秀吉はどうすれば家康(徳川家)を滅ぼせたのか?

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1国松
豊臣政権を長期安定化させ、後顧の憂いを絶つために家康には死んでもらう
必要があるんだけどどうすれば秀吉は徳川家を滅ぼせたと思う?
2人間七七四年:2007/11/21(水) 23:24:43 ID:hPldUciR
暗殺
3人間七七四年:2007/11/21(水) 23:27:14 ID:qA14ZfOc
毒殺
4人間七七四年:2007/11/21(水) 23:30:04 ID:j4tjWYe/
糞殺
5人間七七四年:2007/11/21(水) 23:39:56 ID:j8xlDmhQ
本能寺の変で家康が伊賀山中で逃亡した時にさっさと刺客を出せば即OK!

以上
6人間七七四年:2007/11/21(水) 23:44:08 ID:6C6wc8h7
桶狭間のときに殺す
7人間七七四年:2007/11/22(木) 00:09:40 ID:4o0Bjv/J
豊臣が転落したのは豊臣政権が欠陥体制だったから
徳川を消しても代わりが出てくるだけ
8人間七七四年:2007/11/22(木) 00:17:18 ID:8t8M+fU7
>>7
それはいえてるな
仮に西軍が勝っても三成が政権を独占しようとするだろうな
9Y ◆VqSh5C7CR6 :2007/11/22(木) 00:25:42 ID:KTrG2L4E
三成よりも毛利あたりに牛耳られそうな希ガス
10人間七七四年:2007/11/22(木) 00:40:59 ID:xprO+dWA
管領のような立場となる石田家が豊臣を傀儡とする
11人間七七四年:2007/11/22(木) 01:14:48 ID:+Zo6VslX
母親人質に出さず、妹の嫁入りを断られた時に
戦争に持っていくべきだった。
この時は、信雄も敵対してなかったしガチで粘り強く戦ったら
潰すないし乗っ取る力がなくなるぐらい弱体化はさせれたでしょ。
ただ北条も控えてるし、伊達、島津も伸長していたから
天下統一は数年遅れた。
12人間七七四年:2007/11/22(木) 01:21:03 ID:sEAsP/Zj
朝廷の権威を背景にしている限り誰がどうやっても長期安定政権なんて無理
13人間七七四年:2007/11/22(木) 01:29:40 ID:+Zo6VslX
それは同意。
徳川を潰していても結局短命に終わった予感。
豊臣は徳川を潰せなかったのが原因というより
相対的に諸大名が強すぎたのと、跡継ぎ若すぎ&弟が早死と
一門の絶対的な層の薄さが致命傷になった。
14人間七七四年:2007/11/22(木) 02:34:44 ID:Ba0BWE4G
家康がクーデターを起こさなかった場合、誰がクーデターを起こしただろうか
15人間七七四年:2007/11/22(木) 02:49:32 ID:0JxeJOJM
16人間七七四年:2007/11/22(木) 05:21:38 ID:77LiZ1NE
関東じゃなく会津にやればよかったのに
17人間七七四年:2007/11/22(木) 08:50:28 ID:nfoWHFhJ
>>16
東北で200万石超なんて独立国になっちゃうよ!
18人間七七四年:2007/11/22(木) 21:09:53 ID:TCOytyLP
茶々の映画が公開予定!!!!!
19人間七七四年:2007/11/22(木) 22:11:26 ID:SxOAq2q9
九州征伐が終わった後で全力で攻めまくればそのうち徳川の方が先に力尽きるよ。
20人間七七四年:2007/11/23(金) 02:31:32 ID:JCdplJH2
>>1
>豊臣政権を長期安定化させ、後顧の憂いを絶つために家康には死んでもらう

馬鹿だな。豊臣政権を長期安定化させるために、家康が必要だったんだよ。考えが浅い。
21人間七七四年:2007/11/23(金) 02:43:19 ID:hHzSxBGd
なんだかんだで秀吉って家康を信じちゃった部分が大きいよね
22人間七七四年:2007/11/23(金) 02:52:33 ID:zC2HctVh
毛利輝元・・自ら謀反してまで天下を取る気概も器もない
島津義久・・中央から余りにも遠方すぎる
前田利家・・すぐ死ぬ
上杉景勝・・三成と近い関係で、義には厚いので単独謀反とかはない
伊達政宗・・家康を楽に殺せるくらいなら、先に政宗が殺されてる
黒田如水・・関ヶ原のようなイベントがあればチャンスもある
石田三成・・淀君との関係を考えても、秀頼に刃を向けるとは思えない
宇喜多秀家・・秀吉に恩がありすぎて謀反はない


結局さ、家康さえ殺してれば政権は取りあえずでも長期化してたよ
「家康がいなくても他の大名が取って代わる」
なんて意見言う人よくいるけど、ただの妄想だよ
23人間七七四年:2007/11/23(金) 03:03:21 ID:pn6rK5NO
>毛利輝元・・自ら謀反してまで天下を取る気概も器もない

孫権と同じだな。
24人間七七四年:2007/11/23(金) 06:45:58 ID:CYRS/n/h
>>20
まあ家康に頼らないと当面の政権運営さえままならない豊臣政権自体がどうしようもないんだよ。
所詮、時の勢いの力を借りて自転車操業的に立て続けに敵を潰していくことでしか
存続できない政体なんだろうな。
25人間七七四年:2007/11/23(金) 11:32:11 ID:aeXFLJyU
>>22
人や組織っていうのは置かれた環境によって変わるもんだ。
あと数歩で天下を狙える立場に立たされていることに気づいたとき、
それをみすみすやりすごすかどうか。
史実での毛利や上杉は天下を「狙わなかった」のではなく、
「狙えなかった」だけなのかもしれない。
家康だって秀吉が健在な間は「狙えなかった」ように。

毛利輝元は自分に気概がないだけに、家臣の言葉に流されて
動き始める可能性がある。
上杉景勝は豊臣家に対して格別の恩義があるわけではなく、
中央政権の力が弱まった際に独立する可能性は十分にある。
26人間七七四年:2007/11/23(金) 12:13:05 ID:d6Ex0/th
>25
>「狙えなかった」
本能寺直後は駄目かな?
秀吉を襲っていればあるいは。
27人間七七四年:2007/11/23(金) 12:13:28 ID:zC2HctVh
家康がいない、秀吉も利家も死んでいない
この時点で一番力を持つのは三成だけど

輝元:
秀吉が死ねば三成と関わりが深い安国寺の発言力が増す。ますます政権よりのお家になる

景勝:
独立しなければならない理由が何もない。また毛利と同じく家老の直江が三成との関係が深い

直家:
政権下で一番の佐幕派

秀秋:
無理中の無理

これらの有力大名のほとんどが三成との関係がよく、現状に不満がない状態。加えて気概もない
謀反なんか絶対起こせないよ。何より
家康と他の大名の大きな違いは、謀反の勝算が高いかどうか。
意思もなく気概もなく理由もなく国力もなく人望も普通。これでは絶対無理
28人間七七四年:2007/11/23(金) 12:41:21 ID:wwlwLBmW
じゃあどうすれば豊臣政権は江戸幕府のような長期政権になりえたと思う?
29人間七七四年:2007/11/23(金) 12:59:00 ID:i1Q53zbx
>>28
無理、金銀財宝しこたまもっていても
豊臣家の長期的な財政基盤が弱すぎる

直轄領の石高が500万石ぐらいあれば
それプラス佐渡金山の保有が必要
30人間七七四年:2007/11/23(金) 13:08:13 ID:zC2HctVh
政権が長期間、国を支配する為には

@政権内のパワーバランスが均衡されていること
A治世を月並みにでも実行出来ており民衆の生活が最低限保たれていること
B配下の不満の不満の捌け口があること
C過去、力のあった敵対勢力の血筋が絶たれていること
D外来勢力の来襲がないこと

これらに尽きるね
31人間七七四年:2007/11/23(金) 13:12:13 ID:zC2HctVh
>>29
家康がいないとなると当然、大幅に直轄領が増えるわけだが

後、財政基盤なんてものは徳川幕府と対して何ら条件は変わらない
少ないなら増やす政策を取ればいいだけのこと
32人間七七四年:2007/11/23(金) 14:06:31 ID:pj070RRy
>>22
宇喜多を御三家に併合して
豊臣の軍事力を補強する

しかる後、関白は秀頼、秀次、秀家の系統から代替わりで出すとか。
徳川の場合もは御三家同士の騒乱は起きなかったからな
33人間七七四年:2007/11/23(金) 14:36:59 ID:knEckrzI
>>27
>家康がいない、秀吉も利家も死んでいない
>この時点で一番力を持つのは三成だけど

確かにその通りではあるけど、秀吉が死ぬことによって
三成の権威が失墜するのは史実を見ても明らかな通り。
秀吉死後の武断派と三成との争いをまとめたのは家康。
家康がいないとすれば誰がまとめる?
三成に加藤清正や福島正則を抑えきれるだけの力はないぞ?
前田利家はすぐ死ぬから無理だしな。
仮に三成が毛利を頼って政争に勝利したとして、毛利の力はそれに乗じて
格段にアップする。その毛利が暴走した時に、三成で抑えきれるか?
言っとくけど、毛利を動かしてるのは安国寺の一存だけではないから、
「毛利が暴走するはずない」なんて理由では片付けられないよ。
また逆に、三成が毛利を担ごうとするならば加藤や福島は
また別の人物を頼ってそれに対抗するだろう。

結局、政権の首班がしっかりとしていないことには
なんともならん。
豊臣政権長期化を妨げる最大の要因は徳川家康ではなく、
上でもさんざ語られているように政権内部にあるよ。
34人間七七四年:2007/11/23(金) 14:54:37 ID:b2yPPiej
毛利に対抗は上杉かと思うが、その間で三成がうまく動けるかということと
上杉だと中央にちょっと遠いな。
素人考えで西の毛利・東の上杉・中央の豊臣+宇喜多のバランスが浮かんだが
穴は多そう。

加藤・福島が頼るのは前田かな。
前田-宇喜多-豊臣でくっつくか?
35人間七七四年:2007/11/23(金) 15:07:08 ID:i1Q53zbx
やっぱり家康を大阪城に最初に招いた時に
たとえ母ちゃん火あぶり磔にされても
たとえ卑怯と揶揄され人心が離れても
家康に兎に角因縁つけて殺害しておくべきだったな
36人間七七四年:2007/11/23(金) 15:10:07 ID:+8bZQcrq
江戸幕府に範をとるなら、
1.子飼いの大名は武功派でも10万石程度、文功派では1万から2万程度
2.その分、直臣層を大幅に増やす
3.朝鮮出兵をせずに、公共事業を主にし、城だけでなく河川改修とそれに伴う、耕地拡大を重点に置く
なにはともあれ、自分の足元固めん限りは、徳川は潰せんな

家康だって豊臣潰す前に10年以上かけて体制固めをしている。
37人間七七四年:2007/11/23(金) 17:01:42 ID:R0PLxc0Y
豊臣家完全直属の軍隊がほとんどなかったのが致命的だな。
よく考えるとそのこと自体が戦国を制覇してきた政権の宗主家として異常なんだけど。
子飼いの武将みんなを地方の大領主にして本体がスカスカになってたよね。
秀吉はそこまで飼い犬を信じ切ってたんだろうか?
38人間七七四年:2007/11/23(金) 19:13:57 ID:aKb1rZ4b
>>22
>石田三成・・淀君との関係を考えても

…これ何の妄想?一般的なイメージと後知恵で語っても説得力がない

秀吉生前は家康も利家同様に律儀者と思われていたんだぞ

事の本質は配下大名を取り締まる法規制の曖昧さと、違法を処断する実行力のなさだろ
そこを強化できずに秀吉が死んだ時点で求心力がなくなるのは明白
39人間七七四年:2007/11/23(金) 19:35:01 ID:aKb1rZ4b
>>31
>家康がいなくなると当然、大幅に直轄領が増えるわけだが


当然???もしかして256万石を直轄領にできると思ってる?
北条が滅んだ後の領地がどう分配されたか知ってる?
40人間七七四年:2007/11/23(金) 19:49:07 ID:ysnhla/j
秀吉が信頼した武将を西日本に集めたのは朝鮮討伐のためだよ
結局この失敗が家康の助長を招く
41人間七七四年:2007/11/23(金) 20:40:37 ID:Ra42jN7m
>>38みたいにあたかも豊臣政権が秀吉の個人の力によって支えられていた
とか錯覚してる馬鹿が多くないかな
42人間七七四年:2007/11/23(金) 21:14:10 ID:i9XKem00
では豊臣政権を支えていたものは何だ?
秀吉が死んだあと、かくも脆く政権が崩壊した理由は何だ?
43人間七七四年:2007/11/23(金) 21:15:52 ID:aKb1rZ4b
>>41みたいに何の意見も出せない馬鹿が増殖中w
44人間七七四年:2007/11/23(金) 21:36:24 ID:aKb1rZ4b
てか、少なくとも関白秀次とその勢力を滅ぼした時点で豊臣政権は秀吉個人の権力で諸大名を束ねていたのは明確だしな

その秀吉が死んだら政権が崩壊するのは時間の問題
家康がいなければ、とか大名の性格を論じてるのは見当違いもいいところ

馬鹿はもっと歴史を勉強しなさいw
45人間七七四年:2007/11/23(金) 23:40:16 ID:zC2HctVh
>>39
北条が滅びる前、家康は領地無しだったとでも思ってたわけ?
たくさん領地を持ってたんだよ。勉強しなさい


46人間七七四年:2007/11/24(土) 00:04:59 ID:Hy5R76go
>>33
政権内部の問題が一番なのは当然だけど
毛利、上杉、宇喜多、前田、佐竹と外様の力が伯仲してる状態で
皆、三成との関係は良好。そのパイプもある
その状態で加藤や福島などの政権中央から遠ざけられてる勢力にワザワザつく理由が分らないよ。
彼らにしてみれば三成の肥大化はパイプの肥大化と同一なんだから。家康の場合とは違う
毛利家なんかが吉川の個人的な好き嫌い路線に走り出す理由なんて、この状況ではないんだよね

そして史実での家康の場合は、武闘派ついたというより、元々利用しただけだし
その利用してやろう。という野心を自ら剥き出しにする大名がいないってこと
唯一、如水くらいじゃない?
47人間七七四年:2007/11/24(土) 00:36:51 ID:4LN6Vl8Z
>>45
 ( ゚д゚)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/    /
     ̄ ̄ ̄
 ( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/    /
     ̄ ̄ ̄ 
歴史より先に日本語勉強汁
48人間七七四年:2007/11/24(土) 02:23:39 ID:EMDX1DQ4
>>44
なにがどう明らかなの?
自分の妄想で語っちゃあいけないよwww

大名の個人の存在でものごとを論じてるのはどこのだれなのかな?
49人間七七四年:2007/11/24(土) 02:54:47 ID:l69DI/6V
羽柴(織田)秀勝が死ななければ、秀勝が世継ぎになって、
ちょっとは豊臣政権が続いたかもしれない。
50人間七七四年:2007/11/24(土) 06:07:39 ID:PpYj4De3
・先に長宗我部・根来衆を抑えた上で、小牧・長久手を迎える
・関東に移さずに、旧北条領を直轄又は子飼で固めて、徳川を豊臣勢力で挟んでおく
・秀次事件を起こさない(秀次を殺すにしても、関連する大名に罰を与えない)
・朝鮮出兵はしない

徳川を潰す方法は、小牧・長久手に勝つしかなさそう
徳川を抑えておくためには
他の諸大名が秀吉死後、豊臣から心移りしないように配慮しておく必要があったね

秀吉に必要だったのは、石田とか前田玄以とか内政のプロもそうだけど
本多正信や正純のようなタイプの家臣だったと思う
黒田を冷遇したのが痛かったんじゃないかな



51人間七七四年:2007/11/24(土) 07:52:52 ID:IGtGGGwJ
朝鮮征伐を成功させて
家康を朝鮮王にすればいいんじゃね
王様なら家康も満足でしょ
52人間七七四年:2007/11/24(土) 09:11:42 ID:9Db95OS6
>>46

君は三成=豊臣政権だとでも思っているのか?
三成なんて政権を構成する一要素にしか過ぎんぞ。

三成と武断派との対立の時に、君の言うように武断派には誰も
味方しなかったと、そう仮定するとして・・・
三成は誰か大大名を頼って事態を収集するだろう。
当然、三成に協力した大大名の発言力は増す。
この時点で第2の家康の誕生じゃないか。
この大名が豊臣家に忠義を尽くし続ける保障なんてどこにもない。
君が言う「三成と関係が良好だからそんなことはあるはずがない」というのは
はっきり言って政治というものを知らない発言だ。
義理や人情では政治は動かない。仲がいいからといって味方するとは限らない。
政治を動かすのは、利害関係です。今の国会運営を見ていてもわかるだろう。
53人間七七四年:2007/11/24(土) 09:19:42 ID:9Db95OS6
史実でも三成との友好関係で動いたのはわずかだしね。

直江兼続・・・三成のためにではなく、上杉家のために最上家を攻撃。おそらく次は越後。
安国寺恵瓊・・・三成や豊臣家のためというより、毛利のために動いたと考える方が妥当では?
佐竹義宣・・・親父に止められて出陣せず。要するにその程度。
54人間七七四年:2007/11/24(土) 10:07:14 ID:IF8K+sXj
三成が外様の力を集中的に使った時点で豊臣政権は終わり
55人間七七四年:2007/11/24(土) 10:43:01 ID:X/E4DA4r
有楽斎長益と大野治長
56人間七七四年:2007/11/24(土) 11:51:44 ID:RVz4HuDW
政権運営を個人的な友誼関係に頼らざるを得ないという点ですでに終わってる。
個人の友情なんて代替わりしたらお終いじゃん。
57人間七七四年:2007/11/24(土) 13:23:53 ID:4LN6Vl8Z
>>48
妄想ってお前真性の馬鹿か?まずは>>42の人の質問に答えてみろよw
結果が証明してるだろ、秀吉が死んで以降政権は纏まりがなくなったのを知らないのか???
大名達の合議制で秀吉の遺命破りを責任持って誰がどう裁くのか答えてみろ

>大名個人の存在で〜
は全く意味不明、誰と間違えてるんだかw
具体的な意見が言えないなら来ない方がいいぞ、みっともないからw
58人間七七四年:2007/11/24(土) 21:10:59 ID:Hy5R76go
>>52
明らかに頭を混乱させて考えてるよ

>三成なんて政権を構成する一要素にしか過ぎんぞ。

これなら、豊臣政権にとって尚更良い状態なんだよ
上で言ったとおり、外様でも譜代でもパワーバランスが保たれてる状態なら政権は持続する。
家康のいない状態で、秀吉死後の政権の一番の懸念材料は、外様の存在より
むしろ三成の増長による政権内部における武闘派との軋轢
しかし、その三成がさして力が大きくならないのなら武闘派との抗争も政権に取っては
さして重大なことではなくなる。ただの配下同士の私闘程度のものとなる。
問題は『肥大化して政権内を牛耳るほどの実力を持った三成が、武闘派と内部抗争を繰り広げる事』
これによって初めて外様のチャンスが生まれるんだけど
これも上で言ったとおり、有力外様の悉くが三成路線。
で、また君が頭を混乱させてるのが
三成は『一家だけに頼る必要がない』ということに気付いてないこと
史実で武闘派に追い詰められた時は佐竹に庇護してもらったが
関ヶ原では毛利、上杉、宇喜多と
どうして一家だけに偏って権力肥大化の要因を作らなければならないのかが
理由も根拠も言えてないよ
59人間七七四年:2007/11/24(土) 21:31:04 ID:Hy5R76go
>>52
何よりが、

>政治を動かすのは、利害関係です。

と、言っておきながら意味を全く理解してないよ
利害関係があるからこそのパイプであり、友好関係なんだよ。
三成が複数の有力大名と友好関係を保ってるということ自体に
最初からどういった意味があるのか考えた方がいい。
世間を騒がせてる防衛省の事務次官の例を見るように利害が一致するからこその友好なんだよ。

ならば分るだろ?
その利害から遠ざけられてる存在でなきゃ、さらに力も野心もある存在でなきゃ
自ら率先して三成を落そうとはしないということを
『その条件に適った存在が家康だったんだ』
他の大名とはケースが全く違う。そのことを理解しなきゃダメだよ

60人間七七四年:2007/11/24(土) 21:46:03 ID:xIIpdSQS
>>52
あなたの言う豊臣政権の持続って、
A:パックストクガワーナと言われる江戸幕府のような磐石な政権
B:大大名の思惑が錯綜する不安定な連立内閣型政権
のどっち?

>外様でも譜代でもパワーバランスが保たれてる状態なら政権は持続する。

この文章を読む限りではBに当てはまるように思うが。
連立政権ってまとまってるうちはいいが、一旦タガが外れるともろいぞ?
小沢一郎が作り出した細川連立政権がいい例だ。

そもそもあなたの意見は、それらの大名達が必ず豊臣家御為に働くものとしか
考えていない時点で片手落ちとしか言いようがない。
極言すれば、戦国大名の行動原理の大部分は利害関係によるのであって、
義理や人情の占める割合などごくわずかと言っていい。
その義理や人情だって、代替わりによって失われてしまう。

結局、あなたの理論の根本は、
「外様大名達は三成と関係良好だから豊臣政権は安泰だ」
っていう、たったこれだけの理由しかない。
万が一その友誼的関係が崩れたら・・・という事態の想定はしない。
「崩れるはずがない」とあなたは言うかもしれないが、
それはただ単にあなたがそんな事態を「想定したくない」だけに過ぎない。

最後に、Bのような不安定な政権ならば豊臣政権でも可能だろう。
だけどAを目指すなら、よほど聡明な人物が豊臣家を継いで改革を行わない限り不可能だ。
61人間七七四年:2007/11/24(土) 21:47:01 ID:xIIpdSQS
ごめんなさい。60は
>>52じゃなくて

>>58です
62人間七七四年:2007/11/24(土) 21:58:38 ID:Hy5R76go
なんで>>59を見て、そんな意見になるのかが理解出来ないけど・・

『三成とのパイプを保つこと自体が有力外様大名にとって
 豊臣政権下での保身・御家安泰、有力ポストに繋がり、
 そのこと自体が利益になっており、結果、その為の三成との友好』

これを理解できないかな?

『友好先にありきじゃなくて、利害関係の一致による友好。』

これが結論だよ。

つまり三成との関係を崩してまで独走しなけばならない存在が家康や武闘派を除いて存在しないんだよ
63人間七七四年:2007/11/24(土) 22:06:32 ID:kw048CVD
家康がいなくても第二、第三の家康が出てくるだけ
64人間七七四年:2007/11/24(土) 22:13:39 ID:Hy5R76go
>>60
そりゃ、理想の政権とは違うかも知れないけど仕方ないじゃん
豊臣政権では現状がそうなんだから、その中で出来る事を考えなきゃ。

有力外様⇒複数存在させて、政権内部要人とパイプをもたせる。外様同士は互いに牽制させる

政権内部⇒仲が悪く実力のある派閥が互いに争えば全国へ火種が飛ぶ。
それならば一方の派閥にほどほどに力を持たせた方がマシ

65人間七七四年:2007/11/24(土) 22:15:01 ID:o61tCgAp
上杉景勝あたりは第二の家康になるだろうな
義とか言ってる時点でうさんくさい
66人間七七四年:2007/11/24(土) 22:45:57 ID:nvMPKO4O
>>63
小牧・長久手で秀吉の大軍に土をつけたのは家康だけ
豊臣直轄領以上の領地を持っているのも家康だけ

余人に代え難いよ
67人間七七四年:2007/11/24(土) 22:54:19 ID:IF8K+sXj
身内の如水でさえ牙むきまくりの状況では家康を筆頭に置くしかありえなかった
68人間七七四年:2007/11/24(土) 23:14:52 ID:cq4sjYHj
>>62
三成の権力は秀吉というバックボーンがあってこそ生まれるという点を見過ごしてる。
秀吉死後、三成は五奉行の一人でしかなくなる。五分の一でしかない。
正確に言うと、五奉行の序列では四番目だ。
三成=豊臣政権ではないんだよ。すなわち、三成と誼を通じても、
必ずしも自らの豊臣政権内の地位を保持することになるとは限らない。

>>64
>有力外様⇒複数存在させて、政権内部要人とパイプをもたせる。外様同士は互いに牽制させる
誰が牽制させるの? 支点を持たない振り子はあらぬ方向へ飛んでいくわけだが。
外様同士に互いに牽制させた結果、戦乱にならなきゃいいけどね。

>政権内部⇒仲が悪く実力のある派閥が互いに争えば全国へ火種が飛ぶ。
>それならば一方の派閥にほどほどに力を持たせた方がマシ
ほどほどにって、どうやってほどほどになるようにするの?
内部闘争に勝利した方は権力を増すわけだが、誰がそれをコントロールするの?
コントロールできる人物はいるの? 
コントロールできたとして、その人物に政権をのっとられない保障はあるの?

これらの問題に明確な解答を示すことなく、
「豊臣政権は家康さえいなけりゃ長期化する」とか言われてもな・・・。
69人間七七四年:2007/11/25(日) 01:57:35 ID:sRoNt2CQ
なんか・・大丈夫かい?
噛み砕いて噛み砕いて説明しなきゃ理解できないかい?

秀吉死亡

権力は子の秀頼に
(しかし幼少の為、実権を取り仕切る能力がないので史実では家康と武闘派が繫がる結果に)

しかし、その家康がいない

この場合、権力は秀頼に近い存在の人間が取り仕切る
(こんなケースはあらゆる政権の歴史でも往々にしてある)

その存在が淀君であり、それに近い三成
(この場合、膨張しすぎると外部や敵対派閥の勢力が蜂起するケースが多い)

それを抑える為に、五大老や有力大名の存在が必要になる

しかし一家だけに協力を求めると、権力の肥大化に繋がるので複数の勢力を平等に引き込む
(毛利、上杉、宇喜多、佐竹、前田)

これらと三成の関係が良好ならば、当然、反乱すべき存在がいなくなる

めちゃくちゃ噛み砕いて書いたけど理解できた?
70人間七七四年:2007/11/25(日) 02:05:18 ID:sRoNt2CQ
>>68
>秀吉死後、三成は五奉行の一人でしかなくなる。五分の一でしかない。
正確に言うと、五奉行の序列では四番目だ。

後、これはもう少し歴史を勉強した方がいい
五奉行筆頭の浅野長政は蜂須賀や黒田と同じように中央から飛ばされ
実際は三成が五奉行を束ねてる存在。

>外様同士に互いに牽制させた結果、戦乱にならなきゃいいけどね。

同程度の実力の勢力が複数いたら戦争には成り難い。牽制とはそういった意味
逆に聞きたいのが、誰と誰がどんな経緯で戦になるというのか?

>内部闘争に勝利した方は権力を増すわけだが、誰がそれをコントロールするの?

だからそれが一番の懸念材料だって言ってるじゃん。
でも三成と秀家、輝元なんかが秀頼の後見人として存在していればマシにはなるし
事実そうなる可能性が高い。
71人間七七四年:2007/11/25(日) 02:08:21 ID:gfxGNUuD
とりあえず最近通説になりつつあるのは
「三成と淀殿の間に強い繋がりを示す要素はとくに 無 い」
(むしろ三成は北政所と親しいのでは?)
ということだというのを言っておく。
72人間七七四年:2007/11/25(日) 02:31:22 ID:k2OFpF87
確かに三成と淀の関係を云々言われるのは徳川史観と歴史作家の影響が大きい
実際に三成と淀が深い関係だったとする資料はない、まして秀頼が三成の胤とか殆ど笑い話

それと秀吉死後に三成が他の五奉行達を仕切ろうとしてかなり浮いた存在になってたようだが
73人間七七四年:2007/11/25(日) 09:46:33 ID:7VErETvp
>>69
>この場合、権力は秀頼に近い存在の人間が取り仕切る

つまりは奉行・大老の合議ではなく、三成に権力を集中させる
側近政治の形を取るということだね?
まずはこの部分から検証しなくてはいけないと思うのだが・・・
秀吉がなぜ五奉行五大老制ではなく三成に政治を託すのか、
その部分の理由は? 勢力均衡を図るためなら合議制でもいいのでは。

>しかし一家だけに協力を求めると、権力の肥大化に繋がるので複数の勢力を平等に引き込む
それにより外様大名は平等に肥大し、豊臣家の力は相対的に低下するわな。

>これらと三成の関係が良好ならば、当然、反乱すべき存在がいなくなる
関係が良好でなくなったら・・・という想定が君の頭にはないのか?
すべての政策において外様大名達と三成の意見が一致するとでも思っているのか?
例えるなら国連の常任理事国がイランや台湾問題で共通の認識を持ち得ないように、
外様大名のそれぞれの思惑はどこかで必ず衝突するよ。
現代ではアメリカという超巨大国家があるために大戦が起こることはまずないが、
豊臣家の貧弱な国力ではそれらの大名を統制するのは難しいのではないかな。

で、三成が死んだ後はどうなんの?
74人間七七四年:2007/11/25(日) 09:48:35 ID:CvSVJtF/
>五奉行筆頭の浅野長政は蜂須賀や黒田と同じように中央から飛ばされ

五奉行という中央政界の一端を担っているのに中央から飛ばされてるとはこれいかに
75人間七七四年:2007/11/25(日) 10:25:06 ID:sRoNt2CQ
>>73
だから合議制になれば安泰だが
『そうならずに外様から第二第三の家康が登場するから政権は長期化しない。』
というのが君の意見なんだろ?

>>69はそれに対して噛み砕いて説明してるの。

権力の均衡が図れる合議制が一番良いのは決まりきってることじゃないか。
ただ、それに対して最初に君が疑問を呈したので
そうなる恐れもないという説明をしてるのに対して、
君の当初の意見と180°矛盾する指摘をしてどうすんの?

三成一人に権力が集中するのは第二第三の家康が本当に現れると仮定して
その時に複数の有力大名と繋がる存在の三成がいるから抑制に繋がると言ってるのに
もともと波乱が起きない安定した治世が秀頼成人まで続くのなら
毛利、上杉、宇喜多、小早川、佐竹、前田なのど有力大名の合議制は保たれるよ


76人間七七四年:2007/11/25(日) 10:31:04 ID:sRoNt2CQ
>>73
何よりが、君は未だに『第二第三の家康が現れる』の具体的な説明を何一つしてないんだよ

>関係が良好でなくなったら・・・という想定が君の頭にはないのか?

こんなこと言ってるけど
そもそもが、君自身の想定が全く説明されず、詳しい根拠も何一つ言っていない
現段階、そちらの方が明らかに荒唐無稽な妄想にも関わらず
いつまで堂々巡りの質問ばかり繰り返す気だい?

その第二第三の家康の誕生の経緯を、いい加減説明してくれないかな?
77人間七七四年:2007/11/25(日) 10:45:29 ID:UeK9219x
>>69

>>しかし、その家康がいない
上みっつまでは良いとしよう

>>この場合、権力は秀頼に近い存在の人間が取り仕切る
でその後幼少の秀頼に代わり三成が権力を取り仕切る、
淀君はともかく三成が黒幕になれるのか?官僚が権勢を振るうのは権力者の後ろ盾があるからだ
実際に秀吉の死後三成は武断派の七将に追い回されて家康に庇護された

>>それを抑える為に、五大老や有力大名の存在が必要になる
で家康がいない場合他の大大名に協力を求めるしかない
五大老の中で豊臣に協力的なのは前田利家と宇喜多秀家くらい
後は当然協力の見返りを求める、

>>しかし一家だけに協力を求めると、権力の肥大化に繋がるので複数の勢力を平等に引き込む
複数の勢力が平等に強大化するわけね、しかも本領大阪から均等に離れているから地方でやりたい放題

>>これらと三成の関係が良好ならば、当然、反乱すべき存在がいなくなる
表立って叛旗を翻さなくても命令不服従で地方を切り取り次第、それを討つだけの
力が三成にあるかね


三成が豊臣の実権を握って外様が秀吉死後弱体化した豊臣に素直に従って
五大老とかの地方の雄藩は三成豊臣に協力すると
実に都合の良い世界ですね
78人間七七四年:2007/11/25(日) 11:01:33 ID:sRoNt2CQ
いや、さすがにバレバレの自演で同じこと言われても・・

早く説明してよ

『第二第三の家康が現れる具体的な説明を』
79人間七七四年:2007/11/25(日) 11:12:26 ID:5AEJfI89
>>78
政権奪取する人物はいなくなるかもしれんが、
中央政権無視して行動する人物は大量に出るだろうな
80人間七七四年:2007/11/25(日) 11:22:04 ID:Yq60CTi4
結局のところ政権維持出来たとしても中期以降の室町幕府状態になってしまうんだろうな
室町幕府は弱体であっても足利の家柄ということで何とかもってきたが豊臣はそれもなし



無理だな
81人間七七四年:2007/11/25(日) 11:32:22 ID:UiZjo5oW
家康と景勝を伏見城の茶室に呼び出して一服盛ればいいんじゃね
82人間七七四年:2007/11/25(日) 12:42:19 ID:d2iRvUpk
とりあえずどちらの意見にしろ
どの部分で家康を滅ぼすのか?をはっきりさせないと意味がないと思う。

小牧長久手の時点で家康を潰しに行ってたら
間違いなくあの段階で最低3〜4年は長引く。100万石以上の大名をあの時期の秀吉の勢力で
潰して行くにはもっとかかる可能性もある。

その間、確実に関東の北条、四国の長宗我部、東北の伊達、九州の島津はそれぞれの領土をまとめていくわけで
三好は四国から追い出されるだろうし、九州は完全に島津帝国になってるだろうし、
佐竹・上杉は北条と伊達に押し潰されて死滅してる可能性すらある。
こいつらが変に組んだら遅れるどころか天下自体怪しくなってくる。

かと言って天下取った後だと今度は家康が律儀すぎるよ、
これを無理矢理罰して暗殺するようでは関ヶ原で義理を果たした大名らだって味方をしてくれる保証などない。
また落ち度がないので関東を奪う大義名分も無い。
それでも無理矢理奪うなら関東と戦争になるだろう、徳川に勝ち目は無いが、
豊臣側の戦意もかなり怪しい、もともと利で繋がってる部分が大きいだけに
「あれだけ律儀だった家康が訳もなく殺され領土が奪われている」
という動かし難い事実の前では離反が出ることも普通に考えられる。

下手すりゃ朝鮮出兵より酷い事になるよ。んな事やってるうちにどう見てもタイムオーバー。
安定政権なんて夢のまた夢。

まずはどうやって家康を消すのか?それ自体が大事なんだから、
それを飛ばした議論は滑稽でしかない。
83人間七七四年:2007/11/25(日) 13:01:56 ID:CvSVJtF/
秀吉が上杉か誰かに「今度北条と徳川まとめて潰すことになるかもしれないから
そのときはよろしく」みたいな手紙出してなかったっけ
その前に徳川が手を打って秀吉についたから流れたけど、この時無理に潰す
方向に持っていけばどうだろう?
84人間七七四年:2007/11/25(日) 13:16:00 ID:4/pHRbke
家康には母親人質に出してたけど、何時死んだっけ?
85人間七七四年:2007/11/25(日) 13:27:28 ID:5AEJfI89
>>83
その場合、秀吉には九州を平定していない時点で、徳川・北条・伊達と雌雄を決する覚悟がいる。
恐ろしく投機性が高い選択肢と言わざる得ない。
86人間七七四年:2007/11/25(日) 13:51:04 ID:Nd/M3AP+
小牧長久手に戦力を多く投入しても勝てた保証はないし、
長宗我部やら佐々とかの動きも史実より活発になるかもしれん。
家康を滅ぼすのは無理じゃないかね。
87人間七七四年:2007/11/25(日) 13:53:16 ID:s/soZKgU
うえ
88人間七七四年:2007/11/25(日) 14:47:55 ID:sRoNt2CQ
殺しどころは、やはり
一旦、政権に組み込んでからが妥当だろうね

本当なら小牧長久手で北条と手を結べたら挟み撃ちできるんだけど
北条が手を組んでくれる可能性なんてまずないだろうし
政権樹立後、何らかの難癖をつけて事を進めるしかないだろうね

先に伊達を潰しといて、領地替えを関東じゃなくて奥州にするとか・・
これで反発した家康を信雄と同じ運命にするという
89人間七七四年:2007/11/25(日) 16:14:49 ID:7VErETvp
>>78
ほんとに自演だと思ってるのか。どこまでオメデタイ奴なんだ。

>権力の均衡が図れる合議制が一番良いのは決まりきってることじゃないか。
軍事政権にとってもっとも好都合な政体は一党独裁だよ。
それができないから豊臣政権は長続きしないって言うのがみんなの意見なのに。

>何よりが、君は未だに『第二第三の家康が現れる』の具体的な説明を何一つしてないんだよ
>>関係が良好でなくなったら・・・という想定が君の頭にはないのか?
>こんなこと言ってるけど
>そもそもが、君自身の想定が全く説明されず、詳しい根拠も何一つ言っていない
>現段階、そちらの方が明らかに荒唐無稽な妄想にも関わらず
>いつまで堂々巡りの質問ばかり繰り返す気だい?

少なくとも、このスレで豊臣政権の長期化を主張するのは、
三成の大名統制が百パーセントうまくいくと信じて疑わない君だけのようだが?
君はどうも、自分が導き出したい結論が先にあって、そこに繋げるために
仮定に仮定を重ねて論理を組み立てているようだ。
逆にこちらは、色々な場合を想定し、こうなったらどうするの?という
質問を君に投げかけているのに、君は何一つ有効な回答を示せないでいる。
誤解してほしくないんだが、別にこちらは豊臣政権の長期化を
完全否定するわけじゃない。君がこちらを納得させるだけの理論を展開してくれれば、
それで結構だよ。


まあ・・・いつまでたっても水掛け論のようだから、別の質問をしよう。
豊臣政権の長期化には、>>13の人が掲げた問題点
>相対的に諸大名が強すぎたのと、跡継ぎ若すぎ&弟が早死と
>一門の絶対的な層の薄さが致命傷になった。
これらの解決が必要不可欠。要は豊臣家そのものが強くならない限り、政権は安定しない。
で、三成はこれらの問題点をどのように解決するのか。
政権の安定間違いなしって自信満々に言うくらいだから、何か具体策があるんだろうね?
秀吉が死んだとき、三成は40歳近かった。
秀吉と同じ年で死ぬと仮定して、あと約25年。
その25年間で三成はどのように豊臣家の権力基盤を確固としたものとするのか、教えてくれ。
90人間七七四年:2007/11/25(日) 16:49:34 ID:k2OFpF87
そもそも秀吉自身が死後の政権を大名達の合議制で運営するように遺言している
三成中心の政権運営を指示した訳ではなく、むしろ家康ら大封持ちの大名にも権限を与えているのだから、三成が一人頑張ったところで他の五奉行達や五大老にも権限はある訳で意見が違った場合に多数派工作が起こるのは確実

秀吉は自分の遺言で本当に秀頼が天下人として君臨できると思ったのだろうか?
91人間七七四年:2007/11/25(日) 16:51:23 ID:sRoNt2CQ
程度の低い質問なんかいいから

早く答えてくれよ

『第二第三の家康が現れる具体的な説明を』

水掛け論も何も、君は一向に聞かれたことに説明できずに
同じ内容の質問を繰り返してるだけじゃないか
それに対しての説明を几帳面にも毎回しているのに
君自身は何一つ、言われたことを理解も出来ず、自分の考えも答えられていない

それに第一、いい加減『そもそもが質問する側、答える側の順序も逆』
ということにも気付いたらどうだい?

