1 :
僭越ですが私から:
2 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 07:12:17 ID:XEmWMsjv
上泉信綱と疋田景兼の師弟コンビ最強
3 :
なななな梨:2008/01/24(木) 07:18:38 ID:56utZwAH
芹沢鴨
岡部以蔵
4 :
僭越ですが私から:2008/01/24(木) 07:21:13 ID:jMZEMFY9
ついでに自分的Best10も一応・・・・
@上泉伊勢
A伊藤一刀斎
B塚原卜伝
C柳生兵庫
D小野忠明
E宮本武蔵
F千葉周作
G男谷精一郎
H山岡鉄舟
I山田次郎吉
なるべく専業の剣術使いを選んでみました。
新撰組は警察みたいなもんだから剣豪とは違うだろ〜とカット。
幕末の人斬りもなんか違うと思うのでカット。
戦国期の人を上位に持ってきてるのは、やはり戦国人の方が実践的でもあり
総合的でもあったろうと思うので・・・
「後世への影響の大きさ」を重要に考えてのランクのつもりです ネー(´・ω・)(・ω・`)ウンウン
5 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 07:23:17 ID:uJldqro1
・身内以外の記録に一対一の試合の勝ち
剣豪(その他武術)としての活躍が残っている(実戦で何人斬ったとか)
いろいろ言いましたが結局使えそうなのはまとめたこれだけかな
身内の記録は話半分で文字通り半分の評価にしてみようかw
なんちて
とりあえず1乙でござる
6 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 07:38:46 ID:uJldqro1
あ、俺も叩き台として書いとこ
上泉信綱 塚原卜伝
伊藤一刀斎 飯篠家直
東郷重位 白井亨
富田重政 深尾角馬
松林左馬助 男谷信友
7 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 08:17:12 ID:lecWVbLu
服部武雄 河上彦斎
8 :
サイコメトリー:2008/01/24(木) 09:03:06 ID:mi3TDjNr
みんなの意見はそれぞれ有ると思うけど、どうでしょ、1人ずつ当確者を
決めていった方が議論しやすいと思うんだけど、どうだろう?
戦国版としては、上泉信綱が当確で残り9人は誰?って感じでどうかな?
9 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 13:46:32 ID:g8AdcM9z
[当確]宮本武蔵
10 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 15:45:25 ID:5VVVNfAy
>>8 同意。戦国期では上泉信綱はほぼ異論がないと思うので、
同じくスタンダートすぎだけど塚原卜伝も挙げたい。
神話チックな逸話も多いが、将軍大名を弟子に取ったことから
実力や実績、当時の名声は問題ないでしょう。
11 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 17:38:30 ID:tuLXsWiO
塚原ト伝
富田重政
田宮長勝
富田重政は経歴を見れば一目瞭然、 田宮も居合の一大系統の祖というに
留まらず、 家康自身が武功を評して招聘したのだからやはり実力は折り紙つき
でしょう。
12 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 21:07:54 ID:zjR8FVET
柳生宗厳は実際に戦場で活躍して松永久秀から貰った感状が残ってる
13 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 22:03:25 ID:sOXyFiWr
上泉信綱
塚原卜伝
伊藤一刀斎
富田重政
ベスト10ならこの辺はサクっとランクインさせといても良くない?
マニアックな人たちには色々拘りやご贔屓もあるのだろうけど
こいつらより上が7人以上とか、ちょっと捻り過ぎ。
14 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 22:19:44 ID:tuLXsWiO
伊藤一刀斎は謎の多い人物だし、明確な資料が存在しないから冷静に評価し辛い。
イメージ的には、伝説の凄腕放浪者のイメージがあるけど、やっぱり
イメージ先行な感じだし・・・
15 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 22:54:55 ID:+sIfackQ
富田を推してるやつは、伊藤一刀斎を入れるなら、師匠の富田を入れるべきだと
考えてるということなのかな?
しかしなぜ重政? だったら勢源を入れるべきと主張したほうが・・・
新陰流系統の始祖代表として、上泉は外せないと考えるならば、
一刀流系統の始祖代表として、富田勢源が妥当なのかな?
16 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 01:44:33 ID:SZr+KrXn
伊藤一刀斎が
富田一放や鐘巻自斎
唐の十官や地ずり清眼の技を使う剣士を倒した話は全部身内の記録なのかな?
話は変わるけど白井亨の師匠寺田宗有は間違いなく強いはずなのに誰かを倒したってのが若い時の白井亨ぐらいしかないから推挙しづらいな
あとは自分とこの道場生に勝ちまくったぐらいしか知らない
17 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 05:15:36 ID:NE03yI0a
足利義輝は?
最期に何人も切り捨てたあたり、宮本武蔵より実戦向けだと思うぞ
剣豪に実戦を求めちゃいけんかもしれんがな
18 :
サイコメトリー:2008/01/25(金) 10:15:39 ID:3ZICTnfb
みんなの意見からすると、塚原ト伝も当確でしょうね。(戦国期)
宮本武蔵に関してですが、吉川武蔵=バガボンド武蔵の影響が強いと思います。
決して評価に値しない人物ではないと思うのですが、戦国期において、決闘や
果し合い・御前試合で評価出来る人物が少ない為、武蔵評価は難しい所だと思う
のですがどうでしょう?
>>15 自分の意見なんですが、始祖や流派の当主・頭目だからって剣豪ではないと思うよ。
特に幕末時は生業として道場経営をしてた所もあるだろうしね。でも、道主って
位だから、弱くはないと思うけど、現代で考察すれば、剣道8段だからって無敵の
強さじゃないよね。今の日本剣道大会だって4段以上の有段者じゃないと、大会出れ
ないらしいけど、そんな設定にしている意図が自分には分からない。警察機構が一般
者から優勝者を出したくない為の策略かと思うよ(話がそれてスマン)
19 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 10:32:28 ID:p8EXGosJ
武蔵は実績が全く残ってないのが痛い
本人も有馬喜兵衛と秋山某の二人しか名前あげてないし
戦は関ヶ原や大坂の陣にもでたけど戦果はわからない
わかっているのは島原の乱で脛に岩が当たって何日か寝込んだぐらい
20 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 20:22:03 ID:Hl8ip3hN
上泉信綱
塚原卜伝
富田勢源
この三名は当確でしょう
21 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 20:24:53 ID:Hl8ip3hN
東郷重位
柳生石舟斎
宮本武蔵
この辺りはどうなんでしょうか
22 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 04:13:21 ID:APGx0/Ea
タイ捨流創始者の丸目長恵と
示現流創始者の東郷重位は
薩摩藩の剣術指南役の座をめぐって試合を行ったのですか?
23 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 12:52:55 ID:tv52iG8n
結局、幕府の指南役になったのが、新陰流と一刀流だったので、両者の祖に
ついては皆が異論無く、ランクに入れても良いと考えるわけだな。
新陰流では、上泉伊勢でも柳生石舟斎でも宗矩でも兵庫でも、後は好みの
問題だろう。一刀流系では富田勢源でも一刀斎でも小野でも、まあ誰でも良い。
宮本武蔵や、東郷重位のように、地方大名の指南役レベルの人間については、
どう扱うべきか意見が分かれるんだな。実際にはそのレベルの人間は幾らでも
いたわけで、武蔵や東郷が有名なのは、別の特殊な理由があったからに過ぎないの
では無いかと思われるしなあ。
24 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 12:57:12 ID:APGx0/Ea
信濃国出身の剣豪っていますか?
または信濃に縁のある剣豪
25 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 13:14:11 ID:oRmvcZbA
26 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 13:38:33 ID:dCSyLAgp
>>23 歴史を知らなさ過ぎだよ。 上泉伊勢守と柳生以降が同じで好みの問題なんて有り得ないよ。
全然、キャリアが違うよ。
地方大名の指南役レベルでも、富田重政みたいに圧倒的な実績のある人間は
評価されてるやん。 まあ重政は指南役どころか加賀前田家の重臣クラスだけど。
27 :
サイコメトリー:2008/01/26(土) 14:33:57 ID:oRmvcZbA
1/26現在、戦国期当確者 ○上泉信綱
○塚原ト伝
幕末期で永倉新八を推したい思うのですが、どうでしょうか?
28 :
人間七七四年:2008/01/26(土) 20:25:50 ID:+Vn2wjSg
>>19 御三家筆頭尾張家、譜代中の譜代水野家や小笠原家、外様の雄藩池田家や細川家に
顔を出して、その都度一定の扱いをされているという点は評価にならないですか?
一介の兵法者武蔵のウリと言えば、剣の腕しかないと思うのですが。
29 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 00:50:31 ID:IckGiTbM
幕末期で当確は男谷信友だけじゃね
30 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 08:58:00 ID:fu9+5BVW
幕末なら千葉周作だけが当確だな。他は全部小物だ。
31 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 00:05:12 ID:1yq5BWSF
1月28日現在当確
○上泉信綱
○塚原卜伝
○富田勢源
32 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 03:38:13 ID:tLfBZ9Hl
ちょっと待って、富田は当確だっけ?
みんなの了承取ろうよ。
幕末期、永倉新ハ誰か言ってたけど、同意する。
賛否有る、新撰組の中でも流派も極め、実戦派でも有るしね。
33 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 04:38:37 ID:STHBYEPN
でも永倉入れちゃうと、
実績は乏しいけど彼の客観的な批評から
次点で沖田と斉藤がついてくる
34 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 08:19:44 ID:HCbdXxkL
一対一の試合実績なくして何が剣豪か
カタハライタイワ
35 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 16:46:57 ID:3Zh5U43b
1対1なんて、ゲーム慣れした現代人の価値観でしょう。
確かに戦国時代でも決闘はあったけど、我こそ天下無双也と声高に叫んでいた
のは、それしか成り上がりの手段が無かった浪人風情の生き方であって。
身持ちの固い将卒はそんな下衆な生き方選ばないよ。
36 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 19:40:58 ID:NImVFJ7x
伊藤一刀斎か小野忠明か富田勢源か富田重政かならば、やはり勢源かな。
戦国期における一刀流系統の人間を無視することは出来んし。
勢源から、一刀斎系以外にも、鐘巻の流派が分岐して出たりしてて、
ちょうど新陰流における上泉と、同じ位置にいる人だしね。
37 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 20:54:46 ID:1yq5BWSF
じゃあ富田勢源は確定ね
38 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:02:30 ID:BY5ELloG
>>35 剣術史の貢献者ランキングでも、流派代表者のランキングでも無いからそうゆう発想は不要じゃない?
それを指し引いても勢源の当確はいいと思うけどね。
重政は、戦働きといっても指揮を執っただけの可能性もあり、
試合や決闘といった勝負の記録も無く、実は戦いの記録は無い。らしい。
「名人越後」の名が先に立ち過ぎ。まぁ、そう呼ばれたからにはかなりの者だったのは間違いないと思うけど。
一刀斎は上にもあるけど評価が難しいかな。
忠明は当確でもいい気がする。異論が付くとしたら剣術馬鹿過ぎて武闘派なイメージが付きまとう点かな。
上泉とかと違い、間違っても「剣聖」とは呼ばれないタイプ。流祖ともみなされていないし。
でもある意味、生粋の剣豪ではないかな。
39 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 23:03:46 ID:BY5ELloG
40 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 00:50:28 ID:jg/LpnL5
居合いのルーツとなった林崎甚助はどう?
41 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 01:57:42 ID:rhl6GFSz
山田風太郎の忍法剣士伝を読むと面白いぞ
格が近いもの同士で戦わせてるからな
上泉と塚原は当然同格だった
42 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 03:33:27 ID:++cP2uns
おおっ!上泉と塚原の立合いとか、メチャクチャ映像で見てみたいなぁ
山田風太郎の魔界転生もかなり面白かった。
窪塚主演より前の作品ね。
43 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 08:38:51 ID:CjHzGUMZ
>>34 >一対一の試合実績
評価できるほど華々しいものはほとんどない。
そもそも負けた奴の記録なんかほぼ存在しないから、「弱い奴としかやってない!」という言い方で
いくらでも否定できてしまう。
44 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 09:02:35 ID:XUJsd0/V
ちょwwなんだこのスレ
範囲広すぎだろ・・・・
45 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 09:11:18 ID:ZGNus6RO
抜刀術は難しいなあ・・・
そもそも剣術なのか?ってとこから疑問な気がするぜ・・・
46 :
サイコメトリー:2008/01/29(火) 10:06:20 ID:Oly7QlXl
>>33 仰るとおりですね、永倉は保留にします。幕末期はだれが最初の当確者かなぁ?
>>45 抜刀術は剣術ですよ、でも元々剣術自体が体術からの進化なんですよね。詳しい方
誰かフォロー願います。
47 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 14:10:33 ID:JgJ4Rrca
>>4 山田次朗吉は幕末の人間じゃないから除外
すくなくとも剣術家として大成したのは明治だ
48 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 14:13:40 ID:JgJ4Rrca
いや大成したというと山岡鉄舟も剣術家として大成したのは明治になるから違うか。
山岡鉄舟は幕末から剣術家であった。
しかし、山田次朗吉が榊原健吉に入門して剣術家になったのは明治である
と言うべきだな
49 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 14:14:14 ID:MF0KeTpG
男谷と白井は当確だろ
50 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 14:17:30 ID:JgJ4Rrca
>>49 男谷は当確には異論はないが
白井亨は地位や貢献的なものがなさすぎる
男谷は講武所設立から、子弟の育成まで定評があるが
白井亨は確かに、大石進の撃退や兵法書などでは評価はあるが
子弟の育成については有力な弟子は育成できなかったのと
生涯浪人で、男谷のように国に貢献はできなかった。
51 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 14:39:44 ID:IllVKjyb
こうしてみると、やっぱり戦国の剣士と幕末の剣士って
評価査定するポイントが少し違うよね。 ・・・時代も環境も違うんだから当然だけど。
幕末なら、確かに男谷は入っても良いと思う。
あと、個人的に永倉は評価したい。 新撰組でも生き字引として老年まで
生き残った戦士だし、 何より後年、仲間の慰霊碑を立てたその義理堅さを
人格的にも評価して上げたいと思う。
52 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 15:02:01 ID:JgJ4Rrca
とりあえず、戦歴、弟子(の育成)、(後世の)影響の三つを「◎○△×」
そしてそれだけだと不十分だから「理由」を表記してみた
【〜幕末編〜】
千葉周作
戦歴○ 馬庭念流一派との対決において、大石進については諸説あるが、引き分け
弟子◎ 言うまでもないが、三大道場の一つとして子弟の数も最大規模。有力な弟子も多数
影響? 竹刀・防具の使用による効率化はあったが、それによって剣術の実戦離れもあったとして功罪半ば
榊原健吉
戦歴◎ 高橋泥舟の槍に勝利、晩年においても数々の剣士を圧倒
弟子△ 山田次朗吉の育成はあったが、あまりにも厳しい稽古なようで道場は不振ぎみ
影響△ 兜割りなど驚異的な話は伝わるが、官職を拒否し地道に生きたため
白井亨
戦歴◎ 町道場の中では大石進を唯一撃退したとして
弟子× 後を継いだ吉田有恒すらも、有力な人材が育たなかったと発言があるため
影響○ 兵法書の評価は高く、後の世で山田次朗吉が評価しているため
男谷信友
戦歴◎ 三本のうち二本を取って、一本を相手に与えるほどの余裕と試合の数も多い。大石進とは諸説あって不明
弟子○ 人格者と謳われ、榊原健吉、島田虎之介などそれなりに有力な弟子を育成した。大石進も影響を受けたほど
影響○ 講武所を設立したため
大石進
戦歴◎ 江戸にて各道場に他流試合を挑み圧倒した。
弟子△ 流派はそれなりに広まったが、他と比べると見劣りしてしまうため
影響△ 他流試合の評価や影響は考慮するが、本人の使用する長い竹刀が流行、それが悪影響にもなったため
山岡鉄舟
戦歴△ 実は結構負けてばかり。伊庭八郎と引き分けた話があるくらい
弟子○ 高野佐三郎や松崎浪四郎など、それなりの人物がいる
影響◎ 江戸無血開城から、明治天皇の側近まで、歴史への影響は計り知れない。
53 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 16:21:11 ID:CjHzGUMZ
>>52 >伊庭八郎と引き分けた話があるくらい
伊庭と互角って、そんなに恥ずかしいことじゃないと思うのだが。
伊庭の強さは実戦で証明済みだし。
54 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 16:28:27 ID:JgJ4Rrca
>>53 まぁそうなんだけど
他と比べても有力対戦者相手に勝利は少ないってことね
若いころは、弱くは無かったけど、力任せの剣法で
先輩の中条金之助なんかも(昔は)俺より弱かったと言ってるし
並の相手には体格と力で押せ押せで勝てたから強かったみたいだけど
浅利又七郎に敵わなかったのは有名だしね
55 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 16:46:53 ID:HBlL9Bex
>>52 竹刀稽古導入が、剣術の実戦離れを意味して、千葉周作のマイナスポイントに
なるならば、袋竹刀を考案して使わせた上泉伊勢もマイナス評価するのか?
幕末の江戸の町道場の大繁栄は圧倒的に千葉周作の功績であり、その後の剣道の
標準化も、ほぼ彼の影響によるのは間違いないのに、影響が?ってのはなんなんだ・・
全然納得できんぜ。
56 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 16:51:43 ID:JgJ4Rrca
>>55 だから功罪半ばって書いてるじゃん
千葉周作が竹刀と防具を取り入れてた元の中西派の先輩の白井亨は
最終的には竹刀と防具の稽古法を否定してるし
剣道のスポーツ化なんかも、後世において山田次朗吉なんか否定してるのだよ
実際、剣術家の中には剣道を否定してる人間も多いしね
そういう意味でのマイナスポイントは大いにある。
ただ千葉周作自身は、形稽古してからの上級者じゃないと竹刀と防具をつけさせなかったという話しもあるが
だから「?」にした。
57 :
サイコメトリー:2008/01/29(火) 16:52:04 ID:Oly7QlXl
>>52 分かり易い表、ありがとうございます。
戦国期に関して、みんなの富田勢源の支持が多い様ですね。
幕末期に関して、みんなの男谷信友の評価が高い様ですね。
50スレも越えましたので、僭越ながら再度、当確社の確認を致します。
2008.1.29現在
【戦国期】
○上泉信綱
○塚原ト伝
○富田勢源
【幕末期】
○男谷信友
になります。今後、50スレごとに評価や支持を確認していきますね。もし異論等が
有る方は随時、申し出て下さい。(ちなみに上からベストとすると収拾が付きませ
んので、10傑との形が望ましいと思います。)
58 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:12:30 ID:QL4ETRJX
「幕末の剣聖」男谷精一郎
名前がちょっと気持悪い・・・
59 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:13:58 ID:JgJ4Rrca
60 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:19:56 ID:QL4ETRJX
史上最強・最大の剣客集団とも呼ばれる新撰組で
最強だった(と言われている)のは誰?
興味ない人でも名前だけは聞いた事あるのは沖田宗司だと思うけど
61 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:22:21 ID:QL4ETRJX
宗司じゃなくて総司でした
62 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:28:18 ID:hVsQiR2N
斉藤一
63 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:50:15 ID:QL4ETRJX
>>59 へ〜そうなんだ
でも男性ホルモン出まくりな名前・・・
>>62 その理由は?
因みに沖田より斉藤の方が若かったらしいね
64 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 17:51:24 ID:QL4ETRJX
江戸時代の千葉周作は当確ではないでしょうか?
65 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 18:35:38 ID:JgJ4Rrca
>>64 この流れだとたぶん確定だろうね。
ここからの残り5人がだいぶもめるだろうけど
〜名前挙がらないけどたぶん凄い剣豪編〜
加藤田平八郎
戦歴◎ 同郷の大石進の活躍に影響されて江戸へ、もしくは彼の活躍で大石が、と説がある。男谷信友との試合は勝ち越しとも。全国を回った。
弟子△ 松崎浪四郎が弟子だが、松崎は加藤田の死後に山岡の元へ
影響△ 加藤田日記は文献として価値あり
平山行蔵
戦歴◎ あらゆる武器から戦術まで学ぶ、戦いの鬼の中の鬼。伝説の力士・雷電の胸板を一撃して引かせる。
弟子○ 男谷信友などが弟子にいる。勝海舟の父親・小吉が尊敬していた。
影響× 蝦夷防衛の意見が過激すぎてお上に道場を解散させられる。弟子の相馬大作が事件を起こす。
勝小吉
戦歴◎ 甥である男谷信友を片手で圧倒。武勇伝多数。喧嘩においては無敵か?
弟子× 子供は勝海舟、しかし剣術家として指導してたわけではないので
影響× 家族を大事にしない典型的なヤクザな親父
斉藤弥九郎
戦歴? 三大道場主、他流試合は禁止していたとの話もあって戦歴はあまりわからない。
弟子◎ 三大道場であり長州藩との繋がりが大きかったため幕末の志士の多くが弟子にいる。
影響◎ 江川英龍に支援をしていたり、後の歴史を変える志士の多くを育成していたりと結構凄い
桃井春蔵
戦歴× 道場主でありながら他流試合は結構負けていたとも言われる。
弟子◎ 三大道場であり、岡田以蔵や武市半平太、四天王の一人である上田馬之介など
影響△ 三大道場の他の二人に比べると・・・。
宇野金太郎
戦歴◎ 江戸三大道場を回った岩国の天才剣士、斉藤弥九郎の三男の歓之助にも勝利
弟子△ 仕返しに斉藤歓之助に弟子を一掃された事があるとも
影響× ハエを箸で掴む神業は宮本武蔵の映画の元ネタにされました。
66 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 19:43:44 ID:056iqbzl
新撰組は多数で一人に切り掛かる戦法で強かっただけでしょ
戦闘では有効な手段だし、それを否定はしないが
剣技や剣術を追求したわけじゃないから剣豪とは呼べないと思うよ
優秀な戦闘員ではあったんだろうけど
67 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 19:52:39 ID:7Icej6Iu
ただのお巡りさんだからね
文字通り治安維持のために巡回してただけ
人斬り集団といっても新撰組はほとんど、相手を斬ってない
規律違反で隊士を粛清した数のほうがずっと多い
この中で最強ってのは「道場の高弟」ていうくらいの意味でしかない
もちろん農民や田舎侍ばかりの中で首席より、都会の大道場の高弟のが強そう
68 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 20:13:25 ID:++cP2uns
まあでも、道場剣法が実戦にそのまま通用するとはとても思えない
実際の切り合いだと技量云々より実戦積んで度胸がある奴のほうが強いこともあるだろうし
新撰組が、「剣豪」ではないことには同意
69 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 21:39:14 ID:QL4ETRJX
でもこのスレに来るまで剣聖・男谷精一郎なんて聞いた事無かったな
千葉周作は千葉真一の親父かなんかだと思ってた
70 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 21:40:36 ID:hbqxkehI
あの〜戦国期と幕末期でそれぞれ10傑を決めるんじゃないの?
ちなみに新撰組は剣豪ではないと思うが、斎藤や永倉は単体では、剣豪の部類に入るでしょ。
71 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 22:52:07 ID:056iqbzl
剣術家として活動してる人間しか基本はいらんでしょ
新撰組ならば基本、近藤くらいしか入らない
永倉は百歩譲って、免許を持っているからわかるけれど
斎藤は免許も持っていないどころか流派すら不明の人間
こんな曖昧な定義なら、勝海舟は親族が男谷や親父が使い手なのもあって
本人が剣術家の一家であると発言していて
直心影流の免許も持っていて、出稽古で指導するほどだったわけで
余程剣豪なんだが
72 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 22:53:56 ID:3QiESGy6
戦国なら足利義輝、辻月丹、柳生利厳、北畠具教、宝蔵院なんとか
幕末なら斉藤弥九朗、武市半平太、中村半次郎
松浦静山、桃井春蔵、田中新兵衛、河上彦斎
73 :
人間七七四年:2008/01/29(火) 23:43:49 ID:QL4ETRJX
上泉信綱→早稲田
塚原卜伝→慶應義塾
富田勢源→明治
って感じ(上泉と塚原は逆でも良し)
74 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 00:54:07 ID:hZ2BqOf/
東大は?
75 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 04:33:48 ID:dQ/UStY9
剣豪10傑なんだからまず強さで選ぶべきなんじゃないの?
貢献度はまだわかるとしても地位とか人格とかそんなのは拮抗した相手がいた場合の最後の手段だろ
76 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 04:37:21 ID:dQ/UStY9
それに剣術界への貢献ならわかるが国に貢献てなんだよw
関係ねえだろ
77 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 07:43:55 ID:v2RGmD+C
男谷精一郎の直心影流についてだが・・・・
流祖を鹿島神道流の塚原卜伝にしてる所からも分かるが、もともと関東の土着の
流派だったようだな。ぶっちゃけメジャーな大流儀ではない。関東でも沼田藩に
代々受け継がれてきたようだが、沼田藩は群馬の一部で、はっきり言えば田舎の
小藩。地方の土着流派という、日本中どこでもある流派に過ぎなかったのが実相か。
幕末になって一躍メジャーになったのは、幕府が講武所を開設し、男谷がそこの
頭取として教えるようになったため。この頃、沼田藩は既に天領となっている。
つまるところ、直心影流、男谷精一郎は、「官」側の剣豪だわな。
講武所頭取は当然、天領出身者が望ましく、政治的配慮が無かったとはいえない。
別に男谷の実力を疑ってるわけではない。彼は浪人金貸しの孫で、剣の腕一本で
認められて養子になって成りあがった実力派だ。
しかも門下からは榊原、島田、山田など輩出してるし実力実績十分か・・・
幕末における剣豪の一人であることには、異論を挟む余地が無いようだな・・・
78 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 08:09:28 ID:v2RGmD+C
>>77 しかし男谷精一郎(1798〜1864)はあくまで「官」側の剣客だったわけだが、
ほぼ同時代を生きた千葉周作(1793〜1856)は対照的に「民」側の代表者だ。
1822年に玄武館を開き、竹刀稽古を主にした新しい教授法で爆発的な人気を集め
剣道を普及させ、それまでの剣術とは一線を画する新しい道を切り開き、現代剣道の
直接の祖となったのも千葉周作だ。
講武所の設立は1856年。つまり千葉周作の没年だ。幕末の剣術ブームは、「民から官」の
流れだったことは間違いがなく、まず千葉周作から始まる町道場の大隆盛が先にあり、それを
後から幕府も模倣したのだ。
順番から言うと、まず千葉周作が幕末剣道隆盛の一大ムーブメントを作り出し、それに幕府も
後から乗り、講武所を作り、講武所の教官として天領出身者の剣客で実力随一の男谷を起用し、
それによって男谷の直心影流も有名になったのだ。
一介の浪人から独行し時代を作り出した千葉周作の偉大さは比類ない。
後からその時代に乗ったに過ぎない、他の幕末剣客とは次元が違うとさえ思う・・・
79 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 08:14:05 ID:YYH2x9ZK
これはひどい
80 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 08:41:19 ID:V/KDue+a
>>78 千葉は水戸藩に召し抱えられてるよ
だから最終的には講武所でも教えてる
81 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 08:42:50 ID:V/KDue+a
千葉と男谷の御前試合では、男谷が勝利して
だけど負けた千葉の方も実力が認められて御三家である水戸藩に召し抱えられてる
82 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 08:45:22 ID:V/KDue+a
>>77 実は竹刀と防具を一番早く取り入れてた流派が直心影流。
それを中西派一刀流が真似をするようになって
そこから千葉周作が出てきて・・・という流れになる。
だから実は結構日本の剣の流派ではかなり重要な位置にいる
83 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 12:36:56 ID:NaYiifeU
竹刀と防具による自由な打ち合いという型を考案したのは群馬の直心影流。
大体1710年代に、その形式が確立されたとされている。しかしこの頃の防具は、まだ
胴が無かったりして、現代のものとは大きく異なる。
その後、竹刀稽古の良否について、関東各地で剣客たちは試行錯誤したのは間違いない。
1750年代に、千葉県松戸の一刀流の剣客、中西忠蔵が、竹刀稽古を取り入れ、彼は
晩年に竹刀稽古の肯定論を書き残している。
防具をつけて竹刀で打ち合う形式は、関東一円で取り入れられたり否定されたり、正に
試行錯誤されてたわけだ。竹刀から入ったのに、結局竹刀を否定した白井亨みたいな人もいる。
中西派一刀流においても、道統を継いだ浅利又七郎は木刀による古流稽古に回帰し、門下の
千葉周作と決定的に路線で対立したわけだ。
中西派一刀流から出て、竹刀稽古を大肯定し、一大流派を築き上げたのが千葉周作。
彼の時期の剣道の竹刀防具は現代のものとほぼ同じ。結局、彼の考案した竹刀・防具・練習形式が、
当時の江戸の主流となり、現代にまで続いてるわけだから、その影響の大きさは比類ない。
繰り返しになるが、こうして周作が普及した竹刀・防具着用による現代型剣道が、当然のものとして
標準化され、大流行し、そのブームが先にあって、後から講武所も作られたのだ。男谷精一郎の試合に
おける輝かしい戦歴も、この前提があってのことだ。昔の胴無し防具で試合したわけねーべ? 彼もまた
周作が標準化した形式に従って、竹刀と防具で試合したことは間違いない。
http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~kuro/nakamura/kendo001.html
84 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 14:20:33 ID:eIPFOmw3
幕末最強スレなんかは千葉考察がもっと深かったけど
加藤田平八郎相手にびびって長竹刀もってきたり
大石相手に桶の蓋を盾にしたり
他にも誰だったか、明らかに格上だと試合しようとしなかったり
甲野善則の本が詳しいが、小物話が結構出てくる千葉周作
男谷なんかは結構堂々としてるし、試合にも積極的だったから
やはりここが明暗を分けるとこだな
85 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 17:31:33 ID:yu2iAAQX
幕末期の話はなんか複雑だねぇ。
戦国的な発想で言えば、
盾や長物を使って勝てるなら使わぬ者は阿呆という面があるけど。
86 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 17:58:26 ID:mrxDRNfW
>>85 で、とにかく殺人上手の人斬りが現れ、戊辰戦争になるとすっかり銃砲主体になっていたのだから。
幕末期こそは剣豪不遇の時代だったかも。
87 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 18:03:38 ID:BJYAXUaM
大昔から戦争の主力は飛び道具だよ
戦国も弓での死傷率がやっぱり一番多い、後半はもちろん種子島もある
近接では上泉も柳生も槍をもって武功を上げた
むしろ幕末は京都という街中が舞台にもなって
戦争での戦闘じゃないから携帯できる刀がクローズアップされてるほうだと思う
88 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 19:16:36 ID:Bpq4gYkJ
戦争の主力は、投石という説もあるw 投石最強説。
確かに、野球ボール程の石でも遠投されGのかかった石に当ったら、例え兜を被って
いても、致命傷になる可能性もあるからな。
89 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 19:26:06 ID:mrxDRNfW
>>87 そういう鈴木的なことは百も承知。
しかし時代を揺るがしている人斬りや連発銃を横目に、剣豪剣聖を奉じる人達は
さぞ無念だったろうなー、と思って。
90 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 19:47:28 ID:KpihKb1s
91 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 19:58:18 ID:BEqseUcI
男谷精一郎
違う名前ないのか・・・?
ホルモンマンみたいで、これじゃあまりに気持悪い
92 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 20:17:03 ID:5iuBwpcq
その名前がいいんじゃないかw
男谷精一郎!!!
これほど男臭い名前はホント珍しい。日本史で一番かもしれんなwww
93 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 20:40:40 ID:5f9+0hj5
>>87 もし江戸時代の日本に拳銃が普及していたら、
剣術の代わりに拳銃射撃の流派が盛んになったかも知れない。
その分、柔術流派が更に盛んになってた可能性もあるかも。
94 :
人間七七四年:2008/01/30(水) 21:48:17 ID:BEqseUcI
米山信友と言う名前ならどうだ?
米山検校の孫の婿養子な訳だから
95 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 00:20:20 ID:+M81bsPp
96 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 01:11:45 ID:M1H5Jgd2
大砲から鉄砲、弓も馬術も出来た剣豪は平山行蔵くらいじゃね?
97 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:15:17 ID:r5hA4VI2
弓馬の道は武士のたしなみだから
武士で剣術家ならその二つは楽勝だな
砲術はどっちかやってれば両方それなりに習ってそうだがどうだろう
あと剣やってりゃ槍もやるかな
98 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:22:54 ID:1W05ST/9
平山行蔵はある意味、変態だからな
寝るときは布団で寝ないで、土間に甲冑で寝るとか
メシは生味噌と玄米飯、お茶は飲まず冷や水
勉強は兵学や儒学はもちろん農政や土木まで
武芸は十八般。
平和な時代に生まれてなかったら、さぞ活躍しただろうな・・・。
【武芸十八般】
剣術、槍術、弓術、馬術、水術、抜刀術、
短刀術、手裏剣術、なぎなた術、棒術、
鎖鎌術、十手術、柔術、捕手術、砲術、
忍び術、含針術、もじり術
ttp://www.hokuriku.ne.jp/genkai/83hiraya.htm
99 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:32:21 ID:qCYjUWJU
>>97 打ち刀が使用される以前は、
太刀を扱う事が出来る=幼少から訓練を積んでいる身分の高い侍
だった訳で、戦国時代も身分の高い侍は剣術の稽古をしているよ。
普段の護身用にも剣術は重要。
100 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:32:53 ID:3ig7kqBV
>>98 戦国には遅すぎて幕末には早すぎた、惜しい逸材だね。
101 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 03:48:47 ID:L28B/Rpg
沖田の「三段突き」の描写がホントなら相当な使い手だろう。
初見ではまず防ぎようがない類の技かと。
幾分誇張が入っているのかもしれないけどさ。
ウィキだと天然理心流で沖田以後、この技を会得した奴はいないらしいが
実際に見てみたいな。
102 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 16:37:39 ID:klKtmEv/
男谷精一郎の名前だけから風貌をイメージすると、
どうしても「やらないか?」になるんだが・・
103 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 16:54:42 ID:uj82pd6N
【戦国期】
【幕末期】
・・・まさか戦国期は戦国の最初から江戸の中期までですか?w
まあ別にかまわんけど
富田勢源は俺が勉強不足なら申し訳ないが神道流の剣士との一試合しか知らないんだが
これで当確?
武将としての実戦なら富田重政のが凄いし
剣豪として場数なら一刀斎のが凄いと思うが
まあだからといってまだ10傑揃ってないうちに外せとはよういわんがw
さっさと10人上げようぜ
104 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:05:41 ID:1W05ST/9
戦国から幕末までだから江戸中期の人間も入れて構わないんじゃねーの
むしろ千葉周作とか男谷精一郎なんか幕末に入って死んでるようなもんだし
105 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:15:15 ID:1W05ST/9
>>102 実はイメージと正反対で
一度も声をあげて怒らなかったとかいわれるくらい穏やかな人です。
大石には負けた説もあるが、大石とも良好な関係を築けてる。
加藤田とも同様。
でも叔父と従兄弟の勝親子は女好きで二人ともキンタマを負傷してるのに
精力旺盛だったわけだが
106 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:25:46 ID:Q7cR5qit
>>103 前スレなんて、同じ期間内で3人だけに絞ろうっていうムチャなスレだったんだぜw
それじゃいくらなんでもアレだから10人にしとこうって新スレなんだ。
とりあえず、明治になってから死んだやつは、全員除外するべきでね?
だから榊原健吉も山岡鉄舟も山田次郎吉も、近藤勇も土方歳三も斉藤一も永倉新八もナシね。
戦国から、幕末までの剣豪って条件なんだから〜
107 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:29:39 ID:1W05ST/9
>>106 いや幕末の時点で剣術家だった奴はOKでしょ
山田次朗吉だけは明治に入門したから除外だが
榊原健吉なんかは幕末に御前試合で結果出してるんだから
山岡鉄舟は頭角を現したのは明治だから微妙だけど
この二人は最後の剣豪と呼ばれた人物だから
10人に入れろとまでは言わないが、条件からは除外すべきじゃない
新撰組は元からスレであまり剣豪扱いされてないから微妙
108 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:36:30 ID:1W05ST/9
ついでに明治に死んだ奴を除外すると
三大剣客の桃井春蔵と斉藤弥九郎も除外されてしまうから明らかに無しだろ
109 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:44:15 ID:qCYjUWJU
「幕末までの剣豪」なのに、何で死んだ時期で括るのか意味が分からん。
普通に、「幕末に活躍した剣豪」って事で良いだろ。
まぁどうせこのスレ自体が板違いなんだから、好きにやれば良いだろ。
110 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:48:32 ID:ae6hsrM/
赤坂弥九郎(善吉和尚)は、東郷重位に他流派は、左腕の肘の使い方が判ってないから
剣速が遅いみたいな事を言ったというのは、事実だろうか。
111 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 17:51:04 ID:uj82pd6N
ああなんか勘違いさせてすまんな
俺は
>>70のような感じでレスしたつもりだったんだがいらん誤解を与えてしまったようだ
112 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 18:02:20 ID:Q7cR5qit
明治になってから入門した山田次郎吉は、明らかに除外。
幕末期は、まだ修行中の若者で、明治になってから剣豪として大成した
山岡鉄舟も、除外って感じでよいのかな〜
まあ俺的には、抜刀術の系統をどうするかとか、議論紛糾の火種である
宮本武蔵の扱いはどうするかとかの方が興味あるんだけどねw
抜刀術はアリだと思うんだよな、特に戦国期の抜刀術の使い手たちに、
実戦経験が無かったわけないしな。
宮本武蔵は・・・まあ入れても良いのではと思うのだが・・・
113 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 18:07:38 ID:ET8P8MlY
幕末最強の剣豪は男谷信友だろ
それに次ぐのが大石進
因みに直木三十五はかつて史上最強の剣豪は
誰かという事を決めようとしたが
一番が上泉信綱、二番が男谷信友という結論に達した
114 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 18:10:11 ID:ET8P8MlY
っていうかこのスレ、日本史板にも立てた方が良くね?
115 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 18:21:44 ID:Q7cR5qit
日本史板みたいに荒れ狂ってるとこに乗り込んでどうすんだよ。
ここでひっそりやってるからいいんじゃないかw
あそこでは荒れて荒れて話になんかならんぞ(´A`)
116 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 20:52:22 ID:ET8P8MlY
じゃあとりあえず1月31日現在の当確者
○上泉信綱
○塚原卜伝
○男谷信友
富田勢源、大石進、千葉周作などは当確最有力候補
117 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 21:21:57 ID:pgPfWeIZ
ちょっと待ってよ、誰かも言ってたけど、戦国期と幕末期でそれぞれ決めるんじゃないの?
それに厳密に剣豪死去の時期を問う必要性がないよ!
結論として、コイツ強いけど時期悪いから、当確にならないなんて有り得んよ。
別に江戸期にも剣豪いたら、戦国期か幕末期に近い方にすりゃ良いだけだよ。
118 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 22:22:12 ID:ET8P8MlY
それぞれ決めるのではなく「戦国〜幕末」
スレタイにもあるでしょ
119 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 22:25:05 ID:QPVg65ck
大石、千葉入れるなら、武蔵、月丹、東郷を推すわ
120 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 22:28:38 ID:brTJPtGD
結局「何々流の始祖だから強い」「誰々の師匠だから強い」法で決めるしかないのだろうか…
あと念仏じみた「精神性」か。
戦国でも幕末でも良いから、万人がビビるような殺傷力の発露はないのだろうか?
