【武田】2万5千で上洛【信玄】その53

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1人間七七四年
【武田】2万5千で上洛【信玄】その52
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195556782/

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?
2人間七七四年:2008/04/27(日) 09:49:39 ID:G6HHqJGM
3中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:26:48 ID:UgkG+Nno
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する
4中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:27:31 ID:UgkG+Nno
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/
5中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:28:11 ID:UgkG+Nno
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
 松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。
6中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:28:48 ID:UgkG+Nno
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。
7中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:29:21 ID:UgkG+Nno
■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。
8中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:29:52 ID:UgkG+Nno
■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
9中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:30:28 ID:UgkG+Nno
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。

総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。
10中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:30:59 ID:UgkG+Nno
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。
11中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:31:43 ID:UgkG+Nno
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。


四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
  離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)
12中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:32:32 ID:UgkG+Nno
52スレまとめ

>1-12テンプレ

>18-40信虎信玄の権力集中化
>41-55何故上杉を滅ぼせなかったか・武田織田の勢力拡大方法両者の調略について
>56-73甲越和与と越相同盟・1568年の北信濃攻め
>79-80春日と内藤の功績について

>81-100徳川とは争うべきではなかったか・元亀の外交状況・信長はいつ信玄の裏切りを知ったか
>86信玄の西上軍上杉攻めと勘違いした書状
>89信長の信玄との断交の書状
>91信玄の弁明の書状
>99上記に関する研究者の見解
>101-108どのような条件なら上洛できたか・織田から離反する勢力はいるか・1572年の諸勢力の状況
>110-140徳川の状況・三方ヶ原

>152-167兵質はあるか・甲陽軍鑑の武田の合戦に関する信頼性
>168-185硝石硝石生産に関して

>193-196三好の動員力
>197-251各大名の産業特産物の生産・経済状況・商業について

>245-272朝倉の状況・信玄は包囲網の実情を理解していたか
>275-324 >332-345武田は包囲網の役にたったか・武田は包囲網の中核といえるか・1572年の状況
>307元亀年表 >310元亀武田外交関係年表
>326-331逸話による人との話し方
>347-357三方ヶ原の戦い前後の徳川の状況

>358-補給・畿内の状況・テンプレの確認・武田の関東遠征の説明・信長の軍事能力の高さについて

>391-400松永降伏に関する『信長公記』の記述間違い
>667-670 >689元亀年間の畿内の状況の変化
>666-673武田は叩いた相手に何度も反抗されるか
>666諏訪郡伊那郡攻め年表 >668佐久郡攻め年表 >672筑摩郡攻め年表

>779-811江戸時代における兵法廃止令・火器製造方法の禁令について・甲州軍学は役にたつか
>812-921上洛できるか 新たなテンプレ案
 >837-844上杉の初期状況
 >867-884駿河を割譲すれば
>925-930元亀年表
>938-992畿内勢の状況・上杉の北陸関東での状況・上洛の可能性について
13中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/04/27(日) 11:33:35 ID:UgkG+Nno
戦国時代板案内所
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/14.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】 (避難所)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/34542/1191676222/
14人間七七四年:2008/04/27(日) 14:17:37 ID:bAWlpwa3
元亀元年(1570)
  正月…五ヵ条の条書。
  二月…織田信長、上洛。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第一次元亀の争乱)
  四月…織田・徳川連合軍、越前に侵攻。浅井長政の離反により敗走。(第一次越前侵攻)
  五月…守山合戦。織田家武将の稲葉良通、六角残党を掃討。
     織田信長、千草峠を越えて美濃に帰国。
     宇佐山城…森可成、
     永原城…佐久間信盛、
     長光寺城…柴田勝家、
     安土城…中川重政、
     それぞれ配置し南近江(湖南回廊)を確保。
  六月…野洲川落窪合戦。六角義賢、敗走。
     織田・徳川連合軍、北近江に侵攻。(第一次近江侵攻)
     池田城で謀反。荒木村重、池田勝正を追放。
     近江姉川で織田・徳川連合軍、朝倉・浅井連合軍に勝利。(姉川・横山合戦)
     横山城…羽柴秀吉を配置し湖北に備える。
  七月…織田軍、佐和山城を包囲。(翌年二月まで)
     織田信長、上洛。次いで美濃に帰国。
     三好三人衆と三好康長、畿内に出陣。
     斎藤龍興、三好三人衆側に参加。
     安宅信康、兵庫に上陸。次いで尼崎に布陣。
  八月…古橋城合戦。三好長逸、攻略。次いで高安城の松永軍と対峙。
     織田信長、上洛。
     織田・足利連合軍、河内、次いで摂津に進軍。(野田・福島合戦)
  九月…石山本願寺、蜂起。(第一次石山合戦)
     朝倉・浅井連合軍(湖北十ヶ寺も含むか?)、南近江に侵攻。(第二次近江侵攻)
     坂本合戦。朝倉・浅井連合軍、勝利。織田信治と森可成、戦死。
     宇佐山城合戦。朝倉・浅井連合軍、大津から山科に転進。
     織田・足利連合軍、摂津から撤退。
     織田軍、志賀に着陣。(志賀・堅田合戦)
     朝倉・浅井連合軍、比叡山に布陣。比叡山延暦寺、協力。
     篠原長房、兵庫に出陣。
 十一月…小木江城合戦。長島一向一揆、勝利。織田信興、戦死。(長島一向一揆)
     堅田合戦。朝倉・浅井連合軍、勝利。坂井政尚、戦死。
     織田軍、六角残党と和睦。さらに篠原長房とも和睦。
 十二月…織田軍、朝倉・浅井連合軍と和睦。
     織田信長、美濃に帰国。
15人間七七四年:2008/04/27(日) 14:18:39 ID:bAWlpwa3
元亀二年(1571)
  正月…篠原長房、阿波に帰国。
     宇佐山城…明智光秀を配置。
  二月…佐和山城の磯野員昌、織田信長に投降。
     佐和山城…丹羽長秀を配置。
     肥田城…蜂屋頼隆を配置か?
     備前児島の本太城で反毛利の軍事行動。(毛利と村上の間で確執か?)
  四月…本太城、包囲戦の末に落城。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第二次元亀の争乱)
  五月…箕浦合戦。浅井軍と湖北十ヶ寺の連合軍、敗退。
     織田軍、北伊勢に侵攻。(第一次長島合戦)
     柴田勝家、負傷。氏家直元、戦死。
     篠原長房、備前児島に出陣。(反毛利行動による浦上への支援)
     交野城合戦。松永久秀、安見直政を攻める。安見直政は自害。(三好・松永の乱)
     これより摂津・河内・大和は争乱状態に。
  六月…吹田城合戦。和田惟政、吹田城を攻め落とす。
     篠原長房、阿波に帰国。
     高屋城合戦。三好義継と松永久秀、畠山昭高を攻めるも撤退。
  七月…篠原長房、河内に出陣。
     和田惟政、三好義継・松永久秀の連合軍と戦う。
  八月…織田軍、近江に侵攻。余呉・木本を放火。(第三次近江侵攻)
     辰市合戦。筒井軍、三好・松永連合軍に勝利。
     郡山合戦(白井河原合戦)。荒木村重、勝利。和田惟政、戦死。
  九月…志村城合戦。織田軍、攻略。小川城、開城。(第一次湖南一向一揆)
     金森城合戦。川那辺秀政、降伏。
     織田軍、比叡山延暦寺を焼き討ち。(比叡山焼討)
     坂本城…明智光秀を配置。これにより湖南支配が強化。
     織田信長、上洛。
     織田信長、竹内季治を斬首。(竹内事件)
     織田家武将の明智光秀、高槻城に救援。
     この頃、織田信長、細川信元と石成友通たちと和睦か?
     織田信長、美濃に帰国。
  十月…宮部城の宮部継潤、織田信長に投降。
     槙島城合戦。三好義継・松永久秀の連合軍、攻勢。
     高屋城合戦。三好康長、攻勢。
 十一月…篠原長房、高屋城包囲戦に合流。(〜十二月までか?)
16人間七七四年:2008/04/27(日) 14:21:31 ID:bAWlpwa3
元亀三年(1572)
  正月…金森城・三宅城で合戦。六角残党と一向一揆、敗退。(第二次湖南一向一揆)
  二月…利根川対陣。(上杉×北条・武田)
  三月…織田軍、近江に侵攻。余呉・木本を放火。(第四次近江侵攻と河内侵攻)
     木戸城・田中城で合戦。
     織田信長、上洛。(織田信長、細川信元・石成友通と謁見)
  四月…交野城合戦。織田家武将の佐久間信盛や柴田勝家ら、三好・松永連合軍に勝利。
     (他に明智光秀・細川藤孝・三淵藤英・池田勝正・伊丹親興・和田惟長らも参加)
  五月…織田信長、美濃に帰国。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第三次元亀の争乱)
  七月…織田軍、近江に侵攻。小谷城合戦。(第五次近江侵攻)
     朝倉義景、小谷城に後詰。
     毛利輝元、備前に侵攻。
  八月…朝倉家武将の前波、魚住、富田らが織田軍に投降。
     織田家武将の中川重政、失脚。
     摂津中嶋城合戦。細川昭元、三好・松永連合の攻撃を受ける。
  九月…織田信長、美濃に帰国。(朝倉軍は小谷城に滞陣のまま。)
     一七ヵ条の異見書。
     岩村城の城主の遠山景任、死去。
  十月…武田信玄、甲府を出陣。
     第一次岩村城合戦(時期諸説あり)。織田軍(河尻・池田らか?)、攻略。
     毛利輝元と浦上宗景、講和。
 十一月…第二次岩村城合戦。武田家武将の秋山信友が攻め、開城。
     二俣城合戦。開城。
     安宅信康、義昭信長に降伏。
 十二月…朝倉義景、越前に帰国。
     織田信長、佐久間・水野・平手らを援軍として徳川家康に派遣。
     三方ヶ原合戦。武田軍、織田・徳川連合軍に勝利。
     摂津中嶋城合戦。再度、三好・松永連合の攻撃を受ける。
     上村合戦(時期諸説あり)。武田軍、遠山残党に勝利。
 この頃…浦上宗景、三村元親、尼子勝久らは織田信長と誼を通じる。
     宇喜多直家は毛利輝元と誼を通じる。
17人間七七四年:2008/04/27(日) 14:22:19 ID:bAWlpwa3
元亀四年・天正元年(1573)
  正月…野田城合戦。(二月に落城)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第一次将軍蜂起)
  二月…近江石山城合戦。落城。(第六次近江侵攻)
     摂津中嶋城合戦。三好・松永連合軍、勝利。細川昭元、堺へ逃走。
     今堅田城合戦。開城。
  三月…織田信長、上洛。細川藤孝と荒木村重、織田信長に臣従。
     高槻城で謀反。高山重友、幕府派の和田惟長を追放。
  四月…織田信長、上京に放火。二条御所包囲。
     織田信長と足利義昭、和睦。
     鯰江城合戦。六角残党と一向一揆、敗退。(第三次湖南一向一揆)
     百済寺焼討。織田信長、美濃に帰国。
     武田信玄、死去。
  六月…高屋城で謀反。遊佐信教、畠山昭高を殺害。三好康長、入城。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第二次将軍蜂起)
  七月…織田信長、上洛。
     二条御所合戦。三淵藤英、降伏。
     槙島城合戦。将軍足利義昭、降伏。次いで追放。
     上桜城合戦。篠原長房、三好長治に攻められて戦死。
18人間七七四年:2008/04/27(日) 20:16:15 ID:OS4/EAwQ
スレが止まっている
前スレにあった各勢力の畿内の武将は当時誰派だったのかとかについてでも話すか?
19前スレの988:2008/04/27(日) 22:13:17 ID:zUFWYOkD
前スレの>>989

> それじゃあまずいでしょ。
信玄が西進せず三河・遠江の切り取りに専念したらどうすんの?


城を一つずつわざわざ落としてくれるなら願っても無いよ。
その間に西をどうにかできる。
ってか実際そんな流れに。


> 武田が軍を返しても長篠の合戦まで取られた城をほとんど取り返せてないところをみると余裕があったとは思えないけど?

国人も結局は山間部の直接猛威にさらされたとこが寝返っただけ。
三方が原後も戦力整えなおすゆとりもあった。
もう半年くらい荒らされ続けたとしてもかんばれるでしょ?

その頃近畿を平定して武田と決戦!(笑)
浅井朝倉の代わりに武田家滅亡。(笑)


20人間七七四年:2008/04/27(日) 22:19:45 ID:/mU7dSDE
三河、遠江切り取りを簡単に出来ると考えてる奴がいるから困る
もしそんなことをしたら織田が西を片付けるだろうし
もしかしたら上杉が援護の出兵してくれる可能性もあるし武田はどちらにしろ
手詰まりだよ
桶狭間みたいのでもやらない限りね
21人間七七四年:2008/04/27(日) 22:53:13 ID:wbqdTCkf
>>19
> 城を一つずつわざわざ落としてくれるなら願っても無いよ。
> その間に西をどうにかできる。

そう簡単に行かんだろ。
三河切り取りは信玄の病気のために停滞したが、健康ならもうちょっとスムーズにいく可能性(あくまで可能性ね)が高い。
そうした信玄の動きに家康は対応できてない以上、信長が何とかしてやるしかないがどうもこの時期の信長は武田に対しては消極的。

> 国人も結局は山間部の直接猛威にさらされたとこが寝返っただけ。
> 三方が原後も戦力整えなおすゆとりもあった。
> もう半年くらい荒らされ続けたとしてもかんばれるでしょ?

史実では信玄死後も勝頼と争って苦労してる。
奥平が降って長篠城を手に入れ、信長の援軍を得てようやく武田軍を排除できた。
家康自体は頑張れるかもしれないが三河や遠江の諸人はどうかなあ?

>>20
別に簡単とは思ってないよ。
その逆も然り。

例えば東美濃は信玄死亡後に明智城も取られてる。
信玄が健在で三河の切り取りをなおも進めていってたら信長だって思い切って西に兵を向けられず、義昭の平定は史実以上に難しいんじゃないか?

時間が経てば信玄の危険度も上がるだろうけど、信長の危険度も上がっていく。
どちらかだけに一方的に有利に運ぶとはとても思えん。
22人間七七四年:2008/04/27(日) 22:59:01 ID:wbqdTCkf
あと誤解されてるかもしれないので言っておきたいのだが、信玄の方が有利と主張したいのではなく、信玄が健康ならば信玄に有利な芽も出てくると言ってるだけだからね。
23人間七七四年:2008/04/27(日) 23:02:32 ID:/mU7dSDE
>>22
とはいっても織田が西をある程度抑えるのと武田が家康を滅ぼすのどちらが
早いと思う?
織田は武田の倍の兵力であり資金力も武田以上だよ
24人間七七四年:2008/04/27(日) 23:37:44 ID:wbqdTCkf
>>23
武田単独なら勝ち目ない。これは動かない。
信長に畿内を平定されたら信玄に勝ち目がない。これも動かない。

ただ信玄が健在で三河・遠江の切り取りに専念したら、信長は史実並みに畿内を平定しきれるか?というところにifの入る余地はある。
例えば野田を陥とした後も信玄が活発に動いていたら、信長は義昭を平定できたのか?
義昭の平定には、
・信玄が何故か野田城を陥とした後、動きが鈍くなってる→兵を動かす→でもなかなか和睦に応じない→天皇を動かして和睦を何とか成し遂げる。
と大変苦労してる。(最後の天皇を動かしてというのはひょっとしたらオレの記憶違いかも……)
信玄健在→兵を義昭平定に向けられない→西方平定できずという展開はある程度考えられるんじゃないか?

一方、史実では信玄が病没後も、前述のとおり勝頼に明智城まで落とされてる。
畿内が平定しきれてない状態なら、もっと苦境に立たされないか?

勿論、長期化は信玄にだって不利な材料。
兵を返さざるを得ない状況になることもあるだろうし、三河・遠江切り取りだってスムーズに進むか動かも不明。
しかし、信玄だけに不利に働くわけでもない。このことに同意のかけらも出来ないか?
25人間七七四年:2008/04/27(日) 23:41:55 ID:wbqdTCkf
もっとも、信玄が生きていても勝頼以上のことはできないということも十分にあるんじゃないか?
と信玄没後の勝頼の動きを見てると思えてこないでもないけどw
26人間七七四年:2008/04/27(日) 23:43:15 ID:yTx44Vpq
信玄に寿命の問題が無いのなら浜松城を包囲でもいいんじゃないかな?
まあ、落とすのにどれだけ時間がかかるか分かりませんが。

浜松で雪が降るくらいなら関ヶ原は勿論、岐阜でも雪は積もるでしょうから、
浅井・朝倉も多少は防衛する時間が生まれるでしょう。
(ただ、相互の軍事行動に制限が発生し互いに干渉できない)

織田信長の方も近江がそんな状態になれば武田攻めに専念できそうなので、
浜松城への後詰という策も有効になりますね。



柴田勝家みたいに雪掻きしながら進軍するという方法もありますが。
27人間七七四年:2008/04/27(日) 23:50:18 ID:/mU7dSDE
>>24
史実よりは厳しくなるのは当然だね
ごめん同意のかけらもできないわけじゃないよ
当然武田家にも有利に働く部分はあるだろうね
逆に上杉との和睦も甲越和与みたいなこともあったとしても僅かだろうし
逆に不利に働く部分もあるだろうね
28人間七七四年:2008/04/28(月) 00:09:45 ID:i8usaYH1
北条から借りている兵をいつまでも借りっぱなしにはできないから、どっちにしろ長期対陣なんて出来ないよ。
29人間七七四年:2008/04/28(月) 00:11:24 ID:gpXMTtRY
経済も破綻気味だったとも言うしな
30人間七七四年:2008/04/28(月) 00:15:13 ID:fIUtuJ8u
武田の最大の誤算は、朝倉撤退だろうか?
それとも、織田が積極的にでなかったことであろうか?
31人間七七四年:2008/04/28(月) 00:16:44 ID:gpXMTtRY
朝倉撤退は誤算というかあれほど戦ってた朝倉に更に戦えという方が
酷でありまして信玄が自分本位で考えすぎたんじゃないだろうか
32人間七七四年:2008/04/28(月) 00:24:26 ID:zcrIGw7Z
>>30
>武田の最大の誤算は、朝倉撤退だろうか?
信玄君自身が出陣に遅れたんだから義景君がかわいそうだよ。

>それとも、織田が積極的にでなかったことであろうか?
信長君が積極的に出てこれないための同盟だったんじゃないかな?
33人間七七四年:2008/04/28(月) 00:49:20 ID:6zF17Ljj
信玄当人からしたら、自分の健康が一番の誤算だろうな。

せっかく各方面と調整して準備もととのえたのに、自分の健康問題で延期。
ようやく出陣したあとも、健康問題で満足に動けず。

もっとも、若いころから病弱だったことを考えれば、誤算というよりは過信というべきか?
34人間七七四年:2008/04/28(月) 00:50:23 ID:UihYqsOj
最大の誤算もなにも
尾張美濃を平定されたのが早すぎたことが
最大の誤算だろ
あと義昭が信長に手を貸したのも
天下レースはここで詰んでるわけだからな
信玄上洛の時点じゃ
すでに詰んでる状況での出兵だから
世の中の状況を読めない上杉とか毛利が
アホ杉なんだよね
一番アホなのが朝倉
織田より先に上洛するチャンスがあったのに
上洛しなかったからなw
35人間七七四年:2008/04/28(月) 01:10:51 ID:zcrIGw7Z
>>34
当時、その地域の実力者たちは自分の国を守ることで手が一杯だったんだから責めないでやってくれよ。
それに、わざわざ三好政権を相手に大戦(おおいくさ)するのも勇気がいるだろうし。
もし勝っちゃったりしたら自分の国に帰れなくなるし。
都に固執したりしたら四方から敵がわんさか来そうだし。

上洛なんてするやつは絶対に鬱獣だよ!
36人間七七四年:2008/04/28(月) 01:24:21 ID:L5axidi4
尾張・美濃・伊勢・近江・・・・・・400万石
武田100万石
朝倉50万石
本願寺100万石

織田の勝利
37人間七七四年:2008/04/28(月) 02:06:44 ID:xpxJgoBl
駿河進行が大幅に遅れたのが痛かったね。おまけに後継問題まで起こして諏訪の勝頼
を後継者にすることになり滅亡の原因を作った。

たとえ勝頼がどれだけ有能でも信玄が作ったこの脆弱な基盤ではどうにもならなかっただろう。
38人間七七四年:2008/04/28(月) 02:16:47 ID:gpXMTtRY
そういうところは毛利と武田、上杉の大きな違いだね
39人間七七四年:2008/04/28(月) 09:55:34 ID:rYjdCRuT
>>24
過去スレでも何度か言われてるけど、
それら踏まえても多少有利になる程度、信長の畿内制圧を遅らせる程度じゃない?
40人間七七四年:2008/04/28(月) 10:32:28 ID:eXYiuner
信玄は、なぜ最晩年になって織田との同盟を破棄したのか?
純粋にこれが疑問だ
同盟維持なら織田の外戚として大大名だっただろうに

本気で織田を滅ぼせると思っていたのか
徳川だけ滅ぼすつもりだったのか
馬鹿正直に将軍家の要請で上洛しようとしたのか
病気で判断能力が欠如していたのか
1572時点で同盟破棄せず飛騨、越中、越後へ勢力拡大は無理なのか

41人間七七四年:2008/04/28(月) 13:52:06 ID:gpXMTtRY
>>40
上杉を滅ぼせなかった武田が
織田を滅ぼすってのも無理があるよな
例え包囲網になっていたとしても
42人間七七四年:2008/04/28(月) 14:08:59 ID:4afxtQTJ
>>39
畿内の平定(主に対義昭)が遅れれば遅れるほど不利の度合いは大きくなる。
信長は山城・岐阜間の死守を最優先してた節が見られるのがその証だと思う。

>>40
> 信玄は、なぜ最晩年になって織田との同盟を破棄したのか?
> 同盟維持なら織田の外戚として大大名だっただろうに

外戚かつ大大名なんて危険極まりないものを信長がほっとくかねえ?
信玄にしても信長が強大化すれば当然身の危険を感じるだろうし。
それにもともと信玄自身、出来れば人の下風に立ちたくないと考えるような山っ気のある人物だろうからチャンスがあれば打倒信長に動くのは自然だろう。
実際に軍を動かす以前から義昭や松永と連絡をとって時を待っていたようだし。

> 本気で織田を滅ぼせると思っていたのか

これはどうだろうなあ。
浅井・朝倉を含む畿内勢と連動すれば信長を倒せないしても信長に対して優位に事を運ぶことは出来ると踏んだのが精々じゃないかなあ。
実際に信長は信長包囲網を打ち破るのに相当苦労したわけだし。
43人間七七四年:2008/04/28(月) 22:25:23 ID:1AhKLjqO
普通に徳川領併呑して、あとで織田とはよりを戻すつもりだったのではないかと思う。
今川領をとってその後北条と和睦したように。
まあ、そんな外交は信長には多分通用しなかったと思うけど。
44人間七七四年:2008/04/28(月) 23:44:24 ID:fIUtuJ8u
>>32
包囲網は織田に積極的にさせないというより、莫大な兵を東に向けさせないためのものであって、
大きな反撃や尾張に侵攻させないそれなりの積極的派兵は予想していたのはないか?
だから、兵を温存しながら西上したのではないか?
誤算という言葉を使ったのは、織田を誘い出して叩くという意図でなく、史実のように信長が消極的と最初から予想できたら、徳川完全平定しながら西上するのではないか?ということ。
45人間七七四年:2008/04/28(月) 23:59:01 ID:MDh4vNUb
外戚だからほっとかないって何でだ?
46人間七七四年:2008/04/29(火) 01:32:17 ID:yr7atcxC
>>42
この手の論を持ち出すものに共通というか前提なことが一つあります。
それは「信長は畿内と東の二兎を追って、どちらか一方を諦めるということはしない」というもの。

しかし、それはありうるのだろうか?
当時の織田からすれば、東つまり尾張美濃こそが本国であり本拠であり根拠地。畿内はあくまで
征服対象であり、あくまで進出途中の土地であるにすぎない。で、どちらもピンチになったとしたら、
通常どちらを優先するかといえば、そりゃもちろん本国。

もし東で武田が活発に動いて本国が危機になれば、信長は西を捨てるでしょう。それこそ土下座でも
なんでもして、土地の割譲も辞さずに将軍と朝倉と和睦して手を引き、全力を東の本国防衛に向ける
でしょうね。
もちろん、その結果信長は天下を失うでしょうし、天下布部は大きく後退、もしかしたら二度と取り
返しのつかないことになるかもしれません。しかし、織田家は滅びずにすみます。そして当然、尾張
美濃伊勢の全力で立ち向かわれた武田家には抗する術はなく、甲斐に逃げる以外の方途は無いでしょう。
それを避けるには一か八かの決戦で勝利する以外にありませんが。
つまりもう一度いいますが、武田が東で活躍して織田の本国を脅かせば脅かすほど、武田の上洛の目は
無くなるのです。皮肉なもんだ。

そしてこれこそが、本願寺や朝倉や湘軍にとっては最高の結末でしょうね。
もっとも、信長という共通の敵がいなくなったら、互いに争いあうだけでしょうが。

>外戚かつ大大名なんて危険極まりないものを信長がほっとくかねえ
昔よそのスレで議論を戦わせたことがありますが、はっきりいって、信長は強大な
味方勢力の存在を許さないというのは根拠のない主張です。
47人間七七四年:2008/04/29(火) 05:32:34 ID:1/PUKq4X
政略論・戦略論じゃなくて申し訳ないが信玄は戦術的にどのような戦をしたかったんだろう?
あれこれ文句を言われるかもしれませんが兵力では良くて対等(?)、悪くて織田軍が優勢で武田軍が劣勢。
武田軍が進軍するなら濃尾平野に入るしかない。(進まないなら三河で野営か?)
武田軍にとっては土地勘が無い敵地で季節は冬。
十月に甲斐を出立して既に二ヶ月が過ぎ苅田もできない。
徳川家康は浜松城に健在で後方に不安要素あり。

今ひとつ武田軍が織田軍に勝利するイメージがわかない。
いつ・どこで・どのようにして勝利するか教えてもらえないでしょうか?

当方はまじめに聞きますし疑問に思ったら質問もします。
所詮はif話ですから追求するようなことはしません。
必ず返レスしろとかも言いません。
よろしかったらお考えをお聞かせ下さい。(スルーでも文句は言いませんから)
48人間七七四年:2008/04/29(火) 08:56:16 ID:WKCzLUiz
朝倉や将軍に土下座してでもというが朝倉や将軍はもうぼろぼろで反撃に出るのもたかがしれてる
49人間七七四年:2008/04/29(火) 10:51:22 ID:wLuw1irx
>>46
> >外戚かつ大大名なんて危険極まりないものを信長がほっとくかねえ
> 昔よそのスレで議論を戦わせたことがありますが、はっきりいって、信長は強大な
> 味方勢力の存在を許さないというのは根拠のない主張です。

そのスレでどんな話がなされたかは知らないが、根拠があるとかないとかの話ではなく一般的に巨大な外戚は乱の元と言われてること。
統一過程では頼もしい存在も仮に統一がなされた後、甲斐・信濃・駿河の三国に加えて北陸までに及ぶ大版図を持つ存在に信長が危機感を全く抱かないという保証はない。
まあ、保証なんてのは世間では有って無いようなものだけどねw
保証が有るからやる、保証が無いからやらないというものでも必ずしもないから、その手も取りうるということ自体には反対しない。
ただ上手くいってる内はいいけどそのうち暗闘が始まるのは避けられないと思うよ。まあ、ただそれは別の話だけど。

> もし東で武田が活発に動いて本国が危機になれば、信長は西を捨てるでしょう。それこそ土下座でも
> なんでもして、土地の割譲も辞さずに将軍と朝倉と和睦して手を引き、全力を東の本国防衛に向ける
> でしょうね。

実際に信玄が美濃・尾張に本格的に侵攻してくればね。
>>48の言うとおり義昭はともかく朝倉は浅井の援軍として出陣、それも積極的には戦わない状態。
しかも家中で軍役拒否も出始めてるくらいだからね。危険度はそんな高くない。
だから思い切って義昭を放置して信玄との決戦に及ばざるを得なく可能性は高い。

ただオレが信玄が有利に事を運べる可能性がある考えるのは、あくまで信玄が美濃・尾張にそれ以上手を出さないことが前提。
信玄が三河・遠江の切り取りに専念してる場合、信長は積極的に打って出ることはせず、かと言って思い切って畿内に兵を出すこともままならず。
そういうことになる可能性があるということ。
まあ、信長も途中で思い切ってどちらかに打って出ることもあるだろうし、信長包囲網側がいつまでも有利とは限らない。
元亀四年の時点で、信玄即上洛・信長包囲網大勝利・信長滅亡なんて可能性は確かに少ないだろうけど、信玄の動きによってその前提条件が変われば将来的な可能性は出る。
ただ信長包囲網側にもまた別の前提条件が発生し、せっかく得たアドバンスを失う事だって十分にあるけどね。
50人間七七四年:2008/04/29(火) 11:19:42 ID:yr7atcxC
>>49
>一般的に巨大な外戚は乱の元と言われてること。
その辺は外交交渉次第でしょうね。後年になりますが、信長はまず徳川を三カ国の
領主として認めています。北条も普通に服属させてますし、毛利は和睦内容を信長
の了承を得ていたとしてですが、四カ国の大名として認められます。一度も敵対
したことがなく、つねに友好に徹してきた大友も二ないし三カ国が認められています。
武田も、友好に徹すればそのまま認められる可能性だってあるでしょう。

少なくとも「どんなに頭を下げて服従しても、信長は絶対に認めない。必ず滅ぼされる」
という根拠はどこにもありません。

>信玄が三河・遠江の切り取りに専念してる場合、信長は積極的に打って出ることはせず、かと言って思い
>切って畿内に兵を出すこともままならず
西が欲しい信長にとって、徳川は東の有用な盾なので、盾が壊される前に出てくると思いますよ。
例えば、謙信が北信濃や上野に拘ったのは、本国越前防衛という意味が大きくあった。
越前朝倉が若狭に兵を出したり浅井を救援したり加賀一向一揆と戦ったのも同様。

それから、信玄でなく勝頼が三河を蹂躙している時期も、信長は普通に畿内に兵を出してますが。
51人間七七四年:2008/04/29(火) 11:30:39 ID:1/PUKq4X
反織田連合の中で武田信玄以外に織田信長と本気で戦いきると考えていたのは、
足利義昭と浅井長政ぐらいじゃないのかな?
その浅井長政は小谷城周辺に追い込まれ既に籠城もままならず朝倉家の援軍頼み、
また足利義昭は戦力的には脆弱でいいとこ近江を荒らすのが精一杯でしょう。
それに他の反織田連合の勢力の思惑は、
朝倉義景は織田信長を討つどころか美濃まで進軍するつもりも無かろう。
本願寺も同様で美濃はおろか近江までの進軍すらありえない。
松永・三好連合も中島城攻略に手間取り、また筒井・畠山などの勢力も健在。

この状況は信長自身も把握しているかと思います。
慎重な信長が軽率に東に兵を向けわざわざ武田信玄と戦を構えるとは思いませんが、
西の状況がこのようである以上、信長が東に兵を進めないとは言いきれない。

反織田連合としては既に時を逸していたと言っても過言ではないかと。
52人間七七四年:2008/04/29(火) 11:31:33 ID:OSBDrZ7H
>>47
>>十月に甲斐を出立して既に二ヶ月が過ぎ苅田もできない。
6ヵ月じゃね?

大大名である事を信長が許すかどうかを考えて危機感を抱き信玄が打倒織田に動いたってのは無いと思う。
室町幕府なんて6分の1殿と呼ばれた山名氏や、細川、斯波、山内とかありえないくらいの大大名が乱立してたように、
今までの幕府や政権には大大名が必ず複数存在していたのだから、
信長が天下人になったら大大名はことごとく取り潰すなんて発想は当時の誰もしないんじゃないかな?
・仮に織田氏が天下人になれば、今までの事例のように同盟者の武田は勢力を維持し政権内で強力な存在となれる。
・仮に織田氏が天下人になれば、強力な中央政権を目指して同盟者であっても強大な勢力であれば
 ことごとく潰しに来る。
普通は前者の発想だと思う。
53人間七七四年:2008/04/29(火) 11:55:21 ID:1/PUKq4X
>>52
そうだった。
三方ヶ原合戦(十二月)で計算していたよ。
ご指摘スマソ。
54人間七七四年:2008/04/29(火) 12:04:32 ID:8um7wyFz
上洛スレでなんだが
武田が織田との同盟を堅持するIFだと、北陸侵攻か
北条と連携すれば上杉も叩けそうだが
武田のプレッツシャーが無くなった
織田が神速で西を制覇しそうだな
55人間七七四年:2008/04/29(火) 12:33:23 ID:wLuw1irx
>>50
外戚かつ大大名の件は了解した。
将来どうなるかはともかく元亀年間の時点で俎上に上げるのは確かに早すぎるようだね。

> それから、信玄でなく勝頼が三河を蹂躙している時期も、信長は普通に畿内に兵を出してますが。
> 西が欲しい信長にとって、徳川は東の有用な盾なので、盾が壊される前に出てくると思いますよ。

天正元年七月、義昭、再度反旗を翻すも信長勢に攻められ都落ち。
同月、淀城に籠もる岩成友通を討つ。
八月、浅井方の阿閉がくだり浅井攻め。救援に来た朝倉勢が撤退するのを追撃し越前平定。
同月、浅井の小谷城を落とし、浅井滅亡。
九月、鯰江の六角を攻め開城させる。
十月、長島攻めするも失敗。撤退するところを追撃され大被害。
十一月、若江城の三好義継を討つ。
天正二年正月、松永降参。

二月、勝頼、岩村城より出陣し明智城を取り囲む。信長救援に向かうも間に合わず。
六月、勝頼、高天神城を囲む。信長救援の兵を向かわせるも間に合わず撤収。(救援の兵を出すまで時間をかけすぎとの指摘あり)

七月、河内・長島へ出兵。
九月、河内・長島を平定。

天正三年三月、勝頼、三河侵攻。
四月、若江攻め。高屋の三好笑岩、降伏。
五月、長篠の戦い。

この時系列をみてると、信長は勝頼が出兵するまでに畿内の身近な反抗勢力はほぼ制圧しており、元亀三、四年ころの状況とは大違いとなっている。
勝頼が家康と戦ってる間、信長が兵を起こしたのは河内・長島攻め、若江攻めくらい。約一年の間、畿内に関してもちょっと前のように頻繁に兵を出してるわけでもない。
かと言って家康の救援に力を傾けていたわけでもない。本格的に救援に向かったのは畿内から本願寺勢力以外が一掃されてから。(というのは言いすぎかな?)
で、話は戻るわけだが、元亀三、四年時点のように余裕が無い状態で家康救援のために三河・遠江方面に思い切って兵を出せるかな?
出すかもしれないし、出し渋るかもしれない。どっちを選択するかなあ……
56人間七七四年:2008/04/29(火) 13:00:49 ID:+VzH13xQ
>>49
>信玄が三河・遠江の切り取りに専念してる場合、信長は積極的に打って出ることはせず、かと言って思い切って畿内に兵を出すこともままならず。
>そういうことになる可能性があるということ。
史実じゃ積極的に打って出ているから、その可能性は低いんじゃないか?
57人間七七四年:2008/04/29(火) 13:08:09 ID:wLuw1irx
>>56
> 史実じゃ積極的に打って出ているから、

何を指していってるの?
58人間七七四年:2008/04/29(火) 14:14:49 ID:1/PUKq4X
>>57
第一次将軍蜂起に対しての一連の軍事行動についてではないかな?
59人間七七四年:2008/04/29(火) 14:15:18 ID:Qy+fD1oU
武田脳理論
・武田は徳川の城を50も落としていた
・武田は経済封鎖されても自由に商売ができた
・織田の兵は武田に比べ激弱
・織田包囲網は武田が中心であり信玄神による策
・一向衆は本願寺より武田に従う信徒である
・上洛戦ではなく近畿大遠征だった
60人間七七四年:2008/04/29(火) 14:36:27 ID:5DSY8fyc
>>59
まだある
・徳川が天下とれたのは元武田家臣を多く引き込んでいたため
・今の日本の基礎を築いたのは元武田家臣
61人間七七四年:2008/04/29(火) 14:38:41 ID:wLuw1irx
>>58
義昭の蜂起は信玄の動きが止まってからのものだからなあ。
信玄が活発に動いていたら、信長も迅速に出来たかどうかわからん。
出来た、と言い張られてしまえばもう話せることはない。
62人間七七四年:2008/04/29(火) 14:38:50 ID:5DSY8fyc
どこの某半島の民族やねん
63人間七七四年:2008/04/29(火) 14:59:31 ID:1/PUKq4X
>>61
>出来た、と言い張られてしまえばもう話せることはない。
その辺のことは直接本人(>>56)に聞いて下され。

ただ史実としは打って出ていると言ってもいいかもね。
一応、信長は武田軍の内部事情は知らないし。
64人間七七四年:2008/04/29(火) 15:08:28 ID:hekEHHN0
できたと言い張るも何も何故徳川も下してない武田に織田が拘束されないといけないのか。逆に何で武田は織田を拘束できると考えてるの?
徳川だってまだまだ粘れるし、三河や遠江の占領をまだまだ完璧じゃない
それにテンプレによれば織田は2万8千武田に向けられる筈だが、織田はオロオロするだけで兵を遊ばせるの?
もし織田が迅速に武田に兵を向けたらどうするの? 戦う? 尻尾を巻いて逃げる?

それに信玄の動きが止まったからって言っても、警戒してるなら迂闊に兵を動かさないでしょ
そこで信玄が死にそうなんて話は後世だから分かっている話であり、信長は信玄の状況が詳しく分かったわけでもないし
65人間七七四年:2008/04/29(火) 15:12:07 ID:M0zOP5O2
信長が出てきても負けない自信はあった
でも徳川も織田も倒す気は無かった
あくまで中央の要請を受けて出陣したに過ぎない
信長を引き付けるのが役目と思ってただけ こんな感じじゃない?
66人間七七四年:2008/04/29(火) 16:08:47 ID:wLuw1irx
>>64
野田城が落ちた直後なら、信長にとってはまだ余裕がある。
そこで信玄の動きが止まってるので信長は義昭平定の軍を動かせた。
野田城陥落後も信玄がなおも三河切り取りの動きを見せればその結果如何によって取り得る行動も変わってくるので思い切っては動けない。
なんか変か?

> それにテンプレによれば織田は2万8千武田に向けられる筈だが、

しかし、向けてないんだよねえ。なんで?

>>65
> 信長が出てきても負けない自信はあった

あったろうね。実際に勝てたかどうかは知らんけどw

> 信長を引き付けるのが役目と思ってただけ

それはないだろうと思う。あくまで自勢力拡大に都合が良いんで乗っただけでしょ。
信玄はそんな殊勝なヤツじゃないっしょw
67人間七七四年:2008/04/29(火) 16:12:06 ID:1/PUKq4X
>>65
>信長を引き付けるのが役目と思ってただけ こんな感じじゃない?
何のための時間稼ぎなんジャロ?
68人間七七四年:2008/04/29(火) 16:12:22 ID:jM+xkmH0
>>66
三河切取りの動きを見せても、それが遅々として進まないならば、信長は行動できる
結果如何によって採りえる行動も変わってくるが、思い切って「動けない」と断定は出来ない
動けない「可能性も」出てくるとまでしかいえないはず
69人間七七四年:2008/04/29(火) 16:14:32 ID:5DSY8fyc
>>65
それが分かってるから信長の反応も寒いものだったのだろうよ
負ければ武田家存亡の危機になるのに、そんな愚策を採って織田領に入って織田と本格的に構えたくはあるまい
信玄の役目は織田の力の分散
だが信長は期待通りには動いてくれなかった
さて、信玄が生きていたらどうする?
しばらく野営して様子見て、けっきょくは帰ったと思うよ
いくらでも言い訳の材料はあるのだし
70人間七七四年:2008/04/29(火) 16:21:59 ID:wLuw1irx
>>68
うん。だから断定はしてない。
そういう可能性も出てくるんじゃないの?と言ってるだけ。
そこで「問題なく動ける」と言い張られれば、こちらにはもうそれ以上の話し合いの余地が見出せない。
71人間七七四年:2008/04/29(火) 16:26:23 ID:wLuw1irx
ああ、見出せないと言いつつしつこくレスをしてるな。
この件に関しては勝手ながら自分は一旦引き上げます。
72人間七七四年:2008/04/29(火) 16:43:42 ID:o9nZ3yhe
【聖火リレー】 各地を赤い中国国旗で埋め尽くした「聖火応援隊」、やっぱり中国が動員…当局が旅費負担★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209452268/
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1209451926/

【企業】 ローソン、中国人留学生を大量採用
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209342742/

【聖火リレー】 泣きながら乱入した男性は台湾在住のチベット亡命2世…「フリーチベット」の叫び届かず★5
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209302306/
【マスコミ】 勝谷誠彦「聖火リレー乱入男性は、中国による処刑前日に亡命したチベット人の息子。日本のメディアはなぜか報じない」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209362611/

【聖火リレー】長野駅前は“戦争みたいな状態”中国人と日本人ら数千人が衝突…踏みつけられたり旗を奪われたり★6
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209282780/

フリーチベットデモ参加者を「キック!」襲撃する中国人留学生 (写真あり)
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1209307103/
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209342856/
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1209332454/
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1209433432/
73人間七七四年:2008/04/29(火) 17:03:10 ID:jM+xkmH0
>>70
>野田城陥落後も信玄がなおも三河切り取りの動きを見せればその結果如何によって取り得る行動も変わってくるので思い切っては動けない。
断定でしょ、これは
74人間七七四年:2008/04/29(火) 17:17:42 ID:1/PUKq4X
信玄の三河・遠江の切り取りも山間部が中心なら様子を見る。
浜松城や岡崎城が信玄に攻められれば信長は動く。

そういう方向でいい?
75人間七七四年:2008/04/29(火) 17:59:09 ID:5DSY8fyc
>>74
×攻められれば
○落ちそうになれば

どれくらい時間かけるつもりか知らんけどね

日本の城ってマジで攻めれば簡単に落ちる…ってか?
76人間七七四年:2008/04/29(火) 18:07:51 ID:OSBDrZ7H
>>65
信玄が信長を引き付けるのが役目とか思ってるわけ無いわな。
武田が織田を引き付けていても他に織田を打破できる勢力は無いだしね。
織田を引き付けて長期間本国の守りを手薄にしていたら、
越中での一揆を片付けた上杉が織田の要請があってもなくてもこれ幸いと攻めて来るだろうし、
メリットよりもデメリットがでかい。
それに武田以外の反織田勢力が織田を打破する(無理だと思うけど)よりも先に
上杉が越中問題を解決するんじゃないかな?
まあ信玄の性格からして真の目的は火事場泥棒なんだと思う。

>>74
浜松城は当時は珍しい石垣を備えていて堅城で
三方ヶ原で敗れたとはいえ5千〜6千はいただろうからそうそう落城しないだろうし、
浜松までは結構距離があるから動かないかも。
数百程度の兵の二俣城、野田城に手間取ったのだから
力攻めをしない限り半年以上は籠城可能だと思う。
徳川本隊には数百規模の鉄砲を保有しているだろうから堅城に篭って鉄砲を駆使されたら
長期戦は必須になるだろうね。

岡崎城は尾張と目と鼻の先の位置だし、思い切って大軍を動かして徳川と連携してくる可能性が高いと俺は思う。
岡崎城が浜松城のように堅固な城で数千規模の兵がいて長期間籠城が可能なら動かないかもしれないけど、
岡崎城の守備兵(あと吉田城)ってどれくらいいたんだろう?
西三河・東三河のそれぞれ旗頭の石川、酒井が三方ヶ原に参戦していたからあまり守備は堅くないのかな?


77人間七七四年:2008/04/29(火) 18:12:41 ID:wLuw1irx
>>76
> まあ信玄の性格からして真の目的は火事場泥棒なんだと思う。

あまり先の事を考えず取れると思えた所は取っていこうという考えだったのではないかとw
78人間七七四年:2008/04/29(火) 18:13:58 ID:1/PUKq4X
>>75
死ぬ気で攻めれば多少の時間は短縮できるかもしれませんが。
信玄は二俣城を十月十六日から十二月十九日にかけて開城に追い込んでいます。
79人間七七四年:2008/04/29(火) 18:38:12 ID:5DSY8fyc
>>78
つまり小城に二カ月かかってる
ましてや援軍の可能性のある浜松など落とせんね
そしてそんな事は信玄はしないね
信玄は生きててもただ帰るのみ
言い訳は
・上杉が気になった
・畿内の情勢が聞いた話しと違う
・朝倉が撤退した
・また病気になった

そして甲斐で家臣に看取られながら静かに病没
当主勝頼となって史実通りの道を歩む
80人間七七四年:2008/04/29(火) 18:39:38 ID:1/PUKq4X
>>76
私も岡崎城なら織田軍も援軍に来ると思いますよ。
岡崎城の守備兵と織田軍、後方からは浜松城の徳川軍の後詰。
織田・徳川連合軍から見れば絶好のチャンス!

浜松城は落ちそうになれば織田軍の援軍は派遣されるのでしょうが。
まあ、私も長期籠城戦になると思いますので同意かな。
81人間七七四年:2008/04/30(水) 00:06:58 ID:hY3A8uvI
まず信玄は浜松や岡崎を落とすというのはそうとう無理があるんじゃないだろうか?
岡崎ならまだしも浜松を落とすとなると相等時間がかかるわけだし
その間国力で劣る反織田連合が耐え切れるとはとても思えない
もし耐え切れたとしても織田は徳川救援にくるだろうし
武田の財政状況も厳しかったんじゃないか
82人間七七四年:2008/04/30(水) 06:52:13 ID:wmcfTUUW
うん
もう戦国板では信玄大遠征(笑)は終わってるね
戦国板を諦めてゲーム板で大遠征マンセーかましてるのには笑ったが
83人間七七四年:2008/04/30(水) 15:38:52 ID:CFDEsWTo
ゲームは一国に1つか2つしか城もないし幾らでも大遠征できそうだな
84人間七七四年:2008/04/30(水) 17:19:11 ID:CCt1nBo4
>>82
ゲーム板て歴史ゲーム板?ちなみにどのスレ?
85人間七七四年:2008/05/01(木) 07:59:35 ID:zSckXZYg
どのスレかは忘れたけど、ちょーどこっちの武田厨が大人しくなった頃に歴史ゲーム板で一時期やってたな
86人間七七四年:2008/05/02(金) 04:45:37 ID:eojw+lFd
>>82
>>85
俺はここのスレしか言わないよ。
大人しくなったのでなく、自分の理論を確かめるため京都福井滋賀岐阜長野もちろん東海へ調査してきたよ。
新しい発見があったよ。特に秋山隊関係だよ。
87人間七七四年:2008/05/02(金) 04:56:11 ID:eojw+lFd
秋山隊の新発見

秋山隊に押さえの兵を派遣しても無駄であり、秋山隊は信長軍を攻撃・けん制するのではなく、街道を使用せずに岐阜城を直接に攻撃する役割を担っていた。
88人間七七四年:2008/05/02(金) 05:19:54 ID:eojw+lFd
秋山隊の対策として、岐阜城周辺に兵を置かなければ効果がない。
信玄は、信長が出撃した場合、秋山隊に岐阜城を急襲させ、織田軍の混乱をねらったのではないか?
岩村城は美濃攻略の足がかりではあるが、岐阜城のわき腹をツクには最適であり、なだれ込める位置にある。
そして、それを可能にしているのが岩村城の周りにある山々である。
信長は秋山隊の動きに過剰の反応して躊躇していたのではないか?
大切なのは岩村城占領の早さ。岩村城を早い段階で占領したからこそ信長は動けなかったのではないか?
岩村城がワンテンポ遅く占領していたら、信長は出撃した可能性が高い。
89人間七七四年:2008/05/02(金) 05:29:01 ID:BYFdxdo3
今日はアンティノミーは早起きだな
90人間七七四年:2008/05/02(金) 05:42:06 ID:eojw+lFd
岩村城の山々は、美濃のいたるところ・信濃・三河に出入りができるため。押さえるのは困難である。
唯一確実なのは、城周辺である。
91人間七七四年:2008/05/02(金) 05:44:04 ID:BYFdxdo3
>>90
じゃあ東海のどの町に寄ったの?
92人間七七四年:2008/05/02(金) 07:20:15 ID:3gNNW5pg
街道ってもんがなんのためにあるか、とか。
実際に信長は岩村の周辺に兵を配置してある、とか。

そういったことはまったく知らないんだなこいつは。
93人間七七四年:2008/05/02(金) 09:26:53 ID:Z75YR8wK
>>92
信長の野望じゃ、岩村と岐阜の間に他に城は無いからね。(笑)
94人間七七四年:2008/05/02(金) 11:32:52 ID:rW4K/XDk
岩村から岐阜まで直通で行けたら苦労せんわな
それに秋山の手勢だけでのこのこ岐阜城周囲に現れたら
包囲殲滅で終了しそう
95人間七七四年:2008/05/02(金) 13:09:20 ID:eojw+lFd
君らこそ街道を使わなければ行けないと考えすぎではないか?
あの距離ならば山岳戦の延長でできるし、そもそも、甲斐勢は山・谷・川は強いよ。
岩村城周辺ほど、多くの兵で十分用意して配置させないといけない。そんなに兵を置いたら信玄本隊とやるのはきついのではないか?
美濃攻略としてならば、多大な兵の行軍に街道は必要だが、急襲部隊としてならば山をつたって途中の街道に下ったり好きな事ができる。
岐阜城を陥落させなくてもいい、岐阜城に接近・包囲でも信長本隊は動揺するのではないか?
96人間七七四年:2008/05/02(金) 13:16:14 ID:uh6xtthh
信長より先に美濃攻略してればよかったんじゃね?駿河攻略で後継者抹殺することになったし。
97人間七七四年:2008/05/02(金) 13:28:39 ID:eojw+lFd
信長の城(清洲・岐阜・安土)をみて、織田勢は攻めるため多大な兵を送り出す力強さは感じるが
防衛意識にそんなにツヨクないのではないだろうか?
98人間七七四年:2008/05/02(金) 13:30:22 ID:DeiYTzmH
誰の著作だったか忘れたが、元亀三〜四年時の信玄は三河・遠江を徳川との緩衝地帯とした後、岩村城から岐阜を衝き信長との決戦を目的としていたというのがあったなあ。
99人間七七四年:2008/05/02(金) 13:37:49 ID:mFWDAdXo
>>96
信濃にこだわりすぎ、ってのは聞くよな。
上杉と直で領土接せずにいれば、とか。
南信より北信の方が豊かだからだろうな。
上野も。
100人間七七四年:2008/05/02(金) 14:01:03 ID:eojw+lFd
岩村城は本当に天然の要塞だな。周辺の山は圧巻だよ。行ってびっくりしたよ。あれじゅあ叩くのにも押さえるのにも大変だよ。
ちゃんと対策をするならば、長期的でないとちょっとの時間と兵では厳しいのではないか?
101人間七七四年:2008/05/02(金) 14:54:03 ID:217aXY0R
>>100
大遠征の人?
真面目に聞くが釣りじゃ無いんだよな
102人間七七四年:2008/05/02(金) 15:14:09 ID:/kAqlu1q
信濃にこだわりすぎともいうが美濃を取る方が難しいんじゃないか?
103人間七七四年:2008/05/02(金) 15:18:43 ID:DeiYTzmH
多分ね。
104人間七七四年:2008/05/02(金) 19:11:05 ID:GIdexE+4
信濃を統一していない国力でしかも木曽路を使って美濃制圧とか不可能だな。
それに善光寺の利権は魅力的で捨てがたいし、国土防衛の視点から見ても
西上野は是が非でも手に入れておきたいしね。
北信濃&西上野への進出は必然のことだろうね。
105人間七七四年:2008/05/02(金) 20:23:05 ID:ubP0yCEf
秋山3000はがら空きの自領に上杉や織田が入ってきた場合の弟一陣の役割があるでしょ?
動く時は
・上杉南下の際に信玄が帰ってくるまで少しでも北方で上杉を食い止める
・織田が木曽路から入ってきたら地形を生かして食い止める
そのためのあのポジションだったんでしょ?
攻撃の為には動かせない兵ではないのか?
106人間七七四年:2008/05/02(金) 20:25:42 ID:3gNNW5pg
ID:eojw+lFdに質問なんだが。

なんで、秋山は実際に岐阜を衝く、少なくともそんな動きを見せなかったんだ史実では?
>信玄は、信長が出撃した場合、秋山隊に岐阜城を急襲させ、織田軍の混乱をねらったのではないか?
これがあなたの主論ですよね?

天正元年
四月 上洛して上京放火。
七月 上洛して将軍追放。
八月〜九月 江北出陣。朝倉浅井滅亡。
九月〜十月 北伊勢出兵。
十一月 畿内の諸勢力を討滅。

天正二年
四月 本願寺と高屋城攻撃。信長は在京。
六月 高天神城救援に三河へ。
七月〜九月 長島殲滅。

天正三年
四月 本願寺、高屋城攻撃。三好笑岩降伏。
五月 長篠の戦い。

秋山が岩村を落としてから長篠まで、信長が軍を率いて岐阜を留守にした戦いはこれだけあります。
なんでこの時に岐阜を衝かなかったの?
107人間七七四年:2008/05/02(金) 20:30:19 ID:NgNCCIZJ
>>104
信濃制圧にあれだけの時間がかかった段階で、
信長より早く美濃を取るのは完全に不可能といっていいでしょうね。
108人間七七四年:2008/05/02(金) 20:31:56 ID:DeiYTzmH
天正二年正月に勝頼が岩村まで出てきて明智城を陥としてる。
もっとも秋山単体ではないし、信長も秀吉や丹羽らを越前一揆平定に派遣したとはいえ岐阜城に在城してるし、方向も違うしw
秋山は東美濃に橋頭堡を築き保持するのだけが目的だろうなあと思う。
109人間七七四年:2008/05/02(金) 20:59:46 ID:ubP0yCEf
>>95
とりあえず君の言うように強襲部隊として美濃に入ってきて、動揺してる信長本隊と武田本隊がぶつかってる(もしくはぶつかりそうになってる)時に上杉が南下してきたら信玄はどうするつもりだったのか、教えてくれ

俺が思う信玄はそんな危険な賭けはしない男だと思うのだが…
110人間七七四年:2008/05/02(金) 21:37:07 ID:eojw+lFd
秋山隊の役割を知りたいなら、
関東遠征・トドリの戦い(八王子攻防)小山田信茂に着目してほしい。
まず、武田軍の山岳活動は当時の常識を超えていた。岩村の山々から岐阜城周辺の山に抜け出す事は甲州勢なら可能
3000は普通の平地兵ではなく、山岳を活発に動く精鋭部隊であり、これ以上兵が多いと逆に活動に支障がでる。
信玄戦術パターンである。それは信玄本隊と別動隊(数は多くないが、精鋭、活動が活発でありわき腹をツク役割)による守備敵への混乱
岩村周辺の環境は、関東遠征を強行した武田勢には抜群の相性であり八王子攻防・三増峠の再現になる可能性がある。
また、後で書く。
111人間七七四年:2008/05/02(金) 22:14:08 ID:ubP0yCEf
>>110
そんな都合のいい事が本当にできると思ってたなら、なぜしなかったのか?

その精鋭部隊とやらが敗れた場合、逆に織田が信濃に侵入してくる可能性があるが、それでもよろしいか?

武田本隊が敵地深く入ってきて負けたなら信玄も勝頼も重臣も生きて帰れる保証は無く、最悪武田家が滅ぶかもしれないのに、それでも西上する必要がどこにあるのか?

そして対上杉には危険な賭けに出てしまう男と考えてもよろしいのか?

どれか一つでも失敗があれば武田家存亡の危機になるかもしれないわけだが…信玄とはその程度の男なのか?
112全板トナメ戦国板の投票日は5/3!:2008/05/02(金) 22:23:18 ID:NFfon+AX
【第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント】
明日5/3日は戦国板の投票日だよー

選対スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/
投票方法
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/477
113人間七七四年:2008/05/02(金) 23:29:26 ID:3gNNW5pg
>>110
いいから質問に答えてくれ。
どうして精鋭部隊秋山は岐阜を攻撃しなかったの?

天正元年の江北出陣でやっていれば朝倉浅井は滅びなかったかもしれないし。
他家に連動する気がないというのなら、高天神やそのものずばり長篠でどうして
秋山隊は動かなかったんだ?
114人間七七四年:2008/05/02(金) 23:36:41 ID:KrCZeGeO
>>61
信長が上洛しだしたのは信玄が長篠から北上し出した前後だから
見方によっては美濃への転進のようにも見えるにも関わらず、
義昭へ和睦を迫り、帰りには六角や寺社へと攻撃している。

1572年の虎御前山からの撤退も武田の遠征前で、武田との因果関係は無いし
後の勝頼の遠征時も織田は武田よりも畿内を優先している。

武田がリスクを冒して恵那から西に進むとか西三河にまで進むなら、
織田も岐阜に留まるかもしれないが、そうでないなら史実通り積極的に打って出ると思う。

出来た、と言い張るわけじゃないが、史実に基づくなら武田がよほどの動きを見せない限り、
この件に関しては出来たと考える方が合理的だと思うが。
115人間七七四年:2008/05/03(土) 00:45:55 ID:dJZSJ5wH
武田脳理論

秋山=信長では倒せない鉄壁の守護神
116人間七七四年:2008/05/03(土) 01:22:32 ID:YOdPtOXL
山の中を飯も食べずに隠れて行軍とかどんな無茶だよw
数千人分の米炊けば直ぐに発見されちゃうぞw
117人間七七四年:2008/05/03(土) 01:27:07 ID:dZUNjzQO
>>110
>>113
岩村陥落は、西上作戦の一部の侵攻なんだよ、信玄本隊をサポートするための部隊で守りもやるが、状況によってより美濃侵攻も行うのではないか?
なぜ、西上作戦真っ只中なのに、守りオンリーになるの?
君らがよく言う守りオンリーは西上作戦が落ち着いてからのことではないか?
岩村から先は信玄が西上が進まないかぎり、単独では動けないよ。
なぜ、そんなに上杉を気にかけるのか?上杉はこの時は武田領に兵を向ける余裕などないよ。
むしろ、一番危険なのは北条ではないか?
118人間七七四年:2008/05/03(土) 02:25:13 ID:dZUNjzQO
知っている人もいるかもしれないが追加させて。
トドリ(漢字変換できない)合戦とは、当時の常識で軍勢が通れないと思われた小仏峠(東京〜神奈川山梨の境界線)を
別動隊である小山田が大月から険しい山岳を行軍して、小仏峠越えを果たし
八王子侵攻して、北条勢(驚いて派兵)を僅かな手勢で撃破した戦があったんだよ。心霊で有名な八王子城築城の契機を作った戦でなんだけど、
このことからも、武田が山岳で並外れた力を持っており、この小山田と同じことを秋山がしようとしたのではないか?
ちなみに岩村城は僅かな兵をおけば、すぐに力攻めで落ちないから織田にとられることはない。

119人間七七四年:2008/05/03(土) 05:06:23 ID:kWP67rqx
>>118
上杉は動けない「だろう」

少しの兵でも置いておけば岩村は落ちない「だろう」

秋山もうまくやってくれる「だろう」

例え敵地で負けたとしても、織田徳川の追撃から無事に逃れられる「だろう」

どんな最悪な状況で上杉南下があったとしても、なんとかなる「だろう」

そういう事かな?
120人間七七四年:2008/05/03(土) 06:05:06 ID:Cz2M2jgq
秋山の場合はまず恵那郡制圧しないことにはどうにもならないと思うが
秋山単独じゃそれさえも時間かかるんじゃないかと
史実でも1574年の勝頼の遠征で恵那郡を制圧できたわけだし
121人間七七四年:2008/05/03(土) 07:31:26 ID:kWP67rqx
だいたい秋山をほんとに動かしたとして、謙信の大っ嫌いな一向衆のボスキャラと戦ってる信長が窮地に立たされれば、がら空きになった武田領に2000でも3000でも兵を向けるだろうしね
それくらいの余裕はあるだろうし、無くてもそれくらいはやるだろうし
信長が本願寺攻略に失敗したら困るのは謙信なんだから
122人間七七四年:2008/05/03(土) 07:52:41 ID:AVcMJi7v
>>117
>岩村から先は信玄が西上が進まないかぎり、単独では動けないよ。
自分で結論だしてるよね
信玄の西上の仕方を書いてくれ
123人間七七四年:2008/05/03(土) 10:30:03 ID:/I6T+M6W
>>118
仮に秋山隊が少数による山岳突破できたとしても、少数では出来るのは周囲の焼き働きか、
慌ててでてきた準備の整っていない部隊を野外で撃破するくらいで、岐阜城を脅かすこと
などできそうにない。それじゃあ信長にとって大きな脅威にはならない。

ところでいい加減に質問に答えて欲しいんだが。
そんなに強い秋山隊は、史実ではどうして信長の留守中に岐阜を襲わなかったんだ?
124人間七七四年:2008/05/03(土) 13:47:15 ID:dZUNjzQO
>>123
もう結論だしてるよ。重複するが
秋山隊は、信玄本隊の決戦を有利にするためのサポート活動として、岐阜城を急襲できるが、
単独ではたとえ信長が留守でも無理(仮に岐阜城占領しても天然の要塞である岩村城と違い岐阜城を保持するには困難)
あくまでも、信長勢の決戦・岐阜城完全陥落は信玄本隊がやること。
西上作戦以後は単独では専守に切り替わる、長篠合戦時は信長がデカクなりすぎて守ることで精一杯になった。
山岳経由で岐阜城急襲(信長勢・要所でもいい)は十分脅威で秋山隊に、平地兵である織田勢は押さえとして同値である3千〜5千では無理。最低でも1万なければいけない、そうなれば、信玄と決戦はどうなる?が主論
まあ、仮に信玄があのまま西上して、信長が篭城策採らずに出撃した場合と仮定した場合だが。
城にこだわったのは、信長勢は防衛意識が薄いのではないか?
だから城周辺の攻防は織田勢は押されてしまうのではないか?が考慮されている。
125人間七七四年:2008/05/03(土) 14:47:40 ID:IE3/JT1S
>平地兵である織田勢は押さえとして同値である3千〜5千では無理。最低でも1万なければいけない
ここ笑うところ?
126人間七七四年:2008/05/03(土) 15:04:16 ID:kWP67rqx
>>124
すげーな!
鎧着た忍者みたいなのを想像すればいいのかな?
とりあえず農民兵ではないよな
精鋭部隊というより特殊訓練を受けた特殊部隊だよな

そして上杉が来たら諦めるんだな?
運を天に任せるわけだな?
127人間七七四年:2008/05/03(土) 15:18:45 ID:kWP67rqx
とりあえず「こっちの農民のほうがそっちの農民より三倍強いんだぜ」ってのは勘弁してくれな
128人間七七四年:2008/05/03(土) 15:36:25 ID:AVcMJi7v
>>124
信玄の西上軍は徳川勢にどれだけの
抑えを残して西へ向かうんですか?
あなたの言い方だと1万5千位ですかw

あとテンプレにあるように武田軍本隊はいったいどれだけの期間
甲斐に帰らず敵国の中で軍事行動できるんですか?

同数程度で決戦して武田が有利な根拠は?

あなたは逆に信玄を馬鹿にしてるようですね
信玄はそんな思慮の浅い人物では無いと思います。
129人間七七四年:2008/05/03(土) 15:41:25 ID:pVT+2+SI
>>124
山岳兵(笑)を抑えるのには3倍の兵が必要ってww
武田兵は三河兵の3倍強い理論と同じ妄想だなw
他国に侵攻する兵の方が多くないと厳しいてのが現実だべ。
130人間七七四年:2008/05/03(土) 15:46:57 ID:/I6T+M6W
>>124
自分の主張を自分で否定しているって気付いて………ないんだろうなあやっぱ。
131人間七七四年:2008/05/03(土) 18:31:26 ID:pVT+2+SI
>>124
そもそも何を根拠に信長勢は防衛意識とやらが薄いのかがワケワケメなんだよなw
防衛意識が薄い戦国大名なんて皆無だよ。
織田家の場合、東方面は徳川・武田との同盟で安全にして、西方面は基本攻めの姿勢だから
本領地である尾張・美濃で戦闘になることはまずない。
武田家の場合も基本的に織田家同様他国に侵略することによって自国で戦をしないようにしている。
ということは武田家も織田家同様に防衛意識とやらが薄いというのか?