君が最初に言い出したことだろ?
『第二第三の家康が現れるから結果は同じ』という妄想を・・
その荒唐無稽な妄想に対して
まず、根拠と具体的な説明を質問するのは、コチラ側なんだよ
主張の中身がない以前に、質疑応答すらも君はまともに出来てない状態なんだよ
分る?
92人間七七四年:2007/11/25(日) 16:54:21 ID:9gILsQrq
実際三成による外様大名統制がうまくいくかっていうと疑問だな。
なんせ三成には史実における実績があるからな。
関ヶ原時……
上杉は江戸攻撃よりも自領の確保に専念。
佐竹は常陸で様子見。
小早川には裏切られ。
島津には無礼だと追い返され。
毛利はあわよくばで西国の覇権確保を狙うも当主が凡庸で尻すぼみ。
こんな三成君に、外様たちをコントロールできるわけないわ。
93人間七七四年:2007/11/25(日) 17:15:30 ID:plIv/i6z
この人、なんでも自分のシナリオ通りに物事が進むとでも思ってんのかね
会議で意見がまとまらなくて苦労した経験とかないんだろうな
94人間七七四年:2007/11/25(日) 17:33:15 ID:nvVBWA8w
>>53
刑部殿がいないのはわざとか?
95人間七七四年:2007/11/25(日) 19:24:00 ID:tZ4TQwzV
豊臣政権の欠陥って、後継者が幼少であることと
頼れる譜代が少ないこと、直轄領が少ないことでしょ。
これら政権内部の根本的な問題には臭い物に蓋をするように無視して、
ずうっと外様大名の善意に頼って運営していくだなんて、虫がいいにもほどがある。
百歩譲ってそれが上手くいってる内はいいとして、
三成らの次の代の大名達の中に異端分子が現れ、そのバランスが崩れたらどうすんだ。
最悪の事態を想定して仮定を組み立てろよな。
そんなもの起こるはずがないなんて言わずにさ。何が起こるかわからないのが政治の世界だぜ。
96人間七七四年:2007/11/25(日) 19:28:24 ID:Yq60CTi4
単純なんだけど
小牧・長久手で家康の3倍の兵力を注ぎ込みながら勝てなかったのは何故か
家康の野戦の上手さとか、秀吉軍の弱さとか色々言われているけど
そんなことぐらいで数万単位での3倍の兵力差は補えるものなのか疑問が残る
97人間七七四年:2007/11/25(日) 20:22:55 ID:VoWqwbTU
>>96
秀吉の主力部隊がいなかった
ぶっちゃけ士気がそんなに高く無い
所詮寄せ集め
徳川にとっては存亡の戦 豊臣は局地戦で負けたくらいじゃ滅びない

秀吉はとにかく自軍を消耗させたくなかった
被害が大きくなれば文句が出る
それを恐れすぎた結果ああなった
98人間七七四年:2007/11/25(日) 22:28:44 ID:k2OFpF87
>>91
君、君って誰が誰だか分かってるのか?反対意見はみんな同じ人間の書き込みと思ってるようだが?
それより家康が居ようが居まいが三成に豊臣政権が統括できないって理解出来てないのはお前一人に見えるんだがw

第二第三の家康って俺が言ったのではないが敢えて答えるなら、関ヶ原戦の前に毛利を始め多くの有力大名が消極的な姿勢を取っていたのは、最大の実力者家康がいたからだ

その家康をどの段階でどう処分するかは別にして、実力で自分を上回る者がいないと思えば毛利も史実通りの行動をしたかは分からない
輝元や広家達の行動はあくまで家康の実力を恐れた故の消極的姿勢であり、秀吉生前に家康を抹殺した場合のイフを考えるなら秀吉死後に家康がいない場合の有力大名の心理にも配慮が必要になる

そうでなければ
「秀吉が死んだ後で家康が天下を奪った、だから家康さえいなければ豊臣の天下は続いた」
「多くの有力大名は秀吉死後から関ヶ原まで保身に走り政権内部での主導権争いには消極的だった、だから家康がいなければ天下を望んだり勝手な行動をとる事はなかった」
と言う後知恵からくる都合のいい展開しか想定できない事になる

じゃ第二第三の家康の答えとして「徳川が滅んでいたら秀吉死後、毛利が政権の主導権獲得に動いたかも知れない」これを具体的に否定してみろよ
99人間七七四年:2007/11/25(日) 23:53:13 ID:B1QoD4oO
家康の兵だけで朝鮮に行かせればよかったんじゃね
断ったら領地召し上げ
100人間七七四年:2007/11/25(日) 23:57:10 ID:k2OFpF87
>>99
ちょww
GI!
101人間七七四年:2007/11/26(月) 00:01:46 ID:Fm/p0nAL
秀吉自身が、朝鮮出兵は家臣の領土を増やす結果になるので
むしろつれていってあげる事が有難がられるはずと認識している以上、
そういう極端な策はありえんだろう。

それに家康の独断で何かをやったならともかく
秀吉の命で無謀な事をやらせて失敗したら当然それを命じた大将の責任。
朝鮮が取れなくとも徳川には相応の保証をしてやらないと示しがつかないぞ。
102人間七七四年:2007/11/26(月) 00:05:24 ID:SpERoC2g
朝鮮攻めの総大将を家康にするのは、結構いいかも知れない。
討ち死にしなくとも、徳川の力を削ぐことになるので、歴史が少し変わったかも。
103人間七七四年:2007/11/26(月) 07:18:03 ID:dyasJ6eA
>>102
関が原前夜の上杉討伐軍と同じでは?
遠征軍諸大名で家康に反抗的な奴は総大将権限で粛清して不遇な奴は自派に取り込む
朝鮮で討ち死にとかありえん
104人間七七四年:2007/11/26(月) 10:26:30 ID:JoJZCWSR
朝鮮出兵に秀吉自身が楽勝できるつもりでいたんだから無理だろ。
そして、北条が散々統治に苦労した関東に家康を派遣すれば、暫く混乱し続けて大丈夫だろうと踏んだ。
それならそれで、宇都宮を取り潰しにしなけりゃよかったのにな。
宇都宮の改易で、関東はだいぶ安定することになったんだから。
105人間七七四年:2007/11/26(月) 17:02:15 ID:ny2ynZIo
>>1
俺のウンコを食べろと強要し、断ったらその場で手討ち
106人間七七四年:2007/11/26(月) 17:15:29 ID:pxTPbOMd
関東の安定は氏郷の死抜きに語れない
107人間七七四年:2007/11/26(月) 20:20:26 ID:YUlYksF6
>>106
毒殺か
108人間七七四年:2007/11/27(火) 00:07:27 ID:NXKPEaZW
ところで、第二第三の家康にこだわってた三成厨はどこ行ったの?
109人間七七四年:2007/11/27(火) 00:59:24 ID:zQJeJDQt
家康そんなにたくさんいないだろ
豊臣を裏切る奴は出てくるだろうが、あれだけしっかり治めることのできる人はいない
110人間七七四年:2007/11/27(火) 01:25:35 ID:8pcAZP2d
>>99
朝鮮の方々には、
こいつら勝手にそっちに侵略に行ったから好きにしてちょって連絡
そんでもって狸がいないうちに関東は他のみんなに分け与えるw
111人間七七四年:2007/11/28(水) 00:38:18 ID:Aq00cZHo
>>107>>105にレスしたのかと思って壮絶に吹いた
112人間七七四年:2007/11/29(木) 07:55:19 ID:Hl525xnO
統治できぬと踏んで秀吉が移封したのに
慣れない関東を首尾よく治めてしまった家康の度量を見ていないな>朝鮮送り

家康なら、
朝鮮官吏を傀儡にする等の巧妙外交で
南部諸道安堵を明に認めさせてしまうのではないか?
史実より強大になってしまうが
113人間七七四年:2007/11/29(木) 10:31:55 ID:sxv4P0fg
それはさすがに家康を過大評価しすぎ…
114人間七七四年:2007/11/30(金) 22:24:00 ID:8AaqChf0
>>98
頭悪すぎ
散々自演して『あたかも第二第三の家康が出てきて当然みたいに言っといて』
結局、何も根拠を説明出来てないね

>関ヶ原戦の前に毛利を始め多くの有力大名が消極的な姿勢を取っていたのは、最大の実力者家康がいたからだ

だからその、家康がいなければ毛利が確実に動いたって根拠を説明しろって言ってんの
お前の妄想のばかり延々リピートすんなよ

>実力で自分を上回る者がいないと思えば毛利も史実通りの行動をしたかは分からない

何?「行動したかは分らないって?w」 第二第三の家康が確実に出てくるんだろ?
何も具体的な根拠もなく妄想だけで決め付けるから、そんな曖昧な表現しか出来なくなるんだよ

>秀吉生前に家康を抹殺した場合のイフを考えるなら秀吉死後に家康がいない場合の有力大名の心理にも配慮が必要になる

そんなもん家康が生きてたとしても配慮は必要に決まってんじゃん

>「多くの有力大名は秀吉死後から関ヶ原まで保身に走り政権内部での主導権争いには消極的だった、
だから家康がいなければ天下を望んだり勝手な行動をとる事はなかった」
と言う後知恵からくる都合のいい展開しか想定できない事になる

歴史のIFを語る上で、史実に基づいた根拠を全く示せない推測なんてただの妄想
それを後付けとか言ってる時点で、いかに己が無能で認識不足か気付いていない証拠

>じゃ第二第三の家康の答えとして「徳川が滅んでいたら秀吉死後、毛利が政権の主導権獲得に動いたかも知れない」これを具体的に否定してみろよ

だから毛利が確実に動いたであろう根拠を君は何一つも示せてないじゃん
そんな人間が思い込みで騒いでるだけ。ってだけでも充分根拠になるわw
結局、毛利と家康の史実での力の差とか完全に無視して、ただ単にNO2だからってだけで語ってるだけじゃん
本当に浅はかな思慮の持ち主さんですね。空想小説でも読んで感動してな
115人間七七四年:2007/12/01(土) 02:51:45 ID:a37GyOCx
どっちでもいいけど、それ以前にどうやって家康を葬るの?

その影響を考えずしてその後を妄想したところで時間のムダ。
116人間七七四年:2007/12/01(土) 11:41:23 ID:3nt1Uf0s
誰かが『第二第三の家康が現れる具体的な説明を』してやれば帰ってくれるじゃないの?
>>114も他の質問に答えてやるだけの技量も知識もないみたいだしさ。

俺は無理。>>114並に知識がないから。
117人間七七四年:2007/12/01(土) 12:30:12 ID:A37QLUlM
でもそれには一つ問題があるんだよね・・
それは
『第二第三の家康が現れる』
なんて叫んでるのはバカの>>116お前一人だからだ・・

そのたった一人で騒いでるお前自身が説明しないで
一体、他に誰がそんな低脳な妄想を代わりに説明してくれるというのか・・w

結局、独りで妄想ぶちまけて、突っ込まれたら
全部、他力本願で他の人に助けて貰おうとしてるから
いつまで経ってもお前は低脳のまま成長しない
118人間七七四年:2007/12/01(土) 13:16:21 ID:lBNfY1pD
このすぐムキになる人また来たのか・・・。
>>115も言ってるけど、そもそも「家康がいない」っていうIFを
しっかり検討しないとしょうがないんじゃないか?
家康がいないということがどれだけの可能性を生み出すのか・・・
まずはそれを考えないと長期化するとか短期で終わるとか断言できないと思うよ。
いや、それよりもどうやって家康を滅ぼすかを考えるのが先かもしれない。

秀吉死亡時の情勢から家康だけつまみ出した状況からの想定っていうのは
その時点で間違っているような気が。
119人間七七四年:2007/12/01(土) 14:20:24 ID:XZR/ywMK
もし家康がいなければ、毛利が動いたか動かなかったか、それはわかりませんが、
どちらにせよ、四百年も昔のことの仮定の上での推論に具体的な根拠を挙げるのは無理でしょう。
家康がいないということは、ひとり毛利だけでなく全国津々浦々の人々に影響を与える
のですから、そしてその影響が様々にからみあって、相互作用した上で毛利が動くのか動かないのか、
さらにいえば第二、第三の家康が現れるのかどうかなのですから、複雑にすぎてとても根拠など
示せるものではないでしょう。まして仮定の話とあらばなおさらです。
120人間七七四年:2007/12/01(土) 16:40:40 ID:A37QLUlM
うん。つまりは、それが結論だね
具体的根拠を何一つ示せもしないのに、先に結論だけありきで

『第二第三の家康が現れるのは当然』

なんて主張は最初から成立しないことなんだよね。

それを理解もせずに主張(妄想)だけ圧し付けようとする姿勢に正直不快感があったし
歴史を語る上で一番してはいけない行為。
だから、少し突っ込んでやったのさ^^

でも結果、そのことを理解できたなら是非とも今後に生かして欲しいと思うよ


121人間七七四年:2007/12/01(土) 19:01:43 ID:gBCQfMsy
楽しい人だな。
122人間七七四年:2007/12/01(土) 20:11:29 ID:z5M3yGRK
>120
まだいたw
あほ過ぎる自分に笑ってんのかw

先ずは自分の主張がいかに矛盾してるか最初に自分が書いた文章を読み直せよ
てかまだ粘着する元気が残ってんだな、散々周りから叩かれて消えたと思ったが

それより未だに複数の相手を一人のカキコミと思い込んでる痛さが尚笑えるw
123人間七七四年:2007/12/01(土) 20:16:04 ID:XleMmD3b
仮定に仮定が重なってる『第二第三の家康が現れる具体的な説明を』なんつう話で突破を図るなw
関ヶ原の島津軍なみの強引さw
124人間七七四年:2007/12/01(土) 20:25:19 ID:z5M3yGRK
家康がいなければ三成が有力大名を取り仕切り豊臣政権は安泰

家康がいなければ毛利が政権の主導権を握り先々豊臣政権がどうなるか分からない

を二つとも最初から証明なんてできる訳がないだろ
まさか家康がいなければ豊臣安泰説を証明したつもりか?
自分のやってる空想妄想を他人がやったら気に入らないってのがお前がバカである証明なのさw

ちなみに第二第三の家康って俺が書いたんじゃねぇよw
それでも書いたって言うなら証明してみろよww
125人間七七四年:2007/12/01(土) 21:48:19 ID:U8CuPZTe
そもそも、
『第二第三の家康が現れるのは当然』
なんて主張してる人は>>63以外にはいませんから。
自分で勝手に見えない敵と戦ってるだけ
126人間七七四年:2007/12/02(日) 00:13:26 ID:38hiEw+V
>120それ、まんま自分の事じゃん。
127人間七七四年:2007/12/02(日) 00:35:49 ID:/mhfDhkV
家康を消すのであれば小牧長久手の時点か小田原征伐の時しかないと思う。
他のタイミングでは理由が無さ過ぎる。
とは言え小牧や小田原で長引いてしまえば豊臣家がどうこう以前に天下は遠のく。

また中央に近い所で毛利・小早川・吉川で170万石あるため影響力はやはり恐ろしい。
実際、関ヶ原合戦も関東250万石はあまり活躍してなく、
中央同士が敵味方に分かれた挙句、毛利本家が動かず、小早川の裏切りで雌雄が決した。
ここが安定させられないなら、豊臣家の安定は無理だと思うし、
実際秀吉は徳川家以上に毛利家を警戒している。

この状勢を無視して、家康だけを潰しに行くのであれば当然バランスは崩壊し
本来警戒していた毛利を警戒できなくなってしまう状況は容易に考えられる。
128平山貴士:2007/12/02(日) 01:25:13 ID:mBP0WhzB
84番様へ
1592年頃
文禄の役が始まった頃
129人間七七四年:2007/12/02(日) 05:58:46 ID:S1YDGnbM
 小牧長久手にて、秀次隊や池田勝入・鬼武蔵軍を撃退した家康が、小牧山の陣地に戻る途中小幡城に篭っている時、得意の城攻めで滅ぼせばよかったものを、油断して夜半にまんまと逃げられる大失態。
 
 そもそも家康が奇襲部隊攻撃のため小牧山の陣地を離脱した事実をすばやく把握してれば、数で遥かに上回る羽柴勢が野戦にて徳川勢を打ち破ることは容易だったのに。

 この時の秀吉の諜報能力の稚拙さが、豊臣政権の運命を決した。

130人間七七四年:2007/12/02(日) 09:31:41 ID:KoqCcwbL
>>122
自演粘着乙。とうとう泣き言しか言えないようになったね

>>123
論理破綻してるよ
『第二第三の家康が現れる』ということが仮定に仮定が重なって証明できないなら
最初から豊臣政権崩壊に繋がる理由として挙げること自体できなくなる。

>>124
>ちなみに第二第三の家康って俺が書いたんじゃねぇよw
それでも書いたって言うなら証明してみろよww

はい。終了。とうとう自分の主張すら他人のせいにしちゃいましたw
どこまでクズなんだか・・w

131人間七七四年:2007/12/02(日) 09:39:46 ID:KoqCcwbL
>>125
そうだね。>>63というか、お前1人だね^^

>>127
>家康を消すのであれば小牧長久手の時点か小田原征伐の時しかないと思う。

一番現実性ない見解乙
もっと勉強しろ

>とは言え小牧や小田原で長引いてしまえば豊臣家がどうこう以前に天下は遠のく。

当たり前だ。小学生でも分る。
遠退く以前に天下すら取れない確立の方が高くなる
132人間七七四年:2007/12/02(日) 09:56:11 ID:zHqeYvvv
もういいから……。お前の勝ちでいいから消えてくれ……。
一人のためにスレがダメになる典型的な例だわ
133人間七七四年:2007/12/02(日) 10:10:39 ID:hJSEd0wF
人格批判に走ったらから無条件で負けだよ
134人間七七四年:2007/12/02(日) 10:37:47 ID:38hiEw+V
傑作だわw
もうこのスレ終了だな、誰も賛同してないのに一人で勝ち誇って可哀相に
>>130>>131釣り師認定
135人間七七四年:2007/12/02(日) 10:39:37 ID:QmwMibf4
徳川を滅ぼす方法はいくらでもあったし、可能だったと思う
長久手では下手こいたけど、朝鮮出兵の主力にして弱体化したところを
たたいてもよかったし、出兵をゴネたからそのまま朝鮮用の部隊でたたいても
よかったし。
それをさせなかった何かがあったのだろうな。
136人間七七四年:2007/12/02(日) 10:43:50 ID:38hiEw+V
と言うより、そんなんじゃ社会生活に支障出てるだろ
カウンセリングでも受けた方がいいぞマジで
137人間七七四年:2007/12/02(日) 12:02:28 ID:lGVfYhEi
天正14年(1586年)に計画されていた徳川・北条討伐が中止になったのも幸運だった。
秀吉は天正13年6月に宇都宮国綱、佐竹義重(上杉景勝を通じて秀吉と連携)らに当てた書状で、
「富士山を一見し、その折に会いたい」と書き送っている。
これは北条と、それに連携する徳川討伐を指し。
天正14年1月18日には秀吉の東国出馬の直書が発せられている。
ところが、秀吉は合戦の準備と同時に和平交渉も同時に進めており、
2月8に家康が和議・降伏を申し入れてきたので出陣は中止となった。
秀吉とは同盟関係だった上杉景勝が上洛して秀吉の家臣となったのはこの5月であり、
家康は降伏したのに、なかなか上洛しなかったので、この年の秋に秀吉自身が三河国境に出陣し、
北国衆を秀長に率いさせ攻撃するという秀吉再出陣が計画され景勝にも伝えられたが、
これにあわてた家康が10月に上洛して秀吉の家臣となったので出陣計画は中止になった。
この9月に上杉景勝は関東・奥羽の取次ぎ役を秀吉に命ぜられており、
施薬院全宗、津田信勝らの秀吉の吏僚は北条討伐後は北条討伐後に関東に
入部するのは景勝がふさわしいと考えていた。
138人間七七四年:2007/12/02(日) 13:09:31 ID:r3Uuu0vD
とにかく秀吉自身が家康を殺すしか徳川家を潰す方法はでてこない
能力、格からいって前田利家や石田三成じゃ相手にならん。
家康の事態収拾能力は異常だよ
三河一向一揆、豊臣家臣従、関東移封、朝鮮引き上げ、関ヶ原戦後処理、
どれも潰されるか、権威が失墜してもおかしくないけど逆に評価を上げている
織田信長や武田信玄が相手でも格下扱いとはいえ名を上げているし
自身の能力も高く、家臣にも恵まれている
秀吉以外のそんじょそこらの相手じゃかなわん
もっとも、その秀吉が懐柔策を主導してるしな
139人間七七四年:2007/12/02(日) 16:31:57 ID:aQnmn029
秀吉は家康にビビッていたからな。最後まで、武力での解決に躊躇していた。
服従した後は東国の旗頭として、これまた実に役に立ってくれるので、ついついそのまま。
140人間七七四年:2007/12/02(日) 17:53:27 ID:noPoAjgx
>>131
それで三成が豊臣を束ねる話はどこに行った?
自説を証明できずに話をすり替えてお仕舞いなのかよ?
独りよがりな展開に、みんな呆れてるようだが・・・。
141人間七七四年:2007/12/02(日) 19:45:50 ID:KoqCcwbL
>>132
>もういいから……。お前の勝ちでいいから消えてくれ……。

当たり前だ 誰がどう見てもお前の完璧な負けじゃないかw

>一人のためにスレがダメになる典型的な例だわ

やっと、己自身でそのことに気付いたんだな? 偉い偉い^^

>>134
だからバレバレの自演しつこいって・・
いい加減、まともな見解や史実に基づいた批判が出来るように勉強しろ

>>140
まだ、何一つも話しの流れを理解できずにそんなこと言ってんのか?
主張や史実根拠どうこうを語る以前の問題だな。
お前は、まず、最低限の理解力というものを養え
本当にお前1人の為に議論の進行が阻害されてる
142人間七七四年:2007/12/02(日) 20:04:57 ID:PMAtJOBz
>>豊臣政権安泰派(一人?)
>>第二、第三の家康台頭派(複数?派の名称も適切かどうかわかりせんが)
どちらもしつこいですよ。
スレタイからはずれた主題で延々と、しかも最近ではただの中傷合戦に堕している。
もはやお互い兵を引くべきと存じますが。
143人間七七四年:2007/12/02(日) 20:13:04 ID:KoqCcwbL
自演はもういい

仲裁とは、五分と五分の状態だからこそ成立するもので

現段階に至っては明らかに落城か完全降伏

素直に負けを認め降参すれば、その命までは取らずに許してやれるが

まだ、悪あがきを続けるようならトコトン追い詰めるまで( ̄ー ̄)ニヤリッ
144人間七七四年:2007/12/02(日) 20:13:50 ID:UVvSXF2z
秀頼が幼い間に秀吉が逝ったんだ、たとえ家康を片付けてもほかの誰かが豊臣家を滅ぼしただろう。
秀吉にすれば、北条氏を滅ぼした後の関東国替えが家康を滅ぼす最後のチャンスだった。
もしここで家康が難色を示せば討伐の口実になる。しかし、家康の方が一枚上手だった。
ここで下手に逆らうよりも命令に従って秀吉の信用を勝ち取る方が上策と判断したんだな。
この時点で勝負あった。

145人間七七四年:2007/12/02(日) 20:23:15 ID:KoqCcwbL
>>144
その見解はかなり良い線行ってる

けど、全てはバカを退治した後に
本来の主旨、流れになったところで発言した方が良い

でないと、たった一人のバカの為に
説明や流れを大いに足を引っ張られることになる
146人間七七四年:2007/12/02(日) 20:33:02 ID:9NQ1MYHs
秀吉は対徳川の切り札として前田利家、毛利輝元、上杉景勝を五大老にしたんだっけ?
まず、利家に秀頼の守り役にするのはよかったが「利家亡き後は利長と毛利、上杉で秀頼の守り役を」
こうすればよかった。秀吉も利家も利長だけじゃ不安なんだし上杉景勝に任せりゃ家康の専横を阻止できた。
上杉景勝だったら家康に反論できてた。
あと、関が原で家康が引き返したら三成も大阪城に戻るべきだった。
147人間七七四年:2007/12/02(日) 20:50:59 ID:38hiEw+V
>143
もっと頑張れよ!w
このバカどこまで行くか楽しみだww
148人間七七四年:2007/12/02(日) 21:10:40 ID:KoqCcwbL
お前のバカさと、しつこさは
お前自身が思ってる以上に
周囲に迷惑かけてることに気づけよ

本当に、戦国時代が好きで
そのことについて話したい人間の邪魔してんだぞ

いい加減、冷静になってよく考えろ
149人間七七四年:2007/12/02(日) 21:21:43 ID:38hiEw+V
>>148
いや、それ全部お前の事だから
たしなめてる人にまで八つ当たりして恥ずかしくないのかね
みんな自演に見えるから何言われても無駄かw
150人間七七四年:2007/12/02(日) 21:33:53 ID:aQnmn029
>>146
そこまで外様に全面依存はできなかった。毛利も上杉も前田なんかより遥かに外様。
能力的にも、公儀の仕置きができるかすら正直微妙(あの時それができるのは家康ぐらい)。

関ヶ原については三成は赤坂岡山に、家康の馬印・旗が翻るまで気づかなかった。
151人間七七四年:2007/12/02(日) 21:34:52 ID:PBLHfvYJ
家康がいなければ黒田如水が天下をとったかもな
152人間七七四年:2007/12/02(日) 22:03:37 ID:9NQ1MYHs
>>150
毛利はともかく上杉は家康にけんかを売るくらいだから「亡き太閤様にご遺言で秀頼様の守り役をつとめているのでここを離れるわけにはいかん」くらい言えるだろう。
少なくとも利長よりはマシ
153人間七七四年:2007/12/02(日) 22:14:23 ID:aQnmn029
>>152
政局がどう転ぶか解らない時期に、会津に籠ったきり出てこない様相を見ると、
公儀云々よりお家拡大第一という旧来の戦国大名に過ぎない
因みに家康も江戸には関東移封直後の六ヶ月弱を除けば、関ヶ原前以前に
三ヵ月前後が6回に過ぎない
154人間七七四年:2007/12/02(日) 23:29:06 ID:IzMMCskH
もはや議論になってないんだから、
KoqCcwbL 対 38hiEw+Vとあと何人か
のケンカはよそでやってくれ。
155人間七七四年:2007/12/02(日) 23:34:45 ID:38hiEw+V
>154
正論なんだけど、そんな事言うとまた自演だって言われるよ
病的な被害妄想だから
156人間七七四年:2007/12/03(月) 07:50:02 ID:exx0jOUL
>>149
たしなめてるんじゃなくて
お前を哀れと思い助け船を出してくれてるんだよ

>>155
お前、バレバレの自演しか出来ないな
本当に病的だわ
157人間七七四年:2007/12/03(月) 08:58:52 ID:z48iQGH3
全国統一してから徳川に喧嘩ふっかけるべきだったんだろ。
北条をつぶすことが出来たのは全国統一したその刀でもってやったから
出来た業であって。
ただ、それをやったら秀吉が家康と一緒で後世まで古狸として
語られるようになるだろう。
158人間七七四年:2007/12/03(月) 11:12:50 ID:nbZynHEM
>>156
はあ?たしなめてるカキコミも俺の自演なんじゃなかったのか?また話が変わったんだなw

で、早く>>143を実行してくれよ
アホらしくて欠伸が出るが
159人間七七四年:2007/12/03(月) 11:46:34 ID:nbZynHEM
>>156ついでだが、155は自演でも何でもなく俺だぞ
お前IDが何のためにあるか分かってないだろw
過去レスにも気に入らない相手にはバレバレとか自演とか間抜けな事を書きまくってるが
このバカ相手だと当分退屈しないで済みそうだw
160人間七七四年:2007/12/03(月) 12:58:42 ID:0gOFL7ff
本気で家康を滅ぼそうとしたら秀吉の天下取りは不可能
よってスレタイ自体がナンセンス
161人間七七四年:2007/12/03(月) 17:51:12 ID:xyHRG9Gf
家康の協力なくして信長の天下布武はあり得なかった。
家康の協力なくして秀吉の天下統一もあり得なかった。
全ては家康ありきなのだよ。
162人間七七四年:2007/12/03(月) 19:28:46 ID:exx0jOUL
>>158
あららw自演してたって認めちゃったね^^

>>159
バカじゃないの?
オマエにとってIDなんか意味ないじゃん
別のID使ったところで結局、自分で自分に話しかけてるんだもん・・
163人間七七四年:2007/12/03(月) 19:57:09 ID:lUwoR9SW
主題に戻って

桶狭間の時に抜け駆けして首をあげるって言うのは100%無理?
このときなら秀吉も持ってるものが少ないから万が一に賭けての無理が利くと思うんだけど。
その後のことはしらんけどさ。
164人間七七四年:2007/12/03(月) 20:15:54 ID:kVMLmSP/
桶狭間のとき、松平元康は大高城にいる。
木下藤吉郎一人でどうやって首を取るんだ。
その当時の元康の首に、抜け駆けしてでも取るような価値なんかないし。
165人間七七四年:2007/12/03(月) 20:17:35 ID:PTWwYLTn
今川義元の首上げても出世しないんだぜ
166人間七七四年:2007/12/03(月) 20:42:23 ID:lUwoR9SW
自分で言っておいてなんだが、あまりにも馬鹿過ぎたかも知れない。

馬鹿ついでにもう一つ無駄知恵

金ヶ崎ののき口でうまいこと危険を押し付けた結果、家康、討ち死に

まあ、押し付けられるわけが無いんだが、上手く騙したと言うことで。われながらコレも無茶だなあ。
167人間七七四年:2007/12/03(月) 21:02:58 ID:exx0jOUL
いいと思うよ^^
どんな突飛な発想であっても、いろんな可能性を考え
間違いは間違いと謙虚に正す姿勢があれば必ず成長する

俺は個人的には政権樹立後に難癖つけて討伐することが一番無難だと思う
168人間七七四年:2007/12/03(月) 21:48:25 ID:QQuNeVIx
突飛なのはしょうがないというか、秀吉もできるなら殺したい、
潰したいと思ってたのに出来なかったんだからな
やるとなるとトンデモにどうしてもなる
169人間七七四年:2007/12/03(月) 23:37:38 ID:UN3FS7Rq
家康もしっかりと忠義面を見せてたわけだからな。
何の落ち度もなく、秀吉政権に大いに貢献していた徳川家を潰せるわけない。
その辺はまあ家康の粘り勝ちというかなんというか。
ただ、秀吉死後の体制が仮に磐石であったなら、手も足も出せない家康は
豊臣家の忠臣のまま生涯を終えると思う。
返す返すも残念なのは後継者が幼少であったことと、豊臣家を支える
譜代家臣団が脆弱であったことだな。
170人間七七四年:2007/12/04(火) 00:13:45 ID:hGJBnMn/
>>162
あのな、「自演」の言葉の意味を辞書引いて勉強しろ
お前には歴史より日本語の勉強が先

まあ淀と石田三成が親密だったとか書いてる時点でアホだが
稚拙な知識で上から物を言うのも痛さ全開w

さあ次はどんなアホ話を用意してくれるんだ?w
171人間七七四年:2007/12/04(火) 00:21:38 ID:hGJBnMn/
んで早く>>143を実行してくれよ
退屈して待ってんだよ、自意識過剰&被害妄想の歴史好きさんよww
172人間七七四年:2007/12/04(火) 00:27:42 ID:hGJBnMn/
>>167
難癖つけて徳川討伐して、んで秀吉が死んだ後は誰が豊臣政権を仕切るんだっけ?w
ここからがお前の本番だろ?
また空想妄想の展開を楽しみにしてるぞw
173人間七七四年:2007/12/04(火) 01:00:37 ID:imss0HqT
>>ID:hGJBnMn/
落ち着いて。

彼の代わりに不肖私が・・・

1 あらかじめ徳川の家臣にお金を渡して友好値を高める。(本田忠勝等の主力武将のみでよい) 
2 忍者使って家康を暗殺する。(お金を惜しんではならない)
3 家康亡き後は徳川家臣団の忠誠度が下がるから引き抜き放題w
4 秀頼を保護して権威を高める。
5 島津、前田、伊達等の友好度を100に保つ(外交で言うこと聞かせやすくなるし攻めてこない)
6 有力大名を抑えた後、引き抜いた徳川家臣団を利用して勢力拡大
7 勢力拡大し国力がついたら有力大名を一つずつ潰す。(他の大名の友好度を保ち攻められないようにする)

 ほうら、あっという間に全国統一w 



・・・・ごめん・・・・書いててむなしくなった(´・ω・`)ショボーン
174人間七七四年:2007/12/04(火) 01:14:22 ID:zLbuPhzC
>>17
でもせいぜい奥州藤原氏程度の力しか持てんでしょ。
後世の南北朝の北畠顕家ですら、破竹の行軍して駿河あたりでジ・エンドだったし、
関東でなく、奥州探題ぐらいにまつりあげとけば結構良い策だったんでは
175人間七七四年:2007/12/04(火) 01:16:50 ID:zLbuPhzC
>>37
そーでもない福島正則なんか文字通り徳川に対しての押えを期待されてあの配置になってた。
こやつが家康の抑えとして機能するはずが、三成にくしで東軍に走ったのがかなり痛かった。
176人間七七四年:2007/12/04(火) 02:25:34 ID:KcfIPEi5
>>169
いや一番の原因は、秀頼が生まれちゃった事、だと思う。
秀次がそのまま継いでりゃ、もう少しマシだっただろう。
177人間七七四年:2007/12/04(火) 06:25:04 ID:TTzwgUfg
・秀長が(家康死亡まで)生きている
・秀次と一族が生きている
・鶴松(唐入りの一因)生まれず
・秀頼生まれず
・淀殿早逝

この内どれか一つ有れば豊家は残る
178人間七七四年:2007/12/04(火) 07:33:01 ID:AbcN2FRx
他にも、秀勝が病気で死ななければ、とか。
179人間七七四年:2007/12/04(火) 08:21:20 ID:0hWZ44JO
・秀次、秀家、秀秋で豊臣三銃士結成
180人間七七四年:2007/12/04(火) 11:40:05 ID:vESRWoer
スレタイの意味では秀吉が存命中に難癖つけて徳川潰すしかないわな
ただし
(1)秀吉死後の唐入り始末後のゴタゴタを誰がまとめられるか?
(2)(1)がほぼ歴史どおりにいっても帰還組から逆恨みされる三成は
例の襲撃時に匿ってくれる家康がいないから大阪で斬られちゃうw

なので家康がいなくなっても三成の目は無いな。
181人間七七四年:2007/12/05(水) 13:12:19 ID:MXjVzgrO
>>180
2に関しては家康に匿われたわけではなく、単に自分の屋敷に逃げ帰ったという説もあるらしい
182人間七七四年:2007/12/05(水) 18:38:28 ID:11kZ7ioQ
>>181
どういうことだ?
家康の屋敷に逃げ込んだというのは石田屋敷へ通じる道は
全て封鎖されていたって事だった様な気がするが・・・、

まさか、忍者!?
183人間七七四年:2007/12/05(水) 19:57:53 ID:VOvsxykm
>>170
で、オマエは何一つ反論出来なかったんだよな?w

>>171
どうした?自分で泣きついて仲裁装ったくせに
今度は負け犬の遠吠えか? よく似合ってんよw

>>172
オマエやっぱり頭悪いな。
必死に反論の糸口みつけようとレス読み返したんだろうが
結局、言われてることを何一つ理解出来てない無能ってことを露呈しちゃっただけね^^

184人間七七四年:2007/12/05(水) 20:11:50 ID:iHKgiTUC
北条を片付けたあとに
家康の所領を召し上げ
朝鮮半島切り取り次第って特攻させる。
おそらく反乱起こすだろうからそのとき片付ける。
家康側につく大名はほとんどいないから勝利間違いなし。

だが秀吉は古狸って後世語られ続けるでしょう。
185人間七七四年:2007/12/05(水) 20:24:46 ID:VOvsxykm
朝鮮半島切り取り次第ってのは流石に強力だけど
北条を片付けた後に伊達も片付けて
関東じゃなく奥州に領地替えさせればいいと思うよ
186人間七七四年:2007/12/05(水) 20:38:56 ID:dqaM1Sxu
>>182
家康側にとっては、かくまってやったことにする際に話を大きくした方がいいだろ。
絶体絶命のところを救ってやったことにすれば、自分の正当性が宣伝できる。
187人間七七四年:2007/12/05(水) 23:53:24 ID:+CwWZehj
コノスレオモシロイネ
188人間七七四年:2007/12/06(木) 00:53:18 ID:E18rIQGT
>>183
もう消えたかと思ったが日本語の勉強はちゃんとしてきたか?

今更反論もクソもない話だろうが、お前の三成マンセー話がいったい何人から否定されてきたか全く理解できてないんだからな
自分のアホさが理解できるまで寝ずにスレを1から読み返せ
納得いかないんなら誰か賛同してくれる人間を探してこいよw

結局お前は反論に困った途中から自分の意に沿わないカキコミは全部一人の自演て事にして必死に逃げ回っただけw

最後は第二第三の家康ってところに必死に食いつくしか方法がなかったようだしwそれも無理矢理一人の自演て事にしてなw
お前の頭では限界ギリギリの必死の逃げ口上だったんだろうが、誰にでも分かるそんなアホ話を真に受けるような人はいなかったし残念でしたww

順番から言ってもお前の三成マンセー話から始まった話だって事くらいは日本語が不自由でも分かるだろ、誰かさんの第二第三の家康って話はその後に出たカキコミだ
お前と違って読み返さなくてもそれくらいは記憶してるからw

で、早く始めろよ、みんな待ってるから
妄想空想の楽しいお話はもう止めか?またみんなから叩かれるのが怖いか?
まあ持論は出さずに偉そうに評論家然としてた方が安心だしな、誰からも相手にされてないようだがw
それと早く>>143やれよ、勇ましいのはやっぱり言葉だけか?ただのみっともない負け犬の遠吠えww
189人間七七四年:2007/12/06(木) 01:21:18 ID:kJgzp/HB
小牧長久手の戦いの秀吉らしかぬ失策が無ければ
特に奇跡に頼らずとも家康には勝てたと思う

岡崎奇襲部隊を大規模陽動部隊として扱ったらどうですかね?
家康を小牧山から出させる事を主眼として動かす・・・
池田や、甥の秀次が信用できないのは秀吉としては当然わかっていたハズなのに
でしっかりとした目付けを置いて作戦から逸脱しないように監視、
家康が動いたら岡崎行き部隊は反転して布陣し、家康を迎え撃つ・・・
家康は領国に数万の軍を残しているけど北条、上杉と睨み合っているので動かせないハズ
後世に評価が高まる真田親子もこの戦争では特に家康を助けられないと思う。

簡単に言うと三方ケ原的に戦えば勝てたのでは無いでしょうか?
異論、反論よろしく!
190人間七七四年:2007/12/06(木) 01:42:45 ID:hG0ErLxm
家康は同じ手に2度も3度も引っかからんだろ
三方が原の敗戦をあれだけ自戒としてきたのに
191人間七七四年:2007/12/06(木) 01:45:01 ID:+qSnVYFN
>>184
何の理由も無く、律儀な人物を潰してしまったら諸大名だっていつかは潰されると考える。
自分の身の危険を感じ始めたら、もう脆いよ、ただでさえ豊臣の横のつながりは脆いのに。

家康が古狸と言われたのは、憎らしいほどに見事に国を纏めつつ豊臣を追込んでいった所にこそあるわけで。
そんないくら秀吉がボケたってやらないくだらん策じゃ古狸とは言われない、ただの無謀な独裁者。
192人間七七四年:2007/12/06(木) 01:57:15 ID:kJgzp/HB
>>190
まずはレスどうも

では本拠の岡崎を荒らされる事を耐えるのでしょうか?
秀吉は兵站の面では物凄い負担を強いられておりますが
信玄の時よりも遥かに有利なはず、武田の遺臣を多く抱えていたとはいえ
家康には援軍が居ません、好むと好まざるに関わらず、やはり三河方面に
転進せざるを得ないのではないでしょうか?
それにこの戦争の経緯を見てみますと、野戦に長けた家康に手も足も出なかった
と言うよりも”持て余した””天下取り事業を優先したかった”のほうがシックリ来ると
思います
193人間七七四年:2007/12/06(木) 02:06:41 ID:hG0ErLxm
それは史実の場合じゃないのか?
194人間七七四年:2007/12/06(木) 02:15:46 ID:kJgzp/HB
しかし、家康の強みは当時でさえ
織田信長の遺児を助けた手伝い戦はずです
秀吉の場合は旧主の遺児を攻めたになりますよね。

勝家の時とは状況が違うと思います
そろそろ織田の譜代も秀吉の真意に気が付いているはず
毛利はともかく長曽部などはハッキリ書状で信雄に理がある旨伝えてますので
史実うんぬんに関わらず秀吉の天下取りの意思は当時もあったと思います。
195人間七七四年:2007/12/06(木) 02:26:58 ID:kJgzp/HB
すいません
俺、なんだか頭悪い文章ばっかですね
もう寝ます、諸兄には申し訳ないです
196人間七七四年:2007/12/06(木) 21:22:28 ID:yF7slvGp
>>188
オマエが悔しさ満開なのは分ったが落ち着けw
結局、オマエは同じ内容のことしか言えてない。ずっとリピートだ・・
しかもその内容も薄いのに、何をどう無駄に言葉を使えば
そんな長文駄文に纏め上げられることやらw
しかも、未だに言われ続けてること何一つとして理解出来てないとは・・

オマエの低脳を際立たせる為の自己主張はもういいから
せめて小学生並でもいいから理解力を養ってくれ
分ったな? この自演野郎
197人間七七四年:2007/12/06(木) 22:17:40 ID:yF7slvGp
>>188
オマエ、本当に低脳だな。もう1度噛み砕いて説明してやるから聞けよ

@まずこのスレの主題は「秀吉はどうすれば家康(徳川家)を滅ぼせたのか?」だ。

Aしかし、それに対しお前はこう言った「第二第三の家康が現れるから同じ」
 これは、スレの主題について考えても同じような人物が繰り返し現れるので全く無意味だ。と言ってるようなもの

Bそんなスレの主題を全否定するオマエに対して、ならば具体的に説明しろ。
 これは・・

し ご く 、 あ た り ま え の な が れ 。 常 識

分ったか?
にも関わらず低脳のオマエは、まだそのことすら理解もできずこんなこと言ってる

>>188
>最後は第二第三の家康ってところに必死に食いつくしか方法がなかったようだしw
>順番から言ってもお前の三成マンセー話から始まった話だって事くらいは日本語が不自由でも分かるだろ、
 誰かさんの第二第三の家康って話はその後に出たカキコミだ

オマエは本当にキチガイか?
何故、明らかに質疑応答順序が逆なのにも関わらず俺が我慢して
わざわざ先に三成の話しをオマエにしてやったかも、未だに理解もできないでいるのか?

オマエはオマエ自身が思っている以上に遥かに低脳。
で、唯一できることは自演粘着だけ。おk?


198人間七七四年:2007/12/06(木) 23:06:47 ID:xLsLpzSI
のう、徳川殿。
ワシと徳川殿は、姉川の戦より、知己の仲ぞ。
東は徳川殿で、ワシは西へのう。

まずは、関東を頼むぞよ。
もちろん、勝利の暁には、関八州もそちの思いのままぞ。

1586年秋
ほう、いよいよ徳川殿も北条との決戦をのう・・・。
場所は、小田原かのう。
ワシもいよいよ、最後の島津との決戦ぞ。

熊本城にて休息中・・・。
「ごちゅうしーーん! 徳川殿の部隊、小田原城をやり過ごし、
江戸へ進軍中、北条の奇襲を受けた由にございます。」
「して、徳川殿は?」
「城に篭城していた部隊との挟み撃ちに合い、
 全軍、駿河まで退却したとの知らせにございます。」
「なんとのう・・・して、被害はどの程度じゃ」
「本多忠勝殿、榊原康政殿、討ち死に! 
 殿を勤めた酒井忠次殿、井伊直政殿も討ち死にとの知らせ。
 徳川殿は、駿府城にて篭城の由にございます。」
「ほう・・・、では、島津は即刻片付け
 大坂へ引き帰さねばのう・・・」

ニタリ・・・・・・WWW 
199人間七七四年:2007/12/06(木) 23:17:58 ID:E18rIQGT
>>196>>197
あ〜あ、もうお前が日本語も歴史も語れないスカスカな脳みそなのは充分わかった
おまけに自演自演のリピート病はお前の十八番だろ、アホの一つ覚えの自演自演でどこまでも逃げてろよ
お前の退屈な逃げ口上なんぞ面倒臭くて読む気にもならん、とりあえず退けなくて必死なのは良くわかったがな

さあ俺が自演してる他のカキコミにも食いつけよ、お前の気にいらない事がいっぱい書いてあるだろ?>>143は本当に痛々しいわw
200人間七七四年:2007/12/06(木) 23:37:12 ID:lHoUFNnA
>>197
>>199
双方が自分が負けたとは寸毫も思っていないようですし、
議論もまったく噛み合っていませんから、いつまでたっても決着はつかないと思いますよ。

話題を変えれば、あるいはとても気が合う、ということがあるかもしれませんよ。
やれ信長が本能寺で殺されなければどうなっていたか、やれ信忠だけでも生き延びていたら、
はては女性の好み等等等、、、
201人間七七四年:2007/12/06(木) 23:41:08 ID:yF7slvGp
( ´,_ゝ`)プッ

長文なのに内容ないと指摘されて動揺してやんのw

バカでも理解できたようだな
「オマエの無能な主張が全てのことの発端なんだよ」
早く説明しろよ
史実に基づいた具体的な根拠を
202人間七七四年:2007/12/06(木) 23:46:37 ID:xLsLpzSI
だって双方、同一人物じゃんWWW

文体、表現、語尾、単語選び、主述、てにをは、まで
全部同じじゃないかWWWW

もう少し、遊ばせてあげなよ。
こうやって反応しているうちは、本人楽しんでるんだから。
203人間七七四年:2007/12/06(木) 23:50:39 ID:JyKtz5rf
>>197
スレの流れを見て完璧にあなたの勝ちだよ。
だからもう悲しい>>188を攻めなくてもいいよ。

ところであなたの御高説の三成がどうやって外様や諸大名を抑えるのか具体的に詳しく聞きたいのだが?
204人間七七四年:2007/12/06(木) 23:52:14 ID:csbPmNtf
>>1
秀吉が明国を狙ってなければ家康の命はなかったと思う。
単に関東征伐をもう一度やれば徳川は終わりだった。
205人間七七四年:2007/12/06(木) 23:58:48 ID:yF7slvGp
>>200
>双方が自分が負けたとは寸毫も思っていないようですし

と、言うより
単純に>>199が「己が完敗している」という事実に対してさえも理解出来てないだけだと思うよ

こちらは>>199の言う「第二第三の家康が現れる論」に対して
反論できる用意はいつでも出来てるよ。
つまりまともな議論をする意思はある。
てか、したくてしたくて待ち遠しいくらいなんだけど
当の>>199本人が一向に「具体的説明をしない(できない?)のでは」
話が全然、前に進まない。
当然、今、議論すべき議題は
「第二第三の家康出現により結果は変わらない」ということなのだから
言いだしっぺの>>199本人の具体的説明がないことには
コチラも、これ以上の反論をする余地、論点が生まれないのは必然


206人間七七四年:2007/12/07(金) 00:18:19 ID:/OM11FH0
>>203
賛同サンクス
やっと自演以外の第三者の客観的判定が入って良かったよ
でね、君を>>188のバカ以外の第三者であると信じて、こちらの本心を明かすとね

僕の本音も実は「第二第三の家康が現れる可能性はある。」と、思うんだw

ただし・・

この人物を聞かれて、それは毛利や上杉です。と言うなら
それは所詮は妄想小説ベースの戯言だと思ってたんだ。
何故なら、そんな人物を挙げる理由なんて答えが一つに決まってるからだ。
それは「史実でNO2だった家康がいなければ、順位繰上げでNO3だった人物が家康になれる」これしかないからだ。
しかし、バカが分ってないのは
「NO2という順位は同じになれても、その力まで同じになれる分けではない」ということなんだ。

だから、バカっぽい>>188が第二第三の家康云々を言い出した時に質問したんだ「誰が取って代わるんだ?」と
するとやっぱりバカの>>188は、それは毛利です。と、答えた。

それに対しての三成論なんだ
207人間七七四年:2007/12/07(金) 00:50:57 ID:qnoNk+ik
>>186
つまり、全て作り話だってコト?


