>>520 家康は三成らだけの挙兵だと思ってたら
内府違いの条で奉行連みんなが署名してて、毛利まで入城し大坂方そのものが敵になっていて驚いてた。
だから黒田長政を使って福島ら武断派が嫌いな三成を討つと言う目的を設定する詐術をかけざる負えなかった。
しかし関ヶ原後の恩賞段階で豊臣家は敵に成ってないとするのも詐術そのもので
実質的に家康に敵対してたのは間違いなく、
豊臣の言い訳を認めざる負えない状況下に家康がいたのは武断派の存在感が大きかったから。
しかも輝元が戦わず降伏するバカな真似をしたから、大坂方がそういう言い訳をせざる負えなかったに過ぎない。
加藤清正にしたって別に家康に組みしたわけでもなくて朝鮮での小西との確執から肥後小西領を奪った後に如水と一緒に北九州制圧してんだから。
如水も三成に九州6ヶ国加増許可あれば西軍に付くって条件出してたし。
そもそも東軍も兵糧に困っていて福島尾張領から転用していた。
なぜなら豊臣から貰った兵糧は白河での上杉との対陣に使っていたし、
秀忠軍にも使っていたから三方面軍への供給は補給能力限界きていた。
宇喜多が島津領に逃げたのはもっと後になってからだから。
島津義弘にしたって長宗我部にしたって改易がかかっているのだから必死になるよ。