そういう事例があればわかりやすいのだが。
121 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 00:41:15 ID:UqlIszFd
上泉信綱
塚原卜伝
富田勢源
伊藤一刀斎
男谷精一郎
白井亨
大石進
千葉周作
宮本武蔵
永倉新八
ほら、こっから誰がoutで誰がinするか語っていけばいいじゃない
後半かなり入れ替え激しそうだがw
122 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 03:16:11 ID:UqlIszFd
例えば宮本武蔵outで東郷重位in
て具合にね
もちろん理由を述べてくれないと困るけど
123 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 04:46:53 ID:CAa3BkRd
「幕末の三剣士」と言えば
男谷信友
島田虎之助
大石進
であるが、白井亨(義謙)も非常に評価が高い
勝海舟や千葉周作も高く評価し、山田次朗吉には
「実に二百年来の名人として推賛の辞を惜しまぬ」
とまで言わしめた
幕末では男谷信友と双壁を成す程の剣豪だと思うが
名前をあまり知られていないのは仕官を断っていた為
124 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 06:06:50 ID:ttEFigT9
双璧というほどじゃなかった
白井は竹刀稽古否定したからね
当時は竹刀稽古が全盛期で三大道場が栄えたから
で、男谷の構武所は国のお抱え機関
だから白井自身の評価は高いが道場はあまり振るわなかったので世間的には目立たなかった
同じ立場で同門の浅利義明なんかも同ランクの剣客だと考えた方がいい
浅利義明も入神の域と言われた剣客で山岡鉄舟の師匠になるわけだが
彼こそが白井や千葉の元になった中西派を継承した人間
125 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 06:23:45 ID:ttEFigT9
因みに、勝海舟が白井を評価している文章は親友の山岡鉄舟を語る本の中の一部で
その後に晩年の山岡が白井と同レベルに達したことを称賛しているのな
山田次朗吉についても白井を評価はしているが
総合能力では自分の師匠達(男谷、榊原)が上!みたいな事を言ってる
まぁ二人とも身内の評価だからノーカウトにすればそれまでだけど
126 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 06:50:09 ID:SMNvlRHR
ここのスレタイが、戦国から幕末、だから強制は出来ないが・・・・
なるべくみんな、幕末の話じゃなくて、戦国の話をするようにしようぜ・・
幕末は記録も多いから議論が過熱して暴走して、いつの間にか幕末の話ばかりになってるw
127 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 07:08:32 ID:43GjCN7L
まぁ戦国の方はほんとに記録がないから妄想が多くなる。
しかしこのスレで好きな剣豪の強さ妄想を出すと
他の剣豪好きが不快になるだろうから
128 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 08:24:01 ID:CAa3BkRd
多くの日本人が最強の剣士を宮本武蔵だと思ってる残念な件について
129 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 08:32:19 ID:VvUfln4I
にわかに限って有名どころを必要以上に否定する件について
130 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 09:39:09 ID:J3/dOC+Q
最強に有名=武蔵
最強に高名=上泉
最強に弟子が強い=伊藤
131 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 15:26:09 ID:ttEFigT9
>>129 有名どころほど賛否両論の研究が出るんだから
否定意見も多く出てくるから仕方ない
宮本武蔵はそうやって両論を聞いても怪しい剣豪だけどね
小次郎とか負けた側が残した意見は参考にならないとしても
第三者に近い人間の意見が微妙だから
132 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 15:37:14 ID:WVZ0cgrt
(`・ω・´)・・・・(好きな剣豪の強さ妄想)
江戸初期に、各藩が剣術指南役ってのを召抱えるようになった時代にさあ・・・
やっぱどこの藩でも、ある程度の地縁や血縁があるやつを召抱えたと思うんだよな。
縁もゆかりも無い肥後細川家に、結構な待遇で仕官できた武蔵は、やはり
それなりの実力があったはずだと思うんだよな。
それに、五輪書という、ちゃんと理路整然とした書物を書けたのも大きいな。
兵法理論書なんて、ほかには柳生宗矩が書いたくらいでないのかな?
それやこれやで、公平に見て、やはり武蔵は剣豪の名に値すると思うぞ。
133 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 16:24:16 ID:CAa3BkRd
吉川英治の功罪だろうな
134 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 16:38:28 ID:CAa3BkRd
上泉信綱と塚原卜伝が戦国時代の双壁なのは間違いない
で、それに次ぐ剣豪だが上泉曰く
「西の丸目長恵、東の柳生石舟斎」だそうだ
それから愛洲も捨てがたい
135 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 16:39:35 ID:ttEFigT9
このスレでいち早く当確した男谷が良い例で
結局は強い弱いより人格なんだよな
男谷は無論強かったけど
それ以上に人格が出来てたためか
対戦者の談だとか当時の風評が語り継がれたものにしろ
悪いものがほとんどない
対して宮本武蔵はボロクソに言われた記述や風評がたくさん残ってるのをみると
やはりそれなりに問題があったことは確実なんだよね
冷静に考えると士官や指南の経歴が微妙だから
塚原ト伝なんかも悪い評判があまりないからいち早く当確したようなもんだな
136 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 18:56:25 ID:I0d3fM5O
「気迫の物凄さ、それが生む強さは認めるが、技による綺麗な勝ちが見たかった」
尾張義直の評価だけど、これこそ武蔵の正味だと思われ。
圧倒的な筋力と体躯、当時としても異常に強烈な気合の放射。
剣豪というより、最強の牢人と言った方が良いかもしれない。
137 :
仙台藩百姓:2008/02/01(金) 19:14:08 ID:N+03DPrp
兵卒の技に最強も糞もあるかお┐ (´ω`) ┌
実戦じゃ全く意味ないお
138 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 19:56:35 ID:Jjp6lfDw
上泉伊勢も、塚原卜伝も、関東の剣豪だったから知名度高いと思う。
同格ぽい富田勢源の知名度の低さは、彼が北陸の人だったってことに原因あると思う。
関東から近畿、東海道沿いに活躍した経歴を持つ上泉と塚原に対して、
富田は京から北陸の人だからなあ。弟子の一刀斎になって、やっと関東に出てきたし。
武蔵も美作の田舎から、まず京に出て色々やって、関東にもいったらしいが
パっとせず、結局九州に都落ち・・・やっぱ東海道で名を上げないとメジャーになれんのだな。
139 :
人間七七四年:2008/02/01(金) 23:47:08 ID:CAa3BkRd
>>138 上泉も塚原も関東出身だから知名度高いのではないだろ
当時、江戸幕府なんて無いわけで
実際に剣聖と言われる程強かった。だから評価が高い
評価が高いのは戦国時代からであり、二人は別格だった
富田勢源は剣聖二人ほど評価されてないんだよね
140 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:03:40 ID:Qt7SJqhM
俺的夢の対決
上泉伊勢vs塚原卜伝 (剣聖vs剣聖)
柳生石舟斎vs伊藤一刀斎 (斎vs斎)
小野忠明vs宮本武蔵 (一vs二)
佐々木小次郎vs善鬼 (敗者復活)
141 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:33:11 ID:icU4fWJu
スレの流れ的に上泉信綱 塚原卜伝
富田勢源 伊藤一刀斎 男谷精一郎
は当確だろ
残り五人
142 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 01:42:27 ID:icU4fWJu
この人選に異論があるんならそこの穴を埋めるかわりの剣豪も紹介しろよ
143 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 05:32:45 ID:5a1MDK4c
メジャーな人間を無意味に嫌う2ちゃん脳は止めようぜ。
宮本武蔵と、千葉周作、とりあえず入れとけって。
あと一刀斎入れるなら、柳生からも誰か入れとくのが妥当だな。
144 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 05:50:36 ID:MP2QVi3e
無意味に嫌ってるわけじゃなく
>>131みたいな感じ
145 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 05:56:07 ID:MP2QVi3e
とりあえずメジャーだから入れろではなく
理由も述べなきゃね
マンセー論だと無視されるけどね
146 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 07:15:21 ID:icU4fWJu
上泉信綱 塚原卜伝
富田勢源 伊藤一刀斎 男谷精一郎
千葉周作 宮本武蔵
柳生?
とりあえずぶちこんどいた
空き容量まだあるんだし別にいいっしょ
それともちまちま一人づつ選別して当確出してくのが好み?
だったらサーセンw
147 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 08:27:05 ID:uctSZ90z
小野忠明はどうだ?
当時は伊藤一刀斎自体より小野派一刀流のが有名だったらしいが
148 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 09:12:08 ID:BEhEx8Mp
富田勢源:中条流の剣豪。北陸でひっそり暮らしてたから派手な戦績とか乏しい名人。
富田重政:勢源の弟子筋。地元に残って前田家に仕官。武将として名を馳せる。
鐘巻自斎:勢源の弟子筋。小太刀が有名。鐘巻流の祖でもある。
伊藤一刀斎:自斎の弟子。伝説奇譚が多く、また彼の起こした一刀流は日本中に庶流を
生み出した所から見ても、そうとう暴れまわった人であることは間違いない。
小野忠明:秀忠に仕えて将軍家指南役となった人。一刀流の正統はこの人とされるのが普通。
師匠ににてガラが悪く、強いことは強いが問題も多い人だったらしいw
中条流自体は室町初期から歴史を持ち、その道統の継承者が勢源。そのまま北陸に残ったのが
重政の系統だろう。
やはりこの流派をメジャーにした功績は、伊藤一刀斎・小野忠明に帰せられるべきだと思う。
149 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 10:42:23 ID:wW9sCraL
一刀斎が入ってないのは本人が一刀流でなく中条流を名乗ってたといわれてるからと
本人の記録があまりないから
伊藤派一刀流と小野派一刀流に別れたのは
小野忠明の子供達からであっていろいろ複雑
メジャーだから入れろとか
10人をまず勝手に決めてからとかいうけど
入ってない人達にはそれなりに理由があるのよ
150 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 10:56:43 ID:a7qfd4/S
>>143 宮本武蔵は無意味に嫌われているんじゃないぞ。
これほどまでに宮本武蔵が有名になったのは昭和になってから
つまり吉川英治が剣豪・宮本武蔵を作り上げた
実際の宮本武蔵は大した戦歴も師匠も持ってない
フィクションの宮本武蔵は虚構のヒーローって訳
日本の剣豪についての本を数冊ほど読めば分かるよ
151 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 11:32:52 ID:G5UppVCL
>>150 渡辺幸庵は
「但馬にくらべ候ては、碁にていえば井目にも武蔵強し」といっているし
徳川光友は
「天下無双の達人・宮本武蔵至る」といっている。
その他にも武蔵の名前は同時代の人の間に度々話題に上っているのだし、
武蔵の名を騙っている人間は17名程も居たようだ。
武蔵が生きていた時代から非常に有名であったのは間違いない。
昭和7年に直木三十五と菊池寛の間で武蔵論争が起こってる。
一般に広く知れ渡ったのは小説の影響も有るだろうが、
元々「有名ではない」なんていうのは無知にも程がある。
152 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 12:55:39 ID:a7qfd4/S
>>151 >>元々「有名ではない」なんていうのは無知にも程がある。
誰もそんな事言ってないのだが。
無知とか言う前に文章くらい良く読め
日本人なら誰でも「宮本武蔵」の名前は知っている
これほどまでに有名になったのは
吉川英治の創作のためと言ってる訳
「二天記」も宮本武蔵の死後だいぶたってから書かれたものだし
過大評価されている感は否めない
153 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 13:04:05 ID:G5UppVCL
>>152 これ程もどれ程も元々有名だったって言ってんだろうが。
その対象が一般なのか歴史・剣術好きなのかは関係無いの。
それに、俺が挙げてるのは「二天記」じゃねーぞ。
文章読める?
154 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 13:07:15 ID:a7qfd4/S
話を元に戻して戦国時代の剣豪十傑
愛洲久忠
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
疋田景兼
柳生宗厳
丸目長恵
富田勢源
富田重政
伊藤景久
155 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 13:39:00 ID:a7qfd4/S
>>153 ・・・日本語が全く通じてない・・・。
現在の日本人に上泉信綱が宮本武蔵ほど名前を知られていると思うか?
当時としては宮本武蔵より上泉信綱、塚原卜伝、
柳生宗厳の方が剣聖・剣豪として遥かに有名だった訳で
繰り返すが、宮本武蔵が過大評価されているのは
吉川英治による創作が大きいと言ってる訳
(↑いい加減ここを良く読め)
また映画、テレビ時代劇、漫画などによる影響も大きく、
「最強の剣豪=宮本武蔵」のイメージは
多くの日本人に定着してしまっている
因みに「二天記」の話は参考までに出した程度なんだが、
そこまで食い付くとは思わなかった・・・
156 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 13:41:14 ID:a7qfd4/S
頼むから
>>150の方も良く読んでからレスして欲しい
157 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:00:40 ID:G5UppVCL
じゃあ、文章を良く理解できない君に一つずつ説明していこう。
先ず、
> これほどまでに宮本武蔵が有名になったのは昭和になってから
> つまり吉川英治が剣豪・宮本武蔵を作り上げた
っていう部分に対してだが、
広く世間一般に対しての宮本武蔵のイメージは小説に拠る所が大きいだろう。
ただ、直木氏と菊池氏の間で論争になったように、
それ以前にも非常に有名な剣豪であった事は間違いない。
また、
>>151で挙げたように、渡辺幸庵対話や尾参宝鑑にあるように
同時代の人物からの高い評価もある。
お前が
>>150で書いた文章では「世間一般」の宮本武蔵のイメージではなく、
「全てに於ける」宮本武蔵の評価が小説によって作られた虚構だと取れる。
158 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:12:11 ID:+xs3afGb
剣術の歴史は、せいぜい応仁の乱の前くらいまでしか遡れない。
流派という形で勃興した場所は日本で二箇所。京と関東だ。
関東の古流の伝説的な祖は、鹿島の神職でもあったという飯篠長威斎。
松本政信は、その直接の弟子だったという・・・どうも伝説の中の人って感じだ・・・
京まで行って兵法指南したという塚原卜伝ほどには、世に現れてない人なんだよな。
そういうわけで松本政信は、ちょっとどうだろう・・と思う
>>154 愛洲移香斎も、飯篠長威斎レベルの伝説の人だわな。陰流の創始者で、伊勢から京から
九州から関東まで巡ったというが・・・
そういう伝説レベルの人も考えるべきだというならば、伝説的な京古流の祖である、
中条流開祖、中条長秀とかも入れるべきだって話にならんか? 富田勢源から5代くらい前の人だ。
俺的には、さすがにそこまで伝説を遡って考えるのは、ちょっとアレだと思うわけだが・・・
159 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:28:27 ID:a7qfd4/S
>>157 やっぱり日本語理解できてないし・・・ハァ〜
>>お前が
>>150で書いた文章では
それはあんたの妄想だろ・・・
「すべてにおける」なんて馬鹿っぽい表現だし
勝手に変に受け取って騒がれても困るんだがな〜
しつこく繰り返すようだが、
「現代において宮本武蔵がこれほど人気があり
有名な剣豪になったのは吉川英治の創作のためである」
という事を言ってるだけだ
(いい加減、ひとの文章ちゃんと読んでくれよ)
160 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:35:01 ID:G5UppVCL
>>159 うんうん。
では、小説以前から武蔵が非常に有名な剣豪であった事は理解できたわけだね?
161 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:59:57 ID:a7qfd4/S
>>160 やっと
>>150に書き込んだ「これほどまでに」
って言葉が理解できたのかな?
ただ「非常に」有名な剣豪ではなかったね
おしかったね〜
162 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 15:14:20 ID:+xs3afGb
>>161 お前のほうがバカに見えると端から無責任に書き込んでみる(´・∀・`)
163 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 15:22:58 ID:GWJY6vAH
最強の剣豪は桐野利秋で間違いない。
164 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 15:27:17 ID:G5UppVCL
>>161 君の書いた
>>150の言葉の意味は
「そこそこ有名ではあったが小説を機に更に有名になった」
ではなく
「ほとんど無名だったが、小説によって作られた」
としか取れないが、君がそういうならそれで構わんよ。
重要なのはそこじゃないしな。
俺が言いたいのは小説以前にも大きな討論となって話題になっていたし、
同時代に身分も高くない彼を高く評価している人がいたという事。
それも、柳生宗矩の弟子と柳生新陰流第六世にだ。
彼が「非常に」有名でなかったという、その論拠は何?
165 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:05:29 ID:a7qfd4/S
むしろ小説ができる以前に
「非常に」有名だったという論拠とやらを知りたい(笑)
166 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:11:05 ID:G5UppVCL
>>165 > 俺が言いたいのは小説以前にも大きな討論となって話題になっていたし、
> 同時代に身分も高くない彼を高く評価している人がいたという事。
> それも、柳生宗矩の弟子と柳生新陰流第六世にだ。
167 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:36:47 ID:a7qfd4/S
>>166 全然答えになってないし・・・(唖然)
柳生宗矩の弟子と柳生新陰流六世が評価したのが
「非常に」有名である根拠だとでも言いたいのか?(笑)
168 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:46:07 ID:G5UppVCL
>>167 では、何故大して有名でもない人物を態々剣の大家が評価する?
名が聞えている人物だからこそ評価するんだろう。
また、近代に入ってからも直木氏や菊池氏といった有名な小説家同士が
文藝春秋の中で大きく討論したのは、大して有名でもない人物の事だと思うのか?
169 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:11:43 ID:a7qfd4/S
>>168 いや、だからさ「これほどまでに」
って何度も言ってるのだが
170 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:28:43 ID:G5UppVCL
>>169 > 君の書いた
>>150の言葉の意味は
> 「そこそこ有名ではあったが小説を機に更に有名になった」
> ではなく
> 「ほとんど無名だったが、小説によって作られた」
> としか取れないが、君がそういうならそれで構わんよ。
> 重要なのはそこじゃないしな。
> むしろ小説ができる以前に
> 「非常に」有名だったという論拠とやらを知りたい(笑)
171 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 17:40:01 ID:a7qfd4/S
>>170 >>「ほとんど無名だったが
おいおい。誰もそんな事言ってないだろ・・・(唖然)
しかもレスがおかしいぞ。頭大丈夫かよ?
172 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:01:46 ID:JfVfZgh6
・宮本武蔵は、実際に江戸初期でも実力者として有名だったのは記録などから
見ても確かなので、剣豪に入れて問題なし。
・宮本武蔵の話をするとスレが荒れるのは間違いない。
この二点は確かなので、武蔵については、そっとしとこうよ〜w
前スレでも武蔵の話題が出るや否や100以上軽く進んだんだよな〜
173 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:02:41 ID:G5UppVCL
>>171 宮本武蔵が嫌われる理由としてレスした文で
それ以前の評価については触れずに書いているのだから
後者のように取れるとレスしたんだよ。
ただ、それについては君がそう書いていないと言うなら
それで構わないと言っているわけだ。
で、現在との比較は別として
それ以前にも「非常に」有名だったという事を言っているんだけど。
だから、この場合に「これほどまでに」という事は関係ないという事。
分かる?
174 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 18:19:50 ID:Mj+c92Lf
宝蔵院って、日本の少林寺みたいでカッコいいよな
175 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 19:10:12 ID:PQT67dBW
>>172 その通りなんだが
まず実力者として有名という点から非常に怪しいんだよな
小次郎の話も地元民の伝承では・・・という話だし
その後の記録でも昭和に発見された資料では武蔵は・・・。
内容を抜きにして名前だけ売ってたとしか思えないような部分がたくさん出てきてる。
増して本人は年齢30までしか勝負してないとか
とりあえず疑わしきはなんとやらで
武蔵を10人に入れるとするなら本当にもう他に誰も思いつかない
ということになったときだな。
176 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 19:54:54 ID:G5UppVCL
>>175 批判をするのなら具体的にどの史料のどの表記に問題があるのか書きなよ。
取り敢えず武蔵の事は後回しにするっていうのには同意だが、
そういう表現が荒れる原因になる事も分かった方が良い。
177 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 20:13:24 ID:Xl0UVsLi
あと、問題になるのは新撰組だな。
取り敢えず、武蔵と新撰組は後回しって事でどうだろう?
178 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 20:30:26 ID:PQT67dBW
179 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 20:49:02 ID:PQT67dBW
ていうか武蔵についてこのスレで噛みつく奴はほとんどいないでしょ
このスレで十分剣豪を語るレベルの人間なら、武蔵に怪しいところがたくさんあるのは誰でも知ってると思う
180 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 20:58:28 ID:G5UppVCL
>>178 例えば、「西遊雑記で小次郎との仕合は多対一だったと書いてある」
とするなら、それに対して
「武蔵の弟子達が島へ渡るのを見た人達がそう小次郎に忠告したと
なっている訳で、実際に多対一の仕合を見てそう言った訳じゃない。
ましてや成立年も随分後の民間伝承を記した物がどれだけ信用できるのか?」
と返答する事が出来る。
でも、あんな曖昧な文章では何について怪しいと言っているのか分からないから
レスをしても「そういう意味じゃない」とかなって荒れてしまう。
批判をするのなら自分の意思をきちんと明示しろ、という事。
181 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 21:00:52 ID:Xl0UVsLi
>>178 せっかく終わったと思ってたのに蒸し返すような事してんじゃねーよ、ボケ
182 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 21:09:55 ID:PQT67dBW
>>180 お前武蔵マンセーしたくて
ずーっと粘着して荒らす気だろ
下の沼田家記は細川家の家老の記述だ
それにも同じように一対多で武蔵が小次郎をボコったと書いてるし
その後小次郎の弟子に追われて俺のとこに逃げ込んで来ました
そんで鉄砲隊つけて親父のところに帰しましたって書いてるでしょ。
上の西遊雑記と辻褄は合う。
二天記とかは小倉碑文を元に書かれたものとか言われてるが
小倉碑文では吉岡を全滅させたみたいに書いてるけど、吉岡はその後存続してたり矛盾してたりで
いろいろおかしい。もちろん吉岡側も身内擁護の記述でおかしいところがあるが
で上のような民間伝承や三者が残した文章は比較的辻褄が合う
それが100%信憑性があるわけではないにしろ
お前のようなマンセー人が書く物よりはよほど信用できる。
それくらいはわかる人間なら武蔵は怪しいというのはすぐわかる
そしてこのスレではこれくらい知ってる奴はごろごろいるぞと
お前は勉強しろ
183 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 21:14:13 ID:PQT67dBW
とりあえず
>史料のどの表記に問題があるのか書きなよ。
とか言って出したら
>批判をするのなら自分の意思をきちんと明示しろ、という事。
要はお前は史料を出せば、お前の意志じゃないからはっきりしろ
意志を出せば史料を出せ納得出来ない!でケチつけ続ける気満々じゃないかと
184 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:02:24 ID:I/1UYcd0
>>182 西遊雑記と沼田家記は、内容はほぼ同じじゃのう。
武蔵は一対一で試合にちゃんと勝ったと書いてある。
武蔵の強さを肯定する資料だよ、それ。
試合後に弟子が小次郎にトドメ刺そうが、何か問題あるのかとw
兵法者は卑怯なもんだ。むしろ正直に約束守った小次郎が底抜けのアホウかと。
185 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:02:54 ID:G5UppVCL
>>182 > それにも同じように一対多で武蔵が小次郎をボコったと書いてるし
沼田家記には倒れた小次郎が蘇生したが、それに対して弟子達が
止めを指したと書いているのであって、多対一とは書いてないと思うが?
> 二天記とかは小倉碑文を元に書かれたものとか言われてるが
そもそも、武蔵の評価に関して俺が挙げているのは
二天記のような武蔵側の評価やはっきりした事が分かっていない巌流島の話じゃない。
徳川光友や渡辺幸庵といった第三者の評価についてだ。
>>183 あのね、何に対して批判をしているのかが分からないと議論が滅茶苦茶になり
無駄に長く続いてしまうって言ってるんだよ。
そのために、何故そう思ったのかという事と、その裏づけを提示しろと言ってるだけだ。
>批判をするのなら自分の意思をきちんと明示しろ、という事。
これは史料を提示されたから言ったんではなく、
>>178で君が勘違いしているようだったので
>>176の内容を改めて説明しただけだ。
186 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:03:58 ID:Xl0UVsLi
187 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:10:06 ID:I/1UYcd0
>>182 念のため西遊雑記と沼田家記の内容整理しとくが・・・
・島に弟子を連れて行ってはいけないと決まってた。
・しかし武蔵は弟子を潜ませていた
・試合は一対一で行われ、小次郎が打ち倒された ←ココ重要!
・気絶した小次郎はまだ息があり、この時点で武蔵は帰った
・弟子たちは念のため、小次郎にトドメさしといた グッジョブ!(´∀`)b
富田勢源の直弟子を一対一で倒すとは、さすが武蔵って話だなw
188 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:41:13 ID:PQT67dBW
>>185 お前の意見など聞いてないよ
俺の見解について史料を出せと言われたのに
なんでそこで俺が挙げているのは・・・になるんだ?
それにケチをつけて、他の意見を出させて混乱させてるのはお前じゃないか
渡辺幸庵の本には竹村武蔵と書かれていて竹村与右衛門と混同しているので
はっきりとした評価じゃないし
それに数人の人間から評価されたから凄いっていうなら
他にもっと評価されてる人間はたくさんいるので武蔵が特に凄いということにはならない
そして二人とも弟子を連れてこないという約束なのに
弟子を連れてきていたという記述、その弟子達が小次郎に攻撃を加えたことは確実に符合するだろう
そして沼田家記には、それによって怒った小次郎の弟子達が武蔵を追いかけるというのもわかるはずだ
>あのね、何に対して批判をしているのかが分からないと議論が滅茶苦茶になり
お前の頭は批判しかないのか、宮本武蔵は「怪しい」って言ってるじゃないか
批判ではなく、世の中の評価や名声とかと符合する点が「おかしい」と言ってる
武蔵が駄目だとかそういうことを言いたいんじゃないわけ、わかる?
信者だからマンセー出来ないから批判だとか言ってるだけなのだろうけど
189 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:43:12 ID:wW9sCraL
190 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:56:10 ID:wW9sCraL
どう見ても
>>151から見たら
G5UppVCLが過剰解釈ばかりして荒らしてるようにしか見えない
資料や印象とかみあわないって意見まで
批判とか言って噛み付いている
>>175なんかその意見そのまんまなのに
>>180で曖昧だとか言い出すし
とりあえず信者は好きな人物について語るのはやめたほうがいい
191 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 22:58:44 ID:I/1UYcd0
>>188 お前が出してきた沼田家記に「武蔵は小次郎を一対一で倒した」って書いてあるのに、
何を勝手に脳内ストーリーを捏造してんだw
沼田家記は、かなり武蔵に対して批判的な論調なのに、それでも「一対一で倒した」って
所だけは明確に書いてるわけで、非常に信頼できる資料だと思うよ (^ω^)
192 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:02:18 ID:PQT67dBW
>>191 どっちにしろ弟子を連れてきてた約束を破った奴であることは確かなわけだな
で、元々舟島という名前だったのに、一人でやられた佐々木小次郎を称えて「巌流島」とついたと
本当に武蔵が凄かったら武蔵島とでもついてもおかしくないわけだがな
193 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:06:32 ID:I/1UYcd0
>>192 武蔵が卑怯って何を今さら・・・
卑怯・狡猾じゃない剣豪がいたら教えて欲しいもんだぜw
194 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:09:40 ID:PQT67dBW
>>193 それについては過去ログを見るか
これから他の人がいくらでも挙げてくれるよ
195 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:18:21 ID:wW9sCraL
196 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:32:08 ID:G5UppVCL
>>189 史料を提示したからといって必ず納得するという訳じゃなかろう。
(事実、君の解釈は偏っている)
史料とそれが書かれている文、何故そう思ったのかという意見を明示して
初めてきちんとした討論が始まる、と言っているんだよ。
だから
>>180では「例えば君の意見がこうだったら、こう答える事が出来るが
>>175の文だけでは、そこまで分からないので議論が混乱する」
って言ってるんだ。
あと、渡辺幸庵は武蔵と何度も言葉を交わしていて、「幸庵対話」に出て来る
「竹村武蔵」は武蔵の事で間違いない。
竹村という姓を名乗っていた可能性もあるし、単純に間違いの可能性も有るが、
何故評価自体がはっきりとしない、となってしまうのか?
> お前の頭は批判しかないのか、宮本武蔵は「怪しい」って言ってるじゃないか
批判っていう言葉が気に入らないなら、意見でも良いよ。
マンセーしろとも言ってない。
受け取り手が誤解しないように具体的に書けって言ってるんだ。
197 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 23:45:01 ID:PQT67dBW
>>196 >具体的にどの史料のどの表記に問題があるのか書きなよ。
↓
>史料を提示したからといって必ず納得するという訳じゃなかろう。
つまり
>>183そのものなわけだ
>批判をするのなら自分の意思をきちんと明示しろ、という事。
>これは史料を提示されたから言ったんではなく、
>
>>176の内容を改めて説明しただけだ
そして史料を出さなくても俺が
>>175のような見解を出せばそれが批判だということだな。
>単純に間違いの可能性も有るが、
>何故評価自体がはっきりとしない、となってしまうのか?
>>180で自分で
>ましてや成立年も随分後の民間伝承を記した物がどれだけ信用できるのか?」
>と返答する事が出来る。
>あんな曖昧な文章では何について怪しいと言っているのか分からない
つまりお前はそうやって民間伝承と家老の記録を合わせても信用できないなんて言うのだから
名前の書き間違いなんてのは当然評価自体がはっきりしないことになるな
>受け取り手が誤解しないように具体的に書けって言ってるんだ。
だから具体的に書いたじゃないかお望みの史料まで出して。
>>175の三行目は西遊雑記について、四行目は沼田家記
それを
>>178に提示した。
内容を抜きにして名前だけをというのは、その二つにもあるように
勝負の内容の約束を破って弟子を連れてきている点
こんなのは
>>178の時点でレスの補完はできるだろう
誤解してるのはお前だけだろう。だから調べろ、勉強しろと言ってる。
お前が納得できないから説明しろと言ってるだけだろ
だから
>必ず納得するという訳じゃなかろう。
なんて言って、この文章の一行目のように気に入らないから
>>183のような手法で混乱させてるだけ
198 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:05:24 ID:zyBqI2bW
>>197 > つまり
>>183そのものなわけだ
自分の意思とその材料を明示する事で議論が簡潔になるという事だ。
ケチをつけ続けるという事とは違う事くらい分からないか?
> そして史料を出さなくても俺が
>>175のような見解を出せばそれが批判だということだな。
批判であっても意見であっても
>>175のような事を言うならもっと具体的に示せという事だ。
> つまりお前はそうやって民間伝承と家老の記録を合わせても信用できないなんて言うのだから
> 名前の書き間違いなんてのは当然評価自体がはっきりしないことになるな
俺が言ったのは「西遊雑記」の「はたして門人の士四人與力して終に岩龍討る」という部分。
「沼田家記」には一対一の仕合だとなっている。
何故そうなるのか分からんが、実際に面識の有る人間のいう事が
はっきりしないという事の意味が分からない。
> だから具体的に書いたじゃないかお望みの史料まで出して。
あのな、「受け取り手が誤解しないように具体的に書けって言ってるんだ。」
これはまだ史料を明示していない
>>175に対してレスをした
>>176の説明だよ。
ただ
>>176でその史料や文を明示した方が良いと言っているだけなのに
> このくらいの資料も検索できないんなら
> これを出したからにはもう通ぶってメジャーな剣豪だから入れろとか
> 安易な意見は言うなよ
こんな事を書く事自体、ケチをつける気満々だと思うのだが。
199 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:12:18 ID:zFDJh3/3
>>198 >
>>175のような事を言うならもっと具体的に示せという事だ
>>197の後半に書いた、読めないのか?
>俺が言ったのは「西遊雑記」の「はたして門人の士四人與力して終に岩龍討る」という部分。
どこでそんな事をお前は言ってるんだ?
>そもそも、武蔵の評価に関して俺が挙げているのは
>二天記のような武蔵側の評価やはっきりした事が分かっていない巌流島の話じゃない。
こういう文章が見つかったけど?あれ?
>「受け取り手が誤解しないように具体的に書けって言ってるんだ。」
上の文章で矛盾してますよ。お前は全然具体的に書けてないじゃないか
>
>>176でその史料や文を明示した方が良いと言っているだけなのに
だから明示したじゃん。
>史料を提示したからといって必ず納得するという訳じゃなかろう。
あれ?
200 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:13:24 ID:+047CZmd
201 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:15:25 ID:zFDJh3/3
>>200 もう結果は出てるというか
>>155-156の人からそうだけど
相手がまったく文章を読む気がないんだよ
たぶんそっちにいっても武蔵の討論なんかする気がないと思うこの人は。
とりあえず迷惑なら俺はもうかえるは、相手は真性みたいだから
202 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:21:14 ID:l2fJw1kr
>>198 G5UppVCLは
>>176で史料を明示した方が良いと言ってる「だけ」
なんでしょ
>>180で勝手に返答することが出来るとか
相手の意見じゃなくて史料そのものを否定しているね
それはおかしいんじゃないかね?
203 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:33:35 ID:zyBqI2bW
>>199 ループだなw
>
>>197の後半に書いた、読めないのか?
>>198の前半をどうぞ。
> どこでそんな事をお前は言ってるんだ?
>>180で言った事を詳しく書いただけなんだけど
> こういう文章が見つかったけど?あれ?
意味が分からない。
> 上の文章で矛盾してますよ。お前は全然具体的に書けてないじゃないか
良く意味が分からんが、
>>151で具体的に書いてるんだけど。
> だから明示したじゃん。
その後にある煽り文句について言ってるんだが。
> あれ?
そりゃそうだ。
そうする事で議論が成り立つって言ってるんだから。
204 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:41:37 ID:zyBqI2bW
>>202 本気で混同してるのか、態となのか分からないが、
>>176で言っている事は「批判をするなら明確に」
という事だが、
>>198で言っている「〜だけなのに」
っていうのは「批判をする際にはこうした方が良いという意見を言ったまでなのに」
煽るような発言を返してきたという意味だ。
「だけ」の意味を態と取り違えてるとしか思えないけど。
205 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:43:13 ID:k78JW03i
>>201 自分の意見だけで結果が出てるとか、馬鹿すぎだろw
206 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:46:25 ID:l2fJw1kr
まともに答える気はないんだな
>>180では結局は西遊雑記という史料自体を否定してるということは認めたわけだな
その時点でお前の理論は壊れてる
お前のやり方は自分の都合が良い史料は肯定して
悪い史料を否定してるだけ
それで議論も何もないだろう
自分で具体的に述べていないのを突かれれば
意見を言っただけ で返すとかもう呆れたわ
207 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:53:13 ID:zFDJh3/3
>>203 一応言っておくがおれは
>>151の相手とは別人
俺との話は巌流島の話なのに、巌流島の話じゃないとか俺との会話で言い出した時点で意味不明
208 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 00:56:43 ID:zyBqI2bW
>>206 >
>>180では結局は西遊雑記という史料自体を否定してるということは認めたわけだな
>>180では例として挙げただけだが、「疑問視」する物だとは思っている。
どんな物でも正しいというなら二天記だってそうなるけど。
史料に信憑性があるかを議論するのは当然。
> 自分で具体的に述べていないのを突かれれば
こう言われた事に対しては
> 良く意味が分からんが、
>>151で具体的に書いてるんだけど。
こう返してるんだけど。
209 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:08:42 ID:l2fJw1kr
>>208 史料自体ね信憑性を疑うのは当然ということは
つまり史料をだされても納得しないってことでしょ
元はお前がその論拠の史料を出せって話だったはず
それは忘れてないよな?
史料ではなく論拠がしっかりしてるかで
史料が正しいかを元は語ってたわけじゃない
なのにそれを出されたら信用できないとか言い出したら当然話が混乱するのはわかるよな?
お前は黙ってくれるか?
210 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:10:21 ID:zyBqI2bW
>>207 君が
>>182で二天記の吉岡の記述を出して二天記は信用出来ないが、
第三者が書いた「西遊雑記」や「沼田家記」は信用できると言っているんで、
それに対して俺は二天記の内容から武蔵を評価してるんじゃない、
>>151にあるように第三者が書いた幸庵対話や尾参宝鑑の記述からだって言ってるんだ。
これの意味が分からないんなら、自分のレスの意味が分からないって事になるが。
211 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:14:31 ID:zFDJh3/3
>>210 「第三者の巌流島の話において」と言う話なのに
なんでもかんでも第三者を出したら混乱するだろ
それにそれは「第三者の評価」であって巌流島のような「第三者が語る経緯」ではないってわかる?
評価というのは人それぞれだ。だからどんな評価があってもその人間がそう思ったなら矛盾はしないだろう
しかし物事の目撃談や経緯というのは基本的に同じ視点から見たら矛盾はしない
で矛盾が少ないから信憑性があると言ってるのに
なんで評価を出すのかわからん
212 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:15:53 ID:zyBqI2bW
>>209 あのさ、繰り返すが、どんな史料でも提示したらそれで終わりって事にはならんだろ。
信頼性の高い記述であればそこで話は終わるだろうし、
そうでない物であればそれについて議論になるわけだ。
それさえもしなければ、更に話を混乱させる事だよ。
213 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:20:46 ID:l2fJw1kr
>>212 それは
>>200でやれ
このスレでは剣豪10人を選ぶスレで宮本武蔵の史料を分析するスレじゃない
宮本武蔵に関する史料でそれが真贋がはっきりしなくても
否定するものが出て来たらとりあえず保留だ
お前も
>>176で言ってるだろ
なのに噛み付いているお前は矛盾してるしめんどい
214 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:34:23 ID:zyBqI2bW
>>211 じゃあ、第3者のものであっても「評価」は個人の感覚に
依拠するからそんな物は信頼出来ないという事か?
困ったね、こりゃ。
215 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:37:00 ID:zFDJh3/3
>>214 話をそらすな、第三者の評価は今は関係ないだろ
巌流島の談や経緯が矛盾がないかを話していたのに
そこに関係ない奴の巌流島の関係のない話を出してどうする。
お前が混乱させてるんだろ
216 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:39:09 ID:zyBqI2bW
>>213 史料についての議論もせず、何を基準に剣豪かどうかを決めるんだ?
> なのに噛み付いているお前は矛盾してるしめんどい
何が「なのに」なのか分からんが、お前が後から加わって来ただけだろw
面倒くさいならレスしなければ良いんじゃない?
217 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:40:12 ID:l2fJw1kr
でももう巌流島の話は史料をしっかり出したからもういいだろ
その時点で武蔵はとりあえず除外は決定した
218 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:43:41 ID:k78JW03i
219 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:44:59 ID:l2fJw1kr
>>216 お前はどうあっても武蔵を入れたいわけな
他の剣豪で武蔵よりも史料的に見ても肯定や信憑性が多く、10人にふさわしいと思える人物がいるので
まずそちらを議論することが優先される
220 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:52:58 ID:zFDJh3/3
221 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:54:00 ID:zyBqI2bW
>>215 >>182では巌流島の事だけではなく、二天記の吉岡の記述が信用出来ない事から、
宮本武蔵という人物そのものを怪しいといっているんじゃないか。
巌流島の事のみ話している訳じゃない。
222 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 01:58:14 ID:k78JW03i
>>220 お前、本当に文盲かよw
結局一対一って話だろ?