遅レススマソ
208人間七七四年:2007/12/07(金) 01:13:52 ID:p7yQPg5F
>>206大爆笑www
209人間七七四年:2007/12/07(金) 02:11:43 ID:ae4v4v86
>>206
家康以外に300年の天下泰平を作り出せた人はいないということだね
210人間七七四年:2007/12/07(金) 02:18:50 ID:PHZRkx+J
偉大なる弟、秀長がせめて後10年存命であれば徳川・三成は抑えられてたはず。
秀長が居なければ秀吉も天下は取れなかったはず。
211人間七七四年:2007/12/07(金) 03:32:42 ID:J7QXLC5M
論理的に言えば、徳川が最終的に勝利したという事実は動かせないために
勝利したものが最強であるという前提があれば最強は徳川とか豊臣ということに
なってしまう。動員数においても最終的に天下を統一したのは徳川なのだから
徳川や豊臣の動員数が最大であったヨッテ最強と言われればハイそうですかで
終わってしまう話

敢えて問いたい話なんだが、
我々はそんなくだらない最強を求めてたの?って話なわけだ。
212人間七七四年:2007/12/07(金) 07:28:23 ID:/PmHpA2Y
金吾様こそ最強
213人間七七四年:2007/12/07(金) 19:36:28 ID:/OM11FH0
>>209
250年の天下泰平となると説明難しいけど
豊臣政権がある程度持続すれば戦国期の終焉には違いないと思う
それを実現させるならば家康じゃなくても可能。とだけなら言えるよ

ちなみに石田論の詳細も何一つ語ってないけど、それは
>>208のようにカスがまた荒らしてくるの分ってるから様子見てんだけどね

214人間七七四年:2007/12/07(金) 22:40:39 ID:BweCKq3/
石田論ってなんだ?
話が罵り合いになってからスルーしていた
ログを読む気にもならん
215人間七七四年:2007/12/09(日) 02:34:45 ID:FHOJiMtT
あげw
216人間七七四年:2007/12/09(日) 11:20:34 ID:Fj/D5kxN
>>206
このバカ何を言ってんだ?
地位が人を作る時代に
217人間七七四年:2007/12/09(日) 11:50:06 ID:fEplIndB
最初から読んだけど、このスレ面白いねw

特に >>206痛すぎるwww

で、家康に代わる人物は誰なんだい?
218人間七七四年:2007/12/09(日) 11:54:56 ID:S2woVVBS
毛利や上杉です
219人間七七四年:2007/12/09(日) 13:08:13 ID:FHOJiMtT
毛利や上杉は無理ですよね、そこで>>206石田論をお願いします
220人間七七四年:2007/12/09(日) 15:20:12 ID:ecHDjmnZ
三成が諸大名のバランスを保って豊臣政権を持続していくという話じゃないの?
221人間七七四年:2007/12/09(日) 15:27:26 ID:FHOJiMtT
まだ詳細を語ってないらしいよ
>>213にて
222人間七七四年:2007/12/09(日) 17:03:17 ID:fEplIndB
三成さん来ないね…

>>220
秀吉と言う重しが取れた事によって諸大名達はテンデバラバラになるんじゃないかな?

上杉は越後奪回を目指す、
伊達も米沢、会津
佐竹も白河、会津
最上も庄内、米沢を狙うと思うし

九州でも島津が北上したりして日本全国戦乱に逆戻り…カオスだなw
223人間七七四年:2007/12/09(日) 17:46:50 ID:ecHDjmnZ
どの大名も隣国を狙うことによってお互い動きがとれず、
結局めでたく豊臣政権持続なのでしたw
224人間七七四年:2007/12/09(日) 20:25:05 ID:pKCHu7fN
>>222
重石が取れた結果が関が原だものな。
225人間七七四年:2007/12/09(日) 21:16:45 ID:baVANblx
>>223
>>222の状況で毛利が中央に攻め込んできたら、誰が守ってくれるんだ?
家康の亡霊?
226人間七七四年:2007/12/09(日) 23:29:07 ID:ZUNxld9a
毛利は宇喜多が防波堤になりそうだが、その宇喜多が暴走しそうなんだよな
豊臣の親藩である自負が勝ちすぎて無茶に走りそう
ただでさえ家中もまとめられないのに諸大名家の調停なんざ無理だろうし
家康や利家のような調停役が見当たらないんだよな
227人間七七四年:2007/12/09(日) 23:37:59 ID:ecHDjmnZ
>>225
そんなことは考えない
ラッキーが続けば豊臣政権は持続できるかも、程度の話w
228人間七七四年:2007/12/10(月) 00:07:39 ID:XWWcxTeo
そこで石田三成ですよ!
229人間七七四年:2007/12/10(月) 00:28:18 ID:j8dN2Ruo
家康が秀吉死後1年以内になんらかの形で死去するとして、その後の諸大名の状況は

前田 ・・・ 利家も死去するので動けず。秀頼の守り役はするだろうけど状況しだいで大阪退去。北陸で割拠。
毛利 ・・・ 一応親豊臣ではあるものの家康・利家亡き後だと大名家として頭一つ抜けたの勢力となり
       権力が集中する可能性があるため豊家譜代との確執をどう回避するのか
上杉 ・・・ 地方割拠と越後復旧。他の東北勢をなんとかしないと中央にはいけない。景勝と徳川秀忠は割と親しいらしいのでそっちはなんとかなる?
宇喜多 ・・・ 親藩として活動するが秀家の器量と家中の混乱でどうなるか
徳川 ・・・ 秀忠があとを継げるのか。継いだら中央にはいかないだろう。関東に割拠。東北と東海・中央勢との関係しだい

豊臣に忠義をもって尽くすのは石田三成や福島正則あたりだろうが武断派と吏僚派の対立は解消できそうになく、
またその所領も大老クラスとは差があるのでどこまで豊臣の力となれるかはわからない
他の大名家は自分の領国に戻った上で長いものに巻かれるか野心をもって動くかになりそう


230人間七七四年:2007/12/10(月) 01:18:57 ID:szIgE7zd
秀忠が中央に行かない理由って何?
二代将軍としての業績を見ても充分に徳川二代目として継げるだけの能力持ってると思うが。

軍事的な面は割と優秀な兄弟に任せてしまうと言う事もできるわけだし、
家康とはちょっと微妙な関係だった兄秀康とも仲が良いようだし。

家康がただ老衰で死んだだけなら徳川二代目の体制自体は磐石では無いかと。
231人間七七四年:2007/12/10(月) 01:36:39 ID:GnMbFKnv
>>229
その仮定でいくと武闘派に襲われて三成も死んでるな

徳川は秀忠が跡を継いだら秀康が反発するだろうし
下手したら井伊は忠吉を担ぐ可能性も出てくる
そしたら榊原は井伊に付くか? 忠勝は、どう出るんかな?

なんにせよ徳川は分裂の可能性が大だな。

豊臣も尾張派と近江派で権力闘争やってグチャグチャな気がするw
如水が金吾を担いで、暴れるに1000ペリカ
232人間七七四年:2007/12/10(月) 01:43:36 ID:GnMbFKnv
>>230
お〜いw

1598〜1599の間に家康も死んでるって仮定だよ
将軍に着いてなければ、まだ只のボンボンw
233人間七七四年:2007/12/10(月) 02:35:15 ID:NjtGm9iI
秀吉は、鍋島直茂を大阪に引き抜けば良かったんだよ。
234人間七七四年:2007/12/10(月) 02:42:32 ID:szIgE7zd
>>232
20歳なら充分では?
何もいきなり家康の代わりが勤まるとは思わないが
関東に引きこもらなくちゃいけない理由も無い。

で、状勢は俺もどう考えても滅茶苦茶だと思うので、たった2〜3年やそこらでどうにかなるとも思えない、
秀忠が地盤固めるには充分では?そのためにも中央で二代目として動いていく事は必要だと思う。

まさか家康が死んだからといってこの状勢で関東250万石に攻めてくる無謀な奴がいるとも思えんし。
伊達とも既に縁組がなされてるし、秀康も家康より余程秀忠との方が関係良好だし。
まぁ秀康はそれ以前にグダグダやってればすぐ死んじまうし。
235人間七七四年:2007/12/10(月) 03:22:58 ID:5JGne8Pz
>>229
三成が死ぬってことは有り得ない。
武断派みたいな雑魚どもが三成を討つなんて無理無理。
236人間七七四年:2007/12/10(月) 03:58:46 ID:AMvEhL2J
七将襲撃事件(三成の奉行引退)をお忘れでないかい?
237人間七七四年:2007/12/10(月) 08:29:46 ID:nDvUMujZ
史実では家康がさばいた
家康がいないなら他の大老に動いてもらえば?
で、藤堂や池田、微妙なところで細川や黒田は家康が
いないのにわざわざ首都で騒ぎ起こすの?
238人間七七四年:2007/12/10(月) 11:43:44 ID:j8dN2Ruo
秀忠は史実では家康や幕閣の助けをえながらだが幕府の整備や諸大名取り潰しを行っている
統治能力自体は結構高い
ただ自分から野心をもって行動しそうにはないな
中央にいけば政争に巻き込まれるのは必至だし、それを収集するまでの能力があるかどうか
どちらにせよ各地で争いが起きてるだろうから早めに関東に引っ込みそう
関東にいる限りは上杉、伊達あたりと争わない限り安泰でしょう
その次の代でアボーンだろうがw
史実においては秀康との仲も良好。お互いを立てている

秀康は秀忠よりも覇気もあり結城をついでるし、秀吉の養子だったんだから
こっちが中央にいきそう
秀忠とうまく連携すればおもしろい存在になる
239人間七七四年:2007/12/10(月) 11:50:38 ID:CBEwOH3L
家康死後はスレ違いじゃないか?
240人間七七四年:2007/12/10(月) 17:31:59 ID:efe1X9VR
まぁ、藤堂高虎や伊達政宗、上杉景勝、
と言った戦国上がりの連中を御する事ができるのは家康だってコトだね。
最上も不気味。忠輝だって不気味だし。

そこら辺に家康と三成との違いがあるんだろうけど。

もし三成が土井利勝のような柔軟性を持ち合わせていたらどうだとか思ってしまうけど、
たられば論の域をでないものですな。
241人間七七四年:2007/12/11(火) 04:14:27 ID:Sjdj+NRj
て事は石田三成じゃ家康亡き後の豊臣政権をコントロールできないって事でFA?
242人間七七四年:2007/12/11(火) 10:05:32 ID:ba8kSd+3
>>241
いや、>>240からそれは導き出せないだろう。
>>240は秀忠と家康との対比から三成の性格・特性を導き出してるだけであって、

三成には「太閤殿下のご威光」「淀殿の信頼」という大きなアドバンテージがあることについて触れていない。
>>240から類推できる事は

少なくとも、戦国知らない二代目のボンボンに
「太閤殿下のご威光」は崩せないのでは?

ぐらいのもんじゃないかな。


このスレで何度も出ているみたいだけど、
家康がつけこんだ「武断派の処理」 について
もし家康がいなかったら三成はどう対処したか? または、できたか?
については何の論拠も示されていない。
243人間七七四年:2007/12/11(火) 10:08:10 ID:ba8kSd+3
ちなみに、少ない知識で恐縮だが、
江戸幕府成立時には発言力の低下する武断派の功臣の不満を
恨みとして佐渡守が全て受けたそうな。
244人間七七四年:2007/12/11(火) 12:05:55 ID:Sjdj+NRj
淀の信頼って何?
太閤の威光は秀頼が持つもので、何で三成が持つの?
245人間七七四年:2007/12/11(火) 13:48:30 ID:sUobj0+4
なら、オマエだけ
ヨチヨチ歩きの赤ちゃんのご威光にすがっとけ
と言ってみる
246人間七七四年:2007/12/11(火) 14:40:06 ID:ba8kSd+3
>>244
扉を開けて、外へ出て社会を勉強して来い。
話はそれからだ。
247人間七七四年:2007/12/11(火) 15:28:07 ID:Sjdj+NRj
伏見や関ヶ原で秀吉のご威光あるはずの三成を襲撃したり攻撃した清正や幸長らが、後年の秀頼と家康の対面時に命懸けで秀頼を守ろうとしたのは何故?
「秀頼のために」の名目で家康も大名達に号令を出し、上杉征伐や関ヶ原の西軍を攻撃した事実は何故?

>245
>246
さあ答えてみろ、自宅警備員ども
248人間七七四年:2007/12/11(火) 15:34:51 ID:Sjdj+NRj
あと淀の信頼が何の役に立つのか説明して貰いたい
自宅警備員に
249人間七七四年:2007/12/11(火) 15:49:33 ID:sUobj0+4
ID:Sjdj+NRj こんな頭が悪すぎる奴も珍しい

何も知らない。思考力がない。にも程がある

お願いします。教えてください。だろ?

バカなりに教えてもらう姿勢を示せ
250人間七七四年:2007/12/11(火) 15:49:45 ID:DUlzwKWi
>>247
横レスでしかもスレ違いだが二条城のは命がけもくそもないぞ
浅野は家康に頼まれただけだし、清正は妻が家康養女で娘が
家康の息子に嫁いでるんだから多少パフォーマンスしても
命とられる心配はない
だいたい豊臣が徳川に臣下の礼をとるのを見せつけるための
席で秀頼殺すとかいうあほなことするわけないだろ
251人間七七四年:2007/12/11(火) 16:06:05 ID:30ugF97x
太閤殿下のご「威光」ならともかく「遺光」となっちゃそんなの全く意味が無い
無力
252人間七七四年:2007/12/11(火) 16:14:06 ID:Sjdj+NRj
なるほど!根拠もない自分の思い込みを2ちゃんで偉そうに語るDQNには自宅警備員しかやる事がないって事だけは納得できた
>249ありがとう!
253人間七七四年:2007/12/11(火) 16:16:02 ID:Sjdj+NRj
>251
実際はそうだから太閤の威光なんか当てにならないのは同意
254人間七七四年:2007/12/11(火) 16:31:11 ID:sUobj0+4
ID:Sjdj+NRj こんな頭が悪すぎる奴も珍しい

何も知らない。思考力がない。にも程がある

お願いします。教えてください。だろ?

バカなりに教えてもらう姿勢を示せ
255人間七七四年:2007/12/11(火) 23:47:38 ID:FVnfaw/t
淀の信頼とか、淀が豊臣政権で口出ししたいない・出来ない立場だったのをしらない素人か?
淀が口出せたのは、豊臣家だけ、しかも関ヶ原以降

つかID:sUobj0+4は酷いバカだな
256人間七七四年:2007/12/11(火) 23:52:21 ID:Sjdj+NRj
さらしあげww
257人間七七四年:2007/12/12(水) 00:19:07 ID:pWPxhI5y
七将襲撃されたように、秀吉死後の三成に威光も糞もないよ
利家のように武断派大名に慕われてるわけでもなければ
家康のようにうまくまとめられるわけでもないし
たとえ淀やねねが三成を信頼してても
敵に回すと厄介な武断派大名から三成に対する不満が続々出てきたら
豊臣が害を被らないように失脚させられる可能性だってあるし。
実際、関ヶ原では西軍を応援してたのに負けたら無関係を装ったし。
実権を握るどころか、現状維持すら難しくなるんでは?
258人間七七四年:2007/12/12(水) 00:58:03 ID:nOQwhyAS
>>247
関ヶ原は5大老筆頭としての立場から出兵を命じた。
加藤や浅野は三成と戦ったが、豊臣自体に弓を引いたわけではない。


伏見謁見は「関ヶ原」後の話。源氏長者として朝廷から権威つけられた家康としては
秀頼よりも権威があった。
秀頼は「大阪方」にすぎず、関ヶ原後に徳川氏が蔵入地の大半を譜代や自分の領土として
いれてしまい、単なる一大名としての実力しかなくなってるしな。


259人間七七四年:2007/12/12(水) 01:11:39 ID:hG0p0hi1
>>255>>256
結局、低脳が自演荒らしして逃げてるだけですね

何をバカにされて質問にも答えてもらえてないのか?
さえも本人は一生気付かないんだと思います
根本的に言い分(質問のつもり?)が、まず崩壊してるんですよね
内容が低脳すぎるんですよね
そんな相手に几帳面に説明してやる奴なんて本当に優しいと思う

でも、これだけは言える
ID:Sjdj+NRj、出直してこい 
260人間七七四年:2007/12/12(水) 03:21:27 ID:utwX3BAH
前田利家も律儀者とされてるがもし長生きして天下取りのチャンスがきたら
最後まで豊臣に忠節を尽くしたか微妙だよな
261人間七七四年:2007/12/12(水) 03:55:13 ID:pWPxhI5y
>>260
秀吉が三法師にやった
自分の膝に乗せて諸大名に挨拶させるってのを
利家も秀頼にやったってどっかに書いてあったな
実は乗っ取る気満々だったかもね
262人間七七四年:2007/12/12(水) 04:16:46 ID:8VehpHqc
豊臣政権を安定させるためには
徳川家康は必要だったはずなので
必要不可欠でありなおかつ滅ぼす同期のない徳川家を
「滅ぼせたかどうか」という議論は不毛なはずだ
263人間七七四年:2007/12/12(水) 04:36:46 ID:nOQwhyAS
「天下統一」に家康の取り込み自体は必要だったが、関東移封が
結果的に失敗に終わったのが痛かった。

成政のように国人や遺臣の反乱でケチつける腹だったかもしれんが、
徳川氏がつけいる隙を与えなかった。
関東より朝鮮征伐なんか家康軍団にやらせれば良かったのに。
切り取り次第とかいってさ、万が一朝鮮征服に成功しても、逆上陸は
難しかろうし、隣国と国内の不安定分子双方をかませる手法はどうころんでも
自分の損にはならんし。
264人間七七四年:2007/12/12(水) 05:25:00 ID:G9Aoej/l
>258
つまり三成には太閤の威光がなかった、だから豊臣恩顧と言われた多くの大名達も三成には直接牙を剥いた
太閤の威光なるものが三成にあるなら豊臣恩顧の大名が不満を抱く程度ならともかく直接三成を討とうとする事は有り得ない、太閤への不忠になるのだから

しかし三成を襲撃し関ヶ原では東軍についた清正や幸長ら豊臣恩顧の大名達はもちろん、三成を斬首した家康でさえ豊臣秀頼に対しては寿命のギリギリ最後まで手を出せなかった
関ヶ原後は徳川の時代に移行したにも関わらず秀頼と家康の対面の際にも豊臣恩顧の大名は両者の関係の行く末に気を配っている、徳川にさえ従えば良い時代なら対面の際もわざわざ疑われる恐れのある行動は取らずに放置すればいい
家康の意向で幸長が動いたとしても豊臣秀頼が単なる一大名ならそこまでの手回しは必要ないはずだ
実力は65万石の単なる一大名でも扱いは決して単なる一大名ではない

太閤の威光と言うなら三成ではなく秀頼でしょ
265人間七七四年:2007/12/12(水) 05:28:03 ID:G9Aoej/l
>259
あ、もういいよ君
自宅警備の仕事に戻って
266人間七七四年:2007/12/12(水) 05:57:01 ID:IqFE34I6
家康を関東じゃなく北部九州もしくは四国に移封してれば良かったんじゃないかな
無理か・・・
267人間七七四年:2007/12/12(水) 06:34:09 ID:pWPxhI5y
蝦夷地平定と開拓という任務を負わせればどうかな〜
東北転封さえ左遷と思われてたのに、更に北の海を隔てた未開の地。
平定した後も開拓に追われてある程度地盤が整えられたとしても
中央からは遠すぎて政治に介入する余地がないんじゃないかな。
厳しい気候で早死にするかもしれないというオマケ付きで。
268人間七七四年:2007/12/12(水) 07:01:04 ID:lweCbAmy
関東移封をせずに朝鮮出兵の先陣にしとけば上手くいったら死亡してたかもな
もし朝鮮平定できたら、そのまま朝鮮に移封すれば良いんじゃないか
早死にするだろ
269人間七七四年:2007/12/12(水) 07:31:09 ID:ZxWIbJop
朝鮮人参でモリモリ元気!
270255:2007/12/12(水) 08:06:04 ID:RmK8txXH
ID:hG0p0hi1がすげー痛々しいんだけどw
脳内フィルターで自演認定までしてるしなw


つか話し戻すが、秀次事件の時に家康が連座しかけたのが話題にのぼってないのが不思議
それと関ヶ原後に豊臣家を単なる一大名としての実力しかないというのは言いすぎ
朝廷の豊臣家に対する扱いからも、まだ別格の家、摂関家として遇している
その為家康は、関白を世襲する摂関家としての豊臣家の家格を下げる為に、関ヶ原直後に九条兼孝を関白に就任させ、
豊家を五摂家と同列にし、豊家の関白世襲を否定してる
また徳川家と共に官途推挙権を保持していたし、年頭祝賀の勅使も派遣されてたし、
家康や残存する豊臣恩顧も臣下の礼をとり、年頭祝賀に大坂に赴いたりしているしね

太閤の威光と言うより秀吉が作り上げた豊家の家格や政権の構成が意外に根深いものだった訳だね
271人間七七四年:2007/12/12(水) 12:22:39 ID:hG0p0hi1
なんかこのスレ
低脳な自宅警備員の人が1人でずっと自演してるだけですね。。

>太閤の威光と言うなら三成ではなく秀頼でしょ
>豊家の家格や政権の構成が意外に根深いものだった訳だね

こんな低脳なことばっかり連呼されたら
そりゃ誰も反論も説明もしようという気もおきなくなりますね。。

>>1
バカに巣食われたせいで歴史ゲーム板より低脳なスレになってしまいましたね
ご愁傷様です。
272人間七七四年:2007/12/12(水) 12:48:45 ID:G9Aoej/l
>271この自宅警備員、まだ職場復帰してないのかよ

>242がいかに低脳な話かスレッドにいる人にはすぐに理解できるから

このスレッドには自演ネタで逃げる自宅警備員が常駐しております!

あ、結局自演してたのは君一人だったね
もうどうでもいいけど
273人間七七四年:2007/12/12(水) 12:55:22 ID:hG0p0hi1
バカで1人で見えない敵と戦ってるみたいです。
恐い恐い

この自宅警備員には自分以外の人の書き込みは全部同一人物に見えるみたいですね
だって、それ以外は全部このバカの自演だから。。

>太閤の威光と言うなら三成ではなく秀頼でしょ

歴史ゲーム板水準以下ですね

274人間七七四年:2007/12/12(水) 13:17:56 ID:G9Aoej/l
もう君は一人で好きにやってたらいいよ

意見のある人は大いに議論しましょう
275人間七七四年:2007/12/12(水) 21:02:00 ID:RHxhIVa2
なんかまた変なのが湧いてるな

276人間七七四年:2007/12/12(水) 22:06:36 ID:hG0p0hi1
だな。
主張があまりに低脳すぎて荒らしと変わらんよ
マジメに議論したいなら、マズ、人の話しを聞けばいいのに
277人間七七四年:2007/12/12(水) 22:35:15 ID:NRx0AbNZ
>>263
関東移封自体は失敗というほどでもない。
石高自体は東海にいた頃から150万近くあったんだから
ある意味石高が増えてしまうのはしょうがない。
その上がり幅と中央から引き離す丁度良い境界線として関東は悪くない。

実際、秀忠の失策があるにせよ関ヶ原では関東にいたがために
中央決戦への反応が遅れ、徳川軍はそれほど活躍できずに終わってしまったわけだし
関東に追いやると言う事自体は悪くなかった。

むしろその後にどんどん中央の政権で家康が力をつけていってしまった事の方が問題。
様々な大名と関係を持ち、どこにいようと何かが起こればすぐに中心にいける立場となってしまった。
278人間七七四年:2007/12/12(水) 22:55:17 ID:cWWlq0kT
手段を選ばす家康個人を暗殺するってのが唯一の方法だと思う。
「徳川家」という勢力を滅ぼそうとするとムリあるからな。

しかしまあ実際には難しいんだろうなあ・・・・・
織豊政権は忍びになるようなアンダーグラウンドな非合法武力を徹底排除する政策を
一貫して取ってたしな。むしろそういう連中との繋がりを保ったのは当時の大名で
家康くらいのもんだしな。
やはり家康には見事に隙が無いわ。生き残り勝ち残ったのも納得だ。
信長も秀吉も隙があるね・・・・家康に比べると。
279人間七七四年:2007/12/12(水) 23:06:28 ID:RmK8txXH
>>278
>織豊政権は忍びになるようなアンダーグラウンドな非合法武力を徹底排除する政策を
>一貫して取ってたしな。むしろそういう連中との繋がりを保ったのは当時の大名で
>家康くらいのもんだしな。
全く意味わからないので、ここkwsk
280人間七七四年:2007/12/13(木) 22:32:13 ID:R+fdvdml
>>279
織田信長の時代
・伊賀の諜報的傭兵組織の壊滅(天正伊賀攻め)
・比叡山・長島・本願寺など武家以外の武装勢力の徹底弾圧
・雑賀根来の傭兵たちとの対立
 信長は終始一貫して「中央集権」を目指し、城下町に正規の武士をまとめて
住まわせる政策を初めてとった人。中央の正規の武士を優遇し大規模に組織化する
一方、半農半武の地侍たち、つまり非正規の武装勢力とは常に対立し、意識的に
弾圧を続けた。傭兵勢力も一揆も彼にとっては常に敵であった。

豊臣秀吉の時代
・紀州雑賀の壊滅。徹底弾圧し力攻めで滅ぼし、この地に初めて大名を置いた。
・刀狩り。これがこの政策のトドメだ。兵農分離の徹底によって、非合法な
武装勢力は存在できないようにした。信長以来の中央集権政策はやっと完成した。

 ここまで来るための苦労はエラいものだった・・・・
 信長秀吉二人がかりで何とか完遂したものを・・・・
 結局、家康が全部もってっちゃったんだよなw

 秀吉と石川五右衛門の話があるべ? あれは一種の象徴だな。
 つまりそれまでの日本にはいくらでも存在していた非合法武装集団たちが
いかに信長秀吉に反感を持っていたのかってことを示してるんでないのかね・・・
281人間七七四年:2007/12/13(木) 23:10:11 ID:oiNNGlml
>>279
>>280の続き
徳川家康の政策
・信長の「理想的中央集権」に対して明らかに「現実的地方分権」の封建制を
受け入れて、その中で調整することができる人だった。
・三河一向一揆との融和。三河を二つに割り重臣まで一揆に走った情勢において
弾圧と殲滅をせず、頃合を見て和睦し、また昔どおりに一揆に走ったものたちをも
優遇した。
・信長による伊賀壊滅後、伊賀の残党を保護。服部半蔵は先祖が伊賀出身であるだけで
家康の譜代だが、その縁で来た残党を抱えた。
・信長政策により中央集権した武士というのは「軍隊の構成員」だ。あくまで軍人。
 しかし軍事には優れた軍隊があれば、それだけで良いというものではなく、軍隊と
同じくらい「土木工兵」とか「諜報組織」が重要である。
 3者の軍事思想として、信長は純粋に優れた軍隊を作ったようだが、秀吉は土木工兵の
運用を重視し非常に巧みであり、家康は諜報組織をうまく使ったようだな。

 そもそも大勢力を成せない貧しい地方の地侍が、正規の武士より一段低い扱いではあるが、
土木や諜報のための傭兵として働いて稼ぐってのは日本各地にあった話だろう。
 特に畿内の小勢力には諜報組織的な傭兵や、もしくは純粋な独立傭兵団になる所が多かったようだな。
 家康は諜報組織的傭兵、つまり忍びの類を保護し、正規の武士よりは低い身分としてだが
召抱えた。武田信玄もそういう政策を取ったからそれを模倣したのか、それとも半蔵の縁で偶然そうしたのか。
 それは分からんが、何にしても信長が政策的に弾圧した地侍勢力の内、忍び系の勢力を家康は保護し
活用したことだけは、間違いないだろう。
282人間七七四年:2007/12/13(木) 23:33:03 ID:AZLMyB/c
んで、非合法武装集団というのはどこ?
283人間七七四年:2007/12/14(金) 00:52:42 ID:sRfBWWTM
>>280
信虎も城下に銃身集めてるぞ
朝倉も微妙だがやってたとか見たことあるな
ところで正規の武装勢力ってのは具体的になんなのさ?
傭兵って具体的にどういう組織で、どの大名に見られる組織でどういう権力基盤で存在するんだ?
刀狩と非合法な武装勢力の根絶ってどう関係が?
というか非合法な武装勢力って何?
三河一行一揆で一揆方に走った重臣って誰?
そもそも当時の徳川の重臣という存在に分類される存在ってどんなもの?
土木公平とか長方組織が重要だってあんたの見解は分かったけど、それを秀吉が家康が「巧みに」使った事績って何があるの?
ここにきてなんだがぢ侍ってどういうのを想定して言ってるんだ?
質問ばっかでごめんね
284人間七七四年:2007/12/14(金) 01:12:16 ID:9l9AEJFk
しかし、信長や秀吉ってスゲーよな。
文字通りの抵抗勢力の大半を根こそぎにしているつーか
この2人いなかったら、家康の天下は絶対ありえなかったな
285人間七七四年:2007/12/14(金) 01:14:27 ID:wTQgpzHp
>三河一行一揆で一揆方に走った重臣って誰?
HONDA
286人間七七四年:2007/12/14(金) 11:29:23 ID:gPFlAH2D
一向一揆との融和っておおげさだな
一揆をおこさず寺社が勝手な徴収しなければ一向宗でも許すってだけだし
正信は一揆直後に戻ってきたわけでもない。

諜報能力だって3者とも頑張ってたし贔屓目に見ても家康の方が落ちるw

あと時間軸で織豊政権の次が徳川だから後追いとして見てるけど
織豊の隣にはいつも徳川だった事実を忘れちゃこまる
287人間七七四年:2007/12/14(金) 18:05:09 ID:j2GB/raH
>>283
@誤字脱字を直せアホウ
A日本語を勉強しろボケ
B教えろ教えろだけの質問バカは小学校からやり直せクズ

やさしく教えてやるが、まず自分の意見をちゃんと言うところから、建設的な
議論てのは始まるんだよ。互いに粗探ししてケチつけるだけの誹謗合戦は無意味だからね。

君が内容のある意見を普通の礼節ある文章で書けば答えてやろう小学生w
288人間七七四年:2007/12/14(金) 18:38:08 ID:sRfBWWTM
>>287
武田信虎も城下に重臣を集めて権力の強化を図っている
朝倉も同じ事をしたという遺跡発掘の結果があったような気がする
従って、織田信長が重臣を城下に集めるという方策を採った「初めて」の人間ではない

正規の武装勢力の定義を具体例を提示すると共に論述してほしい
傭兵という存在の定義を具体例を提示すると共に論述してほしい
刀狩と非合法な武装勢力の因果関係を説明してほしい
非合法な武装勢力の定義と具体例を提示すると共に論述してほしい
三河一向一揆における一揆勢力に与した重臣の具体例を教えてほしい
また一向一揆の時点では具体的に誰が徳川家の重臣であり、また重臣の定義を論述してほしい
徳川家康、羽柴秀吉が土木工兵及び諜報組織を巧みに用いた事跡を具体的に提示してほしい
地侍の定義を論述してほしい

満足?
>>278の主張の骨子は
織田羽柴は非合法武力を否定してたから徳川の暗殺は困難だ
一方の徳川は戦国時代唯一それらを味方にした存在であるため、徳川以外の勢力がそれらに暗殺を依頼しても徳川と通じてる為不可能だ
で、その非合法武力って存在がいまいち理解できないから>>279になるわけだ
そして>>280>>281ではまた新たに用語を用いて持論補強してるつもりらしいから、その用語の解説と解釈を求めてるわけだ
相手の(>>278>>280>>281の)主張の骨子は理解できるが、それを組み立てるあいまいな定義の用語があるから議論なんぞできるわけが無い
議論したところで、そのあいまいな定義で逃げることもできるため、「建設的な議論」なんてのは期待できない
なんでさっさと説明しろやゴミカスムシケラ
289人間七七四年:2007/12/14(金) 19:20:25 ID:uAof+2fN
痛いな…
290人間七七四年:2007/12/14(金) 19:45:16 ID:iZiAxm+I
>>280
・伊賀の諜報的傭兵組織の壊滅(天正伊賀攻め)
えっと、これ誰が唱えてるの?伊賀が諜報的傭兵組織だったという根拠は何だろう?

・比叡山・長島・本願寺など武家以外の武装勢力の徹底弾圧
法華宗の武装集団は弾圧していないけど・・・、本願寺や比叡山も敵対したから対決したのであって、徹底的弾圧を行ってないんだけど
比叡山は山下の門前町を焼き払ったのであって、本山を焼き払ってはいないし、本願寺も石山退去でしかないのだが

徹底弾圧とは何を弾圧したの?

・雑賀根来の傭兵たちとの対立
雑賀根来の国人や土豪は信長に味方したり敵対したり、信長は鈴木氏を従えて、鈴木氏も信長に従い、土橋氏を攻めてるのだが?

これでは
>一方、半農半武の地侍たち、つまり非正規の武装勢力とは常に対立し、意識的に弾圧を続けた。
>傭兵勢力も一揆も彼にとっては常に敵であった
上記の文はおかしいのだけれど

というか他の人も書いてるが、地侍が非正規の武装勢力と定義するなら、君のいう地侍の具体的な説明求む
一般で言う地侍(庄屋・名主クラス)と大きなズレがあるから
それとも一般の言う地侍とするなら、多くのというか当時の全ての大名の軍勢は、非正規の武装勢力で成り立たせてるとなり、
>>280のいう正規の武装勢力とは何ぞや?となる
291人間七七四年:2007/12/14(金) 19:52:54 ID:iZiAxm+I
>>281
・信長の「理想的中央集権」に対して明らかに「現実的地方分権」の封建制を受け入れて、その中で調整することができる人だった。
で、家康が行った「現実的地方分権」の封建制というのを具体的に

・三河一向一揆との融和。三河を二つに割り重臣まで一揆に走った情勢において弾圧と殲滅をせず、頃合を見て和睦
家康はいつ三河一向一揆と和睦したのか?
弾圧と殲滅を徹底してるはずだが・・・

・伊賀の残党を保護。服部半蔵は先祖が伊賀出身であるだけで家康の譜代だが、その縁で来た残党を抱えた。
ここも詳しく、説明できないのなら、それが確認出来る史料名をplz

・信長は純粋に優れた軍隊を作った、秀吉は土木工兵の運用を重視、家康は諜報組織をうまく使った
これを判断出来る史料名、もしくはこう唱えている論文名教えて、初耳なんで

292人間七七四年:2007/12/14(金) 21:08:09 ID:sRfBWWTM
>>291
一向一揆に関しては家臣との融和なら見られる
一向一揆という宗教とはたしか禁教までしてたんだっけ、でも家臣とは赦免してる部分があるので融和で逃げられる
一向一揆の主役は家康の(正確には松平に従ってた人たち)家臣であり、彼らと融和したのなら云々と続けられる
293人間七七四年:2007/12/14(金) 21:11:27 ID:kqbaBc7V
>>288
>>290-291
まず感想。

わーい大漁だあw

あと、やっぱお前日本語読めないだろ。
質問ばかりする教えて教えてクンを思い切りバカにしたつもりだったんだがなあ。
そこは通じてないのが興味深い。

質問したければ論旨を一点に絞り5行で書け。
そしたらマジメに答えてやろうw

10も20も同時に質問して、それでどうするつもりなんだ、オマイはw
会話のキャッチーボールって言葉を知らんのかな。
本当に幼いのか、それとも日本人では無いのかとしか思えんぞ。
294人間七七四年:2007/12/14(金) 21:30:30 ID:iZiAxm+I
なんで>>288と同一人物扱いなのか謎

まぁそれは置いておいて、>>293>>280なのか?
質問したければ論旨を1点にって、議論したければ論旨を一点にならわかるが・・・
論旨と言う言葉の使い方間違ってるぞ・・・

つかもういいよ、真面目に答えなくても
煽りしか出来ないみたいだし、程度が知れたから

>>292
禁教してるし、三河で宗教統制行ってる(これは家康に限らず多くの戦国大名が行ってるが)
家臣には改宗徹底させているし、和睦と言うような行為は為されてないよ
まぁでももういいよ、書いてるヤツは話にならんから
295人間七七四年:2007/12/14(金) 21:35:07 ID:sRfBWWTM
>>290
で、>>293みたいな程度だからおそらく聞いても無駄
過去ログの>>150前後で暴れてたのと同類と推測

>>294
そうじゃなくて、宗教は弾圧したけど家臣そのもとは融和した!で逃げるって事

>>293
あぁ、全てあなた様の考えるとおりいうとおりだ
負けました完敗です
なのでもうレスしないでください

で、過去ログに何回か出てるけど家康側で秀吉に討伐の口実与えなかったから実際徳川討伐はされなかったと
つまり秀吉が徳川を滅ぼすにはそれなりの理由が必要じゃないか?
後世の俺らだから後に徳川が豊臣から独立するって事を知ってるが、当時の秀吉にそれを知る術はない
これじゃ話が進まないから仮に秀吉に家康を討伐する意図があったとしよう
意図があるならば、九州押さえた後なら時間はかかれども不可能じゃないだろう
小牧の時点では毛利上杉の去就が不安だが、九州まで平らげてしまえば後顧の憂い無く、公儀として徳川を討伐できる
その時点で徳川は真っ先に降伏してきそうではあるが
開戦前なら徳川の所領を上杉のように安堵するだろうし、開戦後なら大幅に没収されて、終わりだろう
安堵されたなら五カ国で秀吉死後に主導権握れるか微妙だが、没収されればもう発言権はなくなるだろうから徳川滅亡と同じだろう
では安堵された場合の主導権の掌握だが寝ながら考えてみるわ

ID:kqbaBc7Vさまの舌鋒には敵いませんのでレスは自重してくださいお願いします
296人間七七四年:2007/12/14(金) 22:04:35 ID:iZiAxm+I
>>295
うーん、家臣にも改宗をさせてたりしてるんだけどねぇ・・・
まぁいいか、この話は


えっと、秀吉が家康潰す云々の件は、
家康側で討伐や改易の口実与えなかったのも確かだけど、豊臣政権を運営していく上で、
家康の力が必要だったと考えていたとも思うんだよね
特に秀長死去し、豊臣一門が次々に死去すればするほどね

秀次自刃で家康も連座しかけたけど、これも結局不問
ここで他の外様も不問にされたのを考えると、改易や取り潰しによる粛清による国内統制強化を図るより、
やはり朝鮮派兵を重視した大名統制を考えていたとした方が自然かと
秀吉は九州征伐の際にはもうすでに明・朝鮮への派兵を考えているしね

あと、当時の家康の実直で信頼が高いという風評
まぁケチだったってのもあるけど、この評がある限り、強引に潰すより政権に役立たせる方を選ぶだろうしね
逆に強行すると秀吉自体の信頼度の低下に繋がり、政情不安を引き起こすしね
297人間七七四年:2007/12/15(土) 00:24:26 ID:JJOKtPi1
秀吉の政権自体がそういう信頼のもとに成り立っていると言う事を忘れちゃいかんわな。

何らかのミスをしたり、無闇にたてついたというのであれば話は別だけど、
しっかりと義理を通してくる相手を無碍にしたのでは誰からも信用はされなくなる。
もはやそんなものは政権とは呼べない。

逆に言えば秀吉の死後も一応あれだけの影響力が残ったのは
秀吉がそれまで築いてきた信頼関係が大きかったと言って良いと思う。
豊臣政権を少しでも長くもたせたければ殺すべきは家康じゃなくて秀頼。

まぁスレタイはどうすれば徳川家を滅ぼせるのか?なので
豊臣政権が泡の様に消えようといいのかもしれんけど。
298人間七七四年:2007/12/15(土) 11:53:51 ID:I6B6PIXP
>>296>>297
動機はイロイロ解釈できるが(俺は統治で利用って考えだが)、家康を潰す意思が無かったってのは一緒だろ?
でもそれじゃ話が進まないから、仮にあったとして語ってるんだから、そこは堪えてくれ
九州征伐の時点で挑戦征伐という構想があったとしても、そりゃ大目標であって、
家康の存在を脅威と捕らえれば、朝鮮後回しで徳川に専念という方策も十二分に考えられるわけで
朝鮮は至急に対応しなければどうこうなるものでもないし

でだ、続きを妄想するとだな
九州平定後の段階で家康が駿河遠江三河信濃甲斐五カ国を保持したまま羽柴に従属すると
思ったんだが、家康を抑えてないのに九州に向かえるか?
となると北条征伐まで史実通りで北条征伐の領地替えで家康を煽って反旗を翻させるというのが現実的か
でもこうなると北条徳川のタッグで敵対するからなかなか苦労することになるか
短期に決着が付けばいいが、長期化すると秀吉の寿命も問題に
仮に講和でお茶を濁すと、北条徳川が巨大勢力のまま保持されてどの道豊臣の権威は揺らぐことになるか
でもこの二者にそれほど隔絶した国力の格差はなかろうし、となれば他の豊臣大名の協力を請う為の錦の御旗に秀頼を担ぎだして
でも結局その秀頼を担ぎ出した家康は豊臣を滅ぼすわけで
結局家康そのものは滅ぼせても豊臣家事態は早晩滅ぶから家康だけを葬っても意味なくね?
299人間七七四年:2007/12/15(土) 20:11:20 ID:JJOKtPi1
>>298
まぁ結論は同意。

ついでに徳川・北条のラインがあるまま北条討伐の時期に敵対すると、
会津を丸々取り込んで150万石に膨らんでる伊達も敵に回す事になるので
徳川150万弱、北条250万、伊達150万という途方も無い大勢力になる。

それでも豊臣やや有利だろうが、どう考えても短期で決着がつくようには思えず、
しかも東北・関東の残りは1590年前後では既に大勢が決しているので、もたもたすればするほど
上杉・佐竹・南部などがどんどん喰われて行く事になる。

一度ここで停滞してしまった場合、長宗我部や島津は果たして黙ってるだろうか?
さらに秀吉自身の体調に陰りが見えてきたら毛利は・・・。

この状勢が容易に考えられるからこそ、秀吉は家康を立てる必要があったんだろうな。
300人間七七四年:2007/12/15(土) 22:25:02 ID:UFC145LO
秀吉在世時、徳川を取り潰す理由がない。
知恵遅れの奴らは、単に歴史の結果論からホザいてるにすぎん。

秀吉に臣従してからの家康は、借りてきた猫のように従順だったのだから、
他の外様大名と何ら変わらん。

なのに、唐突に徳川を取り潰したら、他の外様大名も動揺し、
政権の不安定要因にも為りかねない。

301人間七七四年:2007/12/15(土) 22:40:32 ID:oTK9FYt6
てかさ、母親と姉を人質に差し出してんだろ?
302人間七七四年:2007/12/15(土) 23:00:09 ID:k/MyaJT1
>>301
妹だよ
でも2人ともすぐに返還されている
303人間七七四年:2007/12/15(土) 23:03:33 ID:+dBPzaLM
朝鮮に出兵させればいいんだよ、
5万くらいね、勝てばいいし
負ければそれを口実に潰せばよし。
どっちつかずの場合は、国力を消費させられる。

実際それで痛い目をみたのが毛利。
功績を立てたってことで、そいつに直接新たに領土与えて独立させたり、
出兵で疲弊させた。
佐々なんて潰された。
304人間七七四年:2007/12/16(日) 00:22:39 ID:xMWI4YmP
このスレは前から妄想癖のひどい奴が常駐してるからな
305人間七七四年:2007/12/16(日) 00:25:12 ID:G/Zr3WrB
それは言えてる
第二第三の家康が現れるって言ってた奴も
妄想ばっかだったし
306人間七七四年:2007/12/16(日) 00:26:46 ID:7R4iu8Ac
ところで秀吉は何で関八州も与えたの?
いくらなんでもやり過ぎだろ
307人間七七四年:2007/12/16(日) 01:55:01 ID:OlBeoURm
たぶん東海地方から移動さ
せたかったんじゃないの。
関八州にしたのは、左遷的
要素を軽くするためかと。
308人間七七四年:2007/12/16(日) 01:57:18 ID:xMWI4YmP
妄想癖は例の石田厨だろ
結局潜行してるし
309人間七七四年:2007/12/16(日) 02:17:11 ID:ghneTkrC
>>306
都合のいいことしか考えなかったんだろ、朝鮮出兵のように

家康が上手く治めたら全国支配がスムーズに行く
治めそこねたら徳川を潰す
310人間七七四年:2007/12/16(日) 02:27:44 ID:g8621+gn
>>306
わざと過大な領土を与えて統治の負担を増やし、
家康が何がしかの不手際を犯して一揆でも起きようものなら、
肥後に移封した佐々成政のように責任とらせて切腹・改易させようという魂胆だったんだよ。

311人間七七四年:2007/12/16(日) 02:27:53 ID:IrQav+H0
なんだよ忍びってw
夜中に屋根裏からサッと飛び降りて布団に刀を突き立てるようなイメージで暗殺を語ってるだろw
そんな忍者が実際いるかよwww

実際は侍医を抱き込んだりして毒盛ったりするのが主流だろ
家康は薬を自分で調合するから難しいがな
312人間七七四年:2007/12/16(日) 02:29:31 ID:+dnmYCs2
家康はもともと‘律儀な内府’だからな。
よっぽどのことがない限り天下を狙おうとは思ってなかったはず。
むしろ豊臣政権の天下惣ぶじ令を喜んでいた節がある。
秀吉が死んで国がごたごた+外国せめて来る?ってなって‘俺がやらなきゃ’
って気になったんだと思う。

313人間七七四年:2007/12/16(日) 05:48:51 ID:+BQiGyd4
>>303
秀吉自身朝鮮を簡単に取れると思ってるし
拒否する奴を無理矢理連れて行ったなどという話は聞いたことがない。

家康はしっかりと理由をつけた上で拒否をしているので
それを曲げてまで無理矢理連れて行く以上、
どのような結果になろうと責任は秀吉の方にあるとしか言いようが無いぞ。

>>309
まぁでも実際その全ては成功してる面が大きい。

関東からの移動で秀忠は失敗し、関ヶ原は危うくなってるので
中央から切り離すという意味で成功しているし、
関東・東北があれだけスムーズに支配できるようになったのも家康の功績が大きい。
それ自体は豊臣政権にとって成功であったと言う他無い。
314人間七七四年:2007/12/16(日) 10:32:30 ID:CKMZ26AP
>>303
負けたら取り潰しってすんげえ傲慢だな
それこそ軍役拒否者続出して内乱突入じゃないか?