織田家・武田家共に外に攻めることによって攻撃は最大の防御を実践してたというわけだな。
かといって守勢になった途端、防衛意識が弱いとかで織田のほうが兵が多いのに劣勢になるとか暴論過ぎるだろ。


132人間七七四年:2008/05/03(土) 22:31:11 ID:OhQ6K1s0
逃げたw
133人間七七四年:2008/05/03(土) 22:49:25 ID:pVT+2+SI
>>132
これは戦略的撤退だ。決して負けを認めたわけではない。
戦況が不利な状態で戦を続けるのは匹夫の勇であるとか思ってるんだろうなw
134人間七七四年:2008/05/03(土) 23:52:05 ID:dJZSJ5wH
武田厨は、織田が落城に苦戦したからって秋山を織田キラーの名将のように思っているようだが、
その理論だと、武田の大軍を何度も蹴散らした飯山城主の高梨も武田キラーの名将って事になりそうだな。

ああ、武田キラーは村上義清もいるか。
135人間七七四年:2008/05/04(日) 00:34:44 ID:Thxhlcp7
>>132から>>134みたいに煽りばっかりのはなんとかならんのか。
136人間七七四年:2008/05/04(日) 01:35:21 ID:vIyye84L
>>135
誰かを馬鹿にする事で優越感に浸りたいのだろう。

スレ的には「上洛は無理だろう」で結論でてるしたまに出る無茶な論法で釣ってくる奴を釣りと分かりながら相手するしかなくなってるしね。
武田が上洛するには徳川をどうにかしないとどうしようもないが、簡単には行かないだろうからね。

徳川をどうにかするには吉田城を落として徳川領を分断すれば良さそうだけど、吉田城がそもそもおち無そう。

浅井だって領地を分断されてもかなりもっているから徳川だってかなり持つだろう、その間に織田が近畿を制圧して終了って言う意見もあるが、
徳川と浅井の違いは徳川本隊がいるのは最近取ったばかりの遠江であり、本来の本拠地である三河が手薄と言うところ。
浜松に詰めている家臣達の領地も大半は三河にあるのだろうから、三河を蹂躙されて浜松の兵がどの程度動揺せずにいられるか。
動揺して離脱者が出始めては歯止めが利かないのでは。

まあ、無理だろうが。
137人間七七四年:2008/05/04(日) 02:27:24 ID:gGtnvz9S
調べれば調べるほど、畿内で織田に攻勢に出られる勢力が見当たらないからなあ。

野外決戦で奇跡の大勝利でも無い限りほとんど可能性がないのに、まず決戦も起り
そうにない。
138人間七七四年:2008/05/04(日) 03:02:57 ID:VRIzdLyU
>>136
では、信玄が死ななくても甲府へ帰るということなの?
139人間七七四年:2008/05/04(日) 03:13:06 ID:ApnXY1c3
近畿も膠着してたからね。
織田本隊が到着すれば一気に織田有利に傾く。
140人間七七四年:2008/05/04(日) 05:05:36 ID:TI27BFZX
信玄が生きてれば「織田が東に向ける兵を集め始めた」という情報が入った時点で引き返すだろう
軍を動かしてからでは追いつかれた場合、追撃される形になるし、プライド的にも逃げるみたいな形で引き返したくはないだろうし

あの時点でも信玄のやりたかった事(織田が忙しい間に徳川から領土をかすめ取る)の半分くらいの事はできてたんだから、戦果のある内に終わらせたいと判断するんじゃないかな
141人間七七四年:2008/05/04(日) 15:13:31 ID:vIyye84L
まぁ東に兵を向けるという情報だけでは引き換えさんだろうけど、信長が武田と同等以上の兵を引き連れてくれば退却したかな。

上手く行くかは別として、織田が来るまでに三河方面を城を出来るだけ多く占拠し、浜松には「占拠した三河の領地と遠江を交換する事を条件」に和議を申し込む。
三河からの譜代衆と遠江衆との不破をあおって遠江衆には「三河衆など自身のことしか考えていない武田に協力すれば領地は安堵」と裏切りをそそのかし内通させ浜松を落城。
当然三河の領地も返却せず押しつぶす。

うーん。都合よすぎるな。
142人間七七四年:2008/05/04(日) 15:37:48 ID:/O10D5Uf
>>三河方面を城を出来るだけ多く占拠し、浜松には「占拠した三河の領地と遠江を交換する事を条件」に和議を申し込む。
まあ普通にないだろうね。てか戦国時代に領土交換なんて事例自体無いんじゃね?
143人間七七四年:2008/05/04(日) 16:32:07 ID:TI27BFZX
軍を動かされてしまってから引き返したのでは、動きだした織田軍に城を取り換えされてしまう可能性があるし、やはり動かれる前に引き返して、あとは城をいくつか返してでも外交で何とかしようってのが信玄らしいと思うけどな…
信長が飲むかどうかは別として
タイミングにもよるけど
144人間七七四年:2008/05/04(日) 16:40:58 ID:NQJLd/Y2
信玄がもうちと頑張れば三河の大将は三代連続でってことになってたかもしれんのかな
145人間七七四年:2008/05/04(日) 17:32:23 ID:vIyye84L
>>142
>まあ普通にないだろうね。てか戦国時代に領土交換なんて事例自体無いんじゃね?
俺もそんな事例聞いた事無い。
まぁ何事も初めてという事はあるので、前例が無い=不可能 と言う訳ではないだろうけどね。
信じさせるのは家康でもなく家臣全員でもなく、内応して内側から城門を空けるなどの手引きが出来る程度の人数でいいんだし。

>>143
信長が援軍に来るらしいと言うだけで退却する方が外聞的に問題ありそうじゃないかな。
>動きだした織田軍に城を取り換えされてしまう可能性があるし、
これの意味が分からん。
取り返されるんだったらどっちにしろ取り返すだろう。
織田軍迫るの報だけで退却したら実際には織田軍はやってこず城は取り返されないと言うのか?
146人間七七四年:2008/05/04(日) 17:57:27 ID:TI27BFZX
>>145
そうでは無く、動き出す前に外交交渉にもっていくほうがいいんじゃないか?
敵地で織田軍とぶつかるのは危険
かと言って切り取った城を守ろうにもそんなに兵を置いておけない
それでは何のための西上作戦起こしたのか分からない
更に織田を敵に回したままでは駿河だって危ない
織田とは必ず和議の機会を設けなくてはならない
では、どのタイミングが良いか?
俺は織田が東に軍を向ける前がいいと思う
147人間七七四年:2008/05/04(日) 18:23:23 ID:vIyye84L
>>146
>そうでは無く、動き出す前に外交交渉にもっていくほうがいいんじゃないか?
織田と外交交渉してある程度の城を確保もなにも、取られているのは徳川の城。
徳川の城の所有権の外交を織田と武田の間では出来ない。
織田があくまで徳川の援軍の立場なら、徳川の味方として取られた城を取り戻すしかない。
織田がそれはいやで徳川を犠牲にして武田と和議をしたいと言うならそれこそ徳川が離反する。
信長はそれほど馬鹿ではないだろう。

外交相手は徳川とするべき。
つまり、外交するなら援軍の信長軍が来る前に徳川に和議を申し込む。
そして、>>141の作戦。
148人間七七四年:2008/05/04(日) 18:34:47 ID:TI27BFZX
>>147
織田とは岩村の件もあるし、織田を通して徳川に返したほうが織田の顔も立つと思う
勿論和議の条件としてどの城を引き渡すかは徳川も交えて決めなければならないが、まず信玄にとって重要なのは利があった上で織田との同盟再締結だろう
そして次の機会を待つ
もっとも信玄があと10年生きていてもその機会は訪れないわけだが・・・
149人間七七四年:2008/05/04(日) 18:50:25 ID:vIyye84L
>>148
根本的にどうしても分からないことが有る。
どうして軍団を引き上げさせた後に城の所有権の交渉ができると思っているのか?
和議の事例をすべて知っているわけではないが、和議を成立させてから軍団を引くものではないのか?

>織田とは岩村の件もあるし、織田を通して徳川に返したほうが織田の顔も立つと思う
徳川の顔が立たないと言う話をしている。
どうして織田と武田の和議について、「徳川の城の所有権」を「徳川も」交えて話をしなければならないのか。
150人間七七四年:2008/05/04(日) 19:17:18 ID:/O10D5Uf
>>145
>まぁ何事も初めてという事はあるので、前例が無い=不可能 と言う訳ではないだろうけどね。
それを言ったらどんな奇策でも可能性有りってなっちゃうんだけどね。
家臣・領民達が先祖伝来の土地に執着心があった時代なんだからそう簡単には領土交換なんて出来ないはず。
だから実際そんな事例は無かったわけで、この件に関しては実現性は限りなくゼロに近いはず。
もし三河の領土を取り戻すために遠江を差し出してしまえば、徳川に対する遠江の国人衆・領民達の支持は失われ、
再び信頼を取り戻すのは不可能に近いだろうね。そんな下策を家康が犯すとはとても思えないよ。
三河・遠江両国に徳川の影響力を残すためにも徹底抗戦する可能性が大なんじゃないかな?
もちろん一時的な休戦はありうるけど、領土交換なんて事はさすがに極論過ぎるよ。

>当然三河の領地も返却せず押しつぶす。
これは武田にとってデメリットでかすぎだと思う。
協定違反で先祖伝来の土地を奪われた三河の国人衆の激しい抵抗は必須だわな。
特に三河という土地は松平(徳川)氏の影響力が半端なく大きい国柄だったわけで、
松平残党・国人衆・領民達の抵抗は尼子残党クラスの激しいものが予想される。
武田は領土が増えて国力・動員数が増えたからといって=全てを西に向けることは不可能。
それどころか三河を平穏化するために甲斐信濃本国の兵を使う必要があり泥沼化の戦いを強いられることとなる。
協定違反で三河を手に入れてもプラスになるどころかとてつもなく危険な火薬庫を腹に抱え込むことになると思うよ。


151人間七七四年:2008/05/04(日) 19:29:12 ID:vIyye84L
>>150
>家臣・領民達が先祖伝来の土地に執着心があった時代
その執着心を利用して「取られた先祖伝来の土地を返してもらえる三河衆」の心理を利用しようと言うはなし。
>>145でも書いたが家康が引っかからなくても三河譜代の臣の数人かが自身の土地惜しさに「三河こそ徳川発祥の地ここさい
遠江は一旦諦めては」と言い出せば、浜松に詰めている遠江衆の何人かは徳川を見限るのではないか?
と言う話。
念のために言っておくけど、領地交換の交渉を成功させようと言う話じゃないよ。

>これは武田にとってデメリットでかすぎだと思う。
>協定違反で先祖伝来の土地を奪われた三河の国人衆の激しい抵抗は必須だわな。
領地を取る積りなんだったら変わりないと思うが。
152人間七七四年:2008/05/04(日) 19:30:21 ID:TI27BFZX
>>149
じゃあ軍を引く前に和議に出る
和議は徳川武田二者による話し合い
これでよいか?

だが徳川から取った城はともかくとして、織田から取った岩村は武田の喉元のような場所
これを返すか返さないかが最重要課題だと思うし、徳川との和議が成ったとしても織田との確執が解決できなければ意味がないだろうし、やはり武田としては織田との和議がメインとなるのではないか?
織田が軍を起こし、対峙あるいは衝突してしまえば徳川との和議だって徳川側から反故にされる可能性大だし、やはり織田が軍を起こす前に織田徳川武田の三者による話し合いが良いのでは?
153人間七七四年:2008/05/04(日) 20:04:22 ID:vIyye84L
>>152
>じゃあ軍を引く前に和議に出る
>和議は徳川武田二者による話し合い
>これでよいか?
うむ。

ちょっと>>140>>143の地点にもどって、改めて君の思う「信玄らしい行動」を纏めて見てもらえないか?
154人間七七四年:2008/05/04(日) 20:31:36 ID:TI27BFZX
>>153
「信玄らしい行動」

チャンスがあれば約束を反故にして攻めてくる
狡猾
卑怯

だから織田とガチンコでぶつかる前に、また和議を結び、次のチャンスを待つ
和議が締結しなくても交渉を続けている間は大きな軍事衝突は先送りにできるかもしれない
そんな事をしている間に織田側で何かトラブルでもあってチャンスが生まれるかもしれない
とりあえず話し合いの用意がある姿勢を見せておく

信長が飲むかどうかは別だが
155人間七七四年:2008/05/04(日) 20:44:40 ID:vIyye84L
>>154
ちょっと>>140>>143の地点にもどってと言うのはそういう意味ではないのだが。

では、俺なりに君の発言から纏めると。
織田軍が来るという情報が入ったらすぐに徳川に和議の打診をして和議を成立させ。
さらに織田軍が来る前に織田との和議も成立させると言うのが、「信玄らしい行動」と言う事でよいのかな?
156人間七七四年:2008/05/04(日) 21:00:56 ID:TI27BFZX
>>155
成立までは行かなくても、話し合いによる解決を持ち掛ける
そして時間を稼ぐ
信玄がやりたかったのは一言でいえば火事場泥棒だと思う
はなから信長とガチンコでやり合うつもりはないから、織田の様子(畿内や周辺、とくに朝倉)を見ながら盗む
そして自分の身に火が燃えうつる前に和議の姿勢を見せて火事場を逃げ出す
その際盗品をいくつか落としてもよい
信玄とはこんな感じだろう
157人間七七四年:2008/05/04(日) 21:22:34 ID:vIyye84L
>>156
信玄が火事場泥棒的に領地を取ると言うのは同感なのだが、あの時点の具体的な信玄の行動としては、交渉を長引かせて時間稼ぎをすると言うのが腑に落ちない。

大方の意見として武田が領地を広げるには現在(浅井・朝倉が健在)がチャンスであり、その間に徳川を攻略するのが必須。
なるべく早く徳川を倒さなくてはならない。
と言うものだと思う。

交渉を長引かせるなどと言うが、徳川や織田が交渉を長引かせると言うなら話は分かる。
徳川が交渉を長引かせて織田の来援を待って武田を駆逐させる。
織田が交渉を長引かせてその間に浅井・朝倉を討って武田に全力であたり駆逐する。
なら分かるんだ。
交渉を長引かせて武田に何がいい事あるんだ?
158人間七七四年:2008/05/04(日) 21:42:54 ID:TI27BFZX
>>157
すでに朝倉が撤退した時点で信玄の頭には「引き際」というものがあったと思う
もっと畿内の反織田勢が元気なら交渉も有利にできただろうし、信玄もそうなるだろうと思ってただろう
だが実際はそうでは無かった
恐らく不利な交渉を余儀なくされる可能性が高い
その不利な交渉を成立させるよりも、成否付かずに長引かせておいて織田に軍事行動させない、という手があると思う
信長としても西を片付けるまでは表立って武田と構えて邪魔されたくないだろう、と信玄は考えると思う
159人間七七四年:2008/05/04(日) 22:00:38 ID:i3DcS1FZ
武田家にとって最善は徳川の領土を出来るだけ取り
織田と同盟再構築か、遺恨が残る再同盟ですね
根本的に同盟破棄は失策だよね
本当になんで破棄したんだろ
160人間七七四年:2008/05/04(日) 22:06:44 ID:TI27BFZX
破棄というか、信玄はギリギリまで織田との同盟継続の手紙を織田に送ってるんだよね

たぶん織田とは最初からヤりたく無かったんじゃないかな
かと言って西上進めて行けば同盟破棄と思われて岩村経由で織田が入ってくるかもしれないから岩村押さえて、徳川領かすめ取って、あとは交渉で何とかしようとしてたんじゃない?
161人間七七四年:2008/05/04(日) 22:27:09 ID:vIyye84L
>>158
織田とは和平交渉を行いつつ時間稼ぎをして、その反面徳川領を占領していくと言うなら分かるけどね。

どうも君の意見はコロコロ変わっているように思えて、真意が分からない。
君の意見をならべると
>>143「織田が来る前に撤退して和議交渉である程度の城を確保」
>>152「撤退する前に和議交渉をする。織田との確執が解決できないなら意味が無い」
>>156>>158「不利な交渉なら成立しなくても時間稼ぎが出来ればいい」
となると思うのだが、織田との確執を解決すると言うのは無くなったと判断していいのかな?

>>159
戦国大名というのは基本的に自転車操業だから常に領土拡大をしないと自戒する。
飛騨とか旨みの無いところを除けば、あの時点で切り取れそうなのは徳川領ぐらい。
徳川領を攻めるには仕方が無かったんじゃないかな。
162人間七七四年:2008/05/04(日) 22:27:45 ID:boYdroEZ
>>160
ギリギリまでと言うのが何時までかは知らんけど、松永やなんかとも信長包囲網に参加する旨の手紙を早くからやりとりしてるね。
おそらく二股膏薬貼って自分にとって都合のよい方を何時でも選択できるようにしてたんだろうね。
163人間七七四年:2008/05/04(日) 22:46:26 ID:TI27BFZX
>>161
細かいなぁ〜

何でもいいから織田とはぶつかる前に領土を巡った軍事衝突になる前に、領土を巡った交渉中のほうがいいって事

んじゃお休み
武田厨と論じてるより楽しかったよ
164人間七七四年:2008/05/04(日) 22:58:06 ID:LszbO7yR
>>163
横からだけど
煽ってるように見えるから気をつけたほうがいいよ
165人間七七四年:2008/05/04(日) 23:26:23 ID:Thxhlcp7
実際煽ってるんだろう。
166人間七七四年:2008/05/04(日) 23:39:44 ID:vIyye84L
>>163
>細かいなぁ〜
自分の頭で細かい事を整合性を持って纏められないならレスしないでくれ。
真面目に相手してしまったじゃないか。
167人間七七四年:2008/05/05(月) 00:36:23 ID:T2a9Ggle
信玄って強い強いと言われてた割には信濃平定で何度か負けてるんだよな。
相手が織田徳川となると信玄存命でも最高に良くて良くて駿遠三併合くらいで本当に寿命になるような気が。
上洛までは行かないと思う。織田は武田脅威になれば朝廷使ってでも休戦して時間稼ぐんだろうし。

信玄志望後の勝つよりでは徐々にやられるがオチ?
織田の天下の邪魔はできても武田の天下までとはいかないような。

う〜んわれながら幼稚な意見だ。
168人間七七四年:2008/05/05(月) 01:01:58 ID:9cSjs189
>>166
徳川兵は動揺してないし、家康を裏切らないよ。
なぜならば、バックの信長が健在だからだよ。信長がまだ健在である以上は粘るよ。徳川領に執着する事は同感だけど、
そもそも今回に作戦は、徳川完全占領は厳しく、背後で影響を与えてる信長を一度軽く叩いてからじっくり徳川を料理することが近道と判断したのではないか?
だから、同等か+α程度なら信長勢とは闘うのではないか?
あと、俺は釣ってないからね。基本的に妥当なことでなければいけないが、少しでも可能性があるなら校挙したほうがいいと思ってるだけだよ。
まあ冗談も言ってしまったが根本はマジ、内容についてバカだの無茶だのスルーは構わんが、釣り扱いはやめてくれ。
邪魔するなと言われそうだから、とりあえずここまでにしとく。

169人間七七四年:2008/05/05(月) 01:27:59 ID:q9j8Zawp
>>167
あのまま生きてたらむしろ武田信玄は織田に敗れて
戦国最強の武田信玄という英雄は生まれなかったと思う
170人間七七四年:2008/05/05(月) 01:32:36 ID:wEn4VvAi
まあ西三河の兵はすぐ背後に織田がいるからよほど追いつめられない限り裏切らないような気がする
171人間七七四年:2008/05/05(月) 03:59:40 ID:6MoNJ6bu
上洛は無理でも三方ヶ原で家康討ち取ってたら歴史は大幅に変わったのに
172人間七七四年:2008/05/05(月) 12:49:35 ID:wH/LkAlv
>>169
信玄が生きていても織田には負けないと思うな。

信長にとって東国なんて何にも旨みが無い土地と思う。
旨みが無い割りに武田・上杉は強敵。
だから信長もあえて決戦しようとはしない。
不要な決戦をして負けたら、安定している地域の支配力にも影響する。

だから自国や同盟者の城が攻められてもワリと形だけ救援に向かって、救援する予定の城が落とされると
救援が間に合わなかったね。じゃあ帰ると言って帰ってしまう。

勝頼はこのパターンで領地を増やせられた。
信玄も長篠のようなミスを起こさなければ上洛はともかく、寿命までにそれなりの戦果は残せたと思う。
そりゃ後20年も30年も長生きすれば別だろうけど。
173人間七七四年:2008/05/05(月) 17:37:11 ID:q9j8Zawp
>>172
だから歴史はたいして変わらないってことだよ
174人間七七四年:2008/05/05(月) 17:45:30 ID:k0evEew9
まあ長篠の戦が起きようと起きまいと着々と悪化していった財政状況に勝頼同様
信玄も苦しめられることになるだろうね。
織田家との差はグングンと広がっていくだろうから、国人衆たちが調略で切り崩されないように
家中を纏めるだけで精一杯な気がする。
まあ信玄が生きていたらといっても、あと何年の余命かで状況は大分変わるだろうね。
175人間七七四年:2008/05/05(月) 18:18:48 ID:/7KKK8co
>>171
これだな。
三方ヶ原で家康死亡、あるいは捕縛。
これで信玄ひいては信長包囲網優位の目がそれなりに出てくる。
176人間七七四年:2008/05/05(月) 18:41:02 ID:wH/LkAlv
>>173
武田家が史実より長く生き延びれば本能寺の変も起こらない可能性があるし、歴史が変わらないって言う事も無いだろうけどね。

>>174
財政難が問題だね。
上杉と織田が争うまで粘れれば、上杉・武田・北条の三国同盟を結べるかもしれないし、そうなれば北信濃・上野方面の防衛費が削減できるし、連携して効果的に軍を進められるかもしれない。


>>175
信玄が元気だったと思われる頃の事を言っても仕方が無いと思う。
177人間七七四年:2008/05/05(月) 19:28:31 ID:0csi/sNP
>>174
三河駿河平定したら解消できるでしょ
178人間七七四年:2008/05/05(月) 19:53:41 ID:asLCjI/4
信玄が生きてても勝頼に毛が生えた程度の事しか出来ないんだから、そう簡単に三河なんて取れないって。
179人間七七四年:2008/05/05(月) 20:11:15 ID:q9j8Zawp
>>176
本能寺とかは変わるかもしれないけど
武田の未来に関しては大差ないということ
180人間七七四年:2008/05/05(月) 20:41:23 ID:T2a9Ggle
>>175
もともとのぶなが包囲網は圧倒的に有利だったんじゃないの?
それでも勝てなかったのは信長の運。
信玄が死ぬとか思いっきりノブの運ぢょ。

逆に運がなければ普通に信長は今川に殺されてましたよ。はい。
181人間七七四年:2008/05/05(月) 20:47:31 ID:/7KKK8co
>>180
信長も相当苦しかったのは事実だが、信長包囲網が圧倒的優位だったわけでもない。
桶狭間に関しても真正面からぶつかって義元本陣を撃ち破ってるところを見ると、運も多分にあったろうが戦場の将軍としての義元の技量に疑問符がつくので必ずしも運だけだったわけでもなさそう。
182人間七七四年:2008/05/05(月) 21:18:53 ID:k0evEew9
>>177
平定できないと思うんだけど
183人間七七四年:2008/05/05(月) 21:22:43 ID:dS6Blung
無限ループって恐くね?
184人間七七四年:2008/05/05(月) 21:41:14 ID:6MoNJ6bu
やっぱ義信が正しかった
クーデターが成功してれば武田は滅びなかったよ
185人間七七四年:2008/05/05(月) 21:53:19 ID:JNHkqxms
むしろ信長包囲網は信長有利だろ
国力や経済力が明らかに違う
朝倉はボロボロ武田も長期遠征はできないときたら
186人間七七四年:2008/05/05(月) 22:16:17 ID:TTIcn66B
>>176
逆に織田、上杉、北条と手を組む可能性も考えられないか?
上杉・武田・北条の三国同盟よりこっちのが現実的だと思うんだが。
187人間七七四年:2008/05/05(月) 22:19:53 ID:9cSjs189
一つの試論として、
武田・織田は衝突するが激しい戦闘にならず、何回か小競り合いをした後、
暗黙の了解でお互い引き、武田は徳川領を、織田は畿内に集中するのではないだろうか?
188人間七七四年:2008/05/05(月) 22:27:26 ID:wH/LkAlv
>>179
だったら、歴史と言う言葉は適切じゃないね。

>>186
可能性はあるだろうけど、織田、上杉、北条の方が現実的というのはどうだろうか。
勝頼の代ですら北条は武田と同盟を組んでるし、実際上杉は織田と戦っている。
実際、武田が東海道・北条か関東・上杉は北陸と史実でも衝突を避けお互いが多方面に目を向けているんだから、
低い確率じゃないと思うが。
189人間七七四年:2008/05/06(火) 01:11:43 ID:lPsL6A73
>>184
んな事はないと思うが。
190人間七七四年:2008/05/06(火) 01:19:03 ID:g6gAo8nE
>>187
その後は圧倒的な物量の差で武田家滅亡だろ。
包囲網が敷かれてるうちに織田を何とかしないと滅亡フラグは
回避出来ない。
191人間七七四年:2008/05/06(火) 01:21:05 ID:hcbfV18/
>>188
織田と北条は同盟結んでいたし、上杉は織田、徳川とも手を結んでいた。
武田がでかくなれば、足の引っ張り合いにしかならなかったと思うんだけど。
武田の信用度なんてほぼ0な大名なわけだし、謙信とかなんて本庄の乱を恨んでそうだしw
つか、上杉と組むとなると北信濃返さないと無理でしょ。
北条なんて織田が東進したら、いつ寝首掻いてくるか分からないし。つか、史実では織田だけでなく、
北条にも追い詰められ皆殺しにされたわけだし。
192人間七七四年:2008/05/06(火) 01:27:11 ID:lPsL6A73
>>191
実際勝頼と謙信は和睦していたはずだが。
さらにいうと謙信は信玄西上の直前まで武田と和睦をする事に躍起になっている事実がある。
北条との同盟を重んじた信玄が拒否してるけど。
北条と武田の関係悪化は御館の乱における確執から始まる。信玄当時に当てはめようとするのはナンセンスだろう。
193人間七七四年:2008/05/06(火) 02:46:01 ID:IZLdA7QT
そもそも北条上杉が武田を恐れ杉なのが問題だな

実際、隣接して織田の脅威に晒されないと
行動しない上杉北条がどうかと思うね
武田が滅んだら今度は自国の番なのにw
194人間七七四年:2008/05/06(火) 02:51:27 ID:/7odbxZM
武田を恐れていたとは?
まったくそんなことはないと思うけど
195人間七七四年:2008/05/06(火) 07:58:30 ID:hcbfV18/
>実際勝頼と謙信は和睦していたはずだが。
>信玄当時に当てはめようとするのはナンセンスだろう。

そっくりそのまま返すw
196人間七七四年:2008/05/06(火) 11:52:15 ID:lPsL6A73
>>195
いやだから最後まで読んだ?
他ならぬ謙信が信玄に対して西上直前まで和睦しようとやっきになっているんだってば。
信玄が拒否してるけど。
197人間七七四年:2008/05/06(火) 11:58:08 ID:T0IZCSPd
それにしたって、上杉・北条と同時に同盟はまず無理でしょう。
あなた自身、「北条との同盟を重んじた信玄が拒否してる」と言っているじゃあないか。
198人間七七四年:2008/05/06(火) 12:31:33 ID:lPsL6A73
>>197
一応勝頼時代にこの三家で同盟する話があったんだけどな。
上杉と北条がいがみあい、勝頼はなんとかこの話をまとめようとするが駄目だった。
取り持とうとする武田に対して、上杉と北条は互いを「この和談を妨げているのはあいつだ」といって罵りあっている。
この2家はやはり水と油なのだろうかね。まあ一回越相で同盟したんだから不可能ではないかもだが。
いがみ合っている北条と今川を和睦させた信玄の手腕があれば可能かも。
ちなみに誤解されるとなんだからいっておくけど俺は>>188さんとは別人。
199人間七七四年:2008/05/06(火) 13:36:25 ID:T0IZCSPd
当時の今川・北条との対立とは対立の年季が違うとは思うけどね。
200人間七七四年:2008/05/06(火) 14:19:16 ID:Z67KWvuW
今川の時もダメだった。だから上杉はさらにダメだろう。
と言うのなら分かるけど、今川で成功してるからな。
201人間七七四年:2008/05/06(火) 16:37:12 ID:S3/41Ep6
gるgrgrh具rg不rhるgるrhhrgh路イhごでゅアドgh同gほd儀尾dsg歩d素gほsづghdそぐh度ぐhsどうごsづhごうdhご「
d具でゅdh具hづghdしょdすgほづsgほすdhぐsdhgs
お前ら。


お前ら。
お前らが殺し短。

狛江。オあらが

お前がらdfksjkfsjdfkjdkfsdfsfs助けてt。


オ間ウェらが殺したんだろ?マジでころすgz。
202人間七七四年:2008/05/06(火) 23:31:45 ID:hcbfV18/
>>198
信玄と勝頼の時代を都合良く混ぜながら、当時の状況を全く無視しながら信玄なら〜〜とか、凄いご都合主義。
今川義元と太原雪斎カワイソス・・・・・・
北条と武田の関係悪化は御館の乱における確執からじゃないよ。義信の事もたまには思い出してあげて下さい。

192は時系列メチャクチャだし、198では信玄を神格化し過ぎてるし、楽観視にも程があるなー
203人間七七四年:2008/05/06(火) 23:51:25 ID:qq8+nKRn
>>198
武田信玄が三国同盟を提唱したといってるように聞こえるから気をつけたほうがいい
204人間七七四年:2008/05/07(水) 00:22:53 ID:uLdN/HGR
>>198
信玄の手腕なの?
セッサイ和尚の手腕だったのでは?
205人間七七四年:2008/05/07(水) 00:25:27 ID:futeGIkt
>>198
いきなりいっきに反論きて大変だと思うけど頑張ってな
あと武田信玄の小説でも読んだのかもしれないけどあういうのは
大抵主人公の手腕にされるから鵜呑みにしないようにな
206人間七七四年:2008/05/07(水) 08:45:28 ID:97RqzwIj
それほど大合唱で否定するような事でも無いだろう。
可能性があるかないかと言えば、なくも無いんだし。
まったく可能性が無いと言うなら、むしろまったく無いと言う説明が聞きたい。
今までのレスの内容だと、精々、簡単にはいかなさそうだくらいなもんだろう。
207人間七七四年:2008/05/07(水) 10:21:04 ID:Zd0DRdAy
そりゃもちろん、まったくなくはないよ。

武田が領土を割譲するとか、譲歩しまくって両者に利益を与えて妥協点を提示できれば。
208人間七七四年:2008/05/07(水) 10:50:25 ID:97RqzwIj
勝頼の代ですら上杉・北条とそれぞれ領地を割譲せずに同盟出来ているのに、武田が領地を割譲しないと、上杉・北条関の同盟が出来ないって意味がわからんな。
209人間七七四年:2008/05/07(水) 10:58:57 ID:VstMXXy4
んなこと言ったら、史実で信玄が出来なかった同盟を何の根拠もなしに出来る可能性あると言い切る方がおかしい。
可能性の立証をしてみて言ってくれってなるな
210人間七七四年:2008/05/07(水) 12:11:22 ID:97RqzwIj
上杉は北陸、北条は関東と侵略方向が違うのだから、上野などで争っても利はない。
などと言う簡単な事を、お互いの意地だか遺恨だかで争っているだけなのを解決するだけ。
もちろん、簡単ではないだろうが、武田が領地を割譲とかマジで意味分からん。
211人間七七四年:2008/05/07(水) 12:47:34 ID:jZq9gfhB
信玄の代じゃ
上杉北条武田での義昭仲介の同盟は
北条の書状によるなら北条上杉は問題無かったけど
武田がどうしても上杉とは和睦できないということで流れたはず
212人間七七四年:2008/05/07(水) 13:08:46 ID:Ecq3WpFK
上野を武田北条上杉の三国非干渉にして緩衝地域とすればおk
213人間七七四年:2008/05/07(水) 14:30:41 ID:i0A5KCNp
和議の条件に領土を割譲や緩衡地帯にするというのはズレているのではないか?
領土は国の生命線であり軍事行動の根本だから(一部は違うかも知れない)和議の交換条件にならないよ。
稀なケースに割譲で和議はあるかもしれないが、それは持ち掛けた側の調略の部類に入るのではないか?
武田北条上杉動同盟はできないことはないが、仮にできても簡単に瓦解してしまう同盟になるのではないか?
214人間七七四年:2008/05/07(水) 19:19:56 ID:97RqzwIj
同盟するのは難しいが、一度同盟すれば瓦解する要素はあまり無いのでは。
同盟によって目的の方向に侵略できるようになるのに、瓦解するような行動をする理由が思い当たらない。
215人間七七四年:2008/05/07(水) 19:26:48 ID:Zd0DRdAy
越相同盟も、一度は締結されてお互いかみ合わない侵略方面が設定されたけど、
結局瓦解したよね?
216人間七七四年:2008/05/07(水) 21:11:20 ID:futeGIkt
同盟が瓦解するなんてよくあることだと思うよ
むしろ長続きする同盟の方が珍しいのでは?
217人間七七四年:2008/05/07(水) 21:13:51 ID:vMBsWmdz
大体、謙信の進行方向を北陸と設定するなら、一向宗との兼ね合いをどうするのかと。
加賀の支配も崩壊間際で、謙信を頼るしかなかった後年の状況とは分けが違うのだし、
このタイミングで上杉と一向衆が手を組んで信長と戦うというのはかなり無茶かと。
そこまで信玄が仲介すれば何とかなるとは、さすがにいえないと思うが。
218人間七七四年:2008/05/07(水) 21:16:49 ID:bNbVC1p4
>>208
>勝頼の代ですら上杉・北条とそれぞれ領地を割譲せずに同盟出来ているのに
御館の乱でググれ
219人間七七四年:2008/05/07(水) 21:18:42 ID:bNbVC1p4
>>217
その書き込みだと一向衆のボスが信玄のように思える。
220人間七七四年:2008/05/07(水) 21:20:27 ID:yGedeOoo
史実では謙信は天正4年に本願寺、武田勝頼と同盟して信長との盟約を破棄するわけだが、
信玄が生きていたらという設定の場合、いつ謙信と同盟を結ぶのか?その時信長の勢力はどうなっているのか?
信玄はいつまで生きているのか?等に触れないでただ可能性がなくはないと言われてもなあ。
状況次第では信玄が生きている武田家と上杉家が盟約を結ぶ可能性は勿論あるだろうけど、
その場合は史実みたいに両家が同盟してもびくともしないくらい織田家が圧倒的な勢力になってるんじゃないかな?
221人間七七四年:2008/05/07(水) 21:23:37 ID:vMBsWmdz
信玄と一向宗はかなり前から友好関係を築いていたでしょう。
その一向宗を上杉が攻める事が前提になるような同盟を結んでは、
今度は一向宗との関係がこじれてしまうだろうと。
222 株価【38】 :2008/05/07(水) 21:32:35 ID:FEY0X+WX
>>213
清洲同盟では織田が三河刈谷城を徳川に割譲している
223人間七七四年:2008/05/07(水) 21:41:24 ID:yGedeOoo
>>222
ん?刈谷城は確か水野家の居城だったよな?
独立した小大名みたいな存在だった水野家の居城をそう簡単に織田家の意向で
徳川に割譲できないと思うんだが。
それに水野信元殺害後は刈谷城周辺は佐久間信盛の所領になってるんだし、
刈谷城が徳川に割譲されたことなんて一瞬たりとも無いと思うんだけど。
刈谷城が徳川に割譲されたというソースをプリーズ。
224人間七七四年:2008/05/07(水) 21:42:08 ID:KSXOPqJr
刈谷って水野氏の城じゃない?
信長にそんな権利あったの?
225人間七七四年:2008/05/08(木) 00:13:19 ID:DjmQ/tQA
>>221
本願寺自体は謙信の2度目の上洛時に既に和解していた。
しかし、北陸の一向衆はそれに従わなかった。

つまり信玄は自分の利益追求だけの空気の読めない子だった
226人間七七四年:2008/05/08(木) 07:32:20 ID:UbYt2Ga6
>>225
信玄の依頼に応じて、本願寺が謙信の足止めの為に北陸の一向宗を動かしたり、
また、逆にその一向衆が不利になったから、信玄に助けてくれと頼んだりしているのに?
227人間七七四年:2008/05/08(木) 14:38:20 ID:nGVQMqUV
やっぱり、西上を続けることしか選択肢残ってないんだね。
勝つかどうかはわからないけど。
甲府に帰ることはないな。
228人間七七四年:2008/05/08(木) 14:44:44 ID:ON68DDw5
DQN男の家族消えろ DQN男の親消えろ DQN男の友達消えろ DQN男の親戚消えろ
糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ糞ジジ
中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね
その老いた姿気持ち悪すぎ
その老いた姿気持ち悪すぎ
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
229人間七七四年:2008/05/08(木) 14:51:02 ID:gxn+TUQX
>>227
間違いなくとは言わないけど
勝てる確立もほぼなかったね
230人間七七四年:2008/05/08(木) 16:20:17 ID:nGVQMqUV
徳川が兵を自由に動かせると勘違いしてるんじゃないだろうか?
徳川は元気があるのは確かだが、出撃と徹底篭城は別物。
出撃は兵に勝算の方向性を与えないとできないんだよ。この時の家康にそれができたかい?
地豪なんて、信玄を倒す・徳川のため、というより自分の領地を守りたいが本音だから徹底篭城はできても勝てるかどうかもわからない出撃は渋るよ。
もう、このちょっと前から武田家は信玄だろうが勝頼だろうが家が潰れる可能性のある危険な行動は回避できないわけだから。





231人間七七四年:2008/05/08(木) 18:27:09 ID:E7ZpuDfe
日本語でおk
232人間七七四年:2008/05/08(木) 22:02:13 ID:gxn+TUQX
>>230
ごめんもう少しわかりやすくいってくれ
233人間七七四年:2008/05/08(木) 23:11:50 ID:wK2dwvYf
結局>>222はソースが脳内の電波でおk?
234人間七七四年:2008/05/09(金) 20:16:01 ID:FRDmEH6x
>>230
信長は桶狭間のとき勝算の方向性を与えて出陣したようには見えないんだが?
確か信長は出撃したよね?
235人間七七四年:2008/05/09(金) 20:30:19 ID:VsWOz06i
>>230
勝頼は長篠の戦いで撤退せずに戦いに挑めてるし、
浅井・朝倉は姉川で大敗した後に直ぐに出撃してる(志賀の陣)
てか姉川も浅井・朝倉は劣勢だけど野戦に応じてるしね。
他にも厳島の戦い、稲森の戦い、沖田畷の戦い等々劣勢でも戦いに挑んだ事例は腐るほどある。
確かに他国に侵攻する際に相手よりも遥かに少ない兵力で挑む場合は勝算の方向性とやらを示さないと
兵が不安がるし、国人衆も戦を渋るかもしれない。
だけど徳川は自国領内に敵が侵攻してきてるんだし、出撃するにしても織田との連携が前提で出撃するだろうから
普通に出撃できるでしょ。
勝算の方向性とやらが欲しいのなら、織田との連携で十分だと思うんだけどこれではまだ不十分なのか?
ID:nGVQMqUVの考えを聞かせてくれ。
236人間七七四年:2008/05/10(土) 00:22:17 ID:o8wkYb7f
よく武田が浜松を素通りして三河に向かったのを、織田領を攻める前に損害を出さないように徳川領は通り過ぎようとした為と言う話があるが、講談レベルの考えであり実際にそんな事をすれば自ら挟み撃ちにあうような自殺行為である。

では、武田がどこを狙ったかと言うと文字通り三河が狙いである。
大名と言うのは、小領主に「頼りとなる大将」として担がれている存在であり、領地が攻められれば守らなくてはならない。
小領主達の兵力を浜松に集めた挙句、三河を攻められるのを指を咥えて見過ごせるわけは無く、勝負を挑まなくてはならない(少なくともフリだけでも)
三方ヶ原の戦いとはつまりそういう戦いである。

三方ヶ原後に野田城を落とした後は吉田城を包囲しつつ、徳川の支配が比較的ゆるい東三河を手中に収め、もし、浜松から徳川が救援に来れば撃破する(多分こないだろうが)
吉田落城後は織田の援軍が来る前に岡崎城を損害を度外視してでも短期間に落とせば徳川は崩壊である。
浜松に篭った兵の大半は遠江衆であるが、彼らはここ2・3年の内に徳川家に攻め取られた者達であり、その支配の源は三河兵である。
その三河が武田に支配され三河兵が弱体化した今、徳川家に従う必要も理由も無くましては家康が「頼りとなる大将」であるわけが無い。
穏便に済んで家康と徳川譜代の家臣の織田領への退去であり、悪くすれば家康・家臣とも武田への投降の手土産にされかねない。
徳川とは、本領と拠点にずれがある構造となっており、武田としては浜松など相手にする必要が無い。
そうなれば織田も尾張に兵を置き武田に備えなくてはならず、史実どおりに浅井・朝倉を滅ぼす事など出来ない。
この時点で、対峙できる武田と織田の兵力は逆転する。
また、盟友徳川を救えなかった事は、政治的にも大ダメージであり、義昭の挙兵にも賛同する者が増えるだろう。
また、尾張・美濃の関係は徳川に取っての三河・浜松と同じく、本領と拠点の相違がある。
これは、攻める分には有効だが、守りになると不利になる。
良い悪いではなく織田は攻めを重視したと言う事であるが、尾張を死守する必要がある織田は、近畿には目を向けられないだろう。
これにより近畿への支配力を低下させていき勢いの無い織田に対し、徳川を倒し勢いに乗り実際の兵力でも逆転している武田に尾張を攻め取るのは難しくは無い。
尾張を攻め取れば、美濃は崩壊する。尾張兵に攻め取られた美濃衆が尾張を取られた織田に付き従う必要が無いからである。
そうなれば、もはや武田の上洛を阻むものは無い。
237人間七七四年:2008/05/10(土) 00:33:22 ID:BccbVive
>>236
君ってもしかして畿内大遠征の人?
もしそうならレスしてもどうせ不毛なループが始まるだけだから、
畿内大遠征の人か否か答えてくれ。
238人間七七四年:2008/05/10(土) 01:00:55 ID:N5RuN8ph
信玄の朝倉宛書状の言い分を信じるのなら、信玄は遠江と三河の北部を押さえた後に信長領に攻め込む意図ではあったようだね。
239人間七七四年:2008/05/10(土) 01:25:03 ID:hPzu/gY0
ロマンが薄く、武田軍の強さを強調しきれていない(武田バカになっていない)
秋山山岳急襲説は一体どこへ行ってしまったんだ?マジだったのに。
どうやら上京はできないで落ち着いているようだが、冷めた視線・論調で一体何が生まれるというのか?整合性が真実なのか?
今必要なのは戦国バカになることではないか?生成・発見とはそうゆうものでないか?
俺は、大遠征に新たな根拠固めをしている。いずれ公開しなければいけないと覚悟している。
>>1は激怒するかもしれない、周りは俺を貶すかもしれない。でも俺ははっきり言いたいと思う。
>>237よ、「ループは美である」、と君に伝えたい。




240人間七七四年:2008/05/10(土) 01:44:10 ID:9Z3Wefmt
>>239はもしやかつて一世を風靡した「世界最強騎馬軍団を率いた武田信玄公を称えるスレ」の1さん?
241人間七七四年:2008/05/10(土) 02:42:57 ID:CXpRWPeK
彼は今でも武田信玄大学の設立を目指し
徳川埋蔵金発掘に精を出していると信じている
242人間七七四年:2008/05/10(土) 03:46:33 ID:u6pMnqGc
>三方ヶ原後に野田城を落とした後は吉田城を包囲しつつ、徳川の支配が比較的ゆるい東三河を手中に収め、もし、浜松から徳川が救援に来れば撃破する(多分こないだろうが)
>吉田落城後は織田の援軍が来る前に岡崎城を損害を度外視してでも短期間に落とせば徳川は崩壊である。
この手の意見が出るたびに言われてることだけど
これが一年で出来るならともかくそれ以上時間かかるようじゃ織田の成長を止められなくなって上洛は無理だと思う。
243人間七七四年:2008/05/10(土) 11:29:19 ID:o8wkYb7f
>>238
徳川を放置したまま織田領に攻め込むのは難しいと思われるから、朝倉をつり出す為の方便だろうね。

>>242
吉田城については、2ヶ月くらいと想定している。
吉田城が堅城でそう簡単には落ちないと言う意見も過去にあったが実際よく分からないという結論だったと思う。
遠江の二俣城と同程度と想定して、二俣城が2ヶ月で落ちているので吉田城も2ヶ月と想定した。
岡崎城については、「損害を度外視して」と言う想定で数日を想定している。
吉田は損害を度外視せず岡崎は損害を度外視するのは、吉田の時点では織田が本腰をいれて援軍には来ないだろうが、岡崎を攻めるとなると援軍をよこす可能性が高く、なんとしても早急に落城させる必要がある。

史実で野田城を落とすのが2月、しかしこれは信玄の病状の悪化が原因で遅れたとも思われるので、野田城落城が早まる事、軍勢の移動・休息を考え、岡崎城落城までで元亀4年(1573年)5月と考えている。
もちろん、これはかなり上手く言ってのスケジュールだが、もう少し遅れたとしても十分浅井・朝倉崩壊までには間に合う。

以前から言われている「いつまでに徳川を倒さなくては間に合わない」と言う話は、基本的に未だ6千以上が立てこもる浜松城が簡単に落とせないと言う前程での「信長が近畿を制圧するまでには無理」と言う話であったと思う。
今回の「三河を落とせば浜松の徳川軍など崩壊する」と言う事であれば、徳川の全兵力1万1千の内、浜松に立てこもった8千以外の3千程度。
難しい話じゃない。
244人間七七四年:2008/05/10(土) 12:50:08 ID:3a2zOhsL
だからさ、無意味な計算なんだよそれは。

朝倉浅井も他の畿内の敵も、危険な存在はほとんどいない。すでに配置してある兵で
十分対処可能な程度の脅威でしかない。しかし武田がそれだけ活発に活動すれば、信長は
畿内よりも東の脅威の排除を優先することになるだろう。
史実の信長は三月の時点で配下の一部を近江に派遣しているが、残りを自ら三河まで
進めれば、それだけであなたの計算は崩壊する。

もちろん、その結果朝倉浅井は生き延びることになるかもしれない。天下布武も史実
より遅れることになるだろう。でも信長は滅びないし、武田は上洛も三河征服も不可能
になる。それだけのことだ。

このての、信玄が長生きすれば武田は史実と違ってこの様に行動して、その結果この様に〜
という類のIFというか妄想では、何故か武田の動きが変わっても、信長の行動は史実そのまま
を忠実になぞる。信長の行動には変化はない、という前提で推測(?)を進めていくんだよな。
この時点でおかしいだろう?信玄の行動が史実と変われば、信長の対応だってそれに合わせて
史実からは変わるはずなのに、全く無視して推測を進めても、それは都合のいい妄想としか言えない。
245人間七七四年:2008/05/10(土) 13:27:30 ID:o8wkYb7f
>>244
それを考えて、岡崎城を包囲すれば信長の援軍がくる可能性が高く、その為に損害を度外視してでも岡崎城は早急に落城させる。
と言ってるんだけどね。

>史実の信長は三月の時点で配下の一部を近江に派遣しているが、残りを自ら三河まで
進めれば、それだけであなたの計算は崩壊する。

テンプレでは信長の押さえの兵を除いた動かせる兵力は2万8千、近江に兵を割いた残りは、2万4・5千かもう少し少ないか?
武田は吉田城に押さえの兵を置き、岡崎城の城攻め手其れ何の被害を出したとして、2万ほどか。
うかつに手を出さず陣を構えれば防げく事は難しくないだろう。

その間に、三河を失った徳川が崩壊するのを待てば良いと考えている。

吉田城を攻めている間に織田の援軍が来るとさすがに不味いが、織田は基本的に同盟国が攻められている時には、決戦をするつもりが無い時にはあまり手を貸さない傾向があるともう。
特に当時、近畿に敵を抱えている時に、武田と決戦を行い負けないまでも手こずる可能性が高く、躊躇するだろう。
岡崎が包囲されればさすがに援軍を寄越す可能性が高いけどね。
246人間七七四年:2008/05/10(土) 13:37:49 ID:3a2zOhsL
二万の兵で、二万五千くらいの敵軍と対峙しつつ、さらに背後に五千くらいはある
敵兵力に自由を許しながら、敵城を損害を顧ず攻撃で落とす、か。

すごいな武田軍。それができるのなら、確かに勝てるかもね。できるのなら。
できる、と考える根拠を挙げてください。
おそらく私も含めてほとんどの人はできないと考えるでしょうから。
247人間七七四年:2008/05/10(土) 13:57:44 ID:o8wkYb7f
>>246
すまんね。>>236で吉田城を落とした後は、吉田城に浜松城の徳川軍を押さえる役目を持たせると書き忘れた。
>>245>>236で書き忘れたのに気が付かず、「武田は吉田城に押さえの兵を置き」と書いたが、まぁ浜松の徳川軍に自由にさせるつもりは無い。
ちなみに、岡崎城は損害を度外視してでも織田の援軍が来る前に落とすと再三言っている。

そのつもりで>>245で「その間に、三河を失った徳川が崩壊するのを待てば良いと考えている。」
岡崎城を落としていなければ、「三河を失った」と言うわけは無く通じると思っていたよ。

>おそらく私も含めてほとんどの人はできないと考えるでしょうから。
俺も、2万5千の兵と対峙しながら岡崎城を落とせないと思うよ。
248人間七七四年:2008/05/10(土) 14:17:42 ID:3a2zOhsL
>吉田城に浜松城の徳川軍を押さえる役目
吉田城で徳川を抑えるには、当然吉田城にもある程度の兵を置く必要がありますね。
史実を鑑みれば、最低でも五千の兵は動かせるだろう徳川を浜松で押えられる兵力…
まあ最低限同数くらいですか。

そうなると、野田城を攻撃する兵力も史実よりは減少しますね?それで史実同様に
城を落とせると考えるのは無思慮ってもんじゃないでしょうか?
さらに減少した兵力で岡崎も我攻めで落とせる、と。

なんどでも言いますが、妄想、としかいえないんですが。
249人間七七四年:2008/05/10(土) 14:31:57 ID:uCB3/ngW
>>243
野田城に関して言えば水の手を切ってだかで落としたわけで力攻めをするならともかく
そうでないなら信玄の病状に関わらず落とせるまでの時間に大きな変化はないと思う

吉田城を落とすのに2ヶ月かかるのであれば織田の援軍が来てしまうのでは
岡崎を数日で落とせるのか?そもそも東海道沿いの他の城は放置?
また仮に吉田岡崎落とせたとしても、それだけでは点の支配、三河の支配とは結びつかないと思う
また徳川が単独な勢力ならともかく、背後に織田がいるのだから、
武田が引き上げて織田の支援があれば岡崎もすぐに取り返されてしまうのでは

また三方ヶ原後は家康は吉田に移動していたと思うが

あと武田がそんな戦闘力持っているなら、吉田城にしても1571年や1574年に吉田落とせたんじゃ
それ以外の地域での戦闘でももっといろいろ出来ていたんじゃ

また相手の本拠を力攻めであっさり落とせるとかが可能なら織田の方がもっと勢力広げるのがはやそ
250人間七七四年:2008/05/10(土) 14:38:42 ID:o8wkYb7f
>>248
>そうなると、野田城を攻撃する兵力も史実よりは減少しますね?
批判するならちゃんと読んでからして欲しいな。
>>236で野田城を落としてから、吉田城を包囲と書いてるのに。

吉田を落としてから、吉田に置く兵力は4千程度。
これで浜松の6千(7千くらはあるかもね)は押さえられるだろう。
浜松の徳川軍に4千が立てこもった吉田城を落とせるとわ思えず、吉田を素通りすれば背後から襲われる。
まぁ大丈夫と思う。

問題は残り2万強の武田で約3千が立てこもる岡崎城を落とせるかだが、岡崎城は田中吉政がはいって拡張するまでは、石垣などがあるわけでもなく特に堅城とも思えない。
1/7程度の兵力なら難しくないと思うが。
251人間七七四年:2008/05/10(土) 15:00:13 ID:o8wkYb7f
>>249
野田城は信玄の病状が回復するのを待って、ワザと時間を掛けたのだと思うな。
野田城はかなり小さい規模の城らしいからね。

>岡崎を数日で落とせるのか?そもそも東海道沿いの他の城は放置?
一応>>236で「吉田城を包囲しつつ、徳川の支配が比較的ゆるい東三河を手中に収め」
とは書いた。

>また仮に吉田岡崎落とせたとしても、それだけでは点の支配、三河の支配とは結びつかないと思う
吉田岡崎を落とした時点で三河に武田の行動を制限させれる勢力が存在すると思えず武田の行動は自由、ならば点の支配とは言わないんじゃないか?

>武田が引き上げて織田の支援があれば岡崎もすぐに取り返されてしまうのでは
一応、徳川が崩壊するまでは退却はしない方針。その後もできるだけ兵力を配置して、取り返されないようにはするだろうね。
せっかく取ったんだから。

>また三方ヶ原後は家康は吉田に移動していたと思うが
しってる、野田城を救援に来たけど引き返して、その後も吉田に留まったわけじゃなく浜松まで戻ってるよね?違ったっけか?
今回の話に特に影響が無いでしょう。

>あと武田がそんな戦闘力持っているなら、吉田城にしても1571年や1574年に吉田落とせたんじゃ
武田たったら常になんていう訳じゃなくて、色々な条件があるからね。
織田が動けないとか、家康の本隊を叩いた後とか、2万を越える軍勢でとか。
252人間七七四年:2008/05/10(土) 15:01:39 ID:uCB3/ngW
>>250
海路があるから吉田を抑えられても徳川はある程度の行き来は出来ると思うが
また織田の援軍がある程度岡崎に入っていたらその戦略はあっさり崩れそうだが
まあそれ以前に信玄がそんな背水の陣みたいな戦術採るとは思えないが

岡崎に関して言えば南と西が川となっていて、まあ普通に堅い城だと思う
圧倒的兵力で力攻めすれば落ちるだろうけど
253人間七七四年:2008/05/10(土) 15:20:03 ID:N5RuN8ph
家康は動けない。
実際に信玄引き上げ後も長篠の奥平こそ寝返らせたが旧領をほとんど回復できていない。

信長は信玄との決戦を望まない。
大体、長篠ですら特に決戦を望んでなかった。勝頼が引き上げればそれで良かったのが、あにはからんや勝頼が決戦を求めてきたのでそれに乗っただけ。
望外の出来事。
だから仮に自ら救援に来ても武田軍と対峙するだけで終わる。
さらに朝倉軍が織田軍を引きつけていてくれれば当方に回す兵も少なくなり、信玄の行動に対する圧迫も減る。

信玄の(自軍にとって都合の良い)構想通りにいってれば、信長滅亡の芽も十分にあった。
武田厨に言わせれば「へたれ朝倉め!」ということになるわけだ。
254人間七七四年:2008/05/10(土) 15:38:06 ID:WWiTQPlk
三河の松平信仰を考えると…
たぶん三河にある程度侵入した時点から地元豪族達の相当な抵抗を受けると思うよ。
何万いようがゲリラ的に抵抗されちゃ軍を自由に動かすなんて無理。
その豪族達を調略して心服させるのにも相当な時間を要するだろ。
さらに、いつ織田の援軍が来るかわからないし浜松にも徳川軍はいる状況。
岡崎を数日で落城なんて夢物語じゃね。
255人間七七四年:2008/05/10(土) 15:57:24 ID:BccbVive
吉田城が落城して岡崎城が攻められてようやく織田が援軍とか都合よすぎじゃね?
吉田城が落とされたら織田と徳川の直接の連携は難しくなるんだから、
吉田城が攻撃されたら長篠の戦の時の様に大軍を率いて徳川救援に向かうでしょ。
長篠のときも信長は武田がそれで撤退すればOKの考えで援軍に向かったわけだし、
この場合もそういった考えで大軍を派遣する可能性が大なんじゃないかな?
武田にしても敵地奥深くで西に織田の数万の大軍、東に徳川の数千の軍勢を相手に
一か八かの大勝負なんてさすがに出来ずに撤退する可能性が大だと思うんだけど。

>徳川の全兵力1万1千の内、浜松に立てこもった8千以外の3千程度
なんで守備側の徳川が1万石あたり250人のゆるい動員率を使ってるんだ?
もっと高い動員率で兵を招集してるに決まってるでしょ。
だいたいID:o8wkYb7fの考えだと武田家総数2万6千の内、2万5千ほどは遠征軍だから
本国は殆ど無防備状態という事になるんだが・・・
徳川・織田は1万石あたり250人という縛りで武田家はその縛りはスルーとか都合のよい設定は止めようぜ。

>岡崎城は田中吉政がはいって拡張するまでは、石垣などがあるわけでもなく特に堅城とも思えない。
この時代石垣を備えてる城はまだ珍しい時代だけど、かといって=石垣の無い城は堅城ではない訳も無い。
東に今川、西に織田という強敵に挟まれた三河の松平氏が代々(といっても清康時代からだけど)居城に
していた城なんだから、それなりの規模・防御力があったと考えるのが自然だと思うんだけど。
256人間七七四年:2008/05/10(土) 16:57:14 ID:3a2zOhsL
>>250
>吉田を落としてから、吉田に置く兵力は4千程度。
>これで浜松の6千(7千くらはあるかもね)は押さえられるだろう
わかっていませんね。吉田の兵は浜松というか、徳川の本軍を抑えなければならないんですよ。
徳川の軍が吉田を攻撃せず、遠江のがら空きの武田占領地を攻撃したらどうなると思います?
そりゃああなたの言うとおり、家康が吉田を攻撃するのならそれくらいの兵でもいけるでしょう。
けど、家康は吉田に拘る必要はない。敵の背後を荒らしまくるだけで、遠征軍である武田は窮地に
追い込まれる。吉田の兵は、城に篭っているだけの遊兵と化すだけ。
そして背後をそんなに脅かされている状況で、武田軍が力を発揮して岡崎を攻め落とせたり、
織田軍と対峙しつづけるなんてできるのかどうか。
257人間七七四年:2008/05/10(土) 17:09:12 ID:hPzu/gY0
なんで、挟み撃ちの危険を犯さない状況を設定するのかな。
実際に関東遠征で挟み撃ちの危険があるのに侵攻進めてるじゃないか。北条勢は武田勢の2倍あるのにやったんだぞ。
史実としてあるのに、徳川の時はやらないのかい(押さえは置くかもしれない)?信玄は目的のためなら十分危険なことやるよ。
信玄の慎重は、「危険なことをしない」でなく「完璧主義者ではない」ということではないか?。紙一重の事やってるよ。
城ははっきり言って落ちない。落城の執着したら、それこそ織田・徳川のやりたいように誘導されてしまう。


258人間七七四年:2008/05/10(土) 18:03:32 ID:o8wkYb7f
>>252
当時のさらにあの状況で徳川の海軍力で海路なんて、それこそ家康自身と重臣が岡崎に逃げるくらいしか出来ないんじゃないかな?

>>254
実際豪族達がゲリラ的に戦うなんて当時にそんな発想あるのかね。
当時の戦の発想は、抵抗する人間が集まってどこかに立てこもるとかじゃないかな。
まぁ今回三河の兵力のかなりの部分(半分くらいか)を家康が浜松に集めちゃってるから、そんな余裕もないと思うけど。

>>255
>なんで守備側の徳川が1万石あたり250人のゆるい動員率を使ってるんだ?
テンプレだから。

>徳川・織田は1万石あたり250人という縛りで武田家はその縛りはスルーとか都合のよい設定は止めようぜ。
別に武田家だけスルーにしてないが?
武田のついてもテンプレの遠征軍2万5千で考えてるけど?

>>256
>徳川の軍が吉田を攻撃せず、遠江のがら空きの武田占領地を攻撃したらどうなると思います?
吉田の4千のうち、3千くらいで浜松にちょっかいかけることになるかな。
そして家康が戻ってくれば吉田に戻るの繰り返し。

背後といっても、三河からでも武田領との交通は問題ないしね。
259人間七七四年:2008/05/10(土) 18:24:34 ID:uteeEvD1
三方ヶ原の後に浜松城を落として家康を討ち取るべきだったな
そうすりゃ野田城やら吉田城に信玄が躊躇することはないだろう
もちろん徹底抗戦する武辺者もいるだろうが、大方は降参するはずだ
260人間七七四年:2008/05/10(土) 18:54:38 ID:uCB3/ngW
>>251
>野田城は信玄の病状が回復するのを待って、ワザと時間を掛けたのだと思うな。
なんだってそんなことを?病状を回復させたいならさっさと落として安心できる状態にして
安静にさせたほうがいいと思うが、若しくはさっさと信玄だけ長篠に入れるとか

>吉田城を包囲しつつ、徳川の支配が比較的ゆるい東三河を手中に収め
これを2ヶ月でというのはいくらなんでも早過ぎないか

>吉田岡崎を落とした時点で三河に武田の行動を制限させれる勢力〜
武田本隊が西三河にいつづけてかつ織田の援軍が来ないならな

>一応、徳川が崩壊するまでは退却はしない方針。
武田はいつまで軍事行動続けることが出来るんだ?

>その後も吉田に留まったわけじゃなく浜松まで戻ってるよね?
武田が引くまでは吉田にいたと思うが
261人間七七四年:2008/05/10(土) 18:56:30 ID:BccbVive
>>258
テンプレには
>ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
>無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
とあるわな。
まさに徳川はこの場合守備側なんだから1万石あたり250人はこの場合は不適切な動員率でしょ。

>武田のついてもテンプレの遠征軍2万5千で考えてるけど?
テンプレにある武田家総数を2万6千6百とすると、遠征軍2万5千を差し引けば
本国には1600しか兵が残らないんだけどそんなわけ無いでしょ。
上杉は越中に釘付けとはいえ、北信濃・西上野方面にはそれなりの守備兵が必要だし、
甲斐本国にもそれなりの規模の兵が必要なんだから、1600ではとても足りない。
ということは武田家は明らかに1万石あたり250人以上の動員率で遠征軍を編成してるはず。
でないと遠征軍に2万5千も割けないでしょ。
なんで現実に武田は1万石あたり250人以上の動員率で兵を動員してるのに、
織田・徳川に関してはテンプレだからと1万石あたり250人縛りを適用してるんだ?
どう考えても武田に都合のよい設定なんだけど。

そもそもテンプレにある兵力は親織田勢力に厳しく、武田に甘い設定・計算なんだよ。
262人間七七四年:2008/05/10(土) 19:15:18 ID:uCB3/ngW
>>258
海戦するならともかく矢作川〜三河湾の交易は盛んだったから多少の兵力の移動は問題無いと思うが
一向宗を制圧したこともあるし

テンプレでの武田の2万5千という数値は、武田の石高に250人率を掛けて出したのではなく
通説が2万5千なため動員率を上げてそれに合わせた数値

そして他の大名のテンプレでの兵力はあくまで1万石あたり250人のゆるい動員率、遠征用機動兵力なので
各大名が守備に回った場合は動員率はある程度上がるため
それも考慮に入れないと
263人間七七四年:2008/05/10(土) 21:29:25 ID:o8wkYb7f
>>260
>なんだってそんなことを?病状を回復させたいならさっさと落として安心できる状態にして
>安静にさせたほうがいいと思うが、若しくはさっさと信玄だけ長篠に入れるとか
信玄の病状を知られないためだろ。本来野田城程度にワザワザ甲斐から金山衆を読んで水の手を絶たせるなんて手間を掛けるのは、おかしいと言う話は以前から出ているはずだ。

>>一応、徳川が崩壊するまでは退却はしない方針。
>武田はいつまで軍事行動続けることが出来るんだ?
実際武田が引いたのは4月。しかし其れは信玄の病状が悪化したためだから、実際はもう少し大丈夫だろうし。岡崎などの各城を落とせば兵糧なども手に入れられるだろうから、7・8月までは大丈夫じゃないかな。

>>その後も吉田に留まったわけじゃなく浜松まで戻ってるよね?
>武田が引くまでは吉田にいたと思うが
野田城を落とした後に吉田に向かった時に、浜松に引き返さず家康が吉田に留まってくれていたら、それはそれで全力で吉田を落とす方針に変えるか、手薄の浜松を狙うかだな。
多分、家康は浜松に引き返すと思うが。

>>261
>>262
1万石あたり250以外の兵を基本的な守りに残すと解釈というのは、例えば1万石で250人で計算し配置した後に、領国内の各城に配置されている兵力の事と判断していたが。
例えば、徳川1万1千のうち、8千を浜松・3千を岡崎の置いたとして、他の城が空になるわけじゃないからその分の兵力と言うこと。

大体俺はテンプレにそって話しをしている。
俺がテンプレを無視して話しているならともかく、テンプレ通りに話しておかしいと言われても知らん。
テンプレを作った奴に文句を言ってくれ。

大体、防御側は動員率が上がると言うなら、武田の対上杉用の戦力も増える事になるし、浅井など近畿の反織田勢力の兵力も増える事になる。
結局ちゃらになると思うが。
264人間七七四年:2008/05/10(土) 22:44:49 ID:nEWfriYP
>>261
IDがCCB
ロマンティックが止まらないw
265人間七七四年:2008/05/10(土) 23:19:23 ID:rnsERJcK
>>261
テンプレでは遠征可能兵力を比較的ゆるい250人の動員率として、残りは守備用に残すと解釈したもの。
だから、守備側の徳川の動員率はもっと上がるだろうというのは確かだけど、
武田の兵力はだいたい2万5千で良いってことになる。
266人間七七四年:2008/05/10(土) 23:30:40 ID:hPzu/gY0
そもそも、徳川領にこだわる?なぜ武田の特性を考慮しないで言うんだよ。
今まで、徳川をなんとかしなければいけない、という前提が間違ってるよ。
なぜならば、そんな当たり前で誰が見ても妥当であること実行しないよ。
冷静に考えてみてよ、行軍も戦術の一部なんだよ。相手に自軍の行動を読まれて対策とられたらおしまいなんだよ。
俺はよく関東遠征を持ち出しているが、それは北条と織田・徳川は同じ境遇に陥ってるとみなしてるわけよ。
それは「お互い武田勢をヤレル力がありながら、武田勢の行動意図・真意がわからずに一貫した対応がとれずにじわじわと侵攻を許してしまってる」ということ。
関東で、武田は常識をこえた峠越えしてるし、全部城を落とさずに敵深く侵攻している(氏康はびっくりしただろう)、かといって、小田原で本腰をいれるかと思ったらすぐ引いてしまった。
敵の妥当だとする判断を見事に裏切っているのではないか?行軍・侵攻方法も相手がわざと混乱するようにしているのではないか?
武田は、徳川をなんとかしなければいけない、と言う当時の妥当した見解にツケコモウトしてるのではないか?