狡猾かどうかなんぞ関係あるかよ。
223 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:00:00 ID:zFDJh3/3
>>221 話をそらすな。吉岡と小倉碑文は第三者が書いたものではない
その上で第三者の意見や談で、その中でも巌流島の目撃談の方が矛盾が少ないと言っているのだ
お前も第三者の談が〜とかほざいてるだろ
ついでに吉岡と小倉碑文についての
>>182は経緯についての矛盾で評価の矛盾を語ってはいない
もうスレ違いだから
>>200に池。
>>200に詳しい奴がいるから
そいつを論破してスレ全体を武蔵肯定論にしてからここに10傑に入ると言ってこい
224 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:02:28 ID:l2fJw1kr
>>221 スレ違いだからはやく帰ってくれるか?
もうそれはおまえも否定できんだろ
武蔵考察はそっちでやれ
225 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:09:52 ID:zyBqI2bW
>>223 だからさ、二天記の吉岡の記述は第三者の記録じゃないから信用出来ない、
として
>>182でお前が挙げてるんだろ?何を言ってるの?
で、第三者の談として「経緯」なら信頼出来るが、「評価」では意味が無いといってるんだろ?
という事で
>>214に戻る。
武蔵が剣豪かどうかについての事でスレ違いも糞も無いだろw
226 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:12:10 ID:l2fJw1kr
227 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:18:22 ID:zyBqI2bW
228 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:24:31 ID:qxvTAV70
229 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:27:15 ID:zyBqI2bW
>>228 何で俺が態々別スレいってそんな事しなくちゃならんのだw
アホか。
230 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:28:13 ID:qxvTAV70
>>229 逃げたかw
さすが信者は武蔵といっしょで卑怯だなw
231 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:28:53 ID:zyBqI2bW
>>230 逃げる?
それは別スレでやれって言ってるお前だろw
232 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:29:32 ID:qxvTAV70
>>231 じゃあやってきてその結果をこのスレに貼ればいいだろ
いいからやれよカス信者。
233 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:32:42 ID:zyBqI2bW
>>232 だから、お前に命令されてそんな面倒な事をする理由が全く無い。
234 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:33:31 ID:qxvTAV70
ほらできないんだろw
単に武蔵最強!とか言いたいだけだったな
235 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:36:08 ID:zyBqI2bW
>>234 スレ自体見てないのに出来るも出来ないも無いだろうが。
ここでの話を態々別スレに持っていく理由が無い。
つーか、そんな面倒な事を一からやろうとするわけねーだろ、馬鹿w
236 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:37:00 ID:qxvTAV70
>>235 信頼性の高い記述であればそこで話は終わるだろうし、
そうでない物であればそれについて議論になるわけだ。
それさえもしなければ、更に話を混乱させる事だよ。
237 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:39:19 ID:l2fJw1kr
自分の発言で返されたら否定はできんだろ
238 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:39:32 ID:zyBqI2bW
>>236 その話とお前が俺に別スレに行って論破して来いって話はまるで違う。
239 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:41:01 ID:qxvTAV70
>>238 >>178のサイトの管理人にメール出すくらいは出来るだろ
はやくやれよ、そのサイトの管理人が信憑性が高いと言うんだから
それを疑うお前が確認するのが筋だろw
240 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:48:23 ID:zyBqI2bW
>>239 小倉碑文の信憑性について言ってるのか?
それとも西遊雑記について言ってるのか?
241 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:49:20 ID:qxvTAV70
>>240 いいからそれも含めて聞けよw
うだうだ言ってないでカスw
242 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:50:09 ID:qxvTAV70
ほんと武蔵信者はどうしようもない
議論とか言う振りしてマンセーしたいだけ
都合が悪いのはスルーw
243 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:53:18 ID:zyBqI2bW
>>241 だから何でお前みたいな馬鹿に命令されなきゃならんのだ?
そもそも俺は小倉碑文が信憑性があるなんて言ってない。
244 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:53:52 ID:qxvTAV70
はいはい逃げ逃げw
245 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:54:42 ID:zyBqI2bW
>>244 メール出せだの他のスレで論破しろだの言う事が逃げだろw
馬鹿?
246 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 02:56:02 ID:qxvTAV70
>>245 じゃあなんでやらないの?
このスレに結果を貼って良いって言ってるだろw
逃げ逃げ卑怯武蔵と一緒
247 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:03:07 ID:l2fJw1kr
俺はとりあえず史料で否定されるものが出たら保留で
他を優先すべきだと言った
それを検証だとかスレ違いにならないと言ったんだからそれをやるべき責務はあるぞ
それくらいやらんとここまで消費したレスが無駄になる
これだけ消費して武蔵側の擁護は何も有益な事ができません
と結論を出したいならそれでいいが
それでは武蔵は除外になるな
248 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:03:46 ID:zyBqI2bW
>>246 > じゃあなんでやらないの?
ここで言っている事を他に持ち出す必要性がないから。
面倒だから。
お前に命令される理由が無いから。
何のことについてかも書かれてないから。
など。
249 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:07:54 ID:zyBqI2bW
>>247 >>176でも言っているように後回しにする事自体については否定してない。
ただ、史料の信憑性について語る事自体がスレ違いだとは思わないというだけ。
武蔵の評価ついては
>>151で言った。
それだけでは評価にならないというなら後回しにするというなら別に構わん。
250 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:10:00 ID:zyBqI2bW
×それだけでは評価にならないというなら後回しにするというなら別に構わん。
○それだけでは評価にならないから後回しにするというなら別に構わん。
251 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:11:11 ID:FUl/tXHG
俺の剣豪10傑
日本兵法中興の祖
天真正伝香取神道流の祖
【飯篠長威斎】
日本最大剣術流派新陰流の祖
万人が認める剣聖
【上泉信綱】
剣術大流派一刀流の祖
天下一名人の札をかけての回国修行は伊達じゃない
【伊藤一刀斎】
戦国時代を代表する大剣豪
新当流の祖 秘技一の太刀
【塚原卜伝】
幕末の三剣豪筆頭
直心影流 他流試合勝利は数知れず
【男谷精一郎】
幕末三剣豪の大石進に完全勝利 中西道場の三羽烏の一人
天真白井流の祖
【白井亨】
中西道場三羽烏の筆頭
天真一刀流の祖
【寺田宗有】
他有名流派の必殺技と返し技が習えるセイア流の祖
中国地方で大流行
【深尾角馬】
小太刀最強の剣豪
中条流中興の祖
【富田勢源】
一般知名度最強の二刀流
天下五大流儀のひとつ二天一流の祖 五輪書
【宮本武蔵】
252 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:11:20 ID:l2fJw1kr
>>249 じゃあ
>>228のいうことをやれ
それを面倒だからとか言って拒否してる以上はおまえはゴミ
253 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:11:20 ID:qxvTAV70
254 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:14:56 ID:zyBqI2bW
>>252-253 史料の信憑性〜っていう発言をすると、他のスレに言ったり
その史料について書かれているサイトの管理人にメールを
出す必要性が出るのか?
めちゃくちゃなんだがw
255 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:17:35 ID:qxvTAV70
>>254 当たり前だろw
その史料が信憑性が高いと言われているのを否定するのだから
それだけの確認をする義務があるだろ
自分で
>信頼性の高い記述であればそこで話は終わるだろうし、
>そうでない物であればそれについて議論になるわけだ。
>それさえもしなければ、更に話を混乱させる事だよ。
って言ったのだから
信憑性が高いということはわかってる、つまりそこで終わった話を引き延ばしてるんだから
256 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:19:32 ID:zyBqI2bW
>>255 だから、どの史料について信憑性が高いと言われていているって言ってるんだよ?
257 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:23:22 ID:qxvTAV70
258 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:24:32 ID:l2fJw1kr
多分ここで俺はそんなこといってないとか言い出すだろうなこいつ
259 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:24:53 ID:zyBqI2bW
>>257 俺は一度も沼田家記の信憑性について否定していないんだが。
で、沼田家記には一対一の仕合だと書いてある。
260 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:25:28 ID:qxvTAV70
261 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:25:29 ID:zyBqI2bW
>>258 当たり前だろ。
本当の事だ。
そうじゃないというなら、そのレスを挙げろよ。
262 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:30:47 ID:qxvTAV70
>史料を提示したからといって必ず納得するという訳じゃなかろう。
>「沼田家記」には一対一の仕合だとなっている。
>何故そうなるのか分からんが、実際に面識の有る人間のいう事が
>はっきりしないという事の意味が分からない。
>あのさ、繰り返すが、どんな史料でも提示したらそれで終わりって事にはならんだろ
>どんな物でも正しいというなら二天記だってそうなるけど。
>史料に信憑性があるかを議論するのは当然。
263 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:34:54 ID:zyBqI2bW
>>262 何か違うレスをくっつけて無理矢理否定してるようにしたいみたいだけど、
沼田家記には一対一の仕合だと書いてあるし、
もちろん俺もそれを否定してない。
264 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:35:18 ID:l2fJw1kr
沼田家記が信憑性が高いと認めた時点で
武蔵は約束を破って弟子を連れていって
小次郎の弟子に追われて
鉄砲隊を護衛につけて返してもらったのは信憑性が高いな
こんな情けないエピソードの剣豪はとりあえず候補には入らないな
265 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:45:13 ID:zyBqI2bW
>>264 一対一の仕合で勝っているわけだから、
止めを弟子が刺そうが、大勢に追われて匿って貰おうが
別に武蔵を否定する理由にはならんと思うが、
それについては受け取り方の違いもあるから、
お前がどう思おうとどっちでも良い。
そういう事が理由で10傑に入るか入らないかは
それぞれが議論して決めれば良い事だ。
266 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:45:19 ID:qxvTAV70
>>259 「どんな物でも」と言ってるが沼田家記は例外ということか?
非常にわかりにくく具体性にかけるレスだな
>レスをしても「そういう意味じゃない」とかなって荒れてしまう。
>批判をするのなら自分の意思をきちんと明示しろ、という事。
お前の台詞
267 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:46:35 ID:zyBqI2bW
>>266 どっちも肯定してるのに何でそれを検証する必要が有る?
268 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:48:55 ID:qxvTAV70
269 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:51:38 ID:zyBqI2bW
>>268 お前は知らんが、俺もID:l2fJw1krも否定してないと思うが。
270 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:53:53 ID:qxvTAV70
271 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:55:01 ID:zyBqI2bW
>>270 お前が言い出したんだろw
沼田家記の信憑性だよ。
272 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 03:56:21 ID:qxvTAV70
>>271 お前が
>どんな物でも正しいというなら二天記だってそうなるけど。
>史料に信憑性があるかを議論するのは当然。
って言って、さも沼田家記も信憑性を否定したような
紛らわしい記述をしたということを
>>266で言ってるんだが
273 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:02:05 ID:zyBqI2bW
>>272 両者の意見が食い違って議論になるんだろうよ。
どちらも肯定してるものはハナから信憑性を議論する対象になんぞならんだろ。
274 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:02:26 ID:l2fJw1kr
>>265 なるよ
試合の約束を決めてそれを破ったのは士道に背く行為
その証拠が、だから逆に士道を貫いた佐々木小次郎は惜しまれて巌流島と名付けられた
しかもトドメとはいえ弱った相手に多勢でトドメをさすのは外道の行為
275 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:06:13 ID:zyBqI2bW
>>274 俺は武士道に背こうが強ければ剣豪だと思うが、
お前がそう思わないならその考えを一々否定はしないよ。
考え方が違うだけだ。
276 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:07:05 ID:qxvTAV70
>>273 はぁ?もうお前頭悪すぎる
>>152辺りからみても相手の文章がわかりにくいとか難癖つけてるんだが
それで自分の文章がおかしいと言われたら議論ができん?
ふざけるな、二度とこのスレに顔出すなよ。
>信頼性の高い記述であればそこで話は終わるだろうし、
自分で終わる議論を長引かせてただけだろ
>>183の言うように難癖つけて荒らしたいだけだろ死ねほんと
277 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:09:58 ID:l2fJw1kr
278 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:11:04 ID:l2fJw1kr
たしかにもうこの武蔵信者はダメだ
もう少しまともな話ができれば評価はあがったのに
279 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:25:20 ID:7jFfuPJ4
人格的に優れていなくては剣豪ではない?
武蔵は卑怯だから、剣豪ではない?
・・・ふうむ。それ自体は一つの意見だな。
そいじゃあワガママな振る舞いが多くて秀忠から蟄居を命じられたりした
小野忠明も、高潔な人格者とは言いがたいから剣豪じゃないね。
戦国期の人間は多かれ少なかれ問題ある人格の持ち主で、決して幕末の剣豪たちの
ように教養ある君子人ではないのは当然だと思うが。
280 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:30:16 ID:zFDJh3/3
>>279 人格的じゃなく試合の「ルールを決めてたのを破った」のが武蔵で
小野忠明は素行が悪くても試合や立ち会いで卑怯なことはしてないだろう
281 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:37:41 ID:rQXCYxeK
じゃあ塚原卜伝outだな
282 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:40:16 ID:l2fJw1kr
ト伝はあくまで戦いを避けたエピソードでしょ
卑怯を働いてまで勝とうとはしてないはずだが
283 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:46:16 ID:7jFfuPJ4
自分の方が強いのをいいことに、ある道場の稽古をバカにしたあげく
乗り込んで全員ボコボコにして凄い恨まれたりした小野忠明って、
人間的に最低じゃね?w
284 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:53:23 ID:l2fJw1kr
大石進なんかも道場破りだが
285 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:57:31 ID:rQXCYxeK
十数回も相手に左太刀は卑怯だ、ヤメロと伝え決闘に望み
左から来させるようにして勝った塚原卜伝。
無刀取りを見せろと言われ、あさっての方に注意を逸らせた隙に
刀を取って「これが無刀取り」だと言った名人越後。
286 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 04:57:35 ID:7jFfuPJ4
相手より長い竹刀つかって俺TUEEEってやってたやつって冷静に見ればバカだよなw
あと幕臣のくせに幕末の実戦に参加もせず、江戸から東京でのんびり暮らしてた
連中も武士として、どうかと思うぜ。伊庭や土方が命がけで戦ってたとき、お行儀の良い
他の江戸の剣客たちは、何をやってたんだとw
287 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 05:43:20 ID:3QyPnRoH
大河新撰組の香取近藤の台詞にもそんなのあったね
我らが命懸けで闘ったこの五年、お手前方は一体何をした!
ご公儀のために一度でも命をかけたことがおありか!とかいうやつ
あれは結構名台詞&名演技だったな
288 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 05:49:28 ID:7jFfuPJ4
宮本武蔵を嫌いで嫌いでならない厨房も、卑怯程度では全然彼の評価を
貶めるものではないってことが分かってくれれば良いがな〜
武蔵は入れて当然だっつうの。
289 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 07:50:27 ID:l2fJw1kr
290 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 07:55:48 ID:jOTY9QCt
戦国の剣豪ベスト10は
>>154で決定だろ
幕末も早く決めようぜ
男谷信友
大石進
白井亨
は確定
291 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 08:07:51 ID:l2fJw1kr
三大道場主
明治二大剣豪
あと二人は奥村と加藤田あたりだろう
292 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 08:13:36 ID:HdmKPTh1
榊原とか山岡みたいに、明治になってから剣豪として認められるようになった
連中の話をすると荒れるってばさw
維新前の動乱期、榊原は30代、山岡に至っては20代の若造。
その時代の経験を経て、明治後に剣豪として大成したのは確かだから、幕末までという
くくりに入れるのはやめとけって。
293 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 10:24:27 ID:cxcLpwI/
ところで西遊雑記は18世紀末の天明年間の岡山の人の紀行文で、武蔵のころの資料としては2流3流というのは既出?
沼田家記は17世紀末で時代は近いが。どちらにしろ史料というのは書かれた時期や書いた人と事件の関係が明確でないと議論できんよ。
294 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 10:33:27 ID:l2fJw1kr
>>292 何をもって言ってるのかわからん
榊原は御前試合で活躍してるし
動乱期は護衛で人まで斬ってるが
山岡はもともと構武所で鬼鉄と呼ばれるくらい強く
動乱期は有名な無血開場のために西郷のところまで敵軍の中を乗り込んでるが
295 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 13:06:51 ID:ZTWUylKw
>>293 沼田家記は別としても西遊雑記なんかをまともに取り合ってる奴なんてこのスレでも約一名だけだよ
前スレでもしつこく語ってた人がいたけどそれと同一人物だと思うよ
296 :
サイコメトリー:2008/02/03(日) 13:11:58 ID:OH0bAWWL
宮本武蔵に関して約2人のとめどないレス合戦終了良かった。(もう来ない様に!)
2008.2.3 現在・剣豪ベスト10当確者。
○ 上泉信綱
○ 塚原ト伝
○ 富田勢源
○ 男谷信友
>>57から変わってません。丸目長恵、何回か名が上がっているが、自分的には
当確たる、剣豪と思うがどうでしょ?
297 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 13:51:44 ID:y8vCqS8o
>>289 動乱の京都にいたわけでもない、長州攻撃、鳥羽伏見にも参戦しなかったことを
指しているのだと思うが。まあそれが役儀の上だった、というのなら仕方ないが、
ある種の迫力不足は否めないな。
298 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 14:00:59 ID:l2fJw1kr
>>297 山岡はそんとき謹慎喰らってほされてた
榊原は男谷の後を継いだから道場やら忙しいわけだから
299 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 14:08:36 ID:l2fJw1kr
にしても武蔵厨はひどい自演だな
沼田家記と照らし合わせて西遊雑記が符号するところが多いって言ってるのに
西遊雑記と沼田家記の繋がりを語ってるのを否定して何が言いたいんだろ
そんなに気に入らないなら、ウィキペディアにも同じこと書いてるから修正してきたら?
300 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 15:41:26 ID:l1IoQUUW
>>293 西遊雑記(1783年)より古い、1714年に書かれた本朝武芸小伝でも中村守和の話が出てきて
同じような事が書かれていたりする。
沼田家記・本朝武芸小伝・西遊雑記、この三つで言えば西遊雑記は一番信憑性が低いことになるが
この三つに武蔵が弟子を連れてきているという記述が共通している点はいわずもがな。
民間伝承で信憑性が低い西遊雑記があちこちで出される理由は
結局は内容に重なりがあるからで、まったく研究で誰にも相手にされてない史料じゃないんだよ。
むしろ西遊雑記と時期がそこまで変わらない、二天記の内容で
本来言われてるような、武蔵が宍戸某とか宝蔵院流槍術と対決したとかいう記述の方が
まったく裏付ける史料がなくて相手にされてなかったりする。
301 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 16:07:54 ID:o+YF9w2H
昨日はずいぶん荒れてたんだな。
ちょっとは外に出なさいと。
とにかく武蔵スレでも立ててやれば。
争い事の間隙を縫って、当確者追加。
何度か名前が挙がっているが特に否定意見の無い人ね。
○ 上泉信綱
○ 塚原ト伝
○ 富田勢源
○ 丸目長恵
○ 小野忠明
○ 男谷信友
302 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 17:32:36 ID:zZEi/Mmo
>>301 一応
>>200に武蔵スレへのリンクあるよ
向こうの雰囲気というか空気に合うか
見てないけど
303 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 19:06:30 ID:jOTY9QCt
>>296 上泉信綱と塚原卜伝はともかく、
富田勢源はまだ確定してないよ
同じ富田なら勢源より名人越後こと重政の方が強い訳で
>>154の戦国十傑を参考すべし
304 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 19:30:37 ID:jOTY9QCt
因みに剣聖・上泉信綱曰く
西日本一の剣豪は丸目長恵
東日本一の剣豪は柳生宗厳
なんだとか。柳生も西日本だとは思うが
305 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 19:35:09 ID:rQXCYxeK
>>304 それ、但馬が蔵人にそうしようって言ったんじゃないの?
306 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 20:55:34 ID:jOTY9QCt
307 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 20:58:17 ID:jOTY9QCt
しかし剣術四大源流のうち、念流系だけは大した剣豪いないな
308 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 23:47:31 ID:ptXkIh5t
現段階では、このスレの最初の頃と同じで、上泉と塚原しか当確ではないと思うぞw
あと抜刀術の開祖、林崎甚助は入れておくべきだと思う。
309 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 00:45:26 ID:tEg6eykD
念流開祖は相馬四郎とか言う人だそうな。新田義貞に仕えたって話だからこれはもう伝説だ。
京に上って、京の古流を学んだそうで、中条流開祖とも関係あるらしいが不明。
流祖伝説の中でも、抜群に歴史が古いな。
群馬県馬庭に土着したのも歴史が古く戦国時代の話で、幕末になっても古法を守り、
竹刀を使わず、現代でも残ってるっていうから驚きだ。
戦国以前からの古法を今でも残してるのは、ここだけでね?
やっぱ京の古流、念流とか中条流のが、はるかに歴史が古いのね。
関東のは、せいぜい新当流系くらいか。確かに関東独自で、そこそこ歴史が古いの。
310 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 01:55:47 ID:LkFN0THp
ほんじゃ、
>>154をベースに戦国からのノミネート者改訂版ね。
塚原卜伝(当確)
上泉信綱(当確)
愛洲久忠
松本政信
疋田景兼
柳生宗厳
丸目長恵
富田勢源
富田重政
伊藤一刀斎
東郷重位
宮本武蔵
小野忠明
林崎甚助
最終的には比較論で10人に絞ることになるだろうし
武蔵の名前も、とりあえず現時点ではノミネートからは除外せず書いておきました。
今の調子で出てくる名前をズバズバ切り捨てると10人決まらない雰囲気だし、
とりあえず、候補者をどんどん挙げてみてから考えない?
追加ヨロシクです。
311 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 02:44:41 ID:8kW7TiYV
>>310 うん、まずは候補を挙げてくとこから始めたほうが良いな
これからはテつけてお前さんが仕切ってくれ
サイコはどうも自分の意見を集計に反映させたがる傾向があるから駄目だ
312 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 02:51:44 ID:2YeF1IaJ
日の本軍事の達人 東軍流 川崎鑰之助時盛
313 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 02:56:20 ID:aiWuMKwW
鐘捲 自斎や伊藤一刀斎なんかは経歴よくワカランけど
弟子見るとジツリキは確かだろうね
314 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 03:20:02 ID:YnCsDb1/
サイコは自分の意見を反映させるって事だけど、皆それが目的でカキコミしてんじゃないの?
315 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 04:48:58 ID:/sSEXyZK
まず候補選んでから決めろとか言う時点で
十分反映させようとしてるっぽいが
316 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 05:26:37 ID:YnCsDb1/
↑全く同意。
なぜ330や311が当確設定決めるのよ?
そんな事より持論を展開しなよ。
317 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 05:37:11 ID:P8mULikT
「自分たちには仕切る権利があるのだ」という意味不明なアピールしてる
ヒマがあったら、自分の考えを言うべきだな。
愛洲に松本に疋田に丸目にと、対して話題にもなってないような連中を
大量に持ち出して、それが当然みたいな顔してるあたり主観丸出しだぞw
318 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 05:41:00 ID:/sSEXyZK
昨日の武蔵厨みたいに有名を理由に、主観を理由に史料否定や
言い訳しかできん奴の方がうざいと思うけど
とりあえず戦国は史料が少ない時点で焦っても荒れるだけ
(武蔵はもう十分出たからいいだろ)
まずは史料がはっきりしてる幕末から決めた方が安定するんじゃねーの
319 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 05:53:22 ID:97i4/WkF
戦国時代の追加
草深甚四郎
神後宗治
柳生宗矩
小野忠明
松浦静山
北畠具教
足利義輝
吉岡憲法
あと戦国より前の世代になるが
飯篠家直
中条長秀
念阿弥慈音
も捨てがたい剣豪だろう
320 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 06:07:00 ID:97i4/WkF
剣豪に関する書物を数冊読んでみたが、
戦国時代の「剣聖」は上泉信綱、塚原卜伝に加え
富田勢源、松本政信もどうやら確定っぽい
松本政信は塚原卜伝の師であると同時に、
卜伝と双壁をなす剣聖だとも言われてるらしい
321 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 07:35:07 ID:+Wl59lcD
俺は東郷重位を推すよ
藩の剣術師範に勝ってる
スゲー
リストに討ち死にした剣豪がいるな
個人的には枠が10しかないんだし外してもいいような・・
322 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 07:49:13 ID:97i4/WkF
愛洲久忠
松本政信(剣聖)
上泉信綱(剣聖・当確)
塚原卜伝(剣聖・当確)
富田勢源(剣聖)
疋田景兼
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
どう考えても戦国時代のベスト10はこのメンバー
愛洲久忠は少し世代が違う気はするが・・・
代わりに入れるなら神後宗治あたりか
323 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 08:02:39 ID:97i4/WkF
室町時代と江戸時代初期についても考えてみた
室町時代剣豪ベスト5
中条長秀
飯篠家直
念阿弥慈音
愛洲久忠
吉岡直元
江戸時代初期剣豪ベスト10
柳生宗矩
柳生利厳
小野忠明
東郷重位
・・・
戦国時代に比べると小粒揃いか
324 :
サイコメトリー:2008/02/04(月) 08:33:05 ID:CRgoXYz3
サイコです。何か自分の事で話が出て迷惑掛けてた様でスイマセン。
『誰かが集計を取った方が良いかなぁ』って自分勝手に思って始めただけですんで・・。
別の人が集計した方が良いですね。名前を出してるから逆によくないのかなぁ?
325 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 09:55:21 ID:nM65iPzv
>>323 おお! それいい感じ (^∀^)b
「室町時代の、剣術黎明期における伝説的開祖たち」と
「戦国時代に名を上げた、道統の中興的剣豪たち」と
「江戸初期に指南役などとして平和な時代に適応した剣豪たち」とを
分けて考えるとスッキリかもね〜
326 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 12:48:21 ID:97i4/WkF
>>324 富田勢源も当確で良いと思うよ。
あと丸目長恵入れるなら柳生宗厳も入るだろう
別に気にしないで集計とってくれたら良いよ。
サイコメトリーさんみたいにコテ付けた人が
やってくれた方が比較的荒れずに済むだろうし
327 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 14:05:43 ID:97i4/WkF
松本備前守政信は間違いなく当確だろう
塚原卜伝の師であるのは有名だが、
実は上泉信綱も一時期師事している
二人の剣聖を育てた人物なのだから
備前守もやはり相当な剣の使い手なのだろう。
飯篠家直に師事し鹿島神流を創始した
しかし鹿島家の重臣であった事から戦乱に巻き込まれていく
最期は敵兵8名を討ち取り絶命
1467年つまり応仁の乱の起こった年に生を受けた
戦国時代の剣豪の先駆的存在
328 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 14:26:37 ID:8kW7TiYV
室町戦国期
中条長秀
飯篠家直
松本尚勝
愛洲久忠
上泉信綱
江戸初中期
柳生宗巌
小野次郎衛門
宮本武蔵
東郷重位
樋口定勝
幕末
男谷信友
千葉周作
斎藤善道
浅利又七郎
山岡鉄舟
うーん、つらつらと挙げてみたが江戸期は初中後で分けんと範囲が広すぎるな
329 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 14:42:30 ID:ZAYshD83
当確がまだ3〜4人しか埋まってないなら
武蔵辺りなら入れても全然OKじゃね?
ある意味有名すぎてアンチも多いが歴史研究家とかでも10人いれば8人が武蔵を挙げると思うぞ
330 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 18:48:42 ID:mVqBiFwI
考えてみたら、室町時代と戦国時代の境目って曖昧なんだよなあ。
明らかに室町時代の人、と断言できるのは・・・
飯篠長威斎(香取神道流)
中条長秀(中条流)
愛洲伊香斎(陰流)
相馬四郎(念阿弥・念流)
くらいかな・・・だから、この4人は除外するべきだと思う。
応仁の乱の時代に生きた、松本政信とか
室町幕府の将軍義輝に剣を教えた、塚原卜伝。
このへんは微妙だなあ・・・
331 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 18:54:49 ID:mVqBiFwI
>>330 鹿島と香取まちがえた orz
見ないフリしてくれ・・・・
ちょっと調べたら史学的には、戦国時代ってのは応仁の乱から、足利将軍家滅亡までなのね。
そこから江戸幕府成立までは、厳密には安土桃山時代と。
この区分に従うと、またまた話が変わってしまうなあ・・・
332 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 19:17:52 ID:+Wl59lcD
男谷精一郎が幕末期一番の当確者だというならなら男谷と引き分けた大石進と加藤田平八郎
男谷には負けたが大石進と引き分けた千葉周作
千葉周作と引き分けた高柳又四郎
大石進に勝利した白井亨
この五人も当確でしょ
333 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 19:53:47 ID:97i4/WkF
>>329 戦国時代だけに絞っても十傑には入らないんじゃないかなぁ
宮本武蔵が戦国時代の剣豪かどうかも微妙なところだけど
武蔵と同等以上の剣豪は沢山いるよ
334 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 20:04:16 ID:97i4/WkF
>>330 応仁の乱は1467年から10年間続いたのだから
1467年生まれの松本政信が活躍したのは、応仁の乱より
ずっと後の事でしょうね
そもそも応仁の乱によって戦国時代に突入した訳だし
松本政信が討ち死にしたのも、戦乱の最中だしね
塚原卜伝に関しては文句無しの戦国時代の剣聖だろう
335 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 20:15:07 ID:97i4/WkF
戦国時代の十傑
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
神後宗治
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
最終的にこの十人になったんだけど、どうだろうか?
336 :
人間七七四年:2008/02/04(月) 21:18:11 ID:wYQQES3M
>>335 まあ妥当じゃないか。上泉信綱が誉めた人、一流の創始者、剣聖ぞろいで良いじゃないか。
337 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 02:03:10 ID:5Nkv8Tmu
俺も
>>335にほぼ同意。
>>323みたく室町時代と分けるといいかもね。
あとは、個人的には神後宗治 柳生宗厳 丸目長恵 このあたりと
愛洲久忠、鐘捲自斎、東郷重位、柳生利厳、小野忠明などを入れ替え検討対象にしてほしい。
宮本武蔵は荒れそうなので当分保留で。
338 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 02:36:48 ID:+f7d8Jae
松本政信○
塚原卜伝△
上泉信綱○
富田勢源△
疋田景兼△
神後宗治△
柳生宗厳△
丸目長恵○
富田重政○
伊藤景久△
○意義無し△要検討
>>337 東郷重位や小野忠明、宮本武蔵なんかは江戸初期になるんじゃないか?
339 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 03:08:39 ID:5Nkv8Tmu
ほれじゃ
>>330の意見にも従って
愛洲久忠と東郷重位、柳生利厳、小野忠明、武蔵はとりあえず戦国期候補からは除外。
代わりに個人の趣味にはしってばかりで悪いが、槍枠設けて宝蔵院胤栄を提案しとく。
強さはどうか知らんけど、影響度は問題ないと思う。
340 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 04:52:42 ID:u7zfAYVm
宮本武蔵は超メジャーだから荒れるのと対照的に・・・・・
松本政信って超マイナーだろ。普通知らんぞ。俺も知らん。
前スレで、誰も知らないようなマイナーな人連れてきて、実はその人が
強かったとか言い出すと議論にならんからやめとこーって意見あったと思うのだが。
富田は勢源を推す人のが多いような気がするのだが・・・
勢源は、明確に戦国時代に生きて死んだ人。
重政は、加賀前田家に仕えたことからも分かるように、どっちかっつーと、
安土桃山時代の人ではないのかな。
341 :
サイコメトリー:2008/02/05(火) 12:59:58 ID:nydEM7RO
どんなにマイナーな人物でも文献や資料的に剣豪たるに得る人物と判断
出来れば、当確者にすべきだと思うよ。
342 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 13:14:16 ID:+f7d8Jae
まだ基準を決めてる段階で見切り発車しちゃったからな〜
各々がまったく違う目線で評価してるんだからこういう事になっちゃうのは仕方ねえか
343 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 14:05:51 ID:aaz2w4B+
安土桃山時代っていわゆる戦国時代だろ
室町や安土桃山、江戸みたいに政治が行われた場所を
時代の名前にしたものと戦国時代って全く別の概念だし
富田重政は末森城の一番槍にもなっているくらいだから
紛れもない戦国時代の剣豪だと思うのだが
344 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 14:10:03 ID:aaz2w4B+
>>338 塚原卜伝が△なのは何故?
意義なしの剣聖だと思うのだが
345 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 14:29:59 ID:KdlVWHGo
上泉伊勢の師匠といえば愛洲伊香斎だろう。
松本政信が上泉の師匠だって話は完全に初耳だし、ちとググる程度では
どこにも痕跡も見つからん話なのだが、根拠あるなら教えてくれ
>>327
346 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 14:31:35 ID:aaz2w4B+
Wikipediaだと1573年までってなってるけど
足利義昭を京から追放した年までを戦国時代と言ったら
長篠の戦いも秀吉の小田原攻めも天下分け目の関ヶ原の合戦も
戦国時代の戦いではない
伊達政宗、真田幸村(信繁)、直江兼継は
戦国武将では無いことになる
ちょっと一般人の認識とズレてないか?
戦国時代の範囲に関しては色々説あるけど
347 :
仙台藩百姓:2008/02/05(火) 14:41:17 ID:of/Gh39l
自分が知らないからマイナーてのは暴論過ぎるお( ^ω^)
近所の権助さんが最強とか言うなら話しは別だけど
剣術家の本見れば大概載ってるような人物捕まえて議論対象にもならん程マイナーだと言うのはおかしいお
348 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 14:46:38 ID:aaz2w4B+
>>345 上泉信綱は剣を学ぶため鹿島・香取、鎌倉で
修業したのは結構有名な話
天真正伝香取神道流、鹿島神流を学んでいる
そして信綱の剣才を愛洲久忠が見込むのはその後
ただ実際に指南したのは息子である愛洲宗通とされる
愛洲の陰流を発展させ、新陰流を創始するに至った
因みに信綱の父である義綱も鹿島神流を学んでいる
で鹿島神流の師が松本政信
349 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 15:18:25 ID:KdlVWHGo
>>348 時代が重なるから、おそらく松本から上泉が教わったのだろうという推測かあ。
まあ、ありえそうな話ではあるが、ちと弱いな。
上泉本人が、自分の流儀を命名して「新・陰流」としたわけで、愛洲の陰流から
受けた影響が大と、自ら認めてるしな。
鹿島神道流の影響が大きいと思ってたなら、新陰流とは名付けなかっただろ。
350 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:05:18 ID:aaz2w4B+
>>349 いや・・・推測じゃないのだが
「松本備前守 上泉伊勢守」でぐぐるべし
生誕500年のHPが出てくるよ
陰流から受けた影響が大なのは、修業年数が違うのだから当然
新陰流は陰流にそれまで学んだ諸流派の要素を
取りいれたものなんて風によく言われる
誰も松本政信の影響の方が大きいなどとは言ってないんだけどな〜
351 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:14:34 ID:+f7d8Jae
上泉伊勢が松本備前の弟子だったとか卜伝の弟子だったて説は結構古くからある
説のハッキリとした出所は俺も見たこと無いし真実かどうかは知らないが
352 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:26:18 ID:aaz2w4B+
伝説的二大始祖
国摩真人(関東七流)
鬼一法眼(京八流)
353 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:31:46 ID:nz71EXhw
なるなる。さんきゅう(´・ω・`)ノ
上泉は諸流をいろいろ学び、鹿島系のも、念流系のも、いろいろと学んだという説もあり、
結局はMr.アイスから学んだのを主として新流を興したわけね。
しかし松本から学んだと500年の所は断言してたが、他のとこでは塚原から学んだとか
いやいや鹿島にいっただけだわいとか、鹿島いったのも二年だけでそのあと10年以上、
アイスと旅してたのだとか・・・諸説入り乱れてますねえ(´・ω・;)
つまり何が言いたいかというと、松本備前の功績として、上泉を教えたのだと、
断言するのは、なかなか難しいのではないかと・・・
上泉の子孫が仕えた上杉家の方の記録と、新陰流正統の柳生系の記録が、矛盾してるみたいね〜
354 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:46:09 ID:+f7d8Jae
上泉か新陰流の名声を横取りする為の後世の脚色かもね
剣豪話の中じゃよくある事だ
355 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 16:50:40 ID:aaz2w4B+
松本政信は塚原卜伝の師として有名なんだよね
「一の太刀」を生み出したのは備前守だとも言われてるし
相当な剣の達人だったのは間違いないと思う
個人的には「剣聖」と呼んでも差し支えないと思う
356 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 17:09:28 ID:nz71EXhw
「直心影流」でググったら面白い結果が・・・w
「鹿島神伝」の方では、松本備前→上泉伊勢を、流祖の系譜としてるのに
「伝習館」ってとこでは、愛洲移香→上泉伊勢を、流祖としてる。
塚原卜伝からだってところもあり、いやはやどこを信じたらよいものか・・・w
現実的には、江戸期に、名称を新陰ではなく、心影とした人が実際の開祖だって
あたりまでしか、信じられないような希ガス
357 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 18:17:47 ID:aZFjWpZC
室町 戦国 江戸前 江戸中 江戸後
とかに分けるのならベスト5くらいでいいんじゃね?
358 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 18:29:00 ID:aaz2w4B+
戦国と江戸後は多いしベスト10が妥当かと
359 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 18:31:58 ID:Epiyb04L
愛洲伊香→上泉伊勢→奥山休賀斎→小笠原長治の流れは、なんか無視されてるなここ。
疋田や神後や丸目を入れるなら、奥山も考えに入れないとおかしいだろう。
しかし上泉伊勢は影響大きすぎる。いっそ別格にして棚上げしたほうが良いかも知れんw
剣聖:上泉伊勢は、入って当然だから、彼は10傑に入れる必要も無いってのはどうだろう・・・
360 :
人間七七四年:2008/02/05(火) 22:44:40 ID:Fxg9L9y2
朝倉氏が守護斯波氏から越前を奪い取り、下克上を成した頃からか
軍事力によって将軍が敗れた頃(応仁の乱から明応の政変まで)が
戦国時代の始まりと言われる。
また、室町幕府に変わる政権の誕生として、織豊時代の始まりを
戦国時代の終焉とする見方もあるが、まだまだ独立した戦国大名
同士の争乱が絶えないにも関わらず、戦国時代の終焉とするのは
少し無理が有るので、秀吉の天下統一を以って戦国時代の終焉とする考えも有る。
いずれにせよ、関ヶ原の合戦や大坂の陣は明らかに戦国時代ではない。
361 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 02:28:07 ID:G3DVlRf4
>>359 じゃあ奥山がどれほど凄い剣豪なのかを
みんなに説明してあげてよ
恥ずかしながら初めて聞いた名前だった
362 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 03:17:32 ID:bGJ836Uv
上泉伊勢→奥山休賀→小笠原源信のラインも高名揃いで捨てがたいねえ
363 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 03:21:02 ID:bGJ836Uv
上泉伊勢→奥山休賀→小笠原源信→神谷伝心まで含めて結構すごいぞ
364 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 05:30:36 ID:XwDfs4N/
三河奥平家家臣であり、上泉に師事し印可を受け、帰郷後、姉川の戦いなどに参加し、
その後、7年間にわたって徳川家康に剣を教えたのが奥山休賀斎。
新陰流と徳川家の縁を作った人であり、何よりも家康の師として高名。
365 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 06:45:41 ID:x0qJVjJb
>>364 まあ強いのだろうが、新陰流、家康の師というブランド先行っぽい。
それなら柳生宗矩が断トツで最強に決まってる。
剣の世界もやっぱりブランドなのか?