>>310
それを示唆するような秀吉の行動とかあるのか?

>>311
なにせ家康はしのびのようなアンダーグラウンドな勢力を日本で唯一取り込んだ人ですから可能です
315人間七七四年:2007/12/16(日) 11:37:40 ID:3tYFmBPx
>>306
特に北関東の上野、下野を与えたのは不味かったと思う
甲斐に浅野を配置したり東海道に子飼いを配置して防ぐことも大切だが
佐竹と併せ北に反家康勢力を配置し西に動けんようにすべきだったのでは
>>312
家康いい人説には俺は賛成できんがな
316人間七七四年:2007/12/16(日) 11:53:56 ID:CKMZ26AP
>>315
あの二国やらなくて他にどこをやると
当初の約束が旧北条領だけにあのふたつは譲らざるを得ないだろう
317人間七七四年:2007/12/17(月) 15:12:52 ID:N4QpkMMP
宇都宮氏とかいたろ?
つか歴史を鑑みたんだろう。
鎌倉幕府が探題を置いて京を監視し
室町幕府が京にいて鎌倉府は独立王国みたいだが関東管領が一応監視してるみたいな。
秀吉は畿内を支配しつつ関東王国みたいなつもりで家康公方に任せたんだよ。
毛利とか上杉とかは管領や守護。
つまり室町幕府的支配体制から幕藩体制への移行過渡期。
まぁ秀吉が衆道に熱心だったら家康はもっと柔順だった。最強の調略は衆道なのは間違ないw
秀吉は政宗を背後から襲うべきだった。
318人間七七四年:2007/12/17(月) 17:39:23 ID:A/kK07rS
>>317
室町にいたっては実力行使にまで及ぼうとしてるが?
歴史の何を鑑みたんだ?
319人間七七四年:2007/12/17(月) 20:01:48 ID:xca7gTfG
秀吉の為に光秀が家康を逃がさない。
これなら秀吉の傷は最小限だ。
320人間七七四年:2007/12/17(月) 20:29:11 ID:N4QpkMMP
>>318
実力行使したのは15代の中で唯一の足利義教1人だけの例外中の例外だろ。
しかもクジ引き将軍足利義教と鎌倉公方足利持氏は両方ともDQNでむのすごく仲が悪い。
それ以前の室町幕府は日本国王足利義満が関東府に陸奥などの統治権まで与えてるくらい。
だいたい鎌倉公方を潰した後の関東は上杉王国だったじゃねーか。
結局、京・大坂を拠点にしてる人間にとって坂東は遠すぎて脅威にはあまり感じられない別天地なんだよ。
321人間七七四年:2007/12/17(月) 21:04:06 ID:A/kK07rS
>>320
俺が言ってるのは支配者である将軍と関東公方の関係だからな
持氏の親父もその親父も、基氏以降は反旗を翻そうとしてるだろ?
結果的に実力行使には及んでないが、結局関東に巨大な権力をつくることで反乱が起こりやすいってのが歴史に鑑みた結論だろ
それを短絡的にDQNですませといて何が歴史に鑑みてだよw
陸奥与えたのも融和の為だし、上杉王国って幕府側から新しい公方据えて失敗してるじゃねえか
単純に幕府の権力が弱体化したってだけの話だろ
322人間七七四年:2007/12/17(月) 21:34:41 ID:N4QpkMMP
京から離れた関東へは統治能力が効率よく及ばないのだから関東に将軍代理を作ったんだろう。
室町幕府は何も関東だけが独立気味だから介入してるわけじゃない。それ以上に管領などの家督相続に介入し話をまとめる事で権力地盤を強化していった。
大内や山名なども抑制政策の標的にされた。
守護領国制である以上は各地が独立的指向なのはやむを得ない。
だからこそ坂東監視のために即応能力がある関東府が必要なんだよ。
今川氏や京都扶持衆っていう関東府を牽制するシステムだって作ったりしてるし機能していたからこそ足利持氏や結城の乱を鎮圧できたし。
秀吉からしたって奥州で反乱おきた時に家康がテキパキやってくれた方が楽な統治ができると思うだろう。
秀吉政権が安定してきたら諸大名の家督相続に介入するなり養子を送りこむなり何でもできる足利幕府型を指向してたんだろう。
323人間七七四年:2007/12/17(月) 21:43:04 ID:Jf+IKP1a
>>322
でも享徳の乱は鎮圧できず和睦になってしまった
そもそも室町時代で、鎌倉府が幕府軍とともに共同軍事作戦を行ったのは二代義詮までだ
その後は義満以降、将軍家の強力なライバルになってしまった
これは徳川家にも同じことが言える
家康は御三家を置いたが、義直と頼宣は将軍家光のライバルになり脅威となった
水戸藩も将軍綱吉と対立し、(尊王敬幕とはいえ)天皇を重んじるようになった

北条氏が考えた六波羅探題のような交代制or徳川吉宗が考えた御三卿が一番いいと思う
324人間七七四年:2007/12/18(火) 00:21:26 ID:hc9bPSRe
>>322
その将軍代理が代理として機能してないだろ?
それに家督争いに介入するところもあれば、追認せざるを得ない状況もあったし
ところでなんで守護領国製だと独立志向になるんだ?
そんでなんで関東だけに鎌倉府なんだ?
九州は?四国は?東海は?
「関東だけが独立気味だから介入してるわけじゃない」なら全国各地の主要拠点に鎌倉府もどき配置しないとおかしいぞ?
しかもその即応能力のある鎌倉府が幕府にそむいて、結局関東は手がつけられなくなってるじゃねえか
今川が関東監視したのも親幕府だからだろ?
後付にすぎんよ、お前のその理屈は
信濃の小笠原にも関東に注視するように命令してるし、甲斐にはしてたかな
持氏にいたっては朝廷からも持氏討伐しちゃえって賛同もらって幕府側がきわめて有利な戦いだから
養子送り込むのは全国的にやってることだし、家督争いに乗じて権益を伸ばそうとするのもごくごく普通に見られる戦略
325人間七七四年:2007/12/18(火) 01:34:46 ID:XCdCDCW8
享徳の乱をもって関東はひと足早く戦国時代に移行したといってよいくらい。

オレは>>322の方が現実を見てると思うがな。
事実、家康は潰される事なく関東にいたわけだし。
当時は秀次が近江から東海道筋まで勢力下においていたから
安心して律儀者の家康に関東統治を委任してた。
秀次謀反の時にも秀吉にとって家康は重要な位置にいたろう。

鎌倉幕府における朝廷
室町幕府における関東府
豊臣政権における徳川
江戸幕府における尾張や紀州
これらは対抗勢力への牽制の為に配置しているはずだ。
結局は明治政府による廃藩置県までずっと存在してきた。それはやむなく必要だからだ。

今の目から見れば直轄領にすればいいだろ!とか思うはずだが
事実としてそういう世代が変わるにつれて血のつながりが薄くなり
独立傾向を強める危険な存在も車も電話もない時代には全国統治に必要とされたものだったと考える。

特に豊臣政権は子や親戚が極端に少ないために各地に血のつながりある者を
配置できない苦悩があった中で、後継者たる秀次を関東に配置できない。
だから家康にそれを期待した。そもそも家康があれほど長生きするなどと秀吉だって予測しなかったはずだ。
わざわざ鎌倉府を置いたのもそれだけ重要拠点だからで、危険防御の為に保険もかけていたのは間違いない。
だが結果的に失敗した。だが保険は多少は効き目があり成氏は古河に移らざる負えなくなった。
それは関東管領という保険が効き目があったからで山内上杉家宰にして守護代の長尾景信などが
将軍義政にお伺いを立てて上杉顕定を関東管領に擁立したりしている事で明らか。これで利根川以西は将軍の影響下にまだある。




326人間七七四年:2007/12/18(火) 03:53:27 ID:wXFcSdZ5
つうか、フロイスの書簡には秀吉が死ぬ前に家康に一時国政を委ねたって記してあるよな
327人間七七四年:2007/12/18(火) 04:37:00 ID:AbvK/WPt
>>325
そう関東の利根川以西の上杉領国(上野・武蔵・相模)は親幕府のままだった。越後上杉や駿河今川も保険として機能してた。
むしろ幕府の思惑を越えてしまい失敗したのは利根川以東の親将軍である京都扶持衆らが多くいた地域が小山氏を筆頭に反上杉でまとまってしまった想定外の事態。
そう鎌倉公方もまた巧みに政策介入し関東八屋形などで楔をいれてきた小さな亀裂が反上杉の大きな穴に成長したのだ。
その後は細川政元のクーデターによる足利義澄の擁立やら中央が混乱し自壊していった。
家康に対する保険は豊臣秀次が生きてる限り安心できるものだった。
そして五大老で家康を政権の枠内に取り込み合議していく保険をかけた。
家康もまた二条城で秀頼と面会する前までは豊臣家を滅亡させるつもりがあったか怪しい。
淀が江戸に人質に入り家臣化できれば大阪城に豊臣氏・西国に豊臣恩顧大名を残す可能性もあった。
328人間七七四年:2007/12/18(火) 21:37:27 ID:hc9bPSRe
>>325
家康は潰されることなくではなく、秀吉が潰せずに残ったと上でも話されてるが
鎌倉も室町もそのけん制の為に配置した存在に反旗を翻されてるが、秀吉の時点で歴史に鑑みれば大きすぎる権力の委譲は危険ってのがでてくるだろ
関東府でいうと伊豆上野の統治権を管領に渡して失敗して、六カ国の大守護大内も幕府に歯向かったのも見逃せないな
歴史に鑑みるなら、分封しておくのが一番だろ
まして前政権でもたびたび反乱起こして独立志向の強い関東を統治するならなおのこと
わざわざ東海から関東に配置転換して所領も増やしてと、反乱を煽るようなことしといて歴史に鑑みたは無いだろう
それに時代の変遷で意義が変わってるからな
すくなくとも室町初期の畠山執事の頃は幼い関東公方の補佐でしかない

>>327
最初は保険のほのじもでてなかったのにまぁ…w
DQNだから!の威勢のよさはどこいった
まあいいや、ひとつ聞きたい
室町の関東公方、古河公方、こいつらは幕府に反乱を起こした
それも強大な権力を委譲したがために
最初の基氏は信頼できる人間だったからよかった
ではその後代を経て関東公方に宛行権を委譲させることで関東武士と関東公方の間に主従関係が構築されていくのはどうみるんだ
その主従関係構築のおかげで幕府との関係が薄れて反乱を企図してるわけだが

329人間七七四年:2007/12/19(水) 03:22:02 ID:EK935Lm3
そんなの簡単なことじゃないか。
以下に手法を例示してみる。
@足利義満公が大内義弘や山名氏清を打ち倒したのと同じように
筑前が徳川を挑発して挙兵するように仕向ける。
そして挙兵したら総力を挙げて徳川内乱軍を殲滅する。
A北条貞時公が平頼綱一家を殲滅したように
何らかの混乱に乗じて徳川邸を奇襲攻撃して
内府親子を討ち取ってしまえば一件落着。
お江が巻き添え食って死亡してもお構い無し。
330人間七七四年:2007/12/19(水) 09:51:03 ID:tvWQzKFJ
石田三成をもう少し人徳のある奴に教育しとけば関が原でも勝てたんじゃないかな
331人間七七四年:2007/12/19(水) 13:46:48 ID:Z8Tunz2r
三成が左近の家康暗殺を許可しなかったのが敗因
332人間七七四年:2007/12/19(水) 20:21:47 ID:SbDnNMVf
三成に徳があればそもそも関ヶ原は起こらない
豊臣恩顧がアンチ三成で割れてなければ家康も付け入る隙がない
333人間七七四年:2007/12/19(水) 20:49:03 ID:MpZwUro5
それはねーなw隙だらけだろw
334人間七七四年:2007/12/20(木) 00:02:10 ID:VyAV1ZeH
ある日、いつものようにのび太は、野球の試合でエラーをしたために、
ジャイアンにいじめられて家に帰ってきました。

事情を聞いたドラえもんは、
「エラーをしないようにがんばろう、今から練習しようよ」
と誘いますが、のび太は言います。
「いいよ、そんなめんどくさい。
 ジャイアンさえいなければ、こんな目に遭わないのに。
 ジャイアンがどっかに引っ越してくれればなあ。」

それを聞いたドラえもんは、こうつぶやきました。
「ふうん・・・そんなふうに考えるんだ・・・」

そしてドラえもんは、のび太にある道具を与えます。
それは『独裁スイッチ』と呼ばれる物で、未来の独裁者が作らせた物だとか。
気に入らない者の名前を言いながらこのボタンを押すと、その人物の存在自体を消してしまうことができるという物でした。
ドラえもんは、こうも言いました。
「な、いい道具だろう。邪魔者は消してしまえ。住み心地のいい世界にしようじゃないか」

のび太はそれを持って外出しました。使うか使うまいか迷ったまま。
そして、その後ジャイアンにいじめられたとき、つい勢い余ってジャイアンを消してしまいます。
ジャイアンが消えた世界で自分が起こしてしまった行動に後悔するのび太。
みんな、ジャイアンという人間が存在したと言うことすら忘れてしまっていました。

しかし、そのジャイアンが消えた世界では、今度はスネ夫がのび太をいじめにやってきます。
そう。ジャイアンのいない世界では、少年野球チームのキャプテンはスネ夫でした。
エラーをしたのび太をいじめていたのです。

のび太は、ついにスネ夫も消してしまいました。
すると、今度はまた別の少年がキャプテンとなり、エラーをしたのび太を責めにやってきました。
335人間七七四年:2007/12/20(木) 11:24:58 ID:jF67waRu
体に気をつけて家康より長生きする
336人間七七四年:2007/12/20(木) 18:29:03 ID:jwXsqJM3
五大老をもうちょっと早く秀忠と利長と秀秋に交代させていれば・・・・。

秀忠を大阪に置いておいて、家康が関東にいれば、それはそれで影響は薄くなりそうだが。
337人間七七四年:2007/12/20(木) 20:18:17 ID:08ueqFGk
そんな若い連中を政治の最高機関に据えて
諸将が従うかが問題

あと家康は子供多いから、秀忠は見捨てて、とかあるかもなw
338人間七七四年:2007/12/20(木) 21:45:59 ID:wt23XIoJ
子供が多くても年齢が問題
339人間七七四年:2007/12/21(金) 00:30:51 ID:NgvSQjiq
家康の関東の領土の1/3くらいを太閤蔵入地にしちゃえばw
つか西軍陣営の太閤蔵入地は没収されたんだろ?
逆に東軍に参加するなら太閤蔵入地を全部横領してもいいよ〜なんて事言ってたのかな?
各藩にも徳川蔵入地とか設定しなかったんかな?
340人間七七四年:2007/12/21(金) 00:41:07 ID:UK858WRv
そんな疑問系で無茶言われても・・・w
341人間七七四年:2007/12/21(金) 20:16:28 ID:1kpv13Bk
秀長が生きてれば何とかなっただろうね
秀吉が死んでも関ヶ原の戦いなんて起こらなかったでしょ
342人間七七四年:2007/12/21(金) 21:17:39 ID:+yrSJkli
秀長よりも秀次だろう
お飾りの当主といっても成人しているなら家康も無茶できない
秀次が全部投げ出すなら別だが
343人間七七四年:2007/12/21(金) 21:48:10 ID:xjp6fM/t
正当性を主張して秀頼を擁する家康と秀次勢力がぶつかるかもしれんぞ
344人間七七四年:2007/12/21(金) 22:16:52 ID:pHezM6Ba
秀吉が加藤や福島、黒田らと一緒に朝鮮に出発してしまい、いなくなってても秀次は家康らを抑えてうまく日本全域を治めてたと思うな。
まぁ秀吉死後の秀次政権なら三成を排除して三中老や田中・山内らが政権中枢に入るし
小牧長久手で犠牲になった池田・森なんかには恩義があるわけだし、婚姻関係で最上らも秀次寄り。
東海道を固めらて家康は冒険できなくなるよ。
345人間七七四年:2007/12/21(金) 22:22:18 ID:pHezM6Ba
だから家康が淀・三成・秀頼を擁立しても三成憎しで武断派が分裂しちゃうから各個撃破されちゃうよきっと。
秀頼らと違い総大将みずからが陣頭指揮できるのも強みだね!
秀次が小牧長久手の恨みを晴らす為に何か口実を強引に作って関東征伐発動となれば小田原征伐のように家康も勝てないだろうね。
346人間七七四年:2007/12/21(金) 23:09:24 ID:TZopGsU3
前に秀次スレかどっかで見たIf展開だな
朝鮮関連の不満解消と政権強化のための見せしめ軍事行動で、
たしか秀次側に前田・宇喜多・最上・伊達・細川で
秀頼側に家康・上杉・三成・佐竹・小西、毛利は微妙、
尾張閥は分裂って予想だったかな
347人間七七四年:2007/12/22(土) 01:07:48 ID:jbpxIMHZ
なんかいまいち理由がわからん分け方だな。

伊達・最上・細川・秀次のラインはわかるけど、
何で前田・宇喜多も絡んでくるんだろう?

前田と宇喜多が秀頼側に行って、家康が秀次の補佐についてる方がなんか自然に思える。

もっともどっちにしろ毛利の動向で決まると思うけど。
史実でも家康が毛利の動きを上手く利用したからこそ天下を取れたと言っても過言ではないわけだし。
348人間七七四年:2007/12/22(土) 10:05:06 ID:wgDEEY9w
朝鮮の不満解消には恩賞用の土地が要る、でかい外様の中で毛利は中央に
近い、となると上杉と徳川が狙われる可能性がある。
それに上杉に近く秀次政権で立場が微妙な三成、三成と繋がりの強い佐竹ら
がつく仮定。

そういう反秀次が形成された場合、前田は尾張閥(秀次は尾張人)というのと
細川と縁戚、上杉が秀頼側にいる、という理由かな。宇喜多は前田と縁戚。
たしかにこのラインは微妙かも。
生前の秀吉の言い様によっては宇喜多は秀頼につく可能性も十分ある。
349人間七七四年:2007/12/22(土) 15:44:27 ID:IBqkW1gL
秀頼は織田上総介どのと同じ血が流れてるとなると尾張人脈も動揺するかな?
350人間七七四年:2007/12/22(土) 16:20:51 ID:HGmoEI2a
>>348
細川の縁戚・尾張閥ってだけじゃちょっと前田がそこにいる理由として弱すぎる気がする・・・。
秀次と直接のつながりが無いってことだし。

もっとも不満解消にデカイ外様云々なんてアホな仮定からしてどうかと思うけど、
不満があるなら矛先は当然豊臣政権へ向く、バカバカしすぎる。
351人間七七四年:2007/12/22(土) 18:47:17 ID:A6L2+PHb
秀次と家康って割と近い関係じゃなかったか
小田原攻めは確か家康が秀次を補佐してるはず
秀次切腹の時も家康は罪に問われかかったはず
352人間七七四年:2007/12/22(土) 21:19:31 ID:1cQbF450
徳川一族を誅殺すればいいだけのことじゃないか
毛利元就は井上元兼の一族郎党をなんと一人残らず死滅させたんだぞ
筑前なんか甥の一家を一人残らず死滅させたじゃないか
反乱分子を完全かつ永久に死滅させる気概を持ってすれば
徳川の一族郎党を死滅させることなど訳も無いこと
理由は「反乱の恐れがあるから」とでもすればいい
353人間七七四年:2007/12/22(土) 21:23:31 ID:1cQbF450
その勢いで最上・伊達・毛利・島津・長宗我部・長尾上杉・織田など
羽柴一門郎党以外の家を一挙にまとめて殲滅してしまえば天下安泰
その後は全国の守護を羽柴家の関係者で独占してしえば完璧だな
北条家の大成功例を参考にしなかった筑前はアホだったわけだ
354人間七七四年:2007/12/22(土) 21:31:53 ID:IBqkW1gL
浅はかな…
355人間七七四年:2007/12/22(土) 21:37:48 ID:A6L2+PHb
その次は一門郎党の中で怪しい奴を「反乱の恐れがあるから」と粛清だな
反乱分子を完全かつ永久に死滅させる気概を持ってすれば
一門郎党を死滅させることなど訳も無いこと
そしてまわりに誰もいなくなると
356人間七七四年:2007/12/22(土) 22:06:02 ID:pSejDxT/
>>350
一応、政権に不満がくるからそれを解消するために恩賞がいる、けれど
日本にはもう土地が無い→外様大大名を潰して土地を空ける、という
流れを想定していた。
同時に、秀次が天下の号令を出して諸大名を動かすという前例づくりにする
(史実での家康の前田征伐、上杉征伐みたいに)
357人間七七四年:2007/12/22(土) 23:06:06 ID:OXww/uQE
>>1
長嶋巨人軍を呼んだらよかったのに…
358人間七七四年:2007/12/23(日) 01:25:12 ID:zl4JaBLF
>>356
上杉征伐になった流れは景勝の甘さに拠る所が大きいし
徳川や前田も同じようにミスしてくれないとちょっと難しい。
でも家康は実際史実でミスって無いわけだし、前提となる基準からしてやっぱり無理っぽい。
家康がその程度ならそもそもそんな大層な仮定をするまでも無く政治的に抹殺されてるだろうし。

まぁ景勝は五大老に列せられてすぐだから無理も無いんだけどね。
そこを見事に家康に足をすくわれた感じ。
359人間七七四年:2008/02/03(日) 19:52:50 ID:nqO7rtJN
家康を忍者とかで暗殺するとかはだめ?
360人間七七四年:2008/02/03(日) 19:56:43 ID:rggD8Uia
忍者力では戦国最強だろ家康
361人間七七四年:2008/02/07(木) 20:39:30 ID:+CmT+tzn
冷静に考えると、忍者力って言い方もすごいなw
362人間七七四年:2008/02/10(日) 23:16:08 ID:gsk062xK
筑前がお上(帝)に圧力をかけて徳川討伐の詔を発布させればOK
詔勅の恐ろしさは1333年に北条家が身をもって思い知らされているのだから
肝っ玉の小さい内府は震え上がってさっさとトンズラするだろう
363人間七七四年:2008/02/12(火) 12:04:40 ID:0dQ3X6Dx
>>362
つ大内
364人間七七四年:2008/02/12(火) 12:18:03 ID:oUDXIFNt
小牧長久手の戦で徹底的に追い込むべきだった 池田、森が討ち死にする程の戦なんだから、その直後弔い合戦もすべきだった
365人間七七四年:2008/02/12(火) 14:04:41 ID:9EOtvlZP
つーか、秀吉にやる気があったら家康は潰されてただろう。
秀吉は家康を潰すより吸収し、天下統一を何よりも急いだためで。
結果として、家康が残っただけ。
どうすればも糞も無い。
366人間七七四年:2008/02/12(火) 14:12:55 ID:Ofoqtt9E
伊賀越えの時に暗殺。
367人間七七四年:2008/02/12(火) 14:41:00 ID:Q/07pvfw
家康を関東に移封したのが間違い。関東は気候温暖、土地肥沃で過去も
頼朝、尊氏と関東に地盤を置くものが幕府を開いていた。
せいぜい伊豆を与える程度でそのままに留め、関東には秀吉子飼を置いて
家康を挟撃できるようにしておけば兵を動かすことはできなかった。
368人間七七四年:2008/02/12(火) 17:44:29 ID:GPq4nMEg
家康を潰すチャンスはいくらでもあったろ
ただ秀吉が甘かった。それだけじゃね?
369人間七七四年:2008/02/12(火) 20:30:15 ID:ZvktQKpK
>>367
功績考えると伊豆じゃ全くたんねーな、信濃あたりもっと切り取られるかと。

ただそれでも結果で言えば関東与えるよりは良かっただろうね。
秀吉は関東のポテンシャルを甘く見ている節がある。

>>368
家康に対して甘かった・・というよりは
自分の足場を固める事が甘かったんだろね。

状勢を考えるに、徳川よりまず毛利を警戒する事自体は正しかったと思う。
370人間七七四年:2008/02/13(水) 00:25:58 ID:QYfecPYJ
>>369
確か信濃は切り取り済みじゃなかった?
371人間七七四年:2008/02/13(水) 01:09:08 ID:szkxU9nO
北信濃は上杉やら真田やらで完全支配とはなってなかったはず
372人間七七四年:2008/02/13(水) 21:32:08 ID:sX6y7CAL
光成を殺せばいいんじゃね?
373人間七七四年:2008/02/13(水) 22:42:23 ID:X0xcjPF5
>>367
当時の関東は湿地帯でどうしようもなかったんじゃないか?
おまけに北条の残党など反乱分子はうようよしてたし(いまの
イラクみたいな状況かと。)
それを僅か10年で平定し、巨大な経済・軍事力を蓄えるまでに
なるとは、秀吉は予想してなかったんじゃないか?
内政にてこずり、外に目を向ける余裕などないだろうと
タカをくくってたのかも。

374人間七七四年:2008/02/13(水) 23:58:07 ID:E3ZmtqKL
>>363
大内義弘のこと?
375人間七七四年:2008/02/14(木) 00:04:09 ID:voms7gWE
>>373
たぶん互いにそう思っていたんだろうな。
だから朝鮮遠征の時はそれを言い訳にして出兵しなかったようだし。
376人間七七四年:2008/02/14(木) 00:24:13 ID:LyURYRjn
>>373
いや既に太閤検地を行っているしその検地の数値で関東が高い生産力を持っていることは数字にも出てる。

そもそも鎌倉幕府で日本の中心になった事もあり、北条家による整備も行われていた関東は
既に充分肥沃なポテンシャルを有していたし港も開けていた。
当時としては珍しい水道もあれば街道もしっかりしていた。
家康の内政能力はもちろん優秀だが、たった数年であの江戸は完成しない。

根本的に秀吉が関東を舐めてたのが原因かと。
377人間七七四年:2008/02/14(木) 00:54:11 ID:twt/LNOU
秀吉が家康を滅ぼすのは無理なような気がする。
秀吉の所領が家康のそれを上回ることがない以上。
また、徳川以外にも秀吉の所領に並ぶ大名が数多くいる以上
外交のやり方次第で不安定要素を作り出すことは可能。
それでなくても、家康は律義者という看板を背負ってたわけだから、
無理やり攻め滅ぼそうとする事は周りの外様大名の不安を煽ることになる。

徳川家を滅ぼすのは家康が死ぬまで譜代が一つになって隙を見せなければ、
なんとかなったかもしれない。
だけどそれすらできなかったというところじゃないのかな?と。
378人間七七四年:2008/02/14(木) 01:16:51 ID:ZuMqmjoE
>>377
何をいっているんだ?豊臣の所領は徳川を上回っていたぞ。
まさか 豊臣二百万石:徳川二百五十万石 なんて言い出すつもりか?
379人間七七四年:2008/02/14(木) 01:44:42 ID:twt/LNOU
本当に上回ってたのかな?
あの当時でも駿河、遠江、三河、甲斐、信濃の大部分。
これは全て徳川の直轄領。

秀吉の直轄領はどのぐらいになるんだろ?
摂津、播磨、山城、近江ぐらいじゃないんかな?
細川とか池田とか織田の旧臣、旧領引き継いでるとはいえ、
織田の旧臣は外様みたいなものなんじゃないんかな?
戦争をしくじったら内部分裂の可能性も否定できないように思う。
380人間七七四年:2008/02/14(木) 02:33:47 ID:J/pfFI5l
金銀山やら商業交易を押さえてるから、その分がでかいでしょ
381人間七七四年:2008/02/14(木) 02:41:12 ID:LadwMkAx
秀吉は全国の主要金山を全て押さえてたはず
382人間七七四年:2008/02/14(木) 02:52:31 ID:c3M7LD7V
>>379
直轄領って意味じゃあ徳川250万石は直轄領ではない、
250万石というのはあくまで徳川家臣の知行地も含めた徳川家総体の石高。
反対に豊臣家の200万石はあくまで豊臣家の直轄領、豊臣家総体としては全国の武家を
支配下に置いてるから、形の上では日本の全石高=豊臣家になる。
(まあその計算はあんまりなんで200万石+子飼いが妥当なのかな?)

ちなみに徳川家の直轄領は関ヶ原直後で200万石程度、以前では100か150万程度
だったっていう話を本で見た(書名は忘れちまった・・・)
383人間七七四年:2008/02/14(木) 02:54:19 ID:twt/LNOU
金、銀山って小牧の戦いの頃に押さえてたんかな?
少なくとも西国遠征が終わってからでないと全国は無理な気がする。
384人間七七四年:2008/02/14(木) 03:08:37 ID:twt/LNOU
>>382
豊臣の直轄領200万石は北条潰した後の領土じゃないんかな?
小牧の頃の直轄領はそんなにあったとはとても思えない。
織田の旧臣はあくまで外様じゃないんかな?
動員力はともかく、内実は寒かったんじゃなかろうか?
385人間七七四年:2008/02/14(木) 03:23:56 ID:ZuMqmjoE
>>384
だとしたら、小牧のころの徳川も当然直轄領はそれほど高くはないよな
386人間七七四年:2008/02/14(木) 03:30:06 ID:c3M7LD7V
>>384
ああ小牧の時ね、勘違いしてたゴメン。
確かに当時は秀吉が回りに遠慮や配慮が必要だった時期だろう事は確かだが、
直轄領っていう定義ではいくら当時でも、秀吉<家康は多分有り得ない。
当時の家康は150万石程度、この内のさらに直轄領だからあんまり高くなさそう。
387人間七七四年:2008/02/14(木) 03:32:56 ID:twt/LNOU
だけど、徳川の領土には外様はいないわな。
豊臣の領土は直轄を除けばほとんどが外様。

小牧以降は潰すだけの理由さえつかませなかったし。
388人間七七四年:2008/02/14(木) 04:35:21 ID:c3M7LD7V
>>387
外様は普通に居るだろ。
旧今川、旧武田の連中、特に本能寺の際に手に入れた甲斐・信濃
の豪族連中なんかは外様だろう。
というか外様を領土に含まない大名なんか存在しないと思うが。
389人間七七四年:2008/02/14(木) 06:37:27 ID:NVr57Ppe
>>388
信濃は大名級がそのままだから外様といえるが、甲斐は殆どが三河衆や遠江衆(具体的に井伊)の
寄騎下だから外様とはいえん
390人間七七四年:2008/02/14(木) 21:36:27 ID:Xi6NqEHS
>>387
無ければ強引に作る、作れなければ暗殺なり奇襲攻撃を仕掛けりゃいい。

筑前に足りなかったことは、戦=公共事業という現代的発想だ。
近現代においては、戦争とはすなわち公共事業である。
戦争は仕掛ける国およびその国の企業に多大な経済効果をもたらすものであり、
アメリカ合衆国もグレナダ侵攻・パナマ侵攻・湾岸戦争・アフガン戦争・イラク戦争等々で
莫大な収益を上げており、今も国家と自国企業がますます急速に発展し続けている。
戦前の日本も日清戦争・日露戦争・満州事変・日中戦争・アジア太平洋戦争で多大な経済効果を生み出した。
筑前が対徳川戦を仕掛ければ、軍需物資などの生産が活発化して多大な経済効果が生まれていたのだ。
なぜ筑前は戦が莫大な富を生み出す公共事業だと気づかなかったのか。
羽柴秀次事件にしても同様で、どうせ甥一家を殲滅するなら戦を仕掛ければよかったのだ。
秀次たちと目障りな最上・伊達らをまとめて葬り、それに加えて多大な富を手にできる・・・
濡れ手に粟とはまさにこのことではないか。
筑前にレーガンやブッシュ親子のような経済第一主義の発想が無かったのが惜しまれる。
391人間七七四年:2008/02/14(木) 23:21:40 ID:LyURYRjn
>>390
ブッシュやレーガンを例に出すとか釣りにしか見えん・・・
392人間七七四年:2008/02/15(金) 02:28:19 ID:6vs5aUvc
秀吉の死直前の豊臣家の直轄領は222万3641石、これには旗本の知行地は含まれないので、少なくとも300万石以上はある
393人間七七四年:2008/02/15(金) 11:52:02 ID:VDxYk6Td
信雄を焚きつけてやればいいんだよ
394人間七七四年:2008/02/15(金) 11:53:13 ID:UO+mzB9k
家康の直轄領は関東移封後で100万石前後だったはず。
「徳川250万石」と同じ測定で「豊臣領」を見ると、
秀吉直轄領+秀吉以外の豊臣領+子飼い大名領で少なくともも5、600万石は越えそうなもんだが。
圧倒的に強大だな。
395人間七七四年:2008/02/15(金) 12:07:00 ID:qocOzmOR
問題は子飼い譜代クラスの人材に数質ともに難があるということ
396人間七七四年:2008/02/15(金) 18:25:24 ID:fsXu/NuB
ゲーム厨ぽいレスだww
397人間七七四年:2008/02/16(土) 00:15:07 ID:eXyJ43ik
筑前はお上と皇族(八条宮智仁はもちろん除外)以外の
全ての人物の生殺与奪権を掌握しており、
筑前が誰をどう成敗しようが合法であった。
内府とその一族を成敗することは家臣を上意討ちすることと同義だ。
内府など所詮は筑前の家来に過ぎないということを忘れてはならない。
自らの判断で何でも行える、これぞ最高権力者というものだ。

>>391
釣りでもなんでもない。事実を述べたまでのこと。
ブッシュ・シニアはノリエガ将軍を征伐し、ブッシュ・ジュニアはサッダーム一族を征伐した。
レーガンもグレナダ征伐で多大な功績を経済効果を生み出した。
筑前も彼等と同様に外征が大好きであったし、長生きしていれば明を制圧することも可能だった。
筑前はアレクサンドロス大王やチンギス・カアンを超える世界大覇王になりえた素質がある。
398人間七七四年:2008/02/16(土) 00:20:01 ID:fYmOw4aa
筑前守最強説きたか
399人間七七四年:2008/02/16(土) 00:48:41 ID:DziQxnF6
なんの咎もなく家臣を上意討ちするような領主は長くはもたない。国ならばなおのこと。
400人間七七四年:2008/02/16(土) 04:18:04 ID:L5LXUF7X
このスレは自演と妄想で構成されたお方がいてとてもたのしいでつね
>それに対しての三成論なんだ
>それに対しての三成論なんだ
>それに対しての三成論なんだ
401人間七七四年:2008/02/16(土) 06:59:14 ID:zbNffCon
関東にではなく東北なりに国替させとけば動くに動けまい
402人間七七四年:2008/02/16(土) 09:49:49 ID:esthWlzh
>>390
>なぜ筑前は戦が莫大な富を生み出す公共事業だと気づかなかったのか。

いや、かれはそのこと十分分かってたから、朝鮮に出兵したのだろう。
403人間七七四年:2008/02/16(土) 11:18:04 ID:fYmOw4aa
>>401
ゲーム脳的には多面戦になる関東より、上から順次塗り潰しでいける
東北の方がやりやすいとなるのであった
404人間七七四年:2008/02/16(土) 13:23:42 ID:DziQxnF6
簡単に東北に転封とか言える事自体がゲーム脳だしその返答で充分だわな。
405人間七七四年:2008/02/17(日) 20:48:18 ID:hNlyMhHP
>>399
そんなことはない。
毛利元就は井上元兼一族を一人残らず死滅させたが
それによって元就の恐怖統治はよりいっそう苛烈となり
家臣たちを震え上がらせる効果を生んだではないか。
そして毛利家は一時的ながら中国覇王となったのだ。

>>402
だとすると、なおさら徳川族滅戦を仕掛けなかったことが悔やまれる。
戦地を徳川領内に限定して実施すれば羽柴家領地には被害が及ばなかった。
ついでにいうと、朝鮮だけでなく台湾・フィリピンにも出兵すべきだっただろう。
戦線を拡大すればするほど軍需物資の生産は盛んになって国が潤いまくった。
406人間七七四年:2008/02/18(月) 01:40:19 ID:R9RO15AD
>>405
そんなことあるよ
井上氏でも元就に忠誠を持っていて従っていた奴は助命されてる。

家康も同じく豊臣家に忠誠を誓ってるし、そういう人物は元就も秀吉もなかなか手が出せない。
功績があればなおのこと。
407人間七七四年:2008/02/18(月) 04:38:44 ID:MkRNc4Fz
そこで国家安康君臣豊楽ですよ
408人間七七四年:2008/02/18(月) 04:50:11 ID:sYATsKWU
鐘叩き壊して、坊主と普請奉行蒸し焼きにして重箱に詰めて謝罪しに行けば
なんとかなるべ
409人間七七四年:2008/02/19(火) 14:49:35 ID:8Rx9aYGR
そんなもん合わずに追い返せばよい
410人間七七四年:2008/02/19(火) 23:03:51 ID:cgnjwIJM
>>406
それでは、鎌倉幕府の全盛期を築いた北条貞時はどうだ?
彼は謀反の動きなど無かった平頼綱一家を自分の乳母もろとも殲滅した。
それも、大地震による混乱の最中に奇襲をかけて討ち取ったのだ。
その結果どうなったか?貞時は自らの権力基盤が危うくなっただろうか?
全く逆だ。祖父・時頼や父・時宗を遥かに超えるスケールの名執権となった。
御家人たちの北条得宗家に対する忠誠はますます強まってゆき、
鎌倉幕府の支配力は決定的に強固となったではないか。
繰り返すが、家臣を成敗するのは最高権力者に認められた合法的な権限だ。

大陸の歴代漢民族国家でも皇帝による臣下一族の族滅は頻繁に行われている。
まあ、あちらは国土も創造も破壊も殺戮も全てがダイナミックなので
数億人の自国民を虐殺しても「人口削減ができて大成功」と評価される。
文化大「虐殺」の場合も同様で、為政者たちは「2000万以上も人口を減らせたから成功だ」としている。
411人間七七四年:2008/02/20(水) 01:33:01 ID:cihWQrGB
>>410
平頼綱は謀反の動きどころか思いっきり幕府を牛耳りにかかってるやん。
安達氏と権力争いで霜月騒動まで起こしてるわけだし。

この霜月騒動の波及はその後も続いてしまっているし、
嘉元の乱から完全に北条得宗家の影響力の低下が露呈。
貞時の時代以降から鎌倉幕府の支配力はまさに斜陽を迎えたと思うんだが・・・。
どこが決定的に強固になったのか?
412人間七七四年:2008/03/07(金) 23:53:40 ID:uB7kKpWK
家康のいない豊臣政権のほうが脆弱で滅亡もはやかったと思うのはオレだけ?
413人間七七四年:2008/03/07(金) 23:57:03 ID:+c4RlBsa
いやみんなそう思ってるから
414人間七七四年:2008/03/18(火) 07:49:41 ID:oeazUXwe
家さんかっけー
415人間七七四年:2008/03/29(土) 05:32:41 ID:RZOs1JoR
>>412
そんなわけがない。
内府が小早川隆景のような狂信的忠犬だというなら話は別だが
彼は小牧・長久手合戦などで反逆した前科者≠ナはないか。
俺が筑前だったら、必ず内府を上意討ちする。
内府の生殺与奪権は筑前の手中にあったのだから。
上意討ちを逃れたら武力征伐あるのみ。
これが世界の常識だ。
416人間七七四年:2008/03/29(土) 06:08:06 ID:Yvhqz0BP
単純な考えってのは楽で良いなw
417415:2008/03/29(土) 22:39:13 ID:s4oB8pGA
>>416
「単純な考え」というが、俺の主張は正論だと思うぞ。
邪魔者は消す、これは近世までの常識じゃないか。
現に筑前は孫七郎一家を乳幼児まで殲滅し、多くの家臣たちもまとめて殲滅した。
このような類稀なる苛烈さを兼ね備えていたのだから、内府一族も殲滅するのが当たり前だ。
北条家も比企家や畠山家を一人残らず殲滅しつくし、得宗家の栄華を築いた。
漢の高祖・劉邦は帝国樹立に功のあった者たちであっても無実の罪を被せて容赦なく族滅した。

ついでにいうと、筑前の苛烈さはダントツの世界ナンバーワンだと思う。
自らの後継者だった甥であっても躊躇うことなく殲滅するという決断力と実行力は
煬帝も高祖もルイ14世もイヴァン4世も真似できないことだ。
筑前にはアレクサンドロス3世やチンギス・ハーンをも超える世界大覇王となれる素質があった。
南北アメリカ・オーストラリア・南極を除く全ての大陸が日本大帝国の領土となり
日本語が世界共通語となっていたに違いない。
418人間七七四年:2008/03/29(土) 23:03:25 ID:Z5V2uN8z
じゃあ何で朝鮮で失敗したんだよ。
419人間七七四年:2008/03/30(日) 00:27:45 ID:vg2ksY3b
>>417
もしかして三成論の人?www
420人間七七四年:2008/03/30(日) 11:37:46 ID:u9okkgML
唐入りをとるか家康討伐をとるかだな
家康いないと東国治まらんし
だいたい秀吉も年だしねえ
わざわざ臣従してきた家康なんぞに更に手間をかけるつもりはないってことでしょ
421人間七七四年:2008/03/30(日) 13:06:21 ID:x2Dp4ibD
小牧長久手でチャンスはあったよ。
422人間七七四年:2008/03/30(日) 17:34:27 ID:ESowXCp+
>>421
潰すチャンスはある。家康の力量を無視すれば。
寧ろ北条が素直に頭下げて、豊臣に臣従すれば史実より家康の力は激減する。
423人間七七四年:2008/03/30(日) 18:32:41 ID:wATc+kpr
小牧のころだと秀吉政権はまだ寄り合いの色が強いころだから冒険はできんだろ
424人間七七四年:2008/03/30(日) 20:42:47 ID:bQKqimmg
トップに立ったからってなんでも出来るってわけじゃないだろ、家康を滅ぼした
ら豊臣なんかもたないって、
425人間七七四年:2008/03/30(日) 21:00:24 ID:93pDXpCu
家康が簡単にボロを出すような無能だったら話は別だけど、
統治に関しては非の打ち所が無いほど優秀だし、秀吉存命中には全く逆らう様子が無い。
コレを無理矢理潰してしまったら、豊臣政権なんかあっというまに信用ゼロでしょ。

結局血縁も無ければ累代の譜代もいない豊臣政権を安定させるために必要なのは信用以外に無い。
その信用を理想的な形で守っている徳川家を無碍に扱う君主に未来など無い。
426人間七七四年:2008/03/30(日) 21:11:52 ID:ISK18yc8
>>417
見方によっては正論だが、一方的に過ぎる
だから、単純だといわれてるんだよ、きっと、たぶん

例えば、>>421が言うように、小牧でもチャンスはあったんだよ
でもしなかった、もしくは出来なかった
なんでだろうね?
その後も、北条征伐の時もやろうと思えば出来た
でもしなかった、もしくは出来なかった
なんでだろうね?
そして豊臣が全国を治めた後も、できたかもしれない
でもしなかった、もしくはできなかった
なんでだろうね?

