の進展が楽しみ。
180人間七七四年:2008/07/29(火) 10:13:27 ID:Hs1jmFC5
武功夜話本物認定した先生たちがまだ普通に飯食ってけるんだから大丈夫じゃないのw
つうかよく知らんが勝手に名前出された可能性も有るんじゃ>笠谷
戦国時代から江戸時代初期の研究にかけては色々実績
(関ヶ原の秀忠隊本隊説とか)が有るだけに事実なら残念
181人間七七四年:2008/07/29(火) 10:26:27 ID:RI9IQIHq
武功も、本物認定したのは作家系であって、織豊研究者は無視してた、
とも聞くけどね。

一番の目玉は92〜93頁でしょう。
「六点の文献そのものは料紙、書体、筆跡のいづれの点においても江戸時代中のものと判断される」という鑑定書。
「国際日本文化研究センター研究部教授 笠谷和比古」の署名捺印入りです。

こんなのもあって古田スレにありますよ。
ま、笠谷が一種のサギにあった、ってとこらしいが。
182人間七七四年:2008/07/29(火) 20:03:35 ID:u9Ols/Te
>>180
秀忠本隊説はあれはれで問題あるんだけどね
183人間七七四年:2008/07/29(火) 22:35:13 ID:VwUMqitQ
上杉の動き如何では越後方面への展開も
考慮されていたように思うね、秀忠隊。

関東乱入よりは越後奪還の方が可能性的にも
高かったように感じられる>景勝
184人間七七四年:2008/07/29(火) 22:57:31 ID:oF074MXB
でも上杉が動いたらその向こうにいる伊達とかがイッヒッヒじゃないか
そこを読んでの決断での西上
185人間七七四年:2008/07/30(水) 09:09:30 ID:DMssfOSz
>>182
拠るべき城もない中山道の真ん中にポツンと徳川本隊が
残ったとして、なにをどうするつもりだったんだろうね?
186人間七七四年:2008/07/30(水) 15:16:53 ID:JiQQDDRe
突然盛り上がったな。


>下手に改易とかに出てたらもっと早く幕府自体がトラブってたかもしれないし。
たくさんの魚が居る大きな水槽に、1匹だけ天敵入れておいたほうが、
全体として長生きするらしいから
反乱分子居たほうが、組織としてはしっかり機能するらしい。


>家康の凄さって、適切な時期に組織の変革をキチンと行えてることだと思う
従業員・下請けに過酷なコスト削減を強制して
日本経済を停滞させてしまい、
膝元で自殺最多、殺傷事件起こったトヨタは果たしてどう変革するのだろうか?

小泉改革も今では失敗だったと思うが、トヨタ経営も時代遅れに成った気がする。
徳川四天王の待遇は、下請けや従業員よりもはるかにマシだったのでは?
187人間七七四年:2008/07/30(水) 15:24:49 ID:cfUR4bJS
家康自身が煽ったことも会って、
政権担当者(譜代大名)の過大な領土はまずいと判断したからだろ。

秀吉見ていると家康が物凄くケチに見えるけど、
やりすぎはやっぱりよくない。
188人間七七四年:2008/07/31(木) 10:35:45 ID:d1i1RjdD
でも外様には気前よすぎ。
前田は参戦しなかっただけだし、鍋島は支藩も入れると50万石。
毛利は石高は30万石くらいにして蝦夷に転封が妥当。
189人間七七四年:2008/07/31(木) 11:32:30 ID:rzwZMRrM
何が妥当なんだ?
190人間七七四年:2008/07/31(木) 16:01:28 ID:Uy0yl4sz
狸といわれるほど知略、謀略に長けてるとは思わないんだが・・・

関ヶ原の裏工作くらいしかないんじゃない?
方広寺の件も謀略ではなく家康が本気でそう読んでたって説もあるし・・・

だれか秀吉や幕末の連中に負けないだけの家康の聡明なエピソードを
教えて下さい
191人間七七四年:2008/07/31(木) 16:16:53 ID:o8zpr9kb
秀吉ほど知略を示すエピソード(史実or創作を問わず)が豊富な人物は
日本史でいえば聖徳太子や空海くらいだから、秀吉と比べるとさすがに分が悪いわ>家康
墨俣一夜城とか割普請、高松城の水攻めとか事実ならどれだけ頭良いねんっつう話になるし
その代わり家康は滅茶苦茶勉強大好きで、爺になってからも
儒教(林羅山)や仏教(天海)、神道(梵舜)や数学(三浦按針)を側近から教わるという
凄い向学心を持ってたみたいだよ
192人間七七四年:2008/07/31(木) 17:59:12 ID:Xy7ZEv4K
大坂城の総掘り埋めに通じるところでは、
三河一向一揆の後始末なんかはしたたかというか、えげつないというか。

和睦条項「一、寺は元のとおりにします」
→家康方、即行寺院を破却
→一向宗「ちょ、条項と違うだろ」
→家康「寺が建つ前はもともとのっぱらだったんじゃぼけ」
これを26でやるんだから腹黒いw
193人間七七四年:2008/07/31(木) 19:16:58 ID:if98JR2E
大坂の堀埋めってなんかの手違いで埋めちゃったというのも見たぞ
大坂方も抵抗した節も無いことから意外と納得できる理由だった
が、やっぱり忘れた
図書館でなく立ち読みだったと思うから新しい本だと思う
194人間七七四年:2008/07/31(木) 20:01:20 ID:2ilwCaBX
内堀埋め立ては当初の約定

家康の智謀はその堅固な組織構築だろうよ
これには信長、秀吉は足元にも及ばない
195人間七七四年:2008/07/31(木) 20:01:27 ID:Z23fH/oK
>>193
「関ヶ原合戦と大阪の陣」かな?上にもある笠谷氏の本だが
196人間七七四年:2008/07/31(木) 20:18:28 ID:4ALh01gf
>>194
同意。
職制といい管理体制といい素晴らしい。
197人間七七四年:2008/07/31(木) 20:30:25 ID:if98JR2E
>>195
内容なんだっけ
198人間七七四年:2008/07/31(木) 21:02:34 ID:Z23fH/oK
>>197
当初から、内堀も埋めるという約束で、豊臣方が埋めるはずだったんだけど、いつまでたっても埋めないんで
早く終わらせて本国に帰りたがった、外様大名の伊達とか細川が埋め始めたって説だった
199人間七七四年:2008/07/31(木) 21:04:18 ID:if98JR2E
>>198
それっぽい文書でもあったのかな
200人間七七四年:2008/07/31(木) 21:25:07 ID:o8zpr9kb
家康&秀忠時代の幕府の職制はそんなに堅固なものじゃないでしょ
幕府の政権運営も側近(出頭人)たちが将軍をサポートするという形式で、
むしろ将軍の独裁性が発揮しやすい形態だった
未だ豊臣家や外様の大大名など潜在的な敵国が存在した
ポスト戦国時代に適した政治運営だと言える
日本史的な意味における老中や奉行衆などの職制が整えられたのは、
幕府が安定してきた三代将軍家光の頃
それでも武家諸法度や禁中並公家諸法度などの幕府法を制定した家康の功績は変わらんけどね
201人間七七四年:2008/07/31(木) 22:23:59 ID:2ilwCaBX
>>200
一応、それで正しいんだけど
家康・秀忠時代と比較しても優れているんです

特に家臣にいらん事考えさせん様にする点が
202人間七七四年:2008/07/31(木) 22:26:15 ID:01lTxbzF
つまり江戸時代に神君、権現様と
崇められるほど偉大な人物ではなかったんですね・・・
203人間七七四年:2008/07/31(木) 22:32:00 ID:bzPqhca0
>>202
歴史とか政治というものが全くわかってないね。
明治時代に崇められた始めたとでも思う?
204人間七七四年:2008/07/31(木) 22:38:40 ID:2ilwCaBX
戦の上手いアウグストゥスと考えればそのチートぶりも理解できるかと
205人間七七四年:2008/07/31(木) 22:51:21 ID:CukUP2iv
大久保家の改易にみられるように2頭体制の相克、文武両派の対立、などの組織矛盾も
存在してるような
206人間七七四年:2008/08/01(金) 00:53:07 ID:3cLOeFp5
江戸幕府の安定感は異常だろ
江戸幕府以前の政権とは比べものにならない
政治システムも以前の政権と比べて段違いに精錬されている
207人間七七四年:2008/08/01(金) 01:00:00 ID:VfQ82H+K
>>205
組織矛盾が起きるのはしょうがないこととして、それでも
崩壊しない体制を造ったとも言えるよね。
208人間七七四年:2008/08/01(金) 01:13:40 ID:XKjgUPJh
>>206
江戸幕府の安定感が良いのは、ひとえにそれまでの政権の不備を改善して、発展させたからだと思う
それに、江戸幕府がここまでの安定&長期政権になったのは、
家康だけでなく、秀忠や家光の功績もある事を忘れてはならないと思う
この三代の間でシステムが完成してなかったら、四代目で終わった可能性があるからね
209人間七七四年:2008/08/01(金) 06:42:15 ID:PydxAO25
>>205
あれは一族の結合が強い大久保一党を解体する目的があると思う
文武は徳川家は忠勝・康政の隠居と直政の死去で有耶無耶ですから
210人間七七四年:2008/08/01(金) 10:45:41 ID:oY/fVI/0
三英傑じゃないが、家康がつき、秀忠がこねた、のをパクッとしたのが家光
のようにとらえてる。

ちとスレチだが家康の組織の根幹には義教の組織術がある
という論もある。
ものすごく未熟ではあるが、参勤交代システムを作ってたり
家康は勉強家だし、故事を研究して長所をとりいれたというのは
十分に有るだろう。

信長、秀吉、の成功しなかった点をいやというほど見抜いて
それを活用してるしね。
211人間七七四年:2008/08/01(金) 12:45:08 ID:orgAxZ+I
「時間と金を掛けて組織を改善していく」
これが出来ないと組織は崩壊するよね。

現代のベンチャーにも通じる真理。
212人間七七四年:2008/08/01(金) 14:08:38 ID:SLSsgU6V
家光はお家の存続に最も大切な子孫を残すことを軽視したから
大した人物じゃないのではないかな。土井や伊豆といった幕臣
たちに恵まれたんだよ。
213人間七七四年:2008/08/01(金) 17:47:04 ID:YqK+MsOs
頼朝をやたらと尊敬して吾妻鑑を愛読、政治家としての座右の銘にしてたらしいね
天才的な発想で様々な革新的な政策を実行した信長・秀吉と違って、
家康は両人から基本政策を踏襲すると共に、
古人の政治からも積極的に学ぼうとしたところが特異
ただ参勤交代は義教云々よりも直前の豊臣政権で行われてた
遠国大名の伏見参りが基だと思う
214人間七七四年:2008/08/01(金) 18:04:09 ID:eOe3GT6W
>>213
ふむふむ。
義教を出したのは、権力者が強制的に命じたこと、に同一視点を
置いたのだけど、そこに費用散在で外様の弱体化、とか人質の意味
とか、そういう付加価値というか付け加えたのが家康の天才性とは思うの
だよね。

ちなみに、足利がとりあえず15代続いたのは義教が職制を
整えたから、という説もあって、これは家康にも共通するのかな。
215人間七七四年:2008/08/01(金) 22:08:18 ID:BcioJJFr
それ全部秀吉もしてるじゃん
216人間七七四年:2008/08/01(金) 22:31:59 ID:JA6Fd8tW
秀吉に先行すること150年ね。
スレチで悪いが、中国制圧、九州制圧、関東平定、叡山攻撃、
宗教界統一、南朝殲滅、とやってのけたのが義教。
家康はかなり参考にしたはずだろう。
ちなみに信長もね。

東大寺切り取りなんかでも名前が出てくるな。
217人間七七四年:2008/08/02(土) 01:26:50 ID:U+zQA4/z
足利原理主義者だからな、義教は
218人間七七四年:2008/08/06(水) 11:47:58 ID:RTWFi+/x
来月の専門誌に義教が少しのる。
あまりないので楽しみだ。
219人間七七四年:2008/08/06(水) 13:47:26 ID:i1nUjp6L
義教は正直かなり怖いイメージがある。
220人間七七四年:2008/08/06(水) 17:29:06 ID:vl9KqIwT
初代、天魔の所業。
221人間七七四年:2008/08/12(火) 18:22:50 ID:Yw5eFWU+
影武者の番組とかやってるけどさ、
今で言ったら大教祖や豪腕社長が影武者に代わったって事でしょ?

そんなんで近臣が納得するんかいな?
直参とかも騙し通せるもんなのか?
222人間七七四年:2008/08/12(火) 18:34:05 ID:y/zX6IsP
だからああいうのはトンデモ話
223人間七七四年:2008/08/13(水) 14:42:15 ID:M28ofj5K
「百姓というものは、生かさず殺さず」とか言ったのも家康公?

民衆が幸せに成れない、あまり良くない考えだと思ってきた。
224人間七七四年:2008/08/13(水) 15:26:30 ID:y3AVV3Pd
それ、明治政府の捏造っぽい。
225人間七七四年:2008/08/13(水) 15:27:40 ID:fLGY+hlc
>>223
天領と大名領の年貢の率を見てみな。権現様の偉さがわかる。
226人間七七四年:2008/08/13(水) 20:31:11 ID:a0GLkIhu
何でも明治政府の捏造かよw
もとは本多正信に仮託された本佐録からでしょ
あと家康の頃の天領は年貢率結構高かったと聞くぞ
社会が豊かになるにつれて徐々に安くなっていったが
227人間七七四年:2008/08/13(水) 23:16:40 ID:ZsFWRxid
まあそう感情的になるなよ大人気ない。
228人間七七四年:2008/08/14(木) 11:53:39 ID:12vf8b/W
>社会が豊かになるにつれて徐々に安くなっていったが

これなら百姓も大事にされてたって事か。
229人間七七四年:2008/08/14(木) 13:43:48 ID:uZ/KGmVo
実際、百姓が蓄えを作るぐらいの隙はあったよな
230人間七七四年:2008/08/14(木) 14:58:04 ID:wyDWaKVJ
実高と表高の差があったからな。貧乏侍の方がきつい面がある。
ただ、年貢が2割から8割とか地域差ありすぎて一概には語れん。
231人間七七四年:2008/08/14(木) 16:33:40 ID:FcWGCvVT
>>226が家康嫌いなのはよくわかった。
私怨が文章からあふれ出ている。
232人間七七四年:2008/08/14(木) 17:07:10 ID:IB0TC/c7
家康好きでも盲目的なマンセーや、
都合の悪いことは何でもアンチ徳川の捏造にしちゃうのはどうかと思うぞ
233人間七七四年:2008/08/14(木) 22:12:36 ID:ZqZNi4zH
226の何が感情的でアンチなのかわからない俺がいる
234人間七七四年:2008/08/19(火) 12:37:52 ID:zPmjsSrF
現代経済だと成立たないかもしれないけど、
質素倹約って、どうして有効だったのか?

ひたすら質素な衣食住の生産に励めって事?
235人間七七四年:2008/08/19(火) 13:09:54 ID:pOUd20aS
上が質素倹約すると部下もせざるを得なくなる
すると当然支出が減る
という事は収入が少なくてもいい
なので年貢を安く出来る
結果百姓などの生活に余裕が出る
元気な領民がいっぱい
戦時に兵士ざっくざく
236人間七七四年:2008/08/19(火) 23:15:03 ID:V1ohDZgv
さて、鷹狩りoffでも企画するか。

誰が鶴用意する?
おいらはオリーブオイルと鯛を用意しる。
237人間七七四年:2008/08/22(金) 18:28:04 ID:pWyNkPVO
徳川家康は武田信玄の隠し子なの?

其ノ一
三方ヶ原から敗走した家康を信玄がみすみす見逃していること
其ノ二
家康が武田遺臣を多数採用している上、信玄の次女・見松院を保護していること
其ノ三
家康が祀られている日光東照宮に武田家の家紋「花菱」が使われていること

238人間七七四年:2008/08/22(金) 20:10:52 ID:ty0WMJiJ
こりゃいきなり飛んできたな。
239人間七七四年:2008/08/22(金) 21:18:32 ID:L9NWDJP1
1:夜間追撃は追撃する側もリスク大。というか信玄には息子殺しの前科がある。
2:家康は今川・北条の遺臣も多く抱えている。武田だけが特別なわけではない。
3:その論理で行くと正倉院も武田のものになりますが。
  花菱は亜流も含めると剣花菱が出雲大社や厳島神社、住吉神社など多くの神社で見られます。
240人間七七四年:2008/08/22(金) 21:21:25 ID:IHAyMxi1
最近そういうトンデモ歴史番組が増えたけど人気あるのかな?
241人間七七四年:2008/08/22(金) 21:30:54 ID:eDxMgJnn
笹竜胆は、ジンギスカンが源義経という決定的な証拠です、とか?
242人間七七四年:2008/08/22(金) 21:51:54 ID:ty0WMJiJ
239の反証も今ひとつだな。
他にもそういった例はある、といった感じで、隠し子説、は
否定されたわけじゃない。
243人間七七四年:2008/08/22(金) 21:58:37 ID:011dBCGc
墓の骨をDNA鑑定したらいいやん。

徳川家康は、関ヶ原で暗殺されて影武者がひきついだという説があるが、
秀忠の遺骨は残っているのだから、東照宮の家康の遺骨と鑑定すれば、
すぐに判明できる、はず。たぶん。
244人間七七四年:2008/08/22(金) 22:05:34 ID:gHFKHIoY
>>242
悪魔の証明ってヤツですね
245人間七七四年:2008/08/22(金) 22:05:40 ID:ty0WMJiJ
子孫もいっぱい残ってるから、そっちからの鑑定とかも
出来るのじゃないかな。
文系だからアホでごめん。
246人間七七四年:2008/08/22(金) 22:37:18 ID:011dBCGc
親子のつながりがあるかどうか、秀忠の遺骨とDNA鑑定するわけさ。
247人間七七四年:2008/08/22(金) 23:15:48 ID:ty0WMJiJ
スケート織田と、徳川の直径の子孫もつながりが証明されるのかな。
248人間七七四年:2008/08/26(火) 12:11:28 ID:/K+epMAN
主君を惨殺しておいて、一家皆殺しに遭ってないってだけで
歴史がそれほどクリアなもんじゃないって証拠に成るでしょ。


一族郎党皆殺しなんて、信長くらいしかやってないんじゃないの?


1つだけなるほどと思ったのは、光秀ゆかりの坂本 竜馬が
桔梗紋だとか、亀山社中とか。
249人間七七四年:2008/08/26(火) 12:25:00 ID:CGYhrfPq
すまんが何を言ってるのか意味がわからない
250人間七七四年:2008/08/26(火) 14:21:22 ID:E6F4xgTV
俺もわからん
251人間七七四年:2008/08/26(火) 14:31:31 ID:QuBHF3Dj
これは宝の場所か何かの暗号だな
252人間七七四年:2008/08/26(火) 18:16:07 ID:jmJZM/pW
家康最強

っていう暗号を解読した
253人間七七四年:2008/08/26(火) 18:46:07 ID:z9K5XTS6
家康って双子でしょ?
254人間七七四年:2008/08/26(火) 19:24:14 ID:x/hQD3Mh
家元だっけか?>双子
家康双子設定の小説なら読んだ事あるけど、実際どうなんだろうね。

家康書状の花押(書体?)が、安定してない時期があるというのは
何かの研究本で読んだ気がする。
255人間七七四年:2008/08/26(火) 20:00:11 ID:jmJZM/pW
だとしたら全然関係無い今川時代に今川史みたいな中になんらかのことは書かれてないかね
徳川史だといろいろと隠そうとするかもしれんけど
256人間七七四年:2008/08/26(火) 20:06:30 ID:KxSOocPu
秀康双子説は聞いたことあるね
257人間七七四年:2008/08/26(火) 20:22:05 ID:jmJZM/pW
いつの時代か知らんけど双子は不吉って言われてたときもあったよね日本史には
だから無理やり片方を里子にって
258人間七七四年:2008/08/26(火) 20:52:29 ID:d1DU1Hmo
双子つーか、同日で生まれた異母兄弟が居たような…<家康
259人間七七四年:2008/08/26(火) 23:18:08 ID:JifZeXRi
松平家元って言うのはよく聞くな。
ただ、個人的には久松松平の康元を誤ってるだけのような気もするが…没が一緒だしな、伝えられてる
260人間七七四年:2008/08/27(水) 01:43:17 ID:BHitfdWl
>>257
この時代もそうらしいよ。

作左本の記述だけど、隠されていたお万が家康の子を
産んだというので駆けつけたら祭壇も飾られていた。

どういうことかと世話人に聞いたところ、双子であり、
片方は亡くなったとのこと。作左が報告したら、亡く
なった子を「不憫だ」とは言ったものの、その後の秀康
に対する仕打ちは周知の通り。

双子であったことを忌み嫌った部分もあるのかもしれないね。
261人間七七四年:2008/08/27(水) 07:33:35 ID:XI13VxQX
双子の片方を、隠しはしても、殺したりはしないよ。
武家の長男(嫡男)であろうが、病死でバタバタ死ぬのが当時の状況で、
江戸時代の将軍家ですら、子供の半数以上は成人前に死亡している。

子供は1人でも大事にして、武士として問題がある場合は、寺にやって僧にするのがふつう。
武士の跡継ぎが死亡などして都合悪くなったときは、還俗といって、僧から武士に戻すこともよくある。
262人間七七四年:2008/08/27(水) 11:22:29 ID:ZfzhXIfN
秀康が双子だとするならともかく、忠輝の扱いが悪かったのはなんでだ?
謀反人ってことで悪くかかれたり、側近達が成り上がりで嫌われてたとかあんのかな。
263人間七七四年:2008/08/27(水) 11:37:12 ID:7ZhtP76M
忠輝も松千代と双子だったから?
264人間七七四年:2008/08/27(水) 13:53:46 ID:BHitfdWl
>>261
一応念のためだけど、>>260は殺したとかではないんで。

>>262
諸説あるよね。秀康共にヒドイのは醜さを理由にしてるし。
やっぱり政宗の婿になったのが大きい様には思うけど。
265人間七七四年:2008/08/27(水) 18:25:07 ID:TC8LMvcJ
信康殺しも、実は単に築山殿との仲が悪く、憎いとまで思っていて、
その子供に跡を継がせたくなかったから、という考えも無くはないね
殺すなら力が付いてない早いうちにするのは普通だろうし
でもそんなストレートなことは側近にしか言うはずないし、記録にも残すはずは無い
266人間七七四年:2008/08/27(水) 18:35:52 ID:WxjRIwdj
そりゃないだろう。
子供持ってみればわかるが、自分の子、というのは最重要だぞ。
267人間七七四年:2008/08/27(水) 19:05:34 ID:dLorGPpS
個人的に、家康はまともな子育てを放棄してるような気がする。
自分の子供も家臣と同列に扱ってる印象。

>信康殺し
そのくせ、処分が決まってからは、移動移動で(岡崎→大浜→二俣)、
武田領に近くなっていってるんだよな。逃がしたいのか?と、勘ぐりたくもなる。
岡崎派といわれる家臣団も一枚岩ではないから、水野信元の時のような
事態を用心して居を移したのかも知れないけど、いかんせん記録が無さ過ぎて
推量を重ねていくしかないから、色んな説があるんだろうね。

作家だったら、いろいろ想像するのが面白くて仕方ないかも。
268人間七七四年:2008/08/27(水) 19:51:06 ID:XI13VxQX
>>267は、信康事件について何か知っている様子。

信康の器量を警戒して、信長が殺害を命じた、という説のレベルではなさそう。

信康事件は、背景として、徳川・今川の同盟を破棄して、徳川・織田の同盟
が関係している。
徳川・今川の同盟の象徴といえるのが、今川方の妻と、その間にできた子。
同盟を廃棄して、一番立場が悪くなるのが、築山殿と信康。
今川に親戚がいる家来など、徳川・織田の同盟に反対する家来は、築山殿と信康を
かつぐことになる。

で、果たして三河武士団は分裂して、内部抗争&親子喧嘩の深刻化の末に、
妻と長男の殺害を家康は命令する。
でも、信康はすでに正妻をむかえており、その正妻は信長の娘だった。
だから、さすがに信長の了解を得る必要があり、家康は信長に「おうかがい」を出した。
信長は、了解したが、このことが原因で、のちに信長のせいにされてしまう。
徳川幕府を開いたのちは、信康事件のことは禁句になり、信長公記でも
信康事件のあった年は、その巻を廃棄して、別册にすりかえているほど。

というのがオイラの知っている信康事件の情報だど。
269人間七七四年:2008/08/27(水) 20:01:26 ID:ePWy3eJ1
武田信玄も、長男を殺してなかったっけか?
270人間七七四年:2008/08/27(水) 20:08:55 ID:TC8LMvcJ
殺すまでには至らなくても、廃嫡の例はあるし、それで乱が起きた例もある
信康直接じゃなくても嫁との関係がこじれて悪化したところ
息子が嫁に付いてしまったらその息子は鬱陶しくなると思う
嫁は現在は敵になった今川の血筋じゃこじれない方が不思議だ
単なる敵じゃなくて、義元を殺した織田と手を組んだんじゃねえ
そこで現代じゃなくて戦国時代だから、長男が気に入らなければ
次に子供を産ませて〜となっても不思議じゃない
まさか次男が秀康になっちゃったのは家康もちょっと計算外だっただろうけど・・・
それでグタグダしてたら信長からどうなってんだと話が来て(殺せじゃなくて)
これはいかんと手を打ったと
反目してた息子に生きてるうちに跡を継がせた例ってどこかあった?
斉藤がそうか、それで道三が殺された、家康も下手するとこうだったかもしれん
271人間七七四年:2008/08/27(水) 20:12:43 ID:XI13VxQX
殺してるね。

これも武田・今川の同盟が関係している。
同盟の象徴といえるのが、今川の娘と結婚していた武田氏の長男。

同盟を破棄して、今川領に侵攻することになり、
立場が悪くなったのが、長男夫婦。

親子喧嘩の深刻化&内部抗争の末に、
(志摩の湯の変?という反乱未遂?。反乱に関わった飯富兵部の処刑)
息子の嫁は実家に追放、息子の義信は切腹させられた。(幽閉中に病死?)
272人間七七四年:2008/08/27(水) 20:16:56 ID:TC8LMvcJ
家も大事だけどまずは自分
家康もそんなに年寄りでもなかったわけだし
将来は次の息子達に託して、謀反の危険性がある長男は切ったというのはあるよね
273人間七七四年:2008/08/27(水) 20:19:31 ID:wVkYdh/0
>>269
何故そこで武田信玄の話が出て来る?
議論にもスレにも関係ないのに。
274人間七七四年:2008/08/27(水) 20:20:19 ID:TC8LMvcJ
信康にしても母親には気持ちは分かるとなだめる程度にして
あくまでも父親に従っておけばこんなことにはならなかったね
母親へ感情入れすぎちゃったのかな
築山殿は完全に隔離しておけばよかったのか?
275人間七七四年:2008/08/27(水) 20:26:13 ID:TC8LMvcJ
>>273
>>266に掛かってると思われる
他家でも起きた事柄、家康が同様のことをやってもおかしくはないということ
子供は誰であろうが可愛い、というのは戦国期には確たるものではなかったと
隣の織田にしても信秀が早死にしなかったらたぶん信長は・・・
276248:2008/08/27(水) 20:37:13 ID:2wdWM9tJ
家康公が、祖父・父とも家臣に誤殺されてるのに
斬った家すら続いてるって事だよ。
277人間七七四年:2008/08/27(水) 21:55:35 ID:Hqc1Vdj9
>276

阿部と岩松だっけ?
阿部は結局大蔵定吉で絶えることにはなったけど。

むしろ気になるのは、切り捨てたのが二人とも植村氏明だったって言うのが。
まあ、個人的には広忠病死説の方を信用してたりするけど。
278たられば君:2008/08/27(水) 22:31:14 ID:VJwMhWPG
なるほど
高家保護に力を入れた家康が新田宗家を冷遇したのは
その屋号を忌み嫌った部分があるのかもね
279人間七七四年:2008/08/29(金) 13:22:36 ID:L9NMj/Vb
岡崎城行ったら顰像が石像にされてたぞ
280人間七七四年:2008/08/29(金) 15:52:31 ID:NyKvyZ/D
信康殺しについては、ちょっと前にさんざんやったな〜。
その時は268みたいな結論だったのかな。