366 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 07:33:49 ID:XwDfs4N/
塚原卜伝は将軍義輝の師として高名なのであり。
新陰流が将軍家の流儀となったからその系統の人間は有名なのである。
一刀流も同様。
奥山休賀が仕えた時代の家康は三河遠江の領主に過ぎない。
そこにブランドがあると主張するのは、結果を知ってる後世の目線だな。
367 :
サイコメトリー:2008/02/06(水) 09:05:42 ID:m7/3VELC
戦国も幕末も過去の事だけに(名声=ブランド)感が否めないですね。
名家や大家に仕えれば、その人物の記録や話は、確かに過去に残るよね。
だからと言ってその人物が剣豪たるかって言えば、必ずしも、そうではない。
はたまた、名が知られていない人物が誰々の師匠だからって言ったって、
確認しようがないし。どちらかと言えば、眉唾だしね。
そしたらやっぱり、ブランド剣豪の名が上がってくるのは、しかたがないかなあ。
宮本武蔵はブランド剣豪の部類に入るのかなぁ?
彼の場合は必ず賛否出るから、あまり触れたくないが、巌流島の決闘の真実が話題
になってから、確実に剣豪としても人物としても、名を落とした事は確実だな。
368 :
仙台藩百姓:2008/02/06(水) 09:31:48 ID:rAGWH9KE
相馬義元(念流)、中条長秀(中条流)、飯篠家直(天真正伝香取神道流)、松本政信(鹿島神陰流)、塚原高幹(新当流)、愛洲久忠(陰流)
上泉信綱(新陰流)、斎藤勝秀(天流)、師岡常成(一羽流)、根岸兎角(微塵流)、疋田景兼(陰流)、奥山公重(奥山流)、丸目長恵(タイ捨流)
樋口定次(馬庭念流)、竹内久盛(竹内流)、林崎重信(神夢想林崎流)、片山久安(片山伯耆流)、富田勢源(富田流)、富田重政(富田流)
衣斐宗誉(丹石流)、川崎時盛(東軍流)、伊東佐忠(伊東流、建孝流)、鐘卷道家(鐘卷流)、伊東景久(一刀流)、柳生宗巌(柳生流、新陰流)
柳生宗矩(柳生流)、柳生三巌(柳生流)、小野忠明(一刀流)、伊藤忠也(伊藤派一刀流)、小野忠常(小野派一刀流)、東郷重位(示現流)、宝蔵院胤栄(宝蔵院流)
田宮重正(田宮流)、浅山一存(浅山一伝流)、柳生利巌(柳生流)、高田為長(柳生流)、柳生巌包(柳生流)、寺沢半平(疋田陰流)、関口氏心(関口流)
関口氏業(関口流)、関口氏英(関口流)、関口氏暁(関口流)、小栗正信(小栗流)、鈴木吉定(以心流)、中村尚政(中村派宝蔵院流)
高田吉次(高田派宝蔵院流)、市橋定吉(柔気流、団野流)、松山大吉(二階堂流)、荒木保知(荒木流)、宮本玄信(円明流、二天一流)
吉岡直綱(吉岡流)、松林永吉(願立流)、上泉義胤(上泉派無楽流)、神谷直光(直心流)、針ケ谷正成(無住心剣流)、浅田正綱(堤宝山流)
高木重貞(本体高木揚心流)、渋川義芳(渋川流)、三浦政為(無眼流)、岩本嘉品(転心流)、伊庭秀明(心形刀流)、寺田満英(直信流)
浦野光謨(以心流)、樋口定高(馬庭念流)、犬上永昌(犬上流)、鈴木邦教(起転流)、戸賀暉芳(神道無念流)、岡田吉利(神道無念流)
鈴木重明(鈴木派無念流)、青山成芳(卜伝流)、平山子竜(構武実用流)、櫛淵宣根(神道一心流)、楳本政武(法神流)
正木俊光(先意流、変離流、正木流、守槙流)、高柳義正(高柳派戸田流)、浅利義明(中西派一刀流)寺田宗有(天真正伝一刀流)
白井義謙(天真白井流)、飯塚興義(気楽流)藤川近義(藤川派直心影流)、男谷信友(男谷直心影流)勝惟寅(構武実用流、直心影流)
千葉成政(北辰一刀流)、本間応郷(赤堀本間念流)島田直親(島田派直心影流)秋山正武(神道無念流)
斎藤善道(斎藤無念流)、海保義郷(北辰一刀流)、加藤田重秀(加藤田神陰流)仏生寺虎正(無敵仏生寺流)
大石種次(大石神影流)、山本良軌(唯心一刀流)、桃井直正(鏡心明智流)、遠藤正贇(中西派一刀流)宇野重義(片山流)
牧野正国(北辰一刀流)、津田正之(津田一伝流)、榊原友善(男谷派直心影流)、武田物外(不僊流)、山岡高歩(一刀正伝無刀流)
369 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 09:31:57 ID:G3DVlRf4
奥山が同じく上泉高弟の疋田、神後、柳生、丸目より上だとは思えない
戦国の十傑には入らないな
370 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 10:11:37 ID:G3DVlRf4
幕末の十傑も決めてしまおう
男谷信友(剣聖・確定)
大石進(確定)
島田虎之助(幕末の三剣豪の一人)
白井亨(確定)
千葉周作(確定)
高柳又四郎
岡田吉貞(神道無念流最強の剣豪)
沖田総司(天然理心流最強の剣士)
浅利義明(入神の剣技と称される)
斉藤一
比留間与八利恭(島田の代わりに幕末の三剣豪ともされる)
371 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 10:44:02 ID:K743dr/1
上泉伊勢→奥山休賀→小笠原源信→針ケ谷夕雲の流れも素晴らしい
奥山が同じく上泉高弟の疋田、神後、柳生、丸目より下だとは思えない
戦国の十傑には入るかもな
372 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 12:30:52 ID:v7vryo/L
誰よりも家康の目が信用できると思う。家康に評価されたってのは非常に大きい。
奥山が家康に評価されたのと比べると、匹夫の剣であると退けられた疋田は分が悪い。
奥山休賀斎は、小笠原源信のように優れた弟子を育て、この系譜は神影流や心影流として
結構広まり、今でも残ってる。後世への影響も大きいのだ。
上泉伊勢の弟子たちのうち、後世まで残る道統を立てることに成功したのは、
柳生石舟斎(新陰流正統)、丸目蔵人(九州に普及)、奥山休賀斎(東海地方から関東に普及)
この3人しかいない。疋田陰流は細々と残ったらしいが神後に至っては陰も形もない。
つーわけで、上泉の弟子なら、柳生・丸目・奥山が実績から見て一枚上だ。
疋田と神後は強かったんだろが、3人に比べてパっとしない。
373 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 12:46:09 ID:WmAfwX1L
武蔵とか新鮮組とかは、無知な一般人が推薦する剣豪だろう
ここはマニアの巣窟なのだから、武蔵や新撰組と言ったなんちゃって剣豪の名前を出したらいかんだろ
374 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 13:05:25 ID:bGJ836Uv
>>367 奥山、武蔵繋がりだけど、奥山流の正統を継いだ小笠原源信は宮本武蔵を天下の名剣と絶賛してるね
375 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 13:41:20 ID:JTzDNnBG
幕末の剣豪がでているが「、そいつら人を一度でも切ったことあるのか?
376 :
仙台藩百姓:2008/02/06(水) 13:47:25 ID:rAGWH9KE
別に人を切ったから剣豪だと言う事もないお
377 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 13:57:18 ID:G3DVlRf4
>>372 後世への影響と強い剣豪かどうかとは関係無いだろ
後世への影響が比較的少ない剣聖・塚原卜伝は
奥山以下って事になってしまうからね
378 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 14:17:32 ID:G3DVlRf4
奥山休賀斎を推してる人は、
剣豪としての逸話か何かを紹介してくれないかな?
奥山についてググってみたけど
・上泉伊勢守に師事したのはわずか1年
・三河の生まれ
・若き日の徳川家康の剣術指南
この程度しか探れなかった
一地方の小大名に過ぎない徳川家康に指南したのは
単に三河領内の家臣であった為なのではないのかな?
柳生宗厳が「無刀取り」を披露して
家康が即時に入門したのとは明らかに異なるし
この時には徳川家康は大大名となっている
大体、奥山が柳生に匹敵する剣豪だというなら
なぜ7年間しか家康に指南しなかったのかな?
379 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 14:28:27 ID:v7vryo/L
新当流は3大流派の一つといわれるだけあって、一刀流や新陰流にも劣らないほどの
多数の派生分派を生み出しており、後世への影響が巨大であることには疑問の余地が無い。
塚原卜伝が後世への影響が少ない???
なにをもってそう言ってるのか理解に苦しむw
380 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 14:57:28 ID:G3DVlRf4
>>379 新陰流や一刀流に比べて新当流から派生した
剣術流派ってのは少ないのだが?
それと新当流が三大流派の一つなんて聞いた事無い。
兵法三大源流の天真正伝香取神道流と勘違いしてないか?
381 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 15:16:16 ID:G3DVlRf4
>>372 家康が疋田の剣を「匹夫の剣」と呼んだ意味
ちゃんと理解できてる?
382 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 15:18:27 ID:xVlIPrlY
新当流と、神道流は、完全別系って説なのね。
同系統と扱うのが普通では無いのか?
それとも別モノで全然関係無いと断言するのかな?
383 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 15:28:48 ID:K743dr/1
・上泉伊勢守に師事したのはわずか1年
1年で印可もらえてるなら上出来だ
・若き日の徳川家康の剣術指南
家康が認めたのなら弱いわけないじゃん
後に続く優秀な弟子を育て合戦参加経験もある
・大体、奥山が柳生に匹敵する剣豪だというなら
他流試合禁止の雑魚柳生が上だと思っている時点てお前とは話がしにくい
だいたい上泉の高弟で剣豪らしい話のあるやつはいない
上泉の弟子四天王に奥山も入ってるんだから他の三人が入るんなら普通に入るだろ
384 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 15:48:33 ID:G3DVlRf4
>>382 おいおい・・・
誰も天真正伝香取神道流と新当流が完全別系なんて言ってないぞ。
塚原卜伝の新当流は系図では以下の通り
天真正伝香取神道流ー鹿島神流ー新当流
>>379が新当流を三大流派だなんておかしな事言うから
指摘したまでなんだが、誤解させるような
レスじゃないはずなんだけど・・・
385 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 15:58:25 ID:bGJ836Uv
三大流派、四大流派とか呼び方は色々あるが、どの流派が該当するかは諸説あるようだ
上泉伊勢なんかは新当、陰、念を三大流派に位置付けている
個人的に○大源流という括りでよく見るのは天心正神道流、○大流派という括りだと新当流だな
386 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:04:52 ID:G3DVlRf4
>>383 確かに新当流を三大流派などと言う無知な人とは
話なんか噛み合うはずないわな
家康に指南した事を評価するというなら
なぜ家康を7年間しか指南しなかったのかな?
(しかも家康はまだ天下とは無縁の小大名の頃)
大大名になってからは、お前が雑魚とかいう柳生宗厳に
即時入門したのはなぜなのかな?
俺と話はしにくくても質問には答えられるでしょ?
387 :
サイコメトリー:2008/02/06(水) 16:10:34 ID:m7/3VELC
何名かが家康に認められてるから剣豪とか、家康を指南してたから実力者っ
て仰っていますが、確かにある意味では実力者だとは思うが、絶対的な地位
にいる者の支持や威光がそのまま本人の達人たる度合いを決めるとは言えんでしょ。
劇画的になるが、ひたすら剣の道を究めていた無名の人材の方が、実際は多かった
のではないかなぁ? とは思うけど、ここは10傑を決めるスレでしたね。
388 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:12:03 ID:K743dr/1
なぜ家康に見放されたら剣豪失格みたいな流れになるのか理解に苦しむんだがw
柳生は豪族だったからじゃね
どうでもいいけどw
疋田とは馬があわなかったみたいだし
389 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:12:05 ID:G3DVlRf4
っていうか誰か奥山の武勇伝とか剣豪としての逸話など
紹介してくれないかな?
でないとこの前ほぼ決まった戦国の十傑と比べようがない
390 :
サイコメトリー:2008/02/06(水) 16:22:49 ID:m7/3VELC
>>389 !? ほぼ決まった戦国10傑とは? いつ決まったの? スレナンバー求む。
391 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:32:16 ID:G3DVlRf4
>>388 >家康に見放されたら
この流れはお前に合わせてやっているんだよ
>>372で家康に評価されたのが大きいと自分で言ってるだろ馬鹿者
そもそも弱小戦国大名の師範やるのと、
剣豪としての強さと何の関係があるのか甚だ疑問だが
しかし大大名になった家康に評価された柳生は
雑魚だという矛盾
頭弱いなお前・・・。
392 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:35:11 ID:K743dr/1
>>391 頭弱いなお前www
それ違う人だしwww
393 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:47:39 ID:G3DVlRf4
>>392 悪い(-_-;
奥山をろくな根拠もなく挙げてる馬鹿とレス間違えたわ
っていうか奥山の剣豪としての戦歴、逸話、武勇伝まだ?
394 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 16:55:03 ID:K743dr/1
>>393 いやいやこちらこそ
すいませんね
奥山は上泉の高弟で弟子が高名で流れが残ってて実戦に出てましたぐらいしか私は知りませんですはい
395 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 18:02:58 ID:xVlIPrlY
396 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 19:12:06 ID:x0qJVjJb
家康が剣を学んだのは、父や祖父の最後を思ったからではないか?
「実戦で価値無し」と言われがちな刀で現に殺されている。
いくら武将や政治家として優れていても、個人として死ねば何にもならないと。
397 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 19:33:51 ID:MfgZ2T4h
乱世で自衛手段無いのは精神的に辛いだろうしな
398 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 19:36:23 ID:G3DVlRf4
>>390 >>335で戦国はほぼ決まりじゃないかと
で今日問題になったのが、上泉信綱の高弟である
疋田景兼や神後宗治をいれるなら同じく四天王の
奥山を入れろって話
疋田と神後は上泉門下で一、二を争う実力者だと
言われてるから奥山をいれるのはどうなんだと思うけど
399 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:09:27 ID:JvvgQA80
師匠との距離感が違うんだよな。
柳生は大和の豪族。丸目は肥後相良家家臣。奥山は譜代奥平家の一族。
それぞれ、別に師匠に依存せずとも、独立できる基盤を持ってる。
疋田は上泉の親戚という説もある人で、神後は関白秀次に使えたらしいが、その後は不明。
この二人は上泉との距離が非常に近い。基本的にどこでも「上泉の弟子」としての紹介が
多く、それ以外の紹介は少ない。
特に神後宗治についての記録の少なさは大したもので、WIKIにすら独立項目が見つからん。
松本備前より記録の少ない神後伊豆を、十傑に入れるべきだと、なぜ断言できるのだろうか・・・
400 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:30:30 ID:G3DVlRf4
>>399 >>398に書いた通り、神後は上泉の弟子の中で
一、二を争う実力者とされているから
因みに奥山はそこまで評価されてない
神後が十傑に入らないというなら、
代わりの剣豪の名前を挙げるくらいの事して欲しいな
401 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:43:50 ID:G3DVlRf4
神後宗治の代わりなら
林崎重信(居合の始祖)
真壁氏幹
宝蔵院胤栄(槍だが)
402 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:48:52 ID:G3DVlRf4
塚原卜伝に剣では負けたが、槍で勝ったという
草深甚四郎なる人物もいるようだが、詳細不明
403 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 21:21:56 ID:bGJ836Uv
上泉が武田の下を去って諸国遍歴に出た時に連れていったのが疋田神後の二人
疋田は身内の人間、神後は古くからの内弟子か家臣だったのかもな
双璧と呼ばれ上泉門下の大古株ではあったが、どれだけ強いかと言うのははっきり言ってわからん
404 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 23:14:06 ID:CZLTh06c
徳川家康の師匠で、
幕末の男谷にまでつながる心影流の源となる人。
これほど華々しい実績と、後世への影響を持つ奥山休賀斎。
疋田文五。上泉の弟子。強いことは強かったらしい。田舎に細々と彼の流派も残ったらしい。
神後伊豆。上泉の弟子。一番古株らしい。彼の流派は消え失せている。
「剣豪」という表現にふさわしいのは誰か。
もうちょい冷静に考えてみろID:G3DVlRf4
405 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 01:42:41 ID:fMzymzxZ
上泉信綱
実戦〇 決闘〇 貢献◎
塚原卜伝
実戦〇 決闘◎ 貢献△
伊藤一刀斎
実戦× 決闘〇 貢献◎
富田勢源
実戦× 決闘〇 貢献〇
富田重政
実戦〇 決闘× 貢献×
奥山休賀斎
実戦〇 決闘× 貢献〇
疋田文五郎
実戦〇 決闘△ 貢献×
丸目蔵人佐
実戦〇 決闘× 貢献△
松本政信
実戦死 決闘× 貢献◎
柳生宗厳
実戦× 決闘× 貢献〇
406 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 02:14:25 ID:5V2KPooC
塚原の実践○の根拠は?
一刀斎の決闘○の根拠は?
ここって自伝や史料的裏付けの無い武勇伝もOKだったの?
407 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 03:24:58 ID:q9oU1AYg
今審議されている疋田は当確でいいんでない?
価値観ばらばらのこのスレでも殆ど異論が出ない剣聖上泉の一番近くにいた人物で、
真偽は不明ながら、畿内随一といわれた柳生宗厳を三度も軽々と退けた逸話を残し
織田信忠、豊臣秀次を師事し、家康の前でも剣技を披露した当時でも稀有な剣豪なんだし。
問題は武術界における貢献度が極めて少ないと言うことなんだけど、
そこはまあ剣豪らしく己の剣にのみ生きてきたということで脳内補完すればOK。
408 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 07:19:35 ID:IIHBBM3g
その通り。上泉については異論が出ない。
だが、だからこそ疋田については異論が出るんだな。
つまるところ疋田は、上泉の付属物的存在に過ぎないのではないかと。
当時は新当流の使い手だった柳生宗厳と試合してあっさり3本取ったらしい。
家康の御前で剣を披露したが、酷評されたらしい。
上泉の身内らしい。
熊本の細川家に伝承が残ったらしいが、その伝承者は自分たちの流儀を単に新陰流としていたらしい。
家康の御前で剣を披露したのは、奥山、柳生、疋田などいるわけだが、疋田だけは「あいつイラネ」と
スルーされたあたりを、どう解釈するのか、是非聞きたい。
409 :
サイコメトリー:2008/02/07(木) 07:50:12 ID:z8+EGYiR
400を越えてますので、前回の方、現状の当確者の発表をお願いします。
410 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 09:29:53 ID:6Bjg4Qdo
>>404 後世への影響と、その人物が「剣豪」であるかどうか
って何の関係があんのかな?
昨日も話出たけど、塚原卜伝の新当流からは江戸時代に、
派生した流派は少ない
流派としては一刀流系と新陰流系のものが圧倒的に多い
だが塚原卜伝が剣聖なのは万人が認めるところだろ
411 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 09:33:10 ID:6Bjg4Qdo
412 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 11:40:05 ID:fMzymzxZ
上泉信綱
実戦〇 決闘〇 貢献◎
塚原卜伝
実戦× 決闘◎ 貢献△
伊藤一刀斎
実戦× 決闘× 貢献◎
富田勢源
実戦× 決闘〇 貢献〇
富田重政
実戦〇 決闘× 貢献×
奥山休賀斎
実戦〇 決闘× 貢献〇
疋田文五郎
実戦〇 決闘△ 貢献×
丸目蔵人佐
実戦〇 決闘× 貢献△
松本政信
実戦死 決闘× 貢献◎
柳生宗厳
実戦× 決闘× 貢献〇
413 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 11:47:04 ID:PY/lnt3F
>>410 歴史に名を残した剣客たちには、「一代の雄」のタイプと、「新流の祖」のタイプがいる罠。
できれば「剣豪」は、その両者を兼ねていて欲しいもんだ。
その人の一代にも華々しい業績があり、しかも後世にまで影響を与えた、って感じが欲しい。
逆に聞くが、つまり後世への影響なんて全く考える必要も無いと主張するのかな?
414 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 13:35:42 ID:6fDaayIp
>>408 疋田は、上州時代から剣聖と呼ばれるに至る上泉とほぼ共通する経験を積み、その超一流の師の一番近くで最も長く薫陶を受け、
彼を慕い集まってくる一流のライバル達と競い合い、刺激を受けながら剣を学べた、当時の剣豪の中では最高の環境にいた人物。
幕末でいえば松下村塾状態で、これはかなりでかいと思う。
仮に剣の資質が皆無でも、この環境下ならばそれなりの人間になると想像できる。
新陰流の真髄は無刀取り柳生ではなく疋田に引き継がれたとも言われていることからも、戦国期剣豪十傑に入る資格は十分でしょ。
ただ、同格とされる神後は丸目との兼ね合いがあって、ちょっと微妙かな?
家康に「匹夫の剣」と言われた件は、当の家康に真意を聞いてみなければなんとも言えないけど
戦国気風を多く残し、戦士として相手を倒すための剣に特化していて、当時の家康の価値観には合わなかっただけだと妄想している。
「総大将の自分にとってはあえて必要のない剣術だ」という意味かと。少なくても疋田の剣が未熟であった表現とは違うんでない?
415 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 13:58:08 ID:6Bjg4Qdo
>>409 とりあえず2月7日現在、戦国〜幕末までで当確なのが
○松本政信
○塚原卜伝
○上泉信綱
○富田勢源
○男谷信友
○大石種次
416 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 14:02:56 ID:6Bjg4Qdo
>>413 影響を全く無視するとは言わんが、
それも剣客としての戦歴・実績あった上でのことだろ
奥山も神後も実績を誰も紹介できてないし
417 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 14:26:36 ID:fMzymzxZ
男谷精一郎
勝率◎ 試合数◎ 実戦×
白井亨
勝率◎ 試合数△ 実戦×
大石進
勝率〇 試合数◎ 実戦×
千葉周作
勝率〇 試合数〇 実戦×
伊庭秀業
勝率〇 試合数△ 実戦〇
418 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 14:32:16 ID:6Bjg4Qdo
>>404 直心影流は山田光徳が創始したもんだとばかり思っていたが
ググってみたら直心影流のHPが結構面白い
流派の紹介によると初代は松本備前守で
「新陰流」として創始(←!)
二代目が上泉伊勢守(←!)
三代目奥山、四代目小笠原・・・
七代目の山田に至り、流派名を直心影流と変更
伝説だらけの流派だ
419 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 17:27:57 ID:zubGj5qP
匹夫の剣ってのはただ強いだけってことだな
要するに武蔵の強化版
420 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 18:02:51 ID:VBM5jLGU
「名人上手」って表現が昔からある。
テクニックが巧みなだけは「上手」であり、万人が認める「名人」とは全然違う。
疋田文五は、まさに「上手」だな。
421 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 18:38:31 ID:T9QHaXHH
卜伝も上手に分類されるべきかな
>>412風の評価をすると、彼の流儀は大いに広まったが実戦も決闘も伝説しか残ってない
いや、強いか弱いかはわからないが影響力はあったろうから、名人から強さを引いた評価になるか
422 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 18:51:53 ID:VBM5jLGU
宮本武蔵が若い頃に倒したと主張してるのは「新当流」の剣客。
足利義輝のほか、北畠具教、細川幽斎など幕臣が学んだのも「新当流」
柳生宗厳が若い頃、学んでいたのも「新当流」
あっちこっちで名前が引き合いに出されるのが「新当流」
やられ役で出てくるのが多いのは、そもそも普及してたから、もともと有名だったからだ罠。
塚原卜伝の時代、みたいなのがあったんだろな。それで新当流が超メジャーになったんだべ。
しかし、その後に上泉伊勢の時代が来て、勢力図を塗り替えた、と。
423 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 19:08:44 ID:T9QHaXHH
剣術の創世記に近い時期、まだ勢力を争うようなライバルの少なかった時代
しかも武術のメッカとも言える鹿島の名門の出で毛並みも抜群に良い
時の権力者たちも学ぶならこの人って感じだったのかもな
424 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 19:23:26 ID:VBM5jLGU
塚原卜伝(1489〜1570年頃)
上泉伊勢(1508〜1580年頃)
卜伝のが、20歳くらい年上なんだな。
まず卜伝が、腕試しに関東から京まで乗り込んで名を上げた。
同じ関東人で時代も近い。上泉が卜伝を意識してなかったってことは無いだろな。
先輩の後を追い、先輩の弟子たちを打ち破り、見事に自分の流儀を普及させたわけだな。
どっちも偉大だってことで、別にいいじゃないか。
425 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 19:43:01 ID:T9QHaXHH
当確の上泉
準当確の塚原、富田、松本
みんな毛並み良いよなあ
やっぱ兵法もブランドか
426 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 20:02:11 ID:Auodj/4Q
=゜ω゜) 奥山休賀斎っすか?不明な点も多いけど
上州時代から小笠原と共に上泉の弟子だったと言う説も有ります。
それが本当なら意外と古株ですな。
家康は戦場での有用性を考え自ら弟子入りしたと言われます。
ちなみに直神蔭流は別名鹿島神流と言い流祖は松本備前です。
鹿島流は関東中心に活動した松本家の他に全国へ散ったのが有馬家です。
この有馬新当流は有馬大膳(有馬満盛?)によって東海地方へ広まりますが
大膳の死によって一時期途絶えます。
でもご安心を、有馬新当流の奥義皆伝者がただ一人生きていたのです!
その人の後見によって有馬一族は再び新当流長刀術師範家の復興がなりましたとさ。
めでたしめでたし ・・・あれ?
427 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 20:11:27 ID:zO9anK8N
順序が逆だなw
塚原卜伝が、超有名になったから、鹿島の流儀も有名になっただけだろ。
あの塚原卜伝の師匠! あの塚原卜伝の流祖! ってことで松本・飯篠も、
後から有名になった、って順番だべ。
428 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 21:30:10 ID:Auodj/4Q
=゜ω゜) いや卜伝が居ようが居まいが柳生派新陰の九箇が新当流であるように
いずれ上泉ルートなどからも師家の神道流は広まったと思いますぜ。
武者修行による弘流というスタイルを創作したのも卜伝の業績の1つでしょう。
松本備前守は戦場の高名に槍を合すること二十三度、首級得る事100に余る。
十分トンデモですよ。
429 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 22:21:40 ID:upVz5LBm
>>428 九箇は他流の長所を抜き出して構成された柳生流の型の名称のことのようだが・・・
それが新当流そのままであるってことなのかな?
そこまでは詳しく知らんぜいw
430 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 22:47:08 ID:upVz5LBm
なんにしても塚原卜伝が独行し自力で道を切り開き名を挙げたように。
上泉伊勢も彼自身の力で、その名を高めたわけだ。
エライのは、そういうことを自分でした人だけだべ?
実はその師匠筋は・・・とか後から言い出して、そっちのがエライとか
言い出すのは、功績を横取りしてるだけだろ〜
431 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 23:05:36 ID:6Bjg4Qdo
松本政信が高名なのは、塚原卜伝や上泉信綱の
師だからという理由ではないだろうに
432 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 23:53:48 ID:Uut3jUeg
でも有能な弟子を育てた実績はやはり評価するべきだと思うけど。
疋田は結局十傑当確は却下ですか?
433 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 00:24:36 ID:oiu1BPhu
審議中
434 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 00:37:33 ID:oiu1BPhu
上泉信綱
実戦〇 決闘○ 貢献○
塚原卜伝
実戦× 決闘× 貢献○
松本政信
実戦○ 決闘× 貢献○
奥山休賀斎
実戦〇 決闘× 貢献〇
神後宗治
実戦× 決闘× 貢献×
疋田文五郎
実戦? 決闘? 貢献×
今んとここんな感じかな?
じつは上泉伊勢の決闘○についてももう少し突っ込みあうべきか?って気もしてるんだけど・・・。
435 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 00:40:55 ID:QhD++pLZ
つーか、塚原卜伝の実戦や決闘が×だったら誰の実戦が○なんだよ。
感状とかで取った首の数を判断するなら誰も当てはまらんだろうに。
436 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 00:46:05 ID:oiu1BPhu
そうだよな〜
半分伝説の人を評価するんだから創作臭い逸話とか自己申告もある程度は許容しないと誰も決まらないいかもな
437 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 01:17:28 ID:4vqFEJny
なんか奥山を過大評価してる人がいるな
結局奥山の流派は徳川将軍家で採用されなかった
どこかの藩の御流儀になった訳でもない
実戦でも大したものを残している訳でも無いし
対して疋田は将軍家の指南役にはなりそこねたものの
流派は肥後藩五十四万石の御流儀となっている
疋田が柳生宗厳に三度も勝ったのは有名な話
実戦でも上泉と共に十六本槍の一人として武功を挙げてる
客観的にみたら十傑から疋田を外して奥山を入れる
なんてのは違うだろう
438 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 01:23:38 ID:4vqFEJny
今のところ戦国の十傑は
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
神後宗治
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
変わらずって所だろう
入れ替えがあるとすれば、神後宗治ぐらいか
このところ話にのぼる奥山や
居合の祖である林崎重信あたりが戦国の十傑候補
439 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 01:32:21 ID:4vqFEJny
ところで戦国時代に念流系の剣豪っていなかったのかな?
440 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 01:41:28 ID:oiu1BPhu
念流の流れを汲むメジャー所といえば斎藤勝秀とか樋口定次あたりになるんじゃないかな?
441 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 01:43:03 ID:9hMVIQib
卜伝は首実験を何度もやってるそうだし
刀槍の傷は無いが戦で矢傷を受けた事があると自分で言ってたような
彼の廻国修行の行列は豪華な大名行列のようだったとも言われている
実際に足利義輝は言うに及ばず
なぜか本スレでは見向きもされないが
一の太刀を伝授された北畠具教にも
剣術を教えているのはひとえに実力の成せる業であろう。
442 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 02:28:51 ID:G9pfaC/L
柳生とやったのは疋田じゃなく上泉だろ
443 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 06:09:15 ID:iToZn/Kr
>>442 胤栄の時は上泉がいきなり相手をしたけど、何故か宗厳には疋田が立ち会って
三回ボコったが、その後無謀にも上泉に挑んできたので軽くシメておいたとする
見方が多いみたいだよ。
柳生家では宗厳もいきなり上泉と立ち会ったことにしているみたいだけど
流祖の宗厳が弟子の若造にボコられたのはさすがにカッコ悪いということで
体裁整えてる可能性があるし、どうなんだろうね?
上泉の凄さを直接表したいなら、宗厳、胤栄両人を直接シメたことにするだろうし
間接的に表したいなら、疋田か神後がボコったことにするのが自然だから
こういうチグハグな対応をしたという逸話は逆に信憑性があるように思う。
444 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 08:00:52 ID:9hMVIQib
江戸期の道場などでは特にそうであった
まず弟子たちに相手をさせて相手の実力を測る
相手が強そうだったら酒と肴に一服盛って出したり
金子を渡してお引取り願うことがあった
445 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 13:26:28 ID:VjH+jv3H
剣の腕に関しては疋田>柳生は確定なのか?
446 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 13:34:26 ID:oiu1BPhu
と言うか、史実確定なのか?
447 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 14:05:12 ID:XJD8Eq4L
上泉に入門する前の柳生を、疋田が3本勝負でストレート勝ちしたって話は有名だな。
しかし、これだけで疋田のがずっとその後も強かったと主張するのは無理があるだろ。
足利将軍の前で、上泉が剣を披露するときの相手役として選ばれたのは、丸目と神後。
一番身近にいたはずの疋田はなぜ選ばれなかった?
彼はどうにも世渡り下手ぽいな。細川家から寺沢家にも仕官し、最後は流浪して
大坂で死んだとも言う。
家康に酷評されたことと合わせて考えると、剣だけは確かに強いが、人格に問題があり、
子弟を学ばせたいと思えるような人間でなかったって人物像が見えてくるなあ。
名人と呼ばれるには至らない、上手のなかの上手だったのだろ〜
448 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 14:39:43 ID:1DQrdtrV
一つの技術を極めようとしている芸術家や職人には
人付き合いが苦手な変人奇人タイプが多いから、
疋田もそういうタイプだったんじゃない?w
石舟斎は疋田(上泉?)にボコられた後は
かなり修行を積んで上泉が手放しで褒めるほど腕を上げたけど
疋田との腕の差はどうなったかは不明。
上泉が柳生去った際も疋田を残していったことがあるから
この二人は兄弟子・弟弟子としての関係も深いほうだね。
449 :
サイコメトリー:2008/02/08(金) 17:52:12 ID:ezUNRBDk
キリがない話になってしまうけど、剣豪たるや日々鍛錬してる分けですから、
石舟斎が疋田に試合で負けた時点での彼らの強さで判断して良いものかな?って
思ってしまった・・。石舟斎の全盛期はどの時点でその強さどの位のものなのかってね。
450 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 18:14:36 ID:9hMVIQib
>>447 >足利将軍の前で、上泉が剣を披露するときの相手役として選ばれたのは、丸目と神後。
>一番身近にいたはずの疋田はなぜ選ばれなかった?
実際に武術の世界で演舞などは未熟な者に打ち掛からせて(仕太刀)
それを上位の者(主に指導者)が受ける(打太刀)
こうすることによって指導者の力量(指導力)が判り、尚且つ
仕太刀側も存分に剣を振るい修練できる
>>448 柳生さんによると無刀取りを披露した際に
上泉が「もはや我らの及ぶべき所ではない」と言ったそうだけど
すでに円熟した上泉が自分個人を言うのなら兎も角
まだ成長途中の弟子たちも含めて
こういう発言をするはずがないよね?
明らかに柳生>>>>他流としようとする柳生の思惑が・・・
451 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 20:52:26 ID:ntmaGyvZ
>>450 >柳生の思惑
できれば上泉も疋田も抹殺したかったのではないか?
武芸界の神君宗矩としては。
452 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 21:37:47 ID:jrthLDxT
>>450 ほほう、丸目と神後は未熟だったのかw
そいつぁ新説だぜ。
大和の小名、柳生家は、普通に畿内の大名に仕えてたがパっとせず、太閤検地の
時には領地を取り上げられて没落し、世に出たのは兵法好きの家康の御前で石舟斎が
腕を披露して認められたから。つまり純粋に剣の腕だけで世に認められたわけなのだ。
柳生が頑張ってた時期に疋田は何をやっていたのかとw
九州の兵法界といえば戦国期は、丸目蔵人から東郷重位、ついでに宮本武蔵。
疋田の名前なんざあ大して聞こえてこないような気がするのは気のせいか?w
453 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 21:56:56 ID:9hMVIQib
>>452 空気が読めないのか煽りなのか判らないが
喩えって言葉を良く理解して欲しい
マジレスすれば上泉にとっては仕太刀にし易かっただけということ
俺個人的には
>>447の下半分の説のように考えている
ようやく世が治まってきたときに戦国期の荒々しい剣風を持出しても
とうの老いた家康には興味がないし自分の子孫が学ぶものとしても
おおよそ君子の剣ではないので不要
柳生が示したのは剣術を学ぶことによって得られる物が
個人の護身の技だけではないと言う事
それは宗矩が政治においても重く用いられた事からも判るだろう?
武蔵が実戦志向過ぎて洞窟で野垂れ死にしそうになって
這いずり出てきたところを近所の人に助けられて
やっと畳の上で死ねたように世に容れられなかった人は多い。
454 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 22:35:21 ID:4vqFEJny
結局、戦国時代の十傑は
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
神後宗治
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
で変化無しって事だな
455 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 22:52:49 ID:jrthLDxT
とりあえず疋田文五が「一人で」活躍した話でもあれば教えてくれんかね。
上泉絡みか柳生絡みか、とにかくどっちかと関係ある話の中でしか名前が
出てこない人なんだよな、所詮。
同じ上泉の弟子でも九州で大暴れした丸目や、将軍家に取り立てられた柳生みたいに
「独自で」活躍した履歴がほとんど無い、疋田のどこが剣豪なんだとw
456 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 23:06:56 ID:G9pfaC/L
神後宗治
実戦× 決闘× 貢献×
10傑?
457 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 00:46:19 ID:Uni3/4gW
ほれじゃぁ、話を進めるために問題となっている
疋田と神後の代わりに十傑入りし得る剣豪候補を
この二人に異論がある人がまず挙げてみて、また入れ替え審査してみようか。
今まで挙がっているのは、奥山、宝蔵院、林崎、真壁だっけ?
個人的には疋田は資格あると思うけど、神後はさすがに謎過ぎるから疑問符かな・・
458 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 02:03:49 ID:f/uYeIDK
神後伊豆→林崎甚助
経歴不明に近い神後に対して林崎は抜刀術開祖として、その名は高い。
実績や影響力から見て林崎甚助を入れないのはおかしいしね。
疋田文五→宮本武蔵
両者は似ている。人間性に問題があり指南役として仕官するのが難しかったり。
だったら上泉のオマケ的疋田より、賛否両論渦巻く武蔵の方が「有名」という一点だけでも勝る。
459 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 02:08:42 ID:DO14JEfr
戦国四天王
塚原卜伝
上泉伊勢守
富田勢源
伊藤一刀斎
5傑なら+松本備前守
後は小粒だな
460 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 02:31:53 ID:bx/+DH9u
>>455 柳生も
上泉絡みか徳川絡みか、とにかくどっちかと関係ある話の中でしか名前が
出てこない人なんだよな、所詮。
疋田も豊臣秀次・豊臣秀頼と関白の剣術師範を勤めたんだけど
さすがに将軍の指南役には勝てない小粒だよね〜
柳生家はその後、指南役からただのお相手役に落ちぶれたけどw
461 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 03:05:39 ID:f/uYeIDK
戦国期においては・・・
・全国区
塚原卜伝
上泉伊勢
・近畿北陸
富田勢源
柳生宗厳
・九州地区
丸目蔵人
東郷重位
関東地区
伊藤一刀斎
柳生宗矩
特別枠
宮本武蔵
林崎甚助
ってとこかな。
462 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 03:13:51 ID:CpSd4/Cl
>>457 疋田はまだノミネート資格があるか審議してる段階だろ
代わりの人を出して入れ替わりという段階にまで行ってないと思うけぞ
>>461 戦国期は長く見積もっても関ケ原までだろう
武蔵は江戸初期にはいるんではないか?