ちょっと時代はさかのぼるけど、義教だっけ、播磨守護の赤松に暗殺された将軍
かれも絶対権力を振りかざして、各守護の紛争に介入してたけど、それがたたって暗殺された
権力者とはいえ秩序を守らせる側がその秩序乱したら、政権が危ういと秀吉も認識してたってことじゃないかな?
427人間七七四年:2008/03/30(日) 21:36:15 ID:AEHkIYZ3
それはやり方の問題であって、行為自体の問題ではないと思うが。

例えば、粛清とか大勢力の解体という行為自体は同じ足利の三代義満もやっている。
徳川幕府だって二代秀忠・三代家光の時代に親藩譜代外様含めて改易しまくっている。
こちらは、それによって政権をゆるがせたりはしなかった。むしろ政権固めのための
行為であり、それに成功した。
428人間七七四年:2008/03/30(日) 22:10:52 ID:ESowXCp+
>>427
秀吉は家康を潰せるとは思えなかった。
また、潰すには勿体無かった。
429人間七七四年:2008/03/31(月) 09:26:49 ID:Qt3lJNhi
428氏に賛成

秀吉の存命中の家康は
頑固で吝嗇だが、
温厚で誠実で律儀で粘り強く、
野戦がそれなりに得意で、
忠義な家臣を多く持つ大名ではあっても、
野心家で他家を乗っ取るような人物とは
思われていなかった説が有力だよね

小牧・長久手でも、盟友信長の遺児である
信雄に手を貸す形での参戦だったし

あれほど人使いに秀でた秀吉の
ことだから、残すメリットと潰すデメリットで
前者のほうを取ったわけだよね

せめて如水ぐらいに警戒してたら
関東まるまるくれてやるほどは
しなかったと思うけど

むう、なんか受け売りばかりのようで
くやしいが、まあそういうことで
430人間七七四年:2008/03/31(月) 11:21:57 ID:d7NthGCd
>>427
いや、行為の問題
理由もなく次々に紛争に介入したり、領地を召し上げたりなんてしなければ、赤松が疑心暗鬼になって暗殺なんてすることもない
>>417が言ってるのは、まさにこの理由もなく介入するということ
義満の山名討伐は、山名が上皇の荘園?の横領が発端
徳川のそれも、半数以上が後継者断絶という、当時制定された法度に則ったもの
両者共に秩序による制裁
だから政権を安定させ得た
豊臣が徳川に対して義教のようにやれば、当然短命なものになるのは考えるまでもないんじゃね
431人間七七四年:2008/03/31(月) 19:01:53 ID:p3QV1oh0
しかし250万石もあげなくてもなあ。秀吉より多いし関東移封は虎を野に放つようなものだよ。
432人間七七四年:2008/03/31(月) 19:23:51 ID:d7NthGCd
そりゃ徳川の親戚の北条討伐、さらに同時代の人間も「やりすぎじゃね」という関東への移動
ある程度餌つけないと徳川が北条と結託して、豊臣の統一がもっと遅れたぞ
433人間七七四年:2008/03/31(月) 22:03:03 ID:CjzXcXJZ
>>430
いや、同じことだよ。どちらも外様や潜在的に危険になった、なるかもしれない勢力を潰すために行った。
ただその手段が、義教は他者を納得させられることが出来なくて、義満や秀忠は周囲の納得を得られるよう
上手く口実を設けたりしてやったというだけ。
434人間七七四年:2008/03/31(月) 22:22:56 ID:d7NthGCd
>>433
徳川のそれが潜在的な危険排除?
半分が後継断絶なんだけど、どうやってこれで意図的に狙った大名を潰すのさ
435人間七七四年:2008/04/01(火) 22:22:46 ID:8u8qud63
けどさ秀吉は関東、東北の大名配置はもう少し考えたほうがよかったよ。
436人間七七四年:2008/04/01(火) 22:37:19 ID:blYo4fpu
政宗なら潰しても誰も文句は言わなかったろう
その政宗を許すことによる宣伝効果を狙ったんだろうけど
437人間七七四年:2008/04/02(水) 00:35:01 ID:FG6h1rOV
>>435
考えてアレだと思うぞ
中国でも地方軍閥が台頭してきたりするように、権力が浸透しにくい地域というのは存在する
実際、畿内周辺では積極的に配置換えしてるけど、東北には近畿のそれに比べて少ない
つまり、当時の豊臣権力の限界だったってこと
438人間七七四年:2008/04/02(水) 00:59:16 ID:daZX9czs
まぁ幕末の状況みりゃ積極的にやらんでもええ地域だわな東北は
439人間七七四年:2008/04/02(水) 14:16:02 ID:vMRYoUOQ
ぶちゃけ小牧長久手で突撃すればよかったんだよ。
人質に母親はないだろ。
440人間七七四年:2008/04/03(木) 01:01:27 ID:L+CR6LFb
>>436
それだけじゃなくて、秀吉は天下を統一した以上、今度は統治しなければいかんのですよ、
これは攻め取るより余程難しい、特に地方ともなればどうしても目が届きにくいし
反乱ばかり起こってしまっては豊臣家の沽券に関わってしまう。
その点で政宗のような地方大名の実力者を従えて行った方が合理的なのはしょうがない。
政宗は東北でも喧嘩してる大名多いしパワーバランス取るのにちょうど良い。

特に政宗や利家のような計算高いタイプはある程度権力を与えても
政治的なアピールはしたとしても自分を旗頭に本当に事を構えるようなタイプじゃないので扱いやすい。
実際関ヶ原の動き見る限り、政宗は結果的に徳川になびいたけど、情勢が豊臣有利なら豊臣についたろう
実力に自信があるのであればこの手のタイプは無駄に潰す必要ない。
441人間七七四年:2008/04/03(木) 09:21:28 ID:f4HUg3hy
伊賀者や甲賀者がいるから
困難かもしれないけど
家康を暗殺できたら
徳川家って没落したかな?
442人間七七四年:2008/04/14(月) 09:27:15 ID:A8jODvD+
>>441
徳川家の力が衰えることもありえただろうが、豊臣家の方がダメージ大きかったんじゃないか?
どの時点かはわからないが、ある程度以降は、一番得するのは豊臣だと思われてしまう以上、
他家に対する求心力も失いかねない。

それにだ。
天下統一が急がれた理由って、ヨーロッパの脅威も結構大きかったんだよな。
事実、九州の一部が、ローマ教皇領になっていたし。
避けられる内紛は避けたかったと言う所だろう。

朝鮮に攻め込んだのも、朝鮮半島がヨーロッパの勢力圏になってしまうと困ると言う、
明治時代とほとんど変わらない地政学的必要性からだったんだろうし。
443人間七七四年:2008/04/16(水) 02:43:32 ID:3r5qGxn0
キミ、どこから電波受信してんの?
444人間七七四年:2008/04/24(木) 06:28:46 ID:zPtH8DUy
ぶっちゃけ黒田如水がいるかぎり負けない
445人間七七四年:2008/04/24(木) 13:40:38 ID:RdbPNvb0
ぶちゃけ関東250万石余あげすぎじゃあない?それ配置にしても関東じゃあなくてもいいんじゃあないかな?
446人間七七四年:2008/04/24(木) 14:06:05 ID:PJUuEOEB
秀吉は大陸に攻め入りたかったから、余り国内でごたごたしたくなかったんだよ
447人間七七四年:2008/04/25(金) 16:35:47 ID:+SvDJbpK
>>442

>天下統一が急がれた理由って、ヨーロッパの脅威も結構大きかったんだよな。
 事実、九州の一部が、ローマ教皇領になっていたし

最低の嘘つきだな、お前。


>朝鮮に攻め込んだのも、朝鮮半島がヨーロッパの勢力圏になってしまうと困ると言う、
 明治時代とほとんど変わらない地政学的必要性からだったんだろうし

ヨーロッパ(イギリス)が清と本格的に接触したのは、19世紀前後だ。
秀吉の時代とは全くの無関係。
それに朝鮮を狙っていたのは、20世紀前後の日本とロシア。
ヨーロッパは全くの無関係。
とんだ醜態だな。
448人間七七四年:2008/04/26(土) 05:52:00 ID:wOPUpOAw
もう少し大名配置考えてもよかったんじゃあね?
449人間七七四年:2008/05/03(土) 15:21:00 ID:xlSrCmY3
関八州を瞬く間に平定してしまった家康も家康だが、
彼の才能を見抜き、関八州の太守に抜擢した秀吉の
手腕と言うか力量も、これまたすごいモンがある。






































滑躯人曰く、「どっちも化けモンだぁー!」
450人間七七四年:2008/05/13(火) 14:39:28 ID:zMBmbbIQ
金と欲に溺れた晩年の秀吉には無理だったと思う。もし浅井長政が討たれた時に於市が三人娘と一緒に死んでくれたら、秀吉の天下も少しは長く続いたと思うが・・・。
451人間七七四年:2008/05/13(火) 15:27:55 ID:lPIcFbPf
東北がほぼ家康についているという危機感はなかったのかと
特に、最上は分かりやすいだろうに
452人間七七四年:2008/05/13(火) 15:44:10 ID:3EOLPV11
>>450
お市母子助けたの秀吉じゃなかったか?
453人間七七四年:2008/05/13(火) 17:44:07 ID:dNrQ86cy
大体、秀吉は家康を心のどこかで尊敬していたと言うか、(ばかにもしてただろうが)
いい奴だと思ってたというかそう思い込みたかったように見える。嫌ってなかったんだ。

感謝すらしてただろう。金ヶ崎の退き口の時の恩義がある。恩にきてたんだよ。本気で。
だから、最後の最後では非情になりきれない。本気で調略すれば石川数正一人では済まない。
本人が滅ぼしたくないのだから滅ぼすのは無理だわ。家康やっぱ猫かぶりの天才。本気の演技。
本物と同じ律義者。つまり、本気の律儀。皮肉じゃないよ。凄いわ。
454人間七七四年:2008/05/13(火) 19:18:52 ID:AkmiPlfi
>>452
秀吉の人生の分岐点にお市やその娘達がいる事が怖い。

息子秀忠の子供の竹千代(家光)にお福という教育係をつけて
嫁のおゴウ(淀の妹)をけん制していた家康も怖いが。
455人間七七四年:2008/05/13(火) 21:04:51 ID:E6qixjNj
447。
秀吉晩年の頃はスペインがポルトガルを併合して、そのままの勢いでイギリスも攻略しようと思ったけどまさかの敗戦。(1588年アルマダ)
これが無ければスペインは明に攻めていた。

当時秀吉はスペインと同盟して長距離航海できる船の技術を教えて貰おうとしたけど、これが破綻。

で、スペインのイギリスによる敗戦を知らない秀吉は明をスペインに獲られる前に獲ってしまおうと思った。


逆説の日本史12巻より。
456人間七七四年:2008/05/13(火) 22:17:29 ID:2ofvalqF
>>455
事の真偽は置くとして獲れるという発想がなんつうか
まさかとは思うが秀吉って情報オンチ?
457人間七七四年:2008/05/13(火) 23:00:27 ID:E6qixjNj
455だが、逆説〜ではスペインに航海術を教えて貰っていたらわざわざ朝鮮から攻める必要は無い。
明の主府の近くの海岸沿いから攻めれば可能性はあったと。

尚且つ家康なりを総大将にしていれば清正と行長の衝突は無かったはず。


ただ、その頃の秀吉はかなりもうろくしていたから情報の大事さを軽んじていた。

とさ。
458人間七七四年:2008/05/14(水) 06:08:40 ID:7TL6qUV7
>>457
>スペインに航海術を教えて貰っていたらわざわざ朝鮮から攻める必要は無い

既に南シナ海ルートを開拓して、フィリピンなど東南アジアまで到達できる航海術があったのに、
今更南蛮に教えてもらうことがあるのか?
ボケてんのか?残念な奴だ
459人間七七四年:2008/05/14(水) 06:45:04 ID:hFdQ8PN2
大艦隊をか?
規模が違うぞ。
460人間七七四年:2008/05/14(水) 19:26:06 ID:9B3UqVSS
船舶なら航洋型ジャンクで十分
問題はそれを量産するだけの技術と時間がなかったこと
和船は量産性については西洋船やジャンクより上だった
461人間七七四年:2008/05/14(水) 23:43:21 ID:SiDq8KED
実際、遣唐使だって、船団組んで、朝鮮半島避けたコースで行ってたんだからな。
秀吉の時代に出来ないとは思えない。
462人間七七四年:2008/05/15(木) 02:21:33 ID:NZrWCeFl
艦隊で外洋を長期間航行できるかはまずノウハウの問題なのでは
463人間七七四年:2008/05/21(水) 10:22:34 ID:4P0ouoXW
関連スレ
  家康の関東移封は失策だった 
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152431263/
464人間七七四年:2008/05/30(金) 21:00:56 ID:1mgOLB2K
 家康1人殺しても秀忠+徳川家臣団があれば徳川家は大合戦やらなければ
つぶせない 桶狭間で今川義元死んでも今川家はしばらく続いた 武田家も
長篠合戦では滅びずにさらに本国まで攻める必要あった 武田家や今川家よりはるかに強固
な家臣団ある徳川をつぶすには本国へ攻める必要ある  

465人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 00:45:28 ID:BrpYONRP
関連スレ
朝鮮出兵を徳川弱体化に利用できなかったの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1167409730/
466人間七七四年:2008/06/17(火) 04:40:16 ID:YNiWDGrz
家康も、最初でかつ一番大きな豊臣家が、強引そのもの
連発しないなら、強引でもOKなんじゃないの
でも、徳川家を排除出来ても無意味
長期政権に必要なのは、一個人の力じゃなくて、システムだろ
秀吉が死んだら、三成が勝手に代理で戦争しちゃったり
淀君がわがままいったら、そのまま通ったりするのは
豊臣家自体に、人が全然いなかったからだろ
そんな政権が長続きするわけない
467人間七七四年:2008/06/17(火) 21:38:00 ID:lKq5evy7
>>466
明け方に書いてるせいなのか
主語とか目的語が省略されまくってて
いまいち文意が伝わってこないのが残念
468人間七七四年:2008/06/17(火) 23:26:12 ID:vh/5nTQO
言いたい事は分かるだろ。
とても日本人が書いた文章だとは思えんが。
469人間七七四年:2008/06/25(水) 00:16:37 ID:uVubc2Hy
毛利と徳川に力を与えすぎたな
毛利はまだ輝元だからいいが
徳川は家康だからな
470人間七七四年:2008/07/06(日) 16:45:59 ID:5GRMMkg4
女子供を溺愛し過ぎて周りが見えなくなった秀吉では家康には勝てなかったと思う。
471人間七七四年:2008/08/03(日) 04:54:07 ID:ygPvYzQi
>>467
いい事いうじゃねえか。
出来るんだな?
今すぐ頼むぞ。
472人間七七四年:2008/08/03(日) 09:19:31 ID:3J3BDZ6W
誤爆
473人間七七四年:2008/10/31(金) 07:50:05 ID:7uHGwJ8B
秀長邸に顔を出した時に暗殺
474人間七七四年:2008/11/01(土) 17:30:44 ID:z06swbaI
小牧で勝って力を削ぐ
475人間七七四年:2008/11/02(日) 02:22:36 ID:38O4uRMK
ビグザムの量産に成功してれば勝てた
476人間七七四年:2008/11/03(月) 14:11:45 ID:JwqPIDdg
秀頼の猪木のところに預けて、安田や小川みたいに総合で戦える
体に変身させる。197cm115kgでグッドシェイプの秀頼完成!

⇒家康ビビる

⇒有無を言わさず大阪爆撃
477人間七七四年:2008/11/08(土) 06:51:30 ID:54oBnNac
小牧の時、なんで秀長を同行させなかったんだろ
478人間七七四年:2008/11/08(土) 14:59:27 ID:6hRYIsld
朝鮮出兵のときに徳川が兵を出すのを免れたことも合点が行かん。
479人間七七四年:2008/11/08(土) 16:11:55 ID:KsS22IOg
単に近い西国大名から出陣させただけだよ
徳川だけじゃなく基本的に東国大名は名護屋の守備だった
後になって一部は南岸の方に上陸したけどね
480人間七七四年:2008/11/08(土) 17:57:16 ID:6hRYIsld
>>479
なるほど、確かに。教えてくれてありがとうございます。
481人間七七四年:2008/11/08(土) 19:49:49 ID:/BndAVL0
孫悟空に頼めばどうにでもなる
彼なら家康どころかアメリカ空軍も一瞬でかたずけられるだろ
482人間七七四年:2008/11/08(土) 20:15:21 ID:rjPUXgdz
>>478
あと

殿下の思し召しで東海から関東に国替えになりましたが、旧北条領だったため、領民が旧主を慕っており、なかなか言うことを聞きません。当分は内政に力を入れたいと思いますので、渡海はご勘弁下さい。

って言い訳したらしいね
483人間七七四年:2008/11/08(土) 20:59:49 ID:X5VROYPc
そういや徳川史観なのか何なのか知らんが、江戸・関東は寂れた地方だったなんてことになってるが
内政に優れていたといわれる氏康やその息子達が治めてたんだから実は結構栄えてたんじゃねえの。
だったら関東移封も、中央から遠ざける意味もあっただろうが同時に加増して報いてやるって面もあったかもね。
信越の山だらけの土地なんて重商主義に傾いてた秀吉からすれば石高はあっても商業の発達してない田舎だし
だったら港も多いし、古都鎌倉も抱えてて商業も発達してる関東でもくれてやるか、と。
やっぱり家康の律義者ぶりに騙されたというか、好きだったんだろうな。
色々縁組も組んだりして事実上一門衆に近い感じにもなってるし。
484人間七七四年:2008/11/08(土) 21:33:38 ID:3YSAuPSE
>>483
北条領では全国規模の検地や様々な税制改革などが行われており、
非常に先進的であったと考えられる。
交渉役や合戦で最も活躍した家康が恩賞として北条領を貰ったという
だけの話で、左遷のような意味合いは全く無いと思われる。
485人間七七四年:2008/11/08(土) 22:14:20 ID:IASLmL85
いや中央から遠ざけると言う意味では十分左遷
三河軍団を三河から引きはがす事も戦略上必須。

まあ関東が豊かになりつつあるといっても当時の江戸なんてどんだけ
田舎かは、元禄はおろか幕末でさえ今の中心地がほとんど野原だった
こと見てもわかるよw
関東の豪農が畿内のふつーの庄屋れべるなんだから。
486人間七七四年:2008/11/08(土) 22:59:55 ID:9Hgb/Bfb
これはひどい
487人間七七四年:2008/11/09(日) 00:27:13 ID:md6BNKKB
ちょっと荒技なんだが。
せっかく朝日姫を家康に嫁がせたわけだろ?
だったら朝日姫を梅毒に感染させとけば良かったんじゃね?
もちろん、結婚前に梅毒の症状が現れてたら家康だって
抱かないだろうから、嫁ぐ直前くらいに梅毒患者と朝日姫を
セックルさせる。
うまくすりゃ数年で家康死ぬだろ。

488人間七七四年:2008/11/09(日) 01:11:42 ID:SaM2KbSE
>>482
いかにも家康が言いそうなw いや内府公にしか思いつかないだろうな・・・
489人間七七四年:2008/11/09(日) 11:34:20 ID:QfmLpUlk
>>487
実際に朝日と家康ってお床入りしたのか?
へぅげもんにそのシーンがあるが、家康が精一杯頑張ってせいぜい一回、それでようやく
義務を果たしたと自分で自分をほめていたくらいだった。
性病うつるくらい何度もするとは思えないし、一回すらしない可能性も。

まぁネタであるのは承知なんだが、下ネタ嫌いじゃないもんでw
490人間七七四年:2008/11/09(日) 17:47:38 ID:md6BNKKB
でも家康は熟女好きだし。
491人間七七四年:2008/11/09(日) 19:18:45 ID:oV7g7gFu
熟女なら誰でもいいわけじゃないだろ
492人間七七四年:2008/11/11(火) 03:58:46 ID:IVxAUrOX
>>485
三河軍団って、当時の家康の所領全体からみれば松平家譜代の家臣の数や領地なんて本当にごく一部だろ。
ほとんどが家康一代で切り取った土地で、いくら松平家譜代の連中がトップを占めてるとはいえ、
ほとんどの武士は旧今川家・武田家の連中だ。
左遷っても浜松と小田原・江戸なんて中央までの距離はそこまでは変わらないよ。
蒲生が伊勢から会津に移ったのなんかとは話が違う。中央から遠ざけたなんて後付けにしか聞こえない。
家康が本気で関東から中央を狙うんだったら
東海道なんて勝手知ったる道のりや城ばっかだし、旧臣も残ってるだろうし、たいした障害じゃないだろ。

だいたい本当に警戒してたり家康の事を気に食わない奴だと思ってたら、信雄や丹羽家潰したみたいにとっくに潰してただろうさ。
天下人となって以降まであそこまで持ち上げる必要性もないから、やっぱり家康のこと気に入ってたんだろうよ。
493人間七七四年:2008/11/11(火) 14:11:35 ID:BFz6/QH4
島左近に100万石与える
494人間七七四年:2008/11/11(火) 14:30:26 ID:WbVatUkZ
家康より長生きする
495人間七七四年:2008/11/11(火) 15:00:14 ID:1SnZqJVw
単純に秀吉が
1600年まで生きたら
家康は何も出来なかっただろうね。

496人間七七四年:2008/11/11(火) 15:01:34 ID:6ic9NrSE
史実の家康だって、大坂の役の開戦理由は(表向き)は
「国家安康、君臣豊楽」だからな。
秀吉に家康並みのずる賢さがあれば、適当理由つけて減封できたのにな。
同じ方法で他の大大名も力を削げば良かったんじゃね?
497人間七七四年:2008/11/11(火) 16:57:19 ID:RF+JIdUm
ぶっちゃけ加藤や福島の部隊を赤色で統一して家康本陣に突撃させれば良かったんだよ
498人間七七四年:2008/11/11(火) 17:48:49 ID:V9fATjKM
>>496
佐々とか蒲生とか伊達とか朝鮮出兵関連とか削ろうとしてるだろ
豊臣政権には大名の力を削ぐ意思はある。が、それをしないのは反乱されると面倒だから。
名目だけで潰せるなら苦労しない。
そもそも秀吉に家康並みの狡さがないと考える方がおかしい
499人間七七四年:2008/11/11(火) 18:03:44 ID:GkTEo/2O
佐々は潰されて当然だけど
伊達を潰す気なら奥州仕置で潰せてた。
家康は潰したくとも時間がかかる。
まだ、西日本も統一していない状態ではさすがにドロドロの展開を避けたのだろう
なので先に長宗我部や島津を支配して西日本だけでも固めてれば家康も潰す行動を取れたかも知れない
ま、その頃になると、徳川、北条、伊達がガッチリ3国同盟結んで関ヶ原みたいな戦いになるかも知れんが
結果的には秀吉が指揮するので、そちらの方が良かったかも
500人間七七四年:2008/11/11(火) 22:21:08 ID:AQ6MpQzO
そもそも秀吉が家康を気に入っていたとしか思えない。
「太閤様御法度・御置目」の内容からして関東への移封の時には
東の統治を任せるつもりでいたんではないかと思う。
また、秀次事件後に漸く二頭五奉行体制という自らの独裁体制
ではない政権運営体制を整えようとしたわけで、
それまでは自分が死んだら秀頼に無事、政権が委譲されないかもしれない
という危機感も欠落していたように思う。
501人間七七四年:2008/11/11(火) 22:28:38 ID:t6ELRGO1
西国大名vs東国大名という対立構造になれば、
家康は関ヶ原のような一日でケリがつく殲滅戦は避けるだろうから、
そうなると戦国時代が続いた可能性大だろうな。
そのうち秀吉の寿命が尽きて・・・
502人間七七四年:2008/11/11(火) 23:20:38 ID:AQ6MpQzO
佐竹・宇都宮ら北関東勢は北条と激しく争い、上杉を通して
秀吉に臣従している。(上杉は当然早々に臣従)
なので、東国が一丸となって秀吉対抗するなどという事は有り得ない。

また、家康は小牧・長久手時に長宗我部、佐々、雑賀・根来衆らと
組んで秀吉を包囲し、背後の北条とも同盟を結んで対抗し、
尚且つ局地戦でも優位に進めながら最終的に屈服せざるを得なかった。
事、外交戦に関しては家康は秀吉に全く歯が立たない。
背後を固め万全の体制で戦ったら家康には勝ち目が無いだろう。
503人間七七四年:2008/11/11(火) 23:30:11 ID:8Z8r+DrR
>>498
朝鮮は関係ないだろ
秀吉は勝つ気で居たんだから
残された家康は寧ろ、戦功を上げさせない為
504人間七七四年:2008/11/11(火) 23:41:07 ID:dy8XjcLv
505人間七七四年:2008/11/11(火) 23:59:56 ID:6JzQ/Rnd
島津が関が原で動くだけでじゅうぶんだった。
506人間七七四年:2008/11/12(水) 01:08:38 ID:Hv85+yHD
まぁ、家康スルーして北条と同盟結べたら一発だったんだけどな

史実でも、この頃の家康は、対秀吉を想定して
北条同盟に必死になってたし、同盟締結の酒宴の席では自ら裸踊りかなんか披露したとまで言われてる
家康に取っては背後にある北条を味方につけ、さらにその後ろにいる伊達とも組めれば
秀吉の背後を逆に襲える西国大名を拭きかけれたし
秀吉にすれば家康の背後にいる北条さえ垂らしこめれば家康なんか一発だったのにな
507人間七七四年:2008/11/12(水) 02:24:04 ID:+JTB21yR
>>506
確かにそうだが、まあ秀吉にとって不運だったのは
北条は関東以外にはほとんど目が向いていなかったことだな。
信濃に一時侵攻したけど、火事場泥棒しようとしてちょっとてこずったらさっさと引き上げたし。
508人間七七四年:2008/11/12(水) 22:26:48 ID:DpmZHwtC
秀吉嫌いの氏政がいなければ同盟も有り得たかもな
509人間七七四年:2008/11/13(木) 00:33:10 ID:JVEHh0cC
本当、氏政は無能のくせに
ここ一番ででしゃばるから・・
510仙台藩と愉快な百姓達:2008/11/13(木) 08:20:39 ID:81iJHwXl
北条なんて役立たずと結ぶほど秀吉は馬鹿じゃないお┐ (´ω`) ┌
むしろ信長も秀吉も初めから北条なんてスルーしてたお( ^ω^)
511人間七七四年:2008/11/13(木) 09:01:19 ID:uFaL/P4K
家康を関東に移封したあと難癖をつけて江戸征伐をやるのかと思ったら、やらずに朝鮮に侵攻しちゃったんだよな。
なんでなんだろ?
豊臣・上杉・真田・佐竹・前田・最上その他東海の大名を根こそぎ動員したら簡単に叩き潰せただろうに。
大政所が死んだあと朝日を取り返して攻めこめばよかったのに。
512人間七七四年:2008/11/13(木) 09:01:54 ID:NI5vVUoN
伊達、北条を味方につけても、秀吉軍には勝てんだろ。東に真田、佐竹、上杉が居る。加藤福島らごときが家康に味方しててもだ。まあそれ以前に本能寺で光秀軍に殺されたら良かったのに。ちなみに家康大嫌いだから低能な書き込みですまん。
513人間七七四年:2008/11/13(木) 19:48:30 ID:XSsexeRK
アンチ家康は低能?
何となく納得できるようなw
514人間七七四年:2008/11/13(木) 19:51:30 ID:XSsexeRK
おっ、IDがsex
515人間七七四年:2008/11/13(木) 19:58:34 ID:Fd8h8QSz
>>514
松永久秀乙!
516人間七七四年:2008/11/13(木) 23:26:09 ID:wFGShtwK
>>513
お前が低脳なのは良く分かった。
517人間七七四年:2008/11/14(金) 04:06:35 ID:8FWj4VWy
元和偃武ってのは現代で言えば憲法9条採択だぞ?
家康公は戦国の土井たか子、あるは戦国の辻元清美と
呼ぶべき存在だぞ?
してみれば以下に家康公が偉大か分かるであろう。
518人間七七四年:2008/11/15(土) 08:49:34 ID:QgAR8WqG
その比喩は正しくないな
家康は日本に平和憲法を押し付けたアメリカだろう
土井たか子はせいぜい御用学者にすぎない
519人間七七四年:2008/11/16(日) 01:37:21 ID:0W20jGxa
書き込もうにも…知的障害者が多すぎでワロタwww
520人間七七四年:2008/11/16(日) 02:00:32 ID:caO1Rz0o
フェミの戦国ファンとか気持ち悪いよな
521人間七七四年:2008/11/16(日) 13:41:53 ID:oazM/bEY
コンビニで売ってる戦国武将の漫画集で、家康が秀吉の遺言無視して勝手に婚姻政策進めたのは「太閤殿下亡き後、大名間の結束を固めるため。私欲は無い」とか美化しまくっててワロタww。
522人間七七四年:2008/11/16(日) 13:43:46 ID:/FAU0dYt
簡単じゃね?
徳川家の有力な縁者を呼び出し、宴をすると称して難癖をつけてその場で手討ちにする。
523人間七七四年:2008/11/16(日) 14:46:33 ID:UHjSycAg
>>512
家康の関東防衛構想(推定)

中山道、東北道は国境の譜代大名で防御
特に上杉・真田・前田の中山道に通じる上野は井伊・など三万石以上が6人いて、
一国丸ごと要塞化しているから十分時間稼ぎはできる

東北道の蒲生・佐竹は榊原や秀康で防御
蒲生は伊達が牽制するし、佐竹は他にも香取海を挟んで、鳥居と酒井にあたるので
積極的な行動はできない

そして、東海道の主力は小田原城の一族の結束が強い大久保が足止めし、そして
家康本隊と本多が決戦を挑む

こういう形になるので、絶対勝てるとはいえんね
524人間七七四年:2008/11/16(日) 15:18:53 ID:FJPwOg7R
>>523
まともに各方面での総戦力比考えてみた?

ってか、北条と大して変わらない状況でどうして対抗できると思うのかw
525人間七七四年:2008/11/16(日) 15:52:53 ID:UHjSycAg
>>524
小田原合戦を基準とすると中山道は豊臣三万五千、徳川二万(−榊原、+忠吉)
東北道は豊臣四万五千(蒲生、佐竹)の内、伊達他の東北勢力を顧慮し、二万五千
徳川二万(榊原、鳥居、酒井等)
東海道も小田原合戦の前例で十七万
これに対し、小田原城に一万弱籠らせて、家康と本多合わせて三万五千
かなりの劣勢だが、この点は豊臣の大軍ゆえの統率の鈍さと家康の才覚に
期待するということで
526人間七七四年:2008/11/16(日) 16:03:41 ID:UHjSycAg
>>525
追記
豊臣は侵攻なので3人役、徳川は5人役で計算

そして、北条の場合は主力が籠る小田原城が同じく豊臣の主力に包囲させてしまったから
この点についてはかつての対上杉の如く、
中山道から来る敵を長行軍で疲弊したところを主力で撃破する作戦なのだが、これまで
外交で安全域としていた駿河が敵に回り、山中城などの箱根防衛線で防ごうとしたが、
兵力差で失敗している

つまり既存の戦略に拘り、前提の戦略環境の変更に戦術論で対抗しようとしたのが、北条が
あっさり負けた理由
この点、家康は主力が江戸なので機動的な運用が可能
527人間七七四年:2008/11/16(日) 16:21:08 ID:caO1Rz0o
でも北条は、その上杉相手にもコテンパンにやられてるし
結局は篭城するしか手がなかったには歴史を見ても明らかだよね
で、家康は統治まもない江戸(というか、ただの湿地帯の荒地)
で、どうーやって戦うの?
528人間七七四年:2008/11/16(日) 16:25:55 ID:FJPwOg7R
>>525
実際の小田原合戦でも僅か三ヶ月で小田原城と忍城以外の拠点を
ほぼ制圧した訳で、大軍故の統率の鈍さがあったとは思えんがな。
五人役なら当然侍身分でない人間の徴兵を多く伴うという事だろうが、
そうなれば村や地域毎の寝返りも多発する可能性が高くなるな。
山中城もわずか一日で陥落したわけで、圧倒的な兵力差は如何ともしがたい。

で、既存の戦略に拘らない、圧倒的な兵力差を覆す機動的な運用って言うのは
具体的にどういう事を言うんだ?
529人間七七四年:2008/11/16(日) 16:28:41 ID:caO1Rz0o
ヒント:ゲーム内での戦略
530人間七七四年:2008/11/16(日) 16:53:06 ID:UHjSycAg
>>527
でも結局、上杉は小田原城を落とせずに後退している
後、家康は江戸籠城は全く考えていないでしょう、あくまで策源地

>>528
それは主力を小田原城に雪隠詰めにでき、一部を支隊として無防備な
武蔵・上下総に流し込めたから
後、総動員は5人役でなく7人役
そして山中城がだめなら、十何万を拘置した実績を持つ小田原城で拘置

そこへ、江戸に集結させた予備を本多と家康の二手に分けて、片方は
東海道を沿って敵を誘引させ、もう一方が八王子から迂回し後方を遮断する
後はこの機動を上手く隠蔽しながら行えるかどうかでしょうな
531人間七七四年:2008/11/16(日) 17:11:50 ID:FJPwOg7R
>>530
五人役で百姓に兵役を課さなくても賄えると?
で、既存の戦略に拘らず、圧倒的な兵力差を覆す運用っていうのが
長篠の焼き直しみたいな方法とはな。
仮に一万人を超えるような大軍が万が一敵の目を盗んで後方に
つけたとしても、圧倒的に上回る兵数を相手に野戦でどう戦うのか?
532人間七七四年:2008/11/16(日) 17:48:12 ID:UHjSycAg
>>530
できますよ。江戸時代の例だけど前橋酒井家12万5千石の動員数は5438人で4.5人役
この内、百姓が陣夫、大工が職人として徴用されているが、槍足軽は募集制
つまり5人役なら戦闘員としての動員はしなくてもよい

それにあの時代、機動的に運用できるのは多くて15000前後。それ以上は指揮・統率が
混乱してしまうので、正面戦闘しかできない
この点を利用すれば勝てる可能性はある
533人間七七四年:2008/11/16(日) 19:53:08 ID:/FAU0dYt
常識的に考えて関東を支配した家康VSその他地域を支配した羽柴秀吉では
家康に勝ち目なぞあるわけがない。

局地戦という意味ではなく、総合的な話だけどね。国力が違いすぎる。
534人間七七四年:2008/11/16(日) 20:16:48 ID:U4QnS3H3
まあ当の家康がボケた秀吉が死ねまで
ひたすら待ち続けたんだから
勝てる見込みはないと判断してたんだろ
535人間七七四年:2008/11/16(日) 20:31:17 ID:K3Jxz1QI
>>533
一度や二度は撃退できるが、それ以後は無理でしょうな
ただ、手もなく捻れる訳ではないし、秀吉もそう考えてはいたでしょう
そして、家康も勝てる可能性は低いから従ったんでしょうな
536人間七七四年:2008/11/16(日) 20:38:39 ID:VtgvSYUK
>>529
豊臣と徳川がもし戦えばなんて考えるほうがよっぽどゲーム脳
現状No.1とNo.2がすべてを失うかもしれないようなこと、そう簡単にするわけないだろw
537人間七七四年:2008/11/16(日) 20:53:53 ID:K3Jxz1QI
>>536
秀吉とほぼ同時に家康がポックリ逝けばあるかも
538人間七七四年:2008/11/17(月) 00:47:56 ID:n0Q1E43i
>>532
北条は小田原合戦の際、百姓にも兵役を課して総勢五万六千だぞ。
539人間七七四年:2008/11/17(月) 07:11:06 ID:0ozZOcmN
>>538
天正壬午の乱で甲斐・信濃に5万3千人送ってるんですけど
540人間七七四年:2008/11/17(月) 23:25:10 ID:maGkyPKV
>>532
兵役って鑓持や旗持までじゃないのか?
541人間七七四年:2008/11/18(火) 07:10:28 ID:dHQl247v
>>540
そこら辺はグレーゾーン
基本的には中間身分だが、これが徴集か募集かは時代・地域で異なる
ただ、近世大名はおおむね後者かと
542人間七七四年:2008/11/18(火) 23:46:18 ID:GjtA6CGA
>>541
上杉の軍役帳だと鑓持・旗持までだし、北条の軍役も旗持や鑓持などの足軽までだった筈だけど。
543人間七七四年:2008/11/19(水) 06:59:58 ID:YgE4N4f0
>>542
軍役というてもあれはあくまで動員指示書であって
それの中身が徴集か徴募かはそこからは読めない
544人間七七四年:2008/11/22(土) 10:41:32 ID:pCyecGLy
>>538
後それは、小田原城に籠城した数
だから>>524の本隊は四万五千は何とかなるかな

前提としては秀吉と同時に家康が逝っちゃって、
それを好機とみた反徳川派が無理やり討伐軍を挙げるという形に
変更するとなると、東海道の戦局はかなり厳しくなるが、
これは東海道での敵誘引を秀忠(補佐として榊原)とし、
八王子からの迂回を本多でなんとか

東北道は代わりに平岩を引っ張るとして、中山道は上杉がいないから
多少は兵力減っても大丈夫でしょう
545人間七七四年:2008/11/22(土) 20:01:42 ID:N+wuCYAT
>>543
北条家では戦闘要員以外は賦役として徴集していて、
家臣に課せられる軍役は旗持や鑓持まで。
小田原の役の時は総動員令を発しているけど、
そうでないなら兵数は旗持・鑓持までとする方が自然じゃないか?
>>544
小田原の役での北条の動員数は「北条家人数覚書」に34350騎とあるけど、
総兵力は諸説あってはっきり分かってないと思ったけど。
546人間七七四年:2008/11/22(土) 23:30:47 ID:3zXR0UW+
>>545
兵数は基本的に武士・足軽・武家奉公人・陣夫総てを足した数と武士の数で
後者は騎で表わされる
この騎数から総兵力を算出する場合は普通、5倍から10倍とするのが基本
547人間七七四年:2008/11/26(水) 02:32:44 ID:G8dh7Dp6
林け○じにヒ素を調達させ、ますみにカレーにいれさせ、家康をカレーパーティに招く('◇')ゞ
548家康:2008/11/26(水) 03:55:05 ID:3/haVdoM
焼き味噌食ってる時にカレーの話なんかすんな
549人間七七四年:2008/11/26(水) 06:01:24 ID:AuluMSTM
一発でキメようとしたらあかんよ
あの天下人になった家康が、弱った豊臣を滅ぼすのに何度も掛かったように
段階的にやらないと。それもまわりに支持させて
550人間七七四年:2008/11/26(水) 09:51:26 ID:G8dh7Dp6
だから、一気にやらず、少しずつもる、じゃあ焼き味噌でもいいや! ちなみにナポレオンはそんな殺されかたした説がある。
551人間七七四年:2008/11/26(水) 10:31:33 ID:+5kc3CGm
歴史にifは無い
豊臣家は徳川家には勝てなかった
それだけが唯一の事実
552遊び人の太田:2008/11/26(水) 20:32:46 ID:n2a83zgD
1.小牧の役で飽くまでも力攻め
2.家康上洛の際に腹心に暗殺
3.小田原征伐を上杉先鋒にして、関八州を上杉領にする
4.北条氏を取り潰さず、旧領地に一揆を起こさせる
5.朝鮮に追いやる
6.天下の仕置は家康でなく上杉に行わせる
7.天敵である真田に信濃一国を与え、関ヶ原の役で腹背を突かせる
8.・・・結城秀康を使う策が考えつかない・・・
553人間七七四年:2008/11/26(水) 20:55:19 ID:h9blEOsA
徳川を関東移封後、間もなく
晩秋を見計らって伊達征伐を命じる
関東衆を掌握し切れていない家康は東北各地で大苦戦
そして冬将軍の到来、伊達を攻略できてない徳川軍を東北に駐在させる
包囲されている伊達には陳情を促し、これを許す
逆に疲弊しきった家康にはイチャモンを吹っかけ、伊達と挟撃
北から伊達、西から上杉、南から佐竹&蒲生&前田らが徳川を包囲
雪の中散々酷使された関東衆も、家康から次々に離反
徳川軍大崩壊
哀れ家康は福島あたりで無残な最期を遂げる
554人間七七四年:2008/11/27(木) 00:17:12 ID:KW8i2CTu
暗殺隊を送り込む
555人間七七四年:2008/11/27(木) 22:16:02 ID:ByMEeUCO
>>553
それぐらいの狷介さがなければ豊臣の安泰はあり得なかっただろうね。
それはなかなかいい策だと思うよ。伊達が一揆とかばれたときにそれやっても良かった。
竜虎相打つ凄惨な戦いで双方疲弊しただろう。或いはそこに、徳川と伊達が裏でよしみを
通じていたという証拠でもでっち上げれば更にベター。

秀吉が陽気な人気取り政権だといっても、統一以後は結構陰湿になっていったわけだし、
葛西大崎一揆の頃はそれぐらい出来たと思うし。
556人間七七四年:2008/11/27(木) 23:00:32 ID:upYN/F6r
>>553
ただし、副産物として後世から「源頼朝」並みの冷酷な人物と評される。
557人間七七四年:2008/11/27(木) 23:24:26 ID:TfMLQ6UU
>>555
その時は明遠征に集中してましたから
558人間七七四年:2008/11/28(金) 12:56:35 ID:CwVmyOsC
やっぱ 真澄美だよ ますみ 一度食べたら家康も病付き!じっくりコトコト煮込んだ、 ヒ素入りカレー
559人間七七四年:2008/11/28(金) 21:27:54 ID:WijBLuxK
家康を殺しても豊臣政権が長期安定化する保証はどこにもない
強引なことをやればそれだけ乱世に逆戻りする危険性が大きくなる

豊臣政権を長期安定化させるには、遠回りなようでも秀吉が善政を行うことが一番の近道
そうすれば家康も豊臣政権を支えるしかなくなる
560人間七七四年:2008/11/28(金) 22:23:20 ID:CwVmyOsC
だけど、このスレ、どうすれば徳川滅ぼせるかとゆうスレなのでは…?
561人間七七四年:2008/11/28(金) 22:37:52 ID:CXNJgWas
長久手で勝つしかないだろ
562人間七七四年:2008/11/28(金) 23:09:53 ID:ujzG6Fuk
勝ったじゃん
家康が臣従したんだから
563人間七七四年:2008/11/28(金) 23:22:46 ID:QZMEk7W3
力の差は歴然としているから、滅ぼそうと思えば確実に滅ぼせます

このスレ終了
564人間七七四年:2008/11/29(土) 00:06:57 ID:xPjMPu1s
>>562
大幅な妥協してるじゃん
決戦回避してばっかだし
565人間七七四年:2008/11/29(土) 00:33:47 ID:yehUS83U
でも勝ちは勝ちだよ
人質もゲットしたし
566人間七七四年:2008/11/29(土) 07:13:34 ID:vVZsJ36V
信雄が領地削られてんだから当然秀吉側の勝ちだわな。
567人間七七四年:2008/11/29(土) 14:32:06 ID:Wl3TRtwC
実は関東の家康包囲網は作り上げてたんだけどね。
常陸に三成と懇意の佐竹義信
越後にほぼ身内扱いだった堀
信州に吉継の婿の跡継ぎがいる真田
甲斐には浅野
東海道沿いには譜代の連中
家康と政宗が組まないように会津に蒲生・上杉
568人間七七四年:2008/11/29(土) 18:59:48 ID:O7c5sDg9
>>565
あれは世論的には養子
公家の日記でもそう記されている

>>566
家康に無断で和睦してるので家康は関知せずでしょ
569おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2008/12/03(水) 07:39:31 ID:BLb6xW7q
豊臣としては武田以上に一向宗徒を手なづけて徳川領内を制圧してしまっていたならば家康を滅ぼせたかも。
570人間七七四年:2008/12/06(土) 20:06:07 ID:q9ZVpZwM
ぶっちゃけ家康滅ぼしても黒田が天下取るだけ

秀吉は、政策悪すぎ、税金取りすぎ、戦争しすぎ、外様多すぎ
戦国以前の頃となんら変わりない
571人間七七四年:2008/12/07(日) 10:16:21 ID:loyJZIas
>>568
お前は当時の世論が分かるのかw
名目上は養子、実質的には人質。

同盟の盟主が降参に近い形で和睦してるのに
負けてないとか頭悪すぎだろw
572人間七七四年:2008/12/07(日) 12:06:07 ID:apVBd4Ry
>>571
いやだって「大日本史料」にそうあるし
「家忠日記」には
「浜松御きい様、羽柴所へ養子に御こし候、」
「多門院日記」には
「筑州猶子」
ただ
「兼見日記」には
「三州徳川人質」
とあるかな
573人間七七四年:2008/12/07(日) 12:27:55 ID:loyJZIas
>>572
そりゃ、養子に来たんだから養子って書くわなw
日本語理解出来ないのか?
574人間七七四年:2008/12/07(日) 13:13:46 ID:apVBd4Ry
>>573
この手の外交において名分が維持されているのは重要
実質は違くても外聞が維持できたという事はそれなりの
妥協を秀吉が強いられたということであり、つまり完全な
屈服ではないということになる
575人間七七四年:2008/12/07(日) 14:17:13 ID:loyJZIas
>>574
完全に屈服したのか、秀吉が妥協したのかという事は戦後の家康の立場に於いて
意味があった事ではあっても、戦争自体の勝敗には関係ない。

負けは負け。
576人間七七四年:2008/12/07(日) 14:44:43 ID:apVBd4Ry
>>575
戦争の終結自体は講和(もしくは休戦)であって明確な勝敗はなし
臣従はまた戦後の話
その間には様々な交渉を通じた冷戦時期がある
577人間七七四年:2008/12/07(日) 15:03:04 ID:loyJZIas
>>576
一体何時誰が臣従の話しをした?頭膿んでる?