267人間七七四年:2008/05/10(土) 23:38:45 ID:eqXmj1b6
中ればでかいけど外れたら挟撃
そんな危ない橋を信玄が取るように思えないんだよな
中入りを本隊の側がやるのは悪くないと思うけどね

仮に岡崎を落とせたとしてその後、織田徳川の動きによっては
長篠の二の舞になりかねないどころか
敵より兵力が少ない
力攻めで落としたばかりの城
敵地のど真ん中
という状況で万が一挟撃されたら
滅亡は必至となりかねない気がする

>>266
武田は一貫した戦略を貫いている
それは自勢力より弱いところを常に狙うこと
よって次に狙うべきは包囲網で織田からの支援が余り受けることのできない
徳川しかない
268人間七七四年:2008/05/10(土) 23:56:17 ID:o8wkYb7f
>>267
>という状況で万が一挟撃されたら
そうならない為の、吉田城に押さえの兵を置くって言う事だね。
269人間七七四年:2008/05/11(日) 09:54:48 ID:4LZftF3m
武田勢は吉田を落としたなら性急に三河攻めるより
確実に分断するために湖西の街道沿いの城侵攻するでしょ。
今橋周辺の平城は堅固とはいえないし、浜松から吉田への攻撃を抑えたいなら
船形山城なんかを抑えた方が効率的だ。

家康は吉田城に攻めてが来たら浜松に引き返すか甚だ疑問。
吉田城での篭城はまずないだろうけど、孤立する浜松よりは
三河に入る方が政局にはベターだと思う。
270人間七七四年:2008/05/11(日) 12:00:08 ID:hW/FHI9h
>>269
>確実に分断するために湖西の街道沿いの城侵攻するでしょ。
三河を取るには時間が勝負だし、三河を取れば遠江は自然に崩壊すると言う前程だから、あまり吉田では時間掛けたくないところだけどね。
吉田に残す兵力に家康の動向をみながら今橋周辺を少しずつ平定させるのは難しいだろうか。

>家康は吉田城に攻めてが来たら浜松に引き返すか甚だ疑問。
徳川にとって本領は三河だが本拠地はあくまで浜松。
浜松を放棄(浜松を空にするわけじゃないだろうけど実質放棄)するかね。
遠江衆にしてみれば三河を守るために三方ヶ原に出陣し大敗、多くの戦死者をだし、今また三河を守る為なら遠江をあっさり放棄されるようでは、遠江衆が徳川についている意味が無い。
遠江衆がすぐさま武田について、一緒に三河に攻め込んできかねない。
政局に考えてよっぽどありえないのでは。
271人間七七四年:2008/05/11(日) 12:04:11 ID:yLgUbRl/
>>202
具体的に当時の状況って何?
今川が北条を攻めたがってたけど信玄がそれを止めて和議に持ち込んだ
河東一乱のこととかしらんのか?
この和談を元にしてやがて三国同盟に発展するんだが。
義信事件の後の駿河争奪戦のあとで信玄は北条と再同盟して対上杉で何度も
協力行動をとり、北条も武田に同盟を出している関係。それが悪化するのが御館の乱だと
いっているんだよ。
>>204
上のレスを見といて。
>>205
小説もくそもない。実際に信玄が義元との間をとりもって北条と和談を結ばせた書状があるんだよ。
そっちこそ本当に知らんのか?河東一乱のことを調べる事をお勧めする。

多分一週間後でまたくるから(リアルの都合がたてこめばもっと後か?)
返レスあったら書いといて。
272人間七七四年:2008/05/11(日) 13:37:13 ID:W+oVve6p
>>236>>243>>245>>250
ID:o8wkYb7fは損害を度外視して岡崎城を攻め落とすとか
織田が岡崎城落城後に来たら陣を築いて云々言ってるけど現実味がなくないか?
吉田城に4千の兵を割く言ってるからまず4千を差し引く。
他に吉田城と岡崎城攻めの際の損害も差し引く必要がある。
特に岡崎城攻めは損害度外視で数日で落とすらしいから相当の死傷者が出ると考えられる。
松平氏の居城なのでそれなりの規模・堅固さがあるだろうし、兵も2千〜3千程はいた可能性が高いだろう。
そのような城を付け城も築かず、周囲の支城も放置したまま数日で強引に攻め落とすのだから、
この戦いだけで武田の死傷者は軽く3千は超えるだろう。
吉田城を落とすのにもそれなりの損害もあるし、結果武田家の戦える兵の数は1万8千前後になると思う
(吉田城へ4千を差し引いた数字)
城攻めの難しさ、危険をもう少し考慮すべきだよ。

あと織田軍が差し迫ってる状況で占領したばかりの土地で軍を補充なんてそうそうできんだろうな。
特に三河は松平氏の影響力が高い国だから領民の慰撫をするのも一苦労するはず。
ID:o8wkYb7fは陣を云々言ってるけどそんな資材を用意していなかっただろう武田家が陣を築くのは可能なのかな?
まあ柵の材料は木だし、木なんて日本全国に生えてたんだから現地調達も可能かもしれんが、
織田軍が迫ってる状況で迅速に木を伐採してきて堀を作って柵を築くなどの作業をする暇があるか疑問だ。
仮に陣を築くのに成功しても敵地奥深くで敵より少ない兵、疲れきった兵で対陣するのは危険が大きすぎるよ。

というか吉田城と岡崎城を落城させて陣を築いてからようやく織田軍が到着とか都合よすぎじゃね?
信長は岡崎城が落城するまで決断をせずにぐずぐずしてる訳?
吉田城が攻められてる時点で兵を岐阜か尾張に招集してるだろうし
信長が決断した後の織田軍の迅速な機動力は知ってるよな?
273人間七七四年:2008/05/11(日) 13:45:31 ID:W+oVve6p
>>251
>吉田岡崎を落とした時点で三河に武田の行動を制限させれる勢力が存在すると思えず武田の行動は自由、
>ならば点の支配とは言わないんじゃないか?
吉田岡崎を落としてもそれは恒久的な支配ではなく一時的な支配でしょ。
ID:o8wkYb7fの考えでは織田軍が来たら武田は陣に篭ってるはずなのに何で武田の行動は自由なんだ?
陣に篭っている状態でどうやって三河の豪族や領民を懐柔するんだ?
三河を完全に平定できてもいないのに徳川が瓦解とか都合よすぎると思うよ。
274人間七七四年:2008/05/11(日) 13:51:03 ID:AJPJBT6Y
1.家康はしばらく反撃に出れない。→史実から見てそう言える。
2.信長は信玄とぶつかる気がない。→史実から見てそう言える。
3.信玄は目的を達するまで兵を引かない。→義景に嫌味を言ってる以上、同じ振る舞いは出来ない。

よって信玄の勝ち以外の目がありません!

っていうのは八割方ネタだが、二割ぐらいは可能性としてはあるんじゃねえの?と思ってる。
いや、最後のは完璧にネタだから一割ぐらいか?w
275人間七七四年:2008/05/11(日) 15:03:37 ID:yai2fO7d
>>274
家康はしばらくっていっても信玄引き上げた後城落としたりしてるし
まだ余力はある
一割もないんじゃないのかな
徳川の浜松落とすのにどれだけ時間がかかるか
それと信長が浅井朝倉滅ぼすのどっちが速いかだね
俺は当然浅井朝倉滅亡が先だと思うけど
276人間七七四年:2008/05/11(日) 16:13:22 ID:AJPJBT6Y
>>275
ああ、忘れてた。
「4.史実と違い浅井・朝倉も活発に動く」も付け加えての一割なw
277人間七七四年:2008/05/11(日) 17:08:58 ID:4LZftF3m
>>270
>家康の動向をみながら今橋周辺を少しずつ平定
もし浜松に戻るのであれば吉田城の奪還を狙うはず
ここらは伊奈街道と東海道が牛久保辺りで交わる要所といえる。
吉田城に残した残存兵力で押し出せるほど家康はなにもしないでおとなしくしてるの?
武田も岡崎侵攻ともなれば織田との距離が近くなり兵力分散の愚は招きたくないはずだ。

>三河を取れば遠江は自然に崩壊すると言う前程
とあなたも言っている通り三河を失った家康に求心力など残らない。
家康としては万が一にも落とされたくないのは三河でしょ。
岡崎の方が織田との連携も取りやすいし。

>遠江衆にしてみれば三河を守るために三方ヶ原に出陣し大敗、多くの戦死者をだし、今また三河を守る為なら遠江をあっさり放棄されるようでは、遠江衆が徳川についている意味が無い。
>遠江衆がすぐさま武田について、一緒に三河に攻め込んできかねない。
これって話が飛躍しすぎな極論だと思うんだけど。
そもそも遠江にどうやって重圧掛けるの?浜松、掛川、高天神と堅固で鳴らした城が残ってる。
278人間七七四年:2008/05/11(日) 17:45:42 ID:8jF6IKDJ
<<267
領土狙いは徳川領だが、戦うターゲットは織田だよ。
その根拠は別働隊である秋山の存在だよ。
信玄は川中島以降快進撃を続けているけど、その勝因は信玄の別働隊の扱いが巧みになっている事が挙げられるのではないか?
別働隊の大活躍で不利な状況を覆したり、重要な戦さを制している。
秋山隊をこの作戦の中核別働隊とみなせば、位置的に岐阜城・織田本隊の一戦を想定している。

吉田城は厳しいだろうね。城攻めは大変だけど、武田勢は余裕ないよ。
このくらいの長距離遠征で野戦も城攻めもお互い本腰で交互にやっていくのは無理だよ。
今回は野戦を中心に考えた作戦であって、あまり兵を失わない簡単な城なら手をつけるけど、織田との戦いを優先して吉田は無視なんじゃないだろうか。


279人間七七四年:2008/05/11(日) 18:14:49 ID:W+oVve6p
>>278
このスレで散々書かれている事だから今更詳しく書かんけど、
吉田城、岡崎城放置して尾張・美濃突入は武田にとって自殺行為でしょ。
あとアンカーは正しくつけてくれ。
<<じゃなくて>>ね。<<だとアンカーとして機能しないよ。
280人間七七四年:2008/05/11(日) 21:49:50 ID:hW/FHI9h
>>272
>この戦いだけで武田の死傷者は軽く3千は超えるだろう。
戦で多くの死者が出るのは敗走時や撤退時。ゲームじゃないんだからそんなに戦死者が出るものでもない。
戦死者は1千人くらいと想定している。
だからずっと吉田に4千。岡崎で織田を迎え撃つのは2万と言っている。

>あと織田軍が差し迫ってる状況で占領したばかりの土地で軍を補充なんてそうそうできんだろうな。
城自体に蓄えと言うものがあるだろう。

>信長は岡崎城が落城するまで決断をせずにぐずぐずしてる訳?
ぐずぐずしていないと思っているから、岡崎は損害を度外視してでの力攻めと再三言っているんだが。

>三河を完全に平定できてもいないのに徳川が瓦解とか都合よすぎると思うよ。
少なくとも遠江衆にしてみれば、徳川を見限るのに十分だと思うしが。

>>277
>もし浜松に戻るのであれば吉田城の奪還を狙うはず
そうしてくれれば、吉田で家康を釘付けにできるから好都合だね。

>岡崎の方が織田との連携も取りやすいし。
これは、吉田の家康は浜松に戻らずに岡崎にもどると言いたいのかな?
では、遠江は放棄すると?

>そもそも遠江にどうやって重圧掛けるの?浜松、掛川、高天神と堅固で鳴らした城が残ってる。
重圧を掛けなくても、岡崎が落ちたら遠江衆が徳川を見限るんだと言う話はしているんだよ。
281人間七七四年:2008/05/11(日) 23:09:08 ID:8jF6IKDJ
>>279
そんなに挟み撃ちは危険かい?
徳川は一体どれくらい挟み撃ちに派兵できるの?
仮に挟み撃ちになった場合でも、信玄はどうでるかわからないし、振り切られるかもしれない、
何よりも、徳川領は武田勢にとって甲府に帰るにめに避けて通れない地帯。蹂躙されてしまっている徳川国人達は自領専守するよ。
挟み撃ちには5000以下しか派兵できないよ。
徳川にそんなに専念しなければいけないならば、信玄は最初の段階で秋山隊を岩村城でなく徳川領を攻撃させてるよ。
秋山隊は対上杉のためではない、対上杉なら、北信濃補充・上杉領ツツクで十分上杉の動きを止められる。
わざわざ、同盟破棄して信長領侵攻する必要ないよ。
徳川専念派の人達は、秋山隊の役割について説明不足ではないか?
アンカー指摘ありがとサン。
282人間七七四年:2008/05/11(日) 23:14:50 ID:WPY9OimA
>>280
戦死者と死傷者の違いくらい理解してからにしてくれ
283人間七七四年:2008/05/11(日) 23:55:57 ID:hW/FHI9h
>>282
>戦死者と死傷者の違いくらい理解してからにしてくれ
すまん。読み間違えていた。
しかし、3千は行かないだろう。
284人間七七四年:2008/05/12(月) 00:12:24 ID:/awK9XVs
>>280
>そうしてくれれば、吉田で家康を釘付けにできるから好都合だね。
だから牛久保の位置を確認して。
吉田まで攻めさせたら兵站や退路を閉ざされる危険に晒されるでしょ。
別に城落とすわけじゃなくて荷駄襲うだけでも徳川側に有利に持ちこまれる。


>これは、吉田の家康は浜松に戻らずに岡崎にもどると言いたいのかな?
そう言ってるよね。
>では、遠江は放棄すると?
そうは言ってない。テンプレにも基本的な守りは残すと解釈とある。
こんなこじつけは極論だと言ってる。


>重圧を掛けなくても、岡崎が落ちたら遠江衆が徳川を見限るんだと言う話はしているんだよ。
ええ、前提となってますね。
>遠江衆にしてみれば三河を守るために三方ヶ原に出陣し大敗、多くの戦死者をだし、今また三河を守る為なら遠江をあっさり放棄されるようでは、遠江衆が徳川についている意味が無い。
>遠江衆がすぐさま武田について、一緒に三河に攻め込んできかねない。
岡崎が落ちる前に見限ってるこのレスとどんな関連が?
285人間七七四年:2008/05/12(月) 01:06:41 ID:yhzO36It
>>284
>別に城落とすわけじゃなくて荷駄襲うだけでも徳川側に有利に持ちこまれる。
野田城をおとしているから、野田方面からでも武田は補給できると思うが。

>岡崎が落ちる前に見限ってるこのレスとどんな関連が?
関連というより、物事は1つしか成り立たないわけじゃないと言う事だね。
岡崎を落とされても遠江衆は徳川を見限るし、遠江を見捨てて三河に向かうようなことをしても遠江衆は徳川を見限るということだよ。
286人間七七四年:2008/05/12(月) 01:18:40 ID:S7cN0vat
別に三河の城の救援に向かうことが、遠江を捨てることにはならないと思うんだが?

後のことになるが、勝頼は三河を蹂躙し、家康はその救援のために三河で動く事に
なるが、それで遠江衆が離反したか?
長篠だって戦場は三河で、家康は遠江衆を率いて長篠救援に三河に入っているわけ
だが、それで遠江の誰かが徳川を見限って武田についたりしましたかね?

いってしまえば、家康が高天神救援出来なかったあと、遠江衆で離反した武士って
誰がいますか?もちろん、攻められて降伏したとかではなくて。
287人間七七四年:2008/05/12(月) 04:22:10 ID:yhzO36It
>>286
三河の城が攻められてそれを救援に向かうんなら問題ないね。

今回の状況は、吉田にいる家康が吉田を攻められそうになった時に吉田をでて、浜松に向かわずまだ攻められてもいない岡崎に向かうという状況の話をしているんだよね?
攻められた三河の城を救援に行くのとは、全然状況が違うと思うけど?
288人間七七四年:2008/05/12(月) 08:46:25 ID:cqLWa3jJ
>>286
吉田から逃げて三河に向かうのと、救援に出陣するのを一緒にしては行けない。
289人間七七四年:2008/05/12(月) 18:54:36 ID:1TPOltfc
そもそも岡崎城がそんな簡単に落ちるか?また、織田領が近く援軍が間に合わない可能性も極めて低い。
仮に織田援軍が来る前に落ちる可能性があったにしろ損害度外視の力攻めで受ける被害は甚大。
その被害を受けた兵力と長期遠征で疲労しきった状態で無傷の織田と戦う事になり、さらに背後に徳川がいる。
奪った城を維持出来る公算は極めて低いし、決戦で敗れる事にでもなれば甲斐信濃まで攻め込まれるかもね。
三河遠江の豪族は織田の援軍が武田に敗れると武田に降るだろうが岡崎落城時点ではまだ家康寄だろ。
武田の勝算が低いのは誰もが解る。
290人間七七四年:2008/05/12(月) 19:32:39 ID:TiMKP3yG
>>283
推定3千人前後の兵が篭るそれなりの規模・防御力の城を数日で強引に攻め落とすんだから
それくらいの死傷者は出る可能性が高いでしょ。

そういや似たような状況で武田征伐時の高遠城攻めがあるね。
仁科盛信以下3千が篭る高遠城を織田信忠の軍勢3万(5万だったかも)がたった1日で落城させている。
この場合は3千が篭る城をたった1日で陥落させたけど織田軍の損害が大きかったと聞いたことが無い。
ただし高遠城の場合は信忠軍が高遠に来るまで武田の武将が雪崩を打つように寝返りしまくり状態で
援軍の見込みも無くお先真っ暗状態で士気が相当低かったと思われる。
そして支城が陥落して高遠城は孤立していた。
高遠城は籠城に不向きで城下にこられたらアウト、支城網を駆使して高遠に向かう街道筋で
積極的に迎撃するしかないと他スレに書いてあった。
それに高遠城が1日で落城したのは城兵が打って出たってのが大きいらしいしね。
「大手口へ切りて出で、数刻に渡って相戦い数多討ち取り、残党は城に逃げ入った」(信長公記)
城外戦で武田勢が消耗してしまったからたった1日で落城してしまったという事。

次の戦いに支障を来たさない程度の損害に抑えて、尚且つ数日足らずで落城させるには
上記のような条件が必要だと思われる。
寝返る武将の数△(天野とか山家三方衆など武田との国境の武将だけだから限りなく×に近い△)
援軍の見込み◎(大国織田が直ぐ隣にいるし、徳川本体も浜松に健在)
支城網○(ID:o8wkYb7fの考えだと岡崎城周辺の支城は落ちていないので岡崎城は孤立していない)
城兵が打って出る可能性ゼロ(援軍の見込みがあるからひたすら籠城)
だけどID:o8wkYb7fの考える岡崎城攻めだと上記のような条件となるから
城兵が打って出てこずひたすら籠城する城を数日で損害も1000足らずで落城とか不可能でしょ。
291人間七七四年:2008/05/12(月) 20:53:17 ID:1TPOltfc
野田攻め時点での不安要素
・長期遠征による疲労や士気低下
・上杉南下の可能性
・織田援軍の脅威(朝倉の撤兵によりより多くの兵を援軍にまわせる)
・地理勘がない

さらに進攻した場合に追加される不安要素
・より伸びる補給線
・織田の援軍が来る可能性が飛躍的に高く
・地元豪族の抵抗
・既に武田に降った豪族がいつ寝返るか解らない(ゆえに遠江に滞在したのは必然か)
・背後の徳川の存在
・兵力の分散

なお小田原攻めは条件が違いすぎ、比較対象にはならない。
292人間七七四年:2008/05/12(月) 20:59:36 ID:yhzO36It
>>289
>また、織田領が近く援軍が間に合わない可能性も極めて低い。
近いって言ったって、尾張国境に兵が常駐されているわけじゃなくて、岐阜から来るんだけどね。

>決戦で敗れる事にでもなれば甲斐信濃まで攻め込まれるかもね。
ワザワザ決戦するような真似はしないだろうけど。

>>290
このような条件の時に出来た事と、このような条件の時にしか出来ないは違うと思うけど。
それに実際、1000人が戦闘に支障が出るって言うのは結構な被害と思うよ。

損害が多くない状態なんて俺だって想定していない。
293人間七七四年:2008/05/12(月) 23:19:38 ID:t0Cu0DG8
このスレのスレタイを『武田厨レイプスレ』に変えればいいんじゃないかと思う今日この頃。
もし、アンチが湧かないスレだったらってのも見てみたいな。
294人間七七四年:2008/05/12(月) 23:30:49 ID:bm0gEaQF
>>293
アンチ無しで真面目に議論するのも面白いしね
武田信玄しななかったらどうするつもりだったんだろ
どちらにしろ織田、徳川を滅ぼすなんて当然無理だろうし
295人間七七四年:2008/05/12(月) 23:32:55 ID:jTxVZbxU
包囲網を少し考えてみないかい?
包囲網の連帯のゆるさが作戦失敗の要因である、という人がいるはそれは違う。
そもそも、あれだけの大名で連帯する事は、
織田が邪魔である、という共通要素があるだけで、相性も地域差も考慮されてない(考慮したら集まらない)もので、
どんなに調整しても連帯強化はむずかしく、足利が悪いわけでも構想が悪いわけどもない。
連帯強化をするためには、それぞれが軍事行動で本気度を表すしかない。
徳川なんて畿内からは重要ではない。織田領本格侵攻で初めて包囲網の効力が発揮される。
逆に徳川にこだわればこだわるほど、包囲網は瓦解しまう。
296人間七七四年:2008/05/12(月) 23:37:57 ID:1TPOltfc
>>293
俺は武田信玄はとても好きなんだけどな。
しかしこのスレの戦略や視野に欠けるトンデモifを見ると
信玄はそんな程度の武将じゃないと言いたくはなる。

武田厨は武田信玄を脳内では神格化してるんだろうが
逆にその妄想発言で武田信玄をレイプしていると言える。
297人間七七四年:2008/05/12(月) 23:38:54 ID:bm0gEaQF
武田が動き出したのか遅すぎたのが失敗の要因だと俺は思う
あの時点ではもはや朝倉は領国がぼろぼろになっていて
引き上げるしかないわけだし
もう少し早く出陣できれば史実よりはだいぶよかったと思うんだ
298人間七七四年:2008/05/12(月) 23:57:01 ID:c4h2H5UT
別にレイプする気は無くても余りに希望的観測が過ぎるのには口を挟みたくなる。
大遠征も例えば、武田の国境から50キロぐらいのところで荒らしまわるとかなら、
まだ実現の可能性はあると思うけど、岐阜とかまで行ってその上織田と戦うとかとなるとちょっとって思うし、
上のほうの吉田落として岡崎落とすも、吉田を時間かけて落として徳川領を分断し、
遠エを調略するぐらいまでならそれなりに可能性はあると思うし。
299人間七七四年:2008/05/12(月) 23:59:53 ID:QoYqaOtO
>>296
褒め殺しってやつか?
300人間七七四年:2008/05/13(火) 00:05:02 ID:RjhPk08W
損害度外視とか兵站軽視とか武田信玄というよりは暗愚な大将のイメージ
301人間七七四年:2008/05/13(火) 00:18:13 ID:Pef9SxgQ
でも信玄の性格とか戦況を考えれば、徳川の一部とってお終いにしかならんだろ
302人間七七四年:2008/05/13(火) 00:24:35 ID:RjhPk08W
>>297
でもそれいってたらキリがないからね、あの時代でなにが出来たかが重要なんじゃない?

あの時代でも朝倉再出兵してもらえれば織田の援軍を抑えてくれるだろうし。
足並みそろえるって意味では史実と同じように野田攻めで時間掛けて長篠の修築してるくらいで丁度いいのかもね。
焦って攻め込んで織田の危機感煽りすぎても援軍到来の可能性高めるだけだし、
三河で馬鹿みたいに力攻めして疲弊すれば織田に決戦に持ちこまれて再起不能になりかねない。
303人間七七四年:2008/05/13(火) 00:24:45 ID:qyfQiBwe
中国のロケット発射実験失敗の映像。技術力の高さがうかがえますなw
http://www.youtube.com/watch?v=P815JVWS_8w
http://www.youtube.com/watch?v=EmbP8dTeu98

今年、核弾頭を積んだ大陸間弾道ミサイルの発射シミュレーションを中国政府がやったら
中国国内に85%が着弾する結果になった機密動画が流出したが速攻で削除されたw
winnyにはまだ流れてるw
304人間七七四年:2008/05/13(火) 00:25:44 ID:SQns64LI
信玄が優秀な大名と言うのには同意するが、信玄が戦国最強で生きてたら上洛確実というのは同意できんなあ
305人間七七四年:2008/05/13(火) 00:32:51 ID:mMKs+keX
でもね、仕掛けたはずの信玄が安全を講じて徳川専念したら、信長に包囲網の打開策(反撃)を与えてしまうわけだよ。
信長を叩くどころか、わざわざやられてしまう事になってしまう。それこそ信長の徳川を使っての時間つぶし対策の罠にはまってしまう事になる。
だとしたら、仕掛けた以上は危険を冒してでも信長を窮地に陥らせたほうがいいのではないか?
徳川領留まってたら畿内情勢は信玄にとっていい方向に向かわない。
織田領侵略すれば、畿内において信長の危険要素が膨れ上がる可能性をはらんでいるわけだし。


306人間七七四年:2008/05/13(火) 00:32:59 ID:XISPAuXI
吉田を落として次に岡崎をと言っているものだが、信玄だったらと言うより、この状況でどうすれば上洛が出来るかで考えている。
ここは上洛レスだからね。

実際信玄の戦略は手堅い。しかしそのために時期を逸する。
以前にも同じような事を書いたが
信玄の戦略は損害を出さないように手堅く正しいと言えば正しい。
しかし、手堅すぎ。
例えば、急いで目的地に着かなくてはいけないときにも「赤信号は止まらなくてはならない」と言う基本を守った挙句、
目的地に遅れるような感じだ。
正直、信玄らしくじゃ上洛はおぼつかん。
まぁ信玄らしくない行動させて上洛しても、信玄じゃ上洛できないって事に変わりかもね。
307人間七七四年:2008/05/13(火) 01:37:41 ID:y/1dd0zt
さかのぼるとしたら、駿河侵攻の時かなあ。
この時、徳川とは違約をせず同盟を堅持。北条ともとにかくどうにかして折り合いをつける。
越相同盟がなくそのまま甲相同盟が継続するのが理想だが、そこまでいかなくとも、永禄の
内に決着をつけて後顧の憂いを無くす。

その状態でひたすら遠征準備。

志賀の陣になったら即行裏切って岐阜を直撃する。


自分でも無理言ってることは承知しているが、おそらく、これが武田が上洛できるもっとも
可能性の高い後知恵によるIFではないでしょうか?
元亀三年頃までいっちゃうと、もうありえないIFを積み重ねないと、可能性も論じられない。
308人間七七四年:2008/05/13(火) 02:15:23 ID:z3YZ6l1q
結果論的な見方だが
甲信を得た後、織田、徳川、北条との同盟をきっちりして
後顧の憂い無く越後に向かうべきだった
309人間七七四年:2008/05/13(火) 07:45:54 ID:qrhfef3t
そもそも吉田〜岡崎説の人は三方ヶ原前に信玄本隊が二俣を攻めてて、
山県が5000で三河に侵入している所まで遡らないと
どうしても無理がでるわな。
310人間七七四年:2008/05/13(火) 13:41:42 ID:NTt2iejA
>>302
再出兵が来春にならないとできなかっただろうし
結果論かもしれないけど野田攻めに時間かけてたら朝倉滅亡が近いから厳しくなると思う
徳川は粘ってればいいわけだしね
311人間七七四年:2008/05/13(火) 19:50:44 ID:qrhfef3t
小田原遠征で挟み撃ちされる事を恐れない武田…
とか言う奴がいるので西上作戦の違いを。
・遠征期間
小田原1〜2ヶ月
西上 半年以上
・目的
小田原 駿河の北条圧力を低下させる
西上 諸説あるが正確には不明
(遠江又は三河を攻略?・上洛?)
・具体的な戦果
小田原 三増で勝利、北条勢の駿河への圧力低下
二俣、岩村城奪取・三方ヶ原で勝利

要は小田原攻めは超短期で北条領内を荒らせばよかった。
実際に城を攻め取った戦果はない。
対して西上は明らかに勢力拡大に動いている。
312人間七七四年:2008/05/13(火) 20:04:52 ID:qrhfef3t
途中で送っちまった。

小田原のように短期遠征だったから多少の無茶な進軍もなんとかなった。
古府中までの距離も近い。
(それでも補給線は伸びきり三増峠の戦いも苦肉の辛勝)
三増峠は軍艦以外の資料が乏しくアレだが、
武田は勝つには勝ったが圧倒的勝利説はやや疑わしい。
大将クラスも戦死してるしね。
2ヶ月位の短期遠征でもその有様なのに西上くらいの遠征ではもっと酷い事になるだろう。

なお小田原攻めは城を取り勢力を拡大する必要がないが、
西上は武田の苦手な城攻めがついてまわる。
これも重要だと思う。
313人間七七四年:2008/05/13(火) 21:32:12 ID:Q7H1kpGy
信長が立てこもる戦いをするかどうかだけどな。

仮に信長が引き籠もったとして、武田が素通りしたらどうなったか。

反信長陣営が兵糧を確保したとして、浅井朝倉や本願寺と共に、
畿内を制圧、信長を西から圧迫する戦略が成り立つかどうか。
三河は壊滅したわけじゃないし、信長・家康連合が逆に武田領を攻
略したとすると、防衛しきれるのかどうかだな。その隙に本願の尾張
を取られたら文字通りおわりだけど。
314人間七七四年:2008/05/13(火) 21:36:39 ID:NTt2iejA
>>313
いや素通りって何?
315人間七七四年:2008/05/13(火) 22:00:26 ID:hTWqiemR
どこに引きこもって、どう素通りしたのか
どの反信長陣営が兵糧を確保したのか

何一つさっぱりです
316人間七七四年:2008/05/13(火) 23:32:10 ID:WhJ5RlAF
>>263
テンプレ>>8をよく読めば分かるけど
武田の2万5千は、一万石あたり250人では秋山と上杉の抑え置いたら
本隊が2万5千に届かないため、通説に合わせるため若干動員率を上げている

>大体、防御側は動員率が上がると言うなら、武田の対上杉用の戦力も増える事になるし、
>浅井など近畿の反織田勢力の兵力も増える事になる。結局ちゃらになると思うが。
無論それもみんな考慮にいれていると思うが
だからこそ他のひとも例えば浅井の兵力が2千〜3千だから
織田の主力で攻めれば1573年正月の時点でも、数日で落とせるとか言い出さないのだと思うが
317人間七七四年:2008/05/13(火) 23:56:00 ID:XISPAuXI
>>309
信玄の生前にさかのぼっての行動(すくなくとも病状が原因以外)の変更は「信玄が生きていたら上洛が可能だったか」に反するから好きじゃないんだよね。
まぁ結局上洛させる為の行動となると「信玄らしさ」からは離れちゃんだけど。

でも、なんとか成功率50%ぐらいの作戦が提示できればOKとは思っている。
当然、それなりに都合のいい状況を想定するが、都合の悪い状況などを想定すれば無理に決まってくるんだから仕方あるまい。

岡崎を力攻めした後に織田を迎え撃てるかと言う話があるが、決戦なんてお互いが行おうと思わなければめったにおきないんだし。
木下と柴田や木下と徳川の戦いのように、陣を固めて守っているところに攻めるのはかなり不利。
武田2万(1万8千と言う意見もあるが)対織田2万五千の戦力さでは、武田がある程度疲労していても負けると決まっていると言うほど不利じゃないと思う。
武田が負ければやばいのはもちろんだが、織田だって負ければ近畿の情勢にも影響する。
織田もそう簡単に攻められるもんでもないと思う。
318人間七七四年:2008/05/13(火) 23:58:39 ID:NTt2iejA
>>317
岡崎を攻め落としたとしても
徳川の本拠浜松はどうするんだい?
その前に朝倉浅井あたりが滅んでしまうと思うんだけど
319人間七七四年:2008/05/14(水) 00:07:39 ID:BYYGw9TT
岡崎攻め取れたとしても吉田から岡崎まで一気に来て即城を落とすわけだから
東海道一本で吉田と繋がっているわけで、岡崎周辺の城も放置だから西三河で孤立
織田徳川は東海道沿いの城から兵站を遮断すれば
攻めなければいけなくなるのは武田の方になるんじゃ?
320人間七七四年:2008/05/14(水) 00:12:09 ID:/TYZqwrA
>>316
>本隊が2万5千に届かないため、通説に合わせるため若干動員率を上げている
なるほど確かに。武田の1万石あたりの動員は280〜285人くらいかな?
上杉は越中で戦っているから上杉への押さえの5千が多すぎる様な気もするが、テンプレを全勢力285で計算すべきかね?

>織田の主力で攻めれば1573年正月の時点でも、数日で落とせるとか言い出さないのだと思うが
武田が退却した後に織田が本腰で攻めた時は、ワリとあっさり落城したと思うけどね。
321人間七七四年:2008/05/14(水) 00:14:30 ID:nSAZLJB3
>>317
敵地奥深くで敵よりも少ない兵(連戦による疲労大)で長期戦をするのは危険が大きすぎるのでは?
織田を引き付けてる間に反織田勢力の攻勢はほとんど期待できないわけなんだし、
武田も上杉と敵対してるんだから長期間本国を留守に出来ないんだしね。
決戦が起きないんだったら武田はいつまで織田とにらめっこするんだい?
敵地奥深くでにらめっこなんてしちゃったら簡単に撤退できなくなってしまうと思うんだけど。
もし撤退しようにも当然織田の追撃があるわけで相当数の損害が出ちゃうよ。
それににらめっこなんてやっても容易に補給が可能な織田のほうが断然有利なんだし、
補給線が不安定な武田が先に悲鳴を上げると思うんだがね。
織田と危険なにらめっこしてたら武田が限界が来るよりも先に反織田が覚醒して
畿内の親織田を一掃して、美濃・尾張に殺到してくるなんて都合のよい設定なわけないよね?
322人間七七四年:2008/05/14(水) 00:19:45 ID:nvGNfGHa
もはやあの時点では武田は詰んでいたね
もっと前に遡ってIFでもしないと無理だよ
それこそ信長上洛前か美濃攻略前でもないと
323人間七七四年:2008/05/14(水) 00:24:38 ID:nSAZLJB3
>>320
小谷城が瞬殺されたのは
・朝倉が殲滅されており援軍無しの状況
・山本山城や大嶽砦などの小谷城の支城網が裏切りなどにより織田の手に落ちて
 丸裸の孤立無援になって完全包囲された(1573年正月時点は支城網は生きていた)
・数年間に及ぶ織田の攻勢で士気はがた落ち、疲労困憊状態
などといった要素があったからこそだよ。
さすがに1573年正月時点では小谷城を瞬殺するのは無理。
岡崎城にしても小谷城のような完全孤立無援状態にならない限りやはり瞬殺は不可能。
324人間七七四年:2008/05/14(水) 00:26:23 ID:nSAZLJB3
>>323の追加
虎御前山砦などの陣城を築いていたことも瞬殺できた要素の一つかな。
325人間七七四年:2008/05/14(水) 00:36:19 ID:/TYZqwrA
>>318
>徳川の本拠浜松はどうするんだい?
浜松の兵力は吉田城で防ぎ、遠江衆は徳川に三河の兵力の前に屈する形で徳川の配下になっているんだから、三河を失う(失いかけている)徳川を見限って武田に付くという事で話を進めている。
浜松も篭っている兵力の大半は遠江衆だからヘタしたら家康は武田への手土産に遠江衆に討たれる。


>その前に朝倉浅井あたりが滅んでしまうと思うんだけど
武田が岡崎を落として尾張近くまで来ていたら、浅井・朝倉に大軍を派遣している余裕はなくなると思うけど。
それに朝倉が滅んだ「刀根坂の戦い」なんてあの暴風雨の日にちょうど織田と対峙していなければ起きてないし、「刀根坂の戦い」がおきなければ朝倉ももっと持っている。
この状況で浅井・朝倉が滅んでいるという事はすぐには無いと思うよ。

>>319
岡崎周辺の城って実際ないがあったっけ、足助・古宮かな?
>東海道沿いの城から
ってテンプレの基本的な守備の兵力を動かすと言う事かな?
それを動かすのがありなら武田も長篠の兵力とかを動かせる事になるが。
326人間七七四年:2008/05/14(水) 00:40:38 ID:nvGNfGHa
>>325
都合いいとかそういうレベルを超えてるよ
327人間七七四年:2008/05/14(水) 00:50:53 ID:/TYZqwrA
他の城が短期間に落ちたのは、支城が落城していたからとか言う意見などがあるが、城攻めの風景をどう思い浮かべても影響するとは思えん。
実際に城を攻めているときは、城に篭っている兵と攻める側に戦いなわけだが、支城が残っているとなにがどう影響するのだろうか?
籠城兵が守る塀や門をどうやって攻撃側が打ち破るかだろ?

近くに支城があったら籠城兵がパワーアップするのか?
城の近くに砦を築いたら攻め方がパワーアップするのか?
もちろん、城を囲んで兵糧攻めなどの長期に渡る城攻めをしようとするなら、支城は落とすべきだろうけど。
短期間で城を落とそうと言う時に、支城があれば具体的にどう籠城側に有利なのか具体的に教えてくれないか?
籠城兵の士気が違うとかじゃないよね?
支城があったらダメに決まっていると言うイメージだけなんじゃないか?
328人間七七四年:2008/05/14(水) 00:53:14 ID:nSAZLJB3
>>325
遠江衆が武田に寝返る事で話を進めてるって都合が良すぎでしょ。
徳川が孤立無援の勢力ならともかく、当時の最大勢力の織田がすぐ隣にいるわけなんだし
織田が大敗北を喫しない限りそう簡単に武田に寝返らないのでは?
だいたい遠江衆を一括りにして考えてるのは不適切でしょ。
確かに武田に寝返る遠江衆もいるかもしれんが、遠江衆全員が一致団結して武田に寝返るとか現実的にありえんよ。
家康が石川や酒井らの三河衆と共に浜松城にいるのに遠江衆が一致団結して家康を討ち取るとか小説じゃないんだから・・・
遠江衆が家康らの目を盗んで集まって家康を討つ密議なんて不可能だし、
例え書状で連絡を取ろうにも家康側につく遠江衆が家康に密告する。
家康に配下の兵士を連れて近づくなんて不可能だし、家康に近づける遠江衆の有志で討ち取ろうにも
家康の周りには旗本衆が控えてるわけだし、万が一討ち取れても自身も死ぬ可能性大な暴挙は誰もしないだろうね。
329人間七七四年:2008/05/14(水) 00:53:32 ID:RhbIbxND
>>317
織田と決戦しないなら更に状況は悪くなる。

決戦しない場合の武田の行動予想
ケース1
・適当な場所で織田と対陣、決戦は避ける予定
決戦に持ち込まれる可能性が。
和睦は条件が悪いかも。

ケース2
・古府中に引き揚げる
織田・徳川に挟撃されながら長距離を退く事になる。
更に苦労して奪った吉田、岡崎は自らが落城させた時の損害を改修する間もなく
奪い返される公算が大きい。

ケース3
・損害の大きい岡崎に篭城
支城を攻略していないため陸の孤島。
防御力が低下していて守るにふさわさくない。
330人間七七四年:2008/05/14(水) 01:01:24 ID:/TYZqwrA
>>328
>徳川が孤立無援の勢力ならともかく、当時の最大勢力の織田がすぐ隣にいるわけなんだし
岡崎で織田と睨み合いの結果、結局双方が引く。
となったら遠江衆も落胆しそうじゃないか?
別に一致団結して寝返らなくても、ひとたび寝返りだしたら徐々にと言う事もあるだろう。

>家康が石川や酒井らの三河衆と共に浜松城にいるのに遠江衆が一致団結して家康を討ち取るとか小説じゃないんだから・
「ヘタしたら」だって。
331人間七七四年:2008/05/14(水) 01:04:38 ID:RhbIbxND
実際の所、多くの遠江衆は日和見だと思うよ。
武田が岡崎まで兵を進めると同時期には
織田勢岐阜を発つの報はあるだろうし、その時点で武田が有利かどうかは判断つかないだろ。
仮に織田到着前に落城したとしても
三万程の援軍が来たとなればその後の経過を見ない事には。
332人間七七四年:2008/05/14(水) 01:11:26 ID:rjjDAMbv
>>327
おまっ、当時の城の在り様も知らずにこれまで語っていたのか!?

そちらこそ、日本歴史学会および建築史技術史軍事史その他学問の長年の研究の
成果と積み重ねを、個人のイメージだけで根拠もなく否定しているぞ?
333人間七七四年:2008/05/14(水) 01:12:21 ID:RhbIbxND
>>330
>双方が退く
これはさすがに有り得ない。
信長にしたら一方的に同盟を破棄されて
自領の岩村を奪われたあげく同盟国を好き勝手に荒らされてる。
当事の書状からも見て取れるが、その怒りは凄まじいものだろう。

岐阜を出た時点で武田を許す事は有り得ない。
和睦は武田の今回奪った城全てを返還しても微妙。
334人間七七四年:2008/05/14(水) 01:15:55 ID:/TYZqwrA
>>331
史実では7月に義昭が挙兵するがどう影響するかだね。

そうすると、武田がいつまで持ちこたえれるかだが、
史実の武田の退却は4月。
しかし其れは信玄が病死したからであって、本来はもっと持つだろうと推測される。
岡崎を落とせば、落城時に兵糧などを焼失するなどと言う事が無ければ兵糧も手に入る。

武田と織田が岡崎で対峙することにより、義昭の挙兵が早まると言う事があれば良いんだが、其れは都合よすぎか。
335人間七七四年:2008/05/14(水) 01:19:29 ID:RhbIbxND
追記
遠山夫人の件や三方ヶ原の平手の件、
さらに佐久間の行動での徳川や他大名に対する威信も絡むと思う。
336人間七七四年:2008/05/14(水) 01:19:36 ID:8SNCvurV
織田に謀反や裏切り者を作り出せたりと有利な展開なら尾張へ侵入して浅井朝倉と挟撃を狙うだろうが
もし有利でないと知れば川を挟んで対陣しつつ朝廷を動かして信長と和睦に持ち込む。
信玄が浅井を見放し、信長も家康を切り三河を信玄に譲渡の上、婚姻同盟し三河領国経営を始める。
あとは謙信の動きに注意しつつ沼田や厩橋を狙い、陰で支援する本願寺や毛利の活躍に期待しつつ京洛の変事の機会を待ち力を蓄え謀略を巡らす信玄入道だろう。
飛騨経由で朝倉も支援して信長を困らせるだろうな。
まさに直接信玄は戦わないが代理戦争をさせつつ支援先への影響力と調略を強め家臣を内応させた挙げ句に織田と一緒に朝倉を攻めるかもしれんな。
信長が若狭で信玄が越前をコソ泥すると思われ。
337人間七七四年:2008/05/14(水) 01:20:58 ID:/TYZqwrA
>>332
だから、実際にどう支城があればどう籠城側に有利なのか教えてよ。
兵力さがそう無い状態で、支城を無視して攻めれば城を攻めている間に支城から援軍が来て、取り囲まれるとかはまぁあるかとも思うが、支城の兵力では手が出ない兵力さの時に、支城がなにの手助けを出来るのかとか。
338人間七七四年:2008/05/14(水) 01:26:28 ID:nvGNfGHa
>>336
それ絶対ありえないよ
まず織田が徳川を見捨てれば外交的にも信用なくすし
朝廷からとはいえそう簡単に和睦はしないだろう
339人間七七四年:2008/05/14(水) 01:32:29 ID:8SNCvurV
信長は尾張さえ守れれば家康なんてイザとなったら切り捨てるね。
朝廷の斡旋は信長にとっても渡りに舟だろう。朝廷の顔を立てたとすれば面子が潰れないし。
信長にとっての優先順位は浅井朝倉や本願寺。信玄に関わってる場合じゃなく、和睦で背後が安定するなら喜んで和睦するだろう。
340人間七七四年:2008/05/14(水) 01:39:31 ID:nvGNfGHa
>>339
いやいやそんなことして徳川が終わった後
武田が再挙兵したらどうなるかとか考えるだろ
それに信長は苦しい状況であっただろうが徳川を見捨てるほど苦しい状況ではなかった
まあいいや
341人間七七四年:2008/05/14(水) 01:44:30 ID:RhbIbxND
>>337
当然士気は天と地程も変わる。
また、支城があると何時でも背後から攻撃側にちょっかいをだせるって事に。
補給に打撃を加えるなども可能。
あとは廻り全てが敵の城の時に較べて格段に味方に連絡が取りやすい。
逆に攻撃側は支城を押さえる事で背後を気にせず攻撃を仕掛ける事が出来るのと
同時に負傷者の収容や補給、攻撃拠点の確保が可能。

ちなみに寡兵だろうが当時は奇襲などで混乱させたら収拾がつかなくなる。
外部から千人、内部から千人で同時に夜襲をかけて混乱させると
一万の包囲軍でも負けるかもね。
342人間七七四年:2008/05/14(水) 02:07:14 ID:/TYZqwrA
>>341
>補給に打撃を加えるなども可能。
長期に渡る城攻めをして、攻撃側が途中で補給が必要になったときにはあるかもしれないが、短期に一気に攻めると言うのにこんな事はあまりないんじゃないか。
攻める側がワザワザ兵糧を攻められやすい場所に置かないだろうし。

>あとは廻り全てが敵の城の時に較べて格段に味方に連絡が取りやすい。
城を取り囲まれたら連絡取るのはどっちにしろ無理じゃないか?

>逆に攻撃側は支城を押さえる事で背後を気にせず攻撃を仕掛ける事が出来るのと
>同時に負傷者の収容や補給、攻撃拠点の確保が可能。
短期間の城壁や城門の攻防に影響するか?

>外部から千人、内部から千人で同時に夜襲をかけて混乱させると
史実か疑わしい河越野戦とかじゃあるまいし、本当こんなんで勝てるか?
龍造寺は夜襲で勝っているが、支城関係ないしな。
まぁ河越も支城は関係ないか。
343人間七七四年:2008/05/14(水) 02:14:01 ID:saDyKw0V
まあ、大遠征では決戦は歓迎なんだけど、
その理由は徳川抜きの織田勢は弱いからなんだよ。逆に徳川は強敵だよ。
徳川が万全でない状態で、兵が多いとはいえ包囲網で弱ってる単体織田勢と決戦したらいい勝負するんじゃないだろうか。
万全の状態の織田・徳川連合は一番怖いね。やっぱり今回のチャンスを逃したらだめだね。

344人間七七四年:2008/05/14(水) 02:20:42 ID:MY2cjCcn
>>340
苦しいから徳川支援に平手らしか送れなかったんだろ。
345Y ◆VqSh5C7CR6 :2008/05/14(水) 02:35:38 ID:F6jrhY1A
籠城予定だったのに大軍なんて送ったら先に兵糧が尽きてしまうだろ
346人間七七四年:2008/05/14(水) 02:39:23 ID:MY2cjCcn
兵糧も一緒に送ればいいだろ。つかそんなに備蓄なかったのかよダメじゃん徳川www
347人間七七四年:2008/05/14(水) 05:34:53 ID:4DuclLGd
てか織田がテンプレの戦力を武田に投入できるのに決戦もできずにオロオロする
けど武田は順調に徳川領を切り取りますって時点で都合良すぎににもほどがないか?
348人間七七四年:2008/05/14(水) 10:09:30 ID:RhbIbxND
>>342
いまいち当時の攻城戦を理解していないように見える
そこそこ堅い城はどれだけ大軍で囲んでも実際に戦いが行われるのは城のごく一部
兵力の差は影響しない
攻撃側はただ一方的に被害を増やすだけの状態で守備側の僅かな綻びを突くしかない
それなりの城を超短期で落とした例で、
城内部に問題があり守備側から瓦解した場合、構造上の盲点を突いた場合以外がある?
当事に兵糧攻めが多いのは何で?
更に支城があるだけで動きを気にする必要があり攻撃に集中なんかできない
あと包囲を突破して外部と連絡を取った例なんかいくらでもある
349人間七七四年:2008/05/14(水) 11:09:09 ID:nvGNfGHa
>>344
もう言われてるけど篭城予定だったから
てか荒らし?
350人間七七四年:2008/05/14(水) 11:20:34 ID:8SNCvurV
×籠城予定
○あまり徳川に兵を割く余裕ないから籠城してくれ→信長はオレを見捨てたのかよ(涙)→自暴自棄の出陣で三方ガ原大敗
351人間七七四年:2008/05/14(水) 14:35:35 ID:NcF5TFBF
岡崎を力攻めする強攻策は岩屋城や上田城などの例もあるし
損害が軽微かつ短期間で落城とか楽観的だと思う

それに数十数百の兵でも、遠征中の身である以上
後方かく乱や荷駄を襲われたりしたらやっかいだし
城を攻められるってことは基本的に相手より兵が少ないことの方が多いので
当然寡兵でも大軍を防ぐことができるような造りになっているはず

支城の役割の一つとしてそういった有事の際に本城との連携も考えて築くはずなので
短期間で本城のみ狙うのだから支城の存在は無視してよい、とはならないのではないかな
352人間七七四年:2008/05/14(水) 15:05:21 ID:RhbIbxND
兵力があるから強引に力攻め

落城せずに被害は甚大に

敵方の援軍到着

ぐだぐだの退却戦で壊滅

この流れ、武田厨ならどっかで見たことないか?

この場合は更に…
・支城を落としていない為に退却距離が伸び、挟み撃ちどころか四方八方から袋叩きに
・後方に徳川が健在、甲府に戻るのも難しい
・降したばかりの三河遠江の豪族も離反するかも
・敗戦の報を受け北条も裏切るかも

最悪で滅亡しちゃうよ?
353人間七七四年:2008/05/14(水) 17:04:24 ID:8SNCvurV
支城には砦を築いて付城として牽制すれば充分に孤立化が果たせる。
自軍の手勢が少ない場合は支城などに兵力分散してしまうのは愚策である。
平城に支城はあまり有効ではない。山城に支城も山城と言うのは厄介
食料・水・火薬・排便・疫病・誤報などで籠城側は不利
特に雨天時の攻撃は城郭防衛の主力たる鉄砲が封じられてしまい危機に陥る場合がある
織豊型城郭技術で岡崎や吉田、浜松が強化されたのは家康が関東へ行ってからで今川時代からさほど変化はない。
354人間七七四年:2008/05/14(水) 18:55:25 ID:MY2cjCcn
信濃の天嶮を利用した要害城を落城させてきた信玄にとって
浜松や岡崎なんて楽勝でしょ。
すでに浜松城なんて無害化したようなもんだしワザワザ力攻めして兵を消耗させる価値なんてないから放置しただけだろ。
なに徳川を脅威みたいに言ってんだバカじゃね。
355人間七七四年:2008/05/14(水) 20:08:10 ID:nSAZLJB3
>>330
え?遠江衆が寝返り続出するのは織田と武田が双方引いてからなのか?
織田だけが撤退するのなら寝返り続出するだろうけど、武田も撤退してどうして寝返りが続出するんだ?
武田が撤退するという事は当然攻め落とした岡崎城や吉田城を放棄するという事だよな?
放棄した城は当然徳川が回収するんだから遠江衆の大半は徳川家にとどまる可能性が高い。
まさか落城させたばかりで防御力ガタ落ち、しかも周りの支城は依然徳川の城という孤立した点の支配である
岡崎城・吉田城に兵を駐屯させるとか言わないよね?

あと岡崎城の兵糧を武田が手に入れるから補給は大丈夫云々言ってるけど、
3千前後の兵が半年〜1年籠城できる兵糧が岡崎城に蓄えられていたとしても
全てを丸々手に入れられるわけないよね。
どのくらいの割合かは状況次第だから数字は出せないけど、いくらかは焼失するのは確実。
大半を武田が確保できたとしても武田の兵は2万前後。
3千の兵を半年分養える兵糧も2万の兵だと1ヶ月程度で尽きる。1年分でも2万の兵だと2ヶ月程度で尽きる。
ID:/TYZqwrAの考えではとりあえず岡崎城を攻め落とすという超短期的な事しか視野になく、
岡崎城を落城させた後の事は考えずに三河の支城網を全て放置するらしい。
岡崎落城後(数日で落城できると思えんが)に岡崎城周辺で陣地を作って織田と対陣するらしいが、
当然支城網を放置したツケは大きく支城網による補給路遮断で本国からの補給は困難(不可能かも)
補給困難な状況で頼みの綱は無事手に入るか分からん、手に入っても2万の兵をどれくらい養えるかも分からん岡崎城の兵糧だけの状況。
こんな愚策を信玄がするわけないでしょ・・・
356人間七七四年:2008/05/14(水) 20:28:25 ID:8SNCvurV
本城が落城したら支城なんて無力化されるだろアホが
本城に大軍が駐屯してんのに撤退命令出さないで玉砕命令出す愚将家康なんて見限られるだけだわ。
岡崎落城したら人質の大半をゲットできるから相次いで三河衆は寝返るよ。食料は金で調達できるし、補給だってわざわざ甲斐から運ばなくても簡単に駿府から船便で吉田城→岡崎城へ運べるし。
357人間七七四年:2008/05/14(水) 20:38:34 ID:hRQTCoRw
これは凄いゲーム脳
358人間七七四年:2008/05/14(水) 20:42:28 ID:2qSQVa/A
織田がいなきゃ多少は無力化されるかもしれないけど、それでも多少抵抗力は温存される
ましてや織田が出陣すればあっさり形成が逆転する可能性が高い状況で、
わざわざ武田に寝返るほど情勢が読めないとは思えないが。

制海権を仮に有することが出来たとしても、吉田岡崎間の諸城放置しているのなら
それらに遮断妨害されないように補給するのも大変だと思うが。
359人間七七四年:2008/05/14(水) 22:33:49 ID:8SNCvurV
バカだな〜信玄の凄さは対陣して睨みあっといて和議。
双方が撤退したら見事にその地を領国化してることなんだよ。
織田と正面衝突していたずらに兵を損ずる愚はやらねーよ。
家康は泣きながら亡命だよ。
信長だって自領じゃねー三河なんてイザとなったら切り捨てるよ。
だいたい織田本隊が来援するかどうかも実際、わかんねーから所詮は願望だろうが信玄は現実に三河を蹂躙してるしな。
360人間七七四年:2008/05/14(水) 22:40:37 ID:nSAZLJB3
どうやらID:8SNCvurVはスルーしたほうがいいようだな。
361人間七七四年:2008/05/14(水) 23:17:01 ID:nvGNfGHa
>>360
だろうね
362人間七七四年:2008/05/14(水) 23:24:57 ID:MY2cjCcn
そもそも長篠城〜野田城の内陸部を信玄が確保してんのに岡崎城取ったら
支城に後方を襲われて補給が大変という考えはバカげている。
それならなぜ野田城を攻城中に背後を襲われ補給が困難にならなかったんだ?
>>359が言うように野田城さえ見殺しにした信長が来援する可能性は低いと思うが。
信玄だって岩村城への兵力集中を多少の無理があっても行なうだろうから
織田もこちら方面を家康よりも優先して手当てするだろうから充分に牽制効果はあるだろうし。
363人間七七四年:2008/05/14(水) 23:36:54 ID:2qSQVa/A
地図を見ろとしか言えないな
364人間七七四年:2008/05/15(木) 02:13:18 ID:XWQs9JJd
>>348
>そこそこ堅い城はどれだけ大軍で囲んでも実際に戦いが行われるのは城のごく一部
>兵力の差は影響しない
>攻撃側はただ一方的に被害を増やすだけの状態で守備側の僅かな綻びを突くしかない
「そこそこ堅い城」って一括りにしすぎじゃないか?
堀・城壁が高く城門など一定の箇所以外から攻めても効果が薄く、おのずと攻める場所が限られるタイプの城というのは確かにあるだろう。
しかしそれを「そこそこ堅い城」って一括りにするのはむちゃくちゃだ。
まぁ色々なタイプの城の話をしてもキリが無い。
岡崎城の場合に限定しよう。
岡崎城は君の言うような、城のごく一部しか戦闘が起こらない作りなのか?

>それなりの城を超短期で落とした例で、
>城内部に問題があり守備側から瓦解した場合、構造上の盲点を突いた場合以外がある?
岐阜城なんて割りと何度も短期間で落ちてるけどね。
「岐阜城は構造上に問題があるからダメだ!」とかになるのかな?
一日で落城した城は多いが「それなりの城」って言う条件が分からんな。
こっちがあげた挙句君の基準で「それなりの城」とは認められない!とか言われてもかなわんし。
それに、包囲してから期間はたっているけど、実際の攻城期間は短いって言うのは沢山あるんだけどね。
包囲して降服の使者を送って、降服を拒絶されてから総攻めの期日を決めて攻撃。即日落城とか。


>当事に兵糧攻めが多いのは何で?
多いか?
兵糧攻めの例が沢山あるって言うんじゃなくて、城攻めで兵糧攻めの割合が多いって言う意味で言ってるんだよね?
君の知る城攻めで本当に兵糧攻めが多いかよく考えてみて。
「長期間の攻城の落城・降服したのは兵糧攻めの為だ」とか言うきめ付けとかじゃなくて、兵糧攻めの結果落城したと明確に分かる分で。

>更に支城があるだけで動きを気にする必要があり攻撃に集中なんかできない
結局、支城があるって言うのは、単に「警戒を怠らない」と言う事で防げる程度のものなのか?

>あと包囲を突破して外部と連絡を取った例なんかいくらでもある
>>341が言うような、容易というほどのもんでもないだろ?
365人間七七四年:2008/05/15(木) 02:21:15 ID:XWQs9JJd
>>351
>岡崎を力攻めする強攻策は岩屋城や上田城などの例もあるし
>損害が軽微かつ短期間で落城とか楽観的だと思う
失敗例もそりゃあるが成功例もあるだろう。
それに、1000人の被害が軽微か?