463 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 03:18:13 ID:f/uYeIDK
>>460 ほうほう秀頼の指南役だったとは初耳だなw
是非そのへんの逸話ないし記録文を知りたいものだ。
おめー関白秀次と秀頼は全然違うってことも分かってないレベルかw
柳生が大名になり、しかも目付にまでなったのを落ちぶれたというのが
君の考え方ならば別にいうことはないw
464 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 03:55:01 ID:DO14JEfr
番外編
上泉高弟5傑
疋田 神後 柳生 奥山 丸目
465 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 04:09:49 ID:DO14JEfr
再び
>>459だがそういや丸目と年が同じくらいなんだから東郷重位は入るな
東郷重位
実戦× 決闘〇 貢献△
有力候補だろ
実戦×だけど一応合戦以外の所では人斬ってるみたいだ
466 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 07:09:49 ID:Uni3/4gW
異論が多い疋田と神後外すとなると、彼らにボコられた逸話はあっても逆転したかどうかは不明な石舟斎と
上泉の高弟としてはどうも格下感がある丸目も、個人的には十傑候補としてちょっと違和感感じてしまうネ。
確かに実績はあるんだけど・・
>>464みたく上泉高弟は全員外して別枠作るとかなら納得。
そこで
当時としては画期的な多機能槍・十文字鎌を使用した独自の槍術の基本を創り
「槍の宝蔵院か、宝蔵院の槍か」と言われ、近畿一円では圧倒的な強さを誇り
その威名を知らぬ者がいなかった(らしい?)宝蔵院の流祖・胤栄も戦国期十傑候補に推す。
胤栄の実力は逗留時上泉にボコられたこと以外全く不明だけど、現在でも槍といえば宝蔵院。、
知名度実績は抜群で、門人にも逸材が多いし、流派も長く続き山県有朋も免許皆伝。
刀法でも上泉第四の高弟とも一応言われているし、「剣豪」じゃねぇ〜!!というツッコミはなしでネ。
467 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 10:21:21 ID:N/wcwxud
レス数でいけば
宮本武蔵
疋田景兼
上泉、富田勢源がトントン
ということ。二番目が疋田というのがなんとも。
468 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 10:30:30 ID:84N8UZui
つーか、候補として挙げられているのは「柳生新陰流」の石舟斎だろ?
新陰流を学ぶ以前に負けた事に意味が有るとは思えんが。
469 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 10:53:19 ID:HDU4U6Az
>>465 丸目と東郷は年が20歳以上離れている訳だが
大成したのは江戸初期だろうね
470 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 12:22:51 ID:DO14JEfr
>>469 そっかあじゃあ東郷は江戸初期でお願いします
471 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 12:33:48 ID:bx/+DH9u
>>463 おまえが自分で調べられないカスで読解力もない事がよ〜く判ったw
落ちぶれたのは指南役からお相手役にって言ってるだろうが
剣格が落ちぶれたといってるんだよ
関白の秀次と右大臣の秀頼って分けて書いてやらないとダメか?
疋田は1605年に大阪城で客死してるんだから
剣を教えていたと考えられるだろう
472 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 12:54:45 ID:AmuIIgWW
疋田は当時「近畿第一」と謳われてた柳生宗厳 を三度もボコったんだから、
剣の腕が凄かったってのは確実だろう。
473 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 14:05:25 ID:mm8O+6HY
>>471 「剣格」とか、お前の脳内での設定を既定の事実みたいに言われてもなw
従五位下但馬守、幕府大目付になったことが、お前的には堕落だと思うのかな?
流浪の剣客疋田文五が、右大臣秀頼公に拝謁できたと考える君の想像力はすばらしい
さらに剣術を秀頼公に直々に教えていたのだと証拠皆無で主張するチャレンジ精神も大したものだ
474 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 14:26:57 ID:mm8O+6HY
「剣術好き」で知られる大名は数少ない。
数少ない例外が、豊臣秀次や、徳川家康であるわけで。
兵法好きの秀次に対して、秀吉曰く
「大將たるものは左樣のうつけた眞似はしないものである、
我は天下を治めたけれども遂に我刀で人を斬つた事は無い」
これが普通の武士の良識ってもんでしょう。
475 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 15:12:46 ID:CpSd4/Cl
上泉や塚原や奥山の例を見るまでも無く、大名クラスを指南するには家柄の良さが不可欠だしね
学ぶ方は、アイツ名前が売れてるから学んで箔を付けようとか、縁の持つ事でその家に対する影響力を得ようとかが目的なんじゃないのかなって気がする
実力なんて伴って無くても構わないんかもね
476 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 15:18:13 ID:Q72u2dL7
=゜ω゜) 兵法は戦場で役に立つから武将は取り入れますたよ。
自分は遣わなくても部下には学ばせました。
例えば加藤清正は柳生伊予や林崎甚助を師範に招きますた。
特に林崎抜刀は戦場の乱戦で威力を発揮したと言われます。
柳生にいたっては宗矩の7人斬り、五郎右衛門の甲冑武者18人斬りw
秀吉の場合、現代風にいうなれば「自衛隊官僚が銃剣や日拳に熱をあげてどうする」と
言いたかったんでしょう。
477 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 15:32:56 ID:84N8UZui
>>474 日本武術神妙記の一節でしょ?
実際には、一つの首も取らずに低い身分から出世したとは思えないし、
あれ程刀剣が好きだったのに剣術を全く学ばなかったとも思えない。
それに、平安の昔から太刀を扱うのは身分の高い武士で、
決して卑しい身分の者じゃない。
478 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 16:22:30 ID:Uni3/4gW
知名度、貢献度を加味した戦国期剣豪十傑はこんな感じ?
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
富田重政
伊藤景久
林崎重信
宝蔵院胤栄(槍枠)
宮本武蔵(有名枠)
竹内久勝←初登場!
別枠:上泉高弟五傑
疋田景兼
神後宗治
柳生宗厳
奥山公重
丸目長恵
479 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 16:32:58 ID:HDU4U6Az
>>478 宮本武蔵は江戸初期。全く話にならん
「槍枠」なんてのも要らん
480 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 16:59:38 ID:HDU4U6Az
>>455 疋田の柳生絡みの話ってのは、
宗厳に三度も完勝したってのだろ
その後、一人で武者修業し剣名を馳せ、
関白豊臣秀次が入門するまでになった
関ヶ原の後、細川忠興、忠利二代に仕え三百五十石で厚遇される
死後、流派は疋田陰流と称され肥後藩の御流儀になるのみならず
北九州をはじめ西国諸藩に伝わり、現存している
どう考えても疋田景兼は「剣豪」だろう
481 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 17:08:02 ID:HDU4U6Az
戦国時代の十傑
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
林崎重信
これでどうだろうか?神後は記録が乏しく外した
同じ上泉門下の奥山も「剣豪」と呼べるような話が無い
結果異論があるだろうがこの十名
482 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 17:33:32 ID:DO14JEfr
塚原卜伝
実戦〇 決闘〇 貢献〇
上泉信綱
実戦〇 決闘〇 貢献〇
富田勢源
実戦× 決闘〇 貢献〇
伊藤景久
実戦× 決闘〇 貢献〇
松本政信
実戦〇 決闘× 貢献〇
疋田景兼
実戦〇 決闘? 貢献△
丸目長恵
実戦〇 決闘× 貢献△
富田重政
実戦〇 決闘× 貢献×
柳生宗厳
実戦× 決闘× 貢献〇
林崎重信
実戦? 決闘? 貢献〇
こんな感じかな
483 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 17:56:12 ID:HDU4U6Az
484 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 18:01:26 ID:DO14JEfr
>>483 そうかな
いらないやつがよくわかると思うけどw
485 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 18:07:40 ID:84N8UZui
剣術に於いて実際に強かった人物を剣豪と呼ぶんだろうが、
それを推し量るには一対一の決闘が一番。
ただ、決闘だなんて言うのは、戦での感状なんかとは違って
ほとんどが当の本人か関連する人物の記述でしか残っていない。
結局、そういった逸話を信用するか、その人物が起こした
流派が後世に影響を与えるかという事くらいでしか判断出来んよな。
その流派が大きくなったからといって、その流祖がそうでない人物
よりも強かっただなんて事にはならんが。
486 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 18:17:20 ID:bx/+DH9u
>>473 悪魔の証明しか求めないおまいのチャレンジ精神もたいしたもんだw
確証や証拠と言ったら大概の人物はスレの趣旨からアウトだぜ
飯笹や林崎の様に神社にお参りして蘊奥を究めたとか言う人は特にな
飯笹長威斎だって足利将軍に剣を教えたことがあるだの
片山永安だって後陽成天皇に上覧したとか疑わしいところ満載だし
上泉だって本当に移香斎から学んだかも怪しいんだぜ?
俺はその時代、その場所にいないからあくまで推測を語ってる訳だが
そこに必死に食いついて江戸柳生が指南役からお相手役に
落ちぶれて尾張柳生から教えてもらっていたことは目を逸らすのか?
宗矩は戦で敵をきった話があったはずだから実力は疑わないが
俺が言いたいのは時代が変わったとは言え
職業剣士として碌を食んでいたのではなくなって
政治家になってしまったことだ(本業と副業が逆転したってこと
そう言えばなぜか柳生厨には小野忠明の話が余り出ないが
十兵衛すら隠れて教えを請うていた事とかまずい話ばかりだからなw
>>474 他有名どころでは足利義輝も北畠具教も剣を学んでいる
武田信玄も廻国途中の卜伝を招いたし信綱を召抱えようとしていた
自分が身に付けないから不要と言うのではなく
軍の兵卒に普及させたりその為に率先してフリでも自分が実践した、
どこの国でもそういった目的も兼ねて剣豪は用いられてる。
何処の国のでも家中で腕に覚えのあってそう言う役を勤める者はいた
でも剣豪達はそれを売り物とし職業にした初めての存在ではないかと
将軍が学んだからと言う考えに拘りすぎていないか?
487 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 18:25:25 ID:yVlf8YZq
柳生三厳によれば、秘伝伝授には三通りあるとか。
・術許し・・・実際に腕のよいものに伝授
・金許し・・・金をもらって伝授
・義理許し・・・主君や身分の高い者に義理で伝授
時代が違うけど、戦国にもそれが当てはまるとするならば
流派の正統を継いだ人にも、弟子の中で最も腕がたったとは言い切れない人もいるかもね。
身分が高けりゃ、流派の宣伝、配下の者への普及、より身分の高い人への接近等、
メリットはいろいろあるだろうし、柳生宗厳さんとか、義理許し臭い気がしないでもない。
想像だけどね。
488 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:04:55 ID:HDU4U6Az
>>481に異論ある人いる?
その異論の理由と替わりに誰を入れるか書いて欲しい
早く戦国十傑を決めてしまおう!
489 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:41:57 ID:DO14JEfr
奥山in
実戦〇 決闘× 貢献〇
下五人誰でも好きなの外してくれwww
490 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:42:53 ID:CpSd4/Cl
>>485 そうそう、基準もあいまいだけど、このスレのスタンスが今一つハッキリしないんだよな
風聞や自伝の類を採るのか切り捨てるのかちゃんと決めた方がいい
切り捨てるなら卜伝と言えども十傑入りするか微妙なところになるし、採るなら武蔵は江戸初期十傑に確実に入るだろう
この先、今みたいな収まりのつかない流れにしないためにもちゃんと決めようや
491 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:48:38 ID:84N8UZui
>>490 とはいえ、前者なら大きな流派の流祖なんかばかりになるだろうし、
後者だと間違いなく荒れる。
まぁ、このままうだうだやってるのもありかな、とは思う。
492 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:53:19 ID:CpSd4/Cl
>>491 うだうだやってるのも楽しくて良いんだけど、ダブスタになると結局は好きな剣豪を押し付けあうだけの人気投票になっちゃうんだよな
格付けスレはどこも大概そんな程度なんだけどもさ
493 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:55:37 ID:DO14JEfr
あくまでも史書重視で自伝の類は話半分いや3ぶんの1くらいは信用してやってくのがいいと思う
494 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 20:22:31 ID:HDU4U6Az
奥山公重を推す人がいるけど、散々言われているように
十傑に入れられるだけの理由を示してくれないかな?
戦いで活躍したなんていうのも無いし、
単に従軍した程度の記録が残ってるだけ
誰かに剣の試合に勝ったなんて記録も乏しい
後世への影響を持ち出す人がいるけど、実際には?だろう
直心影流に関しては流祖に関して謎があり、
新陰流とのつながりも怪しいとされる
因みに公式HPでは松本備前守を始祖としてるが・・・
495 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 20:49:07 ID:UaTiIdbj
結局、個々で見ていくしかないんじゃないの?
例えば、自伝の信憑性もその人物の立場経歴性格によって全く違うし
第三者の資料の場合も同様だし、書き手が対象と微妙に利害関係を持つ場合もあるから。
とりあえず戦国期を早く決めてしまおう。
他の時代の剣豪を早く語りたい人もいるだろうし。
>>478は早速没にされたのでw、疋田ありバージョンでは
>>481に概ね同意。
異論が出るのはやっぱり疋田かな?
496 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 20:53:13 ID:UaTiIdbj
ただ、剣豪の範疇に宝蔵院や竹内久勝のような連中が入るかは
決めておいたほうがいいかもね。
497 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:00:16 ID:Xfjjl59x
個々でみていくって何だよw
あいつが自分で書いたのは正しくて、あいつのは嘘って?
んなアホな。
498 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:04:44 ID:CpSd4/Cl
この人は史料重視で判断、あの人は多分清廉ですごい人だから風聞自伝も信用して判断
これって結局ダブルスタンダードでいこうって事なんだよなぁ
>>496 とりあえず槍はいらないんじゃ?と思うけど
499 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:17:07 ID:UaTiIdbj
>>497 例えばこのスレで話題になった疋田が柳生を倒した話の信憑性とかはさ、
客観的にみたら、石舟斎はその後即弟子入りしているんだから
少なくても上泉一派の実力を認識させられたことは容易に想像できるっしょ。
となると、上泉か疋田神後かにボコられた可能性は低くないわけで
その際上泉が直接ボコったとしたらその手柄を弟子に譲る必要があったかとか
検証していけばいいじゃん。その過程がまた楽しいでしょ。
500 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:33:11 ID:XCTN/7J/
>>498 当時の剣豪が、特に合戦に出てる連中が、
槍を使えなかったわけは無い。当たり前だがw
上野一本槍(あくまで例えのような物だがw)の上泉の弟子には、
宝蔵院や今話題の疋田辺りが普通に槍術残してるし、
富田の中条流も普通に槍術が残ってる。
武蔵なぞ手裏剣術もやってる。
槍も出来たが、その中で特に剣が使えたからこそ剣豪として名が聞こえているのじゃねぇかな。
宝蔵院胤栄や、下手すると弓術で有名な吉田重賢あたりは、
並みの剣豪よりは強かっただろうがw
それでも、将棋の羽生がチェスでも強いようなもので、
槍の方が有名な人は多少違うんじゃないだろうかと、俺は思う。
501 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 22:42:06 ID:HDU4U6Az
話を変えて幕末の十傑
男谷信友(剣聖・幕末の三剣豪)
大石進(幕末の三剣豪)
白井亨
千葉周作
島田虎之助(幕末の三剣豪)
比留間与八(島田の代わりに三剣豪と呼ばれる事もある)
高柳又四郎
岡田吉貞(神道無念流最強の剣豪)
浅井義明(入神の剣技と称される)
沖田総司(天然理心流最強の剣豪)
沖田に関しては新撰組の一番隊組長としてではなく
多摩で多くの門下生を抱える大流派である天然理心流の
塾頭かつ最強と呼ばれた点で評価した
502 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 22:48:49 ID:DO14JEfr
>>494 >>395読んだ?
実戦は充分だと思うがね
今に残る新陰はだいたい柳生か奥山経由なんだが
九州にも柳生の名字もらったやつが広めてるし
奥山がいなかったら少なくとも針ケ谷夕雲も加藤田平八郎も神谷伝心斎も松崎浪四郎もいないわけだが
丸目の後世の影響は何?
疋田の後世の影響は何?
名人越後の後世の影響は何?
503 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 22:52:46 ID:HDU4U6Az
幕末の十傑(見やすいよう整理した)
男谷信友
大石種次
白井義謙
千葉成政
島田直親
比留間利恭
高柳義正
岡田吉貞
浅井義明
沖田房良
504 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 22:59:48 ID:HDU4U6Az
>>502 ふむふむ。ならば下の十傑でどうだろう
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
奥山公重
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
505 :
サイコメトリー:2008/02/09(土) 23:08:14 ID:Fcd83NS3
スレも500を超えました。
戦国期の十傑は
>>504でほぼ確定かと自分も思います。
全員当確で良いんではないでしょうか、異論がある方いますか?
506 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:08:30 ID:yVlf8YZq
いい加減、家康自身を加えたほうが良さそうだな
後世の影響とやらが重要なら
507 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:16:15 ID:84N8UZui
508 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:21:23 ID:bx/+DH9u
>>502 弟子自慢始めたら
中条か飯笹か慈恩しかいなくなる罠
509 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:25:48 ID:DO14JEfr
>>507 いやソースじゃなくてレス
軍功を立ててる
510 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:29:56 ID:DO14JEfr
>>506 別に後世の影響自慢してるわけじゃなくてどちらが強いかはっきりわかるレベルじゃないから後世の影響で選んでるだけだが
どっちが強いとかはっきりわかるんなら答えてみろよ
511 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:32:47 ID:HDU4U6Az
>>505 >>494にも書いた通り
現状では奥山公重を十傑に入れる理由が無い
誰も奥山の剣豪としての活躍を紹介してくれないからね
ただ妙に推してくる人がいて、外すとうるさくて
話が進まない・・・
512 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:33:32 ID:84N8UZui
>>509 一地方大名から戦功を認められて紋を拝領してるってだけで実戦が十分?
「〜の合戦で功を認められ〜」だなんてのは剣術家に限らずごろごろ居ると思うんだが。
513 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:43:32 ID:DO14JEfr
戦功を認められたなら実戦に参加してないとは言わんだろ
剣豪として実戦で活躍てどんなのだよ?
514 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:45:50 ID:CpSd4/Cl
とりあえず自伝風聞も判断材料にすると言う前提で、
>>504でも良いんじゃないか?
それなら疋田や伊東も十分有力候補だし異存は出ないと思う
史料だけ話してるのも味気ないしね
515 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:52:25 ID:HDU4U6Az
次は江戸時代初期の十傑
柳生宗矩
柳生利厳(柳生一族で最強らしい)
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
上野左右馬助
・・・
江戸時代初期ってどこまで?
516 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:59:05 ID:k06co9Qw
辻斬りの達人家光
517 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:00:01 ID:UnhQUgVl
>>509 つまりソースは無いって事?
じゃあ
>>504は取消すよ
戦国時代の十傑
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
神後宗治
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
奥山の剣豪としての実績を示せないならを結局これだが
518 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:02:24 ID:n0PhtPMp
>>513 剣豪10傑に入る理由として十分かどうかが問題なんだろ。
事の真偽は別としても松本備前みたいに「高名の首百二十五、並の首七十六」
だとか、塚原みたいに「高名の首二十一、並の首七つ」とかいったような
逸話があるのか?って話だ。
519 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:02:56 ID:DrYXNmIl
>>510 ふむ。剣を振るっての実績をいくら示そうとも、比較論上での強弱など当然分からんな。
でも、その不明瞭なものに後世の影響を加えたところで、何も分かる物では無いだろう?
分からないを承知で、ただ決めてみようというのがこのスレだと思うが。。。
分からんものに分からんものを付け加えてまで、そこまで後世の影響に拘るのか分けが分からん。
最後に物を言うのが後世への影響とするなら、剣術史の功労者best10だ。
520 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:20:06 ID:3sPamrKq
初期でめぼしい候補
柳生のあの人とかこの人
小野忠明
宮本武蔵
東郷重位
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
川崎鑰之助
あたりかな
521 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:45:33 ID:+b8J25Ve
「予に勝つ者あらば尋ね来るべし」と自信満々の看板を掲げた道場を京都に開き
後水尾天皇の前で演武を披露し、豊臣秀次の武術指南をしていたとされる
自称無敗の武術家・竹内久勝も江戸初期なら剣豪候補に入れて。
戦国期は二、三人は余裕持たせて暫定決定ということで。
522 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:53:01 ID:n0PhtPMp
柳生の候補は但馬・兵庫・十兵衛・連也かな。
523 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:56:54 ID:bWKQE36Q
じゅうべえちゃん講談ばかりじゃないのかとwikipediaみたら
隻眼かどうかも怪しいの?
片目だったら遠近感取りづらくて不利かなと思ったらw
524 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 01:03:40 ID:ErZxPk7u
=゜ω゜) 柳生五郎右衛門でしょ
525 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 01:04:32 ID:3sPamrKq
利巌、巌包は候補に入るだろうね
宗矩は評価分かれるかな
三巌はもっと分かれそう
526 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 01:31:38 ID:gOBGN0XJ
>>525 強い強いと評判の尾張柳生だけど、具体的な戦歴には欠けるのでは?
利巌と言うと
「新陰流の全てを継承」
「活きた人を見た(逸話)」
しか思い浮かばない…強いのはわかるが、もっとこう具体的なものが。
527 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 01:31:42 ID:UnhQUgVl
「江戸初期」って西暦で何年あたりまで?
528 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 02:26:14 ID:+b8J25Ve
初期、中期、後期に分けるなら1690年ぐらいかな。
柳生は揉めそうだね。本当に強いかワカラン。
529 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 02:28:02 ID:n0PhtPMp
実戦経験っていうなら但馬や五郎右衛門だな。
530 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 03:59:50 ID:3sPamrKq
戦国期十傑
松本政信
塚原卜伝
上泉信綱
富田勢源
疋田景兼
奥山公重
柳生宗厳
丸目長恵
富田重政
伊藤景久
自伝風聞も評価材料にすると言う事で上記に決定しました。(いいんだよね?)
これより江戸初期開始!
区切りは1690年でいいのかな?
531 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 05:51:40 ID:XubVLjDY
>>530 その案に賛成する人も数人いたから暫定的にはそれでいいけど、当然反対する人もいたし、
悪いけど奥山は個人的にも釈然としてないよ。バランス的にも上泉の弟子が多いので、林崎を押したいな。
ただ、何時までも戦国期ばかりやってられないので、
>>530は、あくまで暫定決定案と言うことにしておいて、
一通りすべての期間の暫定案が決まったら、各期で取り分け揉めた人物を改めて議論すればいいでしょ。
時間を置けば考えが変わるかもしれないし、互いに相手を説得できるだけの理論武装できるかもしれないし。
でも最終的には論理とか客観性じゃなくて、好みや価値観の問題になるよなぁ。
江戸初期なんてまた武蔵と柳生でしょwどうなることやら。。。
とりあえず今までの経緯から東郷重位、小野忠明はすんなり決まりそうなので挙げておく。
532 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 08:03:05 ID:UnhQUgVl
533 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 08:06:39 ID:UnhQUgVl
男谷信友
大石進
島田虎之助
千葉周作
白井亨
この五人は確実だろうね
534 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 09:04:08 ID:UnhQUgVl
浅井じゃなくて浅利義明だった
535 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 13:43:49 ID:bf/9dZ8E
いきなり10人に絞るのではなく、ある程度の人数を挙げて
そこから取捨選択していった方が良いだろ。
536 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 14:14:44 ID:BQ++Ld6y
幕末の話は最後でいいだろ
急く気持ちもわかるけど、ここは順番にいこう
537 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 14:17:39 ID:BQ++Ld6y
江戸初期
柳生宗矩
柳生利厳
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
上野左右馬助
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
川崎鑰之助
今までにあがった候補
538 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 14:23:11 ID:UnhQUgVl
宮本武蔵ってどうしても佐々木小次郎とセットになっちゃうよな
あと江戸初期って柳生のオンパレードになりそう
539 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 14:51:31 ID:ErZxPk7u
=゜ω゜) 奥山、針谷、小出切、神谷ときて、一番貢献度の多い
小笠原が戦国、江戸どちらにもノミネートされないのがカワイソっす(笑
540 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 14:57:13 ID:Ks7wxROd
連也は?
541 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 15:10:49 ID:BQ++Ld6y
江戸初期
柳生宗矩
柳生利厳
柳生巌包
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
小笠原源信斎
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
>>539-540の意見を取り入れてこんな感じ
上野はマイナー過ぎるので外してみた
川崎鑰之助
542 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 15:14:09 ID:BQ++Ld6y
途中で送っちゃった・・・・
江戸初期
柳生宗矩
柳生利厳
柳生巌包
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
小笠原源信斎
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
>>539-540の意見を取り入れてこんな感じ
上野はマイナー過ぎるので外してみた
川崎鑰之助も微妙にマイナーかな
異論があれば復帰させます
543 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 15:24:46 ID:UnhQUgVl
針谷、小田切、神谷も相当マイナーなんだけど
とりあえず推薦する人は、どれほどの剣豪なのかを
紹介して欲しいな
544 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 17:11:29 ID:dILSTUIG
柳生は宗矩より宗章のほうが剣に生きる剣豪のイメージに合うし
剣に打ち込んできた分、実際に腕が立ったように思えるんだけどね。
貢献度とか言い出すと宗矩に軍配上がるだろうけど。
545 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 18:30:13 ID:ErZxPk7u
=゜ω゜) 針谷は甲冑相手に撓で打ち勝つという剛剣ですな。
たぶん幕末の平山子竜みたいな感じじゃなかろうか?
撓稽古だったので試合数がやたら多い。
当時小野とかだとケンカで斬り捨ててしまい謹慎。吉岡にいたっては
乱闘の末京都所司代の手にかかり一線から外されます。
まあ、こいつらも強かった。
546 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 18:43:27 ID:BQ++Ld6y
新陰系ばかりになるのもアレなんで樋口定勝を推してみる
547 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 19:17:41 ID:gOBGN0XJ
>>542 武蔵、小次郎は最後の「武芸者」て感じがするな。
小次郎の物干し竿、虎斬りなんてほとんどギミックだし。
548 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 23:29:24 ID:ErZxPk7u
=゜ω゜) じゃあ新陰以外で松林蝙也、三間与一左衛門、由井正雪
野口一成、ほりべえやすべえ。
うわ、一気にマイナーになるなぁ・・・
549 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 23:48:53 ID:dILSTUIG
>>548 いや、堀部安兵衛とか由井正雪は超メジャーでしょw
小野や東郷より知名度と思う。
そうか、1690年というと赤穂浪士も入るのかぁ
550 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 23:52:03 ID:BQ++Ld6y
三間と野口って聞いた事ないや
簡単にでも教えてくれると嬉しいっす
551 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 00:36:15 ID:9UrCHErI
=゜ω゜) 三間は水鴎流っつー居合流派で抜刀試合の名手。
わかりやすく言えば子連れ狼のやつです。
野口は左篭手を盾代わりに頑丈に作って敵の太刀を受け、そのまま
迎え突くやりかたで試合では負け無しだった実戦派の武将っす。
まあ、バランスをとるためにちょっと異色なネタを入れただけですけどw
552 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 01:02:40 ID:t35khnJg
今のところ候補として挙がった人たち
柳生宗矩
柳生利厳
柳生巌包
柳生宗章
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
小笠原源信斎
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
吉岡重賢
樋口定勝
松林蝙也
由井正雪
堀部安兵衛
マイナー枠
上野左右馬助
川崎鑰之助
三間与一左衛門
野口一成
>>551 ありがとうございますって異色ネタですかw
553 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 01:59:05 ID:FRwnClNe
正直、江戸期など誰が強いと主張しあった所でおもろないよ。
554 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 01:59:10 ID:eC8CSykX
ちぇすとぉ〜!!!の野太刀自顕流・薬丸兼陳はまだ挙がってない?
変わり種ということでは、勿論十傑候補ということではないけど
真田太平記にも出ていた鈴木忠重も面白いね。謎の人物。
>>552 この候補見ても荒れそうだなぁ。荒木又右衛門とか柳生十兵衛がいないだけでもまだいいかw
555 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 02:09:02 ID:eC8CSykX
やっぱり荒木又右衛門は挙げとく
脚色酷いけど、有名すぎる実際の剣豪だし。
556 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 03:17:15 ID:t35khnJg
意外に候補が出ない一刀流系で古藤田俊直なんかはどうだろう
557 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 03:51:18 ID:uM1BaXop
>>551 小池先生が子連れ狼を画いてだいぶ後になって
水鴎流が実際にある流儀だと知って驚いたと言うのは
本当ですかね?
あの流儀、静岡では有名だし
緻密に考証する小池先生がそう言うのを知らずに画いたとは思えない
558 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 07:51:01 ID:X6MeTY4M
>>552 堀部安兵衛の働きは、事件後の取調べでも証明されている。
高田馬場は抜きにしてもやはり剣豪と言って良いのでは。
559 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 11:00:50 ID:9UrCHErI
>557
=゜ω゜) 居合道連盟が結成されたのが昭和29年なので
少しでも調べていれば簡単に判ったはずだから、まー調べずに書いたんでしょう。
あるいは確信犯かw
でも小池御大のばやいは、たとえ取材してても結果は同じだった希ガス。
梶原一騎なんてもっとすごいしね。
560 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 12:40:13 ID:BdvRIKi9
江戸初期つまんね
幕末を先にやろうよ
561 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 12:55:58 ID:n+3lDxb1
まあまあ、できるだけ江戸初中期は早く片付けるので
しばし我慢をば。
562 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 13:03:30 ID:n+3lDxb1
と、いうことでそろそろ候補は締め切って審査しよう。
まず柳生宗矩が賛否両論ありそう。
将軍家剣術師範で実績抜群、7人斬りも。一流の人物で有能な側近。
が、多忙で剣は次第に疎かに?剣豪というより後年の政治家もイメージがつよい。
563 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 13:53:22 ID:uM1BaXop
>>559 梶原氏は「これは私が〜氏から直接聞いた事なので
嘘偽り無いと断言できるが」ですからねw
これに騙された人が一体何人いることやら
564 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 14:20:54 ID:t35khnJg
柳生宗矩
柳生利厳
柳生巌包
柳生宗章
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
小笠原源信斎
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
吉岡重賢
樋口定勝
松林蝙也
由井正雪
堀部安兵衛
荒木又右衛門
古藤田俊直
現在の候補20人
めぼしい候補もでないしそろそろ締め切ろうか
565 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 15:01:56 ID:BdvRIKi9
針谷、小田切、神谷なんてマイナーじゃん
推薦する人はまず、その人物の紹介をすること
十傑になるかどうかはそれから
566 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 15:28:09 ID:wMnSTieb
過大評価の荒木・軍学者由井OUT、薬丸INを提案。
薬丸流はキチガイ剣法との酷評もあるけど最強の実戦殺人術ともいわれ、
幕末の主要人物にも使い手が多い。
567 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 15:51:10 ID:t35khnJg
夕雲 無往心剣流
柳生宗矩と同じく剣禅一致を目指した剣豪っすね
兜をつけた相手を竹刀で叩き殺した逸話が有名
一雲 空鈍流
夕雲の弟子で夕雲との勝負を三本行い三本勝ち免許皆伝をうけた人
白井亨が剣道史上最高の達人と評価したのは有名っすね
神谷伝心 直心流
夕雲と共に小笠原源信に学んで正統を継いだ人
彼の流儀は相当に流行ってて餅は餅屋、剣は紙屋などともてはやされてたみたい
その手の本には必ず名前が出てくる人たちなんで、逸話も結構残ってる
一度調べてみるのも面白いと思うよ
568 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 15:59:58 ID:h2MuY2hi
荒木とか堀部は過大評価だろ
有名なだけ
569 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 16:24:30 ID:9UrCHErI
=゜ω゜) 由井正雪は武芸者としても有名ですがな。
武器術に長け、宝山流や神流など数流派を使ったと言われます。
ウソかホントかは確かめようもないけど数多くの逸話が有りますよ。
本朝武芸百首に出てくる江戸一番の武芸者宇治常悦とは正雪がモデルです。
570 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 16:34:30 ID:t35khnJg
柳生宗矩
柳生利厳
柳生巌包
柳生宗章
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
佐々木小次郎
小笠原源信斎
針谷夕雲
小田切一雲
神谷伝心
吉岡重賢
樋口定勝
松林蝙也
由井正雪
堀部安兵衛
荒木又右衛門
古藤田俊直
薬丸兼陳
現在の候補21人
>>566 ごめん
薬丸入れ忘れてた
とりあえず候補はこれくらいでいいんではないでしょうか?
571 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 16:43:57 ID:wMnSTieb
年代的に微妙な堀部はまずは江戸中期検討対象ということで初期からはOUT。
由井はう〜ん謎過ぎる。
=゜ω゜)さん詳しいから、当確だと思う候補を何人か挙げてくれれば有難い。
572 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 16:55:30 ID:t35khnJg
堀部って皆伝までいってないんじゃなかったっけ?
573 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 17:33:03 ID:BdvRIKi9
>>567 紹介サンクス
一雲にちょっと興味持った
574 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 18:13:07 ID:9UrCHErI
>571
=゜ω゜) それぞれ皆、達人だったと思います・・・って、答えになってないかw
各派代表枠で少し整理しますか
柳生派と荒木(戸波伝新陰)ならまぁ宗矩。
念流系が樋口、由井、堀部で・・・宗家からのご祝儀で堀部かな?
戸田系が小野とコジロー古藤田なら小野。
直心が小笠原、針谷、一雲、神谷・・・多いなあ。まぁ江戸初期代表で針谷。
東郷と薬丸は微妙だな、適当に東郷。
宮本と吉岡はオヤジ勝負で宮本。
あ、松林蝙也が余ってしまった。
こんなんでいいのだろうか?すげー適当。
異論反論どうぞ。
575 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 19:36:56 ID:t35khnJg
確定
柳生宗矩
小野忠明
東郷重位
宮本武蔵
針谷夕雲
堀部安兵衛
他候補
柳生利厳
柳生巌包
柳生宗章
佐々木小次郎
小笠原源信斎
小田切一雲
神谷伝心
吉岡重賢
樋口定勝
松林蝙也
由井正雪
荒木又右衛門
古藤田俊直
薬丸兼陳
んじゃ暫定ですがこんな感じっすかね
他にも小笠原源信、小田切一雲、薬丸兼陳辺りは入れてもいいんじゃないかなと思うんだけどどうでしょ
576 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 20:40:10 ID:Rum8dnFG
>>574 ありがd。じゃあ現時点での暫定当確は
柳生宗矩
小野忠明
小笠原源信
針谷夕雲
小田切一雲
堀部安兵衛
宮本武蔵
東郷重位
薬丸兼陳
の九人か・・
堀部が初期に入るなら、異論はないっす。武蔵は揉めたけどやはり
外すとなると違和感あるから。
577 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 21:16:25 ID:pfvOGykE
桃井春蔵って桃井直常の系譜なのかな、通字も『直』だし。
あるいは、太平記にも出て来る桃井播磨守の名前を利用したのかな?
578 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 23:45:16 ID:8RnU/LJT
>>572 安兵衛が皆伝かどうかなんて大して重要ではないよ
免許が人を切るわけではないから
そんなこと言ったら中国の李書文なんかは槍は基本の型しかやってないわけだしね
それでも生涯無敗の記録を残しているし今もその門下生はかなり多い
まぁ赤穂浪士でなかったらここまで有名じゃなかったような気がしなくもないけどね
579 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 00:02:14 ID:w85YzdhB
あれ?免許もってなかったけ?堀部さん。
念流江戸牛込堀内道場の免許皆伝でわ?
580 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 00:13:20 ID:JPohsE9P
>>578 そうだね
失礼しました
>>579 そうだったっけ?
俺の勘違いだったら申し訳ない
深い意味で書き込んだ訳じゃ無いんでご勘弁を
と言う事で、残り枠1っす
候補
柳生利厳
柳生巌包
柳生宗章
佐々木小次郎
神谷伝心
吉岡重賢
樋口定勝
松林蝙也
由井正雪
荒木又右衛門
古藤田俊直
581 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 00:33:56 ID:Xsz+7oLu
なら柳生利厳しかないだろ
歴代の柳生一族で最強と言われてるのだから
582 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 00:36:41 ID:Xsz+7oLu
それと小笠原と薬丸の剣豪としての紹介してくれないかな?
当然の如く十傑に名を連ねている事に違和感を覚える
583 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 00:47:09 ID:WooKPJeg
薬丸は剣豪としての実績はないあまりみたいだね。
ただ、後世に多大な影響を及ぼした恐ろしい殺人流派の流祖とされていることと、
示現流ではかなりの使い手だったという二点が売りということかな。
584 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 00:56:03 ID:pMEcWTvk
武蔵が入るなら小次郎も入れないと
585 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 15:00:54 ID:JPohsE9P
小笠原源信
針谷夕雲、神谷伝心を育てた人
後世まで残る直新影は彼の代で一定の完成をみたとも言われます
疋田に「」我源信に及ばず」と言わせた逸話は有名っす
586 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 15:04:52 ID:JPohsE9P
江戸初期十傑
柳生宗矩
柳生利厳
小野忠明
小笠原源信
針谷夕雲
小田切一雲
堀部安兵衛
宮本武蔵
東郷重位
薬丸兼陳
とりあえず、十名出揃いましたね
587 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 17:47:44 ID:Xsz+7oLu
薬丸はまだ剣豪だという証明がされてないよ
十傑入りはそれから
588 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 19:08:07 ID:1QBGbHK3
>独特の叫び声を用いることから薬丸自顕流を知らない人間からは
>異常な人物ではないかとさえ見られてしまうことがある
薬丸自顕流のウィキみて吹いたw
強力なインパクトと独特の理念をもった剣法だね。
実戦で極めて有効な剣法であることは知られているので、
実質的に編み出した兼陳は、ノミネート資格はあるでしょ。
でもホントに本人が強かった証拠は希薄になるので、
他に適切な十傑候補がいれば外してもいいと思う。
589 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 20:13:48 ID:JPohsE9P
ではでは、薬丸は審議として入れ替え戦といきますか
適切な推薦があれば入れ替え、なければ確定でサクッと中期→幕末に行っちゃいましょう
590 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 20:14:47 ID:CAKYdf0a
松山主水は何処?
591 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 22:20:23 ID:WeJqz0f9
中村もんど、当確!
592 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 22:53:55 ID:1QBGbHK3
山田君、
>>591の座布団全部持っていって。
今挙がっている候補は
柳生巌包
柳生宗章
佐々木小次郎
神谷伝心
吉岡重賢
樋口定勝
松林蝙也
由井正雪
荒木又右衛門
古藤田俊直
松山主水
だね。強力に推したい人物います?
佐々木小次郎、柳生巌包は噂が本当なら天才剣士だけど、小次郎には架空説まである有様。
最後が剣豪らしく断然格好いいのは柳生宗章だね。神谷伝心、松林蝙也も松山主水も捨てがたい。
戦国期もそうだけど残りわずかになってくるところからが難しいよなぁ。
当確とされている人物の中にも武蔵は怪しい噂があるし、宗矩利厳のように本当の実力はようわからんのもいる。
593 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 22:59:28 ID:8Mpmw/3D
柳生最強は兵庫よりも連也っていう人も多いよね。
594 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 23:23:36 ID:JPohsE9P
強いて入れ替えるとすれば、逸話が少なく判断し難い利巌→巌包
くだんの薬丸→松林か樋口くらいかな
どっちも積極的には推せないからどっちゃでも良いんだけども
595 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 23:38:38 ID:Xsz+7oLu
江戸初期に突入してから急に駄スレになったな
596 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 00:16:57 ID:NAjuOfM+
ほれじゃあ早く幕末に移りたい人がいるようなので早めに切り上げて
江戸初期十傑の暫定当確は
柳生宗矩
柳生巌包
小野忠明
小笠原源信
針谷夕雲
小田切一雲
堀部安兵衛
宮本武蔵
東郷重位
松林蝙也 でいいっすか?また最後に一括して見直せばいいか。
じゃあ江戸中期↓
597 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 00:41:14 ID:/gnbDVns
区切りはどれくらいでしょ?