信長は関係ない、ってね、家康がさすがにうまくやって信長に責任かぶした、とか。
281人間七七四年:2008/08/29(金) 21:46:00 ID:Ch1B1tQc
>>268の説は(今川派の築山殿と信康は、織田と徳川の同盟に反対)、
殺されたのが長篠合戦の後なので、
同盟してからだいぶ年月がたちすぎている、という問題あり。
桶狭間合戦1560年 築山事件1579年
282人間七七四年:2008/08/29(金) 21:58:07 ID:MLHqM+ww
ところで
こういうスレがあるのだが
【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
283人間七七四年:2008/08/29(金) 22:11:01 ID:bhFSpqX3
信康&築山殿の殺害は、主に後方支援役の岡崎派と、
対武田最前線の浜松派の対立が高じたためという見方が今は主流じゃなかったのか?
まぁ類似スレもあるみたいだが
284人間七七四年:2008/08/29(金) 23:13:21 ID:GFX9YSJv
この時期家康は氏真を利用してるから、今川路線は個人的に微妙かな。
家康夫婦、信康夫婦の不仲の方がまだ事件に関わってそうだ。
ところで武田内通の件の信憑性は実際どれくらい?
285人間七七四年:2008/08/30(土) 00:01:04 ID:nk8cOSgh
>>281
さんきゅ。
1579ぐらいになるともう織田の天下も見えてきてるし、今川派なんて完全に
不要になったってとこかね。
ところで、信康の人間像みたいなのはどうなってるの?
お徳のあの手紙がどう評価されてるか、ということなんだけど。
286人間七七四年:2008/08/30(土) 17:27:59 ID:oPeC+BeB
>後方支援の岡崎派
奥三河から武田方がちょっかいかけてるから、後方支援のみとか、戦功が全くない
ということはないと思われ。
この時期、戦功の評価や戦果の配分をする人間が誰なのかは判らないけど、戦果
配分に不満があれば、部下は嫌になるよな。

あと、信康自決の三年前、武田方に兵糧を売った罪で、信長から、水野信元を
殺すように命令があったらしいんだが、それを取りなそうとしてたのが石川数正で、
蟄居先に行って暗殺?したのが平岩新吉という話もある。
数正は西三河の領袖だったし、平岩は信康の傳役な。

この辺から、浜松派との対立より、岡崎派内部の対立があったとしても、おかしくない
ような気はするな。

本当に、信康が謀反を企んでいたなら、史書から隠蔽しなきゃならない理由として
弱いように思う。事実、この時代は血族で主導権を奪い合う例がごまんとあるし。
後世、三河武士の忠を喧伝するために、嫡子家臣の内部分裂という汚点を隠蔽したという
考え方もできなくない?
287286:2008/08/30(土) 17:38:45 ID:oPeC+BeB
ミスった、反省。
  × 平岩新吉
  ○ 平岩親吉
288人間七七四年:2008/08/30(土) 19:23:01 ID:Wb/OhAhR
>>286
信康自決の3年前となると、大賀弥四郎事件とのからみが
気になるところだなぁ。
信長の手前家康としても弱みを見られることを避けなければ
ならない時期だろうしな。
289人間七七四年:2008/08/31(日) 06:10:56 ID:7PBtacMf
290人間七七四年:2008/08/31(日) 11:12:30 ID:HLqdLb3r
平岩親吉は家康の実子を養子にもらった唯一の家臣で、犬山城主だった。
なのにいまひとつ有名じゃない。
スレ違い下げ
291人間七七四年:2008/08/31(日) 13:24:07 ID:PSG63IJk
>>290
実績部分に派手さが無い割に、信康の傅役としての
マイナスが目立っている感はあるね。文武共に優秀な
人だと思う。

言動含め派手な作左とは対照的な意味での、三河武士の
典型というか。あえて言うなら岡崎出身の中嶋悟的とでも
言おうか…。
292人間七七四年:2008/08/31(日) 18:16:27 ID:YoY6jqMs
平岩自身は家を残すことを放棄してるような雰囲気があるね。
戦場では十単位で首級を上げるほど勇猛だし、嫡子付きになるんだから
人柄だって悪くないだろうに。

「三河後風土記」が本当に平岩の著であれば、大久保彦左のように
名を残したともいえそうだけどね。

そういえば、榊原康政の兄の子孫は、久能山で家康の墓守をしてるな。
永井直勝も出世したし、信康付きの家臣って結構優遇されているんじゃないか?
293人間七七四年:2008/09/02(火) 19:39:11 ID:gYxMzwUC
そのへんの家臣の動き(処罰とか)がわかれば、
信康の切腹への過程もわかるように思うんだが、いまひとつよくわからない。

母親も一緒に殺害されているのだから、
「息子が当主になれば。」という動きを、築山殿がした、という説は捨て難い。
岡崎の家臣も含めて、クーデターを敢行しようとした、という推定をしたが、
信康や築山殿の動きがいまひとつよくわからないので、家臣団の処罰や異動、
から何か推測できるのではないかと。
294人間七七四年:2008/09/03(水) 19:30:23 ID:N4jjV3NR
一向一揆の時に家康に反抗した大草松平家の康安っていうのが
信康付きになってるんだが、服部半蔵と同じ伊賀の出身なんだ。
半蔵も信康介錯の時に名前が出るくらいだし、岡崎と伊賀衆との
関係もちょっと気になるんだよな。

>信康家臣団の動き
自分も興味を持って調べてるんだけど、まとまった研究書はないみたい。
むしろ、あったら知りたいよ。
295人間七七四年:2008/09/03(水) 19:39:07 ID:gxphmeZR
まだ不慣れな息子のためにつけたやった有能な家臣団なら、その後も重用されるんじゃないかな
まとめて切って捨てられるほど、人材豊富とは思えないし
296人間七七四年:2008/09/04(木) 09:20:26 ID:uzb3kVgL
うむ。
処罰された家臣よりも、処罰されずにその後も通常に重用?されている家臣
から、見ていった方がわかりやすいかもしれないな。

信康母子を今川から連れ帰った石川数正、信康の傳役 平岩。

信康が実の息子でないため憎かった、という説も考えられないこともないが、
結婚して2年後ぐらいに生まれているので、(どっかの男の)懐妊中の嫁さん
をもらったわけではなさそう。
297人間七七四年:2008/09/04(木) 17:47:28 ID:XRorA9t2
結婚後も氏真と密通してたという事も考えられる
298人間七七四年:2008/09/04(木) 18:58:32 ID:KOxYMpQq
>>297
横光ではその解釈っぽいのが載ってるね。山岡から
かもしれんけど。
299人間七七四年:2008/09/04(木) 19:09:07 ID:wv/DtqPK
>>298
山岡荘八では、そういう描写はなかったな
結婚前は通じてたことを家康が知っていて、そういう女を娶ることを屈辱だと思ってたようだが
300人間七七四年:2008/09/04(木) 19:26:53 ID:Q9ZpH/vf
>>296
石川数正は出奔するまで西三河の軍を束ねた岡崎城代。
出奔後は城代を本多重次、軍を内藤家長(数正の甥)が
引き継いでる。

平岩親吉は家康の元に戻ってから、甲信攻略時期に活躍。
後に甲州の郡代になったと思ったな。
同僚は鳥居元忠とか。

徳川は数正の出奔で甲州の軍制に変えたんだよね。

今気が付いたけど、内藤家長と鳥居元忠って、関ヶ原前に
伏見で立て篭もるメンバーだね。
301人間七七四年:2008/09/05(金) 14:18:06 ID:StzeOqkt
築山殿って可哀想なひとだな。

母親は謀反人の一族で、旦那の実家に行けば父親が殺されて、
夫は頼れないし、息子はなんか巻き込まれて、言い訳する間もなく
自分もあぼん。
そのうえ後世、悪女・淫乱のレッテル貼られてるんじゃ、女性作家が
築山殿を悪く描かない理由が何となく解るわ。
302人間七七四年:2008/09/05(金) 18:28:40 ID:nHlMu4Y5
でも美人だとは書かれる
303奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/06(土) 00:23:59 ID:0g9FCRon
オレの中では池上季美子のイメージで20年くらい固定されてるな。
304人間七七四年:2008/09/06(土) 00:29:28 ID:shhVvdLu
家康が滝田、秀吉が金八、信長が役所だな
305奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/06(土) 00:36:31 ID:0g9FCRon
でも大権現は津川なんだ。
306人間七七四年:2008/09/06(土) 21:49:39 ID:D14u3PGK
仕方有るまい、津川に勝る家康はない。
ついでに言うと、鬼どのは長門がいい。
307奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/09/06(土) 21:54:29 ID:0g9FCRon
あの鬼は酒井も兼任してるのが奇妙だからなあ・・・
308人間七七四年:2008/09/07(日) 10:51:50 ID:gdsZG3ID
そういや葵の完全版DVD出るね。
地味に楽しみ。
309人間七七四年:2008/09/09(火) 08:59:39 ID:jVK/Divo
関ヶ原でイベントあるらしいんだけど三成ばっかりひいきしてるんで
軽くムカついている…大人げないとはわかってるけど。
最近とみに世の中に三成びいきが多い気がして家康好きとしては肩身が狭い。
まあ、勝利者は日本人にはあまり好かれないのはわかってるけどさ。
310人間七七四年:2008/09/09(火) 10:06:46 ID:9GePy9cE
三成は曲解されてるよな
忠義の臣というが、関ヶ原は権力欲モリモリだったんじゃないかと
北政所にも見捨てられてるし豊臣のためってのはありえんよな
311人間七七四年:2008/09/09(火) 10:24:37 ID:pXuOgdmU
>>310
ありがとう、同じ思いの人いると思うと心強いよ…
秀吉だって織田家から権力奪い取ったくせに
さも豊臣家の権力が続くのが正道と言い張る三成がどうにも好きになれなくてさ
312人間七七四年:2008/09/09(火) 11:00:16 ID:rxLQV4Ji
豊臣家へ忠誠心は強烈にあったと思うけど、
アガペー的な無償のものではなくて、
自分の権力を保証してくれる豊臣家への忠節だと思うなあ。
自分の権力・権勢=豊臣政権ってだけの話。

というか聖人君子って味気ないと思うんだが、
義経とか真田幸村とか石田三成とか、なんで味気ないのが人気なのかがわからない。
真田信繁は情けないのと軍事は強いそのギャップが良いんだが、
美形・不屈・最強の幸村の人気はわからん。
313人間七七四年:2008/09/09(火) 15:15:48 ID:yjwqAxp7
>自分の権力を保証してくれる豊臣家への忠節だと思うなあ
自分もそう思ってるんだけど三成を褒める人って
「無欲の義の人」みたいに言うからさー
嘘言うな、と思ってしまうんだ
314人間七七四年:2008/09/09(火) 16:13:17 ID:vvR052wX
お前ら、柿でも食って落ち着け
315人間七七四年:2008/09/09(火) 21:23:33 ID:yI4ElQ5R
>>312
まあ言いたいことはたぶん大体同じだろう。
三成の義理堅さ、ってのは否定しないが、家康を狸とか陰険とか汚いとか非難してまで持ち上げようとすると鬱陶しくなるというのが個人的感慨。

しかし、三成ファンに、三成は徳川時代に奸臣として歪められたとか思ってる奴がいて、
徳川ファンに家康は三成や幸村の敵役として歪められたと思っているのがいるのはなんか笑える。
316人間七七四年:2008/09/09(火) 21:29:55 ID:nhIA7DlS
三成は忠義でやってたことだし
家康は野望があってやったこと
そりゃ心情的には三成の肩を持ちたくなるやつは多いだろうけど
時代は戦国、天下を獲った人間が正しい時代
結果として、家康は戦国武将として最高位に就いたわけで
それをもって貶めようとする意見はどうかと思う
317人間七七四年:2008/09/09(火) 22:10:29 ID:yI6bokko
家康は腹黒くてしたたかだからこそ、魅力的なのにねw
津川家康は理想の家康像。
318人間七七四年:2008/09/09(火) 22:32:46 ID:yI4ElQ5R
>>316
その忠義と野望って区別もどうかなあって思うけどな。
三成に野心はなかったのかって話になるし、そもそも豊臣政権の存続が妥当かって話でもある。
三成も家康も己の保身をかけた権力闘争って面は当然あるだろうよ。
三成は家康と妥協するような人間でもないし、三成にとって家康は食うべき対象。有力者の力を削ぐのは政策の常だし、豊臣もそれはやってきた。
家康だって外様達の代表、中央への反発の象徴みたいなもんでもある。
家康に取られるような不安定な天下をとり、万全な天下に作り変えただけ。
三成なりの天下と、家康なりの天下、って言ったら片方が格別持ち上げられたり、非難されたりしなければならないいわれはない。
そこにあるのは結果とただの贔屓だけ、と俺は思う。
319人間七七四年:2008/09/09(火) 22:33:19 ID:gnIl/Yv0
>>316
三成は忠義というより自分こそが豊臣代表と勘違いしていたんだろう
現代に例えるなら単なる官僚が俺は総理大臣と言い張るようなもので
同僚から嫌われるのは当然だと思う
320人間七七四年:2008/09/10(水) 07:28:43 ID:oycDrvRz
その「単なる官僚」が、政権維持のため今までやってきたことが、
もう少ししたら、政権を他人にぶんどられて、全否定されてしまうんだぜ。

無力のまま、とられてしまってもいいのか。

反骨を見せたのが、五大老、五奉行のなかでも三成だけ、
というのが関ヶ原の直前の状況。
321人間七七四年:2008/09/10(水) 07:46:34 ID:EgMFmArq
家康の挑発に挑発で返して会津征伐軍までおこさせた上杉は無視ですかそうですか。
三成より早い段階で軍を起こした宇喜多は眼中にありませんか。
五奉行五大老のほとんどは西軍なのはどうでもいいことですよね。

三成に向ける賛辞の一割でいいから、周りに向けてあげてください。
322人間七七四年:2008/09/10(水) 10:05:30 ID:ZnDhHaPM
家康スレというより三成アンチスレになりつつあるなw

いや、自分はそうなんだけど
…違うな、三成を持ち上げる輩アンチつったほうが正しいか。
三成自身は嫌いでもない、秀吉存命中は特に。
323人間七七四年:2008/09/10(水) 10:42:42 ID:h7cv3PZZ
>>320
自分達のやり方が別の大きな流れを作り、それを抑えてでも我意を通そうとしたが、結局は呑まれた。
天下を納められないものが、天下を失った。ただそれだけの話だろ。

>>322
別に嫌いじゃないけどな
324人間七七四年:2008/09/10(水) 10:47:46 ID:ZnDhHaPM
>>323
オレも嫌いではないよ、ただ三成が清廉潔白だと信じてる人間に反感覚えるだけ
325人間七七四年:2008/09/10(水) 12:19:53 ID:CD6VoN9Q
>>317
表面的には律儀者にも見えなくはないのも、その腹黒いしたたかさかな
一見、豊臣系東軍大名優遇な領土配分とか
326人間七七四年:2008/09/10(水) 12:55:13 ID:T9O3s6a9
三成は後の人に聖人君子として作り上げられちゃった感があって逆に可哀想かな
日本人て負けた方にそういうのを作り出しちゃう傾向があるから
327人間七七四年:2008/09/10(水) 13:22:35 ID:AR7mXT+v
関ヶ原スレでやれば?
328人間七七四年:2008/09/10(水) 13:22:38 ID:8yvPpBtO
いや、江戸時代通してぶっちぎりの大悪人だったんだが>三成
329人間七七四年:2008/09/10(水) 13:31:04 ID:eGE94svQ
>>328
そういう極端な評価には、必ずと言っていいくらいの
反動が出るのが日本のいいところ。

菅原道真だって犯罪人から神だし、将門も同様。
だからといって麻原が神として祀られるとは思えないが。
330人間七七四年:2008/09/10(水) 14:10:50 ID:CD6VoN9Q
まあ徳川家康と葵徳川三代の家康は、同一人物に見えないし、へうげものとセンゴクと影武者徳川家康と花の慶次の家康も同一人物には・・・
331人間七七四年:2008/09/10(水) 14:37:48 ID:hLgPYr/t
>>329
誰か淀殿にも救いの手をのべてあげてww
332人間七七四年:2008/09/10(水) 14:42:15 ID:CD6VoN9Q
>>331
今際のきわに、遠く離れた妹のところへ霊魂となってやってきた優しい姉(大河ドラマより)
333人間七七四年:2008/09/10(水) 15:45:34 ID:8yvPpBtO
淀殿は別の方向に持ち上げられてるな
秀吉の側室になったのは復讐のためとか、
家康に恐れられた女とか…
334人間七七四年:2008/09/10(水) 16:48:18 ID:mPVUjECq
>>312
真田信繁と真田幸村って同一人物だろ?
335人間七七四年:2008/09/10(水) 18:48:35 ID:og4su0Bf
>>334
まとめて・・・
336人間七七四年:2008/09/10(水) 19:07:14 ID:EgMFmArq
>>334
手取り足取り解説してもらわないとわからないのか?
337人間七七四年:2008/09/10(水) 21:22:47 ID:mW8Vwkeq
張飛翼徳と張飛益徳は同一人物じゃない、そういうことさ。
338人間七七四年:2008/09/10(水) 21:28:33 ID:cZum0svR
243

秀忠よか晴信の遺骨を鑑定すればいいんちゃう?

家康って遺骨残ってないの?

家康が晴信の子供説ってのも、ありかもなぁ 信長の死後 甲斐、信濃を駿河を取ってるやろ?

まぁ秀吉が機内を抑えてたから畿内に進出出来ないってのもあったかも
339人間七七四年:2008/09/10(水) 21:30:43 ID:cZum0svR
〉334

真田信繁が本命だすよ。幸村は、造作かと
340人間七七四年:2008/09/10(水) 22:32:57 ID:sRz3VBkl
レスアンカーは正しく付けるように
341人間七七四年:2008/09/11(木) 07:43:49 ID:ipjkVRS1
食いつきすぎだろw
342人間七七四年:2008/09/11(木) 16:42:06 ID:l5M6rIb1
講談の類の真田二男は幸村呼称が多いから人気がある真田二男を幸村と書き、
本当の誇張されない真田二男は本来の諱であっただろう信繁にしてるんでしょ

解説は無粋だったかな
343人間七七四年:2008/09/13(土) 10:59:17 ID:6oeDcuOP
上野東照宮行ってみたけど
かなりこじんまりしてるんだねえ
344人間七七四年:2008/09/13(土) 13:57:23 ID:at/uskYj
アド街に影響されたなw


>五奉行五大老のほとんどは西軍なのはどうでもいいことですよね。
半数でしょ?


>>333
え、違うの?


徳川家は徳川家で、忠勤励めば大事にしてくれるんだけど
三成も三成で、真面目な者を大事にしてくれるようなイメージはあるが
逆に有能な人材以外は、冷遇する嫌なヤツイメージもある。

そうすると、多少無能でも大事にしてくれる徳川家のほうが、
普通の武士にはありがたい政権だったのではなかろうか?
345人間七七四年:2008/09/13(土) 16:20:52 ID:6oeDcuOP
>>344
いや、知らないよ
アド街で上野特集してたの?
上野の博物館に仏像展見に行ったからついでで見てきた
あそこには神様はいなさそうだなーと思ったよ<上野東照宮
346人間七七四年:2008/09/13(土) 17:14:34 ID:tKsyeHbg
>>344
>多少無能でも
氏真様のことかー!
347人間七七四年:2008/09/13(土) 17:18:22 ID:fqSwyN67
いや、彼は多少どころじゃないから
348人間七七四年:2008/09/13(土) 17:29:08 ID:bc2t4UP0
349人間七七四年:2008/09/13(土) 18:00:20 ID:VZ6r8Xxh
>>343
あきらかに手入れは進んでいないけど、きっちり手入れすれば、
かなり綺麗になりそうなんだけどねー。

いまではむしろ各大名からの灯籠の方が見応えはあるかもしれない。

左甚五郎の彫刻もあるのにもったいないなー。

まぁそれでも芝に比べればましだけど。
350人間七七四年:2008/09/13(土) 20:55:03 ID:Wyt9Jb1d
上野戦争で燃えなかっただけでも奇跡
351人間七七四年:2008/09/13(土) 23:40:12 ID:aeHJ86EZ
>>347
芸事では物凄く優秀だからな。
一芸でも優れていたもの勝ち。
352人間七七四年:2008/09/14(日) 10:32:10 ID:cGvxhsN0
三大東照宮
久能山、日光、川越
3つ目が無理すぎ
353人間七七四年:2008/09/14(日) 10:35:09 ID:dW7xzoaa
>>348
それどこ??
354人間七七四年:2008/09/14(日) 11:06:02 ID:G+EZyrbj
曳馬城址…って碑があるから浜松じゃね?
地元民だけど、詳細は分からないですけどw
355人間七七四年:2008/09/14(日) 11:37:21 ID:9jS9oq7i
>>354
その通り
家康ゆかりの地に、城址に立てられた東照宮
マニアを自称するなら浜松城とともに訪れるべし
ゆかりどころか、マニアなら行かなくてはならない土地
境内からなんちゃって天守閣が見える
そこまでじゃ・・・というならぐぐるだけでもよし!
356人間七七四年:2008/09/14(日) 11:48:54 ID:BezDAOP0
俺の聞いた三大東照宮は、久能山、日光、滝山寺だったな。
東照宮って全国に六百近くあるから、ちんまりした所も多いよね。

曳馬城址の東照宮なら浜松城の東側にあるよ。
碑の傍がゴミ捨て場だから、朝行くと切ない気分になる。

>>343
天気のいいとき本殿裏側を壁寄りから眺めると、残ってる金箔が
光って綺麗だよ。
拝観料出して中に入ると、裏側から唐門の左甚五郎の龍に
触れんだけど、いいのかなー、あれ。
357人間七七四年:2008/09/14(日) 11:53:47 ID:BezDAOP0
>>355
うは、リロって無かったからかぶったww

浜松城は野面積みも良いよね。無性に登りたくなる、あの石垣。
358人間七七四年:2008/09/14(日) 14:15:15 ID:dW7xzoaa
>>354-356
どもです。
家康好きだけどさすがに浜松まで遠征するのは大変…、なんでぐぐっておきますw

幼児の頃から人質だったり、家臣以外(もしくは家臣にも)一瞬たりとも
気を抜く事もできず70過ぎまで生きるってホント大変そうだよなあ
…と山岡家康読みながら思ってます、気苦労多かったにしては長生きなのは羨しい。
359人間七七四年:2008/09/14(日) 16:51:23 ID:RqU3ebst
逆にうらやましくない点としては、粗食に徹していた(?)はず
なのにデブったところですね。もともとあんこ型の体質だったん
かしら?
360人間七七四年:2008/09/15(月) 01:00:34 ID:7Z/9k+Pd
麦飯を何杯も食ってたんじゃね
361人間七七四年:2008/09/15(月) 10:27:26 ID:AuW65H/4
若い頃粗食だったからこそ、年取って少し栄養のあるもの食べると急激に
テプるんだよね。
あのしかみの図あたりではまだテプってないでしょう。
そういう家康の体系変化一覧でもあるとおもろいけど、さすがにないか。
362人間七七四年:2008/09/15(月) 10:41:41 ID:9n3VylKh
太ってると言っても、水泳したり、鷹狩りしたり、火縄銃撃ったり
挙句の果てには夏の陣で馬に乗って一気に逃げた例があるので
固太りかと
363人間七七四年:2008/09/15(月) 10:44:07 ID:jM5cOmjI
あの絵は例のごとく家康死後に書かれた絵だとか最近見たばっかりだな
じゃなくて、晩年のだっけな・・・
最近流行の「歴史は間違ってる」的な本で
364人間七七四年:2008/09/15(月) 12:12:31 ID:DHpi+YfN
しかみぞうがねつ造だって???


>>>多少無能でも
>>氏真様のことかー!
>いや、彼は多少どころじゃないから
現代まで続いてるらしいぞ > 今川家
365人間七七四年:2008/09/15(月) 12:39:34 ID:6cixTeKQ
徳川家は武家でなく河原こじきの出身って本当?
366人間七七四年:2008/09/15(月) 12:56:29 ID:1AaApKd+
家光が尊敬する祖父を思い出して絵師に書かせた肖像が多数あるはず。
家康逝去時の家光は11歳かな。
かなり適当と思われる。
367人間七七四年:2008/09/15(月) 14:17:52 ID:zm8gqRIZ
>>>>多少無能でも
>>>氏真様のことかー!
>>いや、彼は多少どころじゃないから
>現代まで続いてるらしいぞ > 今川家
色々保護受けたお陰だから氏真の能力とは関係ないな
368人間七七四年:2008/09/15(月) 14:26:59 ID:HHmk5gpD
氏真大人気だなw
369人間七七四年:2008/09/15(月) 18:30:59 ID:YXE+oYU2
>>365
明治の頃に出た論だっけ?
執筆者が成功する権力者は底辺から出るという信念に乗っ取って書かれた
本なんだけど、出版後発禁処分になって物議を醸したやつ。
いまでも、「史疑徳川家康」で読める本、結構出てるんじゃないかな。
隆慶の小説とかカムイ外伝に、この辺の話を絡めてるって聞いたことある。

>>366
大徳川展でも結構出てたね、家光の夢に出てきた家康の肖像。
ツレが「だんだん綺麗な家康になってる」と言ってたのが忘れられん。
370人間七七四年:2008/09/15(月) 19:47:07 ID:k77mw2Wh
思うに家康公は便秘症だったんじゃないかな?
便秘の人にはデブが多い。
馬上でウンチを漏らしたのもあまりの恐怖で溜まってたウンチが一気に出ちゃったんじゃないかと。
371人間七七四年:2008/09/15(月) 23:55:54 ID:AuW65H/4
南條の、300年のベール、だったら持ってるよ。
あれは、家康の不用意な一言が出発点だったかな、3人いる、みたいなのとか。

家光時にはもう神様だから、正直には描けないもんなー。
372人間七七四年:2008/09/16(火) 01:15:17 ID:Xcm1Nc6L
明の朱元璋みたいに高貴な人間としてふくよかに書かれたとかは?
秀吉は猿っぽく書かれてるけどさ
373人間七七四年:2008/09/16(火) 01:22:13 ID:RTAwI9gt
もちろん晩年に書かれたのは家康にかかわらず、プックラ系が多いみたいだよね。
武将と公家さんじゃ価値観が違ったりもするだろうが。
374人間七七四年:2008/09/16(火) 02:15:42 ID:s1vGCDVy
デブデブいっても、
ピザと筋肉達磨は別の生き物JK
375人間七七四年:2008/09/16(火) 08:54:23 ID:uWrXsVKc
75歳で大坂の陣に出陣できるくらいのデブなら問題ないだろ。

376人間七七四年:2008/09/16(火) 11:43:09 ID:D8Yc63tG
驚くよねえ、75で実質大将なんてさ
377人間七七四年:2008/09/16(火) 12:10:50 ID:RTAwI9gt
本当に驚く。
関東に移された時点で失望のあまり早死にしてたら日本はどうなってたか。
378人間七七四年:2008/09/16(火) 19:33:50 ID:Xcm1Nc6L
家光が死んだのが48だろ。
その頃の家康が何やってたかって考えると、長生きだよなあ。
379人間七七四年:2008/09/16(火) 20:00:30 ID:A+FD2jXf
だいたい家康子孫で若死にしてる連中って結構無茶なタイプな気がする
380人間七七四年:2008/09/16(火) 21:25:03 ID:zKRG6biX
>>379
でも忠輝なんかは92歳まで生きている。
兄秀忠はおろか、家光通り越して綱吉の時代まで生きた。
乱脈な殿様生活から、禁固の質素な生活になったからかもしれないが…
ちょっと我慢強くしていれば、徳川一門の生き神様になれたのに。
381人間七七四年:2008/09/16(火) 21:59:35 ID:OGTv3Jpv
家康公は本当に化け物としか思えない生命力。タフガイだよな本当に・・・。
同じ人間とは思えないよこの人。
382人間七七四年:2008/09/17(水) 00:45:51 ID:A9gjsldZ
健康オタクだったからでしょ。

残念ながら栄養学みたいなのは無知らしいがな。
(粗食では出産・子作り大変だろう)
383人間七七四年:2008/09/17(水) 01:33:58 ID:au/rQVs3
栄養学なんて当時存在しているのか?
384人間七七四年:2008/09/17(水) 13:54:33 ID:SyRXulDo
ないだろうなあ、梅干しが疲れに聞くとかはありそうだけど
385人間七七四年:2008/09/17(水) 16:00:43 ID:/aGU9EFw
徳川15代では、最初と最後が一番長生きと言うのがなんか象徴的だな。

にしても、家康の長生き、というのは日本史上における最大の、運、だろうな。
本人は、節制も実力のうち、というだろうが、自分がいくつまで生きられるか、なんて
誰にもわからない。

それを信じて豊臣家殲滅を最後まで引っ張ったというのなら、もうオカルト的すごさだ、
家康は。
386人間七七四年:2008/09/17(水) 18:58:20 ID:74oeZb6E
病は気から
というのは現代医学ですら認めた昔からある諺
生きよう、という気持ちが強かったんだろう
387人間七七四年:2008/09/17(水) 22:18:05 ID:YuOC/UHX
生きようというよりも、まだ死ねないが強かったように感じる。
388人間七七四年:2008/09/18(木) 16:59:58 ID:c1LMZO2f
「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。 」

有名なこのフレーズから始まる、吉田兼好の徒然草。この、教科書にも載っている有名な古典が、実は
忘れられた書物であり、その復活に、徳川家康が係わっていたと言ったら、意外と思われるだろうか?