>それに数十数百の兵でも、遠征中の身である以上
>後方かく乱や荷駄を襲われたりしたらやっかいだし
まぁ警戒を怠らずって言う事だな。

>城を攻められるってことは基本的に相手より兵が少ないことの方が多いので
>当然寡兵でも大軍を防ぐことができるような造りになっているはず
「はず」って言われても、実際寡兵で大軍を防げない城なんて沢山あるし、一括りにされても。

>支城の役割の一つとしてそういった有事の際に本城との連携も考えて築くはずなので
>短期間で本城のみ狙うのだから支城の存在は無視してよい、とはならないのではないかな
無視してよい。と言うより支城を落とさなくても、本城を落とせない事は無いと言うことかな。
タイムスケジュール的に余裕があれば、そりゃ支城を落した方が良いに決まってるんだよな。
吉田を落とした後に信長が援軍を起こさない確立は低いと言う前程での話しだから。
366人間七七四年:2008/05/15(木) 02:24:24 ID:XWQs9JJd
>>352
別に俺だって「絶対大丈夫」なんて思っているわけじゃなくて、「出来なくも無いんじゃないか」
程度言っているからね。
前にも言ったが50%行けばOKみたいな。

最悪はそういうこともあるかもね。
367人間七七四年:2008/05/15(木) 02:27:17 ID:XWQs9JJd
>>355
いや、すまんが「織田と武田は闘わずに終わる」と言う意味で書いた。
岡崎城や吉田城を放棄はさすがに意味がなさ過ぎる。
368人間七七四年:2008/05/15(木) 03:20:30 ID:y8FdpBeZ
信玄は決戦を避けて慎重に進軍して織田包囲網によるプレッシャーを与えたかったんだろ
そうすりゃ当時最強っていう宣伝効果で畿内の人心混乱を招き反織田勢力も決起し易いし
日和見の土豪も調略し易い
真綿で締め上げる攻め方で被害を減らし織田の内部崩壊を待つしか無いと思ってる
信長的には武田軍への対応どうしようと思ってたのかな?
決戦は各勢力への抑止力減らす事になるから挑み辛いだろうし放置はジリ貧だしさ

長文スマン
369人間七七四年:2008/05/15(木) 03:43:12 ID:kENRxxsl
浅井朝倉、近畿方面は織田の主力無しの状態ですでに膠着状態。
織田本隊が到着すれば簡単にパワーバランスはくずれる。
それはあの機を見るに敏な細川藤孝が織田に着いたことからも明らか。
このことから近畿方面で反織田方が盛り返すには武田が織田と決戦をして、
織田を粉砕する以外方法は無いと思われるよ。
しかし決戦したならば信玄が信長に勝てる気はしないな。
370人間七七四年:2008/05/15(木) 03:48:50 ID:kkhKjyJH
ある程度支城無視して本拠を一気に落としたという成功例だと
信長の上洛時の六角攻め
信玄の最初の駿河遠征時の今川館攻め
信長の朝倉攻め
信長の武田攻め
氏綱の河越攻め
政宗の芦名攻め
ぐらいか?
ただ大軍で支城を牽制させて無理やり力攻めで城を落とすに当てはまるのは
信長の上洛時の六角攻めと氏綱の河越攻めぐらいか
あとは本拠攻める前に相手の軍が崩壊して城攻めになっていない
371人間七七四年:2008/05/15(木) 03:53:52 ID:kkhKjyJH
あと三方ヶ原の戦いでさえ甲陽軍鑑によるなら、離脱に失敗した徳川左翼を相手に大活躍した
武田の右翼でも討ち取り首は100に満たないレベル
372人間七七四年:2008/05/15(木) 13:26:04 ID:omtklftX
>>364
岐阜城が短期間で落ちたのは竹中半兵衛と安藤守就が十数人で落とした例と
明智光秀の家臣(名前忘れた)が落とした例と関が原の前哨戦で東軍が落とした例とがあるね。
竹中半兵衛の例は内部犯行の例外的な落とし方だから除外する。
明智の例も本能寺で信長・信忠親子が討ち取られて大混乱に陥ってるところを奪い取った形だから除外。
で、関が原の戦いの前哨戦で岐阜城が東軍に1日で落とされた例なんだけど、これも徹底した籠城で落とされたわけではない。
籠城する前に織田秀信(西軍)は城外に兵力分散して兵を配置してしまい、それを圧倒的数に勝る東軍に各個撃破される。
岐阜城に撤退した秀信は周辺の砦にまたまた兵を派遣して兵力分散。
そして砦が各個撃破されて完全に包囲され、防備が手薄になった岐阜城はあっけなく攻め落とされた。
城外戦で兵を致命的に消耗、周囲の支城・砦は落ちて完全包囲、援軍無しなど高遠城の例に似てるな。

>>367
すると織田は撤退するけど、武田は全軍三河にとどまり平定戦を行うって事?
武田が三河から撤退しない限り織田も撤退しないんじゃないか?
>>355でも書いたけど補給が困難で長期戦になれば瓦解が必須でそうなれば容易に撃破できる
千載一遇の好機を信長がみすみす逃したりするかな?
駿府から海路で吉田城→岡崎城という意見もあるけど、吉田城⇔岡崎城の間にある支城は全て健在だからこの案は無理。
金でゲットとかいう案もあるが、武田本隊は岡崎城周辺で孤立してるわけで金で兵糧を調達できる範囲も
岡崎城周辺に限定される。岡崎城周辺に2万の兵を養える食料がいつまでも無尽蔵にある訳が無いし、
松平氏(徳川)の影響力が特に強い岡崎城周辺で金を出すからといって容易に兵糧を買い集められるかも疑問。

織田との絶対に戦いは絶対におきない、だから支城網を放置してもOK、戦いが起きないんだから補給も心配する必要なし
というご都合主義・希望的観測を前提にして武田は岡崎城を奪取すると君は言いたいわけなの?
373人間七七四年:2008/05/15(木) 13:31:40 ID:EZyeBriO
織田が三河に支援に来ると言うのは織田厨の妄想だから。
また信長が武田と決戦するとか信玄は信長に勝てないとする決めつけも妄想。
野田城落城し次は直接、三河中枢の岡崎城が狙われる恐れが出てきたのに信長は放置している。
また長篠合戦も信長は決戦を避けて陣を固めて打って出ずに後方を遮断し勝頼から攻めさせて鉄砲で応戦したが
勝頼のようなことを信玄が戦略的ミスすることはあり得ず織田と対陣してる間に反織田勢の朝倉の雪解け再出馬を待つ。
無駄な消耗を嫌う信玄が直接に信長と正面衝突する戦法を取ることはあり得ない。
第4次川中島も霧に乗じての撤退中に不測の遭遇戦だった。
まー武田が偽って撤退するフリをしたら織田軍が血気にはやり尻を追いかけて北条や徳川のように戦術的敗北をするかもしれんがな。
信玄は敵を陣から誘い出して自軍有利なフィールドでしか決戦しないからw
374人間七七四年:2008/05/15(木) 16:28:33 ID:n4kHrC7Q
>>373
>織田が三河に支援に来ると言うのは織田厨の妄想だから
というのが武田厨の妄想です。

織田にとって徳川は本国尾張の防壁。城壁が壊れようとしたら修復しようとするのは当然のこと。

この戦略は別に織田に限った話じゃない。というか、紀元前から洋の東西を問わず普通にある国策。
日本の戦国時代に限っても、謙信が川中島や関東に拘ったのは本国越後防衛の為だし、朝倉は越前
防衛のために、若狭守護武田氏を支援し、加賀一向一揆と戦い、江北浅井氏の救援に国力をすり
減らした。
375人間七七四年:2008/05/15(木) 16:46:48 ID:FlDJFHs0
三河の隣国は尾張なんだから織田が危機感を持って当然
岐阜に本城を移してはいるが織田の本領は尾張
尾張を危険にさらすのは織田の威信にかかわってくるので政治的にもやばい
なるべく自領の外で戦をするのは武田も同様だし

まして徳川領で土豪の支援もうけやすいうえに地勢もある程度把握してる
地の利と補給が万全で武田以外の敵を封じれてる状況なら三河救援は当然ありえるというかしないとやばい

まあ信長が出てきたら信玄は引くでしょ
そこまで三河で無理できないし自分ら以外は動けない状況ではなおさら
三河と遠江の一部を確保の上本国に引き返すしかないと思うが
徳川の威信を低下させた上での調略に移るとおもうけどね

ただその後に織田による浅井朝倉滅亡の知らせが待ってるかもしれんけど

376人間七七四年:2008/05/15(木) 17:21:11 ID:iTHB7KfK
このスレは武田兵が4倍の敵を撃破する強さだということを忘れているヤシばかりだ!
377人間七七四年:2008/05/15(木) 17:42:37 ID:eq+RqZiO
10分の1以下の兵相手に惨敗したことしか知りませんよ
378人間七七四年:2008/05/15(木) 17:55:04 ID:weu0+Yoe
武田厨は一般人より4倍の強さを持ってるからな
379376:2008/05/15(木) 18:06:31 ID:iTHB7KfK
津本陽も言っています!
380人間七七四年:2008/05/15(木) 18:23:56 ID:CSD3QBQ+
赤揃えで3倍>しゃーの法則。
あとは牙軍団効果だろうな。
381人間七七四年:2008/05/15(木) 18:27:23 ID:XWQs9JJd
>>372
「RhbIbxND」のフリをするのは止めてもらえないかな。
彼の主張は、支城を落とさないと本城を落とすのは困難という物。
逆に言えば支城を落とされれば本城の危機と言う事。

さらに「そこそこ堅い城はどれだけ大軍で囲んでも実際に戦いが行われるのは城のごく一部。兵力の差は影響しない」という物だぞ?

つまり、本城が「そこそこ堅い城」の場合、守る兵力は「城のごく一部」を守る兵力とその交代要員。万が一「城のごく一部」以外を敵が攻めようとする場合の見回り程度でいいはずだ。
それ以外の兵力を支城の守りに持っていく秀信の作戦は、まさに彼の理想どおりの防御方法だ。

それをまさか、支城に兵力を派遣するのは愚作で、本城に兵力を集中させるべきだったかのような発言。
どうして「RhbIbxND」のフリが出来ようなどと思ったか。

確かに岐阜城は短期間に落ちた。
しかし、秀信が支城に兵を派遣しなければ、支城はやすやすを敵の手に落ち。
その挙句、「兵力の差は影響しない」本城の攻城戦では集めた兵にまったく意味は無く。
史実より更に短期間で岐阜城は落ちた。
と「RhbIbxND」だったら考えるはずだ。
382人間七七四年:2008/05/15(木) 19:15:57 ID:Al/xolrj
>>381
君の攻城戦の知識のもとになってる史家なり文献の名を教えてくれませんか。
非常にユニークなんで是非に参考にしたい。
383人間七七四年:2008/05/15(木) 19:17:56 ID:omtklftX
>>381
ちょい待て。>>372のレスをどう読んだら俺がID:RhbIbxNDのフリをしてると思えるんだ?
>>355でも書いたけどry」という文章を見落としたのか?
この一文を読めば>>372>>355=ID:nSAZLJB3だと分かるはずなのに、
なんでID:RhbIbxNDのフリをしてると思えたんだ?
俺がID:RhbIbxNDのフリとやらをしていったい何の得があるんだよw

岐阜城に関してだけど、岐阜城が落ちた大きな要因は
数で圧倒的に優る敵相手に城外で迎え撃って、しかも迎え撃つ際に少ない兵を更に分散させてしまって
それを各個撃破されたということが致命的な要因だよ。
致命的な敗戦を重ねた+犬山城方面と大垣城方面には東軍が軍勢を固めて援軍が来れずで詰み状態。
俺は戦いの結果を知ってるから、砦を守る兵力も残っていないのなら岐阜城に兵を集結させて援軍が来ることに
希望を持ったほうが良かったんじゃねと思って>>372で兵を分散させたのはなあと書いた。
まあ岐阜城に兵力を集結させようが分散させようがどっちにしろ城外戦で致命的な敗戦を重ねた時点でアウトだというのが俺の意見だよ。

で、俺の>>372での後半部分を質問を答えてくれ。
前半部分の岐阜城の事はお前さんが岐阜城が何度も戦で短期間で落ちたみたいな事言ってたから、
いや戦で短期間で落ちたのは関が原の前哨戦の時くらいだよと書いただけの事。
そういや他にも信長が稲葉山城を短期間で落としてるけど、あれも斎藤家がまともに戦を出来ない絶望的な戦いだね。
384人間七七四年:2008/05/15(木) 19:25:39 ID:eyqFKtG4
君らはどうして信長が一番喜ぶ事をわざわざしようとするのかなあ。
徳川に調略?本当に調略できる可能性があるのは織田勢なんだけどね。
いい加減に徳川軽視はやめなさい。三方ヶ原では返り討ちにあったとはいえ、
うまく退却して被害を最小限に抑えている。徳川はまだまだやれるし、手強い証拠だよ。岡崎は落ちないよ。
織田が一番望むことは、信玄が徳川を切り取ること。お互いやりやって、(徳川もふくめ)消耗すれば大喜び。
信玄が西上を続ける事が織田が一番困る。これしかない。小田原遠征は大成功で終わらせているから、小田原遠征以上の事ができる。
危険な行動なしに大勢力を倒そうなんて甘い考えだよ。決戦はいつかはやらなければならない。
385人間七七四年:2008/05/15(木) 19:25:54 ID:Al/xolrj
ID:XWQs9JJdも参考事例を持ってきたらより説の説得力が増すのでこれも是非にお願いしたい。
386376:2008/05/15(木) 19:58:37 ID:iTHB7KfK
具体的には2万5千×4=10万なので10万人を撃破する!
信長は10万人も集められないから信玄公の上洛は確実なのに!
387人間七七四年:2008/05/15(木) 20:06:55 ID:EZyeBriO
浜松ではわずかの兵しか送らず野田城が落ちた時は織田は救援に来ずに見捨てたから、さらに悪化した。
明らかに織田は徳川を見捨てる。
なのに織田は尾張防衛のために救助すると言行不一致なデタラメを喚く
野田城落城し、次に吉田城が落城したら家康は完全に袋のネズミで積み。
岡崎と浜松の連絡を切断され孤立。
そのため家康は吉田城救援に出陣して敗北し捕縛。
救援しなければ孤立した後に包囲され降伏するだけ。
信玄は家康を服属させて戦わずして岡崎城を手に入れる。
織田は小牧山は破却してるし清洲は奉行が配置されてるだけで防衛力や天険はないので信玄に贈り物をして和睦を願うよ。
388人間七七四年:2008/05/15(木) 20:31:35 ID:5vzT0FTd
三方ヶ原で勝ったにもかかわらず浜松城を落とさずに家康を放置したうえに
野田城を一ヶ月もかけたがゆえに信長に畿内平定の時間を与え
吉田城を結局落とせなかった武田に対してなんでに有利な状況を想定しなきゃいけないんだ?
吉田城の落城が有りなら落城しないのも織田の救援だって有りだろ

389人間七七四年:2008/05/15(木) 20:49:48 ID:tYzeC0Mm
北条・武田・上杉で3国同盟を結べれば結果がおおいにかわっただろうな。
390人間七七四年:2008/05/15(木) 21:57:33 ID:lcizcBXt
岡崎が力攻めで数日で落ちたか?
以下の条件のどれかがあれば可能かも。
・事前に調略し、内部から崩す
・城から上手くおびき出し野戦で勝利後に付け入る
・外部で守備側にかなり不利な事象が。その報を受け城内が大混乱
・城の構造に致命的欠陥がある

実際に寡兵での篭城で大軍を長期間防いだ例は数あれど
力攻めで上のような条件なく簡単に落とした例は少ないよ。
被害に関しては千人位で落ちるかもだが
なんの損害も与えられず時間と被害だけが増える可能性も大。
落ちるかどうかも怪しいのに2〜3日ってのは、どう考えても無理だろうよ
391人間七七四年:2008/05/15(木) 23:37:10 ID:eyqFKtG4
モウ頭にきた。
>>311はホラ吹きかい?
君ら大遠征の距離を気にしているのかい?
小田原は関東をたった1〜2ヵ月で席巻したんだぞ。しかも、信玄は山岳の多い道を行軍したんだよ。
そして、遠征最後のほうで三増峠が勃発、この時点で兵はかなりは疲弊しているはずなのに逃げ切った。
つまり、まだまだやれるという事だ。
小田原遠征と大きな違いは包囲網の枠組みでやらねばならず、単独では好き勝手にできないこと。
実際に三方ヶ原まではかなりのハイペースで侵攻している。それ以後は朝倉・信玄病気のため時間がかかっただけ。
本来なら4ヶ月で岐阜城付近までいけたよ。
たしかに距離は長い。しかし遠江から岐阜までの東海道は平地なため距離のわりには疲れない(小田原遠征は厳しいルートだった)
挟み撃ち?織田勢だって朝倉・浅井・秋山からされる危険があるため同条件だよ。
遠征も期間限定?織田勢だって畿内勢のため早く西上作戦を片付けならければならないためこれも同条件。
自分よりデカイ勢力に自分と同じハイリスクを背負わせることは優れた戦略戦術ではないか?
今回は包囲網の枠組みのなかで、秋山には違うベクトルをもたせている。
つまり畿内状況と秋山隊は信玄本隊と同じくらい重要なポイント。
3ポイントを絡めないで東海だけこだわるのはお笑いだね。全体的視野に欠けてるとしかいいようがないね。
末梢が機能しないと中枢もうまく機能しない。まだまだ言いたいことはある。





392人間七七四年:2008/05/15(木) 23:44:26 ID:kK/k/af9
また大遠征君かよw
393人間七七四年:2008/05/15(木) 23:44:43 ID:sLAGn1YI
>>391
(゚Д゚)ハァ?
394人間七七四年:2008/05/15(木) 23:44:55 ID:omtklftX
なるほど。ID:eyqFKtG4が畿内大遠征の人なのねw
とりあえずID:eyqFKtG4はスルーだな。
395人間七七四年:2008/05/15(木) 23:46:26 ID:sLAGn1YI
大遠征(笑い)
キタ━━━━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━━━━!!!!
396人間七七四年:2008/05/15(木) 23:46:31 ID:XWQs9JJd
>>383
>>355でも書いたけどry」という文章を見落としたのか?
それは失礼した。
「RhbIbxND」あてに書いたものをワザワザ本人でなくてはあんなご丁寧にレスしないと思い込んでしまった。
その割りに内容が真逆なので「偽者」かと。

>武田が三河から撤退しない限り織田も撤退しないんじゃないか?
史実では、7月に義昭が京都で挙兵する。
三河よりも京を重視すれば、なくも無いかなと。

>>>355でも書いたけど補給が困難で長期戦になれば瓦解が必須でそうなれば容易に撃破できる
>千載一遇の好機を信長がみすみす逃したりするかな?
信長が武田軍の限界が近いと言うのを察知できるかかな。
397人間七七四年:2008/05/15(木) 23:53:59 ID:XWQs9JJd
>>390
君が個人的に設定している条件を満たしていないとダメと言われてもな。
って所かな。
それに寡兵で大軍に負けた例も結構あるぞ。

ついでに言えば、数日とは言ったけど、2・3日なんて言ってないし。
398人間七七四年:2008/05/15(木) 23:56:35 ID:omtklftX
>>396
>信長が武田軍の限界が近いと言うのを察知できるかかな。
岡崎⇔吉田間の支城が全て健在で武田本隊は岡崎上周辺で孤立してる状態を見れば
普通に補給困難で物資が欠乏すると分かるでしょ。
情報収集しない武将なんていないんだし、いくらなんでも信長の情報収集能力を舐めすぎなんじゃないか?
信長は武田が補給困難になると察知できないはずだと希望的観測で動くのは危険すぎるというか馬鹿すぎるでしょ。

399人間七七四年:2008/05/15(木) 23:59:01 ID:omtklftX
>>397
2、3日以内じゃないとさすがに織田の援軍が落城するまでに到着するんじゃ・・・
吉田城が落ちそうな段階で尾張に軍を召集してるだろうしね。
400人間七七四年:2008/05/16(金) 00:04:36 ID:yrkatyDN
>>391
関東遠征での進軍ルートは関東に出てからは基本は台地平地で山地とは言えないと思うが
三方ヶ原までハイペース?二俣落とすのに随分時間かかったような、
つか甲斐を出てから三方ヶ原までで、既に2ヶ月半ほどかかっているような・・・
秋山は恵那の制圧さえ出来ていないし、浅井朝倉は封じ込められているし。

>>396
岡崎まで来てるなら武田を重視するんじゃないか?
義昭の行動に対してはごく短期間で取り戻せる可能性高いし、抑えの兵もあるし
それでもきついようなら、あらゆる手段使って和議するとかしそう。

限界が近いかというより例えば牛久保や伊奈、岡崎にある程度の兵を入れれば簡単に分断出来るから
限界を向かえさせるのは容易なのでは?
401人間七七四年:2008/05/16(金) 00:13:03 ID:ui2dDKrM
>>400
君は信玄のルートをわかってないね。
関東といっても多摩地方だよ。今でも同じルートでいけば険しい山とか大変だよ。
三方ヶ原までは徳川勢駆除してる事を考慮にいれればハイペースだろう。
402人間七七四年:2008/05/16(金) 00:45:32 ID:OdCWdveJ
現在の八高線横浜線あたりだからそこまで険しいか?
奥三河北遠エとそれほど変わらんというか、場所によっては後者の方が酷い
まあハイペースといえばハイペースかもしれんが一郡得るのに数ヶ月かかるようでは
抵抗がより激しくなる重要地点本領に近づくにつれどれだけペースが落ちることか

というか甲陽軍鑑によるなら、やたら織田の援軍気にしているから、
織田領に近づけば近づくほど織田の大規模な後詰警戒して慎重になってペース落ちると思うが
403人間七七四年:2008/05/16(金) 00:50:17 ID:ui2dDKrM
織田勢の強みはなんであろうか?それは次々に力強く繰る出す物量・兵数である。つまり
「物量でも兵数でも数でカウントできる対象物にたいして適材適所に配分・分配能力が長けている」と結論できる。
ただ、恵まれた領地に甘んじてきたわけではない。情報が乏しく、コンピュータがない時代にこれは凄いことである。
しかし、織田勢は包囲網のときにこの長所を生かせない状態である。
だから、織田勢は想像以上に滅亡しかけているといえる。


404人間七七四年:2008/05/16(金) 00:54:58 ID:ui2dDKrM
>>402
小田急線も含まれている。ろまんすかー
405人間七七四年:2008/05/16(金) 01:00:20 ID:bJEGvWqm
たしかに
徳川を駆逐しながらの遠征にしてはハイペースだな
相手が守りに入ってのモノだから
信玄が健康なら
意外と雪崩式に崩れて降服したかもね
406人間七七四年:2008/05/16(金) 01:18:06 ID:ui2dDKrM
>>405
でしょ。

ちなみに>>402はちょっとだけ間違えている。信玄の小田原ルートは平地が極端に少なく今でも電車が通れない山谷川ばかり。
東京・神奈川のチベットである。甲府から出発した事を考慮すれば、ほぼ山地を長距離行軍した事になる。甲州勢はタフな軍勢である。




407人間七七四年:2008/05/16(金) 02:09:31 ID:BiF1Av5x
つか兵農分離って言っても織田領全土が兵農分離してたわけじゃねーんだろ?
要は兵農分離した兵以外は使えねー弱兵なんだろ。
その兵農分離した兵は畿内で釘付けなんじゃねーの?
408人間七七四年:2008/05/16(金) 02:29:35 ID:bJEGvWqm
>>407
実際は
豊臣時代に入って刀狩りしてからじゃないの?
409人間七七四年:2008/05/16(金) 02:29:47 ID:c3QNOkWt
兵農分離(笑)な弱兵織田は山岳で育った武田兵の敵じゃないです^^;
410人間七七四年:2008/05/16(金) 02:37:58 ID:GCbGNlnm
地図見れば分かるような嘘といい兵農分離といい大遠征といい、こんなのが多いから武田好きというだけで知識皆無と思われるのでは・・・
411人間七七四年:2008/05/16(金) 02:38:27 ID:pDhm1yWd
織田兵が弱小なんて俗説まだ信じてる奴がいたのか
412人間七七四年:2008/05/16(金) 07:42:25 ID:VwKKjTyc
>>397
>吉田城が落ちそうな段階で尾張に軍を召集してるだろうしね。
そうか?
織田は、同盟相手の城が落ちそうになった時には、援軍に向かっている時に間に合わなかったら「間に合わなかったな。じゃあ帰る」と言って帰ってしまうような淡白さ。
援軍を出すにしても吉田を落とした後に、さらに他の城が攻められそうになったら「さすがにほうっては置けんな」で軍を収集するぐらいじゃないか。
吉田を落とすのに2ヶ月を掛けている。
次に攻める城を損害覚悟で数日で落とそうとしているなんて分からないだろうし。
織田領が近いと言っても、織田の本拠地は岐阜だし2・3日で落とさないと間に合わないと言うわけじゃないとおもうが。
413人間七七四年:2008/05/16(金) 07:50:28 ID:VwKKjTyc
>>400
>義昭の行動に対してはごく短期間で取り戻せる可能性高いし、抑えの兵もあるし
>それでもきついようなら、あらゆる手段使って和議するとかしそう。
実際に義昭は短期間に攻め落とされているけど、それは逆に「将軍が京で敵対している」と言う状況を長引かせると不味いから急いで対処したんじゃないかな。

4月に一度挙兵した時は天皇のとりなしで和議をしているのに再度挙兵だから、いまさら和議は無いと思うけど。
414人間七七四年:2008/05/16(金) 09:24:01 ID:3UPSQNC2
信玄の動きが史実と変われば義昭の動きも変わるに決まってるだろうがw
なんで信玄の都合のいい部分だけ史実通りなんだよw
415人間七七四年:2008/05/16(金) 09:31:47 ID:PJ9XWWBn
>>412
自分の予想に都合のいいように信長の行動を想定するのやめたら?

たぶん高天神救援のときの行動を言っているんだろうが、全てがそうだと規定できる
もんでもなかろうよ。だったら、村木城攻めのときはどうなる?
416人間七七四年:2008/05/16(金) 10:40:49 ID:HcDrgrob
高天神や明智みたいな大勢に影響与えないような端城と違って、吉田が本格的に攻められるなら流石に援軍出すだろう
417人間七七四年:2008/05/16(金) 14:51:35 ID:BiF1Av5x
手取川でも織田の七尾救援軍がくるのがやたら遅かった。
おそらく吉田城ごときでは信長は動かない。
一般的に他人のピンチよりも自分の畿内を優先するだろう。
家康は吉田救援しないと孤立し連絡が遮断され降伏を余儀なくされる。
吉田救援は浜名湖を背後にするため、信玄に退却路を封鎖され今度こそ家康は捕縛される。
もし吉田救援をしなければ渥美半島が武田に降伏帰属してしまう。
吉田攻城時に信長が来た場合信玄は幡豆郡〜額田郡へと突き出た美濃三河高原最南端で防備を固めて対陣。
それでも岡崎城を半包囲する形で圧力を加えることが可能になり守るに適した位置を得る。
tp://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=345726&l=1370938


岡崎攻城で万が一に信長が来ても、矢作川で対陣しつつ岡崎開城の和議に持ち込める。岡崎城自体が尾張からの侵攻防御の為に河川を利用した位置に築城されている。
その理由は長島一向一揆が岡崎に行った信長の背後を狙い尾張乱入する可能性があるから長期対陣できないのは信長の方。


418人間七七四年:2008/05/16(金) 14:56:21 ID:8B4VUOOQ
>>412
信玄が後世の視点から見れば君と同じような都合の良い解釈をもしかしたらするかもしれない。
だけど信玄は当時の人間でリアルタイムの立場にいた人間なんだよ。
>織田は、同盟相手の城が落ちそうになった時には、援軍に向かっている時に間に合わなかったら「間に合わなかったな。じゃあ帰る
なんて信長の行動についての分析(間違った分析だと思うけど)は高天神や明智の事例から分析したんだろうけど、
当時まだ高天神・明智の事例は起きていなかったんだから、当時の人間がそんな分析不可能でしょ。
織田は援軍を出さないだろうなんて何の根拠も無く、ただの希望的観測で補給路を無視した行軍を信玄がするわけないでしょ。

>織田領が近いと言っても、織田の本拠地は岐阜だし2・3日で落とさないと間に合わないと言うわけじゃないとおもうが。
長篠の戦いの時は岐阜を発してその日のうちに尾張の熱田神宮に到着し、次の日には岡崎城に到着している。
つまり仮に信長が兵を尾張にではなく岐阜に招集していても2日で岡崎に到着することが可能。
吉田城の攻防戦の情報は逐一早馬で信長に届けられていただろうし、
武田軍が岡崎城方面に向かったという情報を受けてから軍を出発させたとしても十分間に合うでしょ。
信長が岐阜にいても早馬だからまあ1日〜1日半もあれば信長の耳に届くだろう。
つまり武田が岡崎に向かってから4日程で織田軍は岡崎城に到着可能。
武田軍も攻城の準備やら吉田から岡崎までの行軍やらで1日をロスすることとなるから
織田軍が到着するまでに落城させるとすれば3日程しか猶予が無い。
堀やら柵やらを備えた頑丈な陣を構えるのなら更に落城させるスピードアップが必要だわな。

足利義昭が7月に挙兵、三河よりも京を重視する織田は撤退なんてのも後世の視点から見た都合の良い解釈だね。
当時の立場の信玄としては義昭がいつ挙兵できるか分からない(手紙のやりとりである程度は分かるかもだが)
義昭が挙兵すれば織田が全軍撤退するのかどうかも分からないんだよ。
史実が変わるんだから義昭の行動も当然変わる可能性が高いわけだしね。
義昭が近日中に挙兵して織田が即座に全軍撤退するから長期戦に備えた補給路なんて考える必要が無いなんて
当時の人間が考えるわけ無いでしょ。

まあ一応名乗っとくけど俺の昨日のIDはID:omtklftXです。
419人間七七四年:2008/05/16(金) 15:32:52 ID:/yDPN0Nl
信玄生存してれば連絡がちゃんと取れるから、史実みたいな無計画な挙兵でなく
むしろ信玄に連動し義昭の挙兵が早まったと思うけどな。
信玄が岡崎あたりにいたら義昭への圧力も減少するし。
信虎が暗躍したら面白いがw
俺は謙信が武田攻めしてくれるまでは信長は動かないと思う。
内憂外患の場合はまず内憂を除かないとな。なんせ対武田戦線については信玄死後もずっと信長は慎重だったくらいだし、
信玄が生きている以上は自ら完全敵対への道は開かない。これは謙信に対してもそう。
そもそも三河は信秀が雪斎に負けて以来の地で信長に愛着もないし織田家にゆかりもないしな。
420人間七七四年:2008/05/16(金) 16:18:55 ID:SY5G5Ajl
>>417
謙信が再び七尾城に攻めてきたのが天正5年閏7月。
能登畠山氏の実権を握っていた長続連が切羽詰り息子の連龍を使者として派遣した日時は不明。
傀儡として擁立していた春王丸が死んだのは8月7日。
勝家が出陣したのは8月8日。
ちなみに能登畠山氏とは実権を握っていた重臣の長続連が信長に誼を通じていたくらいで特に深い係わりがあったわけではない。
さらに加賀は前年に簗田正広が一揆の平定を任されていたが成果を上げられずに罷免。
変わって天正5年に越前の勝家が加賀の平定も任されるに至るが、まだ途上のため、一揆を平定しながらの北上。
手取川付近に至るまで約一ヶ月かかってる。

七尾城救援軍が来るのがやたら遅かったというのは言いがかりに近い。
421人間七七四年:2008/05/16(金) 16:35:41 ID:BiF1Av5x
>>420
春王丸が死んだのは8月7日
はい、こいつ史実を知らずシッタカで書いてる無知が判明。
単なる講談厨でした。
422人間七七四年:2008/05/16(金) 16:37:53 ID:SY5G5Ajl
>>421
で?
423人間七七四年:2008/05/16(金) 16:55:27 ID:/yDPN0Nl
>>422
お前カッコ悪いなw
さすが織田厨はゲーム脳だけあるなw
424人間七七四年:2008/05/16(金) 17:04:55 ID:8B4VUOOQ
>>417
>吉田攻城時に信長が来た場合信玄は幡豆郡〜額田郡へと突き出た美濃三河高原最南端で防備を固めて対陣。
>それでも岡崎城を半包囲する形で圧力を加えることが可能になり守るに適した位置を得る。
吉田城攻城時に織田が来襲して信玄がそのように布陣しても武田だって織田・吉田城・徳川に包囲されるんだが・・・
矢作川については失念してた。矢作川を上手く利用すればわざわざ堀を掘ったりする必要が無いな。
まあ補給問題を解決しない事には長期対陣は無理だがね。
長島一向一揆は城に篭ればやっかいだが遠征能力については疑問というのがこのスレでの主な意見じゃなかったっけか?
現に長島一向宗が積極的に動いたのは志賀の陣の時に小木江城を攻めたくらいで、それ以外はずっと引き篭もったまま。
朝倉・浅井討伐時も主力の大半を越前方面に進軍させている。
結果はまあ予想以上に短期間で朝倉・浅井を滅亡させることが出来たけど、織田の主力が越前方面に向かってる時も
長島一向宗は動きが無かったな。信玄西進時も全くといっていいほど動きが無い。
確かに長島一向宗が100%動かないという保障なんて無いが、補給ができない武田のほうが明らかに長期対陣不可能でしょ。

>>421
まあ春王丸が7月23日に死んでようが8月7日に死んでようが大差はないわな。
自分も織田の兵は兵農分離した以外は弱兵で使えないとか言ってるくせして
他人を講談厨とか馬鹿にするのは止めようぜ・・・
425人間七七四年:2008/05/16(金) 18:27:07 ID:PJ9XWWBn
>>423
私もいうよ、で?って。

なぜかというと、今の議論(信長は援軍を出し渋る人間か。その根拠の一つとして、手取川の時はどうだったか)
において、春王丸の死んだ日付はあまり関わり無い。むしろ、死亡日が後ろになれば、その分信長が援軍派遣
するまでの決断が短かったことになり、あなたの主張を否定することになる。
426人間七七四年:2008/05/16(金) 19:06:45 ID:3UPSQNC2
そうだ、間違っていようが結果的に問題ないんだからいいだろうがw
武田厨うざ過ぎw
427人間七七四年:2008/05/16(金) 19:18:31 ID:8B4VUOOQ
>>426
相手を煽ってレスが荒れるような言動は止めようぜ・・・てか止めてくれ。
428人間七七四年:2008/05/16(金) 19:44:49 ID:3UPSQNC2
武田厨が煽った事については不問のくせにか?w
なにこの武田厨w
429人間七七四年:2008/05/16(金) 20:00:19 ID:8B4VUOOQ
>>428
君はスルーという言葉を知らないのかい?
それに俺は>>424で煽りについて注意してるでしょ。
煽りなんて放置しとけばいいのに君みたいに煽りで応戦なんてしてたらスレが荒れるだけだから
君にも注意しただけの事だよ。
これ以上この話題を続けるのもスレが荒れるだけのことだから、これ以降はこの件について話すのは止めにしとくよ。
430人間七七四年:2008/05/16(金) 20:36:31 ID:VwKKjTyc
>>414
義昭は武田の味方側だぞ?
行動が変わると言うなら武田にとって有利な方へ変わると想定しても良いくらいのはずだ。
それを>>334で言ったとおり、遠慮して史実どおり想定しているんだ。

ましてや、どうして織田有利になるような変更を想定しなくてはならんのだ。
431人間七七四年:2008/05/16(金) 20:37:17 ID:VwKKjTyc
>>418
>当時まだ高天神・明智の事例は起きていなかったんだから、当時の人間がそんな分析不可能でしょ。
野田城を落とした後に、さらに侵略するなら吉田城を攻めるのは自然だと思うが。
吉田城を攻めれば織田の援軍が来る確率は確かに高い。
しかし、今後も徳川領を狙うなら当然さけては通れない。
そして、織田が近畿に敵を抱えている現在は今後あるかないかのチャンスのはずだ。
現在吉田を攻めるチャンスであり、結果的に織田はこないと言っている。

>つまり仮に信長が兵を尾張にではなく岐阜に招集していても2日で岡崎に到着することが可能。
まさか、織田は全軍常備軍で構成されていると思っているわけじゃないよね?
召集が即日なのか?

>つまり武田が岡崎に向かってから4日程で織田軍は岡崎城に到着可能。
これこそ、俺が言っている「武田は岡崎を力攻めで短期間で落とそうとしている」と分かっているかのような行動じゃないか?



>史実が変わるんだから義昭の行動も当然変わる可能性が高いわけだしね。
>>430のとおり。
432人間七七四年:2008/05/16(金) 21:59:36 ID:tWjcW7PI
武田勢が街道沿いの支城無視して後顧の憂いを残して進撃するのだから、
信長としては「何かに逸っている」って感じるだろう。
岡崎を狙うのか岡崎をも突破して自領荒らすのか判断は付かないが、
誤った判断をした相手に付け込もうと考えるのが妥当だろ。
千載一遇のチャンスを逃す手は無いし、やる気満々で援軍に来ちゃうよ。

信玄だけが神のお告げで包囲網が短期に瓦解する予知をしても、こんなヒドイ戦略じゃ結局史実通り死ぬかもね。
433人間七七四年:2008/05/16(金) 22:08:13 ID:bv9PB4Uq
>>417
>吉田攻城時に信長が来た場合信玄は幡豆郡〜額田郡へと突き出た美濃三河高原最南端で防備を固めて対陣。
信長の兵がどの程度か分からないが、武田と同程度なら織田を抑えるだけで武田には吉田を攻め落とせるだけの兵力の
余裕は無くなると思う
>それでも岡崎城を半包囲する形で圧力を加えることが可能になり守るに適した位置を得る。
各支城が徳川のままならもし織田の援軍がきた場合は半包囲されるだけでは

>岡崎攻城で万が一に信長が来ても、矢作川で対陣しつつ岡崎開城の和議に持ち込める。
岡崎城を完全包囲できているならともかく、そうでないなら織田徳川は岡崎城の南部か西部から
川を利用して船でいくらでも支援できるんじゃ?
かといって武田が長篠攻めみたいに対岸にまで分散して包囲したら、各個撃破されやすくなるし

>岡崎城自体が尾張からの侵攻防御の為に河川を利用した位置に築城されている。
清康が新城の位置に移したのは吉良水野などの三河西南部に対するためじゃ

>>424
矢作川に関しては尾張からの侵攻に対しては清康の尾張攻めの逆ルート、西郷氏攻めのルートのように
北から攻めるのであれば無問題では

>>430
義昭に関しては、史実の義昭が信長に追いつめられて挙兵したのではない、を前提にするなら
武田の動きが遅くて痺れを切らして史実通りの時期に挙兵か
武田の動きが速くてそれを受けて史実より早い時期に挙兵か(但し京で実際に挙兵するための準備は終えているを前提として)

信長に追いつめられて仕方なく挙兵したの場合だと
武田ががんがん攻めて織田の圧力が減った、これで一安心だゆっくり出来る
無理に挙兵することも無いな、信長困っているみたいだしここらで良い条件で信長と和睦してやるかー
って感じで義昭の挙兵が遅れるもあるだろうけど、そうでないなら基本的には速くなりそ

ただ挙兵が早まり信長に余裕が無くなった結果、最初の決起時に和睦なしで即京追放という可能性も出てくる
と思う
434人間七七四年:2008/05/17(土) 00:26:03 ID:ucwv2VoO
>>432
一番矢面に立っている浅井がぼろぼろなんだから、自分が退却すれば包囲網がやばいくらい当事者として普通に分かるだろう。
435人間七七四年:2008/05/17(土) 10:30:33 ID:VB5tdz4x
>>434
信長も自分が有利になりつつあるのは解っているだろうな。
そこで武田が第一の脅威と判断すれば
当然、機を見て武田が窮地に陥るよう全力で、かつ迅速に動くだろう。
信玄も信長がそう考えるくらいは解るだろうし
なおさら信長に隙を見せるような軽率な行動は取れない。

信長も信玄が簡単に隙を見せるような事はないと考えてるだろうし
仮に武田が支城無視、岡崎進攻みたいな隙だらけの行動を取れば
一気に動き出す可能性が高い。
436人間七七四年:2008/05/17(土) 11:04:10 ID:Z1QxGJ1X
>>434
なにを主張したいの?
そのヤバイという認識から強行軍という行動に帰結するかが争点だろ。
437人間七七四年:2008/05/17(土) 13:30:01 ID:VB5tdz4x
逆の発想の方がまだいいかもな。
武田軍岡崎に向けて進軍。

織田軍岐阜を出発。徳川も呼応し武田の後方を絶つ動きに出る。

織田到着前に武田軍電撃反転、
徳川軍を撃破、退却する徳川軍と一緒に浜松になだれ込む。

家康の首を挙げ、掛川、高天神が降伏。
遠江を完全支配。
三河は大混乱に陥る。

織田と三河を分割して和睦なり、
地盤が安定した所で決戦なり。

しかし徳川が織田到着前に動きださないとダメだし
相当都合のいいタイミングが必要だ。
家康はそこまで馬鹿じゃないからやっぱ無理だw
438人間七七四年:2008/05/17(土) 13:54:58 ID:OtCmYT28
補給線を無視した強引な行軍なんて無計画すぎるんだよな。
補給線を無視して多大な戦果を挙げた実例なんて戦国時代にあったっけ?
あと>>356が岡崎落城したら人質の大半をゲットできて三河衆が相次いで寝返るとか言ってるけど、
当時の徳川家の居城は浜松城なんだから人質も浜松城に置かれてるはずだよな?
岡崎城の城主は嫡男の信康だけど普通は三河衆の人質も当主の居城に置かれると思うんだけど。
仮に人質が奪われたとしてもその程度の事で三河衆が寝返ったりするのかも疑問だ。
大事な親族を人質として預けたのにそれを守りきれなかった主家に憤慨して裏切るって武将もいるかもしれんけどね。
三河衆の徳川家(松平氏)に対する忠誠心と、武田は補給困難な状況で織田の援軍が来れば容易に形勢逆転できる
ことを考慮すれば、寝返りが続出するとは思えない。

この事に詳しい人いたら解説お願いします。


439人間七七四年:2008/05/17(土) 14:04:48 ID:tC0YagsK
徳川は篭城した上で適当に兵を小出しにしてゲリラ戦だけでOK
項羽に対する彭越でいい

それと武田水軍が織田水軍相手に簡単に制海権とれるとも思えない
三河・遠江沿岸はそれぞれ地の利なしと考えられるし
織田水軍は武田水軍相手に五分なら武田の海上補給阻止できる
徳川との連絡は地元なんだからどうとでもなる

史実で吉田城攻めが行われてないので城を攻めてどうなるかは分からないとなれば
普通は攻城には時間がかかると見ざるをえない
武田が強行策で落とすというなら、城側も頑強に粘って武田を追い返すというのもあり

あとは織田が畿内の押さえさえしっかりすれば武田は引き上げざるをえない
440人間七七四年:2008/05/17(土) 17:03:25 ID:LEPclz/+
織田水軍は本願寺の補給阻止包囲で忙しいので三河どころか遠江〜駿河湾まで出張して補給阻止の後方攪乱なんてやらないだろ。
そもそも瀬戸内海〜大阪湾は狭く島々もたくさんあり監視体制ができているので補給阻止行動は可能だが
どうやって広大な伊勢湾〜駿河湾に大出張し大水軍の軍事的プレゼンスを長期に渡って維持監視をするのか。
堺や大阪ほど水軍自身の補給が賄えないのに自滅覚悟で時と水域を断定できずに周辺に散らばる各港をすべて監視する為に兵力を分散させ常駐させるつもりか?
制海権なる言葉をだしてきてるがまるで制海権を理解してないし夢想に過ぎないな。
それに七尾城で幼児の畠山当主が病没したって言う織田厨のソースは確かなのか?病没なんてしてないだろ。謙信が養子にして母親の畠山未亡人も含め保護して越後に連れ帰ったと記憶してるが。
441人間七七四年:2008/05/17(土) 17:46:31 ID:8KN2+kMt
ぐぐったらこんなのあったけど
ttp://www15.ocn.ne.jp/~nanao/person/hatakeyama_haruoumaru.html
442人間七七四年:2008/05/17(土) 17:47:10 ID:D/v91TR6
>>440
春王丸病没に関しては一般にそう言われてるという以上のことはよく知らん。
逆に聞きたいが、春王丸が七尾城開城後も生きていて謙信の養子になったというのは何がソース?
上条政繁とごっちゃになってない?
443人間七七四年:2008/05/17(土) 17:55:43 ID:+q/kIp/n
>>440
逆にいうと武田も織田の水軍を阻止できんのよね
海はフリーということで
444人間七七四年:2008/05/17(土) 18:03:59 ID:D/v91TR6
>>441
なるほどねえ。
ただそこでも言ってる通り、イコール春王丸とも断定仕切れないのも事実。
春王丸に弟がいたのかもしれないしねえ。
あと詳しくないんだが、春王丸は義隆の嫡子ではない可能性って無いの?
445人間七七四年:2008/05/17(土) 18:07:40 ID:OtCmYT28
>>439-440
吉田城と岡崎城の間の支城は全て放置してるんだから吉田まで物資を運べても
そこから岡崎に運ぶのは不可能に近いんだけどな。
吉田と岡崎の間の支城を武田が抑えてるのならともかく放置してる状況で制海権云々の話は無意味じゃね?
446人間七七四年:2008/05/17(土) 18:17:36 ID:OtCmYT28
途中で送信してしまったから続き。
>>440
>それに七尾城で幼児の畠山当主が病没したって言う織田厨のソースは確かなのか?病没なんてしてないだろ。
>謙信が養子にして母親の畠山未亡人も含め保護して越後に連れ帰ったと記憶してるが。

春王丸の病没については長家家譜で記されているし、
上杉謙信が北条高広にあてた手紙では生存の可能性も考えられる。
死亡説も生存説もどっちも決め手を欠いていてどっちが正しいと断定できないのが現状だと思う。
ちょいと春王丸の事を調べれば必ず出てくるであろう「長家家譜」というソースを無視して、
自分も明確なソースを提示しないくせに織田厨の主張は妄想。
だけどソースを提示していないけど自分の主張は正しいなんて言われても信用できんよ。
447人間七七四年:2008/05/17(土) 18:28:28 ID:jgLCuz+W
>>440
この時期は織田はまだ本願寺の補給阻止包囲なんてしていないと思うが

>養子にして母親の畠山未亡人も含め保護して越後に連れ帰ったと記憶してるが。
他の人も言っているように上条政繁とごっちゃにしているな

>>445
遠エ三河沿岸部は徳川が支配しているから吉田まで運ぶも難しいかも
448人間七七四年:2008/05/17(土) 18:28:39 ID:+q/kIp/n
最終的な焦点は武田が吉田城か岡崎城を攻めるかということですよ
家康は負けてるし三河が獲られたら尾張なんだから信長も尻に火がつく
信玄が望めば信長と対陣だけど長期の出陣では信玄にも尻に火がついてくる
信長も三河でのんびりできないけど中央のメドがたってるぶん信玄よりはマシと思われ
449人間七七四年:2008/05/17(土) 18:41:31 ID:+q/kIp/n
>>447

>この時期は織田はまだ本願寺の補給阻止包囲なんてしていないと思うが

>>10のテンプレにも書いてあるね
あと摂津、河内、和泉とらないと無理だね
450人間七七四年:2008/05/17(土) 18:50:41 ID:jgLCuz+W
そもそも吉田城を2ヶ月で落とすというのが無茶な気がする

>>438
人質は必ずしも本拠に置かれるわけではないのでなんとも言えない
今川は三河衆の人質は吉田城に置いていて、家康独立時は13人の人質を処刑に
戸田氏の母も吉田城にいて、戸田氏は計略を持って吉田城から救出している

>仮に人質が奪われたとしてもその程度の事で三河衆が寝返ったりするのかも疑問だ。
人質がそこまで決定的であれば処刑される人質なんてものはいないわけで・・・
裏切る時は人質がいようと裏切るだろうし、裏切らない時は人質がいなくても裏切らないと思う
人質といえば織田だって松永や三好から人質とっているわけだが現実的には敵対しているし
451人間七七四年:2008/05/17(土) 19:02:46 ID:xQFQDCMq
支城なんて1日で2.3城が落城するなんて普通にあるんだが
なんでそんなに織田厨は支城にこだわるんだ?
そんなもん本城が落城しちまえば無効化されるだろ。
それと春王丸が病没とか断定してる織田厨を講談厨って言ってたのを死んだ日付は関係ないとか必死に言い訳しててまったく気づかずにいてワロタw
いまは上条と勘違いしてるだろと必死に歪曲して誤魔化してるしw
織田厨なんて所詮はその程度なんだよなwww
どうせwikiを見て書いてるレベルなんだよ。
452人間七七四年:2008/05/17(土) 19:07:48 ID:xQFQDCMq
それに補給うんぬん言ってるが当時は現地調達の比率も高く
特に悪魔の略奪力と領土荒らしの放火三昧で人質を高額売却する武田の恐ろしさを知らんと見える。
453人間七七四年:2008/05/17(土) 19:17:26 ID:ucwv2VoO
どうも、俺の主張をちゃんと読んでなくて反論している人が大半の気がする。

そもそも一番初めの>>236で、吉田を攻めるときに「吉田城を包囲しつつ、徳川の支配が比較的ゆるい東三河を手中に収め、」と言っている。期間は2ヶ月間。
これに対して、「そんな事短期間に出来るわけが無い」と言う反論ならまだ分かる。
もちろん、岡崎を攻めるにあたって「岡崎周辺の支城を落としもせず」と言うのも分かる。

しかし、「吉田岡崎間の街道のまったく確保もせずに」などと言う内容の反論は正直レスする気にもなれない。少なくとも東三河は制圧していると言う前程だ。
少なくとも、吉田・古宮の間までは確保している。
反論するなら「そんな事短期間に出来るわけが無い」と言う内容で来てくれ。

ちなみに2万で吉田を包囲、山県に5千を預け周辺を征圧させると言う想定。

それと吉田城落城の時期に織田が援軍に寄越すに決まっていると言う意見が多いが、野田城落城後に吉田を落とすのは4月の予定。京で義昭が一回目の蜂起をする時期。三河に援軍に来る余裕は無い。
史実と変わるはずだと言う事に関しては、>>430を読んでくれ。


ところで、反論に多い「岡崎周辺の支城を落としもせず」と言うが具体的に何城の兵が出てくるんだ?
前に一度「具体的に何城の事?」って聞いても返事は無かった。本当に何城のことなんだ?

また、この場合支城を守っているテンプレの「1万石あたり250以外の基本的な守りの兵力」を動かすと言う事だろうけど、
だったら武田も長篠や古宮の「1万石あたり250以外の基本的な守りの兵力」を動かせば防げないのか?
三河で長篠・古宮・野田・吉田さらに東三河を制圧していても、補給が出来ないと言う事があるのか?

後、岡崎・吉田を取られたくらいでは、織田の援軍が来たい出来る徳川を遠江衆が見限らないと言う事について、
岡崎城が落ちれば主将である徳川家嫡男の信康が討死する事も考慮にいれてくれ。
野戦と違い城攻めでは主将が討死する確率は高く、岡崎が落ちた場合に信康が討死する想定に無理は無いはずだ。
454人間七七四年:2008/05/17(土) 19:30:36 ID:BtkH+0wL
>>453
支城落とさないとそこが逆に城攻めの拠点になるじゃん
付け城や砦って知ってるか?
それと略奪だけで1万以上の将兵を食わせられるって三河・遠江は土地がメチャクチャ肥えてて農民は裕福なんですね
領主の徳川なんか10年ぐらい篭城できそうですね

>>454
>野田城落城後に吉田を落とすのは4月の予定
この妄想はなに?
吉田城攻めの資料というか史実もないのに勝手な仮説を立てていいのか?
それなら上にもあったが吉田城が頑強に粘って武田を撃退という妄想もありか?
455人間七七四年:2008/05/17(土) 19:57:28 ID:ucwv2VoO
>>454
たのむから、ちゃんと俺の主張を読んでからレスしてくれないか?
できれば今までのやり取りを含めて。
>>243
>吉田城が堅城でそう簡単には落ちないと言う意見も過去にあったが実際よく分からないという結論だったと思う。
>遠江の二俣城と同程度と想定して、二俣城が2ヶ月で落ちているので吉田城も2ヶ月と想定した。
といって言いる。
落としていない城について、実際に落とした城を参考にするのがおかしいか?

それと、これも何度も言っている事だが、絶対にそうなると主張しているわけじゃない。
50%ぐらいで行けるということならOKじゃないかと。
もちろん、吉田城が守りきると言う可能性も当然あるとはおもう。
456人間七七四年:2008/05/17(土) 20:02:33 ID:hJ4K6l1a
三木の干し殺しといわれてる秀吉の三木城攻略は2年かかったわけだが、その大半の期間は三木城の支城を
落としていくことに費やされたりもするわけで。他にも明智光秀の丹波攻略戦も似たようなもんだな。
457人間七七四年:2008/05/17(土) 20:09:04 ID:jgLCuz+W
>>453
東三河っててっきり吉田周辺を2ヶ月と思っていたが
本気で東三河全体を2ヶ月で落とすっていうの?それはいくらなんでも無茶苦茶じゃ?

>しかし、「吉田岡崎間の街道のまったく確保もせずに」などと言う内容の反論は正直レスする気にもなれない。
>少なくとも東三河は制圧していると言う前程だ。
東海道系だと岡城とか大草城山中城長沢山城、沿岸部だと中島城とか上之郷城、足助方面からだと松平城寺部城とか

義昭1回目の蜂起時の兵力はどの程度?あっさり包囲されてるから全軍で向かわなければならないわけでもないんじゃ
対処牽制とかするだけなら光秀らだけでも十分じゃ、また徳川へ篭城用の兵を送るだけでも
武田の城攻めにかかる時間を大幅にずらせるんじゃ
逆に織田が全軍で向かえば史実と同様なら極短期間で済ますことも可能だし
どっちにしても織田には織田で対処する方法があると思うが
あなたの意見は基本的に織田徳川がまともに動かないとか織田徳川が武田にとって
好都合な動きをするということを前提にしないと成り立たないと思う

>ところで、反論に多い「岡崎周辺の支城を落としもせず」と言うが具体的に何城の兵が出てくるんだ?
個人的には信玄だってそれらの城からの襲撃に備えているだろうから、織田の援軍が来ない限り
出撃はしてこないと思うが、城を挙げろというなら上記の城のほかに名の内城とか保久城とか岩津城とか
高力城上野城安城岩津とかいろいろあるな
ただ信長の援軍が来たらそれらの城が武田包囲の拠点となってしまう

>だったら武田も長篠や古宮の「1万石あたり250以外の基本的な守りの兵力」を動かせば防げないのか?
多少は動かせるだろうけど、長篠は別として落としたばかりの城でどれだけ動員できることか
むしろ統治のために譜代を裂く必要だってあると思うが、またただでさえ動員多めで既に半年近い軍事行動して
更なる動員をかけて武田の財力が持つのか
あと西三河の方が250人以上を動かせると言うのは戦場が近い&地元なんだから当たり前なんじゃ?
長島ほどで極端ではないにしても

>三河で長篠・古宮・野田・吉田さらに東三河を制圧していても、補給が出来ないと言う事があるのか?
これに関しては上で書いたように各街道の各城から輜重を運ぶ部隊を狙われたら補給が困難に
各城に対して封鎖、若しくは補給部隊の護衛兵力を増やすとすれば、もし織田が来た時兵力が不足する
また補給のたびに護衛兵力を必要とするため大きな負担となる、後年の高天神って訳ではないけど

>後、岡崎・吉田を取られたくらいでは、織田の援軍が来たい出来る徳川を遠江衆が見限らないと言う事について
信康の生死とあんま関係無いと思うが
別に遠江衆と信康は深い関係ではないし、当主の死ならともかく嫡男の死ならそれほど大きな
影響は無いんじゃ?
それに家康はまだ若いし
458人間七七四年:2008/05/17(土) 20:17:11 ID:Z1QxGJ1X
>>450
吉田が2ヶ月で落ちないとする根拠はなんなの?
自分はむしろもっと早く落城すると思うけど。

二股、高天神、長篠は天嶮の要害にある山城
岡崎、浜松、掛川などは平山城
吉田は平城
一般的に堅固さでは 山城>平山城>平城

吉田城の特徴ってこんな感じかね
・川沿いでなので水の手に困る事はない
・北側の豊川は渡河可能らしく城にも想定した備えが見受けられる
・平地の城で攻め口は比較的多い
・付近の二連木、牛久保が小高い場所に位置し、吉田を見下ろす形となる
・歴史的には落城の経歴が多い
・武田は2度吉田に付近に攻め寄せているが、付近の焼き討ちのみで本格的な戦に至っていない

本格的に攻めるとなると牛久保、二連木を奪取して二連木に主力が布陣する形で力攻め中心の攻城が始まると思うんだけど、
攻め手が地の利を得る場所に布陣できるし、他城に比べ攻めあぐねる要因が少ない。

到底堅固とは言えない作りだし。逆に武田が取っても維持が難しい城でもあると言える。
459人間七七四年:2008/05/17(土) 20:18:12 ID:OtCmYT28
>>450
レスthx
なるほど。必ずしも本拠に置かれるわけではないのね。
>裏切る時は人質がいようと裏切るだろうし、裏切らない時は人質がいなくても裏切らないと思う
そういや奥平も人質の妻子を見捨てて武田から徳川に鞍替えしてるしね。
結局のところどちらに付いたほうが生き残れるかが基本的な判断基準てことなんだね。

>>453
俺の調べた限りでは生田城、岡城、姫ヶ城、山中城、伊奈城、牧野城、牛久保城とかがある。
ちなみに岡崎城のすぐ西にある矢作川を越えれば安祥城、山崎城、桜井城、藤井城も岡崎城の目と鼻の先の位置にある。
間違いや抜け落ちてる城があったらスマン。
http://www.hb.pei.jp/shiro/mikawa/

>>455
二俣城は数百程度の城兵だったけど、吉田城はもうちょい城兵がいるだろうからもう少し粘れるんじゃないか?
460人間七七四年:2008/05/17(土) 20:23:35 ID:jgLCuz+W
>>454
個人的には食料だけは略奪で結構なんとかなるんじゃないかと思っている

>>455
二俣城と東三河においてかなり重要な拠点である吉田を同一にするのはおかしくないか?
この城に関して言えば徳川も必死で守ってくると思う
更に言えば落としにくさで言えば牛久保の方が上で、ここ落とさずに岡崎攻めるのは無謀だし
そもそも牛久保は野田と吉田の間に近い位置にある城で、もし吉田攻めの最中に織田が援軍出して
牛久保に入ったら後方遮断される可能性が・・・

個人的には吉田より前に牛久保攻めるか牽制の兵を置いていたほうが
牛久保落としておけば西三河から東海道使って攻めてくる織田の援軍を牽制も出来るし
461人間七七四年:2008/05/17(土) 20:27:51 ID:OtCmYT28
>>460
岡崎周辺の限定された狭い範囲の地域のみでの略奪で長期間2万の兵を養うのは厳しくないか?
収穫直後の秋とかならともかく、詳しい時期は知らんけど4月〜6月の間くらいでの話でしょ?
この時代のこの時期に余剰な食料はあったのかな。
462人間七七四年:2008/05/17(土) 20:34:54 ID:jgLCuz+W
>>461
長期を考えていたわけじゃないけど
そういや季節を考えていなかった
463人間七七四年:2008/05/17(土) 20:39:16 ID:ivxaIQRA
ちょうど端境期、食料がなくなる時期だね。
464人間七七四年:2008/05/17(土) 20:49:27 ID:BtkH+0wL
>>455
頼むからトリップ付けてくれ
こっちはIDだけでしか判断できない
ついでにいうとこっちは半分暇つぶしなんでw
真面目に討論するつもりならスマン
>>461
一年通して食っていかなければいけないから有るには有るけど戦の時で買い上げられたりして余剰は少ないかと
やるとなったら略奪は広範囲にやるしかないでしょうね
465人間七七四年:2008/05/17(土) 21:02:42 ID:LEPclz/+
信玄が発病してなかったらもっと早い時期から野田城攻め→吉田城攻めが始まるよ。
1ヶ月は前倒しされるね。
まー信長は相変わらず動かないだろうけどね。三方ガ原大敗の報告を気いたら余計に怖くて動けないだろうけど。
信玄なら家康ができた小牧長久手くらいのことはできるよ。
466人間七七四年:2008/05/17(土) 21:10:05 ID:BtkH+0wL
>信玄が発病してなかったらもっと早い時期から野田城攻め→吉田城攻めが始まるよ
これは同意する。
ただし
>まー信長は相変わらず動かないだろうけどね。三方ガ原大敗の報告を気いたら余計に怖くて動けないだろうけど。
これは無い
武田が違う動きをするなら織田も違う動きをするだけ
まあ
>信玄なら家康ができた小牧長久手くらいのことはできるよ。
となると最終的に武田が織田に臣従することになるけど現実主義の信玄ならありえなくはない
将軍も浅井朝倉も役立たずだし本願寺はまだ挙兵してないし
467人間七七四年:2008/05/17(土) 21:19:56 ID:OtCmYT28
そもそも信玄の病気の扱いってどうなってるんだ?
@病気自体がなかったこと、あるいは出陣前に完治済み
A病気にはなっていたけど、野田城攻め落としたくらいから体調が安定化で当面は悪化の心配が無い。
と大別できるけど、@の場合だと病が悪化して遠征を延期したこと等も無かったことになるわけで、
史実の大幅修正が必要となる。
Aだと野田城落城までは史実通りで、それ以後が架空シュミレーションとなる。
俺としては史実の修正が少ないAの方がいいと思う。
@だと出陣した日時から変わってくるわけで、下手したら三方ヶ原が起きないなんて事が有り得る。
もちろん浜松城を速攻で落城とか武田に有利な展開になる可能性もある訳だし、
歴史が全く変わってしまう@の設定はまずくないか?
468人間七七四年:2008/05/17(土) 21:27:47 ID:ucwv2VoO
>>457
>義昭1回目の蜂起時の兵力はどの程度?あっさり包囲されてるから全軍で向かわなければならないわけでもないんじゃ
義昭に対しては、信長は短期解決を狙って常に大兵力で向かってなかったっけ?

>対処牽制とかするだけなら光秀らだけでも十分じゃ、また徳川へ篭城用の兵を送るだけでも
武田が吉田に攻め寄せた後じゃ、それより西にある城にしか援軍は送れないね。


>これに関しては上で書いたように各街道の各城から輜重を運ぶ部隊を狙われたら補給が困難に
うむ。やはり補給は困難か。

>信康の生死とあんま関係無いと思うが
嫡男戦死は敗色濃厚っぽくて対外的にやばくないか?
469人間七七四年:2008/05/17(土) 21:31:37 ID:ucwv2VoO
>>460
>更に言えば落としにくさで言えば牛久保の方が上で、ここ落とさずに岡崎攻めるのは無謀だし
正直、牛久保の方が落としにくいと言う認識は無かったな。

>そもそも牛久保は野田と吉田の間に近い位置にある城で、もし吉田攻めの最中に織田が援軍出して
>牛久保に入ったら後方遮断される可能性が・・・
その前に、武田の古宮城が牛久保より西にあるんじゃなかったっけ?
470人間七七四年:2008/05/18(日) 00:12:09 ID:MNMJ7ka1
吉田城救援に来ずに落城し浜松の家康を見限って岡崎派閥が信康を当主に擁立して築山殿を人質にして信玄と単独講和だな。
みんなが指摘してる通り、信長は救援にはこない。
それは野田城陥落までに信長はなんら策を実行してないし
浜松城落城&家康敗死の最大の危機にも捨扶持みたいにたかが3000しか派兵してない。
佐久間も平手もみんな大して戦わず逃走開始。
明らかに信長に武田と織田は敵対しないように工夫せよと命じられていた。
471人間七七四年:2008/05/18(日) 00:18:27 ID:nKbCTuM2
重要な拠点だから長く持ちこたえるってのはイメージでしょ?
それが理に適っているなら二条城や甲府のように防衛力が無い城は重要拠点ではないってことにならない?
安土城なども堅固で有名だけど、城郭調査の結果で実際には直線的な廓で敵兵を備えるに向いてない城だそうだ。
政治支配上の重要拠点と防衛上の重要拠点は区別せねばならないでしょ。

それに山城の守兵が少ないのはそれが理に適ってるから。
攻め口が少ないから守兵は少なくても良い。
逆に山間部で補給が難しいので兵数が多いと自滅が早い。
山城の城攻めは兵糧攻めがセオリーなので落城までの時間は長い。

反対に平城は篭るに適さないとされる城が多い。
というか平地でも丘陵に築かれる平山城の方が多いので完全な平城は珍しい。
支城と連携しつつ攻撃に押し出る場面が必要となるので、それなりの兵数が必要。
特に吉田城のように周囲が高地になっているような城では支城の取り合いがキーポイントになる。
大概攻め口が多いので力攻めによる攻防がおきやすい。
攻め手の兵数が圧倒していれば比較的短期に落城する。

吉田城と二俣城は典型的に違うタイプの城なんだし、攻め方も違えば兵数、攻略時間も根本的に異なる。
一概に比べようとは無謀すぎるでしょ。
472人間七七四年:2008/05/18(日) 00:22:15 ID:ts9Li0XC
>>458
吉田城の兵力がわりと多いからと思うから、力攻めはしないんじゃないかと思うので、かなりの期間がかかると考えた
それに吉田城が最後に攻め落とされたのは1540年代だったと思うけどその頃とは大分異なるのでは

>>468
義昭が動き出したのは2月ぐらいからかと思うけど、当初は冬だからか近江の諸将に対処させて
封じ込めているのでは
で信長が出陣したら短期間の出兵で和睦させて終わらせている
なので信長は三河に出陣で義昭は史実のように柴田らに任せて牽制とかも十分可能だと思うが

>武田が吉田に攻め寄せた後じゃ、それより西にある城にしか援軍は送れないね。
それでも吉田より西の城は守れるということに、
あと東三河の状況をどんな風に想定しているか分からないから、吉田が完全包囲されていないなら
援軍は入れるんじゃ?