講和というのは、ある条件によって戦争を終結させる事であり、休戦とは違う。
戦争の盟主たる信雄が領土を削られ講和し、自らも人質を出し講和に応じている以上、勝者は羽柴。

無条件降伏では無い限り勝敗は無いとか思ってるならアホ過ぎる。
578人間七七四年:2008/12/07(日) 18:28:09 ID:58pSPRLc
それじゃあ妹や実母を送った秀吉の負けって事ですかw
579人間七七四年:2008/12/07(日) 18:48:11 ID:loyJZIas
>>578
小牧・長久手が終わった後の話をしたいのか?
だったら臣従してんだから、それこそ完璧に秀吉の勝ちだなw
580人間七七四年:2008/12/07(日) 19:06:54 ID:apVBd4Ry
>>577
だから、秀吉は秀康を養子として受け入れたんでしょ
そう双方が言ってるのなら実質がどうであろうとそれは養子として処理される
ここはたぶんお互い譲らんからたぶんここまででしょうな
おそらく家康は養子で通すし、秀吉は人質として喧伝するから
どっちが正しい論は意味がない
581人間七七四年:2008/12/07(日) 19:36:47 ID:loyJZIas
>>580
あのさぁ、本当に言ってる意味理解出来ないのか?
秀吉も別に対外的に人質を取っただなどと喧伝する必要性もないの。
敵対しない保障が出来れば養子でも何でも良いわけ。
で、そういうのを「人質」っていうんだよ。

連合の盟主が領土を削られ講和し、自身もそれに従っているのに
完全に屈服してないから敗北じゃないだとか、
講和に際して一方的に実子を差し出しているのに「養子」であって
「人質」じゃないから敗北じゃないだとか、もうね屁理屈以下。
582人間七七四年:2008/12/07(日) 19:51:20 ID:X0gsjfVc
横槍ごめん。どっちも正しいよ。実質は完全な人質だよね。これは正論。
だけど>>580の言う意味も分かる。あの時の家康(家臣団含め)からすれば世間がどう思っていようが絶対に人質なんて認めれないし事実そういう態度を取り続けた。
>>580はそういう意味で言ってるんじゃない?
喧嘩すんなよw
583人間七七四年:2008/12/07(日) 20:00:29 ID:loyJZIas
>>582
この話の主旨を分かってる?
戦争の勝敗についてなんだけど。
名分を保っただの何だのって話は関係無い。
584人間七七四年:2008/12/07(日) 20:23:08 ID:apVBd4Ry
北条は景虎を養子に出したので上杉に負けたの
585人間七七四年:2008/12/07(日) 20:31:29 ID:X0gsjfVc
分かってますよ。勝ったのは秀吉に決まってますよ。
586人間七七四年:2008/12/07(日) 20:51:40 ID:loyJZIas
>>584
単純に二者の戦争状態を終結させる為の人質と、
当該国以外からの脅威に対するための同盟として
人質を送るのでは全く意味が違う。

状況の違う関係無い話を持ち出してみたり、
都合の悪い部分は完全スルーだったり、
もう間抜けすぎw
587人間七七四年:2008/12/07(日) 21:09:44 ID:apVBd4Ry
>>586
分かってますよ。勝ったのは秀吉に決まってますよ。
588人間七七四年:2008/12/31(水) 07:23:14 ID:PCq7/6RT
>>586
それにしても家康はあっさり於義丸を養子(事実上の人質)に出してますよね。
おまけに「殺すぞ」と脅されても「養子に出したのですからお好きなように」なんて言ってのける。
これほど手応えの無い人質も珍しい。

局地戦では家康の勝利、外交戦では家康の敗北というのが世評になっていますが、その後の
政略婚や大政所の岡崎行きなど、家康も自身の面目を保つ程度の外交実績は残している。
そこが秀吉VS家康の面白いところ。
その点で、どうも秀吉の完全勝利という感じを抱かせないところがあるわけです。

勝ち負けだけで言えば、無論、臣従させた秀吉の勝利です。
これは家康を秀吉政権の秩序の中に完全に取り込んでいる点でも明らかなのですが。
589人間七七四年:2008/12/31(水) 12:02:17 ID:IXkLzJvt
後世の評価はどうあれ、当人たちの間では、勝ち=家康、負け=秀吉だろ
「長久手の敗北をお忘れか」としばしば秀吉にあてつけたという
590人間七七四年:2008/12/31(水) 15:53:27 ID:IBEKTPJH
>>589
釣りにしてはレベル低いね。
591人間七七四年:2009/01/04(日) 17:53:47 ID:1+mj6Pj7
茶ちゃを家康にかして彼女のテクニックで腹上死させる
592人間七七四年:2009/01/04(日) 19:14:06 ID:ZuNUhnL2
徳川を滅亡させ日本を統一したとしても、豊富政権の長期安定化は無理だな
徳川幕府はよう出来てたわ
593人間七七四年:2009/01/04(日) 21:05:21 ID:1+mj6Pj7
ま足利政権みたいな感じ
ムガール帝国の藩国制度みたいな感じになるかも、、、
それに比べ中国はすごいよ、天下統一したとたんに功臣全て一族朗等全て殺され皇帝一族も皇帝以外はどうなるかわからないという有り様
過去、秦、漢、明など
恐るべし中国DNA
594人間七七四年:2009/01/05(月) 01:10:14 ID:1ELlCCk1
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595人間七七四年:2009/01/05(月) 07:09:22 ID:doOP571+
豊臣ごときが徳川様に逆らおうなど
豊臣=うんこ
徳川=神
596人間七七四年:2009/01/05(月) 07:09:54 ID:doOP571+
豊臣家をつぶした家康はネ申
597人間七七四年:2009/01/05(月) 17:28:33 ID:RQbriG86
家康<<<<<天ぷら
598人間七七四年:2009/01/06(火) 04:23:59 ID:ljloPrga
もういい加減に大阪は負けを認めろよ。お前ら面倒臭い。
599人間七七四年:2009/01/06(火) 09:59:01 ID:lL40zZEM
人気
織田>>豊臣>>>>>>>>>徳川のうんこ
600人間七七四年:2009/01/06(火) 15:57:21 ID:B5UDmHsP
無理じゃね?
血族を増やして1大名で存続するのがベストだった
関白は摂関家があるからいずれ駄目になっただろうし
601人間七七四年:2009/01/06(火) 18:27:42 ID:Q36U7ymX
>>600
秀次とその一族を抹殺した時点で・・・

しかし、秀頼には国松、奈阿姫という子がいるけど、

国  松……慶長13年(1608)〜慶長20年(1615)※生母:渡辺五兵衛女
奈阿姫……慶長14年(1609)〜正保02年(1645)※生母:成田助直女

没年を考えたら、もう1〜2人くらい子がいても良さそうだけどね。
天草四郎を秀頼の子・秀綱とする珍説もあるけど。
602人間七七四年:2009/01/06(火) 22:27:46 ID:M3JKl9sT
短パンマン
603人間七七四年:2009/01/07(水) 12:33:04 ID:Fnm1wuxv
家康が豊臣を潰したんだから秀吉も家康を潰していてもよかったはずだ
604人間七七四年:2009/01/07(水) 17:44:01 ID:G9uIp9Hv
>>603
家康が豊臣滅ぼすのは根腐れしたどうでも良い柱を切るようなもの
秀吉が徳川滅ぼすのは東方を支える太い柱を切るようなもの
605人間七七四年:2009/03/24(火) 01:42:57 ID:5ni96tII
豊臣秀吉の晩年はかなりぱっとしないのであまり好きではない。
天下を取ったところまでは好きだが。
しかし秀吉の唯一最後の大仕事はあえて豊臣政権の運営の中枢を徳川家康に託したことだと思う。
かつてのライバルでもあった家康に天下を任せるということは、つまりそういうことだろう。
この人の凄いところはかつての敵を五大老とか政治の中枢に過去は関係なく組み込んでしまうところ。
あえて相手の懐に入り信用してしまう。人間信用されるとチャンスがあっても裏切り難いものだ。
そういう意味では隙のない信長や家康とは別格の英雄でもある。だから天下統一事業がうまくいったのかもしれない。
信長亡き後の明智、羽柴、柴田その他諸大名乱立の混乱を沈めるのは家康では無理だったかもしれない。
606人間七七四年:2009/03/24(火) 02:15:05 ID:Rx1RhAOL
秀吉が朝鮮に出兵しなければ豊臣恩顧の大名も島津のような外様も恩賞に不満を持つことはなく、恩賞に不満を持った武断派と恩賞を決める側の三成が対立することもなかった。
また、恩賞の方向性で三成と家康が対立することもなかった。

この状況では徳川が如何に力があっても豊臣の御料地と豊臣恩顧の大名の国高が上回った状態が続き、家康は豊臣の大老という立場で一生を終えたと思われる。
607人間七七四年:2009/03/24(火) 17:31:02 ID:ScayJ7Dw
国内には恩賞として分け与える土地が無かったんだから国外へ討ってでるしかなかっただろうね
608人間七七四年:2009/03/24(火) 20:57:13 ID:SJxrjrQN
???

朝鮮に討って出なければ恩賞の土地もいらないわけで
609人間七七四年:2009/03/27(金) 16:13:48 ID:zZYt5OH6
秀吉「もしわしの死後混乱がおこり天下が再び乱れるようなことがあれば遠慮せず天下を替わって治めてくれ。
戦国の世に戻るよりはいいだろう。じゃが・・・・秀頼の命だけは頼んだぞ」
家康「後のことは拙者におまかせあれ。」
このようなやりとりが実際になければ、いかに秀吉がお人よしといえど秀吉と家康は信頼関係は築けなかったように思う。
まるで劉備と諸葛亮のようなはなしだが。
秀吉は死後、政権を家康に奪われたが天下は安泰になった。
家康は秀吉の死後、政権を奪ったが人間として大事なものを失った。
最も、いかに家康といえど秀頼の命だけは最後まで迷い、救おうとした形跡がある。
天下の安泰としてはベストな形だが、人間としては最低の評価が下ることはやむ負えない。
まあ家康は地獄で酒を飲みながら秀吉に詫びていることだろう。
秀吉も後の天下の泰平のことを考えると他意はないと思われる。

610人間七七四年:2009/03/27(金) 16:27:38 ID:QWMrORDb
大谷吉継が秀吉の隠し子だった説は信憑性ありますか?
611人間七七四年:2009/03/27(金) 16:43:38 ID:9nhGm1GQ
>>609
地獄では家康を踏みつける秀吉をさらに信長が踏みつけるわけですね
612人間七七四年:2009/03/27(金) 19:43:26 ID:cLJAyBB8
>>609
妄想乙
613人間七七四年:2009/03/27(金) 21:29:00 ID:4hq8egYG
豊臣政権が不安定とは言うけれど
平和裏に大大名の改易や減封をやってる(伊達、蒲生、信雄、佐々)
614人間七七四年:2009/03/28(土) 00:30:48 ID:yNWfTi0N
昨日図書館で信長公記読んできたけど嘘ばっかりじゃない?

書き換えられてるんだと思うよ
秀吉は無能だったんだよ。
615人間七七四年:2009/03/28(土) 12:21:50 ID:dkKerR62
無能とまでは言わずとも過大評価されすぎだな
織田家の発展の中で秀吉が果たしてきた役割なんて初期ではほんのごく一部
後期でも一司令官の一人であり全体で言えば織田家の主君の能力や運、状況による所が大きい。
そこで運よく光秀が逆賊の汚名被り信長を討ってくれたから美味しく大権力を頂いただけだろう
その後は圧倒的兵力物量に任せ、また大きな大名も味方についたわけだし平定戦も楽にできるのは
当たり前だろう。秀吉は運ではダントツトップだが実力では3傑に入れるほどの人物じゃない
616人間七七四年:2009/03/28(土) 13:01:23 ID:tXLM7MGO
朝鮮半島を奪い取り家康を朝鮮国王にする。
これ最強。
617人間七七四年:2009/03/28(土) 13:24:20 ID:sEdlj7n/
徳川に近い大名を粛清
手始めに浅野から
618人間七七四年:2009/03/28(土) 13:26:25 ID:niWaemZg
ホモだちんこになってしまえば一心同体
619人間七七四年:2009/03/28(土) 16:17:56 ID:vCoft7bE
>>609
秀吉も織田信秀に岐阜城は保障したし、家康もおそらく最初はその路線だったろうね
最近の研究じゃ淀君も徳川従属路線だったというし。
野党勢力である反徳川が豊臣を旗印に一致団結しちゃったのが計算外だったんだろうな
620人間七七四年:2009/03/28(土) 16:45:42 ID:6RPkTWwM
>野党勢力である反徳川

大坂の陣で豊臣についた有力大名なんて誰かいたっけ?
野党勢力というほどの勢力なくて、在野からかき集めて数だけそろえたって感じじゃないか。
621人間七七四年:2009/03/28(土) 16:53:50 ID:yNWfTi0N
島津が居た
622人間七七四年:2009/03/28(土) 16:56:00 ID:vCoft7bE
>>620
関ヶ原であぶれた失業者がそうだろう
つーか浪人対策は秀吉の時代から政権の悩みの種だったんだし。

失業者は大陸との戦争で解決しようとしたのが秀吉で、
失業者は犯罪者扱いにして佐渡の強制収容所送りか処刑すればOKと考えたのが家康
623人間七七四年:2009/03/28(土) 16:58:42 ID:yNWfTi0N
>>614 俺の書き込みだが、
よく考えたら信長公記の様な一級史料が図書館にあるはずない。
バレるまえに白状しときます。嘘ついたっす
複写した物はあるのかな?
624人間七七四年:2009/03/28(土) 17:03:29 ID:6RPkTWwM
>>622
そう、失業者。だから野党勢力というよりホームレスやネットカフェ難民の方が近い。
野党と呼べるほど力をもっている大名は、ことごとく徳川についてる。
625人間七七四年:2009/03/28(土) 17:10:57 ID:yNWfTi0N
真田とか長曽我部が居るじゃん。
幸村の突撃で、家康が何度も自害しようとしたって話だよ。
626人間七七四年:2009/03/28(土) 17:14:38 ID:yNWfTi0N
とにかく秀吉は信長の力に乗っかり、たまたま朝廷の弱味を握って、たまたま関白になった、ただのオッサンだよ
627人間七七四年:2009/03/28(土) 17:19:11 ID:6RPkTWwM
長曽我部なんて完全に市井の一般人だったじゃん。
いくら優れた人物でも、実権をほぼ失った者の集まりじゃぁたいしたことはできないよ。
628人間七七四年:2009/03/28(土) 17:25:57 ID:mSJas+hB
>>623
信長公記なんて書店行けば普通に売ってるから
大きめの図書館行って探せば普通にあると思うが。
629人間七七四年:2009/03/28(土) 17:33:27 ID:plIbV6vL
普通の図書館であるぞ?レファレンスしたら2日で手に入ったわ。
630人間七七四年:2009/03/28(土) 17:51:17 ID:yNWfTi0N
えっ !そんなにいっぱい原本あるの?
一冊だけだと思ってたよ。
太田牛一頑張ったな
631人間七七四年:2009/03/29(日) 00:05:39 ID:dZIS7OuQ
複製や現代語訳本の説明に対する皮肉を言っているつもりなのかと思ったが、
原本が一冊だけとか言ってるんで、本当に唯の無知なのか。
632人間七七四年:2009/04/06(月) 11:25:09 ID:nK4cLpLg
天下統一した秀吉の政権は家康がナンバー2としてサポートしていたからこそ安定していた。
秀吉が徳川家の滅亡を望むのであれば、まず家康の代わりになりうる人材を育てることから
着手しなければならなかったが、運悪く先に寿命が尽きてしまったわけだ。
633人間七七四年:2009/04/14(火) 22:12:28 ID:b9EQFqpV
育てるどころか自分の身内を処断しまくりだったやん
634人間七七四年:2009/04/16(木) 09:14:53 ID:nv/tQTdj
なまじ自分がコマす能力高かったから育てるって概念がなかったのかもな
635人間七七四年:2009/04/16(木) 12:12:06 ID:LqWiDmCm
いくら無能な秀吉の一族でも、
せめて、豊臣家の藩屏として粛清したりせず
ある程度の規模の所領を与えて存続させて置けば(例えば、後の徳川御三家のように)、
少なくとも、豊臣家族滅という最悪の事態は避けられたのでは?
636人間七七四年:2009/04/16(木) 12:24:49 ID:sGj+iCmJ
>>635
たぶん家康か上杉か伊達か黒田等々が覇権確立する上での
神輿にしかならなかっただろうけど
覇者が用済みの神輿を保存してくれるかねえ。
中国では神輿は処分される例の方が多かった。
637人間七七四年:2009/04/17(金) 18:17:14 ID:oLF3Xqc/
ただね、目の前で織田家の末路を見ているから無能な親族など有害無益と考えてるかも知れないぞ
638人間七七四年:2009/04/18(土) 11:08:37 ID:8LiSDpBk
秀吉が徳川と和解するのが早すぎた。信雄を講和で丸め込んだあとは包囲網を敷けばいいだけだった。
信長が長篠の合戦のあとにスグには武田を滅ぼさず真綿を締めるようにしたのと同じようにすればよかった。
639人間七七四年:2009/04/18(土) 11:23:19 ID:dpDBX3fS
>>638
待ってたら九州が島津王国になりかねない
640人間七七四年:2009/04/18(土) 12:07:24 ID:42fTamXI
>>635
関東公方に権限与えすぎて内乱状態だった室町時代のすぐ後なので
徳川御三家のような発想は出てきづらい
三つも親藩作って内乱起きなかった江戸時代が奇跡
641人間七七四年:2009/04/18(土) 12:15:23 ID:TIGr1I1n
宗春あたりは謀反を起こしそうな雰囲気ぷんぷんだがな。
642人間七七四年:2009/04/18(土) 12:20:35 ID:TIGr1I1n
まあ、家康が方広寺鐘名であれほど強引な言いがかりをつけているんだから、
秀吉も最終的には武力で家康を滅ぼす以外に、豊家存続はなかったよ
643人間七七四年:2009/04/18(土) 15:16:04 ID:dFHdaOt5
時の権力者の忌み名を使った事を咎めるのがいいがかりとな
644人間七七四年:2009/04/18(土) 15:58:54 ID:tRWPW9qu
家康の両手を握り背中から奥の手を出して刺し殺せばよかった
645人間七七四年:2009/04/18(土) 17:50:51 ID:8LiSDpBk
>>639

あのまま九州討伐すればよかったんだよ。家康の動きは前田や真田、上杉にけん制させておいて。
646人間七七四年:2009/04/18(土) 18:04:36 ID:SsBD4rrG
足元には紀州勢、海を渡って直ぐに長宗我部、北陸には佐々、
家康と同盟関係の北条・伊達。
そうそう簡単に九州征伐とはいかんよ。
647人間七七四年:2009/04/18(土) 18:28:12 ID:KXnqMql3
方広寺の鐘名も最近では本当に呪いがこめられてた、という
説もあるみたいだな。
言いがかりは豊臣を試したわけで、それを口実に戦をした
わけではない。
648人間七七四年:2009/04/18(土) 18:39:08 ID:RPsbwXOW
鶴松が生まれるまでは死後のことなんか考えてなかったんでないの
649人間七七四年:2009/04/19(日) 09:45:52 ID:Xguee7S9
>>647

どっちかいうと完全に豊臣を屈服させる事件に持っていこうとした感じだな。
650人間七七四年:2009/05/03(日) 00:23:56 ID:5nHppAJs
その気になれば普通に滅ぼせていたと思うけどね
でも「大明征服」の野望があったから国内戦力を
消耗させずにてっとり早く片付ける必要があったので
その気にならなかっただけで
もっともいつの時点で秀吉が外征を考えていたのかは知らん
651人間七七四年:2009/05/03(日) 02:35:24 ID:vJ82F16z
>>650
その気になれば普通に滅ぼせていたと思うけどね

確かにそうだな。 
国内戦力をなるべく消耗させないというのが最大の理由であることは間違いない
また秀吉に変な油断があったのかもしれんし

しかし何で大陸侵略なんてとてつもないことを思いついたんだ
少々認知症気味だったのかもしれんな。
652人間七七四年:2009/05/03(日) 05:00:16 ID:ZGb34WRP
俺のじいちゃんが言ってた
結論の出ない話には興味を持つな

人生を無駄にする。とね
653人間七七四年:2009/05/03(日) 06:26:44 ID:uONnQ2BZ
>>650
だったら家康を唐入りさせればよかったのよ。
家康に思わぬ活躍されて明を単独で征服してしまうとでも思ったのかなあ。
654人間七七四年:2009/05/03(日) 07:33:38 ID:A78qVXLD
そもそも秀吉の頭の中には失敗の二文字はないわけで、特定の大名を
大陸に送り込んで疲弊させようなどという考えはなかっただろう。
成功が前提なのだから、家康を唐入りさせたらさらに大きな領土を与えなくちゃいけないでしょ。
家康の領土を関東だけにとどめておいて、子飼の家臣の領土を大きくすれば、
豊臣政権における家康の位置は相対的に低下する。
655人間七七四年:2009/05/03(日) 08:53:25 ID:Ajl0Diu6
>>651
>しかし何で大陸侵略なんてとてつもないことを思いついたんだ

休暇取って海外旅行するわけにもいかない秀吉としては
大明の地を踏むためには侵略する他なかったわけで
656人間七七四年:2009/05/03(日) 09:34:33 ID:kBlszWNB
>>653

小牧・長久手でさえてこずったというのに、家康に10万以上の
大軍を持たせたら明攻略どころか秀吉自身が危ないと思ったんでしょ

秀吉がどこまで中国の歴史を知っていたか知らないけど
劉備とか曹操に兵を借りてそのまま裏切ってるでしょ
657人間七七四年:2009/05/03(日) 10:12:22 ID:DwpfHXWZ
権現は人より長生きしただけだろ?
権現が本当の実力者なら信長や秀吉と戦い天下人になってたよ
長久手の戦いも局地戦では勝ったけど政治的には大敗北じゃん
つまり後世の連中が家康を神格化しただけ
幕府にとっては都合いいから
だから権現なんだよw

信長>秀吉>家康

これは紛れも無い事実
658人間七七四年:2009/05/03(日) 10:39:36 ID:ry1oQsEV
なにをいまさら
659人間七七四年:2009/05/03(日) 11:03:40 ID:cCVEJKuK
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは権力基盤の弱い信雄の軍に依存してた。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
660人間七七四年:2009/05/03(日) 11:08:19 ID:UeDpn4NF
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば
倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい)
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、
忍城を正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも雨が降らなかったら失敗していたであろう
不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する

・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず手薄な支城を攻めるのが
手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで追い込まれる
(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定負け、国内を大いに疲弊させる
661人間七七四年:2009/05/03(日) 11:10:49 ID:2IFppLlP
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。

長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、真田
石川の場合は秀吉の威信が強大になっていたのが大きく小笠原は石川が小笠原の人質もって逃げたから寝返った。
水野は元々外様だし石川と同じく秀吉の威信が高まりすぎたのが原因だろうな。
どれも秀吉が自力で作ったというより運よく強大な勢力を持てたのと元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ

よく秀吉は城攻めの達人とか人たらしの名人とか言われるがこれも間違い。
>>131にみられるようにどこの大名でも漁夫の利を狙うような芸当はやってるし
城攻めに関しても鮮やかと言われるのは対中国戦くらいだろう。しかも水攻めといい兵糧攻めといい
時間や金ばかり無駄に浪費した下策でこんなもんは織田家が経済的に圧倒的なものをもってるから
なせる芸当。少数しか兵のいない忍城や竹ヶ鼻城、紀州の城を正攻法で瞬殺できないのは終わってる。
662人間七七四年:2009/05/03(日) 16:48:25 ID:dtp+OhPo
その気になれば普通に滅ぼせていた・・・

その前に豊臣が潰れてるかもな、
663人間七七四年:2009/05/04(月) 01:07:27 ID:CCF/LPeF
秀吉自身が、家康を滅ぼすよりも
「あの家康すら臣従している秀吉すげー」って
自分の威勢を高めるためのキャンペーン要員に
使うことを選らんじゃったからなぁ
まぁそのために過剰に家康を持ち上げすぎた気はする
664人間七七四年:2009/05/04(月) 01:19:01 ID:u3EAyCDA
85年秋までの時点で信濃は真田木曽小笠原が寝返り徳川方は伊那佐久諏訪のわずか三郡で
しかも旧領主の独立性を認めた間接的で弱い支配
刈谷の水野氏や石川数正も帰属して圧倒的有利な状況で母と妹を人質に送る秀吉は情けなさ過ぎる
665人間七七四年:2009/05/04(月) 01:25:53 ID:fvDnsH13
3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための進軍であり
また「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」とあるように家康本国
へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での柏井、大草の根城に山内一豊、
生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を三河へ派遣し家康本国への陸海両面
攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨 を報じてる。北尾張に向けて
出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候て尾州表へ陣替候』と
あるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』と記してる
長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を
小牧山からおびき出して戦う事にあったと考えられる。
5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)軍事行動を行う予定
であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて
各方面に書状で報じておりその後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて
再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた兵も多く今まで以上に兵力的に優位
だったのに結局和議の話があがっている(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日
にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてたとえ年内であっても
「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している。四月、八月の戦いでも小競り合い自体は多かった

池田・森が味方についたわかげで木曽川ラインを超えられ、その対応で家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず結局ずっと一進一退
晩秋に信雄の本拠地近くを荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
666人間七七四年:2009/05/04(月) 01:28:22 ID:YTlQP324
想像を絶する弱さだなw
基本的戦闘力でいえば、三好康長、大友宗麟、伊藤義祐あたりに余裕で負けそうだ
667人間七七四年:2009/05/04(月) 01:35:03 ID:7gxDemM5
奥州でいえば、大崎、葛西以下。

徳川家臣団でいえば岡部長盛、柴田康忠、石川康長あたりと互角くらい。

本多忠勝>榊原、酒井、井伊>石川、大久保、鳥居、松平康国>大須賀康高>菅沼、本多広孝、平岩親吉
>>岡部、柴田、石川康長、秀吉
668人間七七四年:2009/05/04(月) 01:48:55 ID:YTlQP324
晩年の愚行は秀吉の全てをあらわしてるな
人の上に立つ器じゃなかったんだろ。
朝鮮出兵で国内を疲弊させたりや秀次とその一族を殺して人望失ったり外様の諸将を優遇しまくる馬鹿
669人間七七四年:2009/05/04(月) 14:30:08 ID:ldPoUOXX
器というのか、もともとの生まれ育ちから遙かに乖離しちゃって何やっていいんだか自分でも判らなかったんじゃなかろうか
670人間七七四年:2009/05/05(火) 02:06:47 ID:CdbPKcbV
>>669
確かに不相応な身分を得てまともな判断がつかなくなったんだろう
それに痴呆症にもなってたかもな
671人間七七四年:2009/05/05(火) 09:57:38 ID:R2/kApJC
>>668
出征大名は疲弊しただろうけど(体力的に)
国内は疲弊したの?
いままでも戦役は年中行事だったのに。
672人間七七四年:2009/05/05(火) 10:02:43 ID:igY7BAtJ
そらあんだけ軍役かされりゃ疲弊するでしょ
距離的に遠い地域に異常なレベルで兵站を負担するわけだし
673人間七七四年:2009/05/06(水) 00:27:56 ID:FSZie7DM
>>671
国内居残り組も名護屋城やら城の築城やら改築やらで
賦役を課せられてそれなりに疲弊してるよ
674人間七七四年:2009/05/06(水) 11:22:30 ID:WQxVkxt0
おまいらは歴史を改ざんするのが好きみたいだなw
家康は秀吉の家臣
間違いないだろ?w
つまり秀吉より格下なのよ
家臣の意味わかるよな?w
信長や秀吉が先に死んでくれたから天下人になれただけ
過大評価されすぎなんだよw
675人間七七四年:2009/05/06(水) 11:49:42 ID:/zfKR8IT
明日から学校ですね、わかります
676人間七七四年:2009/05/06(水) 16:27:35 ID:VMpv40hT
つまり大内義隆>>>毛利元就ってことか。
677人間七七四年:2009/05/07(木) 00:51:16 ID:LtkwOnJp
今川義元>>>武田信玄ってことですか?
678人間七七四年:2009/05/07(木) 06:48:14 ID:nkXodmhn
生年月日調べてみろよ?w
明らかに年が離れすぎてるだろ

信長と秀吉と家康は明らかに同じ時代を生きていた

屁理屈は得意なんだなwww

信長>秀吉>家康

家康は信長、秀吉に仕えてた
所詮、3番目の男だねw
679人間七七四年:2009/05/07(木) 14:48:34 ID:p5n8lYjK
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>その他雑魚
の間違いだろ
天下取ったのは家康。それ以前ははっきりいってどーでもいい前置きみたいなもんだ。
いくら勢力広げたって所詮一時。三好長慶みたいなもん
680人間七七四年:2009/05/07(木) 14:55:52 ID:IQlYJKVk
奥州でいえば、大崎、葛西以下。

徳川家臣団でいえば岡部長盛、柴田康忠、石川康長あたりと互角くらい。

本多忠勝>榊原、酒井、井伊>石川、大久保、鳥居、松平康国>大須賀康高>菅沼、本多広孝、平岩親吉
>>岡部、柴田、石川康長、秀吉
681人間七七四年:2009/05/08(金) 01:40:19 ID:QVXFruJe
・長生きして成人した秀頼に無事、政権を譲渡する。
これで徳川を滅ぼさないまでも有力大名の一角に据え置けばいいよ。
682人間七七四年:2009/05/11(月) 15:52:39 ID:lGV5LcRv
単に家康個人を始末するだけならば、
何も、軍勢を催す事なく殿中で刃傷沙汰に及んで
家康を始末すれば、片がつけられるだろう。

家康を消した後、徳川家の混乱に乗じて
軍事力でケリをつけるなり、
政治力で圧服するなりすれば、
徳川家に関しては、一先ず課題を克服するだろう…。
かなり、楽観的な策ではあるが…(^-^;)。
683人間七七四年:2009/05/11(月) 17:23:54 ID:vv/yrGuC
>>682
>単に家康個人を始末するだけならば

確かに家康個人を排除するなら、それでもいいのかもしれんが
そんなことしてて豊臣政権が保たれるとは思えんのが難しいよな。
スターリンばりの恐怖政治を始めるにしても、そんなことしたら
秀吉が死んだ時に史実以上に反動がきつそうだし
684人間七七四年:2009/05/11(月) 17:25:10 ID:PMMiCJZP
>>682
家康だったらそれでも逃げおおせれるな
685人間七七四年:2009/05/12(火) 11:24:42 ID:YnPpJzwf
村正をかき集める→家康の周りに配る→徳川殺しの村正タンならなんとかしてくれるハズ!
686人間七七四年:2009/05/12(火) 13:20:17 ID:G3fHpzrn
そういえば最近の小説でも秀吉が早死にする話はちょくちょく見るが
家康が早死にする話ってあまり見ない気がするな

誰か書いてないもんだろうか
687人間七七四年:2009/05/12(火) 21:54:21 ID:ZNxgabYp
家康は健康オタクだったからなぁ〜。
688人間七七四年:2009/05/12(火) 21:55:19 ID:6nBlsbYI
フィクション世界じゃ家康早死→影武者がお約束だからなあ
689人間七七四年:2009/05/13(水) 07:22:53 ID:APDobd7O
猿:家康殿、わしもそなたももう歳じゃ。どうじゃ、冥土のみやげに
ここらで長久手の決着をつけてはみぬか?
狸:はっはっはー。これはこれはおたわむれを。とは言えこの家康、
上様さえ本気とあらばいくらでも受けて立ちまするぞ。
猿:では兵は一万、お互い譜代の精鋭引き連れいざ勝負じゃ。

(戦況)緒戦は文字通り譜代の精鋭引き連れた徳川方が圧倒!
豊臣方は戦慣れしていない城詰めの奉行衆中心でからきし弱い

狸:うぬぬ、またも痛み分け、お互いまだまだやりまするな〜はっはっはー
の手はず思ぉーとったのに、猿の機嫌そこねるとどえれーことになりゃぁせんか

(戦況)空気読んだ家康は負けたふりを指示。徳川勢は徐々に守勢にまわる。

猿:清正、正則よ!今じゃ!腹黒狸を打ち取るのじゃ〜!

(戦況)約定に反して秀吉は加藤福島勢新たに二万を投入。徳川勢を瞬殺した。

狸:おのれ〜猿め〜!
猿:よい冥土のみやげになったじゃろ〜はっはっはーwww
690人間七七四年:2009/05/13(水) 09:56:19 ID:KDBa+n5V
>>689
実際、似たような話はあるが家康華麗にスルー
691人間七七四年:2009/05/13(水) 10:35:20 ID:UFvCZCBY
このスレのアイデアを小説にすれば売れるんじゃね
692人間七七四年:2009/05/13(水) 16:24:29 ID:NmzpUlMU
>>678
なるほど。では宋の太祖は後周の世宗より格下で
唐の李淵は隋の煬帝に遠く及ばないわけですね。
わかります。馬鹿なんですねw
693人間七七四年:2009/05/13(水) 19:06:08 ID:vhX0lqcl
>>692
実際そうじゃないかね。比較するなら煬帝じゃなくて文帝だろうけど。
694人間七七四年:2009/05/14(木) 09:45:46 ID:4WI326DX
歴史上の人物評価を、ある数年間だけ限定して切り取って
家臣だったから格下とか乱暴に過ぎるだろw
歴史の表舞台にたち数十年間のトータルの結果で見るのが当たり前。

いつの時代もひとつの勢力の盛衰は内憂外患による。

信長は外患に対しては硬軟取り混ぜながら、結局は同格の存在を許さず満点に近い
評価であるが、内憂に関しては鈍感であったとしか言いようがない。

秀吉は外患に対しても、統一を急ぐあまり妥協を繰り返し、仮想敵国を複数残してしまったし
内憂についてもビジョンも糞も無かったのが死後露呈。

家康は外患と成りうる同格の五大老に対し、戦争、または威圧といった手段で完璧に封じ込め
内憂に関しては見事なまでの統治機構を整えた。そのふたつとも90点以上。

あらためて評価などするまでもない。
695人間七七四年:2009/05/14(木) 12:57:44 ID:rYjLYV78
たぶん秀吉は家康が信長に仕えたように自分にも仕えてくれると考えていたんだろう
家康はただの律儀なだけの男としか思っていなかった
そういう計算で、信長のように東は家康にまかせて西を攻めようとしたら家康が攻めてきたんで秀吉はびっくりした
696人間七七四年:2009/05/14(木) 17:32:55 ID:H4+1Q+4Y
自分から信雄にいちゃもんつけて戦いを仕掛けたのは秀吉の方なんだが。
3月〜11月まで書状とかで秀吉は家康批判しまくって必ず討伐する意思を書きまくってる
実際北尾張には二回出陣し木曽川筋&伊勢方面で何ヶ月も過ごしこの年ほとんど
信雄と家康との戦いに追われてるし
697人間七七四年:2009/05/15(金) 12:41:44 ID:jmasguKf
本人は雑魚確定な信雄を強引に潰したのに家康はスルーってどうなのかと
698人間七七四年:2009/05/15(金) 12:50:06 ID:jNbi7qT9
使えない雑魚だから潰したんだろ?
家康は有能だから残した
家康は秀吉にあえて生かされてたんだよ
滅ぼす気になればいつでも滅ぼせたにもかかわらず
699人間七七四年:2009/05/15(金) 14:54:06 ID:gCxoDVz5
潰せないから残したの間違いだろ
最初の出陣のまま伊勢攻めてりゃいいだけで尾張口に転進する必要なんてない
少なくとも84年段階で秀吉は書状で家康討伐意思を書きまくり結局一年丸ごと対家康に使ったし
尾張への出兵は2回も行ってる
700人間七七四年:2009/05/15(金) 14:58:48 ID:DEhoqJFo
84年に木曽が秀吉方に内通し85年には真田や小笠原、石川数正、水野忠重が寝返り
家康の信濃支配は諏訪、佐久、伊那のわずか3郡に縮小し譜代の離反により軍事機密も露見し
三河の一部まで秀吉方になったのに母と妹人質に出さないと家康を屈服できない秀吉はヘボすぎる
701人間七七四年:2009/05/15(金) 15:01:49 ID:DEhoqJFo
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している。
702人間七七四年:2009/05/15(金) 15:03:37 ID:DEhoqJFo
豊臣秀吉の全て

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい
)・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
703人間七七四年:2009/05/15(金) 16:20:24 ID:3Qw7AnNZ
なるほど
秀吉の拙さはよくわかったけど

じゃー、そんなダメダメな秀吉に天下を取られちゃった他の大名ってどうなんだろ?