家康が征夷大将軍となった慶長八年。彼は当代一流の学者による「講談」を行わせる。
これは、多くの民衆を前に行われる「公開講義」であった。

これに、儒教を家学とする清原家など、伝統的学閥は激しい抗議をした。学問とはあくまで、自分たちが
コントロールする世界であり、不特定の民衆たちに広めるなどとはとんでもない、と言うのである。

しかし家康はそれに構わず、これを行わせた。彼の晩年の最大のテーマは実は、学問の振興であった。
それは家康自身が学問好きだった、ということもある。それに加えて、彼の作った幕府は法治主義であり、
法が成文で公開された上で執行されていた。幕府としては、民衆がこれをきちんと読み、理解してもらわなければ、
円滑な統治が出来ない。家康の体制では、民衆が馬鹿では困るのである。
「よらしむべき、知らしむべからず」では、やって行けないのだ。

この、公開講義において、林羅山が「四書新注」を、遠藤宗務が「太平記」を、それぞれ講釈した。
そして松永貞徳がこの講義の題材選んだものは、百人一首と、彼の家に写本として伝わっていた、
「徒然草」と言う、鎌倉時代の書物であった。

この、徒然草の講義は、その内容の面白さと、それが世間によく知られていない書物だった事から、
たちまち評判になった。それは、その講義禄が出版されるに及んで全国に広がり、間もなく、写本の
形でのみ伝わっていた徒然草は出版され、およそ知識層の人間ならば、誰もが読む本となった。

徒然草が、「再発見」されたのである。
389人間七七四年:2008/09/18(木) 18:13:06 ID:M5Xq866W
長いよ
390人間七七四年:2008/09/18(木) 19:09:16 ID:EM5LWzbJ
ざっと読んで興味ないから読むのをやめる。 そんな感じw


栄養学じゃなくても、生活に密着した科学ってのは
色々あったんじゃないの?
イノシシや鳥や馬などは食べてたと思うんだけど
精が付くとか思われてなかったのかな?
頼朝を尊敬していたらしいから、野蛮そうな食事に抵抗も無いはずだが。
391人間七七四年:2008/09/18(木) 19:11:37 ID:EM5LWzbJ
ライブドア・リーマン・村上さんとこ
六本木ヒルズが呪われてるとか書かれてるけど
あそこって赤穂浪士の一部が腹切った跡地だよね?

イケイケ会社は長続きしないし、派手なオフィスにもしないwww
392人間七七四年:2008/09/19(金) 00:27:39 ID:IdkS+Ujg
赤穂浪士さんが株に興味を持ったようです
393人間七七四年:2008/09/21(日) 09:48:07 ID:LuNIO2ic
昔の人の知恵ってのは現代の知識を凌駕する部分もあるからなあ
394人間七七四年:2008/09/21(日) 13:18:18 ID:ueYw+xfE
と言うより、歴史学ってのは将来を予想したり
どうしたら良いかを決めるための参考情報として
役に立つ学問らしい。 考古学は知らんがw
395人間七七四年:2008/09/30(火) 10:12:21 ID:oDbuMKfG
あげとくか。

その歴史学が単なる暗記科目になってところが残念だけどね。
ゲームの影響かやたら単語には詳しいんだけど、年号には弱そうだからおもろい。
396人間七七四年:2008/09/30(火) 16:16:00 ID:2Dr2KcqJ
>>395
> その歴史学が単なる暗記科目になってところ

それは歴史学じゃなくて、ただの受験科目としての歴史だよ。
397人間七七四年:2008/10/10(金) 08:58:20 ID:4wZQY3+r
なんか最近世間が西軍びいきの様で辛い、太秦戦国祭りでも
「家康討伐」とかあってさあ…
家康はどっちみち歴史上勝者なんだからちょっと位叩いたっていいだろー!
って感じがして嫌だ。
398人間七七四年:2008/10/10(金) 16:03:24 ID:e4AweKMX
判官びいきというものがあってな
399人間七七四年:2008/10/10(金) 18:20:40 ID:tA7WlSnw
負けた側への慰霊の意味合いもあるのかね?
400人間七七四年:2008/10/10(金) 20:00:41 ID:F7d6wpCK
>>399
その意味合いが無いと、ただの勝者イビリにしかならないよw
401人間七七四年:2008/10/10(金) 20:37:06 ID:Tj+vjPBl
関係ない話題だけどさ
家康の愛刀として三池光世作ソハヤノツルギウツスナリってあるよな?
「名刀 その由来と伝説」って本に「坂上田村麻呂の愛用した剣は『そはやのつるぎ』と呼ばれていた」って
書いてあったんだがこれが家康の太刀の原型なんだろうか?

まあ同じ本の三池光世の項で全く触れられていないんだが
402人間七七四年:2008/10/10(金) 23:37:28 ID:nXsSY5+S
豊臣はやりたい放題やって消えていったんだから
判官だの慰霊だのなんて必要ないと思うけどね
403人間七七四年:2008/10/11(土) 09:08:47 ID:mkxWiyjA
西軍は別に豊臣ってわけじゃないが
404人間七七四年:2008/10/11(土) 09:36:41 ID:Y1znoeyK
最近だと西軍つーとクローズアップされてるのは三成だわな。
義の人義の人って言われてるけど、結構黒い事もしてたんじゃないのか。
405人間七七四年:2008/10/11(土) 23:00:32 ID:oOVF5933
石田三成は課題評価の典型みたいな武将だからなあ。
家康はけっこう黒い部分とか冷徹な部分っていうのが取り上げられてるのに、石田三成ってあんま取り上げられないね。
酷い人になると、徳川家康とか黒田長政とか関ヶ原東軍の言い分も知らずに悪党扱いしてる馬鹿もいるし。散々叩かれたはずなのに未だに各所でそんなことやって煽りまわってるものなあ。

正直こういう風潮は良くないね。
406人間七七四年:2008/10/13(月) 14:00:15 ID:yvaQMqMa
家康が言うには、
自分が天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげである・・・
・・・三成が叛乱を起こしたのでそれを討って天下を取れた・・・

三成には感謝しろよ家康厨
407人間七七四年:2008/10/13(月) 14:28:56 ID:qWluWNSA
>>406
別に三成は嫌っちゃいないし、関ヶ原みたいな大掃除までやらせてくれたと思ってるが何か?
三成が何考えてたかは知らんけど
408人間七七四年:2008/10/13(月) 18:31:46 ID:P5EhVH1k
しかし
浜松は見事に家康軽視だな
もっと観光のネタに使ってもいいようなものを
409人間七七四年:2008/10/13(月) 19:56:20 ID:KqORPji5
戦時の空襲で文書類はごっそり焼けたらしいから勘弁したれ。
野面積みが残ってるだけでも御の字だ。

しかし、家康の三方ヶ原の逃亡エピソードは色んな種類があるんだな。
民家の屋根に登って、葺き替えするフリをしながら武田軍をやり過ごしたって話は
領民になじみすぎてて微笑ましい。
410人間七七四年:2008/10/13(月) 20:53:30 ID:194QQr+V
>>409
屋根に上って糞たれられる領民もたまったモンじゃないな。
まるでのぼう様だ。
411人間七七四年:2008/10/13(月) 22:22:11 ID:qPVdbe76
>>406
ゴキブリホイホイにゴキブリが突っ込んできてくれたからってゴキブリに感謝するか?
引っかかるゴキブリがアホなだけだ
412人間七七四年:2008/10/13(月) 22:28:54 ID:KHqftBYf
>>408
浜松での家康のイメージって三方ヶ原の逸話がほとんどだからなぁ。
天下人としての家康と浜松はあまり結びつかないな。
それゆえ親しみやすいんだけど、観光のネタには使えるかな?
やっぱそういうのは静岡の方になるんじゃないか。
413人間七七四年:2008/10/14(火) 21:59:23 ID:zU5ED3o0
浜松時代の大きいイベントは、姉川、長篠、武田討伐と出張ばっかりだったからなあ
高天神だって浜松じゃないし
三方ヶ原と信康事件の2題で頑張るしかないか・・・どうやって
414人間七七四年:2008/10/14(火) 23:18:03 ID:0bNM7PoC
信康事件も昔の解釈だと信長の難題に苦渋の決断を迫られる家康!って感じで
同情引けそうなんだけどね…
415人間七七四年:2008/10/15(水) 01:14:49 ID:0FDebEqP
家康は名君です。
それ以外語る事はございません。
416人間七七四年:2008/10/15(水) 01:28:08 ID:sGHYYgfj
家康は糞を垂らす
417人間七七四年:2008/10/15(水) 09:41:16 ID:zG30Fj6g
糞ではない、焼き味噌じゃ!
418人間七七四年:2008/10/15(水) 12:28:25 ID:XcHWxgmX
軍備増強のための増税政策に失敗して家臣団が割れるほどの一向一揆を招く
今川氏真の籠もる掛川城で半年も粘られる
籠城しろと主に言われてるのに誘き出されて漏らしながら逃げる
滝川軍の撤退によって空白となった甲斐信濃を抜け目なくかっさらうが真田の処理を誤り北信濃の支配権を確立できず
羽柴柴田の争いに横やり入れず
ボンボン率いる別働隊を撃破して喜んでたら同盟者が籠絡されてた
当時の中山道の状況を把握せずに秀忠を叱責
圧倒的大多数で裸城を囲みながら本陣を強襲される失態

信長家臣団として配置された時はがんばってるけど、ひいき目に見ても戦上手ではないよな。
秀吉が死んでからの政治力は見事だけど生きてる間は常に先手をとられてるし。
419人間七七四年:2008/10/15(水) 12:56:02 ID:R97cOZyP
家康の戦術能力に関係あるのは上から二行目〜三行目、六行目だけの件。
これだけネガティブに言われても2:1の割合で戦術能力はあるので戦上手といわれても問題なし。
名将とかは言いすぎだけど。
420人間七七四年:2008/10/15(水) 13:44:27 ID:XcHWxgmX
>>419
戦上手というのが戦術限定ならそうだな
421人間七七四年:2008/10/15(水) 19:31:06 ID:5yG6CmUZ
>軍備増強のための増税政策に失敗して家臣団が割れるほどの一向一揆を招く
>圧倒的大多数で裸城を囲みながら本陣を強襲される失態
>甲斐信濃を抜け目なくかっさらうが真田の処理を誤り北信濃の支配権を確立できず
知らん詳しく!

>今川氏真の籠もる掛川城で半年も粘られる
兵力大事にしたんでしょ。

>籠城しろと主に言われてるのに誘き出されて漏らしながら逃げる
意気誇示したかっただけなのに、やられ過ぎただけ。

>羽柴柴田の争いに横やり入れず
弟分なのだから、確かに不思議ではある。

>ボンボン率いる別働隊を撃破して喜んでたら同盟者が籠絡されてた
秀吉がやり手過ぎただけ。 3家老も斬ってなかったっけ?

>当時の中山道の状況を把握せずに秀忠を叱責
本体温存のパフォーマンスでしょw
422人間七七四年:2008/10/15(水) 20:53:12 ID:aiHY28mz
秀吉のほうのスレだと三成はやっぱりひどい扱いじゃないかな。
たまに忠義心も少しはあったんじゃないか、なんてカキコがあると
ボコボコにされてる。
秀吉恩顧と言いながら家康に味方するのもなんだと思うんだがな。
423人間七七四年:2008/10/16(木) 00:10:55 ID:xDi6hezl
恩顧といったって戦国では恩賞を出して雇用するのは当たり前のことで
どこでもやっていることを豊臣だけがやっているようにみせかけたのが秀吉恩顧という造語でしょ
朝鮮出兵の失敗でもう豊臣は恩賞を出せないんだから
次は家康に雇ってもらおうと考えるのは恩顧として当然の行為でもある
424人間七七四年:2008/10/16(木) 00:15:20 ID:eLp9kSOi
恩顧、と言うのをもう少し心情的なものというか
取り立ててもらった、恩に感じている、そんな風にとらえてましたけどね。

現代の欧米的なビジネスライクな意味での恩顧じゃなくて。
425人間七七四年:2008/10/16(木) 00:20:44 ID:u1DWPk+3
豊臣恩顧ってのは別にそういう意味じゃなくて、
秀吉に引き立ててもらった三成や正則みたいな子飼いの連中を
便宜上単に豊臣恩顧って呼んでるだけだろう
426人間七七四年:2008/10/16(木) 00:23:46 ID:eLp9kSOi
そそ、子飼いってぐらいのもの。
だから引き立ててもらった恩を忘れたか〜、って。
427人間七七四年:2008/10/16(木) 00:34:16 ID:xDi6hezl
信長や家康にだって子飼い連中はいるけど
じゃあ信長恩顧や家康恩顧なんて言葉を使うかといわれればほとんど使わないよね?
秀吉だけが恩顧という言葉を使われて信長や家康とは比較にならない恩を与えたように誤解されがちだが
秀吉に引き立てられることが信長や家康に引き立てられることより素晴らしいとする根拠は無い
むしろ家康よりも恩がたいしたことないから見捨てられたとも考えられるでしょ
428人間七七四年:2008/10/16(木) 00:39:11 ID:q2AFqYdL
秀吉だけ恩顧って言われてるのは
信長や家康みたいに譜代の臣がいないからじゃねえの
429人間七七四年:2008/10/16(木) 02:12:13 ID:AbR3cYq6
>秀吉だけが恩顧という言葉を使われて信長や家康とは比較にならない恩を与えたように誤解されがち
誰もそんな誤解してないだろ
馬鹿じゃねーの
430人間七七四年:2008/10/16(木) 08:59:29 ID:XVDKPb1K
ごめんしてた
431人間七七四年:2008/10/16(木) 14:32:57 ID:mufniiuM
>>429
ひとりだけ必死だね
432人間七七四年:2008/10/16(木) 21:35:41 ID:XycpekJr
戦上手といっても、家康は当主であるわけだから、
たとえば配下の本多忠勝とは単純に比較できないわけで
そういう部分を見ても、当主格で比較したら上手い方に入るんじゃないか、という感じじゃないの
他の当主たちだって細かく見てみれば結構負け戦してるだろうし
天下人になっちゃったから他より根掘り葉掘りされたり
勝ちも負けも過大に取り上げられたりしてるというふうにね
433人間七七四年:2008/10/16(木) 23:18:13 ID:eLp9kSOi
名もない存在だったのにそれなりの武将として取り立てて
もらったというのはそれなりの恩だと思うけどね。
いろんな合戦なんかで十分に恩は返してるからより高給
くれるところに転職、というのは今時っぽい発想ではあるな。
434人間七七四年:2008/10/16(木) 23:53:49 ID:K8nplMMS
主従の恩や義理は普通にあっただろうよ。
ただ、関ヶ原は豊臣の内部対立の形を取ったし、江戸幕府成立以降は家康に恩や義理も出来てしまっている。
435人間七七四年:2008/10/17(金) 07:59:49 ID:kwiWimu0
家康は純情な長宗我部盛親を地獄に突き落とした鬼畜
436人間七七四年:2008/10/17(金) 08:41:19 ID:Z/j75use
純情であり世間知らずのボンボンでもあったわな
兄貴を謀殺してんじゃねえよってな
437人間七七四年:2008/10/17(金) 09:29:19 ID:EWgClxVn
>>436
だれの話だよ?
スレタイ読めるか?
438人間七七四年:2008/10/17(金) 14:43:36 ID:s69+2aiN
>>434
そこらあたりがよくわからないとこで、関が原の領地分配なんかでは家康は
豊臣系武将に結構気を使ってる。
これをもってして事実上徳川の配下になり将軍宣下も認めてしまった、という
ところなのかな。
秀忠は遅れてるし実際に西方に勝ったのは自分たち、と強気に出て秀頼を
関白就任させ、元の五大老システムに戻そう、というようにならなかったのは
単にまとめ役がいなかったからなのか。
家康がうまくやったことは事実なんだろが。
439人間七七四年:2008/10/17(金) 15:36:47 ID:v0LqkXks
実際に戦ったのは自分たちでも、家康を担いだのは事実だからな。
家康を担ぎ出さなければ内輪揉めすら収められない事を露呈しておいて「天下は俺たちが!」と言っても誰も信用しないし、
何より本人達にその自信が無い。
五大老を再築するにしても、毛利・上杉などが片付けられたせいでそんな力がある奴はいない。
前田は動かないし、伊達に関しては寧ろ徳川の方が縁が深いので、今更動かなくても黙っているだけで勝手に豊臣政権時より中央に近くなる。
島津は遠い。

第一、五大老なんて秀吉の残した急場しのぎの不安定な政体だしな。
放っておけば徳川中心で安定するのに、わざわざ不安定な状態に戻そうだなんて考える奴がどれほどいたか。
そんな不安定な立場に担ぎ出される方もいい迷惑だ。
440435:2008/10/17(金) 16:58:27 ID:kwiWimu0
>>436
盛親公を誹謗するんじゃねぇ!親忠殺しは久武の讒言が原因だって知ってんだろうがよっ!

おめぇさんみてぇに斜めにものみて生きてる下郎にゃが盛親公を理解出来るはずもねぇがな。
441人間七七四年:2008/10/17(金) 17:39:15 ID:s69+2aiN
>>439
ふむふむ。
いろんな要因があるけど徳川中心の安定社会でオケというのが
豊臣系武将の本音でもあり仕方ないとこだったのかな。
とりあえず秀頼をたててさえくれれば、と。
こう考えると家康がすぐに秀頼たちにどうこうしなかったのもうまく説明
出来るよね。
もちろん家康からみたら安定政権基盤のためにやることもいっぱい
だったろうし。

五大老と言うのはともかく徳川幕府内にそういう三大老でもなんでもいいけど
より豊臣系大名の勢力を強く保てるシステム作りをする動きもなかったみたい
だけど、これは各大名の政治家としての能力の問題もあったんだろね。
思いつきだけど、家康が法度で朝廷の管理を急いだのも秀頼が関白に
なったりするとまたややこしいからそういう意味で徳川幕府の基礎つくりと
共に秀吉政権の基礎を少しでも減じようとしたと言う感じか。

ちょっと話がズレるが秀吉政権というのは一種の公家政権という側面も
強いから、それに対抗したのは幕府開設以来の家康の一貫した思惑で
ものすごくうまくやったと思うのだよね。
役者が違ったということか。
442人間七七四年:2008/10/17(金) 17:43:45 ID:RcyBg5sP
盛親は送った密使が途中でばれたのもイタかったわな。
当人は東方に付きたいという意志もあったという話しだが…

その辺上手くやった山内に国を取られたって言うのは因縁か。
443人間七七四年:2008/10/17(金) 17:54:43 ID:kwiWimu0
>>442
正直言うと長宗我部氏マンセーは半ば冗談ですw
家康にも山内氏にも恨みなんてありません。

私は長宗我部元親スレで山内氏に仕えた長宗我部上士は許せない!なんて言ってますが、私の先祖もその一人です←重臣じゃありませんが

ただ、盛親は本当に東軍につく気だったのならば、近江の関所で長束家来に阻止された後も家康に使者を送れたはず。
関ヶ原合戦の直前に密使を送ることもできましたし。
444人間七七四年:2008/10/18(土) 08:42:10 ID:YIzb3jVW
やっぱり恩顧に関しては>>428 が真理でしょ。


あと秀頼が秀吉の子じゃないってのも
みんな薄々分かってて、天下人にまでは出来なかったとかw


おまいらサブプラみたいなバブル仕掛ける仕事して
高禄もらう世の中どう思う?
やっと徳川家から続く、真面目にコツコツが評価されやすい世の中に
成りそうだと思わないか?
445人間七七四年:2008/10/18(土) 10:13:27 ID:GKmSSGPB
真面目にコツコツやった譜代の加増は小さく
外様には大盤振る舞い

家康の時代ではないけど、玉川上水をつくった玉川兄弟はもっと
評価してやるべきだったろう。水がなきゃみんな死んじゃうよ。
446人間七七四年:2008/10/18(土) 11:13:29 ID:8/xqMIh3
玉川は知らんけど、大盤振る舞いは
「権力は譜代に、経済力は外様に」と
外様を遠方に追いやるための政策なんだから、仕方ない。

多分この板で初めて教えてもらった考え方だけど
物凄い良い考え方だと思ったぞ。
447人間七七四年:2008/10/18(土) 11:14:50 ID:WNELhYpA
>>445
そこはそれ、譜代は必要以上の厚遇はせず、その代わりアフターケアはしっかり行う
外様は基本的に一代限り
448人間七七四年:2008/10/18(土) 12:28:56 ID:/39Q/Xk7
学校で教わらなかったのか?
449人間七七四年:2008/10/18(土) 17:30:52 ID:kTky/FAr
昭和40年代にはおそわらなかった。
450人間七七四年:2008/10/18(土) 20:05:31 ID:N/cWRyKd
マンガやドラマ等で知ったけど、授業ではやった覚えは無い30代半ばの俺が言ってみる
451人間七七四年:2008/10/18(土) 21:08:56 ID:Vj0hs9dl
遠方に外様大藩を配置したら危ないでしょうが。
黒田と鍋島と細川と島津と毛利が連合したら危ないでしょうが。
小笠原だけでは抑えられないでしょうが。
現実に幕末の小倉城はダメダメだったでしょうが。

四天王の榊原は老中を出してないし、譜代は転封ばかりだ。
452人間七七四年:2008/10/18(土) 23:23:23 ID:K7lzqa7d
>>451
黒田と細川は仲悪いし
453人間七七四年:2008/10/19(日) 10:37:56 ID:bHoDu+uO
>外様は基本的に一代限り
半分以上は幕末まで続いたんじゃないの?

>遠方に外様大藩を配置したら危ないでしょうが。
仲悪い家同士を監視させたはず。

>現実に幕末の小倉城はダメダメだったでしょうが。
250年も持ったって事?

>四天王の榊原は老中を出してないし、譜代は転封ばかりだ。
筋肉バカが流行らなかったんでしょう?
454人間七七四年:2008/10/19(日) 18:57:59 ID:NBoHOA0U
浅井長政がもし裏切らなかったらこの人どうなってただろう。
まぁifなんで結論なんて出ないだろうけど・・・・
この人にとってはあの裏切りは結果的にはプラスに働いただろうな。
455人間七七四年:2008/10/19(日) 21:01:13 ID:8F8Mx1uK
天下人になるのが幸福なことならば、な
456人間七七四年:2008/10/19(日) 21:36:40 ID:REH+BOTU
浅井長政?
457人間七七四年:2008/10/19(日) 22:01:04 ID:+4Yn4XmZ
>>454
ついでに本能寺も無いと考えて
どっちも織田家の完全な配下に
無抵抗で
458人間七七四年:2008/10/19(日) 22:06:03 ID:pZqNzLHZ
明智光秀ならともかく浅井長政が信長を裏切ろうが何しようが関係ないだろ
459人間七七四年:2008/10/19(日) 22:12:27 ID:63lYBEUV
信長なんて運命の歯車が少しでも食い違ったら、
本能寺の変がないどころかそれ以前に死んでるだろ。
僥倖に助けられすぎ。
460人間七七四年:2008/10/20(月) 09:09:38 ID:JCG9VR8o
ここは家康のスレなのか?
461人間七七四年:2008/10/20(月) 10:17:56 ID:aNnfOL8V
家康のスレです
462人間七七四年:2008/10/20(月) 17:58:47 ID:F3PITGVB
この早さなら言える
徳川埋蔵金は日光東照宮
463人間七七四年:2008/10/20(月) 21:15:16 ID:MFCbtZ/x
>>459
超強運なのは英雄の条件だぜ。
464人間七七四年:2008/10/20(月) 21:21:13 ID:z2cQNyhk
>>463
ウンコ漏らしもですね。わかります。
それがしも経験ありますから。
465人間七七四年:2008/10/20(月) 23:38:22 ID:IsD5o8il
おまえはただのウンコたれ
466人間七七四年:2008/10/21(火) 02:25:27 ID:qVtYFjIS
深いい話でしかみ像キター。
467人間七七四年:2008/10/21(火) 09:22:46 ID:9yFMXMmh
>>463
長生きも必要だよね
468人間七七四年:2008/10/21(火) 22:09:56 ID:zKp3r9Nv
>>467
英雄の条件だけならむしろ短命のほうが良い場合も多いよ。
469人間七七四年:2008/10/21(火) 22:43:35 ID:J8j9Dn2V
英雄じゃなくてもいいよ
天下を取ったという事実があれば
470仙台藩百姓:2008/10/21(火) 23:41:39 ID:tt9nEWyL
家康は天下人であっても英雄ではないお( ^ω^)
471人間七七四年:2008/10/21(火) 23:48:56 ID:CMDdnxlL
短命で終わる奴なんて所詮は英雄ではなく判官贔屓に過ぎないだろ
日本の場合はなぜか両者が混同されがちだが完全な別物
472人間七七四年:2008/10/21(火) 23:58:12 ID:PltbT5lW
アレクサンドロス大王……
473人間七七四年:2008/10/22(水) 01:10:37 ID:6xwUNTZG
大王は確かに世界で有数の、ギリシャ民族の英雄だな。
474人間七七四年:2008/10/22(水) 20:08:13 ID:ovzBJlNy
家康を悪くいうやつは結局負け組武将LOVEの連中だからな
475人間七七四年:2008/10/22(水) 21:45:06 ID:JebmbXCr
三河物語下巻まで出たけどおもしろい?
http://www.shinchosha.co.jp/book/400424/
476人間七七四年:2008/10/23(木) 00:37:57 ID:Nx5OXNnY
>天下を取ったという事実があれば
日本史上最長の政権?だけどなw


>短命で終わる奴なんて所詮は英雄ではなく判官贔屓に過ぎないだろ
格差社会の現代日本においても、
小泉改悪みたいな実力主義の典型でもある信長が
断トツの人気という不思議。
477人間七七四年:2008/10/23(木) 08:58:01 ID:1jajUMVb
強運といえば乱世の時代に生まれたことも強運。
平成生まれだったら天下は取れない。
478人間七七四年:2008/10/23(木) 09:00:17 ID:e7FJPJ0G
山岡以外で家康よりの小説でいいのない?
なんか読むもの読むもの西軍贔屓で嫌気がしてる。
479人間七七四年:2008/10/23(木) 10:24:42 ID:2QhdJGAD
ま、贔屓目に見ても関ヶ原以降の家康はかなりあざといけどな。
でもそこがいい、飼いならされた戦国大名に興味は無いぜ。
480人間七七四年:2008/10/23(木) 10:41:03 ID:9p1LnrHV
>>478
『群雲 関ヶ原へ』はどう?
家康もそれほど悪辣なイメージはしなかったよ
481人間七七四年:2008/10/23(木) 13:17:00 ID:e7FJPJ0G
群雲は三成ファンに奨められたから避けてたわ、読んでみるよ。
自分は家康が悪らつでもいいんだ、実際そういう所あって当然と思うし。
ただ書き手が家康が嫌いってのが透けて見えるようなのが苦手ってだけでさ。
482人間七七四年:2008/10/23(木) 16:03:00 ID:oGmxOrHi
>>475
宮城谷信者だが、面白かったよ。
家康の人物像を情・非情でなく、天秤として捉えているのは初めて読んだ気がする。
483人間七七四年:2008/10/23(木) 16:43:52 ID:jVrQwkhq
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三

484人間七七四年:2008/10/23(木) 18:07:30 ID:If2gY6Dh
家康はよくやった。たが魅力は皆無な奴
485人間七七四年:2008/10/23(木) 18:28:03 ID:l3G0Jk7x
何処に「魅力」を感じるかは人それぞれだからなぁ
486人間七七四年:2008/10/23(木) 20:41:06 ID:NOEm+HiI
俺は魅力を感じない、ならわかるが当時の三河武士やらが心酔し、
かつ全国の大名達が担ぎ上げた男が客観的魅力にかけていたとは
思わない。
487人間七七四年:2008/10/23(木) 21:29:54 ID:aTN51dsu
ウンコ垂らしたことを公言している大名なんて他にいたか?
実に魅力的だ。
488人間七七四年:2008/10/23(木) 22:32:09 ID:rJJC7bq+
餅を食い逃げして婆さんに超スピードで追っかけられたのも家康だけ!
489人間七七四年:2008/10/23(木) 22:33:14 ID:ZmtwoMu9
小説ってどうも書き手の感情がこもりすぎてるから読まないなあ
学研のなんとかシリーズとかああいうタイプの方が好き

>>479
戦う武将と、謀略する武将のどっちも楽しめるからいいのだ
だから最近になってなんとなく似てる黒田長政にも興味が出てきた
490人間七七四年:2008/10/23(木) 23:20:22 ID:kUUUEQ/n
学研のなんとかシリーズをお茶すすりながら、ニヤニヤしながら、読むんだよな
客観的に見ると最高に気持ち悪いけど、自身には至福の時なんだよ
491人間七七四年:2008/10/24(金) 00:27:38 ID:eBKJ6LAF
>>484
当時の武士にとっての魅力とは自分の戦功を認めて恩賞をくれること
織田は本能寺の後は魅力が皆無となり
豊臣は朝鮮の失態で魅力が皆無となり
三成は関ヶ原の前から魅力がなかった
家康は魅力がないどころか唯一魅力が皆無にならなかった人間だよ
492人間七七四年:2008/10/24(金) 09:20:29 ID:HIOFmb1U
>>488
それホント?
493人間七七四年:2008/10/24(金) 09:48:37 ID:M5ezNLne
>>492
その話が平八郎から伝わって、千葉では走るバーさんという
伝説になっているんだよ。
参考文献:すすめパイレーツ
494人間七七四年:2008/10/24(金) 16:46:05 ID:TEGt85tY
>>492
浜松には小豆餅と銭取という地名があってな、そこは約二キロほど離れているんだ。
ばーさんタフすぎる。
495人間七七四年:2008/10/24(金) 18:37:32 ID:9MwVFXlN
やる夫が徳川家康になるようです
http://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-154.html#154
496人間七七四年:2008/10/25(土) 00:33:45 ID:NBkQ/Wwf
当時は40代でも婆さんだろう?
497人間七七四年:2008/10/27(月) 13:15:03 ID:iMusgrM4
おまいらの徳川びいきは、何で始まった?