>嫡男戦死は敗色濃厚っぽくて対外的にやばくないか?
そういう例ってあるか?大内の尼子攻めの撤退時に死亡ってのもあるけど
義隆がやる気失っただけで対外的には直接的な影響は無かったと思うし

>>469
一応牛久保は徳川今川の争い時に最後まで落ちなくて、三河に孤立しても耐えて
最終的に開城した城だし、この時期でも恐らく水掘があったとされる城だし

>その前に、武田の古宮城が牛久保より西にあるんじゃなかったっけ?
西というよりは北だな、それもかなり
東海道からは離れているし関係あるのか?
473人間七七四年:2008/05/18(日) 00:31:37 ID:ts9Li0XC
>>471
吉田城まで城攻めにそれなりの犠牲が出る正攻法で攻めるとしたら
岡崎を無理やり力攻めはますます困難にならないか?
まあ>>243がどんな風に考えているかは分からないけどさ

あと1571年にも攻められたし、それ以前も今川徳川間での争奪戦の場でもあったのだから
普通に備えを固めていて落としにくくなっていると思うが
安土みたいに攻められることを考えていない城とはまた違うのでは?
474人間七七四年:2008/05/18(日) 00:46:43 ID:MNMJ7ka1
豊川の上流の野田城を落した時点で下流域の城は裸城も同然。
信玄は豊川の東岸でも西岸でも好きな方向から攻めれるようになったからね。
牛久保も吉田も河川によって分断され孤立化してる。支城の牛久保が吉田支援に出撃したら河川を渡河しなければならず信玄に各個撃破される。
双方とも平城で比高も低いので地形の立体的防御ができない。
豊川上流を押さえ分断に成功してる武田側によって河川が邪魔して支城と本城の有機的結合が果たされない。
信濃の比高の激しい山城を行軍落城させてきた足腰の強い武田軍にとって自然に乏しい両城に苦戦するとは思えない。
また平城は近くまで攻められたらもうどうしようもない。近接される以前に防衛しなければならない。
当主がいれば降伏せずに粘るかもしれないが平城の城代レベルで城下まで襲われたら降伏条件の折衝でほぼ終了。
岡崎城までは信長も止むおえないと思ってる。信長の自領を一寸も失われてないし矢作川の線で対陣し和睦が一番現実的な線。
やはり動きは鈍いとは言え伊勢長島から近いこともあって背後を封殺される怖さは信長にもあるだろう。なんせ尾張は小牧を破却し清洲に奉行がいるくらいで天嶮もない無防備地域なので用兵力で軍の散開集合などの戦略面で信玄有利になるだろうから。
475人間七七四年:2008/05/18(日) 02:04:03 ID:nKbCTuM2
>>473
>吉田城まで城攻めにそれなりの犠牲が出る正攻法で攻めるとしたら
>岡崎を無理やり力攻めはますます困難にならないか?
別にどちらかに肩入れしてレスしてるわけじゃないし。知った事じゃないよ。
城の構造立地からして力攻めが妥当だと言ったまでで。
包囲に撤するなら当然2ヶ月以上掛かるだろうしね。

>吉田城の兵力がわりと多いからと思うから、力攻めはしないんじゃないかと思うので、かなりの期間がかかると考えた
>それに吉田城が最後に攻め落とされたのは1540年代だったと思うけどその頃とは大分異なるのでは
>あと1571年にも攻められたし、それ以前も今川徳川間での争奪戦の場でもあったのだから
>普通に備えを固めていて落としにくくなっていると思うが
別に落城の歴史一つ取り上げて短期に落ちるとか主張してるわけじゃないよ?
工夫で堅固になった部分もあるだろうし、基本的に弱い立地にあるといったことの推察には使えるが、
これ一つ取り上げてどうこう論じるのはそれもまた乱暴だと思うよ。
476人間七七四年:2008/05/18(日) 03:32:25 ID:MNMJ7ka1
牛久保が攻められたら家康と分断されないように
必死で岡崎から兵を出すが当然、信玄に大敗北。
これで徳川の権威は地の底に落ちて離反相次ぐから
三河攻略も一気に進むね。
477人間七七四年:2008/05/18(日) 12:10:29 ID:JesDvnrm
>>476
三方が原で当主が大敗しても誰も離反しなかったのにか?
478人間七七四年:2008/05/18(日) 12:35:33 ID:IadWknSc
信玄が攻め落とすと考えた場合は山城でさえ
だいたい2ヶ月くらいまでには落城してるだろ。
家康の退路を絶ち戦わずして勝つを上策と考えてる信玄は長期包囲を嫌がるから吉田城が2ヶ月で落ちないだろなと思ったら
再度、浜松城を落としにかかるから家康が浜松城で捕縛され甲斐に送られ
父の助命嘆願で降伏した岡崎の信康のトコに武田の目付け派遣される。
どっちにしろ家康は自力排除できないからつんでる。
信長が来援にくるだろうなど甘い考えは有り得ない。実際に三方ヶ原大敗の報を聞いて急遽後詰軍を派遣しないばかりか野田城が落城したのに援兵をまったく出してない。
信玄は次の段階で家康を捕縛できる。岡崎との分断を阻止する行動を徳川が行えば大敗が待っていて、
さらなる大敗は救いようのない威信の低下につながり三河遠江での家康を見限る理由にもなる。
もしかしたら信長は家康を見切っていて家康が捕縛された瞬間に信康と岡崎派閥を騙して岡崎城を乗っ取るつもりかも知れないがな。
そしたら信長は西三河で泥沼化の混乱が待ってるから対陣したあげくに信玄と和睦してくるだろうな。
なんにしても伊勢長島の一向軍は存在してるだけで充分に軍事的プレゼンスしてくれてるから信長の行動を制限をかけてくれやりやすい。
雪がなくなり再出馬した朝倉からの手紙が来たら信玄は甲斐に戻らずもうひとがんばりするよ。
補給を邪魔しに徳川が出馬したら各個撃破されるだけだしな。
なんせ補給や退路を囮にして敵を補足するの信玄は好きだからな。
479人間七七四年:2008/05/18(日) 12:41:35 ID:FNMrwcwc
>>478
2ヶ月で吉田城を落とせなかったら浜松城を落として家康を捕縛ねえ(遠い目
480人間七七四年:2008/05/18(日) 13:00:02 ID:IadWknSc
外で自由に略奪放火し放題で士気に衰えを見せない武田と浜松城に引きこもりをずっと続けて疲労困憊してる徳川w
武田にとっては金を堀尽くしてでも勝負をかける最大のチャンスだからね。
織田の動き如何では無理しても秋山隊も増強させ牽制させるかもね。
信長だって畿内が安定しないのに武田と完全敵対は得策だと思ってないよ。信長はまだ武田に遠慮して完全敵対を回避してる。それは秋山隊に牽制されたからで、この方面を増強されるのを怖がってる。
481人間七七四年:2008/05/18(日) 15:52:39 ID:1PS/v6lY
>>477
>三方が原で当主が大敗しても誰も離反しなかったのにか?
ここは、個別で比べるのではなく、
三方が原で当主が大敗し、今また嫡男が討死。
と合わせて考えるべきじゃないだろうか。
482人間七七四年:2008/05/18(日) 16:08:03 ID:5RPOL3wx
水野が後に疑いをかけられたように信玄が生きていたら武田方に寝返ることはないのか?
水野が武田についたら、結構織田ピンチじゃね?
483人間七七四年:2008/05/18(日) 16:19:28 ID:cQEsAtb7
秋山の山岳兵は織田兵の三倍強い!
とか電波飛ばしてた奴か?
484人間七七四年:2008/05/18(日) 17:57:46 ID:MNMJ7ka1
407:人間七七四年 05/16(金) 02:09 BiF1Av5x
つか兵農分離って言っても織田領全土が兵農分離してたわけじゃねーんだろ?
要は兵農分離した兵以外は使えねー弱兵なんだろ。
その兵農分離した兵は畿内で釘付けなんじゃねーの?
451:人間七七四年 05/17(土) 19:02 xQFQDCMq
支城なんて1日で2.3城が落城するなんて普通にあるんだが
なんでそんなに織田厨は支城にこだわるんだ?
そんなもん本城が落城しちまえば無効化されるだろ。
それと春王丸が病没とか断定してる織田厨を講談厨って言ってたのを死んだ日付は関係ないとか必死に言い訳しててまったく気づかずにいてワロタw
いまは上条と勘違いしてるだろと必死に歪曲して誤魔化してるしw
織田厨なんて所詮はその程度なんだよなwww
どうせwikiを見て書いてるレベルなんだよ。


織田厨は織田領の中のどの地域を兵農分離し、どこを旧態のまま統治したのか説明求む。
それでなければ織田軍がいくら動員力があったとしても質に関して疑問だ。
また信長の陣を自在に動かす用兵や外交で敵を封じ込める手腕や
敵を一つに絞込み戦力集中する効率性や敵を危機に陥れて同盟を強要させる手腕など卓抜した戦略的用兵能力もあるのか?

また畠山義隆の未亡人は北条景広に娶るように指示し、息子は謙信が養子にしている。
この辺の事実をまるで織田厨は知らないようだな。講談レベルと言われても仕方がないな。
そういやwikiでも伝染病にかかり病没したとするくだりにも要出典になってるね。
485人間七七四年:2008/05/18(日) 18:21:37 ID:1PS/v6lY
>>472
>なので信長は三河に出陣で義昭は史実のように柴田らに任せて牽制とかも十分可能だと思うが
義昭が明確に敵対したのは4月で、すぐさま信長が対応したんじゃなかったっけ?


>あと東三河の状況をどんな風に想定しているか分からないから、吉田が完全包囲されていないなら援軍は入れるんじゃ?
もちろん、包囲を想定しているが、そうでなくても城に対しての援軍となると少なくも多くも無いと言う中途半端なかずになるんだろ?(実際にどの程度の数を想定しているかはしらないが)
こっそり城に入ることも出来ず見つかって撃退される。となるんじゃないか?

>そういう例ってあるか?大内の尼子攻めの撤退時に死亡ってのもあるけど
>義隆がやる気失っただけで対外的には直接的な影響は無かったと思うし
大内はすでに負けているし、逆に言えば嫡男が戦死なんて負け戦の時にしか起こらないんじゃないかな?
つまり、信康戦死は対外的に徳川の負けの印象が大きい。
486人間七七四年:2008/05/18(日) 18:25:28 ID:1PS/v6lY
>>472
>>その前に、武田の古宮城が牛久保より西にあるんじゃなかったっけ?
>西というよりは北だな、それもかなり
>東海道からは離れているし関係あるのか?
武田について、支城を放置して岡崎に入れば支城に補給路を断たれると言われているが、
織田だって古宮城を無視して牛久保に入れば、古宮城の兵に補給路を絶たれないのかと。
東海道から離れいるって言っても、古宮〜東海道は往復でも1日かからないだろ?
487人間七七四年:2008/05/18(日) 18:28:52 ID:5Ssltivf
>>484
>また畠山義隆の未亡人は北条景広に娶るように指示し、息子は謙信が養子にしている。
>この辺の事実をまるで織田厨は知らないようだな。講談レベルと言われても仕方がないな。

ここら辺は>>441のリンクにもあるのであなたがこのスレ読んでないだけ
ttp://www15.ocn.ne.jp/~nanao/person/hatakeyama_haruoumaru.html

>織田厨は織田領の中のどの地域を兵農分離し、どこを旧態のまま統治したのか説明求む。
ここらへんは俺は知らん。織田厨でもないし
具体的な古文書のようなものより、いくつかの資料から推測した研究資料しかでてこないと思われる
それこそ歴史群像とか学研M文庫からでもいいのか?
どっちにしろ兵農分離が関わってくるのは農繁期にどれだけ動員できるかということだから
信玄出陣中は関係ないでしょ
信玄が退いた後か信玄がどこまで長陣できるかには関わるだろうが

>それでなければ織田軍がいくら動員力があったとしても質に関して疑問だ。
これはよくわからない疑問だな
織田兵が弱兵で武田兵が強兵といってもとりあえずは数で信玄も信長も、特に攻め手の信玄は考えると思うが
武田兵は強いんだからたとえ敵地でも織田兵がどれだけきても大丈夫なんて信玄が考えるとでも思うのか
488人間七七四年:2008/05/18(日) 18:57:32 ID:5Ssltivf
ついで
>また信長の陣を自在に動かす用兵や外交で敵を封じ込める手腕や
>敵を一つに絞込み戦力集中する効率性や敵を危機に陥れて同盟を強要させる手腕など卓抜した戦略的用兵能力もあるのか?
陣を自在に動かす用兵は知らんけど外交や戦略的用兵能力に関しては尾張統一や織徳同盟から美濃攻め、上洛戦など枚挙にいとまもないと思うが
特に複雑怪奇な畿内を治めてしまうのは俺みたいな素人でもすげえと思うぞ
朝廷、幕府、寺社、商人、土豪や三好、六角、浅井、朝倉などの大名を相手にした上に遠隔の武田、上杉、毛利なんかにも気を配っている
489人間七七四年:2008/05/18(日) 19:06:38 ID:dPiPij9P
とりあえず、織田は兵農分離なんてしていない。
ただし、兵農分離なんてしなくても、普通に農繁期にも兵は動かせる。
これは織田に限った話ではなく、武田や上杉も同様。
特に武田家の出陣時期を調べると、稲刈の時期前後の出陣が最も多い。
490人間七七四年:2008/05/18(日) 19:18:38 ID:5Ssltivf
>>489
>稲刈の時期前後の出陣が最も多い
これは略奪狙いで敵陣営の収穫時期を狙った出陣なんじゃないの?
織田の兵農分離がそれほどでもないというのは聞いたことがあるけどしていないというのは初耳
491人間七七四年:2008/05/18(日) 19:23:37 ID:dPiPij9P
>>490
もちろん、それを狙った上のことでしょう。

で、全くしていない分けではないだろうが、少なくとも他家と同じ程度にしかしていない。
というか、他と違っていたことを示す根拠が何もない。文献も状況証拠も。
あえて言うなら越前での刀狩だろうけど、それを兵農分離というのはちょっと無理かと。
492人間七七四年:2008/05/18(日) 20:11:18 ID:5Ssltivf
>>491
それは聞いたことある
それと金で雇われた傭兵というか金で養っている兵の比率が
商業が発達している地域なので高いのではないかというのは聞いたことがある
基本的に各武将の兵などは自弁だそうで
493人間七七四年:2008/05/18(日) 20:40:30 ID:bNlS/eG9
結局はお前らの想像だろwww
494人間七七四年:2008/05/18(日) 22:56:28 ID:iCI1o0vQ
>>480
>外で自由に略奪放火し放題で士気に衰えを見せない武田と浜松城に引きこもりをずっと続けて疲労困憊してる徳川w
こういう考え方すると浅井の方が更に問題ありそうだと思うが
徳川も浅井程度には粘れると思う

>>485
>義昭が明確に敵対したのは4月で、すぐさま信長が対応したんじゃなかったっけ?
2月後半の『今回の挙兵をもって信長への敵対を天下に示した〜』みたいなことが信長公記に
書いてあるから明確な敵対は2月なんじゃ?
でその間、京付近にいるのは坂本の光秀ぐらいで、柴田丹羽らは岐阜にいるにも関わらず
義昭は碌に動けていないので、義昭には牽制の兵を置くだけで十分その行動を抑制出来るのでは?
まあ武田や朝倉が動いていないので動かなかっただけって可能性もあるが

>もちろん、包囲を想定しているが、そうでなくても城に対しての援軍となると少なくも多くも無いと言う中途半端なかずになるんだろ?(実際にどの程度の数を想定しているかはしらないが)
>こっそり城に入ることも出来ず見つかって撃退される。となるんじゃないか?
東三河の状況がわからないからなんとも言えない

>大内はすでに負けているし、逆に言えば嫡男が戦死なんて負け戦の時にしか起こらないんじゃないかな?
>つまり、信康戦死は対外的に徳川の負けの印象が大きい。
何が言いたいのか理解できない、分かりやすいように、そういった例で対外的に大きな影響を与えると言う
史実での例を挙げて欲しいが

>>486
>武田について、支城を放置して岡崎に入れば支城に補給路を断たれると言われているが、
>織田だって古宮城を無視して牛久保に入れば、古宮城の兵に補給路を絶たれないのかと。
>東海道から離れいるって言っても、古宮〜東海道は往復でも1日かからないだろ?
まあ可能性は無いにしても武田が補給路を絶つのは難しいのでは無いかと
東海道沿いの徳川の支城網は生きているし、古宮から山を突っ切るか迂回して東海道まで
出てくるか分からないけど、徳川の方が城からの距離は近いから武田が少数で出撃してきたら
徳川の支城の兵に討たれる可能性が高いだけでは?
更に言うなら織田は別に東海道を通らずに海岸沿いを使ったり海路使ったりすることも可能だし

あとなんで古宮城なの?一宮の間違い?
一宮なら東海道を絶つことが可能って言うのは分かるけど
まあその場合織田は一宮に対して牽制の兵を置くかして連絡線を保持するだろうけど
495人間七七四年:2008/05/18(日) 23:48:45 ID:1PS/v6lY
>>494
>2月後半の『今回の挙兵をもって信長への敵対を天下に示した〜』みたいなことが信長公記に
>書いてあるから明確な敵対は2月なんじゃ?
ああ、そうか。なんかで4月に挙兵と読んだんだが間違いだったか。すまん。

>まあ武田や朝倉が動いていないので動かなかっただけって可能性もあるが
どうだろうな。
俺の立場としてはそう思いたいが。
織田が武田に対峙に行けば、活発に動く予定だったとか。

>>もちろん、包囲を想定しているが、そうでなくても城に対しての援軍となると少なくも多くも無いと言う中途>>半端なかずになるんだろ?(実際にどの程度の数を想定しているかはしらないが)
>>こっそり城に入ることも出来ず見つかって撃退される。となるんじゃないか?
>>東三河の状況がわからないからなんとも言えない
吉田は包囲していると言う状態。
後、山県の5千の別働隊が東三河の攻略に動いていると。

>>大内はすでに負けているし、逆に言えば嫡男が戦死なんて負け戦の時にしか起こらないんじゃないかな?
>>つまり、信康戦死は対外的に徳川の負けの印象が大きい。
>何が言いたいのか理解できない、分かりやすいように、そういった例で対外的に大きな影響を与えると言う
>史実での例を挙げて欲しいが
大内は、味方になった豪族が尼子に寝返ってぼろぼろになって退却し、その後も尼子は押されっぱなし。
退却時の嫡子の戦死以前の問題だと。

他の当主は生きているけど嫡子だけ戦死という例でも大抵は戦自体が負けているので、
嫡子の戦死だけを抜き取って対外的な影響と言うのはつかみづらい。
しかし、大名家にとっての重要な人物の戦死が影響が無いとは到底思えない思う。



>更に言うなら織田は別に東海道を通らずに海岸沿いを使ったり海路使ったりすることも可能だし
大規模な軍団あと荷駄隊などを考えて東海道の確保が必要と言う事だと思っていたが。
だったら、武田も東海道を無理に確保する必要が無いと言うことにならないか?

>あとなんで古宮城なの?一宮の間違い?
>一宮なら東海道を絶つことが可能って言うのは分かるけど
あからさまに近くにある城は、むしろ落とされるかと。

>まあその場合織田は一宮に対して牽制の兵を置くかして連絡線を保持するだろうけど
それを言い出したら、武田も牽制の兵を置けばとかになってくるが。
どの程度必要だとかがまた問題になるけど。
496人間七七四年:2008/05/19(月) 00:19:02 ID:iQ3OkrzV
>>495
>武田も東海道を無理に確保する必要が無いと言うことにならないか
武田が水軍を効果的に使った例がないのでなんとも。

織田家の場合は、軍の移動に物資の輸送にと記録があるからいいけど。
497人間七七四年:2008/05/19(月) 01:00:33 ID:z/KDSBUi
兵農分離は楽市楽座と両立しないと成立しない
商業が発展して貨幣経済を確立するぐらいの経済力がないと
傭兵軍団は維持できない
よって江戸時代にならないと無理ね
498人間七七四年:2008/05/19(月) 01:27:29 ID:iQ3OkrzV
>>497
…日本における貨幣経済の確立なんて、13世紀にはもう成立しているんだが?
499人間七七四年:2008/05/19(月) 02:06:31 ID:pmGf5qku
貨幣経済というよりは、自家の勢力圏の商人が潤うことによるそこからの収入増と言う感じじゃない?
500人間七七四年:2008/05/19(月) 02:31:06 ID:SGkSVFAQ
貨幣経済の「確立」というなら明から銭を輸入してた時代が基本の時代や全国バラバラに金貨鋳造してた時代は違うだろー。
やはり江戸期だろ・・・だが米に立脚しら経済体制だしな。。
501人間七七四年:2008/05/19(月) 02:36:39 ID:iQ3OkrzV
別に銭をよそから持ち込むんだり、多種の貨幣が流通していても貨幣経済自体は
なりたちますが。ヨーロッパや中国でも同じこと。
502人間七七四年:2008/05/19(月) 03:21:58 ID:SGkSVFAQ
いえ貨幣自体の流通量が絶対的に不足してましたから。古銭や悪貨も混在してましたし。
おせじにも確立してたとは言えませんね。
503人間七七四年:2008/05/19(月) 03:24:06 ID:ZN1NIo9f
まず三方原戦直後の状況と問題点を整理しないか?
双方の前提条件を合わせる事にもなるしさ

@三方原の戦い(12月)
A信長は朝倉勢が越前に撤退(12月)したのを受けて
岐阜に撤退(12月)押さえに木下隊を残す
B同時期に武田勢は野田城攻撃開始(1月)
C義昭挙兵(2月)
D柴田・丹羽・明智・蜂屋勢(兵力不明)が近江に向けて出陣(2月)
E野田城陥落(2月)
この後、信玄存命かつ健康状態良好だとしたら
何処に向かうか?(現在、吉田or岡崎と想定?し議論)
F織田軍、近江派兵部隊、石山・今堅田を落とす(2月)
史実ではこの後、武田勢撤退(信玄死亡)の報を受けて
信長は京に向かう訳だが・・・
(EとFの間に1ヶ月ほどの期間があるため信玄が健康のままであれば
次の軍事行動に移ることが有力であろう)

(以下個人的雑感)
信玄が健康なまま存命し軍事行動を継続したら
京に向かう事は無いと想定して議論中
但し、有力武将(柴田・丹羽・明智・木下)は畿内に派兵している
この状況で徳川救援にどの程度力(兵力)を振り向けられたかは不明

また、信玄存命で活発に活動している状況であれば
朝倉勢が浅井氏救援に出てくる可能性が高い
(浅井が滅べば自勢力も危うくなるわけだから当然だろう)
その時期が何時になるか?(3月か4月か?)

また、朝倉勢が救援に出た場合は木下隊だけでは対処仕切れなくなる
その場合の援軍は?

これらの状況を踏まえた上で信長は主力を徳川救援に出せるか?
織田側にとって戦略的に優先順位が高いの徳川か畿内(特に近江)か?
徳川を救援し浅井が息を吹き返し南近江まで手を伸ばされると
勢力圏が美濃・尾張のみに後退してしまう恐れもあり
信長としては絶対に南近江は死守したいところだろう

武田側の三河・遠江の主な城は?
三河:長篠・野田・足助
遠江:犬居・二俣
三河は東部〜信濃国境を
遠江は中央部〜信濃国境をそれぞれ勢力圏に入れ
吉田城攻撃ならば補給線を確保できる範囲だろうと考えられる
岡崎城攻撃ならば周辺を確保しておきたい所
徳川を圧迫するなら吉田城を落とし岡崎〜浜松間を分断した方が
戦術的に安全かつ戦略的に効果が高い?

誤りがあった場合は、漏れがある場合は訂正補足願う
504人間七七四年:2008/05/19(月) 05:33:01 ID:Wk/UnuCN
前提として
本願寺の挙兵に困った信長が朝廷の和睦斡旋→何度となく長島攻略に信長失敗

7月に石山本願寺と信長の対立を信玄が和解斡旋(信玄の妻と顕如の妻は姉妹)→10月に信玄が義昭に応じて挙兵→信長は信玄との友好関係の継続をあくまで望む→一言坂に続き三方ヶ原で再び家康敗退→翌年2月野田城落城
石山本願寺と織田はすでに冷戦状態でどちらかと言うと織田がこれ以上の敵を作りたくないのて石山本願寺との正面衝突を回避しようとしていた。
信玄が生存していた場合は信玄が織田牽制に本願寺を動かす事は充分に可能であるが野田城攻略中にはまだ本願寺に動いてもらう必要性がまだ信玄にはなかったと考えるのが妥当。
また石山本願寺が織田に攻勢を強めたら長島一揆軍もさらに活発な行動を起こすようになると思われ。
義昭の挙兵もより効果的になると思われ。
徳川の支援で戦った姉川の戦いとは違い今回の北近江戦線では信長はいまだに決め手に欠いていた。
近江各地では浅井とは別に一向衆勢力が次第に強くなりつつあり予断を許さない(朝倉滅亡後に信長の派遣した越前守護代を敗死させ一向衆が越前を乗っ取った事もある)
朝倉も2万の動員が可能で早ければ3月頭には浅井支援で出馬可能(対秀吉戦での柴田勝家は珍しく越前で大雪だった年にも関わらず3月上旬には先陣を近江に派遣している)
つまり信玄存命なら信長も家康も3月以降が非常に厳しくなると言う事。
505人間七七四年:2008/05/19(月) 07:10:14 ID:caIp4gGU
>>496
君は「iCI1o0vQ」なのかな?
だとしたら>>494で、
>更に言うなら織田は別に東海道を通らずに海岸沿いを使ったり海路使ったりすることも可能だし
と「海岸沿いを使ったり海路」と言って置きながら、海路だけを限定にするのが理解できない。
海岸沿いというのは「大軍が整備されてないところを行軍する」という事だろ?
武田だけ「大軍が整備されてないところを行軍する」をしては行けないのか?
506人間七七四年:2008/05/19(月) 07:48:15 ID:c5JZVfhO
おまいら落ち着けー!
久しぶりに来たらすでに500とか…
読み返すのめんどいわ!
507人間七七四年:2008/05/19(月) 09:27:48 ID:ha3VTSXd
岡崎強襲の人はいいかげんコテつけてほしいんだぜ。
508人間七七四年:2008/05/19(月) 09:46:58 ID:iQ3OkrzV
>>502
ではその旨を論文にして発表したらどうです?
現在の学会では、貨幣量の不足や悪貨の存在を考慮しても、やはり貨幣経済は
確立していたとする説が主流なので。

>>503
まずAだが、順序が逆。信長が本隊が撤収したあと、朝倉も帰国。

>朝倉勢が浅井氏救援に出てくる可能性が高い
むしろ、朝倉は浅井が攻められないと出てこない可能性が高い。
さらにいうと、朝倉は信長留守中に残留の木下隊を攻撃して何度も撃退されている。
もう一つあげると、浅井も朝倉も高島郡の磯野軍に側面を衝かれる体勢にある。
徳川を救援したところで、朝倉と浅井だけではとても南近江まで出られない。

>>504
同じことで、南近江の一向一揆はこの時期ほぼ壊滅状態。六角も同様。とても南
近江を攻略する力はない。
石山も長島も、拠点防衛はできても攻勢に出られる勢力ではない。
だいたい越前の一向一揆の動きと、江南の一揆になんの関連が?
509人間七七四年:2008/05/19(月) 14:49:16 ID:rP6LXVvR
>>508も言っているけど朝倉は信玄の生死に関係なくすでに限界
浅井が滅びないようなんとか凌ぐだけで精一杯なので
期待しないほうがよい
510人間七七四年:2008/05/19(月) 17:39:46 ID:SGkSVFAQ
荘園・所領支配自給的な家産経済→
江戸幕府慶長年間に貨幣経済の基本を確立→
経済システムが「自然経済」から「貨幣経済」へと完全移行が明治

あと朝倉はいまだ2万以上の大軍が動員できてるんだから
織田厨が言うように朝倉がまったく使えないわけではない。
信玄存命であれば朝倉・一向宗は信長を引き付けていてくれさえすれば戦略目的を達成できる。
いや織田軍を分散させる意図のもとに織田軍の半数を牽制させてくれるだけでも充分。
また2月の義昭に続いて3月には松永久秀が反旗を翻すし、
そもそも前年から足利義昭の義弟である三好義継が
本願寺の下間頼龍・下間頼純らとともに河内や摂津で暴れて
信長の娘婿である畠山昭高や細川昭元を撃破してるから顕如の老獪な政治力で
本願寺は織田と敵対してないように見せてるが実際には信長が騙されてるだけでバッチリ敵対している現実がある。

511人間七七四年:2008/05/19(月) 18:05:28 ID:iQ3OkrzV
>>510
自給自足な荘園なんてない。日本の荘園制度は、基本的によそとの交易取引によって
成り立つシステム。

>朝倉はいまだ2万以上の大軍が動員
そうとうサバ呼んだ数字と言われているがな。

>織田軍の半数を牽制させてくれるだけでも
織田軍の半数どころか、木下隊がいるだけで身動きとれなくなっている史実をまず考慮して下さい。

>3月には松永久秀が反旗を翻すし
それによって、大和で松永より圧倒的に優勢にあった筒井が織田につき、松永は無力化。

>前年から足利義昭の義弟である三好義継が本願寺の下間頼龍・下間頼純らとともに河内や摂津で暴れて〜
詳しく教えてください。
512人間七七四年:2008/05/19(月) 18:14:28 ID:SGkSVFAQ
あと長島を過少評価してるようだが
1570年に尾張小木江城で信長の弟が長島一揆勢に敗死。伊勢桑名城の滝川一益も敗走。
1571年に柴田2万が長島へ攻撃をかけるも雑賀衆や本願寺の傭兵や鉄砲などの大量補給を受けており
伊勢湾の制海権も一揆側にあり柴田も重傷を負う大敗を喫して殿の氏家直元が討ち死に。

信玄が死んだ1573年にも撤退中の織田軍の殿を勤めた林道政が長島勢の奇襲で討ち取られている。
1574年に長島一揆軍は降伏開城となったが、その際に信長が騙し討ちをした際に逆襲して
兄の織田信広や弟の織田秀成などの信長身内をも攻め殺して滅亡してる。
513人間七七四年:2008/05/19(月) 18:21:32 ID:ddyw72b2
松永が反旗を翻したのは元亀三年五月で三好義継らと示し合わせてのものではなかったか?
高屋の畠山に対し攻撃を仕掛けるも信長が救援の兵を送るとそれぞれ退散し、義継は若江に、久秀は信貴山に、久通は多聞城に立て籠もる。
こうじゃなかったか?
514人間七七四年:2008/05/19(月) 19:24:01 ID:Wk/UnuCN
つか信玄が生存してたらの話をしてんのに信玄死後の朝倉とか義昭とかの結果を語っても意味ないじゃん。
前提が崩壊してるから参考にならない。

むしろ前提崩壊したら信長が問題を一気に解決してるってのはいかに武田軍が与えた影響力が強いかって言う証明にしかならんよ。
本願寺顕如は15726月30日に浅井に鉄砲薬を贈ったりしてるから織田と敵対してないと主張する織田厨の言い分は
「信長がこれ以上敵対者を増やしたくない願望=顕如を信じたいとする信長が偽りの和睦にすがってただけ」
また秀吉が1人で朝倉を撃退したってのも違う。その時点ではまだ信長が横山城にいたから大規模な戦いに発展しなかっただけだし
織田全軍で堀を掘り下げ備えを堅くして作った山の砦に秀吉はこもってただけ。
12月3日を期して信長も朝倉も引き揚げてる。

貨幣経済が確立したのは戦国期の鉱山開発の結果だよ。それが両替業者などを生み出し先物取引を生み出した。
室町時代は義満が中国から銭の輸入をしたが死後に輸入禁止になったりと不安定だし、そもそも大多数の農民は物品貨幣で貢祖納入や小額取引をしていたに過ぎない。
大内氏が最初にやった撰銭令のように銭貨の信用不安で皆が受け取らない時代や
中国がスペインに大量に銀を持ち込んだ時に日本が銭を輸入できなくなるなど室町時代はまだまだ不安定で貨幣経済が確立してたとは言えない。

515人間七七四年:2008/05/19(月) 19:29:06 ID:Wk/UnuCN
後半の文章おかしかった…
訂正
スペインが中国に大量に銀を持ち込んだ時は
それまでの日本は銀を輸出して銭貨を輸入するシステムが崩壊した。
516人間七七四年:2008/05/19(月) 19:29:14 ID:UFmi3M6z
長文乙だねwwwwwwwよくがんばったもんだよ・・・
517人間七七四年:2008/05/19(月) 22:54:35 ID:iQ3OkrzV
>>512
小説からですか?
518人間七七四年:2008/05/19(月) 23:24:06 ID:bAass34Y
>>512
ぼくがこないだよんだうぃきぺでぃあにおなじことかいてあった
519人間七七四年:2008/05/19(月) 23:30:46 ID:baCZVaOY
漫画です
520人間七七四年:2008/05/19(月) 23:32:22 ID:IYEa+m4+
なんか>>467がスルーされちゃってるんだけど、>>467ておかしな質問だったの?
521人間七七四年:2008/05/19(月) 23:42:04 ID:7z32IUnE
>>495
史実から考えると嫡男戦死なんて例は少ないが
対外的にはあんま影響無いと思うが
嫡男死亡の結果、当主が狂って大内長宗我部なんて例もあるけど
尼子政久などを考えると対外的な影響はあまり無いのでは

>大規模な軍団あと荷駄隊などを考えて東海道の確保が必要と言う事だと思っていたが。
>だったら、武田も東海道を無理に確保する必要が無いと言うことにならないか?
ならないと思う
東三河と西三河の平野部をつなぐ街道は東海道と浜街道があるため三河に街道が東海道しかないというわけではない
武田も別に東海道にこだわらなくてもいいけど、東三河から岡崎へと通じる主な街道は徳川に支配されている
結局このIFの状態のままでは武田は連絡線が細く長くなるため何らかの対処が必要

>それを言い出したら、武田も牽制の兵を置けばとかになってくるが。
最初からそう言っている積りだったが、でもそうすると今度は武田は兵を分散することになって
徳川だけを相手にする分にはいいけど、織田の援軍が来た時不利になる
522人間七七四年:2008/05/19(月) 23:47:47 ID:bAass34Y
外的にどうなるかなんてのはケースバイケースだが、内的には確実に政治の季節になるな>嫡男アボン
523人間七七四年:2008/05/19(月) 23:57:09 ID:7z32IUnE
>>503
順番的には

信長岐阜に撤退(?月)押さえに木下隊を残す
A朝倉勢が越前に撤退(12月)した
@三方原の戦い(12月)
B武田勢は野田城攻撃開始(1月)
C義昭挙兵(2月)
E野田城陥落(2月)
D柴田・丹羽・明智・蜂屋勢(兵力不明)が近江に向けて出陣(2月)
F織田軍、近江派兵部隊、石山・今堅田を落とす(2月)
G信長京に出陣
H武田三河より撤退

まあテンプレに一度目を通した方が・・・

>>505
別人
>武田だけ「大軍が整備されてないところを行軍する」をしては行けないのか?
別に武田だって各支城を無力化して街道の安全を確保すればいいだけ

>>517
>>518
他のレスと
>1571年に柴田2万が長島へ攻撃をかけるも雑賀衆や本願寺の傭兵や鉄砲などの大量補給を受けており
>伊勢湾の制海権
ここの部分は別として残りは一応史実だと思うが

>>520
Aだと今まで通りもうほとんど望み無いと思うけど
@だとそれなりに可能性も出てくると思う
524人間七七四年:2008/05/20(火) 00:05:03 ID:hnmZv8zW
しかし補給を随時受けていないとかなりの数がこもってる長島のあの粘りの説明はつかないし
河川に囲まれた地域であるため海上からの輸送でないと補給方法もないのも事実で紀伊方面から運び込むくらいしか考えられない。
525人間七七四年:2008/05/20(火) 00:06:49 ID:Me6VF/pK
>>522
嫡男戦死の例が少ないからな
安芸の高橋氏の例とかでも特に影響なし
尼子の例だと、国久の影響力が強まったため長期的には悪影響?
島津久保は出陣中に病死ってのもあるが

あとは北条景広とかぐらいしか思いつかない
526人間七七四年:2008/05/20(火) 00:17:30 ID:8gwZNDGh
>>523
>1570、伊勢桑名城の滝川一益も敗走
ちょっと記録がみあたらないな。

>1571、雑賀衆や本願寺の傭兵や鉄砲などの大量補給を受けており
雑賀が長島に?

>1574、信長が騙し討ちをした際
それ以前に長島が信長との約束を破っている。
527人間七七四年:2008/05/20(火) 02:20:43 ID:clA3iJoz
嫡子に死なれて困るのは朱印状なり安堵状なり公文書の引継ぎが、
進んでる場合だな。
528人間七七四年:2008/05/20(火) 02:21:32 ID:zElXiGtT
ん?勝家が長島で大敗してんのも織田史では隠匿されてたのか?
あれはたしか勝家が殿を努めたが猛烈な追撃を受け旗指物を奪われ大負傷しために
柴田軍が殿を勤められなくなり変わって殿をした氏家直元が戦死したろう。その後の柴田は怪我療養中で動きがない。
相変わらず織田史観では手取川といい柴田に優しいんだな。
と思ったら、今度は秀吉が朝倉2万近くの兵を一人で阻止したって?
当時は信長の後詰めが横山城のいたから朝倉が決戦を避けただけ。
織田厨史観では熊見川の戦い自体を否定して上月城は見捨てただけで秀吉が勢力圏を保持したと主張するし
(実際は姫路に信忠の後詰めがあったから毛利が決戦回避しただけ)
織田史観ってほんと相変わらず柴田と秀吉にだけはとことん甘いよな。
光秀が波多野秀治を騙して和睦を引き出し処刑し丹波平定
細川が娘を嫁がせてから一色義定を謀殺して丹後平定とか全然かばったりしないのに。

それに義昭が挙兵した時でまだ信玄が生きていた頃の信長は進退に窮して
4月5日には正親町天皇から勅命を出させて何とか義昭と和睦してもらってたじゃん。
志賀の陣でも、のちの本願寺との和睦もそうだけど信長は苦戦の末に正親町天皇に頼りまくってるじゃん。
529人間七七四年:2008/05/20(火) 02:33:20 ID:/PIJ2y5G
まともな意見なのに煽り調で書いてるのが残念だ
530人間七七四年:2008/05/20(火) 03:05:04 ID:8gwZNDGh
まともか?人が言っていないことをとりあげて攻撃して、レッテルはって人格攻撃が?
531人間七七四年:2008/05/20(火) 04:31:50 ID:/PIJ2y5G
だから人格攻撃だのレッテル云々だのの煽り風味は余計だと言ってるのにw
それを除けば内容的にはまともでしょ
書き方が悪いから誰にも相手にされないけどね
532人間七七四年:2008/05/20(火) 04:39:38 ID:hnmZv8zW
織田厨は不利な点を指摘された韓国人か?
議論の内容を無視して何を争い論点をズラして暴れてるんだ?
話題そらしの為にこうやって煽られたいのかw
533人間七七四年:2008/05/20(火) 05:39:05 ID:Zv7VwRBC
涙目で書かれても・・・・・
534人間七七四年:2008/05/20(火) 06:18:56 ID:qDdqepDX
誤爆してもめげずに

人格攻撃は良くないが下記を見つけたのでやっぱり人格狂ってると思う

【義の名宰相?】直江兼続 6【愛のバカ家老?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211193794/
12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/20(火) 02:35:07 ID:zElXiGtT
聞きしに勝る伊達厨のキモさw
マジ狂ってるな。
他のスレのレスは最近あんまり伸びないのに
直江スレだけ立ったらもう
こんなに大量レスかよwww明らかに自演だろwww
最上義光スレの住民は和やかでつつましいレスが飛んでいて
直江を批判するどころか褒めてたりして山形人の好感触なのに
何が山形市民だよウソつくなよ糞伊達厨がwww

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/20(火) 03:23:13 ID:zElXiGtT
>>13
あんた最上スレ住人なのかw
OXafQVNhは最上義光スレに書き込みしてねーじゃんwww
義光スレでは自分らのスレが荒れないように気をつけようぜって言ってるくらいでマッタリしてるのをむしろ歓迎してる。
あんたみたいに直江厨とか煽ったり、過疎してるから来いなんていわない。
むしろ伊達厨が来ると荒れるから来ないで欲しいと思うだろw
自称最上住人=伊達厨なのがバレバレwww

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/05/20(火) 03:49:31 ID:zElXiGtT
>>15
いまさら義光スレにレスしても遅せーよアホがw

17 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/05/20(火) 04:40:51 ID:hnmZv8zW
伊達厨房は精神科へ逝け
535人間七七四年:2008/05/20(火) 06:20:15 ID:qDdqepDX
最上義光
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164522608/

816 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/05/20(火) 03:31:39 ID:zElXiGtT
>>815
プッ伊達厨必死www

817 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/05/20(火) 04:36:24 ID:hnmZv8zW
>>815
伊達厨は他板を荒らすな!すぐ他板を巻き込んだりオナニースレ立てたりすんじゃねーよ

536人間七七四年:2008/05/20(火) 06:32:02 ID:qDdqepDX
時間と内容からいってID:zElXiGtTとID:hnmZv8zWは同一人物でおそらくヒキニート
資料やソースの提示を求められてもスルーしてるのは彼の中で思考が奇妙に完結してるため
完結してるがゆえに資料を保存してないし控えていない
重ねて追求してもググれカスとかいって逃げるが彼の中では逃げていないことになってる
つまりソースの要求は無駄

ついでに俺の勘では伊達厨だの織田厨だのいうことから無双厨だな
「俺の親方様が〜」 「俺の謙信公が〜」
「俺の幸村が〜」 「俺の兼続が〜」
という世界の人。さらに
「俺の三成が〜」 「俺の左近が〜」
にも続くと思われる
織田はキモイ、伊達はガキ、などのバイアスがかかってるんだろう
537人間七七四年:2008/05/20(火) 06:32:16 ID:hnmZv8zW
そして伊達厨が荒らし介入を始めてこのスレ終了w
538人間七七四年:2008/05/20(火) 06:38:46 ID:qDdqepDX
戦国板にも必死チェッカーがあれば面白いのに
539人間七七四年:2008/05/20(火) 06:43:27 ID:hnmZv8zW
1時間以上も間があいてるのに勝手に脳内同一人物認定して
妄想から足跡を追いはじめて必死だな伊達厨はw
さすが戦国板最強の粘着ストーカーだw
540人間七七四年:2008/05/20(火) 16:26:35 ID:zElXiGtT
織田厨は信長公記しか信じないのさ。
伊達厨はキチガイなのさ。

541人間七七四年:2008/05/20(火) 17:13:58 ID:0005rKF5
直江厨って本当に酷いな
542人間七七四年:2008/05/20(火) 17:24:09 ID:zElXiGtT
直江厨ってそんな造語は聞いた事ないわw
勝手に作って伊達厨必死だなオイw
543人間七七四年:2008/05/20(火) 23:13:22 ID:+P8Tk87Y
しかし東三河を2ヶ月位で制圧とか出来るのか?
出来る訳ねーと思うんだけど。
544人間七七四年:2008/05/21(水) 00:22:05 ID:5jPSHCt4
武田信虎が伊勢志摩や京で武田の為に暗躍してるね。伊勢志摩の水軍は一揆に同情してるから伊勢長島は鉄砲薬も食料もまったく困ってないので長期籠城できるどころかここ一番ともなれば機動力もある。
545人間七七四年:2008/05/21(水) 06:47:06 ID:UrNoveGm
てか織田と戦うより
武田2万五千と北条で上杉を潰した方が
この後の展開が広がる
546人間七七四年:2008/05/21(水) 10:14:40 ID:hDkr4QuW
東三河だけでも10は城があるかも知れないが、吉田を除けば数千の軍で1日で落ちるような城ばかり。
三河の兵の大半は浜松に集められている。
2ヶ月、つまり60日で制圧出来無くも無い。
547人間七七四年:2008/05/21(水) 13:57:03 ID:truqI8I+
信虎が勝頼と面会した時のこと、どこかに詳しく載ってるのってある?
548人間七七四年:2008/05/21(水) 15:42:47 ID:YYCqWOTb
>>546
でもその後の維持には手を焼きそうだよね。

城を落とすだけなら可能だろうけど、その後に
地元豪族を心服させなくちゃだし、
それぞれの城に城代と数百の守備兵も置かなくちゃいけないし、
落とした城の改修も必要だろうし。
549人間七七四年:2008/05/21(水) 15:51:05 ID:5jPSHCt4
後顧の憂いないし将来の上洛に備えて信玄も本格的に甲斐から本拠地を移すだろうから無問題。
越相同盟した時に北条から出兵を頼まれた時の謙信も武田攻めしなかったし国境紛争くらいで越甲の間は実は良好だったりする。
実質的に織田は謙信に騙されているんだよな。
550人間七七四年:2008/05/21(水) 16:17:00 ID:sA4KSMwa
とは言っても上杉との関係を改善せずに本拠地を変えることはできないと思うし
それ以前に信玄のような政治体制で本拠地を移すことは可能だったのかな?
551人間七七四年:2008/05/21(水) 17:36:56 ID:5jPSHCt4
将来の上洛を目指すなら版図と広大になった以上は拠点移動は強制的にでもやらなくちゃならんだろ。
甲斐信濃は勝頼に代理やらせて次第に権力譲渡もしていかないとだしな。
武田と上杉の関係も安定している。なぜなら信玄と婚姻関係の本願寺と謙信の間はずっと安定してるから。
謙信は1555年11月13日に自ら本願寺に訪問して一向宗対策で証如に太刀代などを献上して友好関係を作っているからね。
また信濃から追い出された村上義清は景勝に続く越後ナンバー2の地位と糸魚川の地を領土として貰って越後での生活の基盤はできていたし
信玄が死ぬ以前に義清が死亡しており川中島にこだわる必要もなくなっている。
さらに義清の子の国清は朝倉義景の娘を貰ってるし上杉と朝倉は仲がよいから武田が朝倉を助ける分には邪魔はしない。
552人間七七四年:2008/05/21(水) 22:21:55 ID:YYCqWOTb
本拠移転の最大の問題は親類衆や譜代の臣の土着意識。
よっぽど上手くやらないと家内崩壊に繋がりかねない。
553人間七七四年:2008/05/21(水) 23:40:21 ID:PdydLK3B
>>548
>地元豪族を心服させなくちゃだし、
豪族達は浜松か岡崎に篭ってるか。
それとも東三河の攻城戦で戦死しているか。
落ち延びて岡崎に逃げているか。
まぁ一連の戦が終わってからの話だね。

>それぞれの城に城代と数百の守備兵も置かなくちゃいけないし、
>落とした城の改修も必要だろうし。
大半は元々2・300人しか守っていない小城だしとりあえず守るだけなら、100人程度に修理して守る様に言えばすむね。
554人間七七四年:2008/05/22(木) 00:09:37 ID:+YhF9hqm
ttp://www.geocities.jp/honokuni/mikawa/shiro.htm
このHPによると三河には城や砦が150以上ある事になる。
(屋敷や寺・陣屋を含めると200を超える)

その内ある程度織田や武田の所有としても徳川方は100を超えるだろう。
それぞれに平均100人で守っていたとしても10000人の軍勢。

浜松に篭っている8000人の内、三河兵が3000人とすると、それだけで13000人。

テンプレどおりに徳川の三河での領地の22万7千石を1万石あたり250人で算出される軍勢は5675人。

22万7千石で13000人を賄うなら1万石あたり約575人。
いくらなんでもありえん。

当時の三河の状態って、野田・吉田・岡崎にそれぞれ500人づつぐらいで、それ以外の城や砦は平均50人くらいでしか守ってないんじゃないか?
これで、1万石あたり400人ちょっと。(浜松に3000人送っていると考えて)
555人間七七四年:2008/05/22(木) 00:22:40 ID:+YhF9hqm
ちなみに、三河から3000人が送られておらず、浜松の8000人の軍勢と各城の守りの兵力を遠江だけで賄おうとすると、今度は遠江の計算が破綻する。

もっとも、遠江の城の数がよく分からなかったので、三河と同じ程度あったとしての計算だが。
556人間七七四年:2008/05/22(木) 00:48:55 ID:b9PAwFgL
本拠地移転なんてそんなに大変なことじゃない。
特に武田は山城ではなく館なんだから経済流通も視野に入れた本格的な本拠地を決めても良いだけの版図になっている。
例えば伊達氏の本拠地だった梁川城→伊達稙宗が桑折西山城へ移転→伊達晴宗が出羽米沢城へ移転→
伊達政宗が会津黒川城へ移転→秀吉に命じられ岩出山城→徳川時代に仙台城へ移転のように簡単に拠点を移転させている。
557人間七七四年:2008/05/22(木) 00:56:45 ID:s47J7zZl
>1万石あたり250人で算出される軍勢は5675人。
それ豊臣政権下で会津征伐の折に島津家に課せられた軍役からの算出方法なんだけど・・・
その豊臣政権でも朝鮮出兵で6人役とか5人役あったぞ
558人間七七四年:2008/05/22(木) 01:02:49 ID:XkLrZ7GB
小谷城周辺だけが支配範囲の末期の浅井でも5000を動員してたしな。
まあ浅井が5000を動員てのは水増しだと思うけど。
支援してくれる同盟国があれば多少無茶な動員も可能だとは思う。
559人間七七四年:2008/05/22(木) 01:25:02 ID:+YhF9hqm
>>557
>>558
でも、1万石で575人は多すぎだろ?
やっぱり、400人が精々じゃないか?
豊臣政権下で動員が多いのは、一応他国に攻められる事が無いと言う前程で、守備の兵が要らないからとかじゃないかな?
よくは知らないが。
560人間七七四年:2008/05/22(木) 01:34:15 ID:b9PAwFgL
豊臣のは相当に無理やってる。
しかも佐竹なんかも秀吉に命じられての常陸統一の為に国人豪族の大量粛清をして(ここで謀反反乱が起きたら改易される)中央集権化と竿を入れての石高チェックで隠し田もなく調べられた(ここで重税に反乱が起きても佐々みたいに改易)結果だからね。
信玄侵攻時に家康が無茶な動員かけたら、ただでさえ戦況劣勢で協力してもらってる手前、防衛で攻城でない以上は恩賞がもらえるか不明だし離散が相次ぐでしょう。
別に主を裏切るのが悪い時代じゃないからね。自分らに恩恵を与えてくれない主を見限っただけ。
561人間七七四年:2008/05/22(木) 02:32:17 ID:J+Vewk/H
戦闘要員しか勘定にいれないからおかしいのでは?
補給線が伸びたり、補給経路が難所で日数が掛かれば、賦役を課して人員動員しないといけないんだし。

武田も外征の250人の他に守兵や伸びた兵站担う人間動員してるのだから実際には250以上の動員掛けてるでしょ。
562人間七七四年:2008/05/22(木) 03:30:31 ID:qyXQmkwg
明智が1万石800人動員したっていう資料をどこかで見たな。
563人間七七四年:2008/05/22(木) 07:38:40 ID:+YhF9hqm
>>561
250以上って言うのを一纏めにはできないでしょ。
やっぱり、600人近くを動員は多いよ。
564人間七七四年:2008/05/22(木) 08:30:02 ID:MylvJDsq
当時は臨時で雇う場合も多いな
要はバイトで補うという奴
565人間七七四年:2008/05/22(木) 08:42:10 ID:vPhUuYt9
動員数が百や二百も上がるほど、やとうわけじゃ無いけどな。
566人間七七四年:2008/05/22(木) 10:21:28 ID:+nfvlDGJ
兵力数百の野田二俣に一月以上かかっていたのに東三河は2ヶ月って・・・
567人間七七四年:2008/05/22(木) 13:06:15 ID:J+Vewk/H
兵站にかかわる人員をどんぶり勘定してみた。
区間は諏訪〜長篠。現在の道路で総距離200km弱
足の遅い荷駄で山越えとなるので片道10日と仮定。

まず兵士一人で一日5合の米(男扶持)を消費すると、2万の兵で一日10万合の消費。
10万合は100石だから米俵に換算すると約250俵を毎日消費。
馬一匹に米俵2つ担がせるとすると125匹の馬がいる。
それに付き従う人員を馬を引く人間1人、護衛で1人で馬一匹あたりに2人と仮定。

これで片道10日間の区間をピストン輸送すると・・・。
輸送にあたって、のべ2500匹の馬と5000人の人手が必要になる(往路込)

軍役に課せられた駄馬以外に、別途2500匹も用意出来なさそうだしな・・・。
人手に換算すると一馬力=4人力。
完全に人手だけで輸送するなら、護衛は兼任で良さそうだし1万人でいけるか。
ただ米以外の物資、輸送人員自体の消費、主要輸送区間以外の輸送などもあるしもっと必要かもね。

そう考えると戦場での現地調達、街道の確保や整備に躍起にもなるわな。
568人間七七四年:2008/05/22(木) 13:50:58 ID:H4w8r/k4
100以上って…ほとんどが柵や砦レベルの物資もロクに集中してない支城だらけなんだが。ほとんどが本城が落ちたら連動して降伏開城なんだが。
だからそれを防ぐためには後詰めしないといけないわけだ。
しかし信長は動けない。家康は浜松城から出られないし援軍に出たら、一軍を派遣して浜松城を奪われ今度こそ退路を断たれ捕縛確定。
岡崎からの援軍は嫡男の死や一軍を岡崎に派遣され陥落の可能性が高い。
牛久保と吉田を攻囲されたら浜松城〜岡崎城が連携する道が切れる。
そもそも山城ではなく平城で、しかも織豊大名による近江石垣技術集団による織豊城郭ではない。
東三河の拠点は吉田城であり、ここが落ちた時点で家康の東三河の領主としての正統性は失われるシンボル。
勝ち馬に乗るのは当たり前で各地で見限られ降伏されても家康は文句言えない。
東三河で散発的に降伏しない小城があったとしても連結されない以上はもはや孤立し軍事情報が断絶し火縄銃や火薬など補給は受けられず武田の情報操作で不安になるだけで大した影響は起きない。
569人間七七四年:2008/05/22(木) 13:56:24 ID:j8zG9ysK
一般的に後詰が来なければ篭城しないでしょ
援軍無く篭城する場合は敵に退却の兆しがある時だけ
570人間七七四年:2008/05/22(木) 14:03:28 ID:H4w8r/k4
信玄は後方に心配はまるでなく、謙信は北条と戦っている。
さらに信玄は越中一向宗を動かせる。
よって無理すれば背後を空にして動員かけて勝頼を岩村〜明智城の秋山隊に合流させられるので織田の三河派遣の牽制もできるし郡上八幡の遠藤氏も様子見してるから美濃での影響力拡大が可能で朝倉側面支援が可能なので信長も三河には行けない。
岡崎城から松平信康が支援に出たら岡崎は落とせる。いまの家康や信康に小牧長久手の家康みたいな真似はできないしな。
571人間七七四年:2008/05/22(木) 20:48:48 ID:s47J7zZl
>>559
例えば小牧長久手の合戦で、家康は三河で16歳以上60歳以下の男子を総動員してる
572人間七七四年:2008/05/22(木) 22:09:40 ID:+YhF9hqm
>>571
でも、本当に16歳以上60歳以下の男子を総動員した、と言う割には数が少ないんだよな。
実際、どの程度動員したんだろうね。
573人間七七四年:2008/05/22(木) 22:33:19 ID:zBPXv83s
>>572
家康本隊の数が少なかったのは本国の要所に兵を配置したからでしょ。
まあ16歳以上60歳以下の男子を総動員はさすがに無かったと思うけど。
574人間七七四年:2008/05/22(木) 23:06:59 ID:+YhF9hqm
三河から浜松に3000人を送ったとすれば、防御側という事で1万石あたり400人としても残りは6000人程度。
それから岡崎・吉田・野田にそれぞれ500ずつを配置すれば、残りは4500人。
それを100の支城に配置するとそれぞれ平均50人未満。

吉田が500人程度なら、山城である二俣より落ちやすいと考えるのは不自然ではないと思う。
吉田の方が二俣より落ちやすいと考えると15000で二ヶ月で吉田を落とす事もできるだろう。
東三河の城が50程度として、残り10000人を二手に分け、比較的堅そうな城は5000で攻め。
その他の城はさらに1000程度に兵を分けて攻めれば、休息を考えても2ヶ月で50城も落とせると思う。

それに、50城の内ほとんど逃げるか降服するかだろうし。
攻められれば1日で落ちるような城では、いずれ織田の援軍が来るからなんて関係ないし。
逃げた城の兵は岡崎に逃げ込もうとするだろうけど、兵の大半は百姓。
逃げるなら散り散りになるだろうし、百姓はワザワザ岡崎の城になんか入らないだろう。
50城で総勢2500の兵がいたとしても、侍は一握りだから多くて500人くらい。
城に篭って討死をせず。武田に降服もせず。岡崎に逃げ込めるのは200人くらいか?
575人間七七四年:2008/05/22(木) 23:20:36 ID:qrRgJkim
戦国期の防衛戦において陣屋や砦クラスの小規模の防御施設まで兵を分散して配置したという例があるのか。
576人間七七四年:2008/05/22(木) 23:49:22 ID:+nfvlDGJ
そんな効率よく守備側が分散してくれるという理論が成り立つなら浅井とか瞬殺されそうだな
ついでに武田も信濃とか勝山記によるなら一郡に城が40とかあるらしいから、信濃一郡4万石と考えると
一つの城の守備兵が250人役だと25人とかになってしまう
577人間七七四年:2008/05/23(金) 00:26:11 ID:EqvBt5kK
しかし信玄は三方が原で家康が動いてくれたから良かったものの、もし家康が完全無視って信玄をスルーしたら信玄どうするつもりだったんだろう
相当なスピードで攻め上らないと織田は倒せないぞ 雪が溶けたら上杉だって来る

織田と対峙して撤退→徳川との挟撃に遭う→自分の領土にほうほうの体で戻ったら領土取られてた
578人間七七四年:2008/05/23(金) 00:31:04 ID:02+mJgsl
>>577
さすがに
アンチの都合よすぎ論w
579人間七七四年:2008/05/23(金) 00:32:48 ID:NrIlYQb7
〜武田好きのあるあるネタ〜
赤い色が好き
風林火山の意味を全て完璧に覚えている
さらに陰と雷もあることを知っている
織田信長が嫌い
が上杉謙信は嫌いではない
が好きかと言われるとそういうわけでもない
本気で武田軍が戦国最強だと頑なに信じている
もちろん信玄が生きていたら武田幕府になっていたと思っている
武田勝頼は好きかと言われたら微妙だ
今思えば武田義信の死を本当に残念に思っている
よく知られている肖像画の信玄は別人だと声を大にして言いたい
真田好きに対して何かしらの優越感がある
武田の騎馬隊は馬から降りて戦っていたことを知っている
漫画「センゴク」の武田法性院信玄の“法性院”に違和感を感じている
山県昌景の身長を知って驚愕した
ドラマなどで内藤昌豊がスルーされ気味なのが悲しい
軍師・山本勘助の存在を否定してる
がドラマや小説などでは大好きだ
村上義清に2回負けたのは一般人には内緒だ
家康の五男・武田信吉が早世したのは少し残念
たまには武田信清のことを思い出してあげてほしい
たまには若狭武田家のことも思い出してあげてほしい
もちろん安芸や上総の武田家も
580人間七七四年:2008/05/23(金) 06:30:46 ID:N7Q/fOpH
50城厨復活のようだな
581人間七七四年:2008/05/23(金) 07:40:42 ID:NDKUSYiy
>>575
>戦国期の防衛戦において陣屋や砦クラスの小規模の防御施設まで兵を分散して配置したという例があるのか。 陣屋や屋敷は抜いている。
砦を放棄はしないだろう。
砦を放棄するならするで手間が省けていいが、控えめで100と言っているだけで城だけでも、三河には100ぐらいあるよ。

>>576
>そんな効率よく守備側が分散してくれるという理論が成り立つなら浅井とか瞬殺されそうだな
浅井と徳川の違いは、主力が遠く離れてしまっている事だな。
三河から浜松へ兵を送ってないなら、三河の状況も違ってくる。

>一つの城の守備兵が250人役だと25人とかになってしまう
せっかく防衛側という事で400人で計算しているのに、ワザワザ250人で計算されてもな。

>>580
50と言う数が同じと言うだけで、こういう事を言う奴がいるだろうとは予測していた。
582人間七七四年:2008/05/23(金) 07:43:01 ID:NDKUSYiy
×:>戦国期の防衛戦において陣屋や砦クラスの小規模の防御施設まで兵を分散して配置したという例があるのか。陣屋や屋敷は抜いている。
○:>戦国期の防衛戦において陣屋や砦クラスの小規模の防御施設まで兵を分散して配置したという例があるのか。
   陣屋や屋敷は抜いている。
583人間七七四年:2008/05/23(金) 12:45:18 ID:WSZqy4tE
城と陣屋、砦や屋敷の概念の違いは何なのさ。
当時は陣屋や砦や屋敷でも○○城と呼ばれているだけで城なんじゃないのか?
584人間七七四年:2008/05/23(金) 17:13:23 ID:WSZqy4tE
徳川が浜松に籠もり出てこない

吉田城と東三河を2ヶ月で制圧可能

あとは目の前の軟弱な岡崎城を強襲で落とせば徳川完全崩壊。
三河遠江を武田が支配、国力倍増。

ここまで短絡的な図が本当に成り立っなら信玄の生死に関わらず実行すべきだが。
なぜ実際には行われなかった?
信玄死後の勝頼期にも徳川が浜松に籠もり出てこず、織田も来なさそうな事はあったはず。
こんなに簡単に徳川を壊滅出来るのになぜ実行しない?

そこまで勝頼や家臣団は無能なのか?
信玄も「余の死後、三年の間は喪を伏せ…」とかkyな遺言する位ならこの作戦を遺言すべき。
585人間七七四年:2008/05/23(金) 18:14:57 ID:6sle+4tr
アホか
当主が死去したのに遠征なんて続けるわけねーだろが。
586人間七七四年:2008/05/23(金) 18:16:47 ID:KG9L0iCu
織田の状態が全然違うから。
浅井、朝倉を滅ぼして義昭を追放しただけで、取った領地と不要になった兵を考えれば、単純計算でも3万以上違う。
587人間七七四年:2008/05/23(金) 20:27:35 ID:WSZqy4tE
>>585
もっともだが今まで語られていた吉田‐岡崎論だとかなり徳川は瀕死といえる。この機会にその作戦で滅亡させておけよって話。
2ヶ月撤退を遅らせるだけで済む。

>>586
ならばなおさら急がなければならないだけだろ。
武田の動きが変われば織田の動きも変わるだろうけど、実際には織田援軍は長篠まで来なかったのだし。
高天神なんか攻めてる間にその超有効な作戦wを実行するべき。

その作戦が本当に超有効ならな。
あり得ないけど。
588人間七七四年:2008/05/23(金) 20:59:59 ID:S1/p1vKU
まあ例えば1571年は2月から3月、3月から5月とそれなりに長期に動いているし
1574年には更に、1月から4月、5月から6月、8月から10月と遠征している
もし上で挙げているような数ヶ月で徳川を瀕死に追いこむことが可能なら十分な時間はあったと思う
589人間七七四年:2008/05/23(金) 21:11:54 ID:4Z7ypCte
今まで語られていた吉田‐岡崎論は瀕死に出来るかもねと言う可能性だ
実際瀕死な朝倉浅井とはわけが違う
590人間七七四年:2008/05/23(金) 22:33:34 ID:WSZqy4tE
可能性が50%もあれば…って話だけどリスクが高すぎるだろ。

行程にひとつでも狂いがでたり、周囲の状況が変われば重大な危機に陥る作戦。
特に織田援軍のタイミングが予想より早いとか
徳川の補給線遮断とかはかなり危険。
50%どころか針の穴を通すような作戦じゃね?
591人間七七四年:2008/05/23(金) 22:39:37 ID:KG9L0iCu
勝頼時代の織田は、徳川に援軍を送れるけど送らなかっただけで、送るのが困難だった包囲網の時とは、全然違う。
592人間七七四年:2008/05/23(金) 23:31:44 ID:WSZqy4tE
>>591
〉徳川に援軍を送れるけど送らなかっただけ
これは三方ケ原後の時点でも同じ。
違いは兵力だけ。テンプレの試算では最低28000は向ける事ができた。
てか機内や浅井朝倉は抑えの兵だけでパワーバランスは均衡だと何度言えば(ry
593人間七七四年:2008/05/24(土) 00:18:52 ID:XjVUCWd7
2月に義昭が挙兵した時に、柴田・丹羽・明智・蜂屋という面子で兵が派遣されている。
この面子で2・3千という事はありえず、2月から4月の織田が徳川の援軍に派遣できる兵力は、確実に武田の25000より下回る。
594人間七七四年:2008/05/24(土) 00:22:45 ID:FG4ZNT99
>>593
>江南の抑えと京へのにらみに八千ほど
その面子はこれに含まれないか?
595人間七七四年:2008/05/24(土) 01:02:08 ID:XjVUCWd7
テンプレの各勢力の石高・兵力の計算は
>1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況
らしいので、入ってない。
596人間七七四年:2008/05/24(土) 01:07:30 ID:FG4ZNT99
>>595
>近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
>江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
それじゃあこれはどこの誰の兵になるんだよ・・・
597人間七七四年:2008/05/24(土) 01:13:24 ID:XjVUCWd7
文字通り、
近江に浅井・朝倉への「抑え」として木下、磯野で合計七千ほど、
江南の「抑え」と京への「にらみ」に八千ほど、
だろ。

義昭が挙兵しないように「にらみ」として兵を置いていたが、
挙兵してしまったので更に兵を送ったんじゃないか。
598人間七七四年:2008/05/24(土) 01:44:20 ID:XjVUCWd7
そう言えば、テンプレに
>美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
となっているが、
ttp://www.geocities.jp/tugukeiko12/saka1/haebos1.html
によれば、十分越前から美濃への侵攻は十分可能なようだ。

実際、朝倉は美濃への直接攻撃はしていないようだが、これは美濃と越前国境にある程度の兵力が置かれていたと言う事じゃないか?