598 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 00:51:58 ID:NAjuOfM+
ああっゴメン。1690〜1780ぐらいでどうでしょ?
江戸時代を年数でちょうど三等分すると大体それぐらいだし。
正直、この時代ほとんど知らん・・
599 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:08:32 ID:+lse0nOW
江戸中期に剣豪なんかいたの?
10人集まるかどうか怪しいのだが
600 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:18:42 ID:+lse0nOW
とりあえず
辻月丹
他にはいないなぁ
601 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:30:06 ID:/gnbDVns
目ぼしい人となると平山子竜とか寺田宗有とか幕末とのボーダーラインくらいまでいっちゃうなw
堀部前後の時代もいけるなら真里谷とか伊庭とかそこそこ有名な人も思いつくけど
602 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:41:40 ID:+lse0nOW
とにかく小粒だ
603 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:49:03 ID:NAjuOfM+
じゃあ一気に幕末まで範囲を広げて、枠を倍の20人に増やすとか?
604 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:52:16 ID:/gnbDVns
幕末は候補も多いだろうしそれもアリかもね
605 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 14:11:56 ID:+lse0nOW
室町と同じで五傑で良いだろ。江戸中期
606 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 17:32:04 ID:/gnbDVns
んじゃ中期はとりあえず後回しと言うことで幕末いきましょうよ
年代をちょい広く取って1760前後〜くらいにしてさ
中期の剣豪でめぼしい人がみつかれば候補入りだけさせといて十人集まったトコで締め切りみたいな
607 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 18:15:21 ID:oKfFp44U
まあ無理に中期から選ぶことはないね、若しくは後回しでいいか。
スレ主さんがいれば決定してもらいたいけど、反対でないようなら
待望の後期・幕末にいきますか!
千葉周作
戦歴○ 馬庭念流一派との対決において、大石進については諸説あるが、引き分け
弟子◎ 言うまでもないが、三大道場の一つとして子弟の数も最大規模。有力な弟子も多数
影響? 竹刀・防具の使用による効率化はあったが、それによって剣術の実戦離れもあったとして功罪半ば
榊原健吉
戦歴◎ 高橋泥舟の槍に勝利、晩年においても数々の剣士を圧倒
弟子△ 山田次朗吉の育成はあったが、あまりにも厳しい稽古なようで道場は不振ぎみ
影響△ 兜割りなど驚異的な話は伝わるが、官職を拒否し地道に生きたため
白井亨
戦歴◎ 町道場の中では大石進を唯一撃退したとして
弟子× 後を継いだ吉田有恒すらも、有力な人材が育たなかったと発言があるため
影響○ 兵法書の評価は高く、後の世で山田次朗吉が評価しているため
男谷信友
戦歴◎ 三本のうち二本を取って、一本を相手に与えるほどの余裕と試合の数も多い。大石進とは諸説あって不明
弟子○ 人格者と謳われ、榊原健吉、島田虎之介などそれなりに有力な弟子を育成した。大石進も影響を受けたほど
影響○ 講武所を設立したため
大石進
戦歴◎ 江戸にて各道場に他流試合を挑み圧倒した。
弟子△ 流派はそれなりに広まったが、他と比べると見劣りしてしまうため
影響△ 他流試合の評価や影響は考慮するが、本人の使用する長い竹刀が流行、それが悪影響にもなったため
山岡鉄舟
戦歴△ 実は結構負けてばかり。伊庭八郎と引き分けた話があるくらい
弟子○ 高野佐三郎や松崎浪四郎など、それなりの人物がいる
影響◎ 江戸無血開城から、明治天皇の側近まで、歴史への影響は計り知れない。
加藤田平八郎
戦歴◎ 同郷の大石進の活躍に影響されて江戸へ、もしくは彼の活躍で大石が、と説がある。男谷信友との試合は勝ち越しとも。全国を回った。
弟子△ 松崎浪四郎が弟子だが、松崎は加藤田の死後に山岡の元へ
影響△ 加藤田日記は文献として価値あり
平山行蔵
戦歴◎ あらゆる武器から戦術まで学ぶ、戦いの鬼の中の鬼。伝説の力士・雷電の胸板を一撃して引かせる。
弟子○ 男谷信友などが弟子にいる。勝海舟の父親・小吉が尊敬していた。
影響× 蝦夷防衛の意見が過激すぎてお上に道場を解散させられる。弟子の相馬大作が事件を起こす。
勝小吉
戦歴◎ 甥である男谷信友を片手で圧倒。武勇伝多数。喧嘩においては無敵か?
弟子× 子供は勝海舟、しかし剣術家として指導してたわけではないので
影響× 家族を大事にしない典型的なヤクザな親父
斉藤弥九郎
戦歴? 三大道場主、他流試合は禁止していたとの話もあって戦歴はあまりわからない。
弟子◎ 三大道場であり長州藩との繋がりが大きかったため幕末の志士の多くが弟子にいる。
影響◎ 江川英龍に支援をしていたり、後の歴史を変える志士の多くを育成していたりと結構凄い
桃井春蔵
戦歴× 道場主でありながら他流試合は結構負けていたとも言われる。
弟子◎ 三大道場であり、岡田以蔵や武市半平太、四天王の一人である上田馬之介など
影響△ 三大道場の他の二人に比べると・・・。
宇野金太郎
戦歴◎ 江戸三大道場を回った岩国の天才剣士、斉藤弥九郎の三男の歓之助にも勝利
弟子△ 仕返しに斉藤歓之助に弟子を一掃された事があるとも
影響× ハエを箸で掴む神業は宮本武蔵の映画の元ネタにされました。
610 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 20:32:19 ID:+lse0nOW
幕末の三剣豪は確実に入るだろうね
男谷信友
島田虎之助
大石進
比留間与八(この人も三剣豪だとされる)
後は
白井亨
千葉周作
この二人も確定でしょ
611 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 21:20:56 ID:oKfFp44U
千葉周作の逸話は、なんか嘘くさいものが多いようなキガスル。主観だけど。
でも次男の「千葉の小天狗」千葉栄次郎は最強クラスでこれが周作の名声に繋がったと予想。
「中西道場の三羽烏」の残りの二人、寺田宗有と「音無し又四郎」高柳又四郎も候補に推薦しとく。
612 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 21:42:14 ID:+lse0nOW
確かに音無し剣法の高柳は入る資格ある
寺田はどうだろ
613 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 21:51:45 ID:+ONa2aSr
前スレとそっくりな流れに。
614 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 23:59:00 ID:+lse0nOW
神道無念流で最強と唱われた剣客も挙げておこう
615 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 00:06:09 ID:E8PqCEls
岡田十松吉貞は神道無念流で最強の達人
十傑入りは文句無しだろ
616 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 00:16:06 ID:E8PqCEls
桃井春蔵の流派もすごいな
上野馬之助、武市半平太、岡田以蔵など怱々たる顔ぶれ
見廻組・新撰組関係私的十傑(厨房と言われるのを承知で)
佐々木 只三郎
今井信郎
芹沢鴨
近藤勇
土方歳三
沖田総司
永倉新八
斎藤一
伊東甲子太郎
服部武雄
618 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 18:23:24 ID:MmuKiCjr
幕末は10人に絞るの大変じゃないの?枠増やすとかしないと。
それぞれ贔屓の人いるだろうし候補の数だけでも凄いことになりそう。
619 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 19:11:53 ID:E8PqCEls
とりあえず八人
男谷信友
島田虎之助
大石進
比留間与八
白井亨
千葉周作
高柳又四郎
岡田吉貞
620 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 19:21:01 ID:MmuKiCjr
実戦経験がない人多くない?幕末だと壮絶な殺し合いを生き抜いてきた奴のほうが
やっぱ強い気がするんだけど。
621 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 19:23:02 ID:YUS+iPlT
幕末分割案。
・実戦派枠
・試合巧者枠
・達人?枠(達人らしいが資料的に弱い人物の枠、必要なら作成)
とりあえず2、3分割して住み分け。
それでも多いなら年長者は江戸中期へシフト。でどう?
622 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 19:28:38 ID:MmuKiCjr
波平のように禿同。それぞれ選ぶならいいかもね。
623 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 20:46:14 ID:swvvEJgE
自分のご贔屓がエントリーされなきゃやだってんなら
わざわざ皆で十傑集選ぶ必要ネージャン
各自が自分の選ぶ10人出して公開オナヌーしてればいいんだからさ
624 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 20:50:00 ID:YUS+iPlT
じゃあこんな感じ?
【幕末実戦派】
比留間、今井、芹沢、近藤勇、土方、沖田、
永倉、斎藤、服部、上田馬之助、岡田、彦斎、桐野
【幕末試合巧者】
男谷、榊原、島田、大石進、白井、高柳、千葉周、千葉栄、岡田、
宇野金、加藤田
(実戦記録有り:伊庭八郎、森要蔵)
【達人?かな】
伊東甲子太郎、武市、佐々木
【江戸中期シフト組】
平山行蔵!勝小吉っ!浅利
625 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 21:00:10 ID:2IMBzDDF
>>623 それなら、とりあえず
>>624のように分割した後、最終的にはまとめて10傑選ぼうか。
そうすれば各自の価値観に合わせて、バランスよく配分できると思う。
626 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 00:37:43 ID:YW05nUIT
>>620 実戦と試合じゃプレッシャーが全然違うしな。
負けは死を意味するわけだし。
627 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 00:58:54 ID:yXhWXRIh
このスレで剣豪語るくらいだから剣道経験者が多いと思うけど
相手が真剣持っていたら、隙を見つけても剣道やっているときみたく
簡単には飛び込めないよなぁ。相打ち覚悟の攻撃なんてのもできん。
当時の剣術は今とは比べ物にならないほど実戦的だったとは思うけど
やはり道場とは別ものかもね。
新撰組は駐屯所にしていた家の者の話だと、暇があれば剣の稽古していたらしく
下手糞はいなかったそうだが、自分の命が懸かれば当然か。
勿論全然たいしたことなかったとの説もあり。
628 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 01:04:59 ID:mF5aGal4
アメリカで「最強のガンマンは?」ってなったら
SWATやデルタフォースは挙がるのかな?
629 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 04:24:50 ID:cnTFtKL/
>>627 その剣の稽古を覗きこんでいた拳骨和尚を道場に引っ張り込んだは良いが
近藤局長以下フルボッコにされたらしいからなw
挙句に近藤さんなんて槍まで持ち出したものの
和尚が両手に持った托鉢のお椀二つで挟み受け止められたってトホホ話
630 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 11:36:30 ID:btAN43I6
NHKの「鞍馬天狗」の近藤はカッコいいな。ドラマ自体はあれだが・・
近藤や土方は、所詮は田舎道場の田舎剣法で実はたいしたことなかったんじゃないの?
と思う人が結構いるようだが、個人的には違和感覚える。
農民の出で血筋も良くなく、身分も金も学も人脈もなく、頼れるのは己の剣腕のみという状態から
名目とは言え大名クラスにまで成り上がった奴らが弱いわけがない。
事実、近藤は池田屋の時、数倍はいるであろう敵中に(防具装備だが)真っ先に乗り込んでいったが、
これは実戦において絶対の自信を持っていた証拠だと思われる。じゃなきゃただの基地外だ。
池田屋にいたのは雑魚じゃない。
死闘激闘は数時間にも及んだが、結局近藤は手傷一つ負わなかったらしい。
新撰組は一時期過剰に美化されすぎた反動からか、最近は過小評価する向きもあるので一応弁護。
631 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 00:52:22 ID:3XcoivQy
新撰組といえば、原田サノスケは土方に信用されて
頻繁に重要な裏仕事任されているが、あまり剣豪としては評価されてないな
632 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 01:14:00 ID:pS4bfSWi
「八寸の延金」の小笠原源信、もしくは槍持った上泉のどちらかが
史上最強で間違いないらしい。
誰かが言ってた。
633 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 07:01:54 ID:8TPP3qkE
小笠原ってそんな強かったんか。名前も知らんかった。
634 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 08:37:38 ID:gvBbZNFl
635 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 11:43:23 ID:hT5MSfE4
あからさまな釣りだから喰いつくなよ
針ケ谷夕雲ですら源信を小馬鹿にしてる程度の小物なんだから
636 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:01:33 ID:pS4bfSWi
>>633 小笠原の「八寸の延金」は、そのあまりの強さに剣聖・上泉がたとえ復活して立合っても敵わないと謳われた。
637 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 18:39:35 ID:o8Of/5bN
ググったら石舟斎が小笠原との対戦を避けていたらしいがホント?
幕末の剣豪もそうなんだが互いに褒めあったり
真偽が分からないなんか胡散臭い逸話も多いなぁ
638 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 18:54:40 ID:7BF2Ad2l
時代や人物に関係なく逸話っちゅうのはみんなそういうもんでしょ
639 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 05:54:54 ID:i6LMmPDU
見廻組の佐々木と今井は多分竜馬を殺していないね。
中村半次郎とか西郷周辺人物が怪しすぎ。
640 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 08:41:42 ID:wMeN8/2/
拳骨和尚って武田物外か? 津本陽の小説に出てきたが実在の人だったのかね。
強さを表現するために新撰組の名を借りてる時点で、強そうな感じがしないのだが・・・
641 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 18:17:46 ID:RaJQkZVF
=゜ω゜) 物外和尚は実在してたみたいっすよ。お寺も残ってたと思います。
不遷流は、たしか明治の柔道大会で優勝するなどした名流で
ミヤケタルジは柔道の海外普及に大きく貢献した人物だと聞きます。
ただ、近藤の話は・・・どうなんだろ?
突いて来る槍をお椀で留めたのか、それとも停止している槍をお椀で挟み
「さあ抜いてみろ」と言ったかで難易度はかなり違ってくるので
これは詳しい状況がわからないとなんとも言えないッス。
642 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 21:46:11 ID:sCd8VKwh
物外和尚なんて本当にいやがったのか!
プロフィールが凄すぎて怪しすぎるな・・
643 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 01:16:05 ID:M1oX3gcL
突いて来る槍をお椀で留めたとかは嘘っぽいな。
人間じゃ無理
644 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 03:33:57 ID:ltsXzfuw
まあ普通は手に大穴が開くわなw何か仕込んでないと。
645 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 05:23:09 ID:y03SO7tY
小笠原源信も伝説の多い人なんだよな。
武田信玄の信濃侵攻に強硬に抵抗したことで知られる、信州小笠原氏の一族の出で、
徳川家に従属した時期の前後に、奥山休賀から剣を習ったとされている。
ところが彼は、徳川家に仕官することを良しとせず、廻国修行に出たらしい。
明まで渡り、大陸の武術を直に習ったらしい。
帰国してからも仕官した形跡がないのが面白い。名門小笠原氏の出で、奥山休賀の
新影流の継承者だから、できなかったはずがないと思われるのだが・・
町道場を開き、江戸初期の民間道場としては、かなりの繁栄をしたと言われてる。
道場破りが来た時に「八寸の延べ金」という特殊な武器を使って戦い無敗であったという。
この武器が正確に何であったのかは不明だが・・・明で習ったヌンチャクだって話もあるんだなw
上泉伊勢の新陰流のうち、将軍家の流儀となった柳生系と対照的に、関東に土着し民間に広まった
系統の祖とされることが多い人なんだよな。神道無念流も、直心影流も、この人を道統の祖、ないしは
中興の祖としている。その実力が有名だったことの証明だろう。
江戸初期における名人の一人であることは、間違いないと思う。
646 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 05:40:40 ID:7Anzj8KJ
詳しい説明アリガト。さすがに詳しい人多いな。
小笠原源信って明にまで行っていたのか〜
柳生十兵衛より時代物ドラマでも取り上げれば面白いだろうに
647 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 08:23:08 ID:M4RJrzMk
余談だが「陰流」の歴史を鑑みると、さらに面白い。
陰流開祖、愛洲移香斎は三重出身、三重といえば九鬼党など海賊の本場でもあり、
愛洲自身も伊勢や熊野の海賊と何らかのつながりがあり、海路を通じて九州から
明までも旅をしてまわったって話があるんだな。
倭寇に悩んだ明の将、戚継光は倭の刀術を研究し、日本人から「陰流」の目録を
得ている。この目録は時代的に、愛洲の弟子筋のものだと思われるんだな。
戚継光から半世紀ほど後に程宗猷は倭刀術の研究をさらに精妙に行い、多くの著作を
残してるのだが、もしかしたらこの時期に、小笠原源信が何らかの影響を与えてるかも・・・
まあ時期が重なるからってだけで証拠ゼロの妄想だがw
陰流開祖の、愛洲移香斎と、同じ道をたどり、同じように修行した人は、小笠原源信斎しか
いないと言えるかも知れないわけだな。ロマンだなあ・・・・(´∀`)
648 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 11:47:48 ID:gSABIo9V
>>635針ケ谷夕雲ですら源信を小馬鹿にしてる程度の小物なんだから
これホント?
そういや夕雲って小笠原の「八寸の延金」に勝利したって話もあるみたいなん
だけど ホントかな?ホントなら夕雲が最強だな
649 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 18:18:58 ID:bQPnE/eW
=゜ω゜) ただ単に年齢的な問題でしょう。
技術が同じなら若くて力の強い方が当然強い。
強力の夕雲や新鋭の神谷が師の源信に勝てるのは
なんら不思議では無いっす。
ちなみに八寸の延金とは武器ではなく延びるカネの意味ではないかと
言われちょります。
たぶん新当流で言う形の規矩の発展形でしょうね。
650 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 18:36:33 ID:9mKpyABS
今の価値観からすると、人を小馬鹿にするような連中には碌な奴がいない
本当に剣の達人ならどっしり構える人格者でいて欲しいよな
651 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:19:38 ID:SGUR+i/D
>>650 つ伊藤一刀斎&小野忠明師弟を置いておきますねw
652 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:55:13 ID:SGUR+i/D
>>648 針谷夕雲の弟子小田切一雲が記すところの「剣法夕雲先生相伝」に
夕雲曰く
自己の師玄信が心入も八寸の延金もみなことごとく忘想虚事の類にて、
人生天理当然の性の愛用にあらず、多くは只畜生心にて己に劣るには勝ち、
勝るには負け、同様なるには相討ちの外はなく一切埒のあかぬ所の有ぞ
とあるらしい
更にこの書には「他流の畜生兵法」と言う言葉がしばしば登場するw
653 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:31:13 ID:BZFX/XDM
因みに小笠原は「八寸の延金」を
明に渡って張良の子孫()wから学んだ
と吹いていたらしい
654 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 01:13:20 ID:qRugfw7x
宣伝は大げさにしたほうがいいからなぁ
これまでに十傑に挙がった剣豪の中にも
相当ハッタリ口先野郎が混ざっている悪寒
655 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 04:54:56 ID:DuaLeYbM
小笠原はバリバリ戦国人で、晩年は江戸初期って程度の人なわけだが・・・
その弟子くらい、針谷夕雲とか、さらにその弟子、小田切一雲とかの時代だと
もう完全に天下泰平の世。剣術使いがアイデンティティに苦しんでた時期だわな。
実戦から離れて、剣が哲学化されようとしてた時代に、それを色々と試みて、
それなりの解答を論理化して後世に残した人として、有名なのは柳生や武蔵だが、
針ヶ谷の考えもある程度、残されたみたいね〜
針ヶ谷の考えは、その弟子の小田切によれば、強い方が勝つだけでは畜生に等しい、
そういう勝負の虚しさから離れて、ついに剣を捨てるみたいな・・・まあ詳しい話は
誰かに任せるがw・・・まあ精神的な話だわい。
無敵の強さを誇っていた師匠の小笠原の、その強さとて虚しいものだと・・・
泰平の世に適応するため苦しんでいた針ヶ谷は考えてたみたいねえ。
656 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 05:03:43 ID:DuaLeYbM
一種のパターンだわな。
平和な時代になったら、実戦そのものより、精神性を重んじた哲学みたいに
剣が変化してしまうというのは。幕末も同じ現象起きとるし。
明るく能天気な実戦派の剣豪たちと・・・
暗く哲学的な泰平の世の剣豪たちと・・・
俺の好みとしては前者のが好きだがw
657 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 08:20:58 ID:zlfztLzZ
針ケ谷夕雲について言えば、結局のところ、こっちが相打ちを狙えば、相手も
やれば両方死ぬとわかるから、戦わずに済むみたいな境地を理想としてたのかな。
実際に打ち合って勝負に勝つような勝ち方は、畜生の兵法であると。
師匠である小笠原源信が幾ら強くても、強かった方が勝つというだけでは、畜生が
弱い生き物を取って食らうのと変わらず、そういう勝負には意味が無いと。
柳生風に言えば活人剣みたいなもんではないのかね。
彼は、単に強かった師匠の生き方を否定して、独自の境地を開いたわけだが・・・
それが正しいかどうかなんて我々にはわからん罠。
658 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 10:44:36 ID:1jU3CAAd
=゜ω゜) まあ、畜生心とか天理当然の性とかは、仏、儒の用語を
取り入れただけであって、夕雲もそれほど特別な事を言ってる
わけではないと思いますよ。
他流批判は五輪書なども同じです。
例えば禅の臨済録では悟りを得ても囚人、羅漢は汚物、菩提、涅槃は
ロバを繋ぐ棒杭。他にも山賊やら奴隷やら口汚く罵ります。
これは悟りに囚われる事を意味します。
剣で言えば夕雲にとっての旧来の神蔭流を意味します。
つまり「自得した物であれ、心のより所にすべからず」と言う事でしょう。
仏に帰依した故に仏道に迷う、つまり魔境の戒めだと思います。
それ故「無住心」なのだと思いますよ。
659 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 17:53:42 ID:cIUM8JCc
>>654 それは現代の格闘家たちを見てもわかる
試合前にはお前なんか一瞬で殺してやるくらい言ってるけど
いざ試合になってみるとあっさりKO負けしてたりなw
660 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 18:57:48 ID:DGBsZ+Dj
小笠原、上泉、一刀斎が史上の3強か
661 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 18:59:04 ID:W1lT4Vv9
剣術にありがちな余計な哲学を入れないで、
ひたすら相手を倒す強さを求める
薬丸自顕流や天然理心流は、幕末では大活躍だね
江戸三道場の流派よりも強力なイメージがある
662 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 19:14:25 ID:4vLayqfb
常に2マンセル推奨とか後ろから斬りつけるとか暗殺とか
そういうのは腕もあるが、このスレでは微妙
663 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 19:22:49 ID:FTrshPDC
幕末って柳生何やってたんだろうね?
664 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 20:27:47 ID:BZFX/XDM
夕雲が小笠原を「烈火の竹を破に似たり」と言う程の勝ちを収めた時
きっと自分が勝てたのは自分が上達したのか?
源信斎が老いて衰えただけ?とか色々思うところがあったに違いない
で、このスレの本質みたいに
全盛期の当人が立ち会わなければ真の勝敗・優劣などはつかない
だから勝ちに拘るのは止めたって事もあるんだろうね
665 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 22:23:36 ID:1jU3CAAd
もともと夕雲は奇剣の使い手だったという話も有り、
小笠原のもとで正統派の剣風を学ぶうちに地力がつき、
ついには師を打ち負かしたと言う事ではなかろうかな?
ト伝が言うように剣は最終的には正道へ返るものです。
まぁ夕雲も一雲も結果的に弟子に追いつかれちゃったし・・・
666 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 00:01:25 ID:lw2oVgxm
林崎重信の功績は非常に大きいだろ
加藤清正が朝鮮で活躍できたのも、林崎の抜刀術のお陰
667 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 03:53:47 ID:+LBwvYHm
戦国期の十傑決めるときに揉めたけど
林崎に不足しているのは個人的な強さの裏づけかな?
実績には異論がなかったと思う
668 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 06:50:02 ID:7dtDxbA0
小笠原→針ヶ谷→小田切の流れは、心影流の正統ではなく、針ヶ谷から新流として
別系統になってる。彼らの記録は、小田切の残した手記が主で、まぁ言ってしまえば
身内の記録だ。
小田切の記録によれば、疋田が小笠原の腕前に驚嘆したとかの話もあったりして面白いが、
どこまで事実関係が正しいのかは不明だわなw
上泉からの歴代をみると、奥山も小笠原も針ヶ谷も、あまり師匠に依存せず独自の路線を
追及する生き方を貫いたって点では共通してるのが面白いね〜
669 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 10:11:56 ID:DMzMHuwL
>>663 幕末の江戸柳生は不明だな。わずか一万石の小藩だし、あっさり帰順したんでね?w
尾張柳生は尾張の一家臣に過ぎないし、尾張は御三家のわりにすぐに新政府を認めたし。
明治天皇は武道好きで聞こえた人で、近侍に山岡鉄舟などがいたのは有名だが、
大正時代になって尾張柳生宗家は宮内省に召しだされて近衛師範とかやってんだぜ。
柳生家は逞しいなあと感心するしかないw
670 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 17:54:20 ID:qK5HFRTG
剣豪に限らず、幕末は人材豊富だよな。
それに比べ今の日本ときたら・・・
671 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 20:45:06 ID:tf5Et3Lc
>>663 確か、幕末の柳生家を描いた小説が、あったんだよなー…
いや、嘘とか出まかせじゃなくてホントにあるんだ。
詳細思い出せなくてスマン。
672 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 22:02:27 ID:LiPg+17f
=゜ω゜) 幕末では無いけど有名なところでは江戸城の田沼事件で
目付の柳生主繕正がちょこっと活躍しちょります。
尾張柳生のゲンチョウ先生の本では父の厳周師は京の近衛卿の命で
小倉藩の円明流師範と試合い勝つとありますね
そんなもんかな。
幕末だと、たしか桂小五郎や高杉が萩の柳生松右衛門伝新陰。
タモリの先輩ですな。
あとは・・・八ヶ岳の趣味の園芸、柳生流
673 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 02:10:49 ID:lkELmquG
へえ〜タモリって柳生居合いやっていたんだな。
かつて「藤田まこと」が斉藤一(藤田五郎)の血を引くとの
未確認情報を得た記憶がある
斉藤一はそれ以来中村主水のイメージw
674 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 05:41:28 ID:s/5b/aKj
抜刀術の林崎甚助は、十傑に入れなければおかしいと俺も思う。
しかし彼は二十歳くらいで仇討ちに成功したって話くらいしかエピソードを聞かんのよね。
ところが彼の起こした抜刀術は、後世への影響は極大だし。
剣術から半独立して一つの独自の分野さえ作ってるもんな。
竹刀とかで打ち合って派手に勝ち、名を挙げる、剣術みたいなことはできないのが抜刀術だから、
剣術より、戦績とかエピソードとかの点では不利なのかも・・・と弁護してみる。
675 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 21:52:49 ID:rEQJkDrN
松平忠敏って強かったんすか?
676 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 22:35:55 ID:KR3Kq1XQ
=゜ω゜) たしか林崎甚助は小田原あたりで首2つぐらいあげてた希ガス。
基本的に仕官してたわけではないから固定的な戦歴資料と言うのが無いわな。
だが武芸師範としての業績は偉大だったようだ。
まあ、愛州移香も似たような感じだが。
林崎流は後の先を重んじるため護身の要素が強い。
これを僧の袈裟にたとえ、袈裟の一刀の教えとした。
つまり先には抜かぬ、抜かば斬るのレベル。けっこうスゴイ自信だ。
その林崎〜田宮の伝系から幕末に田宮神刀流の窪田道場ができる。
あの大石進を投げ飛ばした事で有名な道場だな。
677 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 23:44:45 ID:9thlqej7
ランクつけるよりグダってた方が面白いな、このスレw
678 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 23:51:37 ID:8/CwztdR
本当の答えなんぞ出る訳が無いから、
実質グタグダやってりゃ良いんだけど、
ある程度白熱しないとだんだん過疎るからな。
白熱するには格付けみたいなのは有効。
たまに荒れるのも良し。
679 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 02:06:49 ID:5KURNpgo
一刀斎こそ最強
680 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 09:56:44 ID:+W6MGHig
(戦国時代前期:流祖の世代)
塚原卜伝
上泉伊勢
富田勢源
伊藤一刀斎
林崎甚助
(戦国後期から江戸初期:泰平の世に適応した世代)
小野忠明
東郷重位
小笠原長治
宮本武蔵
柳生兵庫
(番外:室町期の伝説的開祖たち)
念阿弥
中条長秀
愛洲伊香斎
飯篠長威斎
松本備前
(さらに番外:上泉伊勢の五高弟)
神後宗治
疋田文五郎
柳生石舟斎
丸目蔵人
奥山休賀斎
書いてみて思ったこと:10人にきれいにまとまるはずないなこれはw
681 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 10:49:36 ID:5KURNpgo
千葉周作も入ると思う
682 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 11:06:21 ID:5KURNpgo
あと鐘巻自斎についても忘れちゃだめだな
一刀斎や小次郎を育てたってのは凄いだろ
まあ、腕はその二人に及ばなかったらしいけど
683 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 11:15:31 ID:klHjk320
名コーチだったんでしょw
684 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 11:34:13 ID:NA7rEt2m
>>682 身体能力が付いてこなかっただけで、技術・理論は最高峰だったかもね。
685 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 11:57:45 ID:+W6MGHig
富田勢源と、鐘巻自斎は、小太刀一本であらゆる試合に勝ち、戦場にも
小太刀一本で出て活躍したなど面白い逸話が多いよな。
ところがその弟子筋という佐々木小次郎や伊藤一刀斎になると、小太刀を
使った形跡が無い・・・富田・鐘巻の小太刀術は、そのまま北陸にのみ、
残ったということなのかな。
686 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 15:08:58 ID:4uXvkHxh
一刀斎は自斎の元で学んでいたけど
ろくに教えを受けないうちにもうあんたを越えたと言って
自斎を破って奥義を教わったと言う話があるよね
小次郎の方は
自斎が剣筋を見せる為に小太刀で、小次郎がその相手をする長太刀役で
修練していたがこの長太刀の方が自分の性分にあっていた為
巌流に目覚めたとか言われてるね
687 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 17:45:24 ID:70bbONhW
森憎と木殺
688 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 18:02:15 ID:5KURNpgo
バガボンドじゃないけど、一刀斎ってほんとマンガのキャラクターみたいだ
ほとんど謎に包まれてるからそうなってったんだろうけど
689 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 21:36:58 ID:NrKtvl+6
=゜ω゜) 一刀斎と言えば柳生石舟斎の師匠が戸田一刀斎。何者?
本来の中條流は総合武道だったらしいが、どうなんだろ?
他にも中西三羽烏の高柳又四郎がおるねぃ。
まぁ強いやつはどんな道具を使っても強いでしょ。
武蔵の家も十手流派だったし。
690 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 23:40:57 ID:klHjk320
勝つ為には何でも利用するほうがそりゃ有利だけど、
剣の達人と呼ぶにはなんかしっくりこないな。
数ある武闘術の一つというだけじゃなく、
やはり剣術には特別の拘りを持っていてほしいもの。
691 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 00:13:54 ID:oCOt6G7C
=゜ω゜) うーん、実戦を考えると剣だけと言うのはむつかしいっすね。
たとえば疋田の槍。林崎の長巻。権之助の杖。松本備前の十文字槍。
武蔵の手裏剣。などなど。
上泉も小野忠明も戦場では槍だし、当時は総合武芸の様相だったと思います。
そのうえでの剣へのこだわりでしょうね。
も少しストイックになるのは平和な江戸時代でしょうか。
692 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 00:35:05 ID:FIsamYqB
忍者のイメージである手裏剣ですら
元々は手から剣を離す「手離剣」で
戦場で不意打ちや逃げるときの武士の奥の手と言われていたもの
と言われている。
生き死にの場を潜り抜けられないものは
どんな奇麗事を掲げても認められない時代だった
剣術に拘り、精神性を持ち出したのは江戸期以降
素肌剣法になってからだね、それでも武芸十八般なんて言葉がある位
693 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 04:51:16 ID:wPnB7vYd
林崎は背中に長巻を背負って、そこから瞬間で抜き打ちして敵を一瞬で切り倒したという・・・
強いことは強いんだろうが、なにか卑怯な気がするのは俺だけか?
剣が鞘に納まった状態から、抜くと打つを連続で行うのは結構難しいらしい。
だから瞬間でそれ出来ると、咄嗟の迎撃や不意打ちに強いらしい。
抜刀術って本質的には暗殺術みたいなもん?
よくしらんけどw
694 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 11:11:11 ID:uBpZQ7xs
タイマンなら剣より槍のほうが絶対強いよな
695 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 15:03:25 ID:mmZNsMuO
槍と対峙した事ないからよく分からんけど
攻撃かわして懐に入らないとまず勝機がないでしょ。
そう考えると、一点だけを突いてくる通常の槍よりも
宝蔵院の十文字槍はやはり避けにくいのかな?
696 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 15:29:10 ID:FIsamYqB
まあ槍じゃなくて薙刀の話でちと違うけど香取神道流の故杉野氏は
薙刀さえ持てば敵など近づかせるものではないと言っていたし
明治三十三年の第一回武徳大会に唯一の女性として出場し、
更に優勝した直心影流の園部秀雄氏なども薙刀だ
江戸期に武家の婦女子の習い事になるくらいだし
長物はやっぱり有利なんだろうね
697 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 15:41:56 ID:dRS+FAtm
薙刀は強いし、柳剛流も強いのだな
698 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 15:44:23 ID:SK3F5eCi
長柄は突くだけじゃなく柄で叩く払う等できるからな
699 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 16:42:56 ID:oCOt6G7C
=゜ω゜) まぁ、初めて長物と戦うと動きが読めないですよ。
突きは見えないし、足は避けきれない、懐はやたらに深い。
でもまぁ、慣れればそこそこ戦えますぜ。
警視庁の川崎善三郎はナギナタ相手に一本勝ちしてまつ
>>693 たしかに居合は江戸期では上意討ちにも使われましたね。
反面、居合は襲われたさいの護身の要素も持っています。
旅先や室内で不意の襲撃を受けた場合や組み付いてきた場合
居合か小太刀、柔拳法ぐらいでしか反撃できません。
居合ならそのまま剣術に移行できるので、小武器より条件的にやや有利ですな。
700 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 17:05:06 ID:FIsamYqB
みんな大好き卜伝先生も
槍って柄は長いけど刃の部分は大概小太刀以下みたいなもんだから
太刀の方が刃物のリーチはあるんだぜ?楽勝〜
みたいな事を弟子に語ってるし
卜伝なら相手の長物の柄を真っ二つにして太刀より短くなったw
とかやりそうだと妄想してみる
701 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 02:09:31 ID:E5D12o1O
天井が低い屋内での戦いや暗殺・とっさの護身では
小太刀・脇差のほうが有利だね
でも富田勢源や鐘巻自斎が戦場や試合でなんで好んで使ったのか謎。
単純に短いと不利だと思うんだけど・・
702 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 06:47:14 ID:UXKO1Mna
単純に腕力の問題とかあるかもね。
ベストに動ける重さの武器が小太刀だったとか。
そゆこと考えず、適当に重くて長いのを使ってるやつよりは、
自分の腕力・体格・脚力など総合的に考えて、小太刀がベストと
結論出したやつのが強いのは、むしろ当然かも。
703 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 14:21:49 ID:i2Si1rCd
富田の三剣
鐘巻自斎
長谷川宗喜
山崎左近将監
その他
林田左文
関保重
阿波賀小三郎
川崎鑰之助
704 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 18:44:17 ID:eR/2sFaU
=゜ω゜) まぁ脇差と言っても江戸城などの刃傷事件で使われたのは
2尺前後なので、ほとんど定寸の大刀と変りましぇんね。
ちなみに小野忠明は捕り物で大太刀相手に戦ったさい
鬢あたりを少し斬られので定寸を2尺3寸から5分ほど延ばしたとか。
まぁ、達人でもやはり長い方が多少有利なのは変らないと思いますよ。
小太刀が有利だとしたら実力に差が有るか、そういう条件での
戦いだったと言う事でしょうね。
でもまあ、強い人は何を使ってもやはり強いですけどね。
705 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 23:17:43 ID:gzApJOot
念流系は達人が出ない
習っても別流派を立てたりして○○念流を名乗らない。
なのに現代まで伝えられている。
706 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 00:19:31 ID:joICAohO
ど素人の妄想言わせてもらうと
小太刀使うなら間合いが短くなる分、二刀流にするネ
鍛えれば片手で扱えて、剣速もあって、受けと攻撃がほぼ同時にできるだろうし
飛び込む脚力と反射神経ないと駄目そうだけど
707 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 04:37:30 ID:WSDOAS1l
室町以前の明確な身分制度が崩れて、庶民が足軽悪党などとして力を持つように
なった時代と、剣術が勃興した時代は重なる。
相馬四郎は武士でありながら身分を捨てて念阿弥と名乗り、庶民の護身術として
剣術を教えた。これが念流の始まりであり、剣術の歴史としては最も古い。
剣術兵法とは元来、身分ある貴族や武士が習うものでは無く、庶民の物だったのだ。
この考え方は戦国期にも残ってた。
念流は、身分のない庶民・農民のための護身術という性格と理念を失わないまま、
馬庭において代々受け継がれていった・・・
剣を以て名を上げてやる!みたいな野心ある人のための剣では無い。
世に知られるような名誉や功名は求めない、それが念流なのだ。
・・・ってことらしいよ。よく知らんけど (´∀`)
708 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 07:01:04 ID:j5NA1+NO
それにしたって限度があるだろ!
荒川念流、家川念流、奥山念流、本間念流等々あるが
剣豪いたっていいじゃない;;
群馬からは達人でてるんだけどなぁ
709 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 10:34:26 ID:g+gym0+p
江戸初期は群馬の田舎に土着。
幕末になっても竹刀稽古を断固として否定。
どこかの指南役にもならず、庶民の剣術を守り続ける・・・
竹刀使わないから、当然、派手な試合戦績とかありえない。
まあそういう地味さが、念流の魅力では無いのかな。
ちなみに幕末どころか、江戸初期の樋口定次の時代にあってすら、他流から
「地味だ、泥臭い、田舎の百姓剣術だ」と悪口を言われてたらしいぞw
そういう風に見えること承知で、そのままの古流を現代まで守ってるんだから凄い。
710 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 17:12:11 ID:DpcJ1T4V
新陰流の枠:3
一刀流の枠:3
その他の枠:4
って感じで良いかな
711 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 18:46:49 ID:joICAohO
>>707 よく知っとるがな ヽ(´〜`; ォィォィ
712 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 18:59:57 ID:j5NA1+NO
>>709 >ちなみに幕末どころか、江戸初期の樋口定次の時代にあってすら
そう!そこ凄いよな
形が整って何百年もそんな扱いされ続けてるって
どんだけだよ
713 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 20:32:21 ID:vxfe1vvB
=゜ω゜) 念流は江戸にも道場有りましたよ。
堀部ヤスベエは上州樋口家と江戸牛込の念流堀内道場の高弟っすね。
新撰組にも一人居たかな?