俺は、松方弘樹主演の徳川家康の最後に>>1 の遺訓があって
それから気になった。
498人間七七四年:2008/10/27(月) 19:24:21 ID:n0aaR/Qw
>>497
山岡荘八の聖人君主家康を見たときかな。
それまでで結構謀略家なイメージがあったけど、山岡の作品によって家康のそういう面も知って、その二面性が好きになった。
あと、>>1の遺訓を実際に家康が言ったかどうかはともかくとして、その言葉が似合う男なのも好きなところ。
499人間七七四年:2008/10/27(月) 21:03:09 ID:+Ycs87SM
俺も何だかんだで山岡かな。俺の家康像が山岡家康かと言われると違うけど
500人間七七四年:2008/10/27(月) 21:48:01 ID:TYffZ5gq
もともと地元でにもいた武将で馴染みがあった(浜松)
戦国ゲームでは他家でもよくやってたが、なんだかんだで徳川も家臣にいいのが揃ってた
歴史群像シリーズをよく見るようになったらやっぱり天下を統一した人間がすごいと分かった
こういう普通の流れで家康一番という結果に
501人間七七四年:2008/10/27(月) 21:48:30 ID:TYffZ5gq
>>500
1行目、要らん文字を消し忘れた(´・ω・`)
502人間七七四年:2008/10/27(月) 22:27:52 ID:35VeXXOR
地元にゆかりがあり、地名に「葵」があるから
503人間七七四年:2008/10/28(火) 00:42:28 ID:HNQbywb0
静岡出身だからか小学校にあった地元の戦国史の漫画が今川徳川主体だったんだ
それから子供向けの伝記とか読んではまった
ついでに今川といったら氏親というマイナーな人間になっちまったがな
504人間七七四年:2008/10/28(火) 12:51:43 ID:PxOz9lRH
おまいらも三遠駿だから地元マンセーってのは否定できんのだな。
愛知ってくくりで考えれば、バカと猿は嫌いだから成立つし
桶狭間の時は織田家へ寝返った地域でもあるんだが、、、
505人間七七四年:2008/10/28(火) 18:46:19 ID:2/W8dK6z
書いてることがよく分からん
506人間七七四年:2008/10/28(火) 23:25:57 ID:I3QeepfY
最近本屋行っても直江ばかりでつまんね
507人間七七四年:2008/10/28(火) 23:37:52 ID:ZTuk4SXW
このスレって徳川勢以外の人物の悪口とか嫉妬書き込み多いな
508人間七七四年:2008/10/28(火) 23:38:27 ID:9ii0uOYL
>>497
小学校の図書館にあった日本の歴史の戦国末期について解説してた本を読んだとき。

なんていうか、激戦の真っ最中に劣勢にもかかわらず、躊躇していた小早川秀秋を
寝返らせた度量に、なんつーか、器が違う!って思ったのよね。

若い頃について真面目に調べだしたのなんて、その20ウン年も後の話。
近年入れ込みだしたのは、隆慶一郎先生と、水野勝成に興味が出たから。

残りの三傑については、漠然となにか大事なものが欠けてる感じがして、どうにも好きに
なれなかった。
無用の虐殺を好む性があったとか、華やかに見えて、それが最弱層からとことん搾り取る
酷政に基づいていたとかをしったのはずっと後の話。
509人間七七四年:2008/10/29(水) 08:17:20 ID:Q4jCKFIH
>>507
武将スレなんてそんなもんです

>>508
信長・秀吉に関しても調べてみると面白いと思うよ。
どちらも「虐殺好き」とか「成り上がり」と単純化して見てしまうのはもったいない器の持ち主だし、
なにより、この二人抜きで家康を語るのは片手落ちだと思う。
家康七十数年の生涯において、二人の陰にいた期間のほうが長いからね。
510人間七七四年:2008/10/29(水) 10:13:44 ID:fg0AYqtp
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」の句や忠勝の辞世の句を見たときは、
なんでこんな人物が狸って言われてるんだろうと不思議に思った
それから興味持ちはじめたかなあ

あと焼き味噌とか、上のレスに出てきたばーさんに追いかけられた話とか普通なら隠したいだろうに
あえて残しちゃうのもすごい、大人物が天然かドMじゃないと出来ない
511人間七七四年:2008/10/29(水) 12:43:06 ID:h3z02sTF
>「虐殺好き」とか「成り上がり」と単純化して見てしまうのはもったいない器の持ち主だし、
ある程度の戦国好きなら、そんな解釈はしてないはず。


>「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
とりあえず聞いた事無いw


俺なんて中学の卒業文集に、>1 の遺訓載せてる
512人間七七四年:2008/10/29(水) 12:50:03 ID:fg0AYqtp
 え1zgf23cgcvrxtxhxtgfqxtgx1q
513人間七七四年:2008/10/29(水) 12:57:54 ID:fg0AYqtp
ごめん512はスルーしてくれw

>>511
聞いたことない?
秀吉のも有名だけど、これもいい辞世の句だと思うんだけどな
514人間七七四年:2008/10/29(水) 14:34:34 ID:n4zsWvR/
自分も聞いた事ないや、でもいい詩だね、
ちなみに忠勝の辞世の句ってどんななの?。
今さっき自分も
「きっと他の戦国武将だって戦でウンコくらい漏らしただろうに
いちいち絵にしたりしないだけだよなあ…、そう考えると家康ってすげえわ」
って考えてたとこだったw
515人間七七四年:2008/10/29(水) 15:33:21 ID:fg0AYqtp
忠勝は「死にともな ああ死にともな 死にともな 深き御恩の 君を思えば」
実直な忠勝の忠心にも感動するけど、逆に言えばこういう句を重臣に残されるっていうのも
そうまで心酔されるに値する主君だったんだろうなって思ってさ
516人間七七四年:2008/10/30(木) 01:40:29 ID:GkVvWiIs
三方ヶ原の敗戦を戒めとするために顰像を描かせた、というのは家康の人間性を示す有名な逸話だが、
うんこ漏らしはさすがに恥ずかしかったのか、それを指摘した近習には味噌だと嘘ついてたはずだぞ
後世に伝わったのは三河物語のおかげ
517人間七七四年:2008/10/30(木) 09:22:17 ID:NjduxCgM
うんこと味噌つったのは山岡荘八の小説の中でだけなんだと思ってた
518人間七七四年:2008/10/30(木) 12:48:45 ID:aJImbK3K
脳科学ではプレッシャーをはね除けるために必要なことの一つに
嘘でも良いから口角を上げ、能に快い状態である刺激を与える必要があるので
くそみそエピソードはあの状況下で笑いをおこすためにやったともとれる。
519人間七七四年:2008/10/31(金) 18:23:19 ID:mmkAuLF7
家康の逃亡の逸話は広くありすぎるからなな
どこまで遠回りしてんだよってぐらい
520人間七七四年:2008/10/31(金) 21:20:00 ID:9SEdNvYt
>>519
するってぇと、伊賀越えの最中にも垂らしまくってたわけだね。
521人間七七四年:2008/10/31(金) 23:41:07 ID:lKHOiMhc
坂口安吾 家康
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42911_25520.html
爪を噛む癖のある人は小心者だとのこと
522人間七七四年:2008/11/01(土) 07:34:25 ID:V0ChmTQj
隆慶の「影武者徳川家康」でも、本物の家康が爪を噛む癖を
影武者がみみっちいからと言って唯一真似なかったために
刺客に真贋を見抜かれることになる、って設定だったな
まああんまりいい癖ではないよね
523人間七七四年:2008/11/01(土) 14:35:27 ID:Me0qcZbg
葵三代で視聴者からクレーム来たらしいね、家康の爪を噛み切る癖。
夕飯食っているときに見ると飯がまずくなるからとかで。
でm津川雅彦が飯食いながらテレビみんなってキレてた。
524人間七七四年:2008/11/01(土) 17:22:19 ID:R1fRQxcz
戦場では馬の鞍壷に拳ぶつけ続けて、後年は中指動かなくなってたらしい。
爪を噛むのは短気な人もやるから、併せて考えると、気が短い人だったんだろうと思う。
525人間七七四年:2008/11/01(土) 19:11:53 ID:d1ljMBkF
そいつを後天的な忍耐で押さえつけていたのだから
大したもんである

まぁ、センゴクではないけど松平・徳川家は血の気が多い
秀忠ですらそうだもん
526人間七七四年:2008/11/02(日) 13:59:57 ID:gJn2jpGw
ログが残ってたこれにもちょっと書いてある
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
527人間七七四年:2008/11/02(日) 14:27:13 ID:Z+NLqm+I
>>516
>うんこ漏らしはさすがに恥ずかしかったのか、それを指摘した近習には味噌だと嘘ついてたはずだぞ
>後世に伝わったのは三河物語のおかげ

嘘っていうより、強がりだな。
家康が糞漏らしたっていうのは徳川の家中では公然の秘密で、
それを記録に残したのは彦佐だけだったっていうのが真相じゃないかな。
528人間七七四年:2008/11/02(日) 22:13:52 ID:UKegKkd4
今川義元だって桶狭間で漏らしたかもしれないし
織田信長だって本能寺で漏らしたかもしれないし
石田三成だって関ヶ原で漏らしたかもしれない
でもこいつらは敗北で人生も終わり栄華も終わって反省する必要もない
家康だけが人生が終わらずしっかり反省する必要があったから記録されたともいえる
529人間七七四年:2008/11/02(日) 22:22:23 ID:M0M6vC7F
>>525
まあ、水野家の血も入ってるせいか、家康以降の徳川家って
癇癪起こしやすい人多いよね…。
530人間七七四年:2008/11/03(月) 14:47:12 ID:ubzCCLGv
やる夫が徳川家康になるようです
http://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-154.html#154

おもわず5時間掛けて全て見てしまった。。
531人間七七四年:2008/11/03(月) 15:26:11 ID:leoeS/W7
>>529
家康は押さえ込んでるだけでときどき爆発した逸話があるね
息子たちもどいつもこいつも血の気多いし、大人しいとされる秀忠もけっこう負けん気強かったらしい
532人間七七四年:2008/11/03(月) 19:39:21 ID:I3Lq/6y9
金吾が寝返らなかった時くらいしか知らないが。
533人間七七四年:2008/11/04(火) 20:12:38 ID:bfEsdkVw
テレ東で、天海=光秀 説
534人間七七四年:2008/11/04(火) 20:18:48 ID:Ts2tCXNi
>>533
その番組たまに見るけどなんだか作りが安っぽいんだよな
535人間七七四年:2008/11/04(火) 21:50:22 ID:B8rh3UDk
日本ミステリーってやつ?
536人間七七四年:2008/11/04(火) 22:19:27 ID:L3A9+tRr
宗瑞→早雲→光秀→随風→天海→光圀ぢゃなかった?
537奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/06(木) 00:32:12 ID:9OWMa4Ul
テレ東の番組をあまり見てないから知らんが、コンビニで見かける戦国本のレベルだな。
538人間七七四年:2008/11/06(木) 00:34:43 ID:vCmnSqI4
>>536
実際そうだとしたら、何歳だよ!って言いたくなるw
539人間七七四年:2008/11/06(木) 00:43:42 ID:fVFVtlVR
>>536
というか伊勢宗瑞と北条早雲は同一人物というか、北条早雲という人物は居ないというか。
540人間七七四年:2008/11/06(木) 01:44:49 ID:zrR6bPYR
早雲庵宗瑞だしな
541人間七七四年:2008/11/06(木) 18:42:24 ID:l0fDWeN2
山岡の全26巻を読み終えた フゥ...

他に、読んだほうが良いお勧めの本があったら教えてください
542人間七七四年:2008/11/06(木) 20:56:07 ID:4pu4BYGb
本じゃないけど「葵 徳川三代」でギャップを楽しむとか
543人間七七四年:2008/11/07(金) 10:35:52 ID:V6y20kX0
でもどうして東照宮に桔梗の紋が(現地で確認)たくさんあるのか
不信派の反論が無いから信じてしまいそう。

今思えば東照宮のガイドに、その辺を突っ込みたかったが
参拝料取ってるのにガイド別料金に愕然として
そこまで思い付かなかった(′・_・`)


そもそも明智家臣や豊臣一門の妹が将軍を産んだり育てたり
ってのが他に無いのかよって気はするw
544人間七七四年:2008/11/07(金) 16:29:30 ID:cWcPj1cx
>>539
早雲が実は二代の説を否定したいんじゃないか?
545人間七七四年:2008/11/07(金) 16:31:02 ID:uCTE2YYL
二代説は道三だろ
546人間七七四年:2008/11/07(金) 19:22:09 ID:1EBmvVlN
>>541
池宮彰一朗氏の「遁げろ家康」は読みましたか?私は三傑の中で家康が一番嫌いでしたがこの本を読んで一番好きになりました。家康の人間くさい魅力に引き込まれます。
547人間七七四年:2008/11/07(金) 20:37:27 ID:QGwog71i
もう絶版なんじゃないか>「遁げろ家康」
あの騒ぎで書店から撤去されて古本屋でプレミア付いてるとかなんか聞いたような
548人間七七四年:2008/11/07(金) 22:02:35 ID:7YELf76/
小説はいろいろと作り話と妄想がくっついてるから好きじゃない
549人間七七四年:2008/11/08(土) 12:06:18 ID:CMVP5e+m
道三で思い出したんだけど、なんでバカ息子なんかに負けて死んだの?
不意打ちとかじゃなく、まともに戦ってるイメージあるんだけど、、、
550人間七七四年:2008/11/08(土) 13:42:48 ID:3hbwEXvb
まともって言っても相手は家督譲られて倍の兵力持ってたから
てか義龍はバカ息子ではないぞ
信長の美濃侵攻を数年の間許さなかったからな

まあスレチですわ
551人間七七四年:2008/11/08(土) 19:21:22 ID:Sb5jAYaY
家康の死因だけど、梅毒の可能性は低い?
552人間七七四年:2008/11/09(日) 00:36:48 ID:PhhwnGIm
性病詳しくないけど、薬学に精通してたから
タイの天ぷらですら、疑わしいとすら思ってる。



>>550
家臣はなぜ段違いに優秀な先代に付かないのだろう?
553人間七七四年:2008/11/09(日) 01:07:12 ID:BrnFc4QK
スレチだけど取りあえず…

>>552
斉藤氏の家臣団は、元々土岐家の家臣でもあり、
義龍は土岐頼芸の落胤という噂が、ある意味正当性を帯びて、家臣団が付いたという流れもある
それに、義龍本人も暗愚ではないし、道三と比較しても遜色は無い
554人間七七四年:2008/11/09(日) 15:33:59 ID:+YbGpk9K
>>551
定説では胃ガン・食道ガンの消化器系疾患だった気がする

梅毒というのは初めて聞いた
そのネタ元が知りたい
555人間七七四年:2008/11/09(日) 16:23:53 ID:YAsg3xpj
>>552
ノブヤボ厨か?
世の中全部ステータスでくくれると思ってんの?

今現在自分の所領を安堵してくれてる方、自分にとって
有益な方に付くだろ常識的に考えて。
556人間七七四年:2008/11/09(日) 19:38:04 ID:wT/m361F
>>555
経営傾いた組織には、優秀な人材は逃げ出して居ないと思うんだが、、、
桶狭間の時になぜ信長に付いてたのかは分からんけど。


>>553
納得できる見解ありがとう!
557人間七七四年:2008/11/09(日) 20:35:55 ID:eUgxsmMF
>>554
大坪雄三著「英雄たちの臨終カルテ」羽衣出版かと
淋病は患っていたらしいのと、当時の梅毒薬として用いられた水銀を
用いた薬を用いていたからしい
558人間七七四年:2008/11/09(日) 21:08:58 ID:Se9BgSnD
>>552
最近では道三自体の能力への疑問も提示されている。まず、成り上がりは親父の仕事と判明したことが大きい。
そして道三の代では実は美濃は内乱と隣国の侵略に何度もあっている。それを悉く退けていることは道三の
軍事能力は優れていただろうが、内治・国内統制という面ではかなり問題があった模様。
だからこそ、豪族達は一種のクーデターで道三を隠居に追い込んで義龍をたてたわけで。

道三と義龍は、かつての通説の武田家における信虎―晴信に似ている。まあ近年は信虎も再評価されているが。
559人間七七四年:2008/11/10(月) 00:32:31 ID:XGAF489r
ワンマンで強権派の盟主って、土着の豪族にしてみたらウザイし
隙あらば自分達の既得権益を分捕りにくるし、であんまり嬉しい
存在じゃないんだよな。
560人間七七四年:2008/11/10(月) 07:24:13 ID:b1dYoSvJ
>>558
>成り上がりは親父の仕事と判明したことが大きい。
これ本当?
561人間七七四年:2008/11/10(月) 22:57:30 ID:nh35iBLL
>梅毒
あの年齢で梅毒はないだろ。側室も結婚歴あるのが多いし。
562人間七七四年:2008/11/10(月) 23:00:49 ID:qc4JncoM
>>560
これまで道三ひとりでやったとされたことが
(油屋から美濃をとるまで)親子二代でやったことと分かった。
道三自体はすでにそれなりの地位にいた親父の息子としてスタート。
もちろんその有能さは間違いない。
563人間七七四年:2008/11/10(月) 23:03:18 ID:XBBMNC1r
そろそろスレ違いは
564人間七七四年:2008/11/11(火) 00:10:39 ID:MbBfqIdf
三河と美濃は接してんだから、かたい事言うなw
ん? でも小競り合いすらしてる記憶が無い。


つまり城主嫡子から国主になったって事? かなり凄いじゃん。
565人間七七四年:2008/11/11(火) 20:59:37 ID:DZTZ93FY
>>557
おお、その本は知らなかった。ありがとう! 読んでみるよ。
性病というと、息子の秀康のこともあるから、用心はしていただろうね。
566人間七七四年:2008/11/12(水) 17:49:50 ID:omUm5fVa
>>563
ほらみろ、ほどよく盛り上がってたのに
567人間七七四年:2008/11/14(金) 16:28:16 ID:DebgpFTY
信康事件についての、妥当な見解をお聞きしたいな。
568人間七七四年:2008/11/14(金) 22:03:32 ID:UoFUt9yX
少なくとも親子の仲はあまり良くないと思われる
ついでに夫婦の仲も、そこら辺が遠因

直接的な原因は通説が揺らいでるので、不明
569人間七七四年:2008/11/15(土) 00:00:19 ID:RIsBwzl1
もうあまり時間が残されていません。
偉大な先人の皆様、日本を助けてください。

【日本の選挙】        ∧,,∧
      /| ̄ ̄ ̄|    <丶`∀´> ←二重国籍
    /| ̄ ̄ ̄∧,,∧  (つロと )
   /| ̄ ̄ ̄|..( `ハ´ )  `u-u´
 /| ̄ ̄ ̄|....|φ  ∪ )←帰化  ∧,,∧
 | ̄ ̄ ̄|....|/ `u-u´       <    >←外国人参政権
 |___|/ ∧,,∧          ( o ∪
 ||    ||  (´;ω;) ∧,,∧     `u-u´
       ( つロと) <丶`∀´> ←偽装認知
        `u-u´ (∪  つロ_____
              `u-u/ = =  /|
                | ̄ ̄ ̄ ̄|  |
                | 投票箱 |  |
                |____|/

【外国人激増】国籍法改悪案の反対【日本破綻】★4
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1226616603/
570人間七七四年:2008/11/15(土) 00:02:31 ID:+lWqKpJV
専用スレあるよ
【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
571人間七七四年:2008/11/15(土) 00:04:21 ID:qj+IPTw3
>>567
おそらく家康は60過ぎまで家督と実権を保持し続けると何かいいことがある予感がしていたんだよ
でも18歳しか年の差がない信康がいるとその歳まで家督と実権を保持し続けることが難しい
だから本能寺の前に信康には消えてもらわなくてはならなかった
家康に実は予知能力があったとみるのが妥当な見解だろう
572奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 00:19:49 ID:oeN/fC4g
18んときの長男信康。
秀忠が将軍になる年まで生きてたらもう初老どころじゃないからなあ。
573人間七七四年:2008/11/15(土) 04:18:41 ID:mBpqVRwq
家康は結果的に長生きしてたから天下を取れたが、
長い間明確な後継者決めてたわけでもないし早死にしてたらどうなってたんだろうな
574人間七七四年:2008/11/15(土) 08:31:27 ID:QgAR8WqG
「結果的に」というが、家康ほど生命力に溢れて
しかも健康に気を配っていた武将はいなかったと思う
575仙台藩百姓:2008/11/15(土) 14:16:03 ID:vycz3wX2
家康が健康に気を遣ってたなんて捏造徳川伝説でしょお( ^ω^)
糞デブで70過ぎて体調崩すほど食い込む奴のどこに健康的な要素があるのかと┐ (´ω`) ┌
576人間七七四年:2008/11/15(土) 14:25:34 ID:ajSvS1cO
鷹狩り大好きで70を超えても続けて体力育成。
医学に詳しく自分で薬作れたりするところじゃないか。
577人間七七四年:2008/11/15(土) 14:58:48 ID:GIBCpvaC
太ってたのは堅太りじゃないかねぇ
578人間七七四年:2008/11/15(土) 15:29:26 ID:+dzkxvQC
礼儀を失した態度をとる人間には答える必要なし。
2ch的に言うなら、荒らしはスルー
579仙台藩百姓:2008/11/15(土) 17:09:30 ID:vycz3wX2
自分の為だけに医薬を研究してあたりが極悪人の家康らしいおね( ^ω^)
始皇帝やヒトラーと同じだお( ^ω^)
580人間七七四年:2008/11/15(土) 17:22:32 ID:btc8OoJh
>>579
百姓タンがそう言うのなら、そうやろ
581仙台藩百姓:2008/11/15(土) 18:14:48 ID:vycz3wX2
いや、失言でありました
謝罪しますお( >ω<)ゴメンナサイ
始皇帝もヒトラーも善悪は別として一個の傑物であったのは間違いないお
家康ごとき小悪党と一緒にするのは失礼極まりないと言うもの( ーωー)
582人間七七四年:2008/11/15(土) 18:22:02 ID:U+4Th5W7
DQN四天王の政宗だってもうちょっとましな事言うぞw
583人間七七四年:2008/11/15(土) 19:58:51 ID:JrFBWbtv
百姓たんにしてはちょっと芸風が違うような・・・

まあでも上のスレにあるように当時の医学では水銀つかってたりして
そんな医学に通じていてもしょうがないというか、それでよく生き延びたというか

しかしいくら長生きしててもウンが付いてなかったらどうにもならんわな。
信玄が三方ヶ原の後徳川家を殲滅する前にさっさと病死とか、信長の横死とか
その後に統一したのが寿命も無い子供も晩年までない秀吉で、更に弟の秀長も利家(ついでに蜂須賀とかもまとめて)
さっさと死ぬとか
やっぱり三方ヶ原でウンが付いてきたのが大きいんだろうな。
584人間七七四年:2008/11/16(日) 04:08:51 ID:ZnZ+oClK
神君家康って良人間の鏡じゃね?
人質での苦労
失敗はしたがその後それを見事に教訓にする。
最終的には天下をとり、250年以上も泰平の世の中にした。
家康様!尊敬いたしております!!
585人間七七四年:2008/11/16(日) 05:03:50 ID:iuuhwOn7
三方原でウンつけた。
586姓百藩台仙:2008/11/16(日) 13:06:46 ID:i6gg9GIS
主家が傾くや襲い掛かって奪い
自分の妻と実子を殺して罪を着せて
はたまた主家を襲い主君の妻子を殺して罪を着せると
裏切りと反逆は戦国の倣いと雖
徳川ほど自己愛と欲望に徹底した者はまずいないおね┐ (´ω`) ┌
587人間七七四年:2008/11/16(日) 14:16:08 ID:nRreZ4Y3
>>585
あれは
漏れた
588人間七七四年:2008/11/16(日) 16:31:30 ID:eOZH0pBp
このクソコテはいろんなスレで見るが、
目に余るバカっぷり。
迷惑かけるなよニートくん
589人間七七四年:2008/11/16(日) 19:47:15 ID:TtABPDLQ
皆日光東照宮は行った事ある?
自分はまだなんだけど行く価値は有り?
590人間七七四年:2008/11/16(日) 21:22:43 ID:E2CIaMvh
多分想像よりこじんまりしているようなイメージを受けると思うよ。
ま、寺社仏閣が好きならいって損はない。
591人間七七四年:2008/11/16(日) 21:26:05 ID:g9w3CesL
>>586
乱世でそんな不安定な政権は、国民が大迷惑だ。


>>570
そうやってスレを分散するから、板が過疎るんだよ。
592人間七七四年:2008/11/17(月) 03:34:52 ID:UGruL7A8
今川のおかげとか捏造している今川厨房のガイキチって、

徳川の歴史書、読んだことないんだな。

今川は、三河を横領した悪党になってるけど?
593人間七七四年:2008/11/17(月) 18:44:19 ID:a+/Cu5fr
>>592
徳川の歴史書なら今川を悪く書くにきまってるだろwww
つーか、そんなの間違いなく捏造満載だから安心しろ。
594人間七七四年:2008/11/17(月) 21:47:01 ID:edjXAcG9
久能山東照宮なら行ったことがある
あそこは下から歩いていけ!
595人間七七四年:2008/11/17(月) 21:54:34 ID:9cKb0McB
今川義元公と徳川家康公って、個人的な付き合いって実際あったのかな?
お互いをどう思ってたんだろう?
義元公が家康公をどう思ってたのか気になるな。可愛がってたのか?単なる人質としてしか見てなかったのか?
596人間七七四年:2008/11/17(月) 22:05:56 ID:LhTddjBF
自分の片腕を養育係につけて、
自分の姪を養女にして嫁がせて、単なる人質って事はないだろう。
家康の器量を見込んでか、三河衆に対するアピールか、
義元は家康に対して気を配ってると思うよ。
597人間七七四年:2008/11/17(月) 22:26:27 ID:nEsD6F9e
でも徳川家としては人質時代は冷遇され
性悪女を無理やり押し付けられたことに
しないと何かと都合が悪いわけで
598人間七七四年:2008/11/17(月) 22:50:31 ID:LhTddjBF
何が「でも」なのかわからんな。
後世の話じゃなくて、義元の心情の推測をしているというのに。
599人間七七四年:2008/11/18(火) 00:24:40 ID:ytPPblbw
今の時間
静岡では新説日本ミステリーやってる
家康暗殺の件について
600人間七七四年:2008/11/18(火) 00:25:52 ID:ytPPblbw
大丈夫かこの番組の断定の仕方ww
601人間七七四年:2008/11/18(火) 01:01:35 ID:5b1SJVmx
1583年当時
家康・信雄連合245万石で61250の兵力動員可能

秀吉628万石で157000の兵力動員可能


頸椎の椎間孔圧迫テストとしてスパーリングテスト
座位で患側へ側屈・やや後屈位で
頸部を下に圧迫
602人間七七四年:2008/11/18(火) 17:39:04 ID:e5KyUbVn
>自分の片腕を養育係につけて、
今川義元一家としては、軍師や参謀ってのは太源雪斎しか居なかった
もしくはNO2としては定説なの?