美濃の秋山隊の抑えの三千のみと言うのは少ないと思う。
599人間七七四年:2008/05/24(土) 02:00:46 ID:VV3iQP8R
>>598
それは「最低限の守備に残す兵力」で充分では?
仮に越前から美濃に侵入された場合、朝倉抑えや他の兵力が動く時間を守って稼げれば十分な訳だし。
600人間七七四年:2008/05/24(土) 02:10:33 ID:VV3iQP8R
見ると標高も高く相当な隘路らしい。
冬場までまとまった兵力を配置してるのはちょっと考えにくいんじゃね?
601人間七七四年:2008/05/24(土) 02:15:07 ID:XjVUCWd7
例えば、2500が篭っている城を5000で落とすのは困難だが、
500が篭っている城を囲んでいる最中に、城方に2000の援軍が来ても
警戒さえ怠らなければ城へは一部の兵を抑えに残して、2000の援軍を撃破することが出来る。

侵入されて「最低限の守備に残す兵力」の城で抑えていても近江からの兵は朝倉と野戦をするわけにはいかない。
一段さがった城や砦で待ち構えなくてはならず、ある程度の侵攻を許してしまうのでは?
602人間七七四年:2008/05/24(土) 02:17:45 ID:XjVUCWd7
>>600
冬場は入らないが、雪解け後は必要になると言う事かな。
603人間七七四年:2008/05/24(土) 02:20:14 ID:XjVUCWd7
テンプレには
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の時点では不要だが、雪解け後はさらに朝倉への備えとして○千が必要
とでも書いて欲しいな。
604人間七七四年:2008/05/24(土) 02:23:13 ID:VV3iQP8R
いづれにしろまとまった兵力はいらないかな?
織田の情報網次第だけど出兵の報が伝われば
険しい峠を越えている間に守備は整いそう。
605人間七七四年:2008/05/24(土) 02:26:18 ID:yKSRw2tf
>>603
必要ないだろ。
朝倉は浅井に援軍を出すだけでいっぱいいっぱいなのに、
わざわざ美濃に直接攻め込もうとしたら内紛で即効で自滅するだろ?
606人間七七四年:2008/05/24(土) 02:28:09 ID:XjVUCWd7
武田の上洛軍(実際は上洛目的かは別として便宜上)を初めは上杉を攻める為の軍と思っていたらしいし、
その程度の情報網じゃ無理じゃないか?
607人間七七四年:2008/05/24(土) 02:30:52 ID:VV3iQP8R
そんな所から攻めてどれだけの戦果があげられるかを考えると、
とても岐阜まで届くとは思えないし、少しの城や砦を落としてもその後維持もできない。
まして一時的に信長の数千の兵力を惹き付ける為だけにそこまでするか?
そんな事より朝倉は浅井や本国の方が大事だろ。
蚊の刺したような利益の為に朝倉が動くと思えない。
608人間七七四年:2008/05/24(土) 02:38:54 ID:XjVUCWd7
>そんな事より朝倉は浅井や本国の方が大事だろ。
攻められている同盟国を救う場合、攻めている軍と直接戦わず手薄な敵国を攻めて撤退に追い込むのは、
基本と言うほどで無いとしても、よくある手だぞ。

>蚊の刺したような利益の為に朝倉が動くと思えない。
まぁ寸土も領地を得られるわけじゃない浅井の援軍に必死になってるけどな。


609人間七七四年:2008/05/24(土) 02:39:12 ID:VV3iQP8R
岡崎強襲攻めもそうだが、当時の各大名の心の中にある戦略思考を無視した
ただ物理的なだけのシミュレーションはまったく意味がないと思うんだぜ。
610人間七七四年:2008/05/24(土) 02:43:59 ID:XjVUCWd7
>>599の内容も十分「物理的なだけのシミュレーション」に思えるけどな。
どうも、自分の事を棚に上げる人が多い気がする。
611人間七七四年:2008/05/24(土) 02:47:20 ID:XjVUCWd7
って言うか「攻められる可能性のある箇所に、守りの兵を置け」と言うのが、
なぜ「物理的なだけのシミュレーション」扱いされるのかが分からん。
612人間七七四年:2008/05/24(土) 02:48:11 ID:VV3iQP8R
>>608
いやいや美濃攻めの目的がまったく見えない。
朝倉は12月に兵を引いてるんだけど
その状態で浅井朝倉の抑えの一部を引かせて何の意味があるの?
613人間七七四年:2008/05/24(土) 02:57:32 ID:VV3iQP8R
そこまでこだわるなら朝倉が美濃を攻めて有効なタイミングと
その兵力を教えて欲しい。朝倉は当時国内の経済は疲弊し一部は軍役拒否というぐだぐだっぷりだ。
当時の情勢からまずありえなさそうなんだが。
614人間七七四年:2008/05/24(土) 03:14:55 ID:VV3iQP8R
>>606
武田の西上軍に関して甲府出立、信濃に向かったとの情報を間髪入れずに信長に伝わっている。
当時同盟国だった武田の動きを信長が上杉侵攻と勘違いしただけだよ?

まして敵国の朝倉が一乗谷からその峠に向かえば信長がその目的も含めて把握できない方が不自然。
615人間七七四年:2008/05/24(土) 04:07:47 ID:vFb2bGmu
直後の8月のぐだぐだっぷり見れば内通者がいて情報筒抜けと考える方が自然だね
616人間七七四年:2008/05/24(土) 09:39:23 ID:XjVUCWd7
>>612
ちょっと文章の意味が分からない。

>>613
タイミングは織田の主力が美濃にいなくて、越前と美濃の国境に守りが無い時。
兵力はテンプレのとおり。
浅井が攻められているときに国境が手薄なら、織田領を攻めればそれで浅井を救えるのに、
援軍の時にしか出陣できないと言う意味が分からない。

>>614
こっちに着たからこっちを攻める。あっちに行ったからあっちを攻めると言う事が分かる程度の情報網が優れた情報網とは思えないが、
実際に相手が動いてからその情報を入手して動くので間に合うのか?
617人間七七四年:2008/05/24(土) 09:44:38 ID:XjVUCWd7
ちなみに>>599の防衛方法は「物理的なだけのシミュレーション」ではなく、
「当時の各大名の心の中にある戦略思考」として妥当と考えていると思って良いのか?
618人間七七四年:2008/05/24(土) 10:07:06 ID:0Yy+mJi9
>>617
ゲームじゃないんだから。
常時国境に兵力集中してるほうが稀。
当事は国境付近でも兵力をそれほど多く配置はしていない。
敵進攻開始の情報伝達後に本拠や大きな城などから派兵するのが一般的で、様々な面で効率もいい。
よっぽど戦線が緊迫してないとないだろうな。

そもそも攻められる可能性がほとんどない箇所にわざわさ兵力は割かんだろ。
619人間七七四年:2008/05/24(土) 10:28:08 ID:dW3ABdbp
何の通達も無くいきなり軍事行動出来るとでも思っているのだろか?
620人間七七四年:2008/05/24(土) 10:52:45 ID:VV3iQP8R
朝倉がそのルートで侵攻するなら織田にとっては有利な材料だろうな。
細く険しい山道なので戦略次第では少数の兵で迎撃、撃破も可能だよね。
例えば数百の兵を伏せておいて、荷駄隊を襲うだけでも朝倉には充分な打撃になる。
国境を越えられるかどうかも怪しい。補給を断つのも容易。
仮に越えたにしても近江は救えるかもだが、遠征軍は退却や補給もかなり困難だし、長期対陣もできないしで大ピンチだろうよ。
それでも上手くいって織田が軍を送る前に少しの城や砦を奪っても、その程度で落ちる城、砦はすぐに奪い返される。
最終的に遠征軍は敵地で四面楚歌に陥るのは目に見えている。
唯一の可能性は地理勘のない織田本拠付近で織田の送った兵に決戦を挑み修復不可能な打撃を与える事だが、相手が決戦に応じるかもわからない。リスクの割合が極めて高い。
安全な補給と退路が確保できている分だけ直接近江に兵を向ける方がいいのでは?

双方ともその程度の読みはあると思うけど。

なんか作戦が岡崎強襲説に似ているけど同じ人?
621人間七七四年:2008/05/24(土) 10:57:04 ID:XjVUCWd7
>>618
それは、ある程度の防衛の兵を置いた上で、さらに軍を発するんじゃないか?

>そもそも攻められる可能性がほとんどない箇所にわざわさ兵力は割かんだろ。
実際に、十分軍勢が通れる街道があるのに、今まで攻めてきていないからこれからも攻めないだろうとがら空きにすると?
俺は今まで攻められなかったのは、今までも防衛の兵を置いていたからじゃないかといってるんだが。

622人間七七四年:2008/05/24(土) 10:58:42 ID:XjVUCWd7
>>619
そういう通達の情報すら入手できずに、武田軍がこっちに来るまで上杉を攻めると思っていた程度の情報網ということ。
623人間七七四年:2008/05/24(土) 11:04:26 ID:XjVUCWd7
>>620
>それでも上手くいって織田が軍を送る前に少しの城や砦を奪っても、その程度で落ちる城、砦はすぐに奪い返される。
取り返すために、織田は軍を返さなければいけないから浅井を助けられると言う話をしている。
だから、維持する必要もないな。
浅井を助けるなら織田の主力と対峙するより、少数が篭る城・砦を攻めて織田の主力が着たら退却する方が危険性が少ないんだから。

>なんか作戦が岡崎強襲説に似ているけど同じ人?
そうだよ。

出来れば、>>617に返答して欲しいのだが。
624人間七七四年:2008/05/24(土) 11:12:24 ID:dW3ABdbp
内通者が居るだろう朝倉と、当時同盟関係にあった武田を一緒に考えるのは
625人間七七四年:2008/05/24(土) 11:20:32 ID:VV3iQP8R
>>617
他で散々書いているが、ごく一般的な形であって戦略云々以前。

なお、浅井が攻められているのを救うとあるが
近江の織田勢は「浅井朝倉の抑え」から「浅井の抑え」だけを残し朝倉壊滅に向かうだろうな。
なんか浅井を救えるってのも怪しく感じてきた。
その場合、一乗谷から出たり入ったりを繰り返すのか?
それとも全滅覚悟の美濃特攻をするのか?
626人間七七四年:2008/05/24(土) 11:26:32 ID:LtanKtIf
浅井を救うために美濃を攻めればいいと言うのなら、全く同じことがいえる。

朝倉が美濃に攻め込んだら、高島郡の磯野部隊を越前に攻め込ませればいい。
少数でも効果的なんだろ?浅井は正面の木下隊で身動きとれず、下手すれば
越前との連絡ルートを遮断され、さらに主力のない越前国内は荒されまくり。
若狭の豪族達だってどうでるか判らん。粟屋氏を抑えるための軍を派遣して
いるとはいえ、他の豪族達がどう動くかも不明。
史実で義景が至美濃ルートで攻め込まなかったのは、ちゃんとした理由がある
から。そういった部分を無視して推論を展開しても意味がない。
627人間七七四年:2008/05/24(土) 11:31:04 ID:FACVPApe
戦国期の情報伝達と軍事行動の即応性についてどこからの知識を得たのか知りたいところだww
なんとかデータファイルとかだったら笑うしかないが
628人間七七四年:2008/05/24(土) 12:25:00 ID:XjVUCWd7
>>625
>近江の織田勢は「浅井朝倉の抑え」から「浅井の抑え」だけを残し朝倉壊滅に向かうだろうな。
君の想定する織田軍みたいに、国境をがら空きにしていたら出来るかもね。

>>626
>少数でも効果的なんだろ?
いや、>>616で書いたとおり、テンプレどおりの兵力を想定しているが。

>史実で義景が至美濃ルートで攻め込まなかったのは、ちゃんとした理由がある
>から。そういった部分を無視して推論を展開しても意味がない。
俺は其の「ちゃんとした理由」について、織田がちゃんと国境を固めていたのでは?と言う話をしている。
分かっているのか?
629人間七七四年:2008/05/24(土) 12:45:16 ID:VV3iQP8R
>>628
俺はその理由で国境に数千の兵力を配置しなければいけない程
信長の能力は低くないと思っている。
だってそこから攻められても危険性が極めて低いし、あっさり対応できそう。
朝倉は意味なくわざわざ死地に飛び込んでくるようなものだろ?
630人間七七四年:2008/05/24(土) 13:07:32 ID:XjVUCWd7
織田が国境を空にして主力を出撃すれば国境から侵入し、
織田の主力が帰ってくれば撤退すると言うのが死地か?

それと、あっさり対応と言う内容が、>>599なのか?

>信長の能力は低くないと思っている。
俺は攻めてくる可能性のある箇所をがら空きにするほど、
信長の能力は低くないと思っている。
631人間七七四年:2008/05/24(土) 13:40:16 ID:0Yy+mJi9
>>630
>>620>>626で朝倉のリスクが圧倒的に高いのが言われているが
それはスルーかよ。
当事の朝倉は一部兵役拒否があったりして本国も安定していない。
危険が高い遠征は滅亡を早めるだけだぞ?
信長本隊が戻らなかったらどうするんだよ?

そのルートからの進攻により、どれだけ織田に対して脅威になり
どれだけ朝倉が優位に立てるかがはっきり証明できないと
織田がそこに兵を置いた説は否定される。

もうアホかと。そこまで武田有利な状況を作りたいのかね。
632人間七七四年:2008/05/24(土) 14:39:20 ID:XjVUCWd7
>>632
>>>620>>626で朝倉のリスクが圧倒的に高いのが言われているが
>それはスルーかよ。
全然スルーしてないが?
>>620>>623で返答しているし。
>>626>>628で返答しているが?

>当事の朝倉は一部兵役拒否があったりして本国も安定していない。
>危険が高い遠征は滅亡を早めるだけだぞ?
では、どうして浅井への援軍はできる?

>信長本隊が戻らなかったらどうするんだよ?
織田の主力が来るまでは侵攻を続けるだろうし、最後まで戻らなかったら岐阜城が落ちるさ。
そこまで帰ってこないほど信長は馬鹿じゃないので帰って来るだろうし、そしたら退却するよ。

>そのルートからの進攻により、どれだけ織田に対して脅威になり
>どれだけ朝倉が優位に立てるかがはっきり証明できないと
>織田がそこに兵を置いた説は否定される。
俺には、兵を置かなくても大丈夫と言う説を証明して欲しいけどね。

>もうアホかと。そこまで武田有利な状況を作りたいのかね。
どうしてこう、自分の事は棚にあげるかな。
お互い様だろうに。

相手の進行方向に合わせて防御軍が国境を越えて移動し、防御網を敷きなおすとか、
侵攻されても大丈夫だから、国境に防御軍を置かないとかの方が、むちゃと思うぞ。

後、朝倉の本国が安定していないと言う事を考慮して、一応浅井を助ける事についてのみ話していたが、
包囲網の一員としてなら、織田が徳川への援軍に主力を率いて三河に向かった時に、
木下隊への備えとして越前に2500を残し、1万で美濃に攻め込むと言う作戦も考えられる。

これでも、朝倉は優位じゃないのか?
越前との国境の兵は不要か?
朝倉の本国が安定していないのは、織田との抗争が長引いているからだが、
その織田との抗争を終わらせるチャンスじゃないのか?
633人間七七四年:2008/05/24(土) 14:53:22 ID:d69zyzD9
現代のように精緻な地図も無く、輸送は馬か人力
それで敵地に乗り込んで好き勝手暴れて無事帰れるという想定は無茶だ

整備されていない道から撤退するより先に
整備された京ー岐阜の街道を使って織田本体が帰ってきたとして
朝倉がボトルネックになる部分で渋滞しているところを
刀根坂の戦いのように後から襲われて壊滅するだけだと思うぜ?
634人間七七四年:2008/05/24(土) 15:14:49 ID:FACVPApe
信玄死亡のわずか4か月後の一乗谷城の戦いの一連の経緯を知ってるのかな?
知ってれば愚問というのはわかりそうなもんだが。
635人間七七四年:2008/05/24(土) 16:56:15 ID:VV3iQP8R
あれで質問に回答しているつもりだったのか…
正直よくわからないので箇条書きにしてみた。
ひとつづつ答えて見て欲しい。

・険しい峠(道は未整備)を万単位の兵力が織田より速く、時間をかけずに往来可能。
 (織田がその動きを把握出来ないも含む)
・細く険しい峠道の行軍中、隊列が延び切った所を襲われる事はない。
・牛馬不通と言われた険路だが、朝倉は安定した補給を確保できる。
・また、その補給線を遮断される事はない。
・織田本隊が来た時には速やかに大きな被害を出さずに退却が可能。
・朝倉家臣団が一致団結して遠征に協力する。
・朝倉の財政がその遠征に耐えうる余力がある。
・遠征中に遠征に従軍している家臣、越前を守る家臣や豪族が共に裏切らない。
 又は裏切られても被害を抑えた対応ができる。
・越前本国が織田侵攻、内乱、一揆などで危険にさらされる事はない。
・タイミングが冬期ではない。もしくは雪中行軍が可能。


これらがある程度満たされているなら信長は兵力を置いてたかもね。
636人間七七四年:2008/05/24(土) 18:25:13 ID:XjVUCWd7
>>635
・険しい峠(道は未整備)を万単位の兵力が織田より速く、時間をかけずに往来可能。
軍勢が峠の方向を向いて進軍しだしてから近江の防御軍に連絡が駆けつけ、
移動の準備をして、美濃に移動して防御を固めなおすよりは早く攻められるだろう。
ちょうど1万だが万単位って言う書き方するとさも大軍のような書き方だな。
もし「内通者がいるから筒抜けのはずだ」と考えているなら都合が良すぎるだろ。

・細く険しい峠道の行軍中、隊列が延び切った所を襲われる事はない。
防御軍がないなら城には「兵力は基本的な守り」だけなんだろ?
「兵力は基本的な守り」にこれをやらすのは無理だろう。
これをやるというなら、防御軍を置いてくれ。

・牛馬不通と言われた険路だが、朝倉は安定した補給を確保できる。
ttp://www.geocities.jp/tugukeiko12/saka1/haebos1.html
から「牛馬不通」という言葉を拾ったのか?
これは美濃と越前を結ぶ数ある峠のその一つの事を言ったものだろ。
ワザワザ条件の悪い一つだけを選ばんでくれ。
それに兵糧という物は大半は軍団と一緒に持っていくものであって、
補給部隊がちょくちょく補給しに来るもんでもないぞ。

・また、その補給線を遮断される事はない。
別に、岡崎の時のよう後方を遮断されるような無理をしたり、支城を無視して軍団を進めろと言っていないんだが。

・織田本隊が来た時には速やかに大きな被害を出さずに退却が可能。
織田の主力が着たら帰るといっても、別に目の前に現れてから帰るというわけじゃない。
浅井なり武田から織田が引き返したと連絡があるだろう。
その時に織田の主力が到着するまえに帰るさ。

・朝倉家臣団が一致団結して遠征に協力する。
一致団結しなくても浅井への援軍は出来たが。

・朝倉の財政がその遠征に耐えうる余力がある。
浅井への援軍でも遠征でも、期間が問題であって使用する兵糧などは同じだろう。
上と同じく、浅井への援軍はできて遠征が出来ない理由が分からん

・遠征中に遠征に従軍している家臣、越前を守る家臣や豪族が共に裏切らない。
 又は裏切られても被害を抑えた対応ができる。
逆に遠征中に裏切りが発生するのが当たり前のように語るのが不思議だ。
浅井への援軍中にこういう事があったか?

・越前本国が織田侵攻、内乱、一揆などで危険にさらされる事はない。
越前には、2500の防御軍を残して木下隊などの侵攻を防ぐようにはしている。
内乱、一揆についても浅井への援軍中にこういう事があったか?

・タイミングが冬期ではない。もしくは雪中行軍が可能。
冬はできないだろうな。
637人間七七四年:2008/05/24(土) 19:15:34 ID:QiU3Zib1
いやif話だからいいけど
朝倉がそこまで頑張ってくれて
武田も活発に動いたら、織田も困るだろうね
朝倉がそんな余力無かったことは歴史が証明してる
越前に帰国せず頑張ってれば美濃侵攻などしなくても
織田は苦しくなる
638人間七七四年:2008/05/24(土) 22:51:16 ID:YGMpT6Au
ifが行き過ぎてないかい?
裏切りや他国の奮闘は悪い考えではないけど、不確定要素だから前提にするのは厳しくないかい?
武田軍そのものはどうなんだい?
秋山隊は本当にレスないね。軽視してるんじゃないかい?
「3000しかいない」ではなく「3000だからこそできる軍事行動がある」と考えてみないかい?
つまり、少数でしかできない軍事行動があり、岩村は少数だと有利な自然環境があるわけだよ。
恵那を占領しなければ岐阜城は急襲できない、と考えている人がいるがそれは違う。
信玄本隊が三河に留まっているのに、恵那に出撃したら簡単に抑えられるよ。大切なのは、本隊と連帯するタイミング。
一番いいタイミングは、織田勢が信玄本隊に釘付けになっている状態、つまり信玄本隊が尾張侵攻してから秋山隊は恵那に電撃侵攻するんだよ。





639人間七七四年:2008/05/24(土) 23:06:43 ID:VV3iQP8R
>>636
さて、一つづついきますか。

一つ目に織田より早く美濃侵攻可能と言ってるが、一乗谷から何日で峠を越えて着くんだ?
近江から岐阜までは1日〜2日なんだが。
推論だけで強引に断定されても話にならない。

あと別に内通者なんかいなくても間者で十分。
まさか敵地に間者の一人もいないなんて事言いだすのか?
一万の兵が動くのに気がつかない事がありえるのか?それと一万は大軍じゃないの?
主観だが、数千なら比較的簡単に山道を越えられそうな気がしなくもない。

二つ目に各地に基本的な守りの兵力がいるよな?
そこから朝倉出陣の報告を受けた時点で数百を峠の山中に潜ませるだけでできるよ?
数百でも細い山道で長蛇の列になった所を襲われれば大混乱に陥るんじゃないのかよ。

三つ目。
おいおい、なら他がどれだけ条件が良かったんだよ?

四つ目だけど、伸びきった補給線も二つ目と同じく簡単に遮断可能だぞ。

五つ目。
織田に追いつかれない根拠は?
街道が整った道で返って来るのに対し、朝倉は険しい山道だぞ?
山中での撤退戦で軽微な被害で済むの?
しかも朝倉は時間が許す限り侵攻するんじゃなかったの?
時間があれば、ある程度は敵地深くまで攻めると言っていたよな?
攻めれば攻める程、撤退にさらに時間がかかるよ?
それとも国境付近でチョロチョロするだけか?

六つ目に、史実での滅亡時の浅井への援軍は家臣の反対多数を押し切っての出陣なんだが。
参陣しなかった家臣もいる位なんだけど。

七つ目。
朝倉が12月に撤退したのはなぜなんだ?

八つ目
>浅井への援軍中にこういう事があったか?
浅井の援軍〜一乗谷の合戦では離反者続出だったよ?

九つ目、八つ目と同じ。 国内はかなり不安定。しかも主力がいない状態で何があってもおかしくない。
640人間七七四年:2008/05/24(土) 23:46:33 ID:VV3iQP8R
>>636
あと悪いけど今日はもうレスできないのと
無限ループになるのも嫌なので書く。
俺は織田が朝倉と抗争中にその付近に兵力を置いて備えていたという資料を知らない。
さらに、今まで多くの人が作り上げた、このスレのテンプレにも計上されていない。
加えて今までやり取りした内容から配置の必要性もまったく感じない。

あなたがこれ以上にそれを覆す論を展開するのであれば、
その付近に信長がまとまった兵力を配置していたという書簡や資料などの明確なソース提示を望む。
状況証拠で話をしても交わるとは思えないし、
お互い推論ではこれ以上の進展はないだろうしね。


じゃあおやすみノ
641人間七七四年:2008/05/25(日) 02:49:42 ID:0N6r4hjZ
>>639
さて、「戦争状態の敵国との国境に守備の兵を置く」と言うのは、当たり前すぎて記録に残ってないのも仕方が無いとは思うが、それでは納得しないんだろうな。

まぁ一応反論しておく。

>一つ目に織田より早く美濃侵攻可能と言ってるが、一乗谷から何日で峠を越えて着くんだ?
>近江から岐阜までは1日〜2日なんだが。
>推論だけで強引に断定されても話にならない。
>>軍勢が峠の方向を向いて進軍しだしてから近江の防御軍に連絡が駆けつけ、
>>移動の準備をして、美濃に移動して防御を固めなおすよりは早く攻められるだろう。
これだけの工程が必要と言っているのに、なぜ移動だけの時間で計算するのかが分からん。
それと、少しでも峠の方に行ったらすぐに報告が行き、目的を断定して信長の命令を待たずに独自の判断で、
近江の防御軍が美濃に動き出すのか?
実際にやるかは別にして、朝倉がちょっと峠の方に行くそぶりを見せた後に近江の向かったら、
木下隊は近江と美濃の国境を右往左往するのか?

>一万の兵が動くのに気がつかない事がありえるのか?
実際に移動するまでは、目的地が分からんのだろうという話をしているんだが。

>それと一万は大軍じゃないの?
>主観だが、数千なら比較的簡単に山道を越えられそうな気がしなくもない。
では、織田が美濃と越前国境を越えて攻めた時の様に、1万の兵を複数の部隊に分けて複数の峠から行軍すれば問題ないと君も思うのだな?

>二つ目に各地に基本的な守りの兵力がいるよな?
>そこから朝倉出陣の報告を受けた時点で数百を峠の山中に潜ませるだけでできるよ?
>数百でも細い山道で長蛇の列になった所を襲われれば大混乱に陥るんじゃないのかよ。

まず1つ
君は>>640でテンプレを尊重しろと言う様な事を言っているが、
テンプレでは基本的な守りの兵力が戦闘に参加するなど想定していないだろう。
なぜ、自分だけ棚に上げる?

もう1つ
その作戦は奇襲奇策の部類に入ると思うが、奇襲奇策が必ず成功するかのような防衛方法は無いだろう。

さらに1つ
君はこの話をする時には忘れているのかも知れないが「朝倉が越前と美濃の国境から攻めない理由」について話しているのだと分かっているか?
朝倉が「数百でも細い山道で長蛇の列になった所を襲われれば大混乱に陥る」から攻めても負ける自認して、
攻めてこないとでも言うのか?
危険性を自認しているなら、警戒して行軍すると言う話ではないか?

>三つ目。
>おいおい、なら他がどれだけ条件が良かったんだよ?
まぁ正直各峠の当時の整備状況などは知らんが、信長が越前の一向一揆を攻めたときは、
敵の裏をかかれた敵が逃げるよりも早く行軍できる程度には整備されていたようだ。

>四つ目だけど、伸びきった補給線も二つ目と同じく簡単に遮断可能だぞ。
後方を遮断されたり支城を無視したり無理な行軍をするわけじゃないと言っているだろ。
君の想定している織田軍は、大遠征を言っている秋山隊の様に、道なき道を行く鎧をまとった忍者なのか?
さらに、それを「朝倉が攻めない理由」と言うならこれも朝倉が自認していることになる。
警戒するさ。
642人間七七四年:2008/05/25(日) 02:50:31 ID:0N6r4hjZ
長くなった追記

>五つ目。
>織田に追いつかれない根拠は?
>街道が整った道で返って来るのに対し、朝倉は険しい山道だぞ?
>山中での撤退戦で軽微な被害で済むの?
>しかも朝倉は時間が許す限り侵攻するんじゃなかったの?
>時間があれば、ある程度は敵地深くまで攻めると言っていたよな?
>攻めれば攻める程、撤退にさらに時間がかかるよ?
>それとも国境付近でチョロチョロするだけか?
最後まで織田の主力が戻ってこなかったら最後には岐阜を落とすだろうとは書いたが、
実際、織田が本国を攻められて奥深く攻められるまで帰ってこないとは想定してなかったな。
本国に敵をワザと奥まで侵攻させて撃退するなんて、「各大名の心の中にある戦略思考」に無いと思うぞ。
それに、織田軍が「街道が整った道」を進むのは途中までで、途中からは織田軍も朝倉と同じ険しい山道だろ?書いたとおり「浅井なり武田から織田が引き返したと連絡があるだろう。」の時点で帰る。
近江から美濃には「1日〜2日」かかるんだろ?
「1日〜2日」山道を先に進んでいる朝倉軍に同じ山道を進む織田軍が追いつけるのか?

ついでに、またまた「朝倉が攻めない理由」と言うならこれも朝倉が自認していることになる。
警戒するね。

>六つ目に、史実での滅亡時の浅井への援軍は家臣の反対多数を押し切っての出陣なんだが。
>参陣しなかった家臣もいる位なんだけど。
それでも援軍は出来た。でも遠征はダメ。という理由が分からんといっている。

>七つ目。
>朝倉が12月に撤退したのはなぜなんだ?
冬だから。
雪で越前との国境が越えられなくなって輸送路・退路が絶たれたら大変だろ?

>八つ目
>浅井の援軍〜一乗谷の合戦では離反者続出だったよ?
君は遠征すればそれだけで、家臣が裏切る事のように言っているだろ?
一乗谷の合戦は負け戦じゃないか。
負け戦で離反者が出たからといって、なぜ遠征するだけで裏切り者が自動的に発生するんだ?

>九つ目、八つ目と同じ。 国内はかなり不安定。しかも主力がいない状態で何があってもおかしくない。
だから、主力がいないのは援軍も遠征も同じでなぜ遠征の時だけがダメなのか。
遠征の時だけダメな理由を言ってくれ。

全般的に君の言っている事は、「朝倉が攻めても失敗するだろう」と言う事だけで「朝倉がそれを自認しているから攻めてこない」理由が特に見当たらないが。
八つ目にしてもね。
「遠征をすれば味方が裏切るかもしれない事を自認している」なんておかしいと思わないか?
643人間七七四年:2008/05/25(日) 03:04:55 ID:ia1KU0Nn
大遠征君wwww
644人間七七四年:2008/05/25(日) 03:13:15 ID:JIyIQeas
>「遠征をすれば味方が裏切るかもしれない事を自認している」なんておかしいと思わないか?
前例があるので。
史実では、前年浅井の救援にきて陣に引きこもっているだけの朝倉軍中から、武将が何人か数名
抜け出してそのまま織田軍に駆け込んで裏切るということがあった。
645人間七七四年:2008/05/25(日) 03:19:49 ID:RoDRjLIx
メガトンは無知だったが、こいつは(笑)
646人間七七四年:2008/05/25(日) 10:58:21 ID:5DDbGdR5
新ジャンル「朝倉厨」
647人間七七四年:2008/05/25(日) 11:27:55 ID:0N6r4hjZ
>>644
前例があろうがこんな事めったにあることじゃ無し自覚はしてないだろ。
自覚していたなら8月に浅井の援軍に出陣する時は、味方が裏切るかもと思いながら出陣したのか?
おかしいだろ。
648人間七七四年:2008/05/25(日) 11:33:01 ID:8wSyTTzB
>>641-642
ほとんど屁理屈にしかなっていないのを本人は気づいてないのか、釣りなのか?
峠越えの朝倉が信長より早いとか。もうね。
信長の越前一向一揆平定戦はそのルートを使ったのは別動隊のごく一部。一万どころか数千だろう。
大半は小谷方面からの侵攻だった。
さらに朝倉の峠越え奇襲は成功するが迎撃軍の山中奇襲は成功するかどうか怪しいって何よ?
250人動員の余剰分で十分できるだろ。
その他も全て都合のいい解釈だけ。
危険性は自認しているから警戒すればおk、とか。もういい加減にしろ。

あと、当時の迎撃は
敵が兵を集め攻撃準備、出陣

守備側が報を受け兵を収集し迎撃
が一般的。解ってるのか?
当時の大名はその距離感を持っている。
織田本隊は限界まで兵力を動員してるわけじゃないから十分防衛できそうだ。

「危険性があるから信長が数千の兵力を峠付近に常駐させていた」はかなり強引で無理のある話だろうよ。
649人間七七四年:2008/05/25(日) 11:41:51 ID:BvScs6eO
>>648
たしかに攻められる可能性が少しでもある場所全てに
数千の兵を常駐させていたらほとんどの戦国大名は
経済破綻をきたすわな。
650人間七七四年:2008/05/25(日) 11:52:34 ID:u1dNzB+q
>>649
信長の野望ならそれでおk
651人間七七四年:2008/05/25(日) 11:59:12 ID:EB3eoXD6
自分がどれだけ空気悪くしてるかというのも理解できない馬鹿が1匹いるな
652人間七七四年:2008/05/25(日) 12:48:03 ID:JIyIQeas
「攻められる可能性のあるところには守備兵を常駐」
そういう主張はいいんだけどさ、だったら、それは織田だけでなくほかにも適用すべきだよな?

例えば朝倉だったら、美濃を直接攻めようとしても、湖西や若狭方面から攻められる可能性は
ゼロじゃあないんだから、まずそちらに何千かの兵をおいておかなければならないよな?
これは松永や三好だって同じだ。当然、武田だって。
653人間七七四年:2008/05/25(日) 13:31:50 ID:cgl7mVB9
朝倉はいまだ2万も動員できるんだから脅威に思うだろ
戦機が熟し勝機がやってきたから退却する朝倉を追撃撃破できたわけだし信玄生存してれば勝機が来ないかも知れない。
越前まで追撃し滅亡させたのも武田が背後を襲う心配がないから。
この時点の朝倉が脅威でないわけがない。
朝倉が脅威でないとする論拠が薄すぎる。
北に朝倉が浅井が滅亡しない程度の軍事的プレゼンスと南近江で六角のテロ
南に武田が徳川を追い込み、尾張を伊勢志摩水軍の補給を受けた長島勢が攻勢に転ずる
西で天皇に斡旋して和睦してもらった義昭が再び挙兵し大和摂津河内の織田派が孤立
満を持して石山本願寺が本格挙兵
東で対上杉用兵力を転用し秋山隊をさらに増強し郡上の遠藤氏への影響力をさらに増す。
北条からさらなる援兵支援を要請する。
654人間七七四年:2008/05/25(日) 14:44:21 ID:FoJNPliX
レスよまずに新参者が聞いてみる
三方原のあとそのまま浜松城落として家康を討ってたら三河遠江の大部分は武田になびいて有利にもっていけたのでわ?
655人間七七四年:2008/05/25(日) 15:39:07 ID:cgl7mVB9
だから野田城を落とし、吉田城を落とし岡崎と分断し家康を袋のネズミにして降伏に追い込むつもりだったんだろ。
吉田城攻略中に分断阻止のために岡崎から信康もしくは浜崎から家康がノコノコ現れたらラッキー♪って思いながらね。
遠江や三河の武士団がどんどん離反して心から信玄に帰属するように力関係をハッキリさせ家康を真綿でゆっくり首を絞めていくように生殺ししてんだよ。
なんせこの地は甲斐から拠点を移し武田の新拠点にするつもりだからね。
だから背後を任せるために勝頼を残してきたんだから。
656人間七七四年:2008/05/25(日) 16:52:02 ID:JIyIQeas
>>653
>朝倉はいまだ2万も動員できるんだから
軍談による誇張された数字とされているがね。越前一国の石高はともかく、若狭に
兵を派遣していて、かつ配下豪族からは寝返りが出て、さらに一族重臣から兵役の
拒否がでて二万はまずない。
>南近江で六角のテロ
ない。野洲川合戦以降、六角は攻撃されることはあっても攻勢にでたことはない。
あるというのなら、具体的に。
>伊勢志摩水軍の補給
どこの誰が?この時期の伊勢も志摩も織田配下。
>義昭が再び挙兵し大和摂津河内の織田派が孤立
義昭が挙兵しても、畿内の豪族で義昭のいる京へ合流した兵はない。北山城の
豪族以外には。そしてそれだけの兵があっても、やはり史実の義昭は城に篭る
だけで攻勢に出られたりはしない。

史実ってものに基づいて推論してくれないか?あなたの言っていることは全て
あなたの脳内ソースにしかない。
>江や三河の武士団がどんどん離反して
>なんせこの地は甲斐から拠点を移し武田の新拠点にするつもりだからね
>背後を任せるために勝頼を残してきたんだから
IF小説にしても酷すぎる。
657人間七七四年:2008/05/25(日) 17:57:46 ID:JtO5aIZa
朝倉の兵が講談で高く見積もってるって言う決め付けにも根拠がない。
>六角は攻撃されることはあっても攻勢にでたことはない
六角のテロと書かれてるだけじゃん、テロと組織的な攻勢とかまったく意味合いが違うな。

>伊勢志摩水軍の補給
周りは織田領化しており長島は河川に囲まれ孤立しており
どう考えても水軍からの弾薬火薬・食料などの継続的な補給がないと
あんだけ長期籠城は説明できないんだが。さてどうやって長島は長期にわたって籠城できたんだか?

>畿内の豪族で義昭のいる京へ合流した兵はない
信長が河内摂津らに援軍を出せないようにに分断して兵を引き付ける為に
義昭が蜂起すると言うことを述べてるんであろうし合流なんて一言も書かれていないんだが。
しかも義昭との和睦を願ったのは進退に窮した信長の方なんだが。
>甲斐から拠点を移し
もはや信濃・甲斐が戦場になる可能性は低く、今後の侵略方向が甲斐から離れる以上は
組織の拡大に伴い、根拠地が変わるのは当たり前。
山城→経済を重視して平城と同じで山国→良港ある街道に本拠を置くのは不思議じゃない。
そもそも本拠地移転なんてそんなに大変なことじゃない。
特に武田は山城ではなく館なんだから経済流通も視野に入れた本格的な本拠地を決めても良いだけの版図になっている。
例えば伊達氏の本拠地だった梁川城→伊達稙宗が桑折西山城へ移転→伊達晴宗が出羽米沢城へ移転→
伊達政宗が会津黒川城へ移転→秀吉に命じられ岩出山城→徳川時代に仙台城へ移転のように簡単に拠点を移転させている。
658人間七七四年:2008/05/25(日) 18:14:09 ID:JtO5aIZa
ん?勝家が長島で大敗してんのも織田史では隠匿されてたのか?
あれはたしか勝家が殿を努めたが猛烈な追撃を受け旗指物を奪われ大負傷しために
柴田軍が殿を勤められなくなり変わって殿をした氏家直元が戦死したろう。その後の柴田は怪我療養中で動きがない。
相変わらず織田史観では手取川といい柴田に優しいんだな。
と思ったら、今度は秀吉が朝倉2万近くの兵を一人で阻止したって?
当時は信長の後詰めが横山城のいたから朝倉が決戦を避けただけ。
織田厨史観では熊見川の戦い自体を否定して上月城は見捨てただけで秀吉が勢力圏を保持したと主張するし
(実際は姫路に信忠の後詰めがあったから毛利が決戦回避しただけ)
それに義昭が挙兵した時でまだ信玄が生きていた頃の信長は進退に窮して
4月5日には正親町天皇から勅命を出させて何とか義昭と和睦してもらってたじゃん。
志賀の陣でも、のちの本願寺との和睦もそうだけど信長は苦戦の末に正親町天皇に頼りまくってるじゃん。

織田史観ってほんと相変わらず柴田と秀吉にだけはとことん甘いよな。
光秀が波多野秀治を騙して和睦を引き出し処刑し丹波平定
細川が娘を嫁がせてから一色義定を謀殺して丹後平定とか全然かばったりしないのに。
佐々成政もまったくかばってもらえてないなw
秀吉と柴田が対立してる時期に佐々が魚津城で景勝らと和睦開城を約束しておきながら卑劣にも騙し討ちして魚津城の上杉軍を大量殺戮しまくってる。
織田軍って信義のかけらもない詐術や約束反故や大量虐殺などを常套手段にする理不尽なヤクザも真っ青な悪魔犯罪集団なんだよな。

信長公記に載ってない出来事はすべてアンチの妄想捏造です。
信長公記以外の史料はすべて一次史料ではありませんので史料的価値はまったくありませんと歴史学者はみんな言っております。
はっきり言って信長は世界最強の天才ですから。

まぁ織田厨ってのは信長公記しか読んだことない無知ばかりだから他の根拠を出されても論議できないから、
バカの一つ覚えでそういう否定の仕方しかできないんだよなw
659人間七七四年:2008/05/25(日) 18:31:09 ID:qEAPpKV9
>>657
本拠地移転について
上野にも武田領あったけどどうするの?
また甲信が戦場になる可能性が低いと言う論拠は?
経済流通を視野に入れた本格的な本拠地の決定を行っても良いだけの版図とは、具体的にどれぐらいの版図?
660人間七七四年:2008/05/25(日) 21:10:07 ID:SdbidsGu
>>659
というか本拠地移転は資料もなにもないので妄想の範疇
本拠地移転が論理的というならなんでもありだよ

どちらにせよ12月に徳川が敗れて2月に野田城が落ちてるのに
それに呼応する反信長勢力が3月の足利義昭たちのみというのが同時に武田の行動の限界でしょう
浅井、朝倉、長島、本願寺も実質的に動いていない
朝倉なんか信玄から出陣の催促もあったんだから3月末ぐらいになにか行動を起こしてもおかしくはないのに
本願寺ともどもなにもなし

武田頼みの連中だったんだから武田がそのまま西進しても碌な支援もできずに途中で時間切れだよ
以上>>657なみの妄想でした
661人間七七四年:2008/05/25(日) 21:33:16 ID:cgl7mVB9
何言ってんだ。義昭の蜂起で進退に窮した信長が天皇に泣きついて和睦を斡旋してもらったくらいに追い詰められてるのに。
何ひとつ状況を打開できずに各地に兵を派遣する余裕もなくなり岐阜に引きこもって八方塞がりだったくせに。
伊達に限らず北条だって興国寺城→韮山城→小田原城と本拠地を移転しまくってる。
今までの武田が本拠地を移転しなかったのは信濃諏訪地方や佐久地方や駿河と行った地域への派兵に甲斐躑躅ヶ館が適していたから移転の必要性が薄かった。
しかし戦略目標のベクトルが大きく南西に移るとなれば武田本拠地なんてもともと中世の館レベルなんだから、そろそろ本格的な武田王国の本拠地を造成したとしてもおかしくないわな。
それと謙信は越中と上野方面の北条への兵を忙しく動かしていて武田を攻める余裕は一切ないから謙信が自ら武田への牽制行為はやらないよ。
織田や徳川が謙信と同盟結んでると思ってるようだがこの時期以降の謙信は死ぬまで武田領を攻めたりしてないからw
662人間七七四年:2008/05/25(日) 21:38:56 ID:3male0XQ
>>661
信玄死後に武田家を一緒に攻めようという手紙を信長に出している。
機会があれば攻めるでしょ。
663人間七七四年:2008/05/25(日) 21:44:47 ID:cgl7mVB9
手紙どころか越相同盟で北条が謙信に出兵以来した時だって信玄に対して謙信は出陣してないからw
664人間七七四年:2008/05/25(日) 22:20:42 ID:SdbidsGu
本拠地動かすんなら駿河とった時点でやってるでしょ
徳川攻め決定時点で動かしてもおかしくはない
甲斐から徳川領より駿河から徳川領のほうが東海道が使えるし海も使える
まあ直前まで徳川攻めは秘していたそうだけど

おそらく畿内の連中にとっては武田の動きはあくまで東海地方の動乱でしかなく
自分たちにはさほどの影響や価値がなかったんでしょう
過大妄想した義昭たちのみが飛び上がって蜂起したけど和睦斡旋なんかで折れるようじゃね
一ヶ月ももたない蜂起で信玄だって死んでない時というのは義昭側が脆弱だったか信長側が強力すぎたんでしょ
665人間七七四年:2008/05/25(日) 22:25:56 ID:SdbidsGu
誇大妄想だったw
666人間七七四年:2008/05/25(日) 22:29:21 ID:EAD11DBO
>>597
柴田丹羽蜂屋なんかは近江にいなかったのだから
義昭が挙兵した時は>江南の抑えと京へのにらみに八千ほど
8千はいなかったんじゃ?
また彼らをむかわしたらあっさり城は落とせるし、その後、光秀以外が岐阜に帰還しても
義昭は特に動けなかったのだから
江南の抑えと京へのにらみはテンプレの兵力で十分なんじゃ

>>598
>越前守護朝倉孝景らの美濃攻め
この美濃攻めに関してだが、当時の美濃は土岐氏による内乱の真っ最中
土岐頼芸(+道三)と土岐頼純とが争っていたわけだが、
朝倉が味方したのは美濃北西部大桑城を中心として勢力を保つ土岐頼純派
越前大野郡から見るなら峠を越えた反対側の勢力に味方した。
これに関しては美濃に攻め入ったというよりは単に美濃と越前国境を越えて軍を移動したに過ぎない。

>織田信長の越前一向一揆討伐戦
これに関しては遠藤慶隆金森長近原政茂らはどれも一郡以下の勢力で石高で言えば数万石
その上織田の主力は近江から侵攻中

内情はこんななのに、ただ一部分だけをもって越前美濃間での軍事行動は可能とするのは誤っていると思う。

>>639
浅井への援軍中の朝倉本国だが
朝倉家の書状によると、義景の留守中に小宰相だかの代官が譜代家臣の所領を横領してしまい
帰国した義景に何とかしてくれと訴える書状が残っている。
義景の帰国にはこういう側面もあったのかもしれん。
667人間七七四年:2008/05/25(日) 22:50:55 ID:EAD11DBO
>>642
>「浅井なり武田から織田が引き返したと連絡があるだろう。」の時点で帰る。
>近江から美濃には「1日〜2日」かかるんだろ?
>「1日〜2日」山道を先に進んでいる朝倉軍に同じ山道を進む織田軍が追いつけるのか?
その主張はまず織田の撤退後
・浅井や武田が織田の撤退を確認
・織田領を通るか、織田領を大きく迂回して(特に半ば包囲されている浅井の場合は)美濃の朝倉の陣へと連絡
・朝倉撤退の準備
これらにかかる時間を無視している
史実に当て嵌めるなら朝倉に関しては秀吉の中国大返し賤ヶ岳合戦の大垣からの行軍や
武田の砥石崩れみたいなことになる可能性が十分にあると思う。

>>657
>周りは織田領化しており長島は河川に囲まれ孤立しており
>どう考えても水軍からの弾薬火薬・食料などの継続的な補給がないと
>あんだけ長期籠城は説明できないんだが。さてどうやって長島は長期にわたって籠城できたんだか?
別に孤立などしていないし、織田も長島を長期包囲したのは1574年の時ぐらい
和議を挟んでいるため1570年から常に敵対していたわけでもないし
1571年は数日で織田は兵を返しているし、1573年も北伊勢3郡の鎮圧が主であるため
最後の時を除けば長期に渡ってというほど篭城していたわけでもない。

また伊勢志摩水軍も尾張の水軍も長島に協力したというソースは見つけられない、
伊勢の大湊衆が中立を保とうとしたぐらいじゃないかと思う。
あと寺社勢力は中世では流通に大きく関わっているため自分の船ぐらいあるだろ
桶狭間時に服部が津島を水軍で襲ったりもしていたんだし。
668人間七七四年:2008/05/26(月) 00:44:32 ID:x8IAztTA
>>661
>義昭の蜂起で進退に窮した信長が天皇に泣きついて和睦を斡旋してもらったくらいに追い詰められてるのに。
知らないなあ。信長が和議を提案→義昭がつっぱねる→攻撃、義昭をほとんど壊滅させる→さらに天皇の斡旋を
つかって和睦を結ばせる。
この間、義昭に味方して蜂起した勢力はゼロ。すでに反織田な畿内の連中はまったく傍観。どこにも窮した所は
ない。

>謙信は越中と上野方面の北条への兵を忙しく動かしていて武田を攻める余裕は
1.上野にも武田領はある。攻撃されたらどうするの?
2.謙信が北条領を攻撃して、北条から援軍要請がきたらどうするの?武田は北条から援軍を貰っているのに、
北条からの援軍要請には応えないの?ちなみに、越相同盟は謙信が援軍要請に応えなかったから破棄されて
いるねえ。
669人間七七四年:2008/05/26(月) 01:45:56 ID:PeuVJ0XZ
>>661
上杉が攻めて来ないのだとしたら、わざわざ対上杉用に兵を置いている信玄はなんなの?

>しかし戦略目標のベクトルが大きく南西に移るとなれば武田本拠地なんてもともと中世の館レベルなんだから、そろそろ本格的な武田王国の本拠地を造成したとしてもおかしくないわな。

新府城のことですね、わかります
670人間七七四年:2008/05/26(月) 02:11:09 ID:ltWZUal4
信玄の動きが停滞し野田城陥落の頃から信長は信玄の健康状態が怪しいと想い行動が活発化してる。
よってこのスレでは野田城陥落までの信玄で健康状態良好を前提に話してるんじゃないのか?
その後の史実を前例に出して語るのはおかしいと思うな。

あと謙信は信玄の領地は上野も含めて手を出す余裕はないよ。
北条からの援軍要請もないし、そもそもこの時期の信玄は越中一向宗を操って北条の側面支援程度のことはしている。
伊勢長島は雑賀衆の鉄砲傭兵が水軍でやってきて入城してたんじゃなかった?殿の柴田を重傷にして、代りに殿やった氏家卜全を追撃しまくって美濃石津で討ち取ってるはず。
671人間七七四年:2008/05/26(月) 02:46:52 ID:x8IAztTA
>>670
>信玄で健康状態良好を前提に話してるんじゃないのか
その通り。ですから、それ以降はどんな展開であれ推測になります。よって、
「史実における’その後’に基づいて、推測」することになります。

>北条からの援軍要請もないし、そもそもこの時期の信玄は越中一向宗を操って北条の側面支援程度のことはしている
その越中一向衆が、丁度信玄の遠征時期とほぼ同じくして壊滅して上杉支配圏になる。
武田家が史実と異なり軍事活動を延長するのなら、当然謙信は邪魔の無い状態で、
主力が出払っている武田領がある。攻撃しない、という可能性がどれほどあるか。
>北条からの援軍要請もないし
これは上杉の侵攻がなかった史実。もし武田の遠征が長引けば、上記のように上杉の
侵攻が始まる可能性はある。そのときに北条から武田に援軍要請があったらどうするの?
以前、テンプレ作成時に似たような話があったんですよ。そのときの武田側の論者は
「留守中に上杉が攻めてきたら、北条に援軍を出してもらえばいい」
「じゃあ逆に上杉が北条を攻めて、北条から援軍要請がきたらどうするの?」
応えはありませんでしたね。まあ史実において、顕如は信玄に越中一向宗への援軍で北
信濃に兵を出してくれと言ったことがあります。丁度信玄の遠征中に。顕如からしたら、
そちらの要請で越中を上杉と戦わせているのだから、少しは救援もしてくれと言いたかった
のでしょうが、信玄は無視していますね。

>伊勢長島は雑賀衆の鉄砲傭兵が水軍でやってきて入城してたんじゃなかった?
柴田の負傷や氏家の戦死はありますが、それがどうして雑賀衆のこのとになるのか不明?
何か記録でもおありで?でしたら教えてください。長島に雑賀衆が入っていたなんて始めて
聞いた。
672人間七七四年:2008/05/26(月) 03:35:26 ID:I5qTjyIu
>>671
「史実における’その後’に基づいて、推測」
つまり君の論拠は史実という前提の中でしか有効性がないって事でしょ。

岡崎強襲君に賛同するつもりもないけど反証方法がおかしいよね。
673人間七七四年:2008/05/26(月) 04:14:31 ID:ltWZUal4
北畠具教も長島や本願寺と内通してたと思いますが・・・

ちなみに上杉軍の動きですが武田への侵攻はないと思いますし、北条も謙信とは正面から戦おうと言う気はないので武田からの援軍はいらないと思いますよ。
1572年
厩橋を北条に攻められた後に越中で一向宗蜂起、その後また北条が上野に攻めてくる→越中で一向宗が攻撃と言うシーソーゲームを相変わらず続けてます。この年の11/20に信長は謙信に起請文に血判書を出す。
1573年
正月の謙信は越中で一向宗との和議で富山城を確保し越後に帰国してる最中に
信玄の使者の長延寺実了の謀略で一向宗が富山へ再度侵攻。
謙信も富山城に戻り、周囲に城を築城し神通川以西の恒久支配を開始し4/21に春日山へ帰る(4/12信玄死去)
8月に再び越中へ出陣。
信玄が死去したことで一安心しゆっくり年末年始を過ごす。
1574年
2月より北条方の赤堀・善・山上・女淵の上野の城を次々に落城させ恐れをなした深沢城が降伏し御覧田城も落城し由良金山城攻撃準備中に北条が上杉方の羽生城へ進軍し増水して渡河不能の利根川へ布陣。
謙信も利根川へ進出するも渡河不能で対陣していたら北条が帰る。
謙信も越後へ帰る(5月)
7月に北条が上野へ侵攻し謙信も8月に出陣(北条は帰った?)
11月に再び北条が動き出したので利根川を渡河し鉢形城・忍城・上田の埼玉各地に侵攻し、北条が撤退したと深谷上杉から連絡あったので軍を返して利根川を渡河し由良金山城攻略へ向かう。

同盟してる簗田より関宿方面の北条はいまだ撤退してないとの報告を得て
新田〜足利の由良領を横切り一日足利の只木山で人馬を休めたのちに下野・下総・常陸・武蔵の境である大湿原地帯の沼尻へ着陣するも佐竹・宇都宮・結城が裏切り行為を働き関宿城が陥落し激怒(1577年には佐竹らは謙信に助けてくれコールをする大バカ者)
1575年
6月越中で寺島が謀反するも鎮圧(5月に長篠合戦で勝頼大敗)
10月に武田と上杉が同盟。
1576年には本願寺と和睦し毛利から出馬要請を受ける。越中をほぼ制圧成功。
1577年
能登へ侵攻し瞬く間に落城させていき七尾城攻めが始まる
北条が上野へ侵攻したので速攻で上野へ進軍し由良の新田足利領へ侵攻するも北条撤退
再び能登へ進軍し七尾城を落城させ織田軍を追い加賀へなだれ込む。
1578年死去。
674人間七七四年:2008/05/26(月) 12:22:53 ID:/2PHpdZb
>>672
近畿と北近江は織田の本隊抜きで膠着状態。
東部では武田は徳川の城ををわざわざ落としながら進んでいる。
さらに信長本隊は岐阜に温存。
この状況でそう考えることにさほど不自然さはないと思うが?
675人間七七四年:2008/05/26(月) 14:23:27 ID:AstcgFeo
石山本願寺の下間・三好義継・松永久秀・武田信玄・浅井長政らを側面支援するために4月に義昭は京の民を犠牲にし織田軍を引きつける役割をちゃんと演じただけだよ。
しかも信長からの和睦提案を蹴ったからね。
義昭は将軍なんで信長が自分を殺したりしない事をちゃんと知ってたし。
追い詰められても将軍としてのメンツがあるから自分からは絶対に和睦するつもりもなかったからね。
信長は大軍を釘付けにされ困り果てて京を焼いて威嚇しても籠城をやめない。
そこで天皇を頼って和睦提案したんだよ。
なんせ信長はすでに武田軍の動きが鈍いから信玄に何かあったんじゃないかと疑ってたから義昭のために京に大軍を駐留させるのが無駄と感じてたから。
義昭の方も威嚇されてちょっとビビってたから天皇からじゃ仕方がないなと信長と和睦に応じてやった。
そういう意味では義昭は見事に戦略目標を達成しての和睦。
義昭のおかげで摂津・河内・大和・三河・近江の織田の戦線は積極さがなくなり停滞しまくった。
そして信玄の死を知らない義昭は浅井や朝倉のために7月にまた蜂起するわけだが…
676人間七七四年:2008/05/26(月) 15:37:35 ID:AstcgFeo
ちなみにこんな伊勢長島サイトをハケーンした
://www.interq.or.jp/saturn/mugenten/rekisi/reco/nagasima.html
677人間七七四年:2008/05/26(月) 17:54:21 ID:U/J4WSSc
史実通りに信長は援軍にいきません。
678人間七七四年:2008/05/26(月) 17:59:05 ID:CnP6Whgp
>>673
謙信は信長・家康と連携して武田領を切り取る計画を立て、
西上野を攻めようとした
しかし家康は働いたのに信長は動かない
謙信がその違背をなじると信長は「畿内や越前が忙しくて駄目でした、御免なさい」
って言い訳した年があったのはいつだっけ?

まぁ謙信も信濃ヘ出兵してくれという信長の依頼を無視
越中制圧の総仕上げに没頭してたり
化かし合いっぽい
679人間七七四年:2008/05/26(月) 23:14:01 ID:COMXAO08
まず家康の動員能力を高く見積もりすぎている
ルールは1万石に250人だぞ
680人間七七四年:2008/05/26(月) 23:17:30 ID:+432i1W0
>>679
武田は1万石あたり250人というルールを破ってるのに黙認なんですねw
681人間七七四年:2008/05/26(月) 23:28:27 ID:I2nBXpZI
>>679
不思議なことに家康のところを信玄に置き換えた方が
自然な文章になる
682人間七七四年:2008/05/27(火) 01:35:31 ID:pDSkt7rJ
>>674
>近畿と北近江は織田の本隊抜きで膠着状態
君はそもそも「後詰め」って概念がないように見えるんだけど、
当時の織田家というか戦国時代の戦略自体が後詰め中心で前線の兵だけで押さえ込んでたわけじゃないんだよ。
683人間七七四年:2008/05/27(火) 01:57:27 ID:joBS6hfc
>>676
おお、なかなかの情報。
つか織田厨って自分に不利な情報は毎回すべてシカトしてんのなw
信長公記の知識しかねーからそれ以外は全否定みたいなw
684人間七七四年:2008/05/27(火) 02:02:04 ID:a4dZyNdd
はぁ〜
信長ひいきがすぎて酷すぎるわ
685人間七七四年:2008/05/27(火) 04:55:41 ID:Uaqfu1Ri
つうかそもそもそんなリスキーで一歩まちがったら死んじゃう作戦を信玄がとるの?
もし信長が危険でも畿内を蹴って尾張の安全確保が大事と思えば破綻すんじゃないの?
今回の遠征は徳川をチクチクいじめてまあ浜松が落とせりゃ恩の字だし
ある程度遠江攻略すんのが目的でしょ?
この遠征で織田軍をどうこうなんて信玄は考えてなかったろ。
686人間七七四年:2008/05/27(火) 06:51:51 ID:TqyxdZxM
信長が機内を蹴って尾張の安全確保が大事と見て行動すれば
機内の包囲網勢が助かっちゃうな。
そうなったらあとは包囲網で締め上げられるような。
687人間七七四年:2008/05/27(火) 10:15:19 ID:Caw+3Sna
信長軍本体が岐阜に引っ込んだ時点でそうなってもよかったんだけどね
上にいる人によると信長は身動きとれず岐阜に引っ込むしかなかったそうだから包囲網勢はなんでもできたはずだけど
現実は義昭は蜂起したけど朝倉は越山しないし本願寺も長島を動かさないし自身の蜂起もなし
信玄死去前に義昭と和睦で畿内は実質音なし
逆に荒木と細川が信長にあらためて臣従を申し込むという信長側の政治セレモニーが行われている

上とは別だけど義昭に関しては足利幕府の将軍様が決起したというのに一ヶ月もたずに和睦させられてるというのは
戦略どうこういう以前に信長に政略的にとどめを刺されてしまった
せめて信玄の死が確実と考えられる5月ぐらいまでもてばいいんだろうけど
その前にあっさり和睦では義昭の畿内での影響力の底が割れてしまったことになる
実際に彼を保護する大名がなかなか出なかったのは性格もあるが使い道がないと思われてるからだろ
錦の御旗としては現職の征夷大将軍なんだから信長上洛時のような使い方もできるにも関わらず放置されている
本願寺や謙信、信玄の喪があけたあとの勝頼も名前は使っても保護までにいたっていない
保護した毛利でさえ距離を置いている
京都放逐以前の4月の和睦の時点で義昭は政治的に死に信長にフリーハンドを与えたことになる
688人間七七四年:2008/05/27(火) 12:09:26 ID:f935/F/a
>>682
元亀四年二月当時の話だったつもりだけど。
689人間七七四年:2008/05/27(火) 13:35:59 ID:G2n8qCyG
義昭が見捨てられて政治的に死ってなんじゃそりゃ。
義昭の婚姻関係を知らずに書いてるだろw
それに信長も困って天皇を頼っただろ。義昭だって朝廷から征夷大将軍に任じられてるんだから従わざる負えない。
しかし義昭は婚姻関係先を動かし裏で敵対行為を続けるのは明白。
朝倉が雪で一乗谷との連絡が取れなくなるのを回避して国に帰って浅井が厳しくなったから義昭が織田軍を引き付けて時間稼ぎしてただけで
朝倉も体制が整えばまた出てくる。
信長は結局は浅井も義昭も潰せず信玄に野田城を落とされ状況はむしろ悪化してるのに虚しく日々を浪費して終わってる。
あれほど苦労してたのに信玄の死亡と共に全ての問題が解決するんだから
いかに信玄の存在が大きかったかが理解できる。
信長が岐阜城に引きこもったのは後詰め決戦の放棄を意味しており摂津・河内・大和・近江の各戦線の停滞と徳川を見捨てた事を証明している。
690人間七七四年:2008/05/27(火) 14:35:08 ID:IzDM6pcv
信玄が動いた時期が遅すぎて近畿の情勢は信長有利で落ち着いただけで
織田家自体の状況は悪化どころか好転しているほう
徳川に対しても篭城用に援軍を一度は送っているので
見捨てたと決め付けるのもおかしいし、今後の展開次第では再度援軍を送る余裕もある
岐阜帰還だって後詰決戦の放棄ではなく準備をするための可能性も考えるべき


それと>>687じゃないけど
形骸化しつつあった足利家の権威は信長との和睦前後の諸勢力の動向からみて
大義名分の価値がさらに無くなりつつあることを示しているように見える
691人間七七四年:2008/05/27(火) 14:43:55 ID:Uxat8vVt
徳川を見捨てるとか絶対にありえないわな。
徳川が自身の倍の勢力である武田に徹底抗戦したのも織田という同盟国あってのもの。
もし織田に見捨てられたとなったら単身武田と抗戦するなんて無理なんだから武田の軍門に下る可能性が大きいだろうね。
信長だってそんな事は百も承知なんだから徳川を見捨てて敵に回すリスクを負うなんてことはせずに、
適度に援軍を送って徳川を繋ぎ止めとくだろうよ。
東の盾である徳川を見捨てるとか意味不明だよ。
692人間七七四年:2008/05/27(火) 16:13:35 ID:G2n8qCyG
後詰め決戦を指向するなら朝倉が越前に帰った後にすぐに信長が全軍をあげて三河へ進軍してたろう。
徳川の援兵って言ってもたかが3000では単なる兵力の逐次投入の愚策たる見本のスタートでしかない。しかし手当てしないよりはした方がマシだが
三方ヶ原大敗〜野田城落城まで信長の支援は一切なしで、すでに織田領を守る犠牲の盾扱いで見捨てられてる。
義昭は婚姻関係に影響力を及ぼし続けてるし大義名分の価値も下がってないのは毛利や謙信や本願寺らが第二次包囲を構築してる事からも明らか…これも謙信の死去で潰れたが。
693人間七七四年:2008/05/27(火) 16:45:16 ID:Caw+3Sna
婚姻関係でなにができたの?
手紙送りまくっただけじゃん
大義名分にはなるけど従わなければいけないものではないし
第二次包囲網と言われるものも上杉と毛利、本願寺の都合でしかない
上杉にいたっては翌年に関東討ち入りも検討されてたんだから
包囲網と呼ばれるものを利用するつもりはあっても包囲網に縛られる気はないでしょ

だいたい三河攻めの時点で長島一向一揆が尾張で暴れてれば充分すぎる支援になるはずなのに
本願寺と織田との和睦を尊重したんだか動きがない
本願寺も武田とは婚姻関係があるんだから織田との和睦なんか放棄して決起すればいいのにしてない

信玄は本願寺にシカトされたんだよ
694人間七七四年:2008/05/27(火) 17:44:19 ID:L64BJgDj
>>689
信長が困ったのは義昭の処置。具体的にいうと、「今、将軍をぶっ潰すことが政治的に
周囲にどう影響を与えるか?」という点で迷ったという点だけ。軍事的な脅威は感じて
いない。
はっきりいって、義昭なんて軍事的にはまったく眼中にない。しかし兵力で潰すのは
簡単だが(事実、義昭の史実の挙兵は二回とも簡単に打ち破った)その後に周囲の敵に
名分を与えて、それが変な影響を与えないかという点で困った。だから最初の挙兵の
ときには天皇という口実を持ち出して和議を結ばせた。

もう一度いうよ。信長は義昭に軍事的にも政治的にも大して脅威は感じていない。ただ、
義昭に完勝してしまうことを恐れていただけ。
695人間七七四年:2008/05/27(火) 18:11:43 ID:joBS6hfc
>>694
>>675

しかも義昭に大義名分としての価値を認めない織田厨が
今度はなぜか義昭の将軍としての大義名分を利用させられないように注意したみたいな支離滅裂な反論しててワロタw
696人間七七四年:2008/05/27(火) 18:22:32 ID:joBS6hfc
ちなみに本願寺は顕如が方便で公式外交窓口では敵対してないとしてるが
完全に敵対してます。
また遠方なので連絡が悪いですが各地で包囲網は蜂起し
織田軍を東走西奔させ疲弊を強要し時間稼ぎをし
各地の問題が根絶できそうになると後方で火種が爆発する繰り返しのため抜本的解決ができず火種は残したまま、
その一環として義昭の蜂起と和睦があり、時を置いてまたゲリラ的に蜂起している。
これは完全に戦略的敗北を織田軍はしてるといっていい。
この間に信玄は家康を粉砕し野田城を落城させているが信長は無策で何一つとして問題の抜本的解決はできずいたずらに時を浪費している。
信長が解決できるような行動ができるようになるのは信玄の進軍スピードを遅延し健康状態が疑わしくなってきてから。
697人間七七四年:2008/05/27(火) 18:26:48 ID:a4dZyNdd
あいかわらず信長厨はダブスタだな
698人間七七四年:2008/05/27(火) 18:47:14 ID:L64BJgDj
>>695
自分が、価値を認めないことと
別人が、価値を認めて利用すること
これは別です。そして自分には利用価値がなくとも、他人には利用価値があるので、
他人が利用して利しないように配慮するのも当然です。
699人間七七四年:2008/05/27(火) 19:19:16 ID:Caw+3Sna
たとえ落ちぶれても足利幕府征夷大将軍足利義昭の名前はそれなりには通用するからな
どんなに支持率がおちても総理大臣福田康夫の名前は通用するさ
織田の上洛の大義名分にも使われてるし、その名前がなければ畿内統治は非常に苦しくなってたはず
ただ信長と義昭の関係がギクシャクしはじめると同時に義昭の価値がぐらついてきて織田信長の名前の価値があがると
反比例して義昭の価値が下がっていき3月の蜂起と4月の和睦で畿内では無価値となった
価値があるなら本願寺あたりが引き取ってるし、忠誠心に厚いといわれる謙信がひきとるか対織田で毛利が前面に押し出してる
あるいは武田勝頼が織田・徳川との戦いでかつぎだしてもおかしくはない
実際は追放されてもろくな支援者はあらわれなかった

単に追放されただけなら引く手のあまたはずだが、すぐに支援者が現れなかったのは口と名前はあるけど中身がないから
700人間七七四年:2008/05/27(火) 19:28:46 ID:Z9o+Qhji
完全に無価値ではないだろ、ほとんど無価値かもしれないが
本当に無価値なら最終的に毛利も引き取りはしなかっただろうし
1573年の時点でさっさと殺されていたはず
701人間七七四年:2008/05/27(火) 19:32:55 ID:joBS6hfc
L64BJgDj
Caw+3Sna
グダグダ発言を指摘され必死に言い訳しまくってるこいつらはどう考えても同一人物だろwww
702人間七七四年:2008/05/27(火) 19:35:43 ID:a4dZyNdd
思考に偏見が入りすぎてまともな事が言えないのだろうな
703人間七七四年:2008/05/27(火) 19:39:56 ID:877n48Vf
第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント
<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html

詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/
704人間七七四年:2008/05/27(火) 19:41:56 ID:Uxat8vVt
ID:L64BJgDjとID:Caw+3Snaが同一人物である可能性よりも
ID:joBS6hfcがまともな議論する気が無い可能性が遥かに高いな。
ID:L64BJgDjとID:Caw+3Snaは今後ID:joBS6hfcのレスは全てスルーする事をお薦めするよ。
ID:joBS6hfcはどうせ「反論できないから逃げたw」みたいな勝利宣言するとだろうけど、
そんな程度の低い奴の相手は時間の無駄だからね。
ID:a4dZyNddは論外な。
705人間七七四年:2008/05/27(火) 20:22:52 ID:gdHhBl/B
義昭が無価値と言う割りには、信長は実子を人質に講和を求めてるね。
706人間七七四年:2008/05/27(火) 20:27:08 ID:Caw+3Sna
>>705
すまん、それは知らない
どこの資料?