昭和の武蔵こと國井先生も、たしか東京の念流道場ですな。
念流は新当流、新陰流、中条流、影流、宝山流、後世の名流に
多くの影響を与えた名流派です。
714 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 20:55:31 ID:/5p/d86d
柳生新陰流の転(まろばし)に小転と言う小太刀の技法があると云う
もう一つは小転を元に連也が考案した大転
小転は丸橋とも書き、伊勢守信綱が極意として相伝したもの、と云われる。
一刀流に於いても忠明が小太刀の形を五つ編み出している
名高い名人達も小太刀は必須の物と考えていたに違いない
相馬四郎義元:念阿弥慈恩が創始したと云われる念流
馬庭念流に伝わる話によると念流四代目の樋口新左衛門高重の時
関東管領上杉顕定に仕え馬庭村に移り住んだとの事。
念流は古伝を善く伝えていたため1843年に記された撃剣叢談の巻の四に
「此念流の本旨と云は、一念を以て勝を主とす
右手を切らるれば左の手にて詰め、
左右の手なくば噛付ても一念を徹すると云伝授也」とある。
715 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 21:20:44 ID:vxfe1vvB
=゜ω゜) 丸橋形は山田ジロ吉の直心でも使ったみたいですね。
小太刀かどうかは知らんけど・・・
義経は脇差にて柳の枝を数本に切りはなったと言うので
歴史は古いです。・・・たぶん。
小太刀は現代の日本剣道形でも必須ですな。
柔術だと小具足(短刀術)なんかおもろい鴨。
716 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 21:23:49 ID:j5NA1+NO
堀部安兵衛は高田馬場と赤穂浪士で確かに凄いんだが
いわゆる”剣豪”って感じじゃないんだよな
やはりしっかりと記録が残っていると
現実味がありすぎてだめなのかもしれない。
ほんの少しのファンタジーが剣豪を作る。と思う
717 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 00:32:20 ID:Ud88Oo88
やっぱ天狗とか神様に手伝ってもらわないと
718 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 00:32:57 ID:C5S5P4ND
柏尾 馬之助
北辰一刀流皆伝、新徴組剣術教授方、代稽古、
マイナー剣士だが、大所帯の新徴組の中でも1,2を争う腕前だったらしい。
新徴組脱退後、病の身ながら剣の腕を見込まれ倒幕派に引き抜かれた、変り種の凄腕。
最近、山形新聞の連載小説にも何話か出てた。
勝海舟とかでは菊一文字の使い手〜と書かれてるけど、小説だから本当は?だろうなぁ・・
まあ、Best10はアレとしても、Best20には入ると思われ。
719 :
718:2008/02/27(水) 00:36:46 ID:C5S5P4ND
↑スマソ・・戦国からじゃBest30が良い所かも・・・
720 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 01:26:45 ID:XA2yUROi
幕末は鞍馬天狗様が最強に決まってる
NHKドラマでも鉄砲の一斉射撃や短銃をものともしてないよ
721 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 02:54:48 ID:Ud88Oo88
ややこしや
ややこしや
722 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 04:00:46 ID:/QV6drQu
そか念流の「念」とは、結局、一念を持って本気でやることが重要って意味か。
分かりやすく現代語訳すれば「最後は気合いだ!」ってことだなw
なるほど泥臭く、しかもいざというときは強そうだわw
陰流の「陰」ってのは光と陰、つまり目を付けるところの重要性を第一にしてるってことかな。
テクニカルなポイントを指摘してるのが、なんかいかにもというか、らしいというか。
一刀流は「つまるところは刀だ!」とこれもわかりやすい。実にシンプルだ。
723 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 16:04:33 ID:b6XHP298
上泉ってほんとに強かったのかねえ
上泉の弟子で新陰名乗ってるの柳生だけであとはみんな名前変えちゃってるよね
ちょっと疑問だわ
一刀流系は○○一刀流や○○派一刀流ばかりなのに
724 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 17:55:17 ID:wal/Z6SQ
柳生は江戸将軍家尾張藩の指南役で御留め流になったからだろ
725 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 18:37:00 ID:xcjnQSfO
そもそも、強いか弱いかの尺度で決まった時代じゃないからな。
そういうは現代人的なモノの見方だから。 戦国時代にはドラゴンボールも
格ゲーも無いからね。
名称にしても、戦国時代辺りはまだコロコロ名前が変わってる事も多い。
有名どころだと、武蔵の流儀が、円明流だったり二刀一流になったり二天位一流に
なったりと変遷してるのは有名だし、
一刀流にしても、一刀流と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからの
事で、一刀斎自身が一刀流を名乗ってた訳じゃない。
726 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 18:55:31 ID:jQoOi2j2
=゜ω゜) もちろん一刀流分派にも違う名前は有りますよ天心独名流とかね。
無外流の元になった山口一刀流とかは神道流だったという話だす。
新撰組の斎藤一や剣道の神様中山博道がこの山口流ですな。
さらに上泉にも上泉主水泰綱の会津一刀流というのも有ったりしてw
727 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 20:07:10 ID:YSVvmP9u
天真正伝香取神道流も色々と名前が変わっているしね
728 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 22:45:05 ID:r2xB95T0
流派名なんて、適当につけている悪寒。
酒飲んだ時の思いつきとかでさ。
729 :
人間七七四年:2008/02/27(水) 23:14:18 ID:jQoOi2j2
=゜ω゜) 言われてみれば、なぜか剣術の流名ってみんな凝ってるなぁ
逆に安直な流派名と言えば人名か。
柔術:関口さんの関口流。竹内さんの竹内流。小栗さんの小栗流。渋川さんの−略
居合:林崎さんの林崎流。田宮さんの田宮流。片山さんのホウキ流。一宮さんの・・・
手裏剣:根岸さんの。白井さんの、竹村さんの・・・−略
馬術:小笠原、大坪、八條
剣術:中条流、富田流、吉岡流、深甚流(なんつー略称じゃw)
すげえシンプルだ。
730 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 00:21:42 ID:TSn2kUpT
そういえば剣術以外はみんな流派名が安直だね。
731 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 01:46:20 ID:dBlWvsIc
732 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 01:57:09 ID:oXLtcVjP
=゜ω゜) むつかしいのも有りますよ。ちょっと記憶書きなので怪しいけど・・・
柔術:不遷流。本覚流。諸賞流。南蛮殺倒流。止心流。
居合:初実一理剣。自鏡流。制剛流。
手裏剣:円明流。 十手:当理流。
馬術:調息流。
剣術:未来知新流。運チュウ流(変換できん!)
733 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 04:35:11 ID:TSn2kUpT
無知だった。スマソ
734 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 14:02:42 ID:z6X03G/7
やっぱイカスのは無敵流系だ!
現在では杖術しかこの名前が見られないのは残念すぎる。
昔の人はこれ名乗ってどんな気持ちだったんだろう。
名乗られたほうも…
735 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 16:27:29 ID:z4Uctwua
>>=゜ω゜)
あんた何者だ
736 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 17:41:28 ID:/wLmpifX
あれだな、「剣豪」は誰かとか言い出すと、同時代および後世への影響とか、
功績とか記録とか身分とか色々と考えたくなるから・・・
ちょっと目先を変えて、ただひたすら「強そう」な人を選んでみる。
手段選ばない、外道チック、実戦巧者、狡猾で卑怯、下賎の身ゆえハングリーみたいなw
1.宮本武蔵:バカでかい体格に卑怯な戦法! 本気でやれば最強だあ!
2.疋田文五:匹夫の剣でなにか悪い? 強けりゃいいだろ強ければw
3.小野忠明:弱い道場に乗り込んで俺TUEEE!てやるのが趣味です。蟄居謹慎上等!
4.小笠原長治:ヌンチャクなんて日本人は普通見たことないから、剣相手だと試合楽勝すw
5.柳生十兵衛:強いばかりで性格悪いから嫡子外されました。クソ親父士ね!
6.岡田伊蔵:得意なこと暗殺。趣味暗殺。好きなこと暗殺。とにかく殺します・・・
7.中村半次郎:頭悪いんで勝ち目ない戦争しましたけど、バカな分、強いっす。
8.斉藤一:新撰組代表! うちら弱いとか言うやつら囲んで切り刻むからね♪
後は任せた (´〜`)ノ
737 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 18:22:42 ID:TSn2kUpT
>>736 そいつら、大体好きだなぁ
斎藤一なんかは試衛館メンバーでもなく、流派も諸説あるほど入隊当時は
実績がないのに、いきなり三番隊任されて最年少で幹部入り。
何人も高名な流派の皆伝者がいる中撃剣師範も努めてるから、
あんまり肩書きとかは関係ないかもね。
738 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 18:25:12 ID:TSn2kUpT
739 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 21:12:26 ID:ZQpOPVC1
>>732 他にも柔術に良移心当流ってありますね
そこから分かれた為勢自得天真流(別名:麓天真流)や
自剛天真流とか
鏡の字を使った流派も意外とありますね太平真鏡流に
鏡新明智流と明也心鏡流
他には棒・長刀の無辺要眼流や天心独名流から出た涼天覚清流
二天一流の末流を称する温故知新流なんてのもw
玉心琢磨流なんて風流な名前だし四文字流名多いですね
変り種、武家の礼法に小笠原・伊勢・吉良の三家流ありますね
740 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 21:23:13 ID:KYiInaCI
>>736 不思議な事にそういう面子の方が小説とか映画とかの主役向きなんだよな
741 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 21:28:14 ID:ZQpOPVC1
>>736 柳生宗矩だったか十兵衛ちゃんだったか忘れたけど
小野忠明を鬼神の如き強さと云ってたんだから
そりゃ彼からすればどんな道場でも弱いわなw
742 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 22:41:14 ID:oXLtcVjP
=゜ω゜) 無敵斎藤一いいっすね。
護衛中酒飲み過ぎて遅れをとったのはご愛嬌として
しかしこの人何者だったのか・・・?
新撰組の集団戦は赤穂浪士をモデルにしたとかしないとか。ホンマか?
>>733 いや、寝ぼけて一人ボケツッコミしてるのでこちらこそスマソ。
>>739 =゜ω゜) ひょえ〜詳しいっすねぇw
伊勢流故実は小笠原流弓馬の系統らしいですな。
知新流はたしか円明、竹村などと同じ武蔵系の短刀投げ。
玉心琢磨流とは止心流(四心流)の鉄っちゃん系っすか?
743 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 00:17:09 ID:xa8CnaBO
>>736の連中みたいに個性あるほうが印象に残るな
同じ時代にいたら、近寄りたくはないタイプが多いがw
744 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 00:23:39 ID:2pUED+6O
>玉心琢磨流
撃剣叢談の著者が
「俺がガキの頃、卑しい身分の者が使っていたのを見た事がある、
確か同じ名前で棒術の流派があったな〜」
みたいな事を書いてあるくらいしか情報がないようです
江戸時代に玉心流と言う柔術流派があった事は確かなようで
若しかすると先の止心琢磨とこの流儀を併伝したものやもしれませんね
江戸の末期には雨後の筍の様に一人一派が立ち並んでいましたからねw
因みに明也心鏡流は
ただ「今枝流」の名前を変えただけの物のようですw
745 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 00:28:12 ID:GrBIHuMX
どなたか知心流について詳しい方はおられませんかね?
いくつか資料漁っても、どこそこに道場あるんだよね〜よくわかんねけど
みたいなのしかない。例の分厚いのにもちょこっとしか記述なし
江戸期にちょこちょこ名前が出てくるが
一刀流系?ってことしかわからん。それも同じものかわからんし。
746 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 01:00:09 ID:2pUED+6O
雲籌流も初めは管槍の流儀「建考流」だったのが
弟子たちが薙刀や十文字槍などをプラスして
更にその弟子が剣術を取り入れていつの間にか
「雲籌流」になっていたと言うw
747 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 01:02:00 ID:wb8Eh5Fa
一刀斎の弟子の善鬼だっけ?
こいつって強かったらしいが、どうなん?
748 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 01:40:28 ID:2pUED+6O
>>745 江戸末期の撃剣叢談ですら
由来は判らぬとして一応にも現在は朝倉与一郎が伝えている
としか書いてないですからね〜。
本格的に調べるにはやはり現在道場を営んで道統を伝えている所に伺うしか
ないでしょう。
749 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 01:50:10 ID:GrBIHuMX
調布遠いなぁ…
日本武道館の事務所に置いてある
汚ねー冊子に載ってた気もするんだけど…
う〜ん、行ってみるしかないですかな
750 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 07:24:17 ID:V2JF8Ue9
小野忠明(神子上 典膳)悪行伝説
・師匠一刀斎から秘伝を受けるため兄弟子をぶった斬る。
・家康から「あいつはイラネ」とスルーされるw
・町道場の稽古を見て嘲笑ったあげく乗り込んで全員ボコる。その後の抗争で全員ぶった斬る。
・また別の町道場で同じことして、道場主を打ち倒して秀忠から蟄居食らう。
・関が原の時、信州の戦場で自分勝手に振る舞い、またまた蟄居食らう。
・ある大名から、穏やかに腕前披露を求められた時、その大名の家臣を再起不能にボコる。
・秀忠と家光、両方とも稽古のとき、平気でボコる。
・大坂の陣でもワガママ勝手で、またもや蟄居くらう。
・柳生に乗り込んで高弟たちに囲ませて、逆に全員ボコる。宗矩も十兵衛も兵庫も戦いを避けるw
仕官できたのが奇跡に思える悪行三昧。強いことはバカみたいに強かったようだが・・・
600石でも旗本で指南役として勤まったのが実に不思議だw
751 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 11:06:41 ID:zTqqZkXI
=゜ω゜) ところで知心流って二天一流(当理流系)じゃなくて一刀流系だったんすかね?たしか短刀投げとかそれぽい技を使ってた気がしたんスけど…?
雲籌流は江戸柳生の運籌流とは別物でしょうか?
平山行蔵ファンには少し気になるです。
本覚克己流がたしか止(四、至)心流や竹内の系だったと思います。棒は捕手流派だったのかな?
752 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 14:30:45 ID:vTPcnFIY
小野忠明の素行はともかくとしても、多分かなり脚色されている事も多いと思う。
ただのDQNだったら旗本にもなってないし、本人はもっとまともな人物だったと思うよ。
ちなみに、小野忠明の甥っ子は京都の禅僧で、柳生兵庫助の親友にして禅の先生だったりする。
753 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 16:30:50 ID:KqKDr65j
>>751 字違いです。
知新流系→宮本さんの〜等で数々の書物に登場。短刀投げや二刀。
幕末にも名前あり。
知心流→よくわかってないってことはわかってる。面斬り
江戸期とは別の昭和の創作にしても謎。あやうく平上の魔の手に掛かるとこだった。
小野忠明実は善鬼と入れ替わってる説を唱えた
無刀流のコテハンさんがいましたけど、元ネタはなんですかね。
そういうの結構好きですw。
754 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:27:25 ID:2pUED+6O
>>751 失敬、変換ミスですw雲×→運○
ご指摘のとおり柳生筋の運籌流です
755 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:34:25 ID:2pUED+6O
>>753 その他の妄想としては
実は善鬼VS典膳の後継者争奪戦ではなくて
一刀斎VS典膳の壮絶な流儀継承の儀式だったなんて言う鼻血モノの妄想もw
全てを譲った古い世代の伝承者は消え去るのみとか・・・
756 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 18:57:06 ID:KqKDr65j
すばらしい!w
757 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 19:30:27 ID:30Jn1hfU
こういう話好きだなあ
758 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 21:09:44 ID:T2zcqyGz
>>753 大暮雅人という漫画家が天上天下という漫画の単行本内コラムでそんな事を書いてるね。
要約すると以下。
・実戦で切りまくっていて体格もいい善鬼に、木剣使いの典膳が勝てるわけない。
・神子上家は、小野とはゆかりが無いのに、小野を名乗っているのがおかしい。
一刀流の人らは色々言い訳してるが、善鬼の姓が小野だという説もあるので、怪しい。
・名門の神子上家のエリートであるはずの典膳が、徳川家仕官後には粗暴な振る舞いや
武家教養に欠ける行動が目立つのはおかしい。
ついでに善鬼が一刀斎を殺した説も唱えている。
説としては面白いが、根拠を出されるとなんだか突っ込みどころ満載・・・
759 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 21:21:16 ID:WqhWrOlp
ママンが小野姓だから名乗った説→
なぜ神子上じゃだめだったのか…
エリートだけど忠明は元々DQNで善鬼がさらにDQNだったとかw
いやぁ、流祖系の人は謎が多くていいですなw
760 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 21:35:29 ID:2pUED+6O
そもそも善鬼自体がいたかも判らないのにねw
761 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 21:40:03 ID:2pUED+6O
>>789 出仕時に外祖父の小野姓にしたと言うことは家柄とか
これから仕える主家との繋がりに少しでも有利であったほうがいいからね
何処の誰かもわからぬ伊藤一刀斎に弟子入りして
付いて行ってしまうんだから普通の武士からしたら多少はDQNかもw
762 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 22:14:43 ID:30Jn1hfU
そう言われると確かに小野忠明の振る舞いって一般に言われてる善鬼の性格に近い気がするなあ
763 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 22:15:39 ID:30Jn1hfU
そう言われると確かに小野忠明の振る舞いって一般に言われてる善鬼の性格に近い気がするなあ
764 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 22:40:03 ID:wb8Eh5Fa
一説によると忠明より善鬼のが強かったらしいのだが
765 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 22:59:46 ID:TIQZ3M8Q
戦って生き残った者が強者だよ。
死には慈悲など無い。
766 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 01:29:41 ID:gf+yDqkF
一刀斎と善鬼と典膳で面白い小説書けそうだな
767 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 02:31:39 ID:BPgV16MC
山ジュン系しか思い浮かばん
768 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 06:22:50 ID:DuXEMNdB
師匠の一刀斎にしてから、伝統ある中条流の師匠を叩きのめして、関東に一人で
乗り込んできた男だからな。弟子の善鬼と小野に、斬りあいさせてどちらが
道統を継ぐか決めさせたって言うし。
師匠も師匠なら弟子も弟子って感じで・・・
まあそういう野蛮さというか、無作法な荒々しさが、一刀斎と小野の魅力でもあるが。
769 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 06:33:39 ID:KSm348L5
待てよ待てよ、一刀斎=小野って事もw
770 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 07:35:50 ID:FtfxmY06
全部妄想ktkrw
771 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 07:56:23 ID:55EWZA+B
どうせほとんどが謎だからな
何が正しいかもわからん
772 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 10:42:34 ID:nz0V5F/X
実は善鬼など存在しなかったんじゃねーの!?
小金原で典膳に敗れたのは師匠である一刀斎。
かつて一刀斎に敗れたのを恨みや屈辱に思い、いつか倒してやろうと思っていたのは典膳自身。
瓶割り刀を印可として授けた代わりに、印可状は渡されなかったとの説もあるが、
単に、一刀斎が印可状を書かなかっただけ。刀は殺せば奪える。
善鬼の人物像として伝わるものこそが典膳の本当の人物像であり、
忠明を名乗った後の過激な行動にも通じていく。
もしかしたら典膳が「小野善鬼」を名乗って二つの名を使い分けていたのかも。
それで二人の人物がいたかのように伝わったとか・・・
・・・妄想がとまらねぇ!
773 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 11:05:18 ID:1mXZqEWl
>>772 聖闘士星矢と言う漫画に似たようなストーリーがある
聖闘士の長である教皇に成り済ましたサガと言う男
普段は神の化身と云われるほどの人格者であり
次期教皇確実と言われた実力者だったが
何故か教皇は別の者を次期教皇にする、実はサガはジキルとハイドの様な
二重人格者だったのだ!それを見抜いていたために教皇は・・・
てなストーリー
wktkが止まらない(スレと何の絡みもないけどw
774 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 11:33:25 ID:eAU4w1CA
一刀斎・善鬼・小野の3人の話は、それぞれ重複したり、善鬼の話が小野の
話として伝わったりしてたりして、正確にどれが誰の話かなんてわからんだろが・・・
総じて「一刀流の開祖たち」の話としてみると、どの道、全員、「強かったが
素行に問題があった」という共通の性格が見えてくる。
「新陰流の開祖たち」のエピソードと比べると明らかにガラが悪い連中に見えるw
775 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 12:20:39 ID:gf+yDqkF
疋田と小野では、どう見ても小野のほうが匹夫な件について
776 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 12:28:23 ID:IoHmorPj
一刀斎が倒したとされる富田一放なんて、実は富田重政門下で江戸時代に入ってからの剣客だったつーからなw
剣歴捏造にも程があるだろうと。
777 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 12:56:27 ID:oUZ/tdL3
確かになぜ疋田は駄目で小野はおkだったんだろうか?
もしや容姿の問題か…匹夫面・・・
778 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 13:39:45 ID:oDHqphWB
>>777 柳生がいる以上、新陰流でかぶるのを嫌ったためじゃないか?
あと歳が歳だし。
779 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 14:04:14 ID:1mXZqEWl
単純に素行が悪くても強すぎるので召抱えられたとか
柳生一族が怯えるぐらいにw
780 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 14:56:21 ID:55EWZA+B
柳生が有名すぎた
781 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 15:31:10 ID:oUZ/tdL3
それなら匹夫なんて凹まさせずに
もっと上手い言いようがなかったものか!
絶対後の人生に影を落としたな
782 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 15:44:16 ID:Sb8NOOWi
家康は、疋田にも、小野にも会い、両者とも召しかかえなかった。
疋田はそのまま九州の方に流れてった。
小野は江戸でいろいろと暴れて、その評判が秀忠に届き、秀忠に召し出されたのだ。
見る目のある家康は、疋田も小野もイラネと判断したのだな。
秀忠は、あまりの強さに目がくらんで小野を取り立てちゃったと。
その後の小野の素行の悪さを考えれば、やはり家康の判断のが正しかったとしか・・・・w
783 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 16:08:04 ID:Sb8NOOWi
若年時の家康の剣の師、奥山休賀斎は、譜代奥平家の出であり、家康と同郷の三河侍。
奥山休賀は、三河時代の二十代の家康に剣をしばらく教えた後は、御台所役として、
隠居するまで家康に仕えている。
御台所役とは、家康のプライベートの管理者であり、奥向きの護衛でもある。
家康の食事や睡眠などに直接関わる役目だけに絶対的な信頼が寄せられる譜代で無くては就けない。
身内同然の奥平家出身で、腕が立つ休賀斎を、奥向き護衛として上手く使ってたのだな。
「剣士」ってやつを実用的に使おうと思うなら、奥向きの護衛、御台所役てのは実に適材適所だ。
こういう実質重視の家康の目から見れば、えたいの知れない強いだけの流浪の剣士など、使いものにならないってことなのだろう・・
784 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 16:25:45 ID:4MZ4td/p
=゜ω゜) 疋田は細川でもあまりうまくいってなかった感じですな。
小野は小幡が弟子だったので秀忠に推薦されたので旗本の後ろだてがあったからだと思います。
家康については若い頃から既に一流師範数名に学び、さらに実戦で鍛えてるので今更でしょうね。
785 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 16:51:41 ID:oUZ/tdL3
疋田;;
786 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 16:57:21 ID:pfX1SCET
丸目、疋田は上泉系DQN代表だね
787 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 19:06:29 ID:X6y92Z/y
居合の剣豪ベスト10を挙げて下さい
788 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 19:14:25 ID:664x0BqK
東郷重位ってそういうDQN系の話は伝わってないな。
主君の方がDQNだったからか?
789 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 19:16:47 ID:1mXZqEWl
>>783 結局後で使えなくなって外されてしまったんだな奥山orz
790 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 20:51:10 ID:Sb8NOOWi
>>789 年の問題だべ。20代の家康に剣を教えていた時期、奥山休賀は既に40過ぎ。
当時は50越えたら隠居するもんだ。
小笠原に剣を教えたのも、時期的に、勤めから身を引いた後と考えるのが自然だな。
家康に剣を教える→信頼されて御台所役として、しばらく勤める
→家康が30代の頃には既に隠居して、好きな剣ばかりやってる状態に
→小笠原など弟子を育てる
→その後、家康の子供の誰かに仕えたこともあるというが不明。
来歴に不明な部分が多く、木曾や甲斐の忍びとのつながりもあったとか言われ、
忍者の関係者として話が作られたりもしてて面白い人である。奥山休賀斎。
徳川家の内向きの仕事が主で、VIPの護衛関係ばかりしてたみたいで外向きの派手な業績は無いw
791 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 21:55:49 ID:1mXZqEWl
海内無双と言われ3000人も弟子がいたと言う弟子の源信斎もそうだけど
事績が少なくて怪しい部分が多いのは流石師弟かw
792 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 22:05:55 ID:BPgV16MC
家康が上泉伊勢守の新陰流系を贔屓にしたのは、伊勢守が宿敵武田を
苦しめた猛将だったからなのかもね・・・・
その伊勢守にあやかりたかったのかも知れない。
793 :
人間七七四年:2008/03/01(土) 22:36:48 ID:1mXZqEWl
自分を脱糞させた憧れの信玄が
武田家の通字である信の字を与えてまで召抱えようとした
上泉の系統を学んでいるからってのはあったんだろうね
794 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 00:28:24 ID:6ziPM86W
焼味噌焼味噌ぉ
795 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 12:47:25 ID:nucjkjWA
かつて疋田にボコられた柳生があることないこと家康に吹き込んだか、
家康が得意気に語った剣術論を疋田が「それは悪しゅう御座る」とか
真っ向否定したんじゃないのw?>匹夫の剣
796 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 12:55:07 ID:nucjkjWA
立合いの相手が真剣だろうと木刀だろうと傷つけないように
常に竹刀で立ち会って勝利を挙げ、技量では上泉をも超えていたとも言われる
疋田に匹夫は酷いな。匹夫は。
797 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 14:08:19 ID:mShgYhud
秀忠が語った剣術論を、小野が真っ向否定して不興を買ったってことはあったみたいだなw
疋田は結局、本人が仕官とかに積極的で無かったんでないのかな。
主家を転々として、結局流浪して大坂で客死したみたいだしねえ。
流儀に対する執着も、仕官に対する情熱も、薄い人だったみたいな感じがする。
剣で食っていける腕はある、あとはそれでフラフラと自由に生きていければそれでよいみたいな。
それはそれで一つの理想の生き方かも知れん。
798 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 14:18:26 ID:rTJcjh5E
=゜ω゜) 同じ九州でも武蔵は新免家や無二の当理流のコネクションが
有った可能性がなんとなくありますからね。文芸にも達者だし。
疋田の方が剣術職人っぽい感じでしょうか。
奥山、小笠原は上洛以前からの古い弟子という説も有ります。
上泉は北条とも深い交流があったので関東にも意外と弟子は多かったようです。
作家の戸部新十郎も奥山の御台所役を意味不明の役であり、直属の
側近なのではないかと言っておりますが、やはり
>>783氏の言われるように
奥の役目だったと思います。お庭番のように主将直属の役ですかね。
似たような名前の役職に土佐の林六太夫が料理人頭有職故実係ですな。
この人は小栗流柔術と長谷川流居合の達人で主君の
警護役だったのではないだろうかと言われてます。いや、想像だけどねw
799 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 17:53:46 ID:ahD64a+0
疋田と伊勢守の不仲説は無いのかな・・・・
伊勢守の評判が高まるほどに、長年一緒にやってきた人間としては
「ちっ 面白くねーの」 ってのはあったかもよ。
800 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 19:15:55 ID:/k3klH07
どの辺が匹夫だったんだろう
801 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 19:21:36 ID:rHxfivc/
疋田と柳生は仲悪そうだ。
802 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 20:29:25 ID:nucjkjWA
俺様一番!俺suge−!の剣豪同士は誰もうまくいかんように思うw
人付き合いが苦手な職人気質も多いし
803 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 22:43:29 ID:/k3klH07
神道無念流って殺人者量産したけど
面白い?型とか体系ではないよね
(”普通”ってのもなんか違うが)
何が良かったんだろうね
人が多かったからたまたまかしら
804 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 23:28:08 ID:FSTa0Fsh
柳生と疋田の話はお腹いっぱい
居合に限定した剣豪ベスト10を教えて下さい
805 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 23:41:55 ID:6ziPM86W
まず自分が書いてからね
806 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 23:47:41 ID:rTJcjh5E
>803
=゜ω゜) 神道無念流の強さは、やや近間での攻撃力ですな。
打ち込み切返しが現代剣道では前後に動くのに対し、
神道無念流では左右に体をさばきながら連打し体当たりします。
他流試合では首がひん曲がるような横面と近間の連打で鼓膜を破り
突きや多彩な組打ちでネジ倒しますた。凶暴やねw
たぶん格闘技的な破壊力では古流剣道随一でしょう。
807 :
人間七七四年:2008/03/02(日) 23:59:34 ID:/k3klH07
なるへそね。
808 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 00:01:24 ID:wHsySp5d
自分でまず十傑を上げてみろ、教えて下さいってゆとりすぎだろ
809 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 00:12:32 ID:A5gYHfo9
鏡新明智流は試合では負けるわ今じゃ残り香くらいしか残ってないわで悲しい
810 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 00:31:29 ID:kS0qZ9cx
でもまぁ、桃井さんはどんな未知の相手でも
他流試合で真っ先に受けて立ったのは評価したいですね。
桃井さんは勤皇派だったので慶喜さんが江戸へ引上げると
大坂あたりに引きこもって神主になったとか。
武士としては独自の美学を感じます。
811 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 01:04:36 ID:wHsySp5d
鏡新明智流は
貧しくて束脩も月謝も儘ならぬ者も才拙く他流に見限られた者も
教え導かんとした事で名を上げた流派ですからね
流石、位の桃井
812 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 16:25:09 ID:bNS7QXsG
上田馬之助が料亭で剣術師範ともう一人の計二人を軽々と斬っているのを見ると
やはり鏡新明智流はそれなりの流派なのだろうけど
813 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 18:30:13 ID:FZbD3y7C
814 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 19:22:40 ID:wHsySp5d
一方その頃の北辰一刀流では「技の千葉」の実力とブランド力を活かして
豪農や郷士などの懐を相手に免状を与えて栄華を極めていた。
815 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 19:38:25 ID:bNS7QXsG
>>814 マジで千葉周作はそういうところばっかり熱心で
他流試合挑まれても、忙しさを理由に逃げてボロクソに相手に書かれたりしてる資料とかあるんだよな・・・
816 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 19:51:45 ID:INoEeiof
千葉周作は、免許状などが異常な権威を持ち、またその段階が複雑に存在し、
その段階をクリアするごとにお礼金などが必要になるバカバカしさを嫌い、
皆伝までをわずか3段階にするなどの簡素化をしたので有名な人だろが。
玄武館が繁栄したのも、かかるカネが少なかったからという単純な理由が根底にある。
817 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 20:27:11 ID:wHsySp5d
綺麗に書くとそうなるが八段階の階梯を三段階に省略したのは
地方の豪農・郷士やお江戸の商人等を相手にしてた為と言う逆説にも採れる
柔術から武家の伝統的な作法や思想を排除して国民的スポーツ柔道になり
やがて世界のJUDOになったのと同じようなもの
北辰一刀流が竹刀剣術の普及に積極的であったのも普遍性・競技性を高めて
学習人口が増加すれば必然的に優秀資質も持った人材も増える
と言うメジャースポーツの原理にも通じる。
818 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 20:38:29 ID:A5gYHfo9
やっぱ千葉周作も若い頃に殺人経験あるのかな
819 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 20:53:06 ID:INoEeiof
千葉玄武館を代表とする、江戸の町道場の繁栄は、郷士・町人・農民など、身分の無い
人々に剣を教えたことによるわけで、それは剣術の本来のあり方だと思う。
上の方で念流開祖の話があったが、本来剣は庶民の護身術だったのだ。
武士が身分を装飾するために剣に哲理を持ち込んで複雑化したのが正しい流れだとは思えん。
古流剣術を、メジャースポーツ剣道としたことには賛否両論あるだろが、千葉周作が
偉大な功績を残したことは疑う余地が無い。
820 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 22:16:16 ID:wHsySp5d
江戸期に入っても農村などで武術を学んでいた事は良く知られているので
異論は無いが、遡れば遡るほど剣術は庶民の護身術ではないと思う
念流も中条流も香取神道流もその祖は武門に関わり深いし
三流とも剣に哲理を取り入れ大成させたが
下克上の戦国期に一時的に失われていただけではなかろうか?
念流の四代目も関東管領に仕えているので庶民の護身術と言う
思想は念流にも無かった事が伺える。
むしろ香取神道流の方が流祖の教えを守って被官せずに今に至っている
千葉の功績は疑うべくも無く明治期に入って和魂洋才が持て囃され
加納治五郎がその機運に乗る事で漸く柔道を確立した事に比肩すれば
幕末の混乱期に指しかかる前に実利に徹したのは慧眼だろう
821 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 22:49:23 ID:Ol7ro24K
念阿弥の「阿弥」号は、本来は時宗の僧の特徴。室町以前の伝統としては出家も
簡単なことでは無く、入山して寺門に入るのもコネと金が必須だったのだが、
それは出家の本義から外れるとして、コネもカネも関係なく簡単に出家してよいのだと
主張したのが時宗であり、つまり庶民の宗教なのだ。
阿弥を名乗るのは、これまでの秩序と権威を否定し、新しい自由人になることを意味する。
相馬四郎が武士を捨てて庶民になったのは、念阿弥と名乗ったことから明らかなのだな。
飯篠長威斎は神官だ。神官というのは、領土を持つ正式な武士では無い。
剣術は庶民から生まれたと考えるのが事実に近いのでは無いかな?
そもそも剣術は、どう考えても実際の軍事から遠いわけだしな。
822 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 23:55:44 ID:wHsySp5d
飯笹村の郷士で下総国の千葉氏に仕え
一時には室町八代将軍義政にも仕えたと言われている
飯笹山城守家直は神官と断言出来ないのでは?
念阿弥慈恩も馬庭念流に伝わるところ
出自は新田義貞に仕えていた弓の名手相馬四郎左衛門忠重の子とされる
立派な由緒なる武家の子
親が殺され仏門に入ってその難を逃れるのは義経然り、良くある事
仏門に簡単に入れてくれたのが時宗だっただけなのでは?
事実還俗して親の敵討ちをしている。
おおよそ神武東征にみえる布都御魂の謂れにもありこの国の軍事と剣は
文字通り切り離せないのではないか?
823 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 00:49:06 ID:o6LYdZPd
戦場では、弓と馬と槍を使うのだ。それが実戦。
剣は実戦から遠い。それは事実で無いかな。
しかし護身術として考えると、普段は剣を帯びるくらいは出来ても槍や弓矢を
持ち歩くわけにもいかない。だから剣の使い方を学んでおくのは護身術としては
大きな意味がある。
相馬四郎も飯篠長威斎も、下っ端の歩卒。将とは言いがたい。
彼らの剣術は結局のところ、身分の低いものが自己主張するための術として、
戦国期はおろか、幕末までも同じニュアンスで残ったのでは無いかな。
既に身分あるもののためではなく、身分ないものが成り上がるための手段として
剣が使われたのが史実では無いかな。幕末でもね。
824 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 01:59:12 ID:FgJNm9TA
別のスレにも書いた事があるが
一番槍の他に「一番太刀打ち」と言うものがある
いくさ場で太刀で功名を上げた者に与えられる功名であるが
他にも「太刀打戦功」や「太刀打の高名」と言われ
南北朝の騒乱以降、敵に最も接近する危険を冒しての功名のため
時として弓矢の誉れや槍下の功名より重んじられた。
首を掻くには弓や槍では用を足せない事は想像に難くないが
遡って平安末、源平の合戦においても矢を射尽くした後に名のある者同士の
「寄れや、組まん」の組討があったが敵への止めに腰刀を用いたし、
下って室町期に入ると太刀打ちより更に上の功名とされていた。
決して下々の者の立身出世の手段だった訳ではなく
むしろ誉れ高き者が行うものであったからこそ下々の者も倣ったと言える。
もうスレ違じゃ無い?
825 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 05:12:40 ID:7Iwe0e84
とりあえず千葉周作は甲野の本とかでいろいろ研究されてるけど
現実主義者で狡猾な部分があったから、神格化されるような人物じゃないな
自分より強い相手はまるめこんで戦わず帰したり
正体偽って道場破りみたいな真似して評判を稼ぐとか小野忠明も真っ青な部分とかあるからな
人間味があるところでは好感が持てるけど
実際、竹刀剣術の布教は金儲けの魂胆が半分はあったと考えるくらいが妥当だわね
当然、もう半分は真面目に剣術を考えていた部分もあるだろうから評価には値するが
三大道場主の中で飛び抜けた評価がされるのは疑問に思う。
斉藤弥九郎なんかの方が世の中を見据えてるしね
826 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 06:51:16 ID:k5pGOLxu
>>825 >自分より強い相手はまるめこんで
わざわざ負けるのは馬鹿のすることだろう。
流儀=道場の経営に傷がつくし、運悪ければ命を落とす。
ジャンプの漫画じゃないんだから、その場で一発逆転なんてありはしない。
この嗅覚も兵法者の才能と思うがな。
千葉のようにほかの実績がないと、単なる臆病者と見られかねないが。
827 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 11:13:53 ID:93LsG2z5
実際千葉周作の実力はどうだったんだ。
決闘とかの記録って残ってるのかな。
竹刀でならいくらでもあるのにな。
もう、そういう時代でなかったてのもあるのかもしれんが
828 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 14:15:44 ID:pB/yiXln
>>826 桃井は負けも恐れず戦ったし
新撰組の近藤なんかも負けても素直に相手を認める度量から人望がついてる
男谷なんかも加藤田平八郎と同じような関係がある
千葉はやっぱり小物だね
829 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 14:16:48 ID:SdPxYY41
道場運営者としてはやり手だったんだろうな。
でも、そんだけ隆盛した割に、現代、北辰一刀流を(正統に)継ぐ継承者が
いないのは何の因果なのかね・・・
830 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 15:02:59 ID:7y9KMkge
呪いじゃ!古流の呪いじゃ!
831 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 15:16:28 ID:WLZcTJwA
神道無念流でいうところの中山博道的な人がでなかったのは残念。
戸賀崎系みたいに田舎に定着するとかさ。
北辰一刀流は弟子は凄い人多いけど剣道の方が好きだったせいで…
剣豪も大変だね
832 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 17:49:48 ID:H+gx76Q6
=゜ω゜) 東の中山、西の内藤ですな。
現代剣道が北辰色が強いのは内藤高治のお弟子さんが
占領下の困難にもめげずにがんばったからです。
現代剣道がこれほどまでにストイックなスタイルになったのは
内藤さんの旧武徳会のカラーでしょう。
それに対し中山博道さんは居合や杖術といった古流的な
総合武道色を剣連に残しますた。
833 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 22:02:16 ID:rYxle72N
負けを恐れちゃイカンね
自分より強い奴とやらず弱い奴とばかりやっていると
ホントに弱くなる
834 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 22:09:57 ID:SdPxYY41
自分より弱い奴とばかり試合してたら連戦連勝なんじゃね?