家康なんてどうして秀吉の臣従したんだろ。政宗も。なんでだろ。
704人間七七四年:2009/05/15(金) 16:38:36 ID:s+WUwaqt
圧倒的兵力差があったし敵対者の対立を利用してん寝返らせて勝ってるだけ。
別に有利な状況も秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ。
705人間七七四年:2009/05/15(金) 16:42:30 ID:s+WUwaqt
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌
夏の対陣の時は長期対陣による疲弊や兵站などの配慮、妻篭での木曽との戦いに使う兵の配置により
尾張に連れて来た兵はこれよりさらに少なかったと言われる
706人間七七四年:2009/05/15(金) 16:46:04 ID:s+WUwaqt
戦うたびに醜態晒してるからな
日本の恥みたいな武将


707人間七七四年:2009/05/15(金) 16:48:37 ID:w9zHuzy8
秀吉は天下なんて取ってない。ただ形の上で従ってただけなのは秀吉死後の惨状見りゃアホでもわかる。
いわば実力のない公方とか将軍勢力とかに形式的に大名が従ってたのと同じようなもん。
708人間七七四年:2009/05/15(金) 16:58:20 ID:Kg7FgGCa
晩年愚行を繰り返し人望を失ったのが秀吉の全てを表してるな
所詮その程度の男だったんだろ。天下を統べる才能なんてゼロ。
海外出兵などで国内を疲弊させて民に重税かして豪華な生活するゴミ
709人間七七四年:2009/05/15(金) 17:03:23 ID:5bB/ktNk
秀吉厨は馬鹿
710人間七七四年:2009/05/15(金) 17:13:52 ID:3Qw7AnNZ
形の上で従ってた?
なるほど
じゃー形の上でも従わなくてはならない家康もどーなんだろ。
やっぱり、秀吉と家康では秀吉のほうが政治力が上だったんじゃないの?
秀吉が死んだら家康もあっさり天下がとれたじゃない。
711人間七七四年:2009/05/15(金) 17:22:09 ID:5bB/ktNk
VS柴田戦も勝家が雪でも動けて勝豊と勝家が仲よくて
信孝領国の基盤が強くて稲葉らの離反が起きず、信雄が味方ではなく
前田が兵引かなかったら負けてただろうな
712人間七七四年:2009/05/15(金) 17:24:29 ID:z/Y+73wu
この馬鹿がネットであほなことをかきつらねてる横でこいつの親は泣いてるんだろうなwww
713人間七七四年:2009/05/15(金) 17:28:54 ID:3Qw7AnNZ
↑ってそういうお前さんもじゃん(笑)
714人間七七四年:2009/05/15(金) 17:36:42 ID:pDPoT8S1
>>710
放っとけばどんどん自爆してくれるから、放置

もっとも家康は維持ができればそれで良しという人ではある
天下が取れると判断したら、全力で取るけど
715人間七七四年:2009/05/15(金) 17:39:26 ID:5bB/ktNk
秀吉は天下なんて取ってない。ただ形の上で従ってただけなのは秀吉死後の惨状見りゃアホでもわかる。
いわば実力のない公方とか将軍勢力とかの権威に形式的に大名が従ってたのと同じようなもん。
716人間七七四年:2009/05/15(金) 18:05:25 ID:z/Y+73wu
707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/15(金) 16:48:37 ID:w9zHuzy8
秀吉は天下なんて取ってない。ただ形の上で従ってただけなのは秀吉死後の惨状見りゃアホでもわかる。
いわば実力のない公方とか将軍勢力とかに形式的に大名が従ってたのと同じようなもん。

少し変えれば自演がばれないとでも思ってるのかwww
717人間七七四年:2009/05/15(金) 21:19:57 ID:arNQpfHm
おまいらは歴史を直視できないの?
信長、秀吉、家康
この3人は同じ時代を生きた
実力が上の信長や秀吉が死んでくれたからこそ家康は天下人になれた
紛れも無い事実だろw
家康厨は天下とった家康が一番すごい、優れてる、と言いたいみたいだが、家康が実力者ならなぜ信長と戦わない?
小牧長久手では秀吉に勝ったんだろ?
ならなぜ秀吉の家臣にならなきゃならない?
だれでも答えわかるだろ?
そう答えは、家康が明らかに実力が下だから
ある意味家康ほど運の良い人間はいない
どう考えても、
信長>秀吉>家康

家康が権現?w神?w
ちゃんちゃらおかしいwww
718人間七七四年:2009/05/15(金) 21:25:44 ID:lXwWXJIT
秀吉は天下なんて取ってない。ただ形の上で従ってただけなのは秀吉死後の惨状見りゃアホでもわかる。
いわば実力のない公方とか将軍勢力とかに形式的に大名が従ってたのと同じようなもん。

84年に木曽が秀吉方に内通し85年には真田や小笠原、石川数正、水野忠重が寝返り
家康の信濃支配は諏訪、佐久、伊那のわずか3郡に縮小し譜代の離反により軍事機密も露見し
三河の一部まで秀吉方になったのに母と妹人質に出さないと家康を屈服できない秀吉はヘボすぎる
719人間七七四年:2009/05/15(金) 21:31:25 ID:0IJTHai/
家康が信長や秀吉に従ったのは大名が将軍権威を利用するため
朝廷に献金して形の上で臣従という形で利用したのと同じだろうな
中身のない形だけの臣従
家康と信長が逆の位置にいたら信玄の天才的采配の前に死んでただろうな
720人間七七四年:2009/05/15(金) 21:35:53 ID:4gwXNHWp
信長は家康に助けられまくってるしな。上洛、姉川、金ヶ崎、長島など。
家康いなかったら信玄に瞬殺されてたよ
721人間七七四年:2009/05/15(金) 21:41:02 ID:4gwXNHWp
西三河の小領主から天下を本当の意味でとったのが家康
信長秀吉なんて家康に比べたらゴミみたいなもん
722人間七七四年:2009/05/16(土) 00:23:33 ID:Gg+4SvS2
信長存命中

とりあえず付いていく→信長バンザイ、家名は残せそう


信長死後

武田もいないし、俺がんばっちゃお。

小牧長久手の後の秀吉の下

俺がんばったのに…→どうせ一族少ないし、やる事やって大事に備えよ。

秀吉死後

よっしゃきたきた

利家死後

完璧オレペース。

723人間七七四年:2009/05/16(土) 00:27:59 ID:rJ4pEfdB
家康は神 戦国最強
724人間七七四年:2009/05/20(水) 02:13:22 ID:5NaVZLfc
白山林に追撃に出た家康を挟み討ち・・・・別働隊との連携プレイがなってなかったのが全ての原因
725人間七七四年:2009/05/20(水) 02:17:26 ID:ICZs+uxT
6倍以上兵力差あり秀吉軍は家康の5倍以上もの被害出し装備などは当然
畿内持ってる秀吉>>>>貧国ばかりの家康 だから
戦闘能力でいえば家康は秀吉の30倍以上上手だろーな

秀次の補佐役で木下兄弟がつけられ戦死してるな
目付け役で堀・長谷川も加わってるし
お前らの論理だと秀吉は相手と近距離で直接戦闘をした経験はほとんどなく
ある程度距離がある味方に指令だすのが中心だったからわずか20町ほどの距離での
家康との対陣での敗北を秀吉の責任じゃないというなら秀吉が勝った戦もほとんど秀吉の功じゃなくなるな

秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
726人間七七四年:2009/05/20(水) 02:22:00 ID:ICZs+uxT
六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
727人間七七四年:2009/05/20(水) 02:28:19 ID:ICZs+uxT
84年時(春〜秋までずっと)家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、小県に真田昌幸、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
728人間七七四年:2009/05/20(水) 02:31:00 ID:ICZs+uxT
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
729人間七七四年:2009/05/20(水) 12:01:28 ID:ynnsiyRa
そんな秀吉は運と政治力で諸大名を臣下にしていく。戦にかった家康は武力を自負しながらも、かつての同盟者の部下であった秀吉に臣従する道を選ぶ。関東への移封という屈辱にも堪え太閤秀吉がこの世から去るまで律儀者を演じるのであった。
730人間七七四年:2009/05/20(水) 12:05:07 ID:DXZSXdOr
>>725
だらだらと長文の割には認識が浅薄だな。
>秀吉のアホ作戦で奇襲を許した
御用史書に書いてある中入りが池田の提案なんて信じてるのか?
ナポレオンは常に本隊中央部への集中砲火という戦術を生涯取り続けた。
得意戦術とはそういうものだ。
秀吉が過去に総大将として野戦を指揮した戦術を見れば一目瞭然。
中国大返しから山崎の合戦しかり、対柴田戦しかり。
要は別働隊の活用と機動力を生かした奇襲戦術。
大兵力である本隊を主戦場から離れた場所に配置し、敵側の予想をはるかに超える
機動力で、「ないはず」の大兵力を主戦場に投入する詐術的戦法が秀吉の得意技。

つまり長久手も同断。別働隊は敵本隊を長久手方面に誘い出し主戦場をそこに設定することにより
本隊機動力を発揮させるだけの距離を稼ぐための囮。
だから中途半端な行軍ではなく、陽動が主目的の作戦主旨に沿った行軍だ。

これだけ類似性のある作戦が、負け戦の時だけ秀吉ではなく他の者の立案などと
信じるほうがどうかしてる。

ナポレオン戦術は指揮系統を混乱させ軍団自体を無力化させる、という無敵の
戦術だったが、指揮系統を班単位に権限委譲し、アメーバ型組織を作ったプロシアの
クリューパーシステムの前に力を失った。

増して機動力のみが頼みのしかも2度も披露した秀吉戦術では、歴戦の将、家康をたぶらかすのは
無理というものだ。完全に秀吉の戦術の敗北だ。

だから秀吉もこの戦術は2度と使っていない。九州征伐、小田原陣では信長方式の
戦術不用の物量作戦戦略に切り替えている。
731人間七七四年:2009/05/20(水) 12:56:40 ID:ynnsiyRa
↑御意。
732人間七七四年:2009/05/20(水) 13:00:49 ID:y/wEWSSH
>>730
いや長久手以降も基本的な手順は変わらんよ
兵力に勝る自軍主力で敵主力を拘置、その間に有力な別働隊が荒らしまわる

但し、長久手で家康の絶妙な機動で別働隊が壊滅させられて以降は、敵主力が
どう足掻いても機動できないような遠隔地を荒らすようになったけど

つまり戦術的から戦略的への転換で
個人的にはあのまま講和せずに、尾張・三河で決戦したらどうなるか興味はあるけどね
733人間七七四年:2009/05/20(水) 15:00:42 ID:TA5GIBXI
尾張口がそんなに突破しづらいなら最初から信雄の伊勢を攻めまくるか
木曽が寝返り不安定な支配の信濃を上杉と協力して攻めりゃいいのに。
中途半端にだらだら対陣してわずかな城しか落とせず木造城で反撃喰らうわ
3月の攻防で崩壊状態だった南伊勢半分でも反撃食らうわ、
滝川がチャンス作ったのに無駄にするわでいい所なし。8月の対陣でも結局何もできなかったし。
734人間七七四年:2009/05/20(水) 18:20:58 ID:HCdNO3b4
小牧長久手の戦いって実際は対家康より対信雄のほうが
激戦なんだよね、
735人間七七四年:2009/05/20(水) 20:55:45 ID:14NiltpL
圧倒的兵力がありながら権力基盤の弱く不安定な織田信雄の領地を踏みにじって降伏させるのすら
晩秋までもかかってるからな 用兵がお粗末過ぎる
736人間七七四年:2009/05/22(金) 18:57:35 ID:5IW2j+em
太閤秀吉はボケる前に、次代の柱となる清正、正則、三成たちにしっかり結束して豊臣家をもり立てるように図るべきだった。蒲生氏郷が生きていれば家康は天下とりに向かわなかったかもな。影勝は背後をつけないヘタレだったな。なんのために会津を任せたんだか。
737人間七七四年:2009/05/22(金) 19:43:42 ID:KNqx3nK9
>>736
蒲生だろうが上杉だろうが、頭を伊達や最上に抑えられたら、動くに動けん
738人間七七四年:2009/05/22(金) 20:13:35 ID:kllbHONz
諸大名も秀吉に従ってただけで、豊臣家に従ってた
というわけでもないからな。
739人間七七四年:2009/05/22(金) 20:30:46 ID:5IW2j+em
氏郷、前田、上杉がしっかり結束してれば、家康は何もしないで大老の一人で終わる道を選んだろうな。かといって所詮、連合政権の豊臣は長続きは難しいから、家康が天下を安んじてくれてよかったか。それより関東に飛ばしたのがミスか。
740人間七七四年:2009/05/22(金) 20:59:07 ID:32AuxbGc
清盛は頼朝を伊豆に飛ばした
秀吉は家康を江戸に飛ばした
歴史は繰り返される
741人間七七四年:2009/05/22(金) 21:58:07 ID:65RP3GoD
そもそも論で悪いが秀次が後継者のままだったら、家康も手出しは出来なかったよ
豊臣の崩壊は三成派と清正、正則派の対立からきている
結果的にウマ〜な家康
三成はあまりに敵が多過ぎたため身を滅ぼす
清正、正則は究極のアホ
742人間七七四年:2009/05/23(土) 02:29:44 ID:wUY5QUv8
福島正則は武功有の猛将と証明されました。当スレはこれにて閉店です。
長い間お疲れ様でした。

743人間七七四年:2009/05/23(土) 06:29:38 ID:d4g+Y368
秀次が生きてたら生きてたで秀頼との争いは避けられ
ないと思うんだがな。
744人間七七四年:2009/05/23(土) 08:23:53 ID:MRZ5dglA
当人達にその気は無くても担いでる連中がはじめるかもね

秀頼を秀次の養子にして三代目は秀頼って明言させておけばまた違うかも知れないけど
745人間七七四年:2009/05/23(土) 19:38:13 ID:V+/MZssr
それはいい案だ。家康も無理に天下をとろうとはしないだろう。ただ秀次に男子が生まれたら、なんか問題起きそうだが。
746人間七七四年:2009/05/23(土) 20:26:12 ID:TSapI9oL
なんか時妙院と大覚寺思い出した
747人間七七四年:2009/05/25(月) 16:08:19 ID:jLpekvtl
秀次って長生きしたらもっとお馬鹿エピソード増えそうで不安
748人間七七四年:2009/05/26(火) 14:47:20 ID:MoIxvq+m
>>745
>ただ秀次に男子が生まれたら、なんか問題起きそうだが
起きるにきまっとるだろw
そもそも秀吉が秀次を2代目と公言してたのに実子ができたとたん
秀次を引き摺り下ろすための無茶ぶりが「秀次の乱行」捏造なんだから。
同じ事になるにきまっとるわ。

大体秀次が無能扱いになってるが、そんな証拠はどこにもない。
長久手戦だって10代の名目上の総大将に指揮責任なんか問えるわけない。
秀吉の作戦ミス、実質上の将帥たる補佐役の人選ミスにすぎん。
無論特に優秀という証拠もまたないが、>>747みたいな評価は不当にすぎる。
749人間七七四年:2009/05/26(火) 16:35:45 ID:h3TA8MgP
織田厨はわずか20町ほどの距離の敵に対してとった戦術を秀吉のせいとは考えず
池田森秀次に押し付ける馬鹿 そんなら秀吉が総大将として戦った戦なんて戦場から
ある程度はなれた場所にいたのがほとんどだから秀吉の手柄といえる戦なんて存在しないっつーの。

秀次の補佐役の木下兄弟も戦死し堀・長谷川は一旦的を退けたものの結果として味方見捨てて退却
池田・森はずっと南に移動し岩崎城陥落させていたが秀吉が丹羽、あるいは敗戦後の木曽や長船、その他あて先不明の書状に書いた内容だと
これらの行動を賞賛している。これは決して秀吉の命を無視した行軍ではなく完全に秀吉の命通りという事だ。
別働隊の暴走ではなく完全にその命を発した秀吉の戦術的敗北とわかる
秀吉が奇襲をやすやすと許してしまうような戦術を立ててしまったのがすべての要因
兵力差6倍を生かし、小牧山周辺砦を陥落させるかあるいは龍泉寺方面の中入り部隊を増やし
家康の動きにそなえる部隊を置きつつ家康方の後方拠点を落とし、三河からの連絡を分断・孤立させる策にするか
それも無理ならそもそも尾張口を無理に突破する必要もなく、基盤の弱い伊勢でも支配の弱い信濃でもどこでもいい
750人間七七四年:2009/05/26(火) 16:49:46 ID:pBms4V/c
結局11月になるまでだらだら戦い続いてるしな
木曽川筋のわずかな城を落としただけで
南伊勢でも反撃くらい滝川が作ったチャンスも無駄にして
権力基盤が弱い信雄領国を荒らしまわってたら信雄がびびって降伏しただけだし
751人間七七四年:2009/05/26(火) 17:04:25 ID:MoIxvq+m
御用史書はともかく、当時の大名級はことの仔細はわかっていたはず。
秀吉が生涯、諸大名から真の尊敬を受けられなかったのはこの辺のせこさが原因かな。
だからこそ死後、簡単に離反者を出した。
一方、家康は三方が原の敗戦の責を家臣に押し付けたりせず、
「だって信玄強いんだもん。しょーがねーじゃねえか。」
と開き直ったことで逆に男を上げた。

好対照だなw
752人間七七四年:2009/05/26(火) 17:14:56 ID:DNeyp2W6
嘘や捏造、見栄や強欲など人間のあらゆる悪い面が集積された男が秀吉
753人間七七四年:2009/05/26(火) 19:20:30 ID:GMJqd0im
また自演wwww
754人間七七四年:2009/05/26(火) 22:53:41 ID:a+0o+Oz8
戦上手な黒田官兵衛をつれていけばよかったのに自分からしりぞけてるから馬鹿だ
755人間七七四年:2009/05/27(水) 00:04:36 ID:XEdmh5w5
黒田官べえはきてる。3月上旬の秀吉の書状で中国にいる黒田よし孝を紀州の岸和田に移す旨を述べ、
三月下旬まで岸和田在番しててその後尾張に向かった。
三月下旬に黒田長政宛書状でそこにいる軍勢を尾張口に派遣するよう言ってる。
合戦時の陣立書にもはっきり名前がある
秀長、蒲生氏郷も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)

松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる

伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)
756人間七七四年:2009/05/27(水) 00:10:16 ID:XEdmh5w5
>>755を修正しておく。
3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、

長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる
757人間七七四年:2009/05/27(水) 00:11:57 ID:URjw9HwN
またもや一般人が書き込めないような平日の時間帯にアンチw
758人間七七四年:2009/05/27(水) 00:13:05 ID:XEdmh5w5
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌
夏の対陣の時は長期対陣による疲弊や兵站などの配慮、妻篭での木曽との戦いに使う兵の配置により
尾張に連れて来た兵はこれよりさらに少なかったと言われる
759人間七七四年:2009/05/27(水) 00:17:21 ID:XEdmh5w5
領土拡張率ランキング

         家督相続年  相続時勢力圏  最大勢力圏  勢力拡大率
1宇喜多直家    1555年     0万石    30万石      ∞
2徳川家康     1560年     2万石    1790万石     895倍
3最上義光    1533年     1万石  54万石      54倍  
4葦名盛氏    1532年?     2万石    60万石      30倍
5伊達政宗    1585年    15万石    180万石     13倍
6尼子経久    1478年  10万石    70万石      7倍
7北条氏康    1541年    45万石    180万石      4倍
9武田信玄    1541年    26万石    130万石      3倍
10上杉謙信    1548年    23万石   178万石       8倍
11毛利元就   1526  10万石    60万石     6倍 

最下位 織田信長 30万石    0           0倍

760人間七七四年:2009/05/27(水) 05:01:59 ID:2dbE4orN
なんで豪快にずれてるの
761家出猫:2009/05/28(木) 16:56:00 ID:AAk3wLpd
関東256万国を召し上げて朝鮮一国を与えるってことで家康に
出兵させればよかったんだよ
762人間七七四年:2009/05/28(木) 17:59:52 ID:GglPJjoz
これから中国に進出するのにそんなとこに家康に居られたらジャマでしょうがない
蝦夷一国切り取りしだい
まだぬるいか?
北蝦夷(樺太)でいいか?w
763人間七七四年:2009/05/28(木) 18:45:10 ID:Xo+xea5N
金ヶ崎で家康や池田勝正を置いてさっさと逃げればよかった
764人間七七四年:2009/05/28(木) 19:49:28 ID:tdGLkt6U
徳川朝朝鮮マジ最強
765人間七七四年:2009/05/28(木) 23:30:54 ID:DSm1KZPb
>>761
唐入りが大成功すると思ってる秀吉が徳川に対してそんな莫大な恩賞を
与える事なんて考えるわけが無い。
秀吉にしてみれば豊臣本家の領土を拡張した上に、子飼い武将(清正や行長たち)を
大大名にする絶好のチャンスなんだから
766人間七七四年:2009/05/29(金) 01:18:39 ID:khziLA5Y
>>764
ほんとにトクチョンガガンになっちゃうじゃん・・・
767人間七七四年:2009/06/04(木) 00:09:58 ID:Hei7WGAP
家康に自分の妹を送らずに、兵を送ればよかったのだ。
その言いがかりが問題だが・・・
768人間七七四年:2009/06/04(木) 10:42:54 ID:ra/gnt/l
いいがかりなら信雄にいちゃもんつけてるし何とでもなりそうだ。
84年丸一杯使って6倍以上もの兵力差で権力基盤の弱い信雄の領地荒らしてビビらせて降すのが手一杯
84年の春と夏の対陣でも砦間の小競り合いはあったがほとんど戦果あげられず晩秋までかかる始末だから酷すぎる
まともに戦ったんじゃ5年も10年もかかりそうだなw
家臣も大勢が戦死しそうだ。
769人間七七四年:2009/06/04(木) 10:50:04 ID:mUpa7uOg
家康どころか信雄に苦戦しまくってる有様だからな
吉村氏吉、滝川かつ利、木造具正、康正親子。
秀吉の圧倒的大軍は大敗&大損害&大苦戦させられる始末
770人間七七四年:2009/06/04(木) 17:27:34 ID:vqKxRrNE
少なくとも1時間はあけてレスしろ。自演するにも我慢はいるぞw
771人間七七四年:2009/06/04(木) 23:07:58 ID:fLNh3pZj
あの滅亡寸前だった上杉でさえつぶせないのに・・・
772人間七七四年:2009/06/07(日) 17:38:54 ID:TElqhBjL
秀吉を暗殺したのは 沈惟敬 なる朝鮮人
微量の毒を常用させられ、大腸ガンにより死亡
773人間七七四年:2009/06/08(月) 12:32:34 ID:vuvqDDyz
秀吉に滅ぼす気がなかったのが全て
774人間七七四年:2009/06/08(月) 12:42:26 ID:55qCTLdi
滅ぼさんまでも、政権下石高二位の上杉、毛利の二倍以上あり
直轄領よりも高いヤツの存在が危険すぎる
甲信駿遠三150万石のままでよかったんじゃないかね
775人間七七四年:2009/06/08(月) 12:46:54 ID:OLpBulKR
>>773
84年一杯を対信雄&家康に使って伊勢口や美濃の押さえ合わせて計135000ほどの圧倒的大軍引き連れて
砦間の戦闘や城の取り合いや信濃の木曽、上杉ら周辺大名への働きかけもガチガチにあったのに
滅ぼす気がないとか言われてもな
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している
776人間七七四年:2009/06/08(月) 12:51:02 ID:OLpBulKR
秀吉は天下なんて取ってない。ただ形の上で従ってただけなのは秀吉死後の惨状見りゃアホでもわかる。
いわば実力のない公方とか将軍勢力とかに形式的に大名が従ってたのと同じようなもん。

84年に木曽が秀吉方に内通し85年には真田や小笠原、石川数正、水野忠重が寝返り
家康の信濃支配は諏訪、佐久、伊那のわずか3郡に縮小し譜代の離反により軍事機密も露見し
三河の一部まで秀吉方になったのに母と妹人質に出さないと家康を屈服できない秀吉はヘボすぎる

777人間七七四年:2009/06/08(月) 12:54:58 ID:OLpBulKR
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2〜3万で攻めて散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取る
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
778人間七七四年:2009/06/08(月) 19:03:25 ID:9A1KCrqw
それなのに
天下人なんだよな

つ ま り
戦に強いだけじゃ
ダメってことよ
779人間七七四年:2009/06/08(月) 20:06:06 ID:E5pyalEO
池沼の遊び場だな
780人間七七四年:2009/06/08(月) 20:29:23 ID:1tTZ3Fsv
この時間帯にこの無駄な長文は最近勢力拡大中のひきこもりキムチ!
781人間七七四年:2009/06/08(月) 21:17:45 ID:qaPxB4b9
朝鮮史観はNHKだけにしてくれ
7823つのポイント:2009/06/13(土) 16:13:35 ID:uLyoXg5v
1.小牧・長久手の戦いを継続するべきだったか?
秀吉が死んだとき、徳川の力が強大だったことを考えれば、軍事的に
潰しておくべきだった。

2.秀次を殺したのは誤りだったか?
秀次に実権を持たせ、秀吉→秀次→秀頼と豊臣政権が磐石と見せ付ければ
徳川の付け入る隙がなかった。


3.関東への転封は正解だったか?
朝鮮の役への出兵を免れた、関東への国替えで400万石に倍増したから
結果的に、関東への国替えは豊臣家の首を絞めた結果になった。
783人間七七四年:2009/06/13(土) 16:30:40 ID:A1NKRxnC
事実誤認甚だしい
784人間七七四年:2009/06/13(土) 16:33:05 ID:SDhW8Isa
釣りならもう少しうまくやれ
785人間七七四年:2009/06/13(土) 18:23:07 ID:eQq3uWro
小牧長久手で秀次じゃなくて秀長が総大将を務めればよかった。伊勢は秀次に任せておけばよかった。
786人間七七四年:2009/06/13(土) 19:37:41 ID:7hylW/XC
>>785
正直大将が秀吉じゃ誰が別働隊でも勝てないと思う。
秀吉の、宇喜多家臣長船、木曽義昌、あて先不明の三通の書状から
遅くとも敗戦翌々日の11日には秀長や蒲生など伊勢方面の攻略にあたっていた軍勢が到着した事がわかる
織田厨はわずか20町ほどの距離の敵に対してとった戦術を秀吉のせいとは考えず
池田森秀次に押し付ける馬鹿 そんなら秀吉が総大将として戦った戦なんて戦場から
ある程度はなれた場所にいたのがほとんどだから秀吉の手柄といえる戦なんて存在しないっつーの。

秀次の補佐役の木下兄弟も戦死し堀・長谷川は一旦的を退けたものの結果として味方見捨てて退却
池田・森はずっと南に移動し岩崎城陥落させていたが秀吉が丹羽、あるいは敗戦後の木曽や長船、その他あて先不明の書状に書いた内容だと
これらの行動を賞賛している。これは決して秀吉の命を無視した行軍ではなく完全に秀吉の命通りという事だ。
別働隊の暴走ではなく完全にその命を発した秀吉の戦術的敗北とわかる
秀吉が奇襲をやすやすと許してしまうような戦術を立ててしまったのがすべての要因
兵力差6倍を生かし、小牧山周辺砦を陥落させるかあるいは龍泉寺方面の中入り部隊を増やし
家康の動きにそなえる部隊を置きつつ家康方の後方拠点を落とし、三河からの連絡を分断・孤立させる策にするか
それも無理ならそもそも尾張口を無理に突破する必要もなく、基盤の弱い伊勢でも支配の弱い信濃でもどこでもいい

結局11月になるまでだらだら戦い続いてるしな
木曽川筋のわずかな城を落としただけで
南伊勢でも反撃くらい滝川が作ったチャンスも無駄にして
権力基盤が弱い信雄領国を荒らしまわってたら信雄がびびって降伏しただけだし


黒田官べえはきてる。3月上旬の秀吉の書状で中国にいる黒田よし孝を紀州の岸和田に移す旨を述べ、
三月下旬まで岸和田在番しててその後尾張に向かった。
三月下旬に黒田長政宛書状でそこにいる軍勢を尾張口に派遣するよう言ってる。
合戦時の陣立書にもはっきり名前がある
秀長、蒲生氏郷も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)

松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる

伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)

3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、

長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる
787人間七七四年:2009/06/13(土) 19:46:55 ID:7hylW/XC
6倍以上兵力差あり秀吉軍は家康の5倍以上もの被害出し装備などは当然
畿内持ってる秀吉>>>>貧国ばかりの家康 だから
戦闘能力でいえば家康は秀吉の30倍以上上手だろーな

秀次の補佐役で木下兄弟がつけられ戦死してるな
目付け役で堀・長谷川も加わってるし
お前らの論理だと秀吉は相手と近距離で直接戦闘をした経験はほとんどなく
ある程度距離がある味方に指令だすのが中心だったからわずか20町ほどの距離での
家康との対陣での敗北を秀吉の責任じゃないというなら秀吉が勝った戦もほとんど秀吉の功じゃなくなるな

秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる

六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ

84年時(春〜秋までずっと)家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、小県に真田昌幸、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
788人間七七四年:2009/06/13(土) 20:08:01 ID:iNUfYwaa
黒田は伊勢に来てない。三月下旬まで岸和田在番しててその後尾張に向かった。
伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)
秀長も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)
松ヶ島城は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して攻略に当たっていた他の武将は
秀吉陣に来るよう指示されてる
789人間七七四年:2009/06/13(土) 20:09:25 ID:SDhW8Isa
三鬼清一郎先生もこんな馬鹿に研究を参考にされてるとはおもわないだろうなwww
「陳立書からみた秀吉家臣団の構成」なんて素晴らしい成果なんだけど・・・。
790人間七七四年:2009/06/13(土) 20:12:59 ID:B1G1WrLa
皆もいってるけど単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる

あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
791人間七七四年:2009/06/13(土) 20:14:10 ID:SDhW8Isa
ルーターの再起動やりすぎるとよくないぞwww
792人間七七四年:2009/06/13(土) 20:16:51 ID:WnJ8NWmd
>>790
秀吉は戦術的勝負じゃ全くいいとこなしだからな
ナポレオンは常に本隊中央部への集中砲火という戦術を生涯取り続けた。
得意戦術とはそういうものだ。 秀吉が過去に総大将として野戦を指揮した戦術を見れば一目瞭然。
中国大返しから山崎の合戦しかり、対柴田戦しかり。 要は別働隊の活用と機動力を生かした奇襲戦術。
大兵力である本隊を主戦場から離れた場所に配置し、敵側の予想をはるかに超える
機動力で、「ないはず」の大兵力を主戦場に投入する詐術的戦法が秀吉の得意技。
つまり長久手も同断。別働隊は敵本隊を長久手方面に誘い出し主戦場をそこに設定することにより
本隊機動力を発揮させるだけの距離を稼ぐための囮。
だから中途半端な行軍ではなく、陽動が主目的の作戦主旨に沿った行軍だ。
これだけ類似性のある作戦が、負け戦の時だけ秀吉ではなく他の者の責任などと
考えるほうがどうかしてる。
ナポレオン戦術は指揮系統を混乱させ軍団自体を無力化させる、という無敵の
戦術だったが、指揮系統を班単位に権限委譲し、アメーバ型組織を作ったプロシアの
クリューパーシステムの前に力を失った。
増して機動力のみが頼みの秀吉戦術では、歴戦の将、家康をたぶらかすのは
無理というものだ。完全に秀吉の戦術の敗北だ。

楽田〜竜泉寺にかけて篠木、柏井、大草などに拠点を堅固にきづいてるから
それをうまく利用して家康の後方との連絡を絶つように小牧山から背後の家康方城や砦
陥落させてけば普通に孤立するだろうしな
軍事的センスがなさすぎる
秀吉に従ったように見える諸大名も形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じなのは秀吉死後の惨状でわかる。
信濃では小笠原、木曽、真田が85年までに秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる。
793人間七七四年:2009/06/14(日) 05:32:30 ID:Al3ue+Gp
秀長だったら勝てたよ。大軍を率いての統率力は相当だぞ
794人間七七四年:2009/06/14(日) 09:56:11 ID:iHsuCefT
>>793
秀長がうまく戦えてるのは九州と中国くらいで織田信雄や北条や柴田や明智相手には戦うたびに苦戦、敗戦しまくり。
結局あの別働隊部隊は秀吉の戦術の一部なんだからいくら別働隊に優秀な香具師がいても
結局秀吉の戦術が糞だからいいように撃破されてしまうのが落ち
そもそも池田森秀次長谷川堀勢らは秀吉の意にそって深入りの行軍してたのは
敗戦前日の丹羽宛書状や柏井の一柳・山内、矢部らあて書状や敗戦後の木曽長船あて先不明あて書状でも明らかで
決して中入り勢は暴走行動や失態を演じてたわけではなくむしろ岩崎城を攻め落とした事を秀吉は賞賛してるくらいだが
秀吉本体の動かし方があまりにも怠慢かつ低劣な用兵だったので見事に家康にやられた。
正直大将が秀吉じゃ誰が別働隊でも勝てないと思う。
秀吉の、宇喜多家臣長船、木曽義昌、あて先不明の三通の書状から
遅くとも敗戦翌々日の11日には秀長や蒲生など伊勢方面の攻略にあたっていた軍勢が到着した事がわかる
織田厨はわずか20町ほどの距離の敵に対してとった戦術を秀吉のせいとは考えず
池田森秀次に押し付ける馬鹿 そんなら秀吉が総大将として戦った戦なんて戦場から
ある程度はなれた場所にいたのがほとんどだから秀吉の手柄といえる戦なんて存在しないっつーの。
秀次の補佐役の木下兄弟も戦死し堀・長谷川は一旦的を退けたものの結果として味方見捨てて退却
池田・森はずっと南に移動し岩崎城陥落させていたが秀吉が丹羽、あるいは敗戦後の木曽や長船、その他あて先不明の書状に書いた内容だと
これらの行動を賞賛している。これは決して秀吉の命を無視した行軍ではなく完全に秀吉の命通りという事だ。
別働隊の暴走ではなく完全にその命を発した秀吉の戦術的敗北とわかる
秀吉が奇襲をやすやすと許してしまうような戦術を立ててしまったのがすべての要因
兵力差6倍を生かし、小牧山周辺砦を陥落させるかあるいは龍泉寺方面の中入り部隊を増やし
家康の動きにそなえる部隊を置きつつ家康方の後方拠点を落とし、三河からの連絡を分断・孤立させる策にするか
それも無理ならそもそも尾張口を無理に突破する必要もなく、基盤の弱い伊勢でも支配の弱い信濃でもどこでもいい

結局11月になるまでだらだら戦い続いてるしな
木曽川筋のわずかな城を落としただけで
南伊勢でも反撃くらい滝川が作ったチャンスも無駄にして
権力基盤が弱い信雄領国を荒らしまわってたら信雄がびびって降伏しただけだし

秀長、蒲生氏郷も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)

松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる

伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)

3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、

長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる
795人間七七四年:2009/06/14(日) 10:02:46 ID:JixW1D/2
>>793
完全にお前の妄想だろうが。敗戦わずか2日後に秀長は到着してんのに
圧倒的兵力差ありながら一回の別働隊作戦失敗で手も足もでなくなるんだから秀長どうこうなんて関係ないだろ
そんな妄想するなら家康側も戦歴豊富な大久保兄弟とか鳥居元忠や真田昌幸、依田康国など戦巧者らが終わりにいたら
もっとけちょんけちょんにやられ秀吉も戦死してただろうみたいな話でもするか?
秀次の補佐役で木下兄弟がつけられ戦死してるな 目付け役で堀・長谷川も加わってるし
お前らの論理だと秀吉は相手と近距離で直接戦闘をした経験はほとんどなく
ある程度距離がある味方に指令だすのが中心だったからわずか20町ほどの距離での
家康との対陣での敗北を秀吉の責任じゃないというなら秀吉が勝った戦もほとんど秀吉の功じゃなくなるな
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる

六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ

84年時(春〜秋までずっと)家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、小県に真田昌幸、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
796人間七七四年:2009/06/14(日) 10:14:18 ID:ffo41phs
このキチガイは毎回この異常な長文を
誰かが読むとでも思ってるのかw
797人間七七四年:2009/06/14(日) 10:15:19 ID:JixW1D/2
皆もいってるけど単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる

あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
798人間七七四年:2009/06/29(月) 15:39:00 ID:AvoNguk4
ちきい
799人間七七四年:2009/06/29(月) 16:03:08 ID:Uqa3rQ/n
結局、頃合いで手打ちしただけだろ。
家康もあんまり調子乗りすぎると
秀吉に本気出されて皆殺しにされるから
一番自分を高く売れる時に臣従しただけ。
秀吉も家康ばっかに構ってらんないからね。
幾ら国力が違うとはいえ
家康を木っ端微塵に踏み潰すのも下手すりゃ
数年かかってしまうかもしれんしな。
後ろには北条も控えてたことだし。
800人間七七四年:2009/06/29(月) 16:49:13 ID:frHKmRu5
>>150
くらいまで読んでふと思った。
家康を秀吉が潰すより、誰か忠臣が淀を殺せば良かったのではないか?
801人間七七四年:2009/06/29(月) 20:06:48 ID:CZylUU7k
淀がいなくなったとしても、豊臣政権の後継者問題は解決しないよ。
802人間七七四年:2009/06/29(月) 20:35:28 ID:frHKmRu5
秀次が殺されなくてすむかもよ?
803人間七七四年:2009/06/29(月) 21:06:14 ID:PbU422jk
市松さんが三成以上に家康嫌いだったら全て解決。
804人間七七四年:2009/06/30(火) 13:22:17 ID:CP5IHm3F
チョンに関わるからあの国の法則で没落したんだよ
805人間七七四年:2009/06/30(火) 14:15:45 ID:zM0fstg2
秀次を殺さなかったら豊臣の天下だった可能性は高い。
806人間七七四年:2009/06/30(火) 21:12:03 ID:pjiAZHIT
キムチの長文、華麗にスルーw
807人間七七四年:2009/06/30(火) 22:46:01 ID:qlZFId+9
なんか暫く見てない間に変な長文粘着屋さんがいすわっていたんだな。

まあそれはともかく、小牧長久手って池田・森が死んで
これで枕を高くして寝られるって秀吉が喜んだ逸話とか、その事を謡った短歌とか残ってた筈。
結局あの戦ってそういうことじゃね。
秀吉も面倒くさい奴ら見捨ててるし、家康も信雄を見捨ててる。
(形式上は織田・徳川連合軍で、あの合戦での主体は信雄で徳川家はあくまで援軍の立場だったのにね。)
家康も秀吉も結果オーライ、バカを見たのは池田・森に信雄ばかりなりけりってな。
808人間七七四年:2009/06/30(火) 22:59:56 ID:lSXYm7ik
キチガイ長文登場↓
809人間七七四年:2009/06/30(火) 23:07:31 ID:frgnaQKd
池田が死んで、家康が勢力拡大するより反対の方が百倍マシでしょうよ
森は知らんが、池田は負け惜しみだね
810人間七七四年:2009/06/30(火) 23:09:53 ID:acUaRH90
>>807
完全にお前の妄想だな
ソースとなる史料示せ。池田森がいたおかげで木曽川越えられたのに負け押し付けるは殺すつもりだったわ見苦しすぎるな
数少ない縁者の秀次が任され堀や長谷川やねねの親族の木下兄弟など
見捨てるどころか大切な香具師まで入ってるから皆戦死したら秀吉の支配はあっという間に崩壊するだろうな
ただでさえあの戦いに大敗したためその後だらだら持久戦に持ち込まれ秋まで一進一退で結局一年丸ごと費やしたんだから

84年一杯を対信雄&家康に使って伊勢口や美濃の押さえ合わせて計135000ほどの圧倒的大軍引き連れて
砦間の戦闘や城の取り合いや信濃の木曽、上杉ら周辺大名への働きかけもガチガチにあったのに
滅ぼす気がないとか言われてもな
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している


811人間七七四年:2009/06/30(火) 23:14:24 ID:acUaRH90
秀吉が死ななくて済んだのは家康がまだその頃天下に野心がなく手加減して戦ってたうえに
大久保兄弟や鳥居や真田、小笠原、依田といった戦績豊富な戦巧者達を動員せずに戦いに望んだからだろうな
なんせ8000程度しかつれてなく後は全部基盤の弱い信雄の軍依存だったし
ベストメンバーなら秀吉は瞬殺されてただろう
812人間七七四年:2009/06/30(火) 23:15:47 ID:lSXYm7ik
親にも見放された哀れな子羊が鬱憤晴らしのレス↓
813人間七七四年:2009/06/30(火) 23:19:53 ID:acUaRH90
家康が天下をその頃積極的に目指さなかったのも秀吉に取らせてあげたんだろうな
本人は脇役に徹するのが好きだったんだろう そういう逸話残ってるし
対秀吉ごときに本気になるまでもないと鷹括ってたしな
家康が本気で対秀吉戦望んでたら戦死してたよ
なんせ信長が散々苦戦を繰り返した美濃や畿内勢一日で壊滅させて瞬殺したしな
814人間七七四年:2009/06/30(火) 23:22:16 ID:acUaRH90
小田原合戦って氏政、氏照が死んで
これで枕を高くして寝られるって氏直が喜んだ逸話とか、その事を謡った短歌とか残ってた筈。
結局あの戦ってそういうことじゃね。
長篠合戦って馬場、内藤、山県が死んで
これで枕を高くして寝られるって勝頼が喜んだ逸話とか、その事を謡った短歌とか残ってた筈。
結局あの戦ってそういうことじゃね

815人間七七四年:2009/06/30(火) 23:26:14 ID:acUaRH90
信長が天下取れたのも家康が爪を隠して天下を積極的にねらわず信長に譲ってあげたからだろうな
なんせ姉川といい、美濃や畿内の軍勢に対する圧倒的侵略スピードの差といい差が歴然としてるからな
家康なら2年で天下取れただろう
816人間七七四年:2009/06/30(火) 23:32:11 ID:g7UFysuR
一応、自分がキチガイの自覚はあるんだなw
817人間七七四年:2009/07/01(水) 00:08:03 ID:m4drZkCC
家康には
信長、秀吉より
先に天下をとる器じゃなかったことは間違いない

戦に強いだけじゃ
818人間七七四年:2009/07/01(水) 00:44:18 ID:CZjzRNPG
戦も別に強くないし、
天下が勝手に転がり込んできただけ。
819人間七七四年:2009/07/01(水) 00:53:43 ID:eqGFL4cq
対今川、姉川、北条、秀吉、関が原、大阪の陣。
圧倒的強さです。信長が散々てこずった美濃や畿内瞬殺したしな
家康が尾張にいたら3年で畿内席巻できただろう
信長なんて斉藤の2台続けて死んで相当に弱体化してたのや三好が分裂して畿内が動乱でガタガタだったから勝てただけだし
秀吉なんて信長の遺産継いだだけだしな
実力で天下取ったのは家康だけ
820人間七七四年:2009/07/01(水) 00:57:07 ID:eqGFL4cq
信長や秀吉が自力で勝った戦なんて一つもねえしなw
全部相手の目に砂ぼこりが入ったとか雷に打たれて死んだとかそういうのしかないしw
圧倒的大軍で大敗しまくって天下奪われた凡将w
821人間七七四年:2009/07/01(水) 01:02:43 ID:eqGFL4cq
秀吉が天下取ったとか後世の講談にしかないしな
822人間七七四年:2009/07/01(水) 01:20:15 ID:CZjzRNPG
結論。

「やっちゃえ」

の一言で家康は踏み潰される程度の存在。
秀吉がしなかっただけ。
823人間七七四年:2009/07/01(水) 01:32:33 ID:eqGFL4cq
>>822
完全にお前の妄想だな
ソースとなる史料示せ。ただでさえあの戦いに大敗したためその後だらだら持久戦に持ち込まれ秋まで一進一退で結局一年丸ごと費やしたんだから

84年一杯を対信雄&家康に使って伊勢口や美濃の押さえ合わせて計135000ほどの圧倒的大軍引き連れて
砦間の戦闘や城の取り合いや信濃の木曽、上杉ら周辺大名への働きかけもガチガチにあったのに
滅ぼす気がないとか言われてもな
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している
それは実際に実行に移され圧倒的大軍でわずか20町ほど隔てて対陣し圧倒的大軍の運用でとりで間の攻防は行われ
夏の対陣でも一宮城その他家康方拠点を総攻撃するが戦果は全くと言ってあげられず退陣
単純にこれでは100年かかっても秀吉程度の戦闘力じゃ家康潰すなんて無理
85年秋までに信濃で離反が続き譜代まで出奔してるのに家康に母と妹ささげる秀吉は情けなすぎる
824人間七七四年:2009/07/01(水) 01:36:08 ID:eqGFL4cq
ぶっちゃけ秀吉なんて信雄領国ですらまともに戦闘では苦戦しまくり
晩秋で北伊勢に転進して信雄をびびらせて屈服させるまでほとんど戦果あげられとらん
滝川の作った大チャンス無駄にし南伊勢で反撃を受けだらだら木曽川筋の家康の手の届かない城攻めるのがやっと。
松ノ木城、一宮城戸木城じゃ完敗してるしな
825人間七七四年:2009/07/01(水) 01:37:25 ID:eqGFL4cq
秀吉なんぞどこの大名も自力で潰す力なかっただけだろw
実際圧倒的大軍で大敗しまくって大苦戦しまくり相手がビビるか諦めて降伏や
裏きりやらで勝った戦いしかねえしw
それですら苦戦してるしなw
そういうダメダメなあなあ政権だからすぐ崩れた
諸大名従えたと言ってもいわば実力のない公家みたいなもんだ
826人間七七四年:2009/07/01(水) 01:41:17 ID:eqGFL4cq
雑魚吉に粘着してるのは毛利厨だろうな
なんとかして毛利の株上げるため雑魚吉を高く評価しようとしてるんだろう
毛利両川なんて中国でしか通用しない雑魚だから安心しろ
827人間七七四年:2009/07/01(水) 01:42:23 ID:eqGFL4cq
よえええええなー、秀吉って。
話にならん。雑魚すぎる。
828人間七七四年:2009/07/01(水) 01:46:55 ID:eqGFL4cq
織田信孝には岐阜城外の戦いで大敗w
圧倒的大軍がありながらわずか1000の雑魚信孝の糞采配に完敗し
騙まし討ちで倒しただけ。その後は信雄に30回敗戦を重ね相手が戦いに飽きて
和議を結んだのに助けられる棚ボタw
信長の圧倒的遺産受け継ぎながら圧倒的大軍で寡兵の相手に負け続け、全て失った凡将w
829人間七七四年:2009/07/01(水) 01:51:31 ID:CZjzRNPG
馬鹿だね。
根本的にならどうして家康は臣従したんだよ。
そんなに強いなら秀吉の政治力に下らず徹底抗戦しろよ。
結局、統一を急ぐ秀吉の足下みて、高く売れる時を見定めてただけだろうが。
家康支持してるヤツって局地戦で勝った勝ったってそれしか無いから
あほの一つ覚えのように逝ってるだけで
家康と同じで野戦の名手とか自慢してる時点で足軽脳だってことに
いいかげん気づけよ。
ホント笑えるよ。
秀吉も実際は馬鹿にしてたと思うよ。
三河の田舎者ってな。
830人間七七四年:2009/07/01(水) 01:55:19 ID:eqGFL4cq
馬鹿だね。
根本的にならどうして秀吉は圧倒的国力差で潰すどころか加増しまくり母や妹まで出したんだ。
そんなに強いなら寡兵の家康ごとき瞬殺しろよ。
結局、圧倒的国力があって救われただけで、自力じゃどこも潰せず死後の惨状に繋がったんだろうが。
秀吉支持してるヤツって従った従ったってそれしか無いから
あほの一つ覚えのように逝ってるだけで
秀吉と同じで天下人とか中身のない公家にすぎないのを自慢してる時点で足軽脳だってことに
いいかげん気づけよ。
ホント笑えるよ。
秀吉も実際は馬鹿にしてたと思うよ。
三河の田舎者ってな
831人間七七四年:2009/07/01(水) 02:00:05 ID:eqGFL4cq
秀吉がいうほど強いなら圧倒的大軍で大敗や大損害や大苦戦繰り返したりしないわな
毛利厨にとっちゃ兵力に頼らず押し込まれてるからタブーだが実際は毛利が南条や宇喜多ごときに
苦戦しまくる雑魚だったから勝てただけ 山名もアホだったしな
832人間七七四年:2009/07/01(水) 02:04:20 ID:CZjzRNPG
秀吉の相手は家康ひとりではないだろ。
結局、統一を急ぐ秀吉の足下みて、高く売れる時を見定めてただけだろうが。と書いてるだろというより
常識だろ、当時の状況は。
で、抗戦しないで臣従した理由は何なの?
はやく答えろよ、あしがる〜脳。
833人間七七四年:2009/07/01(水) 02:09:59 ID:eqGFL4cq
>>832
あの当時長衆我部は十河河野来島に押さえられ毛利も四国出兵行い本州上陸無理
紀州には敵がいるが一度撃退された後で中村6000以外は全て楽田まで呼ばれてる
おまけに秀吉サイドは大友毛利宇喜多上杉、信濃でも木曽が84年春小笠原と真田が85年に臣従
家康は北条が留守を狙って家康領国を犯すと言う風聞が流されや上杉も積極的に信濃進出をしていたため
8000程度しかつれてこれない状況
秀吉は主要武将ほとんどつれ100000以上の圧倒的大軍
伊勢方面にも2万4〜5千
そもそも家康に主力でぶつかってる気があり実際の行動でもそうなのは>>823
を読めばわかる
圧倒的大軍と国力差じゃいかに強くても抗戦なんて無理
834人間七七四年:2009/07/01(水) 02:12:39 ID:eqGFL4cq
信雄に自分から喧嘩売って徳川織田に一年費やして他に敵がいたからとか何の説得力もない
そんなら始めに紀州でも四国でも九州でもいけと。

秀長、蒲生氏郷も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)

松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる

伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)

3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、

長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる
835人間七七四年:2009/07/01(水) 02:20:52 ID:CZjzRNPG
大局が読めない君は
やっぱり雑兵。
だからみんながスルー
836人間七七四年:2009/07/01(水) 06:54:32 ID:6nU/A8VS
ていうか、長すぎるからスルー。
せめて読んでて楽しい文章か余程知りたい内容でもないとこんな長文
ネットでは読もうと思えない。
そんな程度の想像力さえ働かない者が書いた文章が正しいとは
端から思えない。
最初の一行を読むのさえ、徒労に思えて苦痛である。
837人間七七四年:2009/07/01(水) 07:27:53 ID:m4drZkCC
家康って
なんで信長の犬の
ように働いていたんだ?
息子もやっちゃって

せめて
格下の猿なんかに
関東に飛ばされたり

やっぱり今川で人質生活が長かったから
臣従癖がついてるのか

猿がタヌキを生かしておいたのは
悪趣味みたいなもんだよ
どこまで家康が
律儀に自分に仕えるか楽しんでたんだな

タヌキはよく耐えたよ
おかげで征夷大将軍になれたんだから
838人間七七四年:2009/07/01(水) 07:51:40 ID:I5vkonR5
家を残す為
839人間七七四年:2009/07/01(水) 20:22:26 ID:TlqHzxRh
何時の間にここはこんなに程度の低いネタスレになったんだ?