>自分の姪を養女にして嫁がせて、単なる人質って事はないだろう。
義元クラスになると、姪なんてたくさん居たと思うんだが

>性悪女を無理やり押し付けられたことに
瀬名がたまたまひねくれちゃったんだよ。

これらを踏まえて、どのくらいのクラスなのかを
創造されたし。
603人間七七四年:2008/11/18(火) 18:09:53 ID:Jh0u6A3Y
義元は三河衆に分の悪い戦を任せていたようだね
家臣はそのことを根に持ってたが、
家康はプラス思考で自分の力量を評価してくれていると考えるようにしていた
やっぱり並ではないよ、家康は
604人間七七四年:2008/11/18(火) 21:05:16 ID:ytPPblbw
史実では雪斎は外交で駿河にあまりいなかったとのこと
監修はしても教育ほど密接ではなかったと
605仙台藩百姓:2008/11/18(火) 22:18:19 ID:/thsyCVo
>>603
家康がどう思おうと言われたら従うしかないのだから関係ないじゃんお┐ (´ω`) ┌
もっとも、義元死後手の平返して襲い掛かったところを見ると
家康自身が一番根に持っていたんだろうね(´・ω・`)
信長や秀吉に対しても死後は態度を一変させてるし
存外狭量で執念深い男だお( ^ω^)
606奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/18(火) 22:26:26 ID:R9bw+fH2
尾張を攻めるのに三河の連中が先陣を務めるのは当たり前っちゃ当たり前だわな。
607人間七七四年:2008/11/19(水) 08:44:39 ID:PKW7LdZ/
このスレ的には家康好きとして行ってみるとと面白いとこってどこだと思う?東照宮かなやっぱ。でもあれは死後にたてられたのだしなぁ…今度休みとれるから色々巡ってみたい
608仙台藩百姓:2008/11/19(水) 11:57:36 ID:HhBsOGYr
東照宮は文化価値が高いから見て損はないお( ^ω^)
家康なんかはどうでもいいけど
609人間七七四年:2008/11/19(水) 13:26:36 ID:iooFRjn7
>>603
糞垂らすしなw

610人間七七四年:2008/11/19(水) 13:33:33 ID:3jT8V8ot
別にすぐ手のひらを返したわけじゃあないぞ
織田を討ちましょう
え、やらない?
なら俺一人でやる!
とかしてるし
611人間七七四年:2008/11/19(水) 14:33:19 ID:HSjJhCFz
>>604
教育なんて9割はありきたりな事だろうから
1割が高僧に学べるだけでも、全然違うんじゃないか?


>>606
体脳な百姓には理解できないんだよw


>もっとも、義元死後手の平返して襲い掛かったところを見ると
あれは弔い合戦すら出来ない氏実を、見限ったのでは?
そこまで愚鈍ではなかったようだがw
612人間七七四年:2008/11/19(水) 14:49:52 ID:HSjJhCFz
>>607
西三河出身だから、岡崎城とか豊田の松平氏発祥地(寺だっけ?)とか
行ったけど土塁とかで盛上るタイプじゃないから、
「昔、ここを命懸けで守った侍・雑兵が居たんだなぁ」って
妄想膨らませるくらいしか出来なかった。
東照宮くらいしか無いんじゃないの?
肝心の墓所?が無名領主程度の雨ざらし陽晒しだったから
1人(神聖な日光には女は連れて行きたくなかった)で泣いた。

囲いの中に入るのもはばかられたから、隣の大樹を防護板じゃなく
生で撫でて感慨に浸っていた。


>>610
1回くらい弔い合戦したんだっけ?
613人間七七四年:2008/11/19(水) 15:07:01 ID:s8XGmiHi
國學院大の平野明夫氏の研究によって通説の氏真暗愚による独立という話は江戸期のねつ造ものということが
判明している。離反行動は桶狭間直後よりおこなわれている。
614人間七七四年:2008/11/19(水) 16:03:37 ID:RDCNMvG2
>>607
久能山の東照宮オススメ。
家康が希望して葬られた地だからね、景色良いしし。
去年漆の塗り替え終わったばかりだから本殿もキレイだよ。
石段登るのがツライなら日本平側からロープウェイで入る事もできる。

しかし東照宮って、全国に600くらいあるんだと。
権現様は死んでからも大変だな。


個人的には三河の鳳来寺に行ってみたい。
あそこも景色良さそうだし。
615人間七七四年:2008/11/19(水) 18:35:16 ID:5D9sXkSx
>>612
氏真に弔い合戦やろーぜーと煽っていたし、
また織田方と小競り合い程度はやっていた。

ただ本気で織田と事を構える気があったかどうかは微妙だな。
多分、義元亡き今川家と織田家を秤にかけていたんだと思う。
616人間七七四年:2008/11/19(水) 21:58:04 ID:YBo0n7e9
>>614
こらー!
せっかく>>594と書いたのにwwww
登ってこそ到達したときのありがたみが有るというものだ(`・ω・´)

で、ロープウエーで日本平まで登ってそこでも景色を堪能してから、また降りてくればよいww
617人間七七四年:2008/11/19(水) 22:00:40 ID:YBo0n7e9
浜松城近くの曳馬城跡も、確か東照宮だな
関係性は強いぞ
久能山・日光と合わせて勝手に三大東照宮と呼んでしまえ
だいたい3つ目ってころころ変わるものだww
618人間七七四年:2008/11/19(水) 23:31:50 ID:Br0iLu/I
静岡県に住んでいるのに、日光へは行った事あっても、久能山へは行った事が無い
気が向いたら行ってみるかなぁ…
あ、俺は607じゃないよw
619人間七七四年:2008/11/20(木) 10:12:48 ID:xo6YQIBf
>>618
そんなもんだろー。

おいらも小学校の時に日光は移動教室で行ったけど、
芝と上野行ったのは今年が初だ。
そのギャップ四半世紀を超えとる。
620人間七七四年:2008/11/20(木) 11:18:29 ID:QSy5MIkU
行ったことのある東照宮
仙台、日光、水戸、川越、上野、久能山、和歌山、
京都南禅寺隣の金地院の敷地内、京都伏見の御香宮の敷地内
621人間七七四年:2008/11/20(木) 13:03:18 ID:kad9i7eb
結局お骨はどこに眠っているの?
622仙台藩百姓:2008/11/20(木) 15:14:24 ID:N1+VpyLr
確実な事は掘り起こしてみないと分からんお( ^ω^)
まあ、遺言で日光に埋めろ言うたのなら日光なんじゃないお?
明治頃にも調査したようだが結局分からんかったようだお
なんなら漏れが掘り起こしてあげるのに( ^ω^)
623人間七七四年:2008/11/20(木) 21:32:59 ID:1ZSOICQO
久能山を登るんだったら紫陽花の時期がいい
あの石段は紫陽花がたくさん咲いてる
気候もちょうどいい頃だし
624奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/20(木) 22:42:10 ID:+syQ+E+0
ああ、日光行ったことないなあ。
来年あたり訪れてみよう。
625人間七七四年:2008/11/21(金) 05:10:13 ID:U0Kk08pf
>>623>>617>>616>>614>>612
>>607だけど色々ありがとうw勉強にもなったよ。
自分も日光行って久能山行ってなかったからぜひ今度いってみたい。
他の東照宮にも興味津々になりましたw
626人間七七四年:2008/11/21(金) 18:01:36 ID:6vFUqtWf
家康個人としては今川家時代に愛着もあったんじゃないかな。
本当に根に持ってたら家康の性格からして御曹司の氏真を滅ぼした後もあんなに厚遇しないだろうし
なにしろ全部やること終わって隠居地に選んだのが駿河だし。

627人間七七四年:2008/11/21(金) 18:14:18 ID:p+EYM56o
>604

雪斎が、軍法を家康に教えたと捏造したのは、江戸末期の駿国雑志という
静岡マンセー本に初出で、徳川の公文書にはそんなこと書かれていません。

駿府加番の阿部正信という旗本の妄言盲説で出典不明。
628人間七七四年:2008/11/21(金) 18:41:30 ID:nj84EtBN
>>626
仮に不幸であったとしても、不運ではなかったしね。
今川の保護の下成長できたとか、その間松平家は今川の後ろ盾のもとなんとか存続できたとか、
松平一門や家臣の間に家康待望論が醸成したこととか。
629人間七七四年:2008/11/21(金) 19:16:35 ID:iTTcMxhb
家康個人は義元に恩義ありまくりでしょう。
松平家の所領が保存されて相続できたのも義元のおかげ。
630人間七七四年:2008/11/21(金) 19:35:32 ID:uXhXBO9m
>>629
そう考えると鳥居忠吉のとったとされる"米・銭などの隠匿行為"は今川家に対する背信行為になるわけでw

下手すると幼君に対する処罰もあったわけだなぁ
631人間七七四年:2008/11/22(土) 00:07:05 ID:j/Swm26z
糞もらしたのって怖くて?
鎧纏ってたから?

戦闘機乗りにもよくあるみたいだけど怖いからじゃなくて長時間作戦のせいだよね。
632人間七七四年:2008/11/22(土) 11:36:48 ID:aoNKEPqU
>>629
それは大坂に65万石残してやったから秀頼は家康に恩義ありまくりといってるのと変わらないぞ
633人間七七四年:2008/11/22(土) 16:49:41 ID:hQuXQp2X
主従の力関係も、大名の権力の大きさも、周囲の状況も違うから話にならない。
義元がいなければ、松平家が地上からなくなっていても不思議じゃない状況なんだよ。
織田・水野という敵がすぐそこにいて、一族や家中は分裂してて、当主は死んで、若様は織田家に拉致られて。
義元が、盟主として織田・水野と戦って松平家を保護してくれて、
家康を取り戻してくれて、
今川の指導に不満を持っていた家臣が徐々に団結していってこれ以上無いだろ。
義元がその気なら松平家の内紛に乗じて専横する事だって、解体することだってできたろうに。

>>631
糞する暇も無かったとかの方がありそうだが、
怖くて糞もらしのほうが断然面白いんだぜw
634人間七七四年:2008/11/22(土) 18:26:44 ID:S+seEKVK
確かにあの状況なら代わりの養子でも送り込んで家をのっとりが普通に横行していた時代だよね。
今川は松平をよっぽどかっていたんだろうね。
635人間七七四年:2008/11/22(土) 19:10:42 ID:nOb5IAun
歴史話をそのまま信じれば
清康も優秀だったというから、その血を継いだ家康になんらかの期待はもってても変じゃない

ところでほんとに松平清康は優秀だったのだろうか
死ぬのが早すぎて評価するものが少なくないかと
やはり徳川家として、先祖もよく見せたいから・・・ということか?
636人間七七四年:2008/11/22(土) 21:45:43 ID:yAVgbZbM
勢力3倍増したんだから、名君だろう。
637人間七七四年:2008/11/22(土) 22:10:15 ID:aoNKEPqU
>633
恩義があろうがなかろうが大軍率いて侵攻したのにあっさり討ち死にしたら
家康でなくとも誰だって義元に失望するだろ
そしてこんな奴に従っていたことに段々腹が立ってくる
俺はこんな奴とは違うんだと証明したくなるのは人間として当然だろ
638人間七七四年:2008/11/22(土) 23:53:38 ID:hQuXQp2X
それは人の性格次第だから賛同も否定もできない。
639人間七七四年:2008/11/23(日) 02:44:06 ID:kGsY1bqP
脱線して済まんが、秀忠は家康から征夷大将軍を譲られた時に、
同時に親父さん同様、右大臣と学習院別当(?)も朝廷から与えられたの?
あと、家康は征夷大将軍を辞した後、死ぬ少し前になるまで太政大臣にならなかったのは何故?
朝廷が豊臣家に配慮したのか、家康の思惑があったのか。
俺の記憶が間違いでなければ、豊臣秀吉は関白を辞してからすぐに、
秀忠や吉宗も将軍を辞してからかなり早いうちに太政大臣になったような・・・
640人間七七四年:2008/11/23(日) 12:38:29 ID:Mmd5PbrS
>>639
秀吉はすぐに太政大臣になることによって最終的には関白秀次との二頭体制状態になり問題が起きた
(秀頼誕生による影響もかなり大きいけどね)
将軍職の世襲さえ示せればもはや家康に官職など不要なのだから
秀吉と同じ鉄を踏まないように無官のまま秀忠の貢献に徹したのだろう
641人間七七四年:2008/11/29(土) 01:51:45 ID:Qjn9KYLi
英BBCが21世紀に入るとき、世紀の変わり目の記念番組として
「人類史に影響を与えた人物」という特番をつくったのだが
たった6人のなかに徳川家康を採りあげたときは笑ったなw

長い人類の歴史のなかでイギリス人が採用したのはたった6人、
しかもアジア4000年の歴史で選出されたのが家康ひとり。
ジンギスカンよりも上かよ!

つまりイギリスはすべてを近代化への貢献で測った模様。
たしかに近代の前提に封建制を据えるヨーロッパ人らしい見解。
欧州以外で本格的封建制が成立したのは日本のみで
彼らは日本のみが近代化の模倣に成功した理由を封建制に帰している。

アジア発展の源流となっている日本、その近代化の基礎をつくったのが
家康、だからアジアのなかで一番偉い、こういう図式だ。
642人間七七四年:2008/11/29(土) 01:59:57 ID:JyVWtYes
日本史で影響を与えた六人になら選ばれてもおかしくないが、
人類史となるとさすがに「?」と言わざるを得ないな
643人間七七四年:2008/11/29(土) 13:27:10 ID:PNxCEDz9
でもジンギスカンは侵略メインで他に何かやったとはあんまり伝わってないなあ
ぶっ壊したことばっかり目立ってないか
文化的・文明的ではないよ
644人間七七四年:2008/11/30(日) 00:59:14 ID:k80jxHMi
ふと思ったが、今川義元の義の字って将軍家からのもらい物?
元の字を与えたのは重要視してないからとか言われてるけど、将軍家に遠慮しただけかもとか思ってみる

645人間七七四年:2008/11/30(日) 01:10:08 ID:aIRCZhGb
間違いないかと
西の大国だった大内家の頭首も、代々将軍家より”義”の一字を貰い受けていたし、
毛利元就の嫡孫である輝元は、本来十三代義輝の”義”を貰い受ける予定だったが
”輝”の字の方を戴いたという話もある(”義”だと義元という名になってしまい、縁起が悪いという話らしいw)

まぁ、スレ違いな話題だけどw
646人間七七四年:2008/11/30(日) 01:18:56 ID:dNRejpMf
>>641
日本以外の国だとワンマン独裁者の方が当たり前の存在であり
領土面で比較すれば信長や秀吉より成功した独裁者なんて掃いて捨てるほどいる
つまり欧米人からすると信長や秀吉は失敗した独裁者でしかない
ジンギスカンも凄いけど欧米人からすればアレキサンダーやナポレオン等の他の征服者と同類でしかない
逆に毎世紀のように戦争する羽目になる欧米人からすれば戦国を終結させた家康の偉業は非常に評価が高い
だからアジア史上で一番の偉人が家康になる
647人間七七四年:2008/11/30(日) 20:37:35 ID:tVVNPTnw
>>643
東アジア〜中東ぐらいまでの文化を混合する流れを作ったってのは
文化史的に物凄い偉大な功績なんだが。

>>646の言うイスカンダールと同系の『結果的にそうなった』という
匂いが強いとはいえ。
648奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/30(日) 22:32:04 ID:BA8jT4XW
今川家の通字は「範」くらいじゃないの。
649人間七七四年:2008/11/30(日) 22:35:19 ID:HyiWiC3/
”氏”じゃね?
650奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/30(日) 22:47:02 ID:BA8jT4XW
「氏」は古河公方による偏諱だと考えちゃいかんかね。
651人間七七四年:2008/12/01(月) 01:11:45 ID:+d7KpX7y
ざっと系図をみてみたが、本家の通字がわかりづらいな
"氏"は足利・吉良の通字だから今川が使っても不自然じゃない


652人間七七四年:2008/12/01(月) 22:01:45 ID:GwS0pEvP
どんなに律義者などと言われようが、主家を謀反紛いの行為で滅ぼして
しまった以上、たぬき親父の酷評は免れないだろうな。

謀反でないという者もいるだろうが、どんな大義名分をつけようが
結果的には主家を滅ぼした以上、謀反といわれても仕方がない。

653奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/01(月) 22:16:01 ID:o03KFQaq
松平氏の主家を今川とするのは何かしっくりこないな。
654人間七七四年:2008/12/01(月) 22:30:55 ID:MAR40x6Z
>>652
主家?
家康に主家なんてものは存在しない
勝手に主家なんて名乗る連中が這い出てきて迷惑だから掃除しただけだろ
655人間七七四年:2008/12/01(月) 23:01:57 ID:GwS0pEvP
加増してもらいながら主家を滅ぼす厚顔無恥
656奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/01(月) 23:05:06 ID:o03KFQaq
本領安堵できるレベルで加増というのは何のことを言ってんの?
657人間七七四年:2008/12/02(火) 02:50:02 ID:ahN/pu0e
今川家も織田家も、松平家としての付き合いであって、
主従した事実はない。
658人間七七四年:2008/12/02(火) 05:03:02 ID:/nfrcFb3
松平にとって今川家は織田家より古い敵
659人間七七四年:2008/12/02(火) 06:20:43 ID:gN1q0Iux
>> ID:GwS0pEvP

んなこと言い出したら信長は謀反人の息子で弟殺し、秀吉は主家簒奪の
上主筋の公子を一人は殺害一人は放逐、義理の息子を謀殺の上妻妾子女
を虐殺と禄でもない奴ばっかなわけで。

この手の話は「そもそも成り上がりもんが善人なワケねえ」とか「あの
時代なら誰でもやること」に落ち着くから無意味だよ。
660人間七七四年:2008/12/02(火) 06:55:47 ID:u2mh+V9A
家康は主君殺し、実の息子殺し、妻殺しの三冠達成者だからな
信長や秀吉みたいな善い子ちゃんとは格が違う
偉大な人間は何をやっても一流なんだな
661人間七七四年:2008/12/02(火) 07:57:22 ID:/nfrcFb3
>>660
どれも言い訳できる範疇だけどな
秀頼殺しは、その時点ではすでに主従関係になかった
むしろ、秀頼が臣下の礼を取らなくてはいけない立場

実の息子殺し・妻殺しは、信長の要求に従ったまで
と言い逃れできると、弁護してみる
662人間七七四年:2008/12/02(火) 10:10:53 ID:/h6gy7kt
>>661
信長の命令云々は今じゃあ疑問視されてるぞ。
663人間七七四年:2008/12/02(火) 10:14:19 ID:lg0RXnG3
>>660
一族で殺し合いなんて当たり前の時代になにを寝ぼけてんだ?
武田信玄は父親を追放してるし、
伊達政宗は父親を見殺しにしてんだ。
664人間七七四年:2008/12/02(火) 17:43:43 ID:UZybS+L+
>>660
関ヶ原の時点で勢力的に、
征夷大将軍を世襲にすることで権威的に、
そして二条城会見で実質的に、
主従関係はひっくり返ってる。
665人間七七四年:2008/12/02(火) 19:51:18 ID:p/PlbT4K
>>664
しっかりと段階を踏んでいるんだなw
その段階すら踏まずに下克上をする武将は数多居たからねぇ
666人間七七四年:2008/12/02(火) 21:31:47 ID:35/LXW5/
今川から織田、織田から豊臣に就くときもしっかり段階踏んでる
今川に報復戦勧めたり、信雄とともに秀吉に対抗したり
秀吉も「律儀な内府殿」と呼んでいたほど
その家康に滅ぼされたんだから仕方ないだろ、豊臣は
667人間七七四年:2008/12/02(火) 21:52:00 ID:zBh5HXIf
家康は大阪羽柴家から出奔した形跡は見られない。
だから主家を滅ぼしたのは形式的には謀反行為といわれても仕方がない。

まあ、豊臣の血を完全に根絶やしにしなかったのは批判を逃れるためか?
秀次と秀勝の血を絶やそうとすれば絶やせたはずだが。
668人間七七四年:2008/12/02(火) 21:58:49 ID:LBTCyV/U
例えるなら豊臣はリーマンブラザーズ、徳川はFRBだよ
朝鮮というサブプライムに大金を投資した豊臣は経営が悪化し救済しないと倒産する運命だった
でも家康は公的資金を投入するのが嫌なので強制的に破産法を適用した
それで豊臣一族が首を吊っても裏切りでもなんでもない
669人間七七四年:2008/12/02(火) 23:08:41 ID:35/LXW5/
>>667
出奔しても裏切り行為には変わりないし、
裏切りを全否定したら戦国武将そのものが成り立たなくなる
だから要するに程度問題で、十分な理由があり容認できるようなものだったかどうかということになる
まあ秀吉厨は容認しないだろうが
670人間七七四年:2008/12/03(水) 00:18:54 ID:Ja5Wec1C
いつも徳川をトヨタとかベンチャー企業に例えてるのは同じ人?
スゲー的外れでいい加減笑えるんだけど
671人間七七四年:2008/12/03(水) 00:28:12 ID:zBhqWjfW
>トヨタとかベンチャー企業に例えてるのは同じ人?

>>670がベンチャー企業の意味を知らないことだけは分かった
672人間七七四年:2008/12/03(水) 00:30:38 ID:Ja5Wec1C
別にトヨタをベンチャー企業って呼んでるわけじゃないんだけど
>>671が日本語読解に不自由してるのはわかった
673人間七七四年:2008/12/03(水) 00:39:51 ID:FG0Ncjg2
例えは分かりにくい物を分かりやすくするためのサポートに過ぎない
戦国に詳しい人にとってはすべての例えが的外れに見える
674人間七七四年:2008/12/03(水) 04:22:52 ID:/SNN5r9g
別に話がこじれてないのに例え話を交えると余計に混乱するよなw
675人間七七四年:2008/12/03(水) 22:16:05 ID:U2gV53Dt
実力で仕切れない豊臣家に問題があった。
関ヶ原は形式的には大老同士の内紛だ。
片方の毛利輝元が総大将でもう片方の先鋒が福島正則ではどうにもならない。
676人間七七四年:2008/12/03(水) 22:56:25 ID:w+yAZMF+
家康って秀吉が死んでからの必死の謀略でどうしても悪いイメージが付きまとうけど本質は凄く魅力的な英雄だよね。主家乗っ取りの手口は秀吉のが遥かに悪辣だけどキャラで包み隠してるから尚タチが悪い。
677奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/03(水) 22:58:24 ID:BAoa17+O
連合政権のイメージが強すぎて、徳川・毛利・上杉あたりは豊臣家臣に見えない。
678人間七七四年:2008/12/03(水) 23:29:50 ID:zBhqWjfW
徳川・毛利・上杉に限らずほとんどの大名は豊臣家臣というより
豊臣との取引先会社といった方がいいくらいだ
豊臣の羽振りがいいときは無茶な要求にも我慢するが
経営が悪化したら関係はそれまでになるんだよ
豊臣自身が最後までそれに気づかなかったのが悪い
679人間七七四年:2008/12/04(木) 00:40:34 ID:F5moeb2X
>>678の例えは分かりやすいw
680仙台藩百姓:2008/12/04(木) 08:18:28 ID:SVn11j6P
( ^ω^)アアン?
少なくとも五大老の連中は契約に同意してサインしているのだから従う義務があるお
堂々と契約不履行するなんて先進国の企業にはありえないお
家康は中国企業かお┐ (´ω`) ┌
いや、こんな企業中国でもありえないお
取引会社の社長宅と社屋襲って強盗殺人放火の末に家財奪って会社潰すような
極悪非道な企業がどこにあると言うのだお┐ (´ω`) ┌
681人間七七四年:2008/12/04(木) 12:26:04 ID:7nx+jNH6
色々な人の意見を聞いて再考すると豊臣政権が室町幕府と似てる様に思えます。全国に強大な諸候が残っていて形式上のみ主。勿論秀吉には力がありましたが。完全な武力統一政権を作った家康の偉大さが見えてきます。
682人間七七四年:2008/12/04(木) 13:20:19 ID:WWcVFQt3
>>680
契約書なんて強制力がなければ紙切れ同然なんだぜ
 
起請文とか気休め以外の何物でもないし
683人間七七四年:2008/12/04(木) 13:37:56 ID:9TXunzHH
秀吉ほど日本史上独裁権を振るった権力者も居ないと思うんだが
秀次を粛清した後、自分の死後に秀頼を守るために仕方なしに作った
五大老制度だけを見て室町幕府を連想するのは短絡的に過ぎるよ
684人間七七四年:2008/12/04(木) 15:27:30 ID:7nx+jNH6
何も五大老を見て室町を思ったのではありませんよ。当たり前の事ですが時代背景、経済は勿論むしろ室町とは全く違うでしょう。各地の大領を持つ大名を残したままの危うい権力統治が似てると思っただけです。日本最高の権力を握ったのはおそらく足利義満ですよ。
685人間七七四年:2008/12/04(木) 15:40:07 ID:x6ahg3cG
>>680
日本、アメリカ、ドイツ、ソ連、中国等々の国家そのものがそうですよ。
条約なんて1枚の紙切れに過ぎない。
686人間七七四年:2008/12/04(木) 17:22:38 ID:HiTQeaWY
同盟破棄して元同盟先に攻め込むなんてことをやった戦国大名もいるし
息子が父を追放したりなんだりで自分が当主になんてパターンもある
それと規模が違うだけでほとんど同じことだと思うんだけどな
687仙台藩百姓:2008/12/04(木) 18:59:25 ID:SVn11j6P
企業に例えてるからそんな企業ありえないと言う話ししてるのに
なに関係ない話しして勝手に悦に入っているのだお(#^ω^)ピキピキ
徳川厨も例に漏れず気狂いばかりかお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
688人間七七四年:2008/12/04(木) 19:47:28 ID:GobUDrP8
武家社会だと個人と個人の契約関係で、徳川将軍なんかも代替わりするたびに改めて、諸侯が忠誠を誓ってなかったっけ?
689人間七七四年:2008/12/04(木) 20:24:22 ID:kijfnPgb
まあそりゃそうだろ
前の政権の決め事を破棄しなきゃ自分がトップに立てないし、
トップにいる者は必死で決め事を守らせようとする
問題はその政権の治世が善かったか悪かったか、それだけだろ
690人間七七四年:2008/12/05(金) 00:52:11 ID:qDRZRFVs
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    なに関係ない話しして勝手に悦に入っているのだお(#^ω^)ピキピキ
    /   ⌒(__人__)⌒ \
    |      |r┬-|    |
     \     `ー’´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ   だっておwww
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)   現代企業にそのまま当てはめてる時点でアホ丸出しだおwwwww
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //       
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/      
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー’´      ヽ /    /
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バンバン
 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
691人間七七四年:2008/12/05(金) 01:59:19 ID:74z9Gwa/
話ぶった切るけど長勝院ってどんな扱い受けてたの?
あんま優遇されてなかったのは知ってるが…
692人間七七四年:2008/12/05(金) 13:17:21 ID:+kM+brn2
百姓偽物大杉
693人間七七四年:2008/12/05(金) 18:57:34 ID:JhKsveNv
>伊達政宗は父親を見殺しにしてんだ。
コレは何か足りないだろう?
694鳥居元忠:2008/12/06(土) 14:12:39 ID:HRGEq67q
わしは、天から「篤姫」という番組を見てて腹が立ったわい……

堺演じる家定(回想?幻想?シーン)が「城を枕に討死にかくだらない……」
こんな台詞吐いたところ。もう少し台詞考えろと思ったよ……

三河武士の夏目や鳥居強右衛門を馬鹿にしているとしか思えないわ……
「篤姫」の脚本家はワシに対する侮辱か……
695人間七七四年:2008/12/06(土) 14:27:49 ID:Dkv4g566
戦国時代と江戸時代後期じゃ全然ちがう感覚なんだろ
戦から離れた江戸期の人間が「武士は刃で死すべし」とか思ってたらキチガイだわ
696鳥居元忠:2008/12/06(土) 14:38:42 ID:HRGEq67q
……
徳川家のために礎となって死んだ奴らだぞ。わしもだけどw
それを「城を枕に討ち死に?くだらない。」って……徳川幕府設立の
ために血を流した家臣や兵に敬意が足らないだろ。特に伏見城で死んだ奴らにはな。

>戦から離れた江戸期の人間が「武士は刃で死すべし」とか思ってたらキチガイだわ
誰もこんなこと言ってないし「武士は刃で死すべし」とか関係ない。
ただ先祖で血を流した奴らを侮辱するなと言っているだけ。時代の背景関係ない。
697人間七七四年:2008/12/06(土) 18:45:46 ID:dkTi7gF6
すいませんがここはキャラネタ板じゃないんでやめてください
698人間七七四年:2008/12/06(土) 19:45:54 ID:OTV8IEMa
気持ち悪いなりきりだな
699人間七七四年:2008/12/06(土) 22:49:00 ID:v1yI4S5L
江戸幕府は日光東照宮に伊勢神宮並の権威を持たせたかったみたいだが、さすがに
自重する意見はなかったんだろうかね?さすがに僭越すぎると思う。

そういう権威をもたらす評価は世の人間が行うことであって、当時の権力が押し付け
た所で反感食らうだけでしょ。特に宗教面の話はナイーブなんだし、そんなことも
わからなかったのかな?