>>704
すまんね
最近このスレ見出したもんで慣れてない
過去ログ見るとその51あたりまでは結構まともな議論してるんだけどな
3月ぐらいから急に厨臭くなってる

まあいいや。ROMするわ
707人間七七四年:2008/05/27(火) 20:28:05 ID:rE6E8rag
>>694
ちょっと矛盾してる
義昭の処置に困ったのは、周囲への影響を危惧したと最初に述べている
しかし、結論部では、軍事的にも政治的にも脅威を感じていないと述べている
周囲への影響の危惧というのは、まさしく政治的脅威ではないのか
708人間七七四年:2008/05/27(火) 20:28:09 ID:V8ifIkHj
>>691
> 徳川を見捨てるとか絶対にありえないわな。
議論のなかで「〜は絶対に〜」と表現してる時点でどうかと思うがね?

> 徳川が自身の倍の勢力である武田に徹底抗戦したのも織田という同盟国あってのもの。
徳川勢力自体の独立性が失われるからじゃない?

> もし織田に見捨てられたとなったら単身武田と抗戦するなんて無理なんだから武田の軍門に下る可能性が大きいだろうね。
最初から無条件降伏はないでしょう
だったら今川に対する織田の抵抗は何?って話になるし
尼子や大内に対する毛利の抵抗も物量的に勝算なんてないよね
「勝てると思ったから抵抗したんだ!実際勝ったし」って言う人居るだろうけどそれこそ結果論だよ
戦争は国力の勝負になるわけだから

> 信長だってそんな事は百も承知なんだから徳川を見捨てて敵に回すリスクを負うなんてことはせずに、
> 適度に援軍を送って徳川を繋ぎ止めとくだろうよ。
織田にとって徳川を見捨ててでも自勢力の維持の方が優先順位高い
織田の勢力を支えているのは経済力
経済力の根幹である畿内の支配権を失うと戦略的に後退したことになる
武田とは戦略に優位な状況を作ってから戦うんじゃないのかな
事実、長篠合戦時は戦略的に優位な状況を確率してた

> 東の盾である徳川を見捨てるとか意味不明だよ。
「盾」だったら自分を守るためにあるんだから、役割さえ果たしててくれればいいんじゃない?w
ただ織田だって自領地内での戦闘は、戦闘場所となった地方での信用を失う結果にもなるし
疲弊もするから避けたいだろうね
ただリスクとメリットで計るのなら、「畿内での勢力維持及び拡大」と「徳川の滅亡(敵対)」
どっちが優先順位高くなるかが問題なんじゃない
だから岐阜から動けなかった訳もこれだよね

で織田が信玄が存命で武田の軍事活動が引き続き活発だったら
どっちを選んだのか?が議論の対象なんじゃないの?

「絶対」とか持ち出して議論自体を否定するなら、このスレ見なきゃいいよ
709人間七七四年:2008/05/27(火) 20:32:30 ID:L64BJgDj
>>707
義昭の勢力については、軍事的にも政治的にも脅威を感じていない。
しかし、義昭を殺すことによって生じる悪名などの影響は考慮している。ということ。
710人間七七四年:2008/05/27(火) 20:36:58 ID:OjqWemFJ
散々言われているけど、徳川見捨てると内外含めて信用問題に関わるから
滅亡を傍観するような真似はしないと思う
朝倉だって苦しい状況でも浅井に援軍を送り続けたわけだし同じようなものじゃない?
711人間七七四年:2008/05/27(火) 20:44:12 ID:fzaWC5Hx
信長にとっての義昭は有用に利用できる存在ではなくなった。
しかも対処次第ではマイナスの効果を生み出しかねないという厄介な存在。
上で言ってるのはダブスタというレベルのものではなく、言葉足らずというレベル。
712人間七七四年:2008/05/27(火) 20:53:27 ID:Uaqfu1Ri
朝倉が援軍送り続けたのは自国防衛のためのが大きいような。
後半は送り続けることで信頼をなくしていったような気もするしな。
まあ織田も徳川を見捨てたら自国防衛に関わるわけだしそこそこの援軍はおくるだろう。
信長自身が大軍を率いてくるのはギリギリになってからだろうけど。
713人間七七四年:2008/05/27(火) 21:02:22 ID:Z9o+Qhji
>>709
>>711
まあそんなところだろうな
軍事的には脅威ではないと言っても、
三好松永みたいに将軍殺したら将来的には政治的に大きなマイナスとなりかねない
だから順を追って追放したと

>>712
朝倉は小谷が攻められたときは出兵することもあったけど
佐和山や横山を取り返すための戦いには援軍送っていないしな
714人間七七四年:2008/05/27(火) 21:12:03 ID:pDSkt7rJ
>>709
では殿中御掟は何のためだったのだ?
特に追加条項では将軍権威の剥奪他ならないのに。
715人間七七四年:2008/05/27(火) 21:22:27 ID:Z9o+Qhji
>>714
1569年及び1570年の?
それらによってほとんど傀儡とさせられて
1573年には将軍権威はほとんど無くなったのでは
716人間七七四年:2008/05/27(火) 21:45:52 ID:pDSkt7rJ
>>715
>それらによってほとんど傀儡とさせられて
そんなもの承認させられる前から傀儡だったと思いますが。
それと実際内容読んだ事あるの?
義昭は承認こそしても規定守ってないですよ。
717人間七七四年:2008/05/27(火) 21:51:57 ID:gdHhBl/B
信長公記には、人質と書いてるな。
実子って書いてるのはなんだっけな?
718人間七七四年:2008/05/27(火) 22:32:27 ID:Z9o+Qhji
>>716
形式面でも傀儡となったってことじゃないの?
これらによって公的な面においても将軍は織田の保護下にあると認めたことになるわけだし
719人間七七四年:2008/05/28(水) 01:20:37 ID:NDVI6V5N
相変わらず織田厨が矛盾し理論破綻したグダグダ発言を指摘され
必死に言い訳しまくってるなクダラン。
ひたすら屁理屈の連レスを繰り返して数にモノを言わせて誘導してるようだがまったく読む価値なし。
720人間七七四年:2008/05/28(水) 01:58:21 ID:pDmpwPvA
>>718
>形式面でも傀儡となったってことじゃないの?
ちょっと日本語として理解に苦しむ。

>これらによって公的な面においても将軍は織田の保護下にあると認めたことになるわけだし
最初に出された九ヶ条なんかは公的な認定の意味合いが強いだろうけどね。

追加条項は信長の意思に反した行動をする義昭に対して、脅威になりうる行動を具体的に制約してる。
下記二つなんかは顕著な例でしょ。
・「諸国へ御内書を以て仰せ出さる子細あらば〜」
・「御下知の儀、皆以て御棄破あり〜」
そして義昭は守ることもなく討伐令など出してるわけだ。


>>719
それも無駄なレスだね
721人間七七四年:2008/05/28(水) 02:34:52 ID:pDmpwPvA
ちなみにあんまり関係ないかもしれんが

・「公儀に対し奉り、忠節の輩に、御恩賞・御褒美を加えられたく候と雖も、
領中等之なきに於ては、信長分領の内を以ても、上意次第に申し付くべきの事」

一見なんのことやらって感じるけど、殿中御掟のこの項目が面白い
義昭が領地争いに介入して昔将軍家に関係の深かった方に権利を認めさせた事に端を発した項目。
軍事力を持たない義昭がなんとか自身の領地を確保しようとした事とそれに対する信長との鬩ぎあいが見てとれる。

足利義昭も暗愚に評される人物だが、結構したたかで形骸化した権力ながら、うまく利用して包囲網を画策するなど
時代が時代なら評価されてもいい人物な気がする。
17ヶ条の意見書に到っては信長も感情的になってるのが見てとれるし、対義昭の折衝に気を揉んだ証拠でしょう。
信長は義昭を傀儡として扱いはしたが、義昭という人物そのものを軽視したわけではないと思うよ。
722人間七七四年:2008/05/28(水) 06:33:00 ID:XS6YO4P9
実際義昭は暗愚じゃないだろ。
暗愚なら信長の傀儡にされて不要になったら殺されるか追放されてたろ。
あの状況であれだけのスケールで動いたんだから立派なもんだと思う。
723人間七七四年:2008/05/28(水) 07:50:04 ID:xfc2Y4O/
長々と書いてくれたのはご苦労だけど。
処置に困ったのは確かだけど無価値と思っていたなら、人質を出してまで講和しようとするのはちょっとおかしいな。
724人間七七四年:2008/05/28(水) 08:07:30 ID:12SHEayR
>>723
味方としては使えないが敵にすると面倒くさい。
725人間七七四年:2008/05/28(水) 08:34:24 ID:PQ6mVJAn
地方に行けば行くほど権威には弱いし傀儡としてつかえるなら出来るだけ長く使おうとしたんだろうな。
726人間七七四年:2008/05/28(水) 10:14:48 ID:OrvHYDZ3
>>725
2ちゃんねらみたいなもんか
敵にすると厄介だが味方にしても頼りないw
727人間七七四年:2008/05/28(水) 12:49:18 ID:F4zg2iGk
義輝の時に義昭が将軍だったら面白いことになりそう
三好や松永とどう渡り合うのか、とか
728人間七七四年:2008/05/28(水) 13:15:09 ID:5spae9Gv
そんなに優秀ならば細川が見限ったりしないと思うが?
729人間七七四年:2008/05/28(水) 18:17:24 ID:AbgxzZKo
>>726
正確には「敵に回しても怖くないが、ヤっちゃうと後々面倒」
730人間七七四年:2008/05/28(水) 19:46:47 ID:xfc2Y4O/
一度目の挙兵:まだ利用価値があるから和睦を申し込む。

断られたから攻めた。

和睦を申し込んできたので、まだ利用価値があるから受けた。

二度目の挙兵:もういいかげんにしろと言う事で放逐した。
731人間七七四年:2008/05/28(水) 21:00:41 ID:xe+LtJUY
二度も挙兵してくれて畿内諸勢力のどこが織田方で
どこが将軍方かの見極めにもなったろうな
732人間七七四年:2008/05/29(木) 00:30:41 ID:hbVClUBv
優秀でも不利なら見限るだろ。
細川にとってどっちがうまいかって話。
733人間七七四年:2008/05/29(木) 00:31:08 ID:tMFllVJp
>>418
>長篠の戦いの時は岐阜を発してその日のうちに尾張の熱田神宮に到着し、次の日には岡崎城に到着している。
>信長が岐阜にいても早馬だからまあ1日〜1日半もあれば信長の耳に届くだろう。
>つまり武田が岡崎に向かってから4日程で織田軍は岡崎城に到着可能。
織田家は常備軍だったなんていう話が事実でないという事は主知の事だが、常備軍としか思えない事を平気で言う奴が多すぎる。
軍を招集する日数が全然計算に入っていない。

織田本隊が2万8千だとすると、秋山隊に3千を割いている美濃だけでは到底招集できない。
守備に5千を割いている尾張を足してもまだたりない(5千の兵を伊勢から集めていたとしても)。
各支配地域からの招集だけで、数日かかってしまう。
734人間七七四年:2008/05/29(木) 03:26:10 ID:If5J1b+6
織田が出陣の用意を全くしていないならその通りかもな
735人間七七四年:2008/05/29(木) 07:46:13 ID:tMFllVJp
岐阜に全軍を集めていないならそう変わらないだろう。
例えば2万をあらかじめ集めていても残り8千を集めるに結局数日かかる。
改めて集める人数が少ない分、各領地で招集する時間と移動がちょっと早くなる程度だ。
736人間七七四年:2008/05/29(木) 13:41:47 ID:5sNIpAAQ
実際はどうなんだろうな
武田の場合
川中島の時、武田は海津からの烽火によって謙信出陣の知らせを2時間で受け
その日のうちに出陣、棒道を使用して道中で各地の兵力と合流しつつ
数日で万を越える大軍で北信濃に到着したというし

織田の場合
1569年正月の三好勢による御所襲撃の際は
大雪の中、知らせを受け即出陣し、2日で京に到着
その数日後には織田の大軍が追いついてきたというし

もっとも
朝倉のように1570年の金ヶ崎の時、浅井の裏切りによって織田が撤退した時、
朝倉はそれから軍役を定め、出陣の用意をして10日ほど遅れて織田の追撃を行ったとか
737人間七七四年:2008/05/29(木) 14:17:55 ID:Fh6Nt8zj
進軍する方向にある領地の兵は道中て集められるんだろう。
別方向の領地の兵を動員したければ、集まってくるのを待たないといけない。
738人間七七四年:2008/05/29(木) 15:02:03 ID:5sNIpAAQ
そう考えると信長の場合は兵を集めやすそうだな
ついでに尾張の分は石高の割に面積が狭いから1日で全軍集めるとか可能そう
その点信濃とかだとやたら広いから信玄は大変だったろうな
739人間七七四年:2008/05/29(木) 16:37:00 ID:mmRoryLU
答え

徳川の信長が見捨て
信玄と和睦する

織田厨がアホ
740人間七七四年:2008/05/29(木) 16:47:53 ID:kPDKziqu
>>739
日本語でおk
741人間七七四年:2008/05/29(木) 18:34:38 ID:TLaIBImd
ちょっと笑った
742人間七七四年:2008/05/30(金) 04:14:26 ID:qrobl5rK
まー家康へ平手や佐久間を援軍で送ったのも実際は家康の裏切りを心配しての目付けだしな。
家康の監視だよ完全に。援軍ならもっと多くの兵を派遣するだろ。
それで家康は信長への忠誠を示さなければならなかったから無理して信玄を攻めて大敗したわけ。
家康は信長を裏切らないことが確信できたから信長も放置して
家康を犠牲にするつもりだったから援軍すら派遣しなくなった。
743人間七七四年:2008/05/30(金) 11:42:45 ID:CJdpnNMu
なんという新説w
744人間七七四年:2008/05/30(金) 12:05:15 ID:x4Pewtld
ちがうな。
きっと家康は信玄にわざと負けて、信長からの目付役を排除したんだよ。
745人間七七四年:2008/05/30(金) 12:45:56 ID:v281jQXG
たしかに信玄が余裕かまして浜松城の近くを横切るのを指を加えて見てたら内通してんじゃね?とか思われるかもな。
746人間七七四年:2008/05/30(金) 23:41:00 ID:tztkaUi6
>>720
わかりにくかったか?

殿中御掟を認めさせたことによって、
義昭に対して傀儡として扱うこと、義昭が自身で行動することに対して
義昭の方が守っていない非は将軍側にあり信長側に正当性があると強弁出来るようにしたのだと思うが。
っそして後に、異見十七ヶ条、1573年4月の和睦、そして7月の将軍追放となっていったと。
747人間七七四年:2008/05/31(土) 01:36:01 ID:SwqnYtvf
一体大遠征の何が嫌いの?この作戦をちょっと考えたんだけど、
この作戦は信玄の死を排除したうえで作戦として落度があったと思うよ。
それは野田城攻略だね。この城は放置してもよかったんじゃないかい?
野田城兵は篭城しかできない手勢だよ。攻略拠点としてはどうだい?高天神と同タイプだよ。
それより、やるなら吉田城をなんとかしなければいけなかったね。
攻略拠点としてなら吉田城はかなり重要だし、この城押えれば勝頼は長篠の悲劇はなかったね。
野田城攻略は信玄の健全の意思でないね。、信玄が適正な判断が下せたのは三方ヶ原までだったのではないか?
野田城攻略は家臣の意思で信玄は病気のためモウロウとした意識で許可したんではないか?
野田城でなく吉田城だったら武田の命運もずいぶん変わっていたね。



748人間七七四年:2008/05/31(土) 01:51:41 ID:fmmKH6/p
ID:SwqnYtvfはスルーだな。
まあID:SwqnYtvfは一人で勝利宣言でもしといてくれw
749人間七七四年:2008/05/31(土) 02:06:06 ID:SwqnYtvf
>>748
「惚れた女にスルーされ、梅酒を飲みながら朝生ミル」 足軽 心の俳句
750人間七七四年:2008/05/31(土) 02:09:30 ID:dYKg9zWg
>>742
援軍3千なら少なくはないだろ
3千で籠城したら2マン程度の敵なら長期戦に持ち込めるし
751人間七七四年:2008/05/31(土) 02:30:53 ID:YIDuHKLR
>>747
野田城放置して南下はまあ可能だろうけど、それで吉田城まで攻めても落とせるかどうか
織田の援軍が無くて武田の財政に問題が無ければ落とせるだろうけど・・・
単に無理をしないで野田城落として奥三河の領有を安定させ、
東三河平野部進出への拠点とするために落としたのだとおもうが。
戦術的にはリスクを避ける信玄らしい作戦だと思う。
752人間七七四年:2008/05/31(土) 03:58:33 ID:SwqnYtvf
>>751
確かに君の言い分はわかる。
だけど、今回の作戦は元々東三河平野部を視野に入れていた可能性が高く、東三河平野への進出拠点というよりも
東三河平野そのものに攻略拠点を持たなければ三方ヶ原勝利が十分生かされないのではないか?
野田城は奥三河の安定のため必要だが、徳川攻略なら断然吉田城ではないかい?
三方ヶ原後は、援軍が来ることが予想されるから早い段階で吉田城を攻略し防衛拠点のほうが、負担は軽いしリスクに対応できると考えるのではないかい?
野田城攻略は失敗だった。野田城から近い吉田城を浜松から直接進軍・攻略すれば、徳川再生の道を阻んだろう。






753人間七七四年:2008/05/31(土) 11:44:09 ID:+u51YTAZ
>>752
んな事言うんだったら掛川と高天神を先に攻略した方が何倍もいいだろ。
安全性と遠江の民心(数年前まで今川領だったから徳川にさほどなじんでいない)を考えるとな。
うまい事どちらかの城を攻略できれば遠江の徳川の影響力を極端に削る事が出来る。
三方ケ原勝利後に五千〜八千程度づつ両城に派遣、じっくり包囲。
武田本隊は二俣付近にて徳川本隊を抑え、
もしも織田援軍が来そうなたら両城の包囲軍を返して本隊と合流。
野戦決戦で両勢力の浮沈を賭ける。
だけど長期対陣になった場合は包囲網を考慮しても武田が不利になるかな?
さらに浜松の徳川と侠撃されても勝てる戦術が必須。

そして、信玄が健康長寿なのに加え、武田が長期遠征可能という都合のいい設定じゃないといかん。
754人間七七四年:2008/05/31(土) 12:12:37 ID:l1nqw25q
>>753
まれにみる愚策だな。

>んな事言うんだったら掛川と高天神を先に攻略した方が何倍もいいだろ。
>安全性と遠江の民心(数年前まで今川領だったから徳川にさほどなじんでいない)を考えるとな。
三河の徳川というイメージが強いが、徳川が三河全土(といっても本当に全土ではないが)を平定したのも数年前。
元々は岡崎周辺を支配していたに過ぎない。

>うまい事どちらかの城を攻略できれば遠江の徳川の影響力を極端に削る事が出来る。
野田を放置は論外だが、吉田を取り三河と分断すれば遠江の徳川の影響力をもっと極端に削れるさ。
権力基盤と分断された支配者に支配されるいわれはなくなってくるからな。

>三方ケ原勝利後に五千〜八千程度づつ両城に派遣、じっくり包囲。
>武田本隊は二俣付近にて徳川本隊を抑え、
二俣に全軍で2ヶ月かけたのに五千〜八千で何ヶ月かけるつもりだよ。
それが出来るんなら野田を落とした後に、牛久保に5千、吉田に2万で囲んだ方がまし。
って言うかこっちの方が現実的。
徳川に牛久保に回す兵は無く少数だろうし、吉田は平城で二俣よりも比較的落ちやすい。
全軍が城攻めに入っていても、徳川軍が浜松から吉田までを武田にまったく気づかれずに近寄れるわけも無いしな。
755人間七七四年:2008/05/31(土) 13:17:02 ID:+u51YTAZ
>>754
なるほど。たしかにそうかもしれんね。

でも背後に徳川本隊がいるから補給線を脅かす可能性はあるよね。
どっちにしろ浜松の徳川の自由を奪うために
多少の兵力を徳川本隊への抑えに充てる必要はあるんじゃないかな?
756人間七七四年:2008/05/31(土) 13:37:03 ID:SQjTTJlR
背後に回ったのが徳川の一部なら武田はその数倍の兵で、全軍なら全軍で討ちに行けばいい。
相手が徳川だけの内はそれが出来るんだから。
757人間七七四年:2008/05/31(土) 13:51:48 ID:+u51YTAZ
>>756
そうかな?
それだと徳川が動くたびに兵を動かす必要が出てきて
徳川は武田が来る前に浜松や武田未攻略の他の城に引っ込むだけでいいっていう
もぐら叩き状態で時間だけ浪費するのでは?
漢の彭越みたいに。
それよりもあらかじめ三千〜五千程度を浜松の直近に配置しておけば
武田本隊が戻る時間がお互いに計算できて徳川は身動き出来なくなるんじゃないかな?
現実的&安全・確実性を考えると浜松放置はまずいような気がする。
758人間七七四年:2008/05/31(土) 14:00:52 ID:+u51YTAZ
ああ三千〜五千ってのはいい加減な数字。
徳川全軍と勝負になる兵力なら少ないかも。
759人間七七四年:2008/05/31(土) 14:10:35 ID:SQjTTJlR
野田を落とした武田の補給を脅かすくらい後ろにまわるなら簡単に補足されるだろう。
760人間七七四年:2008/05/31(土) 15:19:54 ID:8QbQU3+O
>>736
先に動いたのは信玄なんだから、すぐに対処できるのは当たり前。
761人間七七四年:2008/05/31(土) 15:44:47 ID:lXpwV8s9
野田攻略時には家康は本体と共に吉田入りしてる。
浜松を空手にしてるわけじゃないだろうけど、吉田に兵入れた上で後方撹乱出来るほどの兵力を浜松には残さないでしょ。
762人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 18:29:54 ID:lXpwV8s9
>>746
>義昭の方が守っていない非は将軍側にあり信長側に正当性があると強弁出来るようにしたのだと思うが。
これは大きな間違いだね。
追加条項の要求自体が正当性を謳って強弁してる。
既に軍事的背景を持つ側と持たぬ側の力関係は顕著化してる。

それに正当性に利用したというのは後の歴史の結果でしょ。
それを目的にしたという論理展開は可笑しいといわざるを得ません。

当時の目的は「懐柔」です。
表面上承認させても事実上の叛意行動を制約できなかったのだから、
この懐柔策は失敗と言えるし、そのおかげで信長は何度か窮地に追い込まれる事になる。
到底>>715で主張するような内容には沿わない歴史じゃないの?
763人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 18:55:25 ID:TUKPhKtW
将軍権力を制限したり、義昭のやることやってきたことを全否定するようなシロモノが
懐柔策とはとうてい思えないんだが。
764人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 20:30:50 ID:SefX92Pj
同感だ。
この件に関しては>>715等の言うように形式的な面でも将軍権力の制限・権威の否定の方が正しい見方と思えるが。
765人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 20:55:03 ID:lXpwV8s9
融和的手段のみが懐柔と呼ぶわけでもない。
強硬姿勢での交渉方法だってあるんだよ。
呼び方が気に入らないって話なら好きに呼び替えてもらえばいいと思うけどね。

ただこの時の信長の要求がそこまで突飛だとも言い切れないよ。
義昭としては「脅迫」のような感情を逆なでにされる内容に感じるかもしれないけどね。
室町幕府の後期の将軍なんて傀儡扱いが当たり前の時代だったわけ。
信長の人間性ってロジスティックに評されるけれども、
政治機構として守護職と将軍職はまったく別の役割を与えられた機関だと捉えていたならば、
あの様な言い回しも信長側としては理路整然と並べただけの当然の主張になるんだよ。
766人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 22:23:28 ID:D9cXV75I
>・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能

これ自体が不可能じゃないの?
767人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 23:34:36 ID:+u51YTAZ
>>766
たぶん不可能だろうね。
具体的な根拠となりうる資料はないけれど
勝頼期の出兵くらいで経済的死亡フラグが立ってる事から考えるとなあ。
頑張ってあとどれくらい遠征を継続できたか?
まあ明確な根拠提示がない限りは不毛な論争に終始するだけだろうよ。

そして仮に数ヶ月〜遠征を延長できたにしても
その期間内に情勢を大幅に変える会心の戦果を挙げないと
史実とさほど変わらない展開になるだろうしね。
どちらにしろ厳しいわ。
768人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 23:56:00 ID:+u51YTAZ
国力から考えられるほぼ全軍の動員兵力をもって
一年程度以上をぶっ通しで国外遠征した例でもあれば経済的なものは抜きにして
多少の可能性は出てくるかもしれない。
でも俺はそんな例は知らないし不可能と思う。
誰か詳しい人でそんな例を知ってる人いないかね?
769人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:09:48 ID:lmMn5tlt
>>768
文禄・慶長の役くらいじゃね?
まあ結果は国内の混乱と疲弊で豊臣オワタだけどね。
770人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:15:45 ID:jVXXadEv
秀吉の小田原遠征時とかは1年以上、10万以上の軍隊を長期動員できたけど
あれは兵站の官僚機構が確立されている大組織の話だもんな
信玄も謙信と対峙し戦況が膠着状態に陥り、長期戦化したこともあると思うけど
割合いと本拠地の甲斐から近場で相手領土でもないわけでしょ?
771人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:20:08 ID:CqhxXg7v
朝鮮出兵も小田原の役も武田のように各大名が限界近くまで
兵力を動員してたとは思えないしな。
772人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:23:48 ID:lmMn5tlt
>>771
朝鮮出兵で西国大名は限界以上の負担でアップアップだったよ。
773人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:47:56 ID:9a9goTBM
君らは遠征にアレルギー持ちすぎではないかい?
それこそ極端な例だけど、アレクサンドロスなんてインドまで行ったわけなんだから。
やろうと思えば物理的には可能だね。
ただ、経済を抜きに考えて、長期間では家臣の士気を維持するのは難しいかもしれない。
774人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:51:25 ID:CqhxXg7v
>>772
そりゃ万石当たり4〜5人の兵役×6年だからな。
尋常じゃない。
775人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:57:04 ID:ENuvXpTP
アレクサンドロス・ハンニバル・カエサル・ナポレオン・チンギスハーン。

みんな兵站なんて悉く軽視してるが面白いよな。
776人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 00:57:20 ID:Bkd6kfhT
>>767
やはり武田の命運をかけて北進策を継続すべきだったのでは
越後は船頭前だけで四万貫、さらに莫大な青苧役で儲けていたそうな
謙信最晩年〜天正初期になると全国における産金の割合は
越後越中だけで6割を超えたとも言われる
一方で謙信遺産は、その殆どが近隣領主への金貸し付け〜その利息だったらしいけど

本庄繁長、勝興寺、葦名と連携した年に飯山城を落とす事は無理だったのか
その後も浅井に頼んで加賀小山御坊、瑞泉寺、勝興寺、神保、椎名の反謙信勢力を結集させ、
謙信を釘付けに出来た
その時、信玄も北上して飯山を落としていれば・・・春日山や直江津はすぐそこだし
義信も飯富も死なずに済んだ
777人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 01:19:53 ID:CqhxXg7v
>>775
アレルギーとか、やろうと思えば物理的には可能とかいうのは論外だが
どれも大陸も違えば環境も違うし軍の編成や規模も違う。
動員力が不明なのもあって比較対象になりえない例ばかりだなw

朝鮮や小田原の役は他国から侵攻される可能性が完全にないから、
また違うようにも感じるし。
川中島の長期対陣は国境付近での事例だから
遠征とはまた性質が違うような。
778人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 01:33:53 ID:wuX9ZxSR
兵站軽視といえるのハンニバルぐらいじゃないか?(ハンニバルの場合は状況がそうさせたわけだが)
779人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 01:47:38 ID:f/bMGSr5
>>767
>その期間内に情勢を大幅に変える会心の戦果を挙げないと
>史実とさほど変わらない展開になるだろうしね。
いや、さすがに武田の軍勢が三河に存在し続けるだけで京や近江に大軍を送れないだろうから、
史実とはかなり変わった展開になるだろ。
780人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 01:52:18 ID:f/bMGSr5
そう言えば、素朴な疑問だが織田の兵力計算の時に浜松へ援軍に行った3千が考慮されていないのだが、
テンプレ作成時にはどう言う経緯でこうなったんだ?

テンプレの織田が武田へ向けられる兵力の2万8千から3千引けば武田と同じ2万5千になるが、
単独で敵兵力を上回らないと織田としてはそう簡単には援軍にいかない事もありうるのでは?
781人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 02:02:46 ID:yMkr0SFN
>>780
徳川と合力すればいい
二万五千がまったく損耗なく落とした城への手当てもなくいけると?
782人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 02:05:41 ID:lmMn5tlt
>>780
三方ヶ原で大敗したのは12月なんだから3月4月頃には大半の兵は尾張・美濃に帰還してるはず。

783人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 02:08:57 ID:CqhxXg7v
>>779
そうかな?でも機内でのパワーバランスは織田が圧倒的に優勢だよね。
岐阜の織田本隊が兵を送らなくても膠着状態なのは過去に何度も語られている。

仮に武田があと数ヶ月三河にいるだけじゃ大きな変化はないだろ。
例えばその延長数ヶ月の間に織田に決戦で大勝とか
徳川を完全無力化とかすれば各地で織田の影響力が弱くなる可能性は十分あるが。

そうじゃなきゃせいぜい浅井朝倉滅亡や室町幕府滅亡が数ヶ月遅れるだけじゃない?
784人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 02:09:56 ID:wuX9ZxSR
>>780
つ>1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況
テンプレは一応三方ヶ原前、但し秋山の関わる東美濃に関しては11月以降だが
1573年4月の段階のテンプレも前はあったがその時は武田は遠江20%三河15%となっていたはず
785人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 04:44:32 ID:m91MrHJ3
>岐阜の織田本隊が兵を送らなくても膠着状態なのは過去に何度も語られている。

勝手に既成事実にするな
786人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 05:59:39 ID:CqhxXg7v
>>785
だけどテンプレの情報を読む限りではそう見てとれると思うし、
今まで何度も繰返し議論されてるけど納得できる反論もなかったと思うんだけどな。

テンプレを否定するならソースが必要だと思うし
いい加減この話題は無限ループだと思うんだけど
その辺どうなんだろうね。
787人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 09:51:00 ID:Yyq5SBH7
実際に信玄に呼応して起ったのは義昭たちぐらいだし
その義昭たちも信玄が野田城を落とし、死去する間という微妙な時期に和睦という形で矛を収めてしまった
肝心の本願寺、朝倉が音無しだからね
いいかげん4月に入れば朝倉は越前から出て浅井や義昭たちの援護はできるし
本願寺が長島に命じて尾張を荒らせば武田の支援になるんだけど
それをしなかったから膠着どころか織田優位ともみてとれる
788人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 10:24:56 ID:GmjqhFow
>>786
同一ソースでも人が違えば受け取る情報も違う。納得するか否かもその人の主観次第。
ところで君は絶対主観をお持ちの神か仏の類ですか?
789人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 10:50:20 ID:uCUaKW+J
>>788
君も上から目線だなw
膠着に関しては>>787に書かれてるのが理由になるだろう
多少なり苦戦してれば織田不利なんだろうけど足利将軍さまがヘタレすぎ
浅井・朝倉・本願寺なにしてんの?
信玄が動いて情勢が反織田有利で動いていいはずなのに現状維持同然
790人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 10:57:25 ID:4px7wWQ4
>>787
あれだけ戦ってきた朝倉だからな
もはや経済状態はぼろぼろだし多くは期待できそうにないな
791人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 11:50:38 ID:yMkr0SFN
一月、遅くても二月には義昭が挙兵しているはずなんだが、それで畿内の情勢が
変わったかというとまるで変化なしだからな。
792人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 12:21:42 ID:vqCkFYix
北近江に7000で南近江京方面に8000
それに加えて守備ということで動員率は更に上げられる
そう考えるとむしろ守備兵力多すぎなんじゃって気がする
これじゃ朝倉が出陣しても守るだけならなんとかなりそうって気がする
793人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 12:27:53 ID:f/bMGSr5
>>782
大半の百姓である雑兵はワザワザ帰還しないのでは。

>>784
じゃあ、改めて2万8千から3千引いて問題なしなんだね。
794人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 12:30:09 ID:vqCkFYix
>>793
ゲームじゃないんだから3000消滅なんて有り得ないだろ
795人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:04:02 ID:jVXXadEv
>>775
アレクサンドロスは基本短期決戦で相手を負かして、現地調達する
でも、兵站はかなり充実してたと思う
地中海沿いの城塞都市で籠城されて長期化した戦いがあった
796人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:05:18 ID:f/bMGSr5
>>783
>岐阜の織田本隊が兵を送らなくても膠着状態なのは過去に何度も語られている。
だから、織田本隊が送れないなら膠着状態なんだろ。

>そうじゃなきゃせいぜい浅井朝倉滅亡や室町幕府滅亡が数ヶ月遅れるだけじゃない?
だから史実どおりではないと。

しかし、朝倉は刀根坂のような事が起こらなければ一戦で滅びるかわからないし、
朝倉が滅びなければ浅井も難しい。

義昭も史実のように挙兵してすぐに攻められるなんて事がなければ、築城中の砦を攻められると言う事のないし、
すくなくとも武田の挙兵期間持っていれば状況が変わってくるんじゃないか?
797人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:08:04 ID:f/bMGSr5
>>794
まあそうなんだが、何事も無かったかの様にって言うのもどうかな。
3000は行かなくても、1000〜2000は引いておけと。
798人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:25:37 ID:4px7wWQ4
まずテンプレの兵力を直した方がいいんじゃないか?
799人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:28:43 ID:lmMn5tlt
>>793
>大半の百姓である雑兵はワザワザ帰還しないのでは
800人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 13:35:12 ID:vqCkFYix
>>797
甲陽軍鑑によるなら武田軍右翼による戦果が合計して100いかないとかいう状態だし、
武田軍左翼は徳川軍右翼に上手く離脱されたらしいし、
三方ヶ原での織田徳川軍の被害はあまり大きくないんじゃ

それに個々の戦の損害分引くなら、
細かくなるが朝倉からの寝返り分や1573年2月の石山・今堅田での義昭側の消耗もあるし
結局はプラマイゼロなんじゃ
801799:2008/06/01(日) 13:40:59 ID:lmMn5tlt
スマン、途中で送信してしまった。
>>793
>大半の百姓である雑兵はワザワザ帰還しないのでは
兵の大半が百姓だからこそ帰還すると思うんだけど。
自分の村に帰らずにいったいどこに帰るというんだ?
戦死したり、怪我したりで帰れない者も数百程度はいるだろうけど大半の農兵は本国に帰るだろう。

>じゃあ、改めて2万8千から3千引いて問題なしなんだね。
なんで>>784のレスを見て3千引いて問題無しになるんだ?
三方ヶ原(12月)後も引き続き3千を浜松方面に派遣し続けてたっけか?
3月〜4月頃には帰還してきた兵を再動員または他の者を召集すればいいだけのことで、
いきなり3千または1000〜2000がマイナスとかありえないのでは?
802人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 14:06:07 ID:f/bMGSr5
>>801
>自分の村に帰らずにいったいどこに帰るというんだ?
城には帰還しないだろうと。

>3月〜4月頃には帰還してきた兵を再動員または他の者を召集すればいいだけのことで、
>いきなり3千または1000〜2000がマイナスとかありえないのでは?
この時の援軍は多分尾張衆と思うが、尾張から再度3千集めるのは難しいのでは?
803人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 14:08:05 ID:f/bMGSr5
>この時の援軍は多分尾張衆と思うが、尾張から再度3千集めるのは難しいのでは?
だから、1000〜2000がマイナスではということね。
804人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 14:13:30 ID:vqCkFYix
織田徳川全体の使者が多めに考えても数百レベルで、怪我人がその10倍いたとしても
数ヶ月たてば多少の怪我であれば回復しているだろうし、動員する人間が全く同じ相手というわけでもないだろうから、
テンプレの兵力への影響は誤差の範囲でおさまると思うが
805人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 14:23:47 ID:lmMn5tlt
>>802
>城には帰還しないだろうと。
で?城に帰還しなくても村に帰還していれば再度召集するのに支障は無いでしょ。

>この時の援軍は多分尾張衆と思うが、尾張から再度3千集めるのは難しいのでは?
>>804も述べているけど12月末の敗戦〜3月、4月の間に再度軍備を整えるのは十分可能でしょ。
806人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 15:09:38 ID:ENuvXpTP
大半農兵で農繁期になったら帰るとか井沢とかの妄想だろ。
そんな融通の利かない戦争ばっかなのかよ。

武田軍農繁期に動き捲ってるし、今川義元の上洛戦×とかも農繁期なわけで、
わざわざ農業に従事しなきゃならない奴ばっかばわけないし。
大内が上洛した時の兵は、農繁期になっても帰ってないぞ。

807人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 15:47:18 ID:CqhxXg7v
250人の動員率を曲解して考えるから3000引くとか訳のわからない話になるんじゃないのかな?
テンプレの動員力は各勢力の戦力を相対的に測るための標準的な目安であって
三方ヶ原の敗戦で死傷者が多少あるからと言っても人工が微減したにすぎないと思う。
そこから動員兵力が数千減るだろうとかは乱暴すぎると思う。
動員兵力が増減するとしたら死傷者の有無よりも
各大名の支配影響力の変化が最たる要素なんじゃないのかな?
数千〜数万の死者が出ているとか
三方ヶ原戦で織田の国内での支配力が低下したとかなら話は変わるとは思うけど。
808人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 16:36:27 ID:4NkW6MaF
朝倉は刀根坂で一戦するしかなかったんだろ
一乗谷籠城が一番の安全策なのにしないんだもの
景鏡の裏切りが判明したか士気が低くなりすぎたか
武田の新府城と同じ状態ではないか
809人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 19:07:18 ID:ZmWgEohl
すんません、武田家の兜とかの遺品を所蔵している東京の西光寺というのは、
どの寺かわかりますでしょうか?
都内だけでも同じ名の寺が10以上あってどれなんだか・・
810人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 20:50:11 ID:RKsse9LV
しかし読めば読むほど
信玄-朝倉らの包囲網は無理があるな、と実感できるな

それに比べ、毛利-上杉包囲網の方が遥かに織田を追い詰めてる
手取川の直後、越前で柴田義宣が討取られ
謙信の死後、約三年経ってもまだ柴田は加賀南部を放火してるとか
越前〜加賀の実態は手取川以降ボロボロ

謙信が生きてたら毛利は別所を救援出来たろうし
姫路の信忠軍から斎藤、或いは秀吉まで謙信対策へ回さなければならない
丹波の波多野攻めも手薄になる
そうこうしてる内に荒木までが謀反
播磨勢を吸収した毛利か、一乗谷を落した謙信のどちらかが荒木吸収

信長滅亡の可能性が一番高いのは第二次だったね
謙信の死が惜しまれる
811人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 21:29:58 ID:f/bMGSr5
>>804
>>805
まぁそうかね。

>>807
実際死傷者が出てるのに、影響力が変わらなければ軍事力に変わりはないと言うのは無理がありすぎる。
812人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:12:53 ID:GmjqhFow
>>808
一乗谷籠城?
刀根坂の戦いって小谷城の後詰め行動からの出来事でしょ。
813人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:30:54 ID:9a9goTBM
果たして西上作戦は遠征と呼べるのか?
結構、大切な問いではないか?
遠征の長所は「補給路は必要なく、敵領地も要所だけ押えればいい」でしょ。
つまり、点と線でいいわけなんだよ。
814人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:53:14 ID:yMkr0SFN
>>810
手取川なんて、織田軍でも五分の一くらいの軍の殿に被害が出たって程度の被害で。
その後も加賀の一向衆とは戦い続けたが越前までは特に問題ない。

>謙信が生きてたら毛利は別所を救援出来たろうし
意味不明。毛利の敵は織田だけではないし、中国戦線は天正八年の信忠の援軍以外は
秀吉軍単独で毛利を抑えてかつ侵略を進めている。

>丹波の波多野攻めも手薄になる
同じく意味不明。織田の丹波攻略は明智と寄騎の細川の軍だけで行われた。他からの
援軍なしにね。手薄になる理由がない。

>播磨勢を吸収した毛利か、一乗谷を落した謙信のどちらかが
結論。どっちも無理だね。
毛利は秀吉と同盟国で抑えられる。
大坂は佐久間で抑えられる。
武田は徳川で抑えられる。

信忠軍の一部で荒木を抑えたとしても、信長直属軍、丹羽、滝川、北畠がまだ手空き。
815人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 00:02:29 ID:WkRogABp
>>813
何が言いたいのかわけ分からん。
816人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 00:31:13 ID:K3dhFyRF
>>813
頭大丈夫か?
てか、お前の主張は「西上作戦はなんと機内大遠征だった!」だろ。
817人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 00:53:16 ID:n0nVwn2d
畿内大遠征とは武田全軍、全領民でひたすら京を目指し
上洛成功後はそのまま京に移住し甲信駿は放置する、という恐るべき計画である
818人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 00:54:02 ID:8U8g7y/o
>>814
>その後も加賀の一向衆とは戦い続けたが越前までは特に問題ない。
手取川の戦いは天正五年九月
柴田義宣を討った越前谷城が落ちるのは天正六年春、
九頭龍川上流に蟠踞した一向宗勢力は天正七年まで健在
そんな越前すらおぼつかない頃、天正七年八月に柴田勝家は加賀南部に侵入してるけど
天正五年と同じ場所を放火しただけ

>秀吉軍単独で毛利を抑えてかつ侵略を進めている。
毛利軍が上月で留まったのは姫路に信忠軍が居たから
謙信が天正六年秋にでも加賀南部に現れたら、天正五年の手取川合戦以上に緊迫した状況
その時こそ秀吉は無断離脱など許されず、柴田・丹羽と共に謙信に相対しないといけない
もちろん信忠配下の斎藤新五も前回同様、この対陣に参加させられる
つまり播磨では毛利が三木城を救援し易い条件が揃う

>織田の丹波攻略は明智と寄騎の細川の軍だけで行われた。
天正七年まで波多野は攻略できない
越前や播磨のどちらかが手薄になる状況下で、明智軍がそのまま丹波に居られるか怪しい

>毛利は秀吉と同盟国で抑えられる。
その秀吉が天正五年の手取川に参加していた
再び秀吉が中国から北陸へ配置転換させられたら、毛利は抑えられない
819人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 01:08:27 ID:augJwH+K
別に全ての戦線で織田家が攻勢に出なければいけないわけではない
どこかが苦戦するなら他の戦線を守勢に切り替えて苦戦してる戦線に兵を送ればいいだけ
丹波あたりは亀山城を強化するか、亀山以前なら山城の防備を固めることで明智の兵力がある程度は他にまわせる
織田家は兵力の転用はしょっちゅうやってる
820人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 01:23:22 ID:GAvQMpOj
遠い戦地だから遠征というわけじゃないでしょ。
川中島は遠征とはいわない
しかし、小田原包囲は遠征と呼ぶ。
川中島と小田原は甲府から距離はそんなに差はない。
西上作戦はどっちなんだろうか?
三河までの城を丹念に叩いて支配するのは遠征とはいわないでしょ。
高天神スルーだと遠征的性格もあるように感じる。
この作戦が、遠征なのかそれとも占領侵攻なのかによって、野田城後の展開は大きく変わるでしょう。
俺は遠征にこだわる。世界史的にみて英雄は必ずデカイ遠征をやっている。
遠征距離と軍の強さは比例している。







821人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 01:25:52 ID:Nsa0egDW
>>818
史実として、信忠軍撤収後に秀吉単独になっても、毛利は秀吉軍で抑えられた。
そりゃ秀吉が他戦線に転用されればやばいがね、>814で示したとおり、当時の織田
ではわざわざ秀吉を動かさなくとも他に動かせる軍がある。なんで無理に秀吉を
動かす必要がある?

そして>819が指摘している通り、史実では明智は丹波方面は抑えとしてわずかな
兵をおいただけで、自身は主力を率いて多方面の援軍として派遣されまくっている。
その間に波多野軍が攻め寄せて丹波の防衛戦が危機に陥ったという話はない。
ぶっちゃけ、波多野は明智のさらに一部の兵で抑えられる程度の脅威でしかない。

そもそもね、毛利には織田以外にも敵があったように、上杉にも織田以外に敵があった。
そういった点を無視して上杉が全力で攻め寄せてこられると思っているんですか?
822人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 01:38:31 ID:K3dhFyRF
>>811
数千単位以上の死者でも出ない限りは動員数にはさほど影響はない。
テンプレでは250人動員で計算しているが、無理をすれば700人程度までは動員は可能。
(700人は極端かも知れないが、上で少し出ていた小田原の役では東海と甲信地方は実際700人の軍役だった)
現存する史料でもそれははっきりしている。
要は数百の死者が出ても代替要員はまだまだいるという事。

大名の動員力に関しては秀吉の太閤検地で石高制に統一されるまでは
各大名ごとに「軍役帳」などが整備されていて貫高制と石高制が勢力ごとにまちまち。
ただ、両方の制度に共通しているのは領内が細かく分けられ
その土地の生産力(石高か税収か)を基に算出されているという事。

要は数百人の死者が出ても軍役帳の動員人数が改められない限り、土地に課せられる軍役は減らない。
軍役が改定されるのは検地による石高の改定ないし、税率が改定された時のみ。
多少の戦死者が出たから検地をやり直した、なんて話は聞いた事がない。
つまり、結果的に領民の負担が増えれば国力は低下するとは言え、
戦死者の代わりを出す負担は全て領民が担うシステムになっていた。
余談ではあるが勝頼は長篠敗戦後に動員力強化の為に税率を引き上げている。

大名の動員力が低下するケースとしては
・単純に支配地域の減少。
・朝倉支配下のような軍役過多などによる兵役拒否。
・一揆などでの領内混乱。
・悪政などによる領民の逃散により人工が減少。物理的に軍役を果たせない。
…など大名の支配力低下が原因と言える。
823人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 01:52:42 ID:KUKBmNSU
>>789
>>787が理由というけど各勢力は各勢力独自の政治的な理由があってたまたま織田家と戦ってるに過ぎない。
将軍足利義昭の為、または体裁では上洛するはずの武田信玄の為に蜂起しなかったからといってなんなの?

本願寺や願証寺に関しても、よもや織田家討伐を目指す大名家のような扱いしてるけど彼らは自治権要求をしてる一揆なんだよ。
>本願寺が長島に命じて尾張を荒らせば
って明らかにこの勢力の情勢を理解してない発言だよね。

君の理由とやらは政治情勢を無視した短絡的な結果論じゃん
824人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 02:02:55 ID:JE8yrgoJ
>>780
それとは逆に、2万5千で出陣した武田軍は、
二股城、三方ヶ原、野田城と戦ってきた現在でも、
同じ兵力を維持しているのかは、疑問だ。
825人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 06:51:19 ID:6/HYtaMv
武田厨は織田相手に120%勝てるつもりでいるから困る。
負ける事を想定してないんだよな。
826人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 08:27:33 ID:8U8g7y/o
>>821
七尾への後詰めが柴田、不破、前田、佐々、原、金森ら越前衆および若狭衆だけでは到底足りない
だから信長は秀吉、滝川、丹羽、斎藤、氏家、安藤、稲葉らも参加させたんだろ
しかし七尾落城に間に合わない所か
勝家が望んでいた加賀北部の松任城攻撃すら出来ずに撤退、
さらにそれ所か、加賀南部へ叩き出され、御幸塚を固めるも
城の周辺地域・・・本折、小松口、大聖寺近くの安宅まで放火してる有様
早速越前では柴田一族が討ち殺されるほど大荒れ

再び謙信が現れた場合、加賀南部から越前に跨る一向宗がさらに過熱するのは必定
北陸戦線は七尾落城以上に切羽詰った状況なのに
前回北陸へと派遣された秀吉、丹羽、滝川らが、播磨戦線に集中できる訳がない

史実だと対別所戦では、丹羽や滝川らが信忠軍と共に、別所方の城を攻め、
そのお陰で秀吉は、但馬などで播磨国衆を服属させる活動が出来た
>信忠軍撤収後に秀吉単独になっても、毛利は秀吉軍で抑えられた。
こんなのはデタラメで、秀吉は信忠らにサポートされまくってる
逆も然りで、信忠も秀吉に好条件が揃うまで播磨戦線で奮戦に次ぐ奮戦
信忠と秀吉、丹羽、滝川らが播磨で連携してる内に、宇喜多までが織田に付いた事で、
秀吉は信忠らが居なくても毛利を封じ込める力を得た

宇喜多が毛利を裏切る前、つまり一連の別所、神吉、荒木攻めの最中、
仮に秀吉、丹羽、滝川らが前回の七尾以上に謙信が迫ってきた越前へと、転用せざろう得なくなった場合
播磨戦線においては、今度は逆に毛利や別所らが優勢になるだろう

上杉にとっての織田以外の敵は北条だけ(信長による本庄繁長を離反させる策は失敗)
その対北条戦も、西上野の武田勝頼と上杉が同盟関係にある事と、
それに加え佐竹、宇都宮、佐野ら連合でも北条相手に引けを取らない(沼尻合戦)など
越後本国が纏まっていれば、北条はとても上杉圏(沼田〜厩橋周辺)にまでは迫れない
827人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 09:15:52 ID:augJwH+K
>>823
そうなると武田の対織田の戦略が厳しいものになり、このスレのお題が無理な方向になるんだがいいのかw
828人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 09:47:16 ID:augJwH+K
>>828
織田も正面の敵は毛利と上杉ぐらいになってるけどね
武田は徳川だけで討伐は無理でも戦線は支えられるし
本願寺も毛利の支援で保ってるぐらいに劣勢になってるというか本願寺との戦いが毛利との戦いになってる
上杉か毛利の一つに絞って戦線を整理すれば地力の差が出てくると思うが

かといって関東に色気出しまくりの謙信が翌年も加賀にくるとは思えないけど
829人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 09:58:21 ID:augJwH+K
>>828
>>826でした
830人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 11:23:57 ID:WkRogABp
第二次包囲網の時期には信長の勢力って400万石程度、徳川を加えたら450万石程度あるんだから
第一次の時よりかなり余裕があるように思えるんだが。
831人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 11:54:16 ID:Nsa0egDW
>>826
当初の柴田軍の役割は対加賀一向衆。その為に与えられたのが越前と加賀二郡。

>早速越前では柴田一族が討ち殺されるほど大荒れ
荒れたという記録は?それだけ荒れたのなら他にも記録があってもよさそうなんだが。
言っておくと、越前で上杉に呼応して反旗を翻した勢力が無いとは言わんよ。
しかしそれは地元の細かい史料にしか記されない程の小規模のものだった。
実際、その後も柴田も普通に加賀に侵入を繰り返しているわけで。

ついでに上杉軍が加賀南部まで進出したら、それこと斉藤が飛騨経由で越中に
乱入したように、信忠軍に背後を抑えられる危険性もある。
そしてもう何度もいうが、当時の織田家はわざわざ秀吉軍を動かさなくとも、
他にあるのだが。

>こんなのはデタラメで、秀吉は信忠らにサポートされまくってる
信忠軍は天正六年五月に播磨入国。七月に神吉城を落として三木城の周辺に
付城を築いたあとは帰国。以後は三木城包囲もその他も中国戦線は全て秀吉
単独に任された。他に秀吉に派遣された援軍というと、鳥取包囲の時に細川
から丹後水軍が兵糧補給と毛利水軍迎撃をおこなったくらい。
以後、丹羽も滝川も信忠に付けられて松永攻撃や荒木攻撃など畿内戦線に従事。
中国戦線に回された記録はない。あるというのなら挙げてくれ。
デタラメ言わないでくれる?
832人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:37:53 ID:gOQgWg6i
>上杉軍が加賀南部まで進出したら、それこと斉藤が飛騨経由で越中に

謙信生存時の飛騨は江馬輝盛が上杉方として織田に備えてましたので背後は取られません。
833人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 16:34:11 ID:uWLnQhK1
>>832

飛騨の地形と江馬輝盛の来歴を調べてからものを言え。
834人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 17:08:58 ID:gOQgWg6i
姉小路良頼〜頼綱も謙信派ですが何か?
835人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 18:27:18 ID:A0HaPrqc
誰某は〜派と一概に言い切れるほど飛騨の情勢は単純じゃない
836人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 18:56:35 ID:Hwb7giiq
基本的には飛騨有力豪族は
信玄死去後に謙信に付き
謙信死去後に織田に付いたが本能寺で信長アボンし、
姉小路と江馬がまたまた対立を始めて江馬滅亡→秀吉が金森長近に攻めさせて姉小路滅亡でやっと飛騨平定したんだろ。

例えば三木氏出身だが国司家の姉小路の名跡を継いだ良頼・頼綱親子は武田の後援を受ける北飛騨の江馬氏と対立し謙信と結んだものの武田の侵攻で敗退し武田配下に組み込まれたが信玄死去後は謙信に応じて越中にも兵を出したりしてる。
江馬氏は武田に仕えていたが輝盛の代で謙信に応じて越中に兵を出してるし七尾城攻略時に謙信は織田の動きに気をつけるように手紙も出してる。
有力豪族はこんな感じで謙信が死去しない限りは飛騨有力豪族は上杉方。
837人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 19:29:10 ID:6/HYtaMv
しかし残念な事に、武田脳の人間には

飛騨有力豪族も北陸一向衆も武田の支配下として認識されている
838人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:17:22 ID:8U8g7y/o
>>831
>>831
>当初の柴田軍の役割は対加賀一向衆。その為に与えられたのが越前と加賀二郡。
天正八年の佐久間折檻状では
柴田は越前一国を与えられながら(光秀、秀吉、池田らの手柄に比べ)迷惑だと思って〜
と書かれてる
だから、信長自身が柴田へ預けたと認識しているのは越前一国だろ
そこから加賀南部の二郡すら、三年弱もの間、広範囲に放火を繰り返すくらいだから
まともに支配出来ない、手取川も越えられない、加賀北部どころじゃない
だから前の三人に比較されてる訳だ

>荒れたという記録は?
>しかしそれは地元の細かい史料にしか記されない程の小規模のものだった。
一城を任せた柴田一族の一人が討ち取られたら、充分過ぎるほど「大きな荒れ」だろうに
しかも突発的な事件や暗殺された訳じゃなく、乱戦の最中に討たれてる
当然、これに従った足軽大将、侍大将も討ち取られた末、柴田義宣が討ち取られたのだろう
史料が「他に」残る残らないなんて、何の基準にもならん
柴田側にも事情が有るだろうし、史料自体が失われるなど、幾らでも他に理由が有る
義宣を討った後、年を跨いで春まで続くような抵抗を(北陸の春は遅い)普通小規模とは言わない

>実際、その後も柴田も普通に加賀に侵入を繰り返しているわけで。
謙信が死に、上杉軍来襲の不安が消えた〜それから一年経っても勝家は加賀へ侵入出来てない
謙信死去から一年と5ヶ月ぶりに、ようやく加賀南部へ侵入し、何をやったかといえば
天正七年にもなるのに、手取川合戦があった天正五年同様、小松口、本折、安宅への放火と刈田くらい
これだけ年月を経てるのにも関わらず、まだ加賀南部地域への放火・・・殆ど進展がない
どう考えても普通じゃないし、これは佐久間折檻状内の、柴田に対する「一国を存知ながら」という表現に繋がる
福井県史だと天正七年まで現・九頭龍川の一向宗を制圧できてない
天正六年いっぱい、柴田は加賀南部ヘすら侵入できず、加賀侵入が天正七年八月まで遅れるのは
いつまで経っても越前一向宗を制圧できないという、苦しい状況も大きな一因
839人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:39:07 ID:8U8g7y/o
>>831
>それこと斉藤が飛騨経由で越中に乱入したように、信忠軍に背後を抑えられる危険性もある。
月岡野の時は、御館の乱真っ最中だろうが
景勝と景虎が激突したのは五月で、斎藤が越中へ派遣されたのは九月
その頃の越後は内乱中
謙信存命中に飛騨を窺えば、春日山や富山から後詰めが派遣されるだけ

>そしてもう何度もいうが、当時の織田家はわざわざ秀吉軍を動かさなくとも、
そしてもう何度もいうが、当時の織田家はわざわざ秀吉軍を動かしてまで七尾を死守しようとした
謙信が死なず、天正六年に上杉軍が越前を窺い、その国内は一向宗がさらに蜂起するなど、
一乗谷に危機が迫れば織田家にとって、七尾落城なんて比較にならない危険な情勢
七尾への後詰めに派遣された秀吉が、播磨から転用される可能性の方が高い
これは丹羽、滝川ら信忠軍の一部も同様

>三木城の周辺に付城を築いた
三木への砦を築いたのは天正七年四月
天正七年の信忠はそれ以前から三木表、姫路で合戦するなど、要所で働いてるが?
天正七年四月二十九日に摂津の古池田へ帰陣

天正六年四月下旬に毛利による上月攻めが開始されてからというもの、
それから秀吉と信忠は両輪のようになって播磨攻略を行ってる
この最中、どちらか一方が北陸戦線へ回された場合、
毛利を抑えきれるとは、とても思えない

>以後は三木城包囲もその他も全て秀吉単独に任された。
信忠が付け城を築き、秀吉が播磨の国人を味方につけた事で、三木攻めの見通しがついたと
それで信長は信忠のみならず、他の諸将の帰国をも許してる状況
程無く宇喜多が織田に寝返るくらい優勢になっただけ
誰もその後の話なんてしてないわな

謙信が生きてたら、日本海交易の為に越前三國津を何が何でも奪いに来る
自ら大軍を率いる事も有ったろうし、
加賀〜越前一向宗を刺激する為に、先遣隊を派遣してかき回す位の事もしただろう
石高は両越、能、加半分で130前後だろうけど、
謙信の晩年には両越の金山が最盛期を迎えるから、強国である事には変わりない
それは毛利も同じで、この両家に挟まれたら信長は厳しい
840人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 22:14:17 ID:K3dhFyRF
なんなん
841人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 22:15:08 ID:K3dhFyRF
誤爆orz
842人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 22:22:34 ID:DLlE39FY
柴田が加賀になかなか進めなかったのは上杉がというより加賀一向一揆が手ごわかっただろうな
御館の乱が起きてから越中には簡単に軍を進めることが出来たのに、加賀の制圧はほとんど進まなかったのその証拠

>>811
死傷者が出てるとかいうと、織田にますます有利にならないか?
浅井朝倉三好松永のそれまでの戦を考えると織田のマイナスより彼らのマイナスの方が大きそう

>>839
>信忠が付け城を築き、秀吉が播磨の国人を味方につけた事で、三木攻めの見通しがついたと
>それで信長は信忠のみならず、他の諸将の帰国をも許してる状況
それって結局織田が一時的な攻勢を凌げたなら、荒木や別所に対し付城築いて戦力に余剰が出て
謙信が生きていてもどうにでもなるってことじゃ
史実じゃ信長直属は温存されているんだし。
843人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 23:53:35 ID:VTdRfqfb
>>806
その命題の、当時の農民兵の実体については、直接このスレとは関係がないよね
動員した兵を維持できるかどうかの兵站の問題を議論しているのだから

でも、その命題は、オレも戦国時代に生きてないので正直よく分からない
それなりに問題があったのだろう、問題ないなら
一般的に言われている兵農分離の意味が分からなくなるからね

ソースは出せないが、データ的には農閑期の方がやはり出陣が多かった記憶があるけど・・・
兵站の役割も領民があてがわれていたということなのかな
844人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 00:02:38 ID:Edbanbsn
>>842
毛利の脅威に織田の支援で組織した尼子軍を見捨てて大幅に戦線を後退させたからでしょ。秀吉の後退時には強烈な追い討ちをくらって大敗したし。
加賀一向一揆は手取川を機に上杉の被官化が進みましたし加賀だけでなく越中一向一揆も同じように存在してましたが。
845人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 00:51:14 ID:IZjrKUDR
>>843
農繁期でも関係なく出兵は可能だと思う。
当時の農業は現代のような世帯ごとに畑を領有し作物を生産していた訳ではない。
大名の下に国人なりの領主がいてその下に農民がいるような大規模経営の仕組みだった。
現代のイメージとしては大きなレジャーランドなどに住み込みで働く労働者を想像すればいい。
要は大名の下に経営者、その下に労働階級がいた。
戦国期の生活基盤はそのシステムを中心に展開していたと想像できる。