今の浮世は結構ずくし 森の武蔵に池田がなくば 諸国諸大名は長袴
小牧長久手の後に上方(秀吉方)で詠まれた歌。つまりそういう戦だったってこと。
釣りだったらいいけどさ、そんなこともわからずに粘着してる人ってそんなに暇なの?
誰も読まない長文スレ、ネタスレを毎日する暇あるなら当時の資料の分析でもすればいいのにね。
あるいは折角暖かくなってきたんだから友達なり女なりと出かけてみれば?
840人間七七四年:2009/07/01(水) 20:50:19 ID:WFjtqoA2
>>839
それこそ後世のネタかと
841人間七七四年:2009/07/02(木) 23:56:31 ID:gCecDT7d
>>839
完全にお前の妄想だな。大体んな妄想ありなら武田も勝頼が邪魔な老臣片付ける
ためにわざと敗戦してその結果武田が滅んだなんていいわけもありなわけで。

ソースとなる同時代史料読める文献示せ。池田森がいたおかげで木曽川越えられたのに負け押し付けるは殺すつもりだったわ見苦しすぎるな
数少ない縁者の秀次が任され堀や長谷川やねねの親族の木下兄弟など
見捨てるどころか大切な香具師まで入ってるから皆戦死したら秀吉の支配はあっという間に崩壊するだろうな
ただでさえあの戦いに大敗したためその後だらだら持久戦に持ち込まれ秋まで一進一退で結局一年丸ごと費やしたんだから

84年一杯を対信雄&家康に使って伊勢口や美濃の押さえ合わせて計135000ほどの圧倒的大軍引き連れて
砦間の戦闘や城の取り合いや信濃の木曽、上杉ら周辺大名への働きかけもガチガチにあったのに
滅ぼす気がないとか言われてもな
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している
842人間七七四年:2009/07/03(金) 00:05:48 ID:Q5Mg9Snx
妄想はお前の専売特許だろ、キチガイw
843人間七七四年:2009/07/03(金) 10:19:44 ID:TLGVw6az
俺が秀吉だったら朝鮮に先鋒として送り込んでやるんだがな。
そのために陣羽織やったわけだし。
そんで関八州を召し上げ、切り獲り次第朝鮮に領土を与えるだな。
拒んだら謀反確定だし、渡海したら得意の戦でがんばってくれるだろう。
844人間七七四年:2009/07/03(金) 18:47:37 ID:jxxZfke1
東国の面倒を誰が見るの?
845人間七七四年:2009/07/03(金) 19:02:03 ID:4UHlXHro
なんで短くまとめきれないの?
次スレ立つならテンプレに「長文君はスルー」と入れておくべき。
846人間七七四年:2009/07/03(金) 20:13:15 ID:KJjTkDUA
>>843
>関八州を召し上げ、切り取り・・・・
そんなの無理だということもわからんのか?
847人間七七四年:2009/07/03(金) 21:04:11 ID:JO/ptEQj
東国は上杉がいるじゃないか。何の面倒みるんだよ。家康が何面倒見てくれたよ?

>関八州を召し上げ、切り取り
何が無理なんだよ? 先鋒で渡海さしといて後から信長が光秀にやったようにすればいいんだよ。
848人間七七四年:2009/07/03(金) 22:01:55 ID:nlfVs6Cs
秀長の存在が多すぎた。徳川も秀長を認めていたし。
豊臣政権って平家政権と似ているんだよなぁ。
849人間七七四年:2009/07/03(金) 22:13:05 ID:KJjTkDUA
関八州を召し上げられてどうやって出兵するつもり
なんだ? 兵や兵糧はどうやって徴収するの?
850人間七七四年:2009/07/03(金) 23:01:56 ID:RFPNqrhk
>>847
蒲生と伊達の騒動を仲裁したり、関東の小大名の世話をしたり等
上杉にこういう政治折衝する能力は無いかと
851人間七七四年:2009/07/03(金) 23:54:42 ID:Eu0FZp6W
>>847
>信長が光秀にやったようにすればいいんだよ。

それは後世の創作で実際は独裁者信長といえどそんなことはしていない
だいたい朝鮮への先陣なんてものは西日本の大名がやることであって東日本の大名がすることではない
852人間七七四年:2009/07/04(土) 10:37:46 ID:P39LdvBK
ID:eqGFL4cq
ID:gCecDT7d
こいつは
  ウンコたれ
ですか?
853人間七七四年:2009/07/04(土) 11:18:30 ID:53VPZu7D
家康を関東じゃなくて
奥州や四国あたりに移動させる
もちろん厳封して
政宗とかを江戸に移すとかして
家康に無理難題をふっかける
854人間七七四年:2009/07/04(土) 14:00:22 ID:y7RVwRjr
特にミスも無いの削ったら色々反感買うだろ・・・
855人間七七四年:2009/07/04(土) 14:29:18 ID:ASr/m82i
つーか、本人にその気が無いのに滅ぼせとか言うのは無理がある。
856人間七七四年:2009/07/04(土) 14:32:07 ID:OYQpqLST
家康が秀頼にやってるくせに
857人間七七四年:2009/07/04(土) 14:58:53 ID:jqK9UNNp
伊達政宗に家康を倒せば100万石やるって言えば殺せたんじゃない?
別件100万石のお墨付き。
858人間七七四年:2009/07/04(土) 19:17:22 ID:6HKJngxu
「殿下が平らげた天下に、それがし如きが改めて乱を起こすまでもござりませぬ」
(俺が欲しいのは100万石なんぞじゃねぇ、天下だ。殺るなら内府よりお前だ)
859人間七七四年:2009/07/04(土) 20:19:31 ID:jCEzLBQQ
>>857
豊臣家に対して監督不足の責任
860人間七七四年:2009/07/04(土) 22:25:07 ID:9BnO2fqJ
ほとんどの大名が、簡単に徳川潰されちゃっても仕方ないよね^^;と思わせるほどの
政治的失点を家康にさせる。

関東のど田舎を日本の中心地になるまで育て上げてしまう様な化け狸相手に可能であるとは思えんけど。
861人間七七四年:2009/07/04(土) 23:10:02 ID:zfULHWq6
>>860
あれ?なんか本末転倒のような気が・・
そのための関東移封じゃなかったっけ?
862人間七七四年:2009/07/04(土) 23:21:15 ID:39Lqa9wR
家康に250万石をあえて与えた上で
自分が朝鮮・明を征服し何千万石も手にして家康を驚かせてやるのが関東移封の目的だよ
政治的失点を待つとかそんな消極的な目的ではない
秀吉がギャンブルに負けたから関東移封の目的が誤解されているだけだ
863人間七七四年:2009/07/04(土) 23:35:39 ID:ASr/m82i
そりゃ、天下統一した後で本気で潰そうと思ったらどうとでも出来ただろうよ。
でも秀吉本人にその気が無いんだから仕方が無い。
外征を第一に考えてるんだから、国内の勢力を削ってる場合じゃない。
しかも本人は失敗の可能性なんて考えても無い。
死ぬ直前になって慌てて制度作りをしようとしたけど、所詮は付け焼刃。
大勢力を潰すような時間も無いから、後継者の傅役と縁者にして
政権に取り込み互いを監視させてバランスを保たせようとしたけど、
結局強い権力を与えすぎて大失敗。
864人間七七四年:2009/07/05(日) 01:44:09 ID:XuGEdRKg
今のアメリカと日本みたいな関係だったんじゃね?

力関係はアメリカ>>日本だけど、大損害出してまで日本潰すよりかは懐柔して利用した方がはるかに利益になる。
イラクみたいに下手な潰し方すると、その後のフォローで無意味にリソースを消耗しちゃうし天下人にとって一番大切
な威信が傷ついちゃう。
865人間七七四年:2009/07/05(日) 01:51:59 ID:XuGEdRKg
あるいは秀吉的に信長の弟分で、忠実な同盟者であった家康を配下にしてるってのが
自慢だったとか。

家康に忠誠を誓わせた!俺は信長越えを果たしたんだ〜〜みたいなノリ。
866人間七七四年:2009/07/05(日) 09:51:16 ID:kTuxAZQg
唐入りは天下統一後の武士失業対策
867人間七七四年:2009/07/05(日) 13:03:13 ID:SssETWEQ
それだな
平和になった国内では武士が失業してしまう
それで外征というわけだ
秀吉本人が指揮をとっていたら明まで征服してたかもな
信長も世界に出兵したろうな
868人間七七四年:2009/07/05(日) 23:14:56 ID:SssETWEQ
JTQKななはななさにこなかやなかはやなかなやわなわな
TJAMWやなかなやなかなやわまかなやかなやわかゆななやなやかやTj.atやにかなやなかやわやかに
869人間七七四年:2009/07/06(月) 09:32:09 ID:BHLCLiNl
>>868
いや、いくらなんでもそれは無理じゃない?
いくら秀吉でもそこまで無茶できないよ。
870人間七七四年:2009/07/06(月) 10:12:17 ID:ijk1CbFL
いや
秀吉ならあっというまに朝鮮を現地で手なずけて
一気に明入りできる
なんせ
明はすでに弱っているし
秀吉はいくらでも金もってるから
明を取り込むくらい
秀吉ならやれた
秀吉の戦の仕方なら可能だった
本人もそういうのが好きだから海を渡ろうとしてたし
やっぱり本人がいかないと大名たちもしっかり動かんよ
871人間七七四年:2009/07/06(月) 16:38:48 ID:96I0YRkr
常識的に考えれば北条を潰した後に難癖つけて潰すのが一番いいだろう
蒲生氏郷あたりが長生きしてたら先鋒に置きたいね
伊達政宗と競わせるのも面白い

872人間七七四年:2009/07/06(月) 21:32:36 ID:ZvbW8pSw
最上は伊達との仲が険悪だから、関東には兵を出せない
佐竹は結城・酒井・鳥居・武田信吉らによって囲まれている上、
筑波山地・香取海・鬼怒川で更に囲まれているので攻勢は難しい

助攻の中山道は井伊・榊原・平岩・松平忠吉らで数ヶ月は抑えられる
主攻の東海道は小田原城を攻囲する間に、家康旗本と本多・大須賀らに
よって決戦をする

という作戦計画が領国配置から読める
こういうのをみると秀吉がそういう安易な考えを起こすとは思えん
873人間七七四年:2009/07/07(火) 06:55:21 ID:9XEW4i9Q
わざわざ家康を滅ぼす必要性がないだろ常識的に考えて
874人間七七四年:2009/07/07(火) 07:33:53 ID:5IzmQTUk
>>873
またおまえか
875人間七七四年:2009/07/08(水) 16:44:41 ID:TX69oHX8
家康を関東に動かさないとしたらどういう選択肢があっただろうか
876人間七七四年:2009/07/08(水) 17:24:56 ID:mDmRpYpe
四国移封w
877人間七七四年:2009/07/08(水) 17:28:16 ID:kVgH4Vvb
>>871
何か勘違いしているようだが徳川、織田、蒲生は小田原合戦後に遠方に飛ばされた仲間だぞ
878人間七七四年:2009/07/08(水) 19:04:12 ID:hmLNKSLr
家康に250万石は多すぎる、せめて、120万石ぐらいにすべきだった。
879人間七七四年:2009/07/08(水) 20:47:20 ID:wH74S3hY
>>878
それだと転封前と変わらん
880人間七七四年:2009/07/08(水) 21:16:44 ID:Dk2k8A8W
だが、それがいい
881人間七七四年:2009/07/08(水) 21:48:38 ID:B629ofA4
>>878
秀吉は朝鮮出兵の成功を信じて疑わなかったのだから
家康に250万石を与えても多すぎるわけではない
250万石と引き換えに家康を朝鮮出兵から蚊帳の外にして
豊臣恩顧大名だけでそれを上回る大領を独占するというのが秀吉の計画だよ
むしろ家康を朝鮮出兵に参加させないために250万石の付与は必須だった
その計画に失敗したのはあくまでも秀吉の自己責任であり家康の責任ではない
882人間七七四年:2009/07/08(水) 22:46:08 ID:P28aGADt
「新史 太閤記」 by司馬遼太郎
883人間七七四年:2009/07/08(水) 22:58:00 ID:kVgH4Vvb
>>881
そんじゃ前田利家も徳川家康と同様に蚊帳の外なのか?
884人間七七四年:2009/07/08(水) 23:28:32 ID:B629ofA4
>>883
利家が政権に取り立てられたのは隆景や家康よりも後であることを考えると
秀吉は言われるほど利家を評価しているわけではないよ
朝鮮出兵開始時点では後継者問題もなかったし
まず朝鮮の恩賞を与えるべきは子飼いや養子連中であって
昔馴染みで置いているだけの利家が蚊帳の外になるのは当たり前
家康にしても利家にしても朝鮮出兵開始時点と秀次処刑後の事情が混同されて語られがちなのは問題だろう
885人間七七四年:2009/07/09(木) 01:32:21 ID:osItyh94
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm7522350

朝鮮出兵の真相?
886人間七七四年:2009/08/09(日) 17:14:18 ID:rdI06Xvy
秀吉がもちっと早く、そして5人くらいの男子をもうけていれば・・・
887人間七七四年:2009/08/12(水) 20:31:41 ID:wkPSRrr9
秀吉が三成を養子こしていれば、
888人間七七四年:2009/08/12(水) 20:48:14 ID:qJudJJsb
そんなことしたらもっと前に三成殺されてた
関白ですら切腹させるぐらいだから
それか三法師の時と同じように秀頼利用されて
徳川のいいようにされて終わり
889人間七七四年:2009/08/12(水) 21:23:29 ID:MxgkiChh
天下統一後、謀反の疑いがあるとか言って、諸大名に家康討伐の大号令をかけてれば間違いなく徳川家を潰すことができた。
秀吉はやらなかったが、家康はやった。
ただそれだけの違い。
890人間七七四年:2009/08/12(水) 21:50:47 ID:KXoO/RF7
家康の関東領国配置を見るとそう簡単な話ではない
891人間七七四年:2009/08/12(水) 22:07:02 ID:/NYRTd1l
配下にした後は秀吉自身が家康を敵視してないんだからんなもん無理。
隙がない以上、部下が進言したって讒言する卑怯者扱いだろ。
秀頼の場合は家康の配下ではないから敵として認識できた。
892人間七七四年:2009/08/12(水) 22:30:31 ID:qJudJJsb
家康は秀頼に下るよう何度もチャンスを与えたんだけど
秀頼の側がことごとく無視したり敵対行為を繰り返した結果ああなった
小大名としてなら織田家と同じように生きながらえる事が出来た
893人間七七四年:2009/08/13(木) 02:41:52 ID:TnL53Nh/
でも結局、家光あたりに取り潰されそう。
894人間七七四年:2009/08/13(木) 08:46:10 ID:uDGslbb1
秀頼が生まれなければ、秀次政権が盤石にになり
たくさんいた子供を各地の大大名にして豊臣家政権が続いたのに・・・
895人間七七四年:2009/08/13(木) 10:53:43 ID:OuZLkBI4
つうか秀吉は農民の出ということで大名連中が尊敬していないことを秀吉は知っていた。
でもそれなりに家柄の高い家康を配下につけることで、あの家康が秀吉に頭を下げた!
秀吉はやっぱりすごいんだ!と思わせようとしていたんだから、家康をつぶすことはできないよ。
2人が対立したら家康に味方する大名も多かったかもしれない。

それは源平の争いを見ればわかる。本来平氏方なのに頼朝の見方をした武士は多かった。
まあ源平は両方とも貴種だったという違いはあるけど。
896人間七七四年:2009/08/13(木) 12:36:10 ID:rX9xdvHd
家康の家柄が高いっておいw
897人間七七四年:2009/08/13(木) 13:24:18 ID:gHzqDJtd
当時の家柄なんて創ったもん勝ちだよ。
秀吉なんて日輪の子だぜ?ダイターンだって吃驚。
898人間七七四年:2009/08/13(木) 13:43:08 ID:9tmkSKyb
家柄が悪い→武士道に反する逆賊。で高貴さは後付けで十分なのでは
899人間七七四年:2009/08/13(木) 14:27:00 ID:TVMUdj6o
利休にすら呼び捨てにされてたぐらいだから子飼いの武将以外からは結構陰で馬鹿にされてたんじゃないか?
900人間七七四年:2009/08/13(木) 17:47:15 ID:sbkrA+S4
教養が無いからなぁ
901人間七七四年:2009/08/13(木) 22:34:17 ID:GZjqPirW
せめて秀頼が滅びた家の腹からでなく、
松の丸殿(京極高吉娘)
加賀殿(前田利家娘)
三の丸殿(蒲生氏郷養女、織田信長の娘)
三条殿(蒲生賢秀娘)
ここらあたりの側室から産まれていればねー
902人間七七四年:2009/08/14(金) 13:42:49 ID:Y8Sk2w8T
でも秀頼は淀殿の実子とするなら
浅井家と織田家の血も1/4ずつ
混じってんだよね(信長は大伯父)

淀殿がもうちょっと妥協を許せる性格なら
徳川を滅ぼすとまでいかなくても
豊臣家はもっと長持ちしたかもという
意見に俺も賛成
903人間七七四年:2009/08/14(金) 14:06:58 ID:J7RShVHK
つか、淀君いなけりゃいんじゃね?
904人間七七四年:2009/08/14(金) 20:43:50 ID:ts4kDRwr
淀殿がはっきりこう言った(徳川には従えませぬとか大坂城は渡せませぬとか)
っていう文献を俺は知らんわけだが。
冬の陣以後に家康に弾劾状(広く天下に知れ渡るように)を出すとかもう出来ない情勢だったか?
905人間七七四年:2009/08/14(金) 21:07:17 ID:kGVW0pxR
>>902
そういう意味ではなく実家が大名として存続しているところの娘だったら
その大名は豊臣と一蓮托生だったかなと
農民上がりで先祖代々の家臣もおらず、かといって親族大名も北の政所系の
浅野家や秀吉同様の農民上がりの木下家のみ
これではいかにも薄い
例えば、(年齢的にありえないけど)秀頼が北の政所の実子だったら秀吉死去時に
わずか1歳だったとしても浅野家は関ヶ原前後ですら徳川寄りにはならないでしょう
前田の加賀殿の実子だとすれば前田家は利家死後でもあっさり徳川に降ったり
しないでしょう
松の丸殿や三の丸殿でも三条殿でも同様
豊臣の藩屏として無条件に計算出来る大名家があればねー と思う次第です
906人間七七四年:2009/08/14(金) 21:24:25 ID:GF/shr7p
>>904
秀忠が将軍になった時に秀頼にも上洛を求めた所、淀殿が秀頼を殺して自分も死ぬと息巻いた
(当代記、慶長見聞録)
907人間七七四年:2009/08/15(土) 10:52:26 ID:KFQ1lfoy
>>905
家康の娘と秀吉の間に秀頼が生まれるのがベストだね
908人間七七四年:2009/08/15(土) 10:56:55 ID:Y16OodxZ
でも秀吉から見たら家康は義父ということになるが・・・
909人間七七四年:2009/08/15(土) 12:11:19 ID:Wkf6Imam
秀吉の妹朝日と家康の間の娘と秀吉の間に秀頼が生まれて家康の孫の千と縁組させるのがベストだった
910人間七七四年:2009/08/15(土) 13:51:21 ID:qC7+exe6
家康を秀吉の養子にすればおk
911904:2009/08/15(土) 14:57:59 ID:1gp/szyV
>>906
サンクス。そうだったのか…。
しかし死ぬってあんた、徳川の思うツボじゃないか。
912人間七七四年:2009/08/15(土) 16:00:47 ID:Y16OodxZ
一日中性交しまくってて精液が薄くて子供できない時点で秀吉の負け。
913人間七七四年:2009/08/17(月) 01:02:47 ID:S2q6FmUM
要するに中央集権国家(絶対王政)を確立しない限り結局ダメだね
西欧の歴史を見ても分かるように中央集権体制を確立した国が列強諸国になり植民地獲得競争に勝った
その点、豊臣政権は有力諸侯の連合体なので、そもそも弱すぎてダメだね
本当は日本も織田信長が毛利や上杉など滅ぼして中央集権化を実現するはずだった
それができなかったのが豊臣政権の限界と言えるだろうね
結局は関が原のような最終決戦が必要だった

秀吉はどうすれば徳川を滅ぼせたか?→合戦に勝利する以外なし
914人間七七四年:2009/08/17(月) 03:11:16 ID:X7rd6Uz9
>>22
天下を目指す長宗我部元親がいないではないか!!!
915人間七七四年:2009/08/17(月) 12:03:43 ID:PB/pmcxf
>>913
>秀吉はどうすれば徳川を滅ぼせたか?→合戦に勝利する以外なし

小牧・長久手で勝てなかったやん
916人間七七四年:2009/08/17(月) 13:24:52 ID:GBqg/6I6
兵力では大きく上回っていたのに、小牧・長久手の戦いに勝てなかったことが、
家康に弱みを握られたというか、秀吉は完全には上とは言えない状況をもたらしたな。

家康に声をかけるときも「徳川どの」とやたら気を使っていたというし、大坂では
家康に「大名の前で頭を下げてほしい」とこっそり頭を下げに行ったというし。
917人間七七四年:2009/08/17(月) 14:42:03 ID:rR1fhybF
唐入りが成功すれば徳川なんて目じゃないほどの大大名がたくさんできるから問題ないよ
918人間七七四年:2009/08/17(月) 15:25:45 ID:GBqg/6I6
だから朝鮮・大陸侵略なんて非現実的で無理だっつうの。
919人間七七四年:2009/08/17(月) 15:27:13 ID:22+9uMvH
唐入りするくらいならルソンからジャパ行きさんしといてくれれば今ごろは
920人間七七四年:2009/08/17(月) 16:33:22 ID:S2q6FmUM
欧州の辺境の島国に過ぎなかったイギリスが国内において絶対王政を確立し、
スペインやオランダ、フランスといったライバルに軍事的・経済的に勝利し、
アメリカ大陸やアフリカ、アジアに植民地を広げていった。

織田信長が武田同様に毛利や上杉、長宗我部を滅ぼすつもりだったのは明らかだろうが、
おそらく次いで島津や北条、伊達、最終的には徳川を滅ぼして真の中央集権化を目指したと思う。
もし信長が真の中央集権国家を早期に樹立し、国内の軍事的・経済的パワーを単一の主権の下に結集すれば、
イギリスと同様に海外植民地の獲得もあながち不可能とは言えなかったのではないかと思う。
921人間七七四年:2009/08/17(月) 16:37:12 ID:h1BX93Vo
信長では畿内制圧が精一杯だろうな 戦線拡大して自軍を展開しまくった結果
自滅だから 日本より広い外国はとうてい攻略不可能だw 
922人間七七四年:2009/08/17(月) 16:41:14 ID:S2q6FmUM
毛利や上杉、長宗我部は本能寺直前の時点で既に風前の灯火だったがな
923人間七七四年:2009/08/17(月) 16:58:20 ID:S2q6FmUM
要は、豊臣政権のような分権的貴族政では長期安定も海外進出もおぼつかない。
誰が主体となるにしても、中央集権体制を確立して単一主権のもとに国軍と官僚制を整備しなければダメということだ。
逆にそれができれば長期安定も海外進出も十分可能だ。
話がだいぶ逸れたので、このくらいにしておく。
924人間七七四年:2009/08/17(月) 17:44:59 ID:Q5V3UDT5
ガチでやってたら秀吉には勝てないて家康自身が一番わかってたろう
秀吉も勝てるがその後グダグダになりそうて思ってたろうし

925人間七七四年:2009/08/17(月) 17:55:28 ID:GBqg/6I6
秀吉は家康の策略にまんまとはまったわけだ。
926人間七七四年:2009/08/17(月) 20:49:17 ID:PB/pmcxf
>>923
太平洋戦争の時も中央集権だった気がするが…
927人間七七四年:2009/08/17(月) 21:22:05 ID:6QrVwJax
全然
never
at all
928人間七七四年:2009/08/17(月) 21:27:06 ID:BD62ftR3
信玄が三方ヶ原の戦いで家康の首をあげていればよかった
929人間七七四年:2009/08/17(月) 21:31:23 ID:PB/pmcxf
秀吉が死ぬ時に淀殿に家康を葬る秘策を伝授していれば良かった
930人間七七四年:2009/08/17(月) 21:31:52 ID:S2q6FmUM
>>926
それは時代が違いすぎる。「先んずれば人を制す」だ。
他に先駆けて16世紀後半の時点で中央集権を確立していれば、大英帝国のような立場になり得た。
欧米列強に数世紀遅れたので、植民地獲得などの点で先を越され、独伊と同様の立場になった。
931人間七七四年:2009/08/17(月) 21:58:07 ID:BD62ftR3
>>929
秀吉はかなり家康に対して油断をしていたんだよね
大阪城に招いた時に大阪城を落とすにはまずは堀を埋めさせる事と
話しているんだよね
932人間七七四年:2009/08/17(月) 22:44:52 ID:H13cGEWI
そう考えると今の天地人の家康は悪役すぎるな
あんだけ尻尾出しすぎだったらもっと警戒してたのにな

史実の家康どんだけプライドかなぐり捨てて秀吉にゴマすってたんだかw
933人間七七四年:2009/08/17(月) 23:01:54 ID:PB/pmcxf
>>931
なんでまた自分の城の落とし方を教えるんだか…
934人間七七四年:2009/08/17(月) 23:11:07 ID:H13cGEWI
家康が晩年よく口にした「もし秀忠に不満があるならすぐに国元へ帰り兵を挙げよ!」
とおんなじ

どちらも自分の大物ぶりを示そうとしたんだろうが、秀吉の場合はそれがまんま裏目に出てシャレになんね〜(笑)
935人間七七四年:2009/08/17(月) 23:15:39 ID:qZDtFFQr
>>932
同じ位、秀吉も家康に気を使っている
信長ですらそうなのだから
936人間七七四年:2009/08/17(月) 23:19:21 ID:f1ROcuxu
>>929
そんな秘策があればとっくに実行しているだろw
できないからやらないし、秀吉にできないことを淀にできるわけがない
937人間七七四年:2009/08/17(月) 23:31:44 ID:H13cGEWI
秀吉はプライベートゆうか内々の時は家康に限らず誰にでも気を遣ってたのではないかな?
ひとたらしの秀吉だし

逆に強きを助け弱きをくじくスーパー権現家康は自分より弱いと思ったら徹底的にたたくのに強いヤツにはヘイコラw
938人間七七四年:2009/08/17(月) 23:34:55 ID:T3iBqYQL
>>937
出自が出自だし秀吉はそれしか手が無いかも。
でも表向きは舐められないよう厳しく時には必要以上に尊大に振舞ってたようだけど。
939人間七七四年:2009/08/17(月) 23:37:33 ID:gH9uHbQ6
それが重き荷ってやつじゃなかろうか?w
一生強い奴には頭上がらないで辛抱して耐えねばならんという
幼少の頃からそうやって生きてきた不遇な人だし 本来なら激情にかられて
突撃していくような性格だったんだろうけどね
940人間七七四年:2009/08/18(火) 01:42:30 ID:tME0Xr+L
>>916
秀吉は関東より世界に興味があったんだと思う。
で、子飼いの主戦力武将を九州に集めすぎた。
そして2線級の奴等を東海道に配置したのが運の尽き。
941人間七七四年:2009/08/18(火) 08:03:52 ID:PwWGo4OO
毎日天麩羅で宴会を開けば良かった
942人間七七四年:2009/08/18(火) 08:26:53 ID:0S30kZoA
結果論だけど
秀吉はなんで危険分子の徳川を関東移封による大幅加増にしたんだろう?
普通危険分子に加増をする?
あと三成も100万石くらい譲りうけていればよかったんだけど
943人間七七四年:2009/08/18(火) 09:49:30 ID:SqpTzmnu
関東整備の疲弊に期待
北条もやれたし徳川だってやれる
近畿から遠ざけられる
944人間七七四年:2009/08/18(火) 10:12:27 ID:IjFDuPnb
>>942
他の豊臣譜代連中も20万石が上限
100万石なんてあげたら、石田家(三成ではない)に豊臣家が飲み込まれる
945人間七七四年:2009/08/18(火) 12:33:48 ID:GPiY/Z8m
外様は日本に閉じ込め、大陸を自分たちで独占するという考えだったのか
946人間七七四年:2009/08/18(火) 12:37:55 ID:2jKsUBVl
東国を軽く見ていたんだね
947人間七七四年:2009/08/18(火) 15:04:24 ID:JISxme4e
大陸がどうのこうのなどと誇大妄想を抱かなければよかっただけの話
948人間七七四年:2009/08/18(火) 18:10:37 ID:U5W+M8/R
スレタイに戻るけど、そもそも秀吉には家康を滅ぼす気があったかって話。
949人間七七四年:2009/08/18(火) 19:09:47 ID:/DxFouul
>>926
戦時中の日本は中央集権度が周りと比べて足らなかったよ。
950人間七七四年:2009/08/18(火) 20:04:12 ID:3MjmcePx
陸軍と海軍が戦争しているような状態
951人間七七四年:2009/08/18(火) 20:36:02 ID:5f0orguZ
関東に移封しない方がまだよかったのかもな
952人間七七四年:2009/08/18(火) 20:42:11 ID:6/wB5l/K
そもそも自分は泥棒しておきながら、人は泥棒しないと思う認識の甘さがいけない
953人間七七四年:2009/08/18(火) 22:15:47 ID:YBDqL1Py
小牧・長久手時点で徳川をつぶせた(が、潰す気がなかった)という意見が
そこそこ出てたが、1584年の時点で秀吉方の石高はどのくらいだったんだべか?

当時、信雄(100万石)・徳川(150万石)・北条(250万石)合わせると500万石ぐらいか
徳川・信雄は史実、小牧・長久手で共闘しているわけだし、若干怪しいが徳川・北条
には婚姻関係があったわけだろ。秀吉が本気で徳川を潰そうとしたら結構な覚悟が
必要だったのでは?

旧柴田領はまだ平定後1年程度で磐石とまでは行かない状態だったろうし、
長宗我部や雑賀あたりへの配慮もあっただろうしなぁ。

秀吉が勝つ可能性は高いが、天下を取ることはできなかったかも。
954人間七七四年:2009/08/18(火) 22:31:53 ID:U5W+M8/R
かつての主(信長)の同盟者だから、滅ぼせなかったと言って
みるテスト。
955人間七七四年:2009/08/18(火) 22:56:11 ID:YBDqL1Py

関東移封後すぐに・・・ってのもでてきたが。

徳川としては北条残党への対処もしなければならず、非常につらい情勢
だろう。ただ、戦いに勝って徳川旧領回復できたら必ず北条の再興を・・・
とかなんとか言って抱き込める可能性も・・・ないか。

上方から出てくる秀吉勢を関東に来るまで、黙って待ってるかな?
旧領はすぐ隣だろうし、悪政強いてたって話はあまり聞かないから、
徳川が攻め込めばかなり有利な戦いが可能だったのでは?

地理にも詳しいだろうし、あっさり甲斐・駿河・遠江 ぐらいは抑えてしまう
可能性もあるんじゃないか?

そうすりゃ、主戦場は徳川旧領って事になり関東での防衛戦より
戦いやすそうだ。

まぁ、これも秀吉が勝つ可能性は非常に高いが、長引けば野放しの
四国や九州、東北辺りはどうなることやら。
956人間七七四年:2009/08/19(水) 00:28:01 ID:dBHr1RIz
その時点で秀吉についていない大名連中が一斉に家康を支持する可能性もあるわけで、
やはり小牧・長久手の戦いが最大のチャンスだったんだがな。それこそ総動員で行くべきだった。
楽勝モードで行ったのがいけなかった。その時点で豊臣家滅亡フラグが立った。
957人間七七四年:2009/08/19(水) 01:03:50 ID:a+pmpQL7
豊臣滅亡フラグは秀頼が生まれたときだろ
958人間七七四年:2009/08/19(水) 01:26:16 ID:DgBDuPgq
淀を側室にした時点で豊臣滅亡フラグは成立していた
秀吉の色狂いが全ての元凶だ
959人間七七四年:2009/08/19(水) 08:03:13 ID:+6oIyC2K
それにしても150万石から250万石へと加増と馬鹿げた事やったもんだ
180万石ぐらいでよかったのに
960人間七七四年:2009/08/19(水) 08:21:25 ID:Ji8oqmcz
>>959
ほんとどうせ加増するんなら北海道に移封させれば良かったのにw
961人間七七四年:2009/08/19(水) 09:55:22 ID:a67dAIt9
北海道は米とれないから加増にならない
962人間七七四年:2009/08/19(水) 11:42:57 ID:6z3FkvCx
米どころの秋田はどうだ?
963捕捉:2009/08/19(水) 12:21:17 ID:6z3FkvCx
>>962
まず関東に家康(徳川)を送り、治水工事など色々やらせて
金をむしり取り、その後で改めて秋田辺りに移封。
大坂まで参勤交代させて更に財政的に疲弊させる。
964人間七七四年:2009/08/19(水) 18:13:34 ID:U71ONAD8
それを家康にウンと言わせられるならもう秀吉の勝ちなんだけど
家康は一回会いに行くのさえ母を人質に出さないと会わないやつだからな
965人間七七四年:2009/08/19(水) 20:01:40 ID:QVKZwwgP
>>962
今の東北全土で200万石ありませんが。
966人間七七四年:2009/08/19(水) 20:29:08 ID:6z3FkvCx
>>965
そしたら、毛利みたいに減封だよ。
967人間七七四年:2009/08/19(水) 20:46:34 ID:bDOorlXH
広大な旧北条領をまとめて面倒見れる上に奥州への抑えにもなり安心して唐入りできるなんて秀吉テラ有能じゃね
968人間七七四年:2009/08/19(水) 22:01:37 ID:6z3FkvCx
>>967
関東武士がみな家康になびいたとして、それを見抜いてたとしたら、
秀吉テラ阿呆じゃね?
それにその説だと、唐入り戦は勝ったも同じという根拠のない傲慢さ
もうかがえる。
969人間七七四年:2009/08/19(水) 23:31:41 ID:dBHr1RIz
右肩上がりの成長が当たり前の秀吉は、苦労に苦労を重ねてきた家康に勝てるわけがない。
970人間七七四年:2009/08/19(水) 23:52:36 ID:Yk85BV1x
そうかな
家康は凡人だから
秀吉や信長が怖くてしかたがなかったんだよ

ウンコもらすくらいに
971人間七七四年:2009/08/20(木) 00:00:38 ID:rvM5n4jQ
家来になってるのに勝てるわけがないとはこれいかに。
972人間七七四年:2009/08/20(木) 04:03:36 ID:HZpYYTod
家来にはなってない
外様大名と言ってあくまでも大名同士の間柄
973人間七七四年:2009/08/20(木) 05:19:54 ID:t1POy6Hm
外様大名といってってw

教えて貰っちゃったよw
974人間七七四年:2009/08/20(木) 09:04:01 ID:OpsM7zal
ちょっw新説発見w
975人間七七四年:2009/08/20(木) 10:13:55 ID:D1gu04u6
そとさまだいみょうってすごいんだね
976人間七七四年:2009/08/20(木) 11:37:35 ID:3aMTqWl+
上阪中の人質に出した大政所を暗殺して、その嫌疑を家康にかぶせる
暗殺の責任を取らす名目で家康主従を殺せば勝てた


977人間七七四年:2009/08/20(木) 12:18:01 ID:9eGU0gxL
大政所が死んだ時にショックで倒れた秀吉にはそれはできんだろ
それにおなご一人殺しただけじゃ勝てまい
978人間七七四年:2009/08/20(木) 12:29:07 ID:9eGU0gxL
仮に大政所を暗殺しても、本能寺の時の細川みたいに、家康が
哀悼の意を表して頭を丸め、秀忠に跡を継がせる。

勿論その後も、司令を下すのは家康(坊主)。
979人間七七四年:2009/08/20(木) 12:50:59 ID:3aMTqWl+
>>977
それができないのが腐れ禿鼠の限界
それに戦で勝つとは書いてない
上阪中の家康主従を確実に殺すのが目的

>>978
家康が哀悼の意をってのはこの場合、無駄だよ
この場合、大政所を殺したのは(実行犯にかかわらず)徳川家
もちろん弁明の機会は一切なしにしないと意味がない

スレタイの問いかけが架空の設定なので、考え方も架空のもの(禿鼠が母親を殺せるわけがないetc)になるのは仕方がないということで勘弁してください

980人間七七四年:2009/08/20(木) 15:45:20 ID:9eGU0gxL
>>979
はたして大義名分として成り立つか?
仮にうまく家康・秀忠を殺害しても、徳川家は団結力が強いぞ。
981人間七七四年:2009/08/20(木) 15:49:36 ID:9eGU0gxL
捕捉

幼い竹千代(家康)の父・広忠が暗殺された後の松平(徳川)の団結力は凄い。
982人間七七四年:2009/08/20(木) 16:14:54 ID:LxEDmcjd
関東250万石って最初から250万石あったわけじゃなくて
家康が治水・開墾を10年やった結果でしょ。
983人間七七四年:2009/08/20(木) 16:42:08 ID:t1POy6Hm
>>980
大久保長安が死んだときは凄い団結力を見せたよね
984人間七七四年:2009/08/20(木) 17:05:02 ID:Pv0kr0Tu
豊臣と徳川、なぜ差がついたか。慢心、環境の違い
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1250755453/l50
985人間七七四年:2009/08/20(木) 23:13:35 ID:YfABa7sG
家来にはなってない
外様大名と言ってあくまでも大名同士の間柄


コピペ化決定!
986fusiana:2009/08/21(金) 01:05:34 ID:9qD/AY6Y
秀忠に家康が謀反の疑いありとチクらせる。
987人間七七四年:2009/08/21(金) 01:26:05 ID:GsYKW8gw
その子が外様大名っていうのを何だと思ってるのか聞いてみたい
988w:2009/08/21(金) 21:54:38 ID:CwVeomKO
>>987
天下人と対等なパートナー
989人間七七四年:2009/08/21(金) 23:07:42 ID:HbSH7wLV
すげぇな。パートナーばっかりだw
990人間七七四年:2009/08/22(土) 00:51:45 ID:f54x9IG1
しかし家来はねぇよなw
991人間七七四年:2009/08/22(土) 11:52:13 ID:pzAZu+8L
991
992人間七七四年:2009/08/22(土) 11:59:05 ID:pzAZu+8L
992
993人間七七四年:2009/08/22(土) 12:05:26 ID:pzAZu+8L
993
994人間七七四年:2009/08/22(土) 14:28:27 ID:pzAZu+8L
994
995人間七七四年:2009/08/22(土) 16:40:46 ID:pzAZu+8L
995
996人間七七四年:2009/08/22(土) 16:41:29 ID:pzAZu+8L
996
997人間七七四年:2009/08/22(土) 18:23:56 ID:pzAZu+8L
997
998人間七七四年:2009/08/22(土) 20:24:15 ID:pzAZu+8L
998
999人間七七四年:2009/08/22(土) 20:26:35 ID:pzAZu+8L
銀河鉄道999
1000人間七七四年:2009/08/22(土) 20:28:26 ID:pzAZu+8L
1000なら夢が叶い続ける。
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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