実際の評価は伊勢神宮どころか観光地としての価値しかない散々なものだけどさ。
神居ますところではないしな。
700人間七七四年:2008/12/07(日) 00:08:58 ID:bb5R3MKD
バカなキチガイが湧いてきたな
日光東照宮は江戸幕府の人間だけが参拝するところであって
今みたいに一般人が参拝できるようになるのは近代以降だぞ
観光地でも一般人の参拝場所でもないのだから当時の世の人間の考えなんぞ関係ない
701人間七七四年:2008/12/07(日) 09:02:52 ID:fGkYT3cr
それ本当か? 伊勢参りは庶民の憧れだったはずだけど。



>三河武士の夏目や鳥居強右衛門を馬鹿にしているとしか思えないわ……
夏目って誰? 勝商は一門じゃあ無いだろう?
702人間七七四年:2008/12/07(日) 09:21:08 ID:BA9rG+Hl
大体家康を皇室に於ける天照大御神に擬してるんだから、配慮も糞もな。

東照大権現って神号にしたのは伊達や酔狂でしたわけでは無いしな。
703人間七七四年:2008/12/07(日) 10:49:41 ID:tpL+/kKn
三方が原で囮になって武田を引き寄せて、家康の逃亡を助けた人じゃない?>夏目
704人間七七四年:2008/12/07(日) 12:53:56 ID:WVej4Txo
吉信

一度は一向一揆で徳川を裏切った人物
しかしそれでも帰参を許した家康
その恩に報いるために身代わりになっての討ち死に

という話
705人間七七四年:2008/12/07(日) 13:07:27 ID:tzOk/BpN
夏目てのは1000円札のご先祖?
706人間七七四年:2008/12/07(日) 13:36:43 ID:WVej4Txo
らしい
707人間七七四年:2008/12/07(日) 20:47:05 ID:q6jufghk
簒奪野郎。
中国史における新の王莽のコピーみたい。
708人間七七四年:2008/12/07(日) 21:54:56 ID:heByHeK4
王莽みたいな簒奪を倫理上正当化しようとする下衆と違って、
家康は生涯豊臣家からの簒奪を恥じ入ったり自己弁護することはなかった
彼にとっては先駆者である信長や秀吉と同様、戦国時代の力の論理に従っただけだろう
行動自体は褒められたものでないにせよ、その思考は始終一貫しててむしろ清々しい

後世家康の簒奪を正当化するために病床の秀吉から
「秀頼に天下を治める器がなければ内府が治めてくれ」
なんて言われたという逸話を創作したり、
敵の淀殿を貶めた神君家康大好き御用学者は糞だけどな
709人間七七四年:2008/12/07(日) 22:25:30 ID:apVBd4Ry
一応、悩んだようで林羅山に湯武放伐論の是非を問うたことがある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%BC%90
710人間七七四年:2008/12/07(日) 22:33:58 ID:siHAD//9
天の命令が改まる革命思想を記した孟子を愛読していたという話は本当だろう
思想的な拠り所は持っていたが、自己弁護に汲々とすることはしなかったな
711人間七七四年:2008/12/08(月) 09:38:47 ID:7AWfLvjc
09:25 司馬遼太郎と城を歩く「浜松城〜“覇王の家”」
712人間七七四年:2008/12/08(月) 19:35:10 ID:UvbVRE0o
>>704
人を大事にする徳川家らしい話だな。
同僚を斬殺して出奔した息子は、如何かと思うが
それでも許したという事は、相当助けられたに違いない。
713人間七七四年:2008/12/11(木) 00:12:01 ID:hAQAeV18
最近の研究によれば、1615年に羽柴家が滅亡するけど、それまで一応羽柴家
は天下様だったらしいね。徳川と並立する形で。公家や大名の一部は年賀挨
拶を引き続きやっていたらしいし。秀頼の正二位右大臣という官位は天下人
の官位であるので、納得できる。
よく歴史教科書では関が原の合戦を豊臣と徳川の戦いと称し、徳川が勝った
後、家康は豊臣家を処罰する事はなかった、なんて書いているけど、当時の
家康は豊臣公儀の五大老として活動しており、家臣が主君の責任を問う事
はそもそもあり得ない話だろう。
各大名の加増も家康に加増された、と書いてあるが、名目上は秀頼に加増され
ているはずで、おかしい。
豊臣家を65万石の大名にした、とも書いてあるけど、これも疑問視されているようだし。
少なくとも西日本の羽柴家直轄地に関してはかなりの影響力を残していた、と聞いた。

714人間七七四年:2008/12/11(木) 19:00:39 ID:5Yvmdn8G
何で最後に羽柴になるのか分からんが、


>家臣が主君の責任を問う事 はそもそもあり得ない話だろう
そんな絶対王政は、信長家だけでは無いのか?
715人間七七四年:2008/12/11(木) 19:51:19 ID:7PSLbQUL
ちょっw
普通に誰もが認識している事を何故長々と…w
716人間七七四年:2008/12/11(木) 23:10:51 ID:HI4BXB1w
敗戦や領内統治、人事の責を受けて家臣(に担ぎ上げられた世継ぎ)に
隠居を強要された戦国大名なんて珍しくないと思うけどな。
717人間七七四年:2008/12/12(金) 00:49:46 ID:m5FKdui8
家康は訳ありとはいえ、実の子に裏切られ、大坂の陣において豊臣方につかれてしまったんだろ。
家康が万が一の事を考え、徳川の血を絶やさない為にやったことかもしれないが。

信康も殺してしまった件といい、子供とトラブルがかなりあるようだな。




718人間七七四年:2008/12/12(金) 07:26:52 ID:dJV7wQZy
最晩年は女の子供が大好きでしたけどね>家康
もう添い寝しちゃうくらい
719人間七七四年:2008/12/12(金) 10:20:03 ID:0DyRhosv
千姫ともかー!
720人間七七四年:2008/12/13(土) 09:35:04 ID:Kd2ilss4
>実の子に裏切られ、大坂の陣において豊臣方につかれてしまったんだろ

これ誰?
721人間七七四年:2008/12/13(土) 10:43:57 ID:UCVgT/na
小笠原権之丞のことと思われ。
家康が手を付けた女を家臣の小笠原広朝に嫁がせ、
そして生まれた権之丞は小笠原家を継いだ。
まあよくあること。平清盛と同じような例だな。

六千石しかもらえなかったそうだし、松平も名乗ってないし、
そんな大した存在ではなかったんだろう。
722人間七七四年:2008/12/17(水) 19:10:07 ID:hczuhjfc
隠し子多いの?
723人間七七四年:2008/12/17(水) 19:53:19 ID:SWxcgxqg
>>722
確定かどうかはわからないけど
有名どころで
土井利勝
井伊直孝
は家康公の烙印説が

あと、未確認情報で鈴木一蔵、秀康弟(双子弟)、小笠原、その他もろもろ

まぁ、記録に残る正式な子供だけでも二桁こさえてるからありえない話ではないわけで
724人間七七四年:2008/12/17(水) 22:47:53 ID:tcumOucu
家光さえ家康と春日局の隠し子なんて説もあるくらい。
725人間七七四年:2008/12/26(金) 11:52:33 ID:9N4k4ZnZ
方々、本日は家康公生誕の日で御座るぞ。
毎年言って居るがw
726人間七七四年:2008/12/26(金) 12:20:04 ID:LOvSktzn
旧暦の十二月二十六日だけどね。
727人間七七四年:2008/12/26(金) 20:29:38 ID:xCtNk7fX
今で言うと、何日?
生誕450年祭りはこの時期だったような気が、、、(´・ω・`)
728人間七七四年:2008/12/28(日) 14:08:34 ID:QFPS+jH1
太陰太陽暦の一年は365日ではないので、
がっつり一致する日を見つけるのは面倒くさいことこの上ない。
グレゴリウス暦のように、閏年で一日増やして調整するような繊細なものではなくて、
閏月を入れて力業で調整するような暦だからね。
729人間七七四年:2008/12/29(月) 19:52:24 ID:VsLT4kH1
ではそれで由としておこう。
キリストだって他の日らしいしさw
730人間七七四年:2008/12/31(水) 00:35:39 ID:xZr4jjNz
1月30日だか31日だか聞いたことあるがな。だから実際には1543年生まれだとか
731人間七七四年:2008/12/31(水) 18:13:23 ID:iFijh86s
スレ的に本能寺滅亡後の家康公による
甲斐・信濃への版図拡大はどう思われるかな?
河尻への国人一揆を手引きした陰謀説もあるが
北条氏との争いにも勝利しているし
後の徳川軍にも影響を及ぼしている武田遺臣団取り込み等など
余り詳しい話し聞かないんですよ
732人間七七四年:2009/01/01(木) 17:59:36 ID:z264yIrP
>>727
今年は1月21日だね、カレンダーが正しければですけどw
733人間七七四年:2009/01/02(金) 01:41:36 ID:qdxVApwp
>>731
どーいうこと? 
734人間七七四年:2009/01/02(金) 05:27:09 ID:p6pZ4jRi
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

735人間七七四年:2009/01/02(金) 23:53:56 ID:w5vw9HMd
家康公は猿野郎は大嫌いだったけど北政所には好意的だったな
736人間七七四年:2009/01/03(土) 07:33:30 ID:VrzmJZlw
1576年に家康は叔父の水野信元を信長の命により殺している。
1579年に家康は息子の信康を信長の命により殺している。
1580年に林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝の3人が信長により追放。

水野信元は織田信秀の頃からの織田の同盟者であり家来では無かった。
それを殺し、その所領を佐久間信盛に与えている。
この頃には信長にとって同盟者などは不要となっていた。
家康に叔父と息子を殺させたのも、家来にするための踏み絵。
本能寺の変のさい、参加した兵は家康を殺すものと勘違いしていた。
信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
本能寺の変が無ければ死んでいたのは家康だったかもしれない。


737人間七七四年:2009/01/03(土) 10:30:11 ID:YUtvHRQw
女太閤記の家康良かったな
マッシブな雰囲気で
738人間七七四年:2009/01/04(日) 07:10:48 ID:eeIAyj3z
家康が各大名との婚姻政策で野心を露にしたとかいうのが小説やドラマでの
関ヶ原の流れですが、三成が先に三奉行と毛利輝元で起請文交わすとかいう
違反を犯していたとかいうのはマジですか?


739人間七七四年:2009/01/04(日) 22:15:08 ID:7mIzB6yh
スレ違い
740人間七七四年:2009/01/05(月) 18:21:47 ID:RfrDDSz+
徳川さんの家って安いですね
741人間七七四年:2009/01/05(月) 19:18:50 ID:sEL8JmtG
三成みたいな嫌われモンが、どうこう出来ないと思う。



>信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
仮にこれをやったら、全ての軍門に下った連中が
次々に離反するんじゃないか? 家臣はいざ知らず。



それにしても、大河は期待はずれっぽいなw
742人間七七四年:2009/01/06(火) 14:13:40 ID:JambI+Br
まだ1話だからなんともいえないぜ>大河
無理に信長と秀吉出さなくても、とは思ったがな
743人間七七四年:2009/01/06(火) 21:31:06 ID:UZrGhfSz
俺たちの家康がどんだけ嫌なやつに書かれると思うと気が気じゃないぜ(´・ω・`)
744人間七七四年:2009/01/07(水) 19:04:16 ID:BCKup+eZ
山岡家康→ほとんど神。家康贔屓から見てもさすがに苦しいくらい
司馬家康→老獪タヌキ。基本こきおろしてるが実力は評価されてる感じ
隆慶一郎家康→万能家康。ただし息子(秀忠)が割を食う。
池宮彰一郎家康→パクリとされてしまったが、凡人的に描かれる。
やる夫家康→やる夫の性格が強く出ている。凄まじく有能だが腹黒い家康。


他にあったら適当に追加してくれ
745人間七七四年:2009/01/07(水) 21:40:49 ID:+n8W2oTU
山岡家康はホント「うそーん」って感じたw
746人間七七四年:2009/01/07(水) 23:08:37 ID:ouII+qx3
山岡家康が描かれるまで、家康のイメージは相当悪かったと聞いたのだが
747人間七七四年:2009/01/07(水) 23:11:50 ID:5C3xs2lH
浜田麻里「FEARLESS NIGHT」
748人間七七四年:2009/01/07(水) 23:15:23 ID:MSjDsc0M
明治政府による情報操作もあったからじゃね?
明治政府を正当化する為に、徳川幕府を悪く言う…
どこの世界でも政権が交代した時に、古い政権を悪く言うのは当たり前だし
749人間七七四年:2009/01/07(水) 23:40:26 ID:BCKup+eZ
明治から終戦までは戦国の英雄は秀吉だったらしいからね
山岡で家康評価が上がって、時間と共に少しずつ下がり、
司馬遼太郎で更に下がり、大河ドラマでまた少し上がり・・・かな?
750人間七七四年:2009/01/08(木) 09:04:22 ID:SGJ9VxQG
ひたすら耐えるイメージは秀吉信長より
日本人自身が持ってる気質に合ってると思う
751人間七七四年:2009/01/08(木) 10:24:24 ID:ONjyKjfo
合ってるからこそ人気がその二人より低いのかも
752人間七七四年:2009/01/08(木) 12:17:03 ID:mccTmwMN
家康は派手さが無い武将だから人気が無いのは仕方ない。
ぶっ飛んだ逸話があるわけでもなし、常識人すぎてエンターテイメントの主役としてはいささか物足りない人物。

だがそこに痺れるぅ憧れるぅ
753人間七七四年:2009/01/08(木) 20:18:34 ID:6TE9oy+/
>>744
学研の漫画とやる夫のしか読んだことなくて、これから歴史物の家康を読みたいと思ってたので嬉しい
参考にして読み比べさせてもらうよ
やる夫家康でも大分キレイな家康って言われてたけどそれより山岡家康はスゴイのかw
754人間七七四年:2009/01/08(木) 23:24:50 ID:KXR5vdRX
こういう板にいるせいか
派手なイメージ・エピソードって捏造臭く見えてきてしまっている・・・
家康だってあの三方ヶ原のエピソードは面白いけどどうみても作り話
755人間七七四年:2009/01/08(木) 23:30:00 ID:AT3KbAcP
婆さんに追っかけられたってやつ?
あれってちょっとオカルト入ってるな。
756人間七七四年:2009/01/08(木) 23:40:09 ID:wN1jAw2z
いや空城の計だろ
757人間七七四年:2009/01/09(金) 08:16:07 ID:3PLdMfUP
いや漏らした件だろ
758人間七七四年:2009/01/09(金) 09:11:04 ID:3WrWGA7U
これは焼き味噌じゃ!
759人間七七四年:2009/01/09(金) 11:34:30 ID:gZnmlCCM
>>753
やる夫のやつは主人公というのと、やる夫本人のキャラクターが、
結構出てるからね。腹黒部分はあったが、かなり綺麗目に書かれていた。

山岡の家康を見た後なら、やる夫さえ真っ黒に見えるほど、
もう家康が仏様に見えてくると思う・・・w
まぁ、面白いんだけどね、なんだかんだで。
760人間七七四年:2009/01/09(金) 12:38:32 ID:4zS6ht4k
家康公の銅像は岡崎と浜松のは見たし、写真も撮った。
あとは駿府か。それと、東京にも一体あるみたいだね。
江戸幕府を開いて東京の基礎を作ったのだから、江戸(東京)にももっと
銅像があってもいいと思うが。
うーん、銅像ばっかりあってもしょうがないか。
761人間七七四年:2009/01/09(金) 15:08:14 ID:3WrWGA7U
原哲夫の書く家康(影武者だけど)は好きになれん、見た目的に
762人間七七四年:2009/01/09(金) 17:59:57 ID:gZnmlCCM
お前の言う原の家康が、
影武者かSAKONかで賛同するかどうかが決まる
763人間七七四年:2009/01/10(土) 02:20:42 ID:XignkjU4
>>760
形違うよね
まさか複製とか
764人間七七四年:2009/01/10(土) 02:36:56 ID:4bsGAC9e
各箇所の家康像
岡崎
ttp://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/ieyasuzo-okazaki.html
浜松
ttp://www.sight-seeing-japan.com/3-chubu/shizuoka/hamamatsujo4.jpg
静岡(駿府)
ttp://kainalu96815.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21
東京(江戸・皇居)
ttp://takuya19721104.travel-way.net/IMG_0084tsukiji1223.JPG

全部違うね
ただ、共通する所は浜松を除いて晩年の家康って感じがする
765人間七七四年:2009/01/10(土) 09:35:38 ID:o1efvKRa
>>762
ごめんどっちかわからないけど、細身でシブイオヤジの家康が嫌だった
766人間七七四年:2009/01/10(土) 11:51:02 ID:5ZZ9wNFz
>>765
たぶん影武者

SAKONは、影武者徳川家康を原作に島左近を主人公にした原の漫画。
影武者の家康は田舎オヤジで太ってて忍術の達人になってる
767人間七七四年:2009/01/10(土) 13:36:10 ID:Ly61Pytz
影武者の方は、きれいなイエヤス
768人間七七四年:2009/01/10(土) 15:37:55 ID:jH4zqTw+
まあずっと老けない慶次郎や左近に比べればw

ついでに花の慶次ではアミバだった三成もなんかトキに進化してるしw
そんかわし秀忠がすげー小悪党化してて可哀想だった。
SAKONでは同じ悪党でもラスボスの大物っぽい感じに
なってたはずなのに最後の方で六郎に襲撃されて涙目だったし
作者は秀忠になんか恨みでもあんのか?w
769人間七七四年:2009/01/10(土) 21:30:41 ID:J79Xp996
>>764
やっぱり家康は晩年に活躍したから、晩年の印象が強いんだね。
まあ、岡崎の岡崎公園には晩年の銅像以外にも、松平元康の馬に乗った像と
三方ヶ原の戦いのあとの肖像画をもとにした石像の合計三体あるね。
770人間七七四年:2009/01/11(日) 21:45:19 ID:83V2K6yK
鬼半蔵と槍半蔵が紛らわしい。
どちらも槍の名手っつーことで。

対比させるなら鬼半蔵と仏半蔵とあだなをつけるとかならんかったの?
771人間七七四年:2009/01/12(月) 12:24:14 ID:7QMsKtIb
どっかの小説で
渡辺半蔵と服部半蔵をごっちゃにしてるやつがあってだな
772人間七七四年:2009/01/12(月) 12:41:48 ID:c5QzNWCa
しかもこの二人、同い歳だったりする。
世代的にも、混同するなという方が無理だろ。
773人間七七四年:2009/01/12(月) 14:34:20 ID:kjlEOtqe
なんかのTV番組で、
服部半蔵は槍半蔵ともいわれ槍の名手だった〜なんて解説が流れてたときには
米吹いたw
774人間七七四年:2009/01/12(月) 22:05:06 ID:7QMsKtIb
浅井長政と浅野長政
上杉謙信と上杉景信
775人間七七四年:2009/01/12(月) 22:10:30 ID:odjon4/f
長尾景虎と上杉景虎
776人間七七四年:2009/01/13(火) 17:50:13 ID:WWgbKuOq
>>713
君は歴史を流れで捉えられてないよ。そもそも家康が豊臣「家」の「家」臣だった
なんて事実誤認もいいとこ。
なんと明治維新まで大宝律令が公式の法律として生きていた日本と言う極めて特殊な
社会の中で武士=非合法な在地地主が実質的に国政を行うために考え出されたのが幕府政治。
これは征夷大将軍という非常任の臨時役職が「戦地での兵糧調達」「遠征先での募兵」という
徴税・徴兵権=当時の政治行為を行うことが可能なことを利用しての超変則政権。
正に法の網の目をかいくぐったような方法。
そしてこれならば全ての武家が将軍「家」の「家」臣であるとの強弁も一応成り立つ。
ところが秀吉はその方法をとらなかった(とれなかった)。ここに豊臣政権のアキレス腱、弱点が
あったわけだ。
関白も征夷大将軍と同じように非常設の役職である。
つまり昔の征夷大将軍と同じように家ではなく個人に与えられる役職。
藤原摂関家も「世襲」はしていない。親子して関白になることはあっても、
将軍のように親が亡くなれば自動的に息子が関白、という前例は無い。
あくまでも親と同じように出世を重ね、到達する位にすぎない。
秀吉が関白政治を将軍政治に変わるものと位置付けたければ、この世襲性をこの役職に
持たせる必要があったが、秀次殺害で自らその道を閉ざし「関白空位」の状態を作ってしまった。
この時点で世襲性アウト。秀頼が成人して関白に補任される必要性も正当性も失ってしまった。

さらに重要なのはこの関白という役職は律令体制の上に位置するものであり、
そういう意味では内大臣家康も大納言利家も上司部下の関係でしかなく、
家臣などという概念とは程遠いものだ。

事実関係はともかく、家康には「秀吉に対し天皇を頂点とした政治に部下として
協力は約したが豊臣「家」の私的家臣になった覚えはない」という言い訳をする余地があった。
事実関が原〜大阪の陣に至る経緯の中で、家康に対し「太閤との約束違反」を咎める批判はあったが
明智光秀に向けられたような「不忠者」といった批難の世論の形成はついぞない。

結局は秀吉が世襲可能な政治体制を構築できなかったのが全ての原因。
777人間七七四年:2009/01/13(火) 17:57:54 ID:DSvBYujB
777げっと
778人間七七四年:2009/01/13(火) 18:55:42 ID:3l4J/boo
長くて分からん
779人間七七四年:2009/01/14(水) 19:07:29 ID:puEmo8u0
>>776
さすがに長すぎると思うんだ
780人間七七四年:2009/01/15(木) 00:20:03 ID:cUeXNYwa
誰かが5行でまとめてくれるのを待つw



>>775
同一人物じゃないの?
781人間七七四年:2009/01/15(木) 00:28:07 ID:EVJtJNaL
>>780
上杉景虎は上杉謙信(長尾景虎)の養子
一応義理ではあるが、親子であって同一人物ではない
782人間七七四年:2009/01/22(木) 13:03:29 ID:2E5J0D7+
じゃあ謙信は一瞬でも上杉カゲトラに成った事無いの?
783人間七七四年:2009/01/22(木) 13:51:55 ID:ibk3r36e
山内上杉の当主になったときに改名してる筈だから。
784人間七七四年:2009/01/22(木) 16:02:15 ID:41gWkWZl
>>781
「長尾景虎」→上洛、将軍義輝に拝謁、輝の字を賜う→「長尾輝虎」
→上杉家の名跡と関東管領就任の勅許→「上杉輝虎」→剃髪入道し不職庵謙信と号す
→通称「上杉謙信」って順番だから。
785人間七七四年:2009/01/22(木) 22:02:14 ID:e7hEId3l
まだやってたの・・・
786人間七七四年:2009/01/23(金) 05:01:44 ID:eeP5uVt3
徳川さんの聖地が世界遺産になったことわ
まっこと誇りに思うわけですが なんともはや嘆かわしいことで・・・

YouTube −「日光]Nikko栃木県で、世界遺産と水源汚染と開発暴力が見える〜〜
http://jp.youtube.com/watch?v=cyqoC6TgIZU
↑ 欠陥スウェーデンハウスも見えて嘆かわしいことで

787人間七七四年:2009/01/23(金) 06:18:34 ID:Su9yXDFP
上杉謙信が上杉景虎と名乗った時期はまったくない。
長尾虎千代(幼名)、長尾景虎、長尾宗心(一時入道する)、長尾景虎(還俗)、
上杉政虎、上杉輝虎、上杉謙信(出家)の順番で改名。
自身が謙信と改名した時に、北条からの養子を上杉景虎と名乗らせた。
788人間七七四年:2009/01/23(金) 11:29:06 ID:rwkbR8mN
北条と同盟してたのかよ! 知らなかった。
789人間七七四年:2009/01/23(金) 22:47:43 ID:72ZqeIlv
スレの方向として正しく書くと

北条氏直と家康の娘が婚姻していた
790奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/23(金) 23:10:50 ID:LwTSO6Pg
その中古娘が嫁ぐのが・・・
791人間七七四年:2009/01/25(日) 15:51:14 ID:qQ2bJ7Gc
>>788 余り役に立たない同盟だな…。
上杉は、関東管領として、関東の秩序を旧に戻そうとして、
愚にもつかん?関東出兵を繰り返してるし、

北条は、その関東の完全制覇を狙って行動してるから、
どう考えても、両家の利害関係が一致しないと思うが…。
792人間七七四年:2009/01/25(日) 21:14:06 ID:GOC0mwFo
関東平野を巡る利害じゃなくて、
甲州武田閥を共通の敵とする利害に一致を見たんだよな。

元は今川-北条-武田の三国同盟というのがあったけど、
今川が氏真の代になってから武田が今川領への野心を剥き出しにして侵略し始めた。
つまり、武田が盟約を破ったことで三国同盟が無実化し、
北条にとっては今川領を武田に獲られるのが面白くないから、武田と対立。
上杉とは全面戦争するより、武田に好き勝手させないよう一緒に横槍入れようぜ!
と同盟を結ぶという急展開だったとか。
793奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/25(日) 21:48:09 ID:q7hUdKUb
織田が西にばかり延びていくので、どうしていいのかよく分からない。
徳川は全く動かないから、対応を考えるのにとっても悩む。
このあたりが正解に近かったのだと思う。
794人間七七四年:2009/01/27(火) 23:48:58 ID:WBVbZWTz
家康公って今生きてたらディープなミリタリーオタになりそうな人な気がする。
795人間七七四年:2009/01/28(水) 10:10:01 ID:hw3vsTd1
いい年してモデルガン手に忠勝とかとサバイバルおいかけっこしてそうだw
なんかそういう同好会あるよね
796人間七七四年:2009/01/28(水) 12:59:25 ID:+eHk2E6N
丹念の為であって、趣味じゃあないだろう?
その辺は後家と同じだ。
だからこそ御三家は、晩年の本当に好みな側室の子なんじゃないの?
真ん中あたりの子供は、政略結婚が多そうだし。
797奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/28(水) 22:10:51 ID:NVgyZPLz
長男信康以外に有力な外戚になり得る人物がいないのは特徴。
798徳川様親衛隊隊長:2009/01/28(水) 23:42:11 ID:wbXczDyM
徳川様を慕う同士たちよ!
ここは良スレだな・・・・
神様である徳川様について語れるとは・・・・・・・・・・
江戸時代を馬鹿にし、明治以降をほめるヴァカクズがおおいこの平成にまだ同士がいたとは・・・・
我は感動しましたぞ!
799奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/28(水) 23:50:21 ID:NVgyZPLz
帰れ新左翼。
800人間七七四年:2009/01/29(木) 09:01:16 ID:JYWVzgPg
三河三河というが
俺たち遠州人も支えてたんだぜ
忘れんなよ、家康!
801人間七七四年:2009/01/29(木) 09:44:20 ID:4Yrv2UTf
>>800
筆頭格の井伊さんですか?
802人間七七四年:2009/01/29(木) 16:18:04 ID:LNx2Qqzu
阿茶の局に息子が居たら、有能な人材になりそうだよな。
803人間七七四年:2009/01/29(木) 16:45:01 ID:xd3vh/0B
阿茶は流産してるはず。
しかも家康が戦場に連れ出すなんて無茶なことをするから・・・。