そして、その土地ごとの生産力により軍役人数が領主に割り当てられていたが、
これには労働力の余剰人数を充てていたと考えられ、(労働力過多だったと考えるられている)
軍役の算出もこれが考慮された数字が割り当てられていると考えるのが妥当。
さらに労働力余剰人員だけで農繁期に大動員した例はいくらでもある。

なら余剰じゃない労働力も総動員すればいいじゃん?と思うかも知れないが、
有事の際には時期に関係なく総動員の例もあったのかも知れないけど、
総動員できない背景にはその動員した兵力の武装や兵糧の負担を
ごく一部の例外を除いて全て領主が負担していた事が挙げられる。
労働力階級全ての兵力分の武装、兵糧を領主が負担なんてのは
当時からすれば激しく常識はずれだし不可能かと。
よって冬期は農繁期より多くの兵力を用いる事が可能
…なんて事に一概にはならない。
846人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 01:14:06 ID:IZjrKUDR
あと、武田においては信玄が軍役に関して
「武装していない農民や職人などの非戦闘要員は動員してはならない」
みたいな定めをしている。これは当時の実状から兵農分離が出来ていたという解釈ではなく
各領主が半士半農の余剰人員を抱えていたことを示している。
信玄は国内の生産力を保護する為にこの定めを作ったんだろうね。

勝頼期には守られていたんだろうかね?
847人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 01:14:41 ID:kOpQrrkU
上のちょっと長すぎる気が…

過去スレが徹底調査したデータによると武田は農繁期の動員が多いよ。
刈田狼藉に適した時期が一番多い。

兵農分離幻想については
毛利は、銀山の経済力を背景に長期動員をしていた模様?3年間の包囲をやったんだよね。
上杉とかも結構長い動員をやってたと思うけど
結局、金の問題かと。
848人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 01:17:29 ID:IZjrKUDR
>>847
すいませんでしたorz
849人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:02:15 ID:Kz4WbPGn
弱小大名(石高が低い)なら、兵は農繁期には帰らないとまずいが、
100万石大名なら帰らなくても大丈夫ではないかい?」
石高が高い事のメリットだね。
850人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:06:24 ID:SwhKhnKm
石高は関係ない。
金山収入や林業や流通などの非農業関係者の多寡による。
851人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:08:09 ID:SwhKhnKm
ちなみに謙信時代の上杉は金銀鉱山や塩製作業者がたくさんいた反面で、田畑が少なく農業関係者が少なかったと言われてる。
852人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:14:25 ID:IZjrKUDR
>>849-850
石高も関係なければ鉱業や林業も関係ないだれ。
関係あるのは全ての産業の労働力余剰人員。
生産技術や環境などによる生産効率と人口密度が物をいうだろうよ。
853人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:26:14 ID:Kz4WbPGn
>>852
人員が余剰しているからでなく、
生産物・金銭が余剰しているから、必ずも帰らなくていいんだよ。
854人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:36:38 ID:pm5G3bsN
むしろ大軍の遠征は農繁期がよい。義元公がわざわざ農繁期を選んだのは
略奪行軍で兵站問題を解決したがため。

信玄公も騎行戦略で信長おびき出すがよかろう。
おびき出されずに持久戦取るなら、略奪するだけして帰ればよろしかろう。
時機周辺諸国や国人の信頼が信長公から離れ、信玄公になびくだろうて。

855人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:38:40 ID:IZjrKUDR
>>853
ああそういう意味か。
補給が持つから長期遠征が可能って事だね。
それは大名の経済力の問題だよなあ。
まあどっちにしろ林業人口や鉱業人口は関係ないけど。
出兵期間は生産しない、なんて事は無いし貫高制の国もあるしね。
856人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 03:09:01 ID:Kz4WbPGn
>>855
生産物・金銭に余剰があれば
兵が帰らない事による産業の損失を補うことができる。
兵や民衆に対して補益もできて、出兵を強行できるようになる。
生産物や金銭の余剰が生まれてから人口の余剰が起きる。
だから、石高を含め全ての産業はかなり関係している。
857人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 03:49:39 ID:IZjrKUDR
>>856
〉兵が帰らない事による産業の損失を補うことができる。
そもそも普通は産業に損失が出るような過酷な動員を防衛戦でもない限りはしない。
防衛戦でも稀。
普通じゃない話は論外。

〉出兵を強行できるようになる。
大名が余剰の物資を領民に与えれば
全ての産業を停止して全領民での遠征を強硬できるのか。
できる訳がない。流通は一切無視か?
産業が盛んになればなる程、産業放置での出兵なんて無理。
あと武器弾薬兵糧などの軍需物資は大半が国人負担だが、国人の負担は倍増するぞ。
しかも防衛戦ではなく外戦の話なんだろ?
遠征で産業に支障をきたすような無茶苦茶な動員に誰が納得するのか。
当時の常識を越えた現実的でない話を出されても意味がない。

〉だから、石高を含め全ての産業はかなり関係している。
俺は関係ないなんて言っていない。
関係ないのは農業人口と非農業人口の比率だと言っている。
858人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 06:43:27 ID:XspgP+WF
>>854
> 義元公がわざわざ農繁期を選んだのは
> 略奪行軍で兵站問題を解決したがため。

義元が尾張に侵攻したのは鳴海城救援のためだし、その時期をわざわざ選んで出陣したわけではないっしょ。
それと大高城に家康が兵糧を入れたりしてるが、ありゃ略奪したものなのかい?
859人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 09:20:33 ID:nR8NWNKI
極端バカって話するの疲れるよな。
信長が兵を金で雇うことがあると言ったら、今どき信長が常備軍を持ってるのを信じるなって噛み付いてくるみたいな感じ?
860人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 12:03:18 ID:sb0SkNlY
江戸時代の兵農分離を参考にすると、
常備軍と言うのはやはり知行ではなく禄でまかなう
旗本を増やすと言うことになるのだろうか?
それでも三千ー五千もいればかなり強力そうだな。
861人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 13:04:29 ID:Edbanbsn
農繁期で兵が投入できるのは農業に関わらない人々でしょ。熱田神宮には流通業に関わる人々が集まってたらしいし。堺や長島あたりは商都的性格があり兵を雇ったとか。水軍なんかも季節関係ない。
もしくは農業生産が落ち込んでも補填できる副収入が得られる金山財力。
働き手が少なくなり農業生産に負担がかかっても領主は税を取る→一揆や従軍拒否も出てくる。
トラクターもない明治期だってガキ8人とか大家族で田植えをしたりしても人手不足だったんだし農業にかかる重労働負担を甘く見ない方がいいよ。
敵と対陣してて農繁期に入ると本音は軍役を解除したいが相手が引かないから追撃を受けたくなくガマン合戦の様相になったりしただけで何とか双方和睦した後に急いで帰るなんて普通。
もともと国民皆兵のナポレオン時代でさえ軍の現地調達が基本であるから焦土作戦が有効だったわけで
信玄の場合は甲斐は堤を作ったりしたがもともと貧しいから遠征略奪軍としての性格もあるからだいぶマシだと思うけど公的権力を名乗る軍や自領が戦場の場合は略奪できんから厳しいね。
862人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 13:15:09 ID:KPpw0gcX
戦国期の一揆は領主層が起こしてるんだよ。
こんなん義務教育の範疇じゃないの?
863人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 13:48:59 ID:3Xu4v85z
>>861
どれだけ穀物生産以外の収入割合が大きいかが
動員していた兵力にも関わってきそうだな
人手を多く必要とされる重労働な米や稗の栽培くらいしか出来ない国は
集まる兵やその時期も限定される
しかし塩や青苧や蝋などの生産で儲けてる国は
比較的兵の集まりが良く、時期も限定されないと
864人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 15:31:07 ID:tecHpAWa
武田の西上作戦は秋からなんだよね
865人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 19:00:51 ID:SwhKhnKm
電気やガス、水道に鉄の農機具やエンジン付きの車がない時代の農業はつらいよな。。
武田軍に根こそぎ奪い取られたら徳川支配地域の領民はショボーンだよな。。
866人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 20:13:17 ID:nR8NWNKI
もし、武田が徳川領の田畑を根こそぎ潰すなり刈るなりして引き上げたら、徳川は農民に対して米蔵を解放したりするのかね?
867人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 21:31:30 ID:ggJthvu2
>>680
>武田は1万石あたり250人というルールを破ってるのに黙認なんですねw
>北信および上野へ対上杉に五千ほど、
これが不要なのに計算されているからだろ。

武田が徳川を攻める時に二俣や高天神などに手間取ったように国境を守る為の堅城に数百の兵で守れば簡単には落ちない。
その上で援軍に向かうにも上杉が攻めて来た時に5千だけで援軍に向かっても仕方が無い。
結局武田本隊を引き返させなければならないなら、5千を計算するだけ無駄。

通常、国境を攻められてから甲斐から出陣するのを、一旦引き返してから攻める為日数が余分にかかるだろうし、
その為には城の兵力を増強させる必要があるが5千なんて話にならない。
868人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 21:44:46 ID:PEozh74I
Ha?
869人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 21:54:06 ID:VKxsnkzH
>>867
本気で言ってんの?
本気で言ってるのなら過去スレを見れる分だけ見て、あとは半年ROMったほうがいいよ。
870人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 23:04:40 ID:nR8NWNKI
上野に二千。信濃に三千を駐屯させてんだよ。
871人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 01:20:43 ID:TFFRASC/
>>865

>元亀3年(1572年)10月3日、将軍・足利義昭の信長討伐令の呼びかけに
 応じて信長との同盟を事実上破棄して、上洛するために甲府を進発した

オレの言いたかったことは秋は秋でも稲刈りの後だろということ
872人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 01:34:05 ID:TFFRASC/
ハッキリ言って、ソースがないので、どうにもならないよね
学者の詳しい研究が待たれる
日本の戦国時代は肝心なところがほとんど研究されてない現状・・・

兵農分離の実体も分からないし
(個人的には半農の兵を長期出兵させることよりも兵站維持自体の理由で
 農閑期の戦が多いと思う、兵站の維持には領民があてがわれることになるからね
 大規模になればなるほど、兵站の維持のため、農閑期しか軍事行動を取れない)

大体、敵側とはいえ、野武士でもない大名が田畑を荒らすような真似をするのかなとも思う
今川家は性格上しないだろう
支配地域の警察の役割もしていたのが武士ではあるけど、野武士、野党ならともかく、
体面を気にする大名が野党の真似をするとも思えないし

武田の騎馬隊自体が捏造されている、織田の鉄砲も実際はどうだか分からない

いい例として、徳川史観でどっぷり洗脳教育された従順な日本人は、最近まで石田三成を過小評価してたしね
勝てる見込みのない戦に出た小物扱いしてた、ここ10年くらいだよ、評価が大きく変わったのは
873人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 01:39:07 ID:TFFRASC/
>>865
いくらなんでも、鉄の農機具はあるだろ
874人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 01:41:58 ID:iRt07iaC
確か鉄の農機具は弥生時代辺りからあったはずだよな。
間違ってたらスマン。
875人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 01:58:51 ID:hj+9a91E
鉄は貴重で謙信なんかも米で毛利から買ってました。
旧吉川領ですな。
任那日本府が朝鮮にあったのも当時に日本では鉄生産がなく朝鮮鉄の権益保持の為の支配地でした。

とても鉄の農機具なんて無かったでしょう。
876人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 02:01:45 ID:B/6AUNwP
100万石クラスだからこそ遠征ができるんだね。
内政事情などで中断されない強固な国内基盤があるから遠征が成立するんだね。
弱小大名は遠征をしたくてもできない。




877人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 02:16:40 ID:hj+9a91E
いえ
大内義興に無理やり命令されて中国の弱小国人達は遠征させられ上洛して戦わされました。
878人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 02:54:48 ID:cG8jGIcI
★★★★★★今日は全板人気トナメ戦国板の出陣日★★★★★★

■ 投票の仕方 ■
http://zenita.sakura.ne.jp/:ここに行き
「こちら」をクリックして、10分待ったらリロード
(携帯はその場でコード発行!)
[[2ch**-********-**]]:こういうのが出るのでコピー
投票する板を選んで

 ↓みたいなレスを
------------------------------
[[2ch**-********-**]]
<<戦国時代>>
@戦国時代板
------------------------------
↓の板の投票スレに書き込むんだ
http://etc7.2ch.net/vote/

http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212505934/
879人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 08:40:57 ID:sM5gjz+u
>>867
あほか。
北信や西上野をがら空きにしたら、上杉に攻めてくれと言ってるようなものだろ。
880人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 10:14:31 ID:MoCzlXnO
信長厨って信長が最良の結果を導き、信玄が最悪の結果を招くっていう脳内妄想でしか話ができねーのか?
881人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 11:41:02 ID:EvB27Yp4
ふははは!!!突撃ぃー!
882人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 12:13:59 ID:aHWVOGA6
>>880
逆もまた然りでこうなる

信玄厨って信玄が最良の結果を導き、信長が最悪の結果を招くっていう脳内妄想でしか話ができねーのか?

残された事実は一つだけだが妄想はいくらでもできるからな
883人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 12:14:20 ID:l/hKYnSx
>>880
信玄が史実より長生きしていると言う仮定の話をしているわけだが。
それだけじゃ足りずに、もっと信玄に有利な話が欲しいのか?
884人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 14:16:15 ID:fV8dvfVp
そもそもこのスレって武田有利になるようにかなり甘く設定されてるのよね
それでも上洛が容易でないからぐだぐだとスレ数を伸ばしているのであって
885人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 14:25:22 ID:OcnKQhLj
織田厨はアホ
信長公記の知識しかなく
それを盲信して譲らないカス
886人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 15:25:53 ID:6LJpMnm3
武功夜話はどうかな?
887人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 15:29:22 ID:qNkqwN1q
武田スキーにとって史料話は地雷
888人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 15:49:49 ID:dgzjhQQl
武田の最強ぶりは甲陽軍艦が物語っている!!!
889人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 16:13:38 ID:OcnKQhLj
>>886>>888
別にすべてがウソと言うわけではない。
890人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 18:33:34 ID:Pj/9HGIQ
全てが嘘ではないが、多くは脚色と他の史料で確認できない信憑性が疑わしい記載>甲陽軍鑑
891人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 18:41:08 ID:hj+9a91E
参考として
tp://oshiete1.goo.ne.jp/qa2905249.html
892人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 19:47:25 ID:YN4Fpx0y
信長直属軍って上に書いてあったけど
具体的な直属軍の武将って誰?
信忠軍には斎藤利治・毛利長秀・坂井越中守・森長可・佐藤秀方らが付けられていたそうで
柴田軍には不破・前田・佐々・原・金森、日根野ら
信長自ら本願寺を急襲した時も確か寡兵だったような
信長は兵を周囲にはべらせ、遊ばせておくような無駄を嫌っていたような印象がある
信忠が成長した頃だと自分の指揮権を与えていたんじゃないかな
それとも京や安土へ信長が移動する度に数万の軍勢も付随してたんだろうか?
信長後期の直属として有名な武将達が誰なのか知りたい
893人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 20:12:25 ID:KPHNQoyI
信長は何処で迎え打つつもりだったんだろう?
894人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 21:36:25 ID:4q6sNF9a
織田への言及は信長公記に加え、「多聞院日記」、「言継卿記」、「兼見卿記」
などの、畿内の一流教養人が残した一級史料があるんですけど、武田には
何かありましたっけ?

え?甲陽軍艦(笑)?そ、それが武田の一番まともな史料なんですか?
自家の部将によって書かれた脚色だらけの身内マンセー本が?

あ、甲斐(笑)ですもんね。まともな書物が書ける知識人なんていませんね。
甲陽軍艦(笑)でもよくやったほうだと思いますよ。甲斐(笑)にとっては
歴史的偉業ですよね。

春日虎綱「俺武田家の部将だけど信玄マジ最強。ソースは甲陽軍艦(笑)」
895人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 21:46:32 ID:qNkqwN1q
だから地雷って教えてあげたのにもうw

>>892
信長後期の直属武将ってどういう意味よ?
おまいさんの言う信忠軍柴田軍の中に直臣はいないと思ってるの?
896人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 22:00:19 ID:MekXMPA0
>>869
>本気で言ってるのなら過去スレを見れる分だけ見て、あとは半年ROMったほうがいいよ。
今レスになってから、徳川は防衛側なんだから1万石あたり400人でもなりないやら、基本守りの兵で補給路を断つやら、
糾合して奇襲するやら言ってるんだから、過去スレはもう関係ないだろ。
上杉に対しての武田が防衛側という事で織田・徳川と同じ条件で考えれば、改めて対上杉用に5千なんて絶対不要。

897人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 22:12:39 ID:cSI6MbIM
>>872
信長は姉川合戦の際に、田畑略奪放火の騎行戦に出てる。

信長が持久戦体制なら、同じことをするだろう。

898人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 22:31:50 ID:JYHLh6J/
>>896
で、仮に不要だとしてどうしたいの?
対上杉用に余ってる5千を遠征軍2万5千に加えようとか言いませんよね?
899人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 22:35:03 ID:lv21i1FG
>>896
武田本隊の後詰が期待できるのなら5千ぐらいでなんとかということ
三河遠江から引き返すとなると織田徳川の追撃も考慮しないといけないし
武田は無敵だから追撃軍なんてケチョンケチョンだなんて馬鹿な考えは信玄はしない
900人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 22:43:12 ID:iRt07iaC
>>896
何が言いたいのかわけが分からん。

901人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:20:20 ID:s9PscKDT
この上更に5000も動員して武田の財政が持つのかという方が問題な気がする

>>892
蒲生などの近江衆などに小姓衆・馬廻だと思う
まあ他にも各地に信長領などがあったからそこの兵もいるんだろうけど
信長の軍事活動は雑賀攻めの後は武田攻めだし、
一手の将ならばともかく馬廻の大半は史書に名を残すような存在では無いだろうから
よくわからないな、佐久間の兵力とか与力が判明すれば、
石高から逆算しておおよその兵力が推定出来るかもしれないけど

>>894
一応武田も高白斎記・妙法寺記・塩山向岳庵年代記・王代記などがある
902人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:23:23 ID:mQA6BiNz
遠征は金がかかるからな
織田と3年も戦い続けてたら武田も朝倉みたいに金が尽きて終わってただろう
903人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:35:05 ID:cSI6MbIM
ってか織田の金は続くのか?あんだけ四方敵に廻して門徒のゲリラ戦とか最悪じゃね?
904人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:37:24 ID:mQA6BiNz
>>903
織田の経済力は凄まじいからな
信長包囲網みたいな目に遭ってよく金が続いたもんだ 10年もの間、周りの敵と延々戦い続けたわけだから
905人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:47:49 ID:dtS3WY4V
信玄が病死せずにあのまま西進を続けていたら
本能寺を待つまでもなく、多くの武将が信長に反旗を翻していたのは目に見えている
そこでgdgdになった織田軍は武田軍に蹂躙されて織田滅亡
徳川家康なんて早々に信玄に取り入っていた事だろう
906人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:48:38 ID:mQA6BiNz
>>905
なんというポジティブシンキング
907人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:50:11 ID:l/hKYnSx
>>893
信玄次第。
奥三河から美濃に来ればそこで、岡崎囲ったらそこと言う具合に。
武田の動きが確定するまで岐阜にて待機。
908人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 23:55:20 ID:s9PscKDT
織田の場合は68年から75年ぐらいまでで考えると
実際には主力が軍事行動しているのは短期間ばかりだからってのもあるのでは?
909人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:04:44 ID:a/nrH57Y
電撃戦の得意な魔王信長と石橋叩いて渡る慎重な策士信玄
信玄の寿命が尽きてなければ本当に面白かったね
本当に信玄が上洛してたかも知れないもんな
と妄想


910人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:06:42 ID:fSCADbHm
石橋叩いて渡るほど信玄が慎重なら俺ルールで同盟切りまくって周り全部敵になんかしません
911人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:08:10 ID:KWmgLSLR
結構反武田の視点で武田の経済力とか兵站とか語られるが、織田の経済状況とか
って語られないよね。

武田介入とかドロ沼の包囲網喰らってる織田のほうが、経済的に厳しかったんじゃないの?
そこんとこ詰めてよ。
912人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:09:24 ID:fSCADbHm
信長は朝倉滅ぼしてから多方面作戦まではじめている
金が相当余ってないとこんなのとても無理無理
913人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:22:41 ID:pqLptN0q
>>894
織田厨でそれらの史料に言及したレスなんて見た事ないんだがw
名前をあげるだけならアホでもWiKiを見るだけで可能だからなw
2ちゃんで一次史料の名を出すアホって内容をほとんど知らないよな。
他家の感状も含めてちゃんと言及できる広範囲の知識ある人って「〜ってどう?」って名前をハンドルネームにして関東甲信越の大名を対象にレスする人を代表に関東甲信越系の会話ができる人達くらい。
織田厨と毛利厨と伊達厨は史料名を上げても内容には一切言及しないシッタカばっかだろバーカw
914人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:23:35 ID:Nzes+eA7
織田が経済的に苦しくなったとか聞いたことないな
1次、2次と包囲網を敷かれながらもどんどん出兵し領土拡大していくし
天皇や朝廷にも貢ぎまくってるわ安土城も築くわ
財政面では問題なかったんじゃない?
915人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:25:48 ID:fSCADbHm
本願寺もアレだけ信者囲ってた割には降伏した時点で後1年戦える余力を残していたようだし、畿内ってのは田舎大名からしたら信じられないぐらい豊かなのかもしれん
流石に兵糧は足りんかったようだけど大量の兵で篭城している限りこれは仕方が無い
916人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:32:51 ID:0IFrH6fB
1568年2月北伊勢出兵 9月〜10月上洛及び畿内戦 と実質3ヶ月以下

1569年1月京都本圀寺襲撃 8月20日〜10月4日北畠討伐 と実質3ヶ月以下? 天下普請はあったけど

1570年4月20日5月21日上洛朝倉攻め、軍の方はいつ上洛していつ岐阜に帰ったかは不明だが
    6月19日〜7月1日?姉川の戦い 7月4日上洛時供は少数というので軍は一部残して帰国?
    8月20日〜12月17日志賀の陣
    1570年は結構長くて、合計すると6ヶ月以上?

1571年5月12日〜5月16日長島攻め 8月18日〜9月20日江北出兵延暦寺焼き討ち 実質1ヶ月ちょい?

1572年3月5日〜5月19日江北出兵畿内攻め 7月19日〜9月16日(岐阜への帰国は11月?)
    1572年は結構長くて合計すると6ヶ月ほど?

1573年3月25日〜4月11日義昭挙兵 7月6日?〜8月4日義昭挙兵畿内攻め 8月8日〜9月6日浅井朝倉攻め
    9月24日〜10月26日北伊勢攻め 11月4日〜12月2日三好義継攻め
    あれだけの戦果があった1573年も4ヶ月半ほど?

1574年2月1日〜2月24日明智城救援 3月12日〜5月16日蘭奢待切り取り(4月3日本願寺が挙兵したため主力も軍事行動しているか?) 
    6月14日〜6月21日高天神救援 7月13日〜9月29日長島攻め
    蘭奢待切り取り時も軍事行動していると考えると6ヶ月ほど?

1575年2月27日〜4月28日上洛畿内攻め 5月13日〜5月25日長篠の戦い 8月12日〜8月28日越前一向一揆攻め
    3ヶ月ちょっと?

織田軍の主力に限って軍事行動見るならこんな感じかと、一部信長が上洛しただけなのか軍隊もいっしょか分からない部分含むため
やや過大かもしれないけど。
ただ一部の付け城の将や前線の将の軍事行動は織田家全体として見れば負担は少ないだろうから入れていない
入れると長くなるし。
917人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:45:10 ID:aSZBm4Gf
本願寺なんて兵糧恩賞なんて考えなくていいからな
信者だから見返りなしで無限に戦える
918人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:47:12 ID:fSCADbHm
まぁ確かにタダ働きさせることはできるが、武士の何倍もの兵を食わせなければならないだろ
人口総動員なわけだから
919人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 00:56:00 ID:ekV/65W0
>>898
>で、仮に不要だとしてどうしたいの?
>対上杉用に余ってる5千を遠征軍2万5千に加えようとか言いませんよね?
武田だけ1万石あたり250より多く動員していると言うのが、イチャモンだというだけだ。
920人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 01:00:38 ID:0IFrH6fB
>>919
その理屈はおかしい。
921人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 01:06:26 ID:CxnOmSia
>>919
最初にイチャモンをつけてきたのは>>679でしょ。
それに対する>>680のレスだけを抜粋してるのはおかしいだろ。
なぜ>>679のレスをスルーするんだ?
922人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 03:18:42 ID:HKpgpCJ9
>>913
あははw織田厨ダセェなおいw

カッコ悪いシッタカ達の逃走劇集

毛利元就総合スレッド 
http://c.2ch.net/test/-/sengoku/1154094080/517-
>>521のレスで史料を羅列した後に逃走する毛利厨w
上杉謙信VS伊達政宗
http://c.2ch.net/test/-/sengoku/1194225046/461-
>>470のレスで史料を羅列した後に逃走する伊達厨w

特徴・・・追い詰められて論破されると史料を俺は読んでて詳しいと言い放つが内容を突っ込まれると逃走する。
または論破され追い詰められた挙句にソース出せを執拗に連呼要求する場合もあるが
本人達が最初にソースを出した前例がまったくない単なる苦し紛れで基礎的知識すらない無知無学な愚か者の場合がほとんど。
923人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 03:39:01 ID:HKpgpCJ9
直江批判をする基地害
(無意味な場所で片倉小十郎をマンセーしたり長谷堂で伊達勝利宣言するアホなので伊達厨と言われている)
直江兼続 6
http://c.2ch.net/test/-/sengoku/1211193794/211-
>>213レスで神指城に内堀なんてないと言い放ち初めて聞いたと詰問する
>>215でも内堀に対して食い下がり、以後も屁理屈をたれる基地害。
実際、上空写真でも見れば一発でわかる簡単な話なのに執拗に証拠だせと集団で連呼するのですぐバレる自演w

>>262>>264>>267>>268>>269とまたまた執拗にソース出せを連呼w
>>264のレスに致命的大嘘が混ざってるのに自演なので連呼する集団からはなぜか指摘されない。
ソース出せと要求してる人間がむしろ信用できない人間で無知無学&大嘘まで書いて自演してるのがバレているw
924人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 07:52:57 ID:ekV/65W0
>>921
ちょうど良いレスがあったのでそれに反論する形で書いたが元々テンプレがおかしいからな。
テンプレでは武田が250を超えてて徳川や織田は250と言う事になってるだろ?

しかし実際、
かたや、基本の守りの兵力が無いかのように攻められる可能性があるからこれだけの兵を守りに必要だと言って戦力を計算し、
その結果250を超えたと言われ。
かたや、守備側だから守りの兵力があるんだからと、攻められればその守りの兵で補給路は絶てるとか、
さらに守りの兵を糾合して攻め寄せる軍勢に奇襲をかけるだかまでしておいて、
250超えてませんは、あきれた話じゃないか?
925人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 08:38:26 ID:ULNz4lCo
朝倉に対しての守備兵なんていりません。
国境に常に守備兵を張りつけておくなんて通常ありえません。
例え攻めてきても守りの兵を糾合して奇襲すれば撃退できます。
でも、武田は守備兵をおいてくださいね。

って、言うことかW
926人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 12:21:48 ID:Vlsusc/p
>>925
そういうことだW
外征している国と迎撃している国の違いだな。
そもそも朝倉は浅井の援軍にしか兵を出していないのに、
越前美濃国境に兵を置けと言うのは君も遠征君と同じことを朝倉がやると思える人なのかい?
927人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 14:43:13 ID:ULNz4lCo
いいやW

織田は秋山隊に抑えの兵を置いて動きを封じてるんだから、美濃から武田領に進行も可能。
是非武田には美濃と信濃の境にも守備兵を置いて欲しいねW

だいたい、ここはテンプレをルールとしたゲーム見たいなもんなんだから、テンプレが気に入らないなら来るなよなW
928人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 14:58:46 ID:fo1z40En
おまえら名無しのど素人の意見なんてどうでもいい
著名な歴史家、作家、大学教授がNHKで信玄が病死しなければ
織田信長は敗れていたって言ってるんだから
929人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 15:13:13 ID:TV4Payok
かもしれない
が抜けてないか
930人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 15:44:56 ID:mWcITbuz
そもそも軍事行動が可能かどうかすら怪しい(攻めてきても数万石程度の兵力が限界か?)の
越前美濃国境に兵を割くとかいう理論が訳わかんなく思う。
朝倉軍一万は誰かが言っていた秋山山岳機動強襲特殊部隊なのか?

931人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 16:00:40 ID:bI2ts6M8
漫画やゲームの世界だな
932人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 16:10:18 ID:9XzE+t6Z
まあ、美濃に信玄が出てくるなら信長本隊があたるだけだな。
933人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 17:12:08 ID:HKpgpCJ9
>>928
俺もそう思う。
934人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 17:37:38 ID:odS4+9To
>>930
しかもそれが否定されたからといって、かつて何度となく攻められた北信方面の守備もいらんだろって…
どんだけ〜
935☆晴信☆:2008/06/05(木) 19:42:30 ID:LBlrQH97
ドゴス・ギアを拿捕すりゃ良かったのにわざわざ破壊したから負けた
936人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 21:50:05 ID:hHjLZ1Ch
>>930
なんで刀根坂で2万出せた朝倉が数万石程度しか兵をだせんの?
チャンスなら兵をだすでしょ。
>>934もなんかいやな言い方。
937人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:07:41 ID:ekV/65W0
なんだこの流れは?

織田や徳川は基本守りの兵を糾合し奇襲したり補給路を断つなどの作戦行動が可能と主張。
人数にしても徳川は小牧長久手や豊臣時代の事を持ち出してまで1万石あたり400人でも少ないと主張。

ならば、武田も同じように当てはめれば対上杉用にワザワザ5千を計算しなくても基本守りの兵で戦力的に守備は十分だろう。
と言う主張がなぜこんなわけのわからん流れになる?

しかも、北信方面の守備がいらないってなんだ?
938人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:28:49 ID:omgkhXxx
まあ極論すれば>>919のは

攻めてこないかもしれないから動員する必要が無い、攻めてきた時点で動員すればいい
現時点では5000ほど動員は少ないというのであれば(ある意味確かにその分は動員していないので正しいけど)
テンプレの武田の石高を最大の106.54万石とすると
武田の場合動員は(22500+3000)/106.54=239.35人役

でも徳川は46.2万石だから
三方ヶ原の兵力8000で残りは守備兵とすると三方ヶ原での動員は
8000/46.2=173.16人役となってしまう

更に織田の場合は
石高204.456万石なので守備兵の7千・8千・5千・3千はまだ動員しなくていいというのであれば
武田に充てることが可能な2万8千分って
28000/204.456=137人役になってしまう
939人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:33:06 ID:omgkhXxx
>>936
それは越前美濃国境越えの軍事作戦は極少数の例しかないうえに、
しかももし本隊が国境越えしたらむしろ織田にとってはチャンスとなりかねないからじゃ
940人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:39:07 ID:hHjLZ1Ch
>>939
極少数の例しかなくても、というかむしろチャンスならやるでしょ。
信長の主力は美濃にいるのに何がチャンスになるの。
941人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:45:13 ID:hHjLZ1Ch
>>940の自レス補足。
朝倉たちが信長打倒のチャンスと思えば少数例でもやるでしょ。
朝倉勢が国境こえても信長主力は美濃なんだから
織田のチャンスにはならないんじゃないの。てこと。
942人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:51:56 ID:omgkhXxx
>>940
極少数って例が少ないという意味ではなく、極少兵力での例しか無いって意味ね
織田の主力が美濃いる時に朝倉が美濃に攻めこんでどうする気だって気がするが
織田の主力の留守中に朝倉が越前美濃国境越えたとしても、大兵力では兵站の維持が困難
織田の主力が戻ってきたら撤退が困難な朝倉は織田と戦って主力を失うリスクが高い

>>941
織田の主力と戦ったら負ける可能性が高いから
朝倉は兵站の問題、地理の不案内、
ただでさえ織田の兵力の方が大きい上に織田側は守備ということで更なる動員が可能
近江で戦うよりも不利な要素が増えることになる
現状ではその作戦は朝倉にとってリスクの方が大きいだろう
>>600辺りからでも語られていることだけどさ
943人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:09:13 ID:ekV/65W0
>>938
微妙に言いたい事と違うような気がするがまぁいいか。

俺が結局何を問題にしているかというと、織田側の論者が都合が悪くなると
武田は250以上動員しているから織田も250以上動員して「遠征」できると言い出す事だな。

別に武田が好きなわけじゃなく織田が有利で織田で考えるのもつまらんから、
不利な武田で上洛できないか?と思って色々考えてるだけ。

しかし、武田が有利な状況にもって行けそうになると、
「武田は250以上動員している織田も250以上動員して出陣すればその状況は成り立たない」と
碁盤をひっくり返すような事を言い出されるのが一番ウザイ。


>でも徳川は46.2万石だから
>8000/46.2=173.16人役となってしまう
まぁ徳川は攻め込まれている側だからどうせ守りの兵力とごっちゃになるんだけどね。


>更に織田の場合は
>石高204.456万石なので守備兵の7千・8千・5千・3千はまだ動員しなくていいというのであれば
まだ動員しなくてももなにも、テンプレ時点で戦争状態のところばかりじゃないか?
京へのにらみの分も、動員されてなけりゃにらみにならんだろうし。
当てはまるのは、尾張の守備分くらいだろ。
944人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:19:07 ID:KJ8QuvLT
そもそも織田の三河?への軍事行動は「遠征」なのかw
945人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:28:20 ID:ekV/65W0
徳川が織田の兵の食料などを受け持つとかじゃなければ「遠征」じゃないか?
946人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:33:36 ID:hHjLZ1Ch
>>942
織田の主力が、というけどそれを武田と挟撃するんじゃないの?
武田は美濃行くって言ってるし。
なんで織田が朝倉だけにむかえるの?
仮に来たら負けなくても対陣して守り固めて時間稼ぐだけでもいいじゃない。
そうすれば武田とか伊勢長嶋とか動きやすくなるし。
織田が別方向いったら織田領土切り取っていけばいいし。
947人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:42:04 ID:odS4+9To
>>943
そもそも武田有利になる論調になって事がない。
大遠征とか岡崎強襲とか朝倉山越えとかの妄想電波が1人でそう言ってるだけ。

〉不利な武田で上洛できないか?と思って色々考えているだけ。
なら不可解な穴のある論ではなく同意出来るだけの物を考えてくれ。
俺もどっち側が好きとかはない。納得できる作戦を考えてくれたなら同意は惜しまない。
948人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 01:08:10 ID:ffRBXCM9
53スレまとめ

>1-17テンプレ

>18-55武田が徳川領切り取りに専念したら・その間織田はどう動くか
 >40-54武田が織田との同盟を維持していれば・織田の外戚同盟者への扱い
  >55天正初期畿内年表

>56-114織田の畿内への対処
 >74-81浜松岡崎などを攻めた場合
>82-134東美濃について・武田による美濃攻めの可能性
 >106天正初期織田軍年表
>136-190吉田城を落とせたらどうなるか
 >140-168領土交換は可能かについて・武田は織田と再同盟したかったか
 >167-190織田のとるべき行動・信玄が生きていても大勢は変化無しか

>186-229武田上杉北条間の外交について

>230-298東三河を2ヶ月で支配し岡崎強襲して数日で落とせるかについて
>297-310どうすれば上洛が出来るか・どの時期なら可能だったか
>311-312小田原遠征について

>316-523東三河を2ヶ月で支配し岡崎強襲して数日で落とせるかについて
 >316-324小谷城が瞬殺された理由
  >370支城無視して本拠を一気に落としたという成功例
 >417-447七尾救援と畠山春王丸について
 >432-460岡崎城と三河の支城について
  >459三河国のお城一覧リンク
 >438-459人質はどこに置かれるか
 >453-521嫡男戦死の影響について

>484-527兵農分離・貨幣経済について
>512-528 >653-667長島について

>543-597 >666東三河を2ヶ月で支配し岡崎強襲して数日で落とせるかについて
 >549-556 >657-669本拠地移転
  >554三河の城リンク
 >554-583軍役動員力・一万石でどれだけ動員できるか
  >567兵站を維持するのに必要な人員試算

>598-667美濃越前間の軍事行動の可能性について・朝倉家の内部状況
>653-691包囲網の状況
 >673謙信年表

>687-765義昭への対処・将軍の権威とその形骸化について
>733-738出陣までにかかる時間

>747-761野田城放置して先に進めるか・野田落とした後武田徳川はどう動くか
>766-795武田はどれだけの期間遠征できるか
>779-822畿内の状況・三方ヶ原で織田が失った兵力動員力に与えた影響について

>810-844第二次包囲網の状況・謙信が生きていた場合の勝算について・手取川と越前の状況
 >832-836 1577年飛騨の状況
>842-877農民兵の実体について・農繁期の動員・大名の経済力
>867-879 >896-901対上杉のために必要な守備兵力について
>892-901後期信長の直属の兵力について
>897-918各大名の経済状況
 >916織田の軍事行動期間一覧
>924-947各大名の守備兵力・北信濃の守備兵力・美濃越前間の軍事行動の可能性について
949人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 01:10:22 ID:H9YYz209
前スレと今スレは歴代のスレの中でも特にレベルの低いスレだったな・・・
950人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 01:40:58 ID:7vVAI2zx
正攻法では厳しいので強行論もしくはネタに走っている
951人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 01:52:59 ID:L5eH0Wlm
順当に行けば
「武田が徳川領切り取りに専念したら・その間織田はどう動くか」
って論調になるからね。

上洛が目的になると政治を無視した極論になる
952人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 06:33:57 ID:KTz8xQ6A
なら、君らは甲陽軍艦の上京という妄想が何百年間もまかり通っていた、と言うつもりかい。
君ら何百年という時間と江戸・近代日本人をコケにしているよ。
武田が国人の盟主だったように織田だって国人の盟主にすぎない。
織田・徳川とどう戦うとか、領地を拡げるとか先行しているが、
いいかい、ここで大切なのは織田が国人連合の盟主という前提で、
「織田主要勢・本城が何か異変が起きている・危険に陥ってる」
という事態が内外にどのような印象で受け止められると思っているんだい?
義元・勝頼をよく見よ、信玄・信長だって例外でないよ。
むしろ、戦国の主従関係が国人連合で成り立っているため、
主要勢が崩れれば、大勢力も一気にバランスが崩れるという常識が、
藩連合である江戸時代では当然であり、織田主要勢との決戦は避けられない状況であり
たとえ痛み分けでも、包囲網にレンドウして織田家中の連合形態のバランスが大きく崩れる、
とみなされて信玄上京説が継承されていったんではないかい?
後年の信長は無意識のうちに徹底した中央集権をやろうとして死んだのではないかい?
秀吉も家康も徹底した中央集権は避けている。
それだけ中央集権は異質なことだったのではないかい?
中央集権が成立しなければ、総力戦も成立しない。
連合形態では総力戦はできない。勝頼や徳川慶喜の起きた事態は当然であり、
小山田信茂は忠臣として失格かもしれないが、一国人としてでは間違っていない判断だよ。
しかし、ナンダイここのスレ住人の一部の人は。
まるで中央集権化した織田勢が総力戦・近代戦争をしているみたいだ。
連合形態という枠組みのなかで、大遠征で敵領地を通過していくことは無謀でもなんでもない。



953人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 07:45:23 ID:B6oozTeE
>>947
>なら不可解な穴のある論ではなく同意出来るだけの物を考えてくれ。
簡単にいうけど、不利な状況を覆すのに穴の無い作戦って難しいよ?

桶狭間や小牧長久手も成功してるけど作戦はむちゃくちゃ不可解な穴があるだろ?

進軍が移動が目撃されてて奇襲でもなしに自軍より多いと思われる敵本陣に正面から突っ込むとか。
双方対陣している最中に1万以上の兵力を移動させて相手にばれないと想定しているとか。

ここで桶狭間や小牧長久手の作戦を論じたら袋叩きにあうな。

安全な作戦となると不利な状況が覆らないしな。
954人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 07:48:26 ID:XI+c0Ksm
誰か>>952を要約してくれ。
955人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 07:57:02 ID:TQ3QWvfM
>>954
織田は武田と同じ形態で組織された軍であり、近代化した軍隊ではない。
同じ軍隊であれば武田が勝つ。
そうすりゃ織田は崩壊するwww
織田厨涙目決定www
それを分からないこのスレの住人はアホwwww

こうかな?
956人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 08:26:36 ID:KTz8xQ6A
畿内情勢はどうなんだい?
畿内は大丈夫なんて言ってる人がいるけどお笑いだね。
そもそも戦国に関係なく都周辺の地域は一番政変に敏感な地帯だね。
だから、畿内はちょっとした事でも緊張した事態になる火薬庫だね。
織田主力部隊が出撃しなければいけない事態に親織田勢はどう受け止めるか。
京都に都が置かれてから畿内史はドロドロとした裏切りの歴史だった。

>>947
今は穴のない作戦を考えるより、戦国特有の時代背景と普遍な事柄の分別をするために考えたほうがいいんじゃないかい?
近現代固定観念を払拭しないと、西上作戦におけるどんな作戦も無謀にみえるよ。




957人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 13:37:38 ID:XI+c0Ksm
>>953
織田との決戦で勝利するのは上洛の一つの条件だし誰も否定はしないと思う。
テンプレにも書いてあるしね。
その決戦でどういう采配で勝つかなんてのは不確定要素が多すぎて議論の対象にはなりづらい。

問題はその決戦に至るまでの過程だと思う。
大遠征や岡崎強襲は兵站面を完全に無視しているから全否定されているだけだよ。
兵站無視した上に決戦には勝ちますよ…ってのは希望的観測でさすがに都合がよすぎると思う。
桶狭間や小牧長久手で兵站無視の作戦が行われた訳じゃないでしょ。

穴ってのはそういう事じゃないかな?
958人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 15:32:20 ID:3ffcDFXb
>俺が結局何を問題にしているかというと、織田側の論者が都合が悪くなると
>武田は250以上動員しているから織田も250以上動員して「遠征」できると言い出す事だな。
これって具体的にどれのことだ?

>「武田は250以上動員している織田も250以上動員して出陣すればその状況は成り立たない」と
>碁盤をひっくり返すような事を言い出されるのが一番ウザイ。
まあ論理的に考えるなら、武田の経済力軍制が特別でない限りすべての大名が250以上動員できると思うが。
959人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 15:50:44 ID:EaDMio+I
3人役程度の動員というのは軽めというのがわかってないんでないの
960人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 18:33:17 ID:EFLHfZb1
>>956
日和見的な近畿勢力を織田から離したいなら、決戦に勝つぐらいの
戦果を挙げないと厳しいんじゃないの?
志賀の陣とかでも離反しなかったのに主力が武田のほうに向いただけで
離反するとは思えない
961人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 18:59:18 ID:SLwhP20F
日和見的な近畿勢力って具体的にどいつら?
962人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 19:16:58 ID:FdCsM1sX
信長が勝とうが信玄が勝とうがどちらでもかまいません。
正直、武田信玄が単独で上洛することはありえないし。
他方、織田信長も武田、朝倉、浅井、三好、松永、本願寺をまとめて滅ぼせるわけではないし。

それよりも足利義昭の第一次蜂起の方が気になる。
野田城の開城が二月。
同じ頃、山岡景友(光浄院暹慶)が近江石山で、山本久政が北山城で蜂起。

ここで織田信長が短期間でこの騒乱を平定できると判断して近江出陣。
石山城落城、今堅田城開城、細川と荒木の離反、
さらに本願寺、三好、松永、朝倉、浅井の援軍無くとも四月まで孤軍奮闘。
この足利義昭の軍事行動の評価は厳しいご指摘を受けていますが、
信玄が二月から四月の間に岡崎城を包囲開城できれば意外に面白かったのかもしれない。

歴史は敗者に厳しいよな。


963人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 20:18:15 ID:X/Aw9QwP
岡崎包囲ならさすがに信長も岐阜から出てくるでしょうね
織田本体が岐阜で動かなかったのは信玄本体の動き方が不明瞭だったためだし
岡崎にて決戦か長期対陣か
足利将軍含め他の勢力や羽柴隊など織田の他方面軍も違う動きを見せるでしょう
これ以上は選択肢がありすぎるのでここまで
964人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 21:25:50 ID:szfk728f
軽い一万石二百五十人で、もっと動員できる部分を基本守備に回す
この基本守備でどれぐらい持ちこたえられるのかというのは議論されてないよな?
例えば、武田が三河攻めてる時に上野が攻められたとき、武田本体が帰ってくるまで持ちこたえられる程度は耐えられるのか
大体一月ぐらい?
或いは、武田本体が来るまでに二郡三郡程は制圧される程度は失陥する程度しか持ちこたえられないのか
大体数日程度?
前者なら、織田も同じことが言えるわけで、その場合織田の動員は五万で織田圧倒的有利
後者なら、織田は各地に兵を割かないと駄目だから(勿論武田も)、彼我の戦力比は小さくなる
が、それだと上野、信濃のほかに駿河遠江にも咲かねばならないんじゃないのかなと思うんだがどう?
徳川が「基本守備でなく、二百五十人役」の戦力で駿河遠江方面を突いたら、武田ピンチじゃね?
例えば、武田の二万五千対織田の二万八千(byテンプレ)だと、双方が戦を仕掛けにくいと思うんだ
でもこの状況だと、武田側からみて徳川への押さえは割いていないって事になるよな
つまり、完全に自由とは言わないが、武田の後方を脅かす事は可能
となると、この徳川に対するために兵を割かねばならないが、仮に四千程度割いた場合、二万一千になる
織田が秋山三千に美濃に三千を配している事を考えるとこんなものだろう
となると、二万一千対二万八千で両者が同じ状況(長対陣できる状況)になれるということなんだが、
七千の差は結構決定的だと思うんだがどうだ
965人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 22:17:58 ID:MZUWYlga
>>943
>「武田は250以上動員している織田も250以上動員して出陣すればその状況は成り立たない」と
>碁盤をひっくり返すような事を言い出されるのが一番ウザイ。
それって碁盤をひっくり返すなんてことではなくてごく当たり前のことじゃないか
当時の大名の実際の動員率はどの程度かなんてよく分からないし、書状や軍記物では誇張されているだろうし
取りあえずどの大名も同程度動員できると考えるのがいいと思うが
実際には経済力ある大名の方がより動員できるだろうからこの考え方は経済力のある大名に不利に働くと思うけど

>>944>>945
どっちにしても、策源地からの距離と遠征期間が短いほど動員率は上げても大丈夫だと思う
結局は経済力の問題ではないかと

>>946
武田と朝倉が同時に美濃に侵攻するとして
武田は徳川に抑えの兵を5000ほど置くとしたら25000-5000+3000=23000
朝倉は取りあえずテンプレの兵力で12500 両者合わせても35500
それに対し織田は28000に岩村の抑えの3000と近江の浅井朝倉の抑えが半減しても大丈夫なので仮に3000で
28000+3000+3000=34000
両者に対して十分対処できる兵力な気がする
その上、朝倉は大規模な軍事活動の例が無い大野郡から美濃攻めで、道は険しく兵站は不利
武田は既に半年軍事活動を行っていて、兵站も岐阜から近距離(ってほど近くも無いが)である織田と比べると不利
その上織田は領国での守備側ということで動員率を上げることが可能

武田も朝倉も守るだけで精一杯になりそうな気がする、また例えば織田がどちらかに対して守備を固め
押さえの兵を置いて、もう片方に(兵力考えると朝倉に向けると思うが)主力を向けたりしたら退路が山道で
退却困難な遠征軍は大きな被害を受ける可能性があるんじゃ

まあそこまでしなくても織田としては守りを固めてどちらかが撤退するまで待てばそれで十分だろうけど
966人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 00:37:12 ID:FrcQFPIa
>>957
そうか?
敵の部隊が回りにいる状況で隠れもせず移動し、敵に妨害されずに敵本陣に突っ込むって、
大遠征も真っ青ぐらい突っ込まれると思うが。

まぁ兵站の事をいうなら、小牧長久手を例にだしてしっかり陣地を守れば、
半数くらい(以下でも?)相手はそう簡単に攻めれこられないとして、
岡崎落として陣を張ってから織田の兵力の半数を超える分で武田両方面の支城を落として補給路を確保する。
と言う話をしようかと思っていたら、東三河やそもそも岡崎城を落とせるかの話が長引いた。

>>958
>>965
各大名の動員が同じな事に越した事は無いが、極端な話大名毎に若干の差があってもそれはそれで構わないとは思っている。
決まってさえいれば。
嫌なのは途中から変えてくる事。
10キロのマラソンだと言われててそのつもりで走ってたら途中でやっぱり20キロと言われるようなものか。
967人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 00:46:27 ID:yg2gQgne
>>966
小牧長久手で倍以上の敵と対峙できたのは鉄砲の普及率が格段に上昇してたのが大きな要因でしょ。
1573年頃は鉄砲の普及率はまだ低い時代なんだから半数以下の兵で野戦をするのは正直キツイよ。
968人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 02:57:40 ID:QkFlBMtY
>>966
>まぁ兵站の事をいうなら、小牧長久手を例にだしてしっかり陣地を守れば〜
東三河岡崎が落ちるかは置いておいて、小牧のように陣地を守ればというが、
現実問題として、小牧のような陣地を築く能力が武田にあるのか?
技術的にも財政的にも時間的にも。
岡崎は信長領からは数日の距離、岡崎落とすのに何日かかるか分からないが
武田が陣地を築くより早く織田軍が来る可能性が高いと思う、そこで戦うかはまた別問題だが。
また陣地築いたところで兵站問題がそれで解決するわけでもない、
東三河を領したとしてもそこからの収入は秋までは得られないだろうから、
結局甲斐信濃の山中から延々と輸送する必要があり、負担は大きいと思う。
ただ岡崎急襲の例だと回りの支城は徳川方だから逆に織田側が支城を繋いで陣地築きそう。

>決まってさえいれば。
>嫌なのは途中から変えてくる事。
テンプレにあるように最初から守備側は無理すれば更なる動員が可能と決まっている、
また動員率も結局は大名の財政次第とか前からいわれている、
単にあなたが理解していなかっただけではないかと。

ただ守備側はどこまで一万石辺りどこまで動員できるかは決まってはいないな、
まあ>>965のいうように
>策源地からの距離と遠征期間が短いほど動員率は上げても大丈夫だと思う
>結局は経済力の問題ではないかと
状況によって変わるだろうから場合によりけりか。
969人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 08:38:13 ID:FrcQFPIa
>>967
>小牧長久手で倍以上の敵と対峙できたのは鉄砲の普及率が格段に上昇してたのが大きな要因でしょ。
やっぱり、そこを突っ込んでくるか。
川中島を例にしようかとも思ったんだけど、川中島は半数というほどじゃないしな。
小牧長久手の陣地から出陣しても意外と相手は察知しないと言う事で、
一旦全軍で対峙しその後陣から2・3千が出陣して支城を攻撃するのはどうだろうか?
そうたびたび出撃すればさすがにばれるとか突っ込まれるかね?
出陣中に織田から攻撃ある気配があれば、すぐに引き返す段取りというのはどうだろ?
戦だって数時間かかるものだし。

>>968
岡崎城が落とせるかの話はまた今度

>ただ岡崎急襲の例だと回りの支城は徳川方だから逆に織田側が支城を繋いで陣地築きそう。
武田から攻める事はないから、岡崎から尾張方面に陣地を築く分にはまあどうでもいいかな。

>テンプレにあるように最初から守備側は無理すれば更なる動員が可能と決まっている、
テンプレでは下のとおり。
250以上は守りに残すと決まっている。
>ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
>無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
970人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 08:48:56 ID:P5SgDOYI
信玄にとって一番理想的な展開は松平家が味方になってくれて、尾張か美濃で織田と決戦を行うこと。
逆に一番よくないのが、松平を捨て置いて尾張に流れ込み、そこで織田と決戦をすること。
現実的には岡崎を囲んで織田の出方を見ながら、松平と和睦するというあたりか。
971人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 09:46:33 ID:+cXubzPG
>>928
未だにテレビで、浪花節で家康の出撃を褒め称えているのがプロの歴史家さんとやらだからな、プププッ
要するに、家康は運が良くて、天下が転がり込んできただけの、本来は田舎侍なのよ
伊達政宗の方が遙かに華がある、家康は天下取らなかったら、OLが一番嫌うような、ただのせこいオッサンだよ
あの三方ヶ原の戦いでは、北条氏康なら間違いなく籠城してる状況だ、
北条氏康は戦術に柔軟性があって家康より、いろいろ何かしらセンスを感じる
家康は相当過大評価されてるね、徳川史観の洗脳の賜だよ
972人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 10:38:14 ID:XdD+J5b5
1572〜73年当時の織田は1579年の長篠の戦いの時のように
鉄砲大量配備で迎え撃てる状態ではない

越後の龍と謳われた謙信と渡り合い
甲斐の虎と名声誉れ高い信玄が健在の武田であれば

弱いものについているのは恥
強いものに付くのが当たり前という概念のある時代

寝返りが期待でき上洛が成功したかどうかは別として勝機はある

973人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 10:56:46 ID:lxweT2LU
地方の一大名と畿内を押さえてる大名。
どっちを強いと判断するかは自明だなw
974人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 11:40:44 ID:XdD+J5b5
>>973
信長は幾内をまだ完全に押さえていないけどな
信玄に勝機はある
975人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 11:45:18 ID:pUC01wrc
>>969
テンプレに関してですがそれはあなたの勘違いで、
テンプレにあるもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すというのは、
『経済力次第ではあるが無理すれば一時的に動員率上げることは可能ではあるけど、
テンプレにおいては分かりやすいよう、一律250人で計算しそれを越える部分は守備兵と
しておこう』
という意味で250以上は仮に守備兵としているだけだったはずだが、
過去スレ読めば分かると思うが、他の人も言ってるように最初から無理すれば更なる動
員が可能という前提の元でのテンプレだったはず。

新しくここに来た人なのかもしれないが、テンプレの文言を変な風に解釈して史実から
かけ離れた理論展開しても本末転倒ではないかと、
またそういったことを理解しないでID:ekV/65W0のように他者への悪口を重ねるようでは
そのうちみんなに呆れられてしまうと思う。
976人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 11:58:03 ID:4FdwdRx+
>>974
そりゃ勝機が無いとは言わないよ。1%でもあるっちゃあある。
977人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 13:48:08 ID:xP00Vo3d
>>965
伊勢長島は?朝倉武田に対してそれで防げたとしても
伊勢長島相手に割ける兵力がもうないよ。
第一不安定な機内から織田はそこまで大量の動員ができるの?
978人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 14:01:11 ID:yg2gQgne
>>969
>小牧長久手の陣地から出陣しても意外と相手は察知しないと言う事で、
>一旦全軍で対峙しその後陣から2・3千が出陣して支城を攻撃するのはどうだろうか?
>そうたびたび出撃すればさすがにばれるとか突っ込まれるかね?
小牧長久手の陣地とか言ってるけど、もしかして小牧長久手を同一の場所と勘違いしてるの?
小牧と長久手は全く違う場所だよ。
小牧は美濃攻略のための拠点として築かれた尾張、美濃の国境にある小牧山に築かれた小牧山城跡
長久手は尾張、三河の国境の平地であって陣地や砦等ではない。
小牧の陣は前述の通り元は信長が築いた城があった山で空堀や土塁が残っていたからそれを再利用したから
陣地というよりも城に近い構造だったんだよ。
というか、お前さんは小牧山を武田が占領するような口ぶりだけどそうなのか?
そうだとすれば尾張奥深く、美濃との国境まで武田が進軍してきて防御に適した小牧山を占領するまで
織田は黙って何もしていないということになるんだがそんなのありえないでしょ。

>>972
>1579年の長篠の戦い
さりげなく捏造すんなw
当時の織田家の鉄砲所持数はどうなんだろうな。
2年後の長篠では数千の鉄砲を用意していて、まさか2年間でいきなり鉄砲の所持数が急増したわけでも
あるまいから、1573時にも既に相当数所持していたと考えるのが妥当じゃね?
979人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 14:17:18 ID:pUC01wrc
>>978
>というか、お前さんは小牧山を武田が占領するような口ぶりだけどそうなのか?
単に小牧の役の時のように岡崎周辺に陣地帯を築くと言っているだけではないか
と思う。
980人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 14:22:24 ID:XdD+J5b5
>>978
間違えただけだ。
織田厨が釣れちゃったけど。
981人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 14:41:29 ID:uChwf/P5
武田厨は皮肉タップリの>>3が実現可能か証明して下さい。
982人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 20:55:43 ID:yzKED0Me
>>977
テンプレによるなら
伊勢長島に5000畿内に8000置いているから攻勢にでるのでなければ十分なんじゃ
そして朝倉の来る可能性の無くなった浅井への抑えに4000おけば
武田朝倉に対して残り34000を充てられる

伊勢長島にも兵を割いているし、畿内から大量動員しているわけでもないし、
何が疑問なんだ?テンプレの兵力じゃ不足だという疑問?
983971:2008/06/08(日) 00:41:17 ID:T9S6c1dI
ホントに家康は、発想が中世回帰型の軍人だから、創造性が皆無でホント嫌だな
人格は嫌いではないし、立派なところもあると思うけど、
ただ一度敗戦したからといって、武田を軍神扱いするようなところが、なんていうか土人信仰を思わせる
そういうところから言っても、近代人の思想は絶対持ってない
最近は、そんな徳川史観は危険だと思ってる

それにしても、北条氏康は過小評価されてる
徳川史観では武田が神、互角の上杉も神であり、必然その二人と堂々と渡り合った
氏康も神でなくてはならないのに・・・

もし三方ヶ原で氏康が信玄と対峙するなら籠城して、隙を見て夜襲を掛けるタイミングを窺うパターンだろう
ただ、これは相手も氏康が夜襲を掛けてくるであろうことを見越しての睨み合いになる
984人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 01:24:23 ID:avm0lv5J
>>983
勘違いしてるけど
氏康は過小評価ではない
むしろ氏綱の功績を吸ってるといわれるくらい
その比較する謙信と信玄が過大評(ry
985人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:16:14 ID:yYtI1/Re
なんとなく次スレ立てたんだけど前スレでコテハンの人が立ててたから
ひょっとしたらまずかった?

【武田】2万5千で上洛【信玄】その54
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212858154/l50

あと4が全角になっちゃった。
勢いでやった。これから反省してくる。
986人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 07:19:07 ID:2vj55EmS
俺は今まで武田が勝つという前提で大遠征を言ってきた。
しかし、仮に決戦して決着がつかなかったと仮定して(引き分けた場合)、お互いどのような事態が起こる可能性があるのだろうか?
その考察によってお互いの置かれている立場・内情がはっきりするのではないか?
武田だって、西上失敗で内部分裂をおこす可能性を秘めているのではないか?
史実では信玄の病死という不回避事態で西上は失敗し、家臣は西上中断はヤムヲエナイと納得したかもしれないが、
信玄が健康だった場合、史実と同じ獲得領土だったら、武田は第2駿河内部動乱が起きるのではないか?
織田に限らず武田だって厳しい立場に立たされているのではないだろうか?
987人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 07:59:22 ID:euMeJ+qC
>>983
でも唐沢山攻めて撃退されたり
氏政と一緒に厩橋攻めて撃退されたり
関宿攻めて梁田のゲリラ作戦に大敗したり
三船山だって氏康に責任が無いとは言えないだろう
氏政のせいにしてるけどさ
小田原城下を謙信、信玄に蹂躙され、思いっきり焼き払われてるし
守ってもらえなかった住民はかなり多い筈
越相同盟〜今川領の争奪に破れ〜三増峠でも敗北
ここらへんの晩年も冴えない
畿内勢力(信長or秀吉)が強大化したら、まな板の上の鯉でしかないのに
対抗措置を一度も採らず
お山の上の大将的視点から抜け出せなかった
988人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 08:06:43 ID:2vj55EmS
兵站の問題は、けして無視しているわけではない。
しかし、戦国の時代は補給なんて食料ぐらいだし、現地調達が常態化しているのが正しいのではないかい?
補給が本格的に重要視されるのは、近代にはいってからだよ(近代兵器の燃料や部品の補給)。
実際に近代になって「遠征」は死語になる。
この時代では、兵站の質を決めるのは兵に対して目の前にどのようなニンジンをぶら下げるのか、にかかっているのではないかい?
小田原遠征では兵に過酷な事を課したが、駿河というご褒美・利潤があったからこそ兵は耐えられたんではないかい?
武田は上杉と違って、実利ある恩賞を家臣・兵に約束して軍団をまとめてきたんではないかい?
果たして西上作戦規模の大きい遠征で、家臣・兵の負担に対する見返り恩賞として
不完全遠江・奥三河の利潤で満足するかい?
大体、100万石大名が500〜600km圏内での行軍が困難という見識がお笑いだね。









989人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 14:38:09 ID:7LiNImp2
兵站を無視していいのは三日以内に終わらせる戦だけだな。
無いかもしれない現地調達を期待して戦略を立てるのは無能としか言うほか無い。
それから君は米俵担いで一メートルでも運んでみてから遠征とか口にしてくれないか?
990971:2008/06/08(日) 14:54:26 ID:T9S6c1dI
>>987
その評価は机上の空論、気を付けた方がいい
そのような見方をしてたら、確実に領土を増やしていった説明がつかない
豊臣侵攻前に関東一の勢力になれるはずがない

>>988
机上の空論だよ
今と違って、馬だけが動力の時代だ
道も現代とは違う、雨が降れば直ぐぬかるみになる
食料の運搬だけで、領民に掛かる負担はスゴイだろうな
現地調達は短期決戦で勝利した後で、徴収する、全てにケリをつけたらの話だ
人が観光に行くだけなら何日かで往復はできる

>この時代では、兵站の質を決めるのは兵に対して目の前にどのようなニンジンをぶら下げるのか、
 にかかっているのではないかい?
>大体、100万石大名が500〜600km圏内での行軍が困難という見識がお笑いだね。

問題外な論点、ボケの前フリにしては上出来
991971:2008/06/08(日) 15:01:51 ID:T9S6c1dI
要するに、武田の西上作戦には次の農繁期までしか時間がないんだよ
992人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 18:27:01 ID:yEWgNHA3
>>985
たまたまこのスレはコテハンの人が立てたというわけであって、誰が立てても問題無いでしょ。
993人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 18:56:07 ID:DTI7OieR
で、信玄公のあれってホントに西上を目指していたんですか?
994人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 19:48:06 ID:v8PWT1X2
桶狭間の時の今川とともに謎やね
995人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 21:00:22 ID:5P3QGWKJ
天正6年の上杉謙信もね
謙信のほうは関東遠征が有力になってるけど
996人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 22:21:01 ID:vUB3bBOp
というか、謙信はあまり織田と戦う気は無かったって説もあるけどね。

あくまで織田が北陸まで進出してきたので、利害の問題から本願寺と結んで
織田の北上を抑えられればよく、将軍のために京にまで出向く気はなかった。
天正四年から五年の能登征服も、越中と能登を抑えて自分の支配力の源泉で
ある日本海交易ルートを抑えるのが目的だと。
997人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 22:40:58 ID:5P3QGWKJ
謙信は利害関係さえ一致すればあらためて織田と組む可能性はある
畠山氏との件にけりがつけば本願寺と加賀一向一揆は無視すると思う
臣従のようなことはしないけど表面上は徳川のような同盟関係なら構わないはず
信長がそれを望むかといえば非常に怪しいが
998人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 23:09:48 ID:1T0C3qca
>>996
日本海交易を抑えるなら目標は達してない
信長は越前三国津から越後・越中・能登の船を締め出してる
三国津を奪うとしたら、北ノ庄も奪わないと安定的な支配は出来ない
北ノ庄を奪ったら、近江や若狭〜丹波を撹乱できる
謙信が死の間際に纏めた軍役帳には
何故か関東管領の味方(佐野・結城・宇都宮ら)が書かれておらず、
北陸勢が中心になっている
よっていつもの通り、二ヶ月くらい転戦し、2〜3城落とした後
(救援依頼を出していた結城・小山の祇園城&由良に取り返された御覧田城くらい)
すぐに北陸戦線へ舞い戻った可能性だってある
999人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 23:47:22 ID:bgOQT/PX
>>991
農繁期って・・・。兵農分離とか信じちゃってる人ですか?
>>982
なんで数万はいる伊勢長島を抑えるのに5千で十分なの?
1000人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 23:51:20 ID:5P3QGWKJ
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