835 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 00:39:58 ID:PON3x5VM
836 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 01:43:18 ID:UAuCZXDr
神道無念流は長州人に学ぶものが多かった流派で、そのまま長州閥で陸軍閥の
流派となっていったわけだな。
北辰一刀流も水戸などでは戦前までは普通に残って、剣道界に大きな影響力を
持ってたみたいだぞ。
鏡心明智流は陰も形もなく消えうせたなあ。
大体、「現代型剣道」に近い流派は全部、それに吸収されて無くなった感じかな。
意外と古流のほうがしぶとく残ってる・・・馬庭念流は群馬に未だに残り、柳生流も
近衛師範やったりしながら、継承されてきた。そういや山岡鉄舟は一刀流の正統を
継いだんだよな。今でも一刀流の正統は残ってるのかな〜
837 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:05:16 ID:PON3x5VM
昔、あんまり剣術とかに興味なかったんだけど、
面接に来たナースの履歴書に趣味が「居合」ってなってた。
思わず「ヤギュウシンカゲリュウとかですか?」って聞いたら鼻で笑われた。
838 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:07:29 ID:YqkA/OXO
中村主水は御嵩新陰流ほか五つの流派の免許皆伝を得たスーパーマンと言う設定
839 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:15:22 ID:7ZK3GA/S
山岡鉄舟って結構ガタイ良かったって聞いたけど
ほんと矮小武芸者っていない気がする
840 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:18:17 ID:7IxnJt7t
笹森一刀流はミックス
無刀流は小野業雄さん…
弘前のが正伝かといえばそれも微妙
この辺で某掲示板で荒れましたな。長野さんとこだったかしら
まぁ、どれも保護者がしっかりしてたってのがいいね。
笹森順造、石田物外とかさ。
念流は地元に保護されてるし
841 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:19:07 ID:UucXLmzb
842 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 02:33:09 ID:7ZK3GA/S
香取神道流みたいに地元に伝統武術が残ってる地域っていいよな〜
剣術に興味出たの就職して生活基盤が
ガッチリ固定されてしまってからだから
遠くに習いに行く事も儘ならない
俺の県にはたけし軍団にぼこられた武勇伝の持ち主しかいない…
843 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 03:21:15 ID:XlvTq4xj
>>840 無刀流は中西派の正統の浅利義明からの継承もあるから
一番正統な流れを汲んでるよ
一刀流って伊藤派小野派中西派と正統がいろいろ移ってるからめんどくさいんだよな
中西派から小野本家に瓶割刀が返還されてたりして
その両方から認められてる山岡鉄舟が一番正統
でも山岡鉄舟が無刀流に改流しちゃったから
一刀流の本元は微妙なことになって笹森が出てきてややこしいことに・・・
844 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 08:00:03 ID:VbauPos0
いつから流派や正当性や身の丈を語るスレになってしまったの?
前スレが懐かすぃー!
845 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 10:39:43 ID:2rWVOSFV
そういう時は自分からね
846 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 18:45:30 ID:Adt9+QN3
>>836 =゜ω゜) 水戸の北辰は小沢家ですな。まぁ、その話題はちょっとやめときます・・・
水戸は神道無念流も盛んでしたよ。
斉藤弥九郎を最初に招聘した大名は水戸烈公だと言われます。
芹沢鴨、新見錦、藤田東湖や武田耕雲斎など、そうそうたるメンツです。
伊東甲子太郎は水戸で神道無念を学び、後に江戸で北辰ですな。
維新のさい長州と水戸との講和に骨を折ったのは斉藤弥九郎だと言われています。
現代だと神道無念流は羽賀系の剣道協会(剣道連盟とは違うぞな)さんが
残しちょりますね。中倉や五郎蔵も最近まで生きてたんだけど・・・合掌。
847 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 21:55:07 ID:YqkA/OXO
神道無念流といえば!
池田屋とかで桂の実戦での剣技のほども見てみたかったすね
848 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 22:24:58 ID:HBNmTqIO
池田屋で神道無念流といえば普通は永倉じゃね。
849 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 22:39:02 ID:7ZK3GA/S
普通は、だろ?そこを敢えて桂の腕前をって事じゃないの
850 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 23:01:27 ID:YqkA/OXO
桂と永倉って面識あったんすか?
池田屋で直接対決あったら、時代劇の格好の題材になっただろうね
851 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 23:20:33 ID:S3kfTopx
逃げて逃げて逃げまくり、見事に逃げ切った「逃げの小五郎」と
切って切って切りまくり、しかも生き残った永倉新八・・・
どちらが優れた剣士かは難しいところだな。
852 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 23:32:49 ID:HBNmTqIO
>>850 面識程度はあったんじゃね、年の差とか考えると親交があったとは考えにくいが
道場は違ったけど合同稽古とかあったなら顔合わせはしてるだろうし
何より、江川英龍が斉藤弥九郎と親交があって、江川家は多摩も管理してて
その繋がりからか、近藤勇の天然理心流道場は道場破りが来るたびに
練兵館の渡邊昇(桂の後の塾頭)に代わりに立ち会ってもらってたとかそんな話もあるから
853 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 00:39:32 ID:yJchaaOa
>>852 道場破りに助っ人頼むような田舎の小さな道場の連中が
一躍天下の耳目を集める京都で表舞台に立つことになるのも面白いね
854 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 00:43:18 ID:V6SLKzx6
防御について特色ある流派はないのだろうか?
855 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 00:58:10 ID:MsZIlxaZ
=゜ω゜) 竹内流なんかは鍋蓋や唐傘で戦うけど・・・そういう意味ではなくて?
防御かどうかワカランけど香取の笹隠れなんてカコイイですね。
]ライダーっぽくて。
856 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 10:12:16 ID:NLJPgLzn
857 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 17:23:33 ID:M6i8LtAp
抜刀術のところが柄とか鍔を工夫するのは、抜きやすくするためでね?
858 :
人間七七四年:2008/03/06(木) 18:11:45 ID:MsZIlxaZ
居合では柄はとっさの防御や攻撃にも使いますよ。卍
その場合だとやや長い方がいいです。
軽い刀だとやや短い方が操作性は良いです。
859 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 01:04:51 ID:WtjRXviW
竹内流は、たしか火箸とか折れた武器で戦う技もなかった?
860 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 11:41:55 ID:XYASBGOj
火箸は便利武器として諸流で使いますね。武蔵のオヤジも手裏剣に使ってたとか。
あの形状はわりと投げやすいです。
他に柔術流派や古伝の空手では座布団や湯呑、針や紐、箒、扇子など使える物は何でも使いますね。
861 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 15:09:01 ID:9FjreoK/
深甚流は剣術のくせに畳返しがあるw
862 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 22:14:22 ID:sqdqbCWi
鼻紙なんてモノまで使う流派もありましたな
863 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 22:35:43 ID:WtjRXviW
鼻紙はどうするんw?
864 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 22:54:13 ID:sqdqbCWi
鼻をかんで相手に投げるとか?w
田舎の農村に伝わっていた流儀でもう絶えてしまったらしいが
伝書の術目に石礫・手拭い・鼻紙も武器として載っているらしい
つまり俺の推測ではこうだ・・・
石礫の技術を応用して!
使用済みの鼻紙を!!
手拭いでスリングのように投擲!!!
なわけねーか
865 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 23:06:26 ID:fzddtZ9s
懐紙って硬そうだし
ぴゅっとやれば指の皮ぐらい斬れるだろうな
それがどうしたって感じだが
866 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 23:48:28 ID:EaNCaMf2
=゜ω゜) 鼻紙に灰や辛子を詰めて投げたんじゃないっすかね?
さらに凶悪にしたい場合はスギ花粉を混ぜると効果ばつぐん!
867 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 23:57:35 ID:TLvS1JyO
一般人でも知ってる剣豪って宮本武蔵くらいだろ?
どんなへたれエピソードがあろうと当確でいいじゃん
868 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 00:07:49 ID:3Pdb8zou
f`::'ー 、,-、-、_ _,....-- 、_ _,....-=―ヽ―-、-、_ 、ミ川川川彡
,.r'‐'゙´ヽ,r' ヽ \ー、_:::::::::/,´:::::::::::,:::::::,::::::::ヽ::\`ー、 ミ 彡
,〃ィ ,rヽ'-ヽ i 、 、 ヾ,、 `'y',ィ´/::::::::/|::::::ハ_::::::::ト、::::\ \ 三 ギ そ 三
r'/〃// | i! |, \、_`ー!rf.,イ-,ィ/u ノ::::/ |::::`::::|iヽ::::::ヽ ヽ. 三 ャ れ 三
iヾ!l i /,.=ヽ i,ケ ハ,i', Y't=ラ゙,〉'|::::r'|! 彡´ ,!--、 |i!|::|::i::::::', ', 三 グ は 三
{ヾllッ-, 〃ノ'-'、||ii i|i| |-/! /^ヽ ´ ヾ|从ノ::i::::| ||三 で 三
>|゙! 0ヽ ノ' ´ 0 レノWノi |,.、!/ 0 0 ',' レ|,イ::::i,,_ | !三 言 ひ 三
',i ヽ- , _, " |i| | | ´ '´ハ',Y .!三 っ ょ 三
/l ` !| | i `´ r 'ー‐' u (-, ' | !三 て っ 三
/久 U |! i|'´'、u z_,ノ/ .i |三 る と 三
/イ |ヽ '==..‐_、 |!,'|Y´,ヽ ___ ハ_ ,/i | |三 の し 三
|ト|、',::::\ _,.-‐イ//-'´::::!\'ー‐--ニュ / ト_、 _| _!,=,|三 か て 三
〉:ヾ_'、::::`ー‐r< //イ|::::::_、:::`7i\ __,..-‐'´ .| |`゙"::"::|-"三 !? 三
'ー‐'´¨`'ー、/,rケ /,'1ノ人'-‐'`y'/::::, i| ,!, |`iiイ:::::::::| 彡 三
,〃7,‐/ { ´_,-'´ ,,‐!、=,/.〃::::i i|kハ / ,ヾ、::::::|.|! 彡川川川ミ
,ッ'、_〃'f /゙-<´ r〃 〃 /イ::::,!ッ'/ ', / / |ト、:|:リ
rir' 〃,y'、久_,.rヽ/〃 川/iケir'〃/ ,-'水´ / 〃 \
f::}'ー'〃_i| /::::f|::::', .〃 r/if |||ir' f| レ' r'o | .〃-、 〃 "i
,);'ーッ゙-. レ:::::/_|::::::',_,〃=_、!!|| !i/ ||:,ri !o ∨/_)_〃 |
869 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 00:22:42 ID:3qM44tjU
武蔵入ってるじゃないか。
870 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 02:36:02 ID:mdr0DvQs
武蔵は不明な点が多すぎるんだよな。
初老の頃に細川家に仕官するまで、ホントにどこで何やってたんだか。
五輪書にすら、その時期に何やってたか書いてないし。
何かすごいことやってたなら、普通自慢げに書くだろし。
ホントに何やってたのかねえ。
その割には、当時から結構、名前は売れてたらしい節もあるし。
異常に強く、多芸多才で頭も良かったが、エキセントリックな行動の多い奇人変人の類で・・
江戸の剣術界のメインストリームに参加できず都落ちして・・
やはり鬱屈してたから書を書き著したんだろな。よくあるパターンだ。
まあ俺的には歴史的剣豪10傑を選ぶなら、入れても問題ないとは思うけどね・・・
871 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 03:06:25 ID:q2Ai5AnZ
人生の多くが詳しく分かってる剣豪なんて他にどんだけ居るんだよw
872 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 06:41:56 ID:7Eyjme+D
不明な点が多いの逆は詳しくわかってるではありません。
873 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 08:53:08 ID:ECKxxOQ6
武蔵は各地に記録が残ってるから、かなりわかりやすい方ですな。
強かったのは間違いないとは思うです。
上泉公ですら晩年はどうしていたかもよくわからない、
ましてや愛州、林崎、伊藤など流浪系は全くわからない。
874 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 20:04:43 ID:arv6+Qfc
武蔵の弟子は一人も知らん
武蔵の業績?を宣伝した広告マンとしてはかなり有能な奴だとは思うけど
875 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 20:12:01 ID:gGmpOVmn
優秀な弟子を多数輩出している事も有能な剣術家としての
一つの材料にはなるだろうが、
歴史に名を残す優秀な弟子がいない=その人物も優秀ではない
とするのはあまりに短絡的。
876 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 23:17:59 ID:l0mMH2Qa
弟子筋はパっとしないけど、本人が強かったぽい連中と言えば・・・
・宮本武蔵
・疋田文五
・丸目蔵人
あと塚原卜伝も入れてもよいかなw
多かれ少なかれ、剣豪に値するのかどうか議論が出た連中だのう。
877 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 00:43:12 ID:7wFDvX1T
前にも誰か言っていたけど、武蔵と疋田ってどこか似てるね
一流のスポーツマンでも名コーチには必ずしもなれないし
元々弟子育てることなんかには興味なかったのかもね
878 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 00:57:46 ID:aItb4we2
疋田陰流は、流祖を愛州久忠に置いてる辺り、思うに漂泊の剣士だった
愛州久忠に対して、相当憧れを持っていたんじゃないかと推察するのだけど。
どこかに仕官して留まるよりも、全国を旅して廻りたかったのかもな。
柳生との親密ぶりは晩年まで続いていたみたいだから、案外、情報員みたいな
感じで西国の情報とかを集めていたのかも・・?
879 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 01:14:57 ID:psiRdGQG
宮本武蔵は大男の左利きでしょ、弟子が同じこと出来るとは思えん
880 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 01:55:22 ID:fKxUoKf8
本人に最適化された技術だから、他人が真似出来なかったって事だな。
スケートのイナバウアーや野球のサブマリン投法、箱根の山登りのスペシャリストあたり、
専門家の技術は、他人が真似して同じレベルまでまずならないし。
武蔵あたりのは二刀流基本だし、特にそういう面があったのかもしれんね。
881 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 02:05:55 ID:NYirH68k
K-1出初めの頃のボブ・サップは無敵だった。
研究されなかったら誰も敵わなかったかも知れない。
でも誰も彼に格闘技を学ぼうとは思わないだろう。
総合のホイスやヒクソンも強かった。
やはり研究されなかったら誰も敵わなかったかも知れない。
彼らは多くの優秀な門下生を持っている。
882 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 04:45:18 ID:Lucr4zJ+
武蔵は弟子のマンセーがひどすぎる
883 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 09:31:26 ID:1YIKLbRi
>>876 塚原卜伝は弟子も凄いだろ
義輝や具教のように最後まで討ち死にするまで剣で戦った弟子がいるし
イナバウアーって当時なんかの番組で難度はそれほど高い技じゃなくて
もう誰にも使われなくなっていた技なので珍しさと構成の上手さで
逆にインパクトがあったから高評価になったらしいね
山登りの人は骨格からして山登りだけに最適な特異体質と言うことで
大男で左利きと言うところもそれに共通するね
884 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 12:05:06 ID:cNBxCoJd
明の将、戚継光は「倭人は両手で長剣を持ち遠間から飛び込んで剣を打ち込む。
明兵の片手剣は短く、長い矛などは動きが遅くてついていけない。また、倭寇の
中には、稀に二刀を使うものがいて非常に強い」という旨を書き残している。
日本人の刀術は精妙で、特に二刀は強いという話を聞いて、実際に宮本武蔵の
弟子筋から二刀流を学んだのは、かの有名な鄭成功。
鄭成功は母親が日本人で若い時期はずっと日本にいた。その時期に二天一流を
学んだのだな。
武蔵の弟子筋も捨てたもんじゃない。
885 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 13:14:40 ID:B7HZM8Tn
=゜ω゜) 花房権右衛門ですな。
鄭成功とオヤジの鄭芝龍の2代にわたって剣や弓を学んだらしいだす。
そのほかにそこそこ有名な剣客に鉄人実手流の青木鉄人斎が居ますね。
ここの鉄人道場に出入りしていたカムイが変移抜刀霞斬を開発します。
平戸の二刀流と言えば松浦静山。
ほかに二刀流だと香取の両刀術などがありますね
886 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 14:51:39 ID:1YIKLbRi
香取神道流にあるのでその支流は当然ながら二刀術を持っていますね
卜伝の弟子(と云われる)斎藤伝鬼坊の天道流や
伊庭是水軒秀明の心形刀流、
瀬戸口備前之守政基の天眞正自源流などにみられる。
柳生心眼流と先の天道流には小太刀二刀流もあるし
柳生新陰流の天狗抄には二刀の敵と戦う術が記されてあるのは
翻して言えば自身が二刀を使えるからこそ対処出来る芸当なわけだし
887 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 15:12:14 ID:YLehq1Lv
足利義輝【当確】最強、実践的
888 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 18:19:24 ID:ZdQgTE3V
勝小吉
889 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 20:16:55 ID:B7HZM8Tn
>886
=゜ω゜) 個人的に思うには香取の両刀術は片手操刀を両手で行っている感じですかね。
受け返しの技法は小太刀に近い気がしまつ。
心形刀流は二天一流に近い感じがなんとなーくしますね。
あまり詳しくは知らないけどw
890 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 20:31:28 ID:7wFDvX1T
現代剣道だと二刀流使いにくそう
891 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 21:06:15 ID:jL700ypW
むしろ使い良いです
最近よく見るし
892 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 22:30:45 ID:B7HZM8Tn
剣道の場合は、また独自の二刀ですな。
博道さんとか馬場欽さんとか居ますね。
そういえば柳家小さんが小倉の秋満伝二刀を使ってたような・・・?
893 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 21:01:04 ID:sC4b20lx
水を差して申し訳ありませんが、剣術の基本は一刀であり、むろん最強も一刀であります。
894 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 21:58:42 ID:qM/SeToW
895 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 22:54:15 ID:p/FGF2CJ
一刀には一刀の利点と不利があり、二刀には二刀の、小太刀には小太刀の、
無刀には無刀の利点と不利がそれぞれあります。
時と状況で武器の有利、不利は変ります。
896 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 02:39:11 ID:86VOZL8K
だから結局はそれを使い分ける柔軟な判断が求められる
というわけで形に捕われない無住心剣や
精神に重点を置くとして、心外に刀なき無刀流とか
まぁそういう剣術になってくるわけですが
897 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 03:49:36 ID:R1BPKNh1
>>891 やたら重い真剣より軽い竹刀のほうが二刀流やりやすいのかもね
898 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 05:36:06 ID:VMgSLlzx
一刀以外の流派は一刀同士では勝てない者が編み出した苦肉の策である。
また、無刀流とは体術の進化系と聞いているが・・。
899 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 07:34:33 ID:86VOZL8K
896の無刀流は一刀正伝無刀流のこと
900 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 21:36:17 ID:VMgSLlzx
899
意味を説明してくれ。
901 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 22:01:14 ID:mx7WBu2p
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● |_
| ( _●_) ⊂ ` ̄\ 俺もアホだけどID:VMgSLlzxには負ける
彡、 |∪| ` ̄ ノ
/__ ヽノ / ̄ ̄
(___) /
902 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 22:06:59 ID:/O9ENRd3
>無刀流とは体術の進化系
無刀取りの事?
無刀流はふつう一刀正伝無刀流ですね。
>897
バランスの良い真剣なら、竹刀より軽く遣えますよ。
二刀流は真剣の方が使いやすいかも。
903 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 22:23:22 ID:R1BPKNh1
示現流や薬丸流の渾身の打ち込みを二刀流の片手で捌ける?
904 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 23:04:10 ID:/O9ENRd3
捌くのなら一刀も二刀も関係ないっすよ。力で捌くわけでは有りませんから。
905 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 02:47:42 ID:t9qvZ643
逆に二刀使いの一振りを両手で受けちゃって大丈夫?
って見方もあるわけよ。
同時にもう一刀も振られたらどう受けるの?ってね。
結局のところ、当事者の駆け引き、技量勝負になるんじゃないの。
906 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 03:03:50 ID:E8IbmhqH
実際に2尺6寸のを振ってみたが、
捌くとか受けるとかってよりも
片手じゃ強く振ったら止まらない。
907 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 07:52:01 ID:jsHw3kFu
6寸程度なら簡単に止まります。
手内や肘の使い方を工夫して、もう少し修行しましょう。
908 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 08:06:48 ID:nfYq87LT
>>898 >>900 >>896の人は、無刀流と、無住心剣を並立させて語ってる。であれば本意は、
山岡鉄舟や針ケ谷夕雲といった、抽象化され哲学化された形式の剣こそが
剣術の理想なのだと主張してることが分かる。その主張に対する賛否はともかく、
「無刀流」と聞いてすぐに山岡鉄舟のことだと分からないのは、ちとアレですなw
宮本武蔵は馬鹿力だったから二刀流平気だったのだと言われてるのは今さらな話で・・
標準的な剣術では、両手で一刀を持つというのに異論を持つ人もいないと思うが・・・
909 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 10:49:22 ID:BoekOF5b
簡単なら二刀はもうちと流行る罠、捌けないし止めれないよ
910 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 11:00:20 ID:ioOjZFnG
二刀流でも間から突きやられたらおしまい
刀を二本持ってると当然、扱いに関して複雑なのでいろいろ思惑にとらわれやすい
もちろん上級者はこの限りではないが
一刀の方角が足や体全体に気が配りやすい
無刀流なんかで片足を上げて上段から振り下ろす形なんかは体全体で振るう感覚を養うため
無刀流の思想は一部の人には抽象的に見えるんだろうけど
そういう実践の観点から見ればとても合理的
911 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 18:09:45 ID:jsHw3kFu
>簡単なら二刀はもうちと流行る罠、捌けないし止めれないよ
=゜ω゜) 戦前の剣道界では二刀流は多かったですよ。
最近まで剣道試合では規制されていたので二刀剣士の人口が少なかったのです。
二刀は使いこなせるようになれば普通に捌けるし止められます。
二刀操刀の稽古もせず基礎勢法も知らなければ、当然さばけないし使えません。
ちなみにフェンシング、中武等でも二刀は使います。
>二刀流でも間から突きやられたらおしまい
実は古流の二刀は突きを効果的によく使います。
二刀古流の片手突きの間合いと破壊力はそうとうな威力ですし有効な武器です。
しかし二刀剣道家は皆上段に構えてばかりで突かないけど・・・なぜ?
912 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 22:19:05 ID:ioOjZFnG
昔はともかく、今は突きは危険だから自粛してるんでしょ
913 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 23:32:28 ID:Qvr4HIDF
>>911 そんなに簡単に本身の二刀を振り回せるなら是非動画をアップしてくれ。
914 :
人間七七四年:2008/03/13(木) 00:00:10 ID:xpnSJ9Sg
=゜ω゜) バランスの良い刀ならそんなに重くないっすよ。
大事なのは腕力より拵えのバランスと体動ですな。
体動にあわせて刀は振ります。
居合などの時でも二尺六寸〜三尺を片手切り返しで使う事有るけど
そういう場合『腕で振ると止まりません』
腕は刀と一体として体で振って絞りで止める感じです。
915 :
人間七七四年:2008/03/13(木) 00:05:56 ID:n9RUWJam
>>914 携帯動画でも見たら一発で納得出来ると思うんだ。
916 :
人間七七四年:2008/03/13(木) 00:38:37 ID:xpnSJ9Sg
917 :
人間七七四年:2008/03/14(金) 10:16:03 ID:boBJGq1d
沖田総志が最強!
918 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 05:54:01 ID:PLRXgasS
>>916 お!いらっしゃるんですね
おいでませ武術オフ
まだ参加に間に合いますんで
名乗り上げちゃってくだしあ><
919 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 08:24:13 ID:JSo5urgq
=゜ω゜) 実はもうだいぶ以前から参加申し込みして有ります(w
まぁ、スレ違いなのでこのへんで。
920 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 20:52:22 ID:Xp9tRzGo
誰だ
921 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 15:44:37 ID:JEazpcJU
>>916 模擬刀で良いじゃない。
模擬刀でも、二刀を使って演舞してくれるなら見に行きたい気もする。
って、これ見学だけでもおk?
922 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 16:43:39 ID:btrwJIQ9
=゜ω゜) んーたしか見学おkのはずですよ。
当日は2、3時間程度で20名ぐらい集まるから演武無しだったと思います。
それに電車の場合はメンドイので普段着で木刀と撓ぐらいしか持ってかない予定です。
車なら模擬刀持っていけるかもです。
まあ、スレ違いなので詳しくはOFF会スレでイッパ氏に直接聞いてくだしい。
923 :
ハチロベエ:2008/03/17(月) 23:39:05 ID:6oZEJSi7
=゜ω゜) まいど。
やっぱ防具が重いから車で逝きますので刀持ってきます。
ただ演武は適当な時間があればやれるかも、ということらしいです。
まぁ、見たい人がいれば空き時間に道場の隅の方で2,3手解説付きでお見せしますわよ。
お暇な人は八王子でオイラと握手!
924 :
人間七七四年:2008/03/19(水) 23:56:01 ID:AbBXhvoL
もはやこのスレで語られるべき話題は語りつくされたのかな・・・
どうせなら最後に本音を言っとくが、
松本備前と疋田文五を推してたやつ凄いウザかった〜
てめーらのマイナー嗜好に付き合ってられっか。
宮本武蔵に噛み付くいかにも2ちゃん的メジャー嫌い厨房も超ウザかった〜
針ケ谷夕雲なんて超マイナーを持ってきて語りたがるやつは検索すれば
すぐ出てくるあの話の関係者かと疑わざるを得なかった〜
925 :
人間七七四年:2008/03/19(水) 23:56:40 ID:Coc7PRIO
ひどいのが来たな
926 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 09:53:10 ID:yF0iJJ+1
剣豪のどの部分に重点を置くかで評価が分かれるからな。
菊池寛と直木三十五の武蔵論争を聞いていた吉川が書いたのがあの小説。
針ケ谷夕雲もやはり昔、研究者の対談会で強固に推す人が居て
それを聞いていた稲垣が再評価、さらにそれを甲野が捏造の流れだな。
927 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 22:17:09 ID:o9M+hz2T
捏造についてkwsk
928 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 22:30:57 ID:57rvsUK7
>>924 疋田を推す奴よりも
奥山とその弟子小笠原を必死に推していたもっと痛い奴もいたな
929 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 22:32:12 ID:i7C4ORGx
痛い奴を叩く痛い奴のスレですか
930 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 23:24:35 ID:EH6Js6gQ
小笠原は疋田に勝ってる話があるけどね
卜伝は草深に負けてる話も
931 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 02:54:44 ID:5AiwgH2R
よかったまだ人がいた (´∀`)
でも続きそうも無いね。
もしも次スレが立つならば、もう「戦国時代剣豪Best10」に限定したほうが
良いかもと思いつつ、だけど立たせる必要性もなさそうだな・・・
932 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 19:35:23 ID:1uJ56+P/
933 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 20:05:45 ID:g3+eoUzD
好きな剣豪を押すのは当たり前でしょう
有名な奴は力強く推す必要もないが
マイナーな奴は紹介してやりたくなる
934 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 20:12:07 ID:LI7uWnwj
>>931 別に戦国時代の剣豪総合スレでも良いかな、おれは
935 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 01:42:29 ID:WRjPgkVO
>>930 それってどこまで本当なんだろね。
伊藤が上泉、塚原に勝ったって話もあるし
936 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 21:39:30 ID:08a+VYSf
ちょっと疑問なんだが、当時のその手の勝負って、何を使ってやってたんだ?
竹刀は新陰流の間が専らだろうから、
他流試合で大々的に使ったとは考え辛いけど。
木刀とか真剣だと大怪我必至だろうし、死もごく普通にあるだろう。
木刀とか親権とか使っていた時代の剣豪の対戦の記録は、
相手が生きている場合、殆ど信頼性が無いと個人的には思う。
937 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 23:34:18 ID:iCbuZecP
そうなると吉岡生存で武蔵が真っ先に嘘つきだとばれてしまうので
ファンがふぁびょーん
938 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 00:11:35 ID:pXwWUAu7
宍戸某は真剣で倒してますよ>武蔵
小次郎は櫂で叩かれ重症ですね。
939 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 00:22:30 ID:LVGWeqn8
司馬遼太郎によると、
宮本武蔵vs吉岡清十郎の試合は、
京都所司代の立会いで、
木刀による、寸止めだったと、記録に残ってるそうだ。
これは、行政官が立ち会ったのだから公式試合だったということになるな。
でも、私的の試合でも、誰か適格な人が立ち会って審判的なことをするのでは?
940 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 00:46:52 ID:+BxHZUjC
勢いあまって殺しちゃうようなやつは達人ではない
それか達人だったとしても相手も同じ位の達人だったのだろう
941 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 19:24:26 ID:fOqRDBrU
前田利長が、柳生と富田(名人越後の方)が立ち会うと、どっちか怪我する、
見たいな事を言っている逸話があるようだし、
羽柴秀次が、疋田景兼と長谷川宗喜とで立ち会うよう言った時、
疋田は、達人と達人がガチると怪我するから、そんな遊びじゃやんね、
と断ってる逸話もあるようだ。
小野忠明は人斬っている逸話ばかりだし、
やっぱり普通に立ち会うと大怪我必須なんだろうな。
942 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 20:00:31 ID:Fq0xXTfw
負けたときのデメリットがでかすぎるからじゃね
943 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 00:18:15 ID:1of5INfq
富田勢源は真剣勝負を避けて薪木刀で梅津を殴り倒したが、勢源も小手を打たれていたと言う。
真剣ならたぶんどちらもただでは済まなかっただろうね。
柳生ですら連也と宗冬は木刀で試合っているな。
944 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 20:11:09 ID:ll/oTyN2
やはり道場剣術よりも実戦派の方が強いってことか
945 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 23:13:55 ID:MIU5bVRb
>>938>>939 事実無根
宍戸なんか100年経った後の弟子の創作に出てくる人間
元の記録にはなにもないし
946 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 23:54:36 ID:G2v+T/pm
二天記の記述がすべて創作とは言いきれないしそこまでの結論も出されていない。
肯定も否定もできないね。
947 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 01:53:10 ID:6MOYNr2+
ニ天記は話にならんよ
時代から離れすぎてる上に、元は武公伝を参考に書いたもの
しかもマンセー弟子の作ったもの
さらに武公伝は小倉碑文を元にまたマンセー弟子が作ったもの
小倉碑文ですらツッコミ所満載なのにそうやって弟子が捏造重ねまくってたり
イメージが先行しまくってるからどうしようもない
武蔵本人はわからんが、
明らかに弟子がマンセーしすぎた結果、嘘がばれてる
他の剣豪みたいにほどほどにしとけばこんなことにはならんかったのにな
948 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 02:24:26 ID:PvAB1/1A
で?誰の武勇伝なら確かだと思ってんだ?
949 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 02:39:23 ID:6MOYNr2+
戦国は確かじゃない剣豪ばかりだが
武蔵の場合は弟子のマンセーのしすぎでボロがでちゃったという文意なんだがわかるかい?
今の中国の過剰な情報統制や北朝鮮みたいなもんだな
他の剣豪も度をすぎた話があるが、
ほどほどだからボロがないからなんともいえない、うやむやで済んでる
950 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 02:50:12 ID:PvAB1/1A
何だ、アホな無知の間抜けな煽りかw
951 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 03:05:17 ID:47pc6tnf
>>941 疋田は稽古ごときで怪我させないように袋竹刀を発明した
上泉の精神を受け継いでいたんだろうよ。
上泉の頭を剃り坊主に成りすまして強盗にむすび投げた隙に
取り押さえた逸話は面白いね。
現実離れした超人的でもないから嘘くさくない。
952 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 00:39:36 ID:tf0VQqTI
そもそも、昔の試合が今の我々が漠然と想像するようなルールの試合で
あるかどうか判らないからな・・・
例えば、上泉伊勢守と柳生石舟斎の試合にしても、
何でもアリの叩き合いというよりは、達人同士の技術交流会に近いもの
だったんじゃないかという気もするし・・・
その上で、新陰流に惚れこんで伊勢守に師事を仰いだのかもしれない。
少なくとも、どちらが強いか白黒つけようぜ的な低俗さが、 曲りなりにも
一族郎党を束ねる立場にあった彼等にあったように思い難いんだよな・・・
953 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 01:58:05 ID:LPquShQi
石舟斎の竹刀を素手で掴み取ったんだから、本人はなにが行われたのか
理解すらできなかったんジャマイカ。
>947
武蔵は各地に伝承が残ってるので強いのは確か。
真剣勝負も行ったと言ってるんだから公式記録に残って無くても
やってたと考えるのが自然では?
954 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 12:03:54 ID:vH+psbfo
バガボンド
955 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 17:55:43 ID:Z6MdhbXh
実際に戦えば宮本武蔵が一番強いだろうな
実戦経験が違いすぎる
956 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 06:41:01 ID:jn8j80xo
清水次郎長がケンカが弱くて、子分に金渡してケンカに勝った噂広めてたのと同じで
武蔵も身内褒めやら明らかに事実と食い違う部分が多い以上、まったく話にならないな
957 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 06:42:05 ID:jn8j80xo
実戦経験が30までしかない武蔵が強いなら
もう言うことはないな
958 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 07:37:52 ID:Tw7x9gKW
だから真剣勝負の話が信憑性の高い史料に多く残ってるのって誰よ?
正確な史料で実戦の経験が30以上ある奴って誰?
959 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 10:38:04 ID:82kT+ys4
居ないよ
960 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 15:12:29 ID:UlqIwChf
そもそも実戦て個人戦か戦場かで評価が違うよね
武蔵は戦場では糞の役にも立たない
961 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 17:09:39 ID:vIdjxdCT
合戦で活躍したのは上泉信綱と富田重政くらいかな
962 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 18:41:39 ID:t2BEQYFQ
ダントツはト伝でしょ。(出陣37回。真剣での試合19回。取った首が212人)。
ト伝や信綱の師匠、松本備前守は戦場での働きはそれ以上とか。
963 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 22:16:23 ID:aWmqzrON
上泉と富田は城主だし、兵卒と比較するのは無意味
重政>>信綱>>>>備前>>ト伝>>>>武蔵
これ位、身分が違うだろ
964 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 23:33:31 ID:t2BEQYFQ
ト伝や備前は鹿島神宮祝部出身だから名門ではあるよ。
ト伝は鹿島大掾氏分家の塚原城の城主だし松本備前守の尚勝の名は将軍義尚から
貰ったらしいしステイタスは有っただろう。
965 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 23:33:35 ID:UF6G9vYz
取った首が212とか絶対に誤差があるだろうな。
966 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 23:51:06 ID:t2BEQYFQ
33人ごとに首供養をするので、たぶん誤差は無いと思います。
967 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 00:04:59 ID:EK6uxory
誤差も何も常識的に考えてそんなに首が取れるわきゃない
968 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 01:18:48 ID:ccmyHf1L
山中鹿之介は首供養を2回。山上道及は首供養を3回やっている。
969 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 01:23:56 ID:EK6uxory
道及じゃなくて道牛。
漫画の読みすぎ。
970 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 18:25:32 ID:i6JzPHF/
NHK 関西圏のみ放送
かんさい想い出シアター
4月 5日(土)
午前5:15〜5:48
ちょっといい旅「山はうららの花吹雪〜奈良・吉野〜」
全国的に知られる奈良・吉野山の桜は1300年前、
中腹にある金峯山寺の開祖・役行者が蔵王権現の姿を
桜の木に彫ったことから、ご神木として大切に保護されてきました。
番組では桜の世話をする人や桜に感謝の気持ちを表す花供会式の様子など、
吉野の桜にまつわる話題を紹介します。
リポーターは歌手の堀口五月美さんです。
平成元年4月放送
971 :
人間七七四年:2008/04/05(土) 23:50:24 ID:UrnTfhs+
幕末なら大前田英五郎。
浅山一伝流剣術免許皆伝。
生涯殺した人数82人。その内、卑怯な殺しは一つも無い。
故に慕われ傘下貸元3000以上の比類なき大親分へ。
役人殺して牢から脱獄。佐渡に遠島も脱出。幕府相手に余裕で生存。
晩年(明治)は駄菓子屋を営みながら八十余で没。
苛烈だが、まったりとした最後(生涯)
真の達人だな。
972 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 02:13:48 ID:PRrcab7W
973 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 14:17:24 ID:ccJUXhGU
974 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 18:42:31 ID:tRyb+2i/
都井睦雄もかなり殺ってる
975 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 23:49:22 ID:19Q9oNf5
>>973 そんな軍記物を態々出さなくても当時の書状で「道牛」ってなってるよ。
976 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 07:39:27 ID:KNAYzpQK
書状が正式とはかぎらないよ
977 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 08:44:21 ID:NegeIMq/
戦国期の剣術なんて芸の一種だし立身出世のための道具でしかないよ
剣豪なんかよりむしろ前田利家とか戦場で出世した奴のほうが強い気がする
978 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 21:13:08 ID:CXIhvnGP
>>976 ちょwそんな事言い出したら史実も糞も無いw
979 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 20:23:06 ID:NT30E5cu
>>967 現代の常識では考えられないって?
それとも戦国時代から生きていて当時の常識を熟知して言うのかい?
その常識外れの事をやってのけるから剣聖なのだろう
まさか自分が出来ないから塚原も出来ないとか言い出すんじゃないよなw
980 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 20:33:44 ID:/1sqlygx
漫画でも読んでろ、ゆとり
981 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 20:53:56 ID:mFsgohPs
合戦で総崩れになると一回の戦で相当数の首が上げられる場合が有るんだから
戦場の場数と勝ち戦の多いやつなら絶対不可能でもないな。
982 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 21:10:13 ID:mD7q67PE
達人なら一回の合戦で5〜6個首が取れる事もあるだろう。
だが、37回の合戦で212の首を取るとなれば平均して
6個程度取らなくちゃならない。
参戦した合戦の中で接近遭遇戦がどれくらいあったかは知らんが、
いくら戦闘術に秀でていても、チャンスが無ければ首は取れない。
話十分の一が良いとこだろう。
983 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 21:14:16 ID:NT30E5cu
そう、しかも首供養は手柄にはならない個人の武勇自慢だから
(供養したものの中には手柄首もあるだろうが
一方ではあいつあんなに首取ったのかよスゲーと言われるけれど
もう一方ではで?っていう扱い
武功は斬った数より誰の首を取ったか、が大事な訳で
戦場で出世したから強いのか?と言われれば単純にそうとも言えない
ある程度の身分になれば部隊を率いてその用兵で功を成す様になるからだ
前田利家もいつまでも槍の又左であったわけではないし
本多忠勝もその事を息子に説いている
984 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 21:17:13 ID:NT30E5cu
985 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 22:09:17 ID:mFsgohPs
今川義元や足利義明の首をあげたやつが最強の武芸者と言う事でもないし
柳生宗矩も七人斬りやったけど首をあげるためやったわけでもない。
それぞれ立場が有るしね。
武勇自慢だけなら日本中にたくさん居たと思うが
戦場でも試合でも強く、門人たちが貴人に仕えるがごとく付き従っていたから
ト伝はただの芸者では無いと評価されたわけだ
986 :
人間七七四年:2008/04/14(月) 00:10:04 ID:bOPDNCl0
卜伝は本人の実力が群を抜いている上に鹿島神宮と関わり深い
まさに剣術の歴史に傑出するべくして出た逸材
当時の大名には、どこの氏素性かも判らぬ武芸者に教えを乞うよりも
鹿島神宮に縁の深い卜伝から教えを受けると言う事は
日の本の軍神である鹿島の神の威光を頂くと言う事でもある
(超大げさに言うとだけど
987 :
人間七七四年:
鹿島神人という組織も持っていたからね。言わば戦闘のプロ組織。
念和尚が阿弥号唱えていたのもこれに近いんじゃあるまいか。
畿内の伊賀、甲賀と修験。愛宕と竹内。紀州の根来や熊野。
戦闘組織としての宗教団体だね。