小牧長久手や大坂での休戦調停にも携わるくらいの才女だから、
手元においてブレーンとして活用したいのはわかるけど。
804徳川様親衛隊隊長:2009/01/29(木) 23:34:58 ID:8rm/NpPQ
>>799
俺は小学生なんで左翼とか右翼とかではありませんよ
純粋に徳川家が好きなだけです
もちつきましょうよwww
805奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/29(木) 23:46:50 ID:Quri62SV
夜中に餅突きは遠慮する。
806人間七七四年:2009/01/30(金) 13:54:33 ID:NMLulVsz
阿茶と茶阿も紛らわしいよな
807人間七七四年:2009/01/30(金) 16:40:52 ID:EML0uLfA
はじめ見たときは、
その本の著者の勘違いか、誤植かと思ったもんだぜw
808人間七七四年:2009/01/30(金) 23:32:31 ID:bYIiQ3Ih
似た名前の側室が二人いるって事だよね?
どっちのが若いの?
809人間七七四年:2009/01/31(土) 01:54:12 ID:FV44yymi
確か阿茶の方が若かったような
810いわん:2009/01/31(土) 04:52:57 ID:toUe5tdY
只今です。忠だりーです。昨日は伊賀越えか何かでした。長州は芸が細かい。スタンドプレーは控えようと思います。今日からDo it yourselfで行こうと思います。宜しくお願いします。
811いわん:2009/01/31(土) 04:57:24 ID:toUe5tdY
吹上の会計事務所の面接受けました。月曜日に結果がわかります。吉宗公のご実家のすぐそばです。ジョブカフェの親分は信長公の家来で南海バスの元社長です。
812いわん:2009/01/31(土) 05:51:26 ID:toUe5tdY
今日の竜宮城は忠勝先祖がご登場。なんかチョー強そうなんですけど…。
813いわん:2009/01/31(土) 05:53:51 ID:toUe5tdY
民主主義は死ななくていいからラクでよいなだって。
814いわん:2009/01/31(土) 05:55:54 ID:toUe5tdY
ちゃんと黒い鎧着て正装してますけど。僕もスーツ着なきゃ。
815人間七七四年:2009/02/01(日) 12:46:31 ID:pCVwVQqt
>>808
お万はふたりいる。
秀康の生母
頼宣、頼房の生母
816人間七七四年:2009/02/03(火) 23:22:33 ID:HWGD4zzq
信長も秀吉もすごかった。

家康はそのおこぼれをいただいただけって認識。

それも充分すごいんだけどね。
817人間七七四年:2009/02/04(水) 19:11:28 ID:rxDZ8f6p
本当におこぼれとか思ってるのかw


>>804
小学生で家康公の偉大さを理解するとは素晴らしいな。
昔の私のようだw まあ信長から鞍替えして十数年だがw
818人間七七四年:2009/02/04(水) 19:45:02 ID:ov4IDqz6
家康公が天下人になれたのはおこぼれだと言う人を見るといつも思うんだけど、
日本て無能でも簡単に出世できる国だと感じるか?
というか自分の国を軽く見すぎだし、
まして動乱の時代になにもせずに、いい役職にありつけるなんてありえない。
まして天下人だぞと思う。
819人間七七四年:2009/02/04(水) 20:02:01 ID:oJOvtkja
家康の晩年の動きを見ると
ものすごい周到な根回しをしてるのが分かる
棚ぼたと思ってるなら・・・ゲームしかやってんないんじゃないのかとww

もしもの話はしたくないが
もしも秀吉が長く健在だったら違ってたとは思うけどね
秀吉存命中に秀頼が成人しちゃったら豊臣側は結束してたと思うから
820人間七七四年:2009/02/04(水) 20:08:28 ID:nG19KT9i
おこぼれかどうかと、有能か無能かは別じゃないかな?
821人間七七四年:2009/02/04(水) 22:57:32 ID:6iegfXEo
家康がおこぼれなら他の連中はおこぼれにも手に入れられない間抜けだったということだろ
戦国時代は間抜けばかりが何千万人もいる時代なのか?
822人間七七四年:2009/02/05(木) 09:29:35 ID:iwg8Lrke
戦国時代の武士は何千万人もいなかったからw
823人間七七四年:2009/02/05(木) 18:39:10 ID:pWUeVcE9
なんでいきなり武士限定の話にしてんだ?
824人間七七四年:2009/02/05(木) 18:57:11 ID:6DE5uLNX
いくらまったりスレだからってそんなに釣られんでも
贔屓の人が多そうなスレにわざわざ来て「でも俺は評価低く見てるけどね」なんて普通言わないでしょ
825人間七七四年:2009/02/05(木) 20:09:37 ID:T6Ovs02x
おこぼれって言葉が嫌ならば運がよかったって言えばいいのかな。

家康は優秀な人物だけど、
織田よりも秀吉よりも優れていたと思うか?
826人間七七四年:2009/02/05(木) 20:16:43 ID:5kOYnTvH
>>825
組織構築能力は二者よりも優れていたと思う
827人間七七四年:2009/02/05(木) 20:52:26 ID:T6Ovs02x
>>826
そりゃ400年も続いた時代の基礎を作った人だからね。

家康は、
織田信長や豊臣秀吉がいなければ天下をとれなかった人だし、
織田信長や豊臣秀吉がいたら天下を取れなかった人だとも思う。
828人間七七四年:2009/02/05(木) 20:56:17 ID:5kOYnTvH
>>827
まぁ、家康は天下が取れたから取ったんであって、
取れなければそれで良いという人ですから
829人間七七四年:2009/02/05(木) 21:00:06 ID:dYX7pPZe
>>827
お前の言っていることは『ニュートンがいなければアインシュタインは
ありえないからニュートンのほうが偉大である』レベルのトンデモだよ
馬鹿馬鹿しい。

時代と情勢に応じた役割と機というものがあって、それに乗じるものを
英雄と言う。その時成し得る最大成果を達成した以上、だれそれよりも
優れているのどうのと言う仮定は意味も価値も無い。
830人間七七四年:2009/02/05(木) 22:39:50 ID:dtU/YQH0
歴史的評価なんて時代によって変わるしな、今川義元なんか桶狭間のせいで評価落とされてたし。
831人間七七四年:2009/02/05(木) 23:23:56 ID:pZuZBvEr
>>827
豊臣秀吉がいなければ家康はもっと早く天下を取っているし
織田信長や豊臣秀吉がいても二人とも失敗して破滅したから天下を取った
君のは単なる言いがかりに過ぎないな
832人間七七四年:2009/02/06(金) 14:14:21 ID:0gcHU52a
当たり前の話なんだがその人の有能さ優秀さと結果は必ずしも一致しないよね?
優秀でなければ「英雄」と呼ばれるような事跡は残せないけれど、優秀だからといって
皆が英雄になれるわけでもない。むしろ英雄と呼ばれる人たちよりも優れた能力を持ちながら
結果を残せなかった人のが圧倒的に多いわけで、秀吉・信長・家康の誰が最も
「能力が高いか」なんて全く意味の無い話だ。オバマとブッシュどっちが優秀か?なんて考えるか普通。
悪いけど完全にゲーム基準だわそれw

結果から言えば家康圧勝でしょ。信長は1代を全うできず秀吉は2代目につなげず
家康は15代。新しい政治システムも完成させ「機能」させた。
個人の能力がどうかなんてわかるわけないし興味もないわw
833人間七七四年:2009/02/06(金) 18:29:45 ID:6axbUUKu
>織田信長や豊臣秀吉がいなければ天下をとれなかった人だし、
信長居なけりゃ、今川家の天下で参謀に成ってたんじゃないの?

>織田信長や豊臣秀吉がいたら天下を取れなかった人だとも思う。
架空の人物って説は、多分初耳だぞ!


>取れなければそれで良いという人ですから
大河のせいで上杉家と徳川家、どちらが報いる家なのか、
最近そればかり気になってるが、各々方はどう思われる?


「生類令」出しても揺るがなかった組織を作った
って思ってたけど、↑の評価も変わってるんだよな。殺しが減ったってさ。
834人間七七四年:2009/02/07(土) 00:25:36 ID:lJzuTwFe
>>833
>大河のせいで上杉家と徳川家、どちらが報いる家なのか
意味がよくわからん
家臣に報いるなら天下とってやった徳川家の方が断然家臣の労苦に報いている

>「生類令」出しても揺るがなかった組織を作った
後世に面白おかしく書きたてられているが実際の「生類令」はただの動物愛護令に過ぎん
揺るぐもなにもないよ
835人間七七四年:2009/02/07(土) 11:22:32 ID:3CE3gLy+
>>833
織田を首尾よく潰しても、それ以外の大名家も健在なんだから
そんな簡単にはいってないと思う
ああいう時代だから同盟もいつかは終わって戦闘状態に入って戦乱が続いただろうし
本当に先は読めないよ
836人間七七四年:2009/02/07(土) 23:13:08 ID:ZCSPbE8c
>>829
全くもって賛成。
2ちゃんにはゲーム脳や妄想家が多すぎて困るw
三者三様にそれぞれの役割を果たし良くも悪くも歴史に大きな影響を残した三傑に甲乙つけがたく皆日本史に輝く破格の英雄に違いない。ただし現代風に会社経営や競争社会に置き換えるならば家康の成績?が最も優れてるのは客観的に見て当然。
837人間七七四年:2009/02/08(日) 09:22:37 ID:byiCMJWw
本当のとこ家康がすごいのか家臣がすごいのか?
例えば忠勝、直政がいなければただの狸のような
やはり信、秀、家達は家臣に恵まれたとこがある
838人間七七四年:2009/02/08(日) 10:11:53 ID:2JpKXwmM
>>837
優れた指導者は部下をうまく育て、うまく使う。
ワンマンな指導者が作った組織は、たいがい二代目三代目でつぶれる。
839人間七七四年:2009/02/08(日) 10:50:40 ID:QDFug2Us
それは、今の金融危機と一緒だろうな。
たまたまイケイケが続いただけ。
バブルに乗らなかった無能経営者が、
バブル崩壊して全く逆の評価になる。

たった10年のスパンで見たら、どっちが優秀かは歴然。
840人間七七四年:2009/02/08(日) 10:57:35 ID:L9fzXIAb
家康は位置取りがうまかった。
天下をとる強引さは信長秀吉のほうが優れていた。
そういう意味では運が良かったとも言えなくもない。
でも天下をとったあとの行動は家康のほうが一枚上。

家康が嫌われるのはおそらく謀略的な面だろうけど、
それでも粛清は大事なことなんだな、と徳川や高祖の件から学んだ。
841人間七七四年:2009/02/08(日) 12:41:52 ID:VRkpI0bi
>>840
家康は粛清なんてたいしてやっていないよ
信長や秀吉の方が粛清は積極的にやっているし
粛清のやりすぎで組織が崩壊していった
842人間七七四年:2009/02/08(日) 17:45:44 ID:BMB37VSn
徳川家家臣は平八郎や直政や勝成みたいな猛将たちでも文官仕事が及第点どころか
有能なのが多かったし、家康に対して損得抜きで忠誠向けてましたしね。

信長や秀吉だと、能力主義偏重が逆に祟って、どこの馬の骨とも知れないものが家臣になって
信用できず、ミスした者を容赦なく切る姿勢が仇になった部分もありますし。
843人間七七四年:2009/02/08(日) 18:33:54 ID:fSZ62X7G
最近は戦国ブームで徳川家康人気も復活してきたなと思ってたら、
ヤフーの好きな武将ランキング下位のほうでガッカリ・・・・
江戸時代は日本のためにも評価するべき時代だと思うんだけど、
一般的には違うみたいだね。
844人間七七四年:2009/02/08(日) 18:37:57 ID:sbW/1nO+
仮想小説とかでも悪役設定のが多いしな
845人間七七四年:2009/02/08(日) 18:43:19 ID:0cnUKqD3
人物の評価と人気は別ってことじゃないか?
頼朝もいまいち人気ないし・・・
846人間七七四年:2009/02/08(日) 18:52:23 ID:fSZ62X7G
>>845
源頼朝、足利尊氏、徳川家康
成し遂げたことから武家の御三家と言ってもいい三名が一般人気ないんだよなー。
源義経、楠木正成、織田信長のように悲劇的な最後がなければ文学には成りがたいのかもね
御三家も若い頃は相当苦労して修羅場くぐってるんだけど
847人間七七四年:2009/02/08(日) 19:12:45 ID:0QBILhmb
成功者ってこともあるけど
徳川家康は家臣も地味だし人気がでないのは無理ないかもな。
まあ功績と人気は別物ってことで。

あと、日本のためにも評価すべし とか意味わからんな。
848人間七七四年:2009/02/08(日) 19:23:09 ID:fSZ62X7G
>>847
統治の仕方など参考になるところはいくらでもあると思うが?
849人間七七四年:2009/02/08(日) 19:32:17 ID:0QBILhmb
>>848
歴史なんだから江戸時代関係なく
参考になる部分は参考にしているでしょ。

それとは別に、日本人なら江戸時代を誇れ、みたいなニュアンスで語ってる人が
徳川家康関連のスレでたまにみるからさ、それはどうなんだろうって意味ね。
850人間七七四年:2009/02/08(日) 20:12:45 ID:T/xpjx1P
自分は家康が好きだが日本国民がこぞって
「家康!家康!」
と持ち上げ始めたら好きじゃなくなる気がする
851人間七七四年:2009/02/08(日) 20:31:32 ID:fSZ62X7G
>>849
どの時代でも参考に出来るところはしようという意味だよ。
日本人だから日本の歴史から学ぶのが良いという観点から言ったまでで他意はない。
852人間七七四年:2009/02/08(日) 22:24:43 ID:/0/KTEd3
>>846
どの人も日本史に輝く英雄なのに判官びいきと、倒幕時や帝國主義政府に擦り込まれた国民意識なんかが影響してるんだろうね。
三人とも天皇と争ってるし。家康にしても朝廷をかなり抑えこんで圧力かけてるし。本当は皆それぞれ凄く魅力的な人物なのに。
頼朝の家来を罵倒する手紙なんて人間臭くて最高だし
853人間七七四年:2009/02/09(月) 00:24:24 ID:jaNn/lZF
でも頼朝は本当に陰険ぽかったからどうもなあ・・・
それに比べたら家康は全然まともと思う
そうでなければあんなに家臣はついてこないから
尊氏は良く知らない
854人間七七四年:2009/02/09(月) 01:10:08 ID:9+HR7X49
それなら頼朝にもついてこんだろw
頼朝なんて一寸の土地も持たず将軍なってんだから、政治家として公正公平だったから関東武士に祭り上げられた。
尊氏は家康や頼朝に比べると詩人型で、割合長短がハッキリして人間臭いタイプ。

855人間七七四年:2009/02/09(月) 01:54:43 ID:t8cRJLb0
まあ江戸時代再評価の流れはこの先ずーっと続くだろうからな。
最近の変な戦国時代ブームでの武将人気とかはどうでもいい
856人間七七四年:2009/02/09(月) 07:57:45 ID:IzsDFj3C
尊氏は人気でないな。朝廷にうまく使われた感じで
室町の終わりも情けない

家康、徳川は十分人気あると思うけど
857人間七七四年:2009/02/09(月) 09:38:11 ID:6H9+Vfrp
尊氏も調べてみると魅力たっぷりだよ。
個人的な感想だと優柔不断のような気がするけど弱い部分や情けない部分がかえって英雄を引き立たせる。完璧な人物に魅力を感じないヲレ。
858人間七七四年:2009/02/09(月) 14:40:27 ID:gCEUhQS5
頼朝は軍事面の実績なし
尊氏は直義と二人三脚
家康は優秀な家臣にも恵まれたが全部自分でやった
859人間七七四年:2009/02/09(月) 16:33:15 ID:7k7U1tXr
>>857
恐らく完璧な人物というのはいないんだろうけど、
政権を築き上げるほどの人物になれば、
威光に比例して欠点も世間に知れ渡るから。
余談だけど戦国時代に完璧に近いとイメージするのは蒲生氏郷
860人間七七四年:2009/02/09(月) 17:57:37 ID:YOjH+ncJ
>>831
>豊臣秀吉がいなければ家康はもっと早く天下を取っているし


家康は秀吉の天下を盗んだけど、群雄割拠の時代に単独で天下を取れるだけの
バイタリティ、経済力、組織力、外交力があったかな?
861人間七七四年:2009/02/09(月) 18:22:59 ID:TZW2tFuG
単純に他に魅力的な人物が多かっただけだろう
頼朝の時は天才義経がいたし、尊氏の時も天才正成がいたし、家康の時も天才信長がいたし、大久保の時も西郷がいたし
862人間七七四年:2009/02/09(月) 18:31:42 ID:4+JbAcj1
家康のみ天下盗んだとか言う形容自体がおかしい。
なるべくしてなったというのは秀吉信長とて同じ事。
西三河の小さな領主として独立して自力で頑張ってきたんだから。
863人間七七四年:2009/02/09(月) 18:44:14 ID:72UBdfMu
天下人になったのは紛れも無い事実だからな、やっぱ凄い人だよ 
他の武将達も十分凄い人達ばかりなんだけどね
864人間七七四年:2009/02/09(月) 19:00:38 ID:Map8Xwvt
盗んだというと表現は悪いが、家康と徳川幕府が豊臣政権の様々な政治的遺産を
引き継いでいることは事実。

極端なことをいってしまえば、全ての武士は武家政権の執政者に臣従する、という
ことだって、日本史上初めて成し遂げたのは秀吉。
865人間七七四年:2009/02/09(月) 19:00:47 ID:P0zj8XS9
すごい武将たちを使い切れなくて沈んだ大名家はたくさんある
いい例が隣の武田
そういうことを考えても家康はGJ
866人間七七四年:2009/02/09(月) 19:31:47 ID:6H9+Vfrp
>>861
ちょっ、お前…
天才正成って本気で言ってんのか!?ww
867人間七七四年:2009/02/09(月) 19:43:01 ID:TZW2tFuG
>>866
ちょお前・・・正成がいかに凄い武将か知らんの?w
南北朝時代になったのは正成一人が居た為といっていい人物だぞ
868人間七七四年:2009/02/09(月) 20:41:02 ID:YOjH+ncJ
俺が言いたいのは、家康が盗んだかどうかではなく、本能寺以後に家康は単独で天下取る実力があるかどうかだよ
869人間七七四年:2009/02/09(月) 20:48:05 ID:2tkzUcnH
ないよ。
人類の発生以来、部下ももたずに単独で天下を取れた可能性のある人物なんていない。
870人間七七四年:2009/02/09(月) 20:55:03 ID:FEBfZZ3/
>>861
ちょっ、お前・・・
西郷みたいな糞が魅力的って本気で言ってんのか!?www
871人間七七四年:2009/02/09(月) 21:04:45 ID:FEBfZZ3/
小学生の考え方では家康公等の徳川家の方々・江戸幕府と徳川家や江戸幕府にみかたした方々(徳川四天王様等)が神となる
872人間七七四年:2009/02/09(月) 21:11:55 ID:7k7U1tXr
単独ってなんだよ・・・・
織田信長なら単独で天下とれるとかそういうこと?
信長の場合だって平手政秀がいなかったら・・・とかさ、
それに織徳同盟では織田側も相当に恩恵受けてる。
単独だなんだのは、どの人物でも言いだしたらきりがないよ。
873人間七七四年:2009/02/09(月) 21:51:55 ID:TZW2tFuG
頼朝=武家政権を作り、武家の権益を守る怜悧で老獪な政治家
義経=天才的な戦術を駆使し平家を幾たびも華麗に破る、人情もろく無類のお人好し

尊氏=後醍醐天皇側に付き北条を討つ、その後気前の良さで武士の心を捉え、北条に代わり武家政権の代表者になる
正成=1000人未満の手勢で一人奮闘し、鎌倉幕府をついに覆し倒幕を成し遂げた戦略の天才、5万の幕府軍を1000人で防ぎきる戦術の天才、三国志演義における諸葛亮並みの智謀と義をリアルに兼ね備えた人物

家康=忍耐強く、老獪で地味で物学びが好き、危険な事は一切避ける
信長=桶狭間から始まり、混乱絶後の戦国時代をほぼ収拾しその後の道を形付けた天才うつけ
874奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/02/09(月) 23:27:56 ID:+/e0u0ai
足利の台頭は結果として北条一門内のクーデターにすぎない。
875人間七七四年:2009/02/10(火) 00:35:48 ID:ZIg1MZx7
>>867>>873
ちょっ、
お前完全ゲーム脳か小説脳だよ…w
思わず吹いたww
正成は確かに歴史に名を残したけど典型的な判官びいき。一地方の局地戦で活躍しただけであって歴史に多大影響を与える程でもない。
お前なようなゲーム厨にも分かりやすく言うならば秀忠を食い止めた真田に過ぎない。帝國主義政府に祭り上げられた典型的な人物
876人間七七四年:2009/02/10(火) 00:54:53 ID:6iPHunyW
>>860 >>864
秀吉は各地に大大名を温存したまま妥協を積み重ねたうえで自分のカリスマ性で政権に見せかけていた
本気で統一政権の土台を作るなら関が原級の戦いをして毛利や上杉といった地方豪族の領地を削っていかなければならない
そういうバイタリティがあったのが家康、なかったのが秀吉
877人間七七四年:2009/02/10(火) 01:34:36 ID:yZxFUoYm
>>875
歴史をまったく知らないゲー無能w
正成が単なる局地戦って?戦略というものを知らない馬鹿ですかw

後醍醐天皇は自ら何度も挙兵し、全国の武士に倒幕に立ち上げるよう呼びかけ失敗し鎮圧されてる。
最初に倒幕の火を放ったのは後醍醐天皇だが、鎌倉幕府は強大で尊氏も全国の武士も幕府に不満を持ちながらほぼ幕府に黙々とついてる。

その後醍醐天皇が放った火を保ち続け、それを大火事に変えたのが正成。

正成とともに他で挙兵した連中は、幕府の大軍になすすべなくあっという間に鎮圧されてる。

唯一正成だけが残り幕府の大軍を一手に引き受け、戦い続けるうちに幕府の力を見限るものが続出し、尊氏など後醍醐天皇側に付く全国の武士が続出した。

倒幕後も後醍醐天皇の親政が失敗し、尊氏が全国の武士の支持を得て京に大軍を率いて上洛してくるのを何度も破ってる。
878人間七七四年:2009/02/10(火) 01:42:59 ID:ZIg1MZx7
>>877
ちょっ、
お前本当に…w
何を読んでそんな事を?
まさか太平記じゃ…ww
879人間七七四年:2009/02/10(火) 01:55:25 ID:ZIg1MZx7
>>877
南北朝時代の代表的な古典太平記、難太平記はほぼ全項にわたって南朝寄りに書かれてるし存在のハッキリしない人物なども出てきて資料的価値はかなり低いってのが近年歴史家の定説だけどw
あくまでも三国志演技レベル読み物なのはハッキリしてるんだがw
妄想ゲーム脳はそっくりお前に返しますww
880人間七七四年:2009/02/10(火) 03:36:22 ID:yZxFUoYm
これは無知丸出しだなw

まず正成は梅松論でもちゃんと評価されてますが?
太平記は文学だから当然100万の大軍だの誇張もあるが、三国志演義のような大衆向けの作品じゃないですからw

太平記は他の資料との比較にちゃんと使われてる。
881人間七七四年:2009/02/10(火) 07:34:27 ID:Rm2mxguN
どうでもいいから該当スレでやれ南北厨ども
882人間七七四年:2009/02/10(火) 07:56:19 ID:ZIg1MZx7
>>880
これは痛いw
梅正論は逆に北朝寄りに書かれ太平記同様、資料的にはレベルが低いとどの歴史家も言ってるがw
恥知らずの無知丸出しww
883人間七七四年:2009/02/10(火) 08:40:03 ID:WdpgTI0+
スレタイも読めない馬鹿がいる
884人間七七四年:2009/02/10(火) 08:48:01 ID:qmwGj648
昨日からあぼ〜んばかりだな
885人間七七四年:2009/02/10(火) 16:55:43 ID:3fyOaunO
徳川家康公がお札の顔になってもいいのにな
886人間七七四年:2009/02/10(火) 17:28:41 ID:MrgImfhU
なってもおかしくないとは思う。
鎌倉〜江戸の武家政権期の人物で肖像になってるのは二宮尊徳だけってのはさすがにおかしいよね。
887人間七七四年:2009/02/10(火) 21:11:11 ID:EjBs8hwT
武家だからこそお札にはならないんでしょ。
江戸なら上杉鷹山のほうがお札に近いわな。

ところで天下を統一した人間でお札になった人っていたかな。

888人間七七四年:2009/02/10(火) 23:18:26 ID:79Ka8S+D
>>882
太平記すら読んだ事が無いのが良く分かるw
つか南北朝時代そのものをしらんだろ?

どの歴史家がどう具体的に言ってるの?南北朝時代の資料は戦国時代より良質な一次資料多い。
太平記を後世に金儲けの為大衆向けに作られた三国志演義といってる時点で恥ずかしいレベルw

いつまでも知ったかはよしとけw
889人間七七四年:2009/02/10(火) 23:58:58 ID:wSJspMNg
文化人は色々と無難だからな
890人間七七四年:2009/02/10(火) 23:59:05 ID:37xIYn4Y
三河の生せんべいには家康公の逸話がついてます。
甘くておいしいです!!
891人間七七四年:2009/02/11(水) 09:07:25 ID:QTzz5OLN
>>888
スレ違いもわからない粘着バカはあっちへ逝ってください
892人間七七四年:2009/02/11(水) 21:32:26 ID:C9jvJlfD
家康公って南蛮鎧集めるの好きだったの?
かなりの武具コレクタだったとか・・・。
893人間七七四年:2009/02/12(木) 10:08:33 ID:WbYKqaJU
家康派ああ見えてお洒落なんだぜ
894人間七七四年:2009/02/12(木) 14:46:26 ID:bfiQfMDG
家康公は老いてなお好奇心旺盛なイメージ。
太閤秀吉公とはまた違う意味での『オタクっぽさ』を感じる。
895人間七七四年:2009/02/12(木) 17:50:34 ID:8WjFQdaV
>信長や秀吉の方が粛清は積極的にやっているし
>粛清のやりすぎで組織が崩壊していった
これ今の日本にも言えるよな。



蒸し返して悪いが、史実の楠正成は凄いの?5行で教えて!
896人間七七四年:2009/02/12(木) 18:32:08 ID:eoP85cep
天下人の元には自然と物が集まったんだろうね
897人間七七四年:2009/02/12(木) 20:15:29 ID:3kTmcPNb
>>888
キモチ奴だな。
こういう奴が犯罪とか犯すんだろうね。南北スレで好きなだけやれや!
898人間七七四年:2009/02/12(木) 21:36:23 ID:zOLIGJST
家康公の素晴らしさは果てしない!
899人間七七四年:2009/02/13(金) 01:43:06 ID:QZIyMM7L
>>895






−完−
900人間七七四年:2009/02/13(金) 01:44:30 ID:QZIyMM7L
海外で評価され始めてるとかいうが
だいたいそんなもんだよね
それで逆輸入の形になるよな
やっぱり家康はすごい、と
ついでにウンコネタまで広まっちゃうけど・・・
901人間七七四年:2009/02/13(金) 02:03:17 ID:iN91iqwd
家康はかっこ悪い逸話も多く残ってるのがいいんだよ。
面倒くさい三河武士とあわせて、実に良い主従だぜ。
902人間七七四年:2009/02/13(金) 09:19:13 ID:Agtip812
自分の欠点さらけだせるって凄い事だよね
903人間七七四年:2009/02/13(金) 09:53:04 ID:s3eLakFi
国家安康
君臣豊楽

の難癖はめちゃくちゃだけどな
904人間七七四年:2009/02/13(金) 09:58:36 ID:2V96oLKx
>>903
あれは豊臣の選者が意図的にした事と弁明書に明記され、
それが問題であると五山の僧は一致した見解を述べている
905仙台藩百姓:2009/02/13(金) 10:22:07 ID:AvjI++kv
家康本人は隠したかったけど隠し切れないほど欠点汚点が満載だったのだお( ^ω^)
906人間七七四年:2009/02/13(金) 14:34:45 ID:5qpAIk+K
家康にモンハンやらせるか
907人間七七四年:2009/02/13(金) 15:58:27 ID:CdZu+eHf
その難癖めいたと思ってるものにでも内心ピキピキきてても収めて臣従してくれてれば…
そうしなかったからこその今の豊臣びいきの人たちがいるんだろうけど

徳川側からしたら「これで恭順してくれたらなあ、無理だろうけど」って感じだったんじゃないの
それまでにだって機会はいくらでもあったけどしてもらえなくて、これが最後通達だったのかも
908人間七七四年:2009/02/13(金) 20:34:31 ID:XGeqUnhY
「やる夫が徳川家康になったようです」で興味もった
家康すごいな。
909人間七七四年:2009/02/13(金) 20:45:43 ID:wsmpPsXP
>面倒くさい三河武士とあわせて、実に良い主従だぜ。
武骨ってこと?


>自分の欠点さらけだせるって凄い事だよね
前轍?踏まないのは大したもんだと思うぞ。
910人間七七四年:2009/02/13(金) 23:34:59 ID:JD0MMo82
家康公はもう神だよ
本当にあの方は偉大だ
911仙台藩百姓:2009/02/13(金) 23:51:30 ID:AvjI++kv
確かに日本国にとって疫病神なのは間違いないお( ^ω^)
912人間七七四年:2009/02/14(土) 15:49:02 ID:CGShjJbd
>>911
あんたのところの藩主は道化神だけどな。
913人間七七四年:2009/02/14(土) 17:03:16 ID:ijvbLm8R
三河一向一揆で離反した家臣・従属豪族って、
過半数だった?
914人間七七四年:2009/02/14(土) 18:53:47 ID:YGN1W98T
>>910
神じゃあありません
権現様です
915仙台藩百姓:2009/02/14(土) 19:02:02 ID:hihXhcDe
>>909
二度も本陣捨てて逃げてるけど( ^ω^)

家康自身が欠点をさらけ出したわけじゃないし
大坂の陣で逃げたのも大久保に指摘されたら
脇差しに手をかけて城中に響き渡るほど大声で怒鳴り散らして怒り狂ったお
本人は汚点を隠したかったけど周りに言われてバレちゃっただけだお( ^ω^)プッ
916人間七七四年:2009/02/14(土) 19:20:29 ID:g/Fa4gkL
>>914
権現は神号。
神様で間違っていない。
917人間七七四年:2009/02/14(土) 21:15:25 ID:Uv0emTQ2
>>904

豊臣を滅ぼしてから当時の関係者を呼び出して脅して書かせたの?
918人間七七四年:2009/02/14(土) 21:47:10 ID:CZHmdjOd
>>917
ななめ上だ
919人間七七四年:2009/02/14(土) 22:12:21 ID:5zsC7Krh
家康公を尊敬しない馬鹿クズゴミアメーバ共はもう帰ったらどうだ
スレタイと正反対な事してんじゃねーよ
家康公を尊敬しない奴は決まってそういう低脳で幼稚な発言を絶対するんだ
何故だと思う?
馬鹿だからだ!
920人間七七四年:2009/02/15(日) 02:44:06 ID:AEJ8ZNlL
以前いた百姓とは別人か…。


3月に日光行ってくるわ…定期的にいきたくなるんだよな
921人間七七四年:2009/02/15(日) 11:30:48 ID:0OLSbiuX
家康公は本当に何かを集めるのが好きだったみたいね。
男性特有の『コレクター』っぽい部分があったのかも。
922人間七七四年:2009/02/15(日) 18:23:43 ID:0XeCgEN2
武芸関連の流派免許のコレクターか
923人間七七四年:2009/02/15(日) 19:21:13 ID:F2kmU3Oe
武道の免許皆伝って本当なの?
924人間七七四年:2009/02/15(日) 20:49:48 ID:AEJ8ZNlL
家康のはガチらしいけどどうでしょね
925人間七七四年:2009/02/15(日) 21:11:39 ID:jiPYPgou
>>920
久能山はどうすんだ
926人間七七四年:2009/02/15(日) 22:06:53 ID:w0fppN6/
家康と細川藤孝は怪力らしい
927人間七七四年:2009/02/15(日) 23:22:15 ID:NvM4oFAP
山岡家康で育ったので司馬家康を読むのを敬遠してたけど、年末辺りから読み出してみたら
よく言われる程悪く書かれてないし、魅力的な役柄多くないか?
秀吉の方が印象悪くなる記述多いし、信長なんかは妙にスルーされてる事多いし。
928人間七七四年:2009/02/16(月) 02:49:36 ID:gLgpwe1R
作品による。

凄みのある悪役として描かれている作品(関ヶ原、城塞など)もあれば、
無闇に貶されたり無用の批判をされているな、と感じる作品(功名が辻、
竜馬がゆくなど)もある。

少なくとも江戸政権末期の様相を家康の性格に起因すると考察したり、
秀吉の主家簒奪を評価したあと、すぐに家康の主家簒奪を『犯罪的』と
称するのは個人的にはあまり愉快ではないな。
929人間七七四年:2009/02/16(月) 08:19:51 ID:+wjaRy9x
まあ秀吉は織田断絶はしなかったけど、家康は豊臣やったからな。
歴史上の役割としては権力の一極集中に必要な儀式だが、司馬は現代からの視点で書くし。
山岡荘八の家康公は流石に江戸の御用学者もビックリだけどさ。
930人間七七四年:2009/02/16(月) 08:51:07 ID:mOVW1Foq
>>927
池宮彰一郎先生の家康面白いよ。
幼い頃習ったイメージをずっと引きずって家康大嫌いだったんだけど氏の作品を読んでから家康が最も好きな武将になりました。
一個人、人間家康がすごく魅力的に書かれてます。
931人間七七四年:2009/02/16(月) 09:03:06 ID:mOVW1Foq
>>915
それが徳川家康の魅力だろう。
臆病に徹し、偉大な先輩の下で野望をひた隠し、時には負けて逃げ回り堂々と歴史に恥を残した。
だが最後の最後に巡って来たたった一度のチャンスをなりふり構わず掴みとった。
こんなに親しみを感じる魅力的な人物はそういない。
932人間七七四年:2009/02/16(月) 09:19:37 ID:b1MbyWLc
家康は小説と割り切って興味を持つ人が多いからいいね。
信長だと、ゲームやテレビをまんま受け取って、架空の人物と現実が区別できてないのが多い。
なんからしくておもろい。
933人間七七四年:2009/02/16(月) 10:18:40 ID:LL0W1q8t
小説やドラマは作者の主観でどうにでもなる
去年大河ドラマが好例
934人間七七四年:2009/02/16(月) 20:38:23 ID:xFqW8vDj
>>929
山岡家康は今見ても聖人君子に見えるんだから
これが発刊当時だったら相当センセーショナルだったんだろうな
俺の場合、親父が持ってて読ませてもらったから
今度会ったらその辺聞いてみたい
935人間七七四年:2009/02/17(火) 01:07:44 ID:kc4fVYyi
>>934
三英傑はそれぞれ昔から神格化されてるけどなぁ。
革命化みたいな事やってた危ない塾の先生やその周辺じゃ、戦後信長崇めてたけど
意外と朝廷に楯突いてないので、今は家康らしいし。
936人間七七四年:2009/02/17(火) 08:41:58 ID:Jfh6OT94
崇拝とまでは行かないが家康支持は圧倒的に企業経営者だろ。
俺もそうだが、必ず山岡家康は読めと言われるからな。
経営セミナーなどでは必ず言われることだが「失敗者に学ぶことは何もない」
何故、どこで失敗したのか、を正確に読み取ることができるくらいなら
初めから何も学ぶ必要などない。

そういわれるとそうだな、と思ってしまうし。
937人間七七四年:2009/02/17(火) 10:59:06 ID:RE73HAZa
>>932
そうか?山岡家康をそのまま信じ込んで、史実でどう研究がこうと言って
律儀者家康像を傷つけるような説は頭から否定している人とか結構いるがな。

>>935
自分に都合のいい偶像を崇めているってことですね。
その人はきっと、レーニンとスターリンを崇拝し、次は毛沢東を崇拝してきた
のでしょうな。

>>936
だから駄目なんだな、と思ってしまう。
敗戦を分析しない軍人はいない。
938人間七七四年:2009/02/17(火) 17:18:51 ID:Jfh6OT94
>>937
そういうことではないんだな。自己や自社の失敗は徹底的に分析する。
しかし歴史上の人物に学ぶ、ということはそういうことではない。
史料やサンプルが少なすぎて、失敗の原因を特定することが困難で
そもそもそれを特定できる能力があれば、ハナからそういう失敗はしない。

限られた時間で学ぶならば成功者からより多くを学べ、というのが鉄則。

倒産企業の社長の「私はこうして会社をつぶした」セミナーには暇人しか行かないでしょw
939人間七七四年:2009/02/17(火) 22:27:44 ID:OiYh9Kow
今日のラジオで浜松の人が読まれて、家康ネタだった
もちろん小豆餅と銭取り、ウンコは無し
そこそこネットしてる番組だから聞いた人いるかも
番組名なんだっけ、10分番組
940人間七七四年:2009/02/18(水) 02:03:16 ID:JkCjE+XF
経営セミナーとか言ってる時点でw
941人間七七四年:2009/02/18(水) 03:33:01 ID:jKfvtWfj
PHP文庫とかで沢山出てる「戦国武将から経営学を学ぶ」みたいな本、
本屋に行くときに稀に立ち読みしたりするけど、ほぼ例外なく現代の後付価値観によって
無理に当時の人間の行動を褒めたり貶したりするような程度の低い内容ばっかりだもんな
942人間七七四年:2009/02/18(水) 08:43:54 ID:1NAiad64
PHP文庫自体がクソですから
943人間七七四年:2009/02/18(水) 08:52:00 ID:nDFSMjEn
でも938は会社社長で
940-942はニート
せつないのうw
944人間七七四年:2009/02/18(水) 09:57:38 ID:pqyFOSlh
つまり会社社長がニートに負けちゃうスレですね。
それはそれは立派な経営手腕をお持ちの社長なんでしょうねw
945人間七七四年:2009/02/18(水) 10:46:19 ID:dTvJ+iqe
>>938
「勝因の無い勝利はあっても、敗因の無い敗北は無い」

>941も言っているが、この手の話は勝利者はあたかも最初から全て計画があって、
その通りに動いて成功したかのように解析するんだよね。
946人間七七四年:2009/02/18(水) 10:55:37 ID:LdO6fRCj
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしって言ってた某監督思い出した

関係ないけど味噌の話は定期的に出るね
みんな好きなんだなあ
947人間七七四年:2009/02/18(水) 11:55:12 ID:hTskX/Ei
>>936
こうゆう異常なマンセーが出ちまうのが山岡荘八家康の困ったとこかな。
信長・秀吉とはそもそも役割が違うしこの二人なしには家康もない。
948人間七七四年:2009/02/18(水) 15:41:15 ID:hPUl+LjB
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

949人間七七四年:2009/02/18(水) 15:54:44 ID:P++8B4xJ
セミナーとか言ってる時点でこいつは間違いなく2ちゃんのみで妄想経営者でしょうw
そして遠回しに自慢にもならないセミナー知識でひそかに自慢しているつもりになっている低所得者に間違いないw
950人間七七四年:2009/02/18(水) 19:28:51 ID:OA9x3mG8
ちと横から悪いが、姉川、長篠、なんて普通は信長で語られるけど、実記あたりでは織田なんかケチョンケチョンだし
徳川に詳しい方からみると、どっちが主戦、に思ってるのかなって。
もちろん史料は書き手の良いほうに解釈してそういう書き方になるのだけど、後世の我々が冷静に評価したらどんなもんなんだろうってね。

信長の戦は案外たいしたことないし、徳川主戦、信長ってのは家康にかなり助けてもらってるような気がしてならないんだよね。
織田スレでは恐ろしくってカキコできないが・・
951人間七七四年:2009/02/18(水) 19:48:55 ID:I0OfIhK7
どっちかというとネットですれ違っただけの相手を妄想で叩くほうが
気持ち悪いかなー。まあ聞いてもいない自分語りもアレだけど。

>>950
自分で何という資料のどういう記述からそういう結論を導き出したの
か言ってもらわないと肯定も否定も出来ん。
952人間七七四年:2009/02/19(木) 00:22:20 ID:99lCerMt
>>950
長篠では、家康は信長に「今度援軍に来てくれなかったら手を切るぞ」って
言ったほど、戦力的に頼りにした。現実に、織田の援軍が到着してから、
救援に向かえたほど。

姉川なんて逆だよ。あれは家康が信長のお手伝い戦に召喚された合戦。
しかしそれだと神君が使いっぱ扱いになってしまうので、徳川の奮戦で
織田は勝利できた!と働きを過大に記述した。

金ヶ崎退陣などもそうだね。実際は摂津守護池田氏の兵を主力に、秀吉
光秀らが働いたのだが、ここで家康を活躍させることで
「秀吉がいなければ信長は生きていない、家康がいなければ秀吉は生きていない」
などと捏造セリフを信長に吐かせて、天下人二人に恩をかぶせ、家康が
いなければ二人とも天下人になれなかったと思い込ませた。

信長、秀吉、今川義元、武田信玄。家康より上の立場に立ったことの
ある人物は、基本的に家康をマンセーする為にイロイロとプラスにも
マイナスにも改変が加えられている。
953人間七七四年:2009/02/19(木) 11:06:22 ID:tK7Zq/6x
明治初期頃までは信長は創作なんかでも不当に貶められてたしな。
まあただその悪い記述が基で魔王だの風雲児になって、現代じゃ人気になるってのは面白い。
そこまでトンでも人間でもなかったらしいのにww
954人間七七四年:2009/02/19(木) 17:37:23 ID:aNv57nDC
信長は心酔してる人も多いが面白がられてるな
イチロー伝説みたいなことになってる
955人間七七四年:2009/02/19(木) 20:21:48 ID:92RUz+97
>>953
そうなの?
あんなに苛烈な人物でもなかったの?
興味あるので教えてください。
それは幕府の方針ってか、家康の評価や正当性を強調する為かな?中華の史記のごとく前王朝や前主権者をケチョンケチョンみたいな
956人間七七四年:2009/02/19(木) 22:04:42 ID:L3R+FatH
>>955
信長人気は戦後の映画から。
その理由は長くなるので省略だけど、ちゃんと普通によく語られてたりする。
簡単にいうと、太平洋戦争の影響で、他国侵略をした秀吉を英雄視できなくなって、外なる人を
殺していない無害な信長が語りやすかった、というのがある。

で、江戸時代の芝居や草子類は信長なんてほとんど触れられてない。
あくまで、秀吉とか家康のつけたし。
これを不当というかどうかは別の問題だが、重要なのは家康にはむかった秀吉でも江戸期には大人気で
自由に語れた。
このあたりは大事だよ。

で、戦国勝ち抜き戦という意味では、信長は光秀よりも下、負けてるしね、せいぜい毛利ぐらいと同格、ってとこ。
少なくとも江戸期まではそうやって思われてた。

織徳同盟ってのもあるんだから、徳川は織田を低く評価する理由がない。
実記では、あの強い織田を助けた、みたいなふいんきになってる。
にもかかわらず、織田に関する庶民的な人気がない、というのは注目なんだ。

話戻して、今の信長のイメージは戦後の映画だし、若い人にとってはゲーム、で洗脳されてる。
スレチだが、鉄砲三段撃ち、鉄甲船、楽市楽座、関所撤廃、このあたりは史実ではないことがほぼ証明されてる。

ちなみに、信長は地球儀もみてないはず。
世界をウンタラ、なんてのは完全に創作だぉ。
957人間七七四年:2009/02/19(木) 22:10:38 ID:L3R+FatH
補足。

楽市楽座、関所撤廃とかは、信長も採用したけど、決して信長が創始者、ではないってことね。
政軍分離ってのもそう。
各地方大名の研究が進んでいろんなとこで独自にひろまったり進歩したりしてのがわかってきた。
それを信長がそのまま、安堵した、みたいな書状も残ってるので、なんでもかんでも、信長が革新的に発明、日本を統一した、みたいなのは完全に創作、ってことで。
958人間七七四年:2009/02/19(木) 22:22:57 ID:92RUz+97
>>956
何だ、ただの外基地のたわごとかw
959人間七七四年:2009/02/19(木) 23:11:35 ID:S6cgwvi7
姉川では実際は徳川はそんなに大活躍でもなかったとか
逆に大坂では別に家康本陣は慌ててなかったとか
話はいろいろあるよねえ

繋がりは無いけどたまたまこっちに書いてきたんで
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
960人間七七四年:2009/02/19(木) 23:58:11 ID:99lCerMt
>>956
その織徳同盟も、実際は対等の同盟ではなく、上下関係の同盟だったとされているね。
だからこそ江戸以降、織田と徳川が最初から対等な関係だったと色々と捏造された。
961人間七七四年:2009/02/20(金) 00:09:04 ID:62P6+icq
もう一つ。人気というのは時期や情勢、土地柄で変わるので一概に言えない。

例えば秀吉は大坂では人気だったと言うが、では大坂以外では?
信玄や武田家は徳川がおおいに宣伝して軍学の流行と同時に人気になったが、
信濃の一部などでは蛇蝎のごとく嫌われ続けた。

ちなみに江戸時代に、戦国武将で相撲の番付評みたいなのを作ったりもされて
いるのだが、信長は光秀や毛利よりも上に位置づけられている。まあこれも
複数の種類があるので評価が一つに定まっていたものでもないが。
962人間七七四年:2009/02/20(金) 10:07:51 ID:YaFUV18O
まあ三河では吉良上野介が正当な評価受けてるのと同じでしょ。
むしろ暗殺しなかった浅野のほうがバカ殿w
963人間七七四年:2009/02/20(金) 10:51:42 ID:o7McV/pd
>>956
あと中国なんかは特にそうなんだけど、現代の政治・経済・文化の
情勢で讃える対象が決まってくるっていうのもある。

中国で民国・満洲帝国と戦っていた毛沢東が天下を取りかけていた頃に
明・満洲と戦った李自成が過剰に持ち上げられたり、江青夫人が実権を
握った途端に則天武后がもてはやされるといった「その時々の政治的
要求に合わせて歴史の化粧を変えてみせる」という学会の阿諛追従が
日常化しているけれど、日本だって明治・昭和の天皇制賛美の時代に
南朝方や上杉謙信が忠臣としてもてはやされ、満洲大陸移民の時代に
なると義経ジンギスカン説が語られ、明治と高度成長の時期には
立身出世の権化・秀吉が過剰に神格化されてる。坂本竜馬も戦前は
「海軍の創設者」と讃えられてたのが戦後になると「株式会社の創設者」
にいきなり賛美の内容が手のひらを返されてた。
964人間七七四年:2009/02/20(金) 10:52:51 ID:o7McV/pd
信長が史実の実体とかけ離れて

「西洋文化を取り入れた」
「新兵器の利用に熱心だった」
「経済の活性化に功績があった」
「信賞必罰のリーダーシップ」

なんかをもてはやされていたのも、単に知っている武将に
今の時代の理想像を何でも押し付けようという
「夢見る側の勝手な都合」
だったんじゃないか?

信長ブームについては、信長自身の資質なんかよりも、ブームに
なっていた時代の「世相」の方を調べるほうが判りやすいと思う。
それは不景気の時代の家康ブームについても言えるんだろうけれど。
965人間七七四年:2009/02/20(金) 11:39:44 ID:A+dgvjdB
まあ西洋の甲冑着込んでる信長は勘弁して欲しいなw
勝手に無神論者にされたり、物凄い傲慢にされたり(以外と公家なんかにはマメに対応してる)と
信長の逸話がインフレしっぱなしだからなあ。
信長・秀吉・家康は似たような事やっても、猿ウゼー 狸uzeee 魔王様流石!つーやつが多くて疲れる。
966人間七七四年:2009/02/20(金) 14:08:22 ID:QpnYxkjE
スレ違いなことで熱弁ふるう勘違い野郎が多くて疲れる。
967人間七七四年:2009/02/20(金) 15:36:59 ID:o7McV/pd
>>966
仲間はずれにされてから独り言をブツブツ言ってると気味悪がられるよw
968人間七七四年:2009/02/20(金) 15:57:58 ID:ATECzH4o
>>960
それも難しいところだよね、いろんな側面、見方、があるから一概には言えないけど自分はかなり対等に近いものがあったと思ってる。
江戸期にはそれは徳川はなんでも中心で語られるけど、捏造は捏造として、織豊の頃にまでさかのぼって判断するとあながち、上下関係とも言い切れないだろう。
長男切腹事件で丁度信長ー家康が直接やりとりするわけで、家康に詳しい人たちにも聞いてみたとこだけど、あのあたりの二人の関係はどうだったんだろね。
事件自体もいろいろな説が出てるようだし。

>>961
それはそうだね。で、信長人気、という一般論に関してはこれは戦後の映画のイメージというのは常識みたいなもんで、世相というのもそうだし、政治事情というのもそうだろう。
家康ってのもこのあたりで、本格的に取り上げてほしいものだけどな。
日本が世界に誇る人物、という感じで。
969人間七七四年:2009/02/20(金) 21:29:27 ID:Qk5TkAZ/
家康は大阪の陣で、途中和議を挟んで2回の戦いで豊臣を滅ぼした

秀吉も、家康の次男を人質に取った時点で一度停戦して九州、四国を平定する
その後改めて家康に脅しをかければ有利な条件で家康を降せるはず
970人間七七四年:2009/02/21(土) 00:19:42 ID:csmwCd0U
>>969
大坂の陣は和議というより実際は降伏勧告に近い
豊臣側は大坂城の内堀・外堀を問わず全て埋め立て、本丸以外を全てを破却が条件であり
もちろん徳川側は特になんの条件も課されていない
それに対して小牧は家康が最初から後継者扱いしていない秀康を厄介払いしただけで
それ以外は家康はなんの負担もしていないし追い詰められてもいない
秀吉が有利な条件で家康を降すことは不可能な状態だった
971人間七七四年:2009/02/21(土) 01:19:26 ID:aoKYx99+
小牧といえば、留守の岡崎城を攻めるとかヘタな作戦で失敗してしまったけど、あんなことせずに作戦の指揮を秀吉が握ったままだったらどうなってたかな。
直線で200mぐらいのとこまで秀吉ー家康は接近してるのでしょう。
あのぐらいビッグな存在だと局地戦で終わってしまう、にらみあったままでおしまい、とかそういうのもあるだろうし、雌雄を決するつもりだったかもしれないし、なかなか興味深いとこなんだよな。
どっちみち戦で勝てないと成ったら、秀吉が作戦変更したのは史実の通りだろうから家康がどうしてたかがね。
信雄が想像を絶するアホ殿だったからさすがに家康もまいってたかな。
972人間七七四年:2009/02/21(土) 01:42:06 ID:T7kNYQz1
>>970
このためにものすごい重税をかけて、自殺者や逃亡者を出しまくって
経済的にはものすごく追い詰められていたそうだが?
973人間七七四年:2009/02/21(土) 02:10:14 ID:iG2oMdyN
>>970
お互いガチでやりあう程の余裕ないしなぁ。
信雄云々ぬきでも似たような結末だった気もする。
974人間七七四年:2009/02/21(土) 06:19:47 ID:aoKYx99+
>>973
かもね。

ただ、重要なのは、人間いつ死ぬか、なんてわからないこと。
家康なんて辛抱して長生きしただけじゃん、とはよく言われるけど、それがいかにすごいことか。

関が原から大阪の陣まで10年以上、その間自分が生きてるなんて誰にもわからない。
結局、豊臣殲滅は急務じゃなくていつでもできる、他に優先事項がある、ってことなんだろうけど。
その判断が間違ってなかったこともすごい。

結論として、家康はすごい、だけだなも。
975人間七七四年:2009/02/21(土) 09:45:33 ID:vzQ4ouaX
>>971
小牧・長久手スレでも書いたが、両者の陣地戦は家康が優位なのです
彼の方は二つの台地の境界線上にあって、水が出やすく湿地帯の中にある
秀吉は原野の中にあるだけで、秀吉が一方的に不利なのです

後、中入りは岡崎城は攻めれればラッキー程度で、実際は家康を引きずり出し、
秀吉本隊とで挟み撃ちにする作戦だった様です

まぁ、これは家康があまりにも速く動き過ぎて失敗しましたが
976人間七七四年:2009/02/21(土) 10:35:26 ID:Ufz8pZh7
>>975
そんなことはない。
小牧陣の東も北も秀吉方陣地で固められてて楽田〜竜泉寺に至までも拠点の普請を
行っている。家康方から岩崎山攻めるのも困難至極なはずで
秀吉が一方的に不利なんて事はない
977人間七七四年:2009/02/21(土) 10:48:30 ID:Ufz8pZh7
>>971
あの作戦は秀吉の意思によるものだよ。池田の発案というのは講談。
3月13日の丹羽長秀宛書状では『14、5日程で一気に酒の酔いを醒ますごとく
決着つけてやる』と言ってるししかも大軍結集してるから実行にも移してる。
敗戦前日の丹羽宛書状等複数の書状では『家康さへ討果候へは』
とあるし龍泉寺に向かう途中での柏井、大草の根城に山内一豊、
生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を三河
へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦も
その一貫であり自分の意思で池田等の兵力を三河に向け発向させる予定である旨
を報じてる。
北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被
仕候付被討果之由候て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀かねに同道してた
渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』と記してる。
その後も秀吉の決戦構想は は秋頃まで一貫してて11月の信雄との和睦時ですら
「家康には恨みが深いので年内であっても攻め滅ぼしてくれん」とか言ってる
978人間七七四年:2009/02/21(土) 11:09:55 ID:FaE5Aq3l
>>976
あくまで地形的な不利を評しただけです。
979人間七七四年:2009/02/21(土) 13:20:52 ID:iiww7NG6
小牧のあれも
家康の計略が裏にあったとしか思えなくなってる
そんな家康の謀略家ぶり
980:2009/02/21(土) 20:37:43 ID:gFsJH9kK
981人間七七四年:2009/02/22(日) 00:39:22 ID:ZpTHnD6F
>>977
ほぉ、池田の発案が講談、というのはおもしろい。
個別に検証したいとこだね。

具体的行動は家康が取ってるし、秀吉の動きは後手というか、様子見、牽制しながらに思えるのだよね。
でも、あの秀吉がそんな簡単に不利になる体制を作るわけないから、あの岡崎責めは陽動作戦で、家康が動いたところを叩く、というのはありそう。
にしては、かなりの大軍がやられてるし、小牧自体がよくわからないところもある。

ちなみに、自分は名古屋なので、あのあたりの、湿地帯、とか、原野、とかそういう地形的な評論は認めない。
いかにも机上の論でね、桶狭間もそうなんだけど。

977さんが言うように、秀吉の作戦で、失敗したから、作戦変更、というのが正しいのかな。

で、3年で関白になっちゃって結果的に大成功。ミスすらうまくごまかす、というのは秀吉のすごいとこなんだろか。
最終的に勝ったのは家康さまなんだけどね。
982人間七七四年:2009/02/22(日) 07:29:46 ID:oBf0ssGs
>>981
個別に検証も何も甫庵太閤記が初出の話なのだが。
まあ小牧から釣りだしたかったようだね。その後秀吉は木曽川筋で戦うが
この時も『必家康後巻可仕儀にて候間』『家康後詰可仕事案内与存』と小牧から
おびき出そうと考えてたし。でも究極的な目的は>>977にも書いたけど
家康との短期決戦が目的と考えられる。その後7月に『来る15日(八月十五日)』
『西国・北国之人数』を総動員して尾張、三河遠江へ出兵する計画を報じており
この計画を各方面に書状で報じている。
983人間七七四年:2009/02/22(日) 09:42:38 ID:6l4HMXlr
>>981
当時と今では地形が全然違うという認識をした方が良いかと
鳴海が昔は海に面していたとは、現状からはとても判断できない
小牧も田楽方面が開拓されるのは江戸時代以降
984人間七七四年:2009/02/22(日) 16:59:33 ID:tXWFHr2H
>>983
×田楽
○楽田
985人間七七四年:2009/02/22(日) 17:59:17 ID:wPnD/UmA
>>980
986人間七七四年:2009/02/22(日) 23:47:08 ID:oBf0ssGs
うめ
987人間七七四年:2009/02/22(日) 23:47:37 ID:oBf0ssGs
うめうめ
988人間七七四年:2009/02/22(日) 23:47:58 ID:oBf0ssGs
うめ
989人間七七四年:2009/02/22(日) 23:48:25 ID:oBf0ssGs
うめ
990人間七七四年:2009/02/22(日) 23:48:49 ID:oBf0ssGs
ume
991人間七七四年:2009/02/22(日) 23:49:15 ID:oBf0ssGs
うめうめ
992人間七七四年:2009/02/22(日) 23:49:35 ID:oBf0ssGs
うめ
993人間七七四年:2009/02/22(日) 23:50:13 ID:oBf0ssGs
ume
994人間七七四年:2009/02/22(日) 23:50:41 ID:oBf0ssGs
うめうめ
995人間七七四年:2009/02/22(日) 23:51:08 ID:oBf0ssGs
うめ
996人間七七四年:2009/02/23(月) 00:01:21 ID:Llfqiti6
うめ
997人間七七四年:2009/02/23(月) 00:01:46 ID:Llfqiti6
埋める
998人間七七四年:2009/02/23(月) 00:02:11 ID:Llfqiti6
うめうめ
999人間七七四年:2009/02/23(月) 00:02:52 ID:Llfqiti6
うめ
1000人間七七四年:2009/02/23(月) 00:03:26 ID:oBf0ssGs
1000なら家康最強
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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